オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~ (空想病)
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序章 Prologue
復讐の終わりと始まり


 いったいn番煎じの設定かはわかりません。
 が、前作の後日談で予告した通り、投稿いたします。

※諸注意※
 基本設定は書籍やWebを参考にしております。
 オリジナル主人公・オリキャラ・独自設定が出てきます。
 舞台については、原作から100年ほど未来を想定しています。
 アインズ・ウール・ゴウン魔導国に大陸が支配されております。
 原作キャラとの「敵対」関係。
 これらを苦手と感じられる方は、くれぐれも、ご注意ください。



/End and beginning of the Revenge

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 DMMO-RPG〈Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game〉

 

 

 YGGDRASIL(ユグドラシル)

 

 

 西暦2126年──今から十二年前──に発売された、仮想世界体験型ゲームタイトルの一つ。

 当時としては破格とも呼べる「プレイヤーの自由度」で人気を博し、国内においてはDMMO-RPG=YGGDRASILと評されるほどの知名度を誇っていた。

 しかし、今は2138年。サービス開始から十二年も経てば人気は下火となり、数多(あまた)のDMMO-RPGと同様の運命を辿ることに、相成った。

 

 

 

 

 

 サービス終了の時を迎えたギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)

 そのギルドマスターにして、事実上唯一のギルド構成員である堕天使という異形種――良く日に焼けた普通の人間のような外装の種族、黒い鎧や足甲などを装備したユグドラシルのプレイヤー・カワウソは、ギルド長専用の重厚な椅子に深く体を預け、一つのムービーを見つめながら、その時を待っていた。

 視聴しているのは、ナザリック地下大墳墓攻略時に撮られた動画(ムービー)データ。

 その中で戦う、旧ギルドメンバー……“世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)”……カワウソのかつての仲間たちの姿。ナザリック攻略に参加した、弱小ギルドのプレイヤーたちだ。

 とある事情により、自分(カワウソ)は第三階層で脱落せざるを得なかった為、この動画の中には映っていない。

 しかし、もはやその映像は、自分自身の記憶や経験といっても差し支えないほど彼の脳裏に、深く刻み込まれている。呟く声には、怨念じみた暗さは薄く、むしろ手慣れたような馴染み深い雰囲気、軽妙と言ってよい明るさが(うかが)い知れた。

 

「何度見ても、チート……反則だろう、これ」

 

 映し出された場面は、ナザリック地下大墳墓・第八階層。

 第一から第七階層まで多様かつ多彩な装いをして、見る者を驚愕させ詠嘆させていたことが信じられないくらいに何もない「荒野」のフィールドが、プレイヤーたちの目の前に広がっていた。

 

 だが、ここは悪名高き当時の十大ギルドの一角──アインズ・ウール・ゴウンの拠点の最奥。

 何もないはずのない、広大なフィールドに、当然のごとく現れた、少女とあれら(・・・)

 そして、程なくして、あの惨劇が、幕を開けたのだ。

 

 動画に映っているのは、1000人近いプレイヤーたちが、ダンプカーに吹き飛ばされる蟻のごとく脱落していく瞬間。

 あそこに映る一人一人のレベルが最大Lv.100であることが信じられないほど、その様は異端的に思える。

 挑んでは潰され、逃げようとすれば砕かれ、防ごうとしたら流され燃やされ、諦めたら諦めたで死の鉄槌が容赦なく呵責なく降り注ぎ降り注ぎ降り注ぐ。

 まるで、路上で踏まれ死にいく虫のようではないか。

 この蹂躙劇によって、ナザリック地下大墳墓の攻略は完全な失敗を遂げ、動画を視聴した多くのプレイヤーから、抗議メールがパンクするほどに運営へ送り付けられたという。

 しかし、運営はプレイヤーたちの抗議を徹底的に退けた。

 声明文はこうだ。

 

 

 

《ギルド:アインズ・ウール・ゴウン(以下、当ギルド)に違法処理を働いた形跡は見られず、そのギルド拠点の運用においても、特に問題視すべき点は見受けられない。当ギルドの行ったと言われるチート行為と評される事象は、すべてギルド運営要件の範疇に収まるものであり、運営がこの案件について、当ギルドへと直接介入すべき点は、一切確認できない……》

 

 

 

 端的に言えば「あいつら、チート使ってないから文句言うな」である。

 しかしながら、ほとんどのプレイヤーには納得がいくはずがなかった。

 再三にわたる調査要求やギルド凍結の嘆願が届けられるようになりはしたが、やはり運営は、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに裁きを下すようなことはなかったのだ。あれは、チートではなかったのだ、と。

 そんな情報を鵜呑みにするほど、プレイヤーたちは従容とした存在ではない。

 いくら相手がそれなりの世界級(ワールド)アイテムを保持している、当時のギルドランキング第九位を誇る最高峰のギルドであろうとも、あんな暴力と破壊の顕現を、たった四十一人程度のギルドで実現できるはずがない。侵攻した討伐隊にも、世界級アイテム保持者がいた(そう、過去形である)のだ。その程度のアドバンテージで、あんな反則じみたことが可能になるはずがない。

 それでも、アインズ・ウール・ゴウンは潔白であるという見解を、運営はついに覆すことはなかった。

 

「まったく。本当にチートじゃないのかよ、これ?」

 

 第八階層のあれら(名称不明なため、ネット上では便宜的にこのような呼ばれ方をしている)と、あれらと共に共闘する一人の紅い髪の少女。

 それらの防衛網をかいくぐり、どうにか次の階層へと逃げ延びようとした集団を待ち構えるかのように現れたのは、枯れた樹のような翼を生やした、胚子じみた奇怪な天使。

 それを殺して──殺せて──しまったことで発動した、強力無比な足止めスキル。

 完全に身動きが取れなくなったプレイヤーたちの前に現れたのは、多くの異形種プレイヤーを従えた、強大な力を持つ骸骨の魔法使いの姿。

 死の支配者(オーバーロード)────ギルド長・モモンガ。

 彼が発動させたと思われる世界級(ワールド)アイテムの輝きが荒野を覆った瞬間に見せた、あれらの変貌。

 変貌したあれらが繰り広げた暴虐の果てに、1000人規模のプレイヤーたちは、一人残らず討ち果たされていく。

 その中には当然、自分の仲間たちも。

 

「……はぁ」

 

 画面をクリックし、動画を一時停止させる。

 すべては過去の泡沫(うたかた)。ほんの一夜の悪夢。

 過ぎ去ってしまえば、何もかもが懐かしく、輝いて見えるようだ。

 

「今日で、終わり、か……」

 

 結局、あのギルドを再攻略しようというものは現れなかった。否、自分と同じように、少数精鋭で果敢に挑みかかる手勢もなくはなかったのだろうが、ついぞ噂の端にも聞くことはなかった。

 当然と言えば当然か。1500人に及ぶ討伐隊が全滅した事実を思えば、あんなギルドに戦いを挑むなど、自殺志願者のそれである。

 そして自分は、そんな自殺志願者の一人だった。

 

「楽しかったなぁ……本当に」

 

 悪夢の光景を脳内から払拭したカワウソの胸に去来するのは、かつての仲間たちとの思い出。

 誰もいない大理石の(テーブル)。空いている席の数は、十二。

 座するプレイヤーは、自分ひとり。

 かつての仲間たちとの思い出の再現。いたたまれないほど空虚で広大な空間の中に、自分が創り上げたNPCが二十二体と四匹が並んでいる。これが、ギルド“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”が保有する全戦力、拠点合計レベルは1350となる「ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)」の中に配置された従僕たちだ。

 そのほとんどは天使種族で構築されていたが、とある目的というか理由のため、他にも多種多様な種族と職業で編成されており、一個のチームと考えると、穴という穴、欠点と呼べる欠点の見つからない、身内贔屓を考慮したとしても他のありようが想像できないほど、最高な構成で成り立っていた。

 我知らず笑ってしまった。

 何とも実に馬鹿げている。

 拠点NPCは、外で活動する機能など与えられていない。彼女たちはあくまで、ナザリックに挑むにはどうしたらよいか、あの第八階層を突破するにはどのような編成チームで挑むのが最適解なのかをシミュレーションするための実験にすぎない。

 

 

 そうして気づかされたのだ。

 あの第八階層は、通常のプレイヤーたちでは、事実上攻略不能なのだという、事実を。

 

 

 そして、カワウソもまた、あのナザリック地下大墳墓に、あのアインズ・ウール・ゴウンに戦いを挑み打倒すべく、純粋な天使種族から「堕天使」へと転生・降格を果たし、それまでの職業編成も出来る限り実戦仕様(ガチビルド)に組み直したのだ。

 ……そうまでして、ナザリックに再挑戦しようとした自分の気持ちを思うと、笑うに笑えないわけで。

 

「うん。そうだな」

 

 ふと、カワウソはサービス終了までの退屈しのぎ──ムービー視聴の休憩時間に、彼らをより相応(ふさわ)しい姿勢にすることを思いついた。せっかく此処に全員を集めたのだ。最後くらい、NPC全員の名を呼ぶのも悪くない。

 命令コマンドを「平伏する」ように設定して、先頭から、創造した順番に、その名を呼ぶ。

 

「ミカ」

 

 黄金の鎧に身を包み、剣の柄を握った光の騎士とも呼ぶべき容姿端麗な女天使が、名を呼ばれたことで命令を受諾し、平伏(ひれふ)すように膝を折った。

 身に着ける鎧よりも輝いて見える金糸の髪を腰まで流し、空色に輝く瞳を伏せた瞼はきめ細かい肌艶を(まと)って煌いている。慎ましく膨れた胸に、僅かばかりの女の隆起を施した姿であるが、その怜悧な面差しは天使というよりも復讐の女神を思わせる。冷酷な感情と厳正な人格とを秘しているようで、製作したカワウソも凄まじい出来栄えだと自負せざるを得ない。

 最初に創った、カワウソ製作の第一のNPC(ノンプレイヤーキャラクター)は、自分と同じ聖騎士の職業を中心としたレベル構成をしており、ギルド長の“右腕”として機能するだけの実力を備えている。普段は他のNPCがこの階層よりも下層階で巡回警護を行っているのに対し、彼女だけは、常にこのギルドの中枢部に待機させているのは、何とも勿体ない使い方だろう。と言っても、こんな城砦とは名ばかりの穴倉(あなぐら)の中に侵攻してくるプレイヤーなんて皆無だったわけだし、最終日の今となってはどうでもいい反省であった。

 思い、彼女の設定をコンソールで確かめる。

 種族や属性、職業や保有スキルなどを読み飛ばし、彼女の根幹をなす文書データを閲覧する。

 

 

 

『ミカは、堕天使であるカワウソを嫌っている。』

 

 

 

 ……うん。一文目から酷いな、これは。

 思わず吹き出してしまいそうになる。我がことながら、昔の自分は随分とひねたことをやったものだ。

 だが、それすらも今は懐かしい。

 設定データの閲覧画面を排除(シャットアウト)し、カワウソは続けざまに、従僕(しもべ)たちの名を呼びつけていく。

 

「ガブ」

 

 黒褐色の肌に微笑の浮かぶ聖女が、

 

「ラファ」

 

 厳格ながらも優しい表情の牧人が、

 

「ウリ」

 

 炎纏う杖を握る片眼鏡(モノクル)の魔術師が、

 

「イズラ」

 

 漆黒の外套に総身を包んだ暗殺者が、

 

「イスラ」

 

 純白の衣で全身を覆い尽くす治療師が、

 

「ウォフ」

 

 六つの宝玉を首に下げ槌矛(メイス)持つ巨兵が、

 

「タイシャ」

 

 雷霆を表す独鈷(どっこ)を手に握った偉丈夫が、

 

「ナタ」

 

 数多の剣装を与えられた幼い少年兵が、

 

「マアト」

 

 腕と翼が同化している褐色黒髪の娘が、

 

「アプサラス」

 

 妖艶な衣装に身を包む翠髪の踊り子が、

 

「クピド」

 

 銃火器(マシンガン)を肩に担ぐグラサンと翼の赤子が、

 

 それぞれの体格や装備、設定を反映するような仕草で、十二人のNPC全員が、ギルドの主である堕天使の前に頭を差し出す。

 

「それから──シシに、コマに、イナリに、シーサー」

 

 名を呼ばれた四匹の獣──現実世界でいうところのフェレットのように、細く小さい体躯をしている──が、光を反射させて輝く床面に身体を伏せる。

 そして、Lv.1の堕天使と精霊が各五体ずつの計十体。彼女たちも名を呼べば淀みなく、無言で敬服の姿勢をとっていく。

 この程度の数ならば、コンソールを開いて確かめるまでもなく名は把握している。

 自分が一人で創り上げたものなのだから、当然と言えば当然か。

 それに、彼らの一部にはそれぞれ、かつてのギルメンたちの遺品──武器や防具を装備させ、当時の思い出を風化させないように気を配ってきた。忘れることなどできるはずもない。

 

「はぁ……」

 

 時間を確認する。

 再び、動画を再生する。

 あの場面が映るのを、見る。

 かつてのギルド長、“聖騎士の王”(ギルド内での通称であり、厳密にはそのような職業にはついていなかった)として君臨していた彼女が、あれらに蹂躙され、呆気なく脱落する場面を。

 

 その瞬間、無残にも砕け破壊された、ギルド武器──ギルドの証を。

 

 この場面だけは、何度見ても目頭が熱くなってしまう。

 カワウソはその光景をまっすぐに見つめ、吐き捨てた。

 

「……バカが」

 

 思えば、ここからカワウソの受難は始まったようなものだ。

 

 自分の頭上に輝く『敗者の烙印』を眺める。

 

 そこにはまるで赤黒い、天使の輪のように見える──天使の輪は、「堕天使」の種族を取得している自分には本来発生しない。この輪は装備品でしかない──ものがあり、それに被さるように、赤く明滅する“×印”が施されている。この“×印”こそが『敗者の烙印』と呼ばれるキャラクターエフェクトであり、傍目(はため)に見るとこの状態は、×部分の異様に大きな警察署の地図記号が頭の上に浮かんでいるように見えるかもしれない。

 

 そう。

『烙印』とはその名の通り、これ以上ないほど不名誉な証明に他ならない。

 

 ギルド武器を破壊されたことでギルド崩壊を経験したものに与えられる『敗者の烙印』は、崩壊したギルドメンバー全員でギルドを再結成するか、キャラクターアカウントを完全削除しない限り、永遠にプレイヤーの頭上に輝き続ける仕様になっている。

 ──そうだ。

 カワウソのかつての仲間たちは、カワウソを一人置いて、このゲームから引退した。

 いや、実際には、逃げ出したのだ。

 いくらギルドの再結成を唱えても、アインズ・ウール・ゴウンに再攻略を挑もうと叫んでも、誰一人として賛同などしてくれなかった……否、それ以前の問題だった。ギルドマスターである彼女を含め、半数以上のギルメンたちは、カワウソに何も告げることなくユグドラシルからアカウントを削除して辞めていった。メールにもまったく反応してくれなかったのだ。

 残されたカワウソ以外のメンバーは、予備のギルド拠点として攻略を保留していた城砦拠点(ギルドはシステム上、複数個の拠点を保有できない。攻略を保留していたのには理由がある)を共に攻略し、カワウソにその使用権を与え、自分の装備やアイテム、金貨を譲り渡し、このユグドラシルというゲームから立ち去って行った。

 彼らへの感情は、今もなお、カワウソの精神を嬲り者にするほど複雑なものであった。

 

 

 

 ゲームにマジになってどうする?

 

 

 

 そう言い残して辞めていったメンバーの一人を、カワウソは否定しない。彼らの言い分は至極当然なものだし、現実的に考えていけば、ただの遊びに本気を出しても見返りとなるものなど、ないに等しい。

 見返りなんて期待していない。

 楽しめさえすればそれでいい。

 そんな気持ちを誰もが抱いて、このゲームを遊んできたのだろう。

 少なくとも自分は、そう思って続けてきた。たとえ、仲間を失い、一人で孤独に戦い続けることになろうとも。

 たった一人で、あのアインズ・ウール・ゴウンに挑んできた。

 だが、そんな日々も終わる。

 あと、十分もしないうちに。

 

「……過去の遺物ですらない」

 

 苦笑と共に、頭上を眺める。

 アインズ・ウール・ゴウンに挑戦しようとゲームを続けたカワウソは、とある一つの世界級(ワールド)アイテムを確保することができた。

 しかしながら、その情報をネットに拡散するような愚は(おか)さなかった。(おか)せなかった。

「情報は力」という以前に、こんな世界級(ワールド)アイテムがあることなど、予想すらしていなかった。

 その発見者になったところで、恥の上塗りになるしかないと目に見えている。

 第一、こんなものを確保したところで、あのアインズ・ウール・ゴウンの本拠地、ナザリック地下大墳墓の攻略にはまったく通用しない。いっそのこと、超位魔法〈天上の剣(ソード・オブ・ダモクレス)〉並みの火力があれば、あの墳墓の一階層くらい吹き飛ばすことも出来るのだろうが、このアイテムにはそんな効力は秘されていない。

 故に、誰もカワウソのことなど知らない。

 かつてのギルメンたちも、自分がこんな穴倉のような拠点で、こんなNPCに囲まれながらゲームを続けているなどとは、夢にも思っていないだろう。

 いいや。

 すでに記憶の端にすら残っていないのかもしれない。

 最終日ということで、かつての仲間たちに送ったメールは、ただの一つも返信されなかった。というか、まともにメールを送れたのは、一人しかいなかったのだが。

 

「あぁあー……」

 

 最後くらい、本当に最後の最後くらい、もう一度あのギルドに、アインズ・ウール・ゴウンに挑戦してみてもよかったかもしれないと、今になって考える。さすがにこの時間から赴いた所で意味はない。攻略どころか表層の墳墓、というか、ヘルヘイムのグレンベラ沼地にすら到達できまい。

 カワウソは未練を断ち切るように、真っ黒な動画画面を追い払うようにシャットアウトする。

 インターフェイスの一つである時刻を確かめる。

 

 23:57:28

 

 0時まで、もう残り時間は三分を切った。

 きっと今頃ひっきりなしにゲームマスターの呼びかけが行われ、終了を記念する花火大会などが行われたりしているのだろう。そういったすべてを遮断してしまっているカワウソには、関係ないことであるが。

 この×印──『敗者の烙印』がある以上、自分は他のプレイヤーの輪の中には溶け込めない。恥さらしと後ろ指を差され、嘲笑されるのは目に見えているし、実際そういった目には何度も遭っている。

 カワウソは改めて、自分が一人で作ったギルドを、かつてギルメンたちと共に創り上げたものに似せた、「かつての栄光の再現」でしかないモノを、眺めた。円卓の間の外を映し出す窓は、薄いレースカーテンの向こうに夜の(とばり)を映し出し、その向こうからは(かす)かな波の音が。

 いよいよ、お別れだ。

 

「楽しかったなぁ……本当に」

 

 こんな末期状態のゲームではあったが、ギルメンたちとの思い出は、鮮烈に、鮮明に、この脳裏に思い出すことが出来る。ギルド武器の製造について話し合った。素材集めの予定合わせや狩場の選択でもめにもめた。武器に込める魔法では、とんでもないアイデアをギルマスの彼女から出された時は、満場一致で可決された。

 現実世界に家族も友達も恋人もいないカワウソにとっては、彼らとの時間は、宝物のように感じられた。

 ギルド離散後は、自分やこのギルドを強化するのに、月額利用料金無料にもかかわらず、給料の三分の一を毎月のように課金していた。ボーナスをすべてレアガチャにつぎ込むこともあった。それくらいにのめり込んだ。はまり込んだ。

 こんなにも楽しいことは、二十年以上の人生の中ではじめてのことだ。

 それも、もう終わる。

 再び時刻を確認する。

 

 23:59:03

 

 サーバー停止は0:00。残り一分もなくなった。

 幻想の時は終わりを告げ、現実の日々に戻される。

 当たり前と言えば当たり前だ。人は幻想の世界では生きられないのだから。

 カワウソは、最後の瞬間を噛み締めるように顎を引く。

 明日は四時起きだ。サーバーが落ちたらすぐに寝ないと、仕事に差し支えてしまう。

 見渡せるギルド内の光景に、誰もいない孤独な空間に、彼は胸の中で別れを告げた。

 そうして、時刻を数える。

 

 23:59:55 ── 56 ── 57 ── 58 ── 59 ──

 

 瞼を下した、瞬間……幻想が終わりを迎える、刹那……何もかもがブラックアウトし……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 0:00:00

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……んん?」

 

 瞼を開けてみて、その意外な光景に目を(みは)る。

 どうしたことかと、カワウソは視界を見渡す。

 ここはユグドラシルだ。自分の部屋ではない。

 一部を除いて、視界に映るのはゲームの中の光景のままであった。

 カワウソは視線を彷徨(さまよ)わせる。

 マップやタイムログ、他の様々なインターフェイスが視界から消失していた。

 あの忌まわしい『敗者の烙印』までも消え失せている。装備品であるアイテムの赤黒い輪っかだけが、頭上で重く輝き回っているのは変わらない。

 ここはどうみても仮想現実空間のままだ。煌びやかな拠点の最奥。平伏しているNPCたち。

 サーバーダウンで強制排除されるはずが、自分はどうしてゲーム空間の中に残っているのか。

 拠点内装の、古い美術品のような仕掛時計、その時を刻む秒針を確認する。

 少なくとも0時を過ぎていることは確実。

 サーバーダウンが、延期になった? それとも、ロスタイムでも発生したか?

 そう思い、指先で宙を幾度となく叩いてもコンソール──プレイヤーがゲームシステムにアクセスするためのキーボード──が出ない。コンソールを用いない強制アクセスやチャット機能、GMコールも通じない。これでは何もできはしない。

 

「なんだ? なにが起きている?」

 

 困惑が声となってこぼれた。

 カワウソは首をひねる。最終手段の強制退去(ログアウト)も試してみたが、世界は依然としてゲームのままだ。

 堕天使は皮肉をたっぷり込めながら頬を緩める。思わず首を横に振っていた。

 サービス終了という最後の最後で……このような失態をやらかすとは。

 いくら末期状態の運営だからといっても、せめて、こんな時ぐらいはしっかりしてもらいたい。

 だが、これも悪くないか。

 誰にだって失敗はある。あの糞運営に対し、今更期待することなどありはしない。

 いや、それとも、まさか──YGGDRASILver.2ということも、ありえるだろうか?

 であるなら、何かしらの通知なり情報なりが入ってきてもよさそうなものだが……

 

「──どうかなさいやがりましたか、カワウソ様?」

 

 首を傾げ黙考していたカワウソの意識に、ありえざる声がかかってくる。

 誰だ? 何だ? ここには、自分以外のプレイヤーなどいないはずだが?

 

「返事をしたらどうですか──カワウソ様」

 

 様付けの割に、辛辣(しんらつ)な毒舌口調。初対面にしては無礼極まる行為だが、何故かしら耳に心地良いのは、その声は玲瓏(れいろう)な女性の調べを宿していたからだ。

 しかし。

 ますます分からない。

 この声は何処から、誰から発せられているのだ?

 カワウソは周囲を見渡した。そして、視線が合った。合ってしまった。

 

「な……に……?」

「カワウソ様?」

 

 呆気に取られ、その女を──NPCたちの長である彼女を見つめる。

 黄金の鎧を纏った女天使──ミカの瞳が、カワウソを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平伏し続けていたはずのNPCの一人が──否、ほとんどすべてのNPCが、その顔をカワウソが見えるように上げている。視線が合ったのはそのせいだ。

 いいや待て。

 おかしいぞ。

 何故、こいつらは顔を上げている?

 俺はそんな命令、出していないぞ?

 混乱の極みにあるカワウソを、さらに困惑させる動作をNPCが取り始める。

 

「な……に……とは、随分な言いザマですね。人がせっかく心配してやっているというのに」

 

 輝く金色の輪を頭上に戴く女天使の毒舌が鋭さを増した。

 怜悧な眼光はまるで射抜くようにカワウソの双眸(そうぼう)を見つめ返していて、カワウソの知っているNPCのありさまからはかけ離れているようだった。

 そんなNPCの(おさ)の言動に釣られるように、他の者たちも口を開き(・・・・)、声をあげ始める。

 

「ちょっと、ミカ。その毒舌は止めなさいな。主様(あるじさま)に失礼でしょう?」

「ガブ、言葉を慎むべきは君の方だよ。我らが隊長の口調は、我が(しゅ)より決められた定めなのだから」

「まぁまぁ、二人とも。君らが争うなんて、無意味なことこの上ないですよ?」

「ウリ殿。そうは言っても、彼らの仲が悪いのも、定めと言えば定めであれば」

「────イズラの言う通り」

「おーい、皆ー。今は平伏中だぞー?」

「貴殿ら。少しは私語を慎むべきだ」

「だがウォフ!! それにタイシャ!! 師父(スース)の様子は明らかにおかしいと思われますが!!」

「そ……それでも、勝手に喋るのは、その、まずいと思う……よ? ナタ君?」

「マアトの言うことも一理あるわね♪」

「フクク、少し黙ってろ、貴様らぁ。御主人(ごしゅじん)が何か言いたそうにしているぞぅ?」

 

 Lv.100のNPCたちが声を発し、互いが互いに言葉を掛け合って会話している。

 待てよ、おい……会話だと?

 ユグドラシルのギルド作成NPCに、そんな芸当は出来ない。否、その真似事をプログラムすることは出来るが、少なくともこんな流暢に話し合えるようなマクロは存在しない。第一、製作者本人であるカワウソに、そこまでの技能は存在しないのだ。カワウソの技術は、せいぜいキャラクターなどのグラフィックをいじり倒すのが上手い程度。彼らに組み込んだプログラムは、ユグドラシルで流通していた必要最低限な代物。であるなら、彼らの行動は明らかに異常でしかない。

 

「どう、いう、ことだ……これは」

 

 彼らだけではない。他に控えているLv.35の動像獣(アニマル・ゴーレム)四体と、メイド姿の堕天使や精霊たちも困惑したようにギルド長へ、カワウソの方へ、視線を投げていた。

 何が起きているのか理解できない。理解なんてできるはずがない。

 

「本当に、どうかしやがったんですか?」

「だからミカ。こんな時ぐらい、少しは口を汚くするのをやめ」

「っ、ちょっと、黙ってろ!」

 

 あまりにも混乱し過ぎてしまい、カワウソは大声で怒鳴り散らしていた。

 

「申し訳ありません」

 

 二人の女天使は顔を伏せて謝罪の言葉を連ねていく。周りのNPCたちもそれに(なら)うかのように視線を床に落とした。その綺麗に整えられた反応も、カワウソには恐ろしかった。

 彼女たちと、会話している。

 会話が、成立してしまった。

 カワウソは「ちょっと、黙ってろ」というコマンドは組んでいない。

 だが、彼女たちは一様に、その意味するところを理解し、その命令を遵守する。

 ありえない。

 こんなこと、ありえない。

 ありえていいことでは…………ない。

 恐ろしくなって、カワウソは部屋の外へ通じる転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)に視線を走らせた。

 鏡に映っているのは、人間種の外装と酷似した異形種──「堕天使」の青年だ。

 ユグドラシルで遊んでいた自分の姿は、表情を蒼白なものに変えて、鏡の中に映る己を一心に見つめている。

 

 ……表情?

 

 目を見開いたカワウソは、更なる異常事態に気付いて椅子を蹴り立ち上がる。鏡に向かって突き進む主の姿に、NPCの視線がまた集中するが、今は知ったことではない。

 ユグドラシル内で活動していく上でPC(プレイヤーキャラクター)というのは、ある程度まで外装をいじることができる。しかしながら、異形種であるプレイヤーに関しては例外が発生する。醜い容姿をしている種族設定のキャラになることを選んだプレイヤーは、人間の価値判断に照らして美しいといえる容姿に改造することはできないのだ(NPCに関しては、このルールからはほぼ除外される)。カワウソが転生・降格を経て獲得した「堕天使」という種族は設定として、異形種の中ではそれなりに人間らしい平均的な造形を備えていたが、その狂相じみた面貌──三白眼の気がある濁った瞳に、髑髏(どくろ)の眼窩を思わせるほど醜悪で不健康な“(くま)”──や、何より異形種の中では最弱的なまでの能力値(ステータス)の低さ……種族的な特性の不利が多すぎる点から、あまり人気なキャラクターではなかった。そんな不利を被るぐらいなら、いっそのこと人間種になって職業レベルをカンストさせたり、悪魔などの他の種族を取得して外装をいじり倒したりした方が、効率が良かったくらいと言えばわかるだろうか。

 

「なんだ、これは……!」

 

 そして、

 ここからが重要なのだが、

 ユグドラシルにおいてプレイヤーの表情は絶対に変わらない。

 人間種や亜人種の外装であろうとも、これはほぼ同じだ。表情を各プレイヤーのアバターごとに標準実装することは技術的に無理があり、各プレイヤーがそこまで改造する(やりこむ)意味は薄い上、ゲームをプレイする上での利点が皆無なのだ。

 プレイヤーの心情を表すための感情(エモーション)アイコン──キャラの頭上に浮かぶもの──は実装されていたが、今カワウソが鏡の中で見定めている自分のような顔面の変化は起こらなかったはず。アイコンだと喜怒哀楽とその他程度しかなかった。だが、鏡に映る自分のキャラクターとしての顔面は、本当の自分の顔のようにしか思えないほどに、恐怖と混乱と焦燥などの感情に震え、引き()っている。その変化ぶりは、千差万別と言ってもよい。掌で覆った頬の動く感触までも精巧の一言に尽きる。その触覚にしても、ユグドラシルではここまで現実的ではなかったはず。

 

「どう、して……こんな……」

 

 無論、この堕天使の顔というのは、カワウソの本当の顔ではない。現実の自分は二十代後半ながら、白髪ばかりの、悪く言えば老人めいた男だった。この目の前にある、浅黒い肌の青年では──黒髪一色の男では──なかった。この顔は、ユグドラシルに存在する画一された堕天使の表装を流用したもの。課金などによって改造され、完全に他の堕天使と同一ではなくなっているが、現実の自分に似せて楽しめるほど、カワウソというプレイヤーは自己愛(ナルシズム)の強い人間ではない。

 

「何か、問題でもあったんですか?」

 

 心配して駆け寄ってきたのだろう鎧の女天使を振り返る。

 彼女の行動と言葉は、心からギルド長であり製作者であるカワウソを案じてのものだと理解する。

 だからこそ、理解できない。

 何故、NPCに──ノンプレイヤーキャラクターに──ただのゲームデータの集合体に──こんなことができるのだ。

 

「おまえたち……何が、どう、なっている?」

 

 ()いても、ミカは何のことかわからずに仲間のNPCたちを振り返った。

 彼女らもまた、カワウソの問いかけに疑問符を浮かべている。

 

「何があったんです? はっきり言ってもらわないと、こっちは迷惑なんですけど?」

「わからない、のか?」

 

 (いな)。わからない方が自然なのかもしれない。

 彼女たちはゲームの外の世界など知らない存在。プレイヤーであるカワウソのように、ゲームと現実(リアル)の違いなんてものを検分検証するようなことなど不可能なことだろう。

 ここが、此処(ここ)こそが、彼女たちにとっての現実であり、彼女たちだけの世界なのだとすれば、わからないという方がむしろ現実じみた気がする。

 とにかく、もっと確認しておく必要がある。

 確認せねばならないことが、ある。

 

「ミカ。俺の、(そば)へ」

「……了解」

 

 かすれた声に応じた天使は、一歩前に踏み出し、カワウソに触れられる位置につく。

 彼女は毒舌家ではあるようだが、製造者の命令には従ってくれるらしい。

「俺の傍へ」とはカワウソが設定したコマンドだ。返事をするようなことはゲームではあり得なかったはずなのだが、次で確定的になる。

 

「手を出してくれ。右手の装備、籠手(こて)は、外してだ」

 

 (いぶか)しむミカは面倒くさげに装備されている籠手を外して、右手を差し出してくる。

「手を出してくれ」というのはコマンドにはない命令だった。あまりにも細分化され過ぎている命令を組めるほど、カワウソはマクロに通じてはいないし、そういうツテもコネも金もなかった。さらに言うと、NPCの装備というものは、プレイヤーの手によって脱着されるものであり、彼女(NPC)個人で取り外せる仕様ではなかったはず。だが、ミカは自分で装備を外せた。これらが意味することとは。

 ……とにかく、確認することが第一だ。

 何はともあれ、女の手に触れる。

 より正確には、その細い手首に。

 人間と同じ健康的な肌の色の下で、生物の鼓動がトクントクンと脈を打っていた。体温もしっかり感じ取れる。無論、こんな現象はユグドラシルには存在しない。存在する意味がない。

 この脈動と温度が意味すること──彼女は、生きている。

 他のNPCもそうだとしたら、これは一体どういうことなのか。

 カワウソはミカの手を解放し、咄嗟に自分の首筋へ震えっぱなしの手を伸ばす。

 そこに脈と熱があるのは勿論、掌にべったりと張り付いていたのは、汗の雫だ。

 ユグドラシルには疲労という状態異常は存在したが、こんな風にプレイヤーが発汗するような仕様ではなかった。せいぜい汗を流す感情アイコンが出てくる程度。喉を生唾が嚥下していく。これもまた、ユグドラシルではありえない生体反応。

 

「ひぅ……う、あっ!」

 

 あまりのショックに口を手で覆った。短く小さい嗚咽が、ひっきりなしに喉を滑る。

 荒い呼吸と嘔吐感に襲われ、立っていられなくなる。こんな感覚もユグドラシルなら存在しない。存在しなかったはずだ。膝を床に強く打ちつける。そのまま倒れ伏してしまいたくなるほどの寒気が、背中を突き刺し、腹から飛び出し、口腔の奥底から何かをブチ撒けてしまいそうになる。全身が痙攣にも似た震えに支配された。

 

「……おい、どうかしやがりましたか?」

 

 女天使の声を無視して、熱くなる瞼を閉ざす。

 祈るような気持ちで早鐘を打つ胸に片手を伸ばした。

 その鼓動の早さと呼吸の苦しさまでもが、気色悪いほどに現実的で、

 

「お、う、あ……あ………………、あ、あれ?」

 

 瞬間、

 何故だか急に、心が安らぐ。ミカの手が触れた肩先から、何か暖かなものが心臓に流れ込んでくるような気がする。

 

「カワウソ、様?」

 

 いきなり思考が冷却されて若干以上に戸惑いつつも、カワウソは姿勢を正した。

 

「……おまえたちに、聞きたい……ここは、……何だ?」

 

 主人の言葉にミカは手を添えたまま首を傾げ、事もなげに言い放つ。

 

「ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)、でありますが?」

「いや。ギルドの拠点名じゃなくてな……」

 

 何と言えばいいのだろう。

 ギルドの外の地名か?

 それとも九つある世界の内のひとつの名か?

 どれも違う気がする。

 というか、このギルドの外というのは、本当に自分の知っているゲーム(せかい)なのか?

 考えただけでおぞましい仮説に身を震わせながら、カワウソは疑問をNPCたちにぶつける。

 

「誰も、気づいていないんだな?」

 

 疑問にはやはり、誰一人として答えられなかった。ミカも困惑を深めた、険のある眼差しで見据えてくるだけに終わる。

 意を決し、カワウソは立ち上がる。鏡の前に向き直った。

 

「外に、出る」

「狩りですか?」

 

 装備を右手に着け直した天使が問いかけた。

 カワウソは簡潔に応じる。

 

「確かめたいことが、ある。とりあえず全員、転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)の前に」

 

 打てば鳴るかのように、すべてのNPCが、カワウソの命令を順守した。

 この最上階層には、下の階層へ続く鏡――転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)が存在する。

 鏡は高さ三メートル、幅一メートルもある大きさだ。

 ホームポイント……ユグドラシルにIN(イン)した際に、プレイヤーが必然的に出現する仕様になる登録地点のギルド拠点内部に(しつら)えたそれは、下の階層へ至る唯一の手段であると同時に、ここから外へ──厳密には地表へ出ていくのに便利なギミックを施されている。

 鏡を支える左右二体の天使像がそれぞれ掲げ持っている鞘込めの剣を、二本とも前に傾ける。

 これで、この鏡は下の階層にではなく、外に通じる鏡と繋がるようになった……はず。

 もしかすると、転移機能は失われており、自分はこの階層に閉じ込められている可能性がチラッと頭を()ぎる。

 カワウソは熟考に熟考を重ねて、ひとまず二人のNPCに命令を出した。

 

「ミカとナタ、二人で外に出ろ。地表の様子を確認してこい。戦闘は極力避けるんだ。誰か、話の出来るものがいたら友好的にふるまえ。出来れば、ここへ連れてき……いいや、それはいい。とにかく、出来る限り、情報を集めてくれ」

「……了解」

「承知!! お任せを、師父(スース)!!」

 

 やる気なさげな返答と、元気一杯な笑みが、鏡の向こう側へ消える。命令を断られたらどうしようと身構えていたが、無駄になってくれて助かった。

 そしてどうやら、転移機能に問題はないようだ。

 しかも、NPCたちは外に出られるらしい。

 ギルド拠点のNPCは基本的に外の世界へ出ることは不可能なはずだったが、とりあえず問題はないように見受けられる。彼らが出られなければ、自分ひとりで外に向かわねばならないと思っていたから大いに安堵する。しかし、だとするとこれは、ゲームの出来事ではない、のか?

 偵察や囮役としてなら、門番の動像獣(アニマル・ゴーレム)たちや堕天使と精霊のメイドを使うのもよかったが、この外がどうなっていて、どんな存在がいるかわからない以上、こちらの最高戦力二人を出すのが適切だと判断した。(いたずら)に強力な手札を失う可能性もなくはないが、中途半端なレベルの動像獣(アニマル・ゴーレム)たちや、ギルドにおいて最弱のメイドたちでは即座の戦闘やデストラップなどに対処することは不可能なことを考えれば、他に処置がない。

 無論、カワウソがいきなり外に飛び出すのは論外だ。こんな異常事態に、外の様子も解らないまま外に飛び出たりして、何かあってはたまったもんじゃない。今の自分の感覚は、まさしく生きた感覚のそれだ。もし仮に……仮にだが、この世界が現実のもので、この体に、心臓に、何かしらのダメージを与えられたりしたらと思うと、根源的な死の恐怖を想起される。絶対に、自分がいきなり外に出ることなど出来はしなかった。

 時間にして二分ほどが経過したのを()れる思いで見計らない、カワウソは次の指示をNPCの一人に命じる。

 

「マアト、ミカに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばしてくれ。二人の状況を確認したい……出来るか?」

「か、かしこまりました」

 

 翼が腕と同化した褐色肌に黒髪の乙女に魔法を使わせる。

 自分が魔法を使う実験をするのも(やぶさ)かではないが、NPCにプレイヤーの〈伝言(メッセージ)〉が通じるとは思えなかったので、ここではあえてマアトに魔法が使えるかどうかを確かめるために使わせた。本来〈伝言(メッセージ)〉の魔法というのはプレイヤー同士が互いに連絡を取りあうための手段であり、NPCそのものに〈伝言(メッセージ)〉が使える意味などない。だが、この状況下ではNPC同士であれば〈伝言(メッセージ)〉も十全に使える公算が高いし、その後で自分も彼らと交信が可能なのか実験すればいい。カワウソは聖騎士や信仰系の職業しか修めていないため、それほど多彩かつ大量の魔法は修得していないし、さらに言うと、カワウソは〈伝言(メッセージ)〉を飛ばせるだけの親交のあるプレイヤーが、最終日の段階で存在しなかったことも理由のひとつに含まれる。

 何はともあれ、NPCはあっさりと魔法を使い、程なくして外へ出た仲間との意思疎通が可能な事実をカワウソに教えてくれた。

 

「あ、繋がりました。〈伝言(メッセージ)〉を中継しますか?」

「あ……ああ……頼む」

 

伝言(メッセージ)〉の会話は、マアトを通じて女天使の意思とカワウソたちの意識とを直結させた。

 これは、彼女が保有し発動した魔法〈全体伝言(マス・メッセージ)〉の効果によるもので、誰でも使えるものではない。ここにいる全員の耳に、外に出た彼女の声が届く。

 

『何の御用で?』

「ミカ。外の様子は?」

『これくらい、自分で確かめたらどうです?』

 

 彼女の毒舌ぶりには何故か安心してしまうが、今は他に重要なことがある。

 

「外の様子を教えろ、今すぐに」

『チッ……何もありませんね』

「何?」

『だから、何もないんですよ。ただの平野。吹きっさらしの大地。輝く月と夜空だけ』

 

 はぁ?

 何だ、それは。

 

「ちょっと待て……森は? 腐蝕姫(ふしょくひめ)黒城(くろじろ)は?

 何か、空を飛んでたり、文字が浮かんでたりとかは?」

『そんなもの、影も形もありやがりませんね。ついでにいうと、モンスターどころか小動物すら見当たらない。ひょっとすると虫一匹いないんじゃないかという感じですね、これは』

「そう、か……そうか……」

 

 頷きはしたが、まったく理解が及ばない。

 この拠点の外の世界は、ユグドラシルとは違う……のか?

 無数の可能性や疑問点が頭の中を駆け巡るが、どれもこれも情報が足りていない現状下では意味をなさないものばかりだ。

 カワウソは、決めなければならない。

 自分が一体、どうするべきなのかを。

 

「……外へ出た二人に合流する。ガブ、ラファ、ウリ──マアトの四人は俺に続け。四人とも、戦闘になった際には俺を護れ。残る全員は……この場で待機。こちらで何か緊急事態にあったら〈伝言(メッセージ)〉を飛ばす。わかったな?」

 

 居残り組を代表するように、巨体を屈めたウォフが、兜の奥で服従の声と笑みの気配をこぼす。

 カワウソはいつものように鏡をくぐろうとして、そこに映る自分の表情に数秒をたじろぐ。

 鏡の中にある自分の表情は、明らかな怯え。

 あの固定された、堕天使の顔など何処にもない。

 しかし、ここで躊躇しているわけにはいかないのだ。

 思い出したように、カワウソはあることを確かめておく。ゲームの時にやっていた感じを思い出しつつ、彼が手を中空に伸ばした瞬間、掌は水面に沈むように何かの中へ入り込んだ。傍で見ていると、彼の腕が中途から虚空に消えたような光景である。アイテムボックスも健在なようだ。

 アイテムボックスの中に「あるもの」があることを真っ先に確かめて、とりあえずカワウソは一本の剣を選び、それを取り出す。右手に握ったそれは、カワウソが装備する神器級(ゴッズ)アイテム、六つの内のひとつ“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”という名の聖剣だ。上位プレイヤーであれば、全身くまなく、数十単位でこれと同じ価値のアイテムを装備することも出来ると聞くが、カワウソはそこまで優秀なプレイヤーではない。自己評価としては中の中、装備と課金アイテムを充実させて尚且つ相性と運が良ければ、上の下と伍するかもぐらいか。

 アイテムボックスの存在を確認し終え、武装を整えてから、とりあえず深呼吸してみる。

 この呼吸までも、現実に行うそれと遜色がない。

 室内の静謐に磨かれた空気は、現実世界では嗅いだことのないような清らかな香りをしていた。

 二度目の深呼吸。

 目を閉じていたい衝動を何とか抑え込んで、カワウソは鏡の中心に、空いている左手を差し入れた。

 瞬間、転移の光に包まれる。

 そして気づいた時には、荒れた平野の中心、無味乾燥とした大地の上を歩いていた。

 

「お……おお……」

 

 仰ぐ中天に座す朧な月の眩しさが鮮やかだ。

 こんな光景、ゲームの中でしか見たことがない。

 

「結局、来やがったんですか?」

 

 呆れたように声をかけて来たミカ。

 月明かりに照らされたその横顔と共に、遥か彼方の遠方まで走っていくナタの姿が、かろうじて視界にとらえられた。夜の中を元気に走り回る少年兵は不用心なことこの上ないように見えるが、彼は花の動像(フラワー・ゴーレム)でありながらも卓越した戦士の技量を備えている。むしろ、いい感じに囮役をこなしていると見てもいいのかもしれない。無邪気に「誰かー!! いーまーせーんーかー!!」と声を張り上げているのも、この際かまわないだろう。

 カワウソに遅れて、四人のNPCが鏡を通ってやってくる。

 

「……何なんだ、ここは?」

 

 カワウソの口が、無意識にそう呟いていた。

 夜空と聞いて、拠点最上階層――円卓の間のある、屋敷の外の光景を思い浮かべていたのだが、やはりここはギルド拠点の外だ。

 自分が拠点としていたヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)があったフィールドは、ニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯だったはず。鬱蒼と茂った樹木が黒々と生え、数多くのモンスターが跋扈(ばっこ)していた不吉な森の様子が思い出せなくなるほど、その平野は何もなかった。あの群れ集う恐狼(ダイア・ウルフ)待ち伏せ竜(アンブッシュ・ドレイク)凶手の黒蔦(アサシン・ブラックヴァイン)夜の捩れ樹(ナイト・ツイスト)の存在は何処にもない。

 双樹に挟まれるように隠匿されていた外へ通じる転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)は、今は吹きっさらしの平野の真ん中で、ひとりぽつんと浮かび佇んでいる。

 痛いくらいの静寂が、その大地を満たしていた。

 それくらいに、何もない場所だったのだ。

 

「……マアト、この土地の名は?」

 

 分かるかどうか(たず)ねると、褐色に黒髪の娘は即座に翼の腕を大地へ伸ばす。

 翼人(バードマン)であり天使(エンジェル)でもある少女は、職業(クラス)による特殊技術(スキル)を発動させ、フィールドの名称や特性を読み取ることができた。サポート職に秀でた、この巫女にしかできない芸当である。

 NPCが特殊技術(スキル)を簡単に使えることに軽く衝撃を受けながら、カワウソは彼女の反応を待つ。

 

「あ、わかりました。この土地の名は、スレイン平野、という土地です」

 

 特別なフィールドエフェクトは存在しないと報告されたカワウソであったが、新たな疑念が沸き起こる。

 

「スレイン平野? そんな名前の土地、ユグドラシルに存在したか?」

「き、記録上には存在しません。未発見未探索のフィールドという可能性もありえますが、な、何のエフェクトもないというのは、奇妙と言えば、奇妙です」

 

 思わず呟いた主の声に、少女は答えることができた。

 ユグドラシルのゲーム上において、フィールドエフェクトは割と数多く存在するやりこみ要素の一つである。火山地帯であれば熱のダメージ、氷河地帯であれば冷気ダメージ、毒の沼地であれば毒のダメージなどのわかりやすい効果が発生する。自分がいたガルスカプ森林地帯も、「狂気(バーサク)」や「暗黒(ダークネス)」などの状態異常や、魔力消費量倍化などのマイナスエフェクトがそこいらで働いていた。ユグドラシルでそういった効果と無縁な土地は、ユグドラシル初心者が最初に必ず訪問滞在する“最初の街(ホームタウン)”や“深淵原野(アビスランド)”などだろう。プレイヤーは「はじまりの地」で、種族を選び、道具を揃え、装備を整え、レベルを上げていき、そこから広がる多くの世界に冒険の旅に出かける。訪れたフィールドの特性や効果を見極め、それに見合った道具や装備、特殊技術(スキル)や種族特性で身を守る──あるいは守らない選択をする──のは、ユグドラシル攻略においては必須事項の一つに挙げられるわけだ。

 しかし、カワウソは勿論、NPCのマアト(彼女は設定として、ユグドラシルで知悉されているフィールドはすべて記憶している。ゲーム末期に掲載されたWiki情報などをカワウソが参照した)ですら、このフィールドの存在に心当たりはない。

 ユグドラシルの仕様上、未発見のフィールドにプラスやマイナスの効果が付与されていないというのは奇怪に過ぎるし、ここが仮に「はじまりの地」にしては殺風景に過ぎる。何より低位モンスターの存在がまったくないというのは、プレイヤーがレベルを上げることに難儀してしまうではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 スレイン法国。

 かつて人間種の団結を謳い文句に、周辺諸国に覇を唱えていた宗教国家。六大神という、この地域に限定した信仰を生活基盤とし、信仰系中心ではあるが魔法詠唱者の教育や管理、戸籍謄本、古くは冒険者制度などの画期的なシステムを最初に生み出したとも言われていたらしいが、今となっては見る影もない。

 

 とある理由から、ここにあった国──神の都は、一夜にして滅んだ。

 あのアインズ・ウール・ゴウン魔導王と、その守護者たちによって。

 

 それは、今となっては知る者も少ない、あのカッツェ平野の大虐殺の再現と呼ぶのも生易しい、蹂躙に次ぐ蹂躙劇であった。

 激流に飲み込まれる蟻の巣。

 獅子の親子に喰われ玩ばれる鼠。

 竜の逆鱗に触れた物語の中の愚か者。

 そんな形容の仕方ですら表現に値しないほどの惨劇──あるいは神話の進軍──によって、その国に住まう数十万の民草は、その悉くが死者の仲間入りを果たした。生き残れたものは実験材料として連行され、その行方は(よう)として知れないという噂だ。知らない方が幸福なのかも分からない。

 空が落ち、地が裂け、生きとし生ける全ての者を押し潰し踏み砕き切り刻み焼き融かし喰い殺されて……その果てに残ったのは、この荒涼とした、生命の息吹がまったく感じられない平野だけ。

 湖沼(こしょう)は干上がり、山岳(さんがく)(たいら)となり、人の跡など欠片も残らず、かつて神殿などの聖域がそこここに建立(こんりゅう)されていたとは思えない茫漠(ぼうばく)とした地平線の様が、かつての栄光を偲ぶだけである。

 この惨劇は勿論、中央諸国に見聞され、魔導国の暗部を示す風説の一環として吹聴されてきたのだが、大陸がかの王に統一統治されると共に口に出すのも(はばか)られ、今となっては人々の記憶からも消え去って久しい。

 ここは訪れる者はおろか、生命が生存するのも躊躇(ためら)われるかのように、一切の命が芽吹くことも居着くこともなく、すべての存在が亡憶の底に置き去りにした死の魔境。

 一国はおろか、世界さえも容易く破滅させ崩壊させ改変させる、魔導王の偉業の一つ。

 それが、このスレイン平野の由来である。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし。

 そんなことなど知りようがないカワウソは、ここがかつて自分の体験したゲームと、ユグドラシルとは違う世界であるという事実だけを、飲み込むしかなかった。

 それでも、飲み込んだ事実は、彼に罵倒の呟きを漏らさせるのに十分なものであった。

 

「馬鹿げてる」

 

 ログアウト不可。

 意思を持ったNPC。

 鏡の中に映る堕天使の自分。

 ギルド拠点ごと転移した先の異世界。

 何もかもが小説や漫画やアニメ、ゲームなどでしかありえない超常現象。

 夢だとしても破格の馬鹿さ加減ではないか。だというのに、まったく夢のような気がしない自分の思考が、酷薄なほど現実そのもの。これまでの自分に存在した常識というものが、音を立てて崩壊していくようにさえ感じられる。

 これまでのことから、カワウソは結論する。

 ここは、ユグドラシルとは違う異世界であるという、厳然たる事実を。

 それでも──

 

「いかがいたしましょう、主様(あるじさま)?」

 

 銀髪に黒褐色の聖女──ガブの呼びかけに我に返った。

 振り返れば、五人のNPCたちが困惑を表情に浮かべて、ギルドマスターを見つめていた。

 

「ミカ。俺を殴れ」

「…………はぁ?」

「さぁ、早く。顔でも腹でもどこでもいい!」

「……了解」

 

 言い終えてから、女天使が拳を振るうまでは早かった。

 長く伸びた金糸が、殴打の軌跡を残光のように流れる。

 

「ぐ! ……ぅう」

 

 みぞおちを抉るような一撃に、カワウソは体をくの字に折り曲げながら吹き飛ばされる──ことはなかった。

 Lv.100の、種族が異形種で、職業が聖騎士主体で、装備もある程度充実しているとなれば、それなりの物理ダメージは低減できる。上位物理無効化Ⅲという常時発動型(パッシブ)特殊技術(スキル)はミカの攻撃を防ぐのに役には立たないものだが、NPCが弱体化したのではない限り、彼らの物理攻撃はあまり意味をなさないわけだ。

 だが、やはり、完全に無効化できたわけではない。

 

「──痛い、かっ」

 

 同士討ち(フレンドリィ・ファイア)は有効。

 おまけに、夢から覚めることも、なかった。

 ダメージを受ける胸の痛みは、まさに現実世界で感じるものとまったく遜色のない、痛覚そのもの。

 もはや完全に、この世界がゲームではなく、現実であることを確信するしかなくなった。

 しかし、現実と呼ぶには意見が分かれるところだろう。

 魔法が使え、特殊技術(スキル)が使え、他にも様々な異常事態に見舞われている現状が、果たして現実と呼んでいいものなのかどうか。

 虚空へと手を伸ばすと、アイテムボックスを開く。

 無数に保存されていた上位治癒薬(メジャー・ヒーリングポーション)を飲み干し、ダメージを回復した。アイテムの機能にも問題はないらしいことにひとまず安堵する。

 

「……カワウソ様」

「ありがとう、ミカ。悪かったな、変なこと頼んで」

 

 カワウソは起き上がり、ひとまず皆を引き連れ城内へ戻ろうとして──

 

「ん?」

 

 奇妙な感覚を味わった。

 何というべきか。誰かの視線を味わった時に感じるものに似ているのだが、それとは少し違うような。

 振り返り、仰ぎ見た空には、相変わらず見事な──汚染された地球では絶対に見ることができなかった──(おぼろ)(まばゆ)い月が輝いているだけ。

 

「どうかしやがったんですか?」

「いや……全員、城内へ戻るぞ」

 

 カワウソは遠くで走り続けていた少年を呼び戻しつつ、思案を巡らせる。

 

 とにかく、今後の方針を決めなければならない。

 

 まず。自分はどう行動すべきか?

 ユグドラシルの魔法や特殊技術(スキル)などが通用することは分かった。だが、情報を集めなければならない。何にしても情報が不足している現状下では、迂闊に身動きが取れない。周囲には強力なモンスターや敵はいないようだが、それ以外の地域には強敵がうじゃうじゃいる可能性は十二分にある。こんなわけのわからない状況で死んだりするのはごめんだ。情報収集は慎重に、かつ厳重に行わねば。

 

 次に。NPCたちをどうすべきか?

 彼女たちはとりあえず、自分の指示や命令に忠実でいてくれている。どうにも個々に与えた設定のとおりに動いているらしいが、こんなにも感情豊かに会話し、行動し、まるで人間のように振る舞うことができる存在が、プログラムなどによるものだなどとは到底思えない。仮定としては、人間と同じ扱いで構わないだろう。

 

 さらに。情報をどう集めるべきか?

 自分のギルドが作成したNPCは二十二体と四匹。その内、Lv.100構成のものが十二体で、それ以外はすべて、ギルド維持の名目で造り上げたものばかり。はっきり言えば雑魚モンスターの類でしかないので、必然的に、調査に使えるのは十二体が限界──否、ギルドの防衛を考えると、半分は残しておく必要があるので六体を上限にしておこう。

 

 そして。この世界は一体、何だ?

 ユグドラシルの法則が通じることに違和感を覚えなくもないが、完全な異世界だと認識しておく。自分が知っているユグドラシルとは違い過ぎるし、さらにいうと現実の世界とも違い過ぎた。環境汚染の進んだ地球で太陽と青空の下で呼吸できるはずもないし、より未来、または過去の地球だと仮定するのも微妙な判断だと思う。

 

 最後に。元の世界には戻れるのか?

 仮に戻れる方法や手段があったとしても、あんな世界に戻る価値があるのか? ノルマに追われ、サビ残に苦しみ、ストレス過多と生活リズムの乱れから生じる体調不良の毎日。薬や栄養剤に頼り、まともな食事も口を通らない。どうしようもなく閉塞した、娯楽以外に逃げ場のない、環境汚染よりも社会汚染が深刻なレベルの現実世界に。

 そんな奴隷じみた生活で、友達も家族もなく、ましてや恋人だって……。

 その時、かつてのギルメンたち──“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”以前に所属していたギルドのメンバーたちの存在が、頭を()ぎる。

 もしも。

 もしも仮に、彼らがユグドラシルに復帰していて、カワウソと同じ事態に巻き込まれていたなら。

 

「──ないな」

 

 ないない。

 絶対に、ない。

 カワウソのかつての仲間たちがユグドラシルに復帰することは、九割九分九厘──99.9%、ありえない。

 あのナザリック攻略戦において味わった敗北の記憶。その時に体験した凄絶なまでの反則技によって、彼らは完全に心を折られてしまった。自分は実際には体験していないが、あの動画(ムービー)データを見れば、彼らの判断も止む無しと言わざるを得ない。それほどのチートぶりだったのだ。

 カワウソに装備や道具を託して別れを告げたものもいたが、ギルマスをはじめ、ほとんどの人はそういった遣り取りすら忌避するように、ユグドラシルからアカウントを削除していった。そんな連中が、末期状態で過疎(かそ)っていたゲームに舞い戻るイメージがどうしても湧かない。他の新興DMMO-RPGを満喫しておく方が、はるかに有意義だと感じるだろう。

 無駄なことを考えたと自嘲しつつ、カワウソは拠点最上層に戻るべく、転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)をくぐり抜けていく。

 その足取りは重く、これから訪れるだろう不安と艱難を予期しているかのようであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は──気づいていない。

 否、言い訳を述べるのであれば、この時の彼や、彼が選んだ護衛たちは、そういう特性や技術を備えていないため、それに気づく道理などあるはずがなかった。

 彼らはすでに、ある者の監視下に置かれているという、その事実を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第一章 異世界探索 へ続く】

 

 

 

 

 

 




第八階層の戦闘描写、『敗者の烙印』などについては、作者の想像が含まれてます。
ご覧のように、オリジナル要素の強い物語ですので、くれぐれもご注意ください。


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第一章 異世界探索
実験


 総集編映画の公開を祝して、予定より早めに投稿。

※注意※
 この物語には、
 オリジナルとしてのスキル、種族、職業、アイテムなどの独自設定が多数登場します。



/Different world searching …vol.1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユグドラシルのサービス終了の日……この世界に来てから、二日が経過した。

 

 異世界へ転移したと思われるカワウソは、己のギルド拠点、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の最下層、迷宮(メイズ)に赴いていた。

 この砦はもともと全三階層で構成されたダンジョンであったが、カワウソのバカみたいな課金によって最上層にさらにひとつ階層を増設され、全四階層で構築されている。最上層は円卓の間などが置かれている屋敷があるが、それ以下の階層は“城館(パレス)”の第三階層、“回廊(クロイスター)”の第二階層、そして今カワウソがいる“迷宮(メイズ)”の第一階層という具合である。

 その第一階層の奥深く、永続炎(コンティニュアル・フレイム)の照明で照らされた岩塊の巨人像に見下ろされる闘技場にて、カワウソは一人(たたず)む。

 

「ふぅ……」

 

 思わず呼吸を整える。

 この迷宮には、とある実験のために赴いたのだが、どんな結果になるのか予測がつかない。

 うまくいけばいいと祈ってはいるが、同時にそんなうまくいくのかという不安が頭をもたげる。だが、悩んでいても事態は解決しない。昨日一日、最上層にある私室に籠って思い悩んだ末に取った実験行動であるが、それでも決意は常に安定してくれない。

 カワウソは両手に握る剣――神器級(ゴッズ)アイテム“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”という聖剣と、対を成す神器級(ゴッズ)アイテム、“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”という銘の魔剣――を構える。

 純粋な天使種族や聖騎士という職業は、原則としてカルマ値が負に傾きすぎた呪詛属性の武器・魔剣を装備することはできない――できてもペナルティとして常時継続ダメージや行動制限が追加される――が、堕天使という種族固有の特殊技術(スキル)清濁併吞(せいだくへいどん)Ⅴによって、カワウソは問題なく魔剣を装備することができる。

 神聖武器一辺倒な装備編成だと、それ専用に対策を講じているモンスターを狩る時、圧倒的に不利になるため、カワウソは神聖属性の武装と呪詛属性の武装などをバランスよく装備するのが日常的になっていた。かつて、仲間たちがユグドラシルをやめていき、ソロプレイを強行するしかなかったカワウソにとって、装備のバランス調整は必要不可欠なものであった為だ。

 聖剣と魔剣を構えた先には、迷宮(メイズ)の階層奥に位置する巨大空間――個人的に“闘技場”と命名しているここに備蓄している人間大の案山子(かかし)が数体。

 これらは魔法や特殊技術(スキル)の試し撃ち用に支給・ユグドラシル金貨で売買されていたアイテムで、同士討ち(フレンドリィ・ファイア)不可だったゲームで、プレイヤーが練習用の的にすることができる簡易な敵として流通していたものだ。他には藁人形とか、ガンシューティングの的などもある。値の張る奴だと、ある程度の自律運動までこなすこともあるが、この案山子たちはかなり安い部類に入る。

 カワウソが動かぬ案山子を次々に斬り飛ばし、あっという間にバラバラにすると、それを片付けるように命じられているモンスターが待機状態から移行して宙を滑った。

 これらはギルドの拠点内で自然発生するPOPモンスターの雑魚天使、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)。光り輝く胸当てを備えているが、主武装である紅蓮の炎を灯すロングソードは握られておらず、一対の煌く翼からは、羽の代わりに焔の残光が舞い落ちている。

 ユグドラシルにおいては雑魚中の雑魚というべき最底辺の天使モンスターであるが、カワウソは実験の為、それら数体ほどを雑用に集め、動かない案山子を相手に、一人孤独に剣を向け、使い物にならなくなった残骸を、順次モンスターたちに片づけさせているところだ。

 何故、カワウソはこのような戦闘行為の“真似”をしているのか。

 無論、遊びや暇つぶしの類でないことは、彼の表情を、その汗の滴を見ればわかるだろう。

 ゲームでやっていた時は、魔法は浮かび上がるアイコンをクリックすることで発動し、攻撃系の特殊技術(スキル)についても、それは同様であった。しかし、この異世界に来たことでゲーム画面というものは存在しなくなり、インターフェイスやアイコンなどは消え去ってしまっている状況にある。

 そんな状況の中、カワウソは自分の奥へ意識を集中する。

 天使たちによって新たに準備された案山子五体を、同時に見据える。

 何となく、呼吸するように、思考するように、極めて当然な感覚として、自分が取得するひとつの攻撃(アタック)特殊技術(スキル)を発動した。

 

 光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ。

 

 聖騎士の基本的な攻撃手段。

 剣から放たれた割と派手な範囲攻撃エフェクト――天から降り注ぐような光の束――が、目標に見定めた案山子の五体を(あやま)つことなく断裁・粉砕していく。聖騎士(ホーリーナイト)Lv.10の放ったスキル攻撃は、ゲーム時代に体験した戦闘そのままに、目標五体を同時に破壊し尽くしてくれた。

 

「……なるほど」

 

 自分も戦闘行動が可能という事実に、半ば安堵、半ば戦慄しつつ、天使たちに指示を飛ばす。

 命じられるまま新たに案山子を用意する天使たちは、ギルド長の意向に従容としており、自分たちに与えられた命令に忠実でいてくれている。これは、ゲーム時代とは違う。拠点のPOPモンスターとは、ギルドの運営資金――ユグドラシル金貨によって召喚されるものでしかなく、ギルド構成員の指示やコマンドを理解することは不可能な存在だ。せいぜい、敵か味方かの認識は可能になる程度の判断能力しかなかったはず。しかし、この未知の異世界に転移し、ギルド作成のNPCが自発的に思考と行動を可能にしているように、この雑魚天使たちも、カワウソの複雑な命令内容を詳細に理解し、かつきちんと順守できている。

 カワウソは、ふと思う。

 ここにいる天使たち数体を、シューティングゲームの的よろしく攻撃対象に見据えて、自分の戦闘能力を実験したら。

 

「……やめておくか」

 

 同士討ち(フレンドリィ・ファイア)が解禁されていることを確認していたからこその思考であるが、この戦闘実験のことは、拠点防衛用のNPC――ミカやガブたちには内密に行っていた。

 カワウソはとりあえず、彼らを普通の知的存在――人間と同等に扱っていいものと決定したが、だからこそ、不安を覚える事柄がある。

 

 それは彼ら(NPC)の裏切りだ。

 

 彼らはとりあえず、ギルマスの地位にある自分を上位者と見据えて命令に準じてくれているが、それが絶対不変のものであるという保証はどこにもない。特に、ミカの反抗的な態度と口調――ゲーム時代に設定した『カワウソを嫌っている。』という一文――が、どのような影響をもたらすのか未知数だった。

 最悪の想定だが、NPCの長である彼女を旗頭として、彼ら全員に反乱でも起こされたら、自分は孤立無援な状況に立たされる可能性もあるわけだ。幸いなことに、アイテムや装備品はゲーム時代とほとんどまったく同じ効力を発揮することは確認され、ボックスの中のアイテムもすべて記憶にある通りの潤沢な量が手中にある。最悪、彼ら全員と戦うことになっても、自分の安全くらいは確保できる、はずだ。

 が、油断は禁物だろう。

 この雑魚天使たちも、いわばギルドの一員。

 そういう意味では、カワウソが転移後のこの世界で、ギルドのNPCたちを順当に相手取ることが可能なのか否かという実験には、――天使たちを相手に、堕天使のカワウソがどれだけ戦えるのか確認するのには、都合がいい存在とも言える。

 だが、それはしない方がいいと、同時に思う。

 ミカたちがPOPする同族たちをどう思っているのか知らないが、もし仮に、ここにいる雑魚天使に強い同族意識を持ち合わせていたらと思うと、簡単に切り飛ばすことは出来ない。下手をすると、自分から彼らを激発する材料を供することになるやも。故に、自分(カワウソ)の戦闘実験には、自分の財物といえる案山子を相手にするしかないわけだ。

 

 反乱という最悪の事態――そうならないためには何をすべきか。

 

 まず。

 自分の戦闘能力がゲーム時代と同様なのか確認する作業が第一だった。

 これは、自分が彼らの上位者として君臨するのにふさわしい力量があるかないかを、自分自身が知っておく必要があるからだ。彼らの前で大々的にデモンストレーションを行って、それが空振りに終わってしまっては目も当てられない。カワウソの危惧する事態を招く要因にもなりかねないだろう。現実世界で営業職を十年以上やっていた時分から、徹底的な根回しと下調べは身に染みて覚え込まされていた為、この思考に至るのは割と難しくはなかった。そうして、カワウソの戦闘能力は、ゲームの時とほぼ変わってないことは、今回の実験で判明したわけだ。

 次に。

 NPCたちの意識調査が必要になるだろう。

 カワウソは聖騎士系統の他に上位の信仰系職業なども取得しているが、扱える魔法や特殊技術(スキル)に、相手の思考を読み取るなどと言った便利なものは取得していない。そういったアイテムや装備も所持していなかった。だが、彼らに対して「自分(カワウソ)のことをどう思っている?」なんて聞くのは、あまりにも(はばか)られる。面と向かって「嫌い」と表明しそうな女天使がいる以上、そういうことをするのは躊躇(ためら)われるのだ。真正面から嫌悪感を示されるなど、空中釣銭落としの何十倍もつらい。カワウソはそこまでメンタルの強い人間ではなかった……今は堕天使のようだが。

 最後に。

 この拠点の指揮権や運営権を、彼らにすべて(ゆだ)ねてしまうことも考慮すべきだ。

 反乱を起こされる前に、自分から率先して上位者としての地位から降りてしまえば、反乱など起こる道理がなくなる。本末が転倒している気もするだろうが、カワウソの目的はあくまで自分の安全の確保であり、別にギルドの運用について自分が上位者であることにはそこまでこだわる理由がないのだ。かつての仲間たちとの思い出の再現を失うことにつながるかもしれないが、そこは命あっての物種である。その時はこの拠点を放置して外の世界を冒険することも視野に入れていいが、この世界の実情――敵やモンスターの存在や強さ、蘇生アイテムの使用が可能か否か――が不明な段階では、迂闊に単独行動をとるのは危険だと言わざるを得ない。当面はこのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)を使って、この世界の調査と状況の把握に努めることが、自分に今必要な最優先事項なのである。

 

「何とも……情けない話だな」

 

 思わず呟いていた。

 カワウソは、最強の存在ではない。

 ユグドラシルにはワールド・チャンピオンやワールド・ディザスター、ワールド・ガーディアンといった珍しい職業に就く者や、最上位ランカーと呼ばれる廃課金プレイヤーなどが存在した。彼らと比べれば、自分は圧倒的に弱すぎる。カワウソ自身、それなりのボーナスを課金にぶち込んで手に入れたアイテムや、二日前まで存在した『敗者の烙印』に因んだレアな種族や職業(クラス)を取得してはいるが、自己評価からしても最大で上の下(相性がいい場合)程度なのだから当然である。堕天使の貧弱っぷりはダテではない。

 それこそカワウソというプレイヤーは、ユグドラシルで遊んでいた時はPK(プレイヤーキル)の良い的であった。

 PKペナルティの存在しない異形種の中でも最弱ステータスの「堕天使」な上、『敗者の烙印』を頭上にデカデカと掲げていた落伍者の姿は、そういうことを生業(なりわい)にしているプレイヤーたちからは格好の獲物。雑魚モンスターを狩るよりも膨大な経験値を獲得できる上、運が良ければプレイヤーの抱えた希少なアイテムドロップも狙える。おまけに特定の種族や職業(クラス)の取得においてはPK経験が必須にもなるので、標的にしないでいる方が難しい。それが彼らの論理だ。これはカワウソも同意見である。自分も似たような立場になればそうしていただろう。異形種の自分は、異形種PKの恩恵などないから活用することができなかっただけだ。

 ユグドラシル――ゲームでは自分より強い敵やモンスターは無数に存在していた。

 そして、この未知の世界にも、そういった強者がいる可能性は十分高いとカワウソは見ている。というより、そう思っていないと危険だと言わざるを得ない。

 そんなものたちと事を構えるにしろ面従するにしろ、自分の強さがどの程度のものか把握できていなければ話にならない。この拠点に潜伏しているだけでは、いざそういった強者に攻め込まれでもしたら、あっという間にやられてしまう。蘇生アイテムや専用の装備も充実しているが、果たしてこの世界で通用するかどうかは不明な以上、死んで確かめるなんてことはできない。専守防衛を唱えるとしても、肝心の力がなければ犬死(いぬじに)である。

 だからこそ、カワウソは拠点内でほぼ自動でPOPする雑魚天使を従え、自分の強さが、自分が知っている通りの、ユグドラシルにいた時と同質なものなのか、調べ尽くす必要があるのだ。

 

「ふぅ……」

 

 それからしばらくの間、戦闘実験は続けられた。他の特殊技術(スキル)や攻撃魔法の発動、装備の効果についても及第点な成果を獲得できた。とりあえず、堕天使である自分の得意とした攻撃手段や戦闘方法は、ゲーム時代とほぼ遜色なく発揮できると見ていいだろう。用済みとなった雑魚天使たちを「ご苦労」と(ねぎら)い、闘技場から迷宮(メイズ)に送り返した。理解してくれるかどうかはわからないが、今回の実験……戦闘訓練のことは誰にも口外しないように命じて。

 しかし、

 

「……やっぱり、戦うのは疲れるな」

 

 完全に一人になったことで、ぽつりと感想をこぼしてしまう。

 ゲームで遊んでいた時は、呼吸や鼓動などを殊更(ことさら)意識したことはなかったが、やはり五感を始め、各身体機能は現実に味わうものと遜色(そんしょく)ないものに変貌し尽くしている。現実の自分の筋力では、こんな長い剣を片手で握って駆けまわるのにも苦労するはずだが、とりあえず戦闘訓練の間は、汗が一滴流れる程度の疲労度しか感じられない。疲労というバッドステータスを無効にするアイテム――維持の耳飾り(イヤリング・オブ・サステナンス)を装備しているため、これは体力的な疲労ではないと分かる。言うなれば、精神(こころ)の疲労だ。これを外して過ごした昨日、わずか数分足らずでとんでもない疲労感を覚えていたので確実だろう。現実のユグドラシルプレイヤーである自分は、言うまでもないが戦いや武道とは無縁な人生を送っていた。スポーツなどの身体を使った勝負事というものも経験したことがない、社会底辺所属者だったのだ。

 だから、なのだろう。

 Lv.100の異形種の膂力(りょりょく)からすれば大したことない行為なのだろうが、どうにも現実的な感覚との齟齬(そご)と合わさると、この実験はちぐはぐな印象が拭えない。自分は紛れもなく自分なのに、自分の知らない自分が唐突に降りてきたみたいな――とても奇妙な感覚。焦燥、混乱、後ろ暗い昂揚、ほんの僅かの罪障感。

 実験と言えば、武器庫で試した限り、魔法使い専用の杖やローブ、暗殺者専用の暗器や忍者道具などを扱えなかったのも奇妙だった。金属でできた剣よりも軽いトネリコ製の杖を、振るおうとした瞬間に取り落とすなど、まるで理解不能な現象だ。まるでゲームのような縛りがあるのだが、自分が感じている感覚は現実そのもの。だが、現実に考えればただの棒を振り回すこともできないなんてことが起こり得るか?

 わからないことが多すぎる。

 とにかく、情報を集めないことには話にならない。

 このギルドを管理維持していく上で、外の世界の存在との交渉を持つべきか。

 はたまた外の存在など排除し尽くして、鎖国のように引き籠る……のは、ないよな。

 自分の転移してきた場所は何もない平野であったが、周囲すべてを探査し尽くせたわけではない。探せば集落や、それなりの都市もあるかも知れない。街道でも発見できれば確実だろう。現在、NPC六人を、三人構成の二チームで周辺の調査に行かせているが、それらしい報告などは――〈伝言(メッセージ)〉は受け取っていない。

 

「……〈伝言(メッセージ)〉」

 

 カワウソは誰もいない迷宮の奥で、ひとつの魔法を発動する。

 遠方にいる相手に声を届ける魔法は、ユグドラシルプレイヤーにとっては基礎的な魔法の一つだ。

 送る相手に選んだ名前は、とりあえずGM――Game Managerという名の運営。コール音は誰とも繋がることなく、魔法の効果は失われる。まぁ、〈伝言(メッセージ)〉の魔法はプレイヤー間の意思伝達手段なのだから、GMに届かない方が普通である。そうしてから、かつての仲間たち十二人分、順番に〈伝言(メッセージ)〉を発動させていく。しかし、昨日から試していたが、誰とも連絡はとれない。とれるとも思っていなかったが。

 

「…………〈伝言(メッセージ)〉」

 

 最後、カワウソは確実に繋がると、これまでの経過で判っているNPCの一人に、外の調査状況を教えてもらおうと魔法を飛ばした。コール音は僅か一度で相手と意思を繋いでくれる。この魔法は、カワウソも問題なく発動することができるという証明である。

 

『はい。我が(しゅ)よ』

「……ラファ。外の調査は、どれほど進んだ?」

『ガブ、ウリ、不肖私のチームが東へ、イズラ、イスラ、ナタのチームが西へ調査を行っておりますが、双方ともにようやく平野地帯を抜け、湖と森にまで到達いたしました。全体の進捗状況の確認は、第三階層・城館(パレス)に詰めているマアトが把握しておりますので、詳細は彼女に』

「わかった……あと五分で、双方ともに〈転移〉を使って一旦撤収しろ。戻り次第、城館(パレス)で休息に入れ」

 

 主の下知に対して、ラファは承知の声をあげる。カワウソは魔法を解除した。

 

「はぁぁぁ……」

 

 マヌケにも大きく息を吐いてしまう。

 彼らLv.100NPCは主に戦闘用に特化したレベル構成のNPCたちだ。サポートタイプも無論いなくはないが、そのサポートタイプの二人は昨日から第三階層の城館に詰めて、周囲から採取したものから地質調査や土地鉱石の鑑定、そして最も重要な「周囲の地図化(マッピング)」を行ってくれている。NPCにも疲労などのバッドステータスを無効化するアイテムを装備させているが、さすがに24時間フル稼働させるというのは気まずいものを感じざるを得ない。というか、ひょっとするとカワウソと同じように、内面から溢れる疲労というものを感じているかもしれないのだ。彼らに反感を抱かれるような命令や指揮は、控えるに越したことはないだろう。

 カワウソが住んでいた現実の世界は、企業が絶対者として君臨する社会構造が築かれており、個人が雇い主に意見を物申すことを是としない、いわゆるブラックな就労規則が蔓延(まんえん)していた。サービス残業は日常的に行われ、ノルマを達成するまで帰宅どころか休憩すら満足に許されない。半ば奴隷生活のような環境にあった身の上としては、たとえNPC――かつてはゲームデータの集合体に過ぎなかった存在――であろうとも、ブラックな体制下で無理に働かせるのは、あまりにも非情に思われた。

 何らかの探査能力に特化したモンスターを召喚して使役することも考えているが、それらが現地住人と戦闘に陥るなどの不幸な事故に見舞われたらと思うと、踏ん切りがつかない。せめて、この世界の存在がどんな「姿かたち」で、どのような「文明」を持っていて、どれほどの「強さ」なのか判明すれば、こちらの最大戦力たちを連続投入する必要性は薄れるのだが。

 

「いっそ、天使作成の特殊技術(スキル)が使えたら……」

 

 思わず呟いてしまうが、それはほぼ不可能な話だ。

 天使種族の上位種──カワウソやミカが取得している熾天使(セラフィム)やその他など──は、同じ天使種族の下位種を作成・創造し、自分の忠実な配下……という名の壁役や斥候として、戦闘や偵察に使うことができる。実際、ミカやガブら、他のものなどの作成系スキル保有者から上申されては、いた。カワウソは「堕天使」へと降格しているため、一部能力に欠落があるものの、中位の天使(エンジェル)作成などはソロプレイでは大変重宝した能力である。

 だが、天使種族モンスターは異形種の例に漏れず、人間の形状からはかけ離れた形状をしているものが大勢を占めている。火の粉をまき散らす炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)や、獅子の頭を持つ門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)などがそれだ。もしも現地の住人と邂逅を果たした際に、火の翼を持つモンスターや猛獣の頭を備えた存在と友好的に接してくれる可能性を考えると、どう考えても頭をひねらざるを得ない。逆に、天使や獣人が世界を席巻していたら、使うのもありだろうか。

 どちらにせよ、今は天使の群れをミカたちに作成召喚させるのは、当分なしだろう。

 ミカたちなどの“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”に所属する人間然とした天使たちは、拠点製作NPCであるが故の例外だ。さらなる例外が、カワウソの他に五人のメイドらの取得している堕天使であるが、堕天使の強さは下手な構成にすると人間種にも見劣りすることもあり得るため、この探索では使い物にならない。

 

 

 ちなみだが。

 堕天使は、それまで積み上げてきた天使レベル──最低位の天使(エンジェル)から始まり、天使Lv.15で大天使(アークエンジェル)、大天使Lv.15で権天使(プリンシパリティー)、権天使Lv.15で能天使(パワー)、能天使Lv.15で力天使(ヴァーチュ)、力天使Lv.15で主天使(ドミニオン)、主天使Lv.10で座天使(スローン)、座天使Lv.10で智天使(ケルビム)、智天使Lv.5に至って、最終的には熾天使(セラフィム)の最高位天使に、「昇天の羽」に類する転生アイテムを大量に消費して、ようやく昇格することが可能(これは、NPCのレベル取得方法とは根本的に異なる)──を基準点として“堕天”……それまでの天使の座から降格することで取得するのが普通である。

 最高位の熾天使(セラフィム)から堕天すれば、一応は異形種らしいステータスの高さを最終的に取得出来る(それでも他の異形種に比べれば微妙である)が、最初のキャラ作成から「天使」ではなく「堕天使」になることを選択すると、全ステータス──体力(HP)魔力(MP)・物理攻撃・物理防御・素早さ・魔法攻撃・魔法防御・総合耐性・特殊──の総計値が、Lv.100になっても三桁にいかないかもという劣悪っぷりである。そんなステータスでは初心者の街から抜け出るのも一苦労……というか、不可能なほどだ。そんなことをする物好きは、戦闘や補助、冒険を重視するのではなく、商売や鑑定、さらには作成系などの職人(クラフトマン)として、異形種の有名な「はじまりの街」“深淵原野(アビスランド)”などに常駐していたのを見かける程度である。当然、プレイヤーが「熾天使」に至るまでに犠牲(コスト)となるレベル合計を考えると、わざわざ強力かつレアな熾天使(セラフィム)にまで昇格しておいて、劣悪な種族に“堕天”する存在は珍奇ですらあった。何しろ熾天使になるまでに(数値上の合計ではあるが)Lv.100分の経験値を獲得し、さらにはそれを“捨てる”ことが必須なのだから。

 いくらユグドラシルの仕様上、レベル上げそのものは早くこなせると加味しても、堕天使になるのは面倒なこと極まりないと、ご理解いただけることだろう。さらに言うと、堕天使の特性も輪をかけて面倒が多いのだから、本当にどうしようもない。

 

 

 話を戻す。

 NPCたちに天使作成スキルは使わせたくない、最大の理由。

 それは、やはり最悪な想定のひとつである、NPCたちの反乱の可能性だ。

 彼らが「一時的に」とはいえ、召喚モンスターの大群を使役し、ギルマスのカワウソに反旗を(ひるがえ)されては目も当てられない。

 いかにも慎重すぎる気がするかもしれないが、とにかくカワウソは疑心暗鬼に囚われ、今でも混乱が続いているのが、少なからず悪影響を及ぼしていた。

 NPCたちは実に従容(しょうよう)と主人の命令に準じてくれているが、もともとカワウソはただのサラリーマンだ。平社員がいきなり上位者として、あろうことか天使たちに下知を飛ばすなど、まったく予想だにしていなかった状況である。

 無論、彼ら拠点NPCを作成するうえで、あのナザリック攻略の他に、そういうロールプレイを楽しもうという意気込みは多少あったし(ミカたちに与えた設定文は、その名残だ)、彼らの設定を作る際にもそういった趣味嗜好に走ったこともあったが、それが四六時中、24時間に及ぶなんて、想像の埒外(らちがい)だ。

 しかし、泣言や弱音など無意味。

 昨日、拠点内に戻ってから装備を脱ぎ捨て、一日の間は私室に籠り、混乱と恐怖でベッドの中で震えていたが、いくら寝ても覚めても、この世界から現実の自分の家に戻ることはなかった。そうしてまた一日かけて、この世界の調査と実験を繰り返している。こうして二日が経過する頃には、それなりの覚悟を固めるくらいの気概が湧いてくれた。吹けば飛びそうな、脆く儚い覚悟ではあったが。

 

「……風呂にでも入るか」

 

 意識に(かすみ)がかかるかのように、思考に余計な汚濁(おだく)()()むのを感じる。精神が疲弊し、休息を求めているのだ。

 こういう時は冷水でも温水でもいいから、身体を水で洗い落とすに限る。実際、一日目が経過し、ベッドで震えることにも意味が見出せなくなったカワウソが最初に赴き、気分を転換するのに使った場所だ。現実のあちらの世界ではスチームバスぐらいしか経験していないが、滝行というのか、ゲームでそれと似たような行水を行える場所が、このギルド拠点の最上層にはある。円卓の間のある屋敷の中庭に造った(もとい商業ギルドに頼んで造ってもらった)ものだ。ゲーム時代はちょっとした治癒(ヒーリング)強化(バフ)を施すための施設でしかないものだったが、少なからず精神的なリフレッシュ効果も味わえてお得なのである。

 ギルド拠点というのは、たいていの場合は侵入者迎撃の観点から階層間の転移を阻害する仕様になっており、この城もその例には漏れないのだが、カワウソはギルドメンバー(ほぼ一人だったが)の証である指輪を身に着けているため心配いらない。ちなみに、この指輪を持つ者しか赴けない場所も存在しているので、ギルド内に限ればこれは必需品ですらあるのだ。左右の手でひとつずつしか装備できない指輪を、課金で十本の指すべてにはめることを可能としており、左手薬指以外の合計九つの指輪のうち一つに、この拠点用の指輪をはめているわけである。

 左手に掲げた魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)をほんの一振り、切っ先で円を描くようにすると、転移の闇がカワウソを包み込んだ。これが対となる天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)であれば神聖な光に包まれる仕様である。

 この二本の剣は、ユグドラシル末期、解散を宣告した上位ランカーギルドが売りに出していたものを買い取った、カワウソが保有する数少ない神器級(ゴッズ)アイテム。その効果の最たる特徴は、“門”という名前だけあって、正当な所有者に無限ともいえる〈転移門(ゲート)〉……転移の魔法を供与するものだ。

 途中の階層をすっ飛ばして転移した先は、ギルド拠点の最上階層。自分の私室やキッチン、客室や金庫、武器庫まである屋敷の、その中庭──露天風呂のスペースに転移した。礼儀や常識を考えれば、まず脱衣場で衣服や装備を脱いで入るのがマナーであろうが、精神的に疲弊しているカワウソは、そこまで頭は回っていない。風呂場で直接脱ぎ捨てるか、あるいは着たまま入ってもいいだろう(というか、ゲーム時代は着たまま入るのが普通だった)。頭上の赤い輪については、外すこともできないし。

 今は一刻も早く、滝の温かいシャワーを浴びて頭の熱を取り除きたかった。

 

 ──故に、その失態は必然とも言えた。

 

「……な」

「……あ」

 

 堕天使と天使が声を漏らす。

 転移した先は紛れもなく、最上層にある、朝焼けに照らされた屋敷の中庭。

 そこに佇む、金髪を大量の湯で濡らした少女の肌色が、堕天使の()を焼いた。

 カワウソが浴びようとしていた滝を浴びていたのだろう、珠のような無色透明の雫が一点の曇りもない肢体と一対の白翼を艶やかに染めている。慎ましい胸の膨らみも素晴らしいが、鼠径部から太腿へと至るラインも見事に過ぎる。その立ち姿は、女の魅力を結集させても到達できない、無垢なる輝きを放って煌いているようだった。

 

 双方ともに目をぱちくりさせる。

 

 思わず見入ってしまった堕天使は、裸身の女天使が繰り出す刹那の拳に対応できない。

 肺の中の空気をすべて吐き出されるほどの衝撃に吹き飛ばされ、広大な岩風呂の水面を二回跳ねて、水没する。泡を喰ってもがきながら水上の空気を吸おうと半身を起こす。激痛よりも呼吸困難、溺死寸前に陥った事実に慄然(りつぜん)としながら、いつの間にやらタオルを身体に巻いた女天使が立ち去る翼と背中を見た。

 

(きら)いです」

 

 そのたった一言が、カワウソの胸の奥を血が滴らんほどに抉る。

 何とか謝ろうと声をかけるよりも早く、NPCの長たる天使──ミカは、脱衣場へ去ってしまった。

 追いかけるのも(はばか)られたカワウソは、そのどうのしようもない事態を忘れようと、清浄な回復効果を持つ温水に、体を沈めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっとしたハプニングがあったが、とりあえずひとっ風呂浴びて気持ちの切り替えに成功──いや、失敗か?──したカワウソは、濡れそぼった装備品類を全自動洗濯乾燥機に突っ込んで(どう考えても容量過多なはずだが、入れられた。剣や鎧なども投入可能なのだ)、タオルで体を丁寧にふき取り、備え付けのバスローブに身を包んだ。ゲーム時代は脱着する必要のない装備や衣服の類であったが、この世界では現実世界同様、濡れていると水滴をあたりにまき散らす上、水を大量に吸って少々重くなる。さすがに濡れ鼠な状態で屋敷を歩くわけにもいかないだろう。

 冷蔵庫内のフルーツ牛乳を開けて、一気にあおる。素晴らしい喉越しと舌を包み込む甘い味覚は、やはりユグドラシル時代にはなかった(なま)の感触である。体力(HP)満タンの状態で飲んでも回復効果はない──つまり使用は不可のはずだ──が、それでもこういった飲食まで可能となると、仮想現実の可能性はごくわずかしかないと思っていい。カワウソの知る限り、そこまでの電脳技術は存在しないはずだ。

 ふと、カワウソは視線を走らせる。

 壁一面を覆うような鏡台に映る堕天使、赤い輪を頭上に戴く存在の濁った瞳と視線が交わる。カワウソはそこに佇む引き絞られた肉体、バスローブの裾からチラ見する胸筋と腹筋、(たくま)しく男らしい両腕の造形に、何も言えなくなる。こんな健康的な肉体を持つ浅黒い肌の青年が、違和感なく今の自分だと思える半面、現実に存在していた自分の、肋骨がほとんどすべて浮き上がるほどに痩せぎすだった様が、余りに憐れに思えてならなかった。

 こういった感覚も、何気にカワウソの精神的疲労に繋がっていく。

 あまり深く考えるのは止めておこう。

 

「……はぁ」

 

 思わず嫌な息を吐いてしまう。

 喉奥にぶつかる呼気すらも、事態が現実であることを主張してくる。

 かつての時代、「風呂は命の洗濯」といったらしいが、今回に限ってはその格言からは程遠い印象を抱いてしまう。いや、今回のこれ──女性の入浴を目撃──は、完全に自分の失態だと判ってはいるのだが。

 その時、出入り口付近で、バケツやモップやらがガシャンと散乱する音が響く。

 

「しし、失礼しました、カワウソ様!」

 

 風呂の清掃に来たらしい、十人いるメイドの一人である堕天使──天使の輪も翼も持たない、ただの人間の美少女然とした異形種──のインデクスが慌てたように退出しようとするのを、バスローブ一枚きりというあられもない姿の主は引き留める。

 

「ああ、いや、すまない。ここへは転移してきたから、使用中の札を付けるのを忘れていた」

「そ……………………そう、でしたか。本当に、失礼いたしました」

 

 恐縮する可愛いらしいメイドは、カワウソへの畏敬の視線を隠そうともしない。

 それが酷く恐ろしい。

 現実の自分は、こんな視線を他人から浴びた経験はない。

 だが、今の自分は、このギルドを支配する最上位者・堕天使のカワウソなのである。

 カワウソは退出する彼女に、ついでとばかりにミカへの言伝(ことづて)──〈伝言(メッセージ)〉を使って直接連絡する勇気がなかった──が可能であれば、自分の私室に待機させるように頼むと、主人と同じ浅黒い肌に、主人とは違う銀色(シルバー)の髪のメイドは、腰を折って清掃用具を片手に脱衣場を後にする。

 残されたカワウソは、とりあえず直近の懸案事項に頭を悩ませる。

 

「……ミカには、なんて謝ればいいんだ?」

 

 これは完全にカワウソの失態(ミス)だ。ミカはほぼ常に、この最上層の屋敷に常駐させている。設定文だと、ギルドの拠点NPCの長として、この屋敷のほぼすべての部屋への出入りを許されているという感じだったか。

 だから、なのだろう。ミカは自発的に、屋敷のこの風呂場を利用していたわけである。彼女に休息をとらせていたのは、カワウソ本人。休憩時間に風呂を堪能するというのは、考えてみるとひどく現実的な思考であり行動ではないか。

 女性と風呂場で対面するなんてゲームでしかありえないような珍事件など、もちろん、カワウソは現実で経験したことはなかった。というか、まともに女性と交際したこともない自分には、こんなハプニングイベントは想定外過ぎる。誰か代わってくれないだろうかと本気で思ってしまうほどに思い詰められる。

 いろいろと考えを巡らせるが、これといった妙案などない。

 素直に謝る。

 これぐらいしかないと決意しつつ、乾燥機が稼働を終える時を椅子に座って待つ。

 

「……それにしても」

 

 カワウソは冷静に、先ほどのミカとの不幸な──幸福なんて断じて思ってはならない──遭遇を思い返す。

 けっして(よこしま)な思いから、股座(またぐら)に微熱を感じながら、女天使の裸身を思い出しているのでは、ない。

 ユグドラシルは、非常にエロに……18禁行為に厳しいゲームだ。下手すると15禁もあり得る。違反者は名前を公開される上にアカウント停止処分という罰が下されるのは、この界隈(かいわい)ではあまりにも有名な話だ。

 だが、カワウソは自分が創ったNPCの裸を見た。

 しかし、18禁で有名なゲームのキャラクターメイキングで、あれほどに精巧な裸体を再現することは事実上不可能(限りなく肌色部分を多くし、秘所部分にシールや光処理、モザイクなどを施すのも無理。少なくとも衣服などの“装備”がなければ規制対象)だし、第一、製作者本人であるカワウソが、彼女の外装を、肌着や下着の「下の部分」まで作り込んだ記憶などなかった。

 これがもしも、ゲームのユグドラシルの中で起こった出来事だと仮定するならば、カワウソは完全にアウト判定をもらうだろう。即BANされてもおかしくはない。

 さらに、このログアウト不可な現状が、GMや運営会社、企業ぐるみに行われている新たな電脳ゲームの先行テスト──YGGDRASILver.2や、追加パッチを当てているだけだと仮定するのは無理がある。これらは風営法や電脳法に著しく抵触するうえ、こんな危険な状況実験を組織だって行うメリットが運営側には存在しない。こんなことがバレるのは時間の問題だ。プレイヤーをゲームの中に閉じ込めるということは、即ち“監禁”に他ならない。いくら末期状態の運営でも、一企業である以上、法に触れるなんてことをするはずがなかった。

 ならば、やはり……この世界は、現実のもの、なのだろう。

 今回の出来事は、ある意味でそういう事実確認をカワウソに示してくれたと言ってもいい。

 しかし、

 

「……ミカ、怒ってるだろうなぁ」

 

 そう思うだけで吐く息が重く沈んだ。

 あれだけ本気の拳撃をおみまいしてきたのだから、それは確実なことだと思われる。何の装備も付けていないのにあれほどの攻撃ができるとは。二日前の、転移したばかりのあの時に殴らせた際は、完全に手心を加えられていたのだなと納得する。

 そして、何より、あの去り際の一言。

 

 

 

(きら)いです』

 

 

 

 あれは、本当に、きつい。

 思い出しただけで、体が震え心臓が凍りそうなほどの恐怖を抱く。

 絶対、他のNPCたちの自分に対する好感度や評価なんて、直接確かめられないな。

 数分間思い悩むうちに、乾燥機が終了の電子音を奏でると、ゲームの時と同様に蓋を開けた。全自動で折り畳まれた(どういう仕組みなのか不明だが)衣服に身を包み、磨かれたように輝きを放つ強化(バフ)がかかった装備を身に着けて、カワウソは悄然と肩を落としつつ、自分の私室に向かうべく風呂場を後にし、屋敷中央の円形広間(エントランス)にある螺旋階段を上った。

 このギルド最上層の屋敷は二階建てで構築されており、ギルマスであるカワウソの私室は、一階の「円卓の間」や「祭壇の間」に匹敵するほど広く大きな造りとなっている。部屋の内装はスイートルームのように整えられているが、ほとんどは課金ガチャなどによって入手したはずれアイテム……おまけ程度の価値しかない。

 自分の私室なのに、誰かを待たせていると思うと妙な気分になる。

 いっそいなければいいなと思いつつ廊下の角を曲がると、私室前に待機している水色の髪に人間の少女然とした精霊メイドのディクティスが、主の帰還を待ちわびていたように腰を折る。

 

「カワウソ様、ミカ様が室内でお待ちです」

 

 まぁ……いるよな。

 自分で呼び出したんだから、当然だよな。

 

「わかった。これから、ええと……重要な話があるから、俺が入ったらおまえは下がっていろ」

 

 ぶっきらぼうに聞こえたかなぁと若干不安を覚えるカワウソの内実に気づく様子もなく、水精霊(ウォーター・エレメンタル)のメイドは承服し、両開きの扉をノックすると、室内にいる者に主人が帰ってきた(むね)を伝え、静かに純白の扉を押し開けた。訳知り顔で微笑むメイドの様子が気にかかる。

 カワウソが室内に入ると、扉は再び閉ざされる。ディクティスが部屋の前から立ち去る足音が聞こえるのを扉に耳を当てて確認してしまう自分が情けない。

 溜息をひとつ漏らす。

 あらためて室内を眺めると、応接用のテーブルセットやソファには誰も座っておらず、カワウソは困惑を覚える。上位の天使種族は、同族である天使を発見認識する特殊技術(スキル)〈天使の祝福〉が存在するが、無論、これは堕天使には使えない。怪訝(けげん)に思いつつも、書斎スペースやカウンターバーを巡り、最後に天蓋付きのキングサイズベッドのある寝室スペースに向かうと、

 そこに、やっと彼女の姿をみとめた。

 

「お……待ちしておりました、カワウソ様」

「ミ、ミカ?」

 

 一瞬、その光景がカワウソには理解できなかった。

 純白のバスローブ姿で、金髪美女がベッドにちょこんと腰掛けている。

 その表情は硬く、だが風呂上がり故か上気しっぱなしの身体は、実に柔らかな光を宿して輝いているようだった。

 しかし、カワウソは疑問する。

 

「な、なんで、そんな恰好?」

「え、と……(とぎ)、に」

「は? 研ぎ?」

 

 小卒社会人には意味不明な言葉に、カワウソは首を(かし)げるしかない。

 

「な、何でもないです気にしないでくださいやがりませですバカ」

 

 震える声で早口に告げると、ミカはそっぽをむいてしまう。

 そんな彼女の様子に、カワウソは思わず脱力してしまった。

 

「……装備を整えて出直してこい」

 

 何だか、思い(わずら)っていた自分がおかしくなって、額を押さえつつも頬が緩んでしまう。

 カワウソは気づいていなかった。

 それは、この世界で彼が初めてこぼした、心の底からの笑みに、他ならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 数少ない癒し回(?)終了。
 次回から、いよいよ不穏な感じになります。


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発見

/Different world searching …vol.2

 

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 

 少女は走っている。

 胸が張り裂けんばかりに鳴り響き、自分の呼吸すら喉を切り開くかのようにうるさく吐き出されている。

 遮蔽物の多い森に逃げ込めたおかげで、何とか小休止できるほどの猶予は稼げているが、追ってきている者の数を考えると休んでばかりはいられない。身を隠すためのマジックアイテムはあの子に預けたままだ。今はとにかく、あの子から離れ、あの追走者たちから逃れることに終始せねばならない。

 自分が死んだら、きっとあの子は助かるまい。

 自分をかばって、深手の傷を負ってしまったのだ。何とか合流して治癒できる場所に連れていくか、治癒できる人や物を持ち寄らねば話にならない。

 それも、自分があの追跡するものたちを撒くことが前提の話だ。

 だからこそ、走る。

 走って、走って、走り続ける。

 苦しみを主張する胸を抑えつけようと、手甲に覆われた右手を伸ばした。

 こういう時、鎧の奥で胸が揺れるのが苦痛過ぎる。

 体はどうあっても休息を求めていたが、現実は、それを許してくれない。

 追いつかれれば、どうなるか。

 そうなったら、あの子は、自分は、助かりはすまい。

 助かるはずがないのだ。

 あの死の暴力たちに捕まっては。

 腰に佩いた鞘に、剣は収まっていない。

 追跡者からの攻撃を防ぐ一合で折れ砕けたので、棄ててしまった。

 瞬間、聞く者の肌が粟立つような雄叫びが聞こえる。

 薄紫色の髪を背に流す少女は、さらに大地を踏みしめ、薄暗い朝の森を走り続ける。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ミカが一旦部屋を退出し、普段通りの装備に身を包んでギルド長の私室に戻ると、カワウソはアイテムボックス内の確認に専心していた。真紅の治療薬(ポーション)下位(マイナー)上位(メジャ)まで几帳面に、かつ大量に並べられ、種々様々なアイテムや予備の装備が軒を連ねている。すでに装備品の類、特に防御装備についてはカワウソが用意できる万全の状態で身につけられていた。洗濯機にブチ込んだことで得た強化(バフ)効果もまだ継続中である。

 堅い金属に覆われた闇色の鎧、ほとんど銀色に近い光を宿す鎖帷子(くさりかたびら)、夜のように黒く輝く足甲、魔眼のような宝玉を宿す首飾り、絡みつく漆黒の掌のごときチョーカー、背中には血色を宿すマント、九つの指に嵌め込まれた金属と宝石――頭上には、赤黒く回り続ける王冠のごとき円環。

 

「ミカ、戻ったか」

 

 カワウソは、普段通りの鎧姿に戻った女天使に振り返った。

 頬にはもはや紅潮の気配さえない。女天使の冷徹な表情を見止め、安心する。

 

「先ほどは……失礼いたしました」

「気にしなくていい」

 

 メイドたちに伝言ゲームを任せた自分の落ち度もあったので、カワウソは本気で気にしていなかった。

 

「こっちこそ、その、すまなかった。まさか、おまえが先に風呂を使っていたとは思わなくて」

「ぁ……そうです。反省しやがってください」

 

 辛辣な口調で返されてしまうが、ようやく彼女らしく思えて、軽く笑えてくる。

 

「それで。一体何用でありますか?」

 

 苦し紛れという語調で、女天使は(たず)ねてくる。

 カワウソは頷き、ミカに語り始めた。

 

「さっき、ラファたちの探索隊を城に戻した。完全不可視化の装備も回収している。次は俺とおまえで、探索に出るぞ」

「カワウソ様と、私で……でありますか?」

 

 一瞬呆けるミカは、二秒もせずに眉根を寄せた。

 

「お待ちを。差し出口をさせていただきやがりますが、仮にもこの城の主たるカワウソ様が、調査偵察に向かわれる必要性は」

「馬鹿を言え。おまえたちが苦労して道を開いてくれているのに、俺一人がのうのうと、ここでふんぞり返っているわけにもいかないだろう?」

 

 いかにも公明正大に聞こえる文句を連ね、上位者らしい振る舞いを見せつけるギルド長は、内心で自分を嘲笑(あざわら)った。とんでもない嘘つき野郎だと、自分で自分に吐き気が込みあがる。

 本当を言うと――カワウソは何もかもを彼らに託し、城の中に籠っていたかった。

 少なくとも、外の存在と邂逅を果たし、その強弱や敵意の有無を確認するまでは。

 しかし、カワウソはギルド内で問題なく戦闘ができるという確証を実験で得てはいるが、拠点外の異世界でも戦闘が行えるという確証は保持していない。NPCたちは外で特殊技術(スキル)を、魔法を、戦闘を行使できることは確認しているが、プレイヤーである自分についてはまだ実験できていない。かと言って、自分一人でモンスターも何もいない地で訓練など出来るわけもないし、もしも外で不幸な遭遇戦に、未知の強敵との戦いに見舞われでもした際に、一人の護衛もいないというのは心細い……以上に、極めて危険な状況になることは想像するに難くない。

 故に、カワウソは護衛という名目で、ミカに、NPCの長にして自分の右腕であるLv.100の女天使に、同行を命じたのだ。

 ……いざとなれば、彼女を切り捨てることも、思考の端に思いながら。

 

(おさ)(おさ)らしく、泰然と構えている方が似合っていると思われますが?」

 

 そんな主人の内実を知ってか知らずか、彼女は怪訝(けげん)な表情を隠すことなく反論を述べ立てる。

 

「それもそうだな。だが、俺という戦力を(いたずら)に無為にさせておくわけにもいかない。この異常事態に際して、おまえたちは昨日からよく働いてくれているが、体力や魔力の補給のための休息は必須だ」

「その温存のために、外に出ているラファやナタたちには特殊技術(スキル)や魔法の使用は部分的に禁止させているはずでは? 〈飛行(フライ)〉を使わず、徒歩(かち)での探索を絶対原則にしているのも、そのためであるのでしょう?」

 

 無論、飛行では綿密かつ詳細な調査には向かないという実効力の面においても、徒歩でのローラー作戦じみた探索の方が有用である。

 

「そうだ。しかし、おまえたちという貴重な手駒をすりつぶして、いざという時に使い物にならないような事態を招かないと、おまえは確約できるか?」

「それは……」

 

 ミカは言葉に詰まる。

 彼女にしてみても、この世界には未知な部分が多く、主の言った可能性を否定する材料に乏しい。

 カワウソは厳格な表情で――内面では心臓を痛いほど締め付けられながら――己の憂慮する最悪の事態を回避する手段を選択してみせる。

 

「だからこそ、この世界の調査と探索は急務だ。しかし、このギルドで唯一、探査と遠視の魔法を持つマアトの魔力は無尽蔵ではないし、彼女へと魔力を供与できる存在も僅かだ。当面は幻術と防御の使えるガブで鏡を隠蔽防衛しておけるが、それもどれほどの効果が期待できるかわからない。であるなら、この世界の情報を知悉する作業は何よりも優先される。彼女たちの地図作成や土地鑑定を急がせるためにも、ギルド長である俺が、彼女たちの手伝いに加わるのは当然の務め……何か間違ったことを俺は言っているか?」

 

 ミカは逡巡し、観念するように首を振った。

 彼の提案する論理は、確かに費用対効果においては正論に過ぎる。彼は一応、ミカたちと同等のステータスを誇るプレイヤーだ。それほどの存在をただ待機させ続けるというのは、確かに言われるまでもなく勿体ない。

 しかし、それでも、ミカは抗弁を続ける。

 

「では……せめて、護衛をもう数人連れていくべきでは?」

「駄目だな。ガブ、ラファ、ウリ、イズラ、イスラ、ナタは先ほど帰ってきたばかり。ウォフとタイシャ、クピドはギルドの防衛と周辺の警戒に当たらせている。鑑定作業中のアプサラスにも、休息をとらせないとな。残るはマアトだけだが──」

 

 はっきり言って、マアトは戦闘向きではない。

 否、戦闘よりも戦闘の「補助」に徹した職業構成になっており、種族構成においてはLv.2しかない。それも、翼人(バードマン)Lv.1と、天使(エンジェル)Lv.1だけ。それ以外は職業レベルで98を与えている。彼女の実力は他のLv.100NPCに比べ遥かに見劣りするのだ。この世界の存在が、すべてLv.100相当か、それを上回るステータスを保持していたら、間違いなく足手まといになるだろう劣悪さである。無論、それ以外の動像獣(アニマル・ゴーレム)やメイド隊の投入は論外。

 

「──彼女は外に出る俺たちの観測手(オブザーバー)をやらせる。その傍ら、地図化(マッピング)を続けさせるつもりだ」

 

 マアトが唯一誇れるのは、潤沢な魔力量くらいだ。拠点NPCの中では最大値と言ってよい、その魔力量のおかげで、彼女は今も外界の監視を続けてくれている。しかしそれでも、無尽蔵に扱える代物でないことは確かだ。魔力(MP)体力(HP)のように、ポーションによる回復手段は存在しない以上、必ず枯渇する時は来るというもの。

 

「もってあと一日か……それまでに何か見つけられるといいが」

 

 森から採取した木や花、湖から汲み取った水には、これといった効能や性質は見られなかったという報告を、取り急ぎ鑑定してくれたアプサラスから受けている。

 次はこの世界の住人やモンスター、何だったら小動物などでもいいから発見できれば御の字か。

 できなければ、マアトも休息が必要になる。有事の際には、ラファやウォフから魔力を提供させるのも手だが、あのか細い少女を働かせ続けるわけにもいかない。〈伝言(メッセージ)〉越しだと本人はまったく問題なさそうに振る舞ってくれているが、それが表面的なものに過ぎない可能性も考えねばならないのだから。

 

「了解しました。が、せめて後詰(ごづめ)として、隠形(おんぎょう)可能な上級天使などの召喚許可を」

「……そうだな。ただし、召喚する時は俺がしよう」

「――失礼ながら。カワウソ様の天使作成創造の特殊技術(スキル)は」

 

 欠けている。

 それが「堕天使」という種族だ。

 ミカやガブ――熾天使(セラフィム)智天使(ケルビム)のキャラたちは下位・中位・上位までの天使を作成召喚する特殊技術(スキル)を有しているが、カワウソは下位天使の召喚はできない。中位と上位、それも半分以下の数しか一日に生み出せない。カワウソが特殊技術で生み出せる一日の上限は、中位の天使が四体。上位の天使が二体。これっぽっちだけだ。ミカたちはその三倍の数(これが普通の数)を一日で創造できる上、カワウソには創造できない下位の天使を二十体は生み出せる。

 ちなみに、これらの特殊技術で召喚した天使は時間制限付きであるため、ギルド拠点から外へ放っても、周りの平野を超えることができずに消失してしまう。それほどまでに広いのだ、この土地は。

「堕天使」という種族は、他にも純粋な天使種族が保持しているべき特性や特殊技術を欠落あるいは使用回数や性能が、総合的に減退している場合が多い。〈天使の祝福〉や〈天使の後光〉などは扱えず、〈聖天の裁定〉、〈熾天の断罪〉、先ほど述べた〈天使作成〉系統は著しく制約が多くなっている。

 おまけに「堕天使」の基礎ステータスは、異形種プレイヤーの中では貧弱だ。ランカーギルドから払い下げられていた神器級(ゴッズ)アイテムを買い取ることで、どうにかしている部分が大きいというのが実際である。

 これだけの不利益を被ってまで、「堕天使」を取得するプレイヤーというのは、難易度上げ縛りプレイを(たの)しむ強者(つわもの)か、あるいはそういう本格ロールプレイを望んでいるかの二択になる。

 ただし、カワウソは自己認識として、その両方には該当しない。

 彼はひとつの明確な目的意識の下で、異形種の中でも微妙な種族「堕天使」であることを選択しているのだ。“M(マゾ)プレイ”や“なりきり”を本気で味わいたいわけではなかった。

 

「……ラファたちが探索を終えた地点まで転移した後、中級の天使を適時投入していく。場合によっては、上級の天使も、な」

 

 堕天使であるカワウソには、恒星天の熾天使(セラフ・エイススフィア)原動天の熾天使(セラフ・ナインススフィア)至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)などの最上級の熾天使(セラフ)(クラス)は使役できない――厳密には、数秒しか召喚できない――が、他にも智天使(ケルビム)座天使(スローンズ)で使い勝手のいいモンスターはいるので、壁役としては申し分ないはず。

 それで文句はないだろうとミカに問いかけると、女天使は僅か逡巡しつつ、頷いてみせてくれた。

 カワウソはとりあえず胸を撫で下ろす。

 

「それじゃ、マアトの様子を見に行こう。その後、外の偵察に向かう」

「……了解」

 

 ミカは諦めたような声で呟く。

 嫌われている割にカワウソの身の安全を優先しようというのは、一応は彼を上位者として仰いでいることを示しているのだろうか。とてもそんな表情には見えないんだが。

 カワウソがアイテムをボックスの中に収納し終えると、二人は指輪を持つカワウソの剣の〈転移門(ゲート)〉によって、第三階層城館(パレス)奥に位置する場所に転移した。

 そこは、最上層の屋敷への〈転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)〉を守る大広間。

 平時においてはガブ、ラファ、ウリの三人によって守護される空間だが、そこには誰の姿もいない。

 カワウソは迷うことなく、広間の壁に無数にある隠し扉(完全に内装と同化している)のひとつへと歩み寄り、一応の礼儀としてノックする。中にいるはずの少女に自らの訪問を告げた。

 

「え、あ! カ、カワウソ様っ!?」

 

 作業を中断して扉を開けに来たのだろう少女は、日に焼けた肌色に、ひとつしかない天使の輪が二重に存在すると見紛うほどの艶を帯びた黒髪を切り揃えた、古代エジプトの巫女の簡素な白い聖衣を纏ったいつも通りの恰好に、普段はかけることのない丸眼鏡の姿で、主人たちを迎え入れた。

 

「出迎えありがとう、マアト」

「か、感謝なんてとんでもない! あ、と……な、何か、あったのでしょうか?」

 

 カワウソは、次の外の偵察に自分が赴くことを告げる。マアトは驚き、少し考え込んだ末に、二人を室内に招いた。

 

「こ、こちらが、現在このギルド周辺の探索できた範囲の地図に、なります」

 

 暗い室内には壁一面を覆うほどに巨大な〈水晶の大画面(グレーター・クリスタル・モニター)〉が発生しており、そこにマアトが外へ偵察に赴いた同僚たちの視覚情報を共有することで地図化(マッピング)したマップが掲載されている。他にも様々な画面が大小色々と室内に浮かんでいるのだが、これらはすべて、現在のギルド拠点内のリアルタイム映像を映し出す監視モニターの役割を果たしているのだ。城門にはクピドが銃火器を磨いて待機しており、その左右にウォフとタイシャが鎮座している。地上の鏡の前には二匹の動像獣たち(残る二匹は休息中)が鏡の前後を守るように待機し、防衛と警戒は万全といった具合だ。他にも、第一階層(カワウソのいた巨人像のある大空間は、今は除外されていた)や第二階層には天使の中級モンスターが徘徊しており、この第三階層の現状守護を任されているマアトの監視部屋とアプサラスの作業部屋、そして第三階層と最上層の管理保全の作業に従事するメイド隊が、それぞれ映し出されているような状況である。ちなみに、休息中の拠点NPCたちの私室は、監視対象には含まれていないため、ここには滅多なことでもないと映し出されることはない。彼らの私室に隣接する総合リラクゼーションルームなどは例外で、そこでイズラとイスラが音ゲーに興じ、ジムスペースにいるナタが木人形を相手に鍛錬しているところを見られ、意外なものを見られたと笑いが込みあがってしまう。

 だが、堕天使は浮かびかけた笑みを掌で覆い、消す。

 こんなものを見てほくそ笑む為に、ここへ来たのではないのだ。

 カワウソは、ここへ訪れた目的に視点を定める。大画面に映し出される地図には未だにところどころ虫食いのような空白が存在しているが、とりあえず一日ほどを費やして探査できた『スレイン平野』なる場所は、驚くほど何もない土地であることが判明した。

 カワウソたちのギルド拠点、その出入口である転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)は、その平野のほぼ真ん中に存在しており、掘っても何も出土せず、鑑定した砂や岩石は何の益にもならない普通のものであるという結論に達している。

 そして、つい先ほど戻った偵察隊二つは、ようやく平野を抜け、湖と森の発見に成功してくれた。

 カワウソは、その湖と森を見てみたい衝動に駆られ、頼んでみる。

 

「ちょっと外の様子を適当に映してみてくれ」

「わ、わかり、ました」

 

 マアトは即座に魔法を発動させる。

 第八位階魔法〈遠隔視(リモート・ビューイング)〉を発動させ、拠点外の光景を新たに水晶板に投影する。

 マアトは他にも様々な探査魔法――〈次元の目(プレイナー・アイ)〉や〈千里眼(クレヤボヤンス)〉など──を行使可能だが、前者は調査対象を指定しての覗き見、後者は他の探査魔法……〈発見(ロケート)〉系の魔法と併用するか、遮蔽物のないフィールドで超々遠距離狙撃に使うものに過ぎない。ちなみに、翼人(バードマン)の特性として“鷹の目(ホークアイ)”という遠見能力をマアトは与えられているので、〈千里眼(クレヤボヤンス)〉は補助程度の用途でしか使わない。

遠隔視(リモート・ビューイング)〉は指定したポイントを映し出す魔法。マアトは他にも対情報系魔法の対策を重ね掛けすることで、特に隠蔽処理や攻性防壁を施された場所でもない限り、安全に外を監視することが可能なのである。ちなみに、彼女が装備している眼鏡というのは、情報系魔法への防御をある程度まで貫通突破する効果と共に、攻性防壁などのカウンターを防御するアイテムだ。

 

「……何もないな」

 

 見渡す限りの平野は生命という生命が一切存在しておらず、その何もなさは、逆に作為的な、自然の手ではない何者かの力が働いた結果なのではと勘ぐってしまう。

 画面はマアトの意思のまま、拠点から一直線に遠方までの景色を動画の早送りのように流していく。それも、二チーム分の辿った軌跡をジグザグに蛇行し、左右に振り分けた映像として投影する。

 二つの画面に映るのは、どこまでも生命の息吹を感じさせない大地。

 昨夜、この目で確かめていた事実ではあったが、ここまで何もないとさすがに嫌気が差してくる。

 

「も、申し訳ありません、カワウソ様」

「ああ、いや。気にするな、マアト」

 

 彼女を責めたつもりは毛頭ないが、どうにもこの少女は、引っ込み思案な性格が強く出ている。これはカワウソが設定したことなので仕様がないのだ。同時に、ミカが自分を嫌っているのも、設定どおりなので何も言えない。この設定が書き換え不能なことも、すでに今日の実験で調べがついている。

 程なくして、湖の畔が右の画面に、深い森の光景が左の画面いっぱいに広がる。

 ようやく代わり映えのない光景から脱却できたことに、カワウソは密かな感動を抱いてしまった。

 

「これが、湖と森か」

 

 画面上に映る自然物は、やはりゲームなどでしか見たことのないもの。現実の地球では失われて久しい光景だった。

 しかも、双方ともに、これといったフィールドの特性――見るものを幻術に落とす水面とか、弱体化(デバフ)効果や微ダメージを一定時間ごとにかけ続ける樹や草とか――はないとのこと。

 普通の湖。普通の森。

 どちらもカワウソの熱い興味をひくものであった。

 

「それで。カワウソ様は一体、どちらの探索を行いやがるのですか?」

「み、湖や森でしたら、カワウソ様の狩人(ハンター)職業(クラス)で、その、狩猟を?」

「そうだな……釣り竿があったはずだし、釣りに向かうのもいいが……」

 

 狩りにいくにしても、どういう生物……モンスターがいるのかが不明だととっつきにくい。

 映る湖は決して透明度が高いわけではなく(それでも現実の地球のものと比べれば雲泥の差だ)、上空から見渡せた限りは三日月のように湾曲しているのが見て取れる程度。水鳥などの姿がなさそうなのは、水棲モンスターが悪辣故に棲みようがないのか、水質的に餌が豊富にあるというわけではないのか、いまいち判断がつかない。

 森にしても、画面越しではあったが、見る限りは小動物の姿が見受けられないのは疑問だった。これだけ鬱蒼とした森であれば、その森を棲み処とし、縄張りとする存在がいないと不自然極まる。森は、森に生きる動物などの力を借りることで、一定のサイクルを維持し、森という一個の自然を構築しているのだと、“ふらんけんしゅたいん”さん――以前のギルドで、副長の地位についていた――が語っていたはず。

 さらに言えば、カワウソはレベル構成を実戦仕様(ガチビルド)に組んだ折に、そういう実戦に向かないレベル――この場合は狩人(ハンター)料理人(コック)――は可能な限り削ぎ落としている。モンスターを狩って調理することは一応可能で、それらのおかげでダンジョン攻略などの長時間に及ぶソロプレイにも耐えられてきたが、あまりにもレベルの高すぎるモンスターを、食材に加工することも調理することも難しい。

 そして何より、あの湖や森に棲む唯一のモンスターが、レイドボス級だとしたら……向かうのは自殺行為にしかならないだろう。

 

「……ん?」

 

 そんな懸念を払拭(ふっしょく)したいカワウソは、森の木陰(こかげ)をちらりと横切るものを見逃がさなかった。

 

「マアト、今なにか映ったな?」

 

 頷く少女は、即座にリアルタイム映像の時間を巻き戻していく。これは〈記録(レコード)〉という魔法で、サポート職の中でもそれなりの上位者でなければ習得できない(しかし、実戦闘ではただの動画保存用のカメラにしかならない上、課金アイテムなどで再現可能という微妙な)もの。

 一時停止した画面の奥を横切る、それは人の輪郭。

 

「この森の住人か? マアト、続きの映像を」

 

 左の画面をさらに上下で分割し、一時停止映像と並行して森のリアルタイム映像が映し出された。

 マアトは魔法の視点を指先の操作でさらに奥へと進め、一時停止中の輪郭を浮き彫りにしつつ、その下に続けさせた映像に意外な影を捉えてみせた。

 

「あれは……地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)? 何で、こんな森に?」

 

 地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)は、大型の犬系モンスターの姿をしているが、その眼球は邪悪な輝きに染まり、口腔からは灼熱地獄を思わせる炎を、大量のよだれの代わりにこぼれ滴らせている。

 あれらは「猛獣」というよりも「悪魔」という種に分類される存在で、今目の前に広がるような森よりも、廃都市や城塞、魔王の館や火山地帯などのフィールドを徘徊することで有名なモンスターだ。少なくとも、森の木々を焼き尽くす火力を持つ存在が、ユグドラシルで森を闊歩した姿というのは見たことがない。

 ……というか、ユグドラシルのモンスター、だと?

 カワウソは違和感と共に眉をしかめた。猟犬はさらに二頭、三頭、四頭と森の奥を横切り、先ほどの人影の跡を追うように駆け出していく。

 

「どうやら、追われているようですね」

 

 ミカの抱いた感想は、カワウソも当然そう感じた。

 しかし、わからない。

 何故、ユグドラシルのモンスターがこの世界に(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 やはり、この世界はユグドラシルなのか? それとも、あれらもユグドラシルから転移したもの、なのか?

 疑問の渦に陥りかけるカワウソだったが、それを少女の声が引き留める。

 

「カ、カワウソ様、あれを!」

 

 マアトが、彼女にしては大きな細い声で、映像の奥に映る巨体を指さしたのだ。

 それを見た堕天使は目を一杯に見開き、本気の本気で、驚いてしまう。

 即断即決したカワウソは聖剣を抜いた。

 

「あの森に向かう。行くぞ、ミカ」

「了解」

 

 偵察のことは完全に忘れ去り、即応する堕天使は剣を頭上に掲げる。

 マアトに監視と警戒を(げん)にするよう命じると、聖剣の先端に〈転移門(ゲート)〉を開いた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 とうとう追い詰められた。

 地獄の猟犬たちは純粋な獣ほどに敏捷(びんしょう)な生物ではなく、嗅覚なども専門のものに比べればそれほど優れているわけでもない。まだ普通の(ウルフ)やバグベアの方が、追跡者としては優秀なくらいだ。

 しかし、猟犬とは追尾し捕食するだけの存在にあらず。

 追跡対象を狙うポイントへと誘導し追い立て、主人の意のままに罠へと嵌め込む技能もまた必要となる。

 そういった意味では、あの猟犬たちはとんでもなく優秀な働きを遂げてみせた。個々の性能ではなく、互いの意思疎通と統一された目的のもとで、彼らという群体は並の猟犬などよりも格別な存在となり果てるのだ。

 少女はついに、崖の淵にまで追い詰められ、断崖を背にして佇むことを強要されてしまう。

 逃げ場はない。

 少女には魔法詠唱者が当たり前に扱うような〈飛行(フライ)〉は修得しておらず、そういう飛行系マジックアイテムとも無縁な生活をしていた。

 剣も隠れ蓑も失っている状況。

 無数の獣の唸り声が、森の奥深くから響き渡る。

 それの後に、一際大きく少女の肌を震わせる轟吼が。

 思わず、少女は一歩もさがれない断崖の淵で足を退()く。

 

「あ!」

 

 唐突な浮遊感。

 滑落する身体。

 意識せず両手を上に伸ばし、肌を大いに擦り切れさせながら両手の指で全体重を支える。

 

「く、ぅあ!」

 

 足が、岩肌にかからない。

 割と脆い地質なのだろう。足甲の硬さが崖をわずかに削ぐ程度の効果しか得られない。

 ふと、唸り声が至近に聞こえる。我知らず少女は空を見上げてしまい……戦慄する。

 邪悪な意思を灯す獣の瞳が、牙列からこぼれる紅蓮が、幾つも少女を見下ろしていた。

 

「ッ!」

 

 悲鳴を上げようとしたのも束の間、少女の指がかかっていた崖の淵が崩れ落ちる。

 死んだ──そう思った。

 この高さは、確実に死ぬ。

 運よく生き残っても、自分は治癒の薬を持ち合わせていない。足や腰の骨を折れば身動きが取れず、野垂れ死には免れない。そもそも、あの追跡者たちに追いつかれて終わりとなることは確実だ。

 短い間で、驚くほど長い思考の最中(さなか)、確実に空は遠ざかり、追跡者たちの姿は小さくなる。

 頭の中を走馬灯が、たくさんの光景が、過ぎ去っていく。

 ごめん。ラベンダ。

 必ず戻るって、約束したのに。

 固く、それよりも固く、瞼を閉ざす。

 

 

 

 その瞬間────ありえないことが、起こった。

 

 

 

「おい、大丈夫か?」

 

 まったくいきなり、その声は現れた。堅い地面の感触ではない。

 一瞬だが、あの子が助けに来たのかと思ったが、あの子は言葉を話せない。話せたとしても、あの子は(めす)なのだから、こんなにも雄々しい音色を奏でるなんてことはないと思う。

 背中と、両膝の裏に、逞しい何者かの腕力を感じ取る。

 閉ざされた瞼を、少女は押し開く。

 自分の薄紫に輝く前髪を通して、その人を、見る。

 

「…………え?」

 

 夢かと思った。

 良く日に焼けた顔立ち、太陽の光を受けて輝く黒い鎧、黒髪の上に赤い輪をうかべた天駆ける青年に、少女は抱きかかえられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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救出

/Different world searching …vol.3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄紫色の髪の少女を抱き助けたカワウソは、〈飛行(フライ)〉によって空中を飛んでいるのでは、ない。

 堕天使は飛ぶことができない。「堕天した天使」が空を自由に飛ぶ〈飛行〉の状態になるには、最高レベル獲得時に取得できるスキルを発動するより他になく、また今回は使う必要を感じなかった。あれ(・・)がなくとも、聖騎士の身体強化スキルでどうにかなってくれると判断し、事実、使うまでもなくカワウソは目的のひとつである「少女の救出」を成し遂げられた。

 ジャンプした勢いそのままに少女をキャッチしているような状態だ。迷宮(メイズ)で自分の身体能力を把握しておいてよかったと、心から思う。カワウソと少女の身体は、弧を描くボールのような放物線の軌跡のまま、崖下に広がる森の中に着地する。聖騎士の持つ肉体強化の特殊技術(スキル)は、思いのほか堕天使の肉体能力を底上げしてくれた。おかげで、カワウソは傷一つ負っていない。

 

「よし」

 

 着地の衝撃は難なく相殺可能。

 救出にはばっちりのタイミングだったが、マアトの先導(ナビ)もあって、少女の居場所と危機的状況は知悉していた。だからこそ、カワウソは何とか少女の落下をギリギリ回避させることができた。

 急転する事態に混乱する少女を腕の中に抱えたまま、〈敵感知(センス・エネミー)〉の魔法を発動し、僅か遠くに見える崖を注視すると、黒い影が無数に岩肌をくだっている様子が見て取れる。その中でも、とりわけ巨大な暴力の塊が、まるで滑落する勢いで崖を走破していく。

 やはり、あのモンスターたちは、少女を追跡する意思を持っている。

 

「そこで大人しくしてろ」

 

 抱き下ろされ、大木を背にし、瞬きを繰り返す少女は、ゲームのプレイヤーにしてはかなり弱っちい感じしか受け取れない。

 そもそもにおいて、地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)ごときに逃げ惑う事しかできず、あまつさえ崖から転落するなど、素人にしても出来が悪すぎる。身に着けている装備は一目見た感じだと、それなりに整っている。だというのに、こいつは猟犬たちよりも低いレベルしか保持していないというのか?

 いずれにせよ。

 まともな話ができそうな存在と言うのは、いろいろな意味で貴重だ。

 あんなモンスターたちに狩られるままにしておくというのは、いかにも勿体ない。

 そう結論するカワウソの背後で、揺れ動く茂みの音と、獰猛な獣の唸り声が奏でられる。

 少女が危険を告げるのとほぼ同時に、地獄の焔を滴らせる牙が、カワウソの身体へ四つ、六つ、八つ……合計して十八体も殺到する。

 もうひとつの目的である「戦闘の実験」を敢行。

 聖剣を空間から鞘走らせた堕天使は、もはや使い慣れた特殊技術(スキル)を解放。

 光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ。

 下段から降り注いだ光の束が、一直線に奔る輝きの奔流に数多(あまた)の猟犬をとらえ、その存在を影法師ごと斬り刻み滅ぼしていく。

 種族としては悪魔系統に位置づけられるモンスターなため、聖剣による神聖属性攻撃はかなりのダメージ量となる上、特殊技術(スキル)で数ターン分の継続ダメージをもたらすとあっては、その形状を留めておくことすら不可能だ。

 この攻撃エフェクト自体は、迷宮(メイズ)で実験検証済みだったので驚きも何もない。

 だが、それでも。

 

「……おいおい」

 

 意外なことが起きてしまい、カワウソは愕然となる。

 切り払った猟犬の群れと共に、周囲に鬱蒼と生い茂っていた草木までも、諸共にカワウソの視界から消滅してしまったのだ。

 まるで、森の一部が切り開かれたかのように、太陽の光が視界を明るく染め上げる。

 

「やべっ……森の木まで、攻撃できるのかよ?」

 

 ユグドラシルのゲームでは、カワウソはフィールドそのものに攻撃を加えるようなことはできなかった。否、より正確には、ゲーム内においてああいう「普通の木」というのは、採取や伐採、開墾や土壌調整を行える職業・木こり(ランバージャック)森祭司(ドルイド)などでなければ、燃料となる薪や、建築資材の木材に加工することは不可能なはず。ユグドラシルにおいてゲーム画面にある物体(フィールドオブジェクト)というのは、専門職による採取・伐採によってのみ、プレイヤーたちの懐に収まるアイテムに変貌する仕様であった。それこそ、モンスターの死骸からデータクリスタルや食材などのアイテムはドロップしても、その全身を、内臓や骨格、表皮や鱗などを取得するのにも専用の特殊技術(スキル)を持つ職業・狩人(ハンター)や加工職人などでなければ、余すことなく使い尽くすことはできなかったし、死霊系魔法詠唱者などの職種でなければ、死体をゾンビやレイスといったアンデッドモンスターとして再利用することも不可能だった。

 勿論、森の探査をわずかに行っていたNPCたち――イズラ、イスラ、ナタ――が採取可能だった時点で、ゲームの時のようなフィールドオブジェクトという可能性はありえなかったわけだが。

 しかし、

 

「ユグドラシルじゃ、こんな大地が(えぐ)れるような攻撃じゃなかっただろうに……」

 

 樹々が攻撃対象になったこともさることながら、その下にある地面まで、光の刃によって地割れのような陥没……というか、ほとんど地形が断層を起こしているような様が、鋭くひた走っている。事前に戦闘実験を行った拠点第一階層の迷宮(メイズ)では、こんなにもえぐい効果を発動することはなかった。これはつまり、この地面というのは、ギルド拠点ほどの防御力など一切もたない、現実として存在する本物の大地なのだという証明なのでは、と推測する。

 

「でも、現実の大地に、ゲームの攻撃が通じるって、おかしくないか?」

 

 そう呆れたように独り言を呟くが、自分の目の前で起こった出来事を説明するとなると、そうとしか言いようがないのも事実だ。

 印象としては脆い世界なのだなという考えを抱きつつ、カワウソは次なる標的を感じ取り見定める。

 開けた森、大地の傷、同胞たちの死を迂回して現れた猟犬たちによる挟み撃ちのような多面攻撃を、堕天使は片手に握る聖剣ひとつで薙ぎ払う。

 発動させた特殊技術(スキル)は、光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅰに留める。

 光輝の刃Ⅰは、無属性武器を一時的に神聖属性に転換する光の刃を、その剣の表面に覆った姿で発動する程度の攻撃(アタック)特殊技術(スキル)だ。見た目にはただでさえ煌きを放つ聖剣が、光の粒子によって覆い隠されたような感じとなる。この粒子によって、敵に継続ダメージを加算するのだ。

 聖騎士にして、Lv.100の堕天使の腕力と瞬発力で木っ端のように吹き飛ばされる猟犬たち七頭は、その骸を大地に転がし、吐き出そうとしていた紅蓮の焔を(ことごと)く鎮火・霧消されていく。カワウソ自身の剣尖の速さによって、彼には一片の傷も汚れも付着することはない。

 

 ……はて。

 カワウソは新たな現象に頭をひねる。

 

 死体が残ることは、ユグドラシルでは珍しくもなんともないが、あんなにも様々な形状になるものだっただろうか?

 クリティカルヒット扱いというもので、モンスターの死体にも差別化があったのを見た覚えはあるが、頭部の消滅した死骸や、腹部から赤黒いものをこぼしているというのは、少し、──いや、かなり、──グロい。中には吹き飛ばされた衝撃で森の木の幹に貫かれて果てている死体まであるのだから、かなり異様な光景になる。おまけに、流れ出てくる血の量というのも、ゲーム時代とは比較にならないほどだ。

 無論、血というのも立派なアイテム扱いを受けるオブジェクトなのだが、ここまで生臭い香りを嗅ぐなんてこともなかった為か、やけにリアルに感じられる。もうちょっと威力の強い攻撃で、完全に消滅させるくらいの攻撃をした方が、精神衛生上いいかもしれない。だが、それだと実験が──

 などと状況を努めて冷静に分析するカワウソの耳に、

 

 

「オオオァァァアアアアアア──!!」

 

 

 聞く者の肌が粟立つような咆哮が。

 同時に、地獄の猟犬の(むくろ)を踏み超えて、それは現れた。

 カワウソは、これの姿をマアトの魔法越しに見ていたので、この邂逅(かいこう)にはさしたる動揺はない。

 しかし、その姿は堕天使の声音をわずかに凍えさせ、鋭さを増幅させる。

 

 

「やっぱり、死の騎士(デス・ナイト)、か」

 

 

 猟犬たちの飼い主のごとく現れた追撃者。

 その身長は二・三メートルにもなり、身体の厚みは人というより猛獣のそれを思わせる。左手には全身の四分の三を覆うような巨大な盾──タワーシールドを保持し、右手には一・三メートル近い波打つ形状の大剣──フランベルジェを握っている。その巨体を覆うのは漆黒の金属。随所に血管のような真紅の紋様を刻んだ全身鎧だ。鋭い棘が所々から突き出す様は、暴力をそのまま形におさめた形状である。兜は悪魔を思わせる角を生やし、顔の部分が開いた箇所から憎悪と殺戮に着色された亡者の眼窩が、爛々と世界を睨み据えている。

 ボロボロの黒いマントを翻し、死の騎士はカワウソめがけ突進する。その姿は騎士の突撃というより、肉食獣の跳躍じみた速度。人間の平均身長を超過する巨躯でありながら、その動作は影のように軽やかなものだ。

 しかし、カワウソにしてみれば、死の騎士(デス・ナイト)は雑魚アンデッドの一種に過ぎない。

 特性として、死の騎士は雑魚モンスターのヘイトを集め、どのような強力な攻撃もHP1で耐え抜くという盾役としては非常に優秀な存在だが、そのレベルは35程度。カワウソのギルドの門番を務める小動物たちと同レベルに過ぎない。

 

 一合。

 

 たったそれだけで、死の騎士の命運は決する。

 刃を交わした瞬間に、光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅰを発動する神器級(ゴッズ)アイテムの攻撃により、騎士の持つ大剣はバターのように切り裂かれ、そのまま勢いよく白い刃を喉元に突き入れられる。指輪のひとつを使い〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉を発動。確認したHPは僅か一目盛分。とどめとして抜き放った刃は、過つことなく騎士の頭を大地に転がしてみせた。

 大地の上に(くずお)れた死の騎士の肉体は、清浄なる力によって浄化されるとか、憎悪から解き放たれて粉微塵に砕け散るといった現象を起こさない。光輝の刃Ⅰは、そこまでの効果は発揮しないのだ。

 ユグドラシルの仕様上では、実体を持つモンスターは死体をそのまま残すものが多い。その死体からデータクリスタルやドロップアイテムを入手できたり、あるいは死体に特殊技術や魔法などを使用し加工することで別のもの──肉などの食料や、金属などの素材、あるいはゾンビなどのアンデッドモンスターの傭兵NPC──にして手に入れることが可能だ。

 ……だが。

 

「クリスタルは、ドロップしないな?」

 

 死の騎士の(むくろ)をくまなく検分するが、これといったアイテム──クリスタルや素材はドロップしていない。これは、先ほどの猟犬たちも同様であった。

 ここがユグドラシルとは別の世界であることの証明が、ひとつ増えたと考えるべきか。

 だが、それならユグドラシルと同じモンスターが徘徊しているというのは、どういう理屈なのだろう。

 しかも、ここは森の真ん中だ。

 アンデッドは大抵の場合、墓場や廃墟などで自然発生(POP)するモンスターだ。それ以外では悪魔の城や地下洞窟などのダンジョンで見かけるぐらい。こういった森林地帯であれば、アンデッドよりも猛獣(ビースト)とか精霊(エレメンタル)とか、あるいは小鬼(ゴブリン)人喰鬼(オーガ)くらいとエンカウントするのが自然だろうに。

 

「カワウソ様」

 

 さらなる疑問に陥っていた堕天使の耳に、怜悧な音色が注がれる。

 

「ミカ。無事だな?」

 

 振り返り見た先で「馬鹿にしないでください。あたりまえであります」と、毒舌天使が宣言する。

 彼女が握る光の剣は、役目を終えたことを確認すると、目にも止まらぬ速さで鞘の中へ戻される。

 ミカは頭部の上半分をすっぽりと覆える(ヘルム)に、目の部分はサンバイザーを思わせる透明な硝子構造で覆っている。彼女が熾天使である特徴の“輪”は、その兜の構造物であるかのようになっているが、健在だ。正常な天使種族の中でも、特に熾天使は、余程の事でもないと“輪”と“翼”を失うことは出来ない種族。同じように背中から生えるべき翼についても、鎧の一部──胸当て部分を護るか隠すように盛られ、組み巻かれた感じとなっており、自然に存在を主張している程度に落ち着いている。事情を知らないものが見れば、ただの人間の女騎士といった立ち姿だろう。

 カワウソの右腕として創造しただけのことはあるらしく、ミカは主人とは違い、まったくそつなく戦闘行動を完了させたようだ。その証拠に、彼女は死の騎士(デス・ナイト)が持っていたのだろうフランベルジュを四本、大地の上に突き刺して示す。ドロップアイテムという感じだが、これはカワウソの倒した騎士の傍に切り裂かれ落ちているものと遜色ないもの。聞けば、やはりクリスタルなどをミカは入手していないらしい。位置的には数百メートルほど離れていた感じか。これ以上、他のモンスターが現れる気配はなかった。

 

「――やるじゃないか。こっちは一体倒すので精一杯だったのに」

「崖を下りた死の騎士が一体だけだったからでは? おかげで、猟犬たちの始末はカワウソ様が一手に引き受けてくれたわけですし」

 

 ミカは追跡続行のために崖下への安全ルートをとった死の騎士四体を狩るべく、別行動を取っていた。

 無論、カワウソの貧弱な能力でも、さすがに特効属性を扱える状況で、Lv.35程度のモンスターが相手なら、その倍の量を連れてこられても対応は可能なのだが。

 

「しかし。少し派手に戦いすぎではありませんか?」

「ああ……やっぱり、そう思うか?」

 

 光輝の刃Ⅴを繰り出した際に、森の一定範囲が猟犬諸共に断裁され消滅してしまっている。この森が誰かの領地なり所有物なりしたら、カワウソは罪状をはられるかもしれない。そうなる前に、ガブあたりを連れてきて、幻術で森の破壊っぷりを隠匿するか、さもなければ森祭司(ドルイド)系魔法を扱えるアプサラスに再生させる必要があるだろう。

 ここが誰かの土地や命名済みのフィールドだとすれば、マアトの特殊技術(スキル)で鑑定も可能だが、はたして。

 

「あ、あの」

 

 思考に耽っていたカワウソは、ミカ以外の声を聞いて、ようやく自分がここに赴いた理由を思い出した。

 カワウソは比較的穏やかな、あたりさわりのない表情を浮かべて振り返る。

 

「ああ。怪我はしていないか?」

「あ……はい。おかげ、さまで」

 

 腰が抜けた感じの女の子は、しかし礼儀を知っているらしい調子でお辞儀してくる。言葉も通じるようで少し安堵した。翻訳魔法を発動するコンニャク(アイテム)を摂取する手間もない。

 あらためて、その少女を見下ろした。

 少女の身なりはそれなりに整っている。軽金属で出来た胸当ては、見た感じの年齢に比して豊かな膨らみを隠しきれていない。はっきり言えば南半球に当たる部分が露出している。へその部分もまる見えだ。防御能力は最小限に、身軽さを最大限にしようという意思の表れだろうか。腰には剣を収めていただろう鞘がぶら下がっていたが、中身は空。あの死の騎士たちから逃げる途中で折れるなり紛失するなりしたのだろう。

 顔立ちはゲームに登場するキャラのように、可憐かつ麗美だ。カワウソの見た感じとしては、リアルなら十人中七人か八人は振り返るんじゃないかといった具合である。年齢は多く見積もっても十五歳前後、それぐらいに小柄であった。

 一言でいえば、軽装剣士の美少女。

 それが、この女の子から抱いた第一印象である。

 

「いくつか質問しても構わないか?」

「は、はい。何で、しょうか?」

「どうして死の騎士(デス・ナイト)たちに追われていたんだ? こいつはヘイトを集めることはできても、逃げるプレイヤーを追い回すようないやらしい特性は持っていないはずだが?」

「え、ええと……最後の方は、よくわかりませんが、私が追われていたのは、その……」

 

 何とも歯切れの悪い調子だ。

 ゲームだとこういう場合、大抵がワケありなのだが。

 

「……正直に言わせてもらうと、私、罪人なんです」

 

 ワケあり確定かよ。

 

「……そうか……罪状は?」

「え? その、えっと多分……不敬罪という、奴で」

「不敬罪?」

 

 それってつまり、こいつはこの世界の王族だか有力者だかを怒らせた手合い、ということになるのか?

 ワケありの中でも最悪な部類だな。出来れば異世界の王様とか政府とかなんかと敵対なんて、現状ではしたくないのに。

 こめかみを押さえつつ、カワウソは先を続ける。

 

「どんなことをして、不敬罪に問われたんだ?」

「あ、アンデッドの行軍に、その、墜落して」

「アンデッド、行軍……?」

 

 おいおい。

 それってつまり、アンデッドが支配する国がこの近くに存在するってこと?

 いや、アンデッドを支配できる種族や、魔法詠唱者(マジックキャスター)という線も捨て難いか?

 

「み、見たこと、ありませんか? 骸骨(スケルトン)の、戦士団とか、死の騎士(デス・ナイト)の、儀仗兵(ぎじょうへい)とか」

 

 いや、そんな恐ろし気なイベント、参加したことないから。

 もう……何というか……面倒くさくなってきた。

 

「はぁぁぁ……おまえ、名前は? 出身は? 種族は?」

 

 眉間をおさえっぱなしのカワウソは、自分の腰に装備した鎖の端を意識する。この装備を使えば、少女の捕縛は容易である。訊けるだけのことを聞いたら、こいつを捕まえて、適当な国家機関に引き渡してしまおう。

 死の騎士たちを()ったことはこの少女のせいにして「お目こぼし」を狙う。可憐で純朴な少女のようだが、今は下手に助けることができないのだから、しようがない。

 そんなカワウソの心算も知らず、少女はつっかえつつも自分のことを紹介していく。

 

「えと……私の名前は、ヴェル・セーク。出身は飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の一族。えと、種族? と言われると、あの、人間だと思います?」

 

 正直、名前以外はそんなに重要視していなかった。ただ、いざ国家機関などに突き出す際に、情報は多い方が擦り合わせもうまくいくだろうという心積もりがあったからだ。

 だが、意外にも気になるワードが出てきた為、カワウソは興味本位に問い質してみる。

 

飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)? 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)と言ったか、今?」

「は、はい。一応、私も飛竜騎兵の、その、端くれで」

 

 飛竜(ワイバーン)とは。

 ユグドラシルでは三十レベル後半に到達した騎乗兵系統の職を有したプレイヤーが騎乗できる魔獣の一種だ。その飛竜を特別に呼び出し騎乗できる職種が「飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)」という。竜を乗りこなすなど、実にファンタジー感のある職種であるため、憧れたプレイヤーは数多い。実際、カワウソも一度は目指したこともある。

 だが、こいつはレベル的には大して違いのないはずの死の騎士(デス・ナイト)に逃げ回っていることしかしていない。ということは、こいつのレベルは三十未満──(いや)地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)からも逃げの一手しか取っていなかったから、ひょっとすると二十五を下回るはずだ。だというのに、三十レベル後半が必須条件のはずの飛竜に乗れる?

 ……訳が分からなさすぎるぞ、もう。

 

「……それで、ここからもっとも近い都市とか、国はどこにあるんだ?」

「はぇ?」

「だから、この近辺にある街や国の場所を聞いているんだよ」

 

 ヴェル・セークは困惑の上にさらに困惑を相乗させるような眼差しで告げた。

 

「え、あ、あの……この近辺に国は、一つしかありません。というか、この大陸は、一つの国の支配下にあるんです、けど?」

「……何?」

 

 カワウソは呻いた。

 その答えはさすがに予想を超えていたのだ。

 一つしか国がない。そんなことが実現可能なのか?

 大陸というからには、日本のような島国ということはあるまい。

 オーストラリア? 南北アメリカ? ひょっとするとユーラシア大陸なみの規模を、たった一国で支配しているというのか?

 まさしくファンタジーな世界観だな、頭痛が酷くなる一方だ。

 

「……その国の名前は?」

 

 知らないと主張するのは、割と勇気のいる行動だった。

 大陸を一国で支配している事実を、その大陸にいる存在が知らないというのは奇怪なものだ。実際、少女は疑問符を大量に浮かべながら、たどたどしく質問に答えようとする。

 

 だが、カワウソの予想など、その少女は(ことごと)く裏切ってしまう。

 

「ア……」

「……あ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アインズ・ウール・ゴウン、魔導国、です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第二章 至高なるアインズ・ウール・ゴウン魔導国 へ続く】

 

 

 

 

 

 




 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の記述や設定は、書籍四巻p12を参考にしています。
 二章に続く前に、幕間を一話はさみます。


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監視者

100年後のアインズ様たちの出番です。


/keep watch

 

・幕間1・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時を二日前にさかのぼる。

 

 

 

 

 

 彼らは待っていた。

 至高の四十一人が住まうに相応しき居城・ナザリック地下大墳墓の正当な主人が、彼の住まうにもっとも相応(ふさわ)しき空間である聖域──第九階層に、新たに設営された転移の間に、帰還する時を。

 100年後の魔導国──ナザリック地下大墳墓への非常招集をかけられた守護者たちは、その全員が、現在ナザリックに常駐しているわけではない。

 セバス、コキュートス、デミウルゴスは、自分に与えられた各都市での使命や政務を十全に果たしての参上。そして、ナザリックの今月の防衛を担う真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)、魔導王の主王妃に選定された銀髪の少女、シャルティア・ブラッドフォールン、以上の四名と、四人に付き従う側近や配下たちだけが、その場に満たされていた。

 

 やがて。

 ひとつの鏡の奥から、この大陸の頂点に君臨する王が姿を現して、すでに(ひざまず)いていたシモベ全員が尚一層、頭を地に近づけてみせる。

 

「お待ちしておりんした、アインズ様」

 

 死の支配者(オーバーロード)

 この大陸全土を完全掌握し、すべての国民に安寧と繁栄を約束した不滅の王。そして、御身から宰相に任じられ、やがて最王妃として正妃に選定された純白の悪魔、()守護者統括、アルベドと、一般メイド・フォアイルを背後に従えた至高の四十一人のまとめ役。あらゆる魔を導く王者──魔導王至高帝陛下──アインズ・ウール・ゴウンに相対し、漆黒のボールガウン纏う真祖が、執事服に身を包む老紳士が、歪められた蟲の姿から冷気を振り撒く蟲の王が、オールバックの黒髪に眼鏡をかけたスーツ姿の悪魔が、またそれらの配下たるシモベたち全てが、己の主人に拝謁できる栄誉に(こうべ)を垂れていた。

 

「出迎えに感謝する、シャルティア。そして、おまえたち」

 

 主人より深く感謝されてしまったシモベたちは、溢れかえるほどの喜悦に浴しつつも、まったく緩んだ表情を見せることはない。彼らを代表して、王妃が陶然となりながらも、冷厳に応じる。

 

「とんでもございんせん」

 

 アインズは起立するシャルティアの肩を一度抱き、即座に他のシモベたちも立ち上がらせた。

 

「うむ。(かしこ)まった挨拶は、なしだ──それで? 先の報せは本当か、デミウルゴス」

 

 訊かれた守護者の一人、デミウルゴスは頷くしかなかった。

 

「シャルティアより急を(しら)され、至急、数時間を費やし私どもの方で調査吟味(ぎんみ)しましたところ……確実かと」

 

 アインズは「ついに来たか」という言葉を、己の空っぽな胸骨の底に沈め隠す。

 

「ご苦労だった、デミウルゴス。そして、ありがとう、シャルティア」

 

 紅く濡れそぼる主王妃の瞳に感謝を紡ぎ、アインズはシャルティアを腕の中から解放する。

 

「……では、さっそく見せてもらおうか?」

 

 委細承知したシモベたちを引き連れ、アインズは自分の私室に向かう。

 そうして悠然と歩を進める(内心ではすごい動揺している)骸骨の背後で、シモベたちが言葉を交わす。

 

「それにしても、シャルティア、デミウルゴス……スレイン平野というのは、いくら何でも出来すぎじゃないのかしら?」

 

 アルベドが険の深い視線を込めて、同じ王妃と同胞の悪魔に疑念する。

 まず、シャルティアが淡く微笑む。

 

「信じられんでありんしょうが、ね」

「私も、最初に報告を受けた時は耳を疑いましたよ──まさか、よりにもよって、“あの地”に転移するものが現れるとは」

 

 続くデミウルゴスは(かぶり)を振って大いに慨嘆する。言葉には冷たい刃のような酷薄さが滲みつつも、起こったことをむしろ歓迎するような微笑──嘲笑(ちょうしょう)の気配が僅かに含まれている。セバスとコキュートスは、沈黙でもって彼の意見に同意しているようだ。

 アインズは苦渋に満ちた表情を骨の顔に浮かべそうになり、誰も見ていないだろうが、ぐっとこらえる。

 

 よりにもよって……あの場所に、か。

 

 暗い過去の記憶を目の前に見据えるように、アインズは無言を貫いた。

 もはや100年近い昔の、歴史に語られることもなくなった程度の事件に成り果てていたが、アインズの朽ちることのない不死者の精神は紛れもなく、あの時のことを克明に思い出すことが可能だ。

 ちょうど、その時。

 背後から快活な足音が、駆け寄るように近づき響き始める。

 アインズが足を止めて振り返ると、それで二人は一行に追いつくことが叶った。

 

「アインズ様、遅れて申し訳ありません!」

「も、ももも、……申し訳、ありません!」

 

 アインズたちに遅れての参上となった、闇妖精(ダークエルフ)の双子が列に加わった。

 

「二人とも。場を(わきま)えなさい。ここはナザリック第九階層の廊下なのよ?」

 

 神をも超越した存在がおわします宮殿、聖域への礼儀を考えるのであれば、乱暴にも足音を響かせ走ることは、決して許される行為ではない。一歩一歩を、感謝と尊崇の念の湧くままに感じ取りつつ、決して早すぎず遅すぎずという速度を維持しなくては。

 同じ王妃であるアルベドの軽い微笑を含めた叱声に、王妃二人は少なからず悄然とした面持ちで謝罪を述べる。

 無論、この地下大墳墓の主人であるアインズに対して。

 

「本当に、申し訳ございません。アインズ様!」

「あの、も、申し訳ございません!」

 

 急報の内容が内容だけに、今回の招集にはナザリックの全存在が知悉すべきもの。わけても、Lv100の階層守護者たちは絶対に、欠席することなど許されはしないだろう。それを理解しているからこそ、二人は慌てて、与えられた仕事を切り上げるべく奔走し、今回の非常招集に応じてくれたのだ。感謝こそすれ、遅刻くらいで目くじらを立てることはあり得ない。

 

 アインズは二人を見つめる。

 この百年という時の流れによって、健やかに成長を遂げた闇妖精の双子は、かつての小動物然とした愛らしさを面影に残しつつも、以前よりも落ち着いた、非常に大人びた雰囲気を醸し出していて、そしてその面貌には、より確かな、より洗練された美の結晶を、両者共に宿らせるようになっていた。

 

 長く尖った耳。薄黒い肌。左右の色が違う瞳(オッドアイ)は森と海の輝きを満たしているが、姉弟で色の位置は真逆になっている。これらは変わることのない双子の魅力であるが、二人とも人間種として健全な成長を遂げてみせてくれているのも、忘れてはならない。

 

 陽王妃、アウラ・ベラ・フィオーラ。

 170歳代の闇妖精は、以前までの幼い少女の姿からは卒業し、人間であれば十代後半程度と思われる乙女の体躯を獲得していた。ピンと伸びた背筋は高く、以前までは少年然としていた軽装鎧の前面が、大きな膨らみを豊かに二つ実らせ、白い女悪魔にも匹敵するほどの“女”の魅惑を、発露するまでになっていた。以前は短かった髪もだいぶ伸ばされ、肩と背中に黄金の滝を降り注がせて、風になびくままにしている。己の創造主に与えられた以前までの格好を止めるのは抵抗があった……が、さすがに女性として創造された身の上、ミニスカートなどの姿にモデルチェンジした白と赤の軽装鎧へ、無事に衣替えを果たしつつある。

 月王妃、マーレ・ベロ・フィオーレ。

 姉と同じく170歳代にまで成長した少年──否、もはや青年と言うべきだろう。長身を我が物とした姉よりも明らかに伸びた頭身は、もはやアインズの視線の高さとほぼ同じ。姉同様に伸ばされた黄金の髪は、一反の絹の布地ともいうべき艶と手触りに満ちて、髪自体が光を放ち輝いているようだ。姉が豊満な女体美を宿す森の女王とするなら、彼は精悍な、それでいて妖精(エルフ)然としてしなやかな体躯を誇る森の化身か。姉と同様、以前とは違って少女のようなスカートは身に着けておらず、普通に男性的な白を基調とする青い軽装鎧の姿をしているが、その言動や性格は今も姉の陰に隠れそうな、か弱い少女のようですらある。

 両者ともに、これでまだ成長途上というのだから、驚きだ。現地の妖精(エルフ)基準で言うと、あと3、40年で完全な成長を遂げるという。

 

 ──シャルティアが、陽王妃(アウラ)の身体のある部分をじっと見つめ、自分の胸の詰め物(パッド)に視線を落とすところは、……とりあえず、何も言わないでおこう。

 

「気にするな、アウラ、マーレ」

 

 二人には中央にて新造させている新たな魔法都市の工事に(たずさ)わってもらっている。アウラは城塞建造のノウハウを生かしてもらっての現場指揮、マーレは魔法を使っての土地に対する基礎工事や地下空間の設営に、それぞれが尽力しているのだ。100年の時をかけ熟達した二人の仕事量。これは他の者に任せようとすると、数十倍~百倍規模の人員が必要不可欠な大事業だ。おいそれと他の者に任せて抜け出せるはずもない。

 これで、魔王妃を除く王妃たちと守護者たち、ほぼ全員が一堂に会した。

 久方ぶりに対面を果たした王妃二人と軽く抱擁を交わし、二人も背後に加え、アインズは無事に自室にまで辿り着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――スレイン平野にて、変あり。

 

 その一報を受けたアインズは、すぐさまナザリック地下大墳墓への帰還を果たした。

 報告されてきた内容が内容だけに、予定されていた都市での一日……政務と公務という名の、とある冒険者たちとの交流の場をキャンセルせざるを得なかったのは、本当にしようがない。あまりにも無念でならないが、それだけの変事であることは疑いようのない事実なのだ。パンドラズ・アクターに代役を頼むのは避けたいところだったが、さすがに公的な祭りなどにおいて、主催者の一言もなしでは締りが悪いというもの。

 あいつも一応は、アインズの「子」の一人に列せられる存在であり、ナザリック最高位の智者の一人。少し注意してやれば要領よくアインズの代替……影武者役をこなすことも容易な存在である以上、活用しないでいるわけにはいかない。こういうことにばかり動員して申し訳ない気もするが、あいつも、そしてその嫁や子供──アインズの孫娘にしても、そのことに対して完全に理解を示してくれているのは、少なからず救いだった。

 

 それに、報告された内容を考えれば、アインズがナザリックに戻るのも止むなしと、言わざるを得まい。

 

 此度のスレイン平野における変事……『ユグドラシルプレイヤー出現の可能性』が事実であるならば、まかり間違ってもアインズの耳──骸骨だから耳なんてないが──に入れて然るべき事態に相違ない。さらに言えば、未知の敵が現れたのに、至高の御身をナザリックの外に赴いたままにしておくことも論外だ。外の世界には様々な恩恵や魔法を施し、発展を遂げさせ、億単位の国民に対し、幸福を供与してきたアインズ・ウール・ゴウン魔導国であるが、ナザリック全周を取り囲む”絶対防衛”城塞都市・エモットと、至高の四十一人によって創造された拠点『ナザリック地下大墳墓』の誇る防衛能力に比べれば、他の都市では天と地の差が歴然と存在する

 

 魔導国は建国より100年近くの時を、着実に歩んできた。

 

 それはつまり、“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツアインドルクス・ヴァイシオン……ツアーの語る、100年周期の揺り戻し――異世界からの客人(まろうど)――ユグドラシルプレイヤーの出現の時が迫ったということ。

 

 アインズ・ウール・ゴウンは、魔導国は、この日のために準備してきた。

 やがて現れるであろう、ユグドラシルのプレイヤーに備えて。営々と。

 そう自覚し、自負し、自任しているアインズ。

 それでも、いざ実際に自分と同じプレイヤーが現れたと聞いては、心穏やかでいることは難しい。

 いざプレイヤーが転移してきても、転移直後の時期は気づくはずがないと、何となく思っていた。

 にも関わらず、思わぬ形でプレイヤーの転移をいち早く把握することができてしまったのは、思わぬ誤算でしかない。

 

「こちらが、六時間前……時刻としては、昨日の映像です」

 

 アインズの自室に集った守護者たちを代表し、魔導国の誇る参謀・デミウルゴスが、巨大な水晶の大画面(スクリーン)を空間に投影させている。

 まるで衛星映像のような鳥瞰図(ちょうかんず)が、水晶の画面に映し出された。

 何もない平野は、アインズと守護者たち──さらに「ある者」によって破壊された後、厳重に封印されてから以降、いかなる生命や存在も受け入れることはなかった。かの地には命が留まることなく、また、アインズ自身も、魔導国の民には誰一人として立ち入ることを許可していない。

 そして、100年もの歳月をかけて、あの土地は魔導国の民から忘失された遺物にまで成り果てていた。

 だが、

 

「そして、こちらが本日の、日付が変わった直後の映像になります」

「ふむ…………これは」

 

 茫漠(ぼうばく)とした大地に、一点。

 何もない土地のほぼ中心地に現れたものは、間違いなく、そこに存在するはずのないアイテム。画面に映し出されたものは、日付変更の前までは絶対に存在していなかったはずの物体だった。

 高さ三メートル、幅一メートルほどの、大きな鏡。

 しかも、普通の鏡ではなく、まるで〈浮遊〉の魔法でもかけられたかのように、平野の大地から浮き上がって、月明かりの下に影を作っていることが窺い知れる。

 

「──まさか、〈転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)〉か?」

 

 アインズは正解を口にしていた。

 転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)は、ギルド内の階層間移動や、隔絶空間への転移に使われることで有名な、ユグドラシルのアイテムだ。大小や形状は様々にあるが、あのアイテムは二点間を永続的に繋ぐ転移機能を発揮するもの。実際、アインズ・ウール・ゴウンの本拠地であるナザリック地下大墳墓をはじめ、ほとんどのユグドラシルプレイヤーが世話になって然るべき転移アイテムの一種である。

 ちなみに、現在のアインズ・ウール・ゴウン魔導国では、魔導国王室御用達の魔法アイテム作成機関にしか、製造免状(ライセンス)を与えていないアイテムであるため、国民の誰かが勝手に製造し保有し設置することは、無理がある。そもそもにおいて永続的な転移魔法を発動するという機能を鏡に定着させる技術からして、並みの魔法詠唱者(マジックキャスター)程度では絶対的に不可能なのだ。

 様々な角度――ほぼ360度に渡って監視点を変更可能という映像は、望遠鏡のごとく遠くからその物体の詳細な情報を観測することが可能であった。

 そうして、アインズはあたりまえに過ぎる懸念を口にする。

 

「……この鏡から、出てきたものは……いるのか?」

「動画がこちらに」

 

 そう主から告げられることをあたりまえに予期していたデミウルゴスが宣すると、彼は手元にある端末に視線を落とし、何かを操作する。数度ほど指で軽くクリック操作すると、スクリーンにあった光景が記録映像──動画画面に切り替わった。中にある光景が動き始めたことを示すシアターバーが左から右に動き、再生時間を示す左下端のカウントが、00:01、00:02、00:03と加算されていく。

 アインズを含む全員が、拡大された映像を注視する。

 

 ほどなくして、鏡から二人の人物が姿を現す。

 白い翼を背中から生やした女騎士風の金髪碧眼と、数えきれない剣を全身に纏った翼のない蒼髪の少年が、ほぼ同時に飛び出してきた。

 

 二人はまるで、初めて見る光景に圧倒されるように視線を右往左往させるが、女は頭上に輝く月を眺め続け、逆に少年は好奇心のままに鏡の周囲を疾走し始める。その速度は、あれだけの重武装状態では通常不可能なレベルだ。ざっと数えただけでも30以上の剣や装具が確認できる。おまけに、そんな重武装にも関わらず、少年の敏捷性──足の速さはアインズをしても目を(みは)るものがあった。人間の幼い少年の体躯とは思えない速度で、あの敏捷性能は魔導国の誇る二等位の冒険者のそれに比肩する。おまけに、少年の満面に浮かぶ快活な笑みと、踊り舞うようなステップを見ると、まだまだ十分以上に余力を残していると感じられてならない。

 

 この二人は……先遣隊か。

 アインズはそう直感する。

 

 かつてアインズも、この場にいるNPCの一人……セバスに命じ、安全や確実性に配慮して二人一組(ツーマンセル)を組ませ、ナザリックの周辺地理を早急に確認させた。あの女と少年の二人は、その(たぐい)ではないかと思われてならない。

 立ちすくんでいたように見えた女は、少年が走るのを咎めるでもなく、足元の大地を指ですくったり握ったり、小石をつまんで目を(すが)めたりなどを二分ほど繰り返していたが、いきなり姿勢を正して数秒以上も側頭部に指をあてていた。

 さらに、数十秒後。

 

 女の背後……転移の鏡から、さらに人影が出現する。

 

 新たに鏡から現れた者の見た目は、人間の男にしか見えない。

 黒髪に、よく日に焼けた肌。漆黒の鎧と足甲。対照的に純白に輝く剣からは、神聖な力がこぼれていると容易に判断できる。頭上には天使の輪にしては禍々しい、赤黒い円環を(いただ)いていた。

 さらに、その男に追随して、様々な翼を生やした男女が出現してきた。

 

「これは……天使たち、か?」

 

 思わず(うめ)くような声を、アインズはもらしてしまう。

 土地柄を考えるに、法国の残敵とも思われそうになるが、奴らは明確に違うと判る。

 その天使たちは、ユグドラシルに標準実装された異形種モンスター──炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)などとは、全く違った。違いすぎていた。

 まるで人間のような顔に体。翼の付き方だけに注目しても、背中・脚・腰・腕などと、あまりにバラつきがある。一体として、同じ形状の存在は見受けられず、また、全員が見渡せる世界の光景に瞠目(どうもく)したり慨嘆(がいたん)したりする光景は、ただのモンスターとは程遠い、はっきりとした意志と知性とを宿している証明だった。視線を右に左に、上下前後に差し向けている様も、傍目(はため)には人間然とし過ぎている。

 

「ハッ……よりにもよって、あの場所に、天使たちのギルドが現れるとは……どんな皮肉だ?」

 

 そう(うそぶ)くアインズであったが、内実はやかましく打ち鳴らされる警鐘の音圧に辟易(へきえき)してしまう。

 天使は、最上位のものとなれば、非常に厄介な相手だ。

 アインズをはじめとした、負や悪属性に傾倒したプレイヤーやモンスターと対を成す善属性に(ひい)で、尚且(なおか)つ神聖属性による攻撃や防御、天使種族の特性を保有した存在は、言うなれば「悪のロールプレイ」に興じていたアインズ・ウール・ゴウンの天敵とも言うべきだろう。

 実際、アインズは転移して幾日もない自分が邂逅した陽光聖典との戦いに際し、もっとも警戒したのが熾天使(セラフ)(クラス)の召喚だった。実際に召喚されたのは、あまりにも脆弱な雑魚天使で失望感すら抱いたのも懐かしい。

 

 あれから100年。

 

 スレイン平野に出現したユグドラシルの存在が、プレイヤーと思しき者が現れるのに、十分な時間が経過している。それ自体は半ば予期していた事柄であったので驚愕には値しないが、いざ現実に他の人が──プレイヤーが自分と同じように転移してきた事実を前にすると、精神が微妙に揺り動かされてしようがなくなるのだ。

 努めて冷静に、アインズは映像を検分する。

 問題は、あいつらの(なか)にプレイヤーはいるのか、……と思案にふけそうになるアインズは、彼らの取った次の行動に言葉を失う。

 

「……何をしているんだ、あれは?」

 

 頭上に光の輪を戴く女騎士が、黒髪の男を殴りつけたのだ。

 同士討ちによって、その場に(うずくま)る男の姿を見ると、ギルドの中枢に位置する立場にあるとは考えにくい。

 仲間割れか? 下っ端の構成員か、あるいは女騎士が創ったNPC?

 ――(いや)。違う。

 違うぞ、これは。

 

「まさか……今、殴られた、あの黒い男……プレイヤー、か?」

 

 直感で呟いたアインズの言葉を、疑念する守護者たちを代表したシャルティアが、不思議そうに聞き返す。

 

「そ、そうでありんすか? 私には、むしろ女の方こそがプレイヤーだと判断しんすが?」

「いいや、それはない」

 

 アインズはきっぱりと否定する。

 シャルティアはプレイヤーであるアインズをはじめ、至高の四十一人に絶対的忠誠と忠義を誓う存在(NPC)。故に、アインズが語るように、殴られた男というのがプレイヤーで、殴った女がNPCだとするならば、そのNPCは自決自害して当然なほどの大罪を行ったことに他ならない。

 少なくともシャルティアは、かつて洗脳された際にとはいえ、アインズに刃を向け、敵対的行動をとった事実を知らされた際には、あまりの罪深さに荒れに荒れた。しかし、アインズ本人から頑強(がんきょう)なまでに許され、己を自傷自壊させる行いに(はし)ることすら許されなかった経歴を持つ。そんなシャルティアだからこそ、涼しい顔でプレイヤーを……ギルドの創造者にして、最上位者に位置するはずの男を殴り飛ばした女天使が、自分と同じ存在──NPCだとは認識しにくいのである。他の天使たちが沈黙しているのも、その判断を加速させてならないほどだ。

 しかし、アインズは彼女らの外装などから、黒い男以外の連中がプレイヤーである可能性がありえないと判断できる。

 

 その理由は簡単だ。

 天使種族の異形種プレイヤーは、一部の例外を除き、人間らしい形状の外装(アバター)でいる者は絶無と言ってよい。

 

 熾天使の(クラス)であっても……否、上級の天使であればあるほど、プレイヤーたちは各天使にちなんだ容姿──熾天使(セラフィム)であれば、三対六枚の翼で姿を覆い隠していたという説から、「六枚の巨大な翼と光の輪、輝く後光で構築された存在」が基本的な造形として与えられる。この姿に人間の容姿を付け加えることはほぼ不可能で、武器などを振るう際も、その武装がほとんど宙に浮かんで自立攻撃してくるようにしか見えないのだ。他にも、智天使(ケルビム)は「獅子や牛、それに鷲の頭をもった存在」とされ、座天使(スローン)に至っては「火の車輪」という非生物的な形状で固定されることになる。最初期の天使にしても、ただの小さな光の輪と玉というのが普通(デフォ)であり原則なのだ。

 天使種族モンスターで完全上位に位置するモンスター──“原動天”や“至高天”だと考えても、アインズが知る最強最上に近い天使の姿ではないことは明白だ。図書館に残されたユグドラシルの資料や百科事典(エンサイクロペディア)でも紐解けば、あんな人間然とした異形種は存在しないことは、容易に把握できる。……むしろ、彼らは人間種の姿に、課金の改造で飾りの翼を増設したという方が、まだありそうな話だった。が、しかし、さすがに頭上に戴く金色や純白の輪を見れば、明らかに天使でしかない。さすがに、ああいう「天使の輪」というのは、天使種族の異形種のみに許された象徴であり記号なのだ。

 天使の光輪を持つものは、人間の造形は得られない。

 そして、そのような制約から除外されるキャラクターというのは、作成された拠点NPCだけ。

 無論、アインズはすべてのプレイヤーキャラメイキングに通じていたわけではない。ひょっとするとだが、何かしらの裏技や課金アイテムなどによって、人間らしい容姿を持った天使種族の可能性も、ありえなくは、ない。

 しかし、そういったものよりも、まずありえそうな可能性──例外が、ひとつだけ、ある。

 

「あの黒い男の見た目……堕天使、だな」

 

 天使種族の中で、一部例外的に、人間の容姿に極めて近い異形種が、確実に、ひとつだけ存在していた。

 それが、堕天使。

 堕天使は、神に仕える内に、堕落した人間の世界に降臨した結果、人間たちと同じように堕落し“堕天”した忌むべき存在……という感じの種族設定だったか。人間の営みに順応し、欲得に塗れた結果として、あのような人間らしい形状を、唯一的に取得可能なのだとか。

 他の天使種族レベルを犠牲(コスト)にすることによってのみ、基礎ステータスを増強させることを可能にする、ユグドラシル内でも屈指の面倒くささを誇っていた──天使というよりも悪魔という方が近い──異形種、それが「堕天使」だ。

 その劣悪なステータスや保有する種族スキルの微妙さ、純粋な天使の力を大幅に減じられるペナルティ、堕天使固有の特性が扱いにくいがために、あまり取得するプレイヤーはいなかったはず。

 おまけに堕天使の見た目というのは人間らしい造形であるが、一応は異形種=モンスター探査の魔法に引っかかるため、異形種PKを生業(なりわい)とする連中にとっては「クソ弱っちい異形種」として認知され、絶好のカモと言ってよい存在ですらあったのだ。

 ぱっと見た男の外見は、完全に日に焼けた肌色の人間種のそれではあるが、髑髏(どくろ)の眼窩を思わせる大きな(くま)や、欲得に濁った瞳の色で飾られた狂気的な面貌は、人間の基礎的な美性からは程遠すぎる。彼の周囲にいる他の天使たちに比べれば、かなり醜いといってもいいくらいだ。まさに異形種然とした面構えでしかない。人間種の外装で、あんなにも不気味な顔面を構築するなど、どんな変わり者だというのか。

 結論。

 あの男はユグドラシルのプレイヤーであり、種族は推定する限り、「堕天使」だと思われる。

 

「──天使を従える、堕天使か」

 

 何が彼を堕天使プレイに駆り立てたのか、アインズは純粋な好奇心に駆られてしまう。

 そして、あの男……堕天使は、自分を殴らせることによって、この世界において同士討ち(フレンドリィ・ファイア)が可能な、ユグドラシルのゲームとは異なる世界であるという事実を確認したのだ。これが一番、彼があの中で唯一のプレイヤーであると確信できる理由でもある。

 同士討ち(フレンドリィ・ファイア)の確認ということなら、それができる存在はプレイヤーだけだ。アインズは100年前の転移初日、アウラとマーレの二人と闘技場で対面した時に確認していた。だが、アウラはユグドラシルで同士討ち不可だったことを知らずにいた。少なくとも、特殊技術(スキル)の効果範囲内にいたアインズは、アウラの特殊技術(スキル)の影響を些少ながら受けた。このことから、アインズは同士討ちが解禁されている事実を認識することがかなったのだ。

 逆に言うと、アウラたちNPCは、ユグドラシル時代にゲームシステムとしての同士討ち不可だった事実を知らなかったということ。

 同士討ちの可否を判断・査定できるのは、プレイヤーのみ。

 そして、あの男は真っ先に、明らかにNPCでしかない天使からの、仲間の攻撃を、受けた。そうするように命じたのだ。

 

「しかし、思い切ったことをする。この世界で回復が可能かどうかも判らぬうちに、自分の体力(HP)を削り取る判断を下すなど」

 

 否。回復可能かの確認も含めての同士討ちだったのかもしれない。

 その証拠に、男はすぐさま何か──治癒薬(ポーション)を取り出し飲み干すと、すくりと体を起こす。そのまま、彼は鏡を通って現れた天使たちを伴って、一度頭上の夜空の月を……こちらを見上げるようにして、鏡の中に姿を消していった。

 それから鏡は、早送りされ、小さな動物が鏡を護るように前後に置かれ、先ほど出てきた天使たちと、それ以外の新たな天使が三人一組を組んで、東西南北をローラーのごとき牛歩の歩みで進み、平野の中心で何かをし始めた。見れば、砂や土、石ころを採取し、それを持って帰っているらしい。小休止を挟んで、次に鏡から現れた四人ほどが、何を思ったのか延々と鏡の周囲を適当に掘り進め、そして埋め立てるなどを繰り返している。これもまた、土地の鑑定作業や異世界の調査と思えば納得がいった。さらに時間が経過すると、黒い肌に銀髪を流す天使が、鏡の上空を幻術魔法で覆い、ようやく簡単な隠蔽措置を完了させる。が、完全に隠蔽できているわけではないため、監視は継続可能であった。

 

 

 

 そして、それらの作業には、あの黒い堕天使の男は、加わることはなかった。

 

 

 

 アインズは認めるしかない。

 彼らは、この世界にはじめて触れる存在。

 紛れもなく、ユグドラシルから転移してきた存在だと、確信できた。

 ほくそ笑む気配すら見せるアインズに対し、魔導国宰相・アルベドは即座にひとつの案を具申してくる。

 

「強行偵察――いえ、先制攻撃をしかけますか?」

 

 普段とは打って変わった仄暗(ほのぐら)い声色で、提案される。

 新たに転移してきたユグドラシルの存在に対し、主導権を握り、有利に事を進めるための一手を、宰相は提言したのだ。

 彼らの拠点の出入口である鏡を制圧、または破壊してしまえば、容易に連中を無力化できるだろう。この世界で、システム・アリアドネ──ゲームにおいて、ギルド拠点の入り口を完全に封じるという違反行為を行ったギルドが(こうむ)るペナルティ──が機能しているかの実験にもなり得るし、あるいはうまくいけば、プレイヤーの蘇生実験なども行えるかも。

 だが、アインズは軽率な宰相の言葉を、軽く微笑みつつも、否定する。

 

「フッ、馬鹿を言うな。彼らが友好的に事をすませようとする存在である場合、いきなり攻撃を加えるなど、あってはならない暴挙だ」

 

 それこそ、この世界に転移した直後、アインズはこの世界にいるかもしれないプレイヤーと敵対姿勢を取りたくはなかった。それと同じように、なるべく穏便に事を進めることを優先しようと、まったく同じことを思考してくれているかもしれない。

 

 ……勿論、その真逆の可能性も十分ありえることを、忘れてはならない。

 

 さらに最悪なのは、連中が何かしらの脅威──主に、アインズの知らないような世界級(ワールド)アイテムを保有していた場合、とんでもないしっぺ返しを食らうやも知れない。わざわざ藪をつついて蛇を出したり、虎の尾を踏んで噛まれたりする必要は何処にもない。

 警戒を厳にしておく必要があるのは、変わらないだろうが。

 

「確かに、連中がどのような力を持ち、どのような思想行動に(はし)るか判らない現状では、連中の頭を押さえ屈服させてしまう方が、効率はよいだろう。さすがにこのナザリックの掌握する戦力に伍するとは考えにくいが、そのような短絡的に行動するのは、原則慎むべきだ。何より、そのような振る舞いをしていては、アインズ・ウール・ゴウンの名が(すた)るというもの」

 

 彼らもまた、自分と同じように、ユグドラシルのプレイヤーと協力したいと考えてくれるのなら、アインズは協力を惜しまないつもりでいる。

 無論、協力に対する見返りは、相応に要求するつもりだ。

 まずは、彼らがこの世界で、この大陸で……魔導国で、どのような行動方針のもとに活動してみせるのか、知らなくては。

 

「かしこまりました。アインズ様の御心のままに」

 

 アルベドたちは委細承知したように微笑みを浮かべ腰を折る。

 そんなアルベドに呼応するように、守護者たちも礼拝するように主の意向に従う姿勢を見せる。

 

「ところで、アインズ様。此度の一件──殿下や姫様方、それにニニャ様には」

「無論、話す。……だが、今はな」

 

 承知の声を奏でるデミウルゴスに、アインズは鷹揚に頷きを返す。

 相手の戦力によっては、ナザリックの総力を結集させても勝てない可能性を考慮する必要がある。無論、そうならないための軍拡や技術開発、魔法体系の確立にも邁進し、この世界に存在する希少なアイテムも、ほぼすべて手中に収めているといってよい。シャルティアを洗脳した忌まわしい世界級(ワールド)アイテムも宝物殿に蔵されて久しかった。

 しかし、油断は禁物だ。たとえば連中が、世界を天使の軍勢で覆い尽くすアイテムや、世界中に災厄の炎を降り注ぐ超級の破壊魔法を保有していた場合、こちらがとんでもないダメージを被るやも知れない。

 王太子と姫たち──息子や娘たちと情報を共有するのは(やぶさ)かではないが、それよりも重要な役目を果たしてもらおうと、アインズは思考している。

 そのためにも、とにかく相手の情報を入手することが先決だ。

 しかし、監視状態のままで、これ以上有益な情報が入る可能性は僅かだろう。連中と接触を図るにしても、ナザリックの既存NPCだと、ユグドラシルプレイヤーには即刻看破される可能性があるため、ネットで広く知られている守護者たちを動員することは、完全に不可能。こちらから攻撃を仕掛け、大義名分を与える理由も意味もない。ならば攻略されていない第九階層以下の存在であれば安全かというと、微妙なところだ。彼らはナザリックに、そしてアインズ・ウール・ゴウンへの忠烈に燃える同胞であるが故に、それ以外に対しての悪感情を隠すことは難しい存在が多すぎる。あのユリやセバスですら、ナザリックに少しでも不遜な態度をとる輩が現れれば、不快感を表明して(はばか)ることはないのだから、当然だ。万が一にも、連中を「下等生物」「ゴミ」「蛆虫(うじむし)」なんて呼称し、戦端を開かれでもしたら、取り返しがつかなくなる。

 と、なると。

 ユグドラシルプレイヤーが知りようのない存在で、かつ中立的に事を進められそうでもあり、何より奴らと事を構えるしかなくなった場合に自衛手段に長けた──現地の有象無象とは完全に一線を画す人物を選定する必要が、ある。

 

「とりあえず、そうだな──セバス」

 

 主に名を呼ばれた老執事が、鋭い視線を閃かせた。

 アインズは短く命じる。

 

 

 

「あの()に連絡を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二章 至高なるアインズ・ウール・ゴウン魔導国
混乱


 総集編映画の後編が公開されましたので、第二章を投稿。
 ツアーの鎧、はじめて見たけど予想以上にかっこよかったなぁ。数秒だったけど。
 そして……


/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.01

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国。

 聞かされた単語の意味するところを、カワウソは理解できずにいた。

 

 アインズ・ウール・ゴウン。

 それはまさに、カワウソが攻略に挑み続けた、ギルドの名前。

 

 いきなり茫然自失(ぼうぜんじしつ)(てい)に陥るカワウソの様子を奇怪気に眺める少女の呼びかけにも、堕天使の男は反応を返さない。

 返せない。

 返せるはずがない。

 

「今、何て言った?」

 

 だから。

 問い質したその声は、カワウソのものではなかった。

 男の隣にいた黄金の女天使、ミカは、兜の面覆い(バイザー)を押し上げ、名状しがたい感情に(いろど)られた表情を(あらわ)にする。

 少女はミカの碧眼に射竦められ、瞬時に凍り付く。

 ミカがはじめて少女に対して、声を浴びせていた。

 その普段よりも冷徹に研ぎ澄まされた声音は氷のように肌を滑り、少女の耳を貫き、そのまま脳髄に突き刺さる針のよう。

 

「答えなさい──あなたは、今、何て言った?」

 

 声に宿る温度とは対照的に、女天使の内には、余人には推し量ることなど不可能な劫熱(ごうねつ)を潜在させ、()(たぎ)っていた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン? それは一体、何の冗談なのでありやがりますか?」

「ひぇ…………あ、あの」

「さっさと答え」

「よせ。ミカ」

 

 明らかに怯える少女に詰め寄ろうとした天使を、カワウソは引き剥がすように命じる。

 ミカは何かを言おうとして、そこに佇む主の表情を見つめ、あっさりと引き下がった。

 そんな天使の様子を横目にしつつ、堕天使の青年は膝をついて、少女の瞳を見つめる。

 

「その、アインズ・ウール・ゴウン、魔導、国? ……から、おまえは追われているんだ、な?」

「は、はい……? え、あ、あの」

 

 カワウソは視線を大地に落とす。

 

「そうか……いや、気にするな。こっちの──そう、こっち、の、事情、だ……」

 

 意識が若干──ほんの少しだけ、ふらついた。

 

「少し、休憩しよう。ミカ、ヴェル(こいつ)を、あー、そう……」

 

 彼が空間から取り出したのは粗末な鋼の板、スチール製の扉を思わせるミニチュアである。これは“地下避難所(アンダーグラウンド・シェルター)”という簡易野営拠点を作成するアイテムだ。同じ用途のもので、規模が小さめのものだと天幕(テント)、大きなものだと隠れ家(シークレットハウス)、巨大なものだと要塞(フォートレス)(タワー)などが存在する。魔法詠唱者が常時魔力を消費して創造作成することもできる簡易拠点だが、カワウソも、そしてミカもそういう魔法は修得していない。このアイテムはそういう魔法を使えないプレイヤーが野営を行う際に、アイテムを消費することで野営拠点を創り出すことを可能にするアイテムなのだ。

 放り投げた一枚の板切れが地面に触れた途端、大地に設けられた大きな長方形の鉄製シャッターに早変わりして、来客を招くようにガシャガシャと口を開けた。その奥は、地下へと続く階段が伸びており、下り階段には等間隔で〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉が灯っている。

 

「この中で、一緒に待機しておいてくれ」

「……カワウソ様」

 

 ミカは何か言いたげな瞳で主を見やった。

 

「待って、ろ」

 

 カワウソはミカに立たされ歩く少女を見ることができない。扉の奥へ降りていく二人。感じられる周囲に人の気配がないことを確認すると、監視を続けるマアトに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。自分を監視対象から外すよう厳命するために。

 抗弁しようとするマアトを、語気を強めて屈服させた。

 渋々という感じで承知の声を奏でた少女との繋がりが、断たれる。

 これで、カワウソは誰の目も気にすることは、ない。

 

「……ッ!」

 

 奥歯が砕け散りそうになるほど、空気を噛んだ。

 

「――ッ!!」

 

 剣を振り下ろす。

 転がる死の騎士(デス・ナイト)の骸に向かって、カワウソはさらに攻撃を加える。光の斬撃が、モンスターの骸を縦に両断してみせた。

 

「ッッ!!!!」

 

 死体蹴りならぬ死体斬りの二撃目により、骸は粉々に断裁される。

 カワウソはもう一本、聖剣とは対となる魔剣を左手に抜き払い、横薙ぎに森を吹き飛ばした。

 光輝く刃が、さらに森へと破壊を加えていき、さきほど切り開かれた場所以上の暴力を幾度も振るっていく。少女が落下しかけた崖にまで破壊は及び、まるでひとつの荒れ地が現れたかのように、岩塊や森の残骸が生成されていく。

 

「――、――、――、ッッッ!!!!」

 

 ひとしきり剣を振り終えると、カワウソは両手の剣をさらに振り下ろす。

 

「ぁあぁああぁぁあああぁああああああああぁぁぁああああっ!!!!」

 

 大音声(だいおんじょう)が喉の奥よりも深い(からだ)の底から吐き出された。

 地を貫いた二本の刃が、一帯を閃光で染め上げる。

 光。爆音。

 一瞬の後に、目の前から何もかもが消え去った。

 樹々も大地も、光の刃の内にとらえられ、世界から存在という存在を消失していた。地響きがそこかしこでうなりを上げ、宙に放り上げられた岩盤などが、森に大地に降り注ぎ、また轟音を奏でる。

 さらに大きく気を吐いた。肩の線が激しく上下する。

 胸の内にわだかまるマグマのような熱が喉を焼くかのように思えた。実に狂気的な暴力と惑乱の様であるが、カワウソはそんな自分をどこか遠くに感じることしかできない。

 

 これは、いったい、何だ?

 何なのだ、これは?

 何かの冗談か?

 それとも自分の脳が描いた、悪辣(あくらつ)な夢?

 

 内側より生じる興奮と混乱によってふらつく堕天使の背に────人の手の感触が。

 

「ッッ!!」

 

 反射的に振り返ると、ほとんど自動的に背後の気配を、剣を左手に持ったまま掴み上げ、喉元に右の剣先を当てる。

 だが、

 

「……………………」

「…………ミ、カ?」

 

 カワウソは、兜を脱いだ女天使を、その冷徹な無表情を、これまでにない至近距離で、眺める。

 冷たい聖剣の刃を首筋に当てられながら、女天使は厳然とした態度で、カワウソの暴力に自らをさらしていた。

 しかし、()せない。

 

「──シェルターに、入っていろと、命じた、はずだが?」

「申し訳ありません」

「──命令に、背いたのか?」

「申し訳ありません」

 

 女は悪びれる様子も見せず、主人の暴力が込められた剣持つ右手を”握って”いる。

 そうしていなければ、カワウソは勢い余って彼女の首を()ねる──ことは不可能だろうが、それなりのダメージを負わせていたかもしれない。いくらギルド最強の防御性能を誇るミカであっても、喉や首への攻撃は致命傷(クリティカルヒット)になる。そんな傷を被れば、それなりのダメージ計算になるのだ。ユグドラシルでは。

 

「……あの()は? どうした?」

「私の作成召喚した天使の監視下にあります」

「ッ……天使作成は。俺が行うと……そう決めていたよな?」

「申し訳ありません」

 

 平坦な声が続いた。

 苛立ちのあまり、それ以上彼女を掴みあげることすら嫌になった。

 というよりも、恐ろしかった。

 NPC(ミカ)は、カワウソの命令を反故(ほご)に出来る……それはつまり、カワウソがずっと不安視してきた懸念を……彼女たちの反乱の可能性を補強する、厳然とした実証であった。

 何かを間違えれば、彼女(ミカ)たちはカワウソの意を離れ、暴走し……挙句の果てには主である自分(カワウソ)を追い殺すモノに変異するやも。

 その懸念を払拭することは出来そうにない。

 すべては、カワウソの設定した通りのこと、故に。

 だとしても、あえて(たず)ねずには、いられなかった。

 

「どういうつもりだ?」

「……私は、あなたが嫌いです」

「俺の命令には、従えない……と?」

「……従うべきでないと判断すれば」

 

 怜悧な眼光は臆することなく言いのける。

 不安と恐怖が楔のように胸の中枢を貫き、カワウソの臓腑の底を火で炙るように凍てつかせる。おかげで、まったく冷静になれない。冷静に考えれば、少しは女天使の扱いを、マシな感じに取り繕うべきだったと判る。しかし、カワウソは出来なかった。ミカという存在が、あまりに危険なものに思えてしようがない。いっそのこと、この場で……とも思考するが、それは無理だ。ミカのレベル構成は、悪属性や負の存在、異形種(モンスター)への特効に秀でており、属性が「中立」で一応は「天使種族」のカワウソには特別な効果をもたらさないが、本気モードになった際の熾天使(セラフィム)は、どうあがいても堕天使では(かな)わない。おまけに、ミカは“熾天使以上”のレア種族の力も宿している。装備類についてもカワウソと同程度のものがいくつか存在し、さらにおまけにカワウソの戦闘スタイルとは絶望的に相性の悪い、防御力重視の前衛タンク……本格的な実戦仕様(ガチビルド)だ。

 

 結論として。カワウソは、ミカを殺せないだろう。

 その逆であれば、簡単に成し遂げられるだろうが。

 

 主の震える手から解放された天使は、ずれた鎧甲の位置を直しつつ、軽蔑するような視線を、怒りにか紅潮する頬を、すべてカワウソに寄越す。

 耐えられず、カワウソは命じることで彼女の視線から逃れた。

 

「……勝手な行動は、するな。次はないと思え」

 

 二つの剣を空間にしまいつつ、吐き捨てるように告げる。

 

「……了解」

「今、おまえが見たことは忘れろ。いいな?」

「…………」

「返事は!」

 

 押し黙るミカは、主人に強く返事を促されてから、ようやく頷いてみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下に続くシェルターにミカを連れて降りたカワウソは、金庫のように重厚な造りの扉を開いた。いくつもの留め金が外れる音が連鎖し、外部からの干渉や攻撃に万全の備えを誇る避難所の中へ。

 そこで、火の粉舞う二体の最下級天使に守られ……監視されていた軽装剣士の少女と再会する。

 

「待たせて、すまなかった、な」

「いえ、あの、大丈夫です」

 

 この簡易拠点はシェルターというだけあって、防音性や衝撃緩和に優れている。外でカワウソが行っていた凶荒の気配は一切、ヴェル・セークという少女の知覚できるものではなくなっていた。

 カワウソはとりあえず、立ちぼうけをくらっていた少女をカウチの一つに導いた。ミカに客対応を任せるのは無理だなと納得する。

 シェルターの中は地下というロケーションから外の光は入ってこないが、〈永続光〉の放つ真昼のような輝きで満たされており、外の鬱蒼(うっそう)と生い茂っていた森の中よりも明るいくらいだ。他にも種々様々な調度品や内装で飾られており、カワウソたちのギルド拠点にある一室を思わせる。

 

「あの……お二人は、外で、一体、何を?」

 

 四角く座る少女の疑問に、カワウソは「敵の伏兵を片づけていた」と説明する。

 勿論、これは嘘だが、少女には真偽を量る手段など、ない。

 

「質問を繰り返すが、おまえは、アインズ・ウール・ゴウン……ああ」

「魔導国」

 

 聡明なミカの声が、カワウソの問いを補助してみせる。

 チラリと女天使を睨みつけそうになるが、ミカは冷厳としたすまし顔で佇んでいるだけ。

 

「……その、ギルドの一員……いや、じゃなくて魔導国の、国民ってこと、だな?」

「ええ、まぁ……そういうことに、なります?」

「魔導国で、おまえは不敬罪を働き、追われている、と」

「あの……あなたたち、一体」

 

 何を聞かれているのか判然としない少女は、たまりかねて質問し返していた。

 これは止む無きことだとカワウソは考える。

 一国により支配されている土地の中にあって、その国の事情などを知らない存在がいるだけで怪奇的だ。日本という島国にいながら「私が今いるこの国の名前は何ですか?」なんて質問されたら、カワウソだって同じ反応を返すだろう。

 だが、それをカワウソの副官のごとき女天使は許そうとしない。

 

「質問はこちらが先です――答えなさい」

「ミカ」

 

 名を呼んで軽く叱りつける声をあげる。

 ミカは憮然と主人の視線を見つめ返すが、すぐに瞼を伏せて抗弁を控えた。

 

「すまん。こいつはこの通り……短気でな」

 

 短気という性格は、ミカには組み込んでいない。

 ミカはどちらかというと『深謀遠慮、冷静沈着、頭脳明晰、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)最高の叡智を誇る隊長』という設定文を与えた存在。むしろ短気というのなら、外の森を荒れ地に変えたカワウソこそが短絡的だろう。

 この時のカワウソは、ミカの存在を煩わしく思うことはない。

 むしろ、この場においてはうまい具合に利用できると考えた。

 ヴェル・セークという少女は、あからさまにカワウソとミカを不審に思っている。二人の頭上に浮かぶ赤と光の輪も珍奇に映るだろう。だが、この二人はまがりなりにも命の恩人であり、追跡者たちから少女を救い出した庇護者の立場だ。目の前の少女が本当に罪を犯し逃走中となれば尚の事、カワウソたちの力を借りることで己の利に変えようとするは必定。だが、ミカはヴェルに対してまったく好意的な態度を見せない。友好関係を構築しようとしても、失敗に終わるだろうことは明らか。

 であるならば、まだ理知的かつ友好的に接することが可能そうなカワウソと、親交を保つことを考えるだろう。

 ――ひどいマッチポンプだ。警察の取り調べでもあるまいに。

 

「とりあえず確認の意味も込めて、答えてくれ。おまえは魔導国の一員、アインズ・ウール・ゴウンの配下、そういうことだな?」

 

 こくりと、少女は声も出さず――出せず――首を縦に振る。

 

「……そうか。うん」

 

 ミカを伺うように見ると、女天使は首を静かに横に振るのみ。

 少女が嘘をつく理由がない。少女の挙動についても、不審な点は見受けられない。

 ヴェル・セークという少女は、確実に嘘をついていないと見て、間違いないだろう。

 カワウソは考える。

 考えて、考えて、考えて――ひとつの事実を確かめる。

 

 

「その、アインズ・ウール・ゴウン……魔導国の話を、詳しく聞かせてもらえるか?」

 

 

 とにかく、状況を確認しなければならない。

 そのためには、まずヴェルという少女から、聞き出せるだけの情報を取得せねば話にならない。

 この世界に、アインズ・ウール・ゴウンなる国があるとして、それが本当に、カワウソの知るギルドと同一であると考えるのは、(いささ)か早計だろう。──奇跡のような確率で、同一の名称を掲げた“だけ”の国という線も、なくはないのだ。

 ――たとえ、聞けば聞くほど、その国がユグドラシルのギルド:アインズ・ウール・ゴウンと符合し酷似した部分を大量に備えた存在だとしても、カワウソは冷静に、少女からの説明を、脳内のメモ帳にくまなく筆記していく。

 

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンとの符合点。

 

 

 まず、守護者と呼ばれる存在……拠点NPCの名称と合致する事実。

 各都市の統治などの国家の中枢を担う務めを果たすのみならず、新造都市の建造や学園機構での講義授業なども行っているという、魔導国内でも最上位階級に位置するシモベたち。

 

 ──シャルティア・ブラッドフォールン。

 ──コキュートス。

 ──アウラ・ベラ・フィオーラ。

 ──マーレ・ベロ・フィオーレ。

 ──デミウルゴス。

 

 この五人の名は、当然の如くカワウソは知っている。

 というか、シャルティア・ブラッドフォールンに至っては、かつての攻略時に、実際に戦ったこともある存在だ。

 かつて、ナザリック地下大墳墓を攻略するべく編成された討伐隊は、第七階層までを順当に攻略し、その階層を守護する「階層守護者」なるLv.100NPCと交戦し、その際に知り得た戦闘能力などはWikiにも記載されることになった。唯一、未確認情報とされているのが、それ以下の階層――あの第八階層にいた少女と、あれら(・・・)など――の情報くらいなもの。

 他にも、魔導国宰相にして最王妃のアルベドや、魔王妃などの名が語られるが、それらの名称について、カワウソは聞いた覚えがない。ナザリック第八階層以下……第九階層にいる存在? あるいは攻略部隊の到達していない領域の守護者か? ひょっとすると、現地人という可能性もなくはないだろうか?

 

 次に、魔導国の首都……ギルド拠点、ナザリック地下大墳墓の存在。

 城塞都市エモットと呼ばれる超常的な規模と魔法に守られた要害の中心……不可侵地帯にあるらしく、そこを訪れることが許されることは、魔導国の民にとっては至高の栄誉とされる聖域なのだと、ヴェルは簡潔に口にしていく。

 ちなみに、ヴェルはナザリックどころか、その城塞都市にさえ立ち入ったことはないという。

 

 そして最後に、魔導国の国主は、最上級アンデッドの“死の支配者(オーバーロード)”であるという事実。

 

「…………」

 

 カワウソは口元に手を添えて黙考する。

 ここまで見事に名称と内実が一致しておいて、まったく無関係な存在ですなんて理屈は通りそうにない。

 少なくとも、カワウソはアインズ・ウール・ゴウンという名を(いただ)く魔導国が、自分の知るユグドラシルのギルドそのものであるという確信を抱きつつあるくらいだ。

 それでも、さまざまな謎は残る。

 

 建国から100年近いという歴史を誇るという魔導国。大量に使役されているらしいアンデッドの軍団。ユグドラシルと同じ存在がいて、なのにユグドラシルとはまったく違う異世界。

 

 何より、国主である魔導王の名前が、そのまま国の名前として用いられているのも、奇妙と言えば奇妙に思えた。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに存在する死の支配者(オーバーロード)の名は、ギルド長である“モモンガ”だけのはず。その最上位アンデッド――魔導王が、ギルド長であった彼だとするなら、“モモンガ”ではなく、“アインズ・ウール・ゴウン”と名乗っている理由が、カワウソには理解が及ばない。

 

 ……まさかとは思うが……

 

 いずれにしても、カワウソの常識を遥かに凌駕する事態であることに変わりなし。

 それらを一旦保留して、カワウソはヴェルの事情に首を突っ込んでいく。

 

「おまえは、これからどうする?」

 

 追われているという彼女の状況を考えれば、ヴェルが猟犬や騎士の群れに襲われかけていたのも理解は容易となる。

 間違いなく、あのモンスターたちは、魔導国の(つか)わした追跡者にして捕縛部隊ということ。

 カワウソたちは――知らないことだったとはいえ――大陸を支配する国家機関に属する存在を壊滅せしめたわけだ。

 しかし、それを今更悔やんだところでどうしようもない。第一、あれらは年端もいかぬ少女を集団で追い立て、崖から滑落せしめたモンスターだ。これがもっと理知的かつ人間然とした追跡――警察官などであったなら、カワウソも違う対応をとっていたことだろう。少なくとも、輝く剣で問答無用に斬殺することはなかったと思う。

 無論、「そんなこと知ったことじゃない。ウチの警邏(けいら)を斬り殺した責任をとれ」と言われもするだろう。

 その時は──覚悟するしかない……だろうな。

 カワウソが静かな決意と戦意を(たぎ)らせているのを知ってか知らずか、少女は大いに困惑しつつ、己の望みを口にする。

 

「私は、とりあえずラベンダと合流したい……です」

「ラベンダ?」

「あ、私の相棒の飛竜(ワイバーン)です。この森近くに姿を隠している……はずです」

 

 聞けば、その飛竜は追跡を逃れる途中で深手の傷を負ってしまい、飛行することが困難になったので、アイテムで身を隠し潜伏させたのだと。

 ヴェルは何とか追跡者たちを自分に誘引しつつ、何とか逃げ切った後に相棒と合流しようとしていたらしい。実に涙ぐましい努力であったが、カワウソが助けに入らなければ、確実に、双方とも死んでいただろう。それだけ状況は差し迫っていた。

 だから、少女は申し訳なさそうな表情で、男に頭を下げる。

 

「あの、私を助けていただいて、本当に、ありがとうございます、えと……カワウソ、さま?」

 

 まっすぐな感謝を受け止めた瞬間、堕天使の胸を痛みが襲う。

 自分がそんな感謝とは程遠い企図があったことを、少女は知るはずもなかった。

 だからこそ、眩しい。直視することができない。

 むしろ蔑まれて当然な思考しかしていないのに。

 

「感謝されることじゃない」

 

 というか、感謝されては、困る。

 冷静に考えれば、カワウソは犯罪者の逃亡を幇助(ほうじょ)――手助けしている立場にある。

 手放しに喜びを分かち合えるはずもないのだから。

 

「……ん、待て」

 

 咄嗟に、カワウソは少女が告げたことを脳内で反芻(はんすう)する。

 この森近くに、姿を、隠して…………って。

 

「どうかしましたか?」

「あ、いや。何、でも、ない」

 

 震えそうな声を、口を手で覆うことで塞いだ。

 カワウソは少女が告げた言葉に、新たな懸念事項が追加されてしまった。

 シェルターの上の森は、カワウソの暴力で更地同然の荒れ具合に変貌を遂げている。

 

 ……俺、吹き飛ばしたりしてないよな?

 

 呟きかけた言葉を喉奥に何とか留める。吹き飛ばされた森というのは、ほんの一部だけだったのだから、心配ないと思うが。

 懊悩と不安に思考を回転させるカワウソは、〈伝言(メッセージ)〉の魔法で一人の少女を呼び出した。

 

「マアト」

『あ、は、はい! カワウソ様!』

 

 主人の命令通りに待機していた少女は、いきなり復旧した通信魔法に泡を喰ったように応対する。

 

「ああ、すまん。もう監視を復活させていい」

 

 カワウソはヴェルの事情を簡単に話すと、少女の懸念する相棒の存在を探査可能か聞いてみた。

 

「この()の言う、飛竜の位置は、分かるか?」

『え……あの、しょ、少々お待ちください…………』

 

 マアトはカワウソ越しにヴェルが告げる領域を見ようとするが、

 

『す、すいません、ダメです。指定ポイントが、その、あやふやで』

 

 まぁ、そうだろうな。

 ヴェル・セークという少女は、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の仲間というわけではない。マアトが魔法で安全に覗き見をしようと思えば、斥候偵察役が必須となる。今ここで出会っただけの少女の見た光景なんてものをマアトが読み取ろうと思えば、今すぐここへ転移させる必要がある。が、そこまでしてマアトを外に出す理由がない。基本的に戦闘が苦手なマアトは、安全な拠点で観測手をさせる方がマシなはず。その逆――ヴェルをマアトのいる城塞に招く必然性も、ない。

 

「……こうなったら仕方ない。外に出て、直接探すか」

 

 カワウソは精神的に重い腰をあげて、剣を抜く。

 剣尖を振り〈転移門(ゲート)〉を開いた。驚愕と疑問を抱く少女を手招き、その手を掴むように握って、門をくぐる。

 一挙にシェルターから外の森に移動すると、手を放されたヴェルは愕然とした表情でカワウソを見上げていた。

〈転移門〉は後続のミカを転移させると、瞬く間に消え失せる。

 

「さて。何か目印とかあるのか?」

「…………え…………あ、あの、はい」

 

 少女は奇妙な硬直を解いて、あたりを見渡すと、偶然にも少女が逃走した道だとわかった。

 それは当然でもある。

 ここは、カワウソが拠点内で、マアトの魔法越しに見たヴェルが逃げていた場面に映っていたそこなのだ。カワウソたちはここからヴェルの救出に向かったわけで、カワウソの剣撃の嵐も、ここにまでは影響を(偶然だったが)及ぼしていない。

 

「こっちです」

 

 (あやま)つことなく、ヴェルは逃走した時とは逆の道を突き進む。

 その道は、カワウソたちに救出された現場に背を向ける道程(みちのり)でもある。

 最初はヴェルの誘導のまま歩いていたカワウソたちだが、追跡から逃げ続けて疲労困憊(ひろうこんぱい)というヴェルの歩みは遅々として進まず、()れたカワウソは仕様がなしに少女をまたも抱き上げる姿勢で森を走破することにした。

 このままのペースでは日が暮れてしまいそうだったし、何より、飛竜の相棒とやらが負傷しているとなれば、一刻を争うかもしれない。

 カワウソは難所を走破する指輪を装備している上、いくら堕天使とはいえ異形種の基礎能力値――Lv.100の筋力があれば、この少女程度の重量はなんてことはない。

 それでも気になることがひとつ。

 

「おまえ、体重いくつだ? 何だか、軽い気がするんだが?」

「え? えと、多分44キロだったはずです」

 

 少女に聞くと、そのように返ってきた。鎧の重量を加味すれば、少なくとも50キロ以上は確実だろう。異世界で“キロ”単位というのは違和感があるが、ヴェルの言説を信じれば、Lv.100の堕天使の筋力でもすさまじい結果を生むということ。これが純粋な戦士職や、他の異形種だったらどうなっているのだろうか気にかかる。

 そして、

 

「…………」

 

 ミカが何か言いたそうな、鋭い視線を向けてきているのは何故なのだろう。

 自分が何かしらまずいことをしたのかと(かえり)みたカワウソは、自分の常識に照らしてみて、ひとつの解答を得る。

 

「ああ、すまない。女性に体重を聞くのは失礼だったか」

「い、いえ。別に気にしてませんから」

 

 腕の中に納まる少女は、だいぶはっきりと受け答えることができるくらいになった。アンデッドやモンスターに追われる心配がなくなった上、乗騎のもとまで楽な姿勢でいられるのだから、少しは心に余裕ができているのかもしれない。

 ……もっとも、だからこそ懸念すべきことがある。

 少女とのおしゃべりを間近で行う内に、カワウソは奇妙な違和感を覚え始めた。

 彼女の唇の動きと、出てくる言葉が噛みあっていないことに、ようやく気付いたのである。

 

「ヴェルは、翻訳魔法を使っているのか?」

 

 翻訳魔法は、ユグドラシルでは割とポピュラーな魔法だ。

 人間種や亜人種、そして異形種などの多種多様な存在が生存するゲーム世界において、未知のフィールドには謎が(ひし)めいていたもの。北欧神話に基づき、主要なワールドだけでも九つに区分され、そのワールド内だけでも異様な数の言語が存在していた。

 初心者の赴く「はじまりの地」でこそ各種種族の共通言語(まぁ日本語だ)で遣り取りされ、そこから未開の地やワールドの奥に至るほど、種族別の文明や法則が根差していた。人間語にエルフ語、ドワーフ語にオーク語、ゴブリン語にトロール語、巨人語、ドラゴン語、精霊言語や機械言語などが存在していた。加えて、種族別だけでなく、天界言語や暗黒言語などという宗教的文化的特性を帯びた設定の魔法関連言語まで存在していたほどだ。プレイヤーたちは種族の特性やアイテム、あるいは各種スキルや魔法の力で、そういう各種言語の違いを解消することは必須知識であった。でなければ、翻訳魔法なんてものが存在するはずもないし、翻訳専用に特化した眼鏡なども流通するわけがない。

 ここが異世界であるとするならば、カワウソがヴェル・セークという現地人の少女と問題なく意思疎通が可能な理由は、翻訳魔法の恩恵以外に考えられない。

 だが、少女は首を横に振るのみ。

 

「いいえ。私は姉さんと違って、そういう魔法の才能はまったく」

「……そうか」

 

 であるならば、カワウソが言語を翻訳しているのかというと、これはない。

 天使が習熟できる言語は、共通語(日本語)を含め、人間語と天界言語の四つのみ。堕天使であれば、これらに加えて暗黒言語にも通じるはずだが、カワウソは信仰系上位職業ばかり取得している関係上、習熟度はさほどでもない程度。いわば、日本人が英語の気軽な挨拶が解せるレベル。

 いずれにせよ、本当の――ゲームなどではない――異世界の言語など、熟達しているはずもない。それ専用の、翻訳魔法の効果を発揮するアイテムというのも未使用かつ未装備な状態である。翻訳魔法が効果を発揮するのも、そもそも怪しい状況ではあるが。

 

「あの、翻訳魔法が、どうしました?」

「……おまえは、俺の言葉が解るんだよな?」

 

 何故、今更そんなことを?

 そう言いたげに首を傾ける少女に、カワウソは自分の唇を見つめさせ、言葉を繰り返すよう頼む。

 

「こんにちは」

「こんにちは?」

「ハロー」

「ハロオ?」

「グーテンターク」

「グーテンタアク?」

「……ふむ」

 

 どうにも、ヴェルはカワウソが(いだ)いているような違和感とは無縁なようだ。

 単純に少女の理解力が(つたな)いのか、あるいはそういう法則や何かが働いているのか。多分だが後者だろう。簡単な挨拶ではあるが、日本語以外の「こんにちは(ハロー)」を「こんにちは」と訳さずに返せるということは、そういうことなのだろうと思われる。

 いずれにせよ、この世界は翻訳コンニャクを食べている(・・・・・・・・・・・・・)――そう確信するしかない。一体、誰が食べさせた? まさか、アインズ・ウール・ゴウン……魔導王という存在が、だろうか?

 魔法が使えて、特殊技術(スキル)も使えて、アイテムも使える上、モンスターが跋扈(ばっこ)する世界であれば、なるほどこれくらいのことができても不思議ではない。

 何しろ、この世界を治めるのは、あのアインズ・ウール・ゴウン。世界級(ワールド)アイテム保有数だけに着目しても、文字通り桁違いの存在であったのだ。これくらいの超常現象を引き起こしても、不思議ではないのではあるまいか。

 

「あ、止まって」

 

 駆け続けるカワウソをヴェルが声を引き留めた場所は、大きな岩陰だ。ここで一旦小休止をしたという。

 

「えと、次はあっちです」

 

 追跡をまこうと必死だったのだろう、ヴェルは小休止ごとにジグザグな軌道を描くように森を駆けまわっていたようだ。森というフィールドを考えれば、一直線に逃げ果せることは不可能な立地であり、自称飛竜騎兵という少女のレベル構成が、こういった森を走破することを想定した職種でないことは、容易に想像がつく。身に着けた鎧や武装なども、カワウソの基準に照らせば高い価値を持っていないことは明白であった。

 

「あ、あの岩山」

 

 しばらく走ると、少女がまた指を差す。

 ヴェルの告げる目印……大地から生えた牙のごとき岩塊めがけ、カワウソは跳んだ。

 そうして、カワウソたちは森を北上し続けた結果、湖を見張らせる岩山に到達する。

 

「お……おお」

 

 眼下の光景は、まるで一幅(いっぷく)絵画(かいが)だ。

 風の手に撫でられる深緑の絨毯が太陽の光に燦然と輝き、翡翠色の波濤を無数に描く。三日月状のように湾曲する湖にも、風の踊り子が無数に舞い降りて水面を煌かせている。草原を這う黒い線のように見えるものは、街道だろうか。地平線の先にまで幾つも丘陵や草原が見渡せ、稜線を描く山々が実に雄大である。

 動く風景画という方がしっくりくるような美しさだ。

 現実のものとは思えないくらい、カワウソはその自然の姿に圧倒される。

 

「――――――さん」

「え?」

「ああ、何でもない。……それより、ヴェルの飛竜は?」

「えと……このあたりです。この岩山近くの森に……」

「カワウソ様、あそこを」

 

 二人の背後に追随していたミカの指摘に、カワウソとヴェルは森の一角、ちょうど岩山の(ふもと)に近いあたりを望んだ。そこだけ微妙に森が開けているような空白がある。不自然に折れ曲がった樹々の姿は、大質量が空から降ってきたことの証左だろう。

 

「あそこです!」

 

 ヴェルが快哉に近い声を吐いた。

 カワウソはすぐさま森の空白めがけ跳躍する。

 空白地点に降り立つや否や、ヴェルは相棒の名を叫び、カワウソの腕から飛び降りる。

 

「ラベンダ!」

 

 名を告げて……そして、固まる。

 カワウソも、次の行動に移せない。

 ヴェルの相棒は、隠蔽の魔法――不可視化するマントによって隠れていると聞いた。傷から漂う血の臭いなども、アイテムで周到に封じているので心配はいらないとも。

 なのに、その飛竜(ワイバーン)をカワウソたちは、完全に視界の中に納めていた。これはおかしい。カワウソは看破系の魔法を発動していなかった。隠伏に失敗した可能性を誰もが想起する。

 森の木々に同化する(みどり)色の竜鱗。数多く存在する竜の中では小柄な飛竜は、その体躯はレーシングカーを思わせるほどシャープであると印象付けられるが、実にがっしりとしている。翼と前肢が結合しており、しかし、鋭利に閃く爪とともに広げた翼の長さは、六メートル以上にもなる巨大さだ。飛行中の姿勢制御に使われる尾は長く鋭い。その一振りだけで岩を砕くことも容易だろう。それなりに長い鎌首に支えられた頭部には、爬虫類然とした造形の中に、角のようにも思える骨格の隆起が見て取れて精悍(せいかん)である。鰐のように鋭い牙列(がれつ)と、虎のように強力な顎力で、獲物を噛み千切る様子が目に浮かぶかのようだ。

 そんな強力なモンスターが、傷を負い、大地に突っ伏していると聞かされた。

 

「……クァ?」

 

 だが、その飛竜は、まったくもって健在である。

 腹と翼に負った傷というのも……見当たらない。

 

「ラベンダ!」

 

 ヴェルは喜びとは全く違う――むしろ悲嘆にも似た驚愕の声で、相棒を呼ぶ。

 カワウソも、そしてミカも、警戒から剣を抜いていた。

 少女の乗騎――飛竜の傍に、何者かが、いる。

 

「あんた、……何者だ?」

 

 カワウソの静かな問いかけに、その人は飛竜の伸ばした翼に手を当てる作業を中断する。

 

「あ、すいません」

 

 答えた声は(すず)()を思わせるほど心地よい。

 白金に輝く長髪を肩の辺りで簡単にひとつに結った人物は、男物と思しき漆黒の修道服を着込みつつ、しかし、豊かな女性の特徴を胸に秘めていると容易に知れた。女として完成された男装の麗人が、猛禽(もうきん)のように鋭い視線を優しく(ほころ)ばせ、あっという間に愛嬌を満載した笑みを差し向けてくるのは、怖いほどに美しかった。

 

(わたくし)の名は、マルコ」

 

 己の名を誇らしげに告げる女は、威風堂々、カワウソたちに向き直る。

 

 

 

「マルコ・チャンといいます。以後、よしなに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 よっしゃああああああああああああ!!
 二期製作決定おめでとうございます!!

 やったあああああああああああああ!!

 ザリュースが見れるぞおおおおおお!!
 蒼の薔薇も動いて喋るんだああああ!!

 ……早く見たいです


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放浪者

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.02

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラベンダという飛竜(ワイバーン)は、確かに重傷を負っていた。

 魔導国の誇る空軍──聞いた感じ、上位アンデッドである“蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)”と思われる──部隊が一度追撃に加わった折に、かなりのダメージを(こうむ)っていた。ヴェルが語るところによると、そいつらは括りつけていた死の騎士(デス・ナイト)たちを地上に降下させて、そこで帰還したという。

 装備されていた(くら)(あぶみ)、鎧の留め金部分が飛散し、竜の硬い鱗も血飛沫と共に舞い散らせた。そうして手痛い一撃を加えられた結果、ヴェルとラベンダは一日に“二度目”となる墜落を経験してしまい、墜落の衝撃によって飛竜の命ともいえる翼が折れ破ける傷を負うに至ったのである。

 騎手であるヴェルが無事に済んだのは、ラベンダに守られていたところが大きい。

 故にこそ、助けられたヴェルは、背中と翼に傷を負い行動不能に陥ったラベンダを残し隠れさせ、地上部隊の追撃を一身にうけおったのだ。

 

「クアー」

 

 そんな危機的状況にあったとは思えないくらい間延びした声をあげる飛竜を、救った人物がいる。

 

「はいはい。もう大丈夫ですよ?」

 

 飛竜の傷ひとつなくなった翼を撫でる、白金の髪の乙女だ。

 彼女が、ラベンダの傷を癒したのである。

 マルコ・チャンは、彼女自らの言うところを信じれば、旅の修道僧……もとい修道女なのだという。

 野山や荒地を流離(さすら)い、その地に住まう村落や孤民を訪れ、疲れている者、傷ついている者、病に苦しむ者を自由に治癒することを目的とする、ただの“放浪者”なのだと。男装については、女だてらに放浪の旅を続けている関係で……ということではないらしい。

 理由を聞くと「宗教上の理由で」としか答えてもらえなかったので、とりあえずカワウソは納得するしかない。宗教の話はあまり深く首を突っ込むのは(はばか)られるほど、現実世界でも微妙な問題なのだから。

 

「あなた方も、旅の方なのでしょうか?」

「まぁ……そんなところだ」

 

 問われたカワウソは、剣をしまいつつもひとまず頷いてみせた。

 敵意を見せない相手に武器をちらつかせ続けるのは良くないと判断し、ミカにも剣を鞘に戻させる。

 自分達とは関係ないヴェルについては少し迷ったが、「この先の森で“偶然”遭遇した」だけの“行きずり”でしかないと言い含めておくことに。

 マルコの鋭い視線がカワウソとミカ……二人の鎧姿と頭上の輪っかを注視するが、また愛嬌のある微笑みを浮かべてくる。

 

「なるほど。わかりました」

「今度はこっちが質問していいか?」

「ええ。もちろん」

「あんたは……何故、ここに?」

 

 男装の麗人・マルコは、自分がこの場──墜落した飛竜の傍にいる理由を、簡潔に述べていく。

 

「この近くの街道を通っていたら、この()の苦しそうな声が聞こえてきたので」

「クァ!」

 

 重傷を負っていたという騎乗者であるヴェルの発言が信じられないくらい、そこにいる飛竜は健在であった。少女と再会できたことで、声にはさらに明るさ気軽さが乗っているとわかるほど、竜の吠える様は安穏(あんのん)としている。主人……というよりも「相棒」であるヴェルは、ほとんど半泣きになりつつも、ラベンダの顔を掴んで、額と額をこすりつけあわせて「よかった!」と呟き続けている。その様は、少女の愛情の深さを存分に物語っていて、カワウソは何とも言えない。

 

「……それで、今ここで治癒を行っていた、と」

 

 カワウソは呆れたように納得した。彼女の旅の目的を聞けば、なるほど森で重傷を負っていた獣に治療を施し、救いの手を差し伸べるというのはあり得る話ではないだろうか。

 不可視化の装備というのは、より上位の「不可知化」とは違い、着用者の鼓動や発声を消す効果はない。相応の魔法や特殊技術(スキル)で容易に看破することは可能であり、察知能力に秀でた高レベルの戦士職でも、気づく者はあっさり気付くことは可能だ。反面、低レベルな存在から隠れるのには十分な性能でもあるので、雑魚モンスターと遭遇(エンカウント)したくないプレイヤーには重宝された魔法である。

 

 ……つまり、目の前にいるマルコ・チャンという乙女は、雑魚アンデッドとは比べようもない、それなりの強さを誇っているということ、か。

 

 見た印象としては、少なくともヴェルの二倍くらいのレベルは保持していてもおかしくない感じである。身に着ける装備の衣服も、黒地の内に細かく施された白銀の刺繍が鮮やかだ。刺繍は自己主張の激しいものではなく、あくまで黒い聖衣を引き立てる役目程度にしか目に飛び込んでこず、わずかに朝の光を受けて宝石のように艶めくばかり。粗製乱造品ではいかないような(たくみ)の手の存在を、その聖衣から感じずにはいられなかった。

 少なくともユグドラシルにおいては、こめられるデータ量に応じて装備品の強弱がはっきり分かれ、そのデータ量というのは当然のごとく、見た目(グラフィック)にも影響を及ぼすものであることが多い。子供の落書きと芸術家の手による点描画を比べれば、どちらがより多くの労力を込められて創り上げられたのかは、歴然としているのと同じである。

 だからこそ、気にかかる。

 

「マルコも、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の民、なんだな?」

 

 問われた乙女は嬉しげにも見える笑顔で「もちろん」と応じる。

 

「この統一大陸において、魔導王陛下が誇る魔導国が建国されてより、まもなく100年の節目に立ちます。この地に住まう、あまねくすべては、偉大にして至高なるアインズ・ウール・ゴウン様の所有物なのです」

 

 まるで福音を紡ぐ聖者のように、マルコは笑みを輝かせた。

 

「……それが、何か?」

 

 そんな修道女の言葉が、思いの外、堕天使の中心を(さむ)からしめる。

 この大地のすべてが、この世界の何もかもが、あの『アインズ・ウール・ゴウン』の所有物。

 告げられた事実を前にして、カワウソは心の底から恐怖を(いだ)いた。

 自らを誰かの所有物と言わしめる乙女の笑みは、本当に、眩しい。

 眩しすぎて、だから、恐ろしい。

 どうして、カワウソはこんな世界にやってきたのか。

 どうして、自分はこんな世界に、────どうして。

 

「カワウソ様」

 

 絶え間ない不安と懊悩と混沌の渦に飛び込みかける精神を、誰かの手によって掴み戻される。

 ミカの冷たい眼光が、振り返った主の視線を受け止めていた。

 カワウソは、とりあえず唇を開いて、告げるしかない。

 

「……大、丈夫、だ」

 

 主人の声は弱々しく震えていたが、ミカは納得したように視線を落としてくれる。

 

「…………」

 

 カワウソは、彼女(ミカ)の手の感覚が肩から離れるのを、黙って見つめてしまう。

 

「あ、あの」

 

 そんな二人のやりとりなど知らぬ様子で、一人の少女があらたまって、白黒の修道女に声をかける。

 

「本当に、ありがとうございます。マルコさん」

 

 半泣きだった目元を(ぬぐ)って、ヴェルが相棒(ラベンダ)の命の恩人に頭を下げる。飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)にとって、相棒の飛竜(ワイバーン)は家族も同然。幼少期より苦楽を共にしてきていたという飛竜の危機的状況を、目の前の女性がいち早く救ってくれたというのだから、礼を言うのは当然ですらある。自分を直接救ってくれたカワウソたちと同量の感謝を紡ぐことは、むしろ必然と言えるだろう。

 

「感謝されるほどのことでは」

 

 白金の髪の乙女は、ヴェルの感謝を柔らかく受け流す。

 代わりに、マルコは飛竜(ワイバーン)が着用していたマントを、元の持ち主に返した。どう考えても少女の体躯を覆う程度の面積しかない装備であるが、魔法のアイテムというのは装備者の体躯次第でサイズ変更は容易である。これはユグドラシルでもそうだった。

 ただ…………人間種の装備品を、騎乗モンスターの飛竜に装備させるというのは、実在したかどうか判然としない。

 多分だが、ありえないことだったはずだ。

 飛竜は一応、モンスターの一種。装備することが可能な装備というのも、騎乗系統専門のもの数点に限られていたはず。手綱(たづな)(くら)を人間が普通装備しないのと同じように、飛竜というモンスターは人間のもつ剣や盾を装備できない。マントなのだから被って隠れる程度は出来てもよさそうなものだが、そういうシステムだったはずなのだ。

 受け取ったマントを肩に羽織って、ヴェルはひとつの懸念を言葉にする。

 

「ラベンダは、もう大丈夫なんですよね?」

 

 飛竜であるラベンダは、マルコの回復手段──気功というらしい──によりほぼ全快にまで治癒されたようだが、問われた修道女が言うには、あまり無理はさせない方がいいという。

 

「じゃあ、長くは飛べませんか」

「ええ。私の気功は、あくまで一時しのぎ。ちゃんとした神官か、治癒薬を使った方が得策でしょう」

 

 その声を聞いたカワウソは、一瞬だが、自分の保有するアイテムを、次に背後に控える女天使を意識する。

 ミカの保持する熾天使(セラフィム)特殊技術(スキル)を使えば治療は容易だろうし、カワウソの保持している治癒薬(ポーション)を使う手もある。

 

 だが、使わない方がいいと判断した。

 

 確かにミカの保有する治癒手段──常時発動(パッシブ)特殊技術(スキル)正の接触(ポジティブ・タッチ)”や“希望のオーラⅤ”などは、使用回数に関してはユグドラシルのゲームシステム上、ほぼ無制限だった。

 発動者である自己を含まない任意の特定対象との「接触時間」分の回復(ヒーリング)効果をもたらす“正の接触(ポジティブ・タッチ)”や、一定の効果範囲に存在する任意の対象や全員(これまた発動者本人は一切含まない)に回復や蘇生の恩恵を授ける“希望のオーラ”系統Ⅰ~Ⅴの特殊技術(スキル)であれば、この世界の傷病者を癒すのに覿面(てきめん)な効力を発揮するやも知れない。ちなみに、この回復効果というのは、一定の種族──存在が”負”に傾くアンデッドモンスターへは”浄化”……特効攻撃と化すため、回復ではなくボーナスダメージを与えることは、あまりにも有名な話だ。

 だが、この異世界でも変わらず無制限に使用できる保証はないし、これから先、未知の敵や事故にあって、いざという時に「使用回数を超えました」なんて事態に陥ったら、たまったものじゃない。同じ理由で、カワウソが無数に保有するアイテムも、使用は控えておいた方がいいだろう。拠点で生産することも一応可能だが、それも材料と金貨が尽きたら、打ち止めだ。もしもこれらアイテムが、この大陸で入手不可な代物であるのなら、やはり危機的状況で枯渇させたくはない。

 ちなみに、カワウソは聖騎士などの信仰系職業を取得している関係上、神官などの扱う治癒魔法や復活魔法も習得してしかるべき──というか、信仰系魔法詠唱者では最高位の職を「二つ」も取得済みだが、残念ながら「堕天使」という種族は、治癒や復活の力を振るえない設定もとい特性まであるため、扱うことは出来ない。カワウソが扱う信仰系魔法は、ほぼすべて直接戦闘や強化補助に用いるものばかりという具合に限定されている。熾天使の治癒回復特殊技術(スキル)も、堕天使は使用不可能であるわけだ。

 

 そして、何より……カワウソは、アインズ・ウール・ゴウン──魔導国の民だという彼女らに対し、複雑な心境を抱いていたことも、関係がないとは言いきれなかった。

 

 アインズ・ウール・ゴウン。

 

 その単語を(いただ)く存在──国家、政府、君主……魔導王という存在──を、信奉し隷従(れいじゅう)する立場にある国民。

 これは一体、どういう冗談なのだ?

 やはりここはユグドラシルで、ユグドラシルはサービス終了からたった二日で、アインズ・ウール・ゴウンのものになりましたとでも言うのか? ユグドラシル末期ということで、上位ランキングから陥落していた存在が? 一人を除き、主要メンバーのINがまるで確認されていなかった、ユグドラシル末期のギルドにありがちな最期を迎えていた彼らが?

 この世界がユグドラシルでないという推測と、この世界はユグドラシルなのではという疑念が、真正面からぶつかり合う。

 だが、ゲームでは実現不可能な五感などの現実感や、現状におけるダイブ技術を超越した現象、NPCたちの挙動の自然さ精巧さなどを考えれば、まだ異世界転移の方が可能性としては大きいと判断すべきだろう。ここがゲームだとするならば、ヴェル・セークやマルコ・チャンも、異様なまでに人間然としすぎている。彼女らが生きた表情を見せ、己の判断で行動している以上、純粋な異世界人という認識の方が、収まりがよいはずなのだ。

 では、……どうしてユグドラシルの十大ギルドに名を連ねた、伝説のアインズ・ウール・ゴウンが、ここに?

 ユグドラシルでないというのなら、何故ユグドラシルの法則が通用する?

 そもそも何故ユグドラシルのギルドが、この世界に?

 建国から100年近い歴史とは、一体どういうことだ?

 わけがわからない。

 考えすぎて眩暈(めまい)がしてしまう。

 

「カワウソ様?」

「何でもない」

 

 かすかに主の様子を懸念してくるミカに、カワウソは首を振ってみせた。

 思考の渦は、カワウソの精神を容易に疲弊させる。自分の内側より生じるバッドステータスは、外部からの影響によってのみ反応するだけのユグドラシル装備では対処不可能な状況だと、これまでの経緯で知悉(ちしつ)している。それこそ、サービス終了直後の転移初日に、ミカたちの挙動に恐慌してしまったように。

 とにかく、無駄に状態異常に陥る可能性は低くせねば。

 

「飛竜に乗れないなら、どうする? 誰か、近くの街や都市から救援を呼ぶのか? それとも、やっぱり〈伝言(メッセージ)〉でも飛ばすのか?」

「それもいいですが、あいにくここは、スレイン平野の近くです。この“沈黙の森”周辺は空白地帯ですので、一般用の〈伝言(メッセージ)〉の受信範囲には含まれません」

 

 沈黙の森?

 空白地帯?

 カワウソが疑問符を浮かべる様に頷き、マルコは朗々とした調べで説明してみせる。

 

「旅の方。……たしか、カワウソ様、でしたか? アインズ様の築いた魔導国において、あのスレイン平野は禁忌の地。かつて、至高の御方の大切な守護者様に大罪を働きし者共の土地であるため、〈伝言(メッセージ)〉の送受信を司るアンデッド、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の通信管理官も派遣されておりません」

 

 禁忌とか大罪とかの単語が気にかかる中、カワウソは〈伝言(メッセージ)〉の情報について、とりあえず聞き返す。

 

「アンデッド、の……通信、管理官?」

「魔導王陛下の創造されたアンデッドたちによる、〈伝言(メッセージ)〉供給網を担う存在です。ただの人間の魔法詠唱者(マジックキャスター)であれば、背信や裏切りによって虚偽情報を流布(るふ)されることもある〈伝言(メッセージ)〉ですが、アインズ様に忠実なアンデッドであれば、そのような心配は無用となりますから」

 

 聞いていく内に、この世界──というか魔導国では、アンデッドは単純な「兵隊」であると同時に、現実世界でいうところの「機械」の役割を(にな)っていることが解った。

伝言(メッセージ)〉を使えるアンデッドを通信道具や公衆電話の代替(またはそのもの)という具合に取り扱っているのだと。聞いた限りだと、大陸全土で総数万単位の〈伝言(メッセージ)〉専用アンデッドがそこここに常駐し、場合によって大陸の東端から西端までを結ぶこともできるとか。

 ただし、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は、そこまで(・・・・)強いレベルではないので、数を揃え、それらを大陸中に派遣することで〈伝言(メッセージ)〉を送受信する大陸の通信網を確立しているのだと。

 まるで通信端末の電波塔(アンテナ)じゃないか。

 おまけに個人端末のように、〈伝言(メッセージ)〉や〈画面(モニター)〉に特化改良された小動物の(レッサー)骸骨(スケルトン)も併用しているというのだから、まさにそうなのだろう。

 

 だが、カワウソは疑問を覚える。

 

 大量のアンデッドを作成、使役しているらしいが、ユグドラシルでは百を超える召喚モンスターや傭兵NPCを完全に統率することは不可能な技術だった。万単位なんて途方もない。それは大量召喚の超位魔法か、世界級(ワールド)アイテムで引き起こした場合くらいでしかありえないはず。否、カワウソが知らないだけで、そういう魔法や技術もあったのかもしれないが、Wiki情報だとプレイヤー一人で操作できるNPCは、せいぜいが二、三体程度だ。一日で作成や召喚が可能な数は、二桁に届くことも珍しくないが、はっきり言って、NPCの完全操作は余程の猛者(もさ)でなければ、十全に行使することは不可能だ。

 考えてみれば当然である。

 プレイヤーは戦闘において、自分のキャラクターを操作するのに必死で手一杯という状況が普通なのに、自分が操作すべき対象が一つ二つ、三つ四つと重なっては、脳がパンクしてしまう。二桁を同時操作するなど、まさに超人の領域だ。NPCの行動を最適化するコマンドプログラムを組めば話は違うのかもしれないが、それでも、縦横無尽にフィールドを駆る敵プレイヤーに追随できるはずもない。ユグドラシルで召喚や作成されたNPCというのは、ただの壁役か、さもなければ魔法や特殊技術の生贄にする存在――もしくは、一時的な大量投入によって敵陣営を蹂躙させるだけの、ただの事象でしかない。そのはずだった。

 だが、この世界においてアインズ・ウール・ゴウンは、アンデッドモンスターを万単位で量産し、それらをすべて完全支配下に置いているという。

 しかも、時間制限などは無視して。

 おまけにどういう技法でかは完全に理解を超えるが、それらを警邏や行政や通信装置……場合によっては、農作業や開墾に従事する屯田兵や、単純工作や鉱山掘削などの労働力として派遣しているとのこと。

 

 ……どうやって?

 

 無論、ユグドラシルの単純なアンデッドモンスターに、そんな自由度は存在しなかった。そういった職人系とかの作業は、それ専門に特化した種族や、職業(クラス)スキルなどによってのみ行える仕様だった、はず。骸骨(スケルトン)農夫(ファーマー)とか、死の騎士(デス・ナイト)警邏(ポリスマン)なんて、聞いたことがない。行政官とか工場作業員など、論外だ。

 

 どのようなカラクリによって、そんなことが可能なのか。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの保有する世界級(ワールド)アイテムの力?

 さもなければ、この世界独自の法則や魔法という線も、十分にありえるのだろうか?

 

「あの」

 

 疑問に拘泥(こうでい)しそうになる青年の耳を、少女の声音がかすかに引っ張る。

 

「でしたら。ラベンダはとりあえず歩かせて、近くの都市に、向かいませんか?」

 

 飛竜を完全に回復させるためには、専用のアイテムを購入するか、さもなければ神官のいる「治療院」の手を借りるしかない以上、ヴェルの提案は理に適っていた。

 

「歩かせて……って、大丈夫なのか?」

飛竜(ワイバーン)は空を飛ぶことに最適化したモンスターですが、一応、竜の脚力もあるので問題ないのでは?」

 

 マルコが訳知り顔で、(みどり)の竜の顎を撫でると、“彼女”は機嫌よさそうに喉を鳴らした。催促するかのように、ラベンダは鼻先を微笑むマルコの頬にこすりつける。命の恩人に対しての信愛……以上の(えにし)でもあるかの如く、マルコとラベンダは打ち解けてしまっていた。その様子は、「主人」ではなく「相棒」のはずのヴェルが不可思議に思うほどですらある。

 飛竜は同族以外、己の騎手となる相棒以外には、滅多に心を開かないはずなのに。

 

「では、行きましょう。この()も、大丈夫と言っていますし」

「クルー」

 

 かわいらしく吠える飛竜は、相棒の少女を救ったカワウソへ向け、アピールするように翼を広げた。

 

「そうだ、な…………とりあえず行ってみるか」

「──カワウソ様」

 

 あまりにも軽薄な相槌(あいづち)に見えたのか、カワウソの背後でミカが僅かに抗議する。

 小さく潜めた会話は当然、他の二人と一匹には聞こえない位置で行われた。

 

「その──よろしいのでありますか?」

「……ここで唐突に別れても、怪しまれるだけだ。それに、こいつらについていけば、“都市”とやらの情報が手に入る」

 

 ここで彼女らと別れた後、戦力を整えて、秘密裏に、都市とやらに偵察に向かえば、いかにも安全そうでは、ある。

 しかし、その内実や環境を外から眺めるだけでいるのと、マルコたちという案内人を伴って詳細を語ってもらうのとでは、得られる情報量というのは段違いなはず。少なくとも、カワウソは都市の人間に強制的に魔法などを使って聞き出すなんてことはしたくない。アインズ・ウール・ゴウンの国民だからという理由だけで、乱暴してやるつもりはさらさらないのだ。……こちらから善意を振り撒くのもアレだが。

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の、都市。

 

 都市というからには、そこには大量の人がいるはずだ。

 ヴェルとマルコの話を聞く限り、死人だけで構築された「死都」ということはないのだろう。たぶん。

 この世界の生活水準がどのようなものか、どれほどの魔法や文明が根付いた場所なのか──アインズ・ウール・ゴウンが統治する国がどんなものであるのか──カワウソは知りたかった。

 否、知らねばならない。

 この大陸で、この世界で、なんとか生きていくためにも。

 ミカは観念して顎を引く。彼女なりの了解という合図だった。

 

「あの、ごめんなさい。誰か、(くら)つけるのを、手伝ってくれません?」

 

 飛竜の装備……持たせていた荷物入れから、予備の革帯を取り出したヴェルが鞍を竜の背に(くく)りつけようとしている。森を抜けるにはラベンダの巨体は不向きだ。一度は空を飛ばねばならず、空を飛ぶ以上、装具を壊したままでは荷が飛散するのは必至。

 マルコが承知の声を奏でるのに続いて、カワウソも作業に加わるべく足を向けた。

 ゲームでは装備品など、アイコンのワンクリックや画面のスライドで済むのに、現実だとそうもいかない。この世界で装備を身に着けるのは、魔法でも使わない限り、本当に面倒なのだ。カワウソもそれは自室や風呂場で散々経験している。

 カワウソはヴェルの隣で左側、反対側である右側にミカとマルコとが並んで、皮製のバックルや留め金を装着させていく。

 ──だから、反対側でひそかに交わされた遣り取りを、カワウソは知らない。

 

「随分と、お詳しいのでありますね?」

 

 ミカの、鋼を思わせる語気が、マルコの耳に注がれる。

 疑念を抱かれたと判る声音を浴びながら、白金の乙女は気軽に応じる。

 

「この程度の知識は、魔導国の“一等臣民”などであれば、必須ですので」

 

 柔らかい微笑み。

 ミカはとりあえず視線を伏せて、作業を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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街道

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.03

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鞍の装着を終えた飛竜(ワイバーン)のラベンダを連れて、カワウソたち四人は、森から街道のある北を目指した。飛竜にまたがり飛行するヴェルは、確かに騎兵としての技量に恵まれている。彼女の言が(かた)りでないと解ると同時に、彼女のような強さ……低いレベルの人間が、飛竜に乗れる事実が不可思議でならない。この世界の住人はレベルの概念なく飛竜に乗れるのかと思ったが、ヴェルやマルコの話を聞く限り、飛竜に乗れるのは飛竜騎兵だけで、魔導国最強と謳われる上位アンデッドの航空騎“蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)”ですらも、生きた飛竜に騎乗することは不可能なのだとか。蒼い馬に騎乗する禍々しい騎士たちの強さ(レベル)なら、乗れなくはない気もするのだが、カワウソはそこで考えを保留しておく。深く考えるだけで頭が疲れてしまうから。

 鞍にはヴェルの他にマルコが同乗し、カワウソとミカは地上を走る。

 

「ちょっと、乗りたかったな……」

 

 飛竜は主人以外のものを背に乗せたがらない(マルコはなぜか例外なようだ)上、ラベンダは負傷していた身。あまり大人数を運ぶことは控えるべきだと判断された結果である。彼女たちの騎影を追うと、程なくして、草原を望む街道に抜け出した。

 三叉路が北と東と西に分かれており、その行く先は杳として知れない。矢印のような看板が目に飛び込んできたが、それはカワウソには未知の言語で、どんなことが記されているのか理解できない。翻訳魔法の眼鏡や巻物を拠点に残してきたことが、心底悔やまれる。

 

「マアト。この文字、おまえなら読めるか?」

『しょ、少々お待ちを』

 

 翻訳魔法にも長じているマアトに、監視越しの解析を頼んでみるが、未知の言語と言うことで時間がかかるらしい。彼女に装備させている眼鏡――情報魔法系統の防衛装置を今は外させるわけにもいかないため、解析出来次第連絡するよう命じておくだけにしておく。

 

「ミカ……おまえは読めるか?」

「読めるわけがないでしょう?」

 

 毒舌を送るミカもまた、看板に施された言語を理解できない。会話が翻訳されているのなら、文章だって翻訳されてもいい気がするのだが、この両者の違いとは何なのだろう。

 

『カ、カワウソ様。ヴェルさんとラベンダさん、あとマルコさんのレベル推定も算出しましょう、か?』

「ん……そうだな、頼む。あと、俺が森に残した避難所(シェルター)付近に、ガブとアプサラスを派遣してくれ。壊れた森を隠蔽、ないしは修復するように伝えてほしい」

『か、かしこまりました。あの、引き続き、マッピングも続けます、が?』

 

 脳内に響く巫女の声に、カワウソは短く「頼む」とだけ答えを返す。

 看板と睨めっこをしつつ頷いた男の背後に、飛竜に乗った二人が降り立ったのだ。

 この会話を聞かれるのはマズい。ミカと会話をしているか、さもなくば独り言を言っているのだとしても、文字が読める読めないなどの会話というのは、かなり珍奇な印象を与えて然るべき内容に違いない。

 空を二、三キロほど飛翔した竜は、傷の開く様子もなく、問題なさそうに翼を(たた)む。振り返った時、飛竜騎兵と修道女がほぼ同時に竜の背から飛び降りていた。

 

「一番近い街……都市は、ここから北にあります」

 

 マルコの柔らかな声が注がれる。

 カワウソに近づいてきた修道女が、看板の一つを使って示した方向は、ほぼ北の方角である。

 この辺りは、マアトの作成した地図のはるか北側。

 カワウソたちは、さらに北上することを余儀なくされるわけだ。

 足甲で踏みしめる街道は、黒い鉱石を思わせるアスファルトかコンクリートのようなもので舗装され、しかも幅は飛竜が二体ならんでも通れそうなほどに広い。よく目を凝らすと、何かの紋様が路面に小さく細かく浮かび上がっていて、何かの魔法的な細工が施されているのかも知れなかった。

 

「……あれは?」

 

 ミカが驚くほど低い声を奏でるので、カワウソは視線をあげざるを得ない。

 見ると、街道の向こう──三叉路の一方向から、こちらに向かって走ってくる車体が見て取れた。

 

「うっ……」

 

 カワウソは思わず声が上がりそうになるのを、ぐっとこらえる。

 あまりにも驚くべきものが、四輪駆動の箱を牽引(けんいん)していた。

 こちらに向かってくる馬車の列──馬車というべきか(はなは)だ疑問だ。何しろ馬は魂喰らい(ソウルイーター)首無し馬(デュラハン・ホース)鉄馬の動像(アイアンホース・ゴーレム)ばかりで、生きた馬はいなかった──は、死の騎兵(デス・キャバリエ)……中位アンデッドの御者などによって、街道を整然とした調子で走行している。

 

「どうかされましたか?」

「いや……」

 

 マルコに首を傾げられ、何とか警戒心を剥き出しにしそうな自分を取り繕う。ミカの表情もだいぶ峻烈に研ぎ澄まされていたが、こちらからいきなり先制して襲い掛かることはしなかった。事前に、この大陸にはアインズ・ウール・ゴウンの創造したアンデッドが(ひし)めいていると聞かされていても、まさか一交通手段にまで使われていると、誰が予見できるだろうか。

 男装の修道女に先導され、カワウソたちは馬車たちとすれ違い、街道を進む。

 先頭をマルコが進み、その後ろにカワウソとヴェルが並んで続き、カワウソのすぐ後ろをミカがついてくる感じだ。ちょうど巨体のラベンダの左側に四人が並ぶ感じである。

 カワウソたちのように、徒歩で歩いている者も少なからずいた。彼らはヴェルと同じく、驚くほど装備の整ったものたちが多い。

 剣や刀を腰に()く者。槍や斧、弓矢を背中に(かつ)ぐ者。魔法使いのようなトンガリ帽子に杖、神官のような聖印を施した鎚矛(メイス)鎖棘鉄球(モーニングスター)など、様々な武装や防具で身を包んだものたちだ。性別も人種も、どころか種族や体格まで違いすぎるものたちばかり。

 少年が小鬼(ゴブリン)と共に談笑し、微笑む森妖精(エルフ)の乙女が豚鬼(オーク)の巨躯の肩に腰を下ろす徒党もあれば、蜥蜴の尾を持つ美女や獣耳を生やす青年が二人ずつ道を闊歩する中心で、キマイラに似た双頭の巨獣に据えられた輿に、悠然と騎乗した悪魔の角をもつ童女という集団もいた。

 

 まるで……というか、これは……ユグドラシルでよく見る光景だった。

 ただ、違うのは、彼らはゲームキャラではなく、本当に生きた存在であるという事実。

 

 そういう連中は一様に、首元に同じ規格の金属板が下げられていることで共通していたが、カワウソはそれが冒険者──アインズ・ウール・ゴウン魔導国で人気職に従事する者たち──の証明(プレート)だとは、知る(よし)もない。

 

「冒険者の方々がそんなに珍しいですか?」

 

 無自覚にじっと眺めてしまっていたのだろう、マルコにそう声をかけられてしまう。

 冒険者という単語に疑問を呟きそうになる自分を必死に抑える。カワウソはとりあえず、別方向の疑念を口にしてごまかしてみせた。

 

「いや……あいつらは何処に行くのか……気になっただけだ」

「あの方たちは、装備や進行方向から察するに、冒険都市に向かっていますね」

「冒険、都市?」

「冒険者の都です。そこでは各領域や都市にはないほど、難解かつ複雑なダンジョンが多数建造されており、上級冒険者たちの絶好のレベリングスポットとして著名な場所です。また冒険者専用の武器や防具、治癒薬(ポーション)などのマジックアイテムも数多く取り揃えられております。そこで年に一度だけ行われる闘技大会に、参加するものかと」

 

 なるほどと思った。

 ほとんどの馬車が進む方向も、おおむね冒険者たちと同じだったのは、その大会に参加する同業者か、あるいは観客などを満載しているというところか。そんなことを我知らず呟いていたらしいカワウソに、マルコは確かに頷きを返す。

 

「……あれ? じゃあ、連中は何で、馬車で移動しないんだ?」

 

 わざわざ徒歩で、自分の足で長距離を歩くなど、無闇に体力を消耗するだけでは?

 思わず疑問符が口を滑って出てしまったことに気づいたのは、マルコが丁寧に解説した途中からだ。

 

「いえいえ。むしろ、彼らは優秀であるからこそ、わざわざ金貨を支払ってまで馬車に乗る必要がないだけです。疲労無効のアイテムや、体力を自動回復させるアイテムを装備していれば、徒歩移動は大した労苦にはならず、おまけに節約に便利。街道自体にも〈早足(クィックマーチ)〉などの速度向上魔法の加護が付加されておりますし、いざとなれば、冒険者各々が各種魔法などで強化して、馬車には出せない速度で街道を走破することもできるという感じで──あ、ほら」

 

 指差すマルコの視線を追うと、向こう側から兎の耳を生やした少女と亀の甲羅を背負った少女が競うかのように街道を疾駆していく。その後ろからは、杖や水晶にまたがった魔法使い……人間の男と、人魚の女が、風の如く追随していった。誰の表情も真剣かつ愉快気な調子で、吠えまくる声は「小鬼(ゴブリン)亭の特上ランチは私んだぁ!」「させるかってのぉ!」「おーい、こっちの魔力も考えろ。ったく!」「みんなー、がんばれー!」などと、やかましくも仲睦まじい感じ。

 

 カワウソは思う。

 思い知らされる。

 

 どの顔にも、悲惨で暗澹(あんたん)たる色合いは窺い知れない。

 誰の表情にも、自分の置かれた立場や境遇に、不満の気配を(にじ)ませてはいない。

 

「そうか……」

 

 ここは──いい国──なのだな。

 呟きそうになる唇を、カワウソは必死に引き結んだ。

 隣に立つ少女の視線が、少しだけ、男の横顔を撫でてしまう。

 

「転移を使うものはいないのか?」

 

 少女の視線から逃れたい一心で、前を行くマルコに問いを投げてみた。

 

「魔導国において、確かに転移魔法を扱える魔法詠唱者も、それなりの数が存在します。ですが、長距離を一挙に、また大人数や大質量を伴っての転移は難しいのが現状ですから」

 

 聞いた瞬間、しまったと思った。

 カワウソは歪みそうになる表情を、何とか鉄面皮(てつめんぴ)で覆う。

 

 マルコの言う大人数かつ大質量の輸送運搬に使える転移の魔法と言えば、カワウソが常用している〈転移門(ゲート)〉の魔法くらいだろう。距離無限。転移失敗率0%。おまけに、ギルド攻略戦などの大人数が移動する上で、この魔法があるのとないのとでは大きな差が生じるほどに利便性に富んだ、最上級の転移魔法。それを神器級(ゴッズ)アイテムのおかげで、カワウソはほぼ無限に使用可能なのだ。

 

 だが、魔導国において、それほどの転移を行えるものは限られているという話。

 カワウソは静かに推測する。

 ありえる可能性は、二つ。

 一つは、この世界の住人は、高位階の魔法に習熟できないほど脆弱である可能性。

 もう一つは、高位階魔法を魔導国が故意的かつ意図的に占有独占している可能性。

 あるいは、この両方が同時に成立しているのだと思われる。

 

 しかし、ここでひとつ、それらとは違うレベルでどうしようもない問題発生に直面する。

 

 カワウソは、ヴェルに──現地人たる少女に、〈転移門(ゲート)〉を使うところを見せてしまった。隣にいる少女は自分がどんな魔法の影響を受けたか解っていない……解っていないからこそ、それをこの場では口にしないのだと考えられる。だが、少なくとも転移魔法を易々と使う存在だということは、あの状況下でも察しているだろう。だからこそ、少女はあんなに驚いていたのだなと、一人ごちる。

 自分の浅慮さ軽薄さが憎い。

 いずれにせよ、魔導国民(こいつら)の前で〈転移門(ゲート)〉を開くのは少しマズいということだ。

 今後は慎重に、人目を忍んで発動させるしかないだろう。

 ヴェルには、後で口裏を合わせてもらえるよう説得するか──いっそのこと。

 

「……チっ」

 

 己の内側から溢れる黒い思考に、カワウソは舌を打つしかない。

 自分は、何を、考えている。

 すぐ横にいる、年端もいかない少女を、どうしてこうもあっさり“切って捨てる”可能性を思索するのか。

 かつての自分は、ここまで冷淡な思考の持ち主ではなかった。こんなにも狡猾(こうかつ)で、卑小で、酷薄な思慮を抱くような人間ではなかったと自負している……そして、それは確かだ。

 

 …………まさか。

 

 他にも思い出してみれば、拠点内のPOPモンスターを標的にしようとしたことも、背後に追随する女天使を切り捨てる思考も、かつての自分にはありえないような冷淡さである。

 ひとつの懸念が、頭を貫くのを感じる。

 

 まさか──異形種の堕天使になった──から?

 

 そんな可能性が、すんなりとカワウソの脳内に解答を与える。

 堕天使とは、天使でありながらも、人々を嘲弄し、暴虐し、堕落させ、大罪を犯させることを無上の喜びとする悪魔に近い種族。天上にある頃は、地上にて堕落する人間たちの在り方を理解できず、何故そこまで堕落できるのか知りたい天使たちが地上に降臨した結果──いとも容易(たやす)く人間たちに感化され、欲得を覚え、私欲の限りを尽くし、あらゆる欲心に焦がれ、欲念に溺れ、そうして“堕天”した落伍者(らくごしゃ)の果ての姿。

 そう考えれば、今までのことも()に落ちることが多い。

 異形種のステータスとは別に、異様なほど重い疲労を覚える脳髄や精神。装備を外した時に味わった、とんでもない倦怠感と不安感。人間時代とは違いすぎる、思考回路の迷走。自分の仲間であるはずの天使たちに対しても、場合によっては薄情に過ぎる決断を容易に下すことができる、この現状。あまりにも暗く黒い──暴力の可能性。

 だとするならば。

 そんな存在が、堕天使という名の異形種(モンスター)が、たかが小娘一人の命を奪うことに何の情動も抱かないのは、なるほど、ありえる。しかも彼女らは、あのアインズ・ウール・ゴウンの配下とも言うべき存在――どうしてそんなものに遠慮をする必要が?

 

「……っ、いけない」

 

 首を振って自分の底に(くすぶ)りかける感情を瞬く間に鎮火する。

 カワウソの常識的な思考が、重石(おもし)となって感情の暴走をセーブしてくれた。とにかく、今は迂闊(うかつ)に動いてはいけない。この世界の──魔導国の実像を知るまでは。

 

「どうか、しました?」

 

 カワウソが一人で考え込む姿は奇妙に映ったのか、ヴェルが心配げな瞳で男の瞳を見上げ覗き込む。

 堕天使は声の震えを覚らせまいと、懸命(けんめい)に言葉を選び、連ねる。

 

「いや…………ヴェルは、その、冒険者なのか?」

「いいえ、違います。私は飛竜騎兵の部族というだけで……その」

「確か『ローブル領域の平定記念式典、その今朝の「演習」で、(あやま)ってアンデッドの予行行軍に堕ちちゃった』──ですか」

「な、なんでっ?!」

 

 ヴェルの表情が真っ青に染まる。

 そんな少女の変貌を何とも思わずに、マルコは言いのけてしまう。

 

「ラベンダが、そう言っていましたけど?」

「クゥ?」

 

 最前にいるマルコと、不思議そうに竜の鎌首を傾げるラベンダ。

 

「あ~、も~……ラベンダってば……」

 

 諦めたように首を振りつつ、大いに肩を落とすヴェル。

 話が見えてきた。

 どうやら、その式典の演習とやらで、少女らは何かしらの失態を演じ、あの追跡部隊に追われていたと、そんなところか。カワウソは納得と共に、その式典のことを問う。

 マルコの話では。

 平定記念式典というのは、かつてその地域より先で行われた「魔神王ヤルダバオト」の討伐戦に勝利してより99年目を祝して──とか何とかの催し物(イベント)のようだ。

 式典というだけあって、その演習や準備は万全の態勢で臨むべしとされ、尚且つ、あのアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下も御照覧いただく関係から、大陸各地から勇士を集め、その雄姿を等しく魔導王の御前に献上することは、もはや法や掟を超え、常識ですらあるのだと、熱く語られる。

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の二つの部族をはじめ、蜥蜴人(リザードマン)小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)妖巨人(トロール)、ビーストマンやミノタウロスなど、人間も亜人も異形も、ナザリック地下大墳墓の直下に平等という彼らが一堂に会し、等しく魔導国の絶対王者に忠誠と感謝を捧ぐ場として、そういった式典は年数回規模で催されるのだとか。

 そういった諸般の事情を何となく聴いて理解するカワウソは、式典に関するひとつの名称──魔導王と戦った“魔神王”なる存在の名が、気にかかった。

 

「ヤルダバオト……」

 

 何かの伝承かで聞いたことがある名称を呟いてしまうカワウソは、天使系の拠点NPC製作の際に、そういった神話系統の情報を可能な限り収集した過去があった。

 確か……グノーシスの、神様とか造物主だか何かの名前、だったか?

 どうにもはっきりとは思い出せない。何しろNPC製作時に収集したきりの情報だ。あとで拠点に残した百科事典(エンサインクロペディア)でも紐解いてみるとして、カワウソはマルコの話を静かに聞いていく。

 

「なるほど。ニュースで流れていた式典演習の事故は、あなたたちだったんですね?」

「……ええ、そうです」

 

 ヴェルはもはや諦観(ていかん)の境地で白状していた。マルコは存外、穏やかなまま、式典で起きたことを話し始める。

 

「ニュースだと確か、アンデッドの行軍に騎兵が突っ込んで、演習が一時中断されるほどの騒ぎになったとか?」

「たぶん……そのとおりです」

 

 だというのに、当事者であるはずのヴェルが、どうしてこんなにも歯切れが悪い感じにしか頷かないのか、カワウソは大いに疑問だった。

 

「たぶんって、何だ。たぶんって?」

「私──あまり、その時のことを覚えてなくて」

 

 言いにくそうに言葉を紡ぐ少女は、「予定通り演習に参加していたら、いきなり自分は行軍の中に墜落して、暴走していた」とだけ語る。さらに言うと、ヴェルは墜落した後のことは、ラベンダに伝え聞いた程度にしか把握できておらず、気がついたら自分とラベンダは追われていたのだとか。墜落と暴走のことは、共にいたラベンダから聞かされた情報に過ぎず、彼女自身にはそんな記憶は欠片も残っていないという。

 

「何とか、部族の皆と合流して……その、上の御方とかに、ちゃんと謝罪すべきだとは思うんですけど。私、アンデッドは、その、苦手で……」

「……そうか」

 

 少女は謝罪に赴く意思を持ってはいたが、問答無用で襲い掛かってくるモンスターが相手では、なるほど逃げるしかないというのもやむを得ない判断だろう。

 だとしても……かなり奇怪な話では、ある。

 聞かされた感じ、ヴェルは自分の意思とは無関係な感じで、予行演習中に暴れたようであるが、何故そんなことに?

 何者かに操られて? それとも、ヴェル本人の病気──健忘症の類か何かの可能性もあるのか?

 

「あの、マルコさん」

 

 少女は不安げな眼差しで、事情に通じていそうな修道女に、その演習の仔細(しさい)を訊ねる。そうせずにはいられないという調子で、ヴェルは小さくも強い声で問う。

 

「皆は──私以外の、部族の参加者は?」

 

 式典の演習中に暴走した。なるほど、これは罪に問われもするだろう。彼女の言っていた“不敬罪”というのも納得だ。“不敬罪”というより“公務執行妨害”や“軍務規定違反”という方が、より正確かもしれないが、そんなことは大した違いではないのかも。

 それよりも、解せないことが多すぎる。

 何故、少女は暴走とやらの最中の記憶を持っていない? 誰かに消されたのではないとしたら、その原因は? そもそもどうして、こんな小さな少女──ヴェルが暴走を?

 それに、何故──少女は演習に残してきた部族の者らを気に留める? 連帯責任として処されるとでも思っているのか? ……たぶん、その可能性は高いのだろう。でなければ、少女が残してきた仲間を案ずる必要はないはず。魔導王というのが暴力と理不尽で国を治める圧政者であれば、彼女の仲間が処される可能性は高いのではないか。

 少女が追跡部隊から逃げていたのは、根源的な死からの逃避からだろう。

 わけも理由もわからず、いきなり中途の記憶がないのに追われたりすれば、カワウソだって逃げるしかない。おまけに、追ってきた部隊というのがアンデッドや悪魔のモンスターとあっては、尚更だと思う。聞く限り、ヴェルは長く部族内での生活を続けていた関係上、魔導国の実情とやらには疎い傾向があるようだ。一般常識程度の知識は保有しているが、ただそれだけなのだと。

 ヴェルの懸念を理解したマルコは、心底から見るものを安堵させる笑顔と音色で、ひとつ頷く。

 

「御心配には及びません。ニュースによると、大した人的被害もなかったので、演習はその後、通常通りに進んだとか」

 

 その説明を聞いて、ヴェルはひとまず胸を撫で下ろした。

 対して、カワウソは仄暗(ほのぐら)い疑念を(いだ)かずにはいられない。

 

「いいのか?」

「何がです?」

「一応、ヴェルは国の追跡を受けていたんだぞ? いくら何でも、暴走した当人が、警察──軍や国家機関の世話になるでもなく、自由の身でいるというのは」

 

 マルコの言動が、カワウソには不可解なほど親切に過ぎた。

 それこそ、この状況は指名手配犯が目の前にいるようなもの。良識のある国民であれば、捕縛するとはいかずとも、国家に通報なり連絡なり何なりするのが当然ではないのか? ……ヴェルを行きがかりにとはいえ助け、個人的に逃亡の幇助(ほうじょ)をしてしまっているカワウソが言えることではないだろうが。もしや、これから向かう都市で突き出そうと考えているのかもわからない。

 しかし、そんな姦計とは無縁そうな修道女、マルコ・チャンは澄ました微笑みで、こう告げる。

 

「私は、ただの“放浪者”です。

 自由に生きて、自由に過ごし、自由に人々の助けとなる──そのお許しを、いと尊き御方(おんかた)に許されておりますので。私からわざわざ、彼女を国家に突き出す必要性はないのです」

 

 明るく微笑む横顔は、光に満ちて眩しい。

 悪戯な子供っぽい動作で胸を張り、マルコは主張する。

 

「それに──『誰かが困っていたら助けるのは当たり前』と教えられておりますので」

 

 こんな状況でもなければ見惚れていてもおかしくないほど、そこにある表情は愛嬌と矜持に溢れていた。

 

「あなた方も、旅の放浪者なのですから、ヴェルさまを助けてあげているのでしょう?」

 

 引く波のごとく、全身から血の気が引いてしまう。

 告げられた内容が内容だけに、カワウソは返答に窮してしまう。

 曖昧に頷いて言葉を濁すしかほかにない。

 マルコは、カワウソとミカの二人を、自分と同じ旅の“放浪者”とやらと見做(みな)して納得しているが、勿論カワウソたちはそんな存在であるわけがない。

 

 この異世界に転移して、僅かに、二日。

 

 未だに世界の実情は掴み切れず、流されるまま魔導国の都市とやらを目指すカワウソたちの行く手に、新たな影が迫りつつあった。

 どれくらい歩いたことだろう。

 黒い街道の両脇に、二つの人工建築物が鎮座しているのが見え始める。

 

「ひぅ」

 

 ヴェルが怯え、身を隠すようにカワウソの纏う赤いマントに縋りついた。

 

「……」

 

 カワウソは彼女らの手前、内心でかなり驚嘆しつつも、歩調を止めたり緩めたりは、できない。

 黒い街道沿いに安置されたそれは、簡単な石材で左右と背後、そして天井を覆った程度の小屋だ。これと同じ感じのものを、カワウソは知っている。かつてユグドラシルのゲーム内に存在した純和風な国家フィールドに、オブジェクトの一種として見かけたことがある。道祖神や地蔵尊を(まつ)(ほこら)のようだ。剣を杖のようにし、彫像のように直立する死の騎士を納めるサイズを考えると、どうにも巨大すぎではあるが。

 それがちょうど関所のように、広い街道の両脇を挟むように並列され、その小屋の主が、通りかかる通行人すべてを監視するように、邪悪な色に染まる眼差しを無遠慮に差し向けて(はばか)ることはない。

 小屋に(まつ)られているものは神や仏ではなく、生者を殺戮するアンデッドの一種──死の騎士(デス・ナイト)というのが、カワウソにはかなり恐ろしく思えたのだ。怯え震えるヴェルはつい先刻までこいつと同じものに追われていたし、カワウソにしても、死の恐怖とは別の意味で、深い(おそ)れを(いだ)きつつあった。

 

 カワウソは、彼らと同じ存在を……死の騎士(デス・ナイト)たちによる部隊を壊滅させた。

 その情報を、奴らが何らかの手段で共有している可能性を思索せざるを得ない。

 

 右肩に携えた血色の外衣(マント)──装備する六つの神器級(ゴッズ)アイテムのひとつ・タルンカッペの〈完全不可知化〉を使うべきか、迷う。

 だが、咄嗟のことで、ラベンダを隠蔽の効果範囲に取り込むことは出来ない。そもそも、この自分の装備が、騎乗モンスターに有用であるかどうか不明だ。カワウソは、騎乗モンスターを強化し、魔法や装備の影響を与えることが可能な職業……“騎乗兵(ライダー)”や“調教師(テイマー)”系統は取得していない以上、これはしようがない。

 何より、先頭を進むマルコは、まったく気にするでもなく、二体の騎士の間を通過してしまったのだ。

 何も考えてなさそうな飛竜を小脇に連れて。

 マルコは首に下げていたらしい装備物を豊満な胸元から手繰り寄せて取り出し、二体の死の騎士に見せつける。

 そうして、しばらく歩いた彼女が、振り返って笑みまで差し出してくるので、カワウソたちは、前に進むしかない。

 

「……」

 

 奇妙な沈黙が下りる中、カワウソたちは互いの鼓動が聞こえそうなほどに身を寄せ合う。

 ──そうして、難なく、騎士たちの前を通過してしまった。

 兜を脱いだ状態のミカも、自然と二人の後に続いてみせる。

 嫌な空気を、カワウソとヴェルは同時に吐き出してしまう。

 それがわかって、可笑(おか)しそうに見上げてくる少女に、カワウソは軽く微笑みを返せた。

 

「カワウソ様」

 

 途端、ミカの呼ぶ声に振り返る。

 何事かと思うよりも先に、大気を蹂躙する轟音が背後より響く。振り返った先の死の騎士たちは微動だにしていない。〈敵感知〉の魔法にも反応はなかった。だが、何か翼を持った存在──モンスターが急速に近づいていることだけは容易に知れる音量が迫っている。

 

「何だ?」

 

 剣を抜くべきかどうか迷う間もなく、マルコは悠然と空を仰いだ。

 

「ドラゴンです」

 

 あっけらかんと告げられた瞬間、一行の頭上を、空の彼方から現れた巨大な影が翔けていく。

 輝く鱗には霜が降り、太陽の光を浴びて真っ白に輝いている。巨大な翼が羽搏(はばた)くと同時に、大量の空気が圧搾(あっさく)されるような音色が鼓膜を走り震わせた。雄々しく伸びる尻尾の後姿を残して、霜竜(フロスト・ドラゴン)はカワウソたちの視界から駆け去っていく。

 竜の種族は、ユグドラシルでもそれなりの強さを誇るモンスターだ。カンスト勢には脅威になりえないが、中途半端なレベルだと狩ることが難しい。強大無比な上級の古竜(ハイ・エンシャント)(クラス)ともなると、ソロプレイのカワウソが狩るのはほぼ不可能で、よほどの好条件と準備、何よりも運が必要だった。

 凶悪なモンスターであるはずの竜は、眼下にいるカワウソたちには一瞥(いちべつ)もくれず、一直線に流れ飛んでいく。吹き抜ける冷気の風の感触だけを残して。

 

霜竜(フロスト・ドラゴン)による天然の冷凍運搬(クール)便です。あれのおかげで、大陸はこの内地にまで、海の恵みを新鮮なままに運んでくれるのです」

 

 カワウソの濁った瞳に映った荷物には、現地語の羅列であろう記号が、かろうじて見て取ることができた。魔導国の運搬会社の名前か何かだろうか。

 

「ああ、見えてきましたね」

 

 (ドラゴン)の巨大さと運用方法に驚いていたカワウソは、折れ曲がる街道の先、丘の上から女が指し示した方角にあるものを見て、唖然となる。

 

「これは……」

 

 息を呑むとはこのことだ。

 そこにあるものは、紛れもない都市に他ならない。

 四つ五つに重なる隔壁の下、まるで群がるように住宅や工廠、倉庫などが立ち並び、その奥に(そび)えるものを護る質量の壁を築いていた。中心へ行くほど高く強く形成された壁の内に、宝石を思わせるほど輝く水晶の尖塔が立ち並び、その奥に一本の白い柱にも似た、壮麗な城が見える。その城下の街区を無数の人々が行き交い、空を駆る影や翼、魔法使いの姿が、数限りなく飛び交い、──生きている。

 芸術的とも言える麗雅な都。

 幻想の物語にしか存在しない魔法の街。

 カラァンという澄明(ちょうめい)な交響楽のごとく重なり合う鐘の音が、カワウソたちの立つここにまで、正午の(とき)を告げている。

 

「あれが、我らが魔導王陛下の誇る“第一”魔法都市・カッツェです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回はいよいよ、魔導国の都市です。


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魔法都市・カッツェ -1

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.04

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丘をなだらかに下る街道を進み、カワウソたち一行は、都市の門にまで辿り着いた。

 その都市外縁を鎮護する門内にも、死の騎士(デス・ナイト)たち十体ほどがずらりと並んでいたが──さすがに二度目ともなるとそれほど緊張することなく、カワウソたちは大きな門をくぐり抜けてしまう。一応、〈敵感知(センス・エネミー)〉の魔法でこっそり確認する限り、誰もカワウソたちを敵と見定めて襲ってはこなかったので、バカみたいに安堵してしまう。

 他にも多くの人々が整然と列をなしつつ、門内を行き来していたのも助かった。物見遊山(ものみゆさん)か何かのように、外から都市内に向かう行列は都市の威容に瞠目し、その栄華の極みのごときありさまに目を輝かせている。おかげでカワウソも、そんな観光客の一人として、都市の様相に自然と目を瞬かせ続けていても、誰からも不思議に思われることはないのだから。

 

「魔法都市・カッツェにようこそ」

 

 おどけたように門の看板に記されているらしい文言を紡ぐマルコに応じることもできず、三人(と一匹)は一様に愕然となる。

 

「ふわぁぁぁ」

「……すごい」

「……これは」

 

 ヴェルが、カワウソが、ミカまでもが、感嘆に言葉を失った。

 

 そこにあるのは、水晶の都。

 

 真昼の太陽の輝きを燦然と灯して、輝きを常に反射する摩天楼は、水晶か宝石のように整えられた形状だ。巨大な硝子(ガラス)に覆われた長方形の建築物は、内部を行き交う人々の様子もよく見える透明度で、浮遊する箱の内に乗りこんだ連中を指定の階層にまで運ぶ円筒形の構造は、現実でいうところの昇降機(エレベーター)を思い出されてならない。同乗している死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はエレベーターガール……ではなく、箱を浮遊させる魔法を発動する存在か。

 建物の壁面や屋上には、巨大広告のような〈水晶の大画面(グレーター・クリスタル・モニター)〉がそこここで発動されており、今日のニュース動画や明日の天気情報などを映し出している様は、まさに『魔法都市』というだけのことはある。

 空を行き交う魔法使いや魔獣の姿も多く見受けられるが、何よりも驚きなのは、都市外の街道と同じ色の黒い通り……地上にも数えきれないほどの人波があること。

「人」だけではない。森妖精(エルフ)が、山小人(ドワーフ)が、小鬼(ゴブリン)が、蜥蜴人(リザードマン)が、人食い大鬼(オーガ)が、妖巨人(トロール)が、ビーストマンが、人馬(セントール)が、ミノタウロスが、互いが互いを殊更(ことさら)に意識することなく、そうあることが自然だとでも言いたげに、整然と都市の営みに参加していたのだ。

 人間がウェイトレスを営むカフェで森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)が同じ卓で茶をしばき、蜥蜴人(リザードマン)の露店主が人や小鬼(ゴブリン)などに向けて陳列された色とりどりの瑞々(みずみず)しい魚を売りつけている。人食い大鬼(オーガ)妖巨人(トロール)が広場で格闘試合の取っ組み合いを演じ、人垣が賭けの半券を握りしめて熱狂していた。白線のみの簡単なリング脇に控え、互いに笑みすら浮かべている獣顔の男と下半身が馬な男は、おそらく次の対戦カードという具合だろう。牛の頭部に巨躯という出で立ちの棟梁らが指示して、骸骨(スケルトン)動像(ゴーレム)が建築工事に勤しんでいる姿もあった。見上げた城壁は高く分厚い造りをしていて、その歩哨にはやはり死の騎士(デス・ナイト)の衛兵隊が等間隔に配置され、まったく微動だにせず都市の内外を見張り続けている様は、それだけで犯罪抑止に貢献しているようなありさまだった。

 カワウソたちが転移したスレイン平野からは想像もできないほど、都市には生命(いのち)が満ち満ちており、やはり、誰の顔にも暗鬱(あんうつ)とした気配は(うかが)えない。居合わせる異形種──アンデッドモンスターたちにも、これといった忌避感を覚える輩はいないかのようですらある。

 

 

 

 誰もが生を謳歌してやまない世界が、そこにはあった。

 

 

 

「この第一魔法都市・カッツェは、魔導国で最も由緒ある都市のひとつで、魔導王陛下が最初期に造営に着手した土地のひとつです」

「そうなんですか……」

 

 道中。

 マルコは都市の過去をつまびらかに、好奇心の(とりこ)となった生徒──ヴェル・セークに望まれるまま、語り聞かせる。

 カワウソたちは、そんな二人の遣り取りを背後で聞き耳を立てながら、つぶさに情報を収集することに努めた。監視中のマアトにも、記録を残させる徹底ぶりである。

 

 修道女曰く。

 100年前までは荒涼とした大地だけに覆われ、度々国同士の領土争いの決戦場に使い続けられた結果、戦争で避け得ない大量の死に招き寄せられたアンデッドが集団発生してどうしようもない土地だったその地を、慈悲深いアインズ・ウール・ゴウンの威光と魔力によって、見事、完全支配下に置き、平定。

 以後はアインズ・ウール・ゴウン魔導国に、新たな魔法の恩恵を授ける教育機関『魔導学園』を中枢に据えた国家事業に従事し、数多くの功績を残してきた、魔導国でも二番手に付ける発展を遂げた都市として、今日(こんにち)に至っているとのこと。

 

「それでは、行きましょうか」

 

 (うなが)されるまま、カワウソたちは都市のより中央──街は五重の壁が円周を築いており、第一門から入ってすぐの内側の区画は第五街区、次の第二門をくぐると第四街区という具合に、簡単な区分けがされている――に(おもむ)くべく、目抜き通りをまっすぐ進む。

 簡単な魔法の実演興行を観光客相手に行う魔法詠唱者(マジックキャスター)の若者がいれば、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が催す全自動の人形劇──題目は『漆黒の英雄譚』というらしい──も盛況なようで、人間や亜人の子供らの歓声が耳についた。

 それらをすべて横目にしつつ、通りをしばらく歩いて次の門にまで至る。

 門にはやはり死の騎士(デス・ナイト)十体が常駐していたが、これといった検査や通行料の遣り取りがあるわけでもなく、カワウソたちは内部に入れた。

 ふと周りを見れば、カワウソたちのように武装を整えた者たち──冒険者、だったか──の姿もある。武器の持ち込みなどについては、特に規制がないのかもわからない。

 実に不用心ではないかと思う反面、何か魔法的な手段で探査(スキャン)なり支払い(ペイ)なりしているのかもしれないが、確信はなかった。マルコが何かしてくれている可能性が高いのだろうが、彼女は特段気にするでもなくカワウソたちを都市中央に同伴している。見知らぬ他人の通行料を肩代わりするほどの善人だとでもいうのだろうか?

 ──通行料といえば、この世界で流通しているのは、ユグドラシル金貨なのか? 思い出してみると、先ほど露店や賭け試合で遣り取りされていたのに、紙幣があった気がしたのだが。

 そう思う間もなく、マルコは第四街区内に入ってすぐ、大通りから少し外れる方向に進んだ。

 

「すいませんが、ここから先の街に飛竜のラベンダは連れていけません。なので一旦、宿に預けることになります」

 

 ここから先の都市内では交通の便や治安維持を考えて、騎乗獣などに代表されるモンスターの類は、すべて宿屋の係留所に預けることが原則となっているらしい。特に、これから赴く第三街区以内は都市内でも厳重にそういった制限が課されており、王城の直近地帯──第一街区になると、魔導国の公的装置や交通手段以外のモンスターは全面的に入場を禁じられているとか。飛行可能なモンスターは特に規制が厳しいという。

 ラベンダを一匹にしてしまうことに不安を覚えるヴェルであったが、マルコに「カッツェの魔法警備は万全です。ご安心を」などと(さと)されては、他に処置がない。むしろ、都市のどこかに隠伏させておくよりもマシかもしれないのだ。

 都市の内外には死の騎士(デス・ナイト)の警邏隊と共に、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も巡回警備にあたっている。ラベンダがそういったのに発見される可能性もそうだが、この魔法都市には看破や探査に秀でた魔法詠唱者──『魔導学園・情報科』の生徒なども多数在籍している以上、バレる可能性の方が高いらしい。

 そして、いざ騎乗者不明のモンスターが発見されれば、都市管理と警備の都合上、ラベンダは警邏隊に強制連行(レッカー)されることもありえると聞く。最悪なのは、発見されたラベンダの素性を徹底して調べあげられ、ローブル領域の騒動の中心にいたものだと判明された場合だろう。

 そうなれば、ラベンダがどうなってしまうのか。

 そして、連鎖的に、その騎乗主であるヴェル・セークのことも知られたら。

 

「では、よろしくお願いします」

 

 マルコ行きつけという第四街区の宿屋を切り盛りする女主人──蠍人(パ・ピグ・サグ)という種族で、上半身が人間の乙女、下半身は鋏と毒針を持つ蠍の姿――に、ラベンダを預けた。

 宿屋には他にも多数の魔獣が預けられており、ラベンダは割と小さい印象しか抱けないくらい、そのモンスターの群れに埋没していた。鷲馬(ヒポグリフ)獅子鷲(グリフォン)、白銀の八脚の馬(スレイプニル)の群れまでいる中、一番でかそうなものだと建物ほどの体躯を誇る黒い有翼の大蛇もあって、係留所周囲はちょっとした観光スポットにでもなったのか、見物(けんぶつ)の人ごみで溢れそうになっていた。

 なるほど。あれならラベンダを留め置くのも問題ないだろう。

 

「あと、ちょっと〈伝言(メッセージ)〉を使ってくるので、お待ちいただけますか?」

 

 そういうとマルコは、宿に常駐しているらしい死者の大魔法使い(エルダーリッチ)(もと)まで赴くと、銀貨一枚を手渡す。何かの暗号か、さもなくば電話番号のごとき文字や数字の羅列を告げると、アンデッドを通して誰かと会話し始める。

 ……本当に、アンデッドが電話扱いされているようで、カワウソは驚嘆を禁じ得ないが、何とか平静を保ってみせる。隣にいる少女のように、驚いてしまってはいけない気がしたから。

 

「……す、すごいですね」

「……ヴェルは、あれを見るのは初めてなのか?」

「ええ。私たちの土地では、見たことありません。そもそも常駐しているアンデッドの数や種類も、都市くらいのものにはまったく及びませんから」

 

 カワウソの問いに対して簡単に答えた少女が好奇の眼差しを向けるのに合わせて、カワウソもしばらくマルコの通信が終わるまでを、眺めながら待った。

 そうして、マルコは〈伝言(メッセージ)〉を終えて、こちらに振り返った。

 

「お待たせしました。では、参りましょう」

 

 四人は、一匹を第四街区の宿に残し、第三街区――学生の寮区画――に。

 さらに通りを進んで第二街区にまで、すんなり入り込むことができた。

 この地域は観光客向けの施設はほぼなく、この魔法都市の根幹を担う学園機構直轄の街として栄えているようだ。冒険者の姿も一応まばらに存在するのは、その街区にある最古の人造ダンジョンでのレベリングのためだと、マルコは語ってくれる。

 そうして、彼女に案内された円形広場(ロータリー)の一角に、一際巨大な建物が建っていた。周囲がビルディングのような水晶然としたものが多い中で、その外観は異彩を放つ木のぬくもり。バカみたいに巨大なウッドハウスと言えばわかりやすい外観の施設には、何やら看板が掲げられているが、カワウソたちに読めるわけもない。

 

「ここは、魔法都市内でも最高の、バレアレ商会の営む治癒薬(ポーション)専門店です」

 

 実に気安い表情で、マルコは全自動で開閉する硝子扉の奥に歩を進める。機械ではなく、魔法のアイテムによる自動ドアのようだ。

 

「いらっしゃい」

 

 店内は淡く涼やかな音楽が流れており、外と変わりないほどの明るさを灯す照明用のアイテムで、数多(あまた)あるポーション瓶を(きらめ)かせていた。

 

「お久しぶりです、リューさん」

「んん? ああ、マルコかい。待っていたよ──そちらのお連れさんが、さっきの〈伝言(メッセージ)〉で言っていた?」

 

 頷くマルコと親密な様子であると容易に知れる、優し気な声。

 古めかしいトンガリ帽子を布で磨く手を止め、青く輝く髪を蛇のように波立たせる女性は、カウンターの上で〈水晶の画面〉を空中に投影していた小型アンデッド――下位骸骨の蜥蜴(レッサースケルトン・リザード)――を「停止」させ、カワウソたち三人に興味深げな視線を送る。

 

「ウチの名前は、リュボーフィ・フフー。ご覧の通りの商人(あきんど)さ」

 

 カワウソはまじまじと女の体躯を凝視する。

 様々な人や亜人や異形が暮らす都市の中で、彼女はさらに、異彩を放った存在だ。

 印象的なのは、青い前髪に飾られる瞳。右は氷のように透き通った水色なのに、左は爬虫類を思わせる細長い虹彩が(あかがね)色に輝いている。カウンターに隠れていた下半身には、街道で見かけた冒険者の一団と同じもの──蜥蜴の長い尻尾が臀部から伸びていて、それが自由に宙を撫でている。さらに驚くべきは、丈が短い作業着に前掛け(エプロン)の胸元を膨らませた姿……その布に覆われた胴体から伸びるのは、四つの腕だ。蟲を思わせる硬質な外殻に覆われた上腕と、人間の女性らしい白魚の指を備えた下腕が、一対ずつという具合。

 化物と人間が見事に融和した異形が、その女性の全身に散りばめられていたのだ。当然、こんなにも多彩な異形を施す存在は、ユグドラシルでも滅多にお目にかかれない。かなり縮小化(スケールダウン)したレイドボスの、第一形態くらいではないだろうか。

 そんな異形の中の異形という女性を、マルコは親しみを込めた音色で紹介していく。

 

「リューさんは商人(しょうにん)ですが、この都市でも指折りの魔法詠唱者(マジックキャスター)にして、錬金術師(アルケミスト)――ポーション職人の一人でもあります」

 

 ただちょっと変わっておりますがと、マルコは微笑みすら浮かべてみせる。

 

「リューさん。こちらはカワウソ様とミカ様、それとヴェル様です」

「よろしく大将。それにお嬢さん方。どうか贔屓にしておくれよ?」

 

 かなり男前な口調で、一瞬性別を忘れそうになるが、カワウソは軽く会釈を交わした。突き出された蟲の右腕にも、とりあえず握手を求められたと理解し、応じる。

 

「お二人さん。変わった装備をしているね?」

「ん……ああ、いや」

 

 カワウソとミカの頭上にある輪っかのことを言われたと理解し、言葉に詰まりかけた。

 ちょうど、その時。

 

「お師匠」

 

 幼そうな、けれども凛々しい声が建物の奥に続く扉から零れた。手動で開く扉のノブが回るのを、全員が振り返り注視する。

 

「あ……お客でしたか?」

 

 だが、現れた存在──矮躯は、人間のそれではない。

 胸から上は人間の少年だが、そこから下は竜の尾のごとく伸びた──長い蛇の異形だ。一見すると、ユグドラシルにもいた「ナーガ」なのだが、赤髪の少年の側頭部あたりから頭上と後方へと突き出す四本角を見ると、悪魔なのかとも思われる。

 少年は「じゃあ、後で」と告げて場を改める。

 それなりの礼儀を心得ているらしい調子で、扉の奥に引っ込んでいった。

 

「あの子は、ウチの弟子のモモさ」

「──モモ?」

 

 女性の告げた名前にカワウソは少なからず引っかかるものがあった。

 

「『漆黒の英雄』モモンに因んだ名前でね……知らないのかい?」

「ああ……」

 

 そういえば、先ほど街角で催されていた人形劇の主人公が、そういう名前だったか。

 アインズ・ウール・ゴウンのギルド長と似た名前だったから、妙に耳に残っていた。

 英雄の名前というのは、気にかかると言えば気にかかるが、一般常識として定着しているらしい名を、知らない風に答えるわけにもいかない。それに、一音しか違わないというだけで、あのギルド長・モモンガと関連して考えるのも早計だろう……絶対、何か関係ありそうな気はするが。

 カワウソの態度を深く追求するでもなく、リュボーフィは「ご用件は?」と(あきな)いに勤しみだしてくれる。

 マルコが淀みなく応えた。

 

飛竜(ワイバーン)を癒す治癒薬をお願いします」

「はいよ……しかし、珍しいね。マルコはいつから飛竜の主に?」

「私ではなく、こちらにいるヴェル様の飛竜ですよ」

「おう、そうかい。ちょいっと待ってな──ここに置いておいたから」

 

 言って、女性は四つの腕を巧みに操り、室内の一角にある飾り棚の奥を物色し始める。

 しばらくもしないで現れた治癒薬は、飛竜の巻き付く優美な硝子瓶のなかに、赤紫の溶液が満たされていた。

 

「はいさ。バレアレ印の治癒薬(ポーション)を調合した、飛竜(ワイバーン)特効の治癒薬」

 

 一個3870ゴウンと言われ、マルコは即座に財布を取り出し、そこから紙幣三枚と貨幣九枚を取り出した。

 

「マ、マルコさん。ここは私が払うべきじゃ」

「いいですよ。これくらい安いものです」

「……」

 

 カワウソがこっそりと見つめる金銭は、やはりユグドラシル金貨のそれではない。

 紙幣の表面にはアインズ・ウール・ゴウンのギルドサインが、一部の狂いなくしっかりと印字されていた。転がる金貨九枚を見ると、表面にはやはりギルドサインが、裏面には骸骨の頭蓋……アンデッドの顔がしっかりと浮かび上がっている。無論、ユグドラシルの金貨──新旧二種類のいずれともまったく異なる意匠に相違なかった。

 リュボーフィが手渡したおつりの銀貨三枚についても、まったくユグドラシルの面影は見受けられない。

 この世界独自の経済貨幣が生きている証拠である。

 

「いつもありがとうございます」

「なんの」

 

 二人の遣り取りが一応の落着を見たところで、

 

「ちょっと、いいか?」

 

 カワウソは指先に二枚の新旧ユグドラシル金貨をつまんで、リュボーフィに見せた。

 

「たとえば、なんだが。この金貨はどれくらいの価値になるか、わかるか?」

 

 この世界で通用する金銭が手元にないというのは、非常にまずいことだと思われる。

 カワウソとミカは旅の二人連れを装っているが、先立つものもないのにそんなことが可能だろうか? そんなはずがない。無論、装備や他のアイテムで寝食などの心配は無用だと思わせることは可能かもだが、それでも、この大陸に生きている風を取り繕うのに、現地の金を一切持ち合わせていないというのは、かなり奇矯だと思われるだろう。それこそ、カワウソたちは身分証も何もない、ただのユグドラシルプレイヤーと、拠点NPCだ。これより後、他の都市や土地に厄介になる際、通行料だの飲食代だのを工面する状況というのが発生する可能性はあり得る。いつまでもマルコという修道女に関わっていられるはずもない以上、何とかして外貨を獲得する(すべ)を見出せなければ、今後のことに支障が生じるのは必定である。

 

「ちょいと拝見させてもらうよ……うむ」

 

 エプロンに、胸の谷間部分に差し込んでいた眼鏡を装着した店主が、ユグドラシル金貨二枚の表面をそれぞれなぞったり、永続光の照明にかざして()めつ(すが)めつしたり、棚にあった秤にかけたりしながら、鑑定(魔法やスキルではないようだ)を行う。

 

「いい金貨だね、旦那。どっかの遺跡にでもあったのかい?」

「まぁ、そんなところだ」

「これなら換金屋にでも持っていけば、1000ゴウンくらいにはなるんじゃないかな?」

 

 鑑定と換金は畑違いなので、あまりあてにはしないでくれと、女店主は金貨を返却しつつ語ってくれる。

 1000ゴウンというのがどれほどの価値──高いのか安いのか分からないので、カワウソは曖昧に頷くだけに留める。

 では、ポーション専門の店ならば、カワウソの持つ治癒薬を換金したら……と思ったところで、それはやめておいた方がいいと判断する。

 この店へ赴いた目的は、ラベンダを回復させる治癒薬の購入のため。

 なのに、ここで治癒薬を取り出しては、あの場にいながらカワウソが治癒薬を提供しないでいることが二人にバレることになり、その時に抱かれる心証を思うと、ここで上位治癒薬(メジャー・ヒーリング・ポーション)を取り出すのは愚策でしかないとわかったから。

 ──マルコの細められた瞳が、男がしまう金貨を注視していたことに、カワウソ本人は気づいていない。

 

「皆、いつでも寄ってきな。またコイツ(・・・)に連絡してくれりゃ、すぐ用意できるから」

 

 店主は(ほが)らかに、客商売の挨拶を送って一行に手を振った。

 コイツと呼ばれた、肩に乗る小さな蜥蜴の骨。その頭を撫でる女店主の言葉を残して、カワウソたちは外へ。

 チラリと振り返ると、店主が下位骸骨の蜥蜴(レッサースケルトン・リザード)を「再起動」して、投影される映像を楽しみつつ、再びトンガリ帽子を磨くのが確認できた。

 ──あれと同じ感じのものを、都市の何人かが携行していたのを思い出す。特に、都市中心部だとそれが顕著だ。蜥蜴だけでなく、骸骨(スケルトン)(ラット)栗鼠(スクァーレル)(スネーク)蝙蝠(バット)(クロウ)……より大きいのだと(ウルフ)(フォックス)(オウル)(ホーク)なんかを、手や腕、肩や頭に乗せて、ものによっては足元に連れて歩いていた。骸骨だけでなく、木や金属で出来た、小箱やタブレット型の小さい動像(ミニ・ゴーレム)なども、それなりの数にのぼるだろう。

 なるほどと納得する。

 あれが通信網の「端末」を果たしているものか。

 

「それじゃあ、ラベンダのところに戻りましょうか」

 

 提案するマルコに連れられ、カワウソたちは来た道を引き返そうとした。

 その時、

 

「──ミカ?」

 

 ふと。

 自分のNPCが北方向の何処かを見つめていることに気づき、カワウソはその先を視線で追う。

 

「どうかし──ああ、あれですか」

「すごいですね、あの……王城?」

 

 マルコとヴェルも納得と共に、カワウソたちの横に並び、空の彼方を見上げる。

 天を衝くばかり高い塔。

 水晶の都のほぼ中心に建立されたと思しき建造物は、あまりにも巨大であることがこの場にいても容易に知れた。周囲に追随する水晶の摩天楼とは比べようもなく整えられた、至高の大建築。太陽の光に燦然と輝く真っ白な城壁は、高潔という言葉が非常に似合っており、まさに「王の城」であった。

 素直な感動にも似た思いをカワウソが抱きそうになるほど、この都市の光景というのは筆舌に尽くし(がた)いほど素晴らしい。

 

 ──ただ、一点。

 

 広場の街灯や建物から降ろされ(なび)く赤い幕旗が、アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインを(いただ)いていなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何事もなく第四街区にまで戻ったカワウソたちは、相変わらず元気そうなラベンダと合流を果たし、特に問題なさそうな事実に安堵した。ひょっとすると治癒薬は無駄な買い物だったのかもしれないくらい、ラベンダは壮健そのもので、一舐めしたらそれ以上はいらないとばかりに顔をそらした。残った治癒薬は、ヴェルが大事そうに道具入れにしまうのをみると、自分が剣を何もない空間から出し入れしているのはどうなのだろうと疑問を覚える。特に気にした様子をヴェルもマルコも見せないことから、そういうアイテムがあるのだろうと思われているのかも知れない。

 ちょうど腹も空いた時間と言うことで、宿屋の食堂に入り込んだ。

 ラベンダについては、すでに店が食事を済ませてくれていたらしいので、心配はいらない。

 

 異世界の食堂は、何とも食欲をそそる芳醇(ほうじゅん)な香りに満たされていた。

 

 油が弾けるほどに焼けた肉の香り。焼き立てのパンのぬくぬくとした歯触りの音。塩や香辛料のきいた各種魚料理の(いろど)り。真っ昼間から酒精に酔う大人たちの雑然とした宴……それらすべてが、カワウソにとっては未知の体験だった。現実世界だと、長らく固形栄養や流動食ぐらいしか縁のない社会底辺者だったのだ。旧ギルドのみんなと過ごしたオフ会で、一度だけ経験したくらいの空気である。

 無論、飲食自体は装備を外した昨日の時点で空腹に耐えきれなくなり、拠点内の食堂で味わっていたが、微笑むメイドの視線を一身に浴びて、たった一人で晩餐会じみた長卓に座して味わうコース料理よりも、こちらの方がはるかにおいしそうな気がする。見た感じ、そんな特別な効果が宿ってそうにない、ただ「飢え」や「渇き」の状態異常(バッドステータス)程度しか癒せそうにない料理ばかりなのに。

 堕天使の胃袋が、一刻も早く飲食にありつきたいと(こいねが)ってきてやまない。カワウソは装備のおかげで飲食そのものは不要なはずだが、どうにも堕天使というのは食欲旺盛な種族なようだと納得する。

 オープンテラス──通りに面した、丸い木の卓に通された四人は、マルコのおすすめでドラゴンステーキを注文するが、ミカだけは食事を断固辞退して、場の空気が少し悪くなる。これはしようがない。最上級の天使であるミカは空腹というものを、状態異常(バッドステータス)の「飢え」や「渇き」を感じることはありえないこと。そもそも純粋な天使であれば、飲食そのものが不要なのだ。店員がおいていった“お冷”にすら口をつけようとしない。

 それでも、マルコはとりあえず四人分のオーダーを従業員(ウェイトレス)に頼んだ。

 テーブルマナーは、ヴェルやマルコの見様見真似。運ばれてきたドラゴンステーキを、カワウソは瞬く間に完食してしまう。肉質と脂の乗りが絶妙だった。副菜のサラダやパン、スープもすべてたいらげる。ミカに運ばれた分も、彼女の許可を取り、おかわりとして舌の上に味わい胃袋に納める。──考えてみると、前の食事から半日ほどが経過しているのだから、腹は空いていて当然とも思える。だが、身体が空腹を解消したいという欲求というよりも、未知の料理を味わいたいという衝動が(まさ)っていた気がするのは何故だろう。これも異形種の──堕天使の特性なのだろうか?

 

「そんなにドラゴンステーキがお好きで?」

 

 問いかけてくる修道女に、異様な速度で二人分の食事を終えたカワウソは、紙ナプキンで口元を拭ってから応じる。

 

「腹が空いていたから、な」

 

 カワウソの取り繕うような嘘に気づいた様子もなく、マルコは「自分のステーキも良ければ」と差し出してきた。

 

「……いいのか?」

「私はパンとサラダ、スープがありますので」

 

 遠慮するのもあれなので、カワウソは黒鋼(くろがね)のプレートのおかげでまだ十分に熱の残るステーキを貰い受けようとして、

 

「あー……」

 

 もう一人の相席者が、うらやましそうに眺めてくる声に気づいた。

 

「……食うか?」

「え、でも、あの」

 

 無言でマルコの分のステーキを、恥ずかしそうにしながら断固としてよだれが滴る無様をさらすまいと必死な少女──ヴェルの前に促した。

 

「……じゃあ、いただきますね」

 

 召し上がれとマルコに微笑まれ、ヴェルは既に空になった自分の皿を脇にずらして、新たに現れた分厚いステーキ肉の食感を堪能し始める。

 あらためて少女の、ヴェルの食事風景を眺めるカワウソは、その様子を見るだけで満腹になってしまいそうなほど実においしそうに舌鼓を打って瞼の端を潤ませている姿に苦笑してしまう。

 

飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)なのに、竜の肉(ドラゴンステーキ)を食べて平気なのか?」

 

 からかうような──その実、かなり意外そうな口調で呟くカワウソに、最後の肉片を噛み締めていたヴェルは、きょとんと眼を丸くする。

 

「んむ…………はい、大丈夫です。というか、割と慣れてますから」

「──慣れてる? 慣れてる、って?」

 

 奇妙なことを聞いた気がして、思わず問い続けた。

 少女はグラスの水を飲み干すと、準備していた言葉を連ね始める。

 

「私たち飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)は、場合によっては飛竜を食べます。老衰の末に死んだ飛竜も、戦いによって命を失った飛竜も……みんな、手厚く葬儀を行った後、食べるんです」

 

 告げる少女の瞳には、臆するところは一切ない。

 それが(おきて)なのだと……それが自分たち(ワイバーン・ライダー)飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)たらしめるのに必要なものだと、少女はまったく(いさぎよ)い調べで呟く。

 彼女は、場合によっては、自分の乗騎である飛竜をも食すと、冷厳に告げているのだ。

 少しだけ少女が違うものに思えるほど、その瞳には迷いがなく、また暗い感情も窺い知れない。

 カワウソは初めて、ヴェル・セークが背丈以上に成長した存在な気がし始めた。

 

「その代わり────?」

 

 言い募ろうとしたヴェルの言葉を、通りから響く喧騒が大きな波のように呑み込んだ。

 喧騒は波紋のように大通りに存在するすべての者に伝播され、ふと、ある程度までいくと深い沈黙に変貌してしまう。

 行き交う市民や観光客の集団は勿論、店内で飲食中の親子や卓を片付けていた従業員(ウェイトレス)まで、その場で片膝をつき始めるのはどういうわけか。

 

「皆さん」

 

 マルコの澄んだ声音に、ヴェルが何かを承知した。少女が慌てて席を離れて(ひざまず)き、マルコがそれに続くので、カワウソは二人の行動に(なら)った。

 だが、

 

「あれ……ミカ、さん?」

 

 ヴェルは自分の左隣に座っていた女性の姿がないことに気づく。少女の右隣に座っていたマルコも怪訝(けげん)な視線で周囲をかすかに見渡すが、徐々に大きくなる大量の足音を聞き、捜索を諦めるしかない。

 ……あとで説教するしかないのかと女天使の行動に呆れつつ、カワウソはテーブルの陰で跪きながら、大通りを整然と進む集団を窺い見た。

 

 人波が端にまで割れ、その中心を、何もかもが予定通りに決められていたかのように、

 彼らは突き進む。

 

 アインズ・ウール・ゴウンの紋章旗を掲げた死の騎士(デス・ナイト)

 紅に煌く眼の黒い一角の獣に跨り手綱を握る死の騎兵(デス・キャヴァリエ)

 都市を警邏のため練り歩き、交通機関の御者台に座っている姿が多かった二体のアンデッドモンスターの他にも、様々な不死者が列をなして、それらが一分の狂いもなく軍靴の音色を奏でている。

 彼らが守護するように、列の中段を飾るかのごとく煌く焔色の宝玉細工の輿(こし)が、豪奢な薄布の御簾(みす)で内部にある人影を、外部から完全に遮断している。八体の魂喰らい(ソウルイーター)によって丁重に運ばれる人物の仔細(しさい)は不明だが、あれだけの人いきれで賑わっていた通りが、水を打ったように静まり返っているところから察するに、かなり高貴な存在であるものと推測して然るべきだろう。

 やがて。

 行進の列は消え去り、世にも恐ろしい大名行列に平伏する市民らは、もとの暮らしを取り戻す。

 誰の顔も恐怖や不安という色は見受けられず、そうすることが至極当然な慣習として、受け入れられているようであった。まるで記憶が抜け落ちでもしたのかと思えるほど、全員が先ほどの「死の行軍」を話題にしない。幼い子供が「カッコよかった!」などと言ってはしゃぐのを、周りの大人が微笑み頷く程度である。

 

 これが、魔導国の日常、か。

 

「あ、あれ……ミカさん?」

 

 再び、ヴェルが消えていたはずの鎧の女を呼んだ。

 先ほど消え失せたように見えたミカが、何事もなかったように、椅子に座っていたからである。

 

「……なにか?」

 

 ほとんど睨みつけるような言葉で応じる女に、少女は二の句が継げなかった。

 今すぐ叱りつけたい衝動を何とか抑えつつ、立ち上がったカワウソは優先すべき情報の確認を急いだ。

 

「さっきの輿(こし)……誰が乗っていたんだ?」

 

 カワウソの視線を受け止めたヴェルは、同じ疑問を抱いていたのだろう。

 そのまま、国の事情に通暁していそうな残る相席者に水を向ける。

 

「ま、魔導王陛下、でしょうか?」

「いいえ、ヴェル様、そしてカワウソ様。あの輿は“参謀”閣下、デミウルゴス様の御息女様のものです」

 

 あまり市井(しせい)に赴く方ではないのですがと説明するマルコの言葉に、堕天使は反応しない。

 それ以外の部分で、カワウソは眉を(ひそ)め、聞いた内容を吟味(ぎんみ)するのに忙しかったから。

 

 第七階層“溶岩”の守護者──“炎獄の造物主”デミウルゴス。

 ナザリック地下大墳墓の最奥に近いだろう階層の赤熱神殿にて、プレイヤーたちを三つの変身形態でもって迎え撃ったLv.100NPCだ。

 

 

 そんなNPCの御息女──娘──それは、つまり……子ども?

 

 

 そんなことが、可能なのか?

 否、この異世界では、NPCたちも生きているようなものなのだから、そういう行為に至ることも可能なのかも。

 …………では一体、どれほどの強さの子を産めるのだ? Lv.100のNPCが産んだ子は、すべてLv.100に至れるとしたら…………これは、とんでもないことになるぞ?

 デミウルゴス自体は強力なパワーで敵対者を圧倒するのではなく、特殊な戦闘スタイルで搦め手を得意とするNPCだったはずだから、そこまで直接的な強さはないかもしれない。が、それでも、Lv.100やそれに準じるほどの強さを量産されでもしたら、どうあがいてもカワウソのような堕天使プレイヤーには勝ち目なんてない。

 カワウソのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のLv.100NPCは、僅か十二。カワウソを数に含めても十三人しかいないのだ。それ以上の数を、魔導国が量産し保有しているとしたら。

 そういえば、同じLv.100NPC──シャルティア・ブラッドフォールン、アウラ・ベラ・フィオーラ、マーレ・ベロ・フィオーレも、あろうことかアインズ・ウール・ゴウン魔導王の“王妃”に列せられていると聞く。

 あの三人のNPC──「少女ら」も、同じように子を産めるとしたら?

 それ以外のNPC──コキュートスや、ナザリック地下大墳墓の未知なる階層や領域の守護者も、子を産んでいるのなら?

 何より、アインズ・ウール・ゴウン魔導王本人が侍らせる残り二人の王妃──アルベドという宰相や、ニニャという女性というのも、子を産んでいるのであれば?

 

「まさか──な」

 

 震える胸の奥に、痛みにも似た恐怖を覚えかけるのを、頭をかすかに振って霧消させる。

 

 ミカの視線が、苦笑するように首を振る主を──さらに、その向こう側──店内奥のカウンター席に()す二人の人影を捉えて、……ふいに興味を失い、そらされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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魔法都市・カッツェ -2

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.05

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事を終えたカワウソたちであったが、食後のお茶を愉しもうというマルコの案には、乗らなかった。

 

「少し、街の様子を見てきたい」

 

 そう告げると、修道女は強く頷きを返した。

 何の気負ったところがない、純粋な善意しか、その微笑みには感じられない。

 だから、たまらず問い質してしまう。

 

「しかし、本当にいいのか?」

「──何がです?」

「マルコは……その、……四人分の食事代なんて」

「ああ、お気になさらず。貧しき人に施すことも、私の信じる道ですので」

 

 彼女の信仰心には本当に脱帽してしまう。脱ぐべき帽子など、赤黒い輪しかない頭にはのってないし、のせることすら不可能なのだが。

 しかしながら、女性に食事をおごらせるというのは、カワウソの常識に照らすなら、かなり抵抗感があって然るべきこと。何より、マルコはこの日初めて会ったばかりの、赤の他人だ。そんな人にいきなり何もかもおんぶにだっこというのは。

 

「ふふ。……そんなにお気になさるようでしたら、こういうのはどうです? 先ほど、リューさんの店で鑑定していただいた金貨。あの二枚を頂戴(ちょうだい)しても?」

「え……だが、あれは1000、ゴウン? くらいの価値しかないんだろ?」

 

 料理のメニュー表を眺めても、数字の羅列……っぽいのはあるにはあったが、やはり値段は不明だったカワウソだ。それでも、まさかドラゴンステーキ四人分が金貨二枚程度で済む額だとは思えない。ユグドラシル基準だと、少なくとも二桁の金貨が支払えなければ購入は不可能な素材なのだ、ドラゴン肉は。

 しかし、マルコは出会った時と変わらず、柔らかく微笑む。

 

「私は、もっと価値あるものだとお見受けしましたので──(わたくし)たちが出会った記念にもなるでしょうし」

 

 是非にと、そう言い含められては遠慮するのも躊躇(ためら)われる。さらに言うと、マルコにはカワウソたちへ都市の情報を快く供与し、ここまで導いてくれた恩もあったので、拒絶するのは礼を失するだろう。

 カワウソは新旧二枚のユグドラシル金貨を、マルコ・チャンの手に、しっかりと渡す。

 金貨二枚など、はした金もいいところだ。カワウソは何桁にも及ぶ金貨を手元に、拠点に、潤沢な量を残している。ここでたった二枚を失ってでも、マルコ・チャンの善意には報いたかった。

 

「ありがとう。恩に着る」

 

 心から感謝を口にするカワウソに、修道女は愛嬌のある笑みで応じてくれる。

 

「ここで待っておりますから」

 

 そう言って、マルコは気軽に手を振って、カワウソと彼の同行者──ミカを見送った。ヴェルはラベンダの様子を見てくると言い、それぞれが別行動を取るために別れる。大まかな集合時刻は、次の鐘の音が鳴る18時と定めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 堕天使と女天使は、目抜き通りのすみずみまで露店で賑わう市街の中、なるべく人通りがなさそうな方向に足を向けた。

 生命の営みが感じられる都市というのは、少し路地裏に入り込んだ程度で人の流入が皆無になることはない。その上、街をくまなく巡回警邏する死の騎士(デス・ナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)などもあって、すれ違うたびに湧き上がる警戒心から精神をすり減らされていく感覚は、本当にまいった。

 そうしていると、どうしてもこの魔法都市が平和で、安寧の時を生きる場である事実を、いやでも痛感させられる。

 すれ違う市民は誰も彼も、凶悪なはずのアンデッドが都市を行き交う光景を何とも思っておらず、子供らの団体が(たわむ)れるように死の騎士の腕や肩に飛びついたり、死者の大魔法使いのあとを行進したり……なんて光景も珍しくなく、それを見守る人々の姿も穏やかに過ぎた。

 集合住宅らしい建物の壁に背を預け、行き交う人波を、ただ、眺める。

 

 人間と亜人と異形。

 

 まさに、“理想郷”ともいうべき平和があった。

 無性に、かつてカワウソが所属していたギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)のことを思い出されてしまう。

 ギルド長の彼女が定めた方針の下、あのギルドには様々なプレイヤーが集っていた。

 人間・亜人・異形の垣根を超えたプレイヤーが十二人……異形種の、当時は純粋な天使種族だったカワウソも含めると、十三人ほどが集っていた、弱小ギルド。

 いやなことを思い出しそうになって、瞼が熱くなる。

 カワウソは眉間をおさえ、頭を大きく振った。

 

 隣に立つミカが心配そうに手を伸ばす気配を感じ、

 ──その手を、即座に掴み、とらえる。

 

「何をしようとした?」

「…………私は」

 

 カワウソは非難がましい声音で指摘する。

 

「おまえ、正の接触(ポジティブ・タッチ)を使っているだろう?」

「……それが、何か?」

 

 悪びれるでもなく、ミカはあっさり肯定した。

 天使種族の特殊技術(スキル)正の接触(ポジティブ・タッチ)”は、任意の対象──手などで接触した存在に対して、ある程度の回復効果をもたらすことができる常時発動(パッシブ)特殊技術(スキル)のひとつだ。接触する時間が長ければ長いほど、回復する体力(HP)量や多数の状態異常(バッドステータス)も治癒可能な「正のエネルギー」を多く与えるものであるが、一部アンデッドモンスターなどが保有する“負の接触(ネガティブ・タッチ)”と相克関係にあるため、そういった負の存在や、属性が悪に傾きすぎたものには、逆にボーナスダメージを与えることになる。天使種族では最上位に位置するミカの扱うこれは、“あるレア種族”の特性やスキルなどと相乗させることで、かなりの性能を発揮するよう、カワウソが徹底的に、自らの手で創り上げた。

 

 カワウソは、思い出さずにはいられない。

 あの、サービス終了の時……この世界に転移した直後。

 恐慌状態に陥ったカワウソの肩に、ミカの手が触れた瞬間に起こった、思考の鎮静化。

 

 

 

 

 

 

 

 ユグドラシルにおいて堕天使には、大きな「弱点」がいくつか存在する。

 

 異形種である堕天使が種族として保有する特徴などを、以下に列挙する。

 

 種族固有スキル“清濁併吞(せいだくへいどん)Ⅴ”の恩恵で、純粋な天使種族ではボーナスダメージとなる呪詛・闇・負属性への高い耐性を唯一獲得し、これによって高位階の堕天使は「呪詛、闇、いかなるカルマ値に依拠した攻撃や魔法、エリアなどでのペナルティやダメージをほぼ無効にする」ことを意味する。

 いわば……天使の絶対的弱点を克服した存在となりえるのだ。

 他にも天使種族の保有する特殊能力として、クリティカルヒット耐性、炎・風・電気属性ダメージ完全耐性、(ポジティブ)ダメージでの回復、聖霊魔法に耐性、「支配」「狂気」への完全耐性など。また上位物理無効化Ⅲ、上位魔法無効化Ⅲ、即死攻撃耐性も備わっている。それが堕天使という異形種の特徴である。

 

 反面、

 堕天使は「堕天した肉体」を持つが故の肉体ペナルティとして、

 斬撃武器脆弱Ⅳ、刺突武器脆弱Ⅳ、打撃武器脆弱Ⅲ、魔法攻撃脆弱Ⅳ、特殊攻撃脆弱Ⅲ、冷気ダメージ倍加、酸素必要、飲食必要(大量)などを被る。無論これらは、純粋な天使種族であれば、冷気ダメージ倍加以外は、かなり軽減・無効化できる弱点ばかりである。

 基礎ステータスも、純粋な天使種族からほぼ半減され、さらに強力な天使種族の攻撃能力を一部減退・制限されることにもなるのは、あまりにも有名な話だ。

 

 そうして。

 極め付けとなる、堕天使の最悪の弱点。

 

 それは──「支配」「狂気」系以外の──、状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ。

 

 この状態異常脆弱Ⅴは、言うなれば、毒・病気・睡眠・麻痺・空腹・疲労・窒息・暗黒──恐怖や恐慌──興奮や混乱などなどの、ほぼすべての状態異常(バッドステータス)各種に罹患(りかん)、影響を受けやすいことを意味する。

 たとえば、毒の沼地に行けば毒ダメージを負い、僅か数分で「中毒」を発症。さらに「猛毒」「劇毒」と状態異常の症状は悪化し、最悪の場合、体力(HP)が0となり死亡。勿論、状態異常を回復する専用治癒薬(ポーション)や、そもそも毒を無効化する装備を身に帯びていれば、とりあえずの問題は解決できる。だが実のところ、異形種でそんなにも状態異常に罹患し、症状が数分で悪化するなんて言うのは極めて稀だ。たいがいの異形種はそういった状態異常とは無縁であることが普通。人間種でも、職業(クラス)レベルをカンストさせれば、ここまで状態異常に脆いものはいなくなるはず。

 純粋な天使であれば、むしろこういった状態異常とはほぼ無縁でいられるもの。天使種族の中で、唯一的に堕天使だけは、そういう弱点を与えられるのである。この点だけを見ても、下手な人間種のプレイヤーよりも遥かに扱いにくく、取得するプレイヤーがどれだけ奇矯かつ奇異な存在に見られていたかがわかるだろう。

 カワウソが転移直後に「恐怖」し「恐慌」し「混乱」してしまったのも、この弱点が大いに影響を及ぼしていたのかもしれない。

 

 ちなみに。

 一応、天使種族である堕天使は「支配」と「狂気」にだけは完全耐性を有しており、これは即ち『堕天使とは、神の“絶対支配”下にある“狂信”者』であるが故のものにすぎない。堕天使は「支配」と「狂気」の状態が基本であり絶対なのだという考え方であり、堕天使固有の耐性・特殊能力に列挙されるものだ。

 

 無論、これだけ大きな弱点を、そのまま抱えたままにしてはいられないため、カワウソはそれ専用の対策も、装備でどうにか克服──もとい、大いに『利用』している。

 

 しかし、この装備は強力な神器級(ゴッズ)アイテムではあるが、自分の内側から生じる状態異常──特に「恐怖」や「疲労“感”」などについては、この世界では特に効果を発揮していないようなのだ。

 ──冷静に考えてみれば、当然か。

 カワウソの(いだ)く恐怖も疲労感も、すべて彼の内側から生じる“感情”であり、外部からの直接攻撃というわけでは、ない。

 カワウソは自らの置かれた状況に恐怖し、思考の渦に精神を疲弊してきている。

 それが、カワウソが獲得し、異世界転移の経過(これまで)で実感している「堕天使」という種族なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 あの時の、転移直後の接触から始まり、彼女は……ミカは事あるごとに、カワウソの恐怖や混乱などの状態異常(バッドステータス)を掻き消していた。そう気づかされた。

 アインズ・ウール・ゴウン、魔導国の名に取り乱し、剣を振るった時。

 マルコ・チャンがこの大陸における常識を、語って聞かせてくれた時。

 ──そして、今。

 ミカは尊大にも聞こえるほど冷酷な声と瞳で、反論する。

 

「この力は、あなたがお与えになったものですが──どう使おうとも私の自由では?」

 

 確かに、その通りだ。ミカには「勝手な行動はするな」と言ってしまったが、常時発動(パッシブ)特殊技術(スキル)のオンオフまでどうこうしろとは命じていない。無理矢理に人に当てはめるなら「呼吸するな」と言われて実行できないのと同じだろうか。

 カワウソは反論しない。

 反論する意味も、ない。

 代わりに、問いかける。

 

「……それは、使い続けても大丈夫なのか?」

「問題ありません」

「……本当に?」

「はい」

 

 確信をもって頷く女天使の碧眼が、実に頼もしい。

 

「そうか……」

 

 諦めたように、カワウソは彼女の右手を解放する。

 

「なら……いい」

 

 ミカは痛めたはずもないだろうが、主人に掴まれた手をさすりつつ、視線を落とす。

 常時発動(パッシブ)といっても、攻撃の際などにオンオフが選択可能な仕様だったのだから、金輪際(こんりんざい)、カワウソに対して発動するなと命じること自体は出来るだろう。

 だが、それだと緊急時の回復手段が減ってしまうということ。ミカ本人が言うところを信じれば、カワウソはほぼ無限に近い回復手段を持っていると考えても、問題ないことになる。これは、実にすごいことだ。かつてのソロプレイ時代から考えると、ミカというNPCが自立行動し、外の世界で護衛についているというだけでも、戦闘において破格のアドバンテージを保有することを意味する。

 ──もっとも、その回復のためには、ミカの手などがカワウソに“触れて”いなければならず、またミカに設定した『嫌っている。』がある以上、どう転ぶか分かったものではないが。

 ──もしも、カワウソが回復をせがむ余り、ミカの我慢や嫌悪感が限界に達し、暴走することになるとしたら?

 そう考えると、あんまり使わない方がいいのかもしれない。

 だが、使えるのなら使うべきだと、判断していいはずだ。

 

『し、失礼します、カワウソ様』

 

 ふと、頭の中に聞き慣れた観測手(オブザーバー)の、拠点にいる少女の声が、〈伝言(メッセージ)〉の魔法によって届いた。

 

「マアトか。どうした?」

『あの、それが、わ、ちょ、ガブさん待っ……えと、み、皆さんが、その』

「皆? ──皆って」

「カワウソ様、〈全体伝言(マス・メッセージ)〉をマアトに」

 

 ミカの無表情に言われるまま、マアトに魔法を使うことを許可する。

 

主様(あるじさま)! 御無事で!』

 

 途端、マアトとは違う女性の声が、頭の中に大音量で響く。

 拠点を幻術などによって隠蔽防衛する精神系魔法詠唱者にしてパワーファイター──銀髪褐色肌の聖女──智天使(ケルビム)Lv.15である隊長補佐が、声を荒げるままの音量を奏で吠える。

 

「ガブ、か? ……どうした? そんな声を出して?」

『先ほど、御命令に従い、主様の破壊した森の修繕にアプサラスと向かったのですが──おかしいです!』

「ちょ、え、なにが?」

『ガ、ガブさん、あの、落ち着いて』

『ごめんね、マアト。でも落ち着いてなんていられないわ!』

 

 ガブは金切り声じみた高音で先を続ける。

 

主様(あるじさま)。記録映像を拝見しました。マアトに通信と観測を中断させる前、主様が破壊した森なのですが!』

「それがどうし…………あ」

 

 そういえば。

 マアトに監視させていたタイミング的に、カワウソが破壊した森は最初に放った“光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ”の一撃くらいだと認識されていただろう。しかし、実際に破壊された森の荒れ様……カワウソが混乱と動揺のまま両手の剣で森を蹂躙し尽くした場面は、マアトの知るところではなかった。

 にも、かかわらず。

 実際にはさらに強力かつ暴力的な戦闘痕を残す森があったとなっては、彼女たちが疑念してしまうのも無理はない。

 マアトの見ていない間に「何かがあったのでは?」と惑乱するのは、十分あり得る誤差ではないか。

 

「ああ、えと──すまん。あれは、何というか」

 

 どう弁論しようかと悩むカワウソに“気づかない”まま、ガブはまくしたてる。

 とんでもないことを報告し始める。

 

 

 

『あの森、どこも破壊されておりませんでした!』

 

 

 

 言われたことが、瞬時には理解できない。

 

「────は?」

 

 言われたことがようやっと脳に染み込むのと同時に、堕天使の思考に、さらなる空白が生じる。

 

『マアトも見ていた、御身の特殊技術(スキル)の一撃で消滅した森の一帯は、完全に、元の状態に修復されていたのです!』

 

 こんなことありえませんと、隊長補佐は吠え続ける。

 

『私どもは至急転移で向かいましたところ、森がそのように復元されていることが確認できたのです。主様の使用した、野営アイテムの避難所(シェルター)は健在でございました。で、あるならば、あの森は勝手に再生する魔法や特殊技術か、〈時間遡行〉などの影響を受けている可能性が高いと推察できます!』

 

 普通の森だと思っていた場所が、そうではなかったことが判明した。

 カワウソが恐慌のまま更地にしたはずの森が、マアトが主人らの転移に合わせて監視態勢を移行したことにより、森からは目を離さざるを得なかった結果──いつの間にか元の深緑の大地を構築していたというのだ。

 これは、ありえない。

 あの森に特殊なフィールドエフェクトは存在しなかったはず。

 少なくとも、カワウソやミカが赴いた時点では、これといったマイナスやプラスの効果を受ける感覚はなかったし、最初にあの森に到達したNPC三人が採取し調査できた草木というのも、これといった異常や特徴は見受けられなかった。時間が遡行する──「巻き戻る」なんて大魔法が働いていたら、時間魔法対策を備えるカワウソたちに影響を及ぼさないとしても、それ以外の存在……特にヴェル・セークや追跡部隊などはもろに影響を受け付けていないとおかしすぎる。時間系の干渉や事象があることはないと見て、ほぼ間違いないだろう。

 

 なのに、一日もせず自己再生する森が存在するというのは、……つまり、どういうことだ。

 

 しかも、野営アイテム……地下避難所の周囲一帯を薙ぎ払った規模の破壊を、数時間足らずで。

 この世界独特の植物の成長速度の法則が? あるいは何らかの魔法で──天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に属するものとはまったく違う森祭司(ドルイド)が育成した結果、とか? しかし、そんなことが実現可能なのか? この世界独自の魔法や、アイテムの影響が? 考えてみると、あの森には生命らしい生命を確認することができなかったのも奇妙ではないか? あまりにも疑問が多すぎる……

 

「…………沈黙の森…………空白地帯」

 

伝言(メッセージ)〉の魔法越しに、全員が虚を突かれたように押し黙るのに気づかず、カワウソは誰かから聞かされた単語を反芻する。

 それはあの修道女──マルコが語った、森の名称。

 それがカワウソにとって異質な響きを帯び始める。

 彼女が呟いていた言葉を、可能な限り、思い出す。

 

  (いわ)く、スレイン平野は、禁忌の地────

  曰く、守護者様に、大罪を働きし者共の────土地────

 

 ゾッ、とする可能性が、背筋を幾本の刃となって突き刺した。

 心臓が握りしめられてしまったように、苦しみを訴え始める。

 自分たちが、巨大な掌の上で転がる様を幻視せざるを得ない。

 

主様(あるじさま)……一刻も早く、ミカと共に御帰還ください!』

 

 鋼鉄のように硬い声で、意見具申するガブの声に耳を傾ける。

 だが、

 

 

 

「──戻って、どうしろと?」

 

 

 

 カワウソは冷静に、冷徹に、ガブの進言を棄却していく。

 理由は、宿屋に残したヴェルとマルコに心配をかけるだろうから──では、ない。

 

籠城(ろうじょう)でもするのか? この大陸を支配する存在に対して? たったひとつの城しか持たない俺たちが、か?」

 

 暗い声で紡ぐ現実に、ガブはそれ以上、抗弁する意気を見せず押し黙る。

 これは、彼女の理解力が深いことを物語っているとみるべきだろう。

 (くだん)のギルドと、カワウソの創ったギルドの戦力比を(かんが)みれば、持久力を要求される籠城など、無意味である以上に、緩やかな自殺行為にしかならない。

 

「マアトから聞いていないか? ──この大陸は、あのアインズ・ウール・ゴウンの支配下にある、と」

『……はい。聞きました』

 

 どうにも、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたちも、ユグドラシルのギルド:アインズ・ウール・ゴウンのことは知悉(ちしつ)しているようだ。ヴェルから最初に聞いたその名前に、拠点NPCの長であるミカが一早く反応できていたのだから、他のNPC──ガブたちも知ってはいるのだろうと予想は出来ていた。

 これは、カワウソが彼らをそれぞれ作った際に定めた設定文の影響か、あるいは円卓の間などで眺めた動画(ムービー)から知識を得ているのか……または両方によるものか、判然としない。

 いずれにせよ、NPCたちも、カワウソの復仇(ふっきゅう)の対象であるものを知覚し、認識し、理解できてはいるらしい。

 隣に立つ黄金の女天使は、カワウソの言に反駁(はんばく)することなく、そこに佇み続ける。

 

「──戻ったところでどうしようもない。であるなら、少なくともこの大陸の、この世界の、実情と現状を把握し、今後の活動方針を確かにする必要が、ある」

 

 そうとも。

 まだ決定的な状況であると確定したわけではない。

 監視の目がどこそこにあるとか、明らかに拠点へ侵攻しようという軍勢が現れたわけでもないのだ。

 

 まだ、まだどうにかできる。

 どうにかする猶予が、ある。

 そう信じるしかないだけと言われれば、そうだとしか言えないだろう。

 それでも、カワウソはその可能性に、賭けるしかないのも事実だった。

 

 戻って対策を協議する暇があるのなら、少しでもこの世界の、この大陸の──この魔導国の情報を集積し、いかなる対抗策があるのか……あるいは、ないのか……調べなくては話にならない。

 籠城など論外だ。

 カワウソの保有する戦力は「ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)」拠点レベル1350の地下潜伏型のギルド。Lv.100NPCは十二人。Lv.35が四体。Lv.1が十人のみ。課金アイテムはかなりの量を私蔵しているが、そのすべてを手元のアイテムボックスに入れることは不可能。というか、割と微妙系アイテムが大半な、課金ガチャの外れ景品みたいなもので、使えるかどうかも怪しい。

 カワウソが保有する世界級(ワールド)アイテムは、この身に1つだけ装備されているそれのみ。

 

 ──対して。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウン──および魔導国の戦力は、ひとつの大陸全土に及ぶ臣民。いかなる技術でか不明だが、時間制限なしに保有する大量無比なアンデッドモンスターの数々……概算で数万規模。さらに、少なくともLv.100NPCが五人。他にも高レベルモンスターNPCが多数。「ナザリック地下大墳墓」の、ランキングデータを参照した拠点レベルの情報は2750……最大が3000ともなる拠点レベルに、あとわずかで届くという、十大ギルドの座に君臨するにふさわしかった、強大なダンジョンであったのだ。

 そうして、世界級(ワールド)アイテムの保有数は、桁違いの11個……のはず。

 この世界独自のアイテムや魔法、さらには、カワウソの知り得ない新たな世界級(ワールド)アイテムも有しているとしたら……

 

「……馬鹿馬鹿しいな」

 

 これだけ戦力に違いがある相手に籠城を決め込めば、一方的に蹂躙されるだけだろう。圧倒的な物量戦で押し潰されることは明々白々。

 数万のアンデッドモンスター……それは、下手をするとその存在自体が、専門の超位魔法か、世界級(ワールド)アイテムによる召喚攻撃に匹敵する戦力であり暴力だ。さらに、桁が一つ二つ増えれば途方もない。いかに雑魚とはいえ、100万の軍勢に無双できるほど、Lv.100という存在は万能ではないだろう。体力(HP)魔力(MP)が尽きれば、死あるのみ。蘇生アイテムや蘇生魔法が使えなければ、それまでというわけだ。全方位から拠点に強襲をかけられたら──とてもではないが、想像を絶している。100万の軍勢なんて、ユグドラシルの十二年という長い歴史上でも、果たしてどれだけ実行された規模の攻撃だというのか。

 その矛先に、自分自身が晒されると考えただけで、肺腑が凍る。

 しかも、カワウソのギルド拠点は、現在は吹きっさらしの大地の中心で、鏡一枚だけを出入口にしている状況を思い出すと、嫌な可能性が想起される。

 

 システム・アリアドネ。

 ユグドラシルのゲームシステムにおいて、ギルド拠点への侵入を完全に防ぐような措置――たとえば、絶対に拠点を攻略されないよう出入口を完全封鎖するために、“都市”であればすべての門を閉じ、すべての壁を侵入不能にし、すべての空を〈飛行〉不能にする。“地下城砦”であれば地表との通路や転移装置などを破壊するなど──を拠点製作時に施したギルドに、運営がペナルティを与えるものだ。

 ギルド拠点となるダンジョンは、入口(スタート)から心臓部(ゴール)までを一本の糸で繋がねばならない。どんなに難解複雑な迷路を建造しても、誰も終点にたどり着けないものでは、インチキ過ぎる。システム・アリアドネは他にも内部を歩いた距離に比例して、どれほどの扉を設置せねばならないなどの制約を、事細かくユーザーに定めていた。ちなみに、課金などの方法で、ある程度は魔改造を組み込むことは、一応可能ではある。

 このシステムに著しく違反したダンジョンが創設された場合、そのギルドにペナルティとして、ギルド資産が一挙に目減りする現象が発生。

 拠点を管理維持するために必要不可欠な財貨が尽きてしまえば──あとは、言わなくてもわかるだろう。

 

 ここは、ユグドラシルではない。

 だが、可能性は、なくはないだろう。

 システム・アリアドネが機能しているかは不明だが、他のユグドラシルの法則が適用されている世界で、同じようにアリアドネも機能していたら……あの〈転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)〉を破壊されただけで、カワウソたちの拠点はペナルティを被ることになるかもしれない。

 そして、この異世界にはユグドラシル金貨は流通しておらず、モンスターからのドロップも期待できない以上、拠点内にあるアイテム換金のためのエクスチェンジボックス──通称“シュレッダー”を、商人のレベルを持つNPCに使わせて獲得するしか、他に手がない。

 あの初期からある鏡の他にも、転移用の鏡を増設した方がいいかもしれないか。

 思ったカワウソは即決する。

 

「ガブ。早急に第四階層の金庫にある〈転移鏡〉を三つほど用意しろ。予備の出入り口として、起動するように手配を」

『よ、よろしいのですか? 出入口が合計四つとなると、敵に侵入される(おそれ)が増大しますが?』

「……入口が今のままでは、破壊された際の被害がとんでもなくなる。防衛と隠蔽の対象が増えて負担だとしても、最低でもひとつは、予備を設置しておかねばならない。鏡の直衛は、現状の二匹体制を一匹体制に減らして、二つの鏡を六時間交代で護衛させるようにするんだ」

『──かしこまりました。しかし、シシやコマたちは疲労しませんが、一体ずつのみでは、有事の際には不安が残るのでは?』

 

 動像獣(アニマル・ゴーレム)の彼らは、拠点防衛のために有用な守護というよりも、“警報”を期待して作った存在だ。この大陸を(ひし)めく雑魚アンデッドと互角に渡り合うことは出来ても、それ以上の強者に会敵しては無力極まる。彼らの“最終手段”を使えば、格上の存在にもある程度の威力は期待できるが、それでも二桁の敵対者を前にしては、容易に突破されるだろう。

 

「それならば、カワウソ様。我等の拠点防衛隊の内、二人ほどを鏡の護衛につけることを提案いたします」

 

 防衛隊隊長であるミカの提案に、補佐のガブも同調する。

 

「うん……とすると、誰がいいか」

 

 補助役(サポートタイプ)の二人、マアトとアプサラスは除外。防衛と隠蔽の魔法を発揮するガブも、拠点内に籠らせるべきか。カワウソは、他のNPCに設定したレベルや保有スキルを、ひたすら思い出していく。

 

「……鏡の護衛や、急襲時の時間稼ぎに使えそうなNPCは、前衛タンクの防衛隊副長・ウォフと、斥候としての感知能力を持つタイシャが適任……か?」

「ウォフは前衛としての戦力に信頼はおけますが、タイシャは、あまり通常形態でのパワーは期待できません。この二人を別個に護衛に就けるのはお勧めできませんが」

「……誰も別個につけるとは言ってないぞ?」

 

 疑念するミカに、カワウソはとりあえず告げる。

 

「二人一組で、初期設定の転移門周辺を護衛させる。予備の方に、シシやコマたちを配置する。悪いが、さっき言った一匹一匹体制は撤回だ。防衛隊のNPCが使えるとなれば、より防衛はしやすくなるだろうからな」

「それは、どういう……」

 

 カワウソは、疑念し続けるミカに向け、左右両手の人差し指をたてて示した。

 

「ここに二つの進入路がある。一方は屈強な番人が二人いて、もう一方は貧弱な獣が二匹いるだけとしたら、ミカなら、どっちに進む?」

「──そういうことですか」

『どういうこと、ミカ?』

「予備の方を囮にし、そちらから侵入しようとするものを、狩る」

 

 ミカの言は、カワウソの思う策そのものであった。

 シシとコマたち……明らかに弱い小動物然とした方に敵を誘引し、ひっかかった連中を逐一打破していくという、かなり基本的な策略である。動像獣たちには悪いと思うが、もともとの運用方法が似たり寄ったりな感じなので、大丈夫だと思いたい。思うことにするしかない。

 何より、ミカやガブたちも、その案に対して忌避感を抱いている節は見受けられなかったのも助かった。

 同種族でないから無視できるのか、あるいはシシやコマたちの役割や思考体系を熟知しているからなのか……たぶん後者だと思われる。

 交代要員として、瞬間火力と広域殲滅力で最強の魔術師(メイジ)であるウリと、多くの長距離戦用兵装を有する兵士(ソルジャー)のクピドも、予備としてつけておいた方がいいと判断しておく。あいつらであれば、一応は二桁から三桁の雑魚モンスターに攻め込まれても、迎撃し時間を稼ぐくらいのことは可能だろうから。

 ミカは目の前で顎を引き、〈伝言(メッセージ)〉越しにもガブが肯定の意を示す。

 

 

 無論、その程度の対策で万全とは言えない。

 

 

 誰にも知覚できない超長距離から狙撃されるとか、あまりにも大量の軍勢に攻め寄せられたりしたらとか──無数の問題点を抱えている。そこはマアトの監視や、ガブの防衛力に頼むしかないが……あの二人の魔力だって有限である以上、どこかで隙が生じるだろう。いざ戦闘になった際の治癒係(ヒーラー)も残しておく方がベストだと考えると、イスラも拠点に残留させるべきか。

 こちらの交代や休息時……その時をこそ狙いすましてくる連中がいれば、NPCたちの全戦力を傾けて迎撃するほかない。

 そういった迎撃体制を整えるためにも、情報収集と異世界探索は継続し、かつ、早急にやり遂げねばならない。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の情報。魔導国が確実に動かせるだろう全兵力。この世界独自の魔法や特殊技術(スキル)、高レベルモンスターの有無。ユグドラシルと同じ法則と──異なる法則の検証と実験。

 これらすべてを把握するには──

 

「手が足りない……か?」

 

 拠点防衛のために、残しておくべき戦力は六体以上に微調整。

 ガブ、ウリ、イスラ、ウォフ、タイシャ、マアト、アプサラス、クピド……合計八体。

 魔導国の実態と実情を調べるメンバーを選抜する必要性に迫られる。

 残る四体のNPC……ミカ、ラファ、イズラ、ナタ……を使うより他にない。

 幸いというべきか、残っている四体のNPCには、そういった隠密性などに秀でたレベルや装備を保有、所持可能な存在が多数をしめている。だが、それだって絶対安全とは言い切れないだろう。

 

 ないない尽くしで嫌になってくるな。

 だが、弱音や愚痴など無意味なことは、歴然とした事実。

 

 二人の感知をすり抜けようとする敵がいた場合、動像獣部隊(シシやコマたち)を緊急対応的にぶつけて様子を見るか……いや、相手が友好的に事を進めるタイプであれば……って、入口に隠形して近づくというのは、どう考えても敵でしかないはず。

 ……否。

 カワウソたちはまがりなりにも、一国家の土地に転移してしまったのだ。スレイン平野がどうして「禁忌の地」なんて称されているのか知ったことではないが、カワウソのギルドは、魔導王という人物の土地に勝手にお邪魔しているような状況である。警戒して近づいてくる調査隊というのも、十分にありえる話ではないのか。

 

「いずれにしても、一刻も早く、情報を集めるしかない」

 

 己に言い聞かせるような調子で、今後の方針を確固たるものとする。

 ミカやガブたちも首肯の気配でもって応じてくれた。

 拠点の防衛を密にしつつ、いざという時の保険も用意し、なおかつ、自分たちがこの世界で生きていくのに必要な措置を講じねば。

 こそこそ隠れることはソロプレイ時代からの慣習だったので抵抗などないが、果たして一体、どのようにして生きていけばよいのか、まるで想像もつかない。

 

 自分たちから望んで連中に──魔導国に下るか?

 しかし……あのPKやPKKを繰り返していたDQNギルドが、自分たちのような存在を受け入れるものなのか?

 

 たった二つながら、それ故に厳しい“加入条件”を課していたことによって、その内実を知るユーザーはほとんどいない。時折、ギルド長のモモンガがユグドラシル内で取材に応じていたことがあるぐらいで、彼らが何故そこまで「悪」にこだわるロールプレイに傾倒したのかは、長らく謎であった。

 ゲームのサービス終了日にはランキング29位に……最低だと48位まで落ちていたこともあったか……細々と名を残していた程度で、構成メンバー41人中40人、ほぼ全員のINが確認されなくなって久しかった。唯一、定期的にスレなどで「ギルド長(モモンガ)の姿を見た」という情報が時々ある程度。

 

 しかし、だ。

 普通に考えるなら、あのギルドはかなり健闘した方なのである。

 

 ギルド最大構成員数100名であるにも関わらず、その半分にも満たない人数で、十大ギルドに名を連ね、世界級(ワールド)アイテムを桁違いの数保有した、伝説の存在。メンバーのほとんどが辞めた状態だとしたら、終了日で29位というのは、途方もない大健闘だと言っても過言にはなるまい。

 これは彼らアインズ・ウール・ゴウンだけではなく、全盛のころのユグドラシルに存在したギルドのほとんどが同様の末路をたどっている。中にはメンバー全員が引退するのを機に、保有していたレア装備の払い下げが盛んに行われ、カワウソが保有する神器級(ゴッズ)アイテムの大半がその時に購入したものばかり。

 かつては四桁……大小強弱を問わず、1000を超えるギルドが(しのぎ)を削っていたユグドラシルも、末期にはギルド解散や消滅が相次ぎ、その総数は800弱にまで減退していたのだ。

 こういうのを何だったか。

 (つわもの)どもが夢のあと、だったかな。

 

「……マアト」

『は、はい!』

「ヴェルとマルコたちの推定レベルと……街道にあった看板の文字、解読の方は?」

 

 終わっているか(たず)ねると、少女は肯定の声を紡いだ。

 ヴェルはLv.20前後という結果で、やはりユグドラシルの前提条件を満たしておらず、その乗騎となる飛竜にしても、Lv.20相当のモンスターであると試算された。

 だが、

 

『マルコさんは、申し訳ありませんが、その、測定できませんでした』

「……マルコ、だけが?」

『たぶん、何かのアイテムか装備の影響だと思うのですが、これ以上は、その、直接見て確かめる以外の方法がなくて……すいません』

「気にするな、マアト」

 

 マルコについては要注意ということが判明しただけでも、彼女の鑑定結果の功績は大きい。現地人でも、情報系対策は万全に備えているのかもしれないという事実が、カワウソの意識をより引き締めてくれる。

 マアトは続けざまに、街道にあった立て看板の詳細を報告してくれる。

 解読できた文字列は、以下の三つ。

 

 

「第一魔法都市・カッツェ。

 ~絶対防衛城塞都市・エモット、アゼルリシア領域への中継地~」

 

「冒険都市・オーリウクルス。

 ~第二魔法都市・ベイロン、中央都市領域への中継地~」

 

「第一生産都市・アベリオン。

 ~空中都市・エリュエンティウ、南方士族領域への中継地~」

 

 

 実に看板らしい、簡潔な案内文であった。

 そして、そのどれもが、カワウソの知らない単語……都市の名前であった。

 この内の魔法都市・カッツェという土地に、現在カワウソたちはいるわけだ。

 

「……他の都市にも──情報偵察に向かうべき、か」

 

 その必要性は十分あるものと考えられた。

 カッツェという魔法都市は、実に穏健な人々の営みで溢れているが、それ以外だとどうなっているのか、純粋な好奇心が湧き起こる。

 冒険者の都という土地はどのようなものか──第二魔法都市というのは、このカッツェとはどう違うのか──生産都市とやらの役割とは何か──領域と呼ばれる土地とは──他にもあるのだろう、さまざまな都市や土地のありようは、どれほどカワウソの心を捉えてくれるのか……知りたかった。

 何より、ナザリック地下大墳墓を擁するという城塞都市──「絶対防衛」を謳う“エモット”なる都がどんなものかは、非常に興味深い。本当に、この世界にナザリック地下大墳墓があるというのであれば、実際に見て確かめておきたい衝動を抑えきれない。

 わざわざワールドを移動してソロ攻略に長いこと挑んできたカワウソにしてみれば、目と鼻の先といってもよい距離感ではないだろうか。

 何より、この世界にはグレンベラ沼地のような、強力な毒ダメージなどがないだろうというのは、それだけでかなり難易度が下がる。沼地は毒ダメージのみならず、面倒な蛙型モンスター……ツヴェーグ系の群れなども多数出現し、本当に攻略難易度を引き上げてくれたもの。酷い時は一日費やして、大墳墓の表層にすらたどり着けないこともありえたのだ。……カワウソ一人では。『敗者の烙印』を押されたプレイヤー、ただ一人では。

 勿論、この異世界でナザリックを直接防衛する都市というからには、この都市ほど潜入など容易ではないだろうと思われる。侵攻など不可能かつ無理な警備体制である確率は高いだろう。そうでなければおかしい。

 調べてみないことには判然としないが、城塞都市というからには、本当に城塞が聳えるように建立されていても、なんら不思議ではない。下手をすると、上位アンデッド……蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に代表される高レベルモンスターのみで構築された防衛部隊が鎮護していることも、可能性としてはありえると判断しておく。

 カワウソはミカ以外の、調査に適しているだろう三体のNPCの名を呼ぶ。

 

「ラファ、イズラ、ナタ」

『はい、我が主よ』

『どうかしました?』

『何事ですか、師父(スース)!!』

 

全体伝言(マス・メッセージ)〉によって繋がっていた──しかし儀礼的に沈黙していた彼ら三名に、カワウソは命じる。

 

「おまえたちには、各都市とやらに出向いて、魔導国の人たちの暮らしぶりなどを調べてきて欲しい」

 

 隠密裏に行うことを厳命され、一も二もなく、三人はそれぞれが承服の言葉を紡ぐ。

 

「そして、ミカには悪いが……引き続き、調査に赴く俺の護衛を勤めてもらう」

「お待ちを…………拠点に、戻るつもりはない、と?」

 

 堕天使はミカにきっぱりと頷く。調査には自分自身も使わねばならないと、厳かに告げる。

 魔法越しに、NPCたち全員が驚愕の声をあげる様が響くが、構わない。

 

「ミカにも言ったことだが……俺一人がのうのうと、ギルドの奥に留まっていることは出来ないのが現状だ。そのことを、おまえたちにも理解してほしい」

 

 告げる主人の声の硬さに納得してくれたのか、全員からの抗弁が途絶える。

 主人(カワウソ)を嫌悪しているミカであるが、その性能──防御力と治癒力は、必ずカワウソに利するはず。ギルド最高の叡智を備えるという設定も便利に扱うことができれば、尚良しだ。

 ──さらに。それとは別の打算もいくつかあるにはあるが、果たして彼らは、カワウソの異なる企みに気づいているのか、いないのか。

 

『しかし、カワウソ様。せめて、護衛をもう一人くらい付けた方がよろしいのでは?』

 

 そう最後に意見具申するガブの声音は、真摯にカワウソの身を案じていると判るほど柔らかく暖かだ。

 マアトはこの後、ギルド防衛のための監視体制拡充のために働く。

 そのため、これまで通りのリアルタイムな観測手(オブザーバー)は、作業量的に無理があると判断されて当然だった。カワウソは真実、ミカと二人で異世界を闊歩(かっぽ)せねばならなくなる。

 二人一組で調査に赴くよりも、三人一組の方が、主人の護衛は万全に保たれるという意見であって、別にカワウソ本人やミカの能力を疑っているわけでないことは、その声音から窺い知ることができる。

 その優しさが痛いほど胸を苛む。

 だからこそ、カワウソは、言う。

 

「……問題、ない。ミカと俺なら、とりあえず戦闘に不備が生じることはないだろう」

 

 本音を言うと、ギルド最強の攻撃性能を与えた花の動像(フラワー・ゴーレム)・ナタも連れていければ、基本戦闘のパーティーとしては完璧なのだが、調査隊を減らしてまで攻撃力に特化した──ギルドにおいて「最強の矛」たる存在を連れ歩く意味は薄いと判断する。むしろ、彼の能力ならば、「単独」でLv.100の存在と一対一で相対しても、圧倒できるだろう。自分の拠点の第一階層の守護を任せ、最終戦である第四階層にも動員できるよう特別に作った存在の強さは伊達ではない。

 自分の身はかわいい堕天使であるが、だからこそ、調査隊の数と質が、今後の運命をわける状況であると納得もできている。

 調査は合計四つの班。

 ラファ、イズラ、ナタ、さらにカワウソとミカの四チームで挑むことが決定した。

 承知の声を真っ先にあげる隊長補佐、智天使(ケルビム)の聖女に向かって、カワウソはある事実を確かめておく。

 

「ガブ……おまえ確か、〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉が使えた、よな?」

 

 無論ですと、ガブは誇るように応じる。

記憶操作(コントロール・アムネジア)〉系統は、精神系魔法に特化したレベルをいくつか保有する彼女であればこその魔法だ。

 それを使って、ヴェル・セークの記憶をいじれば、とりあえず自分たちと初遭遇した際の不審点──魔導国の実情を知らないこと、転移魔法を軽く扱えてしまうこと、など──を帳消しにできるだろう。わざわざ少女の命を摘み取るよりも穏健な解決方法が見いだせて、カワウソは大いに安堵の吐息を漏らしてしまう。

 

「とすると……ガブには一度、こちらに来てもらう必要があるか」

 

 魔法の向こう側で首を傾げているらしいガブに、カワウソは言った。

 

「──ありがとな、ガブ。心配してくれて」

『か、感謝されるなんて! と、とんでもないことです!』

 

 泡を喰ったように応対する声が耳に心地よい。

 ガブの好意と厚意に甘えつつ、そんな自分の軽薄かつ仄暗い(はかりごと)に吐き気を催す。

 他の──ミカ以外のNPCから感じられる敬意や尊重、(あるじ)に対する信頼や親愛を、カワウソは裏切っている。利用している。自分が生き残りたいがためだけに。

 これが、堕天使のあたりまえな思考なのか。

 もしかすると、自分の本性そのものなのか──まるで判然としない。

 あまりにも情けなくて吸い込む空気が重く、不味(まず)い。

 自分の中身がドロドロに濁った汚れに満ちているようで、気分が悪くなる。

 そうして、カワウソは自分以外に調査に赴く三人のNPCに、諸注意としてのルールを定める。ガブたちにも再三にわたり、ギルド拠点の防衛と対策を密にするよう命じると、魔法を断ち切った。

 

「ふぅ……」

「カワウソ様」

 

 限界だった。

 軽く笑ってみせるが、胸の奥が震えて、しようがない。

 

「何、なんだろうな……この世界は」

「──カワウソ、様?」

 

 建物の外壁に身体を預け、ずるずると、鎧越しの背中を引き摺るように、座り込む。

 全身を丸め、足を抱いて、顔を埋めた。

 

「すまん……少し、……少し疲れた」

 

 泣きたくなるほどの不安感を、ミカが背中にかけた掌の温度で和らげてくれる。

 自分を癒すNPCの、その峻厳な表情を横目にする。

 主を案じているとはとても思えない無表情が、カワウソの視線を受け止めて……やはり醜悪な堕天使の面貌に耐えられなくなったのか、あるいはあまりの体たらくぶりに呆れ果てたかのように、視線を落とした。

 

 カワウソは、久しく感じたことのない安堵感に、深く息をする。

 

 そのまま微睡(まどろ)むような時を、ただ過ごす。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 宿の係留所で、ヴェル・セークは相棒である飛竜の鱗を撫でながら、ひとつ相談していた。

 

「うん……そうだね。やっぱり、このままじゃ、ダメ……だよね」

「クゥ……」

 

 魔化された丈夫な樹の柱と柵に囲われた竜。大量のモンスターが畏怖して当然の竜種族のラベンダであるが、ここでは割と低い等級というか、他の騎乗用の魔獣が凄すぎて、借りてきた猫みたく身を縮こませていることしかできない。けれど、彼女はそんなことを苦にはしていない。もっと別のことに……ヴェルのことについて、心を痛めてくれている。

 慈しみを纏う相棒の心配げな声と眼差しに、騎乗者たる少女は頷きを返した。

 ラベンダとヴェルは、互いが生まれた頃からの付き合いだ。

 いつだって共に食事し、共に遊び、共に寝て……今も共に、生きている。……そして、その後(・・・)も。

 

「じゃあ、そうするよ」

 

 一人と一匹は、互いに静かな覚悟を込めて、自分たちの今後を、決定する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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襲撃

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.06

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 18時の鐘の音が鳴る頃に再集合したカワウソと、ミカ、ヴェル、マルコの四人は、マルコの進言で宿の部屋に案内されそうになる。

 だが。

 

「すまないが。やっぱり俺たちはここで別れるよ」

 

 なるべく明るい声で、きっぱりと告げてみせる。

 

「え……そう、ですか?」

 

 意外そうに眼を見開くマルコに、カワウソは静かに、そして確かに頷く。

 さすがに宿の世話までさせるのは、気が引けたというのが大きい。異世界の宿屋がどんなものか興味は尽きないが、さすがに断固辞退しておくべきだろう。──マルコの金銭的・経済的なアレで、ミカと二人部屋にされそうになった時には、本当にヤバいと感じたのもあるが。

 何より、この女性を、善意を供することに抵抗のない現地人を、カワウソの事情に巻き込みたくはなかった。

 さらに言えば、マルコのレベル算出が、マアトの魔法では不可能だった事実も、過分に影響を及ぼしていた。

 どちらの比重も奇跡的なバランスの上で拮抗しており、だからこそ、これらすべての要因が、マルコ・チャンへの警戒心を増幅させているのが事実だった。

 たとえ、その微笑が、その言葉が、その態度が、どんなにも、好ましく愛らしい代物であったとしても。

 そんな堕天使の疑惑を知らぬ様子で、彼女は小首を傾げ、問う。

 

「今から、都市の外に? ──行く宛は、お決まりなのでしょうか?」

「とりあえずは、うん……このまま、北に向かおうと思う」

 

 城塞都市・エモットなる、魔導国の中枢。

 そこにあるだろうナザリック地下大墳墓に──近づくことは不可能かもだが、その都市がどんな規模で、どんな場所なのか、確かめておきたい衝動は覆せない。あわよくば……なんて馬鹿げたことを思考する自分が、かなり卑屈に思えた。実際、そうなのだろうとも納得しておく。

 

 そうして、もう一人……

 竜の鎌首を撫でる少女も、さすがに都市に滞在し続けることは遠慮する意を示す。

 

「あの、私も、もう大丈夫です、マルコさん」

 

 ヴェルもまた、これ以上は迷惑をかけたくないと、ラベンダが治った以上は自分たちと行動を共にする必要も義務もないと、主張する。

 その言葉の裏には、自分が魔導国に追われる立場にあること、そんな罪人がこれ以上カワウソやミカ、マルコと共にいることは、互いのためにならぬと自覚していることが、大いに含まれていることがわかった。

 すっかり復活した相棒の飛竜と相談して決めたのだと、ヴェルは譲る気配を見せない。

 飛竜騎兵の少女はもう一度、頭を深く下げた。

 

「本当に。お世話になりました」

「そう、ですか……もう少し、皆さんのお話をうかがいたかったのですが」

「私もです」

 

 二人が淡く微笑む様を、カワウソはただ見つめる。

 少女は誠実な物腰と言葉で、相棒を治癒してくれた救済者……今も荷の中に残りがしまってある治癒薬(ポーション)まで買い与えてくれた男装の麗人に、底知れぬ感謝を募らせる。

 

「この御恩、忘れません。できれば、何かお返しができればいいんですけど」

「お気になさらないでください。私が、勝手にやったことですので」

 

 はにかむ頬を指でかくマルコ。ヴェルも柔らかな気持ちを、その(おもて)に浮かべて示した。

 

「カワウソ、さん」

 

 ヴェルは、少し離れたところにいた男に駆け寄った。

 

「本当に──本当に、ありがとうございました。あの森で、私を助けてくれて」

「感謝されることじゃ……」

「それでも、ありがとうございます」

 

 かすかに怯えるように言い淀む男に、少女はまっすぐに言ってくれる。

 ヴェルは不意に、カワウソに前かがみになるよう手振りで促す。それに従うと、少女は「森でのお話。私、絶対に誰にも言いませんから」とだけ告げてきて──どきりとした。

 追跡部隊の件も、すべて自分の胸におさめておくのだと。

 カワウソは呆れた。心の底から。

 潔いのを通り越して、馬鹿みたいに優しすぎる。

 

「だから、私のことは気にしないでください」

 

 そう言う少女は、これからこの都市の衛兵所に赴き、自首するという。より厳密に言えば、出頭というべきか。

 そして、然るべき裁きを受けようと──静かに決意していた。

 

「大丈夫なのか?」

「……正直、今でも不安ですけど、これ以上逃げ続けて、部族の皆に迷惑や嫌疑をかけられたら大変ですから」

 

 カワウソの問いかけに、ヴェルは表情を和らげようと努める。

 表情の硬い少女は、相棒の飛竜(ラベンダ)と相談し、決めていた。

 何も覚えておらず、わけもわからぬまま、正確な情報も知らないで逃げ続けるしかなかった少女は、マルコの話を聞いて、とりあえずの安堵を覚えていた。自分の命は勿論惜しいが、街頭の水晶の画面から流れるニュース情報を聞く限り、そこまで破滅的な結果には繋がっていないと知って、ようやく決心がついたのだと。

 むしろ、これ以上の逃亡は不可能だと判断された結果ともいえる。

 

「それじゃあ……皆さん、お元気で!」

 

 クシャリと笑う彼女に、続く飛竜の声が軽やかに響く。

 相棒と共に(きびす)を返した少女は、夕暮から宵闇に染まる目抜き通りを進んでいく。

 薄紫の髪は、一度も振り返ることなく、去ろうとして。

 

「──待ってください」

 

 白金の髪を揺らす修道女が、ヴェルの背中を追う。

 

「私も、共にいきます」

「え……でも。私と一緒にいたら」

「ここまで来れば、乗り掛かった船です」

 

 ヴェルは、けっして弱音を零さない。

 ただ、代わりに、深く深い感謝のまま、頭を下げるしかなかった。

 少女らの罪は、重いのだろう。その小さな肩に負うには、あまりにも酷烈な未来が待っているのやも知れない。

 しかし、それでも、そこまでの道のりを、肩を並べ共に歩んでくれる善人がいてくれるというのは、とんでもない安堵をもたらしたようだ。

 だが、だからといって、カワウソは彼女らについていこうという気概は、まったく湧かない。

 

「──じゃあ。俺たちはここで」

「カワウソ様、ミカ様。お二人とも、お気をつけて」

 

 カワウソは、通りを行く少女と飛竜、修道女の背中を、ただ見送る。

「マルコがついていくのなら安心」というよりも、情けないほどの自己保身に駆られた結果だ。

 ──自分(カワウソ)は、連中と、魔導国の王と、事を構えたくはないのだ。

 最後まで礼儀正しく心清らかな乙女らを見送り終えると、カワウソたちは北に向かう……フリをする。

 

「案内、頼む」

 

 カワウソが短く命じると、終始沈黙していたミカは「了解」の意を唱え、前を歩く。

 宿屋の前からほどなくして身をくらませると、誰もいない路地裏をようやく見つけ、神器級(ゴッズ)アイテムのマント“タルンカッペ”の〈完全不可知化〉を発動。ミカも同様に装備の魔法を発動し、姿をくらませることはできる(昼食の時、あの行列を前に姿を消したのと同じ理屈だ)が、今回はカワウソの装備効果の範囲内に取り込んだことで、互いに意思の疎通と存在認識には、影響を及ぼさない。不可知化の帳の下、彼女が特殊技術(スキル)で感知可能な存在を探す。

 五度ほど、整えられた区画を抜けて、粘体(スライム)に清掃される綺麗な街の路地を折れ曲がった時だ。

 

「この上です」

 

 言われ指差された建物は、この街区でもそれなりの高さを誇る集合住宅らしいが、沈黙の森や岩山を走破したカワウソであれば、外壁を駆けあがることで簡単に登頂できる。装備した指輪のひとつ“簡易登破の指輪(リング・オブ・イージークライム)”と、堕天使の身体能力の賜物であった。魔法的な防御を張られた城壁などには通用しないものだが、異世界の建物の壁を走るくらいのことには、なんら支障がないようである。

 黒い足甲がカツンと耳に響く。

 屋上にまで数秒かけて辿り着くと、稜線(りょうせん)の向こう側へ今まさに沈まんとする太陽の赤に目を細める。見上げた頭上に、星空が間近に迫ったような錯覚を覚えた。本当に、現実の光景とは思えないほど、その美しさには圧倒されてしまう。

 ただ、感動している暇はなかった。

 屋上の隅にある、貯水タンクじみた一角に移動。ここでなら、上空を飛び交い飛行する魔獣やアンデッド、魔法詠唱者の監視は及ぶまい。念のため、欺瞞情報系の魔法もアイテムで発動しておく。

 タルンカッペの効果を切る。するとほぼ同時に、そこに佇むNPCたちも装備の効果を解いて出現した。

 ミカの保有する同族を感知識別する“天使の祝福”を強化駆使し、装備で不可視化したギルドのNPC三名と合流。

 カワウソは、まったく実直な言葉で彼らを迎え入れた。

 

「ご苦労……待たせたか?」

「とんでもございません、()(しゅ)よ」

 

 一様に跪く三人を代表して、ラファが応じた。

 

 ラファは、白い布の衣服に腰からは薬箱や水筒を下げ、さらに小さなズタ袋が括りつけられた牧人(ハーダー)……古代の羊飼いじみた、若い旅人といった姿をしている。平時において足首から天使の羽を二枚生やした姿でいる彼だが、今は小さく革製のサンダルの装飾のように翼は偽装されていた。樹で出来た簡素な杖を捧げるように膝をつく様は、騎士団の儀仗兵じみた謹直さが想起されてならない。多くの信仰系職業を有したことで堅物な口調と態度が定着された主天使(ドミニオン)であった。

 

 イズラは、漆黒のフード付き外套(コート)に身を包み、軍人の詰襟じみた聖衣を纏う暗灰色の髪に黒瞳の青年。低い階級の天使だが、代わりに暗殺者(アサシン)やそれに由来する職業レベルをおさめることで、高い隠密戦と撹乱戦──暗闘を得意とする。暗器を仕込んだ手袋と、即死系アイテムを武器とする彼は、イスラとは兄と妹の兄妹関係にあると設定されており、見た目は髪と瞳の色以外そっくりだ。

 

 ナタは、蒼い髪の少年兵で、全身に帯びる剣装や防具の数はギルド随一。花の動像(フラワー・ゴーレム)というレア種族故に、総合的な攻撃性能についてはかなりの部類で、第一階層最奥にある“闘技場”と、第四階層における最終戦“円卓の間”に出現するように創造した『最強の矛』──生粋の重装剣士であり、近接戦闘の申し子である。やかましく元気一杯な口調で、その言動や表情にはまるで裏表がない。

 

 各々、体躯や装備品などまるで違うものたちばかりだが、全員が潜入活動に必要なアイテム、〈完全不可視化〉などを発動する装備を所持させることで共通していた。昼過ぎに〈全体伝言(マス・メッセージ)〉で提示しておいた通りである。他にも〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)や、治癒薬(ポーション)などを一定数与えており、潜入活動の準備は万端といった感じだ。

 この都市まで転移してやってきた三人は、カワウソの命令を拝聴する姿勢を崩さない。

 カワウソは、なるべく上位者らしい語気を、喉の奥底から引っ張り出す。

 

「──言っておいた通り、おまえたちには各都市での、情報収集を任せる」

「畏まりました」

「仰せの通りに、マスター」

「どうかお任せください!! 師父(スーフ)!!」

 

 ラファが実直に、イズラが清廉に、ナタが元気満点に応じる。

 

「うん──くれぐれも、戦闘や騒動は起こさないように。情報収集のためには、現地の人々とある程度は接触を持つことになるだろうが、可能な限り、穏便に、対処するんだ」

 

 他にも数個ほど情報収集時の注意事項──魔法や特殊技術(スキル)の使用に関する制限や、緊急時における対応方針などを、口頭で、繰り返す。

 そして、彼らの向かうべき場所の名を、あらためて示した。

 

「ラファが冒険都市に。イズラが生産都市に。ナタは生産都市を中継後、さらに、天空都市や南方士族領域という地に、それぞれ向かえ」

 

 承知の声を短く奏でる三人には、スレイン平野……カワウソたちのギルド拠点のある地をグルリと囲むような位置取りにあるらしい各都市や領域と呼ばれる土地を調査させる。

 拠点の周囲環境をより確実に把握することで、四方から攻め込まれる可能性を失くすと共に、いざ撤退する際には都合がよい距離感を保つためだ。また、拠点から彼ら三人への増援を送らねばならない事態に際して、転移で届く範囲にいてもらった方がいいと判じた結果に過ぎず、他意はない。

 スレイン平野よりはるか北方に位置するこのカッツェに、彼らをわざわざ招集したのは、カワウソ自身が口頭で、直接彼らの様子を眺め、観察しながら命じたいからという理由によるもの。こうして直接対面し、臆することなく命令を受諾するNPCたちには、暗い表情は存在しなかった。三人とも、命じられた内容に疑問も躊躇も懐くことなく、そうされることが自然だとでも感じているような爽快感が垣間見える。

 ……隣にいるミカとは、えらい違いだ。

 だからこそ、懸念すべきことは、ある。

 

「他に、質問は?」

 

 聞いてはみたが、三人は誰も疑念の声をあげず、態度も変わらない。

 これは、少しダメだと思った。

 彼らは創造者であるカワウソに、絶対的な服従の姿勢を見せてくれているが、事ここに至っては、何の意見具申もされないというのは、マズい。

 カワウソは、完璧ではない。

 何か致命的なミスを犯したり、問題に気がついていない可能性は十分、ありえる。

 小卒社会人程度の常識しか持ち合わせがないユグドラシルプレイヤーでしかない男が、あろうことか天使たちの上位者として命令する立場に置かれているというのは、奇特を通り越して異様な事態であることは想像するに難くない。だからこそ、自分の失敗や問題点があれば、それを是正する意見や見解というのは大いに歓迎すべきだ。どんなに耳に痛い言葉が突き刺さることになろうとも、間違った方向に(かじ)を切り続けては、船が(おか)にあがるというもの。取り返しのつかない状況に陥り、そうなってから後悔しても遅いのである。

 そういう意味では、カワウソを嫌う女天使、拠点内の防衛隊隊長の地位を与えた最高位の知恵者(NPC)というのは、非常に有意義な存在となってくれる。

 

「戦闘になりそうな際には撤退せよとの命令ですが、相手の戦力や戦局次第では、撤退は難しいのでは?」

「……その場合は、クピドの〈転移門(ゲート)〉を使ってでも、逃げるしかない」

「転移が使えない状況に陥った場合は? さらに言えば、開いた〈転移門〉からこちらの拠点にたどり着かれる可能性も、十分あり得ますが?」

「うん…………そうなると、クピドを使っての撤退は無理と思うべきか?」

 

 このように、カワウソの思い付き程度の戦術を上方修正する要素として、ミカの存在は素晴らしい成果を発揮してくれる。伊達に軍総司令官(コンスタブル)の職業を保有しているわけではないようだ。

 

「場合によっては、戦闘も止む無しか? …………だが」

「問題ありません。我が主よ」

 

 銀髪碧眼の牧人、ラファの声に、イズラとナタも同調する。

 彼らは、第八階層攻略をシミュレーションして製作した存在であるが故に、最上級ランカーレベルのプレイヤーや、強力なレイドボス並の存在と会敵したら、まるで対抗できない。カワウソやミカほどに装備が充実しているわけでもなく、ガチなレベル構成や装備というのは、ナタぐらいだろう。ラファとイズラはどちらかというと元ネタの天使に則した……お遊びな要素をふんだんに盛り込んだ存在に過ぎない。

 そんなロマンビルドな二人の内一人が、冷酷に宣言する。

 

「万が一、我ら三人がしくじる事態に陥れば、その時はお捨て(・・・)ください」

「……ラファ?」

「我らの存在理由は、ただ、貴方(あなた)様のために」

 

 見渡せば、イズラとナタの表情も、まったくラファの言に同意していた。

 自分たちを見捨てよ、と。

 彼らはそれほどの覚悟をもって、カワウソの前に跪いていたのだ。

 感謝するべき、なのだろう。

 

「…………そう、か…………」

 

 だが、カワウソは、何も言えない。

 当然と言えば当然。

 カワウソは、そこまでして誰かに尽くされることなど、一度だって経験したことはない。せいぜい死んだ両親が必死の思いで学校に通わせてくれたことがある程度だが……まさか、自ら望んで、「切り捨てて構わない」なんて思考をぶつけられることなど、ありえない出来事だった。

 しかし、彼らの思考、想念、行動原理は、そこに由来しているのだろう。

 

 創造主であるカワウソに尽くす。

 

 ただ、それだけのためだけに、自分が存在しているものと信じて疑うことがないようだった。

 

「悪いな……おまえたち」

 

 堕天使の卑近な脳髄が、とりあえずの感謝を紡がせる。

 心から信頼してのことではない。誠に彼らの真意を悟ったとは思えない。

 それでも、カワウソは、真実そこにある彼らの在り方と思いに、感動していた。

 自分ではこうはいくまい。

 自分ではこんな風になれない。

 

「だが、できることなら、そのような事態にはならないよう、努力してほしい」

 

 君命を確実に受け止め立ち上がったNPCたちが、一瞬にして、表情を一変させる。

 彼らは街の一点を見つめ始めた。カワウソは純粋な不安に駆られる。

 

「……どう、した。おまえら?」

 

 自分が何かしただろうかと堕天使が(かえり)みるより先に、漆黒の外套を着込む天使が、薄く微笑(わら)う。

 

「血の臭いですね」

 

 いっそ狂暴なほどの喜悦に歪む天使の相貌が、街区の彼方に差し向けられる。

 

「戦いの声があがっております!!」

 

 元気さとは裏腹、湖面のごとく静かで穏やかな表情をしたナタが指差す方角には、翼を広げたモンスターが何処からか飛翔し現れ、その中心で、やはり翼を広げる存在を、集団で一斉に押し包もうと殺到していた。

 戦いの声とは、竜の蛮声であったのだ。

 

「……飛竜(ワイバーン)?」

 

 もはや見慣れた感すらあった飛翔するモンスター──その群れ。

 翼を広げる竜たちに乗って空を駆る、人間の姿。

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の大群が、第四街区の、宵闇に沈まんとしていた都市の空に現れていた。

 

 ヴェルとラベンダ、そしてマルコが、そこにいる。

 

 というか、彼女たちは、ほぼその中心にいたのだ。

 ヴェルと同じ飛竜騎兵たちによって、彼女たちは、追われている。

 

「一体、何が?」

「同士討ちでしょうか?」

「国に逆らった同胞への対応と考えられますが」

 

 ラファとミカが、疑問と結論を同時に並べ述べる。

 飛竜騎兵のヴェルが、飛竜騎兵の連中に、あろうことか狩られようとしていた。

 数の暴力による蹂躙とは、少し違う。ただの同士討ちというには、飛竜騎兵の連中からは、対象である少女らを嘲弄し嬲り者にしようとする意志は、垣間見ることができない。その統制された編成と連携は、一個の組織として完成された統制のもとに行われ、「そうしなければならない」という、ある種の義務感や使命感の存在を感じさせる。私刑というよりも、処刑なのかもしれない。

 だからこそ、ヴェルたちには抗う術は、ない。

 異形種の視力でもって、彼女らの危地を目の当たりにする。

 せっかく傷を癒したはずの飛竜(ラベンダ)の背に、銛のような投鎗が降り注ぐのを、ヴェルの身を庇うように同乗するマルコが払い落としたようだ。しかし、そのすべてを払えたわけではなく、ラベンダは体の端々から血の色を流し、碧色の鱗をちらちら撒き散らしながら、空を駆けつつのたうち始める。その悲痛な様は、堕天使の濁った瞳であろうとも、容易に視認することがかなった。

 女天使の声が、冷厳に問いかける。

 

「いかがいたしますか?」

「……」

 

 カワウソは、すぐには応じない。応じられるはずもない。

 見捨てても良かっただろう。

 見捨てた方が良かったはず。

 そもそもにおいて、彼女たちはアインズ・ウール・ゴウンの国民。

 カワウソとは、縁もゆかりもないはずの、赤の他人でしか、ない。

 ここで、衆人環視の下にある、あんな戦闘に介入するなんていう、とびきり目立つ行動は避けるべきだと思う。

 ……なのに。

 

 

 

 ──「『誰かが困っていたら助けるのはあたりまえ』と教わっておりますから」──

 

 

 

 その声が耳に残響する。

 カワウソは、見捨てられない。

 ほんの半日以下の時間を共に過ごし、食事を味わった程度の仲でしかないはずの彼女らを、

 

「……たすける」

 

 助けるとも。

 

「……これも、乗り掛かった船と言う奴だ」

 

 暴力的な微苦笑を浮かべ決意する主人に、ミカは僅かも逡巡することなく頷く。

 他の三人からも、さしたる異論反論があがることは、ない。

 

「しかし、まぁ……なんてことだ」

 

 カワウソは(うそぶ)く。

 

 アインズ・ウール・ゴウンの民を護るために、

 アインズ・ウール・ゴウンの民と戦わねばならないとは。

 

 堕天使は、屋上の淵に足をかけ、煌々と照り輝く摩天楼の都──その隙間にある夜闇を、跳ぶ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 幾多の羽音が重なっている。

 昼の街道で聞いたドラゴンの大きな翼が奏でるそれとは違い、小さくも鋭く、そして数多くの飛竜(ワイバーン)の翼がはためき、空を裂く騒音。

 街の人々にとってもあまり聞き慣れないものであったようで、誰もが頭上をかなりの速さで流れ飛ぶ影を振り仰いだ。

 何かの行事イベントか、さもなくば冒険者同士の決闘か何かだと見做した市民ら住人たちから野次と歓声が飛ぶ。

 しかし、飛竜騎兵たちは応じない。

 無論、ヴェルたちも。

 

「マルコさん! お願いだから、逃げてください!」

 

 必死になって、ヴェルは頑なに飛竜の背に同乗し続ける意思を曲げない女性に嘆願する。

 

「そうは、いきません──よ!」

 

 鞍の隙間に爪先をつっこんで体を固定する修道女(マルコ)の裏拳が、ラベンダの中心を抉るべく放たれた投鎗(スピア)を盛大に弾く。彼女の長く細い指先を包む、純白の手袋(グローブ)の力なのだろうか? まさか、彼女(マルコ)本人の力ということはないだろう……あまりの威力に空間を引き裂くほどの金属音が、宵闇の街に響き渡っている。だが弾かれた鎗は別の飛竜たちの連携と、鎗に込められた魔法により空中で回収され、そして投げるというサイクルが築かれつつあった。

 それだけではなく、鎗を構え、果敢にも突撃する者も出始める。

 鎗のみの重量を頼みとした攻撃ではなく、飛竜の重さと騎兵の技巧を合わせた突進攻撃。

 ヴェルは応戦しようにも、自分の得物はすべて失った状況だ。最初の墜落で専用の鎗は紛失、続く追撃部隊との戦闘で、腰に帯びた剣は砕け折れ、捨てていた。唯一残った鞘で戦うなど不可能。鎗のリーチと破壊力との差が絶望的過ぎる。

 文字通り、四方八方から降り注ぐ暴力の包囲網。

 ヴェル・セークは、今度こそ終わりを迎えると、そう確信してしまう。

 

 ──どうして、こんなことになってしまったのか。

 

 衛兵所に向かっていたヴェルたちを、空から急襲してきた仲間たち……飛竜騎兵の隊列が押し包んだ。あまり近くに通りがかりの人がいなかったおかげで、急襲はすべてヴェルたちが被るのみとなったのは、不幸中の幸い……否、もしかしたら、そうなるタイミングを周到に窺っていたのかもしれない。

 空から降り注ぐ鋼鉄の暴力を、いち早く気付いたマルコが払い落とし、一瞬遅れたラベンダがヴェルの首根っこを掴むように翼の上で転がし、定位置となる鞍に乗せてくれた。一拍の間もない瞬発力と判断力で上昇する相棒の背に、男装の麗人もすぐさま飛び乗ってきて──そうして、今に至っているわけである。

 

「皆、お願い! 話を!」

 

 させてほしいと叫ぶ間もなく、騎兵の突撃をラベンダが回避のために宙を一転する。

 ほぼ真横に振り回される騎手と同乗者も無事に済んだが、襲ってきた騎兵が行きがけに投じた短剣四つが、ラベンダの胸と腹に(あやま)たず食い込む。飛竜の分厚い鱗と肉によって、致命的な傷にはなりえない刃であったが、

 

「グゥ、ア!!」

「ラベンダ?!」

 

 悲痛の叫びを彼女の口腔から撒き散らす効能を与えてみせた。

 おそらく、毒だ。飛竜騎兵のとある一族が伝来していた毒剣が、たっぷりとラベンダの臓物に染み込みつつある。抜いて治療したいところだが、そんな暇は空戦の最中にあるわけもない。ラベンダがかきむしるように、翼の爪で払い落とすのに任せるしかなく──その隙を彼らが、皆が、見逃すはずもなく。

 翼を駆るのを一時的にやめた飛竜は、宙で静止し、まもなく墜落の軌道を描く。

 そうして、そこへ殺到する、見慣れた仲間三人と三匹からなる、猛進。

 

「ッ、ラベンダ!」

 

 回避を──そう指示する間に肉薄する穂先が、夜の都市灯りに閃き輝く。

 ヴェルは、自分を包み込むように抱き締める同乗者、マルコの腕の感触に包まれながら、無言で詫びる。

 こんなことに巻き込んで申し訳ない。情けなさ過ぎて泣けてしまう。

 直前に別れたあの人たち……カワウソとミカにまで累が及んでいないことを祈念しつつ、ヴェルは潤む視界を直視しきれず、瞼を落としてかけて、

 

「おいおいおい」

 

 瞬間、聞き慣れた声が、ヴェル・セークの意識を包み込んだ。

 不意に、飛行中のラベンダに搭乗するのとは違う浮遊感で、二人と一匹は宙を漂い始める。

 

 

「……おまえら、女子供相手に、おもしろいことしているじゃないか?」

 

 

 轟くように響く声。

 続く音は、三つの鎗撃が一斉に捩れ曲がる瞬間の悲鳴。

 突撃を真正面から無力化された騎兵たちが瞠目する間もなく、黒い影が、目にも止まらぬ速度で一撃を──蹴りを──繰り出す。三匹の竜が、見えない巨人の手に叩かれたように空を横滑りして──墜落する者は一騎もなかった。三騎とも、軽い眩暈や衝撃に呻きつつ、戦線に復帰する。

 これは、男が弱いということではないだろう。

 軽く振り抜かれた程度の、人間の蹴撃が、一挙に突撃中の飛竜三騎を吹き飛ばしたという、事実。

 誰もが驚愕と畏怖を込めて、その人影を──人物を、見る。

 ヴェルは手綱(たづな)を握り、鞍に跨りながら、“宙に浮いた”ままで、それら現象と光景を眺めていた。

 ラベンダは毒の影響を脱しつつも、翼を駆る力は取り戻していない。

 マルコにしても、ヴェルを腕の中に抱き守る姿勢を解いてはいない。

 にもかかわらず、自分たちは宙に浮いている。

 見下ろすと、奇妙な光り輝く光の円環……それを頭上に(いただ)く女性が、飛竜の巨体を軽々と持ち上げ、騎乗者二人分の体重も含めて、空を飛行していた。浮遊感の正体は、飛竜の巨体ごと私たちを肩に担ぐ、黄金の女騎士の膂力(りょりょく)──とはさすがに思えなかったので、多分、魔法かアイテムじゃないかと思われた。

 黄金の髪を流すミカの〈飛行〉によって、ヴェルとラベンダ、マルコは全員無事に、ひとつの建物の、広い屋上にまで降下する。

 そこに、轟く声の持ち主が、夜空を“駆け降りて”着地する。

 目の前の人影は、もはや見慣れてしまった、黒い、ヒト。

 皮肉をたっぷり含ませた横顔と声色が、すごく怖い。

 それでも、目をそらすことだけは、出来ない。

 する必要はないし……したくも、ない。

 

 まるで物語の英雄が纏うような、黒い鎧と足甲と装具の数。

 日に焼けた肌色の綺麗な手には、純白の剣は握られてない。

 眼窩のようにも思えるほど落ち窪んだ眼の(クマ)が、凄まじい。

 寝ても覚めても苦吟(くぎん)にのたうつ人生を歩んだ、苦悩者の相。

 人間の姿に化物じみた力を秘め隠した、災いのごとき、男。

 

 ヴェル・セークを救ってくれた存在──名前は、カワウソ。

 

「俺も、混ぜてくれないか? んん?」

 

 そう言って(わら)いつつ、彼はヴェルたちの方を一瞥(いちべつ)もしない。

 明らかに飛竜の群れに襲われたヴェルたちを助ける意図があって、この場に現れたことは確かだろうが、彼は戦闘に赴くのに必死で、こちらを(かえり)みる余裕もないのかも。

 この一日で、二度も窮地から救われた少女は――不謹慎ながら――胸の奥の鼓動を高めてしまう。

 それほどまでに、その男は恐ろしく、そして怖ろしかった。

 こんな思いは、これほどの想いは、はじめてだった。

 

 

「邪魔立ては無用に願いたい」

 

 

 夜闇を羽搏(はばた)く羽音のひとつから、その声は注がれた。

 ヴェルは空を仰ぐ。

 知らぬ仲ではない──むしろ懇意ですらある──部族の騎兵隊隊長が、整然と、あるいは悄然と、言い放つ。

 漆黒の男が救ってしまった罪人を……逃亡者である少女の瞳を……ただ、睨み据えて。

 ヴェルは、たまらなくなって声をあげた。

 

「……ハラルド──どうしてッ」

 

 問われるまでもないこと。

 ヴェル自身もそれを解っていて、それでも、()かずにはいられない。

 確かめなければならない。

 

「ヴェル・セーク……我等は貴女(あなた)を」

 

 今まで聞いたこともないような同胞の暗い声。

 悲嘆に引き絞られ尽くした喉を震わせながら、

 眉根を険しくする幼馴染(ハラルド)が──告げてくれる。

 

 

 

 

 

「抹殺する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第三章 飛竜騎兵 に続く】

 

 

 

 

 

 




忙しくなってきたので、次回の更新はかなり遅れます。ご容赦ください。


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第三章 飛竜騎兵


〈前回までのあらすじ〉
 魔法都市にて。
 堕天使プレイヤー・カワウソは、魔導国の実態調査を決意するも、
 折悪しく彼等と交流を持った少女らが都市上空で何者かの襲撃を受ける。
 カワウソVS飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の幕開けです。


/Wyvern Rider …vol.1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法都市の王城──アインズの私室がある隔離塔からすぐの、城の最頂部にある執務室。

 そこに、二人の異形が並んで椅子の上に鎮座していた。

 

「ようやく。始まったようですね」

「ウム。スベテハ計画通リ、トイウコトダナ」

「ええ。あの堕天使のプレイヤーと思しき者らがどれほどのものか、この場でとくと拝見するとしましょう」

 

 彼らは、この城の主人の留守を預かるために、常にこの王城に詰めているわけではない。

 今日、この時に限って、とある目的を果たす計画によって、主人の許可を得て、ここに作戦本部を設立しているに過ぎないのだ。

 二人の眺める先には、アインズ・ウール・ゴウン魔導国で開発・生産される水晶の画面(クリスタル・モニター)のマジックアイテムによって投影された画面が宙に浮遊しており、そこに“ある者たち”の行為行動を観察・監視するモニターの役割を果たさせていた。大小合わせて十枚ほどの画面は、宵闇に沈む魔法都市の絢爛豪華な暮らしの頭上で交わされる“戦闘”をつぶさに把握し、記録映像として納め、後々、この世界の絶対支配者へと献上される運びとなっている。二人の異形は、この画面の映像をリアルタイムで確認するために、今ここに存在することを許されている。

 

「──シカシ、良カッタノカ」

「何がです?」

彼奴等(キャツラ)ノ戦力把握ノ為ナラバ、我等デモ十分対応可能ナハズ。アマツサエ、昼間ニ(オノレ)ノ娘ヲ、ワザワザ釣餌(ツリエ)ノゴトク扱ウ必要ハ、ナカッタノデハ?」

 

 悪魔は、悪魔の娘を心配してくれる友たる将軍の優しさに(かぶり)を振った。

 

「今回の計画は、我が子らも『是非、尽力したい』という願いも、あったのでね」

 

 この異世界に転移してより100年。

 ナザリックに生まれた異形なる混血児(こども)たちは、軒並み立派な成長を遂げ、十分かつ充実した教育の甲斐もあってか、まったくもって素晴らしい──偉大なる至高の御身へと忠烈を尽くすのにふさわしい──信徒の列に加わる栄誉を授かった。

 故に、彼ら彼女らも、魔導国に、ひいてはアインズ・ウール・ゴウンその御方(おんかた)の危難の種となるやもという存在への対処……“計画”に参じたいと欲するのは、完全に必定でしかなかった。

 

「第一。“私の子ら”の中でも、あの()はとびきりの厄介さを有していることくらい、君も承知しているのではないのかね?」

 

 友は凍てつく吐息と共に唸る。

 仮に。

 連中が魔導国の枢要に近い、ナザリックの子どもたちの一人である“デミウルゴスの()”に手をあげる「愚物」であったとしても、あの娘はLv.100の存在であろうと、かなり善戦できるだけのスペックを有している。母体となったシモベの特性を半分継承したあの娘は、周囲一帯を己の得意とするフィールド……奈落の底の溶岩に変換して、相手を引き摺り込んで「喰らう」戦法を得意とする、最上位悪魔(アーチ・デヴィル)奈落の粘体(アビサル・スライム)の混血児だ。炎系ダメージに耐性を持つ天使には効き目は薄いだろうが、肉体ペナルティを保有する堕天使であれば、溶岩の中で呼吸不能に陥り、窒息もありえるだろう。アインズがプレイヤーと睨むあの黒い男──マルコからの報告によると、男は“カワウソ”という名前らしい──を完封することは容易(たやす)いはず。勿論、身に着ける装備やアイテムで克服されている場合もあるが、それはそれで、現れたプレイヤーたちの戦力判断を行えるというだけで、ナザリックに属す存在を近づける試みというのは、意義深い結果をもたらすだろうと簡単に思考された。さらに言えば、奴が、堕天使が、あの黒い男が、本当にユグドラシルプレイヤーであるのなら、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの戦力を、ある程度知悉している可能性もあり得る以上、ナザリック従来の戦力を「当て馬」とする行為は、魔導国(こちら)から喧嘩をふっかける行為と見做(みな)されるだろう。それは、穏健に事を進めようという偉大なる御方……魔導国の主たるアインズの望むところではない。

 故に、今回の魔法都市散策を、悪魔は己の愛する娘に、命じたのであった。

 結果は「不戦」に終わり、少々興醒めというところであったが、次はもっとマシな状況を構築済みだ。

 隣に立つ蟲王(ヴァーミンロード)は、相性の関係から、あの娘の戦闘訓練の相手は不得手という程度の親交しかないのに、それでも、彼はナザリックに属する者に対する優しさから、友人の娘の大事を危惧(きぐ)してくれている。

 娘の父たる悪魔は、朗らかに微笑む。

 

「ともあれ、心配してくれたこと、我が娘・火蓮(カレン)にかわって礼を言おう。コキュートス」

「私ノ方コソ、アノ娘ノ役儀ニ(クチ)ヲ出シテシマイ、本当ニスマナカッタ。デミウルゴス」

 

 二人は水晶の画面を注視する。

 魔法都市・カッツェの王城で、守護者二人に新たな対戦カードを組まれた堕天使が、魔導国の三等臣民──飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)部族の部隊八名と、はじめて交戦する。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 カワウソは、ミカを伴い、飛竜騎兵たちに狩られようとしていた少女たちを、“助ける”判断をした。

 この都市にまで呼び寄せたNPC三人──ラファ、イズラ、ナタは、装備で〈不可視化〉の魔法を発動させつつ、有事の際の援軍のために待機させているが、原則は「手出し無用」と定めた。

「都市調査に臨む際、俺の戦闘をなるべく参考にしろ」と命じて、カワウソは戦地へと馳せ参じたのには、勿論、理由がある。

 彼らに、この世界の存在と戦う際の注意として、「“殺戮”は基本厳禁」を言い渡した。そのため、「殺さないで済ませる」戦いというものを、彼らに実地で学ばせるための最初で最後の機会として、今回の戦闘に敢えて介入したのだ──そういう風に、自分自身へと強く言い聞かせて。

 本当は、

 ただの感傷的な判断で少女たちを見捨てられなかった自分を、ごまかすために。

 

「俺も混ぜてくれないか? んん?」

 

 翼を広げ空を飛翔する飛竜と、その騎乗者八人に、カワウソは(あざけ)るような声を送る。

 固く頓狂(とんきょう)な声になっていないだろうか不安になりつつ、傲慢かつ尊大な台詞を浴びせてみる。

 彼ら飛竜騎兵を侮辱するつもりはないが、そうすることで、彼らの興味関心が自分(カワウソ)の身に集約されてくれたら、大いに楽ができると意図したからだ。本当に申し訳ない。

 カワウソの保有する特殊技術(スキル)には、他者を直接防衛したり救命したりできるものはないのだ。なので、彼らの敵対的行動が挑発するカワウソに集中し、ヴェルたちに向けられなくなれば手間が省けると思ったのだが──

 

「邪魔立ては無用に願いたい」

 

 部隊長らしい青年は、まったく臆することなく、そして厄介なことに、自分たちの目標と目的に実直な姿勢を貫徹する。

 ただの怨恨や憤懣とは違う雰囲気が、堕天使にはかろうじて理解できた。

 

「……ハラルド──どうしてッ」

 

 ヴェルが「ハラルド」と呼ぶ青年は、この世界の“冒険者”とかいう連中並みに隆々(りゅうりゅう)としている。ヴェルと同様、鎧で守られていない剥き出しの腹は彫像のごとく綺麗に引き絞られていて実に(たくま)しい。長さ二メートル弱にはなるだろう突撃鎗(ランス)を掴み支える腕の起伏も見事なものだ。

 まことに精強な飛竜騎兵の隊長が、部隊員である騎兵七人を率いる様は、実に堂々としたものがある。

 同じ飛竜騎兵の、大人しそうな性格のヴェルとは、まったくえらい違いであった。

 

「ヴェル・セーク……我等は貴女(あなた)を」

 

 そんな青年指揮官は、青紫に赤いメッシュが二つ走る長髪の下に備えた美貌を悲痛に歪めながら、厳然とした口調で、告げる。

 

 

「抹殺する」

 

 

 鉄の芯が通されたような宣告に、傍らで竜に乗り続ける少女の表情が強張(こわば)った。

 真正面から冗談抜きで「殺す」と言われたら、カワウソも同じ反応をするだろう。

 だから、何も言わない。

 言ってやれる言葉がない。

 しかも、自分の“仲間”から言われた言葉だとすれば尚更、少女の被った一撃は、重く、つらいものに相違ない。事実、少女は幼い容貌を蒼褪めさせ、目の端から雫をこぼしかけた。

 ──ヴェル・セークを抹殺する。

 ただ、そのためだけに、少女の仲間である彼らは、鎗を構え、剣を携え、手綱を握る力を強くする。

 

「邪魔立てするなら、貴公(きこう)諸共(もろとも)、討つ!」

 

 闖入者(ちんにゅうしゃ)のカワウソへ届けられた最後通牒じみた大声に、彼の跨る飛竜が応じるように()えた。

 続けて、幾多の滑空音が夜空を(つんざ)き、殺到する。

 

「に、逃げて!」

 

 カワウソたちに向けて、悲痛に叫ぶヴェルの声は小さい。

 八匹からなる飛竜らの口腔より轟く声に、かき消されたせいだ。

 乗騎である飛竜との阿吽(あうん)の呼吸により、彼らと彼女ら──見た感じ、何故か女ばかりだ──は非常に優秀な騎乗兵として勇名を馳せてきたのだろう。それほどまでに、飛竜騎兵部隊の連携は素晴らしく、互いの一挙手一投足、さらには僚友の名を呼び視線を交わすのみで、自分たちの役割と位置取りを決定していた。

 だからこそ、彼らは同輩であるヴェルとラベンダを、そして同乗者であるマルコも含め、短時間で追い詰め抜いた。

 カワウソという黒い鎧姿に赤い輪を頭に浮かべる人間(にしか見えないだろうな。堕天使は)に対しても、彼らの判断と能力は、遺憾なく発揮されることだろう。

 

 ──さて、どうするか。

 

 飛竜騎兵たちが屋上に殺到するまでの“数瞬”を、カワウソは対応手段の模索に費やした。

 聖騎士(ホーリーナイト)聖上騎士(パラディン)などの使う攻撃スキルは使用不可。強力すぎて手加減には向きそうにない。武器の使用も却下。連中の握る代物は、それなりの魔法が付与されているようだが、聖遺物(レリック)級にも届いていないだろう。いくらLv.100の堕天使であるカワウソでも──さらには神器級(ゴッズ)アイテムという最高位の力を保持するとはいえ、攻撃力増強効果のない“ただの足甲”で“軽く蹴り払った”程度で折れ曲がる鎗など、強度不足もいいところではないか。少なくともユグドラシルでは、この程度の攻撃でアイテムを破壊できたことはない。カワウソの両脚を覆う禍々しい造形の黒い足甲には、僅かな防御と、速度の能力(ステータス)値のみを特化させる機能しかありえないのに。

 

 結論。

 手加減して、戦う。

 そして、どうにかして、連中を無力化する。

 

 そこまでを決定した途端、四本の鎗が、頭上四方から襲い掛かった。

 カワウソは、屋上の床が砕けないよう、静かに宙へと「落下」する。

 ヴェルたちを抱え続けるミカも、それに続いた。事前に打ち合わせていた通り、カワウソの傍らに控え、都市外への脱出ルートを飛行させる。純粋な天使種族であるミカは、魔法や特殊技術(スキル)ではない特性として、空中を自由に飛行可能なのだ。鎧に纏わりついていた一対の白翼が、生物のように羽搏(はばた)き、夜空を叩く。

 そして、堕天使のカワウソは、落下から一転、焦ることなく魔法を発動。

 

「〈空中歩行(エア・ウォーク)〉」

 

 発動と同時に、足が空中を大地のように踏みしめ、不可視の足場を構築した。堕天使は最高レベル特殊技術(スキル)を発動しない限り、「〈飛行〉不可(できない)」という特性──デメリットがあるため、カワウソはこの魔法を使うことで“空”というフィールドを自在に駆け回ることを可能にしている。

空中歩行(エア・ウォーク)〉という信仰系魔法は〈飛行(フライ)〉ではなく、ご覧のように空中を踏みしめ歩くことを可能にする、第四位階の移動手段だ。上昇したり下降したりは坂道をのぼりおりする要領で行え、強い風が吹くフィールド環境の影響を強くうける。そのため、魔法詠唱者の第三位階魔法〈飛行(フライ)〉と比較すると、どうあっても使いにくい。あちらは素で地上を歩くよりも機動力に優れる移動手段であり、取得可能位階についても一個下だ。

 なのに、この信仰系魔法詠唱者に許された〈空中歩行(エア・ウォーク)〉は、発動者の通常移動速度の半分程度の速度しか出せない。魔法詠唱者よりも、神官や聖騎士のほうが肉体能力・速度に優れているが故の制約だ。

 にもかかわらず、その速度を目の当たりにした女騎兵たちが、叫ぶ。

 

「な、何なのよ! あの魔法ッ!?」

「マジックアイテムか何かなの!?」

 

 突撃が空振りに終わった飛竜騎兵たちが愕然となるが、無理もない。

 カワウソの速度と疾走距離は、瞬く内に騎兵たちの投鎗の威力と射程を超過していた。

 おまけに、魔導国の臣民である飛竜騎兵の知る魔法──〈飛行(フライ)〉とは、違いすぎた。

 

 カワウソは知らないことだが。

 100年後の魔導国において、実効力や運用能率の低い魔法を教えることはほとんどない。高度に教育体系化(システマイズ)された魔導国における魔法教義は、数多く存在する魔法の中で、より優先性や効率性の高い魔法のみを教授することを()としている。高位階に属しながら、それよりも低位な魔法で代用できる類の魔法は、よほど魔法理解に対する執着心がなければ、魔法の深淵に関する研究と探求に心血を注ぐほどの“キチ”でなければ、研鑽を積むどころか、その存在を認知しようという意気すら湧いてこない。魔導国の臣民は義務教育程度の魔法への理解を有しているが、それ以上の理解度となると、魔法詠唱者の学校……“学園”に通わねば、まず手に入らないだろう情報である。

 純粋な魔法詠唱者ではない飛竜騎兵の常識に照らし合わせて、カワウソという謎の闖入者(ちんにゅうしゃ)──ユグドラシルプレイヤーが披露した〈飛行〉の代用として発動させた魔法は、魔導国の一般的な(低レベルの)魔法詠唱者が必須とする乗り物……魔法の媒介となる「杖」や「箒」、「水晶玉」……などを必要としないスタイル。さらには、空にまるで見えない地面があるかのように疾走する動作というのは、明らかに〈飛行〉の魔法ではありえないモーションである。

 おまけに、空を駆け走るカワウソの速さも常軌を逸していた。

 カワウソの通常速度……その半分の速さにまで移動速度を減じられても、その疾走は黒い夜風のごとし。普通の〈飛行〉を使う魔法詠唱者と同等か、より上の速さだ。しかも、今のカワウソはまるで本気ではない。足甲の力を存分に発揮していないし、各種速度向上系統の強化(バフ)もかかっていなかった。騎兵連中に“追随可能な速度”をギリギリ維持している。

 それで、この驚愕。

 

「うろたえるな! 追うぞ!」

 

 冷静かつ沈着な隊長の叱咤に叩かれ、飛竜騎兵がカワウソたちを追走追撃する。

 

「……よし、っと」

 

 空を駆けつつ、堕天使は南に向かってひた走る。

 一刻も早く都市の外へ、都市の空を騒がせる位置取りから退避せねば。

 そのための最短ルートである南へ。

 陽が落ち、灯りが煌々と照り出す魔法都市の空は、(ドラゴン)の運航便や空飛ぶ魔法使いに魔獣の乗り手たち、さらには都市上空を飾るニュース動画や浮遊広告の水晶の画面(クリスタル・モニター)などで犇めいている。この騒動で、魔導国の警邏などが出動してきたら面倒だ。

 ミカにも、そのための逃走を厳命している。

 

「カワウソさん、どうして来られたんです!」

 

 振り返る。

 女天使に担ぎ上げられた飛竜──未だに翼が痺れて動かない相棒の背の上で、少女は糾弾に近い声を発した。「なりゆきだ」と応じるカワウソを、少女は涙を湛えた瞳で睨みつける。

 

「それに……『誰かが困っていたら、助けるのは当たり前』……だろ?」

 

 続くカワウソの声に、少女の背後にいた修道女が意表を突かれたように苦笑して、ひとつ頷く。

 女天使は無表情のまま、空を走り抜ける主に追随するのみ。

 

「カワウソ様、ご注意を」

 

 ミカの発する声に「何?」と疑問する間もなく。

 

「って、うぉっと!」

「ば、ばっきゃろう! 気を付けろい、(ニイ)ちゃん!」

 

 チラリと横目に女天使と少女らが共に逃げる姿を確認していたのがマズかった。

 横合いからすれ違うように、荷物を抱え運んでいた霜竜(フロスト・ドラゴン)の鼻先をかすめそうになってしまう。ミカが注意喚起していなかったら、まず衝突していただろう交錯である。

「悪い、すまん!」と竜の一声に吼え返して、カワウソは気合を入れ直した。

 カワウソは油断なく己の目的を果たすべく行動するのみ。

 瞬く内に、カワウソと追走者たち八騎は、都市外の空へ。

 さらに都市を離れ、街道からも外れ、余計な邪魔立てや警邏の干渉がなさそうな、都市から南東に位置する草原の直上に至る。しばらくすると、草の生えていない、降下地点によさそうな空き地を発見。周囲に人などの気配はない。

 ここら辺りでいいだろう。

 

「先に降りろ、ミカ」

 

 短く命じて、女天使とその荷物たちを草原の空き地に降下させる。

 Lv.100の熾天使は、飛竜と人二人を抱えても辟易した様子を見せていなかったが、戦闘には参加させない。ミカの戦闘能力だと、飛竜騎兵たちを“皆殺し”にしかねない。復活の魔法や特殊技術(スキル)、蘇生アイテムを消耗したくないし、それが通用する保証もないのだから、ここは慎重に戦わねば。

 発動しっぱなしの〈敵感知(センス・エネミー)〉で、夜を睨む。

 追ってくる八人と八匹──飛竜騎兵八騎を、正確に捉えた。

 それ以外の反応……敵はいない。

 カワウソは空を踏み締め、その場で身体の向きを反転。

 すぐさま漆黒の鎧の腰にある“鎖”を発動する。

 無骨な鉄色の輝きが、長く、長く、さらに長く、伸びる。

 目算で1~2メートルほどにまで伸びた鉄鎖を右手で回しつつ、狙いをつける。

 

「ん!」

 

 ゲームで慣れた感覚のまま、鎖の先端……狼の意匠を凝らした鉄色を、投げ縄の要領で解き放つ。

 鎖は空を自在に舞う飛竜の一体に向かって、飛翔。

 しかも、ありえないほどの伸長──50メートルは優に超えるだろう──を得て。

 

「ッ! (かわ)せ!」

 

 先頭の隊長騎たる青年の命令で、飛竜騎兵らはいっせいに回避行動をとる。だが、

 

「ちょ、なに!」

「うわ、っと!」

 

 右に急旋回しようとした女騎兵二人が呻いた。その乗騎たる飛竜もやかましく吠える。

 投げられた勢いのまま、さらに伸び続ける鉄の鎖は、それそのものが生きているかのように空中で蛇のごとくうねり、まっすぐな直線から、しなやかな曲線を描き、一匹の飛竜の首に巻きついたと同時に、騎乗者を含めて食らいつくように拘束。近くを飛行していた僚騎を巻き込む形になって、捕縛されていった。

 回避など無意味だ。

 この“レーディング”という、北欧神話の巨狼を繋ごうとした鎖の名を戴くアイテムは、カワウソの狩人(ハンター)の職業が愛用する捕縛用装備だ。その効果は「目標に定めた対象を自動追尾し、捕縛・拘束する」というもの。〈自由(フリーダム)〉などの付与された高位階のアイテムや魔法、無傷かつ強力な敵やモンスターには無用の長物でしかない聖遺物(レリック)級の中級アイテムだが、雑魚モンスターや低レベルな存在の生け捕りなどでは割と重宝した代物であり……どうやら、連中にも効果があるようだ。自動追尾の鎖は、最大補足員数である四対象──飛竜と騎兵のペア二騎を、拘束せしめた。

 

「なに、このぉ!」

「は、外れない!」

 

 まんまと拘束され自由を奪われた飛竜と騎兵らは、完全に無力化。空から落下するも、鎖は捕縛対象を傷つけることがないよう、地面に激突しない速度で、対象物を落下させる。

 鎖は、拘束に必要な量だけを残したまま中途で断ち切れ、元の状態に戻る。これで、他の対象を再捕縛する準備は整った。

 

「あと、六騎」

 

 再び鎖を手中で振り回すカワウソは冷静に、残る追走者たちを眺め見る。

 

「ハラルド隊長!」

 

 進退を問う雰囲気を滲ませた僚友に、青年は大いに顔を(しか)めている。

 ここでカワウソにかかずらっていては、彼らの目的──ヴェル・セークの抹殺任務は果たせない。しかし、黒い男の捕縛用装備(レーディング)は、いとも容易く飛竜騎兵を無力化できると実演された。慎重を期するならば、撤収することも視野に入れるべきだろう。

 だからこそ、カワウソは連中を退かせる気など毛頭ない。

 鎖を投げ放つ。

 

「そらっ」

「チッ! 躱せ、躱せ! 躱すんだ!」

 

 一辺倒に過ぎる命令だったが、それぐらいしか対処法がないのだから仕方ない。

 捕縛系統の攻撃に対策を取っていなかった己の不運を嘆いてくれと、カワウソはもう一騎の飛竜騎兵の男の腕を鎖で捕らえ、そのまま伸びる勢いに任せ飛竜の翼と近くを飛んでいた少女騎兵と竜を封じこみ、空中にて諸共拘束する。

 残りは、四騎。

 

「ここだッ!」

 

 瞬間、果敢にもカワウソの(ふところ)めがけ、青年隊長と女騎兵二騎、さらに白紫の短髪である熟練の老兵(ロートル)が挟撃をかける。

 

「全騎、突撃!」

 

 カワウソから伸びた鎖は、未だに伸びきったままだ。なるほど、レーディングの再使用までにかかるリキャストタイムを狙われたようだ。存外にやるじゃないかと感心すら覚える。

 しかし、

 

「くらえ!」

 

 青年と乙女、少女と老兵が差し込んできた鎗と剣、計四つの暴力を、カワウソは回避するまでもなく、受け入れた。

 ──より正確には、「回避しないでいたらどうなるのか」を確認したかったがために。

 そして、

 

「……ッ!!」

「な、何!?」

「なんで?!」

「何とッ!!」

 

 四人の一斉挟撃は黒い“鎧”に阻まれ、鋭い金属音を奏でたものの、その穂先を一寸たりともカワウソの肉体に突き入れられずに終わる。どころか、半分は何の用もなさずに砕け、鉄の破片を落としていた。

 カワウソには“上位物理無効化Ⅲ”という「Lv.60以下の物理攻撃を無効化」する特殊技術(スキル)があるが、それも使っていない。

 やはりと思った。

 この神器級(ゴッズ)アイテムの鎧の防御力──硬度が、あまりにも強大すぎるようだ。

 都市上空にて、足甲で鎗を捻じ曲げたのも、同じ理屈か。

 理解したカワウソは、“鎖”のリキャストタイムを終える。

 

「──レーディング」

 

 腰に巻き戻った途端、使い手の意思を受けた鎖が、自動捕縛を発動。

 遠距離では四体までしか補足できない鎖だが、自分に組み付く超至近距離にまで迫った対象を、一度に倍の八体──騎兵四人と飛竜四匹──まで捕縛できる機能によって、飛竜と、それに跨る男女の計八標的は、完全に無力化される。

 

「クソっ、この!」

「外せぇぇぇッ!」

 

 獣然と叫びながらも、地に降ろされた騎兵たちは慌て怯えることはない。

 自分たちがまんまと捕縛された事実を理解しつつも、何の痛痒(つうよう)もない拘束状態だから強硬な態度を保っている──わけではないだろう。

 

「貴公! 自分が、何をしているのか、わかっているのか!?」

 

 いや、知らんがな。

 降ろされた彼らと共に大地を踏み締めた堕天使は、嘆息してしまう。

 それが「わからない」からこそ、互いに話ができる状態に無理やりながらもってきたのだ。わざわざ彼らが追撃可能な速度を維持したのも、彼らから何かしらの情報が得られないかと期待してのこと。あとは、あまりスピードを出しすぎて、それに振り回されるヴェルたちの身に悪影響があることも危惧していたのとで、半々というところだ。

 懸命に拘束を抜けようと欲する彼らに何か言ってやろうかと思ったが、止めた。

 

「カワウソ様」

 

 翼を再び鎧に纏わせた女天使が、声をかけてくる。

 

「ミカ。そっちは無事だな?」

 

 当然と頷く女天使。

 ミカの傍らには、これまで無傷で済んだ少女ヴェル・セークが控え、少し離れた位置でラベンダの傷を“気功”で癒すマルコの姿が。

 

「さて、と」

 

 草原の空き地──かつては誰かが焚火でもして野営していたようなスペースだが、道らしい道はない。随分と長く使われていないようだ──で、まんまと拘束された騎兵たちに、カワウソは静かに向き直る。

 改めて、全員の装備を眺めてみると、同じ飛竜騎兵の部族というだけあって、ヴェル同様に装備だけは整った印象が強い。ヴェルの物と同じく肌色が剥き出しな部分があるのは、そういう規格統一がなされた結果であり、飛竜に乗る上での軽量化を期してのことだろうと推察できる。

 要するに、こいつらは正規の軍隊と同じく、上位者に従属する存在──魔導国の臣民ということの証左だ。

 

「ちょっと()きたいことがあるんだが?」

 

 なるべく優しげな声で問いかける。だが、当然ながらカワウソという闖入者および拘束者に対し、快く応じてやろうというアホは一人もいない。

 カワウソが数分で拘束せしめた連中は元気だった。捕縛はあくまで対象を「拘束」するものに過ぎないので、体力は有り余っているのが当然である。カワウソのことを口々に痛罵(つうば)する甲高い声に、横にいるミカの表情が夜闇の中でもわかるくらい暗くなっていくのは何故だろう。

 そんな中、冷徹に状況を見定めていた青年が、呟く。

 

「致し方、ない──起動!」

 

 カワウソは少し驚く。

 青年の発した声に合わせて、彼の首飾りが淡く輝き──瞬間、カワウソの装備である鎖が、捕縛機能を一斉に解除される。

 そして、八人の騎兵と八匹の飛竜が自由を得たのだ。

 考えられる可能性はひとつ。

 

「拘束を抜けた、か。〈自由(フリーダム)〉のアイテムでも使ったのか?」

 

 しかも、対象は自軍勢力全員へという“全体効果”版だ。別に珍しくもないアイテムだと思われる。

 あの首飾りがあやしいが、装備の効果は一回分しかなかったのか、見る間に消失してしまった。

 

「御免!」

 

 律儀に吠え真っ先に突進する青年の剣撃に対し、カワウソはかなり手加減した上段蹴りを、慣れた調子で浴びせようとして、

 

「〈不落要塞〉!」

「うおおっ!?」

 

 あまりにも重い金属音が、けたたましく鳴り響く。

 カワウソは己の蹴りを、青年の剣によって弾かれた(・・・・)

 神器級(ゴッズ)アイテムの足甲が、ただの剣だろうアイテムに、阻まれたのだ。

 愕然とするカワウソに、

 

「〈即応反射〉!」

 

 続けざまに唱える青年の剣が突き立てられようとして、

 

「おっ、と」

 

 籠手も何もない──腕輪(バンド)しか装備されてない腕一本で払い除けることに成功。

 やはり、青年の剣が凄まじいアイテムということではないようだ。

 

「そ……そんな、馬鹿な……武技もなしに、どうやって?」

 

 今度は青年の方が驚愕に目を見開いていた。

 カワウソは、先ほどはカットしていた常時発動型(パッシブ)特殊技術(スキル)のひとつ“上位物理無効化Ⅲ”を発動したのだ。特殊技術(スキル)のオンオフもだいぶ熟れてきたもの。この特殊技術(スキル)がある以上、LV.60以下の攻撃は、カワウソという異形種プレイヤーには通用しない。ゲーム時代は、カワウソの主要な狩場ではあまり使えない微妙系な特殊技術(スキル)であったが、意外と使いようがあることに使用した本人が驚きを覚えている。

 カワウソは話しかける。

 

「意外とやるな。“第二天(ラキア)”の硬度に対抗できる武器って感じはしないのに」

 

 体勢を整え、爪先で地面を叩きながら足甲の名を呟く堕天使は、目の前で起こった出来事を脳に浸透させていく。

 これは貴重かつ重大な情報だ。

 レベルは大したこと無さそうな青年であるが、脆弱な武装で、そして何らかの手段によって、カワウソの攻撃を防いだのだ。いくらカワウソのステータスが異形種の中では微妙と言っても、推定されるレベル差を考えるとありえないとしか言いようがない。おまけに、この足甲はカワウソの剣や鎧などと共に、かつてランキング上位に位置した天使ギルドが引退解散する際に払い下げた神器級(ゴッズ)アイテムのひとつだ。この足甲の蹴りで、魔法都市上空では大きな鎗を折り曲げた事実を思えば、ただの剣など(ひし)げ砕けてもおかしくはないはず。この世界独自の技法だろうか。それとも、飛竜騎兵の青年が保持する未知のアイテムか何かだろうか。

 そんな悠長に構え、状況検分に勤しみながら対峙する男に、他に鎖から解放されていた三人が剣を抜いて駆け出していく。

 

「この!」

「ふっざけんな!」

「ハラルドから離れろ!」

 

 少女らの握る三つの剣が、堕天使の胸の鎧──は、ダメージを与えられそうにないので──その間隙(かんげき)である関節部や接合箇所を狙いすます。

 しかし、その目論見は叶わない。

 

「……『控えなさい』」

 

 女天使の重く清廉な声が、三騎の突撃行動を、さらには残る騎兵や飛竜までをも、静止させてしまう。

 ──カワウソは知覚できなかったことだが。

 少女と飛竜らは、女天使の背後から放たれる光輝を、確かに見た。

 状況から見て多分、上級の天使が扱う特性である“天使の後光(エンジェル・ハイロウ)”の「畏怖」の効果によって、低レベルの人間でしかない彼女たちは、ミカの後光に畏れ、身動きが取れなくなったようだ。

 

「ぐ……がっ?」

 

 さらに、その効果はカワウソと一騎打ちの形で挑んでいた青年にも及んだが、

 

「ミカ。こいつの相手は俺がする。手出しはしなくていい」

「──ですが」

 

 逡巡する女天使を、半ば睨みつけるように「いいから」と命じる。

 不満そうに肩を落とすミカ。彼女の特殊技術(スキル)の対象から、青年が除外される。

 無論、女天使の後光から解放された彼は、疑念した。

 

「……どういう、おつもりか?」

「気にするな」

「……尋常な勝負を、お望みか?」

「そんな構えたつもりはないが──とりあえず、やってみてくれ」

 

 カワウソの真意を(はか)りかねる青年は、騎兵の剣を脇の位置に構え、左手を鍔に添えるように刺突の型をとる。

 完全にペースを青年の側に預けるカワウソは、依然として無手のままだ。構えらしい構えもない。

 

「……剣を」

「──ん?」

「剣を、お持ちではないのか? 貴公、その鎧──姿で?」

 

 鎧と呼ぶには少し奇怪な造形に見えたのだろう。実際、普通の──飛竜騎兵の彼らが装備している銀色のそれに比べて、カワウソの黒い防備は禍々(まがまが)しい印象が強い。外衣(マント)で隠れる背中部分を見ると、その印象はより顕著になること受け合いだ。

 

「もし良ければ、私の部下の剣をお貸ししてもよいが」

「いや? 持ってるが?」

「ならば、構えていただきたい。丸腰の相手に正面から切りかかるのは、戦士の恥です」

 

 ここまで散々戦ってきているのに、そういうところをこだわる青年の愚直さが、どこか笑えた。感心したと言ってもいい。

 だから、はっきりと告げておく。

 

「すまんが、それは無理だ」

「……何故(なにゆえ)?」

「おまえらを殺したくないんでな」

 

 完全に上から目線の発言だった。

 彼を隊長と仰ぐ飛竜騎兵たちから「ふざけたことを!」と不満の声が噴き出す。ミカがそちらをジロリと睨むとすぐに黙るが、敵意は依然として健在である。

 双方共に、これは致し方ないことだ。

 カワウソのメイン装備である“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”の攻撃力は、伊達に神器級(ゴッズ)アイテムに列せられていない。ちょっとかすった程度で……あるいは、青年が突進してきた勢いのまま剣を鎧を諸共に貫いて、殺し尽くすことも十分にありえた。拠点の金庫や武器庫を漁れば、弱い初期装備くらいはあるだろうが、今カワウソの手元にあるのは、完璧万全な“戦闘用”のものばかりである。これらは使うわけにはいかないだろう。

 

 

 何故なら。

 魔導国の民は殺さない。

 厳密に言えば、殺すべきではない。

 

 

 その基本方針を覆していない現段階で、(いたずら)に剣を抜くわけにはいかないのだ。

 無論、彼の放つ独特な戦闘能力──不落要塞(フラクヨーサイ)、と言ったか──があれば、防ぐこともありえるかもだが、勢い余って殺しちゃいました、なんて馬鹿馬鹿しすぎる。

 カワウソの余裕をどう受け取ったのか、青年は深く呼吸し、剣を持ったまま、大地に四肢を這わせるように身構える。ただし、許しを請うような形ではない。

 

「……武技(ぶぎ)

 

 それは、四足獣のモンスターが、獲物に向け飛び掛かる直前の姿に似ていた。

 

「──〈疾風走破〉!」

 

 瞬間、怒濤の風と化した青年の速攻。

 兜などの守るものがない剥き出しの頭部……カワウソの眉間に叩き込まれようとする刺突攻撃を──

 

「……すげぇな」

 

 驚嘆する男の、堕天使の浅黒い剥き出しの掌が、文字通り眼前で、難なく刃先を掴み受け止めていた。

 爆風になびく黒い前髪すら、一本も切り裂くことは出来ていない。赤黒い輪っかも、微動だにしていなかった。

 カワウソは小声で、起こった出来事を確かめる。

 

「これ、ただの人間の身体能力じゃないだろ……魔法の強化(バフ)って感じもしないし」

 

 余裕綽々と目の前で起こった事実は何なのだろうと確認する堕天使。

 ほとんど反射的に刃先を掴んだ掌には、血の色は勿論、擦り傷ひとつ走っていない。

 

「ッ! これでも、駄目か!」

 

 半ば予想していたらしい青年が苦し気に呻いた。

 そして、我慢の限界という様子で、吠えたてる。

 

「頼むから、邪魔立てするな! これは、我等セーク族の問題! 余人が首を突っ込むべきことではない!」

「って言っても、なぁ……ん? 待て、……セーク族、……問題?」

 

 青年の剣幕など何処吹く風という感じで、カワウソは新たな情報に首を(かし)ぐ。

 (いわ)く、セーク族の問題?

 あれだ。“セーク”とは、確か、ヴェルの名字じゃなかったか?

「まさか」という思索に囚われ、剣を掴みっぱなしで黙考するカワウソに業を煮やし、若者は剣を……押しても引いてもビクともしないので、仕方なしに手放した。

 そうして改めて、ここまでの成り行きを眺めるしかなかった抹殺対象の少女(ヴェル・セーク)を、青年は睨み据える。

 

貴女(あなた)のおかげで、我等(セーク)の汚名返上の機会は失われた……式典における飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の招集は撤回され、ヘズナ家との確執は広がるばかり! 今回のこれが、最後の好機であったというのに……よもや、貴女(あなた)が……セーク族長の妹御(いもうとご)がッ……このタイミングで、暴走なさるとは!」

「ま、待って! 私は!」

「問答無用と言っている!」

 

 剣がなくとも少女を切り殺しかねない言葉の鋭さ。

 蚊帳の外にされるのはしようがないとしても、カワウソは冷静に、けれども軽い口調で、怒る。

 

「──少し、落ち着けって」

 

 視界に映る騎兵、ヴェルを含む全員が、身を震わせる。

 

「人の話は最後まで聞いてやったらどうだい……なぁ?」

 

 自分自身でも、暗く薄気味悪いと判る声をもらしてしまうが、もはや構うものか。

 言外に「あまり、俺をイラつかせるな」と言う雰囲気を、かすかにだが、滲ませてしまう。本当に申し訳なく思うが、説明がなければ話にならないのだから、しようがない。

 堕天使の軽い威圧は、思いのほか飛竜騎兵の若者と、その背後に居並ぶものたちをすくませた。堕天使の狂相は、人の美意識にとっては実に醜悪極まりないもの。そんな面貌で、こんなにも険悪な声を響かせたら、尻込みするのも当然か。後ずさり、震え上がり、堕天使の表情を注視せざるを得ない飛竜騎兵ら。だが、中には仲間や相棒にしがみついてないと、自分の身体さえ支えられないものまでいるというのは、……ちょっと傷つくな。

 しかし、そんな中ハラルドは、毅然とした態度のまま、尊厳に満ちる実直な声を奏でてみせた。

 

「貴公。やはり只者(ただもの)ではないと、お見受けする。

 ……魔導王陛下の、……親衛隊か、何かか?」

 

 カワウソは肩を(すく)めるだけで、応じない。

 ハラルドは、頬伝う汗を拭うことも忘れ、朗々と主張する。

 

「いずれにせよ……これは我らが族長から命じられたこと。ひいては、魔導国の王にあだなした存在を(ちゅう)するための行い。故に、貴公が反抗するとあら……ば、……?」

 

 青年の呼吸に微動する喉元を、いつの間にか眼前に迫った人物──金色の輪を頭上に浮かべる騎士風の女──ミカが、手元に握る剣の先で、撫でていた。

 

「反抗したら、……何だというのです?」

 

 ほんの一ミリ、剣を突き出すだけで、冷たく光る刃が肌を貫くことは確実な未来。

 誰も──カワウソすら──知覚できない、一瞬の出来事。

 ミカは、最初からそこにいたかのように、主人に害なす奴儕(やつばら)を引き裂くポジションを確保していた。鋼のように硬く堅く構築された、暗い無表情と共に。

 

「な……何者、なの、だ、……あなた、方は?」

「どうでもいいことを()かないでほしいものであります。

 それよりも、答えやがりなさい。それが何だと(・・・・・・)?」

 

 カワウソは舌打つ。

 後ろに退く青年を追わんとしたミカの握る光剣を、空間から取り出した聖剣で、硬い音を奏でるように押さえて強引に下げさせる。

 

「やめろ、ミカ。殺しは厳禁、と言ったよな? ……下がってろ」

 

 暗い声で諫められる天使は、主を睨み、鼻を鳴らしつつ、あっさり剣を引いた。

 カワウソは冷静だった。ここで「魔導王のために動いている」存在を殺すのは、よろしくない。何があろうと避けねばならない事柄だ。

 そんなことをすれば、カワウソたちは完全に魔導国の敵対者と見做(みな)され、蹂躙される未来が待ち受けるだろう。

 まぁ、そうなったらそうなっただが(・・・・・・・・・・・・・)

 さらに言うと。今、目の前で起こる人死(ひとじ)にを、カワウソの常識が忌避して止まなかったことが大いに影響を及ぼしている。

 

「説明してくれないか? そうしてくれれば、とりあえず俺は(・・)助かるんだが?」

 

 凍てつく刃の声色──ミカの尋常ならざる殺気から解放された青年に、カワウソは明朗に催促してみる。

 

「……いいでしょう」

 

 無傷の首を撫でる青年が応じると、部下である騎兵たちも矛を収める意思を示すように頷いた。

 カワウソも、左手にあった青年の得物を返却してやる。

 不用心極まりない判断かもしれないが、それでまた切りかかってきたら、また捕縛してやるだけだ。こいつらの戦闘パターンは読み切れているし、強さもヴェルと大差ないのであれば、万が一にも自分たちが殺されることはあり得ない。

 そんなカワウソの心配は無用だとでも言いたげに、全員が装備されている剣を鞘ごと外し、鎗や短剣まで捨てて、投降の意思を(あらわ)にした。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「ああ~、惜しい! 惜しかったですね~、今のは!」

「何ガ、惜シカッタノダ?」

 

 最上位悪魔(アーチデヴィル)の語る声に、蟲王(ヴァーミンロード)は凍てつく息と共に疑問を吐いた。

 魔導国「国軍」の最頂点に位置する“大将軍”を拝命されているコキュートスには、水晶の画面に映し出された今の戦闘で、惜しむべきところなど発見できなかった。堕天使の捕縛技はなかなか洗練されていたが、実際の戦闘力は未知数のまま。捕縛の対象に据えられ、まんまと降伏せざるを得なかった飛竜騎兵の部隊についても、善戦と呼べるほどの場面はひとつもない。想定される彼我のレベル差を考えれば、飛竜騎兵たちが無傷で済んだことは驚嘆すべき戦果やも知れないが、魔導国の国軍を預かる大将軍としては──いくら中流の、三等臣民とはいえ──もう少し頑張れと思ってしまうというのが本当である。

 しかし、叡智に優れる“大参謀”は、武力や戦闘とはまったく違う角度から、痛切な感想を懐いてならなかったようで。

 

「奴が──というか、あの女天使が、あのまま飛竜騎兵の彼等に危害を加えてくれていれば、もう少しで我々の大義名分の“第一”が立ったところだったのですがねぇ?」

 

 デミウルゴスが「実に惜しい」と評した内容を理解し、コキュートスもすぐに納得する。

 

「ナルホド。政治戦略トシテ、民ノ(イノチ)ニ害ヲ成シタ瞬間、彼奴等(キャツラ)ヲ討伐スル任務ガイタダケタハズ──トイウコトダナ?」

「まさに」

 

 この100年で驚くほどの戦上手と化した友に、悪魔は祝福の笑みを浮かべ肯定する。

 大義名分。

 それさえあれば、連中を完膚なきまでに制圧蹂躙できるのだ。

 魔導国の民を、一方的に害する者が現れれば、それは即ち魔導王の、アインズ・ウール・ゴウンその人の御敵(おんてき)にほかならない。

 無論、連中の戦力評価や戦術分析を入念に重ねて、保持しているやも知れない最大脅威──世界級(ワールド)アイテムなどの有無や、その機能など──が判明するまでは、(いたずら)に手を出すことは出来ない。そのために、デミウルゴスやアルベドは、奴らの戦力を推し量る機会を、──そのための戦闘状況を──つぶさに構築していっているのだ。

 だが、いざ連中を討伐し果せる際に、そういった大義と名分が揃っていなくては話にならない。デミウルゴスの娘も、そのための布石として街を散策させたのである。

 

 魔導国は、魔導王であるアインズは、無益な殺戮(さつりく)を好まない。

 

 しかし、殺戮に有益なものがあると判断されれば、喜んでその叡智と威力を示してくれることは周知の事実であり、これまでの経験則であるのだ。

 あの堕天使と、あれが率いているだろう天使ギルドを滅ぼすことが「益」となることは、デミウルゴスからしてみれば必定の事実。

 100年周期で現れるプレイヤーへの“生体実験”。さらには、他ギルドに属するNPCの“実態調査”など、これまで判然としていなかった情報を探る上で、奴等には是が非でも、魔導国の「敵」となってほしいところなのが、悪魔的頭脳を誇る大参謀の本音である。勿論、お優しいアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の威光に浴し、「従属する」というのであれば、アーグランド領域・信託統治者であるツアーの保護下にある、あの八欲王の遺産たる者たち同様、安寧を与えることも十分ありえることでは、ある。

 そして、あの堕天使である男は、今のところ魔導国に対し、積極的に害をなそうという意志や姿勢は垣間見えない(ちなみに、アインズの作成した中位アンデッドや、魔将の配下の悪魔が召喚した雑魚悪魔モンスターである猟犬などについては、大したコストが必要というわけではないため、別段狩られ滅ぼされても良いらしく、アインズ本人はあくまで、“魔導国の臣民たる者たち”への殺戮行為のみを、反撃の理由に使うべきと定めている。沈黙の森で吹き飛ばされた追跡隊については、むしろ滅ぼしてしまう方が、常識的かつ良識あるプレイヤーならば当然な対応だったわけだ)。

 追われていたヴェル・セークを匿う行動も、派遣したマルコとの遣り取りも、そして今しがた見せた敵対行動をとる魔導国の臣民たちを“無傷”で“無力化”した事実を見ても、すべてアインズの眼鏡にかなう対応判断であったのは大きい。

 連中が歩み寄る場合、アインズは連中が魔導国に従属することを許す(アインズ本人の感覚としては、「手を携えていきたい」)姿勢を見せているのだ。それに反駁(はんばく)する理由などデミウルゴスには存在しない。

 ──しないのだが、悪魔的な思考と嗜好から、堕天使たちが敵になってくれることを、彼個人が祈念するのは極めて正しい思想理念でしかない。それが最上位悪魔としての必然であり、アインズ・ウール・ゴウンに仕える大参謀として必要なことであるのだから。

 

「はてさて、彼らはどれほど頑張ってくれるのでしょうね?」

 

 この100年後の魔導国に舞い降りた堕天使のプレイヤーを、彼らは観察し続ける。

 微笑みを深め嘲笑する友たる悪魔に、蟲王(ヴァーミンロード)は同意するように凍えた吐息で唸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 今後は不定期更新になるかもです。ご了承下さい。

 飛竜騎兵に関する情報などは、”書籍四巻などを参考”にした「作者の独自設定」です。

 第一章の三話「救出」で使おうとしていた鎖がやっと登場。
 以下は、カワウソの使った捕縛用装備の参考情報。
 読み飛ばしていただいてかまいません。


 作中のカワウソの装備のネタなどについて01

・レーディング

 北欧神話に登場する巨大狼・フェンリル。
 悪戯の神ロキの産んだ三兄妹の怪物、その長男。弟はヨルムンガンド。妹はヘル。
 その身体は巨大で、口を開けば上顎が天に、下顎が地につくほど。
『ラグナロクによって、フェンリルは最高神オーディンを殺す』という予言により、フェンリルを危険視した神々が彼を封じるべく、鎖で繋ごうとするがうまくいかず、後に用意した強力な鎖が “レーディング” という。神々は「力試し」と(そそのか)して、フェンリルを封じようと試みる。
 だが、レーディングはフェンリルの力でやすやすと引き千切れ、神々は次にレーディングの二倍の強度を誇る“ドローミ”を使うが、これも破壊される。神々は最終的にドヴェルグ(ドワーフ)に創らせた魔法の紐“グレイプニル”を使ってフェンリルを封じることになるが、さすがに事態を怪しんだフェンリルはこれを拒否。彼を納得させるために、戦争の神・テュールが人質としてフェンリルの口に右腕を突っ込んだ後、グレイプニルでフェンリルを縛る。結果、騙されたとわかったフェンリルは、テュールの右腕を食いちぎるも、そのまま封じられた。
 このようにして封じられてしまったフェンリルであるが、神々の黄昏(ラグナロク)の時には封印から解放され、予言の通りオーディンを丸呑みにして喰い殺してしまう。


 今作内では、狼の意匠を先端部にあしらった魔法の鎖/狩人専用の捕縛用攻撃アイテム(聖遺物(レリック)級)の名につけられている。低レベルモンスターなどを複数体、高レベルモンスター(体力消耗)一体を捕縛、生け捕りにすることが可能。
 他にも、”ドローミ”や”グレイプニル”などの上級の捕縛アイテムもあるが、職業:狩人(ハンター)のレベルが低いカワウソでは扱えない為、拠点の屋敷に死蔵されているらしい。






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/Wyvern Rider …vol.2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とりあえず、こんなもんか?」

 

 街道を外れた草原の真ん中。その中で大きく開けた場所で──かつては誰かが野営地にでもしていたのか、かまどのような石組みがあったそこで、カワウソたちは火を起こした。本物のアウトドアなんて当然初めてのカワウソであるが、果たして、これがアウトドアというものなのか、疑問を(いだ)く。

 火を(おこ)すと言っても、中世のような火打石で着火、ということはない。

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の一人が従える、火のような紋様を顔面から首にまで描く飛竜(ワイバーン)が吐き出した火で、カワウソの野営用アイテムである一本の丸太──無限の薪材(エンドレス・ファイアウッド)を燃やしている。このアイテムを燃やす時は、それ専用の道具・火蜥蜴(サラマンダー)(じるし)燐棒(マッチ)(ひと箱50本)を使うものだったのだが、薪は問題なく燃焼してくれている。

 カワウソの認識としては、火属性を扱う飛竜の性能──〈火球(ファイヤーボール)〉などとは明らかに違う。ゲームにおいて攻撃魔法の火では、このアイテムを燃やすことはできないはずだから。というか、火を吹く飛竜自体が珍しい──に驚いてしまったのだが、それよりも飛竜騎兵の方こそが、驚愕と驚嘆の連続のようだった。

 

「ねぇ、もしかして、今の」

「ええ。なにもないところから道具を出したわ」

「さっきも、剣を突然、出してた、よね?」

「空間、魔法……とか?」

「族長と同じで、魔法の荷袋でも使ってるのかしら?」

「てか、あの薪。なんだアレ。たった一本で、普通あんなに燃え上がるか?」

「ふむ。油でも塗ってるわけでは……なさそうですがね?」

 

 現地人の彼女ら彼らには、カワウソが取り出し見せたすべては非常に珍しいアイテムだったようで目をキラキラさせていだが、これはユグドラシルだと割とポピュラーなキャンプ道具(PKの的になるが、火を使う料理などでは必須になる調理器具の一種)でしかない。アイテムボックスというものも、彼らの常識的には理解不能な代物なようだ。……いや、カワウソ自身も、どうしてアイテムボックスが普通に使えるのか、一応不思議ではあるのだが。考えてもしようがない。

 さらにカワウソは、無限の水差し(エンドレス・ウォーターピッチャー)を取り出して、ここにいる人数分のコップ──合計12個も供出する。この水差し(アイテム)は小さな見た目に反して、かなり大量の“水”を保持し、「渇き」などの状態異常を回復させることを可能にするアイテムで、ゲームではよく自分用や生け捕りにしたモンスターに使っていた品だ。ここにいる人数分を遥かに超過する量であることは、ヴェルの相棒であるラベンダの前に出された盆に張られた水量を見れば、いやでもわかるだろう。連中はさらに目を丸くしてしまった。

 最初こそコップ入りの水を警戒……毒や睡眠薬でも入ってないか不安視する者らが大多数だったが、カワウソとヴェル、それにマルコが並べ置かれたコップの中から無造作に選んだ水を飲み干し、それを見ていたハラルド──隊長たる男が先頭に立って、ガラスコップの中身を一気に干した。

 

「せっかく、厚意によって提供されたものを、無下にするのは恥ずべきことです」

 

 そう言う青紫の長髪に二つの赤いメッシュを刻んだ青年の態度は、実に堂々としていて、割と好印象なのだが、逆にそれが危うい気もする。毒無効のアイテムでも装備しているのなら話は別だが。

 隊長たる者に追随するように、三人の飛竜騎兵もコップの中身を呷り出した。警戒心の強い半分は、(がん)として水を飲もうとはしなかったが、カワウソは別に気にしない。構わずおかわりを自分のコップに注いで、飲み干すだけだ。当然、毒なんて何も入っていないし。水を飲んで落ち着くというのは、人としてはなんてことない生理現象のひとつである。……堕天使で“(ひと)”というのはアレな気もするが。

 ここまでのことを(かんが)みるに、飛竜騎兵というのは、あまり魔法のアイテムに明るくない連中なのだなと思考したところで、先ほどの会話を思い起こす。

 確か『我等セークの汚名』が、うんぬん。

 ひょっとすると、彼ら飛竜騎兵の部族というのは、魔導国ではそんなに良好な立ち位置にはないのかもしれない。ヘズナ家とやらとの確執、というのも気にかかる。

 原因は何だろう。

 力がないから? 学がないから? 先祖代々の因果から? 汚名というからには、何らかの罪を働いたというのがありそうなところだろう……反乱か、暴動か──テロだったりしたなら、カワウソ個人としてはちょっと洒落(しゃれ)にならない。

 とりあえず、簡素な会談の場が整い、カワウソたちと飛竜騎兵の討伐部隊は、共に大地の上に腰を落ち着ける。

 

「あらためて名乗りましょう」

 

 カワウソ、ミカ、ヴェル……三人に対して、飛竜騎兵の男女八人が、焚き火を境界とするように相対する。ちなみに、マルコは再び傷を負ってしまっていたラベンダの治療に引き続きあたっており席を外していた。

 そんな中で、八人の騎兵を統括する立場にある青年が、堂々と名乗りをあげる。

 

「私の名は、ハラルド・ホール」

 

 セーク族の一番騎兵隊隊長の座を預かる青年は、驚くべきことに「歳は“19”だ」と宣言する。

 もう少し上の年齢……いや正直、二十代後半か三十代前半と思っていたカワウソは無言で驚嘆しながら、青年──じゃなくて少年か──の言葉を聞き続ける。

 ハラルド少年の説明を簡潔にまとめると、自分たちは “族長”からの命令によって、セーク族を率いる長の妹……ヴェル・セークを発見討伐すべく派遣されたとのこと。

 それを聞いたカワウソは、とりあえず振り返って、疑問を口にする。

 

「セーク族の、(おさ)の……妹?」

「…………はい」

 

 振り返った先で、ヴェルが頷く。

 ヴェルには確か……魔法に詳しいらしい姉がいるという話を、森で聞いた気が。

 それがよもや、飛竜騎兵の一部族を治める族長であったとは。

 少女の沈鬱な表情は実に痛々しいが、それに構ってやる暇も余裕もない。

 カワウソは再確認するしかなかった。

 

「えと、おまえらは、その族長……つまり、あれか……ヴェルの、その、……“姉”の命令で?」

「そうです」

 

 ハラルドは肯定する。

 カワウソは絶句した。

 隣に座る少女は、部族の長から、自分の家族から、血を分けた実の姉から、抹殺されようとしていたという事実。

 堕天使となったカワウソは、その事を理解し納得することに抵抗がなかった。考えてみれば、ヴェルは式典の演習とやらを邪魔した咎で追跡を受け、逃げ出し、あろうことかカワウソと出会ったことで、追跡部隊を全滅させてしまった罪状がある。いくら場当たり的に、やむを得ない事情や心情が重なった結果とはいえ、国家に反旗を翻したと判じられても仕方のない蛮行であったのだろう。堕天使はいっそ冷淡なほど、彼女の身に降りかかった災難……身内である姉や幼馴染ら、部族の者らに抹殺されようとしていた現実(いま)を理解した。

 しかし、

 それでも、

 ひとりのユグドラシルプレイヤー……(ひと)としての常識や良心が、その酷薄な物語に対応しきれなくなったのも事実だ。

 

「それは、いくら何でも……」

 

 (ひど)くないかと続ける前に、ハラルドの表情を見て、言葉に詰まる。

 青年──少年は、心底から、嘆きと悲しみに彩られた相を隠していると、つぶさに見て取ることができたからだ。必死に隠そうとしているが、こう真正面から冷静に眺めると、なんとなくわかる。

 そして、彼の仲間たちも──真実、ヴェルを誅戮(ちゅうりく)することを、受容できているわけではないらしい。

 しかし、断じてやらねばならなかった。

 それがヴェルの姉の、セーク族の族長の、そして何より、大陸全土を統べる者の、魔導国の王への忠臣であるならば。

 戦士として。

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)として。

 部族を代表する者らの責務として。

 否も応もなく、ハラルドは自分たちの任務を、使命を、完遂する意気を見せつける。

 

「この際、貴公らの出自や所属は問いません」

 

 表情と同様、巧みに隠された感情とは裏腹なほど残酷に響く声音で、少年は告げる。

 

「ヴェルを……ヴェル・セークを、こちらに引き渡していただきたい」

 

 それですべてがおさまると、ハラルドは宣した。

 カワウソは、考える。

 考えて、考えて……

 そして、言った。

 

「はい、そうですか……なんて俺が言うと思うか?」

 

 ほぼ全員──部下であるミカ以外の誰もが、息を呑む。

 そんな反応に対し、堕天使は呆れたように肩を竦めてしまう。

 

「冗談じゃあない。ここまでヒトを巻き込んでおいて、あとは知らぬ存ぜぬを決め込めと?」

 

 挑むような口調になってしまう。

 だが、どうしても、カワウソは納得がいかなかった。

 

「貴公には関係のないことです。とても納得し難いことは重々承知。ですが、どうか、このまま引き下がって」

「引き下がれる状況だと? ──族長とやらの命令を邪魔した時点で、一蓮托生だ。というか、ヴェル・セークを助けた俺を放置するのは、それはそれで問題じゃないのか?」

「……では、何故ヴェルを助けたのです?」

 

 ハラルドの問いが、それまで軽快だったカワウソの口舌(こうぜつ)を封じ、堕天使の臓腑に重く響いた。返答に詰まりかける。

 しかし、

 

「『誰かが困っていたら、助けるのは当たり前』だからですよ」

 

 応えた声は、カワウソのものではない。

 見上げると、飛竜の傷を塞ぎ終えた男装の修道女、マルコ・チャンが、会談の場に加わるべく歩み寄っていた。

 カワウソは(たず)ねる。

 

「ラベンダの容体は?」

「毒を抜いて、傷もやっと塞ぐことができました」

 

 魔法都市で買っておいた飛竜用ポーションは最高品質を謳う品であるが、毒や麻痺などの状態異常を全快させる効力はなかった。それをせずに治療をしては、内部に残留する毒物によって継続追加ダメージが発生する。治療は難しかったが、カワウソたちのおかげで毒抜きの治癒に専念できたのが大きいと、マルコは誇らしげに宣言する。

 会談の地に腰掛ける謎の修道女に対し、ハラルドは冷たい視線で問い質す。

 

「失礼ながら、貴女(あなた)は、一体?」

 

 ヴェルと共に飛竜に騎乗し、あまつさえハラルドたち飛竜騎兵の誇る投鎗を、手袋に包まれた“拳”で弾いていた乙女は、静かに答えを紡ぎ出す。

 

「私は、ただの“放浪者”です」

 

 微笑みながらマルコは胸元に隠していたネックレス……その先端にある小さな水晶をさらして示す。街道に立っていた死の騎士(デス・ナイト)に示したものか。

 納得したように、あるいは夢見るように、頷きを返した飛竜騎兵たち。

 乙女の手元で左右に振れる水晶の様を見たカワウソは、何かを思い出しそうになるが、判然としない。大したことでもなさそうなので、あまり気にしないことにする。

 

「今度は、こちらから質問を──あなた達は、王陛下にあだなした者を誅すべく、族長の命令を受けて、ということを言っていましたね?」

「…………それが、何か?」

「それは、魔導王陛下の裁可の下に、行われた命令なのでしょうか?」

 

 怪訝(けげん)そうにハラルドは眉根を寄せる。

 

「いや、……そのはずですが」

「であれば、陛下からのお達しを明文化された“代理執行許可状”は? あるいは、“勅令状(ちょくれいじょう)”をお持ちではないのでしょうか?」

 

 少年の眉根がさらなる困惑に歪む。

 マルコの口調は、清流のように滞りなく一行の耳に注がれたが、ハラルドは困惑の渦に巻き込まれ、その後ろの騎兵たちも、誰一人としてそんなものは持ち合わせていなかったようだ。

 はじめてそんなものがあることを知ったような表情で、彼らは首を横に振る。

 

「だとしたら。あなた方がいくら同輩の徒であるとはいえ、ヴェル・セークさんを誅することは許されないはずです。この大陸の臣民、その命の裁量権は至高なる御身ただ御一人のもの。王陛下からの命を受けているわけではない以上、誰であろうと武力でもって他人を害することは許されない。陛下からの許しを、命令を受諾したという証拠を提示できなければ、ヴェル・セークさんを引き渡すことは拒否させていただきます」

 

 微笑みを深めつつも、マルコは厳格に言ってのけた。

 カワウソは思わず目を丸くして、優しくも厳しい物言いを披露した女性を見つめる。

 自分がいた現実世界でも、警察が人の身柄を拘束したり家宅捜索をしたりするのにも、裁判所から発行される“逮捕令状”や“捜査令状”が必要だったはず(現行犯でなければ)。王政を敷いているはずの国の中で、そういった明文の重要性──令状の必要体制が確立されていることに驚いてしまった。王の命令は絶対としても、それを笠に着た私掠(しりゃく)弑逆(しいぎゃく)は認めない法制度が樹立されているとすれば…………アインズ・ウール・ゴウン魔導王は「王政支配を建前にした“法治国家”の概念」を築いていることを意味する。魔法都市の暮らしぶりを省みても、とても暴君によって治められた恐怖政治な様相がなかったのも、そこに根があるのかもしれなかった。

 カワウソは思う。ひょっとすると、魔導王というのは、大陸を統一する象徴的な存在に過ぎないのか。

 マルコは続ける。

 

「あまつさえ。あの時、都市にてあなた方に襲われる直前、ヴェルさんは自ら率先して、都市にあるアンデッドの衛兵駐屯地に「出頭」しようとしたところでした。そこへ現れ、問答無用に危害を加えんとしたあなた(がた)は、むしろ彼女を“妨害”してしまったことにもなりかねません。いきなり戦闘になってしまってお話を聞いていただけませんでしたが──むしろ私は、あなた(がた)の方にこそ、今回の出陣は早計……“非がある”と申し渡してしまうより他にありません」

「そ、それは……」

 

 魔導国の内実、法体系などに(うと)いらしいハラルドや騎兵たちは、どうしたことかと互いを見やった。王に敵対する同族を討伐せんとする自分たちが、まさか罪を犯していたなどとは露ほども思っていなかったのだ。その狼狽(ろうばい)は推して知るべきもの。

 

「無論、放浪者である私には、それを殊更に主張して、あなた方を拘束・処断する権利はありません。なので──」

 

 混乱し混沌とする飛竜騎兵たちを、マルコはやはり優し気な調べを唇に宿して、そして促す。

 

「話していただきたいのです。

 ヴェルさんの身に何があって、あなた方の身に──何が起こったのか」

 

 救われたように緊張を解く騎兵たち。

 カワウソもまた、ようやく話ができそうな事態に推移したことに安堵しかけて、

 

「それを知るために、こちらにいるカワウソ様が、私たちを助けて下さったのです……よね♪」

 

 陽気に同意を求められる。

 おかげでカワウソは、咄嗟に「あ……ああ」と無様に呻くことしか、できなかった。

 その背後。天使(ミカ)の方から少しだけ声が漏れたのは、何かの聞き間違いだったのだろうか。振り返ってみるが、相も変らぬ女天使の無表情に睨まれて終わる。

 

「──では、順を追って話しましょう」

 

 飛竜騎兵部隊の部隊長は、仲間たちと二言三言なにかを話し込んだ後、そう進言してくれた。

 

 彼の語るところによると。

 ハラルド・ホールは、ヴェルが暴走したという式典の演習に、参加していた。というか、ここにいる全員が、今回の式典に参列を許された飛竜騎兵の、ほとんどすべてだという話だった。──だからこそ。彼らは目の前にいながら、ヴェルの暴走を抑止できなかった罪状を貼られ、その恥罪を自らの手で(そそ)ぐべく、派遣された向きもあったらしい。少なくとも、彼らはそう認識せざるを得なかったようだ。

 式典における航空兵力展示──飛竜騎兵の隊列の、さらに“前の位置”を任せられる栄誉を授けられたヴェルは、演習が始まって間もなく墜落の軌跡を描き、おまけに墜ちた先にいた骸骨の戦士団に恐慌したかのごとく暴れまわった(・・・・・・)。飛竜騎兵をはじめとする騎乗兵(ライダー)系統の職種は、己の乗騎を自らと共に強化する特殊技術(スキル)を持っている反面、己の状態異常を乗騎となるモンスターと共有するデメリットがある(逆に騎乗モンスターの状態異常は、騎乗者へはフィードバックされない。騎乗モンスターは騎乗兵の“装備物”も同然なゲームシステムがあった)。それによって、相棒のラベンダ共々暴れまわるヴェルは、墜落地でちょうど待機していた骸骨(スケルトン)の戦士団を半壊させてしまい……現在に至るというのだ。

 

「私どもが迂闊(うかつ)でした。もっと早く、彼女(ヴェル)の異変に気付いていれば、此度の事件は未然に防げたやもしれない」

 

 沈痛な響きを滲ませるハラルドに、カワウソは根本的な要素を問い質す。

 

「そもそも……どうしてヴェルが、その、暴走? なんてしたんだ?」

 

 演習にてヴェルが暴走したらしいことは、記憶があいまいな少女の供述とも合致しているが、やはり()せない。

 いくらアンデッドが苦手だという少女でも、アンデッドに怯えたが故に墜落して、演習をメチャメチャにしたというのはないと思われた。ヴェルの恐慌が「恐怖」系統の状態異常だとすれば、むしろヴェルは行動能力に制限が課せられ、動きは鈍くなるのが道理なはず──少なくとも、ユグドラシルでは「恐怖」の状態異常は、あらゆる動作に対してペナルティが生じるもので、これが「恐慌」に重症化すると恐怖対象からの全力逃走、戦線離脱、戦闘行為の完全停止を余儀なくされた。ゲームシステムとは違う“現実”ならではの事象か。あるいは何らかの外的要因か。そこは判然としない。

 ハラルドの解答、説明が続く。

 

「ヴェルは、セーク族の中でも最高の騎乗兵(ライダー)であると同時に、ひとつの暴走要因を身に(いだ)く存在です」

「暴走、要因?」

「ええ。それ故に、彼女は強い。だからこそ、我等は彼女を仕留めるつもりで──“抹殺する”つもりでかからねばならなかった。我等だけの戦力では、殺しでもしなければ、彼女を(ぎょ)することは難しい」

「ちょ、ちょっと待て……ヴェルが、強い?」

 

 カワウソの疑問に、ハラルドの応答がすぐさま返される。

 

「ああ、御存じないのも当然でしょうが……ヴェルは、彼女は、セーク族において現存する、唯一の“狂戦士(バーサーカー)”なのです」

「…………バー、サー、カー?」

 

 言われたことが事実なのかどうか、カワウソは大いに戸惑った。

 

「本当に?」

「……はい」

 

 相変わらず肩身の狭い思いを懐いているような少女を見ても、僅かに頷くだけに終わってしまう。

 カワウソは問う。問わずにはいられない。

 

「え、ちょ……だとすると暴走、って……おい……まさか」

「彼女は演習中に、あろうことか“狂戦士化”したのです」

 

 カワウソは頭の中でナルホドと納得してしまう。

 

 狂戦士(バーサーカー)とは、ユグドラシルでも割と有名な戦士系職業(クラス)で、読んで字のごとく“狂ったように戦う士”を表す存在。戦闘時──主に特殊技術(スキル)発動中──には常に「狂気」「混乱」の状態異常に苛まれ、爆発的なステータス上昇の効果と引き換えに、防御性能に関してはかなり不安な特性を持つ職業だ。「狂気(バーサク)」の状態異常(バッドステータス)が原則必須(状態異常を回復させたら一挙に弱体化)というデメリットから、有名ではあったがそこまで人気の職業ではない。実を言うと狂戦士化状態のプレイヤーは、半ば自分のゲームアバターと意識が乖離して、冷静な戦況対応や戦局判断に欠けるほど勝手にアバターが“暴走”するため、DMMO-RPGの体感としては、あまり気分がよくないものらしい。しかも、外部から回復されない限り、それが永続してしまうという面倒くささだ。それでも、戦士職の中で攻撃などに超特化したビルドを組もうとすれば、必要不可欠とまで評されるほどに有名であり、同時に稀少な職種であったのも事実だ。

 狂戦士のゲームでの取得条件は、確か……狂戦士は強力な竜の血を大量に浴びたとかいう伝承から、上級のドラゴンを狩って、ドロップした血や肉を大量に入手し、転職アイテムとして使用する……だったか。この取得条件に近いものだと、竜滅士(ドラゴンスレイヤー)なども強力な竜系モンスターである魔竜とか邪竜とかを数多く倒した経験──ポイントゲットがないと獲得できないはず。

 拠点NPC製作用の課金ガチャでもあまり引けないレア職業で、実際カワウソの拠点NPCで取得しているのはタイシャだけだ。

 だが、納得と同時に、さらなる疑問が湧き起こる。

 それほどの希少(レア)を、目の前のこの()──ヴェル・セークという可憐な少女が取得しているとは思えなかった。

 しかし、ヴェルはカワウソの疑念を当然と受け止め、きっぱりと告げる。

 

「私は、今代のセーク族で唯一、狂戦士(バーサーカー)の資質を備えた飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)なんです」

 

 カワウソが知りようのない飛竜騎兵の中での“狂戦士”について、ヴェルは語る。

 

 

 

 かつて飛竜騎兵の九つあった部族……セーク族のように“速度”に特化した者、ヘズナ族のように“防御”に特化した者、他には魔法技術やアイテム、毒物や錬金などに長じた者などに分岐する……には、ごく稀に、「狂戦士」としての力を有する“適性者”が現れ、一族の中でも厚遇されてきた歴史を持つという。

 しかし、今から100年前、あのアインズ・ウール・ゴウン魔導国が台頭し、周辺諸国を併呑属国化していく波にのまれる形で、飛竜騎兵の九つの部族が先住し続けた地帯も、あの魔導王の支配下に加えられる運びとなった。

 当初は三つの部族が従属を拒否し、徹底抗戦を掲げたが、戦いは一日も経たずに終結。魔導王の力の前に、戦いを望んだ三つの部族は、それぞれが守護してきた領地ごと、滅ぼされてしまったという。

 以降、残った六部族の中で最も理知に富み、二大勢力と讃えられていたセーク部族とヘズナ部族が魔導国への従属と、魔導王への臣従を誓ったことで、残る飛竜騎兵たちは安寧を得ることを許された。

 そうして、飛竜騎兵たちの中でそれまで神聖視されていた「狂戦士」は、半ば“お役御免”となり、以降は他の職にありつくもの──冒険者や研究者、芸能者や魔法詠唱者などの職種を獲得・併用する個体が重宝される運びへと至っている。

 

 

 

 そして100年をかけて、飛竜騎兵の中で、狂戦士(バーサーカー)に対する尊敬と崇拝の念──信仰は低減されていったという。だから、部族内でもヴェルが狂戦士である事実を知っている者は、それほど多くはない。

 しかし、この異世界でも類稀な狂戦士の強さ(レベル)を保持している事実は変わらない。

 さらに言えば、ヴェルの騎乗能力──飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)としての実力は、セーク族の中でも一二を争う位階にあると、ハラルドは補足する。

 

「故に、今回の式典招集に選抜されるメンバーに、彼女が加わることは、完全に必然でした。最前の位置を単独で任せられたことからも、それは明らかです。……それがよもや、あのような事態を招くことになろうとは」

「ごめん、ハラルド。私、本当に、何も覚えてなくて──その」

「覚えていないで済まされる問題ではない!」

 

 再び言い合う形になる二人を眺めつつ、カワウソはひとつの見解を懐きつつあった。

 狂戦士(バーサーカー)特殊技術(スキル)発動による暴走──狂戦士化。

 それが、ヴェルという少女を演習中の事故を誘発した起爆剤なのだと納得する。

 それでも同時に、まだ理解できないことが幾つもある。

 ヴェルは自らが“狂戦士”──の適性者──と認知しているが、彼女らは狂戦士の特殊技術(スキル)や特性を熟知していない様子。ゲームと同じシステムだと仮定するならば、高レベルの狂戦士はスキルの発動そのものには、ある程度の操作性があったはず(狂戦士は普段から「狂気」に陥るのではなく、スキルを使うことで「狂気」を発動……発症する仕様)だし、低レベル帯の発動条件は自己残余体力(HP)警戒域(イエロー)危険域(レッド)に達した際か、あるいは付与された状態異常の数に応じた自動発動(オート)方式だ。実際、拠点NPCのタイシャがそんな感じだったはずなのだが、聞いている感じ、ヴェルは自分の意思で狂乱したわけではないし、生命活動に不安があった感じでもない。

 

 ならば、どうやって狂戦士化したというのか?

 

 本当にヴェル・セークは狂戦士(バーサーカー)なのか? 本当だとすれば、ゲームとは違う狂戦士の“職業(クラス)獲得”や“特殊技術(スキル)発動”のシステムが? 外から「狂気」の状態異常を付与されたとか? だが、そんなことをする意味があるのか? 第一、そんな条件で狂戦士化できるものなのか? 仮に可能だとしたら、誰がそんなことをする必要が? 魔導国の式典の、その演習を妨害したい誰かがいたと?

 解せないことは多すぎる。

 が、ハラルドたちの証言を疑うことはできないし、すべきでもない。

 同時に、ヴェルの言動もまた疑義には値しない。

 

「だ、だって! ほ、本当に覚えていないんだもん! こっちだって何が何だかわからなくて!」

「だから! そういう問題ではないと、何度も言って」

「待て待て、落ち着けって」

 

 カワウソは議論が白熱する……というよりも額が衝突しそうな剣幕を帯びるヴェルたちの間に割って入る。

 当然のごとく、ここでは少女の方に肩入れするしかない。

 

「ヴェルは、その、こんなに幼いんだぞ? ホラ、あれだ。少年法──は、ないかもしれんが、少しくらい情状酌量とか、そういう余地はないのか?」

「──は?」

「え……?」

 

 少年法や情状酌量という単語が異世界では奇妙な単語に聞こえた──わけでは、なかったようだ。

 

「貴公、あの…………ヴェルが幼い、とは?」

「いや、だって見た感じ14歳くらいだろ?」

「え?」

「え?」

「……え?」

 

 ヴェル、ハラルド、カワウソの三人は顔を見合わせる。

 堕天使は首を傾げる。

 もしかして16、いや17くらいだったかと見積もりを上方修正するカワウソに、ハラルドは困惑そのものという口調で、事実を告げる。

 

「あの、彼女は私と同い歳の、幼馴染(おさななじみ)、なのですが」

「…………は?」

 

 首をグルンと横にいる少女に振り向ける。

 

「あ。えと私、20歳(はたち)です」

「────はたちぃ!? はぁ?!」

 

 思い切り叫んでしまった。

 カワウソの腰より高いくらいの背丈しかない、肝心なことを教えていなかったことに気づいて照れ笑う少女のようにしか見えない人物が、目の前のたくましい若者と同年齢くらいだとは思えず、素っ頓狂な声をあげてしまう。

 20歳の成人女性であれば、なるほど、彼女の胸に実る発育した果実のごとき様も納得はいくが──こんなちっさい背丈で、20って。成人て。

 周囲にいた飛竜騎兵の少女ら(もしかしたら、少女然とした彼女たちも成人女性の疑いが濃厚だ)から、嘆息めいた忍び笑いが漏れてしまうが、無理もない。青年と老騎兵も肩を竦め苦笑ぎみだ。振り返れば、マルコまでも笑みをこぼして吹き出し、ミカも呆れ果てたようにそっぽを向いて、その表情を見せようとしない。肩が揺れているのは、主人(カワウソ)の体たらくぶりに怒り心頭という感じだろうか。

 これは完全に、カワウソの誤認……認識の甘さと確認を怠ったが故に生じた失態でしかなかった。

 

「と……とりあえず、整理、させてくれ」

 

 羞恥に顔を真っ赤に茹でられるカワウソは、呆れ顔で頷く二人に、問いを投げる。

 ユグドラシルでは30レベル後半が必須なはずの飛竜(ワイバーン)に乗れているのに、低レベルに過ぎる騎兵たちのことを、(たず)ねる。

 

「そもそも、飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)って何なんだ?」

 

 根本的過ぎる問いであったが、彼らは一様にカワウソの疑問を解く姿勢を見せる。

 もしかすると、飛竜騎兵というのは、魔導国内でも認知度は高くない存在なのかもしれない。だからだろう。カワウソの疑問はもっともな質疑だと思われたらしく、ハラルドは深く逡巡することなく応答する。

 

「ええと、そうですね────我等飛竜騎兵(ワイバーンライダー)は、幼少より飛竜と(たわむ)れ、死した飛竜の血肉を(かて)として、生きる文化を持っております。己の相棒に“選定される”儀式を行い、その相棒と苦楽を共にし、さらには死した飛竜を食すことで、彼らの同胞(はらから)と認められ、彼等飛竜と共に戦いに身を投じることを可能にした一族が、我等飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の部族なのです」

 

 言って、ハラルドは自分の相棒である(オス)の飛竜を見やった。竜の鎌首をじっと伸ばし、深い絆で繋がれた相棒に応じるように、喉を重く鳴らして応える。雌のラベンダよりも二割か三割増しという巨躯からこぼれる重低音は、なるほど飛竜騎兵の隊長騎という栄職を賜るに相応しい威がある。

 説明された内容に、カワウソはまたひとつ納得する。

 そういえば確か、ヴェルも魔法都市の食堂で「死んだ飛竜を喰う」と話していた。

 しかし、飛竜は竜系モンスターの中では弱い類に位置する。カワウソの知る狂戦士の職業獲得条件には符合しない存在だ。だが、その血肉を子々孫々、脈々と受け継ぎ食す者たちでなければ、なるほど「大量の竜の血肉」が必要な“狂戦士”が生まれると、そういうわけか。少なくともシステム的な代償現象があるのかもしれない。ヴェルが狂戦士の適性をもっているというのは、そういう文化体系──竜を一族ぐるみで食べる風習が関連していたと考えると、一応辻褄(つじつま)は合うのかも。

 

「飛竜騎兵の、おまえらの部族の住んでいる場所というのは?」

「それも御存じなかったですか? ──そうですね、ここからおよそ北東にあるバハルス領域、その辺境にある奇岩地帯です」

 

 先祖代々、その地で飛竜と共に生きていた飛竜騎兵たち。

 その暮らしぶりはいかなるものか、カワウソの好奇心が刺激される。

 

「じゃあ、最後の質問──」

 

 カワウソは、確認しておくべきことを、口にする。

 

「おまえらは、本当に──殺す気なのか? こいつを?」

 

 ヴェル・セークを。

 言われた言葉に対して、ハラルドが怯んだのは、僅かに一瞬。

 

「──我等ごとき三等臣民に、選択の余地はありません……王陛下の式典演習を阻害し、あまつさえアンデッドの兵団を半壊させた罪は、限りなく重い。……彼女は処断されねばなりません。一刻も早く」

 

 視線から圧を受けた。血を吐くような述懐だった。法的には何の令状も持たないことに抵抗が生まれているかと期待したが、それは無駄だった。

 少年のこめかみに、筋が幾つも走っている。都市上空で見せたのと同じ表情であるが、そこに別の感情が今は透けて見えるようだった。処断対象に見られている少女──幼馴染のヴェルを前にして告げるには、あまりにも酷薄な決定なのだろうから、これは人として当然な反応とも思える。

 だからこそ。

 カワウソは決めるしかない。決めなければならない。

 ヴェルを引き続き、守るのか──ハラルドたちに少女を引き渡し、見捨てるのか。

 

「お願いします。我らの使命を、果たさせていただきたい!」

 

 少年がついに頭を下げた。大地に額をこすりつけそうな勢いでの懇願は、すぐさま彼の率いる飛竜騎兵部隊員にまで及ぶ。

 

「カワウソさん、私──」

 

 声に振り返ると、ヴェルはとても穏やか表情で見つめていた。

 自分は「もう覚悟はできている」とでも言いたげに。

 カワウソは、全員に応えようとした──その時、

 

 

 

「その必要はなくなりました。一番騎兵隊隊長、ハラルド・ホール」

 

 

 

 降って湧くような、清澄な響き。

 雪のように冷たい声音が、耳に溶ける。

 同時に、豪風が草原に波紋を描き、堕天使は腰をあげて身構える。

 ミカが警戒心に剣を抜き払って主人(カワウソ)の前に立ってみせた。

 ハラルドたちが一斉に、膝をついて迎え入れる。

 誰もが夜の星を眺めるように、空を仰ぐ。

 

「ぞ、族長っ!」

「お姉ちゃん!」

 

 ヴェルが快哉とも悲嘆ともつかない声で呼んだ姿は、やはり飛竜騎兵(ワイバーンライダー)だ。

 カワウソは目を細める。

 現れた女性と飛竜は、とんでもなく美しかった。

 スラリと伸びた身長はモデルのようにまっすぐで、眉目も麗雅に縁どられており、どうみても二十代前半にしか見えない。ヴェルよりも濃い紫の髪は、男性的に短く整えられておりながらも、その豊満な肉付きの良い肢体は、ヴェルのそれを遥かに上回る女性美の完成形だ。身に帯びる鎧は簡素で、武骨というイメージからは程遠い。妹や女騎兵らと同様に胸の南半球などを露出する肌面積はかなりの量になるが、鎧と同色の銀の毛皮で襟元や両肩を飾られた様というのは、他の飛竜騎兵らには絶対にない意匠だ。それがとんでもなく艶っぽい。少女な体躯のヴェルが大人になったら、間違いなくこんな感じになるだろう。満天に輝く星空を背にした女傑のシルエットが、翠碧の竜に跨り、皮膜の翼を羽搏(はばた)かせながら、夜を降りてくる。

 

「お姉ちゃ……ん」

 

 ヴェルが立ち上がり駆け寄ろうとして、止まった。

 少女の姉という族長は、(ヴェル)を一顧だにせず、白金のマントを翻し、鞍から降りる。膝上まで覆う白い足甲を大地に打ちつけ、彼女は腰に帯びた革袋から、巻かれた書状を取り出し広げた。

 

「こちらは、魔導王陛下からの勅令状──代理執行許可状になります」

 

 広げられた紙──現実世界と同じ、真っ白なA4用紙に、紅玉色に煌く魔導国の印璽(ギルドサイン)が飾られ、流暢に筆記された魔導国の王のサインが一番目立つ右下の部分を占拠している。

 妹のことをまったく無視して、銀鎧の女傑はほぼ同じ背丈のマルコと、その横に位置するカワウソとミカに相対する。

 

「彼らは、私の指揮下において働いていた者たちです。私は別命があって隊を離れており、彼らにこの書状を託すことができないでおりました。すべて、こちらの不手際です。申し訳ありません」

 

 謝辞を紡ぐ声は、ある意味において最後通告のような絶望をヴェルに与えた。罪悪とは程遠い鋼の声は、聞く者の耳を叩くかのよう。

 マルコが文面を几帳面に読み上げる。書状に記されているのは、『飛竜騎兵、ヴェル・セーク(及びラベンダ)の討伐許可』という内容が、難しい文言で記されている。魔法の印璽が、心拍のように明滅していた。それが、この書状が嘘偽りない、王命を遂行するのに必須な勅命を文書化したものであることの証であるらしい。

 マルコが頷くと同時に、書状は宝石を扱うがごとく丁寧な手つきで、族長の腰元へと納め直された。

 

「ハラルド隊長、一番隊の皆、苦労をかけました」

 

 女族長はやはりというべきか、事態に困惑してしまった部下たちの方を、まず(ねぎら)う。

 労われた騎兵たちと飛竜たちは尊敬の意のままに首を垂れ続けている。両者の間の上下関係──信頼感が、そこから垣間見ることができた。一番騎兵隊の皆はハラルドをはじめ、自分たちの無様(ぶざま)悔悟(かいご)する言葉を吐き連ねるが、族長は手を振ってそれを制した。謝罪すべきは自分であると宣して。

 しかし、

 

「……なぁ」

 

 カワウソは自分でも厳しいと判る声音で問いかけてしまう。

 

自分の妹(ヴェル)に、一言くらい言っても良くはないか?」

 

 目の前の女性こそが、カワウソの助けた少女の「家族」だと、聞かされた。

 だというのに、「実の姉」たる女性は、先ほどからまったくと言っていいほど、小さく肩を落とす(ヴェル)を気に掛ける素振りすら見せない。

 そんな対応に、ただでさえ心細げなヴェルの表情が、極端なほど弱々しく歪められる。憐れを懐いて当然な哀しみと切なさが、彼女のこれまでの行為行動──「罪」に根があるものだと判断出来ていても、それでも肉親に対する情愛を期待するのは、悪いことではなかったはず。

 

「……失礼ながら、今は、それは許されません」

 

 だが、少女の姉はそんなことを希望するのは愚かとでも言いたげに、ヴェルの存在を無視し続ける。

 先に折れたのは族長でもカワウソでもなく、事態を見守っていた──無視され続けるヴェル本人だった。

 

「いいんです、カワウソさん……本当に」

 

 これでいいですと、少女はカワウソの腕に縋るような声で、実姉からの処遇を甘んじて受容した。

 しようがない。そう思った。

 あろうことか……魔導国の最頂点に君臨する王の式典に招集されながら、その演習中に暴走し、狂戦士化したという事実が、ヴェルという少女──女性を、退路のない袋小路に追い詰め抜いた。ヴェルは国家の反逆者という“烙印”を押され、その一族郎党までも同罪に処されかねない状況にあるとしたら──甘んじて討伐される以外の選択肢など、ない。状況のわからない暴走中に逃げ果せ、言葉の通じない追跡者に追い立てられ、ありえない者たちとの出会いを経て、ようやく考えをまとめる猶予を貰い──そして、ヴェルは己の罪を認めることができたのだ。

 処断されて当然。

 こうなってあたりまえ。

 むしろ、飛竜騎兵の部族全体に累が及ばぬための最後の措置として、ハラルドたち討伐隊が派遣されたのは、これ以上ないほどの慈悲だとも、薄紫の髪を流す乙女は思考するに至っていた。

 そんな彼女の覚悟が、堕天使たるカワウソには“不愉快”だった。

 何故不愉快だなどと思ったのか判然としないまま、つい口が滑る。

 

「勝手に終わらせるな」

 

 内面にザラつく不快な思いのまま、堕天使は弱々し気に見上げてくる彼女を、見る。

 カワウソは言った。

 ここまでくれば一蓮托生だと。

 ヴェルが処断されるというのであれば、それを(たす)(まも)った自分たちも同罪。マルコは放浪者という身分によって、酷いことにならないだろうが、あいにくカワウソたちの身分を保証するものなど存在しない。

 ならばここは──腹をくくるしか、ない。

 

「まず、あなた方に言っておかねばならないことがあります」

 

 女族長が、首をまっすぐにカワウソの方へ向けてきた。

 カワウソは剣を交える代わりに、舌鋒(ぜっぽう)でもって応じようと、少女の姉に相対する。

 制止しようと咎めるような視線をミカが送ってくるが、そんな部下をなんとか(なだ)めてさがらせた。

 ほぼ同じ目線の女傑に、決闘でも申し込むような心意気で何か言ってやろうと言葉を探していると、

 

「ありがとうございます」

「は──?」

 

 ありえない言葉を聞いた気がしたが、それは断じて事実だった。

 その証拠に。あろうことか、一部族の長たる女傑が、紫色に艶めく頭頂部を、カワウソの眼前にさらしていたのだ。新人サラリーマンに見習わせたい、見事なまでのお辞儀の姿勢で、だから、混乱する。

 これは皮肉かとも思われたが、まっすぐな声音はそれを否定している。そう理解できた。

 その姿勢は完全に、感謝以外の何物でもない意志のなせる業だということ。

 狼狽(ろうばい)してしまうカワウソに対して、ヴェルの姉は告げる。

 

「あなたたちのおかげで、我が妹ヴェルは命を繋ぐことができました」

「いや、えと」

 

 何を言っているのでしょうか。

 そう()くことができたらどれだけ楽だったろう。

 ヴェルの姉は、体裁としてはヴェルの存在を無視しつつ、それでも、彼女の身を案じていたと判る調子で続ける。

 

「ヴェルは狂戦士(バーサーカー)です。あの()が暴走するというのはおよそ初めてのことで、対応が後手に回ったのは、長にして姉にして家族にして保護者である私の不徳。ですが、あなたたちの働きによって、一度は行方知れずとなった妹らと無事に再会し、沈黙の森にて追撃部隊までをも壊滅させた狂戦士を、保護する運びと相成りましたこと──感謝にたえません」

「……保護って、ええと」

 

 アンデッドの追跡部隊を壊滅させたのはカワウソたちのはずなのだが、何か話がややこしい方にこじれそうで、何も言えない。ヴェルも何か言える立場にないので、貝のように押し黙るしかない様子。

 

「我が妹の処遇は、一旦保留です」

 

 その言葉を聞いて、光のようなものを、カワウソは脳裏に感じた。

 族長は新たな文書を──二枚目の書状を広げて、カワウソたちに見せた。これを新たに賜っていたから、彼女が“この場に遅れて現れた”ことを、語られる。

 現地語の理解のないカワウソの代わりに、マルコが内容を告げてくれた。

 

「ヴェル・セークの、暴走の原因を究明すべし──ですか」

 

 さらに。

 この命令には一枚目の令状よりも優先度が高いという文言が盛り込まれているらしく、こちらの履行具合によっては、王からの討伐命令は撤回される旨が、正確に記されているのだと。

 族長はきっぱりと頷く。

 背後に並ぶ騎兵たち──ハラルドたちが快哉に近い声をあげかけるが、すぐに押し黙る。「あくまで保留ですが」と、族長から告げられた意味を理解したから。

 場合によっては、ヴェルの命は奪われる。それゆえの「討伐許可」は下されていた。

 だが、“そうならない目”も、今はありえる。

 処断までの猶予を得られた少女は、夢を見るような調子で、やはり何も言わない。何も言えなかった。

 

「我が妹であるヴェルの暴走原因を究明するまで、彼女の討伐は遅らせた方が良いと、陛下は御判断されてくださったのです」

 

 カワウソは、心の中で拳を握りそうになった。

 なるほど、魔導国というのは思うより融通が利くのだなと思う反面、奇妙な違和を感じるが、はっきりしない。顔の表には興味の薄い表情だけを浮かべたまま、告げられた命令内容改定の報に心が浮き立つのを感じたせいか。

 ──そんな堕天使の昂揚と疑問を、横から殴りつけるような声が、ひとつ。

 

「それは、魔導王陛下──あるいはそれに準ずる方の判断でしょうか?」

 

 この場にいる中で、もっとも魔導国の事情に通底(つうてい)していそうな修道女、マルコ・チャンが、猛禽(もうきん)を思わせる鋭い視線を投げていた。

 

「はい」

 

 はっきりと頷く女族長。

 まるで王と直接対面し、玉言でも賜ったような、そんな印象をかすかにだが、感じる。

 そんな様子をじっと見つめるだけだった修道女は、一瞬にして笑みの調子を取り戻す。

 族長は朗々と告げる。

 

「ですが。その為には皆様から、詳しいお話をお聞きしたいと思い、御足労ではございますが、一度我等の領地にして郷里、セーク族の屋敷にお招きしたいのです。残念ながら此度のことは「密命」との指示も受けているので、大した歓迎は出来ないやも知れませんが」

 

 マルコや飛竜騎兵らに委細承知する空気が流れるが、むべなるかな。

 あるいは極刑もありうる状況に置かれた乙女・ヴェルの状況を、その処断までに至るまでの過程を思えば、問答無用に討伐されて当然の事態──反逆罪として、彼女のみならず、一族郎党諸共に処されることもあり得そうな状態らしい──なのだ。これが(おおやけ)になる前に、秘密裏に「原因を究明せよ」とのお達しだったのだろう。(ひるがえ)って考えてみれば、都市のニュース映像で「演習中の“事故”」としか報じられていないというのは、そういう事情を考慮してのものかと納得がいく。

 ただ、納得の裏で、奇妙な違和感を覚えたのは何故だろう。

 招待を受けたマルコが承知の意を示す。

 ミカが問いかけるように見つめてくるので、カワウソが代表するように、女族長へ頷いた。

 

「では。私、セーク族族長、ヴォル・セークの名のもとに、あなた方を歓迎いたします。失礼ながら、御三方の名を改めて()いてもよろしいでしょうか?」

 

 マルコ・チャンが己の名を心地よく宣する。

 それに続くカワウソも、ヴェルの姉──女族長ヴォル・セークに、応じる。

 

「カワウソだ。こっちは、ミカ」

「……よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうしてカワウソたちは、飛竜騎兵の領地──故郷(ふるさと)へと案内される運びとなった。

 騎兵たちは装備を整え、相棒に携行させていた水筒水を飲ませるなどして、移動の準備を終わらせる。ヴェルも相棒のラベンダの装具を整え、マルコが念入りに飛竜の傷が開かないかどうかを確かめる。

 

 堕天使もまた、やるべきことを済ませておく必要があった。

 

 しゃがみこみ、置かれたままになっていたコップの水を使って火の後始末──無限の薪材(エンドレス・ファイアウッド)を鎮火させ、ボックスに収納しつつ、周囲に他の連中がいないことを確かめる。ミカを背後に控えさせ見張らせたまま、カワウソは「傍にいる」とミカが教えてくれるNPC──天使二体と花の動像(フラワー・ゴーレム)一体──を、静かに呼ぶ。

 

「ラファ、イズラ、ナタ」

 

 装備の効果を解く前に、三人には不可視化したままで命令を聞くよう言い含める。

 そして、(ひそ)めた声で、はっきりと告げる。

 

「予定通り、おまえたちは調査任務に行け」

「──本当に、よろしいのでしょうか?」

 

 三人を代表するように、彼らの隊長たるミカが、最後に確認の声を漏らした。

 主人たる堕天使の護衛の数を気にしているらしい女天使に、カワウソは小さな声で言ってやる。

 

「見ていた通り、この魔導国の民というのは、なかなか馬鹿にできない存在が多い。確か、武技(ブギ)とか言っていてな。そういうスキルみたいな存在や、未知のアイテム────何より、アインズ・ウール・ゴウン……魔導国の情報を、なるべく多く集めてくれ」

 

 できればユグドラシルとの相違点や共通点なども実地で検証して欲しいところだが、NPCである彼らには無理な注文だとわかる。NPCの保持する知識の量と質は未知数だが、少なくとも彼らは同士討ち(フレンドリィ・ファイア)不可などの、プレイヤーなら当然のゲーム知識は備えていなかった。

 ならば、彼らにはこの魔導国の実情を、正確に綿密に調べさせ、それをカワウソに報告させることで、ひとつずつ地道に確認し検証していくしかない。

 委細承知した三人の総意として、ラファが了承の声を紡ぐと同時に、彼らは音もなくカワウソの傍から離れた。

 うまくやってくれよと、堕天使は祈るよりほかにない。

 

「本当に、よろしいので?」

「……ああ」

 

 ミカに頷くカワウソは、内心では不安と懸念でいっぱいだった。

 このまま飛竜騎兵の領地に向かってよいものかどうか。

 本当に、この流れに乗っていいものかどうか。

 何か重大なミスを犯していないだろうか。

 自分は取り返しのつかないことに……そんな疑問が体の中心で渦巻いてならない。

 しかし、それでも、カワウソは決める。決めるしかないのだ。

 

「逃げたところで、状況は解決しない」

「大陸すべてが敵であるなら、別の大陸に逃げるというのは?」

「海を越えるか……で、その手段(あし)は誰が調達する?」

「強奪します」

「そういうのは駄目だって、言ってるだろう?」

 

 カワウソは呆れたように、笑う。

 

「そもそも、そんなことが可能だとしても、おまえらはどうなる?」

「────私、たち?」

「スレイン平野のギルド拠点を捨てて、おまえらは生きていられるのか?」

 

 ミカは口ごもる。

 今後、あの拠点が魔導国に発見接収された後、そこに残したものからカワウソたちの足取りを調べられたら? 距離無限の転移魔法〈転移門(ゲート)〉などの手段で追われたら? あの拠点を捨てたとして……拠点奥に安置し続ける、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のギルド武器を破壊されたら?

 

「あそこは、俺の拠点だ。あそこは俺の……俺の仲間たちが残してくれた、最後の財産(たから)だ」

 

 馬鹿げた感傷に浸る自分がおかしかった。

 なのに、カワウソは笑えない。

 あの拠点を捨てることは、できそうにないのだ。

 カワウソが以前いた旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)……その仲間たちの名残を残した、……未練の城。

 皆との、思い出。

 

「カワウソ殿」

 

 思わず総毛立つ。

 

「長らくお待たせしてしまい、申し訳ない」

「……いや」

 

 カワウソは深く呼吸し、ゆっくりと立ち上がった。

 思い出に浸る思考を切り上げ、背筋を伸ばす。

 今や“客人”となった者たちを輸送する準備を万端に整えた飛竜騎兵──ヴェルとラベンダも含む──を代表して、女族長ヴォルが近づいてきた。

 

「では、ご案内いたします。我等が郷里へ」

 

 飛竜騎兵の領地へ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ほぼ同時刻。

 ナザリック地下大墳墓、玉座の間にて。

 その玉座の間には、新たに増設された巨大な水晶の画面が煌々と浮かび上がり、そこにある者たちの動向を映し出していた。画面は四分割の上にさらに特大の映像をひとつ投影しており、合計五つの監視モニターによって、連中の頭目だろう堕天使と、そいつの率いるギルド拠点の出入り口を観測可能にしていた。

 ふと、玉座の間に聞き慣れた足音が。

 その五つの光景すべてを同時に注視していたアインズが、傍らに控える女悪魔と共に、漆黒のボウルガウン姿の少女の来訪を歓迎する。ちなみに、他の三人の王妃は、それぞれが強力な護衛付きで、各地で自らの任務に励んでいる。

 

「あら。来たわね、シャルティア」

「遅れたでありんしょうか、アインズ様」

「いや。時間ぴったりだ。気にすることはない」

 

 魔法都市で監視させていたデミウルゴスたち(本日の就労時間を超えた)から引き継がれる形で、現在アインズたちの集うこの玉座の間へと、監視の役目は引き継がれた。アインズたちはナザリック内で行える政務をすませ、夕食後の息抜きも同然に、100年後に現れたプレイヤーたちの観察を行っている。

 100年周期で出現した、未知のプレイヤーと、天使たちによるギルド。

 その監視と観測の任務は、今やナザリック全域に存在するすべてによって行われるべきもの。

 アルベドの姉であるニグレドをはじめ、探知や監視……隠形能力に特化したシモベなどをフル活用して、連中の動静は逐一把握済みだ。映像は記録として残されており、守護者たちが直接観測しているのは、有事の際に現場へ急行するための予防措置に過ぎない。

 そして、

 監視されている彼らは、かなり理知的かつ義侠心に溢れた行動を一貫させていた。

 アンデッドに追われた少女を森で助け、そしてつい今しがた、魔導国の飛竜騎兵たちと一戦交えてでも、少女とマルコを救命せんと働いてくれた姿は、アインズの瞳にはまったく好ましい印象しか受けなかった。

 そんな堕天使の様子を眺めている内に、アインズはひとつの願望を懐くようになってしまう。

 

「実は、ここにおまえたちを呼んだのは、少し話があってな」

「お話……でありんすか?」

「いったい、どのような?」

「おまえたちに、ひとつ、我儘(わがまま)を聞いてほしい」

 

 魔道王は重く呟く。

 アインズがここへ、ナザリックに滞在する王妃たちを招集した最大の理由。

 監視任務であれば他のシモベに命じればいい。守護者が最低一人は映像を監視するよう厳命しているのは、連中が魔導国に対して暴虐を働いた際に、すぐさま“応戦できるように”との心配りに過ぎない。そして、今のところナザリック最強の戦力たちを投入すべき事態には発展していなかった。

 にも関わらず、アインズはこの玉座に監視任務のついでとして、二人を呼んだ。

 

「何なりとお命じ下さい」

「まったくでありんす」

 

 ひとつと言わず十も百も我儘を言ってほしいと願う彼女らに、だが、アインズの口は、重い。

 

「うむ……どうか、怒らないで聞いてほしい」

 

 先にそう注意された二人は顔を見合わせる。

 至高の御身であるアインズが、怒りを懸念するほどの願望とは。

 二人同時に、言い知れぬ不安を覚えてしまってならないという表情を浮かべた。

 その不安は的中する。

 

 

「私は──しばらく、ナザリックを離れる」

 

 

 言われたことを理解した瞬間、アルベドとシャルティアは己の耳を疑う。

 疑わざるを得ない。

 

「それは──」

「どう、いう、ことで……ありんしょうかえ?」

 

 アインズは誠実な口調で、自らの望みを、希求することを率直に、告げる。

 

「うむ。あの堕天使──プレイヤーと(おぼ)しき彼らに、直接、会ってみようと思う」

「そんな!」

「な、なりんせん!」

 

 いくら至高の御身であろうと、いくら愛する夫であろうと、その命令は、首を縦には振れない。

 しきりに「何故」と疑問し疑念し続ける二人に対し、アインズは解っていたという風に数度頷く。

 

「実は、正直に言うと。このやり方は、すこし、多少、僅かにだが、私の求めるものでは、ない。そう確信しつつあるのだ」

「お、お待ちください!」

「そ、そうでありんす!」

 

 アインズを不快にさせるような事態を何よりも誰よりも嫌い、恐怖すらしてしまう彼女たちは、それでも、首を縦には振らない。

 振れるわけがない。

 

「アインズ様がお優しいことはわかります! ですが! この手法こそが最も確実かつ安全なものだと、御理解していただけましたよね!?」

「うむ。だが──」

「あの子を、マルコの身を案じられることはわかりんす! ですが、そのために、あの()の精神状態などのステータス把握も、ニグレドに任せているのでありんしょうし、装備できるものは最高峰のものを用意したのでありんしょう? 今のところ、何も異常はなしという報告を受けていんす──それなのに!」

 

 何故、自ら危難の只中に邁進(まいしん)しようというのか。

 二人は涙すら浮かべかけて──まるで出征する恋人を送り出す女か、あるいは仕事に行く親と離れたくないと愚図り出す幼子のように、アインズの膝元に縋りつく。

 

「わかっているとも。だが、私は…………」

 

 魔導王の見つめる先、二人の表情が何かを悟ったように静かな気配が漂う。

 アインズは思った。

 今や、この大陸の、魔導国の王として君臨する者として、これで本当にいいのだろうか。

 彼がプレイヤーであるならば、いきなりこんな異世界に飛ばされ、右も左もわからない状況に相違ない。かつてのアインズと同じように、否、アインズはアンデッドの特性である「精神鎮静化」で助かった部分が大きい。堕天使である彼は、アインズが(いだ)いた以上の混乱と混沌に追い落され、苦悩する日々を送っているやも知れない。そんな人物を、こんな遠くから眺めて、まるで檻に囲われた獣を鑑賞するがごとく扱うなど────勿論、万全を期するならば、この手法こそが最適解にして最善手であることは、紛れもない事実だ。彼がアインズ・ウール・ゴウンに友好的に接してくれる可能性の薄さを思うと、いきなり接触を図るというのは最大の悪手だった。

 しかし、彼らに魔導国の情報をある程度まで取得させた現在、彼が魔導国に対して行う活動を見ていけば、そこまで粗悪な感情は見受けられない。森を破壊した時というのは、おそらく混乱に拍車をかけてしまったのだろうと推測できるし、それ以降は目立った異常行動は見せていない。すべてアインズたちが予測可能な行動と活動に相違なかった。カッツェを徘徊した際、女天使に付き添われ蹲る堕天使の姿は、何とも憐れを誘ったものだ。

 アインズの考えは、アンデッドとしての冷徹なそれと同時に、鈴木悟の残滓が混在している。

 その鈴木悟の部分が、自分と同じように異世界に転移した彼を気遣う意志を懐くというのは、極めて自然な道理ですらあったわけだ。

 アルベドやデミウルゴスが語る“仮説”で行けば、連中──あの堕天使プレイヤーも、世界級(ワールド)アイテムの保有者である可能性は、十分にありえた。ツアーの語る100年周期のプレイヤー出現には、(ツアー)の記憶している限り、「そういった要因」を自己に付属させていた場合がほとんどだという。

 高い確率で世界級(ワールド)アイテム保有者だろう堕天使に、マルコを単身で派遣したのは、彼女の純粋な戦闘能力──“初見殺し”とも言える竜人の混血児(ハーフ)としての性質や、半分人間であるが故の温和な性格、母譲りの愛嬌の良さ、ナザリックに対する忠誠度、etcの諸々の要因を考慮しての人選であった。

 マルコに、“世界級(ワールド)アイテムを装備させていない”のは、万が一にも連中に奪われることを危惧してのこと。そのために、マルコの生命活動や精神状態は逐一ニグレドなどの監視者数名によって把握されており、彼女にもしものことがあれば、アインズは何の躊躇なく、連中を蹂躙する号令を発するだろう。だが、今のところ堕天使たちは、むしろマルコを率先して助ける姿勢を見せているので、問題ない。都市上空で襲撃を受けていた彼女らを堕天使──そういえば、マルコからの報告だと“カワウソ”という名前だったか──が見捨てていたら、印象は最悪にまで落ち込んでいたかも。

 

 だからこそ、

 アインズはカワウソと直接会って、彼らと友好関係を結べないか、探りたくなってきたのだ。

 

 100年後に現れたプレイヤーと手を(たずさ)えていけたなら、きっとこの魔導国は、さらなる発展を遂げるだろう。

 無論、接触を図るにしても、アインズそのままの姿──死の支配者(オーバーロード)のままでは、相手に警戒されるのは確実。となると、久しぶりに変装が必要かもしれない。

 アインズ・ウール・ゴウンはユグドラシル内で「悪名」を馳せていたギルド。

 桁違いの世界級(ワールド)アイテム保有数を誇り、あの「討伐隊1500人全滅」は伝説として、長く語り継がれてきた実績がある。

 そんなギルドの存在を快く思っていないものは多くいるだろう。

 もしかすると、多少なりとも遺恨がある可能性だってありえる。

 だが、それでも。

 

「私は、彼らを迎え入れたいのだよ。この異世界────否、この魔導国に」

 

 そして、あわよくば、あの計画に協力してくれればとも、思っている。

 おまけに此度の狂戦士(ヴェル・セーク)暴走というのも、アインズには少なからず興味を惹かれてならなかったのが大きい。王にあるまじき事だが、飛竜騎兵たち魔導国の臣民の不安の種を、手ずから摘み取りたいというのも本心に近い。

 

「それに私は“アインズ・ウール・ゴウン”」

 

 威風堂々とした口調で、告げる。

 

「この私が、おまえたちの主人である私が」

「「敗北することはありえない」」

 

 王妃らが口を揃え、言う。

 アインズは微笑みを深めた。

 アルベドとシャルティアも、大輪の花のごとき笑みを浮かべる。

 彼女たちに先に言葉を紡がれてしまい、その内容がぴたりと自分の口から紡ごうとしていた思いと符合していた事実を、ただ喜ぶ。

 二人は至高の御身の、自らの夫たる男の性質を、完璧に理解し尽くしている。

 彼がここまで──誇り高いアインズ・ウール・ゴウンの名のもとに宣してまで、我を通そうとしている。

 こうなっては最早(もはや)、誰にも止められない。

 かつて洗脳されたシャルティアと戦うことを決めた時と同じだと、アルベドは理解している。

 そして、シャルティアもまた、違う形ではあったが、アインズの(かたく)なさを知悉していたのだ。

 

「──わかりんした」

「もはや、お引き留めはしません。止まっていただけるはずもないと、既に心得ております。ただ……」

 

 二人は同時に跪き、毅然とした美貌をまっすぐに、玉座に座した愛する男の(かんばせ)に差し向ける。

 そして、何よりもあたたかい想いを与えてくれる両の手を、二人はそれぞれひとつずつ、己の手にとって包み込んだ。

 

「どうか、お約束ください」

「必ず。ここへ、私たち(みな)のもとへ、お戻りになることを」

 

 二人の王妃の手を握り返して、アインズは彼女たちに、ゆっくりと首を縦にして、誓う。

 

「約束しよう。そして、留守は任せたぞ。アルベド、シャルティア」

 

 アインズの良き妻たらん二人は、同時に頷いた。

 愛する二人の理解を得て、男はひたすらに感謝する。

 

 

 

 

 

 

 

 アインズたちは、知らない。

 知りようもない。

 

 堕天使のプレイヤー……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のカワウソが、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの“打倒”を目的に、あのユグドラシルのゲームを続け、一人孤独に、「敗者の烙印」を押されたまま、難攻不落であるナザリック地下大墳墓に、挑み続けていた事実を。

 

 アインズたちは、まだ知らない。

 

 まだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一話あたりの分量が多くなってきている気がするけど、いい切り所が見つからない……
次回は、いよいよアインズ様が本格的にカワウソと接触を図りに来ます。


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※このお話に登場する飛竜騎兵たちは、二次創作です。
※書籍の記述を可能な限り参考にして考察しておりますが、オリジナル要素が過多です。ご注意ください。

最初は天使の澱のNPCパートです。アインズ様は最後に登場します。
あと今回の話、すごく長くなってる気が……


/Wyvern Rider …vol.3

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「はい──はい……わかりました。他の調査隊は、そのように監視を。はい……あの、くれぐれも、お気をつけて」

 

 褐色肌に黒髪の上に天使の輪を浮かべる少女は、〈伝言(メッセージ)〉の魔法を名残惜しくも断ち切った。

 ふぅと息を漏らす。

 マアトは疲れとは無縁の眼に、緊張から生じる麻痺にも似た感覚を覚えた。眼鏡をあげてゴシゴシこすりたくなるが、両腕が翼人(バードマン)の羽根だとフワフワとした感触で撫でてしまって効果的ではないので、かたい肘の裏あたりに顔を押し付けるようにするしかない。自分が起動し続けている〈水晶の画面〉は、すでに十基を超えていた。蒼い光に照らされる室内は依然として薄暗い。

 その時。軽快なノックの音が。

 少しどもりながら「ど、どうぞ」と告げる。

 

「ご苦労さま♪」

 

 隠し扉の向こうから現れた同胞の姿は、煽情的に過ぎる薄褐色の肌の肉体を艶めかしいアジア系の踊り子の装束で包み込み、半透明かつ自由に宙を漂い流れる羽衣で口元や体躯を覆いつつ、その両腕は鍛冶錬鉄や各種作業に使える武骨な鉄鋼の巨大籠手で武装した、マアトと同じ補助役(サポートタイプ)のNPC。

 裸足のくるぶしに身に着けた足輪をシャランと響かせた、天使と精霊の両種族保有者を、マアトは名を呼んで迎え入れる。

 

「あ、アプサラスさん」

「調子は、どう?」

魔力(MP)は、えと、あと五、六時間はいけると思います」

 

 マアトは率直に、自分の活動限界時間までの刻限を算出する。

 カワウソとミカが拠点(ここ)を発ってから、すでに半日以上が経過しているが、彼女に割り振られた魔力量は未だに底へたどり着いていなかった。

 しかし、

 

「無理はしないことね♪ あなたが倒れでもしたら、周辺警戒は全員で、あるいはガブやウォフの力で召喚した上級天使か、私のかわいい精霊たちを大量に派遣しないといけなくなるから♪」

 

 一応、拠点内の雑魚モンスターも、外で活動できることは確認済みだが、大量に外へ解き放つことは出来ない。

 外の存在に、せっかく隠蔽した自分たちの拠点を喧伝し、あまつさえ雑魚ばかりでは、魔導国のアンデッドなど対抗する手段には向いていない。かと言って、上級の天使を大量にPOPさせては、ギルドの資産を大量消費する。ユグドラシル金貨が存在しない異世界で、主の許可もなく資産を蕩尽(とうじん)するわけにもいかないのだ。よほどの危機的状況でない限り、POPモンスターを外へ放つことは出来ない。

 かと言って、拠点NPCであるガブやアプサラスの保有する召喚魔法や作成特殊技術(スキル)で作ったモンスターには時間制限がある上、一日の上限数まで存在した。正直、緊急時以外に使うべきではないだろう。

 

「は、はい。それはそうなのですが……あの」

 

 マアトは俯きがちに視線を上げる。

 アプサラスが片手の銀盆に軽く乗せたものを注視した。

 

「えと、その、食事は?」

「イスラからあなたへの差し入れ♪ 各種ステータス向上効果付き、フレスヴェルク(世界樹の大鷲)の卵を使用したオムライス♪ 中は当然、アルフヘイム産最高級トマト製ケチャップをふんだんに使ったチキンライスよ♪」

 

 黄金のごとき卵黄の生地に包まれ、真っ赤なトマトケチャップの香りを放つ料理を前に、マアトは翼人(バードマン)の食欲をそそられる。磨かれた銀食器のスプーンがナプキンにくるまれ、コップの中の“ミーミル泉の湧水(わきみず)”が添えられている。

 

「あ、ありがとうございます。えと、いただきますね」

 

 フワフワの羽の先を巧みに操り、マアトは盆を受け取って椅子に座った。モニターを視界に納める位置の机に盆を置き、スプーンを羽根に包んで器用に料理を味わう。

 

 天使は元来、飲食不要なモンスターだ。

 しかし、それは飲食によってエネルギーを補給する必要がなく、また「飢え」「渇き」といった状態異常から無縁であるが故に、料理を摂取する必要性がないだけ。

 ユグドラシルでは料理人(コック)のレベルを一定以上獲得した存在が作れる料理には、「飢え」「渇き」といった基本的な状態異常回復効果の他に、ある程度特別な料理を調理し作成することが可能で、その料理は摂取して一定時間、プレイヤーの各種ステータスを向上させたり、「飢え」「渇き」以外の状態異常を解消あるいは予防出来たり、レアモンスターを誘き寄せたり、ドロップ率が上昇したりなどの便利なアイテムとして利用可能なものになりえた。

 調理特殊技術(スキル)を行使するのに最低限必要な設備や、食材の入手は面倒ではあるが、ゲーム内でのプレイを円滑に進めようと思えば、そういった料理によるバフ効果というのは馬鹿にできるものではなくなる。

 外で活動するミカがまったく飲食をしないのは、外の料理には彼女に利する効果がなく、また「飢え」や「渇き」と無縁の熾天使(セラフィム)であるがために、摂取する必要をまったく感じていないからだった。

 つまり、今マアトに提供されたようなステータス向上などのバフがかかった料理でさえあれば、ミカも外で食事を嗜む姿勢を取っていたかもしれないのである。

 

 受け取った料理を食す間、マアトは同輩であり、同じ補助役(サポートタイプ)として創造され任務に励む翠髪の踊り子を対面に座らせ、じっと眺められ続ける。

 

「えと、アプサラスさん」

「なあに?」

「あ、あの、良ければ、一口、いただきます?」

「気にしないで良いわ♪ 今からいただいても、私にはバフがかからないし♪」

 

 料理は専用の食材──巨大(ジャイアント)──でも用いない限り、原則一人一食分の効果しか得られない。仲間全体で一皿の料理を囲んでも、その恩恵は一人にしか供与されないシステムなのだ。

 そして、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCの中で唯一料理人(コック)としてのレベルを与えられていた純白の治療師──イスラがマアトの差し入れに調理したオムライスは、普通の食材を用いた一人用のもの。あとで他のNPCが口につけても、料理に施されたバフ効果は期待できない。

 それを二人は承知している。

 

「そう、ですよね」

「気にしないでいいから♪」

 

 にこやかに頬杖をついたままの美女に眺められつつ、マアトは食事を堪能し、最後に飲み干した清らかな湧水の効果で、僅かにだが回避ポイントがアップした。料理のバフ効果は一定時間で尽きるが、ないよりはマシだと思うことにする。

 

「あの、アプサラスさん」

「どうしたの? いつも通り、深刻そうな顔して♪」

 

 少女を陽気にからかう踊り子に、マアトは気を悪くしたわけでもないのに、表情を暗くしてしまう。

 

「その……カワウソ様や、外の皆は、本当に、大丈夫、なんでしょうか?」

 

 アプサラスは微笑んだままの表情で姿勢を正す。

 マアトは現在、この拠点ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の警備主任かつ地上警戒任務の傍ら、方々(ほうぼう)に散った調査部隊の定期的な観測監視と地図化(マッピング)を任されている。

 城砦内部の警備は、POPする中級天使や精霊などのモンスターを巡回させつつ、この拠点に残留した防衛隊副長ウォフや、隊長補佐であるガブなどの指揮統率によって警護網を厚くしている。一応、マアトの感知できる限り、この拠点に近づく敵影や存在は未だに零だが、この土地周辺に存在する沈黙の森の異常現象を知ってからは、まったく油断できない状況が続いていた。

 

「な……何なのでしょうか、この世界は。あの森にしても、おかしすぎますし……」

 

 マアトが呟いた懸念材料。

 ガブやアプサラスたちが修復のために赴いた先で、見たもの。──“すでに修復されていた森”の存在が、NPCたち全員を驚愕させたのは、記憶に新しい。

 マアトの知覚する限り、あの破壊された森に近づく存在と言うのはいなかったはず。少なくとも、ユグドラシルの魔法や特殊技術(スキル)の発動は確認できなかったのだ。マアトの実力では。

 だとすれば、森が修復された可能性としては、おそらく二つ。

 あの森には、マアトたちNPCのようなユグドラシルの存在には知覚不能な何らかの法則が働いている可能性。

 もうひとつは、あの森そのものが、森という存在そのものに偽装・擬態した、未知のモンスターである可能性。

 ありえそうなのは、圧倒的に前者だ。

 この世界には、マアトたちNPCには理解の及ばない現象や法則が働いており、それらが何らかの作用を「沈黙の森」に与えているのかも知れない。反面、後者の可能性は微妙なところだ。“森”に擬態するモンスターというのは、ほんの二日前まで、この天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の拠点があったニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯だけでも数多く存在していた。不気味な黒森にうまく溶け込んだ植物系モンスター、夜の捩れ樹(ナイト・ツイスト)。木々から垂れ下がる黒い(つた)に化けて通行者に音もなく襲い掛かる、凶手の黒蔦(アサシン・ブラックヴァイン)古竜(エンシャント・ドラゴン)ほどの巨躯に島をひとつ乗せて泳ぐ腐食姫の黒城周囲を覆った大叫喚泉(フヴェルゲルミル)の最大モンスター、黒鉄殻の亀竜(ブラックシールド・タートルドラゴン)など。モンスターの一部が森のような体表だったとすれば、自己を高速治癒したことで、森が修復されたような光景が出来上がるという寸法だ。

 しかし、それは──巨大モンスターの類である可能性は、極めて低いと判断されている。

 マアトが取り急ぎ鑑定したところ、「沈黙の森」は「沈黙の森」であることを鑑定でき(フィールドエフェクトは不明あるいは無いという結果を得た)、尚且つマアトはモンスターの存在をレベルと共に鑑定する魔法も備えていた。それを使っても、上空から見渡せた森が、何らかのモンスターそのものであるという結論には至れなかったことから、確定的と言ってよい。

 それでも疑問は残る。

 

「となると誰が、というか“何”が、カワウソ様の破壊した森をなおしたのか、よね?」

「──はい」

 

 フィールドに、土地そのものに、これといった効果は確認できていない。

 この世界独自の法則によるものである可能性は十分高いが、だとすると自分たちは、とんでもない脅威に囲われていることを想起されてならない。

 自分たちの認識外から飛び込んでくる敵がいたとしたら?

 この世界独自の法則によって成り立つ攻撃手段に、自分たちの力が通用しなかったら?

 先ほど、カワウソが戦った飛竜騎兵の部隊、その中の一人が発動した「不落要塞」などの武技(ぶぎ)なる存在は、その仮説を補強する根拠となりえた。

 この土地、この大陸のすべては、あの伝説のギルドの名を(いただく)く存在……アインズ・ウール・ゴウンという名の魔導王によって統治されたものであるという事実が、マアトたちにはとても信じられない。

 しかし、実際に出逢った魔導国の国民・都市・組織などが、すべてが現実であることを主張している。

 だとしたら。

 

「だ、大丈夫、なのでしょうか。カワウソ様や、み、皆は?」

「──それは、私にもわからないわね♪」

 

 彼女は誠実に、事実だけを告げてくれる。

 陽気に弾む声の裏で、アプサラスは不安の表情を隠していると判る。彼女は常に微笑み、その舞踏によって見るものを圧巻させる魅力を発露すると、そう設定されているから。アプサラスは対面の少女に比べ、ある程度の攻撃性能を与えられていた。天使のレベルなどよりも “精霊”種族のレベルに重きを置いて構成されたアプサラスには、精霊の女王(エレメンタル・クイーン)の誇る精霊召喚の特殊技術(スキル)がある上、職業(クラス)レベルにも戦闘用のものが少しばかり備わっている。

 対するマアトは、サポート職に秀でる反面、あまり戦闘では役に立たない。ギルド防衛戦にはほとんど参加しないよう、第一階層の隠れ部屋(ボーナスステージ)に避難・待機するように設定されているほどだ。通常物理攻撃は貧弱すぎるため、攻撃はもっぱら魔法攻撃を使用=MP消費が大前提となるほどに劣悪にすぎる。おまけに、単独での移動速度も比較的かなり遅いため、この異世界にて、外で彼女が活動するためには、マアトの身辺を護衛する「盾」と、彼女を移送する「足」の二つの役割を備えた者たちが同行するしかなくなっていた。ガブなどの上級天使召喚の手段を持ったものを中心とした護衛チームが組まれることは必然となり、離脱時には転移魔法関係に長じるクピドの力も借りることで盤石の態勢を整える必要があったが、それ故に、ギルド防衛を優先すべき現在においては、彼女を長く外で活動させることは大いに忌避される運びとなったのは致し方ない。活動中に急劇な状況変化──魔導国による強襲を受けるなどすれば、彼女は完全にお荷物と化す。

 現在の状況から言って、彼女を外へ連れ出し続けることは、得策ではなかった。

 マアト本人はそのことを恥と思っている節があるが、これはしようがない。

 彼女はそのような性格と人格を持つよう、創造者(カワウソ)に「かくあれ」と創られた存在なのだから。

 彼女は貧弱なステータスであるが、カワウソに与えられたサポート職を駆使すれば、広範囲・長時間を監視観測することが可能な唯一の存在たりえた。それは、防衛隊のLv.100NPCの中で唯一の“力”であり、他の仲間たちにはできない索敵と広域警戒、分散した外の仲間の監視と把握、周囲の地図化(マッピング)作業は、今後の活動にはなくてはならない重要な役割であり、マアトはそれだけの任務を唯一完遂することができる存在であるわけだ。

 故に、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCは誰一人として、引っ込み思案で挙動不審かつ、自信とは無縁そうな少女を軽んじることはなく、尊敬に値する同胞として接し、その存在を庇護することに、ある種の誇らしさすら感じるのだ。

 現在において、最もギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に──つまるところ、その創始者にしてNPCたち全員の創造主であるギルド長……堕天使のカワウソに対し、二番目くらいに貢献することができていると言っても、過言にはなるまい。一番目は、何といっても彼を直接護衛するミカになるだろうか。

 ともすれば、羨望と憧れの的ですらあったのだ。

 このか弱い、天使(エンジェル)翼人(バードマン)の力を与えられた少女が。

 

 NPCたちにとって、創造主の存在は絶対だ。

 創造主(カワウソ)が「死ね」と命じれば、迷うことなく死ぬ。

 それが、創造されたモノ(NPC)たちにとっての必然であり、義務なのだから。

 

「心配いらないわ♪ カワウソ様の御傍には、私たちの隊長が付いている──彼女(ミカ)以上の護衛など存在しないわ♪」

「それは、そうですが……カワウソ様は、ミカさんに『嫌っている。』と命じられているのですよ? お二人の間に、いらぬ争乱でも起きはしないでしょうか?」

「すべてカワウソ様の御意思によるもの──私たち如きでは考えもつかない、深い御考えがあるのでしょうね♪ それに、ミカ隊長がカワウソ様を殴ったりした後どうなるか、知らないわけではないでしょう?」

「た、確かにそうですが」

 

 最初、異世界に転移したと判明した直後。

 カワウソはあろうことか、NPCのミカに、自分を殴れなどと命令してきた。

 マアトたちでは絶対に実行できない命令内容であったが、ミカだけは例外であった。

 他の者では実行した途端、自決したくなるほどの凶行に及んで、ミカがあの程度の狼狽で済んだのは、彼女の設定が利いていた証だと言える。

 正直に言って、あれはすごく可愛かった。

 

「……私の魔力も、あと数時間で切れます。それから数時間は、お二人の様子を見ることは」

「気・に・し・す・ぎ♪ ねぇ、マアト──それ以上は、カワウソ様の決定を軽んじることになる……それくらいにしておく方が賢明よ?」

 

 晴れ渡る空の陽光のごとき調子が、曇天の鈍色に閉ざされたように重く凍える。

 瞳には月光のように狂おしいほど鋭い輝きが。

 マアトは、アプサラスの変貌に臆したわけでもなく、ただ、自分のあるがまま……設定されたとおりの自分に忠実であるべく、肩を落とした。

 

「ですよ、ね」

 

 臆病と言われるだろうか。

 しかし、マアトを『臆病な性格』に創った主のことを思えば、この思考も悪いことばかりではないはず。慎重にことをなす上で、マアトの臆病は覿面(てきめん)な効能を発揮するだろう。

 これから先、マアトの魔力をもってしても、彼等全員を、調査部隊四つ分の監視を、24時間体制で続けることは不可能。とりあえずあと三時間ほどは監視を続けるが、そこからは休息に専念するように、カワウソの指示を仰いでいたミカに厳命されていた。以降は二日の内、一定の時間帯は魔力回復に専念すべく、監視の目は閉ざすことになる。それが、とても恐ろしい。その間に、何か致命的な問題が生じはしないだろうか。

 そんなことを生真面目に思考し、主と仲間たちの無事を祈るマアトは、臆する心を振るい落とすように、(かぶり)を振った。切り揃えられた黒髪がさらさらと流れる。

 その様子に、アプサラスは笑みを取り戻して言葉を紡いだ。

 

「大丈夫♪

 あなたが見ていてくれれば、外の皆は安心して活動できる♪ あなたにならできる♪」

 

 あなたにしかできないのだと、アプサラスは少女を激励した。

 言葉に力を込めて届ける同輩に、マアトは意を決したように、頷く。

 

「アプサラスさんも、その、がんばって」

「任せて♪」

 

 マアトが食べ終えた皿を下げるために残っていた踊り子は、盆を手に持ち立ち上がる。

 アプサラスにも、主から与えられた任務が待っているのだ。採取したこの異世界の土石や樹木の鑑定は終わり、次は拠点内で行えるアイテム生産体制を急ピッチで整えている。鑑定では素材になりえない土石や樹木を使って、治癒薬(ポーション)などのアイテムが生産できるかを実験するために。異世界の法則が働いているのなら、異世界の材料を使いこなせはしないだろうか、という試みである。成功する率は限りなく低いが、やれるだけのことはやっておくべきだ。

 二人の補助役(サポートタイプ)NPCは、お互いに主への献身を続けるべく、名残惜しくも別れる。

 マアトは、各地に散った調査部隊三名の他に、飛竜騎兵の領地──族長の邸宅の一室で休み寝入る主と、その護衛である女騎士を見つめる。

 

「……カワウソ様」

 

 ベッドで丸まり、(うな)されているらしい主の様子に、マアトは胸の奥が塞がりそう。

 不敬だと重々承知しているが。

 主の手に触れ、悪夢の苦しみを緩和できる隊長(ミカ)の立場と能力が、少しだけ、ほんのちょっとだけ、羨ましかった。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 優しい掌を、感じていた気がした。

 柔らかで暖かな、誰かのぬくもり。

 それが、何処かへ遠ざかる。

 瞬間、意識が整合性を失う。

 光と影が寄り添うように、一切の出来事に、何らかの輪郭が浮かび上がる。

 自分の奥に、何かを、感じた。

 おかしなものが、目の前にいる。

 浅黒い肌。漆黒に濡れる髪。

 赤黒い環を頭上に戴き、醜い双眸(そうぼう)相貌(そうぼう)が怨霊じみた、奇怪な存在。

 まるで鏡のごとくそこに(たたず)む存在に対して、圧倒的な違和感を覚える。

 自分は、いま、笑っていない。

 なのに、鏡の自分は、

 笑っている。

 

 目の前にいる自分から、クツクツと含み笑う吐息が漏れている。

 堕天使は、自分(カワウソ)に向かって歩を進めてきた。

 

「これは、夢だ」

 

 いや、現実だ。

 

「こんな現実が、あるもんか」

 

 いやいや、現実でしかないだろう?

 

「現実であって、たまるもんか」

 

 ──自由意思を得たNPC、ゲームにはない現象事象、自分自身の呼吸・鼓動・生体反応・新陳代謝、痛み、恐怖……これらすべてが“現実”でなくて、何だと?

 

「……現実、なのか?」

 

 現実だよ。

 

「こんな、現実」

 

 よかったじゃあないか。

 

「…………何が?」

 

 アインズ・ウール・ゴウン。

 

「アインズ・ウール・ゴウン?」

 

 おかげで、おまえの“望み”が果たせるぞ。

 

「……のぞみ?」

 

 今までずっと望んできたこと。

 おまえ自身が求めてやまなかった希望(のぞみ)

 かつての仲間たちを、かつてのおまえから奪ったものに──これで、復讐できる。

 

「……やめろ」

 

 おまえのたったひとつの絆を。

 

「やめろッ」

 

 仲間と呼んで憚ることのない思い出の住人を。

 

「やめろ!」

 

 おまえから遠ざけ、追い立て、あまつさえ“あんな別離”を迎えさせたものを、ここで討ち果たせるんだ。

 

「そんなことに何の意味がある!」

 

 意味?

 ──意味だと?

 

「だって、そうだろう!」

 

 なら、何故、おまえは挑み続けた?

 あのナザリックを攻略すべく、あのゲームを続け、あんなギルドを作って──

 

「ちがう! あれ、は……あれは!」

 

 あれは?

 あれとは、何だ?

 

「あれは……皆とのことは、おれの、──俺たちの責任でしか」

 

 ああ、そうだとも。

 あんな結末を迎えたのは、おまえたちの責任。それは確かだな。

 じゃあ、ならどうしてオマエは、あのナザリックに、挑み続けたのさ?

 

「……それは」

 

 あのゲームで。

 あのYGGDRASIL(ユグドラシル)で。

 あの“ナザリック地下大墳墓”の攻略を、何故たった一人で続けてきた?

 

「それ……は」

 

 仲間に捨てられ、ナカマに(あざけ)られて、なのに未練がましくアンナNPCたちを作っておいて、他のプレイヤーに笑われて当然の「敗者の烙印」を押された存在のまま──ソレナノニ?

 

「違う……違う、違う!」

 

 なにが違う?

 

「だって俺は!」

 

 

 

 叫ぶ意識が指向性を失い、太陽のような温かさに振り返る。

 再び、差し出された掌の温度を感じた気がした。

 けれど、優しい時はいつか終わる。

 次の夢は、

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

「あ────?」

 

 瞼を押し開いていた。

 枕がやけに濡れている。

 意識が混濁したように、ひどい眩暈を、横になった姿勢のまま覚える。

 

「……ゆめ?」

 

 喉を毒物のような唾と息がひっかいた。

 ひどく、悪い夢を、見ていた気がする。

 とびきりに(むご)い、狂ったような、紛れもない悪夢を。

 ここ最近で、一番最悪な目覚めだった。

 

「──はぁ」

 

 見たことのない部屋の内装。

 こうなる以前の、現実にあった自分の部屋よりも閉塞感のない空気。

 悪夢の中で溺れるようだった意識が、朝の光の中にとけていくよう。

 悪夢……夢の中で夢を見るなんて器用な真似が、果たして、自分に出来るものだろうか。

 そんな浮ついた疑問が定着するよりも先に、カワウソは枕元に、目の前に、自分の掌を持ってくる。

 そこにある“現実”を、事実として認識する。

 浅黒い肌。堕天使の掌。手相や指紋までくっきりと見て取れる。現実(リアル)の、こうなる前の、枯れたような自分のそれとは比べようもなく筋骨のある──腕。両目をグイとこする。

 仰向けになる。

 頭上に、黒い前髪越しに見える、天に浮いた赤い装備物。

 指を伸ばすと、輪っかはキィンとした感触と共に横に滑って、そして戻る。

 現実(リアル)とは違う。だが、今はこれこそが、カワウソとしての現実(げんじつ)

 堕天使の、カワウソ。

 深く、息をする。

 

「お目覚めですか」

 

 天使の輪を頭上に固定した女騎士の冷たく響く声音が、覚醒を促す。

 堕天使は応じるように、ベッドから半身を引き起こした。

 半分眠ったままでいるような口調で、ミカのいる方向に顔を向ける。

 

「……おはよ?」

「おはようございます、カワウソ様」

「……今、俺……なにか言ってた?」

「何か、とは?」

 

 厳しい視線を浴びせて、主人の起床に返答するミカ。

 

「いや、いい」

 

 夢を見ていたのだろう。寝言を言っていたかも。そんな気がしたにはしたが、確認しても特に意味はなかった。話していると、内容も微妙に思い出せなくなっている。

 カワウソは呆然と頭を掻きつつも、部屋を見渡す。

 

「結局、寝なかったのか?」

 

 カワウソは彼女に、寝る直前に問いかけたのと同じ疑問を投げる。

 堕天使が寝起きしたベッドの脇に、もうひとつの寝台があるのだが、そこは誰の手も触れていないと判るほど真っ白なシーツが張られたままだ。枕すら使用された痕跡がない。

 ミカは、やはり憮然としつつ、寝食が不要な事実をカワウソに告げる。

 

「私は“一応”、カワウソ様の護衛です。いつ何時、敵が攻めて来るやも知れない状況で、寝食に(ふけ)るなど、ありえません」

 

 あくまで、自分の役割を心得ているのだとミカは宣言した。一応、この部屋はカワウソの周囲警戒用のアイテムで防御されているが、万が一に備えて、女天使は一睡もしていなかったという。

 彼女の言は、ひどくカワウソを責めている──わけではないだろう。

 そもそもにおいて、肉体を有するが故のペナルティなどとはほぼ無縁の純粋な天使は、寝食の必要な体ではないのだから。

 だが、カワウソは、堕天使は、違う。

 カワウソは自分の耳に維持する耳飾り(イヤリング・オブ・サステナンス)を装備している。これによって、飲食睡眠を何とか抑えることができた。だが、このアイテムを装備しているにもかかわらず、この世界でカワウソは睡眠飲食を可能にしていた。

 というよりも、定期的に睡眠や飲食が欲しくなってしようがなくなるのだ。

 

 

 ユグドラシルにおいて人間種や亜人種などのプレイヤーが被った「眠り」「飢え」「渇き」というのは、放置しても短時間で“死”に直結するようなことはほとんどない(異形種プレイヤーの場合は、よほどの種族でもないと発症しない)。だが、ゲーム内で24時間睡眠をとらず飲食をしないでいると、肉体を持つ彼等は上記のような状態異常(バッドステータス)にさらされ、その行動を大いに制限される。

 

 睡眠をとらなかった者は睡魔に襲われるように「昏睡」し、飲食を過度に怠った者は「飢餓」に罹患して、最悪の場合、死亡。また、重度の飢餓状態で“回復の為”と称していきなり食事を摂ると、逆に症状が悪化して死亡するなんて仕様だったので、プレイヤーたちはゲームをプレイする上で、そういう睡眠や飲食の必要性を抑える道具を装備するか、あるいは定期的にゲーム内の宿屋(ホテル)や野営拠点、ギルド拠点内の回復地などを使用して、そういった状態を全快させる必要があったのだ。

 また、この状態異常はフィールドに散るモンスターも同様で、彼らを生け捕りにした狩人(ハンター)や、大量に使役する調教師(テイマー)、あるいはそういったモンスターを飼って繁殖し、買い取りたい人たち(プレイヤー)(おろ)したりする業者・育種家(ブリーダー)なども、大量の飲食アイテムや寝床の確保は必須となっていたので、割と面倒が多い。カワウソもモンスターを生け捕りにして街に売り払いに行くまでに、ちゃんと世話をしていないと生け捕りにしたモンスターが死亡=素材化してしまって、売値が大幅に減少するのを防ぐのに苦労したものだ。

 

 

 そして、おそらく、だが。

 カワウソの「人」としての記憶──脳内(あるいは魂か)に刻み込まれた習慣や感覚が、睡眠や飲食という名の休息を求めていた。体力(HP)的には一目盛も減じていないカワウソが、睡眠や飲食を欲する理由など、それぐらいしかないだろう。

 あるいは、堕天使という異形種の特性として、状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ……状態異常に罹患しやすい体質が故に、そういった寝食を必要とするのだろうと、そう結論できる。装備している耳飾り(イヤリング)にしても、そこまでレアな(クラス)でもなかったのも原因か。

 女天使は、窓の外を見やりながら言い募る。

 

「それに、私は睡眠など不要に働けますので。それぐらいご理解しておりますよね?」

 

 ぶっきらぼうに事実だけを告げてくれるミカ。

 そんな横柄にも聞こえる女の口調にも、カワウソはだいぶ慣れてきた。

 いまだにボウっとする熱い眠気眼をこすって、ギルドの私室で味わったものよりだいぶ硬い寝台から立ち上がるべく、カーペット敷きの床に足を伸ばした。客室備え付けのスリッパ──ではなく、脱いでいた足甲に足を突っ込む。

 今のカワウソは、神器級(ゴッズ)アイテムの鎧などは脱いでいた。当たり前と言えば当たり前だが、あんな造形の鎧を身に着けたまま、現実のベッドに寝転がるわけにはいかない。堅い金属の感触は、快眠には向きそうにない上、下手をすると、この異世界の脆弱な品物を寝返りひとつだけで破壊する可能性もあり得た。

 故に、カワウソは今、鎧の下に着込んでいた鎖帷子(くさりかたびら)……聖遺物級アイテム、光の鎖帷子(チェインシャツ・オブ・イルミネイト)とズボン姿という出で立ちでいる。この鎖帷子は金属製の防具だが、輝くような白銀色の肌触りは羽毛のように滑らかで、むしろ装備したままの方が心地よいほど。尚且つ、防御力もそれなりに期待できるため、夜襲にも即座に対応可能だ。今のカワウソが、つけっぱなしで眠っても問題ない装備のひとつである。脱いだ漆黒の鎧についてはベッド脇に鎮座されて、赤い外衣(マント)腰帯(ベルト)狩猟用の鎖(レーディング)も懇切丁寧に折り畳んで置いてあった。

 それらを一旦意識の端に放置して、立ち上がってひとつ伸びをしたカワウソは、ベッドから離れる。

 ふと、ミカの手元にあるものが気にかかった。

 

「何だ、その本?」

「室内にありました。『漆黒の英雄譚』という伝記物語のようです」

 

 魔法都市(カッツェ)で聞いた御伽噺だ。

 ミカが開いていたページには『ギガントバシリスクに一人で雄々しく立ち向かう』といった場面が記述されていたのだが、あいにく二人には解読の方法がなかった。ミカは何か情報を得られないかとパラパラめくって中身を(あらた)めていただけのようだ。結果は思わしくなかろうと、やらないよりはマシという程度の行為に過ぎない。

 カワウソは大いに頷いた。

 本による情報は非常に重要である。マアトに送って内容を精査したいところだが、

 

「マアトは現在休息中であります」

「だったな」

「ガブらによって、出入り口の鏡は既に増設済み。予定だと昼までには、クピドを通して、言語解読用の眼鏡などの通常アイテムが輸送される手筈です」

「うん。了解」

 

 昨夜、寝る直前にした命令通りに行動してくれたようだ。

 ミカが椅子に腰かけ眺めるものを共有すべく、窓の外を見る。

 目に飛び込んでくるのは、セーク族族長家の住まう邸宅、その中庭。

 

「……へぇ」

 

 カワウソは目を瞠る。

 夜明けの薄明りに照らされて、朝露に濡れた草木から香る穏やかな空気が、肺を優しく満たす。小鳥が遊び戯れる声が、耳に心地よい。

 朝。

 それは、この異世界に転移して三日目──初めて見ることになった、本物の朝だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨夜。

 カワウソたちは草原の空き地から、この飛竜騎兵部族がひとつ“セーク族”の領地を訪れた。

 そこまでの道のりは、無論、飛竜(ワイバーン)の翼による空路であったが、セーク族の飛竜たちは自分の“相棒”に選んだもの以外は滅多に乗せることがなく、乗せられる量というのも相棒の体重と同量ぐらいのものがせいぜいという話だ。これはヴェルとラベンダで考えると、ヴェルの体重44キロ+鎧で50キロ程度から、ラベンダは100キロの質量を運び飛行することができるということ。とすると、ヴェルと共に騎乗することができたマルコの体重は50キロ前後という感じなのだろうが、あくまで目安だ。さらにいうと、飛竜は自分の最大積載量に近い質量を持った状態だと、機動力や航続距離、空中戦闘能力に著しく不安を覚えるものだという。故に、人二人が乗った状態で、都市上空であれだけの空戦を繰り広げ持ちこたえたヴェルとラベンダの能力は「破格」と言ってよいらしい。並の飛竜騎兵ではまず行えないという話を、ここまでの移動中に、ヴェルの幼馴染(おさななじみ)であるハラルドから聞いて知らされていた。

 その移動の際。カワウソは自分で空中を足で翔ける魔法を発動してとか、一対の翼を広げるミカに抱えられながらではなく、族長が用意した割と巨大な折り畳み式の板──聞くところによると、第一位階の〈浮遊板(フローティング・ボート)〉の魔法がかけられているらしいが、ユグドラシルにはない魔法なはず──に乗せられ、それを四匹の飛竜らに牽引される形(残る四騎の内三騎が族長とヴェルの周囲を囲み、ハラルドが監視……護衛役として、カワウソたちの付近を飛行していた)で、カワウソたちはこの地を訪れることがかなった。

 八匹の飛竜たちは騎乗者の相棒同様に、カワウソとミカを“敵”と認識しているようで、近づこうとしても盛大に威嚇される始末だったのだから、しようがない。唯一、ラベンダだけはカワウソたちを受け入れてくれていたが、それでも背中を預けることは出来ないのは相変わらずであった。ひょっとすると、カワウソやミカの装備するものが重すぎるからかも。

 夜陰に乗じて、さらには、表から堂々帰還を果たした族長のおかげで、カワウソたちは誰の目にも触れることなく、セーク族長の邸宅に迎え入れられた。一番騎兵隊──ハラルドの部下たちは邸宅の事情に明るいらしく(というか、ほとんど全員がこの屋敷の使用人同然に生活しているようだ)、彼ら数人によって客室のひとつに通されたのだ。

 客室の広さは、カワウソにとっては不自由のない1R(ワンルーム)で、風呂トイレも完備されている。正直にいうと、現実世界にいた自分の住まいよりも広く感じられるのは、ベッドが二つ用意されているからだ。人ひとりが寝転がるのに不自由ない寝台が“二つ”もあって、小さな丸卓や椅子の他にも〈永続光〉を放つランプスタンドがあるなど、家具を置くスペースも十分だった。白い内装の色調が目に心地よい。

 ただ。

 問題は、──ベッドが“ふたつ”ということ。

 

「……結局、こうなるか」

 

 部屋に通された時。諦めたように項垂れて言ったカワウソの隣で、不服そうな女天使が、何か言いたげに腕を組んでいたが、結局は何も言ってこなかった。

 冷静に考えるなら。嫌っている(カワウソ)と同室という状況は、女性にはストレス以外の何物でもないのだろう。だが、今は耐えてもらうしかない。何とか別室にしてもらえないかと交渉してみたが、申し訳なさそうに却下されたのだから。

 カワウソたちはヴェル・セークの救出者として、彼女の姉にして族長のヴォル・セークに歓迎されはしたが、それだっていつまで続くか知れたものではない。後々やはり「ヴェルを処断する」という展開になれば、それを擁護したカワウソたちも処される可能性は十分にありえる。はっきり言えば、カワウソたちを監視下に置き「いざとなれば諸共に拘束できるように」という意味で、同室に詰め込んでいるのだろうという企図があるように思われてならない。実際そうなっても、逃げ果せることは簡単だろうが油断は禁物である。

 さらに。邸宅と言っても、カワウソのギルド拠点にある屋敷の半分程度の広さもない建坪だ。そんな場所で客人を別個に納めるスペースが余っているわけもないというところか。客室は一応、二部屋はあったが、それだけだ。もう一方はマルコに与えられていて、三人は邸宅の一区画に押し込められている状況にある見方もできる。

 

 しかし。

 それよりも。

 誰が“二人部屋を使うのか”というのが、その時における一番の問題点であった。

 

 カワウソの一般常識としては、いくらギルド長とNPCとはいえ、“男女が同室”になるのは遠慮すべき事態に思われて当然のこと。それよりも、女性同士が同室になる方がいいのではと提言したのだが、誰あろう“ミカ”が、それを承服しなかったのだ。カワウソを守護する位置を確保するために、自分が主の傍を離れるなどありえない、と。

 本心からの言葉……なのだろうか。

 あんなにも剣呑な表情で、「護る」と言われても、正直ピンとこないのだ。

 これがもう少し好意的であったらと何度も思ったが、彼女に与えた設定の通りなので何も言えない。

 もはやここまでくると、どうして昔の自分は、ミカに『カワウソを嫌っている。』と設定したのか、軽い憤懣(ふんまん)を懐くようにもなっていた。

 

 あるいは。

 この設定が『カワウソを“愛して”いる。』だったらと思うと────それはそれで「何やってるんだ恥ずかしすぎる!」と思ったわけで。実際に、彼女を創った当初にそうしかけて、急遽変更した過去があったのだ。ならば、今の方がまだマシだろうと思うことにする。するしかないのだ。

 

 ちなみに、この邸宅の住人──セーク家の一員であるはずの少女、カワウソたちが保護したと見做されている狂戦士──ヴェルは、自分の私室ではなく、別の場所に幽閉される運びとなっているのは、本気でどうしようもない。彼女は、今は非公開だが、魔導国に大罪を働いた叛逆者──その可能性を持つもの──として刑されるやも知れないのだ。そんな存在を、いくら郷里とはいえ、彼女自身の私室に返すわけにはいかないというのが主な理由だ。それは納得している。カワウソも、幽閉されているヴェル自身も。

 

 そんなこんなで、カワウソは昨日一日の疲労感が限界を迎え、鎧などの装備を脱いで身軽になった途端、ベッドに沈むように倒れ込んでしまった。一応、気休めとして〈聖域〉系の課金アイテムを発動して防御を張ったのを思い出す。ついでとばかり、マアトなどにも休息を適時とっておくようにミカに伝えたのだったか。

 ミカにも「しようがないからゆっくり休め」と言ったのだが、天使は首を縦に振ることなく、窓辺の椅子に腰かけるのを見届けて、カワウソは寝落ちするに至ったわけだ。

 そうして、今。

 

「さて、これからどうするか」

 

 部屋にある時計──十二の数字らしきものを長針短針が指し示しているそれを見ると、長身と短針が天と地を刺すようにまっすぐな形を保っている。朝の六時というところだろうか。とりあえず、時間表記は60進法が採用されているらしい。

 気分を改めようと室内の手洗い場で顔を洗おうとして、備え付けの鏡に向かい合った。途端、無性に、あの悪夢で笑っていた堕天使(じぶん)を想起されるが、今のカワウソはまったく笑えない。気持ちを切り替えるべく、蛇口をひねって透明で新鮮な冷水を両手ですくった。水の感触が、頭にわだかまる熱を冷やしてくれるように思える。

 手を伸ばすと、真っ白なタオルを掴んだ。布地は洗濯したてのような香りをほかほかさせていて、水で濡らすのがもったいないほどに思える。顔の水分を丁寧に拭った。

 タオルを差し出してきた同室の女性が、何も言わないで手を突き出してくる。

 数秒して、カワウソは濡れたタオルを彼女に返却した。ミカのアイテムボックスにしまわれていく。

 

「──おまえの、だったの?」

「あなたが私に与えた物でありますが?」

 

 呆れたように肩を竦めるミカ。

 タオル掛けに目を向ければ、客室備え付けのタオルはそこにあるままだった。

 そういえば、彼女に与えた装備やアイテムというのは、一年以上前から手を加えていない。というかアイテムボックス内の物は、ほとんど彼女を創った時、適当に放り込んだ時の物で溢れていたはず。治癒薬(ポーション)などの回復アイテムや、彼女の扱える魔法の巻物(スクロール)の他に、いろいろと雑多に詰め込んでしまったことを今はっきりと思い出した。それがこんな形で利用されるとは。

 

「ああ……悪いな」

「べつに」

 

 短い遣り取り。

 ミカは小さく咳払いをしつつ、今後の動向を伺う。

 

「それで、いかがなさいますか? 邸宅内であれば、自由に使用・徘徊しても良いという話でしたが?」

「うん……どちらにせよ、装備をつけてから考えるか」

 

 現在、カワウソの護衛はミカ、ただ一人。

 観測手(オブザーバー)としてカワウソたちを魔法で監視していたマアトは、他の都市調査に向かった三人を定期的に見張る(さらに広域の地図化(マッピング)をする)必要があるため、今は頼ることができない。魔力回復のための休息中でもあるのだ。

 つまり、カワウソたちはカワウソたちで、問題や状況に対応するしかない。いざ敵に襲撃され、この邸宅内を脱出するのに最適なルート選択・防御に使えそうな道具の有無・罠などの確認を怠っていては、十分な安全を確保できないというもの。一応、昨夜訪れた時に、簡単な脱出路は頭の中に叩き込んでいるが、それがしっかりと使い物になるかどうかはわからない。いざとなれば邸の壁を蹴破ることも考慮しているが、他人様(ひとさま)の家を壊すというのは、常識的に考えて控えるべきことだろう。

 

「了解しました。では」

 

 ミカが当然のごとく頷くと、カワウソは脱いだ鎧の装着を始める。

 それを、女天使は手伝ってくれた。

 

「え、ミカ?」

「何か問題が?」

「ああ……いや」

「早く済ませましょう。今、敵に入られでもしたら面倒ですので」

 

 硬い声は、警戒心が強くて頼もしい限りだ。カワウソのアイテムでも、この異世界だと何処まで有用かわからないから、警戒することは大事だ。カワウソも慌てない程度の速度で装備に手を伸ばす。

 装備の装着中、カワウソは思い知った。

 一人では少々面倒だが、手伝いの手があるだけでこうも楽になるとは。

 しかし、こんなことになるのなら、早着替えのローブでも持ってくるべきだったか。

 拠点を出た時は、用心のためにとにかく戦闘用のものばかりを持ち出して来ていた。あまり装備を丸ごと取り替えたりする習慣のなかったカワウソは、早着替えのローブを常備していなかったのだ。

 手伝ってくれるのはありがたいが、他人に自分の衣服を世話させるというのは、こう、面映ゆいものがある。小さい子供でもあるまいに。

 氷のごとく冷たい無表情なまま、目が合うたびに何か言いたげな表情で睨みつけられるものの、ミカの手際は完璧と言ってよかった。肩や腰の留め具をガチリと噛ませ、身動きに支障がないことを確認。他の装備品も、ミカがまるで慣れた手つきで装備させていくのに任せるが、「どうしてこんなに慣れたように装着できるのか」という疑問が湧き起こる。

 それは、勿論ミカが知っているからだろう。

 だとしたら、どうやって知ったというのか?

 ユグドラシルの仕様上、こんな複雑かつ煩雑な手順で装備の脱着など、カワウソはしたことがない。装備の扱いはコンソールの操作で一発だったのだ。ミカが自分で自分の籠手を外せたように、装備類の扱いというものを、NPCがある程度は熟知しているという仮説が立つ。

 そういえば、ミカは聖騎士の装いで身を覆っているが、他の装備などは身につけられるのだろうか?

 カワウソのように、ある程度の制約や限界がある可能性はあるが、どうだろう?

 

「なぁ、ミカ」

「何か?」

「ユグドラシルの……この世界に転移する前のこと、覚えているか?」

「無論。覚えております」

「……それは、どの程度の記憶なんだ?」

「は? ──あなたに創られた時から。ここに至るまで、すべて」

「じゃあ、俺の鎧の装着方法とかは、どうやって覚えた?」

「それは──質問の意味は理解しかねますが、私はあなたが装備を変更する方法を知っている。あなたに仕える防衛隊隊長として、当然の知識です。おそらく、メイド隊の皆も心得ているはずですが?」

 

 簡潔に断言され返答に困る。

 カワウソはゲーム時代、ミカがいる第四階層で、装備の変更を行ったことは確かだ。ホームポイント……ゲームにINした際に登場するよう設定された自分のギルドなのだから、その回数は数えきれない。ただ、ミカの目には、カワウソが自分で装備を脱着した場面が見えていた……というところなのだろうか。あるいは、事前にそういうことを知っているという風に設定された? いや、そんなピンポイントな設定、カワウソは書いた記憶がない。設定した以外の部分が、何らかの方法で補填されている感じなのか?

 また疑問点が増えただけのような気がするが、これも重要な情報である。

 忘れないよう、頭のメモ帳にしっかりと書き加えておく。

 腕輪に肩当、腰には鎖やベルトを装着し終える。

 すでに履き終えていた足甲(ブーツ)の感触を、踵を鳴らして確かめた。

 

「うん。これでよし、っと」

 

 最後に呟いて、ミカの手から渡された血色の外衣“タルンカッペ”を肩に羽織る。

 深く一呼吸を置く。

 ちょうど、その時。

 

 コンコンコン

 

 ノック音にミカが軽く身構えるのを、カワウソが手を振って普段通りのまっすぐな姿勢に戻す。

 

「おはようございます。カワウソ殿、ミカ殿」

 

 扉の奥から聞こえる声は、すでに聞き慣れた部隊長のそれ。

 どうぞと入室を促すと、青紫の髪に赤いメッシュが特徴的な偉丈夫の少年、ハラルド・ホールが、家人(かじん)の代わりに客人らを案内すべく現れたようだ。

 

「おはよう、ハラルド」

「おはようございます」

「……ヴェルの方は、どうだ?」

「ご心配には及びませんので、あしからず」

 

 実直かつ馬鹿真面目な少年は、彼らしい誠実な声音と姿勢で応対してくれる。

 

「お二方の支度(したく)が整い次第、朝食へご案内させていただきますが」

「ああ。それなら大丈夫だ。……大丈夫、なんだ、が?」

 

 普段着──騎兵の正装を脱いだ状態──の少年のすぐ背後に、かなり信じられないものがいて、カワウソは少々、言葉に詰まる。

 とりあえず、挨拶を試みる。

 

「ええと──おはよう、マルコ?」

「…………あ、…………おはようございます」

 

 反応は、亀のように遅くやってきた。

 あんなにも利発で、あんなにも明朗闊達(めいろうかったつ)としていた男装の修道女、マルコ・チャンが、ものすごく疲れ切ったような、今にも倒れ込みそうなほどドンヨリとした口調と姿勢で、かろうじて挨拶を返す姿に、カワウソは大いに違和感を覚える。

 

「ど、どうした。その、ええと」

「…………何でもないです。…………気にしないでください」

 

 昨日までの、優しくも厳しい、聡明さに満ち溢れ、カワウソたちを導き続けていた人物と同じだとは信じられないぐらい、その乙女には覇気がなかった。何というか、すごい投げやりな応答が続く。

 

「もしかして、寝てない、とか?」

「……ええ、まぁ……そんな、ところです」

 

 何があったか聞いてもいいか。そう(たず)ねることすら憚られるほどに、女性の異常っぷりは際立っていた。

 昨夜、部屋別に別れた時はきびきびしていた背筋も、(しお)れた花のように薄弱としている。生気すら失われたのかというぐらいに、黒く重い暗雲を頭上に醸し出しているかのよう。彼女の周囲だけ重力が数倍になっているような気さえ覚えた。振り返ると、あのミカですら大きく顔を傾げていた。

 

「あの、マルコ殿……やはり、部屋で休まれておいた方が?」

 

 朝食なら部屋へ運びますと進言するハラルドの親切に、マルコが断固として頭を振った。

 飛竜の威嚇声にも似た唸り声をあげて「気にしないで結構です」と告げるが、どう考えても気にせざるを得ない異変である。

 

「急ぎましょう……お話を、伺いに」

「ちょ! マルコ殿!」

 

 言ったマルコは、ハラルドよりも先に廊下を進もうとするが、少年にあっさり引き留められる。勝手に邸内をうろつくことを拒否するニュアンスではない。

 マルコは、廊下の突き当たりの壁に向かって、頭をぶつけそうになったからだ。

 

「どうしたんだ?」

「さぁ?」

 

 夢見でも、悪かったのだろうか。

 カワウソたちの心配を一身に受けつつ、修道女は階段を滑り落ちそうになって、少年に引き留められていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年に案内され、結局あっちこっちにぶつかりそうになるマルコをカワウソとミカで押さえつつ向かった先は、邸宅一階の、大きな食堂だった。長い卓上は白いクロスで覆われ、部屋の隅には大きな花瓶に飾られた大量の花の香りが。

 

「ようこそ、皆さま。よくお休みになられましたか?」

 

 飛竜騎兵のセーク族を率いる女族長ヴォル・セークが、鎧を脱いだ非武装の格好……白紫の、足元まで隠す丈長のワンピースっぽい肩を露出する衣服(オフショルダー)で、それが鎧姿とはまた違った艶を感じさせる。朝日に燦々と照らされる窓を背後にした卓の上座から立ち上がった女族長──その周囲には一番隊の、昨夜カワウソと交戦した騎兵の女衆が二人、完全武装で警護についている。

 カワウソたちの戦闘能力を知っていれば、明らかに力不足な警備兵だが、儀礼として必須なだけという可能性もあるし、何よりカワウソ本人に戦闘をする意気も企図も、もはや存在しない。

 家の主によって歓待されるカワウソ、ミカ、マルコの三人は、すでに用意されていた朝食の席に着く。湯気の立つスープの匂いに胃袋が踊りそうなほど食欲が湧いた。毒や睡眠薬が入れられている可能性をほんの一瞬だけ考慮するが、この鎧を身に着けている限りは大丈夫だろう。ここまで歓待しておいて、今さらカワウソたちに毒を盛る必要性もない、はず。

 しかし、それよりも気にかかることが、カワウソの対面の席に座した、修道女の容態である。

 それは彼女も、ヴォルも同様であったようで、しきりにマルコの様子を気にかけていて、たまりかねたように声を発した。

 

「あの……マルコ殿?」

「…………あ、はい?」

「大丈夫、なんでしょうか?」

 

 よく眠れていないような暗い表情の修道女に、ヴォルもまた部屋で休むことを提案する。家主にまで体調を気遣われるマルコは、一瞬だけシャンと背筋を伸ばしたが、「大丈夫……です」と言っている内に、背を小猫のように丸めてしまう。ほとんど卓上に突っ伏すような感じになる。声をかけるたび、バネ仕掛けのように身を起こして、またも背筋が丸くなる。この繰り返しだった。

 カワウソたちと少なからぬ交流を深めた女性の変容が気にかかって、食事を愉しむどころの話ではない。

 本当に、何かあったのだろうか?

 

「ええ……と、とりあえず。朝餉(あさげ)にしましょう」

 

 気分を変えようと、セーク族の祖先と飛竜に祈りの言葉を捧げるヴォルの声が響き、カワウソはそれを数秒ながめた。

「いただきます」の唱和に合わせて、カワウソも礼儀として手を合わせる。

 マルコの調子は食事中も変わることなく、食事はなるべく静かに、粛々と行われた。

 行わざるを得なかった、というべきか。マルコは食事が手につかない調子で、カワウソに自分に出された朝餉を差し出してきた。飲食不要なミカも、その行為に追随する。家主を前にして無礼に値しないか不安に駆られるカワウソは、一応、ヴォルの了承を仰いだ。女族長はにこやかに許してくれる。助かった。

 スープの他に、パンやサラダも堪能した。中でも極め付けだったのは、ふわとろ食感なスクランブルエッグ。あの味は、もうなんとも言えない。焼き加減や塩加減も絶妙で、レシピを教えてもらえないか真剣に考えた。二人分を平らげてもまだ味わいたくなり、「おかわり」を言おうとするのを自制するのに苦労した。おかげで、少しばかり挙動がおかしくなっていたかもしれない。

 

「では、デザートもいただいたことですし」

 

 切り分けられた果物(くだもの)──レインフルーツというらしい、瑞々(みずみず)しい食後の甘味(これもミカとマルコは口にしなかったので、貰った)に舌鼓を打っていたカワウソは、その姿勢を正す。

 

「改めて、皆様には我が妹、ヴェル・セークを救出していただき、誠にありがとうございます」

 

 朗々と紡がれる声音は、虚飾を一切感じさせない家族の思いが込められている。

 実の妹には冷たい対応──今も、特別な幽閉所に監禁──をしていても、ヴェルの状況を考えれば仕方がないと思われた。

 

「感謝されることじゃない」

 

 カワウソは率直に、状況を歓迎できなかった。

 ともすれば。ヴェルは確実に処断されるべき罪人。

 魔導国──大陸を統治する一国に対して、とんでもない造反行動を──アンデッド兵団を半壊という、信じられない冒涜行為を働いたのだ。これを刑さずにいるというのは、上にいる者たちの温情に他あるまい。

 兵団を、半壊。

 本当にあんな少女が──いや、実年齢から言えば女性というべきだな──とも思うが、いずれにせよ、追跡部隊として派遣した中位アンデッドの死の騎士(デス・ナイト)部隊まで退けたと見做されている(・・・・・・・)ヴェル・セークが、本当に「兵団を半壊」という性能を行使出来たのかどうか、大いに疑問だった。

 たとえ彼女が、“狂戦士(バーサーカー)”の適性者だとしても。

 そして、そんな彼女を助けたカワウソたちも、諸共に処罰や調査の対象に見据えられたら──なんて、とても想像したくない。

 

「今は一刻も早く、ヴェルの暴走原因を突き止め、彼女に本当に咎があったのかどうかを知ることが先決……だったよな」

「その通りです」

 

 打てば鳴るように、女族長は応えた。

 濃い紫の前髪の奥にある視線に込められた圧力は、思わず腰が引けそうなほどの活力が乗っていて、まるで獰猛な竜のようにさえ錯覚する。

 小動物的な妹のヴェルとはだいぶ違う印象だ。むしろヴォルの方こそが、純粋な戦士然とした強さを秘めている印象が強まるが、聞くところによると彼女はどちらかと言えば“魔法”の造詣(ぞうけい)が深い部類に入るという。魔法詠唱者(マジックキャスター)で、あの鎧姿だったということは、彼女はウォー・ウィザードか何かなのだろうか。

 

「よろしいでしょうか?」

 

 これまで興味なさそうにしていた黄金の女騎士が、手を挙げた。

 ヴォルが手を挙げた方に鋭い視線を投げる。

 

「なんでしょう、ミカ殿?」

「ヴェル・セークが暴走した現場に皆様はいらっしゃったという話でありやがりましたが。であれば、皆さまは何らかの記録映像などを保有・撮影してはいないのでしょうか?」

 

 彼女が発した質問を、その内容の的確さを、カワウソは心の底で褒めた。

 なるほど。映像記録があれば、何かしらの手掛かりが映し出されているかも知れない。

 と思ったところで、ヴォルは残念そうに頭を振った。

 

「式典演習の記録は、その一切が魔導国の軍上層部が掌握しております。私たち程度の臣民等級では、個人で演習風景を撮影し、持ち出すなどの行為は原則禁じられております」

 

 カワウソは唸った。

 考えてみれば、職場の光景を個人で勝手に映像記録にすること自体が不謹慎に値するだろう。

 

「……となると」

 

 手詰まりじゃないか?

 壊滅した現場検証なんて、国側がすでに済ませているはずだし。

 早くも行く手を阻まれたと感じたカワウソに、ヴォルは心配ないと告げてくる。

 

「なので、今回特別に、軍部から映像をお借りしてまいりました」

 

 言った女族長は指を鳴らして、隣に控えていた騎兵たちを呼び、「例のものを」と命じる。

 彼女らがカートに乗せて持ってきたものは、現実で見たことのある映写装置とは似て非なる、一個の球体──ボールだった。ユグドラシルプレイヤーが愛用する〈記録(レコード)〉用のアイテムでもない。ボールは金属質な光沢を放っており、スイッチらしきものが幾つかある。球体上部の中心には黒い穴が穿たれており、全体の大きさとしてはバレーボールぐらいになるだろうか。

 アイテムは長方形の卓の上、カワウソたち全員が囲む位置に安置される。

 カワウソは我を忘れて、未知のアイテムをしげしげと眺めてしまう。

 

「式典の演習風景を記録していた、軍の情報部から提供された証拠品です」

 

 言うが早いか、ヴォルはアイテムを起動させた。彼女の手中にあるリモコンで操作されているらしい。

 食堂内の窓のカーテンが仕切られ、〈永続光〉のランプが光を落とす。

 唯一の光源となったボールは、中心の穴から青緑色に輝く魔法の光を灯し、数秒後には巨大な立体映像──四方一メートル程度の光の箱を、何もない空間に投影していた。〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉の魔法に近いものと思われる。

 ヴォルが再生ボタンを押すと同時に、中の光景が鮮明な色を持って現れた。

 

 空中を舞う蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)数体や骨の竜(スケリトル・ドラゴン)数十体の後に、生きた魔獣の騎乗兵──人間・森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)小鬼(ゴブリン)・ビーストマンなど──が姿を見せる。どの航空編隊も一個の生命のごとく整然とした統制がなされていた。

 それらに続いて現れたのが、飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)十騎による航空編隊。

 典型的な(やじり)形態で、女族長のヴォルを先頭中心にいただき、一番騎兵隊の八騎がそれに追随。そのさらに前方の位置に、(くだん)の“狂戦士(バーサーカー)”ヴェル・セークが飛行していた。優美な空飛ぶ竜たちの姿は、そのまま写真にして保存したいくらいに堂に入ったものがありありと窺える。

 

 異変は途中からだった。

 

 ヴェルの相棒のラベンダが、数度ほど乱暴に翼をはためかせる。他の飛竜騎兵とは違うパフォーマンス、ではない。

 何事かと思考していると、ラベンダの背に乗っていたヴェルが、首をガクガクさせて身体を前後に揺らし始めた。手足も力なく、人形のようにブラブラしている。儀礼として持参されていた鎗も、あろうことか宙に放り出された。気を失っていると直感するしかない。手綱を放して鞍に跨っていられるのは、騎乗兵の特性故か。数秒もせずに、ヴェルたちは予定の航路を外れ、重力の指にひっかけられたように墜落の軌跡を描く。飛竜が不調をきたしたという可能性はない。ヴェルの身体が、ついにラベンダの鞍から剥がれるように落ちかけたからだ。ラベンダはたまらず相棒を追う。何とか少女の身体を背に運んで上昇を試みている内に大地が迫り、そして──

 

 カワウソはヴォルに短く言って確かめた。

 

「墜ちた」

「ええ」

 

 この時に、彼女が墜落した地点もまた悪かった。

 カメラアングルが空中から地上の撮影班のそれに切り替わる。

 そこで整然と方陣──真四角の陣形に並んで待機していた骸骨の戦士団の中心に、ヴェルとラベンダは落ちていたのだ。いきなりの変事に、カメラマンの手元が二秒ほど揺れて、その現場を見やる。

 飛竜(ワイバーン)墜落の衝撃で密集していた骸骨の兵隊が宙を舞い、彼女らの下敷きになった者らが、無残に圧し潰されて地面にめり込み、バラバラに砕けていた。

 それで終わっていたら、ただの事故だったのだろうと、誰もが思う。

 

「……あれは?」

 

 カワウソが指摘した先には、もうもうと立ち上る土煙の奥に、うずくまっていた飛竜の巨体。

 その背に騎乗する者、その容貌の変化に息を呑む。

 爛々と、燃えるように輝く、両眼。

 正気を失い、自ら「狂気(バーサク)」の状態異常を発現させたことを意味する、狂戦士固有の特殊技術(スキル)エフェクトだ。

 確かに、そこに墜落した少女は、紛うことなき狂戦士(バーサーカー)と化していた。

 そして、騎乗兵の特性として、彼女を背に乗せた飛竜(ラベンダ)も、同様のエフェクトが浮かび上がる。騎乗兵は騎乗物を、己の影響支配下におくことで“強化”が可能な反面、乗り手である騎乗兵の状態異常を騎乗物にもフィードバックしてしまう。

 

「なんと、まぁ──」

 

 名状しがたい咆哮と共に、狂戦士(バーサーカー)による蹂躙が始まった。

 その場で待機状態だった骸骨たちを、同じく狂化してしまった騎乗物・ラベンダと共に、アンデッドの尖兵を飛竜の脚で踏み砕き、長い尾で弾き飛ばし、ヴェルの拳で殴り潰して……そうして瞬く内に骸骨(スケルトン)の戦士団は半壊の憂き目にさらされた。竜に乗った狂戦士の力は、ろくな装備も与えられていない下級兵の骸骨たちを、蹂躙するのに十分なレベルを保持していた。骸骨たちは、スイッチを切った機械のように、為すがままにされていたのも影響を及ぼしたようだ。

 空から実の姉をはじめ、同族の飛竜騎兵たちが降下してくるが、時すでに遅し。どころか、暴虐の渦に引き込まれれば、自分たちまで壊滅させられる──そう直感できるほどの暴力を、彼女らは共に振るい続けた。

 だが、その暴走は思わぬ形で終息に向かう。

 飛竜が鎌首を乱雑に左右へと振った。何らかの攻撃を被ったわけではない。ヴェルの「狂気」に呑まれていたラベンダの片目が、自力で正気を取り戻し、苦し気な呻き声をあげながら翼を広げた。未だに暴走中の相棒を背に乗せたまま、ラベンダの巨体は空へと舞い上がる。

 ラベンダは、狂気の暴力をさらに辺り一面に撒き散らそうと欲する相棒(バーサーカー)をその場から遠ざけ、それ以上の暴走で二次被害が生じるのを防ぐかのように、逃げ去ってくれたのだった。

 あとに残されたのは、広い演習会場に轟くどよめきと、土煙の晴れた向こうで、砕けた骨の様を累々とさらすアンデッドの戦士団だけだった。

 

「映像は、以上となります」

「……なるほど」

 

 カワウソは指を組んで頷いた。

 演習場から逃げ延びた二人はその後、魔導国による追跡を受ける中で完全に正気を取り戻し、わけもわからぬまま逃走を続け、そして、あの森で、カワウソたちと出会ったと、そういうところか。

 

「この映像、ヴェルには見せたのか?」

「昨夜の内に」

「……ヴェルの反応は?」

「最初は戸惑っていましたが、次第に腑に落ちてくれたようです」

 

 カワウソは納得する。

 確かに、これでは事情が分からない人の目には、ヴェルがいきなりアンデッドたちに強襲をかけたようにも映るだろう。上空と地上で見える光景は違ってくる必然だ。空の映像では明らかにヴェルの状態に異常がみられるが、地上で見ていた限りにおいては、突然飛竜騎兵が降下してきて戦士団を攻撃したとも判断できる。というか、そういう風にしか見られないというべきか。

 

「よろしいでしょうか?」

 

 カワウソの隣に座しているミカが、冷酷な声色で挙手していた。ヴォルはどうぞと言って促す。

 

「ヴェル・セークが狂戦士として暴走した理由について、心当たりは?」

「わかりかねます」

「これまでに、彼女が暴走したことはなかったのですよね?」

「ええ──我が妹の暴走は、実のところ、今回が初めてで」

「……そのことなんだが」

 

 カワウソは昨夜聞きそびれた疑問を口にしていた。

 

「狂戦士化したのが、今回が初なら……じゃあ、どうやってヴェルが狂戦士って、判ったんだ?」

「我が一族に伝わる秘術──魔法の鑑定に近いもので、彼女が生まれた頃に把握されていたのです」

「鑑定……ああ、そうか」

 

 ユグドラシルにも、相手の強さを「精密に」あるいは「大雑把に」識別するための魔法や特殊技術(スキル)、アイテムなどが揃っていたものだ。実際、カワウソのNPCの一人であるマアトが扱ってくれた。それによって、『ヴェルのレベルはLv.20程度』などの鑑定が可能だったわけで。

 しかし、疑問がひとつ。

 女族長の言を信じるならば、ヴェルは狂戦士のレベルを生まれた頃に取得していたと、そういうことになるのだろうか?

 この異世界で、どのようなレベル獲得ができるのか定かではないので推測の域を出ないが、生まれた頃にある程度の狂戦士のレベルを確保していたのか。あるいは未来予知じみた感じで、ヴェルが将来的に狂戦士になれることを知覚できたとか。そんなところなのか。

 

「その秘術、鑑定というのは“数字”を見るのか?」

「数字?」

「たとえば、こう──狂戦士Lv1とか、Lv.2とか」

「れべる? いえ……多分そういうものでは、ないと思われます。あの()を占った先代の竜巫女──私の先達(せんだつ)が、『この娘は狂戦士だ』と、適性者であるという事実を宣告しただけで。……数字のようなものは、たぶん言及していなかった、はずです」

「──そうか」

 

 カワウソは納得しつつも首を傾げた。

 ユグドラシルでは、相手の獲得するレベル──強さを数値で表す仕様だった。

 しかし、ヴォルの説明だとレベル数値というものを彼女らはしっかり認識できていない。異世界であるが故の仕様変更か、あるいは彼女らの“等級”では知りようがない情報なのか──多分後者なのではと思う。

 この異世界でレベル数値が「消失した」とするならば、どうして拠点NPC(マアト)が、現地人のヴェルやラベンダの推定レベルを鑑定できた? 彼女らには確かに数字としてのレベルが割り振られているからだろう。でなければ、マアトの鑑定が出鱈目だと判断するべきだろうが、あの引っ込み思案なマアトが嘘をついているとは、どうしても考えにくい。それならばまだ、ヴォル・セークたちの理解力が薄いだけという方がありそうな気がする。

 曰く、“三等臣民”の飛竜騎兵部族。

 三等というからには、一等や二等、四等や五等という臣民階級が存在していそうな感じがする。

 もしかしたら、魔導国内には与えられる知識量的な等級分けが一般化しているのかも知れない。

 三等はここまで。

 二等は三等よりも上のここまで。

 一等は二等よりも上のこのぐらいまで──という感じに。

 カワウソは確かめてみる。

 

「飛竜騎兵の部族は、確か三等臣民──だよな?」

「ええ、そうです」

「なんで、その、三等臣民なんだ? 俺は飛竜騎兵の部族について、あまり詳しくないから」

 

 瞬間、その場にいる飛竜騎兵たちが、微妙に表情を険しくする。

 カワウソは一瞬だけ身構える。聞いてはまずい情報だっただろうか。

 懸念が的中したと判断し、質問を撤回しようとするよりも早く、族長が微笑みを強くした。

 

「無理もありません。これは長老たちに聞くのが早いでしょうが、我等飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)は、100年前の過去、魔導国創立期に、暴慢にも魔導王陛下らに弓を引き、従属を要求された際には一度拒否し、愚かにも戦いを選んだ者らを同胞に持った者たちの末裔です。今でこそ三等臣民にまで地位向上を果たしましたが、国内での認知度は、未だに低い部類に入るでしょう」

「えと、確か……昨日の夜に聞いた内容だと、九つの部族の内、三つが従属を拒否した──だったか?」

「ええ、まさに。その三つの部族は、飛竜騎兵の力を過信しすぎた。当時の情勢ですと、『空を飛ぶのがやっとの魔法詠唱者(マジックキャスター)程度に、同じく空を飛びながら、様々な戦術と魔法、単純な力でもってあたれる我等飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)が負ける道理などない』と。

 実際、当時の世界情勢ですと、第三位階の〈飛行(フライ)〉を扱えればかなりの才能が認められていた時代だと聞いております。魔導国の誇る学園機構より輩出される魔法詠唱者の“最低水準”が、当時における一般的な魔法詠唱者の最大戦闘能力に見做(みな)されていたので」

「……第三位階で」

 

 カワウソは僅かに呟く。

 ユグドラシルでは最高で第十位階までの魔法が存在しており、その上に超位魔法が存在していた。だというのに、この異世界の人々にとって第三位階程度で最も強大な力と思われていたらしい。

 単純に当時の人々のレベルが低すぎたか、レベルアップできる環境が整っていなかったのか、いずれにしても、ユグドラシル基準で考えると薄弱として脆すぎる印象しかない。

 ヴォルの説明が続く。

 

「どんな魔法使いだろうと、空を飛んで〈火球(ファイヤーボール)〉の遠距離攻撃をするのが限界──そのようにたかを(くく)ったことが、間違っていた。いくら周辺諸国と国交が薄く、また飛竜騎兵らの航空戦力と、この天然要塞である奇岩の存在から、当時のビーストマンなどの亜人たちの国家すらも侵攻するに値しない“陸の孤島”のごとき土地に見做され無視されていたがために、──だから、当時の彼らは選択を誤った」

「……その、三つの部族ってのは、確か領地ごと」

 

 ヴォルは苦笑しつつ頷いた。

 

「徹底抗戦を掲げた彼らは、一日もせずに滅亡しました。彼らの領地であった(そび)える奇岩諸共に、魔導王陛下の魔法攻撃で蹂躙され、アンデッドの軍勢に敗北したと聞いております」

「従属を拒否した、だったか」

 

 一度は勧告なり要請などを表明していたのだろう。選択権を与えられた九つの部族の内、三つの部族が戦いを選んだ。故に、負けて、滅んだ。

 その事実を、堕天使の脳髄は驚くほど無感動に受け入れてしまう。

 ヴォルは続けた。

 

「残った六部族の内、セーク族とヘズナ族──この二家が魔導国との交渉を進め、何とか魔導国の支配に組み込まれることが許されました。ですが、三部族が勝手に反抗したことで、当時の中で最低位の扱いを受けた飛竜騎兵たちは」

「不満を爆発させた、とか?」

 

 ありそうな話だ。物語とかだと、こういう場合は奴隷みたいな扱いに耐え切れず、反乱や一揆を起こすフラグでしかない。

 だが、違った。

 

「? ──いいえ。むしろ新たにもたらされた魔法の恩恵に与ることができたのです」

 

 魔導国は、まるで我が子を慈しむ父のような寛大さで、飛竜騎兵の六部族を受け入れた。

 食料を与え、教育を施し、それまで同族同士で領地や財物を巡る殺し合いに明け暮れ続けた飛竜騎兵たちに、新たな道を指し示した。

 冒険者として世界に羽ばたく者。

 研究者として世界を探求する者。

 芸能者として世界を巡り歩む者。

 それまで考えもつかなかった生き方を提示され、その引き換えとして当時は「四等臣民」としての責務を負わされたが、誰もがそんな生き方を当然だと受け入れるようにすらなっていった。それはまるで“人心掌握”という名の魔法にでもかけられたかのように、飛竜騎兵だけでなく、その他の地において一度は魔導国の存在を軽んじ反抗した者らも、やがて恭順の意を示すことにさほどの時間を必要としなかった。次第に各種族や都市国家で、ひとつの共通認識すら蔓延するまでに至った。

 曰く、魔導国による支配こそが、平和を実現できるのだと。

 

「お待ちを」

 

 ミカが身を乗り出すように疑問を投げる。

 

「寡聞にして聞き及んだことがないのでありますが、四等臣民の責務というのは、一体どのようなことを?」

「ん? 簡単です。現在の我等三等臣民と共通する『義務教育』『適性診断』『異能診断』『食糧などの生産活動』『独自文化の継承と発展』あと『死亡者の提供』など、これに『労役』と『採血』が加わったものになります」

 

 意外と普通のことばかりで──というか義務教育とか、現実の世界では廃れすらした社会制度が組み込まれていることに驚いた。『生産活動』や『労役』も、共同体の社会維持にとってはあたりまえなこと。『文化の継承と発展』も、一応は理解できる。『診断』というのも、まぁ、なんとか想像はつく。

 ──だが、──『死亡者の提供』とは?

 聞いている限り、死体の最終処理を、国が一手に引き受けていると見るべきなのか。

 しかし、死体など各地個別に火葬して灰にしたり、あるいは土葬して埋めたりした方が、効率が良い気もする。実際、カワウソの両親は一応、民間の葬儀屋で火葬され処理された。民間ではなく、国ぐるみで死体を処分するというのは、あるいは衛生観念的な事情があるのかも。

 

「……労役などは解りますが、採血というと、血をとると?」

「ええ。健康把握の一環として。一定の周期サイクルで成人から血を採取しているそうです。三等臣民だと、これが医療従事者による『定期健康診断』に代わり、血をとられることはほぼなくなりますね」

 

 二人の遣り取りを聞いて、カワウソは疑問を覚える。

 魔法の生きる世界で、血を採取する必要があるのだろうか?

 魔法の鑑定による生体精査にはリスクでもあるのか? あるいは魔法だけでなく、医術や医療方面にも発展を遂げているのかも? 治癒薬(ポーション)や回復魔法で癒せない病態があるのか? だとしたら、手術輸血用の採血なのかもしれないが……だったら等級に関わらず採血しても良くはないか?

 答えは出そうにない。

 そして、やはり、カワウソが気になったのはひとつだ。

『死亡者の提供』──これは本当に、どういう意味なのか?

 直接聞くのは憚られる。語順としては三等臣民──現在の飛竜騎兵たちも行っていることらしいが、それ以上の“二等”や“一等”だとどうなっているかによっては、聞いてはならない情報だろう。カワウソたちは、何食わぬ顔でこの場に臨席しているが、実際は魔導国の臣民でも何でもない、ただのユグドラシルプレイヤーとNPCなのだ。知らないことは多くある。だが、それを知らないと言っては、魔導国に住まう者らに不審がられるのは明白だ。今は、深く聞かない方がいいはず。

 

「族長」

 

 食堂の隅にある扉から、やはり見慣れた一番隊の女騎兵が飛び込んできた。

 慌てた様子で、しかし客人らの手前ということで抑えた早歩きで、家主のヴォルに小さく巻かれた羊皮紙のようなものを手渡し献上する。

 彼女は結ばれた紐を解き、内容を凝視する。

 理解を得た族長は、書状を届けた騎兵に感謝を告げて、さがらせた。

 

「申し訳ありませんが。今すぐ皆様に会わせたい方がおりますので、少しばかり御足労を願います」

「会わせたい?」

 

 書状を大事そうに懐へしまう女族長は、少しだけ明るみを帯びた声で告げる。

 

「我がセーク家と対を成す飛竜騎兵の(うから)……ヘズナ家の使者が参りました」

 

 状況は、カワウソたちが思っていたよりも遥かに、深刻であった。

 ヴェルの暴走は、事によれば飛竜騎兵たち全部族の処分もあり得るほどの罪。

 彼らが団結して、事態解決に臨み挑むというのは、まったく自然な流れとも言えたようだ。

 しかし、カワウソは思い出す。

 

「“ヘズナ家”って、セーク家と仲が悪い感じの?」

 

 ハラルドが言っていた「ヘズナ家との確執」とやら。

 ヴォルは少し苦笑する。カワウソの問いに対し、「道中でお答えします」とだけ告げて、立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛竜騎兵の部族らが存在している領地というのは、少しばかり変わったところにある。

 

 カワウソたちは屋敷の一階から、地下へと続く階段に案内された。昨夜、カワウソたちは夜陰に乗じて二階建ての邸宅の中庭に降り立ったが、それは普段であれば絶対に使用しない帰宅手段であるらしいことは、すでに昨夜の内に聞かされて知っていた。本当は、この地下階段を使って下から入るか、正規の客人──重要人物などの賓客を迎えるための正門に飛竜を横付けするように入る以外の方法は許されていない、という話だ。カワウソたちは秘密裏に、セークの族長家に迎える運びとなっている以上、大ぴらなことは出来なかった。

 地下は〈永続光〉のランプで明るく、内装も整っていることがよくわかる。明かり取りの小窓から外を望むと、どこまでも青い空色がよく()えた。

 

「セーク家とヘズナ家は、大昔から互いに鎬を削り合う仇敵とも言うべき存在でしたが、魔導国編入と共に、残された部族らをまとめ上げることを王陛下によって命じられ、今では飛竜騎兵の二大派閥として名を残すことが許された者たちです」

 

 カワウソたちはヴォルの説明を受けつつ、さらに階下へ続く階段を下る。

 カワウソのすぐ隣をミカが歩き、その後ろに肩を落とし続ける修道女マルコが、かろうじて続く。

 

「セーク家は軽い体躯で“速度”に重きを置いた飛竜と騎兵らの一族。対して、ヘズナ家は重い巨躯による“防御”に重きを置いた飛竜騎兵の一族で、その戦力は常に一進一退を繰り返しておりました。互いを水と油のごとく思いつつ、切磋琢磨の時を重ね──簡潔に言えば、おっしゃる通り「仲の悪い」部類に入りますね」

 

 その道のりは迷路のように入り組んでおり、まるで敵の侵入を阻害するために複雑な構造をした「城」を思わされた。邸宅はさらに階下に進むと、ほとんど洞窟のような有様になっていくが、これは無理もない。

 三階分ほど降りた先で、巨大な翼がはためく音と共に、飛竜の豪快な寝息や、戯れじゃれ合う大声が耳につく。そこはまるで格納庫のように広く高い空間に、十数匹の飛竜と、その世話に明け暮れる女性たちがいた。やはりカワウソの見覚えのある女性たち──昨夜の女騎兵たちは礼儀正しく膝をつき、一行を見送ると、飛竜の鱗や翼を磨く作業や大量の藁を敷き詰めるなどの作業に没頭していった。岩肌が剥き出しの格納庫──その壁面の一部は完全に消失しており、横に広がる空色のパノラマを映し出している。吹きすさぶ空気は冷たかったが、不快ということはなく、むしろ心地よい。そこから飛竜たちが自由に飛び出し、離着陸を自在に行えるための用途があると確信できる。ここで住人は飛竜の乗り降りを行い、階上にある邸宅や、この下の土地に赴くことができるという造りだった。

 

「しかし、魔導王陛下の力を過たず理解した当時の族長らは、同族の飛竜騎兵らに“従属”を求めたのですが、これを聞き入れられなかった三つの部族が、亡くなった」

 

「飛竜の巣窟」とも言うべきそこを、ヴォルたちは迷うことなく通り過ぎようとする。

 カワウソだけは、巣の断崖から望む眺望──大パノラマに圧倒されかけて、足を止める。目が眩むほどの高さというのもそうだが、遠く眼下に生きる者たちの姿が、鮮烈に堕天使の網膜に焼き付けられたからだ。

 セーク家の邸宅──ヴォルたちが住まうこの家は、セーク族領地である奇岩地帯で最も高い峰の、さらに先端部に位置する。屋敷は奇岩の最頂点に構えられた代物で、この奇岩の所有者たるセークの家の者と、限られた者たちの出入りしか許されていない。これより高い位置を飛ぶことは、族長家への逆心ありと見做され処断される掟が生きているとのことだが、これほどの高度になると、並みの飛竜では長時間飛行できないため危険という認識こそが実際なようだ。

 

 飛竜騎兵たちは、(そび)える柱のように佇立する珪岩の岩山──現実世界でいうところの“武陵源(ぶりょうげん)”のような奇岩の地を、そこに無数に穿たれる洞窟などを()()とし、先祖代々に渡って暮らし続けた歴史を持つ人間たち。

 

 いわば此処は、カワウソたちのいる邸宅というのは、雲海を眼下に望むほどの高さに建立(こんりゅう)された、天然の要害なのだ。

 飛竜の発着場たる此処から下を望めば、岩壁の下の部分に“街”が見渡せる。あそこが、セーク家が治める飛竜騎兵らの住まう土地のひとつであり、直轄地。岩肌をくりぬいたような家屋が所狭しと並び、そこでは人々が商いを行い、鍛冶や工芸に勤しみ、教師が子どもたちに授業を行って、そんな光景の中にモンスターの飛竜(ワイバーン)が、共存共生を果たしていた。まるで猫みたいな小動物のような感覚で、幻想の生き物であるはずの竜が、人々の営みの中に生きている。真新しい木造の家々の軒先には、セーク家の紋章らしい木工細工(レリーフ)があしらわれていた。

 寝転がる竜の背で洗濯物を干す主婦がいれば、竜の翼を滑り台にして戯れる児童らもいる。老人が飛竜の鎌首に背を預けて茶を嗜みつつ共に読書に耽る姿もあれば、飛竜の口内に並ぶ牙を巨大ブラシで丹念に磨き上げる男まで、ありとあらゆる老若男女の人間たちが、自分たちの生を、相棒である飛竜たちと共に謳歌している。

 そこここに、魔導国の国旗がはためき、その真下の広場には、駐在の警官のごとく立ち尽くすアンデッド──死の騎士(デス・ナイト)も確認できるが、それを含めて考えても、至って平和で、朴訥とした幻想の街が、カワウソの眼下に窺えたのだ。

 率直に言って、感動を禁じ得ない。

 

「こちらです。カワウソ殿、ミカ殿」

 

 立ち尽くしてしまったカワウソと、その背後に続くミカを、女族長が呼ばう。二人は急ぐでもなく列に戻った。

 飛竜たちの巣のさらに奥にある通路へ。

 

「ここは、我が祖先が使っていた秘密部屋です」

 

 この場所で、かつては飛竜騎兵部族同士による様々な権謀術数が渦巻き、時に侵略を、時に防衛を、時に同盟を、時に裏切りを企て実行されてきたのだが、そんなことは今のカワウソたちにとっては、知ったことではない。

 秘密部屋は、先ほど通り過ぎた巣と同じぐらいの空間があり、そこに見慣れない飛竜が、一匹。

 

「なっ」

 

 思わず声を漏らして仰ぎ見た巨躯は、これまで見慣れた飛竜とは違っていた。

 体格は見慣れていた飛竜の二倍以上に膨れて重みを増し、顔面の造形はずんぐりしていて重厚な兜を思わせる。鎧にも似た首覆い(ネックガード)のごとき筋肉の層も厚かった。折り畳まれた両翼に顎を乗せ、まどろむように呼吸しているが、見開かれた眼は大きく、かなりの威圧感があった。かの飛竜が指先の爪にひっかけている布は、ヴェルが所有していた不可視化のマントにも似ている。近くに転がっている香炉の用途は、さすがに判断がつかなかった。

 しかし。秘密部屋というそこは、これだけの巨躯が侵入可能な部屋ではなさそうだった。室内は〈永続光〉の明かりで煌々と照らされていたが、見て取れる内部構造は閉鎖的で、岩塊を削り掘って作られただけの巨大洞窟にも見える。どこにもこの飛竜が通れそうな通路は存在しない。魔法か何か──「開けゴマ」などのパスワードで作動する搬入路でもあるのだろうか。天井が空いたりする可能性は、上の邸宅が邪魔で無理そうではあるが。

 見上げっぱなしになるカワウソに、ヴォルが簡単な説明を添えてくれる。

 

「ヘズナ家が誇る「重量種」の飛竜です。我等セーク家の飛竜は、おおむね「軽量種」に該当しますね」

 

 防御のヘズナに、速度のセーク。

 防御に優れた鎧皮を獲得した分、重くなった飛竜があれば、逆に速度を上げるべく軽い体躯を獲得した飛竜という系統樹などがあるのだろう。なるほど。飛竜とひとくくりに言っても、その中には様々な個体別の能力や差異があるようだ。九つの部族の中で統廃合が進められた可能性もなくはない。

 カワウソは納得と共に周囲を見やる。

 

「それで、ヘズナ家の使者っていうのは──」

 

 いた。

 広い空間の中に、一組だけ置かれた応接セットのようなソファーテーブル。

 真四角の卓上には三人分の茶が置かれ、ずっとここで待たされていたらしい。

 椅子に腰掛けくつろぐ人影は、三人。背格好から判断して、大人二人に子供一人。

 族長を除く飛竜騎兵の乙女らの誰もが緊張と不安に視線を細めるのに混じって、あのマルコが、とんでもなく険しい表情を向けているのが気にかかる。修道女には似合わない唸るような雰囲気で、カワウソは大いに疑問を深めるが、ヴォルの発した声に意識を引っ張られる。

 

「こちらが、ヘズナ家の使者の方々です」

 

 使者の一人が、上座のソファからすくりと立ち上がる。

 身に纏っていたローブ──フードに隠していた相貌を脱いで露にした男の顔と頑健な肉体をみとめて……、女騎兵たちが驚愕に眼を剥いた。

 

「はっ?」

「な、何で!」

 

 口々に吠え身構える、警護役の女騎兵ら。

 カワウソは思わず呟いた。

 

「有名人か?」

「いや、有名、というか──ええと」

 

 呆れたような困ったような、そんな調子で応じるハラルドたちの戸惑いに構わず、黒に近い紫の髪を短く刈り揃えた男から、声が。

 

「はじめまして」

 

 低い声だ。誠実そうな口調の奥には、深い遺恨や悪意という気配は感じられず、穏やか。

 精悍な男。右瞼を頬にまで貫く傷跡に笑みがはりついて、男の豪胆の度合を深めていた。

 力強い眼。金属の如く冷たく凍えた青い瞳は、まるで静かに燃え焦がれているかのよう。

 

「彼は、ヘズナ家の現当主、ウルヴ・ヘズナです」

 

 ヴォルの紹介する声に、カワウソは痺れたように立ち尽くした。

 現──当主?

 ヘズナ家の?

 当主が使者?

 

「は? どういう……本当に使者、なのか?」

「ええ。こちらの方が、話も早いでしょう?」

 

 応える男は、実に率直な意見の持ち主なようだ。

 確かに、ヴェルの一件を早急に、可及的速やかに解決するために、ヴォルは昨夜の内にヘズナ家へと協力を仰いだという話。かつては戦いに明け暮れたという両家の歴史を思えば、何かしら思うところはあるはずだろうに、二人の族長の間には全くそれを感じられない。共に共通の君主──魔導王を戴くが故の協調だろうか。

 精悍に思えたハラルドよりも雄々しく、洗練された美丈夫は、ほとんど野獣のように膨れた筋肉の鎧に負けぬ重厚な鎧を身に纏い、二メートル超過の巨体で歩み寄ってくる。

 

「あなたが、カワウソ殿ですね?」

「あ……ああ。カワウソです」

 

 50cmほど上から見下ろされ、差し出された手の意味を反射的に理解して握手する。

 握る力は手のサイズに相応しく強大であったが、異形種の堕天使には大したダメージにはならない。

 

「セークの族長から、話は伺っております。ヴェルを、セークの狂戦士(バーサーカー)を発見保護されたとか」

 

 カワウソは曖昧に頷くしかない。

 

「それほどの力を持つあなた方が協力してくれるというのは、実に心強い」

「いや。協力って言っても、とくに何かできるわけでもないと思うから、そんな期待されても」

「御謙遜を。セークが誇る一番騎兵隊を完封したあなた方であればこそ、出来ることもあるでしょう」

 

 子供のように純粋な善意で笑顔を向けられる。

 族長といっても、そこまで堅苦しい感じがしないのは好印象だった。そういう意味では、セークの女族長のまっすぐさも好ましい部類に入る。

 

「そして、こちらは──我が家の用意した、秘密裏に、此度の事件に協力してくれる方々です」

 

 彼らと共にことを成せば、解決も早まるだろうとヘズナの族長が宣する。

 ヘズナ家当主の紹介に合わせて、じっと座りっぱなしでカワウソたちの遣り取りを眺めていた二人が立ち上がる。ヘズナと同じく、目深にかぶっていたフードの下が露になった。

 途端。

 

「ちょ、マジ!」

「うそでしょ!」

 

 先ほどの驚嘆とは打って変わって、黄色い声援にも似た歓声が、広い空間に響いた。

 女騎兵たちが手を叩いて喜びを表現している。自分たちの族長に短く窘められても、驚愕は収まり切らぬという興奮ぶりだった。

 微苦笑を浮かべるヘズナ家当主──ウルヴが、誇り高そうな語調を紡いでみせる。

 

ナナイロコウ(セレスティアル・ウラニウム)級のプレートを預かる、魔導国内“唯一”の一等冒険者チーム。

 私の方で依頼した、四人のうちの御二人です」

 

 まず、男の面貌をカワウソは眺める。

 漆黒の髪に、深淵のような色合いの瞳。兜などを被っていない顔立ちは、ヴォルやウルヴたちの西洋的なそれとは違う東洋系で、ただの日本人と言われたら信じられるほど見慣れた顔つき。年齢は、軽めに見積もっても三十代。口さがなく言えば壮年と言っても差し支えない凡庸な感じで、はっきり言えば、とても女を魅了するものとは言い難い。だが、カワウソの堕天使の造形よりは遥かに人間的で、見るに耐えないというほどではない。二枚目俳優が加齢に伴い、三枚目になった印象を受ける感じか。ウルヴの二メートルを超す肉体とは比べようもなく細いものの、黒水晶のように鮮やかな全身鎧が纏われており、巨大な両手剣(グレートソード)を”双振り”背中に担ぐ様から、その下にある身体の強靭さを雄弁に物語ってくれる。何ひとつ無駄のない、スマートな重装戦士という印象が強かった。

 ここからは、カワウソの(あずか)り知らぬことだったが。

 国内で“唯一”の一等冒険者(ナナイロコウ)として、その男を知らぬ者はおらず、その「勇名」は先代、先々代、そして『初代』から受け継がれてきた“力の象徴”──故に現地人の、特に女性陣には非常に有名な存在であり、まったくもって類稀な大人気を博していた。その誠実な人柄と人徳の篤さによって、人種や等級などを超えて広く尊敬の念を集めている。

 それほどの超常者にふさわしい、歴戦の勇士めいた声色が洞内に轟く。

 

「はじめまして。皆さん」

 

 カワウソは、この世界の冒険者と、はじめて言葉を交わした。

 

「ご紹介に(あずか)りました“黒白(こくびゃく)”の、モモン・ザ・ダークウォリアーです」

 

 

 

 モモン。

 その名は、『漆黒の英雄譚』に登場する、魔神王ヤルダバオトの討伐の為に立ち上がった、当時最高峰の武勇と力量を持って諸国に知れ渡った、古い古い冒険者の名だった。

 彼の逸話や物語を書き綴った書物は、魔導国内で必ず寝物語として読み聞かされ、学習教科書にも登場し、数多く存在する冒険者たちのバイブルとして読み込まれ、毎年の如く増刷され続けている『大陸内で最も多く発行販売され読書されている物語』として人気を集めている。

 国内では毎日のように『漆黒の英雄譚』に関する演劇や興行、映画や派生小説が催されているとも言われ、実際、魔法都市などでは彼の物語を模した魔法の人形劇が盛んに行われ、芸能都市においてはモモン役を務める男優は常に一番人気を獲得しているものにのみ、その大役を任されていた。カワウソたちが夜を明かした客室にも、その原本とも言うべきものの新装版が本棚にあったほどに、彼と彼の名を記した物語は、大陸全土に普及し尽くしているのだ。

 そんな魔導国内で、モモンの名は当然の如く広く知れ渡り、毎年のように「生まれてくる男の子につけたい名前ランキング」首位の座におさまっている。モモンの名を少しばかり拝借して『モモ』とか『モン』とか、あるい『モー』などの変形命名も人気なほどだ。

 ちなみに、アインズ・ウール・ゴウンの名前は、魔導王陛下への不敬にならぬよう、ごく限られたものにしか与えられない名という認識が強く、それ故に一般に普及することは一切ない。

 

 そんな中。

 

 唯一、一等冒険者として“ナナイロコウ”を預かるチームは、少々変わった冒険者たちだ。

 

 白金の全身鎧を着込み、あまり表には出て来ない純白の騎士。

 常に仮面をして、素顔を見せることのない謎多き魔法詠唱者。

 

 魔導国創立から今日に至るまで、100年もの時を生きる彼等二人の他に、魔導王によって任命される最高位の冒険者として、“モモン・ザ・ダークウォリアー”の名を継ぐ戦士が、ほとんど常に存在するのだ。

 これは、かつて(くつわ)を並べ戦い、魔神王との壮絶な戦いにて、“蘇生不能”な状態に至るまで人々のために力を尽くした英雄モモンをアインズ・ウール・ゴウン魔導王が偲び、「彼の魂と生きざまが永遠不朽のものになるように」と祈願し、魔導王が特に認めた冒険者に、新たな“モモン・ザ・ダークウォリアー”の名を授ける……他の有象無象には一切名乗ることが許されない──いわば個人任命制の冒険者を、ナナイロコウ級冒険者に加えるのだ。そして、任命された“モモン”の推薦を受けて認められたものが一人だけ、国内で唯一の一等冒険者の地位に参加する。これは、モモンと共に散った“美姫”の存在をも、魔導王が認めていることの証である。

 純白の騎士と、漆黒の英雄。

 故にチームの名は“黒白(こくびゃく)”という。

 

 

 

 そういった事情には明るくなかったカワウソは、続けざまに「こちらは、私の仲間のエルです」と隣に立つ子供──日本人形めいた童女の紹介を果たす男を、御伽噺(おとぎばなし)の英雄の名を戴く存在の姿を見つめ、確かめるように名を呟く。

 

「モモン・ザ・ダークウォリアー……」

 

 カワウソは思い返す。

 モモンという名は、あれだ。

 都市で人気だった『漆黒の英雄譚』にあやかった名前という奴か。

 故の、漆黒の英雄(ダークウォリアー)なのだろう。

 いい名前だな。

 カワウソは真剣に思った。

 ただ、何故か。

 それまで黙りこくっていたマルコが、思い切り咳き込んで、カワウソたちの前に歩み出る。

 

「オホン。ええと、ダークウォリアーさん? ちょっっっと、よろしいですか?」

 

 珍しく、というか初めて険しそうな微苦笑を面に表し、マルコが漆黒の英雄の胸倉をつかみそうな勢いで、間に割って入る。朝食中の元気のなさが信じられないような迫力が込められており、得体の知れない凄みを感じざるを得ない。

 

「う、うむ……あ、いや、いいですよ。何でしょうか?」

「こ ち ら へ お ね が い し ま す」

 

 微笑みを増す修道女の眉間に、何故か青筋すら浮かび上がるように幻視した。その剣幕に気圧(けお)されるように、漆黒の戦士はマルコに手首をつかまれる形で連行された。

 彼の従者的な黒髪の童女も、その様をさも当然のごとく受け入れ、二人に付いていく。置いてきぼりになるカワウソらに対し、ちょこんとお辞儀して。

 

「ひょっとすると、……知り合いだったりするのか?」

「さぁ?」

 

 どうでもよさそうに肩を竦めるミカ。

 この世界で、初めて間近に見ることになった“冒険者”という存在。

 その中でも、最高位に位置するという、ナナイロコウの一等冒険者。

 

「何か、不思議なことがいっぱい起こるな」

 

 呑気に事の成り行きを見守るカワウソ。

 滅多にない出会いにはしゃぐ飛竜騎兵の乙女ら。

 何やら神妙な顔で内緒話に興じているセークとヘズナの両当主。

 

 ……それらをすべて眺めつつ、ミカは昨日の、あることを思い出していた。

 

 魔法都市カッツェの食堂で、雰囲気のよく似た感じの二人連れを見かけていた事を。

 食堂奥のカウンターテーブルから、カワウソたちの様子を眺めていたような、黒髪の男女。

 だが、両方ともに同年代の青年と女性に見えた。間違っても、今目の前にいる壮年の男と幼い童女という組み合わせではない。

 それでも、何かが、引っかかるような。

 

「どうした?」

 

 ふと、主に声をかけられ、彼女は言うべきか言わざるべきか一瞬だけ迷い、

 

「なんでもありません」

 

 些末な情報にかかずらうのをやめた。己が神経質になっているだけという可能性の方が高い上、今は、すでに過ぎ去った事象に思いを巡らせる時ではない。

 ミカは別のことに神経を研ぎ澄ませる。カワウソと視線の向きを同じくして、何やらにこやかに談笑するマルコと英雄たちを眺めつつ、今、主の脅威になりそうなものが現れないか、ただそれだけを危惧し、警戒を強めた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「どういう、おつもりですか?」

「マルコ。頼むから、そんなに怒るな」

「怒ります! 怒らないで、どーしろと!」

 

 カワウソたちから離れ、密談の場を設けて対峙するマルコは、本気で怒っていた。

 どうして自分から、危険やもしれない場所に飛び込んでくるのか、本当に理解できない。

 笑顔をはりつけなければならない状況だと判断出来ていても、眉根にこもる力を霧消させるのは難しすぎた。この方はどうして昔から、自分の身を軽んじられるのか。長々と説教でもしてやりたい衝動に駆られるが、そんなことをしても暖簾(のれん)に腕押しだと心得ている。強者であるが故の傲慢ではなく、賢知に富むが故の卑屈さが、マルコには(はなは)だ度し難かった。こちらが明け透けに喋れば喋るほど、親しみやすそうな笑みを浮かべてくれるのは嬉しい限りだが、事この場においては、あまりにも軽薄なものに見えてしようがない。

 

 マルコが我知らず砕けた口調で喋るのも無理はなかった。

 もはや言うまでもないだろうが、ここにいる“モモン・ザ・ダークウォリアー”という人物の正体は、魔導国王陛下──統一大陸唯一の至高帝──ナザリック地下大墳墓最高支配者にして、至高の四十一人のまとめ役であられる死の支配者(オーバーロード)──“アインズ・ウール・ゴウン”その人に他ならない。

 かつて、マルコが生まれる遥か昔、モモンという名の人間として人間の国で過ごし、当時最高峰とされたアダマンタイト級冒険者として活躍したのと“ほぼ同じ”感じで、魔導王アインズは、今は時に冒険者として市井(しせい)に降り、そこで暮らす人々の暮らしぶりに馴染みつつ、臣民の生活向上に必要な“目線”に立つことを己に課していた。彼のモモンとして築き上げた偽装身分(アンダーカバー)を、今や国ぐるみで完全に擁立している、といったところだろうか。

 

 この身分を再び作った大元の原因──きっかけとなったのは90年前、復活を遂げた「とある冒険者チーム」との話は、それはまた別の物語である。

 

 そのこと自体は、マルコも当然熟知している。

 無論、御身が軽薄であるなど、まったく完全にあり得ない。

 そう見えるのは、マルコの心眼が胡乱(うろん)なせいだ。

 一等冒険者として、時に市井で活躍する御身の智謀は何よりも重く、醸し出される威厳だけで誰もが膝を屈するだろう。

 しかし、だとしても、すでに90年も共に生活する御方に対し、今は“さすがに一言(ひとこと)くらい言っておかないと気が済まない”のだ。

 ちなみに、この会話は盗聴防止用のアイテムで外部には適当に談笑している風な内容にすり替えられており、互いがにこやかにしている限り、そこまで違和感を覚えられることはなくなっている。

 ただ、普段は温厚かつ寛大で知られた修道女でも、ナザリック内でそれなりの地位と役職を賜る混血児(ハーフ)の一人であろうと、怒る時は怒るのであり、そして、今は怒るべき時に違いない。

 

「昨夜、〈伝言(メッセージ)〉を受け取った時は、もう驚きましたよッ。……わざわざエルピスまで連れだしてきて!」

「申し訳ありません、マルコ姉様。おじ──モモンさんの計画は極秘に遂行されるべきことで、その」

貴女(あなた)が謝る必要はないわ、エルピス。謝るべきは、我等が陛下の方なのだから!」

 

 マルコは少しばかり頬を膨らませてしまう。自分の“妹分”についても、失態などあり得ない。おまけに、この黒髪を足元にまで垂らす童女は、眼前に存在する御方の“初孫”であり、単純なレベル数値で言うと、マルコよりも強靭なくらいだ。二重の影(ドッペルガンガー)の変身した姿の中でも幼い容貌を今は露にしているが、彼女の変身能力を駆使すれば、マルコと同年齢程度の姿になることも容易(たやす)い(というか、そちらが普段の彼女の好む姿であり、母親とほとんど瓜二つになるのだ。今の童女姿は、“冒険者エル”としての姿に過ぎない)。

 困ったように照れ笑いを浮かべる壮年の戦士に、マルコはこれ見よがしに肩を落とした。

 どうにも、この御方は、自分(マルコ)たちのことを生まれたての赤ん坊のように()い者として扱うことが多く(無論、そのこと自体は不満ではない。むしろ至福であり、幼少期から続く習慣ですらあるのだが)、総じて甘い。正直に言うと、最近生まれた赤ん坊をあやすように見ることが大半なのだ。

 

「もう。大宰相閣下(アルベドさま)たちから『こちらに向かった』と連絡を受けた時から、肝が冷えっぱなしです。魔導国の公務政務は変身されたパンドラズ・アクター様が代行しているとしても、ナザリックの運用については?」

「勿論、一任してきた」

「……閣下たちに?」

「その通り」

「……“若君(わかぎみ)”は、このことを?」

 

 モモンは鷹揚に頷いて、自分の息子が共犯であることを暴露していた。

 マルコは眉間を抑えてしまう。

 あの方もあの方で、実の父親に甘い。

 否。これは本人たち曰く、信頼しきっているということらしいのだが。

 

「ああ、もう、何やってるのよ、ユーちゃ……殿下の馬鹿莫迦バカばか」

 

 人の目も気にせず頭を抱えたい。

 しかし、それは大いに憚られるので、額を軽く指で突く程度に抑える。

 大陸唯一の王太子殿下──若君──マルコと幼馴染の、アンデッドと悪魔の混血児に対する恨み節が喉から零れ続けるのを、どうにかこうにか封じ込めた。

 息子を馬鹿呼ばわりするマルコを、父たるものは軽く微笑んで許してしまう。

 

「はは、そういうな。あれもマルコの身を大いに案じて、魔法都市(カッツェ)でこっそり観察していたという話だし」

「……初耳なんですけど、それ」

 

 だが無理もない。

 マルコは、魔導王の嫡子ほどの強さには至れていない。

 彼や、彼の妹君──姫殿下たちに本気の本気で隠れられたりしたら、マルコ程度の力で発見することは難しい。

 

「……プレイヤーなる存在の調査に、私のみ(・・・)では不安というのは重々承知しておりますが、それもひとえに、御身の安全と魔導国の安寧に必要な措置だと」

「それは違うぞ、マルコ」

 

 御方の口調の変化に、時が止まるような錯覚を覚えた。

 

「私は、おまえの能力、才覚、頭脳、戦術、そして強さであれば、たった一人で、大抵のプレイヤーに対抗し得るものと評価している。身内贔屓というわけではない。おまえにはそれだけの(ちから)がある。これは事実だ」

 

 竜人の父と、人間の母。

 その血を受け継ぐ混血児(ハーフ)たるマルコの“特殊技術(スキル)”と“異能(タレント)”をあわせれば、一応相性にもよるだろうが、単純なLv.100の存在とも互角に渡り合える。ユグドラシルの法則と、異世界の法則が混在する修道女(マルコ)の戦闘能力は、ユグドラシルのシステムに通じている者であればあるほど、初見で打ち倒すことはほぼ不可能に近い。彼女の混血児(ハーフ)としての特殊技術(スキル)異能(タレント)というのは、ユグドラシルの存在にとっては完全に初見でしかなく、その発動原理を分析することは困難を極めるだろう。 “短時間”の“一戦だけ”という条件付きなら、竜人の力を「半分ほど」行使できるマルコの勝率は驚くほど高い試算になるのだ。一応、彼女の装備や持ち物には有事の際の逃走用アイテムを多数供与されており、それでも駄目な時のバックアップとして、常に彼女をモニターし、彼女を救命する戦力──守護者たちを待機させている。

 さらに、

 

「おまえは程なくして、名実ともに私の“娘”となる。

 そんな()を、おまえにしかできないとはいえ、単独で危険な任務に従事させ続ける私を、許せ」

 

 マルコは望外の幸せに口を引き結んだ。

 この御方の“娘”に、迎え入れられるという未来。

 近頃になって練習中の呼び方が、つい、唇の端から零れそうになる。

 

「──御義(おと)……」

 

 瞬間、マルコの頬が炎のように熱せられた。たまらなくなって俯いてしまう。

 そんな娘に対し、アインズが悪戯っぽい微笑と共に、指を立てる。

 

「ここでは、モモンだ。頭を上げよ」

「はい。申し訳ありません、モモンさん」

「もっと砕けた口調で構わん。ここでの我等は、対等な友人同士ということにしておこう」

 

 つまり、“普段”のような感じで。

 

「それに、おまえの見立てだと──カワウソという名の彼は、話が通じるタイプの存在なのだろう? 魔法都市(カッツェ)で襲撃された時には、率先して助けになってくれたというではないか?」

「まぁ。確かに、そう御報告しましたけど……」

 

 それでも、まさか、いきなり対面したいなどと考えるものだろうか。

 あんなにも危惧していたプレイヤーと。

 否……あるいは、御方の深淵のごとき智謀には、別の意図や大略があるのかもしれない。マルコ程度の頭脳では、ナザリックの最高位の方々ほどの次元に至ることはできていない。実の父同様に、性格的には甘いところが多々ある(御方は「良い」と言ってくれるが、その言葉に甘えてばかりはいられない)のだ。まだまだ研鑽が足りないと、常に思い知らされている。

 

「この“変装中”の私は、アンデッドだと見破られることはありえないだろうし、天使や神聖属性対策も準備済みだ」

 

 100年の研鑽と準備によって、今のアインズは完全に“モモン”という人間そのものに化けている。顔面の皮膚も肉も、すべて本物。これは、カワウソは勿論、女天使のNPCの力をもってしても、看破することは不可能なものだった。おまけに、イビルアイが使っているのと同じ原理の、アンデッドの気配を遮断する指輪まである。

 問題ないと、ここまで強く主張されては、マルコには抗弁する余地がない。

 

「もう、わかりました。ですが、万が一の時は」

「ああ、わかっている。おまえたちと共に、すぐに避難するさ」

 

 マルコは渋く笑いつつ頭を振った。

 そういうことじゃ、ないんだけどなぁ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「あ、戻ってきた」

 

 漆黒の英雄と楽し気に話し込んでいたマルコが、黙って見つめるままだったカワウソたちに笑みを振り撒く。

 

「申し訳ありません、皆さま。モモンさんとは、少しばかり前にお世話になったことがあったので」

「そうでしたか」

 

 ヴォルやウルヴたちが「なるほど」と頷く。カワウソもまた、なんとはなしに理解を示した。

 モモンは実に爽やかな好青年じみた笑みを浮かべて、改まって挨拶をやり直す。

 

「ええ、では。改めまして、カワウソさん。私の名はモモン、連れの名はエルと言います。どうか(・・・)よろしく(・・・・)

 

 二人は先ほどの続きをやり遂げるように、気軽な雰囲気で握手を交わした。

 ヘズナ家の族長よりもだいぶ力を抑えられた、少し気を使われている印象すら覚える程度の握力に、気安く応じる。

 

「あ、ああ……はい。カワウソと言います」

 

 どうぞ、よろしく。

 

 

 

 

 

 ──二人は、こうして対面を果たした。

 堕天使にはまったく“それ”と気づかれはしなかった初邂逅は、何の変哲もない、まるでサラリーマンの初めての営業じみた簡素な調子で、平穏無事に行われたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




どうしよう。
今話の分量が三万字を超え、四万ぐらいに。
長いのは読むの疲れるから、分割して一話一万字程度で投降した方が読みやすいのではと思われるが、果たしてどうすべきか。絶対分割した方がいい気がするけど。うーん。


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第三章はサブタイトル一字縛りに挑戦中。

今回の容量は13000字ぐらいです。

諸事情によって幽閉されているヴェル・セークの現状から始まります。


/Wyvern Rider …vol.4

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時を少し前に、カワウソたちが起床する前までに遡る。

 

 

 

 直立奇岩の内部は、飛竜騎兵の部族たちが先祖代々より受け継ぎ、他部族や他種族からの侵攻に耐えられるように掘削され、ちょっとした要塞じみた造りになっている。何より、垂直にそそりたつ奇岩は堅牢堅固。一説によると太古の昔に飛竜騎兵の祖たる巫女が行使した超常の力でもって祝福を施したことにより、この奇岩地帯は飛竜に連なる存在でしか掘削や加工、破壊行為を働くことは不可能な硬度を誇っていたとか。

 そんな天然の要害に加え、空を飛ぶことに慣れた飛竜騎兵の部族は、空を飛べる種族や魔法を扱えるものでなければ侵攻不能なため、滅多なことでもない限り、飛竜騎兵以外の(うから)が入り込むことはなかった。時折、傭兵や冒険者に身をやつして諸国に下りた者らによって、その奇岩地帯を鎮護しつつ、互いに相争う歴史を繰り返してきた人間がいることは知らされていた程度の交流しかない。

 

 そんな歴史が積み重なったセーク族の保有する第一要害の奥底、族長邸の最下層最奥部に位置する牢獄の中に、部族伝来の紫色の髪を流した少女──ヴェル・セークは幽閉されていた。

 与えられた普段着の他に、手足にはマジックアイテムではない、鉄の手枷と足枷をひとつずつ施されて。

 部族内で「当代唯一」とされる、強力な“狂戦士(バーサーカー)”を封じるものとしては、かなり粗悪な措置に思われるだろう。狂戦士の増幅されたステータスは、この程度の障害や拘束具は難なく引き千切れることくらい、族長たちには周知の事実。いくらヴェルの狂戦士化が不定期かつ不安定なものであるとしても、万全を期するならばもっと質の良い、魔法などによって全身を拘束しておく方がいいはず。

 だが、実のところこの世界における狂戦士は、魔法によってそういった状態異常(バッドステータス)の影響下に置かれている場合が、かなり危険なのだ。

 たとえば、重篤な「盲目」や「暗黒」、「拘束」の状態は、罹患者に「恐怖」を与え、それが「恐慌」を経て「狂乱」に至れば、狂戦士の能力が発揮される運びとなることを、飛竜騎兵らは口伝筆伝によって知悉している。ヴェルのいる牢獄も、最低限の生活は送れる程度の備え──光を取り込むためだけの窓、机に椅子、ベッドとトイレも完備──が用意されているのは、彼女が族長の妹であることが主に影響しているわけではないのである。

 狂戦士を鎮静化するには、(いたずら)に追い詰めるよりも、安らかな心地で普通に生活させた方がいいことを、彼らは長い歴史の中で学んでいた。

 牢獄に囲い、手枷足枷を施すのは、あくまで対外的に、彼女が拘束監視下に置かれていることを示すための慣習であり、いわば目印でしかない。仮にも、自分たちの奉じる上位存在──魔導国への反逆の嫌疑をかけられた罪人を、自室でくつろがせておくというのは不敬極まるのである。

 

「食事だ」

 

 故に、少女の食事も普段通りのものが取り揃えられている。野菜と豆のスープに、飛竜の干し肉を混ぜたもの。カワウソたちの堪能することになる朝食は、セーク家の中で最高級のもてなしであり、また、それが限界値でもあったわけだ。食事のトレーには他に、見慣れた粉薬と見慣れない丸薬、それぞれが包みに覆われ小皿に盛られている。

 

「……ハラルド」

 

 ヴェルは、食事を運んでくれた幼馴染……ヴェルというセーク族ただ一人の狂戦士を、罪人として拘束していることをこれまでに知らされている数少ない一人たる少年に対して、真っ先に懸念をこぼす。

 

「カワウソさん達は?」

「心配ない。あの方々は今も、客室でお休み中だ。まもなく自分が、朝食の案内に向かう」

「そう。……ラベンダは、どうしてる?」

不貞腐(ふてくさ)れてる。相棒(ヴェル)と離されてるのが余程ご不満らしい」

 

 鉄格子越しに会話する二人。

 ハラルドはヴェルの抹殺任務に一度こそ従事したが、本当は今のように、少女とは明け透けに言葉を交わすほど懇意の間柄。伊達に生まれた時からの幼馴染ではない。

 そんな相手だろうと、ハラルドは容赦なく任務に従った。そういう男なのだ。彼ほどに義に厚く情に深い男も珍しいかもしれない。

 ことがことだけに、今回の一件は部族内でも、ごく限られたものにしか知らされていない。

 ともすれば、何かのはずみで、良くないことが起こるかもしれないから。

 

 ──王陛下を冒瀆(ぼうとく)した大罪人の首を差し出せ。急いで誅戮(ちゅうりく)せねば部族の恥だ。何故、族長たちは手をこまねいているのか。ヴェル・セークの逆心を許すな──

 ……などの悪罵と怨嗟と共に、苛烈な思想に憑かれた同胞たちが、ヴェルを断罪しようと殺到するやもしれない。

 

 だが、ヴェルは魔導王自らが存命を許して、狂乱した原因の究明と解決に努力することを命じられはした。だとしても、魔導王の不興を買うことを望まぬ同胞が、望まぬ形で凶刃を握る可能性がある以上、ヴェルの一件は隠匿された方が、誰にとっても都合がよい。故にこそ、演習での事件は“事故”として一旦処分を留保され、この今の状況を構築した。ともすれば、この族長邸の奥底に位置する幽閉所に隔離され監禁されることこそが、ヴェルの身を護るのに最も適した措置ともいえるだろう。

 

「しかし、驚きだな」

 

 ヴェルは食事の手を止める。

 

「何が?」

あのヴェル(・・・・・)が、外の連中とここまで仲良くなるとはな」

 

 その証拠に、彼女は自分の相棒よりも先に、外の存在であるはずのカワウソたちの方を真っ先に心配する声を発していた。彼女自身、気づかない内に。

 

「カワウソさん……たちは、その、特別だから」

 

 スプーンをくわえてモゴモゴしてしまう。

 ヴェルは、正直なところ、そこまで社交的な性格ではない。そんなヴェルが、外の人間のことをここまで気遣うことは、ハラルドどころかヴェル本人ですらも初めてのことだと認めざるを得ない。彼女は同族の、飛竜騎兵以外には、滅多に心を開くことなく、それは長年領地内に存在するアンデッドに対しても同様だ。ある意味においては、ヴェルという女性には飛竜の性質などと似た部分が多くある。だからこそ、彼女はセークの中でも指折りの飛竜騎兵として洗練されているのかもしれない。

 優秀な姉の陰に隠れて、相棒や飛竜らと戯れてばかりいた為、人見知りな傾向が強い。魔導国の成人年齢に達しているというのに、幼少期から続く性質は是正できておらず、姉には苦労をかけっぱなしだった。

 だから、今回の式典に参陣するメンバーに選ばれた際にも、異議は言えなかった。

 多くの衆人環視にさらされるイベントの一員となるなど、想像しただけで胃が痛くなるほどだが、これを経て、少しは良い方向に成長できればと────そう思った自分は愚かだった。

 よりにもよって、狂戦士の力を振るって、国や皆に多大な迷惑をかけてしまった。

 その結果が、今のこのどうしようもない状況を招いたという見方もできるが、それを気にしても仕方がない。

 かわりに、ヴェルは思う。

 そのような災難の中で出逢った、不思議な彼らのことを。

 

 彼ら──特にカワウソという男に懐いた印象は、これまでどんな人物と相対しても得難いものに満ちていた。

 

 この世のすべてを憎み、恨み、呪い殺すかのような眼の様相は酷く恐ろしいのだが、ふとした時に幼い子供のような調子で軽く笑うところが()い印象を覚える。冗談を笑い飛ばせる教養と柔軟性もあり、尚且つ、頭の回転も早いようだ。少々常識に疎いところも見受けられるが、飛竜騎兵もまた同じような知識量なので、ひょっとすると同じ等級臣民の出身なのやも。

 そして何よりも肝要な事実が、ひとつ。

 

 彼は強い。

 

 飛竜騎兵部族内でも指折りの鍛冶師に鍛えさせた魔法の突撃鎗(ランス)を蹴り曲げる力。数多装備されたマジックアイテムの輝き。それらを駆使しての空中戦闘の冴え。圧倒的数の不利をものともしない、胆力の持ち主。いっそ恐ろしいまでに研ぎ澄まされた、あの閃光。

 それがカワウソという人物に見た実像。

 

「確かに……あの方々はどうかしてる。狂戦士に陥り、アンデッドの追跡隊まで壊滅せしめたヴェルたちを保護し、あまつさえ我々一番騎兵隊を、双方無傷で完封し果せるなど……かの御仁(ごじん)は、元・一等冒険者か何かなのだろうか? あの若さで……いや、若いのだろうか?」

 

 ハラルドが疑問するのも無理はない。

 魔導国には寿命のない異形種も、国民として蔓延している今現在。見た目の若さや印象だけで、相手のすべてを推し量ることは不可能だった。アンデッドは死なず、悪魔や吸血鬼は老いず、他にも様々な異形が、それまでの垣根を乗り越えて、人間や亜人と共に、ひとつの王の威光にひれ伏している。

 

「──いずれにせよ。彼らが協力してくれるとなれば、原因究明も(はかど)るはず。そうすれば、きっと」

「うん。ありがとう、ハラルド」

 

 彼が自分を案じてくれていることを、ヴェルは誇りに思う。伊達に幼馴染を二十年も続けたわけではないのだ。

 

「でも、ハラルド。一等冒険者は、さすがにないと思うよ? 一等の方は、モモン様とその従者様以外では引退なんてされてないし。可能性は低いんじゃ?」

「そうかな? 先代、先々代は神聖なる“ナザリック”内にて隠居されているともっぱらの噂だが、ひそかに今も、国の安寧のために働いているとの風聞もあるし」

「うーん、そうだねぇ……」

 

 意外と、領地外の事情に通暁しているハラルドだが、これは無理もない。彼は『漆黒の英雄譚』に代表される英雄たちの物語に憧れ、彼ら英雄を真似て鍛錬と修練に励んだ結果、戦士としての才能をめきめきと開花させた男だ。国内の冒険者事情については領地内の国立図書館へ足繫く通って入手するほどで、まさか、それが高じて一番騎兵隊隊長にまで抜擢されることになろうとは。

 一等冒険者は、魔導国においてひとつだけである。

 彼らは魔導王陛下肝いりのチームである上に、他の冒険者としての任務と並行して、何やら「密命を帯びている」という噂もあるが、真偽は不明だ。終身栄誉階級じみた一等冒険者(ナナイロコウ)の次の階梯──アポイタカラ級の二等冒険者チームはそこまで多くはないが、少なくとも二桁のチームが常に存在している。中には諸般の事情によって引退する者なども少なくはなく、そういった存在は一都市に定住すべく転職するか、あるいは後進育成のために私塾を開くことが大半と聞く。可能性としては、二等の方がありえそうな気もする。

 

「あるいは、本当に──魔導王陛下の親衛隊か」

 

 ハラルドのつぶやきに、ヴェルは首を振った。

 だとしたら、カワウソたちがあんな行為をするわけもないし、あの森の会話も意味不明になる。

 無駄口を叩いて、彼らの立場を危ぶませるわけにもいかない。いくら幼馴染のハラルドとはいえ、彼らのことは──彼らこそがアンデッドの追跡隊を葬り去った犯人であることは──秘しておくべきだと了解している。

 カワウソとミカは、ヴェル・セークの恩人に、相違ないのだから。

 

「そういえば、ハラルド」

「どうした?」

 

 スープを一滴残らず平らげたヴェルは、話題を転換するように、小皿に盛られた二種類の薬剤を持ちあげる。

 正確には、見慣れない丸薬の方を。

 

「この薬は? いつも飲んでいる粉薬(やつ)とは違うけど?」

「ああ。……状態異常鎮静用の丸薬だと。また「狂気」に陥り狂戦士化されたら、事だから。食後すぐに服用するようにと、族長から」

 

 姉からの指図となれば、ヴェルには否も応もない。

 10年前の戦役で父母を亡くし、以来ずっと、姉が親代わりとなって、ヴェルを育てあげてくれた。

 二種類の薬を口に含み、水と共に流し込む。食事の皿を下げる幼馴染に礼を言って、その背中を見送った。

 ひとりで残されたヴェルは、明かり取りの窓を見上げる。

 はるか彼方、大地の裂け目のような明かり取りから零れる陽の光に、ヴェルは吸い寄せられるように目を細めた。

 

「……ごめんなさい、皆さん。巻き込んでしまって」

 

 一心に祈る。

 敬虔な信徒のごとく両膝を折り、腕を胸の前に交差して、頭を少しさげる礼拝の姿。

 死んだ父母に、セーク族の太祖に、飛竜の霊たちに対して、ヴェルは願うしかない。

 自分を救ってくれた黒い男を、その従者たる女騎士を、相棒を二度も癒してくれた修道女を、

 どうか、お守りください。

 

 狂い戦う士などとは程遠い情念だけが、その朝の光の中に、満ちていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時を今に戻る。

 

 

 

 バハルス領域の、ほぼ南西。

 珪質岩の巨大な奇岩地帯、幾多もの岩の柱が垂直に、奇跡的なバランスで(そび)えている光景が、見るものを圧倒する。そんな幻想世界の片隅に、秘密部屋と称される洞窟の奥深くに、彼等は集い、一卓を囲む。

 堕天使のプレイヤー、カワウソ。

 その護衛として侍るNPC、ミカ。

 この世界の放浪者、マルコ・チャン。

 飛竜騎兵の二大部族を任される両部族の長、ヴォル・セークと、ウルヴ・ヘズナ。

 ヘズナの族長が急遽雇い入れた一等冒険者、モモンと、黒髪の童女エル。

 護衛役のハラルドたちは自分たちの役割として、自分達の長であるヴォルの傍で待機する直立不動の姿勢を取る。

 

「あの……ダークウォリアーさん」

「なんでしょうか、カワウソさん?」

 

 カワウソは真向かいに座す男性に、ひとつ確認したいことがあった。

 

「その、首から下げているプレート……見せてもらっても構いませんか?」

 

 まるで営業マンが天気の話をするような平坦な調子で提案してみた。

 モモンは快く応じ、うなじに手を回して白銀の飾り紐を外してみせる。

 

「カ、カワウソ殿!」

 

 途端、ハラルドから叱責にも似た声が僅かに零れるが、この確認はカワウソにとっては重大な意味を持つ。

 七色鉱、セレスティアル・ウラニウムという、超希少金属。

 その金属が市場に出回る前に、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンが鉱山を独占して価格が高騰していたことはあまりにも有名だ。彼等から鉱山を奪取すべく、さらに有名な世界級(ワールド)アイテム”永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”が使われたとも言われている。

 モモンが首から下げたそれは、傍目には確かに七色鉱独特の質感と色彩を露にしており、並みの金属でないことは見るからに明らか。だが、騙りの類でないという証明にはならない。あるいは、よく似た金属をぶら下げただけの偽物が、ヘズナの族長をたぶらかしている可能性もあるはず。

 そんな疑念など無意味と言いたげに、彼が快く差し出してくれたプレートを受け取る。

 これが、この世界に存在する、冒険者の証。

 堕天使の浅黒い肌色を焦がさんばかりに眩しい金属の独特の光沢は、カワウソも市場で見かけた超希少金属のそれに他ならない。残念ながら触覚については良く知らない上(ゲーム時代の触覚は、今の現実ほどに精巧でもなかった)、探査系統のアイテムを消費するのは躊躇(ためら)われたのは、どうしようもない。本人を前にしてそこまでするというのは常識的にアレだったし、変な目で見られるのは今後の活動に支障も出るだろう。ふと裏面を見れば、何か文字が彫られているのに気がついた。

 

「モモン・ザ・ダークウォリアーと刻印されています。本物ですよ」

 

 隣にいたマルコが覗き込みつつ、確認の声をあげてくれて助かった。おまけに、ハラルドや女騎兵らが、ソファの背もたれ越しに、もの珍し気な様子で一等冒険者のプレートに食い入るような視線を注ぎこんでもいる。彼等も一様に、プレートの真贋について本物だと宣言してくれた。まるで憧れのトップアイドルを眺める子供のような無邪気さを伴って「すごい」とか「はじめて見た」とか。

 自分たちの族長から(たしな)められるような微苦笑を向けられて、ようやく引き下がっていく飛竜騎兵らに、モモンは愉快痛快な面で朗らかに笑う。

 

「どこへ行っても、皆さん同じような反応をされるので、プレートをお見せするくらいのことは慣れたものですよ」

 

 何より、依頼を引き受ける場などでは、プレートの携行と掲示は必須条件ですので──そう彼は教えてくれる。なるほど、冒険者にとってこのプレートは、身分証明書と同義に扱われるのだなと納得しつつ、カワウソは超希少金属の板切れをモモンの掌に返却する。義務的な確認作業を終えて、カワウソは常識的な感謝を紡いでおく。

 

「ありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ」

 

 確認を終え、応接セットのソファーテーブルに、一同は改めて腰かけた。

 一人用のソファに腰掛けるセークとヘズナの族長が対面に、カワウソとミカとマルコ、モモンたち“黒白(こくびゃく)”が対面という具合で長椅子に座り、そこへ全員分の茶が用意される。

 

「ありがとう、ヴェスト」

「ありがとうございます」

 

 ヴェストという名で呼ばれ、族長に笑みを送られる彼を眺める。茶を用意されて、普通の社交辞令的に会釈しつつ感謝するカワウソにまで、そのまっすぐな腰を折る老人は、昨夜カワウソらと戦った老兵(ロートル)に相違ない。彼はこの秘密部屋に通された使者たち──ヘズナ家当主と、彼の雇った冒険者二名の世話を仰せつかっていたようだ。執事然とした淀みない所作だが、彼の着るものは飛竜騎兵独特の簡素な、竜の鱗にも似た枯草色の衣服に過ぎない。

 見ようによってはヴォルたち姉妹の祖父などとも見受けられるほどに親しみ深い両者であるが、あくまで主君と従者の関係に過ぎず、血の繋がりなどもないそうだ。

 続いて、彼は手中の急須を傾けて、別の客人らにも茶を振る舞う。

 

「ありがとうございます」

「勿体ないお言葉です」

 

 ヘズナとモモンが紡ぐ感謝にも、老人は礼儀正しく返礼を送る。

 ただ、主人であるヴォルに向けるよりも言葉には影がおりており、セークと対をなすヘズナに対する何かしらの思いが、ほんのわずかに感じ取れた。無論、昨夜戦闘したばかりのカワウソたちにも、その傾向は露になっていたが、そこまで気になるほどの敵意ではない。

 改めて()れられた飲み物に舌鼓を打つヘズナ家の彼等と同様に、カワウソも「いただきます」と呟きつつ食後のティータイムのごとく深緑色の茶が注がれた湯呑を口元に運ぶ。「南方より取り寄せた特級茶葉でございます」とか何とかの説明を小耳にはさんだ。苦味と甘みが共存する中で、青い香りが奇跡的な調和をもって際立っている。美味い。

 南方産の茶の味に密かに驚嘆しつつ、カワウソは協議を始めるべく声を発した女族長を見る。

 

「では、これより協議を開始します。協議の内容は、既にご存知でしょうが──我が妹ヴェル・セークの、暴走原因の究明についてです」

 

 粛々と紡がれる女族長の声に、いきなり待ったをかける低い声が。

 

「その前にひとつ、確認させてほしい。セーク族長」

「いかがされました。……ヘズナ族長」

 

 二人は鋭く視線を交錯させる。

 まるで決闘を挑む剣士が如き冷たい瞬間は、男の硬い笑みに、即やわらぐ。

 

「ヴェルの……そちらの狂戦士(バーサーカー)の暴走についてなのだが、我々はその現場を見ていない。現場を見ていない状況では、いくら我々でも、原因の究明には役に立てそうにないが?」

 

 ウルヴは、カワウソたちと同じ正論を吐いた。ヴォルは応じるように首肯する。

 

「ハラルド」

「はひ!」

 

 素っ頓狂極まる声で、ここまで追随してきたハラルドが応じた。

 彼は何故なのか、全身がちがちに震えて、両手に抱え慎重に運んでいたボール状のアイテム──軍部の映像記録投影機──を、全員の中心となる卓の上に置いた。思わず、フーと長い息を吐く彼の情けなくも見える姿を、その場に座る全員が注視する。

 

「あの、大丈夫ですか?」

「も、もん、問題ありません! モ、ダ、ダークウォリアー様!」

 

 何やら肩が四角く強張っていると判るくらい緊張しっぱなしの少年だが、他のセークの連中は訳知り顔で微笑むばかりだ。元の位置に戻り、とにかく冷静になろうと背筋をまっすぐに伸ばして硬直する少年隊長。──もしかしてハラルドは、モモンたちのファンだったりするのだろうか。

 何はともあれ。今は他にすべきことがある。

 アイテムが起動すると、先ほどの朝食の席でカワウソたちが見せられたものと同じ動画が映写される。初見のヘズナたち三人は真剣に、二度目のカワウソたちはさらに吟味を重ねるために、食い入るようにヴェル・セークたちの墜落の軌跡を、狂戦士の暴走っぷりを、視野の中に刻み込んでいく。

 

「なるほど、確かに。これは狂戦士の暴走だ」

 

 訳知り顔で呟き、頷きを繰り返すヘズナ家の族長。

 モモンたちも動揺するでなく、しきりに頷いた後で、己の雇い主に意見を求める。

 

「ヘズナ族長……ウルヴさん。“狂戦士”は、飛竜騎兵の中で、ごく稀に生まれる存在と聞きましたが?」

「その通りです……アー──モモンさん」

「ならば、どのようにして狂戦士が狂戦士としての力を発現するのか、どのようなプロセスを経ているのでしょうか? ランダムに発現するものなのか、あるいは、ある程度の法則や理論は存在するのでしょうか?」

「それは、難しい質問ですね。そのあたりの話については、長老たちの方が適任やも知れません」

「そうですか」

「ただ、私が知っている限り、飛竜騎兵部族の代表たる族長家──その血に連なる一族の中での発生例が多いことは、確かです。実際、ヴェル・セークはセーク族長家の次女、現族長であるヴォル・セークの実妹なのですから」

 

 ヘズナの族長はそう述べる。

 飛竜騎兵の中に生じる狂戦士。ユグドラシルにおいては大量の竜の血というアイテムを必要としたはずのレア職業について、認識を共有する。一等冒険者といえども未知なる情報を整理する為か、その口調はかなり事務的に響いていた。まるでこの場にいる者に語り聞かせるような印象さえ、ほんのかすか含まれている気がする。

 曰く、狂戦士は飛竜を喰う風習に生きる、この地域固有の存在。

 飛竜を食べる──その条件について、カワウソはふと、ある思いを巡らせた。

 

「そういえば、魔法都市で俺はドラゴンステーキを食べたんだが、あれは……狂戦士の発生要因にはならないのか?」

 

 飛竜の血肉を転職アイテムの代替と考えるならば、都市で流通するドラゴンのステーキ肉なども、十分に必要条件を満たすのではあるまいかという、そんな疑問だった。

 しかし、ヴォルやウルヴたちは目を丸くして首を傾げるばかりで、何も言ってくれない。

 何か変なことを言ったのだろうかと、カワウソは若干身構えてしまう。

 そんな堕天使の問いかけに、意外な人物が口を開いた。

 

「確かに。魔導国でドラゴンステーキが流通して、すでに数十年の月日が経っておりますが、各地で狂戦士が発生したという話は、聞きませんね」

 

 すっかり普段通りの利発な調子を取り戻した修道女、マルコが快活な笑みでそう補足する。

 

「でも、あれだろ? 狂戦士が飛竜を喰らうことで狂戦士になりえるなら、飛竜以上のドラゴンの血肉を摂取すれば、条件は満たされるんじゃ?」

 

 無論、ユグドラシルではただのドラゴンステーキを転職アイテムに使用できるといった話はない。

 狂戦士の転職には、高位の古竜(ハイ・エンシャント)級のドラゴンからドロップされるアイテムを大量に集め、それをもって転職が可能だった。ドラゴンステーキをたらふく喰ったところで、狂戦士などのレアになることは、通常ならありえない。

 だが、この異世界で、実際に狂戦士としての力を発現できるものがいるという現実。

 しかも、転職には通常使用できない雑魚モンスターを喰う部族たちの中で。

 飛竜(ワイバーン)は比較的小柄で、ユグドラシルのゲームに存在する竜の種族だと、比較的弱い部類に位置する。飛竜よりも強く大きな体躯を持つドラゴンに騎乗できる騎乗兵(ライダー)は、竜騎兵(ドラゴンライダー)としてのレベルを獲得するという感じだったのだ。平均してLv.70前後の騎乗兵プレイヤーは、他にも神獣だの幻獣だのを召喚使役できるようになり、はては巨大船舶を操船する船長(キャプテン)や、航空戦闘機を操る操縦士(パイロット)にまでなりえたのだ。「ヴァルキュリアの失墜」という大規模アップデートによって、そういった近代兵器・機械装置の類もユグドラシルでは蔓延し、それまでの完全ファンタジーだった世界観に新たな要素がふんだんに盛り込まれ、多くのプレイヤーを愉しませてくれたものだが……いずれにしても、今や昔の話である。

 

「ええと。それは……」

 

 さすがにそこまでの知識のなかったのだろう、マルコが言葉に詰まる。

 カワウソとしては何の気なしに呟いた疑問にまで真摯に対応しようとする彼女には好感しか覚えないが、

 

「すいません。今度、調べてみますね」

「いや、そこまでする必要はないから」

 

 生真面目に謝罪する女性に、こちらの方が申し訳ない思いを懐く。気にするなと言ってやるしか他に処方がない。

 微妙な空気を換えるように、一等冒険者が少しばかり大きめの咳ばらいをしてくれる。

 

「ああ……セーク族の狂戦士は、ヴェル・セークさんのみというお話でしたが、であれば、ヘズナ族に現存する狂戦士というのは」

「無論、おります」

 

 モモンとウルヴの会話に、カワウソは耳をそばだてた。

 

「他にもいるのか? 狂戦士が?」

 

 思わず口を挟むように問い質してしまうが、彼らは気を悪くしたわけでもなく、にこやかに事実を宣言する。

 

「ええ。今まさに、あなたの目の前にいますよ」

「──目の前?」

 

 今、カワウソが見ているのは、モモンたちと、ヘズナの族長。

 言われたことを遅れて理解したカワウソは、それでも、確認を求めるほかにやりようがない。

 

「え、ちょ……ひょっとして」

 

 まるで狡猾な狼のような鋭い笑みが、剣を突きつけるように差し向けられる。

 

「別に、おかしいことではありません。族長家の娘であるヴェル・セークが狂戦士であるように、ヘズナ家の族長家にも、狂戦士たりえる因子は、脈々と受け継がれておりました」

 

 飛竜騎兵の中で生まれる……子々孫々に渡り飛竜と過ごし、飛竜の血肉を喰らう文化の中に生きる異世界の住人である彼等だからこそ、竜の血肉を必要とする“狂戦士”になりえるという仮説。それに従うのであれば、勿論、ヘズナ家の者にも狂戦士が生まれるのは道理だ。

 

「この私、ウルヴ・ヘズナが、当代において現存する、ヘズナ家の狂戦士(バーサーカー)となっております」

 

 カワウソは目を数回も瞬かせた。

 

「アンタも──ああ失礼、あなたも狂戦士、だと?」

 

 しっかりと頷いてみせるウルヴ。

 他の飛竜騎兵であるセーク族の四人にも視線を巡らせると、全員が疑義を懐くことなく、半ば常識として認知している風に頷くのみだ。ヘズナ族長が狂戦士であることは、部族という壁を越えて有名なのかもしれない。

 だが、だとすると昨夜のハラルドたちとの会話で、おかしかったことがある。

 

「証拠を御覧に入れたいところですが、ここには我が一族の治癒者がいないので、一度狂乱化しては対応にも困るところ……ですが」

 

 カワウソの疑問と黙考に気づくわけもなく、ウルヴはあっけらかんとした口調で、この場での部外者である三人──放浪者のマルコや、ヴェルを保護したカワウソとミカに、狂戦士の証を立てようと欲した。

 

「モモン殿。エル殿。暴走した私の抑止と回復を、お頼みしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、勿論」

 

 頷いた一等冒険者たちの意気込みは、軽い。

 ハラルドたちが快哉に近い驚愕を覚えて息を漏らす。

 一等冒険者チーム“黒白(こくびゃく)”は、まるで予定調和か何かのように、自分たちの雇用主が目の前で“暴走する”という試みを受け入れてしまっている。

 

「……大丈夫なのか?」

「問題ありません」自称狂戦士の族長、ウルヴは気安く頷いた。「この”秘密部屋”は、防音防諜対策が念入りな上、かなり頑丈な造りですからね」

 

 いや、そういうことじゃなくて、暴走なんて状態異常を自ら発生させて大丈夫なのだろうか?

 というか、なんでウルヴはそんなことを──セーク族の邸の秘密部屋の事情を知っているのかも疑問なのだが……アレかな、ヘズナ族も、この秘密部屋を使ったことがあるのだろう。これまで様々な権謀が何とかとも言っていたし。

 あと、いくら一等冒険者といっても、この世界の存在に、狂戦士の暴走を食い止められるのか?

 ハラルドたちすらも、カワウソと同じ類の懸念に囚われ、自分たちの女族長に異議を申し立てようとするが、ヴォルはそれらを悉く払い除けた。「心配ない」と言ってのける。自分たちの目の前で、仲の悪いはずの部族の長が狂戦士になるのを見過ごせと言うのは、いったいどういう理屈なのか。

 

「では、少し離れていてください」

 

 言って、立ち上がった彼はほとんど一足飛びで、通常の人間の脚力と瞬発力では不可能な距離を跳躍する。ヘズナゆかりの重厚な鎧を着込んだ肉体とは思えない動作だ。立ち上がったその場から、足の力だけで、走り幅跳び並の軌跡を躍動し、空中で身体をひねりこむなど、常人では決してありえない身体能力である。だというのに、誰も驚いていない。この世界だと、あれが普通の身体能力というわけではないだろうが、別に不思議でも何でもないようだ。ウルヴ・ヘズナとは、それほどに有名な存在なのか。

 

「…………」

 

 しばしの沈黙。立ち上がり席を離れた全員が、食い入るように、彼の動静を見つめる。

 ウルヴの乗騎にして相棒の巨大飛竜が、確認するように鎌首を持ちあげ、僅かに頭を下げた。どうにも、相棒に対して頷いたようだ。

 深く息を整えるヘズナの族長が、その瞳を静かに閉じて……

 

 いっぱいに見開かれた両眼から、狂気的な焔がこぼれる。

 

 映像で確認した、ヴェルとまったく同じ現象。

 人間の瞳に、燃え上がる篝火のごとく灯り揺れる、狂乱の相。間違いなく、あれは「狂戦士化」のエフェクトだ。男の食いしばった歯の隙間から、金属がこすれるのにも似た音色がギリギリ響く。

 

「コ……レ、ガ……」

 

 驚くべきことに、彼の方から人の声と判別できる音が聞こえてきた。

 

「これ……ガ、──(バー)戦士(サーカー)、ノ、チカら……飛竜、騎、中で……限ら、レタ、者ガ、ガぁギ、が、ガァア!」

 

 瞬間。

 音が爆ぜた。

 そう認めるしかないほどの絶叫が、広い洞窟内に乱反射し、内部にいるすべての鼓膜を突き破らんばかりの、暴力の風と化す。

 理性的な音色は瞬く間に消滅し、意味消失した耳障り極まる野獣の吠え上げる蛮声が轟いた。秘密部屋は内部の会話や音を外に漏らさぬように魔法的な処置が施されていて、この絶叫で外にいる存在に危害を及ぼしたり、存在を認知されたりすることはない。だが、それは裏を返せば、音が逃げ場もなく反響を続け、増幅と蹂躙が繰り返されるということを意味する。

 実際、ハラルドをはじめとしたセークの騎兵たちは耳を塞いで耐えるしかない姿勢をとっており、カワウソもいきなりの珍事に反射的に片耳を手で覆うしかなかったが、絶叫(シャウト)系のダメージというわけではない。この行為はただの生態反射だ。その証拠に、ミカも涼しい顔で、狂戦士の動向を眺める作業を続けている。ダメージは受けていない。

 そして、

 

「ガアッ!」

 

 吠え声が、女天使同様に涼しい顔でいる女族長に向かい、跳躍。

 猛り狂う獣。情け容赦のない荒ぶる戦士の狂乱に、たおやかな女の肢体が数瞬後、確実に蹂躙されんとするだろう暴挙の波濤。

 いきなりの事態に、カワウソは反射的に自分の剣を取ろうと空間に右手を沈めそうになって──

 

「ご心配なく」

 

 紡ぐ声は、ヘズナ族長と相対する、セーク族長の静かな調べ。

 瞬時。

 狂気に陥る戦士が、一瞬にして目標との間に割り込んだ漆黒の英雄(ダークウォリアー)と両手で組合い、僅かにモモンの上体を仰け反らせようとしている。両者の拮抗状態は、そう長くは続きそうになかった。

 その背後。

 

「お鎮まり下さい」

 

 モモンの従者である黒髪の童女が、状態異常治癒効果が付与されていたらしい治癒薬の蓋を開け、ウルヴの頭部から全身に浴びせかけていた。狂戦士を羽交い絞めにするような格好で行われたそれは、幼い子供の腕力脚力とは思えない、一瞬の手並み。いくら同じチームを組んでいる壮年と童女とはいえ、その連携は見事と言ってよい。カワウソが驚嘆するほどの速度や力量ではなかったが、事態を静観するに任せていたハラルドたち護衛役は、呆然と感心の吐息をこぼしてしまう。

 見る内に、ウルヴの「狂気」は鎮静化され、巨躯の男は平静を取り戻していく。

 狂戦士のエフェクトも、もはや完全に消滅した。

 

「ありがとう、ございます……お二人とも」

 

 深く息をついて、ヘズナの狂戦士はその場の全員に詫びる。

 

「すいません。ですが、カワウソさんなどの御三方には、しっかりと、認識しておいてもらった方が良いと思いまして」

「いや……」

 

 呟くカワウソは、逆に感謝すら覚えた。

 この世界の狂戦士というものを、生の目で確認できる機会に恵まれたのだ。

 

 これが、狂戦士(バーサーカー)

 この世界に存在する、本物の狂戦士。

 

「それでは、改めて。協議を、続けましょう」

 

 完全に平常の相を取り戻したウルヴに促され、全員が再び卓を囲み、ソファに身体を預ける。

 

「あの……ひとつ、いいか?」

「なんでしょう、カワウソさん?」

 

 気安く応じる族長に、カワウソは簡潔な問いかけを敢行する。

 

「ヘズナ家の族長が、ウルヴ・ヘズナが狂戦士(バーサーカー)っていう情報は、どれほどの人が知っているんだ?」

 

 何故そんなことを聞くのか不思議そうに、男は笑みを浮かべる。

 

「おそらく、現存する飛竜騎兵の全員が知っておりますね」

 

 あっけなく言われた内容に、カワウソは疑念を深めるが、口にはのぼらせない。

 一回うなずいて、あとは協議に耳を傾ける作業に戻るままだった。

 カワウソは、協議されるヴェルの暴走について考えると同時に、ある疑惑が浮かんでいたのだ。

 

 昨夜の会話で得た情報。

 

『100年をかけて、飛竜騎兵の中で、狂戦士(バーサーカー)に対する尊敬と崇拝の念──信仰は低減されていった』

 

 ハラルドやヴェルたちとの話で聞いていた、狂戦士に関する脳内のメモ。

 

『だから、部族内でもヴェルが狂戦士である事実を知っている者は、それほど多くはない』

 

 疑問。

 ウルヴ・ヘズナは、狂戦士として認知されているという事実に対し、

 何故、ヴェル・セークは狂戦士としてあまり認知されていないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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容量は前回と同様、13000字ぐらいです。

モモン、もとい、アインズ様のターン。



/Wyvern Rider …vol.5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狂戦士の実演を終え、ソファに戻る直前。

 

 協議に参加する一等冒険者モモン──アインズ・ウール・ゴウンは、実に新鮮な心持ちで、目の前に存在するプレイヤーと相対しつつ、本当の人の表情がはりついた面が、微笑みに優しく緩んでしまうのをおさえるのに苦労していた。

 人間の表情は変わりやすい。アンデッドのくせに微妙ながらも精神的な昂揚感を覚えるという変わった特性を持つアインズは、受肉中は並の人間よりも冷静に物事を見極める程度の精神性を確保しているだけで、割と普通の人間と同じ感性で表情が変化してしまう。かつてのように兜で顔面を覆えばいいとも思われるが、「当代」におけるモモン・ザ・ダークウォリアーの姿(スタイル)がこの形状であるため、安易に兜で顔を覆うわけにもいかなかった。

 ずっと昔に、ある女性冒険者グループによってナザリックにもたらされた未知の果実“アンデッドを受肉化するアイテム”の研究は存分に進められ、ナザリック内で品種改良を施され、ある程度はアインズにとって利便性に富んだ受肉アイテムに変貌してくれているが、やはり精神は肉体に引っ張られるものなのか、随分と感情が豊かになってしまう傾向にある。品種改良のおかげで、魔法発動不可などの致命的な弱点は改善されるに至っているが、やはりいろいろと面倒が多い感じだ。

 

「──モモンさん」

「心配ない、エル」

 

 密かに心配げな声をかけてくれる童女に、モモンあらためアインズは、小さく頷いて応える。

 両手を握り込んで、動作に異常がないことを確認する。

 狂戦士の単純な力。

 知ってはいたが、やはりすさまじい。

 かつてアインズは、Lv.33程度の腕力を頼みに、アダマンタイト級冒険者──英雄モモンとして数々の戦場を疾駆したものだが、当時はこの地域の存在の強さは、戦士のフリをした魔法詠唱者(マジックキャスター)に最高位の冒険者の証を授けたほどに、脆かった。

 しかし飛竜騎兵は──少なくとも斜め前の席に座す依頼者の族長は──違う。

 あと少しでも抑止が遅れていたら、漆黒の戦士は、単純な力によって押し切られていたかもしれない。アインズはそれなりの価値の装備に身を固めている上、常時発動型(パッシブ)特殊技術(スキル)を使っているので無傷に済むのは間違いないが、力比べで負けかけるほどの膂力を、かの狂戦士は発揮してみせた事実は覆らない。

 

「おまえの治癒薬(ポーション)(ウルヴ)の回復に間に合ったおかげで、私は怪我ひとつ負っていない。

 ありがとう」

 

 言って、普段するように、小さな黒髪の童女の頭を、籠手に覆われた掌で優しく撫でまわす。

 母のそれと似た怜悧な眼を閉じて、されるがままになる孫娘は、恐縮したように頷くのみ。

 アインズはとりあえず、自分の計画通りに事が推移していることを確かめる。

 

 昨夜。

 魔導王の権力(コネ)をフル活用して、セークと相対するヘズナの族長に接触。ヘズナ家からの使者として、セーク族長の要請に応じるために今、この協議の場へと至ったわけだ。ごく自然な流れで。

 

 モモン姿のアインズは、カワウソと名乗る黒い男──日に焼かれたような肌と世界を呪うような暗い眼の様子が特徴の異形種・堕天使のユグドラシルプレイヤーを視界に納めつつ、その”装備”に着目していた。

 浅黒い肌色をさらす両手の指先には、アインズと同じ色とりどりの九つの指輪。細く引き締まった両腕は簡素な腕輪しか装備されていない。肩部分を僅かに覆う盾のような防具に、脇などの隙間からは銀一色の鎖帷子(チャインシャツ)の輝き。鮮やかに翻る血色の外衣(マント)。両脚には、鋭利な装飾と造形が施された漆黒の足甲を太腿(ふともも)にまで纏い、腰には鎖や帯が巻かれている。

 

 そして、異彩を放つのは、あの鎧。

 一目見た感じだと、ただの黒い鎧だと思われるが、足甲並みに黒く輝く金属はあまりにも禍々(まがまが)しい印象を覚える作り込みがなされている。肩と背に巻かれる外衣(マント)に隠れた背中部分はよく見えないのだが、まるで悪魔の指先を彷彿(ほうふつ)とさせる歪な五本指にとらえられ、装備者のカワウソの胸や腹を背後から圧搾しているような形状に整えられていたのだ。一体、どのような意図があって作られた防具なのか気にかかる。

 

 さらに、もっとも異質かつ興味を惹かれたのが、堕天使にはありえないはずの──頭上の輪。

 無論、アレは天使の輪ではない。

 あんな(おぞ)ましい色艶を帯びて、回転と明滅をゆっくりと、心臓の鼓動の如く確実に続ける円環が──人の血と臓物より紡がれ生成されし赤黒い糸で編みこまれたような、呪詛の結晶のごとき装備物が──正常かつ清浄な天使種族のエフェクトであるはずがない。魔導国の存在にとって、もはやマジックアイテムはそこまで珍しいものではないので、飛竜騎兵たちや都市の住人などは「変わった装備をしているな」程度の認識しか受けないだろうが、同じプレイヤーのアインズは、まったく異なる印象を覚えてならない。

 

 堕天使は、天使の輪とは無縁の存在。彼の外装は見れば見るほど、かつてユグドラシルで街の道すがら遭遇した堕天使プレイヤーの狂相に酷似しすぎていながら、明らかな差異が顕著に現れている。

 彼もユグドラシルのプレイヤーであるならば、あの装備品の中に神器級(ゴッズ)アイテムが存在していてもおかしくはない。今は装備していない剣などの詳細も知りたいところだ。

 しかし、腕輪や鎖、腰帯(ベルト)などは既製品の、明らかに神器級(ゴッズ)には届かない、ユグドラシルで流通していたよくあるアイテムであるように見えるところから考えるに、彼はそれほど強力なプレイヤーではないのかも…………否。否だ。決めつけはよくない。

 かつてのアインズも、漆黒の英雄に(ふん)していた時代、意図して比較的劣悪な装備である漆黒の全身鎧を着込んでいたことを考えれば、彼の今ある姿が全力装備であると確定するのは、些か早計だろう。彼も外の世界を警戒し、奪われるのを忌避して、わざと装備のランクを落としている可能性もありえるはず。

 何よりも、一番の懸念は、あの中にアインズの保有する最大最上のアイテムと同じもの──世界級(ワールド)アイテムがあるやもという可能性。

 

 そうして、アインズが注視する中で、

 

「ヘズナ家の族長が、ウルヴ・ヘズナが狂戦士(バーサーカー)っていう情報は、どれほどの人が知っているんだ?」

「おそらく、現存する飛竜騎兵の全員が知っておりますね」

 

 カワウソは狂戦士の情報を共有すべく、率先して声を発していた。

 協議に参列するセーク族長の席の背後に、若い部隊長が一人、女騎兵二人、老騎兵が一人並んで、ことの推移を見守っている。カワウソの隣に座すミカは冷淡に、カワウソたちの論議を見守る姿勢に徹していた。逆に、彼らと共に行動していた「“放浪者”役」のマルコは、温和な笑みを浮かべて席に着いたままである。

 アインズは思い出す。

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の部族、その中に生まれる狂戦士というのはそれほど多くはない。魔導王であるアインズが彼等を統治し君臨してきた100年の間に、今代の二人──ヴェル・セークとウルヴ・ヘズナを含めても、五人しか存在しない。他の三人はいずれも三十年に一人のペースでしか現れておらず、いずれの個体もすでに死亡済み。二つの部族で同時代同世代に狂戦士が生じるのは珍しい方だと聞く。

 そのため、アインズ自身も、この世界における狂戦士(バーサーカー)の情報は乏しい。

 

 狂戦士は自らの肉体ステータスを一部爆発的に増強する代わりに、終わりのない「狂気」と共に戦うしかない存在。そんな彼らの個体発生メカニズム、スキル発動条件、ユグドラシル由来のアイテムでの狂戦士創出の可否などは、謎が多いままだ。しかし、魔導国臣民である彼等を、何の罪科もなく実験生物的に研究し解剖するようなことはしなかった。実験しようにも絶対数が少なすぎて、使い潰すような真似をするのは不可能だった以上に、無意味でしかなかったのも影響している。実験というのは、数多存在するサンプルがあって初めて比較検討に値するもの。ならば、この世界の狂戦士は、なるべく丁重に扱い、可能なら徐々に増やしていければ御の字という具合だった。

 それほどに稀少(レア)な存在だからこそ、ヴェルの処遇は一時留保としたアルベドやデミウルゴスたちの采配には、心から同意できた。

 何より、今は“とある事情”で、セークとヘズナの間に()らぬ“わだかまり”が生じるのは避けたい時期でもある。だからこそ、式典にセークの精鋭騎兵らを召喚し、セークの一族が過去に犯した行為に対する「贖罪(しょくざい)」の場を設けさせ、両部族の確執をなくそうと試みたのだ。

 

 にも関わらず、式典の演習で、よりにもよって族長家に連なる狂戦士、ヴェル・セークが暴走。

 待機命令を受諾中の雑魚骸骨(スケルトン)の集団を半壊させてしまったという、この事実。

 当然、疑わしきはセーク家の人間たちだ。

 それを了解している“対”の部族──ヘズナの長が、対面に座る女族長に水を向ける。

 

「セーク族長。率直な話、君らはどう見ている?」

「……どう、とは?」

「君たちの中で、今回の式典に混乱を呼び込もうとする不逞の輩がいる可能性は?」

 

 それは聞き捨てならぬと、ヴォルの護衛として付いてきていた騎兵たちが気を吐くが、族長から諫められ制止されては、いかんともしがたい。

 黙考するように、彼等のやりとりへ耳を傾けるカワウソと共に、門外漢同然の立場であるモモンことアインズも、二人の族長らが中心となる議論を、ただ見守る。

 

「ありえない──とは、言いきれないでしょうね。時期的に(・・・・)

「では、たとえば。ヴェル本人が、意図的に狂戦士化を起こした可能性は?」

「本人は否定しております」

「だが、証拠はない」

 

 長方形の卓上で、族長らの応酬が続く。

 ヴェルは事件当時のことを「覚えていない」という主張を繰り返している。

 だが、実際の記録映像には、彼女の狂乱と暴力が克明に映し出されていたことを考えると、ただの見苦しい言い訳以下の戯言(ざれごと)にしか聞こえない。

 ウルヴが実演したように、狂戦士のスキル発動は狂気の状態異常に苛まれるが、その発動には本人の自由意思、ある程度の操作性が付属している。一度発動すると暴走しっぱなしで、その間の記憶を損なうことはウルヴからの聴取などでアインズは知悉している。とすれば、ヴェルの狂戦士化は彼女個人の意思がトリガーになっているはずなのだが、本人にはその自覚はない。両者の違いとは何なのか。ヘズナとセークという部族の違いがあるのか。カワウソではないが、アインズもまた興味を懐いてならない情報だが、やはり”狂戦士”のサンプリングが少ないため、どうしようもなかったというのは、状況としては痛い。女狂戦士(ヴェル)が罪人に確定しようものなら、思う存分に研究することも出来るかもだが、「ヴェルが罪人ということはない」という見方が、映像を確認したアインズには強かった。

 狂戦士の姉たるヴォル・セークは、挑むような笑みでヘズナの当主に食って掛かる。

 

「では、いっそのこと拷問……尋問でもしてみますか? 我が妹を?」

「ご冗談を。いくら同じ力を持つ自分でも、狂戦士に危害を加えて無事に済むとは考えにくい。狂戦士同士での死闘ともなれば、どちらかの落命は確実だ」

「妹の性格や志向は、姉である私が熟知しております。妹は、本当に覚えていないのでしょう。それよりも私としては──率直に申し上げるならば、ヘズナの間者(かんじゃ)という線もありえると思っております」

「……ほう?」

「今回のセーク家のみ(・・)の参陣出兵を羨望し、忌避したいヘズナの手の者が、我が妹を、何らかの方法で陥れたのでは? そうして、ヘズナ家こそが飛竜騎兵の代表に──ということはありえませんか?」

 

 二人の族長の視線が交錯する。

 それはありえないと、ヘズナの族長は断言できない。ソファに座る巨躯の偉丈夫は皮肉気に、自分よりも頭二つ以上低い身長の……しかし、セークの中では中々ずば抜けた長身を誇る女族長を、見る。

 

「それをいわれると、こっちも疑惑されて当然だ」

 

 互いに笑みを深めつつも、異様な剣幕を帯び始める協議に、カワウソをはじめ列席者たちは口を(つぐ)むのみ。

 セークとヘズナの溝は、かつてほどの深さではない。

 アインズは知っている。100年前の彼らを。

 この中で唯一知るアインズだからこそ、両家の確執というものは、遠くない将来には氷解してもおかしくないほどに薄くなりつつあった。

 だが、だからこそ、そんな状態を最悪の形で崩落させんと欲する愚者(バカ)がいたのかもしれない。

 この族長二人の新たな関係についても(・・・・・・・・・・・・・・・・・)、歓迎しない者がいる可能性もありえる。

 しかし、

 

「失礼。両族長」モモンは挙手して、二人の議論を整理する。「そもそもにおいて、今回の式典に三等臣民である飛竜騎兵が導入されたきっかけを、ご説明願えますか?」

 

 冒険者“黒白(こくびゃく)”のモモンたちは、急遽依頼を受けて駆け付けたという(てい)で、ここに臨席している身だ。いろいろとモモンの口から核心に迫る必要はない上、逆にカワウソたちに疑念を向けられる危険もある。応答は慎重に行わねば。

 二人の族長は同時に頷く。口火を真っ先に切ったのはセーク族長であった。

 

「それを説明するには、我等飛竜騎兵……というよりもセーク族は、50年前に犯した大罪の清算を続け、ついに10年前、飛竜騎兵の部族は三等臣民としての等級にまで回復するに至りました」

「50年前、大罪?」

 

 カワウソが気になる情報だったらしく、顔をあげて同じ言葉を繰り返した。

 大罪とは……多分、あれだな。

 

「50年前に飛竜騎兵の起こした、小規模な反乱ですね?」

 

 魔導国の歴史の教科書にも載る程度の事実。

 モモンの口から零れた正答によって、飛竜騎兵らの面貌に影が差した。

 

「その通りです」ヘズナの歳若い大将が頷く。「100年前、お優しい当時のセーク族の人々は、魔導王陛下に盾突いた罪によって滅ぼされた連中を、ひそかに、秘密裏に、助命し、庇護していた──それがすべての間違いだった。発覚したのは50年前。三部族の残兵が決起し、あろうことかセークの領地のひとつを占領。馬鹿げた名分を掲げ、我等飛竜騎兵全部族を相手に反乱勢力を築き上げた」

 

 アインズは静かに思い出す。

 100年も昔。

 魔導国への恭順を拒んだ三部族は、決戦の時、魔導王の放った超位魔法一発で、瓦解した。

 三部族は方々(ほうぼう)(てい)で逃げ出し、それをアンデッドの軍団によって、殲滅した。

 しかし、すべての敵を、三部族を滅ぼせたわけではなかったのだ。

 50年前。

 愚かな三部族の生き残りは、それぞれが個人的に親交を持っていたセークをはじめとする他部族や大陸中央に庇護を求め、そのまま散り散りとなった。無論、そのまま事なきを得て人生を謳歌すればよかったものを、愚昧な一部過激派によって、奴らは「飛竜騎兵の誇り」とやらの為に、いらぬ戦乱を巻き起こした。

 

「人道上は、同じ飛竜騎兵同士で情けをかけたい気持ちもわかるが、セークの祖先は、匿った後の彼らを御しきれなかった。彼らはなまじ腕に覚えがある連中だったが故に──敵を殺すことに長けた技術に磨きをかけた一族だったが故に──飛竜騎兵の力を過信していた。傲慢と言ってよかった。……彼らがもう少し利口でいてくれたら、我等飛竜騎兵の扱いも、今よりもだいぶマシな感じになっていたはずだとも言われている」

 

 惜しむ声には、憎悪や悲嘆という色は薄かった。

 むしろウルヴの好青年然とした表情に張り付く笑みは、起こった出来事を振り返ることに対するおかしみが、多分に含まれていると容易に判る。

 

「それは既に過去のこと。セーク家の、今の族長には関係のない話です!」

 

 揶揄(やゆ)するようにも聞こえたヘズナの族長の広言に対し、ヴォルの背後で控えていた少年騎兵から、糾弾する音色が。続いて、彼の部下らしい女騎兵たちも同意するようにヘズナの族長を睨む。静かにたたずむ老兵、ほのかに笑う族長は、そんな彼らを鎮めるための声を漏らした。

 それでも。

 激昂の視線を受け続ける男は、蛙に睨まれた蛇のような面持ちで、冷たい笑みを浮かべるのみ。

 

「これは失礼。だが、我々の間に横たわる確執の根には、セークの犯した過ちがあることは事実」

 

 実に理知的な応答によって、ウルヴはセーク側の言い分を封じ尽くした。

 精悍な族長は、野卑にも見える魁偉(かいい)な見た目とは裏腹に、明晰な洞察力と舌戦を嗜む胆力にも優れていた。少年部隊長とは十年かそこらの違いしかない歳の差ではあるが、ウルヴ・ヘズナは紛れもなく、一部族を束ねるに相応しい長の風格を帯びている。

 余裕な表情のまま、ヘズナの族長は理解の言葉を紡ぎ出す。

 

「……当時の情勢上、セークが汚名を(こうむ)ったことは、致し方ない出来事だ。反抗した三部族の残兵を吸収し、我等ヘズナとは違って、反抗因子たちを王政府にほとんど突き出すことなく匿った結果、生き残った反逆者たちが力を盛り返し、数十年もの潜伏を経て、魔導国に混乱を招いた事実は覆らない。一応は祖先を共有する同胞を国に突きつけたおかげで、『ヘズナは血も涙もない一族』と罵倒する声もあるが……これも致し方ない」

「だからこそ、10年前の戦役で我等の!」

「ハラルド」

 

 はっきりとしたヴォルの諫言する声音に、彼女に従う部隊長は引き下がるしかない。

 白熱する議論であったが、これでは本題に至るのに時間がかかりすぎる。

 焦れたように視線を動かすカワウソと同じく、アインズも少しばかり、協議を加速させたくなったところで、ヴォルが部下の少年を静めると同時に、問題の核たる事実を教えてくれた。

 

「モモン殿……我等セーク家のみが、此度の式典に招集されたのは、対外的に魔導王陛下が、これまでお話しさせていただいた飛竜騎兵の“罪”を御赦しになったことを喧伝する上で、重大な意味を持っておりました。セーク家を赦すための式典において、ヘズナ家の者を参陣させるというのは」

「遠慮されて当然のこと、ですか」

 

 モモンの紡ぐ正答に、女族長は頷きを返した。

 無論、魔導国の一大イベントである祝賀行事に、セーク家が参列するというのを面白く思わない連中もいるだろう。ヘズナ家や二大部族以外の残存部族の者も勿論のことだが、飛竜騎兵そのものに対して遺恨を持つ存在と言うのも、実際ありえる。

 だからこそ(・・・・・)、アインズはセークの部族のみを、式典の航空兵団に加えた。

 

 10年前の戦役にて。

 彼等飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)は多大な犠牲を払いながら、当時の反抗因子鎮定の役に貢献した。

 

 結果として、この若い族長たちの親世代は、壊滅的な打撃を被りつつも、その当時の反逆者たちを討伐し果せたのだ。

 その功によって、飛竜騎兵の等級は回復されるに至ったが、同時に、彼らを恨みに思う反逆者たちが生き残っている可能性も。

 魔導国は平和を築いたが、その平和に()いたような無法者が国土を僅かに荒らすことも、たびたび発生しているという事実。これはどうしようもない事態だった。それらの再発防止の対策として、アインズは今も国務に励んでおり、100年目の節目ということで、ある程度の問題解決策が打ち立てられ始めているが、取りこぼした臣民の数は紛れもなく存在している。それは技術的な問題というよりも、体制とか宗教とか、主義信条に関わる問題だった。人間に限らず、あらゆる生命はほうっておくと「戦いを望む」かの如く振る舞うものだから。

 

 しかし、そのことを──救えなかった者がいる事実を──アインズは後悔することは、ない。

 精神を鎮静化されるアンデッドだから、ではない。

 生命を作業的に殺すことに長じた“死の支配者(オーバーロード)”だから、でもない。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王として。後悔を(いだ)くことだけは、絶対に、ありえない。

 

『それはそれで酷いですよ? 自分が“救えなかった”人のことばかり考えて、“救ってあげられた”人のことを気にもかけないなんて』

 

 かつて、アインズは自らが救った少女に、そう諭されたことがある。

 

『できなかったことを覚えておくことも結構ですが、自分にできたことも、ちゃんと考えてくれないと、救われた方はたまりませんから』

 

 愛すべき妻──復活した『術師』──妃の一人として共に生きてくれる彼女の言葉に、アインズは今も、支えられ続けている。

 アルベドやシャルティア、アウラ、マーレ、コキュートス、デミウルゴス、セバス──パンドラズ・アクター、戦闘メイド(プレアデス)などをはじめとするナザリックのシモベたちの存在たちに加え、現地で出会った数えきれないほどの人々、復活を果たした少女(ニニャ)の仲間たち──この100年で経験した、多くの「出会い」と「別れ」によって、今のアインズは構築されていると言っても良い。

 

「質問があります」

 

 深いアインズの思考に、冷徹なほど硬い声の女騎士──カワウソという男の従者として、彼の隣に座す天使──ミカの音色が割り込んだ。

 女族長が受け答える。

 

「なんでしょう、ミカ殿?」

「遠慮されて当然の事という話ですが、セークの者のみを(ゆる)すということは、ヘズナの者には罪科はないと?」

「我等セークの犯せし罪は、反抗因子たる三部族を匿い、その逆心の芽を断てなかったことにあります。いかに幼子や女らを憐れんだが故と言っても、彼らの反逆を止め得なかった罪は重い。対してヘズナ家にはまったく咎めるべき余地などありませんでしたが、連帯責任として、ヘズナ家も含む飛竜騎兵の全部族が等級を下げられてしまった。故に、両家の遺恨というのは、今代にまで及ぶことになっているのです」

 

 魔導王に逆らった愚者たちに対し、一方(セーク)は助命を、一方(ヘズナ)は断罪をもたらした。

 まったく異なる道を選んだ両家ではあったが、それ故に、両者の認識や心情には複雑な誤差が生じ、双方共に埋めがたい確執を根付かせた。さらに50年前の小規模な反乱騒ぎによって、彼らはその責を問われる形で、臣民等級を下げられてしまった。巻き込まれた形になったヘズナにとってはたまった話ではなかった為、彼らの長老たちには明らかにセークの部族を恨みに思う者が多い。

 しかし、反乱はすでに過去の出来事。

 

「だからこそ。ウチのじじい共──ヘズナ家の長老衆は、此度の式典に『セークのみが参陣する』という条件について、意見が割れました。……セークこそが飛竜騎兵の代表と認識されはすまいか、セークが何か良からぬ企みを実行しはしないか、セークを監視する要員を派遣できないか、などなど…………だが、王陛下の決定こそが絶対だった」

 

 魔導王の決定は覆らない。

 ヘズナ家は、式典参加の栄誉を、大逆の徒という烙印を押されていたセークに譲り、その結果が……

 

「なので。今回のセークの失態、ヴェルの狂戦士化については、我等ヘズナの者には一切、知らせておりません。知っているのは、族長の自分と優秀な副官。この二人だけです」

「……は? それは、何故?」

 

 聞き逃せない情報だったようで、カワウソがウルヴの方へ顔を向ける。

 

「族長の自分がここへ……ヘズナの存在としては単体で出向いた理由でもありますが、今はこれ以上、両家の間に無用な騒乱の火種を散らせるべきではない。確執は取り除かれ、両家は手を取り合って、協力せねばならない。今回の一件は確実に、飛竜騎兵同士の闘争にまで事が発展しかねない。そしてそれは、偉大なる魔導王陛下の希求するものでは、ない」

 

 故に、彼は一族の誰も連れず知らせず、モモンたち一等冒険者という信頼に値する部外者たちに依頼した──ことになっている。

 

「自分と、ヴォル・セークの、(ちぎ)りのためにも」

「…………(ちぎ)り?」

 

 要領を掴めずに、黒い男が小首を傾げる。

 ウルヴは応じるように笑った。

 

「陛下曰く──『ヘズナとセークは、今こそひとつにならねばならない』──と。

 それが、我等二人の族長に対し、魔導王陛下が下した決定となっております」

 

 今こそ、飛竜騎兵たちがひとつとなるべき最高のタイミングだと、アインズは理解した。

 100年前は、血で血を洗うかのような闘争を続け、飽くなき戦乱と領地奪掠を繰り返していた飛竜騎兵たちは、魔導国の幕下に加えられ、その血脈を統一する事業を推し進められつつも、諸部族の伝統や技術を失わせず、巧みに統合と投合を果たしてきた。残存した六部族は二大部族のもとに統治され、互いに競い合う良き好敵手(ライバル)として向上と発展を遂げさせてきたが、“そろそろ”という時節を迎えたと知れた。

 今までは不可能だった、長い年月をかけて講じられてきた飛竜騎兵部族間の“完全和平”。

 その象徴こそが、この“二人の族長たち”と言えるだろう。

 故に。

 

「ウルヴ・ヘズナとヴォル・セーク……両部族の長は、魔導王陛下の祝福を受けて── 夫婦の契りを ──両部族の新たな関係を確立することが決められているのです」

「夫婦の、契り……」

 

 驚愕する堕天使プレイヤーは、自分が協力する部族の女族長を見やった。

 ヴォルは冷たくも静かな苦笑で、告げられた内容を肯定する。

 カワウソは数秒ほど口を開け、

 

「それは────おめでとう、ございます?」

 

 アインズは、思わず吹き出しかけた。

 受肉化による人間としての体の内から、生じる本物の吐息が心地よく肺をくすぐり、喉を滑る。驚く周囲に「失礼しました」と謝辞を送りつつ、息を整える。目の前の男が見せた純粋な驚愕の表情に、新鮮な共感を覚えてならない。

 (カワウソ)の見せた日本人らしい挨拶が、少しばかり場を和ませたようにさえ錯覚した。

 

「失礼ながら」そこへ、透徹とした女天使の声が。「それはお二人のご意思ですか?」

 

「いえ。陛下の決定です」

「でなければ、相対する部族長同士での婚姻など、ありえませんから」

 

 ウルヴとヴォルの主張に、ミカは些か不満げに肩を落としつつ、「……そうですか」とだけ応える。

 カワウソの従者的な──翼を鎧に纏ったような女天使は、二人の在り方をどう思ったのか、もはや興味なさそうに視線を落とすのみ。

 

「なので。今は部族間での抗争に発展しそうな情報は不要なもの。両家の確執を理由に、国内で争乱を繰り広げてはならない」

「だからこそ、ヴェルのこのタイミングでの暴走は、時期的には“最悪”のものと言っても良かった」

「……ということは、流れとしては、セーク部族とヘズナ部族の関係を壊したい何者かが、ヴェルを暴走させた可能性が?」

 

「高い」と二人の族長は同時に頷いた。

 頷かれたカワウソは唸り声を口内に留めるように、唇の前で指を組んだ。

 

「……本当に、ヴェルが意図的に、自発的に暴走した可能性はないんだな?」

 

 疑念された少女の姉が、少し、僅かだが、表情を険しくする。

 なるほど、やはりカワウソというプレイヤーは、馬鹿ではない。

 彼の疑念は非情な追求に思われるだろうが、容疑者としてはヴェル本人が両家の婚姻に反対する可能性も捨てきれないのだ。何より、彼女はセーク族長の妹。姉がヘズナ家と結ばれることに、何か悪い感情を懐くことも、なくはないだろう。

 だが、疑われたヴェルの姉はその可能性をまっすぐに切り捨てる。

 

「ありえません。何より、私の妹は──その」

 

 珍しく、明朗極まる女族長の言葉尻がしぼんだ。

 その後を継ぐように、彼女の未来の夫たる者が口を開く。

 

「それは、ヘズナの族長としても『ない』と、判断できます」ウルヴが率直な意見を述べる。「ヴェル・セークが暴走することは、必然的に彼女自身を危険の只中にさらすということ。いくら“大好きな姉”の嫁入りが気に喰わないと仮定しましても、それならばもっと別の方法があるはず。ありえそうなのは、ヘズナの者らを誘導して、魔導国で事件を起こすなどでしょうか? 彼女がそんなことをするとは思えませんがね。

 いずれにせよ。自分自身をアンデッドの兵団に突っ込ませ、魔導国を相手に反抗的な行為をなせば、姉や仲間に対し、迷惑以上の危難を呼び込むことぐらい彼女ならば理解するはずかと」

「まぁ、……それもそうか」

 

 ウルヴの正論に、カワウソは納得しつつも、まだ喉元に何かが引っかかっているような調子で首をひねった。

 そんな主の代弁役とでも言うべき調子で、傍らの女天使が疑わしそうな視線を投げて、口を挟む。

 

「失礼ながら。

 ヘズナ族長は、ヴェル・セークの志操を熟知されているのですか?」

「え? ……そう、見えます?」

「仲がよろしいのでしょうか?」

「それは──どうでしょうね?」

 

 あやふやに微笑み黒に近い紫の髪をかくウルヴに対し、ミカは深く追求するでもなく了承の声を短く吐いて、己の主を見やる。

 

「……とりあえず。飛竜騎兵同士の混乱を望む手合いを調査するって方向でよろしい、のかな?」

 

 ミカの視線に応じるべくカワウソがまとめた結論に、全員が納得の吐息を漏らした。

 

「モモンさんたちも、それで構いませんか?」

 

 義理堅く(たず)ねてくれるカワウソに、アインズは隣に座って黙りこくっていた童女を見る。

 そうしてから改めて彼を見ながら、頷いた。

 

「ええ。それで構いませんよ、カワウソさん」

 

 種をまいておいた作物を収穫するような気安さで、アインズは今回の事件の要となる者たちを見やる。

 

 飛竜騎兵の事件に巻き込まれた堕天使プレイヤー、カワウソ。

 そのプレイヤーの従者の如く行動し続ける女天使、ミカ。

 そして、セークとヘズナの族長が、二人。セーク族の護衛たち四人。

 放浪者として臨席した、マルコ。

 全員が承知の意思を示す。

 

 はてさて、どうなることやら。

 ここには──正確には、飛竜騎兵の部族の中には──デミウルゴスあたりが前から何かしら仕込んでいるという話だったが、やっぱり詳細を聞いておくべきだったか。いつものように「アインズ様には説明の要もないでしょう」という感じで微笑まれては、説明してほしいですなんて言えないからな。実際、これまでもそれでどうにかなってきているのだから、デミウルゴスの采配には信頼が置ける。専属の強力な護衛役とか何かがいるのかも。低レベルの隠形モンスターでは、カワウソたちに感知されて役に立たないだろうし。

 

 まぁ……なんとかなるだろう。

 協議の終結を告げるように、アインズは決定された基本方針に則した行動計画を定めたいと声をあげた。

 

「とすると、この後はどうしましょうか?」

「飛竜騎兵の、下の街で聞き込みでもするのか?」

 

 領地内に点在する集落に赴く案をカワウソは具申するが、すぐさま女天使に否決される。

 

「カワウソ様。一連の事件は秘匿されている以上、それは愚策だと思考できますが?」

 

 NPCだろう女天使の冷淡な異議に、アインズは純粋に「へぇ」と呟きかける。

 これは驚きだ。

 自分の主人であるはずのユグドラシルプレイヤーに対し、女天使は厳然とした言葉でもって応じることができるというのは、初期段階のアインズたちナザリックのシモベたちにはあまり見られない傾向だ。無論、アインズの思想と行動に、アルベドたちが唯々諾々と追従しているだけということはない。彼女たちも時には、主人であるアインズの意見に反対し反論し、正当な理をもって応じることは出来る。この100年で、そういった姿勢は顕著な成長として受け入れられるべきものとして認められ、実際アインズ自身も、彼らの判断に救われる場面は多かった。

 

「ああ。そうか。だとすると、街に下りて調査というのは、ナシか?」

「あたりまえであります。まずは現場に、式典演習に赴いた飛竜騎兵らの、セーク族の精鋭という一番騎兵隊の者への聴取が重要かと。次に、両部族内で不穏な行動を取った存在の有無、その確認が急務です」

「だよなぁ──」

 

 しかし、目の前のプレイヤーとNPCは、既にそういう関係を、転移してより僅か三日の間で獲得したかのように、互いの意見を交換できている。

 これはどういうなりゆきで獲得できた関係なのか。

 女天使が遠慮も呵責もなく主人と話している姿は、歴戦の絆を感じさせるほどに頼りがいのあるものがあり、かつてのアインズが経験したようなNPCたちのありえないような高評価っぷりとはまったく異質な、一定以上の距離感さえ感じ取れる。……多少、毒舌すぎるように思えたが。

 創造者(プレイヤー)被造物(NPC)ではなく、対等な仲間じみた、そんな印象さえ彼と彼女のやりとりの中に、感じざるを得ない。ミカの見た目──天使の輪を浮かべる姿の異形種が、美しい人間の乙女の出で立ちでいる以上、ミカは完全にNPCでしかないはずなのに。彼をまがりなりにも「様」と呼んで憚らない姿勢も、その論理を補強していた。ミカという存在は、プレイヤーではありえない。

 やはり、遠くから眺めるだけでは得られない情報は多かったのだなと痛感させられる。ここへ直接赴いたことで、彼らをより理解する機会に恵まれた。

 カワウソとミカ──二人の会話は続く。

 

「第一、我等が自由に行動できるのは、この邸内のみとセーク族長より仰せつかっていることを、お忘れなく」

「せっかくだったら、街に行ってみたかったんだけどな……やっぱ無理か」

「──無理とは、限りませんよ?」

 

 肩を落として落胆の仕草を見せる堕天使に、冒険者モモンは気安く応じる。

 

「私にお任せを。一等冒険者として、そういったことを可能にするアイテムもありますので。ただ……」

 

 全員が一人の女性に視線を注ぐ。

 この領地を治める女族長の許可を仰がねばならないのだ。

 ヴォルは委細承知したように頷き、モモンとカワウソの試みに賛同の意を示した。

 

「では、……モモン殿。私たちが案内を」

「いえ。セーク族長には、出来れば……」

 

 アインズは魔導王としての強権ではなく、冒険者モモンとしての提案を、女族長に対し希求する。

 求められた内容を熟考する族長は、ふと対面に位置する敵部族の長、婚約相手の青年を見やる。彼は反駁(はんばく)するでもなく、頷きを返して応えた。

 

「承知しました。早速、準備を整えておきます。その間だけ、皆様方は里へ」

「ありがとうございます」

 

 モモンの表情を大いに微笑ませながら、アインズは感謝の言葉を紡いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




独自設定
飛竜騎兵の部族・簡易年表

100年前
 魔導国樹立。バハルス帝国が属国化するなど、諸国は魔導国の勢力圏に呑み込まれる。その途上にあった飛竜騎兵の九部族に、魔導国が接触。降伏勧告を送るも、三部族がこれを拒否。
 九部族中、三部族が壊滅。残った六部族の内、真っ先に臣従の意を示していたセークとヘズナが二大部族として存続を許され、飛竜騎兵の統合統治を連名で任じられる。
50年前
 壊滅した三部族を多数匿っていたセーク部族の領地内にて、三部族の生き残りが反乱。軍により鎮圧。
 その責を負う形で、飛竜騎兵全部族は四等臣民にまで等級を落とす。
10年前
 大陸極東で勃発した反乱因子を鎮定するべく、飛竜騎兵らが戦役に参加。
 当時の族長たち(ヴェルたちの父母)をはじめ、多くの飛竜騎兵が犠牲となることで魔導国への忠誠を示し、臣民等級を三等に回復。
現在
 飛竜騎兵内に蔓延する確執を取り除くべく、セーク族を赦す名目で魔導王主催の祝賀行事の兵団に参加することが(三等臣民でありながらも)決まる。同時に、セーク家とヘズナ家の「婚姻」が結ばれることで、飛竜騎兵部族の”完全和平”が成し遂げられる──はずだった。


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/Wyvern Rider …vol.6

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 カワウソとモモン一行を里に見送った女族長は、領地内で最も高い族長邸に戻り、ヘズナの族長と個人的な会談の場を設ける。

 

「では、族長。あとはお任せを」

「ええ。ありがとう、ヴェスト」

 

 モモンに要請されたことをなすべく、一通りの準備は済んだ。あとはヴェストが差配を整えてくれる。年老いた世話役の騎兵が辞していくのを、ヴォル・セークは柔らかな笑みで見送る。

 

「俺もこの後で帰ったら、ヘズナの方で可能な限り情報を収集してくる」

「ええ、お願いします」

 

 まがりなりにも国家に認められた婚約者という(てい)でいる彼を無下(むげ)に扱っては、いろいろとマズいことになる──以上に、ヴォルはウルヴと話がしたくてたまらなかった(・・・・・・・)

 

「にしても、良かったのか? 彼らを行かせて?」

「致し方ありません。些少の不安は残りますが、一等冒険者殿の力添えがあれば、問題も少ないでしょう」

 

 慣れたように女族長の態度で返答してしまい、少しだけ彼に苦笑をこぼさせてしまう。

 

「今は誰もいないのだから、普通に話したらどうだ?」

「……ふぅ──それもそうね。あーあ、つっかれったぁ~!」

 

 文字通り肩肘を張っていた女族長は、それまでの丁寧で社交的で柔らかな物腰を、かなぐり捨て去った。

 セークの部族を預かる女族長としての面は、ここでは不要。

 ヴォルはまったく普段通りのくつろいだ感じで、さして広くない──それでもこの領地では指折りの邸内にあるダイニングスペースで、無作法にもソファに寝転がってしまう。朝食や協議の時の様子を借りてきた猫のようだと評するならば、今の姿は路地裏を王者の如く我が物顔でふてぶてしく生き抜く野良猫のごとし。本当に肩が凝っているようで、オフショルダーの露出した肩を盛大に揉みほぐしつつ、自分の部屋の菓子類に指を伸ばす。ケーキと呼ばれる甘い菓子をフォークも使わずにガブリと噛み千切って咀嚼した姿は、朝食時の淑女然としたマナーからは程遠い。ウルヴという男性……婚約者の目にも構う様子も見せずに、ヴォルは傍若無人を地で行っていた。

 事実、この領地内で並び立つ者はほとんどいない女族長として立派に務めを果たす彼女は、セーク部族に君臨する女帝とも言えた。豊満な肢体に怜悧な美貌が、その度合いを高めているように見えるのは、(たが)えようのない事実である。

 この部屋だけでしか……より言えば、気を許した相手以外には絶対に見せることのない、ヴォル個人としての姿に驚くでもなく、ウルヴは女の座るソファの対面──ではなく、彼女の隣に許可もなく着席する。が、ヴォルは特に気にするでもなく、彼との“個人的な会談”を始めた。

 

「で。何者なんだ。あのカワウソと名乗る──人間?」

「そんなの知らないわよ。コッチが訊きたいくらい!」

「……ちょっと機嫌悪い?」

「ええ……もう、最悪よ!」

 

 ヴォルは寝転がったまま両手を降参する形に掲げ、怜悧な顔を悲痛に歪めた。

 最悪の中の最悪だ。

 何もかもが悪い方向に転がっているようで、しかも、どうやって止めればよいのか、まるで想像できない。

 飛竜騎兵・セーク部族の式典参加を一時的に撤回された。演習で暴れたヴォルの妹、その暴走原因の解明(場合によっては処刑)のみが、その状況を修復し得る唯一の手段。

 それら部族の存続問題“以上”に、ヴォル・セークが最悪と評して余りある事態。

 

 ──ヴェルが狂戦士であること。

 ──その情報は限られた者しか知ってはならないこと。

 

 それを、あの部外者……カワウソとかいう名のおかしな連中に知られてしまった。

 事実、里に送り出す直前、それとなく探られたのだ。『ヴェルのことで疑問がある』という感じで。

 その時はとりあえず『詳しくはあとでお話させていただきます』などと言って誤魔化したが、話したところで何になるというのだろうか。

 一族の中で、族長の妹・ヴェルが狂戦士である事実を知るものは限られている。姉として彼女を育てた自分(ヴォル)(やしき)で共同生活を送る一番騎兵隊の皆。彼女の出生に関わった長老たち。そして、対の部族であるヘズナの狂戦士にして、現当主──ヴォルの婚約者であるウルヴ・ヘズナ。これに故人も含めると、前族長であるヴォルたちの父母や、名付け親の先代巫女(ヴォルの師匠でもある)、“旧”一番騎兵隊の皆も数えられるが、いずれも10年前に「名誉の戦死」を遂げており、その名は慰霊地の墓碑に刻まれている。

 今現在、生きている飛竜騎兵数万人の中で、この秘密を知っている者は、たったの十数人だけだ。

 それ以外の一族の者には、たとえ同門同族であろうとも、彼女が飛竜騎兵の中で誕生する希少な存在である事実は巧妙に、長い間に渡って隠匿され続けた。

 彼女が生まれてから現在に至るまでの20年もの歳月を掛けて、この事実は隠蔽されてきた。

 だというのに、カワウソたちには、知られてしまった。

 ハラルドたちが口を滑らせたのも無理からぬことだと、ヴォルは了解している。狂戦士たる妹を救った、異様な戦士。ほぼ単騎でセーク部族の誇る一番騎兵隊を完封した手腕。保持する様々なアイテムの存在を思えば、彼が魔導国の中枢に近いだろう大人物だと容易に推測されてしかるべきだ。そんな人物を相手に虚偽を吐き続けることは、ただでさえ危うい一族の存続が、さらなる危難の色に染められるものと理解できる。実際のところ、まだ素性は定かではないのは、それだけ彼が魔導国の深部に関わる存在──噂に聞く親衛隊か、さもなくば極秘部隊……隠密・諜報・秘密工作などを司る危機管理部門の一員──として、今この場に派遣された特殊な“影”である可能性を、容易に想起されて然るべきもの。

 正当な手続きで依頼さえすれば口を噤んでくれる冒険者であれば良かったが、どうにも、そうはいかない雰囲気しか感じられなかった。

 

「……率先して情報をバラす人物じゃなさそうなのが、まだ救いかしら?」

 

 しかし、それもどこまで信頼が置けるか、定かではない。

 バラされたら困る情報だと気づかれたら、さて、どうなるだろう。

 複雑に考え過ぎだろうか。しかし、万が一ということも。

 (いな)。否。否だ。奴は何か気づいている。気づいているから、確かめようとしているのだ。

 ならば、いっそのこと──などと思い詰める女族長の脳内に、心配そうに見つめてくる男の声が()み込んだ。

 

「なぁ、ヴォルよ……。このあたりが(しお)じゃないか? ヴェルが狂戦士である事実は、どうあっても(くつがえ)らない。今は亡き前族長や巫女殿をはじめ、全員で隠しておきたい気持ちはわかるが、これ以上は無駄な抵抗でしかないと思うが?」

「……嫌よ。絶対、いや!」

 

 ヴォルは体を起こし、頭を振った。男に向けて、小さな子供がするように、いやいやと駄々をこねているようだ。実際、その通りなのかもしれない。

 いくら彼の、ウルヴからの提案だろうと、それだけは。

 彼が唇に紡ぐ真実に、彼女は必死に目を背ける。背けずにはいられない。

 

「……どうして、あの子なの? どうして──どうして、私じゃなくて、あの子が!」

 

 二の腕を抱いて悲嘆に喘いだ。

 喉が凍ったような声音が、女族長の広い私室に響く。

 

「わかっていると思うが、そういうところは絶対に、誰にも見せるなよ……おまえは族長なんだからな?」

「判っているわよ、それぐらい!」

 

 どこまでも模範的で規範的な男の態度が気に喰わなくて、頬を軽くつねってしまう。見るものが見ればあまりにも子供じみた反抗心であり、仮にも未だに道を違える部族の長同士が見せていいような軽妙な仕草ではなかった。だが、一部族の長たる偉丈夫は、そんな女の軽挙を(たしな)めつつも、本気で不興不愉快を感じていない面持ちで微笑むだけ。

 

「……そもそも、ウルヴが自分のことをありったけ喋るから!」

「って、言ってもなぁ。俺は、嘘をつかないのが信条だし?」

「……どの口がそれを言うわけ?」

 

 怒る女を、怒られる男は抱き締めるような声音で包み込む。

 昔からそうだ。彼は見た目の豪胆さとは裏腹に、とんでもなく理知的で聡明な賢者だった。だというのに、二人きりだと冗談や軽口を平気で叩き、嘘も虚言も得意ときてる。一族を治める者として、彼は必要なものをすべて持っていると言ってよい。

 おまけにおまけにと、ひっきりなしに嫉妬心が湧き起こりそうになるのを、ヴォルは自制する。

 今は他に優先すべきことがあるのだ。

 

「早く、どうにかしないと」

 

 手遅れになる前に。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「これが、飛竜騎兵の街か」

「──のようでありますね」

 

 カワウソとミカは、族長邸の下にある街……彼らの言うところの“里”を散策している。

 里は、昨日訪れた魔法都市(カッツェ)に比べて、明らかに見劣りする。

 だが──悪い街では、ない。

 そこここに軒を連ねる木造家屋。洞窟を削りだしたような住居。都市にあったような水晶のような硝子構造というものは、せいぜい小窓程度の規模でしか見受けられない。住居構造もせいぜい二階建てぐらいが限界らしいが、飛竜たちが翼を広げ浮き上がるのに支障がないほど道は広く、舗装も行き届いている。

 それらが段々畑のような階層を築き乱立しつつ、下へ下へと街を広げていっている。坂の上の街という印象が強い。巨大な直立する柱のような奇岩に居を構える人々の家は飛竜も入れるほど間口を広く開けられており、鍵付きの扉といった境界を仕切る装置はないのが特徴的だ。相棒となる飛竜の出入りの簡便さを考えて開放されているようである。

 普通の住居をはじめ、商店や飲食店、鍛冶場や武器屋、中には小動物──豚や鶏の家畜小屋などもあって、多種多様な暮らしぶりが窺い知れる。断崖の上にある広い場所では、ヴェル・セークなみに幼そうな外見の飛竜騎兵が騎乗訓練に励み、教官の男の一喝と共に、自分の相棒である飛竜と直下の雲海へ向けて滑空飛行を披露、さらに下の場所に設けられた広場へと順次着地していく。上手く降下できない生徒は、教官の他に見守っているアンデッドの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)一体が補助に入る感じで、怪我人らしい怪我人もなかった。

 

「みんな、いい顔をしている」

「──のようでありますね」

 

 背後に付き従うミカの声を聞く。

 カワウソやミカ、マルコ、ハラルド、モモンとエルの一行は、誰に気を使うでもなく、里を進む。

 里には都市ほどではないが、人々の活気で賑わっていた。

 人以外に飛竜(ワイバーン)というモンスターが共に生活していることを考えても、その賑わいには独自の香りが漂っていた。ここが大陸内でもごく稀な高所に存在しているということで空気が濃いという事実もそうだろうが、やはり飛竜というモンスターと共存している人々の街だからだと確信させる。

 老若男女を問わず、人々は己の“相棒”たる飛竜と共に生活し、よく注意してみれば、歩き立ての幼児ですら、幼い飛竜と戯れている姿が、どこか安穏とした牧歌的な雰囲気を滲ませている。

 ふと、カワウソはさらなる眼下の光景に目を奪われる。

 

「あれは、農地か」

「種蒔きされているのは、この奇岩地帯でしか育たぬ高地用の小麦です」

 

 族長に代わり、直轄地の案内役に任命されたハラルドが、快く説明してくれる。

 カワウソが立ち止まった先から見下ろした段々畑には、土壌を耕すべく重量(すき)を繋いだ飛竜が往復し、さらにそこへ調整を加えて十分柔らかくなった耕作地に、農夫姿の人々が種を蒔く。

 

「魔導国に編入される以前は、休耕地を設けねばならなかった飛竜騎兵の農法ですが、森祭司(ドルイド)の魔法やアンデッドの労働能力のおかげで、年中休むことなく農作物の栽培と収穫が可能。魔導国の他の生産都市に比べれば、まるで足元にも及ばぬ収穫量ですがね」

 

 種蒔きをしている最中の畑があるのに、さらに下の畑では黄金の麦穂を風にそよがせる光景があった。

 そこでは農作物の収穫を教え込まれた骸骨(スケルトン)らの振るう鎌により、高地用麦が大量に刈り取られている。種蒔きから収穫までの行程が、同じ土地で同時並行されているというのは、100年前は考えられない光景だが、魔導国の力がそんな不可能を可能にしていた。魔法による農地回復や局所的気候操作、重労働を担うアンデッドの恩恵から増大した生産能力は、100年前の比ではない。

 骸骨(スケルトン)たちは農夫の指示に的確に応じ、畑に落ちた麦穂の一粒までをも回収される。小鳥たちがご相伴に与るがごとく畑の表面を(ついば)んでいるが、それに骸骨らは構うことはない。たかが小鳥とはいえ、彼ら生きた生命体の存在も、農耕を営む上では重要な役割を担っている。それを考えれば、落ちた麦穂を食べるくらい、許容されて当然の報酬である。小鳥すらもが、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の所有物なのだ。

 

「やばいな……」

 

 カワウソは誰に聞かせるでもなく呟く。

 アンデッドというモンスターが、まさかここまで有用な存在に成り果てるなど、数日前まで……ユグドラシルが終了する日以前は、考えもしなかった。

 ユグドラシルにおけるアンデッドモンスターは凶悪で狂暴、生ある者すべてを嫉妬し、敵と見定めた何もかもを蹂躙する、ただそれだけの行動原理でのみ戦い続ける存在。そういうゲーム設定だった。

 それが、飛竜騎兵の農夫の指示に従い、木陰で休む飛竜(ワイバーン)の傍らで、頭蓋の上に小鳥を乗せて平然としている。

 

「カワウソさんは、農業用アンデッドを見るのは初めてですか?」

「ああ、いやその……」

 

 気持ちよく笑みを浮かべて訊ねる壮年の男性に、カワウソは一応応じてみせるが、彼の「モモン」という名前には実を言うと、微妙に抵抗があった。自分がかつて攻略せんと挑み続けたギルドの長の名前に似ているという事実が、カワウソの意識に引っかかってしようがない。

 だが、似ているというだけで無下に扱うのは礼を失する。

 魔法都市でも似たような名前のナーガっぽい少年がいたことを考えれば、この国、この異世界ではポピュラーな名付けだと理解できる。深く考えても悪くなるばかりだ。似ている名前と言うだけでいちいち気に病んでいては、これから先が思いやられてならないというもの。

 

「この、飛竜騎兵の里というのは、はじめて訪れたので」

 

 田園を眺めながら曖昧に返答するしかない自分が情けなくなるが、仕方がない。

 冒険者のモモンやエル、ハラルドの前でボロは出せない。魔導国の民ではないカワウソが知らないことは無数にあるが、この大陸に存在しながら、この大陸唯一の国のことを知らないとあっては、いろいろとがマズい。いっそ記憶喪失だとでも言ってしまおうかとも考えたものだが、カワウソに随従するミカがいる以上、そんな場当たり的な策は意味がない。

 

「なるほど。確かにこの地は、滅多なものでは足を踏み入れられませんからね」

 

 飛竜騎兵の領地は、直立奇岩の柱のように垂直な崖の上に築かれた里からなる。

 普通に街道を通って訪れる、ということは出来ず、普通に崖を上り下りするのにも様々な弊害があるため、基本的にこの地へは飛竜騎兵によって連れ込まれるか、〈飛行〉や〈転移〉などの魔法を扱えることが大前提となる。だからこそ、100年前までの彼らは長い間、この奇岩地帯で覇を唱えることができたという。

 カワウソらは農夫や飛竜、農業用アンデッドと称される骸骨(スケルトン)を横目にしつつ農地を抜ける。さらに下の広い街へ。

 九十九折(つづらおり)になっている坂や階段を下りる冒険者たちと共に、カワウソはハラルドから──時には一等冒険者として情報通らしいモモンからも──色々と飛竜騎兵に関する情報を教授される。

 

 

 

 

 

 

 

 飛竜騎兵の中で、特にセーク族は、幼い容姿の者──比較的小さな外見の者が多い。誰もかれもが“十代後半”じみた若々しい姿なのに、そのほとんどは“二十代半ば”。上の年齢だと“三十代後半”のものまで存在している。

 

 これは、セーク族が“速度”に長じた一族であったことが大いに関係している。

 

 飛竜の中でも小型であるが故に、敏捷性と加速性に富んだセークの乗騎たる軽量種の飛竜たちは、反面、あまり重い騎乗兵を乗せることを好まない──以上に、不可能であるのだ。

 数多く存在した九つの部族の内、セークの部族は軽量種の飛竜と共に“速度”を追求し続けた結果、自然淘汰的に小さな見た目の騎乗兵──「空気抵抗が少なく、空中戦闘を行う上で重荷にならない“軽い体重の者”ばかり」──が生き残り続けた結果、ヴェルのように20歳の成人なのに、十代前半にしか見えないという個体が標準(スタンダード)化していったと言われている。

 故に、セーク族の飛竜騎兵の中でも実年齢の割に若い見た目でいる個体というのは、高い確率で強い飛竜騎兵の強さを備えている傾向にあるのだ。

 

 ちなみに、セーク族の正式装備である鎧姿が露出過剰な──腹部などを大きく晒した造形であることについても、ひとえに騎乗する騎兵の重量を少しでも軽減させるための措置に過ぎない。魔法の鎧などであれば重量軽減などの恩恵も授かれる今の魔導国であるが、飛竜騎兵の三等臣民階級には容易に与えられるものではない上、魔法的技術なども公開許諾が下りない(それ以前の時代から彼等が保有している魔法技術については対象外だが)。セーク族は突撃戦闘などにおいて、最低限防御する必要がある部分を護るための金属鎧で身を護ることが常態となっているのだ。敵に先んじる“速度”こそが、彼らの必勝戦略であるが故に。

 一説には、セーク族の始祖たる女は、鎧さえ身に着けず、ぴっちりとした薄布に包まれた身ひとつで、握る二本の(ランス)の穂先で己の相棒と共に魔竜の群れを狩っていたとも言われているが、これは神話の──つまり架空の話と見做されている。

 

 逆に言えば、ヴェルの姉である現族長ヴォル・セークなどの、年齢通りに完熟し成長しきった大人の姿でいる個体はかなり珍しい(神話の始祖と同じと言われているが、定かではない)。部族内で比較的空気抵抗の多い体格+重い体重で、まがりなりにも一族の代表たる長の地位についているのは、彼女を相棒に選んだ雌飛竜──名は、アラクネ──の力量と、ヴォル個人のたゆまぬ努力の賜物と言ってよい。他の例だとハラルド・ホールも見た目は完全に戦士のように成長しきっているのも、純粋なセーク族にはない特徴である。彼は他の部族の血が強く発現しているようだった。

 魔導国創立以前ではありえないような族長やセークの飛竜騎兵の姿は、これもひとえにセーク家が魔導国に(くだ)る際に、セーク族がヘズナ家と共に、生き残った諸部族を吸収・統治し、様々な血の交雑を果たしたが故とも言われているが、まだ100年程度の経過報告でしかないので今後も要研究と定められている。

 無論、これが対となるヘズナ部族──重量種の飛竜と共に“防御”に徹した戦闘能力を探求し続けた者たちは、ほぼ真逆の進化過程を経ることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 里の中で一番広い街に下りたカワウソたち一行は、魔導国最高と謳われる小鬼亭(ゴブリンてい)──バレアレ商会が営む“小鬼(ゴブリン)の護り亭”の、街の中では最高の規模を誇る食事処(レストラン)で一休みする。広い坪面積の店内は広く、木の内装を照らす永続光が明るく灯っていた。ここでの勘定については、セークの誇る一番騎兵隊隊長の少年が喜んで引き受けてくれた。セークの地に招いた客人方に支払わせては、末代までの恥となるらしい。どこまでも武人気質な少年である。

 

「マキャティア三つに、コーヒーとアイス・カフェラテがひとつずつですね」

 

 少々お待ちくださいと離れた従業員の女性も、勿論飛竜騎兵のようだった。ヴェルやハラルドと同じ紫系色の髪を背に流す女性は十代前半かそこいらの外見だが、彼女はここに勤めて十年になるベテランだと、同じ部族の案内役が説明してくれた。

 オーダーは飲み物ばかりということですぐに運ばれてきた。

 カワウソはウェイトレスに差し出されたブラックコーヒーを口に含みつつ(ミカは相変わらず飲み物は固辞した)、注意深く視線を巡らせる。マルコやエル、モモンはマキャティアという飲み物を注文しており、その聞き慣れない飲み物は、ハラルドの前に置かれたカフェラテに似た色と香りだった。この世界独自の飲み物の味は興味があったが、カワウソは自分の拠点内でも提供可能なコーヒーと、この世界のコーヒーが同じかを実験する方を優先させた。結果として、この世界のコーヒーは拠点のものと同じコーヒーのようだ。これはアインズ・ウール・ゴウンが普及した結果なのだろうか。それとも、それ以前からのものか。

 一服して落ち着いたところで、カワウソはとりあえず話をしようと口火を切った。

 

「いや申し訳ない、モモンさん。自分の我儘に、付き合わせるみたいになって」

「構いませんよ。街におりて、不穏な兆候がないかどうかを探ることも、冒険者としては重要な役目です。公的機関には開示できないような事情を市民が抱えていて、それを隠匿している可能性も、なくはないのですから」

 

 その言葉は、聞く者によっては『セーク部族の市民が、不穏な企みを図っていないか調べる』という意が含まれていると理解できるニュアンスだが、誰も気にしなかった。一等冒険者という、国家の枢要に近い──魔導王肝いりの存在を相手に抗弁する勇気や興味を持った者がいなかったのである。

 席の対面、通りに面した硝子窓を背にするモモンの理解力に、カワウソは本当に頭が下がる。

 興味本位で街におりただけだったのだが、彼のような一等冒険者になると、しっかりとした事情が付属するようだと知れた。伊達(だて)に、大陸唯一の一等冒険者をやっているわけではないようである。

 

「しかし、本当にすごいですね。この指輪(アイテム)

「いえ。これは特別に、魔導王陛下より下賜された品ですので」

 

 カワウソは右手を見る。

 注文を取った従業員の女性は勿論、他のテーブルについて談笑する人々もまた、カワウソたちの特異な身なりを気にすることはなく、大陸唯一の一等冒険者として有名人である“黒白”のモモンやエルを前にしても、その存在を認知していないかのごとく、まったく意識の対象として見てこない。せいぜい目があえば会釈したり、通りがかりに挨拶されるぐらいのことしか起きていない。この世界の新聞や雑誌が読めないカワウソでも、他の客が読みふける一面や表紙ぐらいは見て取れる。一等冒険者の顔写真が堂々と飾っている様子が、デカデカと掲載されているのだ(魔導国では印刷技術が普及しているらしいことは、魔法都市やセークの領地を行き交う間にも発見した“書店”などの存在から確認済みである)。

 にも関わらず、誰も一等冒険者モモンたちを取り囲み、握手やサインを願う列は構築される気配を見せなかった。

 タネは、モモンが用意してくれた装備にある。

 カワウソの神器級装備のひとつであるマント(タルンカッペ)の不可知化を使えば、人目につかずに移動はできる。だが、そうするとハラルドやモモン達までもがカワウソの存在を認識できなくなる。この装備の有効範囲員数は、装備者の自分を含む二人のみ。穏便に、隠密裏に、モモンたちと行動を共にしつつ、飛竜騎兵の少年隊長に案内を頼むには、別の手段を講じなくてはならなかった。

 

 それが、冒険者モモンが所持していた“認識阻害”の指輪である。

 

 同じ効能のものだと首飾り(ネックレス)腕輪(ブレスレット)があるらしい装備は、身に着けている者の正体を、群衆などの大多数の存在から隠すのにうってつけなアイテムであった。ただの〈不可視化〉や〈不可知化〉とは違い、これならば物理的に人々の視界から消えることなく、人々の営みに紛れ込むことができる。人を呼び止めて聞き込みを行ったり、食事のオーダーをとってもらったりということも容易になるのだ。今、この場に座っているのは魔導国の一等冒険者モモンや、見慣れない装備を身に着ける連中、さらにはそんな妖しい集団を引率するセーク族の最頂点に位置する族長(ヴォル)の懐剣として周知された一番騎兵隊のハラルド隊長ではなく、ただの一般飛竜騎兵の寄り合いか何か程度にしか思われていないらしい。これは同一装備を着用している者らでなければ、看破することも難しい位階にあるという。まさに、平常時の市井(しせい)の状態を確かめるのに、これほど適確な効力を発揮する装備はないだろう。

 すでにはめていた指輪をひとつボックスに収納する労はあったが、ギルドの指輪を外でずっと身に着けていても意味はない。空いた右手の人差し指に改めてはめ込んだ指輪の宝石は、オパールのように艶めく白水晶が輝いている。サイズについては魔法の指輪なので問題なく装備できた。

 ただ。ミカはこの装備を受け取ることはなく、自分の装備による隠形で間に合わせている(カワウソは装備のおかげで、彼女の隠形を突破可能だった)。ミカがハラルドの奢りを固辞したのは、この場には六人ではなく、五人しかいないとしか見られていなかった影響もある。女天使が装備を変更するのを拒絶したというのもそうだが、モモンが用意している指輪は五人分で、ここにいる六人全員には行き渡らないと判明した時点で、彼女は指輪を受け取らない選択を取ってくれた結果でしかない。

 六人掛けの席を占領し、エル、モモン、マルコが窓際奥のソファ席に。ミカ(隠形中)、カワウソ、ハラルドが手前の椅子に着席している構図である。

 

「本当に──魔導王陛下は偉大でありますな! こんな装備があったなどと、三等の自分には想像もつきませんでしたよ!」

「このことはどうか内密にお願いしますよ、ハラルド隊長」

 

 憧れの英雄(ヒーロー)を見るような眼差しで、ハラルドは大きく首肯した。

 そんな少年に応える英雄は、真正面に座すカワウソをしっかり見つめる。

 

「カワウソさんは街に、この里に下りてみて、どうでしたか?」

「そうですね。とても良いところだと思います。街も、人も、どこを見てもおかしなところはない」

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の施政が、隅々まで行き渡っていることを証明するようだ。

 自らを三等臣民と卑下する調子さえ見えた族長らとの対話から感じられた雰囲気とは程遠い。

 街にいる人々は、真実幸福を謳歌しているようにしか見えない。

 

「三等臣民とは言え、完全に幸福なものということはないようですよ」モモンは(うそぶ)くように告げた。「三等臣民は、様々な義務の他にも、各種制約や制限が施されている。幸福追求の権利は保障されているが、それだって様々な前提条件をクリアすることを第一条件としている」

 

 中でも今回の一件に関わるだろう問題は、三等臣民は魔導王の兵団には、原則として正規編入されえないという事実を、モモンは語ってくれた。

 ハラルドは言い募る。

 

「ですが、魔導王陛下の特選枠として式典への参列が認められた──部族の皆は、それはもう喜びに湧きたったものです。ヘズナ家との婚礼により、長らく対立していた両家が統合を果たすことで、我々飛竜騎兵は、さらなる躍進を遂げると、誰もが信じて……」

 

 事実、街には婚礼の準備として、純白の造花が飾られはじめ、婚礼の時には白い花冠に飾られた道のりを、セークの族長が歩く筋書きが整えられていた。誰もが自分たちの敬愛する族長の、晴れの門出を祝福してたまらないという雰囲気。

 里の人々は知らない。

 式典の演習で、自分たちの代表がどのような事態に陥っているのかを。

 

「それを、ヴェルが台無しにした、と」

 

 正確に指摘してしまうと、横にいる少年の顔色がズンと暗くなる。

 

「きっと訳があるはずです。彼女があの場で暴れた原因が、何か」

「……さっきの協議から、ずっと気になっていたことがあるんだが……」

「何でしょうか?」

 

 カワウソたちの会話も、指輪の効能によって周囲の人間には知覚され得ないので、情報漏洩という問題は気にすることではない。

 堕天使が僅かに言い淀んだのは、言っていいのか悪いのか、いまだに判然としないせいだ。先ほどもセークの族長に対した時と同じ迷いが、言葉を口内に押しとどめる。

 それでもカワウソは、「遠慮なさらずに」と安請け合いするセークの隊長たる彼に、率直な声で(たず)ねた。

 

「ヴェルが、セーク唯一の狂戦士であること──どうして、セーク部族の人間は知らないんだ?」

 

 目の前の彼から聞いたのだ。

 狂戦士に対する尊敬と崇拝の念──信仰は低減。

 故に、部族内でもヴェルが狂戦士である事実を知っている者は、それほど多くはない、と。

 これを訊くのは礼儀に欠けるだろうか。あるいは、彼らにとっては秘しておきたい何かがあるのか。

 しかし、いい加減はっきりさせておきたい情報だった。

 互いの意志に齟齬(そご)があった状態では、とてもではないが信頼関係は構築できない。相手が信用に足る人物でなければ、諸々の取引が成立しないのと同じ理屈だ。当然、それはカワウソに対する飛竜騎兵(ハラルド)もそうだろうが。魔法都市で会敵し、戦闘に及んで武器を壊した挙句、傲慢にも狩猟用アイテムで縛り上げたカワウソらのことを警戒していることは、明白な事実。彼らはあからさまに、カワウソのことを警戒している──警戒して当然とすら言える。

 カワウソは里に下りる直前、見送ってくれたヴォルにそれとなく聞いていたのだが、後ほどお話します的な返答しか返ってこなかった。

 モモンがひとつの提案をし、ヴォルたちがその準備を進めている状況で、ハラルドにまでこれを訊くのは、遠慮すべきことなのかも判らない。

 

 この異世界、この飛竜騎兵の領地には、狂戦士が、二人。

 一方は魔導国に反旗を翻したやも知れない大罪人。ヴェル・セーク。

 もう一方は立派に部族と領地を治め続ける貢献者。ウルヴ・ヘズナ。

 この差異は何だ。

 何故、ヴェルが狂戦士であることを周知させない。

 それは、周知されては困る事情があるから。

 だとしたら、その事情とは。

 

「……そのことについては、族長と長老たちに」

 

 ハラルドは謝りながら席を立つ。

 アイス・カフェラテを飲んだからなのか、あるいは他の事情なのかは分からないが、彼はそそくさと店内にあるトイレに姿を消した。生理現象とあっては、引き留めるわけにもいかないだろう。

 カワウソは考える。

 何故、セーク部族の他の者は、ヴェルが狂戦士であることを知らない?

 昨夜の会話には言い間違いや伝達ミスが?

 ヘズナ家とセーク家の風習や価値判断の違いが?

 無数の可能性が想起されるが、答えは得られない。

 得られないまま、カワウソは直近の問題──ヴェルが暴走した原因についても、自分なりの推測を打ち立てていく。

 そして、この世界で屈指の実力を誇るという一等冒険者に意見を求める。

 

「モモンさんは、何か知っていますか?」

「あいにく。セーク部族の事情については、私も詳しくは」

「では、モモンさんはどう考えますか?」

「何か深刻な事情があるのだろうとは理解できます。が、それを開けっ広げに指摘しても、良いことはないでしょう」

「……確かに」

 

 カワウソも解っている。

 解っているが、隠されたままでは色々と面倒というか手間というか、悪い方向にしかいかない気がしてしようがないのだ。

 カワウソは、ただのユグドラシルプレイヤー。この異世界、この大陸においては、何の後ろ盾も存在しない。そんな状況で、飛竜騎兵の事情や問題に巻き込まれて、それが転じてカワウソたちの身に危難の雨を降らせることになれば、その時はどうすればよいのだろうか。

 考えただけで背筋が寒くなる未来を脳内から一掃するように、カワウソは別の問題についても、モモンの意見を訊く。

 

「では、狂戦士については。何かご存知でしょうか?」

 

 ユグドラシルのゲームシステムだと、狂戦士は自分の身に降りかかる各種状態異常(バッドステータス)……「毒」「麻痺」「恐怖」などの質や量においても、狂戦士としての特殊技術(スキル)を発揮する。自ら発動した際には、「狂気」のみに罹患。爆発的なステータス値上昇と引き換えに、「狂気」の状態異常に永続的に苦しめられ、ほとんど特攻じみた勢いで敵対存在を撃滅するという戦法を得意とする(それ以外の戦法がないとも言えるが)、“諸刃の剣”そのものという上位戦士職業(クラス)のひとつだ。

 この世界に何故か存在する、低レベルの飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)

 適正なレベル取得とは完全に異なる彼等部族の中に出現するという狂戦士。

 ユグドラシルの転職アイテムもなしに、生まれた瞬間から「そうある」ことが規定されているかの如く、彼らは飛竜たちと共に暮らし、その翼をかりて空を舞い、あまつさえ狂った戦士すら生み出されるという、事実。

 本当におかしな世界だ。

 考えれば考えるほど、どうしてこの異世界にユグドラシルと同じ法則が存在して、ゲームのモンスターや魔法、アイテムなどが存在できているのか不可思議でならない。

 

「ウルヴ・ヘズナ族長から、ある程度の情報は頂いております」

 

 カワウソは安堵感から溜息をこっそり吐く。

 この状況においては、モモンの存在は重要なものだ。飛竜騎兵と関わりのない立ち位置から、飛竜騎兵の事情に精通する人物がいるだけで、何とも頼もしい印象を受ける。

 

「じゃあ、──狂戦士の特殊技術(スキル)、狂戦士化の発動条件については?」

「あくまで狂戦士本人の意思による発動が原則ですが、場合によっては勝手に発動することもあるとか」

「場合とは?」

「各種状態異常……毒物や麻痺薬、盲目化や拘束、あるいは精神的な状態が負に傾いた状態……恐怖や混乱、病気などの複数の体調不良が原因で狂気を発動するとか」

 

 そこはユグドラシルと同じなのだなと、カワウソは理解する。

 だとすると、だ。

 外部存在からの「狂気」を罹患(りかん)した可能性が、現実味を帯びてくる。

 

「では、何者かが、ヴェルを魔法によって包み込んで、彼女を「狂気」状態に陥れた結果、ヴェルは己の意志とは無関係に狂戦士としての力を発揮した──というのは?」

 

 無論、この世界の存在に、対象を任意に選択して狂乱させるような力があることが大前提な話だ。最低でも「狂気」をもたらす”絶望のオーラⅢ”などを扱えるアンデッドが演習場にいて、その影響を受けて暴走したとか。

 低位の魔法だと〈恐怖(フィアー)〉や〈混乱(コンフュージョン)〉程度がせいぜいだろうが、魔導国の魔法詠唱者であれば、あるいはそれ以上の状態異常発生用の魔法も習得可能かもしれない。それに、時間停止魔法コンボなどで、誰にも気づかれない内に大量に「毒」や「麻痺」、「盲目」や「病気」といった状態異常を無数に重ね掛けしていけば…………否。そうすると、ヴェルの狂戦士化が解けた後が大変になるだろうから、ナシだな。大量の状態異常による狂戦士化はないと判断して間違いないだろう。そんな面倒な手順を踏むよりは〈狂気(バーサク)〉の魔法一発でいいと思う。

 だが、本当にそんな単純な方法で……状態異常の魔法一発で発動するのか? 狂戦士化が?

 

「ありえない──とは、断言できないですね」

 

 カワウソの語った〈狂気(バーサク)〉を発動されて罹患したが故の狂戦士スキル発動について、モモンは一考の価値ありと評してくれる。

 

「早速、ヘズナ族長に──は、今は準備中のはずですから、後程合流した時に訊ねるとしましょう」

「助かります」

 

 カワウソは真摯に告げた。

 

「さすがは、一等冒険者ですね。

 一等冒険者というのは普段からも、このような任務に就いているものなのですか?」

 

 興味本位で訊ねていた。

 人の感情の機微を読んだり、いろいろと複雑な事情や思惑が絡みついている状況で、モモンたちは粛々と、自分たちの業務を全うする姿勢を見せてくれる。仕事のできる人間というのは、それだけで称賛に値するし、それが礼儀正しい性格だと尚更である。

 魔導国における人気職、ハラルドが尊敬と緊張をもって応じる冒険者の日常の、その一端を知ることは重要なことに思われた。あるいは今後、カワウソたちが魔導国内で生き抜くのに必要な知識の、ほんの一欠片(ひとかけら)でも入手できれば、他の都市や土地に向かった三人の調査隊の役にも立つはず。

 モモンは鎧の上にあるプレート(ナナイロコウ)をつまんで、少しばかり言葉を選ぶ。

 

「そうですね。一等冒険者ということで、依頼はかなりの報酬を頂くことになります。大抵は外地領域守護者や都市管理官、あるいはツアー……インドルクス=ヴァイシオン信託統治者などの、各都市や領域の代表者らに依頼されて、大陸内で発見される不可思議な出土品や発掘品を調査します。調査対象は様々で、時には理解不能な事象だったり、あるいは百年単位の過去の遺跡だったり。今回のような任務は、少しばかり特殊なもので、やや緊張しております」

 

 モモンは、緊張をまったく感じさせない声で言い募る。「冒険者は”未知”を”既知”にするべく、あまねく世界を冒険し、それを誇りとする者たちです」と。

 彼は、まるで遠い昔を懐かしむように視線を伏せた。

 隣に控える童女は押し黙り、マルコは掌中にあるマキャティアのカップに口をつけていた。

 五人のいる場に、奇妙な沈黙が流れる。

 その沈黙を破ったのは、やはりモモンだった。

 

「──未知なるものを探求する冒険者。この大陸に存在する同業たちの中で、我々“黒白(こくびゃく)”の一等冒険者のみに、王陛下が課せられた最重要任務が、ひとつだけあります」

「…………それは?」

 

 これまでにないほど厳格かつ厳正に響く声音が、堕天使の耳を震わせる。

 

 

 

「──『世界級(ワールド)アイテムの探索』です」

 

 

 

 隣で隠形したまま控えるミカが、僅かに、密かに、息を呑んだ気がした。

 あるいは、カワウソ自身がそうしたのを錯覚したか。

 告げられた内容の意味を()(はか)り、カワウソは冷静になるよう、己に言い聞かせる。しかし、だ。モモンが語る唯一無二のアイテム──ユグドラシルには同価値のアイテムは200しかなかった──カワウソ自身が保有するソレを、どうあっても意識せざるを得ない。

 モモンたちへの警戒心と猜疑心が微妙に再燃しかけた、その時、

 里の通りが明らかにザワついたのだ。

 

「……なんでしょうか?」

「飛竜の喧嘩、でしょうか?」

 

 それにして違和感が凄まじい。

 あまりの喧騒に、モモンとマルコが身体全体を振り向かせた。

 いろいろな飛竜の声が絶え間なく大気に(とどろ)くが、その上をいく奇怪な音量が、まるで燃えあがるように耳に焼き付いた。

 

「ああ、ハラルド隊長」

 

 ちょうどトイレから戻ってきた少年が、通りの様子に戸惑うところをモモンが呼びつけた。

 

「表で、何かあったのでしょうか?」

 

 疑念された少年隊長も、不審げに首を傾げるしかなさそうだった。

 

「いえ、自分にも…………!」

 

 モモンとエル、マルコが振り返った窓の外を眺め、ハラルドも窓から身を乗り出すようにして見上げた空に対し、眼を剥いた。

 

「……なんだ、あれは?」

 

 気になりすぎて、また異様な雰囲気──人々の悲鳴にも似た声音を感じて、カワウソは席を立つ。

 小鬼亭(ゴブリンてい)を飛び出し、通りで天を仰ぐ人々と同じようになる。隠形中のミカもその脇に控えた。

 

 異様なものが、空にいた。

 

 最初は、黒い点のようにしか見えないそれは、飛竜のように翼をはためかせながら、まっすぐ街に向かって降りてきている。

 ハラルドをはじめ、モモンたち三人も外へ。

 

「ハラルド、あれは?」

「いえ……飛竜のようですが……なんだ、あの、黒い?」

 

 徐々に輪郭がはっきりとわかるほどに近づいてきた。

 (みどり)の竜鱗をおどろおどろしい病的な黒斑が、まるで膨れた腫瘍のように覆っている。頭の先から尾の端の全身に至るそれは、まるで鎧のようにも見えるが、生々しく膨れた肉の塊でしかなく、印象としては黒い泡立ちのようですらあった。そんな異様に呑み込まれたような姿の飛竜は、暴力的な蛮声をはりあげるが、それはカワウソの耳には悲鳴のような苦しみをいっぱいに響かせている。

 

「いくぞ、エル」

「承知しました」

 

 言うが早いか、通りを走り抜ける漆黒の戦士。彼に頷く黒髪の童女が、即座に黒い飛竜に向かって駆け出していく。

 カワウソも、たまらず彼らの後に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




黒くて凶悪そうな飛竜があらわれた!
どうする? →たたかう
       なかま
       アイテム
       にげる にげられない!


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/Wyvern Rider …vol.7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見張り台の物見やぐらが崩れ、小屋の屋根板が引き剥がされるほどの怒濤の暴風を伴って、それは現れた。

 

「どうされるおつもりで?」

「──今さら、それを聞くか?」

 

 カワウソは隠形したまま追走するミカに応えつつ、漆黒の戦士らと共に通りを走る。

 黒い影は、確実に街に住まう人々の脅威であると推定される。通りで遊んでいた母子が屋内に身を隠し、そこいらに存在する飛竜たちが一斉に威嚇の蛮声を張り上げていた。

 あれは──特徴的な前肢部分の大きな翼をはじめ、身体の各所を黒い腫瘍と斑点に侵されながら、空を引き裂くその姿形は──確かに飛竜の特徴に酷似していた。だが、異様と異常と異形に膨れ、悪魔の外皮で仕立てた鎧を幾重にも纏い武装しているかのようで、そのありさまは不気味に過ぎる。まるで魔王の乗りこなす邪悪極まる騎乗生物のようにも見えるが、醜く膨れた背筋には、何者も乗せることを拒絶するかのような肉腫が剣板のごとく突き出しており、乗り心地などまったく考慮してよい造りをしていなかった。鞍も手綱もなく、無論、騎手となるべき人影も存在しない黒竜は、孤独に、青い空を恨むような暴音を奏で続けている。

 

「コォア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ァァァァァァァッ!」

 

 暗く重く、そして脳髄をひっかくほど耳障りに轟く、黒飛竜の声。

 恐慌すら覚える竜の吼声に、無論、里にいる住人たちは黙って強襲を受け入れるはずもない。

 突如として現れた黒い飛竜一体に応戦しようと、慌ただしく武器のみを装備したセークの飛竜騎兵たちが包囲戦を挑むが、その飛竜の膨れた鱗は見た目よりも頑強なようだ。飛竜騎兵の投鎗(ランス)や矢礫は、その悉くを弾かれ、痛痒どころか飛行の妨害すら儘ならない。顔面は面覆い(フェイスガード)でも被ったのかと思えるほどに変貌していて、竜の眼の色すら窺い知れない。スリットすらないあのような形状で、一体どうやって周囲にある障害物を認識し、騎兵たちの攻撃を躱しているのか、軽く疑問さえ覚える。

 狂ったように()えまくり()えまくる黒飛竜の突撃によって、二騎の飛竜騎兵が墜落を余儀なくされる。余りの衝撃で飛行姿勢を維持できない二体の飛竜。周囲にいた十数騎の飛竜と騎兵は、余波に耐えるのに精いっぱいで、同僚の救助など望めはしない。宙に放り出される二人の女騎兵と共に、二匹の飛竜の巨体が放物線を描き、その落下地点には、軒先で遊んでいた子供らが、二人、一人……子に駆け寄る母親だろう女性も含めると、合計四人。あの重量が落下したら、当然、まずい。

 

「ミカ!」鋭くも僅かな声で、女天使に命じる。「あっちの子どもを!」

 

 天使の応答を聞く間も惜しんで、カワウソは駆け出す。

 一足先に、墜落する女騎兵らをモモンらが救出に向かっている為、カワウソたちは飛竜の方に集中できた。

 転移魔法などは、魔導国において一般普及しているような類ではなさそうなので、衆人環視の前では使うべきではない。

 ならば、これしかないだろう。

 神器級(ゴッズ)アイテムの足甲が装備者の意志に応えるように黒く淡く輝いた瞬間、速度のステータスを急激に上昇させる効果を発揮。驚異的な跳躍力を確保する。

 

「ッ!」

 

 跳ぶ。

 他の者には──特に、カワウソたちを追っていたハラルドやマルコの目には──いきなり黒い男が消え去ったようにさえ錯覚するほどの速度。割れ砕けた大地の足跡だけが、彼がそこにいたことを証明する。

 落下する飛竜二体の内一体に、追突する勢いで接近。沈黙の森でヴェルを助けた時と同じ要領で、カワウソは落下する飛竜の鞍の革帯を掴みあげ、強引に落下軌道を修正。

 革帯は堕天使の速度と放擲に耐え切れずに引き千切れるが、致し方ない。空中でいきなり方向を転換された飛竜は宙を跳ねるような軌跡につんのめりつつ、大地に激突する事態は回避された。飛竜はわけのわからない調子で首を巡らせ、翼をはためかせながら、上空で飛行態勢を整え終える。

 カワウソは壊れた鞍を放り出し、空に身を投げ出すように落ちていく。

 

「あっちは!」

 

 無事か。

 カワウソは振り向いた。

 遠く彼方で、翼を広げた女騎士が、飛竜の巨体を巧みに持ち上げ、墜落地点にいた子供らを救っていた。不思議そうに頭上の現象──姿を消しているミカに持ち上げられた竜は、宙で不自然に静止している──を眺める子供らに構うでもなく、女天使は意識を失っていた飛竜を子供らの脇に降ろす。

 とりあえずの安堵を覚えた、瞬間。

 ミカが何かを叫ぶように、落ちるカワウソの方へ振り向いて──

 

「コォア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ァァァッ!」

 

 喧しい竜声が、堕天使に向かって空を滑走してきた。

 

「ちッ!」

 

 カワウソの意識は安堵に弛緩していた。

 セークの軽量種よりも膨れた見た目だが、その速度はどの飛竜騎兵にも追随できない速度だと容易に知れた。直感だが、倍以上は性能差がある。魔法都市の空で、セーク族の里の上空で、彼らの速度は瞼の裏に焼き付いていたから。

 咄嗟のことで、魔法を使うか特殊技術(スキル)を使うかの判断が遅れる。〈空中歩行(エア・ウォーク)〉では速度が減退して今の状況での回避には向かない。〈飛行〉できる特殊技術(スキル)についてはできれば使うべきじゃない。

 黒飛竜(アレ)のレベルが六十以下なら物理無効化Ⅲでしのげるが、確信は持てない。

 何より、竜の牙並ぶ(あぎと)が近づく様は、「捕食される」という根源的な恐怖を想起されてしまってしようがない。

 思考が、判断が、動作のすべてが、遅れ──

 

「ギャア˝ァ!?」

 

 竜の一鳴。

 強烈な金属音。

 ついで、カワウソは何もしていないのに、黒い飛竜が顔を斜め上に()らして軌道を変えていた。

 堕天使の眼には、巨大な両手剣(グレートソード)の剣尖が一本、眼前の飛竜に叩きつけられたことが容易に判った。濁った瞳の動体視力で確認。飛竜騎兵のハラルドでは一本持つのがやっとだろうと道すがら言われていた重量の塊は、下にいた人物から放り投げられた勢いで目標に衝突し、クルクルと宙を舞っている。

 

「遅くなって申し訳ない」

 

 その剣を掴み回収した戦士の声が、至近から謝辞を述べる。

 カワウソと共に、空中を降下する漆黒の戦士。

 

「モモンさん」

 

 放り出された女騎兵らの方を救出し終えて駆け参じてくれたモモンが、戦列に加わった。

 共に地上へと降下し、黒い襲撃者の脅威から距離を取る。

 あの飛竜は投擲された剣の威力に体勢を崩されていたが、すぐさま暴意に満ちた声を張り上げ、“敵”と見定めたカワウソたちの方に分厚く膨れた鎌首を巡らせた。翼が大気に悲鳴をあげさせ、ありえない速度と衝撃を伴って降下してくる。

 街はずれの倒れた尖塔のような岩塊に降り立ったカワウソは、努めて冷静に、分析した状況を隣に立つ戦士と共有する。

 

「アレの頭、かなり頑強なようだ。剣を投げてぶつけた程度では、通らない」

「ええ。おまけに脳震盪(のうしんとう)の類も見られない。普通、竜とは言っても、あの衝撃を受けたら数秒以上、活動不能になるはずなんです──が!」

 

 会話もそこそこに、二人は共に大きく跳躍する。

 二人が数瞬前までいた場所に、暴走機関車のごとき勢いのまま竜が殺到し、その下の岩塊を砕いて散らせてブチ壊していた。

 

「モモンさん。そちらの状況は?」

「放り出された飛竜騎兵の女性方は皆、私とエルで救助できました。二人はマルコ──さんが治療中です」

 

 一方で、ミカはカワウソの指示通りに子供らを護った後、カワウソたちに向かって飛行してきている。

 

「〈伝言(メッセージ)〉」女天使の主として、カワウソは新たな指示を送る。「ミカ。こっちには来なくていい。それよりも、他にコイツと同じモンスターが周囲にいないか、警戒してくれ。周囲1キロを念入りに。場合によっては、作成召喚の特殊技術(スキル)の使用も許可する」

 

 魔法の会話越しに一瞬ながら躊躇の反応を見せるミカだが、「頼む」と念押しすると「……了解」と応じてくれる。

 彼女との魔法の繋がりが断ち切れた、瞬間。

 

「コォア˝ア˝ア˝ア˝ア˝────ッ!」

 

 背後から迫り来る音の暴力。

 街からだいぶ離れた地点であるが、まだ民家らしき建物が周囲にある中で突撃されてはたまらない。

 

「このあたりで反撃しましょうか」

「……やるしかない、でしょうね」

 

 大地に着地する前、カワウソは白い聖剣を空間から抜き放った。

 少しだけ、モモンの方から感嘆する声音が漏れた気がするが、振り返った先にある竜声の圧が吹き飛ばしていた。

 

「では、まず私から!」

 

 言って、漆黒の戦士が黒竜の蹂躙に真っ向から切ってかかる。

 短くも鋭い戦士の一刀、一声。

 飛竜騎兵の鎗を弾き返していた黒い肉腫を、モモンの双剣はバターのように引き裂き落とす。あっという間に片翼を二分割されて失墜しかける黒飛竜。そのもう片方の翼を、跳び上がったカワウソは聖剣の刃で引き裂いてみせた。攻撃系特殊技術(スキル)を発動するまでもない。神器級(ゴッズ)アイテムの一撃が、黒斑に染まる皮膜を削いで落とす。

 両腕をもがれた蜥蜴のような様で墜落の軌道を描く黒竜──だったが、

 

「……はぁ?」

「嘘、だろ?」

 

 モモンとカワウソは同時に呟いた。

 赤い血飛沫(ちしぶき)もなく、黒い肉腫ばかりが泡の如く盛り上がり、瞬く内に飛竜の被膜に覆われた翼を再生させていた。テラテラと輝く粘液までも黒く、羽ばたきによって小規模な雨を降らせる。竜の生命力はユグドラシルでも極めて高いが、あんなグロテスクな再生能力など、飛竜には存在しないはず。ああいうのは魔竜とか邪竜とか、そういった一部のレアな個体で見かける程度だったが、目の前の暴走竜の形状は紛れもなく飛竜のそれだ。巨大長大な体躯の中に、多腕多脚に多翼で多眼を纏う魔竜や邪竜よりかは、まだまだ大人しい形状である。

 再生した翼は、さらに内側から泡立つ肉腫を鎧のように纏いながら、その機動力は衰えるどころか、加速の一途を辿っていった。

 

「ふむ。──これは、珍しい」

 

 冷静に状況を見定める戦士に、カワウソは(たず)ねる。

 

「モモンさんは、やはり竜と戦ったことが?」

「ええ。経験は豊富だと、自負しております」

「じゃあ、竜の致命傷になるのは何処か、御存じで?」

 

 カワウソは、この異世界での竜と、ゲームでの竜の違いをそれとなく探る。

 漆黒の戦士は穏やかな闘気を宿した微笑で頷きを返すのみ。

 

「狙いにくいですが、比較的柔らかな“眼”。堅牢な鱗と筋肉に守られた“心臓”。あとは──」

 

 正解を紡ぐ一等冒険者とカワウソのもとへ、竜が肉薄する。

 

「──“首”を落とせば、大抵のモンスターは倒せる!」

 

 カワウソは頷くしかない。

 眼や心臓は勿論、首は、ユグドラシルでは有名な弱点(クリティカル・ポイント)として有名だった。人間も亜人も異形も、首を切られ、頭と胴体が泣き別れては、そのダメージ量はかなりのものになる。場合によっては即死させることも可能なほどだ。首無し騎士(デュラハン)のように元から首が分かれていたり、粘体(スライム)のように首のない存在だったり、あるいは首から上の部分(あたま)は飾りだったりしなければ、大抵の敵は行動不能になるもの。非生命のアンデッドや機械的なゴーレムですら、その思考行動を司る部位を破壊されたら、著しく活動停滞に追い込まれる仕様だった。

 そして、その原則は、この異世界でも通用するはず。

 特に、分厚く膨れた肉腫の壁に守られた、黒い飛竜の鎌首。

 その防御の厚さこそが、その下にある弱点の存在を雄弁に物語っていた。

 カワウソは、もはや慣れた調子で、跳ぶ。

 空を突っ切る暴力の塊と完璧に交差する軌道を跳躍しつつ、ゲームの時の感覚に近い感じでひとつの特殊技術(スキル)を発動。手中の剣を振るい、鉋掛(かんなが)けの要領で首の肉腫をごっそり剥がす。やかましく吠える黒い竜に対する憐れみは、あまり感じていない。聖騎士の肉体能力やステータス増強の特殊技術(スキル)効果などを併用することによって、さらに堕天使の攻撃性能を底上げしていき、精神系ダメージへの耐性をも強化したからか。

 カワウソは振り返り、見る。

 再生が始まる直前、弱点が(あらわ)になったそこへ、間髪入れず続くモモンの握る双剣の一振りが首肉に深く叩き込まれ、さらに二振り目が一振り目の剣を大鎚(ハンマー)のごとく打ち下ろし、完全に生物の頸椎を叩き折った。内部にある筋肉の束も諸共に両断せしめる。

 断末魔をあげる喉や声帯ごと両断された黒飛竜は、その巨体を大地に墜とし、完全に活動を停止。

 落ちた首の下から、血の代わりに再生の肉腫が溢れるといった現象も生じない。その逆も然り。

 黒く穢れた飛竜は、二人の戦士との戦いによって、見事完全に討滅された。

 歓声ともどよめきともつかない声音が、空を舞う飛竜と騎兵たちの間で唱和される。

 

「サポート、ありがとうございます」

 

 並んで息をつくモモンとカワウソ。

 ──二人は特に役割を決めたわけでもなく、何故だろうか、自然と共闘することができていた。

 双剣にこびりつく黒い肉片を払う戦士は、終始余裕な表情で微笑んでいる。

 その笑みにつられ、カワウソも思わず気安く応じてしまう。

 

「いや、こちらこそ。……すごいですね、モモンさん」

 

 そのまま聖剣をアイテムボックスに収納しつつ、モモンの手並みの見事さを讃えた。

 

「“一番騎兵隊隊長(ハラルド)以上の戦士”という話。確かに、本当のようだ」

 

 道すがら、少年が語っていた「当代」におけるモモンの武功。ハラルドたちが英雄視する漆黒の戦士の力量は、素人目にも少年隊長のそれを軽く超えていると判断できる。

 

「いえいえ。私など、まだまだですよ」

 

 謙遜の限りを尽くす漆黒の戦士は、カワウソの剣捌きの方こそを絶妙と評した。

 黒飛竜の腫瘍のごとき鱗だけを引き剥がした手並みは、「力任せな自分には真似できそうにない」などと主張してくる。

 

「あー、それは──」

「……それは?」

 

 カワウソは言いあぐねる。

 信仰系の職業(クラス)特殊技術(スキル)のひとつ“神の啓示”を発動しただけだ。敵対象への攻撃を行う際に、致命傷となる攻撃を加えやすくなる……つまり、「クリティカルヒットの確率を向上させる」特殊技術(スキル)である。たとえ一発目は不発でも、続く攻撃はさらにヒットの可能性が増幅されるという、なかなか利便性に富んだ優れもので、ゲームでもカワウソはよく使っていた。

 しかし、特殊技術(スキル)のことは異世界の住人に説明するには難しい情報だった。神の啓示という名称も悪い。「神の啓示のおかげで戦えた」などと主張すれば、聞く者によっては「こいつ大丈夫か?」などと心配されるオチしか見えない。

 カワウソは誤魔化すように口を開いた。

 

「あー……モモンさんこそ。“武技”という奴も使わずに、あれだけの身体能力を発揮されるとは。驚きです」

「私には、魔導王陛下から下賜された装備があります。国内最高峰の装備の力がなければ、とてもとても」

 

 なるほど。カワウソは一人ごちる。

 モモンの身に着けた鎧や剣は、どれをとっても秀逸な造形が施され、データ量で言えばかなりのものだと容易に判断がつく。とりわけ目立つのは、ルーン文字という、ユグドラシルでも人気だった装飾文字だろう。北欧神話ゆかりの古代文字は紫などに輝き、黒い刀身や鎧の中で冴え冴えと存在感を主張している。聞けば、ドワーフたちの多くが住まう工業都市、その地で指折りの評判を誇るルーン工房“火の髭(ファイアビアド)の炉”で鍛造された一品だとか。

 何はともあれ、彼の、一等冒険者の力の一端は知れた。

 今回の戦闘が全力だったという確証はない(武技とやらも使っていなかったから、多分そうだろう)が、それでもモモン・ザ・ダークウォリアーという存在の力量を把握することができたのは、今後の活動の中で大いに参考にできる要素が多い。

 

「……さて、どうするか」

 

 カワウソは、首切られた黒い竜の死骸を見る。

 同時に、周囲から突き刺さる野次馬のごとき視線が不安を掻き立てた。

 墜落したのは街の外れだが、彼等飛竜騎兵の人々にとっても珍事らしい黒竜を眺めようと人だかりが構築されかけている。

 いくら指輪で認識阻害を施していても、ここまで大っぴらに衆目を集めるのは、正直まずい気しかしない。

 

「大丈夫です、カワウソさん。ほら」

 

 言って、モモンが頭上を指で示す。

 そこでは、数多くの部下を統率した若い隊長が声を張り上げていた。

 

「この場は一番騎兵隊の自分(ハラルド)が預かります! 里の皆様は、どうか負傷者の確認と治癒を願います!」

 

 邸から呼び寄せた己の飛竜に跨り、群衆に空から号令を繰り返し発するのは、飛竜騎兵の部隊長。

 セーク家の誇るハラルド・ホール一番騎兵隊隊長の言は重く、その場にいる全員がハラルドの言に納得したように、黒い竜の死よりも、風圧などで破壊された街や怪我人の確認に急いだ。

 

 

 

 

 

「お二人とも。遅くなって申し訳ない!」

 

 周囲の人だかりを散らし、一番騎兵隊の部下である女性ら三人を連れて馳せ参じた少年の第一声がそれだった。

 

「特に、墜落した十番騎兵隊の二人と二匹の件、本当にありがとうございました!」

「いえいえ」

「困ったときはお互い様だからな」

「はい! ありがとうございます!」

 

 聞けば、町はずれのやぐらや小屋にいた数人が重軽傷を負ったが、命に別状はないとのこと。

 モモンとカワウソは少年の感謝に応じるのもそこそこに、改めて、自分たちが討滅し直立奇岩の大地の上に転がした黒竜の(むくろ)を見る。モモンがとりあえず疑問を紡いだ。

 

「ハラルド隊長。これは飛竜、なのでしょうか?」

「だと思うのですが……こんな飛竜、私は見たことも聞いたこともありません」

「ヘズナの重量種とか、じゃないのか?」

 

 カワウソは族長邸の秘密部屋で見たアレと大きさだけは似ていることを指摘。

 しかし、ハラルドのきっぱりとした断言が、その可能性を否定する。

 

「重量種とも違います。頭から尾までの体格は、重量種特有のずんぐりした感じじゃないですし──そもそも、こんな黒い色と腫で覆われた竜なんて」

 

 彼の見解に耳を傾けつつ、敵対部族(ヘズナ)の誰かが解き放った可能性もありえるだろう可能性を脳内に留めておく。

 何はともあれ、この飛竜の出所をはっきりさせなければ。

 ハラルドや部下の女性らが短剣を取り出し、飛竜の尾やら鱗やらを詳しく検分するべく、慣れた手つきで解体していた。少年は首だけになった頭に取りつくと、口内にある舌まで黒く染まった肉を見極めたり、肉腫に隠れて見えなかった眼の様子を見るべく顔周りの腫を切り払ったりして──生きていた時は投げられた鎗すら弾き返した硬度は何処へ行ったのか。死んだことで肉腫の硬さが失われたようだ──そこにあるものを無理矢理に覗き込んだりする。彼はある一点を確認すると、さらに混乱に拍車がかかったようで部下にも確認させているようだが、カワウソは黙って待つ。

 

 そんな飛竜騎兵たちの作業工程を眺めつつ、カワウソは必死に、脳内に残るユグドラシルのモンスター図鑑を紐解いていく。

 だが、それでも、あるひとつの結論に至るしかない。

 こんな飛竜、ユグドラシルでも見たことがないという、至極単純な結論だけだ。

 飛竜と言っても軽量種だの重量種だのがいるように、小型の竜モンスターにはよくある派生パターンとして、「色」だとか「扱う属性」の違いとかで様々な差異がユグドラシルでは存在したはずだが、こんな病的な黒斑の、おまけに腫瘍のごとき肉泡に覆われた飛竜など、カワウソは知らない。竜はユグドラシルでも人気のあるモンスターだった。そのビジュアルの秀逸さ、RPGにおいて「最もポピュラーな敵」である歴史、竜の血肉や毒牙や骨に鱗などのレアな素材ドロップ、他の同レベルモンスターよりも大量に行き渡る経験値の量、狩人のスキルで確保できる新鮮なドラゴンステーキ肉、生け捕りにした際の売買価格の高額ぶりなど、その人気の要因を数え上げればキリがない。

 では、だ。

 

「ハラルド」ひとしきり確認を終えたらしい騎兵隊隊長を呼ぶ。「この黒い飛竜、いったい何だ?」

 

 飛竜と同じ骨格とサイズだが、明らかに飛竜の特徴と合致しない。

 レベル獲得などの法則が変わったように、モンスターなども特異な進化や変貌を遂げている可能性を思い浮かべるが、この中で飛竜の事情に通じているはずのハラルドは首を横に振った。

 

「いいえ。我々も──少なくとも私は、こんな子を見るのは、その、初めてで」

 

 ありえないことを聞いた気がして、カワウソは問い質す。

 

「……“子”? “こんな子”って?」

「ああ、見てください」

 

 ハラルドは黒飛竜の死骸の頭を、肉腫を切り払って確認していたそこ──顎下──にあるひとつの鱗を示した。

 

「これは「逆鱗(げきりん)」というもので、竜種固有の特徴であり、これの大きさで大体の年齢が判別できます」

 

 逆鱗というだけあって、その鱗は他の鱗とはまったく逆方向に生えていることが、かろうじて判った。「かろうじて」というのは、逆鱗のサイズが他に比べて小さく、いかにもか弱そうな存在感しか主張しない程度のものだったからだ。言われなければ、そこにある逆鱗の存在に気づけそうにないほどであるのは、この飛竜の顔面は全域に渡って、黒い肉腫が兜のように覆われていたからだ。肉腫に侵されていない部位にしても、まるで病的な黒い斑点に侵されている鱗ばかりで、これでは元の翠色を探す方が難しいくらい。

 ハラルドは説明に努める。

 

「この子は逆鱗の大きさから察するに、生後一年か、少なくとも二年以下しか経っていない。ほとんど赤ん坊みたいなものです。顔の造形にしても、黒い肉の下はかなり幼い。目は丸く愛くるしいもので、とても成竜のそれでは、ない」

「……いや。この巨体で、赤ん坊ってことは、ないだろう?」

「ええ、確かに。でも翼は並の成竜か、それ以上に成長しています。脚や尾もかなり頑強ですが……ならば、この逆鱗のサイズは、ありえない。黒斑に染まっている牙も成体に比べれば微妙に小さいし、ああ、爪もそうですね。一体、この子はどうなっているのか……わからない」

 

 カワウソは呆れ返った。

 仮にも一番騎兵隊の隊長を務め、部下や里の人々に命令を下す立場の人物ですらもが、この目の前の異形を理解不能な代物と認めるしかないという現実。

 ハラルドは自分で自分の打ち立てた確証に、疑問符を大量に浮かべてならないようだ。彼自身、こんな飛竜が存在する事実が信じられないという風で、目の前に厳然と存在する黒い死骸の検分をひとまず終える。

 無理もない。

 この竜は先ほどまで、成人サイズの飛竜たちを簡単に吹き飛ばすほどの巨躯で空を縦横無尽に駆け回っていたのだ。このサイズで子供以下の赤ん坊というのは、悪い冗談でしかない。これが順調に大人に成長していたら、並みの飛竜の十倍以上の体躯になってもおかしくないが、果たしてそんな巨体が飛竜と呼べるのだろうか。都市で見た霜竜(フロスト・ドラゴン)よりも巨大になりそうな気さえするぞ。

 困惑と疑念に憑かれて眉根をひそめるしかない飛竜騎兵の若者から視線を外し、カワウソは縋るような思いで一等冒険者のモモンを見やるが、彼は無念そうに首を振るのみ。この大陸一の冒険者ですら、知り得ない情報が今、目の前に転がっている。

 

「これは、魔導国の、専門の研究機関にでも送付するしかないのでは? 近い所だと、魔法都市あたりにでも?」

 

 事態をとりあえず進展させようとする声が紡がれる。

 モモンの背後に現れた黒髪の童女が、その小ささ可愛さからはほど遠い冷厳な声で主張するが、それを主人のごとき男が押しとどめた。

 

「いや、エル。今は事を荒立てる時ではない。ただでさえ、一連の事件で飛竜騎兵の立場が危ぶまれている現状では、他の者に報せるのは慎むべきだろう。ハラルド隊長が知らぬだけで、部族の誰かが熟知している可能性も捨てきれない」

「承知しました、モモンさん」

「うむ──ハラルド隊長。セーク族において、この黒い飛竜を知ってそうな人物に心当たりは?」

「……族長や、長老たちに、聞いてみるしかない、かと」

 

 それでも、たとえヴォルや長老であろうとも、これの正体など知らない可能性は十分以上に存在するだろう。

 これは飛竜騎兵たちの中でも特異な状況なのだと、飛竜に詳しいはずのハラルドの混乱ぶりでよく判る。

 

「この死骸……黒い飛竜は、どうするんだ?」

 

 まさか、ここに置きっぱなしというわけにはいくまい。黒く歪んだ鱗の色は不吉極まる。死骸を放置するというのはいかにも不潔で、衛生観念で言っても推奨できる行為ではないだろう。──いや、アンデッドの警備兵がいるから、そんなこともないのか。

 カワウソの問いかけに、ハラルドは悔し気に呻いた。

 

「この子は……かわいそうですが、これでは葬送の儀にも出せません。皆が、嫌がるでしょうから」

 

 皆が嫌がるという言葉に微妙な何かを感じるが、判然としない。

 同じ死体なのだから埋めたり焼いたりして処分すればいいと思うのだが。

 そういえば、飛竜騎兵の街には墓地というものは見かけていない。土地が少ないから存在しないのか、あるいは奇岩の奥まったところにでも埋葬するのか──臣民の義務とやらで「死体の提供」とか言っていたから、ひょっとすると国の共同墓地みたいなものがあって、そこに送付しているのかも。

 

「一度、族長に指示を仰いできます」

 

 そう告げたハラルドは、傍にいる同僚に伝令を頼んだ。どうやらハラルド個人は、〈伝言(メッセージ)〉の魔法などを扱えないらしい。指示を受けた部下が代わりに〈伝言(メッセージ)〉を発動する。

 

「カワウソ様」

 

 一組の飛竜騎兵が邸へ飛び去った直後、周辺警戒に走らせていた女天使が舞い戻ったのをカワウソは迎え入れる。

 

「ミカ。おかえり」

「ぁ……ぇと……ただいま、戻りました」

 

 変な間が生じた気がするが、カワウソはとりあえず、隠形したままの彼女に与えた任務の進捗を確認する。

 

「どうだった? 他に、アレと同じモンスターは、いたか?」

「いいえ。影も形もありやがりませんでした。

 この奇岩は無論ですが、周囲1キロ圏内、隣接する大中小の直立奇岩にも、そういった気配はありません。念のために地図でヘズナの領地とやらも中位天使を隠形させて飛ばし確認しましたが、そこも特に問題は見受けられませんでした」

 

 地図は、昨夜までカワウソたちの周囲を監視観察してくれていたマアトが、この領地に至るまでの行程で把握できた地域を地図化(マッピング)していたものを使用。

 ミカは自身が羽織るマントで存在を隠匿しつつ、上空から見定めた他の領地には、これといった異変や異常はなかったと報告してくれた。

 

「となると。これは、ただの異常個体……ということか?」

 

 だとしても、この黒竜が棲息生存していた場所というものは確実に存在するはず。モンスターだって生き物である以上、自分の縄張(なわばり)寝床(ねどこ)を確保し、そこで食事睡眠などしている、はず。非生命のアンデッドだったら自然発生してもおかしくはないが、この竜はアンデッドモンスターという印象は薄い。低位の動死体(ゾンビ)であるなら再生能力など持ち合わせるはずもないし、カワウソの知るドラゴンゾンビの腐り落ちた見た目とは、あまりにも違いすぎる。これはカテゴリーとしては、ただの普通の竜と認めて間違いないだろう。どう考えても普通の見た目ではないが。

 

「ハラルド、こいつが何処から現れて飛んできたのかは?」

「見張りやぐらにいた部隊の話を聞いた限りだと、これは下の“巣”から飛んできた、と」

「巣?」

 

 疑問するカワウソを、即座にフォローする男の声が。

 

「野生の飛竜たちの巣ですね?」

 

 ハラルドはモモンの言葉に頷き、野良の──野生下の飛竜の可能性が濃厚だという見解を示した。

 カワウソは率直に訊ねた。

 

「その野生の飛竜の巣って、何処にある?」

「ほとんどは、奇岩の中腹の位置にありますが?」

 

 つまり、奇岩の先端に位置する(ここ)より下の所にあるわけか。

 

「そこへ行くことは?」

「い、行くって──行って、何を?」

「何、って……そりゃあ」

「調べるしかないでしょうね」

 

 意外なことに、モモンがカワウソの言わんとした言葉を先に紡ぐ。

 その様子に、飛竜騎兵の隊長は大きく動揺してしまった。

 

「い──いいえ、それはなりません! 危険すぎます!」

 

 野生の飛竜は、“相棒”を持たない。

 現在における飛竜騎兵の飛竜というのは、“相棒”である騎兵たちと共に暮らすことに“馴れきった”個体たちで、それら飛竜が(つがい)となり、一個から三個ほど卵を産み、その卵から(かえ)った赤ん坊の飛竜が、次世代の飛竜騎兵の乗騎になる──というサイクルのもとで維持されてきた。だが中には、里にいる飛竜とはどうしても折り合いがつかない騎兵が存在しており、そういうあぶれのほとんどは、家業の手伝いなどで一生を送ることが多いという。それだって、親や家族の許しがあればこそのもので、“相棒”を得られなかった騎兵が大量に発生した時代には、口減らしの一環として、若者たちに対して他の土地や他国への強制移住が申し渡されることもあったとか。

 無論、それを甘んじて受け入れるばかりの腰抜けは、そう多くなかった。

 飛竜騎兵は武功の一族。

 力を示すことが、男女を問わず標準的な美徳とされ、“相棒”を持つことこそが、飛竜騎兵として一端(いっぱし)の存在だと認められることの最低条件に見做されている。

 里で“相棒”を見つけられない者たちは、果敢にも野良の飛竜の「巣」へと潜り込み、そこで新たな“相棒”を見つけて里に帰還することで、飛竜騎兵の証をたてることができるのだ。当然のことだが、その道のりは口にするほど簡単なことではない。

 奇岩の中腹までの道は存在しない。大抵の場合は自分たちで断崖絶壁を降りねばならず、野生の飛竜に気取られぬよう留意せねばならない。そのため、ロープなどの小道具や身動きのとりにくい装備などは持っていくことはできない。許される武装は短剣一本のみで、それ以外だと崖を降りている途中で気の敏い飛竜に気づかれ、巣にたどり着く間もなく喰い殺される結果しか生まないのだ。

 野良の飛竜は、基本的に人間単体を食料か玩具のようにしか思っておらず、同族の飛竜と共に飛行する姿を取れる“飛竜騎兵”以外の存在は、基本的に敵対的行動に(はし)る存在だ。小型とは言え危険極まりない竜モンスターの一種に過ぎない。それが巣には、百どころか千単位で生活している。雌雄関わりなく強力な存在であり、多くの生物の例にもれず、彼らは子育てをしている時期が一番凶暴になる。いくら飛竜騎兵の里で生まれ育ったセークの一族と言えど、飛竜の背に乗っていない騎兵など、当然のごとく「一人の人間」でしかない。

 彼ら飛竜の巣に潜入することは、一族としての成人の儀と同等であると同時に、大いなる自殺行為となる場合がほとんどだ。その勇気がない者、生き抜く知恵や力量がない者にとっては、飛竜の巣はただの災害の坩堝(るつぼ)でしかなく、実際、巣に入り込んで無事に“相棒”を見つけられる例はそれほど多くはない。生還できたものは“相棒”を獲得するが、さもなければ「死」あるのみという摂理に、古来より従ってきた存在の末裔が、彼等飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の部族なのだ。

 故に、魔導国に編入され、「死体の提供」が義務付けられる現在の飛竜騎兵らにとっては、滅多なことでは飛竜の巣に挑むことはしなくなった。提供すべき死体を回収しようにも、“喰い荒らされた後”ではそれは不可能なことであるが故に。

 さらに言えば、魔導国は魔法詠唱者を代表する「特別な才覚を持つ者」を広く募っており、“相棒”を得られなかった飛竜騎兵でも、運が良ければ、領地の外で「ひとかどの存在」として受容できる受け皿が整えられているからというのも、影響としては大きい。おかげで魔導国の人口と平均寿命は増加の一途を辿っている。

 

「飛竜の巣は、今の我々にとってはただのモンスターの巣窟に過ぎません! いかにモモン殿やカワウソ殿の力が強壮強靭だろうと、無謀すぎる!」

 

 勿論、モモンやカワウソの力量であれば、あるいは無事に済む公算は大きい。

 が、それはそれで、大問題に発展しかねない。

 

「たとえ無事に済むとしても、飛竜を、つまりモンスターを狩る行為は、魔導王陛下が認めた一定の領域、冒険都市などの一部解放区に限定されています。飛竜は魔導王陛下の保護対象モンスター。人の領地内に入り込んだものを自衛目的で討伐する分についてはお咎めをうけませんが、自ら率先して赴いて飛竜を掃滅されては、それこそ法に(もと)る。弁解の余地なく、大罪人として処理されます!」

 

 たとえ一等冒険者の“黒白(こくびゃく)”だろうと、例外とは言えない。そんな超法規的な存在ではないのだ、一等冒険者というのは。

 魔導王の特別な推挙を得た英雄“モモン・ザ・ダークウォリアー”として、王の法に背くことなど、ありえない。

 

「だが。可能性があるのが飛竜の巣だけとなれば、調査は必須事項にあげられるでしょう。私はカワウソさんの案を支持しますよ、ハラルド隊長」

「モ、モモン殿!」

「無論、飛竜たちに危害を加えることは一切しない。竜除けや不可知化のアイテムを使って、調査は隠密裏に遂行するつもりです。巣の中で、これと同じ黒い個体がいても、狩ることなく撤収すると確約しましょう。モンスターを“狩る”のではなく、“調査する”分には、法に背くことではない」

 

 事情を知らなかったまま意見していたカワウソは、内心でモモンの言に感服してしまう。

 なかなか思い切った裏技を使ってきてくれて、純粋に驚いた。

 ハラルドもそこまで約束されてはぐうの音も出ない。「それならば、大丈夫でしょうが……しかし」と懸念はこぼし続けていたが。

 

「それに、このタイミングでの飛竜の異常変異個体の出現……偶然と片づけるのは、危険だと思われる」

 

 モモンの語る内容を、一番隊隊長は疑問する。

 何のタイミングだろうと首を傾げるハラルドに、カワウソは嫌な可能性を口にしてしまう。

 

「……ヴェル・セークと、この黒い竜……何か関係している、と?」

 

 確証はないと呟くモモンに、だが、カワウソは大いに同調する。

 ヴェルの謎の暴走の翌日に現れた、異様に過ぎる謎の黒い飛竜。

 ハラルドは、事態の重みをひしひしと感じたように、黒竜の死相を、ただ見下ろしていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 セーク族長邸の地下深く。

 狂戦士を幽閉する独房内で大人しくしていた彼女は、外が騒がしくなるのと同時に、奇妙な“声”を聞いた気がした。

 

「ラベンダ?」

 

 自分の相棒を呼ぶが、聞こえる声は慣れ親しんだ飛竜のそれでは当然ない。その声は、飛竜とは思えないほど変質しており、まるで割れ響く歌声のようにも思える。知っている声では、ない。

 

「……誰?」

 

 声は小さな男の子のように思われる。

 彼女は誰にともなく(たず)ねた。

 同時に、気分が酷く悪くなる。

 彼女の問いに応える声は、答えになっていない悲鳴を奏で続け、その意味を推し量ることすら難しい。

 ただ、その声は、とても幼い狂音は、ひっきりなしに叫んでいた。

 読み取れた言葉は、二つだけ。

 

 ──タスケテ。

 ──コロシテ。

 

 ヴェルは、自分の脳内を無茶苦茶に撹拌(かくはん)するような意志の暴力に対し、額を抑えて耐えようと試みるが、あまりにも酷い頭痛と吐き気に襲われ、ベッドの上にふらつき倒れる。

 その間にも、声は先と同じ二言を吐き出し続けた。

 

「……誰、なの?」

 

 悲しい声の主は答えない。

 己の名すら黒く染められたかのように、その声は我を失っていた。

 自らを抹消することを希求して止まない子供の声は、狂ったように二言を叫びながら戦い続け、そして討たれた。

 ヴェルは半ば意識を失いながら、両目が燃え焦がれるかと思えるほどの涙を流し、その子の死を嘆き、悲しんだ。

 永遠に続くかと思われた苦しみから解放された子の魂が、安らかな声をあげて逝けたことが判って、安堵できた。

 

「何……今の?」

 

 起こった現象の意味を、ヴェルは正確に理解することができない。

 ただ。

 倒れたヴェルは気づいていなかったが、涙でいっぱいの両眼には朧げに、狂戦士の焔の気配が、揺らめいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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/Wyvern Rider …vol.8

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓にて。

 

 主人であるアインズのいない執務室には、随分と慣れた調子で大画面の映像を覗き込む守護者たちの姿があった。

 映像には、彼等の主人にして、大陸世界を統一した唯一存在・魔導王として君臨すべき御方が、世を忍ぶ仮の姿である冒険者の出で立ちを取って、飛竜騎兵の領地に突如として現れた暴竜の息の根を、完膚なきまでに叩き潰した瞬間が。

 その補助を務める栄誉を与えられたプレイヤーの姿に、五人は一斉に快哉を挙げる。

 

「くふふ……アインズ様の術中に、連中は完璧にはまっているわね」

「まったくでありんすえ、アルベド! 愉快痛快とは、このことでありんす!」

「ウム。我々ノ誇ル御方ガ築キ上ゲシ、アインズ・ウール・ゴウン魔導国──ソシテ、御方ガ創リシ英雄(モモン)ノ素晴ラシサヲ前ニシテ、連中ハ感服ノ限リヲ尽クス。ソレニヨリ、我々ヘノ敵対意識ヲ低減サセ、可能デアルナラバ我々ノ統治下ニ帰属サセヨウトイウ御心ノ深サ。誠ニ、見事!」

「さっすがは! 私たちのアインズ様だね!」

「そ、そうだね。お、お姉ちゃん!」

 

 守護者たちは暇を持て余しているわけではない。

 アルベド、シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ……彼らに与えられた任務は最重要に位置付けられるもの。

 政治・軍事・経済・魔法、あらゆる国の一大事業に関わる重要な役儀を仰せつかっている場合が大半であり、それを滞らせることはアインズが目指す「魔導国の未来の安寧」にとって、決して無視できない損失を生み出す事態に繋がりかねない。無論、魔導国の各教育機関より輩出される優秀な人材を登用することで、ある程度の時間的余裕は取れるのだが、その余裕が、各階層守護者全員ぴったり同じタイミングで休息し、顔を合わせることが叶うという機会を勝ち取る場合というのは、滅多にない。アインズからの緊急招集を受ければ話は別だが、今回の場合は、ほとんどが守護者たちの我意によるところが大きい。

 

「あの連中に対し、アインズ様が秘密裏に接触を図ることを望まれた。そこにはきっと、深い意味がある」

「まぁ、おそらくは。連中を懐柔(かいじゅう)篭絡(ろうらく)しんすことで、魔導国の支配下に組み込み、アインズ・ウール・ゴウンの偉大さを、さらに盤石なものにせんとする意図がありんしょうえ」

 

 満足げに主張するシャルティアの言は、この場にいる全員が了解している規定事項のひとつだ。

 至高の御方々のまとめ役、アインズ・ウール・ゴウンは、100年後に現れた謎のギルドにまで慈悲をかけ、奴らを効率よくアインズ・ウール・ゴウンの支配下におくことで、共に存在することを許そうというのだ。これを慈悲と呼ばずに何と呼べばいいのか、守護者たちにはわからない。

 

 天使ギルド(ギルドの名称は不明な為、とりあえずそのように呼称されている)の連中は、昨日の昼過ぎから、ギルド拠点周囲の土地での積極的な調査活動は行わなくなった。外で活動し、魔法都市に赴いた堕天使などから情報を受けて──というよりも、堕天使が破壊した森が再生しているありさまを目撃したことで、自分たちがどれほどに危機的な状況にあるのかを、漠然とながら察知しているということなのだろう。遅きに失した感はあるが、それぐらいのことを考える知恵は働くようだ。

 以前よりも周到に、高度に、多層に渡って幻術を張り巡らせた鏡の他に、「沈黙の森」の奥部……堕天使の破壊から元通りに再生を果たした地点に設置された新たな鏡が置かれていることも確認済みである。

 いずれの鏡も、幻術を突破しうるナザリックの力によって、情報管理官のもとに常時観察中。鏡には天使ギルドのNPC二体が一定時間ごとに交代しながら防衛しており、平野の方は天使が、森の方は獣たちが守護している。森に増設された方は囮か、さもなければ緊急脱出路か……あるいはシステム・アリアドネを考慮に入れた配置だと推察できる。

 

「でもさ、アルベド、シャルティア。あの黒い飛竜。いったい何なのか、聞いてる?」

「ま、魔竜とか邪竜にしては、その、小さすぎる、よね? 首もあれ、そんな太くないし」

「あれは、きっとアレでありんす。デミウルゴスあたりが仕込んだとかいう」

「確かに。デミウルゴスが何か用意していると、聞いているけれど」

「フム。デミウルゴスデアレバ、アリエルカ」

 

 全員が、アインズ──冒険者モモンによって首切られるという最大級の栄誉を賜ったモンスターの詳細について意見を述べた。

 ちょうど、その時。

 

「やぁ、皆さん。遅れてしまって申し訳ない」

 

 噂をすれば影という、まさに完璧なタイミングで、ナザリック地下大墳墓が誇る最上位悪魔(アーチデヴィル)が、同僚の執事(セバス)に廊下を案内されて執務室に参上した。

 デミウルゴスとセバスの遅い登場に、全員別段の不満を懐くでもなく、二人を迎え入れた。

 アウラは変わらずまっすぐな調子で問う。

 

「何やってたのさ、デミウルゴス?」

 

 第九階層に詰める執事(セバス)は、最後に到着した守護者を迎えに行っていただけで、遅れたということはない。ここにいる全員をこの執務室に案内した老執事は入室して間もなく、デミウルゴス分の紅茶を用意し終えると、執事として相応しい鋼鉄のような立ち姿で、今回の守護者たちの会合に顔を連ねる姿勢を整えた。

 悪魔は微笑みを深めて、闇妖精(ダークエルフ)の乙女に応じる。

 

「アインズ様の久々の“御出陣”ということで、パンドラズ・アクターの政務補助の方をね」

 

 宝物殿の領域守護者である彼は、デミウルゴスやアルベドと並び称される叡智の持ち主。だが、彼は創造主のアインズを含む至高の四十一人が残した“宝物殿”の品々の管理に心血を注ぐことを本分として生み出された存在であるため、長く宝物殿を空けておくことが難しい。パンドラズ・アクター流に言えば「辛抱たまらん」という状態に陥るため、魔導王アインズの姿で政務や公務を円滑に且つ迅速に遂行すべく、彼を補佐しバックアップする要員として、魔導国の大参謀たる悪魔が派遣されたのは、無理からぬ事態であった。何より、完璧完全なるアインズの統治能力には百歩どころか千歩も劣るNPCである彼らが、主人の代役をたった一人でこなすなど不可能なこと。アインズが一時的に抜ける穴を埋めるためには、ナザリックの誇る智者が、最低でも二人体制で臨まなければ、愛する主人の国政に瑕疵(きず)を与えかねない以上、この政務補助体制は絶対に崩すことは許されない。

 最近では三人の智者に並ぶとも称されるほどに研鑽(けんさん)を積んだ“若君”の力も借りることが多くなっているが、「自分などまだまだ」というのが、王太子殿下の人柄の良さを物語っている。

 

 アインズの“モモン”としての出陣は久々な上、それが決定したのは“昨夜”ということもあってか、その擦り合わせ作業にデミウルゴスやアルベドたちが奔走することになったのは、言うまでもないこと。

 勿論、そのことで生じる参謀や宰相をはじめとした各守護者やシモベたちへの負担などについては、不満など出るはずもなかった。むしろ彼らは、主人の願いや望みを叶えるべく創造された存在。その成就のために労を尽くせることをこそ、至上の喜びとするNPC(シモベ)たちなのだ。これまでナザリックの為にアインズが惜しみない愛情と尽力を注いでくれている事実を思えば、感謝こそすれ不満を懐くことなど、シモベにはまったくありえない思考回路である。

 アウラは長く伸びた自分の毛先を、指先でつまみながら頷くしかない。

 

「まぁ、そうだろうとは思ってたけどね」

「それに。彼奴等(きゃつら)天使ギルド連中の動向も、逐一把握しておかなければならない。監視態勢は24時間に渡って継続できるよう、あれ(・・)をはじめ、アインズ様直々に創造した部隊も投入されている現状下ではありますが、油断は許されませんからね。今一度、奴らに関して判っていることを皆さんと共有したいと思い、資料をまとめておきました」

「……ちょ、これを政務補助の合間に用意しなんしたと? この量をでありんすか?」

「ええ、シャルティア。ほんの片手間ですが」

 

 あたりまえに過ぎることを確認しつつ、デミウルゴスが空間から取り出したのは、なかなかの厚みがある書類の束。

 これには、接近できる限りの範囲で──数km圏より外側より空撮しておいた天使ギルドの構成員だろう連中のスナップ写真や行動記録など──その要約(レジュメ)を、ここにいる人数分、用意していた。全員が配られた紙束を手にとり、付属している写真の中の影を記憶していく。

 

 赤黒い円環を戴く堕天使が一体に、

 NPCと思われる者たちが十二と、四匹。

 

 金髪碧眼の女騎士、銀髪褐色の修道女、銀髪美貌の牧人、赤髪片眼鏡の魔術師、暗灰色の髪の黒衣、明灰色の髪の白衣、全身鎧を纏う巨兵、袈裟を着る有髪僧、蒼髪に剣装の少年兵、黒髪黒褐色の巫女、緑髪褐色の踊り子、銃火器を軽々と担ぐ赤ん坊……これらに、フェレットのような小さな獣が四匹、追加される。

 これら以外の存在は、現在までのところ確認されていない。

 この空撮された者らが、拠点の出入口である鏡から飛び出してきたすべてだ。

 

 拠点の内部構造把握や、さらなる拠点構成員……PCやNPCの有無については未知数。事態が事態だけに、無理矢理に突貫していくという策はありえない。魔導国の臣民たる「冒険者」を派遣して調査するというのもナシだ。今は、こちらから奴らに対して付け入る隙を与えるべき時ではないのだから。

 デミウルゴスは簡潔に、100年後に転移してきたギルドの首領についての情報を伝達する。

 

「アインズ様の御推察されるプレイヤーは、この堕天使。

 マルコとのやり取りで判明した個体名、カワウソ。彼の者の従者として常に傍に侍る女天使、この個体名はミカということも解っておりますが、いずれも偽名や偽称の可能性もありますね」

「カワウソって、水辺にすむ動物の?」

「やもしれませんが、確証のない話です、アウラ。ここでは単純に、堕天使とだけ呼んでおきましょう」

 

 デミウルゴスはレジュメの三ページ目を開くよう、同僚たちに求めた。

 

「奴の情報の中で特筆すべきは、堕天使でありながら天使の輪に酷似する装飾を浮かべ、それは戦闘中であろうとも、彼の者から離れることは一切ないこと。ティトゥス司書長やユリを動員して図書館のデータと照合しておりますが、堕天使でありながら“天使の輪”という特徴を戴くことはありえないということが確認されております」

 

 堕天使は強力な物理攻撃や魔法攻撃、状態異常(バッドステータス)に“(もろ)い”特性を持つ。

 それを考えると、奴の装備は中々にスカスカで軽い印象しか見受けられない。

 鎧と足甲は重厚そうだが、その両腕は堕天使の日に焼かれた肌色をさらし、弱点となる頭部をさらした姿でいるというのは、一体どういう了見なのか理解に苦しむ。あれでは超長距離狙撃によるヘッドショットでもくらえば、あっという間に死んでしまうはず。あの赤黒い円環によって、不可視不可知の防御手段が展開されている感じなのだろうか。

 他にもいくつかの推論は成り立つが、現状において確実な情報でもない為、この場では割愛する方がいい。時間は有限。より重要な確定情報をデミウルゴスは(そら)んじた。

 

「あの堕天使プレイヤーは、死の騎士(デス・ナイト)をはじめとする捜索隊や、森を破壊した攻撃方法から察するに、神聖属性に重きを置いた存在であることが推察できます。写真D-01~06で見受けられる剣から放出される光の斬撃は、聖騎士(ホーリーナイト)聖上騎士(パラディン)に連なる攻撃スキルのそれと酷似しておりますね」

「つまり、あの堕天使は、アインズ様とは相反する属性に長じた存在、ということですね?」

「ええ、セバス。その可能性は極めて高い。堕天使の割に、神などへの“信仰”を頼みとする聖騎士というのは奇矯な話ですが、何はともあれ、これは憂慮すべき事態であることに変わりない」

 

 吸血鬼なのに信仰系魔法詠唱者が一人この場に着席しているが、天使種族の信じる神というのと、シャルティアの信じる邪神“カインアベル”とは当然、違う。奴がどんな神を信じているのか、興味は尽きないところだ。

 デミウルゴスは続ける。

 

「ですが、奴がアンデッドにとって危険極まる信仰系職業(クラス)保有者である事実は、アインズ様も当然の如く御承知のこと。既に、アルベドやシャルティアの協力のもと、奴等と接触する上で十分な神聖属性対策と天使への防御手段は講じられており、熾天使の中でも最上級の力を示すものがいなければ、(おそ)れるには値しません」

「で、でも、あの、デミウルゴスさん。えと、こ、このレジュメ、じゅうろく、ページの、その」

「……何が言いたいの、マーレ?」

「マーレは堕天使の従者を務めている女天使を危惧しているのよ、アウラ」

「ええ。少しとびますが、マーレの言う通り十六ページ目をご覧ください」

 

 (うなが)され(ページ)をめくった守護者たち──アウラ、コキュートス、セバスが目を見開いた。

 

「ちょ、デミウルゴス! これヤバいじゃん!」

「ナ、ナントイウコトダ……」

「これは、しかし──」

 

 判別できた種族レベルは、ほんのごく一部でしかなかったのだが、それでも、その情報は守護者全員の意識を縛り上げるのに十分な効果を発揮した。

 

「まさか……あの女天使が、熾天使(セラフィム)ですと?」

 

 デミウルゴスは、執事らしい沈黙を保ちきれなかったセバスの懸念を補説する。

 

「遠方遠隔地からの鑑定ですので、これ以上は調べようがありませんが、ニグレドは数度に渡って、隠密裏に、奴らにそれと悟らせること無く、鑑定を続けてくれました。この情報の精度は確かです」

 

 ユグドラシルでも、ある程度までは敵の「情報」を読むことに長けた魔法や特殊技術(スキル)などが存在しており、それを使って、ユグドラシルプレイヤーは未知なるゲーム世界内で邂逅するモンスターの強さを断定できた。それを流用・強化することで、場合によっては敵対するPC・NPCの正確な種族・職業レベルを鑑定し尽くすことも可能で、その情報をもとにプレイヤーたちは敵の扱うステータスや属性、得意な戦法、弱点などの有無などを推理考察する仕様であったのだ。

 ミカたちに代表される拠点NPCたちは、その仕様上、プレイヤーほど情報系魔法や特殊技術(スキル)に対する対策は、そこまで機能し得ない。が、ナザリックが誇る情報の専門家──情報系魔法に特化したレベル構成のニグレドなどは、自身の身体能力や戦闘手段をほとんど持たない代わりに、その機能を発揮するだけの力を与えられた存在。

 アルベドの姉という立場にある、現ナザリックに存在する全混血児(ハーフ)の乳母的存在として一定の支持を得ている情報系魔法詠唱者の手腕は絶対的だ。デミウルゴスがこの情報に太鼓判を押して当然な確度を誇っている。

 だとしても。

 否、だからこそ。

 得られた情報は、ナザリックのNPCたちに、ある種の危機意識を植え付けるのに十分な可能性を想起させた。

 

「奴等の拠点には、熾天使が満載されている可能性も、否めないということね」

「まったく。……忌まわしいことでありんす」

 

 アルベドとシャルティアがぽつりと零す。

 

 熾天使は、ユグドラシルでも中々レアな異形種(モンスター)として有名であった。

 月天の熾天使(セラフ・ファーストスフィア)から始まり、水星天(セカンドスフィア)金星天(サードスフィア)……恒星天の熾天使(セラフ・エイススフィア)原動天の熾天使(セラフ・ナインススフィア)と続き、最終的には至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)という最大最上クラスにもなれば、守護者たちの主人たるアインズであっても、警戒して余りある脅威となる。守護者の中の何人かは、まともにぶつかっては勝機など見込めないほどの力を、最高位天使たる熾天使(セラフ)(クラス)は秘めているという、事実。

 唯一の救いというか、付け入る隙となるのは、現在まで確認された純粋な熾天使(セラフィム)というのは、あの黄金の女騎士一体に限定されているところだろう。

 他の連中は鑑定できた限り、智天使(ケルヴィム)主天使(ドミニオン)、あるいはレア度の低い各種天使の他に、精霊(エレメンタル)翼人(バードマン)を複合させた個体が存在し、熾天使なみのレア度というのは、数多の剣を纏う蒼髪の少年兵の保有する“花の動像(フラワー・ゴーレム)”くらいだろうか。

 判別できる全員は、展開されている幻術や装備の影響で合計レベルなどの詳細については判然としていないが、部分的な、主たる種族構成を断片的に読むことだけは可能だった。

 これ以上の探査を敢行するとなると、ニグレドなどには現地にまで──つまり“スレイン平野”にまで足を運ぶことになるだろうが、彼女は情報系魔法に重きを置いたシモベである以上、自力での戦闘には不安が残る。かと言って、護衛体制を盤石整えて行こうとすれば大所帯になってしまい、連中に逆に探知発見されるような事態を招きかねない。

 慎重を期するのであれば、ここで無理をするのは愚の骨頂でしかないのだ。

 

「飛び出してきた連中全員が熾天使でないところから推察するに、連中はそこまで強力なギルドでないのか……あるいは、地上で活動していた連中は、拠点内の雑兵でしかないのか」

 

 可能性としては五分だと、デミウルゴスは評価する。

 地下潜伏型ダンジョン方式のギルド拠点というのは、その強弱に関わらず、そこに至るまでのフィールド──土地の特性や、棲息するモンスターの種類や総数によって、かなりの攻略難易度を誇る。都市や城邑のように、常に衆人環視の目にさらされるような拠点は、一部例外を除いて、得てして攻略しやすい。都市はプレイヤーが常時行き交うのに不都合がない環境が整っていたり、入口が四方八方──場合によっては、上空全周囲から侵入され攻略される危険性が高いことを考えれば、都や城などの拠点はまったく防衛には向かない。よほど強力な守護者を創り上げ、効果的な罠を敷設し、ある程度のフィールド特性──〈飛行〉魔法の禁止や特殊技術(スキル)使用制限など──を得ておかなければ、まるで話にならない。

 とすれば。

 ナザリック同様に地下潜伏型の特徴を持つあの天使ギルドは、生半可な情報で早合点し攻撃するのは、危険を通り越して馬鹿げた話でしかない。

 仮に、飛び出してきた十二体と四匹のすべてがLv.100と仮定するなら、その総数を合計して計算すると、拠点レベルは1600。無論、個体ごとに割り振りにばらつきがあるだろうことを考慮すれば、これよりもさらに低くなるはず。だとすると1200~1400が妥当な数字だろうが、何事も想定される以上の事態をも想定しておかなければ。

 

「我々もまた、油断なく連中と渡り合わねばなりませんことを、皆様にはご理解していただきたく思います」

 

 守護者たちが鋭く頷く様に笑みを深め、直近の問題──堕天使と直接接触しに赴いた主のことについて言及していく。

 改良に改良を重ねた“受肉化”の果実(アイテム)。完全完璧といえる人間の姿に変貌を遂げたアインズは、その装備をはじめ、従者役の孫娘(エルピス)や、すでに堕天使と接触して情報を送ってくれたマルコという、腕利きの護衛がついている。万が一の時には、守護者たちの何人かが緊急出動する態勢も万全となれば、連中が至高の御身を害する可能性は、万に一つも存在しない。

 

「でも、本当に大丈夫かな?」

「そんなに悲観することでもありんせん、アウラ」

 

 デミウルゴスが応じるよりも先に、親友の吸血鬼が闇妖精(ダークエルフ)の乙女を窘めた。

 

「アインズ様は、天使どころか“神”をも超越する存在。あの程度の奴儕(やつばら)に後れを取ることなど」

「そういう増長が危ないって、判って言ってるの。シャルティア?」

 

 シャルティアは思わぬカウンターに表情を「ぐぬぬ」と歪める。

 

「……でも、まぁ。不安がっても仕様がないよね。シャルティアの言う通り、悪く考えすぎるのもあれだし」

「そうよ、アウラ。アインズ様が約束された以上、必ず御帰還なさるわ。愛する私たちのもとに」

 

 同じ王妃として共にある女悪魔にここまで言われては、陽王妃たる乙女は納得するしかない。

 アインズ・ウール・ゴウンに敗北はない。

 そして、アインズが戻ってこない事など、ありえない。

 見上げた大画面では、堕天使の信頼を得たかのように話し込むモモンの姿が映し出されている。一行は至近にあった穀物を満載する倉庫に匿われ、そこで族長たちの到着を待つことになったようだ。

 危険の種子など何処にもない。そう確信させるような遣り取りが交わされていた。

 

「ソレデ、デミウルゴス。今後ノ方針ニツイテハ?」

 

 魔導国の国軍を預かる大将軍に、悪魔は軽く頷く。

 

「基本的には、引き続き監視と観測が続けられることになります。監視対象が増えるのは想定内の事態ではありますが、各都市に散った三体のNPCについては、有事の際にはアインズ様の上位アンデッドを投入することの許可も下りております」

 

 いっそのこと、各地に散った連中の三人をすぐさま拘束してしまえばともコキュートスは主張しかけるが、それはアインズの望む融和策を考えて否決する他ない。

 

「スベテハ、アインズ様ノ御心ノママニ、ダナ」

「ええ。いずれの行程を経るにせよ、あの天使ギルドを掌握することができるのであれば、ナザリックの支配体制に、さらなる力をもたらすことでしょう」

 

 プレイヤーの蘇生実験。

 他ギルドに属するNPCの生態調査。

 この世界における他ギルドへの干渉の可否について。

 

 奴らを懐柔し篭絡した暁には、魔導国は、ナザリック地下大墳墓は、さらなる飛躍と軍拡を遂げるはず。

 アインズはそのための布石として、奴等がナザリックに、魔導国に加わるに相応しい人材かどうかの測量を、自らの目で遂行しようというのだ。これは、デミウルゴスから見ても途方もない慈悲であり、同時に悪魔の大参謀には考えもしなかった──殲滅と蹂躙による暴虐以外の道を、アインズが開拓してくれた深謀遠慮を、如実に物語っている。

 確かに、連中を一気呵成に取り除く際のリスクを考えれば、一度は連中の懐に忍び寄り、急所を一刀のもとで深く抉ってしまった方が、跳ね返ってくる危険は薄まる。熾天使をはじめとした強力な天使モンスターによる反撃を許してしまえば、最悪の場合、国内でいらぬ騒乱や混沌を招き寄せるやも知れない。

 デミウルゴスが、何もアインズ自らが懐に入り込む役をやる必要は、当初思考の端にすら思わなかったのは、ひとえに至高の四十一人のまとめ役にして、自分達ナザリック地下大墳墓のシモベたちが唯一忠誠を尽くせる絶対君主──待ち望んだ継嗣である“若君”もいるが、やはり忠誠の度合いはアインズの方に軍配が上がるもので、それを当の“若君”も「当然」と認めている。父に似て、慈悲深い王太子なのだ──への負担と危難を一切排除したいという、NPCらしい忠道の思いからに他ならなかった。

 無論、連中の首領と目されるあの堕天使が、率先してナザリックの庇護下に(くだ)ることを認め、アインズの支配に従順でいるのであれば、悪魔には何の文句もないのだが。

 しかし。懸念は残る。

 

「で、でも、あの、デミウルゴスさん」

 

 成長した闇妖精の少年……ほとんど青年といってよい同胞が、さらに疑問する。

 

「何です、マーレ?」

「えと、あの人たちが、ナザリックに、その、そう簡単に、くだるのでしょうか?」

 

 果たして、そう上手くいくかどうか。

 マーレが言わんとする懸念は、デミウルゴスの叡智をもってしても、読み切れない。

 

「確かに、無知蒙昧に過ぎる下賤な輩では、我等ナザリック地下大墳墓の威光と支配の素晴らしさを解せず、反発することも十分にありえるでしょう。……かつて、このナザリック地下大墳墓の深部……私が守護する第七階層“溶岩”までを蹂躙し尽くした“プレイヤー”なる存在は、まったくもって、信頼には値しない。……皆さんも、覚えているでしょう? あの“大侵攻”の時を」

 

 刹那、憤怒に焦がれたのは、デミウルゴスだけではない。

 第九階層にいたセバス、第十階層の“玉座”にいたアルベド以外の四名……シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレを含めたほとんどの階層守護者たちは、思い出すのも忌まわしき大侵攻──1500人からなるプレイヤーたちの連合に攻められたあの時、あの瞬間に、一度だけ力尽きた。

 自らの無力さを嘆き、敵であるプレイヤーたちの傲慢を呪いながら、彼らは等しく死の(とこ)につくことになった。

 

 ──そうして、すべてが終わった後。

 

 無残にも敗れ去り、無念にも役目を果たしきれなかった、無様な失態を演じた自分(NPC)たちを、御方々は深淵よりも尚深い愛と慈悲によって、復活を遂げさせてくれた。

 ナザリック地下大墳墓という最高の地を再び踏むことを許し、再び御方々のために働き戦うための命を、与えてくれた。

 

『よく戦った』

 

 そう復活した際に御方々から声をかけてくれた瞬間を、

 その時に懐いた尊崇と敬愛の念を、

 守護者たちは、覚えている。

 

「おっと失礼」

 

 目元の雫を悪魔は指の先ですくう。

 誰もそれを咎めることは出来ないのは、彼の胸に宿る感情と感動は、等しく全員が理解できていたからだ。

 

 この方々のために生き、

 この方々のために戦い、

 この方々のために死ぬ。

 こんなにも素晴らしいことが、他にあるはずもない。

 

 見れば、シャルティアも頬を濡らし、コキュートスが極寒の吐息を熱くし、アウラも服の袖で顔を拭い、マーレが鼻をスンと鳴らして嗚咽をこらえる。頷くセバスやアルベドも、彼等の復活を行った現場を目にしており、その時に懐いた想いは、ほとんど同一と言っても良い。

 

 全員が密かに、だが確実に至高の御方々への尊信を深め、唯一残ってくれた主人アインズへの敬服を篤くする傍ら、デミウルゴスは新たな思考を得る。

 

 

 もし……もしも、だが……

 

 

 あの大侵攻に関わるプレイヤーが、自分たちの前に、再び現れたとしたら?

 

 

「──フフ。ありえませんね」

 

 デミウルゴスは失笑を浮かべる。

 1500人からなる攻略部隊の存在は、すでに過去の事。

 あの時にナザリックを侵した連中のことは、思い出すだけで(はらわた)が煮えくりかえるほどの憎悪と憤慨と烈意を掻き立てられるが、あの堕天使には関わりのない話だろう。

 仮に、あの堕天使(カワウソ)が大侵攻に関わっていたとしたら、デミウルゴスは覚えているはず。彼の叡智は第七階層を蹂躙した1000人以上からなるプレイヤーなどの顔、そのひとつひとつを記憶し、そのすべてに対して等しく悪辣な呪詛と侮蔑を懐いてならなかった。自分が守護する”溶岩”の赤熱神殿にまで、たどり着けた天使──堕天使は存在しない。それ以前の階層──特に、第五階層“氷河”と、その地を守護する友・コキュートスの力は、天使にとっては致命的に相性が悪い。

 故に、

 デミウルゴスはカワウソという堕天使プレイヤーなど、当然の如く会ったことがなかった。

 

 

 

 NPCの記憶について補足しておく。

 ──この異世界で復活を遂げたシャルティアは、洗脳され、アインズに敗死するまでの経過を覚えていなかったのは、ひとえに彼女が“ナザリック(がい)”で死んだことが起因しており、ナザリックから外へ出る直前までの記憶は保持していた。これはもともと、ユグドラシルの仕様上、拠点NPCは拠点外で活動することを考慮していない存在だからゆえの事象と、アインズは推測している。

 つまり、“ナザリック(ない)”で起こった戦闘については、NPCたちはたとえ死んでも、忘れることは出来ない。

 そうでなければ、デミウルゴスたちは1500人からなる“大侵攻”を覚えておくことも出来ないはず。

 だが、ここにいる全員が、ナザリック地下大墳墓に特別に創造された、ほとんどすべてのNPCは、そのことを記憶できている。直接、防衛戦に関わることのなかったメイドたちですらもが、神聖不可侵なるナザリックへの侵攻を(くわだ)て、第八階層の”荒野”──自分たちの階層の真上にまで迫った外の存在……プレイヤーを怖れる者と侮っている者が多数派を占めている。

 

 

 

 デミウルゴスは、仄暗(ほのぐら)い可能性を、喜悦とも憎悪ともつかない欲火を、胸の奥底で(たぎ)らせてしまう。

 ──仮に。

 もし仮に、だが。

 あの堕天使(カワウソ)が、何らかの形でナザリックへの侵攻をなそうとした愚物だとしたら?

 

「……いずれにせよ、すべてはアインズ様の御心次第」

 

 連中に対する調査事項をひとつ追加しておくことにしたデミウルゴス。

 

「……ちなみに、なのだが、シャルティア」

「なんでありんすえ?」

「君は、あの堕天使のプレイヤー……本当に見覚えはないのかい?」

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは、ナザリック地下大墳墓の第一・第二・第三階層の”墳墓”を守護する真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)。必然的に、ナザリックに侵攻しようとする小悪党や盗人共と会敵する機会は多かった。

 だが、

 

「いいえ。見覚えないでありんす?」

 

 これは、シャルティアの記憶力が(つたな)いということではない。

 カワウソは、堕天使の外装(アバター)を作る際、課金などによっていろいろとビジュアル変更を施しており(それであの醜悪な面貌なのは仕様でしかない)、最後にナザリックへと侵入し、シャルティアと一戦交えた時とは違う顔になっている。

 至高の御方々であれば、その見目麗しい造形の冴えを見事看破する死体愛好家(ネクロフィリア)の戦乙女にとって、あの堕天使の面貌は記憶の中に留めておく価値すらない劣愚の肉塊にすぎず、言ってしまえば人間種のプレイヤーとの違いすら判然としない程度の興味しか抱かない(これが至高の御方々であれば、当然のごとく例外的に美しい面貌に認識が改められるのだが)。

 そして、言うまでもないが、カワウソが堕天使になるならない以前から彼個人は侵攻できていない、つまり、面識のないコキュートス以下の階層守護者たちは、カワウソがナザリックに再攻略を挑んだ蛮勇の徒であることすら認識し得ない以上、カワウソのことを知っている存在など、このナザリックに存在するはずもなかったわけで。

 

「やはりそうですか」

 

 そう惜しむ悪魔の参謀の耳もとに、元気な乙女が最後の疑問を投げかけた。

 

「それでさあ。飛竜騎兵の領地に現れた、あの黒いの。デミウルゴスが用意した仕込み?」

「んん? 黒いの?」

「あ、ええと、こ、これです」

 

 遅れてやってきたデミウルゴスは、モモンたちの戦闘映像を確認していない。

 マーレは映像端末を操作し、記録された数分前の映像──モモンとカワウソによって討滅される黒竜の動画──を、今も映し出される生中継(リアルタイム)映像の横、大画面内で二分割された一方に投影する。

 二人のプレイヤーによって討伐される暴走飛竜の姿。

 

「ほぅ……」

 

 それを宝石の眼球で確かめた悪魔が、顎に手を添えて、一言。

 

「何です? この黒い飛竜?」

 

 心底から珍しそうに零れる悪魔の美声。

 

「     え?     」

 

 彼の声の意味を理解できず、アルベドやシャルティアたちが、きょとんと眼を丸くしてしまう。

 そんな同胞たちの様子に、デミウルゴスは心外そうな声音で呟くしかない。

 

「──『え?』ってなんです? 私、何かおかしなことを言いましたか?」

「いや……だって、こういうのって大概は、その?」

「えっと、デミウルゴスさんの仕込み、じゃあ?」

 

 アウラとマーレが疑念するのを、デミウルゴス以外の全員が頷く。

 

「あのですねぇ……私が何もかもを御膳立(おぜんだ)てできると思わないでいただけます?」

 

 それこそ、比較するのもおこがましいことだが、デミウルゴスを超える智謀の持ち主、ナザリック地下大墳墓の絶対支配者であるアインズならまだしも。

 魔導国による大陸統治にしても、アインズという絶対者の手腕・力量によって、デミウルゴスの計画を超越して余りある平和が築かれている。アインズの慈悲によって、いくつの都市が戦乱を不毛と悟り、いくつの種族が救済されてきたのか。──無論、どうしようもない犠牲、アインズの支配の素晴らしさを理解できない愚昧というのも僅かながら存在しているのは事実だが、それすらも乗り越える努力をアインズは常に目指し続けている。デミウルゴス程度では無視して当然の生贄(いけにえ)にすらも、御方は慈悲をかけるとは。

 

「魔竜や邪竜並みの再生速度の下等竜種(ワイバーン)……これが、仕込みでないと?」

「じゃあ超自然的な異常発生ということでありんすか? そんな馬鹿な話がありんすか?」

 

 アルベドとシャルティアが悪魔の仕込みの可能性を想起するのは必然だった。

 悪魔的な造形を施された異様な飛竜の姿。並の飛竜騎兵をものともせず、堕天使に食らいつかんと暴走したアレが、彼の仕込みでないとしたら、一体だれが、なにが、あんな異形を産み落としたというのか。

 

「私は、ほんの少しばかり──“種”を蒔いただけですよ?」

 

 ただ、その蒔いた“種”が、いつ、どこで、どのような“花”を咲かせ“実”を結ぶのかは、わからない。さすがのデミウルゴスですら想像がつかないのだという。

 果たして何が芽吹くのか。最上位悪魔ですら予測不能。

 だからこそ、この仕込みは完璧なのだ(・・・・・・・・・・・)

 

「なるほど、そういうことね」

 

 発言に含まれた意味を受けとった彼並みの智略を誇る女悪魔が、ただ一人だけ頷く。

 

「……ドウイウコトダ?」

「想像がつかない、“種”とは?」

 

 コキュートスとセバスが再疑問する。

 

「アインズ様が推し進める”あの計画”の為、よね?」

 

 女悪魔の告げた、短くも簡潔な単語の意味を、知らない者はいない。デミウルゴス以外の全員が意外そうに瞠目しているが、”計画”という単語を聞いた段階で、ほとんど全員がひとつの確実なる結論を胸に秘めることになる。

 しかし、それがデミウルゴスの仕込みと呼ばれるものとの整合性が取れていないのも事実だ。悪魔の参謀はしようがなしに、確信を込めて告げる。

 

「私が、あの地に宿した仕込み──“種”というのはですね────────」

 

 

 

 

 

 具体的な内容を聞いた者たちは、既に判っていたアルベド以外の全員が、納得を懐くに至った。

 

「確かに、それは必要な事でありんすね」

「マッタク。スグニ解答ニ至レナイ己ガ不甲斐ナイバカリダ」

「しようがないよ、コキュートス。これは私もすぐには解んなかったし」

「えと、あの、き、危険は、ないんでしょうか?」

 

 闇妖精の青年に、デミウルゴスは首肯を送る。

 

「無論、危険でしょうね」

 

 ほぼ全員が目を細めた。

 場合によっては、この仕込みはデミウルゴスの裁量や器量に収まらない案件に発展するやも知れない。アインズの計画に必要な事とはいえ、何がどう影響して、どれほどの事態に発展するのか予測がつかないというのは、酷く不安定な代物であることを如実に表している。

 あるいは、あの黒い飛竜のように。

 突如として意外な形や脅威の姿をとって出現する可能性も、なくはない。

 最悪の場合は、デミウルゴスの手には余る事態にまで、”種”が肥大成長する可能性だ。

 そんなことはありえない。今までは確かにそうだったのだ。

 だが、これが明日の朝には恐るべき怪物を産み落としていないと、誰が保証するのか。

 

「デミウルゴス様。それはあまりにも、無責任な発言では?」

「かもしれないね、セバス。それは解っているとも。だが、それならば君はどうする?」

 

 悪魔は執事を嘲弄するでもなく、まっすぐに見上げる。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国を、御方が築き上げた超大国の歩みを、ここで止めることが許されるのかね?」

「それは……」

 

 セバスは口ごもるしかない。

 そんな老執事に対し、悪魔は攻撃とは違う音色を携えて、同胞の異見に一定の理解を示した。それは人々を「教導」するが如き、悪魔の述懐であった。

 

「無論、私も、我が私設部隊を派遣し、市井を管理監視する役目を与えた悪魔たちを隠密裏に放って、最低限の情報を得ている。飛竜騎兵の領地で、セークの族長らがやっていることも理解しているつもりだよ。

 しかし、だからといって、何もかもを制御しようとしても上手くいくはずもないのだよ。それをしようと思えば、魔導国は永遠の停滞を受容するも同然のありさまに陥るだろうね。そんな事態を良しとするのかね、君たちは?

 勿論、仮にアインズ様がそれを望むというのであれば、停滞でも凍結でも何でも請け合うところだが、アインズ様の望まれていることは、皆も知っての通り”発展と進歩”だ。この100年で、国土は完全に奉献され、反抗勢力など吹けば飛ぶ塵埃ほどが精々というところ。これ以上の”発展と進歩”に何が待ち受けているのかは、私が戴いた力をもってしても、正直なところ想像がつかない」

 

 アインズが目指す永遠の魔導国。

 それを成し遂げる為に、この仕込みは必要な事。

 そして、その程度の事を、あの至高の御方々のまとめ役であられる超越者(オーバーロード)が、考えが及んでいないはずもない。

 これまでと同じように。

 

「この世のすべてを、アインズ様に捧げる為に、皆の協力を、伏してお願いしたい」

 

 デミウルゴスの弁舌に感嘆しつつも、その内容の奥にあるアインズへの忠烈を感じ取り頷く一行は、気を引き締めて協議内容の確認……100年後に現れたギルドの情報についての会談を再開しようとした、

 その時。

 

 コンコンコンと、

 

 執務室の扉を叩く音が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




熾天使(セラフ)(クラス)については、書籍一巻でアインズ様が危惧した場面を参考に、恒星天の熾天使(セラフ・エイススフィア)至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)の間を埋める感じで命名しております。
……果たして今後劇中で登場するのだろうか。

あと、
第一話でもチラッと言ったことですが。
かつてナザリック地下大墳墓に侵攻した1500人からなる討伐隊の件──第八階層での戦闘については、書籍やWeb版を参考にした作者の独自設定、考察などが含まれております。「こんな感じだったんじゃないかなぁ」という程度ですので、そこはご注意ください。

討伐隊の話、書きたいなぁ(いつ書けるのかは不明)


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調

/Wyvern Rider …vol.9

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「なんてこと……」

 

 ハラルドは、指示を仰いだ自分の族長、ヴォルの命令により、街はずれの墜落地点にそのまま留め置かれた黒飛竜の骸の前で、彼女らを迎え入れる。

 布で覆い隠した異様な死骸を目の前にして、族長は落胆の声を挙げる。〈伝言(メッセージ)〉を受け、早馬のごとく直接伝令に赴いた一番騎兵隊の飛竜騎兵に促された女族長は、ヘズナ族長との個人会談も終えて婚約者の彼を見送っていた為、この場に直接訪れることを即決できた。

 それに伴い、モモンの求めに応じ、邸に招集していた人の移送も。

 老いた飛竜に乗った者と、若い飛竜の抱える籠に揺られて舞い降りた者が、一人ずつ。セークの部族が誇る知恵者たちが、族長を含めて──三人。

 

 危なげなく老竜の鞍から身を翻す老人は、先ほど秘密部屋で会った時の装束の上に、昨夜と同じ武装した格好で現れた。ハラルドの部下である老兵であり、ハラルドの“元”上官。

 次に、若い飛竜が抱えた籠から身を乗り出して、運んでくれた若い騎兵の手を借り、何とか老人は大地へと降りるが、足が悪い彼は車椅子に腰掛けるのを余儀なくされる。

 

 彼等もまた一様に、目の前にある死骸が信じられないという面持ちで、死に対する礼儀として飛竜騎兵の祈りの姿勢や仕草をとる。黙祷の儀──心臓の真上に五指を突き立て、そこにある臓腑を引き摺り出すかのような形をとるのは、「心が掴みだされるかのような」深い悲しみの表れとされるもの。

 その膨れた黒い異形は、誰の口からも言葉を失わせるほどのものを持っていた。

 首を斬られた飛竜の姿というのは、むしろ見慣れてすらいる。飛竜騎兵は飛竜を食す。食すために飛竜の骸は解体され、等しく食卓のスープなどに盛られるのだ。それが、彼等への供養であり、飛竜騎兵全部族共通の死生観に基づく、葬送の儀であった。

 だが、目の前のコレは、本当に飛竜なのかどうか、疑問せざるを得ない。

 首を落とされた死体である以上の恐怖を、族長たちは感じているのだろう。

 

 幼い「逆鱗(げきりん)」からは想像だに出来ない巨躯を横たえ、飛竜騎兵の里を一時騒然とさせた(ちから)を示した“この子”は、確かに飛竜の特徴を誇示している。だが、生後一年ほどでこの身体というのは、悪い冗談だ。この成長速度では、この黒い飛竜は純粋な“竜”に匹敵するほどの巨体を確保して然るべき道を辿ったのかもしれない。こんな(おぞ)ましく不吉な肉腫に包まれた“竜”が、本当に存在すれば、だが。

 

 竜と飛竜は、違う。

 似ているが決定的に違う生物だ。

 

 竜は四足の、手と足を持つ爬虫類然とした四足獣の背中に、独立した翼を生やすモンスター。巨大に成長を遂げ、基本は個人主義的。群れは滅多に作らず、あらゆる言語を解し、交渉したり友好を結んだりすることも可能な、知性溢れる異形種。

 反対に、飛竜は爬虫類の前肢が翼と同化し、それを使って四足歩行するモンスター。竜種の中では小さな見た目を補うべく、家族や仲間と群れをつくることを前提とする習性を持つ。基本、竜の言語しか解せず、自分が気に入った相手──“相棒”などとの意思疎通だけを可能にし、交渉も友好も通用しない、知性のない(とされる)異形種。

 

 では、この目の前にある亡骸は、何だ。

 いったい、どちらだ。

 飛竜と竜の合いの子とも言えない──まるで飛竜を黒く魔的に改造しただけのような、この子は一体なんだというのだ。

 答えを持たない女族長は一応、自らが連れてきた智者たちにも意見を求めるが、答えは当然(かんば)しくない。

 暗くなる視線で、ヴォル・セークが部下を見る。

 

「彼等は、……何処に?」

 

 彼等という言葉に、ハラルドは了解の意を示した。三人を先導し、彼等を詰め込んだ建物へ案内する。

 歩を進めた先は、街はずれの倉庫……穀物倉の中で人目を避けていた人たち──協力者らと、族長たちは合流を急ぐ。周囲にある人家はまばらな上、カワウソやモモンたちは黒飛竜を討伐した姿を見せていた。認識阻害の指輪も万能ではない。あまりにも注視され続けるのは差し障りがあるらしく、とりあえず人目をしのげて直近にある休めそうな屋内空間が、これしかなかったが故の苦肉の策だ。

 女族長一行は、相棒の飛竜らを連れて、穀物倉の巨大な戸を叩く。

 

 邸で進めていた会談の準備──そのために呼び出された、とある知恵者らを伴って。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「では、そのように話を進めましょう。カワウソさん」

「わかりました」

 

 堕天使は商談をまとめたような調子で頷きを返す。

 この倉庫にカワウソたちが案内され──閉じ込められてから、それほどの時間は経っていない。

 だが、これ幸いとモモンたちはカワウソと話し合うことにした。

 あの黒い飛竜についての対処。ひいては、ヴェルの──セーク族の狂戦士の一件についての今後の対応のことも、互いの意見を交換することができた。

 その内、“黒白(こくびゃく)”のエルが外に無数の気配を感じて声をかけた。モモンは鷹揚に頷く。

 予想通り、倉の巨大な搬入口──運搬を担当する飛竜が積み下ろしをするのに丁度いい倉庫の造りに合わせた巨大な横開きの扉を叩く者たちが現れる。

 モモンが代表し、「どうぞ」と促す。扉に近い位置にいたマルコが下知を受けた女給のごとく、粛々と扉を開けていく(女性とは思えない腕力だ。かなりスムーズに開閉が行えるのは、装備か魔法の力だろう)。

 

「モモン殿、カワウソ殿。皆様方には、部族の皆を代表して、深く御礼を」

 

 カワウソたちの見る先で、セークの族長は開口一番に感謝を告げた。

 ここでは無用となった認識阻害の指輪を一旦外して、とりあえず案内された避難所(そうこ)──ハラルドの厚意によって用意された椅子に腰かけていたモモンとカワウソ。二人の脇にはエルとミカがそれぞれ控えており、ヴォル達一行を迎え入れるべく戸を開けたマルコは、カワウソの背後に回る。

 族長らを案内してきたハラルドの他に、カワウソの知った顔が一つ、知らない顔が一つ続く。

 

「特に、マルコ殿には墜落した二騎の治癒まで行っていただけたようで」

「お気になさらず。落ちた飛竜や騎兵の皆さまは、幸い軽傷でした。倒壊したやぐらの方々も、セーク部族の医務官の方々が治療中です」

 

 死者が出ていなくて幸いだった。死人が出れば、隠蔽の余地なく魔導国に詳細を報告せねばならなかったという。それを怠ることは、臣民の義務に反する──逆心ありと疑われて当然の事態しか招かない。ただでさえ狂戦士(ヴェル)の一件でゴタゴタしている状況で、部族の者に死者が出てしまえば、非常にまずいことになるところだったと、この倉庫内でモモンから語られてカワウソは知った。

 

「では、このような場で申し訳ありませんが。モモン殿のご要望通り、一応ご紹介を」

 

 備蓄された穀物の香りに包まれた、だが決して不快な匂いではない場所で、簡単な会合を開かれる。

 

「セーク部族の長老会に属する者の内の二人です」

 

 モモンの要求というのは簡単明瞭。

 セーク部族の知識者……長老などとの会談の場を設け、彼等から有益な情報を得ようという、至極シンプルな発案だったが、何しろ長老というのは部族の領地内で散り散りとなっており、場合によっては他の小規模な奇岩を統治するのを任された者もいる。長老と言えど暇をもてあそんでいる者は僅かもいないし、暇を出されていようとも、老齢なため飛竜に乗れない者もいる。誰かの助けが必要な場合がほとんどなのだ。族長が〈伝言(メッセージ)〉で招集をかけても、一朝一夕に集まるわけもない。

 そんな状況の中、僅かの時間の内に召喚に応じることが可能だった長老は、二人。

 ヴォルによって案内された二人の内、一人は既に知った顔となっていた。

 モモンが言及する。

 

「──そちらの御仁は、邸の秘密部屋でお会いしましたね?」

「改めまして紹介を」

 

 彼等の長たる女性の声が、朗々と響く。

 

「“老騎”ヴェスト──セーク一番騎兵隊“元”隊長。現存する現役の全騎兵の中で最年長の古強者(ふるつわもの)

 

 彼も長老の一員だったとは。一応見た目は老齢と判る皴の深さに白に染まった紫の髪であるため納得を得るのは早かったが、カワウソは純粋に驚き、モモンもまた感心したように頷きを返す。

 族長の紹介は続く。ヴェスト以外の老人を手で示した。

 

「“老学”ホーコン──医療部隊の代表にして、魔法薬学の師。現セーク家の主治医でもあります」

 

 粛々と腰を折る老人二人が、セーク部族の長老たる二人。

 他にも“老婦”ヴィーゲン──農産技術研究家にして、食料管理の長や、“老吏”シュル──魔導国・一級政務官、政治部や事務方のトップという長老なども数名いるようだが、今は集まっていない。招集令を発し、集合時刻に定めていた昼過ぎまでの間に、あの黒飛竜が出現してしまったのだ。間に合う通りがない。

 役職上の関係で、邸内や邸近くに常駐する二人が先に参じることになったのは、ただの必定でしかなかった。

 

 ヴェストとホーコンの二人は、対照的な立ち居振る舞いをもっている。

 老騎兵は邸で会った時と同じく、かなり厳粛な姿勢を保っており、老兵(ロートル)として恥ずかしくない、まったく老いを感じさせない挙措が印象的だ。身に帯びる鎧甲冑の重みに辟易した風もなく、自分の“相棒”の頬を撫でて労る姿からは、ある種の余裕すら感じられる。

 それに対して、老学者として卓越した治癒薬(ポーション)生成などの技能を誇るらしい禿頭の御老体は、車椅子に腰掛け、骨が浮き上がりそうなほど細い腕などを見るに、実に薄弱とした(たたず)まいだ。白亜の御仁の姿は、頭髪の寂しさや顔だけでなく全身に刻まれた皴の深さから言っても、ヴェストより十年ばかり年長者と見てよい印象しかない。

 

「お会いできて光栄です、モモン・ザ・ダークウォリアー殿、そしてエル殿」

 

 明るく口火を切ったのは、ホーコンの方だ。気軽に、だが礼儀正しく握手に応じる一等冒険者たちに続いて、ホーコンは車椅子を巧みに操り、さらに初対面となる人物に手を伸ばした。

 

「お話は聞いております。ヴェルを救っていただいた、カワウソ殿と方々。誠に感謝いたします」

 

 カワウソは薄く笑って応じるしかない。もはやここまで来たら慣れの境地で、純白の衣服──医者や科学者のような長衣を身に纏う車椅子の老爺に話をあわせた。彼はさらにミカやマルコと挨拶を交わすが、ミカは頑なに応じず、代わりにマルコが二人分の挨拶を受け取ってくれた。本当に申し訳ない。

 改まった挨拶も終えた全員が、早速、とある問題について話し合う。

 

「では、部族で最も知識に長けている族長と、長老のお二人に対し、率直にお訊ねします」モモンは単刀直入に問う。「本当は狂戦士の、ヴェル・セークさんのことをお訊ねするつもりでしたが──あの、黒い飛竜について、族長を含むお三方は、何か心当たりはありますか?」

 

 ヴォル、ヴェスト、ホーコンの表情は、限りなく重い。

 

「誠に申し訳ないことですが、モモン殿。族長たる私、そして長老である二人も、あの黒い飛竜について、知っていることは何もございません」

 

 まったく不甲斐ないと零す女族長の無念さが、この場にいるほとんどの者に感じられたような沈黙が舞い降りる──ことはなかった。

 

「──本当に?」

 

 カワウソは、半ば尋問のような厳しい語気で、問い質す。

 空気を読むならば、ここは沈黙するという選択が正しい気もするが、だからといって石のように口を閉じていても状況は解決しない。

 何より、今は時間が惜しいのだ。黙って時を浪費していては、何もかもが遅きに失するやもしれない。

 ヴォルは僅かに心外そうな面持ちで、だが理知的に応える。

 

「……ええ。私の知る限り、こんな飛竜は見たことも聞いたこともありません」

「そうか。だが、あの黒いのは、間違いなく飛竜の造形を秘めているという。もし仮に、あれが飛竜騎兵の知らない飛竜だとするなら、一体どこからやってきたのか……手掛かりは、アレが“下から飛んできた”という事実だけになる。……この問題に対して、族長はどう対応する?」

「それは、──もっと広く情報を集め、我が部族の記録や歴史を入念に探って、然るべき調査を」

「その間に、またアレと同じものが現れたら、どうする?」

 

 その可能性は想定していなかったわけでもないだろう。

 少なくともヴォルは、表情に驚きを含ませること無く、観念したような調子で頷きを返したのに合わせたので、カワウソは言葉を続ける。

 

「アレは単騎で、数で勝る騎兵隊を翻弄していた。今回は幸いに人死には出なかったが、次も大丈夫という保証はどこにもないと思うが?」

「ええ、ですが対応するにしても、情報が」

「セーク族長。カワウソさんの意見は、自分も同意できます」

 

 カワウソの意見に、モモンが会話に割り込んでまで同調してくれたのは当然であった。

 族長たちを待つ間、倉庫の中でさんざんアレの脅威について話し合い、訪れるやも知れない最悪の状況を想定することができていた。

 有体に言えば、二人共に湧き起こる疑念を、一刻も早く解きたかったのだ。

 故に、二人は示し合わせた通りに、この地に降りかかる災厄の可能性を口にする。

 躊躇(ためら)っている暇などない。

 

「今回、アレは単体の一匹限りでしたが、あるいは他にも仲間が、群れがあるのかもしれない。それに、ハラルド隊長の調べによれば、あれはただの子ども。となれば、アレを産んで育てる個体がいてもおかしくはない上、そうなるとさらに成長した個体がいるのだろうと考えられます。無論、ただの突然変異か異常発生かによっては違う見方もできますが、最悪、アレよりも成長した黒竜の群れが、この里や周辺地域に殺到。大襲撃をかける可能性を考慮せねばならない」

 

 かつては、モンスターを狩るだけの傭兵じみた存在だったという、冒険者。

 しかし、モンスターの脅威は魔導国の台頭と共に一掃され、解放区以外のモンスターは、むしろ魔導王の許しがなければ討伐することは許されないという、ある種の保護生物の様相を呈している(無論、人の居住区である都市や街に迷い込んだものは、緊急避難としての討伐殺傷は一応可能)。

 野にある獣が何らかの因果や要素によって異常発生することも、なくはない。

 だが、あんな異常な形に膨れた飛竜が他にも、最悪の場合は大量に発生しているやもしれないとなれば、可及的速やかに、調査と討伐を遂行しなければ、魔導国の臣民──セークやヘズナの飛竜騎兵たちに被害が及びかねない。

 実際、軽傷者はすでに出ている。これが明日明後日にはどうなっているか。

 対応を誤れば、またいらぬ被害や損害が生じ、今日カワウソらが助けた子らが倒れるなんてこともありえるはず。

 そういった危険を率先して発見し、組合を通して政府に報告、しかるべき手順を踏んで“国”が討伐に乗り出すのを補助するというのが、現在の冒険者に与えられる基本任務のひとつであり、率先しての討伐を冒険者に依頼するということはない。彼らはあくまで調査検分に努め、周辺住民の避難や誘導などを心掛けるよう教え込まれているプロなのだ。

 しかし、一等冒険者(ナナイロコウ)であるモモンには、例外的にある程度の自己裁量特権が与えられているらしく、場合によっては討伐も視野に入れて良い。が、とにかく冒険者の責務として、未知のモンスターの実態を調査することは、まったく当然の選択と言っても良いのである。

 

「……わかりました。お二人の言う通り、調査部隊を至急編成して下の巣に」

「いや、族長。調査には私と、出来ればマルコさんやカワウソさんたちの随伴“のみ”を、お願いしたい」

 

 モモンの申し出に、ヴォルは当然疑念する。

 

「このタイミングで、冒険者である自分がこの地を訪れることができたのは、むしろ僥倖(ぎょうこう)といってもよかった。私たちと、私たちの装備があれば、巣の調査は必要最小限のパーティで進められる。おまけに、中々の実力者であるカワウソさんたちも協力してくれるとなれば、鬼に金棒というところです」

 

 カワウソを同行者に選んだのは、無論、彼が黒い飛竜に抗し得る人物だったからだ。

 冒険者としての常識として、モモンは大量の人間で調査に向かうことの危険を説いていく。

 

「モンスターは、特に竜種というのは鋭敏な知覚能力を持っており、ご存じでしょうが、飛竜のような脆弱かつ矮小なものでも、その傾向は強い。そんなものを相手に調査を行うには、隠密裏に、彼らを一切刺激しない努力が望まれる。そのため、大人数での調査は推奨できない。人数分の〈不可視化〉が行えれば問題ないでしょうが、それほどの備えは貴女方(あなたがた)にはないことは知っております。さらに無礼を承知で申し上げれば、あの黒い飛竜の強さに対し、飛竜騎兵の方々の力では、とても太刀打ちできそうにない。子ども程度の存在だろう黒竜に対し、効果的な攻撃や防衛手段を持たないものばかりを大量に投じても、ただの無駄骨、足手まといになるだけです」

 

 モモンの正論に「その言い分は無礼では」と、族長に長く仕える老兵が気を吐きかけるのを、当の族長が諫めるように手で制した。

 

「確かに。ハラルドたちから伺った話ですと、我々セーク族では太刀打ちならぬモンスターであることは事実なようです」

「ご理解いただけて、ありがとうございます」

「ですが。我々としても、飛竜の巣への調査には騎兵を一人、同行することの許可をいただきたいのですが?」

 

 女族長はギリギリのところで譲らない。

 お目付け役というところだろうか。モモンやカワウソたちが、本当に飛竜の巣で無茶をしないかどうか見定める人員を派遣する旨の申し出を、モモンは当然の如く理解している様子。彼は逡巡するようにカワウソの方に視線を向ける。委細承知した感じで、堕天使は冒険者に「それで構いません」と頷いてみせた。

 

「族長。同行する飛竜騎兵というのは?」

「私がいければよいのですが、ここは…………ハラルド・ホール!」

 

 ヴォルの呼び声に、脇に控えていた一番隊を預かる若者が鋭く応じる。

 が、意外にも目の前の人物は難色を示した。

 

「ハラルド隊長は勇敢な青年だと判っておりますが、あまりにも若い。万が一のことも考えれば、死なせるには惜しい才能の持ち主だ」一等冒険者・モモンが、族長に物申した。「巣に降りるために、できれば巣の内部をある程度知悉している人物がいれば、心強いのですが?」

 

 もっともらしい意見だ。

 いざ飛竜の巣に降りることができても、内部の構造──“飛竜の巣”になっているという、直立奇岩の洞窟内の情報を知っているのといないのとでは、どう考えても知っていた方が調査作業はスムーズに円滑に行えるという理論。

 だが、カワウソとしては、自分の拠点にいるマアトあたりに地図化を頼めば、そこまで苦労する心配はないだろうという心算もあったが、ここは冒険者(プロ)の指示を仰ぐに越したことはないだろう。

 

「詳しい者、ですか…………ふむ」

 

 明らかに言い淀む女族長を、一人の長老がフォローする。

 

「──ヴェストが、それになります」

「騎兵の長老が?」

「ええ。セーク家の家令でもあるヴェスト・フォル。彼はかつて、飛竜の巣で“相棒”を得た帰還者です。それも、二度も。なので、巣の構造や地理関係は、概ね把握できているはずですが──」

 

 もう一人の長老、ホーコンの推挙を受ける形になったヴェストは苦い表情を見せた。

 全員が見つめる先で、白紫の短髪が特徴の精悍な老体が、恭しい挙措で首を横に振る。

 

「この老骨では、皆様の足を引っ張る結果になるだけでしょう」

 

 しわがれながらも謹直な声が、微笑みなど一切望みようのない硬い表情で謝辞を述べる。彼が率先して名乗り出なかったのは、発言した通りのこと──足手まといになることを危惧してか。

 確かに。このご老人が、単独で飛竜と──場合によっては、あの黒い暴走竜と対峙しても、一合も交わすことなく殺される結果しか見えない。

 ヴェスト老騎兵は粛々と辞意を表明し続ける。

 

「巣の内部は、“相棒”の飛竜に搭乗しての探索には向かない空間が多数存在しております。入り口や内部は比較的広大な場所もありますが、巣の詳細な調査となれば、単騎でも戦う力に秀でた、我が隊の隊長こそが、適任かと存じますが」

 

 たとえ、“相棒”の背に乗っていたとしても、アレと同等以上の竜に遭遇すれば、何の戦力にもならないかもしれない。

 黒竜に包囲戦を挑んだ現役の騎兵たちが、幼い黒竜を相手に、何の戦果も挙げられなかった事実を思い出せば、隊長であるハラルドですら、連れていくのは無駄になる確率は高いだろう。お目付け役は必須としても、ただの足手まといが増えるというのは遠慮されて当然というところ。その点で言えば、ハラルド以上の適任など他にはいないのも納得か。

 例外としては族長と、その妹の狂戦士だろうが、まず同行は無理だろう。

 

「では調査には、私とカワウソさん、ミカさんとマルコさん、そしてハラルド隊長で挑むということで、よろしいですね?」

「マルコ殿を?」

 

 ハラルドはセークの者を代表して、冒険者の言を問い質す。

 

「エル殿は?」

「万が一に備えて、里の警備のために残します。巣以外の場所から、あの黒いのが湧く可能性もあるので。連絡と転移を行える魔法詠唱者のこの()を、地表に残しておくのが最適かと」

「しかし、マルコ殿は」

「彼女もまた、中々の実力者。ご心配には及びません」

 

 ハラルドは頷くしかない。彼女は魔法都市(カッツェ)上空で、一番騎兵隊を直卒する少年隊長と戦い、カワウソらが介入してくるまでの間をまったく無傷に敢闘してみせた放浪者。ただの拳で投擲された鎗を弾き、ヴェルとラベンダを護る戦いを良しとした義の女。

 だとしても。

 

「冒険者のチームを崩されて、大丈夫なのですか?」

 

 ハラルドの最後の疑問に、一等冒険者たる二人は同時に頷く。

 冒険者はチームで動く。その原則は悪習でも何でもなく、誠に素晴らしき効率性を保持しているが故の、変えることのできない機能美から生じる常道であった。未知を探求し、探索し、冒険する。その過程において「チーム」という構成は必要不可欠な因子ともいえる。チームだからこそ、弱い命は強靭な結果を勝ち得る。これは自然の摂理ですらあった。

 だが、それは一等冒険者には──戦士のモモンだけでなく、魔法詠唱者のエルですら──通用しない。

 自信過剰、ということはありえない。

 

「それが出来るからこその、一等冒険者ですので」

 

 まさに、御伽噺に謳われる英雄・モモンのようだと、ハラルドは思い知らされる。

 漆黒の戦士が紡ぐ厳しくも勇ましい決定に、その場にいる全員が了承の声を紡ぐ。

 すでに示し合わせていたカワウソも、彼の意見に追随するのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い飛竜──モンスターの骸は、死体をさらしたその場で荼毘(だび)にふされた。

 解体された肉腫……死体の一部や臓器などを可能な限り採取し、〈保存(プリザベイション)〉の魔法で鉄製筐体の中に保管。然る後に魔導国に献上するための物証として必要なものを、可能な限り保存した後の余った死骸は、ヴォル・セーク族長、ハラルドとヴェスト一番騎兵隊の四人、老学者のホーコンと、飛竜数匹が見守る中、用意された(たきぎ)と油と共に火をかけられた。ハラルドたちの相棒たちが、幼い同胞の死を悼むかのごとく、静かに()いた。

 

 だが、これは飛竜騎兵の正常な儀式ではないという。

 こういうのは飢餓や病気、部族間戦争などで“大量死”が出た際の……言うなれば葬儀をするだけの余裕すらない状態でのみ行われる簡略化された手法に過ぎない。

 その様子を遠巻きに眺めるのは、近い場所にマルコ、そしてモモンとエル、それらをさらに遠巻きにしてカワウソとミカが見つめている、五人だけ。

 

 さらに意外なものが、この略式葬儀に参列していた。

 部族の領地に駐在する中位アンデッド──死の騎士(デス・ナイト)の邏卒に、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の事務官が一体ずつ。……死者のモンスターが死者を送る儀式に列する様子は、何というか、珍妙な印象が強いが、これも魔導国の法で定められた義務要綱のひとつらしい。何故、中位アンデッドを葬儀に参加させるのか大いに疑問だが、多分、監視員か記録係みたいなものなのだろう。

 

 戦地などで使うという略式葬儀の文言を唱え続ける女族長は、族長であると同時に、先代の竜巫女の薫陶を受けた、一族の祭司でもあるという。

 彼女が魔法に長じているという話は、彼女がセーク部族の巫女であることの証でもあったようだ。

 そんな見目麗しい女族長の弔歌に耳を傾けつつ、堕天使は嘆息する。

 

「……悪いことを、したかもな」

「カワウソ様?」

「いや、すまん。独り言だ」

 

 軽く手を振って誤魔化す主人に、右隣のミカは憮然と視線を伏せて、空を焦がす炎を眺め見つめる作業に──戻らない。

 

「あの黒い竜を狩ったことを?」

 

 悔いているのかと、言外に問われるようだった。

 だが、カワウソはきっぱりと否定する。

 

「いや。ヴォルに、族長に対して、あの言い方はなかったかもなって、そう思っただけだ」

 

 何処から来たかもしれぬ幼竜を、深い憐憫と共に送る女に対し、カワウソの内心は随分と卑屈な感じにさざめいていた。

 カワウソは、黒く幼い飛竜を殺したことは、大して心動かされた感じはない。ゲームのPOPモンスターを狩った程度の感覚でしか、あの憐れな竜の死を思うことはまったくない。

 できなかったという方が正しいのかも。

 ゲームとは違う生の肉を思うさま切り裂き、命を(ほふ)った感触というのは、生々しいほどに堕天使の掌にこびりついて離れない。そう理解しながら、それを心の奥底で(たの)しんでいるような昂揚が、暗闇の奥に灯る篝火(かがりび)のようにはっきりと認識できる。

 ならば、この冷徹な思考力、冷淡なほどの状況適合力というのは、異形種の脳髄であるが故のものかと思われる。──命を奪う行為に対する忌避感が、そこらの地面を這う虫を誤って踏み潰した程度にしか感じられない。戦闘後によくよく考えてみると、どうしてあんな冷静に戦闘行為を遂行できたのか、軽く恐怖すら覚えかけるくらいに、自分の思考が通常の人間のそれから逸脱している感じが否めないのだ。これが人間のままだったら、果たしてカワウソは黒い飛竜との戦闘をやり遂げられたのか微妙な気さえするのに。

 いや、今は思い煩う時ではない。そんなことよりも(・・・・・・・・)

 カワウソの懸念──後悔は、セーク族長に対しての対応の拙さであった。

「本当に?」などと真正面から(いぶか)しんだのは、やり過ぎだったのではないだろうか。

 自分の言葉選びが不適切だったように思えてならない。

 彼女は明確にしていなかったが、黒い竜の発生源やも知れない“飛竜の巣”を探る可能性くらいは考慮していたはず。だが、カワウソが強く促すようにして、そっちの方向に話を振り切った。そういう自覚が、カワウソにはあった。

 もっとうまく話を誘導することができなかったのだろうか。

 カワウソは営業トークで失態をやらかした後の商取引みたいな感覚──明快な自責の念に駆られてしまう。

 

「いいえ。あの場ではあれで正解だったと思われますが?」

 

 しかし意外なことに、毒舌を誇る女天使の美貌が、カワウソの失敗を労ってくれた。

 

「気心の知れたわけでもない相手を疑うのは、当然の心理でしかありません。それに、セークの部族は、未だに何かを隠している(・・・・・)。そんな相手を信用することはできないというのが、むしろ普通では? ヘズナ家に雇われたモモンも、族長たちが倉庫に着くまでに、そうお話していたではないですか」

「セークの族長たちを疑っている──って話か」

 

 ヘズナ家に、一応はかつての敵対部族に雇われた存在だからこその判断であるだろうが、それを加味しても、今回の事件──セークの領地に現れた黒い飛竜の一件については、さすがに猜疑されて当然な状況に相違ない。

 一般的な飛竜騎兵が認知しない、強大な力を秘める、黒い飛竜。

 ヴェル・セークという狂戦士が暴走した事件から幾日も経たずに、こんな異常事態に陥るとは。

 まるですべてが図られていたかのようにすら思える。

 

「ですので。カワウソ様一人が、勝手に恥じることなどないと思われやがりますが?」

「そう割り切れるものなのか?」

 

 訊ねながらも、ミカの毒言に理解を示すことができる。

 カワウソもいろいろと違和感というか、何か隠されている気がしてならないのが実際だったし、あのモモンたち一等冒険者にしても、「彼女たちは何かを秘している可能性がある」と推察していた。それが何なのかは、情報が少なすぎて確信が持てない。ただの気のせいと判断するには、状況はあまりにも不明瞭な部分が多すぎる。

 

 たとえば、狂戦士の件。

 狂戦士への信仰がなくなった現在に存在する、同時代に生きる狂戦士は、二人。

 ウルヴ・ヘズナとヴェル・セーク。

 一方はヘズナ族長として勇名を馳せながら、もう一方はただの飛竜騎兵──族長の妹としか認知されていない。

 セーク部族が、ヴェルを狂戦士として認知していない理由。

 推測だが、「隠さなければならない理由」があるのだろう。

 

 では、その理由とは?

 ──ヴェルが狂戦士だと不都合だから。

 誰にとっての不都合だ?

 ──ありえるのは、部族の長。あるいは、それに準じる誰か。

 

「ヴォル・セーク族長は、ヴェルが狂戦士だと困る?」

 

 仮に、(ヴォル)にとって(ヴェル)が狂戦士という存在だと困ること──不都合な事実というのは、何だ。

 

「……嫉妬、でしょうか?」

「力を尊崇する部族というからには、いかにもありえそうな話だが……」

 

 狂戦士の力を持つ妹に対し、非力な姉が嫉妬するという感じか。

 ミカがそういう仮説を打ち立てるが、カワウソは頷くことはできない。

 仮にも部族を治める族長が、非力ということはないと思う。少なくとも魔法の理解がある以上、魔法戦士とか神官戦士みたいな強さを獲得しているだろうし、ハラルドたち一番騎兵隊全員から尊崇される飛竜騎兵の女族長が、何の実力もない木偶の坊ということはないだろう。

 では、狂戦士が部族内で特別な意味合いがあるのか──と思ったところで、『狂戦士に対する信仰は失われた』という言葉を思い出す。その可能性は薄いはずだが。

 

「あるいは、ヴェル・セークが狂戦士であることが、彼女自身のためにならない可能性が?」

「……それは、どういう?」

 

 訊ねた先で、ミカは首を傾げてみせる。

 

「さぁ……ただの憶測ですので、参考意見程度にしかならないものと」

「いっそ、ヴェルに訊く方が早いか……しかし……」

 

 カワウソは口内で呻く。

 幽閉されているという狂戦士──当事者本人に訊いて、正直に話してもらえるものなのだろうか。

 答えは限りなく(ノー)だろう。

 部族ぐるみで……というか、部族内ですら隠匿されている情報というのを、ただの部外者のカワウソたちに対し、詳細に明かすというのはありえそうにない。ヘズナ家が──それに関連してモモンたちが詳細を知っているというわけでもなかったのは、既にモモンを通じて確認が取れている(モモンからの情報を信じることが大前提だが)。

 そもそもどうやって会いに行く? 彼女は邸の何処か、奇岩深部の牢に入れられているというが、会いにいってよいものなのか? 族長に許可を取って見舞いに行くとしても、囚人という状況から考えるに看守がいるのかも?

 あまり魔導国の臣民に怪しまれたくない現状では、深く突っ込んで藪蛇は勘弁願いたいところ。

 当然だが、隠している張本人たる族長・ヴォルに訊くのは論外だ。

 

「情けないな……本当に」

 

 誰にでもなく肩を竦めてみせる堕天使。

 だが、情報は着実に集積されつつある。

 この魔導国において英雄視される一等冒険者の実力。ユグドラシルと同じモンスターがいながらも、独自の使用方法や進化を遂げた存在。魔法やアイテムが生きるファンタジーの世界。堕天使という異形種の力や特性を発揮する今現在の自分。

 その分、謎が深まっている感じも、蓄積されてはいる。

 ゲームとは違う異世界で、ゲームの法則が通じる事実。ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの名を冠する100年の歴史を持つ大国。その中に住まう低レベルな飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の部族。その中で何故か誕生する狂戦士(バーサーカー)。ユグドラシルと同じだが、ユグドラシルとは違うものが確実に混淆(こんこう)され混在している異常な世界。そんな中で展開される策謀と疑義と闘争の坩堝(るつぼ)に、確実に巻き込まれつつあるという厳然としすぎた現実。

 

 だが、そんな状況でも、人は慣れる。

 人ではなく堕天使というべきところだろうが、そのおかげか(あるいはせいか)、カワウソは諦観にもよく似た奇妙な適応を感じつつあった。

 ありえない状況を前に絶望することなく、狂気的としか言いようのない現状をどうにかしようと思考し、希望を模索することができる自分が、奇怪なほど冷淡に思えた。冷酷とも言っていい。いっそ酷薄なのかもしれない。

 いずれにせよ。

 目の前の光景は夢幻のごとく消えてくれはしないのだ。

 ならば、この状況でどれだけ自分にとって有益なものを拾い集められるかが、今後の自分の運命を占う材料になる。

 転移した先の異世界で覇を唱える大陸国家……あの悪名高いギルドの名を冠し、同じ名の最上位アンデッドが君臨し、そんなアンデッドの王に仕える階層守護者がいるという、悪辣極まりない冗談じみた現状を打破するために、カワウソはどのように生きるべきか。考えて考えて考え抜かなければならない。

 

 気が重いことこの上ない。

 いっそ狂うことができれば楽なのかも知れない。

 ……あるいは、すでに狂っているのかも。

 

 堕天使は「狂気」や「支配」への耐性を備えているが、それは“すでに狂気に陥っている”という種族設定が生きているとしたら。

 

「何にしても。確かなことは、ひとつか」

 

 やるべきことは変わらないということ。

 カワウソの望みはこれまで一貫している通りのもの。

 ──こんな状況で、何もわからないまま死ぬのだけは、ごめんだ。

 利己的なまでの自己保存を良しとし、カワウソは抗い続けることを己に確約する。

 そのためなら、何でも利用する腹積もりだ。

 この状況を、現在を、すべてを使って生き残る。

 逃げ出したところで生き残れるとは確定できない以上、みっともなく足掻いて、その中で活路を見出すしかない。

 

 ……他にどうしろと言うのだ。

 

 魔導国に(くだ)る?

 ありえない。カワウソの身の安全を保障するものなど何処にもない。カワウソのようなユグドラシルプレイヤーを、あのギルドが保護する理由がないだろう。カワウソが知らないだけで、そういった事例もあるのかもしれないが、現状では悪手としか思えない。PKやPKKを繰り返してきた“悪”のギルドが、好意的にカワウソを受け入れるという様がこれっぽっちも想像できないのだ。むしろ逆の方がしっくりくるくらいである。

 

 では、魔導国から逃げる?

 さらに、ありえない。逃げる先も道も手段もわからない。大陸を走破し、海の先を目指すにしても、別の大陸があるかどうかすら判然としていない。他の大陸があるとしても、その大陸にまで魔導国の旗が掲げられていたら……仮に手付かずの大陸や島があったとしても、逃亡(それ)をすることはあそこを──自分のギルド拠点を捨てなければならないかもしれない。何らかの方法で平野の真ん中に転移した拠点を移送移動する手段があったとしても、現状はそんな方法が存在するのかどうかも怪しいところだ。

 

 横目に、自分の拠点NPC──ミカの綺麗すぎる横顔を見る。

 かつての仲間たちの遺品を与え、役割や外装も旧メンバーのそれに似せた存在。

 自分があの拠点を捨てて、ミカたちを捨てることになれば──彼女たちの存在を魔導国が発見し、何らかの方法で吸収されてしまうことになれば──やがてカワウソの存在に届くだろう。

 

 では拠点のみを捨て、ミカたち全員を連れて脱出を?

 馬鹿げている。それをしたところで、ギルド拠点を掌握され、やはり何らかの手段で追尾追跡を受けるだけだ。最悪なのは、空っぽにした拠点を破壊されれば、拠点NPCのミカたちに悪影響を及ぼすやもしれない(というか、NPCの消滅もありえる)し、あるいは何らかの方法で拠点を改造改竄され、NPCたちの所有権などの強制移譲が可能だとしたら──完全に“詰み”でしかない。

 

「何か?」

 

 見られていると判った天使が、憮然としつつ問いかける。

 

「いや。何でもない」

 

 カワウソは負の思考が悪循環を起こすのを遮蔽するように瞼を下した。

 そうして、再び瞼を開く。まっすぐに目の前のすべてを睨みつける。

 すべては、見極めた後で決めればいい。

 この国で、この大陸で、この異世界で。

 自ら称するところの悪のギルド(アインズ・ウール・ゴウン)が、果たしてどんな存在として君臨しているのか。

 平和に統治されていることは既に十分以上に判っているが、それが(イコール)自分(カワウソ)たちの命と安全に繋がるとは、確信しかねる。むしろ、彼ら魔導国は、カワウソのようなプレイヤーを追い立て、悪辣な手段でもって処断する可能性もありえる。絶対に、自分たちの方から「プレイヤーだから保護してくれ」なんて口が裂けても言えはしない。言った途端に自由を奪われ、命を落とす危険が1%でもある以上、今の均衡を自ら崩すのは、無謀を通り越して愚策以下でしかないのだ。

 カワウソたち天使の澱(エンジェル・グラウンズ)が生き残る道はあるのか。

 それとも、ないのか。

 では、もしも、生き残る道は存在せず、カワウソたちはここで尽きるしかないとしたら。

 

 それならば……いっそのこと(・・・・・・)……とも思いつつある自分を、カワウソは実感せざるを得ない。

 

 カワウソは己を嘲笑った。

 バカか、俺は。

 そんなことを考えてどうする。

 思考がそちらの方向に転げ落ちそうになるのを叱咤し、懸命に断崖から飛び降りたがる自己を押し留める。

 ──あちらの世界で“果たせなかったこと”を、この異世界で成し遂げてやろうとする自分の声が、耳元に心地よく(ささや)くのを感じてしまう。

 その声は、言葉は、実に魅力的な響きを伴っていた。

 

「約束を……」

「──カワウソ様?」

 

 何でもないと再びミカに頭を振ってみせる。

 馬鹿げすぎた妄想だが、一考の余地はあった。

 何もかも無駄で無意味だとしたら、何もかも“無駄で無意味な行為”に奔るのも、悪くはない。

 だが、まだだ。

 まだ自暴を起こし、自棄(やけ)に陥ってよい段階じゃない。

 

「……大丈夫です」

 

 すごく言い慣れていない雰囲気で、女天使がカワウソに向き直り、告げる。

 堕天使は思わず目を瞠った。

 

「ミカ?」

「ウダウダ考えても(らち)は空きません」ミカは言い募った。「あなたの望むこと、あなたの願うこと、あなたが挑もうと欲すること──それらを実現するために必要な事を、ただ成し遂げていけばよいだけです。あなたには、その権利がある」

「権利?」

「物事をなし、またはなさぬことを自らに決める資格です。今のあなたは、いっそ義務的に物事を対処しようとなさっているが、ならば自らの利益を追求することを恥じてはならない。それを反故にしてよい道理など、ありえない」

「道理か……」

「無論、この世界、この魔導国とやらに、我々の道理が通る筋道はないのやも知れません。ですが、……私は……私たちは……」

 

 カワウソの瞳に、かすかに呑まれたようにミカが退こうとして、踏み止まる。

 

「お守りします──あなたの行く先を。あなた、御自身を」

 

 優しげな雰囲気すら一瞬感じられた声音は、その人外の美貌からは感じ取れない。

 いっそ冷酷な復讐の女神のようにすら思えるほど、女天使の表情(かんばせ)は酷烈に過ぎた。

 だが、

 

「そうだな」

 

 思わず微笑んでしまった。

 ミカの強張(こわば)った主張に、明るく微笑みを返せた。

 カワウソは、少しだけ肩の力を抜くことができた。

 もっと状況を楽に考えるのも、悪いことではない。

 

 たとえば。

 アインズ・ウール・ゴウンはプレイヤーに寛容だとしたら? 自分以外にも同じ状況に陥ったプレイヤーがいたとしたら? そいつらが魔導国の庇護下にあるとしたら? あるいは庇護下にはないとしても、カワウソ同様にありえない状況に困惑して、どこかで右往左往しているとしたら?

 無論、懸念は残る。

 そもそもにおいて。

 何故アインズ・ウール・ゴウンを名乗る魔導王とやらは、死の支配者(オーバーロード)であるならば、プレイヤーの”モモンガ”ではないのか? モモンガは何処にいった? あるいはモモンガの姿をしたゲームアバターが、よくわからない理由で“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗っているだけなのか? モモンガに似た名前の“モモン”という漆黒の英雄がいる以上、モモンガはいるのでは? いたのでは? まさかとは思うが、モモンガというプレイヤーが、何らかの理由で“アインズ・ウール・ゴウン魔導王”に改名したとか?

 疑問や理屈は様々に考えられるが、どれも確証があるわけではない。

 

 そして、最大級の懸念は──

 この状況に置かれているのは、もしや自分(カワウソ)だけなのか?

 

 ただでさえありえない状況が続いている中で、他のユグドラシルプレイヤーの影がまったく見えない状況が続いているのは、かなりの恐怖をカワウソの心臓に植え付ける。今のところ、カワウソはモモンガの名に近いモモンと接触を持っているが、それだけだ。彼が色々と知っている可能性は、果たしてどの程度のものだろう。

 

 しかし、希望はあるのだ。

 

 少なくとも、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、ナザリック地下大墳墓は、この異世界に「ある」のだ。

 他にもユグドラシルと同じモンスターの存在が、自分以外のプレイヤーの転移している可能性を補強している。

 もっともありえそうなのは、魔導王アインズ・ウール・ゴウン──死の支配者(オーバーロード)がプレイヤーである可能性。

 

「プレイヤーの痕跡を探すべきかな?」

 

 口にしてしまうが、方法や手段が見当たらない。

 まさか魔導国の図書館や書店の本をすべて調べ上げるわけにもいくまい。そもそもにおいて、そんな情報を観覧できるとも思えない。

 町々にはアインズ・ウール・ゴウンの旗が翻り、都市にはアンデッドの従僕が(うごめ)いている。

 他にプレイヤーがいるのであれば、何故アインズ・ウール・ゴウンばかりが名をあげているのか?

 答えは簡単。

 他のプレイヤーがいないからでは?

 

「あーあ……どうしようもないな。本当に」

 

 そう呟きつつも。

 奇妙なほど淡泊に呟ける自分がいた。

 

 燃え上がる炎の底で、朽ち崩れる骸を、見る。

 黒い飛竜の死を飲み込んで、炎は空を焦がしている。

 

 弔いの調べは、今もまだ、(うた)われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひと通りの儀式が終わり、残骸のあと始末は一番隊の人たちがやってくれることになる。

 カワウソたちは、そのまま街の調査──という名の散策──を切り上げて、族長たちを残し邸に戻ることに。

 モモンたちは〈飛行(フライ)〉で、カワウソは〈空中歩行(エア・ウォーク)〉で、ミカは自分の翼で空を駆ける。ハラルドの”相棒”の影に隠れて空を進んだその後、認識阻害の指輪は、モモンたちに返した。この世界独自のアイテムを拠点で鑑定したい気持ちは山々だったが、さすがに個人から借りたものを勝手に調べるというのは礼儀に反する上、彼から緊急で返却を望まれた時に、手元にない状況を作るのは躊躇われる。礼を一言添えて返却した指輪を、モモンはいずこかに仕舞いこんだ。

 この国、この大陸で随一と謳われる存在・一等冒険者に警戒されるのはデメリットしか生まない。カワウソはなるべくモモンとは友好的に事を進めようと半ば躍起になっている自分を理解しつつ、そんな自分の浅ましさに酷い自己嫌悪を覚えてならなかった。

 飛竜の発着場にまで戻ったカワウソたち五人は、昼まで休息の時間を設けることで意見が一致していた。モモンたちは雇い主であるヘズナの領地へ見回りがてら帰還し、マルコも己の客室に戻る。

 

「失礼、カワウソ殿」

 

 その途中。カワウソとミカも後に続こうとして、調査準備のため共に邸へと戻ったハラルドとその相棒に抱えられた籠に相乗りしていた長老の一人に、廊下で呼び止められる。

 

「少し、ヴェルのことでお話を聞きたいのですが、構いませんかね?」

 

 族長家の狂戦士の主治医も務めるという“老学”ホーコン。

 禿頭の老爺が面に浮かべる微笑に、堕天使は気軽に応じる。

 

「ええ、何なりと」

「カワウソ殿は、ヴェルを保護してくれたという、話でしたが」

「……ええ。それが?」

 

 実際には、保護というよりもただの成り行きで助けた(+死の騎士(デス・ナイト)たち魔導国の部隊を壊滅させた)だけなのだが。

 

「保護した時の状況を、詳しく教えていただけますか?」

「それは…………何故?」

 

 老人を見る目から温度が消えていくような感覚を覚えながら、カワウソは和やかな笑みで応じつつ、老人を値踏みするような警戒の色で透かし見る。

 

「私は、あの娘の主治医を20年も続けて参りました。ヴェルが暴走したとあっては、一大事。昨夜、軽く診断した限りでは問題はなさそうでしたが、一応、保護された際の状況も聞いておこうかと」

 

 なるほど。カワウソは納得に至る。

 

「主治医と言うと……ヴェルは何かの病気を?」

「あー、いえいえ。あの娘の狂戦士化を抑えるための安定剤などを処方する程度で」

 

 丁寧かつ親し気に微笑まれる。

 好々爺然とした車椅子の主治医に対し、カワウソはまったく冷静に、それとなく詮索することから始める。

 

「彼女と会った時のことは、ヴェル本人から聞いておりませんか?」

「昨夜の診断で訊いてみたのですが、あの()は狂戦士化の影響で記憶が混濁していたとかで、曖昧な感じだったところを、貴公らに保護されたとか?」

 

 なるほど、ヴェルはそのように話したのだな。

 

「大体はそんなところです」

「やはり、そうでしたか」

「こちらも、質問してもよろしいか?」

 

 カワウソは無礼にならないように言葉を選んだ。

 

「狂戦士化を抑えるというのは?」

「ええ。治癒薬(ポーション)の亜種みたいなもので。定期的に処方しております」

「定期的に、ですか──」

 

 ふと、堕天使の脳裏に閃くものが生じる。

 

「ご老人は、セーク家の主治医と伺っておりますが」

「ええ、さようでございます」

「では普段の二人……ヴォルとヴェル姉妹のことについて、お伺いしたいのだが?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い飛竜を退治し、族長の邸に戻ってから三時間は経過した。

 カワウソはセーク族長邸で与えられた二人部屋にミカと共に帰室し、予定まで──長老たちとの協議の刻限をダラダラと待った。

 一刻も早い調査を。

 そう族長に大見得を切りはしたが、いろいろと準備というものがある。飛竜の巣に降りる際の装具の点検がモモンやハラルドには必要だったし、何よりモンスターの巣へ調査に赴くためには、国の許可状が必要になるという。モモンだけの調査と侵入ならいざ知らず、カワウソやミカ、放浪者のマルコ、さらに部族の代表監視員として派遣されるハラルドなどの追加員数分については、一等冒険者だけでどうこうできる権限を越えている。その許可の発行を待つ間、カワウソはここで時が過ぎるのを待つしかない。街の周辺警戒は地元民である飛竜騎兵の部隊が行っている中で、黒い男が加わっていても意味がないし、何より彼らの職務を奪うことは、この地に住まう彼らへの侮辱ともなると、遅まきながら気づかされている。もし異変があれば、モモンやカワウソたちが“跳”んで駆けつける。それまでは十分に休息時間を満喫しておくことが、今の堕天使には重大な役割であるだろうと、誰あろうモモンから注言を受けていた。彼の言い分はもっともであり、反駁する理由が薄い。

 それに、調査に赴く前の準備というものは、カワウソたちにも必要な事案であった。

 室内の時計を見る。

 

「そろそろ時間か」

「はい」

 

 ミカを通じて、〈伝言(メッセージ)〉で指定された時間は、11時。

 ベッドの上で半身を起こし、窓辺の席が定位置と化したミカに命じて、客室周辺の警戒を厳にさせる。カワウソはベッドを離れて〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。

 

「クピド」

『おぉ。御主人かぁ? 時間通りだぁ』

「こっちは大丈夫そうだ。それで、そっちは〈転移門(ゲート)〉の準備は?」

『もちろんだぁ。すでに、マアトから位置情報は得ているぅ。今、開くぞぅ』

 

 途端、カワウソたちの目の前──丸卓の上の空間が歪み、二点間を繋げる闇が蠢く。

 短く細い黄金の髪が、眉間を隠すようにひょこんと一房だけ現れ、次いで産毛ばかりの赤ん坊の頭と、次いでその小さな全身が(あらわ)となった。

 現れた天使は、普段から銃火器類で武装し、くわえタバコじみた棒付きキャンディーを味わう口元を歪ませ、サングラスをかけた、小さな一対の白い翼を肩甲骨辺りでパタつかせる、奇妙奇天烈な赤ん坊だった。

 ギリシャ神話に登場する愛の天使(キューピッド)をモチーフにした外見を、まるで炸薬と硝煙──弾倉と鋼鉄で構築された近代兵装で着飾ったがごとき、兵隊じみた存在に変貌させた具合である。下半身の大事なトコロを護るのは、軍の階級章や勲章(みたいな、ただの飾り)をぶら下げた、ふわふわ純白のオムツだけだが、彼の肉体は矮小ながらも特殊なもので、ほぼ真っ裸な赤ん坊の外見ながら、実は相当かなり頑丈にできている。

 さらに言えば。

 彼は、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)が誇る『兵士(ソルジャー)』として、各種近代兵器じみた「魔法銃」を扱う職業レベルを多数保有した存在だ。彼が転移関係に長じているのは、兵站を前線に供与配給するための役割として……というよりも、ガチャで獲得しぶち込んだレア職業の関係で、偶然そういった戦法を得意とするようになったという方が正しいだろう。

 皮肉屋(ニヒリスト)じみた笑みを唇の端に刻んで、乳歯ではない真っ白な歯を見せつける。

 

「息災のようだなぁ。二人ともぉ」

 

 彼に設定した『外見にはまったく似合わない、低く渋い、うねるような口調』に、カワウソは気安く応じる。

 

「こっちは無事だ。そっちは?」

「ふむ……問題らしい問題は、ないなぁ。安心しとけ、御主人よぉ」

 

 何かを言おうとして止めた雰囲気を感じるが、クピドは転移魔法の闇を背後に控えたまま言葉を続ける。

 

「要件は手短にすますぞぉ」

 

 言って、クピドは小さい手に担いできた無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)をひとつ卓上に置く。この中に昨夜要請しておいた、拠点内の金庫などに放り込まれたままだった、この異世界で有用そうなアイテムが詰まっている。代わりに、カワウソは予備の(戦闘実験用に持ち出していた)武装をいくつかクピドに預けた。

 任務を無事に終えたクピドは、「武運を祈るぅ」と言い残して、再び闇の奥へと消えていこうとする。

 

「待て」カワウソは、少しだけ彼を呼び止める。「悪いが、アプサラスに、“これ”を鑑定させてくれ」

 

 手渡したのは、採取用の紙袋に包んだ、黒い肉片であった。

 先の戦闘で、あの黒飛竜の肉腫を削いだ時に、聖剣にこびりついていたもの。それを、カワウソは念のため採取していたのだ。包みを受け取ったクピドは鋭く微笑み、「任せておけぇ」と威厳たっぷりに頷いて、空間の歪みの中に戻っていった。

 途端、発動時間を終えた魔法が消滅する。魔力消費をなるべく抑えた、絶妙な転移魔法の実演である。

 カワウソは、彼から受け取った袋の中身を(あらた)めた。

 言語解読用の眼鏡をはじめ、こちらの世界で使えそうな──しかし、ゲーム的には長らく倉庫の肥やしになるしかなかった──アイテムが軒を連ねていた。

 ふと、その中に奇妙なものを発見する。

 決して軽くはない、紙と金属の満載された包みの感触が指先に触れた。

 

「ん……これは?」

 

 包みから取り出したものは、見たことのない紙幣……否。

 

「まさか、魔導国の?」

 

 間違いなく魔法都市で見かけた、アインズ・ウール・ゴウンの印璽が刷り込まれた1000ゴウンの紙幣だ。他にも2000ゴウン紙幣や500ゴウン金貨、100ゴウン銀貨などを早速手元に来た眼鏡を使って確認。

 驚愕しつつも金額を数える。

 3万は確実にあった。

 

「先ほど、ナタから配分された現地の金銭ですね」

「これ、どうやって手に入れたんだ? ……まさか……偽造、とか?」

 

 だとしたら、とんでもない。

 一瞬だけ自分のNPCたちが馬鹿なことをしたのかと不安を覚えるが。

 

「いいえ。どうにも、辻決闘だか野良試合だかの“興行”で獲得したようです。報告によると、マアトが撮影した動画を送ってくれたとか」

 

 言ったミカが、荷袋のさらに奥へ手を伸ばす。

 そこにあった掌大の水晶には、マアトの情報系魔法──〈記録(レコード)〉が込められていた。

 

 

 

 

 

 映像の中に映し出されたのは、どこかの都市。

 多くの人が行き交う通りの、ちょっとした広場。

 大風呂敷には、山と積まれた金貨や紙幣が詰め込まれていた。

 その上の看板。記された文字には、こう書かれていたようだ。

 ──腕に覚えのある奴、募集。参加費2000。勝てば、大金。

 そのことを理解した花の動像(フラワー・ゴーレム)のナタは、腕を組んだ仁王立ちの姿勢で叫び、確認の声を発する。

 

『ということは!! 自分があなたに勝つことができれば!! そこのお金をいただいてもよいということですか!!』

 

 気軽に応じる妖巨人(トロール)の戦士。

 

『オウとも、元気一杯な坊ズ! ちッこい身ナリダが、男ト男の戦イに、二言はねぇともヨ!』

 

 一分後、妖巨人の彼はひどく後悔することになる。

 人間では体格差から、ほぼ太刀打ち不可能。これまでに挑戦した亜人のビーストマンやミノタウロスでも歯が立たないという強靭な肉体を頼みとする巨人にとって、剣装を外し旅行者の子どもを演じる少年兵の矮躯は、子犬ほどの脅威すら感じられなかっただろう。本来であれば参加費2000ゴウンを支払うべきところなのだが、ナタは無一文(スカンピン)だったものを、あまりにも面白そうな対戦相手に気を良くした妖巨人が、少年の勇気を讃えて、特別に便宜を図ってくれたのである。やめておけばよかっただろうに。

 

 そうして始まった勝負は、一方的だった。

 

 半径数メートルの白い円周の中で向かい合う巨人と子供。巨人はぐりぐりと両腕を軽く振り回し、ナタは手を合わせる合掌の姿勢で一礼を送る。いじめてやるなよと野次が飛んだ。巨人は「心配イラネぇ」とほくそ笑む。遠慮なく振り下ろされる剛腕の鉄槌。湧き起こる悲鳴にも似た歓声──その後に。

 少年は、にこやかな表情のまま、立っていた。

 どよめき。呆気にとられる巨躯の亜人。

「少シ、疲れテタか?」と呟き、目測を誤ったんだなと自己分析。

 次こそ、本気も本気の拳を振り上げ──再びの衝撃。

 しかし、ナタは無傷。軽やかな少年の笑み。

 続けざまに、もはや意地になって繰り出される拳の圧力を、ナタは危なげなく回避し続ける。

 少年兵が巨人の拳をひらりと躱す姿は、一枚の花びらを思わせるほど優雅だった。

 徐々にヒートアップする妖巨人。だが、触れれば折れそうな少年の身体をとらえることは一切かなわず、ふと、盛大に空振ったところで巧みに足元を優しく蹴り払われた。尻餅をつかされた巨人の重量で、都市の石畳がベコリと歪む。湧き起こる歓声。悔し気に呻く巨人の横面に、少年は烈風を伴う正拳突きを寸止めで喰らわせた。もはや歓声すら付いてこれない。『……まいッタ』と苦笑して両手を上げる巨人と共に、ようやく人垣が喝采を挙げる。少年は演武でも披露したような美しい所作で一礼する。

 ナタは口々に褒め称える人々や亜人に手を振りつつ、妖巨人が差し出してきた大風呂敷の、その中身の“半分だけ”を失敬した。妖巨人の彼にも生活がある。プライドの高そうな妖巨人は、少年の慈悲を突き返すでもなく受け入れていた。『正直、タスかッた』とのこと。

 

 

 

 

 こうして。

 一応は、正当な手段でいただいた金銭が、しめて12万ゴウンほど。

 調査に赴く四部隊それぞれに分配して、カワウソが受け取った金額は、紙幣や金貨で合計3万ゴウン。これならば、当座の資金難はしのげそうだった。

 

「ありがとな。──マアトを通じて、ナタに礼を言っておいてくれ」

 

 承知するように瞼を下して頷くミカ。

 自分のNPCが、うまいこと現地の人々を相手に出来ていることを確認できて、少し安堵すら覚える。

 こっちも負けてはいられない──そう気負うほどの感慨もなく、だが、彼等の主であるところの堕天使として、これから待ち受けるだろう状況に対し、カワウソは自己を律することを心に決めた。

 

 黒い飛竜の調査──“飛竜の巣”への潜入は、今夜である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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/Wyvern Rider …vol.10

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時刻は夜更け。

 子供ならばすでに眠ってもおかしくない、夜の九時。

 里の中でも最下層に位置する外縁部。セーク直轄地である奇岩の端に位置する断崖の淵。星々の果てまで見透かせるような夜の中を、一等冒険者と補佐の一行は、すべての準備を整え、街はずれのさらに外側へと足を伸ばした。

 振り返れば、まるで城のように聳える奇岩の先端が見える。街の明かりが遠くに感じられる。草の大地、その終焉となる淵を踏み締める黒い足甲を纏う男・カワウソが、族長に訊ねた。

 

「この下に、飛竜の巣が?」

「ええ」

 

 ヴォルは短く応じた。見目麗しい女偉丈夫の族長──そんな彼女の脇を固めるように、老兵のヴェストや車椅子に乗るホーコン、そして一番騎兵隊の数人が、彼等の見送りを務める。

 

「本当は、我等の飛竜の翼で送迎ができればよかったのですが」

 

 飛竜騎兵は、騎乗者となる相棒と、それと同程度の重量物しか積載できない

 魔導国の技術が流入し、〈浮遊板(フローティング・ボード)〉などによってある程度の改善措置は取られているが、それだけだ。今回のような隠密行動、モンスターの巣に近づくために、羽ばたきの音を奏でる飛竜を、巣に潜る人数分も用意しては、確実に巣の中で眠る飛竜たちに察知される。モンスターは同種同族の気配にも敏感な習性を持つのもマズいだろう。野生の飛竜は、まったくもって危険極まるモンスターであると同時に、巣へと近づく不逞の輩を、問答無用で食い破る気性の荒さの持ち主。それ故に、100年前までの飛竜騎兵の部族を攻略し、侵攻を企てる者など絶無だったくらいである。

 常人では登降不能。

 そんな天然の城塞じみた奇岩の絶壁を見下ろして、

 

「構いません」カワウソの隣に立つ冒険者・モモンはあっけらかんと笑う。「この程度の崖もおりられなくては、冒険者は務まりませんので」

 

 気安く難業に挑もうとする冒険者の姿に、ヴォルと、ヴェストやホーコン、族長の供回り役の一番騎兵隊の娘二人が、静かな喝采を送る。

 

「ハラルド。皆様の案内、頼みます」

「お任せください!」

 

 真面目一辺倒に頷くハラルドは、鎧を脱ぎ捨て、崖を下るのに邪魔な長剣どころか、短剣までも手放しているが、それらはすべてモモンの魔法の荷袋──どうにも魔導国内で普及している無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)──のようなものに、すべて預けられている。巣の内部で、万が一の戦闘に陥った場合の自衛手段は用意済みという具合である。

 

「では手筈通り、ハラルド隊長の補助も兼ねて、私が先駆けを担当します」

 

 漆黒の戦士は、孫ほどの年齢差を感じさせる従者の頭を撫でて、「後は任せる」と小さく呟いた。言われた童女はまっすぐな黒い瞳で「かしこまりました」と、幼い声には似合わない口調で応じる。

 ハラルドと、彼と命綱を結ぶマルコが崖を降り始める直前、二人の命綱の先端を握るモモンの身体が宙に浮いた。首に装備した首飾り(ネックレス)の魔法で〈飛行(フライ)〉を発動し、少年が滑落しても受け取れる位置を確保するために。

 

 魔法のアイテムを貸し与えれば、全員いかにも安全そうに巣まで到達できそうな気はするが、〈飛行(フライ)〉の魔法は第三位階の魔法詠唱者に許された移動手段であり、その魔法はたとえアイテムで発動させることは出来ても、素人では操作を誤って墜落、自滅しかねない。魔法の才に恵まれていない戦士職の少年は、昼間に一度試してみた限りでは、〈飛行(フライ)〉の操作に順応することは不可能だった。ちなみに、放浪者のマルコも〈飛行(フライ)〉のセンスはないという話だ。「別の飛行手段はあるにはありますが」と、マルコは笑っていたが。

 となれば、純粋な戦士であるモモンが、〈飛行(フライ)〉の使用に馴染んでいるのは、やはり彼がその筋では──冒険者の中でトップクラスの実力者であるという証明なのだと思われる。

 

「じゃあ、俺たちも」

 

 鎧の背中から翼を広げるミカを従え、黒い鎧と足甲に浅黒い肌の男も、あらためて崖の淵に身を乗り出した。常人ならば飛竜騎兵でも目が眩むはずの下界の様子に、二人とも何の感慨も懐いていない様子。

 ハラルドたちはすでに崖を数メートルも下に降っていたのを見止めた男は──ふと、振り返る。

 

「ヴォル族長」カワウソはまっすぐにこちらを見つめる。「ヴェルの調子は。どうです?」

 

 何故このタイミングで。そう思いつつもヴォルは優しい口調で妹の状態を報せる。

 

「おかげさまで、健やかな様子です」

 

 嘘ではない。彼女の体調は、主治医であるホーコンの薬で平静を保っている。

 朝食は平らげた妹だが、昼食を固辞し、夕食時もベッドの上から動こうとしなかったというのは、気になると言えば気になる。だが、狂戦士の暴走は十分抑えられているのは確認済みだ。実際、牢屋越しに声を聞いた感じは平静そのものであったと、族長本人が確認している。

 それはよかったと首肯するカワウソは、まったく喜ばしい表情ではなかった。

 月と星の明かりのみしか頼るべき光源のない夜の中でも、その暗い面貌──目元の隈ばかりが陰惨な、濁った黒い瞳と日に焼かれ過ぎた男の顔付きは、笑顔というものを何処かに置き忘れたかのように動きが少ない。妹のヴェルが、彼個人に寄せる信頼や心服が、姉の自分には甚だ理解に苦しまれた。

 

 確かに、彼の戦闘力が折り紙付きのものであることは事実である。魔導国が誇る一等冒険者と共に黒い飛竜を討滅した手腕は見事だ。それ故に、あのモモン・ザ・ダークウォリアーに調査隊の補佐を頼まれたのも、一応は頷ける。

 だが、こいつは一体、何者なのだ?

 ヴェルを保護してくれた「流浪の民」と考えても、彼の力量と装備の秀逸さ、未知のアイテムや魔法、従者として常に随伴させている女騎士など、ここまでチグハグな印象を受ける強者というのは、ヴォルの知りえる知識には存在しない。ハラルドらの予測だと……噂に聞く“魔導王陛下の親衛隊”か、さもなければ元々は著名な“冒険者”か何かだったのでは……と囁かれ続けている。というか、それ以外の納得がいく答えがないというべきだ。

 あるいは。

 そう族長は思いかける。

 飛竜騎兵の部族に伝わる、失われた神話──魔導国への編入と共に、一般騎兵らにまで普及していた童話や絵本は、魔導国の研究対象として回収され、いつの頃からか寝物語はすべて、新たな伝説や物語にとってかわった。故に、このお話は全飛竜騎兵のうち、族長家にのみ口伝が遺されている程度の遺物に過ぎない──を思い起こす。

 九つの部族の太祖とされる飛竜の姫巫女、二本の鎗を操る天空の戦巧者。

 巫女と共に戦い、この地を荒らした悪を掃滅したという大地の女狂戦士。

 かつて、『翼を持った双騎』と讃えられし、飛竜騎兵はじまりの冒険譚。

 

「……何か?」

「いえ。何でもありません」

 

 黙って見られていた男が、ヴォルの態度を二秒だけ(いぶか)しんだ。

 彼はヴォルの背後の森の一角を眺め、やがて視線を伏せるようにして、それ以上の追求に興味を失う。

 

 ヴォルは自分の記憶に残るものを、唐突に思い起こされた気がした。

 はっきりと残る、両親の記憶。

 その中でも鮮明に思い出されるのは、寝物語のひとつ……両親が死に、それによって不安な夜を過ごすことを余儀なくされた幼い(ヴェル)に対し、かつて自分がされていた通りの寝物語を、聞かせてあげた。愛と勇気の冒険活劇を。天と地を馳せる女英雄たちの友情物語を。

 そんな思い出を記憶の宝箱に仕舞い直して、ヴォルは族長らしい丁寧な所作で目礼を送る。

 それを受け取ったカワウソは、崖を飛び下り、続くミカがヴォルの背後を凝視し、やがて主人同様に興味を失った調子で翼を広げ、音もなく降下する。

 見送ったヴォルは、少しばかり肩の荷が降りた気がした。

 実際には、まだ何ひとつとして解決していないのだが。

 

「では、族長。そろそろ」

「ええ。頼みます、ホーコン。皆、長老を」

 

 車椅子の長老が会釈を送り、族長に命じられた一番騎兵隊の女騎兵らに送られる。

 ヴォルは断崖の淵で、ヴェストのみを随従とする──そんな時。

 

「行かれたか?」

「ええ」

 

 闇夜の帳、森の小梢の影からかかる声に応じると、その魁偉な男は何処からともなくヴォルの隣に並び立つ。

 

「ウ、ウルヴ殿?」

 

 ヴェストが驚くのも無理はない。

 ヘズナの族長たるウルヴが、羽織っていたマントの効果を断ち切って姿を現したのだ。

〈不可視化〉のマント──飛竜騎兵の族長家に代々継承されてきた、ヴォル達の始祖から伝来するとされるマジックアイテム──の効果は絶大だ。これよりも優れたアイテムも100年前まであるにはあったが、それらは当然の如く、魔導国の宝として接収・研究・保護されるに至っている。マント以外にも数多くのアイテムが、国から族長家に返還されたが、数点は悪用防止のため魔導国政府に蔵されたままであるのは、しようがない。

 

「いやはや。モモン殿はともかく、あの二人には俺が見えていたのか?」

 

 あの二人というのは、ヴォルもすぐに理解できた。

 

「さぁ。どうでしょうね──カワウソ殿にミカ殿──ヘズナ族長、マントの〈不可視化〉は?」

「問題なく作動していたはずだ。でなければ、ヴェスト老が驚かれるはずもなし」

 

 言われたヴェストは恥じ入るように頭を掻いた。

 

「いや、まったく気づきませなんだ。最近は、とんと力が衰えた気がいたします」

「なんの。ヴェスト老の(よわい)で騎兵を続けていられるものは、広大さを誇るヘズナの領地にもいない。尊敬に値する──そういえば、先ほどの車椅子の御仁は……」

「ホーコンです。ホーコン・シグルツ」

「そう、ホーコン老。長老会では、彼のように“相棒”に乗れなくなった者は多い」

「こちらも似たようなものです」

 

 ヴェストは顔を振って笑う。

 飛竜騎兵は──というか、この世界の住人、人間は、たいていの場合において加齢に伴う老いによって、それまでの職種を担うことが困難になる場合がほとんどだ。冒険者にしても、アイテムや治癒薬、発展した魔法の恩恵によって、100年前は四十代半ば頃が引退の節目とみられていたが、今は五十代まで現役なものも多い。肉体の衰え……筋力や瞬発力の低下、視力聴力などの衰弱は、肉体の能力を酷使する仕事を続けるには無視し難い影響を及ぼす。飛竜騎兵のように、空中での戦闘行為を得意とする彼等にとっては、冒険者とおなじくらいが、現役の時間と考えられている。やはり四十代の終わりまでが限界とされる中で、ヴェストのように六十代半ばという齢で一番騎兵隊の一員として働くことができるというのは、異例と言っても良い。そのため、飛竜騎兵全部族の中でも、ヴェスト・フォル老騎兵は有名なのだ。

 

「それに、我々飛竜騎兵というのは、“相棒”に乗って戦うことだけがすべてではありません」

 

 ヴェストは執事のような硬い口調に柔らかな微笑みをトッピングしつつ、長老たちの意義を論じる。

 

「ホーコンの“相棒”のように、毒を司る飛竜と協力することで薬剤を生成する医学者もいれば、水の魔法を扱う“相棒”の力で夏の水不足を解消するなど、飛竜と共存する農業者、ヴィーゲンの姪もおります。私のごとき老骨ばかりを持ちあげる必要性はありますまい」

 

 ウルヴは老騎兵の発言に頷きつつ、尊敬に値する飛竜騎兵に一礼を送る。

 ヘズナの偉丈夫は、セークの女偉丈夫と肩を並べる位置につく。

 

「さて。飛竜の巣を調査するという話だったが」

「ええ」

「彼等であれば、確かに無事に事は成し遂げられるだろう。だが巣は、様々な飛竜が(うごめ)く魔境じみた地だと聞いている。もし、何かがあったら」

「問題ないわ」

 

 彼等であれば、十全に、十分に、事を成し遂げてくれるだろう。

 あの、黒い飛竜を──セークの直轄地を荒らし、防衛体制に入った騎兵隊をたった一匹で薙ぎ払った、あの幼い子竜を──狩り取ったように。

 話に聞く限り、黒い飛竜の力は並のものではない。セークの誇る一番騎兵隊に、ヴォル自身が加わっても、果たしてどこまで通用するか知れたものではない。放った矢と礫は弾かれ、投げた鎗も通らず、剣を一合交わすことすら不可能だったという暴走竜を相手に、ほんの数分で事態を落着させた戦士……“漆黒の英雄”の正当後継者たるモモンたち、一等冒険者がいるのだ。

 だとするならば。

 そんな彼と共闘し、彼に助力を頼まれたカワウソたちは、当代において傑出した、飛竜騎兵の英雄たるヴォルやウルヴの能力を超えた、真の英雄とでも評さねば、割に合わない。

 

「……真の英雄」

 

 思ったヴォルは、意識せず呟きを漏らした。ウルヴが僅かに首を傾げる。

 

「そう。本当に──真の英雄というのは、きっと彼等のような者のことを言うのでしょうね」

「……セーク族長?」

 

 自嘲するように、ヴォルは口元を歪めた。

 彼等に比べて、自分がどんなに浅ましく、意気地のない弱虫なのか痛感させられる気分だ。

 セークの部族代表として──族長として、恥ずかしくない姿を自らに規定するヴォルは、まったく惨めなありさまに思われた。彼等を騙し、皆を裏切り、そうすることで得られる成果のみを希求して止まぬ、阿諛追従(あゆついしょう)の徒。()びへつらうことで最低限の部族の誇りを維持してきたが、こんなものは、力に尊厳を置く戦者……始祖たちを謳い讃美する武門の一党が見せて良い行状ではないだろうに。

 ヴォル・セークは、長らく嘘をついてきた。

 両親に。

 一族に。

 さらには魔導国という最高位者にまで、ヴォルは虚偽を貫き続けている。

 こんな自分の欺瞞と工作を思い返すだけで、胸元にまで吐き気が込み上がる。

 

「心配しないで。

 私は、真の英雄になど、なれはしないのだなと──そう、実感しているの」

 

 英雄とは程遠い。どこまでもひどい劣等感が針となり、胸の奥をチクリと刺す。

 少しだけ虚飾の面が剥がれかける。自分の重臣たる騎兵もいるが、構うことはない。

 ウルヴの前だと、自分が年相応よりも若い、ただの生娘のように思えるから、不思議だ。

 

「……セーク族長」

 

 ウルヴは儀礼としての在り方を選ぶ。

 まったくもって”ヘズナ”らしい。彼の持つ、硬い竜鱗の盾のごとき頑強さだ。

 しかし、だからこそ、──ヴォルは彼が好きだった。

 王陛下から部族の和合統一としての婚姻を命じられるよりも、以前から。ずっと。

 

「ヘズナ族長」

 

 男の手が、女の肩の線に触れる直前、この場で唯一の部外者──だが、ある程度の事情は知っている“黒白”の幼い魔法詠唱者が呼び止める。

 

「そろそろお時間です。お早く」

「承知した、エル殿。では──セーク族長。我々はここで」

 

 ヴォルは名残惜しくも、己の婚約者たる男と別れる。黒い童女の転移魔法によって、ヘズナの族長は己の領地に帰ろうとする。

 そんな背中を見送りつつ、深呼吸をひとつ。自分たちも暇を持て余してはいられない。

 カワウソに、一等冒険者(モモン)に、今自分(ヴォル)は──疑われている。

 それくらいのことは承知の上。

 だからこそ。

 

「急がないと」

 

 ホーコンに頼んだ案件もある。きっと、何もかもうまくいくはず。そう思った矢先だった。

 

『ヴォル様!』

 

 脳内に響く、聞き慣れた〈伝言(メッセージ)〉の声。邸にいる一番騎兵隊の女魔法戦士の叫喚が、耳に突き刺さるようだ。

 

「何です? どうかしました?」

『さ、先ほどヴェルの、牢の巡回に行ったのですが────』

 

 魔法越しに告げられた内容に、ヴォルは体が打たれたような衝撃を受ける。

 

「ヴォル!?」

 

 実際、女族長の長い肢体は、腰が抜けたように崩れていた。転移する直前、ウルヴが即座にヴォルの方へ跳び、咄嗟に抱き支えてやらねば、確実に倒れ伏していたような印象すらあるほど、その急変ぶりは彼と老兵を愕然とさせた。

 

「お嬢様……族長! いったい、何が!?」

 

 ヴェストの問いかけにも、ウルヴの腕に揺さぶられても、ヴォルは反応を返せない。返せない。

 (たくま)しい漢の胸の中で、女族長は子どものように震えながら、〈伝言(メッセージ)〉で告げられた言葉を、繰り返す。

 

「ヴェルが、牢から……」

 

 

 

 いなくなった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 調査は夜更けすぎに始まり、明け方近くまで行われる予定だ。

 この一帯の生態系において絶対的覇者として君臨する飛竜たちは、主に昼行性で知られている。夜陰に乗じていなければ狩られてしまう心配など無用な捕食者たちは、昼間に食事を済ませ、夜は眠りにつくという自然界の基本に則っている。深夜まで起きている飛竜というのはごくわずかで、そういった者は大抵の場合、巣の見張り役として活動している者がほとんどだという。故に、飛竜の群れが寝静まった夜更け過ぎが、巣への侵入には最適だと判断されるのは道理だ。

 

「大丈夫か?」

「ええ……なんとか」

 

 月と星明かりの下。

 カワウソは自分の足元で、崖の岩肌にしがみついている少年に声をかけると、そのように返ってきた。

 ハラルドの格好は、軽装鎧を脱ぎ、断崖を素手で降りるのに不都合がない程度の衣服で覆われている程度で、装備らしい装備はない。せいぜい、モモンが握っている命綱が、服や靴以外の装備であろうか。

 

「安心してください。我等がフォローしますので」

 

 そう気安く請け負うモモンは、鎧姿のままだ。

 そんな山登り(降り)に相応しくない格好で、崖の淵にぶらさがっているのでは、ない。

 鎧姿のままで宙を飛行し、僅かな足場を見つけてそこに降り立つようにしているのだ。首からぶら下げた〈飛行〉のネックレスの力によるもの。ミカとマルコも似たようなもので、女性陣は二人とも驚くほど体重を感じさせない動作で、壁面の僅かな突端を足場にしている。双方共に、人が指をかけて体重がかかった瞬間に崩れそうな場所なのだが、天使の翼を一対展開して飛行できるミカは別として、マルコは体重軽減や浮遊可能なアイテムでも発動しているのだろうか。

 ちなみに、カワウソは元から装備している“簡易登破の指輪(リング・オブ・イージークライム)”の効果で崖というフィールドに難なく適応しているだけである。魔法都市の集合住宅の壁面を駆けあがるのにも使用したアイテムの効果は、あらゆる悪所難所に適応する効力を秘めたもので、この程度の勾配──垂直に近い崖でも、何の問題なく走って活動できるようになっている。

 

 飛竜の巣への入口というのは、巨大な直立奇岩の岩壁に無数に乱雑に穿たれている大穴があるのだが、当然ながらそこには見張りの飛竜が(たむろ)している。一応は、認識阻害の指輪の力で、モンスターの感覚を誤魔化すことも可能ではあるが、竜のモンスターを相手にするとなると、正直微妙な場合があるという。その上でさらに〈不可視化〉のアイテムを使うことで野生の飛竜に見つかることなく事を進めることは出来るはずだが、可能であれば発見される可能性──リスクは低下させておくに越したことはない。

 セーク部族の直轄地の奇岩、街の真下にある巣というのは、この辺りでは二番目に大きな巣とされる。

 その巣に侵入を試みる際には、実のところ“秘密の抜け穴”があるのだと、経験者であるヴェストが語ってくれた。その抜け穴を探すには、ハラルドがやっているように岩壁へ顔を近づけ、とある仕掛けを見つけねばならないという。

 

「これかな?」

 

 口伝で聞かされた程度の情報を頼りに、ここだという場所にアタリをつけ、最終的にハラルドが仕掛けを見つける。目印となるのは、岩壁に刻まれた三本線を交差させる六花の模様。

 それらしい岩の隙間──僅かに小さな紫の花が群生する壁の割れ目に、少年は手を伸ばし入れる。

 それは、小動物が僅かに触れた程度の感触で作動するボタンのようなもので、ハラルドの指の重みで簡単に沈んだ。鍵がはずれるような音がかすかに響くと、ハラルドの目前の岩がわずかに沈む。彼がゆっくりと手を添えて押すと、扉の蝶番のように岩肌が口を開けた。一同が快哉を漏らしかけるが、ハラルドに「静かに」と手で口元を閉じるジェスチャーを取られる。

 一応、危険はないか──飛竜はないだろうが、未知のモンスターなどの群れが殺到しないか確認しつつ、五人は岩壁の中に滑り込む。

 

「この先が、飛竜の巣のはずです」

 

 入り込んだ場所は、すぐ下へ坑道じみた剥き出しの岩肌が奥へと続いており、かなり急勾配の階段のような造りになっている。人が並んで歩くほどの幅はなく、天井も高くない。一行の中で何気に最も上背のある少年隊長が、身を屈めてどうにか通れる程度の高さだ。なるほど、これは飛竜の“相棒”たちは通れるはずもない。この大きさの抜け穴なら、都市で見かけたドワーフなどであれば、ちょうどいい感じなのかも。

 

「……明かりが?」

 

 カワウソが気づいた通り、階段は下に降り切ったところに煌々とした光の気配が漏れていた。

 

「巣の内部には、自然発光する鉱石が大量に残っているという話です」

 

 竜は、上等でも下等でも、光物を好む。

 それが巨大な洞窟内部を照らす照明にもなっているという。

 内部の事情に通じているという長老騎兵──“元”一番隊の上官で、今は部下のヴェストから、ハラルドは聞けるだけの情報を聞き、知らねばならない留意点を徹底的に知らされ尽くしていた。

 カワウソたちは、冒険者を先頭にして、カワウソ、ミカ、ハラルド、そしてマルコという順番で、階段を降りる。階段と言っても、人の上り下りを想定された感じではなく、あくまで自然と岩が削りだされたところに、人が手を加え続けたという感じだ。

 カワウソは振り返り、声を潜めて、女天使越しにハラルドへ訊ねる。

 

「……こんな抜け穴、一体どうやって作ったんだ?」

「聞くところによると。我等の先祖が“巣”へ通じる穴を見つけたのが始まりで、そこを掘り進めて階段のような形に整え、あの出入り口を魔法の扉で覆った……と言われていますが、語ったヴェストも半信半疑でしたね」

「長老……ヴェストたちよりも、前から?」

「300年ほど前から、という話です」

 

 300年となると、魔導国に統治されるより200年も前か。

 そんな昔から、彼等はこの抜け穴を使っていたとすると、飛竜騎兵単体で考えると、彼等は300年以上の歴史を持つということか。

 それはつまり、魔導国が成立するよりも前の国家ないしは政治体制があったという事実が確定する。

 クピドから送られたアイテムを使い、言語解読の手段(メガネ)を手に入れたカワウソたちは、手始めに客室内の書籍に目を通し、『漆黒の英雄譚』などの内容を精査する時間を得ていた。おかげで、ある程度まで魔導国の歴史に理解を示すことが可能となった。

 

 100年前。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国が台頭し、当時近隣に存在したバハルス帝国(現在はバハルス領域)をはじめ、様々な国々を属国・支配下に置き、反抗した中央六国……ビーストマンやミノタウロスの国を殲滅し服従、都市国家連合や南方の諸士族までをも吸収し、アーグランド評議国(現・信託統治領)と盟を結ぶなどして、勃興からたった数年の歳月で大陸のすべての国を併呑──偉大なるアインズ・ウール・ゴウンの幕下に加え、大陸世界において歴史上ほぼ初となる統一国家を樹立したという(以上は『漆黒の英雄譚』あとがき解説を参照)。

 それ以前の情報は、ほとんど皆無と言ってよい。

 まるで、すべての記録、すべての伝説、すべての神話や叙事詩──英雄譚が、ひとつの名のもとに塗り潰されたかの如く、多くが語られることはない。

『漆黒の英雄譚』は、その中において例外的な書物であるようだ。

 アインズ・ウール・ゴウンと肩を並べて戦ったという100年前の当時最高位の冒険者・モモン。

 彼は世界を混沌と絶望に陥れんとした魔神王・ヤルダバオトとの戦いに明け暮れ、轡を並べ戦った魔導王に後事を託し、魔神王諸共に力尽きた。

 アインズ・ウール・ゴウンは彼の永劫の死を大いに悼み、彼の武名を永遠不朽のものとすべく、一冊の英雄譚を編纂・普及し──それが、カワウソらにあてがわれた客室備え付けの蔵書のひとつとなっていたわけである。

 

 他の書籍を手にとり、カワウソたちは魔導国に関する見聞を広めたかったが、昼食を摂った昼過ぎからは一番騎兵隊の皆や、各所に散っていた長老たちを交えた協議会が開かれた。──狂戦士ヴェルの一件と併せて、新たな懸案事項……あの黒い肉腫塗れの飛竜のことについても、様々な推測や議論を巻き起こしたが、結果はやはりというべきか、まったくもって芳しくなかった。

 集まった長老たちはヴォル族長とヴェスト、ホーコンなどの長老二人と同じく、あの黒飛竜に関する明快な情報を保持しておらず、はっきり言えば何の役にも立たなかった。

 いや、彼女の──ヴェルの部族内での立ち位置というものをより理解するのには役に立ったというべきだが。

 カワウソは思い返す。

 

 

 

 

 

 

 

 今日の昼過ぎ。

 

「やはり、あの子は一生、邸内で“囲っておく”べきだったのだ」

 

 老人ばかりが十人ほど集った秘密部屋の中で、ぽつりと呟いたのは、“老吏(ろうり)”と呼ばれる一級政務官、シュルであった。彼は招集令を受け、セーク直轄領の政府公舎で政務に明け暮れていたところに、あの騒動……黒い飛竜の発生で生じた混乱と被害への対応に難儀していた。

 

狂戦士(バーサーカー)など、もはや過去の遺物。我等セークにとっては、ただの忌み子でしかなかったのだ」

 

 ヴェストと同年齢ぐらいの皴を額や頬に刻んだ恰幅のよい肥満体は、顔ばかりが痩せぎすな顔面を厚手のハンドタオルで拭わねばならないほどの脂汗が滲んでいた。額に紫が混じった茶色の髪がはりついてならない様子。黒飛竜の一件を処理するのにも尽力した彼は、口さがなく式典演習で悪事を働いた族長の妹を罵る気配を宿らせてしまう。

 他に、彼と同意見という長老が幾人か。

 途端、卓を打ちのめす大きな音が室内に反響した。

 

「聞き捨てならんぞ、シュル! 貴様はそれでも飛竜騎兵が末裔か!」

 

 そう言って正面に並ぶ同輩らを鋭く睨んだ老女は、やはり皴の彫りが凄まじい隻眼の老女であった。積年の重厚さを思わせるしわがれた声の高さは、けっしてヒステリックに吠えたてるような雰囲気はなく、むしろ正々堂々と敵と対峙する騎士じみた喝破が印象的だ。白に染まった髪を肩当たりで二つに結った老齢の女傑は、右目の黒い眼帯(アイパッチ)が凄烈なほど似合っている。

 長老会の「女傑」と謳われる“老婦”ヴィーゲン。今は領地内の生産物関連の仕事を統括する農産技術研究家にして、食料管理の長を務める彼女だが、その昔は一番騎兵隊でヴェストの補佐を務めていたらしく、右目と相棒を共に喪った戦いで飛竜騎兵を引退し、里の農業管理に職を得て現在に至っている。

 

「先代族長が遺された、セークの宝玉たる二人。その片割れである妹御(ヴェル)を、貴様は愚弄するというのか!」

「そ、そんなつもりなどない! だ、だが! ヘズナや他の部族ならいざ知らず、我等セークにとって、狂戦士は『災厄の凶兆』! じ、実際、あの子が暴走したから、此度のような不始末を!」

「黙れ!」

 

 叱咤の声は、老女のそれではない。

 (ゴウ)と駆け抜ける声が風と化し、彼等の鼻面を叩くかのよう。

 この場で数少ない若年世代──老人たちの半分ほどしか生きていない現族長が、女とは思えないような大音量で吼えていた。喧々諤々の様相を呈しつつあった議場が、水を打ったように静まり返る。

 

「私の妹だ。

 長老方には、そのことを、重々忘れないでもらいたい」

 

 続く瑞々しい声は、いっそ静謐なほど穏やかだ。

 が、表情はいっそ凄惨なほど鋭く、その視線は真正面から受け取るだけで相手を切り刻めそうなほど凍えていた。老吏シュルは勿論、彼に同意しようとして腰を上げかけた数名……どころか、彼等と対峙し族長らを擁護する形になっていた老婦ヴィーゲンらまでもが、射竦められたように押し黙る。

 女族長は若干温度を取り戻した瞳で、用意された長卓を囲む者らを見回し、その端で参考人のごとく椅子に座った協力者たち──カワウソらをチラリと確認する。

 

「ヴェルの処遇については、今も拘禁が続いている。それが可能なのは、ひとえにあの子が“暴走していないから”だ。だからこそ、私は長老たち皆に問う。──狂戦士が暴走する原因。それについて、心当たりのあるものはいないか?」

 

 しかし、誰も視線をあげようとはしない。僅かに首を振るのみ。昼前に顔を合わせていたヴェストやホーコンは勿論、他の長老たち八人も、答える言葉を持っていないようだ。やはり、誰も──長老たちですらもが、今回の事件で光明をもたらす存在にはなりえないという証明がなされた。

 

「では、現れた黒い飛竜については?」

 

 これにも返事はなかった。

 彼等の積み重ねた歳月をもってしても、今回の二つの案件は理解を超えた次元にあったようだ。

 ヴォルはそのことについて落胆した様子を見せない。半ば判りきっていたといわんばかりに、ひとつだけ吐息を落とす。

 

「申し訳ない、カワウソ殿、モモン殿。とんだ失態をお見せして」

 

 言われたカワウソは手を振って「気にしなくて結構」と応える。実際、何もわからないことも想定の範囲内だった。モモンも似たような反応を返す。

 しかし。長老の話を聞くに、ヴェルの事情は想像以上に複雑怪奇なものであったのだなと実感する。

 これは、ホーコンから聞いた話が真実味を帯びてきたと考えざるを得ない。

 カワウソは聞いていた。ヴォルとヴェル姉妹のことについて。

 禿頭の長老は、こう応えた。

 

『あの姉妹(ふたり)は、いろいろと複雑なものでね』

 

 (いわ)く。

 セークにおいて、狂戦士の力は強大な戦果をもたらす超常の力であると同時に、外から災いを運ぶ兆候ともなっていたという。

 なるほど。部族内でヴェルが狂戦士であることを知っている者が極端に少ないのは、災厄を呼び込むという信仰──というより、過去の経験や歴史的事実が根幹にあったからなのだ。

 狂戦士は、戦いに狂う。

 狂戦士がいるところは、常に戦場となり、戦乱を呼び、多くの凶を──大量の死者と災いを運ぶ“疫病神”ないしは“死神”になりえた。少なくともセーク部族においては、そのように認識されるようになったという。

 そんなものがひとたび生まれれば、セークではそれを下々に広めることは憚るようになったという。戦乱の時代、魔導国に臣従する“以前”の時代であれば、尊ばれ敬われた力の結晶たる狂戦士も、今のような平和な時代においては「凶兆」の部分ばかりが目立つようになるからという理屈だ。

 

 実際、ハラルドのように単騎でも“武技”を使うことに長けた戦士や、族長などのように“魔法”の理解を得られた存在というものが広く国内に台頭するようになったことで、部族における狂戦士の力に対する信仰は、忘失の一途を辿るしかなかった。これらはひとえに、魔導国によってもたらされた義務教育制度などのシステムによってもたらされた、臣民の基礎能力向上計画に基づく、明らかな弊害と言えた。全体の質が向上したことにより、とある方向に特化した存在が重要視される余地がなくなってしまったのである。とある方面に機能を特化させた品を試験運用的に開発製造しても、それが市場に出回ることは稀だ。平均化され量産化可能な高性能品には及ばない──ある種の軍需産業じみた常識がそこにはあった。

 故に、彼等の無知を責めることは誰にもできない。

 彼等は飛竜騎兵の老練者たちは、そのようにして魔導国に、平和な世界に適合した──あるいは適合しようと努力した結果が産んだ──時代の追従者なのだ。彼等を否定することは、魔導国の臣民すべてを遍く統治する上位者たちの治世を責めるほかないが、何事においてもメリットしか生まないシステムなど、あるわけがないのだ。自然淘汰の法則に基づく、適者生存の大原則である。

 これがヘズナにとっては違う意見や思想が根付いているという話を、カワウソは共に協議に参じているモモンから聞いている。

 ヘズナ家では狂戦士が族長として名を馳せ、セーク家では狂戦士が凶兆として隠蔽される。

 そのカラクリの一端がこれであった。

 

 場をとりなそうと、長老会でも重鎮に位置する禿頭の老学者──ホーコンが、惜しむ調子を醸し出しながら、言う。

 

「確かに、狂戦士は強い。かつては、一度(ひとたび)戦線に投入されれば、文字通り一騎当千の働きをなす特攻兵器になり得る存在として、九つのどの部族でも重宝され、神聖視されていたもの……だが」

 

 ホーコンは言葉を切る。

 魔導王に従属した100年間で、もはや狂戦士の力など無用なレベルの平和が築かれて久しい。

 あらゆる勇武を尊ぶ飛竜騎兵の部族にとっては、「何とも言いようのない状況が続いたものだ」という風に、長老は諧謔気味に微笑んでいた。

 

「此度の一件の責任は、族長であり姉でありながら、あの子を御しきれなかった自分の不始末」

 

 彼女は役職と家族の情、その両方によって己の責任の所在を明確にしていた。セークの女族長は、その場で刑されることも辞さないような語気で、言い放つ。

 

「誠に申し訳ないことだが、沙汰は既に下っている。『ヴェル・セークの暴走原因を究明すべし』……それが、我等が王陛下からのお達しであり、我々の不始末を払拭するための最後の道だ。そのために、狂戦士を保護したカワウソ殿をはじめ、ヘズナ家からの助力として、一等冒険者モモン殿の力添えまで頂戴している」

 

 ヴォルに促された先に並んで鎮座する五人の人影。

 カワウソとミカ主従、放浪者マルコ、国内唯一の冒険者チームが、揃って椅子に座っていた。

 未知の前者三人の力については懐疑的な視線が尽きることはないが、後者二人である“黒白”のモモンとエルの存在は、疑う余地のない助勢だと認めざるを得ないようだ。誰もが口々に当代のモモンが挙げた武功を誉めそやす。老若を問わず、冒険者という存在は有名らしい。

 ヴォルは確認の声をあげた。

 

「そのために、飛竜の巣への調査を、一等冒険者モモン殿に依頼する」

 

 同意の声が、まるで歓声のごとく場を賑やかにした。魔導国が誇る冒険者であれば、何の遺漏もないはず。

 

「モモン殿の補助として、我が部族からはハラルド一番騎兵隊隊長を」

 

 これにも頷く長老たち。

 

「さらに、カワウソ殿、ミカ殿、マルコ殿が、調査に従事してくださる」

 

 長老らの表情が一変した。

 全員、この会議に参加した──いくら狂戦士を、族長の妹を保護したとはいえ──黒い男の存在に、疑義を呈さずにはいられない。いくらマルコと同じような旅の者と説明されても、その程度の奴に飛竜騎兵の奇岩内部に位置する巣に潜られるのは、いろいろと不都合極まりないのだろう。見るからに怪訝し、疑問し、軽侮の感情を懐かずにはいられないという調子だ。そもそもにおいて、狂戦士のヴェルを保護したという話すら眉唾だと思っている者もいるようで、そして、カワウソから言わせてもらっても、保護したというのはまさに嘘でしかなかった。方便であった。ただの成り行きでついてきた結果──こんな所に連れてこられたと言っても過言にはなるまい。

 長老たちは迷う。

 族長やモモンの推挙まで提示されては否とは言えない。だが、やはり、複雑な心境は覆らない。

 

「問題ないでしょう」

 

 そんな調子だった会の中で、カワウソらの援護者が。

 

「ヴォル族長、そして、妹様──ヴェルお嬢様が信頼に足る御仁と評する彼等を、私も支持いたします」正装の鎧に身を固めた老兵、ヴェストが一同を睥睨する。「さらに、カワウソ殿はハラルド隊長率いる一番騎兵隊を、互いに、無傷で、完封し尽くした力の持ち主です。実力は私が保証しましょう」

 

 この中で族長家に直接仕える長老の言は重かったようだ。「ヴェストがそこまで言うとは」と驚く声も聞こえる。

 

「私も賛同いたします。ヴォル族長」

 

 追い打ちをかけるように、族長家の主治医を務めるホーコンも笑みを浮かべた。

 それに追随して、長老たちも挙手の姿勢を取り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 以上が、カワウソたちが昼過ぎの協議で見聞きしたすべてだった。

 だが、狂戦士や黒飛竜の情報は皆無と言って良い。端的に結論を述べるならば「長老たちは狂戦士の暴走も、黒い飛竜のことも、まったく知らない」というありさまを提示しただけに終わった。

 が、他の情報は得られた。

 ヴェルの部族内における立ち位置。ヴォルの発言権。長老会のパワーバランス。いろいろな人間関係上の情報というものも、今後の役に立つはず。

 中でも興味深かったのは、狂戦士の、つまりヴェル・セークの状況についてだ。

 狂戦士を邸内で“囲い者”にするという意見は、死の疫病などの蔓延を封殺するが如き妙手であるようだ。なるほど、狂戦士を家の中に囲い(幽閉し)、一生を外の世界と遮断された生活を送らせれば、とりあえず狂戦士の暴走現象は起こり得ない、と。実際、今のヴェルが置かれている状況がその処置に近いはずだ。

 だが、族長は──ヴェルの姉は、それを良しとはしないようだ。

 単純に家族の情愛と見れば単純なのだが。

 

「そろそろ出口です」

 

 カワウソは意識を暗い岩窟の中に引き戻す。

 先頭を降りるモモンが、出口から漏れる光の手前にある影を踏み締めた。

 長く、急な階段をほぼ無意識に降りながら、昼の協議内容を思い出す作業を切り上げて、カワウソは見えてくるものをすべて、濁った瞳の奥に焼き付けていく。

 出口の影に身を潜め、モモンが何処からか手鏡を取り出す。いきなり巣の内部を窺う危険を避けつつ、内部の構造やモンスターの位置を把握するために。

 

「いますね。飛竜が」

「どれくらいの数が?」カワウソは潜めた声で(たず)ねた。

「確認できる限り、向かいの壁面に20から30の家族が。比較的、小さな巣穴に身を潜めています」

「20から、30?」

 

 疑問する声は、飛竜騎兵の若者のそれ。

 

「どうかなさいましたか?」

「あ、いえ、モモンさん──えと、聞いていたより、少ないかなと思って」

「少ない? ……ヴェスト老は、何と言っておりましたか?」

「えと。巣の片側壁面ひとつには、多い時で100近い一家が生息するとか。少ない時でも50から60の家族が、この大きさの巣には棲息すると、聞いていたのですが」

 

 聞き間違いだったかなと疑念するハラルド。

 

「〈伝言(メッセージ)〉を飛ばして、ヴェストと連絡を取ってみては?」

 

 カワウソからモモンに進言してみたが、「とりあえず、もう少し詳しく調べてからにしましょう」という感じに落着する。〈伝言(メッセージ)〉の魔法をモモンは使用できるらしいが、発動ごとに巻物(スクロール)を一本消耗するとかで、無駄遣いは控えねばならなかった。

 全員が、装備していた認識阻害の指輪や、不可視の魔法のアイテムを確認する。まず、モモンがひとりで先陣を切った。カワウソは彼の背中を見送りつつ、飛竜たちの様子にも目を配る。起き上がってくる飛竜は、いない。むずがるかのように、子供らを抱くように眠る母親飛竜が、背中を揺らすのがせいぜいだった。

 カワウソ、ミカ、ハラルド、そしてマルコも、モモンの後に続くように、巣の中へと躍進していく。

 

「装備の力は、問題なく機能していますね」

 

 モモンが確信するのは、五人のすぐそばを、巣の出入り口を警備するようにしていた飛竜が一匹、行き来してくれたからだ。飛竜は自分の巣の近くにいる同胞の背中を鼻面で揺する。揺すられた方は特に機嫌を損ねるでもなく、飛竜同士の鳴き声を交わすと、戻ってきた飛竜は巣穴に潜って猫のように丸くなった。反対に、起こされた飛竜の方は一度翼を広げるようにして伸びをし、警備についていた飛竜のたどった道を逆に進んでいく。この時も、カワウソたちの近くを飛竜の彼は悠然とした足取りで──湧き起こる欠伸に口を大きく開きながら──歩み去っていく。

 

「見張りの交代、ですね」

「なるほど、あれが」

 

 ハラルドの言及した事実に感心したモモンが、岩陰から身を乗り出すのに合わせて、カワウソたちも身をひそめるのをやめた。囁く声というのは認識阻害によって、飛竜たちの意識には残らない。せいぜいが同族のおしゃべりか、風鳴りのようなものとしか認識できないというが、大声をあげることは当然推奨できない。

 重々警戒の視線を周囲に振り撒きつつ、あらためて、洞窟内の検分を始める。

 モモンやマルコどころか、ハラルドまで、初めて見るのだろう飛竜の巣の全貌に声を失いながら見上げていた。カワウソも、そしてミカも、それに続く。

 

「ファンタジーだな……」

 

 思わず小さく呟いた声は、カワウソの口内でのみ響く。

 天然の発光する鉱石のおかげで、洞窟の中は青白くそまっていた。

 剥き出しの岩塊が柱のように天井から地下へと伸びる広大な吹き抜けの内部は、まるで神殿か何かのように(おごそ)かな雰囲気が漂う。巨大すぎる切妻屋根の天井裏みたいな空間は、どこかに風が抜けているらしく、吸った空気の感じも悪くない。予想していたような、殺戮の血の臭いというものは薄い気がする。

 飛竜が寝床にするのに快適なそこは、セークの族長邸で見た発着場と似た個別の部屋のごとき巣穴が設けられており、その穴に飛竜たちが思い思いの姿勢──猫のように丸くなるもの、犬のように伏せる姿勢のもの、変な寝返りをして大文字のように身体を広げている間の抜けたものなど──で深い眠りに落ちている。

 しかし、モモンが最初に確かめていたように、一面の壁に穿たれた巣穴に見られる飛竜の影は、そう多くはない。

 何度数えても28家族分(子供の姿はたいてい母親の陰に隠れているのでカウントできない)しかなかった。この辺りでは二番目の大きさ広さを誇るという巣にしては、壁の穴にはどうも空き家が多い感じが強すぎる。確認のしようがなかった別の壁面も数えても、その印象は覆らない。ハラルドの聞いた話だと、通年で250家族は定住する巣には、その四分の一程度の数──65の家族しか見られなかった。

「あれは?」とマルコが白い手袋の指をさした先は、より強い光……〈永続光〉にも似た輝きが零れている。彼女が示唆した先には、一際大きな影が。

 応えたのはハラルド以外いない。

 

「巣の王──ああ、いえ、あれは女王ですね」

 

 洞内の唯一にして最大の光源。そこに佇む飛竜がいる。

 巣の中でも強力な力を持つ飛竜のみが許される場所、大量の光り輝く鉱石をうずたかく積み上げて、そこでまさに玉座にふんぞり返る王者の如く眠りこける飛竜の身体は、なかなかに巨大だった。

 並の飛竜よりも膨れている、というよりも、骨格や筋肉の束が頑健なのだろう。引き絞られたアスリート選手のような質感が、そこにはあった。軽量種でありながらも、そのスマートな巨体は、ヘズナの平均的な重量種とも遜色がないという具合。まさに飛竜の王者という貫禄である。

 何故、彼女が「女王」と判断出来るのかは、彼女の周囲、折り畳まれた翼腕の中に、小さな飛竜の幼体が四頭ばかり集って眠っていたからだ。これが雄──飛竜の「王」となると、子どもは母親のもとで眠るので、傍にはいないのだと。飛竜の雌雄を素人が見分けるには、だいたい子供が傍で眠っているのが母……雌で、その母子の傍で子が寄りつくことないまま眠るのが父……雄という見分けができると、ハラルドが教えてくれる。

 

「ふわぁ──かわいいなぁ」

 

 マルコが女王を見て──正確には、彼女の腕の中で寝こける幼竜の寝顔に、頬を緩ませる。

 確かに、幼い飛竜は愛玩動物にでもしたら絶対に人気が出そうなほどに愛くるしく、薄緑色の鱗に覆われた身体も丸々としていて、人間の赤ん坊に(いだ)くような庇護欲を掻き立てられる。カワウソはその感覚に大いに同感であったが、自分の脇にいるNPC(ミカ)はそれ以上に、マルコの感覚に同意しているようだ。

 ミカは決して口にはしないが、今まで見たことないほどキラキラした眼差しで、飛竜の子どもたちが女王の腕の中で眠る姿に夢中になっていた。それくらいのことはカワウソにも判る。その様があまりに意外で、堕天使がかすかに吹き出すと、女天使はすぐに居住まいをただしてしまう。そういえば、『可愛いものを好む』という性質は、ミカの設定に組み込んでいた気もする。

 そんな束の間の癒しに長く耽溺できていたら、どんなに心地よかっただろう。

 だが、カワウソはここへ来た目的を果たすべく、巣の内部の検分……飛竜らの状態をくまなく探った。

 そして。

 

「……黒い肉腫や黒斑の奴は?」

「いないようで、ありやがりますが」

 

 主人の声に応えたミカの言う通り。

 里の空に出現した不吉な色彩の飛竜は、影も形も見られなかった。

 可能な限り母子に近づいて、飛竜の子供の様子も念入りに調べたのだが、あの黒い飛竜の特徴……どころか兆候のようなものを発生させる個体すら見当たらない。家主のいない巣穴まで(カワウソはこっそり発動したアイテムで透視し)探査してみたが、黒い飛竜どころか、あの肉腫のかけらすら、発見できなかった。

 肉腫のかけらといえば、クピドに預けた黒い肉片──鑑定はどうなったのだろう。マアトからは、特にそれらしい連絡はもらっていないが。

 

「警備に赴いている飛竜は?」

 

 カワウソが呟いた声に、手分けして探すことになった際、最も危険な“起きている飛竜が数匹で警備している巣穴の出入り口”に赴いてくれていたモモンが、首を横に振った。

 

「特に異常は──なさそうですね」

 

 群れて寝入る飛竜たちは、家族ごとに自分たちの巣穴に籠り、平和な夢の世界をたのしんでいる。

 だとすると。

 

「この巣からじゃあ、ないのか? あの黒いのが現れたのは?」

 

 黒い飛竜が現れたのは、別の巣ということだろうか。

 そうハラルドに訊ねると、可能性はあると返ってくる。

 飛竜の巣はここだけではない。ヘズナの領地である奇岩をはじめ、この一帯にはこういう巣が大小多数、確認されている。

 飛竜たちは巣で生活する。(ドラゴン)と似ながらも決定的に違うモンスターの飛竜(ワイバーン)は、ある程度の社会性──群れをつくることを絶対の生存条件としている。飛竜は通常の(ドラゴン)よりも明らかに小さく弱い。適者生存の原則で行けば、彼等は正に異世界の環境に適した種の保存方法を獲得していた。飛竜たちは己の弱さを補うべく、このように群れとして生存することを宿命としたモンスターであり、そんな彼等と交流を持ち、群れをなし、心を開き合える“相棒”に選ばれた一部の人間こそが、飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の部族なのである。

 

「他の奇岩の巣を、調査すべきでしょうか?」

 

 ハラルドがそう提案するのも無理はない。予定したよりもスムーズに、かつ、想定よりも飛竜の棲息数が少なすぎて、カワウソたち一行は調査すべき対象を失ってしまうという、予定外な事態に見舞われてしまったのだ。夜明けまで時間がありすぎる……というか、まだ日付がやっと変わったばかりというありさまだった。

 懐中時計をしまうモモンも、やや同意しつつも疑問を呈しておく。

 

「この奇岩の、他の場所に巣はあるのでしょうか?」

「いえ、モモンさん。聞くところによるとですが、この巣は複数の巣が崩落を経て融合してできたような(いわ)れがあって、だからこそ、これだけ大きな洞窟になったとか。他の巣に調査しに行くとなると、他の奇岩にでも行くことになるかと思います。一番近いものだと、ヴィーゲン農会長の所轄になるかと」

「とすると、一度上に帰還すべきでしょうか?」

 

 モモン、ハラルド、そしてマルコが議論を深めつつある光景を背にしつつ、カワウソは天井を見上げ、その後、巣内部のさらに下の暗闇を見下ろし、正視する。

 

「この下には、何かあるのか?」

 

 唐突に、カワウソはハラルドへ問い質した。

 

「この巣の下──というか、直立奇岩の下には、何があるか知らないか?」

 

 何気ない問いに、ハラルドは臆面もなく応えた。

 

「いえ。特に何も。奇岩の山麓(さんろく)には森林地帯が広がっているだけですが?」

 

 森林は、魔導国内では特に珍しくもなんともない景観のひとつだ。特定自然保護法とかいう国法が定められているらしく、飛竜騎兵の領地が直立奇岩の上の部分にしかないことから、もっぱら空路での出入りが前提となるため、下の森林地帯というのは手付かずなところが多いという。

 

「そこにも、森にも調査を広げるべきでしょうか? ですが、森は飛竜の棲息には適して」

「いや……森じゃなくて、だな……」

 

 ハラルドの答えは、微妙にカワウソの問いたかったことから外れていた。

 カワウソが覗き込むものに興味を惹かれた冒険者が、堕天使の隣に歩み寄る。

 

「この洞窟の、巣の下、ですか?」

 

 モモンが眼下にある深淵の深さを眺め(たず)ねる。カワウソは即座に首肯する。

 

「いや、ですが。飛竜はここにいるので全部だと思われますが? 洞窟の下の方は、おそらく汚穢喰い(アティアグ)腐食蟲(キャリオン・クローラー)大型鼠(ジャイアント・ラット)などに代表される汚物処理を得意とした天然のモンスターが跋扈(ばっこ)するところになっていると、ヴェストが」

「……もしくは、そこにこそ黒い飛竜が?」

 

 気付いたマルコが鋭い声を発する。

 ハラルドも言われた内容の正当性に思い至ったらしく口を(つぐ)んだ。

 

「上は見たところ通風孔ぐらいの穴しか開いていない。あれじゃあ、飛竜の巨体は隠れられそうにない。だとすると、あの黒い飛竜のデカブツが潜めそうなのは」

「下の空間だけでありやがりますね」

 

 カワウソとミカの示した可能性。

 それに、モモンも頷きを返す。その可能性は大なり。

 疑問を呈したのは──意外なことに──男装の修道女であるマルコだった。

 

「ですが。汚穢喰い(アティアグ)などの住まう領域に、飛竜とはいえ、他のモンスターが侵入できるものでしょうか?」

 

 汚穢喰い(アティアグ)は、都市の衛生管理……下水や汚物の処理のためになくてはならない存在であり、同時に、この異世界における“自然の掃除屋”として、ある程度の「保護」が義務付けられているモンスターの一種。全長は二・四メートルほど。巨大な口と三本の触手がグロテスクな印象を植え付ける異形種であるが、性格は比較的おだやかなものが多く、縄張りや住居に不逞をなさない限りは、弱く襲いやすいはずの人間にすら見向きもしない。

 彼等の最大の特徴にして利点となるのは、“掃除屋”と呼ばれるだけあり、汚物や下水を好んで摂取し、それらを無害化させる能力に秀でていること。この洞窟内部を棲み処とする飛竜たちの糞尿が見当たらないのは、あの下に見える暗黒の奥底に放棄し、そこに住まうモンスターが喰うことで清潔な空間を維持している。

 魔導国の都市にしても、地下で飼われるモンスターのおかげで、都市の人々は汚物処理や下水排水の心配とは無縁な生活を送れるのと同じ共生関係が、飛竜というモンスターの巣にも働いているのだ。おまけに、このアティアグは生きている人間や生物を喰わない。彼等が食すのは死体(それも腐ったもの。残飯や食い残し、食べ滓を好む)などに限定されており、滅多な事では──テリトリーを侵されない限りは、攻撃を積極的に加えようとはしないのである。

 マルコの疑問は、彼等が自分たちの領域を侵す距離にいるやもしれない存在を看過するのか、というもの。

 野生のアティアグは自分の縄張り(テリトリー)を維持する。そこに飛び込むものは彼我の強弱(同種同族)に関わりなく襲撃を加える習性を持つのだ。そんなモンスターが跋扈しているだろう下層に、あの里で見かけたデカブツが、飛竜を黒く染め上げたモンスターが、生きていられるのか? 黒い飛竜によってアティアグを狩り尽くされた可能性は、皆無と言って良い。そうなれば、この巣穴は下方に垂れ流した糞尿や残飯の臭い──ガスで充満し、巣の主である鋭敏な感覚を持つ飛竜たち自身が生息不可に陥ってもおかしくはない。だが、飛竜たちの群れは、今も問題なさそうに平和な寝顔で眠りの世界をはばたいている。

 

「わからない。だが、可能性はなくはないはず」

 

 カワウソの言葉に、モモンが全面的に同意を示した。

 

「行ってみましょう。何か他に手掛かりがあるやもしれません」

「ですが、危険では?」

 

 下には当然ながら、飛竜の巣を照らす発光鉱石は転がっていない。だからこそ、あの奥底は真の闇を押し固められたような深淵の色しかありえないのだ。モモンであれば、さらにカワウソなら、ああいう闇の中で〈永続光〉を放つアイテムを使うことで調査も可能だろうが。

 

「光に誘き寄せられて、アティアグや、他のモンスターを」

 

 刺激しかねないだろうか。

 ハラルドの問いかけに対し、カワウソはモモンを見る。

 

「ご安心を」応じるように、冒険者は微笑んだ。「私にいい考えがあります」

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 少女は、実家の(やしき)の牢を抜け出し、己の衝動のまま──狂ったような想念に苛まれながら、相棒の背を借り、飛竜の首筋に縋りつきながら夜天を舞い降りる。

 

「早く、ラベンダ」

 

 もっと早く。

 祈るたびに相棒の雌は綺麗な声で鳴いて応えてくれるが、同時に、「こんなことをしていいのか」と、ひっきりなしに問いかけてくる。

 

「いいから、早く!」

 

 ほとんど相棒を叱りつけるようにして、ヴェル・セークは直轄地の直立奇岩、その真下へ向けて降下させ続ける。同時に何度となくラベンダに「ごめん」と謝りながら急がせる。ラベンダは優しく頷いてくれた。

 ここに至るまでに、狂戦士用独房の鉄格子を打ち破り、手枷足枷も気にすることなく、己の“相棒”であるラベンダの入れられた巨大な牢へ赴き、彼女の拘束も解いていた。装備らしい装備はない。ヴェルは私服のまま、ラベンダに至っては鞍も手綱も探して取り付ける暇を惜しんで、この墜落にも近い飛行に赴いたのだ。それでも、飛竜騎兵随一の騎乗手であるヴェルならば、裸の竜を乗りこなすのは造作もない。夜に乗じて、邸内の警備が薄くなる時間を狙ったのだ。

 しかし、これはもはや、明確な叛逆であった。

 どう言い繕うことも出来ないほどの違反行為。

 だが、ヴェルはもはや、それどころではなかったのだ。

 

 

 

 昼前。

 ヴェルは男の子の飛竜の悲鳴を聞いた。

 ──タスケテ、と。

 ──コロシテ、と。

 それからというもの、ヴェルの奥底では、これまで感じたことがないような感覚が、沸々と沸き立ってくるのを抑えきれなくなっていた。同時に、耳の奥に絶え間ない誰かたちの声が残響していた。男の子が死んだ後も────延々と。

 ヴェルは絶え間ない悲鳴と怨嗟、自壊と自滅、救済と救命を望む幾多の声に、呑まれてしまった。 

 こんなことは、20年の時の中で初めてだった。

 何事なのかと焦燥に駆られつつ、ふと壁の姿見を見た。

 磨かれた鏡に映る自分を見て、びっくりした。背筋が震えた。

 伝え聞いただけの──ヘズナ族長のウルヴさんが見せてくれたことが一回だけある程度の、狂戦士の眼。

 赤く燃える炎のような輝きが、瞼の端から零れていたのを見た。

 怖かった。

 自分が、知らない自分になっていることを、まざまざと見せつけられる──以上に、自分がまた暴走しそうになっているのだと判ったことが、恐ろしかった。

 もはや食欲も何もない。ベッドの上で必死に許しを請い、声が鎮まるのを待ったが、声は消えてくれなかった。むしろより多く、大きく轟く絶叫にもなっていった。

 ただの幻聴幻覚と見做すには、その声の圧力は真に迫るものがあった。

 脳の中で、まるで飛竜同士が喰い争うような叫喚が続いていたので、食欲どころか、他の何もする気力も湧かない。姉や皆に自分の状態を知られないようにするのは、苦労した。姉が「せめて夕飯だけでも」という声に、「大丈夫だから」と嘘を連ねた自分が、酷く醜悪に思えた。

 

 

 

 ヴェルが覚えている限り、自分の狂戦士化はこれで六度目。式典演習での五度目はまるで覚えていないが、とにかくこれが六度目なのだとヴェルは認めるしかない。一度目は、物心つくかどうかという時だったけれど、暴走した後、とてもひどいことになった(・・・・・・・・・・・・)。だから、暴走した”後”のことは、とてもよく覚えている。

 また、あの時のような悲劇を繰り返したくない。

 ──どうして、自分がこんな力を、そう幾度となく恨みや悲しみを懐いたことか。

 しかし、そのような言葉を、産んでくれた両親や優しい姉、事情を知る皆にもらしたことは、一度もない。

 言ったところでどうなるものでもないし、一度目の時はむしろ両親たちの方が、ヴェルに向かっていつまでも謝っていたくらいだった。「何もしてあげられなくて、ごめんね」と。

 ヴェルは、今も脳内で割鐘(われがね)のように響く鳴轟の怒濤に、耳を傾けるまでもなく聞き入った。

 その言葉のひとつを、我知らず紡いでしまう。

 

「たすけて」

 

 大好きだった両親が戦いで死んだときも、ヴェルは少しだけ暴走した。

 他にも何度も、ヴェルは精神の均衡が保てない状況に立たされる度に、周囲に暴風のような被害をもたらした。いずれも、邸内の中で、最も頑丈に作られた魔法の秘密部屋だった為、被害らしい被害にはならなかった。けれど、大好きな姉や、幼馴染のハラルドなどの友達のおかげで、ヴェルはここ十年ほど狂戦士化を引き起こしたことはなかった。

 ……なのに、この数日で、もう二度も。

 

「助けて」

 

 自分の力が増しているのか。

 狂戦士の力が、いよいよヴェルという個人の心を上書きしようとしているのか。

 そこはまったく判然としない。

 けれど、

 

「助けて、ください」

 

 これ以上ないほど弱々しく呟く少女と共に生きる飛竜(ラベンダ)が、切なげに声をかけてくれる。

 だが、彼女はヴェルを助けられない。むしろラベンダは、ヴェルの能力の共犯者になる立場であり、同時に最大の被害者でもあった。

 ヴェルが暴走する度に、ラベンダも少なからず悪影響を(こうむ)る。暴走する狂戦士と共に暴れ狂い、自分の意に添わぬ暴虐を振り撒くことになるのだ。

 本当に申し訳なくて、なさけない。

 それを口にしても、ラベンダは「気にしないで」というように鳴くだけ。

 たったそれだけの言葉に救われながら、同時に、ヴェルを本当に救えるものなど、いるはずもない事実をつきつけられる。

 

「誰か──」

 

 救いを求める声を口にした時、脳裏に浮かんだのは、黒い男。

 あの森で出逢った、黒い鎧に日に焼かれた肌の、超常的な光を放った大恩人。

 追われていた自分たちを救い、魔法都市の空でも救ってくれた、彼の名を思い起こさずにはいられない。

 

「……ダレカ」

 

 冷たい夜の風を驀進(ばくしん)しつつ、その小さな身体の奥底には、瞳を燃え焦がす狂気が渦を巻く。

 狂戦士は、今も聞こえる悲鳴を掻き消したい衝動のまま、夜空を降りる。

 飛竜(ラベンダ)騎兵(ヴェル)は、さらに下へ。奇岩の、もっと下へ。

 

 声は、ソコから聞こえている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




汚穢喰い・アティアグについては、D&Dの情報を参考にしております。
本作では、魔法やモンスターはWebや書籍を準拠しつつも、場合によってはD&Dで補完いたしております。
飛竜・ワイバーンについても独自要素マシマシですが、D&Dのそれに何とか寄せている感じです。毒針を持った奴とか、茶色とか灰色の奴とか、今のところ出てきてないけど。


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/Wyvern Rider …vol.11

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「どういうことだ! 何故、ヴェルが牢から!」

 

 厳しく詰問する族長ヴォルに対し、邸に留まっていた一番騎兵隊の皆は、一様に委縮してしまう。相棒の翼を駆り、邸へと舞い戻った族長は、妹の失踪──脱獄──という事態に直面し、あっという間に感情の沸点を超えて、当直警備にあたっていた部下らを叱りつけた。

 しかし。

 族長邸地下の深層に位置する幽閉所の様子を見て、ヴォルは納得を懐かずにはいられない。

 彼等の失態は、無理からぬ出来事であったのだという事実を。

 

「そんな、まさか……」

 

 ヴォルは立ち尽くし、その牢屋の綺麗なままの様子を確かめる。

 暴力、暴走、暴虐の気配は何処にもない。牢内部の質素な調度品は記憶にある通りの配置に並び、鉄格子自体にも、それらしい破壊の痕跡は見受けられなかった。

 ただ、一点を除いて。

 

「あの子……鍵だけを、壊して?」

 

 牢の鍵は四連固定。四つの鍵で扉の四隅をしっかりと固定された出入口は、狂戦士の暴走で破壊されたというよりも、熟練の牢破りの犯行のように、ひとつひとつが丁寧に牢内部から鍵の部分をねじ切られ床に転がり落ちている。その証拠に、扉は蝶番どころか格子部分にも歪んだ形跡はない。鍵さえ新調すればすぐに再利用できる。つまり、中の人物……族長であるヴォルの妹にして、狂戦士ヴェル・セークは、鍵だけを外して脱走してみせたというのだ。ただ暴れ狂うことでしか戦闘や破壊行動を取れない狂戦士の手管では、ありえない。そこには純粋な知性と理性が働いていることを認めざるを得なかった。

 だが、そうするとヴェルは、狂戦士化して牢を破ったわけではない、のか?

 

「ありえない」

 

 妹の力に、何か新たな要素が加わったのか?

 狂戦士の詳細な能力を知るのは、戦死した先代族長と巫女、魔導国上層部。そして、

 

「ウルヴ。こんなことが、可能なの?」

 

 予定では、ヘズナの領地に戻り、彼の直轄地にも黒い飛竜の痕跡がないか調べる予定だった男。当代で随一と評される“狂戦士”の彼に、ヴォルは儀礼など無視して──というか忘れて──問い質した。

 

「ありえない」

 

 ウルヴもまた、ヴォルとまったく同じ心理を懐いていた。

 

「狂戦士化しながら、理性を保つというのは、俺にも不可能な技法だ。いや、一瞬から数秒なら何とか可能だが、まさか四つの鍵を一個一個落とし、扉を開け閉めする理性を保つなんて──どんな数秒だ、それは」

 

 ウルヴにすら不可能な芸当を、ヴェル・セークはここで行い、おまけに飛竜用の牢屋にまで誰にも気づかれずに赴き、そこを破って鎖に繋がれていた相棒を解放して逃げ果せた。

 どう考えても、そこまでを邸内の騎兵たちに気づかれない隠密裏に、警備の薄くなる時間帯やルートを計算したうえで、すべての行程をやり遂げようと思えば、軽く見積もっても五分以上は経過する。

 以上の行動が、狂乱する戦士のやったことであるものか。

 誰もが、そう感じざるを得ない。

 

「ホーコンッ! 薬は!」

 

 呼ばれた車椅子の御仁も、戦々恐々という具合だ。

 変に裏返りかけた声音で、族長の問いに応える。

 

「ぞ、族長。た、確かに処方した。処方したが、それは朝方だけのもの。無論、あれひとつでも、十分狂戦士化は抑えられるはず。ゆ、夕餉に予定していたものと合わせることができれば、まず狂化なんぞ起こすわけがなかったのだが」

「では、これはなんだ?! ヴェルに一体、何が起こっている!!」

 

 車椅子に座る老体に掴みかからんばかりの語気で、ヴォルは問い質した。

 ホーコンは泡を喰ったように慌てふためく。

 

「族長、お鎮まりを」

 

 ヴェストが両者の間に割り込み、ヴォルを強引にさがらせた。

 

「ホーコン……本当に、ヴェルは薬を飲んだのだろうな?」

「あ、ああ。ハラルドが、朝食当番として見届けたと」

「……ハラルドが嘘をついている可能性は?」

 

 ホーコンを含む誰もが唖然となる。

 その可能性を失念してしまうほどに、一番騎兵隊の長となった少年への信頼は篤かった。だが、こうなっては疑念は残る。

 ハラルドが狂戦士に薬を与えた場面に、この場にいる誰も、立ち会ってはいなかった。

 

「ハラルドをすぐに呼び戻すべきか? 否……」

 

 それよりも、ヴェルの行方を探るのが最優先だ。

 彼女は魔導国に不逞を為した咎人の疑いがかけられている。

 そんな折に牢を破って脱走し、ヴォル達の前から姿を消すなど、どう言い繕うこともできない叛逆行為。

 早く見つけ出し、拘束せねば。

 だが、どうやって?

 妹の狂戦士の能力は、もはや自分が知っているそれではない。数少ない人員でヴェルの拘束に向かうというのは、彼女との実力の差が歴然とし過ぎている。狂戦士は下手をすれば、一騎で当千の働きをする怪物であり、戦の権化。たった数人の騎兵を投入したところで、太刀打ちできるわけもない。

 では、モモンやカワウソに助力を?

 駄目だ。彼等は今、飛竜の巣の中。向こうの状況が不明の中で〈伝言(メッセージ)〉を飛ばしても、彼等の邪魔にしかなるまい。モンスターの巣の調査は危険と隣り合わせ。こちらの都合を優先させて、彼等の状況を悪化させる要因を運び込むなど、愚の骨頂である。

 じゃあ、どうすれば?

 どうすればッ!?

 

「──ヴォル」

 

 優しくも逞しい男の声に、女はハッと顔をあげる。

 

「大丈夫だ。落ち着いて、考えろ」ウルヴが、ヴォルの肩をゆするようにしながら見つめてくる。「何故、ヴェルは牢の鍵だけを壊した?」

「………………気づかれないようにするため?」

「何故、ヴェルは気づかれないように牢を出た?」

「…………誰にも、知られたくない、から?」

「何故、ヴェルは相棒の拘束を解いた?」

「……空を飛ぶ、ため」

「空を飛ぶなら、確実に里の誰かの目にとまるだろう。違うか?」

 

 ウルヴの理路整然とした主張に、ヴォルは瞳を一瞬だけ輝かせた。

 それに応じるでもなく、ヘズナの男はセークの騎兵たちに依頼する。

 

「皆、直轄領や周辺領地の夜間警備兵に連絡を。ヴェル、あるいはラベンダの姿を見たという情報を集めてくれ」

「りょ、了解!」

 

 思わず他の部族長に返礼する一番騎兵隊。〈伝言(メッセージ)〉を使い、領内の警備などと連絡を取る。

 一挙に連携を示し、ヴェルの行方を探るべき最前の行動を取るセークの精鋭たち。

 そんな彼女らの長たる女が、婚約者の男に頭を下げた。

 

「ごめん、ウルヴ……取り乱して」

「テンパると何もできなくなるのは、相変わらずだな」

 

 ウルヴが自分の右眼に走る傷跡を数回叩く。

 ヴォルは、男の大きな掌に前髪をくすぐられる。

 

「うん。ごめんね」

「謝らなくていい」ウルヴは微笑みを強める。「ヘズナとセークは和合(わごう)すべし──陛下の御言葉だからな」

 

 ヴォルとウルヴは共犯者めいた笑みで、頷き合う。

 

 

 

 程なくして。

 族長の妹であるヴェル・セークと、その相棒ラベンダが、族長邸の飛竜発着場とは別の隠し扉(緊急脱出路)から飛び立ったところを見た夜更かしの子供や、外縁部で壊された物見やぐらの再建にあたっていた作業員──領内の巡回警備などから寄せられた情報をもとに、ヴェルが直立奇岩の“真下”に向かって降下したことが判明した。

 

「まさか。モモン殿やカワウソ殿の後を追われたのか?」

 

 ウルヴはそう推測するが、ヴォルはそれを否定した。

 

「あの子は邸内に入ってから、カワウソ殿らとの接触は控えさせてきた。今夜、巣の調査に赴くことは、知りようがない……はず」

 

 だが、この奇岩の真下にあるものと言えば、中腹部にある巨大な“巣”か、麓に広がる“森”くらいのもの。

 であれば。

 

「まさか、その“下”?」

 

 ヴォルは気づいた瞬間、まさかと思った。しかし、仮にも族長家に連なるあの娘(ヴェル)であれば、“あそこ”のことを知っていたのかも。しかし、その可能性は族長家に長く使える老兵ですら疑問する類のものだった。

 

「お嬢様。まさか、そのようなことが?」

「あの子も、親父(オヤジ)……先代たちから何か聞いていたのかも」

 

 少なくとも、(ヴォル)世話役(ヴェスト)は教えていない。

 セーク部族の直轄領たる直立奇岩。

 その、最深部──飛竜の巣よりも、奥底にあるもの。

 ヴェルのたどったのだろう航跡は、それ以外の可能性を考えにくい。脱走し、里から逃げ出し、一刻も早く離れようとするならば、”下”になど向かわず、上へ上へと向かって、雲に隠れながらどこかへ飛びすさればよいだけ。ならば、わざわざ人の目につきやすい里の空を駆け、外縁部を下に向かって飛ぶ意味はないし、発見されるリスクが大きすぎる。ヴェルはひょっとすると、逃げているのではないのか?

 無論、ヴェルは何も知らない可能性もある。

 あの娘はやはり狂っていて、何の目的もあてもなく、空を下へ向かって降りているだけなのかも。

 あるいは、ヴェル本人の特別な知覚能力か、直感かによって、あそこを目指しているとしたら。

 

「私は“下”に行く。皆、準備を」

 

 言った瞬間、ヴェストをはじめとした部下たちが、一斉に動き出す。

 族長の甲冑を運び、アイテムを整え、“下”に赴くための準備のために、「ある部屋」の鍵を取りに駆ける。

 

「ホーコン」ヴォルはその場に残された老人へ、謝罪するべく頭を下げた。「先ほどは、ごめんなさい。少し熱くなってしまって」

 

 苦く笑う老人は、手を振って族長の謝罪を柔らかく流した。

 

「私の方こそ、結局なんの力添えにもならず、申し訳ない」

「恐縮することはありません。あなたの薬学の力に、あの子も、そして私や、里の皆も救われております。あなたの腕を疑った族長の不徳を、許していただけるだろうか?」

「……勿体ないお言葉です。老いさばらえた我が身には、過分な心遣い」

 

 老学者ホーコンは、そう恐縮しきってしまう。実に長老らしい。部族内でも学問や魔法への理解に深い老成した御仁の態度に、ヴォルは改めて敬服する。彼と、立てなくなり車いすでの生活を余儀なくされた彼の”相棒”であり続ける飛竜にも、これが終わったあとにでも、何か御礼の品を送ろうと思う。

 そうしてから、女族長は最も頼れる婚約者──恋人をまっすぐ見る。

 

「ウルヴ」ヴォルは最後に、この場には元来そぐわない……だが、近い内に住居を共有する関係を結ぶことになる男性、ヘズナの長に対し、正直に、頼る。「一緒に来て」

 

 頼られた男は、女の良く知る笑みを浮かべた。

 

「もちろんだ、ヴォル……セーク族長」

 

 素で応えかけるウルヴの様子が、ヴォルにはたまらなく痛快だった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 飛竜の巣へ調査に赴いたモモンたち一行は、飛竜たちの巣を下へ下へ降り進んでいく。

 飛竜らは、意外にも清潔で綺麗好きな性格らしい。食い残したモンスターの死骸などの残飯、さらに糞尿などは、巣穴の割れ目から下へと野放図に垂れ流している──ということはないという。巣の内部には、上層から落ちてくる水流の溜まる泉のような水飲み場があり、さらにその泉から溢れ下へ水が流れている。飛竜たちはその下に流れる水の流れを下水処理──トイレに用いているありさまだった。ここまでくると、まるで飛竜たちを住まわせるのに最適化すべく、この直立奇岩は加工ないしは創造されたような疑いを懐かずにはいられない。何らかの人の手が加わった印象を覚えるのだが、詳しいことはハラルドも判らないという。おそらく里の族長や長老会も知らないのだと断言されている。300年から以前の歴史を持つ以上、そんな昔の情報を正確に伝達するのは難しいのだ。

 下へ落ちる下水や残飯は、岩壁に住まう蟲や鼠などで綺麗に舐めすくわれており、一滴一片も見当たらない。飛竜と彼らの共生関係は完璧といっていいのかもしれない。

 下へ降りるほど、巣を煌々と照らしていた発光鉱石の輝きは消え入り、やがて何の光も届かない闇の底に降り立つ。まるで〈暗黒(ダークネス)〉の状態異常を被ったような純黒の世界で、互いの息遣いだけがはっきりと感じ取れる程度。

 割れ目は下へ行くにつれ細くなっていくが、これならば飛竜が一匹くらいは通れそうな広がりがあった。

 

「おそらくですが。下に誤って落ちた子を救うための穴なのでしょう」

 

 そう説明したモモンは、上の巣で言っていた「良い考え」──ひとつのマジックアイテムを取り出す。

 

「それが先ほど、モモンさんの言っていた?」

 

 声をかけられた。

 モモン状態──つまり「半受肉」中のアインズは、装備に施された闇視(ダーク・ヴィジョン)能力で、同じように闇視しているらしいカワウソ……堕天使のユグドラシルプレイヤーに振り返り、僅かに頷く。

 

「ええ。魔封じの水晶です」

 

 ユグドラシルにも存在するアイテムの水晶だが、アインズが用意したものは、そこまで大きな輝きを放っているわけではない。これは、魔導国内の兵器廠で開発・生産された、位階としては第四~第七位階程度の魔法を込められる代物だ。100年前までは物珍しい部類のマジックアイテムであるが、この水晶は国内でも一定の需要と供給が確立されて久しく、主に四等以上の冒険者や学園などの魔法研究部門、そして魔術師組合で買い付けが行われており、その恩恵は国民全員に供与されている。

 これと同じ位階の水晶は、モモンとして活動する際の必需品として、アインズは大量に保有している。

 当然、この程度のアイテムを消耗するのは、アインズの懐事情には何の影響も及ぼさない。

 

「これに込められた魔法は〈全体闇視(マス・ダークヴィジョン)〉」

 

 チームパーティ全員に〈闇視(ダークヴィジョン)〉の魔法を浸透させる効果。すでに闇視を発動しているアインズや、異形種のカワウソ(そしてマルコやミカ)には無用なアイテムであったが、自分(アインズ)たちの偽装を維持するためにも、こうして魔法を発動させないとカワウソたちには不審がられるだろうし、飛竜騎兵の隊長のみに闇視を施すための(下等な)クリスタルは、アインズの手持ちには存在しなかったのも大きい。

 アインズは躊躇なくクリスタルを破壊する。

 それによって、内部に込められた魔法が効力を発揮する。

 一行の中で唯一、十分な闇視の力を持っていなかったハラルドが、一挙に明るくなった視界に困惑して、だが、すぐに慣れる。

 他にも風の魔法を応用した不可視不定形の酸素マスクを発動させるアイテムも起動する。これで、地下に毒ガスが立ち込めていたとしても、一行の呼吸・心肺機能には影響を及ぼさない。

 

「すごい。話には聞いておりましたが……凄まじいですね、魔封じの水晶というのは」

 

 闇視と酸素補助の効力を受けたハラルドは、モモンに預けておいた甲冑と武器に身を包んでいる。下に降りる前に、闇の中で突然襲われても最低限自分の身は自分で守る準備は整えさせていた。

 

「これで、我々はあの暗闇の中で調査が行えます」

 

 闇視の効果は、あくまで自己に闇を透視する力を加えるものであるため、実際に周囲が明るくなったということはない。〈永続光〉のランプで周囲を照らしては、闇の中に生きるモンスターにこちらの存在を主張せざるを得なくなるが、これならば隠密行動は継続可能となる。

 

「モモンさん」

 

 カワウソは先頭を行く冒険者──急な襲撃に備えて警戒を続ける男に、ひとつ確認し忘れていたことを口にしてきた。

 

「もしも、黒い飛竜が現れ、それに襲われた時は?」

「なるべくなら捕獲し、調査検分を試みたいところですが……」

 

 アインズはモモンの表情を僅かに上向け、少しだけ虚空を眺めてから頷く。

 

「場合によっては殺傷も可とします」

 

 無論、他の飛竜やモンスター、そして調査の一行──モモンたち全員を傷つけない範囲で、だが。

 カワウソはモモンの注意に首肯し、自分の従者として背後に控える女天使を振り返る。主人の意を汲んだ女騎士が、かすかに顎を引いた。

 一行は闇の奥深くに分け入る。

 人の行くことなど考えているはずもない、岩塊の間にある道なき道を歩いていくと。

 

「何か、います」

 

 小声でアインズは注意を促した。

 近づくにつれ、鼻腔に香るものが湧きたつように現れた。

 それは人であれば不快に思って当然の腐臭や汚臭。とあるモンスター特有の臭いであり、実のところ、彼等の数少ない意思疎通手段(コミュニケーション)の一種である。

 

汚穢喰い(アティアグ)です」

 

 腐肉や汚物の山に鎮座する、丸い肉塊。

 胴体と呼ぶべきそこにはカミソリのような歯が数十本も並び、あらゆる糧を斬砕して食料に出来る。三本の触手の内、一本にのみある眼を探すまでもなく、彼が深い眠りに陥っていると容易に知れた。触手はすべて丸い胴に大人しく巻きついており、これといった活動に使われてはいない。このモンスターは寝床に定めた巣に、自分が縄張りからかき集めた食料を堆積し収集する性質があり、その不潔な城で飲み食いしながら睡眠をとる。

 ちなみに、悪臭を放つというのは汚穢喰い(アティアグ)にとっては「機嫌がいい」というサインであり、逆に良い臭い……花の香りや美味そうな果実の香りを漂わせると、「すこぶる機嫌が悪い」ので近づくべきではない。そうやって彼等の意志を読むこと──コミュニケーションをとることは出来る。

 だが、良い香りに惹かれるのは生命の(さが)でもある。

 彼等に対する知識を持たぬ人間が、それまでの人生で全く嗅いだこともないほど芳醇な香りに誘われ近づけば、大抵は機嫌の悪い汚穢喰い(アティアグ)の領域を侵犯し、その犠牲になることもありえる(というか、機嫌が悪い時というのは傷を負って回復中だったり、あるいは十分な餌に困って飢えていたりするので、釣り餌としても彼等の臭いは利用されている向きがある)。

 

「とすると、ここが、この巣の中で最も深い場所になるはず」

 

 汚穢喰い(アティアグ)は、他のモンスターや生物の活動する土地や拠点の下を、徘徊するようにして縄張りを築く。都市ならば地下の下水道、自然の中だと谷底や洞窟の奥など、糧となるものが転がり落ちてくる立地を好む習性があるのだ。

 その理論から行けば、あれが活動領域と定めるこの地は、巣の中で最も深い、様々なごちそう……残飯や汚水が集積する場という結論を生む。

 そして、今のモモンたち一行にとっては、それ以上の存在ではない。

「無視していきましょう」と宣し、アインズは後方のカワウソたちを促した。

 汚穢喰い(アティアグ)は目の前を通り過ぎる冒険者とその一行──五人に、大した興味を示さない。眠っていても、モンスターの触覚や嗅覚は侮るべからず。彼等はよほど飢えていない限り、生物を襲うことはないとしても、何が起こるかわかったものじゃない。警戒は厳に、慎重に。数メートルは伸縮自在の触手は、まったくこちらに気づいた気配を見せない。一等冒険者が全員に貸し与えた装備のおかげであった。

 そうして汚穢喰い(アティアグ)の巣のひとつを何とかやり過ごして、数分もしないで一行は足を止める。

 

「またいます」

 

 飛竜の巨大な巣の地下と言うだけあって、汚穢喰い(アティアグ)は一定の距離を進むと、もう一匹、また一匹と姿を現した。

 だが、その量も指の数を超えた時、アインズはその奇妙さに気づかざるを得ない。

 

「……おかしい」

「何がです?」

 

 アインズの口が紡いだ言葉に、異世界では素人のカワウソが、当然のように問いを投げかけた。

 アインズは一等冒険者としての認識として、この状況の異常さを説明できる。

 

「巣にいた飛竜の数が少なかったのを、皆さん覚えていますか?」

 

 ほぼ全員が首肯してくれる。

 

「あの程度の数の飛竜──モンスターの量であれば、汚穢喰い(アティアグ)の数はそこまで多くなくていい。二匹か三匹ほどで事は足りる。だが、すでに通りすがった汚穢喰いの数は六。今、前方にいるのを含めたら、七匹になる」

「数が多すぎると? 汚穢喰い(アティアグ)の数が?」

 

 カワウソの疑問形で紡がれた正解に、アインズは頷く。

 これは明らかに供給過多だった。少なくとも、これまで得られた情報を総合し、アインズの常識に照らし合わせるなら、これは異常現象と言っても良い。

 上にある飛竜の巣は、この奇岩内部にはひとつきり。

 その巣にいた飛竜の数は通常の「四分の一程度」なのに、巣の下層を棲み処とする汚物処理モンスターは、その量に必要な分量の「倍」はいた。一方は減っているのに、一方は増えている。両者の単純な数量比が一致していないのである。

 アインズはモモンの口で説明する。

 

「餌となるものが少ないところにいる汚穢喰い(アティアグ)は、餌の豊富な別の地に移るか、でないとそこにいる仲間同士で小競り合い、縄張り争いを繰り広げるモンスターです。場合によっては共喰いも。だが、見たところ彼等の縄張りは維持されている上、どの個体も丸々と肥えており、飢えている感じがまったくしない──これは、おかしい」

 

 静かな口調で呻くアインズだったが、それが冒険者モモンの困惑の度合いを一層深いものだと感じさせたようだ。

 

「まさか、どこかに別の食料源が?」

「だと思いますが……」

 

 アインズは上を、厳密には上にあった巣──通常以上に減少していた飛竜の数を意識するが、「それはない」と断定できた。

 カワウソの疑念に、一等冒険者の表情を困惑に歪めつつ、アインズは考える。

 

「やはり、何かがあるのやもしれない」

 

 奇岩の最深部となるこの場所で、一行はさらに奥へと進む。

 汚穢喰い(アティアグ)との邂逅が八を数えたところで、一旦小休止を挟む。

 アインズは一等冒険者に与えられた(という体裁で用意しておいた)アイテムを起動し、〈認識阻害〉の上に近づくモンスターに反応する〈上位警報(グレーター・アラーム)〉を展開。これで、何かが近づけば効果範囲内の一行にのみ、警報を鳴らして報せることになる。さらにアインズは、周囲を偽装の布(カモフラージュ・クロス)という周囲の景色に同化するアイテムで、簡素ながらも大きな天幕を張った。これで、布の内部であれば光や熱を外に漏らす心配はなくなる。淡い光のランタンを灯し、無限の(ポッド・オブ・エンド)湯沸し(レス・ホットウォーター)を用意する。

 一等冒険者の手ずから用意したティータイム──上の邸でもふるまわれていた南方から届く特級茶葉の緑茶を、ここまで案内してくれたセーク部族の少年をはじめ、カワウソとミカの分の湯飲みを差し出した(ミカは例の如く飲食を固辞したが、アインズは気にしていない)。

 現時刻は、調査開始から四時間以上が経過していた。アンデッドであるアインズには疲労はないが、さすがに休息中に喉を潤しておく方がいい。ハラルドとカワウソが一息つくのと同じく、アインズもまた半受肉化した体で緑茶の味覚と芳香を味わった。

 

「モモンさん。少しよろしいですか?」

 

 言って、近づいてきたのはマルコだった。

 何でしょうと問いを返すまでもなく、マルコは無言の圧力で一等冒険者と二人で話ができる場所を欲していた。促される形のまま、モモンとマルコは他の三人を残して天幕の外に。

 

「どうした、マルコ?」

 

 盗聴防止用のアイテムを起動させたアインズは、普段通りの調子でナザリックが誇る混血児(ハーフ)──その先駆けとなった娘に、(たず)ねる。

 

「どう御考えなのです?」

「質問の意図が掴めないぞ、マルコ? 飛竜の巣と、此処でのモンスターの分布図がチグハグな件か? それとも、セークの部族が隠れて何かやっていることについてか?」

「それらもですが、あの──」マルコは盗聴対策済みであると理解していても、慎重に言葉を選んだ。「──彼等(・・)のことです」

 

 彼女の視線の先──天幕の中にいる人物たちを思えば、その疑問は瞭然としていた。

 

彼等(・・)については、確かにマルコの言う通り、人格や性格の面においては、問題なさそうだな」

 

 報告の通り。彼等……カワウソは実に理知的で、危惧されているような暴走や野放図な行いからは遠い思想の持ち主であるようだ。一等冒険者というモモンの身分を慮っての言動は、アインズには──昔懐かしい──サラリーマンの営業じみた丁寧さが見え隠れしてならない。

 

「しかし、いえ、だからこそ……やはり危険なのでは? もしも我々の正体が露見し、彼等に疑心と暗鬼を宿すことになったら?」

 

 そう。マルコの指摘する通り。

 今のマルコとモモン──アインズたちは、本当の身分や立場を偽り、プレイヤーの彼を“騙している”というのが現状だ。それが露見した際に、彼が我々を、アインズ・ウール・ゴウンのやり方をどう受け止めるのかは、未知数。彼と、100年後に現れたユグドラシルプレイヤーと、協調していこうと思えば、どこかの時点で彼等に自分たちの……できればマルコあたりを折衝役として当たらせるべく、身分を改めて伝える機会を得なければなるまい。その時に、カワウソという名の堕天使が、ミカという名の女天使が、アインズ・ウール・ゴウン魔導国に懐く心象は、果たして悪意に染まらないと言えるだろうか?

 

「普通に考えれば、我々をさらに警戒するかもしれないな」

 

 それどころか、騙されたことに対する憤懣と疑念で、関係が冷え込む可能性は十分にある。

 

「であるなら、何故このような危険を?」

「──彼等は、明確な敵意を示していないからだ」

 

 アインズは言い募る。

 

「カワウソや、彼のNPCたちは訳もわからず、かつての我々ナザリックと同様、突然に異世界へ飛ばされ、そんな状況で必死に生きようと努力している。己の意志や誰かの差し金で人の家を荒らす盗人などとは違い、彼等はいわば、唐突に飼い主から棄てられた愛玩犬か、あるいは何者かの都合で檻に入れられた野生動物のようなもの。そんな者たちには、まだ猶予が与えられて当然なはず。転移して、まだ数日という期間を考えれば、彼等にも選択の余地を与え、存命の機会を供するべきだ」

 

 そう思わないかと問われるマルコは、釈然としないながらも、カワウソらに猶予を与えるべしという御方の見解には、大いに同意できていた。スレイン平野という空白地帯にして封印領域であっても、カワウソたちのギルドが魔導国内の土地を不法占拠し、あまつさえ魔導国のアンデッド部隊と「知らなかった」とはいえ交戦し、部隊を壊滅掃討した無頼の輩だとしても、マルコにとっては普通の人間と大差ない程度の愛着や信頼を、彼等に対し懐きつつあるのが事実(それでも、魔導王アインズやナザリックの存在、殿下などに対するものとは比べようもなく低い部類だが)。

 彼女が同意できないのは、ただ一点のみ。

 

 ──何故、彼等に100年後の魔導国の実際を供与し、教授する立場に、”魔導王”という国家の最枢要人物が赴かねばならないのかという部分に他ならなかった。

 

「やはり、私一人で彼等と交渉するようにした方がよろしかったはずでは?」

「うむ。だが、そのためには、やはり私自らの目で、彼という人物と人格を、見定めておきたかったからな」

 

 それこそ、(カワウソ)が異世界に転移したことで、唐突に手にした力と配下(NPC)に増長し、拠点周辺を根こそぎ荒らすような暴走と暴虐を繰り広げる類の愚者であったなら、アインズは即刻魔導国全軍を挙兵してでも、そのような蹂躙者を殲滅していただろう。魔導国の臣民に累が及ぶ、その前に。

 ナザリックによる監視によって、彼等はそういった激情とは無縁の、周辺調査において実に理知的な姿勢を(とお)していたからこそ、アインズは彼等と接触するに相応しい力量を備える秘蔵っ子──マルコの派遣を決定。

 任務を果たした彼女が入手した情報をもとに、同じプレイヤーであるアインズが、最終確認の意味を含めての邂逅を果たし、……こうして飛竜の巣のさらに奥深い地の調査に、共に当たっている状況と相成ったわけだ。

 本来の計画だと、マルコの調査の(のち)に、魔導国政府都市管理官やアンデッドの政務官、さらにはナザリックNPC、階層守護者を代表して大宰相や大参謀が十分に間を挟んだ後に、改めてアインズが彼の為人(ひととなり)を直々に精査する──というのが、当初の流れとしてアルベドやデミウルゴスに立案させたもの。

 その途中の段階を、アインズは一等冒険者という偽装身分を使い、すべて省略したわけだ。

 堕天使であるカワウソ……ユグドラシルプレイヤーの不安な胸中を推考しての計画変更は、今のところ何の問題もなく遂行されつつある。

 

「……わかりました」

 

 マルコは嘆息しつつ、己の主人の采配を信頼しつつ、一応釘を刺しておくのを忘れない。

 

「ですが、万が一。彼等が此処で我々に襲い掛かるような事態になれば」

「解っているとも。警戒は大事だ」

「確認しておきますが、“()”の効果時間は?」

「ヘズナの(やしき)で、夕食時に服用しておいたから、あと半日は大事ないとも」

 

 言って、アインズはボックスの中に無数に用意した“半受肉化の果実”のひとつを取り出す。

 アンデッドの“受肉化の果実”を品種改良したこれは、元の黄金に白金がマーブル状に溶けた模様が浮かび上がっており、今もナザリック内で生産されている元の果実(オリジナル)同様、アンデッドの骸骨(スケルトン)系モンスターにしか摂取・使用は不可のままという、不思議な果実。

 これを定期的に服用する限り、アインズは人間としての肉体を維持しつつ、オリジナルとは違い、ある程度の魔法の行使も可能で、尚且つ、アンデッドとしての特性を失う=アンデッドモンスターだと周囲から認識されなくなる。

 これだけを聞くと何やら無敵に近いように思えるかもしれないが、実のところ、割とデメリットが多い。

 肉体のステータスは魔法詠唱者のそれ基準のままだし、扱える魔法はせいぜいが第五位階程度(アイテムで魔法を作動させる場合、アイテムを取り出す一工程(ワンアクション)がどうしても必要)。

 おまけに、これを再摂取するには、一度はアンデッドの姿に戻っておく……リキャストタイムとして「一時間」は元の姿のままでいなければならないため、連続使用は基本不可。衆人環視──カワウソなどの前で効果時間が切れれば、すぐに幻術で誤魔化さない限り、確実に正体がバレるのだ。さらに、摂取し続けると、もともと想定されている効能時間が段階的に減少し、再摂取の機会が増えるという面倒まである。

 アインズはボックス内に果実を収納しつつ、天幕内で休息しているプレイヤーを意識する。

 

「思ったよりも早く、彼と彼のギルドを取り込み、傘下にでも組み込めそうだか……(いや)

 

 焦りは禁物。

 あまりにも急峻な状況の変化は、思いもかけない形で、様々な反動となって顕現することがよくある。火山噴火の起こる前に、マグマが深く重く堆積され続け、内部に暴発の燃料とエネルギーを溜め続けるのと似て、何か途方もない変事が水面下で進行しているやもしれないのだ。

 自分達の意識の影に潜む何かは、現段階ではこれといった実像を持っているわけではない。

 アルベドたちからは、これといった連絡は受けておらず、定時連絡においても、彼の派遣した調査隊と、ギルドの様子は特筆すべき異変はない、と。

 だからこそ、アインズは慎重に、事を運ぶべく努力せねば。

 

「ところで、マルコ。おまえの能力ならば、下等とはいえ飛竜の声を拾えるはずだが?」

 

 ナザリックが誇る竜人の家令(ハウススチュワード)を父に持つ娘は、竜人と人間の混血種(ハーフ)として、当然のように竜種族と会話することができる。マルコが相棒以外の他者に心開くことのない飛竜の声を理解し、あまつさえ騎乗することまで許されるというのは、そこが大いに関係していた。

 彼女であれば、万が一にも飛竜の集団と事を構えることになろうとも、ある程度まで相互理解の機会を得ることが可能。故に、アインズは飛竜の巣の調査にマルコを同伴させたというのが理由のひとつだ。

 しかし、混血の乙女は、白金の髪を掻いて難しい表情を見せる。

 

「いいえ、モモンさん(・・・・・)。一応、彼等の会話や、警備交代の時のやりとりを拾ってはいるのですが、黒い飛竜なんてものについては、特に何も。それに、ここまで降りてきていますけど、やっぱり黒い飛竜の声らしい声は、聞こえませんね」

「そうか」

 

 黒い飛竜について、巣にいる飛竜たちが何も知らないなら知らないで、問題などない。

 問題は別のところにある。

 アインズにとっては意外な事であったが、竜人の娘であるマルコの能力をしても、何故か黒い飛竜の声については、何らかの意味があるようには聞こえなかったという。あれだけ盛大にやかましく吠えていた以上、何かしらの思考や感情くらいは読み取れてもよさそうなものだが、さっぱりわからなかったのだ。まるで、あの黒い飛竜は、“竜”以外のモノであるかのように、マルコの力が適用できないのである。

 さらなる問題は、やはり上の巣の状態である。

 

「しかし、だ。黒い飛竜に喰い荒らされたわけでもなく、上の巣にはあの程度の数の飛竜しかいないというのは」

「ええ。あまりにも不自然です」

「おまけに、地下の汚物処理モンスターの量と質を考えると……あまりにも怪しい、か」

 

 アインズとマルコはひとつの懸念を懐いていた。

 巣にいた飛竜たちは、実に平和そうに、巣での日常を過ごしている。

 おかしい。おかしすぎる。

 あまりにも多くの巣穴が空っぽになっている光景を目の当たりにしているはず……なのに、彼等は、これといった危機感や恐怖心を懐いていなかった。無論、あの程度の数しかいなくても、巣には子供らが、誕生の時を待つ卵も、あった。時が経てば、また元の個体数に戻るだろうと、そう思い込むのは簡単だった。

 だが、問題なのは、何故、この地域での食物連鎖の頂に立つものが、通常だとあり得ないレベルで激減しているのか、だ。

 

「飛竜が通常よりも減っているということは、それだけの飛竜が死んでいる、あるいは失踪しているということになりますが?」

 

 仮に。

 飛竜にのみ蔓延する病気や呪詛が、この巣にはびこっているとしたら、上にいた野生の飛竜らが太平楽に暮らせるわけがない。あるいは恐慌し発狂し、とても安穏と暮らしていけるわけもない。実際、マルコが診断した限りでは、竜に固有の病や呪いの気配は、上には存在していなかった。一応、下に降りて汚穢喰い(アティアグ)の残飯を見た感じ、飛竜の死骸らしき巨大な腐肉はなかった以上、大量死の可能性はないと見て良い。

 では、飛竜が何らかの理由で巣立っていったというのかと言うと、これは微妙過ぎる。飛竜は確かにある程度の数に達すると、新たな王(ないしは女王)と共に、新天地を目指して旅立つ。だが、それはあくまでひとつの巣穴で棲める一定量を超えた時に起こる現象であり、あれだけ巨大な巣から新たな飛竜の群れが生じたとしたら、上に残っている分の量がありえない。巣立ちの際に新たな王(女王)に従って出ていくのは、飛竜の(つがい)が二十組前後。その程度の数であれば、上の大穴で充分暮らし続けることは容易なはず。わざわざ危険な外へ向かって大移動をするリスクを払わねばならない状況では決してない。

 だとすると、残っている可能性は、ほぼひとつ。

 

「飛竜の大量失踪……だが、あの巣に潜ってまで飛竜を密漁する連中(バカ)がいるわけもないし。いたならいたで、巣の彼らは警戒心を剥き出しにしてもいいだろうに。警備連中の穏やかな様子から考えても…………おだやか?」アインズは、自らの目で確認していた飛竜たちの様子をしばし思い返す。「待て、いや、ひょっとすると?」

 

 アインズが顎に手を添えて黙考に耽った、その時。

 

「うわっと!」

 

 目の前の娘が思わずよろめくほどの轟音と、竜の一声が、遠く上の方から響く。

 かすかな震動で砂埃が周囲に舞い落ちる。

 

「何だ? 地震、ではない?」

 

 マルコの肩を支えるように抱いていると、異変を察知したカワウソらが休息の天幕から飛び出してきた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 モモンたちが天幕外の様子を監視しに出ていった後。

 天幕の中で、ハラルドは最初の仮眠を与えられて、広げた寝袋の上で横になっている。

 一行の中で最もレベル的に弱輩であろう少年の疲労を思えば、まず、彼が仮眠をとるのは当然な順番と言える。

 それに彼は飛竜騎兵の領地に生き、飛竜というモンスターの生態に詳しい現地人。彼が消耗し、いざという時に使い物にならなくなっては、この後に控える調査活動の成果にも、影響を及ぼす。

 天幕中央のランプ越しに、彼の熟睡──「睡眠(スリープ)」状態を魔法で確認したカワウソは、一応盗聴防止用のアイテムを起動して、ミカと話し込むように岩塊のひとつに腰掛けた。思いのほか、カワウソにも疲労がたまっているのか、休息を与えられた両脚が不思議と軽くなった、気がする。

 

「ミカ。マアトと今、連絡は取れるか?」

 

 拠点内にいる部下の時間割(シフト)を管理する立場にあるNPCは、即座に応じる。

 

「今の時間であれば、可能かと」

「うん。じゃあ──〈伝言(メッセージ)〉」

 

 周辺警戒をミカに任せ、カワウソはギルドの観測手(オブザーバー)との連絡を試みる。

 指を側頭部に当てながら聞いた魔法の呼び出し音は、わずか一度で拠点にいる少女と繋がった。

 

『は、はは、はい。カワウソ様』

「マアト。ええと、拠点(そちら)の状況は?」

『えと。げ、現在、地表での監視任務は、ウリさんと、クピドさん、あとシシさんと、コマさんが、担当しております。あの、その、特に変わったことはないですね。見た感じ』

 

 城館(パレス)のモニター室で拠点周囲をモニタリングしているようなたどたどしい口調に、カワウソは存外安心してしまう。

 

「そうか……クピドに渡した黒い肉片、鑑定の方は?」

『ええと、ちょっとお待ちを──』魔法の向こう側で、マアトはアプサラスに連絡を取りつけている気配が。『えと、アプサラスさんは、今、工房で鑑定中だそうで。詳しいことは、その直接お聞きくだされば、あの』

「わかった。ありがとう、マアト」

『は、はわわわわ! わ、は、はい!』

 

 やけに緊張気味に、だがマアトは己の元気を振り絞るような声で頷いてくれた。

 何かおかしなことを言っただろうか──まさか感謝される程度で恐縮した、わけないか。

 巫女との通信のすぐあと、カワウソは魔法を発動し直す。アプサラスの瑞々しい声が脳内に響いた。

 

『はーい、カワウソ様♪ お久しぶりです♪』

「うん。ご苦労さま。鑑定の方は、どんな感じだ?」

『はい♪ 順調です──と、言いたいところですが、申し訳ありません……飛竜(ワイバーン)の死肉ということは解っているのですが、どうも妙な事になっておりまして?』

「……妙、な?」

 

 あれだろうか。

 黒い飛竜のあの肉腫は、やはりこの異世界独自の病気(ディジーズ)的なものだったのか。あるいは呪詛(カース)系統の状態異常か何か──あるいはそれらすべてということもありうるか。

 カワウソの呟く仮説に対し、アプサラスは現段階での見解を述べ始める。

 

『取り急ぎ、鑑定しただけの結果で、まだ精密な鑑定報告とは言えないのですが……』

 

 鑑定役を務める踊り子は告げた。

 それ聞いた瞬間、カワウソは眉をひそめた。

 

「ちょ……ちょっと待て。本当に、そんなことが、ありえるのか?」

『判りかねます──この異世界独自の法則とか、多分、そういう類のものだと思われるのですが?』

 

 だとしても。

 あまりにもおかしい。

 

「あの黒い飛竜が…………うん?」

 

 その時、上の方で激震のような音と、生物の一鳴が響いた。

 

『何事ですか?』

「悪い、アプサラス。引き続き、詳しい鑑定の方を頼む」

『え、ちょ、カワウソ様!?』

 

伝言(メッセージ)〉を半ば強引に断ち切る。

 カワウソたちの前で寝入っていた少年が飛び起きるのとほぼ同時に、天幕の外へ駆け出す。

 

「何事ですか?」

「カワウソさん……我々にも、さっぱり」

 

 モモンがよろけたマルコをしゃんと立たせる。飛び起きたハラルドも、天幕から転がるように外へ。

 その間にも、大量の飛竜の唸り声や喚き声が、上の──巣の場所から大量に零れ落ちてくる。

 まさか、カワウソたちの侵入に気づいて探しているのではと、嫌な発想に至る堕天使。

 

「──安眠妨害?」

「え? なんて?」

「あ、いえ……何か、そんな風な声が聞こえた、ような?」

 

 マルコが苦笑しつつ見上げる先で、またも岩盤が砕けるような音色が。

 あまりの事態に地下の小動物やモンスターたちもが、忙しなく動き回り始めた気配がこだまする。

 

「何か、降りてくる?」

 

 ミカが感じたままに呟いた声は、ほぼ全員が同時に納得できる言葉だった。

 カワウソは問い質した。

 

「何が? ……飛竜か?」

「飛竜にそこまでの破壊能力はないはず……まさか、例の黒い飛竜が?」

「いえ……なんか……違うような?」

 

 ミカが懸念する危険を、しかしマルコが微妙な表情で否定する。

 

「あれ……この声、って──ッ!」

 

 マルコがたまらなくなったように駆け出した。

 

「どうした、マルコ!」モモンがその後に続いて走る。

「ッ、俺達も行くぞ!」カワウソの疾走に、ミカが当然のように従う。

「ええ、ちょ、天幕は片づけなくてもっ?!」

 

 最後に残されたハラルドは、異常事態に声を震わせつつ付いていく。彼はしきりに国内で最高峰の冒険者用アイテムを放置することに後ろ髪を引かれていたが、天幕を張った本人が放っておくのだから、是非もない。

 マルコは激震の中央、竜の鳴き吠える場所へ向かって、走り続ける。

 何が彼女を衝き動かすのか──というか、どうやってマルコは道などない地下空間の闇の底で目的地への進路を定めているのか、まったく迷う調子も見せずに前へと進む。

 岩の隙間を抜け、坑道のような悪路を突っ走り、修道女はついに辿り着いた。

 

「やっぱり……飛竜騎兵です!」

 

 一瞬遅れてマルコを追走したカワウソは、モモンと共に、その光景を見つめる。

 地下の中で、なかなか広い空間に出た。

 上にあった飛竜の巣を上下逆転させたようなV字型の谷底──その中心地に蹲る見事な翠色の鱗を煌かせる雌の飛竜。この地下へと続く割れ目の隙間を、半ば落ちるようにして飛行してきた背中には、一人の少女──と見える彼女は、20歳の立派な女性である──が、(くら)(あぶみ)も、手綱(たづな)どころか自分を護る鎧すらない状態で、この暗闇の底に舞い降りていたのだ。

 

「まさか飛竜騎兵? 何故、こんな場所に?」

「いや、あれは」

 

 面識を持っていないらしいモモンに、カワウソが説明する間もなく、さらに背後から絶叫に近い声が。

 

「ラベンダ! ヴェル!!」

 

 女性騎兵の普段着──族長の妹として相応しい恰好は、今朝方、ハラルドが彼女に朝食を運んだ時とまったく一緒。

 あんな装具も何もない、おまけに転落時の衝撃緩和用の装備すら身につけず、飛竜に鞍や手綱もつけずに飛行するというのは、生半可な技量の持ち主では成し得ない蛮行だが、彼女であれば問題なく、それぐらいの騎乗能力は発揮できる。

 駆け出し、少女らに近づいたハラルドの疑念は別にあった。

 

「どうやって、ここに──いや、というか、牢は?」

 

 族長の命令で、ヴェルは幽閉されていた。

 彼女自身その処遇を受け入れ、大人しく牢に籠っていたはず……なのに。

 ヴェルは応じない──応じる余裕が、今はないと見るしかない。

 荒い呼吸を整える時間を必要とし、相棒共々、無茶な飛行を完遂したことで肉体への負担が容赦なく心臓を啄んでいるように、豊かに実った胸元を押さえていた。

 モモンが状況的にありえるだろう航路にあたりをつける。

 

「おそらく。我々が通ったのとは別の、地下に続くルート……あの割れ目を飛行してきたのでしょう」

「あんなところを?」

 

 カワウソは驚嘆してしまう。

 ヴェルたちが通ってきた地下へと続くルートは、一見すると飛竜の飛行には適していない。飛竜が転げ落ちるだけの大きさに広がっているが、それが螺旋階段のように理路整然とした軌道を描いているということはない。鉱山の縦穴という感じからはむしろ遠すぎる、立体迷路のような入り組みようだ。その行程には、鋭利に突き出した岩塊などもある。人程度の大きさが〈飛行〉の魔法を使う分には問題ないだろうが、飛竜がこの隙間を飛ぶというのは、物理的に不可能に思われてならない。

 実際、ヴェルとラベンダの降り立った広い空間には、上から砕け降り注いだのだろう岩塊の破片が散らばっており、それが先ほどの震動の正体と見て間違いなかった。上の割れ目の砕け具合の新しさから言っても、まず間違いない。

 

「だとしても、これだけ崩壊させておいて、どちらも無傷なんて」

「──狂戦士化だ」

 

 幼馴染の言う通り。

 ヴェルが牢を抜け出し、無茶苦茶な飛行をやり遂げた理由は、それ以外にありえない。

 

「また、狂戦士化したのか? そうなんだな、ヴェル!」

「……ハラル、ド」

 

 それを証言することは、ヴェルには不可能に思えた。

 蒼白そうな表情を覆い隠す、乱れた薄紫の髪。覇気の一切感じられない声色は、触れれば折れる花の茎を思わせるほどに、儚い。

 顔を一行に振り向けた少女は、その中で自分の求める助力者を認めると、転がり落ちるようにラベンダから降りた。ハラルドがたまらずに助け起こしにいくのに合わせて、カワウソやモモン、マルコとミカもそれに続く。

 

「しっかりしろ、ヴェル!」

「ちょ──大丈夫なのか、これは?」

 

 カワウソに問われたハラルドは、苦虫を立て続けに噛み砕いたような渋面を浮かべるだけで、何も言わない。厳密には、何も言えないというべきだ。彼にだって、狂戦士の容体など分かりっこないのだから。

 

「カワウソ、さん」

 

 少女の双眸を覗き込むまでもなく、カワウソは片方の瞳に宿る焔を見て取った。

 

「ヴェルおまえ、その眼は、狂戦士の?」

 

 だが、今の彼女は会話が成立している。

 あたりかまわず暴れ狂うという行為にも(はし)らない。

 ハラルドの腕を借りて、カワウソが思わず差し出した二の腕に縋りつく少女は、涙をいっぱいに溜め込んだ瞳の奥で、狂気のエフェクトに支配されつつも、ひとつの言葉を、明確に口にする。

 

「たすけて、ください」

 

 カワウソは勿論困惑した。

 戸惑い、迷い、少女の言おうとしていることの真意が告げられるのを、じっと待つ。

 ヴェル・セークは続けた。

 

「こえが、聞こえるんです」

「声?」

 

 問い返す堕天使に、だが、ヴェルは応答しない。

 応答と呼べるような声を、発することができない。

 

「止めないと。助けないと。みんな、皆が」歯の根が合わないまま、ヴェルは怖気(おぞけ)をこらえた震える声で唱える。「声が、声が……頭、あたまの中、響いて……痛い、痛いって、みんな……殺して、助けてって、あの子、あの子たち、皆、が!」

 

 カワウソは直視する。

 ──狂気が決壊する瞬間を。

 

「 ウァアアアァアアアァァァッ!! 」

 

 人の喉ではありえないような叫喚が、大地の中の裂け目に轟く。

 ラベンダも、彼女に呼応するかのように吼え狂うしかない様子。

 反響し残響する音圧は、可憐な戦乙女というよりも、暴悪な竜の一声に等しかった。

 

「来ル……来ル、来ル! ダメ、逃ゲテ──ミンナ、逃ゲテェッ!」

 

 一心不乱に狂い叫ぶ少女は、わずかに残された理性でもって退避を願う。

 ──その時。

 

「カワウソ様、何かが」

 

 来るとミカが注意を促した先。

 地下深い空間のさらに奥深くから、聞こえる。

 

 奇妙な激震。

 太鼓か足音のように響く破砕音。

 小刻みに発生する地震を思わせる音色に続いて、喘鳴(ぜんめい)のような空気の摩擦が噴き荒れる。

 

「……嘘だよなぁ、おい」

「──まさか、な」

 

 闇の奥を見定めるカワウソとモモンが呟いた。

 

「何だ……何だっていうんだ、あれは!」

「あれが、飛竜? いや──あれじゃあ、まるで本物の……」

 

 ハラルドとマルコも、それぞれの感情を込めた悲鳴と疑念を吐き出してしまう。

 唯一、女天使のミカだけは、彼女らしい深い沈黙を保ち、黒い暴君を見上げる。

 

 彼我との距離は、数百メートルかそこらだ。

 朝方、里の上空に現れた、幼くも屈強極まる暴走竜────アレを十数倍に膨らませたような黒く巨大(デカ)い飛竜が、一同を睥睨する位置にある暗闇の奥深く……ヴェルとラベンダが落ちてきた割れ目とは別の大きな割れ目から、長く武骨な鎌首を伸ばして現れた。

 

 もはやそれは、竜だった。

 竜と決定的に違うのは、アレは竜にあるべき腕はなく、竜よりもさらに巨大に張られた皮膜の翼を岩壁に這わせるようにしながら、喉を重く震わせる。体長の半分以上を占める優雅だったのだろう肉腫にまみれたデコボコな長い尾の先には、鋭く(ひか)る黒い針状の突起。牙の隙間から吐き出される呼気が、蒸気機関のごとき排熱の白煙を漏らしており、その飛竜の顔面は騎士の兜を悪魔的に歪めまくったような、幾多の角に覆われる面覆い(フェイスガード)十重二十重(とえはたえ)と重ねられたような膨れ具合。当然、その下にある表情や目線などは確認不能……だが、アレは確実に、眼下の小さな標的(カワウソ)たちを見据えていると、判る。理解(わか)ってしまう

 

 推定するところ、あれは“成竜”──大人だ。

 里の空で暴れ回った奴が可愛い部類に思えるほど、悪辣かつ膨大なフォルム。

 

 

 

  グォアアアァァァアアアアアッッッ!!!

 

 

 

 おどろおどろしい漆黒の巨竜が、轟く暴声を地下深い谷底に乱響させていく。

 黒い脅威が、今、カワウソたちに向かって翼を広げ、襲来する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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/Wyvern Rider …vol.12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急峻な傾斜、小高い丘のようになっている岩盤の上に君臨する暴君の様に、カワウソは偽りのない戦慄を覚えた。

 これがユグドラシルのゲームであれば「ああ、中々秀逸なデザインだな、作り込みもしっかりしている」くらいの評価と感想を懐くだろう化け物の姿だが、──これは現実だ。

 これまで、この異世界で出会った中で最も凶悪かつ巨大に見えるモンスターの異形ぶりに、カワウソの心胆は凍えきっていく。魔法都市で見かけた霜竜(フロスト・ドラゴン)並みに膨れつつ、引き絞られた肉体を覆い尽くす黒い斑紋。肉腫はコールタールのような粘稠性を帯びており、それが汗のように鱗の隙間から漏出しているのか、ボトリと大地に落ちて、嫌な臭気と白煙をこぼしあげる。

 無論、カワウソはゲームで竜を狩ったことは幾度かあったが、堕天使のステータスだと勝率はそこまで良くはない。

 他の竜に敗けたか、他のプレイヤーパーティが打ち漏らしたのだろう“手負い”の竜に単独(ソロ)で挑み、可能なら捕縛・殺害できたくらい。竜と戦う際には、ある程度こちらの被るダメージも勘定したし、ヘマやらかして殺されかける(または殺される)ことも、ゲームでは経験済み。素材収集のためどうしても狩りたい竜が大量にいた時は、与えられ装備している──装備せざるをえない世界級(ワールド)アイテムを使った“裏技”を使用したものだが、それだってうまくやらないと時間切れになって、結果はお察し……という奴である。

 

 だが、今のこれは──現実、なのだ。

 

 逃げたい。

 今すぐに。

 

「ウァアアアァァァッ!!」

 

 人間らしい恐怖心で一歩も前後に動けなくなった堕天使の近くで、女の狂吼と音圧が背を叩く。

 まさかと振り返る間もなく、ヴェルとラベンダの騎影が、地下空間の中で両翼を広げた。

 狂戦士と化した乙女が、漆黒の巨竜に向かい、相棒の背に跨り、武器もないのに、突撃。

 

「よせ、ヴェル!」

 

 引き留めようとする同輩(ハラルド)には目もくれず、狂った戦士は空を馳せた。

 理性を完全に失った瞳で、この場で最も恐ろしいと感じる対象に向かって、暴走の限りを尽くしてしまう。

 見る間に、狂戦士とカワウソたちとの距離が広がる。

 

「くそっ! 何だってんだ、この状況!」

 

 カワウソは矢も楯もたまらずに跳んだ。谷底の岩壁を跳ね、馬鹿な特攻に咆え奔る女と飛竜を押し止めるために。暴れる騎兵と飛竜に突っ込むと、ヴェルの小さく細い肩を掴み、ラベンダの翼に足をかけて、谷底の壁面、巨大な岩塊に押し倒すように封じ込める。

 

「ッ、暴れるな、この!」

 

 狂化もとい強化された一人と一匹の身体能力は、カワウソの制止に一定の反撃を試みる余裕があった(というか、本気の力で組み敷いて頸骨や内臓などを破壊するのを怖れたカワウソが、絶妙な塩梅で手加減を加えるしかなかったのだ)。

 邪魔者に爪で斬りかかる少女──噛み砕こうと顎を広げる飛竜に構うことなく、堕天使は頭上の脅威を振り仰ぐ。

 あんなものに単騎で挑むなど、自滅行為以外の何でもない。狂戦士らしいといえばらしい戦闘行動だが、目の前で自殺を遂げようという輩を止めに入るのは、ひどく常識的な判断に過ぎない。

 だが、

 

  ゴォアアアァァァアアアアアッッッ!!!

 

 振り返るカワウソ。

 谷底の幅の半分にはなるだろう巨大な皮膜を広げた黒竜が、黒鉄の暴風と化して突っ込んでくる。

 

「チィッ!」

 

 大きく舌打ちをしながらも、カワウソは腰の鎖(レーディング)に手を伸ばす。急いでヴェルとラベンダを拘束し、この場を離れなければ。

 しかし、

 

「クソ、邪魔するなって!」

 

 暴れるラベンダが堕天使の剥き出しの二の腕に食らいつく。

 上位物理無効化Ⅲの特殊技術(スキル)でダメージは皆無だが、食らいつく顎に阻まれてアイテムを振るえない。素手で殴り、爪で肌を抉ろうとするだけだったヴェルまでもが、カワウソの首筋に獣然と前歯と犬歯を突き立ててくるので、本当に邪魔だった。

 そうこうしている内に、黒竜は接近。

 岩壁を破砕する翼の一撃が、カワウソたちに殺到する。

 もはやなりふり構っていられない。ラベンダの顎が砕けるかもしれないと思いつつも、強引に腕を引いて鎖を掴み、振り回した。魔法の鎖はあっという間に飛竜と狂戦士に巻きつき、両者を谷底へと滑落させる。それに追随する形でカワウソも下に降りることで暴竜の翼から逃れた。

 吹き飛ぶ岩塊。

 数瞬前までカワウソらがいた場所が砕け、地下の谷底に小規模な崩落の音色が轟く。

 暴れ狂うヴェルたちを両手で掴み引っ張るようにして、カワウソはひと際大きな岩の雪崩から逃げ果せる。

 だが、無事に崩落を避けるルートは、後方のハラルドたちから遠ざかる結果を生んだ。

 

「カ、カワウソ殿!」

「来るな!」

 

 助太刀に参じようとした少年の義侠心を、大声をあげて制した。

 壁を這う巨竜が、さらにカワウソたちの方へ爪牙を差し向けてくる。

 

「助太刀します」

 

 だが、モモンは果敢にもカワウソらの窮状を救いに飛び込んできた。

飛行(フライ)〉のアイテムの効果で空を突っ切るモモンの姿は勇ましい限り。だが、

 

「なにっ?」

 

 モモンが驚愕し、呻く。

 飛竜の長大な尾の先に備わる針状の突起物が、冒険者の振るう双つの両手剣と交差していた。

 その硬度は、里の上空で見た幼竜の十数倍──おまけに、アレは信じられない速度で、反撃の一撃をモモンの胸部に叩き込んでいた。冒険者の身体が数十メートル先の岩壁に押し返される。叩きつけられた衝撃で、岩壁が石の花を開くようにめくれていた。

 

「モモン殿!?」

 

 あまりの事態に、誰もが色を失った。

 苦し気というよりも、悔し気に舌打ちをつくモモン。彼は無事だ。なるほど伊達に最上位の冒険者に列せられているわけではないらしい。

 

「モモンさんは、ハラルドとマルコを!」

 

 言わんとした内容を了解した漆黒の戦士が、竜への反撃にこだわるでもなくすばやく同意する。

 この状況では何とも頼もしい反応速度だ。抗弁されて時間を浪費しても、双方のリスクにしかならない。モモンは五体満足であることを主張するように、ハラルドとマルコの傍へ後退していく。

 あれの狙いは、現在のところカワウソとヴェルたちに集中しているが、ただの現地人(特にハラルド)程度の実力で、あんな巨大な竜に抗しきれるのかという懸念が湧きたってならない。モモンでも「果たして」と思わざるを得ず、実際、彼はいきなり後退を余儀なくされていた。怪我らしい怪我はなさそうだが、ただの剣撃で、あの巨体と重量の竜を屠るというのは、並大抵の業では不可能である。

 カワウソは拘束したヴェルとラベンダを連れて、奥の空間へ。

 すると、やはりあの黒竜は、堕天使あるいは狂戦士を目標に定めるように、身を跳ねた。

 彼我の距離がさらに詰まる。試しにヴェルたちを餌に置いていこうかとも悪だくみをする堕天使の思考を理性で押さえつつ、カワウソはボックスから聖剣を抜き払う。

 両者の交叉は一瞬。

 黒い竜の右顔面を聖剣──神器級(ゴッズ)アイテム“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”が横薙ぎに引き裂いた、が。

 

「クソ! やっぱり再生しやがる!」

 

 確実な生命活動の停止には持ち込めない。

 そうして、悲鳴を上げるあれは、里の上空に現れたものと同じく、即時性のある再生能力を発揮する。

 砕けた顔の肉腫がボコリと泡立つと同時に、黒腫の零れた右顔面を再構築し、元の悪魔的な面覆い(フェイスガード)に戻ってしまう。

 再度、攻撃を試みたが、首にも胸にも背中にも、有効打は決まらないまま。

 カワウソは考える。

 何か、即効的な弱点攻撃……頭や首を落とすか、心臓を抉り斬るなどを試みるより他にない。

 だが、アレの身に纏う装甲のような肉腫が限りなく障害となりうる。肉腫は神器級アイテムの剣で斬撃は可能だが、ヒットした瞬間にあらぬ方向に弾き返されるようになって、奥の生身へと到達させてくれなかった。これでは、何か強力な一発……信仰系魔法や攻撃系特殊技術(スキル)を使うしか、打開策がない。

 しかし、モモンたち──現地人の手前、あまり派手な攻撃は(はばか)られた。

 カワウソは聖騎士(ホーリーナイト)聖上騎士(パラディン)の職業スキルに代表される強力な攻撃能力を保持しているが、この異世界で行使するには不向きなものが多い。森を断裁した光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴは、聖騎士の基礎攻撃スキル。そんなものが木々を薙ぎ払い、大地を抉り飛ばしたことを考えると、それ以上の攻撃能力を発揮することは、後方に控える三名の現地人を巻き込む可能性が大となる。最悪、この地下空間をカワウソが崩落させ、全員仲良く生き埋めに──なんて状況に陥った暁には、どう詫びればよいというのか。ミカの魔法や特殊技術(スキル)を使って蘇生させればとも思うが、蘇生可能かどうかの疑問が残る。

 いっそ今から、彼等だけでも脱出させるべきか。

 

「──ッ!」

 

 モモンたちに振り返りかけて、背筋が粟立つ感触に首が固定される。

 やばい。

 そう直感する。

 見上げれば、天井付近の岩壁を這いつつ、重く喉奥を轟かせる黒い巨竜が、ほとんど180度に開いた口腔の奥深くの闇から、やはり闇色の何かをゴボリと零し出す光景を確認。

 

「まさか、ブレスっ!?」

 

 ユグドラシルの飛竜(ワイバーン)に、そんな攻撃はできなかった。

 似たようなものだと〈火球(ファイアーボール)〉や〈雷撃(ライトニング)〉を吐き出す個体がいるくらいだが、ブレス攻撃は、飛竜よりも上級の竜にしか扱えない攻撃手段、固有スキルだったはず。

 なのに、あの巨大な黒飛竜は、闇色に染まった黒い息吹(ブレス)を溜め込み、そして、解放。

 轟音と共に直下に向けて吐き出された竜の息吹(ドラゴンブレス)が、地下空間を真っ黒に染め上げる。

 ……否、息ではない。

 ブレスというよりも、あれは黒い肉腫の放射だ。

 雪崩を打ったように黒く滴る肉の激流が、頭上から降り注ぐ。胃の腑から吐き出されたようなそれには消化液の強酸も塗布されているのか、周囲の岩壁に触れた瞬間に焼けるような音を奏でながら巻き込んだすべてを溶解させる。逃げ場はない。カワウソよりも後方にいるモモンたちが水晶を砕いて防御魔法を張り巡らせたようだが、果たしてどこまで通用するか疑問だ。

 カワウソも〈力の聖域(フォース・サンクチュアリ)〉という信仰系防御魔法を唱えるが、この世界で、あの黒竜を相手に、どれだけ有効に働くか知れたものではない。周囲を包む白光が、純粋な魔力の障壁を築き上げ、発動者の攻撃を一切不可にする代わりに、敵対象からの攻撃の一切を遮断する。だが、あの黒竜の攻撃がすり抜けてくる可能性を想像せずにはいられない。

 あれが攻撃でないと判断されれば?

 あるいはあれのレベルがカワウソと同格か、それ以上としたなら?

 尚も暴れる少女らを鎖で封じつつ、聖域がうまく機能してくれることを願うしかない。

 雪崩(なだ)れる闇が押し寄せる。

 刹那。

 

「何をもたついてやがるんです?」

「ミ──ミカッ?」

 

 カワウソの目の前──盾となるかのような瞬速で姿を現した女天使が、腰の光剣を抜き払い、迫り来る肉の濁流に向かって、刃を顔の正面に構える。

 

「御下命して戴けないのであれば、私の判断で戦わせてもらいます」

 

 まるでカワウソに置いていかれたことをすねたような口調で、女天使は堕天使を振り返る。

 

「冒険者モモンが言っておりました。『場合によっては、殺傷は可』──であれば」

 

 容赦など不要。

 光の剣が閃いた。

 

特殊技術(スキル)黙示録の獣殺し(キラー・オブ・ザ・ビースト)”」

 

 天に掲げた片手剣の、光輝く刀身が、消える。

 途端、濁流と化していた黒い肉の暴流が、カワウソらに至る直前、まるで蒸発・浄化したかのように消え果てた。

 いや、違う。

 肉の濁流を吐き出していた巨大な竜までもが、何処からか飛来した極大な光刃──多方向から無数に現れた輝く剣に、360度の全周から断切され、一拍の間もなく滅ぼされていた。肉腫の濁流は、そのうちの一刀を真正面から受けて吹き飛んでいただけに過ぎない。黒く狂う飛竜は、頭も首も胴体も判別できないほどの小間切れと化す。

 

 ミカに与えた特殊技術(スキル)黙示録の獣殺し(キラー・オブ・ザ・ビースト)”は、ミカの元ネタに因んだ天使(ミカエル)に由来した名称で、その効果は『悪属性対象、魔、獣、竜などのモンスター種族への特効攻撃』という、防御重視の女天使の中ではかなりの威力を誇る攻撃手段だ。これよりも強い攻撃は、ミカは四つしか保有していない。無数の防御手段や防御魔法に長けている反面、攻撃方面に製作者のカワウソが重きを置かなかったのは、彼女には天使の澱(エンジェル・グラウンズ)拠点内の防衛戦時でのタンク役、つまり“盾”の役割を期待しての事。彼女の役割と対になるのは、花の動像(フラワー・ゴーレム)である“剣”のナタとなる。

 

「おお!」

 

 モモンたちの方から歓声に近いどよめきが起こる。

 確かに。黒い肉腫の脅威、黒竜の暴虐劇は潰え去ったかに見えた──だが。

 

「ああ、まずい……」

 

 切り分かれ解体された飛竜の死骸が、裂け目の中を転がり落ちる。黒い肉塊が別の雪崩となり、衝撃で岩壁が砕け、無数の落石を伴う崩壊が谷底にむかって殺到。

 その直下には当然、カワウソとミカ、そしてヴェルたちが、いる。

 

「逃げろ!」

 

 叫んだが、すでに遅い。暴れ狂う少女と飛竜を抱えて安全地と見えるモモンらの所まで跳ぼうとしたが、土砂崩れもかくやという黒い崩落に巻き込まれ、カワウソと、その手に繋がる鎖に囚われた飛竜騎兵、そしてそれらを包むように純白の翼を展開したミカは、黒い竜の骸と共に、裂け目の底に落ちていく。

 

「ッ!」

 

 谷底の空間は、さらに地下へ崩れ、落ちる。

 カワウソたちの名を呼び叫ぶモモンとマルコ、ハラルドの声も掻き消えるほどの轟音と共に、彼らは谷底のさらに下──奈落の底へと落ちていく。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「そんな……」

 

 黒い崩落は、谷底の大地を肉腫の強酸で焼き融かし、さらに下へと落ちる連鎖崩壊を生んだ。

 裂け目のさらに奥深い谷底へ落ちた者たちを、ハラルドは絶望的な表情で見送るしかなかった。

 一等冒険者の身に守られ、さらなる深淵に陥った幼馴染とカワウソたちの安否を確かめられないか、奈落の淵に手をつき、深淵の闇を凝視する。

 そんな彼を、やや遠くから眺めつつ、

 

「さらに、地下が?」

汚穢喰い(アティアグ)のいる、この層よりも下があるとは、な」

 

 マルコとモモン──アインズは疑問を懐く。

 黒竜の尾による攻撃は、まったくダメージになっていない調子で、今の状況をマルコと共に分析。ここが奇岩内部の最下層だと思っていたが、意外なことに、さらに下へと続く空間が出現したのだ。

 

「ですが。汚物や下水がこの層に溜まっている以上、下へと続くなんてことが?」

「ふむ。この下にあるものは、魔法的な防衛機能が生きているのかもしれない」

 

 それこそ。上の族長邸に存在する魔法の秘密部屋のように、飛竜騎兵──セーク部族固有の遺産が存在している可能性は大いにある。アレと同じか、もしくはそれ以上の空間を構築されたものが、この地下に眠っているとしたら。

 

「ですが。アイ……魔導国にも認知されていない空間なんて、ありえるのですか?」

「飛竜騎兵のほとんどは秘密主義的だからな」

 

 無論、秘密を持つことは悪いことではない。

 世の存在は、秘密のひとつやふたつ抱え込んでいるのが常。

 それをもって個人を殺傷するとか、国家を転覆しようという者がいれば罰せられて当然だが、個人が秘密を持つことを罪に問うというのは、いくらなんでも悪法に過ぎる。アインズですら、秘密があるのだ。セークの族長が「秘密でやっていること」が、叛逆や反乱、経済的混乱でない以上、大した問題にはならない。

 むしろ、彼女らのやっていることは、あるいはアインズらの望む事業に発展するかもしれないのだ。

 一応、放置しておいても問題ない部類だったはず。

 

「ヘズナのように、比較的明け透けな連中というのは、むしろ稀だからな」

「それで。──行きますか? あの崩れた地下に?」

「うむ。落ちた彼等の安否も気になるが」

 

 アインズは、あの黒竜が這い出てきた上の裂け目……崩落によって塞がってしまったそこに目を凝らす。

 あれが這い出てきた先も気にかかった。

 

「マルコ。ハラルドを連れて、上の里に戻れ」

「よろしいのですか? ナザリックから援軍を求めては?」

「うむ。さすがにこの状況では、使えるコマが少なすぎるか……〈伝言(メッセージ)〉」

『はい。おじい……モモンさん』

「エル。いや、エルピス(・・・・)。“緊急極秘指令”を」

 

 緊急極秘指令とは、「ナザリックに存在する後詰・援軍を“極秘に”派遣せよ」という符丁だ。

 アインズは、カワウソたちの感知能力を警戒して、影の悪魔(シャドウ・デーモン)八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)などの隠密部隊を率いてはこなかった。もしも、彼と彼女(カワウソたち)が高度な感知能力──看破に特化した魔法やアイテムを保有・起動させていた場合、Lv.100の存在にとって隠密モンスターの群れを発見することは実に容易い。ただの一等冒険者・モモンの護衛にモンスターが数十体も追随していたら、間違いなく彼等に怪しまれ疑念が生まれただろう。

 あるいは、遠い過去、沈黙都市に派遣した人狼のメイドが、その地に住まう管理者であり封印者だった人狼にバレたのとは比べようもない失態を、アインズ達自身が演じる状況に陥るなんてことも、十分ありえる(実際、カワウソの指輪のひとつには看破に特化したものがあった為、ナザリックの隠密性に特化したPOPモンスターを見つける性能を保持していた。今回のアインズの采配に、間違いはなかったのである)。

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉を続ける。

 

「状況は、推定だが(レッド)に近い(イエロー)

『第二種災害ですね』

「ああ。私は引き続き、状況の対処に当たる」

 

 しかし、状況はもはや、一等冒険者の裁量を超える域に達していた。

 黒い飛竜の成体を確認。

 幼竜とは比較にならない巨体。

 酸や毒性を擁する、悪辣な身体機能。

 あれが、もしも野生の飛竜並みの数……(ぐん)で存在しているとしたら。

 その黒竜の群れが、一様に魔竜や邪竜じみた再生能力と、黒い肉腫と強酸の放射を行えると仮定したら。

 

(この一帯全域の危機に直結しかねんからな)

 

 飛竜騎兵の部族、その領地に置いたアンデッド部隊は、一般的な三等臣民領地の基準を僅かに上回る程度の量。

 黒竜と、その群れと対峙し戦うとなれば、間違いなく手が足りなくなる。

 空中戦闘を可能にする空軍、および奇岩地帯に住まう臣民の避難と防衛のための陸軍、それぞれを正式な手順で派遣するには、どうしても時間がかかりすぎる。

 だが、アインズの──魔導王の指令を受ければ。

 

一等冒険者(モモン)の裁量権に従い、魔導王陛下に災害救助を要請……といったところか」

 

 モモンの武功のひとつが、これでまたひとつ追加されることになるかもしれない。

 だが、あるいは、

 

「この状況……彼は、どう切り抜けるのかな?」

 

 ──あるいは。

 地下へと落ちた堕天使の彼が、その武功を戴く名誉を。

 そうすれば、彼等を魔導国に迎え入れることも──なんて皮算用に至る自分を、アインズはひとまず棚上げしておく。

 

『モモンさん。ちょうど“こちら”にも動きが』

「……動き?」

『ヴォル・セーク族長らが──』

 

 魔法越しに伝達された情報、族長らの動向に、アインズはひとつ頷く。

 

「わかった。引き続き何か動きがあれば、連絡を頼む」

 

 孫娘との〈伝言(メッセージ)〉を断ち切り、いつまでも幼馴染らの行方を大地の淵から探し続けそうだった少年騎兵に呼びかける。

 

「ハラルド隊長」

「モモン、殿?」

「この地にこれ以上留まるのは、危険だと判断できます。マルコさんと共に、一刻も早く、上の里に避難を」

「……申し訳ございません。モモン殿」

 

 ハラルドは立ち上がりつつ、きっぱりとした口調で、憧れの冒険者に相対する。

 

「自分は、避難しません。たとえ止められても、ヴェルを、あいつを探しに行きます」

「いや、だが」

 

 モモンが懸念を懐くより先に、ハラルドは胸の苦しみをこらえるように、表情を沈めた。

 

「あいつ、自分へ言ったわけではありませんが──『たすけて』って──言っていました。そんなあいつを残して、カワウソ殿らの危機に背を向けて、自分だけ避難するなんてことは、出来ない」

 

 勝算がある、ということはなさそうだった。

 今の彼は、武装こそ整えられていたが、飛竜の相棒という絶対的な力の象徴を欠いている状況だ。

 さらに、彼は真実、あの黒い飛竜の暴君ぶりに恐慌していたのは事実。モモンの後ろで、安全地で眺めることしかできなかった自分を、彼は心の一番大切なところで、悔やみきっているようだ。

 常識的に言えば、彼は断固として、避難しておくべき立場だ。

 いくら自分たちの土地の地下で起こった出来事とは言え、ただの素人が竜に挑むというのは、絶対に推奨されない愚考であり愚行であった。

 だが、

 

「了解しました」

 

 ハラルドの意志の硬さを、アインズは少年の瞳から感じ取る。

 強い目だ。アインズが一種の憧れすら懐くほど真摯な眼差しは、人間の持つ心の豪胆さを表しているのでは、ない。

 弱る心を自覚し、臆病に逃げる己を知って、それでも尚、前を向く。

 死に臨む道をひた走ってでも、誇りを奮い起こそうと懸命に足掻く、物語に謳われてもよい──尊敬に値する、心の在り方が、そこにはあった。

 

「よ、よろしいのですか?」

 

 自分でも止められるだろうと思っていた少年が、思わず疑問で返した。

 

「『誰かが困っていたら、助けるのは当たり前』

 ……君が、君自身が、誰かを助けたいと思った事実を、私は尊重します」

 

 100年前からそうだ。

 アインズは、こういう人間のことは、嫌いではない。

 こういう人材と巡り合えることが、モモンという偽装の最大の利点(メリット)だとも言えた。

 

「ですが、これより先は調査ではなく、死地に赴く覚悟を。私も、出来る限りの手を尽くしますが」

「承知の上です。いざとなれば、弱き自分など置き捨ててください」

 

 念書を残しても良いとすら、ハラルドは宣告してくる。

 覚悟のほどは十分以上。

 それを認めた英雄モモンは、すぐに下へ降りる準備を整える。ナザリックからの隠密派遣部隊の到達は、日の出前。それまでに、カワウソたちと合流できるかどうか。

 アインズは先ほどの黒竜を撃滅し、主らを守護する翼を広げた女天使を思い出して、かすかに懸念する。

 

 ミカの放った、あの光の奔流。

 たった一撃で再生の追い付かない致死ダメージを与えた、圧倒的な力。

 

 あの女熾天使。

 敵となったらひょっとすると、なかなかに厄介そうだな。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 準備を整えた族長たちは、秘密のルートを使って、直立奇岩の真下(古くは飛竜騎兵の太祖、大地を使役する力を誇った女狂戦士によって築かれたとされるが、真偽は不明)、大地の内のより深い場所に降り立つ。

 ルートというのは、転移魔法陣を使用しての〈転移〉に他ならない。

 淡い魔法の光に浮き上がる女族長の鎧姿。

 急なことで自前の武装を持って来られなかったヘズナの族長が、その背後に続く。

 

「まさか俺が、セークの“聖域”に招かれることになろうとはな」

「どうせ部族統合が進めば、ここもウルヴの管轄になる。遅かれ早かれって奴よ」

 

 二人の他にも、長年ここの管理を務めている数少ない二人の長老、ヴェストとホーコンが二人。さらに一番騎兵隊の半数になる四人が、族長らの警護のために追随してきた。

 モモンやカワウソたちが調査しているだろう飛竜の巣よりも……というか、奇岩の麓に広がる森よりさらに“下”に位置しており、この一帯で最も深い位置に赴いたことになる。

 一行の中で、唯一この場に至るのは初めてという男が、その広い倉庫のような部屋を見る。

 

「ここが、セーク部族の」

「ええ。私たちの聖域──飛竜洞(ひりゅうどう)──その空間に作られた緊急避難所にして、研究施設」

「研究施設……なるほど、これが」

 

 ウルヴが見つめる先を認め、ヴォルは頷く。

 永続光の灯る空間に、うずたかく積み上げられ並べられた資料の山。

 様々な薬品や原料……草花の乾燥したもの、粉末状にした鉱石や水晶、モンスターの身体の一部、国内で流通する治癒薬や魔法溶液。それらを適切に取り扱うための機具や装置の数々。

 

「よくもここまで集めたものだな。ウチの研究部より、量も質も良さそうだ」

 

 他にも──

 飛竜の血、

 飛竜の鱗、

 飛竜の骨、

 皮、肉、臓物、脳髄、死んだ卵、一部の飛竜が分泌できる毒……それらを適正に分類し、立ち並ぶ棚の迷路に陳列されている。

 

「ええ。先代以前から、先祖代々、脈々と受け継がれてきた私たちの研究の成果」

 

 最近の資料のひとつを、ヴォルは無造作に手にとり、そこに記載された自分の妹……ヴェル・セークに関する文言を、見るでもなく眺める。

 

「狂戦士を、『狂戦士の狂乱の血』から解放するための……研究」

 

 ホーコンという医師・研究者の手によって調合配合された薬物。妹に投与された様々な薬と、その反応行程。それらの効能の可否と深度。狂戦士化を抑止することだけに特化した、粉薬の開発について。

 ヴォルは薄く笑った。

 これこそが、ヴォルの抱える二つの秘密のうちの、ひとつ。

 

「こんなことがバレれば、私は、おしまいでしょうね」

 

 

 

 言うまでもないが。

 狂戦士という稀少な力は、魔導国においては重要な研究対象になりえる。

 実際、ウルヴ・ヘズナ──当代において完成された狂戦士と謳われる青年族長は、魔導国の研究に協力する形で、今現在の力を、狂戦士としての能力を獲得するに至った。

 ウルヴの狂戦士としての才能は、歴代においては特筆すべきものではない(それ以外の、魔法戦士としての技量は最高なのだが)。有体に言えば凡庸。悪く言えば比較的劣っていたとも言える。彼の狂戦士のレベルは、実はそこまで高い部類ではないのだ。

 そもそもにおいて、彼は適性者ですらなかったというのが実際である。

 

 

 

 ヴェルは狂戦士の適性者であるが、適性者であることが完全に幸福なことであるとは、限らない。

 部族において狂戦士が“災厄”や“死神”と畏れられ怖れられる以上の苦難が、狂戦士となった者たちには待ち受けている。

 

 特に、小さな身体のセークにおいては。

 

 ヴェル・セークは、確かに狂戦士の力を備える資質があると認められた。星読みの竜巫女──部族の未来を占う力を備えた者たちは、部族で産まれた子らに宿る力を測ること──鑑定魔法──を生業(なりわい)としてきた。

 先代巫女によって族長家の次女として生まれた娘、ヴェルの運命を見た時、巫女は断言した。

 

「この娘は、狂戦士になる」と。

 

 しかし、それは族長家と一部関係者にしか情報を共有されることはなかった。

 あの魔導国にすら、彼女(ヴェル)の力を正確に、正直に伝えることはなかった。ありえなかった。

 その理由は単純。

 巫女はさらに予言した。

 

「狂戦士となったこの娘は、長くは生きられない」と。

 

 長く生きられないのは当然だった。

 狂戦士は戦いに狂う戦士。自ら狂気を纏い、狂喜するように戦いを巻き起こし、幾多の死線を跋扈(ばっこ)し、戦場を走破し、暴れ突っ走ることを己に課した“狂える戦士”は、戦いの中で死ぬことが多い。

 その爆発的なステータス増強能力によって、文字通りの一騎当千の働きを示すことを可能にした存在……ゆえに、彼ら彼女らの人生は、苛烈かつ過酷を極める。

 文字を覚える前に剣の扱いを覚え、適性が強すぎるものになると、片手の指で足りる年齢で狂戦士の特殊技術(スキル)を発動可能。そこまで成長してしまえば、その狂戦士の一生は決するとされる。──「戦いの中で死ぬ」という宿命。それが、狂戦士が勇武の一族で尊重され信仰を集める理由にもなりえた。齢幾許(よわいいくばく)の少年少女が戦乱で疾風怒濤(しっぷうどとう)の如く暴れ狂い、己の乗騎となる相棒の飛竜と共に戦場を馳せる姿は、かつて信仰を集めていた飛竜騎兵の遥かなる太祖を思わせたという。

 無論、狂戦士であるからと言って、すべての戦いを無傷に終えられるという保証にはなりえない。

 むしろ狂戦士であるが故に、若い少年少女が狂乱と暴走の果てに、無茶な特攻をしかけることで、相手の陣中で孤立し、そのまま圧倒的な数と智略と魔法を頼みに蹂躙され、屠殺されるのがたいていの末路であった。晴れの初陣で狂乱の余り敵味方の区別がつかなくなり、やむなく両陣営が“共闘”して、狂戦士の子を殺戮するなどという事態まであった。

 

 故に、狂戦士になった飛竜騎兵の平均寿命は、20年にも満たない。

 

 さらに言えば、狂戦士の適性を持つことと、狂戦士の肉体を持つことは、必ずしも合致しないことが厄介の極みであった。

 その代表例こそ、ヴェル・セーク。

 今代において生まれながら、その力を隠された狂戦士の乙女。 

 彼女はセークの部族の特徴である小身矮躯の肉体の持ち主で、女としての特徴は確かに豊かである(つまり、彼女の肉体はすでに成熟・完成形だと言って良い)が、それ以外は狂戦士の暴走に耐えられるほどの頑健さからは程遠かった。

 

 ありていに言えば、ヴェルは小さすぎるのだ。狂戦士でありながら。

 

 狂戦士は確かにステータスを爆発的に飛躍させるが、それによる“副作用”とも言うべき肉体への反動が膨大になる。この異世界における人間種は、確かにすさまじい身体能力を獲得し得るポテンシャルを秘めているが、それでも狂戦士の能力を発揮することは、様々なリスクを伴う。

 狂乱中の記憶混濁をはじめ、無茶な肉体使用による戦闘で、骨が折れ、筋肉や腱が断裂し、それでも尚暴れ狂い戦う性質を発露する狂戦士は、慣れていない段階=幼少期で狂戦士化すると、とても酷いことになる。

 実際、狂戦士の適性が強かったヴェルは、幼すぎる時分で初めて狂乱した時……ただの子どもの癇癪が引鉄(ひきがね)となった時には、意識障害や全身骨折、各種神経系統への過負荷(オーバーロード)によって、一年もの間、ベッドで寝たきりに陥ったこともあった。そこから回復できたのは、両親や姉、“相棒(ラベンダ)”の介助の成果であり、邸の世話人としてセーク家に随従する当時の一番騎兵隊の協力があったればこそ。

 

 ある意味、狂戦士は己の身体に爆弾を抱え込んでいるようなものとも言える。

 爆弾を起爆させた衝撃で敵を蹂躙する力を発揮するが、当然、その爆発の衝撃で自分自身も傷つきかねない。故に、その瞬間に起こるステータスの爆発的増幅に耐えられるだけの体格・骨肉・神経、さらには脳髄の耐性──精神力も必須となるのだ。これらの条件をすべてクリアすることで、狂戦士は真の強者として君臨するに値する。その数少ない実現例であり、当代において“公式”な狂戦士と認められているのが、セークと対をなす部族の長──筋骨隆々、魁偉なる見た目で理知に富んだ族長たる若人(わこうど)──あのウルヴ・ヘズナであった。

 ウルヴ・ヘズナが狂戦士としての力を十全以上に発揮し、驚くべきことに壮健な長として生き続けているのは、彼の天賦というよりも、彼自身の持つ生来の体格と骨格が十分適格であったことと、それとは全く反対に、彼の狂戦士としての適性・才覚はそこまで卓抜した──あまりにも突出し過ぎた──領域で“なかった”ことで一定の均衡が保たれていることが影響していた。

 

 狂戦士の力は、多くの飛竜の死を吸った者……飛竜の血肉を摂取した者に、時折だが顕現することが確認されている。

 族長家は長という立場から、飛竜の血肉をより多く下々の騎兵たちから供出される伝統があり、それが転じて、飛竜の力が集束・集積が限界まで積もり積もった時に、狂戦士は誕生するとされる。

 しかし、狂戦士の力は諸刃の剣以上に、危難を呼び込む“災厄”の象徴ともなりえた。

 故に、狂戦士の存在を“忌み子”“呪われた騎兵”“飛竜の怨念を宿せし者”と呼ぶ風習が、ヴェルの生まれたセーク部族に存在したのは、仕方のない因果ですらあった。

 

 狂戦士のレベルを獲得できることが、それが即ち狂戦士の肉体を得られるということと一致しないのは、ひとえにユグドラシルの法則からは外れたシステムであることが原因だろうと、魔導国──アインズ・ウール・ゴウンその人は、様々な調査や実験を重ねることで判断している。

 

 これと似たような事例だと、本来のシステムだと高レベルプレイヤーのみが取得可能なはずの一部職業(クラス)”忍者”や”呪われた騎士(カースド・ナイト)”の職業レベルを、現地の低レベルな人間が獲得できることが挙げられる。

 

 飛竜は本来、狂戦士の職業レベル獲得にはまったく関係のない存在。

 でありながらも狂戦士が発生するメカニズムを補完する上で、そういった制約ないしは不具合が生じた可能性は否定できない。ゲームでバグを利用してチートプレイを敢行したら、正常なプログラムが働かなくなったようなものとも解釈されているが、真相は未だに闇の中。飛竜騎兵の部族が信じているように、単純に戦いで死した先祖や飛竜たちの怨念が……と判断するのは、かなり微妙なところだと思われる。

 

 

 

 ユグドラシルにおいて狂戦士(バーサーカ―)という職業(クラス)は、そこまで人気のあるものではなかった。

 転職に必要な各種高位ドラゴンの遺物(ドロップ)……血肉などのレア度もそうだが、狂戦士(バーサーカー)の最大レベルで習得できる特殊技術(スキル)についても、割と微妙な部分が多い。

 取得してすぐのLv.1だと、せいぜいが「狂気」発動罹患中……アバターの暴走中は、攻撃ステータス値1.1倍、防御ステータス値0.9倍という、なんだか微妙なもの。

 最大のLv.15で発動できるスキルを使用すれば、確かに全ステータス合計値を、物理攻撃や速度に“全投入”という破格の強化が期待できる(そのため、防御や総合耐性のステータスは当然0となる)が、その代償として、自己アバターの操作性は「狂気」によってオート化され、発動効果中は敵に当たって砕けることができればよい方。……最悪、狂乱したアバターは明後日の方向に向かって暴走するだけで、無敵に近い攻撃力も、当てられなければ意味がない。よほどの至近距離かつ相手と暴走する自分を結びつける“細工”をしていなければ、悉く無用の長物と化す特殊技術(スキル)なのである。おまけに、これの発動条件のひとつは、「自己残余体力(HP)を一定時間で消費し尽くす」=「発動中に相手を倒せなければ死ぬ」という過酷な状況に陥ることを強制されるため、よほど狂戦士(バーサーカー)という職業を使いこなせる自信があり、攻撃に特化した戦士になることを望まない限り、大抵のプレイヤーにとっては取得しようと思わない部類の職業(クラス)であったのだ。

 

 

 

 そんなことは露ほども知らず、当時のセークの一番騎兵隊や長老会は、族長たっての希求により、長らく続けていた『狂戦士の封印』……つまり、「ヴェルを狂戦士という存在にならないようにするため」……の研究を秘密裏に継続・加速させ、その甲斐もあってか、ヴェルは狂戦士の平均寿命に差し掛かった今でも、正常な肉体をもって、部族随一の騎乗手としての名を轟かせた。

 これは、ある種の奇跡とも言えた。

 たいていの狂戦士は、五体満足で生きることは難しい。

 戦乱に身を投じて四肢や肉体を一部欠損するのは勿論、強引なステータス増幅の反動で神経に永続的な麻痺が残ったり、重要な五感能力に不具合が生じたり、……もっとも悲惨なのは、精神が崩壊して短い寿命が尽きるまでをベッドの上で過ごすしかなくなるというのが、大人にまで成長した狂戦士の常であった。

 これらは魔導国への臣従に伴い、医療機関の治癒や薬の投与を受けて、ある程度の回復が見込める。

 だが、そもそもにおいて、魔導国治世下での狂戦士の完全研究例が少なすぎる(たいていの狂戦士は、研究途中で死亡する)こと、強力な狂戦士の暴走を押し止めるのはかなり難しいこと、あまりにもひどい副作用の症状に対し適正な治癒や蘇生を行える神官や魔術師の手が部族の領地には足りないこと、……寿命問題のように──たとえ魔導国であろうとも──実際として解決不可能な問題が存在していることなどの諸事情から、セークの先代族長……ヴェルたちの父は、娘を狂戦士にしない・させないための研究──狂戦士の能力を封印する事業に邁進することになった。

 

 これは、魔導国の臣民としてはあり得ない、立派な背信行為である。

 少なくとも、先代族長……ヴェルの父たちは、そう認めるしかなかった。

 

 ウルヴ・ヘズナのように、狂戦士は狂戦士としての力を発揮する──遅咲きだろうと才能を開花させることが、魔導国の基本方針であった。魔法の適性有無に関する鑑定や、生まれもっての異能(タレント)を持つ臣民を探査する事業が、それを証明している。

 

 狂戦士になりえるのなら、狂戦士にさせるべき。

 セークの先代族長は、そういった国の方針から“逸脱”し“反転”する事業を目指したのだ。

 

 ──才能を目覚めさせるのではなく、才能を消し去ってしまうための事業を。

 

 当然、『狂戦士の力の封印』という研究は、魔導国に一切秘匿された。秘匿性を上げるために、ヴェルは出生時から長い間、族長邸にある件の秘密部屋……内部で起こったことを外に漏らしにくい特殊な魔法の部屋での養育が始まり、彼女が狂乱した時にも、秘密部屋の機密性と頑丈度によって、里への被害は皆無となった。ヴェル本人の才能によって、ヴェルの狂戦士化は彼女の弱く幼い肉体を容易く蹂躙し、それを封じ込めるたびに、両親はベッドの上で動けなくなった娘に謝罪し続けた。「何もしてあげられなくて、ごめん」と。

 両親の愛は、速やかにヴェル本人の理解するところとなり、彼女もまた両親や姉を愛し、家族同然の一番騎兵隊の皆や長老を敬い、相棒となってくれたラベンダを、里を、部族を、心から愛した。

 

 

 

「本当に──ヴェルは、あの子は、いい子よ」

 

 セークの族長にして彼女の姉である竜巫女、ヴォル・セークは知っている。

 最初の狂乱の原因を作った姉のことを、妹は心の奥底から慕ってくれていることを。

 くだらない独占欲と反抗心で、妹に両親をとられたと勘違いした当時10歳の自分(ヴォル)のせいで、3歳だったあの子は最初の狂乱を経験してしまい、それがきっかけとなったかのように、妹は事あるごとに狂戦士の呪縛……能力に苛まれ続けた。

 そんな出来損ないの姉を、妹はいつだって、頼ってくれた。愛してくれた。

 だから、父母や巫女が戦死し、三等臣民へ階級を回復させた後も、ヴォルは研究内容を引き継ぎ、妹が完全に狂乱しないように、普通の飛竜騎兵として生きる道を歩ませるべく、あらゆる手を尽くしてきたつもりだ。

 その甲斐あってか、ヴェルは父母の死後に少し狂乱した後は、実に10年近く、狂戦士化の暴走とは無縁の生活を送れてきた(カワウソたちに「ヴェルの暴走が初めて」などと語ったのは、当然の如く、嘘。”ここ10年ではじめて”という意味では真実となる)。

 

 なのに、ヴェルは国の式典への招集を受けた後、その演習中という最悪に近いタイミングで暴走──本当に最悪なのは、多くの報道や衆人環視の目があっただろう式典当日だったのだから、それを思えばまだマシだったのだと納得するしかない──し、おまけに奇妙な連中、カワウソという謎の男に保護されるという、厄介極まる状況に陥ってしまい、そうして、今現在に至っている。

 

「あの子は、狂戦士になんてならなければ……狂戦士の力なんて」

「狂戦士の俺を前にして、それを言うか?」

 

 部族違いの──それ故に、長く秘密の関係が続いていた──恋人の軽口に、ヴォルは軽く返しておく。

 

「あんたはヴェルとは違って、才能がないから助かってるんでしょ?」

「ハハ。まぁな」

 

 ウルヴは確かに当代で唯一の狂戦士と認知されるようになっているが、実のところ、狂戦士に関する才能は極めて低いレベルに位置しており、幼少期に受けた占い(鑑定)では、才能をもっているとは見做されなかったほどだ。

 彼が狂戦士としての能力を現したのは、数年前。

 彼が20の頃に行った魔導王陛下の観覧する御前試合の“後”に、急遽ナザリックから招集を受けたことで、彼は新たな“狂戦士”としての才能を唐突に開花させたのである。

 

「ここはまるでナザリックの研究所……それに近い感じだな」

「噂だと、ナザリックの地下には、”空”があるらしいわね?」

「ああ。アレはすごかった……地下大墳墓というのが本当かどうか、本気で怪しんだものだが、青空に壁や天井があるのを見たらなぁ」

 

 彼はそこで、狂戦士育成のための措置──狂戦士転職用のレアなアイテムをあたえてみた結果として、今のレベルを獲得したのだが、それは彼自身の自覚するところではない。ただの実験として、ヘズナの部族長にそういった措置が講じられたのだとは、本人の与り知るところではない。

 

「ヴォルにも見せてやりたかったくらいだ。巨大樹や湖を望む街に、周りの熱帯雨林(ジャングル)

「本当、一度は行ってみたいわ。一等臣民の中でも、限られた人しか歓迎されない不可侵領域というナザリック。……いくらウルヴがヘズナの族長で、あの御前試合で優勝したとしてもねぇ?」

「おかげで、俺の隠された狂戦士の才能も──いや、今これは、言うべきじゃないか?」

「気を使ってくれて、どうも」

「ああ、うん──そこで数値化された強さで言えば、“狂戦士レベル3”らしいからな。俺は」

「3って、また微妙な数字…………れべる?」

 

 ヴォルは、彼が何の気もなく呟いた単語の中に、最近聞いた気がする何かが含まれていることに気づいた。

 思わず、その単語を反芻する。

 

「れべる──? れべる……って」

 

 それは、確か。

 時刻としては、昨日。

 朝餉の後、はじめてカワウソとミカ、マルコと卓を囲み話し合った、あの時に──

 

「……ヴォル? どうした?」

 

 訊ねてくる男に応える間も惜しんで、ヴォルは情報をあらためる。

 ヴォルは聞いたことがある。

 今、ウルヴから聞く前に……“れべる”という言葉を。

 脳内で、その時の会話を、ありありと、思い起こせた。

 

 

 

 ──「その秘術、鑑定というのは“数字”を見るのか?」

 ──「数字?」

 ──「たとえば、こう──狂戦士Lv.(レベル)1とか、Lv.(レベル)2とか」

 

 

 

 そうだ。

 あの時に。

 あの黒い男(カワウソ)から、聞いたのだ。

 

「え、そんな……じゃあ……」

 

 彼の正体、は。

 

「まさか、──カワウソ殿、あの方々は、ナザリック、魔導国首脳部、上の、方々……いえ、それ以上……?」

 

 冷汗が全身から吹き上がる。

 それならば、色々なことに説明がつくのだ。

 黒い男(カワウソ)のデタラメな強さ、装備されたアイテムの質、罪人たる(ヴェル・セーク)を保護した理由、ミカという見目麗しい従者、一等冒険者が実力を買って協力を取り付けた事実……すべてにおいて納得がいく解を得られる。

 間違いなく、彼と彼の従者は、国の枢要に近い。

 ある意味、一等冒険者をも超えた位階にいるだろう人物に違いない。

 ハラルドが言っていた『噂に聞く魔導王陛下の親衛隊』という仮説──それに限りなく近い、否、それ以上の位置にいてもおかしくはない。

 ありえないと思った。

 だから、その可能性を頭から切り捨てていた。

 そんな存在が、まさか市井(しせい)を……飛竜騎兵の領地という片田舎も同然な土地を訪れるなど。

 

「なら、彼の、彼等の目的は──」

 

 言うまでもなく、飛竜騎兵の、セーク部族の、ヴェルという秘匿された実力者……“狂戦士”に対する、内偵?

 それ以外の何があると?

 他にありえるのは、ヴォルが、現族長が秘密裏に行ってきた、妹の才能を封じるための研究を知って?

 旅の者というのは方便か。しかし、そんなことなど、もはやどうでもよい。

 急いで事実確認をすべきか。

 ……。

 いや。

 いやいや。

 そんなに慌てるな。

 まだヴォルの勘違いや聞き間違いという線も、少なからずある、はず。

 ただ彼は“れべる”という単語を知っているだけ。ウルヴと同じように、ナザリックで特別な強化を施されただけの臣民という可能性も。

 だが、でも……

 そうやって湧きあがった懸念と懸案に意識がグルグル渦を巻いていった、その時。

 

 大地が激震する、そんな音が上の方から聞こえた。

 

「なに?」

 

 その場にいるほぼ全員が頭上を見上げる。

 

「今の音は?」

「……戦闘の音、か?」

 

 だとしても、一体だれが、何が……と思った矢先で、モモンやカワウソらが行っている飛竜の巣への調査──黒く病的に染まった飛竜の有無を確かめるべく派遣された事実を思い起こす。

 

「まさか、巣にいる彼らが?」

「にしても、この音は近いぞ? 巣はずっと上の方、奇岩の中腹にひとつだったよな?」

 

 ウルヴの主張は確かだった。

 が、ヴォルは最早それどころではない。

 何にしても、一刻も早く、彼等と合流しなければ。

 ここに向かったやも知れない、ヴェルのことも探さねばならない。

 

「これから、上の確認に行く。皆はヴェルの行方を」

 

 探すように部下たちに命じようとした時、

 

 

 

「それは困る、族長」

 

 

 

 異を唱えられた。

 ヴォルは疑念しつつ、その声の主を見やった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 堕天使は微睡(まどろみ)の内に、夢を見ている。

 

 

 

 

 

 それは過去。ユグドラシルをはじめたての頃。

 

 

 

 

 

 天使という異形種を選択した、ゲーム初心者だったカワウソは、当時流行していた異形種狩り(モンスター・ハント)と称されるPK(プレイヤーキラー)に遭い続けた。

 異形種PKによってのみ得られるポイントを獲得することで、レアな転職(クラスチェンジ)がユグドラシルに実装されたがために、人間種のプレイヤーは徒党を組んで、ソロで活動する異形種プレイヤーを巧妙に“狩って”いた。

 特に友人も知り合いもない……当時、破格の自由度で好評を博していたゲームに乗っかった程度の浅知恵で始めたカワウソは、何となく強そうな天使種族をスタートと同時に取得した結果、ユグドラシルのゲーム世界の探検に赴き、

 結果、酷い目に遭った。

 

「異形種が」

「キモいんだよ」

「マジこんな、人間の形じゃないアバターの何がいいんだ?」

「天使なんて選ぶとか、どんだけ自意識高いんだよって話~?」

 

 嘲弄のアイコン──嘆息を吐く表情や舌を出した表情が、PK連中の頭上に浮かぶ。

 光の輪と玉に羽が生えた程度の外装だったカワウソを、同じゲームのプレイヤーが数人で取り囲んでいる。

 

「…………」

 

 やめようと思った。

 

 確かにゲーム内の世界は、環境破壊が進みまくった現実世界にはない大自然が生き、城や都市、ダンジョン、徘徊するモンスター、美麗かつ派手な魔法やスキル、そして、自分のアバターなどをはじめ、様々な作り込みを自分でイジり倒せるというのは、グラフィック……デジタル絵を描くことが幼い頃からの趣味らしい趣味だったカワウソには、かなり魅力的なゲームに思えた。

 だが、そういった作り込みをするには、馬鹿みたいな課金額を月額無量ゲームにつぎ込むか、あるいはレアなフィールドに赴き、そこにいるモンスターを狩ったり、ダンジョンボスを攻略したりするなどして得たデータクリスタルを使う……つまり、運営の言う“冒険”の先にしか、ありえなかった。カワウソは当時、無課金だった。

 カワウソは、最初の街──善良な天使種族のホーム地点である光の都から飛び出し、レベルを適正なところまで上げ、装備やアイテムを整え、金貨も充分に蓄えて、意気揚々と冒険の旅に出かけて…………そうして、PKに遭いまくった。

 せっかく積み上げた天使種族と職業レベルが、死亡処理(デスペナ)で激減し、せっかく揃えた装備やアイテム、金貨もすべてPK連中へのドロップとして失い、やがて最初の街に戻ることすら危険な状況に追い込まれた。もはや、まともにフィールドのモンスターを狩ることすら不可能なレベル(5レベルダウンあと二回でプレイヤー消滅という領域)となり、完全に身動きが取れなくなった。近場のPK禁止エリアの街に向かおうにも、その直前で“網”を張った連中に追い回されるのがオチだと、これまでさんざん経験している。

 カワウソは胸の奥で溜息を吐く。

 現実に戻ったら、アカウントを削除して……いいや、ユグドラシルのゲームアプリをアンインストールしてしまえば、それで済む話か。

 それで、このゲームとはおさらばだ。

 そう思った直後。

 

「…………?」

 

 天使を囲い嬲り殺しにしてきた連中が、いつまでもトドメを刺してこないことに気づいた。振り返る。

 斧を振りかぶった重厚な全身鎧──そのアバターに、光り輝く刃の軌跡が。

 驚き慄くカワウソと、PKプレイヤー。

 連中は突如として現れたPKK(プレイヤーキラーキラー)の集団12人に狩られ、死亡した。

 

「えと、大丈夫ですか?」

 

 地に這いつくばる最弱の天使に、幼げで可憐な少女──両手剣を持つ、騎士の声が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──それが、カワウソのかつての仲間たち、旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)のリーダーや(メンバー)との、出逢いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真っ黒な崩落。

 ミカの白い翼に包まれた、その後。

 

「う…………うん?」

 

 カワウソは目を覚ました。瞼が熱い。

 視野はとても暗いが、堕天使の眼には真の闇ではなかった。

 大きな水面に、一滴の雫が跳ねる音まで聞こえるような、無音の中。

 硬い岩肌の感触とは程遠い……羽毛のようにふわふわとした、感覚。

 

「お目覚めですか?」

 

 聞き慣れた女の、固い声。

 見上げたそこには、女天使の(しか)めっ面。

 

「……おはよ?」

「おはようではございません」

 

 何でこんな至近距離で睨まれて、と考える内に、カワウソは気づいた。

 

「……って、ああ、すまん。痛かったか?」

 

 カワウソは、自分が枕に──というかベッド代わりにしていたものを察して跳ね起きた。

 暗い地下空洞の岩床の冷たい感触からは程遠い、高級な羽毛布団の感触は、ミカが広げた翼──その片方がカワウソの身体をベッドのごとく包み込んでいたのだ。まるで膝枕で太腿が痺れたような仏頂面を浮かべる女天使に、堕天使は心から謝罪しておく。

 

「本当に、すまん。俺、気を失って?」

「その通りであります」

「……何があった……ああ、思い出した」

 

 あの黒い飛竜。

 いや、あれは俺のせいじゃない気が──と言おうとして止めた。

 そんなことを考えて言い繕っている場合でもない。

 

「ここは、何処だ?」

 

 カワウソはぼうっとする視界をこすって、眼を見開く。

 眠っていたおかげか、心持ち精神にゆとりができたような気がする。

 暗い空間の中、ミカという天使の輪郭が鮮やかに写っているのは〈闇視〉のおかげだ。闇を見透かした先は、天井までの高さがとてつもない、巨大な洞窟。

 カワウソたちは、洞窟の中の巨大な水たまり……地底湖の湖畔の一角に、腰を下ろしていた。

 ミカはカワウソの寝転がっていた片方の翼を撫で梳きつつ、粛然と答える。

 

「先ほど〈伝言(メッセージ)〉でマアトに確認した限り、ここは直立奇岩のさらに下層に位置するとのこと」

「さらに、下層?」

「麓に広がる森よりも、下の位置だと」

「直立奇岩の根っこの部分か? モモンやマルコたちとは?」

「だいぶ深く下に落ちた上、あの黒い肉腫が上を塞いでいるようなありさまなので、ここには。ですが、彼等は三人とも無事です。マアトの監視で確認できました」

「そうか。それなら……時間は、わかるか?」

「おそらく、三時間ほどが経過したものと」

「三時間か」

 

 とすると、夜明けはまだのはず。

 

「……ヴェルとラベンダは?」

 

 ともに崩落に巻き込まれたはずの狂戦士たちを気に掛ける。

 ミカは、カワウソが寝転がっていたのとは逆の……左側の翼に、視線を移す。

 カワウソが目で追った先に、確かに少女らは、いた。

 そして、堕天使は思わず吹き出しかける。

 堕天使がしていたように、ヴェルもラベンダも、白い羽毛が心地よい天使の翼を揺り籠として、子どものような安らかな吐息をたてて、深い眠りの世界を漂っていた。ミカの熾天使(セラフィム)の翼は、ある程度まで伸縮拡大を容易に行える上、それ自体が一種の防御手段足りえる“盾”となるほど頑強だ。見た目は巨大で、実際に人の数十倍の重さを持つ飛竜の全身を包み込んで地面から浮かせることも、ミカの力量ならば容易なようだ。

 

「……何か?」

「いや、別に」

 

 案外、優しいところもあるようだ。

 ミカは毒舌だが、カルマ値で言えば極善属性……ギルドNPC第一位の500になるのが影響しているのかも。

 彼女らに巻きついていたカワウソの鎖が解かれているのは、発動者であるカワウソが気を失ってしまったが故に、発動がキャンセルされたようだ。これは、ゲームと同じシステムだと言える。そうすると、厄介なことになる。

 この狩人用の鎖(レーディング)は、仕様上、一度「拘束」から抜け出した対象を捕らえ直すことができない(少なくとも丸一日は同対象への再使用不可)というデメリットが存在した。ハラルドたちとの初戦闘で、彼等が拘束を抜けた直後、カワウソが騎兵隊連中を拘束し直さなかった最大の理由が、そこにあった。

 

「一応、あの黒い飛竜の崩壊は、私の方で防御しましたが、あの残骸に身を浸し続けるのも嫌でしたので、ここまで強引に脱出を。あの時──命令があるまで待機しておく方が正しかったやもしれませんが、あの場では命令をいただけそうになかったので、自己の判断で動きました。平に、御容赦を」

 

 熾天使の女は慇懃無礼な口調で、主人の及ばなかった部分をあげつらうでもなく首を垂れる。

 その面差しは、反省とは無縁そうな印象が根強かったが、言葉にこめられた真摯さは、ミカが勝手な行動をした自覚を懐いていることの証左となる。

 

「いや。正直、たすかった」

 

 ありがとうと、素直な感謝をカワウソは紡いでおく。

 確かに、あの場でカワウソがミカに何の指示も命令も与えられなかったのは事実。

 それがミカの行動を縛り、即座の戦闘行為に及ぶべきか否かを迷わせた不徳は、カワウソの失態だった。もっと的確な指示を出し、カワウソの護衛に努めさせれば、あんな無茶をすることはなかったかもしれない。

 女天使は瞼を伏せ、僅かに首肯するのみで、それ以上の主張を表すことはない。

 

「それで。二人──ヴェルとラベンダの容体は?」

「現在、彼女らは「昏睡」の状態異常のおかげで、「狂気」は外れている様子。ですが、回復し覚醒したらどうなるのかは」

「わからない──か」

 

 それを警戒して、ミカは彼女らを即座に翼で押し包める位置に置いているのか。ミカには相手を一瞬ながら拘束させるアイテムがあるが、カワウソの狩人(ハンター)のように、長時間の「拘束」「緊縛」を保つための職業(クラス)レベルは与えられていない。天使の後光(エンジェル・ハイロウ)の畏怖効果を使っても「狂気」状態の相手では万全に機能し得ないだろうから、いざその時になれば、己の得意とする翼を使って封じ込めるというのは、理に適っている。

 

「ミカ。おまえの“正の接触(ポジティブ・タッチ)”で」

「上位の状態異常を治す場合、かなりの秒数を必要としますが?」

 

 それこそ、初期の基礎的な状態異常「毒」や「麻痺」であれば、数秒の接触で快癒可能。

 だが、「狂気」や「昏睡」はさらなる接触時間が必須。

 つまり、天使の手に触れられることによって発動する“正の接触”、その状態異常治癒効果は、単純な体力(HP)回復とは違い、あくまで接触状態を維持できた時間に限られるため、途中で接触から離れる行為……回復対象が移動したり戦闘したりすれば、それまでの状態異常治癒はすべてキャンセル扱いとなる。

 

「う……」

 

 カワウソは身構えた。

 反射的に手元に転がっていた聖剣を構えるが、ヴェルは身動(みじろ)ぎをしただけ。

 

「──ここで悩んでいても意味ないか」

 

 カワウソはアイテムボックスを開き、回復や蘇生アイテムの保管場所を念入りに探る。

 取り出したのは、全状態異常(オール・バッドステータス)治癒効果の治癒薬(ポーション)。ただの下位治癒薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)よりも価値がある程度のものに過ぎない。

 

「俺の持ち物(アイテム)が、現地人に使えるかどうかの実験にもなる、よな?」

 

 そう自分に言い聞かせることで、とりあえずの大義名分を得ておく。

 治癒薬の蓋を開け、眠り姫のごとく横たわる少女並みの体躯しかない成人女性の身体を支え、ビンの中の真っ赤な溶液を口内に流し込む。

 薬の効果は覿面(てきめん)だった。

 ヴェルの苦悶は消え去り、清々しい表情を浮かべ、かすかに開いた眼でカワウソたちの瞳を見つめ返す。「昏睡」から完全に回復、覚醒した。

 

「狂戦士化はおさまっているな。ユグドラシルの治癒薬も、現地の人間には有効なわけだ」

「カワウソ……さん?」

 

 何だか久方ぶりに見る気がする、ヴェルの理性的な瞳。

 

「気分は、どうだ?」

「……よくない、です」

「どう、よくない?」

「……すごく、怖いです」

「何が怖い?」

「……わかりません、ただ……あの」

 

 状態異常とは違う症状か。

 なるほど、状態異常治癒の治癒薬だけを摂取することで、何の恐怖も不安もない……麻薬中毒者みたいな生き方はできないようだな。実に健全な異世界である。

 だとするならば、カワウソの恐怖心や不安感も、一応は、正常な精神活動なのだと心得ておくしかない。

 ヴェルは、ミカの翼の上で上半身を起こす。

 キョロキョロと辺りを見渡すが、カワウソやミカと視線が合わない。

 

「えと、ここ、は? その、暗くて、何も」

「ああ、そうか」

 

 いまさらなように思い出す。カワウソは闇視(ダーク・ヴィジョン)によって視野を確保しているが、この地底湖には光源などない。ボックスを探り、手頃な大きさの永続光のランプを取り出し、明かりを灯す。

 ヴェルが明るくなった視界に驚愕を露にする。

 

「嘘……ここって、飛竜洞(ひりゅうどう)?」

「飛竜洞?」

「セーク部族の、聖域です。大きな地底湖だって話を……あと、族長の「鍵」による転移魔法がないと、侵入はできないとか……亡くなった巫女の叔母様が」

 

 地底湖という特徴を、ヴェルは聞いて知っていたらしい。

 聖域とやらについては何も知らないカワウソは、とりあえず確認を行う。

 

「奇岩の一番下あたりなのは間違いないが……というか、おまえ自分たちが上から降りてきたの、覚えているか?」

「……なんとなく、覚えてます」

 

 スキル発動中のデメリットのせいで、記憶に整合性を見いだせないのだろうか。

 

「ヴェル、おまえがはじめて狂戦士化したのは、いつだ?」

「えと……あの、お話できません」

 

 妹に何も言うなとでも口止めしたか?

 彼女の姉が語っていた「暴走は演習の時にはじめて」という話は、嘘か。

 これは、女族長らをどこまで信じられるか、怪しくなってきた気がする。

 カワウソは「そうか」と言って納得しておく。

 

「おまえの部族……家族や仲間は、ずっとおまえを、おまえの力を隠してきたのか?」

 

 状況的に、それ以外ありえない。

 カワウソの指摘を、ヴェルは鉛球を飲むように肯定する。

 

「……はい。狂戦士は、災厄の凶兆……それ以上に、私たちの部族だと、一度暴走し始めると、止めるのがすごく大変ですから」

 

 もっと早く、ヴェルに直接聞いておくべきだったな。そう反省するが、だとするとどうして女族長は嘘をついたのかが気にかかる。何か理由があっての事。だとすると、やはりカワウソたちを信頼できないからか、──あるいは。

 

「まさか魔導国にも、隠されていたんじゃないだろうな?」

 

 ヴェルは曖昧に視線をそらした。その態度がすべてを物語っている。

 

「アインズ・ウール・ゴウンにまで秘密にしなければならない情報だっていうのか、おまえが?」

 

 狂戦士は応じない。

 カワウソは呆れてしまう。

 

「──随分と御立派な仲間たちだな。おまえの力を、しっかりと管理できない──いや、管理する気がないのか?」

「それは違います!」

 

 一拍も置かず、ヴェルは噛みつかんばかりに怒鳴った。

 

「お姉ちゃん──族長やヴェスト、ハラルドや一番隊の皆、長老たち……皆が、私の力を封じるために頑張ってくれているんです! だから、私はこうして、今も生きていられるんです! 馬鹿にしないでください!!」

「──どういうことだ?」

 

 力を封じる。

 その一言が引っかかった。

 カワウソは、隠しきれなくなったヴェルの口から、彼女の姉たちが成そうとしている事業──『狂戦士の力の封印』の研究のことを暴露され、愕然となる。

 

「それは、狂戦士の封印……というよりも、『死亡以外でのレベルダウン手段』その模索というのが近い、のか?」

 

 顎に手を添えて色々と思案にふけるが、明快な解答はない。

 こればっかりは、現地人のヴェルの知識では答えようがない(彼女本人もそこまで頭がいいわけではないらしい)。カワウソにしても、本当にそんなことが可能なのか疑問が尽きない。

 この世界でもユグドラシルのアイテム──治癒薬(ポーション)は機能する。ならば、復活手段や蘇生魔法も十分に機能できるはず。勿論、狂戦士の力量(レベル)を落としたい──ただそれだけで、家族や仲間を“現実に殺す”なんて手段をとるのはありえないだろう。ゲームじゃあるまいし。

 

「ああ、すまん。俺が悪かったな。

 家族を──仲間を馬鹿にされたら、黙っていられないよな?」

「……いえ。こちらこそ、つい熱くなって」

 

 情愛の深い乙女は、カワウソの浮かべた微笑に俯いてしまう。そんなに酷い笑顔だったか。

 何にせよ、『仲間を大事にしたい』という思いは、カワウソにとっては重要だった。

 

「まぁ。……俺に仲間なんて、もういないけどな」

 

 脳裏に思い描くのは、あのナザリック攻略に失敗し、散り散りとなった旧ギルドの皆。

 PK地獄に遭ったカワウソを救い、ギルドの一員に迎え入れてくれた、はじめての仲間たち。

 ヴェルは明らかに困惑した。自分を魔法のような翼で包み込む女騎士を、彼女は見つめずにはいられない。

 

「え、でも……ミカさんは? カワウソさんの仲間じゃ?」

 

 堕天使は、素でNPCを仲間扱いしていなかった自分に気づいた。

 

「えと、ミカは仲間というよりも」

「私は、カワウソ様のシモベです」

 

 ミカは自ら発する冷淡な声で、主人と自己との関係性──シモベの立場を明確にする。

 カワウソはとりあえず「そういうことだ」と言って、場をとりなした。

 

「家族や仲間は、大切にした方がいい……いや、してくれると俺は嬉しい」

 

 それを聞いたヴェルは、何故だろうか表情を沈め、口元を押さえてしまう。

 この時、カワウソは一体、どんな表情をしていたのだろう。

 地底の湖に、落滴の音が反響している。

 

「ヴェル──?」

 

 乙女の涙をいっぱいに湛えた瞳。

 それが瞬きの内に、燃えあがる。

 

「どうした?」

 

 まさかと思った瞬間、ヴェルとラベンダが悲痛な声を喉からこぼし始める。

 

「ク、ぁ……!」

 

 また狂戦士化か。

 相棒(ヴェル)に触発された飛竜(ラベンダ)が、天使の翼の拘束から逃れようと起き上がろうとする。バタバタと翼を動かすが、熾天使の翼の力の前には、完全に無力であった。

 

「ああ、くそ。落ち着け、ヴェル、ラベンダ」

 

 たまらず、カワウソはミカに命じる。

 承知した女天使の両手を、ヴェルとラベンダの頭部にあてさせ、その癒しの手の恩恵を余すことなく発揮させる。

 

「く、はぁ、はぁ……はっ──」

「落ち着いたか?」

「……はい。でも、──こえ、声が」

「声? 声って、なんのことだ?」

 

 ヴェルは語った。彼女にしか聞こえない悲鳴を……自滅を望む絶叫を。

 

「昼前、その、声が聞こえてから、ひっきりなしに、頭が痛くなって、狂戦士の……目が、鏡に」

 

 なるほど。そう頷きはするが、カワウソは狂戦士になったこともないのでわかるわけもない。

 拠点NPCの一人……タイシャに狂戦士のレベルをそれなりに与えてはいるが、果たして彼に訊いてわかるものなのかどうか。

 多分、そんなことはユグドラシルの狂戦士にはありえないはず。

 

「……その声。昼前と言うと、確か、黒い飛竜が現れた時から、聞こえるんだよな?」

 

 ヴェルはわからないという風に首を振る。

 

「まさか、あの黒い飛竜に、意志が? だが、知性があるなら、どうして翻訳が機能していない?」

 

 カワウソはブツブツ考え込む。

 この異世界の謎のひとつ──世界がホンヤクコンニャクを食べているのならば、ある程度の知性を持つモンスターとの意思疎通は容易なはず。実際、魔法都市ですれ違った霜竜(フロスト・ドラゴン)の喋った言語を、カワウソは日本語として認識し、理解できていた。彼が竜語を話していたのではなく人間語を話していたと仮定しても、この異世界の人間語が日本語と同じはずがない(街道の看板はまったく日本語ではない未知の言語だったのだ)。話される現地語が理解可能になるよう翻訳されている以上、やはりモンスターにも翻訳機能は働いているはず。

 

「モンスターじゃないのか──元々が下等の飛竜だから……いや、確かアプサラスが言っていた、アレの件だと」

「カワウソ様」

 

 ミカに呼ばれ、彼女の治癒の影響を受けている対象を見る。

 

「うう……ぐぅ、ウァッ!」

 

 病に咽ぶ少女──というよりも手負いの獣か竜じみた唸り声が、小さな身体の奥底から響きだす。

 また聞こえると滂沱の涙を溢れさせる狂戦士。

 異常現象に混沌化する乙女の意識が、徐々に狂気の侵略を受け入れつつある。

 

「……ミカ、特殊技術(スキル)の回復は?」

「機能しています。機能していますが、……これは?」

 

 わずかながら戸惑うミカ。

 癒しているはずの対象の内側から、新たな状態異常が泉の如く湧き出ているかのように、回復させるそばからヴェルの精神が軋みをあげる。

 否、心だけではない。

 

「そんな、……馬鹿な」

 

 堕天使は眼を見開く。

 少女の肉体が、手指の先がゴボゴボという音を奏で、黒く泡立ち始めた。

 小さな掌が黒い斑色に汚染され、漆黒の肉塊に変じようとしていくのだ。

 当然ながら、こんな肉体の変化は、ユグドラシルの飛竜騎兵や狂戦士には存在しない。

 熾天使の正常なエネルギーを送り出す掌を押しのけんばかりに、ヴェルは叫び、狂う。

 

「きこえる。キこえる。聞こえるんです、また。たくさん、皆が!」

 

 カワウソには、何も聞こえない。ミカもそれは同様。

 だとしたら、ヴェルという飛竜騎兵が……否、違う。

 

「狂戦士だけが、聞こえる?」

 

 そうとしか考えられない。飛竜騎兵の精鋭であるハラルドなどに同じ症状は現れていなかったのだ。

 狂戦士だけと仮定すると、ウルヴ・ヘズナ族長も同じ病態に陥ってもおかしくはないか? 獲得レベルの違いか、あるいは他の因果関係でもあるのか?

 

「──ああ、そうか」

 

 カワウソは、ひとつの結論に至る。

 ミカの“正の接触”は、体力減耗と状態異常を癒す。

 だが、ヴェルの症状──これがもしも、状態異常でないとしたなら?

 

「そうか。つまり、ヴェルは……あの黒い飛竜は……」

 

 ようやく解答にたどり着くカワウソの耳に、こことは別の遠くから戦闘の音──ヴェルやラベンダのあげる者とは別の叫喚を、聞くでもなく聞く。

 別の場所でも、何かが起こっているらしい。

 そんな呑気に状況を整理していく主人に、従者たる女天使が注意喚起を試みる。

 

「カワウソ様、御下がりを。こいつは危険です」

 

 ミカの表情が険しくなるのが、まるで手にとるようにわかる。

 

「よせ、ミカ」

 

 だが、腰に帯びた剣の柄に手を這わせるのを、カワウソは押し止めた。

 抗弁し、堕天使を睨む眼の鋭さを増す女天使は、主人の意を正確に問い質す。

 

「どういうおつもりです? 彼女が魔導国の臣民であることを(かんが)みる必要が? もはや彼女らは、ただ暴れ狂うだけの──」

 

 ミカは黙って首を振るカワウソの穏やかな様子が、まったく理解できていない。

 

「いいから。これから起こることに、おまえは手を出すな」

 

 そう言って、カワウソはミカの肩を叩いて、ラベンダも放すよう指示する。

 ミカは、主人の得体の知れない自信に溢れたような命令に、数瞬も悩み、従った。

 相棒(ヴェル)の狂気に汚染されたように、翠色の飛竜も狂乱に陥っている。そんなモンスターを解き放つよう指示された天使は、飛竜騎兵を自由にする。ひっきりなしに飛竜の言語を口腔から迸らせる飛竜(ラベンダ)は、相棒の身を案じるように寄り添った。

 呻き震える一人と一匹の眼前で、カワウソは聖剣を右手に、左手でボックス内からひとつのアイテムを取り出し準備した。

 うまくいくとは思うが、確信はない。

 ユグドラシルの治癒薬が効いた以上、これ(・・)も使えて当然のはず。

 

「ワタシ、私を、呼んで、る。私、なんで、どうして!」

 

 荒療治になるが、致し方ない。

 もはや、彼女らを拘束しておいても、根本的な解決や治療は見込めない。

 ならば、こうする以外の絶対的な解決策が見いだせないのだ。もし失敗したらと思うと、心臓が痛いほど脈を打った。

 懸命にこらえるヴェルの黒々と染まった掌が、目の前の男を追い求めるように伸ばされ──

 

「いや、イヤぁ……たすけ……カっ、ワッ!」

 

 絶叫が弾けた。

 たまらずカワウソが身を退いた空間を、跳躍して間を詰めた狂戦士の黒い五指が引き裂いた。

 真下の岩塊を真っ二つにした威力は、その余波だけで地底湖の水面に盛大な水柱を直立させる。

 それまでの鬱憤を晴らすかの如く、恐怖の根源を叩き潰さんばかりに、思う様暴れる女狂戦士。

 そんな相棒と共に、飛竜もまた叫喚の暴力を尽くし、地底湖の黒い岩肌をビリビリ震撼させた。

 今まで見た中で、もっとも悪辣に狂った飛竜騎兵らが、カワウソたちに向かって、突撃。

 カワウソは、ヴェルたちの突進攻撃に、まっすぐ、向かい合う。

 

「……第二天(ラキア)

 

 堕天使は神器級(ゴッズ)アイテム……速度向上能力を解放。

 

 足甲の表面が黒く輝く、

 瞬間、

 華奢(きゃしゃ)に過ぎる矮躯の中央──救いを願った乙女の胸元に、カワウソは白い剣を突き立て、赤い華を咲かせた。

 

 あまりの超速に、狂戦士も、その影響を受けていた飛竜も、まったく感知不可能な速度で、ヴェル・セークの狂い暴れる血潮──心の臓腑が、その勢いのすべてと共に、断たれる。

 

「……あ、……あ?」

 

 乙女の吐息が(こぼ)れる。

 刹那、狂気が潰え、生気までも失せた瞳が、自分の胸元を抉る凶器を、次いで、カワウソの表情をまっすぐに見つめ返し、まるで恋に落ちたかのような笑みを浮かべ、あらゆる生命の糸が(ほど)けたかの如く……事切れる。

 抜き放った白い剣が、鮮血の尾を引く。

 

 

 

 ヴェル・セークは、カワウソの胸の中で──微笑んだまま──絶命した。

 

 

 

 少女としか見えない女狂戦士の骸を、カワウソは右腕の力だけで支え抱く。

 眼を半開きにして死んだ彼女の、噴き出る血で赤く濡れていく普段着の胸元に、カワウソは左手に握っていたアイテムを──神聖な光を零す短杖(ワンド)を突きつけ、起動させる。

 周囲に溢れる、生命力の輝き。

 

 そのアイテムは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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解決編
ですが……一話で40000字超えるほど長くなってしまったので、やむなく分割
解決編1


/Wyvern Rider …vol.13

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 あの黒い飛竜が現れた裂け目は、カワウソらを飲み込んだ崩落によって、完全に塞がってしまっていた。

 アインズたちが取るべき進路は、ただひとつ。

 溶け崩れた大地の底……だったのだが、

 

「これは、面倒だな」

 

 黒い飛竜の崩落地は、竜が体中から吐き零した酸性の分泌物で焼け溶け、冷え切った今は黒い尖岩の群れに変じている。ハラルドが抜き放った剣で衝いても、刃先は少しもめり込むことがない。モモンの剣で削り取るぐらいのことはできる(サンプルとして、削った破片をボックスに忍ばせる)が、いくらなんでも時間がかかりすぎる。もし、彼等がこの酸に溶けていたとしたら間違いなく致命的な惨状であるが、アインズは確実に、あの女騎士──熾天使がカワウソたちを護りきっていると信じていた。しかし、これでは時間の浪費にしかならない。

 別ルートを探すか。

 だが、落ちた彼等の安否が気がかりな状況で、あるかどうかも判らないルートを策定する暇はない。

 

「申し訳ない、モモン殿。その、視界が──」

 

 ハラルドは疲労もあっただろうが、それまで真昼のように明るかった視界に影が差し込み始め、満足な掘削作業を遂行できなくなる。

 

「ああ、〈闇視(ダークヴィジョン)〉の効果が切れたのですね」

 

 すぐに次の魔法を発動しますと宣しつつ、アインズは小声でマルコを呼ぶ。

 

「マルコ──いや、マルコ・チャン」

 

 本気の声色で紡がれた彼女の本名によって、その命令内容の重要性を顕示する。

 

「“使うことを許す”」

「──かしこまりました」

 

 マルコはアインズ同様、暗闇の中を平然と歩き、固まった肉腫と岩塊の混合物の上を跳躍。

 アインズとハラルドたちから距離を取り、ここぞという場所を見定める。

 大きく息を吸い、豊満な胸を膨らませ、流麗な背筋を思い切り仰け反る。

 一拍の溜め。

 あらん限りの力を込めて、呼吸を解放。

 発動するのは、混血種であるマルコの固有スキル“竜の絶叫(ドラゴニック・シャウト)

 

 ガアッ!

 

 威力は「中ぐらい」に調整。

絶叫(シャウト)〉系魔法に通じる音波攻撃は、特定対象物の破壊に特化した、彼女の誇る特殊技術(スキル)のひとつだ。

 

「な、なに!? 敵襲っ?!」

 

 ハラルドが暗黒の帳の中で低く身構える。

上位絶叫(グレーター・シャウト)〉並みの破壊の音波は、威力を調整された上、破壊対象は一種に──下にあるものへと向け限定開放されたものであるため、彼には「聴覚喪失」などの重篤な影響を及ぼさない。

 まるで暴竜の一声のごとく響くマルコの声は、破壊の音量のあまり彼女の喉から吐き出されたそれとは思えないほど変質しつくしてもいた。かつて、これと似た特殊技術(スキル)を乳幼児期に放射して、図書館の司書を昏倒させかけた過去もあるが、成長した彼女の能力はここまで洗練され、一個の固有スキルに昇華されるまでに至っている。

 音を立てて罅割れる黒腫の岩盤。

 さらに、マルコの手袋に包まれた拳が、一挙に下へと突き抜ける一撃をお見舞いした。

 父であるセバスほどではないが、彼女の格闘能力はそこらの冒険者や格闘家とは比べようもない威力を持つ。さらに、トドメの踵落としが黒い岩盤の亀裂中央にめり込み、下へと続く縦穴を穿つことになった。

 アインズはそれらマルコの作業行程が収まるのと同時に、〈全体闇視〉の魔法を込めた水晶を破壊。

 

「モモンさん。こちらに通れそうな穴が開いています!」

 

 何食わぬ顔でモモンの横にトンボ帰りしていたマルコが、自分で開けた大穴に誘導する。

「どこかにいる竜が暴れて崩れたのでしょう」と言って、唯一事態を飲み込めない少年を納得させる。

 一応、注意深く敵の有無やカワウソらの気配を探りつつ、アインズたちはさらに下へ降りていく。

 

 

 

 そうやって開けた縦穴から下に降り切ったアインズたちは、蟻の巣のように複雑な構造に入り組んでいる地下空間を進んでいく。黒い飛竜の酸で溶けて凝ったものが溢れる空間に、カワウソとミカ、ヴェルとラベンダ……その骸すら発見できず、探索は難航する。

 理由は簡単だ。

 

「これで、九体目!」

 

 モモンの剣が、黒い飛竜……逆鱗の大きさから幼竜……の首を落とす。

 下に向かって探索を続けるモモンたちのまえに、まるで城の守備兵のごとく現れた黒竜たちが、行く手を阻んだのだ。

 さすがに、こんな狭い空間内で、カワウソらを飲み込んだようなデカブツと対峙しなくて済んだのは幸いだったが、その分、幼くも凶暴な力を振るう黒竜らと、ところどころで会敵してしまい、一行の進撃は大いに阻害されることになった。

 

「これは、ここが連中の巣だからと考えていいのでしょうか?」

 

 疑問するマルコの“気”を応用した掌底によって、分厚い肉腫の装甲……その旨の内側に蔵する臓物を、的確に破壊。これで十体目の幼竜を屠ったことになる。

 現在の戦果は、アインズが六体、マルコが三体、ハラルドが一体の黒い飛竜を討滅している。

 

「だろうとは思うが。疑問がある──」

 

 ここが黒い飛竜の巣であるとするなら、不可解な点が様々思い浮かぶ。

 アンデッドではない純粋なモンスターであるならば、食料は必須……だが、こんな地下深くに飛竜の食料となるものがあるのか? 奴らは飲食が不要なのか? あるいは、誰かが運び込んでいるのか?

 

「そうすると、ここは巣ではなく、飼育場なのかもしれない」

「飼育場、ですか?」

「餌を運びこむ者、黒い飛竜らを生産する者──そういった者がいるとすれば、これらは自然発生の異常個体ではなく、人工的に生み出されたモンスターとなり得る」

 

 剣の先で落ちた飛竜の首を撫でつつ、そのような憶測を低く呟く。

 アインズの静かな推論に、マルコは愛嬌のある笑顔を沈め、鋭い視線をさらに細めた。

 

「──まさか。セークの部族長らの“秘密”というのは」

「いいや。報告を受けていた彼女らの秘匿事業、秘密というのは『狂戦士(バーサーカー)のレベル』に関することのはず」

 

 アインズはマルコの指摘した可能性を否定できた。

 彼女──というか、セークの族長家が長らく魔導国に秘していた実験……狂戦士の根源的封印処理……狂戦士を狂戦士でないものに変質させる……要するに、狂戦士の職業(クラス)レベルのみを抹消(ダウン)しようという試みは、ただの理論追求の範疇には収まらない、れっきとした成果実績を結んでいたはず。

 はっきりいえば、前族長時代から、セークの族長らがやってきたヴェル・セークへの封印のことは、アインズには筒抜けだったわけだ。

 しかし、魔導王はそれを知りつつ、彼等の思うままにさせた。

 理由は単純。

 アンデッドのアインズとしては、ただの飛竜騎兵一人に対して慈悲をかけたのでは、ない。

 実際に、特定のレベルを抑制・減衰させる手段が確立可能なのか。可能だとすれば、それはどのようなシステムで実行しうるのか。ナザリック“外”で行える規模の技術開発なのか。場合によっては、その技術を流用・加工してナザリックの軍拡に利用できれば……という具合に、彼等の創意工夫による技術進歩を促進させるために、あえて、アインズたちは彼女たちの秘密を暴くことなく、放置も同然な状況で実験と研究に邁進させただけなのだ。

 

 無論、彼等に公的な援助どころか、正式な認知を送ることすらしなかったのには理由がある。

 彼等の目指す事業が「発展と進歩」「力と才ある存在としての責務」という魔導国の国是(こくぜ)から逸脱し反転する事業内容だったからでは、ない。

 民間で行われる技術開発に対し、政府が率先して資金援助や協力体制を施すには、セーク族長家の秘匿事業はそこまで実現可能な領域に達しておらず、事実、ヴェル・セークはこの20年の歳月で、既に狂戦士としてのレベルを十分獲得し尽くしている。──つまり、研究は半ば失敗同然と言って良い状況と言えた。

 狂戦士の狂乱を押さえる手法=薬の開発と調合、さらに、狂戦士の寿命や健康問題などにおいては、確かにヴェルは狂戦士らしからぬ壮健さを発揮していることについて限定して言えば、評価に値する。

 しかし。

 彼等セーク部族にとり、ヴェルが狂戦士としては異例の長寿命と耐久性──五体満足かつ図抜けた騎乗兵の能力を発揮する麒麟児になってくれた事実を加味しても、肝心の事業目的であるところの「死亡に拠らぬレベルダウン」には至れておらず、ナザリックの評価基準を満たすことはなかった。それでも、実際にヴェルが狂戦士の暴走を抑制できている以上、レベルダウンにこそ失敗はしているが、狂戦士の封印処理と考えるなら、確かに彼等は成功を収めていると言える。では、国の総力を挙げて後援補助(バックアップ)を受ければ“あるいは”とも思われるのだが、結論として、国の優先研究対象には該当しえないのが実際であり、そして、それがすべてだった。

 軍拡を続ける魔導国では、今でも様々な研究と開発が公的と民間の隔たりなく続いており、それらへの助成と教出こそが最優先される。

 明確かつ簡潔な成果を期待できない事業に、物資と資金と人材を落として無駄にする余地などない。

 社会経済の根本的な損益勘定の切り落としが、飛竜騎兵のセーク部族たちに働いていたのだ。

 

「狂戦士研究の副産物……だと考えても、ヴォル族長らの反応は普通に思えた。彼女は本当に、これら黒い飛竜を知らない様子……だとすると、部族内の、他の人間?」

 

 しかし、民間で危険な実験と研究を行っていると判断されると、魔導国の介入要件を満たす。

「一個人のレベルダウン」を研究していたら、どういうわけだか「黒い飛竜が暴れ出して手に負えない」なんて事態に陥ったなら、国家としてさすがに知らぬ存ぜぬというわけにもいかなくなる。

 だがセーク族長の反応は、アインズの見定める限り、本気で黒い飛竜の存在を認知していなかった。

 もしもあれが演技の類だとしたら、ヴォル・セークは女優(アクトレス)にでも転向した方が良さそうなものだ。しかし、彼女は己に課した族長としての責務で己の外側を覆うことには長けているが、それ以上の演技力は望むべくもない。素の彼女がどんな人物で、どれだけ妹に対する情愛と、飛竜騎兵としての誇りに篤い人柄なのか、アインズは知っている。彼女の婚約者にして、部族を超えた愛を(はぐく)んだウルヴからも聴取は得ていたし、そのウルヴの人格者ぶりも、彼が数年前の御前試合「騎乗兵部門」で優勝し、ナザリックに招致させた際に個人的な交流を持って確認済み(“黒白”のモモンとして、ヘズナ家に雇われた一等冒険者という体裁を整えるために、魔導王の権力(コネ)をフル活用できた最大の理由がそれであった)。

 

「ハラルド隊長」

 

〈斬撃〉や〈不落要塞〉など武技の連発で疲弊した少年の体調を気遣うアインズ。

 

「……大丈夫です、モモン、殿」

 

 言って、ハラルドはアインズから託された治癒薬(ポーション)の瓶を呷り、中身を飲み干す。

 無理をしているとは解っていたが、ハラルドを押し止めることは難しかった。彼は非常に優秀な戦士であることは連発した武技の種類や数から疑う余地はない。が、あの黒竜の幼体を相手にしては、さすがに消耗は激しくなる一方。しかし、それも覚悟の上で彼はアインズ──モモンたちの行程の道連れを熱望した以上、立ち止まることは許されない。

 そうして、たっぷり三時間ほどをカワウソたちの捜索に費やした時。

 

「これは?」

 

 アインズたちは奇妙な空間を見つけた。

 黒く冷えた堆積物をマルコが拳で砕く先に、すごく大きな円形──飛竜一匹が収まっても余りある体積の水晶玉が、黒い凝固物と化していた黒竜の遺物の迷路の中にあったような──ツルツルとした曲面の円状空間が現れたのだ。自然物と呼ぶにはあまりにも見事な真円の様子は、何らかの意思を感じさせる。その円は自走でもしたのか、黒い迷路の中でまっすぐな坑道を横に穿つような軌跡を描いていた。

 ボーリング工事じみた円形トンネルは、半円ではなく真円であるため、下の歩く部分まですべすべしており、ただの岩道よりも歩きにくいが、アインズ達は一列に並んで、その自然にできたものとは言い難い道のりを検分する。

 

「彼等でしょうか?」

 

 マルコの問いに、アインズはだろうなと頷く。

 おそらく、女天使の張った防御魔法か、特殊技術(スキル)の業だろう。

 

「これを辿ります。一応、警戒は怠らないように」

 

 天使の穿ったのだろう道は、まっすぐ横に延びていた。

 目指すべき場所を心得ているかのような、ただひたすらにまっすぐな道のりは、女天使の活動方針そのものなほどに迷いがない。

 やがて、アインズ達はトンネルの終点にたどり着く。

 

「ここは? 一体?」

「地底湖……まさか、飛竜洞(ひりゅうどう)か!」

 

 一番騎兵隊隊長という、セーク部族の精鋭中の精鋭たるハラルドは知っていた。

 

「飛竜洞とは?」

 

 アインズは、あくまで一等冒険者の知識として何も知らぬ風に、この壮麗な地下空間の説明を求める。

 

「自分は、セークとは違う血も流れている為、詳細は知らないのですが……ここは、セーク部族の信仰の大元……この領地内で最も神聖な領域とされる“聖域”だと、ヴェルから伝え聞いたことがあります。ですが、ここは部族内でも限られた人間──長老や族長、そして巫女だけが入ることを許された場所であるため、詳しい位置や、どのくらいの深さにある場所なのかまでは、誰も知り得ません。ヴェルですら、知らなかったはず。一説によると、族長邸のすぐ下にあるなんて説も信じられていたのに……」

 

 だが、彼が言う通り、ここは聖域と呼ぶにふさわしい清澄な空気が満たされていた。

 広大な地底湖を舐めるように見渡す一行の内、白金の女が一角に灯る魔法の明かりを認める。

 

「モモンさん、あそこを」

 

 マルコが指差した先。

 湖畔の淵に佇む黒い鎧と足甲の男と、白い翼の女騎士の姿が。ラベンダも近くにいる。

 

「カワウソ殿! ミカ殿!」

 

 無事でしたかと快活な笑みを浮かべかけたハラルドが、振り返った男の様子を見つめ、

 ──凍り付く。

 遠目からでもわかる。

 永続光のランタンを囲む、彼等。

 顔中、鮮やかな血の色にまみれた、剣と短杖(ワンド)を握る、黒い男。

 彼を染めるのと同じ色の雫を滴らせる純白の剣が、赤く穢れて、鮮やかに光る。

 

 彼の抱きかかえるハラルドの幼馴染……件の女狂戦士……ヴェル・セークもまた、(おびただ)しい鮮血に彩られ──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「ぅ……がぁ?」

 

 とんでもない吐き気と倦怠感で、ヴォル・セークは目覚めた。

 高地に住むことに慣れた彼女は滅多に感じない寒気によるものに近い震え。

 だが、これは気温気圧の変化ではない。

 空間に満たされたものが、女の総身を包み込んで握り潰そうとしているような──

 

「起きた、か」

 

 ヴォルは声を振り仰いだ。

 土の味がこびりつく唇を拭いたい衝動に駆られるが、両腕に力が入らない。

 

「……ウルヴ?」

 

 振り仰いだ先にある彼の背中。

 かつて見た光景……自分たちが初めて出逢った時を想起されるが、それも束の間。

 

「ウルヴ!?」

 

 魁偉な男の健常な肉体が、糸の切れた人形のように倒れ伏した。

 厳密には、何とか膝立ちの姿勢を保っていたものが、前のめりに崩れたのだ。

 

「狂戦士は誠に頑丈だな。三時間も睨めっこをして、毒の汚染に耐え切るとは」

 

 誰の声か、瞬間把握しきれない。

 しわがれた声。知性を感じさせる音韻。自分が、部族が、敬愛してやまない長老の──

 

「っ、ぐぅ?」

「族長も起きられたか」

 

 ちょうど良いと宣する声の主を、倒れた格好のまま見上げる。

 そうして、思い出す。

 自分の身に起こった出来事。

「それは困る」という声の後に訪れた、鋭い痛み……そこから、記憶がない。

 

「さすがに、竜巫女の薫陶を受けた信仰系魔法詠唱者。毒からの回復力も、他の雑魚とは比べるべくもない。一応、我が相棒の針という強硬手段を使ったが、それすらも時間経過でどうとでもできるとは」

「な、…………なに?」

 

 愕然と目を瞠った。

 ウルヴを見て、奴を見て、周囲に転がる自分の部下たち──転がる剣を見て、状況を察することができた。

 できてしまった。

 

「くっ! 何故だ! 何故、おまえがこんなことを!」

 

 研究材料や薬品を納めていた棚の迷路が倒れ落ち、嫌な臭気が空間を満たしていた。

 否、それだけではない。

 女族長をはじめ、ウルヴ・ヘズナ、ヴェスト・ファルなど、ヴォル・セークに導かれるようにして所内を訪れた一番騎兵隊の数名も、その場に発生した〈麻痺〉や〈混乱〉の”毒”によって、なす術もなく倒れ伏している。

 その場で健康的な笑みを浮かべていられるのは、ただ一人。

 

 

 

「──ホーコン!」

 

 

 

 車椅子に座っていた禿頭の老学者、族長家に何十年と主治医として頼られてきた名医が、ヴォルの喚き声に首を(かし)げる。

 

「何故も何も……これが、私の計画だったからだよ」

 

 己の両脚で“立ち上がった”老人は、いつも大事に腰から下げる魔法の荷袋をベルトに結び、車椅子に仕込んでおいた装置──魔法によらない“毒”を大気に充満させる薬品を調合し、それを適正な範囲に散布させる仕掛けを起動させていた。ホーコンだけが毒の影響を受けていないのは、彼が事前に摂取しておいた“毒消しの薬”による効果に過ぎない。

 

「倒れた奴等にも言ったが。おまえらを、調査の一等冒険者、モモンたちには合流させない。彼等には悪いことだが、すべて終わるまで、私の可愛い邪竜共と、心ゆくまでじゃれ合ってもらうとしよう」

「じゃ……邪竜? ホーコン、おまえ……まさか!」

 

 邪竜──邪悪な竜というニュアンスで、うつぶせたままのヴォルは奴を凝視する。

 族長だけが発声を可能にしているのは、彼女が信仰系魔法詠唱者独自の神聖なる抵抗力と回復力を保持していたが故。それ以外の部下は、等しく毒の空気に悶絶し、中には胃の中のものまで吐き戻しているものも。ヘズナ族長ウルヴが、三時間ほど意識を保てていたのは、彼本人の装備と力量によるところが大きかったが、さすがにもはや毒に汚染された空気への抵抗は続けられなかった。

 セークの彼等は一様に、自分たちの最大の支援者……医学者として傷の治癒や薬の処方で助けになってくれた同胞の背信に驚愕の色を隠せない。

 何故。

 どうして。

 その答えを語るでもなく、ホーコンは思いもよらないことを言ってのける。

 

「いやはや。昨日の朝の騒動は心が躍った。試験運用とはいえ、邪竜の子ただ一匹程度で里が惑乱に陥るとなれば、これはおもしろいことになるだろうて……のう? ハイドランジア?」

 

 ホーコンが語る先には、この研究所で長らく“毒”の分泌でたびたび世話になっている飛竜……いまや希少な部類に入る「毒針」を尾に宿した飛竜の覚醒古種、ホーコンの相棒を六十年は続ける老竜・ハイドランジアが、姿を現す。

 寡黙な毒竜は、語る口もないように押し黙る。

 ほんの一呼吸だけ大地に突っ伏す族長らを眺め、何の興味もなさそうに大地に茶褐色の身を伏せた。

 

「ハイドランジア! あなたは、知っていたの? 知っていて、黙っていたのか!?」

 

 族長の疑問に、彼は応じるでもなく目線だけを女族長に動かす。

 

「奴に訊いても無駄だろう。もはやアレの言葉は、相棒の私にすら聞こえんからな」

 

 何を馬鹿なと抗弁する族長。だが、それよりもまず聞かねばならないことがある。

 

「ホーコン! 昨日、あの黒い飛竜……あれを放ったのは!」

「無論、私だ」

「では、あれは何だ! 一体、あの幼い飛竜に何をしたぁ!」

 

 喉が引き裂けんほどの大声で、毒が這いまわる倦怠感と脱力感に抗しながら、ヴォルは叫ぶ。

 叫ばずには、いられない。

 

「無論、あれは私が創ったのだよ」

「つ、つくった、だと? ふざけるな! 飛竜の肉体を変質させる毒薬や魔法など、聞いたことがない! 我が一族の寝物語にすら登場しないぞ!」

「そうかな? そう思い込んでいるだけで、貴様は何も知らないだけではないのか?」

 

 ホーコンは嘲弄の笑みを浮かべる。

 そうして、研究所の壁を──聖域の地底湖と隔てる壁を、ハイドランジアは毒針の尾で打ち壊させる。

 割れ砕けた、狂戦士封印のための研究所の壁。

 そこから外へ漏れ出す麻痺毒の空気。新鮮な地底の空気が流入し、幾分呼吸は楽になったが、割れ砕けた壁の向こうにホーコンと彼の相棒によって蹴られ払われ転がされる間も、誰も何もできない。それほどに、奴と相棒の毒は強力なものであった。

 そうして、研究所から外に這い出され、地底湖を擁する巨大洞窟の淵を舐めるような谷底を一望できる闇の内に、ありえない巨大な影が蠢く。

 

「あれは、まさか──」

 

 ヴォルが族長として、当代の竜巫女として、略式の葬送を手向けた幼くも黒く成長を遂げた飛竜。

 あれを彷彿とさせる大小様々な黒い飛竜が、聖域であるはずの地底湖の沿岸に犇めき、溢れかえっていた。

 概算した限り二、三十匹からなる黒い竜の群れ。

 視線を覆い隠す肉腫の黒い面覆いの奥底で、殺戮と狂乱に塗れた瞳を隠す暴竜たちが、一個の意志のもとに統率されたような軍列を整えていた。猛り狂う意思に蓋されたような吐息をひっきりなしに漏らし、隣で逆鱗にふれかけてちょっかいをかける同輩を威嚇するものばかりだが──黒い竜は、整然として動かない。

 

「どうかな? 私の創り上げた邪竜共は?」

 

 ホーコンが創ったという、邪竜の軍団。

 それを眼前にし、ヴォルは認めないわけにはいかない。

 あの黒い飛竜──邪竜は、こいつが創り上げたものに相違ない事実を。

 

「ヴォルよ。ひとつ確認しておく」

 

 まるで出来の悪い生徒を窘めるように、老爺は族長に質問する。

 

「飛竜の肉体は、確かに他の種族に比べ頑強だ。鱗はミスリルのごとく硬く、魔法武器か、同族の爪牙、それ以上の存在によってのみ鱗を貫き抉ることができる。そうだな?」

 

 わかりきったことを聞くなとヴォルは叫ぶ。

 そんな彼女の反応、恨み節すら愉しむように、ホーコンは問い続ける。

 

「では、な。飛竜には、その強靭な肉体には、毒や金属に対する耐性と、魔法への抵抗力を僅かに備える──これは知っているか?」

 

 何を言いたいのか本気で疑問する。

 

「本物の、アーグランド領域などに住まう完全な竜や、竜王には数段劣るとはいえ、飛竜の性能もそれだけのものがある。飛竜は並のモンスターには及ぶべくもないほど頑健な魔獣。それほどの力があるが故に、その背に騎乗できるものは、飛竜が真に心を許した“相棒”だけ。そうだな?」

「それが、どうした?」

「その内部から影響を与えられた場合は、どうなる?」

「どう……って?」

 

 ヴォルは、ホーコンの得意分野を思い起こす。

 奴の得意とするのは、医学薬学……相棒の“毒”に関すること。

 

「まさか、中から、臓物や血管──内部から干渉、を?」

 

 ホーコンは授業で満点を取った生徒を褒める笑みで、ヴォルの頬を蹴り飛ばす。

 

「正解だが、それでは不十分だ」

 

 その程度の干渉は、すでに多くの研究者によって試みられている。ホーコンたち以前の時代から、飛竜騎兵らは戦いに生きてきた武門の一族。飛竜そのものを強化する薬というものは、当然開発と研究は進められていた──特に、ホーコンの一族では。

 

「内部から干渉する。では、その内部にあるものとは? 喉? 胃? 腸? 心臓? 肉や骨? ……それらよりもさらに小さい、だが厳密にそれらを構成する“因子”に、干渉できたとしたら?」

「な……に、を?」

 

 言っていることが理解できない。

 三等臣民の族長程度では、そんなことまで理解できない。

 

「やはり。おまえらは使えん」

 

 同族の知能が低水準でうろついている様を確認し、ホーコンは大きく嘆息を吐く。

 

「ッ、ひとつ訊かせろ……何故、このタイミングで?」

 

 ヴォルは不可解な事実をひとつでも解消しておきたかった。この状況から逃げ延びた後で、奴の企図のすべてを挫くべく行動するために、奴の計画の細部まで理解しておかねば。

 

「一等冒険者モモンや、あのカワウソという旅人に、恐れをなしたか?」

 

 そんなヴォルの意図など承知の上で、ホーコンはすべてを明かしていく。

 

「いやぁ? むしろ、奴らのおかげで、私の計画は早く実現できたと言える」

 

 あえてそうするのは勿論、彼女たちを逃がす気が、まったくないからだ。

 

「転移魔法陣の調整を行うには、族長がここに赴く必要があったのでな。いつものように、「鍵」だけ開けて上に留まられては、こちらの計画通りにはいかないと判断したまで。「鍵」の情報書き換えに三時間ほど手間は取ったが、不可視の毒霧に侵された貴様らには、もはや何もできはすまいて」

「……なに?」

 

 転移魔法陣。魔導国編入後は珍しくも何でもない魔法アイテムのひとつだが、この転移魔法陣に関しては、セーク部族が始まってから数百年の歴史を誇る、“有翼の英雄”と謳われし祖先からの遺物だ。

 その転移を起動させる「鍵」は、族長の管理権限によってのみ起動、転移可能な要領などの調整が施される仕様だった。

 

「──アレを上に、里へ大量に転移させるための、書き換えか?」

 

 アレと呼ばれる邪竜たちは、血肉に飢えたように涎を垂らし、その涎までもが黒く大地を染める。汚れた地面が異様な臭気を放ち白煙を上げるのは、あれらの分泌物が酸であるが故の現象だろうか。

 そんな邪竜共の主人として君臨し、奴らを座視させる禿頭の男が、隠すでもなく計画の本質を明らかにする。

 奴が取り出して見せたのは、硝子瓶に満たされた、黒い溶液。

 

「この薬液を、ここから族長邸や浄水魔法設備──あらゆる水源にばらまく為に」

「な……はぁ?」

「馬鹿な、何を考え……ゲホッ!」

 

 倒れ伏しながら必死に息を殺して耐え忍んでいたウルヴまでもが、驚嘆の声をあげた拍子で残っていた毒を吸い込み、大いに咳き込んでしまった。

 

「そんなことで、一体、何が?」

 

 冷静に訊ねるヴォルに、ホーコンは傲岸不遜な声音で、朗々宣言する。

 

「我が一族の悲願──”戦”だよ」

 

 彼の目的は明瞭に過ぎた。

 それ故に、痛々しい。あまりにも荒唐無稽に思えたが、奴の揃えた戦力と計画は、本物だった。

 

「さぁ、準備は万端整ったぞ! これで、この領域に住まう飛竜、そして部族の人間は、すべて私の薬を摂取することになる! 我が謹製の、狂戦士化の薬液をな!」

 

 ヴォルは侮蔑するように笑い飛ばす。

 

「ハッ、不可能だ! 狂戦士化の薬液? 寝言は寝て言え! 薬物程度をただの人間や飛竜が摂取したところで、狂戦士になどなれるものか!」

 

 常識的に考えて、ヴォルは狂戦士が狂戦士を生み出す因子にはなりえないと知っている。

 狂戦士は確かに族長家などで稀に生まれるぐらいで、狂戦士が大人となり、産んだ子供が狂戦士になるとは限らない。

 さらに言えば、狂戦士への信仰に篤かった数百年前の古い部族だと、狂戦士の血を飲むことを戦いの儀式にしていたという話もあるが、それによってその部族全員が狂戦士化したという事実はない。その部族は魔導国が現れる前に絶えて久しい。

 

「その通り。だからこそ、それでよい」

 

 いいものを見せようとホーコンは、暗い聖域の一角に歩み出す。

 そこに用意された、白い幕布で覆い隠された箱状のもの。布を取ると、それが鉄格子の檻だということがわかった。

 中に囚われ大人しくしているのは、大小二頭の飛竜。

 

「私と相棒が巣より盗っておいた、飛竜の親子。我が相棒の毒と、飛竜用の催眠魔法によって、この二匹は『自分たちは巣にいる』と完全に錯覚している」

 

 ホーコンは注射器を取り出し、硝子瓶の内の液体を、飛竜の子へと投与する。

 鱗を貫通する特注の注射針から、謎の薬物を摂取させられた幼竜は、一変。

 針で投与された部位から先が黒く染まり出し、あの不吉な肉腫が盛り上がってくる。

 同時に、身体の各部位が急速な成長を遂げ始め、腕、足、翼、尾、顔や首に至るまで全身が、まるで横に並ぶ母親……成体と同じか、それ以上にまで肥大し、

 

「っ、よせ!」

 

 ヴォルは叫んだが、最悪な光景は、止められなかった。

 膨れ狂った子竜だったものが、隣で静かにしている母竜に食らいついていた。瞬く内に母の臓物と血肉を喰い尽くす邪竜。同族の血の臭いにつられ、周囲の黒い竜たちが喉を鳴らす──あれらの食料となるのは、まさか、共喰いだとでもいうのか?

 女は戦慄のまま叫んだ。

 

「まさか本当に──里に現れた、アレは!」

「いやはや。アレは実に残念な結果であった」老人は無邪気な笑みを浮かべ、宣った。「あの調子なら、冒険者共の邪魔さえなければ、里の騎兵隊を半壊ぐらいはできたやもしれない。本当に残念だった」

 

 さらなる憎悪が女族長の身を焦がす。

 

「これが、私の真の研究成果! 我が薬液の力によって、現生飛竜は黒く化身し、従来の数倍以上の力と暴性を獲得するのだ!」

「ふっざけるなぁ!」

 

 生物の、モンスターの兵器化。

 そんなとんでもない事業を、自分が信頼を寄せていた長老が秘密裏に遂行し、族長である自分が気づけなかった事実が、悔しくて悔しくてたまらない。

 

(はか)ったな──謀ったのだな! ホーコンッ!!」ヴォルは身動きが効かぬ体で、なんとか事件の首謀者を睨み据える。「我等セークの聖域で、よくもそんな真似を! 恥を知れ!!」

 

 そう。

 この場所は数百年も前から続く、ヴォル達の先祖が鎮護してきた神聖不可侵の領域。

 研究所として機能させたここは、先祖代々の研鑽の砦にして、叡智の集積場──不幸な我が子を、“狂戦士”という運命の枷から解放せんと望んでやまなかった父祖らが遺した、祈りの殿堂……そんな場所で、よもや……よもや!

 狂戦士の力を使い、狂乱する飛竜を乱造する場に変えるなど!

 

「ホーコン……シグルツ!」

 

 叫んだ声は、しかし、ヴォルのうら若い乙女のそれではない。

 ウルヴたち同様に、息を殺して耐え抜いていた一番騎兵隊の副長──先代族長以前から、セークの家に仕える老騎兵、ヴェスト・ファルが、毒に染まった空気を大いに吸入しつつ、決死の覚悟で剣を抜いていた。

 意識が朦朧とする中で、掴み、引き抜かれた先鋒(きっさき)で、同じ長老会に属する医学者の友人を貫かんと馳せた。

 だが、常の状態ならまだしも、ここは奴の独壇場ともいえる、毒の空間。

 

「〈催眠(ヒュプノス)〉──『おまえは、死ね』」

「ぐ、ぁ?」

 

 催眠状態に陥った老兵が、あろうことか抜き払った己の長剣を、両手で心臓に突き立てていた。

 単純な命令であるほど、催眠効果はより強く発揮される。

 止めようはなかった。

 

「ヴェスト?! ヴェスト・ファル!?」

 

 自分が生まれた時から世話になった長老が、同じように倒れ伏す主人と視線を交わす。

 

「お許しを──おじょう、さ……ま」

 

 自らに突き立てた剣を抱いたまま、“老騎”ヴェスト・ファルは死の床に就いた。

 そんな“元”同輩の徒を、ホーコンは丁寧な口調で送り葬る。

 

「さらば、友よ。おまえのことは“大嫌い”だったよ」

 

 かつての友人の骸を、白髪の頭を、ホーコンは嘲虐するように踏み躙った。

 ヴォルの怒りは頂点に達してしまう。

 

「貴様ぁ、殺してやるぅッ!」

 

 そんな族長の絶叫を、出来るはずもないと嘲笑(あざわら)うホーコン。

 

「出来るはずがないといえば……妹君の封印」つい思い出されたことが失笑ネタだったのか、老学者は愉快気に族長へ語り出す。「先代も先代巫女も、馬鹿ばかりだ。──狂戦士の、力の、封印? 自ら戦いを、騒乱を引き起こすものが、力を増強させないで済む方法など、ひとつしかあるまいに」

 

 狂戦士は、本人の気質や性向に関わらず、戦闘に及ぶことが多い。

 それ故に、敵味方問わず戦闘経験を積みやすい狂戦士は、一度でも力を発動してしまえば、あとは雪崩を起こす雪山のように、止めようもないほどの戦乱を経験していく。

 その経験量は──狂っているとはいえ、あるいは狂っているからこそ──並みの量にはならない。

 だからこそ、狂戦士の運命は、ひとつに集約されやすい。“戦いの中で死ぬ”と。

 だが、ヴォルは、そして父や母──叔母たちは、そんな結末は、ごめんだった。

 

「私は、私たちは、あの子を、妹を……ヴェルを──狂戦士(バーサーカー)の宿業から──救う、ために!」

 

 ウルヴほどに強靭な肉体を持たないヴェルにとって、狂戦士の強大な力など無用の長物。将来的に狂戦士の力を暴走させ続けることになれば、いずれ決定的な破綻と不幸を招く。実際、そうなってしまった──故に、彼女の力を投薬によって、長らく封じてきたのに!

 すべては、この目の前の男一人の手で狂わされた。

 父母が信じ、叔母が頼りにし、世話役(ヴェスト)が友と呼んでいた主治医が、自分たち全員を裏切っていたなんて──

 

「先代や先々代をはじめ、貴女方姉妹には世話になった。それだけは感謝しよう、本当に。里の重要機密に触れさせてくれたことも。さらには、天然物の狂戦士の血を存分に採血させていただいたこと…………だが、もはやアレは、用済みよ」

 

 ホーコンは、いっそ穏やかで優しい表情を浮かべながら言葉を弄する。

 

「もう昨日か。あなた方があの黒い男と妹君を連れて帰還した翌日の朝に、与えた薬。ハラルドに頼んで飲ませておいた、あれ。実はな、まったく別の効果のものを用意してやったのだ」

「──別の?」

 

 食事当番のハラルドに持たせた、いつもの粉薬。

 それとはまったく違う丸薬──処方者の言うところの「状態異常抑止薬」の存在は、当然ヴォルも報告を受けていた──だが。

 

「アレはな。体組織の強制加速分裂治癒効果と、狂戦士の性能を最大限“以上”にまで増幅暴走させるトッテオキなのだよ。効力は遅効性──本格的に効き目が働くのは、ああ、もうとっくに発動しているか?」

 

 丸薬を投与されたことによる、狂戦士化の促進。

 その負荷は、か弱いヴェル・セークの肉体にとっては、紛れもなく致命的。

 

「用済みって──どういう、……何のことだ!」

 

 ヴォルは薄ら寒いほどの予感を覚えつつ、明確な回答を要求せずにはいられない。

 ホーコンはしわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして、告げる。

 

「ああ。つまり、最後には膨張する狂戦士の力に耐えられず、内部から自壊自爆するか──仮に耐えられても、理論上はあの邪竜共と同じ症状に陥り、ヴェル(あれ)は黒い肉腫と、化すだろう」

 

 それはそれでよい研究材料になりそうだから、あとで探しておくと言いのけるホーコン。

 狂戦士の副作用を最大限引き出させることによる、ヴェル・セークの抹殺。

 これで、証拠は闇に葬られる──と。

 

「ッ、キッサマァァァアアアアア────ッッッ!」

 

 ヴォルは悲号と憎念に、鞭打たれたように身を跳ねる。

 

「アアア、アアアアア、アアアアアアアあああああああ──ッ!!」

 

 だが、動けない。動けない。動けない。

 毒で萎えた手足は、少しも動いてくれはしない。

 

「おお、憐れな狂戦士(ヴェル・セーク)よ。だが、悲しむ必要はない。すぐに、お優しい姉上たちと会えるとも」

 

 芝居がかった挙動がまるで合ってない。

 声には潤沢な嘲笑が塗りたくられ、その笑みは毒液のように見る者の視界を穢す。

 込み上がる憎しみと哀しみに意識が混濁しかけるヴォル。

 そんな彼女の傍で、魁偉な男が、我慢の限界に、達した。

 

「──起動!」

 

 ウルヴ・ヘズナが叫んだ瞬間、何らかの魔法のアイテムが効果を発揮する。

 麻痺に倒れ、毒に突っ伏していたヴォルたちの異常を癒し、体力を少なからず回復させる。

 

「ウチの秘宝、ホール部族秘蔵のアイテム──“治癒の指輪(リング・オブ・ヒーリング)”だ!」

 

 癒しの力に長じた部族の秘宝。件の部族がセークとヘズナの二家へと散る際に散逸した回復アイテムの効力で、味方のすべての状態異常から癒す回復魔法〈治癒〉が発動。

 それによって、ウルヴは自身に掛けられた麻痺毒を癒し、突撃。

 刹那、最も強力な威力と速度を獲得できる狂戦士化を発揮して、老人の細い首根を掴み折らんと腕を伸ばした──が、

 

「残念」

 

 彼の手指は、届かなかった。

 

「な──がっ?」

「ウルヴ!!?」

 

 呻く狂戦士に、共に回復効果を受けたヴォルは愕然と叫んだ。

 ウルヴ・ヘズナの肉体に、黒い小さな飛竜の幼体が二匹、三匹と、牙を突き立て爪の先に捕らえてしまった。彼の頑強な肉体の防御力で、とりあえず致命傷は免れているが、並みの人間では臓物が抉られていたかもしれない。

 事情を唯一知悉する老体が、嘲りを含めて唱える。

 

「馬鹿め。こやつらの特性とも言うべきものでな。邪竜は己の大元になった狂戦士(もの)に対し、一定以上の敵意だか興味だかを懐いて、暴走する傾向がある。力を奴らの前で発動すれば、結果は解るだろう?」

 

 里に現れた黒い飛竜も、邸に幽閉されていた狂戦士(ヴェル)を狙ったのかも。

 超常的な敏捷性と反射性を獲得すべく発動した、ウルヴの誇る狂戦士化。

 それに惹きつけられた黒竜の幼体共が、ほとんど反射的に彼の五体に食らいついてしまっていた。

 

「ぎ、ぃ……く、そ!」

 

 悪態をつくだけの余力はあったが、狂った竜たちの顎力は、狂化もとい強化された彼の血肉を離さない。攻撃と共に向上した防御をものともせずに、黒竜は狂戦士の生き血を啜り、肉を引き千切らんとするのを、彼は必死に耐える。そうしなければ、彼の臓物は食い破られ、右腕と左脚が千切れ飛びかねなかった。

 

「やめて! 殺さないで!」

 

 彼は飛竜騎兵の全部族の上に君臨するように、王陛下によって直々に強化される栄誉を賜りし魔法戦士。

 そんな彼を喪うことで被る部族間の軋轢や不和……単純に国家への面目を通り越した段階で、ヴォルは自分の愛すべき男の喪失に、耐えられない。彼の“死”を想像した瞬間、一歩どころか、一指すら伸ばす力が湧かなかった。

 

 

 

「喰い散らせ」

 

 

 

 主人の下知を受けた騎士のごとき即応でもって、黒い竜たちはウルヴを宙に放擲し、その肉体を食い千切ろうと殺到。指の数を容易く超える竜の顎と狂喚。ヴォルの悲嘆の声が地底湖を震わせるが、なす術もなし。

 

 そして、響き渡った金属の音。

 

 しかし、ホーコンは疑問を覚える。

 ……金属の?

 ──悲鳴は? 絶叫は? 断末魔は?

 そんなものは、ひとつも上がらない。

 老学はたまらず振り返り、そうして、見た。

 

「な……あ?」

 

 黄金に輝く髪を広げた碧眼の女騎士、彼女の掲げる盾のごとき純白の翼によって、黒竜たちの暴虐は阻まれていた。

 あまりにもおかしな光景だ。

 翼という柔軟性に富んでいるはずの物体に阻まれ停止する黒竜もそうだが、

 

「なんだと?」

 

 ホーコンは目を疑う。

 ウルヴ・ヘズナは、何処へいった?

 というか、この女騎士はどうして、先ほどまでウルヴがいた場所にいるのか、まるで判然としない。

〈転移〉魔法とは違う。〈転移〉で逃げたなら、あの女騎士があそこにとどまるメリットがない。〈転移〉でやってきたならば、ウルヴが傍にいなければ説明がつかないはず。

 アイテムか何か? いや、そんなものをこのタイミングで?

 一体、何が起こっているのか、理解の端すら得られなかった。

 

 彼程度の臣民では、たとえ魔法の技量に通じていようと、ユグドラシルの特殊技術(スキル)について理解できるはずもない。

 

 ヴォルたちを見渡せば、彼女らも起こった現象を測りかねている。ウルヴの指輪で回復した彼女らもまた、ウルヴの行方を捜すように視線を彷徨わせてしまうが、結局、黒竜の暴虐に身をさらしながら、傷一つ負っていない女騎士しか見つけられない。

 起こった出来事は、至極単純。

 ウルヴに喰いつき噛み千切らんとしていた黒竜は、“位置交換(トランス・ポジション)”という特殊技術(スキル)によって、女騎士の翼に牙を突き立てる……ことは不可能なようで、羽毛の僅か上に黒い牙をこすりつけるような形に変わっていた。

 任意対象への攻撃を自己へ向けるべく発動させるタンク職の防御スキルの一種によって、ミカはウルヴを安全圏へと脱出させた。

 それだけである。

 

「そういうことだったのか」

 

 混乱する一同を、さらに混沌とさせる者が現れる。

 透徹とした音色。

 聖域の地底湖に、突如として現れた──実際は、彼等の方が一番早く此処に赴いていたことになる──黒い男。

 漆黒に濡れた髪色と装備。陽に焼かれ尽くしたような肌。あらゆる苦悶に苛まれた、醜悪極まる毒貌。

 

「すべて、聞かせてもらったよ」

 

 ヴェル・セークを救い、この領地へと(おとず)れていた旅の者。

 里を襲った黒い飛竜を、一等冒険者と共に迎撃した強者。

 

「ホーコン・シグルツ、長老」

 

 カワウソの、怨嗟や怒気とは無縁そうな無機質極まる声色が、洞窟の空間を満たしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、解決編2
『堕』
明日更新


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今週の投稿が40000字を超え、読むのが大変そうなので分割した
解決編2
昨日の更新が解決編1なので、読んでいない方は御注意ください。


/Wyvern Rider …vol.14

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 地底湖──飛竜洞(ひりゅうどう)と呼ばれる巨大洞窟、セーク部族の聖域とやらにまで落ちてきたカワウソたちは、一等冒険者たちとの合流を果たし、そうして、この地に降りてきた族長らの危機に馳せ参じた。

 催眠だか魔法だか、あるいは何らかの理由で黒竜──奴本人が語るところの邪竜とやら──を支配下におく一連の事件の首謀者と思しき老人に、カワウソは無感動・無感情極まる声音を投げる。

 

「すべて、聞かせてもらったよ──ホーコン・シグルツ、長老」

 

 いいや、元長老か。

 転移によってヴォル達の窮地に駆けつけたカワウソは、ある人物らと共にすべて聞いていたが、一応の確認として再確認を求める。

 

「全部、アンタの仕業ってことで、いいんだよな?」

「ふん? だとしたら何だ? どうせ、貴様らはここで死ぬ。私のかわいい邪竜たちによって、貴様ら一人残らず食い散らかしてくれるわ!」

 

 老人が増長し、居丈高になるのも無理はない。

 彼が率いるモノは、それほどの威を誇って然るべき暴力の化身たち。

 しかし、カワウソにとっては。

 

「──邪竜? 邪竜だと? ……邪竜、ね」

 

 黒々と隆起した、棘とも剣とも言えない(こぶ)みたいな鱗に覆われ啼き吠える飛竜たちの姿は、カワウソの知る邪竜のモンスター……代表的なものだと「世界樹(ユグドラシル)に噛みつく“ニーズヘッグ”」などとは似ても似つかない。大きさも造形も”ユグドラシルの邪竜”と比べてしまうと、稚拙かつ、矮小の一言。ただ数だけ揃えられた、黒いイボイボの蜥蜴──極太に膨れ上がったヤモリにしか見えない。

 つい先ほどまで、秀逸な造形とも見えた黒い飛竜も、あれだけの数が並び、おまけにさらなる巨体と重量を構築すべく膨れ上がり過ぎた者が大半となると、もはや一種の慣れの境地にすら至ってしまう。あれだ、序盤のボスキャラが、次のダンジョンで雑魚の量産品になっていた、みたいな。

 さらに言うなら、あれらはユグドラシルにいた強力無比な竜種(ドラゴン)とは似て非なる存在。

 防御重視のミカの特殊技術(スキル)による攻撃一発程度で斬砕され瞬殺されるだけのモンスター。

 カワウソという堕天使プレイヤーでは手も足も出ない「本物の邪竜」とは、あまりにも遠い。

 そう結論付けられた。

 

「殺すなよ、ミカ」

 

 まだ、殺してよいとは思えない。

 ミカが殺したデカブツに比べれば、明らかに群れている黒竜らは微妙だが(それでも、通常の竜より少し大きいくらいだ)、デカブツを殺った時のように大量の黒い濁流になられるのも面倒極まる。ミカの誇る他の特殊技術(スキル)で黒い肉腫ごと抹消させるにしても、ここにいるので全部とは限らない。彼女の力は温存させておいた方が、後処理は楽になるだろう。

 女天使はかすかに首肯し、とりあえず邪竜らの行動を抑止する壁を、解く。

 彼女の発生させた特殊技術(スキル)に、永続性はないのだからしようがなかった。

 堕天使の背後に舞い降りるミカは、抜剣していない。カワウソの命令で、戦闘行為は極力控えさせている。

 

「カワウソ殿! お、御聞かせ願いたい!」

 

 堕天使の意識に、女族長の悲痛な訴えがよく響いた。

 族長は、共に回復を果たした部下の女騎兵らに支えられつつ、先の回復をもたらした男のことを訊ねる。

 

「ヘズナの族長──ウルヴは、何処に?」

「彼なら心配ない。安全圏に避難させた」

 

 そう告げる。

 たて続けに、ヴォルは堕天使の装備に……その付着物に目を凝らしながら、問いを続ける。

 

「……ヴェルは──私の妹がどこにいるか……御存じないか?」

 

 カワウソは、少しだけ迷う。

 研究所の僅かな明かりに照らされたヴェルの姉たる族長に、自分の剣と鎧に付着する赤色を、傲然(ごうぜん)と見せつけた。

 

 

 

「殺したよ」

 

 

 

 一言一句、聞き違えようのない厳正な声で、宣告する。

 

「最後に、そこにいる邪竜モドキと同じ変化が身体中に現れて……だから、俺が、殺した」

 

 すまないと真剣に詫びておく。

 純白の聖剣──天界の門を鍔に意匠した神器級(ゴッズ)アイテムを、族長の目の前に投げて転がし、それに付着する色が妹のそれだと、明確に示す。

 ヴォルは目の前の剣にこびりつくそれを──血と脂を、指先で撫でる。

 次の瞬間、ヴェルの姉は見開いた眼からハラハラと大粒の涙をこぼし、ただでさえ汚れていた顔面が、さらに水滴と土埃でグズグズになる。嗚咽をこらえる様は実に憐れっぽい感じだったが、カワウソはとりあえず、彼女の方は無視する。当初、予想していたような、カワウソという「妹の殺戮者」への暴走もなかったから、大いに安堵してしまった──そんな自分が、とてつもなく薄情に思える。

 

「元長老。ホーコン・シグルツ。少し答え合わせをしたい」

「答え合わせ?」

 

 何を悠長なことを、と誰もが思っただろう。

 それだけ、状況は最悪に思われた。カワウソがどんな強者であろうとも、これだけの黒竜の数。すべてを御するだけの力があるとは思えない。一等冒険者と協力して、里の幼竜を狩ることができた彼ならば、あるいは……そう思えないほどの数の暴力が、この空間には(ひし)めいていた。

 あれらが大人しいのは、ホーコンの魔法、あるいは命令が効いているから。

 だが、カワウソは状況に臆することなく、この一件の諸悪の根源に語り掛ける。

 

「この黒い飛竜の腫瘍……これ、実は飛竜の肉以外が混じっているな?」

「飛竜以外の肉だと? ──はて、何の肉だ?」

「人間の血肉」

 

 観衆となる族長と騎兵らが、愕然と彼等の遣り取りを見た。

 しかし、ホーコンだけは侮り蔑むように言いのける。

 

「ふん。かまをかけたつもりか知らんが」

「正確には」

 

 カワウソは、より厳密な表現を言の葉に紡ぐ。

 

「狂戦士の血肉──いわば、“細胞”だろう。違うか?」

「な……キ、キサマ……それを、どうやって知って?」

「ウチに、色々と詳しいのがいて」

「ふざけるな!」

 

 はっきりと怒声を張り上げるホーコン。

 自分の部族の長すらもが知り得ない情報を、見ず知らずの、自称・旅人が解析と分析をこなしたなど、悪い冗談としか認められない。ヴォルがカワウソらに懐いた懸念──「国の枢要に近いのでは?」という情報は、勿論、奴の知るところではなかった。

 対して、カワウソは冷たく静かな応答を送りつける。

 カワウソは、自分の拠点NPCに詳細な鑑定を依頼した肉腫の成分を、“狂戦士の細胞”──生物の最小構成因子だという報告を受けていた。報告が遅れていたのは、単純に鑑定結果の裏付け作業に没頭し、他の結果が出てこないか徹底的に鑑定を続けていた結果に過ぎない。

 

「ふざけちゃいないさ。“細胞組織培養”の特殊技術(スキル)……ユグドラシルだと、医者(ドクター)とか科学者(サイエンティスト)とか、そういう専門職しか取得・使用できない固有スキルだったはずだが。セークの族長家の主治医であるアンタなら、まぁ、できなくはないかなと思った」

「? サイエ? ……いったい、何を……ふん──」

 

 抗弁するのも馬鹿らしくなったのか、ホーコンはただ、己の研究成果のもたらした邪悪な竜の兵団を身振りで示す。

 

「ああ、そうとも。そうだとも。私は、20年の研究と50年の魔法研鑽によって、飛竜騎兵に時折発生する狂戦士の力を、他者に移植するための培養片の生成にこぎつけたのだ。この邪竜たちは、私が培養した狂化組織を組み込まれた野生の飛竜共、その成れの果てよ」

 

 ヴォル達に幼竜の黒竜化を実演してみせたように、ここに居並ぶ通称・邪竜たちは、ホーコンの研究成果……長年に渡りヴェル・セークという天然物の狂戦士に対する治療と封印を続けた過程で採取してきた血肉を生かし、それらを極小世界の培養物“狂戦士の細胞”として生成することに成功。

 彼が注射器で狂化黒化を施された飛竜らは、いうなれば彼女と字義どおりに血肉を分けた“兄弟姉妹”か、あるいは無数に分裂したヴェル・セーク自身──“分身”とも言うべきだろう。

 黒竜たちは、もともとは正常な飛竜として暮らしていたところに、ホーコンとその相棒によって感知不可の毒を盛られ、魔法で操られ、研究所の秘匿領域……聖域の片隅で次々と悪辣な研究の犠牲者と成り果てていったものたち。

 ヴェルが、彼女が聞こえた黒竜の悲嘆と自滅を望む声というのは、同じ狂戦士としての感応が働いた結果の、精神的な繋がりによるものか。

 カワウソはとりあえず、確定的な情報の確認に勤める。

 

「上の飛竜の巣が、“ありえないくらい空いていた”理由は、それか。

 実験材料+被験体の食料……巣から連れられた奴もそうだが、今も巣にいる飛竜たちは、催眠魔法の影響で巣の異変に気づけないってところか?」

「魔法は魔法だが、大半は私が調合し、水源に染み込ませた“薬”の効果よ」

 

 飛竜の巣内部に流れ込む水源に細工して、催眠の薬を投与。それによって野生の飛竜はいつもと変わらない日常を送っているように認識されていた。いつの間にか、知っている顔が減っていることにも気づかないで。

 巣の直下の汚穢喰い(アティアグ)らの量が多かったのは、邪竜共の残飯や排泄物を、わざわざ上に上げていたからか。

 カワウソは──自分でも驚くべきことに──彼等を、巣にいた飛竜や、肉腫まみれの邪竜と成り果てた目の前の飛竜たちのことを、『かわいそうだ』とは思わない。

 

「努力は認めてもいい。けどな」

 

 飛竜らの被害も何も慮外にあるような軽妙さで、カワウソは起動済みだったアイテムのひとつを、掌に握りっぱなしだったそれを、指先に摘まんで見せつける。それは一見すると、鉄色のピンポン玉にしか見えない。

 それは、ヴォルが朝餉の席で用意した、魔導国軍部のアイテムに似ていた。

 

「ご愁傷様だ」

「──何だ、それは?」

「証拠品」

 

 カチリと再生スイッチを押す。

 

《先代や先々代をはじめ、貴女方姉妹には世話になった。それだけは感謝に絶えんよ、本当に。里の重要機密に触れさせてくれたこと。さらには、天然ものの狂戦士の血を存分に採血させていただいたこと…………だが、もはやアレは、用済みよ》

 

 驚き(おのの)くホーコン。彼と同じ音声が零れ、球体の上には小規模な映像(ムービー)が投影されており、族長であるヴォルやウルヴ、一番騎兵隊の窮状もバッチリ映り込んでいた。

 カワウソはアイテムを停止し、早送りして、別の場面を再生させる。

 

《おお、憐れな狂戦士(ヴェル・セーク)よ。だが、悲しむ必要はない。すぐに、お優しい姉上たちと会えるとも》

 

 さらに、別の場面を再生。

 

《ふん? だとしたら何だ? どうせ、貴様らはここで死ぬ。私のかわいい邪竜たちによって、貴様ら一人残らず食い散らかしてくれるわ!》

 

 証拠としては、十分な言質(げんち)が取れていた。

 

「ば、馬鹿な! 何故、それほどのアイテムを貴様が!」

 

 無論、これはカワウソの持つ〈記録(レコード)〉の課金アイテム──と言いたいところだが、実際はつい先ほど、とある冒険者から持たされた程度の道具だった。

記録(レコード)〉に似た魔法を発動し、一連の暴露は完全に動画映像として記録済み。

 これを然るべきところに提出すれば、とりあえず今回の事件の首謀者は丸わかりになるだろう、と彼が提案してくれたのだ。

 一等冒険者よりも警戒されないだろうカワウソの前であれば、あの長老が何もかも自白してくれるだろうと思われたから。

 

「くそっ! ならば、その証拠ごと消えろ!」

 

 ホーコンは支配下に置く黒い飛竜たちに命じる。

 

「『奴を喰え、邪竜共!』」

 

 しかし、邪竜はカワウソの護衛として侍る黄金の女騎士に阻まれる。

 まるで不可視の壁が築かれたように、邪竜たちは一歩も前に進めない。

 

「くそ。ならば族長を、奴らを人質に……!」

 

 そんな企図を砕くような飛竜の翼が、一同の眼前に舞い降りた。

 騎上の人物は、二人。

 調査に向かわせた一番騎兵隊隊長のハラルドと、彼を運ぶ飛竜(ラベンダ)──彼女の騎乗者である”相棒”。

 

「お姉ちゃん、みんな!」

 

 女族長は、そこに突如として現れた者が信じられなくて、目をしきりに瞬かせた。

 涙で濡れた眼が見せた幻想だろうか。

 

「ヴェ、ヴェル……どうして? ……生きて?」

 

 妹の頬に、耳に、髪と額に、ヴェルの姉は手を伸ばし触れて、確かめる。

 そこにある本物の感触──温度──生きている──家族を。

 

「うん、生きてるよ」

 

 薄紫色の髪の乙女が、柔らかく微笑む。

 ヴォルが泣き崩れながら、妹の身体に縋りついた。

 

「皆さん、無事……ではなさそうですね」

 

 飛竜と共に〈飛行〉で降下してきた一等冒険者“黒白”のモモン、その背中がたのもしい。すでに大剣を握り構える偉丈夫──映像記録用のアイテムをカワウソに貸し与えていた人物の隣に、白金の髪の修道女、マルコが体重を感じさせない動作でフワリと着地。彼女の気功によって重傷の身からとりあえず回復したウルヴ・ヘズナも、修道女の肩に担がれる格好で婚約者(ヴォル)の許へ戻ってこれた。

 

「モモン殿──あなたが、ヴェルを?」

 

 恋人の無事まで確認でき、泣き濡れっぱなしの女族長は、モモンに訊ねる。

 訊ねられた彼は、首を横に振るだけで示す。

 

「彼女を助けたのは、彼。──カワウソさんです」

 

 冒険者が言って示した黒い男は、族長らの混乱や感涙に構うことなく、ひとつ確認しておくことをヴェルに訊ねる。

 

「ヴェル。黒い飛竜の“声”は?」

「……聞こえます」

 

 ヴェルはまっすぐに言いのけてみせる。やはり、ヴェルにはあの黒竜共の声や気配が判るらしい。この場へ急行できた要因のひとつたる乙女は、不安げな声で、カワウソに自分の感じる声の詳細を報せ続ける。

 

「けれど、これまでよりも、聞こえる声は、その、小さい、です?」

「そうか──どんなことを言っているのか、解るか?」

 

 ヴェルは、かすかに感じ取れる黒竜の絶叫に、悲嘆に、破滅と自滅を望む声色に、耳を傾け、それを唇に紡ぐ。

 

「みんな、こう言ってます。

 ──『怖い』『痛い』『暗い』『嫌だ』

 ──『殺してやる』『殺してくれ』『死んじまえ』『死なせて』

 ──『帰りたい』『戻りたい』『おかあさん』『おとうさん』

 ──『助けて』『たすけて』

 あ……」

 

 耐えきれなくなって泣き震えるヴェル。

 元のレベルだと間違いなく発狂クラスな黒い感情の波濤にさらされて、ぼろぼろと涙を流す……が、彼女は何とか自分の意識を保つことは出来ている。狂吼も狂行もない。姉らを護る最前列で、ラベンダの鼻先に揺すられ、それでも決然とした表情で、己の為すべきことを心得ている。

 カワウソは納得の首肯を落とす。

 あれだけ狂乱し、狂態の限りを尽くしていた乙女は、とりあえず黒い飛竜の成体──その群れを前にして、とりあえず落ち着いた態度で応答を返せている。アレの、黒竜の声というのは、高い狂戦士のレベルを維持した飛竜騎兵でなければ、重篤な狂乱を呼び込むことはないのだろう。

 狂戦士のレベルがある程度まで落ちた結果と、カワウソは分析する。

 死亡処理(デスペナ)によるLv.5ダウン現象は、この異世界でも健在なようだ。

 

「どういうことだ?」

 

 そう訊ねてきたのは、禿頭の老学者だった。

 

「どうなっている……薬は、あの丸薬の、効果は……どうなったっ?!」

 

 いろいろと聞きたいことは山積しているようだが、とにかく、件の女狂戦士が五体満足・健康健在でいる理由が気にかかったらしい。

 堕天使は率直に言う。

 

「言っただろう。『殺した』って」

 

 カワウソは、嘘をついたつもりはなかった。

 ただ、ほんの一言だけ、言い忘れていたことがあったが。

 

「一回“ヴェルを殺して”、そして“蘇生させた”──それだけ」

 

 短く告げられた内容を、しかし、ホーコンは驚嘆と疑念でいっぱいの表情で受け止める。

 

「蘇、生? なにを、馬鹿な! 蘇生魔法を扱えるのは、最低でも第五位階信仰系魔法、の──まさか、貴様?」

「半分正解だが、半分はずれ」

 

 カワウソは一応、説明してやる。

 

「俺は信仰系魔法を扱えるが、蘇生や回復魔法はまったく使えない」堕天使の特性として、そういった魔法に習熟することができないというデメリットがある。「だから代わりに、これを使った」

 

 この場にいる者の大半は、初めて見るような表情を見せる。

 

 取り出して見せたそれは、先端部に黄金を被せた象牙製のアイテム。

 蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)

 

 カワウソはボックス内に詰め込んでいた蘇生アイテムのひとつを使って、殺したヴェルを、その場で即座に蘇生させた。

 蘇生された直後で意識があやふやな少女を湖畔に降ろしている時に、モモンたちと合流。

 彼女の衣服に吸い込まれた血の量でハラルドに詰問されかけたが、ヴェルの無事を確認した瞬間に、誤解は解かれた。

 カワウソは短杖(ワンド)を眺める。

 これに込められた魔法程度だと、対象は死亡処理(デスペナルティ)としての5レベルダウンを被るが、あの時のヴェルの暴走を、狂戦士の力を根本的に抹消するためには、この方法が適確だろうと判断できた。

 何故ならば、

 

「ヴェルの暴走は、俺たちの回復手段を使っても癒しきれなかった。これはつまり、彼女の肉体に生じた変化現象は、状態異常(バッドステータス)の類ではないという結論を得られた──他にあり得る可能性としては弱体化(デバフ)効果だろうが、それだとステータス増強、あの戦闘能力向上は、ありえない」

 

 つまり。カワウソが至った、ヴェルに起こった現象の正体というのは──

 

「俺にはアレは、“モンスターへの転生”と考えられた」

 

 ヴェルの持続的な暴走と、湧きあがった黒い腫瘍。

 あの現象は、カワウソが考えるにおそらく、狂戦士の暴走が慢性化したことによる使用限界か、人間と飛竜……モンスターとの融合、あるいはただ狂戦士の血や細胞が何かしらの異常作用をもたらし、黒い生物への転生をなそうとしたが故の事象なのだろう。

 これは、ユグドラシルには存在しない技術であり法則だと思われる。

 いずれにせよ、あれは状態異常(バッドステータス)……回復可能な現象ではなかった。

 言うならば「狂乱する未知の魔獣」への転生を強要された状態──そんなところだろう。

 転生を回復アイテムで阻止するシステムなど、カワウソは聞いたことがない。だから、回復は無意味だったというのは納得がいく。

 人間種が別の生き物、異形種へ転生するというのは、ゲームだと珍しくもなんともない。天使(エンジェル)への転生には「昇天の羽」が、小悪魔(インプ)へは「堕落の種子」が──という具合に、途中から別の種族への変更・転生を行う条件さえクリアすれば、異形種への生まれ変わりは一応可能であった。

 

「飛竜の黒竜化に「狂戦士の細胞」を。狂戦士ヴェル・セークの黒竜化に「何らかのアイテム」を……おそらくは、昨日の朝餉に用意したとかいう薬に、そういう細工をしやがった……ホーコン(おまえ)が言うところの、狂戦士の暴走を加速・増幅させる効能のそれによって、ヴェルの肉体に著しい変質をもたらした──」

 

 そう、カワウソは理解した。

 ヴェルの耳に届く声というのは、自分と同じ状況……同じ種族へと転生を果たした者達が奏でた、悲嘆の叫喚地獄だったわけだ。同じ存在同士であるが故の感知能力や伝達手段じみた特性によって、アレらの声を、ヴェルだけが、感じ取ることができたとも思えるが、もはや検証することはできまい。

 

「しかし、転生に必要なレベル数値をダウン……減少させてしまえば、転生要件を満たせなくなったヴェルは、その身体の異変は鎮まると思われた」

 

 これは、一種の賭けだった。

 カワウソは常々、この異世界がユグドラシルと同じシステムが生きていると確かめていたが、蘇生については未知数な状態だった。蘇生だけが不可能な世界だったら? 蘇生させてもレベルダウンが起きない法則があったら? そもそもにおいて、レベルダウンが本当にヴェルの異変を鎮静できるのかどうか……様々な懸念や不安があった中で、カワウソはヴェルを殺すことを決めた。

 自分自身の手で。

 

「そして、結果はご覧の通りというわけだ」

 

 振り返った先にいる少女が淡く微笑む。

 殺された割には、自分を殺した男のことを信頼しているような感じなのが、カワウソには少なからず疑問だった。

 そんな堕天使に、ヴェルと並び立つ冒険者がひとつ質問する。

 

「薬は遅効性のものだった。それによって、ヴェル・セークさんは一応、先ほどまで人間の形を保っていたと?」

 

 ヴェルの変異した身体、黒い肉腫が剥がれ落ちるところを共に確認してくれていたモモンが、興味深げに訊ねてくる内容を、カワウソは肯定する。

 

「おそらく。あるいは、昼飯や夕飯にもそういうのを仕込んでおこうとしたのかもだが、ヴェルは朝食を食べた段階で、思いっきり影響を受けた。だが、ヴェルの抵抗力か免疫力か、あるいは何らかの別の要因が働くことで、ギリギリの均衡状態……常時、狂戦士のエフェクトと能力を発動しつつも、理性的な活動を可能とした」

 

 そう考えれば、一応の辻褄は合った。

 そして、先ほどホーコン自らがヴォル達に明かしたネタバラシ。

 もはや抗弁の余地も何もない。

 

「そこまで理解され、証拠も完璧……ならば、こうするより他にない!」

 

 ホーコンは懐から、早撃ちのガンマンじみた速さで教鞭サイズの杖を取り出し、魔法を唱える。

 

「〈催眠(ヒュプノス)〉!」

「ぐ…………」

 

 カワウソの頭部が、ヘッドショットを受けたように仰け反った。

 催眠魔法によって対象となった敵を幻惑させる状態異常発生に、カワウソの身体は呆気なく(くずお)れる……その前に。

 

「チィ……変なモノ見せやがって」

 

 呻き、頭を振ったカワウソ。彼の鎧が、黒い瘴気の霧を一瞬だけ醸し出す。

 ホーコンは即座に起こった現象を結論した。

 

「対策済みか。ならば!」

 

 魔法抵抗力を突破するべく、老魔法使いは薬球を投擲。カワウソが払い除けたことで解放された袋の中に詰まったそれは、魔導国が一般に卸している“魔法誘引”薬……薬学者としてホーコンが魔法都市で購入した虎の子であった。

 立て続けに繰り出されたのは、ホーコンが最も得意とする魔法。

 本当は、催眠によってカワウソという戦士をモモンあたりとぶつけてこの場を凌ぐつもりだったが、催眠対策を施している以上、諦める他ない。

 発生したのは、死に至る状態異常──

 

「〈猛毒(ハード・ポイズン)〉!」

「が、ぅあっ!」

 

 カワウソの身体が崩れる。肺腑が毒に汚染され引き裂かれたような赤い血が口腔から吐き散らされる。その様を眺めるだけとなっていたヴェルが悲鳴を上げ、モモンたちも警戒を深めた。

 だが、

 

「あ、キツぃ。現実の毒魔法って、こういう感じかよぉ」

「な、…………なに?」

 

 カワウソは一呼吸、一瞬にして身体の不調から回復したように見えた。

 実際には、毒の状態異常を無効化しただけだが。

 黒い鎧がまたも黒い瘴霧を立ち上らせる。

 

「なんだ、一体……貴様、何をした!」

 

 訊ねながらもホーコンは多種多様な魔法を、歩みを止めない漆黒の男に向け詠唱する。

病気(ディシーズ)〉〈混乱(コンフュージョン)〉〈呪詛(ワード・オブ・カース)〉〈恐怖(フィアー)〉〈盲目化(ブラインドネス)〉〈火傷(バーント)

 およそ奴が唱えられる限りの、ありとあらゆる状態異常発生魔法がカワウソの肉体を蹂躙する──前に、何らかの手段で無効化されていった。

 

「ば、馬鹿な! 状態異常への完全耐性だと?」

 

 完全にはずれ。

 むしろ堕天使は、状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ──状態異常に対する圧倒的な脆弱性を露呈する。

 堕天使には魅了や狂気系統への完全耐性しかない。それ以外の状態異常には極めて罹患しやすく、魔法攻撃無効化Ⅲまで貫通してしまう。脆弱Ⅴというのは伊達ではない。故に、奴の低位魔法でも、堕天使を蹂躙することは可能……だが、それは「対策をしていない堕天使」という前置きがつく。

 カワウソは、己の脆弱性への対策を、当然の如く用意している。

 だが、

 

「あまり、気分のいいものじゃないな。──現実だと」

 

 困ったように呟くが、仕方がない。

 それが、カワウソの鎧の、神器級(ゴッズ)アイテムの効能なのだから。

 

 

 

 カワウソが保有する六つの神器級(ゴッズ)アイテム──

 

 右手に装備する聖剣……天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)

 左手に装備する魔剣……魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)

 肩から背に纏う外衣(マント)……竜殺しの隠れ蓑(タルンカッペ)

 両脚に装備する“堕天使”専用の黒い足甲……第二天(ラキア)

 

 そして、五つ目となるのは、堕天使の肉体を護る、漆黒の鎧。

 カワウソがユグドラシルで入手した神器級(ゴッズ)アイテムのほとんどは、ユグドラシル末期に解散したランカーギルドからの払い下げ品がほとんどであるが、この“鎧”だけは、カワウソが己の拠点とするヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)にて、鍛冶職人系NPCとして創造したアプサラスを大いに利用し、最初(いち)から製造した、“堕天使”専用の神器級(ゴッズ)装備。

 胴体を包み込める漆黒の掌に掴み潰されるような異質極まる造形は、カワウソのデザイン──『すべてを“望み欲する”堕天使の掌』を意匠したもの。

 故に、この鎧の名前は、

 

 

 

欲望(ディザイア)

 

 

 

 主人の声に応えるがごとく、黒い瘴気の霧を醸し出す鎧“欲望(ディザイア)”のエフェクトが、装備者であるカワウソのステータス値のひとつを、またも微増させる。

 この能力は──装備者(カワウソ)の被る全状態異常(バッドステータス)を吸収することで、初めて起動する。

 

 製造者であるカワウソは、自身の『堕天使は、ほとんどあらゆる状態異常に罹患する』という特性を利用し、『特定のダメージ計算……“状態異常の罹患”を、己の利する効能=自らの基礎能力値(ステータス)にランダム変換するという性質』をもつ希少クリスタルを入手、この漆黒の鎧に与え施していた。

 この能力と似たような希少クリスタルだと、『敵に与えたダメージ数値を吸収し、自己のHPを回復する』とか、『自己に与えられた魔法ダメージを吸収・蓄積、その魔法属性攻撃を次ターンより行使可能』などがあるらしい。

 

 状態異常を拒絶し防御するのではなく、状態異常を受容し飲み込み、その力を、弱く脆い堕天使の基礎能力値──ステータスにすべて還元するべく完成された、カワウソ謹製の一点もの(ワンオーダー)

 

 ほとんどのユグドラシルプレイヤーにとって、「状態異常への罹患」には、種族特性や職業スキル、アイテムや装備効果によって防御が勝手に働く場合がほとんどであるため、状態異常への完全対策に労を費やすことは、まずない。人間種であろうとも、Lv.100まで積み上げられる職業レベルが、ある程度の状態異常への耐性を獲得するため、通常こんな装備が市場に出回るはずがないし、自作装備に組み込もうとも考えない。

 おまけに、ひとつの神器級(ゴッズ)アイテム製造にかかるコストを考えれば、防御手段よりも攻撃性能の追求にこそ、入手したレアアイテムやクリスタルを注ぎ込むことを思考して当然の計算。

 だが、堕天使は──自ら望んで“欲望”の虜となった異形種には──ありとあらゆるものを求め欲するという性質が付与される。

 欲得に目が眩み、人間たちへの愛欲や暴欲に焦がれた、堕天使の逸話の通りに。

 たとえ、それが毒酒や病気であろうとも、堕天使は喜んで下界の俗習にまみれ、魅了と狂気に憑かれたまま、その果てに待つ破滅的な饗宴に溺れることを、望み、欲する。

 それが状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴの、由縁(ゆえん)

 

 カワウソはそんな堕天使の特性を、最大限利用するための鎧を造り上げ、堕天使の脆弱性(もろさ)を補強する手段へと昇華させたのである。

 ……だが。

 

「──ユグドラシルだと、ここまでキツいものじゃなかったけどな」

 

 誰にも聞こえないだろう小声で、そう呟いてしまう。

 欲望(ディザイア)の鎧の効果は、状態異常に罹患したことで発動──その状態異常の種類や強度によって、堕天使の能力値を向上させる仕様なのだが、そのためには一度、状態異常を受容する。つまり、催眠や毒の効果を……たとえ一瞬とはいえ……カワウソという罹患者に供給・強制せねばならない。無論、鎧の効果さえ発動してしまえば、その状態異常の影響は完全に無効化され、カワウソの肉体は即座に復調可能。実際、カワウソの体力は一ミリも減少しておらず、むしろステータスの増強効果で、肉体は軽く感じるほどだ。

 しかし、

 

「ッ、ゴホ……」

 

 舌の上に残る、吐血の臭い。口腔と鼻腔に漂う、鉄の香り。

 ほんの一瞬とはいえ、毒や呪詛などの状態異常がカワウソに与える影響は、無視できる領域のものではなかった。状態異常というほどではないカワウソ自身から溢れる恐怖感や不安感も、堕天使の意識からは剥がれ落ちない。

 こればかりは、さすがに我慢するしかなさそうだ。

 

「で。次は、何の魔法だ?」

 

 奴の誇る魔法のほとんどは、カワウソには無駄打ちに終わった。

 純粋な魔法詠唱者にとっては不利な相手と認めざるを得ないのだろう。カワウソは剣こそ構えていないが、幼い黒竜に善戦できた戦士としての力量があると知れている。この間合いで、魔法の通じない魔法詠唱者が近接戦を挑むのは、愚の骨頂以外の何だというのか。

 ホーコンは苦々し気に頭を振った。

 

「くそ……こうなっては、やむを得ん」

 

 ホーコンは注射針を、薬液を満たしたそれを、指先に握る。

 

「死なば諸共! 私も、この細胞の力によって! 貴様らを蹂躙してくれるわ!」

 

 薬液は、黒い狂気の細胞。

 随分と馬鹿なことを──そう思い、彼の行動をカワウソは止めるでもなく看過してしまう。

 

「ぬ、ぐうぅっ!」

 

 呻き、唸り、それでも彼は注射器内の細胞を、己の血管内に、肉体に一滴残らず注入し尽くした。

 ……普通に考えるなら、……ユグドラシルを基準にするなら、彼の“細胞組織培養”の力は、そこまで強力な強化を見込めない。ゲームにおいて培養された細胞組織には、ある種の治癒効果や強化作用が働く──だが、狂戦士の細胞という培養物は、果たしてユグドラシルに存在したのかどうか。

 

「ぐぅ、ぬぅ、ゴォ、あああっ!」

 

 そのように静かな思考に耽っていたカワウソは、起こる現象を見つめ続けた。

 効果が表れ始める。苦痛に彩られる声をあげ、黒い細胞に侵されるホーコンの腕が膨れ上がり、肩に、胸に、全身に浸透していく。

 そうして、信じられないことが起こった。

 

「……ホーコン?」

 

 ヴォルたちが、老人だった(・・・)人物の名を呼ぶ。

 

「なんだ、あれは?」

 

 痩せ衰えていた四肢に筋骨の隆起が加えられ、肉体の変質に伴う苦痛に歪む面貌までも黒く染まった瞬間──彼を構築する何もかもが、──人肌の輝きを取り戻していた。

 ありえないと誰もが呟きそうな変貌、変化である。

 老人の経年劣化を象徴する、シワまみれイボまみれのたるんだ表情が、端正な顔立ちと、張り艶の良い血色を帯びていく。禿頭(とくとう)には、往年の彼を知る者にとっては馴染み深いだろう黄金と紫の髪が猛々しい様を取り戻し、好色の英雄じみた強壮さを宿すに至る。

 

「これ、は?」

 

 部族の長老の一人だった男は、押せば倒れそうなほどだった老人は、若かりし頃の栄光……全盛期そのものと言える若者の姿に、変貌し尽くしていたのだ。

 

「く、くふ……!」

 

 くすみもあざも消え失せた精悍な手指を撫で眺め、注射器のガラスに映り込む己の美貌を……あろうことか若返った自分を認め、ホーコン・シグルツは狂ったように笑い、咆える。

 

「くはっ! 素晴らしい! なんという力だ! 狂戦士の細胞は! 飛竜の細胞成長を促進させるものと思っていたが! まさか! これほど素晴らしい現象を引き起こすものとは!」

 

 研究を続けていた彼自身にとっても、それは驚くべき情報だったようだ。

 己の内に滾る野望と、若い生命力を諸共に吐き出すような轟笑が(こだま)する。

 考えてみれば、狂戦士の細胞を投与した程度で、幼い飛竜の肉体が、通常の成竜なみに成長する行程要素は不明だった。だが狂戦士の細胞が、幼い飛竜の身体を黒く染めつつも、成体以上の体躯に変容……成長させていた事実から見ても、投与された対象物の成長時間に、何らかの影響を及ぼしていたことは、間違えようのない事実であった。

 

「狂戦士の、特性か?」

 

 いや、そんなものはないはず

 カワウソはユグドラシルの常識として、自分が知り得る狂戦士の情報を思い出そうとするが、すぐに意味がないことに気づく。

 この異世界における独自の法則で生まれ生きる狂戦士。

 その血。

 その肉。

 その細胞。

 そんな存在の及ぼす力など、転移して数日の堕天使プレイヤーに理解できるわけもない。

 

「時間を狂わせる力?」

「──今、なんと?」

 

 カワウソは冒険者に振り返る。

 モモンは、彼の知る狂戦士のことを、普段の様子からは想像できないほど重い──彼自身無意識に紡いでいるような口調で、かいつまみながら説明する。

 

「この世界の狂戦士には、副作用がある。その副作用というのは、増強されたステータスを使った反動によるもの。その反動というのは長らく不明であったが、仮定として、一時的な成長促進現象を生んでいたがためのものだとすれば?」

「……狂戦士のステータス増強は、己の内部時間を一時的に加速させた結果だと?」

「あるいは、己の時間を未来から引っ張ってくるのか。──いや、さすがにそれはないか」

 

 モモンは己の仮説を否定し、カワウソの提言した時間加速による増強効果に同意する。

 だとすると、ホーコンの若返りというのは、まったくその逆……促進された成長の揺り戻し……副作用が、まったく逆方向に働きすぎてしまった結果の、なれの果てだとしたら?

 あるいは、投与者の全盛の力を体現させる力が、狂戦士の血の正体なのやも?

 飛竜の黒化というのも、あの形態形状への化身が、飛竜らの最盛を示す姿形だとすれば?

 

「……若返りの薬、か」

 

 モモンが興味深そうに唸る。

 全人類の夢などと物語に謳われる不老不死……それを可能にするやも知れない現象が、今、この場所で起こった。

 そんな現象が本当に可能なのか疑問でならないカワウソだが、実際に目の前で起こってしまうと何とも言えない。

 

「やれる、やれる、やれるぞ! 黒き邪竜を従え、あまねく飛竜騎兵を屈服させ……この私が──私こそが! 世界の頂点に君臨できるのだ!」

 

 傲岸不遜に笑い吠える金と紫の髪を翻す“元”長老に、一人の女性がつっかかる。

 

「貴様……よもや、魔導国の──魔導王陛下の力を、超えたつもりか?」

 

 世界の頂点に君臨というワードが、あまりにも聞き捨てならない暴言に聞こえたのか。マルコは常の微笑を消し去り、まるで視線だけで目標を呪殺しかねないほど険悪な瞳を向ける。しかし、そんな修道女の剣呑な雰囲気を浴びながらも、若返りし超人──ホーコン・シグルツは、何の痛痒(つうよう)も感じていない調子で、

 

「無論!」

 

 と、一言。

 

「私は今や! 完璧な肉体を手に入れたぁ! 若返り! 不老不死! これほどの奇跡を体現した私ならば! アンデッドの王など何するものぞぉ! 私こそが、あまねくすべての王になれる! 私だけが! 誰にもなしえない永遠を! この若く美しい、人間の姿のままで、生きられるのだ! 永遠! ──“永遠”! そう! 私こそが──“永遠”なのだ!」

 

 高らかに笑い歌う男。

 偶発的に手に入れたも同然な、若く、瑞々しい力を発露するように、ホーコンは己の近くに転がる岩塊を片手で掴み上げ、転がる族長らに向かって暴投する。その重量の突進は、弱体化したヴェルと、ラベンダが盾になったところでどうなるでもない力の一擲。

 モモンの剣とマルコの拳によって破砕された岩塊。

 確かに、とんでもない能力だと、認めざるを得ない。

 だが──

 

 

「くだらない」

 

 

 カワウソは挑むような口調で一歩、二歩、歩みを止めずに前へ踏み出す。

 

「ただ追い詰められて、結果的に摂取した狂戦士の力が働いた結果だけを見て、世界の覇者になったつもりか?」

「フン。貴様がごとき、醜怪な面貌の輩にはわかるまいて」

 

 美貌の男の主張に、カワウソの背後に控えるミカがガチャリと剣を鳴らすのを、振り返る堕天使は目線だけで抑え込む。そうして再び、元長老たる若者に向かい直る。

 

「醜怪なのは認めるさ。俺も、鏡で自分の顔を見るのは怖いぐらいだ」

 

 数日前まで、自分の顔は堕天使の外装(アバター)のそれではなかったのだ。違和感なく、この肉体と顔面が自分自身なのだと感じている反面、実際に慣れているか否かで言えば、どうにも自信がない。ミカやヴェルなどに微笑みかけても、まるでそこにある表情に怯えたように視線をそらされるのも無理はないと、本気で思う。

 しかし、だ。

 

「おまえ程度で、あのアインズ・ウール・ゴウンの『上』だと? 馬鹿も休み休み言え」

「……何だと?」

 

 カワウソは知っている。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、1500人のプレイヤーを全滅させた、伝説の存在。

 カワウソが幾度となく挑み、敗れた──最強の存在たるナザリック地下大墳墓。

 それを、目の前のただの男が、邪竜モドキの飛竜を率いる程度が、超える?

 ……馬鹿馬鹿しいにもほどがある。

 ……気に入らない。

 

 

「調子に乗るなよ。ただの人間風情が」

 

 

 堕天使は無意識に言っていた。

 自分もまた人間だった……ただのゲームプレイヤーだったことを思い起こせば、絶対に紡ぐはずのない文言を吐き連ねて、その違和感のなさと、脳に響く心地よさに驚いてしまう。

 モモンやマルコが静かに瞠目し、ヴェルたち生き残った飛竜騎兵にしても、愕然とカワウソの主張に聞き入るしかない。

 ミカは黙って、堕天使の背後を護るだけ。

 

「ハッ……だが、この力を前にして! そんな大言壮語が通じると思うなッ!」

 

 逡巡に硬直していたホーコンは挑むように吠え、大地を掴み、ありえない握力と腕力でもって、一個の岩塊を引き出し振るう。竜ほどの大きさを誇るその重量は、人間程度ならば虫のごとく圧壊され、臓物をブチ撒けるほどの暴力の権化。

 カワウソめがけて振り下ろされる巨岩の袈裟斬りが、カワウソの人間サイズの体躯を丸ごと呑み込んだように見えた。岩塊の先端が割れ砕ける衝撃で粉塵が舞い、突風が周囲の人間を引き裂かんばかりに猛り吹く。

 

「ハハハハっ! どうだ! 私の全盛の数倍以上の! この力に、かかれ……ば……?」

 

 黄金と紫の髪を振り乱す“元”老人は、己の振るった巨岩の、その割れた先端部を見る。

 

「所詮は、この程度か」

「な……ああ?」

 

 ホーコンは、気の抜けた声で起こった現象を整理する。

 自分が振り回した岩塊に、目の前の男は吹き飛ばされる……ことはなく、防御するように使われた細い剥き出しの浅黒い二の腕にも、傷ひとつ、走っていない。ありえない。これだけの重量で、狂戦士の膂力に匹敵する──あるいは超越する一撃を、正面から受け止めるなど、そんなことが可能な戦士がいるなど、ありえない。

 

「上位物理無効化Ⅲが働いている以上、Lv.60以下の攻撃は通じるわけもない」

「え……なぁ?」

 

 理解できていない男に対し、カワウソは頭を振った。これ以上は説明するだけ無駄。

 全盛の頃だか狂戦士の力だか知らないが、結局のところ、現地人のレベルでは、Lv.100の異形種には届かないということ。

 カワウソは、もはや説明する価値も意味もないと思い、ホーコンの隆々と膨れた腕に持ち上げられる岩塊を掴み、片手の握力で割り砕いてしまう。聖騎士の腕力は、堕天使であろうとも、この異世界ではとんでもない威力を発揮し得る。

 驚愕に彩られる男の表情。

 彼の感情などすべて無視して、カワウソは軽く間合いを詰め、空いた男の腕を捕らえると、適当に振りまわす。綺麗な一本背負い……ということにはならない。カワウソは現実の格闘技経験者ではない上、ゲームでもそういう純粋な戦士系統ではなかった。だが、この異世界において、Lv.100の異形種の身体能力をもってすれば、それに近い戦闘行為も可能である。

 

「ぎゃ!」

 

 壁に叩きつけられる蛙よりも酷い鳴き声を上げて、ホーコンは岩床(いわとこ)に身を投げ出した。

 カワウソは追撃するでもなく、ただ、ホーコンの真意を探る。

 

「何故、こんな真似をした?」

「くっ……な、に、を」

「何故、おまえはヴェルたちを、セークの部族を、裏切るような真似をした?」

 

 答えろと、暗い瞳で強要する。

 そんなカワウソの態度に、だが、強化されているホーコンは一切、怖じることはない。

 

「は! 貴様らに、何がわかる!?」

 

 言って、彼は己の主張のまま、理解できない者らを拒絶するような距離へと跳ぶ。

 

「我がシグルツの血の悲願を! 魔導王に撃ち砕かれた一族の思いを! 貴様ら風情に邪魔立てされてなるものか!」

 

 あらゆる理解を放棄した言葉が投げかけられた。

 同時に、彼が邪竜(仮)たちに向け、強化魔法を唱え、号令を発する。

 奴等を食らえと、この場にいるものをすべて食いちぎれと、喚き叫ぶ。

 

「あ、そう」

 

 カワウソは肩を竦めながら、轟々と迫り来る邪竜の群れに、歩み寄る。

 わかるわけもない。というか、興味もない。

 最後に理由を聞いたのは、あくまでヴェルたち──飛竜騎兵の部族に対する義理でしかない。

 こいつが彼等を裏切らなければならない理由があったとしても、カワウソには何の関係もなかった。

 また、彼等セークの部族の方にこそ、裏切られて当然の理由があったとしても、そんなことはまったくもって関係がなかった。

 裏切られたから裏切っていいなんて──そんなことが、許されるものだろうか。

 

「でもな」

 

 カワウソにとって重大なことは、たったひとつの事実。

 その確認は、すでに終わった。

 

「おまえは自分の仲間を利用した……いや正確には、“裏切った”な?」

 

 いずれにせよ。どちらにせよ。

 奴のやったことは──変わらない。

 

「いいか?

 どれほど御大層な理由があろうと、

 どれほど御高説をうたれようとも、

 おまえのやったことは、たったひとつ……」

 

 仲間を裏切った。

 

 ──裏切り者だ。

 

「俺は、仲間を裏切る奴が」

 

 

 

 脳裏に浮かぶものは、かつての、──

 

 

 

「死ぬほど、嫌いなんだよ」

 

 

 

 堕天使の肉体が、掌を、横薙ぎに一閃。

 真一文字に生じた光輝の刃(シャイン・エッジ)にも似る特殊技術(スキル)の烈光が幾重にも連なり、憐れにも邪法によって黒く染まった飛竜たちを慰撫するように触れ、──瞬間──すべてを消し飛ばす。

 ほんの一瞬。

 たった一撃。

 それだけで、ホーコンの誇る20年だか50年だかに渡って積み上げた研究と研鑽の結実──カワウソやモモンらに向かって突進していた邪竜の群れは、潰え去る。黒い肉腫が光の中で蒸発・浄化されるように消え去り、邪竜たちは残骸の破片すら残さず、消え果てた。

 

「……え?」

 

 ホーコンの口から、あるいはここにいる人間全員の口から、そんな声が漏れる。

 堕天使の振るった掌が、この閉鎖空間にこもっていた醜悪極まる存念のすべてを、掻き消してしまった。聖剣を握り、攻撃力を上げて使うまでもない。目の前の裏切り者を、一刀のもとで断裁してやる義理も義務もない。

 カワウソの発動した特殊技術(スキル)の名は、“熾天の断罪”という。

 広範囲・全周囲に存在する敵対異形種(モンスター)……この時は邪竜たちが該当しており、人間種のホーコンはカウントされず、騎乗兵(ヴェル・セーク)の騎乗物とシステム上は見做される飛竜・ラベンダなどの異形も対象外となっている……に、神聖属性の致死レベル連続ダメージを負わせるもの。堕天使であるカワウソには、一日一度しか発動できない熾天使(セラフィム)特殊技術(スキル)──だが、ここで使うことへの抵抗や不安は絶無だった。

 

「嘘。あれって」

「そんな…………まさか」

「やはり、彼も人間では、なさそうだな」

 

 ヴォルが、ハラルドが、ウルヴが、──カワウソの背中を見つめ、驚嘆の息を吐く。

 

「翼……なの……?」

 

 ヴェルは呟いた。

 黒い男(カワウソ)の背中に現れたそれは、灰色の、ボロクズのように千切れた、あまりにも痛ましく惨たらしい造形の、たった一枚だけの、翼だった。

 

 堕天使の最大レベル15で取得できる特殊技術(スキル)──“堕天の壊翼”。

 天使種族に必須の、基本一対からなる純白の翼。堕天使は、それを天使の輪と共に「奪われた」存在であり、低レベルの堕天使には“輪”と“翼”は与えられない(たとえ課金しても)。だが、堕天使の最大レベル15までを取得したプレイヤーには、一日に一回だけ、時間制限付きだが失った翼を取り戻し、かつての力を取り戻すための特殊技術(スキル)があたえられる。

 それこそが、堕天使の背中から一枚だけ、右片方から空へと延びる特殊技術(スキル)の物体(オブジェクト)

 灰色に薄汚れ、千切れかけの片翼として顕現した──ズタズタのボロボロに壊れた、堕天使の翼。

〈飛行〉不能な堕天使も、この状態になってようやく常時〈飛行〉が可能となり、本来の、堕天前の熾天使の力も“ある程度まで行使可能”となる。カワウソが封じられた熾天使の特殊技術(スキル)を使うためには、この“堕天の壊翼”が絶対必須となる。

 だから、使った。

 熾天使の最大級の攻撃手段を使うために。

 これは、堕天使の最大レベル特殊技術(スキル)であり、よほどの事態にならなければ起動すらさせない。

 それほどまでに、カワウソはこの状況を危機的かつ不利的な状況だと見做したわけでは、断じて、ない。

 他にも、ユグドラシルに存在した“敗者の烙印”を押され、一定条件を満たしたカワウソは、”敗者の烙印”由来のレアな種族や職業レベルを与えられており、それらを駆使することで安全かつ確実に黒竜を狩ることも考えていたが、異世界での実験がまだだったことに加え、この時は「もう一刻も早くホーコンの邪竜とやらを消し飛ばしてやりたくてたまらなかった」ことが、マズかった。

 

「あとは、裏切り者(おまえ)だけだ」

 

 冷たく言いさした片翼の男、カワウソの表情。見る者によってそれは、鬼気迫る戦士の相──冷徹無比な好漢の(かお)──怒れる軍神の顕現だと、横から眺めるだけの現地人たちには感じられたようだ、が。

 実際には、癇癪(かんしゃく)を起こして泣く寸前の子供という方が、近い。

 ただ、彼が振るった超常的かつ神懸った力の発揮を目の当たりにすれば、そんなことに気づく余地など、存在しなかっただけのこと。

 

「──すごい」

 

 彼女は、ヴェルだけは、最初に森であった瞬間に、カワウソの秘める強さを知悉していたおかげだろう。ただ一言ながらヴェルが呟くことができたのに対し、ヴォルやウルヴ、ハラルドたちはまったく反応を返せない。ただ、カワウソのもたらした光の圧力に呑み込まれ、自分たちの目の前にある事象が──翼を持つ英雄の姿が──まさか夢ではあるまいかと疑うほかない。

 傍で見ていた現地人ですら、そうなのだ。

 カワウソと相対する形の裏切り者(ホーコン)は、状況をようやく呑み込むまで、数秒以上の猶予を欲した。

 

「え…………え?」

 

 無論、そんな余暇を楽しませるほど、堕天使は“慈悲”とは無縁である。

 

「ぎゃあああ!」

 

 一拍を置かず響く悲鳴。

 ゴミを踏み潰すように遠慮なく、カワウソは“裏切り者”たる男の膝頭を、真正面から足甲の底で踏みつけていた。ありえない速度で間合いを詰められたことにすら気づけなかった様子。

 何の躊躇も逡巡もないまま、とんでもない力を加えられた男の両脚は、ほんの刹那、完全同時に、たった一撃に込められた圧力によって、膝関節とは違う方向に向かってボギリと折れ曲がり、赤く濡れた白いものが、ねじ折られた木の枝のように飛び出している。

 無論、木の枝に見えるそれは、骨だった。

 

「ギアァァァアァァッ!!??」

 

 苦悶にのたうつ絶叫が、洞内を痛々しく乱響する。傷口を両手で押さえて止血を試みるが、それすらも尋常でない痛苦をもたらすだけ。

 

「た、たのむ! ゆゆ、許しぇ!?」

 

 無様にも懇願の声を奏でる若い風貌を取り戻した男は、実に、醜い。

 先ほどまでこの場を満たしていたモノ──面貌を肉腫で黒く歪め啼いていた飛竜たちより万倍も醜悪で、そして惨めだ。

 カワウソは、しかし、彼を心から安堵させるほど優し気な声と微笑を面に表す。

 

「……許し?

 ──許して、だと?

 アア、そんなことを心配する必要はない」

 

 あまりにも透徹としていて、星夜の空気のように鮮やかな印象さえ含まれた声音で、堕天使は告げる。

 

「俺は、とっくに許している。

 とっっっくの昔に、……許しているとも──裏切り者のことなんて」

 

 微妙に、会話が成立していない。

 敵も味方も、そこに佇む異形(モノ)を、畏怖と恐慌でもって、見つめるしかない。

 赤黒い装備品の環を浮かべ、壊れた片翼を広げる黒い男は、己の顔面の変化が見えるはずもなかった。

 

 真っ黒に染まり果てた双眸は、宇宙に穿たれた穴のよう。

 繊月のように薄く、鋭く、研ぎ澄まされた剣よりも冷たく、堕天使の男は狂ったように──否、最初から“狂っていた”ように口角を耳元まで吊り上げ──ケタケタと微笑(わら)い続ける。

 そんな表情を至近で見止めるホーコンは、若い面を恐怖に歪め、悲鳴を奏でるしか、ない。

 

「た、たすッ、だれ、か、たすけぇ!」

「フフフッ……おいおい。何処へ行くつもりだ?」

 

 虫のごとく地を這って逃げつつ、命乞いする男の声すら打擲(ちょうちゃく)するように、(わら)いっぱなしの堕天使(カワウソ)は、逃げながら腰の荷袋の中を探る男の胴体を、その様の通り地を這う虫のごとく踏み砕こうとして──

 

「……ミカ?」

 

 後ろにいた自分の配下である女天使に割り込まれた。

 何の真似だと疑念する間もなく、不意な衝撃が自分の腰につかまってみせたことに気づく。

 

「あ˝?」

 

 重く歪んだ堕天使の声に、だが、彼女は一歩も退かない。

 

「──やめてください、カワウソさん」

 

 自分が殺して救った乙女が、涙をいっぱいに溜めた瞳で、縋りついていたのだ。

 

「あなたは、こんなことするひとじゃない……」

 

 俺は、ヒトじゃあない。

 異形種(モンスター)の──堕天使だ。

 そう語って聞かせてやろうかと思ったところで、──カワウソの内側に理性が舞い戻る。

 

「そう、でしょう?」

 

 祈りにも似た声と、苦しそうな乙女の微笑に、見上げられてしまう。

 瞬間、吐き気を催したかのように、堕天使は顔面を手で掴むように押さえ、己の悪質を抑える。抑え込むことが、できた。

 

「ああ、悪い……」

 

 暗い声で、だがヴェルの呼びかけに、応えられた。

 千切れかけの片翼を背に畳み、その質感を薄くする……特殊技術(スキル)を解除した。

 酩酊よりも暗く寒い感じが、臓腑を重くした。頭蓋の中の脳髄が求めるものと、胸の内にある何かが拒絶するものとが拮抗し、カワウソの神経はそれらに引っ張られる。まるで脳の神経が無理やり千切れたような気持ち悪い痛みを感じてしまったが、それもすぐに治まった。

 主の表情を見止めたミカが安堵の吐息を吐き出し、カワウソの胸に手を添えることで、さらに癒しの力が心臓を温めてくれる。

 

「……迂闊に、血に酔われないことです──あなたは、」

 

 そう、女天使が忠告しかけた時。

 荷袋から探り当てた治癒薬(ポーション)で、両脚を回復させた──切断ではなく、関節が破壊された複雑骨折程度の傷は、彼の秘匿していた治癒薬で即時回復可能な損傷だったようだ──元長老(ホーコン)が、さらに隠し持っていた致死毒の短剣を抜き払って、彼等に襲い掛かってくる。

 

「死ねぇ!」

 

 真っ先に気づけたのは、誰よりも襲撃者の挙動に目を配っていたヴェル。

 カワウソやミカの前に身を躍らせて、盾となるように奇襲を迎え撃つ。

 しかしこの時、彼女の行為と厚意は、無謀である以前に無用だった。

 カワウソの鎧と、ミカの防御力ならば、若返りを果たしたホーコンの襲来は気にする意味がない程度の狼藉──だからこそ、二人とも奴の襲撃を警戒する必要性はなかったのだった……が、生命力の減じたばかりの女狂戦士には、あの毒剣がかすりでもしたら、ひとたまりもあるまい。

 故に、

 彼女を堕天使と女天使が押しのけ庇おうとして、

 

「な?」

 

 カワウソは驚いた。

 ホーコンの老いた相棒──ハイドランジアが、横合いから、カワウソたちへの襲撃者……己の相棒の身体に絡みつくように、突っ込んできた。

 

「何!」

 

 それまで泰然自若に、相棒のなすことを座して見ていた毒竜からは想像もつかない──静かな暴走。

 相棒のありえないタイミングでの乱入を、ありえない反抗劇を、ホーコンは愕然と顔を歪め、問い質す。

 

「な、何故! なぜだ! 何故、おまえが、邪魔を!」

 

 疑念する相棒に組み付き顎力で喰いつく老竜は、囁くような呻き声を僅かに零し、相棒諸共、崖の淵の──さらに向こう側へ。

 ホーコンが必死の形相で「やめろ」と「止まれ」を連呼しながら毒の短剣を突き立てるが、毒の飛竜には何の痛痒にもなりえず、刃は弾き飛ばされ大地を転がる。

 猪突猛進を体現する年経た飛竜の薄い翼では、誰かを乗せるどころか、自分自身すらも、飛行させるには及ばない。

 つまり、これは──

 

「う、うわぁああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 男の絶叫は、老竜と共に、闇の底へ落ちていく。

 残されたのは、ホーコンの落とした毒剣が一振り。

 全員が、目の前で起こった出来事に言葉を失った。

 

「ッ……心中かよ……」

 

 忌々しげにカワウソは呟くが、目の前で起こった人死には、思いのほか自分の心に暗い影を落としたと、認めざるを得ない。

 いくら死んで当然の悪党であろうとも、あの断末魔の叫喚は、人が聞けばトラウマになるだろう。

 幸か不幸か、カワウソは人間ではないのだが。

 

「カワウソ殿」

 

 堕天使は振り返る。

 腕の中にいるヴェルやミカも、声のする方へ向き直った。

 声の主……マルコの気功によって完全に治癒し尽くしたヴォル・セーク族長と騎兵らが、改まった態度で、カワウソに首を垂れている。

 

「この度は、我々、我が妹の命を救い、さらには我が部族の危機を御救い下さり、感謝の念に絶えません」

 

 そんな大層なことをしたつもりはなかった。

 ただ、そうした方がいいと思った。だから、そうした。

 

「礼を言うなら、モモンさんや、マルコにも」

 

 現地の人々の中でも一線を画す、彼と彼女の協力がなければ、カワウソはここまで辿り着くことはあり得なかった。

 二人は手を振って、カワウソと似た態度で謙遜の言葉を連ねるだけ。

 モモンが訊ねる。

 

「族長……ヴェストさんや他の皆は?」

 

 モモンが振り返った先には、老いた騎兵と、もう何人かの死が、転がっている。

 ヴォルは涙を一雫だけ流し、頭を振った。彼等は、もう……

 毒針の奇襲を受け真っ先に昏倒した族長を護るべく剣を抜き、ホーコンの毒と魔法に立ち向かった騎兵たち──彼等は毒針によって、落命。生き残れたものは、本当に運が良かっただけだ。

 そして、友を誅戮すべく駆けた老騎兵、ヴェスト・ファルも──既に──

 

「モモンさん」

 

 カワウソは、ここまで来る間に聞いておいた魔導国の法を改めて確認する。

 

「確か。蘇生魔法を扱える者が、蘇生魔法を行使するのは」

「ええ。原則、術者の自由が認められています。対象が、公的な犯罪者でないことが条件ですが」

「では。ここで死んだヴェスト等を蘇生させることに、問題はないということで、よろしいでしょうか」

 

 ヴォル達が歓声に近い驚愕の声をあげる。

 

「ミカ」

 

 カワウソは、己の女天使を見つめ、命じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホーコンは生きていた。

 周囲をほのかに見透かせるのは、彼の発動した魔法〈闇視(ダークヴィジョン)〉の恩恵によるもの。

 複雑に入り組んだ谷底の奥深くに落ち切ったため、彼の生存を上の連中が発見することは不可能。

 相棒に殺されそうになったが、その相棒の身体を巧みに利用し、何とか落下の衝撃を緩和できた。若返った肉体能力のおかげである。

 さすがに片腕を骨折してしまい、激痛に支配されては身動きが取りづらい。隠し持っていたポーションは落下の拍子に割れ砕け飛散し、その残骸を舐めすくうことで、少しずつ体力を回復させつつあるのが現状である。

 

「ッハ、くそ、ふざけ、やが、って」

 

 己のかつての乗騎……ハイドランジアの首は「く」の字を超えて、「ク」の字に折れ曲がって息絶えた。死んだ相棒の骸に、ホーコン・シグルツは今にも唾を吐きかけてやりたいほどの憎悪を懐く。

 これまで協力を惜しむことなく、毒を生成してきた共犯者が、今さらになって翻意するとは。

 所詮は、モンスターの一種。

 己のごとく超然的な頭脳を理解することもできない、畜生だったわけだ。

 

 ──ホーコンは、己のかつての力、飛竜騎兵としてのレベルが“老化”と共に減じていることを知らない。否。知っているはずなのだが、それを正しく認識できていない。飛竜騎兵としての力を失い、故に相棒と心を通わせることもできず、相棒が真に望んでいたこと、相棒が常に問いかけ続けていた思いを、彼はついに、この最後の時に至るまで、まったく完全に理解することができなかった。理解しようという気概さえありえなかった。

 代わりに得られた魔法と医学の力、それらを応用し発見した“狂戦士の細胞”という薬液に、ホーコンは酔ってしまったから。

 (ハイドランジア)が、何故こんな心中未遂を働いたのか……上にいるヴェルたちであれば、間違いなく読み違えることはなかっただろう。事実、彼女たちは容易に、毒竜の想いを汲み取ることを可能にしていたのに。

 

 ホーコンは今一度、痛罵の吐息を漏らして苦痛に耐える。

 相棒の真意すら解することなく、ただ己に苦痛を与え、谷底の闇に落とした裏切り者への憤懣を紡ぎつつ、部族の裏切り者がほくそ笑む。

 

「よぉし。ポーションのおかげで、だいぶ楽になってきた」

 

 もう少しだ。

 もう少し回復したら、すぐに脱出してやる。

 脱出を果たした後は決まっている。俺をこんな目に合わせたすべてに、仕返しをせねば。

 あの黒い男──カワウソとやらにはもはや近づきたくもないが、奴に協力した族長や連中は、不幸のドン底に落とさねばならない。今まで俺がどれだけ奴らに良くしてやったと思っている。その見返りがコレでは割に合わないだろう。せめて娘一人、族長の妹くらい犯しておかないと、この興奮は収まりがつかない。いや、さすがに単身ではどうしようもないが、暗殺者のイジャニーヤなど協力者を雇ってしまうのも手だ。それに……何だったら魔導国の上層部に、あの黒い男の情報を吹き込むというのも悪くない。あれほどの力をもっておきながら、国軍にも冒険者組合にも属していないものが、旅の放浪者がいてたまるものか。きっと、アレだ。魔導国に敵対する連中の旗頭か……何かだろう。本末が転倒しているどころの話ではなくなっているが、もはやどうでもいい。とにかく、この屈辱の礼はたっぷりとお返ししてやるのだ。自分には、この、若返りの秘薬がある。自分は天才。遅咲きの天才であったが、それもこの薬さえあれば、すべてを帳消しにできる。老いる端から若返り、己が叡智を高めつつも、人としての美貌と肉体とを、これならば無限に保てるのだ。もはや自分は、アンデッドのような醜い化け物にも将来的に比肩する。超越することも可能なはず。自分こそが、“永遠”。自分こそが、永劫の時を生きるもの。そして自分が、この大陸の頂点に──

 そんな心地よい愉悦、将来の展望に胸を躍らせたのが悪かった。

 

「ゴホ、ゴホエホォ!」

 

 内部にわだかまる痛みにつられ、思わず咳き込む。

 喉が引き裂けるように痛むが、こんな状況で風邪でもひいたのだろうか。

 

「……ア、レ?」

 

 口に当てた自分の手を、見る。

 張り艶を取り戻したはずの若々しい指先がしおれた花の茎のように、細い。手の甲がカサカサに渇き、奇妙なシミや(こぶ)が無数に浮かび上がっている。掌の肉感も失せて、(しわ)はいつも見慣れたような──老齢の時のそれに戻っている。手首から上の上腕部や二の腕も、元の枯れた姿そのものであった。

 ホーコンは疑念しつつ、自分の頬や顔の輪郭に触れ、確かめる。

 割れた治癒薬の硝子片を覗き込む。全身が、元に、戻っていた。

 薬液の効き目は、一時的なものだったのか?

 まぁ、いい。すべてこれから実験と検証を重ね、人体実験を続けていけば判

 

「おやおや、こちらでしたか」

 

 深い思考に耽ってしまった老人は、現れた声によって愕然となる。

 ここは、飛竜騎兵の領地。

 その最奥の聖域、さらに、その最下の谷底だ。

 そんな場所で行き会う人間など存在しえないが、果たして目の前の人物は、人間などでは断じてない。

 黒髪をオールバックにし、眼鏡をかけた東洋風の男の身なりは、三つ揃え──だが、彼が人間でないことは、魔導国臣民であれば知らぬ者はいない。

 炎獄の造物主は、銀色に輝く尾を機嫌良さそうに揺らめき流す。

 

「随分と深く落ちてしまったようですねぇ。探すのに少々、手間取りましたよ?」

 

 宮廷音楽を詩吟する楽師のごとき明朗な調べに対し、

 

「あ、……、そん、ばか──な」

 

 男はカスカスにかすれっぱなしの喉に驚嘆の音色を乗せるので限界だった。

 

「な、あ──ま、……ま、さ、か」

 

 ホーコンは、目の前の人物を……より正確には、悪魔……を知っている。

 知っていなければならない。魔導国の臣民であれば。

 魔導国の最頂点に君臨する魔導王陛下の、最も信篤き“守護者”たち。

 統一大陸の“六大君主”が一柱として、生産都市群などの統治関連をはじめ、各種組合組織の掌握と管理、大陸内経済圏の総元締、国軍陸軍部の大将軍と轡を並べ戦う空軍部の幕僚総長兼永久元帥……「空を与えられし者」など、多種多様な役職と地位と領地と呼称を与えられた“極大の悪魔”──

 

「ああ、ひれ伏す必要はありませんよ?」

 

 そんな存在が、眼鏡越しに宝石の眼を、しっかりと目的の物にとらえ映す。

 

「な、なぜ、貴方、様……が?」

「勿論、あなた(・・・)に用があって参上した次第ですよ」

 

 悪魔は悠然と、自分がこの地に訪れた──己の主の求めに応じ、後詰部隊の全権を握る最高責任者としての責務として、目の前に存在する反抗分子の、その情報を総括する。

 

「ホーコン・シグルツ。

 50年前の飛竜騎兵内乱期に挙兵した愚か者の一味──100年前に滅ぼされた“毒”のシグルツの生き残り。当時、幼年であったことを考慮され、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に恩赦を賜った者の一人。その後は、通常の飛竜騎兵と同様に生活しつつ、セーク部族にて飛竜の毒武器・薬学事業に職を得て、さらに魔法分野にも傾注。表では部族と魔導国に臣従を誓う臣民として日々を送るも、己の一族の妄執に憑かれ、裏では魔導国転覆の期を伺う面従腹背の徒となる」

「な、なにを言っ」

「20年前。ヴェル・セークの『狂戦士封印計画』の主軸となる状態異常抑制薬の製造と開発に尽力しつつ、その裏で、彼女という狂戦士の血液サンプルを溜め込み、秘密裏に狂戦士化促進薬の錬成に成功。さらに、狂戦士の細胞組織培養にこぎつけ、それを調査研究のため飼育していた(ラット)などの小型生物への投与から“黒化現象”を発見。これにより狂化・変異させた飛竜を使っての国家転覆計画を掲げ、10年前に先代族長や先代巫女をはじめ多くの狂戦士封印計画従事者が戦死したことにより、ほとんど封印研究の全権を握る地位に至ると同時に、大規模な研究所改造と、大量の飛竜乱獲──狂化する飛竜の確保を執り行う。

 転覆計画も始動段階に入ったことで、サンプルであった狂戦士をはじめ、族長と一番騎兵隊“謀殺”のために、式典に参じた彼女の常備薬に狂乱促進剤を混入。それによってヴェル・セークは演習中というタイミングで暴走。君の計画だと、不敬にも演習を台無しにした部族の長たちは刑され、飛竜騎兵の統合を待ちわびていた部族間に亀裂が生じ、族長らの絶えた里を抱き込む形で、転覆計画を実現しつつ、あなたは影で暗躍するというところだったのでしょう。君の錬成した狂化薬物を里中の水源に流し込み、セーク部族の全住民を生物兵器化することで、ヘズナを強襲・併呑し、近隣地域への劫略行為に走りつつ、バイオテロを繰り返すことで国内に大乱の嵐を巻き起こすというつもりだったのでしょう。

 ──だが。

 ヴェル・セークの状態異常抵抗力──先代巫女らの残した肉体ステータスによって、ギリギリの均衡は保たれ、ヴェル・セークは軍作成の雑魚集団に落ちるのみで、重大な損害を与えることなく逃亡を果たす。以降は、我が魔導国軍の捜索隊による捕縛確保が試みられ、────ああ、さすがに、ここまで説明する必要はなかったでしょうか?」

 

 ホーコンは、もはや呻くほどの気概すらない。

 完全に、目の前の悪魔が饒舌に語った内容を理解し、その情報量の完璧さに震えてしまった。

 

「ぜんぶ……し、知って?」

 

 限りなく破滅的な、だが、それ以外の解答を、ホーコンは導き出すことができない。

 しかし、悪魔は微笑のまま、優雅な男の面を横に振る。

 

「いえいえ。これはあくまで、私が導き出した“推論”です。君の経歴や、今日(こんいち)に至るまでの飛竜騎兵の歩み──そして、本日──君が行い、のたまった……『愚挙』と『愚言』を総合した結果に過ぎません」

 

 悪魔は何も知らなかったと告げる。

 だが、知られていた方が、まだマシだった。

 ただの憶測や推論だけで──与えられた僅かばかりの情報で、十全な状況理解を示すなど、まさに悪魔的な頭脳以外に成し得ない暴威だ。

 ホーコンは、訊ねる。

 ここまでやってきた──ただ推察を口にするべくやってきたわけもない、魔導国の六大君主が一人・大参謀に、震えながら訊ねる。

 

「いったい、わたしに、なん、の、ご用、で?」

「実は──君の開発した、その秘薬。是が非でも、我らの方で研究している“もの”の参考にしたいのですよ」

 

 悪魔は悠然と、薬に関する『すべて』を、一時的とはいえ若返りを実現した薬を供出するよう、請求する。

 ちなみに、彼の特殊技術(スキル)である“支配の呪言”は一切機能させていない。

 必要とも思われなかったのだ。

 

「わ、わか……わかりまし、は」

 

 研究の成果や情報は、ホーコン・シグルツの秘中の秘──財産と同等──否、もはや彼の命そのものである。十年単位に及ぶ研究のすべては、マジックアイテムである荷袋の中に詰め込まれており、その中にも幾つか実用品が注射液として何本か残っていたが、そんなことすらも忘れ去って、彼は薬に関する「すべて」を目前に超然と佇む悪魔へと提出してみせる。

 まるで命乞いでもするかのように、命そのものであるはずのすべてを、悪魔に手渡していた。

 

「よい心がけです」

 

 袋を受け取り、それをどこかにしまった悪魔は、さらにどこからか取り出した人間大の人形──老いたホーコンの生き写しとも言うべき造形を随所にあしらえた肉人形を投げてみせた。人形は、まるで死体のようにピクリとも動かないが、それもそのはず。

 これは、ホーコンがここで死んだことを偽装するためだけに悪魔が用意したアイテム──擬死の人形(ドール・オブ・フォックス・スリープ)なのだ。高所から落下した衝撃で陥没したように擬装した後頭部の様が実に惨たらしく、血糊の量も適正な配分で散りばめられている。内部もすべてホーコンのそれと同様。内臓も筋肉も、神経や皮膚のシミやしわにいたるまで、全て再現されている。人間の医師や魔法詠唱者程度では、まず見破られることはない特注品である。

 ホーコンは文字通り目の前に、己の死というものを視認してしまう。

 

「さて。残りも(・・・)渡していただけますか(・・・・・・・・・・)?」

 

 起こる事態が混迷を深め、たまらず老人は悪魔に問う。

 

「の……のこり?」

「ええ、まだ貰っておりませんよ? この若返りの薬を投与され生き残った、唯一の“検体(・・)”を」

「な、なに、を……?」

 

 言われたことが理解しきれない。

 悪魔の唱えるものが何であるのか疑問した瞬間、彼は体の中がサラサラに渇いた砂漠に変じたような咳を吐いた。

 これまで経験したことのない大きな胸の苦しみに骨が軋み、咳と同時に何かが大量に、口の中からこぼれていく。

 ポロポロと数個こぼれた白いそれは──自分の歯だった。

 口内の歯肉が急速に瘦せ衰え、もはやまともな土台として機能しなくなったのだ。

 急激に過ぎる体調の変化に、男は根源的な恐怖を覚える。かきむしった頭から、ありえないほどの脱毛が生じ、指の隙間にはりついてしまう。禿頭の頭だった彼に再び宿った黄金と紫の髪は、見る影もなく痩せて色を失い、ブチブチと千切れて飛散していく。男は暴れる感情のまま、指間にはりついた老髪を振り払った。その現象を拒絶するかのように。

 悪魔は高らかに微笑む。

 

「ああ、再老化による()けでしょうか? さすがに実践例が少なかったのでしょう。そもそも、素で強靭な肉体を持っていない人間の身体では、これが限界と言うところなのやも。ですが、構いませんよ? その状態も含めて、良い“サンプル”になりますので」

「な……にを、いっ……へ?」

 

 スカスカになった口の感覚はもとより、服薬前以上の動悸と息切れが肉体を満たす。

 起こる異常事態に、目の前に存在する悪魔の存在感に、心臓が麻痺してもおかしくないほどの苦痛を訴え始めるが、思考は恐ろしいほど穏やかだった。

 

 

 

 厳密に言えば、何も、考えられなく、なる。

 

 

 

 思考に空白と空洞が無数に穿たれ、自分がここにいる現在までの推移すら、判然としない。

 自分という存在の主体すら、意味が、曖昧に、成り下がる。

 発話することも不可能になりつつあった。

 彼の脳髄までもが、急速な老いによって衰弱を余儀なくされ、物理的な(うろ)が生じ始めているのだ。

 そんな枯死(こし)も同然なありさまに陥る生命を、悪魔は愉快痛快な笑みを浮かべつつ、器用に悲嘆の声を奏で、そして嗤う。

 

「ああ。やはり、このあたりが限界というところですか。いくら御膳立てを整えたところで、人間の能力では服用後のリスク関連を見抜くには至れなかったというところ。残念な結果ですね、本当に」

 

 彼が、ホーコン・シグルツという存在だったものが、……愚かにもアインズ・ウール・ゴウンに反旗を翻したが故に、死することすら許されなくなった愚か者が……最後に感じることができた事実は、たったひとつ。

 悪魔が手を差し伸べる。

 かろうじて生きているソレは、骨と皮ばかりの手を悪魔に差し出し、そして、

 

「ですが、まことに素晴らしいことに、悲しむ必要はないのです。あなたの研学と探求は、余すことなく、我等ナザリックと、御方の統べる魔導国の未来の財産となることでしょう。本当にご苦労様ですが、今後ともよい検体(サンプル)として、生き続けてください──〈ジュデッカの凍結〉」

 

 

 

 彼の求めた“永遠”が、成った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、第三章・最終話
「過」
来週更新予定


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第三章 飛竜騎兵 最終話


/Wyvern Rider …vol.15

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 また、いやな夢を見る。

 

 

 

 旧ギルド……世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)で過ごした時を、見る。

 

 

 

 それは、小さなクランがはじまりだった。

 ユグドラシルにおける“クラン”とは、一定の目的や思想をもったプレイヤーの集団のこと。これと同じような“ギルド”との違いは、定義としては自分たち専用の拠点を保有しているか否かに終始する。

 クラン長である人間種プレイヤーである彼女と、彼女の姉である異形種プレイヤーが副長を務めるそこは、異形種狩りが流行したユグドラシルで、異形種プレイヤーをPKから守ろうとする“人間種プレイヤー”が発起人という、かなり珍奇なクランであった。

 

 何しろ“異形種狩り”が流行した原因は、異形種PKによってのみ獲得できるポイントでの人間種の転職(クラスチェンジ)が実装されたが故。だからこそ、人間のプレイヤーが異形種を保護・護衛につくというのは、かなり、怪しい。

 実際にあった手口で、「自分たちは、異形種PKはしない」と表明し、異形種の保護を訴えていた団体が、十分な数の異形種プレイヤーを囲った後に翻意し、集まっていた異形種を“乱獲”するなどの詐欺まがいな手法まで存在した。場合によっては、異形種プレイヤーが異形種プレイヤー保護を訴えギルドを立ち上げ……集まったプレイヤーを人間種ギルドに“売り払う”なんてクズの極みみたいな事件も頻発した(さすがに、運営によって措置は講じられたが、異形種PKによって得られる職種があまりにも強力かつ貴重なため、異形種PKそのものを廃絶するまではいかなかった)。

 

 そういった事情があったので、カワウソは最初、かなり怪しんだ。

 確かにその集団(クラン)は、リーダーを務める彼女をはじめとした人間種と、クランの副長でありリーダーの実の姉という異形種……種族は人の造りし哀れな怪物(フランケンシュタイン)の、ふらんけんしゅたいんさんなどの異形……他にもが、ほとんど同じ分配で成立していた。

 人間種が五人、亜人種が三人、異形種が四人──合計12人。

 そこに新たに加わった最弱天使──PKによる死亡処理(デスペナ)消失(ロスト)寸前だった──カワウソを加えて、13人。

 

 しかし、彼女たちのおかげで、カワウソはPK地獄を敷かれていたフィールドから脱出を果たし、人間と亜人と異形──すべての存在が平和的に暮らせるゲーム内の不可侵都市への避難を成し遂げた。

 

 それから、仲間たちとの顔合わせ・自己紹介のために、ひとつの宿屋に案内された。

 誰もが気さくに話しかけてくれて、異形種狩りにあっていたカワウソを「災難だったね」と労ってくれた。クラン副長のふらんけんしゅたいんさんをはじめ、四人の異形種プレイヤーもまた、異形種狩りで困った経験をしていたようだ。

 

 そこで、彼女たちの活動方針「人と亜人と異形の垣根なく付き合えるゲームプレイ」を聞かされた。

 勿論、カワウソは半信半疑だった。

 しかし彼女たちの協力で、カワウソは最弱天使にまで落ち込んだレベルの回復につとめられた。彼女たちの活動方針は本物で、リーダーの意志に同調したプレイヤーたちによって、そのクランは成立していることが確信できた。

 やがて、クランはギルドとなるべく、都市内部の屋敷型拠点(初級者ギルド用)を攻略。

 正式に、ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)が発足され、拠点内の作り込みが始まった。

 武装やNPCの製作においては、グラフィックが趣味であったカワウソが手を加えることで、外装はかなりの出来栄えのものができるようになった。皆に絵のことを褒められると、死んだ両親のことが少しだけ思い出された。そもそもカワウソが絵を趣味に出来たのは、両親が褒めてくれたからだった。

 優秀な武器防具を生み出すべく、全員で協力してダンジョンやレイドボスに挑んだ。

 NPCの命名、プログラミングでの仕草、防衛戦時の役割などで大いに盛り上がった。

 冒険が成功した晩、都市で買い付けたパーティーグッズで拠点を飾り、祝宴を開いた。

 

 楽しかった。

 本当に楽しかった。

 涙が出るくらい大笑いした。

 はじめて、心の底から、笑うことができた。

 

 

 

 

 

 過去のカワウソは、そのギルドで、本当の仲間たちと巡り合えた、

 

 ──そんな気がしていた。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 カワウソは目を醒ます。

 

「あ……」

 

 息をつく。自分が見ていた夢を思い出し、渇いた笑いを零し出す。

 瞼の淵を熱く濡らす雫をすくい上げて、異世界にいる自分を再確認する。

 指の先まで黒く日に焼かれた肌色。頭上には、赤黒い円環が浮かんでいる様が。

 

「お目覚めですか?」

 

 もはや慣れたように、ミカの冷たい無表情と朝の挨拶に相槌を打つ。「おはよう」と「おはようございます」の遣り取り。

 ベッドから起きぬけたカワウソに対し、窓辺の椅子に座った女天使が会釈を送る。

 カワウソは慣れたように邸の客室で寝起きし、顔を洗ってミカからタオルを受け取る。

 その黄金の髪に飾られた(かんばせ)には、翻訳用の眼鏡が。

 

「何を読んでいたんだ?」

観光案内(パンフレット)を。アーグランド領域、信託統治領とやらに住まう竜──本物の竜王(ドラゴンロード)と交流できるとか、何とか」

「へぇ──本物の竜王、……竜ね」

 

 こちらの世界の竜、竜王とは、果たしてどれほどの強さなのか。魔法都市で見た霜竜(フロスト・ドラゴン)よりも厄介な相手だろうか。あの黒く膨れた飛竜よりかは強いかもしれないが、果たして。

 

「信託統治領って、他の領域と、どう違う?」

「これまで読んだ地理や歴史の諸本、さらに、マルコやモモンからの情報を精査する限り、ツアインドルクス=ヴァイシオンという“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”──実質上、“六大君主”や“王太子”“姫”などと同等の地位である魔導王の「次席」を約束された為政者を筆頭とする(ドラゴン)の完全自治領域として機能しているようです。他の領域との違いは、彼等は彼等なりの領法によって、臣民を統治する権利を有するなどでしょうか。

 他の領域ですと、あくまでアインズ・ウール・ゴウン魔導王の領有物として治められ、その領域を守護する代表者“外地領域守護者”は、魔導国の刑法・民法を完全順守し、その一帯を統治するのですが、信託統治領だと、憲法以外は原則的に“竜王”の自治と立法が認められているようです」

 

 寝ることを必要としないミカは、この数日でセークの族長らによって持ち込んでもらった書籍──それも、魔導国の略歴や学問、社会経済に通じる専門書などを優先的に選んで、その中身を頭の中に叩き込んでいた。

 定期的な睡眠を必要としてしまう堕天使には不可能な技法であり、ミカの頭脳だからこそ、それほどの情報量を完全に記憶の内に保存しておくことも出来るようだ。

 

「朝食は六時には用意されるそうですが、──拠点からコーヒーなどを送付させますか?」

「いや」カワウソは少し迷ってから首を振る。「今日はいらない」

 

 クピドの〈転移門〉を使い、城にいるイスラ特製のコーヒータイムを愉しむ気分ではなかった。

 カワウソはミカの傍に立ち、邸の中庭ではしゃぐような声を聞き、木剣を振るう若い男女を目にする。

 朝の修練に勤しむハラルドとヴェル。一番騎兵隊の若い騎兵らと飛竜たち。

 カワウソに一早く気づいた乙女が、大きく手を振ってくるのを、しようがないので軽く手を振って応えた。

 

「本日の主な予定は、戦死扱いとなったヴェスト・ファル老騎兵の葬儀であります」

「ああ」

 

 堕天使は、老騎兵の死を招いた一件を思い起こす。

 あの一件……ホーコン・シグルツ造反未遂事件から、三日が過ぎていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ホーコンが転移魔法陣を「鍵」によって調整し、薬液を里中にバラ撒くという企図については、すぐに「鍵」の権限を解除変更して──というわけにはいかなかった。奴の施した魔法による調整と改修を突破するのに時間がかかりすぎることは、明白。奴が年単位で秘匿し、推し進めていた計画の根幹部については、確かに成功も同然な段階に差し掛かっていたわけだ。

 だが、そこはモモンが手を打ってくれた。

 上の里で待機していたエルに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばし、里の重要な水源や浄水設備を押さえ、そこに混入された毒液が、この地域に注がれるのを未然に防いだ。幼い童女とは思えない手並みの鮮やかさではあったが、……カワウソはモモンが呼んだ後詰の部隊──正式には、魔導国の空軍兵力の援護を受けたことで、里の危機は回避されたことを知らなかった。

 しかし、油断は禁物。

 里中の人間の緊急健康診断が執り行われ、奴の毒が広がっていないかの検査が入念に進められた。

 マルコの伝手(ツテ)を頼り、第一魔法都市のリュボーフィなどをはじめとしたバレアレ商会からポーションが運び込まれ、毒・催眠のみならず様々な異常に対するものに特化したものを十分以上の数を用意することもできた。それらを街と里、飛竜の巣の水源に適量調合することで、毒液は完全に無害化された。摂取前の薬液であれば、同じ薬の調合や医療者の手で改竄・加工も可能なようだ。

 おかげで、ミカの特殊技術(スキル)やカワウソのポーションを使う必要もなくなった。

 

 

 

 

 

 ミカの発揮した回復蘇生の特殊技術(スキル)──希望のオーラⅤによって、地底湖で亡くなった騎兵隊のほとんどは、死から蘇えることは出来た。

 女天使本人は「渋々」という感じだったが、カワウソとしてはミカの性能がどれほどのものか確認したいという意図もあったし、裏切り者によって弑された者たちを気の毒に思うぐらいの感性は残っていた。

 ミカが特殊技術(スキル)を発動したのを、堕天使は視認できなかったが、これはそういう仕様だと思われた……堕天使は「神の威光(オーラ)を理解できない愚か者」というゲーム設定があった……ので問題はない。希望のオーラⅤの効果は絶大で、倒れ伏していたままだった騎兵たちの呼吸が戻り、肺を空気が満たすように胸が上下する。心臓が鼓動を奏で、暖かい血が通い出した顔面の血色が、見る見る内に赤みを帯びる。複数人の同時完全蘇生を可能にした熾天使は、別段誇るでもなく「蘇生完了」の事実を告げた。周囲にいたヴェルや族長が歓喜し、モモンとマルコが祝福するように頷く。

 しかし、──例外がいた。

 

「ヴェスト・ファルという老人、彼は駄目です」

 

 ミカは無理だと冷たく言い放った。彼は蘇生できないと。

 彼女曰く、彼の魂は、もう永くなかった──命が完全に尽きた、寿命だ──と、説明される。

 勿論、カワウソは驚いたが、さすがに人間の寿命となれば、天使だろうとどうにもできないのだろうと、妙に得心がいった。

 さらに、モモンが納得の声をあげてミカの説明を補足する。

 

「老人などの死の場合、それが他殺による外的要因でも、残された命の時間が短すぎる者は、蘇生できないことが往々にあります。たとえ最上位の蘇生魔法〈真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)〉でも──」

 

 彼は、誰か知己を思い出すような表情と口調で、ヴェストの死を、片膝を地について大いに悼んだ。

 その姿に、ヴォル・セークをはじめ、部族の者たちが続く。

 

「許せ──とは、言わないよ。ヴェスト」

 

 彼の族長であり、長らく世話になってきた老爺の仕えるべき主人であるヴォルは、無念にも散った朋友の死を、涙ながらに受け入れる。

 

「今まで……本当に、お疲れ様……向こうで、また逢おう」

 

 飛竜騎兵の信じる、死後の世界──先祖と飛竜たちの御霊(みたま)が集う場所で。

 また、たくさん叱ってね。

 微笑むような老騎の死相に、族長は惜別の涙を落とす。

 カワウソは、何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 ヴェストの死が確定したことを知った一同は、次の行動に移った。

 地底湖のさらに奥にある谷底へと落ちた大罪人──今回の事件の下手人である男の安否を確かめるべく──というよりも死体回収のために、暗黒の底を目指した。

 遺体の捜索のために、カワウソたちが降りた先で見つけたのは、堕ちたここで死んだ男の死体と、その相棒だった老竜の骸だった。遺体の様子は見るも無残なもので、若返りから覚めた老人に戻っていることと、腰にあった袋がなくなっていること以外に、特に気になる点はありえなかった。

 彼等は、今回は事件の大きさが大きさゆえに、魔導国に証拠品のひとつ──首謀者らの遺体として供出せねばならない。聖域で事件を知る者らだけで葬儀が簡単に行われ、アンデッドの司法官に一組の飛竜騎兵の遺骸を、証拠品である記録映像と共に引き渡した。遺骸は一連の首謀者として処理され、それによって部族全員への嫌疑は名実ともに晴らされた。

 ホーコンの死は、『調査中に黒竜に喰い殺されて』という風に偽装された。

 事情を知らせるわけにもいかない。長老会は、死体がないため葬儀は行えぬことを悲しんだ。

 ヴォルたちは、何も言わなかったし、言えるはずもなかった。自分たちの同胞が、自分たち全員を謀殺する薬液を里中にバラ撒き、黒い邪竜によって国に造反せんとしていたなど、報せるのは酷というものだ。

 

 

 

 

 

 飛竜の巣に関しても、蘇生可能だった個体をミカの能力によって救うことができた。

 黒竜化による被害者となった飛竜はだいぶ多かったようで、彼女のオーラによる同時蘇生可能員数では、即座に全頭蘇生ということは無理だと判った。これはユグドラシルと同じ仕様であった。さらに上位のオーラを使うことも試すべきか迷ったが、とりあえず“希望のオーラⅤ”そのままの能力がどれほど通じるのか確認することを選択した。

 僅か一日で、巣には適正な数の飛竜が舞い戻り、催眠による夢ではない、現実の仲間たちと合流を果たした。

 だが、野生の飛竜は、基本的に同族以外に関する興味や好意は懐かないモンスター。

 蘇りの力を行使した“救い主”と言えるミカへの感謝や感情を見せることなく、ミカ自身も、そんな些事を気に掛けることはありえなかった。彼女もまた、飛竜に関してそこまで興味がなかったようだ。

 野生の飛竜たちは、これまでと同じように、日々を過ごしていくことだろう。

 

 

 

 

 

 一連の事件の事後処理は、この三日でだいたいすべてが終わっていた。

 里は特段の混乱を見せることなく、黒い飛竜の襲撃の件についても、里の全住人への健康診断時に、立ち会った死者の大魔法使い(エルダーリッチ)による催眠で、記憶の端の端へと追いやられていった。黒竜の事件は、未解決の異変として処理され、歴史上には残らないかもしれなかったが、そんなことはカワウソの意中には存在しない。

 

 カワウソが頭を悩ませるべきは、やはり魔導国と、この異常な異世界についての情報だった。

 

 これまでの出来事で、カワウソというユグドラシルプレイヤーは、ひとつの確定的な事実に直面している。そういう自覚を持つに至っている。

 いよいよもって、この世界のシステムの精巧さ……ユグドラシルとあまりに“通じすぎている”事実に、何者かの手による加工、デザインが施された感じが否めなくなっている。アイテムも、装備も、魔法や特殊技術(スキル)、さらにはレベルダウンなどの処理システムすらまったく同じという異世界の仕様……現実性が、あまりにも奇妙でならない。

 

 誰がこんな異世界を創った?

 ゲームの法則が通じる世界など、どうやって?

 

 アインズ・ウール・ゴウンが成し遂げた……そう考えるのは早計だろう。

 100年の歴史を持つ魔導国。だが、それ以前にも存在していた現地の国家や一族が台頭していた──飛竜騎兵の部族などの存在がある以上、彼等アインズ・ウール・ゴウンもまた、100年前に唐突に、カワウソたち同様に転移してきただけの可能性は高いはず。あるいは、それ以前から存在・潜伏し、100年前になって本格的な大陸平定・世界征服に乗り出した可能性もなくはないか。

 

 異世界に通じるシステムを構築する。

 つまり、────世界を創り変える。

 それはどういう方法でなされるものなのか?

 願いを叶える魔法やアイテム?

 だとすると、超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・アスター)〉や、世界級(ワールド)アイテム“永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”による力が?

 

 仮に、もし、そうだとしても──

 その魔法やアイテムを通じさせる力とは何だ?

 最初に、そのような改変力を要求されて、それを実行させ得る存在があるのか?

 

 現実の世界でいきなりゲームの魔法を唱えたり、再現グッズで配給売買されたアイテムの指輪を手に入れ、それに本気で願いを込めても、願いはかなうわけがない──それが現実だから。ゲームは現実にはなりえない。それが常識というもの。

 なのに、そんな常識は、この異世界では全く通用しない。

 

 事実として、この異世界はユグドラシルと共通のシステム──魔法・特殊技術(スキル)・アイテム・装備・モンスターetc──が働いている以上、悩んだところで何にもならない。

 異世界独自の法則も存在している世界の中で、あのアインズ・ウール・ゴウンは、カワウソと同じように世界の異様と異常に辟易し戦慄しているのか、それとも──

 

「カワウソさん?」

「なんだ、ヴェル?」

 

 乙女は、首を振った。横に並ぶ黒い男の醜い隈が浮き彫りの相貌に、真っ向から立ち向かって首を振る。

 

「何か、考え事を?」

「ああ。ちょっと、な」

 

 黒い衣服の彼女は納得いかないように首を傾げつつ、葬送の列が階下の式場に進入する様に見入る。

 ここは葬祭殿。

 位置としては、族長邸の地下ともいえる場所だが、葬祭殿は一室というよりも巨大なトンネルのように大きく繰り抜かれた構造をしており、族長邸の聳える巨岩の下をまっすぐ突っ切るような空間を構築していた。地下トンネルの抜けた先には、崖から下を望む雲海と、どこまでも続く青空が見晴らせる。まるでそこから死者の魂が空へと旅立つような印象を覚えるが、実際は違うらしい。

 ここから、とある方法で、死者を大地に還すのだ。

 

 カワウソたちがいる場所は、族長家にのみ使用を許された“貴賓席”とも言うべき観覧の席だ。

 トンネル構造の大空間を一望できる席の真向かいに、同様のスペースが設けられており、そこに御忍びとしてヘズナ家の族長──数週間後には、統合族長の地位も任命されるヴォル族長の婚約者──ウルヴと、彼が雇い、事件解決に尽力してくれた協力者、一等冒険者らの姿も。

 この三日間で、彼らと共に、ホーコンの造反未遂の後処理はスムーズに行われた。残存していた黒竜は一匹残らず狩り尽くされ、他の奇岩にまで捜索は念入りに進められた結果、黒竜は完全に全滅された(というのがカワウソの認識である)。

 モモンたちは厳粛な表情で、何か言葉を交わしているように見える。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 カワウソの視線の先で、彼等は確かに言葉を遣り取りしていた。

 

「此度は大儀であったな、ウルヴ」

「勿体ない御言葉です、アインズ様」

「今の私はモモンだよ」

 

 カワウソたちの真向かいに位置する貴賓席で、アインズとウルヴの密談(防諜済)は執り行われていた。

 一等冒険者としての責務は果たされ、魔導国の支援部隊も入領済み。これ以上、モモン・ザ・ダークウォリアーが留まる理由は無に等しい。モモン=アインズ・ウール・ゴウンは多忙を極める。にも関わらず、彼がこの領地に冒険者のカバーで到来した理由は、ウルヴからの請願を受けたからでは断じてない。

 簡潔に言えば、アインズがウルヴの領地へ勝手に転がり込んで──という方が全体的に正しい。

 

「いや本当に、この数日は色々と、気を使い過ぎました」

「急なことだったからな──だが、そのおかげで素晴らしい収穫もあった。感謝するぞ、ウルヴ」

 

 アインズは若き飛竜騎兵の族長に感謝の念を惜しまない。

 

「こちらこそ。未来の我が妻と、その妹を救って頂けた。カワウソ殿らをはじめ、ア──モモンさんたちにこそ、感謝を」

 

 アインズはモモンの口調で謙遜の意を示す。

 ヴェルの暴走から始まった一連の事件は、間違いなくアインズの、ひいては魔導国の今後に重大な業績をいくつも残す結果となった。

 狂戦士の細胞を核とする狂化組織の発見、それによる黒き魔獣への転生の可能性、ホーコンが実証した「若返り」現象を流用しての──魔導国最重要課題解決への、光明。

 

 そして、何より、

 100年後に現れたユグドラシルプレイヤー──カワウソと交流を結べた事実。

 

 すでに、この数日の間で彼とモモンにはそれなりの信頼関係が結ばれ、モモンは専用回線(ホットライン)としての〈伝言(メッセージ)〉受信用ゴーレム番号を伝達済み。おかげで今後、彼を魔導国(こちら)側に引き入れることは容易になるだろうと思われる。

 カワウソの人格は申し分ない。戦闘能力も、弱い異形種の“堕天使”にしてはかなりのものがあり、自分の弱点を応用する機転や応用力も確認できる。装備したアイテムの性能も悪くない。

 できれば世界級(ワールド)アイテム保有の確認ができれば御の字だったが、さすがに聞き出すことは難しかったのは、致し方ない。

 そして、彼が見せた、仲間を裏切った罪人(ホーコン)に対する加虐性についても、アインズはそこまで悪い印象を覚えていなかった。

 アインズもまた、「アインズの期待を裏切った愚物」に対する怒りというものについては、彼の比ではない感情を覚えさせられるもの。かつて、アインズの仲間の存在を騙った愚か者への報いをはじめとして、アインズは裏切り者・背信者に対しては苛烈な措置を講じることがままあった。無論、此方にこそ非があるのであれば話は別だが、馬鹿な企みで魔導国の無辜の民を陵虐した叛逆の徒に関しては、一片の慈悲もかけ得ない。アインズはアンデッドだから。

 さらに、カワウソの率いる女天使──ミカの性能についても、中々「侮りがたい」と思う。

 あれは間違いなく、アルベドやシャルティアなどと伍するレベルの領域の強さを持っていた。おまけに、扱う属性についても、アインズの天敵となり得る神聖属性──アレを野放しにするのは危険と見るべきだ。

 彼の拠点にて確認されたNPCたちについても未知数の危険がある以上、主人であるユグドラシルプレイヤー──カワウソを懐柔・掌握することで、彼等NPCの機先を封じるというのは理に適っているはず。

 だから、葬儀中の礼儀に欠けるが、つい口を滑らせてしまう。

 

「楽しみ、だな」

 

 もしかしたら。

 何もかもがうまく行き、彼と、彼のギルドと、協調路線を進むことができれば──

 

「いっそ、もう今から正体をバラす──のは、ナシだな。さすがに、警戒されるだろうし」

 

 落ち着いて事を進めなければ。

 大丈夫。きっと、すべてうまくいくとも。そうすれば──

 

「アインズ様」

 

 その時、ありえない声に呼びかけられる。

 

 

 

 ……アインズは、まだ知らない。

 まだ、知らなかった。

 カワウソの過去を。

 彼というプレイヤーが、ユグドラシルでどんなゲームプレイを続けていたのか。

 彼という存在が、ナザリックに、アインズ・ウール・ゴウンに、どんな思いを懐いているのか。

 アインズは思いがけない形で────それを知ることになる。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 カワウソとミカ、マルコ、そしてヴェルの四人は、この貴賓席で葬儀に参列した。

 参列と言っても、実際に列席者として帳簿にのるような扱いではなく、この一室で、一人の少女と共に、その葬送を見届けることで、衆人環視の目には止まらない(貴賓席は下から見上げても、そこにいる人物を見透かせる構造ではなかった)。

 カワウソの副官として、拠点外に飛び出してからずっと行動を共にするミカは勿論として、マルコもまた、一人の老人の死に際し、修道女としての義務からか、貴賓席の脇でずっと両手を組んで黙祷に(ふけ)っている。

 入棺の葬送曲が流れ、老騎兵の骸を納めた長方形の棺が、黒を基調とした礼装に身を包む人だかりの奥から、同部隊者たちや家族……息子らの手によって運び込まれる。一歩、一歩を緩やかに進むのは、それだけ故人を送ることを惜しんでいるからか。棺を担ぐ者もそうだが、その後ろに続く親族──ヴェストの娘と思しき女性や孫のような子供たちも、黒い礼服の奥から零れる嗚咽をこらえ、予期しなかった別れを前に、手にした布を濡らしている。どれだけ、あの長老騎兵が慕われていたのかがよくわかる光景だ。カワウソはその光景を無感動に眺める。

 葬送の最前列には、彼の主人にして、最も世話になっていた族長──葬儀の執行者でもある竜巫女の装束に身を包むヴォルが、威厳と尊愛に満ちた鉄の無表情で、ヴェストの弔列を先導していた。

 

 ミカという熾天使の力をもってしても蘇生不能だった飛竜騎兵──ヴェスト・ファル長老の葬送が、しめやかに執り行われる。

 

 彼をミカが蘇生できなかったのは、単純な話。寿命だった。彼は、族長たちを救うべく奮戦する場で、己の命の期限を使い果たし、死んだ。

 異世界とはいえ、ミカの使うスキルにも限界があることの証左が示されたのと同時に、魔導国という超常の存在でも、寿命死には抗し得ていないのだという証明がなされた。

 

 カワウソは、一応の手順を、事前にヴェルなどから聞いて理解している。

 葬祭殿の奥の、眺望の素晴らしいそこには、岩の先端部……最突端にあつらえた祭壇があった。

 見れば、そこには飛竜騎兵の領地に住まう飛竜もまた葬儀に参列しており、その様は飛竜たちも一人の人間のごとく哀悼の意を表明しているように活力を感じない。わけても、彼の相棒であり、魔法都市上空でカワウソとやりあった覚えがある雄々しい老竜の悄然ぶりは、涙を誘って当然の小さな囁きを、巨大な牙の隙間から漏らし続けている。

 

 棺から出され岩の祭壇に捧げられた長老の骸は、ほとんど裸に近い。

 薄布に守られた下半身に対し、上半身は剥き出しで、寒々しいまでに岩床に薄白い身をさらしている。

 年齢に対して(いわお)のようにたくましい肉体には、所々に戦傷を帯びている。胸元に奔る真新しい傷は、彼が魔法の催眠で心臓を貫いた傷と、そこに蔵された臓器を摘出した施術痕が縫い留められていた。

 

 魔導国の臣民は、死ねばその骸を、国に、魔導王に提出する義務を負う。

 

 それは全身であることが望ましいが、一部の臣民──飛竜騎兵にとっては悩ましい問題があった。

 ──彼等の葬儀において、死体の有無や状態が重要になるという問題だ。

 それ故に、飛竜騎兵の部族などの一部臣民は、死体の一部のみの供出義務──飛竜騎兵の場合は“心臓”をあらかじめ摘出し、魔導国の葬務部に提出しておかねばならない。

 つまり、ヴェストの死体には今、心臓という臓器は欠けた状態である。

 

 何故、──何故、飛竜騎兵の部族は、そのような面倒をかけて、ほとんど全身を残しての葬儀を重要視するのかは、彼等の葬儀方法にあった。

 

 巫女であるヴォルの弔歌が数分で終わり、“立ち会いたい者”だけが、葬祭殿に残された。

 逆に、崖に集っていた飛竜らは、最初の頃よりも員数が増えている。ヴォルの弔歌に誘われたとしても、それは異様な数に思えた。

 小さな子連れや若い女性などが退出する中、騎兵の長老に敬服していた多くの飛竜騎兵が、彼の“本当の最後”──先祖らの御霊(みたま)の場に旅立つ瞬間に立ち会うことを希望する。ヴェルに訊くと、通常よりもずっと多い人が残っているらしい。

 

「カワウソ様、ヴェルさん──私は、ちょっと席を外します」

 

 黙祷を終えて立ち上がり、「所用があると言って」部屋を辞していくマルコを、カワウソは引き留めなかった。

 これから起こることを、マルコは知っている。カワウソと同様、一応の説明を受けていた。それを思えば、外部の若い女性が、今から起こることに立ち会いたいと思わないのも頷ける。

 あれだけの戦闘が行える修道女も、人の死には何か感じるものがあるのやも。

 貴賓席にはカワウソとミカ、そしてヴェルが残された。

 退出希望者が絶えたことを認めた巫女が、最後の“送り出し”を宣告。

 静まり返る葬儀場が、呼吸の音すら聞こえないほどの無音に陥った。

 ヴォルが、傍らに侍っていた相棒・アネモネに、何かを言い含める。

 巫女の、族長の許諾を受けた雌飛竜が、一際高い咆哮を上げた瞬間。

 ヴェスト・ファルの相棒──老飛竜・ホリーが、絶叫をあげて、啼く。

 

「あ……」

 

 カワウソが驚くのも束の間。老いた飛竜は己の相棒だった骸を、その顎と牙にかけて、空へと舞い上がる。

 そんな老竜の挙を合図としたかの如く、居並んでいた飛竜たちが老竜の飛行を見送るように飛び立ち、空を行く。

 死した長老の骸を運び去る飛竜たち。

 その光景に、カワウソは数瞬ほど圧倒される。

 一応、「こうなる」ことは事前に聞かされてはいた。参列者たる飛竜騎兵らが整然として動じず、右手を己の心臓の位置を捕らえるようにして微動だにしないのは、これが死者の旅路であることを心得ていると、納得もできる。

 だが、実際の光景として直視すると、何とも言えない。

 そんな彼の内心を理解するように、隣で飛竜らの行動を……死した長老の骸を何処(いずこ)かへ運び去った者らの行状を、ヴェル・セークは当然のごとく受け入れていた。

 これが、飛竜騎兵の部族に共通する葬送──“送り出し”なのだと、彼女は受け入れ、簡潔に示す。

 

「いま、見た通りです。

 私たち飛竜騎兵の部族が、死んだ飛竜を食べるように、私たちが死ねば、その骸は──飛竜たちの食事として供出されます」

 

 あっけらかんと、乙女は告げる。

 飛竜と騎兵は、喰い喰われる間柄。

 両者の結ぶ“相棒”という繋がりは、どちらか一方の死による終焉と共に終わるもの……ではない。

 飛竜騎兵は一心同体。たとえ命は尽き果て、魂は旅立つことになろうと、互いが相離れることは許されない。

 

「ああ。そうか」

 

 カワウソは、ヴェルとの会話をひとつ思い出した。

 

魔法都市(カッツェ)の食堂で、言っていたよな?

 飛竜騎兵は、飛竜たちを、食べる──『みんな、手厚く葬儀を行った後、食べる』って」

「ああ、はい」

「あの後、『その代わり』って言いかけていたな。……その代わりというのは」

「え……ええ、はい」

 

 ヴェルは頷いた。カワウソが意外にもそんな以前の会話を覚えてくれていたことに、むずがるような喜びを覚えてならないような気恥ずかしい表情を浮かべている。

 頬を少しこすって、冷厳な口調を取り戻して、彼女は言い募る。

 

 ──飛竜たちも、飛竜騎兵を、食べる。

 

 その等価交換の事実、”相棒制”の真実を告げることに、ヴェルは躊躇いを見せることはなかった。

 

「その代わり──私たちも手厚く葬儀を行われた後、彼等飛竜によって“食べられる”。今、お(じい)さん……ヴェストさんを連れて行った相棒のホリーの肉体の一部として、長老の肉体は喰われ、この大地と自然に(かえ)される」

 

 そういう信仰や宗教──風土が根付いた理由は、飛竜は社会性を構築する“弱い竜”だから。

 (ドラゴン)というのはそもそも、互いに相争い、喰うか喰われるかという“弱肉強食”の鉄則に生きるモンスター種族。場合によっては、家族だろうと親子だろうと、己の縄張りや餌を奪い合い、子を残すべく夫婦(つがい)になるにしても一方(オス)一方(メス)を捩じ伏せる(あるいは“逆”もある)ように交わることを習性とする魔獣だ。

 飛竜は、そんな竜とは決定的に違うモンスター。

 しかし、その力──血に宿る因子というのは共通している。

 

 それの名残が、飛竜と騎兵──モンスターと人間の共存共生の中で、互いの死を喰うという因習に転じた。

 

 飛竜騎兵と“相棒”となる飛竜らは、生きている間、深い絆で結ばれた互いを喰おうという気概を全く持たない。死体となった後も一定の儀式──葬儀を行うだけの分別は持ち合わせているし、人々の見えるところで喰い散らすなどと言った凶行に奔ることも、まずありえない。ヴェストの死骸、その最後の光景は凄惨を極めるだろうが、相棒の牙と翼によって、その解体現場は誰にも目撃され得ない。目にするのは仲間の飛竜たちだけ。彼らは彼らなりに、敬意を払うべき人間・騎兵というものを熟知する。特に、人格者や善人・族長など──葬儀に参列した人の数が多いほど、死した騎兵の最後を見届け、相棒が喰い残してしまった残骸まで平らげる「栄誉」に与ろうとする者は多く集まる。それが、飛竜騎兵の生前の“格”を示すとされる。

 そういう意味では、ホーコンが地底湖で飼い馴らしていた黒い飛竜は、“生きた同族”を貪り食うなど、通常の飛竜ではありえない行動ばかりを見せつけていた。飛竜は野生下において共喰いは滅多にしないし、喧嘩や小競り合いはしても、お互い同族を本気で殺すようなことはない。野生の飛竜もまた、彼等なりの葬儀を行い、死んだ同胞の骸を喰うだけ(流行り病などの大量死があれば、また別だが)。──あれは、あの黒竜は、飛竜をベースにした、まったく違うモンスターとカテゴライズする方が正解だろう。

 

「だから、三日前。ハイドランジア……ホーコンの相棒が、彼を谷底に突き落とすように暴走したのは、自分の相棒(ホーコン)がいなくなってしまった……ホーコンが若返るという異常事態に直面したことに対する、ある種の葬送──相棒の“死”を、半身の喪失を、明確に憂い嘆いたからこそ、彼は、ハイドランジアは、もう、ああすることしか、考えられなくなった」

 

 ヴェルたちには、飛竜騎兵には聞こえていた。

 あの、毒帯びる古い飛竜が、ホーコンの共犯として働いていた相棒が、最後の瞬間に奏でた悲鳴を。

 俺の相棒は、もう、どこにもいないのか──彼はそう、啼いていた。

 それを過つことなく理解していて、ヴェルたちは何も、してあげられなかった。遺体はすべて闇の中──大罪人の共犯として、死体は魔導国の管理下におさめられ、正式な葬送には出してやれなかった。

 

「なるほどね」

 

 カワウソは紺碧の大パノラマに消えたヴェストとホリー、その最後となる飛行を、瞼の裏に焼き付けた。

 唐突に、これと同じ葬儀方法が存在することを思い起こす。

 確か古い時代。南アジアだか何処かの風習として、死体を自然に還すという信仰や風土から、祭壇上に死体を安置して、それを猛禽類に食わせるという文化があったということを、歴史などに詳しい旧ギルドの副長──ふらんけんしゅたいんさんが教えてくれたことがあった。

 

「“鳥葬”ならぬ“竜葬”というわけか」

「……ちょーそー?」

 

 言葉の意味を判じかねたヴェルが首を傾げるが、構わない。

 

「ありがとうな、ヴェル。いろいろと勉強になった」

 

 魔導国内の歴史・文化・宗教──それらの寛容性や広大さを、カワウソは大いに理解できた。

 その発端となった──あの沈黙の森まで追われ続け、カワウソと出会ってくれた飛竜騎兵の乙女がいなければ、これほど多くの情報を取得する機会には恵まれなかったかもしれない。それを思えば、礼のひとつぐらい言って当然と思われた。

 なのに、ヴェルは柔らかい表情を沈めてしまう。

 

「ごめんなさい」

 

 何故、彼女が後悔の謝辞を紡ぐのか、カワウソは首をひねる。

 

「こんなものまで、見せちゃって」

「いや。なんで謝る?」

「──気持ち悪い、ですよね?」

「……」

 

 確かに。

 普通の人間であれば、そういう印象を懐いたかも知れない。

 否。実際として、気分の良い話ではないのだろう。信仰や宗教というものには、往々にしてそういう価値判断──異文化や異邦の風俗戒律に対する、薄気味悪さからくる悪感情、不理解からの拒絶感──は、あって然るべき出来事であり、あるいは本能的な作用とも言えるだろう。

 だが。

 

「別に」

 

 カワウソは頭を振ってみせた。

 少女を安堵させるためではない。

 むしろヴェルを困惑させる価値観を、堕天使は唇からこぼし始める。

 

「墓穴を掘って埋めるのと、祭壇にさらして持って行かせるのも、朽ちて果てることは、どちらも一緒だ。前者は虫や微生物に喰われる。後者は竜や鳥獣に喰われる。──そこに何の違いがあるんだ?」

「……そう、ですね」

 

 ヴェルが同意するように微笑んだ。

 飛竜たちは、惜しむように、悼むように、死した老兵(ヴェスト)の骸を運び、自分たちの糧とする。

 相棒の老いた竜は勿論、若い竜こそ望んで、瞳を潤ませながらも喜ぶように、悲しむように──悼むように──壇上に祭られていた「敬愛すべき人間の死」を喰らうのだ。

 飛竜は、竜種の中では比較的、弱い。

 故に、飛竜というのは徒党を組むことを最前提とする本能──習性──知能を持っており、それ故に、飛竜は群を、隊伍を、軍団を、独自の社会を、構築することを可能にした。そうして何時の頃からか、その社会に騎乗兵としての人間も寄り添うようになり、飛竜(ワイバーン)騎兵(ライダー)は互いの絆を深めるために、互いの骸を喰い合う風習に、馴染んでいった。

 

 ……死んだ同族がひとりぼっちで寂しくならないよう、生き残るもの達の血肉として、彼の死後も共に生きられるようにと、飛竜と騎兵は死した同族を弔い、その亡骸を喰い喰われる。

 

 それが結果として、飛竜騎兵という一個の存在を構築し、共同体としての彼らを確立させ、今日(こんにち)にまで至っている。

 

 いっそ、人間よりも深い情愛が故に、彼らの葬儀は苛烈を極める。

 

 目の前の光景を、何の知識もない者がいきなり見せつけられたら、高い確率で飛竜騎兵の蛮性を謳うだろう。実際として、土に埋める葬儀に慣れたものが見れば、彼らの社会通念は理解に苦しむはずだし、100年前、飛竜騎兵の部族が半ば独立した地位と位置にあったのも、そういった不理解から生じる忌避感が、人間亜人問わず蔓延していたことが、少なからず影響を及ぼしている。(そび)える奇岩地帯という地政学的軍事展開的な不利な立地や、九つの部族間での闘争に明け暮れることで高度に洗練された空戦能力の妙手が揃いすぎていた他に、──「飛竜騎兵(あいつら)は互いを喰い合うカニバリズム信奉者」という誤解(レッテル)を貼られたことが、飛竜騎兵らを長く歴史の表舞台に引き出すことなく、各国の人間や亜人の国家が殊更に無視し交流を避け続けた原因のひとつであったわけだ。

 

「むしろ、死体のある方が、まだマシなこともあるだろうしな」

 

 カワウソは思い出す。

 自分の両親の葬儀のこと。

 

 ほぼ(カラ)の、中身のほとんどないダンボール質の棺に、紙の造花を手向(たむ)けた。

 死の儀式はそれだけ。

 それで終わり。

 二つの箱が目の前で焼却炉の中に吸い込まれる様が、自分を産んで育ててくれた人たちの“死”だと、幼い頭で納得するのは、ひどく難しかった。死に目には会ってない。むしろ「会わなかった方が『幸運だった』というより他にない」と言われた。二人を偲ぶのは、共同墓地の碑文に残された名前を撫でる時だけ。二人の死によって、家と最低限の家財はすべて雇用主に返却せねばならなかったし、あの時代の世界、自分のいた最底辺階級社会においては、個人の私物という概念はひどく薄い──そういうものは、すべて電脳世界で賄うべきものだから。これがアーコロジー内の富裕層なら、また違うのだろうが。幼いカワウソが「絵」を趣味にしていたのも、そういう環境の中で両親が喜び褒めてくれた道具(ツール)が、それだったのだ。

 虚しいだけの思い出から、カワウソは目を覚ます。

 目の前の人の死を、葬送の儀を、実感を込めて正視する。

 

「ああ……これが」

 

 人の死か。

 呟く声に、少女は黙ったまま頷きを返す。

 

「すいません。カワウソさん」

「だから、何を謝る?」

「私、どうしてもあなたに──貴方たちに──私たちの本当の姿を、すべてを知っておいてもらいたかった。貴方たちが力を貸してくれた私たちが、本当はどういうものなのか……ちゃんと、知っておいてもらいたかったから」

 

 カワウソは曖昧に頷くしかない。

 

「ちゃんと知って、それでも、私たちと共に戦ってくれる──信頼に足る人だと、確かめたかったんです。私たちのすべてを知っていただいて、それで」

「ああ、やめやめ。そういうの」

 

 ほとんど言い訳がましい暴露(ばくろ)に、カワウソは呆れたように手を振った。

 

「あまり俺を買い被るな──俺だって秘密のひとつや、ふたつみっつくらい抱えている。それを理解してもらおうなんて思わないし、すべきでもない」

「えと、ですが……それだと後で、私たちが助けるに値しないと、助力なんてすべきではなかった連中だと、思われたら? 私たちという部族が、どんな者か確かめもせずに交流を続けるのは、あまりにも危険なことだと、思われないでしょうか?」

 

 首を突っ込みすぎて、いざ近づきすぎてみたら異様な風習があってドン引きされたくないのか。

 あるいは。赤の他人(カワウソ)によくして貰い過ぎて、逆に疑ってかかるしかないのか。

 ヴェルの真意は、多分、後者なのだろうなと思う。

 

「誰だって完全完璧(100パー)に互いを理解できるわけがない。合うと思ったら近づいて、合わないと思ったら自然と離れる……俺の仲間たち……だった連中(・・・・・)も、そんなもんだ」

 

 カワウソの「仲間」というものに興味をひかれたのか、ヴェルは瞳に少しだけ力を込めて見つめてくる。自称シモベであるミカが、少しだけ身動ぎするように鎧を動かすが、堕天使は構わず言い続ける。

 

「結局のところ。俺は仲間たちとはあわなかった(・・・・・・)

 初めての友達だった。本当に信頼できたし、一緒にいるだけで、いつも楽しくて楽しくて、たまらなかった。けれど、最後は“散々な結果だった”。半分以上は“あること”がきっかけで会えなくなったし、残り半分以下とは、ほとんど喧嘩別れみたいな感じで──もう、ずっと、会ってない」

「……会いたい……ですか?」

「全然」

 

 嘘だ。

 かつてのギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)の仲間たち、12人。

 会えるのなら会いたい。

 会いたかったから、カワウソは一週間ほど前、ユグドラシル最終日ということでメールを送ってみた。まともに送信できた相手は、ひとりだけ。他のメンバーはアカウントを削除したか、登録アドレスを変更したか……どっちだろうと同じことだし、その送信できたひとりというのも、ゲーム終了時刻までに返信してくれることは、なかった。

 つくづく思い知らされる。

 自分が懐いていた仲間という認識が、どれだけ浮薄で軽率極まる幻想であったのかを。

 それでも──否、だからこそ、カワウソは確信を込めて、隣に立つ少女に説いていく。

 

「自分と同じところだけを探しても、自分と完全に同じ奴がいるわけもない。そんなものは鏡の中にしか存在しないだろう? むしろ、自分と違うところがあるから、この人はおもしろいとか、この人はすごいとか、この人は楽しいって、思えるんじゃないのか?」

 

 尊敬して止まなかったギルドリーダー……彼女の言葉が、脳に残響している。

 これはカワウソの言葉じゃなく、かつて、カワウソを救った仲間から言われたこと。

 そう正直に告げると、ヴェルは感心したように表情を緩め、咲き誇る薔薇のように明るくなる。

 

「素敵な、お仲間さんだったのですね」

「……ああ……そうだな」

 

 リーダーを褒められたことは、素直に嬉しい。

 嬉しいが、心の奥底で湧き起こる「いやな思い出」が、チリチリと心臓を炙るような熱を錯覚する。

 

「仲間」

 

 そう。

 カワウソが、あのゲームを、ユグドラシルを続けた理由。

 

「お仲間さんとは、他にどんなことを?」

 

 興味本位で訊ねたのだろうヴェル。

 そのおかげで、カワウソは仲間たちとの思い出のひとつを、記憶の宝箱──あるいは薄暗い、(おり)の底から(さら)い上げてしまう。

 

「──“約束”を、したんだ」

「お仲間さんと、約束……ですか?」

「ああ──そうだ」

 

 思わず微笑みを浮かべ、自嘲する。

 馬鹿な約束。

 無駄な約束。

 果たされるはずのない、果たす意味も価値もありはしない──そんな約束を、カワウソは果たそうと、努力した。

 

 ──自分だけは。

 自分だけは、約束を果たそうと。

 

 無為で無価値で無様極まる行いを……ずっと……ずっとずっと、続けてきた。

 続けて、続けて、続けて、続けて────

 そうして今、異世界(ここ)に、いる。

 

「その、お仲間さん、今は?」

「もういない」

 

 いないんだ。

 そう、きっぱりと応える。

 怨み憎むように吐き捨てることができれば、カワウソも少しは気が晴れたのかもしれない。

 けれど、“仲間”という存在は、あのギルドで──旧・世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)で出逢ったメンバーとの思い出は、あまりにも色鮮やかで、暖かく明るい光に満ち溢れたもので…………だから、こんなにも冷たくて、暗い闇のように、痛いほどに苦しく、寂しい。

 憎悪と愛敬──文字通り愛憎入り混じり、混沌とする堕天使の胸中は、カワウソ本人にすら、どんな状態なのかはっきりと判るものではなくなっていた。

 澱んだ瞳の奥にありありと思い浮かぶのは、出会いと裏切り──感動と悲嘆──希望と絶望──孤独を癒してくれたモノと、さらなる孤独をもたらしたモノ。

 

 本当にどうしようもない。

 カワウソは表情を暗く歪め、自分の意識を、(よど)んだ記憶の底に沈めていく。

 

『忘れたんですか! ■■■■、■■■■■、■■■■■■■■■■■って!』

 

 そう約束の文言を喚き散らしたカワウソと相対した、仲間たちの言葉を、一言違わず思い起こす。

 

 過去、あのゲームで、ユグドラシルで経験した、苦く、酷い──別離。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)は、壊滅した。

 

 あの伝説の“アインズ・ウール・ゴウン1500人討伐隊”の末席に加わったが故に。

 

 第八階層まで生き残ったギルメンたち。

 彼等によって護られるリーダー──通称・聖騎士の王として君臨していた、カワウソの大恩人の、彼女。

 

 彼女が背中に担ぐ二本の剣。その内の一本は、仲間たち全員で素材を集め、冒険を繰り返して鍛造した、最強のギルド武器。

 

 あれに込める魔法について、持ち主となる彼女(リーダー)からとんでもないアイディアを聞かされたメンバーは、全員一致でその案を採決した。カワウソも驚かされたが、そこに込められた彼女の意図は明確で、だからこそ、カワウソたちは納得できた。そのために費やされた労苦も、すべてが輝かしい思い出となった。

 

 ギルド武器は、どんな弱小ギルドでも製造可能──というか、製造することが義務化される、強力な武器だ。ランカーギルドの謹製品だと、かの世界級(ワールド)アイテムに匹敵するものまで創り上げられるという。カワウソの旧ギルドでも、とんでもなく強力な大剣として生み出されたそれのデータ量は、規模だけで言えば神器級(ゴッズ)アイテム──ひとつでもプレイヤー単体で獲得・製造することは困難を極めるそれと同格な代物であり……だからこそ、あの“アインズ・ウール・ゴウン1500人討伐隊”の折には、武装・保持しないで行くことはありえなかった。弱小ギルドを束ねる上の連中──中位ギルドからの圧力もあっては、尚更であった。

 ギルド武器は、どんな弱小だろうと、強力無比な武装たりえる。当時、悪名高き十大ギルドの一角の拠点攻略に挑むには、武装しないでいくことは考えられないほどの性能を、カワウソたちのギルド武器は獲得していた。

 たとえ、“ギルド武器の破壊”が、“ギルドそのものを完全崩壊させる”と知っていても。

 

 不安に駆られるカワウソを、「きっと大丈夫」と、彼女をはじめ皆が励ましてくれた。

 

 ── 41人のギルド 対 1500人の討伐隊 ──

 

 単純な彼我の戦力差を考えれば、まったく恐れることもない。

 長いユグドラシルの歴史の中でも、1000人を超えるギルド討伐という規模の戦いは、他に例を見ない。

 勝てると、誰もが信じ切っていた。負けるわけないと、討伐隊加入者をはじめ、ネット上の前評判もそういう意見で持ち切りだった。「アインズ・ウール・ゴウンは終わりだ」「ナザリック地下大墳墓は失陥する」と、誰もが口を揃えて言ったものだ。ただ、アインズ・ウール・ゴウンと同格レベルの上位ギルドが、まったく参戦してこなかったのは不可解ではあったが。

 

 

 そして、蓋を開けてみれば、討伐は完全なる失敗に終わった。

 

 

 第八階層“荒野”で繰り広げられた蹂躙劇によって、そこまで生き延び、武装を消費し、魔力や特殊技術(スキル)を消耗し尽くした討伐隊は、なす術もなく壊乱した。第八階層のあれら(・・・)と、共闘するように戦う紅髪の少女。それらの暴威をかいくぐり、次の階層に続く転移の鏡へと逃げようとするプレイヤーたちの前に現れた、奇怪な天使。発動した足止めスキル。現れたアインズ・ウール・ゴウンのメンバー。ギルド長・モモンガが発動した世界級(ワールド)アイテムの輝きと共に変貌を遂げる、あれら(・・・)

 ギルド武器を背負ったリーダーを、生き延びていた副長やメンバーが守ろうとした。

 彼女は、その中心で怯えすくむように立ち尽くし────全員、あえなく脱落した。

 

 

 

 

 

 

 

 あれほどの冒険を繰り返して創り上げた大剣……ギルド武器は、完膚なきまでに破壊。

 

 ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)は、ユグドラシルから完全に消滅した。

 

 

 

 

 

 

 

「──ゲームにマジになってどうする?」

 

 そう言って、やめていった人がいる。

 

「リーダーも全然INしてないし、副長……ふらんさんまで、何か音信不通じゃん?」

「そんな状況で、ウチらだけで集まっても、ねぇ?」

 

 そう言って、同意を求めた人たちもいる。

 

「カワウソくんの言い分も分かるけど、私たちだって、いつまでもゲームを続けられるわけでもないし」

「ここが辞め時だったんだよ、きっと」

 

 そう言って、判り切ったことを告げられる。

 

「一応は、新拠点の立ち上げくらいは手伝ってやったけど……ぶっちゃけ、何の意味があるんだ?」

「そーそー。こんな薄気味悪い場所に、景観も最悪な穴倉(あなぐら)を拠点にしてさ?」

 

 そう言って、イタ(・・)いものを扱うようにからかわれ、あざけられる。

 彼等の言い分はいちいち正しく、それを聞かされる本人も十分理解していた。

 それでも、たまらなくなって、カワウソは言った。

 言ってしまった。

 

「忘れたんですか! ■■■■、■■■■■、■■■■■■■■■■■って!」

 

 そう誓った──“約束”したじゃないかと、切実な声で喚き散らす。

 瞬間、

 ほとんどの仲間たちが呆気にとられる。

 カワウソの喚いた内容の真意を、問う。

 

「本気で言ってるのか、それ?」

「どうして、そんなことをする必要が?」

「いや、さすがに、それはないでしょ?」

「え、マジで言ってる? ウソでしょ?」

 

 誰も彼もが不理解に陥り、カワウソの頭の中身や精神性を心配する。

 

 自分でもわかっている。

 自分がどんなに馬鹿な思いを懐いているのか理解して、──それでも、言ってやらないわけにはいかなかった。

 

 何故なら、当時の自分は、信じ切っていた。

 はじめての仲間たちの存在を。

 きっと同じ思いを懐いていたはずだと。

 今は無理でも、仲間たちが再び集まり、リーダーや副長たちが戻ってくる頃には、きっと、あのナザリック地下大墳墓に、アインズ・ウール・ゴウンに再戦を……

 

「……■■■■、■■■■■、■■■■■■■■■■■って」

 

 震える唇で、カワウソは壊れた機械のごとく、約束の言葉を、小さく、繰り返した。

 

 

 

「……もう一度、皆と一緒に、そこへ戻って冒険したいって」

 

 

 

 そう誓ったはず、なのに。

 あれは、嘘だったのか。

 あれは、嘘だったのだ。

 

 そんなカワウソの妄言に付き合いきれなくなった彼らは、目の前の天使と同じく『敗者の烙印』の“×印”を押されたプレイヤーたちは、一様に、カワウソの愚昧で稚拙に過ぎる計画を嘲笑い、呆れ果てたように軽蔑の言葉を並べたてる。

 

「──無駄だよ、カワウソさん」

「諦めの悪い。無理に決まってる」

「あんなの。もう二度と見たくない」

「実際に見てない人にはわかんないか」

「あほらし……一人でやってなよ」

 

 当時まだ智天使(ケルヴィム)から熾天使(セラフィム)になりたてだったカワウソは、その光景を、見た。

 口々に痛罵し軽蔑する声は、仲間の声。

 男の主張をハナから否定し拒絶する仕草が、仲間の姿。

 ──カワウソをPKの標的にして愉しんでいた他のプレイヤーが好んで使った、嘲弄のアイコン。

 

「……っ」

 

 そうして、やっと、理解した。

 

「ぅ……あ……っ!」

 

 自分が信じていた仲間(もの)は、

 この世界のどこにも、

 存在していなかったのだ、と。

 

「あ、……あああ……ッ!!」

 

 悔しくて泣いた。

 悲しくて泣けた。

 ゲームアバターの向こう、現実世界の自分の部屋で、カワウソは咽び哭いた。

 

 バカの極みだ。

 

 自分が酷く滑稽なものに思えた。

 

 そして、それは限りなく事実だった。

 

 あまりの状況状態に、神経に負荷がかかりすぎたのか、カワウソはゲームから弾き出されるようにログアウトした。

 それがなければ、カワウソは彼らの嘲笑と侮蔑と悲嘆の空気に、呑み込まれ続けていたかもしれない。

 ……あるいは、仲間たちを“敵”と見定めて、PK戦を一方的に挑んだかもわからない。

 

 

 

 

 

 こうして、カワウソは、かつて信じていたモノたちと別れた。

 

 

 

 

 

 彼らが引退の意を表明し、その最後のたむけとして、カワウソと共に攻略した新拠点「ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)」と、自分たちのアイテムや金貨を、残して去っていった…………カワウソは、もはや引き留めようとすら、思わなかった。

 時々、新アカを取ったジャス†ティスさんや、一年もあとになって戻ってきた副長のふらんさん……ふらんけんしゅたいんさんから、謝罪とアイテムなどを渡されたりしたけど…………

 

 

 

 

 

 結局、カワウソは、ひとりだった。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 カワウソの意識は、過去より今いる場所に戻る。

 

「結局、──おれは、ひとりだった」

 

 茫漠とした意識と視線で、葬儀を終えて閑散とする会場を見下ろし続ける。

 これは、ただの過去。

 過ぎ去ってしまった別離。

 もはや思い出したくもない、けれど無性に思い出されてしようがない、仲間たちとの最後。

 

「俺が信じていた仲間なんてものは、あそこには、存在しなかった」

 

 そう(うそぶ)く自分が、とんでもなく惨めだった。

 そこまで解っていて、どうしてカワウソは、あのゲームを続けていたのか。

 何故、アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦を、──ナザリック地下大墳墓の再攻略を、諦めなかったのか。

 解っている。

 判っている。

 分かっている。

 ああ、わかっていて、何故──俺は、“約束”を──捨てられなかったのか。

 捨てられそうにないのか。

 

「未練だな……」

 

 自分の諦めの悪さに吐気と苦笑が込み上がる。

 ──約束を果たすこと。

 もはや、それ以外に、カワウソは仲間たちとの絆を、感じることはできない。

 仲間から棄てられ、仲間たちから嘲られて、惨めにも孤独に、“皆との最後の冒険の地”を踏もうと──ナザリック地下大墳墓の第八階層に挑もうと、カワウソは必死に、戦い続けた。

 ……結果は、ご覧の通りという奴だ。

 バカの極みだ。滑稽の極みだ。

 ああ──だが、それでも──

 

「あ、あの!」

 

 自家撞着の繰り返しに陥るカワウソに、雑音(ノイズ)のように乙女の音色が割り込んでくる。

 

「私──わたし……」

 

 ヴェルは、一度深く呼吸し、小さな体いっぱいに詰め込んだ勇気を心臓から絞り出すような表情で、たずねる。

 

 

「私が、貴方の仲間に、なってあげられませんか?」

 

 

 カワウソが瞬間、己の内に感じたものを唇の端から零しかけて、ギリギリのところで耐える。

 

「……俺の、仲間……に?」

 

 頬を朱に染めるヴェルは、きっぱりと頷いてみせる。

 本気の本気で、この少女にしか見えない女性は、カワウソの仲間になることを希求してみせた。

 眉を顰め、カワウソは首を横に振ってみせる。

 渇いた声で、通告してやる。

 

「気持ちはありがたいが……それは、無理だ」

 

 乙女は当然のように疑問する。「私じゃ、役立たずでしょうか?」

 無論、役に立たない。

 立つ道理がない。

 死の騎士(デス・ナイト)に追われ、地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)の群れから逃れるだけで精いっぱいだった飛竜騎兵にして狂戦士の乙女は、カワウソの手によるレベルダウンで力を失っている状況。推定でもLv.20以下となった存在が、堕天使の仲間になったところで、大した戦力にはなりえない。

 その上、彼女はあの“アインズ・ウール・ゴウン魔導国”の臣民──絶対に、カワウソのような存在と手を結んでよいはずがないだろう。

 だというのに、ヴェルは憐憫や同情にまみれた瞳で、カワウソに対し懇願じみた音色を届けるのを止めない。

 カワウソの嫌いな声だ。

 何故、俺は──こいつに憐れまれているのだろうか?

 

「きっと、きっとお役に立ちます! ミカさんに比べたら、私なんてダメなことは解ります。けど、私は!」

「──やめろ」

「いいえ! きっと、私は強くなります! 魔法は無理でも、戦いの技を磨いて、狂戦士の力に頼らな」

「やめろ!」

 

 取りすがる少女を突き放すように、カワウソは拒絶の言葉を吐き落とす。

 

「頼むから……それ以上、言うな」

「──ごめん、なさい」

 

 悄然とするヴェル。

 唸り震えすらするカワウソが、彼女の言を封じた理由。

 彼女は気づいていないが、ミカが断罪すべきか迷いつつ、剣の柄に手を這わせていたのが見えた──からでは、ない。

 我慢ならなかった。

 我慢できなかった。

 カワウソにとって、仲間(それ)は禁断の領域……禁忌(タブー)でしかないのだ。

 

 ──冗談じゃあない。

 ──何故、あんなものを求めねばならない?

 ──何故、裏切られる痛みを繰り返さねばならない?

 ──何故、ヴェル(こいつ)が、俺の仲間たちと、同じ場所に立つことを認めねばならない?

 

 カワウソが、この小さくも母性豊かな乙女に、先ほど唇の端から零しかけギリギリで押し止めることが叶ったものは、灼熱の溶岩を思わせる赫々とした非情の暴意──

 それは、まぎれもない“憤怒”だった。

 堕天使の(たかぶ)りやすい精神が、善意の言葉に溢れる少女の頭を、握り砕く瞬間を幻視すらしてしまう。それほどの憤りを覚えながら、カワウソは冷静になることを己に促し、暴れ狂う悪性を押し止めるのに神経を労する。絶対に殺すな。殺してはいけない。殺したくない。壊したくない。そう思えるくらいの理性は、カワウソの中に残されてはいた。

 この場にいる全員が、語るべき言葉を失ったように思えた。

 そんな沈黙の空気を打ち破ったのは誰でもない、室外から扉を叩く規則的なノック音だった。

 扉を開けた人物は、葬儀を終えたばかりの族長と、一番騎兵隊のほぼ全員。

 所用に出ていたマルコも、いる。

 

「カワウソ殿、ミカ殿。お話したい儀がありますので……?」

 

 奇妙な沈黙を訝しむ族長に、カワウソは何でもないような声音で応じた。

 

 

 

 

 

「皆さま。この度は我が部族を救っていただき、まことにありがとうございます」

 

 族長邸の最上階に位置する“転移室”と呼ばれる魔法の部屋に、カワウソたちは案内された。

 

 カワウソは一応の警戒として、拠点にいるNPCを二人ほど向こうで待機するよう〈伝言(メッセージ)〉で命じた後、ヴォル・セーク族長らの行列に加わった。

 

 納戸も同然の小さな扉を開けた先には、意外にも広い空間があり、そこに転移の魔法陣が敷設されていた。

「鍵」と呼ばれる物体──名の通り鍵のような形状をした、短杖ほどの大きさもあるアイテムを持つ族長が、一言「起動」と告げるだけで魔法陣が輝き、生物が呼吸するような明滅を繰り返す。裏切り者によって改変された「鍵」の設定とやらは修復済み。今では元の通りにヴォルたちを二点間の転移を可能にする。迷うことなく魔法陣の内側に歩を進めるヴォルやハラルドたちに続くように、カワウソとミカ、そして旅の放浪者であるマルコが足を踏み入れる。

 瞬間、カワウソたちはうち壊れた研究所……いろいろと事後処理が山積しているために、ここの補修や整理は後回しになっている……奇岩の最下層の最下層地に転移していた。ユグドラシルでは慣れた魔法であるが、この異世界において転移魔法に習熟する魔法詠唱者はいないわけではないが、かなり珍しいと聞く。

 転移の魔法は、距離や障害物の有無で発動難易度・成功率が上下する魔法であるので、奇岩の上から下を貫くような距離を飛び越えるとなると、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉が妥当だろうか。

 それほどの魔法のアイテムを敷設・所有するセークの財力や技術が気にかかるが、聞けばこれらは先祖代々から受け継ぐ一品のひとつにすぎず、飛竜騎兵の部族で量産や開発が成功しているということではないらしい。

 

「三人とも。どうぞ、こちらへ」

 

永続光(コンティニュアル・ライト)〉のランプを携行する部下らを率いた族長が、暗い湖の湖畔に向かって歩き出す。研究所の砕けた壁を無視し、備え付けの扉から外へ。裏切り者の長老が相棒と共に散った谷底を横目にし、清澄に過ぎる闇色の湖畔を目指す。

『飛竜洞』と呼ばれる聖域に、あらためてカワウソたちは足を踏み込む。

 

「……ふね?」

 

 湖には、既に用意万端整えられた一艘の“舟”が係留されていた。お乗りくださいと促された客人たる三人の他に族長と妹が乗り込み、船頭役はハラルドが。たった二本の(オール)とは思えない速力で舟は岸を離れ、しばしの地底湖遊覧をカワウソたちに味合わせてくれる。だが、本命は別にあった。

 

「見えてきました」

 

 小さくも頑丈な舟に揺られること数分もせずに、地底湖のほぼ中央にあった小島──とも呼べない、せいぜいが一個の岩塊の先端が突き出した程度のそこに祀られた小規模極まる(やしろ)に、船に乗った一行は辿り着く。

 辿り着くと言っても、社に船を横づけするだけで、上陸などはしない。この人数が降り立つだけで小さい小屋程度の建造体は崩れ、果ては土台となっている岩塊諸共に、湖底へと沈みかねない。

 ハラルドが言うには、「社へ手を伸ばすのは飛竜騎兵の巫女の特権であり、つまるところ現族長と兼任している長だけが、その役目を遂行することを許された存在」となる。石造りの社屋に祈りを捧げ終えた巫女(ヴォル)が観音開きの岩戸を開き、その奥に納められていたもの──御神体を取り出す名誉にあずかれる。

 重い岩石の扉が開いた瞬間、

 

「おお──」

 

 神聖と見える柔らかくも激しい光が、広い地底湖を覆い尽くした。もはや船首の永続光(ライト)など不要なほどの輝きは、奇岩の中腹にあった飛竜の巣──その内部を照らしていた大量の鉱石か、それ以上の光量を周囲に零し続けた。人の両掌に収まる程度の水晶としか見えない宝玉に深々と一礼を送った巫女が、カワウソにその発光する宝玉を捧げ示した。光量が幾分落ちた石に照らされる社の中には、二体一対の英雄像が共に祀られていたが、それこそが飛竜騎兵の信仰対象である事実をカワウソは知る由もない。

 ヴォルは舟に乗ってから無言を貫き続けている。巫女は、竜の瞳のごとく煌きを放つ崇拝対象への儀礼として、湖岸に戻るまでの間は一声も口にしてはならない掟があった。

 彼女は岸に帰り着き、残されていた一番騎兵隊の騎兵らと共に、彼女らが用意しておいてくれた台座に、輝く宝玉を鎮座させる。

 そうしてはじめて、彼女は言葉を取り戻した。

 

「我等、セーク族が古き時代より鎮護してきた至宝の発光鉱石“飛竜晶”」

 

 この鉱石を加工することで、飛竜騎兵らは自前の魔法武器を生産可能とし、様々な工芸品としても重宝してきたという。加工の際に生じるクズ石は、飛竜の大好物である嗜好品や強化強壮剤としても活用されるため、魔導国編入以前は、各奇岩に眠る鉱石を求め争い、九つの部族が覇を競い合っていた。

 

「ちょっといいか?」

 

 カワウソはアイテムボックスから、ひとつの虫眼鏡(ルーペ)を取り出す。

 このアイテムにより、カワウソは〈上位道具鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉を使用したのと同じ鑑定結果を得る。使用回数は一回こっきりで使用後は消滅してしまう雑魚アイテムだが、だからこそ、ドロップアイテムとしてモンスターが数多く落としたものだし、商業ギルドでも金貨で遣り取りされていたアイテムのひとつだ。課金(500円)ガチャでも落っこちるハズレ景品でもあるため、カワウソのボックス内には同じものが山ほどある。

 

「……なるほど」

 

 アイテムで調べた限り、これはマジックアイテムとしては大した価値のない──ただの極大の鉱石でしかないことが判る。

 売れば、かなりの金額になるだろうが、特別な魔法効果が付与されているわけでもなく、素材にしてもクリスタルのようなデータ量増幅には使えない、ただの宝石でしかなかった。

 

「こんな大事そうなものを見せてくれたのは、今回の一件の礼みたいなものか?」

 

 そんなカワウソの軽口に、だが、族長はどこまでも厳粛かつ重厚な口調で応答する。

 

「これを、あなた様(・・・・)に差し上げたいと思います」

「──は?」

 

 カワウソが呻くように聞き返すと、族長は一言一句を違わぬ確かな口調で述べ立てる。

 

「あなた様の働きによって、我等部族に巣食っていた病巣を、害毒として君臨しようとした賊徒を滅ぼすことが叶いました。その御礼として、この飛竜騎兵が長らく守護する宝を、あなたに捧げる」

 

 セークの先祖が鎮護し続けた、至宝の中の至宝。

 それを、目の前の男に差し出すと、女族長は宣言した。

 

「いや。だが、これは──アインズ・ウール・ゴウン、魔導王に」

 

 捧げるべきものではないのか? ただの宝石とはいえ、部族の至宝など──

 そう言外に問うカワウソに、ヴォル・セークは決意を込めた眼差しで、悠然と告げる。

 これはアインズ・ウール・ゴウンに一度奏上し、そして下賜されたものであること。

 そして、

 

「あなたこそ、我等の救い主だ」

 

 目の前で首を垂れる族長。

 それに倣うように、(ヴェル)も、一番騎兵隊の皆が、祈るようにしてカワウソに礼節を尽くす姿勢──両膝をついて、心臓のある胸のあたりで両手を結び、大地に額をつけるほど腰を折る。彼等の文化圏において、最大限の服従に使われる姿であることは、カワウソも何とはなしに理解した。

 

「あなた様が望むとあれば、我等はあなた様方の翼となり、あなた方の剣として、共に果てることも辞さない」

 

 カワウソは、跪く飛竜騎兵の姿に、密かに戦慄する。

 

 堕天使のプレイヤーは与り知ることのない、飛竜騎兵部族の“信仰”対象。

 それは“翼を持つ二人の英雄”。その存在は、ただの御伽噺の存在だと思われていた。

 魔導国において、翼をもつ存在と言うのは今ではそこまで珍しくはない。魔法のアイテムにつけられた装飾や、異形種の肉体に宿る本物の翼……特に有名なのは“大宰相”にして“最王妃”として君臨する女悪魔(サキュバス)の黒い翼や、“大元帥”にして“主王妃”である真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)の蝙蝠の翼だろう……があるため、100年前の飛竜騎兵の先祖たち、そのほとんどは、「彼等魔導国こそが自分たちの寝物語に謳われる“有翼の英雄”その再来だ」と信じられた。だからこそ、英雄の再来を信じた六部族がアインズ・ウール・ゴウンに降った流れは当然の事。英雄に対する信仰を失い増長していた当時最強の三部族が反抗に至ったことで、飛竜騎兵の全部族統一は100年の後れを取ってしまったが、それも今や昔。

 

 だが、目の前の二人──カワウソとミカは、ヴォル達セーク部族の前で、翼を、見せていた。

 ミカは、ほとんど常に、一対の白い翼を。

 カワウソは、この地底湖での黒竜討滅時に、壊れた片翼を。

 

 いかに魔導国とはいえ、“翼”というものを出し入れする……完全に肉体の一部のごとく扱う種族というのは、そこまで多くはなく、それらはほとんど悪魔などの異形種……飛竜騎兵の太祖と同じ人間の外見からは、まったくもって程遠い造形がほとんどだ。

 だというのに。

 カワウソとミカが族長らに見せてしまった翼は、完全に彼等の肉体のごとく自然と存在しており、その出し入れにおいてカワウソとミカにもそこまで人間離れした変化は少なかった。

 おまけに、彼等の振るった、超常の力。

 神懸った奇跡のごとき黒竜たちを根こそぎ屠った殲滅の威力は、まさに飛竜騎兵の信仰に謳われるそれ──有翼の英雄二人の力と酷似しすぎていたのも、大いに影響している。

 トドメとなったのは、死者を復活させる蘇生の魔法。それを従属のごとく控える女騎士に行使させた主人に対する評価は、好意や善意を超えて、ある種の崇拝の域にまで達してしまっていた。

 かつての自分たちの先祖を彷彿とさせた、部族の救い主たる二人に対する感謝と信頼の念は、もはや測り知れない領域にある。

 旅の放浪者を装った国の枢要に位置するだろう人物たち。

 その慈悲と加護を賜ったヴォル・セーク族長達は、カワウソへの信義と尊念を懐いて、まったく当然の運命とすら言えた。

 

「俺は、本当にただの、……」

「どのような事情があろうとも、此度の一件で我等部族を救ってくれたのは、紛れもなく、あなただ」

 

 その一言が、堕天使の首根を不可視の掌で絞めあげる。

 ヴォルは、飛竜騎兵の長は……魔導国の臣民は……朗々と言明してしまう。

 

「たとえ、あなたが異形だろうと、化外の者だろうと、構わない。あなたが望むとあれば、我等は国に背くことも辞さない(・・・・・・・・・・・)覚悟」

 

 カワウソは口内で罵倒の言葉を紡ぎかける。

 

 そのひたむきな宣告は、素人でも聞き違えられない、まぎれもない“叛逆”に聞こえた。

 実態は勿論、違う。

 魔導国において唯一絶対的に君臨するアインズ・ウール・ゴウンは、実のところ、下々の民が誰に友誼を感じ主従の契約を結ぶことに忖度しない気性の持ち主。あくまで”アインズ・ウール・ゴウン”という名を世界に轟かせることにこだわる──仲間たちにその名を届けようと奮励努力するアインズにとって、自分たちに害を、不逞を、虚偽をなさない限り、ある程度の自由と権利を認めている。

 代表的な礼としては、かの”白金の竜王”が治める信託統治領──さらに、彼の保護管理下に置かれる”天空都市・エリュエンティウ”の都市守護者のように、魔導国に帰属する限り、その内に住まう存在の思想や信条を歪めることを、アインズは是としない。

 飛竜騎兵の部族の代表者が、新たな代表を選出選抜することについて、国はそこまでの決定権を有しない。魔導国の支配下に下っている限り、首長がどれだけ代替りしても問題はないのだ。

 この時のカワウソは、認識を誤っていたのだ。

 いかにカワウソの事情を知らない──魔導国とは縁もゆかりもない、むしろ腹に抱え込んだ黒い感情を蓄えている、その事実を知り得ない──としても、彼女の誓言は魔導国臣民としてあってはならない暴挙、そう思われてならなかった。

 あろうことか、彼女と彼女の妹、そして部下は、国さえも裏切ろうと宣った──そういう風に、額面通りに受け止めてしまったのだ。

 見渡した一番騎兵隊……ハラルドも、そしてヴェルも、……飛竜のラベンダたちまでもが、族長の結論に納得しているような沈黙を保って、微笑みすらしていた(ヴェルだけは、先ほどの口論もあって複雑な表情だったが)。

 無論、実際は違う。

 カワウソが国の重要人物……魔導王の側近や近衛か何かだと判断して、個人的に強い友誼を結びたいと宣告しているだけ……そう認識されて構わなかった。

 カワウソ個人に従属することを辞さない──そんな魔導国臣民の登場は、今後のカワウソにとって、どのような利得を生むのか、堕天使は瞬きの内に算出する。

 だが、

 

「……いいや」

 

 堕天使は己の浅ましい計算を、即刻破棄した。

 そうして、族長に重要なことを幾つか、訊ねる。

 

「族長……おまえたちは、──正気か? 本気で、俺が救い主、だと?」

「無論です」

「族長……そんな勝手なことをして、魔導王──陛下に、どう申し開くつもりだ?」

「陛下の御不興を買うとは思えませんが──いずれにせよ、我等の決意は変わりありません」

「族長……そんなことをしたら、ヘズナとの関係──彼との婚姻に、差し支える可能性は?」

「それは──致し方ありません。陛下に御奏上して、此度の婚姻は──破棄させていただくことも、ありえます。場合によっては、私の首が飛ぶやも」

 

 冗談めかして簡潔に言いのけてしまう女の胆力に、堕天使は完全に呆れてしまう。

 

「……俺のことは、里の人々には、まだ?」

「まだ言っておりません」

 

 彼女は律儀にも、カワウソとの口約束を護っていた。ホーコンの一件直後、カワウソは自分が振るった力の事──特殊技術(スキル)の光や、ミカの蘇生関連の情報は秘匿するよう約束していた。

 個人情報の保護という名目で、魔導国側に目を付けられたくないカワウソが頼んでおいた。一等冒険者モモンの援護もあって、とりあえず、その場を乗り切ることは出来たのだ。

 

「なれど、あなたの“力”と“功”を教え説けば、必ずや、皆が納得するでしょう」

「……そうか」

 

 頷くカワウソは、決断した。

 

 まだ、“ここにいる奴らしか、カワウソを知り得ない”。

 当然だ。カワウソが力を振るい見せたのは、ここにいる者たちでほとんど。里で暴れた黒竜退治は、モモンとの協力の許で行われた上、おまけに認識阻害の装備も手伝って、カワウソたちの存在は周知され得なかった。

 だから、まだ大丈夫(・・・・・)

 

 

「い ない」

 

 

 彼の紡ぐ声に宿る感情を理解して、ヴェルやヴォルたちが、困惑と疑念を面に表す。

 

「俺に……仲間など──、いらない」

 

 聞くものが怯懦で凍り付くほどに、その声は冷たく、同時に寂しい。

 族長達は、自分達が彼にとって禁断の領域に踏み込んだ事実を知らず、怪訝そうに眉を顰めるばかり。

 唯一の例外は、直前に話をしていたヴェルだけだ。

 

「仲間は……彼等だけで、十分……ああ、十分なんだ」

 

 憎悪するように、回顧するように、

 侮蔑するように、惜愛するように、

 もうたくさんだ(・・・・・・・)。カワウソは宣言した。

 その剣呑な空気──今にも泣き出しそうな、あるいは怒り暴れそうな、もしくは狂い死にそうな男の面貌を、彼は左手で覆い隠す。

 セークの部族の、彼等の疑念が(こご)っていくのが、よく解る。

 彼等にとって、カワウソの事情や内実など知りようがない。

 カワウソが彼等に施した優しさに応えようと紡ぐ宣誓が、彼を傷つける刃となって臓腑を抉った事実に気づけない。気づける余地がなかった。

 ただ、ヴェルだけは、直前に交わした口論じみた遣り取りで何かを察していたようだが、何をどう言えばいいのか分からない様子で口を(つぐ)む。

 カワウソは耐える。

 耐えるが、それでも──限界だった。

 

「おまえらは、俺の“仲間”には──ならない」

 

 なりえない。

 なってはいけない。

 なっていいはずがない──!

 

「カワウソ、さん?」

 

 ヴェルが立ち上がり、男の空いた右手に縋るように近寄ろうとするのを、カワウソは歩を進めて──(のが)れた。

 たまらず追い縋ろうとするヴェルを、ミカが盾のごとく立ち塞がって、引き留めた。

 乙女は、女騎士の表情を見上げ、横に振れる黄金の髪房の様に、首を傾げてしまう。

 歩き続けるカワウソを見れば、いつの間にか右手に、純白の剣を握り──円を描く。

 

「〈転移門(ゲート)〉……来い、二人共」

 

 告げた言葉の重みに応じるがごとく、白い闇の向こう、拠点で待機させていた人影が歩み出てくる。

 飛竜騎兵らが目を見開く。

 この地へ聖剣の魔法で転移させ、呼び寄せた天使たち──カワウソのNPCたちとは、完全に初対面だった上に、その姿は異様極まる。

 銀髪の聖女──平凡な修道女(シスター)の衣服を着崩し着こなした腰から、二対四枚の白翼を広げるガブは、常に浮かべる笑みを消し去った厳粛な表情で褐色の(かんばせ)を覆う。彼女の隣に並び立つのは、六玉を首から下げる巨兵──大人の身の丈の二倍はあろう巨躯を持つウォフは、巨大な鋼色の翼と、世界樹の槌矛(メイス)を背負う全身鎧によって、顔の構造や表情どころか、性別の判断すら難しい。

 不意に現れた到来者たちは、カワウソに従属の意を示すように、片膝をついた姿勢を崩さない。

 ふと、ミカに引き留められたままの乙女が、不安の音色を唇からこぼす。

 

「カワウソさん?」

 

 ヴェルに呼ばれた堕天使(カワウソ)は、まったく応じない。

 彼女(ヴェル)たちに対して、あまりにも酷薄な命令を、自分の部下たる天使たち──厳密には、銀髪の智天使(ケルヴィム)に対し、下す。

 迷いは、なかった。

 

「ガブ」

 

 低く、短く、かすれた主の声で「やれ」と命じられた聖女──ギルドにおいて最高位の精神系魔法詠唱者のレベルを与えた天使が立ち上がり、間髪入れずに、命じられていた通りの魔法を、発動する。

 

 

 

 

 

「〈全体記憶操作(マス・コントロール・アムネジア)〉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから、数週間の後。

 

 ローブル領域での祝賀行事を無事に終え、名誉を回復した飛竜騎兵の部族……三等臣民からあらため、二等臣民となった者たちは、喜びの宴に湧きたっていた。

 

 ヘズナ家とセーク家の婚姻式――長年に渡り対立関係を維持してきた両族長家であるが、平穏無事に、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の祝福を受け、今、ここに婚礼の時をめでたく迎え入れる時。

 政治的な意図や、先祖伝来の技法――飛竜騎兵の生存をかけた婚姻に過ぎないはずが、祝宴の場に集まってきた両族の者たちは、皆一様に、宴の中心にある花嫁と花婿を喝采してしまう。

 

 ヴォル・セーク。

 ウルヴ・ヘズナ。

 

 互いに相争うことでしか存在できなかった飛竜騎兵たち、その最後に残った二大部族の長が手を取り合い、純白の壇上を飾っている。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の代わりに遣わされたナザリックの神官、赤と黒の髪の少女が、決められた通りの音韻を唇に乗せる。

 盛大に打ち鳴らされる鐘の音が祝福を唱えた。

 ここまで万端準備を重ねた両部族の民衆が、愛の誓言を紡ぎ、唇を交わす男女を言祝(ことほ)いだ。

 

 そんな様子を、ヴェル・セーク……花嫁の妹は、相棒と共に眺め見つめる。

 

 式典演習での事故……その元凶として刑されるはずだったヴェルは、旅の放浪者の女性と、一等冒険者チームの助けを借り、すべての諸悪の根源となっていた長老の一人を討滅したことで、無罪放免を言い渡された。

 失われた狂戦士の力は、魔導王陛下が派遣した新たな研究チームと、姉らの協力でさらなる抑制処理が施されることになる。

 研究が再開され、国の庇護下で探求が軌道に乗れば、ヴェルはもう、狂戦士としての暴走に陥ることはなくなるのだ。そうすれば、ヴェルはただの飛竜騎兵──ただの魔導国の臣民──ただの人間として、生きていくことが叶うだろう。

 姉たち夫婦の子……甥だろうか姪だろうか……里に生まれる新たな飛竜騎兵の、完全統一された部族の子供らに、当代随一と謳われる飛竜騎兵として、教練をつけてやる日が来るのが、今から楽しみでならない。

 ヴェルはもう、狂戦士の力を抑制可能なほどに力を失っている。

 戦乱も擾乱もなくなれば、狂戦士が力をつける場がなくなれば、狂戦士にはなりえない。

 

 ヴェルはその事実をもたらした人物に感謝を紡ごうとして──その対象が誰だったのか、思い出せない。

 

 誰か、が、いた。

 そんな気がする。

 

 己の中心を貫くほどの剣撃を浴びせ、胸が重なるほどの距離で見つめ合えた……誰か。

 夢見るように、恋するように、圧倒的な力を顕示してみせた、真っ黒い…………誰か。

 いつも何故か寂しそうで、だから傍で寄り添ってあげたいと思えた………………誰か。

 

 首を傾げる。

 そんな人、私は知らない。

 覚えていないし、思い出せるはずもない。

 それでも、何か大切な人が、自分の隣にいないような……

 得体の知れぬ喪失感に小さな乙女は一瞬だけ陥り、目の端には、熱い、雫が。

 

「ヴェル」

 

 姉の呼ぶ声で我に返った。

 大輪の花のように微笑む家族の様に、ヴェルは嬉し涙をこぼしてしまう。

 妹は喜んで、姉と義兄の佇む場所にまで駆け寄った。相棒(ラベンダ)も嬉しそうに宙を舞う。

 二つの部族の皆が喜びの音色を楽器に乗せ、青空を舞い踊る飛竜たちが快哉の雄叫びを響かせる。

 

 そこでは、

 何もかもが、

 誰も彼もが、

 幸せだった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 そんな数週間後の祝宴の空気を目にし耳にすることなく、カワウソたちは飛竜騎兵の領地を遠く離れ、奇岩地帯の麓に広がる森を抜けようと歩く。

 魔導国謹製の整えられた黒い街道を目指し、南下していた。

 天使の翼があるのに飛行していない理由は、三つ。

 

 飛竜騎兵の領地内の巡警……特に、今も遠ざかりつつある飛竜騎兵らの警備兵の目を逃れるため。これはカワウソらの装備で〈不可視〉〈不可知〉などの隠密性を発揮すれば問題ないように思えるが、万が一ということもある。現在、領地には魔導国より遣わされた特別派遣部隊も駐留中らしいので、それらとの不期遭遇を回避する上でも、空を飛ぶよりも森を徒歩(かち)で行く方が良いと思われた。

 

 二つ目は言うまでもないが、堕天使のカワウソは、最大レベル特殊技術(スキル)の発動がないと飛べないから。ミカらの翼を借りるというのは、主人としての体裁としてありえないと思われる。転移魔法を使ってしまうという究極の移動手段もあるにはあるが、転移魔法は一度自分が言った場所か、魔法やスキルなどの特別な措置によって未踏の地への転移をはじめて可能にする。特にすぐさま転移が必要な状況や心情でもなかったので、カワウソは森をじっくり散策がてら進むことにした。

 

 最後の三つ目は、この森を南下することを、一人の魔導国臣民に依頼されていたから。

 

「よろしかったので、ありますか?」

 

 ミカは短く呟く言葉に、静かな問いかけを含ませた。

 女天使に問われた本人は、すぐに答える用意があった。ここに至るまでの状況を構築したのは自分自身であり、彼女たちを直率する長としての立場としても、部下の懐く疑念というものも、ある程度の予想がついている。つまり、質問の意味を判じかねる状況ではなかった。

 ──ヴェルたちの記憶を操り、カワウソたちに関するすべてを消してしまって、本当に良かったのか、否か。

 

「これでいい」

 

 カワウソは結論のみを呆気なく呟く。

 これで、彼女たちは天使の澱(エンジェル・グラウンズ)と──カワウソたちとは、何のかかわりもない存在となった。

 この国──魔導国に存在する者が、魔導王以外の他者に、組織に、存在に対して頭を下げ、隷従する姿勢をとるというのは、遠からぬ未来において、彼女たち飛竜騎兵の両部族──真にひとつとなる者たちを、破滅の道に追いやることになるだろう。

 彼女らがカワウソ個人に協力すると表明・誓言した時に、脳内で閃いた計画を思い起こす。

 

 たとえば。

 魔導国を内部勢力から蚕食し、カワウソの──ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)幕下(ばっか)に加え、飛竜騎兵の部族などの反乱戦力を整える。

 ギルド拠点の城塞内部で彼等離反者を強化する物資や装備を生産・供給し、それによって魔導国の版図に亀裂を加え、

 

 ……と考えたところで、何もかもが机上の空論にしか過ぎないことに気づかされる。

 この程度のことを、世界をただひとつの旗の下に統一した超大国が警戒しないはずがないだろう。

 おまけに、拠点内部の資源や資金は有限。それらを外の異世界で代用可能か否かも不明な段階で、こんな企みとも言えない妄想に耽溺しても、物の役に立ちはしない。数を揃えたところで、Lv.30以下の雑兵ばかりでは盾になれるかどうかが関の山。カワウソのギルドの生産力を考えると、現地民に充実した装備を一式あてがうだけでも大変な労力を費やす。そんなものを何十、何百と揃えている間に、離反の情報は確実に漏れると思わなければならない。情報を制する者こそが、戦いに勝利する道理だ。

 

 第一、その道は間違いなく、飛竜騎兵の、ヴェルたち魔導国の一般国民たち全員の災厄にしか、なりえない。

 それは、カワウソの望むところではない。

 本人たちに知らず知らずとはいえ、彼女たちに茨の道……どころか、地獄行きになるかもしれない旅路に同道させる気はまったく起こらなかった。

 カワウソは確かに、アインズ・ウール・ゴウンの敵対者……今も変わらず復讐の(ともがら)では、ある。だが、今、この世界に生きる人々は、カワウソ自身の身勝手な思いとは、仲間たちとの”約束”とは、全く無関係な存在。ならば、そんなものたちを地獄の道連れにするような関係を結ぶことは、絶対にありえない。あってはならないことなのだ。

 カワウソの目的を、”約束”を果たす為に、彼女たちは、もはや邪魔でしかない。

 だから、これが一番いい方法なのだ。

 そう、カワウソは信じている。

 

「それに……あいつらが──」

 

 奇岩を、飛竜騎兵の領地を振り返ったカワウソは、これより後に訪れる華やかな宴を、両部族の婚姻式典を幻視する。

 その中心で咲き誇るはずの姉妹の笑みは、想像しただけでも存外に、堕天使の胸を満たすものがあった。

 彼女たちの幸せに、自分たちは、カワウソは、まったくの異物でしかない事実を、喜んで受け入れる。

 

「……あんな雑魚共がいたら、自由に動けないだろう?」

 

 面倒くさげに(うそぶ)くカワウソは、幻から目をそらし、この世界における幸福に背を向ける。

 そんな堕天使の様子に対して、

 

本当にうそつき」

「ん?」

「いえ、何も」

 

 冷然とした様子で首を横に振るミカは、続けざまに問いを投げる。

 

「それで。今後は如何(いかが)なさるおつもりで?」

「そうだな。この大陸の有力者に渡りをつけられたらいいとは思うが──」

 

 カワウソは考える。

 ミカの調査などで、「完全な竜」という竜王、アーグランド領域に住まうという“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツァインドルクス=ヴァイシオン……信託統治者なる存在は気にかかった。魔導国内でも高い地位を約束された、真なる竜王の異名を持つ、本物の(ドラゴン)だと聞く。

 他にも、マルコから、モモンから、この領地を訪れたことから、様々な情報を取得できた。

 飛竜騎兵との友好関係は抹消せざるを得なかったが、いろいろなことを考え、検証できた事実は、カワウソたちの利するものであることは覆らない。

 中でも、この世界に存在する冒険者──その最上位の位置を約束された“黒白”の力に触れられたことで、この世界の強さの基準もだいぶ理解できたことは、今後の活動において大いに良い展望をもたらしてくれた。

 ああ、そういえばモモンたちと別れの挨拶ができなかったのは、少し残念ではある。彼はもう、この領地から別の任務に向かったとか。

 冒険者つながりで、一人のNPCの調査地点を思い出す。

 

「ラファに向かわせた冒険都市っていうのが、近くにあるはずだから、そこへ行ってラファと合流した後、冒険者にでもなってみるか?」

 

 冒険者の地位を確固たるものにすれば、ナザリックを擁するという国の中枢・絶対防衛城塞都市への入場も認められ、万事うまくいけば、あのナザリック地下大墳墓へ直接招致されることもあると聞く。

 認められれば、あのアインズ・ウール・ゴウン魔導王と、直接対面することも可能なのだ、と。

 この国の中枢に飛び込むには、カワウソの能力とレベルは十分以上な質であることが判明しているので、意外とうまくいくのかもしれない。

 それでも、魔導国の民として生きるのは、些か以上に抵抗はある。

 だが、そんなことを言っていても、何にもなりはしないのも事実。

 わずかに瞠目するミカだが、彼女は特に何も意見することなく、頷きを返すのみ。

 

「あなたがそう望むのであれば。しかし──」

 

 何かを言いたげに視線を彷徨わせる女天使。

 彼女に対し、カワウソは気安い微苦笑を浮かべ、()いてみたくなった。

 

 

 

(……おまえは、最後まで、ついてきてくれるか?)

 

 

 

 そう言ってしまったら、彼女はどんな表情を見せてくれたのだろうか。

 しかし、堕天使は押し黙る

 女天使は僅かに唇を押し開けようとして、地鳴りにも似た巨兵の足音に意識を持っていかれる。

 カワウソも、後ろで共に歩みを進めていたNPCたちが早足で近づく気配に振り返った。

 

「どうした、二人とも?」

「──主様」

 

 あれだけ休んでいろと言っておいたのに。

 ガブの〈記憶操作〉は、カワウソが覚えている限りの人物と、さらにはラベンダをはじめとする飛竜たちにまで施された。だが、発動者曰く「これだけ大掛かりな〈記憶操作〉は魔力の消耗が厳しい」のだと。

 魔力切れに陥り、神官職である護衛のウォフよりさらに魔力を供与され、それでもまた〈記憶操作〉で魔力が尽きた智天使(ケルヴィム)の乙女──ガブが、報告せねばならないことがあると言って、近づいてくる。

 

「あの──連中に、〈記憶操作〉を、施していた時、なのですが、少し気になる──」

 

 言い淀むように近づく聖女と巨兵を、カワウソは手をあげて制止する。

 

「お待ちしておりました、皆様」

 

 ガサリと草を踏み締める音もなく、音もなく軽やかに現れた女性を、カワウソは受け入れる。

 自称“旅の修道女”ローブ姿の男装の麗人、マルコ・チャンが、カワウソたちのいる森の道なき道に姿を現した。

 

「例の件、つつがなく手配させていただきましたので、まずはそのご報告を」

「──ありがとう。すまないな、こんなこと頼んでしまって」

 

 彼女は微笑み、事も無げに首を振る。

 マルコには、モモンと同じように、飛竜騎兵の皆に施した〈記憶操作〉の整合性を保つべく──ヴェルとラベンダを救った旅の者などの、欠落させるには無理のある部分を補強するために必要な協力者……口裏を合わせるように、カワウソは放浪者の彼女に請願しておいた。

 

 あの場で。

 共に地底湖を訪れていた彼女にも〈記憶操作〉を行えば、それで記憶の整合は保たれるところなのだが、魔法を行使する張本人たるガブが「無理だ」と宣言したのだ。

 

 マルコの強さがガブに匹敵しているということではなく、マルコに与えられた“衣服”や“装備”の力によって、彼女には精神系魔法詠唱者の、その最高峰の力が通用しないと理解されたからだ。

 カワウソはそれを聞いた時はありえないと思う反面、頭の何処かで納得もしていた。

 彼女の力は、魔導国の臣民の中でもありえないほどに強靭で、尚且つ、魔導王に対する忠誠や信義については、異様な深度──印象を受けてならなかった。

 

 ──まるで。

 そう、まるで。

 彼女は魔導王──アインズ・ウール・ゴウンを知り尽くしているような、それほどに近い距離にあるような親愛を、マルコから感じるようになったのだ。

 

 それが確信に変わったのは、カワウソが飛竜騎兵のヴェルたちに〈記憶操作〉の魔法を施すのを、彼女が認めた瞬間。口裏合わせの工作に協力してくれると宣告した時だ。

 堕天使は、あえて、訊ねる。

 

「マルコ」

「はい?」

「あんた……本当は、何者だ?」

 

 訊ねられると前もって予知していたような、困った笑みを一瞬だけ浮かべ、マルコは静かに表情を固める。

 

(わたし)は──」

 

 言って、マルコはローブを脱ぎ捨てるように、ひとつの機能を発揮。

 早着替えの魔法機能によって、黒い“男装”に身を包んでいたはずの修道女は、驚くべき変貌を遂げてみせた。

 

「お察しの通り、(わたくし)の、“旅の放浪者”というのは仮の姿」

 

 白金の髪をひとつに束ね纏めていた飾りが解かれ、華奢な背中を流れ広がるままにした様子は、竜の翼を一瞬ながら想起させる。

 頭頂は、純潔純白のレースで縫製されたヘッドドレスが玉冠(ティアラ)のごとく慎ましく飾られており、新たに任命された“戦闘メイド”らしく、所々に父譲りな戦闘スタイルに合わせた改造が施され、装備の防御や強化魔法なども充実されているのが、己を生み育んでくれた「亡き母」とほとんど同じ“メイド服”との確たる違いである。

 マルコは、母の形見であるハンカチを差し込んだ腰を沈め、豊かなスカートの裾を行儀よく持ち上げる会釈の姿勢──カーテシーの形のまま、朗々と明かす。

 

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国、ナザリック地下大墳墓・第九階層防衛部隊“アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下親衛隊”所属、“新星・戦闘メイド(プレイアデス)”の統括(リーダー)に任命されし存在。至高帝、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に対し、身命を賭してお仕えする異形の混血児(ハーフ・モンスター)が一人。

 名を、マルコ・チャン」

 

 

 愛嬌のある微笑みは(なり)を潜め、猛禽を思わせる怜悧な瞳が、カワウソの両目を射抜く。

 

「今回の一件は、魔導王陛下──我が主人であられるアインズ様も、すべて御承知のこと。その上で、(わたくし)はあなた方にご同道させていただいた次第」

「……なるほど」

 

 だからこそ、マルコには〈記憶操作〉が効かず、あまつさえ「口裏合わせ」などという無茶な提案をして、カワウソたちを援護できたわけだ。

 メイドは、そんな堕天使の納得を認め、言葉を続けていく。

 

「故に、カワウソ様方には、チャンスが与えられます」

「……チャンス、でありやがりますか?」

 

 まんまと謀られた立場にあるカワウソよりも先んじて、ミカが毒を含む厳しい声を発した。

 憎むべき怨敵の“使い”に対して、非難がましいを通り越して、完全に敵意と戦意に満ち始めるミカの機先を、カワウソは手を振って制した。

 

「──聞こう」

 

 話に乗ってくると判っていたように、マルコは淀みなく、そしてメイドらしい厳しげな無表情で、先を話し始める。

 

「御方の仰せを御伝えいたします。

『此度における君たちの“飛竜騎兵内部の賊徒征伐”の貢献を認め、我がナザリック地下大墳墓、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の傘下の列に加わることを、許す』──とのこと」

 

 カワウソは、一言一句、聞き違えることなくメイドの告げた口上を理解する。

 

 

 

「あ˝あ˝?」

 

 

 

 理解して、堕天使(カワウソ)は唸り声にも似た吐息を吐いてしまった。反対に、ミカは主人の変貌を──またも両眼に灯る漆黒の(うろ)を見て、その様子に臆したかのように、僅か半歩を、さがる。

 

「────傘下ァ、……だと?」

 

 暗い声は重く歪み、眼には闇色の色彩が溜まりだす。

 

「……カワウソ様」

 

 ミカの焦燥や制止する気配にも気づかず、疑念から首を傾げるマルコに対してのみ、カワウソは微苦笑を交えて言葉を返す。

 

「ハッ。よりにもよって……“傘下”と、きたか……」

 

 傘下──

 この表現は、ギルド同士の連合や同盟、ではない。

 一時的な協力体制構築や、合併吸収というよりも、これは上位ギルドが下位ギルドに対して行う、いわば“隷属化”だ。

 かつて、カワウソが所属していた弱小ギルドも、ギルド維持に必要な“資金調達”や“防衛能力”の確保などの恩恵を得るために、上のギルドの傘下に下っていた。

 そうした、結果が……ケッカ、ガッ……!

 

 

 

「さぁ、お手を」

 

 

 

 堕天使の沈黙と逡巡、諸々の葛藤など知らぬ様子で、メイドは右手を差し出した。

 カワウソは冷血な女中の様子を憎らしく思う前に、彼女の硬い表情の裏側を、透かし見る。

 

「……」

 

 マルコの表情の裏にあるものは、堕天使たちを謀ったことへの──かすかな罪障感。

 他にも、遠慮や不安。目の前の人物──堕天使から浴びせられる沈黙への、理解。

 だが、そういった諸々全部を中和する、ひとつの結論が、女の胸中にはあった。

 使命感。

 それが、彼女の原動力。

 これこそが、彼女に与えられた任務だったから。

 

 手を、取る。

 ただ、それだけでいい。

 それにより契約は完了すると、マルコは眼差しを決して、言い終える。

 

 

「──」

 

 

 カワウソは、煮え滾る脳内を鎮めながら、思う。

 煮崩れそうなほどの臓物の熱を感じつつ、想う。

 黒い眼の熱っぽさを冷却して、静かに、考える。

 

 ここで、手を、取るべき──なのだろう。

 否。だろうという話ではない。

 絶対に手を取らなければならない、このチャンスを生かさねばならないと、完全に理解する。

 

 手を取って当然。

 迷う必要などない。

 ここで手を取る以外に、カワウソたちの未来はない。

 

 だが、複雑に入り組んだ感情と過去(トラウマ)が、堕天使に手を伸ばさせない。

 手を取ることを拒絶させる。

 

 彼女の真意や、魔導国の罠の可能性を疑うよりも先に、かつての自分に起こった出来事を、思い起こさずにはいられない。

 仲間たちとの最悪な別離の原因──アインズ・ウール・ゴウン討伐隊──1500人の末席に加わった、理由──上のギルドから招集を受け、傘下ギルドとして持ち寄れる最高最大の戦力を搔き集めることを厳命されて────だから。だから!

 

「ッ、…………ッ!」

 

 口元が歪む。眉間に力がこもり、そこを穿頭器で穴でも開けられたのかと思うほどに痛めながら、手袋に包まれたマルコの指先の細さを凝視する。

 切歯。硬直。耳鳴り。

 あの……忌まわしい……忌々しい……(おぞ)ましくてたまらない、あのギルド崩壊の過去が、堕天使の脳を引き裂き貫き抉り千切る。

 そうやって十数秒ほど、文字通り手をこまねいている内に──

 

「──失礼。少々お待ちを」

 

 マルコは差し出していた手を引っ込め、そのままこめかみに指をあてた。

 脳内へ唐突に結ばれる魔法の繋がり──〈伝言(メッセージ)〉を受信したようだ。

 何事(なにごと)かと疑念する間もなく、カワウソもほとんど同じタイミングで〈伝言(メッセージ)〉の声を頭の中に感じ、マルコと同じく虚空を仰ぐ。

 

「マアトか。どうした?」

『も、も、もも、申し、訳、あ、あの、あああの』

「マアト、落ち着け。何か、あったのか?」

 

 直感した。

 悪い報せ、のような気がする。

 

『もう、も、う……申し、訳、ありま、せ……ん』

 

 濡れたような声音が、脳内に沁み込むように残響する。

「引っ込み思案」で、「いつも自信なさげ」なマアトだが……彼女には「泣き虫」という設定など組み込んだ覚えはない。

 そんな少女が、魔法の繋がりの向こう側で、はっきりと、泣いている。

 

「どうした?」

 

 かすれそうな声で、重く重い調子で、問い詰める。

 聞きたくないと思った。だが、聞かねばならない。

 知りたくないと思った。だが、知らねばならない。

 自分の部下(NPC)たちが、何を“しでかしてしまったのか”を。

 彼ら彼女らの主人たる堕天使は認め、受け入れる構えをとる。

 そうしなければ、彼ら彼女らの長をやることはできない。

 

 そうして、カワウソは理解する。

 

 

 

『申し訳ありません! イ、イズラさんやナタくんたち、二つの調査隊が、ま、魔導国の部隊と……それぞれ、こ……”交戦”ッ、を!』

 

 

 

 理解して、ただ一言。

 

「そうか──」

 

 堕天使は、微笑(わら)った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第四章 花の動像・死の天使 へ続く】

 

 

 

 

 

 

 



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第四章 花の動像・死の天使
アインズ・ウール・ゴウンの敵


〈前回までのあらすじ〉
 飛竜騎兵の領地に、もとの平和が訪れた。
 だが、その影で、魔導国はさらなる火種を抱えつつあった。
 アインズ・ウール・ゴウンへの復讐に挑んだプレイヤーの創造した者たちによって。
 本格的な「敵対ルート」の幕開けです。


/Flower Golem, Angel of Death …vol.01

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛竜騎兵領地における葬儀──葬祭殿の貴賓席から、“緊急”を告げられ連れ戻されたアインズは、その二つの映像を前に、言葉を失いかける。

 

「どういうことだ──これは」

 

 訊ねた守護者たちに混じって、ユリをはじめとしたメイドや近衛の姿も。

 戦闘メイド(プレアデス)の副リーダーをはじめ、戦闘メイドの皆は、その戦闘能力を遺憾なく発揮し、その性向に合わせることがかなう“外での任務”に、長らく従事してきた。ユリの孤児院経営から始まった義務教育機関の創設などは、大陸中の都市や領地に広く浸透し、すべての臣民は、アインズこそを最高支配者とする体制への恭順に異議を唱えない国民として、日々の勤労(つとめ)に励むことを至上の喜びとする存在に昇華された。

 それほどの業績を成し遂げた、“外”の永久教育機関長を拝命した夜会巻きの戦闘メイドは、伊達眼鏡の奥の眼を今にも哀しみと嘆きの感情で溢れさせるように、沈んだ表情を浮かべて跪いている。

 言説で抗することすら愚かとでも言いたげに、ユリは重い沈黙を守っている。

 

「申し訳ありません、アインズ様」

 

 代わりに、主人の声に応えたのは、アインズの妃の一人にして、魔導国の大宰相──アルベド。

 ()守護者統括である女淫魔(サキュバス)は、数日前に別行動を余儀なくされたばかりであるが、愛する主人の帰還を待ち侘び、夫の留守を預かる妻の一人としての役目を終えて、彼の胸の中に舞い降りたい衝動を押し殺して、朗々と、起こった出来事に対する謝辞を述べる。

 彼女と同様に、シャルティア、アウラ、マーレ──そして、コキュートス、セバス、さらに三日前のホーコン造反未遂事件の後詰として秘密裏に領地入りしていた大参謀……例の秘薬のサンプル(・・・・)確保に貢献した大悪魔……デミウルゴスまでもが、主人の叱責を甘受するように(こうべ)を落としていた。

 アインズは叱るわけでもなく、淡々とした調べを口腔から零し出す。

 

「謝罪は良い。それよりも今は、確認と対応だ」

 

 委細承知したアルベドたちが姿勢を正す。

 報告は、王妃の唇から即座に届けられた。

 

「本日未明より、敵ギルドNPCと思しき二人……会話を拾ったことで判明している個体名は、イズラおよびナタとの戦闘を続けており、……つい先ほど、緊急要請が」

 

 つい先ほどというのは、飛竜騎兵の長老の葬儀がはじまった頃とほぼ同じらしい。

 それを確認した守護者たちによって、「連中の頭目と接触中であるアインズの、御身の安全を最優先に」と考えた守護者たち、〈上位認識阻害〉を起動させたアルベドとシャルティアによって、アインズはナザリックへの強制帰還──“退避”を願われてしまったのだった。

 敵との交戦が確認された状態で、その首魁と目と鼻の先に、自分たちの忠義を尽くすべき御方が存在しているなど、守護者でなくとも忌避したい状況に陥ってしまっていたわけだ。

 全員を代表して、アルベドが報告を続ける。

 

「第一生産都市・アベリオンにて、ソリュシャン・イプシロン率いる隠密治安維持部隊が特務中、敵NPC・イズラと接触。

 さらに、シズ・デルタの南方士族領域・特別派遣──新鉱床掘削嚮導部隊が、やはり敵NPC・ナタと不期遭遇の末……戦闘」

 

 その証拠映像が、今アインズが執務席に腰掛けながら、リアルタイムで行われている戦闘の様。

 

 

 

 黒い外套に身を包んだ下級天使が、金髪ロールヘアの戦闘メイドに対し、極細の鋼線(ワイヤー)を網目状に展開して伸ばし──

 数多の剣と防具を帯びる少年兵が、赤金髪(ストロベリーブロンド)の戦闘メイドの放つ魔法の弾丸を、数えきれないほど分裂した剣を投擲して──

 

 

 

「なんということだ」

 

 口内で呻くアインズ。骨の掌で額を押さえ、嘆息の吐息を吐き出す真似をする。

 いずれの戦闘も、ソリュシャンとシズに重篤なダメージが認められないのは、不幸中の幸い。

 二人は万が一に備えて、他のシモベたち同様に、そこまで重要でない雑魚POPモンスターを二桁単位で護衛につけている……としても、相手が手心を加えまくっていることが、アインズにはよく解る。まるで、──そう、まるで、──戦闘メイドらはナザリックの階層守護者たちに稽古を、戦闘訓練を積まれた時のごとく、まったく相手に有効な攻撃性を示せないでいる。ユグドラシルにおいて、彼我のレベル差が10以上も離れていると勝率は激減する。よほど相性関係や装備対策、多対一という戦術的有利などの事前準備がなければ、その力量差に圧倒されてしまうのが常であった。

 外の世界では英雄クラスを遥かに凌ぐ戦闘メイドと言えども、同じユグドラシルから来た存在にとっては、なるほど手心を加えることは容易。

 ──だからこそ。

 ナザリックが誇る戦闘メイド、この100年もの間アインズと共に魔導国発展に尽力してきてくれた仲間(ギルメン)たちの子どもというべき彼女たちにとっては、なかなか屈辱的な戦況だと言えなくもない。アインズが安心を覚え、思考が冷却されるのとは対照的に、二人はもはや「引き下がる」という選択肢が頭から消え去ってしまったように、嵩にかかった様子で敵NPCとの戦闘状況を過熱させるしかなくなっている。

 アインズはとりあえず確認事項を塗り潰していく。

 

「こちらから仕掛けたのではないだろうな?」

「それは、微妙なところです」

「……微妙とは?」

 

 アルベドは厳格な表情で言いのける。

 

「おそらく、連中の調査班であるNPC二体は、それぞれソリュシャンとシズの任務において重要な現場に遭遇。彼女らは、不穏分子の確保鎮圧のために、戦闘メイド率いるナザリックの尖兵と共に開戦した模様」

 

 それは確かに、微妙なところだ。

 ソリュシャンとシズは、自分たちの任務遂行中に発見した不穏分子を看過できなかった──二人の就いていた任務の秘匿性と重要性を考慮すれば、現場に居合わせた魔導国臣民以外の素性を調べ、捕縛したがるのは道理……それがよもや、カワウソのギルドから派遣されたNPCと思しき存在だとは、二人は思いもしなかったのだろう。

 連中は調査のために、〈完全不可視化〉などの隠密魔法を発動する装備を身に帯びていた。

 そんな装備を──隠れ潜むのにもってこいな道具を身に付けて、アインズより与えられた任務の障害になりかねない位置に発見した謎の存在を無力化しようと戦端を開く可能性は、十分にありえた。

 一方の敵方──イズラとナタにとっては、この魔導国の状況実情を隅々まで把握し、それを然るべき上位存在……カワウソで間違いない……に奏上報告すべく、結果、頑張りすぎてしまった。

 よりにもよって、ナザリックの戦闘メイド(プレアデス)が指揮官として任務に励む現場にまで潜入(あるいは遭遇)してしまい、それがソリュシャンとシズにとっては、看過し得ない脅威に映った。

 事前にソリュシャンやシズと連絡を密にしていればとも思われたが、二つの部隊と二人のNPCが邂逅し、戦端を開く可能性はごくわずかだった。おまけに、連中の動静を逐一把握できる監視役・ニグレドも、連中のギルド拠点監視中に「思わぬ状況」に陥って、監視体制を強行することに不安が生じていたのも悪い影響を及ぼしていた。

 

「ソリュシャンとシズ──二人から支援要請は?」

「先ほど受領し、派遣準備済みです。第一陣がまもなく──」

 

 言った途端、映像に割り込む影が増えた。

 アインズは「なるほど」と納得してしまう。

 戦闘メイドらから既に支援要請まで発信されており、それを受け入れたアルベドたちによって彼等をたった今、派遣。彼女らは自らの危機にいち早く駆けつけてくれた最も信頼を寄せるパートナーと共に、それぞれが力を誇示する敵NPCたちと激闘を繰り広げる。

 

「シズの方は大丈夫でしょうが、ソリュシャンの方が不安です」

 

 溶解の檻たるメイドの支援に向かったシモベの姿を確認したアインズは、「問題ない」と評する。

 

「彼は、あの見た目からは想像できないほど優秀だ」

 

 何しろアインズの風呂の世話を100年も続ける“三助”なのだから。

 それでも、守護者たちや戦闘メイド(プレアデス)の副リーダーが、不安に感じるのは無理もない。

 相手の戦力が最悪、最高のLv.100だとすれば──

 

「よし。一応、私の生み出した上位アンデッドも、援軍に向かわせよう」

「そ、そんな──もったいないことです!」

 

 誰よりも先に声を発したのは、戦闘メイドの長姉たる首無し騎士(デュラハン)の乙女。

 ユリ・アルファが驚愕の声をあげるが、アインズは(かぶり)を振って応えた。

 

「確かに。上位アンデッドの創造作成に使用される媒介の貴重度と希少性を考えれば、そう思われるだろうが──ユリよ。私にとって、おまえたち“ナザリックの存在”以上に、大切なものは多くない。ここで万が一にも、ソリュシャンを失うことを、私は看過できん。もったいないことなどあるものか」

「あ、ありがとうございます!」

 

 感涙に咽びそうなメイドの声が感謝の言葉を響かせる。

 アインズは、ソリュシャンらと戦闘を繰り広げる黒天使と、シズらと砲火と剣尖を交わす少年兵の映像を注視する。

 

「…………ッ」

 

 空虚な骨の口内で、彼のNPCたちと戦闘状況に陥った事実に、アインズは微かな失望と、大きな焦燥を感じざるを得ない。

 戦端を開いたソリュシャンやシズに対してでは、勿論ない。

 戦闘メイドらを圧倒しつつ、まったく傷らしい傷を与えずに無力化しようという敵の手腕──確実に、そのレベルは50~60を上回っているだろう。あるいは、最高レベルのLv.100というのも十分あり得る。そうでなければ、あの戦闘能力はおかしい。全身に纏う装備はそこまで高価高性能というわけでもなさそうなので、素のポテンシャルの違いで、粘体(スライム)自動人形(オートマトン)のメイドらを寄せ付けていないと判断できる。

 明らかに手心を加えられた戦闘メイドらが、ナザリックのシモベとしての矜持を刺激されたかのごとく、遮二無二敵と矛を交えたことは無論、手放しで褒められることではない。

 が、それでも。

 あの二人の性向や性質を考えれば、そこまで無理をするはずがない──普段通り、彼女たちに与えていた任務内容は、魔導国の国策にとって必要不可欠。守護者たちの自由を奪い、ナザリック内でいつでも出撃できるように用意を整えている現況において、守護者たち以下のシモベたちに働いてもらうことは最善の選択であった。彼女たちは、身動きが取れない守護者たちの穴を埋めるべく東奔西走し、アインズという最高支配者より賜った特務の成功のために、どうあっても、連中の存在を看過できなかったとみて、間違いない。

 しかし、

 

「このままでは、彼等との戦争になるぞ──」

 

 アインズが危惧を懐く、最悪の展開(シナリオ)

 カワウソ率いる天使ギルドと確執が生じ、両者の間で無用な争乱が訪れ、それに魔導国の民が、巻き込まれる。

 そうなっては、100年後のユグドラシルプレイヤーであろうとも──処理する他ない。

 それは、なるべくなら避けたい。

 アインズは個人的に、カワウソの人格の良さを、モモンとして接触した折に理解したつもり(・・・)だし、何より、彼我の実力差──準備期間の有無から考えても、まず、アインズ・ウール・ゴウン側の勝利は確定的だ。

 その末にあるものは、確実に彼を、カワウソを処断し処刑する道筋しか、ない。

 ここは、アインズ・ウール・ゴウンが治め統べる魔導国。いかにアインズと同じプレイヤーであろうとも、この地で、この大陸で、国土を荒し乱す奴儕(やつばら)を、無視して好き勝手させることは許されないし、許せはしない。

 

 無論、彼等にも彼等の事情があることは、考慮する。

 考慮するが、それもソリュシャンやシズたちが無事であることが“大前提”にある。

 何とかして、彼等にはこの場から退いてもらいたい。もらいたいが、アインズには彼等に行使できる権限がない。彼等の長はカワウソであるはずだし、アインズの権限というのはナザリックとシモベたち、そして魔導国臣民たる大陸の人々や存在に限定されている。

 

 瞬きの内に、どうやって停戦させることが可能なのかを脳内で選出する。

 この100年。アインズはただ遊んでいたわけではない。

 国を、大陸を、臣民達を統治する為政者……魔導王として相応しい演技や作法の他に、司法・立法・政治・政策……この世界の歴史や、ツアーとの情報交換などによって、魔導王は名実ともに、賢帝賢君としての道を歩むことに成功している。

 100年にも渡る、アンデッドゆえに睡眠や休息を必要としないアインズの勉強時間は、彼本人でも気づいていないが、並みの一般人のそれを超越して余りある段階に達していたのだ。

 さらに。ツアーから聞かされ想定していた、100年後の未来に訪れるだろう、自分と同じユグドラシル最後の日に転移する羽目になったプレイヤーの異世界転移。

 

 準備は万端整えたつもりだ。

 100年後に現れたプレイヤーに対する、アインズ・ウール・ゴウン魔導国として相応しい在り方。

 超大国として君臨しつつ、あまねく臣民が平和と幸福を享受する統一国家。仲間たちの耳に届いても恥ずかしくない、人も亜人も異形も、すべてが等しく扱われ、その上に君臨する“ナザリック地下大墳墓”──魔導王の思想に呼応し、魔導王の魔力に屈服した、生きとし生けるすべての頂に降臨した“アインズ・ウール・ゴウン”という名の至高の存在。

 その戦力。その威光。その権能。

 100年後に現れたプレイヤー・カワウソをしても「見事」と印象付けることに成功した、アインズの国家造りは、彼という新たな存在(プレイヤー)を組み込むことで、より盤石に、より完璧に近づく……はずだったのだ。

 

 不幸にも、互いのギルドのNPC同士で、無用な混乱と騒動が湧き起こり、戦端が開かれてしまった。

 何としてでも、事態は落着させねばならない。だが、事はアインズ個人の心情を斟酌しない領域にある。

 魔導王から与えられた任務に励んでいたシモベを阻害する者が現れたとあっては、とても看過することは許されない。周辺に住まう市民臣民を不安に陥れ、まかり間違って──ということに発展しては、もはやアインズの権限をもってしても、どうこうしてよい次元から外れてしまう。

 

 それには、すべての段階をすっ飛ばして、彼等をアインズの影響下に加えなければならない。

 

 では、連合や同盟を?

 いいや、ありえない。

 ギルド同士の連合というのは、アインズ個人でどうこうしてよい裁量を著しく超えている。“ギルド:アインズ・ウール・ゴウン”は、仲間たち41人による多数決を重んじた団体(ギルド)。現在はアインズただ一人でギルドを切り盛りしているような状況であるとはいえ──否、だからこそ、ギルド長アインズの個人的な感情というものを介在させ過干渉することは許されない。100年前、アインズの仲間になることを希求した薬師の青年(ンフィーレア)の加入を認めなかったように、アインズはその後も仲間たちと共に築き上げた栄光の象徴であるギルドを、我が物顔でどうこうすることは控え続けてきた。ギルド同士の同盟や連合というのは、当然のごとく採択不能な状況にある。

 それにまだ、カワウソたちの志向や能力は、未解部分が多々ある。

 彼個人が所有しているやも知れない世界級(ワールド)アイテムの有無や詳細な効能は勿論、彼が率いる天使ギルド……確認できているだけで十二体のNPCたちの思想や行動原理も不明瞭だ。おまけに、その総合能力や戦闘方法も未知数ときてる。

 たとえば。

 あのギルドの中に、アインズ・ウール・ゴウンに対する疑念や反感を懐く者がいたとしたら? そんなものがいるやも知れぬ状況で彼等のギルドを抱き込もうものなら、アインズ達は自らの懐にとんでもない爆薬を抱え込むことになりかねず、それを探るためにも、アインズはモモンという偽装を使って、カワウソたちに直接交流を持ちかけたのだ。

 ──そして、その懸念は、後に正しかったことが、他ならぬ彼等(NPC)の……敵の口から聞かされ知ることになる。

 

 

 

 

 

 後に判明するカワウソの設立した天使ギルドの名称は、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)

 その拠点、ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)を守護する“防衛部隊”たるNPCたち。

 

 彼等の主であるカワウソが、長らく打倒せんと望み欲していたギルド:アインズ・ウール・ゴウンに対する感情は、彼等NPCにも過大な影響を及ぼしており、その内実はかなり複雑なものだと言わざるを得ない。

 

 彼等十二体のLv.100拠点NPCは、すべて、カワウソ個人が創造したモノ。

 カワウソが一人孤独に推し進め、常に目指してきた目的──アインズ・ウール・ゴウンの打倒──ナザリック地下大墳墓への挑戦──仲間たちとの絆を決定的に破綻させた、復仇の相手への感情というのは、彼等NPCのほぼ全員に、とある共通認識としての使命感を根付かせている。

 曰く、

 

 

「自分たちは、アインズ・ウール・ゴウンの、敵」

「自分たちは、ナザリック地下大墳墓・第八階層へ挑む者」

「自分たちは、主人(カワウソ)の望み欲する復讐(こと)を実現させるためだけのシモベ」

 

 

 彼等個々人にそれぞれ設定された文書データによって、その戦闘意欲や敵対意識にはバラつきがあるが、カワウソのNPCたちは、中には明確に『ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの敵』として設定された者もいるほどに、アインズ達ナザリック陣営に対する悪感情やマイナス意識を懐く者が多かった。その最筆頭は無論、カワウソの副官のごとく傍近くに侍る女熾天使のミカに他ならない。

 

 この異世界において拠点製作NPCたちは、創造者の意識や面影、趣味嗜好を表在潜在させる傾向にある。

 たっち・みーの善人思考を強く受け継いだセバスをはじめ、NPCたちは主人に設定されていない部分においては、主人を投影する鏡のごとく(だい)なる影響を与えられることが確認されている。

 故に、カワウソのNPCたちも、自分たちを創造した唯一の主人(カワウソ)の思いや考えを、幾許(いくばく)か自分自身の気質気性として取り込むことになっていたことは、転移してからわずか数日の創造者(カワウソ)本人には確かめようのない事実であり、それが今回の一件における最大の難問でもあった。

 

 さすがのアインズも、まさか──「アインズ・ウール・ゴウンの敵対者として生み出されたNPC」なんてものが存在するなど、想像の埒外(らちがい)にあった。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、確かにユグドラシル時代において“悪”のギルドというゲームプレイに傾注し、PK、PKKを生業(なりわい)とした異形種プレイヤーの団体、最高ランキング第9位に輝いた社会人ギルドであった。

 だからこそ、あの1500人規模の討伐戦が実行実現に移されるほど、アインズ・ウール・ゴウンに対する悪感情を懐く存在と言うのは、実際にありえる話ではある…………しかし、だ。

 ユグドラシルに数多く存在したギルドの中で、ほとんど唯一的に「アインズ・ウール・ゴウンの敵対者」として創られたギルドが存在し、その創設者であるプレイヤーとNPCたちが、100年後のアインズ・ウール・ゴウン魔導国へ、ピンポイントに異世界転移を果たす可能性など、どれほどのものだと言えるのか?

 

 少なくとも、あの討伐戦──1500人全滅の動画が広まり、伝説にまで昇華された悪のギルドに対し、何かしらの感情を懐くプレイヤーはいたとしても、まさかはっきりと敵対の意志に焦がれ続け、再攻略を挑み続けた人物や団体など、ユグドラシル終焉期においては、カワウソ以外ほぼ絶無であった。

 前人未踏、難攻不落……誰もがナザリック地下大墳墓の再攻略を諦め、そんな徒労に挑もうとする者は潰え、そんな労力を費やすなら他のダンジョンやレイドボスに挑む方がマシと思われ、ゲーム自体に飽きた連中は軒並みユグドラシルを去っていった事実を考えれば、むしろ「ナザリック地下大墳墓の再攻略」を目的とするギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)というのは、非常識極まりない存在でしかない。ありえないと言ってもよかった。

 

 カワウソを含むギルド全員が、アインズ・ウール・ゴウンへの復讐と敵対意識を保有して、この100年後の魔導国に──仇敵であるアインズの眼前に現れるなど、どうやって彼に予見せよというのか。

 

 

 

 

 

 アインズは考える。

 考え抜いて、自分と彼等の敵対状況を回避する方法を呟き続ける。

 

「ギルド同士の同盟や連合は、不可。仲間たちの許可なく、そんなことはできない。では、彼等を一方的に断罪するのか? ……しかし」

 

 あまりにも非情な決断を迫られる。

 かと言って、このまま放置するわけにもいかない。

 映像の中の戦闘は、とりあえず魔導国臣民への被害や殺傷は確認できないが、あれだけの戦いを市街で振るって、公共の場を乱され続けてはたまらない。

 

「では、休戦協定を結ん──いや、無理か」

 

 そもそも相手の出方が不明すぎる。協定を結ぼうとしても、協定条件として連中が「大陸の半分を寄こせ」とか「代表(アインズ)の首を差し出せ」などの無理難題をふっかけられては、それこそ戦争しかありえなくなる。カワウソの行状を見る限り、その可能性は低いと見るべきだが、アインズが彼を観察できた僅かの日数と時間で、そこまでの確信を懐けるかと言うと、微妙なラインだと思われる。

 そして何より、──事は魔導国の威信にかかわる状況である。

 魔導国は大陸を制覇した存在。邪魔するものは捻り潰し、敵と見做した者には容赦ない鉄槌の暴威を振るいながらも、あまねく世界を統合し尽くし、その果てに、未来永劫に続く平和と繁栄を築き上げた覇者──そんなものが、いきなり現れた(ユグドラシルのプレイヤーを含むとはいえ)謎の集団に、ホイホイ頭を下げて平身低頭するというのは、権威の失墜につながる。超大国に成長したからこそ、それに見合った見栄や矜持を示すことをやめることは、まず不可能なのだ。

 今回の事件で完全にこちらが悪いと判断できない状況で、いきなり全面降伏じみた敗走を演じることは出来ない。そんなことをしては臣民への示しがつかない。戦闘状況は、領域や都市の民にも目撃されている。あれらすべてに催眠や精神魔法の干渉を行うには、かなりの費用と労力が必須。都市の人口は、飛竜騎兵の領地の比ではない。

 何より。アインズが誇るナザリックのNPCたち、今も敵のNPCと交戦する戦闘メイドをはじめ、守護者たちシモベが納得しないだろう。アインズがきつく言い含めればよいとも思えるが、それは双方のギルドにおいて、よろしくない遺恨を残す……最悪なパターンは、アインズの威信に瑕疵(キズ)を与えた連中(カワウソ)を誅しようと暴走するモノが頻発したら、……もはや泥沼にしかなるまい。

 

「難しいな」

 

 彼等を一方的に処罰しようにも、魔導国臣民としての戸籍もない以上、司法の力は及ばない。

 さりとて。連中をこのまま暴れさせ続けることは、双方にとって不利益しか生まない。

 

「アインズ様、ご決断を」

 

 アルベドたち守護者が、決議を求める。

 守護者らはすでに戦う(やる)気だ。

 皆、戦闘メイド二人の援護に飛び出したくてうずうずしていることが、手にとるように判る。

 彼等をアインズが引き留める方法を導き出せなければ、アルベドたち六人の参戦は、確定的。

 カワウソを徐々に魔導国に浸透させ、然る後に協調路線を──という当初の計画は御破算だ。

 何だったら、彼に飛竜騎兵の領地などの統治権を与え、将来的には“外地領域守護者”に任命するという企図も潰え去ったのである。

 噛み締めるべき唇を持たないアインズは、とにかく歯がゆい思いで、ひとつの打開策を導き出す。

 

「……彼等を、魔導国の“傘下”に加えられないか、試す」

 

 アルベドたちの瞳が怪しく輝く。

 

「“傘下入り”ですか?」

 

 アインズは重く頷く。

 もはや、これしか、ない。

 ユグドラシルにおけるギルド間ルールにも似た響きだが、実際には「ギルドの傘下に」ではなく、「魔導国の傘下に」というのがミソだ。

 

「現在、魔導国の傘下として働くものは多くある。5000人の小鬼(ゴブリン)軍団の長、軍師の子孫をはじめ、この世界の絶滅危惧種だった人狼や鬼、一部の外地領域守護者などのように、彼等を、カワウソを、魔導国の傘下に加えることで、強く自制を促すのだ」

 

 荒療治ではあるが。

 彼を「魔導国の傘下」に加え、今も戦い続ける彼のギルドのNPCを引き留め、撤収させてもらう。

 そうした後で、今後の両者の在り方を煎じ詰めていけばよい。今回は不幸な遭遇戦、事故として処理するのだ。

 そのためにも、まず彼等を、アインズ・ウール・ゴウン“魔導国”の一員に、加えねばならない。

 

 この傘下入りは、ユグドラシルだと一種の隷属に聞こえる──実際には対等な条件提示・労力交換による“契約”であり、上位ギルドは下位ギルドに対する防衛力貸与と運営資金の投資、下位ギルドは上位ギルドからの支援請求受諾や攻略作戦の随伴協力などを“対価”として、双方供出するシステムであり、そこまで悪い関係を示さない──が、魔導国だと一等臣民以上の、ほとんど“ナザリックのシモベ級”の待遇を得られるという「破格」の措置が講じられる。

 あまねく臣民は、アインズの「領有物」に過ぎないが、傘下はアインズ個人の友誼や心情を重んじられた、対等な「個人」として扱われるのだ。「同じ傘の下に」という意味での傘下。アインズが広げた魔導国という“傘の守り”を、100年後に現れたユグドラシル関係者を受け入れるための、傘下──そういう意味では、ユグドラシルにおけるギルド間干渉の傘下入り……弱小ギルドを、上のギルドが保護する(無論、その見返りを大いに期待するギルドは多かったらしいが、アインズは今回に限っては、そこまでカワウソに見返りを要望する気はない)というソレに、似てはいる。

 何しろ、この“傘下”の位置以上というのは、ナザリック外の存在としては、“白金の竜王”……ツアーという信託統治者しかありえない。

 魔導国の傘下に加わった存在は、軍団統率や都市管理、外地領域守護という大任が与えられる一方、その権勢と社会的地位は莫大なものを手にすることが約束される。

 魔導国は、アインズがナザリック地下大墳墓のシモベたちと共に、苦難を乗り越えて築き上げたもの。

 ギルドは、仲間たちとの絆を象徴するものであるのに対し、──アインズ個人の手で成し遂げ、この大陸世界を統一した超大国に限っていえば、ある程度はアインズの自己裁量が効くという。そういう抜け道を使って、アインズはカワウソらを諫め、自制自戒するよう勧告する立場に立つ目途をつけたのだ。

 アルベドたちも「それならば」と納得の首肯を落とす。

 

 しかし、問題は二つある。

 魔導国の傘下入りというのを、カワウソがどの程度理解し、受け入れてくれるのかという問題。

 そしてこれを実現させるためには、彼等と直接対話する人員を要するという問題が、浮上する。

 無論、アインズが直接行くことは、主人を強引に帰還させたアルベドたちが承服するわけもない。

 

「折衝……交渉役は、マルコに頼むしかない、か」

 

 いきなり魔導国の枢軸──アルベドやデミウルゴスを送りつけて警戒されるよりは、マシな筈。

 マルコの正体を完全にバラす必要に陥るが、遅かれ早かれ、彼女はカワウソと彼のギルドを引き入れるための役儀のために、身分を明かすことを考慮した上で配置しておいた娘だ。……仮に、カワウソたちが、マルコに手を挙げようものなら、その時は、…………

 

「腹をくくるしかない、か」

 

 アインズは存在しない腹に締め付けられるような痛みを味わいつつ、葬祭殿の貴賓席にいたマルコを〈伝言(メッセージ)〉で呼んだ。

 ちょうど長老騎兵の“送り出し”のタイミングばっちりだった為、彼女を一旦ナザリックに戻すことは、〈転移門(ゲート)〉を開いて簡単に行えた。

 

「そんなことに──」

 

 愕然と説明された件のギルドとの状況……交戦という最悪に近い状況に閉口するマルコに、アインズは頼んだ。

 彼等との折衝交渉役を、マルコは快く引き受けてくれた。

 

「少々不安ですが、お任せを」

 

 傘下入りを認める理由を“賊徒征伐の功”と定め、彼が契約を結んでくれたら、彼のNPCたちをまずどうにかしてもらう。

 主人であるユグドラシルプレイヤーのカワウソならば、部下(シモベ)である調査隊の二人を止めてくれるはず──とにかく、それで今回は双方、手打ちにしたい。

 今のところ、彼のNPCは、魔導国臣民とナザリックNPCであるソリュシャンやシズに対し、重篤な被害をもたらしていない。もたらしていたら、もはやどうしようもなかっただろうが、まだ大丈夫。

 交渉は、うまくいくはず。

 いかなかったらとは、──なるべく、考えたくなかった。

 

 

 

 

 

 だが、交渉は決裂する。

 

 アインズは知らなかった。知る(すべ)がなかったのだ。

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長、カワウソのことを。

 

 彼の“真実”を。

 

 カワウソが、ナザリック地下大墳墓に挑み続け、敗れ続けた過去を。

 カワウソが、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに懐き続けた打倒の意志を。

 カワウソが、かつてアインズ・ウール・ゴウン討伐行によってギルド崩壊を経験した──これ以上ないほどの屈辱の象徴として笑われ、不利を被る、『敗者の烙印』を押されながら、ユグドラシルを続けてきた執念を。

 

 

 

 

 

 アインズは、ついにそれを知ることになる。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 四日程、時を(さかのぼ)る。

 

 魔法都市・カッツェにおいて、カワウソからの呼集に応じた三人のNPCたち。

 

 第三階層“城館(パレス)”……“大広間”の守護天使・三柱のうちの一人、ラファ。

 第二階層“回廊(クロイスラー)”……“蒼天”の守護天使・兄妹のうちの兄、イズラ。

 第一階層“迷宮(メイズ)”……“闘技場”の守護像として君臨する『最強の矛』、ナタ。

 

 三者三様の姿を与えられた彼等。

 主人から与えられた装備とアイテムに身を包み、命令された刻限通りに〈転移門(ゲート)〉をくぐって、この都市の一際高い集合住宅の屋上に足を踏み入れた。

 

「ここが魔法都市・カッツェか」

「よい街だね。妹にも見せてやりたいよ」

「イスラは、我等ギルドの誇る治癒師(ヒーラー)にして料理人(コック)!! 御役目故に外に出されないのは、勿体ないことであります!!」

 

 都市の状況を観察するラファ、妹への親愛に満ちるイズラ、ギルドの役目に則さねばならない同胞の事実を憂えるナタの順に、会話がなされる。

 

「ナタ。その言い方だと、()(しゅ)の与えた御役目のせいで、イスラが拠点に籠りっぱなしなことを嘆いているようにも聞こえるが?」

「いやいや、ラファ殿。そこまで配慮されることは。実際、(イスラ)も気にしておりませんし」

「しかし!! 確かに少々、配慮にかけていたやも!! 申し訳ありませぬ、イズラ!!」

 

 生真面目を通り越して馬鹿真面目。勢いよく腰を折って頭を下げる少年兵に、二人は気安い笑みで応じた、瞬間。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に属する彼等(NPC)にとって、あまりにも馴染み深い、同胞の気配が。

 

「来られたか」

「いよいよ。ですね」

師父(スーフ)たちの気配!! およそ半日ぶりで、いささか緊張いたします!!」

 

 自分たちの主人──カワウソから発せられる充溢した存在感。

 自分たちの創造主である堕天使は、普段の基礎能力値(ステータス)は特筆すべきものがなく、いたって平凡──劣悪とすら言える。

 だが、創造主というのは、NPCたちにとって、まさに神のごとき超常の存在。

 たとえ、彼がレベル一桁の最弱の存在に成り果てたとて、彼の発する存在感を、彼に創られた創造物(NPC)が、見落とし、見誤り、見損なうといった現象は生じ得ない。彼が自分達より劣っているなら、むしろその力を補うことに全力を傾注し、主の身を護る盾として散ることも辞さない。NPCの本懐とは、それ以外にありえない。

 無論、この都市に二人がいることくらい、三人は知覚済み。そもそも、この地へと招き寄せた張本人たちなのだから、いるのは当然でしかない。

 

 その気配は、自分たちの創造主より発せられるもの。ミカのような純然として潔白な光とは異質な、だが、自分たちにとって絶対的な、「カワウソがそこにいる」という絶大な存在感が、NPCたちにはひしひしと感じられる。堕天使であるため、希望のオーラのような輝きはなく、かと言って空間を歪ませるほどの闇とは言えない。

 それは、無だ。

 湖底まで覗き込むことも可能な、ガラスのように透明すぎる水。一見すると存在を知覚することは難しく、なれど、水は確かに、そこにあるもの──そういうイメージ。そういう存在感。

 

 カワウソの保有する堕天使の特殊技術(スキル)──Lv.1~Lv.9までに取得する、五段階構成の、最高レベルだと「あらゆるカルマ値システムペナルティ無効」の恩恵を宿す“清濁併吞(せいだくへいどん)Ⅰ~Ⅴ”。獲得および発動条件は単純──自己のカルマ値・属性(アライメント)が中立であること。

 白も黒もすべて呑み込み、あらゆる善悪を()()ぜにして無為にする、堕天使固有の力。あらゆる欲得と欲望に、等しく意味と意義を見出す、中立にして受容者としての権能の一種。

 その恩恵によって、カワウソは聖騎士系統の職業レベルを獲得しながら、魔剣などの属性(アライメント)マイナス=悪属性保有者しか、力を発揮し得ない強力な武装も装備・使用可能。聖剣と魔剣、二つの神器級(ゴッズ)アイテムを両立・装備することを可能にした存在として成り立っているのだ(もっとも、堕天使のステータスの低さを覆せているかと言うと、首を傾げるしかないが)。

 

 異世界に転移したギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)

 カワウソが、調査のために派遣要請を下した三体のNPCたちは、一様に驚嘆と称賛を送るべき魔法の生きる都市の様を──その水晶の都を統治している、仇敵の名を戴く国の名を、脳内で反芻してしまう。

 

 アインズ・ウール・ゴウン、魔導国。

 

 彼等、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の、ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の拠点NPCの主人たる堕天使──カワウソの、……怨敵。

 その名を戴く異世界の国家。

 これが尋常でない事態であることは、もはや説明の要がない。

 カワウソが、わざわざLv.100の破格の力を与えたシモベ三人を調査のために派遣する理由も、すべて納得がいく。

 

()(しゅ)の期待に応えねばなるまい」

「まったくその通りです、ラファ!! これは、まさに、またとない好機と言えます!!」

「我等が存在理由を……創造された目的を果たすために……何より天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の悲願を達成するために、マスターは最善の努力を、我々に供せよというわけですね?」

 

 一同は合意に達した。

 三人だけでなく、拠点に残ったNPCたちも、気持ちはほぼ同じだった。

 彼のNPCとしての存在証明が、この異世界において達成されるやも知れないという可能性。

 そして、何より……主・マスター・敬愛すべき師父……自分たちを生み出し、自分たちを“自分たち”として創り、今の自分たちという存在と役割を与えてくれた、たった一人の創造主に対する御恩を、ほんのひとかけらでも捧げ報いることができれば、これに勝る喜びはない。

 

 太陽の姿が稜線の向こう側に隠れはじめ、魔法の都に暖かな明かりが灯り出す。

 集合住宅の壁面を駆け上ってくる主人と相対するのに相応しい片膝をついた従属の姿勢を三人は構築。

 神器級(ゴッズ)装備のひとつである血色の外衣“竜殺しの隠れ蓑(タルンカッペ)”の完全不可知化を解いた主人たちが、星空を背にして降り立った。同時に、ラファたちも自分たちの装備による不可視化を解除して迎え入れる。

 

「ご苦労……待たせたか?」

 

 ラファが代表して応じる。

 

「とんでもございません、()(しゅ)よ」

 

 喜びも一入(ひとしお)と言わんばかりに、彼等は主人の命令を待つ。

 

 

 

 

 

 異世界の飛竜騎兵同士の戦闘に介入し果せた主人は、飛竜騎兵の領地とやらに向かうことになった。

 狂戦士の乙女ヴェル・セークの一件を解明し、然るべき調査を行うために、彼女を沈黙の森にて保護したカワウソが、同道を求められてしまったのだ。自分たちの主人は慈しみに溢れ、敵であるはずの魔導国の臣民とやらの事情に、快く協力する意思を示されたのは理解できるが、

 

「予定通り、おまえたちは調査任務に行け」

「──本当に、よろしいのでしょうか?」

 

 ここにいる、NPCの長であるミカが確認の声を紡ぐ。

 カワウソはこの任務の重要度──この異世界に存在する、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の情報を取得する必要性を語り聞かせる。カワウソほどの存在を阻む低レベル存在の“武技”。飛竜騎兵でありながらも前提条件のはずのLv.30にも満たない脆弱な人間……魔導国の、臣民。

 不安はあって当然。

 何しろ、相手は大陸全土を掌握し統治する超大国。

 あの「1500人全滅」という伝説を成し遂げたギルドの名を掲げた存在に対し、このまま事なかれと祈念したところで、何の効果も成果もあげられないだろうことは、明白。

 

「本当に、よろしいので?」

「……ああ」

 

 主人の不退転の意を汲んだミカが折れた以上、〈不可視化〉したままの臨時調査派遣任務三隊──ラファ、イズラ、ナタなどには、抗弁の余地などあるわけもない。ミカほどの聡明さは与えられていない彼等でも、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の防衛部隊の一員たるに相応しい判断力と理解力は備わっている。

 逃避不可。

 逃亡に必要な経路(ルート)も、行末(ゴール)も、何もかもわかっていない現状で、そんなあてもない旅路を続けることは、不可能である以前に、無計画に過ぎた。大陸全土が、アインズ・ウール・ゴウンの所有物であるならば、「全世界が敵」と考えても相違ない状況といっても過言にはならない。そんな状況で、無理矢理に大陸を走破し、その先より広がる大海だか深淵だか境界だかを超える手段を強奪したらば──間違いなく、天使の澱は壊滅だ。大陸国家を相手に逃亡──退却戦を挑んだところで、たかが知れている。おまけに、それだけの危難と労苦を覚悟して、万事何もかもをうまく事を成し遂げられたとしても──この大陸の外の状況が不明瞭に過ぎては、何も成し得ない。大陸の外に、他の大陸がなければ? 島も何もなければ? 仮にそれらがあったとて、そこもアインズ・ウール・ゴウンの支配領域だとしたら? もっと発想を飛ばせば、そういった逃亡先に選んだ場所は、あのアインズ・ウール・ゴウンですらどうしようもない、謀略と暴虐の坩堝のごとき危険地帯であったならば? ──そんな確認すら、現状の情報量ではゼロに近い。

 天使の澱のNPCたちは確かにナザリック地下大墳墓への挑戦を“()”とするが、彼我の単純明快な戦力比較くらいは容易に行えるというもの。

 ギルド拠点・ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)という場を失った際に被る、カワウソたちの圧倒的不利。

 そんな戦況戦局を前にして、自分たちの能力・力量・戦術戦略がどれほどに発揮され得るものだろうか──無謀に過ぎることは、戦いのために創られたわけでないメイド隊ですら想像するに難くないはず。

 だが。

 自分たちNPCの存在を──それが、あくまで自己保存を根とした後ろ暗い感情があったとて──気にかけ、その生存を保持させたいと願う言葉をカワウソから聞かされるのは、実に面映ゆい。普段は冷然静然とした無表情の仮面を剛鉄のごとく着用するミカですら、口ごもり、表情を歪める。

 

 創造主──カワウソが望むことを成し遂げるための存在。それがNPC。

 その程度の存在を彼が、創造主が、自分たちの身を(おもんばか)ってくれた。

 自分たちのことを考えてくれた。

 

 たったそれだけのことではあるが、彼等にとっては、それ以上の事柄など必要なかった。

 

 

 

 

 

「……我が主は、本当にお優しい」

「いつも我々のことを案じてくれておられる」

 

 この異世界に転移する以前から。

 彼等にとって、カワウソだけが創造主にして、仕えるべき存在。

 そんな存在に気にかけてもらえただけでなく、言葉をかけられ、命令を下される栄誉は、彼等にとってはこれ以上ない歓喜である。

 だからこそ、彼から与えられた任務……魔導国の調査任務というのは、何よりも優先されるべき事業として認知され得た。

 

「行きましょう!! 二人とも!! 師父(スーフ)への恩義に、我等全員で報いましょうぞ!!」

 

 天真爛漫(てんしんらんまん)な蒼髪の少年に頷く、銀と黒の天使。

 カワウソが発見していた街道。彼とミカが辿った道程を遡上した三人は、看板のある別れ道で、二手に分かれた。

 

 ラファは、“冒険都市・オーリウクルス”へ。

 イズラは、“第一生産都市・アベリオン”へ。

 ナタは、生産都市を経由しつつ、天空都市や南方士族領域へ。

 

 調査隊は、与えられた任務に邁進する。

「殺傷は原則禁止」などの命令を順守しつつ、魔導国各地の情報を分析収集し、さらには拠点にいるマアトの監視兼地図化(マッピング)作業を継続させること。

 その偵察役に、彼等は選ばれたのだから。

 

 

 

 

 

 彼等は真実、主人のことを第一に考えている──故に──

 

 彼等の失敗は、半ば予定調和のごとく、彼等の許に訪れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




第二章「襲撃」
第三章「話」
以上のお話で登場した、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたちの視点で、今後、物語は進んでいくことになります。
つまり、しばらくアインズ様もカワウソも出てこなくなるかも、です。
ご了承ください。


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生産都市・アベリオン -1

/Flower Golem, Angel of Death …vol.02

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その都市──城邑は、堅牢堅固な壁に守られているわけでもなく、まるで農村のように開けた造りをしており、あの魔法都市のような円周外郭線の防壁といった遮蔽物のない、しかし、都市と呼ぶにふさわしいほどの広大な規模に渡って広がっている。敷地面積だけで言えば、この都市は魔法都市の倍の規模を統治するのだが、その大きな理由は、ここが魔導国の“第一生産都市”として整備された歴史が背景にある。

 

「賑わっておりますな!!」

 

 蒼い髪の少年兵は、自分に与えられた装備、数えきれないほどの剣を、ほとんど完全に解除しているように見える。傍目からすれば、マント(これは早着替えの魔法を発動する、本来の彼には与えられない装備)を着込んだ旅の少年にしか見えず、完全不可視化を行うための指輪の機能も解除している。さすがに、あれだけの装備の数を、年齢が二桁にもいきそうにない少年程度の体躯で平然と装備し歩き回っていては目立ちすぎるからだが、本人は言われるまでその可能性を想起すらしなかった。

 対して。

 

「アンデッドの王が治める国とは聞きましたが……なかなかどうして、おもしろい」

 

 旅の少年と並び立つ黒い外套の男は、フードを頭髪の様子すらわからぬほど深く被っており、この状態で、彼は彼の得意とする戦術(というか、それ以外の戦闘を想定していない)を披露することになっている。手袋に仕込んだ暗器──暗殺者専用の装備や、領域敷設式の罠などを使った“暗闘”に終始し、共に第二階層“回廊(クロイスラー)”を防衛する妹の援護に徹するのだ。そのため、彼の自前の装備は、不可知化を行えるほどに優秀な隠密性を発揮する。

 

 蒼髪の少年の正体は、花の動像(フラワー・ゴーレム)。──名は、ナタ。

 黒衣の男の正体、死の天使(エンジェル・オブ・デス)。──名は、イズラ。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に属するLv.100NPC──その二人である。

 

 彼等が見つめる先の朝市──市場(バザー)は、大広場に幾重にも並んだ露店の列に、さらには商店街などとも隣接したそこでは、魔法都市なみの活気と人波が行き交っていた。

 店先に並ぶ鮮魚や獣肉の照り輝く様、所狭しと盛られ飾られる野菜や果物の品ぞろえは、他の都市には見られない充実っぷりである。魔法都市だと魔法のアイテムや治癒薬(ポーション)が充溢するのに対し、この都市では食料品目が、主たる産物となるからだ。

 

 

 第一生産都市・アベリオン。

 その成り立ちは、陰惨な戦いの歴史から始まるとされる。

 

 

 魔神王“魔皇”ヤルダバオトが君臨し、この一帯に住まう亜人種を絶対的な悪魔の能力と軍団によって、統一。恐怖政治のもとで否応なく周辺諸国に害をなしていた亜人連合軍によって、時の人間の隣接国家は蹂躙され、滅亡の憂き目に立たされた。

 しかし、その事実を憂えたアインズ・ウール・ゴウン魔導王と守護者らによって、ヤルダバオトと悪魔の率いる連合軍は撃滅された。「最後の魔神王」と謳われ怖れられた“魔皇”は、最後の最後に、魔導王と(くつわ)を並べ戦ったアダマンタイト級冒険者“漆黒の英雄”モモンと、彼の従者であった“美姫”ナーベらを、(おの)死出(しで)旅路(たびじ)の道連れにして果て、──結果として、冒険者チーム“漆黒”の二人は共に蘇生不能という事態へと陥り、彼等の功績を惜しみなく讃えたアインズ・ウール・ゴウンによって、『漆黒の英雄譚』は100年後の現在にまで残されることになる。

 

 そうして、魔神王による酸鼻を極めた地獄の連合軍が根絶やしにされた後に、荒され残ったアベリオン丘陵地帯を魔導国が平定併呑し、さらにヤルダバオトの暴政によって力尽きようとしていたローブル聖王国も慈悲を持って受け入れ、その所領は今やローブル領域と名を変え、魔導国・六大君主が一柱である大参謀(デミウルゴス)の管轄に置かれることと相成った。

 数週間後、その領域にて99回目の平定記念式典が催される予定である。

 

 生産都市は、魔導国内でも一、二を争う穀倉地帯であり、農耕は勿論、都市内で畜産と養殖を主たる産業とする街。その食料自給率は300%以上にのぼるとされるが、都市の発展に際し、魔導国の技術供給……疲労しないアンデッドの屯田兵による土壌開拓や地下空間の掘削構築、多種多様な魔法を農業などに流用してのプランテーション化に成功したが故のもの。魔導国が保有する大量の中位・下位アンデッドならびにゴーレムを大量動員しての労働力の確保は、当時の周辺国家には望むべくもない力を振るい、ただの丘陵地帯を僅かな月日で都市化させることに成功している。

 さらに、それまでは王侯貴族のみが使用することを前提とした魔法技術がいくつも民間に下賜(かし)され、大量の農作物や畜産物、そして魚介類の〈冷凍〉や〈保存〉、殺菌消毒・大量加工などを可能とし、霜竜(フロスト・ドラゴン)を動員してのペタン血鬼航空による空輸路などの物流網確保によって、それまでは不可能とされていた大規模経済市場の運営を実現。それまでに類を見ない規模の市場から発生した経済的収支で、わずか半年足らずで都市経済は黒字に転向したと言われている。

 当時の丘陵地帯は綺麗に(なら)され、一部地域にある菜園や果樹園、そして森に、その名残を残すばかり。魔導国建国以前より長く、亜人たちによる侵攻と動乱を怖れ、あのヤルダバオト討伐戦において無惨にも壊滅したローブルの城壁は、当時の戦いの凄惨さを物語る史料として、僅かばかりが残存しているだけとなっている。

 

「アベリオン第二階層(エリア)産の特級・黄金芋(ゴールデンポテト)! 今なら五個で980ゴウン!」

「第四エリア特産・紅玉鮭(ルビーサーモン)紅玉海老(ルビーシュリンプ)、他にも鮮魚と高級魚の目白押しだぁ!」

「地上菜園で今朝採れたばかり、天然の巨大(ジャイアント)レインフルーツ! 一個69ゴウン! 売り切れ御免ですよ!」

 

 そんな陰惨と言ってもよい戦争の歴史も、100年後の今を生きる臣民には関係ない。

 元気一杯な少年兵・ナタの快活な大音声(だいおんじょう)も、商売の息の中に埋没するほどの活力が、そこここに(たぎ)っていた。

 魔法都市同様に、人と亜人と異形が見事に融和した街並みの中で、商人たちが(あきな)いの声をはりあげ、魔導国の流通通貨を遣り取りし、今日と明日を生きる糧を求めて、早朝から商売と労働に励む。

 生産都市は交易都市ほどの市場規模は持たないが、何しろここは第一次産業の地元。直販される食料品の鮮度は格別であり、魔法的な保存保全費用、そして運搬の手間も掛からない為、その値段は他の都市に流通するものより段違いに安く抑えられる。

 人間の男が輝くほど新鮮な野菜を売りつけ、海蜥蜴人(シー・リザードマン)が魚介類の味の素晴らしさを唱え、人蛇(ナーガ)の美しい乙女が大量の果物を陳列した棚越しに、主人の命令で買い物に来たのだろう人馬型鉄の動像(アイアン・ゴーレム)から代金を頂戴していた。鉄の人馬に慣れたように騎乗させられている長いスカート姿の少女は、店主の女人蛇(ナーガ)と手を振り交わしている。

 他にも、香辛料に調味料、日常雑貨や衣服に反物なども盛況なようだ。

 

「いやはや!! 真に素晴らしい都ではありませぬか!?」

「確かに。そこは素直に認めざるを得ませんね」

 

 ナタとイズラはそう率直な評価を送ることに躊躇(ためら)いがない。

 人と亜人と異形。

 それらが共存共栄を果たす町並み。

 ユグドラシルでも、こんな光景は滅多に見られるものではない。そういったゲーム(ユグドラシル)の知識のないNPCの二人ですら、都市の繁栄と平和には、感嘆の念を懐く以外に処方がなかったのだ。

 

 

 

 ユグドラシルには、異形種PKが存在するように、PK禁止と定められた特定の街やフィールド以外では、割とプレイヤー同士の対戦や決闘──さらには奇襲、夜襲、報復の類は多く発生したものだ。

 それが、ユグドラシル内で受容されていたのは、PKポイント次第によって得られる恩恵……レア職業などへの転職(クラスチェンジ)が実装されていた他に、「いつ誰に襲われるかもわからない」という緊張感と臨場感が、多くのヘビーユーザーの心を掴んだのだ。確かにPKやPKK対策は面倒を極める項目ではあったが、それにも増して、「本当の幻想の世界を”冒険し旅をする”ということは、こういうことなのだ」というユーザーたちの理解と認識が、DMMO-RPGというフルダイブ環境のゲーム性と適合した結果ともいえる。

 

 そんな環境の中で、人と亜人と異形が一堂に会する街やフィールドというのは、そこまで多くはない。

 はじまりの街などの初心者専用のホームタウンは、九つの世界ごとに各種別に区分けされており、人間種は人間種の街に、亜人種は亜人種の里に、異形種は異形種の地に、ユグドラシルプレイヤーは送り出され、そこでユグドラシルのゲームを生き抜く知識と技術、レベルやアイテムを備えて、冒険の旅に出かける仕様であった。

 故に、はじまりの街にはその種族のNPCと、後進育成に心血を注ぐ一部のヘビーなキャラメイクプレイヤー……“成りきり”が存在するのみ。一部には、他の種族の入場を制限・禁止されていたりするので、まず初心者たちが人と亜人と異形が一堂に会した光景を見ることはない。販促用のCM画像ではいくらでも視聴可能だが。

 ユグドラシルで、この魔導国の都市の様を完全再現される場所というのは、二桁しか存在しない。様々な街や都、土地や地域、国やダンジョンなどが数えきれないほど胎動していたユグドラシルのゲーム構造を考えれば、その少なさは歴然としている。

 各世界(ワールド)ごとに開催される闘技大会を催す都が数ヶ所、ユグドラシル内でも全ユーザー向きの非戦闘フィールド──超広場──など、ユグドラシル運営が営むことを前提とした「不可侵地帯」と、一時的な祭り(イベント)の時以外、そういった人と亜人と異形のコントラストは発生し得なかった。

 

 

 

 しかし、魔導国では、そういった光景が日常風景の中で存在している。

 その事実を、少年兵と黒い天使は、感嘆を込めて認めるしかなかった。

 毎日が祭りであるかのような意気が、その都から溢れているのだから。

 

「異形種プレイヤーのみで構築された特殊なギルドと聞いておりましたが。意外にも、それ以外の種族にも寛容なようだ」

「まったくでありますな!!」

 

 ナタは強く頷いた。

 彼等をはじめ、天使の澱のNPCたちは、ユグドラシル時代に与えられた知識・カワウソが呟いていた独り言・創造主が時折眺めていた戦闘動画(ムービー)などの内容から、ある程度、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの情報を得ており、その情報と今の状況を照らし合わせることを可能にしていた。

 

 異形種のユグドラシルプレイヤー、ギルド最大構成員数100人に対し、僅か41人で成り立っていた、“悪”を標榜するギルド。

 創造主カワウソをはじめ、彼の仲間・友人だった(・・・)者や、多くの同格者(プレイヤー)……1000人規模の討伐隊を一度は落命・壊滅せしめた、伝説の存在。

 

 魔導国は、その名を冠された大陸唯一の統一国家。

 

 自分達のギルドが転移した先のスレイン平野をはじめ、この大陸のすべては、カワウソの敵と同じ名を戴く存在の領有物であるという事実が、NPCたちには信じられなかった──が、実際に、各都市の街並みに、アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインが輝く幕旗がなびく様を確認していけば、もはや確信するよりほかにない。

 

 自分たちは、自分たちの主が“敵”とする者の懐に、入り込んでいるのだという現実を。

 

「これは!! 意外にも我々のことを受け入れてもらえるのでは!?」

「それは──どうでしょうねぇ?」

 

 イズラは考える。

 仮に、アインズ・ウール・ゴウン魔導王という人物が、カワウソと同じくユグドラシルプレイヤーであるならば、協力関係を結ぼうと考えることはあり得る話。だが、イズラたちにしても、何故、こんな異世界で、自分たちの敵であるはずのギルドの名を冠する超大国が君臨し、100年にも渡って統治する歴史を持つのか、不可思議でならなかった。

 彼等NPCの記憶や知識は、創造主(プレイヤー)が与えた設定などに基づいて構築されている。

 それを駆使しても、こんな異世界に転移するという事態は、常識の範囲外を軽く超越していたのだ。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王が、マスターや我々NPCにとって、友好を結ぶに足る存在と見做されなければ、逆に(ころ)されるのがオチじゃないでしょうか?」

「ですが、イズラ!! 師父(スーフ)の御命令は、「穏便に且つ慎重な調査を」とのこと!! さらに「殺傷(アレ)は原則厳禁」という縛りがある以上、我々は友好的・好意的にふるまうしかないと思われますが!?」

 

 余人に聞かせるには大いに憚りがある単語をボカしたナタ。盗聴対策はイズラによって展開されている為、そこまで神経質になる必要はないが、この「後」を考えれば、ナタはイズラに頼るばかりではいられない。

 一応、調査……諜報や潜伏に一日(いちじつ)(ちょう)があるイズラの言いつけは守られていることに、都市に至るまでの道中だけ教師となった死の天使は、満足げに頷く。

 

「ふむ……では、ナタ。我々のマスターであるカワウソ様は、我等の敵の名を戴く存在──アインズ・ウール・ゴウンと、友誼を結ぶと?」

「ハハッ!! それは少し考えられませぬな!!」

 

 雑踏の中に埋没する遣り取り。

 歩み笑う二人の意見は、最初から最後まで一致した。

 自分達を創造した唯一の主人カワウソは、長くユグドラシルにおいて、アインズ・ウール・ゴウン打倒に注力した存在。

 彼が費やした労苦と年月を思えば、一朝一夕に、かの国の魔導王とやらに(おもね)ることは、ありえない。敵を油断させて、然る後に奇襲を図るというのであれば、そういう戦術選択もありえるだろうぐらいか。

 ナタは戦士としての愚直さでもって言い放つ。

 

師父(スーフ)の望みは“ひとつ”!! その信念が揺らいだことは!! 少なくとも、我々全員が創られた頃より、お変わりないという事実があります!!」

 

 今度はイズラが強く頷いた。

 でなければ、彼が自分たちのような存在を創るわけもない。

 天使の澱の拠点、第四階層の屋敷に招集された二日前……転移する直前にまで、カワウソが視聴していた、ナザリック地下大墳墓・第八階層侵攻時の動画(ムービー)は、少々離れた位置にいたNPCたちにも視聴され得たもの。それ以前から、カワウソは折に触れてナザリック関連の動画などの閲覧・研究に没頭しており、その熱の入れようは一種の狂気的なものを感じさせるほどである。

 

 彼は諦めなかった。

 諦めるということをしなかった。

 だから、自分たちNPCは創られた時のまま、彼のシモベとして仕えることを許されている。

 

 ──アインズ・ウール・ゴウンと戦うこと。

 

 それこそが、彼等(NPC)の存在証明である以上、この調査はカワウソの言う通り、穏便に、且つ、慎重に、魔導国側に漏れぬよう、隠匿され続けなければならないだろう。

 

「それを思えば、この調査において重要なのは……魔導国、(いえ)、アインズ・ウール・ゴウンというギルドの名を名乗る魔導王の正体を、その全貌を把握することでしょう」

「まさに、その通りです!!」

 

 これは、冒険都市の調査に赴いたラファは勿論、拠点防衛に心血を注ぐ天使の澱の同胞らの他に、飛竜騎兵の領地へと発ったカワウソたちも懸念した事だ。

 

 アインズ・ウール・ゴウンとは、ユグドラシルに存在した“ギルド”の名前。

 

 個人としてのユグドラシルプレイヤーが、悪名高いその名を名乗るはずがない。また、そのギルドの拠点である「ナザリック地下大墳墓」が、この国の首都の内にあるという事実を、既にカワウソたちはマルコなどの現地人から聴取し、監視役だったマアトを介して全員が知悉していた。おまけに、魔導国内を治める六大君主の内、五人──シャルティア・ブラッドフォールン、コキュートス、アウラ・ベラ・フィオーラ、マーレ・ベロ・フィオーレ、デミウルゴス──は、ナザリック地下大墳墓の第一から第七階層の各“守護者”として君臨していた拠点NPCであることからしても、件のギルドがこの異世界に存在していることは事実だと認識する他ない(六大君主・大宰相、アルベドは、誰も辿り着いていない第十階層の住人であったため、当然、ユグドラシルの存在たる彼等──天使の澱にも、詳細は不明であった)。

 魔導王、アインズ・ウール・ゴウン。

 その姿は、ユグドラシルに存在した最上位アンデッド・死の支配者(オーバーロード)

 かのギルドの(マスター)であるプレイヤー……モモンガのそれなのだ。

 これは、どういう冗談なのだろうか、イズラやナタたち天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたちにも理解不能な事象である。

 

 何故、自分たちの敵の名を戴く個人が、“ギルド”の名を戴く王が、この転移した先の異世界に君臨しているのか?

 あまりにも不可思議でならない。

 

「とりあえず、この都市の調査を自分が担当するわけですが……ナタ。君はどうやって次の目的地へ?」

「わからないであります!!」

 

 ナタはあっけらかんと、まるで誇るかのように言い放つ。

 

「案内が出来そうなマアトは!! 現在、単独行動中のラファの方の監視を強めている現状!! 今、彼女に頼ることは出来そうにありませぬ!!」

 

 調査隊は四つに分割されはしたが、カワウソとミカたちの他の三部隊の中で、現在たった一人で冒険都市の調査検分を実行しているラファの支援を厚くするのは当然の処置だ。

 

「では、行き方を誰かに聞きましょうか?」

 

 道行く人にものを訊ねる。

 確かにそれは覿面な調査方法ではあるが、問題がないわけでもない。

 

「言葉は通じているようですが!! 現状、自分達は文字が読めませぬ!! 下手にものを訊ねて、ヘマをやらかさないとは言い切れないのは、何とも歯がゆい!!」

 

 ナタが指摘した通りだと、イズラは首肯する。

 たとえば。

「この街のどこそこの店に行きたい」と、道行く人を引き留め訊ねた時、「どこそこの店なら、ホラ目の前にあるじゃないか?」という事態にならないと言いきれるだろうか? 文字が読めないNPCであるイズラとナタは気づかない内に、そういった危険を犯すこともありえる。彼等は魔導国の民に怪しまれるのは避けねばならない身の上なのだから、拠点から言語翻訳読解魔法のメガネが届く11時ごろまで、迂闊に行動できない(翻訳メガネは長いことカワウソは使う機会がなかったので、拠点の倉庫にいれっぱなしになっていたようで、今現在進行形で屋敷のメイド隊が探索し、必要数を揃えている)。

 より複雑に考えると、NPCたちでは扱えないルート……公共の交通手段らしいアンデッドの乗合馬車や騎乗モンスターのタクシーなど……を推薦されても、彼等には扱うことに無理がある。

 

 何故なら、支払うべき運賃──この魔導国の通貨が、彼等の手元にはないからだ。

 

「どこかでまとまった金銭を確保できれば、今後の活動もやりやすくなるはずですが」

 

 しかし、だからといって、銀行や商店を襲って強奪するなど、言語道断。カワウソの指示した命令内容から背離するのは決定的に明らかだ。

 では、他に手はないものかと首をひねり歩き続ける。

 とりあえず、今の状況にあった調査を進めるしかない。

 

「ん……あれは?」

 

 イズラが視線を向けた方向。広場の方で、歓声と轟音……叫喚が、湧き起こる。

 

「おもしろそうな気配を感じます!! 行きましょう!!」

 

 情報収集任務……以上に自己の好奇心が刺激されたのか、少年兵は音のする方へ迷いなく足を向け、子どもらしい大股歩きで腕を勢い良く振り進み続ける。

 倍ほどの背丈を持つ人間の大人の中でも長身の(街の亜人やアンデッドなどと比べれば低い部類だが)死の天使・イズラの隣に並行して汗一つかかないナタは、言うまでもなく「疲労」などとは無縁の異形種──花の動像(フラワー・ゴーレム)なのだから、当然であった。

 人垣をかき分ける小柄な少年。イズラは自分の暗殺者の特殊技術(スキル)と装備とを駆使し、隠形無音……ほぼあらゆる五感から消え果てる〈不可知化〉の効果を発動し、彼の後に油断なく続く。

 人垣の中心で、胴間声(どうまごえ)が太く響いた。

 

「フははハハっ!

 さァっ、次ノ相手は! この俺サまに挑みたイ猛者(モサ)は、イナいのかァ!?」

 

 轟然と奇怪な音色を響かせ吼える、巨躯の亜人。

 彼は半径数メートルほどの白線で描かれた円の中心で、王者のごとく胸を張る。

 身長は二メートル後半。雄々しく膨れた筋肉は、彫像のように引き絞られた肉体美を備えており、通常のトロールよりも強壮に見える。長い鼻と耳を持つ顔立ちは美とは無縁そうだが、そこに強者としての誇り・戦士としての風格というものを、感じる者は少なくない。

 名を呼ばれ「いいぞ、ゴウ!」「やれやれ!」「今日も魅せてくれるな!」と(はや)し立てられる妖巨人(トロール)は、どうにも有名人物らしいが、ナタたちには詳細は分からない。

 円周から引きずり出される気絶したミノタウロス……頭が牛で、肉体は人間の体躯を持つ亜人が、仲間と思しき獣顔の神官から治癒魔法を受けている。首から下げたプレートの色は、アダマンタイトの輝き。魔導国における、六等冒険者の証であった。

 人々がこの国でも人気職である冒険者たちの体たらくに、同情の念を惜しまない。

 

「おい、まじかよ、“風斧”のクエルノが戦闘不能?」

「冒険都市での「祭り」前の肩慣らしのつもりだったんだろうに」

「あれじゃあ、「祭典」に行っても、大して活躍できないんじゃないか?」

「しかし、あの妖巨人。ただの腕自慢じゃないな……噂に聞く“武者修行者”?」

「そうに決まっている。大陸中央、ウォートロール領域で100年も信仰されている『武王修行』──」

 

 ナタとイズラは黙して、集まった人々の声に耳を傾ける。

 新たな挑戦者が名乗りを上げた。やられたミノタウロスのご同業(チームメイト)らしい蜥蜴人(リザードマン)の男が、「かたき討ち」と宣して紙幣を片手に円周内に入り込むが、結果は一分も経たずのK.O.(ノックアウト)に終わる。彼我の体格差を考えれば、当然の帰結と言えた。

 冒険者と呼ばれる彼等は、身に帯びる装備……鎧や外衣などは素晴らしいもので、そこは妖巨人の彼が着込むそれ──古臭く、半分は割れ砕けた鎧の残骸──よりも高価かつ高品質だと判るが、純粋な体力勝負で言うと、妖巨人のそれには及ばない。妖巨人の再生能力──HP回復の特性は、ユグドラシルと同様に、この異世界でも厄介な代物らしく、叩いても蹴っても、強靭な筋肉で全身を(よろ)った巨人には通らないし、たとえいい一撃を巨人がくらっても、すぐに回復してしまう。亜人は勿論、通常人類も太刀打ちすることは難しい。

 先の冒険者二名の他にも、よく見れば色々な種族の亜人が、自前の魔法や薬で打身(うちみ)青痣(あおあざ)に治癒を施していた。

 妖巨人の大きな肉体を前に、並み居る挑戦者たちはなす術がない。

 

「どうやら、彼はああして、金銭を得ているのですね」

 

 妖巨人の背後──そこに山のように積まれた通貨や紙幣を、イズラはナタと共に注視する。彼が立てたらしい看板もあったが、読めるわけもない。

 盗難防止用の魔法陣が敷かれた風呂敷に、妖巨人は対戦相手より受け取った金銭を放り投げて、己の財貨としている。あの魔法都市(カッツェ)でも行われていた“辻決闘”か“賭け試合”という奴か。

 人垣を見渡せば、誰もがその様子に疑念や嫌悪を懐いていない。

 むしろ、彼の催す戦闘風景に魅入り、彼の勝敗を占って賭けに興じるものまでいる始末。

 これは一種の興行として、魔導国の都市では認可を受けている行為なのだろうと推測される。その証拠に、広場に巡回警備に現れた中位アンデッド、死の騎士(デス・ナイト)たちは素知らぬ顔で、市場の治安維持に励んでいる。妖巨人の行状は、治安を乱しているとは見られていないようだ。

 

「おそらく、何らかの許可証などがあって、妖巨人の彼は戦闘行為の勝利条件を満たすことで、相手から受け取った金銭を蓄えることができるようですね?」

 

 不可知化を発動中のイズラの声は、装備で隠形対策をしているナタにのみ通じており、少年はかすかに首肯の仕草で同意を示す。隣のナタが黙っているのは、ひとえに、こんな状況で、傍に誰もいない風にしか見えない一人きりの状態で、大声を張り上げては怪訝(けげん)に思われるから。

 ナタはいろいろと判った顔になって、妖巨人の彼の許に進む。

 イズラは引き留めなかった。少年兵のやろうとしていることを、過つことなく理解していた。

 

「……〈伝言(メッセージ)〉。聴こえますか、マアト?」

『わ。は、はい。イズラ、さん? どうし、ました?』

 

 トラブルを疑うギルドの監視役たる少女に、イズラは少しばかり協力を仰ぐ。

 

「監視の目をひとつだけ、こちらに回していただきたいのです。──ええ。映像を記録したいので、──ええ。魔力消費は抑えて……それでお願いしますね」

 

 いかにマアトの能力をもってしても、複数個所に監視の目を注ぎ続けるのは、難しい。おまけに、彼女の魔力量を考えれば、どうしても休息時間は必須になる。

 そこで、彼は自分の保有する特殊技術(スキル)を併用させつつ、マアトの〈記録〉の魔法で、ナタが行おうとしている行為を映像として保存する“(カメラ)”となる。

 

「ということは!! 自分があなたに勝つことができれば!! そこのお金をいただいてもよいということですか!!」

 

 妖巨人(トロール)は、現れた小さく(いとけな)い少年を無下にすることなく、その挑戦を心より受け入れる。

 

 

 

 

 

 かくして、ナタが妖巨人の彼から「正当な手段で」頂戴した賞金、その半分ほどの十二万ゴウンを獲得することに成功した。

 天使の澱のLv.100NPCの中で最も近接系職業に特化した少年兵の力量は、この異世界、魔導国の臣民である亜人に対しても、圧倒的な性能差を誇るレベルにあるようだ。

 

「お疲れ様です。ナタ」

 

 魔法の荷袋に詰め込んだ通貨や紙幣を簡単に勘定し終えて、ナタは自慢げに笑みの花を咲かせた。

 

「これで、少しでも師父(スーフ)たちのお役に立てれば良いのですが!!」

 

 イズラは「無論」と頷いてみせた。

 ナタの言ったことを──どうせならば、自分こそがその栄誉を──そういう気概は、イズラには一切ありえない。

 彼の戦闘能力は“暗闘”に終始する。ナタのような派手さや、隊長であるミカほどの性能は持ち合わせていない。彼の戦いは、決して余人の目に止まってよい類のものではないから。

 それをこそ創造主(カワウソ)は望まれた。

 ならばイズラは、その在り方に準じるのみである。

 

「マスターやラファにもお送りしましょう。これで、我々の活動の幅は広がることになる」

 

 花の動像(フラワー・ゴーレム)は、さらに嬉し気に微笑んだ。──その時、

 

「キャアアア────ッ!」

 

 絹を裂くような少女の悲鳴。

 さらに、怒号と喧騒が折り重なり、膨れ上がる。

 即座に振り返った通りの先から、露店や人々を薙ぎ倒す勢いで、二つの影が翔け踊る。

 全身鉄色に輝く人馬の背に、買い物袋を提げた、茶色の髪の少女が一人。

 その後ろから、暴走車のごとく追い縋る影は、

 

「魔獣ですな!!」

「騎乗用モンスターの、……あれ、なんでしょう、合成獣(キマイラ)?」

 

 キマイラと呼ぶには、些か微妙な造形である。尻尾は蛇のごとき鱗に覆われているが、何しろ、その見た目はまん丸いお団子で、鋼色か白銀のふかふかした毛皮の四足獣なのだ。獅子や山羊の頭などはなく、手足は獣の割には微妙に短そうに見える。黒い宝石じみた円らな瞳は、愛嬌と共に力ある様を顕在させるが、何やら混乱でもしているのか、渦を巻いているようにも見える。涙で前がよく見えていないのかも。獣の鳴き声がこれまた珍妙で、「ござっ! ござっ! ござる!」という音が、ひっきりなしに柔らかそうな形の唇から吐き出されていた。

 

「……あれ、こっちに向かってませんか?」

「そのようです、イズラ!! 御明察です!!」

 

 理解した二人は即断した。

 魔導国内で、カワウソが見せた行為行動に『(なら)う』べく、二人は勇躍。

 ナタは戦士らしい愚直さを伴い、イズラは暗殺者として姿を消して、都市内の暴走事故に立ち向かう。

 

「失礼します!!」

 

 瞬速を駆る少年兵の声の背後で、黒い翼を広げた不可知化した天使が密かな援護を行う。

 人馬型鉄の動像(アイアン・ゴーレム)を少女ごと抱え上げ、空へと飛び跳ねるナタ。

 暴走した騎乗用モンスターを鋼線(ワイヤー)で柔らかく吊り上げ停止させるイズラ。

 かくして、市場を破壊しかねなかった脅威は取り除かれた。

 ナタは一瞬、衆目を集めてしまったが、これは致し方ない。

 周囲から歓声が轟き、何故か、まばらな拍手が市場を満たす。

 

「……襲撃かと思いましたよ」

「殺気がまるでありませんでした!! 予見できなかったことは、まことに不覚!!」

 

 鉄の動像を少女ごと石畳に下し、「ご無事ですな!?」と少女の無事を確かめたナタは、彼女からの御礼も聞かずにそそくさとその場を後にする。

 厄介事は御免被る。

 自分たちに与えられた任務は、魔導国の調査。少女を助けたのは、ほんのついでに過ぎない。型は違うが、動像(ゴーレム)が──ナタにとっての近親種が、暴走獣に破壊されるのを見たくなかったというのもあった。

 

 ……あるいは、カワウソがやったのと同じように、少女やその親族に恩義を着せて、自分たちの任務に利用すれば……とも、イズラは一瞬だけ考えたが、ナタはそういうことには向かないので立案すらしない。

 

 二人の駆け去った背後で、鋼線(ワイヤー)の網が消え去り解放された四足獣を心配するように駆け寄る“同じ造形の四足獣の仲間”たちが、暴走に巻き込まれていた少女と人馬の動像(ゴーレム)に謝罪の言葉を連ねていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「何です、これは?」

 

 彼女は、見下げ果てて何も言えない。

 折れかけた露店の柱、陳列棚からぶちまけられた商品、通りの石畳を汚く染めるゴミの惨状。

 これが、魔導国の第一生産都市・アベリオンで発生した醜態だと、容易に認めることができなかった。

 

「そのう──でござる」

「そのう、ではありません」

 

 烈火のごとき怒気を秘めながら、彼女は凪いだ水面のような静かな口調と表情で、詰問を繰り返す。

 事情は既に把握していたが、それでも、だ。

 

 市場を暴走した都市内タクシー、通称“101”と呼ばれる運搬交通網は、都市内における快速急行便として、数十年前から各都市に動員されている一般臣民用の移動手段だ。騎乗者の安全を守る魔法の鞍を装備された四足獣……ハムスターの背中に乗った者は、住所・目的地を言い含めることで、そこまで運んでもらうことを可能にするという都市交通網の一種だ。金に余裕のある層はアンデッドの乗合馬車ではなく、この101を使用することが多いという。

 難点は、慣れていない人だと上下運動──都市の壁や屋上を走ることもあるほど激しい乗り心地な為、「酔いやすい」のと、これは長距離移動には向かない──移動した分の疲労度で金銭を加算されていくため、都市間の移動には使わないことがほとんどだということ。あと、大人数の移動も「疲れるから遠慮したいでござる」ということで、員数分の金額を追加されることが挙げられる。

 しかし、慣れてしまうと意外に柔らかな毛皮が気持ちよく感じたり、都市内をアトラクションのように巡れたり、言葉をしゃべる魔獣というのが珍しいので単純に喋り相手として扱ったりなど、一定のニーズが存在している。

 その四足獣──見る者が見れば、ジャンガリアンハムスターだと言ったに違いない。

 

「もう一度、聞きます。──何です、これは?」

 

 タクシーの運搬会社の代表を務める四足獣は、申し訳なさそうに頭を低くするしかない。

 代表の“彼”が言うには、「休憩中のお仲間が、お昼寝しているところに変な連中が現れて、変なものを嗅がされたせいで「混乱」した……らしいでござるよ」とのこと。

 

「まったく。……それで、その変なものを嗅がせた連中というのは、本当に身に覚えがないのですか?」

 

 悪戯(イタズラ)目的の愉快犯だとしても、度を越して愚劣な行為に相違ない。

 仮にも。この魔獣たちはナザリックで最も尊い御方の管理下にある存在。それをどうこうしようという劣愚は、無知蒙昧の罪で刑すべきだろう。

 抑えきれぬ感情に、金色のロールヘアを風もないのに(なび)かせ踊らせる女性に、代表たる四足獣は丸い背中を四角く強張らせて「絶対にないでござる! 信じてくださいでござる!」と涙目で訴えかけてくる。

 ──なんでおまえが涙目になるんだろうという疑念を、メイドはとりあえず体内に沈め落す。

 

「とにかく。市場の後片付けを優先させて。それから、負傷者の有無を再確認するように」

 

 わかったでござると快活に頷く四足獣の群れは、勢い込んで市場に転がるゴミや食べ滓などの処理に向かう。

 ──危うく都市長の孫娘を轢殺しかけた割には、反省の色が薄い気はするが、気にしても意味がない。そういう一族(いきもの)だ。

 幸いというべきか。死人どころか負傷者すら出ていないのは、この騒動の獣が、まがりなりにも安全装置ガン積みなタクシーだったことと、少女の乗騎となっていた動像(ゴーレム)の性能も合わさって──そして、「それ以上」の要因があることが、今、確認されている。

 

「映像記録の方は?」

 

 メイドは己の影の内に潜む悪魔に問う。

 影は申し訳なさそうに、『都市の監視システムの死角で起こった出来事なのか、それらしい映像は、僅かしか』と告げる。市場通りには、確かに映像記録を撮り収める監視用の簡易ゴーレムが適量配置されているが、ナタの卓抜した身体能力と、イズラの保有する隠密系特殊技術(スキル)によって、二人の行動はそういう存在の影響下にはおさめられることはなくなっていたのだとは、彼等は知りようがない。

 僅かしかという映像の方も、肝心な人物──少年の姿は障害物で見切れていたりするから始末におえない。これは、今日の生産都市全域の監視機構を総ざらいせねばならないか。

 

「──あの娘は、何処に?」

 

 都市長の人馬(セントール)が愛してやまない、四分の一(クォーター)人馬(セントール)たる娘子を探すメイドは、ほどなくして報せを受けて駆け付けた都市長の老人、その腕に抱かれた少女と出会う。

 茶色の髪の少女は、長いスカートで隠れていた足元──二本脚の先が馬の蹄で構築されたそれを外にさらしつつ、魔導国の中でも最上位に位置づけられる存在、ナザリック地下大墳墓に属する戦闘メイドの質問に、答える。

 

「あのね、あのね! 蒼い髪の、男の子がね!」

 

 まるで夢の中の王子に出会ったような心地で語り出す。

 この都市に派遣されていた隠密治安維持部隊の筆頭──別命を果たすまでの間に起こった交通事故の処理に赴いた戦闘メイド(プレアデス)の三女──ソリュシャン・イプシロンに。

 少女自身が見た、すべてを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 妖巨人VSナタは、飛竜騎兵・第九話の「調」でお話されていた、現地通貨獲得のくだり。

 100年前の事については…………12巻の内容によっては修正するかも。


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生産都市・アベリオン -2

/Flower Golem, Angel of Death …vol.03

 

 

 

 

 

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 イズラとナタは、生産都市の街並み……魔法都市のような水晶の輝き、高層ビル群のようなそれとは違った中世ヨーロッパのそれに近い建物の間を進み、まったく疲れた様子もなく調査を続ける。あの市場(バザー)での事故に巻き込まれかけた折から、イズラだけでなく、ナタもまた隠形して身を潜めることに終始する──ということは、一切ない。

 イズラは暗殺者(アサシン)盗賊(ローグ)系統の特殊技術(スキル)を用いることで、ある程度、自分と自分の仲間に隠密性を宿すことを可能にしている上、今のナタは、先ほどまでの装いとは見るからに違っている。

 

「こうして見ると、なかなかおもしろいですね。花の動像(フラワー・ゴーレム)は」

「ありがとうございます!!」

 

 ナタは、普段の蒼い髪の様が嘘のような変貌を、その頭髪の色に宿していた。

 まるで土壌の性質で咲く花の色が変わるかのごとく、彼の磨かれたように輝く蒼い髪色は、今は見る影もないほどの“白に近い水色”に染まっている。これは、花の動像(フラワー・ゴーレム)の特性のようなもので、ナタは自分の容姿……髪の色を、ある程度まで変化させることを可能にするという性質があり、今回のような潜入任務において、この変化機能は非常に重宝され得るものであった。

 だが、彼本人としては、創造主(カワウソ)から最初に与えられた蒼の髪こそが最も好ましい形態のようで、他の色に染めるのは大いに遠慮したいのが本音であった。

 このように、花の動像(フラワー・ゴーレム)は色々と便利かつ有用な能力値や特性、特殊技術(スキル)を保持しているレア種族──あまりにレアなため、通常の最大レベルは15なのに対し、彼の種族はLv.5まで──であり、彼が拠点防衛の第一と第四の階層にまたがって戦闘を行うというのも、半ば当然と言えるスペックに恵まれていた。単純なパワー・スピードにおいては、下級天使にして暗殺者のイズラでは太刀打ち不可能なほど。それが、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)における“最強の矛”と謳われし少年兵の種族なのだ。

 

 

 

 

 

 ギルド拠点NPC製作時において、NPCの創造者となるプレイヤーは、ギルドの“拠点ポイント”に従うなどの制約のもと、ある程度まで自由に自分たちの拠点を防衛してくれるNPCを作成できる。

 しかし、

 だからといって、

 拠点NPCをすべて強力かつ希少な種族や職業で埋め尽くすといったことは、ほぼ出来ない。

 そんなことが可能ならば、天使の澱に属するNPCはすべて、強力な熾天使(セラフィム)花の動像(フラワー・ゴーレム)などで埋め尽くせばいい。他の大小様々に存在していたギルドにおいても、よほどの猛者たち──ランカーギルドでもない限りは、そこまで強力な種族や職業ばかりをNPCに与えることは不可能に近かった。自由にできるのであれば、わざわざ雑魚な種族や職業をNPCに与える必要はないだろうが、ユグドラシルのゲームシステムで──あの運営で──そんな都合よくいくはずもなかったのである。

 

 拠点NPCを製作する上で必要なのは、大元になるギルド拠点……ポイントの大量確保が大前提となるが、次に重要なのは、『NPC製作用のデータクリスタル』の存在だ。

 

 このクリスタルは、ギルドの管理コード──ゲーム時代はコンソールを開いた先で出現する“金貨ガチャ”から、主に配出されていた。一日一回、ギルド構成員プレイヤーの数だけ無料で回せるのだが、11連ガチャとなると一回ユグドラシル金貨1000枚ほどを支払うことに。そのガチャから『人間種NPC(人間、森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)etc)』『亜人種NPC(小鬼(ゴブリン)妖巨人(トロール)蜥蜴人(リザードマン)etc)』『異形種NPC(骸骨(スケルトン)小悪魔(インプ)天使(エンジェル)etc)』などの他に、種々様々な『NPC専用職業(クラス)』のデータクリスタルがLv.1~15まで提供され、そのデータを基にして、プレイヤーたちは様々な種族や職業を有するNPCを作成し、さらにそこへ好きな『外装ビジュアル』をクリエイトツールで施し、『NPCの行動AI』をプログラムすることで、そのNPCを拠点のゲームキャラとして創造──NPCに与えた種族・職業に合わせた武装やアイテムを与えることで、拠点防衛用NPCが誕生するというシステムになっていた。

 NPCは、プレイヤーにとって必須な“前提条件”というものがほぼ存在せず、データを揃えさえすれば、かなりおもしろいキャラメイクを可能にしていた。ある上級職を確保する際に、その下級職業Lv.5やLv.10以上などがプレイヤーには要求されるにもかかわらず、NPCはそういったものを無視して、上級職を保有することも“一応”は可能だった……無論、そのためにはデータの入手ができればという前提が存在する。

 

 そうして、ガチャという性質上、決まった種族や職業を大量に獲得できるという保証は、一切ない。

 ある程度、課金ショップなどで特定の種族や職業は買い揃えることも出来たが、拠点防衛用NPCにそこまで金を注ぎ込むよりは、自分自身の外装(アバター)や装備をイジったり、あるいは戦闘や冒険で有利になるアイテムを購入する方が優先されたものだ。

 

 ガチャはせいぜい『人間種』専用、『亜人種』専用、『異形種』専用の他に、戦士職業や魔法職業、特殊職業に特化したものに分類されている程度。その中で稀少と呼ばれるレア種族やレア職業が落ちる確率は、ほぼ0%──ゲーム内の金貨ガチャではなく、「拠点NPC用“課金”ガチャ」で、ようやく数%の期待が持てる程度であった。

 そういう性質上、通常の11連ガチャや、時には課金11連でも要らないNPCデータというのは大量に生まれるもので、そういった余りものは泣く泣く廃棄するか、あるいは商業ギルドなどに買い取ってもらって金貨やアイテムに変えるか──場合によっては、商業ギルドの保有する自分の欲しいNPCデータと交換・取引するというのが常であった。無論、超レア種族や職業を自分で引き当てることができれば御の字であり、運が良ければ商業ギルドが喉から手が出るほどのレアものを一度に複数獲得することも、一応、ありえる。天使の澱のNPCも、そういった経過をたどって、カワウソの手により二十二体と四匹、作成されたのだ。

 

 

 

 

 

 二人は一応十分に警戒しつつ、都市の最南端にある街区に到着。

 平坦な土地を囲む田園風景を望むそこは、都市の端にある馬車乗場であった。

 二人は、11時の定刻に僅か遅れて、〈転移門(ゲート)〉を開けて現れた同胞──愛の天使(キューピッド)の姿をしたクピドと裏路地で合流し、彼から配給される荷袋を受け取っていた。彼のおかげで、ナタが獲得した現地の通貨は四部隊すべてに等しく分配済み。マアトから〈伝言(メッセージ)〉を受け、創造主(カワウソ)から“お褒めの言葉”を賜ることができたナタは、有頂天ここに極まれりという様子で、イズラも感激を禁じ得なかった。

 しかし、二人は尚一層の努力を誓って、ここで一度、別れねばならない。

 昨夜受け取っていた、カワウソの命令に従って。

 

「あそこの掲示板の通りなら、あの赤い二階建ての馬車・鉄馬(アイアンホース)六頭立てが、南方への直行便のようです」

「なるほど!! 確かにそう書いておりますな!!」

 

 言語解読用の翻訳眼鏡などかけたことのない二人だったが、問題なくアイテムを装備し、そこに記された文言や数字の意味を読み解くことができた。主人から賜ったアイテムは貴重なため、使用後はすぐにケースに仕舞って、紛失や損壊などしないよう丁寧に荷袋の中に仕舞う。

 残念ながら、第一目標であった天空都市・エリュエンティウへの直行便は、今朝方すでに出立済みで、同じ便が来るのは六時間後。それまでの時間つぶしに生産都市に留まってイズラの手伝いをと少年兵は考えたが、ちょうど良いタイミングで南方に発つ馬車があるようなので、そちらの調査を優先させることを両者は選択するに至ったのだ。

 

「不安なのは、やはり“領域”とやら? その境界を、ナタが無事に通行可能かどうか──ですね」

「イズラの隠密職の特殊技術(スキル)のおかげで、都市への潜入は何とかなりましたが!! 果たして“領域”とやらに自分一人で潜入可能かどうか、疑問は尽きないでありますな!?」

 

 声を潜めるイズラに対し、ナタは相も変わらず元気な口調だ。

 さすがに道行く人に怪訝に思われるのを避けたいため、二人の会話は周囲に人がいない状況で行うしかない。

 イズラは、盗賊の達人(ローグ・マスター)Lv.1が扱う“集団潜伏”の特殊技術(スキル)を用いて、この生産都市への侵入を容易にしていた。彼は一度に数名まで──自分を含む六人パーティ分の存在を完全に隠匿し、関所や城門、ダンジョンに張られた監視機能などをすり抜ける技を保有している。

 おかげで魔法都市(カッツェ)の広域探知や、この生産都市(アベリオン)の検問と監視機構にも、そこまで苦労することなく行動することができている。

 しかし、カワウソの命令は、「イズラは生産都市を」「ナタは生産都市を経由して、南方を」調査せよ、とのこと。

 ここからは、両者は別行動を余儀なくされる。

 ナタは都市や領域の監視体制を突破する特殊技術(スキル)や特性は保持しておらず、新たに与えられた装備やアイテムでどうにかできるだろうかという実験も込みで、調査に出向くことになる。なので、潜入不可と見做された時点で、彼は退却することも折り込み済みだ。

 カワウソの意図(本当は、頭脳明晰な設定を与えられているミカの意見が大いに参考になっている)は、魔導国の都市や領域の警備体制が、果たしてどれだけ自分たちには突破可能なのかの実験に終始する。イズラによる“集団潜伏”も然り。冒険都市へ単独派遣済みのラファの方も、『祭り』の期間中ということでスムーズに潜入することは出来ていたようだ。ラファは現在、冒険都市内の人工ダンジョンで開催されている『大冒険祭』という祭り(イベント)などを観戦しているらしい。

 すでに、南方行きの馬車は出立の用意を万端整えており、連結タイプの二階建て構造という重厚な車体に開いた二つの出入り口、一階と二階には、切符を買った臣民が人と亜人と異形が入り混じって、ごった返していた。

 

「それでは、イズラ!! 行ってまいります!!」

「ええ。そちらも頑張ってください」

 

 水色の髪に変じた少年は、乗り場近くの発券場で2000ゴウンを支払い購入していた切符を握り、馬車に乗り込みながらも、同胞(イズラ)とのしばしの別れに手を振って笑う。

 全身黒尽(くろづくめ)の天使は、(いなな)きのごとき駆動音を奏でる馬車を見送り、二階席後方から身を乗り出して手を振り続ける仲間を、見えなくなるまで見送ってあげた。

 

「……さて、と」

 

 この都市の調査を任された天使は考える。

 ナタの行く先に待つ“南方士族領域”とやらは気にかかるが、彼の性能であれば何とかうまくいくだろう。自分ほどの隠密性があるかというと微妙だが、それを補うための装備は与えられているし、潜伏の手法などは、イズラが教えられるだけのことを教え込んでやった。あとは、彼の先行きを祈るのみである。

 

 それに、(ナタ)は少しばかり目立ってしまった。

 速やかな外貨獲得のためとはいえ、少年兵は都市にいた亜人と勝負し、完膚なきまでに敗北せしめた。その時の噂や風聞が広まれば、確実にナタの行動は阻害されかねない。直後に発生した事故の対応──少女の救援劇も、どこまで任務に影響を及ぼすか知れたものじゃない以上、彼がこの都市に留まるのは危険とも判断できる。あるいはあの事故も、ナタの行動を快く思わない輩……たとえば、ナタに敗北した妖巨人の戦士など……魔導国側の人物が巻き起こした人為的なものだったのかもわからない。

 幸い、警邏や官憲といった公的執行者がナタを確保・逮捕に乗り出すと言った気配は、依然として感じられない。

 イズラが知覚する限り、この都市にはそれなりの監視装置や巡回警備が、網の目のごとく張り巡らされているが、ああしてナタが発券場で切符を買って馬車に乗り込めた以上、そこまで大事になっていない──はず。

 

 あるいは、あえて放免されている可能性も、なくはない。

 

 イズラたちの認識を超えるこの事態──アインズ・ウール・ゴウン魔導国の統治する異世界の大陸において、『まさか』『ありえない』という仮説や前提は否定される。否定せねばならない。

 敵は、あのアインズ・ウール・ゴウン。

 虚偽でなければ、この大陸を100年にも渡って完全統治する超大国が相手だ。異世界の未知の法則や、あるいはLv.100NPC以上の強者による絶対監視によって、自分たちの行動は筒抜けな可能性も、否めない。

 

 ──だとしても、主人(カワウソ)の命令は絶対だ。

 

 カワウソもまた、そういった危険性などをすべて勘案しつつ、あえて自分達を調査隊として派遣したのだ。何の支援もなしに、拠点で籠城戦を敢行しても、結果は見えている。だが、カワウソは自らが危地に立たされるやも知れない状況で、自ら率先して調査の隊に自分を加えた。それがすべてだ。

 であれば、

 

「頑張りましょうか。僕も」

 

 

 

 

 

 イズラはひとつの建物に赴いた。

 整然と棚に陳列された紙の冊子やチラシが出迎えてくれるそこは、通りに面する部分を解放した都市内の観光案内所。〈不可知化〉中の天使は店員や観光客に気づかれることなく中に入り込み、必要な情報を探る。

 荷袋から一個の眼鏡ケースを取り出したイズラは、そこに収められた銀色の金属フーレムに精緻な文字が彫り込まれた、蒼氷水晶を薄く研磨して製造したレンズをはめこむマジックアイテム──言語解読翻訳用の眼鏡を、顔に装備。

 解読用メガネのおかげで、イズラはこれまで以上に、この生産都市の構造と役儀を知ることができた。

 観光案内所で無料配布されていた都市のパンフレットを入手したり、街角の書店でナタの獲得した金銭をもとに簡単な魔導国の歴史や常識についての書籍を買い求めたり(盗難などは当然、禁止されていた)。

 そうして、魔導国の中枢に存在する“ナザリック地下大墳墓”と、その地に至るまでの行程の守護を任され命じられる「栄誉」を賜った“絶対防衛城塞都市・エモット”を中心とした首都機能──わけても、魔導王アインズ・ウール・ゴウンその人の居城たるナザリックへの「奉仕」と「献身」、「忠誠」と「忠義」を尽くすために、この大陸の都市や領域は存在しているということが理解された。

 そのために、各都市にはアインズ・ウール・ゴウンから与えられた「義務(つとめ)」に特化した都市造りが施され、その風土や特色は多岐にわたる。

 

 魔法都市は、新魔法の開発や研究・マジックアイテムの生産や強化・国内における全魔法詠唱者の教育と管理を主任務とする都。

 冒険都市は、組合による冒険者の育成と派遣・冒険者用装備の鍛造と供給・冒険に必要なアイテムの仕入れ等を主任務とする都。

 

 一方、生産都市は文字通り、魔導国内の生産事業──主に食料品目の“生産”を任された都市である。

 

 第一生産都市・アベリオンは、平坦な土地にしつらえた城邑(じょうゆう)であり、その周囲には太陽と風を一身に浴びて、青々とした田園と菜園が広がる一大農地にしか見えない。イズラたちの拠点が転移した、あの茫漠とした平野“スレイン平野”より西方に、深い森を挟んで位置する都市とは思えないほど、たくさんの麦の青葉が時期的にはありえない速度で──魔法などの恩恵によって──遥かに高い爽やかな空の下に、深緑の絨毯を敷き詰めている。

 しかし、たとえ魔法都市の倍の面積を統治する都市とは言っても、けっして潤沢な量の穀物が安定供給できるようには、素人のイズラには見られなかった。田園は魔法によって成長を早められているが未だ青く、穀物の金色はどこにも存在しない。菜園や果樹園にしても、実る野菜や果物の量はやや多い程度。朝市全域に並んでいた商品の量と比較すれば、圧倒的に少ない。さらにいえば、この都市産と謳われる獣肉の元となる家畜もごく少数。魚介類に至っては、海の面する場所はなく、河川どころか湖や池の(たぐい)も存在しないのに、あの露店に陳列された肉や魚はどこから生じ産まれるのか。これで他の都市へ運搬交易する余分が発生するのか。イズラには疑問が尽きなかった。

 

 答えは、都市の表層ではなく、深層に秘められていたのだ。

 

「第一階層(エリア)・穀倉保存地帯、第二階層(エリア)・農作農耕地帯」

 

 イズラは、観光案内(パンフレット)に記載されている都市断面図──大地の「下」に穿たれ続く都市の構造を、正確に把握していく。

 ケーキの断面のように色分けされた、五つからなる地下階層構造を。

 

「第三は、畜産加工地帯、第四は、魚介類養殖地帯、第五は、都市管理魔法発生地帯……ふむ」

 

 なるほど。

 都市の上にある田園ではなく、地下空間に築き上げた人工農地こそが、この都市の主たる生産工場として機能していたわけだ。こういった地下世界の構築作業は、下級アンデッドの掘削隊の手によるもの。山小人(ドワーフ)などの監督指揮のもと、魔法などで崩壊落盤事故を起こさないように入念な強化が施された地下空間は、この100年に渡って魔導国の“台所”も同然の生産性──食の基礎を担ってきたという。

 これは、実物を是が非でも見ておきたい。

〈不可知化〉中の天使──イズラは、疲労や睡眠、休息とは無縁に働けるが「無理はせず、各自で適時休息をとること」を、注意事項として主人から言い含められていた。

 地下生産場の調査は、明日にしよう。

 疲労などとは無縁ではあるが「休め」という命令を反故(ほご)にはできない。

 今日は、都市表層に住まう市民の生活ぶりを観察することに終始しようと決める。

 イズラは入手し熟読した冊子や書籍などを自分の荷袋に収納すると、何食わぬ顔で、通りの人波に溶け込む。黒い天使は誰にも何にも気づかれることなく、生産都市の営みを記憶し記録し続けていく。

 ふと。朝市のあった広場に──ナタと共に事故に巻き込まれかけた現場がどうなったのか気になって、イズラは用心しつつも、同じ市場の通りに舞い戻る。

 さすがに昼の時間帯を過ぎれば、市場は綺麗に片づけられていた。銀色のお団子魔獣も、何食わぬ顔で客を乗せては駆け走る様を見せている(朝の個体とは別かもだが)。中位アンデッドの警邏は、朝よりも倍ほど増員されているようだが、イズラの存在を知覚する個体など、彼我のレベル差を考慮すればいるわけもない。朝市に比べ、人々の量もまばらな感が出ているのは、単純に露店の数が朝よりも少ないからか。夜市の時間にでもなれば、またあの賑やかさが広場を埋め尽くすのだろう。

 

 彼は建物の屋上でそういった都市の営みを眺め、購入しておいた書籍を読み込みつつ、日が落ちかけた頃に始まる夜市の喧騒を待った。

 

 そして、生産都市の夜は更けていく。

 イズラの調査、その一日目は問題なく終わる。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 生産都市・アベリオンに、特務を拝領して派遣された隠密治安維持部隊の筆頭、戦闘メイド(プレアデス)一人(ひとり)、ソリュシャン・イプシロンは、都市中央に存在する”城”──城というよりは貴族の館めいた、六階建ての王邸である──ここは都市長の邸宅ではなく、魔導王アインズが、都市を査察訪問する際の拠点となる、神聖な場所。ナザリックに関連する者と、特別に許された下働き(都市長や官僚など)の一等臣民たちが出入りするのみで、その防衛能力は魔法都市(カッツェ)の王城と比肩する。

 

「毛先一本も見逃さないように。蒼い髪の少年とやらの映像を、可能な限り拾うように」

 

 実体を得ていた影の悪魔(シャドウ・デーモン)たちが、『承知』の声を唱和させる。

 ソリュシャンたちは、アインズの一時的な居城となるここの都市警備機能を全面的に利用し、都市内の監視用簡易ゴーレムが記録した映像記録をくまなくチェックしている真っ最中だ。

 

 蒼い髪にマントを身に帯びた、旅人のような少年という特徴だけで、人相も何もあったものじゃない。唯一の目撃者にして当事者である都市長の孫娘が僅か十歳であることを考えれば、それ以上の情報など望むべくもなかった以上、しようがない。

「バラのお花のようにキレイだった!」という少女の主観も、美男美女ばかりの異世界においては特筆すべき(しるし)にはなりえなかったのもある。

 

 ナザリックにおいて最高位の監視者たるニグレドも、今朝方、とある連中の拠点を監視中に、不安を覚えてならない事態に直面したため、大々的な協力を望むことは出来ない。

 それに、こういう時のために、アインズ達が用意した都市監視システムを使わないでいるなど、ソリュシャンの忠義が許さなかった。

 

 しかし、都市監視用のゴーレムの数は、膨大に過ぎる。

 簡易量産タイプであるが故に、自我意識や高度な情報処理能力を持たないゴーレムは、都市映像の「記録と録音、その再生」だけを主機能とする性質上、己の撮り収めた映像記録から、任意の人物や状況を選出して映し出すといった芸当は不可能(それでも、これら簡易ゴーレムによる監視システムによって、都市の犯罪率は低下し、検挙率はほぼ99%の高水準を維持している)。ソリュシャンたちは地道に自力で、映像の確認を続けるしかない。

 

『イプシロン様』

 

 映像の調査だけで、休むことなく数時間。

 ソリュシャンは、自分たちが本来この都市に派遣されてきた本命たる任務の前準備にも取り掛かりつつ、昼過ぎまで続いた全映像記録精査の中でそれらしい姿をとらえたという報告を受ける。

 映像を確認するにあたり、ソリュシャンは一応の用心として、隠形中の存在をも看破し得るアイテム──眼鏡を用いて、映像内の人物を過つことなく認識する準備を整える。

 指摘された画像には、都市の東通りを中央市場に向けて練り歩く、蒼髪のあどけない少年の他に、……もう一人。

 

「黒い、男?」

 

 まるで幽霊(ゴースト)のごとく存在感が希薄な印象しかない黒尽(くろづくめ)の人物は、何故だろうか、看破の装備を身に着けるソリャシャンの瞳をもってしても、外見が判然としない。全身が影色の(もや)(かすみ)で遮られているように見えるため、その全貌はまるではっきりとしていなかった。

 これは異常である。

 

「あなたたちは、少年の近くのあれが何か、解りますか?」

『……あれ、とは?』

 

 ソリャシャンは息を呑む──必要はないが、それに近い動作で絶句する。

 影の悪魔たちは、ソリュシャンに比べれば劣るPOPモンスターだが、並みの人間や事象には対応可能。だとするならば、今回のあれは、完全に彼等の領分を超えているようであった。

 彼等をしても、認識不可能──不可知な存在。

 だとすれば、周囲の臣民らが、その異様に気付かない──まるで透明人間に対するも同然の反応しかないというのも、当然というほかない。

 そんなものと共に、行動している少年が、いる。

 都市長の孫から聞いた限り、彼女を助けたのは蒼髪の少年一人だけ。同行者の存在は確認されていなかった。無論、少女が視認できなかった可能性も否めない──というか、認識できないでいる方がむしろ自然だったのやも。

 

「事故当時の映像記録を」

 

 影の悪魔に命じる。打てば響くように、“101”都市タクシー部隊の一匹が暴走した事故現場の様子が、別の水晶の画面に映し出される。

 この事故で、人馬型鉄の動像(アイアン・ゴーレム)ごと少女を抱え助けた少年の他に、奇妙な情報が確認されている。

 少年が動像と少女を助けるのと、ほぼ同時に、

 

「そこで止めなさい」

 

 ソリュシャンは映像を停止させる。

 暴走する魔獣が、彼等を轢き潰しかねない勢いで突っ込んでいた──瞬間、銀色の獣体が、宙に跳ね上がったのだ。

 生物の跳躍というよりも、それは大地に敷設されていた獣捕りの罠が起動したような、機械的な動作に見える。常人では何があったかどうかすら視認しえない刹那の出来事だが、ソリュシャンの粘体の瞳には、何らかの力を感じられてならない。

 ソリュシャンと同じ、暗殺者(アサシン)盗賊(ローグ)の力だろうか?

 しかし、蒼髪の少年には、そこまでの隠密能力があるとは思えない。

 そんな力が最初からあるのならば、何故わざわざ自分の姿をさらして少女の救命を?

 彼の愚直なまでの行動力は、日陰に潜む暗殺者というよりも、日向(ひなた)で観衆を魅せる剣闘士のそれに近い。

 少なくとも、常識的に考えて、あれが魔導国臣民に可能な所業とは思えなかった。

 あれほどの身体能力は……間違いなく、自分たちナザリックの存在“戦闘メイド(プレアデス)”と同等か、それ以上の位階にあるはず。それほどの逸材であれば、間違いなくアインズ・ウール・ゴウンの認知を得られ、御方の傘下にくだっていてもおかしくはない。むしろ、そうでなければおかしい。ソリュシャンの姉である人狼のメイド(ルプスレギナ)が迎え入れた、現地の絶滅危惧種だった人狼のように。

 

「この黒いのは、協力者? 少年のシモベか、何か? しかし、この存在感のなさは──不可知化の魔法か何か?」

 

 黒い影の人物が蒼髪の少年を支援すべく、タクシーの魔獣を天高く吊り上げ、混乱が収まるまで拘束していた、と?

 だとすると、少年と影は、己よりも遥かに大きく重いはずの動像(ゴーレム)ごと少女を助けつつ…………それと同時に、市場を暴走しっぱなしになっていたハムスターの身動きすら封じ、「混乱」の状態異常から抜け出させたというのか?

 

「こいつら……いったい、何者?」

 

 映像記録と同時に、ゴーレムが録音していた雑踏の中に、かすかな答えがあった。

 雑踏に紛れた声音はところどころ不明瞭に過ぎたが、その天真爛漫な口調は、まったく裏表を感じさせない。

 

『ですが、   !! 師父(スーフ)の御   、「穏便   慎重   を」とのこと!!』

 

 その声に応じる男の声も、行き交う人混みと市場の雑多な音量のせいでか、不鮮明極まる。

 

『ふむ……では、 タ。我々の     るカ   様は、我     を く存在── イ  ・ウー ・ゴ と、     と?』

『ハ ッ!! それ   考えられませぬな!!』

 

 ダメだ。

 詳細な情報を聞き取れない。

 かろうじて少年の声が聞き取りやすいのは、単純に声の音量(ボリューム)が大きいが故か、それとも別の要因か。ソリュシャンで辛うじて聴取できた会話……少年“以外”の声は、彼女より劣る悪魔たちでは理解の端すら得られなかったようだ。

 映像と録音はそこまで。それらしい影……頭髪の一部などは見切れすぎている上、音声などほとんど拾えていない。思わず、粘体(スライム)の口内にある疑似体組織で舌を打つ。

 だが、こいつらは「互いに会話ができる関係=仲間」という確定情報は得られた。

 せめてニグレドの監視網がつつがなく機能していていたらば協力も容易だったものをと思われたが、さすがにそれは無理がある。彼女も彼女で色々と大変な状況──戦況だ。100年後に現れたプレイヤーと思しき影と、そのギルド拠点と思しきものを監視するという大きな任を“二つ同時に”命じられ与えられた彼女に、ソリュシャンの特務のついでに解決すべく手を貸している程度の交通事故の調査に手を(わずら)わせるなど、もってのほか。これが魔法都市であれば、あるいは学園の魔法詠唱者を大量動員して捜索・探知という芸当も可能だったろうが。

 取り急ぎ、ナザリックから伝達済みの、件のギルド拠点から飛び出してきていると判明しているNPCの外見と照合しても──何故か──どれも一致することはない。

 

 ──この時、ソリュシャンらが存在を知覚できなくなっていた黒い男・イズラの特殊技術(スキル)や装備の力によって、彼と同道するナタの外見を正しく認識させえない幻影……蜃気楼が取り巻いていたのだ。

 この特殊技術(スキル)を突破し得る絶対の監視者……ニグレドの協力を仰げないソリュシャンにとって、これは致し方ない失態であったと評するしかない。

 

 ソリュシャンは考える。

 あの堕天使たちとは無関係な勢力の可能性が高い?

 だとしても、少女を救命し、魔獣の暴走を止めるという意図がどうにも解せない。

 あるいは、魔導国が認知していない現地の強者は……ありえない。だが、絶対にないと言い切れるのかと言うと、微妙なところだ。だとすると、もはやソリュシャンの任務からは著しく逸脱する案件になりつつある。

 

「この者たちの、入都記録は?」

 

 影の悪魔の一人は『否』と言って首を横に振る。

 この二人の特徴に合致する記録は、どこにも存在しなかった。

 冒険者や剣闘士、拳闘家であるならば、必ず魔導国に組合を通して記録が存在している。たとえ、引退していても、だ。

 都市の東西南北にある検査門──という名の、アンデッドとゴーレムによる入都者把握機構は、解放された四つの街道から入り込む者らをすべて受け入れつつ、その容貌を記録管理することが可能で、これはほとんどの“都市”で共通する自動関税……交通料徴収と併用されて、犯罪者の早期発見と確保を主目的とする画期的なシステムだ。人々は自らの保有する個人口座から自動的に通行税や関税を引き落とされ、ひと昔以前のような雑多に過ぎる検問時間に悩まされることもない。

 勿論、これは高レベルの隠密職が保持する“潜伏”には脆弱なのだが、現在の魔導国でそこまでの隠密性能を発揮し得る存在と言うのは希少で、すべて国の管理統制下に置かれており、そんな彼等はソリュシャンの今回の特務内容にも参加することになっている──しかし、彼等程度の低レベルな隠密性ならば、自動検問は見逃さないようになっている。

 今回の相手は、それ“以上”の能力と装備を持っていたというだけ。

 

 ──深い水底のような蒼髪を持つ少年と、黒い闇のごとき存在感の謎の影。

 

 ソリュシャンは静かに疑問する。

 この両者は何者だ?

 何故、この生産都市に?

 何故、少女と動像、さらに暴走した魔獣まで助けた?

 意図が不明すぎる上に、謎が多すぎる。互いに呼び合い応答し合う関係上、仲間や知人と見るべきだろうが、出身はおろか、名前などの情報さえ判然としなかった。ソリュシャンは歯噛みできるほどに硬い歯を持たないが、それに近い渋面で、静止画像内にある人混みの中を行く蒼髪と黒影を睨み据える。

 その時、外に続くドアの隙間から、影が滑り込んでくる。

 

『イプシロン様。都市長らが、特務についての最終調整を希望し、会議室に集合しております』

「──わかりました。今、行きます」

 

 ソリュシャンは自分の護衛たる影たち数十名に、さらに都市内の監視システムを精査するよう命じると、本来の都市訪問理由である特務に、意識を切り替える。

 アインズ・ウール・ゴウンその人から賜った、特別任務。

 その誉れ高き役儀に準じず、ただ得体の知れない都市訪問者の素性にかかずらっているわけにもいかない。そういう者の対応にはすでに都市警邏隊が従事しており、ソリュシャンらの行為はあくまで補助の類でしかなかった。

 ソリュシャンの特務は、ひいては魔導国の威信に関わる重要案件。都市長のみならず、都市の重要諸機関の長官たちも秘密裏に列席し、ソリュシャンらの遂行する特務に全面協力せねばならない事態であることからも、その重要性は度を越している。

 何より。現在、この魔導国は、例の100年後の転移者──プレイヤーと思しき存在の一件で、厳戒態勢を維持されている。

 連中の首魁と思しき堕天使──下劣な外の存在たる者たちの正体を確かめるべく、アインズ自らがプレイヤーと思しき存在と接触を図っている状況下で、ソリュシャンはあえて危難に赴く御方以上に、自らに与えられた特務に邁進せねばならない。

 失態は許されないのだ。

 アインズ・ウール・ゴウンに仕えるシモベとして、ソリュシャンは自分の存在意義を全うすべく行動あるのみ。

 

 

 

 ソリュシャンたちは無論、件の転移してきたらしいギルドの存在は認識している。

 そのギルドから派遣されたらしい調査隊とやらも現在はふたつ(・・・)確認されており、それは現在……“飛竜騎兵の領地に赴いている堕天使(カワウソ)女天使(ミカ)”がひとつ、そして、“冒険都市・オーリウクルスの門をくぐった銀髪の天使”がひとつで成り立っていることは、全シモベに通達済みの事実であった。

 

 ──しかし、彼等の他にも、まだ他の調査隊がふたつ……死の天使・イズラと花の動像・ナタの存在があることを、ナザリック側は認知できていなかった。

 理由は、冒険都市に赴いた調査隊──ラファに与えられた任務というのが、調査実験の上で必要な差別化として、彼だけは都市への入場制限などに引っかかるのか否かを確認するために、あえて“潜伏”能力のないイズラとは別に都市への入場を果たした。

 本来であれば、都市への入場にはそれなりの制限が課せられて当然なのだが、現在開催中の『祭り』に乗じて、彼が魔導国の身分証も通貨も何もない状態でも都市への侵入をスムーズに行えただけとは、彼等の理解の及ぶ範囲ではない──というのが、ナザリックの、アインズ・ウール・ゴウンの企図する工作であった。

 

 実際には、魔導国側は、銀髪の天使が囮のごとく潜入を試みる冒険都市への入場制限を、彼の訪問に合わせて一時的に解除し、あえて、件の調査隊を迎え入れたも同然の処置をとっていた。

 

 だが。

 

 魔導国側は、高度な隠蔽(いんぺい)隠密(おんみつ)隠形(おんぎょう)能力を持つNPC──イズラの存在を見落としていた。これは無理からぬ失態であった。Lv.100NPCである彼の特殊技術(スキル)と特性、ユグドラシルから使用している装備類については、本気で隠れてしまえば同道していた者も含めて、あのニグレドの監視能力すらも欺くほどに整えられていたのが主な原因だったのだ。

 ギルド拠点第二階層“回廊(クロイスラー)”最奥に位置する「天空」で、(イスラ)の奏でる“最終審判の角笛”や、彼女に創造された生命の軍勢の影に隠れて、妹を庇護する(イズラ)の役割は──暗闘。

 陰に潜み、影のごとく戦う上級暗殺者──暗殺者の達人(マスターアサシン)にして“死の天使”は、同族……純粋な天使……か、同じ系統能力を保有する存在でもなければ、その存在を知覚することは難しいほどの力と性能を備えていたのだ。

 それほどの彼が、今回この調査隊に選出されたことは、もはや必定であったと言えるだろう。

 Lv.100でありながら、隠れ潜むことに終始する拠点防衛用のNPC──暗殺者(アサシン)というのは、そこまで強力にはなりえない。戦士職や魔法職に比べ、物理攻撃や魔法攻撃などの単純火力が低くなる関係上、暗殺者たるイズラの攻撃性能は、他の天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の同胞らに比べれば圧倒的に低い。死の天使や暗殺者固有の「即死」「即殺」能力は優秀だが、それだって対策しようと思えば対策は可能。さすがにマアトなどのサポート職よりはマシな攻撃能力を保持しているが、だからこそ、この異世界の現地人を相手取るくらいの技巧と力量は備わっている。彼単体でも、調査を完遂実現することは不可能ではないはずだった。

 

 

 

 現在アインズ・ウール・ゴウンは最大規模の警戒態勢を敷きつつ、ナザリックのシモベや魔導国臣民に極力混乱をもたらさないよう、“過度な対応”には乗り出さないでいる。

 それこそ、件のギルド拠点に対し、ナザリック全兵力およびアインズの生み出したアンデッド軍……さらには、ユウゴ王太子殿下の父譲りの特殊技術(スキル)──彼の創造した中位アンデッド軍などの全投入による大規模波状攻撃を加え、奴らに対し先制攻撃を与えるといった強硬手段には打って出ていない。連中は魔導国の国土を侵犯し、不法占拠も同然に封印領域であるスレイン平野に留まっているが、それを殊更に追求しない御身の慈悲深さは、シモベでしかないソリュシャンらにとっては感嘆を禁じ得ない厚遇でありつつ、また、これよりさらに後の世に訪れるだろう他のユグドラシルプレイヤーなどへの対応試験──アインズ・ウール・ゴウンは、プレイヤーとの協調を望む姿勢を示す、最初のモデルケースになる……はずだった。

 

 

 

 ソリュシャンは、連中の調査部隊がこの生産都市に潜入している事実を、まだ知らない。

 彼女に命令を下す魔導国……ナザリックが、その存在を見落としていた以上、これは無理からぬ事態でもあった。

 

 

 

 戦闘メイドは、護衛を引き連れながら城の廊下を進み、気を引き締める。

 何にせよ、警戒は怠るべきではない。

 少年と影法師が何者か判然としないとはいえ、たったそれだけで、(くだん)のギルド拠点の関係者と見做(みな)すのは、難しい。身分証の類を持たない大陸の浮民(ふみん)や不法滞在者。あるいは別口の──スレイン平野の連中と同時期に、この異世界に転移した『未知のプレイヤー』などという疑念も、実際問題ありえる。

 だが、まずは与えられた特務に眼を向け、それから連中のことを探ればいい。

 連中は確かに驚異的かつ脅威的な印象を受けるが、都市内で目立った暴動や混乱が発生しているわけでないことは、まったくの事実である以上、優先度はどうあっても低くなる。一応、ナザリックに事態状況のレポートは提出しておくが、以降の足取りがつかめない以上は、これ以上の措置は難しい。

 

 戦闘メイドは、都市の監視記録に残った連中の動静を都市警邏隊に調査させるよう指示を送っておいた。あとは、彼等の領分に任せるだけ。とにかくは、まず己に与えられた特務の遂行に専念する。

 

 この第一生産都市に、ソリュシャン・イプシロン率いる隠密治安維持部隊が派遣された、その理由。

 

 それは、──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 一方で。

 南方士族領域行きへの直通馬車に乗り込んだもうひとつの調査隊・ナタは、イズラと都市最南端の馬車乗場で別れた直後、思いがけない人物と再会していた。

 

「おや!? おやおや!?」

 

 水色の髪色に変化していた花の動像(フラワー・ゴーレム)たる少年兵は、その天真さ爛漫さから、同乗している老若(ろうにゃく)男女(なんにょ)に好意的に見られていた。

 年経た人間の老婆に「元気な子だね」と褒められ、エルフの母の腕の中で泣き愚図る赤ん坊をあやして小さな笑顔を咲かせる少年の存在は、まったくの善意の塊にしか見えなかった上、事実、ナタは『裏表なく』『他人に優しい少年としての人格』を、創造主(カワウソ)から与えられていた。

 二階建て馬車は、上部が吹き抜け構造になっており、出入り口の階段から直接、そこに比較的巨躯の亜人などが座ることが多い。重厚な馬車は種々様々な魔導国臣民すべてに等しく利用されて然るべきもの。人間と亜人、そして異形が共存する都市地域では、特に珍しくもない車体構成が、この二階建て構造であったわけだ。

 ナタは、その馬車の最前列の席の切符にある番号に従って、自分の買い取った席に赴くまでの道中にある人々の厚意にまっすぐな愛嬌を振り撒いた直後、心底びっくりしたような声を張り上げる。

 

「これはこれは!! 奇遇ですな!!」

 

 そんな少年の驚き以上に、その人物は愕然としている。

 

「なんデ、オまえ……ソの髪は?」

 

 大風呂敷を太腿に乗せて最前列の右側席に大人しく座っていたのは、妖巨人(トロール)の巨体。

 ナタに完敗を喫し、賞金として稼いでいた金額の半金を供した修行者たる亜人の戦士が、驚愕に目を丸くし、奇妙な声音で訊ねていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




NPC製作用ガチャなどは、原作には登場していない、本作の独自設定です。


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調査隊の裏で

/Flower Golem, Angel of Death …vol.04

 

 

 

 

 

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 主天使(ラファ)をはじめ花の動像(ナタ)死の天使(イズラ)、カワウソに従属するナザリックにとって未知のギルド構成員から成り立つ調査隊が、各領地や都市への調査に堂々と来訪──または完全な秘密裏に潜入を果たす前──夜明け近くの時間帯。

 

 

 

 ナザリック第五階層“氷河”にある御伽話の洋館──メルヘンチックな見た目に反して、内部は外よりも極低温の温度で訪問者の体力を奪い取る悪辣な館。その名は氷結牢獄──にて幽閉されている設定のNPCが、いる。

 

「ルチ。観測点A~G、定時動作確認」

「了解。動作確認……完了。七基の観測点は、転移鏡(エネミー)01の監視続行」

「02の方は?」

「こちらも、魔力は十分。沈黙の森の鏡のカメラH、I、Jも問題ありません」

 

 見目麗しい氷細工のような髪の乙女に頷くのは、大量の黒髪で美貌……だった表皮のない顔面を覆い尽くすNPC。

 情報収集などの調査系に特化した魔法詠唱者・ニグレド。

 彼女は、至高の御方のまとめ役であるところのアインズ・ウール・ゴウンの特別な計らいにより、“ナザリックの子どもたちを育てるため”などの特別な役儀においては、外に出ることを許されるようになっている。転移以前のユグドラシル時代に建立された二階建ての館は、凍てつく冷気によって、子どもらの養育や保護にはあまりにも向かないため、彼女は大好きな赤ん坊や子供らと触れ合うために、外に出ることが多くなったのだ。

 

 そして、現在。

 

 異世界に転移してより100年目の節目を迎えたナザリック地下大墳墓内で、彼女は新たに、重大な役儀を“二つ”も賜った。

 

 ひとつは、スレイン平野にて現れた、未知なるギルド拠点の監視任務。

 もうひとつは、それと並行して外の調査に赴いた堕天使率いる調査隊の動向把握。

 

 どちらも情報収集を得意とするニグレドが得意とする務めであることは、あまりにも明白。そして、彼女はナザリック内でも外からの監視や看破に強い防御力を発揮する深層──第十階層で共に監視任務と、緊急時の対応出動のため待機する各階層守護者たちに、自分がとらえた外の映像を──未知のプレイヤーと、自分たちに伍するやもしれない新勢力の行動を、新たに第五階層に建立されていた情報系魔法などへの防御対策を重ねている山小屋風のウッドハウス、通称・監視部屋の中から、リアルタイムで送り続けている。

 無論、いかに情報系魔法に特化したニグレドでも、24時間もぶっ通しで魔力を消耗しては、いつかは魔力が尽きる。それでは、有事の際に──敵が動いた瞬間に、不安が生じる。そのため、彼女の補佐として、新たにナザリック内で生まれた子供たち……異形の混血児(ハーフ・モンスター)の中でも、特に情報系魔法への適応力を示した子らを、ニグレドと同じく安全に情報収集を行うために教育教導を施されて久しい者たちを、彼女の新たな配下として迎え入れて久しい。

 

「ルチ。そろそろ休息に入りなさい」

「はい、ニグレド様。すぐにフェルと交代してきます」

 

 その中でもとりわけ優秀なのが、意外にもコキュートスの娘たちであった。他にも魔将の息子や娘などもいるが、彼女らはレベルとしてはとても素晴らしい位階に位置する。

 彼女たちは、幼少期よりニグレドという乳母役(ナニー)のもとで、あのマルコやユウゴ王太子殿下、さらにはデミウルゴスと紅蓮の愛娘である火蓮(かれん)と共に育った、第五階層守護者“凍河の支配者”コキュートスと、彼の配下であり親衛隊である六人の雪女郎(フロストヴァージン)の子どもたち──四男二女の内の二人であった。

 

 休息を命じられたルチは、立場で言えば第五階層守護者……つまり、この“氷河”の階層において最も強い統治権と影響力を持つ蟲王(ヴァーミンロード)の娘──ある意味、王女といっても差し支えないだろうが、彼女は妹と同様に、真実王女じみた高貴な(かんばせ)に、黒とアイスブルーの色が共存する髪を肩に触れる程度の長さで飾っている。純白の着物に不吉なほど映える肌色の青白さを考えても、大抵の男が劣情を催して当然の柔和な笑みが、女の最たる魅力として煌いていた。

 一見すると、数多の人間の男を虜にしてやまない美貌の姫は、だが、その半身は異形の混血児そのものというべき造形の極致に、ある。

 愛情豊かな母性の美貌に、肉欲をそそられて当然の膨らみを乳房に宿す女の上半身とは対照的に、その下半身……鼠径部のあたりから下は、父である蟲王(ヴァーミンロード)の巨躯を思わせる蒼銀の巨大な甲虫のそれに覆われていた。乙女の太腿が、爬行する甲虫の頭部から下へ埋もれている具合と見える。六本の氷の脚先は鋭利な鉤爪状になっており、触れただけで生き物の柔肌を切り裂きかねない輝きを放つ。甲虫の背には内部に折り畳まれた透明な(ハネ)が格納されており、短時間なら単独飛行することも可能である。

 まさに蟲の王女ともいうべき長女は、異母妹・フェルと共に、ナザリックを守るための尊くも気高い己の役目に準じることを良しとする、理想の同胞(はらから)として受け入れられて久しい。

 

「呼んだ、お(ねぇ)?」

 

 ちょうど、その時。

 監視部屋の扉を開けて現れた女は、異母姉であるルチとは、これまた違った異形ぶりである。

 まず、下半身は母である雪女郎同様、普通の人間然としており、肉感的な太腿の線があまりにも煽情的だ。それだけでも完全に姉妹二人の決定的な身体的差異を物語っているが、上半身の造りもまた違っていた。姉同様に豊満な胸元を開け広げた丈の短い純白の着物で巧みに着飾っているが、肩当たりから先の生地は存在しない。理由は、その腕の数にある。通常人類であれば一本ずつ腕が伸びるそこからは、左三本に右三本──合わせて六本の腕が飛び出しており、そのどれもが様々な動作をして女の気の向くままに動いている。ノースリーブの和服から剥き出す青白い女の腕は、歩くように振るわれるものもあれば、大きな乳房を支えるように腹のあたりで組むものもあるし、左右の腰に括りつけた六刀の柄に這わせているものまである。

 さらに、特徴的なのは、その顔。ベリーショートに切り揃えられた髪は姉のそれと似た色合いであり、兄弟姉妹全員に共通するカラーリングだ。身長に比して明らかに小顔な、いたずらっ子のごとく微笑む美女の面には、黒く閃く美しい女の瞳が複眼のように六つも並んでおり、驚異的な動体視力と全周知覚を得ている。魔法に対する理解を得ながらも、純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)たる姉とは違い、フェルは戦士や剣士としての才覚にも恵まれていた。父たるコキュートスや兄たちには及ばないまでも、外の一般臣民程度では太刀打ちできない剣の使い手でありつつ、剣技の内へ巧みに魔法を取り入れた“魔法戦士”として、直属の上官たるニグレドの護衛役としての務めに励みつつ、コキュートスの末の娘は日々鍛錬に勤しんでいる。

 

「あら。相変わらず時間ぴったりね、フェル」

「当然です、ニグレド様。アインズ様と御父様より戴いた重大任務に遅れるとか」

 

 ありえない。姉妹の声が共鳴する。

 妹は、微笑む姉に甘えるようにして、彼女の下半身たる甲虫の背中に身を預ける。

 

「ハァ~。お(ねぇ)の体温ホント最高~♪」

「ああ、もう。こらこら」

 

 慣れた様子で戯れ、零度以下に冷え切った氷蟲の宝石のごとき身体に頬ずりする妹の身を、姉は軽く(たしな)めながら撫でて受け入れ、そして手頃な頃に引き離す。猫の仔のように摘まみ上げられ宙に浮く妹は、決して軽い体重ではない。それを片手の握力腕力で摘まむルチの膂力は、彼女もまたれっきとした異形の系譜であることの証明であった。

 そんな二人の遣り取りに微笑みつつ、二人の現上官の立場として、ナザリックでも最高峰に位置する監視者は笑みを交え、嘆息を漏らす。

 

「いけませんよ? 今は任務中なのだから、遊ぶのは二人が休息をいただいた時になさい?」

「わかってますよ、ニグレド様」六つの複眼を微笑ませるフェル。「でも、最近は家族皆で氷風呂もできてないし……御父様の背中も洗えてないし」

 

 しようがないとわかっている。そうすねたように頬を膨らませる妹の頭を、姉は白魚のような指先で宝物のように撫でて労わる。

 一人でお風呂を愉しむこともできなくはないが、妹は第十階層などに詰めっぱなしとなり、ろくに大白球(スノーボールアース)に帰参できていない父との入浴が、昔から好きだった。無論、ルチも。

 氷を抱いて水風呂を愉しむ一家にとって、父であるコキュートスの極寒の体温を抱いて抱かれている時というのは、この世に生を受けてよりずっと続く、かけがえのない嗜好の一種である。それと並行して、冷気のオーラを強弱様々発揮できる父母兄弟姉妹全員で風呂を愉しむのを日常としていた。これと同じくらい重大なことは、ナザリックや同胞への礼節と、アインズ・ウール・ゴウンその人への忠誠……あとは、とある殿方との色恋ぐらいしかない。

 だが、彼女たちの心情や趣味よりも、今は任務の方が重大である。

 

「それで──連中に新たな動きは?」

 

 フェルは姉妹のスキンシップから一転して、己の役儀に入魂する。

 ナザリックを、同胞を、アインズ・ウール・ゴウンという絶対支配者を守護する一助となるべく、オンオフをキッチリ分けて、複眼複腕の美女は任務に励む。

 

「現状は、特段の変化はなしね」そう説明するニグレド。

「昨日。日付けが変わる前、新たに設けられた鏡の方に獣が護衛役として配備され、最初に現れた鏡の方は、連中のNPCらしい影が常に二体ずつ侍っている状況から、変わったことはないわ」そう続けるルチ。

 

 監視部屋であるここには、いくつもの水晶の画面が壁一面に大小さまざま設置されているが、これは魔法で造り出したものではなく、魔導国内で生産されている最高級の水晶板を、モニター用のマジックアイテムとして利用しているもの。然るべき魔法を込めることで、監視者であるニグレドなどが遠見した光景を映し出し、記録することも容易に可能とする観測システムであった。

 わざわざ〈水晶の画面〉を発動するよりも魔力のコストは抑えられる。おかげで、ニグレドは同時並列的に二ヶ所の地点を様々な角度で覗き見し、千里を見渡す魔法で見抜いた事柄を他へと伝達する役儀に邁進できた。これもひとえに、魔導王の国がそれだけのアイテムを生産する能力を獲得してくれたことで可となった事実を思えば、御方の国策には間違いなどどこにも存在しないと言わざるを得まい。

 

 ニグレドたちは、映像を注視する。

 

 

 

 ほんの三日前のことだ。

 外の、この大陸に存在する中でも、最重要観測点として日夜問わず監視任務を敷かれていたスレイン平野……そこに、突如として現れた妙な転移門の鏡と、その鏡から現れた天使(エンジェル)系統と思しき翼と輪を備えたNPCたち。

 それらを使って、周辺状況の確認に勤しみ始めた堕天使──ユグドラシルプレイヤーが現れたのだ。

 それほどのものを、転移直後から存分に観測できたことは偶然でしかないが、あるいはアインズならば、「これぐらいのことを予見しており、故に、あの地を見張らせていたのでは?」と囁かれるのは無理からぬ快挙であった。それを思えば、あれがあそこに配置されたことも納得というもの。シャルティアと共に、その功績を認められた当時の当直監視者というのが、ここにいるコキュートスの娘たちだったのだ。

 

 100年後の異世界に転移してきた、未知なる強者。

 

 ナザリックに住まう全存在(シモベ)たちが忠節と礼拝を尽くすべきアインズ・ウール・ゴウンその人が警戒してやまぬ、外の存在。

 あの信託統治者──純粋な現地勢力において“最強”と謳われるツアーより語られてからずっと危惧されてきた、ユグドラシルの存在の100年周期に及ぶ転移問題。

 アインズ・ウール・ゴウンとナザリック地下大墳墓が転移する以前の時代からたびたび世界に擾乱(じょうらん)を、混沌を、あるいは発展を、さらには新たな伝説や神話をもたらし続けてきた、異世界からの客人(まろうど)たち。

 200年あらため300年前の十三英雄。そして、それ以前の八欲王。さらには六大神……他にも様々な人間や亜人や異形の国家や風土に溶け込んだ伝承や英雄譚、神々の物語というのは、その大半に“ユグドラシルの影”を感じさせるものばかりが存在する。

 

 そして、この異世界にナザリック地下大墳墓、アインズ・ウール・ゴウンが転移してより、100年後の現在。

 

 ツアーに聞かされていたアインズが予期していた通りに現れた、ユグドラシルの存在たち。

 その存在たちを一早く把握し、対応策に乗り出すことができたことは僥倖と言うべきだろうが、未だに油断ならない状況状態は継続されている。

 アインズ・ウール・ゴウンその人は、昨夜、その未知なるユグドラシルプレイヤー……堕天使のカワウソと接触すべく、ナザリックを離れ、飛竜騎兵の領地に赴いた連中の首魁と、あろうことか接触する機会を窺うべく最低限の護衛・従者・供回りを務める二重の影(ドッペルゲンガー)孫娘(エルピス)を連れて、果敢にも乗り込んでいってしまわれたのだ。

 万に一つの手抜かりもあってはならない。

 御身の危地にはすぐに馳せ参じることができるよう、守護者たちがこのナザリック内に控え、有事の際にはすぐにでも御身の安全と、敵対者となった者らを撃滅できるだけの戦力と戦略を保って久しい時が流れている。

 そのために、ニグレドを代表する観測班・監視者たちの役儀というのは、あの未知の存在たちの頭を抑えつける上で、最も重要な役割を担っているといっても過言にはならない。

 しかしながら、ナザリック内でニグレドほどの情報系に特化したシモベというのは、あまりも稀少な存在だ。ほとんど絶無と言っても良い。たとえナザリック内で最強に近い能力を与えられた階層守護者たちであろうとも、こと情報収集や魔法的手段による調査系任務となると、完全適応できる個体はいない。だが、ニグレドただ一人のみに単独で24時間監視を行えるだけのスペックを要求するわけにもいかないのは必定の事実。魔力譲渡を行えるペストーニャやルプスレギナをつけたとしても、いつかは限界が来るし、あるいは不測の事態でニグレドを欠いた状態になれば、監視手段は大幅に削減されることに。

 そこで、活躍することになるのが、アインズが軍拡の一環として推し進めてきたNPC同士による交配──愛を深め、婚姻を結び、新たな命を生み育むための事業を導入したことでナザリック内に誕生した“異形の混血児(ハーフ・モンスター)”たちであった。

 

 ギルド拠点ポイントに基づいて創られたNPCたちでは、こうはいかない。

 彼等NPCのレベル……強さは、創造された際のものとまったく同じ数値を維持しており、レベルアップに必要な経験値の増減は発生しない。死んで復活しても復活前のレベルは維持されるが、それ以上の数値へとアップしないことは、この100年の時間で確定情報と化した。

 

 だが、彼等NPCが交雑し、生殖し、産出することになった“子ども”においては、そういった制約からは除外される。

 子どもたちは自分たちの力量を高め、「レベルアップできる」ことが確認されていた。

 

 異世界に転移したことで、この異世界で「新たに生まれ落ちた子」という存在故か、彼等は独自の進化や能力を獲得し、混血種(ハーフ)などの新たな(くく)りを得て、その身に宿る才覚や力量──レベルアップを遂げることを可能にした。

 しかし、不老長命を誇る異形種は、子を宿し残す意義が薄い。

 そのため、ナザリック内で生まれた子供たちというのはこの100年でざっと1000体規模に収まっており、魔導国内・大陸に存在する臣民の繁殖速度と比べれば、圧倒的に少ない印象を受ける。

 だが、彼等は少数精鋭。

 外の有象無象は、100年前は英雄クラス──Lv.30前後が限界値とされているが、ナザリック内で生まれた子のほとんどは、その倍の強さ──Lv.60を超える力を獲得。王太子殿下などの一部例外……Lv.100同士の子については、両親の力量に近いレベル帯にも迫っている。

 さらに、珍重されるべきは、ユグドラシルの存在と現地の──異世界の存在との交配によって生まれた子供には、一定の率でこの世界独自の法則“生まれもっての異能(タレント)”を獲得することが確認されており、セバス(NPC)ツアレ(現地人)の娘であるマルコ・チャンの“空中浮遊”などがその最たる代表例となっており、アインズが見初(みそ)めた、現地人の魔法詠唱者(マジックキャスター)の魔王妃──とある『術師(スペルキャスター)』との間に生まれた娘についても、珍しい異能(タレント)が付与されていることは、ナザリック内で知らぬ者はいないほどである。

 

 

 

 そうして新たにナザリックのシモベの列に加わり、至高の御身たるアインズ・ウール・ゴウンに忠節を尽くす(ともがら)としての喜びを等しく分かち合う混血種(こども)たちは、映像の中にひとつの変化が生じたのを見逃さない。

 

「……あれは? ニグレド様、平野の鏡を!」

 

 フェルが六本の腕の内のひとつを伸ばした。

 ニグレドも即座に言われた位置の鏡を最大画面に複数角度からの映像として投影する。

 

「どうやら、見張り兼拠点防衛の交代ね」

 

 自分たちもそうであるように、奴等も適当な時間経過ごとに休息のための交代制を導入しているようだ。

 交代しかけていたルチが妹と共に興味深げな眼差しを送るように、ニグレドもその映像を見据えずにはいられない。

 鏡が増設されてから、ずっと平野の鏡を防衛するように配置されていた巨兵と僧兵が、鏡の奥に溶け込んでいく。

 それと入れ替わるように鏡から現れた影は、先の二人とは全く違う造形の天使たち。

 

 焔を先端部に宿す杖を握った、ローブ姿に片眼鏡(モノクル)が特徴の魔法詠唱者。

 そして、

 さらに、もう一体。

 

「あれって、赤ん坊? ……ですよね?」

「ええ。あれも連中の衛兵の一人のようね」

 

 ニグレドは言いのける。

 転移初日から、様々な天使と思しきNPCが、周辺状況の調査のために出入りを繰り返していた。

 そのため、連中の戦力となるだろう存在の姿形は、ニグレドたちには十分把握されていたが、さすがに調査以外の“防衛”という明確な役割を期して配備されていることだけは、昨日の夜からの観察と監視のおかげで判断はついている。

 周辺の土地を掘り返したり、石や土を──草花や湖の水を採取したりという調査活動は、ある一定の段階から、ぱったりと途絶えていた。

 

 連中の首魁だろう醜悪な堕天使が、この世界の現地人たる飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の乙女を救出し、死の騎士(デスナイト)たちを輝く刃で消滅させた、あの時から。

 

 おそらく。奴はそこで、この異世界の情報──アインズ・ウール・ゴウン魔導国についての話をいくらか入手し、飛竜騎兵の求めに応じて行動を共にしつつ、拠点に残してきたNPCたちを待機させておいた。そうして、自分たちの状況を把握し、涙ぐましい対策に乗り出すべく、拠点出入口の増設と、その防衛任務を新たに与えたと──そんなところか。

 だとしても。

 

「まさか、あんな赤ん坊まで兵力に数えられるものなの?」

 

 フェルは六つの眼と手を様々な形にしながら思案にふける。

 現れた赤ん坊というのは、先に現れた明るい髪色の魔法詠唱者に比べれば、圧倒的に貧弱に見える。手指は小さく、脚も(いとけな)い。

 金色の髪が一房だけ眉間を覆う天使の面には、不釣り合いなほど黒いサングラスが飾られており、その奥の視線や瞳の色は窺い知れず。装備されている銃火器類──マシンガンやスナイパーライフルは、魔導国内でも一般生産ラインに乗せられていない希少な部類のアイテム・兵器であることを考慮しても、その存在感は矮小(わいしょう)に見えた。

 パタパタと空をはばたく小さな翼も、同胞である魔法詠唱者の左背中から二枚伸びるそれに比べれば、まるで羽根ペンのようにさえ思われるほどに薄すぎる。

 

「連中の雑兵(ぞうひょう)でしょうか? それにしても、あの見た目はいかにも脆弱に思えますが」

 

 休息に入るのを忘れた姉も、フェルの意見に賛同してしまう──だが。

 

「見た目で強さは量れない」

 

 ニグレドは黒髪に隠された唇で、ぴしゃりと言いのける。

 

「あなた達の父上──コキュートスの盟友を、思い出してごらんなさい」

 

 言われた二人は浅はかな思考に(はし)った(おのれ)を恥じた。

 それこそ、第二階層の“黒棺(ブラックカプセル)”の領域守護者は体長僅か30センチ程度の蟲の見た目。しかし、その身に与えられた“眷属無限召喚”の能力は、完全にレベルが上であるLv.60代のルチやフェルをしても脅威的だ。蟲種族が半分混じっている二人は、ゴキブリの見た目に恐怖など懐かず、むしろ親しみやすさすら感じさえするが、あの黒い津波に呑み込まれることはあまりにも面倒極まる。それに二人は理解不能なのだが、アルベドやシャルティア、アウラなどの女性守護者たちは、レベルが三分の一以下の昆虫の森祭司(インセクト・ドルイド)に恐れをなして、まともに相対することも少ない。

 

「申し訳ありません。ニグレド様」

「あまりにも浅慮な発言でした。平に御容赦を」

 

 表皮の剥かれた美女の細面で、ニグレドは淡く微笑む。

 

「まぁ。わからなくはないわ。あんなモノが私たちの敵になるやもなんて、考えにくいことこの上ないものね」

 

 表皮の存在しない顔であるが、そこに存在する慈母のごとき表情を、二人は(あやま)つことなく読み取ってくれる。

 ナザリックの監視者は考える。

 ──あるいは、あの天使の外見は、彼女らのような監視者の意識を弛緩させるためのものだろうか。

 それに、ニグレドは個人的な趣向というか──赤ん坊というものには強い関心や興味をひかれてならない傾向にある。自分に与えられた幽閉所にして生活拠点の一室にある腐肉赤子(キャリオンベイビー)は、創造主タブラ・スマラグディナより与えられた大事な子供たち(モンスター)である上、彼女は設定上、赤ん坊という対象を追い求める狂乱の未亡人として、侵入者を手にした(ハサミ)で滅多刺しにする存在。

 だから、連中の中で唯一的に赤ん坊の姿をさらけ出す矮躯(わいく)の天使には、一言では言い表せない感情を懐いてならなかった。

 かつて、人間の国の子どもたちがナザリックに連行され、その幼子たちの助命をニグレドはペストーニャと共に懇願し、謹慎処分を言い渡された過去もある。

 

「あれも護衛役ならば、それなりのレベルは備えていて当然──」

 

 あんな弱そうな見た目で、ただの人間の子どもに多少のアレンジが加えられた程度の外装で、──「まさか」と思うのはむしろ必然だろう。

 まるで、自分自身に言い聞かせるように、ニグレドは映像内の赤ん坊の様子に注目してしまう。

 遠隔地からの透視では、詳細なレベル測定などは難しいが、こうして「ただ様子を見続ける程度」ならば、特に問題などない。

 赤ん坊は浮遊する鏡の後方に陣取り、大地にオムツの尻を預け、手中にある銃器の点検を開始。

 鏡の正面に居座り、杖を片手に何やら色々と身を振り動かす魔法使いの男は、フェルに任せた。

 

「それじゃあ、私はお先に休息させていただきます」

「ええ。お疲れ様、ルチ」

「お疲れぇ、お姉!」

 

 ルチが甲虫の(あし)で部屋を辞していこうと準備するのを、残される監視役たちは手を振って見送る。

 ニグレドは、赤ん坊の姿に視線を注ぐ。

 その時、つい──ちょっとした気まぐれで、──二人が弱そうと評してならなかったNPCの様子を、──その赤ん坊の細部まで見透かそうと、──手中にある銃身や弾丸から何らかの情報を読めないか、──あるいは赤ん坊という庇護対象が自分たちの敵になるのかもしれないことに憐れを覚えたのか、──または別の要因でか……ニグレドは監視の目を、赤ん坊に対して集約し、段階的にズームアップしていく。

 

 徐々に、徐々に赤ん坊の姿が、鮮明になる。

 手元でいじられる黒い銃身に視線を注ぐ赤ん坊の顔。

 大画面に、乳児の産毛まで見透かせそうなほど映し出された──瞬間。

 

 

 ギロリ

 

 

 と、赤ん坊のサングラス越しの視線──黄金の瞳が、宙を、ニグレドの監視の視線を、睨み返した。

 

「なっ、に!」

 

 咄嗟のことで、監視の目を閉ざす。

 

「ニグレド様!?」

 

 たまらずルチとフェルが、仰け反った勢いで尻餅をついた上官を助け起こす。

 

「ど、どうされたのです!?」

「まさか連中から攻撃を?!」

 

 あまりの珍事に二人は青白い表情(かお)をさらに蒼褪(あおざ)めさせる。

 魔法で防御とニグレドの状態把握を試みるルチ。

 義憤に駆られ激昂の眼差しを赤子に向けるフェル。

 だが、ニグレドは「……なんでもない」としか言いようが、ない。

 ナザリックにおいて最高の監視者は、特段ダメージを受けた感じはなかった。特殊技術(スキル)や魔法の反撃手段(カウンター)、ギルド拠点そのものにあるトラップ攻撃や警告の気配は──皆無。監視部屋の内部は、これといった変化はない。

 それが恐ろしい(・・・・・・・)

 ニグレドは呼吸を整え、最優先に確認すべきことを訊ねる。

 

「フェル。監視状況、は?」

「監視網は……正常です。……けれど、いったい何が?」

 

 上官は頭を大きく振った。得体の知れない心臓の鼓動がやけに耳について痛いほどだ。

 ニグレドは深呼吸を繰り返し、自分の状態が正常なものであること……各種状態異常(バッドステータス)体力(HP)へのダメージ、さらには追跡や探査の気配がない事実をあらためて確認しつつ、フェルが見つめてくれている監視状態を、即座にさがらせる。最低限、奴等の行動は把握できる位置取りにまで。

 しかし。

 その間にも。

 奴等は、天使たちは、特に何の変化も、見られない。

 ニグレドの監視がバレた……わけではなかった、のか?

 これまでにないほど至近で見つめた赤ん坊は、まるで先ほどの視線が、稲光のように強烈な眼光が、すべて嘘のように、自分の装備の点検に御執心だった。反対側で杖を掲げ、何やらクルクル回ったり跳ねたりしている魔法使いも、特に変化はない。

 

「気づかれたわけでは──なさそうですが?」

 

 

 だとしても、用心するに越したことはなかった。

 

「現在の監視を一時中断、監視観測点を後退させるわ」

 

 そんなと抗弁する二人を、ニグレドは落ち着いた語調で宥めた。

 

「最低限、必要な距離を維持して。それ以上の監視はなりません」

 

 万が一にも、我々の存在は向こうに知られてはならない。気取られてはならない。

 けれど、監視は継続させねばならない。

 ならば、ニグレドたちが取れる行動は、今言った通りのものしかなかった。

 あの天使……赤ん坊に近づくのは危険と思われる。

 仮説だが。

 おそらく連中(アレ)の能力は、ニグレドを──高レベルの魔法詠唱者を超越する位階──Lv.100か、それに準じるのやも。

 

「最低限の距離を保ちつつ、様子を見るわ。私の監視に気づいたにしては、あまりにも動きがなさすぎる」

「……確かに」

「そうですね」

 

 たとえば。

 監視に気づいた瞬間に、反撃用の爆撃魔法がここで炸裂する様子は、ない。

 もしくは。

 奴等の拠点内では反撃準備に勤しんでおり、あの二体はそれを覚らせないために芝居を打っているのかも。

 だが、どれも確信はない。

 時間差で反撃が飛んでくる可能性もあるにはある。だが、それだとニグレドが気づけないはずがない。というか、赤子の天使がまったくの偶然で、ニグレドの視線と目が合っただけなのかも。むしろ、その可能性の方が今のところ高いはず。

 だとすると、報告の必要性は薄い。

 

「今はとにかく、様子を見なければならないわ」

 

 ただの勘違いや気のせいで、連中の能力を過大評価するというのは、正しい対応とは言えない。過小評価もダメだ。連中の動静を把握しつつ、何かしら有益な情報を勝ち取ることが、今後のナザリックの、ひいてはアインズの利益となるはず。

 ルチとフェルは、上官の有無を言わさぬ口調に首肯する。

 

「承知しました」

「ですが、ニグレド様は?」

「緊急時の対応マニュアルに従うわ。万が一にも、奴らの反撃を(こうむ)った際に──標的になりえるのは、理論的には私だけのはず。私は迎撃の用意を」

 

 二人には申し訳なくも、しばらく監視の目を引き継がせることになる。

 それを承服せねばならない──だが、よく(わきま)えていると言わんばかりに笑みを送る部下の二人に後事を任せ、ニグレドは万が一に備えて、自分が発動し得る反撃の反撃(カウンター・カウンター)を用意。これで、連中の先制攻撃を無効にし、より早くこちらの攻撃が連中の頭上に跳ね返ることに。一応、監視部屋の地下にある反撃対応用の小部屋に籠って、様子をうかがわねば。ここでなら、ニグレドがやられる可能性は劇的に低くなる。

 連中の動向は、ルチとフェルたちが最低限代行してくれる。

 ニグレドは後顧の憂いなく、連中との開戦の狼煙になるやも知れない一撃を警戒した。

 

 

 

 だが、ニグレドたちの危惧は、まったくの杞憂に過ぎなかった。

 

 数分、数十分、数時間、一日が経過しても、ニグレドは勿論、ナザリックに対し、いかなる反撃の気配も落ちることは、なかった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 それもそのはず。

 天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPC──ニグレドが空間を超えて監視の目を近づけていた存在たる赤ん坊──クピドは、彼女の存在を的確に把握したわけではなかった。

 赤ん坊は頭上を見上げ、少し首を傾ぐ。

 

「どうかされましたか、クピド?」

 

 鏡の前でクルクル舞ってポージングしつつ、何やら詠唱の長文(ユグドラシルには不要な、しかし、彼に与えられた設定の通り)を唱えていたギルド最高火力を誇る魔法詠唱者(マジックキャスター)にして魔術師(メイジ)──種族としては下位の天使である大天使(アークエンジェル)の男は、同族である愛の天使(キューピッド)の様子を気にかける。

 

「いやぁ?」赤ん坊はひどくタメた渋い口調で言いのけた。「気のせいだなぁ」

 

 クピドは夜が明けそうな空を眺めて、言い終える。

 直感的に、何だか、何処からか、誰かの視線を感じた──気がした。

 だから、その方向に意識を向けた。

 だが、そちらには、何もない。

 何もない──星と、雲しか見えぬ空から、視線を下げる。

 茫漠とした、何の生命も感じない平野の様が見渡せるだけだった。

 

 気のせいとしか思えぬほど、拠点の周囲には何も存在しない。

 

 

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)が保有する十二体のLv.100NPC──クピドという赤子の天使に与えられた職業(クラス)レベル、兵士(ソルジャー)上級兵士(ハイ・ソルジャー)には、“兵士の勘”という特殊技術(スキル)が存在する。

 この特殊技術(スキル)は、戦いにおいて自分に有利な状況を読み取る──ゲームだと、〈直感(イントゥイション)〉〈敵知覚(センス・エネミー)〉〈感知増幅(センサー・ブースト)〉〈致命傷率向上(クリティカルヒット・アップ)〉などに近い効果を発動者に与えるものだ。

 自分にヘイトを向ける敵対象への知覚力を上昇させ、敵に対して致命的な攻撃を加えやすくなる“勘”が働くようになる。

 クピドはそれによって、自分を敵視する存在をいち早く察知し、より確実に撃滅することを可能にしている、優秀な“兵隊”として創造された経緯があった。

 おまけに、彼は〈転移〉関係の魔法に長じる特殊な職業(クラス)も与えられており、それと併用することで、空間を超越した存在──魔法的な監視に対する知覚力も飛び抜けていた。他の天使の澱のNPCでは、些少の違和感を覚えることも不可能であった。それだけ、彼等を監視していたニグレドたちの手腕は完璧であった。

 だが、そんな彼をしても、ナザリック最高位の監視役から向けられる調査系魔法を、巧妙に隠匿された監視の目を、完全に把握することはできなかった。これはひとえに、ニグレドの能力もまた、彼の知覚力を大幅に超えていたことの証明であり、両者の均衡は危ういバランスを取ったまま、どちらにもふれない天秤(てんびん)のように拮抗してしまっただけなのだ。

 

 両者は互いが互いの状況を知ることなく、互いの知り得る情報に従い、互いに与えられた命令のまま、最善最優の判断を下していた。

 これ以上の処置も対応も、現状においては不可能だった。

 あるいは、ニグレドがさらに調査を強行していたならば、さすがにクピドの空間把握力や敵意知覚力に、明確な影を落としていたかもしれないが、ニグレドの慎重を期した対応は、完全にクピドの知覚できる範囲から遠ざかってしまっていた。

 おかげで、ニグレドたちも監視がバレたわけではないと、24時間後に確信することになる。

 

 

 

 共に鏡の護衛役に選ばれ、即座に敵へと対処できるように『魔法を撃つ時のカッコいいポーズ』を真剣に考えつつ、周辺状況──攻撃魔法や飛び道具などの襲来を正確に魔法と装備で見透かす魔法使いの天使──ウリが訊ねる。

 

「ふむ。一応、我等が創造主──カワウソ様に御奏上してみますか? 愛欲の使者たる我が同胞(はらから)よ?」

 

 何やら小難しい、片眼鏡(モノクル)を装備する知的な魔法使いに与えられた設定通りの『厨二な丁寧口調』で軽く進言されたクピドは、彼の行動を不審に思うでもなく、首がすわって間もなさそうな赤子の首を、ゆったりと横に振った。

 

「──いいやぁ。単なる気のせいだろぉ」

 

 クピドは結論を述べる。

 こんな情報を彼に与えても、ただでさえ危うそうな堕天使(カワウソ)の心労がマッハになる。

 主人が至っている状況を考えれば、あまりにも不明確な情報を与えるのはリスクしか生まない。

 それこそ、カワウソに余計な情報ばかりを集積させたところで、今の彼には負担にしかならないのだ。

 この未知の異世界に転移した直後。

 ミカというNPCの代表に回復されなければ、立ち上がることすら満足に出来なかった主人の姿が脳裏を(よぎ)る。

 

 故にクピドは、転移して三日目の本日11時、彼の(もと)まで荷物を届けるべく転移した際にも、この時の感覚を伝えることはなかった。ありえなかった。

 

『問題らしい問題は、ないなぁ』

 

 それは確実な情報であり、どうしようもないほど純粋な、クピドの優しさが結論させた事実であった。

 目に見える問題など、一点もない。

 スレイン平野は静謐と平穏を保っている。

 彼等が知り得る危機も、明確極まる敵影も、いまだ存在しない。

 

「ところで、ウリよぉ」

「はい。何用でしょうか?」

「たとえば何だがぁ。おまえの広範囲殲滅魔法──あれをこの異世界で発動したら、どんな塩梅(あんばい)になると思うよぉ?」

「ふむ。それは我も気になっている実験項目でありますが……」

 

 ウリは炎を散らす杖を器用に三回転させてみる。

 

「今のところ、我等が主人からの実験許可は下りていない。が、しかし、堕天使にして聖騎士であられる彼の力量で、マアトが言うほどの破壊を完遂できたことを考えれば」

 

 率直に言って、山のひとつやふたつは砕ける、はず。

 

「じゃあ仮に……仮にだがぁ。この平野を魔導国の軍が包囲し、全方位からアンデッドの軍が侵攻してきたとしたらぁ?」

「ふむ──問題なく殲滅できるでしょうね。私自身、魔力の消耗を考慮せず、魔法と特殊技術(スキル)を出し惜しみなしに繰り出せば……ですが」

 

 与えられた設定の口調を忘れ、ウリは与えられた戦略的思索を、それを提唱してきた同輩の背中に問いかける。

 

「なんでまた、そんな恐ろしい話を?」

 

 クピドは「可能性の話だぁ」と言って受け流す。

 二人は共に遠距離に滅法強いレベル構成だ。こうして警戒さえしていれば、少なくともスレイン平野一帯に進入する存在は……高度な隠蔽でもなされていない限り、感知は可能。日が高くなる時間帯を迎え、幻術を張って防御を施しているとは言え、どんな手合いが自分たちの拠点に気づき、近づいてくるのか知れたものじゃない。

 それこそ、カワウソが救出した憐れな逃亡者のように、やんごとなき事情で、この付近を通りかかる魔導国の臣民が居ても、何の不思議もないのだ。

 最悪なのは、魔導国に自分たちが討伐対象に見据えられ、恒常的かつ大量に保持しているらしいアンデッドの軍勢に来襲される可能性。今のところにおいては、そういう気配は絶無と言って良い。だが、その時が来たら、間違いなく自分たち二人の力が真っ先に必要になるだろう。

 気を引き締めておかねば。

 思い、手中にあるライフルの銃身に歪みがないかどうか、念入りに確かめておく。

『兵隊は常に、自分の兵装の管理を怠らない』──そう主人によって定められているクピド。

 

 

 

 愛の天使(クピド)大天使(ウリ)は、自分達なりの方法で時間を潰しつつ、何か問題がやってこないか警戒を強めていく。

 

 

 

 ──問題は、問題が目に見えないところに、巧みに潜んでいることだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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南方士族領域 -1

 原作の、現段階での『南方』の情報は

「黒髪黒目の人が一般的」書籍2巻、ペテルが言及
「“刀”の流れてくる土地」書籍3巻、ブレインが手に入れた武器
「八欲王の残した、砂漠の中にある浮遊都市」書籍4巻、アインズがアルベドに説明
「“無名なる呪文書(ネームレス・スペルブック)”というアイテム」書籍5巻、イビルアイが言及
「服の一種で、スーツなる物」書籍6巻、イビルアイがデミ……ヤルダバオトの姿を見て
「八欲王が唯一残した都市・エリュエンティウ」書籍7巻、帝国魔法省の地下で

 くらいだったでしょうか?


/Flower Golem, Angel of Death …vol.05

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 水色の髪の少年は、二階席の正面窓(フロントガラス)……天井が開放された車体から身を乗り出すようにして、黒い街道を突き進む車速の風と戯れながら、大いにはしゃぎ笑う。

 

「いやぁ、素晴らしい動像(ゴーレム)たちです!!」

 

 二階から見下ろせる馬車の動力源たちは、実に働き者ばかりだ。足並みを揃える巨大な鉄馬は、アンデッドの御者(コーチマン)手綱(たづな)に従い、黒い街道を整然とまっすぐ進み続ける。動像(ゴーレム)は、与えられた機能や労務に使われるためだけの、言うなれば機械装置じみたマジックアイテム。自分のような特別製(NPC)ではないものは、難しい思考は出来ず、同族を感じ取る感応すら皆無。

 だが、ナタという少年には、彼等が何らかの意気込みを──矜持を──誇りをもって、自らに与えられた役務に邁進し注力しているように感じさえする。

 ナタも同じ動像(ゴーレム)種。

 その中でも極めて珍しい“花の”動像(ゴーレム)だ。

 たいていの動像(ゴーレム)というのは、鉄などの金属、樹などの木材、あるいは原典通りの土塊(つちくれ)である泥や粘土、岩石で身体を構築されたものが大半だ。他にも、鎖の動像(チェイン・ゴーレム)歯車仕掛けの動像(クロックワーク・ゴーレム)など、ゴーレムだけでも多くの種類がユグドラシルには存在していた。どれも「像」というだけあり、その姿形は人間や生物の造形が与えられ、それは馬車を()鉄馬(アイアンホース)たちや、ナタもまた同様である。中には自然物……(フレイム)(アイス)などの身体を持つゴーレムもいるようだが、ナタは実物を見たことがなかった。何しろ彼はギルド拠点NPC──ユグドラシル時代は、拠点内にいる同族の動像(ゴーレム)しか見たことがなかったのだから、当然である。

 あるいは、この魔導国──アインズ・ウール・ゴウンの麾下には、そういう珍しいタイプもあるのか、ナタは大いに気にかかってならない。

 

鉄馬(アイアンホース)ガ、今時そんなニ珍しイのカ?」

 

 ナタは奇妙なイントネーションを発する彼に振り返る。

 

「珍しいというわけではありません!! ただ、自分は彼等のような存在が大好きだというだけです!!」

 

 少年の振り返った先で、妖巨人(トロール)の極太の首が大きく傾く。

 変わった奴だと肩を竦める巨躯の亜人は、とりあえず自分の隣の席……彼の巨体だと席を二つ占領しており、三列連結タイプの席の窓際一席が空いていた……に、少年を座らせる。

 

「アンまりはしゃいデ、落ちテも知らんカラナ?」

「ありがとうございます!! が、心配ご無用!! 自分であれば、ここから落ちても大した損傷にはなりませぬので!!」

 

 誇るように告げる少年は、近接戦闘職に重きを置いた、ギルド最高峰の格闘戦タイプ。たとえ、二階席の高さから街道の黒い石畳に転落しても、すぐさま大地を蹴り跳ねて、突き進む馬車に舞い戻ることは容易にすぎる。

 

「まぁ、ソレもそうカ?」

 

 妖巨人(トロール)が軽く頷けたのは、ナタと生産都市で拳を交え、結果、賞金の半分を失った事実から歴然としていた。あれほどの身体能力を披露できる少年ならば、特になんの問題もないと納得できるというもの。魔導国臣民たる妖巨人(トロール)は馬鹿ではない。特に戦闘のことになれば、自分を(くだ)してみせた相手の力量を見誤るなどという失態を、犯すはずがないのだ。

 

「ところで、オまエ。その髪、本当にどウシたんダよ?」

「企業秘密であります!!」

 

 馬車の隣席という感じで再会した時より一貫して、ナタはそう言って答えをはぐらかしていた。

 最初こそ、見知ってしまった少年の変貌──湖底を思わせる蒼色が、今は清らかな湖面を思わせる水色に変じていた姿を疑問視していた妖巨人(トロール)だったが、それ以上は訊いても意味がないと観念して、別の疑問をぶつけてみる。

 

「おまエ、南方に何ノ用だ? 知リ合いでもイるノか?」

「いいえ!! ただ行きたいから行くのです!! いけませんか!?」

「……イイやァ?」

 

 そう強く主張されては何とも言い難いらしく、妖巨人(トロール)の魔導国臣民は特に追及することなくナタの言動を受け入れる。ここまで意思が明確かつ頑強な子供というのも珍しかったが、ナタの実力を知る彼には何やら腑に落ちるものがあるらしかった。

 

「それにしても!! この二階建ての馬車、素晴らしい!!」

 

 ナタは感想を述べる。

 オープンカーのごとく天井が解放され、見晴らしがよいのもそうだが、魔法の力によってだろうか、吹き付ける風が強すぎて身が冷えるということはない。車体の揺れも驚くほど少なく、搭乗者への配慮がこれでもかというほどに施されているのは、驚嘆して当然の魔法技術──なのだが、

 

「そウか? こレくらい普通だロ?」

 

 いかんせん、100年後の魔導国では一般に普及し尽くした魔法の馬車は、あまりにもあたりまえ過ぎた。震動は整備された街道の均一度も影響しているが、馬車自体に重量軽減や振動を抑制する魔法が込められており、乗り心地は抜群。おまけに、外気にさらされながら車内の温度を一定の状態に留めることも可能という性能は、100年前にも存在しなかった魔法技術だろう。リクライニングまでも完備されたシートは、巨大な亜人でも座れるように、二席や三席を合体させることも出来るという機能性にも溢れていた。(無論、その分の代金は請求される)。

 この馬車と似通った規格のものが、大小さまざま──公共交通機関用から、都市内個人搭乗用に至るまで、種々様々なものが生産・供給されて久しく、ナタが感じるほどの新鮮な驚きなどとは、臣民には無縁なレベルにさえ常識化されていたのだ。

 ナタは隣席者の主張から、「これは普通」という情報を得ていく。

 カワウソに与えられた任務内容を思えば、どんな些末事(さまつじ)重大事(じゅうだいじ)として認識される。この魔導国における常識を知らぬままに活動しては、いろいろと弊害が生じるのは明白。ならば、ここは適当に誤魔化すのが理想的な判断であるはず。

 

「とんでもない!! 自分は本気で!! この馬車は良いものだと判断できます!!」

 

 言って、彼は自分たちの後方席にまばらに座り、風景を愉しむ乗客たちを眺めた。

 誰の顔にも──人間にも亜人にも──快適な移動手段を供し、旅の安全を守る馬車への信頼と安心ぶりが見て取れ、ナタをしても心温まる光景だと認識され得た。人間と森妖精(エルフ)の夫婦が子どもを胸に抱いてあやし、老いた女性が亜人の若者らに、その場で剥いて切り分けた果物をオヤツ感覚で配っていた。

 実に、よい国だ。

 花の動像は、本気でそう実感していたし、その事実に反感を懐くこともない。

 アインズ・ウール・ゴウンが敵であるという事実は間違いないが、それがそのまま=暗君になるとは限らない。それぐらいの判断力は持ち合わせていた。

 

「しかしながら!! 本当に、奇遇でしたな!!」

 

 ナタは隣席者を振り返り、驚くほど体重を感じさせない様子で背もたれから身を離して、隣席者の表情を覗き込む。

 

「あなたも南方の領域とやらに、どのようなご用向きがあると!?」

「アぁ……ちョっとナ」

 

 妖巨人(トロール)は何やら気恥ずかしそうな……醜悪な亜人の造形だと、実に恐ろしげに悪辣になってしまうが、その実、優しい表情を形作って、太いボコボコの指先から生える鋭い爪で頬を器用に引っ搔く。

 

「俺ハ、見た通リの妖巨人(トロール)種なンだが、──おマえ、ウォー・トロールは知ってルか?」

「申し訳ない!! 皆目、知りませぬ!!」

 

 妖巨人(トロール)の種族は適応力が高く、わけても戦闘能力に長じた一族を称してウォー・トロールという。

 うん、だろうなと言って、少年の様子から察していた巨人は大きく頷いた。妖巨人(トロール)あらため戦妖巨人(ウォー・トロール)の彼は続ける。

 

「ここかラ、遥か東方──首都方面ヨリ東の先の地にアる、ウォー・トロール領域が俺の生まレでな」

 

 ナタは興味深い内容を静かに聴取していく。

 まとめると、戦妖巨人(ウォー・トロール)というのは、100年ほど前に現れたアインズ・ウール・ゴウン魔導王──その配下の末席に加えられた“ゴ・ギン”という武王をはじめ、戦いに特化した亜人種族のひとつ。

 当時、大陸中央で覇を競い闘っていた六大国の一国として台頭していたトロールの国が存在したのだが、魔導国が西方より征服……大陸統一事業の一環として侵攻し、両国は戦い争うことに。

 その結果は、歴史が語る通り。

 だが、アインズ・ウール・ゴウンによって、人間の帝国の闘技場で武を磨いていた王が同族らの助命嘆願を試み、ゴ・ギンを新たな首長・代表とすることで、中央の妖巨人(トロール)種は殲滅の憂き目を免れる。やがて全妖巨人(トロール)種は、ゴ・ギンの同胞・配下として統一され、ゴ・ギンという「武王」をウォー・トロール領域の外地領域守護者として任命、妖巨人(トロール)種は魔導国の傘下のもとで、かつてないほどの繁栄を築くことになったという。

 以上の経過を経て、ゴ・ギン亡き後、妖巨人(トロール)種の全「守護者」となった彼の名誉を讃え、魔導王の許しのもと、武王を信仰する風習が魔導国のウォー・トロール領域で広く普及することと相なった。

 

「その『武王信仰』に従って、あなたは現在、“武者修行”の旅路にあると!?」

 

 武者修行者たる亜人は、太い腕を組んで大いに頷く。

 かつて武王が成し遂げたのと同じ修練の旅路につくことが、全妖巨人(トロール)種の若者に、ある種の成人の儀として受け入れられていったのだ。

 

「偉大ナル先祖の名を讃エるための修行が、神の上の超越者──魔導王陛下への尊崇ニも繋がル、というわけダ」

 

 意外にも宗教などには寛容な魔導国だが、それらの頂点にはすべてナザリックと、何よりも偉大なる名である“アインズ・ウール・ゴウン”が君臨している。

 すべての英雄譚や伝説を、塗り潰し、書き換えながら、巧みに臣民たちの心を掌握する技量の(すい)が、そこにはあった。

 

「なるほど!! では、あなたが辻決闘なる興行を(もよお)していたのは、己の修練のためと!?」

「それもアルが、あとハ俺みタいな(いくさ)バカが稼げル方法が、あれクらいしかナイからだな。

 ……いや、知り合イに、しつこク誘ワれてイる職もアルにはあるガ」

 

 そう言って、彼はため息をひとつ。

 

「しカし。アレだ……さすがニ、ここ一週間ノ稼ギが、よりにもよって今日、出立予定の直前に、オマエみたいな坊ズにやられるとハ、な」

「まことに申し訳ありませぬ!! が!! いただいたお金を返すことだけは、出来ませぬよ?!」

 

 一応は、両者合意の下で金銭を遣り取りした以上、それを覆されてはたまらない上、今のナタの手元には調査隊四つに分散された金額の四分の一が残っている程度。四分の三がない以上、少年には全額返金する手段などあり得なかった。

 ナタの実直に主張する言葉に対し、妖巨人は手を振って違げえよと大笑する。

 

「それハいいンだ。というか、おまえニハ、賞金の半分を残してもらっタんだから、むしろ感謝してルくらイだ」

 

 あの賞金には、彼の武者修行のための旅費……宿代や食費なども含まれていた。戦妖巨人(ウォー・トロール)の彼だと、一日の食費だけでも数千ゴウンは確実にとぶという。妖巨人(トロール)の特徴たる再生回復力も、さすがに餓死などには対策のしようがないのだ。そういった状態異常を克服する魔法のアイテムを購入するには、特別な許可──冒険者のライセンスなどが必要になってくる。故に、とても手が出ない買い物であった。

 だとするならば、彼を打倒し果せながら、賞金の半額を残してくれた少年には、むしろ感謝しかないと、巨躯の亜人は言う。

 妖巨人(トロール)はしみじみと痛感した様子で言い募った

 

「俺のような弱輩(じゃくはい)では、まだまだ修行が足りんトいうことが判ッタ。いい教訓ダよ」

「なるほど!! ──うん!? 弱輩(じゃくはい)?! つかぬことを(うかが)いますが、ご年齢は!?」

「ん? 13だガ? ……アあ、人間ノ眼には判らんのだッタな?」

「13!! なるほど確かに、弱輩でありますな!?」

 

 ナタは心底、意外そうな声音をあげて納得する。

 都市を行き交うビーストマンやミノタウロスよりも頑強そうな巨躯で、まさか齢13と考える者は多くないはず。鋭い爪牙(そうが)を覗かせる筋肉質な肉体や、長く膨れた鷲鼻が醜い顔まで、すべてが怪獣じみている。亜人は、基本的に普通の人間などと比べて成長速度が速く、成人年齢も早い。だとしても、彼の体つきは並の妖巨人(トロール)のそれよりも巨大(デカ)い部類に位置するだろう。事情を知らなければ年齢を見誤ることは確実だ。

 聞けば、声のイントネーションについても大人に比べてだいぶ聞き取りにくいらしく、これは若い妖巨人(トロール)の特徴なのだとか。大人であれば、一応ちゃんと発話することも可能になるらしく、妖巨人(トロール)とは思えないほど知的なものや魔法の理解を得るものなどが、彼の出身領域には多く存在するらしい。

 

「なるほど!! では一応、念のために、確認させていただきますが!! 市場で暴走し突っ込んできた魔獣、あれは、あなたがけしかけたわけではないのですね!?」

「魔獣? 何のこトだよ……って、ああ。あノ、タクシーが暴走したっテいう?」

 

 特に身に覚えがないという巨躯に対し、ナタは微笑みを深めて「それは重畳(ちょうじょう)!!」と一言。

 

 ナタの誠実な微笑みの底に灯る、確かな戦意。

 もしも、目の前の妖巨人(トロール)の若者が、自分たちに突っ込んできた都市タクシーの魔獣をつかわした下手人であったなら、ナタは何をしでかしていたか、本気でわからない。

 自分との闘いに──レベル差がありすぎるとはいえ──純粋な勝負事に不服を覚え、報復と称して市場に混乱を招き、さらには無関係である少女や同胞(ゴーレム)に危難を与えたものがいたならば、ナタはそいつを許しはしない。目の前の亜人がそういう無道を働く手合いでないことは「拳を交わした仲」という感覚で充分に信頼が置けるものだが、一応は確認しておかねばならなかった。

 

 ナタは、生粋の戦士。

 創造主たるカワウソから与えられた職業レベル95をすべて近接戦闘の戦士職業で埋め尽くした、『武の申し子』だ。少年の見た目とは裏腹に、ギルド拠点NPC内でも最強の呼び声の高い、数多くの剣を与えられた“最強の矛”である。“最強の盾”たる防衛隊隊長のミカと並んで、来るべき時には第四階層で敵の撃退任務を与えられたナタであるが、結局その役目を果たすことは一度もなく、このアインズ・ウール・ゴウンが大陸を支配する異世界への転移という、奇妙奇天烈な異常事態に直面している。

 戦士であるナタは、(おのれ)が恨みや憎しみを買うことは承知できるが、それを己以外の他者で発散したり巻き込んだりなどという敵の愚行は、断じて許し難い。それは“戦い”を(けが)(おと)す行為。戦闘者としてあってはならない、方向性のない暴力の発散に過ぎない。恨みや憎しみを晴らすのであれば、他人ではなく自分(ナタ)に挑みかかるのが筋というもの。

 この思考は、カワウソが提唱するアインズ・ウール・ゴウン魔導国への対応とも合致していた。彼の復讐の矛先は、アインズ・ウール・ゴウンという存在そのもの……なれど、魔導王に臣従する一般民衆は、自分たちの存在理由とは、まるで何のかかわりもない事実が、彼等への積極的な攻撃を認めようとはしない最たる要因として機能していた。

 無論、主人の危難の種は、即断即行で摘み取ろうとするだろうが。

 

 ナタは知っている。了解できている。

 自分たちの敵となるものは、主人の見据えた敵と、その主人の行動・命令を阻害する存在、すべて。

 かのアインズ・ウール・ゴウンが統治する国民というのが、自分たちの邪魔をするような手合いと判断されれば、ナタは動像(ゴーレム)の機械的な思考で、すべてを斬殺してしまうかもしれない。いくらナタ自身がカルマ値では「善よりの中立」を保持していようと、主人へ降りかかる害毒のすべては、ナタの振るう剣で、すべて薙ぎ飛ばし斬りはらう対象となり得る。NPCとは、そういうための存在に過ぎない。

 

 しかし、あの魔獣の事故が、故意的なものか否かの判断は、ナタとイズラの二人には不明。

 あるいは魔導国の間者が放ったという可能性も考えられたが、それにしてはやり方が無作法すぎるし、意義が薄い。潜伏中のイズラの能力をかいくぐって、自分たちの力量を図るべく遣わしたとしては、あまりにも脆弱かつ意味のない行為に思えた。どうせだったら、二人に対し広範囲魔法で先制攻撃でもしかけてきた方が、まだ有意義な威力偵察ができたはず。街中であり、周囲にいた人命を考慮したと考えても、あんな低レベルな獣でどうにかなると本気で思われたとは考えにくかった。当て馬にしても、もっと他のやり方があったはず。

 

「どウした、坊ズ?」

 

 妖巨人(トロール)の顔が不思議そうに少年兵を見下ろしている。

 

「いえいえ!! 何でもありません!!」

 

 熟考に耽る花の動像(フラワー・ゴーレム)は首を振った。

 とりあえず、亜人の言葉や声音に嘘を感じられなかったナタは、快活に微笑む。

 

「しかし、自分は信仰系職業の僧侶たる坊主(ぼうず)ではなく、ただの戦士であり剣士!! 出来れば名で呼んで……ああ!! そういえば、まだお名前を教えておりませんでしたか!?」

 

 両者ともに今更な事実を思い出す。

 

「そうダったな。俺ノ名前は、ゴウ。ゴウ・スイだ」

 

 よろしくと言って、太く大きな掌を差し出す妖巨人(トロール)に、少年は笑って応じる。

 

「自分の名は、ナタと申します!! 以後よろしく、ゴウ殿!!」

 

 子供の手とは思えない──だが、彼の実力だとかなり手加減されていた──握手の力に、ゴウは力強く「応!」と吠えて握り返す。

 

 

 

 

 

 こうして奇妙な旅の道連れとなった二人──ナタとゴウ・スイは、六頭立ての鉄馬の動像(アイアンホース・ゴーレム)の馬車によって、首都圏と呼ばれる地域から遠く離れた、南方の地を訪れる。途中、何もなさそうな草原地帯で下車していく客をおろすために、ぽつんと佇む停留所で止まること数回。

 当初、ナタとカワウソたちが懸念していた領域進入の際も、問題らしい問題はなく、越境時の車内アナウンス──同乗している死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の声が機械音声のように響き渡る。

 これは、ナタが購入した馬車の運賃にあらかじめ税金がかけられているためだ。つまり、馬車などの公共交通手段以外の方法で領域を超えていたら、漏れなくアウト。そういった処理を誤魔化せる暗殺者の同胞(イズラ)を伴っていないナタは、彼も気づかぬうちに正解を引き当てていたわけだ。

 

「これが、南方士族領域!! 初めて見ます!!」

 

 率直な感想を懐くナタ。窓の外へ身を乗り出さんばかりに好奇心の(とりこ)となった少年に、妖巨人(トロール)の修行者であるゴウは、誇るでもなく説明する。

 

「北の方とハ、ちョッと変わった土地だ。初メテの奴は大抵、そんな感ジになるわナ」

 

 ゴウは、彼が知り得る限りの南方の情報を、若い亜人特有のイントネーションで述べ立てる。

 

 

 

 馬車が進む街道は、かつては、一面に渡って熱砂が山と谷を波立たせていた“海”のごとく広大極まる砂漠地域とは思えないほど、生い茂る木々や草花で、完全に緑化されて尽くしていた。吹き込む風は涼しく、生物を焼き尽くす灼熱の気配は何処にもない。

 

 そんな草原をほぼ一直線に進む馬車から、大きな街が見渡せる。

 

 街全体は黒鉄(くろがね)の城壁と城門で守られ、その周囲の地域には、切り倒されて製材された材木が、黒い大地──アスファルト──の上にうず高く盛られていた。見れば、人間や森妖精(エルフ)森祭司(ドルイド)が魔法によって再生させた森林を、骸骨(スケルトン)死の騎士(デスナイト)などのアンデッドが適当に()りこみ、それをオーガやトロールなどの巨漢が運び出して、然るべき加工職人──林業従事者たちによって製材するというルーティンが見て取れた。切り出された材木は徹底的に帳簿端末によって管理され、魂喰らい(ソウルイーター)の荷馬車で黒い街の奥に運び込まれる。何らかの燃料か、あるいは建材に使用されるのだろう。

 壁の向こうの街から立ち上る白煙の数は、ざっと数えても50を超え、軽快な鎚の音が交響楽のごとく忙しない調子で打ち鳴らされているのが、ナタという来訪者の少年兵には感知できた。

 

 

 

 南方士族領域────鉄鋼業において、北のアゼルリシア領域と双璧をなすとまで評されるこの地域には、数限りない鍛冶師や職人が生きており、彼等は、この地域でしか産出され得なかった“刀”などの強力な武器・防具をはじめ、さまざまな技術・発明・文化を固着させた『南方人』の末裔として、魔導国に上質かつ重要な“武装の素材”を供出する任務を負った臣民たちだ。

 

 

 

 かつては広大な砂漠地帯によって、以北との交流らしい交流は寸断され、行商人が北方……100年前まで人間の数少ない勢力圏であった王国や帝国などに、“刀”などの特産物を輸出・交易していた程度の土地は、魔導国による大陸統一によって緑化され、一部に当時の砂丘やオアシスを残しつつ、魔法の黒街道による交通網が供され、以前よりもはるかに交流が盛んに行われるようになっている。

 余談となるが。

 浮遊都市・エリュエンティウは、その南方にある旧砂漠地帯の名残を顕著に残す土地であり、100年前の魔導国編入の時から、『浮遊する城の下に都が築かれ、無限の水がその浮遊する都市から流出し、魔法の結界で守られた都市全域に恩恵を与えている』とか。この都市は30名からなる都市守護者によって護られており、魔導国以前に盟約を結んだ“白金の竜王”ツアインドルクス=ヴァイシオンが、魔導王と盟を結んだことで、竜王と共に魔導国の傘下へと下ったらしい。

 

 

 

 ナタに望まれ乞われるまま教えてくれたゴウという戦妖巨人(ウォー・トロール)。彼は暴力的な見た目とは裏腹に、意外にも教養深い一面があるようだ。

 

「まぁ、詳シいことは俺も知ラン。コレから会ウ知り合いニ、詳しソうなノがいるにはイルが」

 

 ゴウの説明が続く中、馬車は整然と街道を進み、押し開けられた巨大な城門を、材木や職人たちと共にくぐりぬける。

 街の内部に入ったナタは、目を輝かせた。

 

「──おお!! すごい!! すごいです!!

 こんなにも、たくさんの武装が創られているのは、初めて見ます!!」

 

 長くギルド拠点の第一階層“迷宮(メイズ)”にて防衛任務に励んでいたナタは、感嘆を禁じ得ない。

 その光景に圧巻の表情を浮かべ、とにかく笑う。

 無論、武装の数で言うなら、自分の主人であるカワウソが築き上げたヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の武器庫も負けていない。兵隊であるクピドによって徹底管理された第三階層の武器庫には、剣や斧、鎧や盾の他に、種々様々な魔法の武器が(のき)を連ねていた。わけても、武器庫管理者を任命されている彼のみが扱える“魔法の銃火器類”の豊富さは、ある種の博物館じみた荘厳さに連なるものがあると、ナタは確信すらしている。

 だが、大量の武器や、その素材となり得る金属などを製錬する光景が、街の入り口から中心に至るまでの大通り全体で見渡せるというのは、さすがにありえない風景といえた。ナタが唯一知るギルド拠点の製錬作業所は、同胞である鍛冶職系NPCのアプサラス──彼女に与えられた一室のみである。それを思えば、まるで露店や商店のように通り一面を製錬所の炎と、鍛冶師たちの振り下ろす大鎚の音色が二桁単位で存在する様は「見事!!」としか言いようがなかった。

 

 数時間の旅を終えた馬車は、街の発着場で停車し、ナタは風呂敷を抱えたゴウと共に下車していく。添乗員のアンデッドをはじめ、ここまで運んでくれた同胞(ゴーレム)に対し、惜しみない感謝を述べて、ぞろぞろと行列を作る人の波と共に去る。

 ナタは好奇の眼で、南方の街の様子を、そこに生きる人々の様子を目に焼き付ける。

 奇妙な衣服が多いなと思いつつ、少しも静かにならない街の喧騒を心地よく受け入れる。

 

「アベリオンの生産都市とは、これまた違った活気です!!」

「こノ街は、センツウザン。士族の領域の中デ、エリュエンティウの次ノ次くらイには栄えテいる街だ」

「センツウザン?! それはどのような謂れのある名であるのか、ご存知ですか!?」

「さァ……なんか『山ヲ船が通ッたから、せんつうざん』トカなんとか……よく解らン。このあたり独特のものだ。クシナなら、何か知っているはズだろうガ?」

 

 知り合いの名を呟くゴウは、何やら周囲を見渡している。

 

「確か、ゴウ殿は此処(こちら)で、お知り合いと会うのでしたな!!」

 

 頷く亜人の様子は、何かを、誰かを探しているような気配が見て取れる。南方の地に訪れる理由については、長かった道中で訊いておくのに十分な時間が二人にはあった。

 ゴウは周囲を気にしつつ──警戒しつつ──言葉を紡ぐ。

 

「んアア。アベリオンを出る前ニ、ここに来ルと端末で〈伝言(メッセージ)〉はしたンだが?」

 

 言って、彼は風呂敷の中にあるものを取り出そうとした瞬間──

 

「んん!?」

 

 ナタの戦士としての知覚が、自分たちに──より厳密に言えば、ゴウ一人に、急速接近する影を捕捉する。

 だが、少年兵は動かない。

 動かなかった理由は、四つもあった。

 ゴウが攻撃されるにふさわしいだけの理由がある(犯罪者や、個人的な恨みを懐かれている)可能性が、ひとつ目。ゴウに迫り来る何者かには、殺気が驚くほど存在しないのが、二つ目。そして何より、ナタは妖巨人(トロール)である彼の実力であれば、この程度の状況は対応可能なことを理解していたからというのが、三つ目。さらには、ナタの実力では、いくら手加減しても勢い余って襲撃してくる人物を意図せずに傷つけ殺しかねない可能性が、最後の四つ目だ。

 そして実際、ナタの手出しなどまったく無用であった。

 ゴウは素晴らしい反射速度で、自分の背後から得物を振り下ろしてくる影に向き直った。

 常人では知覚不能な返し技で、人込みに紛れ襲来しながらも、殺気などまるでなかった攻撃を……人影の手首を、掴んだ。

 おかげで彼の荷物である風呂敷は大地の上にブチ撒かれる──寸前で、少年兵が器用にひょいとすくい上げてしまう。

 そして、至近距離で睨み合う襲撃者とゴウ。互いの表情に笑みの気配が零れ出す。

 

「相変わらずですね、ゴウ」

「それはコっチの台詞ダ」

 

 可憐な高音で、戦妖巨人(ウォー・トロール)の巨躯の後背に殺到していた影は、艶っぽく微笑んだ。

 肩の線には届かない黒絹の髪に、珠のように怪しく輝く赤い瞳。白磁の顔には、何らかの魔法的処理なのか、奇妙な記号めいた紋様──漢字の一列が、タトゥーのごとく右顔面から首に至るまで貼り付いている。

 巨大な亜人の膨れた掌に掴まれた態勢でありながらも、冷笑を浮かべる人物の線は、細い。

 暗殺者や忍者とよばれる存在よりもしっかりとした体つきだが、柔らかな丸みを胸や尻に帯びる様は、完全に女性のそれに他ならない。ただ、身長を考慮すれば、どうあっても乙女というより“少女”という方が正しいはず。

 しかし、その妖艶な笑みは、その凄絶さからかあまりにも蠱惑的で、同種(にんげん)の異性を(とりこ)にしてやまぬ美貌と見て間違いない。二十歳の成人女性と言われても納得がいくだろう。

 同種でないナタは特に何を感じるでもなく、別に気にかかってしようがないところが、他にあった。

 それは、少女の格好である。

 

「いい加減、あなたも武装したらどうなの? 戦妖巨人(ウォー・トロール)の馬鹿みたいに太い腕でも、ウチのサイズ調整機能付きの、魔法武器の刀だったら、問題ないはずでしょ?」

「ウルせぇ。余計なオ世話だよ、スサ」

 

 少女は両腕を吊り上げられながら──そうしていないと、間違いなく彼女は手中に握る黒鉄の輝きを、目の前の巨人に遠慮なく振り下ろしていただろう──余裕の口調で微笑み続ける。

 戦妖巨人(ウォー・トロール)の反撃にさらされてもおかしくない状況であるが、襲撃を受けた本人は面倒くさげに少女を放り出して、ナタより受け取った風呂敷から、はずみで取り出していた通信用ゴーレムを仕舞い直した。

 それ以上のやりとりすら馬鹿らしく思えたように、ゴウは肩を竦めて少年に「驚かせテ悪い」と謝る。

 ナタは、大地に下された少女の上下……衣服の造りに目を凝らし、言う。

 

「あなたのその御召し物──それは、スーツでございますな!?」

 

 自分の知識と照らし合わせて、問いかけてみる。

 身の丈150センチ程度の平均的で柔らかそうな女体(にょたい)をキッチリ包み込んだ上下黒のジャケットとスラックス。太陽の照り返しが眩い純白のインナー。女性ゆえか首にネクタイの姿はなく、代わりに何かの社章のようなブローチが、細い首筋の肌色に近い襟元を飾っていた。足元はパンプスで、もはや見るべきものが見れば、現実世界のキャリアウーマンと、まったくもって遜色がない。

 ナタが北の首都圏方面で主要だった中世~近代風の衣服などと比べて、はるかに現代的な装いであるが、おかしなことに、そのスーツ姿の少女は帯刀……腰に赤銅色の鞘を佩いていたのは、彼女がそういったビジネス関係の職種でないことの証左に思われた。

 

「ええ、その通りです」

 

 問われた本人は艶然と微笑む。

 両手で刀を握っていた少女は、身長はまだ少女のそれでありながらも、その卓越した身体の捌き方は戦士として一角(ひとかど)の存在と見做して十分なものを備えている。身を包む奇妙な衣服──ビジネススーツの腰に佩いた鞘に、手慣れた様子で納刀する姿は、知識のあるものならば「サムライ」という単語をいやでも想起されたことだろう。

 スーツ姿でサムライというのは、かなり奇妙ではあるが。

 

「ゴウ? こちらの可愛いお子様は? まさか──あなた、ついに人攫(ひとさら)いでも始めたの?」

「バーカ。そんなんジャねぇよ。ていうか、“ツイに”って何ダ、“ついニ”って」

 

 否定されるとわかっていて、巨人をからかったらしいスーツの少女。

 彼女は、ナタの瞳をまっすぐにとらえた。

 

「お初にお目にかかります。私、センツウザンにて随一の刀鍛冶(ソードスミス)(うた)われる一門“八雲一派”の頭領代行にして用心棒──名を、スサと申します」

 

 自分よりもはるかに背の低い子供相手にするには、あまりにも懇切丁寧に過ぎる自己紹介だったが、「歳は16です」と告げられて、ナタは特段なにかが気にかかる感じもなく、気安く挨拶を交わすことに。

 

「スサ殿ですか!! こちらこそ、どうぞよろしく!!」

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ナタが、南方士族領域に足を踏み入れたのとほぼ同時刻に、この冶金と精錬と鋼鉄の市街を訪れた存在が、いる。

 南方士族領域に建造された城館のひとつ。この地域特有の日本家屋の平屋建て、瓦の屋根や白亜の塀に囲われたそこに設置された転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)より、ぞろぞろと顔を出す骸骨(スケルトン)や土の種族のモンスター。さらに、姿を見せない──不可視の精強な悪魔や蟲種族も、整然と館の敷地内に立ち並んでいく。

 

「ようこそ。おいでいただきました」

 

 迎え入れたのは、城の管理を請け負う現地人の一等臣民。この街の代表者でもある初老の男──執事(バトラー)の制服とは似て非なる、この地域固有のビジネススーツ姿に、魔導王陛下より拝領した最高品質の小太刀を帯刀する一級政務官・アシナに、最敬礼をもって迎え入れられたのは、一人の少女だ。

 あまりにも若く美しい、赤金(ストロベリーブロンド)の髪を煌かせる、都市迷彩色の小物や「一円」シール……そして、最も印象的な白色の銃器を剣のごとく腰に下げた、メイド。

 彼女はナザリックから派遣された、戦闘メイド(プレアデス)が一人。

 

 

「…………シズ・デルタ、これより任務を開始する」

 

 

 左目をアイパッチで覆い隠し、逆側の右目に翠玉(エメラルド)の光を宿した少女は、無機質な声を奏でて、だが、はっきりと告げる。

 主人より与えられた重要な任務に従い、彼女は多くの護衛と特別派遣部隊──新鉱床掘削嚮導部隊として編成された、大量の下位アンデッドと現地人の山小人(ドワーフ)やクアゴアなどの掘削者たち。それらと共に、南方にて新たに発見された新鉱石の大量確保のため、シズは新鉱床を目指す。

 

 

 

 城館のある街の名は、センツウザン。

 この領域において、鉄鋼事業に長じた市街のすぐ近くに、シズの目的の鉱石は眠っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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南方士族領域 -2

オーバーロード、新刊12巻発売!
2018年1月、アニメ第二期決定おめでとうございます!


/Flower Golem, Angel of Death …vol.06

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シズ・デルタは、アインズ・ウール・ゴウン魔導王──己を創造せし至高の御方々のまとめ役であられる主人からの任務を遂行すべく、新しい鉱物の発見が相次いでいる南方士族領域へと派遣された。

 アインズをこの領域の、この市街に留め置くための居城となるに相応しい城館に、彼女は与えられた部隊と将兵……不可視化中の護衛と共に訪問する。

 

「デルタ様」

 

 シズは感情のなさそうな、造り物じみた無表情で振り返る。

 

「クアゴア掘削先遣隊200、スケルトン掘削補助隊200、鉱石鑑定師のドワーフ100、さらにトンネルドクター、有事の際の治療術師(ヒーラー)、給食班など、これで嚮導(きょうどう)部隊の全準備が整いました」

 

 (うやうや)しく片膝をつき、声をかけてきた下等生物は、土堀獣人(クアゴア)という亜人種に属する大地のモンスターたちの隊長であり、その因子を継いだ稀有な存在──混血種の一人だ。

 普通、クアゴアの外見はおおよそ140センチ前後で、体毛は茶色系統が一般的な種族だが、声をかけてきたそいつは170センチ強の長身。体毛は、どちらかというと赤銅色(しょくどういろ)に近い。姿はこれまた異様で、爪や牙の発達した二足歩行するモグラめいた容姿が大多数を占めている中で、赤銅の個体はかなりスマートな……他のずんぐりした連中よりも細くしなやかな体躯をしていて、まるで人間の女性めいた肌色の双丘や太腿もあるが、実は(メス)なのだ。しかし、雌だからといって、これがクアゴア種の普遍的な雌の容姿と言うと、まったく当然のごとく、違う。通常のクアゴアに、雌雄の差はほとんどないとされる。

 つまり彼女は、同種の中でも奇妙な造形と言えた。

 土堀獣人(クアゴア)の“皮”を纏った女……モグラと人間(ヒト)を悪魔がかけあわせ混ぜ物にしたような……そんな印象がしっくりくる。

 庭に整列するクアゴアたちは、隊長である彼女を含め、全員が顔面にガスマスクに似た──クアゴアの顔面を覆うように特注された形状の装備物を着用しているが、実はクアゴアという種族は、太陽光の下では完全に盲目化するという、決定的かつ致命的な弱点が存在しており、彼等は地上で活動するためには顔面を──特に眼球を──太陽の下にさらさないようにしないと、ほとんど使い物にならない(特殊な魔法や感知能力、あとは勘で、盲目でも動ける個体もなくはないが)。

 そこで、魔導国で昼間の地上任務に従事する場合、彼等はサングラスのごとく太陽光を遮断するためのアイテムを装備することが義務化されており、これによって彼等は普段通りの活動を可能にしているのだ。マスクであるため、光の遮断率はメガネとは比べようもない九割以上となり、おまけに呼吸補助なども行われる為、不意のガス事故や生き埋め対策などの防御も完備されている。

 魔導国に編入される際、数万体の自虐殺──犠牲を支払うことになった下等生物も、総数一万に減ってから100年近くが経過したことで、かつて以上の人口……数十万にまで数を増やし、魔導王より約束された繁栄を、魔導国の臣民として等しく分かち合っている。わけても、ここにいる精鋭200からなる“鉱石掘削”を得意とする彼等は、クアゴア種の中でも珍しい毛並みに(レッド)(ブルー)なども混じっており、王陛下の“慈悲”によって100年、かつての先祖たちが経験したこともないほど良質かつ希少な鉱物を大量に与えられたことで、特殊な身体進化を遂げた者も多くある。かつてはミスリル(クラス)の牙を持つ者が最上と謳われたクアゴアたちの中で、掘削隊たる彼等は、国内においては一般金属に成り下がったアダマンタイトをも超える硬度の爪牙を獲得するに至っているものだらけの、文字通り最精鋭であるのだ。ここにいる彼等の他にも、北方のアゼルリシアをはじめ、大陸各所に存在する鉱床で働く精鋭たちも数多く存在している。

 そんな彼等だからこそ、今回の新鉱床の掘削──その嚮導を執り行う先兵に選抜されたことは、必然とさえ言えた。

 シズは短く告げる。

 

「…………わかった。嚮導部隊、新鉱床に向かう」

「かしこまりました。ただちに移動を開始します」

 

 儀礼通りに命令を拝領したクアゴア部隊の女隊長──役職としては、嚮導部隊の実行統率役は、慣れたように500名以上からなる部隊の迅速移動を推し進める。

 シズは、嚮導部隊の最高責任者にして、監督役だ。

 受諾した任務を、彼等魔導国臣民に列せられる下等種族たちが安全に、確実に、絶対に順守できるよう、最善最良の判断を下す立場にある。サボるものがいれば(精鋭部隊にそんなものがいるわけもないが)射殺する事も可となっており、それをクアゴアや山小人(ドワーフ)、人間など部隊構成員はあまねく知悉しているし、納得もしている。さらにいえば、シズには彼女の護衛役として不可視化中のモンスターが無数に配備されており、万が一にも叛逆は成立しようがない。

 無論、自分たちに与えられた任務の重要性……アインズ・ウール・ゴウン魔導国の王陛下から直々に賜った役務を──その報酬を思えば、業務妨害(サボ)る意義はひたすら薄いと言えた。

 

 

 新鉱床の掘削……鉱石の採掘において、実は、骸骨(スケルトン)などの下位アンデッドはそこまで効果的な運用が見込めない。単純な「坑道を縦横に掘り進めた」り、「大量の土砂などの運搬」に使ったりなどの作業にはもってこいの機械装置となり得るが、こと「稀少鉱石などの見分け」に関しては、スケルトンたちは素人ほどの成果も見込めなかった。下位の召喚モンスターに位置付けられる彼等が出来るのは、あくまで単純な肉体労働の代行であり、知識を使う鉱石の鑑定などについては門外漢──どころか、単純な見分けすらつかないのが大半であったのだ。これは、特別な創造のされ方を受けなかったゴーレムや、作成召喚されたモンスターに固有の特徴とも言えた。鉱石の鑑定のみならず、薬用植物の仕分けや、異世界独自の動物種の生態比較調査などにおいては、下位アンデッドはそこまで優秀な成果を見込めない。

 だからこそ、現地人の種族が有用性を帯びるというもの。

 玉石混交に入り混じった鉱山を掘削し、その中からこれはという鉱石溜まりを現地人が見極め、そこを中心にアンデッドが丁寧に掘り出し、土中での生存性に特化した土堀獣人(クアゴア)の協力のもと選別し、地上へと搬出。待機していた人間や山小人(ドワーフ)などの鑑定者・加工職人の手の中で、あるべき用途別(宝飾用・素材用・製錬用・燃料用・食料用etc)に振り分けが行われ──というのが、現在の魔導国における鉱業従事者の一般業務内容となっている。

 

 

 南方の地では、古来より“刀”をはじめとした、強力かつ希少な金属製の武器を産出していた。

 その関係上、彼等は並の人間でありながらも、山小人(ドワーフ)などと比肩するほどの鍛冶職人を抱え、同時に、良質な鉄鋼を大量に採掘し製錬し鍛造し、強力な武装を生み出す事業に精通していたのだ。

 一説によると“刀”は、山小人(ドワーフ)にすら製造することは困難な、非常に複雑かつ難解な作業工程を経て製造されるものであり、南方の地で生み出された固有の武器たる“刀”は、下手な魔法武器以上の切れ味……斬撃能力を獲得しているという。

 そして、現在。

 魔導国による世界征服事業によって、南方で覇を唱えていた「士族」は、魔導国とその王に恭順の意を示し、北方で有数の兵器廠・工業都市とまで謳われるアゼルリシア領域と、ほぼ同等規模の鉱脈と鉄鋼と武器生産力を擁する工業地帯として、魔導王アインズ・ウール・ゴウンに仕え続けている。

 そんな折に、南方で最北の鉱脈地である大市街・センツウザンにて、新たな希少鉱石が発掘されたという一報が届けられた。

 それは、南方の鍛冶師などもまったく認知し得ない新鉱石であり、いかなる加工手段をもってしても──彼等程度の既存知識では、加工どころか傷ひとつ付けることができなかったという。

 発見の報を過つことなく送り届けた街の代表──“八雲一派(やくもいっぱ)”の先代頭領たる一級政務官・アシナ市街長と、第一発見の功労者──此度の任務の協力者たる“八雲一派”の採掘事業部には、王陛下からの褒章が授与されることが確定していた。

 シズはその(むね)を、クアゴア女隊長を通して宣誓し、市街長は平身低頭という言葉がぴったりの格好──この地域固有の両膝と両手をついた土下座スタイルで深く頭を下げていた。

 自動人形(オートマトン)は、城館からほど近い──丘の上の邸宅のすぐ裏手側に面する掘削場を見渡した。

 そこにあった光景は、まるで奈落への落とし穴のごとき、すり鉢状に掘削され続けた鉱山の陥没地である。

 すり鉢はまるで黒いアリジゴクのごとく大地の上に存在しており、その中途の盆地……もとは平野部だった場所には草木一本生えておらず、大地の活力を失った──というよりも、適度な掘削機器や鉱山道具の集積場、業務員の休憩地として、街とは違った錆びついた印象を赤土の上に降り積もらせている。

 センツウザンには、かつて船が通った山があったという(いわ)れがあるが、その山はすでに縦穴のごとき地下深くまで続く掘削場に変貌してしまい、100年前の時点からすでに見る影もない。土壌を恒久的かつ広範囲を回復させるという魔法的手段を発展させえなかった現地人たちの飽くなき探掘行(たんくつこう)の果てに、このどこか荒涼とした鉱脈地は生み出された歴史があり、むしろこの光景こそが、彼等の郷土として相応しい原風景の様相として、受け入れられて久しかった。

 

「…………うん」

 

 掘削地で労働に勤しむアンデッドやゴーレムの他に、蟻のように小さな現地人……南方特有の黒髪黒目の人間をはじめ、鉱山活動が生きがいの山小人(ドワーフ)や、遮光地にて休息中に与えられた鉱石をガッつくクアゴアの食堂などが見て取れた。魔導国臣民は働き者ばかり。誰もが、相応の報酬を受け取り、日々の糧にありつくために、額に汗して、国業の一環を遂行していた。

 シズは、自分に与えられた任務を再確認するように、発見されたという鉱石……そのサンプルとして与えられた白鋼(しろはがね)の玉のような煌きを、手中で転がし見る。

 

「…………七色鉱(セレスティアル・ウラニウム)や、熱素石(カロリックストーン)じゃないけど、いい鉱石」

 

 自動人形はサンプルをしまう。

 これと同じものを大量に入手すること。

 そして、さらに深層へと掘り進めることで、これ以上の鉱石が眠っていないか確認すること。

 それこそが、シズたちに与えられた任務であった。

 万事、ぬかりなく遂行し、アインズ様に褒めてもらう。

 さらに、この鉱石が将来的に、魔導国の発展に寄与するものとなり得ることで、至高の御方である絶対支配者(アインズ)への報恩をなすことが、シズ・デルタの最大の望み。

 

「デルタ様、馬車へご案内します」

「…………わかった」

 

 女隊長に促されるまま、鋼鉄の車体に歩を進める。

 シズは、自分の大好きな岩の巨兵と同じ種族たる動像(ゴーレム)の馬車に乗り込み、採掘場に降りる為に街中を移動するルートを通っていく。

 街は、夕闇の(とばり)に覆われ、彼方に沈む太陽光が眩い輝き──シズの大事な“彼”を思わせる煌きを、強めていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 陽が沈み始める街並みは、魔法都市・カッツェのごとく壮大な、しかし、あの都市よりも黒く磨かれた鋼鉄の建造物が乱立する通りに差し込む赫々とした斜陽が、市街に光と影の輪郭を浮き彫りにさせている。城館を頂に置く小山のごとき丘は、北側一面を鋼鉄に覆われており、何らかの建造物なのではとも思われる。

 センツウザンと呼ばれる、製錬と冶金と工匠たちの市街を訪れた少年兵・ナタは、自らを“旅の少年”と素性を偽りながら、問題なくそこに住まう人々の生活に溶け込んで見せた。

 水色の髪の少年はそれなりに目立つ頭髪のはずなのだが、街には黒い髪の人間の他にも、金髪の森妖精(エルフ)や、茶褐色の髪の山小人(ドワーフ)、さらには小鬼(ゴブリン)などの亜人までもが大勢行き交っている関係上、そこまで目を引くということはなかった。中にはピンク色の髪や、鋼のような銀髪まで様々な色がとりどりの彩を大通りに流している為、ちょっと変わった髪色程度で注目を集めるというのは、この魔導国ではありえないのだ。

 

「お? 見ロよ、アれ」

 

 戦妖巨人(ウォー・トロール)──ゴウの巨躯が長く太い腕を伸ばして、交差点を横切る大行列を指差した。

 ナタは見たことのないモグラのような亜人と、アンデッドの行軍を目に焼き付ける。

 

「あれは、パレードでしょうか!? 随分と多いようですが?!」

「パレードじゃネェ。アリゃあ多分、王政府直轄の隊──旗の色ハ、嚮導部隊(きょうどうぶたい)ノ連中だな」

「嚮導部隊!? 目標遂行のために組織される先達や先駆者の隊ということですな?!」

「そんナところダな。国旗をああもデカデカと掲げテ、おまけに、儀仗兵役がアンデッドじゃナく一般臣民──亜人のクアゴアがやれテルってのは、王命を拝しタことノ証であり、あの隊が精鋭だけデ組織されたことノ証なんダと。ただの市街の連中程度ジャ、王の旗を勝手ニ掲げるなんてコトをやっただけで、不敬ニなりかねンからな」

「王命!! 魔導王陛下の命令ですか?!」

 

 ゴウは首を傾げて「あタリ前だろう?」と苦笑する。

 

「もしくは、王陛下に近い“王太子殿下”や“姫君”、そして“六大君主”様たちの息のかかった者たちね。ついに始まるわ、新しい大鉱石床(だいこうせきしょう)の採掘と実検が!」

「──スサ。頭領代行ト用心棒のオまえが、こンなところデうろうろしているノは、正直ドウなんだ?」

 

 知り合い同士の会話に、少女は悩んだ様子もなく、竹を割ったようにカラっとした声で言ってしまう。

 

「私は、ほら、“八雲”においては『鍛造事業部』が専門だから。『採掘』の方は、現頭領──私たちのクシナ様が、よろしく整えてくれるわ。護衛の不安は、死の騎士(デスナイト)の方々で間に合うし」

「なルほどナ」

「それに。いくら採掘事業で新しい発見があったとはいえ、刀の鍛造ラインを止めるわけにもいかないって、解ってるでしょう? 私はそっち担当なのよ?」

 

 ゴウはわかりたくねぇなと言って肩を竦める。

 そんな様子に、少年は勢いよく質問を投げた。

 

「失礼ながら!! 今更なことを訊くのは恐縮ですが、お二人はどのような御関係で!?」

 

 先ほどから見た感じ、この体躯が倍ほどに違う両者の遣り取りは、ただの知り合いというよりも、友人か、または“それ以上”の絆を、ナタに感じさせてならなかった。

 黒い髪に赤い瞳の少女は、艶然と微笑む。

 

「将来を約束した関係よ♪」

「なんと!!」

「こら。ウソをつくナ、嘘を」

 

 ゴウが唇を尖らせるように、少女の放言を指で突いて諫めた。

 だが、諫められた方は、何が間違っているのかと問わんばかりに笑みを強める。

 

「あら? 実際、約束したじゃない? ウチに『就職するのも考慮する』って」

「──俺ハまだ、鍛冶師なんぞにナル気はねぇって、ソウ言ってるだロ?」

 

 ゴウはこれほどの巨躯を誇るが、実年齢は十代前半。妖巨人(トロール)種としては成人しきっていないことは、その声の歪み具合から相違ないという。

 

「まぁまぁ。少しお茶にしましょうか。何だったら夕飯もごちそうするけど?」

「よぉシ。じゃあ、小鬼(ゴブリン)亭の特上ディナーをダナ!」

「あ、あの店()いてるわね。あそこにしましょー♪」

「オぉい、聞けェ! 人の話ヲ!」

 

 仲良きことは美しきかな。

 連れ立って歩く二人に振り向かれ手招きされる少年は、水色の髪を揺らして駆け寄っていく。

 

 

 

 ゴウとスサ──そして、ナタの三人は、手近ですぐに座れそうな食事処の暖簾をくぐり、開口一番で「フロストドラゴンのしょうが焼き定食」を店主のモグラ──土堀獣人(クアゴア)の大将に注文。

 だが、ナタは種族特性故に、肉などを食べることは出来ないため、これを固辞した。動像(ゴーレム)種の大半は、特性として食事摂取が不要というよりも“不可能”な構造であり、自動人形(オートマトン)などのように燃料となる水分などの飲料・ドリンクを摂取することだけが一部可能、あるいは必須になる。

 ゴウとスサは怪訝に首を傾げつつも、少年の遠慮を受け入れてくれた。適当な席を見つけ腰を下ろすが、体格の関係上、ナタとスサがソファ席で隣同士となり、その向かい側の席をゴウが占拠する。

 スサは、着こなしているスーツの腰から、慣れたように刀を鞘ごと引き抜いてソファに立てかけた。

 自身が戦士職を数多く与えられているせいか、どれほどの武装であるのかナタは興味が尽きないが、初対面の相手の愛刀を、いきなり「見せてくれ」というのは礼を失する。ここは我慢するしかない。

 ナタはとりあえず、サービスで提供される果実の浮かんだお冷──ヒュエリ水で喉を潤しながら、この異世界の住人たる二人の話を聴き取っていく。

 

「しっかしヨォ。何だっテ俺の手まで借リる必要があるんだ?」

「冒険都市の祭りで、腕利きの鍛冶師や用心棒はソッチに招集されているからね」

 

 コップの果実水を飲み干しつつ、少年は大きな声で疑問をぶつけるのに躊躇しない。

 

「その冒険都市の祭りというのは!? あなた方のような鍛冶師が必要な祭典なのでしょうか?!」

「ええ、そりゃあ、年に一度の『大冒険祭』だもの。冒険者や武芸者が、人工ダンジョンやコロシアムで競い合い、結果として、彼等の武器や防具は消耗が激しくなる。そうなると、消耗したそれをすぐに直せる職人は、必須だからね?」

 

 教え諭す少女は、ナタの無知を不思議には思わない。

 何しろ祭りにおいて最も注目されるのは冒険者や武芸者などのいわば“花形”……裏方になるしかない鍛冶師などは、日陰に甘んじるしかなく、よって、一般知識として彼等の役割をそこまで喧伝する効果は得られない。脚光を浴びるスポーツ選手などに注目し、認知し、喝采することはあっても、それを無視して選手の扱う道具類を──それらを供給するための存在・職人にまで思いをはせる者は、そう多くはないのと同じだ。そこまで着目してくれるのは同業者や、よほどの好事家(マニア)でしかない。

 

「勿論、手が足りなくなるからといって、上から与えられ、そしてこちらが受領した生産ノルマを達成できないようでは、職人の名折れ。だから、こういう時のために、ゴウみたいなフリーの人材を雇ってラインを確保するのは、どこの工場(こうば)でもやってることよ?」

 

 なるほど、と強く相槌を打つナタ。

 

「ゴウは、ウチで働いて給金と寝床と食事を貰える。ウチは、ゴウのおかげでノルマを順当に達成できる。双方にとって、悪い話じゃないってワケ」

「簡単に言うがな。何度モ言うが、俺ァ、鍛冶師になるツもりはサラサラねぇぞ?」

「でも、クシナ様に褒められたら、悪い気はしないでしょう?」

 

 妖巨人(トロール)は腕を組んで唸った。

 彼自身、そこまで悪い気はしていないと、その仕草や表情から察しが付くというもの。

 

「……熱イのは、苦手なんだがナぁ?」

「いいじゃない。妖巨人(トロール)の再生回復で、火傷した端から治っていくんだから。おまけに、ゴウの鍛冶の腕前はそれなり以上。刀の鍛造も、もう一人でやれるわけだし?」

 

 亜人種の中でも稀有な再生能力を発揮する巨躯を、少女は舐めまわすように見つめている。

 

「──私も欲しいわ。再生の力」

「治る時は、これまたバカみたイに痛ェけどナ」

 

 妖巨人(トロール)には妖巨人(トロール)独特の悩みがあるようだ。

 ゴウは少女の視線を受け止めつつ、ジョッキサイズのヒュエリ水を喉に流し込む。

 

「お待たせしました。フロストドラゴンのしょうが焼き定食、一人前と三人前です!」

 

 従業員(ウェイトレス)鉄鼠人(アーマット)が、爪を器用に使って注文の品を運んできた。

 

「おい、ナタ坊。本当に食わなクてイイのか?」

「遠慮する必要などないですよ? ここの払いは、ゴウがもってくれるのだから」

「おいコラ。今聞き捨てナラんこと言っタか?」

 

 入店前の「ごちそうする」という言葉を履行させたがるゴウ。その様子に花のごとく微笑む少女の瞳。

 歓談めいた二人の遣り取りに、少年は柔らかく笑って、しかし、語気を強めて固く辞退してみせる。

 

「大丈夫であります!! ゴウ殿、スサ殿!! お水さえ頂ければ、自分は大丈夫な身体ですので!!」

 

 その主張に、二人は不思議そうに首を傾げるが、「そウいうノもアるか?」と納得。

 少年の実力を知るゴウはそれで追及を止めるが、少女──スサの方は何やら思案顔で頬を流れる漢字の列を撫でてしまう。

 ナタは人間の少年の形をしているが、その本質は花の動像(フラワー・ゴーレム)

 水分は補給できる(というか、ゴーレムにしては珍しく、定期的に摂取しないといけない。水分必須だ)が、食べ物を口にすることはできない──ゲームでは料理などのバフを受けられないという、変わった体質・特性が備わっていた。

 

「すいません!! このヒュエリ水とやら、おかわりを願います!!」

 

 テーブル備え付けのポット容器を空にしてしまったナタは、元気いっぱいに笑って催促する。

 

「ところで。ナタと言ったわね、(きみ)?」

 

 スサが目を細めて、値踏みするような眼差しで少年に問いを投げた。

 

「あなた。どうしてゴウなんかと一緒にいるの?」

「なんかトは何だ。なんかとハ」

「あれかしら。ゴウのファンとか?」

 

 睨みつける亜人をまったく放っておいて、少女は隣に座る少年の顔を覗き込む。

 ナタはなるべく正直に答えた。

 

「自分は!! この南方への道中に、アベリオンの生産都市で、ゴウ殿との辻決闘とやらに挑戦した者です!!」

「……あなたが、ゴウに──挑戦?」

 

 そうだよと巨躯の亜人が首肯する。

 

「それはまた、無謀なことをする子がいたわね?」

「さらに!! ゴウ殿を打ち負かし、賞金の半分ほどを頂戴してしまった者でもあります!!」

 

 少女は今度こそ、気が抜けた感じで言葉を失う。

 

「うそでしょ?」

「うそジャねぇ」

 

 ゴウは語る口を塞ぐように、三人前のしょうが焼き定食の一盆目を平らげてしまう。極太の指で箸という棒──彼のサイズだと“火掻き棒”なみのを二本、器用に使って食事する様は見事と言えた。

 そんな彼の反応に、スサは驚愕のまま、事実を確かめる。

 

「ゴウを負かした? あなたみたいな……その」

「『子どもが』と言いたいところでしょうが!! 事実として自分はゴウ殿より金銭を頂戴した身!! しかしながら疑問は当然!! なれど今は、自分の話はとりあえずおいておかれないと、せっかくのお食事が冷めてしまわれます!! 命に感謝して、速やかにいただいたほうがよいものと自分は愚考しますが!?」

 

 スサは驚愕の眼差しを少年と巨人双方に巡らせて、何も言わないゴウの様子から察して、語られた内容が事実であることを飲み込むしかない。

 

「私も見てみたかったわぁ、ゴウの負けっぷりを」

「うるセェよ」

 

 挑むがごとく苦笑する戦妖巨人(ウォー・トロール)に、黒髪赤瞳の少女は慈しむような笑みを浮かべつつ、しょうが焼き定食に手を合わせた。

 

 

 

 食事を終え、三人は“八雲一派”の社屋──工房のある街の一角に向かった。

 そこは、日の沈んだ街を無数に走る通りの中でも極めて中心に近い位置で、都市代表が管理する王陛下の城館と程近い一等地に存在した。

 ナタは奇妙さを感じた。

 

「街の中心近くに工房があるというのは!! 防火防災には不向きではありませぬか!?」

 

 工房には稼働中の──火が入りっぱなしの溶鉱炉が三基も存在している。

 まかり間違って、炉から大量の溶融物が流れ出し、家屋や土地を炎上させる可能性もあり得る筈。

 この市街が魔法的な防御手段によって護られており、そういった人災レベルの厄介は悉く解決できると仮定して見ても、万が一ということもあるだろう。にも関わらず、彼等の工房は、街の中心に聳える。

 

 説明された地形によると、センツウザンは北側が居住地や工房、さらには政庁などの公共機関の建物が並ぶ“城下町”であるのに対し、城館のある丘を挟んだ南側は数百年かけて掘り尽くされた鉱脈を、さらに広く深く掘り進めている関係で、巨大かつ異様なアリジゴクの巣が乱立している土地になっているらしい。街を囲む城壁に見えたものは、魔導国編入以前からの遺物らしく、それによって砂漠地帯に存在していたモンスターの類から身を守ってきたという。無論、魔導国編入以後は存在意義を失ったハリボテも同然と化した為、南を守っていた壁をすべて武装の素材や、魔導王陛下の像(モニュメント)の基礎として街のシンボルに再利用されたのだとか。当時の城壁は三重構造かつ、複雑に入り組んだ迷路のように丘の裾野全体に広がっていたらしいが、区画整理が順調に進んだ現在は見る影もない。

 

 街の住人であるスサという少女は、まるで弟にでも語り聞かせるような優しい口調で、ナタの教師役を務めてくれる。

 

「そこは魔法の建材、壁紙から骨組みまで、何から何まで防火防炎の魔法が張り巡らされているから。それに、この土地は王陛下からわざわざ再領・安堵された場所。私たち一派にとっては、ここ以外で工房を構えるというのは、むしろ不敬にすら値すると判断しているくらいなのよ」

 

 ナタは魔導国の魔法技術の高さを認め、納得の首肯を落とす。

 工房は、一階建ての平屋であるが、その天井高は通常なら三階程度の高さを誇る。工房の中心に据えられた三つの炉には常に火がともり続け、一時も休むことなく砂鉄を投じ、風を──酸素を巨大な炉心に送り続けている。昔は“たたら”を数人の屈強な使用人らで吹かせていたらしいが、その役目は既に魔導国の魔法都市謹製のゴーレムや、貸し出されるスケルトンたちで代用されていた。風の魔法を恒常的に送り込む機構なども開発されている魔導国だが、それでも、こういった“たたら”を使って、微妙に強弱の違いを(ふいご)に送るやり方の方が、良質な刀の素材──玉鋼(たまはがね)を生み出せるものと職人たちは長年の経験で心得ている。

 ふれる空気すべてが熱を帯びており、常人では一分も持たずに顔面を汗の雫が覆うことだろう。

 ただ入り口に佇んでいるだけで、炉の灼熱が眼の水分を蒸発されそうであった。

 

「すごい熱気です!! 肌が燃え上がりそう!!」

 

 ナタは“花”という植物の特質を保持する故に、動像(ゴーレム)種の中では珍しく、炎属性のダメージ計算には脆くなる“炎攻撃脆弱Ⅳ”“炎ダメージ倍加”を有している。だが、そんな弱点を補ってあまりあるほどの特性が、ナタの花の動像(フラワー・ゴーレム)には存在しており、特に、魔法詠唱者などの魔法攻撃主体の存在にとっては、強敵を通り越して“天敵”となりうるとされる、非常に厄介な存在だった。

 その特性のおかげというか、せいでというか、……ナタの「魔法攻撃」の基礎能力値(ステータス)は、ゼロ。体力や物理攻撃、速度などは驚異的かつ脅威的な数値を誇る少年兵は、所持する魔法武器のダメージ計算に己のステータスを加算することは出来ず、彼本人が位階魔法を唱えることは出来ないという、大きな弱点が存在するのだ。

 

「子どもは危ないから、絶対……絶対に、中に入っちゃだめよ?」

「承知致しました!!」

 

 火を扱う職場だ。子どもに万が一のことがあってはいけない。そう(さと)すスサの念押しに、ナタは快活に頷きを返した。

 

「ゴウ! 随分と久しぶりだな!」

 

 巨躯の亜人の姿を見知った声があがる。炉の傍で作業をし、製錬されていた鉄鋼を運ぶよう動像(ゴーレム)に指示していた職人衆が近寄ってくる。黒髪黒目の男女──女性もいるのだ──の他に、様々な髪色が存在している中には、山小人(ドワーフ)小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)の姿も散見される。皆、街の人々が身に着けているスーツ姿ではなく、どこか和風の薫りが漂う立ち居姿に統一されていた。

 再会を喜ぶゴウは確実に、そこにいる人々の数が、通常の半数にしか届かないと理解する。

 

「……親方たちハ、ヤっぱリ?」

「用心棒衆と一緒に、大冒険祭の方だ。このタイミングじゃなければって、少し残念がってたよ」

 

 残った連中の中では古参らしい髭の若い山小人(ドワーフ)が気安く(しら)せる。

 ゴウは肩を(すく)めて「説教されなくテ済んダ」と笑ってみせる。

 

「それじゃあ。──ゴウ・スイ」

 

 この鍛造事業部を預かるという少女が、満面の笑みで手を合わせていた。

 

「早速、一働きしてもらいましょうか?」

「着イて早々(そうそう)……相変わらズ、人使いガ荒いぞ?」

 

 などと言いつつ、ゴウは即座に身支度を整えた。周囲の鍛冶師たちも、自分たちの持ち場に戻る。

 彼は鍛冶場での礼儀として、亜人用の巨大な作務衣に身を包み、これまた妖巨人の体躯が握るのに相応しい巨大かつ重厚な大鎚を握りしめて現れる。何かの儀式なのか、工房の梁に設けられた小さなオブジェ……神棚に直立不動の姿勢で両手を合わせた。

 

「似合ってるわよ、ゴウ」

「確かに!! 随分と“粋”な感じがします!!」

 

 スサとナタから口々に作務衣姿を褒められるゴウは、ぶっきらぼうに笑うしかないようだ。

 

 

 

 すっかり日も落ち切った夜のセンツウザンにて、大鎚の澄んだ音色が幾つも連なる。

 炉の番をアンデッドとゴーレム、そして数人の刀匠(とうしょう)が見守り“たたら”を調整する以外は皆、製錬され溶解状態の鉄鋼から、一本の“刀”を鍛造する作業に没頭する。

 脇目もふらず一念を“刀”という武器の製造に注ぎ込む刀匠たちの姿を、ナタは此処に集う彼等の業務上の上司である少女・スサと共に眺めた。

 大振りされた(ハンマー)で成形され、圧縮され、空隙を抜かれ芯鉄をいれる作業を折り返し繰り返すことで強化──鍛鉄(たんてつ)される鋼の塊は、軽快な金属の音色を、まるで交響音楽のごとく連ね響かせていく。この地特有の労働歌を諳んじる女衆。まるで労働が一個の芸術作品、あるいは伝統芸能のごとく見る者に等しく感動を分け与える光景は何とも言えない。誰もが額に汗して働く。その雫一滴一滴に、彼等の精魂と執念と技術に対する誇りが込められていると思うと、ナタは感動を禁じ得なかった。

 ナタは戦士や剣士である関係上、『刀剣などに代表される武装を好む』という設定があった。

 そんな代物が、己の目の前で、これほど勇壮な造り手たちによって、灼熱の鍛造場の中心で精製されていく。

 わけても少年の注目を集めたのは、巨人と小人の組み合わせ。

 山小人の若き刀工、ベヨネット。彼は、火の髭(ファイアビアド)の流れを組む「ルーン工匠」が人気であるはずの山小人(ドワーフ)の潮流の中にあって、純粋な切れ味のみを追求する“刀”の魅力に(とりつ)かれ(とりこ)となったという。

 そんな彼を相槌(あいづち)に据え、一人前に一鎚(いっつい)を振り下ろす、巨躯の亜人。

 黙々と刀剣鍛造に尽力する戦妖巨人(ウォー・トロール)・ゴウの(いわお)のごとき仕事姿に、ナタは隣に佇む少女と共に見入ってしまう。

 

「素晴らしいですな、スサ殿!!」

 

 純粋な賞賛を受け取る少女は、鍛造の熱気に当てられたような朱に染まる頬を向け、しっかりと頷く。

 

「本当に、……たまらないわ」

 

 熱っぽい視線と呼気でゴウの作業を見つめる彼女の様子は不可解だったが、ナタはとりあえずゴウの仕事ぶりを称賛しておく。

 

「それにしても、意外です!! 生産都市で仕合った時はなかなかの戦闘者とお見受けしていたが、まさか刀匠(ソードスミス)の職にも通じていたとは!?」

「ゴウの凄さは、私たちのクシナ様の折り紙付きだから」

 

 クシナという頭領に心酔しきったような甘い声。

 

「ナタ君もやってみない?」気を良くしたスサは、ほんの思い付きで提案してみる。「ゴウを打ち負かした実力があれば、もしかしたら君も、ウチでいい刀鍛冶になれるかも?」

 

 ここで働く気など毛頭ない少年兵であったが、彼自身が有する刀剣への興味と好奇心から「是非、やらせていただきたい!!」と返答してしまう。

 全体作業もひと段落し、刀匠たち全員が休息時間を与えられた隙に、ナタはゴウの作業場を借り受けることに。

 

「気を付けロよ? 注意一秒、怪我一生だかラな?」

 

 承知の声を奏でるナタは、ゴウを相槌役とし、渡された山小人用サイズの鉄槌を握りしめる。

 ナタは勝手がわからない。こういう時の、鍛冶場における決まりやら何やらはすっ飛ばして、ただ鍛冶師の真似事に興じてみたい子供を演じてみる。休憩時間を愉しむ刀匠らの視線を集め、──驚くほど無駄のない、戦士として当然の感覚に従い、武器を振るうように、ハンマーを叩き下ろすことを、ナタは己の全身に課した。

 一拍のため。

 

「せーの!!」

 

 掛け声も高らかに、少年は大鎚を振りかぶって──

 

 スポーン

 

 と、掌から装備品が放り出されていた。

 

「──んん?? おや!? おやおや?!」

 

 盛大に空振りした後で自分の奇態に気づくナタ。

 

「オい、どうシたよ? ナタ坊?」

 

 問われたナタは、珍しく眉を八の字にしながら、自分が取り落とした鍛冶作業用の工具……ただの巨大なハンマーを拾い上げて、もう一度しっかりと握り込む。そうして、確認のための素振り。周囲の刀匠たちも思わず拍手してしまいたくなったほどに豪快な風切り音を生み出して、ナタはもう一度、灼熱の錬鉄台に向き直る。

 

「……ハッ!!」

 

 小気味よい喝破と共に、ほどよく加減された鉄槌が台上の錬鉄を叩こうとして──

 

 ゴトリ

 

 と、ナタは再びハンマーを振りかぶる前に取り落としていた。

 

「むむむ!??」

 

 起こった事象に誰よりも驚いているナタ。それから幾度となく鍛冶師の真似事を試みてはみたが……結果は、一度も台を響かせることなく終わってしまう。周囲の人々も、異様な光景を目にして眉をひそめてしまった。

 しかし、ナタは元気を忘れることはない。

 

「やはり駄目です!! 自分は不器用すぎるようで!!」

 

 当然、不器用というのとは、少し違う。

 というか、一度も刀身を叩けないというのは、どう考えても異様過ぎた。不器用にも程がある。

 

 ナタは鍛冶師ではない。彼の職業レベルはすべて近接戦闘職でガチガチに組まれた本格ビルド。そういう職業(クラス)を与えられていない以上、鍛冶という生産活動や加工技術を発揮する能力は存在しない。一応、戦士職ということで大鎚(ハンマー)を装備し、使用することは出来る。出来るのだが、それを一定の行動・とある方向に使おうとしても、彼の意志とは関係のない次元で、手から大鎚が零れ落ちるようだ。これが戦闘行為であるとナタ自身が強く自覚すれば、装備品を落とすという失態はあり得なくなる──が、それは即ち、Lv.100の戦士系NPCが、全力で大地を叩くということ。その結果、起こり得るだろう破壊力の顕現は、下手をすれば周囲にいるゴウやスサを巻き込み、最悪、工房自体が稼働不能な事態に……周囲の大地が崩落するような災厄に陥りかねない。それだけは、断固としてあってはならない被害であると、ナタは大いに自覚できていた。

 故に、ナタはとりあえず、称賛すべきものを称賛するところから始める。

 

「やはり、ゴウ殿は鍛冶師の才覚が大きいのでしょう!! 自分にはまるで真似できないことなのですから!!」

「んア……ああ、ソうだ、な?」

「気を落とさないで、ナタ君。誰にだって、向き不向きはあるでしょうし?」

 

 慰められてしまい、思い切りよく自分の失態を笑うナタ。

 そんな少年に笑みを返すゴウやスサは、一応は納得の言葉を零してくれる。

 だが、ナタ自身は──彼は鍛冶ができない自分のことを、「無能だ」などとはこれっぽっちも考えない。考える必要がない。

 ナタを生み出したユグドラシルプレイヤー、創造主のカワウソは、ナタに『かくあれ』という意思の下で、この今あるレベル構成を授けてくれた。その事実がある以上、自分が如きただのシモベが異を唱えるという考えを懐くなどということは、少年兵にはありえない。自分以外に鍛冶ができる仲間(アプサラス)もいる以上、自分は鍛冶が出来ないという実状も、大した損失だとは認められるはずがないのだ。

 むしろ、今回のこれは、ナタをしても予測不可能な出来事──今後とも検証していくにふさわしい、否、絶対確実に要研究の、カワウソが語る『未知なる異世界の法則』なのかも。

 鍛冶師(スミス)のレベルが一切ないナタには、鍛冶という作業は不可能。

 その事実を真正面から受け止めることで、今後の調査にも様々な可能性が見えてくる。

 たとえば。他にも特殊技術(スキル)を保有していることが前提の職業のみが行うべき行為……料理人(コック)が食材アイテムを料理に変える“調理”や、医師(ドクター)によって行われる治療行為“手術”、吟遊詩人(バード)が言葉を巧みに(いろど)って発動される“詩吟”による自軍強化(バフ)や敵勢弱体(デバフ)が、そういった職を持たないNPCに可能なのか否か、調べておくことは有意義な成果をもたらすはず。

 ナタは常に元気一杯な少年の相貌に、納得の笑みを浮かべて自分の任務に邁進する。

 

 

 

 南方の夜は更けていく。

 その夜は、カワウソの赴いた飛竜騎兵の地にて、とんでもない騒動が巻き起こっていたが、ナタはそんなことなど露ほども知らずに、現地人たちとの交流を深めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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接近 -1

接近と書いて、ニアミス


/Flower Golem, Angel of Death …vol.07

 

 

 

 

 

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 第一生産都市・アベリオンの特徴は、地表部を見る限りは中世ヨーロッパ風の古めかしい街並みが整然と──100年前はただの森林や岩場などで未開墾の、亜人たちの巣窟だった丘陵地帯でしかなかったことが信じられないほどの規模で──建立(こんりゅう)されているところだろう。その周辺地域には四季を感じさせる田園や果樹が大地の実りを結晶させ、都市の住民に憩いの場を設け、訪れる者に牧歌的な印象を与えてくれる。

 この近辺地域は、聖王国救援(吸収および平定)期に、魔皇ヤルダバオトとその手勢によって悪魔的な実験場とされていた暗い過去があったらしいが、その影はいまやどこにも見当たらない。実験に巻き込まれた現地の住人たちは重く口を噤み、震え咽びながら悪魔たちの支配に甘んじていたところを、慈悲深きアインズ・ウール・ゴウン魔導王が、救いの手を差し伸ばしてくれた。当初こそ魔導王の助勢を疑心暗鬼に受け取るしかなかった亜人たちは、ヤルダバオトが征伐され、王陛下の君臨する魔導国の庇護下のもとで、汚辱の傷と絶望の記憶を癒すことが可能となった。かの王への恩義は子々孫々に渡り継続されていることは、街の中心部に慎ましく建造された魔導王像のモニュメントに捧げられる贈り物の量で理解されることだろう。

 

 人間と亜人と異形、それぞれが共存共栄を成し遂げ、高度に洗練された魔法技術をそこここに取り入れられた街並みは、当時の周辺諸国の建築様式をふんだんに盛り込みつつ、ここを故郷とする亜人たち──豚鬼(オーク)などを魔導王陛下が救済すべく下賜されたのがはじまりとされている。そのため、この都市は以降に建立(こんりゅう)される各都市群──交易都市・工業都市・冒険都市などでも暮らす亜人向けに、様々な改良工事(バリアフリー)が施されている。大きな体格の亜人用に建物の入口は広く、生活用品なども頑丈な素材と構造を使用。多脚多腕や動植物の手足を持つ種族にも最適な工夫が随所に施されており、この都市は生産能力確保の任務の他に、多種多様な亜人種の共存形態模索のため、様々な試作試案が実行される実験地としても有用な成果を上げてくれた。

 そうして、100年後の現在。

 人間種の他にも数々の亜人──小鬼(ゴブリン)人喰い大鬼(オーガ)蜥蜴人(リザードマン)の他にも、ビーストマンや人馬(セントール)山羊人(バフォルク)など──が店を構え、食物や飲料、衣服や生地、日用雑貨や調度品、魔法のアイテムや武装などを遣り取りしつつ、平和な街の風景を形作っている。

 

 

 

「今朝の新聞だよ! 一部100ゴウンだよ!」

 

 売り子の小鬼(ゴブリン)の少年に、都市を行き交う大人が慣れた調子で真新しいインクで大量に刷られた朝刊を受け取り、100ゴウン硬貨を手渡していく。少年はリードで繋がれている骸骨の狼(スケルトン・ウルフ)の首に下げた集金箱に硬貨を放り、狼の背中に括りつけた新聞を、さらに次なる客──魔法の箒に乗って飛行する人間の都市民へと供給していく。

 何気に、製紙技術と印刷技術も発展していることが、こんな光景からも読み取ることが可能だ。

 イズラは普通に少年から新聞を購入することもできたが、不要な魔導国民との接触や、たとえ100ゴウンであろうとも、追加の外貨獲得が見込めない現状では惜しい出費となる。書籍などは本屋で購入するしか今のところ手がないが、新聞などは意外にも街のゴミ箱に読み捨てられることが多々あるらしく、イズラは捨てられたそれを密かに回収し、翻訳魔法の眼鏡を装備することで内容を把握していくという最も安上がりな方法で、そこに羅列明記された情報群を蓄えていく。

 

「『大冒険祭』一等冒険者(ナナイロコウ)“黒白”の「白銀」によるエキシビジョンマッチ。今大会の目玉…………ローブル領域の平和式典には、「予定通り魔導王陛下が臨席される」と、共に参陣されるデミウルゴス大参謀猊下が表明…………奴隷の不法売買問題…………第二魔法都市・ベイロンの魔王妃殿下恩賜中央工房にて、人形(ドール)動像(ゴーレム)作成を利用した義肢装具技術を復元。先天性欠損患者への医療転用に期待…………ふむ」

 

 そんな日常的な朝の都市風景の中を、誰にも見咎められることなく、どころか、存在を認知すらされていない調子で建物の屋上に佇む男が──正確には“死の天使”が──いる。

 フード付きの黒い外套を着込む男は、暗殺者(アサシン)盗賊(ローグ)系スキルを使用することで、自分の姿や気配を隠形・隠蔽する手段を有する、つまり、こういう潜入活動にはうってつけの存在。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に属する、拠点防衛用NPCの一人である彼は、己の主人の命に従い、この生産都市の検分と調査を実行している真っ最中だ。

 

「あちらは──昨夜は随分と派手にご活躍なさったようだ」

 

 飛竜騎兵の領地を訪れて僅か一日と少しで、カワウソは領地内に巣食っていた病原体たる老人──黒竜を里中にバラまこうと画策していた元長老の企図を妨害せしめた。

 魔導国への背信・叛逆行為自体は、イズラにとっては自分たちの利にも出来たのではないか……アインズ・ウール・ゴウン打倒への道に利用できたのでは……と思わなくもなかったが、カワウソの意思決定こそが重要かつ、そして絶対だ。

 彼が断罪し、飛竜騎兵の里に安寧を取り戻させた。それが答えだ。

 それら活動詳報は、すべて〈全体伝言(マス・メッセージ)〉を扱えるマアトを経由して、ミカから配信されたもの。

 今は奇岩内部に残留しているやも知れない黒竜の発見退治に尽力している為、忙しいらしい。

 創造主がここまで頑張っている。

 これは、イズラたち調査隊も、一層の奮励努力が求められるところと見て間違いないだろう。

 

「街の表面は、だいぶ理解できましたし──いよいよ地下に潜ってみますか」

 

 読み込んだ新聞紙を軽く折り畳んで大事に荷袋の中へ仕舞うと、昨日から計画していた作戦の発動を即決する。主人が頑張っているのに、自分たちが頑張らないでいるのは恥ずべきことだ。

 都市の表層部は、魔法技術の生きた人間と亜人の居住地帯であり、農業や畜産業に従事する者らにとっての社宅や寮じみたものだと、とうに把握された。

 この都市が、生産都市と題される由縁──魔導国における食料供給の“台所”として機能しうるための施設が、地下に在るという。

 都市周辺地域の農園だけでは賄いきれない量の農作物が、毎日のように大通りや商店街に陳列され、おまけに他の各都市への輸出売買まで成立させることができるだけのものが、都市往還用の荷馬車──魂喰らい(ソウルイーター)が馬車馬となり、御者が中位アンデッドの隊商(キャラバン)──が、今朝早くの夜明け前から、都市の東西南北に据えられる門扉より流出し、さらには体表に霜が降りる竜種が、運搬会社の騎獣場広場などから静かに飛び立っていく。魔法の〈保存(プリザベイション)〉技術によって劣化しない食料品を主たる産物としている都市だが、霜竜(フロストドラゴン)による天然の冷凍保存技法のおかげで、そういった魔法を酷使させる必要性はない。何しろ、この生産都市だけでも毎日のように大量の食料品が出荷されているのだ。どんなに優秀な魔法詠唱者を揃えたところで、疲労と摩耗は避けられないほどに膨大過剰な量になる。

 ならば、魔法による〈保存〉以外の方法で、遠方へと安全かつ安価に食料を送付するための存在として、常時冷気を放つ──冷凍保存が効くドラゴンの肉体というのは、重宝されて然るべきだろう。

 ここまでを見越して、魔導国建国より少ない日数で、霜竜(フロストドラゴン)を大量に支配下に置いたというのが、魔導国の歴史──農産業界の常識として語られていると、イズラは書店で立ち読みした書籍から情報を得ていた。

 

「随分と手際が良いことで」

 

 イズラの所感はそんなところだった。

 確かに、驚嘆して然るべき建国計画だと思われてならない。

 

 都市流通において問題となる街道網の整備──均一舗装の道路・馬車の構造強化・馬を疲労しないアンデッドや動像(ゴーレム)に転換・街道周辺に住まう脅威の除去・様々な人間と亜人の交流を活発化させることによる国土の安寧と固定──そのために、大量の食料品を「魔法によらぬ保存加工」によって、属国化・条約締結・吸収併呑した諸方へと確実かつ安全安価に送達するために、魔導王は早い段階から馬車移動以外の輸送手段に目をつけ、それを実行に移している。

 何しろ、魔法詠唱者の教育には大変な投資と時間がかかる。才あるものを選抜し、文字を教え、教義を施し、……そういう準備と教育がなされなければ、魔法を扱える存在というのは、まず生まれ得ない。魔法使いは畑で栽培するわけにはいかない人的資源なのだ。いくら魔法習熟に一定のアドバンテージを持つ亜人や異形種がいたとしても、国家運用に足る人材の教育というのは、一朝一夕に成し遂げられるはずのない大事業。つまり、一年や二年で大量に揃えることは、難業である以上に不可能な次元であると言える。

 だが、この異世界には別の手段──現実的な保存手段として転用できるモンスターが存在していた。

 その代表こそが、極寒の体表温度を持つ霜竜(フロスト・ドラゴン)

 霜竜を大量に使役できれば、単純な輸送の速度と保存性は格段に、かつ確実に向上する。物資の流通が活発化することで雇用や商業が発展し、よって、一定以上の経済活動レベルを高水準で維持されることにも繋がっていく。──ゴウン紙幣などのそれまでにない新たな“紙幣”・貨幣制度の導入も、そうした社会基盤の充実の下で成し遂げられていった背景があった。

 

 そこまですべてを読み切って、アインズ・ウール・ゴウン魔導王……魔導国という名の大国が100年前に国家を樹立したことは、これまでの歴史が物語っている。それは認めざるを得ない事実のはずだ。

 

「さてと」

 

 イズラは自分の目的を遂行すべく、事前に調べ尽くしていた地下への入り口を──無数にある中で、都市観光客向けの一般入場口のある都市中央を目指す。

 

「すごい、モニュメントですよね」

 

 イズラは馬鹿にするでもなく、ただ率直な感想を呟いてしまう。

 不可知化中の天使は、声や足音どころか、自分の心拍音や筋肉のさえずりさえも外には漏れださない。感嘆の独り言を紡いでところで、特に何の問題にもなりえなかった。

 晴天を仰ぎ見る。

 巨大と言って良い、全高30メートル程度の壮強な像は、絡み合う蛇を想起させる杖を掲げた魔法詠唱者(マジックキャスター)──アンデッドの最上位種族である死の支配者(オーバーロード)──至高帝・神王長などの、様々な尊称をもって臣民たちに敬慕される、王の中の王──あらゆる魔を導く絶対王者の姿を正確に再現しようと努力されていたが、これでもまだ小さく、御身の尊さの10分の1も再現できていないだろうと、台座のガイドスペースには記載されている。

 実際の魔導王陛下の存在感は、これを数十……数百倍させても届かないほどだとも。

 無論、実際のサイズが、こんな巨人めいた感じではないことは、イズラは予想がついている……あるいは本当に巨人の骸骨だったりしないだろうかとも思われてならないが、モンスターとしての死の支配者(オーバーロード)という最上位アンデッドに、そんなスケールアップはありえない……はずだ。

 

「地下農場見学を希望される方は! コチラで手続きをお願いしまーす!」

 

 行政観光課の徽章を大きな胸元に施す青いオーバーオール姿の半人半獣(オルトロウス)の女性が、案内用のプラカードを掲げて、当日チケットの発券受付用のプレハブ小屋へと誘導している。

 様々な人や亜人が列をなす地下への入り口に、イズラはやはり誰にも気取(けど)られることなく、人の列などお構いなしに前へと進めた。入念な下調べの末、自分の能力であれば容易に侵入可能であることを理解していた。一応、本日有効な入場チケットなどは昨夜の時点で購入済み。これで問題なく、イズラは見学ツアーの人込みに紛れ込める、はず。

 地下へと続く道は、ダンジョンのように薄暗いということはない。

 むしろ客の安全性を考慮した照明の数で、視界を白く眩く染め上げている。各種族用サイズの自動昇降機……アンデッドによる浮遊エレベーターが数基用意されており、脇には非常用出入り口となる階段へと続く扉もあった。手をつなぐ親子連れや、老夫婦などの列をかき分けるでもなく、暗殺者の天使は階段への扉を開けて潜り込む。潜入能力に長じた彼の行動や姿を捕らえられる存在は、やはり存在しえない。いかに魔導国の臣民と言えど、隠密に特化したLv.100NPCを感知することは、一般人レベルではまず不可能であった。

 最低限の照明が薄緑色に灯る階段を、巨大な支柱を螺旋状に取り巻く通用路を、天使は音もなく駆け下りる。一階分を降りるにはかなりの時間をかけたところで、“第一階層(エリア)”と表記された扉があることを翻訳メガネで視認し、そこへ潜り込む。鍵などの存在もあったにはあったが、やはりそこは盗賊(ローグ)系の特殊技術(スキル)とアイテムで安全に、かつ事後発見されても気づかれないように細心の注意を払って開放してしまう。こういった工作活動において、イズラの能力は遺憾なく発揮されるもの。ゲームの拠点NPCにはほぼ不要なはずの能力は、この異世界においてようやくその本懐を遂げられたのだ。

 

「……第一エリアは、確か穀倉でしたね」

 

 イズラは脳内に収めた情報を確実に思い出す。

 事前に得ていた情報通り、地下一階のエリアは『穀倉保存地帯』というだけのことはあるらしく、大量の穀物を詰め込んだ袋がビルのような山をなし、梱包された加工食品や生食用品などが魔法によって〈保存〉されている、まさに“地下倉庫”であった。階段を降りてもすぐに地下一階部分にたどり着けなかった理由は、これほど広大かつ、天井までの高さが二桁メートルにはなることを考慮すれば納得するしかない。階層内は作業員用に〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の照明が明るく全域を照らし出し、ヘルメットで安全対策を整えた従業者たちが、アンデッドやゴーレムたちに対し、力仕事を割りふっている。魔法の箒に乗った魔法詠唱者や、騎乗獣を乗りこなす騎兵職の若者が、速達便を急ピッチで荷運びしている姿も見受けられた。そうやって運び出された品目は、地上へと続く搬入路を通じて外に送られ、待機していた馬車や空輸便に積載される。

 先が見通せないほどの奥行きがあるのは、この地下空間は、この都市地域のすべてに広がっているほど広大な面積を掘削し造営された結果だ。ここでの移動には、四輪駆動型の小型動像(ゴーレム)を使うか、あるいは速達便を用意していた者等に相乗りしてというのが主流らしい。

 

「次に行きますか」

 

 すでに時刻は昼を過ぎた。

 一階層分を眺め検分し終えるのに、だいぶ時間がかかってしまったのには、勿論、理由がある。

 

 イズラは、この都市について、より詳細な情報を得るべく派遣された調査隊。ただ漫然と一階層分を眺めて、それですべてを知った気になるのは、任務内容にはそぐわない。あるいは、この一階層の何処かに、魔導国内でも著名な──それこそ、ナザリック地下大墳墓に直送される便があるのではないかと、丹念に可能な限り調べてみたが、そう都合よくはいくわけもない。

「何故そんなことを?」と聞かれれば、彼は次のように述べただろう。

 

 ──そういった荷が存在していれば、もしかしたならば、あのナザリックへと急襲劇をかける手段たりえるやもと思われたのだ。

 

 どんなに可能性が低くても、あのナザリックに至れる道筋を発見・入手できたならば、それは自分の主人の利得となる筈と信じたイズラ。だからこそ、観光鑑賞用のエレベーターには乗らず、自由に行動が可能な非常階段ルートを選んで、この空間への侵入を果たしたのだ。

 ……だが、実際に翻訳メガネで荷物をひとつひとつ確認し探してみた限り、そんな直行便などありえなかった。ナザリック地下大墳墓を擁するという絶対防衛城塞都市・エモットへの荷がそれなりの数が確認されはしたが、そもそもにおいてエモットなる都市の全容把握すら出来ていない現状下では、そこまで魅力的なルートにはならない。直行してくれるのであれば、ナザリックに乗り込むという本義を叶える垂涎(すいぜん)(まと)たりえるが、その手前の位置に至る程度の道のりでは、彼の望むものとの間に天と地ほどの開きがある。

 それこそ、絶対防衛の名の通り、城塞都市の防衛能力がイズラたちの知るユグドラシルのそれを大きく上回る規模の防御や索敵が「絶対的」に働いていたならば、荷物に紛れ込んで城塞都市に侵入・侵犯するのはリスク以外の何でもない。あのナザリックへの道が開かれる可能性としては、そこまで魅力的な手段にはなりえないのが現状である。たとえば、城塞都市はナザリックを擁してこそいるが、実際のナザリックは都市内の隔離空間にあるだけで、潜入するだけ無駄になる可能性も否定できない。都市全体が結界装置でしかなく、そこへ不法侵入した時点で、侵入者を問答無用に掃滅する機能などを擁しているというのも、この異世界ではありえると思わねば。

 

 イズラは非常階段を、影のごとく無音で駆け下りる。

 次に至った階層は、第二階層(エリア)・農作農耕地帯。

 先ほどの倉庫と同じ敷地面積と天井高を誇る階層内は、魔法による光と大気に満ちた、土の薫りがする農場であった。

 現実にも、LED農業などに代表される人工の光や土壌の代替物で問題なく農作物を発芽・生育させ、場合によっては並の農産物よりも栄養価の高い野菜などを収穫できるが、ここでは様々な魔法を併用発生させることで、それらよりも数段発展したプランテーション農業を確立されていた。

 生い茂る黄金の麦穂や、青々と実る葉野菜や果物──それらを森妖精(エルフ)に指定された通り収穫するアンデッドの隣で、収穫済みの空いた土地を耕し、次の田植えを行うべく人間などの森祭司(ドルイド)従業員が数人がかりで土壌を回復させている。場所によっては、地下空間の中で魔法の“雨風”まで降らせていた。

 都市表層に広がっていた以上の地下農園は、まさに生産工場のごとく機能的な管理体制のもとで、画一的な食糧供給体制を可能としており、それらにはアンデッドの労働力の他に、人間や亜人などの魔導国臣民による手が、絶対的に加えられていた。いかに不死身を誇るアンデッドといえども、万能ではない。単純な肉体労働であれば可能なようだが、農作物の選別や、土壌回復や栄養供給のための魔法の行使などは、ただの下位アンデッド程度では如何ともし難い様子。

 

「よくもここまで考えたものだ」

 

 黒い翼を展開して飛行しつつ、不可知化中のイズラは、ひとり感心しきっていた。

 いかに相手があの“アインズ・ウール・ゴウン”であろうとも、その統治体制や支配能力──ただの農作業すらも、ここまで効率よく運用させるように手配しきった手腕は、純粋な賞賛を送るより他にない。あるいは、自分たちの拠点にいる下級の天使たちでも同じことが可能かもしれないが。

 

「というか。あの数のアンデッドを、一体どうやって制御統括しているのでしょうか?」

 

 大量に召喚作成されるモンスターには、時間制限がある。

 天使にしろ、悪魔にしろ、──不死者(アンデッド)にしろ。

 

 魔導国の動像(ゴーレム)については、魔法技術による産物──いわゆるギミックやアイテムと同列のものと考えて良い(そういう業者があること、ゴーレムを“売る”存在を都市内で確認済みだ)。

 花の動像(フラワー・ゴーレム)であるナタや、ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の入り口を鎮護する四体の動像獣(アニマル・ゴーレム)などのように、特別な造られ方をするNPCと同列には扱われない。魔法によって生み出される消耗品や、機械装置の一種と見て良いだろう。

 

 だが、この都市などをはじめ、魔導国にはおびただしい数のアンデッドが動像(ゴーレム)と同量かそれ以上の規模で存在し、自らに与えられた職務に邁進する日々を過ごしている様は、彼等は特殊技術(スキル)による召喚作成ではないとみるべきか。

 だが、大量のアンデッド……モンスターを使役し従属させるというのは、生半可な魔法や特殊技術(スキル)では不可能だし、そもそもにおいて百や千のモンスターを、それぞれ別々の作業に従事させるというのは、どういう理屈なのだろうか? 噂に聞く超位魔法や、カワウソが装備しているのと同じ世界級(ワールド)アイテムの力か?

 イズラの矮小な認識では、そんな技法や道具は知らない。支配下に置かれたモンスターは、主人の下知を受ける従僕と化すということは解る。だが、だとしても──だとすると、この量は、奇怪すぎる。

 骸骨(スケルトン)農夫(ファーマー)

 死の騎士(デスナイト)警邏(ポリスマン)

 死の騎兵(デスキャバリエ)御者(コーチマン)

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)行政官(アドミニストレーター)

 魂喰らい(ソウルイーター)馬車馬(ワークホース)……他にも様々なアンデッドが、都市で、職場で、あるいは小さいモノが個人の所有端末やペットのごとく溢れかえり、魔導国臣民の暮らしを支える存在として、有効利用され尽くしている。

 一体、どういう魔法や法則が働いているのだろうか。

 自分の主(カワウソ)……プレイヤーであれば、何か知っているのだろうか。

 

「あるいは、この異世界とやらの独自の法則で、作成されたアンデッドは制限なく活動できるのでしょうか?」

 

 少なくとも天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の仲間が召喚作成する天使には、時間制限がある。それは確かだ。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの首領たる死の支配者(オーバーロード)のプレイヤーは、死霊系魔法に特化したことで、通常では考えられないほど強力な力を有していると、イズラは“アインズ・ウール・ゴウンの敵”としての認識(カワウソが与えた情報)から知り得ている。アンデッドの最上位種族である死の支配者(オーバーロード)であれば、一日に一定数のアンデッドの召喚作成が特殊技術(スキル)で可能という事実が、その説を補強した。

 しかしながら、アインズ・ウール・ゴウンを名乗る個人というのが、イズラたちにも不可解と言えば不可解であった。

 ギルド(・・・):アインズ・ウール・ゴウンの死の支配者(オーバーロード)と言えば、確か「モモンガ」という名であったはずなのに。

 調べてみた限り、アインズ・ウール・ゴウン魔導王というのは“個人”を指す名称であり、魔導王は100年もの間、この大陸の覇者として、賢政と仁愛を施す不死者の王君として、あまねく臣民たちの頂点に君臨してきているらしい。

 

 このように、イズラをはじめ天使の澱のNPCたちは、他にも様々な、四十一人分のギルド構成員全員のユグドラシルプレイヤーの情報を──信憑性は不鮮明だが、カワウソが知り得る限りのものを──天使の澱に属する彼等は、共通認識として定着されていた。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、伝説の存在。

 ユグドラシルの歴史上において、様々な偉業を成し遂げた“悪”のギルド。

 1500人全滅という、他に例を見ない経歴を持ち、11個の世界級(ワールド)アイテムを保持した、創造主(カワウソ)の──復仇の相手。

 そんな彼等の内部事情や人間関係などは不明だが、ゲームにおいて重要な戦闘データ・PVPの記録などは、ユグドラシルのWikiにも載るほどに有名な部類であった。最大100人で構成されるギルドにおいて、“41人”という定員の半数にも満たない構成員数で「伝説」と謳われた彼等は、それだけの存在たりえたのだ。

 イズラは思う。

 あるいは、彼等アインズ・ウール・ゴウンの保有する世界級(ワールド)アイテムが、これほどのアンデッドの同時使役と大量召喚を可ならしめているのかも。

 

「……だとしたら、マスターの世界級(ワールド)アイテムが、どこまで通用するのかどうか、という話になりますよね?」

 

 カワウソもまた、ひとつの世界級(ワールド)アイテムを保持している。

 天使の澱に属するイズラたちNPCは、彼一人を、絶対唯一の創造主として生み出された存在。

 彼がユグドラシルにおいて、自分たちに語り聞かせてくれた────カワウソ自身は、ただの独り言みたいな感覚にすぎなかったが…………彼自身が繰り広げた冒険と挑戦、成功と失敗、そして、堕天使には存在し得ないはずの、だが天使種族のそれとはまったく異質極まる、あの装備のことを、彼等はそれなりに知っていたのだ。

 詳しいことはおそらく、第四階層で──カワウソに最も近い場所を常時護るように定められた、隊長のミカが把握しているはず。

 

「さすがに、そこまで考えるのは私の役割からは、はずれ過ぎますかね」

 

 ひとりごちる死の天使。

 主人の力や存在が絶対的と妄信する傾向にあるNPCたちであっても、さすがに相手の情報を冷静に考慮し、彼我の実力差を検証し天秤にかけるだけの知能は備わっている(一部例外はいるだろうが)。

 だとすれば。

 あの伝説のギルド、あのアインズ・ウール・ゴウンの名を戴く大国と王者──魔導王に対して、自分たちがどれだけ劣勢を強いられているのかは、いやでも認知せざるを得ないだろう。

 単純な世界級(ワールド)アイテムの保有数の差。ナザリック地下大墳墓と、ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の、拠点レベルの差。100年という歴史を持つ大国と、転移してまだ一週間にも満たない天使たちの……圧倒的な……差。

 

「今日はここまでにしますか」

 

 焦りは禁物。

 じっくり調査を推し進め、自分たちにとって有益な情報を見分けねば。

 漫然と長居するのは危険やも知れない上、今日のチケットパスを明日まで携行していては、いざ見つかったりすれば面倒極まるだろう。明日分のチケットを購入しておかねば。

 イズラは非常階段を上り、何くわぬ顔で、朝のルートを辿って、悠々と、夕暮れに染まる都市へと戻る。

 

「下の調査は、明日にしますか」

 

 調査はまだ終わりではない。

 第三階層(エリア)・畜産加工地帯。

 第四階層(エリア)・魚介類養殖地帯。

 あれほどの大規模農場を地下世界に構築できる魔導国であれば、さらに下の階層に放牧場を造営し、回遊魚が行き交う水槽の中で海の幸を養殖させていることも容易だろうが、百聞は一見に如かずという。何より、イズラ自身がこの目で見ることで、今後の彼等天使の澱にとって重要な発見や利益を得られるやもしれない。危険は承知の上。虎穴に入らずんば虎子を得ず。

 

「明日で三つの階層は──回れそうにないですかね?」

 

 今日だけで二つの階層を調べるので精一杯だったことを考えれば、そう想定しておいた方がいいだろう。それほどに広く大きな空間が、生産都市の地下に存在している。

 黒い外套を誰の目にさらすことなく、イズラは人込みを歩きながら、調査初日に入手していた観光案内(パンフレット)をもう一度検分し直す。人込みが急に割れて、死の騎士(デスナイト)の警邏隊10体が忙しなく駆け去っていくが、彼等のような中位アンデッドもまた、イズラの存在を感知し得ない。

 

「この都市管理魔法とやらは──街灯のランプとか、でしょうかね?」

 

 イズラは目の前で今まさに点灯し始めた大通りのランプを眺めて推測する。

 他にも、上下水道などの管理や、台所で火を使った調理をするためのコンロなども、そういう魔法が生きている可能性があるが、憶測の域は出ない。

 果たして書店にそういうことを記述した本はなかっただろうかと思い、イズラは自然と本屋を探し始める。イズラは、本が好きだ。彼自身、「本」を取り扱う死の天使であることからも、本という存在そのものが厚い興味の対象になりえた。武器武装として使える「本」であれば、尚のこと関心を寄せられたことだろう。

 第五階層(エリア)・都市管理魔法発生地帯については、観光客の出入りは完全に制限されている。観光のためとはいえ、いくらなんでもそこまで見せる必要性はない上、警備問題として、都市を管理するための魔法を発生させるところに進入を許す理由もない。それこそ、何らかの犯罪者やテロリストなどに都市機能を麻痺させられる可能性を考えれば、デメリット以外の何でもないはず。

 無論、イズラはこの都市をどうこうするつもりなど、まったく完全にありえない。

 そんな『命令』を、主人であるカワウソは、イズラに対して命じていないのだから。

 だが、彼の任務は“都市の調査”──この都市の魔法を機能させるという場所(エリア)へ潜入し、検分することは、もはや必然でしかない。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

『イプシロン様』

 

 夕暮れに染まる第一生産都市・アベリオンの集合住宅の一角で、ソリュシャン・イプシロンは報告の声をしわがれた音色で紡ぐ影の悪魔(シャドウデーモン)に振り返った。

 

『都市郊外にて発見された罪人共のアジト。そこで拉致監禁されていた奴隷たちの子どもらの救助……搬出作業が難航しており、増援を求められております』

「わかりました。そちらは死の騎士(デスナイト)の警邏隊CとDに任せます」

 

 戦闘メイドは自分に指揮権を与えられた中位アンデッドたち──都市警邏隊の彼等10体を、ただちに増援へと送り出す。

 こちらは当初の想定よりも簡単に制圧できたので、余剰戦力を他の個所に分散しても、何の影響もない。

 

「では。話の続きといきましょう」

 

 影の悪魔を数体率いるソリュシャンは改めて、自分たちが捕縛し果せた罪人共……二等臣民や三等臣民などで構築された“違法売買者”の郎党数人を見下していく。

 黄金に輝くロールヘアに、水底を思わせるほど透き通った瞳。人間であれば──特に男であれば、確実に獣欲や肉欲を想起され性的興奮を覚えてならない、煽情的なほど整えられた豊満な女体を包み込む白黒の衣服は、彼女の創造主たちより与えられたメイド装束の一種。銀色に輝く足甲のヒールは高く鋭利で、その防具だけでも武器として扱えそうな力を感じさせつつ、開いた胸元や太腿の肌艶は、どこまでも蠱惑的に輝いていた。

 黒いヘッドドレスを揺らすことなく、ソリュシャン・イプシロンは冷厳に、あらゆる感情を感じさせ得ない声を発していく。

 

「あなたたちは、奴隷の売買契約を結んだ。しかし、奴隷の個人的な売り買いは、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下が宣布した国法──奴隷法によって禁じられている。これは理解しているでしょうね?」

「……はい」

「奴隷は、個人の財物として取り扱われる人間や亜人のことですが、それらを取引する際には、国への請願を通し、然るべき監査機関の目のもとで、公正な取引を行う。それによって、奴隷たちの命と権を守られている──にも関わらず、貴様らはそれを無視し、自分たちの利益だけを求めて、奴隷たちを売買した。そうですね?」

「……ひぃ」

 

 現行犯共の代表たる亜人──手足を拘束された牛頭人(ミノタウロス)の巨漢が、まったく似合わない悲鳴交じりに理解の声を上げて、頭と角を床にこすりつけるようにして平伏している。

 ソリュシャンは、主人の定めた法を反故にした愚劣極まる臣民失格者共に憤懣(ふんまん)やるかたない苛立ちを覚えつつ、郎党の首を()ねてしまいたい衝動を押し殺して、冷静に断罪の言葉を(そら)んじていくことを、己に努めさせた。

 慈悲深いアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下は、ソリュシャンにこうするように、命じておられる。

 

「安心なさい。情報照会によると、あなたたちの中の何人かは“二度目”の罪を犯したが、他の仲間の居場所を吐きさえすれば、とりあえず臣民等級を下げられる“だけ”で済むわ」

 

 粘体(スライム)の戦闘メイドは、人間の構造上不可能な動作で、顔面をグニャリと歪め、優し気に微笑ませた。

 無論、ここで一言目に承諾せねば、その時点でこいつらの罪と罰は確定となる。

 こいつらは完全に現行犯。ここで行われた売買の対象──奴隷たち数名は保護が済んでいる。アインズの威光と、法の下で庇護される奴隷共を、不当な商取引の対象物として売り買いしようとしていた大罪で、第一次法廷において連中は「実刑判決」を受けることは確実だ。証拠の口座や映像記録も、ソリュシャンが掌握済み。彼等はこのままいけば、臣民等級を下げられるどころか、等級を剥奪され、あらゆる臣民権を失い、“奴隷以下”の処遇を受けることもありえる。

 魔導国において、“死刑”はそこまで酷い扱いとは見做されない。死体は新たなアンデッドとして、未来永劫の社会奉仕に尽力することで、その罪は完全に許される。彼等は臣民として、“安らかな死”を与えられるのだ。

 ただの“奴隷”として、一等臣民たる主人たちに飼われる者らよりは数段マシな……ナザリック基準だと慈悲深い死を賜るよりも、何倍も恐ろしい処遇が、“奴隷以下”の“物”たちに与えられる。

 故に。

 ここで罪を減じたければ、彼等は諸悪の根源を差し出す必要が、ある。

 出来なければ、彼等は己の身分証に記された等級を下げられる以上の罰が、下される。

 

「吐きなさい。いと尊き御身──アインズ様が定めた“奴隷”たち……“従属者”たちを、騙し、唆し、あまつさえ人身売買するような、愚物共の巣穴は、主犯者は、どこ?」

 

 二等臣民や三等臣民だけで、あれだけの奴隷を囲い、売買を行えるわけもない。

 (ひざまず)き、許しを乞う売人(バイヤー)たる男の後頭部に、ヒールの底を押し付けることなく──汚らわしい罪人に触れさせるのもおこがましい。これは彼女の創造主が創り与えた装備品なのだ──、公正な司法取引を持ちかけるメイドは、震える雄牛の口から零れる愚物共の根城を、この都市の地下深くに位置する場所を、確実に紡いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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接近 -2

/Flower Golem, Angel of Death …vol.08

 

 

 

 

 

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 南方士族領域・センツウザンの街。

 

「奴隷でありますか!? ここにいる人の、半分が?!」

 

 意外なことを聞いたような気がして、花の動像・ナタは声を大きく問いただした。

 

「あア。山小人(ドワーフ)のバヨネットも、ソノ一人だぞ?」

 

 自分の相方・相槌役が“奴隷である”事実を、戦妖巨人(ウォー・トロール)の若輩であるゴウが、あっけらかんと明かしてしまう。

 少し離れた卓で、同僚と鉄鋼の比率や含有成分について喧々囂々と論議を深める山小人(ドワーフ)の彼が身に着けている──装備している左手の小指の指輪。それが、魔導国での奴隷の証だというが、いわれなければ判らぬほど、その指輪は精緻な造形を、金色の円環の上に刻み込まれている。その意匠は、輪になった鎖をどことなく想起させるが、やはりただのアクセサリーの一種にしか見えない。

 しかしながら、彼が法にもとった略歴の持ち主だとか、あるいは一族が何らかの制裁を加えられて当然の過去を持つなどの事実は一切ない。彼は、元の等級で言えば二等臣民──アゼルリシア出身の者たちとは違う、大陸中央で亜人たちにこき使われていた系譜なのだと、明かされる。

 ナタは大きな疑問を吐き出した。

 

「奴隷と言うと!! 首輪や足枷をつけ、何やら小汚く不衛生な恰好で、主人に鞭でも食らって、いたぶられるような?!」

「いやイヤ。何年前の話ダヨ、そレ?」

 

 ゴウは呆れ笑う調子で頬杖をつく。

 ここは、朝のひかりを燦々と窓から取り込む大食堂。

 青い瓦葺きの日本家屋──昨晩、ナタやゴウたちが寝泊まりした従業員用の建物“寮”の離れに位置する。

 朝食の魚の煮込み定食三人前を平らげた巨人は、ジョッキサイズの渋い色合いの陶器に熱い緑茶を注ぐ雇用主──鍛冶従業者用の寝食を提供する建物の“寮母”まで勤める少女から、食後のお茶を受け取って、一息に飲み干す。同じく彼女が持ってきてくれた今日の朝刊を、ゴウは慣れた表情で読み耽っていく。

 

「ナタくんは、見た感じ子どもだもの。そういう物語の“奴隷”と勘違いするのも、しようがないかもしれないわね? ……でも、普通に生活していれば、奴隷くらい見たことはある、わよね?」

「自分は!! 長いこと自分の拠点から出たことがありませぬので!!」

「拠点って──自分の家のこと? お屋敷とか?」

「その通りであります!!」

「ハハっ。ドンな箱入り息子のオ坊ちャんだよ、おまエ?」

 

 思わず笑う巨人を、黒髪の少女が窘めるように「こ~ら」と言って指で突く。

 麗雅と言える漢字の紋様を鋭い表情に戴く少女は、まるで良妻賢母のごとくゴウの隣に座り、彼の世話を甲斐甲斐しく焼く。黒髪赤瞳の少女──スサは、急須に残っていた緑茶を自分の湯呑に最後の一滴まで注ぎ尽くす。ちなみに、ナタは熱いお湯が──花の動像(フラワー・ゴーレム)の特性上──苦手だ。ダメージを受けるということはないが、触ったりするのは遠慮したい部類に入る。彼の核となっている花は水棲植物であるため、熱い湯とは相性が悪いし、そうでなくても花の動像(フラワー・ゴーレム)は炎属性への脆弱性を有する為、ひとりだけ果実水で喉を潤している。二人には「子どもには緑茶の風味は苦手なんだろう」と思われているらしいが、別に修正すべきとも思えない勘違いであるため、ナタはそう思わせたままにしている。

 スサは訳知り顔で、自分が知る魔導国の歴史を総括する。

 

「現在の魔導国には、まだ奴隷制度が現役であるけれど……それは、もう大昔……それこそ魔導国が建国される以前の歴史上の物語においては、ナタくんがいうような奴隷が、かつては大半だったと聞くわ」

 

 野蛮な連中がいたものだと、スサは微苦笑をこぼしてしまう。

 

「魔導国においての“奴隷”は、制度上、臣民よりも優遇され得ない存在になるわ。臣民への治癒保険制度は受けられず、蘇生保険も適用外。おまけに義務教育や居住登録地域外への移動、参政権などについても、主人となる一等臣民の許可が原則必須になる。個人用端末やアンデッドの下賜も原則禁じられてる。けれど、その分、彼等は魔導国臣民が負うべき“義務”をほとんど免除されることになるって、そこは理解してる?」

 

 ナタは「知らなかったであります!!」と言って、正直を貫いた。

 

「うーん。意外と残念な子よね、ナタ君って。でも、頭が悪いというのとは違うし、……まぁいいわ」

 

 珍妙な知識の偏りを疑問しつつ、少年の純粋さ純朴さに何やら好意的なものを懐いている少女は、自分の湯呑の中身を干して、湯で薄桃色に潤んだ唇を輝かせながら、続きを話す。

 

「魔導国臣民には、一等から五等の臣民階級が存在し、その階級によって臣民が負う『納税』などの義務(つとめ)を受諾・受容しなければならない。『死亡者の提供』や『定期健康診断』、『義務教育』、子どもの『適性診断』や『異能診断』、各領域や都市などでの『文化継承』『生産活動』、三等以下だと『労役』と『採血』、必要最低限の『戦闘訓練』『職業訓練』『魔法訓練』『冒険者訓練』『芸能者訓練』──あとは『社会福祉活動』や『生存維持の努力義務』──他にもさまざまな務めをはたさなければならないとされているわ。

 臣民階級は、魔導国王政府によって“貢献度”や“個体値”などの判定基準を満たすことで階級を上昇させることも可能。重犯罪を犯したり、魔導王陛下やナザリックへの不敬行為が認められたりした場合、等級の下降を余儀なくされるのは、必然よね?」

 

 頷くナタは、まるでわかっていないわけでは、ない。

 イズラと生産都市で別れる際に、二人で必要そうな魔導国の常識を、入手した情報媒体──書籍や新聞などから、おおむね把握してはいた。さらに、カワウソと共に飛竜騎兵の領地に留まる隊長・ミカからの情報もあった。魔導国臣民は、国の保護下に安寧の暮らしを約束されるが、その代価として、国に対し様々な義務行為を供することを己に課す存在であること。

 しかし、奴隷の存在については見落としていた。

 

「奴隷というのは、そういう権利を国に対し行使できない代わりに、魔導国の義務からほとんど放免された存在と言えるわ。ただし、奴隷は国にではなく、臣民個人への臣従関係を結ぶ契約を交わした人々──奴隷は自分が主人と定めた臣民に対し、国に対するような義務契約を、代わりに負うことになる」

「──つまり、個人間で、国家と国民の関係が働くと!?」

「そういう見方もあるわね。ただし、その個人・一等臣民は勿論、奴隷法などに代表される国法や憲法で、魔導国に対し『奴隷使役』を認められた特別な個人でなくてはならないの」

 

 ある種の連合国家のような思想だろうか。

 自分の自治(取得)する土地に、“奴隷”という名の個人(住人)を住まわせ、労役と給金を与え、衣食住や健康保険を施す。地域社会や州レベルであればそういうこともありえそうだが、個人単位でそういうことを可能にする仕組みが魔導国内で広く普及されている。

 それが、一等臣民に与えられる最上級者の義務でもあると、スサは語る。

 

「一等臣民が特に優遇される理由──それは、“一等臣民は他の臣民の規範として、あまねく他種族の模範として、立たねばならない”という『統率力の行使』が義務化されているから。“奴隷”を使役し、彼等を扶養し、健康な生活を送らせるのは、その義務の履行に欠かせないからなのよ」

 

 一等臣民は、魔導国建国初期にアインズ・ウール・ゴウン魔導王の威光に触れ、その庇護の下で生きることを甘んじて受け入れた賢明ぶりを評されて、アインズに特別に取り立てられた者たちの子孫──あるいは生き証人として、存命中(・・・)の臣民たちで構成されている。

 魔導国の中において、彼等より尊重されるべき存在は、いと尊き御身たる魔導王と、その血統。加えて、彼に古くから忠誠を誓うナザリック地下大墳墓のシモベと、彼等と特別な盟──代表的なものだと「主従」や「婚姻」など──を結び、ナザリック直属の忠実な下僕と認められた者。……さらに、魔導国“傘下”に加わることで、外地領域を守護する任を賜った者や、統治能力を信じ託されし規格外の存在──外地領域守護者たちや、信託統治者の他にありえない。

 そして、彼等一等臣民は、自分達の下に位置する万単位から億単位に及ぶ等級臣民らを監督・統治することで、魔導王陛下への忠義を示すことを任された存在だ。

 無論、そのために必要な教育や環境整備などの支援は充実。さらに、他の臣民にはありえないほどの厚遇によって、彼等はうまくいけば、その一生を安泰に過ごすことも可能だ。

 

「たとえば。ウチの“八雲一派”は、クシナ様という一等臣民のもとで、日々労務に勤しむ同胞として過ごす。クシナ様は(スサ)という一等臣民と協力・和合し、二等や三等からなる従属作業者たち、ウチの一派の連中をまとめあげる。一派はクシナ様からの給金や処遇に見合った働きを日々供出──良質な武器を鍛造し、大量の鉱石を掘り出すことで、一派の事業成績に貢献する。その貢献によってもたらされた利益が、ひいては士族領域や王政府の利益と化し、魔導王陛下たちへの忠節を果たす、というわけ」

 

 ナタはひとしきり頷いてしまう。

 この方式を無理矢理当てはめるなら、会社と似ている部分が多くある。奴隷という響きよりも、会社が雇う従業員というニュアンスが多分に含まれていそうだが、残念ながら、この場でその現代的な思考に至れるものはいない。

 奴隷の主人は、隷属する己の奴隷の心身や自由を侵害する行為を犯してはならない。

 奴隷法は、奴隷の行為や義務を明文化するものであると同時に、主人が奴隷に対して不当な扱いをしないことを明記したものであることは、魔導国内では──特に一等臣民社会においては、常識ですらあった。

 下の者を縛るのではなく、上にある者をこそ戒め導く法治国家。

 それを大いに表しているのが、(くだん)の奴隷法でもある。

 

「実に合理的ですな!! 素晴らしいシステムです!!」

 

 ──果たして、どれだけの存在が気づいているのだろうか。

 これは、見方を変えれば、「国民が国民を監視する仕組み」が巧みに含まれていることに。

 無論、そうでなければ国は立ち行かない。人目も憚らず誰もが野放図に暮らし、罪過を好きに犯し、労働も勤勉も何もない「自由」こそが、真に健全な世界だ──などと信じる者は、いない。

 生きるということは、そういうこと。

 人道を説いたところで人の道を外れた者には、罰が下る。むやみに重い罰を与えることは人道に反するだろうが、だからといってあまりに軽い罰では国民が、人々が納得するわけもない。許されるわけがない。正義と倫理にもとろうとも、国家の運営においてはそういう「無慈悲な慈悲」は必要不可欠なのだ。

 

 一等臣民は大量の人間や亜人を使役・統率する権能を与えられるが、実際には“奴隷法”によってそこまでの無茶を強要することは出来ない。奴隷には奴隷の権利が認められ、主人に対し、自分たちの処遇を改善することを団結して請願したり、それが受け入れられるように上の──王政府監査機関に執行処置を乞い願ったりなどの行動が、ある程度まで、認められている。あるいは、奴隷からただの臣民に戻ることも、監査機関を通せば容易く認められもする。彼等は好きで奴隷をしているものが多いのだ。

 奴隷を使い、奴隷を治める臣民は、さらなる功績・業績を求めようとすれば、さらに大量の雇用を捻出し、大量の人員を円滑に回す効率性が肝要になる。だが、それをたった個人で──数人単位の奴隷ならいざ知らず、これが二桁三桁に膨れ上がれば、もはや個人の処理能力ではどうにもできない。どうあっても、他の協力者や補佐が必要となり、さらなる雇用と“相互監視態勢”が構築される流れが生まれるのだ。

「一強による独裁」を顕示できる“個人”というのは、ごくわずかしかありえない。

 それほどの功を成し遂げられる優秀な存在には、魔導国は優遇措置という名の監視が、携帯端末や住居防衛装置などに仕込まれ尽くすか、あるいは領域守護者などの地位を与えることで、ナザリックの忠実なシモベと化す。──ナザリックを統べる至高の御方の力を間近にした者は、その強烈無比な威光にひれ伏す以外の在り方を見出せないものだから。

 

 ちなみに。

 奴隷を“奴隷”という名称のままにしているのは、「奴隷という存在の権利と生命を守る国家体制を内外に知らしめる」効果と、非常に珍妙なことに──この異世界には奴隷(スレイブ)のレベルが存在し、ある程度は奴隷的な労働性を示すことで「現地人の簡易なレベルアップ実験」に貢献する事実、さらには「ごく単純な“奴隷解放”や“全廃”を唱えることで、それを快く思わない、あるいは奴隷によって利益を生み出してきた存在の反感を買うのではなく、そういった手合いを丸め込むために、制度上は奴隷の存在を認めつつも“奴隷「法」の布達”によって、実質、人道上に背く旧態依然とした(死亡リスクが高く、労働生産性の著しく低い=効率の悪い存在である)奴隷を廃絶する流れに持っていく方が楽だから」という狙いが、今日まで魔導国内に奴隷を存続させ続けた由縁であった。

 

 国民の意識も、奴隷に対する偏見や侮辱的な気勢は潰えつつあり、スレイブの職業レベルの取得方法や解析──実用方式の確立もある程度終わっている為、近い内に何らかの転換措置があるやもしれない。

 

「デも、まァ。どんなニ素晴らしイ仕組みも、それをすり抜けル方法はあルもんらしいが」

 

 ゴウは不穏なことをのたまった。

 方法とやらが気にかかったナタであるが、それよりも先んじてスサが「子どもに教えることじゃないでしょ」と文字通り掣肘(せいちゅう)してしまう。

 ナタは追求を控えることを決める。

 魔導国の法に触れることはカワウソの利となることは間違いなさそうだが、あまり深く首を突っ込んでも余計な藪蛇を突きかねない。

 とりあえず引き続き、ゴウの手にある新聞から探れそうなワードを使い、様子を見るしかない。

 

「この、奴隷の不法売買というのが、少し気になるのですが!?」

 

 見た目の年齢の割に、随分と変なことを気にする少年だと、ゴウとスサは了解していた。二人共に特段の躊躇なく、事実を教えてしまう。

 

「書いテある通りだヨ。奴隷を金銭で売り払ッたり買い取ったリハできナい。それはあってはナラない不当な取引ダ。奴隷は、俺ラの食料デモなんでモないわけダシ」

 

 俺らの食料という単語をサラっと何気なくこぼすゴウだが、異形種に分類される花の動像は気に留めない。

 

「不法売買に手を染めるクソな一等もいるみたいなのは、本当、魔導国臣民の恥ったらないわね……」

 

 スサは腰元に差している刀の柄をいじり、自分と同じ等級の者が恥知らずな行いに奔る事実に憤懣を覚えてならない様子だ。彼女の義侠心──カラっとした晴天のごとき心根からすると、自分に従属してくれる者たちを金に換えるという行いが、あまりにも気に入らない調子なのだとよく解る。

 

「ゴウほどに強い奴を手元に置いておきたいというならまだしも、そういうのは奴隷を、自分より弱い奴を囲って、オヤツかオモチャのように扱うって話よ? まるで理解できないわ」

 

 言って。戦妖巨人(ウォー・トロール)の膨れた筋肉質の集合物である二の腕を、蕩けそうな笑みで舐めすくうように、白魚の人差し指で撫でる黒髪の少女。

 

「……俺は、奴隷にナッたつもりハねぇからナ?」

「わかってるわよ、それくらい。ウチの労働者(バイト)さん?」

 

 珍妙なスキンシップに慣れた様子で返すゴウと、決まりきった遣り取りにどこか面白みを感じているスサは、微笑みを交わす。

 本当に奇妙な二人だと思う。

 ナタは、あまり頭の良い方ではない。

 難しい思考や推測などを構築するよりも、ただ『命じられた任務を遂行する愚直さ』こそが、彼の設定であったのだ。

 だとしても、この遣り取りはあれだ。天使の澱で唯一『恋人同士』と定められた者たちを想起させる。あの二人も、他のNPCの前ではつんけんした遣り取りしか見せないが、その実、二人きりになると熱烈な睦み合いに発展するらしいことは、天使の澱の中で知らぬものはいない。

 ナタは、ゴウとスサの関係を改めて問い質したい気がしなくもなかった──その時。

 

「クシナ様!」

「クシナ様だぞ、皆!」

 

 食堂の出入り口付近が、唐突に騒がしくなった。

 小人や大鬼が食事の手を止めて湧きあがるように席を立ち、様々な亜人や人間の奴隷と労働者仲間と共に、現れた人物の姿を見定めようと駆け出していく。

 ゴウとスサも例外ではない。

 

「行きましょう、ナタ君! 私たちのクシナ様を紹介するわ!」

 

 手を引かれ連れられたナタは、人垣をゴウの巨腕で優しくかき分け、名を呼ばれ囲まれたその人──眼鏡をかけた女性を見た。

 特徴的なのは、長く白い髪の持ち主であるということ。磨かれた鋼のように光を照り返して、それ自体が輝きを放つようにも錯覚する。背はスサの長身と同じくらいのモデル体型。まるで野に咲く花のように軽やかな微笑みが(みやび)だ。長く伸びた純白の髪に色鮮やかな鳥の翼が冠のように存在するが、ポニーテールに櫛のような宝飾が差し込まれているのと同じ装備品だろうか。薄く開いた眼の、宝石のごとき青が印象深い。キッチリとしたタイトスカートのスーツ姿は、背筋に鋼を通したような綺麗な歩き方で、見る者に感心の吐息をつかせてならない才媛そのもの。

 ──その女性を、現代人のカワウソが見たならば、間違いなく「出来る女社長」と評したことだろう。

 

「クシナ様! どうされたんです、こんな時間に戻られるなんて?」

 

 スサが事前に聞いていた予定だと、新鉱床の掘削に昨日と今日はかかりきりだったはず。

 

「陛下の派遣された嚮導(きょうどう)部隊の方々のおかげで、予定より早く戻れたの──スサ、その子は?」

「私とゴウの愛の結晶です!」

「ちョっ!? 阿呆ぬかすナ!」

 

 いの一番にツッコミをいれる妖巨人(トロール)の指が、軽く黒髪を小突いた。人垣がどっと笑いに弾ける。亜人の指に突かれたスサには大したダメージにもなっていない様子から見ると、彼女のレベルはそれ相応なのだろう。腰の刀は飾りではないわけだ。

 ナタはとりあえず、事の成り行きを見守ることに終始しつつ、二人の主である女性を黙って見上げ続ける。

 

「ゴウさん。お久しぶりです」

「オ、──お久しぶりです、頭領」

 

 頭領代行のスサとは、えらい態度の違いだった。巨体を丸めていた背筋も、心なしかシャキンとしており、分厚い胸板がさらに大きく張り出されて、かなり雄々しい感じを受ける。

 

「申し訳ありません。修行でお忙しかったでしょう時に、鍛冶の依頼など差し上げて」

「イ──いえいえ。滅相もない」

 

 なにやら声の調子をなるべく抑えて、聞きとりやすいトーンであるように努力していることを聴き取ったナタ。

 だが、理由は分からない。

 単純に雇い主に対して礼を欠かないように努めているのか、あるいは自分の言動が気に障って相手を怒らせたくないからとか、無数に考えられはするが、とりあえず仲が悪いという感じには見えなかったので、よしとしよう。

 

「スサ。昨日の調子は?」

「はい。完全に上がっているのは、五十。今日の予定は、とりあえずゴウが来てくれて九十はいくかと──」

 

 先ほどまでゴウのことをからかい半分に肘で戯れ突いていた少女は、謹直に自分たちの成果を報告。その様は、聞いた年齢よりもかなり大人びており、ある種の妖艶さすら感じさせるほどの変わり身ぶりであった。

 

「わかりました──それで、改めて聞きますけど、この水色の髪の子は?」

「ナタ君と言います。えと、ゴウが連れてきた子で──」

「はじめまして!!」

 

 ナタは沈黙を破る前が嘘だったように、誰よりも轟く澄明で元気百倍な声音を連ねていく。

 

「あなたのお話は、ゴウ殿とスサ殿より、かねがね!! クシナ殿と、お呼びしても構いませぬか!?」

 

 あまりの音量にクシナは眼鏡の位置がずれてしまう。

 数瞬ほど呆けた後で、納得したようにブリッジを指先で押し上げ微笑みを送る。

 

「ええ、構いませんよ。でも、どうして私たちの工房に……?」

 

 こんな(いとけな)い子供が──そう問いたげにスサとゴウを眺める女主に、二人は肩を竦めて「成り行きで」と答える。

 実際、ナタも彼等の世話になりっぱなしになるのは抵抗があった。昨夜、労務終了時刻まで工房の見学をさせてもらい、適当に街を回って、泊まれる場所──ホテルや野宿先を探そうと思ったが、ゴウとスサたちの好意で、臨時労働者用の施設・寮に泊まればいいと提案されたのだ。お代はいかほどかと気にする少年に、この寮の責任者でもあったスサが「気にしなくていい」と受け入れてくれたから、ナタはこうして食堂の風景に溶け込んでしまっていたのだ。「あのゴウを打ち負かす子だなんて、とてもオモシロいに決まってるから!」ということらしい。

 

 日の昇り始める早朝。朝食よりだいぶ前。

 ゴウに頼まれ、再び決闘(というか、模擬戦)を行った際に、実力の差をさらに見せつけてやった場面にスサも参加しており、そのおかげか、ナタはゴウだけでなく、たまたまその場に立ち寄った(実際はゴウに貸し与えている“道場”での鍛錬に差し入れを持ってきていた)少女にまで、一目置かれるようになったのだった。あのアベリオン生産都市で、ゴウという戦妖巨人(ウォー・トロール)を打ち負かした実力は、本物の中の本物。戦いに特化した一族として、武者修行中の若い亜人は、その事実を冷静に受け止める胆力と、さらにナタの力の一端を欠片(かけら)でもいいから理解し追求していく向上心の持ち主。ゴウは、まるで出来のいい弟を自慢する兄貴のような快活な態度で、ナタを相手に戦闘訓練を積むことを己に課していった。

 それを、ナタという少年兵が──近接戦闘の申し子として創造された花の動像(フラワー・ゴーレム)が、不快に思う要素など皆無である。

 ナタもまた、向学と研鑽を良しとする嗜好の持ち主。

 彼の創造主が、少年兵に与えた設定どおり、彼は拠点の第一階層で日々を鍛錬に費やしながら、来る侵入者から第二階層への門を守護する役目を仰せつかった闘技場の番人だ。……ユグドラシル時代。その実力が発揮されることは、ついぞ訪れることはなかったが。

 いかに実力差があり過ぎるとはいえ、自分と同じ近接戦闘職の修行者が教えを乞うて来るのを、無下に扱うことなどありえなかった。

 

 とりあえず、そういった事情を事後報告で知らされたクシナは、別段気に留めるでもなく、むしろ少女の善意に満ちた行為を褒め称えた。

 撫でられくすぐられる子猫のような声と共に微笑むスサは、心底幸せそう。

 ナタも、こんな風にあの方に──創造主(カワウソ)から褒められたら──この任務を無事にやり遂げた後、頭を撫でていただけたら──と考えるだけで、胸が熱くなって頬が緩んでしまう。

 とても心地よい想像だ。

 そんなこと、いままで一度も経験したことはないが。

 

「ここの食事はどうでしたか、ナタ君?」

 

 食堂にいるのだから、とっくに食事を済ませているのだろうと思い訊ねたクシナ。

 だが、ナタは真っ正直に応答してしまう。

 

「申し訳ありませぬが!! 自分は食事が不要な身故、食事はいただいておりませぬ!!」

「──はい?」

「代わりに、おいしい果実水を御馳走になりました!! 非常に美味でございます!!」

 

 奇妙なことを聞いた気がしないでもない女主人は、とりあえずナタ少年が厚遇に感謝しているらしいことを確かめて「それは何より」と頷いた後、ここへ赴いた理由に向き直る。

 

「スサ。少し相談があるのですが?」

 

 黒髪の少女は怪訝そうに首を傾げた。

 ナタは黙って二人の遣り取りを聴く。

 

「今日は皆さんに──鍛冶部門の何人かにも、新鉱床に来てほしいのです」

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 センツウザンの街が誇る“八雲一派”は、とても古くからこの地を治め、君主に対し良質な鉄鋼と、鍛造した刀剣を奉納する一族として栄えてきた。

 それは、君主が魔導国に降った後も変わりない。

 魔導国の庇護下・管理下に置かれることになった南方の人々は、それなりの混乱や衝突こそあったが、やがて魔導国の支配の素晴らしさによって、より一層の繁栄と技術革命を遂げるに至っている。

 特に、センツウザンのような鉱床地帯においては、それが顕著となる傾向にあった。

 

 

 

「…………第二班、休憩に入る」

「第二班、一時間の休憩! 第五班は、ただちに交代準備!」

 

 アンデッドの骸骨(スケルトン)と地中での活動に順応した土掘獣人(クアゴア)の班構成からなる掘削隊は、予定よりもかなり早いペースで、鉱床の掘削と採掘を進められた。骸骨たちはクアゴアたちの掘り起こした岩塊をトロッコ型ゴーレムに積載し、規定量で動作する運搬車(トロッコ)が坑道内に敷かれたレールを駆け上る。

 シズ・デルタは、その様子を部隊本部として定めた大天幕──魔導国の国璽(ギルドサイン)を意匠することを許された、一際(ひときわ)巨大な防音防塵テントの中で眺めることができた。監視用機能に特化した監視用ゴーレム(小型カメラ)を、小隊長などの指揮官クラス──この作業の間だけ役職を賜ることになったアインズやユウゴ殿下たち謹製の下位アンデッドらに持たせている。そうすることで、シズは魔法の光源で明るく照らされたテント内に用意した〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉を大量発生させるマジックアイテム越しに、彼等の謹直な労働作業を監視することが可能。

 

「…………進捗は?」

「現在。新鉱石を含有していると思しき鉱石だまりを60%は回収できております。その内、23%から白銀の原石の抽出に成功しております」

 

 彼女が捧げ示した板状の端末の画面を、自動人形は覗き込むように腰を折った。

 シズは、副官役を務める悪魔と亜人の混血種(ハーフ)──土掘獣人(クアゴア)の皮を纏うような女に、かすかに頷く。

 彼女らは職務上、シズの部下たちであり、アインズより貸与されたともいえる現地人たち。

 軽々に扱うわけにもいかず、さりとてナザリックの者と同等というほどの扱いもありえない。

 とりあえずシズは、時計の針が示す通りに部隊を運用しつつ、新鉱石の採掘作業や行程内容に問題がないかを確認するだけに努める。

 

「…………鍛冶師たちは?」

「“八雲一派”のクシナ頭領に派遣準備をさせておりますが、あそこはすでに冒険都市の方へ緊急動員令がかけられておりますので、生産ラインの維持に必要な人員しかいないという報告を受けております」

「…………うん。アインズ様には、もう、私が許可を取った。今月の“刀”は、少なくてもいいって」

 

 実際には。

 シズの相談を受けたのはナザリック地下大墳墓で堕天使たちを監視する任についているアルベドであり、彼女には“大宰相”並びに“最王妃”として、それなりの裁量・采配の権が、主人にして夫であるアインズから大いに許されていた。武器の生産ラインのひとつが滞ったところで、大勢に影響などありえない。

 アインズは今、飛竜騎兵の領地に留まり、100年後に現れたプレイヤーと共に、そこに出没した不穏分子の捜索と滅却を行っている。

 かの地で黒い飛竜(ワイバーン)を錬成し、反旗を翻そうとしていた愚物(バカ)は、デミウルゴスによって回収・検体保存処置済みだが、領地の奇岩内に何かしらの悪影響が残っていないか調べる(さらなる検体が残っていれば再回収してしまう)のは、当然の事後処理・つとめであった。

 三等臣民ばかりの領地であろうとも、彼等もまた、尊きアインズ・ウール・ゴウンのシモベの末席に加わる存在──そんな存在にまで心を砕き、慈悲をもたらす主人の優しさを、シズは100年前より以前から知っている。

 

「…………採掘できた新鉱石の加工実験。うまくいくと、いい」

「うまくいくはずです。あの一派の鍛冶師たちは、この地域では指折りとの情報があります。偉大なるナザリックの方々にはまるで及びはしないでしょうが」

 

 ナザリックから火蜥蜴(サラマンダー)の鍛冶師や鑑定士などを急派させる方が確実ではあろうが、それではせっかくの現地人たちの有用性を殺してしまう。彼等はアインズの役に立つべく、研鑽と改良を加え続けられた存在たち。それを有効的に使わないことは、アインズの意図や意思を無視することにも繋がりかねない。

 そのためにも、同じ“八雲”の鍛冶師たちを、ここへ──新鉱床へ派遣させる方が、よい。

 シズがひとり納得の首肯を数ミリだけ顎を動かして示したのと同時に、副官が腰で震えるミニ・ゴーレムの端末を取り出した。

 

「はい、こちら本部──はい。──はい、解りました。協力に感謝いたします。それでは」

「…………なに?」

「クシナ頭領より〈伝言(メッセージ)〉が。鍛冶師の派遣は、ご要望通り行えると」

 

 すべては順調。

 いかなる問題もない。

 シズは、そう、思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回「衝突」


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衝突 -1

◆日産 中位&下位アンデッド、100年の歩み

          1     2     3     4
日産 年      アインズ パンドラ 御嫡子   姫    ?
12体×365日   =4380
  ×100years =438000  876000  1314000 1752000 ?
20体×365日   =7300
  ×100years =730000  1460000 2190000 2920000 ?

単純計算。
実際はいろいろとあって少ないはずだけど、それでもやべぇ数だこれ。



/Flower Golem, Angel of Death …vol.09

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 翌日。調査開始から、二日目。

 生産都市・アベリオン。暁を望む、集合住宅屋上にて。

 

『えと、イズラさん、ナタくん……お、お時間は大丈夫、でしょうか?』

「問題ありませんよ、マアト」

『こちらもです、マアト!! どうぞ気を楽に!!』

 

 気弱な天使(マアト)の〈全体伝言(マス・メッセージ)〉で繋がりを得た三者は、現地の人物──冒険者らしい──と何やら重要な話をしているという冒険都市に派遣されたラファを除く調査隊同士で、相互に話をすることを可能にしていた。

 

「そちらはどうですか、ナタ? 南方の調査、順調でしょうか?」

『問題ありませぬ、イズラ!! 現地の人たちの協力もあって、良い情報が収集できております!!』

「それは素晴らしい。ですが……あまり、深く関わってはなりませんよ? 言っては何ですが、彼等は──」

『場合によっては!! 我々、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の“敵”となるやもしれぬ存在!! よく心得ておりますよ、イズラ!!』

 

 主人からの命によって、彼等魔導国の存在に対する殺傷や攻撃は、今は禁じられている──今は。

 イズラはナタの調査を滞らせるかもしれない事象……現地人に対しての過度な介入や干渉……深入りしてしまう可能性を警告するが、花の動像の明朗な声音を聞けば、さすがに杞憂だと解る。

 ナタは「とある妖巨人(トロール)と人間の少女がおもしろ不可思議な関係にある」とか、「クシナという一等臣民の女主人が、魔導国の精鋭部隊に協力している」などの他にも、様々なことを調べ尽くしてくれている。何より、イズラは暗殺者としての警戒や心得から、現地人の内実や心情……交流を深めることでのみ得られる『臣民個人の魔導国に対する印象』『魔導国の政治体制や法制度の履行具合』などを、彼等に直接聞き出し質問する機会には恵まれていない。明るく快活な少年兵・ナタであるからこそ、イズラのような潜入に特化した能力の持ち主よりも、場合によっては有用極まる情報を獲得する術を構築できているわけだ。

 やはり、自分たちの主人の、カワウソの采配は見事だと評するしかない。

 イズラだけでは数日どころか数週間は必要になるだろう魔導国臣民の情報構築に、ナタはほんの二日足らずの日数でやり遂げてくれている。暗殺者(アサシン)盗賊(ローグ)ではない“純粋な戦士”だからこそ至れた成果だ。

 その事実を、悔しく思う部分がないと言えばウソになるが、それでも、同胞同輩のNPCが任務に成功すること……手柄をあげることを、死の天使はカワウソへの忠節と信義によって大いに歓迎することができた。嫉妬という感情に身を焦がすほど、イズラは情熱的とは言い難い性格でもある。どんなに羨ましいと思ったところで、自分の能力を超えられるわけもなし。ナタはナタであり、自分は自分だ。彼に出来ないところで、イズラはカワウソへの忠勤に励むのみである。

 これらの情報は、必ずや、カワウソの利に繋がるもの。

 ただそれだけが真実であり、何よりも代えがたい、我々全員の存在理由となる。

 そう思えば、自分自身の功名や、結果を求め焦慮(しょうりょ)する必要など何処にもないではないか。

 

「それでは、長らく謎であった、都市や街道など大陸内に存在するアンデッドのことについてですが」

 

 定期連絡によって、ナタとイズラは各々の調査状況を把握し、それぞれの情報確度を向上させていくことは重要だ。わけても、魔導国において難解極まる疑問のひとつを、二人はこの数日で入手することがかなっていたのも大きい。

 

「街などに駐屯・常在しているアンデッドたちは、すべてアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下や、その子息である王太子殿下などによって作成(つく)られているとか」

『アンデッドを作成する特殊技術(スキル)でしょうか?! それとも、そういう異世界独自の魔法という線が!?』

 

 最上位アンデッド・死の支配者(オーバーロード)の種族スキルに、上位アンデッド創造/1日4体や中位アンデッド創造/1日12体などがある。上級の天使──天使の澱で言えば、熾天使であるミカや、智天使のガブ──が、同族を作成召喚するのと同じ特殊技術(スキル)なのだが、どういう原理でなのか、この異世界のアンデッドモンスター……アインズ・ウール・ゴウン魔導王と、その継嗣である“王子”や“姫”などが創り上げるそれは、通常のユグドラシルの召喚時間を超えて、存在し続けている。

 街を行き交う死の騎士は半日以上も広場の監視を行い、農業用スケルトンは作業休憩の時間中、小鳥や子供に乗られ戯れられても微動だにしない。いずれも、イズラなどが実際に観察確認した限り、通常の作成スキルや召喚魔法の効果発動時間を大幅に超えて、世界に存在し続けていた。いかに相手があのアインズ・ウール・ゴウンを代表する死の支配者(オーバーロード)の姿をした存在であろうとも、彼が死霊系魔法に特化したユグドラシルプレイヤーと似た……または完全同一の存在であるプレイヤー・モモンガ……なのだとしても、ユグドラシルの法則からは完全に外れた事象だと、言わざるを得ない。

 

 これは、「異世界ならではの特別な手順や手法を踏むことで、召喚モンスターの存在を世界へと固着させている可能性」を、彼等の隊長である女熾天使・ミカが仮定してはいたが、ナタやイズラたちには見当もつかない。少なくとも拠点NPCが行える程度の作成召喚で生み出された天使たちは、時間通りに消滅することは実証済み。──異世界の土地が影響しているのかと思って、大地に降り立たせて置いてもダメ。異世界のアイテムや装備品が定着の原因かと思って、武具店で売られている短剣や指輪・ポーションをイズラたちが買って拠点へと送り持たせてみてもダメ。現状で試せるだけの手は打ったはずだが、結果はまったく芳しくないものであった。

 

 ……まさか、この異世界に発生する“死体”が、『異世界の住人が死ぬ』ことによって“アンデッド化”した結果が、アインズ・ウール・ゴウンらの生み出すモンスターに永続性を保有させているなど、彼等天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は知りようがなかったのだ。

 

 イズラはとりあえず、ナタの声に頭を振った。

 

「さぁ。判りかねます。ナザリック地下大墳墓内で無限に湧き出るという話も伺っておりますが、我々の拠点と同一の術理(POP)だとすれば、あの拠点でもユグドラシル金貨の消耗は必至のはず。ユグドラシル金貨が存在しない世界では、そのように湯水のごとく消費するのはありえないはずですが……いずれにせよ。総数にして数十万から百万単位のアンデッドが、軍勢規模の常備軍が、この国には存在していることは確実ですね」

 

 百万の軍勢(アンデッド)

 1000の1000倍という暴力的な数。

 

 それを雑兵の集合と見做すのは、あまりにも危険すぎる規模に相違ない。

 自分たちの知り得ぬ力によって生み出され、地上を闊歩(かっぽ)するアンデッドたち──あるいは、アインズ・ウール・ゴウン魔導王という存在の強化を加えられた“死の軍団”は、自分たちの拠点にはありえない軍団の規模だ。

 確かに、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の拠点であるヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)には天使モンスターを召喚(POP)するギミックがそこここに設営されており、侵入者たちの行く先を(ことごと)く塞ぐ役目を果たす──が、これの使用にはユグドラシル金貨=ギルドの運用財源を消費することになるため、無闇にPOPさせ続けたら財政が破綻してしまう。無い袖は誰も振れるはずがない。天使の澱では百万体どころか、一度に千体を召喚しただけでかなり危うくなるやも。

 

 にも関わらず、敵はその千倍の軍を派兵可能やも知れないという、事実。

 

 仮に──

 もし仮にだが、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)籠城(ろうじょう)戦を展開し、その百万の軍勢に挑みかかられた時点で、天使の澱は確実に蹂躙されるだろう。属性の相性やモンスターの能力差や性能比ではなく、圧倒的な“数の暴力”に、彼等はなす(すべ)が、ない。

 どうにかして1000体の天使を揃えても、単純な戦力差は1対1000とあっては、子どもでも無理があると理解できる──理解しなければならない。

 

 いかにナタやイズラたちLv.100のNPC──防衛隊の核たる十二体を投入しても、(だい)なる消費と摩耗に抗しきれるとは思えない。アンデッドにも様々な種類がある上、天使の澱のLv.100NPC全員が純粋な戦闘巧者とは言い難い。与えられている装備も、最上のものではミカのみが保有することを許された“神器級(ゴッズ)”アイテム(純粋な熾天使専用の装備で、カワウソが上位ギルド解散時に払い下げられた物の余り)もあるが、他の者たちは伝説級(レジェンド)以下の装備がほとんどを占める。濁流のごとく攻めたて、大海のごとく押し寄せる軍勢に、体力と魔力、スキルの使用回数を削ぎ落されることは確定的だ。そうやって疲弊し尽くしたところで、魔導国の精鋭──高レベルに位置する上位アンデッドの集団や、現地勢力の精鋭部隊、そして各階層守護者などとの戦闘に入れば、結果は火を見るよりも明らかとなる。

 ──天使の澱は、負ける。

 そこまでを確信し認識しながらも、彼等NPCは、自分たちの務めを悲観することは、ない。

 

「カワウソ様の御役に立てさえすれば、それだけで良い我等“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”」

『死を恐れる必要などない!! 我等の敵は死の支配者を首魁とするギルド!! そして!!』

『ナ……ナザリック地下大墳墓、だ、第八階層の、えと、あれら(・・・)さん? あと』

「あの謎の少女」

 

 第八階層攻略のためだけに作り上げ『かくあれ』と定められた尖兵たる彼等にとって、それは己の設定──存在理由を完遂できる可能性があることを意味する。

 これを喜ばないものはいない。

 彼等は、拠点の中に籠ることが宿命とされた拠点防衛用NPC──カワウソに外へ連れ出されることはあり得なかったが、その身に刻まれ設けられた“定め”に従う機会を、ずっと待ち侘びていた存在。

 己が本懐を遂げるその時を夢見ながら、彼等は調査行程の確認を終える。

 

「では、皆さん。今日もつつがなく」

『ええ!! どうか!! 全員の武運長久を!!』

『ふ、二人共、が、がんばって……ください。お、応援して、ます!』

 

 そして、三者の声を結ぶ魔法の繋がりが断たれた。

 ナタは南方の領域で鍛冶師一派の世話になりつつ、魔導国の武器生産ラインや鉱床地帯の解析を。

 マアトは飛竜騎兵の領地で厄介になり続けるカワウソや、冒険都市のラファの援護を。

 最後に、

 イズラは生産都市の地下にある巨大農場──今日からはさらに深層部への、潜入を。

 

「第三階層(エリア)・畜産加工地帯。第四階層(エリア)・魚介類養殖地帯……」

 

 観光案内の断面図の中心を指で撫でた。

 狙うは、この、二階層分の魔導国が誇る地下生産機関。

 第二階層の農作農耕地帯のような、魔法による気候管理と牧畜らの放牧場や加工場が立ち並ぶ畜産業に特化された第三。さらに、それらとはまた毛色の違った──地下世界に海や川を再現する巨大水槽や人工河川が造営され張り巡らされ、そこに様々な魚介類が徹底的な管理体制の下で養殖されているという第四。

 

「この第五……都市管理魔法発生地帯については……明日になるでしょうか?」

 

 昨日の調査で第一と第二が精一杯だったのだ。今日も同じペースになると考慮すれば、自然とそういう流れになるか。

 この生産都市に生きる人々に、等しく魔法の恩恵を宿すための最深部。

 魔導国における“都市管理魔法”というものを検分することは、必ず、自分の主人にとって望ましい結果へと繋がるはず。

 そう、死の天使は確信していた。

 

 

 

 

 

 飛竜騎兵の領地にて、死した長老の葬儀が行われる、一日前のこと。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 同じく生産都市・アベリオン。

 アインズが居住するに値する王城の館。そこでの滞在を任務期間中に許されている戦闘メイド(プレアデス)の一人が、与えられた使用人室──といっても、内装は現地基準だと破格の贅を凝らされており、ほとんど主賓室のような佇まいだ。森妖精(エルフ)の木工職人が彫刻せし女神像や、山小人(ドワーフ)の魔法技師がくみ上げたカラクリ時計などは、それ一つだけで都市集合住宅の家賃相場三、四ヶ月分の値はするという。いずれも、ナザリックのそれに比べればそこまでの出来ではなかったが、アインズ・ウール・ゴウンを信奉する臣民の手による芸術を(いたずら)に破壊するほど、その部屋を与えられたメイドは愚かではない──にて、とある作業に没頭していた。

 仄暗い水底にも似た、光を一切逃すことなく吸い込む瞳を不機嫌に歪め、鉄色のピンポン玉に込められた機能を停止する。

 

「これもダメね……」

 

 ソリュシャン・イプシロンは、創造主より与えられた白黒の衣服に豊満な女体を秘めたまま、与えられた休息時間の間に、とある映像記録の精査を続けていた。

 何個目かの記録魔法発生装置を精査済みの箱に収めつつ、未精査分の装置を〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉発生用アイテムに接続。記録された内容を、大画面高画質高音質で再生させる作業を繰り返した。

 

「F地区は、すべて、異常なし、と」

 

 テーブルに置かれた紙──この都市の詳細な区画表記を施された地図にチェックを入れる。

 次は、隣のG区画。都市映像記録用の監視ゴーレムの数は、14である。

 生産都市は、アインズの英語表記……Ainz……即ちA地区が都市中心に位置しており、そこから順番に政府公舎や官公総舎のあるB地区やC地区という具合に、街をグルグルと回るような形で区画区分が施行されている。

 

 ソリュシャンは、まずありえないことだとわかってはいるが「用心に越したことはない」と、自分たちの主人が住まう王城の建立された絶対中心区であるA地区……王城内だけでも三桁もある監視装置類の類をすべてチェックするべく、王城内に詰める上位アンデッドが一体、集眼の屍(アイボール・コープス)の助力を得て、その複数の濁った眼による強力な探知看破能力を駆使してもらった。彼の能力は驚くことに、ナザリックでも最上級に位置づけられる第六階層守護者──そして、現在は魔導国・六大君主が一柱“大総監”という役職を拝領し、“陽王妃”の位をもって、アインズの妃の座を射止めた闇妖精の少女──アウラ・ベラ・フィオーラの能力を上回る「探知」と「看破」に特化した存在で、ソリュシャンの駆使するそれよりも数段上の階梯に位置する御方(アインズ)直製のシモベである。

 彼であればきっと、あの“謎の影”の正体を掴むことも容易(たやす)いはずと思考されて当然であった。

 また、最悪の想定ではあるが、この王城内に潜入する不遜な輩……あの“影”がいたとするならば、彼の複数個の眼球が、すべてを見透かし、すべてを看破してくれると、大いに期待してよかった。

 

 ちなみに。

 彼、集眼の屍(アイボール・コープス)のような上位アンデッドは、現地のとある稀少貴重な“触媒”によって、アインズ・ウール・ゴウン御方の手から創られた、他の中位や下位と同じ“永続性”を保持している。彼の他にも、蒼褪めた騎兵(ペイルライダー)永遠の死(エターナル・デス)具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)や、アインズと同系統のアンデッド──図書館のそれとは別個に作られた死の支配者(オーバーロード)四種類が、それなりの数だけ、生産されるようになった。

 だが、彼等の触媒となる異世界の、つまり現地の因子というのは真に貴重であり稀少で、量産というほどの数は揃っておらず、せいぜい大陸に散る各都市(領地や地方は含まない)に一体~三体程度が駐屯している程度。勿論、ナザリックを擁する栄誉を賜った絶対防衛城塞都市・エモットには、唯一“二桁”単位の上位アンデッドが部隊を組んで存在し、ナザリック地下大墳墓への侵入潜入の手管を封じる任務に就いており、場合によっては他の都市などへの派遣任務にも従事している。

 

 ──だが、王城内に残された映像記録を精査した上位アンデッド・集眼の屍(アイボール・コープス)は、ソリュシャンが掴み取った「通りを行き交う“影”」の姿を城内の映像から発見することは叶わず、他にもいかなる異常現象を確認することはなかった。

「王城内は、至って平穏無事」という結論をいただいたソリュシャンは、疑念が尽きなかった。

 あの“謎の影”は、何なのか。

 自分よりも弱い……だが、現地の臣民レベルで言えば圧倒的に強者と言える影の悪魔(シャドウデーモン)たちが、誰一人として認知し得なかった“影”の存在。まるで粘体(スライム)の喉に、溶かそうにも溶けてくれない豪金の如き小骨が引っかかるような、大いなる猜疑と不審を覚えてならなかった。

 あれは、気のせいや勘違いの類では、絶対にない。

 そう確信しているソリュシャンは、例の映像を──あの“謎の影”と、談笑する少年の映像を供与し、その看破能力で見透かしてもらおうと協力を仰いだ。

 

 だが、集眼の屍(アイボール・コープス)は影を、その正体を見透かすことは、できなかった。

 

 正確には、ソリュシャンと同じように、「存在は認知できるのだが、詳しい形状が見て取れない」という状態だった。そこに何かの影があることは理解できる──だが、その影の正体は掴みようがなかった。ソリュシャンに比べれば幾らかは鮮明になってはいたが、それでも「外套(コート)の裾の端っこ」ぐらいの範囲しか確認できず。影と共にいく少年の姿も、ソリュシャンと同様にかなり朧げな蜃気楼じみたものとしか識別できなかった。

 無論これは、あまりにも異様な事態と言えた。

 上位アンデッドでも見透かせない“影”となれば、それはもはや、ナザリックが誇る各階層守護者──Lv.100NPCと同格……または“それ以上”……と見做すより他にない。二日前から続く懸念が、どうしてもソリュシャンの意識を、まるで粘体の中身を攪拌されていくような……イヤな予感や疑念で覆い尽くしてしまうのに十分な脅威と感じられてならなかった。

 

 100年の“揺り戻し”とやらによって出現したのは、あの天使ギルドだけではないのか?

 他にも、ナザリックが認知していないユグドラシルの存在(プレイヤー)が?

 あのギルドの未知なる伏兵という可能性は?

 あるいは、また別の──?

 

 ことここに至って、謎の影の正体を掴むことは、ソリュシャンの任務の合間の休憩時間に行う規模のそれではなくなっていた。

 魔導国“大参謀”──デミウルゴスが特別に掌握を許されている現地の血統を含む“私設部隊”の手まで借りて、十分な捜査と探査が開始されてこそいるが、やはりこの案件は未だ、アインズの耳には届けられていない。これは、ナザリックの忠実なシモベ、デミウルゴスの暴走ということでは決してない。

 何しろ、アインズは現在、100年後の魔導国に出現した天使ギルドの首魁──カワウソという名の堕天使プレイヤーと協力して、かの地にて造反劇の事後処理に終始しておられる真っ最中。処理はつつがなく進行し、明日には犠牲となった老兵の葬儀に、共に参列するとのこと。つまり、御方は飛竜騎兵の領地に居留したまま──あの堕天使の傍に留まっていることになっている。

 件の堕天使を、魔導国やナザリックの支配下に組み込むという計略のためにも、アインズは全身全霊をもって、事に集中されている状態だ。そんな状況で、さらに未知なる強者が出現した「かもしれない」という『あまりに程度の低い可能性』まで上位者たるアインズに、──“重大な作戦に身を投じている現状”で奏上してしまうのは、御方のためになるはずがない。もっと、確たる情報を掴まねば。確実な状況や証拠をもって、アインズへと供する判断材料を収集せねば。然る後に、対処方法を整えるべきだと思考されるのは、当然の帰結とすら言える。せめて、あと一日~二日は、可能な限り調査を続行し、そうして確定した情報だけを報告することが肝要だと思考された。

 あるいは、あの影はもはやすでに、この生産都市を離れており、ソリュシャンたちの懸念と探査作業は、ただの無駄骨になるかもしれない。

 この映像確認作業は、ソリュシャンの業務ということではない。アインズより賜った恩賜“休憩時間”をいただかないというわけにもいかないため、ほんのついでの片手間程度で、市街の記録映像に目を通している「だけ」という体裁を保っている。彼女に与えられた任務は別にあり、その解決に尽力することこそが、ソリュシャン・イプシロンの今現在における最優先事項なのだから、これは必然と言える措置ですらある。

 先日、飛竜騎兵の領地にて、実に興味深い“検体”を得て、その実験と検証──『若返り』の研究という、今後のナザリックにおいて絶対必須の案件に忙しいデミウルゴスは、自分の私設部隊とソリュシャンへの追加護衛モンスターを生産都市に向かわせ、ソリュシャンが見かけた“影”とやらの存在を探り、彼の実験に利用できそうであれば極秘裏に確保し、己の計画──アインズの計画とは別口のもの──に利用しようとしている。

 ……が、結果はまったくもって芳しくはない。

 そうでなければ、別の特務を受領しているソリュシャンが、こうして休憩がてらに映像の確認を──あるいは何か、新たな情報をどこかに感知できないかどうか確認する作業に没入してしまうはずもない。デミウルゴスの私設部隊は、現地の血統を有しながらも、優秀だ。何しろ“親が親”なのだから当然ともいえるが。

 

 

 

 無論、ここまでソリュシャンたちが気を揉んでたまらない“影”というのが、暗殺者(アサシン)Lv.15や暗殺者の達人(マスターアサシン)Lv.10などの隠密職に長けたNPC──アインズ・ウール・ゴウンの“敵”として存在するギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の防衛部隊所属──イズラという名の死の天使であることは、もはや言うまでもない。

 都市調査一日目にして、都市全域の監視装置の類の位置や性質を理解し尽くした隠密職の彼は、もはや完全にそれらの監視の目の影響下から脱していた。どこに監視ゴーレムが設置されているのか、それらの死角の有無なども、完全に把握済み。隠密スキルと魔法を併用することで、隠密能力に特化したLv.100NPCの天使は、初日の段階ではナタの存在を朧にぼかす“集団潜伏”に力を傾注させていたが、彼と別れ、本気で自分一人を隠すべく力を集中できる今、彼を捕らえることができる存在はごくわずかしかありえない状態になり果てている。

 

 

 ……それこそ、魔法の監視越しではなく、然るべき存在が、(イズラ)という天使と、“直接”接触する機会でもない限りは。

 

 

 

 ソリュシャンは眼球に似せられた粘体の顔パーツを、黄金の前髪に飾られた少女の瞼を押さえる。

 泣いているわけではない。疲労を覚えたというわけでもない。が、自分の能力が及ばぬ力をひしひしと感じさせられる事態というのが、たまらなく「応えて」しまうのだ。上位アンデッドにすら看破不能な存在が近くにいるやもしれないという状況で、戦闘メイドの自分が、何の力も及ばぬというのは理解できても、「役立たず」という不名誉に耽溺することは、ナザリックに仕えるシモベとして、アインズを護る戦闘メイドとして、彼女の矜持や信義が、許せない。

 ……あの不吉な“影”が都市に姿を現してから、この都ではそこまで大きな混乱や事件など起こっていない。

 せいぜい、101都市タクシーの──101匹ハムスケの子孫が、その当日に「混乱」の状態異常薬を嗅がされ暴走したことくらいだが、すでに下手人は逮捕拘束されている。

 都市交通タクシーの騎乗獣を暴走させた連中は、近くで辻決闘の興行をしていた戦妖巨人(ウォートロール)の修行者に敗れた都市内の亜人共数名。少しは腕に自信のある彼等の言い分としては「自分たちがあっさりと負けた妖巨人との決闘に、あんな人間の子どもが簡単に勝てたのが納得いかなかった」「きっと何か反則を働いたに違いないと思って、むしゃくしゃしてやった」「あの子供に、寝こけていたタクシーをけしかけてやろうとしたら、思いのほか大事になっちまった」「あの蒼い髪の奴が勝ち得た賞金を、混乱に乗じてブン盗っちまうとか考えてません」などと供述しているらしい。

 幸い、被害の方は露店が数個ほど損傷し、台無しになった商品の額と合わせても、被害額は数万ゴウンに収められる勘定だった為、『半年の社会福祉労働』および『被害店舗への弁償』で事は済むことになった。寛恕が過ぎる気がしなくもないソリュシャンだが、それが魔導国の法であり、アインズ・ウール・ゴウンその人の定めた罰の執行である以上、否とは言えなかった。何とも慈悲深い御方。

 メイドはソファに深く身を預け、大きく弾む胸を突き出し、手足を伸ばして背筋を反らす。

 室内の時計を横目に確認。そろそろ休息時間も終わりの頃だ。

 

 ソリュシャンは休憩の最後──あの影法師と少年が映り込む都市の件の映像を画面に投影させる。

 疑問は尽きることはない。

 こいつらは、──何者だ?

 

『イプシロン様』

 

 扉をノックする護衛を務める影の悪魔の声だ。「どうぞ」と促せば、扉は開くことなく、その隙間から影が音もなく室内へと滑り込む。ソリュシャンは映像を投影するアイテムを停止させて、地図と共に片づける。

 

『不法奴隷売買の元締……主犯格が、本日より“地下”に潜る準備に入ったとの報告が』

「ええ。わかりました」

 

 ソリュシャンは立ち上がり、机の上にあった記録装置の類を詰め込んだ箱を、従者のごとき影の悪魔に預ける。

 扉の方へ向かう悪魔の背中を見送りつつ、粘体(スライム)種である不定形の粘液(ショゴス)始まりの混沌(ウボ・サスラ)であるメイドは、冷たく潤む表情を柔らかく歪め、ほくそ笑んでしまう。

 昨日捕らえた罪深き共犯者共を泳がし、悪魔の監視の下で協力させ、此度の一件に関わる郎党を一網打尽にする目途(めど)は付いた。

 これで、ソリュシャンの特務は、明日(あす)明後日(あさって)には達成されるはず。

 

「待っていてくださいね……三吉様」

 

 思わず小声を紡ぎ、表情を物理的に(とろ)けさせ、ほのかに上気した顔色で、彼を想う。

 特務の後は、当然のごとくナザリックへと戻り、スパリゾートで三助として日々の務めを果たす同族の彼──愛する(パートナー)と共に休日を愉しみ、そこへ新たに加わった娘と共に、一家そろって湯浴みに興じる約束を結んでいる。

 この異世界に転移してより100年。

 ソリュシャンは新たな家族を賜っていた。

 新たに設営された御方の“親衛隊”の一員、セバスとツアレの一人娘を隊長と仰ぐ“新星・戦闘メイド(プレイアデス)”の一人として抜擢された、翠玉(エメラルドグリーン)粘体(スライム)(ソリュシャン)と彼の色が溶けあい混ざり合う、小さくてかわいい、自慢の愛娘(まなむすめ)の“中身”をくすぐり戯れてやった時の笑顔と笑声を心地よく脳裏に思い描きつつ、ソリュシャンは冷厳に表情を整え、己の任務に従事する。

 (シズ)も、与えられた南方での特務に専念している。

 姉である自分が、だらしないところを見せるわけにはいかない。

 振り返り、扉をドアマンのごとく開放して待機する影の悪魔へ──命じる。

 

「決行は明日です。それまでに、あなたたちは後詰の準備を」

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 その日。

 イズラは、地下農場施設に初潜入を果たした時と同じ手法を使って、続く第三と第四のエリア──畜産加工地帯と魚介類養殖地帯──の調査を終えた。

 どちらも興味深い生産機構が生きており、そこで働く人々の姿も穏やかであった。

 農耕地の下の階層には、地下なのに陽の光に照らされ風が吹き抜ける牧草地がなだらかな平原や丘陵が先の見通せないほど広く造営されており、そこで牛や馬、豚に鶏、羊や山羊など(に似ている)複数種の家畜が、自由奔放に草を()み、畜舎の中で人や亜人の手によって世話を焼かれていた。

 さらにその下の階層には、あまりにも巨大で重厚な水槽が建物のごとく区画整理された街並みのごとく整然と佇立、摩天楼(まてんろう)のごとく(そび)え、その青い世界(アクアリウム)の中を、種々様々、数え切れぬほど大量の小魚や大魚がそれぞれ群れを成しながら共存……一個の弱肉強食の法に基づく自然の摂理を作り上げて生きている。

 ここまでの調査で、地下空間にもアンデッドたちによる労働力が、影に日向に活躍していることが確認されている。

 

 倉庫整理に従事するアンデッド。

 耕作機械のごとく働くアンデッド。

 飼料や堆肥を積み上げるアンデッド。

 水槽内を酸素ボンベなしで清掃していくアンデッド。

 

「すさまじい……ものですね」

 

 イズラは感嘆を禁じ得ない。

 敵ながら天晴(あっぱれ)としか言いようがないというべきだ。

 疲労せず、呼吸せず、飲食などの維持費用も無用なモンスターを、最大限有効活用できるように仕事が割り振られている。彼等に出来ない分野を補佐・監督するような形で、魔導国の臣民達が労働に励み、そんな彼等には難しい作業──長時間作業・重量物積載・不衛生環境・酸素不要による水中活動──を、アンデッドの骸骨(スケルトン)などが代行してしまうという、この調和(バランス)

 自分の妹・イスラが生命創造者(ライフメイカー)という職業(クラス)を与えられている関係上、兄たるイズラも生命を生み育む環境の整備がどれだけ複雑かつ難しい事業であるのかは心得ている。ギルド:天使の澱の、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)内の食料自給の要を担う“食材”を生み出す料理人(コック)でもあるイスラの役割に似た生産活動──それを、この魔導国は、100年前より構築し、大陸全土に住まう臣民の食卓を彩ってきたことが、この光景から、圧倒的に理解できた。

 さらに。

 この生産都市・アベリオンは、“第一”と号されている……。

 つまり、……“第二”“第三”“第四”といった、別の生産都市が存在していて当然の名称であることを考えれば。

 

「他の生産都市も。これと同じ規模か、あるいはそれ以上の?」

 

 だとすれば、それはまさしく大陸という地を治める、覇者の所業。

 いかにイズラたち天使の澱のNPCが、『ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの敵』と定められた存在であろうとも…………否、“敵”だからこそ、アインズ・ウール・ゴウンの成し遂げた事業の精巧と成功を、(あやま)つことなく評価し、賞賛することを(いと)わない。厭う理由がない。

 

「それでこそ」だ。

「それでこそ」なのだ。

 

 彼等天使の澱のNPCは、素晴らしい敵と()(まみ)えることができた事実を、──戦う相手が“敵”として素晴らしければ素晴らしいほどに、彼等へと戦いを挑める自分たちという「在り方」を、──そのように創り上げ生み出してくれた、唯一の創造主・カワウソへの恩義を新たにする。ひっきりなしに続く感動の鼓動が、胸に心地よい。敬虔な信徒のごとき微笑でひとり頷くイズラは、本気で自分たちの創造主への信仰と感謝に打ち震えてしまう。

 

 戦いこそが喜び。

 戦いの中で散ることが誉れ。

 

 それが、彼等──堕天使(カワウソ)(よど)みより生まれ落ちたギルド──天使の澱(エンジェル・グラウンズ)

 

「これだけ素晴らしい生産機関──施設であれば、見学ツアーが組まれるのも納得ですね」

 

 地下空間に構築された農場・牧野・水族館が如く青色に輝く世界の様は、魔法の昇降装置(エレベーター)……全天ガラス張りの箱で眺め見れば、どれだけの感動の声が紡がれ、感激に震える瞳が生まれるか、想像するに難くない。イズラはその箱の中に潜り込んでしまうのも容易であるが、彼の任務内容は、この都市の調査……遊興に耽溺する暇など、これっぽっちも存在していない。

 

 

 

 そして、翌日。

 

「ついに来ましたね」

 

 逸る気持ちを押さえ、日付が変わったのと同時に、地下への入り口に踏み込んだ。

 些か性急な気もするが、都市管理魔法という未知なるモノを調査する時間は多い方が良いはず。もともと、イズラは死の天使として「疲労」や「睡眠」とは無縁な存在であるため、無茶をしているつもりは一切ない。むしろ今までの進捗の方こそが遅すぎた気がするくらいだ。

 調査開始から、四日目になる今日──ナタと訪れたばかりの一日目は都市表層を、二日目は地下第一と第二を、三日目の昨日は第三と第四の調査を終え──生産都市地下の、最後の階層に、イズラは暗殺者の技法を駆使して潜入を果たす。非常階段の柱を取り巻くが如き螺旋構造、その終着地点に降り立つ。

 死の天使は〈伝言(メッセージ)〉を飛ばす。

 

「マアト。これから地下最深部に侵入します──ええ。カメラをひとつだけ。それで構いません」

 

 これで準備万端。

 イズラは非常口の施錠を開け放つべく盗賊(ローグ)職系統の工具を取り出す

 

 生産都市アベリオン・地下第五階層。

 ──都市管理魔法発生地帯。

 

 書籍などで説明されている限りは、都市内の街灯や水晶の画面を起動し、上下水道などを安定稼働させる、いわば都市機能の中枢だ。

 さすがに、都市機能全体を管理管轄する地帯であるためか、中々に頑強な鍵で施錠されていたが、イズラの技量と特殊技術(スキル)で問題なく侵入を果たせる。

 

「ふむ……見た感じは、第一の倉庫と同じ、ですか?」

 

 最後の階層にしては、少々狭い感じだ。

 天井は高くもなければ低くもない。普通の通用路として機能する程度のそこに足を踏み入れようとして、

 

「ん……ああ、よくある仕掛けですね」

 

 イズラは通路内に張り巡らされたセキュリティ──侵入者が踏み込むはずの床が、スイッチのごとく駆動する(床全体に触れた途端、警報やトラップが作動する)ことを鋭敏な感知能力で事前に察知し、迷うことなく翼を広げる。宙を滑るように〈飛行〉しつつ、音もなく通路を奥へと進む。空中にも不可視のセンサーライトが縦横無尽に張り巡らされていたが、それも器用にすり抜けて。

 普通の従業員通用路に到達すると、黒い翼をしまう。翼があっても特に問題なく潜入は出来るが、天使の翼は装備などとは違って肉体の一部と認識される……つまり、攻撃を加えられた際に体力が削がれるパーツとなるため、出来ることなら身体の表面積を小さくしておく方が望ましい。

 最深部は、それまでの階層とは違い、巨大な空間という印象は受けない。ただ、入り組んだ迷路のように広い十字路を通過しつつ、その長さには呆れてしまう。数百メートルは無機質な通路が続いた。やっと突き当りに到達し、顔にかけた翻訳眼鏡で金属の壁の案内板を解読。

 

「これですかね?」

 

 綺麗に印字された現地語で“←主動力室・予備連絡室→”を確認。

 矢印の示す通り、T字路の左へと突き進む。

 さすがにこの未明の時間でも、従業員の姿は──というか、巡回警備らしいアンデッドの姿は、それなりに多い。都市の地下第五階層の最深部に位置するだけはある。このエリアの重要度がよく解る警備レベルだ。

 死の天使は通路を突き進む。影のごとく無音に。一切の気配を遮断して。

 

「ここですね」

 

 鍵はかかっていた。

 何らかの魔法の解除コードが必要そうな扉だが、盗賊の達人(マスターローグ)をも取得するイズラには何の障壁にもなりえない。30秒もしないで無事に開錠してしまう。

 するりと扉の内側に滑り込み、なかなか大きい工場のような空間の広がりを見下ろす。

 

「これが、動力室──なるほど、これが」

 

 感心の吐息と共に、そこにあるものを正確に見て取っていく。

 神秘的とすら感じられる青白い輝きを放つ……極大のクリスタル。魔封じの水晶にも通じる規格であったが、イズラの知るクリスタルなどと比べると、あまりにも巨大だ。人の身の丈の二倍から三倍はある。しかも、それが量産製品のごとく列をなし、ざっと数えてみただけで二十数基が稼働していると判る。水晶の近くには、誰もいない。時折、魔法詠唱者らしい管理人が動作確認するかのごとく、手元の端末にチェックを入れて、あくび混じりに休憩室へと戻っていくだけ。その後は、室内は監視用ゴーレム以外、誰の目もなくなる。そして、ゴーレムでは隠形中の死の天使は観測し得ない。

 隠形中のイズラは、外套(コート)の懐から虫眼鏡を、調査を命じてくれた主人・カワウソから新たに配給されていた道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)のルーペを取り出し、巨大クリスタルの詳細を見てみる。

 この魔法はユグドラシルであれば製作者や保有する魔法の効果を判別することができるようになるもので、発動は一回のみではあるが、重要な情報をイズラに教えてくれた。

 

「製作者は、魔法都市カッツェ、魔導学園水晶学科・第一特級工房。効果は、……ふぅん?」

 

 ユグドラシルだと、魔封じの水晶などには既存の魔法──第十位階などの各種魔法をプレイヤーが込めることで、その水晶を使用……破壊した際に、事前に込めておいた魔法を発動するという仕様であった。言うなれば、戦闘前にあらかじめ魔法の発動準備を整えることで、魔法をショートカットで発動できるようにするというアイテムと言える。発動者本人の魔力が底を尽きていても、このアイテムに事前に込めた魔力によって、問題なく発動できる為、非常時の切り札として準備するプレイヤーは多かった。

 輝きの強度・光量によって、大体その水晶の容量限界──第一から第十位階のどの位階までを込められるかを知ることができる。容量が大きい水晶ほどレアな部類に位置する為、入手は困難な部類に入る魔封じの水晶にも似た、この地下動力室のクリスタルは、それとは似て非なる効能を保有していた。

 

「魔力の自動生成供給装置ではなく、魔力を貯蔵蓄蔵するための器ですか……なるほど」

 

 魔封じの水晶だと、あらかじめ決められた魔法──召喚だとか攻撃だとかの、使用意図がはっきりとした魔法を発動魔力ごと組み込むという仕様であったのに対し、この巨大クリスタルは、そういった方向性を一切与えることなく、無為無色なままの魔力を蓄え貯め込み、任意に取り出して他の魔法へと使用するためのアイテムであった。

 これは、ユグドラシルにはないアイテム、この異世界独自のアイテムであった。

 

「信仰系魔法詠唱者の扱う魔力譲渡にも似ていますが、それを行えるアイテムということ? ──否」

 

 それだけではない。

 このクリスタルは、今の時間帯こそ周囲に人影は皆無だが、就業時間内は都市の魔法詠唱者などが数十人単位で魔力を供給するべく、この広大な動力室内に集合。自分たちの役目である魔力の供給仕事に従事していく。

 ようするに、これは魔法・魔力の「充電池」のようなものだ。

 魔法詠唱者の“魔力”という電気を蔵し、都市管理魔法発生地帯というこの動力室に埋め込まれることで、都市機能を発揮する動力と化すのだ。

 

 これは、100年後の魔導国を訪れたイズラには与り知らぬことであったが、かつてスレイン法国の神殿などで、叡者の額冠を装備する“巫女姫”に対し、数十人の神官が一斉に魔力を供出することで行う“大儀式”にも似ている。

 ただし、この地下のクリスタルに対し、魔力を供出するのは神官に限られた話ではなく、普通の魔力系魔法詠唱者が、普通に魔法を発動しようと魔力を錬成したところで、その魔力を取り込み吸収していく仕様だ。無論、信仰系でも対応可能。

 大儀式だと、魔法発動の核となる巫女姫の心身共に多大な負荷がかけられてしまい、その命を削り取られる。過剰に蓄積された大量の魔力に精神と身体が悲鳴を上げるものなのだが、この都市動力用のクリスタルだと、それはない。「人的資源は有効的に活用する」というアインズの方針が、こんなところでも活きていた。

 アインズがかの国を滅ぼした後に、残された叡者の額冠および巫女姫の存在などの「ユグドラシルでは再現不可能なアイテム」を秘密裏に回収・保護・研究し、魔法都市などでそれに代わる有用な装置として、現在は安定的な創出と配給がなされるまでに至っている。

 

「これを持って帰る…………わけにはいかないですよね?」

 

 彼に似合わぬ冗談を呟くほど、このアイテム──ユグドラシルのそれとはまったく違う仕様のアイテムが存在しているというのは、かなり稀少に思われた。

 あるいは、これを我々天使の澱が利用することは出来ないだろうか。

 利用できればきっと、今後、アインズ・ウール・ゴウン魔導国との“有事”の際に、なかなか良い道具として利用できそうな気がする。

 だが、

 

「まぁ、この都市の人々の暮らしを支える装置。何か悪影響があっては、マスターに叱られてしまいそうですしね」

 

 カワウソの目指す事柄に、魔導国臣民は巻き込むべきではないという意識は、イズラたち全員が納得していること。

 無論、向こうから率先して邪魔してきたりされては、その限りではなくなるかもだが。

 

「──おや?」

 

 イズラは、奇妙な人影を視界の端に捕らえる。

 動力室を眺める、天井付近の壁伝いに存在する通用路にイズラは身を潜めているわけだが、この位置から見て取れる室内の一角に、やけに気になる箇所があった。

 より正確には、気になる集団が現れた。

 全員が、魔法詠唱者じみたローブで全身を覆い、その風貌を隠している。

 だが、イズラはこの生産都市地下で従事する魔法詠唱者はかなりの数を見てきた。確かに、彼等は魔法のローブを着込むことが多かったが、あんな目深にフードを被って……おまけに変身変装の魔法の仮面まで身に着ける者はいなかったはず。死の天使であるイズラの「目の良さ」だと、そういう偽装情報のアイテムは容易に看破できてしまうのだ。

 

「何者でしょうか? この施設の職員……にしては怪しすぎる気がしますし?」

 

 興味がないと言えば確実に嘘になる。

 少し後をつけてみよう。単純な興味本位であると同時に、この都市管理魔法発生地帯とやらの詳細な情報を握る特別な職員という可能性もなくはないはず。彼等の向かう先……動力室の一角にあるところから下へと続く階段の先に何があるのかも、調べておいて損はないだろう。

 イズラは謎の集団を追い、階段を無音のまま降りていく。

 この地下空間の広さと大きさ……そして深さは何度も体感してきていたが、まだ下があったとは驚きだ。

 降りていく内に、イズラは奇妙な齟齬(そご)を感じる。

 

「何か……雰囲気が?」

 

 変わった。

 眼に見えて変わってしまった。

 動力室をはじめ、管理地帯とやらは通用路などが金属の壁と床と天井に覆われて頑強だったのに、連中が降りていく先は、随分と粗末な岩壁にとってかわってしまっている。今現在、掘削工事中ということなのか? それにしては、随分と深く掘り進み続けている気がしなくもないが? 工事中の看板や注意書きなどはどこにも見当たらないのは何故だ?

 これまでの地下空間とは──国によって整備され建造された施設にしては、かなり雑な造りを見せつけてくる。

 イズラは奇妙な連中の背後に追随しつつ、彼等の息を潜めた声のやりとりを傾聴していく。

「連中、今回は上玉を連れてきましたよ」とか、「エルフが買えるといいんだがな」とか、「ウチの闘技場がもりあがりますね」とか、「人魚は入荷しておらんのか?」などと意味不明な文言が多い。ただ、理解できたのは、こいつらは何か秘密の──それこそ“法にもとる”ような──何かをやっている香りが立ち込めていたことだ。とりあえず、ここの職員とかではなさそうな気がしてきた。だが、とりあえず、ついていってみるしかない。

 やがて、暗い地下道を進み続けたローブの集団は、怪しいランプに照らされる血のように赤い、両開きの扉を潜り抜けていく。

 イズラもその扉の閉まる後に続いて、

 

「……なんだ、これ?」

 

 疑問符が頭上に浮かび上がった。

 そこに居並ぶのは、檻に入れられたモンスター、亜人、そして、人間の姿だ。

 モンスターが檻に入れられるのは判る。下手に解き放てば、ここにいる者の何人かは殺傷できそうな(ベア)(タイガー)剣牙狼(サーベルウルフ)やウィルオーウィスプなどは。他にも、獣顔の筋骨隆々な亜人や、薬でもキマっているように喚き吠えるゴブリンやオーガが、鎖に繋がれているのも。だが、見るからに無気力で無関心で──まるで幻術で意識を朦朧とされているような人間種の男や女や子供までいるのは何なのか──彼等が帯びる手枷足枷の意味が──理解できない。

 まさか、とは思うが。

 イズラの視線の先で、フードと仮面の男たちが、何やら交渉を始めてしまう。

「この森妖精(エルフ)は魔法の素質が」うんたら。

「このビーストマンは武技〈剛撃〉の使い手で」なんたら。

 ぶくぶくに弛んだ腹の男が同様に膨れた宝飾まみれの指先で人間の女の自失中な顔を持ちあげ、舐めるかのように“品定め”している。他の連中も、「これは闘技場で使えそうね」とか、角を生やした亜人が「この母子(おやこ)はいくらだ」とか、あれこれとこの空間の代表者らしい仮面の男に言っていた。

 ……。

 ひょっとして、これは。

 イズラが確たる解答を得た──瞬間、

 

「全員、動くな!」

 

 背後で扉が勢いよく開かれた。

 仮面たちが一斉に、そこに現れた金髪ロールヘアの少女とその背後に控えた黒い存在を傾注していく。

 少女は儀仗兵役の死の騎士(デス・ナイト)が魔導国国璽を掲げた旗の下、逮捕令状を全員に見せつけて通告する。

 

「この場にいる“全員”、奴隷法第一条「奴隷権の項」および第十二条「奴隷の不法売買禁止の項」に抵触違反した容疑で、逮捕拘束する」

 

 異論抗弁は受け付けないと、高らかに宣言した。

 瞬間、悲鳴と怒号が室内に満ちた。全員が我先にと逃げ出そうと、蜘蛛の子を散らしたように散開したが、すぐさま影の悪魔らによって、一人残らず羽交い絞めにされ床に打ち伏せられる。絶妙な力加減で拘束された人間と亜人の連中はすすり泣き、喚き散らし、こんな事態を引き起こしたすべてを呪うような怒気を吐き連ねたが、拘束者たち──影の悪魔(シャドウデーモン)たちは涼しい顔でそれらを受け流していく。

 そうして、拘束された内の一人──代表者として、ここへ顧客共を連れ込んだ男の仮面を、金髪の少女が目にも止まらぬ速さで割り落とした。

 仮面の内側にあった表情は、壮齢に差し掛かった、凡百と言って良い男の蒼褪(あおざ)めた様。

 少女はその男の正体を、正確に告げてみせる。

 

「アベリオン地下管理官長。貴様の罪は甚大。臣民等級の“永久剥奪”は免れないものと知りなさい」

「そんな! ち、違う! わ、私じゃあない! 私は、私は、な、何も知らない!」

 

 何の釈明にもなっていない馬鹿な戯言(ざれごと)を垂れ流す都市の管理官。

 あろうことか自分の上司たる人馬(セントール)の都市長に罪をなすりつけようと抗弁を続けるが、少女の無表情に「連れて行きなさい」と命じられた影の悪魔が『御意』と頷き、奴隷の不法売買者共を死の騎士と協力しつつ連行していく。あまりにも五月蠅い連中は、随伴していた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の魔法〈睡眠(スリープ)〉によって眠らされてしまう。

 迅速すぎる逮捕劇に、イズラはきょとんとするばかりだ。

 なるほど。魔導国の法の執行部隊が、彼女たち。

 それにしては、あの少女は”随分と奇妙でおかしな中身”をしているな──などと眺めていた死の天使は、少女の行動を(いぶか)しむ。

 影の悪魔たちも、今回の特務の責任者が微動だにしない事実に首を傾げていた。

 

『……イプシロン様?』

 

 しわがれた声に、応答はなかった。

 白黒の衣服に映える黄金の髪の少女は、部下である影の悪魔らとは逆方向へ振り返り、そして、

 

 

 

 

「そこにいるおまえは、誰だ?」

 

 

 

 

 

 死の天使と、完全に、視線を合わせていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 この室内に──奴隷を不法に売り買いする現場だと、先日捕らえた共犯者共を司法取引で取り込み情報を得ていたソリュシャンは、まさに売買が成立しようとしていた現場に踏み込み、現行犯逮捕も同然な完璧な形で、己に与えられた特務を──生産都市の官僚クラスが関与していると思しき奴隷の不法売買ルートの解明と掃滅を、成し遂げた。

 

 だが、その現場において、ありえないものが混入していた。

 

 あの影が──

 ソリュシャンが発見し、長らく不穏分子として探査を続けていた“謎の影”が、

 そこに、いた。

 

 

 ソリュシャンが、暗殺者の達人(マスターアサシン)たる死の天使を知覚できた、最大の理由。

 暗殺者の達人(マスターアサシン)は、同じ暗殺者の達人(マスターアサシン)(あざむ)けない。

 

 

 ナザリックが誇る戦闘メイド(プレアデス)が三女──溶解の檻──ソリュシャン・イプシロンは、創造主であるヘロヘロから、職業(クラス)レベルとして暗殺者(アサシン)Lv.2と暗殺者の達人(マスターアサシン)Lv.1を与えられていた。おまけに、ナザリックの第九階層を護る戦闘メイド(プレアデス)として、また、アインズ・ウール・ゴウンその人から信の厚い……仲間たちの残したNPC(こども)という関係上、彼女には有事の際に有用となるであろう、高位高性能なアイテムが様々に与えられてもいた。それらの中には、探知や看破に特化したアイテムもあったのだ。

 いかに彼我のレベル差に隔絶的な開きがあろうとも、同系統・同職の者だと、発揮される能力や技法、特殊技術(スキル)が似通う関係から、その存在が能力を行使すればするほど、逆にその存在に対する知覚力は増大する。戦士が同じ戦士のワザを学び適応するように。魔法詠唱者が発動された魔法への理解と対応に順応できるように。

 都市監視用のゴーレムに映り込んだ映像ではなく、直接対峙し“生の目で見た感覚”として、ソリュシャンは遂に、あの影の正体を正確に感知し、看破し、認識することが敵った。

 だが、それは同時に、ソリュシャン・イプシロンに残酷な現実を突きつけた。

 

「ああ、いや……まいりましたね?」

 

 影が、声を発した。

 正確に言えば、影は隠密職の力を(ほつ)れさせ、完全にその風貌を(あらわ)にする。メイドの護衛である影の悪魔たちが、現れた存在にどよめき立つが、無理もない。

 それは、ソリュシャンらが記憶していた限り、あの天使ギルドの一員、──転移初日の段階で、周辺地理の確認に赴いていた折に、存在そのものはスレイン平野を監視していたあれらのおかげで知悉されていた──拠点製作NPC、天使の一体に相違なかった。

 暗灰色の髪に、漆黒に染まる瞳。手袋やブーツ、外套(コート)の色まで暗黒の色に染まり果てているが、その頭上には金色に輝く、ピアノ線のごとく細く軽やかな“天使の輪”が浮かんでいる。

 ソリュシャンは、直感的に判断できた。

 これは、自分の手には余る強者である、と。

 

「申し訳ありませんが。私のことは見逃していただけると、助かるのですが?」

 

 それほどの存在が、嘘くさいほど優し気な提案を零してきた。

 

 シラを切り通せる状態ではなかったというのもそうだが、彼本人としては、何とか交渉にもっていくためにも、彼なりの誠意を見せつけることでこの場をとりなそうという意図があった。

 彼の任務内容は、極秘に行われるべきものであったが、ここで存在を隠匿しようと無理をすれば……たとえば、ソリュシャンの忠告を無視し、自分を知覚した存在をどうするわけもなく撤退を敢行するにしても、情報が少なすぎたし、何より彼本人の沽券(こけん)……プライドに関わる問題となっていた“以上”に、何よりも重要なことは──創造主に創られた自分の能力に伍するやも知れない存在をこのまま放置しても、今後の活動に支障が生じると思われてならなかったからだ。

 何だったら、ここにいる全員を“暗殺”してでも、自分との会敵をなかったことにする必要があるかもしれない。主人の命令内容「臣民への殺傷は厳禁」に背きそうなので、採択はしそうにないが。

 だが、それを実現させるには、やはり判断材料が恐ろしく足りていなかった。

 その材料を収集するためにも、イズラは苦手な「交渉事」に打って出ていた。

 あるいは、少女がすんなりとイズラのことを忘れて、帰りの道を供与してくれる可能性に賭けてみた。

 

 ただ、

 両者ともに交渉の余地など、どこにもなかったというのが、残酷なまでに現実であった。

 

「もう一度だけ聞く……おまえは、何者だ?」

 

 いつの間にか、どこからか取り出した暗殺者の短剣を油断なく構え、ソリュシャンは詰問の色を強める。

 この不法売買の巣窟にいることもそうだったが、輪をかけて面倒なのは、相手があの天使ギルドの一員らしいということ。

 さらに。ここ数日。ずっと、ずっとソリュシャンが気にかけ続けていた、謎の影。

 それが(くだん)の天使ギルドの一員だったと判断できても、疑問は残る。

 こいつらは何者か?

 こいつらの目的は?

 こいつは一体、ここで、この国で、この場所で、この犯罪の現場で、何を見て、何を聞いて、何をどう理解したのか?

 聞くべきことは山ほどある。

 確かめねばならないことは星の数を超える。

 ソリュシャンは、もう一度だけ、誤りなく(たず)ねてみる。

 

「おまえは──何者だ?」

 

 黒い天使は、薄く微笑み、黒い瞳を見開き、手袋の手を振って──拒絶する。

 

 

 

「それを、私が教えるとでも?」

 

 交渉は、決裂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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衝突 -2

/Flower Golem, Angel of Death …vol.10

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 南方士族領域。

 調査三日目、イズラやマアトとの朝方の定時連絡を終えたナタは、自分自身に設定されている通り、朝の鍛錬に励む──ことは少しばかり目立つことになると理解できるため、普段の内容よりもずっと抑えたメニューをこなす。

 日本家屋っぽい「道場」と称される鍛錬場は、よく磨かれ拭きあげられた板張りの床が眩しい。八雲一派の従業員や奴隷衆に解放されている施設のひとつで、睡眠が不要なナタは朝一番に雑魚寝広間からここへ赴き、誰もいない時間帯から、異様に長く重厚な、赤い金属に先端が黄金で縁どられた直径二十センチと全長二メートルにはなるだろう巨大な棒──杖を振り回している。しかも、ただの素振りではなく、見る者が見れば拳法の演舞のごとく整えられた動作ばかり。

 ひとつひとつの動きを確認するように緩急がつけられ、その都度ごとに激しく振り抜かれる鉄棒の重みは、巨体の亜人が持つのがやっとであること……振り回すなど到底不可能な代物であることが信じられないほど、少年の幼い掌に軽く使いこなされ、馴染んでいた。ゴオっと駆け抜ける鋼の重みが、鳥の歌のような澄んだ音色を響かせている。

 ふと、ナタは演武を切り上げてしまう。巨大杖を手早く元の大きさに直して、懐の内に仕舞う。そして何の変哲もない、道場備え付けの木刀にすり替えて、鍛錬を再開。

 そうした理由は、至極単純。

 道場の出入り口に、もはや慣れ親しんですらいた、現地の人々の気配を感じたのだ。

 

「相変わズ早ぇヨ、ナタ坊」

「おはよう、ナタ君」

「おはようございます!! ゴウ殿!! スサ殿!!」

 

 ナタは、道場での鍛錬に赴いた戦妖巨人(ウォートロール)と、黒髪赤瞳の少女に、快活な笑みを送った。

 二人は軽いウォーミングアップで市街一周を走り込んできた割には、まったく息があがっておらず、汗の量も涼やかなものだ。

 

「じゃあ、今日も」

「よロシく頼むワ、ナタ坊」

 

 巨大な拳を包み込めるほどのサイズを誇る真紅のパンチンググローブを嵌めるゴウ。

 さらに、腰の刀……ではなく、道場備え付けの彼女専用にチューンされた木刀の重みを、スサが素振り数回で確認する。

 

 この僅かな日数で二人から鍛錬という名の模擬戦を申し込まれることが多くなった──早朝に一回、昼休憩時に一回、夕飯と風呂前に一回程度のペースでこなしている──ナタは、その申し出を不快に思うことなく、同じ「力への探求に心血を注ぐ同志」と認め、大いに少年の……厳密には花の動像の胸を貸していた。

 ゴウは拳での格闘を、スサは木刀による剣闘を、それぞれが望んだ。

 無論、Lv.100という破格の力を創造主より与えられている少年兵は、彼等との手合わせには全力など出すことはなかった。ありえなかった。それ自体に苦痛を感じることもなければ、二人の挑戦──試みを鼻で笑うこともしない。強者の力の一端を理解しようとする亜人と少女の探求心を、大いに歓迎すらした。そして、手加減されている方も、気づいているのかいないのかは不明だが、少年との力量差を肌で、実戦形式に近い鍛錬で感じ取りながらも、その事実に絶望するようなことはなかった。むしろ、その力の一端でもいいから理解し、自分自身の(かて)にしようと食らいつく様はとても……とてもとても素晴らしい。ナタはそう感じる以外なかった。

 花の動像(フラワー・ゴーレム)・ナタは、『近接戦闘の申し子』──。

 二人が示す“武”への探求という心意気は、動像でしかない少年兵の懐く渇望に似ていた。

 いずれ()(まみ)える強者との戦闘──ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)・第一階層“迷宮(メイズ)”を守護する際に、そして何より、あのナザリック地下大墳墓・第八階層を守護するあれら(・・・)や真紅の少女と戦う時に、少しでも主人であるカワウソのお役に立ちたいという思いを、欲求を、衝動を、その細く小さな身体の内に秘め続けて久しい。

 そういう性格や人格・コンセプトデザインを、カワウソの手によって設定されたのだ。

 

「アア~、今日も負ケだ負けダ!」

「ハァ……二人がかりでも……駄目とか……どんな、修練……積んだの……ナタ君……ハァ」

 

 数刻後。

 少年との模擬戦で完全に敗れ去った……手傷どころか、一撃をかすらせることすら出来なかった紺袴の道着姿の二人は、息も絶え絶えに道場の床に寝転がり、だが、まったく敗北を感じさせない心地良さそうな面持ちで、自分たちを打ち負かした強者たる少年の健闘を讃える。

 ナタは実直な答礼を合掌の姿勢と共に受け取ってみせた。

 

「お二人共、(すじ)は大変よろしい!! このまま健やかに、鍛錬を続ければ、きっと、もっともっと、今よりも確実に強くなれるはずです!!」

 

 そう確信してみせるナタであるが、では実際に「どうやったら強くなれるのか」と質問されても、彼には答えようがない。ナタは生まれた瞬間から“花の動像(フラワー・ゴーレム)”という種族であり、“重装戦士(アーマードウォリヤー)”・“武器の達人(ウェポンマスター)”などの近接職業を与えられたNPC。それ故に、彼には鍛錬というものは不要なものである。──にも関わらず、少年が日頃から鍛錬を重ねるという作業を毎日のように繰り返す志向と嗜好は、創造主より与えられた設定……そう『かくあれ』と生み出されたからに他ならない。

 ただ鍛錬あるのみ。

 そう一辺倒に語るしかない。

 ナタはすっかり日も昇った空を見上げ、道場脇の給水場で顔を洗い水分を補給する。

 ゴウとスサも各々のサイズに合った洗面台に並んだ。汗を簡単に洗いぬぐい、朝の運動後の水分補給につとめる。

 ふと、隣にいた黒髪の少女が、ナタの艶めく髪色を手にとってしまう。

 

「ナタ君の髪の色って、不思議よね? 水の色の中に、何だか海のように深みがあるというか」

「海!! 海ですか?! スサ殿は海に行ったことが!?」

「ええ、あるわよ? 夏の慰安旅行で──ナタくんも一緒に行ってみる?」

 

 小さい頭を純白のフェイスタオルで拭ってくれる世話焼きのスサに対し、動像(ゴーレム)の少年は実直な疑問を投げる。

 

「単純な疑問なのですが!! その海はしょっぱいのでしょうか!?」

 

 塩分過多の水は、ナタの核となる植物・花に与えるには適さないことがほとんど。故の確認であった。

 

「しョっパい? 塩が入っテルってコトか?」

「いいえ? そんな海、私は聞いたことがないけど?」

 

 ナタは二人の応答を聞くと、満足げに笑みを咲かせた。

 

「ならば、大丈夫ですな!!」

 

 海なのにしょっぱくないというのは、ナタの保有する常識──ユグドラシル基準だとかなり珍妙な気がするが、異世界ならではの海だと思えば、いくらでも得心がいく。

 

「しかし!!」

 

 非常に残念なことに、二人と共に海とやらへ旅行に行くことは、ありえない。

 何故なら。

 

「実は今日!! 自分はお(いとま)を申し上げようと思いまして!!」

「エ?」

「え?」

 

 長らく世話になって申し訳ないと、心の底から感謝を紡ぐ。

 ゴウとスサは勿論のごとく怪訝し慰留(いりゅう)すらしてくれたが、ナタの決意は固かった。

 その理由は単純明快。

 

 彼等に迷惑をかけるわけにはいかないから。

 

 それに、あまりに長く関わり過ぎては、別れる際にいろいろと不便になる。

 彼等はアインズ・ウール・ゴウン魔導国の臣民達。自分たちのギルドにとっては、敵の構成因子の一部と言っても過言にはならない存在でしかないのだ。実際、すでにゴウとスサの二人をはじめ、八雲一派の何名かとはそれなりに懇意の間柄として扱っていただいている花の動像だ。今まさに、二人からそれとなく「もう少しくらい滞在していけばいい」と諭されはしたが、それではナタの納得がいかない。

 今朝、マアトの〈全体伝言(マス・メッセージ)〉を介して、イズラから受け取った指摘と懸念は、ナタにもよく理解できている。

 あまり深く関わってしまい、いざ彼等と別れを惜しまれてしまうことは、けっして彼等現地の人々のためになるとは思えない。

 無論、ナタ自身はまったく惜しむところはない。

 ナタたちは、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”でしかない。

 それだけがナタにとっての重大事項。

 それのみがナタたちにとっての優先項目。

 かのギルドの名を戴く謎の存在を信奉し崇敬する臣民──彼等にとって、ギルド:天使の澱は友誼を結ぶには危険な存在としか言えないはず。

 もしかすると、今後カワウソが、アインズ・ウール・ゴウンに対して従属の意志を示すことになれば──あるいは?

 しかし、ナタは自分で自分の思考した可能性に笑みを深め、首を横に振る。

 あのユグドラシルで。あれだけの苦労を重ね、あれだけの悲嘆に喘ぎ、あれだけの兵力を──自分たちという存在(NPC)を創造してまで、あの最強のナザリックに挑み続けた堕天使(カワウソ)が、そんな決定を下すものだろうか?

 せめて一度くらい……そう、件のギルドと“手合わせ”でもできれば、踏ん切りがつくのかもしれない。

 しかし、だ。

 ナタたちNPCとしては、自分たちの存在理由・創造された第一動因を果たされることよりも(・・・)、今のカワウソの意志と決定に従うことこそが、絶対だ。彼の今の状況──異世界へと転移し、よりにもよって復仇の相手と目指し挑み続けてきた相手“かもしれない”存在……「国」が築かれているという異常事態──において、カワウソが、彼自身の意志によって決定したすべてが、完全に最優先される。

 彼は、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の、たった一人の創造主。

 彼の生存を願い、彼の決定に従う。

 ナタはそれさえ出来れば、それだけが叶えば、他に何もいらないのだから。

 

「ゴウ殿!! この土地で親切にしていただき、まことにありがとうございました!!」

「い、イヤ……おれァ、別に?」

「スサ殿!! おいしいお水とあたたかい寝床、まことにありがとうございました!!」

「いいえ。こちらこそ、良い鍛錬をありがとう」

 

 ぶっきらぼうに頷く亜人と、華やかに微笑む少女。

 

「では!! お二人共、“新鉱床”とやらでのお仕事、がんばってください!!」

 

 どうか皆様にもよろしくと言って、快活に頷き返すナタは、彼と彼女の今後を──平穏無事に過ごせる未来を祈念しながら、朝日よりも眩しい笑みで、別れを告げた。

 

 彼等に迷惑をかけるわけにはいかない。

 

 だから、ナタは別れた。

 

 ナタの行く先は、すでに“そこ”と決まっていたから。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「良かっタノか?」

「あら? 何が?」

 

 別れの儀としてはあまりにも唐突な、だが、少年の到来そのものもまた同じように何の前触れもなかったことを思えば、むしろあの少年らしい出立(しゅったつ)とも思える。

 

「スサは、強ェ男が好キなんだろガ?」

 

 ゴウは少女の横顔を──南方に伝わる“カンジ”という独特の紋様──文字が列を生した美貌を覗き込む。

 八雲一派の起源とも言うべき“遺物”らしく「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 ……」などという三十一文字が刻まれているが、ゴウには詳細のほどはわからない。そもそもにおいて、カンジという言語の存在すらあやふやだ。現代の魔導国でこれを解読できるのは、翻訳に長じた魔法使いか、純粋な南方の血を継ぐ者の中で特定の人物、あとは国の中枢であるナザリック地下大墳墓の存在と──紋様を刻む施術者だけだという。

 そんな特別な言語を女の頬に刻むスサは、赤い瞳をまっすぐに、少年が去っていた通りの方へ向けたまま答える。

 

「確かに。ナタ君は超絶的に凄い力の持ち主だわ。どうやってあれだけの力を得られたのか、ガチで興味が尽きない」

 

 辻決闘で負けなしだった戦妖巨人(ウォートロール)と、八雲一派の中で最強最悪を誇る“用心棒”の少女。そんな二人を相手に、模擬戦とはいえ──否、模擬戦だからこそ、ありえないほどの力量差によって完封してみせた、どうみても少年としか見えない人間。

 ──あるいは、人間ではなかったのかも。

 ナザリックが誇る竜か、悪魔か、アンデッドか……あるいは、それらの血統か?

 いずれにせよ。

 

「アンな逸材を、オまえガあっさリ放流スルとはな?」

 

 どうして追いかけない。

 ゴウは問い質さずにはいられなかった。

 スサの思考というか趣向というか……そういう好みというのは、ゴウも理解している。

 かくいうゴウ自身が、彼女の“そういう対象”に見られているのだから。

 

「私はもう、あなた以外眼中にないのだけれど?」

 

 これだよ。

 妖巨人の爪で頬を掻く。

 まっすぐ見上げてくる女の瞳に灯る情愛。

 ゴウは特に気分を害したわけでもないし、彼女のことをそういう風に認め受け入れている自分がいるのも、わかっている。

 偉大なる魔導王陛下の威光の下、亜人と人間が“そういう”ことになる許しは降りているし、一等臣民同士である二人には、種族の壁もなく結ばれることは容易い。むしろ、魔導国ではそういった者たちの間には、ナザリックから直々に祝福が授けられ、二種間の間ではなしえないという“子”までも儲けることもできると聞く。

 だが、

 

「俺はマだ、そうイウ甲斐性はナいんだガ?」

「甲斐性なんていらないわ」スサは淫魔のように頬を染め、聖女のごとく淑やかに笑う。「私が“好き”だから、あなたと結ばれたいだけ……言ってるでしょう?」

 

 怖い女だ。

 自分の欲に忠実というか、何というか。

 

「モウ何度聞き返したか知らンガ……どうシテ俺みたいナ、人間基準ダと不細工な奴ト?」

「綺麗な男は嫌いだから。女の人は別だけど。これも一年前に教えたでしょう?」

 

 要するに、そういう人種──あからさまに言ってしまえば──変態なのだ。

 スサという少女は。

 

 はじめて会った時──ほぼ一年前。この南方で、辻決闘の修行中に挑んできた高慢ちきな長髪の美少女剣士(当時15歳)を、12歳だったゴウは拳と脚……素手で戦い、ブッ倒した。優に十時間を超える決闘(ほとんど“死合い”の様相を呈していた)のおかげで、ゴウも満身創痍のありさまになったのも懐かしい、あの時──から、スサはゴウ・スイという亜人種の戦妖巨人(ウォートロール)に惚れ込み、事あるごとに“愛の告白”を送りつけるようになった。「あなたが刀を持てば、もっと強くなれる」と豪語されはしたが、ゴウの基本は武器を使わない形だし、100年前の武王の扱ったという得物も刀剣ではなく棍棒だと聞いている為、あまり乗り気にはなれなかった。

 挙句の果てには、ゴウの武者修行に“同行”するとまで申し込んできた時は、本当に焦った。それでは武者修行にならない。武王への信仰をやりとげたい戦妖巨人(ウォートロール)の若者は、定期的に南方に立ち寄るという約定を交わし、スサをどうにかここに押し止めた。なので、ここを訪れる時は大抵、スサから奇襲攻撃の挨拶を受けるのが日常になりつつある。

 別に、ゴウはスサのことが嫌いということはない。むしろ好ましく思ってすらいる。

 人間の雌にしては卓抜した戦闘力の持ち主であり、ここで生活する上ではこの上なく世話になっている上、彼女と共に修行の旅に出るのも悪くはない気がしないでもなかったが、しかし、ゴウはスサをこの土地から動かすことはしなかったし、させなかった。──そうでもしなければ、彼女の保護者役であり義姉のごとき雇用主・クシナの怒りを買いかねなかった。過保護なクシナは、眼鏡の笑顔の下に“鬼”を飼っている。彼女そのものが、この地域にのみ住まう“白鬼”に近い血統というのもあるが。

 おかげで、今でもクシナの前に立つと緊張し、言葉を整える奇癖がついてしまっているのは、なんとも情けない話。

 

 そういうわけで。

 スサの、黒髪赤瞳の少女の有する趣味趣向は、至ってシンプル。

 自分よりも“たくましく強い”、そして“醜い化外の容貌”が、スサの心を満たす性向であり、ゴウはそのド真ん中に位置するはじめての「男」であり──「雄」なのだ。

 そんな彼女の美的感覚からすると、ナタという少年は非常に整えられすぎていて苦手な部類に入るというから、驚きである。

 要するにガチで変態なのだ、この南方の少女は。

 それも「やむをえない」とゴウは了解している。

 

「あと……あの子は、ナタ君は……なんというか、私の理解を超え過ぎている気がする」

 

 神妙な顔で、スサはそう表現した。

 種族の壁や階級の壁という次元では、ない。

 ナタが発揮する“力”は──ただの素振りひとつで空気を引き裂き、空間をも抉り削ぐような階梯に位置している。あれは「本気ではない」と、ゴウたちは考えている。確信している。あの少年の武力は、ただの人や亜人の至れる領域ではない“異形”の領域。

 少年の実力を、この目でしっかりと見て取ったことはないが、そうでなければ勘定が合わない。ゴウとスサは、魔導国内でもそれなりの実力を保持している。冒険者であれば四等の……中間層には負けないものと自負しているし、周囲の評価もそれに準じていた。

 だが、あの少年は異様だ。

 異常とすら言えるだろう。

 先ほどの道場での鍛錬でもそうだった。

 あんな齢十にいくかいかないかという幼く(いとけな)い顔立ちと四肢で、怒濤のごとき剛拳を、迅雷のごとき木刀を、まるで舞い落ちる花びらのように回避し尽くすとは。

 そう、まさに植物のような存在と言えた。

 一種の自然現象“そのもの”とも錯覚できた。

 空へと散った花びらの行方を追い続けることができないように、ナタの先行きを、その道程を追うことは、今の自分たちには不可能な事。

 そう思えてならなかった。

 

「どうせだったら。一回でもいいから、私のごはん、食べていって貰いたかったわ」

「キっとアレだろ? 長旅ができルヨうに、飲食不要のアイテムがあッたんだロ?」

 

 そうとでも思わなければ説明がつかないほど、ナタはゴウたちの前で食事をとることはありえなかった。

 水は飲めるらしい上、あんなにも元気な──鍛冶師連中よりも馬鹿みたいに元気なありさまを見せつけられては、心配する方が失礼な気すら覚えたくらいだ。

 

「あらあら。行ってしまったの? あの少年」

「クシナ様!」

 

 ゴウは緊張に身を強張らせる。

 それとは逆に、肩で切り揃えた黒髪を優雅に振って、スサが声の主を、純白の髪色に映える藍色の着物──寝間着姿に上着を引っかけた眼鏡の美貌に、軽やかに微笑んだ。

 

「ええ、今しがた。『旅の目的を果たせねば!!』とかなんとか? 行先(いきさき)は言ってくれなかったですけど」

「あら……あの子には、いろいろと御礼が言いたかったのだけれど。工房での雑務手伝いや、二人の修練の相手とか」

 

 言って、クシナは札束の入った財布を懐から取り出そうとしていた。

 今からでも追いかけましょうかと意見するスサに、ゴウは「必要ねぇダロ」と教える。

 

「“ナタ”は、あれだケ強ぇンだ。アイツなら、大抵の問題や困難クラい、自力で乗り越えルだろうヨ」

 

 ナタ“坊”と呼ぶのは憚りがあるほどの実力者だった。ゴウはそう確信し、彼の道のりが健やかなものであることを、武王とアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に対し、祈る。

 スサは微笑みながら頷き、クシナもそんな二人に同意するように、朝の空の下を翔ける少年の無事を祈った。

 

「さぁ。今日から新鉱床の方での作業もありますからね? ゴウもスサも、がんばってください」

「はい!」

「わかってルよ、頭領」

 

 

 

 彼等は誰も、ナタの目指す先を──ゴウたち鍛冶職人たちを急派させることになった“新鉱床”であることを、知らない。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 新鉱床内。

 嚮導部隊の本営テント内にて。

 シズは運び込まれた家具一式──重厚な机と椅子で業務を行い、ここ数日での成果報告を製作し上納してきた配下たち・嚮導部隊内の各代表たちより挙げられた作業内容を見つめながら、思案にふける。

 

「当初予定されていた作業工程の八割を遂行完了。原石とクズ石の選定作業も、つつがなく進行中です」

 

 副官がまとめあげてくれた各種書類内容のまとめを聞いた自動人形は、優先的に確認することを口頭で訊ねておく。

 

「…………負傷者は?」

「補助スケルトンのおかげで、掘削実行主力・クアゴアたちへの防御は完璧です」

 

 今日。作業員のミスで、ちょっとした落石などが起こった。

 さすがに掘削範囲が広がったことで、細かい部分に手が届かなくなるのはよくある話。些細なミスが起こること自体は人間であれ亜人であれ避けようがないが、それで負傷者や死亡者が出てはたまらない。そのための補助が徹底されているわけだが、十分に留意を徹底させないと。

 

「…………脱落者は?」

「十分な休息を各班、各部隊に徹底されておりますので、一人の脱落も確認されておりません」

 

 シズは理解している。

 いかに土堀獣人(クアゴア)と言えども、無限に作業し疲労なく思考を続けることは出来ない。ナザリック直属のシズが率いる嚮導部隊構成員ではあるが、高価な魔法のアイテム──疲労避けの装備を与え作業させても、それで作業能率が上がるということには繋がらない。疲労をしたら休息に入るのが常識であり、その疲労を解消するための食事や睡眠、遊戯や娯楽というものを与え“消耗”ではなく“消費”させることも、魔導国の「経済」を潤し、あらゆる物事を回転させる潤滑油と化すのだ。何より、ブラックな社会体制を嫌うアインズが、臣民である彼等の楽しみを削ぐようなアイテムを配給する理由がない。メリットが薄すぎる。

 仕事の後の一杯は格別な味となるという。何の作業も疲労も対価もなく頂戴する飲食は、堕落と怠惰しか産み落とさない。幸福というのは天から降り注がれるべきものではなく、そこに生きる人々が己の意志と行動で勝ち取ってこそ、意味があるというもの。そうアインズ・ウール・ゴウンは信じている。

 シズは頷く。

 自動人形故に、また、創造主の博士より与えられた装備によって「疲労」の状態異常とは無縁に働けるが、それでも自分がナザリックやアインズ・ウール・ゴウンその人のために何かができたと感じることこそが、何よりも素晴らしい褒美となる。優しい主人はそれだけに飽き足らず、目に見える財産などにして、ナザリックのシモベ達の忠勤に応えることを己のなすべきことだと規定している。慈悲深いにもほどがあるというもの。そんなにも優しい御方に、より一層の忠心を尽くしたい報いたいと思うようになってしまうのは、必然とすら言える。

 

「…………休息は大事。作業が順調なら、それでいい」

 

 短く言葉を伝えたシズの意図を、副官たる混血種(ハーフ)は過つことなく読み取ってしまう。

 

「では、本日予定されている“八雲一派”の鍛冶製鉄作業員の導入についてですが」

 

 昨日の今日ではあったが、シズはぬかりなく準備を万端整えている。

 

「…………うん。彼等の分の補助スケルトンは、ナザリックに申請済み」

 

 補助スケルトンは、掘削作業における重労働関係──破砕した岩盤の搬出や丁重に扱うべき原石の運搬に使われるのが主だが、実際には、トンネル内での落盤や落石事故の際に、随伴している部隊員の身の安全を確保する役目を担うことが宿命づけられている。

 魔導国において、人的資源はひとかけらも無駄にはしない。

 いかに蘇生させれば問題なく日々を再び過ごせる魔法の異世界と言えども、人の死にはお金がかかる。第五位階信仰系魔法詠唱者の派遣や教育のための資金から、蘇生アイテムの製作費用まで。

 重犯罪者以外のまっとうな臣民には生存し続ける権利と義務が存在する。彼等を、命の危険から救い出す役目を担うのが、補助スケルトンたちになるわけだ。

 ただし、人の身を守るのに好適な補助スケルトンは数に限りがあるため、通常都市や地域で住まう臣民には付属しない。今回のような危険地帯で、命が危ぶまれる現場での仕事に従事する者に対してのみ、スケルトンの防護が添えられるのみ。

 

「…………周辺監視は?」

『滞りなく』

 

 答えたのは副官ではない。

 シズが声をかけたのは、テント内の影に潜み、嚮導部隊の──シズや副官の護衛兵力として連れてこられた隠密能力に長けた影の悪魔(シャドウデーモン)の一体であった。

 

『鉱床に配備された死の騎士(デス・ナイト)の警邏アンデッド部隊と協力しつつ、警戒を強めておりますが。それらしい不穏な気配は』

「…………うん。関係者以外、誰も入れないで」

 

 委細承知した悪魔が影に還る。

 ここは、アインズ・ウール・ゴウン魔導王が特に目をかける新鉱床。

 採掘される新しい鉱石の価値次第によっては、このセンツウザンの土地の価値は高騰してしまうか。

 場合によっては、まったく新しい製鉄鋼事業が、ここで花開くことになるのやも。

 その価値は、シズ程度のシモベでは正確には推し量れない。

 故にこそ、信頼のおける部隊と、街で最も著名で市街の長ともつながりのある“一派”以外に、誰もここへの立ち入りは不可能な状況と化している。

 

 

 

 部外秘の中の部外秘となった新鉱床に、一人のNPC──装備で不可視化した花の動像(フラワー・ゴーレム)が侵入しつつあることを、この時はまだ、誰も気づいていない。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「ここが新鉱床ですな!!」

 

 センツウザンの街をさらに南下した鉱床地帯──その中で、新たに発見されたという鉱石の採掘現場がどこであるのかを調べることは、常人には困難を極めたことだろう。

 鉱床地帯は、無数に剥かれ抉られ穿たれた大地が暗い深淵の口をポッカリと開けており、どこも大差ないような外観でしかない。辺り一面アリジゴクの巣もかくやというすり鉢状の採掘跡が残され、今も魔導国臣民とアンデッドや動像(ゴーレム)たちによる掘削と探索は継続中。

 だが、ナタはこの市街にゴウと共に馬車で来訪し、スサという少女と初体面を果たした日に、新鉱床に携わる部隊とやらが闊歩(かっぽ)している様を目に焼き付けていた。

 

 ナタがパレードとも誤解した、魔導国王政府直轄の“嚮導(きょうどう)部隊”。

 

 それらが掲げていた特徴的な「旗」を探すのに、ほぼ丸一日を費やすことになってしまったが、その間にも、南方の土地の採掘現場を、その実体を探求する有意義な時間を得られた。

 土堀獣人(クアゴア)という地中での活動に最適化した現地の亜人をはじめ、下位アンデッドや量産されたゴーレムなどを効果的に運用する魔導国の労働環境は、イズラなどが調べ報せてくれた内容とほぼ共通するもの。

 安全第一の人命優先。

 そのために、補助要員としてのスケルトンが配置されているらしく、有事の際──つまり事故の時などは守護対象である臣民を護るように駆動する仕様らしい。

 それだけ見ると実に素晴らしいシステムではあるのだが、最高位アンデッドである死の支配者(オーバーロード)というモンスターが“王”として君臨する国にしては、なにやら違和感が拭いきれない。

 人的資源を有効活用するのは、国家としては重要な体制であり大勢なのだろうが、“アンデッド”というのはどちらかというと人間などの生命を(もてあそ)び、あまねく生者を死者へと堕とすことを喜びとする存在のはず。

 だが、魔導王アインズ・ウール・ゴウンは、そういう影を微塵も見せない。

 あるいは周到に隠されているのかと思いはしたが、そんなことをする……苦労を選ぶ計略とは何か?

 自分たちだけが絶対者だと──大陸をすべて支配する超越者として君臨しているのなら、誰に遠慮することなく生命を(むさぼり)玩弄(がんろう)することも可能なはず。

 

 それをしないのは、

 自分たち以外の──自分たち以上の──強者があることを警戒しているのでは?

 

 ……いずれにせよ、憶測の域は出ない。

 ナタは今、目の前の調査に集中する必要がある。

 カワウソから申し渡されている休憩時間を設けた後、日付が変わって数時間後に、行動を開始する。

 ナタたちの魔導国各地の調査開始より四日目。

 この異世界に転移して、一週間になった。

 

「さぁ!! 行きましょうか!!」

 

 空は未だ暗い未明の時間だが、声量を抑え「えい、えい、おー!!」と拳を突き上げるナタの表情は、いつにも増して明るく笑顔が輝いていた。

 ついに、この南方の地に蔵されているという鉱床に、しかも、魔導国の王が特に目をかけているという新たな鉱石の採掘が進んでいるという地に、足を踏み入れる。

 ゴウたちと別れてからというもの、ナタはずっと、己の身を隠すための魔法の装備で〈不可視化〉の恩恵を受けている。魔法関連において大きな制約を設けられている花の動像(フラワー・ゴーレム)ではあるが、翻訳メガネを使えたり、自分の身を隠す程度の装備を発動することは可能。普段の明るく闊達(かったつ)な声色を封じ、足音もなく跳躍し続ければ、それなりの潜伏作業はこなせる。生産都市アベリオンで別れる直前、イズラから〈不可視化〉の装備について簡単な講義を受けてはいた。この装備の弱点を(くつがえ)せるほどの強者が現れない限りは、まずナタの存在を知覚することは、この世界の住人には不可能な筈。

 

 新鉱床は、この一帯でもかなり奥まった所に位置し、どこまでも深く地の底へと続く真円を穿っていた。

 嚮導部隊の存在を示す幕旗数枚が夜風にはためき、その旗は儀仗兵役を……ただ旗をもって立たせる役を務める死の騎士(デス・ナイト)が不動の仁王像のごとく掲げ示している。穴の周囲を囲むアンデッドの量はそこまで多くはなかったが、それなりの数の隠密に長けたモンスターが複数体、周囲を警戒している。戦士職の気配察知能力にもずば抜けたLv.100NPCは、周辺に佇む影の悪魔(シャドウ・デーモン)八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)、さらには地中に潜むモンスターの気配まで読み取ることが可能だった。モンスターの数は多いが、どの種族もユグドラシル基準だと雑魚に分類される程度のレベルで、到底Lv.100の戦士の能力を超えることはあり得ない。

 おまけに、ナタには創造主(カワウソ)から調査に赴く要員に選ばれた際に、不可視化の指輪をはじめとする潜入捜査に最適な装備を幾つか下賜されている。警戒網を突破するのは、あまりにも容易に過ぎた。

 アンデッドや隠密モンスターの警戒を抜け、ナタは自分が可能な限りの潜伏を敢行する。

 ここの調査を終えれば、とりあえずこの地域の調査は終えたと判断していい筈。魔導国の政府庁舎や、王の住まうための城館など、警戒されて当然の建造物や区画への侵入と干渉は厳禁とされていた。下手に入り込んで、不法侵入の罪に問われるのを避けるために。ナタは本音を言えば、ここへ赴いた初日辺りに、そういった場所の詳細を調べたくてうずうずしてはいたのだが、命令である以上いたしかたない。せめて、調べられるだけの公共施設や住居などを探るより他になく、魔導国の鉱床地帯というものを調べておくのは、敵の生産性と武器防具類の性能把握には欠かせない因子たりえた。

 実際にナタが感じた所感としては、政府施設や王城などよりもこの鉱床地帯への潜入は容易に思われたし、感じられる敵の気配というのも、城に駐屯しているらしい高レベルアンデッドが放つそれとは比べようもないほど薄弱としていたから、問題などない大丈夫なはずと思われて当然だった。

 

 問題は──

 

 その新鉱床の奥底には、アインズ・ウール・ゴウンが何よりも大切に想うナザリックのシモベ……比較的低レベルとはいえ、かつての仲間たちの一人が創造した戦闘メイド(プレアデス)の一人がいるということを、ナタは知る(よし)がなかった点だ。

 

 

 

 

 

 新鉱床とやらの縦穴と、無数に横へと貫かれた坑道を、ナタは戦士の脚力によって、まるで階段を二段三段飛ばしで駆け下りるかのような気楽さで(くだ)り降りる。螺旋階段状に壁面を覆う足場を跳躍し、着地点に使った落下防止用の鉄柵などを歪ませることなく、地下へと落ちていく。

 縦穴の最下層ではまだ煌々と照り輝く照明が灯っているということはなく、完全な暗黒に染まっている。しかし、響く音や亜人の声から察するに、どうやら24時間のフル操業で鉱石の採掘を行っているようだ。アンデッドやゴーレムであればそれでいいのだろうが、掘削の主力となる亜人は疲労しないのだろうか。地中に適応した彼等の目には明かりは必要ないと聞く。ガリガリと大地を削り切る音色が、筒状の空間に乱響していてかなりの音量となっている。外からやってきたナタが軽く驚愕してしまうほど静かだったはずの鉱石床だが……どうやら防音の魔法が働いていたらしい。

 ふと、ナタは坑道の一角に設けられたテントを発見し、中を覗き見る。なるほどと理解した。

 所々でモグラに似た外見の亜人──土堀獣人(クアゴア)用の食堂や寝床が設けられており、そこで彼等は食料をかっ食らい、仲間と共に休眠している姿が確認できる。それらの周囲にも防音の魔法が働いているらしく、外の騒音からは隔絶されていた。食堂内に設けられた〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉で、冒険都市の祭りの生中継映像──“突如現れた期待の新人”“「漆黒の剣」の対抗馬”とやらに喝采を送る者も少なくない。従業員の心身のケアも万全という感じか。

 あらためて魔導国の力を見せつけられたような気がするが、深く考えても(らち)が明かない。

 ナタは最下層に降りる間にも、どこかに何かないだろうか、何か零れ落ちていないだろうか……それこそ、この世界の希少な鉱石とやらが拾えればいいと考えつつ、未明の時間で暗い新鉱床の検分を続けていく。

 ……否。ここがアインズ・ウール・ゴウンの所有地だとすれば、ここで砂粒一粒でも持ち帰るのはいろいろと面倒になるか。

 坑道内はよく整理整備が行き届いており、それらしいクズ鉱石すら見当たらない。

 すでに選定と鑑定は終わって、大概のものは然るべき保管所にでも送付されたか。

 やはり、下へ行くしかない。そう確信して、ナタはついに明かりひとつない掘削場の最深部へと到達する。闇を見透かす下位アンデッドなどもいたが、姿を消している少年に気づくものはいない。

 ちょうど、休息の時間を貰った作業員が地下から列をなして上層へと昇り、交代のために待機していた同僚にバトンを渡す光景が見れる。「次は十時間後か」とか、「早く飯にしよう。腹ペコだ」とか、各々仕事をやりとげたような声色が印象的。

 十分な休息を貰っておいた早朝作業班が、班長の号令に従い、補助防御用に貸し与えられるスケルトンらと共に地下へと潜る。「予定の深さまであとどれくらいでしたっけ?」とか、「皆、気を付けろよ? 落石落盤には十分気を付けるように!」とか、皆がやる気まんまんであった。

 ナタはその列についていくように、地下へ。

 

「お……おおーっ!!」

 

 思わず口をついて感嘆の声がこぼれてしまった。何とか口を掌で覆い、発声を抑える。列最後尾にいた土堀獣人(クアゴア)の一人が振り返る程度で済んだ。振り返った彼もそれ以上は興味を失って、前へと向き直る。危ない危ない。ナタは自分自身に喝を入れつつ、静かに地下の様子を観測し記憶する。

 縦穴の最下層と見て取れた地点は、実はただの入り口。

 あそこまではこの鉱床、この街の掘削者たちによって掘り進められた深さであり、魔導国の誇る嚮導部隊の本領は、そこからさらに地下へと延びていた。

 そこは巨大な球形の地下洞窟のようなものと言って良かった。

 直径数キロほどのボールの中のような空間は、元からこのような広さ大きさだったわけではない。数多くの亜人とアンデッドとゴーレムによって、このように掘削され尽くした結果だ。そして今も、彼等が地下の壁に張り付いて、そこから採取される目的の鉱石を削り出し、補助のアンデッドやゴーレムに託す。

 階段を降りて、確認を続ける。球体空間の真ん中には巨大なテント──嚮導部隊の本営らしい──が張られ、その周囲に、採掘された鉱石を運び込んでいる様子が見て取れた。

 見ていると、それは転移の魔法陣で何処かへと送られているというのが理解できた、ナザリックへと直送……するわけもない。だが、あるいはそれに準じる公的機関に転送していると見て間違いないだろう。

 転移魔法陣の周辺には、長身の亜人の女と、赤金色(ストロベリーブロンド)の髪の少女の姿が。

 あそこへ行けば、何か有用な情報が入手できるだろう。

 そう確信した瞬間。

 

「落石注意!」

 

 怒鳴り散らす亜人の声が空洞内に響いた。

 見上げた先には、バラバラと崩れる断崖の様子が。

 暗闇でも機能する花の動像(フラワー・ゴーレム)の瞳が、その崩落を察知する。

 落石どころではない。ほとんど岩盤ほどの大きさの質量が、壁面から剥がれ落ちそうになっていた。

「危ない!!」と口にしそうな自分の唇を掌で覆う。岩盤の崩落が、直下で作業をしていた鑑定師や鍛冶師たち……魔導国臣民達へと殺到してしまう。下位アンデッドの骸骨たちではどうしようもなさそうな印象を覚えるが、ナタはその骸骨たちが、防御装置として改良されたそれだという認識を欠いていた。

 ナタは迷うことなく大地を跳ねる。

 

「────ッ!!」

 

 無音の吼声と共に、巨岩に根を下ろす大樹のごとき頑健さで、少年兵の拳を突き出した。

 花の動像の少年戦士が繰り出すアッパースローは、あまりの速度と衝撃で岩盤が粉々に割れ砕けてしまう威力を発揮していた。そのためナタは、その散り散りになった破片をさらに破砕し飛散させる回転蹴り四連を周辺空間へとお見舞い。空中で挽肉のごとく粉砕圧壊した巨岩。かくして、直撃を受けようとしていた下の作業場の人々は、小石程度の残骸で身体を汚す程度で済む。

 不可視化中の少年を感知し得ない人々が、起こった出来事を把握し損ねたように天を仰ぎながら首を傾げる。粒子状にまで岩盤を破壊し尽くしたナタの所業でも、細かい破片が残骸となって降り注ぐのは食い止めようがなかったが、そこは魔導国の誇るアンデッド兵力によって編まれた防御陣形によって、臣民に降りかかる脅威のすべては排除され尽くした。

 ナタは満足を噛み締めるように頷きつつ、先ほど自分が割り砕いた岩盤を──その時に得た奇妙な手応えを思い起こす。

 

 

 少年が拳を突き上げた刹那、ほぼ同時に、岩盤を“撃ち抜く”気配が、他に存在していた。

 

 

 まるで、岩盤の弱い箇所を貫くかのごとく放たれた弾丸の気配……僅か一発の発砲音で、三連撃の弾道が……岩盤の比較的脆く崩れさせるのに好適なポイントをクリティカルヒットしていたことを、ナタは戦士の卓抜した五感で感知し尽くしていた。

 

 自分以外にも、彼等の救命に尽力した誰かがいた。

 その誰かを探すべきか否か逡巡する間もなく──

 

「ッ!!」

 

 ナタはその場から飛び退いた。

 獣の如き跳躍というよりも、木の葉が風に吹かれ飛び去ったような(からだ)の流動。

 極限まで音を殺した爆薬の炸裂と共に、己の背後より飛来する小物体……“弾丸の発射”を知覚したのだ。

 花の動像が直前までいた空間を、無数の攻撃弾が抉り貫く。

 次いで、無機的な声がナタの耳を撫でた。

 

 

 

「…………そこにいるオマエ、誰?」

 

 

 

 一人の少女が、赤金色(ストロベリーブロンド)の髪を翼のごとく広げ、舞い降りた。

 迷彩柄を取り入れたメイドが、不可視化中の花の動像(フラワー・ゴーレム)と、目を合わせている。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 外したか。

 攻撃を避けられたシズは冷徹に、そこに佇む異分子──侵入者の類を知覚している。

 

 シズの種族は自動人形(オートマトン)。なみの人間や亜人に比べ、鋭敏な感知能力を与えられている。さらに、姉のソリュシャンほどではないが、シズもアサシンなどの隠密職業のレベルを与えられていた為に、ただ装備で不可視化した程度のものを看破することは容易すぎたし、与えられた装備の中にはそういった看破の力を宿す代物もある。戦闘メイドの姉妹たちの中では最弱のLv.46しかない彼女でも、違和感を覚えてならないほどに、その少年の姿をした侵入者の存在感は──過剰だった。不可視化の装備と言えど、完全に気配を断つことは難しい。呼吸する息の香り。身動(みじろ)ぎの際の筋肉の声。脈打つ心拍の音。さらには触れることによる触覚なども誤魔化すことはできず、感度が良いものだと大気の微妙な流れ具合だけで、見えない敵を察知することも不可能では、ない。

 不可視化は、文字通り“見えなくするだけ”の魔法。

 それ以外の感知を完全に遮断するには、より上位の〈不可知化(アンノウアブル)〉や〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉などが求められるが、あいにく侵入者たる少年は、そこまで優秀な隠密用装備を揃えられたわけではなかったようだ。

 

 

 

「…………何者?」

 

 

 

 再三の質疑応答を求めるシズ。

 これ以上だんまりを決め込むというのであれば、もはや問答の余地なしとして“処する”他ない。

 

「バレてしまっては致し方ない!!」

 

 不穏な空気を帯び始めるシズの意図を察したのか。

 不可視化を解除し、雄弁なほど己の存在を誇示する少年の声が洞内を満たす。

 

「自分の名は!! ナタと申します!!」

 

 現れたのは、蒼色の髪の、少年。

 

「我が師父(スーフ)より頂戴した密命に従い!! 自分はこの市街この土地を検分していたところ!! 非礼については、平にお詫びいたします!!」

 

 実直に謝罪を申し出る少年は、身長の低いシズよりもさらに小さく、そして幼い。

 だが、シズはその異様な力を感じ取り、自動人形の表情を数ミリだけ歪める。

 

「…………詫びて済む問題じゃ、ない」

 

 シズの冷たい声が、余人には推し量ることのできない熱を帯びていく。

 

「…………ここは、アインズ様──魔導王陛下が特に目をかけている新鉱床。それを、勝手に調べる権限は、あなたにはない」

「確かに!! グウの音も出ない正論!! なれば、どうでしょう!? 自分は、ここの情報を一切忘却し、貴女(あなた)もまた自分のことを忘れていただく──というのは!?」

 

 快活な笑みで交渉を図る少年に対し、シズは厳正な判断を下す。

 

「…………拒絶」

 

 当然のごとく。

 少年の放言は、随分と手前勝手な交換条件としか、シズは認識できない。

 

「…………怪しい存在。看過不能。ナザリック地下大墳墓に仕える戦闘メイド(プレアデス)の一人として、そんなモノを見過ごすことは、絶対に、出来ない」

 

 任意同行ではなく、強制連行を申し渡すメイド。

 それに対し、少年は明るく笑い、言葉を発した。

 

「なるほど!! では!!」

 

 ナタは早着替えのローブを脱ぎ捨てるように起動した。

 少年は、本来の自分の武装を露にする。

 肉体の至るところ──手足にすら幾つもの刀剣や防具が括りつけられ、背中には秘密兵器たる“斧槍”と“赤杖”まで(かつ)ぎ、花の動像(フラワー・ゴーレム)は凄然と腕を組む。

 

「完・全・に!! “抵抗”をさせていただきます!!」

 

 言った瞬間、彼は左肩に装備された小剣(ナイフ)を引っ掴み、鞘から抜くように前方へ投擲。

 半瞬の後、何処からともなく現れたのは、空中を浮遊する同一規格の長剣の群れ。

 それが無数に、数えきれないほど大量に、少年の周囲を高速旋回して空気を引き裂く。

 まるで穿孔機(ドリル)のごとく刃を外側に向けて、少年の盾となるかのごとく(きっさき)を大地に向け廻る剣群の囲いは、剣の花という表現が符合する。この一見派手で凶悪そうな剣は、ナタがカワウソより与えられた武装の一種──名は“浮遊分裂刃Ⅰ”である。普段は、ナタの肩に装備される小剣が、武装者の意志で鞘から抜き放たれた瞬間に、装備者を護るかのごとく数十本の剣となって顕現する遺産級(レガシー)アイテムだ。一本一本は何の変哲もない空中を自動旋回する剣であるが、それが二桁単位で存在している様は実に見栄えがよい。ユグドラシルでも人気だった周囲展開系の武装である。

 

 戦闘メイド──シズは、自動人形(オートマトン)の無機質な表情に、かすかな驚きを宿しそうになって、一瞬で真顔に戻る。

 

「…………シズ・デルタ、敵対者と戦闘する」

 

 完全に“敵”と化した不穏分子の確保、あるいは排除のために、シズは装備を構え、魔銃の照星を睨み据える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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戦端 -1

※注意※
この物語は、ナザリック敵対ルートです。『敵対』ルートです。
独自設定や独自解釈も多々あります。
ご注意ください。


/Flower Golem, Angel of Death …vol.11

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 生産都市・アベリオンの地下階層最下層……不法売買の現場は今、修羅の(ちまた)と化している。

 

「……私の正体や所属は教えられませんが、それでは納得いただけそうにないのは理解できます。なので、“名前だけ”は、お教えしましょう」

 

 先の発言──「それを、私が教えるとでも?」──から一転して、男はそのように述べ立てる。

 この現場に侵入を果たしてしまった“敵”は、警戒心をあらわにする魔導国の執行部隊に対し、懇切丁寧な所作でもって応対してみせた。黒い手袋を胸に当て、微笑みを浮かべ腰を折った男の容貌は、焦りや恐れといった全てから無縁に思われてならない。

 暗灰色の髪に戴くピアノ線のような金色の環こそが、男の正体を物語っている。

 天使系統の異形種。

 円環の薄さ細さから判断して、そこまで強力かつ高位な天使ではない、はず。

 

「私の名は、イズラ、と申します。どうぞ、お見知りおきを。魔導国の方々」

 

 とりあえずは自己紹介から。

 そんな思いを(いだ)いて、ソリュシャン・イプシロンたち特務のシモベたちへと名を明かそうという全身黒尽(くろづ)くめの、顔色の白さが浮き彫りになる男に、戦闘メイド(プレアデス)の三女は眉を(ひそ)める。

 見知りおくも何も、今目の前に出て来たこいつの姿は、あの天使ギルド……スレイン平野に現れた謎のユグドラシルの存在、堕天使のプレイヤーが率いる郎党の一人であると、ソリュシャンには既に把握されている。この異世界に転移した直後で、周辺調査に赴いていた彼等の姿を、ナザリックが誇る監視の目がとらえていたのだ。あの時はまだ、連中も油断があったのだろう。その際に連中の外で交わした会話などから、各天使たちの個体名も把握済み。何より、“あれらの目”はスレイン平野の常時監視体制を構築する上で万全以上のものを発揮し続けていたのだ。相手が悪すぎたというより他にあるまい。

 男は続けざまに、とんでもない「交渉」を始める。

 

「こちらの名を明かしたところで……どうでしょう? 先ほど同じことを提案しましたが、再度要求いたします。皆様には申し訳ないのですが。私がここにいたことをお忘れいただき、そして、これから私が、ここを離脱することのお許しいただければと思」

「断る」

 

 見逃してもらいたいという提案……それを言い終えるより前に、断固とした決意を表明してしまうソリュシャン・イプシロン。

 彼女は大いに(あや)しんだし、(いぶか)しんだ

 何故か、己の名だけを顕示し、正体や所属、そのほかの一切を秘匿する、黒い天使。

 名を明かすだけでも、隠密職──暗殺者にあるまじき蛮行に思えたが、ソリュシャンは同業同職の直感として、天使がワケもなくそうしたはずがないと了解する。だが、理由が見えない。偽名などの“欺瞞情報”の可能性も一応ありえるか。

 しかし、いずれにせよ、やるべきことは変わらない。

 

「貴様は、この不法売買の現場に、いた。私は先ほど告げたはず。

『この場にいる“全員”、……逮捕拘束する』──と」

 

 天使(イズラ)は納得の苦笑を浮かべる。

 ソリュシャンは言ったのだ。言ってしまった。

 言った以上は、戦闘メイドとして、ソリュシャンは任務を遂行せねばならない。

 それが、ソリュシャン・イプシロンに与えられた特務であり、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下より賜った神聖な任務(つとめ)

 ならば、それを成し遂げることに全力を傾注することは、ナザリックに仕えるシモベとして、至極当然の絶対選択。

 

「ああ、そう……それは残念です。では──」

 

 薄く微笑む天使が外套の裾を翻し、

 

「私の全力でもって、逃走させていただきます」

 

 そのまま背後の闇に、溶けた。

 

「追え!」

 

 喝破するように命令を下すソリュシャンの声に、影の悪魔たちが実体を影に落とし込む。

 ソリュシャンらの背後にある出入り口だけが、唯一の逃走ルートになりえるはずがない。

 連れ込まれた奴隷の搬入出のための裏口がある。此処までの調査でソリュシャンたちは把握している。そこへ逃げようとした罪人共は、そこに待機していた悪魔によって拘束・連行されていた。故に、罪人の連行役を務めた影の悪魔たちは、ここには残っていない。残っているのはソリュシャンの護衛と残務処理用の員数だけ。

 そうして。イズラという天使が、そのルートを首尾よく発見し、逃走されては面倒の極みだ。メイドは即座に影の悪魔部隊を三班に分割。一班は天使の追撃を。一班が別ルートで天使の先回りを。最後の一班はソリュシャンの護衛を。

 彼等は本来、ここに残された奴隷たちの解放と保護のために動員するはずだったが、ここに至っては他に処方がない。連れてきた僅かな都市警邏隊の死の騎士(デス・ナイト)に此処の始末を任せ、ソリュシャンは闇の奥深くへと進撃する。

 

「絶対に、逃がすものか!」

 

 任務をし損なうなど、御方に忠節を尽くすシモベにあるまじき怠慢だ。

 ソリュシャン・イプシロンは、愚直なまでの忠誠心を胸に灯し、天使の追撃を敢行する。

 あまりの顛末と状況に、ナザリックへの緊急要請を発令することすらも、彼女の思考の端から消え失せていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 しくじったか。

 イズラはそう思いつつ、奴隷売買の部屋の最奥へと潜り、そこに発見された巨体を持つ個体用の搬入出路を無理矢理にこじ開け、エレベーターのごとき昇降空間──岩肌の剥き出しな縦穴を、隠密らしい無音で駆け上る。

 その背後からぴったりと寄り添うように追随してくる敵意が、複数体。二桁は確実にいる。間違いなく、金髪の少女──イプシロンと呼ばれていた娘が引き連れていた、影の悪魔(シャドウデーモン)たちだ。

 彼等はあらゆるものの影に潜むモンスター。その特性上、一度とらえた影を追跡することは造作もなく行える上、その個体とのレベル差や速度ステータス差とは関係なくぴったりと随伴可能。まるで〈影の歩み(シャドウ・ウォーク)〉という魔法に似ており、追跡中はまったく攻撃行動は不可能となるのも一緒である(そのため、ユグドラシルにおいてはプレイヤーが遭遇したら逃げることが出来ないモンスターであるため、殺さなければ戦闘を余儀なくされる面倒な存在であった)。

 そして、影の内の一人がとらえておけば、その制約を他の個体は無視できるため──

 

『逃がさん!』

 

 絡みつくように悪魔の爪が外套(コート)の裾に引っかかりそうになるのを、イズラは軽く回避する。が、あの数でかかられると嫌気がさすというもの。衣服の防御力を考えれば悪魔系統モンスターの単純攻撃程度など、大したダメージにはならないはずだが、このコートは、イズラがカワウソより賜った“至宝”ともいうべき装備のひとつ。階級こそ大した装備ではない遺産級以下の最上級ランクに過ぎないが、だからといって、創造主より与えられたそれをこんなところで傷物にするなど、イズラの誇りが許さない。

 悪魔たちは、一人か二人が常に天使の影をとらえ、残る全員が攻撃に専念。攻撃を避けられた悪魔は仲間とのシンパシー・思念による交信が可能なために、天使が何処へ逃げ込むのか把握できてしまう。その為、どうあってもイズラの逃走は無駄に思われた。

 無論、イズラの隠密能力・職業(クラス)スキルの中には追跡妨害や阻止のためのものもあるが、さすがにあんな大量の影に追跡されては処理が追いつかない。ある程度の数まで減らさなければならないが、果たしてアレを倒して……殺してしまっていいものかどうか。

 

「……チィッ」

 

 思わず舌を打つほどに感情を揺さぶられる。

 何とか上層へと駆けあがり、木製の粗末な昇降機を破壊して落とす──のは、やめておく。

 おそらく違法に集めた奴隷を地下へと降ろすための装置なのだろうが、一応は、魔導国の備品の内のひとつと判断されるべき。それに現時点では、追跡者たちへの攻撃……殺傷行為は禁じられて然るべき段階だ。慎重に対応していかなくては。

 

「まったく、面倒なことになりました、ね!」

 

 昇降機の出入り口を下でやったように両手でこじ開け、すべりこむ。

 天使の腕力ですばやく両スライド式のそれを閉じて悪魔の爪を回避するが、影たちは扉の隙間から二次元の影と化し、次いで三次元の物体となって這い出てくる。おまけに、

 

『捕らえたぞ!』

「ああ、先回りされましたか?」

 

 動力室の空間を青白く輝かせる水晶や、柱の影から這い出てくる別動隊の悪魔の爪を、天使は手袋の手刀のみで追い払う。

 これは悪魔への致命傷にはなりえない。鋼線(ワイヤー)短剣(ダガー)も使わない一撃であったが、彼我のレベル差で特に致命的な一撃になりえないのは、イズラの攻撃ステータスがそこまで強力でない上に、彼自身が承った主命『魔導国臣民の殺傷は原則厳禁』に則しているからだ。

 

「な、なんだぁ!?」

「おい、どうした?!」

 

 振り返ると、都市動力室の作業員・魔法詠唱者ら……魔導国の臣民の姿がちらほら見えた。もう彼等の就業時間を迎えてしまったのか。とすると、もう夜は明けた頃だろうか。

 

『余所見をする暇があるのか!?』

 

 二部隊の悪魔たちが傲然と()えて(はし)る。

 言われるまでもなく、イズラは爪牙を伸ばした影の方を見ることもなく避ける。だが、徐々に影共の攻撃は苛烈さを増した。数十体の仲間と協力し、竜巻のごとく敵対者の周囲を包み込み、天使の方向性を完全に封じ込める。

 影の檻とも称すべき黒い鳥かごに包まれる天使は、〈閃光(フラッシュ)〉の魔法の巻物(スクロール)を外套の袖から取り出し、詠唱。盗賊系スキルによって、イズラには不可能な魔法の行使を、巻物(スクロール)を“騙す”ことで使用可能な仕組みである。

 魔法の閃光が弾ける。

 この光は、抵抗の成否は関係なしに対象となるものすべての視野を奪う。おまけに、影の肉体で構築された悪魔連中を追い払い(ひる)ませるには、絶好の防衛手段たり得た。

 黒い竜巻が晴れた──瞬間、

 

「ッと──!」

 

 イズラは素早く上半身を仰け反らせ、飛来してきた白い凶器を回避し、手袋の指先で器用に挟む。

 影の黒い爪ではなく、暗殺者専用のナイフ。

 それは金髪の少女が握る一刀……この小剣は、地下より追撃してきた少女の掌に握られている。

 少女の身体は、二メートルを優に超えた位置にあるが。

 そう。

 悪魔を従える少女の腕は、まるで細長い繊手のごとく伸びきっている。

 通常、人間にはありえない肉体変化だ。

 

「やはり。不思議な中身だとは思っておりましたが」

 

 必殺の攻撃をまんまと回避された少女は、余裕な表情を崩さない敵に憤懣やるかたない表情で、問う。

 

「──どういう意味だ?」

 

 敵にまんまと防がれ摘まみとられた武器を放棄しないのは、それが彼女の唯一の攻撃手段だからか、あるいは大事な装備品であるが故か。

 

「言葉通りの意味では?」

 

 質問を質問で返されたメイドは、さらに(まなじり)を決した。

 イズラは微笑みを深め、影の悪魔らが殺到しようとする気配すらどこ吹く風という表情で、告げる。

 

貴女(あなた)は人間ではない」告げられた内容は正鵠を得ていた。「人間であれば、その中身はありえないはず。内臓も骨格も筋肉もない。人間という外見を整えられた“異形”の存在──私の見立てが正しければ、貴女は“粘体(スライム)”種で、お間違いないだろうか?」

 

 どうやってそれを見抜いたのか?「やはり」というからには、メイドが腕を伸ばすより以前から、その事実を確信していたことを示すはず。そう、水底のような瞳だけで問い質す少女に、天使は己の力を誇示してみせるように、もう片方の手で目元を叩いた。

 

「私の種族スキルのひとつを使用したまでです。私は私の主人(マスター)より、そのような性能の“眼”を与えられた存在なので」

「種族、スキル──」

 

 金髪のメイドは警戒心を深め、だが、まったく後退する気配を見せない。

 彼女が同じ異形種であるという確信を持つイズラは、どうにか彼女を退()かせられないだろうか──この遭遇(エンカウント)をなかったことにできないものか、考えを巡らせる。

 

 イズラが一番に目をつけたのは、都市管理魔法の動力源たる水晶。

 この動力室には、魔法の動力として機能する巨大水晶が立ち並んでおり、それを破壊するか奪掠することで、“物質(ものじち)”にする。言ってしまえば、この動力室こそが、この生産都市の心臓だ。それを掌握されてしまえば、いかに魔導国の執行部隊たる彼女たちにも、手が出せなくなる、はず。

 だが、そうするとイズラは、完全に犯罪者の罪状を張られるだろう。この状況を切り抜けられたとしても、後々になってイズラの存在を捕らえた連中が、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に捜査の指を伸ばすやも知れない。無辜(むこ)の民が住まう都市の心臓を(かす)め取り破壊したことで、いったいどれだけの不利益がこの都市に生じるか。想像するのは容易に過ぎた。

 そうなっては、イズラは不心得者・不忠者として、カワウソに処されることになるやも。

 ──否、それ自体は別に構わない。自分だけが命を落とす程度で済めば、それでよい。だが、問題は、主人であるカワウソが、イズラの不忠不心得の、その「責を負わされる」可能性が出てくるということ。それだけは断固として許し難い。受容できない。自分などどうなっても良いが、カワウソに、創造主に累が及ぶことだけはあってはならない事態だ。

 だとするならば、生産都市への攻撃──魔導国臣民への殺傷や、都市魔法の主動力を破却する行為は、断じて採択不能な作戦となる。

 

 だが、そうすると、どうする?

 

 目の前の少女や悪魔たちは、まったくイズラを逃がす気概を見せない。しかし、だからといって、従容(しょうよう)と連中に拘束されるというのも、カワウソへの影響が懸念される。

 ならば。

 

 殺すべきか。

 殺さないべきか。

 

 殺そうと思えば幾らでも手はある。影も粘体も物理ダメージ系は通しにくいが、方法がないわけでもないし。さらにはイズラには主人より与えられたスキルの中に即死系統のものが存在していた。それを発動させる準備と仕掛けも申し分ない。

 しかし、魔導国臣民であれば殺せないところなのだが──?

 イズラはふと閃くものを得る。

 

「ひとつ、確認いたします」

「──何を?」

 

 イプシロンの短剣を指先で摘まむのを止め、簡単な質疑応答を行う。

 メイドは訝しげに首を傾げ、伸びた腕を元の形状に戻して、それに応じる。

 

「あなたは、貴女(あなた)たちは、魔導国においてはどのような位置づけなのでしょうか?」

 

 金色の巻髪に包まれた表情は、沈黙を守る。

 それがどうしたとでも言いたげに、視線に籠める殺意を強くする。

 

「見たところ。あなたがたは私がこれまで見てきた魔導国臣民達とは一線を画していると愚考できます。臣民の人々とは違う、“ユグドラシル”と共通する隠密系モンスターである影の悪魔(シャドウデーモン)。そして、貴女は唯一、彼等とは完全に違う印象を受ける」

 

 装備された衣服や武器の見事な出来栄えは、都市や市場で流通するそれを上回るものだと見て間違いない。ひょっとしたら、イズラの身に着けるソレと同格か、それ以上。

 だが、それだと疑問が膨れ上がる。

 

「あなたは、魔導国の“臣民”なのでしょうか?」

 

 臣民と呼ぶには、その技能と力量は隔絶的なものが存在する。

 繊手のごとく伸びる腕から繰り出される一刀の殺気は、ただの人間では頸動脈を掻き切られ絶命した事実にすら気づけないだろう、殺傷速度と威力を発揮。

 さらに──イズラが目敏く観察した、彼女の反応。

 種族スキル……ユグドラシル……これらの単語を過たずに理解し、その危険性を承知している感覚のまま、イプシロンという少女は武器を構え直す。

 そして、誇り高き事実を、宣告する。

 

「私は、ナザリック地下大墳墓の最高支配者であられるアインズ・ウール・ゴウン様に仕える戦闘メイド(プレアデス)が一人。そこらの魔導国“臣民”達とは、違う。御方々に創造され、直接の報恩を許されている“シモベ”の一人よ」

 

 己の出自に絶対的な信奉と信念と信義を懐いてならないような、少女の言の葉。

 なるほど。イズラは納得の笑みを唇に刻む。

 粘体というモンスターでありながらも、数多の武装を揃え、人間の姿に整えられた、「イプシロン」という個体名を戴く少女の正体──

 

「ということは、貴女は私と同じ、“拠点NPC”ということでよろしいのですね?」

 

 ソリュシャンは驚愕に目を剥き、粘体の疑似口内で舌を打った。

 敵の計略に乗って情報を与えた己の不出来を諫める故か、あるいは敵が「自分と同じ」と見做(みな)したことに対する反発か──もしくは単純に黒い天使の微笑が怪しすぎたか、わからない。

 

「だったら、どうだと!」

 

 ソリュシャンは体内に秘匿している刃を数本、腕から生やした(・・・・)

 手に握るそれだけではなく、まるで鞭の先に鉤爪の鋭さが付加されたかのごとく殺傷能力を向上。粘体の肉体であるからこそ可能な武器の使用方法であり、ソリュシャンの戦闘能力は確実に敵対者の意表をついていく。

 だが、

 

「素晴らしい暗器の数だ」

 

 イズラはやはり、余裕の表情を崩さない。

 

「やはり私と同じ暗殺者(アサシン)の系統ですね」

 

 (いばら)のごとく刺々しい形状を構築した粘体の鞭撃を、黒い手袋が児戯に付き合う大人のごとき優しさで“すべて”掴み取る。いかにユグドラシル産のアイテムと言えど、あれだけの量の刃に触れて、手袋の繊維質にすら傷ひとつ、ほつれ一片も生じさせないというのは、戦闘メイドにとっては絶望的な光景と見えた。

 

 

 

 

 

 両者のレベル差は、概算で40以上の開きが存在する。

 ユグドラシルにおいては10レベルの差が生じるだけで勝率が激変する事実を思えば、Lv.100の死の天使に対し、溶解の檻たるメイド──Lv.57の粘体(スライム)──ソリュシャン・イプシロンが単独で打てる手立てなど、ない。しかも、相手が自分と同じ職種で高レベル帯に属していることも影響していた。暗殺者のメイドがやれることは、目の前のイズラはさらに高い次元でやりこなせる。

 いかに大量の護衛を、影の悪魔を従えていようとも、その数の差を活かすには、圧倒的に力が不足していると言わざるを得ない。

 

 

 

 

 

 しかし、だからといって、戦闘メイドに後退するという選択肢は存在しなかった。

 

「なめるな!」

 

 ソリュシャン・イプシロンは、ナザリック第九階層──御方々の居城となる最奥最深部を守護する戦闘メイド。

 そんなものが、敵を前にして、無様に背中を晒して敗走するなど、できるわけもない。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 一方、南方の地でもまた、ひとつの修羅場が構築されていた。

 闇一色に染まる採掘場内にて、赤金髪(ストロベリーブロンド)のメイドが、蒼い髪の謎の少年──種類、形状、大小、様々に存在する数多(あまた)の剣を身に帯び、背中には異様な雰囲気を醸し出す斧鎗と赤杖、両の腕に鋼鉄の円環、二個の車輪が意匠された靴に加え、鎧などの防具には花や葉の造形が見られる重武装者──と対峙している。彼我の相対距離は十メートル以上。遠距離攻撃が主体のガンナーにとっては、好都合な戦況戦局と見える。

 しかし、

 

「…………?」

 

 CZ2128・Δ──シズ・デルタは、ストックを肩に当て、魔銃の照星・照準器にとらえた少年兵──ナザリックの監視網に捕らえられた件のギルド内で、唯一的に天使の特徴を持たぬNPCだと広く認知されていた──本人が名乗るところの「ナタ」とかいう存在から視線を動かすことなく、疑問する。

 ナタは、周囲一メートル範囲に展開した剣群こそ忙しくなく旋回を続けているが、少年本人はまったく微動だにしていない。まるで、シズの行動(アクション)を待ち望んでいるかのように腕を組み、尊大なまでに無邪気な笑みで、そこに佇み続ける。

 奴は言った。

 先ほど、こう言ったのだ。

 完全に、抵抗する──と。

 

「…………攻撃」

「うん!?」

「…………何故、攻撃してこない?」

「ああ、そうですな!! 攻撃はもちろんするべきなのやも知れませぬが!! とりあえず、貴女の力量がどの程度か把握させていただいた後にしたいので!?」

「…………」

 

 なめた真似を。

 シズは能面のごとき自動人形の表情に暗い影を宿しつつ、ナタがそこまで余裕を見せられるほどの強者である可能性を考慮し、魔銃の最大出力へともっていく。

 撃鉄を起こし、二連弾倉から選択した弾種を薬室に込め、翠玉(エメラルド)の瞳に(ナタ)を捕らえ、引鉄(トリガー)を絞る。

 魔銃が鉄の()ぜる音を響かせた。

 

 瞬間、

 飛来する剣が──鋼の長剣の一本が、シズの鼻先数センチで、止まっていた。

 

「!!!」

 

 反射的に身を跳ね、剣の軌道から逃れ転がるシズは、傷ひとつない。

 それもそのはず。

 剣は、シズの鼻先に襲い掛かる数センチの地点で止まったまま(・・・・・・)だ。

 

「…………何の、つもり?」

「ご心配には及びません!! ただ!! これが自分の実力であることの証明になると思いまして!?」

 

 弾丸の発射速度と匹敵──否、それ以上の速度で飛来し、風ひとつたてずに“停止”までされた剣の威力。しかも、ナタは先ほどから一歩もその場から動いていない。つまり、シズの放った魔法弾は、何の威力も発揮せずに無力化されたことを意味する。身体特性の影響か、あるいは飛来した剣によって弾き飛ばされたのか──その判断すら、あまりの状況に理解が追いつかない。

 奴の、少年の性能は間違いなく、シズ程度のレベルでどうこうできる領域の話ではない。

 しかも、少年は“あえて”そのように、己の剣を、技を、力を披露した。

 役目を終えた長剣を、己の意志のみで宙を舞う剣群に呼び戻す。

 ──その気になれば、シズは初手から一秒もしない内にやられていただろう。あの剣を、ほんのもう十センチ前進させただけで、自動人形の頭部に(やいば)の先は沈み込んだはず。

 いかに異形種の自動人形(オートマトン)とはいえ、頭部破壊は致命傷(クリティカルヒット)になり得る。人間のような一撃死こそありえないだろうが、それでも戦闘能力の半減と戦況判断に過大な影響を及ぼすことは確実だ。そうなったらシズは、果たして戦闘の継続は可能だったのだろうか。

 自動人形にはありえない冷や汗を、シズは己の面貌に湧きあがる気を覚える。

 

「デ、デルタ様! いったい、何が……?」

 

 落盤の崩落処理のために本営から弾丸を数発ブチ込み、その事後処理に赴いたはずの上官──シズを追ってやってきた混血種(ハーフ)の女が、そこで行われる一触即発な状況に目を丸くしてしまう。

 

「…………さがって。副官」

 

 それだけを言って、シズはアインズより与えられた部下をさがらせる。

 あれは、現地の存在程度では──いくらナザリックの因子を継ぐ土堀獣人(クアゴア)の混血児とはいえ──どうしようもない難敵に相違ない。彼女の名の由来である「毒」も、果たしてあの少年に通じるものかどうか。

「しかし!」と強く抗弁する女の肩を叩く気配が。

 彼等もまた、シズと同じく、至高の御方に、ナザリック地下大墳墓に忠節の限りを尽くすシモベたち。

 

『ご心配めされるな』

『デルタ様の前衛は、我等が務める』

『あなたは、鉱床内の作業員たちの避難誘導をお願いする』

 

 馳せ参じた護衛部隊に諭された女副官は、承知の声と共に後退。己の任務へと邁進する。

 そうして、不可視化を解いて現れた者たちの姿は、少女の姿を与えられたシズとは比べようもない異形を身に宿すモンスター。

 八本の(あし)に刀のごとく鋭利な刃を生やす、人間大の漆黒の蜘蛛(くも)

 その造形を見知る敵が、轟然と快哉(かいさい)を飛ばした。

 

「おお!! 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)ですな!! それも、なかなかの数です!! 実に壮健な光景だ!!」

 

 心の奥底より昂奮したような蒼髪の少年。

 

「ユグドラシルでは!! 自分は第一階層の“迷宮(メイズ)”で、まったくお役目を果たせなかったもの!! まったく!! この世界は本当に!! 愉快痛快な場所ですな!!」

 

 ユグドラシル。

 その単語を紡ぐ少年を見るシズの瞳が、ある事実を確信させる。

 

「…………おまえ、やっぱりユグドラシルの」

「おおっと!! あまりに嬉しくて、口が滑ってしまったっ!! これはいけない!! だが!! しかしです!!」

 

 ナタは大いに轟笑する。

 

「自分が言った、“ユグドラシル”という単語!! それを理解できるあなたもまた!! 同じユグドラシルの存在と言うことでよろしいのですな!!」

「…………っ!」

 

 シズは驚嘆に目を剥いてしまう。

 ただの現地人で、ユグドラシルという単語を理解できるものは、そう多くない。それこそ、アインズと個人的な盟を結んだ竜王と、彼が管理監督する浮遊都市の連中などか。

 少年から情報を得られはしたが、逆に同時にシズもまた、彼に情報を与えてしまうという愚を犯した。彼がそのように意図して口を滑らせたのか否か、判然としない。そうであるような気もするし、そうでない気も同時にありえる。

 どうにもペースを握られ続けていた。この流れはいけない。

 

「…………おまえ、絶対、逃がさない」

「おお、これはこれは恐ろしい!! ならばこそ!! 戦い甲斐があるというもの!!」

 

 依然として腕を組んだままの少年。

 最初に発動した剣群以外の武装を使うことなく、使う意図も意気も感じられない。

 まるで、それ以外それ以上の武器は“使わない”という意思表明にも見えて、戦闘メイドであるシズには、不快だった。あれだけの武装を身に帯びていて、「本気で相手をする必要がない」と、そう言外に示されていると判断するに足る行為であり、状況だ。

 戦闘メイド──戦いを目的に創られた存在として、そのような手心は不要無用に願いたいもの。

 事実、シズは完全に舐められているようにしか思えない。

 周囲を旋回する剣より射出された剣は、あの一本、だけ。

 

「…………私をバカにしてる?」

「ええっ?! そんな!? 滅相もない!!」

 

 少年兵は心底から「意外心外!!」とでも言いたげに首を振った。そんな天然な仕草すら、強者の余裕に見えてしようがない。

 シズは決意する。

 何が何でも、捕らえる。

 そして、奴の正体を、(あば)き倒す。

 自分がバカにされることは、自分を作ってくれた創造主(アインズ)たちへの侮辱と同義。

 シズ・デルタもまた愚直なまでに、敵対者への追撃と追走を敢行する。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ナタは無論、副官に「デルタ」と呼ばれる少女をバカにしたつもりなど、毛頭なかった。

 ありえないと言って良い。

 彼女と自分の力量差は、遺産級(レガシー)アイテム・浮遊分裂刃Ⅰの一振りに反応しきれなかった事実から推して知るべきところ。──ナタが思うに、彼女とのレベル差は実に50を数えるだろうと察することができる。

 にも関わらず、少女は強敵であるところのナタという少年兵──種族は花の動像(フラワー・ゴーレム)──への戦いを己に課した。その敢闘精神は、まったくもって実に素晴らしい。

 

 強敵に()えて挑む。戦う。挑戦する。

 

 それはまさしく、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の創造主と同じ心意気に他ならない。

 誰もが「無理だ」「無駄だ」「諦めろ」と(さと)した“強敵”──伝説とまで謳われた悪を標榜せしギルド:アインズ・ウール・ゴウン──に対し、ナタの創造主・カワウソという堕天使は、戦い続ける意思を持ち続けた。挑戦し続けてきた。その証明こそが、彼が創造せし花の動像(フラワー・ゴーレム)を含む十二体のLv.100NPCであり、彼が獲得した“世界級(ワールド)アイテム”の存在に他ならない。

 ナタが周囲に展開する以外の武装を解放しないのは、魔導国臣民やも知れない銃使いの少女や、この新鉱床の採掘場に存在する全作業員たちの命を(おもんばか)ってのこと。

 少年が背中に担ぐ秘密兵器たる“斧鎗”と“赤杖”の機能を解放し、近接戦闘職の技を完全に振るえば、今彼等のいるこの程度の閉鎖空間は完全に破壊されることになる。だろうではなく、確定事項と言って良い。六本の増設武装もまだ展開しない。堕天使であるカワウソが、現地の森を基礎的な攻撃スキルで更地に変えた以上の攻撃が、ナタにとっては朝の水分補給前に行える程度の通常戦闘。花の動像の全力出力でやれば、大地は焼け砕け、天雲を潰し割ることも、実際ありえる。この異世界におけるLv.100とは、そういう次元の存在らしい。

 だが、それでは、ここにいる魔導国臣民を殺戮することになりかねない。

 下手をすれば、センツウザンの市街にいるゴウやスサたち“八雲”の人々にまで累が及ぶかも。

 そんなことになっては、ナタは師父(カワウソ)から叱られてしまう。創造主を喜ばせることこそがNPCの最大の幸福であり、彼を悲嘆させ憤慨させ失望させることはNPCにとって最悪の禁忌。

 故に、ナタはここでの戦闘で、本気を出すわけにはいかなかったのだ。

 それを懇切丁寧に教えてやっても良かったのだろうが、それもまた、デルタという少女の気分を大いに害するものと推測される。

 どうにも相性が悪いようだ。

 属性的な相性ではなく、性格や精神的な相性の悪さ。こればかりは、ナタにもどうしようもない。

 寡黙な少女に、雄弁な少年は言葉を振るう。

 

「では!! ここから少しの間、本気で抵抗するとしましょう!!」

 

 勿論、本気というのは方便だ。

 本気を出せば落盤事故どころの騒ぎではない。下手をすれば、この採掘場全体が崩落し、中にいる人々を圧死させるやも。頭のよくないナタでも、そんな危険を犯すほどバカではなかった。

 

「いきますぞ!!」

 

 腕を組んだまま身構えるナタ。

 デルタが銃口を差し向け、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)複数体が刃を閃かせる──

 それと同時に、激震が少年の足元から(こだま)した。

 

「うぬ!?」

 

 ナタは〈敵知覚(センス・エネミー)〉を発動できる装備の効果を発揮し、己の足元に広がる鉱床の大地を見つめる。何かが、いる。近づいている。

 次の瞬間、大地がばっくりと裂けた。

 

「これは!!」

 

 口だ。

 幾本もの長い牙が円周状に広がり、口腔内にもびっしりと鉄色の鋭さと輝きをともす、巨大なモンスターの捕食風景。

 それに、ナタは足元の地面ごと呑み込まれかける。

 

「なんの!!」

 

 ナタは大地の破片を素早く蹴り跳ねる。彼が一瞬前まで存在した空間ごと、その細長い体躯の異形が食い千切ってしまった。

 

「おお!! ワームですな!?」

 

 この鉱床周辺を警護していたアンデッドや不可視化可能な隠密モンスターの他に存在した、地中に潜伏するタイプの、魔導国の尖兵。

 さすがに、この見た目で魔導国の“臣民”と見做すことは難しい。

 カワウソが森で斬潰した死の騎士(デス・ナイト)地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)と同様の、POPモンスターの類……臣民ではない存在と認めてよい。

 ナタは落下しつつ冷厳に判断を下し、浮遊分裂刃Ⅰの一本を手に握り、構える。

 

「ハァっ!!」

 

 気合の乗った一撃で、鉱山地帯に住まう──というよりも、ナザリックより新鉱床の周辺監視目的で連れてこられた蟲モンスター・鉄喰いの蠕虫(アイアンバイトワーム)を両断。ナタの圧倒的な腕力・物理攻撃力を乗せられた一撃は、鉄を()み噛み千切る牙と体表の硬さ強靭さを誇るミミズ状の蟲モンスターすら、まるでバターのごとく頭から尻尾まで“縦”に断割できてしまう。おまけに、周囲に展開され旋回を続ける数十本の長剣が、保有者を護る傘のごとく集中し、ワームの残骸をミキサーのごとく破砕。周囲に蟲の体液が降り注ぐ異様な臭気が立ち込める中、彼の矮躯には、周囲を舞い回る剣群が巻き起こす風圧の壁によって、一片の飛沫すら付着しない。

 これこそが、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)において“最強の矛”の力の片鱗であった。

 

「これ以上やるというのであれば!! 皆さま、相応の覚悟を!!」

 

 快活に宣告し、また腕を組み直す少年の微笑み。

 だが、その圧倒的な力の行使を前にしても、ナザリックのシモベ達は一向に、退くという選択肢だけは、採択しない。

 できるわけがない。

 

「…………バカにするな」

 

 威伏させる気で垣間見せた少年の本気だろう一撃を、冷徹に、冷静に、理解し分析したシズは、護衛部隊の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちと共に、戦端を開く。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 こうして、ギルド:天使の澱と、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、開戦の狼煙を上げた。

 

 飛竜騎兵の領地で、カワウソとアインズが死した老兵の葬儀に赴く日。

 

 互いが互いに信奉する者のための戦いが、幕を開けてしまった。

 

 戦端は、此処に開かれたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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戦端 -2

/Flower Golem, Angel of Death …vol.12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カワウソは、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の主人は、調査隊の彼等に告げた。

 

「魔導国臣民への殺傷は原則厳禁」と。

 

 だが、魔導国には“臣民階級”とは隔絶した存在として、さらに「上」の次元の存在たちが鎮座し、至高の御身たるアインズ・ウール・ゴウン魔導王への忠義を尽くしている者たちが、別に、いる。

 

 

 ──ナザリック地下大墳墓の拠点NPC。

 ──拠点内で生み出される各種POPモンスター。

 ──アインズ・ウール・ゴウン魔導王が日々、御手によって生み出すアンデッド。

 

 

 彼等は、ナザリック地下大墳墓の最高支配者として君臨する御方の忠実な従僕。ユグドラシル時代より忠勤を尽くし続けてきた至高の四十一人・そのまとめ役であられるアインズ・ウール・ゴウンという超越者(オーバーロード)への絶対的尊崇と信仰を捧ぐ“ナザリックのシモベたち”だ。

 

 彼等の特徴は、異形種が多い構成であるが故に、不老長命の強力な個体に恵まれ、しかも、NPCの特徴として自分たちの支配者に対する忠誠心は絶対的。各種国家政策や特別任務の指揮統率役として抜擢されることが多く、その成果率は信頼が置ける。

 

 それが臣民よりも上位存在として君臨する、ナザリック地下大墳墓の存在たち。

 

 そして、この異世界において。

 現地の異形種モンスター……(ドラゴン)巨人(ジャイアント)人狼(ワーウルフ)なども、“特別な盟”や“友誼”によって、ナザリックの存在に近い扱いを受ける者たちも、一部例外的に存在している。

 つまり、彼等は厳密に言えば「魔導国の臣民」とは定められていない。

 この異世界、現地における異形種は──自然発生したアンデッドでいえば、旧沈黙都市のアンデッド軍は、ナザリックの新たな尖兵として麾下に加えられ、旧カッツェ平野の幽霊船の船長などは、貴重な現地協力者として組み込まれることがほとんどである(「ナザリックを侮辱しない」「アインズ個人の琴線に触れる」などの条件・場合によりけりだが)。

 現地の存在に対して、あまりにも厚遇に過ぎると思われたこともある、この特別待遇は、しかし、無理からぬ措置でもあったのだ。

 彼等異形の存在は実に貴重であり、人間や亜人よりも圧倒的に稀少性が高い。また、アインズ自身がアンデッドである関係上、現地産のアンデッドと、ユグドラシル産のアンデッド──さらには、“プレイヤーキャラクター”であるアインズとの差異や相違を検証するためにも、彼等を「臣民」程度の地位に落とすのは、ありえなかった。他のモンスター……異形種にしても、ナザリックとの、ユグドラシルとの落差などを検証する上では、実に有意義な存在たり得た(無論、アインズを侮辱したり、彼の不興を買ったり、ナザリックに対して不遜なふるまいを見せた奴儕(やつばら)は、ほとんどその場で処刑されるか実験台として”保管”されている)。

 

 

 魔導国においては、明確な身分──“差”というものが、ただひとつだけ存在している。

 

 それは、『ナザリックの存在』と『それ以外のもの』だけ。

 

 

 それが、アインズ・ウール・ゴウンの絶対原則。

 仲間たちが築きあげたものだけが、アインズにとっての優先事項。

 仲間たちとの思い出──記憶──絆──それらすべての象徴たる、ナザリック地下大墳墓。

 

 言ってしまえば、「臣民」という存在は、国家に隷属する者の集団でしかなく、臣民内によって等級分けがなされてこそいるが、いずれもナザリックよりはるかに“下”の存在であるという認識が、実際におけるアインズ・ウール・ゴウンその人の思考であったし、そもそもにおいて、外の存在はナザリックに属する多くのシモベ達・異形種NPCたちにとって「格下」という共通の理念を、転移当初から保持されていた。「人間はゴミ」「下賤な存在」「下等生物風情が」など。

 勿論、主人であるアインズが認めた人間や亜人は、また別の扱いになる。

 なので。

 彼等のような“現地の異形種”は、「アインズ・ウール・ゴウン魔導王が認めた者たち」は、臣民とは“別格”の存在として規定されており、その重要度や戦闘能力の高さを買われ、臣民よりも遥かに高次元の──ナザリックと同等規模の扱いを受けることが認められているわけだ。彼等を「臣民」と同一視することは、むしろ彼等の価値を低く見る行為に繋がりかねない。故に“別格”の、シモベたちと同等程度の扱いがほとんどとなっている。

 

 その中でも『例外中の例外』となるのは、“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”……ユグドラシルと現地の異世界、その「両方の知識」をある程度ながら保持し、その叡智を分け与えることで100年前の“事件”を期に、アインズ・ウール・ゴウンへと協力してくれた彼は、国内では魔導王の「次席」……魔導王御一家……王太子殿下や姫君……“六大君主”などと同等にまで認定されているのだ。

 ツアインドルクス=ヴァイシオンのように半ば独立した統治領を信託されたアーグランドの竜王。戦闘メイドの一人(ルプスレギナ)と懇意の間柄を築いた信仰系魔法軍・幕僚総長などの任に就く盲目の人狼(ワーウルフ)。かつて旧カッツェ平野の霧の内に噂されていた幽霊船の船長(キャプテン)など、他にも様々な大陸各地に点在し遍歴していた異形の傑物たちが、外地領域守護者──ナザリック地下大墳墓の“外”の現地を守護する新たなシモベなどと同格か、それ以上の扱いを受けることを許された存在として、すでに100年近い時の中で、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の大陸統治に貢献し続けている。

 

 彼、魔導王陛下が推し進めた大陸統一事業による、恒久和平。

 

 彼が目的とする“アインズ・ウール・ゴウンの名を、不変の伝説にする”ための世界征服は、その伝説を永遠不変に残すための活動────世界を平和的に統治し安定させ、(きた)る「100年ごとの揺り戻し」……ユグドラシルからの来訪者に対する策謀と準備を整え、必要があれば保護を──あるいは排除を──速やかに、そして確実に行使できるように、営々と“世界の平和”を実現し実行し続けねばならなかった。

 

 さらに、アインズ・ウール・ゴウンの最大の懸念のひとつ。

 ──廃墟で出来上がった国を造っては、アインズ・ウール・ゴウンの名が泣くというもの。

 そして、いずれ現れるかも知れない仲間(とも)たちの前に、すべての種族が平和に暮らせる場所を提供したいという、切実な願い。

 かつてアインズ……モモンガがたっち・みーに救われた時のように、異形種である仲間たちが渡り来ても、安全に平穏に、日々を過ごせる場所を。世界を。

 

 それら仲間たちへの想いこそが、アインズ・ウール・ゴウンの大陸国家運営の方針を確定させた。

 

 人間も、亜人も、そして、異形種も。

 すべての種族が平和を甘受し、アインズ・ウール・ゴウンの名のもとで、幸福を謳歌する世界を。

 

 それをこの100年で実現せしめたのが、アインズ・ウール・ゴウン魔導国だったのである。

 

 

 

 

 

 そして、ユグドラシルからこの世界に転移して、100年後の現在。

 

 大陸全土に賢政を布くアインズ・ウール・ゴウンのもとに、彼等が、姿を現した。

 

 自らが定め称するところの、『アインズ・ウール・ゴウンの“敵”』──

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)──

 

 かつての仲間たちとの約束に(とりつ)かれた、堕天使の復讐者に率いられる彼らは今、魔導国の特務部隊と邂逅、戦端を開いてしまっていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ソリュシャン・イプシロン率いる特務部隊。

 影の悪魔(シャドウデーモン)たち40体──奴隷不法売買の郎党を捕縛し連行した者10体を除いて30体が、ソリュシャンの護衛として残されている。魔導国が建国されてより100年。蓄財に蓄財を重ねたアインズの親心によって、影の悪魔などの重要度の薄いPOPモンスターを大量に配備されて久しい。

 

「なめるな!」

 

 轟然と響く少女の咆哮。

 そして、それを目の前の黒い天使──イズラは、そよ風ほどの痛打も感じずに、黒い男の微笑みを深める。

 彼我の戦力比は31対1という状況であるのだが、あの余裕の表情は、戦闘メイドの矜持を大いに刺激されてならない。

 しかし、焦りは禁物。

 油断も驕慢も、すべてが命とりな状況と言えた。

 

『イプシロン様』

 

閃光(フラッシュ)〉の魔法で影の肉体を吹き飛ばされた……しかし、もともと物理ダメージを与える魔法ではない為に、まったく無傷で済んでいた影の悪魔たちが、天使の周囲空間を包囲し直す。

 その途上で、悪魔たちは警報装置に干渉し、とりあえず、この都市動力室の臣民たちを避難させる。けたたましく響くサイレン。異様な事態に怒号と指示が飛び交う。それらすべてが収まるまでの十数秒を、彼女たちは敵対者の天使共々、待ち続ける。

 主動力が機能を停滞しても、ほかに存在する動力──(メイン)に対する補助(サブ)は十分な数が揃っている。最低でも、この一室が一週間以上閉鎖されても、都市機能には問題など生じないだけの備えが。

 警報が止む。

 動力水晶の格納と停止。

 動力室の閉鎖処置も滞りなく完了──それすらも、この黒い男は突破しそうではあるが。

 悪魔の一体に差配を促された戦闘メイドは、冷徹に、己の配下を務める悪魔たちへ下知を飛ばす。

 

「……奴を決して逃がすな。ここで捕らえるか、それが無理であれば殺してでも、確保する」

 

『御意』と答えて影が離れる。

 短剣を構えるソリュシャンの行動方針は、依然として確固たるもの。

 自分に与えられた使命を、任務を、完璧に(まっと)うするという意思でもって、粘体の柔肌の内に硬い決心を構築していく。

 微笑みっぱなしの天使の実力を、漠然とながら思い測る。

 影の悪魔の追尾追撃を回避し、尚且つ、ソリュシャンの暗殺技術に対応可能なレベル。

 自分と同等以上であることは、確定情報と見て間違いない。では、その上限はどれほどになるだろう?

 Lv.70──Lv.80──まさかとは思うが、至高の御方や階層守護者各位と同じ……Lv.100ということも、ありえるか。

 相手の情報を正確に看破する魔法や特殊技術(スキル)の持ち合わせが、ソリュシャンには存在しない。いかに巻物を騙して使用できるソリュシャンでも、自分のレベル以上のそれを扱うことは不可能。光の輪を浮かべる見た目や醸し出されるオーラから判断して、アレが“天使”であることは相違ない。しかし、何しろ同じ「拠点NPC」であるが故に、その外見は完全に痩身痩躯の人間の姿でしかなかった。これが“ユグドラシルの一般的なモンスター”……熾天使(セラフィム)とか智天使(ケルヴィム)などであれば、大体のレベル帯は知識として存在していたのだが。

 実際に手合わせを重ね、繰り出される魔法やスキル、身体能力(ステータス)の高さなどから計測する他ない。

 

「く、ふふふ……」

「──なにが、おかしい?」

 

 戦闘メイドの言った覚悟が、「確実に捕らえる」という主張が、そんなにもおかしかったかと疑念を向ける。

 イズラが、手袋に包まれた拳で口元を抑えていた。

 天使が浮かべる微笑に、鳥がさえずるような息が混じったことが、ソリュシャンには(はなは)だ疑問だった。

 

「くふふ、いやいや。申し訳ない。何しろ、この状況──本格的な“戦闘”というのが、私には初めてなもので」

 

 しかも、相手が“あのギルド”“アインズ・ウール・ゴウンの配下(シモベ)”“ナザリック地下大墳墓に仕えるもの”というのが素晴らしい……などとほざき、つい笑いをこらえきれなかったのだと、続ける。

 そう苦笑をこぼし続ける男の様子に、ソリュシャンは一瞬だけ懐いた既視感のようなもの──自分もかつて、御方に直接指示を下され、任務に励んだ時と同じ感覚を覚える。そんな自分の感傷に眉を顰めつつ、油断なく天使の挙動を見張る。

 

「ああ……なので」

 

 黒い天使は、漆黒の翼を背中より伸ばし、両の手を広げ、一歩、前に。

 

「なので少しだけ、…………楽しませていただきたい」

影の悪魔(シャドウデーモン)!」

 

 ソリュシャンは咄嗟に後退した。2メートルの距離から5メートルにまで(ひら)く。

 天使が何か“しでかす”──その前に()るつもりで、命じられた悪魔たちが影を伸ばした。

 しかし、

 

『な』『に』『ッ!』

 

 影たちの爪は天使に突き刺さることなく、空中で“切断”される。

 30体がほぼ同時に。

 悪魔たちは咄嗟に身を引いた。本性が「影」である彼等にとって、物理ダメージはそこまで危険な攻撃とはなり得ない。上位者より罰として折檻を受ける際には甘んじてそれを受け入れるべくオンオフができる能力だが、それを強制的に解除された気配はない。では、一部天使の保有する加護や浄化……神聖属性の作用が?

 否。

 だとするならば、彼等は浄化の光などに触れた瞬間に、全身に毒や呪詛が這い巡らされたように、その存在を保てない。人間が強酸を浴びたような火傷を負って、その状態異常ダメージに苦しみ続けるのと同じ。

 しかし、影たちは健常であった。

 

『貴様!』『今、何をした!』

 

 天使の攻撃モーションは確認できなかった。少なくとも影たちは、何が起こっているのか見当もつかない。

 だが、攻撃動作は、すでに終わっていたのだ。

 天使が両手を広げた時に。

 

我が主人(マスター)より賜った“暗器”のひとつを使用したまでですよ」

 

 歩き続ける天使が告げた事実に、ソリュシャンは隠密の眼を凝らし視た。

 メイドの鋭い短剣を受けても(ほつ)れ一つ生じなかった、奴の手袋に注目する。

 その指先から伸びる、10本の鋼線(ワイヤー)

 鋼の線は、まるで己の意志を得たかのごとく、海月(クラゲ)の触手のようにのたうち、次いで金属質な音色を奏でる弦のように、──ピン──と、その極細の線を張り詰めさせる暗器。

 古今東西、多くの物語で登場する“糸”の暗殺道具。

 それが、イズラに与えられた基本武装のひとつであったのだ。

 鋼線は、敵対者たちの爪撃のはるか前方で待ち構え、まるで仕掛けられた罠に獲物がかかったかのような絶妙のタイミングで、影の三次元化した手指を緊縛、一瞬にして巻きつき、悪魔の腕を斬り落としていたことがわかった。

 理屈は簡単だが、全周囲を包囲された状況で、適確に、迅速に、悪魔たち全員に反撃を行える力量はとんでもない。ソリュシャンでも難しい次元の処理能力だが──アインズや階層守護者であれば、この程度は容易に行えるだろうという事実。

 

「……ひとつ、()かせてもらうわ」

 

 天使は「はい、どうぞ」とでも言いたげに、清らかな微笑みで首をかしげる。

 

「貴様のレベルは……まさか……?」

「ふふ。さぁ、どうでしょうねぇ?」

 

 自分の名前以外のすべての情報を秘匿するように、天使は微笑の色を鮮やかに彩る。

 黒尽の衣服からはかけ離れた純白の清顔。それが眩しいほどに輝かんばかりの表情で、十本の鋼線(ワイヤー)手繰(たぐ)る。

 

『ぐぉ!?』『くそ?!』

 

 包囲していた悪魔数体の胴が、見えない万力でねじられたように千切れた。通常生物であれば即死は免れない攻撃であったが、影たちに対しては、魔法などの物理手段以外の攻撃でなければ効果が薄い。攻撃を受けた瞬間に身体を二次元化……いわゆる「影」の形に変換してしまう仕様なのだ。

 悪魔たちは影から復活し、天使の愚鈍さを(わら)った。

 

『馬鹿め!』『我等に物理攻撃は通じぬ!』

「ええ。わかっておりますよ?」

 

 そんなあたりまえなことは言わなくても心得ていると、イズラは悠然と、ゆっくりとした調子で、歩み続ける。

 部隊の指揮官──影の悪魔とは一線を画す存在たる戦闘メイド──ソリュシャン・イプシロンの方に。

 目的がはっきりした歩調で、彼我の相対距離を詰めていく。

 

『貴様!』『止まれ!』

「私を止めたければ、頑張ってください?」

 

 悪魔たちは爪牙を伸ばす。手足や胴、翼が千切れようとも自らの特性に任せた特攻を仕掛け続けるが、天使には一指も届かない。

 影を切断するほどの超高速で周囲を巡る鋼線の軌跡が、悪魔たちの攻撃・実体化した手足をもぎ取る方が早い。

 彼等には、イズラを止める手段がなかった。

 

『壁を!』『イプシロン様を守る壁を!』

 

 30体の影たちはスクラムを組むように折り重なり、巨大な黒い隔壁を築き上げる。

 その形状のまま、ブーツの靴底を前に進め続ける男へ猛進──影で構築された津波を作り上げたのだ。

 しかし、それもイズラには届かない。

 

「数で押してこようと駄目です。あなた方は物理攻撃には無敵の“影”でありますが、同時に、物理攻撃を加えるには、自己を実体化させる必然を有する。──ですから」

 

 指揮者(コンダクタ)のごとく下から上へと手首を振り回すイズラ。

 瞬間、鋼線が津波を上から下に引き裂いた。まるで海が割れるかのごとく、黒い壁が天使の脇を素通りしてしまう。

 

「あなた方で、この私を止めることはできないと、ご理解していただけるでしょうか?」

 

 壁を解いた影の悪魔たちが遮二無二になって襲撃を重ね続けるが、いずれも天使の表情に、一滴ほどの影を落とすことはない。天使はすでに、目標との差を1メートル以内に詰めようとしていた。

 

「チッ!」

 

 目標であるところのソリュシャンは背中を見せることなく、さらに後退の跳躍を試みる。

 天使は聞き分けの無い児童を優しく見守るような表情で、ソリュシャンとの距離を詰め直す。

 

 戦闘メイドの粘体の瞳は、その光景を凝視し続けた。

 イズラの能力──彼のレベルを推し量るために。

 

 力の差は歴然。

 魔導国臣民では抵抗することも難しい影の悪魔に対し、イズラは優勢に事を運び続けている。

 ありえない力量の落差。両者の間には、測り知れないほどの高低が存在すると、認めざるを得ない。

 故に。

 ソリュシャンは短剣を体内にしまうのと同時に、緊急要請(エマージェンシー)を──〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を手から突き出すように取り出し、発動させるべく封を切り広げ

 

「何をされるおつもりで?」

「!?!」

 

 ──ようとして、巻物を握るメイドの手に、天使の手袋が添えられていた。

 影の悪魔たちどころか、ソリュシャンの鋭敏な感知をもすり抜けて、イズラはまったく気配を殺した暗殺者の歩行で、戦闘メイドの近くまで、一瞬にして歩み寄ってしまっていたのだ。

 

「これは? ああ、〈伝言(メッセージ)〉の? ドチラに繋ぐのでしょう? やはり、ナザリック地下大墳墓に?」

「貴様ッ!?」

 

 ソリュシャンは悲鳴のような絶叫とともに、湧き上がる激憤のまま徒手攻撃を敢行。武器を突き出す一行程(ワンアクション)すら惜しい。

 粘体の酸性を表出できる左手は、しかし、天使の外套の端すら捕らえられない。

 

「何っ?!」

 

 そしておまけに、ソリュシャンのもう片方の右手で堅く保持していたアイテムの巻物が、いつの間にか、消え失せている。

 

「この異世界にも巻物(スクロール)があることは、商店街などを拝見して確認しておりましたが──なるほど。やはりナザリックの方々も、巻物を使うようですね。よい勉強になります」

 

 メイドの攻撃から遠く離れたイズラは言いつつ、〈伝言(メッセージ)〉の巻物を閉じる。ソリュシャンは恥辱にも近い粘体からは程遠い炎のごとき憤りに、表情を震わせた。

 あろうことか、ソリュシャン・イプシロンが、敵にアイテムを奪い取られていた。

 特務を受諾した際、万が一の緊急連絡用手段として賜っていたアイテムを──戦闘メイドの、……自分が!

 

 無論、イズラの能力が、ソリュシャンのそれを遥かに上回っていることの実証である。

 彼が習得している“盗賊の達人(マスターローグ)”は、ある程度の盗賊対策を突破することは容易い。いかに同じ盗賊系のレベルを修めるソリュシャンであろうと、彼とのレベル差がありすぎた。上級職の高レベルの存在に圧倒され、手玉に取られてしまうのは無理からぬ事象に過ぎなかったのである。

 

 しかし、そんなことはソリュシャンの(あずか)り知るべきところではない。

 

「こちらの巻物(スクロール)は、しばらく預からせていただきます。この戦闘が終わるころには、ご返却して差し上げ」

「ふざけるな!」

 

 いますぐに奪還しなくては!

 あれがなければ、ソリュシャンは〈伝言(メッセージ)〉が使えない。

 否。それどころか、敵にみすみすと……ナザリックにて生産されたアイテムを奪われたままでいるなど、ソリュシャンの矜持(きょうじ)が許さない。

 考えられるだけの最悪の事態……この目の前の天使を取り逃がし、アイテムを奪われたまま終わるという事態に陥るというのは、ソリュシャンというNPCにとっては、シモベにあるまじき怠慢にしか思えない。

 あれ以外の、奪取されたもの以外に複数用意された〈伝言(メッセージ)〉の巻物を使うということは、ありえない。すぐ取り出し、使用しようとしても、また先ほどの窃取行為を再現するだけになることは確実な未来。低位の巻物であろうとも、あれはナザリックの財物であり、広く見れば、アインズ・ウール・ゴウンその人から支給された宝重の一種とも言える。少なくとも、シモベたちの思考から言えば、むやみやたらに消耗すべきものではない上、再び奪われでもしたらソリュシャンは自害程度では済まない失態を演じることになる。

 あまつさえ、それだけの品を、あの天使に……不遜な態度の侵入者に奪われたままでいるなどというのは、あっていい論理では、ない。

 だが、

 

『イプシロン様』

 

 影の悪魔(シャドウデーモン)に耳打ちされた内容に、激高に沸騰していた意識が冷却される。

 

「──わかりました。では、次は時間を稼ぐ」

『御意』

 

 限りなく潜めた小声の遣り取りを終え、影はソリュシャンの耳から遠ざかる。

 天使がかすかに眉を沈めた。奴の微笑に僅かばかりの(かげ)を落としてやった。

 今、影の悪魔より伝達された事実。

 ナザリックへの緊急要請(エマージェンシー)は、彼等悪魔の同族間における思念伝達能力によって、不法売買の郎党を捕らえた際に別れた10体へと通達。彼等は王城へと駆けて、ナザリックへの緊急要請を、ソリュシャンたちの代わりに通達することができたという報せを、今まさに、同族との思念伝達による返信を受けたものから連絡された。

 戦闘メイドは胸を撫で下ろす。

 とりあえず、これでソリュシャンの戦況は、守護者各位の知るところとなる。ナザリックからソリュシャンへ〈伝言(メッセージ)〉が届かないのは当たり前な措置だ。眼前に敵がいる状況で、“声を発しなければ、こちらの意思を伝達できない”魔法を飛ばしても、脳に響く相手の声に意識を持っていかれ、敵に大きな隙を与えかねず、さらには貴重な情報まで自分の口から漏洩しかねない。気の聡い個体だと、発生した魔法の気配を感知することで、〈盗聴〉や〈追跡〉を行えるものまである。あの天使がそれほどの性能を持っていたならば、(いたずら)に魔法の連絡を取るのは、けっしてよろしくない措置である。

 となれば、ソリュシャンの次の行動は決まっていく。

 目の前の黒天使を、戦闘メイドはなんとかこの場に引き留め続けなければ。

 ナザリックより増援が送られる、その時まで。

 

「駄目ですよ? 隠密が、そのように声を荒げては」

「──声を?」

「『次は時間を稼ぐ』ですか」

「ッ!!」

「どうやら増援を呼ばれたようですね? まぁ、それは致し方ない──」

 

 まるで教師のごとく優し気な声が、ソリュシャンには耳障りだった。

 そうして、目の前にいたはずの天使が、霧か霞のごとく、存在を薄くしてしまう。

 高位階の〈不可知化〉に似た潜伏能力。一切の気配が、ソリュシャンや影の悪魔たちの認識を超えた領域に隔離されようとする。

 

「逃げるつもりか、キサマ!?」

 

 ソリュシャンの激発のごとき声音に、意外にも返答があった。

 

「逃げる? ふむ……そうしたいのはやまやまですが。せっかくなので、あなた方にいろいろと訊きたいこともありますし」

 

 影たちに襲撃され続けるのに飽いたがために、天使は捕捉不能な隠形によって、純粋な質疑応答を求めたようだ。そのままここから逃げ出さないのも、せっかく有用な情報源たちを目の前にして、この機会にそれを利用しないでいるのもどうかと思われたが故。

 

「──訊きたい、だと?」

 

 戦闘メイドは応じてみる。

 いったい何を?

 

「アインズ・ウール・ゴウンについて」

 

 天使の明朗な疑問に、メイドは二の句が継げない。

 ソリュシャンの事情や心象はどうあれ、自分の主君の名を──至高の四十一人のまとめ役であられる御方を呼び捨てにする不遜はもちろん、──次に天使が求めた“情報”もまた、悪辣な取引に思えてならなかった。

 彼女の、天使に対する脅威認知度が格段に上昇したことに気付いているのかいないのか──イズラは長いこと謎のままであり続ける疑問への解答を求めた。

 

「私は、我がマスターから与えられた知識……うぃき(Wiki)情報? とやらで、あなた方のギルドのことは、ある程度の知識を得ております」

 

 ソリュシャンは戦慄した。

 

 

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、ユグドラシルにおいては“伝説”とも称された、あの「1500人全滅」によって名を轟かせた、最高時にはギルドランキング第九位に位置していた、十大ギルドの一角。

 彼等の情報は、ユグドラシル最盛期頃において、かなりの重要度を占める価値があり、その主要メンバー構成やチーム戦術、ギルド拠点を守護する拠点NPCの種類やレベル分布、悪辣なトラップの位置や罠の先に控える阿鼻叫喚のR-15規制必至やもしれぬホラーアトラクションの数々は、あまりにも有名であったのだ。部屋全体を黒い甲虫が埋め尽くすとか、腐肉赤子(キャリオン・ベイビー)に囲まれた黒髪の狂女とか、子供が見たら号泣レベルの作りこみであった。

 ユグドラシルが低迷と衰退を遂げた時期を迎えても、最盛期当時はスレを大いに賑やかしたギルド:アインズ・ウール・ゴウンの情報は、ネット上で……他のプレイヤーが取得できる限りのものが、そのまま残されたままになっていたのだ。

 

 もちろん、その中には当然のごとく、ギルドの長を務める最高位アンデッドの外装を持つプレイヤー、“モモンガ”に関する記述もあった。

 

 カワウソは、これらの情報を可能な範囲で収集し、ナザリックの再攻略に挑み続けたわけだが、その結果は──

 

 

 

 ともあれ、イズラは自分たちの正直な疑念の「第一」を、ぶつけるしかない。

 

「何故、“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗る、つまり“ギルドの名”を(おのれ)に冠する魔導王が、この異世界に君臨しているのです? 魔導王の種族は、最高位アンデッドである死の支配者(オーバーロード)であると聞き及んでおりますが──かの王が、あなた方のギルドの「(プレイヤー)」と同一人物だとするならば、その名称はアインズ・ウール・ゴウンでは“ない”はずでは?」

 

 戦闘メイドは瞳の色だけを危惧の色で歪めざるを得ない。

 奴は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の、“それ以前”の御名を……知っている。()っている。

 その事実が、あまりにも怖ろしく、(おぞ)ましい。

 

「それを──!」

 

 ソリュシャン・イプシロンは、意趣返しも込みで叫び吼えた。

 振り返り仰ぎ見た地下空間の天井に佇む黒翼を、暗殺者の鋭敏な知覚能力が、ついに捕捉。

 

「それを、私が、教えるとでもッ!?」

 

 見る間に、少女の白雪のごとき指先が、黒く、ゴプリと、濁る。

 手指に現れたこれは、「毒」だ。

 ソリュシャンは、猛毒、劇毒、睡眠毒、神経毒、出血毒、幻覚毒、誘惑毒、致死毒など、多種多様な毒物を“ポイズンメイカー”Lv.4の特殊技術(スキル)で自由自在に生み出すことができる。そのための各種アイテム──薬草・溶液・粉末・毒性物質を、スライムの体内にある空間に隔離・備蓄している。

 己の体内で毒の濃度や配合を調整し、各種状態異常(バッドステータス)を誘発する毒物アイテムを生成。

 それを、細く、細く、限りなく細い糸状に伸ばした十本の指先に込めて、極小の注射器のごとく天使の肉体へと注入すべく、解放。ちょうど、イズラが見せた鋼線のそれと似た様になる。

 振りぬいた指の先端部を鋭利に硬質化させ、さらに武器などの物品(アイテム)をある程度まで溶かす酸を塗布・分泌している。

 隠密職は仕様上、攻撃や防御をする際、隠形したままでいることは、出来ない。正確にはできなくもないが、その状態での攻撃力や防御力は激減するので、直接戦闘を行うのには適さない。イズラは迎撃のために隠密スキルを解除し、鋼線を伸ばすが、それも戦闘メイドは対策案を実行済。

 天使の武器である鋼線を逆に焼き融かし、武装を破壊して突き進む粘体の注射針は──

 

「いいえ。ただ、純粋な興味で訊いただけです」

 

 微笑む天使の外套を、防御態勢に使われた両腕や太腿部分に命中・貫通し、その下にある肉体に注入されたはずの毒は、ひとつも、効力を発揮しない。

 天使の種族特性には、毒に対する抵抗ボーナスは存在するが、完全に無力化するには無理がある。今回ソリュシャンが生成した十種類という数は、確実に何かしらの異常異変を天使の身体状態に付与させて然るべき暴威のはずだった。

 しかし、イズラだけは例外であった。

 

「そんな……なぜ?」

「おや、お忘れですか? 私は暗殺者(アサシン)。毒に対する耐性は、通常天使のそれよりも頑健なものになる。それくらい、同じ暗殺者であるあなた自身も、知っているべきでは?」

 

 知ってはいた。ソリュシャンとて暗殺者のレベルの保有者。

 だが、それでも、イズラの保有するレベルは別格に過ぎた。

 

 ユグドラシルの、ゲームの仕様上、毒物を生成・使用する存在にも、毒物に対する耐性が原則必須となる。酸素が必要な人間などの種族であれば、自分が錬成した毒の霧を吸い込んだり、毒液が皮膚に付着したりするなどして、毒物を摂取しやすい環境下に置かれる以上、毒対策は欠かすことができない。防毒マスクや防護スーツなしで、現実の研究者が毒物の調査や製造をする危険を冒すことがないように、ユグドラシルにおいても、種族特性や職業スキル、あるいは魔法や装備類の耐性付与によって、毒を吸入・罹患しない対策を講じねばならないというリアルさが追求されていたのだ(もっとも、たいていの職業レベルにはそういった属性への耐性が付加されているものなので、よほど強力かつ大量の毒でもなければ、レベルが100になる頃には、通常の毒は人間種でも効きにくくなる)。

 その点、現実世界においても「毒殺」による暗殺術を駆使するアサシンという職業は、毒への強い耐性を獲得するのは当然の仕様とも言える。

 この時、もしくは「毒」以外の状態異常──冷気属性などの天使に対する特効手段を行使できればよかったのだが、ソリュシャンの種族と職業に、そんな芸当はできない。

 

 そうして、ソリュシャンは気づいていなかった(あいにく気づく手段もなかった)が、イズラの正確なレベル数値──暗殺者(アサシン)のレベルは最大上限の15。暗殺者の達人(マスターアサシン)に至ってはLv.10にもなる。対するソリュシャンは、Lv.2とLv.1。その性能比は、大人と赤子ほどと言っても、過言とは言えない。それだけの暗殺者のレベルが積み重ねられたイズラの毒に対する耐性は、ほとんど完全完璧と言える。

 これだけの差を埋めてくれる装備品を、それほどの至宝を下賜してくれた創造主やアインズのおかげで、ソリュシャン・イプシロンは上位互換とも言うべき天使(イズラ)との暗闘をやり遂げられていた。

 何しろ、イズラの中で最も価値のある装備品は、遺産級(レガシー)アイテムの“本”がひとつだけ。それ以外のアイテムのランクはたかが知れていた。

 

 この100年の間、ソリュシャンは自分以上の強者──Lv.100という圧倒的な力を保持するものと、正真正銘“敵対”するという機会には恵まれていなかった。彼女だけではない。ナザリックに住まうほとんどの者は、この異世界で圧倒的強者と対峙し退治すべく邂逅する、などという事態はほとんどありえなかった。それ故に、彼女の無意識下での慢心は必定ともいえた。しかし、冷静に戦局を読みつつ、自分に出来る最大努力を成し遂げる意志力にあふれてはいたが。

 ──故に、と言うべきか。

 戦闘メイド(ソリュシャン)は認められない。

 認めたくない。認めていいはずがない。

 

 自分よりも高位階の暗殺者が──自分よりも高次元の敵が、己の眼前に立ちはだかっているという、事実。あるいは、ソリュシャンがマスターアサシンLv.1を修めていなければ、イズラの影に気づくことはなく、このような戦闘状況に陥ることはなかったのやもしれないが、それを言っても詮無きこと。

 無論、ソリュシャン自身も、自分がLv.100などの守護者各位よりも劣悪なレベルであることは心得ている。それは歴然とした事実として認識できている。だが、それとこれとは話が違う。

 自分は至高の御方々の一人──古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)たる創造主・ヘロヘロによって創られた戦闘メイド。

 そんな自分が、栄えあるナザリック地下大墳墓を守護するという栄誉を賜った自分が、あの堕天使の、天使ギルドと思しき“外”の存在に「劣る」という事実を、受け入れるなど、ありえない。

 認めてしまえば、それはソリュシャン・イプシロンを生み出してくれた創造主(ヘロヘロ)の力が及ばなかった──劣っていたのだと、彼女自身が見做すことになりかねない。

 それだけは、ソリュシャンの誇りが、信義が、忠誠と愛敬が、許さない。

 謎の天使に──アインズ・ウール・ゴウンより派遣されし特務部隊への抵抗を続ける存在に、ソリュシャンは問いかける。

 問いかけずにはいられない。

 

「おまえは何だ? おまえたちの目的は?」

「……“おまえたち”?」

 

 しまった。

 ソリュシャンは己の焦燥が招いた不手際を即座に自覚する。

 天使は自分が“複数人”で行動しているようには振る舞っていない。にもかかわらず。ソリュシャンは“おまえたち”と言ってしまった。連中を監視していることがバレる可能性が増大しかねない。奴らのギルドの情報を欠片でもいいから入手したい一心で、気がはやってしまった。これが元で、アインズに失望されないだろうかと、半ば恐慌じみた感情に支配されかける。

 吐いた言葉は戻らない。

 涙の雫すら己の体内に戻せるスライムでも、それだけは、覆しようのない事実であった。

 

「──“私たち”の目的が知りたければ、どうぞ力づくで、聞き出していただきたい」

 

 イズラは悠然と微笑んだまま、ソリュシャンの言に乗っかってくる。

 不審に思われはしたが、彼自身も思うところがあるのか……それこそ、この都市に入ったときは、蒼髪の少年と行動を共にしていたのだから、その線で納得を得たのかも。

 いずれにしろ、状況は変わらない。

「力づくで」と言われはしたが、それができれば苦労はない。

 ソリュシャンは無表情を面に構築しつつ、額ににじみ出る汗(これも涙同様に粘体の内部に戻っていく)を煩わし気に掌で拭い吸収する。

 次の手をこまねいている間、影の悪魔たちが天使の包囲網を構築しつつ、憤懣やるかたない調子で口々にしわがれた声で囁き始める。

 

『不遜な天使め』

『ナザリックに楯突くつもりか』

『御方に弓引くことがどういうことか、わからせてやる』

 

 中でも、最前列の数体が、特に強硬な姿勢を見せた。

 

『我々を未だ一人も殺せぬ、下級天使風情が』

『まったくもって片腹痛い。貴様らの兵力は、随分とお粗末なようだ』

『これでは、貴様の“主人(マスター)”とやらの程度も知れるというも』

 

 の、と続ける間もなく、言っていた悪魔の肉体が、影が、まるで重力にでも引き寄せられるように、前進。

 そして、

 

 

「── イ マ 、 ナ ン ト イ ッ タ ?」

 

 

 天使が問い質した。

 が、(ただ)された悪魔は困惑と激痛に支配され、意味のない言葉を吐くしかない。

 肉の引き裂ける、音と、影の黒い血と、共に。

 

『な……、……に?』

 

 ソリュシャンたちは正視した。静止してしまった。

 

「今──我がマスターを、侮辱したな? 貴様が? キ サ マ ラ ゴ ト キ ガ?」

 

 薄く微笑みっぱなしの男の口調が、壊れた電子音声のごとくひび割れてしまう。

 物理攻撃から身を守るのに最適な二次元上の平面の影に自動で変えられる能力を無視して、黒い天使が、悪魔の中心へと、黒い聖釘のごとき右腕を突き上げている。影に転化する間もない、致命的な攻撃(クリティカルヒット)。天使の手中で、黒い悪魔の心臓が、かすかに鼓動を奏でる様子が見える。

 胸から背中へと突き出された臓物の意味。

 悪魔は、天使の一撃によって、完膚なき“死”を与えられた。

 

 おかしな光景だ。

 あまりにも奇妙な現象だ。

 

 天使はその場から一歩も動いていない(・・・・・・・・・)。なのに、まるで影の悪魔が、自らが望んでその傍に近づいたような、そんな形で凶行は成し遂げられた。無論、悪魔が自殺のために飛翔したわけがない。貫かれた悪魔本人が、起こった出来事に理解不能な表情を浮かべ、ガクガクと痙攣し始めている。その周りにいるソリュシャンたちも、目の前の現象に瞳を丸くするばかり。

 奴が、イズラが何かを仕掛けたのだ。

 だが、その全貌がつかめない──わからない。

 一体、何の魔法や特殊技術(スキル)やアイテムの効果か、本気で判別不能だった。

 

『げ、アアア、あ……』

 

 黒い血のような液体を吐き零す影の悪魔が、しわがれた断末魔を最後に、黄色く輝く瞳から光を失う。

 (イズラ)主人(マスター)の侮蔑を連ねてしまった憐れな一体が、黒い手袋に胸の中心を貫かれ、その心臓を、悪魔の翼をはやす背中から露出され、果てた。

 物理的な心臓掌握と強制摘出。

 悪魔の黒い臓物──存在の核を、イズラが易々と握り砕く。水袋を掴み破られたように、黒液が溢れる。

 瞬間、雑魚モンスターらしいあっけなさで、影の悪魔の残骸は粉々に砕けて、(ほど)けた。

 血振りするように、何も付着残留していない腕を払うイズラ。

 死体蹴りを行うかのごとき冷酷さを伴って、黒い天使は一歩を──前に。

 

「我がマスターからの絶対命令は、『魔導国“臣民”への殺傷は原則厳禁』というもの。

 ──ですが、ここにいるあなた方は、“臣民”とは一線を画す者…………ただの、“ナザリック地下大墳墓の存在”。で、あれば」

 

 ただの“怨敵”に向かって前進し続ける声。

 死を与える天使は眼を見開き、傲然と、そこにいるすべてを嘲笑するかの如く、宣告する。

 

 

 

 

 

「殺しても別に問題ないよな?」

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 影の悪魔(シャドウデーモン)より、ナザリック地下大墳墓へ──緊急要請(エマージェンシー)

 

 本日。

 第一生産都市・アベリオン、地下第五階層よりさらに下層地にて、正体不明の敵と、邂逅。

 戦闘メイド(プレアデス)、ソリュシャン・イプシロン率いる特務部隊が、交戦。

 姿を現した敵の形状から、下級天使種族と断定。

 件の天使ギルド……スレイン平野に出現せし、ユグドラシルの郎党の一人と推測される。

 

 ──応援を、求む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日更新


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戦端 -3

※注意※
この物語は、原作キャラとの“敵対”描写が多分に含まれております。


/Flower Golem, Angel of Death …vol.13

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「最悪です、後手に回りました!」

 

 ナザリック地下大墳墓。最奥の中の最奥である第十階層・玉座の間にて。

 

「現在、ソリュシャン・イプシロン様が、生産都市地下階層区画の主動力室にて、天使と思しき存在と遭遇したと!」

 

 赤熱神殿より派遣された魔将たちや配下の悪魔、ナザリックの近衛兵たちが、国内において重要用地のひとつと目されるべき第一生産都市──魔導国建国より早期に建造された“食料庫”とも言うべきかの地より届けられた急報に、情報が錯綜していた。

 

「天使だと? その情報の確度は?」

「天使種族固有の光輪(リング)が確認されております」

「さらに。あのスレイン平野に現れたギルドの一味の内一体と、外見的特徴が一致しているとの報告が」

「それは事実か? ほかの、ユグドラシルの存在という可能性は? 万に一つ……億に一つもないと?」

「確かに。何かしらの幻術や精神干渉の影響もありえるか?」

「他のユグドラシルの存在が化けている可能性が?」

 

 この時、警戒されたのはナザリックが捕捉できている天使ギルド以外の存在……第三者が何らかの方法でソリュシャンたちの認識を錯誤させ、漁夫の利を得ようと画策している可能性だ。

 しかし、

 

「だとしたら何だ? みすみすこれを放置せよと?」

「いやそうはいっていない! だが可能性がある以上は、迂闊な行動は」

「そうして手をこまねいているうちに、イプシロン様がどうなっては御方に申し訳が立たんぞ?」

「イプシロン様や影の悪魔たちは、万が一の可能性を潰すべく事実確認と威力偵察──地下侵入者たる天使の確保に励むとのことだが」

「要請された応援は、アルベド様が選抜するとのこと」

「あの、……天使ギルドだとすると……今、アインズ様の身に、危険が?」

「いや、だが! 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)領内からの定時連絡では、まったく問題ないと、後方支援に向かわれているマーレ様から!」

 

 アインズが外で活動する上で──しかも、未知のユグドラシルプレイヤーと行動を共にする上で、守護者が一人も共につかないという状況は、忌避されて当然の事態。無論、そうやって隠密や近衛を大量に引き連れての行動は、同じユグドラシルの存在に対しての有効性は薄い。連中が看破や感知に特化したレベルやアイテムの保持者であれば、悉く裏目に出る結果しかない。だからこそ、御方は今回の同行者を、同じ冒険者の偽装身分を与えられたエルピスのみに限定し、唯一の供回りを許した。

 しかし、いくらエルピスという孫娘がかなりの位階の魔法詠唱者に成長しているとしても、バックアップ要員は多いに越したことはない。

 しかも、あの領地では既に三日前、ホーコンなる長老が黒竜を増産し統御して、国内に反抗の種子をバラまこうと画策した忌むべき土地。そこに住まうものに罪はないとしても、一度はアインズ本人から支援要請を賜った以上、警戒は深めておく方が道理といえる。そのために、当初は予定していなかった後方支援が急派されたのは、アインズからの了承も半ば強引にアルベドたちが取り付けていた。

 だが、ユグドラシルにおいて悪魔種族に分類されるアルベド、コキュートス、デミウルゴス、そしてアンデッドの吸血鬼であるシャルティア、竜人のセバスなどの守護者たちでは、長期的に連中の傍にいることは控えられるのが当然の選択。何しろ、あの堕天使の随従として傍にいる女天使は、アインズの見立てによると悪魔や竜種への特効を有していることが確認されており、また、高位階の天使──“熾天使”というのは、そういう悪魔や竜などの存在に対する敵対能力の強さから、そういった魔や竜への知覚力もずば抜けて高い傾向にある(だからこそ、受肉化によってほぼ常時人間化している上にアンデッドの気配を断つアイテムを有するアインズや同様にモンスターの気配を断つアイテムを持つエルピス、人間の血が混ざっているセバスの娘・マルコの正体を、彼女(ミカ)は正確に看破することは出来なかったと思われる)。ナザリックがこの異世界で開発した〈認識阻害〉などの新魔法によって、ホーコンという大罪人を回収すべく赴いたデミウルゴスは女天使に認識されていないことは確かだが、今後も絶対に大丈夫という保証は得られていない(あるいは、ミカはあえて無視している可能性も、ナザリック側から見れば、なくはない──彼女自身の知覚力については、未知数な状況だった)。

 そこで、ナザリック内で数少ない人間種であり、守護者内での力量は二番手に付ける闇妖精(ダークエルフ)のマーレが支援役に抜擢されたというのは、当然の選択結果である。

 

「アルベド様は今?」

「ナザリック内にいるシャルティア様とアウラ様の直接召集、及び、大浴場の“彼”に状況説明を」

 

 ちなみに、魔将たちの直接の主人たるデミウルゴスは、つい先日入手した「若返り実験」のための検体(サンプル)と共に、第十四魔法都市で実験中。コキュートスやセバス、パンドラズ・アクターなどについては、ナザリック外での国政業務などに従事している真っ最中だ。

 

「アルベド様には、状況が深刻になり次第、(しら)せよと命じられている」

「そうか。いや、だが、特務部隊の状況は、どう見ても(かんば)しくないぞ?」

 

 報せを発したのは、アベリオンにて行われていた奴隷不法売買を締め上げた特務部隊。

 その中でただの護衛雑務役として、戦闘メイドの配下に組み込まれた影の悪魔(シャドウデーモン)たちであった。悪魔特有の同族同士の思念による意思伝達能力は、デミウルゴスや魔将たちも有する特性である。

 現在、ソリュシャン率いる特務部隊の戦闘状況を監視しているのは、都市内監視用の、動力室内に備え付けられたゴーレムの眼を通しての映像だ。彼等が追跡し追撃を加える対象となる黒い天使は、確かに特徴的な光の輪を、頭の上に浮かべ、微笑んでいる姿が確認できる。いかに高位の潜伏能力を有していようと、直接戦闘を続けながら隠れ潜むことは難しい。

 ナザリックが誇る監視役であるニグレドは、現在スレイン平野のギルド拠点の監視に加え、飛竜騎兵の領地に赴いた堕天使と女天使、さらには冒険都市で活躍中の銀髪の拠点NPCと思われる存在を捕捉・監視している。

 しかし、いかにニグレドや、その補佐であるルチやフェルたちが優秀だからと言っても、監視の目を分散し拡散させる行為は一朝一夕に行うのは難しい。魔力量が尽きればペストーニャやルプスレギナ、彼女らの子どもたちなどの神官から供与されることで回復も可能だが、何しろ相手は同じユグドラシルの存在。迂闊に監視を続けるのも、相応の危険があるやもしれないと覚悟しておかねば。

 そのためにも、いざとなればミニゴーレムの損壊だけで済むだろう監視映像で現状は何とかなっている。

 だが、

 

「クソ! アインズ様のせっかくの御配慮が、これでは台無しに!」

 

 強欲の魔将は頭を掻いた。嫉妬と憤怒が彼の吐いた毒に頷きつつ、宥める。

 アインズ・ウール・ゴウンとして、彼等全員が信奉の念を惜しまぬ至高の御方々のまとめ役であられる彼が、現れた堕天使プレイヤーをこの異世界で飼い殺す──ではなく、あろうことか“友好関係”を結べはしないかと接近を試みた事実は、すでにナザリックの全シモベの共通認識として布達されている。

 にもかかわらず。

 連中のNPCと思しき個体が、天使という異形種でありながらも人間然とし過ぎた姿でいる者が、あろうことか、魔導国の部隊と、──交戦。まさに最悪な横槍と言える。さらに悪い可能性は、これが第三勢力──他のユグドラシル関係者による姦計であったなら。

 友好関係構築の企図は、これで御破算に──

 

 否。

 まだ希望はある。

 

 あの黒い、イズラと名乗った天使を、どうにかして停戦させればよい。

 だが、そのための妙案が、魔将たちの頭脳では欠片も思い浮かばない。

 魔導国の法に基づいて……は、そんな法律がないため不可能。ユグドラシルの存在をどうこうするなどという法を布達するにしても、肝心のユグドラシル関係者がそれを順守するいわれも理由も薄い。何より、ユグドラシルの存在は最上位秘匿情報──トップシークレットに該当する重要案件であるため、国内・大陸全土においてそんな存在がいることを認知しているのは、ツアーなどのごくわずかな例外しか存在していない。

 ソリュシャンたちの立場上、『天使を見逃せ』という指示を送るのは、ありえない。彼女の行為行動は、与えられた任務内容に即した展開であり、それを反故にせよというのは、魔将たちの判断からみてもシモベにあるまじき暴挙としか思えない。そんなことをすれば、彼女に特別な任務を与えたアインズの面目を潰すことになる──それは、畏れ多いを通り越している。絶対にあってはならない。

 ソリュシャン・イプシロンは御方々の一人であられる古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)・ヘロヘロ直製の戦闘メイド。この世で最も尊き存在である四十一人のうちの一人に生み出された存在は、アインズが最も尊重し重要視するナザリック地下大墳墓の親愛なるシモベ。それほどの存在に抵抗し、武器と戦意を向ける天使の愚劣さが、魔将たちにとっては噴火寸前の火山のごとく、冷静沈着であることを拒絶させた。

 

 それでも、彼等は努めて状況を分析し続ける。

 

 現在、御方に報告・奏上するタイミングとしては、かなり微妙なところだ。

 何故なら。

 飛竜騎兵の領地にて、(くだん)の堕天使プレイヤー・カワウソと行動を共にしている──現在、共に朝食をとり終え、予定通り飛竜騎兵の老兵の葬儀に赴くような状況において、()いて報せに(はし)ろうにも、堕天使どもの動静が気に病まれるところ。

 アインズからの報せによれば、あの堕天使の近辺に侍る女天使は、少なくとも熾天使(セラフィム)級の希望のオーラⅤ──全体蘇生(マス・リザレクション)などの希望効果を発するほどの力量の持ち主。ただのナザリックのシモベが報せに馳せようにも、下手をすれば一等冒険者・モモン=魔導国の国主という重要機密まで漏らしかねない。気の聡い個体だと、〈伝言(メッセージ)〉の受信送信を検知し、それを〈盗聴(タッピング)〉するということも、可能。魔将たちにはそういった情報戦における防諜の能力はない。あの天使共が、それほどの手段や手管を有する存在……Lv.100程度の個体と仮定するなら、それ以下の存在で勝手に下手な行動をしてしまえば、むしろ事態を危険極まる方角へ転がすことになるだろう。

 

 それこそ、このタイミングでの接敵・戦闘が、あの堕天使プレイヤーの“期するところ”であるならば、アインズたちに報せに奔った瞬間に、何らかの反撃や迎撃──または情報の漏洩があるやもわからない状況。

 

 無論、ソリュシャンの存在に対し、天使が少しでも瑕疵(きず)を与え、あまつさえ滅殺する事態に陥れば、もはや奏上しないわけにはいかない大事件となる。

 戦闘メイドといえど、アインズが最も大切に思う御方々の遺した存在──友たちの“子”とすら呼んで(はばか)りなく、聖愛の限りを注ぐ拠点NPCなのだ。

 

 彼女たちを傷付けた現地の個体で、許された例など数例のみ──イビルアイという名の吸血()しか、彼等は知らない。

 あの吸血姫の娘は、あの十三英雄に関りがあり、尚且つツアーの知己である以上、彼女の抹殺行為は“白金の竜王”などとの要らぬ騒乱・敵対状況を呼びかねない。エントマには申し訳なくも、両者の間にはすでに和解が成立すらしている。

 

 対して、影の悪魔(シャドウデーモン)程度のPOPモンスターは、そこまで重要な位置づけではない。ユグドラシル金貨さえ払えば補充・生産の利く存在。そうして、この100年の間に、宝物殿に贈られたこの世界の物資を、金貨へと換金し続けており、その量は膨れ上がり続けている。何も問題はない。

 

 だが、問題は立て続けに、玉座の間に舞い込んでくる。

 

「た、たった今! シズ・デルタ様が率いる、南方に派遣された嚮導(きょうどう)部隊副官より緊急連絡!」

「デルタ様の、副官が? だが、南方から緊急というのは?」

 

 南方に派遣された、新鉱床掘削嚮導部隊(しんこうしょうくっさくきょうどうぶたい)

 かの地で発見採取された新鉱石は、新しい水晶の素材や武器防具としての使用が見込まれ、現地の鍛冶職人などに加工や製材を委任するほどの量が掘削採取された。

 そんな新鉱石の担い手たる部隊に、何が?

 大規模な崩落事故や部隊員による窃取行為にサボタージュなどは、ありえない。

 伝令役の悪魔が声を震わせる。

 

「み……未知の敵──蒼い髪の武装者──少年と、こ、交戦中!」

 

 応援を求めている、と。

 魔将たちは、配下の悪魔が読み上げた〈伝言(メッセージ)〉内容に、愕然となる。言葉を失う。

 

「映像来ます!」

 

 続けざまに、生産都市の監視映像とは別のものが、玉座の間に投影された水晶の画面に映し出される。

 悪魔たちは色を失った。

 その蒼い髪に、数え切れぬほどの剣装を纏う少年の姿は、まぎれもなく、天使連中の鏡から最初に出てきた二人の内の一人だった。

 

「ありえん」

「ば……馬鹿、な」

「そんな。我々が、こうも後手に回るなど」

 

 憤怒も強欲も嫉妬も、三魔将は悉く疑念の渦に巻き込まれる。

 一体どうやって、南方に?

 それよりもどうして、よりにもよって新鉱床に潜入し、……交戦を?

 奴らの、探索の網の目は、それほどに広範に拡大していたということか?

 だとするならば、他の未知なるNPCたちも、魔導国内に潜伏・浸透している可能性が?

 あるいは、ナザリックがまったく捕捉できていない第三勢力が、天使ギルドの連中の姿を利用して?

 

「これ、は……アインズ様への……御報告、は?」

 

 魔将たちは、もはや奏上しないという選択肢はありえないと了解していく。

 しかし、ここにいる彼等だけでは、伝達は不能。

 状況は刻一刻と変動し、いずれも取り返しのつかない状況に陥りつつある。

 100年後に現れた、新たなユグドラシルの存在。

 その圧倒的な性能──レベルに、戦闘メイドたちは窮地に立たされている。

 

「心配には及ばないわ、(みな)

 

 慈悲深き女悪魔の声に、悪魔たちが振り返る。

 玉座の間に現れた王妃たちを代表して、()守護者統括は確定事項を伝える。

 

「アインズ様の後方支援として飛竜騎兵の領地に赴いているマーレには、アウラから状況を伝達し、すでに撤収準備を。コキュートス、デミウルゴス、セバスについても、急ぎナザリックへの帰還を命じているわ。アインズ様の代役を務めるパンドラズ・アクターと、その補佐を務めるナーベラルなど、外に出ているナザリックのシモベは、これですべて戻る手筈よ」

 

 守護者各位をはじめ、ナザリックの全戦力は結集される。警備レベルは最大以上に設定された。

 あとは、御方の号令ひとつで、奴らへの全力反撃が可能となる。

 そして、そのために──

 

「アインズ様への(しら)せには、私たちが参ります」

 

 もはや危険因子同然と見做すしかない──やもしれぬ堕天使と女天使の傍にある御身に、すべてを直接伝達。御帰還の了承を得なければ。

 

 完全武装のシャルティア・ブラッドフォールン。

 潜伏スキルを有するアウラ・ベラ・フィオーラ。

 そんな二人を侍らせる純白の最王妃、アルベド。

 

 この100年で(つちか)われた、この異世界独自の魔法アイテム“上位認識阻害の首飾り”などを駆使し、堕天使と女天使に対抗できる絶対戦力を揃えた王妃三人が、アインズたちを連れ戻すべく、シャルティアの〈転移門(ゲート)〉を通り、彼の(もと)へ。

 

 

 

 

 

 飛竜騎兵の葬祭殿にて、貴賓席で葬儀に参加していたアインズは、ナザリックへの帰還を果たす。

 

 そして、彼等との交戦状況を目にし、アインズはひとつの作戦を、竜人の娘に頼んだ。

 

 しかし、その結果は──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 蒼い髪の少年──花の動像(フラワー・ゴーレム)・ナタの絶対的な弱点は、草花を焼き尽くす炎属性。

 

 魔法詠唱者(マジックキャスター)などの放つ各種属性魔法攻撃などはすべて無効化・吸収できる“花の動像”の特性であるが、炎属性を纏う事象には、滅法弱い──炎属性の攻撃や効果には「脆弱」という、絶対の弱点が存在する。

 たとえば花の動像は、ナザリック第七階層“溶岩”のような炎系フィールドでは、あっという間に死に絶えることになりかねない。なので、野生下やレイドボスとして会敵した彼等に対抗する際には、フィールドそのものを炎属性へと変換するか、あるいは武器や肉体に炎を纏うなどの処置が特効手段となる。

 そのため、NPCとして創られたナタは、創造主によって炎対策について万全に近い用意をしているのだが、それでも不安は残る。

 この異世界で、彼の装備を上回る魔法が新たに開発・台頭している可能性をはじめ、あのアインズ・ウール・ゴウンが運営する魔導国内で、ナタが苦手とする炎属性の、ユグドラシルとは異なる攻撃手段──実例で言えば“武技”や“異世界独自のアイテム”などが、軍などに量産・拡散配備されていれば、さすがに抗しがたい規模の炎に焼かれることになったやもしれない。

 

「以上が!! 自分の弱点となります!!」

 

 南方の新鉱床内。

 舞う剣に囲まれ、腕を組んだ少年は、装備した靴の双輪から風と火を生じさせ、それによって〈飛行〉の状態を維持している。靴の名前は“風火二輪”。ナタの元ネタに(ちな)んだネーミングの武装で、装備者の意志で〈飛行〉の状態を発動する仕組みとなっている。

 対して。

 少年の大口上を黙して聞いていた戦闘メイドは、魔銃を油断なく構えつつ、疑念と困惑に沈む声で、問う。

 

「…………おまえ、バカ?」

 

 少年は、自分の種族や、それに関連する長所や弱点を、自分自身の口から、シズたちに向かって語って聞かせた。

 ありえない。

 あっていい話ではない。

 自分で自分の種族を暴露し、あまつさえその最大にして絶対の弱点をさらすなど、正気の沙汰か。

 

「確かに!! 自分はそこまで、頭が良いとは定められておりません!!」

 

 雄弁に、雄大に、自分自身の不出来を幼い声で笑い飛ばす少年兵。

 

「ですが!! 代わりに自分は!! 『武器の申し子として恥ずかしくない、正々堂々、誠心誠意、尋常なる勝負にこだわる猛者(もさ)』という定めを受けている!! 一度“戦闘”になった以上は、その定めに準じるために、あなた達ナザリック地下大墳墓の方々には、どうか自分と“対等な勝負”を所望したいところなのです!!」

 

 戦闘を愉しむ。

 それが、ナタという拠点NPCの根源に埋め込まれた存在意義。

 かつて、ナタの創造主が『かくあれ』と望み願った在り方の通りに生きようとする、彼なりの信義が、流儀が、そのように行動させた。

 何しろ、

 

「失礼ながら!! ここにいるあなた方は──弱すぎる!!」

 

 シズの能面のごとき表情に、明確な亀裂が、(まなじり)に生じる。

 

八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)の皆様にしても!! もう少し頑張っていただかなければ!! ここで散っていたワームたちや、ご戦友諸氏の皆様に申し訳もたちますまい!?」

 

 ナタが装備の〈飛行〉で離れた大地には、すでに幾多の斬殺体が横たわっていた。

 最初に両断された鉄喰いの蠕虫(アイアンバイトワーム)をはじめ、すでに同種のワームたちが20、ナタの周囲を旋回する剣群に引き裂かれ千切れ果てていた。

 そして、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)にしても、ナタへの直接戦闘に挑んだ数体は、軒並み舞い踊る剣の渦に飲み込まれ、八本の刃と共に、その命を砕かれ終えている。

 どう贔屓目に見ても、どちらが優勢であるか、どちらが強者であるのかは、瞭然としていた。

 

「…………おまえ、まさか、Lv.100?」

 

 ええ、いかにも。

 そう告げんばかりに笑みを深める蒼髪の少年。

 シズは理解せざるを得ない。

 これは、自分たちのレベルでは()りきれない位階の存在であると。

 だが、理解はできても、納得はいかない。了承も了解もしない。

 

「…………戦闘メイド(プレアデス)に、自分の弱点を教えたこと、後悔させてやる」

「ははっ!! おもしろい!!」

 

 そうでなくてはと轟然と笑い、ナタは挑発を受け入れる。

 あまりにも迂闊。

 あまりにも愚劣。

 敵に塩を送るなど、シズに言わせれば自殺行為以外の何物でもない。

 しかし、そうさせるだけの力量差が、両者の間には厳然と横たわっていたのだ。

 

「…………燃やし尽くす」

 

 シズは、自分の食料である専用ドリンクの一種──自動人形用の重油缶(・・・)を取り出した。

 これは他の食料素材とは違い、現実世界に即した、とある特性を有している。

 

『いかん! 全員退避しろ!』

 

 彼女の作戦を了解した八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちが防御に専念。

 シズは、自分のエネルギー源のひとつであるドリンク缶を高々と放り投げ、魔銃の照星照門に捕らえる。

 一発の発射音。

 撃ち抜かれた重油缶。

 そのすぐ後に、あたり一面、新鉱床の採掘場内に、ゴォという閃光と爆音と共に、炎の滝雨が注がれる。

 

「おおっ!? そのような使い方を!!」

 

 炎を大の苦手とする花の動像(フラワー・ゴーレム)にとって、フィールドエフェクト──純粋な魔法とは言えない発火現象は、天敵だ。続けざまに、シズはボックスから自分の食料である油を取り出して、投擲──発射──着火という手を繰り返した。少年の頭上で、炎の爆裂が煌々と輝く。出入り口付近は念入りに、炎の壁でふさがれていった。

 見る間に、地下空間は溶鉱炉の底のありさまとなる。

 闇一色の地下採掘場は、文字通り、炎の坩堝と化す。

 すでに、戦闘に使えそうにない副官や、魔導国臣民である亜人たちなどは避難済み。採掘場内には、有事の際の炎やガス対策の防御が張り巡らされているので、ここの責任者であるシズがシステムを起動させれば、鎮火自体は容易。鎮火した後の処理も問題なく行える。

 酸素濃度が低下し、炎はその勢いを若干抑え込まれはするが、こうして自称・花の動像(フラワー・ゴーレム)という少年は、自らが語る「最悪な弱点」にさらされたことになる。

 

「なるほど、なるほど!! 圧倒的不利をカバーするための、その手並み!! 実に勉強になります!!」

 

 しかし、少年は涼しい顔で、自分にとって不利な状況を構築された事実に、深い笑みでもって称賛を贈る。

 

「…………やっぱりバカにしてる」

「とんでもない!! 自分は、“敵”に対する敬意を払っているだけです!!」

 

 その証拠にと、ナタは今しがたシズの手が成し遂げた事象に対して無知だった己を弁舌する。

 

「自分には考えもつきませなんだ!! まさかこのようにして、戦場(フィールド)を構築する手法があるとは!!」

 

 無論。ゲームの、ユグドラシルの仕様でも、自動人形の燃料(ドリンク)で、このような大規模な類焼や延焼は生じない。

 油などは、ユグドラシルにおいては動植物から採取されるそれの他に、アップデートされた機械生命系統のモンスターや駆動装置類……自動車や船舶、飛行機などに必須なアイテム。駆動装置類の起動や機械生命系の動力・食料──さらには、料理人が調理行程で使用・消耗するサラダ油などの微量のものまで、その種類や数量は多岐にわたるが、いずれも閉鎖空間全体を炎上させる規模の攻撃には使えなかった。そういったものはもっと高価なアイテム“焼夷爆弾(ナパーム・ボム)”や炎系魔法で行うのが原則とされていた。

 だが、この異世界に転移したことで現実化した重油類は、ゲームの制限を超えた規模での燃焼作用を引き起こすものとなり、当然その取り扱いには注意が必要となる。

 魔法のボトルに入っている状態なら安心して使えるが、現実のように使い方を誤れば大惨事──火に注がれた油は、その可燃性をいかんなく発揮してしまうのである。

 

「やはり!! 戦えるということは素晴らしい!! 戦うことで、新たな発見・創意工夫を目の当たりにできる!! ゴーレムである自分には、とてもおもしろいことばかりです!!」

 

 炎に照らされる少年には、虚飾や誇張といった影は一切生じない。

 そんな彼の様子が、シズには(はなは)だ疑問だった。

 

「…………おまえ、本当に、花の動像(フラワー・ゴーレム)?」

「ええ!! そうですが?!」

「…………動像(ゴーレム)にしては、すごく五月蠅(うるさ)い」

「自分はギミックやアイテムとは違う存在ですので!! この口調は、我が師父(スーフ)より戴いた“設定”故!!」

「…………設定」

 

 灼熱の業火で酸素濃度が低下し、吸い込む息ひとつで人間の喉と肺を焼きかねない温度の中を、少年がシズ同様に涼しい顔でいられ、声まで発することができるのは、異形種であるが故の特性。

 だとしても、尚も信じがたいと、視線で疑いをかけるシズ。

 

「うむ!! では、特別サービスです!!」

 

 ナタという少年は、組んでいた腕を開放し、左の掌に装備されていたもの──何も装備されていないように見えて、実はそこにはちゃんとアイテムが仕込まれていた──をはずしてしまう。

 握りしめられた掌から外されたそれは、シズの視力には「哪」という漢字に見える。

 

「いいですか?! 一回だけですよ!?」

 

 人差し指を一本立てて念押しする少年を睨み据えながら、シズはその特別サービスとやらを、待つ。

 解放された無垢の左腕を、少年が炎の舞い踊る天井に掲げる。

 はらはらとこぼれる燐粉が、ひとつ。

 少年の肌色が、火の粉の一滴を浴びた、その時。

 

「うアッチチチッ!!」

 

 ただ一片の火の粉で悶絶し手を振り払う少年の肌を、その変化を、シズは確かに、視認する。

 

「…………花びら?」

 

 人間であれば皮膚が裂け、血が流れる肌色。

 そして、火傷するべき手指に浮かびあがったものは、清廉な純白の花弁。

 それが無数に。数え切れないほどの量が。

 まるで、血の代替であるかの如く、肌色を覆った純白。

 ダメージを受けたことで、その部位が人間とは違う変化変容を見せた光景は、少年もまたシズと同じ異形種の存在であることの実証と言える。

 

「ええ、このように!! 自分の身体は「花」で構築されたもの!! 人の少年の姿をしているのは、創造主である師父(スーフ)が『かくあれ』と定め、この形状に仕立ててくれたおかげなのです!!」

 

 戦闘メイド内でも幼く愛らしい容貌に部類されるシズよりもさらに童顔童形──蒼髪の少年が、その見た目とは裏腹に、豪快剛毅な威勢のまま、語り掛ける。

 

「あなたはどうです?! あなたにも、自分と同じように『かくあれ』と望んでくれた主人がいるのでしょうか!?」

 

 ナタは、この魔導国内における異形種の立場を心得ていた。

 数が少なく、また、そのために超常的な力量を備えていることが多い彼等異形種は、国に臣従を誓う臣民とは一線を画す地位と栄誉を賜る、ナザリックに近しい“同胞”として受け入れられていると。だとするならば、デルタという目の前の自動人形(オートマトン)もまた、そういった立場にある存在と見做して間違いはなく、ナタのような外の存在からは、その微妙な差異を感じ取ることは難しい。

 だから、少年は率直に訊ねた。

 目の前にいる少女は、この異世界の異形種なのか。

 あるいは、ナザリック地下大墳墓によって生み出された“シモベ”なのか、否か。

 だが。

 

「…………教えない」

 

 教える理由がない。

 シズは自分を生み出してくれた博士を脳裏に思い起こすが、それを口の端にする愚を犯さない。

 相手がペラペラと……欺瞞情報を与えるためやもしれぬ状況で、少なくとも“花の動像”という話は真実なようだが……色々なことを喋る少年の調子に、シズが呼応する義務は、ない。

 相手が勝手に喋ってくれる。

 戦闘においては、相手の情報を知り、そこから転じて、敵の有利を封じ不利を生じさせることが、絶対的な勝利の法則。

 ナタの発言は愚かな行為だ。

 いくら尋常な勝負などを望もうと、それで敗北を喫するなど、あってはならないはず。

 それほどの自信を裏付ける実力者……Lv.100だとしても、情報を制する者こそが、真の勝者となりうる。

 至高の御方のまとめ役、アインズ・ウール・ゴウンは、そうしてこの世界を征服し尽したのだ。

 それに、シズは強い敬意と尊愛の念をもって、同調する。

 

「ははっ!! それはそれで結構!! では!!」

 

 シズの反発を当然のものと受け入れる少年兵。

 自分が圧倒的に不利なフィールドを構築されている中で、ナタは左手の「哪」という装備をグローブのごとく再装着し、また腕を組む。

 

「どうか自分を、存分に(たぎ)らせ、燃え上がらせていただきたい!!」

 

 燃え上がるフィールドを背後に、勝負の熱気を前にして凄絶な笑みをこぼす花の動像。

 シズは、さらにアイテムボックスから、可燃性燃料たるドリンク缶を数本、取り出す。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 動像であるナタよりも、硬質的かつ無機的な少女の威容。

 さらに、取り出した燃料のラベルや、炎上空間で問題なく行動可能な事実から、ナタは冷静に、目の前の少女、デルタと呼ばれる魔銃使いのメイドが、異形種の“自動人形(オートマトン)”であるという確信を懐く。

 ナタもナタで、彼独自の観察眼と戦術眼で、自動人形・デルタという少女から情報を獲得しつつある。

 ナタは莫迦(ばか)だが、ただの莫迦では、ない。

 いうなれば「戦闘バカ」だ。

 戦うことに関する執念・執着は、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)内においては一等賞であり、ただただ、戦って戦って戦い続けることだけを希求し続けてやまぬ存在。

 そう『かくあれ』と創造主(カワウソ)に望まれ、ただ実直に誠実に己の在り方を実現させたがる「小さな武人」という定めが、この幼い蒼髪の少年兵にとってのすべてであった。第一階層“迷宮(メイズ)”の最奥に位置する“闘技場”に安置され、そこで城砦内に侵入するものを迎撃し、敗れた後は“花の動像”の最大特殊技術(スキル)である「再生復活」の能力を駆使して、拠点最奥・第四階層での最終防衛戦闘を『ギルド最強の盾』たる女熾天使である防衛隊隊長・ミカと共に成し遂げるための、『ギルド最強の矛』……それこそが、ナタの存在理由であり、ナタの戦闘意欲を裏付ける最高の設定文であった。

 

 天使や精霊たちの巡回する迷宮を走破した侵入者たちを迎え撃つための、

 最初の防衛者──ナタ。

 

 だが、ユグドラシル時代──この異世界に転移する以前に、花の動像(フラワー・ゴーレム)のナタが、カワウソから与えられた役目を遂げられたことは、ただの一度もなかった。

 ナタが生み出され、第一階層“迷宮”の防衛を担った拠点──ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)は、さまざまな要件が重なって、ほとんどのユグドラシルプレイヤーにとっては見向きもされない、凡庸な拠点ダンジョンの代表として有名だった。

 

 

 ヨルムンガルドとは──

 YGGDRASIL(ユグドラシル)の元ネタである北欧神話に登場する“世界蛇”であり、その名前はユグドラシルの世界内で様々な形で登場する。

 有名な最高級毒薬アイテム「ブラッド・オブ・ヨルムンガルド」であったり、あるいは武器防具の素材だったり、あるいはただのレイドボスモンスターであり。

 そんな中で、それだけポピュラーな世界蛇の「名」を戴く拠点というのは、珍しくもなんともない部類に位置した。

 ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)は、その名の通り、『世界を覆いつくす巨大な蛇・ヨルムンガルドが、各ワールドに残した成長のあと・脱殻(ぬけがら)の地下址地に建立された城砦』でしかなく、言ってしまえば、ユグドラシル創生期たるリリース当初より存在したダンジョンのひとつ。各ワールドの様々なフィールドに秘された、無数に存在する拠点用ダンジョンの一種であり、ナザリック地下大墳墓のような一点ものとは違って、量産品のごとくそこいらに点在していた類のもの。後に、アップデートなどでまったく別の新規拠点ダンジョンに居場所を置き換えられる──なんてことも珍しくはなかったと言えば、その重要性の低さがわかるだろうか。

 無論、ユグドラシルの十二年の歴史の中で、この量産型拠点はさんざん攻略の限りを尽くされており、その内部構造やダンジョン時代の徘徊モンスターやボスモンスター、ギルド拠点化した後のポイント数や使用上の問題点に至るまで、ギルド:ワールド・サーチャーズ──ランキング最高第二位に位置した調査系ギルドなど古参の努力もあって、事細かく詳細に調査され尽した代物に過ぎない。

 そうして調べ尽され、遊び倒された拠点・ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)は、『攻略が面倒な割に拠点ポイントが低い』『レアはPOPしないし、ドロップアイテムも微妙』『城砦の外観はいいとして、内部からの見晴らしが悪い』『地下潜伏型としては色々と悪くはないが、どうせだったらもっとポイントのいい地下拠点の方を攻略した方がマシ』『課金で改造することが大前提の拠点』などの評価で、ユーザーの意見は一致していた。つまり、最盛期頃には、もはや誰も好んで侵入・攻略する部類ではなく、初心者が次の高ポイント拠点への繋ぎ程度・予行演習がてらに攻略に踏み込むかどうか──という常識が蔓延しており、そうでもないのに発見してもレアドロップ狩りにすら使えない……要するに『スルー安定』な物件だった。

 

 

 さらに、ナタたちを防衛任務から遠ざけたのは、ニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯そのものが受けた評価だ。

 

 

 悪辣なフィールドエフェクトや、おどろおどろしい黒森の不気味さ……何より、それほどの場所なのにレアなドラゴンやモンスターがいるわけでもないという状況は、やはり大抵のプレイヤーにとっては侵入しようという気概は湧くわけもない。近くにあるレアな狩場“腐食姫の黒城”や黒城周囲の大叫喚泉(フヴェルゲルミル)へのアクセスは良い程度。この森もまた、調査系ギルドの力によって調べ尽され、レア狩りには向かず、常駐するのにはそれ相応の対策が必須と判を押されたのだ。

 以降、ガルスカプ森林地帯は、〈飛行〉などの魔法によって上空を通過する際に、飛び出してくる黒い蔦や捩れ樹、黒い鳥獣系モンスターからの攻撃などに注意する程度のフィールドにおさまってしまう。

 

 

 こうして、ナタたち……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の拠点NPCたちは、まったくその役目を果たすことなく、ユグドラシルのサービス終了までの時間を過ごしてしまった。

 そうして……現在。

 

「これで十九体目!!」

「…………ちッ」

 

 元採掘場の炎上空間を逃げ回るナタに対し、デルタは自動人形らしからぬ感情のまま舌を打った。彼女の目の前で、盾となるかの如く身を躍らせた黒い影。『無念』と呟き、八肢を斬り削がれるモンスターが、焔の内に落ちて、消滅する。

 

「銃を(たずさ)えしガンナーたるあなたの得意戦法が遠距離!! 対して、八本の刃による近距離戦闘を主とする八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)!! この組み合わせでやれる最大の運用配置ではありますが、(いささ)か以上に手詰(てづ)まりではありませぬか?!」

 

 基本的なチーム戦術。

 前衛が後衛を守りつつ、後衛が前衛の支援を行うという、基本中の基本──であったが。

 

「…………うるさい」

 

 指摘された内容に、少女は憮然と返すのみ。

 だが、デルタ自身も、もはやナタの指摘事項は完全に理解されているところだと判る。

 ナタはLv.100のNPC。彼女にレベルを推し量る手段がないのだとしても、その性能差を感得できないほどの間抜けではないことは、ここまでのやり取りで把握済み。

 彼女たちとのレベル差が開きすぎていて、通り一辺倒な戦術戦略でどうこうできる領域を超過する難敵であるのだから、致し方ない。

 派遣された戦力は“未だ”半数が残存しているのだが、デルタにとっては“すでに”半数を消耗したような──その事実に対する焦燥や畏怖、誰かに対する申し訳なさが、ナタの感得可能な少女の機微であった。

 ナタは余裕があった。

 少年兵にとって幸いというべきか。デルタなる自動人形の少女は、ナタという敵に対して有効な攻撃能力を示せていない。が、魔法の銃火器は装填される弾丸の種類などで属性や効能を千変万化させる優れもの。見たところ、自動人形が握る純白の突撃銃(アサルトライフル)は、二つの連装弾倉(マガジン)から排出される弾丸に別々の効果のものを用意すれば、相手の不利な属性などを二重に仕掛けることも可能な仕様。ひとつの弾倉の装填可能数は、これまでの戦闘で30発前後と判明。それこそ、デルタは炎属性を帯びた弾種のマガジンに換装して、さらに抵抗力突破や破壊力向上などの魔法を込めたそれと共に、射撃。ナタが暴露した花の動像の弱点を突くと同時に、さらに威力を浸透させる手法を選択していた。

 

 だが、ナタはその弾丸の雨霰を、その身体能力で悉く「視認」し、「回避」できている。

 ただの一発も、ナタの肉体どころか、装備する鎧や、腰布の端にも命中(ヒット)していない。

 

 ナタの速度・素早さのステータスはギルド内でも最上位であり、神器級(ゴッズ)アイテムを装備発動しない時のカワウソを軽く上回る(・・・)数値で、ほぼ上限に近い。だからこそ、彼の繰り出す攻撃もまた、デルタという少女らには追随不能な位階を示し続ける。基本、花の動像(フラワー・ゴーレム)の身軽さや敏捷性は、動像(ゴーレム)種の中では最高クラスに分類される。その分、防御性能や耐久能力については不安が残る種族なのだ。

 

 しかし、ナタは敵対者たちへの敬意を深めていく。

 少女の装備する魔銃もそうだが、身に帯びた衣服や装身具も、なかなかに優秀かつ優美な事実を、動像(ゴーレム)(まなこ)は読み取り理解した。

 彼女は魔導国内……というか、ナタ自身が身に帯びるそれと同等なランクのそれを与えられていそうな事実から判断して、間違いなくナザリック地下大墳墓に連なる“拠点NPC”であろう。

 魔導国内で生産されている武器や装備はかなりの量ではあるが、質の面で言えばユグドラシルのそれよりも、微妙な印象が大きい。アベリオンやセンツウザンの街並みで拝見したそれを目利きすることは、戦士であるナタにはあまりに容易な作業であった。

 しかしながら、あのデルタという自動人形に与えられた装備類は、ギルド最強の矛としてナタに拝領されているそれらと同等か、それ以上なものが多い。彼女が現地人だとしたら、とんでもないレベルの好待遇だと思われるが、彼女がナザリックの存在だとすれば、いくらでも納得がいくというもの。

 

 白黒のメイド服を思わせる衣類。都市迷彩色に染まった小物──ヘッドドレスやマフラー、グローブ、ニーハイソックス。右肩や両脚の鎧に加え、スカートにも同じ色の白銀の装甲が覆われており、全体的に統一感が感じられる造り。左目には眼帯(アイパッチ)が施され、宝石のような冷たい輝きの翠玉(エメラルド)の瞳が、作り物めいた表情をかすかに不機嫌そうな感じで歪ませ、純白に輝く突撃銃(アサルトライフル)の照準器をのぞき込み続けている。

 

 最たる特徴は、この異世界でナタたちに未だ発見されてなかった、「魔銃」の所持者であるという、事実。

 

 現在のところ、魔導国内では銃の流通は確認できていない。それこそ、書籍や文献においても、それらしいものが生産・配備されているという記述は、ナタたちが調べた限りでは存在していない。

 つまり、ここにある「魔銃」の価値は、推して知るべき次元──完全な機密に位置するはず。

 

「銃」というアイテムはユグドラシルでも扱いが難しく、また使用するための注意点や留意点の多さから、そう簡単に戦闘で使えるものではない。

 まず、銃そのものを製造・獲得することはもちろんだが、銃最大の懸念材料は『弾』を収得する方法だ(矢をつがえる弓矢などでも同様)。純粋な魔法攻撃として無尽蔵に……レーザーとかビーム兵器のごとく攻撃可能な代物もあるが、そういうものは大抵がランカーギルドなどの生産力か、希少クリスタルの入手のどちらかが必須。銃を扱うガンナーたちは銃匠(ガンスミス)などの鍛冶生産職が、鉄や鋼、さらには火薬などの素材アイテムを大量に使用して生み出す“弾丸”を遣り取りし、それを銃に装填して戦闘を行うのが普通。魔法の属性を帯びる弾丸は、それを打ち出す魔銃の性能と、発射する銃手(ガンナー)のステータスによって強化されることで、強力な戦力を発揮するという仕様があった。当然、弾が尽きればガンナーには銃の使用は不可能となり、攻撃手段がなくなってしまうという最悪の弱点が存在する。

 それ故に、銃を扱うことに特化した専用の職種でなければ扱えない装備品であり、ウェポンマスターなどの職業を修めるナタと言えど、少女の銃を奪い取って使用することは不可能。せいぜい、銃を扱える同胞のクピドへの土産にはなるくらいだろうか。天使の澱に属する銃使い……ガンナーやスナイパーなどの職業レベルを与えられたのは、赤子の傭兵天使であるクピドだけ。彼のほかに遠距離戦闘が得意なのは、高火力を誇る魔術師(メイジ)のウリと、生産都市に留まった暗殺者(アサシン)盗賊(ローグ)の他に弓兵(アーチャー)などを与えられたイズラ、彼の妹である治療師(ヒーラー)にして料理人(コック)にして音楽家(ミュージシャン)というイスラ。あとは巫女(メディウム)にして精霊術師(エレメンタリスト)(アース)を有する探索役のマアト──

 

「うおっと!!」

 

 思考を断ち切るかのごとき軽快な発砲音の連射に、ナタは即応して身を退いた。

 デルタの連射攻撃は精密だ。おまけに、配下として引き連れている八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)に手渡して仕込ませた重油系ドリンクを適時に投擲させたり、あるいは不可視化した彼等が岩壁に仕込んで、それをデルタが打ち抜くことで爆炎と落石を生じさせるなどの工夫が見事。

 彼女の計算され尽くした連鎖攻撃は、十二分に脅威であった。

 しかし、ナタは爆炎も落石も、諸共に切り払う武装を展開中。

 手を振るうまでもなく装備者の周囲を高速旋回する剣たち──浮遊分裂刃Ⅰの威力は、花の動像(フラワー・ゴーレム)に一片の火の粉や落石の塵埃(じんあい)すら通さない。

 

「今の攻撃は良かったですな!! では、これは如何でしょう?!」

 

 数十本に分裂した長剣から、数本だけ攻撃に使用する。

 砲弾のごとく加速・突撃する剣が、炎の壁を背にする自動人形を捉えた、

 ように見えた。

 

「おお!! 消えた!?」

 

 装備のひとつを使って、〈不可視化〉か〈不可知化〉を行い飛び退いたのだろう。剣は虚空を切り裂くのみで、その後はブーメランのような軌跡を描いて、腕を組んだ少年の許へと舞い戻る。やはりナザリックの存在は優秀だ。ここまで戦闘を続けて、まだまだ余力を残していたとは。

 

「あなた方が逃げられるのでしたら、自分は追いませぬが?!」

 

 それならそれでナタは無事に帰還が果たせるというもの。

 しかしながら、少年の声に応じるような発砲音が三連発、間髪入れずに轟く。愚直なほどまっすぐな弾道が、剣群によって弾き斬られる。

 逃げる気など、毛頭ないとでも告げるかのように。

 

「ふふ、そうですかそうですか!! それでこそ、戦い甲斐があるというもの!!」

 

 少女の発砲は、とてもまっすぐに過ぎた。

 姿は見えずとも、弾丸の飛来した方向を正確に認識したナタは、見えざる敵に対して、飛ぶ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 馬鹿にしやがって。

 シズは発砲動作中も、その直後の退避移動中も、というかこの戦闘中は常に、ここ数年で一番のムカっ腹をたて続けていた。

 されど、本営テントの屋根から飛び退き、従業員作業用リフトの足場に降り立ち、新たな弾倉(マガジン)を込め、銃床(ストック)を抑え、銃身(ハンドガード)を支え、銃把(グリップ)を握り、引鉄(トリガー)を絞り、目標を狙い撃つ右目の精度は、絶好調であった。自身の感情や懊悩に関わりなく、機械の感覚は鋭敏かつ精密な動作を約束するもの。戦闘メイドとしての本分を果たせる戦場という舞台であることもあいまって、シズにとっても、ナタが懐いてならないという戦いへの希求や覚悟は、ほぼ同質のものと言ってもよい。

 燃え上がる炎の閃光に炙られながら、しかし、その強熱とはまったく無縁の涼しい表情で、シズは戦いに臨める。

 自動人形(オートマトン)の機械の身体が、それを可能にしていた。

 だが、戦闘メイド(プレアデス)が、あんな小さな少年に、あの天使ギルドの一味の一員であるところの花の動像(フラワー・ゴーレム)に、完全に、完璧に、手心を加えられ続けていた事実は、もはや戦いという本分から外れつつ、ある。少なくともシズはまったくそういう風にしか感じられない。

 これでは、教練や稽古をつけられているようなものだ。

 無論、シズは自分に与えられたレベルが高いものでないことは理解し納得し了承できている。それが、自分を生み出してくれた博士が『かくあれ』と望んだシズ・デルタ──CZ2128・Δ(デルタ)のすべてである以上、それを受容できないというのはシモベ失格だ。そこはわかっている。

 しかし、いかにレベル差があるからと言っても、少年に何かしら事情があるとしても、「敵に手を抜かれる」状況を好むほど、シズは落ちぶれてなど、いない。

 表情とは別の胸の奥で、シズは流れるはずのない汗にも似た感情に心をささくれたて始める。

 ──あっていいことでは、ない。

 たとえ、相手がシズ個人ではどうしようもない最高戦力クラス──Lv.100の相手であろうとも、ナザリック地下大墳墓のシモベとして生み出され、この魔導国における絶対的権能を許された自分が、あんなモノに、あんな小さい姿をしたものに屈しては。

 

「…………アインズ様に、申し訳が」

 

 たたない。

 たつわけがない。

 シズは戦闘メイドであると同時に、御方に忠節を尽くし、御方に勝利をもたらすべく創造された尖兵──遠距離から敵を撃ち穿つ銃の使い手(ガンナー)なのだ。

 そんな自分が、戦闘相手に手加減を加えられ、あまつさえ、敵自らが暴いた弱点を突くためのフィールドを構築することに成功しているのに──(まと)には、一発一弾も、あたらない。照星と照門にとらえた少年の影すら、一瞬の後にはいずこかへと消え失せている。発砲光(マズルフラッシュ)の輝きで、敵を見失うような失態はありえない。ナタは確実に、シズ自身が必中と定め認めた地点に立った瞬間に撃ち抜いているのに、一瞬の後には回避している。……それも、ナタなりの手加減で速度を抑えられているのだろうと、戦闘メイドは実感しつつあった。抑えた速度で、シズに追撃可能な速度で、あの少年は魔弾を悉く回避してしまえるらしい。

 まるで、虚空を舞い落ちる花びらを撃ち抜こうとするかのよう。

 炎の舞い踊る採掘場を、縦横無尽に、飛行用アイテムで駆け回る花の動像。

 自身の意志で、圧倒的な不利を暴露し、おまけに教練をつけてやる調子の敵の姿。

 その様子には焦りも、恐れも、戦いという気概を、全くと言っていいほど、感じられなかった。

 

「…………いい加減に、しろ」

 

〈不可知化〉を解いて、シズは怒りをあらわにする。

 手加減され続けるシズの戦意は、もはや心臓部が過剰加速してならないほどの激昂で、塗り固められている。

 

「…………おまえ、私を殺せる機会はいくらでもあった。なのにっ」

 

 なぜ殺さない。

 殺せないのではなく、奴は殺さないだけだ。

 襲来してくる剣の速度にしても、手加減されていることが手にとるようにわかる。

 わかっていて、そう問いかけずにはいられない人形の少女に対し、ナタは心底から嘆息してしまう。

 

「ですから!! 自分を見逃していただければ、それでいいというお話!! そのために、自分はこうして貴女に、自分のことを話しているつもりなのですが?!」

 

 回避する足を止めたナタが、まっすぐシズを見上げる。

 向かってくる敵がいる以上、それを迎撃しないでいるのはナタの性格上、難しいのだと言う。自分と同じく戦いを“望む”相手がいる限り、ナタもまた戦い続けることで、それに応じなければならないと思われるからと、少年兵は実直に告げる。情報を──ナタ個人の性能などを口にしているのは、あるいは彼女たちがそれで満足して帰ってくれるかもという思いから述べ立てていたらしい(しかし、さすがにナタは重要な情報はひとつも漏らしているつもりはなかったが)

 

 両者ともに、動像と人形という種族故か、あるいはNPCらしい剛直な思考形態であるが為に、引くに引けない状況に陥って久しい。

 

 しかし、だ。

 

「…………ナザリック地下大墳墓の絶対支配者であられるアインズ・ウール・ゴウン様に仕える、戦闘メイド(プレアデス)の一人、シズ・デルタが、敵を見逃すなんて、ありえない」

 

 こちらの意志を、絶対的な主人への忠誠を(あらわ)にするシズ。

 生き残った八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちも、そんな彼女の思想に同調するように、炎の影から執拗に、ナタという少年を引き裂き狩り殺すべく、刃を閃かせる。

 シズたちの覚悟を受け取ったナタは、大きく嘆息を吐き出す。

 

「──確かに!! 敵に背を向けることはありえない!! 我等NPCは、逃げるなどという思考には馴染みようがない!!」

 

 己の浅慮浅思を恥じるような納得の首肯と共に、ナタは決意を新たにする。

 

「わかりました!! シズ・デルタ殿!!」

 

 これ以上の戦闘行為は、互いにとって無益になると判断した花の動像(フラワー・ゴーレム)

 彼は、ただでさえ大きい少年の声音を、地下採掘場を打ち震えさせるほどの大音声(だいおんじょう)に、もっていく。

 

「では!!

 自分の本気で!!

 あなた方全員を潰させていただく!!!」

 

 轟々と吼えて笑う少年は、組んでいた腕を、()いた。

 そうして、素早く自分の周囲を旋回する刃を停止させ、左肩の鞘に格納。

 その後、彼が手を伸ばした先は、少年の背中……背嚢に交差するよう括り付けて携行していた、二つの武器の内の、ひとつ。

 シズは、聞かされる。

 

「これこそが!! 自分の本気の本気で使う武装・秘密兵器のひとつ!!」

 

 朗々と紡がれるナタの前説を──戦闘メイドは、決死の覚悟で、聴き取っていく。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 敵である少女の意気込みと覚悟に打たれ、ナタは“本気”の武装を解放せねばならないという戦意に(たぎ)っていた。この出会いに感謝し、これほどの敵を創り上げてくれたナザリック地下大墳墓に敬意を表し、自分の“全力”でもって、

 迎撃する。

 今まで組みっぱなしになっていた両腕を開放し、ほとんど“防御用”でしかない浮遊分裂刃Ⅰをしまい、その腕で背中にある得物の一本を掴み振るう。

 取り出したのは、ナタの秘密兵器たる武器の“赤杖”。

 これこそが、自分の本気の本気で使う武装、二つの内のひとつ。

 その名を呼ぶことで、真の姿を披露・解放する。

 

「“如意(にょい)神珍鉄(しんちんてつ)”!!」

 

 赤い杖が、見る間に変化の光を放つ。

 これは、カワウソが以前所属していた旧ギルドの、文字通りの、遺物。

 カワウソが『ギルド最強の矛』たる少年兵に与えた、破壊力の、権化。

 ナタが知らない旧ギルドのNPC用に製作されたが故の名称は、“如意棒”とか“如意自在棍”などの別称でも知られている。

 

「…………な?」

 

 自動人形の少女が驚嘆するのも、無理はない。

 その全長は、第一開放状態──初期起動の段階で、すでに全長5メートルの姿を露にする。さらに、全幅だけで1メートル強。その様は一本の“杖”というよりも、バカでかい“円柱”という方がしっくりくる雰囲気だ。自動人形の少女よりも童身の少年が……人間の形が物理的に振るえる限界を超過して余りある大構造の重量物を、ナタという戦士は慣れた調子で“振り回す”。

 そうすることで、第二開放状態へと、段階を押し上げていく。

 さらに倍以上に膨れ上がった、赤い、円柱。

 

 

 

 天使の澱のNPCたち──Lv.100NPCの12人は、カワウソが創り上げた最適なチーム・パーティ構成で成り立っている。

 ユグドラシルにおいて最適な(ワン)パーティ……プレイヤー人数上限六名の構成は、『魔法火力役(アタッカー)』『物理火力役(アタッカー)』『探索役(シーカー)』『防御役(タンク)』『回復役(ヒーラー)』『その他役(ワイルド)』の六つの役割分担がベストとされている。

 例を挙げるなら、ナタの同胞にして生産都市の調査に励むイズラは、その分類の中で暗闘暗殺を得意とする暗殺者や盗賊系職業に重きを置いたことで、カテゴリーとしては『探索役』──隠密能力や罠の感知などによって、パーティの危機回避に一役買う構成になっている。

 ちなみに。死の天使Lv.15であるイズラの保有する種族スキルは、とある職業と組み合わせることで中々に強力かつ凶悪な性能を示し、その能力を遺憾なく発揮する“本”──かつてのカワウソの仲間が残したアイテム──まで下賜されていたことで、イズラは下級天使の部類ながら、なかなかに悪辣な性能に特化している。

 

 

 

 そして、ナタは当然『物理火力役(アタッカー)』担当。

 

 

 

 彼に与えられた近接戦闘用の職業の数々と、花の動像の特性──さらには課金などを併用することで、ナタは数えきれないほどの武装をその身に帯びることを可能にしている。

 そうして身に着けた武装のほとんどは、彼の物理攻撃力ステータスを極限にまで押し上げてしまう効果の品ばかり。ステータスを最大100ポイントと計測するところを、ナタのレア種族はその上限を破る領域にまで手を伸ばすことを可能にしていた。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)における、最強の矛。

 そう『かくあれ』と生み出され創り上げられたナタという少年兵は、東アジアの神話や民話において語り継がれるとある“天の使い”を元ネタ(モチーフ)に製造された拠点NPC。

 尋常ならざる物理攻撃と速度を維持することを可能にしたレア種族、花の動像(フラワー・ゴーレム)

 

「これが!! 最後の!! 忠告です!!」

 

 逃げることを絶対にオススメする少年は、もはやビルほどの巨体にまで形状を変化・巨大化させた聖遺物級(レリック)アイテム“如意神珍鉄”を、細腕一本で支え持つ。

 まるで、堅固な城門を破壊するための破城鎚(はじょうつい)のごとく構えられた“杖”の矛先は、シズたちが待ち構える採掘場の壁面リフト。

 誰の眼にも、その巨体から繰り出される攻撃の暴威は明らか。

 人の掌で払い潰される羽虫と同じ末路が、その巨杖のありさまから予見できる。

 なのに、シズは背中を見せることは──ない。

 

「…………逃げないし、逃がさない」

 

 覚悟も思考も不変(かわらず)

 そんな少女の決意を尊重するかのように、残存していた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たち全員が、八本からなる刃と漆黒の体躯を重ね合わせる。小さな少女を覆うバリケードは俄かに大きく構築され、徐々に砦を築き上げ、その内側で射撃体勢を整える同胞を包み護る。

 その蟲の砦はまるで、乙女を中心に抱いて壁に咲く──刃の“花”にも見えた。

 それらすべてを確認したナタは、「最後に言い残したいことは」と()きそうになって、やめた。

 彼女たちには、まだ戦意がある。

 戦い続けることを己に規定するものに、言葉は不要。

 だとするならば、まだ勝敗が定かでない状況で、そんなことを訊くのは無礼千万。

 シズ・デルタと名乗る自動人形の少女の心意気を尊重し、敬意と共に、()し潰す。

 ナタは柱のごとき杖を、突き(なげう)つように振るった。

 巨重が轟音を奏で、暴風の(はげ)しさを空間に響かせる。

 あまりの威力に、シズが放火した炎上空間も鎮火するほどの風の圧。

 それほどの大規模攻撃に、シズは冷徹に突撃銃(アサルトライフル)を構え、弾丸を発射。

 続けざまに撃ち込まれ続ける魔法弾の威力も何もないように、如意神珍鉄の先端が、シズたちのもとへ。

 自動人形(オートマトン)の射撃体勢を、新たな弾倉でも取り出そうとしたのかボックスに手を突っ込む姿──すべてを、巨大な質量が覆い尽くし、蹂躙する。

 周囲で防御陣形をとっていた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)も、同様にプチっと弾き潰された。

 ついで、重い衝突音と共に鉱床内を激震が奔り、採掘場内に施された魔法の耐久壁も突破して、杖が大地を横に砕き貫いた。

 そして、

 シズ・デルタたち、ナザリック地下大墳墓の部隊は、壊滅の憂き目を──

 

 見なかった。

 

「んん!?」

 

 採掘場の壁面に及んだ、超絶の破壊力。

 それを直視し、彼女たちへの哀悼(あいとう)を紡ぐ間もなく、ナタは戦気を再構築する。

 気配を殺して迫りくる影を、ナタは“戦士の勘”と“気の流れ”の特殊技術(スキル)を頼りに知覚。

 振り返り、手を伸ばした。

 左手が、メイド服の右腕を、掴む。

 

「…………チッ」

 

 あまりのことに、ナタは本気で驚愕した。

 完全に()し潰したはずの少女……戦闘メイド(プレアデス)の一人という自動人形(オートマトン)……シズ・デルタが、〈不可知化〉の魔法を装備(マフラー)で発動して、そこにいた。

 しかし、ナタに与えられた近接職“外気使い(ガイキ・マスター)”の知覚力で、感知と対応は可能だった。彼女の発動したものがより上位の〈完全不可知化〉であったら、さすがに(あや)うい状況だったと言わざるを得ないが。

 

「なるほど!! 〈転移〉か何かを使われたか?!」

 

 疑念するナタの声に、シズは答えようとはしない。

 つまりは、ナタが全力攻撃を繰り出し、武装を使用した際の“隙”を突く作戦か。

 

「しかし残念ながら自分は、無手(むて)の方でも、強いですぞ!! ……ん?!」

 

 限界まで手加減を排除した、シズのレベルでは対応不可能な正拳突き。

 だが、あまりにも不可解なことに気づき、ナタは拳を止める。止められる。

 何故という──率直な、疑問。

 少女は何故、銃撃戦を捨てて、ガンナーには苦手なはずの──近接戦を?

 ナタは答えを瞬時に理解する。

 

「…………殺す」

 

 この作戦のために、護衛の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たち全員を“囮”として消耗してまで築き上げた、一瞬の隙。

 その隙を突くための、最後にして最大の攻撃手段が、シズの左腕にぶらさがっている。

 

「…………絶対に殺す」

 

 左腕に取りだしていたのは、武骨な鈍色(にびいろ)に煌く、ユグドラシルの爆薬兵器。

 それがベルト状に連鎖し、撃発の瞬間を待っている。

 アイテムの名は、完全焼灼榴弾(バーンアウト・グレネイド)。総量は20発分。

 シズが保有する最大火力であり、ナザリック第九階層防衛時には、敵侵入者の数を一人でも削ぎ落とすべく、創造主から与えられた兵器のひとつ。Lv.100の絶対強者には効き目は薄く、彼女たち本来の足止め程度の役目として持たせられていたアイテムだが、炎属性に脆弱な個体であれば、これも有効な手段たり得るはず。

 ……本当は、ナタに気づかれることなく、これを巻き付けて起爆してやるつもりだったが、それは無理だった。

 故に、この「自爆作戦」に切り替える。

 

 シズは思う。

 このアイテムを至近距離で使うことは、当然危険。

 発動した瞬間、シズはおそらく死ぬことになるだろう。

 だが、自分が死んでも、アインズがきっと復活させてくれる。

 死ぬことなど怖くない。御方の役に立てずに死ぬことに比べれば、この程度のことはへっちゃらだ。

 

 一瞬。

 ほんの一瞬。

 

 アインズに叱られはしないだろうか──呆れられ失望されないだろうかと、不安を覚える。次に、姉妹と定められた戦闘メイドの皆や、ナザリックのシモベ達にまで累が及ぶことはあるまいかと。

 そうして、もう二人。

 大好きな彼が、第四階層の彼が、「自分が死んだ」と聞かされたら──どんな反応をするのか、気にかかる。彼と一緒に創った、あの()は。

 しかし、“迷い”など自動人形(オートマトン)には、ありえない。

 

 それらをたった一瞬で思考し終えたシズ・デルタは、最後の手段を敢行する。

 不遜な花の動像(フラワー・ゴーレム)の敵対者に、せめて一糸報いるために。

 あの少年の笑みを焼き焦がし、滅ぼしてやるために。

 安全ピンを抜いて、自動点火。

 そのアイテムの周囲に存在するすべてに、焼夷材と爆撃の破片を喰らわせる──

 

「…………え?」

 

 はずだった。

 数十個からなる榴弾を連装するベルトは、

 だが一発も、

 点火しない。

 榴弾(グレネイド)は仕様上、ピンを抜いた後はほんの数秒で爆発するというアイテム。

 ユグドラシルのアイテムに、誤作動や整備不良はありえない。

 ということは、これは?

 

「残念ながら!! あなたの炎属性の武装、自分が“支配”し、完全停止させていただいた次第!!」

 

 目の前の少年の片腕に、超速で構えられた得物を視認する。

 それは、少年の背中にあった、もうひとつの──長柄武器。

 

「自分の秘密兵器のもうひとつ!! 名は“火尖鎗(かせんそう)”!!」

 

 採掘場壁面に突き刺さる“如意神珍鉄”の他に、もう一振り。

 背中に括り付けられていたのは、火炎を模した刃を戴く“斧鎗(ハルバート)”。

 それが、発動中は焔のように刃の形状を機械的に変化させ続けながら、ナタの背後の大地に──シズからはかすかな死角となる位置に、突き立てられている。

 その特性・能力は、『強力な炎属性攻撃を敵に与える』のみならず、『すべての炎属性武器の“支配”を可能にする』──などと設定されているが、実際には聖遺物級(レリック)以下という制限付きで、炎属性武器の発動や機能を掌握し、本来の所持者の意を離れ、“暴走”も“停止”も行えるという花の動像(フラワー・ゴーレム)たるナタの絶対的な弱点に対する防御手段。彼は、格下のアイテムからの特効攻撃・炎属性に対する対策を、自分を創ってくれた主の手によって整えられている。

 

 無論、聖遺物級以上のアイテムや、単純な炎現象のフィールド効果には無用の長物と化す、中途半端なアイテムではあるが、この場では有効に働いた。

 

 シズ・デルタの自爆装置じみた最終手段──完全焼灼榴弾(バーンアウト・グレネイド)を無効化し、完全停止させた。

 アインズに対しての申し訳なさから生じた一瞬の逡巡の間が、ナタにこの武装を解放させるのに十分な“一瞬”を与えてしまった。

 そして、彼女はこの“特効”ならぬ“特攻”手段を敢行し果せるために、遠距離戦闘者──ガンナーとしてはありえないほど、敵に接近してしまっているという、状況。アインズに支給された近距離転移魔法のアイテムを起動させるどころか、ボックスから取り出す一行程すら取れないだろう、至近距離。遠距離からの弾丸攻撃を回避し果せる身体機能を有した少年の不意を確実に突くための完全奇襲作戦は、あと一歩のところで泡のごとく(つい)えた。

 最悪な戦況である。

 いかに自動人形の、シズの身体能力でも、Lv.100のそれに耐えることは、不可能。

 

「では──御免!!」

 

 火尖鎗は、敵の武器を“支配”してから数秒の間、攻撃には使用できない。

 そのため、ナタは無手での攻撃を選択。

 (シズ)への最大の敬意として、彼は拳を、硬く、堅く、固く、握る。

 彼の腕に着用された無色透明に近い装備品──左掌に「哪」と、右掌に「吒」の漢字を戴くアイテムが装備者の意志に応じるように、掌の漢字が、手の甲に浮かび上がる。

 シズ・デルタ──Lv.46の自動人形──には、防御しきる(すべ)が、ない。

 彼女は咄嗟に両腕のグローブを交差し、首のマフラーを巻き付けて致命箇所の防御を厚くするが、その程度の防護など、Lv.100の戦士職NPCには裸同然。しかし、もはや手加減はしないと決めた少年兵に、逡巡や躊躇など、ありえない。

 少女の身体の中心に、寸止めする気など毛頭ない必殺拳の暴撃が叩き込まれる──

 刹那、

 

「んぅ?! これは!?」

 

 ナタの声を弾けた。

 

「…………え?」

 

 シズは目を見開いた。

 両者ともに、驚愕を(おもて)に表す、現象。

 

 

 

 

 

 両者の間には──巨大な、あまりにも巨大すぎる岩塊で出来た、掌が。

 

 

 

 

 

 掌は、ナタの拳撃を、シズの代わりに受け入れ、耐えきった。

 ナタは反射的に、直感的に、まったく理性的に、拳を引いた。

 闇色の門から突き出され、まるで自動人形の身を護る盾──花弁のごとく開かれた巨大な(いわお)掌底(しょうてい)が、拳の形に握り込まれ──

 

「「 !?! 」」

 

 花の動像に向かって、(はし)った。

 さながら、その場でダンプの衝突に遭ったかのように吹き飛ばされる少年兵は、優雅な身のこなしで、落ちる花びらのごとく岩塊との激突状況から脱出し果せる。

 しかし、豪拳の烈風による余波で、ナタは放物線の軌道を描き、神珍鉄が破砕した壁面に片膝をつく無様を余儀なくされた。

 

「援軍ですか!?」

 

 ナタがまっすぐ見つめ、確かめたそこにあるのは、空間に開かれた闇一色の門。

 そこから岩塊の拳が突き出され、剥き出しとなった腕まで含めて、ずんぐりとした巨岩の造形が露になる。

 

「…………っ、どうして?」

 

 救われた自動人形の少女は、その全身が門より這い出されるのを待つ。門は、目前にいる(ナタ)の侵入や潜行を危惧して、彼の巨体が通り抜けるだけのぎりぎりの時間しか展開されない。

 闇色の門扉より顕現した──巨大な像。

 二足二腕の太い造形が、分厚い岩盤を胴体に取り付けられた巨体は、優に30メートルを超えている。心臓の鼓動のごとき光の明滅を岩の身体に宿す巨人像は、確実に、シズ・デルタの援護のために派遣された存在に相違ない。

 

「す!!」

「…………す?」

「す、すすす──す──す!!」

 

 少年兵は、声を漏らす。漏らし続ける。

 ナタは、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの情報を、可能な限り与えられたNPC。

 故に、その名は当然のごとく知悉していた。

 彼は、シャルティア・ブラッドフォールンやコキュートスなどのような彼等とは違い、防衛戦の際は機能を発揮しない存在だが、ギルド間戦争で導入される拠点防衛というより攻城システムの一種。

 アインズ・ウール・ゴウンの拠点であるナザリック地下大墳墓・第四階層の“地底湖”の湖底に存在するという──第四階層守護者。

 

 攻城用戦略級ゴーレム。

 ガルガンチュア。

 

「すっごおおおおおい!! 大きいいいいいいッ!! かっこイイ────ッ!!」

 

 場違いなほど鮮烈に輝く表情と声音。

 まるで夢の巨大ロボと邂逅を果たした男児のごとき喝采ぶり。

 ナタは両の拳を握って、興奮の絶頂にあった。本気で、そこに現れた戦略級攻城ゴーレムの全容に、感嘆の言葉と視線を送りつけるしかない様子。同じ動像(ゴーレム)種として、その造形に含まれた美質と美徳に感動の極みを覚えずにはいられなかったようだ。

 目をキラキラさせる様は、本当に、ただの子供でしかない。

 だが、

 

「…………違う」

 

 巨大ゴーレムの巨腕に降り立つシズは、静謐に近い声音で、だがはっきりと否定する。

 

「…………ガルガンチュアは、かわいい」

 

 かっこいいという表現ではなく、「可愛らしい」という表現の方が、シズの(いだ)いた彼──ガルガンチュアへの心象のようだと、ナタは即座に理解を得る。

 

「ふふ!! なるほど!! しかし、しかし!! どちらにしても、素晴らしい動像(ゴーレム)!! 我等の拠点にいる“デエダラ”と、どこか通じたものを感じます!!」

 

 同じ階層の同じ場所の“闘技場”に安置されることが多いが故に、ナタはヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の防衛機構・攻城兵器の一種である巨人像(デエダラ)とは『友人である』と主人に定められている。

 しかし、ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の攻城用戦略級ゴーレムのデエダラとは、決定的に違う気がしてならない。造形も材質も異なる印象が強い。

 そして、その最たる特徴を、ガルガンチュアは己の内側より表出してみせる。

 

『シズ…………』

 

 目の前の巨岩の守護者から、大地の奥底より響くかのごとく雄大な“声”が。

 ナタが知る限り、これは──「発声」や「思考」というのは、デエダラにはありえない機能である。

 

『援護を…………?』

「…………うん。大丈夫」

 

 巨岩の動像(ゴーレム)の顔付近へ飛び移り、接吻を交わすような甘い声で、シズは薔薇色に微笑む。

 実に仲睦まじい光景ではないか。

 なるほど、あの二人は“そういう”間柄に相違あるまい。

 

「はは!! はははッ!! あははははッ!!」

 

 少年は、腕を組むのを完全に、止めた。

 手加減など、もはや完全に不要──無用。

 ギルド間戦争用の攻城用戦略級ゴーレムの、その力量は、Lv.100NPCのそれと同質同量であるはずがない。

 故に。

 ナタは自分の出せる全力全開……数多の剣群を空間に揃えて、轟々と笑い続ける。

 浮遊分裂刃Ⅰに加え、他の三種の浮遊分裂刃Ⅱ~Ⅳを抜き放ち、両腕に増設されている六本の得物──ナタの誇る“六臂(ろっぴ)の剣”たちを次々に開放していく。さらに右手薬指に輝く二つに分割される指輪“乾坤圏(けんこんけん)”を発動。乾坤圏(けんこんけん)はまるで戦輪(チャクラム)のごとく高速旋回しつつ、ナタの両手の動きについてくる。

 数十本の剣が四種、周囲を旋回。

 六本の刀剣と二つの戦輪が、ナタの両腕に合わせて、空中に追随する。

 

「『来い』!!  “如意神珍鉄(にょいしんちんてつ)”!!  “火尖鎗(かせんそう)”!!」

 

 その一言で、大地に突き立つ“如意神珍鉄”と“火尖鎗”を呼び戻す。

 両者ともに効果を解除して、元の形状に立ち帰る。

 秘密兵器たる二つの武装。

 そのひとつである巨杖を腰だめに構え直し、もうひとつの斧鎗(ハルバート)を頭上で豪快に振り回す。

 どこまでも赤い二つの武器に、蒼い髪が煌きを増す。

 

「ああああッ!! おもしろくなってきました!!」

 

 剣を構え、槍を振るい、あらゆる武器を御する。

 戦いこそが、“最強の矛”であるナタの存在理由。

 この気持ちを与えてくれた主のために、花の動像(フラワー・ゴーレム)は、戦うのみ。

 花の動像である少年兵は、快活な笑みを浮かべ、喜び勇んで、ナザリックが誇る自動人形の戦闘メイドと攻城用戦略級ゴーレムの“二人”に挑みかかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日更新

シズの武装関連などは、原作で戦闘描写が少ないため、空想で補っている部分が多々あります。
ご了承ください。


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戦端 -4

シズとガルガンチュア、ソリュシャンと“彼”の関係は、
二人に該当する逢瀬シリーズと、前作の12話をご参照ください。


/Flower Golem, Angel of Death …vol.14

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)拠点内。

 

「ど、どど、どうしよ……」

 

 褐色の肌に浮かぶのは、焦燥の雫。

 両腕の白翼を忙しなく動かし、慌てふためいている少女が見つめるのは、水晶の画面。

 

「ど、──どうし、たら……」

 

 ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)、第三階層“城館(パレス)”の大広間内、隠し監視部屋に詰めている天使(エンジェル)翼人(バードマン)の少女──エジプトの巫女のごとき外見と装備を与えられた拠点NPC──マアトは、その状況を、彼等の様子を静観していた。──せねばならなかった。

 生産都市の地下に潜伏したイズラを。

 南方士族領域の鉱床に赴いたナタを。

 彼等の、戦闘を。

 

「ふ、二人とも、すごく、大変、そう、なのに……」

 

 マアトは、飛竜騎兵の領地に赴いている創造主(カワウソ)と、彼の護衛役として傍に侍るミカ、そして、冒険都市でとある人物との交流を深めているラファたちの観察──“監視”を主任務として言いつかっている観測手(オブザーバー)

 創造主であるカワウソの安全と無事を期するならば、外で活動する(カワウソ)のことを絶対第一に気に掛けるのは必然。護衛役の防衛部隊隊長、マアトたちNPC全員の上官である(が、彼女たちは等しくカワウソ個人によって創造された同胞であるため、その地位は同等同質。上下関係というのはただの“設定”にすぎない)熾天使(セラフィム)のミカにすらどうにもできないほどの脅威を発見・会敵した瞬間に、拠点から増援部隊を送り出す手筈が整っている。場合によっては、現地人の記憶操作などの精神干渉も必要と考えられ、その両方をこなすためのウォフとガブ──副長と隊長補佐が待機していた。そして実際、二人に対して葬儀を終えたカワウソから〈伝言(メッセージ)〉が。

 加えて、ほとんど潜入工作系の技術も装備もなしに、冒険都市とやらの調査へと向かうことが決定したラファの後方支援役は必須と、カワウソから命じられていた。

 何しろ彼は、魔導国の警備状況がどれほどのものか──普通に都市を出入りするための実験や、あるいは潜入調査班であるイズラとナタとの相違や差異を探るための指標として、最初から単身で、祭りが催されていると聞く冒険都市への入都を試み、それ自体にはすでに成功を収めている。ラファは現在、冒険都市のメインイベントなる「冒険大会」に飛び込みも同然な形で参加し、そこで優秀な成績を修め、魔導国内唯一の一等冒険者(ナナイロコウ)チームである“黒白”の一人、漆黒の戦士たるモモンと双璧を為すと言われる“謎に満ちた純白の騎士”と、邂逅──彼等の下位組織である“漆黒の剣”なる四本の魔剣を携えるチームとの対戦でも、会場を沸かせることに成功している。

 

 マアトは、その二つの観測点を、常時監視し続けており、おまけに自分たちがいるスレイン平野なる土地の観察も並行せねばならなかった。

 それがマアトにしかできない役目であり、同時に限界でもあった。

 

 マアトに与えられた能力で常時観測が行えるのは、三つ……カワウソ+ミカ、ラファ、そして拠点……が限界。つまり、それ以外の、潜入調査任務中のイズラとナタには、本格的な監視の目は行き届いていなかった。マアトには潤沢な魔力が備わっているが、無尽蔵ではない。

 二人には要望があった時に──魔導国で興味深い調査対象を発見した際に、その情報を記録するための“(カメラ)”を貸し与える程度。目はあくまでマアトの創り上げた装置(アイテム)にしか分類されないため、マアトの魔力を常時消耗するような探査魔法とは、違う。大量に生産維持することは不可能なそれのおかげで、二人から生産都市や南方士族領域の状況や大陸内における臣民たちの立ち位置、様々な魔法的発展や装置類、魔導国内におけるアンデッドモンスターの運用方法などを、静画なり動画なりで記録することが最低限の魔力消費で可能になっている。

 しかし、今回のこれは、どうしたものか──マアトは判断しかねていた。

 

「こ、これっ、て、どう、見て、も……戦、闘、だよ……ね?」

 

 サポート要員のマアトは、戦闘が苦手だ。

 拠点防衛時には第一階層の逃げ部屋──隠し通路を通らないと侵入者にはたどり着けないボーナスステージでの完全待機するほどに。与えられた設定上の性格にしても、『戦闘が嫌い』という文言があるのも影響している。

 彼女に与えられたレベル数値の中で、直接戦闘に使えるものは、与えられた魔法職のそれが幾つかある程度。マアトの役目はあくまでサポート。他の同胞を強化したり、あるいは敵情を詳細に調べ解析したりするための、『探索役(シーカー)』でしかない。拠点NPCとしては、かなり異色な部類に位置するが、侵入者(プレイヤー)をNPCに探査させ、その対抗策を思案するきっかけにするというのは一応、理に適っている。

 もっとも、ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)に侵入してきたプレイヤーは、絶無。

 マアトはその光景を──イズラが赴いた生産都市の地下第五階層で、ナタが赴いた南方の新鉱床掘削場内で、それぞれが会敵の果てに「交戦」してしまった事実を認知した。

 彼等に貸し与えた“目”を自動回収──マアトの手元に届いた時点で。ようやく。

 

「これ、ど、どうしたら…………いいの?」

 

 カワウソは言っていた。

 魔法都市の集合住宅、その屋上に集った調査隊に、語り聞かせた。

 

『戦闘になりそうな際には撤退せよ』

『場合によっては、戦闘も止む無し』

『そのような事態にはならないよう、努力してほしい』

 

 だが、撤退は難しく、イズラとナタは戦闘も止む無しという状況で、ナザリック地下大墳墓の存在……NPC……“魔導国臣民ではない者”との戦闘を、敢行せざるを得なかった。

 ナザリックの存在に見つかり、逃走を許す気概を持たない戦闘メイド──追撃者たち。

 彼女等の意志を捻じ曲げることで、比較的穏便に対応しようとしていた二人だったが、どうにも火に油を注ぐような結果にしかなっておらず、その結果がこれ。

 二人からの支援要請……拠点からの応援を求める声はあがってはいない。

 となれば、あの程度の戦力に負けることはありえない。

 では、放っておいてもよいはず。

 むしろ(いたずら)に、無策に、彼等と連絡を取り合い、転移の魔法を使用して、それによって彼等と自分たちのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)とのかかわりを探査されでもしたら、『いざという時は切り捨てる』──「イズラとナタは自分たちとは無関係だから、知ったことじゃないですよ」と、知らんぷりすることが難しくなる。だから、マアトは彼等に〈伝言(メッセージ)〉を飛ばせない。飛ばすべきではない。

 

「これ、や、やっぱり、報告、した、方が?」

 

 彼等はカワウソの命令に準じている。準じ続けている。

 カワウソからの命令に従ったまま、二人は行動しているのだ。問題は何処にもない。

 戦闘になりそうだったので撤退行動をとっていたが、それは叶わなかった。なので戦闘に陥り──こうなった。

 

 気弱なマアトにしても、イズラとナタの行動にこそ“問題がある”と指摘できるほど、ナザリックの存在に同調することは、ありえない。

 

 二人は「見逃してほしい」と何度か請願したのに、それを反故(ほご)にされた。ならば、戦うことは不可避な事態であると容易に思考される。ここで二人を見逃してくれれば、連中は痛い目を見ずに済んだだろうと思考する彼女の思考は、どこまでもギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)同胞(NPC)を思ってのこと。

 自分たちという存在こそが、創造主に『かくあれ』と定められ創り上げられた事実だけが、彼等NPCにとっての絶対であり、根源と言えた。

 NPCたちにとって、自分たちの属するギルドや拠点、そして創造主への尊崇と信奉が優先される。

 互いにNPC同士であるが故に、両陣営ともに“戴く主人への敬愛”という絶対指針に逆行することは出来ない。

 それは自分たちの存在理由の否定につながってしまう。

 いずれの個体もNPCだからこそ、この衝突と戦闘は、必定の現象に過ぎなかった。

 あまつさえ、二人は自分たちの創造主の意志と命令に従事した結果、こんな事態に陥っている。

 静かな憤懣(ふんまん)を、イズラとナタの二人を逃がしてくれなかった敵の戦闘メイドたちに懐きつつ、マアトは考える。

 

「報告、しても、その、後、……どう、なるん、だろ?」

 

 これでよいはずという思想と、これでよいのかという思考が、少女の脳内で(せめ)ぎ合い絡み合う。

 カワウソに報告するにしても、二人が勝利して戦況を脱することは容易と見えた。だが、一度戦闘になった以上、二人はもう、ここには戻ってこれないのだろうか? ナザリックの監視能力がどれほどのものか不明な現段階……否、一応は街中や施設内に防犯監視目的の動像(ゴーレム)などがいるのはわかっているが、二人のいる動力室や地下採掘場内に、そういった代物はマアトの見立てだと発見できない。三地点を常時観測せねばならないマアトにとって、他二人の戦場の様子を事細かく分析できるほどの監視状態を敷くのは難しく、それを断行しようとすれば拠点とラファの監視は諦めるしかない(カワウソたちの現況観測をやめるはずがない)。

 そうして、そんな“勝手”を働いて、もしもその隙に拠点へ襲撃者が殺到したら? 冒険都市を調査中のラファに何かがあれば? カワウソの命令に反して、自分は何か取り返しのつかない事態を誘発するだけになるのではあるまいか?

 命令に忠実に動いてるはずの彼等を心配するあまり、自分自身の勝手な判断と行動が、不測の状況を構築することになったらと思うと、何も、できない。

 それがあまりに情けない。悔しくて悔しくてたまらない。

 

「ど、どうしよう……」

 

 何かの歯車が狂っているのでは。

 そう思考の渦にマアトは巻き込まれつつある。

 せめて、副長(ウォフ)隊長補佐(ガブ)に報告すべき?

 でも、二人は二人でやることがあって忙しくなっているし、拠点にいる他のNPCも同様。それに報告しても状況は変わらないし、だったら、……けれど、……だから……

 

 

 

 泣きたくなるほどに──というか、もう泣くことをこらえられないくらいに悔しく情けない気持ちで、マアトは悩み、考える。

 

 

 

 結局。

 この後、強化作用のある朝食を届けに来てくれたアプサラスに泣きべそを見られ、彼女に相談し、マアトは創造主であるカワウソへの奏上を決意することになる。

 

 

 

 

 

 だが、すべては遅きに失していた。

 

 

 

 

 

 ナタが敵の戦略級ゴーレムと自動人形との戦いにヒートアップしている。

 そして、イズラは──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 六度目の詰問……あるいは拷問が、生産都市・アベリオン地下にて、行われている。

 

「あなたにも、お()きします。我が主が、 ナ ン ダ ト ?」

『が、ゲ、ああア?』

 

 いつまでも自分たちを殺さないでいるから、「殺せない」ものと増長したのだろう。

 イズラが、死の天使が、まったく本気を出さないでいること。

 それは、主命に忠実であらんが故の行為に過ぎない。

 それを勘違いされては、困る。

 

我が主(マスター)を侮辱できるものは、彼が『かくあれ』と定めた、我等が隊長以外に、許されはしない」

 

 手袋から伸ばした鋼線のごとく鋭い声で、影の悪魔の中心で脈打つ臓物を引きずり出す。

 六体目の悪魔が、死ぬ。

 文字通り物理的に“掌握”された影色の心臓は、嫌な水音を奏でた瞬間、悪魔の存在を影へと還してしまった。いかに“影”とはいえ、その存在の核たる部位を破壊されれば、実存を保てる道理がない。手袋にこびりつく影の残滓を、血振りするかのごとく振り下ろした。

 影は欠片も残さずに、この世界から剥がれ落ちる。

 そんな光景が、すでに六度。

 悪魔の指揮官たる粘体の乙女は、まんじりともせず──その拷問劇を眺め続けている。

 

「おまえは……なんだ?」

 

 絞り出された声は、震えてはいない。

 少女の外見だが、その胆力と意志力──敵の戦力分析を綿密に詳細に行おうという策謀の視力は、まさしく異形のそれと言えるだろう。

 しかし、それらすべてを意に介すことなく、天使は布告する。

 

「ここで(つい)えるあなた方に、そんな情報が必要なのでしょうか?」

 

 ああ、それとも。

 

「この戦闘は、すでにナザリックの方々の、監視下に?」

「──貴様」

 

 気づいていたのかと問われるまでもない。

 というよりも、そうなっていない可能性の方が薄いだろう。いや、さすがにイズラが都市内を徘徊していた時は気づかれていなかったはずだが、あのアインズ・ウール・ゴウン、ナザリック地下大墳墓であれば、あるいはとも思われて当然。

 イズラにしても、拠点にいるマアトに頼み、監視の“目”をひとつここに飛ばしてもらっていた以上、ナザリックの存在もまたそうしていないと認識する理由がない。……そういえば。監視者が複数勢力にわかれて存在する時の状態はどうなるのだったか。マアトに与えられたレベルと装備でならば、とりあえず他の存在に気づかれるなどのことはないはずだが。

 

「まぁ、いいです」

 

 マアトの方は大丈夫だと確信しているが、それよりも問題は、こいつら影の悪魔たちの処置だ。

 彼等は、イズラの主人……創造主(マスター)であるカワウソを、軽侮した。

 先ほどの言葉が、一言一句、天使の脳内に乱響している。

 

 ──『まったくもって片腹痛い。貴様らの兵力は、随分とお粗末なようだ』

 ──『これでは、貴様の“主人(マスター)”とやらの程度も知れるというも』

 

 許さない。

 許さない。許さない。

 許していいはずがない。許されていい道理などない。

 

 イズラ自身をどうこう言われようとも気にはしない。イズラはそういう性格の持ち主であり、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)内に存在する防衛部隊……Lv.100NPCの中では、比較的劣悪な存在だ。さすがに格下には負けるはずのないステータスと装備を与えられているが、Lv.80や90の集団相手だと勝率は悪いはず。それは事実だ。

 しかし、奴らはイズラにとって、絶対に犯してはならない聖域を、目の前で(けが)した。

 

 ……貴様の“主人”とやらの程度も知れる……

 

 NPC(イズラ)たちにとって、創造主(カワウソ)の存在は、すべてだ。

 何においても優先され、何者よりも親愛と尊重の念を懐いてならない、すべて。

 それほどの存在を、自分(NPC)たちの絶対を、こいつらは侮辱した。侮蔑した。侮弄(ぶろう)した侮翫(ぶがん)した!

 

 それを許されるのは、彼が『かくあれ』と定め、『嫌っている。』と認められし隊長・ミカ以外、ありえない。

 故あってそのように定めを設けられているミカのことを、天使の澱の全員が理解し尽している。

 何故なら、彼等は等しく同じ創造主より造られ、同じ時に生まれた、真の同胞なのだから。

 

 底知れず湧き上がる激情に蓋をするわけでもなく、イズラは微笑みの層をより深くする。

 許されざる大罪を働いた無礼者共。その命のすべてでもって(あがな)い、(つぐな)わせてやらねば。

 自分の全身全霊を賭して、創造主への不遜を改めさせる。

 魔導国の執行部隊だろうが、そんなことは関係ない。

 ナザリック地下大墳墓の存在……NPCである以上……“臣民”という(くく)りからは外れる。

 創造主(カワウソ)の君命からは、致命的に外れる。

 

 殺せる。

 だから、殺す。

 

 創造主(マスター)を軽んじ、侮る言葉を吐いた悪魔どもの息の根を止める。

 身の内に滾る戦鬼のごとき憤怒に比して、天使の表情は穏やかなものだ。

 

『死は、誰に対しても微笑(ほほえ)みかける』という。

 

 だから、死の天使(イズラ)は微笑むことしか、しない。

 そう『かくあれ』と望まれた存在、ゆえに。

 

「戦闘を愉しむほど、私は正々堂々と戦うものでもないので、ここからは手っ取り早く済ませましょうか?」

「させるか!」

 

 イプシロンという名の部隊長が、勇猛果敢に攻め込んでくる。

 影たちの心臓を抉り出す天使の手並みは見ていたはずだが、それでも敢闘しようという精神は、誠に天晴(あっぱれ)

 イズラは鋼線を少女へと伸ばし、イプシロンが伸ばした粘体の毒指、十本を断ち切るが──

 

「ああ。やはり、粘体(スライム)には鋼線(ワイヤー)による斬撃は効きにくい」

 

 ユグドラシルにおける粘体種は、物理攻撃に強く、刺突・斬撃に対する耐性については有名だ。せめて殴打系であればダメージも通るところだが、イズラの戦闘手段に該当するものはない。素手で殴りに行くにしても距離があるし、そもそもイズラの物理攻撃力自体が微妙。粘体の肉体は断ち切られても、瞬間、断面と断面が互いに繋がり合おうと触手を伸ばして、元の形状に戻ってしまえるが故の特性であった。

 鋼線を伸ばして大質量などを動かして敵を潰す手法は、あのイプシロンの素早さや護衛の数だと無理がある。では他者を鋼線で絡めとり傀儡(かいらい)のごとく扱って──という芸当は、イズラには不可能だ。そういった特殊な糸の使い方は、別の職業“人形師(ドールマスター)”にしか不可能なスキル。

 影の悪魔たちをイズラはその場で動かずに仕留め、心臓を握り砕く作業は、連中をこれまでさんざん切り刻んだ鋼線……その残存物質が、奴らの体内に極小の状態で残留・堆積していた──つまり、マーキングされていたからだ。それを使って、イズラは己の鋼線を仕込んだ連中の心臓に武器の残滓を流動させ、存在の核たる臓器に“罠”を仕掛けている。仕掛けられた罠によって、悪魔たちは鋼線と鋼線の残滓が元に戻ろうと、互いに結びつこうとする「磁石」のごとく反応。任意に選ばれた影の悪魔が、磁力に吸い寄せられるかのごとく天使のもとへと殺到した。

 かくして、質量をまったく持たない影たちは、死を与える天使の掌……手袋に心臓を掴み潰される現象に陥った、という寸法である。

 この鋼線の名は“罠の磁力鋼線(マグネティックワイヤー・オブ・トラップ)”。遺産級(レガシー)アイテムにも届かない微妙なランクだが、イズラの暗殺職や死刑執行者(エクスキューショナー)などの職業レベルを併用することで、かなりの致死率を誇る代物として死の天使たる彼に与えられて久しい(ただし、これはあくまで斬撃系武器に属するため、粘体(スライム)を致死させる威力はない)。

 イプシロンの肉体にダメージはない。

 イズラは直接的な戦闘力では、彼女は殺せそうにない。

 ならば、イズラの最も得意とする戦法を披露するよりほかにないだろう。

 

「致し方ない」

 

 速攻で片をつける。

 天使は黒い翼を広げ、外套のフードで頭部を覆う。金色の輪が、黒いフードの上に輝いた。

 イズラの本性は“死の天使”。

 有象無象・有形無形に関わらず、存在の“死”を司ることに関しては、天使種族の中では抜きん出た性能を保持している。

 

「そんなにも私の性能が知りたいというのであれば……教えてあげましょう」

 

 ただし。

 

「その対価は、おまえたち全員(・・・・・・・)の“死”でもって、(あがな)っていただく」

 

 天使が告げた一瞬で、影の悪魔が五体──まったく何の前触れもなしに、心臓が、爆ぜた。

 数体の同胞、シモベたちが、僅か一呼吸の間に、死んでいた。

 

「な、にっ!?」

 

 ソリュシャンが気づく余地もない早業だった。

 イズラの鋼線を思わせる弦が引き絞られ、ひとつの弓の形状から、彼が適当に選んだ影の悪魔たちの肉体を光の矢が貫き、その奥に蔵された臓物を破壊していたのだ。

 死んだ影の胸にはあまりにも清白な矢が突き立っていたが、それは死体が崩れ消えた後、床の上に転がって残されている。

 少女の口から、喚声が(ほとばし)った。

 

「これが、真の能力か!?」

 

 確信を込めて問い質すメイド。

 だが、イズラはきっぱりと否定してしまう。

 

「いいえ。

 弓兵(アーチャー)Lv.4の基本スキル“速射連射(クイックショット)Ⅱ”を使っただけですが?」

 

 基本職種に数えられる弓兵は、NPCガチャで豊富に落ちるデータであるため、そこまでレアな代物ではない。そのスキルについても同様であるが、まがりなりにもLv.100NPCのステータスが繰り出す以上、その威力は雑魚POPモンスターに分類される影の悪魔(シャドウデーモン)程度で、耐えきれる攻撃ではなかったようだ。殺傷数が数体でおさまっているのは“Ⅱ”であるが故の制約だろう。弓兵(アーチャー)上級弓兵(ハイ・アーチャー)の最大レベルで繰り出される射撃は、ユグドラシルにおいては空から幾百にもなる矢の光雨を降らせることもありえる。

 先ほどの罠の鋼線による蹂躙をやめたのは、実のところ、あの現象は一度に大量に引き寄せることは出来ない……一瞬で大量に抹殺するという効能は期待できず、戦闘を長引かせるデメリットがあったからだ。それに対して、弓兵(アーチャー)として放つ弓矢であれば、一度に複数の対象を補足・殺傷が可能。

 手袋……腕の装備品扱いとなるそれに改めて握られた得物は、黒い天使には不釣り合いなほど純白で、神聖なオーラすら感じられる清らかな長弓。矢もすべて神聖な輝きをこぼす代物で、影の悪魔にとっては致命的な相性の悪さを感じさせてならない。これをイズラがメイン武装にしていないのは、単純に、彼に与えられた弓兵(アーチャー)のレベルが暗殺者系統に比べて比較的低い……Lv.5しか与えられていないことが原因だった。また、彼はカワウソから弓矢を与えられていたが、悪魔に効果のある神聖属性の矢は貴重。あまり乱用してよい代物でなかった。

「これは本気ではない」と、そう平然と言いのけられ、ソリュシャンは疑問を深める。

 今の(わざ)が、天使の言う性能では“ない”という。

 だとするならば。

 

「私が、最も得意とし、かつ最も強力な力を使うのは、これから(・・・・)です」

 

 宣告を終えたイズラは弓を瞬時にしまい、主人から拝領した武器──腰に革帯で固定・封印されていた“書物”を解放し、その重い装丁を開いた。

 

「私に与えられた職業(クラス)レベルの中には、この書物を扱うのに最適なもの──“書記官(シークレッタリー)”というものが存在します」

 

 彼の説明を聞きつつ、イプシロンや影の悪魔たちは疑問符を頭上に浮かべ続ける。

 何故、弓で数を減らすという作業を? 何故、弓による連続攻撃をやめたのか?

 弓による刺突攻撃も粘体(スライム)のソリュシャンには効き目が薄い。

 では、あの書物は……?

 ナザリックのシモベ達は、天使の腰にぶら下がっていた漆黒の装丁が不気味な、極厚の紙束を見据える。

 

「この書物の名は“死の筆記帳”」

 

 英訳すると危険な雰囲気が漂う筆記帳(ノート)こそが、“死の天使”であるイズラの主武装(メインウェポン)

 鋼線による暗器や罠も、弓矢による連続射撃も、ただの補助武装。拠点NPCである彼が、第二階層“回廊(クロイスラー)”を共に防衛する任に就く妹・イスラと共に、侵入者たちを迎撃し撃退するためのもの。

 これを使用する時こそが、イズラの本来の能力を発揮する瞬間たり得る。

 天使は宣告した通り、教鞭を振るう講師のごとく冷厳とした口調で説明し続ける。

 

「今しがた、あなた方の総数は、20人にまで減りました」

 

 30体いたメイドの護衛は、六体が心臓を砕かれ、五人が神聖属性の矢尻で果てた。

 減った数は11人。影の悪魔の残存兵数は、19人。

 それにプラスして、彼らの指揮官たる少女が1人。

 合計で20人。

 

「私の種族である“死の天使”には、“真名看破”の特殊技術(スキル)があります」

 

 死の天使Lv.10で獲得可能なこの特殊技術(スキル)は、一日に二十回──二十体分の敵の名称データを、一定の制限付きで読み取るという探査系スキル。

 つまり、ここにいるソリュシャンを含む影の悪魔(シャドウデーモン)たち……死の天使との戦闘で減耗したその数……合計二十体の名を読み取ることが可能なのだ。

 ただし、イズラはそのために、もう一つの厄介な発動条件をクリアしておかねばならなかった。

 だが、それも既に“戦闘前に達成されている”。

 

「この20回しか発動できないスキルを使用する上で、『敵の名を読み上げる』ための条件として、『敵が、私の名を知る必要がある』もので」

「名を、知る? ……っ! では、先ほど貴様が、名を名乗ったのは!」

「ええ──

 ですので、私はあなたがた全員に、私の名を教えて差し上げたのです」

 

 わざわざ自己紹介などした理由はそれか。

 粘体のメイドは理解を得る。

 ユグドラシルにおいては、敵の名称などの情報を読み取るのにも魔法やスキルは、必須。そのための看破魔法や、逆にそれを感知した際の逆襲手段(カウンター)も充実している。野生下(フィールド)遭遇(エンカウント)する高レベルの死の天使(エンジェル・オブ・デス)は、自分の名を読み取った相手=敵を、集中的に殺すという仕様が存在していた。ユグドラシルでは敵の情報を探る魔法も充実していたが故に、そういう存在に敵意(ヘイト)が向けられるのは当然の仕組み。

 ソリュシャンは表情を大いに歪める。

 自分たちがまんまと、天使の(はかりごと)に嵌り込んだ屈辱に言葉も出ない。

 

「私の、“死の天使”の本質は、『命の名を読み取り、その“寿命を決める”』というもの」

 

 そういう設定を与えられた死の天使は、まるで審問者や審判官のような超然とした声色で、己の真の力を発揮する造形を発露する。

 フードを被った男の顔面に、もはや表情というものは、ない。

 ──正常な顔面とすら、言い難い。

 黒い男の容貌は、フードの影に溶けたような暗黒に染まり果てている。

 その代わりに、異様な形……“異形”が、その姿を現し始めた。

 

「生きとし生けるもの、そのすべての『天命を司る』天の使い──それが私──死の天使(エンジェル・オブ・デス)

 

 一説によれば。

 彼の種族である死の天使は、死者の魂を天国あるいは地獄へと導く役割を担うとされている。

 死の天使は、その手に巨大な書物を携え、そこに人の名を書き込むことで生誕を記録し、その人が死亡すると共に名を消すことで、天から与えられた生命の運用を担うとされている存在。『死神』のごとき責務を負う死の天使は、天命の忠実な執行人であり、死すべき命を処断して、かくあるべき場所──神の御許(みもと)へと導く崇高な存在とも解釈されている。

 

 すべての生命を“見る”異形種。

 

 それ故に、その天使は自己が観測し視認した、ありとあらゆる“すべて”に死を与えるモンスターとして、このような(・・・・・)異形の姿を与えられた謂れがある。

 ソリュシャンは疑念の瞳で、誰にでもなく問い質した。

 

「あれ、は────何?」

 

 元あった両眼の他に、無数に輝くそれ。

 

 ──黒く輝く瞳を戴く、……白い眼球。

 

 額に。鼻に。口に。頬に。顎に。耳に。首に。

 頭部全体にかけて、数えきれないほどの眼球が生じる。

 否、頭だけではない。

 黒い外套に包まれた身体全体──腕、手、指、爪、肘、肩、胸、腹、脇、腰、尻、腿、膝、脛、脚、そして背中や、背中から生える黒い翼の“羽毛”ひとつひとつ……果ては天使の(エンジェル)光背(ハイロウ)のごとく“空間”にまで、数えきれないほどの“眼”が宿り、大小さまざまに(ひし)めいていた。

 それらひとつひとつが、世界に生きるすべての存在の名を読み取り、筆記し、生と死の期限を定め決める「命の監視者」……「死の天使」の保有する、すべての、眼。

 高位アンデッドの集眼の屍(アイボール・コープス)とはまた違った、幾千の眼球で覆い尽くされた天使の“異形”──この姿こそが、ユグドラシルにおける“死の天使”、その本来の造形に近い。

 死の天使は、全身に存在するすべての瞳だけで、薄く微笑む表情を形作った。

 

「では、死んでください」

 

 開かれた漆黒の魔書が輝きを増し、死の天使の特殊技術(スキル)効果を遺憾なく発揮していく。

 ──死の天使が、その全身に宿す瞳で見た者、すべてを殺す。

 

影の悪魔(シャドウデーモン)BY」

 

 召喚されたモンスター故の番号(アルファベット)──ゲームシステムとして、POPモンスターに割り振られて当然のもの──は、悪魔自身すら知らぬ、真の名前。

 それを告げた途端、ノートに光の筋が刻み込まれ、まるで焼き印のごとくしっかりとした筆記で、悪魔の一体の命を、記録。

 

 

「死亡」

 

 

 続けざまに告げられた二文字が、筆記帳に刻まれた名前を掻き消した。

 世界から、その名が消失する。

 それこそが、影の悪魔の運命と化した。

 

『ガっ! ああッ!?』

 

 悪魔は影の肉体を維持できず、まるで飴細工が焔火に炙られ溶けるように、姿を沈めた。

 苦悶の仕草で胸を押さえて間もなく、黒い影が大地に倒れ、染み込む。

 数秒後には、悪魔の命は欠片も残らず完全に、消えてなくなっていた。

 

「こ……これは!」

 

 眼前で起こった現象は(あやま)つことなく、この場にいる全員の共通認識へと昇華される。

 

「即死、能力ッ?!」

 

 

 

 

 

 イズラが(たずさ)える黒い極厚のノート。

 この“死の筆記帳”は、ユグドラシルにおいてはプレイヤーがコンソールを繋いで使用し、文字を打ち込むことで、その名を筆記・記帳された存在……敵プレイヤーや遭遇したモンスターを抹殺するという死霊系“即死”攻撃アイテムに分類される(NPCの場合は、コンソールの存在は省略される)。その仕様上、攻撃対象は目の前にいる者に限定され、文字の誤字脱字が一ヵ所でもあると、効果は期待できないという難点がある。また、「即死耐性」の装備やアイテム、種族特性や能力を突破できるものでもない。

 だが、この異世界に転移し、NPCであるイズラが使用するこれは、コンソールを介してではなく、使用者が筆記帳に即死させたい対象の“名”を書き込むことで機能するアイテムに成り果てている。

 そして、イズラの保有する職業レベル“書記官(シークレッタリー)”は、発動者が「文字を声にして読み上げること」で、本などの文書や書籍などのアイテムに「読み上げられた内容を記帳していく」という“自動書記”の特殊技術(スキル)が存在していた。これは、コンソールを使用しての文書作成に面倒を感じるプレイヤー、タイピングが致命的に遅いユーザーなどへの救済措置として導入された過去があり、ユグドラシルのゲーム内で小説や長文データなどを作成するユーザーに重宝されたこともあるという。

 その職業レベルを、イズラを製作したカワウソは死の天使に取り入れ、“真名看破”の種族スキルと、名称を書き込むことで対象を即死させるアイテムと、上手く組み合わせて運用してみせたのだ。

 

 イズラが真名を看破し、書記官(シークレッタリー)のスキルで自動的に、“死の筆記帳”に悪魔の名が迅速に確実に書き込まれていく。

 

 己の名を書き込まれた悪魔が、一人、また一人と、その命を終わらせていくことに。

 

 

 

 

 

 まずい。

 ソリュシャンは身に宿る戦慄のまま、死の天使への投剣を試みるが、攻撃の刃は天使の影にすらかすりもしない。

 死の天使は空を舞い、黒い翼の眼球で、次なる悪魔の名を──命の末を記録していく。

 

影の悪魔(シャドウデーモン)BX、影の悪魔(シャドウデーモン)CA──死亡」

『ぐゥッ!』『げ、アア!』

 

 己の番号(アルファベット)を呼ばれたモンスター、二つ分の苦鳴が空間を満たした。

 見る間に影の悪魔が二体、無に帰した。

 しかし、悪魔たちは冷静だった。

 

『イプシロン様!』『お退きください!』『どうか、お退きを!』

「おまえたち、何を!?」

 

 ソリュシャンの詰問じみた疑念の声に、悪魔たちは振り返らない。

 

『栄えあるナザリック地下大墳墓にて、新たに召喚され創り出されし、我等の存在理由!』

『それは、アインズ様の御期待に応えるべく、貴女たちナザリック直製の存在を護る事!』

『貴女様を護衛する任を果たせぬ無能など、この世に存在する価値はない──ですから!』

 

 彼等ナザリックにて召喚されたモンスターの覚悟は天晴(あっぱれ)だ。

 だが、ソリュシャンは断じて、首を縦に振れない。振れるわけがない。

 

「おまえたちは──この私に『退け』と言うの!? 戦闘メイド(プレアデス)の一人である私に?!」

 

 ソリュシャンは、彼等の命を惜しむというよりも、御方々に直接創られた自分が、敵に「背を向ける行為」を──敗走せねばならないという事実を突きつけられたことに対してのみ、マグマのごとき憤怒を、粘体の乙女の体内に覚えた。それはあってはいけない背信行為──御方のために命を(なげう)つ拠点NPCには、絶対に承服できない蛮行であった。そんな愚行を働くくらいならば、いっそ自害した方が百倍マシというもの。

 しかし、部下たちに対する憤りの溶熱を発散し、開放する暇すらない。

 死の天使の発揮する“死に至る眼光”──真名を看破する視線が、まるで吹き抜ける風のごとく、護衛部隊の命を摘まみとっていく。

 

影の悪魔(シャドウデーモン)CE、影の悪魔(シャドウデーモン)CJ、影の悪魔(シャドウデーモン)CK──死亡」

 

 名を読み上げられたと同時に、天使の手元で広げられた黒い極厚のノートへ名を筆記された影の悪魔たちが、絶命の叫喚と共に、影へと還る。せめて一矢報いようと、残存兵力が背後や真下の空間より黒い爪牙を伸ばすが、もはやあの天使に死角はない。全身のいたるところから生じた眼球のすべてが、己に殺到する敵対モンスターすべてを視野に収め、それを“自動書記”の特殊技術(スキル)によってノートへと記帳──悪魔たちはなす術もなく、命を絶たれるのみだ。

 むしろ挑みかかり天使に近づく方が、奴の即死射程範囲に突っ込んで早死(はやじ)にしてしまうと理解された。

 しかし、影の悪魔たちは壁役と盾役をやめないし、諦めることもない。

 ソリュシャンを少しでも死から遠ざけようと、天使の能力に対する防波堤を築きあげる。

 ──そうして、天使より“死”を与えられた彼等は二度と、影から悪魔の肉体を構築できない。

 

影の悪魔(シャドウデーモン)DA」

『アインズ・ウール・ゴウン様っ!』

「死亡」

『ッ! 万……歳、ッ!』

 

 最後の影が尽きた。

 伸ばした黒い爪は、溶ける氷や砂の楼閣よりもあっけなく、大地に崩れ落ちる。

 彼等はソリュシャン・イプシロンを護る壁として、盾として、その役目と本懐を遂げてしまった。

 

「クソッ!!」

 

 思わず毒づくメイドは、しかし、退くということだけはできなかった。

 壁として、盾として、散っていく護衛部隊──戦略的撤退が必要──己よりもはるかに格上の強者が相手──そういった諸々は、一切合切が、関係ない。

 

「私は! ナザリック地下大墳墓、そして、かの地を支配する至高の御方々に、忠誠忠節を尽くすシモベ!」

 

 戦闘メイド(プレアデス)として。

 未知の敵であろうと、御方の障害になり得るものを捨て置くなど、不可能な判断だ。

 自分が退けば、一体だれがアレを止めるというのか。

 すでに緊急要請(エマージェンシー)は発せられたのだ。

 ならば、援軍が来るまで、ここで奴を食い止める役目は続けねば。

 ソリュシャンは物理的に震える胸の奥に残していた最後の暗器──投擲用の小剣(ナイフ)八本セットを引きずり出して、構える。

 彼女は、ナザリックの最奥たる第九階層・ロイヤルスイートを守護し、不遜なる侵入者共の行く手を阻むための、六人一組の「戦闘」メイド(プレアデス)

 

 戦い闘う。

 

 ただそのために創られたソリュシャン・イプシロンが、目の前の“敵”に背を向けて逃げ出すなど──あってはならない──それだけは、許されるべきことでは、ない!

 そんな不忠を自分が働くことは──

 

「許さない!」

 

 正確に(なげう)たれた小剣の八撃が、それぞれ別々の軌道を描いて、最後の影の悪魔に死を与えた天使の急所を狙う。頭と首と心臓と背骨に、二本ずつ──身体の中心へと殺到する静かな暗殺剣は、…………だが、死の天使には、届かない。

 黒い羽根で六本が薙ぎ払われ、残り二本は天使の眼球だらけの片手──人差し指と中指と薬指の三指で、摘まみとられて、終わる。

 死を司る眼球が、微笑(わら)う。

 それらすべての光景が、戦闘メイドの瞳の奥に吸い込まれていく。

 

「──ッ!!」

 

 粘体の顔が崩れんばかりに切歯し、表情を歪めるソリュシャン。

 与えられた隠密部隊の内、この戦闘に動員した影の悪魔、三十体──全員を失うという惨状。

 彼等を新たにソリュシャンの配下へと組み込んだアインズへの弁明を考える間もなく、死の天使が、最後に記すべき名前を、“見る”。

 (イズラ)創造主(マスター)を、期せずして侮辱した悪魔たち──彼等の筆頭である護衛対象、拠点NPCの名を、正確に看破する。

 だが、彼女は、逃げない。

 絶対に、背中を見せはしない。

 恐慌に駆られ、御方への忠義を忘れ、無様に敗走することだけは、ありえない。

 勇敢を極める敵の名を、イズラは一切の躊躇なく、その継戦意欲と敢闘精神を讃えるがごとく、読み上げる。

 

「……ソリュシャン・イプシロン……」

 

 死の天使の眼が、その能力を発揮。

 死へ至る儀式は、確実に履行された。

 筆記帳のページに、その名は刻まれる。

 

 

「 死亡 」──すべてが、決したかに思えた、その瞬間。

 

 

「──ん、おや?」

「こ……れ、は?」

 

 眼球だらけの天使と、粘体の戦闘メイド、双方が目を剥いた。

 天使は首をひねった。

 

「水色の、──障壁?」

 

 かなり透明に近い水色、否、これはむしろ蒼いガラス細工のようにも、イズラの全眼球にはとらえられた。

 それが、少女の背後に広がった闇色の“門”から、まるで燃え上がる焔のごとく、彼女の全身を護る球体と化して展開されたところも、すべて。

 それが、イズラの即死の瞳から、ソリュシャンを完全に防護したのだ。

 新たな増援か。

 それにしても、あの蒼色の水膜は、一体?

 戦闘メイドの防衛魔法や装備機能ということでないことは、守られる少女自身の、その反応ぶりで確実に明らか。単純な壁というわけでもない。それならば、死の天使の即死能力は問題なく突破できたはず。防具や障害物ではない──なにか。

 一方、

 疑念と疑問に首を傾ぐ死の天使に対し、ソリュシャンはすべてを承知して──だが、“彼”がここに来ることをまるで予想していなかった調子で、“彼の全身”に手を這わせる。

 

「──どう、して?」

 

 絞り出されるメイドの声。

 しかし“彼”は応じない。

 その代わり。

 色素を増した蒼い壁が、敵である漆黒の天使めがけて、無数の触腕を伸ばした。

 粘体の酸性を帯びた蒼く丸い突起は、空気すらも焼き融かすような風音を奏でて殺到。

 天使は黒い羽毛と眼球だらけの翼を巧みに操り、その追随し追尾し追撃する触腕のリーチから逃れていく。今の攻撃の射程距離は、50メートル程度。触腕は遠距離へと逃れた敵への追撃を止め、自分が庇護した少女の被膜を厚くするように戻っていた。

 天使の全身の瞳が、正確に、迅速に、その異形種の正体を看破。

 それらの光景を、彼の身に抱かれ、彼という庇護者によって全身を覆い尽くされた──あるいは、彼の内部に“収納”されたことで、武器や魔法・スキル効果の「射程圏外」扱いを受けた粘体のメイドは、感謝と感激のあまり声を震わせる。

 

「さ、三──ッ」

 

 しかし、声は形を保てない。

 死の天使・イズラに情報を与える──それも、奴の即死能力において重要視される「名」を知らせる危険性を考慮して、慌てて唇を右手で塞いで、零しかけた玉名を封じ込める。

 しかし、あまりの展開に膝をつくソリュシャンは、叫びたくてたまらない。

 彼の名を想うまま呼んで、彼の内側に守られる事実に耽溺したい。

 感動と失意と懺悔と愛情と、これまでのいろいろな感情が鬩ぎ合うソリュシャンの眼から、粘体(スライム)質の涙が零れ落ちて、彼女の頬の内側に溶け込んでいく。

 

「──どうして、あなた、が?」

 

 ソリュシャンの懐く当然の疑問に、だが、やはり彼は応えることはない。

 答えを返せる余裕など、あの天使──戦闘メイドらを超越する力の持ち主の前では、ありえない。

 ただ、プルプルと粘体の液状を波打たせ『──だいじょうぶだよ』と言うように、ソリュシャンの頭髪部と頬と、全身を撫で労わってくれる。優しい彼の粘体特有の愛情表現に、ソリュシャンは耳まで紅潮させながら俯く他ない。

 一方の死の天使(イズラ)はというと。

 全身の眼球を引っ込め、相も変らぬ余裕綽々の薄い微笑を浮かべたまま、とりあえず、現れた異形の正体を、ユグドラシルの常識に照らし合わせて確認する。

 

蒼玉の粘体(サファイア・スライム)ですか。これは……なかなかに強そうだ」

 

 それはそうだ。ソリュシャンは黙したまま同意する。

 彼は、偉大なる御方──アインズ・ウール・ゴウンその人の“三助(さんすけ)”として、御身の玉体を磨き上げる名誉職を賜りしシモベの一人。当然、Lv.100の最高位アンデッドの身に付着する汚穢(おえ)をこそぎ落とすのに、低いレベルの存在では力が不足してしまうというもの。

 

 

 彼の名は“三吉(さんきち)”。

 

 

 第九階層が誇る大浴場施設「スパリゾート・ナザリック」にて、日々任務に励む蒼玉の粘体(サファイア・スライム)が、ソリュシャン・イプシロンの援護に馳せ参じたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日更新

シズとガルガンチュア、ソリュシャンと三吉の関係は、
二人に該当する逢瀬シリーズと、前作の12話をご参照ください。


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戦端 -5

/Flower Golem, Angel of Death …vol.15

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 焼けた油の香りが漂い、炎の気配が未だそこここに充満する地下採掘場内。

 地下空間に直径キロ単位に及ぶ新鉱石掘削工事を施されていた──そこで。

 

「“如意神珍鉄”!!」

 

 円柱を振り下ろす少年兵の一撃に、攻城ゴーレムは真っ向から相対。

 黄金に飾られた巨杖の先端を、ガルガンチュアの(アッパー)が弾き飛ばす。

 

「くぉ?!」

 

 轟音と共に後退を余儀なくされた少年。

 ギルド最強の物理攻撃力保持者である花の動像(フラワー・ゴーレム)・ナタが、“力”負けを喫した。

 その事実を認め、ナタは笑う。笑えてきて仕様がないという風に、笑い続ける。

 

「はは!! さすがに!! “攻城兵器”と号されるだけのことは、ある!!」

 

 四種の浮遊分裂刃からなる剣の群れに囲われ、空中に追随する六本の武装──“六臂(ろっぴ)の剣”と呼ばれる斬妖剣(ざんようけん)砍妖刀(かんようとう)縛妖策(ばくようさく)降妖杵(こうようしょ)綉毬(しゅうきゅう)火輪(かりん)──おまけに“乾坤圏(けんこんけん)”の(ふた)つからなる指輪の戦輪(チャクラム)まで解放している状況で、ナタの攻撃力が、下回ったのだ。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)『最強の矛』を圧倒的に上回るステータス。

 これを称賛しない理由がない。

 ナタは偽りない賛美と共に、大量の剣群を驟雨(しゅうう)のごとく降らせてそこに佇む巨大な威容──動像(ゴーレム)の名を呼ぶ。

 

「ナザリック地下大墳墓の、ガルガンチュア殿!!!!」

 

 剣の雨霰(あめあられ)を、岩の巨体は回避するでもなく、そのたくましすぎる片腕で無造作に振り払う。それらは岩肌に対し致命傷には一撃もなり得ず、払い落とされた剣は粉々に打ち砕かれるが、あれらは数本が残っていれば──もっと言えば「核」である一本さえ無事なら、時間経過で元の数に戻ってしまう。分裂刃という名称はダテではない。

 ナタは凄然と、地下空間に佇む岩塊の巨人を見る。

 あの伝説のギルド、その第四階層・地底湖にて安置されているモノ。

 この異世界に存在するというナザリック地下大墳墓──その各守護者も健在であると言われている以上、彼の存在もまた、この異世界にありえて(しか)るべきもの。

 同種同族の中でも最高最大の存在とされる攻城用戦略級ゴーレム。

 そんなものとこうして手合わせができるという事実に、ナタは感動を禁じ得ない。

 

「…………おまえ、どうして、ガルガンチュアの名前を?」

 

 全長30メートルにはなる巨体の顔面付近に、彼に護られるように降り立って魔銃の弾倉を装填し終えた戦闘メイドが、ひとつの疑念を吐きこぼす。

 何故、ナタが自分たちのことを──ナザリックの存在に通暁(つうぎょう)しているのかという、疑問。

 少年は「これは()なことを!!」と逆に驚いてしまう。

 

「あなた方“ナザリック地下大墳墓”の伝説は(かね)てより!! 伝説のギルドたるあなた方の有用有名な情報は、自分たちにとっては常識とすら言えるほどのものでありますれば!?」

 

 どうにもシズ・デルタは、自分たちのギルドがどれほどの存在であるのか、その客観的な情報については(うと)い傾向にあるようだ。

 無論、彼女たちの創造主や、アインズ・ウール・ゴウンの名を戴く魔導王から、ある程度の知識として語り聞かされていてもおかしくはないはずだが、そこは部外者であるナタの理解できる範疇ではない。

 

「第一・第二・第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールン殿!! 第五階層守護者、コキュートス殿!! 第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラ殿とマーレ・ベロ・フィオーレ殿!! 第七階層守護者、デミウルゴス殿!!」

 

 これらはすべて、ナタたち天使の澱のNPCにとっては、常識の範疇に位置するほど馴染み深い情報だ。

 そして、彼等階層守護者と並び称されるべき“第四階層守護者”ガルガンチュアについても、ナタはある程度の知識を得ている。ギルド拠点に必ず一体は設備設置される“攻城用”の戦略級ゴーレム。侵入者“迎撃用”の防衛に使用される拠点NPCとは違いながらも、同じ役職を与えられた存在として、彼は地底湖に眠っている。その姿はかつての大侵攻劇の記録映像などで確認されていた。ギルド間における戦争において活動・活躍する彼のことを、同じゴーレムであるナタが知り得ないということはない。

 しかし、そんな少年兵でも、知らない情報は多くある。

 ナザリックは伝説のギルド拠点として有名であったが、第八階層のあれらや少女をはじめ、プレイヤーが調べ尽せていない未踏の領域や未邂逅のNPCというのは、勿論存在している(第九階層や、そこの防衛を任されている戦闘メイド(プレアデス)こそが、その最筆頭と言えた)。たった二つの厳しくも絶対的な加入条件を有していたが故に、各ギルドにおいて頻発した内部情報の漏洩者というのが存在しなかったギルド:アインズ・ウール・ゴウンの情報──その拠点であるナザリック地下大墳墓の全容については、第八階層での全滅以降、誰にも解明できない代物となり、また、解明できる機会は失われてしまったのだから、これは仕様がない。

 否、だからこそ。

 ナタは目の前に(そび)える未知の岩塊──あくまで拠点の装置類・備品(ギミック)の類に分類されるはずの「戦略級ゴーレム」が、ナタのようなプレイヤーによって特別に創られる「NPC」と同じように行動し、戦闘を行い、あまつさえ肩に乗るガンナーの戦闘メイドと“言葉を交わす”という異常現象のことを、深く「調べる」だけの価値があると思考していた。

 そして、当然のごとく、その間にも攻撃の姿勢は一切、緩めない。

 

『シズ、…………』

「…………わかった」

 

 彼の的確な指示に呼応した自動人形の少女が、ナタが会話前に解き放っていた“乾坤圏”の遠隔操作攻撃を迎撃。ガルガンチュアの前後より音もなく飛来する円環の刃を、シズの正確な狙撃が順番に撃ち落とす。攻撃を防御され尽して墜落した武器は、ナタの許へと自動的に往還し、次なる攻撃の一投を窺うように滞空する。

 遠距離からの攻撃は、ナタの得意能力ではない。

 ただの牽制程度の役割しかない投擲攻撃など、遠距離戦主体のガンナーにとって、迎撃自体は容易だ。

 

「見事なチームワークです!!」

 

 惜しみない賞美を、少年は二人に対し贈る。

 わずかな言葉と仕草──視線の交錯のみで、彼と彼女は互いが望むことを理解し尽せるようだ。

 ナタは、朝露のごとく清冽(せいれつ)に、軍神のごとく獰猛(どうもう)に、笑みの相をより深く(いろど)る。

 あれは、ナタの知らない情報であり、現象。

 ──ガルガンチュアという存在の特異性、故か?

 ──あるいは何らかのアイテムや魔法の効能だろうか?

 ──だとするならば、天使の澱の有する同じ攻城用ゴーレムにも、同じように意志や発語能力を獲得させ得るのか、否か?

 ──もしくは、自動人形の少女の隠されたスキルや特性? そういう魔法やアイテムの使い手として、ガルガンチュアの傍に?

 

「いやはや(まこと)に!!」

 

 おかしくて、おもしろくて、

 とてもとてもたまらない、

 この異世界──この魔導国!!

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ナザリックの地底湖で眠っていたはずの動像(ゴーレム)──大好きな彼の腕に護られるシズと同様に、戦闘メイドの三女たるソリュシャン・イプシロンもまた、自分が愛してやまぬ同族の内側に護られて、死の天使(イズラ)と対峙し続けている。

 

「あなたも、ナザリック地下大墳墓の存在(NPC)見做(みな)して、よろしいのでしょうか?」

 

 穏当(おんとう)な声で問い質す天使の微笑に、だが、疑念された蒼玉の粘体(サファイア・スライム)は応じない。

 応じる口が物理構造上存在しないから──というのは、早計にすぎる。それを言ったら、ソリュシャン・イプシロンもまた極論すれば口に似せた体組織の形状を有しているだけの「粘体」であり、その発声方法は人間のそれとは根本的に異なる。ソリュシャンの細首を断ち切っても、その声が潰えることはない。彼女の体内には、声帯どころか呼吸する肺すら存在しえない。美しく豊満な女体美の結晶は、ただのスライムの身体なのだ。

 蒼玉の粘体が黙して語らない理由。

 それは、『応じる気がないから』──そう考えて、イズラは納得する。

 

「まぁ。この状況において、ナザリックの存在であるところのソリュシャン・イプシロンなる彼女を(かば)い、護る意志と力量を備えているだけで、十分な証拠ですよね?」

 

 イズラが発動した即死能力コンボ──種族スキル“真名看破”、職業スキル“自動書記”、アイテム“死の筆記帳”の即死性能──を、ただ即死対象を『包み込む』という挙動でもって断絶し無力化するというのは、イズラの保有する知識としてはありえない。魔法的な効能は天使の視力には感じられない。実戦経験がほぼゼロに等しい拠点NPCとは言え、自分に与えられた能力や性質に基づくユグドラシルの法則は認知できていて然るべきもの。

 

 この時、三吉がソリュシャンを救えた最大の理由。

 それは今現在、ソリュシャンは三吉の内部に“収納”されているから。

 

 ただ粘体の水膜に覆われているのではなく、ソリュシャンがいる三吉の内部空間というのは、言うなればソリュシャンも体内に保有している魔法の空間──アイテムの格納スペースと同義。

 つまり、現在のソリュシャンは、ある意味において三吉の“アイテム扱い”を受けているような状況と言える。

 ソリュシャンにしても、人間一人くらいを体内に生存させたまま収納して、移動・戦闘することは実に容易(たやす)い。それと同じ原理で、三吉はソリュシャン・イプシロンという同胞を、自分のアイテム扱いできる空間へと隔絶し、それによって、三吉は彼女を死の天使が繰り出した即死能力の対象から完全に外すことに成功したのである。

 

 いかにユグドラシルの筆記帳(ノート)とはいえ、そこに記されるべきは、人間やモンスターの名前。

「アイテム」に対しての即死効果を期待できるほど、彼の“死の筆記帳”は万能ではなかった。

 

 逆に言えば、ソリュシャンは三吉の外に出た瞬間に、即死効果を浴びて絶命する運命のままだ。

 万全を期するならば、三吉はソリュシャンを連れて、死の天使の能力が及ばぬ領域……追われる可能性がある以上、ナザリックへとトンボ帰りするわけにはいかないとしても、別の遠隔地へと退避するのが無難な対応と言えた。

 しかし、彼はそうする気はなかった。

 天使が転移魔法を追尾してくる可能性を考慮していることもそうだが、それよりも──

 

「ひょっとして……怒ってらっしゃる?」

 

 三吉はやはり、天使の問いには答えない。

 それも当然。

 ソリュシャン・イプシロンは、彼が最も敬愛する同族であり、今では(しとね)を共にする伴侶(はんりょ)……この世で最も尊い御方々の次に大切な“女”であった。

 蒼玉の粘体は己が身を波打たせ、反撃に撃って出る。

 爆裂のように弾け飛ぶ蒼い繊手が、死の天使の許へ殺到した。

 

「おっと」

 

 黒い翼が空を叩いた。

 距離を取り武器を交換した死の天使が矢を連射。だが、粘体の酸性を帯びる体組織を貫通できるほどの威力はなく、また特別な属性アイテムでもなかった普通の矢たちは、蒼玉のそれに触れると同時に、瞬滅。

 Lv.100の攻撃としては、なんとも情けない戦果だ。これはやはり、あの蒼玉の粘体が有するレベルも相当だと判断しておくべきか。

 イズラは評価を確信した時、

 

 ジュ

 

 という音と共に、天使の姿勢が大いに傾く。

「何」と疑問する間もなく、傾いた方の翼を見る。見定めた現象に驚嘆した。

 死の天使の身体──黒い翼の羽毛の一部が、融けている。

 馬鹿な。

 言葉を紡ぐ間もなく、イズラは両の目の視線を這わせる。全身の眼球を再展開するまでもなく、起こった現象の詳細を把握した。

 動力室内の天井を仰ぐ。そういうことか。

 

 金属質な鉄色の天井から、まるで雨漏りのごとく降り注ぐ、蒼玉(サファイア)の雫。

 

 粘体の彼が伸ばした繊手は、縦横無尽に室内を蹂躙し、その肉体構造を室内全域に撒き散らしているようなありさまだ。室内という閉鎖空間であることを、粘体である彼は大いに利用している。工場のごとく機能的な室内は広く、何らかの管が無数に突き出し、通風孔(ダクト)が床に壁に天井に口を開けているのがわかる。

 そこに、蒼玉の粘体は静かに潜り込み、イズラの意表外からの進撃を遂げた。

 床下や壁の内、さらには天井裏にまで浸透した粘体の様は、ある種の溶融地獄の様相を呈している。

 食虫植物のごとき老獪な罠。捕らえられた羽虫が吸い尽くされるように、粘体の分泌液が死の天使を焼き融かしにかかった。

 ソリュシャン・イプシロンの救援に駆け付けた彼は、彼女がやって見せた粘体特有の肉体変化を、この動力室全域に拡大して攻撃に転用していたのだ。

 雨漏りのごとくしたたる粘体が、その(かさ)を増す。

 徐々に垂れ落ちる総量は多く重くなり、それは室内にいながら雨のごとく、死の天使を包み込み始める。

 

「これは、厄介な」

 

 室内で生じた酸性雨から身を護るがごとく、黒翼を頭上に掲げる盾にして防御するイズラ。

 ただの人間であれば一滴浴びただけで絶叫ものの酸性を発揮する雨滴に晒されながら、天使の異形は耐えることができる。先ほどは一点集中された酸が翼を貫いてくれたが、こうして大量に、一点集中ではなく“面”の規模で広範に注がれる程度のものなら、意識して防御に専念できる。どうということはない。

 

 イズラは知らないことだが、スパリゾート・ナザリック内において、最高支配者たるアインズの“三助”という大任を仰せつかった蒼玉の粘体たる三吉の肉体は、大浴場内の一角にある浴槽ひとつを十分に満たしてしまえるだけの総量を誇る。

 普段はソリュシャンの両手に(かか)えられる(あるいは彼女の内部に秘され、御方から隠されたこともある)ほどの小規模な肉体で行動し、御方々の居城たるロイヤルスイートの威に敬服したような小体──ユグドラシルモンスターとして一般的な形状で活動することがほとんどなのだが、彼がその実力を発揮する時は、このように部屋ひとつを彼の“全身”で満たすといった技法も十分に可能。

 

 イズラは冷静な戦力分析から、この場に留まることを拒否する選択肢を選ぶ──直前、

 

「な?」

 

 ブーツのくるぶしを掴む圧力を感じ、瞬間、思い切り全身を振り回される。酸雨で視界が悪くなった直後の速攻だ。

 まるで巨人の手に(もてあそば)れたがごとく壁面に叩きつけられるギリギリの所で、ブーツに仕込まれている暗剣の刃を発動、足首に絡まる触手を切断した後、壁に突進する全身を制御。

 天使が静止した、目の前。

 巨大な薔薇のような蒼い造形──幾重にも連なる虎鋏(とらばさみ)のごとく、壁に展開された粘体の輝きが、ドプンと牙のごとき触腕だらけの口を閉じていた。

 イズラの目と鼻の先にある空気が焼け融ける匂いに包まれる。

 今のは、危なかった気がする。

 粘体(スライム)種の中には、武器破壊やアイテムの損傷を得意とするものもいる。最上位の古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)などが、その代表例だ。目の前の粘体に全身を捕らえられる時が来れば、イズラは身に着けた装備品ごと、うっかり溶かされ喰われることになるやも。

 天使は酸攻撃への耐性を有しているが、それはあくまで天使の肉体のみに限ってのこと。身に着けたアイテムに関しては、そういった攻撃を突破される可能性を想起されてしかるべき相手。翼は天使の肉体であるが故に、こういう攻撃への防御にはうってつけの盾になった。

 イズラに与えられた装備品は、彼の創造主から与えられた代物である以上、それを破壊されるような事態は好ましくはない。鍛冶生産職の同胞・アプサラスに頼んで修繕することも容易だろうが、それだって無料(タダ)というわけにはいかないのだ。システム上、それ相応の素材と金貨は確実に要求、消耗されることになる。

 

「やりますね」

 

 静かな微笑のまま、イズラは惜しみない拍手喝采の代わりに、両手から鋼線(ワイヤー)を伸ばしてみせた。

 旋風のごとく舞い踊る鋼線の輝き。

 床下からさらに触腕を伸ばす蒼い輝きを切断。次いで、本体と思しき……未だにソリュシャン・イプシロンを格納し続けていることがわかるそこへ向かって、両断の一撃をお見舞いしてやった。

 内部へ大切にしまわれた少女諸共に断絶されたはずの粘体だったが、イズラは手ごたえの違和感を覚える。

 

「……違う」

 

 違和感は確信へと変わった。

 (くずお)れた蒼玉の粘体(サファイア・スライム)内部に納まっていた少女諸共に両断された粘体が、切断面が時間遡行の魔法のごとく、元に戻ってしまう。

 彼の内部にいる戦闘メイドも、魔法の空間内に隔離されているが故に、当然ながら無傷だ。

 

「うーん、これは難しい」

 

 まさに難敵だ。

 素直に賞賛してしまう死の天使──イズラは、自分が最も得意とする即死コンボの第一を消耗し尽した。

 その最後の一人となるはずだったソリュシャンは、同胞にして同族の体内に隔離され、健在。

 

鋼線(ワイヤー)の罠で引き寄せるにも……本体・核に至るまでの時間がかかりすぎる」

 

 すでに、イズラの鋼線は、影の悪魔にそうしたように蒼玉の粘体内に微量が残留し、その内部構造内を通りつつある。だが、彼は種族特性を思い切り利用し、体内に残留する(イズラ)の罠を、即座に溶融──ウィルスを破壊する抗体のごとく抹消することを可能にしていた。当然、隔離空間内で天使を見上げているソリュシャンへの影響は絶無。

 これではやりようがない。

 

「撤退を強行しようにも──出入口が、アレでは」

 

 チラリと窺えば、蒼玉の粘体の一部が、イズラの通ってきた時の潜入ルートは勿論、ただでさえ閉鎖され尽していた動力室内に撒かれ溢れかえっている状況だ。粘体を吹き飛ばした後、盗賊(ローグ)の開閉・開錠の力を発揮している十数秒で、粘体に背後から襲撃されるのは必至。たとえ逃げ果せた後でも、彼と彼女が追撃し、さらなる増援に攻め立てられ、それでもどうにか外にまで脱出できたとしても、そこは魔導国の臣民が暮らす生産都市──イズラは魔導国臣民を傷つけかねない状況を忌避せねばならない。かと言って、イズラの実力……暗殺者は他者を護る力には自信がない存在なのだ。状況的に考えて、イズラから拠点に連絡や援護を頼むのは憚られる。あちらからの支援があってもいけない。イズラたち調査隊は、場合によっては「切り捨てて構わない」と、調査を命じてくれた創造主に申し合わせていた。ここで、自分たちのギルドとの繋がりを嗅ぎつけられては、確実にマズい。

 そうやって戦況を眺める間にも、蒼玉の粘体は攻勢を緩めようとはしない。

 酸性雨は止み、代わりに床や壁や天井から鞭のごとく踊る繊手がのたうち、上空に留まる敵を払い落として粘体の中で焼き融かしてやろうと殺到する。

 

「やりますね、粘体(スライム)殿」

 

 言って、イズラは両手を手繰り、迫り来る強酸の触手をすべて切断してのける。

 しかしそこで、新たな現象に死の天使は直面せざるを得ない。

 

「お──おお?」

 

 蒼玉の粘体より斬り裂き分かれた部位が、そのまま分裂体として蒼一色の人形(ひとがた)を構築。

 十数人からなる粘体の分身が、まるで自立行動するかの如く、蒼い触腕の足場を跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する。酸性を帯びる粘体の人形(ひとがた)は、天使の身体に追いすがるが如く手を伸ばし、前進。触れられ掴まれ積み重なれば、死の天使の全身が蒼玉に覆われる未来が容易に想像できる。

 粘体特有の新たな攻撃方法を次々と繰り出してくるナザリックからの援軍に、イズラは懸命に対処し続けていく。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「…………大丈夫、ガルガンチュア?」

『大丈夫…………』

 

 未知の敵・スレイン平野に現れたギルド拠点NPC・花の動像(フラワー・ゴーレム)の少年兵──ナタとの交戦状況は、もはやガルガンチュアとシズの側に、軍配が上がりつつある。

 ガルガンチュアは、その出自や役割から、階層守護者と同格に位置しながら、守護者たちの力の序列には基本的に参加することがないほど、奇特な存在だ。

 シズが(いだ)いた一方的な想いの果てに、アインズの特別な計らいによって自分自身の“意志”を獲得した戦略級ゴーレムのガルガンチュアは、彼女との逢瀬を通じ、彼女からの熱心なアプローチを受け入れるだけの意志力を堅持するまでに、成長を遂げている。

 そんな二人の絆は強く、新たに導入された“婚姻”の果てに、愛娘(まなむすめ)を、一子を“造り”儲けるなどの幸福に恵まれた自動人形と巨大動像(ゴーレム)の連携は、完璧といってよい。

 ただ大量に召還されただけのモンスターたちの護衛を与えられていた先の状況とは違い、今の二人はたった二人ながらも、ほとんど最強の組み合わせと言ってもよい。遠距離からの攻撃はガンナーである戦闘メイドが対応し、遠距離支援を叩き伏せようと接近すれば、今度は岩塊の巨兵の正確無比な鉄槌打ちに潰され、逆に叩き伏せられる。

 敵がわずか一体の、近接戦闘を主とする少年兵が一人では、実に心許ない戦況と見て間違いなかった。

 事実、花の動像(フラワー・ゴーレム)のナタは、ガルガンチュアに対して有効な攻撃性能を示すことができず、何度も何度も、前進と後退を繰り返し、文字通りの一進一退を演じているという状況が、それを確信させる。攻城用戦略級ゴーレムのステータスは、Lv.100のそれを上回って余りある性能を秘めていた。そもそもゲームの仕様上、ガルガンチュアはNPC相手ではなく、同類の戦略級ゴーレムとの“攻城戦”でしか真価を発揮しない存在であり、その総合性能は同類たるゴーレムの中で最強クラスでもあった。

 だが、二人の、ガルガンチュアとシズの表情は、まるで浮かない。

 どちらとも表情がほとんど変わらない種族。シズは自動人形で、ガルガンチュアは岩塊のゴーレムなのだから当然ともいえるが、そうでは、ない。

 

「…………あいつ、どうして諦めない?」

『それは、わからない…………』

 

 シズの見下ろす先で赤い巨杖を振るい、焔を舞い散らす斧鎗を構え、他にも数え切れないほどの剣の群れに囲われ覆われた少年は、衝撃に打たれ、余波を喰らい、巨岩の一撃に真っ向から相対することで、血を流す代わりに花びらを散らしながら、その傷を手で(ぬぐ)って塞ぎ、勝利者のごとく、轟笑する。

 花の動像(フラワー・ゴーレム)に「常時体力回復」の能力があるとしても、ここまで一方的な展開が繰り広げられている──だとというのに。

 

「ははっ!!」

 

 弾丸をこめかみにかすめた少年は、前進しかしない。

 少年の体躯から轟くのは、疲労も恐怖も何も感じていない、戦意に満ち満ちた、狂暴なほど猛々しい笑声。

 攻城用戦略級ゴーレムという、NPC単体では太刀打ち不可能な相手を前にして、少年は「諦める」ということを知らぬように、挑み続ける。

 ガルガンチュアの拳で、シズの放った炎属性弾で、その頭や腕や脚や胴に戦傷を負い続ける少年は──ただの人間では衝撃の余波だけで骨砕け肉が潰れるだろう一撃一撃に抗し続けている、異形の戦華は──戦える今が、戦っているという状況が、嬉しくて嬉しくて嬉しくてたまらないという風に、あどけなく(わら)う。

 満開の笑みを、咲かせ続ける。

 

「はぁッ!!」

 

 裂帛(れっぱく)の気迫と共に、少年兵が剣の群れと共に、風火二輪で空を踏み締め、舞い飛んだ。

 ガルガンチュアに与えられた単純な戦闘力は、NPCのそれを軽く超過しており、(いわお)の拳が大地そのものを打ち砕く必滅の衝撃を敵へと集約させた。ナタは、自らが誇る速度と敏捷性を駆使し、それら大地そのものから繰り出されるがごとき暴力の剛腕を、何の痛痒もない風で回避し果せるが、何しろ両者の一撃のリーチ──射程範囲は違いすぎる。ガルガンチュアの全長は30メートル。もちろん、その身に備わった両腕の長さも、単純に長く巨大なものとなるのは道理。

 そのため、ナタの主な攻撃……というか、反撃可能な装備というのは、十数メートルにもなる巨大な杖以外にありえない。炎属性らしい斧鎗にしても、炎の刃を伸ばしはできるようだが、せいぜい5メートル圏内が最大リーチというところ。周囲を舞い旋回(まわ)る剣群の射程は長いが、遠距離戦に完全適応していないナタの長距離攻撃など、二人には、特にシズにとっては、容易に対応可能なもの。

 少年兵は自分に与えられた装備を扱うのに不慣れな様子を一切見せず、まるで手慣れた調子でナザリック最強の守護者の一撃に拮抗する力を見せつけるが──やはり、攻城兵器たるガルガンチュアの基礎能力値(ステータス)(くつがえ)しようがない。

 赤い巨杖の振り下ろされる円柱のごとき暴撃を、ガルガンチュアの両腕が交差し、弾く。

 反撃するたびに。

 ナタはガルガンチュアの一撃の暴力と、加えて、護衛対象として顔付近のパーツに腰を落ち着ける自動人形からの精密射撃という合わせ技で、体力を目減りさせていくだけの結果に陥っていた。

 シズに傷らしい傷はなく、体力の減耗もほぼない。ガルガンチュアは攻撃を受け続けているが、戦略級ゴーレムの体力から考えると、まだまだ余力は十分。

 敵にとっては最悪な戦況のはず。

 にもかかわらず。

 ナタは、傷だらけの花の動像は、笑っていた。

 

「素晴らしい!! 素晴らしいですぞ!! お二方っ!!」

 

 讃美の声が自動人形とゴーレムの二人には疑念の種となっていた。

 何故、こんなにも元気いっぱいに、自分を傷つける者たちを褒めたたえられるのか、わからない。

 

「ここまでの力量差を感じることになるのは、完全に予想外!! いやはや、誠に真に完全に!! おもしろくておもしろくて、愉快(たの)しいですな!!」

 

 彼が語る「おもしろい」という文言(もんごん)が真実なのだろうと、ここまで大体の流れで了解しつつある。

 だが、それはシズにはありえない感傷であり、感情だ。

 戦闘を行うことを主任務として生み出されたシズには、戦いを愉しむという感覚など、ない。

 命じられた任務に励み、御方々の居城を土足で踏み荒らした郎党の行く手を阻む一助になるために生み出されたのが、シズの属する戦闘メイド(プレアデス)の本懐である。それ以外のものは、余分は、自動人形の思考と思想には、一片もない。冷徹に業務を繰り返す機械装置の論理だ。

 ──敵と戦い、闘争を愉しむ。

 それこそが、ナタという少年兵の根源に宿りし絶対……設定であることを、二人は知る由もない。

 

「ですが!! 本当に残念なことですが!! 自分は此処で、あなた方二人に(やぶ)れるわけにはいかない!!」

 

 創造主より、そのような君命……敗れてよいという御達しはありえないと、NPCたる少年は吼える。

 

「なので!! もっと、もっと!! 完全に、完璧に、抵抗させていただく!!」

 

 言い終えて、少年はビルのごとき円柱……巨大化を行える武装を元の大きさに戻し、大地に突き立てた。

 

「先ほど!! シズ・デルタ殿がやってくれたように!! 自分も少しばかり、戦場を一変させたいと思います!!」

「…………なに?」

 

 奴にはまだそのような隠し玉があったのかとシズは警戒を強める。

 ガルガンチュアは疑念の声を奏でた。

 

『シズが、やったように…………?』

「ええ!! ガルガンチュア殿は見ておりませんでしょうが、シズ・デルタ殿はまったく不勉強な自分では思いもよらぬ手法で!! この場所を、フィールドを、炎の舞い踊る空間に変えてごらんになった!!」

 

 ならば自分も試してしてみたいと、少年は告げる。

 シズもまた疑念の渦に呑まれる。

 シズがやったように……というと、何かしらのアイテムを使って?

 

「では、いきます!!」

 

 実演の掛け声を挙げはするが、ナタの手中や周囲には、相変わらず杖と斧鎗、そして剣以外の装備品や道具はない。拳や装飾、鎧や布にそういう魔法が仕込まれている──というわけでもなかった。

 

「伸びろ!! 如意神珍鉄!!」

 

 ナタの声に応じたのは、やはり赤い円柱。

 だが、その伸長は、今までのそれとは比べようもなく、長くなる。50、100、200メートルは伸び続けている。シズは眉を(ひそ)める。あれだけの射程を構築できる武器ならば、どうして最初からそう使わなかったのか。あれだけのリーチをガルガンチュアとの戦闘で使わなかったのは……おそらく、ナタの職業レベルが、近接戦闘職で埋め尽くされているから。あれだけの距離に伸び縮みする攻撃は、近距離攻撃ではなく、中距離や遠距離の類に分類され、そういった距離ごとに得意な戦闘範囲を持たない職種では、攻撃能力が著しく減衰する。ちょうど、浮遊分裂刃の遠距離からの牽制が、シズに何とか対応可能なものになっていたように。

 先端を採掘場の大地に打ちつける杖を握る少年兵の行動を、シズはまったく理解できない。

 あの杖をあれだけ伸ばしても、遠距離戦が得意でないナタに何ができるのか……見届ける形になったシズの代わりに、ガルガンチュアが真っ先に気付く。走る。

 どうしたのかとそう問うシズに応答する間も惜しんで、ガルガンチュアは太い二本脚で駆けるが、彼は大体のゴーレムと同様に、そこまでの速度は出せない。ナタの花の動像(フラワー・ゴーレム)が異様なのだ。

 彼の行動、その真意に気づいた少年兵は、「少し遅かったようで!!」と、挑むように吼えた。

 ナタは飛んだ。異様な長さに伸びた杖を振るい、まっすぐ、頭上めがけて飛び上がる。

 その軌道には、頭上にいっぱいに広がる、新鉱床の、採掘場の、──天井。

 

「…………あいつ」

 

 シズもようやく理解を得たが、ナタの本気の跳躍と飛行は、シズの弾速よりも速い。

 ただただリーチに特化された……それ故に、攻撃力などは反比例的に減少する“如意神珍鉄”の鋭く研ぎ澄まされた一撃が、直径キロ単位の円形空間──採掘場のドームのごとき天井に、突き立てられる。

 一秒でも早く、

 一瞬でも早く、

 邪魔されない距離を稼ぐためだけに、少しでもリーチを長く伸ばされた杖の、

 一撃。

 いかに魔法によって崩落事故防止用に強化されていようとも、Lv.100NPCが本気の本気で破壊行為に打って出た異世界の大地が、盛大に音を立てて罅割れていく。

 

「これで!!」

 

 最後の一撃として、火尖鎗の炎上する鎗身が、投げ入れられた。

 一条の光のごとく頭上の構造を貫いた、ナタの秘密兵器。

 音の総量は次第に大きく膨れ上がり、破壊の衝爆が地下採掘場全体に波及し尽した瞬間、

 

 

 

 戦場(フィールド)は、底が抜けたような、大量の土砂崩れに見舞われた。

 

 

 

 ナタは身体能力と剣などの装備を生かし、上へ上へ登って回避し尽せる。

 その直下で、彼の試みを阻止できなかった二人は、少年兵が発生させた現象の影響を直に(こうむ)り──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 蒼玉の粘体(サファイア・スライム)たる三吉は、人知れず進退窮まっていた。

 アルベドからソリュシャンの危機的状況を説明され、矢も楯もたまらずに、彼女の増援先遣隊の第一号として、何とか派遣してもらった。アルベドは他の強力なシモベを選抜するつもりでいたが、三吉のたっての希望──アインズの“三助”という立場にある同胞の希求を、無碍にすることはできなかった。三吉とソリュシャンの関係性──愛情の深さを思えばこその慈悲だった。

 しかし、状況は想定以上に厄介を極めている。

 何しろ相手は、いかにステータスの恩恵に恵まれない傾向の暗殺者系統だろうとも、推定されるレベルは最大でLv.100。それほど驚異的な存在と同格な実力者は、ナザリック内でも数えるのが容易な程度しか存在しえないという事実に対し、攻勢一色の三吉はどうあっても、有利とはいい難い状況でしか、ない。

 三吉の種族は、蒼玉の粘体(サファイア・スライム)

 粘体(スライム)の肉体を巧みに変化させ、建造物の隙間に侵入し、天井面より滴る雫で酸性雨を降らしてみせたが、天使の肉体に酸の範囲拡散攻撃は効きにくい。かと言って一点集中攻撃は最初の奇襲だけが成功しただけで、それ以降は回避と防御で対応され尽している。

 室内各所に分裂した小粘体(ミニ・スライム)を散らして、さらには人間大の分身体を複数使用しているが、実のところ、それらはほとんど中身が入っていない。あくまで薄皮一枚分のそれらを、それっぽく使用しているだけで、粘体としての彼の総量は一定だ。

 無限に増え続ける性能があれば、室内全域を粘体で満たし尽せば、それで済む話。

 それで、あの天使を確保できるはず。

 だが、実際の彼が繰り出せる攻撃には限界があった。触腕の伸ばせる距離は無限ではない。酸性雨の分泌液は永久には降らせないし、扱える粘体の量は一律……ナザリックの浴槽を満たすだけの量だけだ。

 その証拠に、

 

「天使に酸属性の攻撃は通りにくいことは、当然ご存じで?」

 

 死の天使──イズラという名の敵NPCは、薄い微笑を浮かべたまま、三吉の猛攻撃を(しの)ぎ続けている。奴の翼を穿った強酸の一滴も、完全に不意打ちだったからこそ防御を抜けてくれたが、二度目を許すほどの間抜けであるはずがない。

 人形(ひとがた)の分身を鋼線で絡め断ち、散らばる小粘体の群れを弓矢で射抜き、身に降りかかる強酸と触手を黒い翼で払い除ける。

 彼はソリュシャンや三吉たち、ナザリックの存在に対して優位な状況を築いたまま。

 もはや推定ではなく、断定していいだろう。

 この天使は、──ナザリックが誇る階層守護者各位と、──認めたくはないが、同格。

 ──Lv.100。

 でなければ、これだけの性能は発揮しえない。レベルが拮抗しているだけなら、数で勝っていたソリュシャンたちに利があって然るべきところ。少し格上……Lv.80~90としても、あの余裕はありえない。こちらが有効・特効な属性攻撃を繰り出せていないからとしても、影の悪魔たち護衛部隊を掃滅した実力は本物。装備が驚くほど良いということは、三吉の見た限りでは感じられない。

 だとするならば、イズラの基本的な能力値が、暗殺者の割に高いことを示す。

 三吉も思い知っていた。

 これは難敵である、と。

 

「三……」

 

 しかし、そんな不安を一片も感じさせない様子で、粘体は同族固有の意思伝達によって思いを遣り取りする。

 不安そうに名を呼ぼうとして、この戦闘状況では憚りがあると感じるソリュシャンが、口を重く固く(つぐ)む。

 そんな乙女の胸中を察するように、三吉は彼女にしかわからない挙動で、ソリュシャンの不安を拭ってやる。

 

「大丈夫だなんて。あれの相手は、いくらあなたでも……え?」

 

 ソリュシャンにも、自分が敵対した相手の実力をひしひしと感じられていたのだろう。

 同職同業として完成されたような“死の天使”──黒衣の暗殺者の力量は、ついにソリュシャンのそれを大きく上回るものだと認知せざるを得ない情報だった。

 そのあまりな事実に対し、戦闘メイドは擬態でしかない歯を思い切り食い縛って、屈辱的な事実を受け入れる他ない。至高の四十一人が一人……古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)であるヘロヘロに生み出されたソリュシャン・イプシロンが、こんな場所で一敗地に塗れ、あまつさえ、愛すべき同族の手に護られなければ絶命していたやもしれぬという、事実。

 無論、結果としてソリュシャンは無傷で生き残り、犠牲となった影の悪魔たちPOPモンスターたちも無駄ではなかった……三吉がソリュシャンの救命救援に駆け付けるだけの猶予を彼等が命懸けで稼いだ事実を見れば、ある意味においてはこちらの方が勝利したと見てもよい。あの天使の情報は──直接戦闘して生き残ったソリュシャンからもたらされる“(なま)”の情報は、今後における重要な情報量を備えていた。死んでも復活は可能な拠点NPCとはいえ、生き残らなければ……生き残ることができなければ、その戦闘の記憶を保持することは不可能な以上、ここでのソリュシャン・イプシロンの勝利条件は“生き残る”ことだけで十分以上(・・)なのだ。

 そう伝え終えた途端、粘体のメイドはまた大粒の涙を流して、だが、その表情は朝日に輝く水面のように晴れやかに輝いた笑みを浮かべる。

 

「ありがとうございます」

 

 彼女が気に病む要綱などひとつもない。

 ソリュシャンは任務に忠実であったが故に、今回の戦いに発展した。それを咎める権利など、誰にも何にも存在しない。

 

「けれど、アインズ様には、なんと報告を…………え?」

 

 三吉は、伝えた。すでにナザリック側から通達を受けていることを。

 

 敵プレイヤーと思しき堕天使と行動していたアインズが、ナザリックに帰還していること。

 そのアインズ自身から、さらなる援軍が届けられる手筈がすでに万端整っていること。

 援軍は、上位のアンデッド──御方と同じ種族から成る、精鋭部隊になること。

 

 実のところ、三吉の役目もまた、イズラという敵の情報収集……可能な限りの時間稼ぎと、戦闘データの構築が主になっていた。アルベドが用意した増援よりも強力な、アインズの召喚せし上位アンデッド部隊が派遣準備中。ソリュシャンの救出がなされ、あとは脱出さえ果たせばそれで済む状況下で三吉が猛攻を続けるのは、イズラを撃滅するためではなく、奴の手の内を可能な限り引きずり出すことに終始している。三吉の後にこちらへ到来する部隊へ最高の形でバトンを渡すための準備が、着実に積み重ねられている状況だ。だからこそ、三吉は自分で繰り出せる粘体の攻撃手段のほとんどを披露し尽している。また、イズラという天使の目的や性能が不明瞭な段階で、無防備にナザリック側から〈転移門(ゲート)〉を開かれても、転移の門を隠密能力を有するイズラがともに通り抜けてくるかもしれない可能性がある以上、ただ(いたずら)に転移で離脱することは、大いに忌避されてしかるべき手法。転移で逃げるには何とかして、あの天使の眼球から、一瞬でもいいから逃れる状況を確保したいところ。

 だから三吉は、攻勢を緩めることなく、死の天使との戦闘を敢行し続ける。

 

「私にも、お手伝い(サポート)が出来ればよいのですが──」

 

 気に病む伴侶に、三吉は体全体を使って、文字通りの慰撫(いぶ)をメイドの肉感的な総身に施す。

 男にくすぐられる乙女は淡く微笑むが、今の彼女の状況──アイテムの収納空間に隔離されている状況で、三吉の戦闘に加わることは難しい以上に、ほぼ不可能と見て良い。

 少しでも隔離空間から身を出しただけで、あの死の天使の即死能力の影響を受けるか定かではない状況だ。あるいは、先ほど受けた即死アイテムの効果が残留している可能性もなくはない。せめて、戦闘圏外の超長距離に脱出するまで──彼女の状態を正確に読み取った後でなければ、そこから身を出す行為は危険極まる。指先ひとつ外に出すのは、絶対に、救援に馳せ参じた三吉が許すことはない。

 

 悄然と肩を落とす乙女を抱き締めるように、三吉はひとつの試みを提案する。

 

 

 

 

 

 一方、

 イズラはイズラで、千日手じみた今の状況に対し、大きな焦燥と不安を懐かずにはいられない。

 相手の名を読む特殊技術(スキル)は一日分消費し尽した。他の探査系魔法を発動することも考慮してよいが、ソリュシャン・イプシロンというNPCを仕留めていない状況というのが面倒極まる。イズラが保有する“死の筆記帳”は、名を書き込んだ相手が死亡した段階で、次の対象を書き込むことを可能にする仕様上、「書き込んだ相手が何らかの手段で死亡していない状況のままだと、再使用が不可能」という致命的な欠陥・弱点が存在する。あの蒼玉の粘体(サファイア・スライム)の真名を魔法で知ったところで、同一方法で殺すことは不可能というわけだ。

 イズラは死の天使であるが、死霊系統に特化した魔法詠唱者のごとき即死魔法は習得できていない。単純な〈(デス)〉すら扱えない、一介の暗殺者(アサシン)であり盗賊(ローグ)であり──死刑執行人(エクスキューショナー)だ。魔法ではなく、単純にアイテムや身体機能・特殊技術(スキル)における即死能力は強力だが、死の天使は往々にして、「魔法による即死能力」にはあまり明るくない傾向にある。

 死の天使が誇る最大Lv.15で獲得可能な能力を使えば、ある意味において「“死”そのもの」と化して敵を一掃することができるが、ナザリックから援軍が到着した事実を思うと、さらなる増援が次々に送り込まれる可能性を考えざるを得ない。あの蒼玉の粘体が第一陣と判断して、第二陣がさらに大量かつ強力な手勢であれば、死の天使の最大レベルの特殊技術(スキル)は確実に有用。だが、ここであわてて発動に踏み切っては、先ほど雑魚共の名を読み上げるだけでLv.10の“真名看破”を摩耗し尽したことを考えると、踏ん切りがつかない。あの影たちはイズラの創造主を軽侮した以上、殺戮して当然の対象になっていた為、スキルを消耗した事実を後悔せねばならないという気概は、彼の胸中には微塵も感じられていなかった。

 だが、このままでは、さらに時間を消耗する。

 消耗した分の時間だけ、ナザリック側からの増援が到着する可能性は増えていく。

 ──やむを得ない。

 この場から完全に退くために、邪魔するすべてを排除するための最大スキルを発動しようとして、

 

「む?」

 

 イズラは、同族の隔離空間内で何かしている戦闘メイドを見逃さない。

 彼女が両手より生成する黒い球体……禍々(まがまが)しい毒色の、砲丸ほどの物体があることに気づく。

 それはひとつだけではない。二つ、三つ、四つ……イズラが観測しただけで十個のそれが、蒼玉の粘体が内部に格納しているアイテム空間内に転がり始める。

 猛毒の生産機関として内部に留まったままのソリュシャンが、蒼玉の粘体の内部に、己が生成した毒物を預け、それを蒼玉の粘体が射出・放擲するという戦法を取り始めようとしていた。

 

「させません」

 

 毒攻撃はイズラには効かないとしても、いかなる効能や作戦があるか知れたものではない。あるいは天使の耐性を突破する能力があるのやも。何かされる前に叩き潰した方が良いはず。

 思い、空を疾駆する黒い翼を蒼い触手が囲い、酸の粘液が降り注いで、妨害。

 蒼玉の粘体が、ソリュシャンに協力を仰いで、己の内部に生成させたものは、やはりポインズメイカーの毒だ。

 これはかなり強力な毒を含んでいるが、今回に限っては、ソリュシャン達は別の用途の為に、その毒物を生成。

 蒼い粘体の体内をすべる黒い砲丸が、触腕の根本を通って先端部へ──そして、爆ぜる。

 夜のごとく黒い霧が、天使の視界すべてを、まるで墨汁がぶちまかれたかのように奪う。

 

「これは」

 

 驚く天使は〈闇視(ダークヴィジョン)〉の恩恵を種族特性に組み込まれているが、空間そのものが黒く着色され染め上げられる現象は、闇を見透かす能力とは無関係だ。闇視とは別の透視能力が必要になるところだが、イズラは魔法で発動しない限り、その性能を発揮できない。

 魔力の消費を嫌ったイズラは次善策に打って出る。

 天使は黒い翼を大きく数度はためかせ、黒い霧を強引に打ち破った。

 その先にいたはずの影……粘体たちの姿がどこにも存在しない事実を、視認。

 念には念をと、〈透視〉まで発動してみるが、死の天使は確認するように、一人呟く。

 

「逃げられ、ましたか?」

 

 金髪のメイドを収納した蒼玉の粘体が、綺麗さっぱり消え失せている。

 動力室内のどこか死角に逃げたというわけでもなさそうだ。

 軽い安堵感と満足感に浸りかけた、その時──

 

『──逃げたのではない』

 

 弁明する声が、黒い霧の奥底より渡り来る。

 

『あのお二人は、我々と交代で、貴様の“迎撃任務”から一時後退したのみ』

『左様。ソリュシャン様とその旦那様である彼は、貴様の戦力分析の役目──“威力偵察”を見事に果たしてくれた』

 

 黒霧の晴れる動力室の四方から、重く荘厳な声音を紡ぐ“死”が現れる。

 その異形は、粘体のそれでなければ、まかり間違っても人間やいかなる生命でも、ない。

 黒い眼窩(がんか)に灯る熾火の瞳。

 白く輝くような骸骨の(からだ)

 不死者(アンデッド)の種族において最上位に位置する異形種(モンスター)の威容。

 身に帯びる装備一式は種族ごとに分かれており、また、彼等の役割に則した武器──杖や剣や、あるいは時計などを携えている。

 それが、四体。

 

『ここからのお相手は我等、上位アンデッド“死の支配者(オーバーロード)”部隊』

『アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下によって、特別に生み出されし我々が、務めよう』

 

 イズラは、現れし異形の正体──アンデッドモンスターを知っている。

 

 死霊系魔法を極め、あまねく不死者の頂点に君臨する──死の支配者(オーバーロード)

 死の支配者の中で、さらに魔法への理解と賢智に富む──死の支配者(オーバーロード)の賢者(・ワイズマン)

 さらに、数多(あまた)の不死の軍勢を指揮する軍略を獲得した──死の支配者(オーバーロード)の将軍(・ジェネラル)

 そして、死へと至る「時」の流れすらも支配し得る王──死の支配者(オーバーロード・)の時間王(クロノスマスター)

 

 最低でも、Lv.80以上の力を有する上位アンデッドが群れを成し、イズラの敵(アインズ・ウール・ゴウン)の名を戴く王の命を受けて、死の天使に対する“迎撃”を、全員が宣言する。

 

「……ふふ。これは、マズいですね──」

 

 死の支配者(オーバーロード)たちが支配下に置く、特殊技術(スキル)によって召喚した上位・中位・下位のアンデッド軍が、我先にと死の天使への一番槍を伸ばした。

 

 殺到する死者の群れ。

 

 イズラは鋼線を手繰り、抵抗を続ける。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 南方士族領域のセンツウザン鉱床地帯。

 そこで新たに発見された新鉱石の採掘場は、見るも無残な崩落の現場を晒していた。

 この崩壊を生み出し創り上げた花の動像(フラワー・ゴーレム)たる少年兵は、直感として、まだ戦闘が終わっていないという確信を懐いて、敵の再出現を待ちわびる。

 そうして、

 

「おお!! やはり、ご無事でしたか!!」

 

 激震する大地を、岩塊の拳が突き砕いてみせた。

 轟音と共にさらなる崩壊の場を構築する新鉱床を踏み砕き、彼と彼女は、ほとんどまったくの無傷で生還する。

 

「…………あたりまえ」

 

 ガルガンチュアの岩の巨体によって護られたシズは、しかし身に降りかかる土埃や火尖鎗の余波に装備が汚された事実と、岩の巨人にそれなりのダメージを与えた攻撃手段「戦場である鉱床の大崩落」を披露・顕現した少年への憤懣……そして、ガルガンチュアの手を煩わせた自分の非力さと無念さで、機械の肉体にはあるまじき憎悪の埋め火を、右の瞳の中で燃焼させて(はばか)りない。

 

「…………絶対に逃がさない、おまえ」

 

 ダメージをまったく感じさせることのない巨兵を(いた)わり、傷のない顔を撫でた。

 その一瞬の後、絶対の殺意を込めて、突撃銃(アサルトライフル)の照準を敵NPCに合わせるシズ。

 ナタは喜び勇んで、それに応じる。

 

「では!! いざ再び(たたか)

「はーい。そこまでー」

 

 唐突に。

 崩れた採掘場の残骸、その頂きのてっぺんに佇むナタの背後の空間に開いた白い光の門扉から、ナタを掣肘(せいちゅう)するがごとき、大きな掌が。

 青い髪の後頭部を盛大にスパンと叩かれ、不動の姿勢で「痛い!!」とリアクションする少年は、そこに現れた同胞……自分の所属するギルドの機械巨兵(マシンジャイアント)にして守護天使(ガーディアン・エンジェル)……防衛部隊副長として、有事の際にはミカ隊長の代わりにギルドを護る役目を請け負う全身鎧と鋼の翼を与えられたNPC・ウォフを振り返る。

 

「ナター? もう、帰るよー?」

「な、ウォフ?! どうしてです!? 今いいところであるのに!!」

「でもー、カワウソ様の命令だぞー?」

「わかりました!! 帰りましょう!!」

 

 即答。

 ナタは白い門の向こうに消える同族を先に行かせ、自分たちを追う影が飛び込んでこないか警戒しつつ、別れ難い好敵手たちに手を振ってみせた。

 

「第四階層守護者・ガルガンチュア殿!! そして、戦闘メイド(プレアデス)のシズ・デルタ殿!!」

 

 呼ばれた二人は、完全に撤退していく少年を追うべきか攻め込むべきか迷いつつ、その戦闘能力故に油断ならない事実を前に、二の足を踏む。

 

「本日は良い(いくさ)でした!! 再び、お二人と戦える日が来ることを!! 切に──切に、祈らせていただきたい!!」快活に笑い吼える、蒼い髪の少年。「では!!」

 

 最後の最後まで、明るく元気な姿をさらし続けた敵が撤収した事実を確かめた後、シズは構えていた突撃銃を静かに、下ろす。

 

「…………私、あいつ苦手」

 

 青天を見上げるガルガンチュアは、沈黙でもって、シズの主張を受け入れる。

 

 

 

 

 

 ちょうど、同じ頃。

 

「いきなり待機命令なんて──新鉱床で、何かあったのかしら?」

「事故なんて起こっても、スケルトンの防御や、魔法の復旧で何とでもなるはずですよね?」

 

 今日も新鉱床への派遣を言い渡されていたはずの南方の人材──領域内屈指の腕前を持つと評される“八雲一派”に属する魔導国一等臣民……クシナとスサが、急な待機命令を受けて、鍛冶部門の従業員や奴隷工匠らと共に、手持無沙汰な調子で休息を満喫していた。

 しかし、この休息時間は本来の予定にはないこと。

 通常であれば、現在センツウザン鉱床地帯にて掘削が行われている新鉱石の加工精査に駆り出される予定であったのだが、急遽、新鉱床の嚮導部隊(きょうどうぶたい)から一報が届けられた。

 ──「本日、新鉱床への派遣は中止。通常業務を行うように」という通達が。

 

「ソレにしてハ、何か騒がシい気ガスるけどナ?」

 

 彼女たちと共に緑色の熱い茶を飲んで憩う緊急労働のバイト鍛冶師──武者修行中の戦妖巨人(ウォー・トロール)、ゴウ・スイは、亜人特有の感覚の鋭敏さから、奇妙な空気の震撼を感知していた。

 が、それが新鉱床の大崩落だと気づくことは出来ない。

 あの土地に施された防音と耐震、耐衝撃の魔法などの影響で、外にいた魔導国臣民で、かの地で行われていた戦闘の余波を感じ取ることは、ほぼ不可能な構造が成立していたからだ。

 

「ああ、見つけた」

 

 その時。

 彼等が寝食と労務の双方を行う武家屋敷──八雲一派の鍛冶工房に、奇妙な風体の女が現れた。

 身なりは、女性の信仰系魔法詠唱者が好む“修道服”の黒い衣装に似ており、頭にはヴェールの白布も飾られているが、銀髪の乙女が独自のセンスを加えたのか、いろいろと着崩している印象が強い。豊かな双丘を張り出す胸元が大きな十字架状に開いている形状は、むしろ聖職というより性職という方が正しいのでは──そう想起されて当然な女体の結実であるが、あまりにも神聖な空気……一般人は知らないが、冒険者界隈などでは「オーラ」などと呼ばれるもの……と共存できているというのが、不可思議でならない。美しい面貌や覗き見える胸元から判別できる肌の色は、闇妖精(ダークエルフ)のそれのごとく黒い褐色の肌だが、髪房の間から覗く耳の造形は人間のもの。頭に浮かぶ光輪(リング)は、何らかの装備アイテムだろうか。

 無論、この屋敷に存在する誰一人として、その女性との面識はありえない。

 だが、銀髪褐色の彼女は、すでに情報を得ていた。

 

「マアトの情報通りね。あなた達が、ナタと関りを持った魔導国臣民。“八雲一派”の人、よね? 表の看板もそうだし」

「ナタ君? ……ええと、あなたは?」

「名乗るほどの者じゃないわ。それに、名乗っても意味ないし」

「あア? そレ、どうイウ意味ダよ?」

「簡単な話よ。

 これから起こることも含めて、私たちに関するすべてを、忘れてもらうのだから」

 

 疑問符を大量に浮かべる現地の人々。魔導国の臣民たちの猜疑に構うことなく、智天使(ケルビム)の修道女は片手を掲げ、精神系魔法を発動する。

 

「冒険都市で調査してたラファの奴まで呼び戻して魔力を貰わないといけなかったけれど──」

 

 何はともあれ。

 

「あなたたちの出会った“ナタ”に関する記憶。全部、なかったことにしてもらうわ」

 

 

 

 

 

 創造主(カワウソ)の君命に従い、銀髪褐色の女智天使が、本日数度目の〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を断行した。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「ああ──まいりました、ね……」

 

 生産都市、地下第五階層内の、動力室の壁面に、死の天使は身体を預ける。

 

「せっ、かく……あの方に、いただいた、装備であると、……いうのにッ」

 

 見る先で、イズラの中で最も強力な武装である遺産級アイテム“死の筆記帳”が、燃えている。

 声は穏やかでこそあったが、その身はズタズタのボロボロ──そう評するのも違和感があるほどの、傷と呼ぶのも躊躇われる“蹂躙の痕”に、覆い尽くされていた。

 黒い外套は端々が焼け切れ、凍り砕け、幾多のアンデッドが振るう朽ちた刃の矛先で、無残なありさまを呈していた。

 その内側にある天使の肉体も、同様。

 死の支配者(オーバーロード)部隊……彼等が繰り出す魔法や特殊技術(スキル)によって、死の天使の暗殺者であるイズラは、ほとんど完敗を喫していた。

 

 イズラの肉体は、一応拠点NPCであるが故に人間の外装のそれであるが、彼は種族的には“死の天使”──数多くいる天使種族の中では比較的低い位階の天使であり、その身に負った傷からこぼれるのは、天使種族固有の、澄明な光の粒子ばかり。

 ユグドラシルにおいて、天使で赤い血を流すことができるのは、熾天使や智天使などの上級種か、あるいは堕落し堕天して肉体を手に入れたとされる堕天使だけ。それ以外の天使は、軒並みイズラのように光の粒子を零して、まるで割れ砕けた宝石のような輝きを散らすもの。

 イズラが被った損害は──

 斬撃攻撃53発、殴打攻撃49発、魔法攻撃66発、特殊攻撃18発。召喚されたアンデッドらが振るう鋼鉄の刺突によって、四肢を砕き折られ斬り刻まれ穿ち貫かれていて、合計42本の凍てつく凶器……天使の苦手とする“冷気属性”強化を受けた刺突武器が、連中が召喚してみせたアンデッドの兵団によって繰り出された勘定だ。

 召喚者たちの四人の強化が施されたアンデッドモンスターを交えた戦闘痕は、イズラの砕け落ちた手足や胴体──さらには顔面にまで武器が突き立っており、その白磁の表情(かんばせ)に物理的な(ひび)をいれてみせたのだ。通常人類では、発話はおろか意識を保つことも難しい……どころか即死していなければおかしい傷痍(しょうい)の様は、あまりにも熾烈かつ、過酷を極める。

 手袋もブーツも、彼等との戦闘で破損、砕けた四肢と共に脱落しており、今のイズラは「数十本の凶器が突き刺さる“だるま”」同然の形で、部屋の隅に吹き飛ばされ倒れ伏している状況である。

 最上位アンデッドに分類される死の支配者(オーバーロード)の〈爆撃〉や〈焼夷〉、さらには死霊系魔法の即死能力は、死の天使の基本特性──各種耐性で何とか防御可能だが、それ以外では……特に冷気属性ダメージには、ほとんどの天使が屈する他ないし、あるいは“負”の属性というのも純粋な脅威となりえる。死の支配者たちは、それらを巧みに駆使して、イズラという死の天使の攻勢を完封し、こうして無様な負け犬っぷりを露呈させている。

 

『まだ喋る体力があるようだな?』

 

 筆記帳を後生大事にしていた死の天使に見せつけるがごとく、彼の即死アイテムが燃え落ちる〈爆炎〉を浴びせたアンデッドの最高位魔法詠唱者。

 部隊を代表するかのように、この世界で新たに作成された死の支配者(オーバーロード)が、壁面にもたれかかる死の天使に話しかける。その声の温度は、尋問官のそれよりも冷たい。

 

『降伏せよ。さすれば我等が主人たる、アインズ・ウール・ゴウン様の慈悲を賜ることができよう』

『貴様はよく戦った──と言いたいところだが、さすがに下級天使が一体では、な』

『我らが召喚せしアンデッドの群れにも拮抗できずに、これでは』

 

 賢者(ワイズマン)が勧告し、将軍(ジェネラル)が結論し、時間王(クロノスマスター)が嘲笑の息を吐く。

 彼等はイズラの戦闘力が低いと見做しているのではない。むしろ、彼はよく戦った、善戦した方だと理解していた。ただの暗殺者で、ステータスとしては微妙なものになりがちな職種を与えられているイズラは、彼等死の支配者(オーバーロード)部隊が一日で召喚可能な員数の半分を減耗・消滅させた。清明な長弓から繰り出される白い矢が、地下聖堂の王(クリプトロード)の眉間を穿ち殺し、鋼線の斬撃で死の騎士(デスナイト)の身体は両断され、死の天使の掌が骸骨の戦士(スケルトン・ウォリヤー)の群れに確実な「死」を与えた──

 

 だが、相手が悪かった。

 もっと言えば、相性が悪すぎた。

 さらに付け加えれば、何もかもがイズラにとって不利に働いた。

 

 彼等は記録映像を見て、イズラの能力や特性をある程度まで看破し、それに対抗するための準備と対策、戦術計画を念入りに整えていた。それだけの時間を稼いでくれた、戦闘メイドと蒼玉の粘体の功績だと見て、まず間違いはない。

 全方位から攻撃され続ける死の天使は、全周から浴びせられる剣を、槍を、斧を、矢を、魔法を、特殊技術(スキル)を、どうすることもできずに、蹂躙され蹂躙され蹂躙され続けるしか、なかった。

 アンデッドの基本特殊能力である「即死無効」は、死の天使Lv.15が有する「即死能力」がまったく完全に効果を発揮しないことを意味する。真名看破を消耗していようといまいと、“即死能力使用者”にとって、死の支配者(オーバーロード)というモンスターは能力が通じない──天敵でしかないのだ。

 上位アンデッドの中でも最強格に位置する死の支配者(オーバーロード)と、その派生である“賢者(ワイズマン)”・“将軍(ジェネラル)”・“時間王(クロノスマスター)”のチームが相手では、ただの暗殺者・盗賊などの職業(クラス)レベルばかりが積み重なって85もあるLv.100が単体で相手では、圧倒的な数と、同族同士が故の洗練された連携攻撃で、容易に封殺できる。

 

「こ、うふく……──ふ、ふふふ、降、伏……ですか?」

 

 イズラは身動き一つとれない重傷の身で、まだ、薄い氷のような微笑を、口の端に零し続ける。

 

「その、ような、ことは、私には、ありえ、ない」

『……何?』

 

 イズラは知っている。

 彼だけではなく、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に属するすべてのNPCが、心得ている。

 

「私の、マスタ、は、今の、私、に、そ、を望んでは、……いない」

 

 すでに言葉を発することにすら苦労しつつあるNPC。だが、彼はNPCであるが故の崇高さ・気高さを、凶器に貫かれ輝きを零す胸の奥に灯しながら、宣言する。

 

「私たちの、存在理由。私たちの、目指してきた、たったひとつ、の……目的……望み……願い」

 

 それを果たす時まで、イズラたちは生き続ける。

 彼に創られた自分たちの役目に準じて、殉じる──その時まで。

 

『おまえは、何だ?』

『おまえのマスター、とは?』

『おまえたちの目的、望み、願いとは?』

 

 彼等の質問に、死の天使は暗黙の(うち)に答える。

 

 イズラは、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”。

 イズラの主人(マスター)は、ナザリック地下大墳墓への“復讐者”。

 イズラたちの目的・望み・願いは、……創造主である、彼のために。

 

 しかし、イズラはそれを決して口外しない。

 

 

「 そ れ を 私 が 教 え る と で も ? 」

 

 

 当初、ソリュシャンの質疑に応じたときのそれと同じ、だが、どこまでも拒絶の意志を混入し尽した断絶の声で、言い放ってやった。

 上位アンデッド部隊が、理解不能という評価を天使に下した。

 しかし、イズラは諦めてなどいなかった。

 死の天使(イズラ)は満身創痍だが、まだ手の内をすべて披露したわけではない。

 先ほど、撤退してしまったソリュシャンたちに発動すべきかどうか迷った、死の天使の最大レベル特殊技術(スキル)。あれは、まだ、残っている。

 死の支配者(オーバーロード)の即死無効の力に対してどれだけの効果があるのかは分からない状況だが、もはやこれ以外の反撃は不能。手袋の鋼線も、純白の長弓も、暗殺者御用達のナイフ仕込みのブーツすら失った現在……もはや立ち上がるどころか這いまわるための腕すらない状況でも、あの特殊技術(スキル)は十分、発動は可能。

 ──発動の代償は、イズラの“命”。

 だが、自分の残余体力(HP)を考えれば、何もしなくても死ぬことは確定的な状態であり、戦況だ。

 ならば、使わない方が、どうかしている。

 うまくいけば、ナザリック地下大墳墓の有する上位アンデッド部隊とやら掃滅できるかも。そうすれば、きっと創造主の、カワウソの目的であるナザリック地下大墳墓への再攻略の一助となれることだろう。そう思えば、発動せずに殺されるよりも万倍マシというもの。

 

特殊技術(スキル)──」

 

 死の天使の異形の姿……青年の全身を覆う眼球を顕現させ、最後の特攻を仕掛けようとするイズラ。

 そんな天使に、誅戮の魔法と、無数の刀剣と、時間干渉の力が降り注ぐ、

 瞬間だった。

 

 

 

「おまえが死ぬのはまだ早いぞ。イズラ」

 

 

 

 イズラの全眼球が見逃すほどの超速が、黒い堕天使の姿となって駆け抜けてきた。

 堕天使が引き連れてきたのは、黄金の髪を六翼へ無造作に垂らす女熾天使・ミカ。

 

「な……なぜ?」

 

 ありえないと思った。

 ミカが本気の防御スキルで、熾天使の三対六枚の翼で、上位アンデッドたちの攻撃を防いで見せたこと──ではなく。

 何故、彼が……ミカに護られるべき、ただ一人の堕天使が、この、今まさにイズラが屠殺される現場に現出したのか……本気で理解できない。

 見捨てるのではなかったのか。

 ラファが、ともに調査へ赴く同胞が、魔法都市の集合住宅屋上で、示し合わせてくれたはずだ。

『しくじったら見捨ててくれ』と。失敗し、失態を演じた者は、彼と彼のギルドとは無関係な風に取り繕ってくれと──そう、決めていたはず。

 なのに、どうして……どうして!

 

『何者だ、貴様ら? 我等を、魔導王陛下から(めい)を受けた存在と知っての無礼か?』

 

 死の支配者(オーバーロード)部隊が、闖入者(ちんにゅうしゃ)たちの挙動を油断なく伺いつつ、剣呑な雰囲気をそのままに問い質した。

 上位アンデッドの軍団(パーティ)……死の支配者部隊を代表するように、死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)誰何(すいか)の声を唱える。

 黒い人間の姿をした異形種……惰弱で脆弱な堕天使が、微笑みを浮かべすらして、アンデッドの賢者からの問いかけに応える。

 

「さっき、マルコにも教えてやったんだが……おまえたちにも教えてやるよ」

 

 その肌は、天上にあるものとしてはありえないほど、日に焼かれすぎた色。

 瞳は狂気に濁り、絶望と欲望に歪み落ちた陰り──両眼の隈に縁どられている。

 身に帯びるは漆黒の鎧と足甲、聖剣など六つの神器級(ゴッズ)アイテムなどの至宝の数々。

 苦難の果てに手に入れし、世界級(ワールド)アイテムの呪わしい赤黒い“円環”が、黒髪の上で重く鈍く輝いている。

 

 誇るように、謳うように、堕天使のプレイヤーは、ナザリック地下大墳墓のアンデッドたちに、厳然とした事実を、告げる。

 

「ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)──ギルド長。

 プレイヤーネームは、“カワウソ”」

 

 誰もが警戒と疑念と危惧に至る只中で、堕天使だけが超然と微笑(わら)い続ける。

 微笑(わら)って、微笑(わら)って、宣言する。

 

「そこに転がっている死の天使・イズラたちの、ただ一人の主人であり──

 おまえたち、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの──」

 

 

 

 

 

 敵だ。

 

 

 

 

 

【第五章 死の支配者と堕天使 へ続く】

 

 

 

 

 

 




次回・第五章は、書き溜めが終わり次第、投稿いたします。
しばらくお待ちください。


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第五章 死の支配者と堕天使
敵対 -1


〈前回までのあらすじ〉
 魔導国・生産都市などにて。
 天使の澱のLv.100NPCと、ナザリックが誇る戦闘メイドが戦いを繰り広げた。
 彼女らの許へ現れる、ナザリックからの強力な援軍。
 死の支配者(オーバーロード)部隊が死の天使・イズラを蹂躙したが、
 そこへ堕天使のユグドラシルプレイヤー・カワウソが現れ、宣言する。
 自分たちは、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”だ、と。


/OVERLORD & Fallen Angel …vol.01

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やりましたわ、三吉様」

 

 ソリュシャンは、蒼玉の粘体(サファイア・スライム)の内側で、表情を喜びのあまり歪め崩す。

 人間の構造上不可能な顔面変化を催すほどの愉悦は、彼女の閉じた左目より……正確には、その閉じた左瞼の内側にあるべき眼球を、動力室内に残った三吉の分裂小体に埋め込み残したことで、そこに現れたナザリックからの援軍──アインズ・ウール・ゴウン至高の御方から直接創造された上位アンデッド四体・死の支配者(オーバーロード)部隊──がもたらしてくれた蹂躙劇を観覧し、視聴できたが故のもの。

 かつて、この異世界に転移して後に、王国での潜入調査の際に使った粘体の特殊能力。自分の構造から分裂した体組織──ソリュシャンの場合は「眼球」を利用して、一人の人間の男の企みを監視したことがある。これは第三者と視聴映像や音声を共有することまで可能だった。

 二人は動力室から、死の天使・イズラの前から退(しりぞ)きはしたが、ナザリックへと転移による完全撤退を強行したのでは、ない。

 彼と彼女が退避したそこは、未だ第一生産都市(アベリオン)の地下第五階層──さらに、その下に位置する場所。

 ソリュシャンと三吉は現在、イズラが(くだん)の奴隷不法売買の現場から逃げだすルートに使った昇降機の空間の底で、事の成り行きを見守っている状態だ。粘体の肉体から、視界不良を引き起こすための蛸墨(タコスミ)よろしく黒い毒霧を発生させた瞬間、三吉とソリュシャンはナザリックと連絡を取り、蒼玉の粘体の核たる本体や、攻撃用の分体のほとんどすべて(さすがに全部とはいかない。三吉の拡散させた総量は部屋全体に及んでいたのだ)を、この縦穴空間へと滑り込ませることで、あの天使の視界から消え失せることに見事成功。直後、絶妙のタイミングで投入された上位アンデッドの群れ・死の支配者(オーバーロード)部隊が顕現し、彼等が直卒する兵団が黒い濁流のごとく出現。あの死の天使の“処分”を代行してくれることに、相成ったわけだ。

 避難する際、ソリュシャンの左眼球を護るように包み込みつつ、巧みに室内の風景にカモフラージュした蒼玉一色の小粘体(ミニ・スライム)──三吉には目という機関はないが、粘体の五感で視覚は得ている──によって、死の天使が後生大事に抱えていた即死アイテムが、死の支配者の〈爆炎〉魔法で破壊、燃え尽きていく場面を鑑賞・確認することが可能だった。

 これで、ソリュシャンにかけられただろう即死能力はキャンセル扱いを受けたはず。

 高ランクの装備品やアイテムは破壊するのが難しい。破壊するのに特化した魔法・能力・特殊技術(スキル)が必須な事実を思えば、天使のノートはそこまで強力なアイテムでもなかった、ということか。

 が、念には念を入れて。ナザリックに戻った後、ペストーニャやニグレドに診察・状態把握を徹底的に行ってもらうまでは、ソリュシャンは三吉の内部空間に留まった方がよいだろう。あるいは死の天使が、超遠距離まで影響を及ぼす即死能力を保有している可能性も、0ではない。

 

「さすがは、アインズ様がこの世界の触媒を用いて存在を固着させた上位アンデッド部隊ですわ」

 

 三吉は、御方の栄光──その象徴たる永続性を保持した上位アンデッド部隊を喝采するソリュシャンの微笑に応じるように、蒼い体を震わせる。

 彼等が即死アイテムを完全破壊し、あの天使を抹消し尽してくれれば、直前まで天使の足止めを果たしてくれたソリュシャンの安全は、ほぼ保障されるだろう。ナザリックへの帰還も、凱旋(がいせん)のごとく堂々と行うことが可能になる。

 

 二人の粘体がナザリックへの完全撤退をしない理由は、いくつかあった。

 

 粘体の分裂体を利用しての戦闘監視可能範囲には制約があること。即死能力の中には、対象が完全に「逃亡行動」=「超長距離への退避」を強行した際、問答無用で抹殺する呪詛めいた強力すぎるものがあること(だが、イズラはそこまで強力なものは持っていない)。そして、ナザリックへの避難を強行した際に、あの敵性存在・イズラまで諸共に、転移魔法へ何らかの干渉を行うことで、神聖不可侵な御方々の居城に暗殺者の天使を侵入させるような事態を忌避したこと。

 何より、ソリュシャンと三吉は、栄えあるナザリック地下大墳墓のNPC──御方々の剣として、盾として、駒として、使い潰されるのを“よし”とする、忠烈・忠節・忠孝のシモベ。

 そんな存在が、一度は敵として戦った存在を相手に敗走を演じるなど「ありえない」ということ。

 いくら死の支配者(オーバーロード)部隊に最高のバトンを渡せたとしても、最初に戦端を開いた者の責務として、ソリュシャンが戦闘を見守り、威力偵察と戦況把握を続けるのは、意義深いものがあった。そして、死の天使への完全対策として導入された死の支配者(オーバーロード)四体と、彼等が召喚し直卒するアンデッド兵団では、いかに即死能力に長けたイズラと言えど、なす術もなく四方より迫る攻撃と魔法とスキルの前に蹂躙されるしかなかった様子。

 その結果を戦場に残した眼球を使って共有していたソリュシャンたちは、死の天使に降伏勧告を送る死の支配者たちに対し、死の天使が吐き捨てるようにしてズタズタでボロボロな死に体の奥底から“NO”を突きつけるところを直視する。

 イズラは石像のごとく罅割れた表情から光をこぼしつつ、かろうじて言葉を紡ぐのが精いっぱいなのに、宣告した。

 

 それはありえないことだ、と。

 

 軽く三桁のダメージ回数を加えられ、四肢は落ちてダルマ状態を晒し、その胴体と顔面に冷気属性の武器が42本も突き立っている天使は……諦めていなかったのだ。

 ソリュシャンと三吉は言葉も出ない。

 その覚悟は天晴(あっぱれ)見事なことだが、同時に、とんでもなく愚劣極まる行為とも言える。

 ここで降伏し、御方の慈悲を賜っていれば、あるいはこの天使と、その主人(マスター)とやらも許されたかもしれないのに。

 ──否。ナザリックにおいて、“死”こそが「慈悲」というもの。

 苦しむことなき死を与えられる天使の種族が、“死”を司るモノというのは、随分と皮肉めいている。

 不遜にも降伏という「慈悲」を突っぱねた天使の、穿ち貫かれ、砕き潰され、蹂躙の限りを尽くされた肉体を、さらに蹂躙して蹂躙して蹂躙するための攻撃……即死ではなく、さらなる痛みと苦しみをもたらす攻撃が無数に叩き込まれようとした……その時だ。

 

「な、アレは!」

 

 二人は愕然となる。

 ソリュシャンは左瞼を押さえ、右の眼を驚愕に見開き、三吉は動揺に全身を波打たせてしまう。

 

 瀕死の天使を蹂躙する攻撃。

 その“すべて”を阻んだのは、金髪碧眼の女熾天使。

 三対六翼からなる最上位天使の白い翼が、光の断崖のごとき峻厳な防御壁を築いていた。

 

 彼女を連れて現れた黒い……死の天使(イズラ)よりも尚「黒い」印象の強い見た目に、赤黒い円環を(かんむり)のごとく戴く堕天使の速度は、あまりの超速。

 熾天使と堕天使は、動力室の一角に開いた白い闇の向こうから、この戦場に渡り来た。

 

『おまえが死ぬのはまだ早いぞ。イズラ』

 

 告げる堕天使の声が、左目越しに聴こえてくる。

 ソリュシャンと三吉は知っている。

 ナザリックに存在する全シモベが、その天使たち──アインズが特別に厚情と期待をかけて、御身自らが足を運び接触を試みていた、ユグドラシルの存在──を、知っていた。知っていなければならない。

 見れば、イズラの表情が一変していた。

 今まで圧倒的不利な戦況でも、今まさに死に瀕しながらも、上位アンデッド部隊からの蹂躙劇を被っていた時にも、焦燥も恐怖も懐いていない調子を取り繕うでもなく、常に余裕の微笑を浮かべていた死の天使──イズラの砕かれて罅割れた面貌が、あまりにも信じがたい光景を直視したがためか、見るも無残な色彩に……絶望の色に、蒼褪(あおざ)めていく。

「なぜ」と疑念するイズラに、堕天使と熾天使は応じない。

 死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)誰何(すいか)と警告に、現れた堕天使が、真っ向から応じる。

 

『さっき、マルコにも教えてやったんだが……おまえたちにも教えてやるよ』

 

 マルコとは。

 戦闘メイド(プレアデス)たるソリュシャンの上司──セバス・チャンの愛娘(まなむすめ)であり、初代・現地人メイド部隊の(おさ)として、終生ナザリックと御方への忠節を捧げたツアレの遺児であり、今は亡き母の跡を継ぐがごとく“愛する幼馴染の殿方”の御付き女中(メイド)として任務に励み、ナザリック地下大墳墓に絶対的忠誠を捧げる親衛隊の一部隊の統括として責務を果たす同胞であり、御方の継嗣たる王太子殿下との婚約が内定している未来の王太子妃(おうたいしひ)候補の、一人。

 

 竜人と人間の混血児(ハーフ)──マルコ・チャン。

 

 強力なNPC限定種族・竜人の混血種ゆえの類まれな能力と、現地の因子が与えた“生まれもっての異能(タレント)”を応用した戦法を巧みに操る「初見殺し」な力量を備えつつ、ナザリック以外への対応力(異形種との混血で、彼女の性格や言動は割とマシな、父母譲りの風当たりの良い人格)もあるという点から、未知のユグドラシルからの到来者の内偵調査にうってつけな人物として、先遣調査に派遣されていた。

 あの()の第一次的な接触任務・身分を偽っての“下調べ”のおかげで、あの堕天使プレイヤーの名称が“カワウソ”であることや、彼の人物像を直に知る機会に恵まれ、その功績もあってか……この状況では「せい」かも知れないが……アインズ・ウール・ゴウンその人が、あの堕天使たちとの直接交流を希求する結果を生み、事実、堕天使の能力や性向について、御方が直接現場で把握し理解を得られたという、絶対の成果を挙げている。

 だが、事ここに至っては、その試みは失敗だったのだろうかと想起されてならない。

 あの堕天使は、現在マルコが交友関係を築き、飛竜騎兵の領地で共に行動を取っていたはず。

 なのに、何故──

 このアベリオン生産都市、その地下階層に、奴等堕天使が出現したのか?

 御方からの指示に従い、連中と共に行動していたはずの、マルコの安否は?

 ソリュシャンが疑念し義憤する間もなく、堕天使プレイヤー・カワウソは、信じがたい宣告を始めてしまう。

 

『ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)──ギルド長。

 プレイヤーネームは、“カワウソ”』

 

 朗々と紡がれる声音は、あまりにも透き通って聴こえた。

 はっきりと告げられる情報内容に、虚言も虚飾も一切感じられないほど、彼の言葉は真実味を帯びている。

 

 

『そこに転がっている死の天使・イズラたちの、ただ一人の主人であり──

 おまえたち、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの──』

 

 

 敵だ。

 

 

 ──そう、堕天使自らが、布告。

 ソリュシャンと三吉は、その事実を聴かされて──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時を少しばかり遡る。

 

 

 

 飛竜騎兵の領地──直立奇岩地帯の麓に広がる森。

 ソリュシャンが安否を不安視してしまったメイドは、そこで突っ立った姿勢のまま。

 

「はぁぁ……」

 

 白金の髪の乙女──先ほどまで男装の修道服に身を包んでいた肢体に、彼女専用の美しくも機能的に整えられた戦闘用メイド服に早着替えしていた竜人の混血児(ハーフ)は、盛大に溜息をついた。

 先ほどまで、自分の眼前に存在していた脅威──魔導国の部隊と敵対し交戦に及んだNPCたちの長であるはずのユグドラシルプレイヤーと、その護衛たちとの交渉・折衝に…………“失敗”して。

 

 堕天使の告げた宣言を、マルコはこの世界の誰よりも先に、聞いた。

 

 聴かされることに、相なった。

 

 

 

 

 

 マルコは思い出す。

 

 

 

 

 

 堕天使とその一行に、マルコ・チャンは自分の正体と所属を明かした。

 そして、御方から命じられた通りの契約を持ち掛けた。

 

 ──彼等を、魔導国の傘下に。

 

 だがカワウソは、マルコとしては意外なことに、手を伸ばそうとは、しなかった。

 どころか、差しだそうとする手をもう片方の手で制止するのに、必死だった。

 ほとんど無意識的に、彼はナザリック地下大墳墓への帰属と服従を忌避する構えを見せた。

 それは、あまりにも不可解に思えた。

 この魔導国傘下入りの利点は数えきれず、彼と、彼のギルドは、彼と冒険者の姿で交流した御方より、祝福を授けられたも同然だと、「ナザリックに属する者」のまったく正しい認識の下で、新星・戦闘メイド部隊のリーダーは思考していたのだ。

 無論、マルコは与り知らぬカワウソの心情──ユグドラシルにおけるギルド間契約に基づく意味での“傘下”しか知らぬカワウソにとって、マルコが示した魔導国への傘下入りの素晴らしさを知らぬ事実を、決定的に読み違えてしまった。アーグランド信託統治領域然り。外地領域然り。他にも様々な種族や現地人が、魔導国の傘の下に護られていることを、カワウソ達は自分たちで調べるか、あるいはマルコ達に教えられ知ってはいたが、まさか自分(カワウソ)たち自身がその恩恵とやらをもたらされるなど、一考すらしていなかった。

 

「──失礼。少々お待ちを」

 

 ナザリックから事の成り行きを見守りながら、〈伝言(メッセージ)〉と同じ機能を有するピアス──魔法の通信端末装置越しに、連絡をとる。

 

「アルベド様」

『マルコ。交渉が難航しそうなら、プランEまでの選択遂行を許します』

「承知しました、アルベド様。確認しますが、契約内容の、その、自由度については?」

『基本的に、ナザリックや魔導国の害悪となる“以外”のものなら、(おおむ)ね受諾して構いません。ユグドラシル金貨は十億単位まで供出可能。外地領域……飛竜騎兵の領地などの自治権の認可も概ね許します。ただし、封印領域であるスレイン平野はダメよ(・・・・・・・・・・)。彼等の自由行動や、魔導国の国籍取得も、条件付きでアリ──これらはすべて、アインズ様の“御命令”。──いいわね?』

「はい。わかりました」

『お願いね、マルコ』

 

 近く義母(はは)となる最王妃殿下からの、親愛に満ち満ちた声音が途切れる。

 カワウソの行動、というか、この一連の交渉は、ナザリックにも逐一把握されている。

 彼との交渉役を務めるマルコは、彼にとっての好条件を探るべく、ある程度の裁量権を与えられていたが、ナザリック地下大墳墓が率いる魔導国に属することを拒否せんとする姿勢というのは、現状を考えるなら──いただけない(・・・・・・)

 傘下入りの具体的な折衝内容を詰めようというわけでもなく、またカワウソたちにとってなるべく有利な条件を引き出そうという意気込みも感じられないのは、完全に予想外だ。少なくとも、ナザリックの視点──魔導国の臣民たる飛竜騎兵の人々を護り、アインズの眼鏡から見ても反目や反発する姿勢が低すぎたユグドラシルプレイヤーが、ここへ来て魔導国への従属や帰依を「お断り」する姿勢を見せるとは。

 それに何より、今は火急の時。

 現在、彼等天使種族がメインの構成要員らしいギルドのNPCと、魔導国の部隊が“二つ”も接触・交戦し、とんでもない事態が進行している。

 それだけでも、カワウソたちの身を問答無用で固縛・確保する理由たりえた。

 それを強行しないでいることは、ナザリックのシモベにしてみれば破格の大温情の一環に他ならない。

 

 プランAは、即時傘下入り受諾後、首都へと召集。本契約を交わす計画だったのだが……ダメっぽい。では、プランBの傘下入り“仮”契約の締結後に、交渉要綱を詰めるべく、やはり首都へ。それも無理ならC──彼等に一定のユグドラシル金貨などの対価を一方的に支払うことで、“傭兵”のごとき立場になってくれることを提案。然る後に、今後の両者の契約などを協議しつつ、対処する。

 それすらもカワウソが突っぱねるのは考えにくいが、次のプランDで、天使ギルドの部隊二名が働く狼藉(ろうぜき)……交戦状況を確認・周知させて、とにかく相互の現状把握を。

 さすがに向こうのNPC二体が暴れまわっている状況を知れば、こちらの支配下に甘んじることで、アインズからの恩赦を賜るべきだと再考してくれる──はず。

 だが、それをするとカワウソを「一方的に隷属させる」ような形になりかねないので、アインズは出来るだけ穏便に平等に、彼を──カワウソを魔導国内部に取り込みたかったことを考えれば、あまり好ましくない手法でしかなかった。なので、プランニングだと後方に回されている。

 

 ……以上が、マルコに与えられた繁雑かつ難解な任務内容計画。

 

 連中の戦力が不明な事実を考慮し、カワウソたちが何らかの世界級(ワールド)アイテム保持者であるやもしれぬという戦力面での懸念を勘案しても、ソリュシャン・イプシロンとシズ・デルタ──マルコたちの先達にして“「新星」部隊の母”たるナザリックの戦闘メイド(プレアデス)の二人に危難をもたらす者共の首魁を捕縛・反撃しない理由が薄すぎる。

 それをしないのは、アインズがまだ、カワウソたちの尊厳と存在を、可能な限り救いたいとしているからに他ならない。

 ナザリックの最高支配者たるアインズが、カワウソという堕天使──ギルド運営に携わるべき存在(プレイヤー)に対し、そのような強硬策をとりたがるナザリックのNPCたちを制して、穏便に事を運ぶためだけに、今回の“傘下入り”が急遽制定、ここに決行されることになった。

 なった以上、アルベドたちナザリックのシモベにとっては「これを拒否することはあってはならない」──「拒絶しようものなら、御方の厚意を無碍(むげ)にする下劣な行状」と認めざるを得ない──ただの蛮行だ。最初にマルコが手を差し伸べた時点で、喜んで契約を結ぶことが絶対的であり、それ以降のプランに移行せねばならないような応対姿勢は、シモベたちNPCには、ただただ、悪印象にしか映らない。

 マルコにしても、何故、カワウソがここまで警戒と疑念を懐くのか、理解に苦しむところ。

 彼女(マルコ)にとって、ナザリック地下大墳墓は“生家”であり、アインズ・ウール・ゴウンという人物が何よりも護らんと欲する“宝物”──それだけの拠点を守護する大任を与えてくれた御方へ、最初の混血児たるマルコが懐く忠節の篤さは本物であり────と同時に、度し難いほどの、マルコとカワウソたち……両者間における「認識の断絶」を生んでいた。

 

 彼がユグドラシルの存在であれば、ナザリック地下大墳墓の偉業を、御方と同じ名のギルドが成し遂げた功績を、知らないはずがないという。

 ナザリック地下大墳墓・ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは“悪名”によってその名を轟かせ、ユグドラシル内で確固たる位置を築き上げた団体。桁違いの世界級(ワールド)アイテム保有数と、アインズたち至高の四十一人と同格の存在たち1500人の討伐行を打ち払った破格の力の持ち主たちだ。

 私怨や忌避感を懐くにしても、この“異世界転移”という現状を考慮すれば、まず間違いなく協力姿勢をとっておいた方が、万倍も「楽ができる」と思考できるはず。それこそ、アインズたちが100年前に転移した時は、右も左もわからぬ状態に放り出された。その過去を思えば、100年周期で訪れるという彼等の苦悩や不安は、確実に魔導国の支配を受け入れたいと思考するはず。そうして取り込まれた連中は、魔導国の偉大さと、偉大なる御方が成し遂げた世界征服という大事業に敬意を表し、従属を誓うのは確実に安易なはず。

 

 ……なのに。

 カワウソは手を一指たりとも伸ばさない。

 

 いくら異世界に転移した状況に混乱しているとしても、すでに転移から一週間は経過し、このアインズ・ウール・ゴウン魔導国の偉大さ──行政・統治・秩序・幸福の実現された“事実”を知る機会に恵まれ続けている。実際、そのためにマルコは派遣され、後にアインズ本人がカワウソと接触を試みて、その機会は確実に増加していた。

 そんな魔導国の傘の下に護られること……“傘下入り”が、どれだけ彼等ユグドラシルからの客人(まろうど)にとって利となるのか、判断に困るようなことは、一欠片(ひとかけら)もないはず。

 マルコが身分を偽り、彼等の偵察を行っていた事実を告げたことで警戒を懐かれる可能性も勿論承知していたが、それよりも勝る魔導国傘下の地位を、アインズ・ウール・ゴウン御方との盟を結ぶ利点と栄誉を、彼のように聡明なはずの存在が、飛竜騎兵の部族の危機を救ったプレイヤーが、理解できないはずがないと。

 

 マルコはそう信じていたし、その判断自体は極めて正しい。

 

 これが他のプレイヤーやギルドであったなら、あるいはアインズの、ナザリックの思惑通りに、すべて事は運んだかも知れない。

 だが、彼……カワウソというプレイヤーが辿った歴史が、過去が、すべてがすべてを拒絶させていたことに、誰も気づく余地はなかった。

 その時。

 カワウソもまた〈伝言(メッセージ)〉を受信したように虚空(こくう)を仰いだ。

 

「マアトか。どうした?」彼と連絡者との会話は、当然ながら第三者であるマルコの知覚できるものではない。「マアト、落ち着け。何か、あったのか?」

 

 急を(しら)せる連絡者(マアト)の言葉を脳に浸透させるように、異形の堕天使は人間にしては怪悪すぎる面貌を厳しく律する。

 

「どうした?」

 

 空間を隔てた遠方にいる連絡者(マアト)に問いかける、真剣な声音(こわね)

 その姿勢、その(たたず)まいは、見る間に頭首の風格を帯びていく。

 

「そうか──」

 

 告げられた〈伝言(メッセージ)〉の内容を認め、カワウソは笑みの相を(かす)かに厚くする。

 マルコは思った。

 ……あるいは……と。

 マルコが忠節を尽くす至高の御方と、その微苦笑は──見慣れた骸骨の表情と、目の前の堕天使の表情が──「どこかしら似通っている」ようにさえ、感じられたのだ。

 メイドは小さく首を振って、己の軽薄な思考を自戒する。

 アインズ・ウール・ゴウンは、100年続く大国の、大陸の、世界の王だ。

 ナザリック地下大墳墓の最高支配者……“至高帝”“神王長”……魔導国を統べる魔導王陛下なのだ。

 彼と御方の近似性など、未熟かつ不出来なマルコが見せた、蒙昧に過ぎる浅慮の類──数瞬の幻想と見做(みな)すべきものに相違ない。

 彼は、ただの堕天使。

 熾天使(クラス)からの“降格”者であることは、三日前に垣間見せた特殊技術(スキル)などから、アインズその人が判断を下している。

 御方が警戒しながらも特別な期待を寄せる、ユグドラシルの(いち)プレイヤーでしか、ない。

 彼は連絡者に頷きつつ、指示を与える。

 

「大丈夫だ、マアト。二人の撤退は、ギルド長の俺が手配する。おまえたちは、周辺警戒を厚くしておけ。──ああ、あと冒険都市調査中のラファを呼び戻せ。ガブに魔力の譲渡補給をさせたい。そっちの転移は、クピドに手配を……そうだ。……じゃあ、あとでな」

 

 カワウソは微苦笑を浮かべたまま、魔法のつながりを断ち切った。

 そのまま顔面を手で押さえ、くつくつと肩を震わせ、笑い続ける。

 

「ああ。そうか──そうか……あいつら…………、そうだったな。そうなんだよなぁ。く、ははは!」

 

 マルコは、堕天使の笑声に、寒気すら感じた。

 与えられた装備によって、ある程度の状態異常や属性攻撃に対策を施されたメイド長にはありえないはずの、心情。

 それはおそらく“恐怖”と呼ぶべきものだった。

 マルコは疑念する。彼は、今、何を連絡されたのだ?

 

「カワウソ様……?」

 

 女熾天使ミカや、拠点から呼び寄せていたガブやウォフという天使たちが、怪訝そうに主人の微苦笑を眺め見る。

 しかし、カワウソはまったく彼女らを意に介すことなく、ナザリック地下大墳墓からの使者たるメイドに、語り掛ける。

 

「マルコ・チャン」

 

 名を呼ばれたメイドは肩を揺らし、豊かな白金の髪を弾ませる。

 

「──ありがとう」

 

 いっそ恐ろしいほどの笑みと喜びを含ませた堕天使の告げる声に、臓腑の底が氷塊を孕んだがごとく熱を引く。

 

「おまえたちのおかげで、俺は、俺の目的を果たすことに、やっと、迷いがなくなった」

「あ…………貴方の、目的?」

 

 かろうじて問い質すことができたマルコ。

 カワウソは、ナザリックからの使者に対し、不気味なほど穏やかな声音と表情で、宣言する。

 

 

 

 

「俺は、俺のギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、

 ──アインズ・ウール・ゴウンの“敵”になる」

 

 

 

 

 聴いた瞬間、メイドの猛禽(もうきん)のごとく鋭い眼が、限界にまで見開かれた。

 

「ッ、莫迦(ばか)な!」

 

 マルコは思い切り叫ぶ。

 信じ難い思いをそのままに吼えて、問い質す。

 

「あ、アインズ・ウール・ゴウンの、──魔導王、陛下の、……て……“敵”?

 ……い、いったい、あなたは、何を考えて!」

 

 刹那、ガシャンと武器の重なる高音の烈響に、マルコは踏み出しかけた足を止める。

 

「──それ以上」

「お近づきにはー、なりませぬようにー?」

 

 金髪碧眼の女天使が光輝く鋭い長剣を、

 全身鎧の巨兵が長く重い樹木製槌矛(メイス)を、

 それぞれが発する高く澄んだ声音と共に突きつける。

 

「な……に?」

 

 マルコがそのまま一歩を踏み出しただけで、両者の武装の切っ先は、メイドの細い首の皮を裂きかねない。

 その事実に気づいた時には、彼女らの戦闘態勢は万全というありさまだ。

 熾天使はこれまで翼を一対しかほとんど展開していなかったが、今は熾天使(セラフィム)のみに許された「三対六翼」の純白を黄金の髪を流す背中から伸ばし。全身鎧から鋼色の翼を伸ばす巨兵は、巨大な翼から機械のごとき歯車や駆動装置の音色を奏でて扇状に拡大──翼面積を四倍にする。

 唯一、無手らしい銀髪褐色肌の女性が、カワウソの盾となる位置で二対四翼の翼を腰から生やし、魔法を唱える準備は万端という具合。ガブは飛竜騎兵の、セーク部族の者らに〈記憶操作〉を施し、魔力は尽きてからここまで回復に専念し続けていた。今なら、第十位階には届かずとも、他の有用な魔法を使って、マルコの意識に幻術を施す程度のことは出来るだろう。

 そして、ミカたちが見せたいずれの動作も、マルコの知覚できる領域を、速度を、超えていた。

 超えすぎていた。

 マルコの眼前、毛先一本分の距離しか離れていない距離に、メイドの身を貫き砕く武器の冷たさを感じ取る。

 

 だが、マルコには──この感じは覚えが、ある。

 

 ナザリック内での稽古で、鍛錬で、御方から特別な許しを得た際に行う実戦形式の練磨で、マルコは感得できていた。

 間違いなく。

 彼女たちもまた、マルコ・チャン以上の強者……父であるセバス・チャンをはじめ、ナザリック地下大墳墓の“階層守護者”として君臨する方々と、同じ次元の住人……Lv.100の存在……そう、実感する。

 実感せざるを得ない。

 ミカが、玲瓏(れいろう)な響きでもって、主の“敵”の使者に対する礼節に則して、告げる。

 

「あなたは、我等天使の澱(エンジェル・グラウンズ)が敵である“ナザリック地下大墳墓”よりの使者……なれど……我等が主、カワウソ様をここまで導いてくれた“恩人”とも言うべき女性(ひと)。ならば、あなたをここで始末することは、──義に反する」

「ぎ、義に、反、す──いったい、あなたたちは、何を言っている?

 何故、どうして、そんな冷静に! こんな、無謀を働くのですか!?」

 

 ミカの言動は、カワウソを諫め止めるような雰囲気を一片も感じさせない。

 その光景を眺める主・カワウソも、彼女たちを止める気配がまったくない。

 マルコは半ば恐慌じみた思考に支配された。

 無理だ。

 無茶だ。

 無駄でしかない。

 無謀という以外に何と言えばよいのか、マルコは本気でわからない。

 

「あなたたちの主を止めろ! でないと、ミカ様──あなたたちまで!」

 

 アインズの敵として、(しょ)される。

 ナザリックの敵として、(ちゅう)される。

 

 ──────────────殺されるぞ。

 

 そう告げてやるまでもなく、ミカたち……カワウソのNPCである天使たちは、すべてを承知した音色で、はっきりと放言する。

 

だったら(・・・・)どうだというのです(・・・・・・・・・)?」

 

 マルコは息を呑んだ。

 冷たく静かな声は、ミカだけでは、ない。

 

「ミカの言う通りね。私たちの命は、ここにいるカワウソ様だけのもの」

「カワウソ様に創られた我等ー。この命尽きてー、尽きた(のち)に至るまでー、創造主(あるじ)(めい)に準じるのみー」

 

 十字状に褐色肌の胸元や(へそ)まで露出する聖女──ガブが、謳う。

 白鋼の面覆いの奥に隠した黒い瞳で笑う巨兵──ウォフが、誇る。

 そんな二人の様子は、……しかし、マルコには見慣れてすら、いた。

 ナザリック地下大墳墓に属する、NPCと呼ばれるシモベたち……マルコの父、セバス・チャンと同格の位置にある、魔導国の枢要たる、彼等。

 Lv.100の最上位の力。

 御方の言葉一つで、自死自害をも(いと)わぬ忠心の化身のごとき同胞たち。

 彼女ら天使たちのありさまは、あまりにも────似ていた。

 

「っ、馬鹿かッ!」

 

 だとしても。

 マルコはいくらでも、魔導国に──ナザリックに──アインズ・ウール・ゴウンその人に敵対しようと欲する、彼と彼の従者たちの論理を否定できた。

 勝てるはずない。

 勝てるわけない。

 勝てる道理がない。

 ありとあらゆる計算や予測、純粋な戦力評価や戦略知識に通じているわけでもないマルコ・チャンであっても、彼我の実力差と戦力比は疑いようがない。比べようもない。

 アインズ・ウール・ゴウンは、この100年の間、世界を征服し、賢智と善政を布き尽した絶対者。

 魔導国が有するは、全大陸の数十億の臣民。及び、ナザリック地下大墳墓の誇る一騎当万のシモベ達。

 御方や殿下たちが特別に生み出した、永続性を有するアンデッドの軍団。

 それを、転移から僅か一週間ばかりというユグドラシルの存在が、あろうことか…………戦う?

 これは一体、何の冗談だというのだ。

 何の目的で、そんな馬鹿な企みを。

 あまりにも破綻している。

 あまりにも破滅的すぎる。

 カワウソは自殺志願者か──自滅志望者か。

 奴のシモベ(NPC)まで、それに賛同しているのが納得できない。

 ありとあらゆる論理や心理が無視されている。

 理解できない。

 道理が通らない。

 理屈すら通じはしない。

 

「わ、──私が、身分を偽り、あなた方の調査を秘密裏に行っていたことは(ひら)に、──平に謝ります! 相応の謝罪金や物品も用意があります! ですから!」

「ああ、そういうのは関係ない」

 

 カワウソは穏やかな微苦笑で、その手を横に振った。

 

「マルコがそうしなければいけなかった──ナザリック地下大墳墓の存在が、俺たちの身辺調査をするのは、『まったくもって当然のことだ』と、理解しているし、納得もしている」

「そ、そんな、バカな! では、何故! どうして!? 何故、そんな──理屈に合わないことを!? 我等ナザリックの、アインズ・ウール・ゴウンの──“敵”になるなどと!!??」

 

 吼えたて、がなりちらすマルコ。

 しかし──

 

「理屈じゃないんだよ」

 

 相手には、“理”を操る気がまったくなかった。

 非条理と不合理を混淆したような、なんの理も意に介さない堕天使は、空を仰ぐ。

 

「俺は、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに、あのナザリック地下大墳墓に、ずっと、──ずっと挑戦し続けた」

 

 ずっと。

 ずっと、だ。

 その言葉を反芻し反復し、反響させるように、堕天使は深く頷く。

 それを、この異世界でも“繰り返す”と、彼は、明確に、明瞭に、明言する。

 堕天使から宣言された内容を半分も解読できないマルコではあったが、確信できる事柄はひとつだけあった。

 

「……ば、馬鹿げている」マルコはメイド服のエプロンの上に、苦々しげな声音を吐露していく。「か──勝てるはずのない戦いに挑むなど、正気の沙汰か?」

 

 天使は、狂気的な信仰者という異形のモンスター。

 だとしても「これはないだろう」と本気で思う。

 勝ち目など絶無、皆無、100%──ありえない。

 奴がそれほどのことを為さんと欲する理由は?

 それだけの事情や心情、信念があるにせよ、単純な戦力計算すら満足にできないのか。

 

 ナザリック地下大墳墓は難攻不落。

 アインズ・ウール・ゴウンに敗北はない。

 

 これらをただの盲信や譫妄(せんもう)とは違う、厳然たる「事実」「認識」「歴史」として理解しているマルコ。自分たちの生みの親にして、養育者にして、絶対支配者として君臨している者たちの力量・権能・すべてを、この世に生を受けてより90年余りの時の中で感得し、確信し、至高の御方たちへの畏怖と尊敬の念を篤くし続けている。

 とりわけ、アインズ・ウール・ゴウン……この国この大陸この世界中で最も尊き存在として光臨せし最上位アンデッド──魔導王御陛下の威容と人格と優しさに、ナザリックによって生み育まれたマルコたちは、心服と愛敬の念を懐かずにはいられない。

 

 彼が、御方が、アインズ・ウール・ゴウンこそが、最強。

 

 だというのに、カワウソは、堕天使のプレイヤーは、すべてを熟知し、承知し、観念しているかのように、言ってのける。

 

「勝ち負けは、正直、どーでもいいんだ」

 

 微笑みすら浮かべる堕天使の異様。

 マルコは怖気(おぞけ)が背筋を何往復もするほどに、その笑顔に込められた何かを感じ取る。

 

「勝てそうだから勝ち馬に乗る? 負け(いくさ)なんてしたくない?

 ああ。そう思うのも道理だな……けれど」

 

 そんなことの“一切”が、どうでもいい。

 カワウソはそう渇笑しながら、己の言をひとつひとつ確信するように頷いていく。

 

「俺にはこれしか、もうやることが、ない。

 俺はもう、これ以外のことに夢中になることは、ない」

 

 ない、ない、何もないと、堕天使は自らを(わら)う。

 堕天使は──天の光に焼かれすぎた肌の上に、まるで春の雪解け水のように透き通った笑みを浮かべて──いっそ穏やかに、(ほが)らかに、(あき)らかに、狂気と狂信を、(のたま)う。

 

 

仲間(なかま)との、かつての“約束”を果たす。

 ただ、それだけが俺の望みであり、願いであり──

 ただそれだけが、俺の目的であり、目標であり──」

 

 

 そして、

 

 

「あのナザリック地下大墳墓・第八階層にいるモノたち(・・・・・・・・・・・)……“あれら”への──これは、復讐ッ」

 

 

 地獄の炎に炙られるかのごとき、狂熱のこもった堕天使の声音。

 マルコは、その声が告げた内容に、絶えること無き怖気と寒気を感じられてならない。

 

「なかま、との……約束? だ、第八階層、への、──復讐?」

 

 何を言っている。

 こいつはいったい、なにをいっている?

 わからない。

 わからない。わからない。

 わかることができそうに…………ない。

 

「俺は、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、アインズ・ウール・ゴウンと戦う。

 ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”への再攻略に、挑む」

 

 戦う。

 挑む。

 挑み戦う。

 それだけ。

 ただ、“それだけ”を(こいねが)う──堕天使の狂笑。

 いっそ(おぞ)ましいほど、繊月のごとく嗤う彼の願望は(しん)に迫っていると、マルコは認識せざるを得ない。

 理解も納得もいかないが。

 

「こっちの意志は表明してやった。ここで邪魔したいというのなら、今すぐ邪魔すればいい」

「──ッ!」

 

 言われたマルコには、手が出せない。

 武器を既に熾天使(ミカ)全身鎧(ウォフ)から突きつけられている事実は、関係ない。

 ユグドラシルプレイヤーを相手に、さらに、階層守護者たちと同等──Lv.100だろうNPC三体を相手に、合計四人の強者に対し、異形の混血児(ハーフモンスター)ただ一人では、心許ないどころの話ではない。

 アインズ(いわ)く、「“初見の初戦”であれば、マルコの能力はLv.100一体に拮抗し得る」「半分だけ混ざっている竜人の本領の力を行使すれば、それだけの戦闘能力を発揮できる」……が、さすがに、数の暴力には屈する他ない。

 彼等が、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)と名乗る勢力が、マルコが忠節を尽くすべき二人目の父たるアインズの“敵”となるという情報は、何に変えても奏上せねばならない重要案件。いくら彼等がナザリックにとって吹けば飛ぶ程度の存在・戦力だとしても、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”を自ら標榜する以上、その存在を看過できるはずもない。

 最悪の展開。

 プランE……交渉放棄。

 それに伴うナザリックからの支援隊を急派して、連中を無力化するのは──難しい。

 敵対姿勢を取られたことで初めて感得できた、この場にいる四人の“敵”の実力を考えると、ただの支援隊では対処が厳しいどころではない。圧倒的な数の派遣……階層守護者のほとんどすべてを投入しての“全力開戦”以外で、対応可能な状況とは、言えないだろう。

 否。

 何を迷う必要がある。

 何を恐れることがある。

 ナザリック地下大墳墓の擁する最高戦力たち……Lv.100NPCや彼等の率いる高位モンスターの軍団による蹂躙を敢行すれば、それですべてが済むはず。

 

 ──しかし。

 しかし、だ。

 

 もし、──もしも、──カワウソが、

 ナザリックに対抗可能な手段や戦力を保持していたとしたら?

 そんな未知のプレイヤーを相手に、準備を万端“以上”に整えず開戦するのは、あまりにも、危険。

 

 

 カワウソ(いわ)く「ずっと挑戦し続けた」

 それはつまり、奴は、ナザリック地下大墳墓の戦力を、ある程度まで熟知できていることの証言。

 

 カワウソ(いわ)く「第八階層への、復讐」

 それはつまり、奴はナザリック地下大墳墓の最高戦力“以上”である、あれら(・・・)やルベドという少女を──知っているということ。

 

 

 現在も尚、この魔導国において、ナザリック地下大墳墓の内部情報は、当然ながら臣民たちにすら秘されている部分が多くある。ナザリック地下大墳墓は神聖不可侵。それほどの神域に踏み入る栄誉を賜れるものは、富と力と幸福に恵まれることが確約されるとすら噂されるほどの絶対聖域。

 

 にもかかわらず、奴は、第八階層“荒野”にいる者を、過つことなく理解し尽しているのだ。

 重要情報・最大級の機密たる階層にいる“あれら”と、“少女(ルベド)”を。

 

 それは、紛うことなく、奴がユグドラシルからの客人(まろうど)であり、嘘偽りなく、第八階層の荒野……ナザリックに生まれた忠実なるシモベや、混血児(ハーフ)達も未踏のままの地を踏んだ愚か者ども……マルコが寝物語に父たちから聞かされた“プレイヤー1500人による大侵攻”の関係者であることを、確実に確定的に示している。

 

 危険だ。

 あまりにも危険だ。

 

 ここでむやみに開戦の狼煙(のろし)をあげて、連中の……カワウソ自ら名乗るところの“ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”の有する力が、アインズ・ウール・ゴウンを、御方すら超えるとすら噂される“少女(ルベド)”を──ルベドを滅ぼせる“あれら”を、凌駕するものであったなら?

 

 (いな)

 否、否、否──!

 そんなことはありえない。

 ありえていいはずがない。

 ……しかし──しかし、だ!

 不敬は百も千も承知しているが──万が一、億が一の確率というものは、存在する。

 マルコの(つたない)い計算以上の力量を、切り札を、カワウソ達が保持していたとしたら?

 ……そう。

 それこそ、アインズ・ウール・ゴウンその人が所有し、守護者各位に貸し与えられている至宝の中の至宝……世界ひとつに匹敵するといわれる究極の(たから)……世界級(ワールド)アイテムを、カワウソが、何かひとつでも、持っていたとしたら?

 御方がついぞ興味を示し、ユグドラシルの中でも最大最上に位置するアイテムが、その身に戴いているとしたら?

 ──それだけの力を未だに秘めているか否か知れない状況で、マルコがただ我が身可愛さに、ナザリックへ援軍を乞うてみろ。

 ナザリック地下大墳墓と、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に、危難の種子を与えるようなことになりかねないとしたら……

 

 マルコは、次の手が、打てない。

 

 目の前の存在が、カワウソが、まったく完全に危険極まる存在であると認識されたからこそ、ナザリックに忠烈な新星・戦闘メイドは、「戦う」という選択肢が取れなくなる。

 いっそ、ここでマルコだけが連中の手によって殺されるか、拉致監禁された方が、まだマシな状況を作るやも知れぬ。

 マルコという交渉者を理不尽に討ち取らせ害させる方が、連中に対する絶対的な“大義名分”を得られるというもの。

 だが、連中は、特に、カワウソの副官らしいミカは「義に反す」と言って、戦闘態勢を整えて以降、攻撃の姿勢を強めては、いない。カワウソと、他二人のNPCたちも、その言行に同調していた。

 

 つまり、こちらから仕掛けない以上、連中は攻撃するつもりが、ない。

 しかし、こちらから攻撃することは、逆に連中に、大義を、名分を、与えてしまう。

 

 カワウソが表明した「復讐」という単語だけで、すべてが膠着(こうちゃく)しつつある。

 

 思い知らされる。

 これでは、手詰まりではないか──!

 

「主人から……」

 

 思い切り歯を食いしばり、眦を痛めるほど力を込めて、この状況の打開案を模索するマルコに、カワウソは間髪入れずに疑問を投げかける。

 

「聞いていないのか?」

「っ──なに、を、です?」

魔導王陛下(アインズ・ウール・ゴウン)から、聞いていないのか?」

 

 冷静に言葉を交わし続ける気概の堕天使に、マルコは憎悪に近い感情を瞳に灯しつつ、疑惑の視線を鋭くする。

 

「今、俺のギルドの連中が、おまえたちナザリックの部隊を相手に、『交戦中』だと、連絡を受けた」

 

 生産都市と南方士族領域で。

 たった今、その情報を〈伝言(メッセージ)〉で受け取ったと、カワウソは微笑む。

 マルコはその情報を、彼よりも先に入手・連絡され、だからこそ彼等を魔導国傘下へと組み込むための交渉官(ネゴシエーター)役を請け負ってきた。

 カワウソは言い募る。ギルドにいるべき副長(ウォフ)隊長補佐(ガブ)が今ここにいるから、情報管制が行き届いていなかったのがマズかったかなと、カワウソは笑いながら部下の不手際を許している(・・・・・)

 瞬間、申し訳なさそうに膝をつきかけるガブやウォフたちを、手を振って立ち上がらせる所作も、何もかもが、充足感に満ちている。

 ミカだけは、「やはり」という感じで顎を引きつつ、マルコへ向けた長剣は揺るがさない。

 カワウソは微笑み続ける。

 マルコは疑問だった。

 あまりにも奇怪であった。

 どうして、奴は笑っている?

 どうして、こんなに笑うことができる?

 

「俺たちを魔導国とやらに傘下として組み込み、交戦した連中を──ナタとイズラを止めたかったか? 確かに、アイツらを止めるには、俺が言って聞かせるのが一番だろうな? あの二人は俺が創ったLv.100NPCだからな?」

「Lv.100……、いえ──わかったのであれば!」

「心配するな。言われなくても、魔導国に入ろうと入るまいと、あの二人は止めるとも。そこは安心していい。だがな。それで済む話じゃあないぞ? これから俺が、やろうとしていることは?」

「や、やろうと、……して、いる? ──まさか、本気で、ナザリックに?」

 

 あの第八階層に、挑むと──戦うと?

 馬鹿げている。

 冗談にしても笑えはしない。

 ナザリック地下大墳墓は、難攻不落。

 至高の御身たる魔導王・アインズの居城に、こいつは、本気で?

 

「なぁ。見ているんだろう? アインズ・ウール・ゴウン?」

 

 一瞬、マルコは視線を散らすことなく、気配などを頼りに周囲を(うかが)う。

 堕天使が何を感知したのか──あるいは、こっそりマルコたちの様子を窺うように監視魔法で見ている者たちを感知した……最悪なのは“とっくの昔に感知できていたのか”と、疑念する。

「それぐらい出来て当然だよな」と、堕天使は讃美するように、魔導王を呼ばう。

 マルコは少なからず安堵した。

 彼がナザリックの監視に気づいたという調子でないと、その語気の軽さや中身から明らかであったから。

 

「……まぁ、いい。その代わり、ナザリックの……メイドリーダー?」

「──“新星・戦闘メイド(プレイアデス)”の統括(リーダー)

 

 優秀な熾天使(ミカ)の修正に、カワウソは心底誠実な声音と表情で頷く。

 

「マルコ・チャン。帰っておまえの主人に、──魔導王陛下とやらに、伝えるといい。

『カワウソは、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”でした』と」

 

 歌うように、あるいは誇るように、堕天使は純白の聖剣を空間から取り出しながら述べ立てる。

 そうして、背を向けた男は、最後に別れの挨拶を交わす。

 

「マルコ。──今まで、本当に、いろいろと、──ありがと。……元気でな」

 

 本気で感謝を告げたカワウソに、マルコは何もできず、何も言えない。

 微笑む堕天使が、神器級(ゴッズ)アイテムの聖剣を振って、白い〈転移門(ゲート)〉を開く。

 白い闇の奥へと突き進み、堕天使と天使たちは、立ち去っていった。

 

 最後に周囲を警戒し終え、剣を鞘に納めたミカは、ナザリックの使者を睨み据えつつ、マルコに対して深く一礼し、黄金の長い髪を振って(きびす)を返し……転移魔法の向こう側に消えた。

 

 

 

「……くそッ」

 

 メイドらしからぬ毒を吐いて、マルコは大地を踏み砕いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日更新


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敵対 -2

/OVERLORD & Fallen Angel …vol.02

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以上が、マルコが失敗した、彼等との交渉の顛末(てんまつ)であった。

 

「……はぁ、ぁぁぁ~……」

 

 残された新星戦闘メイド・マルコは、ここ数年ほど感じたこともない失意に項垂れ、白金の髪を乱暴に掻いて、たっぷり数十秒は「ああああ~」と苛立ちの声を零した後、思わず謝辞を紡いだ。

 

「申し訳ございません。アインズ様。私の、力が及ばずに──」

 

 ここにいるわけもない御方へ懺悔(ざんげ)した、その時。

 

「謝る必要はない、マルコ」

 

 ありえない声に対して、盛大に吹き出す。

 そんなリアクションをして咳き込んでしまう娘の背中を、叩くものが。「大丈夫か?」などと()かないでほしい。

 転移魔法の気配はありえない。現れた御方は、装備していた“〈認識阻害〉の首飾り”など、数個のアイテムを解除して、マルコの感知可能な世界に顕現したのだ。

 現れた一等冒険者の人間の(なり)は、漆黒の全身鎧のそれではなく、あまりにも煌びやかな、いつもの闇一色のローブ姿。ちょうど時間だったのだろう効果制限時間に達して、人間化した表面の受肉体が、(ほど)けていく。

 解けた後に現れたのは、骸骨の魔法使い。

 ナザリックへ先に帰還したはずの、至高の御方。

 最上位アンデッド・死の支配者(オーバーロード)──最高品質の装備品を数え切れぬほど保有する絶対者の偉容が、ナザリックの新しい星たる戦闘メイド部隊の統括に、慈しみの視線をいっぱいに注いでいる。

 

「ちょッ! い…………いつ、から?」

「おまえが正体を明かす前あたりから」

 

 ほぼ最初からではないか。

 マルコは頭を振りつつ、慣れ親しんだ調子を大いに含みながらも、御方を諫める言葉を連ねるしかない。

 

「ああ、もー……だから……なんで、そんなに、自分から危険へと近づかれるのです? 相手は、あの“ユグドラシル”とやらから来た存在なのでしょう? だったら、もっと、警戒しても?」

 

 マルコはいざとなれば、ナザリックが誇る神官・一般メイド四十一人の長たるペストーニャの蘇生で何とかなる予定だ。混血種であろうとも蘇生魔法での復活は可能なことは実験し、把握済み。

 だが、アインズは、プレイヤーという御方は、そうはいかない。

 少なくとも、アインズ・ウール・ゴウンは“プレイヤーの蘇生実験”を、未だ、行えていなかったのだ。……まだ。

 

「わかっている。だからこそ、これほど危険な任務を、おまえに任せるしかなかった。おまえ以外の誰にも、この任務は果たせそうになかった。──そして、それは私の不徳に他ならない。許せ、マルコ」

 

 そう言って微笑まれたら(骸骨の表情だが、マルコには完全に判る)、何も言えない。

 

「しかし。私は今、最後の最後で──こんな、失態を」

「失態であるものか。おまえは私の命令通りに動いた──これはひとえに、私の失敗(ミス)だ。許せ」

 

 この人の言葉には、昔から本当に、かなわない。

 困ったように、照れたように、頬骨を掻く仕草が実に面映(おもは)ゆい。女を魅了するというよりも、小さくいとけないものを庇護したいという欲求を懐かせるのに近いだろう。いや、護られているのは確実に、マルコの方なのだが。

 

 メイドは真摯(しんし)に思う。

 この御方の、何もかもを、護って差し上げたいのだ。

 

 メイドが恋し愛し合う殿方……赤ん坊の頃から共に過ごした幼馴染(おさななじみ)の父君であること以上に、アインズ・ウール・ゴウンという人物の人格に、マルコは心服の限りを覚えている。

 この方に仕え、この方に尽くし、この方のために祈る。

 それは、マルコが(ちぎ)りを交わす予定のユウゴ……王太子殿下や、彼の妹たちの姫・王女殿下、すべてのナザリックの子供たちも、また同じ。

 

「もう、わかりました。

 けれど、一人でなんて、あまりにも危険すぎ」

「一人ではないさ」

 

〈認識阻害〉の魔法のアイテムが、連中に──カワウソやミカたちに一定の効果があることは、デミウルゴス大参謀が実践確認済み。

 それらを共に駆使してアインズの護衛に参じていた人間種の階層守護者、闇妖精(ダークエルフ)の双子──王妃が、二人。陽王妃殿下と月王妃殿下の、美少女と青少年の、御二人。

 

「大丈夫だよ、マルコ!」と頷くアウラ。

「えと、あの、その……」と俯くマーレ。

 

 そして、さらに、もう一人。

 

「マルコ」

 

 咄嗟に「ユーちゃん」と返しかけて、口を(つぐ)んだ。その呼び名は、人前で交わすのは大いに(はばか)りがある。もはや、そういう間柄なのだ。

 彼は、この世で、この大陸で、最も尊い御方の、──実の息子。

 身に着けた衣装は、どれも完全特級……魔導国内の技術と魔法を凝縮された品々。父や母たち、大参謀や大将軍や家令、さらには唯一の“兄”である宝物殿の管理者、パンドラズ・アクターたちが見立て整えてくれた装備類。ナザリックの贅を凝らしつつ、あくまで機能的に、かつ洗練された造形美に結晶された魔法の宝飾品と〈上位認識阻害〉のローブ。腰に帯びた宝剣と魔法杖より繰り出される物理攻撃と魔法攻撃の両立した戦闘方法は、あと数年で、守護者たちのレベルに匹敵し完成されるだろうと、父であるアインズその人から評されて久しい。

 あまりにも急な出来事で、臣下の礼をとることすら忘れるほど、その青年との邂逅に(ほだ)される。

 

「ユウゴ──殿下」

「ご苦労様。もう、大丈夫」

 

 そう言って、王子はメイドの傍に歩み寄り──そのまま包み込むように、マルコの全存在を抱きしめてしまう。

 母譲りの黒髪と美貌と双角、焔を宿し煌く金色の瞳に、悪魔の若々しく優し気で柔和な青年の表情が、よく似合う。

 父譲りの魔力を繰り操る心臓と闇を内包するそこは、堅牢な(しろ)い肋骨に秘め護られ、愛しい鼓動を響かせてくれる。

 マルコが幼き頃から共に育ち、過ごし、遊んで、いつしか惹かれ合い、数十年の逢瀬の果てに結ばれた、この世で最も愛する男性(ひと)

 

 父であるアインズ・ウール・ゴウン御方への信愛と親愛と真愛に生きる息子。

 ナザリック地下大墳墓に属する全ての存在たちから敬服と敬慕される第一子。

 臣民やナザリックの子供たち──異母妹たちからもアプローチが今尚ある男。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下「親衛隊」総隊長職を与えられた王子。

 母たる女淫魔(サキュバス)と父たる不死者(アンデッド)の王より生まれた、異形の混血児(ハーフ・モンスター)たちの代表者。

 

 ユウゴ第一王太子殿下。

 

 彼の腕の(なか)(いだ)かれて、マルコは安堵の心音を己の内側に感じ取る。

 

「おかえり」

「……ただいま、ユーちゃん」

 

 互いの声のみが聞こえる距離で(ささや)き合う。

 言ってやりたいことはいろいろと──それこそ、魔法都市(カッツェ)で勝手に様子見していた話とか、いくら事情を知っている父君や異母たちの視線しかないと言っても、人前で“王子がメイドを”かき抱くのは()しなさいとか──あるが、とにかく、マルコは任務の重責以上に重く()し掛かっていたプレッシャー……未知の多いユグドラシルプレイヤー・カワウソと対面し続ける間、ずっと張り詰めていた緊張の糸を、ほどく。

 愛する彼の首筋に、熱い頬を重ね、じゃれるように額を黒髪にこする。

 若干、少しの間をあけた後、魔導王の咳払いが場を引きしめる。

 王子(ユウゴ)女中(マルコ)を抱いたまま、振り返った。

 

「父上」マルコの心臓を唯一ときめかせてくれる、聡明な響き。「あの堕天使、カワウソという名のユグドラシルプレイヤーは、いかように?」

 

 声には優しさしか感じられない。

 彼の種族が“淫魔”を半分含んでいるとしても、あまりにも美しさと慈しみに満ちた音色。

 不遜にも、王子の婚約者・未来の伴侶・ナザリックが誇る新たなシモベ・幼馴染のマルコに対して、あろうことか武器を眼前に差し向けることで制止させた──止められたマルコは、まったくの無傷で済みはしたが──“敵”勢力の首魁に対し、……だが、王子は冷静であった。

 あくまで魔導国王太子としての公的な立場に立っての、意見具申を述べる。

 

「ユグドラシルの存在が“敵”となった以上は、国民への被害と、我々ナザリックへの害悪は掃滅せねばなりませぬが──彼等との交渉の余地は?」

 

 あくまで対話を模索する息子に、アインズは重く唸る。「難しい、だろうな」と率直に言い募る。

 

「我々のギルド──アインズ・ウール・ゴウンは、ユグドラシルではそれなりに恨みを買った。鉱山の独占やPK・PKKで。ほかにも、まぁ、いろいろ。彼がその恨み……怨恨から我々と協調路線を歩むことができないとすれば、こちらからは、もはやどうしようもあるまい」

「常々お聞きしておりました、『“悪”としてのアインズ・ウール・ゴウン』ですね。……ですが、たとえそうだとしても、まったく違う異世界へと流れついた、転移したという現在の状況で、そのような過去に拘泥(こうでい)する必要性は低い筈では? 父上たちの築いた魔導国の在り方を知って、それで尚も“敵対”するというのは」

「考えにくいか。しかし、それは第三者だからこそ言えることだが──まぁ、私としても、少し疑問ではある。彼はそこまで短絡的な思考の持ち主ではなさそうだった。そんなに我々への復讐がしたいなら、魔導国臣民への無差別殺戮だって選択しても…………(いや)、『第八階層への、“あれら”への復讐』と、彼は言っていたよな?」

 

 彼自身が敵対する最大理由として挙げていた内容は、アインズにしても信じ難い。

 

「ならば、まさか、あの1500人の…………いや、だとしても、天使種族プレイヤーは第五階層までに一掃したはず。カワウソが、あの大侵攻の関係者だとしたら、転生して、今の種族に?」

 

 ぶつぶつと沈思の海を漂い始めるアインズは、深く考え込むその前に、

 

「…………いや、この話は戻ってからだ」

 

 今は任務を果たし終えたマルコの無事な帰還を言祝(ことほ)ぐべきと、アインズは〈転移門(ゲート)〉を開く。

 

「今は帰ろう。我等の(ホーム)──ナザリックへ」

 

 アインズが仲間たちと共に築き上げた、ホームへ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 王子の腕に護られるメイドは、男のエスコートを受け取り、顔を真っ赤な笑みで彩って、彼と共に真っ先に、転移の門の向こう側へ。

 

「…………」

 

 自ら進んで居残ったアインズは、彼等が……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)と名乗る天使たちが立ち去っていった〈転移門〉の残滓を探るように一度だけ振り返り、惜しみながらも顔を背けた。

 アインズが存在しない脳内に描いた“計画”が、すべて絵空事に堕した気分だ。

 彼となら、「うまくいくだろう」と思えた。だからこそ、アインズは冒険者の偽装(カバー)で彼と行動を共にしてみた。

 アインズが予想していたよりも好印象な人物という印象が強かった。

 彼は思慮深く、礼儀正しく、それでいて一本筋が通った感じを受けた。

 ヴェル・セークら魔導国臣民たる飛竜騎兵を救った功は素晴らしかった。

 今の別れ際……マルコへ紡いだ感謝の熱量は、アインズは本物だと感じた。

 自分を騙していた娘を、堕天使は心から許し、そして、これまでのことに「ありがとう」「元気でな」と。

 

 

 しかし、しようがない。

 

 

 何か方法はないだろうかと考えつつも、アインズは二人の闇妖精(ダークエルフ)の護衛──連中に気づかれ開戦する事態には即応可能な人間種の守護者──魔獣の軍団を強化指揮するアウラと、ギルド二番目の力量と広域殲滅魔法まで有するマーレ──100年の成長を遂げた王妃たちに(うなが)されて、ナザリックへと戻った。

 幾重にも張り巡らせた転移魔法の門をくぐりぬけ、可能な限りの転移追跡対策を辿った末に、およそ数分ほどかけて、アインズたちは地下大墳墓の表層──100年前に転移してから変わらず草原の中に佇むホームポイントへと、先に戻った我が子らの後を追うように、凱旋する。

 まず出迎えてくれたのは、白金の髪と口髭の老執事。

 

「おかえりなさいませ、アインズ様、アウラ様、マーレ様」

「うむ。ご苦労だった、セバス」

 

 その隣に並び立つのは、先に戻していたアインズの自慢の息子──悪魔と不死者の混血児が、マルコと共に臣下の礼で迎え入れてくれる。

 

「父上、おかえりなさい」

「ただいま、ユウゴ」

「早くお母さまたちの許へ。せっかく数日ぶりに戻られたのに、また御無理を言って困らせたのですから」

 

 魔導王は王子の忠言に心から頷き、微笑む。

 アインズが再び飛竜騎兵の領地──そこで急遽任務内容を“交渉”に変更されたマルコの身を案じ、「戻る」と言ったときは、守護者全員が反対した。いかに〈認識阻害〉が強力な隠れ蓑になるとは言え、何が起きるか判らなかった。わざわざマルコを折衝(せっしょう)に向かわせたのに、アインズが交渉の現場に遭遇する理由はないはず。だが、アインズ個人としては、彼等との交渉が難航しようものなら、直談判も同然にアインズ自身が交渉に向かってもよかったのだ。

 現在の地位こそ大陸全土を統治する魔導王として君臨するアインズも、もともとはただのユグドラシルプレイヤー。同じゲームを遊び、同じ異世界転移という馬鹿げた異常現象に遭遇した彼の力になれればと……そのために確認しておきたかった、彼の性向や人格が、魔導国で暮らし協調可能なものだと判断できたからこそ、彼等を“傘下”に誘ったのだ。

 だが、結果はアインズですら思いもよらぬ展開を見せた。

 カワウソの主張を、「アインズ・ウール・ゴウンの“敵”になる」という宣言を聞いた時は、骸骨には存在しない己の耳の機能を疑った。

 彼のいっそ誠実なほどまっすぐな宣戦布告に、アインズたちは何もできなかった。

 交渉が難航どころではなく、最初から交渉“不能”だったのだと、遅まきながら気づかされたから。

 だとしても、解せない。

 一体、何が彼を駆り立てるのか。

 アインズ・ウール・ゴウンの“敵”として、ナザリック地下大墳墓に──あの第八階層の荒野に挑み戦おうとする気概が、アインズをしても理解不能な次元に到達していたのだ。

 (いわ)く「仲間とのかつての誓いを」「第八階層の“あれら”への、復讐」だったか。

 だがそれは、この異世界で、この魔導国で、彼がそこまで執着し執心するほどのことなのか?

 ……あるいは、アインズがアインズ・ウール・ゴウンの存在を不変の伝説にしようとしたのと、同じ?

 ──だとしても、解せない。

 彼には、ナザリック地下大墳墓を攻略する手段が、力が、存在しているのだろうか。そうでもないのに死戦を繰り広げるなど、間違いなく思考が破綻している。マルコが惑乱するのも無理もない。というか、傍で聞いていた時、アインズはあまりの主張に放心しかけたくらいなのだ。

 カワウソが、100年後に現れたプレイヤーが、アインズ・ウール・ゴウンへの勝てるはずのない戦い──何の意味もない挑戦──“復讐”に奔る根本的な理由(ワケ)は、未だ謎のまま。

 あるいは、あの1500人の中に、カワウソは参加していたとしたら……

 

「何にせよ。警戒するに越したことはないか」

 

 彼の能力は扱っていたスキルなどから判断するに、熾天使から降格した「堕天使Lv.15」であり、「聖騎士」などの信仰系が多数を占める模様。

 世界級(ワールド)アイテムを保有する可能性は──高い。

 ツアーが、“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツアインドルクス=ヴァイシオンが語る『100年周期のユグドラシルからの到来者』の情報だと、世界級(ワールド)に類する何かが渡り来ることがほとんどだと言う話だ。ならば、彼も最低一つは、世界級(ワールド)アイテムなどを有すると考える方が自然のはず。それが何なのか──アインズですら知らない類の、ネット上で知られた有名な物以外だとすれば、警戒以外の選択肢は存在しない。

 

「さてと──」

 

 予定通り、表層の門扉で待機していたセバスに出迎えられ、先に戻していたマルコとユウゴたちと合流し、言葉の遣り取りを終える。

 次に、アインズはそこに佇む者たち──アンデッドの軍勢に、命じる。

 

「おまえたち。ナザリックの表層警護は任せるぞ。不審な影を発見次第、迎撃と連絡を」

 

 アインズの副官のごとく頷いたのは、ナザリックの拠点NPCでは、ない。

 

『かしこまりました、アインズ様』

 

 アインズが生産した希少な上位アンデッド──死の支配者(オーバーロード)複数体をはじめ、飛行能力と非実体化が可能な蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)たちや、探知に特化した集眼の屍(アイボール・コープス)。死と腐敗のオーラを纏う盗賊系アンデッド永遠の死(エターナル・デス)に、禍々しいほど巨大な処刑鎌(デスサイズ)を担ぐ具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の姿まで。

 個人的にアインズが生産できている上位アンデッドの総数は50にも満たないが、中にはLv.90の大台に達するモンスターたち。彼等はナザリックの守備兵たるエルダーガーダーやマスターガーダーと共に、不測の事態に備えている。

 この世界の「触媒」の中で特に希少価値のある死体を使用したことで、都市駐屯用の死の騎士(デス・ナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と同じ“永続性”を獲得した作成召喚モンスターたちが、大墳墓の入り口に(たむろ)し、万が一、億が一の侵入者を悉く阻むための体制を構築済み。

 堕天使の連中や、あるいはまったく認知していない第三勢力が無策に飛び込んでくれば、確実に進退を窮めるだろう最精鋭たちだ。

 後事は彼等に任せ、アインズは合流したセバスたちと共にナザリックの第十階層・玉座の間へと転移。

 

「おかえりなさいませ、アインズ様」

 

 そこで監視の目を光らせ、天使ギルドたちへの反撃に燃え焦がれるNPC、階層守護者たち──第四と第八を除くほぼ全員が、主人の無事の帰還を心から歓び迎える。

 彼等の頭上──豪華なシャンデリアが飾られる天井空間に、どこか工場のような金属質な部屋の光景を投影する〈水晶の大画面(グレータ・クリスタル・モニター)〉が。

 

「ただいま」アインズはそこに並ぶ守護者やNPC一人一人に感謝の言葉をかけたい衝動を押し殺して、悠然とした支配者の歩みで玉座へと急ぎつつ、事態の展開を訊ねる。「敵NPC……花の動像(フラワー・ゴーレム)と死の天使とやらとの、戦闘状況は?」

 

 花の動像というレア種族NPCには、守護者最大のガルガンチュアが。死の天使という下等天使NPCには、アインズの“三助”を担う三吉と、追加で上位アンデッド部隊たる死の支配者(オーバーロード)四体が、それぞれ投入された。

 こちらが負ける要素がまったくない戦闘配置だと、アインズは確信していた。

 故に、相手が逃走撤退したり、あるいは降伏したりするのであれば「慈悲」をかけることも言明していた。厳命していたのだ。

 だが、「戦闘状況」を訊いた途端に、そこへ居並んでいたシャルティア、コキュートス、デミウルゴス──彼等が引き連れていた部下たちが、一斉に沈鬱な表情を浮かべる。何か、こう、やり場のない怒りに震えているような、そんな印象。今まさに帰還したが故に詳細を知らぬアウラ、マーレ、セバス、さらにアインズの息子とセバスの娘が、疑問に首を傾げた。

 口火を切ってくれたのは、彼等の代表たる魔導国大宰相の女悪魔。アインズの最王妃。

 

「──まず、シズたちの状況から」

 

 アルベドは、シズたちが交戦していた南方での戦闘が、花の動像・ナタの転移撤退によって落着したことを簡潔に、かつこちらの被害が軽微で済んだこと──シズ・デルタとガルガンチュアは崩壊した新鉱床の復旧作業をナザリックから派兵されたアンデッド兵やゴーレムに代行して、ナザリック第四階層“地底湖”へ帰還済み・順次修復作業中であることを説明するが、その声の中には、何か言い難い雰囲気を巧みに隠していた。……アインズは彼女の夫となって90余年。そういった機微にも自然と聡くなっている。

 だから、アインズは問い詰めるでもなく、優しい音色で(たず)ねる。

 

「どうした、アルベド?」

「いえ──その、ガルガンチュアの負った損傷も軽く、拠点運営費や素材の消耗も最小限に」

「うん。無事で何より。それはわかった。二人にはあとで、私が直接会おう……ところで」

 

 アインズは静かな声で問う。

 

「……ソリュシャンの方は、どうなった?」

 

 あの二人の住まいは第九階層。

 それを思えば、二人がこの玉座の間に帰還・凱旋し、アインズへの直接報告や何やらを告げるべく待機していてもおかしくはなかった。

 まさかという可能性が、アインズの存在しない心臓をチリチリと焦がす。

 殺害されたのであれば、そう言えばよい。

 そうなっていたら、アインズは全身全霊を賭して、あのギルドを即座に、即行に、潰しに行く。

 協調も協力もない。

「今回はダメだった」と、素直に諦めるだけだ。

 堕天使のユグドラシルプレイヤー・カワウソをねじ伏せ、仲間が残した我が子らを滅殺した罪を償わせるために、何の迷いもなく驀進(ばくしん)するのみ。

 だが、それはありえなかった。

 

「ソリュシャン・イプシロンと三吉については、未だ、戦闘中、とのことで」

「……なに?」

 

 アインズは瞠目した。

 ただ殺されたよりも意外に過ぎる報告内容に、アインズは玉座から少し腰を浮かしかける。

 

「待て。私の上位アンデッド──死の支配者(オーバーロード)四体からなる部隊は、投入されたのだよな?」

「はい。間違いなく」

「では何故、戦闘が継続中だと? 死の天使のイズラとやら──即死能力に特化した天使は、死の支配者(オーバーロード)四体と拮抗しているというのか?」

 

 それは、ありえない。

 死の天使は極めて厄介な即死能力を有するが、逆に言えば、それだけ。それだけなのだ。

 いくら拠点製作NPCであり、推定Lv.100の……他の種族や職業のレベルを保持していると仮定しても、死の天使が最も得意とする分野を、攻撃手段を、生産都市に派兵した上位アンデッド部隊であれば封殺し尽くすはず。アンデッド種族に、即死能力は無効化される。にもかかわらず、まだ戦闘が継続中というのは、あまりにも不可解極まる。

 

「正確には、その……死の天使であるイズラとやらは、完全に封殺できておりました。敵NPCは、あと一歩のところまで追いつめることができており、御身の創造せし上位アンデッド部隊は、役目を果たす……直前で」

 

 アルベドが美貌を歪め、苦虫を噛み潰したような渋面(じゅうめん)で、吐きこぼす。

 アインズは早口で再議する。

 

「“直前”? それはどういうことだ? 天使が逃げて撤退した、というわけではないな。ならば戦闘中であるはずがない」

 

 それに、アインズは直感していた。可能性として、NPCが「逃げる」という事態はないと、そう思っていた。拠点NPCの忠誠心と戦闘意欲は、自分たちナザリックのシモベたちの例から見ても容易に想像ができる。敵に尻尾(しっぽ)を巻いて逃げることは、彼等にとってはありえない選択肢だ。それならば、まだ「自害」を選択することを良しとする。自らを創造してくれた者たちへの、篤い忠義がそのように行動させるのだ。

 では、死の天使に、戦局逆転の手段があったのか?

 

「──映像は? 都市動力室内、作業監視用の映像記録ゴーレムは?」

 

 見上げた大画面には、相変わらず……何故か、微妙に這うようにして自走している視点がひとつ、浮かんでいるだけ。そのほかの映像──大量に動力室内に配置設営されたゴーレムの、監視カメラのごときそれは、どこにもない。

 アルベドは事実を告げる。

 

「破壊されました」

 

上級道具破壊(グレーター・ブレイク・アイテム)〉と同様か、その中で動像(ゴーレム)系統の道具破壊に特化した広域拡散系の力──見たところの印象だと雷の魔法によって、魔導国の誇る監視手段のひとつを潰された、と。

 アインズは、呼吸など不要な肉体の内に息を呑む。

 魔導国内で製造される監視ゴーレムは、それなりの精度を誇る。さすがに、高度な潜伏や隠形化を見透かせるものは多くないが、それなりの映像記録目的……ただのカメラ機能に特化したそれらは、現在の魔導国臣民──製造業者が量産してくれているのだ。単純な防犯目的のそれは、魔導国の中枢たるナザリックによって、即時情報開示……玉座の間へとリアルタイム映像を届けることも可能な、ある種の〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉のごとき性能を発揮してくれる。

 それを、三十一基あったゴーレムを、完膚なきまでに、破壊し尽くしたという。

 

「かの地より届けられる映像は、現在、これひとつのみです」

 

 言って、アルベドは水晶の大画面に、都市管理魔法供給用の動力室の光景……その戦闘風景を、仰ぎ見る。

 

「この映像は、遠隔視のもの、ではないな?」

 

 それこそ、〈遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)〉を使用したのかと思考したが、だとすれば視点変更が“自走”するはずがない。鏡は使用者の意志のみで視点視野の変更と拡大縮小を可能にする。さらに、あれは情報系対策を張り巡らされた場合、それ以上の遠視や透視は不可能な、比較的微妙性能のアイテムなのだ。実際、アルベドたちがゴーレム破壊を確認した後、使用せんと試みたものの、鏡は動力室の内部へは潜れず弾きだされたのだという。

 さすがに、ユグドラシルの存在がいる以上、相応の情報対策手段やアイテム効果は、あって当然というべきか。

 

「いや──少し、待て。都市内の、動力室監視用ゴーレムは、誰に破壊された?」

 

 死の天使が破壊したのかという問いに、アルベドは首を横へ。

 

「あの忌まわしき女熾天使……名を“ミカ”とかいう敵NPCが」

「な、何だとッ!?」

 

 おかしなことを聞いた気がした。

 アインズは、雷の魔法を死の天使が使ったと誤認してしまった。

 しかし、そうではなかった。

 ミカという名前は、カワウソの副官として仕えていた熾天使(セラフィム)のNPC。奴には確かに魔や悪、負の属性への特効能力があったとアインズ自身の目で確認済みだったが、まさか道具(アイテム)の破壊工作も得意だったとは。

 ミカと呼ばれる彼女は、おそらくカワウソの命令で、イズラとやらの救援と停戦に向かったのだろうと納得する。

 では……ならば、この映像は?

 

「これは、ソリュシャンと三吉からの、中継映像になります。二人が、あの戦地に残留してくれたおかげで、室内の監視がかろうじて継続できている状況で」

「ソリュシャンたちが?」

 

 なるほど。

 ソリュシャンには盗み見に長けた能力があったことを思い起こす。

 二人は戦闘圏から脱しはしながら、盗み見に最適かつ安全な位置取りで、映像をナザリックに送信してくれているのだ。自走する映像というのは、スライムの視点と運動と思えば納得がいく。やはり、ソリュシャン・イプシロンは優秀である。これほどの対応力を有している彼女たちだからこそ、格上と思しきNPCと渡り合えたのだろう。

 アインズは冷静さを取り戻す。

 破壊されたこと自体は驚くほどのことはない。Lv.100の存在であれば、アインズの腕力ですら、ゴーレムのカメラ部分を割り砕くことは容易い。死の天使の破壊工作でも、同じことは容易だろうと思った。

 だが。

 破壊したのがイズラではなく、よりにもよって、熾天使の、カワウソの副官がごとき女が、“ミカ”がやったという。

 アインズは先ほどの、飛竜騎兵の領地近郊の森でカワウソがマルコに話した内容を盗み聴いていた。

 故に、当然、疑問した。

 

「──待て。先ほど、彼は、カワウソは、自分のNPCは撤退させる──と──」

 

 映像は、ソリュシャンの左目からの“ただ一点のみ”から供給されている。

 故に、映像は多方向から分析可能なものではなく、その視野に捉えるべき対象がなければ、ただの動力室内の無機質な光景が映るのみ。

 そこへ一瞬──黒い人物──異形がバックステップで飛び込み、その面貌を露にする。

 

「な……ば、バカな」

 

 その黒い髪、黒い貌、黒い鎧は、すでにアインズは知っている。

 アインズたちが戻るまでに──“敵”となった彼等や、100年の「揺り戻し」で現れるユグドラシルの第三勢力などを危惧して──たっぷりと時間を使い、ナザリックへと転移魔法を繰り返し行うことで追跡対策を整えていた。それにより、ある程度のタイムラグ・時間的猶予が生じていた。

 その僅かな隙に、堕天使は何もかもを手配し、自分のNPCたちの救援と後処理を速断。

 自らの手で、それらを遂行・敢行する動きを見せたのだ。

 動力室に現れた漆黒の威容は……100年後の魔導国に現れしユグドラシルプレイヤー……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長……

 その名前は、カワウソ。

 

「こちらが、ソリュシャンの避難撤退後の映像を記録した画面になります」

 

 加工編集できていないのでお見苦しいやもしれませんと断りを入れ、アルベドが(うやうや)しく差し出した端末の画面を、アインズは常の悠然とした振る舞いを忘れるほど、食い入るように見つめた。

 ──映像内容は、ほんの数分前。

 マルコと別れ、転移門をくぐって何処かへと姿を消したカワウソが、蹂躙されていた自分のNPCを護るべく──出現。

 

『お前が死ぬにはまだ早いぞ。イズラ』

 

 確かに。

 彼は先ほど言った通りに、自分のNPCを止めてくれた。

 だが、それを言った彼は、NPCの主たる彼自身は、──止まらない。

 六枚の白翼を広げるミカに張らせた防御の光壁が、死の支配者(オーバーロード)たちの力をかけらも残さずに無力化。

 誰何(すいか)の声を上げる死の支配者(オーバーロード)の賢者(・ワイズマン)に、黒い堕天使は白い剣の武装をペン回しするかのごとく慣れた手首のスナップで扱いながら、応じる。

 

『さっき、マルコにも教えてやったんだが……おまえたちにも教えてやるよ』

 

 ガチリと聖剣の柄を握りこむ、攻撃の意思。

 傲然と宣告するは、真っ黒い堕天使の微笑。

 

『ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)──ギルド長。

 プレイヤーネームは、“カワウソ”』

 

 アインズは(いの)るように、我知らず首を小さく振っていた。

 もう、よせ──それ以上、言うな──もう言ってくれるな──と。

 すでに記録された端末映像の中の人物は、当然、止まるわけがない。

 というか、マルコとの遣り取りを聴いていた以上、その事実は再認識するまでもなく、理解していた。

 しかし、それでも──認めたくは、なかったのだ。

 だが、もはや、認める他ない。

 

『そこに転がっている死の天使・イズラたちの、ただ一人の主人であり──

 おまえたち、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの──』

 

 敵だ、と……

 完全に、完璧に、

 彼が、彼自身の口から、表明し、宣告した。してしまった。

 玉座の間に控えていた守護者たちが、沈鬱な表情を浮かべた理由が、これでわかった。

 アルベドたちも過つことなく理解したのだ──あの堕天使と、そのNPCたちは、アインズの“敵”なのだ、と。

 誅すべき、処すべき、殺すべき“敵対者”であると。

 御方の──アインズの懐いた意図は、企図は、期待と希望は、堕天使の意思によって、完全に踏み潰されてしまったのだ、と。

 

「……馬鹿な、ことを……」

 

 アインズが悲憤と悲嘆の一声をこぼした、その時。

 

『ぁあああああああああああアアア!!??』

 

 上位アンデッドの悲鳴が、画面越しに玉座の間を震わせる。

 アインズは現在進行形の、中継映像の大画面を振り仰いだ。

 

 ソリュシャン達と交代で、敵NPC・イズラの対処に赴いた部隊──上位アンデッドの一体死の支配者(オーバーロード・)の時間王(クロノスマスター)が、漆黒の堕天使が振るう純白の神聖武器に眉間を突き貫かれ、神聖属性の力によって浄化され、果てていた。

 

 

 希少な触媒からなる上位アンデッドが、瞬きの内に討ち滅ぼされる。

 

 

 アインズたちは見届ける。

 大画面の中で、微笑(わら)う堕天使は、止まらない。

 諦めることを知らぬように。飽くなき欲望を満たすがごとく。

 次なる“敵”に向かって、彼は黒い足甲と首飾りを輝かせ、白い聖剣を構える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日更新


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敵対 -3

アンデッド殺し


/OVERLORD & Fallen Angel …vol.03

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 また、時を少し遡る。

 

「戻ったぞ」

 

 マルコを飛竜騎兵の領地近郊の森に残して、カワウソ達は〈転移門〉をくぐり、自分たちの拠点へと帰還を果たす。〈転移門〉は後続のガブとウォフを通し、最後に黄金の熾天使にしてNPCたちの隊長役を任せるミカを顕現させると、たちまちの内に発動時間を終えて消滅した。

 生命の息吹を感じさせない茫漠とした大地──スレイン平野に降り立つ堕天使のカワウソ。

 そこで、カワウソたちの帰還を報らされていたNPCが四名、片膝をついて待機していた。

 拠点入り口となる転移の鏡を守護する任務に就いていた魔術師と兵隊──ウリとクピド。警戒レベル引き上げのために地表のスレイン平野を斥候巡検していた僧兵──タイシャ。そして、クピドの〈転移門〉で冒険都市の調査から呼び戻されたばかりの銀髪の牧人──主天使(ドミニオン)であるラファ。

 

「カワウソ様。無事の御帰還、祝着至極」

「あ、ああ……早く立て、四人とも。今は時間が惜しい」

 

 状況は逼迫(ひっぱく)している。

 南方に向かった花の動像・ナタと、生産都市の地下に潜った死の天使・イズラ、両名の戦闘は継続中だ。

 彼等を止めるために、カワウソは一週間ぶりに自分の拠点へと戻り、いろいろと準備する必要がある。

 

「全員、第四階層に集まってるな?」

 

 頷く大天使(アークエンジェル)・ウリが、拠点に残っている防衛隊・Lv.100NPCと、屋敷のメイド隊十名が揃い踏みであることを告げる。ついでに、転移の鏡は指示通り、第四階層の屋敷に直通している事実も。

 カワウソはとりあえず、共に帰還を果たした智天使(ケルビム)のガブに命じて、表層の鏡を守護する上級天使──門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)を四体ばかり召喚させるよう命じた。ウリ、クピド、タイシャ、ラファたちをも伴い、全員で拠点最奥の第四階層へ。

 

「も、もも、申し訳ありません、カワウソ様!」

 

 転移直後。

 円卓の間の鏡から抜け出た瞬間。

 黒髪褐色肌の巫女・マアトが、黒髪に浮かぶ光の輪と一緒に頭を下げていた。

 彼女の謝辞は、報告が遅れた自分の不手際を呪うもの。また泣き濡れていく天使の告解を、カワウソは頭を撫でて押しとどめた。

 

「マアト。おまえの責任じゃない。おまえたちの不手際は上司の……上位者である俺の不手際だ」

 

 すまないと告げた途端、マアトは堰が切れたように泣きじゃくってしまう。共に頭を下げていたアプサラスやイスラたちに宥められても、その勢いは止まらない。

 カワウソは、翼の指先で顔を覆う少女を(なぐさ)めてやりたかったが、とりあえず今は時間がない。

 二人の停戦と救援に必要なのは、速やかで確実な対処だ。

 謝罪の声を押さえ、何とか涙を封じようと努力するのに懸命なマアトに代わって、仔細を事前に知らされ相談されていた同じサポートタイプのNPC・天使と精霊の種族を掛け持ちする踊り子衣装のアプサラスが、ナタとイズラの戦況を報告。

 ナタは、銃を担ぐメイドと、岩塊の巨人……第四階層守護者と思しき動像(ゴーレム)と。

 イズラは、暗殺者らしいメイドと、彼女と同族らしい蒼玉の粘体──及び、増援の死の支配者(オーバーロード)四体の群れと、それぞれ交戦中。

 カワウソはそれぞれの戦況を鑑みつつ、適確な対処が望めるNPCの派遣を決断。

 

「ラファ。帰還直後に悪いが、ガブに魔力譲渡を」

「かしこまりました。ですが、私まで魔力を譲渡した場合、拠点監視や防衛魔法の維持に必要な分が尽きる可能性が」

「心配いらない。いざとなれば、俺が魔力を渡せればよかったんだが」

「そ、そんな! 御身の御手を(わずら)わせるなど! ……いえ、命令とあらば、即座に」

「ああ。時間はそう多くない。早くやってくれ」

 

 次に、カワウソは簡単な拠点の現状報告を聴き取りつつ、ガブとウォフに南方にいったナタを帰還させること──それに伴い、彼が接触した南方の臣民たちの記憶をなくすよう、流れる水のごとく命じた。

 カワウソ達は、アインズ・ウール・ゴウンの敵対者だ。

 そんな連中と知らずに関係を持った──持ってしまった臣民たちに、魔導国側が何をしでかすか、判らない。

 それこそ、ナタという“敵NPC”を一時的ながら寝泊まりさせただけで罪に問われたり、最悪だと処刑・殺害されたりする可能性も、ありえる。だから、ナタと接触を持った妖巨人(トロール)のゴウや、士族の末裔とかいうスサなどの記憶を、「なかった」ことにしてしまう他ないという理屈だ。

 記憶操作を施すことについて、頭脳明晰なミカなどは「ギルド:天使の澱の情報漏洩に繋がりかねない存在に対する処置として妥当だ」と判を押してくれた。何も知らない・記憶していないものを問い質し、尋問や拷問を強行しても、答えなど出るわけがないから。飛竜騎兵のヴェル・セークたちに行ったのも、その一環。

 いやになるほど冷徹で完璧な作戦だなと思う。

 記憶を消される方にとっては、あまりにも理不尽な気がしてならないが、もはやしようがない。

 

「それで、ナタの回収はガブとウォフがやるとして──死の支配者(オーバーロード)四体とやりあっている、イズラの方は?」

 

 ミカの問いかけに、一人のNPCが歩み出た。

 

「────私が。マスター」

 

 美しい笛の音を思わせる、神聖かつ高貴な声。

 死の天使の『双子の妹』と設定されている純白の衣──天使の翼を思わせる清布で頭や顔から全身を覆い尽くすような聖天使(セイント・エンジェル)・イスラが、主武装の楽器である巨大な喇叭(ラッパ)・復活と審判の神音を吹き鳴らす角笛を腰に担いで具申する。

 彼女は寡黙だが、割と喋ることに不自由する感じではない。顔の口元まで神聖な白布で厳重に覆われているのに、その声音は布越しとは思えぬほど透き通って聴こえ、まるで天からの福音のごとく清らかな調べを誇示していた。イスラはその攻撃方法が“大音量”を吹き鳴らすという感じになるので、『喉を大切にする』=『あまり喋りたがらない』という設定をカワウソは与えていた──為に、こういう口調になった。

 優しい聖天使の乙女は、兄の救援に馳せ参じる許可を求める。

 だが、カワウソは承諾しない。

 

「駄目だ。おまえは残れ、イスラ」

「────私では、力不足でしょうか?」

 

 カワウソは「そんなことはない」と首を横に振る。

 彼女の攻撃能力は、むしろ申し分ないほどだ。

 兄であるイズラと共に、彼の補助を受けつつ、第二階層“回廊(クロイスラー)”の最奥に位置する“天空”のフィールドで、侵入者の迎撃相手を真正面から務める存在だ。はっきりに言えば、彼女の影に隠れて戦う兄・イズラよりも優秀な戦闘力を発揮できる。

 問題は力ではなく、彼女に与えた役割にあった。

 イスラは戦闘能力も申し分ないが。それと同時にギルド内で屈指の『回復役』……与えられた職業(クラス)治療師(ヒーラー)としても有能であり、また“生命創造”のスキルによって、ある程度の食材となるモンスターを生み出し、またそれらを加工調理する料理人(コック)としての職業レベルも与えられている。そのため、拠点内で飲食が必要不可欠な堕天使モンスター──カワウソや第四階層の屋敷に詰める十人のメイドのうち、半数の堕天使NPCたちの食事維持に欠かせない存在であるのだ。料理自体はカワウソも職業レベルで一応可能だが、食材を“無償で”“生み出す”には、イスラの存在は不可欠。ダグザの大釜などの金貨消費によって食材を生産するアイテムは、今の状況だと使わない方がいいと判断できる。彼女を失えば、食費としてユグドラシル金貨をこの異世界で消費することになりかねない。

 それほどの存在を外に出して、場合によっては失うリスクを考えると、カワウソは首を縦には振れなかった。

 表情は見えずとも、イスラは首の仕草だけで落胆の色を強くする。

 そんな少女に、カワウソは「心配ない」と、微笑んでやった。

 

 

「イズラの回収は、俺が行く」

 

 

 その場にいるNPCたち全員が、「……は?」という風に口を開けた気配がする。

 

「相手がアンデッドなら、俺がいくのが手っ取り早い(・・・・・・・・・・・・)

「ちょ、おおお、お待ちください、カワウソ様!」

 

 隊長補佐の役目を与えた智天使(ケルビム)の聖女が、魔力譲渡中のラファと手を繋いだまま慌てふためく。

 

「い、いくら何でも危険ですってば!」

「ガブの言う通りです! 何故、御身が!」

「ここはー、他の者を選抜すべきではないかとー?」

 

 泡を食ったように同時に抗論するガブとラファ。

 さらに、防衛隊副長の任に就く巨兵も疑義を呈した。

 しかし、カワウソは確信を込めながら説明する。

 

「おまえらの中で、上位アンデッド四体と戦って、何とか出来る自信があるものは?」

 

 何人かが、補助タイプのマアトとアプサラスを除く全員が、手を挙げた。

 

「それは絶対か? 絶対に自信があるという奴は?」

 

 絶対という単語を強調すると、自信に満ちた腕の伸ばし方にバラつきが生じる。相手の戦力や装備の有無が不鮮明な以上、明確に対抗できるのは、ミカとクピドの二人だけだろう。カワウソの主観通り、熾天使(ミカ)愛の天使(クピド)だけが、当然という風に片手を顔の位置に持ってきている。

 

 アンデッドと天使は相反する属性……そういう種族設定であることが多数派を占めるもの。それ故に、天使はアンデッドに対して有効な神聖属性を有するが、逆にアンデッド側から繰り出される攻撃には弱い部分が多く存在する。正の属性と負の属性は相克し合う──天敵同士だからこそ、その相性属性というのは一方的なものではなく、双方向に相互作用してしまう。たとえば、水属性は炎属性に特効を示すが、逆に炎属性が水属性への特効にはなりえない──だが、“正”と“負”は確実に、互いが互いを摩耗させ減耗させ損耗させる特効手段となりえる。こちらが有効的な能力を示せる場合、向こう側──上位アンデッド部隊もまた、天使の澱のNPCへの特効手段を行使すると、確定的に考慮しておかねばならない。

 そういうシステムが存在したのだ。ユグドラシルでは。

 彼等NPCにも、それぐらいの知識は備わっているのだなと得心しつつ、カワウソは自分が救援に赴く最大の理由を述べる。

 

「だが、俺の種族である堕天使は、天使の中で例外的に“負の属性”やカルマ値による特効がほとんど効かない」

 

 堕天使の基本スキルとされる“清濁併吞(せいだくへいどん)Ⅴ”の恩恵によって、カワウソは例外的に、アンデッドなどの負属性への特効手段を保持しつつも、向こうからの特効攻撃は受け付けない特質を獲得している。カワウソの職業レベルは信仰系……神聖属性を巧みに操る聖騎士の系統が多い。相克関係になるはずのアンデッドに対し、カワウソは確実に圧倒的有利──俗にいう「マウントを取れる」属性相性を発揮できるわけだ。その分、Lv.100の異形種にしては各種ステータスが貧弱となり、脆弱な攻撃力や薄っぺらい防御力は、ユグドラシルのゲーム内ではあまりにも致命的な弱点となる。

 

 これは偶然ではない。

 カワウソ自身がそのようになるように設計(ビルド)した、必然であった。

 装備している六つの神器級(ゴッズ)アイテムのうちひとつが、アンデッドへの相性効果をさらに強化してくれる。

 

「心配するな。一応、防御と回復役として、ミカにも同伴してもらう」

 

 ミカが「またですか」と言いたげな無表情で、面倒くさげに一度だけ、頷きを返した。

 

「悪い」

 

 そう笑ってやると、ミカは憮然(ぶぜん)と顔を背けた。

「別に……」という風に呟く女天使は、上位アンデッドとの戦闘相性はバッチリと言える。

 死の支配者(オーバーロード)の誇る“絶望のオーラⅤ”を中和可能な“希望のオーラⅤ”の持ち主たる熾天使(セラフィム)ならば、相対するのは造作もない。

 

「ですが、相手が死の支配者(オーバーロード)である以上、私の“希望のオーラ”による回復は」

「ああ。不可能だな」

 

 それはしようがない。こちらが“絶望のオーラ”を中和できる以上、むこうのオーラもミカの能力を中和できてしまう。否、“それ以上”の力を発揮できるミカの性能であれば、ただの死の支配者(オーバーロード)相手は完封できようが、さすがに数が多いとどうなるか分かったものじゃない。そのため、ミカの行使可能な回復手段は“正の接触(ポジティブ・タッチ)”と、純粋な回復魔法のみ。あとは、カワウソが貯蔵している治癒薬(ポーション)ばかりとなる。

 

「ウォフは、南方で戦闘中のナタを回収。ガブはナタが(かかわ)りを持ったという現地の人々“八雲一派”の人たちの記憶を消しておけ」

 

 現地の人間──臣民には迷惑をかけないという初志を貫徹するために。

 承知する二人をそれぞれ転移させるカワウソは、残ったNPCたち七名──ラファ、ウリ、イスラ、タイシャ、マアト、アプサラス、クピドに拠点防衛と周辺警戒を任せた。

 ミカと戦闘方針などを軽く協議し確定しつつ、画面をあらためて見る。

 イズラに与えていた神聖属性の弓矢が尽き、下位アンデッドの雑兵が濁流のごとく押し寄せる。飛翔し、鋼線を手繰る天使は、刃を隠していたブーツごと両脚を投槍や弓射で砕かれ、天井から爆撃の業火と氷嵐の旋風が叩き込まれた。防御に使った翼が片腕諸共にもげ落ちる。

 もはや一刻の猶予もない。

 ミカに最低限の命令・役割を与え、カワウソは聖剣を構える。

 

「いってくる」

 

 天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)を一振りして、新たな転移の門を開く。

 ミカを自分の〈完全不可知化〉のマント……“竜殺しの隠れ蓑(タルンカッペ)の効果範囲内に包み込みながら、熾天使の手を取った。こうすることで、ミカとカワウソの速度を一致させることが可能なのだ。

 しかし、そのために、ミカにある事実を伝えてしまう羽目に。

 

「……大丈夫ですか?」

 

 気づかれた。

 ミカが触れる堕天使の手は、かすかに震えていた。

 今からカワウソは、アインズ・ウール・ゴウンの部隊と、真正面から事を起こす。

 今なら引き返せるのではないかという甘い後悔が、蜜のように思考を(ただ)れさせる。

 ──否。

 断じて否だ。

 自分たちが進む道は、これ一本だけ。

 カワウソが自分で生み出したNPCたちの交戦選択に報いる……というのとは、違う。

 イズラたちが「交戦している」と聞いた時、カワウソはまったく嘘偽りなく思った。

 

『よかった』と。

 

『彼等は、アインズ・ウール・ゴウンと戦えるのだ』という確信を得られた。

 あの「アインズ・ウール・ゴウン」と、彼等(NPC)は戦うことを選択できるのだ。

 

 ユグドラシルで──あの1500人の討伐隊が壊滅して以降、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに刃向かうという勢力は激減した。考えてみれば当たり前のことだ。「1500人」というゲーム史上においても破格の動員数を誇っていた討伐隊が、ただの一拠点・構成人数41人のギルドに大敗を喫したのだ。

 そんな場所に戦いに赴くなど、「ただの時間と体力の無駄」と見做して当然の流れ。

 運営への問い合わせメールがパンクするほど殺到したほどの大逆転劇であったのだ。

 ありえないと、あっていいことではないと、……だが、アインズ・ウール・ゴウンは「潔白」……あの第八階層にいた“あれら”と“少女”は、すべて運営の定めたルールを順守していた、と。

 それほどの相手に対して、カワウソのようなゲームプレイ“復讐”を続けるユーザーは、皆無と言ってよい。中には、あの第八階層のあれらが見せた「変貌」に純粋な恐怖を覚えるプレイヤーまでいた始末だ。「あんなところには、もう二度と関わりたくない」と。

 ナザリック地下大墳墓は難攻不落。そんなところに戦いに挑むよりは、他のレイドボスなどを打ち破って、順当に素材集めに専念した方がマシだと思われるのは、当然の選択でしかない。

 

 だからこそ、イズラたちが「交戦した」ことが、カワウソは愉快でたまらなかった。

 

 カワウソは、ずっと挑んできた。戦ってきた。たった、ひとりで。

 

 けれど、今は、彼等がいる。

 共に挑み戦ってくれるモノがいると思えただけで、カワウソは意外なことに、とても満ち足りた思いを懐かされた。

 十分だった。

 それだけで、もう十分なのだ。

 そんなNPCたちの代表……嫌々ながらという表情を浮かべつつも付き合ってくれる防衛部隊の隊長に、彼女の手から届く「癒し」の温度と、あまりにも対照的に過ぎる冷然とした女天使の表情に、堕天使は微笑んでみせる。

 

「武者震いだよ」

 

 そう自嘲するカワウソは、震えたままだ。完全不可知化の(とばり)の中で、ミカという部下に不安を懐かせる失態を、笑ってごまかす。

 一歩を前に。

 白い門の奥へ突き進む。

 そうして一挙に生産都市(アベリオン)の地下第五階層に転移したカワウソは、転移阻害の気配がないことを入念に確認しつつ、”死の支配者(オーバーロード)たちを目の前にして、イズラが最後の悪あがき……“決死”の特殊技術(スキル)を発動しようとしていたのを、確認。

 

「おいおい……」

 

 彼を守るべく、〈完全不可知化〉を解除。隠れ蓑の捕捉可能人数は、自己を含む二人まで。

 勝手に死のうとしているNPC、イズラの眼前に向け、跳躍。

 

「おまえが死ぬのはまだ早いぞ。イズラ」

 

 言った瞬間。

 カワウソの右腕として堕天使の傍にぴたりと寄り添う六翼の熾天使(ミカ)が、防御スキルを発動。

 顕現した光の断崖のごとき壁に捕らわれ、閃光の雨が、数十本の剣が、アンデッドの突撃兵が、静止。

 攻撃物と攻撃者はすべて、神聖な光の防御壁に(きよ)められたがごとく、消失していく。

 誰何(すいか)の声を奏でる死の支配者(オーバーロード)の賢者に対し、カワウソは震えそうな声を引き絞るようにしながら、堂々と、告げる。

 

 イズラの主人──ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長だと。

 

「アインズ・ウール・ゴウンの──」

 

 敵だ、と。

 

 カワウソは、我知らず笑っていた。

 本当に、笑えてきてしようがない。

 自分でも、何を馬鹿なことを(のたま)っているのだろうとひっきりなしに自嘲してしまう。

 アインズ・ウール・ゴウンの敵などと──大言壮語──軽挙妄動に過ぎるだろう。

 だが、それは真実だった。

 それこそが、事実だった。

 限りなく本当の意志が、思いが、カワウソの脳内から言葉を紡ぎ出した。

 堕天使の表情は微笑みのまま、敵対者の名を戴く王(アインズ・ウール・ゴウン)の部隊に、相対する。

 

「…………」

 

 ふと。

 イズラの眼前、カワウソの足元に転がり散るアイテムの残骸を、見る。

 身を屈め、燃え落ちたアイテムの残り滓──イズラの主武装(メインウェポン)として設定していたノートの燃えカスを、黒く炭化した紙片を、つまむ。

 はらはら、と。触れる端から崩れ朽ちるアイテムは、拠点の工房で素材と金貨を消費することで修理修復は容易……だが。

 

「まったく。

 よくも、やってくれたな?」

 

 カワウソは笑い続けながら、武器破壊の下手人たちを見据える。

 イズラに与えていた“死の筆記帳”は、彼と似たプレイスタイルの旧ギルドのメンバー「忍者」の(にのまえ)さんが補助武装として死蔵していたものを、ゲームに残るカワウソに遺していったアイテムのひとつ。

 言うなれば、仲間の形見同然と見做してよい。

 

「マ、ス、……ター」

 

 主人からそれほどの品を託されていたNPC……死の天使は、常に浮かべているはずの微笑が消え失せていた。

 まるで、幼い子供が親に叱責されるのを承知しているような瞳で、一言。

 

「……申、し、訳、あっ、り、ま、せん」

 

 謝辞を切れ切れに述べるイズラは、防御を解除したミカに示し合わせていた通り、“正の接触(ポジティブ・タッチ)”を受けて回復しつつある状況だ。しかし、罅割れた顔面や脱落した四肢は再構成しきれていない。カワウソの装備する九つの指輪のひとつを使っての〈体力の精髄(ライフ・エッセンス)〉で見れば、体力の消耗激しいことは明白だ。未だ体力(HP)ゲージは危険域(レッド)の色──そんな状況で懸命に声を発する口元の罅が増えそうなほど、彼の表情は痛々しい。

 

「おまえに言ったわけじゃない」

 

 だから気にするなと、カワウソは部下の失態を笑って許す。

 

「立ち上がれるくらいには回復しとけ。Lv.100NPCが一人死ぬだけで、ウチはかなりの出費だからな?」

 

 体力が減耗した状況では、イズラの暗殺者などの戦闘能力はアテにできない。今の彼は戦力と数えることは出来ないとみて、ほぼ間違いない損壊ぶりであった。

 ミカの“正の接触(ポジティブタッチ)”は、瞬時に死に体を回復できるものではない。“希望のオーラ”と併用でもしないと不可能な芸当だが、さすがに“絶望のオーラ”を有する死の支配者(オーバーロード)四体がいる空間では、そこまでの回復速度は見込めない道理。

 身を伏し、額を地に擦り付けて謝罪を繰り返そうとする死の天使だが、さすがに手足もない状態に加え、武器が突き刺さる身体では、腰を曲げることすら難しい。彼は瞼を伏せて、主人からの慈悲に対し、もう一言だけ、詫びる。

 カワウソは応じずに、イズラを護り癒す熾天使に、応答を乞う。

 

「ミカ。予定通り」

 

 委細了解した女熾天使が、イズラに触れているのとは逆の手で、魔法をひとつ発動。

 

「〈嵐の大釘(ストームボルツ)〉」

 

 ミカの掌より発動した、天雷の旋風。

 その瞬間、動力室の金属床や壁を這いまわる電撃が、室内各所のレンズを同時に爆散させる。同時にアンデッドの雑魚戦士が数体、崩れ落ちた。

 第八位階魔法〈嵐の大釘(ストームボルツ)〉──効果範囲は拡散式で、特に電気属性の輝く“大釘”によって、機械生命やそれに類する人造物(コンストラクト)の破壊や鎮圧に打ってこい。これで、この動力室内に存在する防犯監視用という機械──ミニゴーレムたち三十一基を、一掃。

 

「御命令通り、ゴーレムは掃除いたしました」

 

 よし。

 射程内のゴーレム、人造物の数はかなりの量だった。余波を受けた下位アンデッドが数体巻き添えを食ったようだが、さすがにアンデッド兵団などの勢力を掃滅するほどの数は捕捉できない。これは当然のものと判断してよい。役目を果たしたミカは、両手を同胞の肩に当て、さらに治癒系統の魔法も注ぎ込む。死の支配者(オーバーロード)たちの施した大量の状態異常、凍結や四肢欠損、〈大呪詛(グレーター・カース)〉に阻まれながらも、イズラの体力を回復傾向にもっていく。

 カワウソはとりあえず、魔導国の防犯システムとやら──監視の目を潰した。他の情報系魔法に対する対策も、カワウソは準備済み。

 それなりに貴重な、使い捨て課金アイテムを起動。

 さすがにナザリックからの増援部隊を、ナザリック地下大墳墓の連中が監視し、督戦(とくせん)しているはず。情報対策を厚くしたことで、こちらも味方の情報系魔法の影響を受け付けられなくなる──マアトの遠隔視(リモートビューイング)から外れることになるが、まぁ、しかたない。

 

『──堕天使よ』

 

 カワウソは振り返る。

 暗く黒い重低音が、瘴気のように空間を歪ませている。

 溢れ出る真っ黒のオーラは、四つ。低レベル──対策を施していない存在を、恐怖・恐慌・混乱・狂気、そして即死させ得る“絶望”の権化が、身に纏う漆黒の奥で尚煌く熾火の瞳を計八つ、輝かせている。

 

『貴様、自分が今、何を言ったのか──理解しているのか?』

 

 天使たちの声の遣り取りを中断させるように、死の支配者(オーバーロード)が疑念の声を、断罪にも似た審問を飛ばす。

 

『貴様は言ったな。……アインズ・ウール・ゴウンの、御方の、──“敵”だと?』

 

 敵対者という単語の再認を求められる。

 対するカワウソは気安く肩をすくめ、ナザリックの上位アンデッド部隊に対し、軽く頷く。

 

「──それがどうした?」

『愚かな奴儕(やつばら)め。貴様は今、この大陸全土を、世界の全てを、“敵”に回すと──そう宣言したのだぞ?』

「──だからどうした?」

『愚劣愚鈍極まったか。言ってわからぬ無知蒙昧であれば、力づくで解らせてやるしかないな』

 

 賢者(ワイズマン)将軍(ジェネラル)が、黒い魔杖と黒い刀剣を構える。

 無印の死の支配者(オーバーロード)もまた魔法を両手に錬成しつつ、召喚作成したアンデッドの兵士や魔法使い──騎士団が、バリケードのごとく生み出されて防御を厚く整える。

 それら三体の上位アンデッドと(くつわ)を並べる王者が、懐中時計の黒鎖を優雅に鳴らした。

 

『御方の“敵”を名乗る無礼者共──我が「時間魔法」の内に捕らわれ、死するがよい!』

 

 最後尾に位置する時間王(クロノスマスター)が、己の掌中に握る懐中時計を悠々と掲げ、ひとつの魔法を唱える。

 

『〈時間停止(タイムストップ)〉!』

 

 あまねく時の流れを支配し、「死へと至る時」すら操る時間王の魔法が発動した。

 

 

 

 瞬間、

 

 

 

『な、ガあああああアアアッ?!』

 

 時間王の骨の体を、

 ただの死の支配者(オーバーロード)よりはマシな装飾のローブ諸共に、

 堕天使の握る白い聖剣“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”が、

 袈裟切(けさぎ)りに引き裂いていた。

 

『『『 時間王(クロノスマスター)っ!? 』』』

 

 一斉に、時間王の方向を振り返る死の支配者(オーバーロード)たち。

 疑念と困惑は、当然。

 カワウソは、まるで空間を跳躍したがごとく、上位アンデッドたちが生み出したアンデッド軍の囲いを無視して、最後方にいたはずの時間王への直接攻撃──神聖武器の斬撃をお見舞いしたというのだ。

 ありえないと思われた。

 中位アンデッドたちの性能よりも格上だとしても、そも物理的な距離がありすぎる。

 転移魔法の気配や発動の瞬間を、最上位アンデッド──死の支配者(オーバーロード)である彼等全員が見逃すわけもない。特に賢者(ワイズマン)は魔法の知識として、堕天使が転移の類を使った可能性を否定できた。否定しなければならない。

転移門(ゲート)〉の発動痕跡は一切なく、〈上位転移〉にしても魔法に長けた賢者が発動を感知できないのは、どう考えても納得がいかないのだ。

 膝を地に落とす時間王への追撃を浴びせようと、堕天使は白く輝く剣を下段に構え直す。

 

『させるか!』

 

 電光石火の判断を下す死の支配者(オーバーロード)の将軍。

 将の下知を受けた蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が、空間を疾走。非実体となって物理的な障壁を突破する上位アンデッドの突貫に、カワウソは手慣れた動作で回避運動をとる──だけでは終わらない。

 

光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅲ」

 

 すべて予期できていたような流れに乗って、下段から繰り出される聖剣が、一閃。

 堕天使の聖騎士は、禍々(まがまが)しい騎士の首を、騎馬である蒼い悍馬(かんば)諸共に()ね落とした。

 神聖属性の武器から繰り出される神聖属性の攻撃スキルが、死霊(レイス)などに代表される非実体系統であるはずのアンデッドの体力を根こそぎ奪い尽くす。剣からこぼれる光の粒子が幾多の針状に……光剣と化して、蒼褪めた乗り手の首から下部分の全身を貫き、蹂躙──連続ダメージを与えたのだ。

 

 直線上の敵すべてを攻撃範囲に捕捉し連続攻撃を施すⅣと、直線よりも広域に拡散して射線上の敵すべてに連続攻撃可能なⅤを使用しないのは、この閉鎖空間内で使用した際に、どれほどの破壊が周囲に及ぶか知れたものではないからだ。それこそ、はじめての異世界での戦闘で、沈黙の森とやらを粉々に吹き飛ばしたように、この生産都市動力室や周辺環境を破砕する可能性を否定できない。都市機能に致命的なダメージを与えるかもしれない上、地上にはすでに都市民たちが普段通りの生活を送っている……カワウソの放つ光輝く刃が、彼等にまで危害を加えるような事態は、絶対に容認できなかった。

 

 そんなカワウソの手心を知らない死の支配者(オーバーロード)部隊。

 己の召喚した上位アンデッドの撃滅に、骸骨には無い舌を打つ将軍は、死の騎兵(デスキャヴァリエ)部隊六体を突撃させる。

 上位の蒼褪めた乗り手を瞬殺した相手に対して、まったく臆すことなく攻め立ててくる騎馬の戦列。

 朽ちた弦楽器を思わせる騎兵の大音声が、あまりにも耳障りな怒濤となって堕天使の身を包む直前。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)聖なる光線(ホーリーレイ)〉」

 

 信仰系魔法の中でも初歩的な、遠距離に対する攻撃魔法。

 その射程・効果範囲は、ゲーム通りだと数十メートルが限界。

 堕天使の聖剣の先から一本伸びる光の線が騎兵たちの一体を一角獣ごと貫き、カワウソが剣を横に数センチずらしただけで、輝く光線が並ぶ死の騎兵(デスキャヴァリエ)を五体、抉り穿つ。

 同胞が光線に焼き貫かれ果てていく様に激高する──わけでもなく、アンデッドの兵団が将の命令に従い、カワウソを冷静に追撃。下級の骸骨戦士……三十体が、弓を放ち槍を(なげう)つ。

 カワウソが腰を沈めたのと同時に、

 

第二天(ラキア)

 

 主人に名を呼ばれた堕天使の足甲が黒く輝き、装備者の速度ステータスを向上。

 優れた敏捷性能と回避能力を発揮した堕天使は、防御など必要とせずに矢雨と槍雨をくぐりぬけていこうとする。

 

 

 

 

 

 

 

 アインズがこの場に派兵した死の支配者(オーバーロード)の数は、四。

 その特殊能力、一日で召喚作成可能なアンデッドモンスターの数は、上位4体──中位12体──下位20体。単純に考えるならば、彼等の兵力は上位16、中位48、下位80体の兵力を築けることに(ただし、死体による媒介のない召喚のため、時間制限有り)。

 Lv.100NPCの死の天使・イズラを迎撃し誅伐するために、特殊技術(スキル)の作成数の半分ほどを費やし消滅されていたが、まだ半分の兵団が、健在。

 さらに、スキルのみならず魔法による召喚〈不死者召喚(サモン・アンデッド)〉もMPが続く限り、可能。

 

 アンデッドの軍団を堕天使に飛び越えられた都合上、死の支配者(オーバーロード)部隊は戦力を双方向に分散せざるを得ない。

 堕天使の方は近い位置取りの将軍(ジェネラル)と、切り裂かれたダメージを回復する時間王(クロノスマスター)が。

 女熾天使の方は、無印と賢者(ワイズマン)が、それぞれ担当することを、わずかな視線の交錯で承諾。

 そんな中。

 将軍(ジェネラル)は冷徹に、神聖属性を繰り操る堕天使の戦法と戦力を分析。

 速度(スピード)・素早さに特化したことによる、一撃離脱戦法(ヒット・アンド・アウェイ)を得意とするものと仮定。信仰系魔法や聖騎士の特殊技術(スキル)などから判断するに、アンデッド部隊への対抗策は万全と評してよい筈。

 アインズ・ウール・ゴウンその人に希少触媒を用いて作成(つく)られた死の支配者(オーバーロード)たちも、(くだん)の堕天使プレイヤー、御方が警戒と期待を寄せるユグドラシルの存在についての情報は、とっくの昔に共有済み。

 堕天使の基本スキル“清濁併吞(せいだくへいどん)”は、正・負属性やカルマ値依拠の攻撃能力は通じず、なれど、堕天使本人はそういった攻撃方法を十全に行使可能とする。……反面、堕天使は天使でありながらも人の肉体を有すが故の大きな弱点を露呈し、各種ステータスの劣悪さと相まって、異形種にしては酷く脆弱(もろ)い存在でしかない。

 それこそ、上位物理無効化ⅢなどのおかげでLv.60以下の攻撃はほぼ無力化できるが、それでも逆に言えば、Lv.60以下が限度値とも言える。

 つまり、堕天使ははるか格下であるはずのLv.60以上……Lv.61からの存在より繰り出される各種攻撃を喰らえば、Lv.40の開きなど関係なしに、ただの人間種Lv.100プレイヤーよりも重篤なダメージを負いやすい。そういう「弱点」の特性──斬撃武器脆弱Ⅳ、刺突武器脆弱Ⅳ、打撃武器脆弱Ⅲ、魔法攻撃脆弱Ⅳ、特殊攻撃脆弱Ⅲ、状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴなど──を有するのだ。これだけの脆弱性を、装備やアイテムで克服するのは難しい以上に、不可能というのが堕天使というモンスターの宿命とされる。

 死の支配者(オーバーロード)たちが召喚し強化を施した雑兵では歯が立たずとも、残存する上位アンデッド+死の支配者(オーバーロード)四体からなる単純な数の差による蹂躙は、十分可能と判断できる。

 

()け!』

 

 矢と槍の雨を回避し、堕天使が誘い込まれた先は、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)三体が実体化し、その穂先を三つ交差させられる位置取り。後詰には死者の大魔法使い(エルダーリッチ)九体が魔法の発動準備を終えている。

 いかに奴がユグドラシルの、Lv.100の存在とはいえ、この攻撃の軌跡すべてから逃れることは難しいはず。

 堕天使は脆いだけではない。天使のくせに〈飛行〉ができず、また飛行に似た状態の〈空中歩行〉を扱えば、速度は減退を余儀なくされる。ただの現地人では対応不可な速度でも、死の支配者(オーバーロード)の支配下にある上位アンデッドの騎乗兵、その交差槍撃から逃れることはできない──はずだった。

 堕天使(カワウソ)が信仰系魔法をひとつ、唱える。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)復讐の風(ウィンズ・オブ・ヴェンジャンス)〉」

 

 途端、吹き荒れる風が旋風となって、堕天使の周辺空間に滞空。

 吹き(すさ)ぶ旋風に触れた瞬間、乗り手たちの穂先三つは火花を散らして弾け飛び、あらぬ方向へと逸れてしまう。あまりの事態に、魔法使いたちが吹っ飛ばされる乗り手たちとの同士討ちを避けて、追撃を諦めるしかなかった。

 

『防御の壁か?!』

 

 否。

 防御だけではない。

 将軍(ジェネラル)が瞠目する刹那、堕天使を中心とする魔法効果圏内に捉われた乗り手三人が、その身に降り注がれる竜巻の突風に打ちのめされる。飛行する騎兵たちは不可視の怒濤に殴りつけられたように吹き飛び、手痛いカウンターダメージを喰らってしまった。

 

 第十位階魔法〈復讐の風(ウィンズ・オブ・ヴェンジャンス)〉は、術者の周囲に魔法の風を発生させ、その風に乗っての〈飛行〉状態と、呼吸不可能空間(水中・高空・宇宙など)での呼吸を「可」とする“空気の結界”を発生させる。ガスなどの呼吸が必要な存在にとって致命的な攻撃方法も、この信仰系風属性魔法は完全に無力化してしまう。当然ながら、この空気の層を通過する攻撃は悉く逸らされ、巨人の拳や攻城用弩(バリスタ)すらも通らない。いかに上位アンデッドたる蒼褪めた騎兵(ペイルライダー)とはいえ、大質量を弾く三重の暴風を──神の息吹(いぶき)である魔法を突破することは不可能。

 さらに、この魔法の最大の特徴として、術者に近接攻撃を加えてきた者への自動迎撃とも呼べる風の殴打を叩き込み、反撃された側は転倒・吹き飛び・一定時間の行動不能……釘付け状態を被る「復讐攻撃」を追加で与えることが可能だ。相手は非実体形態をとれる存在とはいえ、攻撃の際には実体を有しているもの。そこへ反撃の風魔法が叩き込まれれば、どうあっても効果的に受け止める他ないのだ。

 ──ただし、この魔法は長時間展開し続けることは難しく、カワウソの少ない魔力量で乱用はできない。おまけに、堕天使の魔法攻撃力は、他ステータス同様に微妙なもの。純粋な魔法詠唱者でもないカワウソの魔法攻撃で殺し尽せるのは、せいぜい中位アンデッド類などの雑魚が限界と言える。

 その証拠に、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)三騎は、健在。

 追撃をするために態勢の立て直しをすべく、将軍の傍近くへと後退していったのを、カワウソは黙して見送る他ない。

 未知の堕天使に厄介さを若干ながら感じ、慎重に警戒を深める将軍の横へ、聖剣で引き裂かれた鎖骨を押さえつけていた時間王が並び立つ。

 

『おのれ、堕天使、風情がッ!』

 

 怒り心頭という時間王に対し、将軍は冷徹な差配を求める。

 

『待て、時間王(クロノスマスター)。ここは、冷静に応戦し』

『ならん! 我等は、アインズ・ウール・ゴウン御方に創られた存在! そんな存在が、あの程度のモノに膝を屈したままでいるなど!』

 

 このままで済ませられるものか!

 将軍がさらに止める間もなく、時間王は強硬策に打って出る。

 

『〈魔法二重最強化(ツインマキシマイズマジック)時間停止(タイムストップ)〉!』

 

 ただの時間停止ではなく、二重の強化を施したことで、確実に堕天使の時を停滞させるはずの魔法は──

 

『ガ、ゲェあああッ?!』

 

 今度は聖剣の“同時二連撃”が、時間王の胸骨と肋骨を破砕してしまった。

 またもや堕天使の超速攻が、わけもわからず絶叫する時間王の体力を奪略。

 将軍も、傍にいた全アンデッドたちが逆襲に気づけない超速攻。

 あの堕天使が、あらゆる事象や障害を突破して、時間王に施されたアンデッド兵団の全周防壁をくぐりぬけて、時間王ただ一人への攻撃を披露した。

 あまりにも無知な死の支配者(オーバーロード)部隊の様子に、慌てて時間王との間に入る兵団から飛び退(すさ)る堕天使は、呆れたように言葉を零す。

 

「時間対策は必須──そんなことも、おまえたちの主人は教えていないのか?」

 

 否。それとも。

 

「──そういう知識のない存在が魔導王なのか?」

 

 と、確認を乞うカワウソ。

 しかし、その物言いは彼等作られたモンスターには禁忌的な調べにしか聞こえない。

 

『無礼者ガッ!!』

 

 訊問(じんもん)された時間王は怒声を張り上げ、〈不死者召喚〉で呼び出した周囲の兵団に命じて、堕天使に槍衾(やりぶすま)を突き出させ特攻させる。

 しかし、カワウソは難なく、その鎗撃の横雨から逃れ得た。

 

『御方を愚弄するものを生かしてはおかんぞ!?』

 

「心外だ」と、カワウソは短く呟く。

 そんなつもりは無論、ありえなかった。

 だが、カワウソはずっと疑問を懐いていた。

 ギルドの名を名乗る魔導王とやらは、自分が知るギルド長と同じ──ユグドラシルプレイヤーなのか……それとも“否か”。

 魔導王がプレイヤーでないとしたなら、単純に「知識がない」というのは頷けた。

 だが、魔導王がプレイヤーであれば──あのギルドの長である彼であれば、と……そういう疑念だ。

 

『許さぬ、許さぬ、……許さぬぞ、堕天使ッ!!』

 

 アンデッドの割に怒りという“感情”の起伏に燃え上がる時間王の様は、実にボスキャラめいた印象を受ける。アンデッドの種族設定は──さて、どうだったろうか。こんなにも情感豊かなアンデッドもいただろうか。もしくはこの世界固有の現象か、あるいは魔導王とやらが生み出すアンデッドだからこその特徴──特別なのか、カワウソには判断がつかない。

 まぁ、いい。

 期せずして、自分の時間対策特殊技術(スキル)の発動も確認できた。

 遮二無二なって魔力を錬成する時間王に、カワウソは軽い同情の念すら懐きながら、次に備える。

 

『〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)時間停止(タイムストップ)〉!』

 

 三度(みたび)の時間停止。時間王が錬成可能な最大呪文が繰り出されたのと同時に、

 

『な、がぁ、げぇアアアッ?!』

 

 先ほどまでの反撃(カウンター)と同様、“三連撃”からなる聖剣のメッタ斬りを受けて、時間王は致命箇所の頭部──頭蓋にまで重篤なダメージを負った。

 振り下ろされた神聖武器の軌跡は、時間王の左側頭部から左眼窩を砕き潰し、ついで右肩甲骨と左大腿骨あたりを、浄化。人が傷を負い血を流す代わりに、肉のない骸骨(スケルトン)系アンデッドは骨が砕け不浄なエネルギーが零れ落ちていく。

 カワウソは慣れたように事実を受け入れる。

 ユグドラシルと同じ戦闘システムが生きているという、新たな立証を得ながら。

 

『ナ──何故ダ!?』

 

 対して、堕天使に引き裂かれた方は、事実を受け入れがたい。

 愕然と傷口──特に致命的な(クリティカル)ダメージを被った左眼窩を骨の掌で塞ぎ覆う時間王は、非業の絶叫を奏で、堕天使を──はるかに格下であるはずの存在に、魔法を飛ばそうと足掻く。

 

『ワレ──我、は──死の支配者(オーバーロード・)の時間王(クロノスマスター)ッ! 御方に生み出されし、我が、──このような失態を演じるなど!!』

 

 認めない。

 認められない。

 その意気のまま不浄な魔力を片手に集約する時間王。

 純粋な無属性魔法攻撃〈無闇(トゥルー・ダーク)〉を、カワウソは慎重に回避する。

 さすがに時間魔法系統が無意味だと悟ったようだ。

 が、神器級(ゴッズ)の足甲のおかげで、速度に特化された堕天使のステータスは、手負いの魔法詠唱者(マジックキャスター)が無策に放つ攻撃で捉えられる次元には存在しない。

 確実なトドメを。

 そのために、カワウソは己が身に着ける六つの神器級(ゴッズ)アイテムの内、最後のひとつを呼んで発動する。

 

 

「──第五天(マティ)」と。

 

 

 装備者の意志を受けたそれは、魔眼のごとき宝玉を宿す首飾り(ネックレス)

 漆黒の掌を意匠された神器級(ゴッズ)の鎧“欲望(ディザイア)”の内側で、それは黒く鮮やかに輝き始める。

 ──堕天使の漆黒の足甲“第二天(ラキア)”と共に。

『させるか!』と()えて、己の麾下(きか)アンデッドたちに時間王(クロノスマスター)を庇護する防御陣形を張らせた将軍(ジェネラル)であったが、それらの盾すらもカワウソの装備は呑みこみ、……一掃。

 

 神聖な白と堕天の黒。

 二つの力が融け合う奔流が、雑魚アンデッドのすべてを(ちり)に帰す。

 直後。

 深紅の外衣を(ひるがえ)し、黒い鎧と足甲を身に(まと)う堕天使の超速が、光のごとく空間を駆け抜け──

 

 

 

『ぁあああああああああああアアア!!??』

 

 

 

 断末魔が弾け、時間王(クロノスマスター)が死んだ。

 神聖属性の剣尖に眉間を貫かれて──

 アインズに作られた上位アンデッドの一体が浄化され、確実に果てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




明日更新

ミカの〈嵐の大釘(ストームボルツ)〉、カワウソの〈復讐の風(ウィンズ・オブ・ヴェンジャンス)〉は、“D&D”が元ネタです。


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敵対 -4

 屈辱の証である『敗者の烙印』を押されながら、
 あえてゲームを続けたプレイヤーがいたとして、
 そのプレイヤーが、敗者の烙印が無ければなれないクラスを有していたとしたら?
 それはいったい、どんなクラスなのでしょうか?


/OVERLORD & Fallen Angel …vol.04

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン……魔導王に作成(つく)られたという上位アンデッド……死の支配者(オーバーロード・)の時間王(クロノスマスター)は、その死骸を晒した。

 この現象は、他のアンデッド──彼等死の支配者(オーバーロード)たちが召喚したものとは、明確な違いを露呈している。

 

「アンデッドの死体が、残る……か」

 

 カワウソは思い返す。

 沈黙の森でヴェルの救出の際に殺してしまった死の騎士(デスナイト)──捕縛部隊に編成された都市駐屯用のものと、まったく同じ現象。あの時は、直後にとんでもない事実を聴かされ、感情のまま粉々に吹き飛ばしてしまったが、召喚作成されたはずのアンデッドモンスターなのに、死体が消滅しないことは共通している。

 だが、奇妙な事実に気づく。気づかされる。

 アインズ・ウール・ゴウンに作成され召喚されたという死の支配者(オーバーロード)たち……彼等が魔法やスキルで召喚し作成したアンデッドたち──骸骨戦士(スケルトンウォリヤー)死の騎兵(デスナイト)死の騎兵(デスキャヴァリエ)蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)地下聖堂の王(クリプトロード)など──は、死体がまったく残っていない。イズラの救援前に、彼が屠った連中の(むくろ)死屍累々(ししるいるい)と転がっていると言ったことはない。カワウソが特殊技術(スキル)で斬砕した時の破片すら、ひとつ残らず消え失せている。アンデッドが現実化したから死体が残っていると仮定するならば、彼等死の支配者(オーバーロード)部隊──アインズ・ウール・ゴウンの手で生み出されたらしい存在たる彼等の生み出した兵団が死体を晒さないというのは、奇妙を通り越して矛盾めいたものを感じてしまう。

 ユグドラシルのゲームだと、召喚や作成されたモンスターというのは一定の時間制限があったものだし、逆襲を受けてやられたら死体は残らない=消滅を余儀なくされる。──それこそ、〈火球〉や〈雷撃〉の魔法攻撃のように、効果が続かなければ消え失せるのと同じように、その場にとどまることのない、いわゆる“攻撃手段”に分類されるものだった。

 ──だとすると。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王が『新たに生み出した』彼等……死の支配者(オーバーロード)は、違うと? 都市などに駐在する『御方たちが作り出した』とかいう中位や下位のアンデッドも?

 経験値を消費して生み出される系統だろうか……それとも、ミカの言う通り……この異世界独自の法則が存在して、召喚作成されるアンデッドたちに永続性が付属しているのか。もし、そうなら、それはどのような法則が働いている。天使の澱(エンジェル・グラウンズ)で、たとえば天使モンスターでも再現可能な技法なのだろうか、否か。

 どうにかして調べたい。

 調べなくてはならないだろう。

 ここに死骸を晒した上位アンデッド──その死骸を回収してでも。

 でないと、こっちは何も手掛かりなしで、未知の多い連中の兵力とぶつからなければならないのだから。

 

『き……貴様らァ!』

 

 厳正に彼我の実力差からくる情報量の不足を憂慮するカワウソの耳に、憤慨に震える音色が届く。

 僚友(りょうゆう)であった時間王を防御陣の下位アンデッドごと殲滅された将軍が怒声を張り上げる。

 

『もはや一人もここから逃げられると思うな!』

 

 堕天使が深く思考する数秒の間に、憤怒に戦慄(わなな)く将軍が、死の騎士(デスナイト)の隊列と剣の向く先を揃える。

 だが、そんな光景を前にしても、カワウソは空恐ろしいほどに平静であった。

 

「逃げる? 何を勘違いしている?」

 

 聖剣をコンと肩に当てる堕天使は、出来の悪い生徒をたしなめる教師のごとき優しさを含めて、述べる。

 

「おまえたちが、俺たちを逃がさないんじゃない。

 俺たちが(・・・・)おまえたちを(・・・・・・)逃がさないんだよ(・・・・・・・・)

 

 あまりにも簡潔な調子で是正を求める堕天使は、挑発的に微笑み続ける。

 そのたびに視線は細く鋭利さを増し、目元の隈はより深く眼窩(がんか)のごとく(くぼ)み、その内側の眼は深淵の漆黒に染まりはてる。

 笑えば笑うほど、微笑めば微笑むほど、本来の堕天使としての表情に──従来の異形種そのものの精神に近づきつつあるような状況を、カワウソは果たして認識できているのかどうか。

 

「せっかく、おあつらえ向きの“戦場”なんだ。この世界で、俺の力がどれだけ使えるのか、実験につきあってもらうぞ」

『──実験だと?』

 

 そう。

 それこそ、今後アインズ・ウール・ゴウンと戦う際に、この異世界での上位アンデッドとの戦闘や、アンデッドの大兵団を相手に、カワウソはどれだけ戦えるのか、確かめておくに越したことはないのだ。

 時間対策については確実に起動すると知れた。では、次の戦闘システムを試す順番である。

 将軍が骨の相貌を苛立ちに歪めた、その時。

 

『ジェ、将軍(ジェネラル)!』

『おお、同胞よ! 一体、何を手間取っ』

 

 ふと、おかしなことに気づいた将軍。

 背後を任せていた──死の天使を守護し回復すべく、後方に待機していた女熾天使の方に攻勢をかけていた無印と賢者(ワイズマン)の方へ、将軍は振り返り、二人の数が減っていることに、気づく。

 共に生み出された同胞の姿は、魔法使いのローブ姿に身を包む無印の死の支配者(オーバーロード)……彼、ひとり、のみ。

 豪奢(ごうしゃ)な──だが、アインズ・ウール・ゴウンという創造主・絶対的な支配者のそれに比べれば格段に劣悪と言える衣装に身を包んでいた賢者の姿は、どこにもない。

 

『おい……賢者(ワイズマン)は、どうした?』

 

 (たず)ねたが、ほぼ直感的に、将軍は解を得ていた。

 だが、それを事実と認識するには、あまりにも信じがたい。

 

『──殺された』死の支配者(オーバーロード)は悔し気に、だが、歴然とした事実のみを語る。『あの女熾天使……アレは、強い』

 

 強すぎるぞ、と。

 アレのせいで、賢者たちの召喚していた上位アンデッドのほとんどは“()られた”と。

 アインズ・ウール・ゴウンの手によって生み出された者として、ありえてはならない……だが、どこまでも厳格に事態を把握できる最上位アンデッドの認知能力のもとで、無印は断固、結論する。

 

『あの女……ただの天使種族ではないぞ!』

『馬鹿な……一体、何があった?』

 

 将軍は疑問しつつも、慎重に交わす言の葉を選ぶ。

『やはり』などと両名が口を滑らせなかったのは、死の支配者(オーバーロード)たちはあくまでイズラの迎撃のみに駆り出された部隊であるから。

 連中の拠点をある程度の監視下に置き、あまつさえ飛竜騎兵の領地での戦闘情報をここで知っている風に話しては、あまりにも不審な挙動に映るだろう。奴らを監視していたことがバレるような言動は厳禁。死の支配者(オーバーロード)という、あまねく不死者を束ねる叡智と手腕を帯びるモンスターは、それぐらいの戦況把握は容易であった。

 しかし。

 目前のカワウソへの注意が散漫になるとわかっていても、将軍は無印の死の支配者(オーバーロード)が向く方に視線を重ねる。

 死の支配者(オーバーロード)の中で、“賢者”と称えられるだけの魔法の知識を蓄えた存在……単純なレベルで言えばLv.90にもなる最高峰の力量の持ち主。

 その賢者(ワイズマン)は、女熾天使・ミカの振るう光の長剣によって、頭蓋から骨盤までを縦に両断され、その骸を二つに分けながら床面に投げ出し、死んでいた。

 

「……光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅱ」

 

 ミカは、主人であるカワウソの修める聖騎士系統の特殊技術(スキル)を発動。重い長剣では不可能なはずの動作──細剣(レイピア)のごとき連続刺突の形で特殊技術(スキル)を発動。残像のように滞空し静止する光刃が、瞬間、雨霰のごとく死の支配者(オーバーロード)の死骸に変わってしまったそれに降り注ぐ。

 死の支配者(オーバーロード)の賢者(・ワイズマン)は、死体の骨も残らず浄化され、消し飛んでいった。

 熾天使は、堕天使とは違って神聖属性に特化しやすい傾向にあるモンスター。

 だとしても、Lv.90のアンデッドモンスターを、一方的に蹂躙する性能というのは破格の一言でしか言い表せない。

 強力な賢者を先に狩り取るというミカの戦闘選択のおかげで、成り行きに生き残ってしまった死の支配者(オーバーロード)は、賢者の遺したアンデッドたちの〈支配〉の引継ぎには成功していたが、苦々し気に女天使との戦闘を振り返る。

 

『……賢者は、賢者の魔法による蹂躙と、私の生み出す兵団と上位アンデッドたちとの連続攻勢を展開していた……だが、あの熾天使の防御力には、何一つとして通らなかった!』

 

 最初に、イズラというNPCを護り果せた防御壁の性能を思い出す。

 死の天使を凍え潰した冷気属性の魔法をはじめ、こちらの最大規模の魔法をいくつもお見舞いしてやったのに、女は平然と死の天使に防御壁を多重に(ほどこ)して、一転、こちらに逆襲を仕掛けてきた。

 たった一剣。

 ほんの一閃。

 それだけで、賢者が張り巡らせていた魔法の三重防御壁は砕かれ、居並ぶ衛兵の骸骨兵士たちを砕き潰し、蒼褪めた乗り手たちを裁断しながら、賢者の強靭な骨格を──縦に割打していたのだ、と。

 将軍は、愕然としながらミカという熾天使──冷徹な女神のごときその美貌を睨み据える。俄かには信じられない情報だったが、イズラをある程度まで回復させ、多重の防御壁を施し果せたミカの手腕は、疑いようもなく強者の貫録を感じさせる。速度は主人の堕天使ほどではなかったが、とにかく、硬いようだ。

 将軍は死の支配者(オーバーロード)系統の中では珍しい“戦士職”……故に、その風格に滲み出るものを、幾度の戦場を超えてきた「将」として、感得せざるを得なかった。

 

「ミカ」

 

 将軍は意識を堕天使の方角に引っ張り戻す。

 カワウソはミカの戦況を見て取って──あろうことか、とんでもない命令を発した。

 

「おまえの力だと、アンデッドのこいつらを浄化し尽しちまう。あとは俺がやる(・・・・・・・)

 

 だから、さがっていろ──そう、天使たちの首魁は宣言。イズラの防御に専念するよう、命じる。

 女天使は抗弁しようかと眉を顰め、唇を開きかけるが、何もかも諦めたように攻撃姿勢を解いた。

 それでも女天使は、光の長剣を鞘に戻さなかった。主人からの下知に対して、ある種反抗的な態度を取る女の態度を気にしつつも、将軍は堕天使の言動が──()せない。

 仄暗(ほのぐら)い声音で問いを投げる。

 

『貴様、どういうつもりだ?』

「ん……何がだ?」

『前後から挟み撃ちにしてしまえば、我等を容易く掃滅も出来よう……にもかかわらず、何故?』

 

 時間王を屠った堕天使。

 賢者を斬殺した熾天使。

 その両名が前後に位置している現状は、戦術的に見ても敗北に近いと、将軍は冷徹に思考可能。

 なのに、その利を、堕天使は理解できていないわけでもなしに、あろうことか「捨てる」のだ。

 あまりにも不自然。

 あまりにも不可解。

 死の支配者(オーバーロード)たちの退却撤退を期して……というわけがない。

 問われた内容に、カワウソは困ったように首を傾げてしまう。

 

「さっきも言っただろう? ──これは“実験”だ」

 

 自分(カワウソ)の力が、魔導国の上位アンデッド部隊にどれだけ通用するのか……そういう実験だと。

 いっそ嘘寒いほどに、堕天使の柔らかな笑顔が温かみを増す。

 

「せっかく“こうなった”以上は、無理やりにでも付き合ってもらうぞ?」

 

 温かみというよりも、業火の灼熱がごとき狂笑。

 実験への参加を強要するカワウソは、微笑みの色に黒い狂気を(たた)え始める。

 あまりにも醜悪な敵の顔面変化は、死の支配者(オーバーロード)には存在しないはずの肝胆を潰すほどの狂信に(いろど)られていた。

 堕天使にしても、あまりに()っている。

 奴は、アインズ・ウール・ゴウンに敵対するために必要な、己の戦闘能力の確認を、純粋に──純真に──求めていた。

 残存する死の支配者(オーバーロード)二体は、背後の熾天使から溢れ出る“希望のオーラ”以上に、目前に迫り来るちっぽけな堕天使──ユグドラシルの知識上、どう考えても脆弱で卑小で低能な異形種でしかない“降格者”に、圧倒的なほどの危険意識を懐きつつあった。

 だが、彼等は共にアインズ・ウール・ゴウン御方より創造された上位アンデッド。

 自分たちに敗北をもたらすものがいる可能性というものを思考するなど──畏れ多いを通り越して烏滸(おこ)がましいにもほどがある。

 

『──少しばかりッ!』

『──不遜に過ぎるぞ、堕天使ッ!』

 

 

 

 

 

 死の支配者(オーバーロード)無印と将軍(ジェネラル)、二人の激昂を誘発するカワウソの方は、冷静だった。

 自身が特殊技術(スキル)による恩恵でアンデッドなどに特効な正の属性・神聖な信仰系の力……堕天使なのに「神への信仰」=「信仰すべき神を持たねばならない」を条件とする戦闘力を有し、その上、相克関係の属性を持ちながらも、アンデッドたちの負の属性の影響は受け付け得ない。

 おまけに、彼等の装備品というのは、ユグドラシルでよく見る……アンデッドモンスターとしての基準的な初期素体でしか、ない。

 プレイヤーや拠点NPCのような各個体のカスタイマイズや装備変更がされている気配はなく、だとするならば、彼等はユグドラシルのPOPモンスター同然……自分の自由意志と発語能力を有している、出来のいいゲームキャラみたいなものに過ぎない。

 対して、カワウソはユグドラシル内でも稀少と言えるデータ量の武装──神器級(ゴッズ)アイテムを六つ、装備している。

 

第二天(ラキア)

 

 カワウソの保有する神器級(ゴッズ)アイテムの中でも異色な装備である足甲が、さらに速度を向上させる。

 死の支配者(オーバーロード)たちが繰り出す魔法と戦列を、もはや慣れたように回避してしまえる。

 

 ──第二天(ラキア)とは、天国に存在するとされるひとつの階層の名前を示す。

 

 多くの神話や宗教が共通して提唱しているが、天国・天界はいくつもの層に分かれて存在しているとされる。各層にはそこを支配する天使が代表に据えられ、天の支配者である神から与えられた役目を遂行しているとも。ダンテの『神曲』においては、“第一天”から“第七天”のさらに上層に“恒星天”“原動天”“至高天(エンピレオ)”の合計十個の階層があるのだと。これら天の階層名は、ユグドラシル内でも最強レベルの熾天使モンスター、名を「至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)」系などで採用されている。

 ほかにも多くの逸話や伝承に事欠かない『天国』の記述の中で、カワウソが保有する装備の中に、それを参考に製造された武器が“二つ”存在する。

 

 カワウソが保有する神器級(ゴッズ)アイテムは、六つ。

 

 転移魔法の聖剣“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”、

 転移魔法の魔剣“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”、

 完全不可知化の外衣(マント)竜殺しの隠れ蓑(タルンカッペ)”、

 状態異常を呑みこむ黒い鎧“欲望(ディザイア)”、

 そして、堕天使専用の足甲“第二天(ラキア)”。

 

 最後に、カワウソが保有する最後の神器級(ゴッズ)アイテムは、鎧の内側……首元に飾られた漆黒の宝玉──名前は、

 

第五天(マティ)

 

 時間王を割り砕いた力の結晶が呼応する。

 再び装備者の意志を受けた首飾り(ネックレス)の魔眼のごとき宝石が、第二天(ラキア)と同じ黒い輝きが相乗するように包まれ、起動────

 

 

 

 ・

 

 

 

 ユグドラシルには無数のギルドが存在していた。

 ギルドごとの活動方針や行動理念、所属するメンバーの趣味嗜好を反映したプレイスタイルを貫きつつ、広大無比なユグドラシルのゲーム世界を闊歩し、冒険の旅を続けていた。

「悪」を貫いた伝説の異形種ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』──天使種族系のPCしか加入できない『セラフィム』──三つの上位ギルドが連合した『トリニティ』──ユグドラシルの未知を探求することに情念を燃やした『ワールド・サーチャーズ』──「2c連合」──「海外ギルド」──「声優ギルド」と、その「親衛隊ギルド(非公式)」──「傭兵魔法職ギルド」──スパイ行為を繰り返してフルボッコを喰らった『燃え上がる三眼』──NPCがすべて“猫”系で統一された『ネコさま大王国』──鶴の旗を掲げた『千年王国』──「アースガルズの天空城を保有したギルド」「ヘルヘイム最奥の氷河城を支配したギルド」「ムスペルヘイムの炎巨人の誕生場というフィールドを支配したギルド」など、様々。

 

 だが、どんなものにも終わりは訪れる。

 栄枯盛衰──ユグドラシルは繁栄を極めたが、故に衰退の時を迎えることは、必定であった。

 

 たとえそれが、ランカーギルドであろうと。

 

 カワウソの装備は、とある天使系上位ランカーギルドが製造した神器級(ゴッズ)アイテム──そのギルドが解散する際に、払い下げ品として購入したものがほとんどだ(“竜殺しの隠れ蓑(タルンカッペ)”に関しては、拠点製造の際に世話になった、とある商業ギルドのプレイヤーから譲渡された「別れの品」である)。

 彼が自分の力で自作できた神器級(ゴッズ)装備は、堕天使の絶対的弱点を覆し得る特性「状態異常の罹患を、自己のステータスに還元してしまう」を与えた鎧“欲望(ディザイア)”だけだ。

 神器級(ゴッズ)を個人で自作するというのは、並大抵の努力ではなし得ない。全身くまなく装備できるほどに量産するなど、もってのほかだ。

 ユグドラシルにおいては神器級(ゴッズ)をひとつも持ち合わせていないなんてプレイヤーも数多く、全身全装備箇所を神器級(ゴッズ)で固めるというのは、よほど良い環境──強力な生産力を持つ拠点や、協力してくれるギルドメンバーに恵まれるなどしなければ、とても達成できない偉業である。

 そんな中で。

 カワウソがアホみたいに貯め込んだ金貨をつぎ込んで購入した神器級(ゴッズ)アイテムの中には、「天国と地獄、それぞれの“門”」を意匠された夫婦(めおと)剣ふたつの他に、製造方針が共通する武装が、ある。

 

 それが、堕天使専用の太腿まで覆う足甲“第二天(ラキア)”と、

 同じく堕天使専用の魔眼のごとき首飾り“第五天(マティ)”──

 

 この二つは、他にも五個の同系統アイテム──合計して七個からなる武装シリーズの一部だ。

 それは“第一天(シャマイン)”~“第七天(アラボト)”までの七つの天国の階層──『エノクの天界訪問』を参考にした、通称“天”シリーズの量産式神器級(ゴッズ)アイテム。それらの他にも様々な神器級(ゴッズ)アイテムを生産・改造する上位ギルドが存在したのだが、ユグドラシル衰退期を迎え、メンバーは満場一致で「解散」──カワウソが、解散するそのギルドのアイテム払い下げ会場を訪問した際、興味を惹かれたのは、三つ(天の最高階層とされる“第七天(アラボト)”はかなり稀少かつ強力な装備だったようなのだが、残念ながら完売していた)。

 堕天使として降格していたカワウソは、比較的格安で特価廉売されていた──それでも、カワウソの懐事情・ゲーム内の財力を考えると全部は買えないので厳選した──「三つ」を購入。うち「二つ」の“第二天”と“第五天”を、自分の両脚と首に装備して、弱い堕天使のステータスを底上げしていたのだ。残る「一つ」はここまで引き連れてきた女天使・ミカに与えており、彼女の防御性能を最高数値にまで──死の支配者(オーバーロード)たちが慄然(りつぜん)とするほどの領域にまで高めている。

 

 第二天と第五天は、エノクによると『堕天使たちの収監所』『神へと反抗した愚か者共の監獄』であったという。

 

 故に、この“第二天(ラキア)”と“第五天(マティ)”は、「堕天使専用」という性質を与えられ、製造元である天使ギルドの堕天使の強化に使われた経緯を持つ。

 

 第二天の主な効能は、速度ステータスの強化。

「堕天使の牢獄から脱獄し果せるための、逃げ足の速度」を。

 

 第五天の主な効能は、体力ステータスの強化。

「監獄での刑罰に耐え抜くために必要な、絶対的な体力」を。

 

 さらに第五天(マティ)は、収獄されていた天使たちが、人間の娘たち=魔女と交わり、異端の巨人(グリゴリ)を生んだという説話から、おもしろい機能を有している。

 それが先ほど見せた時間王の防御兵たちを無に帰した力であり──

 

 そして、これら“天”は複数の同シリーズの武装──自身や仲間とのそれと共鳴させることで、さらなる真価を発揮できる。

 

 それは、

 

 

 

 ・

 

 

 

 二つの黒い輝きが、互いの本格発動に共鳴するがごとく、その輝度を増す。

 悪魔的な造形の足甲が捩れ歪みながら先鋭化し、首飾りの魔眼が黒金の光を溢れさせる。

 黒い堕天使をより黒く禍々(まがまが)しく染め上げていく神器級(ゴッズ)アイテムの(きらめ)き。

 

 異様異質極まる堕天使から浴びせられる重圧(プレッシャー)──戦士の直感的に「ヤバい」雰囲気──を感じ取った将軍(ジェネラル)

 一切の油断なく、迎撃の編隊を己の麾下アンデッドの兵団に飛ばそうとした……瞬間だった。

 

『……っ   ぁ?』

 

 得体の知れない衝撃が、首に走る。

 直後、将軍は、ありえない光景を見た。

 将軍は、自分の鎧装束──全身を、見下ろしていた。

 そこにあるアンデッドの将軍の肉体に、自分の首は、なかった──

 死の支配者(オーバーロード)の将軍(ジェネラル)……彼の頸骨は、()ねられていた。

 

 ありえない。

 

 そう、言葉を、思考を、疑念を紡ぐ間もなく、アンデッド兵団において最強の将軍が、斬撃攻撃に耐性を備えるはずのアンデッドが、無残にも首断たれての敗死を遂げた。

 死の支配者(オーバーロード)の将軍(・ジェネラル)は抹殺された。

 たった一人の堕天使によって。

 

 地に転がった将の瞳、眼窩の火は落ちた。

 

 

 

 

 

 この戦果は、カワウソの、堕天使の圧倒的剣速──強化された身体機能だけの効果では、ない。

 カワウソが所有する二つの神器級(ゴッズ)装備アイテムの共鳴作用──“清濁併吞Ⅴ”を有する堕天使でありながらも、聖騎士などの信仰系の能力に傾注した力──それらの相乗(シナジー)効果によって、今のカワウソは特定の種族や属性に対する最強の力を有するに至っている。

 

 負属性に傾注する魔や闇の存在・種族を一方的に屠る能力。

 

 カワウソという堕天使は、彼の目的を、目標を、願望を叶えるために、“アンデッド殺し”に長けたキャラビルドを完成させたプレイヤーであった。

 

 すべては、あのナザリック地下大墳墓の攻略と、その拠点の主人としてユグドラシルに名を轟かせたギルドの長──ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに残存していた最後のプレイヤー……彼との戦いに備えて。

 

「残っているのは、死の支配者(オーバーロード)と、アンデッドが……59、か」

 

 合計60体。

 中位と下位だけで合計100体以上は確実に作成していたはずの戦力は、今では半数以下に。召喚した上位アンデッドに至っては殲滅されたに等しく──16体いた中で、残っているのはLv.70台の地下聖堂の王(クリプトロード)が一体のみ。

 発動条件分も合わせて、ちょうどいい数だと判断できる。

 

「さぁ。最後の“実験”と行こうか?」

 

 キシキシと軋む、堕天使の狂笑。

 実験は、未だ、終わっていない。

 むしろ「これからだ」と言っても過言ではない。

 

『ッ、貴様! こんなことをして、許されると思っているのか!?』

 

 堕天使は笑う。

 随分といまさらなことを。

 どう考えても後戻りなど出来はしない状況だったのだ。

 イズラたちの不手際もあっただろうが、そのおかげで、カワウソは決断を早め、当初からの決意を確固たる形にすることができたと言える。

 遅かれ早かれ、こうなる以外の道はなかったはず。

 だから、

 

「許しなんていらない」

 

 ──否、どちらかと言うと。

 

「許しなんてしない……許しなんて……許し?」

 

 ふと、堕天使は首を思い切り真横に傾けてしまう。

 ──ゴギリ、という骨の音が聞こえたような気もする。

 最上位アンデッドすら吐き気を催すほどの狂態を露にする、異形の堕天使。

 バグったように、堕ちた天使は自分(カワウソ)にとっての禁句を、自己の震える口内で乱造していく。

 

「──許し? 許し?? 許し???」

 

 許し、とは何だろう。

 俺は許した。

 彼等を許した。

 仲間たちを許した。

 裏切り者たちを許した。

 なのに「許しなんてしない」というのは、奇妙千万。

 カワウソはかつて、彼等を、仲間を、裏切り者を、嘘つきたちを、確実に“許した”。

 しようがないこと、仕方のないこと、現実的な判断として、彼等の選択と行為は至極当然のもの。

 カワウソのような妄執に(とりつ)かれる方が、どうかしている。狂っている。頭がおかしい。脳が沸いている。誰だってそう評してアタリマエの、破綻者の所業。

 カワウソは、今でも彼等のことを思う。思わずにはいられない。

 あの別れの日に失ったものを、

 背を向けて立ち去って行った仲間たちを、

 カワウソは思い続けてしまう。──今も。──今でも。

 彼等との誓いを果たしたかった。

 彼等との約束を果たしたかった。

 叶うはずのない夢を追った。

 叶えられない願望を懐いた。

 かつての約束を、誓いを果たそうと、もがいた。

 皆と一緒に冒険する筈だった世界で、あがいた。

 あのナザリック地下大墳墓・第八階層を目指した。

 そのために必要なすべてを揃えたつもりであった。

 拠点NPC十二体に、第八階層攻略の最適解を再現すら、した。

 

 しかし、それでも、尚、届かない。

 

 みんなが笑った。

 誰もがカワウソの愚にもつかない挑戦を嘲笑していった。

 

 「無理だ」

 「無謀だ」

 「無価値」

 「無意味」

 「無茶苦茶」

 「時間の無駄」

 「諦めろ」「諦めろ」「諦めろ」「諦めろ」

 

 あの「難攻不落」「悪のギルド」「第八階層全滅の伝説」に挑み戦うプレイヤーを──『敗者の烙印』という、ギルド崩壊経験者の証……屈辱の×印を頭上に浮かべながらゲームを続けた堕天使・カワウソを理解しなかった。

 (あざわら)った。

 (あなど)った。

 (さげす)んだ。

 笑いものにした。

 (なぶ)り者にした。

 

 ──わかっている。

 そんなことはわかっている。

 わかっていても、()められなかったし、()められなかった。

 

 だって、カワウソには、もう、それしか──なかった。

 ない。

 ない。

 何も、ない。

 現実に家族も友人も恋人もいない──他に執着すべき何物も持ち得なかった、孤独な人生の中で、はじめての、仲間……友達……だった(・・・)。彼等との出会いは、仲間たちとの冒険の思い出は、何にも代えがたい宝となった。優しくて、暖かで、幸せな時間が、そこにはあった。

 でも、

 それはまやかしだった。

 すべては偽りだった。

 ただの錯覚だった。

 馬鹿馬鹿しい。

 くだらない。

 痛々しい。

 惨めだ。

 

 ──だからこそ。

 カワウソは──今、──ここにいる(・・・・・)

 

 思った瞬間、カワウソは今いる場所を思い出した。

 思考時間は数瞬。先日、飛竜騎兵の領地で経験した時と同じ、思考と心理の乖離状態から回復する。折れ曲がっていた首をしゃんと立たせ、過去に向かってとっちらかっていた視線をまっすぐに“前へ”向ける。“今”そこに相対すべき「敵」──その首領、アインズ・ウール・ゴウン魔導王が生み出したという、同一種族のアンデッドモンスターを見止め、奴を“殺す”ための「力」を行使する。

 

「頭の“×印”──『烙印』が消えていても、“(レベル)”がなくなったわけじゃあないようだからな」

 

 死の支配者(オーバーロード)は怪訝な面持ちで──骨の顔だが、たぶんそんな感じ。同じ異形種だと表情が解るのかも──、堕天使に通用するだろう魔法を連発する。召喚主・作成者に応じるかのごとく、居並ぶ残存のアンデッド兵団が攻勢をしかける。幾多の弓矢が射かけられ、大小の魔法がいくつも堕天使の行く手を阻もうとするが、速度特化のLv.100プレイヤーを捉えるには数歩以上足りない。どんなに強力な魔法でも、“当たらなければ、ダメージになどならない”。故の、速度特化だ。

 

 カワウソは、自分の最大の切り札を、その使用が可能か否かの“実験”を試みる。

 

 

 

 ユグドラシルにおいて、『敗者の烙印』を押されたプレイヤー“のみ”が獲得可能な、特殊な職業(クラス)が存在する。

 

 

 

 この『敗者の烙印』がなければなれない職業(クラス)などを、カワウソは特殊な獲得条件を満たすことで取得。それによって、他のユグドラシルプレイヤーにはありえない──非常に稀少な特殊技術(スキル)を使用可能となっている。

 さらに。

 その職業(クラス)レベル由来なのだろう特異な種族レベルまでをもカワウソは手にしており、その第一人者となったことで──彼という堕天使プレイヤーが唯一保有する「世界級(ワールド)アイテム」の発見……ユグドラシルの十二年の歴史上、誰も存在を知り得ないまま終わった超絶の秘宝の入手にまでこぎつけている(与えられ発見した本人は、「恥の上塗りだ」としか思っていないが)。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの敵対者。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のプレイヤー、カワウソ。

 

 彼は、ギルド崩壊を経験した敗北者。

 烙印の“×印”を押されながら、熾天使の地位より失墜した堕天使。

『敗者の烙印』を押された「その場」へ向けて、一日も絶やさず錬磨と研鑽を積んだプレイヤー。

 あまりにも実直で明確な“復讐”という特殊なプレイスタイルを貫き続けたが故の、ある種の狂気的な執念の結実と、戦い争いへの欲望ががもたらした職業(クラス)の名は──

 

 

 

「 復讐者(アベンジャー) 」

 

 

 

 堕天使が、呪わし気に顔を歪め、その特殊技術(スキル)の内“ひとつ”を、発動。

 

「 スキル──OVER■■■■■ 」

 

 己の内側に響くだけの、暗く潜めた声に応じて、頭上の赤黒い円環のさらに上に現れたのは、スキル発動条件を示すエフェクト。

 

 それは、血のように紅いローマ数字の──(10)

 

『させるものかぁ!』

 

 一切の情報を知らぬし知り得ぬ無印が、最後に残った死の支配者(オーバーロード)としての責務を果たす。

 しかし、賢者(ワイズマン)であれば警戒を深め、将軍(ジェネラル)であれば撤退も視野に入れただろう未知な強敵の特殊技術(スキル)に対し、ただの死の支配者(オーバーロード)は御方への忠心だけを胸に、名誉ある最後を所望(しょもう)

 その血気と決意に後押しされたアンデッド兵団は、全兵残らずに突撃。死の支配者(オーバーロード)自身も、その特攻の列に加わってしまう。

 敵がどれほど強壮であろうとも、アインズ・ウール・ゴウン御方に直接作成された上位アンデッドが、敵に背を向けることは許されない。

 如何なる特殊技術(スキル)も力も、根こそぎ踏み潰し食い破ってしまえばいい。

 この大軍勢に、あの堕天使一匹が太刀打ちできるはずがない。

 あの女熾天使を後方に待機させた愚を判らせてやる。

 それにはただ正面からの“蹂躙”あるのみ!

 赤黒い円環の上に、Ⅹの数字を頭上に灯すプレイヤーを殺戮すべく、攻撃。

 居丈高に吼え叫ぶ上位者の下知のまま、雑魚アンデッド達が喜び勇んで堕天使の(もと)へ、殺到。

 

 

 …………

 

 

 結果。

 彼等残存するアンデッド兵団……60から減って50体は、即刻同時に……壊滅した。

 

 その壊滅劇には、ありえない現象が伴っていた。

 

 骸骨のアンデッドにはありえないはずの、深紅に濡れる“血”の惨劇──

 まるで屠殺場のごとく、あまりにも(おびただ)しすぎる“死”の色に染まって──

 

 死の支配者(オーバーロード)に召喚作成されていた中位・下位モンスターは、死に果てたことで砕けた骨の端から消滅していったが、彼等は一人残らず“流血”を伴っており、その赤色を戦場に遺した。消滅した後に残る血の量は、骸骨の骨の身体や、実態を持たない死霊(レイス)系統までをも血斑(ちまだら)に染め上げる規模に飛散している。

 そしてさらに、例外が一人。

 神聖なる力による浄化とは程遠い「復讐者」の力が、上位アンデッド死の支配者(オーバーロード)部隊・最後の一体を、“白骨に鮮血が滴る”という奇妙極まる惨殺死体に変えてしまった。

 

 やはりどうやら、ここに来た死の支配者(オーバーロード)たちは、他の召喚とは違う──特別なモノらしい。

 

 打ち捨てられた死骸の様──血の香りが充満する古戦場のごとき様相を呈した地下空間内の光景に、血を浴びた堕天使は納得の首肯を落とす。

 

「──実験は終わりだな。戻るぞ、ミカ、イズラ」

 

 この異世界における復讐者(アベンジャー)の効果発動確認を十分に終えた堕天使は、血の滴る聖剣を血振りして、ボックス内に戻す。ついでに、“即死”させて血を吹き出させた死の支配者(オーバーロード)の死体、首を刎ねられた将軍(ジェネラル)の死体、全身切り刻まれ眉間を穿たれ頭蓋の割れた時間王(クロノスマスター)の死体──それら三体の足首を狩人(ハンター)のアイテム・腰の鎖(レーディング)に自動で繋いで、戦利品(ドロップアイテム)のごとく持ち帰る準備をする。

 復讐者(アベンジャー)特殊技術(スキル)が発動した死体の解析をしたいし、それにどうして時間制限なしにアンデッドモンスターを魔導王陛下とやらが量産可能なのかの研究にも使いたい。他の召喚系の雑魚アンデッドとは明らかに違って、アインズ・ウール・ゴウンに作られたらしい彼等は“死体が残っている”……これはどういうカラクリがあるのか、徹底的に調べておかねば。

 準備を数秒で終えると、血を避けるように宙を舞う熾天使が、頭上から言葉をかけてくれる。

 

「大事、ありませんか?」

「ん? 何がだ、ミカ?」

「……いえ。大事ないというのであるならば、それでいいと判断できます」

「ああ。──イズラの方は?」

「足の再構築は一応やりましたが、まだ戦闘は無理です。拠点に戻してイスラの本格的な治癒を受けさせるべきかと?」

「わかった」

 

 そう率直に返す主人の力を目の当たりにした天使二人は、血の池地獄から歩き去り、悠然と〈転移門(ゲート)〉を開く主人に促されるまま、言葉少なに拠点へ。

 堕天使が手負いのイズラを真っ先に送った、直後。

 ……ふと、カワウソは動力室内の光景を振り返る。

 動く者もなくなった、赤い惨劇を──特殊技術(スキル)の結果を確認。

 カワウソの所感としては、「ユグドラシルよりも血が派手というか、グロくなった?」という印象だ。異世界の現実(リアル)だからこその効果なのだろうか。

 この力は、ユグドラシルでも例を見ない代物。出来れば、敵に──アインズ・ウール・ゴウンには知られたくない・分析されたくないが、さすがにこの量の血液をすべて回収する時間が惜しい。ミカがここに張った封鎖を破る強敵──増援がさらに来る可能性もある。その前に撤退しないと。

 とりあえず、特殊技術(スキル)の発動する現場を見られなかっただけマシとしようか。

 情報系対策は万全。魔導国の監視用ゴーレムも、ミカが全機破壊済み。

 

 この戦闘は、敵の眼に届くことはないはず。

敵感知(センス・エネミー)〉にも反応はない。

生命探知(ディテクト・ライフ)〉も反応がない。

 残っていたアンデッド達はすべて、カワウソが確実に、瞬時に、殺し尽した。

 

『敗者の烙印』保持者のみが習得できる稀少(レア)クラス──復讐者(アベンジャー)──その特殊技術(スキル)で。

 

「──カワウソ様?」

 

 突っ立ったままの主人に、小首を傾げるミカ。

 彼女に促され、彼女を最後の守りとして残したまま、カワウソはイズラの後に続いて、門をくぐる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後に残っていた熾天使・ミカも油断なく警戒しつつ立ち去って行った後の動力室内。

 血の惨劇の中に横たわる骸骨たち……不死者として、即死耐性を有するはずのアンデッドたちが抹殺され、その死体より分泌された尋常でない量の赤い液体が、床一面を覆い滴る。

 

 

 

 

 

 

 

 その動力室から、さらに地下へと続く縦穴空間へと続く扉に、骸骨にはありえないはずの鮮血の赤が注がれ落ちる。

 そこで静かに(うごめ)粘体(スライム)が──高い潜伏スキルを有する隠密職のメイドと、彼女の同胞である“アインズの三助”が──二体。

 

 ソリュシャン・イプシロンは、閉じていた左の眼を見開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ※以下はWeb版:設定より抜粋※

 ちなみにギルド武器とはギルドを作る際に必要となる象徴で、かなり巨大なデータまで搭載することができる。そのため下手すると比類ない武器にもなるが、これを破壊された場合はギルド崩壊ということになる。崩壊した場合、そのギルドに所属していたメンバーは『敗者の烙印』というものを常時、頭上に浮かべることとなる。別に特別な効果は無いが、屈辱の証である。
 この敗者の烙印をなくすには、再び同じメンバーでギルドを立ち上げるしかないという。
 敗者の烙印が無ければなれないクラス、ギルド武器を破壊したことのある者しかなれないクラスなども当然ある。

 ※抜粋終了※

 本作『天使の澱』は上記の設定に“烙印の形は「×印」”“獲得にはさらに特殊条件”“獲得するクラスの名は「復讐者(アベンジャー)」”“職業由来の種族レベル”などを独自設定・独自解釈として組み込んでおります。
 原作とは、著しく異なる可能性がございます。ご了承ください。

 次回は書き溜めが終わり次第投稿予定です。
 皆様、よいお年をお過ごしください。



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対応 -1

各陣営の主人公、彼等の動き──


/OVERLORD & Fallen Angel …vol.05

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

《皆様、おはようございます。朝6時を回りました。

 魔導国国営放送・カッツェ支部から、お伝えしております。

 第一魔法都市・カッツェ、本日の天気予報は、晴れ。ところにより曇りとなるでしょう……》

 

 

《ニュースをお伝えいたします。

 昨日、第一生産都市・アベリオンにて、大規模な地下階層避難訓練が実施されました。これは、動力炉区画の暴走暴発時などの緊急の際に、都市機能の安定および職員らの安全確保をより円滑にするためのもので、アンデッドの警備装置などの点検も兼ねて行われました。アベリオン都市長は「都市運営において万が一に備えておくことは重要」と発言。訓練は滞りなく遂行され、昼頃には通常運用体制に…………》

 

 

《昨日、南方士族領域の鉱床地で、大規模な落盤事故が発生しましたが、作業員に怪我はありませんでした。現場はセンツウザンの新鉱床地帯で、アンデッド警邏隊の調べによりますと、『強化魔法を均一にすべきポイントが、適正な強化を受けていなかったことが要因と思われる。魔導王陛下より下賜されたアンデッドの警備兵らの働きもあって、死傷者が出なかったことは不幸中の幸い。関係各所に再発防止のための再教練を上奏する』とのことで…………》

 

 

《昨日まで冒険都市で行われておりました『冒険者祭』で、珍事が。

 トーナメント大会、準決勝で“漆黒の剣”との対戦が組まれていた期待の新人・ファラが、突如棄権。行方をくらませた彼は大会運営の呼びかけにも応じず、彼とチームを組んでいたチーム“アザリア”は「ここまでこれただけでも彼には感謝している」とコメント。そのまま決勝へと進んだ“漆黒の剣”は、本大会「永久」チャンピオン・一等冒険者(ナナイロコウ)“黒白”の白き竜騎士との対決を披露し、観客を熱狂の渦に巻き込みましたが…………》

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 真っ黒い、水の中。

 積み重なった澱の底にいるイメージ。

 

 過去の光景。

 過去の栄光。

 過去の思い出。

 

 カワウソはそれにしがみついている。

 ……(すが)りついているのかもしれない。

 

 それは、もう何年前だっただろう。

 カワウソは旧ギルド崩壊の後、ゲームに残っていたギルメンたちと新拠点の攻略に臨んだが、一パーティとしては微妙なバランスだったが故に、攻略は予定よりも難航した。攻略に乗り出して五回は全滅。やっとこさ攻略に成功できた時点で、皆がもう飽き飽きしていたのが場の空気で完全に分かった。カワウソは努めてその事実から目をそらした。そうした後、彼等残存メンバーとも辛辣な別れを終え、たった一人で、『敗者の烙印』を頭上に戴いたまま、天使種族のプレイヤー・カワウソはユグドラシルのゲームに残留した。

 そして、カワウソはギルド拠点の建造とギルド武器の設定、拠点レベル1350分の拠点NPCたちの製作と配置に取り掛かった。

 たった三階層しかない地下ダンジョン型のヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の強化と改良のために、それまで無課金だったカワウソは、(たが)が外れたように散財し始めた。最初は、ただ仲間たちの種族や職業(クラス)を模倣・再現するために行われたNPCの課金ガチャ程度だったのが、いつの間にやら拠点最上層にまるまる一個の階層を──第四階層を増設するほどの大工事に発展していった。

 

 カワウソには目的があった。

 仲間たちが諦めた、あのナザリック地下大墳墓……ギルド:アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦を続けるために。

 

 それまでは、「たかだかゲーム」と考えてそこまで真剣にビルドしていなかった自分のレベルを徹底的に調整し、計算し、再設計を繰り返した。やがて純粋な天使でいることでナザリックの第一・第二・第三階層の罠や、正の属性を悉く弱体化させる仕様を突破することは不可能と判断し、強力な熾天使から、惰弱な堕天使への降格を決めた。本末転倒とも言える采配ではあったが、実際に熾天使の時とは比べようもないほど、ナザリック内での戦闘──というよりも、潜伏と侵入は比較的容易にはなった。

 だが、そうすることはナザリック周辺のヘルヘイム・グレンデラ沼地地帯のフィールドエフェクトやモンスターの群れに抗するのも難しくなる道でもあった。徹底的に沼地の弱体化エフェクトの出現ポイントや、ツヴェーク系……毒々しい、強力かつ大量に湧く蛙モンスターとの遭遇(エンカウント)を回避しまくるルーティンを築くのにも、難儀した。

 下手すれば、休日一日を費やして、ナザリックの表層にたどり着くことも出来ないなんて場合もあり得たのだ。

 

 天使の強力な天使召喚能力でNPCを引き連れて強行突破する……というのは、堕天使には不可能。そもそもにおいて、ゲームでのNPCはそこまで有用な存在ともいえなかったのが大きい。当時の彼等(NPC)は、あくまでプログラムの通りに動く存在でしかなく、プレイヤーの難しい命令や戦況判断を忠実に再現できるほどのものはありえなかった。NPCなどただの盾役や時間稼ぎの用途でしか使えないものだったのだ。それは強力な熾天使にしても同様だった。

 ユグドラシルのゲームで死ぬのは、タダではない。たとえ野生モンスターとの会敵・戦闘でも、死ねば装備や金貨を落っことす仕様があった以上、カワウソに無理は出来なかった。

 

 そんなある日、懐かしい人物からのメールが、久方ぶりに届いた。

 

 かつてのカワウソの仲間……旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)の副長にして、ギルド長の姉……異形種プレイヤーの人の造りし哀れな怪物(フランケンシュタイン)……プレイヤーネームも、そのまま“ふらんけんしゅたいん”と名乗っていた大恩人から。

 カワウソは喜んで連絡を取った……わけではない。

 すでに、ギルド崩壊から一ヶ月以上。

 こちらの呼びかけに応答のなかった副長から、彼女たち……姉妹二人の身に起こった出来事を聴かされ、とりあえず彼女たちがユグドラシルにINできなかった事実と事情は理解できた。「大変だったですね」と(ねぎら)うカワウソは、確実に納得も同情もしていた。

 

(けれど、どうして今になって?)

 

 そういう思いが、針の(むしろ)のごとく、カワウソの全身を突き刺した。

 ──あの時。

 残存メンバーをまとめてくれる立場の人が……ギルド長の彼女や、副長のふらんさんたちが残ってくれていたら……そう思い煩う自分の浅はかさが、味覚の存在しないゲーム内で苦いものを感じさせてならなかった。彼等を引き留める適正な立場にある副長(ふらん)さんたちがいてくれたら、と。

 もちろん、そんな“たられば”の話など無意味だ。

 きっと彼女たちが残留してくれていても、メンバーの離散は避けられなかったことだろう。そう結論できるほど、仲間たちのユグドラシルに対する熱は、冷え切っていた。()め切っていた。もはや、どうのしようもなかった。

 

 副長は、カワウソに対し、誠心誠意の謝罪をしてくれた。

 皆で創った大事なギルド武器を壊されたこと。

 すぐ再集結するという約束を反故にしたこと。

 やむにやまれぬ事情があったとはいえ、何もかも、丸投げにしてしまったこと。

 

「本当に、ごめんなさい」

 

 そして、心からの優しさが、カワウソの絶望を深めた。

 彼女は言った。

 言い募った。

 言い続けた。

 

「こんなゲームはもうやめて、新しいゲームにいきませんか?」と。

「今は、とてもいい条件で始められるDMMOが揃っていますから」と。

 彼女(ふらん)の現実の職業・社会的立場なら、特別にそういうことも可能だ、と。

 

 吐き気がした。

 

 表情の動かないゲームで、本当に良かった。

 しかし、声にこもる感情は隠しようがない──だから、押し黙った。

 カワウソが口を開いて、怒りのあまり、弾劾と非難と、激昂と悲嘆を喚き散らさなかったのは、ほとんど奇跡だった。

 あの時、ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)攻略直後、残存メンバーたちをドン引きさせた前科がなければ、あるいは目の前の友人……副長(ふらん)に、たまらない思いをすべてブチ撒けていたかもしれない。

 副長の誠実な声が、刃となって心臓を抉るように響いた。でも、彼女(ふらん)友人(カワウソ)に新作ゲームをオススメした程度の気概だったはず。なのに、カワウソが一方的に罵倒するというのは、あっていい応対方法ではないだろう。

 

 でも、カワウソが求めていた──「いつかまた、みんなで一緒に」──からは、余りにも程遠い。

 もう二度と、あの時間が……仲間たち皆との時間が……戻ることはないのだと、知らしめられた。

 

 楽しかったのに。

 本当に、楽しかったのに。

 

 別のゲームになど興味はない。

 仲間たち皆のいない世界なんて……そんなの────

 

 表情変化のないゲーム内でも、さすがにキャラクターアバターの挙動に不審さを感じたのか、旧ギルドの副長は、悪夢の元凶と化した彼女は、(たず)ねた。

 

「カワウソさん……あなたはリーダーを、あの子を、許してくれますか?」

 

 許してくれますか。

 許してくれますか。

 許してくれますか。

 

 言葉が肉体に、臓腑に、脳髄に突き刺さるものだと、この時ほど実感したことはない。

 

 カワウソは当然、許した。

 心からすべてを、許した。

 

「私を恨んでくれて構いません」と告げる、ふらんも。

 

 許すしかなかった。

 許さざるを得なかった。

 

 誓いを反故(ほご)にした彼女等を。

 約束を守らなかった、皆を。

 ──裏切った仲間たちを。

 リーダーを。

 副長(ふらん)を。

 

 だが、あるいは、

 

 許すべきでなかったのかもしれない。

 許してはならなかったのかもしれない。

 許しさえしなければ、カワウソは、俺は…………

 

 

「こんなことにならずに済んだのかもな」

 

 

 真っ黒な(おり)の底。

 狂乱したように泣き喚く自分を見下ろす、夢。

 膝を抱いてうずくまり、忸怩(じくじ)たる思いに耽溺する、一人の男。

 暴力的なほどの悪夢に縛られ囚われ──目の前の人間は、子供のように嗚咽(おえつ)している。

 そんな様を見下ろさねばならない、目をそらすことができない堕天使は、狂死しかねないほど泣き濡れる自分を、見下ろし続ける。

 ふと、疑問が浮かぶ。

 自分は自分を見下ろしている。

 自分が自分を見下ろしている。

 自分で自分を見下ろしている……?

 自分を見下ろす、この堕天使(カワウソ)は、いったい誰なのだ。

 かわいそうな馬鹿を、愚物を、復讐者を、カワウソは見つめ続けた、その時──

 闇一色の、濃厚な悪夢の底でわだかまる意識に、朝の光のような輝きが一条──

 

 光の先から、差し伸べられる、手が──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ドロドロに煮崩れた悪夢から、目を覚ます。

 堕天使である自分を再認識しつつ、最悪に近い夢見にため息をひとつ。カワウソの目には、いっぱいの涙が。

 どうしようもないほどの虚無感からか、脳髄がゾッとするほど重い。

 そんな最悪の気分でも、カワウソは目元を拭い、自分が今いる場所を克明に認知していく。

 ここは、自分の拠点。

 現実だが“現実(リアル)”ではない。

 ゲームのようだが、“ゲーム”ではない。

 異世界転移という破格の変事がもたらした、異様な光景。

 

「……ああ」

 

 夢ではない。

 だが、どこまでも夢のような気がしてならない室内の景色を、濁った瞳の奥に吸い込んでいく。

 しわくちゃのシーツの眩しい純白。ふわふわとしたベッドマットの弾み具合。ガラス窓からは一点の曇りもない朝日が。

 現実には、ありえない光景。少なくとも、環境破壊の只中にある世界では、ない。

 ここは、ギルド拠点、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の拠点最奥に位置する、第四階層の屋敷。

 ギルド長の部屋……カワウソの私室。

 現実で営業サラリーマンをしていた自分では一生かかっても購入できなそうな、高級タワーマンションのごとき広大な一室。白珊瑚のような純白の壁紙。柱や天井には慎ましくも煌びやかなシャンデリア。家具や調度品は、ユグドラシルの買い物で適当に揃えたものばかりだが、どれも部屋の内装として違和感なく溶け込んでいる。……カワウソの現実だと、八畳一間ほどの空間に、ほぼ使わない簡易台所(ミニキッチン)風呂(スチームバス)にトイレ、あとは娯楽(ゲーム)に繋がるためのイスがある程度。汚染された空気を入れないための、小窓すらない部屋暮らしだったのとは、あまりにも違いすぎる。

 カワウソがいる寝室は、天蓋付きキングサイズベッドがどんと鎮座し、屋敷外からの朝の光を一枚ガラスの窓から室内に呼び込んでいた。……拠点内部なのに“朝・昼・夕・夜”が再現されているギミックは、商業ギルドの長が建造に協力してくれたおかげ。こんなもの、カワウソ一人では無理な造り込みである。だが、

 

「変な、におい」

 

 澄み切った潮の良い香りは、ゲーム内ではありえなかった事象──この状況が現実のものであることの物証のひとつともなっていた。いかにユグドラシルといえど、嗅覚の再現は不可能だった。

 鎧姿──完全武装ではない堕天使は、バスローブの寝間着姿。ベッドから降りるなり、それをすべて脱ぎ払う。寝室からダイニングを挟んで少し離れた衣装室(ウォークインクローゼット)に。その奥に置かれたスタンドラックに安置した武装類に手を伸ばした。下着を着込み、鎖帷子(チェインシャツ)神器級(ゴッズ)の鎧、足甲(ラキア)等を身に着けるのも手慣れてきた。外すことができない赤黒い円環──堕天使には存在しない天使の輪のごとき装備物は、相変わらずカワウソの頭上で廻り続けている。

 姿見をのぞき込む。

 そこには最早、疑いようもなく自分自身と認識できる堕天使モンスターの面貌が、すべてを呪詛するがごとき醜悪な異形の表情が、カワウソの全てを睨み据えている。

 

 ……そういえば、聞いたことが、ある。

「健全な精神は、健全な肉体に宿る」と。

 

 だとすると、今のカワウソの状態はどうなのだろう。

 堕天使はいろいろと健全とは言えない存在。欲得に溺れ、あらゆる道義を無視し、放埓(ほうらつ)気儘(きまま)に神への反抗を続ける不信仰者。今のカワウソは人間ではなく、堕天使という名のモンスター。その堕天使の肉体が、カワウソの精神に何らかの影響を及ぼしている可能性は? あるいは、堕天使の──異形種(モンスター)の肉体に変貌したが故に、精神(こころ)までも人間をやめてしまったのではあるまいか?

 その証拠に、この世界の人間たちに対する同族意識は欠如しており、危害を加えることに何の抵抗もなくなっている。まるで路上の蟻を踏むかのような感覚しか存在しない。

 元々がユグドラシルの(いち)プレイヤーだったにも関わらず、あの飛竜騎兵の領地で犯罪行為に奔った元長老を追い詰めた件については、悉くカワウソの神経を逆撫でされたから──我慢ならなかっただけだ。アインズ・ウール・ゴウンを超えると豪語した姿は滑稽に過ぎたし、何よりも“仲間を裏切った”存在というのが、カワウソの心を一瞬で真っ黒に染め上げて、一秒でも早く挽き潰してやりたくてたまらなくなった(・・・・・・・・)

 まるで自分の血を吸って飛び立つ羽虫を、苛立ちから執拗に追い回すように、堕天使は一人の人間を嘲虐し、そして、あの滑落死に追いやったのだ。

 少なからず後味の悪さを覚えているのは、人間としての感性や記憶がそうさせているのか……あるいは直接ブチ殺すことができなかったことが、異形の精神にとって心残りだったのかは……判然としない。

 

 実際の所、魔導国臣民への無差別攻撃……アインズ・ウール・ゴウンの国民である彼等への殺傷を控えているのは、単純な話──自己保身というのが大きな理由だ。

 復讐の対象にするのはお門違いというのも無論本音ではあるが、それよりも何よりも、『無関係な国民を巻き込んで、魔導国から激しい攻勢と追撃をかけられてはたまらない』という自己防衛意識の方が根強い。火に油を注いで、火傷などしたくなかっただけ。

 なんとも情けない話ではないか。聖人君子などとは程遠い、ただ自分自身の為に──己の目的を果たすために、カワウソは冷静に、復讐の対象を正確に規定しているだけに過ぎない。

 カワウソは心底、震えそうになる。

 自分は間違いなく、“壊れている”と自覚して。

 

「──だとしても、やることは変わらない」

 

 一呼吸で瞼を下す。

 壊れているのは元からだ。

 ゲームで、ユグドラシルで、ナザリック地下大墳墓に挑み続けた時から。

 あの第八階層に、“あれら”や“あの少女”への復仇のために、「復讐」すべくゲームを続けていたプレイヤーが、まともであるはずがない。それは、カワウソのかつての仲間たちからも、そう評されて憚りない事実だった。ゲームで「復讐」など、子供の悪い冗談以下の戯言(ざれごと)ではないか。

 何もかもわかっていて、カワウソはその道を、選んだ。

 選ばざるを得なかった……というのが、正確だろうか。

 衣装室からダイニングに戻った堕天使は、拠点内のNPCに向けて、ひとつの魔法を発動。

 

「〈伝言(メッセージ)〉──マアト」

『は、はい! お、おはようございます、カワウソ様!』

「おはよう。現在の、外の監視状況は?」

 

 マアトはおなじみの口調で、特にスレイン平野に異常はないことを知らせてくれる。巡回検査中の仲間たち──タイシャやクピドも、何の影も感じられていないという。

 

「わかった。ああ、あと魔導国の情報、新聞やニュース映像の様子は?」

『はい……えと、それも、と、特には』

 

 唯一、外を自在に遠見できるLv.100NPCの天使(マアト)には、一定時間おきに魔法都市の映像を見させていた。あそこをはじめ、魔導国の主要都市には、街頭や空中に置いた水晶の画面から、広告や天気予報の他に、直近のニュースなどを大量に、かつ恒常的に流しているようなので、カワウソが命じてマアトに観測させていたのだ。

 自分たち……カワウソが率いるギルドが、敵対者として不逞を為した事実が、国民に周知徹底されることになるのか、否かを。

 だが、

 

『わた、私たちのことを、その、とやかく言うようなものは、何も。一応、録画もして、おりますけど?』

 

 マアトの監視に問題はない。彼女の情報系魔法や特殊技術(スキル)は信頼がおける。彼女に何かしらの干渉がなされれば、反撃手段が飛ぶように装備を充溢させている……それも、世界級(ワールド)アイテムを11個も有する敵が相手だと微妙な気もするが。

 

「わかった──とりあえず、拠点内とスレイン平野巡検中の防衛隊に、ただちに円卓の間へ集合するよう連絡を。マアトたちも、例の死の支配者(オーバーロード)の死骸の報告をしてくれ。時間は……そうだな……30分後にしよう」

 

 例のごとく、鏡の防衛にはガブの魔法と召喚した天使に代行させて。

 

「あと、イスラに食事の用意を」

 

 命じられたマアトは、しきりに頷くような声音で承諾。魔法のつながりを断ち切ったカワウソは、こんな状況でも冷静でいられる──希望をもって行動できる自分の状況が、なんとなく奇妙に感じられる。

 状況は控えめに言って絶望的だ。

 それでも希望を持てるのは、外の状況を、アインズ・ウール・ゴウン魔導国という存在を、ある程度まで調査できたからこそか、あるいは──

 

「アインズ・ウール・ゴウン、魔導国……」

 

 ダイニングチェアに腰掛け、震えかける拳を祈るような形で握りこむ。

 

「アインズ・ウール・ゴウン……」

 

 幾度も呟くその名前は、カワウソの、紛うこと無き、──敵。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の仇敵たる名を戴く、大陸全土を統べ治める超大国。

 その中に、カワウソは突き落とされたような状況にある。

 異世界転移という、こんなバカげた現象のおかげで。

 その事実を承知し、承服し、承諾できる環境が、すでに整えられつつある。

 だが、

 

「アインズ・ウール・ゴウン、……魔導王……」

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの長と同じ異形種の姿をした、王。

 カワウソが堕天使の姿で転移した状況を(かんが)みるに、魔導王とやらもユグドラシルプレイヤーと認めたいところ、なのだが──

 

「モモンガでは、ない、のか?」

 

 足甲の底を忙しなく打ち鳴らしつつ、思考に耽る。

 死の支配者(オーバーロード)の姿をした、魔導王。だが、その名前はプレイヤーネーム(モモンガ)ではなく、あろうことかギルドの名前(アインズ・ウール・ゴウン)

 これは、どういうことなのだ。

 ……(いや)

 何とはなしに察しはつくが、確証はない。

 魔導王が、アインズ・ウール・ゴウンと名乗る、その理由。

 だが、他にも様々な憶測や予想が立てられる状況では、どれもしっくりこない。

 カワウソは真摯(しんし)に思う。

 

 会ってみたい。

 会って確認したい。

 会って話をしてみたい。

 

 この異常現象は何なのか。

 どうして、こんな世界が存在するのか。

 ユグドラシルから転移した存在は他にいるのか。

 どうして、彼は……アインズ・ウール・ゴウンと名乗るのか。

 

 だが、それは最早無理な話だろう。

 カワウソは、昨日、すでに布告したのだ。

 カワウソと行動を共にしていたメイド──マルコ・チャンに。

 カワウソのNPCを蹂躙し陵虐していた死の支配者(オーバーロード)部隊に。

 堂々と。

 朗々と。

 言い放ったのだ。

 

 自分は、『アインズ・ウール・ゴウンの敵だ』と。

 

 後悔はない。

 むしろ心地よさで頬が緩む。

 痛いくらいの恐怖で、脳が麻痺したような笑いが込みあがる。

 

「あの死の支配者(オーバーロード)の部隊も、徹底的にブチ殺してやったしな」

 

 マルコに告げて、そして、魔導国の部隊と交戦し、あろうことか上位アンデッド──死の支配者(オーバーロード)四体を掃討。

 内三体の死骸をカワウソ自らが調査研究のために拠点へと持ち帰り、アプサラスやマアトたちに検分調査させた。

 この事実は、間違いなく、連中の逆鱗に触れるはず。

 

「……もう戻れない……いいや、戻らないぞ、俺は」

 

 己に言い聞かせるような鉄の声で、笑う堕天使は決意を新たにする。

 あのギルドに挑み続けた。

 ナザリック地下大墳墓に戦いを求めた。

 カワウソが何よりも大切で大事だと思えた仲間たち……彼等との、最後のつながり──かつての“約束”を、果たすために。

 そのために必要な宣戦布告だった。

 必要なすべては、ほとんどカワウソの掌中に存在しているはず。

 このギルド……装備……NPCたち。

 だが、まだ──まだ足りない。

 そんな気がしてならない。

 昨日は拠点に戻ってすぐ考えをまとめ、ギルドの防衛能力を厚くし、そうして酷使し続けた堕天使の脳髄が休息を求めて、泥のように眠った。

 眠れば必ずと言っていいほど悪夢に苛まれるが、堕天使の肉体は休息を要する。悪夢の後に現れる光というのが、少なからず救いとなってもいたから、問題は少ないはず。己の内側から溢れる恐怖や疲労は、“欲望(ディザイア)”の鎧ではどうしようもない。ゲームとは何もかも違う──だが、何故かゲームの法則がある程度まで適用される異世界の中で、カワウソは堕天使になった自分を、かつてその選択に至った過去を呪いかける。

 いっそ疲労しない種族──機械とか、アンデッドとか──あるいは純粋な天使・熾天使(セラフィム)のままでいれば、こんな苦労もなかったのかも。

 

 しかし、

 それでは今のカワウソが形成されることはなかっただろう。

 

 復讐のために自ら望んで“降格”し、ナザリックへの挑戦を、『敗者の烙印』という不名誉の証を戴いたまま、繰り返し繰り返し──繰り返し続けたからこそ、カワウソは「復讐者(アベンジャー)」などの特殊なレベルを獲得するに至ったのだ。

 

 この頭上の円環……天使の輪のようにも見える、禍々しい王冠のごとき世界級(ワールド)アイテムも、その一環として手に入れたもの。

 これも×印の『烙印』と似たようなもの……不名誉なアイテムに過ぎない。

 実に忌々しい。

 

「ユグドラシルじゃ、大して使えやしなかったが」

 

 この異世界では、さて、どうだろう。

 ユグドラシルでナザリックを攻略する際に使っても、大して使いようがなかった世界級(ワールド)アイテムであるが、条件さえ整えば、あるいは。

 

「……飯にするか」

 

 腹がへっては何とやら。

 堕天使の空腹を解消すべく、カワウソは両開きの純白の扉を開けて、何十畳もある部屋の外へ。

 

「おはようございます、カワウソ様」

 

 扉を開けた瞬間、いきなり予想外の人物と顔を合わせて、半歩ほど仰け反る。

 

「本日は、ガブとラファの方で留保されていた報告がございます」

「──ミカ?」

 

 (つや)やかに輝く黄金の長髪を背に流し、黄昏(たそがれ)の暁光に染まる鎧を着込む女騎士風の熾天使(セラフィム)──この第四階層でギルド防衛戦の最後の(かなめ)として働く防衛部隊隊長──『最高の盾』たる戦乙女は、青空のように澄んだ(いろどり)の冷徹な瞳で、軽く挨拶の会釈を交わす。

 どうして、ここに──そう聞くや否や、ミカは不機嫌そうに首を傾げた。

 

「──何か、問題でも?」

「いや、問題、というか」

 

 いつからいたのだろう。

 彼女とは昨日、拠点に戻って簡単な指示を出した後に別れたきりだ。

 一応、ミカはこの屋敷に常駐する最後の『盾』であり、同じ屋敷内に私室を与えてもいるが。

 同族の天使を感知する“天使の祝福”は、堕天使には扱えない。なので、まったく気配に気づかなかったのは当然でしかない。

 ──というかギルド長(カワウソ)の私室には、交代で屋敷のメイドNPC十人が一人ずつ控えるシフトをゲームの時から組んでいたはず。疑問し、視線を巡らせる間もなく、現時刻においての扉番たる精霊メイドのリーダー・5時から7時担当のアディヒラスが、訳知り顔でミカの影に隠れるように控えている。燃えるような赤い髪が眩しく輝いている。

 すべてのNPCを束ねる役職を与えた熾天使(ミカ)が、不満げに肩を竦めてみせた。

 

「マアトから召集令を受けとって、お迎えに参上しただけですが?」

 

 ああ。

 さすがに隊長なのだから、そういう情報伝達はすぐに行き渡るようだ。

 先日、イズラたちの戦闘を早急に伝えられなかった不手際を挽回する意思があるのかもしれない。

 

「そうか……ご苦労様」

 

 堕天使はぎこちなく笑って、部下の忠勤を褒める。

 ……何だかご機嫌取りをしているようで、卑近な印象を与えることになっていないか不安になるな。

 

「──別に。これが私の務めですから」

 

 堕天使の表情変化に対し、ミカはおもむろに顔をそらし、踵を返して「早く行きましょう」と大股歩きで先導。アディヒラスが小さく微笑むのが気にはなったが、自分が召集した天使たちが集まるまでの時間を、彼女たちと共に同階の大食堂で過ごす。

 

「おはようございます、カワウソ様」

 

 拠点の料理人(コック)NPCたる白衣のイスラが調理し、堕天使のメイド長・サムが配膳を行う。

 

「本日の朝食、前菜はガーネットサーモンとヨトゥンヘイム春野菜のカルパッチョになります」

 

 半刻ほど朝食のコースメニューを堪能するカワウソだったが、やはり一人でとる食事というのは、寂しい。現実だと栄養食を一分で平らげてもなんとも思わなかったものだが、絢爛豪華で巨大な食堂の、純白のテーブルクロスで飾られる卓上の上座で頂く食事というのは、慣れる気がしない。ナイフとフォークの扱いについても、かつてリーダーやふらんさんに教えられたやり方を思い出して、何とかものに出来ている程度。何か無作法なことをしていないかと、戦々恐々に口の中へ放り込むメインディッシュ──白き豊穣の仔羊肉ステーキの素晴らしい味わいは、舌の上にちっとも残ってくれない。焼き立ての黄金麦のクロワッサンや、甘く温かいクリームスープも同様。傍に控え突っ立っている人物・NPCがいるというのも、その傾向を加速させているような気がする。

 

「……サム」

「はい。カワウソ様?」

 

 主人たる創造主(カワウソ)と同じ種族の女──日に焼かれすぎたような肌色に、(つや)のある容貌を美しく微笑ませるメイド長は、黒鉄(くろがね)色の短い髪(ショートヘア)を揺らした。

 

「おまえたちメイド隊十人の中で、堕天使のおまえたち五人は、その、食事は?」

「御心配には及びません、カワウソ様」

 

 にこやかに応対し、「すでに頂戴させていただきました」と報告するメイド長は、しかし、カワウソの意図を理解することはない。

 これはサムの──NPCほぼ全員に共通して特異なところなのだが、彼女たちNPCはカワウソというプレイヤーを雲上人(うんじょうびと)……いっそおそろしいほどに“格上の存在”であるものと信仰している。

 ただの小卒サラリーマン、ただのゲームのプレイヤーを、だ。

 もちろん、彼女たちという存在を創造した・ゲームのNPCとして作り上げたのは、ギルド創設者の位置にあるカワウソに他ならないが、この異世界に転移して、自立意識や自我行動を獲得するという異常事態を、彼女たちの立ち居振る舞いを目の当たりにすることによって、より混沌としたものに変容している。

 

(なんで、こんなに、尽くしたがるんだろう?)

 

 密かな疑問だが、ミカ以外のNPCたち──二十一体と四匹は、やりとりから確認しているだけでも、ギルド長であるカワウソへの絶対的な忠誠を示してくれている。転移して短い日数の中にあっても、彼女たちの献身と謹直は目を(みは)るものがあった。こうしてただ食事をしている間も片時も離れずに寄り添い、質問に対して快く応答を返してくれる。呼べば「カワウソ様」という呼び方で接し、懇切丁寧に言葉を返し、誰一人として嫌な顔をすることはない──『嫌っている。』設定のミカは例外であるが。

 NPCたちにとって、まるでカワウソと言葉を交わすだけで、その傍に控え仕えることができるだけで、至上の喜びを胸に懐くかのような態度が如実に面に現れるのだ。サムも、アディヒラスも、他のメイドたちや、Lv.100NPCにしても、一様にそうなのだ。

 

 ……それが逆に恐ろしい。

 

 もしも、カワウソが仕えるに値しない存在だと見限られる時が来たら……

 

 そう思うだけで、背筋に蟲が這いまわるような冷たい怖気(おぞけ)を感じずにはいられない。

 どうしても、あの悪夢の光景──仲間たちとの別離が想起されてしまう。

 仲間(ギルメン)に見捨てられ、(あざけ)られ罵られた時と同じような末路を、この異世界でも辿ることになるとしたら?

 ──だが、そうなっても仕方がないと思う。

 カワウソは、そんな価値のある存在じゃない。

 カワウソは誰よりも何よりも、それを自覚できている。

 

「サム。おまえも聞いてはいるだろうが、俺は、外の世界の──アインズ・ウール・ゴウンに」

 

『敵だ』と表明した。

 表明してしまった。

 その事実を明確に告げるカワウソは、鮮やかな微笑を少しも(かげ)らせないLv.1のメイドに、問う。

 

「おまえたちに、不安はないか? おまえたちメイド隊十人は、俺が、外の大国……アインズ・ウール・ゴウン魔導国とやらに、戦いを挑むことに──」

 

 戦力差は圧倒的。

 勝敗は明瞭に過ぎる。

 カワウソのギルド:天使の澱が勝つ可能性は、それこそ万に一つ、億が一も存在しないだろう。

 だが、問われたメイドは穏やかだった。

 

「恐れはしません。私たちメイド隊は、ひとえにあなた様の御命令のままに」

「だが、相手はあのアインズ・ウール・ゴウンだぞ?」

 

 主人の再疑問に、メイドは謹直な姿勢を崩さない。

 

「カワウソ様に創られし我等……貴方様にいただいた命に誓って、御身に尽くし続けさせていただければ、それで十分です。どうか、存分に、私たちを使い潰してください。私たちが貴方様に忠節を尽くすことを、そのお許しをいただければ、これに勝る喜びはございません」

 

 そう、サムは結んだ。

 隣に立つ同僚・炎の精霊メイドのアディヒラスも、同意するように微笑むだけ。

 カワウソは、もう何も言えない。

 どうして二人とも、そんなにも心穏やかでいられるのか、晴れやかな表情でカワウソの思想と思惑に追従できるのか、疑問だ。巻き込まれるだけのNPCたちにとって、カワウソの決断……我儘は、あまりにも非情なものであるはず。

 そんな主人の馬鹿な企みに巻き込まれるNPCたちにとっては運がない──不運と呼ぶ以外にないだろう。

 

「そう、か……」

 

 カワウソは憂鬱気に頷くしか、ない。

 彼女たちの創造主・製作者はカワウソただ一人。

 彼女たちにとっては、まさに“神”に匹敵するのだろう。

 でも、だとしても……巻き込んでしまって、本当に、申し訳ない。

 

「なんなんだろうな、この世界は?」

 

 魔法都市(カッツェ)でミカに漏らしたことのある言葉が、口をついて零れる。

 だが、あの時ほどの恐怖や不安はない。

 大食堂の絢爛な天井を見上げ、その先にあるはずの地表を思い起こす。

 ゲームのキャラが動き回り、ゲームに存在したギルドやプレイヤーが転移する先の、ゲームの法則が生きる異常な世界。

 そんな世界を征服した、建国から100年の超大国──アインズ・ウール・ゴウン魔導国。

 カワウソの敵。

 

(チームとして明確な目標を持つことは、それだけで違うんだよな)

 

 こんな時にも、かつて旧ギルドで教わった訓戒が胸を満たした。

 自分たちは、戦う。挑む。抗う。敵対する。

 茫漠とした霧の中をアテもなくさまようのではなく、明快にして明瞭な目的に向かって突っ走る──どちらがマシな道行(みちゆき)かと問われれば、カワウソは迷わずに後者を選択する。

 それが確認できて、カワウソは(かす)かに笑う。

 

「ごちそうさま、イスラ」

 

 デザートとコーヒーもうまかった。

 堕天使の空いた腹を存分に満たして、カワウソは席を立つ。

 後片付けは、サムとアディヒラスの妹──インデクスとディクティスが行う。

 コック帽を外したイスラと堕天使と精霊のメイド長、そして、仏頂面のままのミカを引き連れ、カワウソは目的地を目指す。

 時刻は良い頃合いだろう。

 Lv.100NPCを招集した屋敷の一階。

 屋敷中央の螺旋階段を降り、円卓の間へ。

 

「お待ちいたしておりました、カワウソ様」

 

 隊長補佐である聖女・ガブの声が粛々と出迎える。

 あの日と同じ──ユグドラシルサービス終了の夜と同じように跪いた──だが、自らの意志で、カワウソというプレイヤーに忠誠を示す姿勢を堅持する天使たちや動像(ゴーレム)の姿が。

 

 カワウソは気を引き締める。

 彼等NPCの……主人として、忠誠を誓ってくれる者たちに対して、ふさわしい姿であるよう努めながら。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ほぼ同時刻。

 朝方。

 ナザリック地下大墳墓・第九階層“ロイヤルスイート”にて。

 

「ふむ……」

 

 アインズは眠る必要などないが自分の寝室に籠り、巨大なキングサイズのベッドでくつろぎながら、ひとつの動画(ムービー)の確認作業に没頭していた。これで昨日から数えると10回目の確認だが、意外とおもしろくて飽きることがない。

 飽きるはずもない。

 これは、ナザリックの、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの、栄光の記録。

 手元の画面で確認しているそれは、もはや懐かしさすら込みあがるデータ……いろいろと複雑な思いを懐きながらも、アインズはひとつの確たる結論に至る。

 

「──やはり、堕天使は確認できない、な」

 

 カワウソというプレイヤー……堕天使の姿は、この動画データの中には影も形もない。

 やはりと結果を受け入れつつ、アインズは折角なので、懐かしい動画を最後まで視聴し続ける。彼に関りのあるアイテムを有しているプレイヤーの姿が見つかれば御の字というところか。

 

 かつて、アインズ・ウール・ゴウンの名を伝説の領域に押し上げた偉業……

「プレイヤー1500人の討伐隊」、その「全滅」の光景。

 これは、侵攻してきた1500人側の映像では、ない。ネット上に拡散されたものではなく、アインズ・ウール・ゴウン側が、つまりかつてのアインズ達が、記念目的に記録しておいた秘蔵の品だ。たっちさんやタブラさん、ペロロンチーノやぶくぶく茶釜、ヘロヘロや武人建御雷、弐式炎雷やブループラネットなどなど、全盛期のメンバーが動画内ではしゃぎまくっているのが微笑ましい。あのウルベルトさんが、デミウルゴスが敗れた姿に無念そうに肩を落とす──本人は強がっていたが、それでもデミウルゴスは彼のNPCなのだ。それが最終形態まで披露してやられてしまうのは、切ないものがある──のを、皆で励ましてやったのも、アインズは100年たった今でも、よく覚えている。

 

 そして、第七階層を攻略したアインズ・ウール・ゴウン討伐部隊の残存は、意気揚々と、あの第八階層──“荒野”へ。

 

 そうして始まったのは、一方的な蹂躙であった。

 

 第八階層に突入したプレイヤーたちは、一面の荒野に現れたあれら(・・・)とルベドに蹂躙され、「(かな)わぬ」と賢明さを発揮した手勢が、突破できそうな抜け道を突き進んだ。──その先に待つ罠の存在、第八階層守護者たる胚子の天使を殺した連中は、そこで全員、まんまと足止めスキルの餌食と化した。

 

(いやぁ、この時は本当、気持ちよく引っかかってくれたよな)

 

 何もかもが計算通りだった。

 仲間たちの用意した作戦が、見事に嵌まり込んだ結果だった。

 あれらとルベドの正体を看破できるほどの魔法や特殊技術(スキル)を発動しようにも、第一(シャルティア)から第七(デミウルゴス)までの階層で繰り広げられた戦闘は、連中にほとんど余力を残すことはなかった。魔力(MP)は軒並み枯渇し、一日の特殊技術(スキル)発動上限が定められた強力なものなどを使い切ったプレイヤーたちが、大挙して何もない“荒野”のフィールドを我先にと駆けていく。

 

 そこに現れたのが、ナザリック地下大墳墓において“最強最大の戦力”とされる存在たち。

 

 アルベドやニグレドの妹として、タブラさんが用意した深紅のドレスを纏う赤髪の少女──最強たるワールドチャンピオンをも超えた性能を示す、ルベド。

 そして、そのルベドを唯一打ち滅ぼせるのが、アインズ・ウール・ゴウンが所有する世界級(ワールド)アイテムの影響におかれる“あれら”の能力(チカラ)

 

 その二つの強大な戦力を叩き込まれた侵入者たちは、なす術もなく蹂躙を受け入れる他ない。

 そうして、一部の手勢が“少女(ルベド)”と“あれら”の力に対し「対処不可能」と判断を下し、やられる仲間たちを盾代わりに逃走──もとい、次の階層へと至ることで戦略的勝利を掴むべく、何もない荒野の先に見えている次階層への転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)を目指すことは、まったく当然の選択肢だ。──だからこそ、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンが誇る軍師、ぷにっと萌えの術中に陥り、第八階層の守護者として待ち構えていたヴィクティムに抵抗を試みて、────結果は、“藪蛇”というやつだ。

 

(まぁ、気持ちは、わからないでもないがな)

 

 アインズにしても、あれだけの暴威暴力が間断なく降り注ぐ戦場(フィールド)で、いきなり奇怪なNPCが目の前に立ちはだかったら、何かされる前に打ち倒して前に進もうと、迷うことなく魔法を飛ばすだろう。気の聡い一部のプレイヤーが「罠かもしれない」と警告するほどの猶予はない。彼等の背後では、あれらとルベドが後方に残ったプレイヤーの集団を蹂躙しまくっているのだ。一刻も早く次の階層を目指しているところに、邪魔するように現れたモンスターが飛び出してくれば、わずらわしさから攻撃に出るのもやむを得ない判断というもの。

 しかし、その判断が、彼等最後の侵入者たちの命運を分けた。

 ほんの小手調べ程度の一撃で、あまりにも呆気なく倒された第八階層守護者──そのレベルはわずかに30しかない。ナザリックへと侵入し、この第八階層まで生き延びてきたプレイヤーにとっては、何の障壁にも妨害にもなりえない戦力でしかない……はずだった。

 

 ヴィクティムが討たれた直後、

 発動したのは強力無比な足止めスキル。

 

 ただ足止め(それだけ)のために存在する彼の能力は、過つことなく侵入者たちを行動不能の罠にかけ、事態を直接見に来たアインズたちが、最後のダメ押しに『あれら』とモモンガの世界級(ワールド)アイテム──その相乗(シナジー)効果による“変貌”を披露してやった。

 

 アインズの──モモンガの保有する世界級(ワールド)アイテムが、所有者の意志によって発動した瞬間、第八階層のあれらすべてが、────変貌。

 

 そうして、身動き一つ取れなくなったプレイヤーたちを、あれらは完膚なきまでに、蹂躙し尽した。

 

 第八階層 “荒野”には、あれらによる《 死 》が蔓延した。

 

 こうして、アインズ・ウール・ゴウンは難攻不落の伝説を築き上げ、当時、運営に対して『チートじゃないのか?』『違法改造だろ!』などの問い合わせや抗議メールが殺到。

 だが勿論ながら、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、清廉潔白。

 チート処理も違法改造も一切ない。

 アインズ・ウール・ゴウンは、ユグドラシルの規則に反することなく、たった四十一人の総力を結集し、ナザリック地下大墳墓の力で、あれだけの大逆転劇を可能にしてみせたのだ。

 

「全部、みんながいてくれたからだよな……」

 

 思いのほか、懐かしさに骸骨の空っぽの胸がいっぱいになるアインズ。

 自分一人ではけっして成し得なかった……仲間たちの協力と作戦があったからこそ、アインズ・ウール・ゴウンはユグドラシルで不動の伝説を成し遂げられた。

 

 ── 討伐隊1500人全滅 ──

 

 仲間たちが築き上げたナザリック地下大墳墓は、堅牢堅固にして難攻不落。それほどの場所に集った四十一人の絆もまた、堅く結び合わされて離れることはないと、当時のアインズ──モモンガは信じてならなかった。

 そして、その栄光は、この異世界でも存続し続けている。

 

「しかし……」

 

 思わず笑ってしまう。

 仲間たちとの貴重で大切な思い出の中に、あろうことか100年後の異世界に現れたユグドラシルプレイヤーが混在しているかもしれないとは。

 何かしら、彼に関わる情報があるかもしれないと思い、試みた過去映像の確認作業であったが、結局、アインズの手持ちの情報でカワウソらしき堕天使プレイヤーは確認できなかった。

 

「やはり、この全滅後にキャラを転生・転職(リビルド)したと考えるべきかな?」

 

 彼が、カワウソが(かた)っているわけでないとすれば。

 カワウソもまた、この1500人の討伐隊に参加した──あるいは、参加したプレイヤーを仲間としていたはず。

 第八階層のあれらに、ルベドに、ナザリック地下大墳墓へ挑戦を続けたというプレイヤー、カワウソ。

 

「さすがに、人間種から天使種族に転生して、それで堕天使に降格するのは考えにくいが……」

 

 プレイヤーが、天使の中でも熾天使(セラフィム)などの高位種族になりあがるのは、なかなか根気のいる作業だ。

 しかも、それだけの苦労をして“堕天”……今までのレベル数値を放棄するような行為というのは、ユグドラシルの中でもかなりの変わり者と見做されるだろう。それだけ、堕天使の異形種ステータスは微妙な上、扱える特殊技術(スキル)などもそこまで強力とは言い難い。堕天使など、せいぜいが「そういうロールプレイ」に傾注する人しか取得しなかったものだ。

 当時、彼が堕天使でなかったとすれば、熾天使や智天使などの強力な天使であった可能性が高い。この討伐行で、該当するプレイヤーの数はそれなりの数にはなる。適当に洗い出しすることも、ナザリックのシモベに任せれば確実にこなすだろう。

 だが、

 

「これ以上は(らち)が明かないか」

 

 たとえ、彼と思しきプレイヤーを動画内に発見できたとしても、結局は過去の記録。

 今現在の彼の戦力・戦術・装備・アイテムなどは当然違ってくるはず。

 

(とりあえず、これ以上の動画確認はアルベドとデミウルゴス、ユウゴに相談してみるか)

 

 この秘蔵のムービーはいろいろと身内の恥というか、守護者たちに見せるのは抵抗が大きい。他の映像──ネット上に拡散されまくった、侵入者側の方の編集済み映像の確認も行いたいところだが、さすがにアインズ一人では限度がある。

 方針を固めた時、室内の時計が起床の時刻を知らせた。

 アインズはいつも通りに体を起こす。

 

「シクスス、私は起きるぞ」

「はい。それでは、私はこれで御前を失礼いたします」

 

 100年続くアインズ当番──昨日の当番が、部屋の隅の椅子から立ち上がる。

 申し送りの後に今日の担当メイドと交代に入るというホムンクルスの少女に対し、支配者らしい威厳に溢れる態度で頷きつつ、この100年ですっかり慣れた調子でアインズは一般メイドたちの存在を受け入れていた。人間慣れればなんとでもなる……今はアンデッドだが。

 

「さて」

 

 対応を協議すべく、すでに準備は万端整えている。守護者たちNPCの召集は予定通り。とりあえず現段階で情報を共有すべき人員……ナザリックのシモベや子供らの他に、ツアーや、一部信頼が置ける領域守護者などにも、新たなユグドラシルの存在の発見情報については共有できている。

 

「……」

 

 ふと、アインズはメイドが入れ替わるタイミングで、ひとつのアイテムを取り出す。

 それは、一等冒険者“黒白”のモモンが、常に携帯する連絡用の端末であった。

 水晶の板状の画面──魔導国内で試験流通中の、ゴーレム端末を操作する。

 彼に、100年後に現れたプレイヤーたる堕天使に、このゴーレム端末の番号を教えていた。彼と個人的な交流を結び、飛竜騎兵の里を救った際に交わした、あの時に。魔導国において一等と位置付けられる冒険者と、簡単に連絡がつくように。「何かあれば、気軽に連絡を」と言って。

 だが、

 

「連絡は、……なし」

 

 ついでに、モモン・ザ・ダークウォリヤー個人への、アインズへの〈伝言(メッセージ)〉も、ない。

 当然と言えば、当然。

 カワウソは、自らが称するところの『アインズ・ウール・ゴウンの“敵”』だ。

 である以上、魔導国に属する一等冒険者に、助力や援護を求めるはずがない。冒険者は国家の枠組みを超えた存在ではなく、100年前の建国期に、完全にアインズ・ウール・ゴウン魔導国の庇護環境へと帰属した公共機構に与する存在。国内唯一の一等冒険者とはいえ、国家の敵を名乗る(カワウソ)が助勢を頼むようなことは、ありえない。

 

(もしくは、モモンの正体に感づいて……)

 

 彼ならば、あるいは解答に至るかも知れない。アインズが何かのはずみでやらかしている可能性もなくはないのだ。

 しかし、もし──もしもカワウソが、モモンという現地で知り合った男を頼ってきてくれれば──そう思ってしまいながら、連絡履歴を眺めたのだが。

 

「彼と話すことは、もう、できないかもな」

 

 その時が、来ることは、もうないのかもしれない。

 アインズは、100年後に現れたユグドラシルの存在を警戒するために、必要な措置として、自分の正体を隠し通した。

 それが間違いだったとは思えない。

 あの時点では、カワウソ個人の人格や性質は不透明で、何より、アインズ・ウール・ゴウンという存在は、ユグドラシルで“悪名”を轟かせた存在だ。そんな存在が、率先して現れたプレイヤーに近づけば、相手は当然のごとく危険を感じるだろう。場合によっては、即時戦闘なんて事態に発展したやも知れない。

 

 厳密な加入条件を守ることで有名な、異形種プレイヤーの社会人ギルド。

 最高ランキング第9位。世界級(ワールド)アイテム保有数は、桁違いの11個。

 あの1500人を撃退し全滅させた、伝説の存在。PKやPKKなど、数々の“悪”をなした団体。

 

 それが、アインズたちのユグドラシルにおける情報の、ほとんどすべてだった。

 そんな存在が大手を振って「仲良くしましょー」なんて近寄っていけば、確実に怪しまれる。警戒されるどころの話ではなく、場合によってはいらぬ騒乱をアインズ達が自ら発生させる危険性すら存在した。ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに対して遺恨を持つプレイヤーは数知れず(実際、カワウソはその一人であったのだと、遅まきながらに判明)。だからこそ、アインズは事の成り行きを待ちながら、100年後のプレイヤーたる彼が、この異世界に転移した事実を受けいれ、この異世界におけるアインズ・ウール・ゴウンへの警戒を解く猶予が必要だと考えた。

 アインズ・ウール・ゴウンの素晴らしさを伝える優秀なメイド──マルコ・チャンに監視と魔導国の説明を自然と行わせ、彼等の身の安全と、接触する魔導国の臣民を守らせながら、彼等の人物像を詳細に分析する役割を果たせるだろう唯一の存在として、あの娘を遣わしたのだ。そうして、彼の人柄に触れたマルコの報告と監視映像から、アインズはカワウソという名のプレイヤーと、直接言葉を交わしてみたい衝動に駆られた。

 100年という月日を待ったアインズにとって、あのゲーム(ユグドラシル)を共にプレイした存在と、懐かしい話でもしてみたかった。

 そして、できれば、アインズ達の計画に協力してくれればと……

 

 だが、カワウソは、アインズ・ウール・ゴウンとの協調・合流──魔導国傘下入りの栄誉を、反故(ほご)にした。

 

 理由は簡潔にして明瞭。

 カワウソは、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)とやらは、『アインズ・ウール・ゴウンの“敵”』……あろうことか、あの第八階層の“あれら(・・・)”と“少女(ルベド)”に挑む者……だから。

 

「──敵となる以上は、致し方ない」

 

 自らに湧く未練を断ち切るように、モモンの端末をローブの内に仕舞う。

 ちょうど良いタイミングで、交代のメイドが扉を叩いた。

 アインズは、仲間たちと築き上げたナザリック地下大墳墓を護るべく、行動を開始する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




仲間との思い出に いつまでも攻め苛まれ続けているカワウソ
仲間との思い出に どこまでも満たされ続けているアインズ



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対応 -2

/OVERLORD & Fallen Angel …vol.06

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 魔導国

 アーグランド信託統治領

 

 広大な領地をどこまでも見渡せる竜王の荘厳な宮殿で、白亜の巨竜が微睡(まどろみ)から覚める。

 昨日まで、随分とおもしろい祭りに夜半過ぎまで参加していたおかげで、とても懐かしい──心躍る昔の思い出を見ることができた。

 200年、いや、──もう300年前になる。

 リグリットたち──仲間たちとの、旅路。

 ユグドラシルから渡り来た“リーダー”たちとの、最後の、冒険。

 

「ツアー様」

 

 竜の瞳で、己の操る鎧の中身になってくれる当代の騎士……竜王の娘の呼びかけに応える。

 

「うん。お客さんだね?」

 

 竜王の明敏に過ぎる知覚力で、来客の存在と正体を看破していたツアー。

 彼の知覚を飛び越えて現れるものは、かつての仲間たちの中でもごく一握りの例外──今は亡きリグリットとイジャニーヤの老人、あと、公的には上の立場に戴いている盟友・魔導国国主たるアインズくらいのもの。

 白い少女は軽やかに応える。

 

「やはり、お気づきでしたか。昨日の、冒険者祭・決勝のお礼とのことで」

 

 お礼と言っても、「報復」などの意味でないことは明白だ。彼女たちの人格と人柄は知悉している。一等冒険者“黒白”の立場では公になっていないが、家族ぐるみの付き合いというもので、ツアーはあの四人と、生まれた時から面識を得ている。

 通していいよと、長く鋭い顎を微かに上下させる動作で頷いてみせた。

 竜騎士の娘は答礼を返し、正規のルートで面会に来た者たちを迎え入れるべく踵を返す。離れていく乙女の華奢な背中を見送ってやる。

 

「それにしても──」

 

 昨日の、彼女たちとの決勝戦。

 とある冒険者たちのチーム名を継いだ、あの乙女たちの成長は著しい。

 まるで、ツアーが共に旅した、かつてのリグリットたちを思い起こさせる。

 ツアーは、壁に飾られる中身の入っていない騎士の鎧……長い年月のうちに刻まれた損傷の数が凄まじい、竜王の意志によって動くアイテムを、伸ばした白い尻尾の先でそっと撫でる。

 昨日の祭りでは、彼女たちの成長確認だけでなく、思いもよらない出会いがあった。

 できれば、あの銀色の彼の語る『()(しゅ)』という人物にも話をしたくて、彼にアレを渡しておいたが、何やら『急用』とかで、未だに連絡は来ていない。──それも、アインズからの文書による報せで、だいぶ納得はできたが。

 ふと。竜王の住処に、高く響く足音が、五人分。一人はツアーの娘のもの。

 客人の数は、四人。

 

「お久しぶりでございます、ツアインドルクス=ヴァイシオン閣下」

 

 このアーグランド領域──旧評議国の領地をすべて掌握する“信託統治者”に対して、最大限の礼節を尽くす声。

 竜騎士の少女に導かれ現れたのは、年齢にバラつきのある四人の女冒険者。

 竜王はくすぐったそうに笑みをこぼす。

 

大仰(おおぎょう)だね。ここにいるのは僕らだけなのだから、構える必要などないのに」

 

「ですね」と頷いた乙女たちが、片膝の姿勢を解いて立ち上がる。

 武骨な鎧や星色のローブなどに包まれるのは、いずれも「女の華」と称して然るべき美貌の持ち主たち。

 彼女たちの首元には、国内に存在する冒険者の中でも高位に位置する第二等──第一等である七色鉱(ナナイロコウ)の下なので、実質上は最高峰レベルの──アポイタカラの青色プレートが煌いている。

 

「昨日はご苦労様」

 

 昨日の冒険者祭で、永久チャンピオンたる地位に据えられた一等冒険者“黒白”との決勝戦に臨んだ女強者たちは、鮮やかな笑みを浮かべて憚らない。

 大恩ある魔導王陛下──母や曾祖父たちを復活させ導いてくれた至高の王に忠義を尽くす、100年前の冒険者たちの末裔。

 黒い剣を──かつてのツアーの仲間の一人、悪魔の混血児を自称する暗黒騎士が、大事にコレクションしていた純黒の魔剣・四本を、四人の女が、それぞれ腰に背中に帯びている。

 

 小さな身体に幾条にもなる青生生魂(アポイタカラ)の細帯が織り重なった帯鎧(バンデッド・アーマー)を纏う、チームのまとめ役である魔法戦士の少女。妖精のごとき軽やかな長身に弓と矢束を身に纏ったチームの“眼と耳”となる野伏(レンジャー)の乙女。チームにおける回復役と薬剤調合を請け負う清涼な森の薫りを漂わせる森祭司(ドルイド)の女性。

 そして、母によく似た若く美しい見た目とは裏腹に、仲間の誰よりも長い年月を過ごしてきた、チームの“頭脳”を務める女魔法詠唱者(マジックキャスター)

 

 曾祖父たちや母の代より受け継いだ、女冒険者たちのチーム名は────

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 スレイン平野。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の拠点、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)内、第四階層の屋敷「円卓の間」にて。

 

「全員、集まったな」

 

 ギルド長たるカワウソが、長卓の定位置──ギルド長の重厚な座席に身体を預ける。

 

「イズラ。体調の方は大丈夫だな?」

「問題ありません、マスター。ご厚情、痛み入ります」

 

 生産都市の最深部で、死の支配者(オーバーロード)部隊にグシャグシャになるまで蹂躙されてしまった暗殺者は、痛快な笑みを浮かべて応えてくれる。割れ砕けた顔面や四肢は完全に回復済み。拠点へ戻る際にボロボロだった装備についても、アプサラスと金貨のおかげで復元を終えていた。

 

「よし」

 

 頷いて事実を確認したカワウソは、Lv.100NPC──拠点の防衛部隊要員として作り上げた者たちの列を眺める。

 そうして、ここまで共に行動してきたミカやイスラが、ガブたちの列に……卓から少し離れた位置に加わるのを見て、思わず首を傾げた。

 

「──なにしてるんだ?」

 

 ミカを含む全員がカワウソの言葉を理解しきれない様子で顔を見合わせる。

 防衛部隊の長たるミカが「何か問題でも?」と問うてくるので、逆に問い質した。

 

「皆、早く席につけ。何も、突っ立って話し合うことはない──よな?」

 

 ミカは目を見開き、ガブは口元を抑えて、──他のNPCにしても、それぞれが最大級の驚愕に襲われたように、硬直していく。

 着くべき席というのは、この長方形の(テーブル)──12の椅子しかない。

 全員の態度が見る内に変貌していくのが解って、カワウソは若干ながら焦りを覚える。

 

「えと……い……嫌、か?」

「とんでもございません!!」

 

 真っ先に吼えたのは、隊長補佐役の、ミカの親友であるガブだった。

 銀髪褐色の聖女は、驚きの根源を述べ立てた。

 

「しかし、この円卓は! カワウソ様のかつての御友人諸氏の席と伺っております! なれば、そこに我等シモベたる者たちが着席するというのは、身に余る光栄!」

「あ──ああー……」

 

 そういえば、そういうことを独り言で呟いたことが何度かあった。

 誰もいないゲーム空間で、あのナザリック1500人全滅動画を確認しながら、時折ここへ装備変更やレベル調整などのために連れてきたNPCたちに、何の気もなく語ったことも。特に、第四階層を守護する任につくミカには、もう数えるのが無理なほど、語って聞かせた当時を思い出す。

 まさか、そんなことまで記憶できていたとは──と驚嘆しつつ、カワウソは弁明していく。

 

「いや、気にするな。おまえたちは、その、何だ──とにかく、席についてくれて構わない」

 

 かつての仲間たちを参考にして作ったNPCたち。

 その双眸が、はっきり解るレベルで輝きを増した。

 席の数は、十三。

 ギルド長の椅子以外の重厚なそれは、メイドらの清掃が行き届いているおかげで、12個すべてが埃ひとつ被っていない。

 カワウソが当時のギルド──旧ギルドである世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)の頃を再現すべく用意した長卓なのだ。Lv.100NPCの数も、カワウソを含めたギルド員数に合わせて作り上げた傾向が強く、また、造り上げたNPCたちの構成についても、旧ギルドのメンバーに寄せられるものは寄せていた。ユグドラシルのゲームで適正なチーム構成は、一パーティで六人構成。二パーティを組める人数の旧ギルドは、その配合にほぼ則した形であったために、カワウソはそれを大いに参照させてもらった事情もある。

「構わない」と宣告されたガブたちは、しかし、前に踏み出せない。

 ある者は感激に打ち震え、ある者は畏怖のあまり足が動かない様子。

 何しろ、カワウソの座す長卓(テーブル)は、彼のかつての友人たちの席として認知されていた。

 そこに自分たちNPCが着座するというのは、あまりにも畏れ多い。

 

「では、失礼いたします」

 

 そんな硬直した空気を、気持ちよく吹き飛ばしてくれる女隊長の声が。

 ミカは即座にカワウソの右前──彼の副官として相応しい──右手前の位置に着席してみせる。

 彼女の様子に打たれたように、ガブたち他のNPCも戦慄と緊張に震えながら、各々思い思いに席に着いた。

 

「…………」

 

 ふと、かつての光景が思い起こされる。

 カワウソも、かつての仲間たちと共に、こうして円卓を囲んだ。

 ──「円卓なのに長方形のテーブル」って、皆で笑い合ったこともあった。

 ──カワウソが座る今のこの位置が、ギルド長の、彼女の定位置……だった。

 ──彼女の他に、……ふらんけんしゅたいん、きのこのこ、竹人(たけと)、スローインブラスト、(にのまえ)……メンバーの、……皆が。

 

「カワウソ様?」

 

 怪訝(けげん)そうに(ただ)すミカの声に、堕天使は意識を引き戻す。

「何でもない」と軽く微笑みを浮かべて、瞼の縁に浮かびかけた熱を引っ込める。脳内に沸き起こる快感と不快感──善い思い出と悪い思い出の(はかり)が左右に振れるのをピタリと止めた。

 ひたっている場合ではない。

 今、必要なことをなさなければ。

 微笑を浮かべる唇を隠すように、堕天使は指を組んで、なるべくそれっぽい感じに宣言する。

 

「これより、作戦会議を始める」

 

 議題は勿論──「“対”アインズ・ウール・ゴウン」について。

 

「まずは、状況を整理しよう。ミカ」

 

 カワウソは言って、ミカに詳細説明を任せた。

 

「私から、状況を説明させていただきやがります」

 

 ギルド内で最高の叡智を誇ると設定された、毒舌の女熾天使。彼女が部屋の隅で待機しているサムとアディヒラスを呼ぶと、堕天使と精霊の乙女は快活に応えた。従順なメイド長たる彼女たちに、円卓の間に備え付けの収納式ホワイトボードを持ってこさせ、そこにミカは準備しておいたフリップなどをボックスから取り出して張り付けていく。黒いマジックペンで筆記していく日本語は流麗で見やすく、彼女の謹直な人格を如実に表しているようにも見える。

 

「八日前、我々の拠点たるヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)が、ユグドラシルのニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯から異世界へと転移し、このスレイン平野なる異界の土地に定着したことは周知の事実」

 

 その後、防衛部隊Lv.100NPCを筆頭とした調査隊が組織され、わずか二日後にカワウソが沈黙の森とやらで、魔導国の死の騎士(デスナイト)からなる追跡部隊を捕捉。これを殲滅し、追われていた現地人……魔導国三等臣民の飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)、ヴェル・セークを保護した。

 そこからマルコ・チャン……後に魔導国の潜入調査員らしい修道女と合流。第一魔法都市・カッツェへと至る。

 しかし、ヴェル・セークの追伐に赴いた同部族たちの襲撃に遭い、また彼女たちを救援。後に、飛竜騎兵の領地へと招致され、そこで“黒竜”騒動──“狂戦士(ヴェル・セーク)”たちの秘密──あの元長老の征討をカワウソは成し遂げた。

 

「マルコ・チャンの話ですと、その“功”を認めた魔導国国主が、カワウソ様に対し、魔導国“傘下入り”を容認したとの話でしたが──」

「俺が、その話を蹴ってしまった、と」

 

 からかうようにくつくつと笑う主人の言動に、二人のNPCが席を立って(ひざまず)いた。

 ナタとイズラ。魔導国の部隊と交戦した二人である。

 

「申し訳ありません、師父(スーフ)!!」

「我々の身勝手な曲解と愚行が、カワウソ様に危難をもたらすようなことに」

「よせ。二人とも」

 

 昨日、ここでやったのと同じ遣り取りはゴメンだ。

 堕天使は笑って、二人の紡ぐ心からの謝罪を途絶させる。

 カワウソは、二人の忠誠忠義からくる謝辞を受け取らなかった。

 代わりに、ここにいる全員を困惑させる意志だけを、確実に顕示する。

 

「おまえたちの行動は、確かにそういう見方もできるだろうが……昨日、ここへ戻ってきた時にも言っただろう?

 むしろ、俺は──おまえたちに、感謝している」

 

「感謝」という言葉を過たず反復する少年兵(ナタ)暗殺者(イズラ)

 堕天使は、誰もがぞっとするだろう狂笑の奥底に、彼等への嘘偽りのない感情を届けた。

 

「おまえたちは、俺の与えた命令通りに行動した。そして、アインズ・ウール・ゴウンという存在の“敵”となった。ならば、おまえたちの行動はすべて俺の命じたものと同義。俺だけが責任を負うべき事柄だ。おまえたちは命令を忠実に果たしてくれた。違うか?」

 

 抗弁しようとするNPCたちが息を呑むほどの正論だった。命じた方(カワウソ)ではなく、命じられた方(カワウソのNPC)が責任を問われるなど、あっていいことでは断じてない。

 ──上司の指示が杜撰で曖昧なものだったのに、いざ仕上がった部下の業務内容にケチをつけるような連中は、総じてクソと判断してよい。

 ありえないほど忠義を尽くすNPCに対して、カワウソは彼等にとって善き存在たらんと欲する。

 

「それに、アインズ・ウール・ゴウンと戦うことは、俺の望みのひとつ。遅かれ早かれ、こうなることは確定していたと言ってもいい」

「ですが……カワウソ様自らが危難を被り、危地に赴く必要性は」

 

 馬鹿を言うな。堕天使は笑って、部下の言動を跳ねのける。

 

「こんなおもしろい(・・・・・)ことを、おまえたちだけにやらせてたまるものかよ」

 

 他の誰にも渡さないし、他の誰にも独り占めなんてさせない。

 

「敵は確実に“強い”。こっちの勝算は皆無に等しく、逃げ道など何処にもない。──だが、いや、だからこそ……だからこそ(・・・・・)おもしろい(・・・・・)。おもしろいじゃないか、なあ?」

 

 表情がにやけるのを、止められない。

 戦気に、戦意に、圧倒的な“戦闘欲”に憑かれた狂信者は、あまりにも慈悲深い音色で、自らが生み出した復讐の(ともがら)たちを祝福する。

 

「俺は、アインズ・ウール・ゴウンの敵対者──そして、おまえたちは一人残らず、俺の賛同者にして我が同胞(はらから)。同じ敵を打ち倒すべく集った“仲間”たち──そうだな?」

 

 NPCのほとんど全員が、ただ一人の主人の言葉に対し、それぞれが喜色満面に最大限の忠義を露にした。

 

「無論です」

「必ずや、()(しゅ)の期待に応えてみせます」

「あなたの為にある我が魔力。存分に使い果たしましょう」

「失態を(そそ)ぐ機会を与えてくださるならば、即座に」

「────がんばります」

「まったくー、その通りですー」

「拙者の力が御役に立てればよろしいのだが」

「ハハッ!! 当たり前ではないですか!!」

「え、えと、は……はい!」

「当然よね♪」

「世界が、『敵』かぁ。フククッ、おもしろくなってきたじゃあねぇかぁ?」

 

 ガブが、ラファが、ウリが、イズラが、イスラが、ウォフが、タイシャが、ナタが、マアトが、アプサラスが、クピドが──すべてのNPCが、心の底から晴れやかな表情で、カワウソの馬鹿な企みに同調してみせる。メイドのNPCにしても、まったく反論の余地もなく微笑んでみせていた。

 堕天使の奥深くに、心地よい灯火が生まれた。

 仲間に見捨てられたカワウソにとって、彼等“仲間(NPC)”の存在はあまりにも眩しく……同時に、切なすぎるほどに、尊い。誰もが「無駄」で「無謀」で「無意味」と否定したカワウソの望み、たった一つの切実な願い、アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦、第八階層“荒野”への再攻略を、NPCたちは完全に肯定してくれた。

 

 ──そんな中、

 ただ一人だけ、

 

「…………」

 

 憮然と腕を組み、直立するミカだけは、賛同どころか頷きもしなかったが。

 カワウソはそんな女熾天使の様子を目敏く確認しつつ、エジプトの巫女姿の天使にひとつ確認しておく。

 

「マアト。飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の、領地の様子は?」

「と、特には──えと、〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉は確実に、飛竜騎兵の皆さんに通じているよう、です」

 

 ヴェルも、ヴォルも、ハラルドも、セークとヘズナの部族に異常や問題は見られないと、最高位の監視者が、弱々しい口調で太鼓判を押す。

 マアトに与えた監視作業の真意は、他にもあった。

 本当の所、アインズ・ウール・ゴウンが、ギルド:天使の澱と接触した飛竜騎兵の彼女たちに何かしらの干渉──それこそ“刑罰”や“尋問”を働くこと──を懸念していたカワウソだったが、そういった不穏な影は一切ないという。

 堕天使は誰に気づかせるでもなく、安堵の吐息を組んだ指の隙間に落とした。

 

「アインズ・ウール・ゴウンに動きはない、か」

 

 それが逆に、寒気を催すほど、恐ろしい。

 あまりにも嫌な予感を誘発されてならない。

 

「俺は確かに宣告をした。飛竜騎兵の領地を去った後……アインズ・ウール・ゴウンの使者だったメイド……マルコに」

 

 熱狂的な笑みを鎮めたカワウソは、あの時の言葉を、頭の中で反芻する。

 確実に宣告した。

 自分は『アインズ・ウール・ゴウンの“敵”だ』と。

 そうして、蹂躙されていたイズラの救援に駆け参じた。

 マルコというナザリック地下大墳墓からのメッセンジャーを、まったく自由にして。

 さらには、イズラをブチ殺す寸前だった死の支配者(オーバーロード)部隊を、カワウソは完膚なきまでに殺戮し尽し、その死体を持ち去るという暴挙にまで及んだのだ。これでむこうに、アインズ・ウール・ゴウンに何の連絡もいかないはずがないだろう。

 だというのに、魔導国にはそれらしい動きがない。

 

「魔導国の臣民に、ユグドラシルのプレイヤーは認知されてはならない情報なのやもしれません」

「……どういうことだ、ミカ?」

 

 カワウソは純粋に訊ねた。

 

「ユグドラシルという単語は、ナタとイズラ、我々が調査した限りにおいては一般知識として浸透しておりません。いかなる書籍媒体や新聞情報にも、それらしい記述は確認されておりませんので。これは、アインズ・ウール・ゴウンは“ユグドラシル”の情報を秘匿している十分な証拠となるはず」

「だが、俺たちの調査が及んでいない地域では周知されている可能性もなくはないか?」

「やもしれません。が、調べられた限りにおいて、この近辺はナザリック地下大墳墓……魔導国首都圏に近い領域。極東や最北などの辺境地帯とやらならいざ知らず、城塞都市エモットからの距離は近い。イズラが購入していた地図の情報確度にも不安はありましょうが、一応、このあたり一帯には第一や第二など筆頭番号の都市群が存在している以上、この辺りの情報精度は高いものと推察してよい筈」

 

 さらに、ミカの言説は進む。

 

「ここからは私見を含みますが、この異世界の住人は、割と低レベルの存在が多い。飛竜騎兵たちにしても適正なレベル数値ではないLv.20を前後しており、ナタやイズラ、そしてラファが訪れた各地域の臣民にしても、雑魚POP以下の存在程度しか群れていない様子です」

 

 天使の澱の中で『頭脳明晰』と定められた熾天使は、正論しか紡がない。

 ユグドラシルでは、Lv.90までは割とすぐに到達できる。そこから先の領域をどうやりこむかが、ゲームのプレイヤーの腕の見せ所な部分が大勢をしめていた。ユグドラシルにおいて割と雑魚な死の騎士(デスナイト)のレベルが35。にもかかわらず、この異世界ではLv.20程度か、あるいは30ぐらいの存在ばかり。ゲーム初心者ならばすぐに追いつける程度の位階に、彼等現地の人々はとどまっているという状況だ。

 これは、彼等の努力不足ということはありえないと、カワウソは思う。

 その根拠となるのは、カワウソが知り合い、その記憶をいじることで天使の澱との関係性を断ち切った現地人たち、飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の部族の生活に密着できていたおかげだ。彼等は勤勉と克己の意気に溢れた武錬の一族。日常的に騎乗訓練や模擬戦闘などを行い、この異世界における飛竜騎兵としての能力を獲得している。本来であれば飛竜は、30レベル後半に到達した騎乗兵職業を有するものだけが騎乗可能であるはずなのに、彼等は低レベル帯でシステム上不可能なはずの事象を可能にしている以上、その修練がまったくの無駄であるということはないと、判断してよい。

 それでも、否、だからこそ、彼等はカワウソの計画には使えそうにない。使い物にならない。

 ナタが交流を持った亜人や人間、イズラが観察した都市を行き交う人々、そして、ラファが参加したという冒険者祭の“冒険者”たちにしても、周囲と比較して、際立って高いレベル数値……50以上のレベルは、「魔導国臣民」の中には確認できていない。

 その程度のレベルの雑魚を取り込んでも、壁や盾に使えるかどうかという話だ。

 だからこそ、カワウソは飛竜騎兵の部族の中で、カワウソ個人への友誼や尊心を懐く彼女たちの記憶を消し去った。

 魔導国臣民は、カワウソの復讐には使わないし、標的にすることは今後もない。

 

「以上の情報から、アインズ・ウール・ゴウンは魔導国臣民──現地人たる人間や亜人には、情報統制を()いている可能性はありえます。弱いものに知識を詰め込んでも、我々のような存在──敵の“利”にしかならないからです」

 

 アインズ・ウール・ゴウンの敵となるものにとって、つまり、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)にとっては、何の力もない存在が握る情報など、簡単に獲得可能なもの。魅了(チャーム)で。催眠(ヒュプノス)で。記憶を読み取ることで。──単純に尋問し拷問し、力任せに情報を絞り出すことも、「やろう」と思いさえすれば十分に可能だ。

 だが、カワウソ達はそんな強硬手段には(のぞ)まないし、望まない。

 現地の彼等には、利用価値のある情報を与えられていないから。

 ──あるいは、そういう可能性を危惧して、『臣民を守る』目的や名目で、アインズ・ウール・ゴウンは情報を与えていない可能性も?

 ありとあらゆる可能性を想起可能な現況では、そういうことも十分ありえる。

 が、やはり確証など無い。

 アインズ・ウール・ゴウンの正体──新聞やニュースに映るアバターは確実にプレイヤー・モモンガの姿であるはずなのに、ギルドの名称を戴く王の差配の絶妙さに舌を巻く。

 ──もしくは、カワウソのような不埒な輩や、敵対組織の存在を危惧して、国民を一括管理すべく、大陸全土を統治……世界を征服するなどという、破格の事業を成し遂げたのではないだろうか。

 嫌な可能性の大渦に呑まれるカワウソに気づいているのかいないのか、ミカはさらに説明を続ける。

 

「二人が交戦した魔導国の実行部隊──戦闘メイド(プレアデス)、名はソリュシャン・イプシロンとシズ・デルタなる個体は、臣民ではなくナザリック地下大墳墓のNPC……我々防衛部隊の存在と同質故のレベル数値だったようです」

「ナザリックの、NPCか……」

 

 カワウソは、戦闘メイド(プレアデス)なる二人のメイドを知らない。

 彼女たちはおそらく、ユグドラシルプレイヤーが侵入できていないナザリックの階層や領域の存在なのだろう。

 不安要素は多い。

 未知の異世界。発展した魔法技術やアイテム。アインズ・ウール・ゴウンが保有しているはずの11個の世界級(ワールド)アイテム。例を挙げればキリがない。マルコが名乗った「混血種(ハーフ)」という存在も、気にかかる情報だ。

 それこそ単純な話、カワウソが知らないナザリック地下大墳墓の強者……Lv.100のNPCがまだ存在している可能性を想起される。連中のL.v100NPCで認知できているのは、第一から第七階層までを守護していた守護者たちは“五人”だけだが、あの広大かつ難攻不落の拠点をすべて探索できたプレイヤーは、ユグドラシルには一人もいない。

 たとえば第一から第三階層を守護するシャルティア・ブラッドフォールンや、第六階層守護者たるアウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ姉妹(・・)らと共に、魔導王アインズ・ウール・ゴウンの王妃に列せられている女性たち──最王妃アルベドや魔王妃ニニャなども、そういう存在である可能性はありえるだろう。

 

(それとも、現地では珍しい高レベルの存在だからこそ、魔導王の妃についている、とか?)

 

 様々な可能性や憶測で、脳内がパンクしそうに痛む。

 こめかみを抑えて頭痛を訴える脳を鎮めようとするが、まるでうまくいかない。

 ……深く考えるのはやめておいた方がいい。自分の内側から起こる現象は、カワウソの装備ではいかんともできないのだ。こんなことで体力を削られでもしたら、たまったもんじゃない。

 

「NPCといえば──アプサラス。マアト。俺が回収した死の支配者(オーバーロード)三体の死体は?」

「すでに十分なデータがとれております♪」

 

 心よく応じる踊り子が立ち上がり、マアトを促して、共にミカの傍にあるホワイトボードの方へ。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王なる存在が召喚し生み出したらしい上位アンデッド──カワウソ様が見事討滅された三体の死の支配者(オーバーロード)、その検体は十分に終わっております♪」

 

 語尾の弾む独特な音色を響かせるアプサラスに続いて、翼の腕を持つ褐色乙女が(さえず)るように話した。

 

「えと、あの、こ、これが、私たちの、鑑定の、結果、です」

 

 マアトがボックスから取り出したのは、鑑定結果を記録した書類の束だ。

 その調査内容に全員が傾聴の姿勢を示す。

 回収した死の支配者(オーバーロード)三体の死体を調べ検めたカワウソたちは、アインズ・ウール・ゴウンが生み出すアンデッドの共通項……その驚くべき特徴を知ることになる。

 死の支配者(オーバーロード)たちの、その死骸。

 ただの上位アンデッドの死骸──ただ特殊技術(スキル)や魔法で作成召喚された攻撃手段たる存在とは違い、どうやら彼等には、核となる“死体”が存在していることが判明した。そして、死の支配者(オーバーロード)という上位アンデッドたちの核というのは、ただの人間や動物の死骸では、なかった。

 防衛部隊の長たるミカが二人に対して、形式的に問いかける。

 

「その情報の確度は?」

「ウチで唯一、死霊系魔法〈死者召喚(サモン・アンデッド)〉とかを扱えるマアトが、実証済みよ♪」

 

 打てば鳴るように応じるアプサラスが、エジプトの巫女のごとき天使の瞳を覗き込む。

 

「えと……こ、ここに、外から持ってきてもらった、生き物の死骸──市販されてた、お肉が、あり、ます」

 

 外の調査に赴いていたカワウソたちが、現地の物資やアイテムの性能を測定すべく、ナタが獲得してくれた魔導国の通貨で入手・保存していた市販肉……羊系統の骨付きブロック肉を、マアトは翼の両腕で掲げ持つ。

 そうして、許可を求めるようにカワウソを見つめた。主人は軽く頷いて先を促す。

 

「で、では……えと、さ、〈第四位階死者召喚(サモン・アンデッド・4th)〉」

 

 少女の差し出した翼の先──円卓の間にゴボリと黒い泡が立ち、次いで、その黒泡がマアトの保持する肉に纏わりつく。

 

「お、おおお?」

 

 カワウソは未知の現象に思わず身構える。肉がマアトの手を離れ、粘液質な闇色を人型に整えていく。

 マアトが召喚したアンデッドは、木乃伊(ミイラ)

 砂漠の熱砂でカラカラに干上がった(しかばね)の全身に、ボロボロに朽ちた包帯を幾重にも巻き付けたアンデッドの姿は、まさにユグドラシルの砂漠地帯フィールドに出没したモンスターそのもの。エジプトの神々の使い=天使をモチーフとしたマアトは、基本的にエジプト神話に由来した能力や装備を多数扱うと設定されており、魔法詠唱者であるマアトの前衛役となる木乃伊(ミイラ)を大量作成するアイテムを与えてもいた。

 通常、ゲームで発生する不死者(アンデッド)は、死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)が死体を加工することで生み出すことも出来るが、たいていはもとになった死体の形状・種族に依存する傾向にある。ドラゴンの死体であればドラゴンゾンビが生まれ、トロールの死体からはトロールゾンビが──という具合。

 しかし、ただの市販肉で、家畜の死体肉が、人の形状を持つ木乃伊(ミイラ)に加工されるというのは、ユグドラシルにはないシステムだったはず。少なくとも、カワウソは食材系アイテムにそんな効能がある──「ただの食材が、アンデッドモンスターに加工可能」という話を、あのゲームで聞いたことがない。

 

「こ、これ、で、このアンデッドは、ずっと、消したり倒したりしない限り、存在し続け、ます」

 

 召喚系統の特殊技術(スキル)や魔法、アイテムの効果には時間制限がある。

 だが、マアトが今まさに目の前で創り上げたアンデッドモンスターは、そういった制限なしで存在するのだと。そう説明される。すでに、彼女の管理区域としているボーナスステージに、POPモンスターに混じって警備任務に就くミイラ系アンデッドが複数存在しており、それらは召喚されてからすでに半日も存在し続けている。通常の召喚時間を大幅に超えて、だ。

 

「死体を媒介としたことによる、永続的な召喚……か」

 

 ユグドラシルにはないシステムであるが、納得は即座に得られた。

 アンデッドのモンスターは、死体が何らかの理由でアンデッド化した存在であり、そういうテキストデータがゲーム内には存在した。それがこの異世界で現実のものとなり、アンデッドはこの異世界の住人──その死体に宿る怨念や霊魂、魔力や負のエネルギーがそのような形状と動力を得て駆動すると考えれば、一応、辻褄はあうのだろう。

 

「カワウソ様」

「どうした、ミカ?」

「覚えていやがりますか? 魔導国臣民のほぼ全ての等級に共通している義務要綱にあった」

「……ああ、『死体の提供』か」

 

 そうと解れば、何もかも納得がいく。

 飛竜騎兵の領地で死んだ、あの老騎兵の死体。その身から摘出された心臓部の行方について、思考を巡らせる。

 

「つまり……アインズ・ウール・ゴウンは、……自分たちの臣民から、永続性を有するアンデッドの兵団を構築しているわけ、か」

 

 そう考える方が妥当と言える。否、それ以外のいかなる理由があって、国民全員に『死体を提供せよ』などと義務命令を達する必要があるというのか。マアトが使った市販肉はそこそこの大きさだったが、全身でなくても効果は十分。ならば、死体の一部──心臓部だけを提供させても帳尻はあうと見るべきか。

 随分と素晴らしいシステムではないか。

 生きている間は臣民として飼いならし、死んだ後は永遠に不死者(アンデッド)として使役する。

 これでは魔導国の戦力兵力というのは、理論上では無限に増幅する勘定になる。

 

「上位アンデッドが都市に配分・量産されていない理由は、わからない?」

 

 ミカの当然な疑問に、調査鑑定にあたった二人は首を横に振る。

 死体を漫然と利用して──それこそ、そこいらのLv.10にも満たない一般臣民が死んだだけで、それを上位アンデッドに加工可能というのであれば、中位や下位アンデッドを量産する必要はない筈。それこそ、死の騎士(デスナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の役割を、蒼褪めた騎乗兵(ペイルライダー)地下聖堂の王(クリプトロード)でやらせておけば、いざという時にどれだけの戦力になるのか、容易に判断できる。

 それをアインズ・ウール・ゴウンがしないのは、──単純に考えるならば、死体にもグレードやレベルが存在して、上位アンデッドを永続化するのに足る素材が少ないから、というのが妥当か。できるのに隠す理由は、どこにもないはずだし、事実、カワウソが持ち帰った上位アンデッドの元になった死骸というのは、ただの死骸ではなかったのだ。

 

「この、召喚の永続化──天使モンスターでも使えないのかしら?」

 

 ふと、成り行きを見守っていた聖女、隊長補佐であるガブが確認の声を上げる。

 智天使である彼女は、ミカには及ばないにしても、ギルド内ではかなり強力な天使を召喚作成する能力に恵まれた存在。今も拠点の鏡を守る天使を召喚する役儀を務める聖女だからこその疑問であり、期待だった。他に彼女と同程度の召喚能力を有するのは、全身鎧の防衛隊副長・ウォフくらい。彼女らの天使作成のスキルに、永続的な効果を付与できるのであれば、天使の澱の戦力を拡充することは容易となるだろう。

 だが、その目論見は実現不可能だった。

 

「ああ、それは無理ね♪」アプサラスは既に実行しようとして、悉く失敗していることを告げる。「ついでに、私の強力な精霊召喚についても、『生物の死体』を加工してってプロセスは意味がないみたい♪」

 

 仕事の早い精霊の女王(エレメンタル・クイーン)の調査内容は疑う余地はない。

 だが、アンデッドが永続性を保持するのであれば、天使や精霊なども、何らかの手法で永続性能を保持する可能性は、なくはないはず。

 カワウソは閃く。

 これは、あれだろうか。

 アンデッドの媒介が“死者”であれば、天使は、真逆の──“生者”……生きた人間を?

 

「いいや、まさかな」

 

 それに──思考するだけ無駄と覚る。

 そもそも確かめようにも、カワウソ達の周辺にいる住人、大陸の人間や生物は、すべて魔導国の臣民であり所有物。彼等を犠牲にするようなやり方は、カワウソの復讐にはまったく必要のない事柄だと自己規定している。それを覆さねばならない状態とは言い難い。この大陸の民はすべてアインズ・ウール・ゴウンの物であり──同時に、今を生きる現地の人々なのだ。カワウソが復讐のために犠牲にしてよい対象にはなりえない。

 

「どこか適当な場所でモンスターを狩る……のもダメか」

 

 人間や畜産物ではないモンスターを生け捕りにして実験するにしても、問題があった。

 飛竜騎兵の領地で一時の交流を得た最高位の冒険者“黒白”のモモンから、教わっていた。魔導国では、モンスターの脅威は完全に廃滅しており、逆にモンスターたちの自然そのままの生活を維持するために、許可のない者による狩猟や殺傷は原則禁止されているという話。そういうことができるのは、解放区とかいう“冒険都市”内に限定されている、だったか。

 ふと、黒い鎧を着込んだ壮年の男と、連絡するための手段があることを思い出す。

 

(モモンさんに協力を仰ぐ……わけにもいかないだろうな。こんな状況じゃ)

 

 彼は国の重要人物──第一等の安泰な地位を約束された最高峰の冒険者だ。そんな人物と、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”が懇意にするというのは、いくら何でも迷惑が過ぎるというもの。

 カワウソは彼との連絡手段を渡されているが、これを使うことはないだろう。

 それに、カワウソには他にもうひとつ、彼に協力を申し出ない理由があった(・・・・・・)

 

(確か、『この世界(・・・・)の狂戦士には、副作用が』──か)

 

 やはり、確信は持てない。彼にも──モモンにも、様々な憶測は成り立つ以上、彼を頼るのは難しいと判断しておくほかない。

 意識をモンスターの狩猟の是非に戻す。

 そのため、冒険都市などの一部“解放区”以外でのモンスターを傷付ける行為行動は、厳罰に処される可能性が極めて高い。カワウソ達は魔導国の方に従う義務のない異邦人であるが、それでも連中に嗅ぎつけられかねないリスクは避けたいところ。ただでさえ、いつ魔導国の部隊が反撃と征討の為に天使の澱の拠点を包囲するかもしれない状況を構築してしまったのだ。むこうは天使の澱を臣民に公表こそしていないが、裏でどれほどの規模の軍が、組織が、兵力が蠢動しているのかは、不明。

 

(だとすると、俺たちに情報が漏れるのを嫌って、臣民に情報を秘匿しているのかも?)

 

 ニュースで情報を流さない──カワウソ達プレイヤーの存在を広く喧伝しない最大の理由が、それだとしたら。

 浮かんだ可能性に背筋が凍るような恐怖を覚える。口の端が歪むのをこらえられない。

 かろうじて笑みの形を保っている凶貌は、NPCたちの瞳にはどのように映っていたのだろうか。

 

「この件についてはここまでにしよう」

 

 堕天使は(らち)のあかない問答を一旦切り上げて、他に確認すべき内容を──朝食前にミカが告げていたあることを思い出して、そちらに意識を傾ける。

 

「ガブ。ラファ」

 

 銀髪の天使NPC二人に呼びかける。

 

「昨日は聞きそびれて悪かったな──それで、報告というのは?」

 

 先を争うことなく、互いに視線の遣り取りだけで順番を決める。

 レディファーストを徹底したラファに促されるように、ガブが昨日、マルコが正体を明かす直前にしようとしていた報告をやり直す。拠点に戻った後も、ナタとイズラを回収した後も、カワウソは簡単な指示出しを行うのに精一杯で、とても個々の報告を確認する余裕がなかった。堕天使のノミのような心臓が、急転直下の様相を呈する状況に、キャパオーバーを引き起こしたもの。アンデッドの死体を鑑定班に引き渡して、ミカに拠点防衛を任せた後、自室にこもって休まなければならなかったのだ。

 ガブは姿勢を正して、まっすぐに告げる。

 

「昨日、連中に……飛竜騎兵の領地の連中に〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉を施した際に、不可解なことが」

「不可解というと、マルコには精神系魔法が効かなかった、あれか?」

「いえ、それとはまた別の問題で……」

 

 ガブは最高位の精神系魔法の使い手としての能力から、彼女だけが知り得る領域で起こった現象に違和感を覚えていた。

 

「私の〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉は、魔法を使用する際に、相手の記憶をある程度まで読むことができます。直近の記憶から遡って、書き換えや削除などを行い操作すべき記憶を見るために」

「それで?」

「それで、その……セーク部族の連中は、問題なく任務を遂行できたと自負しておりますが、ヘズナの族長、ウルヴ・ヘズナという男の記憶をイジる際に、おかしな現象が」

 

 ガブの〈記憶操作〉は、カワウソ達と関係を持ち、言葉を交わしたほぼすべての飛竜騎兵と飛竜に施した。

 その関係上、ヘズナの族長にもガブは〈記憶操作〉を施すべく、彼の領地にまで飛んで、記憶をイジる必要があった。

 だが、そこで奇妙なことが起こったという。

 

「ヘズナの族長は──その、記憶を操作している時に、妙な欠落というか、不自然な点が多々あったのです」

「不自然な?」

「ええ。たとえば、何ですが──カワウソ様も参列した、老騎兵の葬儀。ヘズナの族長として参加したはずの、その記憶が、彼はごっそり抜け落ちている、ような?」

「──はあ?」

 

 要領を掴み損なうカワウソに対し、天使の澱で最高位の知恵者として君臨する熾天使が、間髪入れずに説明する。

 

「ガブが記憶をいじる前の段階で、ウルヴ・ヘズナ族長の記憶に、何らかの細工がされていた可能性があるようです」

「……それは、どういう?」

 

 これは、昨日カワウソが自室にこもった後、彼女から説明を聞いていたミカにしても、安易に読み解ける問題ではなかった。

 天使の澱は誰も知り得なかったが……何しろ、(ウルヴ)があの時、葬儀に際して共に貴賓席にいた人物の、その“正体”を思えば、彼の記憶にある程度の封印や操作を残すことは、必然。

 彼は、モモンたちと共に行動し会話した内容を記憶できていない……わけではなく、その正体に関わる詳細な情報を、他の存在に読み解かれないための処置を十分に施されていたのだ。天使の澱が誇る精神系魔法詠唱者であるガブの能力をも超える規模で。

 

「どうしましょう。ヘズナ族長の、カワウソ様に関する記憶は操作できましたが……」

 

 ガブが不安を覚えるのも無理はない。

 自分の精神系魔法で読み取れない領域の現象が発生したということは、単純に考えると、ガブ以上の強者の影を想起して然るべき事態といえる。

 

「いっそのこと、ヘズナの族長を拉致して抹消……は、ダメでしたね。愚昧な失言、失礼いたしました」

「いいや、ガブ。報告、ありがとう」

 

 彼女の話は、カワウソの中のある仮説のひとつを補強する材料となりえた。

 ギルド長として相応しい、余裕に満ちた微笑で頷くことで、彼女の忠勤に応じてみせる。

 そんなカワウソの言動に対し、聖女は子供のようにはにかんで感謝の極みを言葉とした。

 

「あ、あああ、ありがとうございましゅ!」

 

 大事なところで噛み噛みになる防衛隊の隊長補佐たるNPCに、全員が表情を綻ばせた。

 

「ああ。それじゃあ次は、……ラファ……おまえが行っていた、冒険都市の報告、だな?」

「はい。()(しゅ)よ」

 

 ガブの隣で誠実に頷く牧人姿の天使。

 

「ですが、それらすべてを報告するよりも先に、最も重要な案件をひとつだけ」

「重要な?」

 

 立ち上がったラファは、足音すら聞こえない丁重な足運びで、ギルド長の席に近づき、三歩ほど離れた位置で片膝をついた。

 

「実は、自分が調査に赴きました冒険都市にて。一等冒険者(ナナイロコウ)“黒白”の一人である純白の騎士……いえ」

 

 銀髪の天使はひとつの封書を取り出し、主人であるカワウソに差し出す。

 

「アーグランド信託統治領を治める“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”──アインズ・ウール・ゴウン魔導王の同盟者──ツアインドルクス=ヴァイシオンなる存在と邂逅し、ここに“招待状”を、受け取っております」

 

 両手で恭しく捧げられたものを受け取ったカワウソは、赤い封蠟に竜の紋様を施された封書を手にし、表を見て、裏を見て、二度ほど()めつ(すが)めつした後、

 

「……はぇ?」

 

 何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




冒険都市編では現在まで生き延びた(?)キャラが多数登場予定ですが、いろいろあって省略。

次回、アインズ様のターン──


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対応 -3

100年後のナザリック


/OVERLORD & Fallen Angel …vol.07

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「お待ちしておりました、アインズ様」

 

 主人の到来を待ちわびていた忠実なるシモベ達──その代表として、漆黒の女悪魔が臣下の礼をもって迎え入れる。

 ここはナザリックの最奥。第九階層の一角に存在する会議室内に、魔導国の中枢に携わるシモベたちが集っていた。

 

 ()守護者統括、「大宰相」“最王妃”アルベドをはじめとして。

 第一・第二・第三階層守護者、「大元帥」“主王妃”シャルティア・ブラッドフォールン。

 第六階層守護者、「大総監」“陽王妃”アウラ・ベラ・フィオーラ。

 第六階層守護者、「大導師」“月王妃”マーレ・ベロ・フィオーレ。

 他にも、第五階層守護者、「大将軍」コキュートス。第七階層守護者、「大参謀」デミウルゴス。第九階層防衛要員たる執事(バトラー)家令(ハウススチュワード)のセバス・チャン。さらに、セバスの部下にして、今回の会議に出席を求められて当然の“功”を挙げた戦闘メイド(プレアデス)たち、ユリ・アルファ、ルプスレギナ・ベータ、ナーベラル・ガンマ、シズ・デルタ、ソリュシャン・イプシロン、エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。

 他にも第九階層の一般メイド部隊の長たるペストーニャ・S・ワンコや、アインズ・ウール・ゴウンその人の“三助”である三吉。デミウルゴスの配下たる魔将たちに、コキュートスの麾下にある蟲の近衛兵団など。

 

 さらに、ここにいる者たちの家族──ナザリック地下大墳墓の新しいシモベとして生み育んできた混血種たちが、ほぼ一同に会していた。

 

 セバスとツアレの娘、白金の髪のメイド──マルコ・チャン。コキュートスと雪女郎たちの子供たち、蟲と人の形が見事に融合したアイスブルーの男女──カイナ、アンテノラ、トロメア、ジュデッカ、ルチ、フェル。デミウルゴスと紅蓮の娘、溶岩流のごとき髪を絶えず流出する炎獄の乙女──火蓮。そして、戦闘メイド(プレアデス)の娘たち──マルコの部下としてナザリックに忠を尽くす「新星」部隊──エルピスたちなどが、六名。

 他にも種々様々……魔将たちの子供らや、アインズの生み出した死の騎士(デスナイト)の娘など。

 

 そして、魔導王の──アインズ・ウール・ゴウンの子供三人の内の一人。

 言わずと知れた魔導国第一王太子──骸骨と女淫魔の混血種──ユウゴ。

 

 彼等“ナザリックの子供たち”も後学のために、そして、有事の際には連中との戦闘もありえるとして、その対抗策を協議する場に招かれたのだ。テーブルから離れた壁際に設けられた椅子に座して、父母たちの会議の様子を見学する形である。

 

「うむ」

 

 室内の光景に頷いたアインズは、会議室内に設けられた上座──企業の上役が鎮座して当然の位置にある席に歩み寄り、どの席よりも重厚感のある黒革のそれに骨の全身を預ける。

 会議の準備を万端整えたアルベド。女悪魔の玲瓏な声音が、場の空気に冷水が打たれたかのごとく、一同の意識を引き締めてみせる。

 

「では、これより──昨日20時に一時中断しておりました──この異世界に転移してきたユグドラシルの存在、100年後の我らが魔導国内に迷い込んだ不穏分子たち……自称“アインズ・ウール・ゴウンの敵”と名乗る連中……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に関する報告会と、対策協議を再開いたします」

 

 特に、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”という部分が、まるで極寒の息吹のごとく聴く者の耳を凍てつかせ、獄炎のごとき憤怒の思考を滾らせた。

 昨日も夜まで(アインズが設けた就労可能時間いっぱいまで)さんざん議論された会合内容であるが、そうするだけの問題であることは、異論を差し挟む余地のない事実である。

 

「ここで、少しばかりおさらいを。

 ──ほぼ24時間前。昨日未明の早朝に、ソリュシャン率いる特務部隊とシズ率いる新鉱床掘削嚮導部隊(きょうどうぶたい)が会敵・開戦した連中の情報について」

 

 水晶の大画面に映りこむは、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”の姿。

 デミウルゴスの簡潔明快な情報総覧によって、連中のNPCのうち、五体までがLv.100と思しき証拠が顕示される。ソリュシャンを同職の暗殺者(アサシン)の技術で翻弄した死の天使(イズラ)。シズを圧倒的な技量差と力量差で完封していた少年戦士の花の動像(ナタ)

 さらに、カワウソの副官のごとく常に傍近くに(はべ)り、強力な防御性能を示す熾天使(ミカ)。マルコが相対し、まったく歯が立たないレベルの速度で戦闘態勢を構築してみせたガブとウォフという天使が、Lv.100の領域にあるものと確定している。

 

「以上のように、推定されているだけでもLv.100という最高位クラスの能力を備えたNPCが複数体、存在を確認されております。……あまり考えにくいことではありますが、これは連中の他のNPCについても、同様な数値が割り振られている可能性を想起せずにはいられません」

 

 ただの暗殺者(アサシン)ですらLv.100……ソリュシャンと三吉と交代で投入された、あの死の支配者(オーバーロード)部隊と交戦し、敗北こそしたが、召喚作成した兵団と暗殺者の職種でそれなりに戦闘してみせた技量は、ただの高レベル帯では説明がつかない。身に着けた装備やアイテムが優秀ということもない以上、単純な基礎能力値(ステータス)によって抵抗が可能だったと判断する方が自然といえる。

 そして、現在までの監視で、天使ギルド……天使の澱(エンジェル・グラウンズ)とやらが有するはずのNPC数は、外に出て来たもので16体。うち4体が同一規格の細長い獣の姿で、特異な点は見受けられない。

 とするならば、

 

「連中の保有する12体のNPCは、そのすべてが、Lv.100という線が濃厚でしょうね」

 

 デミウルゴスの意見に、アルベドは肯定の首肯をおとす。

 カワウソというユグドラシルプレイヤーを守護するように寄り添う姿。スレイン平野を数十メートルほど掘り返したり、重装備で疾駆する姿などから、かなりの高レベル帯と予測されていた敵NPCたちのなかで、すでに5~7体ほどがLv.100であることが確定・推測されている。

 カワウソの副官のごとき金色の女熾天使・ミカ。

 銀髪褐色の聖女にして精神系魔法の妙手・ガブ。

 樹木製槌矛(メイス)を担ぐ機械翼を有した全身鎧・ウォフ。

 そして、戦闘メイドたちが率いる特務部隊と交戦した、暗殺者(イズラ)少年兵(ナタ)

 

「さらに、魔法都市に召集され、死の天使や花の動像と共に、別の都市調査に赴いていた天使」

 

 冒険都市へ釣り餌のごとく来訪した銀髪の牧人・ラファ。

 奴があまりにも正々堂々と冒険都市へと向かったが故に、イズラとナタは彼の補助要員(バックアップ)として、不可知・不可視の状態で同行しているものと思われていたのだが、それは間違っていた。

 

「そしてさらに、スレイン平野監視任務を並行していたニグレドの気配に気づきかけた、天使」

 

 敵拠点の出入り口に交代で駐屯する際に、ナザリック最高の監視者に気づきかけた赤子の天使・クピド。ニグレドたちが驚愕する挙動を見せたことで、ナザリックの最高の監視者に過大な危惧を負わせた赤ん坊姿の天使は、最高位の転移魔法の使い手でもあるらしい挙動から、やはりLv.100であると推測される。

 実際に対峙した者たちの感得や、それなりに疑わしい例を含めると、どれも最高レベルである100あたりが妥当なはず。中途半端なレベル数値では不可能なはずの芸当や能力を発揮できている以上、天使の澱の中で精力的に活動しているNPCたちの力量は極めて高いと予想して然るべき。

 水晶の画面に掲示添付される写真の下に書き込まれる、Lv.100という数値。

 それが十二体──概算して、合計1200レベル。

 そうして推定された拠点レベルや、転移の鏡を通じて出入りするタイプの拠点に該当するだろう候補を、ナザリックの図書館……最古図書館(アッシュール・バニパル)でティトゥス司書長たちが見つけてくれた。添付される画像は、地下空間に遺された巨大蛇の脱殻址に建立(こんりゅう)された、岩の砦。

 

「拠点名は、おそらく、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)

 拠点レベルは通常1350。

 最大3000レベルが存在するユグドラシルのギルドダンジョン内では中級程度の拠点とされ、外観は地下空間の大空洞……大蛇の脱殻の中に建造された城砦という、地下潜伏型のダンジョンとなります」

 

 司書長(ティトゥス)たちが探り当てた拠点の参考画像は、ひどく陰鬱な、篝火の中に浮かび上がる四角い建造物の姿を露にしている。内部構造は、改造されていない状態だと全三階層構造が通常とされ、内部の配置は迷宮(メイズ)回廊(クロイスラー)大広間(ホール)というのが基本(デフォルト)のようだ。

 出入りするには、転移の鏡を通らなければならないという特徴と合致しつつ、現在までに確認されている天使の数──Lv.100NPCの総量が12体──合計レベル数値を考えれば、このあたりが妥当なはず。

 

「情報を見る限り、ナザリックと比べるのも烏滸(おこ)がましいほどでありんすが、あまりにも貧相なダンジョンのようでありんすね?」

 

 シャルティアの嘲弄に、ほぼすべての守護者とシモベが頷きを示した。

 ゲームでの、拠点レベル最大上限は3000。

 ナザリック地下大墳墓は、アインズたち至高の御方々の巧みな攻略によってボーナス数値が加算されたレベルは2750という、上限近くにまで数値を上昇された拠点だ。栄えあるナザリックの表層を飾る墳墓は、見る者によっては芸術の域にあるのに対し、あの天使連中は表層に粗末な鏡を置くのがせいぜいというありさま。これではナザリックのNPCたちに見下すなという方が無理な話である。

 

「1350が最低ラインなら、あの十二体の他にも100レベルがいるのかな?」

「その可能性はあり得ますね、アウラ。我等がナザリックの例ですと、宝物殿の領域守護者たるパンドラズ・アクターの他に、戦闘メイド(プレイアデス)リーダー、末妹であるオーレオール・オメガなど、外に出すことをほとんど想定していない高レベルNPCもおりますので」

「ダガ、ソウスルト残リ50レベルハ──アノ四足獣ノ四体カ?」

 

 アウラの疑問に答えるデミウルゴスへ、コキュートスがさらに疑問をぶつける。

 

「いえ、どうでしょう。ニグレドの監視網は優秀ですが、レベル数値を精密に探査する魔法は完全な攻撃と分類されるやもしれぬ状況。これでは、迂闊に計測することも出来ませんので」

「えと、あ、あの、デミウルゴスさん」

「どうしました、マーレ?」

「あの、どうして、あの人たちは、すぐに動かないのでしょう? 敵になるって、宣戦、布告? したなら、すぐに攻めてきても、いいんじゃ?」

「おそらくですが、向こうも機をはかっているのではないでしょうかね? 我等ナザリック地下大墳墓は難攻不落。あの1500人──外の存在すべてを完全に跳ね除けた偉大なる御方々の居城を攻めるための努力を続けているのでしょう」

 

「無駄な抵抗を」と小さな侮蔑を吐いて、憐れみと共に天使ギルドを嘲弄する参謀の悪魔に対し、女悪魔たる宰相が注意喚起する。

 

「油断してはいけないわ。デミウルゴス。アインズ様が警戒するユグドラシルプレイヤー……そして、アインズ様の同盟者となった“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツアーが語る通りであれば、連中も何らかの世界級(ワールド)アイテムを保有している可能性は極めて高い。──いいえ。ツアーが推測するに、世界級(ワールド)以外の因子なくして、ユグドラシルからの訪問者は「ありえないだろう」という情報まで取得できているのよ?」

「それはそうですが。あの程度の連中──脆弱な堕天使ごときが、我等誇り高きナザリックと伍するというのは、どうにも──」

 

 彼が肩を竦め、抗弁するのも無理はない。

 デミウルゴスは、かつての戦いにおいて、彼の守護階層たる第七階層に大挙して現れたプレイヤーに敗北した過去がある。その事実を考えれば、「第八階層への復讐」などと戯言(ざれごと)をほざく堕天使──あの“大侵攻”に参加した郎党の一味であること明白なカワウソというプレイヤーに、憤懣やるかたない敵愾心(てきがいしん)を懐くのは、当然の摂理とも言えた。

 見渡せば、シャルティア、コキュートス、アウラやマーレも、言及こそしないが、カワウソというプレイヤーへの印象は最悪なほどに落ち込んでいた。誰もがデミウルゴスと同じく、あの討伐隊との戦闘で一度は苦い敗北を経験している以上、冷静になれという方が難しい。

 しかし、アインズからの命令であれば、話は別だ。

 

「アルベドの意見はもっともだ。カワウソという堕天使は、警戒すべき相手。この100年後の魔導国に渡り来た、初のユグドラシルプレイヤーとして、我等ナザリックの、最大限の注意を払うべき存在だろう」

「ハッ! その通りでございます、アインズ様! 浅はかな思考に囚われてしまった事を、このデミウルゴス、深くお詫び申し上げます!」

「よい、デミウルゴス。おまえたち守護者の思い──私には、よく理解できている。だからこそ、冷静にな」

 

 炎獄の造物主たる悪魔は、熱狂的なアインズの支持者として、感涙の雫をこぼしかける。

 

「では。カワウソの情報について、おさらいしようではないか」

 

 アインズが促すまま、アルベドが新たな情報を画面に投影させていく。

 

「そして、これが(くだん)のギルドの長と名乗る堕天使──」

 

 プレイヤーネームは、カワウソ。

 純白の聖剣を握り、漆黒の鎧を身に纏う、醜悪な堕天使。

 あの飛竜騎兵の聖地たる地底湖にて、黒竜の群れを消し飛ばした特殊技術(スキル)の光景などから、推定される種族レベルは堕天使がLv.15……コスト元となる天使種族は最高位の熾天使(セラフィム)Lv.5であるものと、容易に判別できる。

 さらに、アインズからの温情──魔導国“傘下入り”を無碍(むげ)にした、愚劣極まるプレイヤー。

 そして、ナザリックの最高支配者が創造した、現地の稀少な触媒を用いて永続性を備えさせた上位アンデッド……死の支配者(オーバーロード)四体からなる精鋭たちを瞬殺し、その骸を奪略──持ち去っていくという愚挙に及んだ、これ以上ないほどの大罪人である。

 

「──以上です。何か質問は?」

 

 アルベドの怒気を孕む氷の冷笑に、シャルティアも同じ面持ちで問いを投げた。

 

「カワウソなる堕天使以外の、ユグドラシルプレイヤーは確認できないでありんしょうかえ?」

「奴の言動を信じるならば、あの天使ギルドの主人は、カワウソただ一人だけ。そして、各都市の監視網やアンデッド警邏部隊からは、他のプレイヤーなどの気配や痕跡など、それらしい報告はあがっていないわ」

 

 それこそ。

 街角で強力な力を振るう未知の存在がいたとか、あるいは何らかの異変異常と出くわした臣民の噂とか、そういった情報を収集するためにも、この魔導国──大陸全土はナザリックの完全管理下に置かれて久しい。ツアーが統治する信託統治領にしても、彼の協力によってアンデッドの監視要員はそれなりの数が送られている。他の都市に潜伏しているような隠密モンスター、影の悪魔などの存在は駐屯できていないが、竜王であるツアーの知覚力であれば、大抵の現象と事象は把握できるという。彼との信頼関係を早期に構築したアインズの手腕によって、この異世界でも有数の強力な力を誇る竜王らを味方につけられた事実が、確実に100年周期で訪れるユグドラシルからの来訪者を追い込むことができるだろう。

 

「また、あの拠点から外に出る個体の中に、カワウソ以外のプレイヤーは確認できていない──確定とまではいかないにしても、この近辺、ナザリック地下大墳墓を中心とする首都圏内には、奴以外のユグドラシルプレイヤーはいないものと思われるわ」

「んじゃあ、さっさとアイツらをブチ殺しに行く?」

「お、お姉ちゃん。アインズ様は油断しちゃダメって」

「ソウダゾ、アウラ。連中ガ何カシラノ世界級(ワールド)アイテムヲ有シテイルヤモシレナイ戦況デ、コチラカラ攻メ立テルノハ、アマリニモ危険ダ」

「叶うことならば、連中を我々に都合の良い戦場へ駆り立てたいところですね。天使共であれば、我等ナザリックの上層階──シャルティアやコキュートスの守護階層で、確実に殲滅できるものですから」

「それはありえんことでありんしょう、デミウルゴス?」

 

 最上位悪魔は頷いた。

 栄光あるナザリック地下大墳墓に外の存在が土足で入り込み踏み荒らすような事態を、ナザリックに属するシモベたちの筆頭・階層守護者が許可するはずがない。

 

「奴等は、あの禁断の領域──スレイン平野で蹂躙するのが一番でありんすえ?」

「そうそう! アインズ様がずっとあれに監視させていた封印領域を、あいつらが好き勝手にのさばるなんてさ! いくら転移場所を選べないにしても、不遜すぎるでしょ!」

「確かに。アウラ様のおっしゃる通り、あの領域は魔導国臣民にしても絶対不可侵が言い渡されております。執事の身で、このようなことを言うのもアレですが……アインズ様の御慈悲を無碍にする輩を放置しておくことは──」

「フム。トスルト、奴等トノ戦イハ、ヤハリ予定通リニ、スレイン平野ニ全軍ヲ送リ込ム必要ガアルカ?」

「えと、ぼ、僕の魔法も、ひ、必要、でしょうか?」

「無論だとも、マーレ。奴ら天使共を陸と空から蹂躙し、逃げ出そうと出てきたところを殲滅するのは、君の広域魔法ならば容易だろうからね?」

 

 期待を込めて連中の殲滅作戦計画を練り出す守護者たちに対し、()守護者統括が一喝する。

 

「皆、冷静に──アインズ様の決定が、まだなされていないわ」

 

 畏れ多いことだと理解し、恐懼(きょうく)する守護者たちが謝辞を述べるよりも先に、アインズは掌で彼等を制した。

 

「よい。おまえたちの行動と思考は、すべて我が身の安全とナザリックの守護を期してのこと──優しいおまえたちを叱るような愚を、どうか私にさせてくれるなよ?」

 

 すっかり板についた上位者の忠告に、忠勤の徒たるシモベたちが一様に感動の熱を覚えた。

 アインズは、すべての情報を総合して、自分自身の意思を表明する。

 

「──彼等の、というより、カワウソの最終意思確認を、行いたい」

 

 誰もが顔を(しか)めて当然の決定に思えた。これに心の底から賛同する気配があるのは、離れた位置に座している混血種のメイド一人と、彼女の隣に座すアインズの息子だけだ。

 敵となる以上は仕方がない。

 だとしても、今一度だけ確認する機会をもうけたい。

 奴が……彼が……堕天使のプレイヤー・カワウソが、真実、戦いを求めるのか、否かを。

 

「それは、何故でありんしょう?」

 

 他のシモベや混血種の子供らの疑問を総括するように、シャルティアは当然のごとく問い質す。

 愛する妃の一人となった吸血鬼の戦乙女に、アインズはまっすぐ告げる。

 

「彼は確かに、我等ナザリックの、自称“アインズ・ウール・ゴウンの敵”……だが、彼のおかげで、我が魔導国の無辜(むこ)の民……飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の人々の平和は保たれたのだ。その功績を、忘れてはならない」

 

 彼がいなければ、おそらく確実に、アインズが直接あの領地を訪れることもなく、またマルコがヴェルたちを救命することもありえなかった。

 彼が、カワウソが転移してくれたからこそ、あの領地で蠢動(しゅんどう)していた反逆の芽を、その結実となる毒が蔓延するよりも先に、元凶となっていた罪人を排除できたという、厳然とした事実がある。

 さらに言えば。

 彼が、カワウソが、アインズがはじめて、この異世界で交流し、会話すらした──初めてのユグドラシルプレイヤーであることも、多大な影響を及ぼしている。そう自覚できるほどに、アインズは彼の救命手段を模索してしまう。アインズもまたユグドラシルプレイヤーだった──人間だった時の“思考”が、そのような配慮を魔導王たる己に強要する。

 敵となる以上は、油断も躊躇もしない。

 だが、彼が本当に、心からアインズ・ウール・ゴウンの敵となるのか──その確認を、ひとまず行いたい。

 彼は、自分のNPC──イズラとナタの不始末の責任を取るために、そのような強硬策に及んだ可能性も、なくはないだろう。

 本当は、彼に敵対する意思などまったくなく、ただ、悪化する状況に対するケジメとして、あのような蛮言に至った可能性も捨てきれない。

 そうであってほしい。

 そうでなくては、おかしい。

 あのユグドラシルで、カワウソが本当に、アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦を──真実、第八階層への復讐に焦がれていたのか──その確証を、アインズはどうしても取りたかった。ユグドラシルの黎明と共に、ナザリック地下大墳墓へと挑戦する郎党はほぼ0となり、過疎が進んでいたあのゲームで、彼が本当に“復讐”を続けていたという確信が、欲しかった。

 だが、状況は最悪。

 もはやナザリック側から使者を送り出しても、彼のギルドには届かない可能性もありえる。

 送り出した先で、アインズのシモベが惨殺されることも視野に入れておくべき。

 彼の意志とは別に、彼の率いるNPCに暴走されてはたまらない。

 だからこそ、アインズはカワウソから“モモン”への連絡を待ったが──結果は、なしのつぶて。

 

「アインズ様の御決定であれば、異論反論はございませんが」

 

 そう告げるアルベドですら、あの堕天使プレイヤーに対する心象は壊滅的な状態。それでも、アインズが求め欲することこそが第一に優先される。

 そんな中で、彼等の功績を認めるのも(やぶさ)かではない大参謀──悪魔が論じる。

 

「まぁ。連中のおかげで、あの飛竜騎兵の領地で撒いていた種も、より良い実りを結んでいたことが判明し、さらには私が隠密裏に、貴重な“若返り”の検体(サンプル)を回収できましたからね?」

 

 デミウルゴスが、カワウソの最大にして唯一的な功績を、その恩恵を述べ立てる。

 彼が入手したサンプルの罪人は、時間魔法や特殊技術(スキル)の影響下で、完全管理下におかれている状況。

 愚かにも、「アインズ・ウール・ゴウンの上」に立てると乱心した馬鹿の末路に相応しい検体と関連して、アインズはひとつ確かめておきたいことがあった。

 

「デミウルゴス。“寿命問題”の、解決の目途(めど)は?」

「……誠に申し訳ございません。我らの総力を結集し、今現在も奮励努力の限りを尽くして事にあたっている状況でございますが、今は、乏しい成果ばかりを奏上するほかなく……平に、御容赦を」

「何を言う。おまえたちはすでに十分以上に、よく働いてくれている。──今後とも、励めよ?」

 

 涙に潤む宝石の眼を、デミウルゴスは指の先で押さえずにはいられない。

 ──本当なら、「そんなに気をはるな」とか「たまにはゆっくり休め」とか、なるべくホワイトな感じのことを言いたいところなのだが、彼等NPCには、もっと働いていたいという欲求が根深く存在している。逆に、はっきり「休め」なんて言ったら、『まさか、自分は不要なのだろうか?』と心配するありさまなので、「励め」くらいの言葉をかけた方がよいと、この100年の間でいい加減に学んでいた。

 そんなアインズの僅かな挙措から何かを感じたのか、アルベドが男の瞳をのぞき込む。

 

「アインズ様、ニニャの方は?」

 

 この異世界で勝ち得た、無二の同胞ともなりえし魔王妃の容体を、最王妃は心配してくれているのだ。

 

「うん。──オーレオールが()てくれている。心配はいらないさ」

 

 努めて明るい声で告げるアインズの様子に、守護者たちは一様に頷きを返した。

 

「ニニャのためにも、そして、人間種の我がシモベや貴重な臣民の寿命問題のためにも、“若返り”という事象は非常に有用なものだ」

 

 当然、ここにいる闇妖精(ダークエルフ)の双子──1000年単位の寿命を誇るが、不死とは言えない王妃二人の為にも、『寿命をイジる』研究はナザリック内でずっと進められてきた大事業だ。

 

「そのために、新たに発見された“若返り”の実証個体──その発見の端緒(たんしょ)となってくれた彼、カワウソと協力できれば(おん)の字、だったのだが──」

 

 アインズは唸る。

 カワウソが、あの地で大逆を働かんとしていた長老(ホーコン)の悪行を暴露できた理由は、確実に彼の知恵と判断力と並んで、彼の有するギルドのNPCの手腕があってこそ。彼が回収し検証させていた黒竜の断片を、あのギルドの中で一日もしない早期に鑑定できたからこそ、カワウソはヴェル・セークの暴走と黒竜の正体を看破するに至ったのだ。

 無論、ナザリックでも同様に黒い暴走竜の調査研究は進められていたが、何しろ調査員が多くなり、煩雑な手続きを介することも増えた組織としての鈍さが、一歩の遅れを生みだした──以上に、彼のギルドには優秀な鑑定と調査を行えるNPCが蔵されているものと、冷静に推測して然るべきところだろう。いかにナザリックのNPCといえども、万能とは言い切れない。

 それこそ、Lv.100の純粋なサポート特化……鑑定系職業に全フリしたLv.100NPCでもいれば、いかに数で勝るナザリックでも油断はならないという実証例となりえた。

 アインズは、そんな天使ギルドの一員と、会敵し会戦したシモベの一人を呼ぶ。

 

「ソリュシャン」

 

 謹直そうな答礼と共に、金髪ロールヘアのメイドが直立する。

 

「申し訳ありません、アインズ様」言うが早いか、ソリュシャンは膝を屈し、自分が率いた部隊が巻き起こした係争の件を、心の底から謝罪する。隣に座る妹、シズもならうように席を立って跪いた。「この度は、(わたくし)どもの浅慮と軽挙によって、御身が目をかけておられた連中との」

 

 アインズは静かに手を振るだけで、ソリュシャンの怒濤のごとき後悔をせきとめてしまう。

 

「よい。昨日も言ったことだが、今回の件は、私にも落ち度がある」

 

 連中の調査員の行動範囲を読み違えた。カワウソが魔法都市に呼び寄せた三名のNPCは、全員が冒険都市に派遣されたものと誤認してしまった。冒険都市に派遣されたラファを隠密裏に護衛・調査協力員として残り二人(ナタとイズラ)がついているものと。

 アインズの落ち度は他にもある。

 それこそ。極論してしまえば、ナザリックの全てのシモベ……仲間たちが残してくれたNPCに与えた外での全業務を停止させ、自室待機の主命を送りさえすれば、連中と交戦するような危難を被ることはなかったのだ。それをしなかったのは、ひとえに主人であるアインズの判断の甘さ。大事な社員に嵐の中を出勤させて、むざむざと事故らせる経営者のダメさに他ならないはず。

 アインズに如何なる落ち度があるものかと抗弁する妃や守護者たちを、ナザリックの最高支配者は慣れた調子で(なだ)め抑える。

 

「無論。連中が勝手に魔導国の都市深部に侵入していた事実は、断じて許し難い。だが、彼等の行いは、我々もかつて人間の国に行ったのと、それほど遜色のないレベルの調査だ。彼等を断罪しようものなら、我々もまた、甘んじて断罪を受け入れるほかあるまい」

 

 断罪すべき国も人物もほぼ死に絶えている状況ではあるが、アインズの意見は公平そのものに聴こえる。

 自らの敵に対しても、ここまで寛容になれる主の懐の深さに、シモベたち全てが心服したような息を吐く。

 

「それに、彼等は私の大事なおまえたちを、ナザリック地下大墳墓のシモベたち……仲間たちの子であるソリュシャンやシズを害することなく撤収してくれている」

 

 結果的に、ではあるが。

 いずれにせよアインズにとって、彼等は未だ交渉の余地のある領域を徘徊してくれている。ソリュシャンもシズも、重篤なダメージを負うどころか、傷ひとつ付いていない。相手の推定レベルが100であることを考えれば、それはもはや奇跡の戦果と言っても差し支えないだろう。

 彼女たちの盾となって散ったPOPモンスターの類は、金貨の消費で替えが利く程度の存在だ。100年の蓄財を終えているアインズにとっては、まるで痛くない出費である。もちろん、死の天使や花の動像が本気で殺そうと手をかけた事実は拭い難い蛮行であるが、それでも、敵が異世界に転移して数日ばかりの状況を思えば、少しくらい慈悲をかけてもいいはず。

 ──もしも、二人が少しでも手傷を負い、まかり間違って死滅する運命をたどっていれば、話はまったく完全に違っただろうが。

 

「二人とも、我が傍へ」

 

 主人に命じられるまま、二人は会議室の議長席に座す死の支配者(オーバーロード)──ナザリックの最高支配者の(もと)に歩み寄り、その足元に口づけられるほど(ぬか)づいた。

 

「おまえたちが無事に帰還を果たしたこと──敵のLv.100NPCに勇戦したこと──私は、心から誇りに思うぞ。ソリュシャン・イプシロン、シズ・デルタ──」

 

 抱き寄せるように肩を触れる骨の掌は、いかなる熱も持たない。だが、戦闘メイドの二人は、そこにまぎれもない親愛の熱気を感じざるを得なかった。

 

「私の為に、よく戦い、生き残ってくれた──ありがとう」

 

 触れてくれる掌に“触れ返す”という不遜を、彼女たちは行わない。

 主人の命に従い、戦い、護る──そのための戦闘メイド(プレアデス)が、尊き御身に触れるなど、あまりにも(はばか)りがある。

 

「我等の方こそ感謝いたします、アインズ様!」

「…………ありがとう、ございます」

 

 ただ、全身を、心を、魂を震わせるほどの歓喜に浴する、粘体(スライム)自動人形(オートマトン)

 そんな主人とシモベのあり様に感動を禁じ得ない者たち──守護者たちや混血種のシモベ、戦闘メイドの姉妹たちが、主君への尊崇をより一層深めていく。

 

(そんなにかしこまらなくてもいいと思うけどな)

 

 恥ずかし気に頬骨を掻くアインズは、会議の主幹となる情報を、生き残ったメイドの一人に求めた。

 

「では、ソリュシャン。おまえと三吉くんが自主的に行ってくれた、堕天使の戦闘監視。その映像を、ここへ」

 

 無論、アインズは昨日、ナザリックに戻った時点で、ソリュシャンからの生中継(ライブ)映像を監視できていた。だが、ここにいる中でまだ目にしていない子もいるし、“敵”となるだろうプレイヤーの戦闘を再確認する必要もある。映像は量産し、ナザリックの全シモベに共有する準備を整えている真っ最中だ。

 ソリュシャンは、アインズの求めに心から応じる。

 

「は、はい──で、ですが」

「どうした?」

「申し訳ありません、アインズ様。言い訳になることは重々承知しておりますが、あの時、あの天使共の戦闘を観察する上で、私共は“眼”をひとつしか向けられず、(とらえ)え見えた映像というのも、その──本当に、ただ一点からの映像で、比較的お見苦しいものに」

「よいのだ」

 

 昨日、ソリュシャンたちが救援されナザリックに戻った直後と同じ遣り取り──多大な迷惑と心痛を与えてしまったことへの謝辞に対して、アインズは真の父のような寛恕(かんじょ)を、友の残してくれた娘に贈る。

 

「大丈夫だとも、ソリュシャン。むしろ、あの状況でおまえたちが残ってくれた──戦闘者としての職務を全うすべく働いてくれただけでも、私は誇らしい。さすがは、ヘロヘロさんが生み出したNPCだ。おまえのおかげで、我々は未知の敵の情報を、断片的にとはいえ手中に出来る機会を得られたのだぞ? これを褒めないでどうしろという?」

 

 それこそ。

 何の情報もなしにカワウソとの戦闘に臨んで、彼の隠し玉たる能力やアイテムを知らず交戦するよりも、ずっとマシな戦術や戦略を練ることができるというもの。

 

「昨日、帰還直後にも言ったことだが。三吉くん共々、よくやってくれた。やはり、おまえに特務部隊を率いさせて良かったと、心の底から思っているのだぞ。私は」

「ああ……ああ、アインズ様っ!」

「そして、シズも。鉱床内の臣民に対する迅速な避難誘導指示と、確保した新鉱石の緊急搬出。そして、花の動像(フラワー・ゴーレム)である強敵に真っ向から立ち向かい、ガルガンチュアと共に敵を退けた手腕、見事だ。さすがは我がシモベ、第九階層の守護を務める戦闘メイド(プレアデス)たちの一人である」

「…………、アインズ、さま」

 

 至高の御身に頭を撫でられ、微笑みと共に賞賛される栄誉に、二人のメイドは至福の海に溺れるがごとく、更なる歓喜の悲鳴をあげかける。見渡せば、戦闘メイドの姉妹たちも感動の熱い息を口々に零し、守護者やシモベ達までもが感激の極みにのぼっていた。

 

「では、見せてくれ、ソリュシャン。

 おまえを愚かにも害そうとした、死の天使の無様を。

 そして、その“ただ一人の主人”という、堕天使の戦いぶりを」

「はい! アインズ様!」

 

 とめようのない感涙を何とか押しとどめて、ソリュシャンは凛とした微笑みと共に、迷うことなく己の涙に濡れる左目を水音と共に摘出する。

 勿論、粘体(スライム)である彼女の左眼球からは、血は一滴も零れることはない。

 ソリュシャンは、その眼球から伸びる粘体の糸を、会議室に備え付けの映写機(プロジェクター)に取り付けた。これで、ここにいる全員の目と耳に、ソリュシャンが秘密裏に、暗殺者としての隠形能力をフル活用して入手した重要情報──100年後に現れたプレイヤー・堕天使のカワウソの戦闘風景を、あらためて、この場にいる全員と共有できる。

 誰もが食い入るように、映写される影を見つめる。

 強力な女熾天使を引き連れ、イズラを救命した黒い男の口上。宣戦布告も同然な愚言を弄する、ユグドラシルプレイヤーの姿。

 映像の中の堕天使──カワウソが、傲然と述べた。

 

《まったく。

 よくも、やってくれたな?》

 

 彼は、彼のNPCである死の天使(イズラ)の武装の、その燃えカスを指先につまんで、(わら)う。

 酷く醜い黒々とした相貌が、笑みの形でさらに歪む。

 ローアングル……床面を這うスライムの眼球からの映像が、転移魔法によって渡り来た堕天使を、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”と自称したプレイヤーを、遠い視野の中に収めていた。

 直後、命じられた熾天使(ミカ)が発動した〈嵐の大釘(ストーム・ボルツ)〉の神雷が、動力室内の監視ゴーレムをすべて、破壊。だが、ソリュシャンは自身の隠密能力のおかげで、監視の目は無事に済んだ。あの女天使は粘体の監視の目を把握することはできなかった。

 これは連中の致命的なミスであるが、さすがに暗殺者の達人(マスターアサシン)Lv.1を有するメイドの隠形を看破するのは、困難なものと判断できる。その能力を突破できるだろう死の天使──イズラは戦闘など望むべくもない状況では、ソリュシャンの眼を知覚する存在たりえなかった。

 

 そうして、はじまった戦闘は、圧倒的に天使共の独壇場と化した。

 

 信仰系魔法や神聖属性を有する特殊技術(スキル)が、アンデッドの軍団を精密に正確に狩り取っていく。

 だが、ソリュシャンの言う通り、この戦闘はなかなか見ごたえがあるとは言い難い。何しろ、ソリュシャンの監視の目は、自走能力こそあるが、これほどの戦闘状況下で高速移動することは躊躇(ためら)われた。何かのはずみで連中の攻撃を受けかねないし、あまりにも早く動けば気の聡い個体──ソリュシャンを一度は追い込んだ死の天使・同職のイズラにバレる可能性もある以上、むやみやたらに動き回れない。

 おまけに、被写体となるカワウソの速度は、室内を縦横無尽に跳ねて飛び回る速度。

 時間王(クロノスマスター)を引き裂く瞬間を収めようと思っても、どういう理屈でか(特殊技術(スキル)か装備の効果だろうが)アンデッドの軍団を飛び越えて、カワウソが一撃を上位アンデッドの身体に叩き終えているのを見収めるばかりな状況である。

 しかし、音声だけは確実に拾えているだけでもよしとすべきだろう。

 聞こえるカワウソの声が、冷徹に響く。

 

《時間対策は必須──そんなことも、おまえたちの主人は教えていないのか? (いや)。それとも。──そういう知識のない存在が魔導王なのか(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)?》

 

 昨日と同じタイミングで、アルベドとシャルティアが、ギチリと、音がするほどに顔色を変える。わかりやすい挑発だが、シモベたちにとってはたまらなく不愉快極まるのだろう。だからこそ時間王は拙速かつ短慮な攻撃を犯した。

 他の守護者たちにしても、あまりにも不遜極まる堕天使の言い分に言いようのない感情を覚えて気を吐くのを、アインズが一声「静まれ」と告げただけで、場の空気は冷却される。

 彼は、純粋な疑問を口にしただけ。

 そこに、侮辱の気配がないことは明白。

 だが、映像の中で彼と直接相対していた時間王は、我慢ならない様子で反撃の時間魔法を唱え──そして、討たれた。

 

「時間対策の様子から見ても、彼の強さはLv.100で間違いないな──だが、三重の強化にも対応可能か」

 

 時間対策はユグドラシルにおいて、Lv.70以上の戦闘で必須とされる。彼は間違いなく、それ以上のレベルを保有するプレイヤー……上位アンデッド・死の支配者(オーバーロード)部隊と相対できる事実から、Lv.100と見做して間違いない。

 瞬きの内に、時間王(クロノスマスター)が堕天使に頭蓋を突き殺され、賢者(ワイズマン)が女熾天使の一撃で即滅した。

 どちらも強力な上位アンデッド──アインズと同一の種族であり、そのモンスターレベルは80以上。賢者については90以上にもなる。そんな不死者の生み出した強力な軍団を前に()じることなく、堕天使と熾天使は一方的な戦闘を続けていった。守護者やシモベたちの表情が憤懣と憎悪でまたも暗く陰っていくが、アインズは冷徹に、連中の戦法や能力を看破していく。

 

「どうやら、この二人……アンデッド対策は万全なようだな」

 

 カワウソの見えない剣尖によって、将軍(ジェネラル)の首が()ね落ちた。

 堕天使の首飾りと足甲が異様なほど黒い輝きに染まる様は、ただのエフェクト演出というよりも、アンデッドへの対抗能力の発現を意味すると思考できる。でなければ、堕天使という脆弱なステータスのプレイヤーが、強力な戦士の力を有する──ある程度の剣の腕を誇る将軍(ジェネラル)と刃を交わすことなく、致死レベルの攻撃動作を発揮できるはずがない。

 速度に超特化した性能のアイテムと、さらには負の属性に対する特効。

 堕天使の基本的な特殊技術(スキル)“清濁併吞Ⅴ”と、装備の恩恵と判断できる。

 カワウソの能力は、そこに比重が置かれているものと判断して、よい。

 アインズが真正面から戦うのは危険か。──だが、

 

《さぁ。最後の“実験”と行こうか?》

 

 執拗(しつよう)に実験とやらを続けるカワウソに対し、映像内の死の支配者(オーバーロード)は激昂の極致にあった。こんなことをして、許されると思っているのか──そう問いかけた、直後。

 

《許し?》

 

 許しなど不要と(のたま)った堕天使が、今まで見せたこともないほどの狂態を露にする。

 首を直角に傾ぎ、壊れた人形か機械のごとく、“許し”という一言を紡ぎ続ける。

 (よど)み濁った天使の眼が、グルグルと外斜視──別々の方向に向かって動き回り回転していく。

 数瞬の後、アンデッドの死の支配者(オーバーロード)が攻撃を躊躇するほどの狂気が、唐突に鎮まった。

 映像の死角──室内の一角で、何かが発光したようにも見えるが、詳細は不明。

 堕天使はテキストデータだと『狂信者』というレッテルを張られた異形種(モンスター)

 それ故に、あるいはアインズがアンデッドの“精神安定化”を有するように、(カワウソ)は「狂気」に罹患していることが常態化しているのだろうか?

 

(だとしても、飛竜騎兵の領地で話した彼は、そこまで(くる)ってる印象はなかったが?)

 

 マルコとの遣り取りにしても、彼がここまで()っている雰囲気は、ほとんどなかった。

 これと似たような状態を挙げるとすれば、アインズの知る限りひとつしかない。

 

(あの大逆人……元長老をやった時)

 

 あの時もそうだった。あの領地で、彼は言っていた。

 アインズは、そんな彼を、モモンの姿で、見届けた。

 

『……許し?

 ──許して、だと?』

 

 アア、そんなことを心配する必要はない、と。

 堕天使は、許しを請う元長老……その両膝を一撃で破砕し、無様にも地を這わせた後とは思えぬ澄んだ音色で、克明に、鮮明に、告げた。

 

『俺は、とっくに許している。

 とっっっくの昔に、……許しているとも──裏切り者のことなんて』

 

 ケタケタと黒く(わら)う、繊月のように鋭い狂笑を、アインズはよく覚えている。

 彼の部下たるミカと、彼が救った乙女が止めに入らなければ、間違いなくその場で元長老を断罪し惨殺していただろう、狂乱。

 壊すのが、潰すのが、

 (ころ)すのが、(ころ)すのが、

 (たの)しくて(たの)しくて、(うれ)しくて(うれ)しくて、たまらない(・・・・・)──そういう(かお)だった。

 

(やはり、カワウソも異形種であるが故に、精神の変容が──)

 

 そう思わなければ説明がつかないほどの狂いっぷりである。

 アインズが、この異世界でアンデッドと化し、人間を殺すことに対する忌避感や罪悪感を懐かなくなったのと同じように、彼もまた人間でなくなった肉体に、心が多大な影響を被っている可能性を想起される。

 だからこそ、彼が堕天使の狂気のあまり、望まぬ戦いに身を投じている可能性は、十分にあり得るはず。

 

「……許し、か」

 

 それが、彼にとってどれほどの意味を持つ言葉なのか、アインズにはまだわからない。わからないが、警戒はしておくべきだと納得して、映像の続きに専念する。

 そして、最後に。

 昨日も見た動画内のカワウソは、最大最上級の情報をもらしてくれた。

 

《頭の“×印”──『烙印』が消えていても、“(レベル)”がなくなったわけじゃあないようだからな》

「……×印」

 

 堕天使の呟いた言葉が、アインズには引っかかった。映像を止めさせて、一旦記憶の整理に努める。

 カワウソの外見をあらためて眺めるが、その頭上には赤黒い円環が浮かんでいるだけで、やはりアインズが知る『烙印』は存在しない。

 異世界に転移したことで×印はなくなった──そんなところだと推測できる。

 

「アインズ様、彼奴(きゃつ)の言う“×印”というのは、いったい何なんでありんしょう?」

 

 NPCには理解不能な単語だったために、シャルティアがおずおずと疑問する。

 アインズは、昨日の時点では確信がなかったが、一日を情報の再確認──ユグドラシル時代の資料を総ざらいして、ひとつの結論に至っている。

 

「×印の……烙印とは、──おそらく『敗者の烙印』のこと、だな」

「敗者の、烙印?」

「アインズ様、それは一体?」

 

 アルベドやデミウルゴスを含むすべてのシモベ達が怪訝そうに訊ねた。

 

「おまえたちが知らないのも無理はない」

 

 自分たちの無知を失態と認識するシモベたちが不安を覚える前に、その芽を摘み取っておく。

 

 敗者の烙印とは。

 ギルドで製造されるギルドの象徴たりえる強力なデータを込められる武器・ギルド武器を破壊され、ギルド崩壊を経験したプレイヤーの頭上に現れるエフェクトの一種だ。これはゲームシステムの、感情(エモーション)アイコンなどと同質な代物であるため、NPCでその存在を認識することは無理がある。

 敗者の烙印を戴いたプレイヤーには、ゲームをプレイする上で、システム的にこれといった不利を被ることはない。

 

 だが、問題はこれが、“これ以上ないほどの屈辱”をもたらすという点に尽きる。

 

 烙印とは、自分たちのギルドを護り切れなかった落伍者の証明──文字通りの『敗者』であることを周囲の全プレイヤーに顕示する「屈辱の証」であるため、そんなものを頭上に戴くプレイヤーは、たいていは笑い者にされるのが普通だ。

 そのため、敗者の烙印を掲げたプレイヤーというのは、あまり表立って行動することはない──というか、たいがいは烙印を除去するために、ギルドメンバー全員でギルドを再結成するか、それが無理そうならキャラクターアカウントを一度削除して、新しいアカウントを登録するのが主流を占める。

 そうしなければならない理由がある。

 敗者の烙印を浮かべたまま、大量のユーザーが行き交う街や都市などを闊歩するなど、嘲弄の的になりにいくようなもの。通りがかりのプレイヤーに後ろ指をさされ、嫌な顔をされることもしばしば。酷い時は、からかい目的のPK集団が標的として追うなんて自体も頻発したと聞く。

「自分たちのギルドを護れなかった存在」

「ギルドの再建・再結成を果たせなかった軟弱」

「強力無比なはずのギルド武器を、あえなく破壊されるという無様を晒した敗北者」

 ──それが、『敗者の烙印』を戴くプレイヤーへの総合評価として認知されたのだ。

 この烙印を完全除去するための手段が、「崩壊したギルドのメンバー全員でのギルド再結成」か、あるいは「キャラアカウントの完全削除」以外にありえない以上、烙印を押されたままゲームを続けるのは苦行でしかない。

 ゲームシステムとしては何の不利益もない──ステータスやレアドロップ率が下がるとか、エンカウントやヘイト率が上がるとか、そういったものはまったく存在しないのだが、ゲームをプレイするプレイヤー同士の間では、烙印を抱えたままゲームをプレイするのは困難な傾向にあった。

 

「いいや、まさか、な」

 

 それら事実を思い起こすアインズは、しかし、「そういうプレイヤーだったのだろう」という可能性を捨てきれない。ギルドの再結成が不可能だとしても、キャラアカウントを削除するという手法に頼りさえすれば──アイテムや金貨などの、それまで入手したゲームデータの類は悉く破棄する流れになるが──『烙印』を消すことは容易。わざわざ不名誉な証をデカデカと掲げ続ける必要は何処にもない筈。

 はずだが、カワウソがこの状況下で、死の支配者(オーバーロード)との戦闘中という極限状況で、そんな嘘を、欺瞞情報を吐き連ねる理由は薄い。監視警備の眼を潰したつもりでいる状況を考えても、これは彼の重要情報に相違ないだろう。

 

「……『敗者の烙印』は、確か、『それを保持している状態でないと取得できないクラスがある』という噂があったはずだが……」

 

 烙印については、アインズは噂の端にしか聞いたことのない未確定情報だ。

 昨日、確認したユグドラシルの資料にも、それらしい記述はない。何しろ、烙印を押されたままゲームを続ける変わり者など、そう多くはない──というか、ほとんどいなかったといえる。だからこそ、街行く敗北者の姿は悪目立ちするというもの。いったい、どんな思いでそんなM(マゾ)プレイを敢行できるというのか。

 

 ユグドラシルにおいて確定された情報というのは、ユグドラシルを愛好するゲーマー、運営の推奨する「冒険」を成し遂げるプレイヤー、未知を探求するプレイスタイルを至上目的とした探索ギルドの最筆頭“ワールド・サーチャーズ”などが調査検証を重ねて判明した内容が多い。

 九つある広大なワールド。千単位の多種多様な魔法や特殊技術(スキル)、アイテムや装備の効果。プレイヤー個人の獲得できるレベル……種族や職業(クラス)にしても幅広い。だが、確定できた情報よりも尚多くの未知情報がユグドラシルには溢れ、さらに、ネット上で横行した偽情報に踊らされるユーザーがいたことも厄介だ。

 

(あるいは、彼が、カワウソが『敗者の烙印』の情報を流した?)

 

 彼個人で流したものでないとしても、彼と交流を持った他のプレイヤーが、という可能性もありえる。いかにソロプレイヤーでも、獲得した獲物や素材、装備やアイテムの鑑定や換金を行うのに、専門業者となる商業ギルドのプレイヤーなどの援助は不可欠だ。

 ユグドラシルにおいて情報は非常に重要な代物。かつて壊滅した“燃え上がる三眼”などのスパイギルドが創立された背景には、そういう情報を少しでも多く早く獲得し、自分たちの利益に繋げようという時勢が存在したがためだ。

 

「彼もまた、ユグドラシルの未知を解明するためにゲームを──というわけでは、なかったな」

 

 彼の目的は、彼が語るものを信じれば、たったひとつ。

 (いわ)く、ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”にいる“あれら”と“少女(ルベド)”への──復讐。

 

「馬鹿なプレイヤーがいたものだ」

 

 だが、不思議と、悪い気はしない。

 アインズ・ウール・ゴウンはユグドラシルにおいて、“悪”のギルドを標榜し自認していた。当時、アインズたちには、敵の数など正確に数えるのが不可能なほどに存在しており、数々のギルドやプレイヤーが敵対していた。その最たる実例こそが、あの伝説の『1500人全滅』という破格の大侵攻。「ナザリック地下大墳墓を失陥させ、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの討伐を」──その謳い文句に踊らされた連中──サーバー始まって以来の大軍、八つのギルドの連合と、その関係ギルドや傭兵プレイヤー・傭兵NPCからなる討伐隊が、ナザリックの第一階層~第七階層を蹂躙し、勢いに乗って第八階層へと乗り込んだ輩が、そこに待ち構えていた“あれら”と“少女(ルベド)”に蹂躙され、……結果、討伐は完全な失敗という形で幕を下ろした。

 カワウソも、おそらく、その時の関係者だったのだろう。

 でなければ、「第八階層のあれらへの復讐」などという言葉を吐くはずがない。

 

(そうすると、必然的にカワウソは、あれらやルベドの蹂躙を知っていながら、ナザリックに挑戦を──)

 

 思わず喝采してやりたいほどに、アインズの自尊心がくすぐられる。素晴らしくも馬鹿げた敢闘精神だ。あの討伐部隊全滅以降、ナザリック地下大墳墓を攻略しようという気運は、減退の一途をたどった。「あの第八階層を突破することは不可能」「あれらの蹂躙に抗する手段はない」「あれがチートや違法改造じゃないというなら、どうしようもない」という認識が流布され、そんな場所へ戦いを挑むことは、ゲームのプレイ時間と貴重なアイテムを浪費するだけだと周知されていったのだ。ナザリックに挑むのは、物見遊山(ものみゆさん)の素人プレイヤーか、あるいはゲーム内での自殺志望者の類と認定されることは、至極当然の流れでしかなかった。

 カワウソは、そんな時代の潮流の中で、曰く『ナザリック地下大墳墓に、ずっと挑戦し続けた』プレイヤーだという。

 これは、アインズが嫌う「ナザリック地下大墳墓を侮辱する愚か者」というのとは、違う。

 

「もしかしたら……」

 

 そう。

 もしかしたら。

 彼と自分は、あの1500人の討伐隊による大侵攻で、あるいはその後に頻発した小規模な再挑戦組で、会ったことがあるのかも。

 

「いかがなさいましたか?」

 

 ひとり黙考に耽る主人の様子を、アルベドが心配そうに見つめていた。

「なんでもないさ」と気軽に手を振るアインズは、停止させていた動画を再生させる。

 そうして始まったのは、ナザリックへの復讐の(ともがら)が発動した、異様な特殊技術(スキル)エフェクト。

 

 堕天使(カワウソ)の頭上に、×印と似通いながらも、確実に違う造形──

 血の赤色に濡れる、ローマ数字の(10)が浮かび上がる。

 

 そうして堕天使は、唯一生き残った死の支配者(オーバーロード)と、彼が支配下に置くアンデッドの残兵諸共に、──殺戮。

 

「この特殊技術(スキル)は、私でも知らないな──」

 

 おまけに、不死者たるアンデッドの中でも、吸血鬼系統にしか存在しないはずの“鮮血”──赤い血しぶきというものを、“骸骨(スケルトン)死霊(レイス)”系モンスターから噴出(ふんしゅつ)させて。

 血だまりの中に倒れ込む死の支配者(オーバーロード)の姿は、守護者やシモベ達にとってもだいぶショッキングな映像だったようで、その表情はアインズの直製したシモベを抹殺されたことへの憤慨と悲嘆と憎悪と激情に、今にも暴発しそうな様相を呈している。カワウソが自ら上位アンデッドの骸を縛り上げ、持ち去っていく場面では、ほとんど決壊寸前というありさまであった。

 シャルティアが優雅に磨き上げた己の爪の先を噛み、コキュートスが起こった現象の不可解さに無い眉を(ひそ)め、アウラが豊かに実りつつある胸元で不満そうに腕を組み、マーレがそんな姉の怒りをなだめようと言葉を選び、デミウルゴスは常の微笑みをなくして宝石の瞳に警戒の色を灯し、セバスですら常に鋭く研ぎ澄まされた視線をより鋭利な刃の形状に整えていく。

 そして、アルベドも──

 

「落ち着きなさい、皆」

 

 暗く陰っていく表情と声音とは裏腹に、守護者たちへの自制を強く促す。

 黒い前髪の奥に輝く金色の瞳を見開き、アインズの御前を汚す無礼を侵しかねない自分を抑え込むように両腕をきつく掴みながら、主人からの言葉を、アルベドは待つ。

 

「アルベドの言うとおりだ。ひとまず落ち着け、おまえたち」

 

 アインズはどこまでも冷静に、なんでもないことのように言ってのける。

 Lv.100NPCの圧倒的な悪感情の微放散が、この場に集う戦闘メイドや子供たちを一様に委縮させていた。

 これほどの暴威の顕現を前にしては、Lv.100に満たない若輩(じゃくはい)など、視線がかちあうだけで“死”を想起されるだろう。そんな空気に当てられて、涼しい貌ができている……誰もが(とりこ)になるだろう淫魔の微笑みを浮かべるのは、アインズが誇る息子──王太子として恥ずかしくないレベルを構築できた──ユウゴだけだ。彼の横に座すマルコなど、緊張と畏怖で今にも吐きそうなほど、表情が蒼褪めているというのに。

 

「ですが、アインズ様!」

「よいのだ、シャルティア」

 

 言い募る主王妃の真っ赤な瞳を、アインズはまっすぐに見つめ返す。

 

「確かに。彼に──カワウソという堕天使に上位アンデッドを討たれ、貴重な触媒を四つも無駄にしてしまったことは、痛手かもしれない──だが」

 

 それにも勝る戦果を、アインズはその掌中に握っている。

 

「ソリュシャンたちの戦闘記録のおかげで、連中がアンデッドへの対策を万全整えていること、敵の能力や装備……戦力の詳細について、我々は貴重過ぎる情報を手に入れることができた」

 

 無論、彼との協調関係を構築できなかった点は痛切の極みだが、次善策であるユグドラシルプレイヤーの情報収集には、大成功をおさめている。今はこれ以上の成果など望みようがない。

 

「もしも、我々が事前情報なく、カワウソ達から奇襲攻撃を受けていた場合、この地下動力室の惨劇が、ここにいる誰かの頭上に降り注いでいたかもしれないのだ。それに比べれば、たかだか上位アンデッド四体を失う程度、……何の痛痒(つうよう)でもあるまい?」

 

 どこまでも威厳に溢れ、いつまでも真摯に響く、支配者の声。

 アインズの示した通り、もしもナザリックの存在……守護者たちの誰かが、……あるいはアインズ本人が、いたずらに連中へとちょっかいをかけて、カワウソのあの“鮮血”を伴う特殊技術(スキル)に出くわしていたらば……どうなっていたか想像するだけでおぞましい。

 

 彼は、上位アンデッド……死の支配者(オーバーロード)を即死させ、抹殺できる力の持ち主。

 強力な即死耐性を有する不死者(アンデッド)を、だ。

 

 それこそ、奴とアインズがいきなり邂逅・開戦でもしていれば、あの血だまりに浮かんでいたのは、もしくはアインズ自身になっていたかもしれない。

 その可能性を思えば、死の支配者(オーバーロード)部隊の死は、無駄ではなかった。

 

「けっして油断はするな。そして、ナザリックのシモベ達には申し訳ないことだが、今後は外での公務や政務は、極力おさえさせてもらう」

 

 彼等はアインズへの忠勤の為に、今は広くナザリックの外へ──つまり、魔導国内の治安維持や情報収集、さらなる戦力増強のための国事業務の監視管轄を拝命しているものが多い。

 そういった任務を拝命していたが故に、未知の存在との遭遇を果たした戦闘メイド──ソリュシャンとシズが生き残ることができたのは、まさに僥倖の中の僥倖と言える。

 そして、彼女たちが生き残ったのは、事前に知らされていた脅威──100年後のユグドラシルの存在が顕現したという情報を共有し把握できていたからこそ。

 もしも。

 カワウソ達があの完全監視下においた封印領域──スレイン平野に現れていなければ、アインズ・ウール・ゴウンがこれほど早期にユグドラシルの脅威を警戒することは不可能だったはず。ナザリックを第一と信奉し崇拝するシモベたちは、外の存在を忌み嫌い、格下と位置付けて増長する傾向は強く残されている以上、他のユグドラシルの存在に強硬な姿勢と戦闘状況に陥る危険があったはず。

 

 異世界に転移してくるものは、何も100年ごとに、きっちり一人ひとつきりとは、限らない。

 ツアーが語る十三英雄──その旗印となった“リーダーたち”や、ミノタウロスの英傑として迎え入れられた“口だけの賢者”などが、その実証例である。

 

 100年の揺り戻し……異世界であるユグドラシルからの客人(まろうど)の件については、アインズ達自身の経験した最終日の変転と、この世界に生きる竜帝の末裔・ツアーからの情報で知ることは出来た……知ってはいても、それが、正確に、「どの日時」に、「どの地点」に、「どのようにして転移してくる」のかは、あまりにも未知数。スレイン平野に転移してくれていなければ、アインズ達はカワウソたちをこれほど早期に発見することはかなわなかったやも知れない。

 そう。

 警戒すべきは、カワウソたち“だけ”とは、限らない。

 ほかにも未知の強敵が、カワウソとは関係のない場所でユグドラシルの最終日を終えて、この異世界に来訪していたとしたら?

 

(ゆめ)忘れるな。我々が敵対するのは、ユグドラシルの存在たち。これまでの有象無象とは、確実に一線を画すものと心に刻め」

 

 その場にいる全員が、快哉にも近い調子で、それぞれの姿かたちに相応しい答礼を主へと示した。

 ──その時だった。

 

「アインズ様!」

 

 会議室の扉番として控えさせていた一般メイドが、緊張に強張った表情で議場に駆けこんできた。

 

「何事だ?」

 

 彼女は議場に詰めるシモベらへの会釈を忘れずに行いながらも、メイドらしからぬ慌ただしさで、ひとつの端末を握り、主人の膝元にまで。

 

「“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”信託統治者殿から、緊急連絡があったと」

「何? ツアーから?」

 

 ツアーには、“黒白”のモモンが出席する予定だった「冒険者祭」への参加を願っていた。

 結果は何事もなく“黒白”の優勝ということで落着したと、アルベドたちから既に聞いた。アインズとニニャの娘も参加する冒険者チームで、一位と二位とを争ったとも。他に、何の連絡が──

 

(いや、待てよ)

 

 確か、冒険都市には、敵である彼のNPCの一人が向かっていたはず。

「まさか」という思いに掻き立てられる。アインズは()かす気持ちをなんとか抑え込みつつ、ツアーとの常時連絡手段(ホットライン)となりうる〈伝言(メッセージ)〉用の最高級ゴーレム端末を、震えそうな手指に力を込めて、可能な限り悠然と、ゆっくりとした手つきで受け取った。

 

「ありがとう、リュミエール」

 

 至高の御身からの感謝を受け止めきれなかったメイドが、泡を食ったようにしどろもどろになる。

 そんな彼女がさがっていくのを見送りつつ、アインズは硝子(ガラス)板の端末を、存在しない耳の当たりに。

 

「ツアー、どうした?」

 

 端末から轟くのは、竜王の息吹。

 100年前の共闘より、ずっと盟友関係を構築してきた友人の声が、頭蓋の内で心地よく響く。

 

『やぁ、アインズ。実は先ほど、ユグドラシルプレイヤーを主人に持つNPC──ラファ、と名乗る天使から、連絡を受けてね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ラファとツアーたちが邂逅した冒険都市編は、
完結後に“外伝”でお送りできればと思います!
「……いつ完結するんだよ?」
次回もお楽しみに!


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対応 -4

カワウソの対応


/OVERLORD & Fallen Angel …vol.08

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 円卓の間での協議はひとまず落着した。が、天使の澱の拠点内で、カワウソはNPCを三名……ミカ、ガブ、ラファ……だけ残して、少しばかり協議を続ける。他のNPCには拠点防衛と周辺警戒を命じて、朝方に放送されたひとつのニュース映像に注視した。

 

《昨日まで冒険都市で行われておりました『冒険者祭』で、珍事が。

 トーナメント大会、準決勝で“漆黒の剣”との対戦が組まれていた期待の新人・ファラが、突如棄権。行方をくらませた彼は大会運営の呼びかけにも応じず、彼とチームを組んでいたチーム“アザリア”は「ここまでこれただけでも彼には感謝している」とコメント…………》

 

「──まさか、ラファが『冒険者祭』に参加していたとはな」

 

 潜入調査ということで、銀髪の主天使(ドミニオン)には自然に都市の中へ溶け込むよう指示を出しておいたが、よもや冒険者たちの闘技大会に『飛び込み』で参加するとは夢にも思っていなかった。否、一応は調査報告ということで、冒険者の試験に合格していたり、冒険都市の実情を“直”で感じ取れるところにまで至っているとは聞いていたが。

 

 冒険都市に突如として現れた、期待の新人“ファラ”。

 

 実にわかりやすい偽名であるが、ラファはそのような通り名を用いて、都市で勧誘してきた新人冒険者チームに協力。牧人(ハーダー)旅人(トラベラー)従者(ヴァレット)の他に、多くの信仰系魔法詠唱者の職業レベルを有する存在は、現地の人々にとっては破格の強者たりえた。彼の強さ(レベル)は、主人(カワウソ)からの指令でかなり制約をかけた状態であったとしても、強大な協力者──彼に与えた二つ名である“旅の守護者”となりえたことだろう。

 

「申し訳ありません、()(しゅ)よ。これは私の説明不足でございました」

 

 誠実に謝罪を述べる天使に対し、隣に立つ褐色の聖女──ガブが正面から不満を零す。

 

「まったく情けない奴。マアトやクピドたちの報告が遅れたのを、とやかく言えないわよ、アンタも?」

「……何だと?」

「何よ? やるの?」

 

 何やら険しい視線でやりとりをする二人の天使。

 ラファは脚元の白翼を大きく変化させ、ガブは純白の二対四翼を広げていく。

 互いに対し、“こういう風”に振る舞うもの──『裏では仲睦まじい恋人同士』──と設定したのはカワウソに他ならないが、今は考える時間が惜しい。

 

「いいや。気にするな、二人共」

 

 それだけを告げて、二人の視線の間に散る火花を一気に霧散させる。

 ラファの詳細な報告内容を耳にし、文書化された冒険都市の現状を目に通す。

 これだけの情報をほぼ一人で調べ上げるのは難しいこと。同様に、生産都市と南方を調べてくれたイズラとナタの資料も、カワウソのボックスに収納されており、あらためて自分のNPCたちの成果に対して微笑を浮かべるしかない。

 大陸各所に設けられた人工の地下ダンジョン──冒険者として大成することを夢見る者たちを迎え入れる魔導国の一大組織・冒険者組合──高度な魔法によって管理された土地に跋扈する魔獣やアンデッドを掃滅することで、ある程度のレベルアップを誘発する“修練場”……それが、ラファが確認した冒険都市の実情だという。

 

「モンスターの人工繁殖に成功しているのだったか──だとすると、ブリーダーなんかもいるのか?」

「そのようでございます。魔導国臣民の中でも、調教(テイム)や飼育などを行えるものが存在しており、また、飼育方法などについても、高度な体系化が確立されている模様でした」

 

 ラファが記録した撮影画像(マアトの魔法によるもの)だと、ユグドラシルにも存在していただろう各種モンスター……騎獣魔獣の類が、檻や柵、水晶のショーケースの中にある様子が確認できる。子犬のように愛くるしい有翼の魔獣を抱きかかえる子供や、八脚馬(スレイプニル)に試乗する旅行者などの姿も。

 

「それで、その冒険者祭・トーナメント大会中に、“黒白”のもう一人と邂逅していた、と?」

 

 聞き違えることがないように再疑問する女の声は、NPCたちの長という役割をカワウソが与えた熾天使、ミカのものだ。

 ミカの氷のごとき声音に対し、ラファは平然と、そよ風のごとく言いのける。

 

「ええ、ミカ。我が主と、あなたが飛竜騎兵の領地で親交を得たという一等冒険者チームの同輩だと、聞き及んでおりますが」

 

 魔導国内で唯一、「第一等」のナナイロコウの位置におかれている冒険者チーム“黒白”は、そのチーム名の通り、“黒”の戦士と、“白”の騎士を中心としたチームだと聞いている。

 

 あの、漆黒の英雄、モモン・ザ・ダークウォリヤー。

 彼と並び称される竜騎士の情報は、意外なことに、そこまで多くはない。

 モモンが“黒白”の中心として名をはせているにも関わらず、片割れの「白い竜騎士」については、名前どころか、その素性や素顔すら公開されておらず、その実在を怪しむ声が都市伝説として語り継がれているほどだ。(いわ)く、『白の騎士は中身のない鎧(リビングアーマー)だ』とか、『あるいは偉大なる御方が魔法で操る人形が、モモンと比肩しておられるのでは』とか。

 

 そんな謎めいた存在と、潜入調査に赴いたラファが、邂逅。

 結果、白の竜騎士の正体というのが、魔導王の同盟者として特別待遇を受けている信託統治者……“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”……ツアインドルクス=ヴァイシオンなる竜王であると、明かされたのだと。

 

「それで、この招待状か」

 

 カワウソが指先につまむ書状は、つい先ほど会議中にラファから手渡された、竜王の印璽で封蠟されていたもの。

 開けて中を拝読した紙片には、『アーグランド信託統治領への通行許可証』と、白金の竜王が住まう宮殿へと至る地図表記まで添えられていた。

 文面はこうある。

『詳しい話を聞きたい。そのために、直に会うことができればいいと思っている』とのこと。

 

「どう考えても、怪しいですけどね?」

 

 銀髪の天使の捧げた成果に対し、同じ髪色の聖女・ガブは疑いの視線を注ぎ続ける。

 ラファが参加していた祭りに臨席──どころか出場すらしていたという、白金の竜王。

 一国家の中心人物であるはずの竜が、あろうことかラファと接触し、その主人共々『招待したい』などと──

 

「魔法で造られた招待状だとしても、あまりにも話がうますぎやしませんか? ご丁寧に地図まで寄越すなんて?」

「しかし、実際として私は、白金の竜王を名乗る一等冒険者から招待を受けた。この異世界、この大陸を統べる国家の枢軸を担うという竜王(ドラゴンロード)……アインズ・ウール・ゴウンの同盟者とやらに話を聞く価値はあるものと、愚考しますが?」

 

 どちらの意見も正論である。

 ガブの言う通り、あまりにも話がうますぎる上、寄越された招待状というのが、現在のカワウソ達にとって、何もかも好都合に過ぎた。

 ラファの言う通り、白金の竜王なる存在に話を聞くことができたなら、何かしらの利益や情報の獲得につながるかもしれない。

 どちらに転んでも懸念は残る。

 なので、カワウソは隣にいるミカに意見を求める。

 

「どう思う、ミカ?」

「──正直に申し上げるなら、あまりにも危険です」

 

 ですが、とミカは続ける。

 

「現状の我々では、あまりにも情報が不足しすぎております。魔導国の軍備。アインズ・ウール・ゴウンの戦力。連中が抱え込む兵站や兵数の他に、この大陸・この異世界において我等に協力する勢力、他のユグドラシルの存在の有無も、わからない──」

 

 言いながら、ミカは躊躇するように言葉を断ち切る。

 

「──なので、ツアインドルクス=ヴァイシオンなる竜王から、可能であれば情報を引き出すべきでしょう。ラファの話を聞く限り、ツアインドルクスは“ユグドラシル”“プレイヤー”“NPC”などの単語に理解があるとのこと。魔導国内でも高位に位置するらしい信託統治者とやらの握る情報は、我々がナザリック地下大墳墓に届く手がかりになりうるはず。あるいは、竜王から何らかの協力を得ることが出来れば──」

 

 なるほど。

 ミカの言う正論に納得を得たカワウソは、少し考えてから、命令を下した。

 

「……ラファ。ツアインドルクス=ヴァイシオンに、すぐ連絡を」

 

 内容は、『ラファの主人であるプレイヤー・カワウソが招待に応じる』という主旨で。

 

「よろしいのですか?」

 

 疑問するミカに、堕天使は皮肉気に顔を歪ませる。

 

「おまえが言ったんじゃないか。情報を集められるかもしれない、と」

「ですが。それはあくまで可能性の話。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)──連中の同盟者とやらが、アインズ・ウール・ゴウンに我々を引き渡す危険性もあります」

 

 かもしれない。

 何しろ、相手はアインズ・ウール・ゴウンの同盟者という、信託統治領を預かりし“真なる竜王”だと、情報を得ている。

 だが、

 

「罠だろうと何だろうと、今は打てる手は打っておきたいからな」

 

 それこそ。

 ツアインドルクス=ヴァイシオンは魔導王と盟を結んでこそいるが、裏では互いの地位を引きずり下ろすための政争に明け暮れているとしたら? 魔導王の支配下に下ってこそいるが、機を十分に狙って、面従しているだけの狡猾なモンスターだとしたら?

 そんな“わかりやすい”相手であれば、なるほど、ユグドラシルの存在であるアインズ・ウール・ゴウンに対抗すべく、この異世界へと渡り来たプレイヤーやNPC……カワウソやラファたちを歓待することもありえるだろう。ラファの主人を自分の領地に招待し、戦力として取り込むことも、十分ありえるはず。

 しかし、どれも確証があるものではない。

 だとしても、ただ手をこまねいているわけにもいかないのだ。

 

「やれることは、やる。使えるものは、使う。

 そうして選択し、選抜し、戦いの準備を積み重ねないと──とても戦えるはずがないからな」

 

 ラファとガブの表情が朗らかに色めきたつ。主人の意思の堅さ、戦いへと敢えて舵を取る精神の有り様に心服したかのごとく頷き、微笑みの明るさをより深めた。

 そんなNPCの従順な様子を前にして、カワウソは自己嫌悪で吐きそうになる。

 なんていう裏切りだろう。

 自分自身の企みの為に、カワウソはNPCたちを騙している。

「戦える」とは、言った。

「勝てる」とは、これっぽっちも思えやしない。

 相手は、あの──アインズ・ウール・ゴウン。

 100年前に大陸を制覇し、世界を征服した魔導国。

 対するは、堕天使のプレイヤー・カワウソと、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPC。

 カワウソは紛れもなく、目の前にいる彼ら彼女ら──拠点にいるNPCたちを道連れにしようとしている。

 負ける戦いに──死ぬための戦いに、ここにいる皆を、巻き込んでいる。

 傲慢にもほどがある。だが、彼等NPCは、確実に必要な戦力となる。手放すことはありえない。

 そこまで理解していて、堕天使の狂った戦意……復讐へと向かう欲望は、まったく衰えることを知らないようだ。粉飾されたなけなしの勇気を──あるいは狂気を──頼りに、カワウソは竜王との接触で得られる情報を最優先に思考する。

 

「協力を取り付けられないにしても、少なくとも、魔導王の素性や略歴程度は知れるだろう。そこから、何か攻略の糸口になるものが見つかれば、よし」

 

 そのためにも、この魔導国でアインズ・ウール・ゴウンの同盟者と呼ばれる竜王に、直接相対するのは、悪い判断ではないだろう。向こうの戦力や戦略は不明だが、その時はその時で、対処すればいい。幸い、ここにいるミカ……熾天使(セラフィム)は、竜などの巨大モンスターへの特効能力保有者でもある。

 

(それでも対処できなければ……)

 

 そのときは、そのとき。

 人がいずれ死ぬように、カワウソの戦い──復讐──も「早く終わるか」「遅く終わるか」だけだ。

 主人の真意を全く読めていないだろう快活な笑みと共に、承知の声を唱和させる二人の天使。

 二人がそれぞれに与えられた任務に励むべく、答礼と共に円卓の間を辞していく。

 寄り添うように下の階層へ降りていく二人の背中を、堕天使は引き止めない。

 

「ミカ、俺は部屋に戻る」

「……かしこまりました」

 

 舌打ちでもしかねないほどのしかめっ面で、ミカは頷いてみせる。

 あるいは、ミカだけは気づいているのか。理解しているのか。

 カワウソがどうしようもない主人だと。

 NPCたちの忠誠心を利用する卑怯者であると。

 だが。

 

(それならそれでいいか)

 

 熾天使(ミカ)や、屋敷のメイドたちに円卓の間の片づけを任せ、カワウソは屋敷二階の自室へと一人で戻る。

 

「……つかれた」

 

 鎧と足甲を脱ぎ捨てるのも面倒なので、そのままソファの上に寝転がる。

 金属の装備類は間違いなく鋭利で硬質な形状なのだが、拠点内の家具アイテムは傷つかない。柔らかいはずのクッションにしても、穴があいて中身がこぼれることもないのだ。

 

「……どうなるかな?」

 

 深呼吸と共に不安がこぼれる。

 ラファに、白金の竜王と連絡を取り、招待に応じると告げた。

 だが、実際として、ツアインドルクス=ヴァイシオンなる竜の王──アインズ・ウール・ゴウンの同盟者が、カワウソのことをどうするのか不明すぎる。最悪なのは、竜王が魔導王に対し、カワウソたちを売り払う可能性だが。

 

「その時は、諸共に始末する──」

 

 ことが出来るかどうか。

 ミカを連れて行けば、ある程度の抵抗は容易なはず。飛竜騎兵の領地で、黒竜を破砕した特殊技術(スキル)の他にも、竜モンスターへの対策を万全整えていけばいい。問題は、そうやって竜の対策に傾注することは、他のモンスター……アンデッドなどへの対策が疎かになりかねない点だ。

 

「ラファが語る通りなら、そこまで陰険な人物じゃないって話だが──」

 

 ラファの忠誠心の篤さも、他のNPCたち同様に極めて高い。カワウソに嘘をついている可能性はなく、彼は本気で、白金の竜王とカワウソが会談することに、危機意識は懐いていない感じだった。冒険都市とやらで行き会った──トーナメント準決勝を前に、ラファの正体を看破した竜騎士が、己の素性……白金の竜王・信託統治者・魔導王の同盟者である事実を明かしてきたという顛末から判断しても、ツアインドルクスは悪い人格とは言えないだろう。

 それこそ。ラファの正体を看破し、裏で魔導王やその手の者たちを引き入れて、ラファを封印・拘束するような挙動を見せることもありえたはず。また、ラファがカワウソからの帰還命令を受けて引き上げていくのを止めることもなかったという。その別れ際に手渡されたのが、今カワウソの手中にある招待状というわけだ。

 

「不安がってもしようがない」

 

 この大陸でも最上位に位置づけられる信託統治者。

 白金の竜王とかいうドラゴンと直接会うことは、何らかの成果を生むはず。

 努めて悪い方向に考えが落ち込む堕天使の脳を、カワウソは首を思いきり振って揺さぶってみる。

 今の状況じゃ、まともに戦うことは難しい。

 少なくとも、城塞都市エモットを通過し、ナザリック地下大墳墓の存在する中心地とやらに到達できねば、第八階層“荒野”の再攻略など果たしようがない。

 それに、アインズ・ウール・ゴウンの、魔導王の正体というのも気がかりだ。

 何故、ナザリック地下大墳墓の支配者が、プレイヤー・モモンガではなく、“アインズ・ウール・ゴウン”なのか?

 モモンガに似たNPC?

 あるいは、ただのゲームデータの移植?

 最悪なのは……これら現実と思えるすべてが、カワウソの描いた悪辣な“夢”である可能性だ。しかし、その可能性は低い筈。どこまでも現実な感覚。自由に動き回るNPC。さらに、カワウソの脳髄が見せる夢だとしても、“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗る“魔導王”など、あまりにもおかしすぎる。破綻しているどころの話ではない。カワウソの馬鹿な脳みそが見せた夢であるならば、そのようなラスボス設定を想起する筈がないだろう。まだ“モモンガ”のままの方が夢っぽい気がする。

 

「……絶対防衛城塞都市、ね」

 

 カワウソが最初に赴いた、魔導国の第一魔法都市・カッツェ。

 そこからわずかに北上するような形で、この大陸の中心である首都が存在しているとのこと。

 あの都市でヴェルやマルコたちと一度別れ、そこへ赴くことを第一に考えていたのだったが、それすらももはや懐かしい気さえ覚える。

 そういえば。

 カワウソはマアトが遠見の魔法と併用して録画してくれたニュース映像のひとつを思い出す。

 ボックスから取り出した掌大の水晶。そこに映りこむ映像こそが、マアトの記録魔法の発現である。

 

 

《続いてのニュースです。

 昨日、絶対防衛城塞都市・エモットにて、バレアレ商会の誇る老舗ホテル・小鬼(ゴブリン)の護り亭一号店が新装リニューアルオープンを迎え、数多くの愛好家や家族連れなどで賑わいました。魔導国の商業と魔法産業の発展に従事した当商会のホテルチェーンにおいて、大陸全土に広まるための第一歩を踏み出した一号店には、魔導王陛下御一家やナザリックの守護者の方々も足繁く通っているとのことで、開店セレモニーにはシャルティア・ブラッドフォールン主王妃殿下が御息女、姫殿下と共に、『偉大なる死の王にして至高の御方』であられる最高支配者、我らがアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の御姿が…………》

 

 

 魔法都市で無数に流れた、朝のニュース映像の一部を閲覧。

 マアトの言う通り、魔導国のニュースの中に、ユグドラシルプレイヤー……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)……カワウソ……NPCなどの名称や事件は、一言も登場してこない。

 それこそ、『第一生産都市(アベリオン)で謎の天使が大暴れしました』とか、『南方の新鉱床で、第四階層守護者が謎の少年と交戦しました』などの情報は、一切流れていない。おそらく、魔導国の上層部……ナザリック地下大墳墓の隠蔽工作か何かが働いたのだろうと思考できる。それ以外に納得のいく答えはない。

 

「国民は、ユグドラシルのことを知らない──わからないから、情報を流す必要がない」

 

 単純に考えるならば、先ほどの対応協議の場でミカが発言した通り、『国民のレベルが低いが故に、重要な情報を与えられていない』可能性を想定して然るべきところ。現地に住まう魔導国の人々は、ユグドラシルと比較してみれば明らかに低レベル帯に位置しており、数億単位で存在する彼等全てに情報対策のアイテムや魔法を授ける──なんてことは不可能なのだろう。

 

「つまり、アインズ・ウール・ゴウンにも“限界”はある」

 

 何とかポジティブに解釈するならば、彼等にも出来ないことや太刀打ち不可能な事象があるということに他ならない、はず。

 あえてそのように振る舞っている・演技しているだけというのもありえるだろうが、そうでも思わなければやりようなど無い。

 昨日の映像に映る魔導王(アインズ・ウール・ゴウン)は、都市警備や防御魔法に絶対の自信があるかの如く、悠然と衆目(しゅうもく)の前に姿をさらしている。彼の傍には“シャルティア・ブラッドフォールン(NPC)の娘”だという銀髪紅眼の長身女性と、黒髪ポニーテールのメイドが追随しているだけ。視認できる護衛は、上位アンデッドである蒼褪めた騎兵(ペイルライダー)が4騎と、中位アンデッドが30体前後(もちろん、カワウソが認識できない隠密モンスターが居並んでいる可能性もありえる)。

 カワウソとミカであれば、容易に突破できるだろう構成である。

 まるで、アインズ・ウール・ゴウンは昨日のカワウソたちの宣告と暴掠を知らぬがごとく、平然と衆人環視の前に己の身を(あらわ)にしていた。

 魔導国──ナザリック地下大墳墓の情報伝達系統に不具合がないと判ずるならば、これは……

 

(生み出した上位アンデッドによる“替え玉”か──あるいは、二重の影(ドッペルゲンガー)を使っているのか?)

 

 わかりやすい“釣り”の可能性も十分ありえる。

 疑似餌に食いついた魚を、釣り針で引っ掛けあげるように、連中はカワウソたち敵対者を待ち構えているのかも。

 ユグドラシルに存在する変身能力に特化したモンスター・二重の影(ドッペルゲンガー)などは、そこまでレアということはない。拠点でユグドラシル金貨を支払えば召喚・POPさせることも容易。ある程度まで強力な個体を作りたいと思えば、拠点NPCとして創造することも簡単。

 ナザリックが有する拠点NPCか何かが、高度な幻術や変身でアインズ・ウール・ゴウンの姿を映し出しているだけかもしれない以上、カワウソたちが急襲し強襲しに行くメリットはどこにもない。

 この程度の場所に、遮蔽物や何の防御もされてなさそうな場所で──カワウソ達がやろうとおもえば、ウリの広域殲滅魔法で周囲一帯を焦土に変えることも出来るだろう。周辺住民への被害を考えると絶対にやらないが。

 しかし、(いたずら)に手をこまねいているわけにもいかないのは、既に周知徹底された事実。だからこそ、わかりやすい罠よりも、対話の可能性のある竜王・ツアインドルクス=ヴァイシオンの招待に応じる方が、まだマシな戦況を生みだすはず。

 カワウソは言ったのだ。「自分は、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”だ」と。

 そう宣告した以上は、連中が動き出すよりも先に、こちらが動く必要がある。

 待ち構え籠城などすれば、数日でギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は壊滅する──その前に、動かねば。

 

「やっぱり、城塞都市とやらに、乗り込むしかない……か?」

 

 アインズ・ウール・ゴウンが居住する、ナザリック地下大墳墓。

 ユグドラシルの中でも有名な拠点を、グルリと取り囲むように存在する“首都圏”こそが、「絶対防衛」と銘打たれた城塞都市・エモットであると観光案内(パンフ)には記載されている。都市名の由来は、100年前、この都市全域を統治することになった外地領域守護者──ゴブリン5000人を率いた女将軍──エンリ・エモットなる人間の少女にちなんでいるとのこと。その系譜を継ぐバレアレ商会というのが、魔導国で一、二を争う複合企業の母体なのだと。

 カワウソは必死に、城塞都市とやらに乗り込むための手段を模索してみる……だが。

 

「イズラの潜伏スキルは……連中にバレていると考えた方がいい」

 

 指折り、自分たちにできること──できないことを確認していく。

 生産都市で調査中に、潜伏していたイズラの能力を見破った戦闘メイド(プレアデス)なる存在。

 暗殺者の達人(マスターアサシン)の能力を正確に看破できるのは、同じ職を有するものと考えて良い。

 ナザリックに仕えるというメイドですら、天使の澱の中で最高位の隠密能力者を発見できた事実がある以上、城塞都市内にもそういった看破能力に長じた存在がすでに徘徊・巡回している可能性は極めて高い。

 

「クピドの転移魔法──は、位置情報がないと無理だ」

 

 最上位の転移たる〈転移門(ゲート)〉にしても、見たことも行ったこともない場所や、情報のまったくない地点へと転移することは不可能であった。そんな便利な魔法であれば、ユグドラシルに未知の土地やフィールドは存在しなかっただろう。

 たとえ、どうにかして城塞都市に潜り込み、彼に情報を送付することができても、高度な転移阻害などが都市全体に張り巡らされている可能性も実際としてありえる。そうなっていれば、いかに〈転移門〉といえども、すんなりと侵入できるはずもない。最悪、防衛魔法の反撃手段(カウンター)に引っかかり、クピドが叩きのめされる結果に終わるやも。

 

「下手に死なせでもしたら、それだけこっちが不利になるよな……」

 

 Lv.100NPCの復活にかかる費用は、ユグドラシル金貨5億枚。

 カワウソがサービス終了時まで蓄えた財では、そんな大金を支払う余裕はほとんどない。

 そして、この異世界には、ユグドラシル金貨のドロップは存在せず、また、拠点周辺の土壌や植物などを換金装置……通称シュレッダーにブチ込んでも、二束三文にもならなかったことを考えれば、無駄な出費は極力抑えなければならない。 

 あれこれと思案にふけるカワウソの耳に、コンコンと、扉を叩く音が。

 カワウソは鬱屈しそうな意識をまっすぐに整えた。

 ソファに寝転がる身体をシャンとする。

 

「誰だ?」

「カワウソ様。ミカ様が、お話ししたい議があると」

 

 扉の向こうにいるメイド──水精霊の乙女であるディクティスの声が、訪問者の名を告げる。

 

「ミカが? ──どうぞ」

 

 先ほど別れたばかりのはずなのに、話すことがまだ残っていただろうか。

 疑問しつつも入室を許すと、水色の髪のメイドが開けた扉の向こうに、NPCたちの長たる女天使の姿が。

 

「入ります」

 

 堅い女の声をカワウソは緊張する自分の声をほぐすように努力して、迎え入れる。

 

「ああ。何の用だ?」

「…………」

 

 珍しいことに、ミカは常の調子とは明らかに違う様だった。

 

「どうした?」と訊ねても、そこから一歩も動かず、また、一声すらも発しようとはしない。

 奇妙な沈黙が続く。

 こういう時は、どうすればいいのだろう。

 カワウソは悩んだ末、ミカにとりあえず着座するように言ってみる。

 

「……それは御命令でありやがりますか?」

 

 問い返してくる天使の声は、やけに不機嫌そうだった。

 これは、先ほどの会議でカワウソが何かやってしまっていたのだろうかと不安を覚える。

 

「命令って……ああ、──命令だ」

 

 聞き返したくなった瞬間、そう明言してやった方がいいかと思い直す。命令だと言った瞬間、ミカが生真面目(きまじめ)に頷きながらようやく一歩を前に踏み出した。別に、ギルド長の私室に入ったことは前にも──転移から二日目あたりで経験しているから、そこまで物怖じするような場所ではないはず。

 

「……何か飲むか?」

 

 自室への来客をもてなすといえば、やはり“お茶を出す”しかないだろう。自分の家に誰かを招き入れたことのない──あんな狭小スペースに客を招くわけがないカワウソであっても、一応、会社務めとしての常識として弁えていた。

 思って、室内備え付けのバーカウンターに向かうカワウソ。

 その様子に、ダイニングテーブルを挟んで向かいのカウチに腰掛ける黄金の女騎士は、少し戸惑いすら覚える声をこぼした。

 

「イスラに、ドリンクでも頼むつもりで?」

「いいや」カワウソはこの程度の些事にNPCを使う気はない。「茶ぐらいなら、俺にも()れられるからな」

 

 ミカは何やら目を瞠ったが、別に驚くほどのことではない。

 ユグドラシルにおいて脆い堕天使に必要な強化(バフ)アイテム──料理類を作り出すのに必須な職業・料理人(コック)Lv.1を取得しているカワウソは、ドリンクや紅茶をつくるのも容易い。実際、そういった調理行動は十分に行えるものと確認は済ませてある。たったのLv.1では、そこまで()った料理──とんでもない効能を生むコースメニューなどは作れないが、とりあえず普通の食事程度は用意できる。

 

「……イスラが悔しがりますよ?」

「そうなのか?」

 

 何にせよ、彼女は第二階層の防衛を担う要。余計な用事を頼んで、その隙に襲撃されでもしたらいかんともし難い。自分でできることくらいは自分で済ませておいた方がいいはず。

 とりあえず何が飲みたいのか、ミカにリクエストを求める。

 

「……では。プラチナム++(ダブルプラス)・アースガルズ・ペコで」

 

 ミカご要望の銘柄は、九つあるワールドのひとつ・アースガルズの特定の場所で、特定時期に、特定時刻に、特別な職業を有する存在だけが収穫できる貴重な茶葉だ。つまるところ、最高級品の中の最高級品。そんなものを所望するほど、ミカは紅茶通なのだ。そのように、カワウソは彼女を設定した。

 この階層の、この屋敷の守護を任されている彼女だからこそ、食材の備蓄状況なども把握できている。

 

「貴重品だぞ?」

「それが何か?」

 

 辛辣な口調が、意外にも耳に心地よすぎて笑ってしまう。

 NPCたちに誠実かつ忠義あふれる言動をされることに慣れていないカワウソには、まだ馴染みやすい刺々しさが良かった。思えば、ミカとは外へ出てから長いこと生活行動を共にしていたので、それで慣れてしまっているのかもしれない。

 

「まぁ、いいさ」

 

 小気味よく頷く堕天使は、調理台に半ば死蔵されていた茶器を取り出し、メイドNPCのおかげでよく手入れされたティーセットを用意する。魔法の棚から紅茶の包みを二人分ひっぱりだした。

 そしてカワウソはいつどこで習ったのかよくわからない動作──魔法のティーポットからカップに注ぐまでの距離を適度に離して、空気に触れさせることによりお湯を紅茶の銘柄に則した適温に調整。料理人Lv.1は、ユグドラシルを冒険する上で──特に空腹対策や強化アイテムなどが重要な堕天使にとっては──あまりにも有用なクラスだった。人間種のプレイヤーパーティなどでは、ひとりくらい取得しておくだけで冒険の利便性が上がる。それがこんな形で、異世界に転移して役に立つことになると、誰が予想できるものだろうか。

 白と金を基調としたオーソドックスなティーセットが、瞬く内に芳しい香りを漂わせる茶会の場を築き上げる。お茶請けは、魔法の冷蔵庫に保存していたチーズケーキ……アウズンブラの牛乳製にしてみた。

 

「ほら、どうぞ」

「……」

 

 主人の手ずから運ばれ差し出された紅茶と菓子類を丁寧に受けとったミカは、何やら不機嫌そうだった顔色を、一瞬だけ柔らかく緩ませてくれた。

 滅多に見られない、ミカの油断した表情。

 ゲームだったら思わずスクリーンショットしていたかもしれないほど、その天使の(かんばせ)()になった。

 

「何か?」

 

 視線に気づいたミカは、(まなじり)を決して主人を睨む。

 そんな変わり身すら、今のカワウソには(こころよ)く感じられた。

 

「いいや、別に?」

 

 (なか)ばからかうように、そっぽを向く天使の横顔に微笑みかける。

 ……対等に話し合える存在は、いてくれるだけでも、心の支えになるもの。

 異世界へと転移した現在の状況は、あまりにもカワウソの──普通の人間だったモノには、気が滅入る状況に相違ない。誰とも本音で語り合えない人生の重さ辛さを、カワウソはよく知っている。

 人生ではじめての仲間たちと別れ、その事実を認め受け入れ、たった一人でゲームを続けながら、ナザリックへの挑戦を続けてきた。誰とも何も分かち合うことのない人生が、どれだけ空虚で空疎なものであるのか──仲間たちというものをはじめて知った、知ってしまったカワウソは、よく、わかってしまう。

 あるいは、彼等と、仲間たちと出会わなければ、…………そんな馬鹿な想像を浮かべる自分が、とんでもなく惨めだ。

 

「どうかされましたか?」

「なんでもない」

 

 浮かびかける冷たい感情を、紅茶の香気で無理やりに温めてみる。

 なるほど、最高級品だけあって素晴らしい香りだ。口に含めば苦味の奥に、爽快な風味が駆け抜けていく。

 ゲームに、ユグドラシルに嗅覚が存在しなかった以上、この現象もまた今の状況が現実であることを存分に知らしめてくれる。

 

「……アインズ・ウール・ゴウンも、こうだったのかな?」

 

 紅茶を優雅に楽しんでいたミカが、首を数ミリほど傾ぐ。

 もしも。

 アインズ・ウール・ゴウンが、カワウソと同じプレイヤー……モモンガであれば、100年も前にこの異世界へと渡り来たことになる。

 その時、その瞬間──アインズ・ウール・ゴウンは、どんな気持ちでこの世界に転移したのだろう。

 共に語れる仲間がいたのだろうか。胸襟を開いて話せる友がいたのだろうか。

 こうして、一緒に食事をする存在はいてくれたのだろうか。

 

 ──いなかったからこそ、彼は“アインズ・ウール・ゴウン”と名乗っているのか?

 

「自分で淹れた紅茶がそんなに不味かったのですか?」

 

 ミカの刺々しいながらも心配する声に、カワウソは重々しい形相を横に振る。

 

「不味いわけじゃないが。イスラの淹れたコーヒーやドリンクの方が美味い気がしてな」

「あたりまえであります。あなたが与えた彼女の料理人レベルは、10。文字通りの桁違い。圧倒的に彼女の方が料理人スキルは上なのですから。……ああ、もったいない……」

 

 そう言いつつ、ミカは最後まで……ほんのりと頬をお茶の湯気で赤らめながら、ティータイムを堪能した。これは、イスラに無理を言ってでも淹れてもらうべきだったか。そうすれば、ミカの微笑みも深まったのではあるまいか。

 己の顔に浮かぶ微笑みが喜色に歪みそうになるのをなんとかこらえる。ただでさえ気色悪い顔なのだ。目の前の天使が、堕天使の笑みを苦手にするかの如く直視しない事実を思うと、ここはこらえておくべきだろう。

 カワウソは訊ねる。

 

「それで、わざわざ俺に何の用だ?」

 

 本題に入る。

 ミカが、ギルド長の……創造主の自室に赴いてまで遂行せねばならない用件とは。

 紅茶の香気と甘味苦味を口内に含み、元始の雌牛(アウズンブラ)から採れたミルクで製造された最高のチーズケーキまで愉しんだ女天使は、実に優雅な所作でカップを置く。

 女天使は、しばらくカップの底に残った茶の滴を、眺める。

 果断苛烈なミカにしては珍しく、何か言葉を選ぶような、気後れしているような、言いたくないことがあるような、そんな時間が五秒ほど流れた。

 天使の表情──頬の赤みが完全に引くほどの時間が過ぎる。

 

「……、ぁ」

「──あ?」

 

 すべてを決意した女の瞳が、熾天使の峻厳な宣告が、堕天使の全身を射抜いた。

 

 

 

 

 

 

「あなたを、止めに来ました」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、記念すべき50話目で、あのキャラが登場します。


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逢瀬

天使の澱 50話目

 アインズ様と“魔王妃”の関係については、前作
『魔導王陛下、御嫡子誕生物語 ~『術師』の復活~』をご参照ください。


/OVERLORD & Fallen Angel …vol.09

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「うん……うん……では、そのように頼む」

 

全体伝言(マス・メッセージ)〉の魔法をアインズは解除する。

 アルベド、デミウルゴス、パンドラズ・アクター、そしてユウゴにナザリック内で行える魔導国の政務や公務を任せ、ツアーとの協議でも双方の意向を確認し終えたアインズは、伴回りとして選んだ戦闘メイド(プレアデス)の六名……ユリ、ルプスレギナ、ナーベラル、シズ、ソリュシャン、エントマと共に、己の住まいたる第九階層から、かなり珍しい場所に転移すべく準備を整える。

 

「では、いくぞ」

 

 戦闘メイドたちが粛々と頷く。

 アインズの〈上位転移〉によって、一瞬のうちに景色が移り変わる。

 

 何もない“荒野”だが、ここは紛れもなくナザリック地下大墳墓の、その最深部に、近い。

 

 この階層に到来する有象無象を、敵味方の区別なく襲撃する者たち──“あれら”を制御する権限を持つアインズは、何食わぬ顔で荒野を──第八階層内に存在する“ある場所”を、目指す。第八階層のあの場所は、アインズの装備するギルドの指輪を使っても、ダイレクトに転移することは出来ないのだ。

 

「ルベドは……近くにはいないな」

 

 周囲を警戒するメイドたちと共に頷きつつ、荒野上空にいる“あれら”をギルド長の最高権限で掌握──無差別攻撃を控えさせる。

 砂塵の吹き荒ぶ野を進むうちに、ふと、景色が揺らめく。

 次の瞬間、春の草香るそよ風が心地よい、桜の花吹雪がひらひらと舞う光景の只中にいた。

 アインズたちが訪れた先は、第八階層“荒野”──その中に存在する、絶対不可侵の領域。

 名を、桜花聖域、という。

 

「お待ちしておりました、アインズ様」

 

 迎え入れるべく、青々と茂る芝生の上でウカノミタマやオオトシたち部下と共に跪く戦闘メイド(プレイアデス)のリーダー──赤と白の巫女装束を着込む人間の乙女──末妹、オーレオール・オメガの歓待を、アインズ達は受け入れる。

 そうして、ここに安置されたギルド武器と、その傍近くにあるベッド……年中花を咲かせ続ける桜の巨大樹の根本に設置させた……その上に横たわり、降り落ちる花弁すら自分から避けていく“守り”に覆われた乙女の姿に、目を細める。

 

「うむ。ご苦労だった、おまえたち……少し、さがっていろ」

 

 NPCたちは主人の望み願うものをすべて受け入れるように、その場から後ずさっていった。

 アインズは、彼女たちを伴回りに選んだ最大の理由を口にしておく。

 

「せっかく七姉妹(プレイアデス)が揃ったのだ。暫しの間、皆でゆっくりするといい」

「あ……ありがとうございます、アインズ様!」

 

 委細を把握したユリの感謝が辺りに響いた。

 主人の命により、戦闘メイド六人とオーレオールは、久方ぶりの姉妹の再会を楽しむことに。

 アインズは前へと進む。

 そして、この地で眠る彼女の傍近くに、──寝台の脇に腰掛ける。

 

 大地そのものの色を輝かせる髪を長く伸ばし、桜色の艶を帯びる唇を浅く開いて寝息をたてて──だが、アインズが最も見たいと願う空と海の色に淡く輝く瞳は、柔らかな瞼の奥深くに秘められて久しい時が流れている。

 

 この地を守護する巫女と同じ職業レベルを一部獲得し……それ故に、ここに安置させることが多くなった妃……妻の一人は、100年近く前と同じ若い顔立ちに、王妃としての品を宿した寝顔で、眠り続けている。

 伴回り役の戦闘メイド(プレアデス)、そしてオーレオールたち全員をさがらせて、王と妃は数週間ぶりの再会を、二人きりで過ごす。

 

「大丈夫か、ニニャ?」

 

 呼びかけるが、目を覚まさない。

 覚ますはずがない──というか、覚めてしまってはいけない(・・・・)のだ。

 純白のネグリジェ姿で、ただ、慎ましい胸の膨らみが上下する動きだけが、彼女が生きている証たり得た。

 

「……大丈夫か?」

 

 ベッドサイドに腰掛け、柔らかな……巫女(オーレオール)たちの手でよく手入れされている髪に、一房だけ、触れる。

 宝石や財物を扱うよりも丁寧な仕草で、アインズは自分の女の名を、呼ぶ。

 

 

 ── 私の方は大丈夫です、アインズ様 ──

 

 

 朧げに聞こえた声は、間違いなく、彼女の声だ。

 だが、見下ろす乙女の顔色や表情は微動だにしていない。

 幻聴や幻術の類ではなく、ニニャは眠りながら、アインズとの意思疎通を可能にしている。

 

「おはよう、ニニャ」

 

 ── おはようございます、アインズ様 ──

 

 目覚めの挨拶を交わしはするが、ニニャの寝顔は、いっこうに瞼を押し開けることはなく、その唇も動くことはない。

 

「調子はどうだ」

 

 ── 相変わらずです、けど ──

 

「けど?」

 

 ── 最近ここで、夢の中で不思議なことがあって ──

 

 

 

 魔王妃・ニニャ。

 その昔。このナザリック地下大墳墓で復活した『術師(スペルキャスター)』の少女。

 アインズが、この異世界に渡り来て、モモンという冒険者の姿で共に旅をした、人間。

 大陸を平定し、世界を征服した後、とあるメイドの懐妊騒動の末に復活を果たし、アインズたちの教練によって類まれなレベルアップを成し遂げた才能の持ち主であり、何かと気苦労が絶えない魔導王の、良き理解者ともなってくれた。

 その果てに。アインズが正妃を迎え入れる際に、アルベドたちと共に“現地人代表”として選抜を受けた……(アインズ)の我儘を、二つ返事で受け入れてくれた……愛すべき存在。

 

 

 そんな彼女は、今、この第八階層で……常に眠りについている。

 

「女の人?」

 

 ── ええ。最近になって、夢で不思議な恰好の女の人と会うことが多くて ──

 

「ふむ……それはどんな姿なのだ?」

 

 ニニャの話を一言一句すべて聞き漏らさないようアインズは身構える。

 だが、『夢の中の世界』のことは門外漢もいいところなので、これといった助言ができるわけでもない。ニニャの方も、特に問題には感じていないようなので、少しばかり留意しておくだけでいいだろう。

 とりあえず一通り互いの情報交換を終えたニニャは、アインズ達の直近の問題……100年後に現れた脅威について言及してくる。

 

 ── お話は、オーレオールさんから聞いてます ──

 

「うん。どこまで聞いている?」

 

 ニニャは眠っている表情を微動すらせず、穏やかな寝息だけをたて続けながら、アインズと意思の疎通……会話めいた遣り取りを可能にしている。まるで、ニニャの意識だけが、アインズの聴覚・脳内へと直接語りかけているかのよう。

 これは、声に出して行う発話が必須の〈伝言(メッセージ)〉とは当然ながら違う。系統としては他者と意思を接続する〈念話結合(テレパシック・ボンド)〉の魔法に近いが、実際はニニャがアインズ達から教えられた魔法を応用し再開発した、ニニャのオリジナルのものだ。

 今のニニャは、『夢の中の世界』でのみ、魔法を行使している状態にある。

 

 ── 堕天使の、ユグドラシルプレイヤーの、カワウソさん? でしたっけ? ──

 

 その人(?)とも仲良くできたらよかったのにと、ニニャは朗らかに笑ってくれる。

 魔導王は、あたたかい魔王妃の手を握りつつ、虚空を仰ぐ。

 

「ああ……そうだな」

 

 彼女の言葉は、まさしくアインズが当初求めていた願い、そのものだった。

 しかし、それはもはや叶わない望みだろう。

 彼が“アインズ・ウール・ゴウンの敵”である以上、仲良くなどできるわけもない。

 アインズ・ウール・ゴウンは、仲間たち41人と創り上げた、かけがえのない名前……その名を(いただ)くアインズ達と“敵対”するのであれば、それはアインズの存在そのものを脅かすもの。そして、このナザリックを、統一された魔導国を、平和を築いた大陸世界そのものを揺るがすことに他ならない。

 一応、カワウソはツアーの招待……“対話”に応じるらしいが、それもきっと、アインズ達に対して有利な戦況を構築するために必要な工程として選択したこと。アインズ達と協力し協調するといったことは、ありえない。

 

 ── 今から、なんとかなりませんか? ──

 

「それは……」

 

 無理だろうな。

 彼にも、何か事情があるのだろう。

 アインズ・ウール・ゴウンは、ユグドラシルにおいて悪名を轟かせたギルド。

 どこで恨みを買ったのかわからない……否……話によれば、カワウソはアインズ達が今いるこの第八階層への『挑戦』──復讐を続けてきたという。

 後にも先にも、第八階層へと侵入できた手勢というのは、例の『1500人の討伐隊』のみだ。

 

(あれらやルベドへの、復讐……か)

 

 そんな大言壮語を吐き連ねた、堕天使のプレイヤーの姿。

 あれが、あの宣告が、虚言や虚飾である可能性は、限りなく0に近い。

 それでも、彼が望まぬ戦いを、自らに課しているというのであれば……

 

(ツアーとの交渉、対話次第によっては、彼の本心や真意を掴めるはず)

 

 そのために、ツアーと緊密に連絡を取りつつ、カワウソ達の訪問を待ち構えている状況にある。

 ……それでも。

 彼が本心からナザリック地下大墳墓に、この第八階層に挑むとあれば、その時は──

 

(確実に殺せる)

 

 このナザリック地下大墳墓で。

 あるいは、その表層を取り巻く、100年前からほとんど手を加えていない異世界の平原で。

 

 下手に魔導国内の都市や外地領域を攻撃されるよりはマシだろう。

 臣民への被害は確実に0となる上、こちらへの損害は極軽微にすむ勘定となる。

 それとなく城塞都市・エモットを素通りさせて、ナザリック地下大墳墓の表層──エモットの城塞に囲われた異世界の平原で待ち構える方がいい、はず。

 

(ユウゴたちと共に、100年かけて生み出した中位アンデッドの大兵団で、連中の体力と魔力を摩耗させ、そこを俺と守護者たちで叩けば)

 

 完全に、連中を、カワウソ達を殲滅できる。

 というか、こちらへの被害を極小にするためには、これ以外の選択肢は、ない。

 アルベドやデミウルゴスなどは、どこかの都市にアインズ(に化けたパンドラズ・アクター)を駐留させ、そこに襲撃をかけにきたカワウソ達を、魔導国軍の精鋭部隊やナザリックのシモベたちで包囲殲滅する気満々だったが、それは国軍や都市住民への被害……臣民の避難や戦闘による二次被害、都市建造物の破壊や都市機能への長期的な悪影響を考えると、魔導王として、アインズは難色を示すしかなかった。

 ならばいっそのこと、臣民たちが誰もいない“ここ”で、連中を待ち構える方がいいと、アインズには判断できた。平原を吹き飛ばそうとも、マーレの魔法で再生は容易。臣民たちを無闇に危険にさらすよりは気兼ねなく戦え、尚且つ、魔導王アインズ・ウール・ゴウンが確実にいると敵に判るフィールドは、ここぐらいだろう。

 無論、守護者たちは一斉に異を唱えた。

 わざわざ連中を、ナザリックの懐近くに迎え入れることに危険を感じる声があがった。それならば、まだスレイン平野へ──敵拠点へナザリックのシモベ達による強行軍を送り出した方がマシではないかと。

 

 しかし、アインズは譲らなかった。

 

(たとえ表層周囲の平原を突破されようと、このナザリック地下大墳墓を走破できるわけもない)

 

 相手の戦力は、Lv.100が十数体……カワウソを含めても13か、14人しかいない計算だ。

 20人にも満たない戦力で、中位アンデッド兵団を踏破できても、そこまで至る戦闘の後に続くナザリック地下大墳墓を、第一・第二・第三・第四・第五・第六・第七……この第八階層の“荒野”を攻略するなど、夢のまた夢。

 

(唯一気がかりなのは、カワウソが、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)が保持しているやもしれない世界級(ワールド)アイテムの(たぐい)か)

 

 アインズが強行軍を送らない最大の理由。

 連中の拠点に、何かしらそういったモノが蔵されている可能性もある以上、アインズは慎重を期する他ない。安易に安直に敵拠点内へシモベ達や守護者を送る方こそが、アインズには危険すぎる試みだと思われてならなかった。無論、シモベや守護者たちは「行け」と命じれば、たとえ火の中水の中という意気のまま、危険な攻城戦や潜入工作を敢行するだろう。

 しかし、それは危険に満ちすぎている。故に、アインズには絶対に許諾できない。

 ナザリック地下大墳墓の絶対的な防衛力の象徴たる世界級(ワールド)アイテム──転移による侵入や情報系魔法への完全防御──“諸王の玉座” などがあるように、敵の拠点にもそれに類する防衛能力があるとしたら? 送り出したシモベや守護者を掃滅し逆襲できる手段が発動したら?

 だからこそ。

 連中をギルド拠点という未知数の多い穴倉から引きずり出して、そこを狩り取っていけばよい。わざわざ(カワウソ)に有利な戦場……彼の拠点(ホーム)で戦わせてやる必要もないだろう。ナザリック全軍を送り込んで、余計な被害や出費を重ねるよりはマシなはず。あるいは、カワウソ以外にも到来しているユグドラシルの存在……第三者が強襲をかけたりする可能性も否めない。カワウソが愚かにもアインズたちと敵対するのを利用する勢力が出現した際、アインズ達はナザリックの中に籠っていた方がはるかに安全だろうから。そうした後。カワウソや彼のNPCたちを拘束・封印……あるいは、抹殺……し、すべてを万事やり遂げた後で、残された敵拠点の調査と回収を遂行していった方が良いのではあるまいか。

 彼等がどのような世界級(ワールド)アイテムで武装していようと、世界級(ワールド)アイテムで武装したアインズや守護者たちへの影響は最小限に納まるはず。世界級(ワールド)アイテム保有者は、世界級(ワールド)アイテムからの影響を(一部例外はあるが)防御可能である以上、そこまで恐れる必要はない。幸いというべきか、この世界を征服したことで、この異世界に流れ着いていた世界級(ワールド)アイテムの一部を、アインズ達は新たに確保することにまで成功している。遠い過去、シャルティアを洗脳し、アンデッドの精神を支配した“傾城傾国(けいせいけいこく)”などがそれだ。

 彼我の戦力比・実力差を考えれば、勝敗は覆しようがない。

 

 ── アインズ様? ──

 

「ああ、すまない。少し、考え込んでしまってな」

 

 世界級(ワールド)アイテムの件については、ツアーにもカワウソへ探りを入れるように請願済みだ。彼の交渉術が遺憾なく発揮されることを願わずにはいられない。

 順当に、そして冷静に、“敵”を撃滅し一掃するための作戦を思考してしまうアンデッドは、好ましい女の声色で我に返る。

 

「寿命問題などの未だに残る課題の解決もそうだが。我々以外の──“世界”に匹敵する脅威が現れた際に、これを排除しようとするのであれば、カワウソのようなユグドラシルの存在と、ニニャの言う通り仲良く協力した方がいい……とは、思うのだがな」

 

 アインズが執拗(しつよう)なまでに、ユグドラシルプレイヤーとの協調を考え固執している理由のひとつが、それだ。

 カワウソが引き連れるNPCが強力であればあるほど、彼等と協力し共闘できれば、それに越したことはないはずだったのだ。

 それも、今となっては望みようのない話か。

 夫や他の正妃仲間たちから聞かされて“ユグドラシル”を知っているニニャは、あることを思い出す。

 

 ── あの、例の“天変地異を操る(ドラゴン)”のことも ──

 

 ユグドラシルの人と一緒に、解決できたらよかったのに。

 

「ああ……そうだな」

 

 でも、それは難しいところですよねと、事情を聞いて知ったニニャですら判断できた。

 伊達(だて)にアインズ・ウール・ゴウンの正妃──魔王妃と名乗っているわけではない。

 

 ── そういえば。あの竜を調べるって“約束”。結局、逆になっちゃいましたよね? ──

 

 懐かしさで苦笑するように響く、ニニャの声音。

 

「ああ。そうだったな」

 

 アインズも愉快さから生じる苦笑を零す。

 かつて、大昔に、エ・ランテル近郊に存在したとされる、眉唾な伝承。

 だが、エ・ランテルを戦争に勝利して手中にし、その後、大陸世界すらも征服したアインズは、その伝承……過去にあった出来事……風聞や俗説ではない歴史上の事実すらも、ツアーという協力者の力も借りて、調べ上げることができていた。

 なので、ニニャが調べるまでもなく、アインズの方である程度の調査は終わってしまっていたのだ。

 しかし。

 そんなことなど露ほども知らずに、魔導国の学園や図書館で資料を集め、かつてカルネ村へ同道した途上で交わした……『天変地異を操る竜の名前を調べる』という約束を果たそうと奔走してくれた少女の姿は、今でも目に焼き付いて離れない。それだけ苦労して調べあげたのに、アインズはすでに調査が終わっていたことを知らされた時には、とてもいじけてしまって──そんなニニャの膨れっ面を前に、本気で「どうしよう」と戸惑ったことも、懐かしい。

 

 ── あの時。ホントーに落ち込みました ──

 

「悪かったよ」

 

 からかうように告げてくれるニニャの声がくすぐったい。

 だから、アインズも気兼ねなく謝罪の言葉を紡いでしまう。

 出来ることなら……

 ……あの頃のように。ニニャを自由に外で暮らさせてやりたいところ。新しい魔法を研究開発させたり、新しいアイテムの創造や生産に協力してもらったり……だが、それは今は不可能である。

 

「あの竜……あれの名前を、ほぼ独力で調べることができたのは、おまえくらいだよ」

 

 ── でも、私は魔導国が再編してくれた資料がありましたし ──

 

「だとしても。私がツアーから聞いて知ったのとは、プロセスがまったく違うからな」

 

 ── えと……ツアー? ──

 

「ツアインドルクス=ヴァイシオン。アーグランドの竜帝。“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”」

 

 ニニャの思い出したような声がぼんやりと響く。

 王妃の指に装備される、ひとつの指輪を生みだした竜王のことを、思い出す。

 

 ── あー、はは。すいません、ずっと眠っているせいか、少し記憶が ──

 

 曖昧になっている。

 アインズは一瞬で「気にするな」と告げておく。精神が安定化されはするが、少なからず沸き起こる罪悪感は拭いきれない。

 

「おまえをそんな状態に……眠り続けさせているのは、私のちからが及ばぬからに他ならない」

 

 ── そんなこと ──

 

「俺は、おまえに対して、つらい思いばかりをさせている気がするな……すまない」

 

 眠り姫は身じろぎもせず、王妃に相応しい断固たる口調で、一言。

 

 ── 私が、決めたことです ──

 

 他でもない自分自身が、決めたのだと。

 その一言だけで、アインズの存在しない心臓は、安堵の心地で軽やかに弾む。

 アインズが責任を感じることはないのだと……明快に告げてくれる。

 ただそれだけで、こんなにも救われてしまう。

 

 

 

 

 90年以上前。

 ツアレがセバス(NPC)の子を懐妊したことから端を発した──あの時の蘇生実験によって復活を果たしたニニャは、アインズやナーベラル達からの教授によって、彼女自身の才覚と努力の賜物もあって、類まれな速さで魔法詠唱者としての力量を身に着けていった。

 そんな彼女と友好関係を深め、様々なナザリック式の魔法教練を施し、いろいろな騒動や日常を過ごしながら、ニニャの在り方──彼女自身の仲間たちへの信頼の深さ──アインズと同じように、“かつての仲間たち”に救われたという共通の意思を理解していくにつれ、アインズは彼女のことを、心の底から「想う」ようにすら、なっていった。

 アンデッドに成り果てた自分が、ただの人間の娘に心惹かれた。

 共に時を過ごし、共に生きていたいと──そう願うまでに、なった。

 ニニャは、そんなアインズの我儘に応えてくれた。

 ナザリックの婚姻制度を導入し、守護者四人を“正妃”として迎え入れ、その事実を公表した際に、ニニャに向かって告白をした。世界ですら差し出してみせるなどと、世界を征服した魔導王が。

 

『世界なんていりません』

 

 彼女はアインズの申し出を快諾し、五人目の王妃──“魔王妃”としての位に就くことを誓ってくれた。

 

『あなたさえいてくれれば、わたしは、もう、何もいりません』

 

 頬を包み込む掌と降り注いだ接吻の熱を、忘れたことは一度もない。

 やがて、アインズとニニャの間には、ひとりの娘が生まれ、その子は今「冒険者」として、ひとつの重要な任務と、あの娘本人の『とある目的』のために、諸方を旅し続けている。

 

 

 

 

 そうして、今。

 

 ── 私の方は大丈夫です。それよりも、あの()の方が心配ですよ、私は ──

 

「あの()はあの()で、元気にやっている。先日まで開催されていた冒険者祭。あの娘たち、当代の“漆黒の剣”は、総合トーナメント部門でまた二位になったからな」

 

 これで第一世代……復活したニニャたちの頃から通算して、三十回目の準優勝だ。優勝が“黒白”の黒い英雄か白い騎士であることを考えると、実際は優勝といっても過言にはならない。いい教師やスポンサーに恵まれているとはいえ、彼女たち自身の努力と才能がなければ、とても成し遂げることは難しい大偉業。それが、冒険者たちの祭典で催されるトーナメント大会・冒険者武闘会なのだ。

 

 ── いやぁ、そっちじゃなくて、ですね ──

 

 ニニャの懸念は別にあった。

 

 ── 「いざ」という時とはいえ、その、あの()が目指している ──

 

「ん? ……ああ!」アインズは思い出したように微笑む。「気にしなくていい。あれも、俺たちの娘も、十分に大人なのだ。彼女が決めた以上は、その意思を尊重するとも」

 

 ニニャは声のみで笑いかけてくれる。そうですね──とはにかむ様子が、目の前の寝顔と重なって見えるようだ。

 ずっと話していたい。

 話し込んでしまえればいいのに。

 そう思えば思うほど、別れの時間は早く訪れる。

 

 ── ああ、すいません。そろそろ、……魔法が、きれ、そう ──

 

「無理はしなくていい。また、ゆっくり休め」

 

 ── そうさせていただきます、ね ──

 

「大丈夫。そのうち、良い報告を持ってくる……おまえを再び覚醒させるための(しら)せを」

 

 ── がんばらなくていいですよ? ──

 

「何を言う。おまえのためだから」

 

 ── だ、だから、そういう……ああ、もう、ずるいなぁ ──

 

「ずるいか?」

 

 ── ずるいです てば ──

 

「うん。そうだな。……もう少しだけ、待っていてくれ。ニニャ」

 

 ── じゃあ、まって ます 、アイ  さま、モモン さ ……サト  ──

 

 魔法がぶつ切りのラジオのように鮮明さを失う。

 アインズは無理にニニャとの繋がりを維持しようとはしない。魔法効果の終わりは、いつもこんな調子だ。

 

「おやすみ、ニニャ」

 

 ──  おやすみなさい、あなた  ──

 

 ニニャとのつながりが、完全に途切れる。

 彼女の声の残響だけが、存在しない脳の中にしみこんでいく。

 柔らかな頬を撫で、アインズは頭蓋骨の口で、愛する乙女に接吻を落とす。

 眠り姫は、その愛しい瞳を開いてくれない。

 わかってはいるが、目は覚まさない。

 

「必ず──必ず、目覚めさせる」

 

 必ず。

 そう、あらためるまでもなく、誓う。

 この世界の全てをかけて──この世界に渡り来る“すべて”を、見極め、見定め、学び、そして、知り尽くしてやるのだ。

 かつての仲間たちに自慢できる、平和な世界を完成させれば。

 ──そうすれば、きっと、救える。

 この世界で手に入れた、かけがえのない想い。

 その数少ない対象……ナザリック地下大墳墓や愛する王妃たちやシモベたちへと向けるべき感情を受け取ってくれた彼女。愛弟子にして相談相手。魔導王に寄り添い支えとなってくれた、魔法の才能に満ち溢れる以上の魅力を備える、一人の女性。

 魔王妃の寝台から離れ、桜の舞う青空を仰ぐ。

 

「アインズ様」

 

 ニニャとの逢瀬を終えたと判断した巫女(オーレーオール)が、恭しく声をかけてくれる。

 

「……くれぐれも、ニニャを頼む」

 

 巫女は当然と言わんばかりに頷く。

 アインズはニニャの額を優しく撫でたのを最後に、名残惜しい時間に別れを告げる。

 次につながることができるのは、何日後か、何週間後か、何ヶ月後か、わからない。

 オーレオールたちに桜花聖域とギルド武器、ニニャの守護を任せ、伴回りをしてくれた戦闘メイドらと共に第九階層へと転移で戻ったアインズは、ユリを教育部署の仕事に戻し、ルプスレギナを人狼部隊に帰還させ、ナーベラルをパンドラズ・アクターの補佐に回すなど、彼女たちに各々ナザリック内での仕事へと帰した後、ひとり自室に籠る。部屋に待機していたアインズ当番も、少しだけ席を外させるように扉番を命じる。

 柔らかなソファに腰かけ、先ほどまで会話(念話という方が近いだろうが)していた妃の一人の容体を、思う。

 

「前の会話から、28日……か」

 

 アインズが見初め、惚れて、「大事にしたい」「共にありたい」と願った末に、結ばれてくれた、人間の少女。

 ニニャはこの世界でも類まれな才能を有し、不断の努力によって魔導王の隣にふさわしい力を身につけようと奮闘した。

 おかげで、ニニャは「不老」となった。

 だが、それは、果たして幸福なことだったのだろうか……アインズは考えることが多い。

 死より復活を果たし、せっかく再会した姉や、初代“漆黒の剣”の仲間たちの蘇生も万事ぬかりなく完遂できた。ペテル、ルクルット、ダインたち……彼等もまたニニャと同様に復活を遂げ、魔導国内でそれなりの地位を手にした。魔導王アインズの肝いりの冒険者チームとして。エ・ランテルの事件で終わったはずの彼等の旅路に、新たな冒険の一ページが刻まれることになった。

 ニニャほどではないにしろ、彼等もまた新たな時代・魔導国の冒険者教育に順応し、当時まだ未踏破かつ未開拓の地域の冒険に繰り出したのも懐かしい。彼等と共に、モモン姿のアインズや、魔王妃として十分な成長を遂げたニニャ、念のための護衛として同行したナーベラルなどと共に、あの“聖天の竜王(ヘヴンリー・ドラゴンロード)”の背を馳せたこともある。大陸を制覇したアインズが収集し終えていた、四大暗黒剣を、四人に下賜するために。

 

 楽しかった。

 真実、アインズは楽しくてたまらなかった。

 

 かつての仲間たちほどではなかったが、ニニャと彼女の仲間たちが幸福に生きている場面は、アンデッドの空っぽな胸の内に、素晴らしい快感の火をともしてくれた。

 ……ずっと続くと思われた。

 こんな日常が続けばいいと、そう願ってやまなかった。

 

 

 

 しかし、彼等は、──人間だ。

 

 

 

 いかにアインズ・ウール・ゴウンとはいえ、人の「寿命」までは、どうしようもなかった。

 アインズが、この異世界に転移してより、既に100年。

 あの当時を知る“人間”など、既にほとんど死に絶えて当然の時間経過だ。

 それは、魔導国の現地人……エンリやンフィーレア夫妻、ネム・エモット……そして、現地人のメイド長として長く君臨したニニャの姉・ツアレニーニャにしても同様。

 50年ほど前。

 ツアレは寿命を迎え、愛する家族やアインズたちが見守る中で、息を引き取った。

 老いた母の死に対し、マルコは泣いて懇願した。「アンデッドやモンスターに転生すれば、お母さんは生きられるのに!」そう訴えかける愛娘の背中をさするツアレの表情は、常に穏やかだった。

 

 

 

 「私は、十分に生きました」

 

 

 

 夢のような時間だった、と。ツアレは老いた微笑みを深め、言った。

 娼館からゴミのごとく放り出され、死に絶えるしかなかった運命の中で、奇跡のような巡りあわせで出会った、救いの手を差し伸べてくれた、優しい老執事。そんな彼と共に生き、愛を育み、ナザリックに仕え…………そして。夫と共に、赤子のように泣きじゃくるマルコを包み込んだ、母の最期の抱擁。

 

 アインズは、ツアレを強引に異形種へと変えることを良しとはしなかった。

 彼女の死体を再利用……アンデッドにするなどの行為も控えた。

 ツアレの成した功績は、確実に貴重かつ尋常でない領域にある。

 人間の乙女と異形の執事……交わるはずのない種族同士で恋に落ち、愛を誓い、二人の間には悪魔の協力によって、あり得ざる奇跡の子を勝ち得たのだ。

 

 この異世界で、およそ初となる混血種(ハーフ)の生誕。産んだ子に備わっていた生まれもっての異能(タレント)。それを発現する法則の解明の一端ともなり、やがてナザリック地下大墳墓内における戦力強化──NPC同士による交配によって、アインズ・ウール・ゴウンの備えは盤石以上の体制が築かれていった。

 これらはすべて、ツアレという存在がいたからこそのもの。

 混血種たちのレベル成長は著しく、また、どういうわけかアインズへの忠誠心も軒並み高水準を維持した。もともとNPCの忠誠心が高い環境の中で養育され、親たるNPCたちが尊崇する対象を敬慕するという理屈か、あるいは親から継いだ遺伝子レベルにまで至高の御方への忠義が植え付けられているのか…………はたまた、アインズの個人的な人格や人柄が好かれているのかは、アインズ本人には判然としていない。

 

 アインズは、ツアレの“(なが)(いとま)()い”を許した。

 その代わりに、……ひとつの「命令」を添えて。

 

 ツアレニーニャ・チャンは、(マルコ)の涙まみれの笑みと、(セバス)の誠実な瞳に見送られながら、その生涯を終えた。

 

 ゴミでしかなかった少女が、魔導国の“国葬”にふされ、その死を臣民たち数億人が悼んだ。

 

 それが50年ほど前。

 

 いかに魔導国の魔法が発達し、文明や学問、医療や政治、統治や制度を拡充させても、「寿命の問題」は厳然として横たわっている。

 ニニャのような例外──驚異的なレベルアップによって、「不老」の職業レベルを獲得できるものなど、ごく限られている。ツアーのかつての仲間の一人であるリグリット……十三英雄の一人、リグリット・ベルスー・カウラウや、アインズにすべてを差し出したフールーダ・パラダインのように、現地人たる存在でもある程度は寿命をイジることが出来ても、完全な「不老」「不死」には程遠い。あの「事件」でリグリットは力尽き果て、フールーダに至っては……すでに完全なアンデッドに成り果てている。

 

 そう。

 

 やがて初代“漆黒の剣”は──ニニャ以外の三人は──人間の宿命のまま、老いを重ねていった。

 彼等は後進に道を譲る以前から、冒険の末に結ばれていた現地の女性たちと所帯を持ち、子を産み、孫に囲まれ、冒険者家業から引退し、たくさんの弟子や生徒に教え、そして、今生の別れを迎えた。

 ベッドから起き上がることもできなくなった老冒険者たちを、アインズはニニャと共に、見送った。

 かつてのツアレ同様に、アインズは彼等を、“人間”のまま送った。

 三人は口々に蘇生させてくれた恩義を口にし、アインズたち魔導国の前途が幸せなものであるように祈りながら、“漆黒の剣”は今度こそ潰え去った。

 

 だが、彼等の子や孫が、新しい“漆黒の剣”として旅立ってくれた。

 今でも。そして、おそらくこれからも。

 

 そうして、ニニャは。

 彼女はオーレオール・オメガとの修行により、彼女と同じ職を得ることで、老化だけはしなくなった。

 しかし、「不死」とは言えなかった。

 単純な話……レベルが、足りなかったのだ。

 ニニャには寿命がある。定められた命の総量が、砂時計のようにこぼれおちている。

 それは止めようのない事実であり、どうしようもない摂理であった。

 老化はしないニニャの肉体を、まるで不治の病が侵入し侵犯するように、“寿命”という(おり)が降り積もっていった。

 その影響を回避するための唯一の手段が、あの桜花聖域での「眠り姫」だ。

 こういう時、アインズは己の切り札──“エクリプス”の特殊技術(スキル)を想起せずにはいられない。

 

(“あらゆる生あるものの目指すところは死である”……だが)

 

 それにアインズ自らが逆行しようというのは、些か奇妙な話では、ある。

 今、彼女が眠っているのは、自らの肉体を仮死状態に近い──精神だけは夢の中で生き、魔法によって時折ながら他の者とつながることができる状態を維持することで、人間としての寿命死を迎えずに、ニニャは生存し続けていくことができる。

 

(ツアーが語っていた情報……あれを参考にできて助かったが……)

 

 アインズは、ツアレやエンリ、ンフィーレアやネム、ペテルたち漆黒の剣の時と同様に、ニニャを寿命のない異形種に……悪魔・人狼・天使・魔法生物……それこそ、自分(アインズ)自身と同じ“アンデッド”などには、しなかった。

 したくなかった。

 不死のアンデッドになりさえすれば──死霊(レイス)動死体(ゾンビ)吸血鬼(ヴァンパイア)首なし騎士(デュラハン)でも何でもいいから、彼女を人間の脆い肉体から解放してしまえば、それで寿命の問題は解決するかもしれない。実際、何人かの個体で実験に成功しており、今もこのナザリックに仕える尖兵の一人として忠誠を尽くすものも、いなくはない。「アインズ・ウール・ゴウンに“すべて”を差し出させた者たち」は、その筆頭格とも言えた。

 

 だが、ツアーやイビルアイから聞いている──アンデッドへ変化した際に生じる弊害──精神の変容、心が歪み捩れるという可能性。

 

 イビルアイ……キーノのような例外もいるにはいるらしいが、それは彼女の──生前の生まれもっての異能(タレント)の恩恵を受けたものだと認識できる。実際として現地人の“異形種化”実験において、ほとんどの個体でそういった“不具合”が相次いで発生している以上、この手法を積極的に取り入れることは躊躇(ためら)われた。アインズ自身ですら、アンデッドへ変化したことによる精神の変調──人間を殺し嬲ることへの忌避感や危機意識が低い状態が基本になっている以上、その可能性は──ニニャの“心”が歪むような可能性は、どうあっても受容できるはずがなかった。

 無論、ニニャは弱い存在ではない。

 現地の人間としては破格の、始原の魔法(ワイルド・マジック)の担い手であるツアー謹製の指輪で、上限を超えるレベルまで獲得している────だが、Lv.100には、あまりにも程遠い。

 ……異形に歪んだニニャまでをも愛せば良いという考えも出来るだろうが──それは果たして、アインズの愛した『術師』と同一であるのか、否か。

 現地人としてはなかなかの性能(レベル)を保有するまでに成長を遂げたが……それでも、彼女の“心”が、今ある“ありさま”が、何もかもすべて変質し変貌し改悪を余儀なくされることになったらと思うと、どうしても、アインズは首を縦に振れないのだ。

 ニニャを人間のまま──彼女そのままの姿で、共に在りたいと、アインズは思い焦がれた。

 だが、

 

(これも、俺の我儘だよな)

 

 大切にしたいと思いながら、

 大事にしたいと願いながら、

 ニニャにとって最も過酷な道を進ませている気が、存在しない心臓の内に沸々と湧いてくる。

 

「つらいか?」と(たず)ねれば、「大丈夫です」としか言わない──その影で、姉や仲間たちとの別れに苦悩した姿を、夫たるアンデッドは、知っている。

 いくら謝っても謝り切れない。……否。たとえ謝っても「謝る必要がないのに謝ったらダメですよ」とたしなめられる始末だった。

 

(まだまだ駄目だな……俺は)

 

 知っていて、何もできない。

 ニニャの優しさに救われている。

 あるいは、彼女に安らかな「死」を与える事こそが……などと思い煩う自分が忌々しい。

 頭を強く振って、空っぽの頭蓋の奥に湧き出る馬鹿な思考を追い払う。

 

「まだだ。まだ、時間はある」

 

 声に出すことで、決意に確固たる形を与えてみせる。

 ほかならぬニニャに教えられた。

 出来ないことを後悔しても意味はない。

 身体を重ね、心を織りあわせ、愛を育んだ彼女のために、何ができるのか考え続ける。

 アルベドやシャルティアたちも、そんなアインズの想いを承知して、誰もが協力を惜しむことはない。

 ニニャの寿命を、人の命の定量を、解決するために研究を続け、そんなアインズの補助や補佐となって、仲間たちに見せても恥ずかしくない魔導国の運営を担ってくれる王妃や守護者たち……ナザリックの皆が、仲間たちが残してくれた者たちがいてくれるからこそ、今もアインズはここにいられると言ってよい。

 愛する存在のために。

 だから、アインズは無謀な挑戦を続けている。解決の糸口は、きっとどこかにあるはず──

 

(だからこそ。彼──カワウソと、そのNPCたちを取り込みたいところだったのだが……)

 

 あの若返りの検体(サンプル)──デミウルゴスが研究途中のアレを確保できる要因たりえたプレイヤーたちと協力できれば、アインズ達の利となることは確実だったことだろう。

 人を「人」のまま、永遠に幸福を享受することができれば……それでこそ、かつてこの異世界に流れ着いたプレイヤーたちの轍を踏むこともあるまい。

 ──こういう時、ふと、思う。

 

「人を愛した、アンデッド……か」

 

 ツアーから聞いていた、“過去”に存在したという、一人のプレイヤーの、情報。

 寿命のまま死んでいく仲間たち“五人”を看取り、その子や孫らから尊崇され礼拝され、

 

 結果として、

 

 最後の最後まで存在し続けてしまった、

 神の一柱として生き残るしかなかった、

 

 六大神──“死の神(スルシャーナ)”。

 

 一人の男の、孤独の末路。

 邪神とまで呼ばれ、静かな暴走に奔った、アンデッド。

 

「彼も、……こんな気持ちだったのかな」

 

 知りようのない過去のプレイヤーのことを思いつつ、アインズはひとり考えに耽る。

 

 

 過去とは違う今──この時に転移し、アインズと“敵対”したプレイヤーの末を、思う。

 

 

 カワウソとツアーの邂逅は、数日中に始まる予定だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 アインズ様とニニャの関係については、『天使の澱』の前作
『魔導王陛下、御嫡子誕生物語 ~『術師』の復活~』をご参照ください。

 また、

 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”や第八階層・桜花聖域、
 六大神などの設定は、原作では未確定な情報──独自解釈を含みますので、あしからず。


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瀬戸際

・瀬戸際
 成功と失敗、安全と危険の境界。
 狭い海峡と外海の境のこと。流れが速く、波も変わりやすい難所で、船の舵取りを誤れば命にかかわる分岐点。そこから、成功するか否かを決める運命の分かれ目のこと。
 瀬戸とは「狭門(せと)=狭い門」という意味も。


 連載一周年


 第五章 死の支配者と堕天使 最終話


/OVERLORD & Fallen Angel …vol.10

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 いつだったか。

 

『お守りします──あなたの行く先を。あなた、御自身を』

 

 目の前の熾天使が、カワウソが創ったNPCが語っていたことが、ある。

 あの言葉に、カワウソは少なからず救われた心地を覚えた。

 だが、今のこれは、どういうことだ?

 

「もう一度、聞かせてくれ」

 

 カワウソは比較的穏やかな語調で問い質す。

 俺の聞き間違いだろうか。

 

「『止めに来ました』──そう言ったのか?」

「はい」

 

 氷の華のごとく冷然と視線を細める女は、限りなく凪いだ水面のような無表情で、告げる。

 

「そうです。私は……あなたを止めに来ました」

 

 一言一句、聞き間違えようのない平坦な口調で、ミカは反抗の意志を表明する。

 それに対し、カワウソは冷静でいられた。

 

「わからないな、ミカ」堕天使は泰然と……震えないように指を組む。「──何故、止める?」

 

 ミカの行動は、別段驚愕することではない。

 彼女はずっと前に告げていた。あれは、この異世界に渡り来てから、カワウソが森で一人の少女を救ったとき。無様にも恐慌し狂乱したような堕天使が、特殊技術(スキル)で森を吹き飛ばした、直後──

 

『……私は、あなたが嫌いです』

 

 言って、カワウソの身体に触れることで、“正の接触(ポジティブ・タッチ)”で回復させた熾天使。

 動揺し、命令に従えないのかと問い質す創造主に対し、ミカは続きを吐いた。

 

『……従うべきでないと判断すれば』

 

 そう、あの時に言っていたのだ。

 だからこそ、カワウソは臆さない。

 

「おまえが、俺の命令を聞きたくないというのは、まぁ解る。」

 

 カワウソの行動・判断・意志に、何か「従うべきでない」と思われる何かがあったのだろう。

 だが、それが何なのか、堕天使には──馬鹿で愚鈍なカワウソには、本気で分からない。

 

「そうです。今のあなたは、……間違っている」

 

 思わずクスリと唇の端が吊り上がった。

「今の」というより、「最初から全部」間違っていた気さえカワウソは思う。

 よりにもよって、あの“アインズ・ウール・ゴウン”と敵対するなど、誰だって馬鹿げた行状に思えることだろうが……天使の澱は、カワウソのNPCたちは例外かと思っていたのだが。

 

「このままでは、あなた……我々は地獄へ向かって進軍することになります。ナザリック地下大墳墓は、難攻不落。ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、カワウソ様と同格の友人諸氏らを含む、1500人を殲滅し撃退した存在。そんなものに向かって、真っ向から挑戦するなど」

「馬鹿げてる、か」

 

 カワウソは肩を竦める。

 言う先を制された女天使は、わかりやすい程の舌打ちをする。

 

「チッ……わかっているのであれば、どうか、考えを改めやがりなさい!」

 

 語気が強く荒くなるミカの表情に、小さな(ひび)が入る。

 ──いい表情だ。

 本気でカワウソは感心を覚える。

 ゲーム時代の、人形めいた、無機質の塊のごとき頃からは想像もできないほど、その表情変化には新鮮な驚きと喜びを感じざるを得ない。

 ただ感心し感服していられたらよかったのだが、あいにくミカの要求は突き返しておかねばならなかった。

 

「……改めたところで、どうなる?」

 

 実際問題として、アインズ・ウール・ゴウンと敵対することは確実な未来だ。

 あの宣戦布告から、まる一日。

 魔導国の軍や兵団が、いつどこから襲撃をかけてくるかもしれない状況下にある。

 何より、NPCたちにそのような設定……『アインズ・ウール・ゴウンの“敵”』という文節を組み込んだのは、カワウソ以外にあり得ない。ミカたち12人のLv.100NPCたちは、あのナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”の攻略に最適な存在として、カワウソがすべて創り上げていったのだ。

 

「降伏でもする気か? この世界に君臨する大国に? あの悪名高いギルドに?」

 

 そんなことをしても、許してもらえるはずがないだろう。

 カワウソのNPCは魔導国の……ナザリック地下大墳墓のNPCと交戦し、彼等の主人たるカワウソに至っては、魔導王に作られたという上位アンデッド部隊を殲滅している。

 選択肢は他にない。

 少なくとも、小卒サラリーマンのユグドラシルプレイヤー……復讐に憑かれた狂信者の異形種には、他の道筋が見えてこない。

 むしろ、それをこそ──アインズ・ウール・ゴウンとの戦いに明け暮れることをこそ思考(しこう)志向(しこう)嗜好(しこう)する欲求しか、カワウソの内には残されていなかった。

 そんな(あるじ)の歪み具合を承知しているのかいないのか、ミカは奇妙なことを宣い始める。

 

「いいえ。降伏はしません」

「……降伏、は、しない?」

 

 ミカは即言する。

 

「アインズ・ウール・ゴウンには、“我々だけ”で対処いたします」

「…………はあ?」

 

 我々だけでという言葉の意味を掴み損ねるカワウソ。

 女天使は流れる水のような清らかな調べで、続ける。

 

「カワウソ様は、どうか我々が連中と一戦交える隙を突いて、お逃げください。どこか遠く……別の大陸へ。それが出来なければ、この拠点、そして、我等全員を置き捨てて──逃げてください」

「…………」

 

 言われたことを呑みこむのに、時間がかかる。

 カワウソは本気で理解しかねた──コイツは、何を言っている?

 

「……どういうことだ?」

「ですから。カワウソ様は、どこか別の土地へとお逃げくだされば」

「待て。少し待て」

 

 重要なことなので徹底的に確認するしかない。

 

「アインズ・ウール・ゴウンには──誰が、対処するって?」

 

 ミカは不機嫌そうに顔を歪めかけながら、己の設定に忠実な説明を始める。

 

「我々の存在に定め刻まれた『アインズ・ウール・ゴウンの敵』──この一節の通りに、我等は最後まで行動いたします。カワウソ様の替え玉は、変身が得意な下級天使を準備して」

「待て。待て待て。待ちやがれ」

 

 カワウソは我慢ならない様子で──堪忍袋の緒が切れかけている語調で、質す。

 

「  ふざけるなよ、ミカ  」

 

 ミカが少なからず竦むように肩と顔を震わせるが、堕天使は構うことなく続ける。

 

「今、なんと言った? 我々だけ──“おまえたちだけ”で、……戦う?」

 

 それは何の冗談だ。

 カワウソは罵倒に近い色で、瞠目する女天使に尋問する。

 ミカは見開いた眼を鋭く細め、言い募る。

 

「──戦端を開きましたのは、私の部下に位置する同胞、イズラとナタの不手際。なのでこれは、我等NPCの負うべき負債に違いありません。されど、それによって生じる不利益に、カワウソ様まで巻き込まれる道理などあってはなりません。我々は、カワウソ様の盾。カワウソ様の剣。──あなたの道具に、過ぎないのですから」

 

 カワウソは本気で怒りを覚えた。

 ミカの発した理屈に……ある種の責任回避方法に、まったく納得がいかなかった。

 

「調子に乗るな。

 おまえたちをそういう風に設定したのは、俺だ。

 俺が(・・)おまえたちを(・・・・・・)そういう風に(・・・・・・)創ったんだ(・・・・・)

 だったら、そのおまえたちが、アインズ・ウール・ゴウンと戦うのであれば、俺もまた戦う義務があるだろう?」

 

 違うのかと詰問する主人に対し、ミカはわかっていない──ことはないのだろうが、その問答を端から拒絶するような語り口を強める。

 

「義務感などで戦う必要など、ありません。

 このような差し出口が、あなたにとり不快に思われることは重々承知してますが、あなた一人が責任を感じ、義務に奔る理由は薄い。我等NPCのことは、使い捨ての道具に考えていただければ、それで良いはずですッ」

「……おまえたちが道具であるならば、それを扱いきれなかった所有者の責任ってものがあるだろう?」

 

 仮に。

 刃物で人を殺傷した馬鹿がいたとして、罪に問われるのは殺傷した奴ではなく、刃物になるのか?

 そんなわけがない。道具ごときに責任をおっかぶせるなど、どうかしている。「刃物がそこにあったせいで人を刺しました」なんて、狂人以下の戯言にしか聞こえない。なのにミカは無理やりに、自分(NPC)たちだけで、アインズ・ウール・ゴウンと戦う論議を確立しようとしている。

 

 ここで、ミカが自分たちに責任を集約させようとするならば、自分たちとカワウソが関わりのない他人──NPCたち全員の人格権などを認めさせる方が適切だったのだろうが、NPCであるが故にそれは不可能であった。

 NPCはどうあっても、創造主や上位者に帰属する意識を有する。

 被造物は、造物主なくしては存在しえないが故の、制約であった。

 

「それに」

 

 カワウソはもっとも我慢ならなかった一節を繰り返す。

 

「──“おまえたちだけ”で、だと?」

 

 馬鹿馬鹿しい。

 呆れるのを通り越して感動すらしてしまえる。

 カワウソはひとまず、戦略上の観点から反論してみる。

 

「俺ひとりが逃げ出せば、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)で唯一世界級(ワールド)アイテムを保有する俺がここで抜ければ、世界級(ワールド)アイテムを一個も保持していないおまえらが、世界級(ワールド)アイテムを桁違いの11個で武装している連中と戦うんだぞ? そんな状態で、どれだけのことができるつもりだ?」

 

 無謀無策を通り越している。

 世界級(ワールド)アイテムどころか超位魔法すら有しないNPC12体だけの戦力で、あのギルドと戦うなどとほざくとは。どうかしているどころの話ではない。

 そんな判断も出来ないほどの無能であるはずがないミカは、抗弁の余地を失ったように押し黙った。

 天使の澱に存在する世界級(ワールド)アイテムは、ギルド長・カワウソが装備する一個きりだ。おまけに、この世界級(ワールド)アイテムは、カワウソの稀少な種族・職業レベル──“『敗者の烙印』を有する者”にしか装備できず、使用して効果を発揮することもできない。半ば“呪い”のようなアイテムなのだ。これを第三者に譲渡することは出来ず、また、いかなる存在にも奪うことは出来ないし、奪う意味すらない。

 さらに言えば、NPCたちの武装やアイテムの類は、あくまで必要最低限な代物ばかり。神器級(ゴッズ)アイテムで武装した敵のNPCと本格的に戦闘が出来そうなのは、せいぜい二、三人……ミカ、ナタ、クピドしかいない。

 たったそれだけの戦力で、アインズ・ウール・ゴウンの敵として戦うなど、度し難い程の暴挙に思えた。

 カワウソとどこか通じた無謀っぷりであるが、これまで遣り取りを重ねているミカからは、『頭脳明晰』という設定を与えたNPCの在り方からは、今の熾天使の様子は程遠い印象さえ受ける。

 

「……確かに。我々NPCは世界級(ワールド)アイテムを所持しておらず、カワウソ様だけを逃がせば、確実に連中の世界級(ワールド)アイテムに蹂躙されることになりましょう。ですが。我々には、もはやこれ以外の道はない。『アインズ・ウール・ゴウンの敵』である我等“天使の澱”は、アインズ・ウール・ゴウンに背を向けて逃げることは、ありえない」

 

 きっぱりと告げる天使の覚悟を認めたうえで、堕天使は渇いた声で笑ってみる。

 

「だからこそ。俺という戦力を率先して使うべきだろう?

 兆にひとつもない可能性を、億か──万にひとつぐらいにはできるはずだ」

 

 世界級(ワールド)アイテムの効果は絶大だ。完全な壊れ性能と言って差し支えない。

 そう告げはするが、カワウソが加わっても、勝率にさほどの変動があるとは思えない。

 これまでに判明している魔導国の現状。文明レベル。彼我の戦力差。どちらが圧倒的に優位な立ち位置にあるのかは明々白々の事実である。

 白金の竜王、ツアインドルクス=ヴァイシオンからの招待を受けるのは、あるいはこのどうしようもないまでの劣勢に、何かしらの光明を見出したいがため。

 籠城など、くだらない。

 逃亡など、ありえない。

 この機会を失えば、カワウソの復讐を──あの第八階層に挑む千載一遇の好機を掴むことは、まず不可能。カワウソは、戦闘への欲動に駆られる堕天使は、どうあってもナザリック地下大墳墓に向かって“ひた走る”他ない。

 そのために、打てるだけの手は打っておかねば。同盟者だという竜王とやらから情報を引き出せるかもしれないし、最善は、何かしらの協力を取り付けること──せめて、城塞都市の内部構造情報や通行・潜入の手段を確保したいところ。

 それに、

 

「“おまえたちだけ”で、やらせるか」

 

 カワウソが頷けない、最大にして絶対の理由が、これだ。

 

「おまえたちだけで、アインズ・ウール・ゴウンと戦わせてたまるものか(・・・・・・)

 

 言外に、「俺の獲物を横取りするな」という調べを含んだ堕天使の狂笑に、ミカは怯んだように息を呑む。まっすぐに見つめてくる女の表情は、失望か憤慨か、あるいは不安か不満の朱色で染まっていく。伏せた瞼の縁に、何か輝くものを浮かべたようにも見えた。

 

 アインズ・ウール・ゴウンとの、戦い。

 それは、カワウソの求めてやまなかったこと。

 それを、彼女(ミカ)たちだけでやらせるなど、そんな“もったいないこと”をしてたまるものかよ。

 

「──どうあっても、考えを改める気はない、と?」

 

 傲岸に不遜に「当然」と微笑む主人の様子に、熾天使は黄金の髪を横に揺らす。

 

「本当に……愚かです」

「だろうな」

 

 自分でも愚昧な判断だと思う。

 そこまで解っていても、カワウソには諦めがつかない。

 諦めるということだけは、死んでも思いつきそうにない。

 あの、アインズ・ウール・ゴウンと、正面きって戦える好機。

 ここで、たったひとりで逃げ出すくらいなら、いっそ死んだ方がマシというもの──そんな破滅願望で頬肉が震え歪んでしまう。

 そう確信しながら笑える自分がたまらなく快い堕天使は、目の前の天使──復讐の女神を彷彿とさせる美貌に問いかける。

 

「それで? どうする?」

 

 ここが瀬戸際という奴だろう。

 脳内に閃く妙案に笑声が震える

 カワウソの問いかけに、ミカは決然とした無表情で立ち上がり、「無論」と言って簡潔に明瞭に応じる。

 

「私の全身全霊を賭して、……お諫めします」

 

 その言葉の意味を理解して、堕天使はほくそ笑む。

 立ち上がるカワウソは、答えるように、黒い魔剣を抜いた。

 

「いいとも。止めたければ、力づくで止めろよ──ミカ!」

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 第三階層“城館(パレス)”にある大広間にて。

 

「ええ……ええ……では、数日後にそちらへ」

 

 くれぐれも宜しく──そう〈伝言(メッセージ)〉の相手に送った銀髪の主天使(ドミニオン)・ラファ。

 

「話はついたの?」

「ええ──ひと通りの手続きは終わりましたよ、ガブ」

 

 ラファは、己の腕の中に納まる聖女──主の設定によって『恋人同士』と定められた天使の笑みに頷く。

 二人は“城館”内の大広間、階段状になっている祭壇の中ほどに腰掛け、第四階層へと至る鏡を遠く背後にしつつ、睦言を囁くような距離感で寄り添い合う。ガブとラファは、NPCたちの中で唯一『恋人同士』と互いに定められた天使たちであり、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のギルドサインを戴く幕旗の下……ここで、侵入者たちへの迎撃を完遂する任務に、ウリやクピド、ウォフやタイシャたちと共に就いていた。

 しかし、この異世界に転移し、状況が判明するまで外の調査を敢行せねばならない事態が続いたことで、こうして二人きりの時間を愉しむ余暇は絶えて久しい。

 

「本当にうまくいくと思う?」

「うまくいってほしいとは、思いますがね」

 

 不安がるガブに対して、ラファもいろいろと心配の種は尽きない。

 敵は、大陸国家。

 主人(カワウソ)がずっと攻略を続けていた、十大ギルドのひとつ。

 それほどの強敵に巡り合えた幸運を喜びながらも、ラファとガブは冷静に、カワウソの様子に一抹の不安を覚えてならなかった。

 

「我が主の望みと願いを叶えることは(やぶさ)かではありませんが」

「相手が相手だからね。正直、勝てる見込みなんて、ほぼゼロなんでしょ?」

 

 ガブは難しくものを考えることのないパワーファイター。精神系魔法の妙手であると同時に、それなりの格闘戦・肉弾戦を得意とする前衛職で、ラファと共に後衛のウリやクピドを守る立ち位置にあるNPCだ。

 そんな『物理火力役(アタッカー)』である智天使の恋人である牧人は、仲間たちに的確な指示を送りつつ、信仰系魔法や特殊技術(スキル)でバランスよく戦闘をこなす『回復役(ヒーラー)』の主天使として、ここに配置されて長い時を過ごしていた。

 男は背中を胸の中に預けてくれる女の、自分と同じ銀色の髪を撫で梳きながら、応じる。

 

「まったくのゼロということは、ありえない」

 

 そう。

 万が一、億が一、兆が一の確率というものは、確実に存在するという不変の真理。

 

「だからこそ、()(しゅ)は諦めておられないのではないか」

 

 そうだとも。

 カワウソはそのために、ラファに白金の竜王との連絡を命じたのだ。

 兆が一の可能性を、少しでも桁ひとつ下の次元にまで近づける為に。

 一漠にも満たないだろう勝利の可能性を追求し希望する主人の胆力に、ラファは偽りのない敬服を懐いてやまない。

 諦めることを知らぬ闘争への求道者。

 そんな主人のために、自分たちは創られた。その事実が誇らしい。

 この絶望的な戦況下において、唯一、喜ばしいことを挙げるならば、ツアーが語るところによるとアインズ・ウール・ゴウン──魔導王本人は、未だにカワウソや天使の澱たち“敵対者”たちを『詳しくは知らないでいる』という。おかげで、天使の澱への対応は、『未だ数日の猶予を必要とするだろう』とのこと。

 魔導国といえども、否、100年かけて膨れ上がった“超大国”だからこそ、その内部構造は一枚岩ということではないのかも。

 連絡の不備か、あるいは──

 

「ツアインドルクス=ヴァイシオン……ツアー殿が言うには、国政における実務のほとんどは、大宰相や大参謀などに一任されており、魔導王は、ただの大陸統一の象徴的なものという話を聞いている」

 

 最上位に位置するものが、下々のものに対してそこまでの興味や関心を懐かないというのは、国家構造の常という法則。政治は他に代行させ、王は悠然と国威発揚を促すという典型的なそれだ。

 魔導国内で臣民と一線を画す「シモベ」──ナザリック地下大墳墓のNPCたちといえど、そこまで懇意の間柄にはないというのも、可能性としては実にあり得るだろう。

 

 何しろ相手の魔導王は、創造主たるプレイヤーではなく、ギルドの名を冠する謎のアンデッド。

 

 これを天使の澱で当てはめると、自分たちの主人カワウソが、「俺の名前は天使の澱(エンジェル・グラウンズ)」だと名乗っているようなもの。しかし、カワウソはそのような挙動を見せたことは一度もない。彼は彼のまま、彼の尊き御名を名乗り続けているのに対し、アインズ・ウール・ゴウン魔導王……“ギルド長・モモンガ”の姿をした最上位アンデッドについては、あまりにも不可解かつ不可思議に過ぎる。

 

 であるならば。

 自分たちのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)とは、また別の思考や思想が蔓延している可能性を想起して然るべき状況。他のユグドラシルの存在は確認できず、何故か、プレイヤーの姿をした……だが、その名は「ギルドの名称そのもの」という他ギルドのNPCにとっては理解不能な存在が台頭している異世界なのだ。ありとあらゆる可能性を想起して然るべき戦況に相違ないところである。

 

「そう。たとえば……連中が信奉している魔導王陛下というのは、カワウソ様のようなプレイヤーとは違う者なのやも。よくできた人形(ドール)か、動像(ゴーレム)か、変身能力者。……あるいは」

「まったくの幻影の可能性」

 

 幻術……精神系魔法に特化されたガブの言う通り。

 ナザリック地下大墳墓のNPCたちが信奉する王の正体を、天使の澱は未だに掴み損なっていた。

 そも、アインズ・ウール・ゴウン魔導王とは何か。

 ユグドラシルプレイヤー・モモンガではないのか。

 様々な憶測や推論は立てられても、何一つとして確固たる情報がない。

 そんな状況にあって、アインズ・ウール・ゴウンと盟を結ぶ竜王との邂逅は、より良い情報を掴む最後の機会(チャンス)たりえた。この好機を逃すような愚を、カワウソは犯す気がなかった以上、竜王からの招待は甘んじて受諾しておく必要がある。

 ──だからこそ、警戒をより一層深めざるを得ない。

 

「ツアインドルクスが、欺瞞情報を流している確率は?」

「それは……、十分にありえる」

 

 ガブの指摘する欺瞞の可能性は、ラファにも解っている。

 アインズ・ウール・ゴウン直製(直属ではない)部隊を壊滅させ、あまつさえ、魔導王陛下“親衛隊”所属だという異形の混血種(ハーフ・モンスター)、マルコ・チャンに、ラファたちの主君は確実に意志表明を行っていた。これで魔導王が速断速攻に移れないのは、大国の王であるが故の限界か──あるいは、ラファたちの懸念する通り、ただの幻影じみた存在なのか──もしくは、カワウソたち以外にも懸念すべきユグドラシルの存在がいて、それの対応対処に追われているのか、いずれかだろう。さすがに、この状況でカワウソ達に慈悲をかけているとは考えづらい。

 ツアーが天使の澱に──ギルド長・カワウソに接触を持ち掛けたのは、「詳しい話が聞きたい」ということ。だが、それがまったくの欺瞞や虚飾であるという可能性も、ゼロではない。

 しかし、もはや状況は決した。

 選択の時は過ぎている。

 あとはこれからの道筋に、少しでも創造主(カワウソ)の利となり益となるものを拾い上げることができることを、ラファたちは願うしかないのだ。

 真摯な祈りを捧げるべく、二人が敬愛する主君のことを思った──直後。

 

『み、みみみみ、みなさん!! たた、大変、です!!』

 

 唐突に、脳内に降って湧くような〈全体伝言(マス・メッセージ)〉──マアトの焦声が反響する。

 

「マアト。どうされましたか?」

「ひょっとして、まさか敵襲?」

 

 二人は同時に嫌な予感を覚える。否、二人だけでなく、別の階層や外で防衛任務中の全NPCが、魔導国による侵攻を警戒危惧した。

 しかし、それはありえない。ガブの幻術は完璧であり、外で警戒偵察中のナタたちにしても、敵の軍勢などの姿はとらえていなかった。

 だが、マアトが告げる事実は、それ以上の難事であった。

 ギルド内で唯一の遠視能力者にして監視者としての力を与えられた翼の巫女が、彼女の小さい声量を限界まで超える勢いで、叫ぶ。

 

『カ、カワウソ様と、ミ、ミカさんが!』

 

 状況を知った二人は、すぐさま主人たちの許へ向かった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 城砦(じょうさい)の第一階層“迷宮(メイズ)”。

 岩塊の巨人像……デエダラという名の戦略級攻城ゴーレムに見下ろされる「闘技場」に、カワウソとミカは転移していた。ここの守護管理を任せている少年兵・ナタは、拠点外の巡見警戒任務に駆り出していて不在。

 

「ここでなら、いくらでも暴れられるだろう?」

 

 黒い魔剣……神器級(ゴッズ)アイテムのひとつである“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”の機能を応用して、カワウソはミカを強制的に、城砦内でもっとも維持コストや修繕費用の安い階層の、もっとも広大なフィールドに連れ込んでいた。

 魔獄門の剣の機能──転移魔法を応用することで、カワウソは任意の対象をいずこかへ半ば強制的に“飛ばす”ことも出来るのだ。これと対となる天界門の剣も、まったく同じ効果を発揮可能。

 拠点の設備は、破壊された分だけユグドラシル金貨を消耗消費していく。この拠点において最奥部に位置する第四階層は、破壊されたらかなりの出費を覚悟する必要があるが、ここでならまだそういう心配は無縁に戦闘を行える。

 コストのかからない“外”で、スレイン平野の大地でやることは、カワウソの現状認識だと、ありえない。

 外にいる天使の澱のNPCたちの目を集めるだろうし、何より魔導国の監視の目がすでにそこいらをウヨウヨしているかもしれない以上、自分たちの戦闘を垣間見せる機会は極力減らした方がよいだろうという判断だ。

 

「どういう、おつもりです?」

 

 ミカは問い質した。

 

「わざわざ、私が全力で戦えるだろうフィールドに連れ込むなど──そこまで狂っておられるのか、あなたは?」

 

 拠点防衛の最重要地を守護する隊長としては、屋敷を吹き飛ばすような戦闘を行うことには抵抗があるようだ。

 そんなミカの指摘に対して、堕天使はあっけらかんと、何の気もない調子で教える。

 

「俺を止めたければ、全力で止めろよ」

 

 ミカは呆れかえった。

 

「……もっと早くに、お諫めすべきでありました」

 

 女天使は、かつての自分の不手際──判断のミスを恥じているように頭を振る。

 

「あなたを、拠点の外へ出陣させなかったら──あの森へ救命になど向かわせなければ」

「たらればの話はよせ」

 

 堕天使は微笑みを強くしながら言葉を断ち切る。

 あの時は、何の情報も得ていない状況で、カワウソもミカも、話ができそうな現地の人間を救うことに何の迷いもなかった。わけのわからない異世界で、少しでも情報を集められれば、と。

 ただ、そこで知った事実が、あまりにも常識を超えすぎていた。

 それだけ。ただ、それだけなのだ。

 

「遅かれ早かれ。こうなることは決まりきっていたことだ。

 俺は、あのギルド──アインズ・ウール・ゴウンと戦うこと以外、何も望むことがない」

 

 何もない人生だった。

 家族も友人も恋人もない人生の中で、はじめて得た仲間たち。

 旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)

 その絆を終焉させた──否、どう考えてもカワウソ達の個人的な問題に過ぎないが──きっかけとなった存在。

 カワウソがずっと再攻略を夢見て、研究し、検証し、錬磨の限りを尽くした、復仇の相手。

 そんなバカの極みなゲームプレイ──“復讐”を敢行し断行し続けたからこそ発見した、『敗者の烙印』由来の職業・種族……そして、この頭上にある、赤黒い円環の世界級(ワールド)アイテム。

 

「何もないなどと」

「事実だ」

 

 はっきりと断言する。

 恋物語に焦がれる少女よりも健気な、英雄譚に憧れる少年よりも酷烈な、純粋培養の衝動だけが、堕天使の心に灯る熱であり、鼓動。

 仲間たちとの誓いを果たす。

 誰一人として果たそうとしなかった約束を、冒険の(みち)の先を、目指す。

 裏切られ見捨てられ放置された子供(ガキ)が、(ねた)(そね)()ねてイジけるのにも通じる──あまりにも愚昧かつ愚鈍な、希望。

 水底に積もる汚穢(おえ)塵埃(じんあい)の堆積物──(おり)(すく)うような生き方に囚われた、浅ましくて賤しい一匹の獣。

 自分をこのような境遇に追い落とした全てを恨み怨み(うら)み抜いているような、憎悪の心臓で駆動する醜い堕天使(モンスター)

 それが異形種に成り果てた、今のカワウソの、“すべて”なのだ。

 

「で。俺を止めるのに何を使う?」

 

 さっさと本題に入る。

 ミカは躊躇する姿勢を三秒半だけ維持するが、すぐさま光を放つ長剣を腰の鞘から抜き放つ。

 

「私はあなたを止めます。いま、ここで」

 

 決然と言い放つミカは、本気と言わんばかりに背中から三対六翼の純白を、展開。

 彼女の創造主であるカワウソは、当然ながらその戦術や戦略、戦闘能力などを知り尽くしている。

 

 回復系特殊技術(スキル)

 対象との接触時間分の治癒を与える、正の接触(ポジティブ・タッチ)──

 周囲全体へ回復や蘇生をもたらす、希望のオーラⅤ──

 負の存在には致命の治癒空間生成、コロサイの薬泉(スプリング・オブ・コロサイ)──

 攻撃系特殊技術(スキル)

 魔や竜など異形種への特効を持つ、黙示録の獣殺し(キラー・オブ・ザ・ビースト)──

 善属性における最高位天使の召喚(サモン)至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)──

 天上体の戦車(セレスティアル・チャリオット)──

 底なき淵の鍵(アビス・シーリング・キー)──

 真剣(トゥルース)──

 

 他にも様々な信仰系魔法や前衛タンク職の防御系特殊技術(スキル)を有する女騎士風の熾天使は、黄金の髪から光の輝きを零し、空色の瞳を創造主たるカワウソの面貌に照準。

 

「殺す気で来いよ」

 

 遠慮はいらないと言いつつ、カワウソも武装を整える。

 左手首の腕輪を念入りに確認。

 そして、正の存在たる熾天使に特効を持つ神器級(ゴッズ)アイテム“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”を右手に。それよりは二つほどランクの落ちる予備武装──聖遺物級(レリック)アイテム“冥界の野花(アスポデロス)”という闇属性の剣を、左手に握る。

 足甲が黒い輝きを放ち、速度ステータスを上昇させる。

 

「でないと、俺が、お前を殺すぞ」

 

 脅し文句にしても安直すぎて薄っぺらい口上であったが、ミカは大いに機嫌を損ねた。

 

「言われずとも」

 

 半身の姿勢で光剣を構えるミカ。

 カワウソは特に構えというものも見せない棒立ちの姿勢で佇むが、第二天(ラキア)の速度特化性能によって、かなりの素早さを発揮可能。それを知っているミカは警戒を深めこそすれ、怪訝(けげん)に思うことはない。むしろどのような挙動を次の一瞬で行うのか予測がつきにくいはず。

 ……時間はない。

 この戦闘は、拠点内の監視確認を行うNPC・マアトには筒抜けのはず。特に「邪魔するな」という命令の〈伝言(メッセージ)〉を送るわけでもなかった為、彼女がガブやラファ、他の拠点NPC全員に連絡を入れている可能性は高い。連絡を受けた者たちが、この闘技場に踏み込んでくることだろう。

 ……邪魔される前に終わらせる。

 即断した瞬間、カワウソは駆けだした。

 彼我の距離は10メートル前後。足甲の強化された脚力だと一秒以下で走破可能な距離を征す。

 対して、油断なく剣を構え、迎撃の刃を突き出したミカ。

 

 それを認めた瞬間、──カワウソは自分の剣を捨てた。

 

 黒い剣が二本とも地に落ちるより先に、ミカの輝く剣が、堕天使の喉元を貫き抉る……

 

「……」

 

 はずだった。

 

「どういう、おつもりです?」

 

 ミカは恐怖か失望か……はたまた裏切られたような戦慄の震えを声に宿して、疑問する。

 あろうことか。武器を捨てて自殺するように飛び込んできたカワウソの身体を、ミカはギリギリのところで剣先を下げ、すんでの所で籠手に覆われた左手を突き出す形で、堕天使の無謀かつ無茶苦茶な特攻を押し留めた。

 そうしなければ、ミカの剣は間違いなく、数ミリ先にあるカワウソの首根を刺し穿つはずだった。

 それは間違いなく、脆弱な堕天使にとって、致命的な結末をもたらす攻撃となったことだろう。

 しかし、そうはならなかった。

 ミカの光の判断速度が、明晰極まる熾天使(セラフィム)の頭脳が、その結末を回避させた。

 ……それでも、ミカにはわからないことが、ひとつだけあった。

 

「何故、剣をお捨てになった──何故、ご抵抗なさらない?」

 

 薄く笑う堕天使は、自嘲するように言う。

 

「いやなに……『死んだらどうなるのか』の実験ができるかと思って」

「ッ、ふっざけないで!」

 

 吠える女天使が剣を突きつけたまま詰め寄ってくる。

 ちょうどその時。マアトから連絡でも受けたのだろうガブとラファ──思ったよりも早かったな。マアトは連絡を徹底することを覚えたようだ──が、第二階層へと続く転移の鏡から駆けこんできた。既に一触即発な状況にあるカワウソとミカの様子に、二人は何か言いかけて、主人の視線に押し留められる。

 カワウソはミカをまっすぐに見つめた。

 

「心配しなくても、俺は蘇生アイテムを装備している」

「それだって! 確実に機能すると、決まったわけではないでしょう!?」

 

 喚くミカが指摘する通り。

 カワウソの左腕──浅黒い手首に輝く純白と黄金に飾られた簡素な装身具、蘇生の腕輪(ブレスレット・オブ・リザレクション)は、装備者の死亡と同時に〈蘇生(リザレクション)〉の魔法を起動させるアイテムだ。

 この異世界で、現地に住まう人間に蘇生魔法は有効であることは、既に調べがついていた。

 しかしながら……“ユグドラシルプレイヤー”にも、同様に蘇生が適用できるのかは、未だ不明。

 この異世界でゲームの法則が通用し、現地の人間は蘇生復活は可能なようだが、“プレイヤー”という異物が、この異様な世界で蘇生可能かどうかなど、カワウソたちには知りようがない。あるいは、ミカが希望のオーラⅤを展開して、カワウソに対し発動することで堕天使への蘇生を果たせるかもだが、それだって絶対の確証があるわけではない。

 だからこそ。カワウソは実験に使えるかとも思った。

 カワウソの装備する蘇生アイテムの力が意味をなさないのであれば、アインズ・ウール・ゴウン……モモンガとの戦いでは無用の長物になりかねない以上、そこははっきりさせておいた方がいいだろう。

 連中と戦う上で、こういったアイテムがどの程度使えるかの下調べは必要なはず。だから、カワウソは「調べようか」と思った。アインズ・ウール・ゴウンと戦うためだけに、自死することすらも平然と行う狂気に、彼本人は全く頓着(とんちゃく)していない。

 だが、

 

「おまえなら、俺を確実に殺せると思ったんだがな」

 

 ミカは手を止めてしまった。確実に殺してくれるだろう実力者にして、動機の方も完璧な存在となれば、ミカぐらいしかありえなかったところなのだが、そううまくはいかない。

 彼女の挙動は、カワウソの命が大事……という風に、好意的に解釈することも出来ただろう。

 しかしながら、

 

「そのような、そのような馬鹿げた暴挙のために、この私を利用したと!?」

 

 ミカの激昂と興奮は、一片もそのような気配を感じさせない。

 彼女は本気で、カワウソの身勝手な行為行動──自殺まがいの策謀に、胸の内に宿した不満を爆発させた。プライドを大きく傷つけられ、馬鹿な試みに利用されかけたことに対して、失望と諦念に濡れた息を吐き落とす。

 

「もう、いいです」主人の喉元に突き付けた刃の先端を、熾天使は瞬きの内に下ろす。「ここまでやって、止まっていただけない以上、私はもう、何も言えませんし、言いません」

 

 カワウソを生き永らえさせ逃げ延びさせるための諫言(かんげん)も、当の主人が自殺するような事態を誘発するとなれば、まったく何の意味もなさない。

 ミカは突き放すように言い募った。

 

「あなたが、そんなにも連中と戦って死にたいというのであれば、

 戦って……戦って……存分に戦ってから、死んでください」

 

 勝手にしろと、望むがままをなせばいいと、憐れみというよりも諦めに近い音色で宣告する。

 そんなミカに対して、カワウソは肩をわざとらしく竦めてみせた。

 

「そこまで悲観することもないさ」

 

 まったく完全に“手”がないというわけではない。

 カワウソが保有する特殊なレベルと特殊技術(スキル)。ミカたちNPCの存在。そして、

 

「俺には、世界級(ワールド)アイテムの他に、もうひとつ“可能性”がある」

「……可能性?」

 

 言って、ボックスから取り出したものは、この異世界に渡り来て、最初に確認した“あるもの”であった。

 クズ鉄か、ガラクタのようなそれを見て、ミカは目の色を変える。

 

「それは……例の?」

「ああ。ユグドラシルで、おまえにも言ってやったことがあったっけか?」

 

 ゲーム時代。天使の澱のNPCを相手に……ただ動き回るマネキン人形みたいなモノを相手に、仲間たちのいない寂しさを紛らわすためだけに、独り言をくっちゃべっていたことが多かった。流れ星の指輪(シューティングスター)とかのレアアイテム欲しさにボーナス全部課金ガチャにつぎ込んだとか。久々にしつこいPK集団に襲われてすごく危なかったよとか。

 

「この異世界でなら、もしかしたら“これ”が使えるかもしれないからな……」

 

 なんとも馬鹿げた賭けだ。

 うまくいかない可能性の方がずっと高い。

 相手は、あのナザリック地下大墳墓……あまりにも高度な防衛能力を有する、難攻不落の地下ダンジョン。噂でしかないが、世界級(ワールド)アイテムの効果によって、他の拠点よりも数段優る防御を張り巡らせているとか。

 

「駄目でもともと。避けられない戦いだというのであれば。“全力”で、“全員”で、ナザリック地下大墳墓に挑んだ方が、状況はマシになるだろう」

「……わかってます」

「ミカ。連中と戦うには、どうあっても、俺の力やアイテムは必要になる。だから」

「わかっていますが、しかし!」

 

 それでも、ミカは止めたかったようだ。

 カワウソの我儘を。

 浅はかで愚かしい挑戦を。

 ただのくだらない──ガキの仕返しを。

 

「……アインズ・ウール・ゴウンの、あの第八階層の戦闘を、動画やネットで、俺はずっと研究し続けた」

 

 思い続けた。

 考え続けた。

 熱に浮かされることもあった。

 悪夢にうなされる夜もあった。

 喉を栄養食が通らないほど思いつめた。

 仕事が手につかなくなり、上司に叱責されるほど考え込んだ。

 第八階層“荒野”を、1500人を撃滅した力を、攻略するための手段を、一心に思考し続けた。

 

「そうして。俺は、おまえたちを、創った」

 

 カワウソは、ミカたちLv.100NPCを創り出した。

 拠点防衛というよりも、ただの戦略シミュレーションの一環として。

 第八階層のあれらや、あの紅い少女に対抗するための、最適解となりえるモノたちを。

 

 実に馬鹿げている。

 滑稽を通り越して余りある、無駄な試みと評されて相違ない、愚行。

 ただの拠点NPCに、ユグドラシルのゲームシステム上、けっして外には連れ出せなかった存在たちに、第八階層をいかに攻略すべきかの考察を積み重ねるなど。

 

 だが、今。

 この異世界で。

 外へ連れ出すことができる『アインズ・ウール・ゴウンの敵対者』たちを、カワウソは引き連れることができる。

 この状況を、カワウソは利用する。

 利用しないではいられない。

 だからこそ、命じる。

 

「ミカ」

「……何か?」

 

 眉根を悲嘆にか絶望にか、暗く顰める女天使に、告げる。

 

 

 

「おまえは、俺を嫌え」

「…………?」

 

 

 

 ミカが本気で驚いたように目を(みは)る。

 何を言っているのだと問いたげな、完全に虚を突かれたような女の表情に、カワウソは続け様に言い含める。

 

 

「俺を憎め」

 

 

 言葉は、いっそ軽やかな印象を聞く者の耳に与え、涼やかな意思を感じさせる。

 

 

「おまえだけは、…………俺を、…………許さないでいてくれ」

 

 

 絶対に。

 完全に。

 そう、枯れた声で付け加える堕天使を、心の底から憎み切っている──嫌っている──無謀な戦いに全員を巻き込もうとする愚物を(さげす)む瞳が、まっすぐに射抜いていく。

 

「…………それが…………あなたの…………」

 

 カワウソは唇の端を吊り上げ、(わら)った。

 朗らかに。

 高らかに。

 誇るかの如く、命じる。

 

「ああ。

 俺の、命令。いや──望みだ」

 

 望まれ命じられたミカは、金剛石のように固い無表情を重く、重く、歪める。

 伏せた(かんばせ)から、舌を打つ気配が、奥歯の軋む音色が、唇を嫌悪感で噛み千切らんばかりの吐息が、至近で響く。

 真実、命じる者(カワウソ)を殺したくて殺したくてたまらないような、鈍重な嵐のごとく熾烈極まりない空色の眼差しが、堕天使の濁った瞳の奥に突き刺さる。

 

 

「────────了解であります」

 

 

 黒い声で言って、ミカは命令を受諾する。

 主人の首を断ち切らんばかりだった凶器の剣を、光の速さで鞘の内に納めた。強い憤怒に震える手を女の白い指がより白くなるほどにきつく握り、今までにないほど(ひそ)めた暗い視線を、堕天使の面貌から()らして。

 

「……頼むぞ」

 

 小さくなる声で、カワウソは呟く。

 自分は、絶対に、許されてはいけないのだ。

 NPCたちの忠心や誠意を利用して、無為無意味な戦いに身を投じようとしている。

 誰も彼もが喜んでカワウソの為に死のうとしている中で、ミカだけは、……『カワウソを嫌っている。』と設定した彼女だけは、唯一の例外たりえるのだ。

 ミカにまで許されたら、カワウソの罪悪感は無限に増幅したことだろう。この胸に懐く心の重みが、両の脚で立てなくなるほどに膨れ上がったかもしれない。

 カワウソは堕天使の性質を考える。

 下手をすれば、NPCたちを嬉々として嬲り、利用し、獣欲と暴虐の対象にしたかもしれない。

 まるでブレーキの壊れた暴走機関車のごとく、カワウソの愚劣な行為を加速させ続けるのかも。

 

 それを思えば彼女が、ミカが『カワウソを嫌っている。』事実は、良い歯止めになってくれることだろう。

 

 ミカに嫌われ、憎まれることで、堕天使の暴走を抑止するストッパーになってくれるのなら、彼女の存在意義は非常に重要なものとなる。

 だから、命じた。

 だからこそ、願った。

 今あらためて、ミカに望んだ。

 

「嫌え」と。

「憎め」と。

 

 その言葉の通り、ミカは一応の創造主から受けた命令を──願望を──受け入れてくれた。

 もともとが『嫌っている。』設定のミカだからこそ、その命令内容には不満や抵抗がないのだろう。

 ミカは、さっと踵を返すと、やや早い歩調で、第一から第二階層へ続く転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)に向かっていく。その後を、ラファと共にやってきて、事の成り行きを見守っていた聖女──隊長補佐であるミカの親友──ガブが追った。主人に対して丁寧なお辞儀をする銀髪褐色の修道女に、カワウソは特に用がなかったので引き止めない。

 

「……()(しゅ)よ」

「ラファ。例の連絡の方は?」

 

 用のあった牧人(ハーダー)にして従者(ヴァレット)である忠実なNPC、ラファに向き直る。

 

「……ハッ。今しがた、ツアインドルクス=ヴァイシオンと、連絡を付けました。むこうの要請によって、会談は数日後となりますが」

 

 堕天使は微笑(わら)った。

 

「数日後……ね」

 

 さて、どうなるだろうか。

 地獄へと進軍すべく、天使たちを率いて、白金の竜王とやらの住まう領域へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 今、カワウソの知りようがない事実が、ひとつ。

 

 

 

 

 

「待って!」

 

 第二階層“回廊(クロイスラー)”の無限に続く罠の施された──ギミックを解除せねば、最奥にある“天空”への進行は不可能な回り廊下をトボトボと歩く、乙女の背中。

 普段から垂れ流している希望のオーラだけは健在なのが、どこか痛ましい。

 金髪碧眼の女熾天使を、銀髪褐色の女智天使・ガブは駆け足で追う。

 

「ミカ、待って!」

 

 カワウソ様があのように命じたこと──「嫌え」と、「憎め」と、ミカに対し言ったこと──には、きっと深い理由があるのだろう。そうじゃなければ、あの命令はおかしい。もともと主人を『嫌っている。』と定められたミカでも、あんな命令内容を本気で履行してよい筈がないもの。

 そう慰めるように告げてやっても、ガブの上官にして親友たる女は、その弱々しい歩みを止めない。一瞥(いちべつ)もくれてこない。まるで何も聞こえておらず、何も見えておらず、あるいは何もかも感じていないかのように思われるほど、その様は危うい。

 友は、何ひとつとして語ることはない。

 ガブは知っている。

 この様子は、いつものアレだ。

 

 転移初日に命じられるまま彼を殴り飛ばした、後。

 大浴場にいきなり現れたという主を吹き飛ばした、後。

 

 ──否。アレと似ているが、今回のは、極めつけにヤバい。

 

「待ちなさい! 待ってってば──ミカ!」

 

 背中越しに掴んだ友人の肩。

 思ったよりも抵抗が少ない。

 軽い──軽すぎる──熾天使の(くずお)れそうなほど脱力しきった身体を振り向かせた瞬間、

 

「…………ミ、カ?」

 

 そこにある彼女の表情を認めた時──

 

 

 

 ガブは、もう、何も言えなかった──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第六章 白金の竜王 へ続く】

 

 

 

 

 

 




連載開始から一年
去年の今、第一話を投稿してから一年

あと半年以内で完結(させたい)

第六章は書き溜めが終わり次第投稿します。
しばらくの間だけ、お待ちください。


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第六章 白金の竜王
過去と現在


天使の澱・後半戦。
※注意※
この物語は二次創作です。
独自設定や独自解釈が登場します。ご注意ください。


/Platinum Dragonlord …vol.01

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ギルド:アインズ・ウール・ゴウンを討伐せよ!」

 

 国内で爆発的な人気を博したDMMO-RPGの世界で、そう声高に叫ばれた時期があった。

 八つのギルドからなる連合が立ち上がり、その謳い文句に踊らされた小規模ギルドや傭兵たち……PCやNPCの混淆した討伐隊が編成されたのは、ユグドラシルの黄金期にして、アインズ・ウール・ゴウンの絶頂期と言えた。

 

 当時、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、すでにユグドラシルのゲーム内で、不動不朽の“悪”の存在としての地位と風聞を確立しており、数多くのプレイヤーの反感を買っていた。PKやPKKを頻繁に行う異形種プレイヤーのギルドは、ユグドラシルで蔓延していた異形種狩り……人間種のアバターを選択したプレイヤーたちのゲームスタイルに、真っ向から戦い挑む姿勢を見せたのだ。

 異形種狩りは、ユグドラシル運営が実装したレア職業の転職(クラスチェンジ)に必要不可欠なPKポイントを獲得する唯一の手段。さらに、異形種プレイヤーをPKしても、人間種のプレイヤーにペナルティなどは一切なかった為、人間種が圧倒的大勢を占めるユグドラシルプレイヤーにとっては、異形種の姿を選択したプレイヤーを狩ることは「運営からのお墨付き」を受けたプレイスタイルに相違ない判断であった。

 にもかかわらず。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、異形種狩り(PK)を行うプレイヤーを、PKKしまくった。

 極悪ギルドのPKKに邪魔されたプレイヤーは、こぞってアインズ・ウール・ゴウンを“悪”だと論じた。それに対し、アインズ・ウール・ゴウン側はその気勢を真っ向から受け止め、逆に、自らを「“悪”のギルド」と標榜する始末であった。

 そんなアインズ・ウール・ゴウンに──異形種PKを是とする同調圧力を嫌ったプレイヤーやギルドから、それなりに賛同する声も多かった。が、ほぼ同時期に、国内でのユグドラシル人気が過熱し始め、有益な情報を乗せた有料サイトが出現し、未知の多いゲーム情報をより多く貪欲に求めるスパイギルド──“燃え上がる三眼”など──が暗躍するようになったことで、アインズ・ウール・ゴウンは勢力の拡大に伴う内部流通者の発生を危惧し、41人以上のメンバー募集にはストップがかかった。同時に、彼等アインズ・ウール・ゴウンに協力を申し出る小規模ギルドの傘下入りの請願も、丁重に固辞し続けるしかなかったのだ。

 

 そうして、稀少鉱石の鉱山独占や、ナザリック内の年齢規制必至なホラートラップ(『真実の部屋』の水死体(アレ)や、『黒棺(ブラックカプセル)』の根源的恐怖(アレ))などのマイナス情報……さらには、世界級(ワールド)アイテム“山河社稷図(さんがしゃしょくず)”強奪事件(奪われた方にこそ過失があったが、とりあえず強奪である)を契機に、「アインズ・ウール・ゴウン討伐」の機運は一挙に高まっていった。

 

 八つの中規模ギルドが、ランキング上位のギルドをはじめ方々(ほうぼう)に働きかけ、討伐隊の連合は徐々に膨れ上がり、最終的には1500人というサーバー始まって以来の大軍が組織されるまでとなった。もともとアインズ・ウール・ゴウンに本気で恨みを持っていた八ギルドの他は、報酬につられ雇われただけのソロプレイヤーや、あるいは庇護協力下においていた下位の小規模ギルドなどで構成された。必死にコールを続けていた上位ギルドの参戦が“一切”“まったく”望めなかったのは奇妙でこそあったが、1500人というDMMO-RPGの歴史上類を見ない大規模侵攻の舞台が整ったことで、討伐隊は敵拠点に侵攻する前から、自分たちの勝利を確信していた。

 

「これほどの大軍なら、勝って当然だろう」と。

 

 1500人(VS)41人。

 子供でも分かる計算だった。

 下馬評は「討伐隊の勝ち」という内容で大勢を占め、ネット上では誰もがギルド:アインズ・ウール・ゴウンの消滅とナザリック地下大墳墓の失陥を確実視していた。

 誰もがアインズ・ウール・ゴウンの貯め込んだ財を、世界級(ワールド)アイテムの配分と分け前を皮算用すらしていた。

 異形種のPKKギルドは、ユグドラシルから跡形もなく消え去るだろうと、そう思われていた。

 

 だが、結果は歴史の語る通り。

 1500人は、あの第八階層“荒野”で行われた蹂躙劇……大逆転と呼ぶのも憚られるほど異様な戦闘の末に、第一から第七階層までを走破したはずのプレイヤーたちは、

 

 殲滅された。

 

 ありえない光景だった。

 討伐隊の中には、小規模ギルドが(雇い主から強要され)持参したギルド武器が並び、それらは確実に神器級(ゴッズ)アイテム相当の能力を保持していた。神器級(ゴッズ)アイテムすら満足に作るのも難しいユグドラシルにおいて、かなりのデータ量を込めることが許されるギルド武器は、最高位の装備品たりえる(もちろん、そのための素材集めなどは必要不可欠であるが、通常の神器級(ゴッズ)アイテムよりは安くあがるわけだ)。あのアインズ・ウール・ゴウン打倒のためには、ギルド武器は何としても必要な力の結集であり、神器級(ゴッズ)の槍で武装した真祖の吸血鬼(シャルティア)をはじめ、優秀な各階層守護者たちを掃滅する威を発揮し続けた。

 

 だが、それすらも“あれら”と“少女”は打ち砕き、破壊し尽した。

 ギルド武器が破壊されたギルドは、軒並みギルド崩壊の末に離散し、プレイヤーによっては一度もゲームにログインすることなく、ユグドラシルに復帰することはなかったという。その時期は×印──『敗者の烙印』を押されたプレイヤーが大量に発生したが、彼等の多くは新アカウントを取得するかゲームに飽きてやめていくかして、姿を消した。

 ギルドを再結成してまで、ユグドラシルに残留する判断を下すギルドは、現れなかった。

 

 そして、疑問だけが残った。

 

 相手がユグドラシルの全ギルドの中で“十大ギルド”と称されるトップレベルだろうと、あの第八階層“荒野”にて、数の暴力に抗えるはずがないと思っていた彼等の頭上に降り注いだのは、“あれら”と“少女”が繰り広げた──虐殺。

 

 荒野の空を漂う“あれら”が繰り出す、絨毯爆撃じみた殲滅攻撃。

 荒野の大地を歩く“少女”が発揮した、流星のごとき怒濤の暴撃。

 

 第八階層に至るまでに、広大かつ多様な七つの階層を攻略するうちに、1500人は魔力(MP)特殊技術(スキル)を、ほぼ確実に消耗していた。

 討伐隊はわけもわからないまま、“あれら”と“少女”の蹂躙にその身をさらし、一人また一人と、確実に蹂躙攻撃の直撃や余波を受けて、あっさりと死んでいった。敵の正体を探ろうにも、そのための動作を見せたプレイヤーから、ヘイト値の関係からか速攻で狩り取られ脱落していった。蘇生の魔法を発動するだけの猶予もない。彼等はとにかく、荒野の丘の上に見えている転移の鏡を目指し、次の第九階層へと急ぐしかなかった。

 その途上で現れた奇怪な天使を狩り取った瞬間──新たに出現したモンスターを迎撃するための一手にすぎなかった様子見の攻撃程度で、胚子じみた異形が倒され、死体をさらした、……その時。

 発動したのは、強力すぎる“足止め”スキル。

 それによって、残っていた討伐隊は、一歩も前に進めなくなった。

 彼等は一切の攻撃が繰り出せなくなり、何の抵抗も許されない状態に固定された。

 

 そんな無様(ぶざま)を見物するかの如く、転移の鏡を通って姿を見せた、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの構成員(メンバー)たち。

 

 彼等の筆頭に立った最上位アンデッド“死の支配者(オーバーロード)”のプレイヤー・モモンガ。

 

 彼が、その身に宿した赤い宝玉を取り出し掲げ、世界級(ワールド)アイテムの能力を発揮した時、

 

 1500人の討伐隊……その敗北が決した。

 

 

 

 ──“あれら”による「死」が、荒野に降り注ぐ。

 ──世界すべてが死の暗黒に覆われ、“あれら”の……

 

 

 

 この動画映像は、討伐隊側の記録として(あるいは生中継イベントとして)撮影されていたもの。

 動画を視聴したプレイヤーたちは、第八階層での蹂躙劇を「チートだ!」「インチキだろ!」「バグじゃないのか!?」と、こぞって声をあげた。彼等の知るユグドラシルの常識だと、あれほどの暴力を発動できるはずがなかった。運営に対してギルド凍結の嘆願と徹底調査を求めるメールがパンクするほどに送り付けられたのは、後に伝説として語り継がれているほどだ。

 

 

 

 しかし、当時の彼等、一般ユーザーは決定的に見落としていた。

 

 ユグドラシルには、運営の用意した「壊れ性能」の存在──世界級(ワールド)アイテムが200も存在していること。

 そして、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、その世界級(ワールド)アイテムを多数所有する存在であったこと。

 たった一個所有するだけでも、そのプレイヤーの知名度が上がるほどのモノを“複数”所有できていたこと。

 

 さらに、第八階層の“あれら”は、モモンガの所有する世界級(ワールド)アイテムとの「相乗作用(シナジー)」効果によって、他に例を見ない「変貌」を遂げたこと。

 

 

 

 

 

 

 つまり、それは

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

「やはり、見当たりませんね?」

 

 最上位悪魔たる第七階層の守護者、魔導国において“六大君主”として諸方を統治し、“大参謀”という新たな役職を賜った彼は、この100年で随分と馴染んでしまった場所──己の階層以外で足繁く通うようになったナザリックの最奥に位置する場所で、ひとつの情報データを収めた書物を閲覧していた。

 眼鏡の奥に映る文字は、現地の言葉ではない。日本語だ。

 これは、この空間を造り上げた尊き御方々が、ナザリックの外より持ち帰り集めた知識の集合。敬愛し信奉の念を懐き続ける創造主たちの残した財産のひとつ──

 

 第七階層守護者・デミウルゴスがいるのは、ナザリック地下大墳墓・第十階層に位置する叡智の空間──最古図書館(アッシュール・バニパル)

 

 彼は、この地を治める最高支配者、アインズ・ウール・ゴウンの許しを戴き、この図書館内にあった空きスペースの一室に、自分用の研究室を構えるようになっていた。彼が100年前より実験し続けてきた、未知なる異世界の情報を蓄積し検分し実験の限りを尽くした資料がうずたかく積みあがっており、その情報の貴重性は計り知れない。

 この異世界に存在していた生まれもっての異能(タレント)なる能力の発生メカニズムや、その系統分布。現地人が開発したという、ユグドラシルには存在しなかった魔法大系“生活魔法”などの総覧。さらには、アインズ・ウール・ゴウンが転移する以前に存在していたプレイヤーなどの情報も、ツアーなどの協力者・同盟者の合力(ごうりき)によって、十分な情報量を獲得して久しい。

 すべては、この世界を征服し尽した──その途上で邪魔になった有象無象を排しつつ、巧みに強力な現地勢力を懐柔し篭絡した(と、デミウルゴスは認識している)魔導王の手腕──尊愛するアインズ・ウール・ゴウンの戦略の妙があればこそ、成し遂げられたものだ。

 

 そして、100年の後に出現した、新たなユグドラシルの存在。

 常時監視の目を置いていたスレイン平野に転移してきた、天使ギルド。

 アインズが特別に取り計らい、魔導国への受け入れを本気で考慮していた、外の存在──

 

 だが、連中は、あの堕天使は宣告した。

 自らを『アインズ・ウール・ゴウンの“敵”』などと。

 

 思い返すだけで、炎熱に耐性を有するデミウルゴスの(はらわた)が煮え繰り返るような劫熱(ごうねつ)が沸き起こる。

 しかし、悪魔の脳髄は冷静に、連中の情報を収集する作業を続けていた。

 

「そちらの方は、どうです?」

 

 振り向いた先にある顔ぶれは、この図書館の司書である死者の大魔法使い(エルダーリッチ)死の支配者(オーバーロード)。さらに、第七階層より連れてきた魔将などのシモベ。そして、

 

「いいえ、御父様」

 

 デミウルゴスを父と呼ぶ乙女は、手元にあるユグドラシルの情報──“攻略サイト”の有益な情報をまとめた、御方の手記のひとつに目を通していた。

 悪魔は、己の娘をあらためて見据える。

 大地の底から湧き出る溶岩流を思わせる煌き──炎を吹いて燃え盛る粘体(スライム)を、その頭髪に宿す乙女の美丈夫。身に纏うタイトなライダースーツのごとき私服は、常時高熱の粘体を全身から放散する特性を帯びた彼女のため、特別にナザリックの最高支配者たる御身が仕立ててくれた一品であり、ぴっちりとした暖色系の生地は、乙女の豊満な彩を煽情的に(つや)めかせて(はばか)らない。突き出す双丘は形の良い大果のさまがはっきりとわかり、腰から太腿へと至る曲線の蠱惑ぶりは、男というものをまだ知らない──彼女の純潔を捧げるべきは、ひとりだけなのである──というのが信じられないほど、妖艶に過ぎる火の色で輝いている。

 デミウルゴスが守護する第七階層“溶岩”──その階層内でも強力な配下として信頼に足る領域守護者「奈落の粘体(アビサル・スライム)」である同胞・紅蓮(ぐれん)を母体として──粘体に女の形状と体質を形作らせて、悪魔の因子を注ぎ込み生み出させた、この世で「四番目」に愛すべき、炎獄の造物主の娘。

 

 御方より戴いた名は、火蓮(カレン)という。

 

 ちなみに、現在におけるデミウルゴスの中の順位付けだと、「一番目」はアインズとウルベルトが同率一位に君臨し、「二番目」は他の至高の41人、「三番目」はナザリック地下大墳墓において御方々に創られた同胞・シモベたち(紅蓮もここに含まれる)という具合である。

 デミウルゴスが成した子供たちの中で、もっとも優秀にして強大な能力を獲得した悪魔と粘体の混血児(ハーフ)は、同胞(シモベ)たちの次に愛されるにたる壮麗な女の顔立ちを曇らせながら、優雅な所作で、御方の残された書籍に対する敬意を露にしながら、本を閉じる。

 

天使の澱(エンジェル・グラウンズ)なるギルドの情報は勿論、プレイヤー・カワウソという文言すら、私どもには確認できません」

 

 火蓮は悄然と、己が役立たずに終わることを怖じるような、宝石のごとき瞳で謝辞を零す。

 しかし、デミウルゴスは自分と同じ肌色の娘に対し、気楽に頷いてみせた。

 

「そこまで思いつめた顔をするものではありませんよ?」

 

 これは、御方の危難になるやも知れない勢力(ギルド)への備えとして必要な準備作業であったが、実のところ、この数日で目ぼしい成果がないことは確認済みだ。司書長や、その妻をはじめ、この図書館に属するすべてのシモベが総覧し検索の限りを尽くしても、この図書館には、ナザリック地下大墳墓の要する最大にして最高の叡智の集合地には、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に直接関係する情報は、まったく何もないことは確認できている。

 唯一、連中の拠点であろうヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)などの情報も、ユグドラシルの攻略サイトの情報の中で、『ギルド拠点になるダンジョン図鑑』から、推定されるレベル数値に合致しつつ、転移の鏡を通して出入りするという“安っぽい構造”の、初期の地下潜伏型という符合点から導き出された解答であった。

 連中の戦力は1350ポイント分のNPCと、プレイヤー・カワウソが一人だけ。

 ナザリック地下大墳墓と比較するのも愚かしい低レベルな相手であるが、しかし、だからこそ、油断は禁物である。

 あるいは何かしら、間接的にでもギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に関する何がしかの情報を獲得できないかと、ここ数日の間中、図書館の静謐にして清廉な空気は、シモベたちの探索と検証の熱気で煮え立っているような、そんな盛況ぶりを博している。

 

 ユグドラシルの本というのは「傭兵モンスター召喚」「マジックアイテム」「イベントアイテム」「武器防具類の外装データ」「小説や日記」などに大別され、このナザリック地下大墳墓の図書館に蔵されている書籍は、傭兵モンスター召喚用のものが圧倒的大多数を占める。だが、あまりにも多すぎる召喚用の書籍は、このギルドの全財産を蕩尽(とうじん)しても、十分の一の量も呼び出せないだろう膨大な数。100年の蓄財を経た今でも、これだけの量の書籍に封じられたモンスターを呼び出すことは難しい程の量が、今も尚ここに存在し続けていた。

 では何故、至高の御方々は、これほど大量の蔵書を蒐集(しゅうしゅう)したというのか。呼び出しようのない戦力を無数無尽(むすうむじん)に囲う理由とは何か。

 答えは単純。

 ここに残された重要な本を、『ユグドラシルにおいて何よりも貴重な“情報”を、容易に敵の手にわたらせないため』に、「隠す」のが主な目的なのだ。「木の葉を隠すなら森の中」という言葉の通り。これほど大量の蔵書の中から、アインズ・ウール・ゴウンが獲得した攻略情報などの類をピンポイントで発見するのは容易ではない。……一応、図書館を創ったメンバーの『悪乗り』も理由の一端ではあるが、その事実を知るものは限られている。

 そして、デミウルゴスたちは今、その重要な本をもとに、情報を一から検証し直している最中にある。

 

「アインズ様が仰っていたように、この図書館の情報は、あくまで参考程度に留めておくべきもの。連中が、あのユグドラシルにおいてどれほどのことをなした存在であるのかは、実際に対峙してから調べ尽せばよいだけです」

 

 そう言いつつも、デミウルゴスは万が一の可能性も塗りつぶすような勢いで、自分達にできる最善にして最大限の情報収集に、時を多く費やし続けている。

 御方は語っていた。

 実のところ、ここの書籍や各種情報媒体というのは、アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちが集めた代物であり……つまるところ、メンバーたちが離れていった、デミウルゴスたちの認識上「お隠れになって」以降は、ほとんど内容に変化がなかった物で溢れかえっていた。ユグドラシルの情報をすべて全自動で収集するという機能など、そこまで高性能な効果を期待できる場所ではない。“百科事典(エンサイクロペディア)”のようなモンスターの姿を自動で記録してくれるアイテムもなくはないが、それすらも自分でモンスターと邂逅(エンカウント)し、詳細な情報「特殊能力や弱点」などを検証し集積し筆記しなければ、ただのモンスターのアルバム写真集にしかならない。

 運営が連絡し与える情報は、必要最低限なものに留まっていた。でなければ、ユグドラシルにおいて「未知」の世界があんなにも溢れかえることはなかったはず。

 

 アインズはユグドラシル時代において、仲間たちが離れていった後、ナザリックの管理維持に必要な稼ぎを外で行うことに終始するようになり、ユグドラシル末期における詳細なデータは、そこまで徹底管理できていなかった。

 それこそ、日常的にネットで流れる情報には雑多に目を通すが、それをいちいち図書館に持ち運んで記録として保存するほど、社会人である彼は暇ではなかったし、ギルドの存在意義そのものが「仲間たちと楽しく過ごす場所を維持する」という程度であって、ユグドラシルの未知を「探求し研究する」というほどではなかった。アインズの情報量は、仲間たちが集め残してくれた当時のままである部分が多く、何か自分でも気づかないうちに、新たな情報や知らない追加パッチを当てられている可能性を、転移当初は何かにつけて危惧していた。

 

「御父様の方は、何をご覧に?」

「これですよ」

 

 悪魔の手の内にある本の装丁・表紙に記載されたタイトルは、『ギルドランキング』──その情報。

 これは、公式のデータを月ごとや週ごとに編纂編集し、図書館の蔵書としてまとめた、ひとつの情報媒体であった。

 ユグドラシルには、最盛期だと1000を超えるギルドが乱立しており、終焉を迎えた末期でも800弱のギルドが名を連ねていたと、悪魔はアインズの口から聞いている。

 

「敵が世界級(ワールド)アイテムを有しているのであれば、このランキングとやらに載っていてもよさそうなものですが──」

 

 ランキングに載るためのポイントは、常に変動するもの。

 構成員のレベル平均、世界発見ポイント(未発見未探索のダンジョンやフィールドを攻略するなどして加算)、ワールドアイテム保有数、資産ポイント、本拠地ポイント、PKの際のポイント移動、ギルド戦時のポイントなどなど、無数にある項目の集計値をもとにして、運営が公式にランク付けを行う。噂の域を出ないが、このポイントには「課金額」なども集計されている……などという風説もあった。しかし、真相は明らかになっていない。

 

 デミウルゴスが特に着目したのは、100年後に現れたギルドが、『世界級(ワールド)アイテムを保有しているか否か』──それを調べ上げるのに、ランキング情報というのは有用な情報源たり得た。

 世界級(ワールド)アイテムはひとつ保有することが判明しただけでも、かなりの知名度を築くことができ、複数個を所持するギルドは、ほぼ確実にランキング上位に食い込める位置に常駐できる。

 保有する世界級(ワールド)アイテムの詳細(名称や威力効果)については判らないにしても、カワウソと呼ばれるプレイヤーが“ギルド長”を名乗っていること、また、世界級(ワールド)アイテムを獲得し保有したギルドであるならば、このランキングに、その情報が記載されている可能性は高いはず。デミウルゴスが最も危惧すべきアイテムの保有者であるという確証を得るためには、この書を開くのは確実に必要な確認作業であった。

 

 だが、宝石の眼球で総覧し、閲覧し尽した限り、ギルドランキングの書籍には、「天使の澱」なる団体はどこにも記述がなかった。

 

 勿論、その原因は、眼鏡をかけた悪魔の視力が蒙昧で──というわけが、ない。

 本に編纂されたランキング情報は、本の編集者たるメンバーが在籍していた当時で停止しており、それ以降の記録……カワウソがギルド:天使の澱を立ち上げ、あまつさえ、馬鹿げた「復讐」プレイにもとづいた『敗者の烙印』保有者専用の世界級(ワールド)アイテムを獲得した時の情報──ユグドラシル末期におけるランキングが、ここに書き加えられることはなかったがため。

 

 このナザリックに残った唯一のプレイヤーたるアインズ……モモンガが、ギルド維持のために行ったことは、運営資金獲得のための狩りだけ。膨大に過ぎるユグドラシルの情報を編集し管理する暇など、社会人の日々忙殺される生活の中には欠片も残っていなかった。モモンガがどうしても必要と思えたゲームの新情報程度しか、新たに図書館へ蔵されることはなく、そうして、ゲームはあのサービス終了の時を迎えている。

 この図書館で蔵書と情報を入念に管理していたメンバーが離れた頃からの記録は、ほとんどない。

 とすると、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、このデータ以降の時期に、世界級(ワールド)アイテムを獲得したと見做(みな)すべきか。

 ……あるいは、

 

「連中は、何の世界級(ワールド)アイテムも保有していない可能性も、一応、ありえますが」

 

 ツアーが語る、世界級(ワールド)アイテム保有者の異世界転移。

 デミウルゴスは詳細をアインズ経由で知らされ理解しているが、所詮、ツアーはナザリック地下大墳墓“以外”の存在。

 ナザリックの絶対的信奉者たるデミウルゴスにとって、竜王の有する情報の確度については、半信半疑というのが実情であった。実際に、デミウルゴスたちは他の世界級(ワールド)アイテムがこの異世界に流れ着いている事実──“傾城傾国”など──を回収し、知ってはいるが、ナザリック地下大墳墓以降にも、それが続くという保証には……なり得ない。

 

「ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)とやらが、はじめて世界級(ワールド)アイテムを有しない、初の勢力であるとすれば」

 

 このような拮抗状態を維持する意味も価値もありはしない。

 即刻、連中の居城へと進軍し、貴重なユグドラシルの存在を鹵獲(ろかく)して、研究のサンプルにしてしまえばよい。プレイヤーの“蘇生実験”や“素材化”など、デミウルゴスの脳内にはダース単位で連中の使用方法は決定している。

 すでに、天使ギルドの首魁は、魔導王アインズが生み出した上位アンデッド四体を屠殺(とさつ)し、亡骸(なきがら)を持ち去るという愚を犯した。断罪のための証拠は、十分以上に整っているのだ。

 しかし、

 

「ですが。アインズ様の御許可がなければ、今の私たちは動けません」

 

 火蓮の言う通り。

 アインズは「時が来るまで」……少なくとも、ツアーがプレイヤーであるカワウソと対面を果たす“その後”まで、ナザリック側から仕掛けることを全面的に禁止していた。

 アインズの計略は、時にデミウルゴスの一手先、十手先……百手先にまで至ることもあるほどの大略ぶりだ。それを思えば、主人が絶対命令として告げた内容について、大参謀を拝命したデミウルゴスが、とやかく言う必要などありえないはず。

 だが、それでも、悪魔は炎獄の造物主たる己の内側に灯る熱量に、()れていた。

 咄嗟に胸の奥に潜む熱源を掻きむしりたくなるほどに。

 

「……連中を最初に発見した際に、潜入調査を遂行できていたら」

 

 そう夢想せずにはいられない。

 それが出来ていれば、もっと安易に、事は進んだやも知れない。

 

 100年後のアインズ・ウール・ゴウン魔導国に、新たに現れたユグドラシルの存在。

 アインズの計画に“使用できるか否か”の査定期間として、主君は彼等への過剰な接触は避け、魔導国の水先案内人として、ナザリックの混血種の代表たる新星・戦闘メイド、マルコの派遣を決断。期せずして飛竜騎兵の領地で蠢動していた諸々を解決し、デミウルゴスは“若返り”という寿命問題に対するサンプルを秘密裏に回収することまで成功していたが、それでも尚、許されざる大罪を、不遜を、あのギルドの長とかいう堕天使は、犯した。

 

 (いわ)く、「アインズ・ウール・ゴウンの“敵”」と。

 

 口惜しい。

 度し難い程の愚物が。

 いっそ自分と自分の配下のシモベ達だけで、あの拠点に強行偵察を試みたいところ。そうすれば、連中の保有している戦力や戦略がはっきりするはず。奴が保有しているだろう世界級(ワールド)アイテムの効能や威力を知れれば、間違いなく今回の大局は、アインズ・ウール・ゴウンの勝利に傾くのだ。

 

 ──たとえそれで、自分や自分の配下たちが、連中に(しい)され、死に絶えることになっていたとしても。

 

「御父様?」

「と。いけませんね」

 

 娘の声に我に返る。己の浅はかな思考を、デミウルゴスはすぐさま脳の外へと破棄した。

 主人であるアインズの命令は、「待機」と、「検証」だ。勝手な行動は慎まねばならない。

 何より、優しい主君は、自分たちナザリックの存在を、我が子も同然に愛おしみ、その命に、いかなる危険が忍び寄るのも良しとしない。御方のお役に立つために、ナザリックのシモベ達は外での任務に励むことを特別に許されていたが、100年後にユグドラシルの存在が転移してきたことで、その体制は一定の制限が設けられてしまった。しかしながら、至高の四十一人に創られた存在たちは、自分たちを何に変えても護ろうと欲する主人の愛情を、何よりも誰よりも理解できている。

 だからこそ。

 アインズ・ウール・ゴウンの害悪となりうるすべてを、デミウルゴスたちは一切、許容できない。

 たとえ自分が死ぬような事態になっても、現状のナザリックであれば、復活の資金は潤沢に揃っている。アインズの100年の蓄財は伊達ではない。

 

「もしも。あの天使共の拠点に乗り込むおつもりでしたら、是非とも、私も同道を」

「ありがとう、火蓮。ですが、それはありえないことです」

 

 デミウルゴスは、御方に対する忠節の徒として立派に育った娘を、誇るかのように微笑む。

 覗き込んでくる悪魔と同じ肌色の乙女は、手前みそになるだろうが、実に美しい。母体となった粘体が優秀であったがために、レベルこそ100には届かないが、その戦闘力はロマン構成(ビルド)であるデミウルゴスのそれをわずかに上回る。相性の関係で父たる悪魔が負けることこそないが、冷気への耐性と特効に秀でているため、あのコキュートスに──稽古中で装備が不十分だった時とはいえ──土を付けかけたこともあるほどに、火蓮は強い。母親と同様、彼女は周囲に展開した自己のフィールド内では無敵に近い攻撃性能を発揮できる。乙女が生成する溶岩流の渦……“炎獄空間”は、同属性でなければ生存が危ぶまれるほどの暴威となりうる。

 だが、天使というのは、炎属性への強い耐性を示す種族。である以上、デミウルゴスとその配下たち……そして火蓮に、連中を強襲せよという出撃命令など下るわけがないのだ。その役目は、天使の「天敵」となり得る友、“大将軍”コキュートスと、彼の優秀な息子たちで遂行される方が、まだ可能性としてあり得る。天使はコキュートスたちの強力な冷気属性であれば、ほぼ間違いなく討滅可能なのだ。

 ふと、デミウルゴスは手指を伸ばす。

 なみの人間では触れた瞬間に腕が全身が炎上するだろう高熱の頬を、親愛の情をこめて、そっと撫でる。

 

「それよりも、よいのですか? 今日は殿下と過ごす日だったはずでは?」

「マルコ姉様(ねえさま)にお譲りしました。姉様は一週間、ずっとナザリックを離れておいででしたし、指輪が封じていた“あの日”でもありますので」

 

 ああ、とデミウルゴスは理解を得る。

 竜人と人間の混血種であるが故か、マルコは奇妙な特質が顕著に現れることが、時たまだが、ある。

 不定期に現れる“あの日”になると、彼女はナザリック内を出歩くことは難しい「形態」となり、与えられた自室に籠るしかない……それを、マルコは恥と思っていた節もあったが、その日は決まって愛する殿方との逢瀬を深められるので、かつてほど嫌な顔をすることはなくなった。

 一応、アインズたちの研究によって対策は講じられており、不定期性を抑える特殊な装備品で身を固めているが、ずっと長くアレを抑え込んでおくと、反動であの状態が長引くことが多くなると判明している。そうすると、彼女はナザリック内での仕事に長く就けなくなるというジレンマが。それを思えば、定期的に指輪の封印は解除しておいた方が賢明と言える。

 

「優しいですね、火蓮(カレン)は」

 

 娘は褒められたのが素直に嬉しかったように、軽やかな笑みを口元に宿す。

 デミウルゴスは100年前、自分の気まぐれで行った世界級(ワールド)アイテムの実験……セバスとツアレの蜜月による懐妊騒動の原因を作り、それによって、ナザリック地下大墳墓で様々な混血種……「“子”をつくれる」事実が、判明。その折に、デミウルゴスは自分の正妻の座に、もっとも強力な母体になりうる同胞を選抜し、──この、最も優秀な娘を、授かった。

 これもひとえに、アインズ・ウール・ゴウン御方の御厚情と配慮、……許しがなければ、ありえなかった。

 すべては、アインズがいてくれたからこそ、成し遂げられた事柄。

 そのことに対し、悪魔は感動を禁じ得ない。

 

「それよりも、御父様。そうすると、あの天使ギルドは、今後どのように処置を?」

 

 デミウルゴスは微笑んだまま、愛する娘からの質問に答える。

 

「アインズ様との協議の結果、とりあえず、ツアーが今一度だけ接触を図ってくれる手筈ですよ」

「……大丈夫なのですか? ツアー殿が、もしも、万が一に、アインズ様を裏切ることは?」

 

 当然の懸念であったが、デミウルゴスは首を横に振る。

 

「ありえませんよ。アインズ様とツアーとの協力関係は、この100年でほぼ完全な地盤を築いておいでだ」

 

 そう。

 アインズはツアーとの友誼を結びつつ、着実な計画と準備を続けてきた。

 

「かつて。100年前にアインズ様が整えた、ツアーとの交渉材料については、──私ごときではまず用意しようがなかったものですからね」

 

 それを思えば、ツアーがアインズとの契約を、あの計画を、反故にする理由は薄い。

 

 彼と……白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と「事件」を通じて友好関係を結べたのは、間違いなくアインズその人の存在があればこそ。

 デミウルゴスたちNPCの思考では、現地の連中と足並みをそろえるだけで身震いがするほどの汚辱に匹敵するが、主人の命令となれば、話はまったく別である。

 これまた口惜しいことだが、ツアインドルクス=ヴァイシオンが有していた力と魔法、そして数百年の“知識”は、デミウルゴスたちのそれを、ある分野において超えていた。

 

 ユグドラシルと異世界の間を渡り来る驚異と脅威の数々。

 100年周期に生じる、時を刻む振り子のごとき揺り返し。

「十三英雄」「八欲王」「六大神」……他にも存在する、様々な渡来物。

 

 これら特異に過ぎる異世界についての諸情報を、ツアーは確実に蓄えていたのだ。

 

 アインズがいなければ、竜王と交渉し折衝役を務めてくれた主人がいなければ、デミウルゴスたちはツアーたちをナザリックに対する“危険因子”として、「徹底排除する」以外の処方を取れなかったはず。強力な個体の多いアーグランド評議国の竜王たちは、ナザリック単独では対処が難しい(不可能ではないだろうが、それなりの被害は覚悟すべき)猛威と計算できるが、アインズがいることで、そのような事態は未然に回避できている。

 それどころか。彼等竜王は、すべてアインズの協力者の地位に下り、一定の自治と権能を与え、とある「契約」をもちかけたことで、この異世界における重要情報──過去の歴史などの“知識”を供与する立場を確立。デミウルゴスが己の内で立案していた世界征服の計画概要は、確実に短縮され洗練されることに相なったわけだ。

 それほどの辣腕(らつわん)を振るった主人の雄図大略に対し、デミウルゴスは魂の芯を、悪魔の耐性など関係なく熱くさせられてしまう。

 端倪(たんげい)すべからざる御方々……そのまとめ役であられるアインズへの忠誠心は、悪魔の存在基盤そのものと化していることは、いまさら言うに及ぶまい。

 

「カワウソへの対処については、今のところ……(ツアー)に賭けるしかありませんね」

 

 焦りは禁物。油断こそが大敵。

 ツアーがタイミングよく招待に成功していたことは、ナザリックにとっての吉兆か、あるいは──

 

 連中と白金の竜王が邂逅を果たす時刻まで、あと数時間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 白金の竜は、夢を見る。

 

 200年……否、もう300年前のことだ。

 

 

 

 

 

『すまない、皆』

 

 自分の正体が、“白銀”と称される純白の竜騎士の正体が、中身が空洞の、がらんどうの鎧であると明かされた際、仲間たちは誰もが驚愕と驚嘆の視線を浴びせてくれた。

 

 そして、真の自分を──「白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)」──竜帝である父の後継として、アーグランド評議国に君臨する竜王の一人──巨大な竜の威容を、仲間たちの前にはじめて顕現した時、リーダーは勿論、闇妖精との混血で四本の魔剣を帯びる自称・暗黒騎士、四本の聖剣に選ばれた法国の魔法剣姫、ビーストマンの崇拝を一身に浴びた大神官の小猫、当時の森妖精(エルフ)王族の長、魔法工の名を戴くドワーフの王、人間じみた外見が醜悪と罵られ排斥の憂き目を見たゴブリンの王子、三つ首の多頭水蛇(ヒュドラ)に騎乗するオーガの劣等種たる女魔戦士、牛頭人(ミノタウロス)の英雄として迎え入れられたプレイヤー“口だけの賢者”、最優の剣士ジュウゾウ、彼と少女に信仰されるサクヤ……他にも様々な人間と亜人と異形がいて、誰もが腰を抜かすほどに震え上がった。“国堕とし”などという称号を戴くことになった吸血姫の童女など、リーダーの仲間の腰に縋りついて、その影に隠れるほど怯えさせてしまった。唯一、平然とそこに佇み、常と同じ余裕な姿勢でいられたのは、影のごとく佇む暗殺者“イジャニーヤ”の開祖と、「暗黒邪道師」と呼ばれる黒髪の女──リグリットの師匠、二人だけ。

 

 ツアインドルクス=ヴァイシオン。

 

 竜帝の末子故に、八欲王との戦争で敗戦した後、事後処理の調停役にしかつけなかった……自分以外の、強大な力を誇った親兄弟・親族や竜王──“始原の魔法(ワイルドマジック)の担い手”たちが全滅したことで、ツアー以外にアーグランドの広大な国領を統治できるものはいなかった。

 

 200──300年前の当時。

 諸事情によって、鎧姿で人間に扮し、諸国を漫遊していた折。

 ひょんなことからツアーは、リーダーたち一行……後の世に“十三英雄”という御伽噺として語られた者たちと共に旅をした。

 

 楽しかった。

 心の底から楽しかった。

 プレイヤーであるリーダーたちと共に語り合い、笑い合った。十三英雄の皆で、当時の世界中に蔓延(まんえん)した事件を、異変を、危機を、ユグドラシルから渡り来る擾乱(じょうらん)の嵐を収めた。

 

 それら冒険の果てに、ツアーは皆に、“白銀”の正体を、自分の鎧の内を、その内実を暴露した。

 するしかなかった。

 

『──騙してたのか?』

 

 風巨人(エアジャイアント)の戦士長ですら、自分と同格以上の異形が顕現した事実を前に尻込みしていた状況で──ただ、一人。

 死者使い……死霊系魔法(ネクロマンシー)を修めながらも剣客として名高い乙女が、一歩を前に踏み出した。

 自分たちを、自分を、たばかっていたのか──そう問いかける女に、ツアーは頷くしかない。

 

『……リグリット』

 

 すまないというべきか。

 当世一の“死者使い”、リグリット・ベルスー・カウラウ。

 彼女が、ツアーと交わそうと願ったことは、最初から望むべくもない「夢」であった。

 聡明かつ賢知に富む死者使いの乙女は──白一色に染まる前だった──生命力の猛々(たけだけ)しさと瑞々(みずみず)しさを語る髪色を、憤慨にか怨嗟にか失意にか震わせながら、硬い刃のように鋭い眼で、竜の、男の細い光彩を凝視する。

 ツアーは、そんな乙女を前に、何も言えなかった。

 言えなくなってしまった。

 

 とりあえず、決戦を前にして──それ故に、ツアーは有事の際には自分の本当の力を行使するべく、その前準備として、仲間たちに自分の正体を教えておくしかなかったのだ。しかし──変な空気のまま戦いに臨むべきでないと判断したリーダーたちのとりなしによって、その場は収まった。

 

『すまない、リグリット』

 

 そう遅まきながら告げた後、彼女は張り詰めた弦のような危うい眼差しで、そこに佇む巨竜を──空っぽの鎧を見比べた。

 

 濡れているような声で、驕慢にも仲間たちを騙し続けていた竜王を、リグリットは許した。

 許した乙女は、今まで通り……“友”として……親交を結び続けた。

 

 暗黒邪道師……彼女の師から、死を遠ざける力を術を学んだリグリット。竜王と乙女の絆は、200年の後にまで──彼女が死ぬその時まで──穏やかに続いた。

 顔を突き合わせれば、必ず小言をチクチク言ってくれたのも懐かしい。

 やがて、あの「事件」……アインズ達と共に、スレイン平野を……100年前に、スレイン法国を封じざるを得なかった、あの世界の危機において──

 

 あの時に、ツアーはリグリットと、今生の別れを果たした。

 リグリット・ベルスー・カウラウは、永遠の眠りに就いた。

 

 しかし、そのこと自体に、悲嘆や後悔などという感情は、ない。

 リグリットは最後まで、ツアーの良き“友”であった。あり続けてくれた。

 

 だが。

 もしも。

 もしかしたら。

 

 あの戦いで、十三英雄・最後の戦いで、リーダーたちを救えていたら──

 当時、“神竜”を、何とか出来る方法が他にあったなら──

 あのような「事件」は起きることなく、──

 

 ……いいや。

 

 我ながら、無意味なことを考えてしまっている。

 リグリットは満足の内に息絶え、ツアーもそれを受け入れ、永の別れを告げた。

 世界最大の危機は過ぎ去り、大陸はアインズ・ウール・ゴウンの旗のもとに、ツアーたち竜王たちですら叶わなかった、大陸の完全統合が、なされた。

 

 誰もが平和に暮らし、

 誰もが生を謳歌する。

 

 無論、何もかもがうまくいっているとは言い難い。取りこぼした命はそこここに存在し、無道を働くもの、法に悖るもの、魔導王のアインズでもどうすることもできない犠牲者というものは、厳然と存在し続けている。それを魔導王の怠慢・彼の罪と断じることは不可能だ。ツアーもアインズと同様に、統治する者としての責務を全うしてきた。犠牲なくして何事かをなすことは出来ない。竜にも、アンデッドにも。神と呼ばれた者たちですら、そうなのだ。

 

 そう。

 

 そうして諦めるしかなかった“犠牲”こそが、ツアーの……十三英雄の、限界だった。

 

 あのつらく苦しい戦いで、ツアーはかけがえのない友らを、リーダーたちを、……(うしな)った。

 

 その後の顛末については、物語に語られる通りである。

 

 だが。

 叶うなら。

 願うことができるならば。

 

 せめて、

 彼等を、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ツアー様…………ツアー様?」

 

 呼ぶ少女の声に応えるように、白金の竜王・ツアーは微睡(まどろみ)の思考から覚める。

 白い髪の少女に、ほんの一瞬だが、かつて見慣れた女の面影が重なって見えた。

 

「──ああ。なんだい?」

 

 現在、自分の鎧の中身におさまってくれる竜騎士の娘は、呆れ半分に肩を竦める。

 

「寝ぼけているのですか?

 本日は、例の“ゆぐどらしるぷれいやー”とかいう人達と会う日取りですよ? しっかりしてください?」

 

 ああ。そうだった。

 もう数日が経過したのだ。

 長く生きていると、日々というものが過ぎ去るのが異様に早く感じる。数百年を生き続ける竜ともなれば、数日など、ほんの数度の瞬きの間に等しい。一年という時の流れは、宮殿の奥で孤独にじっとしていたら、あっという間に過ぎ去ってしまう時間の単位だ。

 

 だが、彼等と、仲間たちと日々を過ごしていた200年……300年前は、違った。

 

 一日一日が、黄金の財宝のように輝き、彼等の笑顔が、言葉が、やりとりのすべてが、どこまでも竜王の心を満たした。

 後に、冒険者として諸国を漫遊するようになったリグリットとの対話も、そうだ。

 勿論、この目の前にいる娘、当代における竜騎士の少女との生活もまた、そうだ。

 少女の母や、祖母や、その家族も。

 

 竜王の中には、家族というコミュニティは必要と考えるものもいる。

 あの世界最大の生命と評すべき“聖天の竜王(ヘヴンリー・ドラゴンロード)”は、自分の背や鱗に住まう民のすべてを家族と認知しているし。人間や亜人や他の種族──場合によっては非生命体と交配する変態じみた能力を例外的に有する“七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)”などは、今も冒険都市・オーリウクルスの領域守護者として君臨する旧竜王国の元女王──ひ孫のドラウディロンの世話になっている。

 無論、たった一人で生き続ける竜も、いるにはいる。

 しかし、真なる孤独に耐えることができるものは、そう多くない。

 個人主義の筆頭格と言えた竜王“常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)”は、地下の巨大洞窟に長く孤独に引き籠っていたが、アインズ・ウール・ゴウンとの接触以降──七日七晩の死闘の果てに──ナザリックの守護者の一人・シャルティアと“喧嘩友達”として親交を結んでいるように(本人は否定しているが)。

 

 ツアーは伸びをするように首を巡らし、ほとんどの攻撃を無力化する硬い銀鱗を波打たせる。

 光彩や牙は爬虫類のそれを思わせるが、身のこなしや眠っている姿は猫のようとも言われる。

 大きく広げた翼は巨大な影を大地に落とし、長く雄々しい尻尾は一薙ぎで鉄の山を砕くほど。

 あらゆる叡智と秩序、歴史と伝説、神話や叙事詩、過去と未来に通暁しているなどと評される竜王は、過去へと向けていた眼差しを、直近の未来に、現在(イマ)のここに据えた。

 今日この時、この場に来るように、ある者たちに招待状を送付している。

 100年の揺り返し。

 ユグドラシルからの客人(まろうど)

 ──ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)と名乗るモノたちへ。

 

「確か、プレイヤーの名前は、カワウソ、と言ったかな」

 

 ラファというNPCから聞き出した──冒険都市の祭ではファラと名乗っていた天使が、心の底から信頼し信奉し、臣従の限りを尽くす存在。

 

 アインズ・ウール・ゴウンの後、100年後のこの世界に流れ着いた者たちを迎え入れるべく、ツアーは台座に飾られた空っぽの鎧を、起動する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※Web版:設定から抜粋

十三英雄:
御伽噺で語られる英雄。200年前の人? 構成メンバーは死者使いのリグリット・ベルスー・カウラウ、暗黒邪道師、魔法剣士、大神官、聖魔術師、魔法工(ドワーフ)、祖たるエルフの王族?、エアジャイアントの戦士長、暗黒騎士、白銀……etcetc。

※書籍三巻P231から抜粋

トネリコの枝を振り回して、幾多の竜を退治したゴブリン王、天空を駆け続けた有翼の英雄、三つ首竜(トライヘッド・ドラゴン)に騎乗した魔戦士、忠実なる十二の騎士と共に水晶の城を支配した姫君、などを。

※ドラマCD『封印の魔樹』
ピニスンが出会った七人組
「若い人間が3人。大きな人が1人。老人が1人。翼の生えた人1人。ドワーフが1人」


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悪夢と現実

カワウソの悪夢と現実

・ここまでのおさらい・
 50話を超えて、文字数は余裕で90万字超過。
 随分と長くなってしまいましたが、この物語は、
「バカな堕天使プレイヤーが、アインズ・ウール・ゴウンに挑戦し続け」
「彼がそのためだけに用意したと言えるNPCたちと共に」
「100年後の魔導国、ナザリックに挑戦する御話」


/Platinum Dragonlord …vol.02

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 カワウソは、相変わらず悪夢を見ている。

 かつての仲間たちに棄てられた、見限られた、裏切られた自分自身を、

 真っ黒な(おり)の底で見下ろしている。

 涙が出るほど滑稽で、薄ら笑いがこぼれるほど残酷な、過去の記憶。

 ここはいったい、どこなのだろう。

 この悪夢はいったい、いつまで続くのだろう。

 

 

  諦めればよかったのに──なぁ?

 

 

 振り返ると、黒い男の鬼貌が、醜い異形種の微笑みが、赤黒い円環を戴く復讐者が、カワウソと向き合っていた。もはや夢の世界では馴染みつつある堕天使の自分と、対峙する。

 

 

  あんな連中のことなんて、諦めて、忘れて、裏切ってやれば、よかったのに──なぁ?

 

 

 カワウソは頷く。

 彼の言っていることは正しい。

 こんな復讐(こと)を続けたところで、かつての仲間たちが戻ってくるはずもない。

 なのに、自分は、こんな愚かしい行いを続けている。

 何故か。

 何故なのか。

 

 

  そうすれば、おまえはきっと──。

 

 

 頷いて堕天使の自分に向かって歩を進める。

 そして、まっすぐに告げる。

 

「そうだな。──おまえの、言うとおりだ」

 

 臆することなく言いながら、その影法師の自分を引き裂いていた。

 いつの間にか握られていた白い剣が、黒い堕天使を斬り伏せたのだ。

 

「諦めて忘れて、見限って裏切って──」

 

 漆黒の闇の底で、無数に現れるのは、自分の影。

 本心や脳髄の奥深くで、判り切った事柄を繰り返す笑顔を、カワウソは打ち倒し続ける。

 切り裂いて、捻じ伏せて、突き穿って、殴り倒して、蹴り砕いて、

 何度も何度も、幾度となく自分を笑う自分自身を、殺し尽す。

 

「皆に背を向けて、引き返してさえいれば……」

 

 こんなことにはならなかったかもしれない。

 

「けどな」

 

 現実をすべて受け入れて、カワウソもまた事実を声に乗せる。

 

「俺は諦めない。俺は忘れない。

 引き返さないし、戻らない……」

 

 希望や躍動といった意気を感じさせない、機械よりも無機的で、空白よりもスカスカな声音。

 黒い夢の底で、カワウソは凶器を、狂気を、振りかざす。

 

「俺は、皆を──仲間(ナカマ)たちを」

 

 言って、カワウソは最後の堕天使を、袈裟切りに斬り伏せた。

 深紅の鮮血を流すのは、やはり自分の影。

 斬り伏せられるまま闇の中を転がる異形の狂笑を、カワウソは踏みつけるように……抱き締めるように……慈しむかのように、見下ろしてやる。

 

「──絶対に、裏切らない(・・・・・)

 

 俺だけは(・・・・)

 どこまでも無意味で、何よりも空っぽな誓言を紡ぐカワウソを、倒された堕天使の群れは憐れむように……あるいは誇るかのように……もしくは謳うかのように……笑い続ける。

 

 

  裏切れないの間違いだろう(・・・・・・・・・・・)

 

 

 血の涙と笑みを零す堕天使の骸は、ほつれるように表面が崩れていき、残骸の灰塊と化して、カワウソの身体に吸い込まれるような渦を巻く。

 夢の中の自分を、自分自身を斬り伏せたはずの掌を、カワウソは見下ろす。

 そこにあるのは異形種の、強欲にも復讐を望み続ける、堕天使の浅黒い掌。

 

 この夢を見ていると、しきりに考えてしまう。

 

 今の自分は、果たして、人間なのか。

 本名“若山(わかやま)宗嗣(そうし)”に相違ないのか。

 今の自分は、いったい──何なのか。

 

 答えのない自問を繰り返す。

 取り留めのない孤独の闇を、たった一人で歩き続ける。

 病的なまでに繰り返される悪夢の深部で、カワウソは、天を、空を、仰ぐ。

 

 遥かな高みに、震える手を伸ばす。

 そこにあるはずの怨敵の影に爪をかけようとする。

 溺れるような重い虚無と、胸を貫く空疎の中を、足掻き続ける。

 そこにいるはずの復仇の存在を求め、堕天使は澱の(そこ)から指を伸ばして──

 

 夢の終わりは、いつも通り。

 

 眼が眩むほどに暖かく清明な光が差し込んでくる。

 胸の空っぽを埋め尽くしてくれる──何よりも優しい、光──

 カワウソは、その光の源を見透かそうと、手をかざして、目を細めて──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 目を醒ます。

 白いベッドの上。真っ白い自分の部屋。寝乱れたバスローブ。

 あの重い悪夢が、欠片も思い出せなくなりそうなほど、眩しい朝日。

 ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の、第四階層にある屋敷──ギルド長の、部屋。

 

「はぁ……」

 

 最悪な夢が続いている。この世界──異世界に転移してから、いい夢というものからは縁遠い日々が続いている。いっそ眠りたくないと思うほどの悪夢の量だが、堕天使の肉体は、どうあがいても休息を求めるのだ。

 寝ても覚めても、悪夢は決して終わらない。永遠に。

 

「……最悪」

 

 ゲームで遊んでいた時のキャラアバター、堕天使の自分。同じゲームで造り上げた拠点NPCたちと共に、この異常な事態に遭遇し、判明した事実。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国。100年の時を歩んだ大陸国家。世界をひとつの旗のもとに征服し尽した、最上位アンデッド。ナザリック地下大墳墓と、その階層守護者やNPCたち。

 

 これが現実に起こっていることだと確信できる奴がいれば、そいつは間違いなく破綻的な思考の持ち主だ。ゲームと同じキャラや魔法やアイテムやモンスターや法則が生きる世界で、自分が“仇敵”と見定め、挑戦を続けてきた相手が君臨する世界が「現実だ」などと信じ込める奴は、どう考えてもオカシイ。

 

 そして、自分は……カワウソという男は、オカシイ思考の持ち主なのだろう。

 

「……」

 

 悪夢の中で眠り、悪夢に苛まれて覚醒する日々。

 ここ数日は、なかなか夢見が悪い。魔導国の襲撃や進軍は影も形もなく、逆に、その事実が怖気を誘うほど不自然に思えた。カワウソが数日前に、ナザリックの使者として契約を持ち掛けたメイドに言った布告内容と、その直後に行った上位アンデッド四体をブチ殺した案件を考えるなら、ここまで何も起こらないのは奇妙すぎるはず。ツアーとやら、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)のとりなしだろうか。

 もしくは、魔導国は積極的にカワウソを害したくない事情でもあるのか。

 あるいは、カワウソの行状を屁にも思わないほど、力の差が歴然としているからか。

 しかし、この件は深く考えても意味がない。「これから先、どうなってしまうんだ」と考えるよりも、他に考えておきたいこと──考えておくべきことは山積していた。

 

「どうなっているんだ──俺は?」

 

 カワウソは、繰り返される悪夢を思い出す。

 真っ黒い澱の底で、相変わらず咽び泣く男と、堕天使のプレイヤーが相対する、最悪の悪夢。ウンザリするほど繰り返される自問自答。夢の中にいる自分を、殺したいほどの殺意で眺め、実際に(ほふ)った回数は、数えるのも億劫になりつつあった。昼寝の仮眠で瞼を閉じただけ……ほんの十数分の休息ですら、長く黒い悪夢の襲来を覚悟せねばならないのだから、本当に、まいる。

 そんな夢の終わり方も、なんだかパターン化されているとわかっていた。

 黒い闇の底、澱の降り積もった水底に差し込む、太陽のごとく清らかな光。

 かつてカワウソの仲間だった(・・・)者たちに(いだ)いていた、憧れや愛おしさ……それらに近しい、どこまでも暖かで柔らかな、輝かしい煌き。

 その光に触れようと、少しでもその熱を長く感じていたいと、指先を伸ばして実存を確かめようとした……その瞬間に、いつも夢は醒める。

 あるいは、かつての栄光……皆との思い出……仲間たちの残り火が見せた幻想なのだろうか。

 それはまるで、神様に救いを求め、一心に手を伸ばした子供が、すげなくあしらわれるような、夢の終わり方。

 

「馬鹿馬鹿しい」

 

 ぽつりと呟く。

 神と呼ばれる存在など、カワウソはゲームの中のキャラでしか知らない。

 カワウソが修める信仰の力──それにはゲーム法則の根底に据えられた、「信仰の対象」となるものが必須。信仰系魔法詠唱者は仕様上、何かしらの「神」というものを設定上信仰しているシステムが、ユグドラシルには存在した。邪神にカテゴライズされる“始まりの血統、神祖カインアベル”などの雑魚イベントのボスをはじめ、ユグドラシルには数多くの「神」が(のき)を連ねていたのだ。NPCのレア種族でも、神はかなり強力なカテゴリに位置する。

 カワウソが(設定システム上)信仰する神は、『敗者の烙印』を押された“復讐者(アベンジャー)”に由来する存在。

 その他に例を見ない──他のプレイヤーにはまったく存在を認知され得なかった“復讐者”の神を信奉する種族こそが、カワウソの稀少なレベル構成の一角を担っている。

 しかし、だ。

 

「神なんているわけがない」

 

 カワウソが生きていた世界(リアル)において、宗教というのはまったく廃れた文化や因習、とは言い難い。クリスマスは相変わらず存在していたし、(さん)(にち)などで取れる新年の連休などは、もともと神社や寺への初詣(はつもうで)などをして過ごすことが多かった名残だという。少なくとも、環境保全が整っているアーコロジー内には、そういったモノもわずかながら生き残っているとか。

 だが、少なくともカワウソという人間は、神などという存在が本気で存在していると盲信できるような家庭環境ではなかったし、何より、その家庭というものは小学校卒業直前に、両親と死別したことで消滅している。葬儀にしても、一般的な直葬と共同墓碑に名を刻む作業程度で済んでいた。以後の生活は、就職した企業に依存することになり、……そういう意味では、会社組織という絶対者に盲従する信徒のような生活を送ってきたわけだが、それを宗教に当てはめるのは少しばかり強引に過ぎるだろう。

 この異世界ではどうだか知らないが、カワウソは神とやらに会ったこともなければ、会えるような気もまったくしていない。

 

「いたとしたら、そいつはとんでもないクソ野郎だな」

 

 カワウソは嘲るように笑う。

 こんな異様な世界に放り出して、高みから人を見下ろしている存在──神様がいたとしたら、自分は間違いなく怒り狂うだろう。

 ……いいや。

 むしろ感謝すべきなのかもしれない。

 笑顔で握手を求めてもいいのではないだろうか。

 こんな世界に放り出されたおかげで、カワウソはようやく、仲間たちとの、“かつての約束”を果たせるというもの──

 

「……どうしてこうも、考えが一方向に向かいまくる?」

 

 折に触れて思うことだが。

 自分の……カワウソの思考は、この世界に転移する以前よりも極端化している傾向が強い。そう自覚せざるを得ないほど、堕天使の脳髄は欲望や欲求に忠実であろうとする。

 これほどの状況……自己の生存すら危ぶまれるほど絶望的な局面なのに、どうして自分は、ここまでアインズ・ウール・ゴウンへの復讐を望むのか。望み続けられるのか。

 仮説としては、堕天使という種族……『あらゆる欲望に忠実である』モンスターの肉体が、カワウソの「復讐心」や「戦闘欲」と適合している可能性が挙げられる。

 いっそ狂気的なまでに、アインズ・ウール・ゴウンへの復讐に(はし)り、戦い争うことを求めて欲する思想は、異形種の堕天使が保持する欲深さや狂気の状態異常(バッドステータス)故か……はたまた、カワウソがもともと狂った人間だったから……「たかだかゲームごときで、“復讐者”のクラスを戴くようなプレイを断行できる狂人(バカ)だったから」なのか、傍目(はため)には判断が難しい。どちらかであるようにも見えるし、あるいは両方が“かけ合わさった”結果とも見える。

 答えは永遠に出そうにない。

 益体(やくたい)のない自問を切り上げる。

 ベッドから起き上がり、身支度を整えて眠気を拭い落す。顔を洗って歯を磨き、武装を身に纏って意識をシャンとさせる。最後に、堕天使にはありえない頭上の円環……いつも頭上で回り続ける、赤黒い世界級(ワールド)アイテムを手に取って眺めてみる。

 

「“これ”が役に立てば、言うことはないんだがな……」

 

 苦笑がこぼれる。

 悪辣な使用条件や、効果が微妙な“これ”を使うリスクを思う。

 ゲームでは大したことない結果しかもたらさなかった──『敗者の烙印』と同じ不名誉な証でしかないものだが、こちらの世界では少しくらい「いい感じ」になっていることを、願わずにはいられない。

 

 何しろ、この世界級(ワールド)アイテムの効果は、────。

 

 加えて、冷却時間(リキャストタイム)……「再使用までにかかる時間がクソ長い」という使用条件のひとつを考えると、実験程度で気まぐれに起動させるわけにもいかなかった。いざ不測の事態……何かしらの戦闘……この拠点に大軍が攻め寄せてきた際には、これに頼らざるを得ない状況も、確実にあり得るはず。

 実験と言えば、数日前にミカを利用して行おうとした──

 

「蘇生実験は不発に終わったし……」

 

 ためしにと、カワウソはアイテムボックスを開く。

 変わらずお気に入りの位置に置いている「あるもの」を避けて、武装関連の場所から手頃なサイズのナイフを取り出す。

 データ量はそこまででもない鋼鉄の塊、変光金緑石(アレキサンドライト)の柄頭を施された刃を、ゲームでの致命箇所(クリティカル・ポイント)である首──喉元にあてがう。

 一応、上位物理無効化Ⅲの特殊技術(スキル)は“オフ”にしておく。部屋にある姿見に映る自分の動作を確認するように、まっすぐな姿勢を保った。蘇生アイテムの腕輪が、浅黒い肌色の左手首できらめきを放っているのを、確認。

 (はだ)に触れる冷たい金属から流れ込むのは、畏怖の感情。死への恐れ。

 深呼吸をひとつ。

 あらゆる懸念を放棄して、ナイフを皮膚の下……血の流れる柔肉の奥深くに突き入れようと、両腕に力を籠めて──

 

「ッ……やっぱり、だめか」

 

 わかっていたことだ。

 こうなるとわかりきっていた。

 もう何十回も試したが、いつもこうなるのだ。

 体の中で強張っていた力を緩めていく。白刃は一滴の汚れも吸うことなく、小刻みに震えるでもなく、喉から数センチ前の空間で停止していた。

 カワウソは、ナイフを自分に突き立てられずに、硬直する自分を自覚する。

 ……自覚せざるを得ない。

 自分を「傷つけ殺す行為」に対し、まるで見えない何者かが、カワウソの凶手を掴んで自制を促しているような感じだ。無論、この部屋にはカワウソの他には誰もいない。隠形した存在など何処にもいないし、それを看破する指輪などをカワウソは装着している。

 奇怪な現象ではあるが、カワウソは自分で自分を害する行為──自殺自傷に、悉く“失敗”していたのだ。愛用している神器級(ゴッズ)の剣をはじめ、ほかにも鎚矛(メイス)大鎚(ハンマー)、モーニングスターなど、聖騎士の職業が装備可能な武装で試せる限りの行為を試しているが、どれもカワウソの意志通りには動いてくれなかった。また、狩りなどでモンスターなどに状態異常や致死を誘発するタイプの毒物を摂取しようとしても、同様に失敗し続けている。

 これは、カワウソの防御ステータスが働いたからではない。上位物理無効化Ⅲはオフにしている上、そのスキルはLv.100の存在には関係のない──Lv.60以下からの攻撃を無効にするだけの代物。ステータスが貧弱な堕天使だからといっても、一応、自分自身のレベルを考えるなら、まったく攻撃が通らないということはありえない。堕天使は各種攻撃にも脆い種族特性──斬撃武器脆弱Ⅳ、刺突武器脆弱Ⅳ、打撃武器脆弱Ⅲ、魔法攻撃脆弱Ⅳ、特殊攻撃脆弱Ⅲなど──ペナルティを帯びているから。

 いかなる武器を使っても、いかなる方法を試しても、カワウソは自傷自殺が不可能ということが、ここ数日の調査でわかっている。

 

同士討ち(フレンドリィ・ファイア)が解禁されているなら、これくらい、出来ても不思議じゃないだろうに……」

 

 奇妙な安堵感に頬が緩むのと同時に、この絶望的な状況から足抜けすることはできないという事実を、あらためて確認しておく。

 ユグドラシルにおいて。プレイヤーがプレイヤー自身を傷つける=攻撃することは不可能なこと。死亡によるレベルダウンを行おうとする際は、わざと強力なモンスターに殺される=自殺してリビルドをするのが頻繁に行われていた。ちょうど数日前、ミカに自分を殺させようとした感じで。実際、カワウソも幾度となく、自分自身のレベル構成をそのように変更してきた経歴がある。でなければ、Lv.100(カンスト)状態で与えられた特殊な種族や職業レベルを取得することはできない。

 しかし、この異世界で、どこまでも現実に近い筈の世界で、尚且つ物理や魔法などの攻撃に脆い堕天使であれば、自分で自分を殺す=自殺することくらい、普通にできてもおかしくはないはず。

 なのに、カワウソは、できない。

 まるで世界が、カワウソの死を拒絶するかのようにも思えて、奇怪だった。

 

「……何にせよ。俺は、この世界で戦うしかないわけだ」

 

 その事実を認め、堕天使は自嘲するように苦笑をひとつ。

 カワウソは奇妙なほど冷静に笑い、自分が自傷不可・自殺不可である事実を受け止め、その現象がいかなるものか、考えを巡らせる。

 堕天使のテキストデータ……設定に、そのような文言が刻まれていたのだろうか。あるいは、異世界の法則のひとつである「自分の職業では装備不可能なアイテムを使用しようとすると、手から取り落とす」のと同じで、プレイヤーは自刃することはできないという縛りでもあるのか。

 

「まぁ……できないものは仕方ないか」

 

 これでは、蘇生アイテムの起動実験は棚上げしておく他ない。

『カワウソを嫌っている。』NPCが殺害を躊躇した以上、他のNPCでは無理な相談だ。カワウソが召喚した天使モンスターにそれをさせようとしても、悉く拒否られて終わっている。

 実際に蘇生可能かどうか……アインズ・ウール・ゴウンとの戦いで必要になるはずのアイテムが機能するかしないかの確認はしておきたかったところなのだが、……なんだったら、これから会う予定の竜王とやらに頼むのも手か。

 ……いいや。

 

「やめておくか。ミカに怒られる」

 

 あの時。

 数日前に急遽実験しようとした時に見せた、女天使の真摯(しんし)な激昂を思う。

 

 自分のような堕天使──このギルドを、天使の澱のNPCたち諸共に、破滅の道へと衝き動かすクズの命まで、一応の創造主に対する敬意だか尊重だかによって、大切に扱おうとしてくれた心意気を、これ以上無為にするような行いは避けるべきだろう。

 だが、実際問題として、蘇生アイテムが使えるか否かわからないとなると、

 

「……あの、例のスキル……」

 

 実験に使ったナイフを収納するのと同時に、ボックスの中に仕舞われている動画映像のデータを取り出す。ダイニングの椅子に腰かけて、動画の再生ボタンを押した。

 その動画は、カワウソが“対アインズ・ウール・ゴウン”のために蒐集(しゅうしゅう)していたデータの一部。

 ソロで狩りをしていたプレイヤー・モモンガを偶発的な邂逅から追い詰め、PKしようとした連中が撮影していた(たぐい)のプレイ動画で、確認された彼の発揮した──謎の力。蘇生アイテムが機能しないのであれば、これへの対抗策がとりにくい。

 

 

 動画に映し出されたのは、死の支配者(オーバーロード)の姿。

 多勢に無勢。

 壁役の中位アンデッドが尽きかけ、危機的な状況に追い込まれたプレイヤー。

 ──次の瞬間、

 時計の文字盤が背後に現れ、

 逆向きに回転する針が12カウント目に達した時、

 あらゆる即死対策を貫通して、モモンガを囲んでいたPK連中を「即死」させた、異様な能力。

 種族特性やクラススキル、装備していた防具などに付与された即死攻撃耐性や無効化を、モモンガの即死能力は突破可能。

 

 

 話によれば、同じ状況で生き残れたプレイヤーに共通していた情報は、自動発動タイプの蘇生アイテムを所有していたというところで一致している……らしい。生き残った奴は訳も分からないうちに仲間が全滅してしまい、その隙を突いてモモンガの逆襲で殺されるか、あるいは彼の逃亡を許すかの択一しかなく、それ以上の詳細を知るものは現れなかった、ということ。

 

 死の支配者(オーバーロード)の異形種プレイヤー、モモンガ。

 

 彼を知らないユグドラシルユーザーは、よほどのご新規さんでもない限り、ありえない。

 国内で人気を博し、12年に渡って愛好されたDMMO-RPG。

 そのゲームの中で“伝説”と語り継がれるギルドを知らない者がいたら、それはとんでもないモグリ野郎だ。誰もが知っていて当然の、あの「1500人全滅」を成し遂げた異形種の集団──“悪”のギルドを束ねたギルド長。(くだん)の第八階層“荒野”の大逆転動画で、数多くのプレイヤーに、運営へ抗議メールをパンクするほど送り付けさせた組織のリーダーなのだ。彼の情報──実際の戦闘力は、有料の攻略サイトにて高値で取引されていたほどの稀少度を誇っていたが、悲しむべきことに、それも今や昔である。

 

 そして、この異世界──魔導国にて君臨する最上位アンデッドは、あのナザリック地下大墳墓の最高支配者だという、歴然とした事実。

 

「アインズ・ウール・ゴウンが、彼……モモンガだとすれば……」

 

 否。

 たとえ、モモンガでなかったとしても。

 彼と同じ戦闘力を保持する存在──ゲームデータの移植や再現だと仮定しておくのは、正しい判断であるはず。

 しかも、これだけの状況。プレイヤーであるカワウソと同じ(プレイヤー)が転移している可能性は高く、また、影武者としての人形や動像や変身モンスター、NPCのアンデッドという線は低いはず。

 

 何故なら、ナザリックに所属していたプレイヤーは41人。

 だが、ナザリック地下大墳墓が、プレイヤーの姿を模倣した影武者を立てられるというのであれば、モモンガ以外の40人が、影も形も現れないのは奇妙ではないか? アルフヘイムのワールドチャンピオン“近接戦闘職最強”のたっち・みーや、ワールドディザスター“魔法戦闘職最強”のウルベルト・アレイン・オードルなど、他にも在籍していた強力なプレイヤーの代替が、他にも君臨していて良いのでは?

 にも関わらず。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の頂点に君臨するのは、モモンガと同じアンデッドが、一人だけ。

 階層守護者たちは勢揃いしているのに、ユグドラシルで討伐隊が編成されたギルド──最盛期の構成員数は41人と、上限数100人を考えると多いとは言えないが、それでも“十大ギルド”に名を連ねた存在たち……残る40人の存在が、ここまで調べた限り、この異世界の国でまったく出てこない……政府組織や公立機関に在籍していないというのは、「魔導国にモモンガ以外のプレイヤーがいないことの証明」になりえた。

 無論、ナザリック地下大墳墓のNPCたちが、勝手にギルド:アインズ・ウール・ゴウンの名前を祭った最上位アンデッドを王座に据えている可能性もなくはないが、カワウソが自分のNPCたちに感じる印象から考えるに、NPCが偽物の君主を奉るというのは、あまりにも相応(ふさわ)しくないと思える。それだったら無理をしてでもモモンガ以外のプレイヤーの姿を模造・転写した存在……二重の影(ドッペルゲンガー)あたりを40人分用意すれば、事はすむのではあるまいか。彼等の事情など知ったことではないが、影武者を用意できるのであれば、モモンガよりも単純に強そうなプレイヤー……ワールドチャンピオンやワールドディザスターを用意しない理由は、おそらくないだろう。たとえすべての能力や強さを再現できないとしても、示威行為としては数を揃える方が圧倒的に有利──にも関わらず、いるのはモモンガと同じ死の支配者(オーバーロード)が一人だけ。

 

 そして、彼が、モモンガが、ギルド長故に「NPCたちにとって“特別な影武者”」というのであれば……

 

「どうして“モモンガ”と名乗らない?」

 

 何故、魔導王自らが、わざわざ“アインズ・ウール・ゴウン”と名乗る必要がある?

 国の名前がアインズ・ウール・ゴウンだからといって、国を治める王の名前まで同じにする意味を思う。

 

「彼がモモンガだったら、“アインズ・ウール・ゴウン”と名乗るのも……解らなくはないんだが……」

 

「いいや。そんな、まさか」とは、思う。

 そして、これは仮定や推測の域を出ない話。とりあえず、魔導王アインズ・ウール・ゴウンとやらと直接話してみないことには、なんとも言えない情報に過ぎない。

 NPC連中が強力な替え玉を乱造できないとしても、モモンガ一人だけを魔導王として信奉するのは、カワウソの状況と「まったく同じ」と考えるならば、ユグドラシルのゲームに唯一残留していたはずのモモンガ……終焉期のあのゲームで、わずかながらに目撃例が続いていたプレイヤーである可能性の方が、段違いで高いと判断してよいはず。

 

「仮定──アインズ・ウール・ゴウンが、モモンガであるとしたら?」

 

 (モモンガ)と戦うことは、ユグドラシルを続けてきたカワウソにとっては、宿願とも言える。

 カワウソはそのために、有料かつ優良な攻略サイトで情報を集めたり、モモンガを見かけたというスレの書き込みに飛びついては、情報のあったフィールドを狩場にしていた時期もあった。勿論、彼と出会えたことは一度もないし、悪質なスレで偽の情報をつかまされたことは、一度や二度ではきかない。

 

 すべては、ギルド:アインズ・ウール・ゴウン……その長として最後まで残った彼と、戦いたい一心(いっしん)で。

 

 そのために。ユグドラシル時代にカワウソは、ナザリック攻略と並行して、「対モモンガ用」にもレベル構成を考え、アンデッド対策として相応しい威力を持つはずの、今の堕天使の種族と、聖騎士などの職業レベルを獲得したのだ。アイテムなどもわざわざ課金してまでかなりの量を取り揃えており、今も左手の手首には死亡処理(デスペナ)なしで蘇生可能なマジックアイテムの腕輪(ブレスレット)を装備しているのは、そのためでもある。

 しかし、この世界でこれらが無用の長物になっているとしたら……

 

「悪く考えてもしようがない」

 

 蘇生アイテムの件は、とりあえず考えを保留。

 (つと)めて前向き(ポジティブ)な思考を優先。

 ここ数日、拠点内で出来た実験の中で、一番の成果といえば、超位魔法〈天軍降臨(パンテオン)〉の発動が確認できたことがあげられる。カワウソは劣悪ステータスで有名な堕天使である上に、純粋な魔法詠唱者のレベルは低いため、そこまでの魔法攻撃力は期待できない。だが、超位魔法が使えるのなら、〈天上の剣(ソード・オブ・ダモクレス)〉などの破壊特化や、強力な軍勢の召喚程度は、問題なく機能するということ。それと同時に、超位魔法の連続使用は無理などの、かつてユグドラシルに存在した通りの弱点も把握できたことは喜ぶべき成果だ。

 ただし。

 それがあのギルド、アインズ・ウール・ゴウンと名乗る魔導王と、彼の従えるナザリック地下大墳墓のNPCたちにどれだけ通用するのか考えると、どうしても頭を(ひね)るしかないが。

 

「……悪く考えるなって……」

 

 自分で自分を(たしな)めながら、それだけ状況が差し迫っていることを痛切に感じているのだと納得も出来る。

 何しろ、相手が相手だ。

 異世界に君臨する超大国──大陸全土を掌握した、あのアインズ・ウール・ゴウンが“敵”なのだから。

 これで希望を持つ方がどうかしているだろう。

 故に、今のカワウソは、希望をもって行動できる自分は、間違いなく、……おかしい。

 

「まだ。まだ、可能性はある、はず……」

 

 唇の端が、恐怖にか歓喜にか判らない感情で吊り上がる。

 震える拳を握りしめながら、昨夜も確認した今日の予定を、思う。

 これからカワウソは、魔導国のある場所へ赴くことになっている。

 天使の澱のNPC・ラファが差し伸べてくれた書状……状況に溺れかけた堕天使が縋りついた、一本の(わら)

 ボックスから取り出したのは、数日前に受け取った招待状……魔導国内で高い地位に据えられた竜王(ドラゴンロード)からの書状を、ダイニングチェアに腰掛け眺めること、数分。

 

「おはようございます」

 

 その時、扉の向こうから響くノック音と、女の声が。

 

「カワウソ様。起床のお時間になりましたが?」

 

 扉越しの声は、聞きなれた女天使のそれでは、ない。

 

「ガブか」

 

 どうぞと言って入室を許可する。

 城砦の防衛隊隊長の熾天使・ミカではなく、その補佐役の智天使・ガブの姿が。

 

「ミカは、どうし…………ああ、準備中だったか?」

「ええ。なので、私めが代行を──円卓での会議には出席する、はず、です」

 

 少し表情の暗い銀髪褐色の聖女は、言葉少なに頷いて、防衛隊隊長の不在を謝罪する。

 カワウソは思いだす。

 ミカは竜王との会談・招待に臨む前の準備を整えていると、ここ数日ほどはカワウソの世話に就くことが難しいと、目の前にいる隊長補佐のガブから、説明を受けている。

 ミカの能力は、NPCたちの中で断トツだ。唯一与えた神器級(ゴッズ)アイテムの存在もそうだが、熾天使の得意とする“正”の力に代表される加護や希望のオーラⅤ、信仰系魔法に聖騎士のスキル──さらには、ミカには“あるレア種族や職業”まで追加しているので、ナタと並んで高い戦闘能力を確保している。この拠点の最終防衛戦を任せるにふさわしい女天使は、カワウソと同様に、着実に準備を整えてくれているわけだ。

 この屋敷に常駐しているのは、NPCたち全員の隊長にして、この屋敷での最終防衛戦の“盾”となるミカと、メイド隊が十人。

 そして、異世界に転移してからの配置転換で、Lv.100NPCの何人かが時たま訪れることがある程度。なので、ガブがここへ訪れるのは珍しくもなんともない。

 数日前から、カワウソは特に疑問もなくガブの主張を受け入れ、ミカの準備とやらが整うまでの時間を許した。ミカ本人からの請願ではないという点は、わずかながら奇妙に思えたが、……やはり、あの時の身勝手な実験で、怒っているのかもしれない。

 

(やっぱり、もう一度あとで謝っておくか)

 

 何にせよ、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)なる人物に招待を受けはしたが「まったくの罠ではない」可能性は、低い。むしろ、こちらの戦力を分散させる狙いがあっての、途方もなく遠大で周到な計画の一環として、ラファに招待状を手渡された場合というのも、実際として考慮に値する。である以上、明晰な頭脳を誇るミカには、万全の態勢と準備で事に臨んでもらわなければ。

 

「……カワウソ様?」

「ああ、悪い。今、行く」

 

 応えたカワウソは、ヴァイシオンなる竜王からの書状を、ボックスの中へと仕舞いこむ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・疑問点・
自殺できないカワウソ。
書籍九巻、ガゼフとのPVPで、アインズはデータ量の少ない短剣で、自分の顔に攻撃を加えてみせた(ダメージは通らなかったが)。故に、自殺攻撃は不可能ということはありえない。アインズとは違い、今回のカワウソは自分を守るスキルをオフにし、あまつさえ彼の種族は斬撃攻撃に脆弱な堕天使である。


なのに何故、彼は自殺できないのか?


次回は近日更新します


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出立と試練

/Platinum Dragonlord …vol.03

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 黒髪に悪魔の角を宿す美貌の女は、純白のドレスを(ひるがえ)しつつ、心の底から愛し尽くす存在の、朝の支度に追われていた。

 

「いよいよ、でございますね」

 

 そう言って微笑む王妃の一人──最王妃たる女淫魔は、今日の当番メイドと共に、愛する主人の身支度(みじたく)を着々と整えていく。

 深淵よりも尚深い夜闇の空から糸を紡いだような漆黒の姿もよいが、アビ・ア・ラ・フランセーズのような豪奢で純白の姿も良く映える……否、ありとあらゆる色彩すらも屈服させ得る男丈夫は、一糸纏うことない姿──骨の総身をさらけ出すスタイルであろうとも、アルベドたちシモベらにとっては、それだけで絶頂ものの耽美(たんび)を醸し出す至宝の集約に他ならない。

 故に、この作業──愛する主人を着飾らせていただく栄誉は、アインズ当番という大命を仰せつかったメイドの絶対的な特権にして、数少ない自己実現の場とも言える。

 なので、アルベドは王妃と言えど、多くを口には出さない。

 今日の当番を務める一般メイドが用意した、よく手入れされ磨かれた究極の装飾を、殿方の不快にならない手裁きで、コーディネイトの手助けをしていくのみ。

 アルベドは、というか、他の妃たちも同様に、ほぼ日替わりで身支度の世話を整える役目を仰せつかっている。

 シモベであれば誰もが羨むほどの距離で、愛する御方にお仕えできる事実を、アルベドは腰の翼をはためかせながら、今日の当番メイドと共に、至福の時を噛み締める。

 

「連中が、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)なる勢力の首魁が、アーグランド領域にて、ツアーと会談する予定……ご命令の通り、アーグランド内のシモベ(NPC)たちは撤収し、残っているのはアインズ様ご謹製のアンデッドたち、魔導国の一般警邏兵のみとなっております」

 

 その支度の合間にも、アルベドは己に与えられた任務──「敵対組織」と化した100年後のプレイヤーたちの動静や、ナザリック側の対応について、逐一報告を述べておく。

 

「ナザリック外での政務……魔導国の国事行為関連については、引き続きアインズ様に変身したパンドラズ・アクターが代行を。“餌役”である彼に奇襲急襲をかけようという敵らしき存在はまったく確認されておりませんが、万が一に備え、パンドラズ・アクターの後方支援部隊は拡充済みです」

「ああ……」

「拠点のあるスレイン平野の監視の目は、例のごとくあれら(・・・)の一体が務めており、スレイン平野は現状、静穏そのものです。一応、姉さん──監視局局長たるニグレドの方も、クピドなる天使に気づかれたやもしれないアレ以降は、特に監視を探知された気配はないとのことなので、ご安心を」

「うん……」

「コキュートスは予定通り、子息であるカイナ、アンテノラ、トロメア、ジュデッカの四兄弟に、魔導国陸軍の四個軍に対する統制権を移譲。何かしらの不測の事態には、即座に対応可能な体制を整えております」

「……うん」

「それと、大元帥シャルティアの掌握統括する信仰系魔法軍と、マーレの率いる魔力系魔法軍、アウラが監督する強化騎兵聯隊について…………?」

 

 アルベドは主人の様子を(いぶか)しむ。

 そして、気づく。

 

「ああ……そうだな……」

 

 主人の口調は気もそぞろという具合で、心ここにあらずというありさまだ。

 アルベドは一秒の思考を要し、そして周囲の者たちに、命令を下す。

 

「ごめんなさい、インクリメント。皆と共に、少しだけ席を外してくれる?」

 

 アルベドは最王妃としての権限を行使し、この場にいるメイドと隠形中の護衛数体を一時的に引き払った。誰も抗弁することなく従ったのは、アルベドの強権力ではなく、主人の状態は、彼女たちにも理解できるレベルでおかしかったのだ。なので、王妃殿下に仔細を任せる以外の処方がないという判断に従ったまで。

 アインズの私室──支度の為の衣裳部屋で、アルベドは二人っきりとなる。

 

(昔の私なら、確実に押し倒しているところだろうけど……)

 

 アルベドは鋼の意志力で不動の姿勢を貫いた。

 夫に甲斐甲斐しく世話をする貞淑な妻は、愛する主人の言葉を待つ。ひたすらに、待つ。

 そして、アインズは目の前で行われたアルベドの行為──気遣いを、(あやま)つことなく理解していた。

 

「──すまんな。不安にさせただろうか?」

「とんでもございません」

 

 本音を言えば、不安にさせられたのは事実だ。

 この御方は、何かにつけて守護者統括だった女悪魔を不安がらせることが多かった。

 だが、それら事実すらも愛おしむように、アルベドはアインズの心情を看破していく。

 

「何か御不安なことでも?」

「ああ、いや。そんなことは、ない、ぞ?」

 

 これは嘘だ。しかし、そう指摘することは無駄だと心得ている。

 

「であれば。私が何か、御不快にさせるような働きを?」

「ありえんよ。おまえは100年もの間、いつだって私の為に、よく働いてくれている」

「……」

 

 本当に優しい。

 誰よりも何よりも尊く、そして狂おしいほど愛おしい。

 この不肖の身を妃の地位に──御身の傍に隣に侍ることを許してくれる男の優しさに、アルベドは身体の中心から、魂の奥底から、歓喜に濡れる。守護者統括としての地位を返上した女悪魔に対し、かわりに魔導国「大宰相」の役目を与えてくれるほどの優しさに──だが、感情の海に溺れて自失しているわけにはいかない。

 

「ただ、今日は──」

 

 短く告げられた言の葉の意味を、アルベドは深淵の水底から汲み取っていく。

 今日は、アインズが気にかけていた、あの者たちの、運命が決する時──

 

「アインズ様」

 

 故に、アルベドはあらためて、自分の位置を、立場を、想いを、克明にしておく。

 

 

「私は、あなた様を愛しております」

 

 

 愛する男が、ハッと息を呑んだ。

 アルベドは彼の胸元に手を添えて、そこに存在しない心臓の鼓動を感じ取るように、女の麗貌を寄せてみる。

 しかし……それ以上は望まない。

 これ以上は、いけない。

 肉欲に溺れるのは控えなければ。

 けれど、彼への愛だけは、確実に表明しておかねばならない。

 最王妃は、誇り高く告げる。

 

「あなた様がどのような存在(・・・・・・・)であろうとも、私は、あなたを愛しています。愛し続けます。愛させていただきます──ですから、どうか」

 

 アルベドは最早、アインズ・ウール・ゴウンを──モモンガを──“鈴木(スズキ)(サトル)”のすべてを、

 ──愛している。

 

 たとえ、この世界のすべてが彼の敵になろうとも。自分だけは、彼を愛し続けると、そう告げる。幾度も誓い続ける。これはこの100年で何十度も繰り返されてきた遣り取りであり、その一回目の時は……思い出すのも憚られる。

 だからこそ。

 自分がいるから、“不安”になどならないでほしいと、最王妃・アルベドは宣言する。

 

「どうか……もっと我儘を言ってください……あなた様の望むことを、私に教えて欲しいのです。無知で愚かな私に、あなたの望みを果たさせていただきたい……あなたのすべてを、お守りさせていただきたいのです」

 

 アルベドは、わかっていた。

 彼が、アインズが求め望むことを。

 100年後に現れたプレイヤー……あの連中のことを、今でもなお『惜しい』と悩み抜いている、事実を。

 

「ダメだな、俺は(・・)

 

 そう自らを評する夫の自嘲を、アルベドは黒い髪を振って否定した。

 

「100年たっても……いや、100年たったから、なのか。

 せっかく用意した計画も、ツアーとの契約──約束も、これで全部台無しになるのかと思うと……ああ、クソ」

 

 頭を掻いて頭蓋を揺さぶる主人は、不安や不快、不満というよりも、ごく浅い感情の振れ幅に翻弄されていた。そのような無様を見せることに躊躇がないのは、アルベドとの絆の深さを示している。

 もっとやり方は他にないのか、なかったのか。

 他の方法ならば彼等を──100年後のプレイヤーたちと、歩み寄れたのではないのか。否か。

 そう、魔導王たる者の口から言の葉を紡がせる感情の正体。

 

 後悔と未練。

 

 アルベドたちには及ぶべくもない話だが、アインズは、自分たちの“敵”と表明した──宣戦布告したはずの存在にすら、慈悲深い程の心情を(いだ)き続けている。

 それほどまでに、あなた様はお優しい……お優しすぎて、本当に、……愛おしい。

 いっそ奴らに嫉妬すらしてしまいそうなほど、アルベドの心中は穏やかな様から離れかける。しかし、自制せねば。

 主人は言葉を続ける。

 

「覚悟していたはずなのだが……いざとなると、自分の心ひとつ、まともに御することも難しい」

 

 アインズは正直に、内心にわだかまる感情を妻の一人であるアルベドに吐露していく。

 ツアーから、信頼に足る異世界の同盟者から、教えられて知っていた、100年周期に現れるユグドラシルからの転移者たち。

 アインズは彼等を利用するために(より正確には『協力したい』ために)、これまでずっと準備を整えてきた。

 素晴らしい魔導国をカワウソ達に教え、敵対することなく、穏便に丁重に事を進めようと、何もかもを手配していた。

 だが、何もかもが、どこかでおかしくなった。狂っていった。

 カワウソが派遣した調査隊の規模を見誤った──その調査隊は戦闘メイド二名と交戦し、状況を混沌化させた──そのため、カワウソを早急に魔導国内に組み込むことで、衝突の事実を何とか修正しようと、マルコに交渉を頼んだ──そうして、カワウソは、堕天使固有の笑みで、堂々と告げた。

 (いわ)く「アインズ・ウール・ゴウンの“敵”」と。

 ありえない弄言であった。

 しかし、それは事実だった。

 第八階層への“復讐”などという、狂気の企てに(とりつ)かれた堕天使の、宣誓であった。

 

「彼等は“敵”だと、わかっているのだがな……」

 

 アインズが「彼等」と呼ぶ勢力のことに心を砕いているのがわかって、アルベドは己の内にわだかまる熱を感じ取る。しかし、優しい彼であればこそ、己の敵にすら慈悲をかけるというのも、ありえる話なのだ。それ自体に不満も憤懣もない。

 アインズがそれほどまでに、カワウソ達に固執する理由──

 連中は、未だナザリック地下大墳墓に対して、決定的な損害を与えてはいない。

 戦闘を行った戦闘メイド(プレアデス)たちは傷ひとつなく凱旋を果たし、彼等との戦闘で勝ち得た情報は、万金を積んでも支払えない価値を持つ。

 連中の構成因子……外に出されたNPCたちは全員がLv.100である可能性。

 堕天使プレイヤー……奴が繰り出した、上位アンデッドを即滅させた、謎の能力。

 100年周期で異世界に現れる転移者たちの共通項……世界級(ワールド)アイテムという存在。

 

 自らを称して「アインズ・ウール・ゴウンの“敵”」と、そのように名乗った連中の首魁。

 だとしても。

 否。

 だからこそ。

 アインズは、最後に一つだけ、確かめておきたいことがあったのだ。

 

「アルベド。……もう一度だけ、俺の我儘(わがまま)を聞いてもらえるだろうか?」

 

 カワウソたちに対して、モモンとして接触を図るという我儘を通したアインズは、心の底から申し訳なさそうな調子で言い募る。

 女悪魔は、そんな愛しい男の望むことを、慈母のような微笑みで受け入れ、愛する主人の両手を握り、そのすべてを包み込む。

 

「ですが。私の方からも、ひとつ──我儘(わがまま)を聞いていただきたいのです」

 

 言って、悪戯っぽく笑う女悪魔は、シモベにはあるまじき我儘を押し通す。

 しかし今や、アルベドは魔導王の妃……彼の妻……真実、“彼の家族”の、ひとり。

 対するアインズは、微笑みを骨の顔に浮かべ、妻の願いを、家族の提案を聞き入れる。

 

 アルベドの女神を彷彿とさせる深愛に後押しされ、アインズは意気揚々と、とある場所へと赴く準備を始める。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 屋敷二階での朝食を終え、数日前と同じく一階の円卓の間に足を運ぶ。

 そこで長卓を囲み直立不動の姿勢を取っていたNPCたちが、一斉に膝を折った。

 臣下の礼による歓迎を、苦笑いと共に受け取ったカワウソは、自分のギルド長専用の席に着こうとする前に、気づく。

 動像獣(アニマル・ゴーレム)のシシやコマたちは拠点入口の防衛と、周辺警戒の任務で不在なのはわかっているが、もっともいるべき存在が、ひとり欠けている。

 

「全員、揃っては……いないな?」

 

 ほぼ全員の肩が微動する。

 ギルド長の右隣。そこにいつも佇むはずの黄金に輝く女天使が、不在。

 

「ミカは、どうした? 会議には出席する筈じゃあ?」

 

 準備中とは聞いていたが、一応この会議には参加するという話を聞いていた。ミカの意見を重宝するカワウソは、彼女の不在で生じるデメリットを危惧せざるを得ない。

 

「えと、その……」

 

 珍しいことに、しどろもどろという感じで視線を動かすガブ。他のLv.100NPCたちも目をそらすか、我関せずと言わんばかりに沈黙を守った。

 

「ええと、ミカはその」

「遅くなりました」

 

 カワウソの背後で扉を開き現れた声は、間違いなく、聞き馴染んだ熾天使の美声。

 だが、振り返ってみて、少し、驚かされる。

 

「……ミカ?」

「──何か?」

 

 清水よりも透き通って聴こえるはずの声音は、だが、遮蔽物越しのくぐもった感じが強い。

 それもそのはず。

 ミカは今、いつもは外気にさらけ出している女の美貌と黄金の髪を、完全防御武装の(ヘルム)で覆い尽くしているのだ。熾天使の壮麗な天使の輪だけは、変わることなく女騎士の頭上で輝き続けている。これは、転移して二日後の、沈黙の森で追われていた現地人のヴェルを救援する際に身に着けていたものと同じ。面覆い(バイザー)の奥に隠された女の表情は読み取れず、また、どうしてここで──別に戦闘でもない状態で兜を被っているのか、(はなは)だ疑問であった。

 そんな主人の声なき疑問に、ミカは即応する。

 

「これから、敵地といえる魔導国の土地を──アーグランド領域とやらへと侵攻するのです。完全武装で臨むのは、必然の措置だと判断できますが?」

「ん……ああ……なるほど」

 

 とりあえず納得を得たカワウソだったが、他のNPCたち……特にガブなどは、かなり動揺していた。小声でミカと何か言い合いをしているようだが、ガブはミカの二言三言で、即座に引き下がっていく。

 

「だが、“侵攻”というのは違うと思うぞ? 俺たちは一応、招待に応じて、竜王とやらに“会いに行く”だけだからな」

 

 無論、連中がそこで何か仕掛けてくる可能性も、十分以上にありえることだが。

 

「──それぐらい解っております」

 

 すねるような女の口調が、存外に明るく聞こえて安堵した。

 だが、実験の件を謝るタイミングを掴めずに、カワウソはとりあえず場の流れに身をゆだねるしかない。

 

「じゃあ。これで全員だな」

 

 あらためて席に着く。

 12人のNPCも、その後に続いて椅子に腰かけた。

 カワウソは全員を見渡して、すでに決まっていた事柄を簡潔に確認する。

 

「これから、アーグランド領域……ツアインドルクス=ヴァイシオンの招待に向かうメンバーは、予定通りだ」

 

 円卓の間に集合した天使の澱のNPCたちは、ギルド長のプレイヤー・カワウソ……黒い鎧に身を包む男の口上に、耳を傾ける。

 

「向こうの指定した人数4人と、拠点防衛用戦力のバランスを考えれば、これ以外の構成はない」

 

 と、思う。

 カワウソは、招待を受けた自分の護衛役に選んだNPCに呼びかける。

 

「ミカ」

 

 カワウソの護衛として申し分ない戦闘能力を保持するNPCの隊長。

 

「ガブ」

 

 ある程度の幻術などに対応可能かつ前衛職を与えた銀髪褐色の聖女。

 

「ラファ」

 

 ツアーと唯一面識を持ち、今回の会合を取り付けた功労者たる牧人。

 

「以上、三名を俺の護衛役につける。……異論はないな?」

 

 数日前に決定していたメンバー構成であるが、一応の確認も込みで、カワウソはNPCたちに意見を求める。

 そして、彼等は満面の笑みと頷きで、如何なる反論も持ち出さない。

 

 兜と鎧を纏うミカは、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)最高の“盾”。体力と防御力ステータスに傑出した存在であり、『防御役(タンク)』として必要な職種を多数保有しつつ、非常に強力かつレアな種族や職業レベルをカワウソの手によって施された、第一のNPCである。正の接触(ポジティブ・タッチ)や希望のオーラⅤなどの回復系スキルも充実しており、護衛として連れて行くのであれば、彼女ほど頼りになる存在は、他にいないだろう。

 

 いっそ煽情的な修道服を着こなすガブは、一応“女英雄(ヒロイン)”や“聖母(ホーリー・マザー)”の職を有することで『物理火力役』に相応しいステータスを保持しているが、同じ役目の近接戦闘職・戦いの申し子たるナタに比べれば、明らかに劣っている。精神系魔法詠唱者の“幻術師(イリュージョニスト)”“精神干渉者(マインド・インターヴィーナ)”などを収得・兼用している関係上、ナタほどに物理攻撃値は高くない計算だ(それでも、天使の澱の中では二番手につける格闘戦闘力を有しているのである)。

 

 ラファは旅の牧人(ハーダー)の姿だが、信仰系職業“大司教(アーチビショップ)”“枢機卿(カーディナル)”などを修めることで、『回復役(ヒーラー)』としての地位を確固たるものにしつつ、あらゆる戦闘をそつなくこなせる、典型的な神官戦士タイプ。が、それ故にラファは他のNPCのような突出したステータスというものはなく、よく言えば「平均的」、悪く言えば「地味」な塩梅(あんばい)に落ち着いていた。それでも、Lv.100のステータスは現地の有象無象と戦うとなれば、かなりの戦闘力を発揮可能。他者への「魔力譲渡」を行える神官の強みも合わさって、非常に有用な存在たり得る。

 

「──この城砦で、何か不測の事態が起こった際には、すぐに連絡を」

 

 その役目を遂行できる翼の巫女、天使(エンジェル)翼人(バードマン)のレベルを複合された褐色の乙女、マアトがしきりに頷きを返す。

 

「カワウソ様ー」全身鎧の機械巨兵が、確認の声をあげる。「万が一にー、こちらから連絡が出来ない……たとえばー、敵によって連絡が遮断された際にはー?」

「その時はウォフ、おまえの裁量に任せる」

 

 意見具申してきた巨兵に、すべてを一任する。場合によっては、拠点第一階層内に眠っている戦略級攻城ゴーレム“デエダラ”の本格投入も認可しておいた。隊長(ミカ)隊長補佐(ガブ)がカワウソの護衛につく以上、この配置になるしかない。

 城の防衛任務は、防衛隊「副長」の役を与えられた守護天使(ガーディアン・エンジェル)にして機械巨兵(マシンジャイアント)のウォフが務める。召喚師(サモナー)の職業を有するウォフの天使召喚能力と、その首にさげられた六つの宝玉に封じられた最上級天使六体は、なかなかに強力だ。軍団長(レガトゥス)征服者(コンクェスター)の職業は軍団を率いることに向いている。さらに、同系統の指揮官系職業を修めるイスラにも手伝ってもらう手筈だ。

 間延びした声は「かしこまりましたー」と言って、遺漏なく任務に励むことを誓ってくれた。

 

拙者(せっしゃ)らの周辺警戒については通常通りでよろしいのでしたな?」

「そうだ、タイシャ。なるべく、いつも通りを心掛けてくれ」

 

『句点を含まない早口』と設定した調子で問いかける男に、カワウソは応じる。

 斥候(スカウト)先兵(ヴァンガード)として優秀な警戒能力と敵感知スキルを誇る黒髪の僧兵──座天使(スローンズ)雷精霊(サンダー・エレメンタル)の種族をLv.10ずつ与えた男は、通常形態の今では信じられないだろうが、変身すると『魔法火力役』として最高値に位置するウリの次に強力な魔法攻撃ステータスの高さを誇る。

 魔導国──アインズ・ウール・ゴウンがこちらを監視下に置いているとは考えづらいが、連中の戦力を考えればそれぐらい出来て当然だろう。こちらが貴重な戦力を割いて、ツアインドルクス=ヴァイシオン……白金の竜王とやらに会いに行く隙を突いてくる可能性は、極めて高い筈。

 故に、カワウソは誤認がないように、共有情報を再認させる。

 

「今回の目的は、あくまで……あくまで、竜王とやらの招待に応じること。連中を撃滅することは主な目的ではない」

 

 無論、悪辣かつ周到極まる罠の可能性は十二分に存在する。

 だからこそ、カワウソは魔導国の研究や、この世界での実験の空き時間を可能な限り利用して、白金の竜王と面識を得ていたラファから、彼の情報を──主に戦闘能力や人格面などを中心に──聴取し、その対応策の構築を続けた。

 招待に応じ赴くための戦力は必要最低限……確実に必要そうなNPCだけを引き連れていくことをカワウソは決めていた。向こうから提示された人数に合わせつつ。

 有事の際には逃げ出せばいいし、逃げるとなれば大所帯で移動するのは避けるべきだろう。カワウソは自分を守る護衛の数もそれなりに用意した。盾として優秀極まるミカに、幻術対策は万全のガブ、そつなく戦闘をこなせる神官のラファもいるのだから、まず大丈夫なはず。

 何より、カワウソ達の留守を狙って、魔導国が強襲急襲をかけてくる可能性が大なのだ。拠点防衛用に必要な戦力は、城砦から離すべきではないと容易に思考できる。そのために、物理攻撃最強のナタ、魔法攻撃最強のウリ、他にも強力な軍勢を召喚使役できる者などは、確実に拠点防衛に残しておくべき備え。カワウソは速度特化の堕天使である上に、転移魔法を神器級(ゴッズ)の剣で行使可能。現在、動かす手段のなさそうな拠点──バカでかい標的となりうる不動の城を守らせる方にこそ、戦力を傾注すべきだろう。ゲームだと動かすことは不可能だったが、この現実のような異世界だと何とかできるかもしれないものの、そんな手段があるとは現状だと考えついていない。

 それら諸々の確認を終えたカワウソは、円卓の間の仕掛け時計を眺める。

 

「時間まで、まだあるか……」

 

 指定された時間まで、十数分の猶予がある。

 ふと、卓を囲み着席しているNPCたち……この拠点を防衛するため、カワウソが一からすべて創り上げた者たちを、眺める。

 

「……皆、最後に、あらためて聞いておく」

 

 カワウソは懸念していたことが、最後の最後に、ひとつだけある。

 言っていいものかどうか、聞いてしまってよいことかどうか、本気の本気でわからない事柄だが、それでも確かめておきたいことが、ひとつだけ。

 全員の視線が主人の顔に注がれる。

 

「……今なら。まだ、おまえたちは、おまえたち“だけ”は、生き残れるかもしれない」

 

 どういうことだろうと首を傾げるNPCたち。

 わかっていないはずはないだろうが……カワウソは、アインズ・ウール・ゴウン魔導国に対する、次善の策についても考えを巡らせていた。

 ミカは言っていた。

 降伏はありえない、と。

 カワウソもその意見には同感だが──それは、カワウソの敵対意識や戦闘意欲の他に、『相手がカワウソを、首謀者たるギルド長を許すはずがないから』という客観的な評価がこめられている。

 つまり、“カワウソだけ”は、どうあがいても生き残る道筋はない。

 であれば、……自分だけが死ねば、すべてうまくいくのではあるまいか?

 

「俺の首を、愚かにも宣戦布告したギルド長の“命”を差し出しさえすれば、おまえたちNPCは助かるかもしれ」

 

 バン!!

 

 という音が、広い空間によく響く。

 堕天使は思わず口を(つぐ)むしかない。

 叩きつけられた手甲の掌が、それ以上、カワウソの提案を聞き入れまいと、長卓を叩き打っていた。

 兜に隠された表情は窺い知れないが、女天使の眼光が、圧力となって感じられるような気さえする。

 

「──ミカ」

 

 隊長補佐(ガブ)が諫めるように、隊長(ミカ)の鎧の肩当を掴み押さえた。

 主人の主張する内容を理解し、絶句しかけたNPCたちを代表する位置にあるミカだからこそ、堕天使の暴言──自棄(やけ)っぱちな言動を拒絶できたようだ。

 ガブはミカを押さえつつ、彼女なりの誠意を言葉に変える。

 

「カワウソ様。差し出がましいことを申し上げさせていただきますが、あなた様を断罪し、おめおめと生き永らえるつもりなど、我々、天使の澱のシモベたちには──」

 

 ありえない。

 そう親身に、真摯に告げる聖女の言葉に、ラファが、ウリが、イズラが、イスラが、ウォフが、タイシャが、ナタが、マアトが、アプサラスが、クピドの全員が、はっきりと頷き、口々に戦意と笑気を口にしていく。

 だが、カワウソは首を大きく横に振る。

 

「だが。おまえたちは、俺の復讐……バカな試みで創り出された……あの第八階層“荒野”を突破するための、ひとつの可能性として生み出しただけ。俺が『アインズ・ウール・ゴウンの敵』と設定した──設定されただけの存在。だが、俺のやろうとしていることが、実際にうまくいく保証なんて、どれだけ探しても存在しない。失敗する可能性は十分以上。……だったら、せめておまえたちの方こそ、俺のことを棄てて、逃げ出した方がいいんじゃないのか?」

 

 今さらなことだが。

 カワウソは数日前、ミカに言われた“逃亡の可否”について、本気で思いを馳せていた。自分一人で。このギルドと拠点を──ミカや、ガブたちを捨てて、彼女たちにすべての後処理を放棄して。復讐も何もかも諦めて。仲間たちとの約束も誓いも忘れ去って。どこにあるのか知らない、安住の地を探す旅に出て……………………だが、どうあがいても、どれだけ考えても、カワウソの道のりは、あのナザリック地下大墳墓に、難攻不落と称されてしかるべきギルド拠点に向かいたいと、そう乞い願ってやまないのだ。

 

 あの悪夢で、自分を笑う自分を殺してまで、カワウソが望み続ける通りに。

 

 それに、自分はマルコに──ナザリック地下大墳墓からの使者たるメイドに、確実に告げている。

「アインズ・ウール・ゴウンの敵になる」と。

 そんな無知蒙昧、愚劣愚昧を極めたプレイヤーを、この異世界を統治する王が、国が、アインズ・ウール・ゴウンが、許してくれるものだろうか?

 答えは、(ノー)だ。

 

「連中……アインズ・ウール・ゴウンは、異形種のギルド。同じ異形種であるおまえたちなら、受け入れてもらえる余地はあるかもしれない。……だが、俺はダメだろ? おまえたちの(あるじ)であり、おまえたちを連中の『敵』として創り上げ、あまつさえ魔導国に敵対する姿勢を明言した俺は、この国を勝手に調べ、騒ぎを起こしたことに対し、確実に責任を問われる。──問われなければならない」

 

 部下の責任を取るのは上司の、トップに位置するギルド長の務め。

 そうあろうと努める。

 努める以外に、天使の澱のNPCたちに報いることができそうにないと、カワウソは本気で思いつめていた。

 しかし、

 

「カワウソ様」

 

 女熾天使の黒く染まったような声に見下ろされる。

 ガブの手を振り払い、立ち上がったミカの瞳が、面覆い(バイザー)越しに堕天使のそれをとらえていると、判る。

 

「あなたが数日前、私に御自身を討たせようとしたのは……そんなくだらないことが理由だったのでは、ありやがりませんよね──?」

 

 憤怒の炎に炙られた音色。

 だが、カワウソはきっぱりと否定しておく。

 

「いいや、違うな。あの時は、そこまで考えていなかった」

 

 ダメすぎる主人で、本当に申し訳なく思う。

 馬鹿な自分では、復讐や戦闘にのみ傾注し続ける堕天使の脳髄では、そんな先のことまで考えていなかった。

 だが、ミカが自分に反抗し、明確に否定してくれたことで、ある意味において視野が広がった。

 唯々諾々と、バカな堕天使に従う……従ってくれようとする忠節の徒・NPCたち。

 ミカは、その中で唯一の例外となってくれる存在。

 だからこそ、カワウソは自分の言動が正しいか正しくないかの、その客観的な意見や思考を確保できるというもの。

 

「おまえのおかげで……、おまえたちを生かすことを真剣に、俺なりに考えてみたんだが」

 

 カワウソを逃がすために、自分達の敵(アインズ・ウール・ゴウン)と戦うと明言してくれたミカが、(ひる)んだように言いよどむ。

 そんな女の震える肩は、怒りを噴火させ爆散させる直前の、火山の初期微動のようにも見えた。

 

「全員────本当に、それでいいのか?」

 

 最後に決議を求める。

『カワウソの復讐を、アインズ・ウール・ゴウンとの戦いを、支持するのか、否か』

 否であれば、天使の澱は、NPCたちを救命する嘆願を、これから会い見える白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に申告するのも辞さない。

 だが、NPCたちはわずかの逡巡もなく、カワウソの復讐を──アインズ・ウール・ゴウンとの戦いを、快諾する。そう克明に、鮮明に、一点の曇りもない宣誓と共に、賛同してくれる。振り返ると、そこに佇む扉番のメイドまでもが、大きく挙手の姿勢を構築していた。

 堕天使の濁った眼に、熱いものが込みあがりかける。

 

(わかってはいたけどな……)

 

 そして、

 

「……ミカも、それでいいのか?」

 

 最後に、カワウソは彼女の方を見つめる。

 立ち尽くしていたミカは、少しばかり兜の頭を振って、不機嫌そうに腰を椅子に落とした。

 

「止まっていただけないと、既にわかっておりますから……」

 

 数日前の実験未遂で、ミカは言っていた。

 

『ここまでやって、止まっていただけない以上、私はもう、何も言えませんし、言いません』

 

 あの時の女天使の表情を、カワウソは罪悪感と共に想い起こす。

 

『あなたが、そんなにも連中と戦って死にたいというのであれば、

 戦って……戦って……存分に戦ってから、死んでください』

 

 本当に、自分は愚かしい。

 だが、もはや、カワウソの道は確定している。

 これ以外の道はない。

 ──ありえない。

 

「悪いな、ミカ」

 

 短く零した謝罪と微笑の言葉に、ミカは何も反応を示さない。

 もっと、ちゃんと謝っておきたいところなのだが、顔の見えない相手の表情が気になって、うまく言葉にできない。

 

「カワウソ様。そろそろ刻限かと」

 

 ちょうどその時、ラファが椅子から立ち上がる。

 招待主から提示されていた時刻に近づきつつあった。

 

「じゃあ、全員指示通りに」

 

 ギルド長の出立を見送るべく立ち上がったNPCたち。

 カワウソはマアトが魔法で映し出してくれたポイント──白金の竜王から送られてきた指定場所に、〈転移門(ゲート)〉を開く。発動した感じ、何らかの転移阻害や妨害魔法の気配はない。

 

「では、まず我々が先行いたします。()(しゅ)よ」

「頼むぞ、ラファ、ガブ」

 

 頷く恋人たちは、それぞれの得物……旅人の樹杖と、近接戦闘者のグローブを身に帯びる。

 敵の罠であれば即座に引き返す・迎撃できるだけの備えがある二人が、門の向こう側へ。

 そして程なくして、ラファから〈伝言(メッセージ)〉が届いた。「周辺の安全を確認した」と。

 

「ウォフ、皆……くれぐれも、ここを頼むぞ」

「お任せくださいー、カワウソ様ー」

 

 NPCたち9人が口々に檄を飛ばした。

 その明るい声に背中を押されながら、堕天使は深呼吸をひとつだけ。

 

「いくぞ、ミカ」

「……了解」

 

 兜越しに承知の声をこぼすミカを連れて、カワウソは門に足を踏み入れる。

 

「お、──おおお?」

 

 現れた目の前の光景に圧倒された。

 ギルド拠点の景色から、外の異世界の大自然が、カワウソたち一行を迎え入れたのだ。

 

「ツアー殿、ツアインドルクス=ヴァイシオンから頂いた情報通りです」

 

 先行していたラファとガブが、合流。

伝言(メッセージ)〉の通り、敵の気配は一切ない。

 どころか、人の気配さえないのは、ここが尋常な人の往来を考えた土地でないことを証明している。イメージとして近いのは、飛竜騎兵の領地で観た、飛竜の発着場だろうか。ただし、あれよりもずっと巨大な生物が飛び立つのにふさわしい空間──大きな洞窟が、山腹の奥の方へずっと続いている。

 カワウソ達が指定されたポイントというのは、断崖の半ばにある窪みのような場所。朝の陽の光を燦々と浴びる岩壁には、巨大生物の爪痕のような凹凸が、無数に穿たれているのがわかった。

 あれはきっと、竜の爪がつけたものなのかもしれない。

 

「ここが……」

 

 アーグランド領域。

 別名を、信託統治領とも言うらしい。

 ずっと下の、数百メートル下の眼下に見えるのは、峻厳な尾根が緑の稜線を彼方まで描く、広大な大地。

 山麓には森と共存する人々の意気が根付いており、彼等は人も竜も等しく平和な日常を過ごしていると遠目にもわかる。魔法都市や飛竜騎兵の領地などでも見た、人と亜人と異形が共存する光景は、この土地ではあまりにも当たり前な光景──魔導国が台頭する“以前”から続いていた光景だと、いつだったか観光案内(パンフレット)の紹介文で読んだことが。

 旧名は、アーグランド評議国。数人の竜王たちによって統治されていたのだと。

 しかし、カワウソは自分の興味を鎮め、その光景とは逆の方向に意識を向ける。

 招待状に付随していた地図の通りに、カワウソ達は、進む。進まねばならない。

 断崖の窪みに穿たれた洞穴……竜が通るのにも使っていそうな巨大な通り道を、カワウソは四人で進む。

 洞穴は自然にできたものであるのか、あるいは巨竜が通りやすい感じで整備されているのか、実に通りにくい。巨岩や段差が多く、〈飛行〉の魔法でも使わなければ一直線には進めそうにない。だが、一応は警戒をし続けねばならない状況なので、魔法の使用は控えなければ。

 そうして地図の通り、油断なく洞穴を進んでいくと、巨大な門扉──宮殿の入り口が見えてきた。

 扉を見上げると、そこにアーグランドの、竜王の印璽が施されているのが見て取れる。

 左右を篝火(かがりび)に照らされる門の光景は、RPGの難解なダンジョンの入り口をいやでも想起された。

 

「門番は、いないのか?」

 

 これも地図の情報通りであるが、これだけ巨大な……巨竜が通るのにまったく支障のない、高さ数十メートルはする岩造りの扉は、この世界の人間では押して開けるのも不可能な重厚さである。

 さて、どうやって開けるべきか。呼び鈴なんてものもなさそうだし──扉を開錠、開閉するアイテムでも使うべきか?

 そう悩む間もなく──ガコン──と、扉が重い(かんぬき)を外す音を奏で、動く。

 そして、まるで見えない巨人の手によって開閉されるかの如き重低音を響かせながら、門扉が観音開きに口を開けていく。カワウソ達が通るのに支障ない程度に開いた扉が、ひときわ重い音を立てて、止まる。

 

「カワウソ様」

「用心しろよ」

 

 言われずとも警戒心を深めるミカたち三人が、一斉に頷いた。〈敵感知(センス・エネミー)〉の指輪を起動させつつ、魔法のトラップが発動してこないか、十分に調べる。攻撃のトラップは、なし。

 開いた門の奥は、漆黒の闇に濡れて見通しが効かない。闇視(ダークヴィジョン)の特性を帯びる天使種族ですら中を見通せないということは、ここには何らかの魔法──〈暗黒(ダークネス)〉の状態異常エフェクトでも機能しているのだろうか。

 ラファが先行を務め、カワウソがその後に続き、堕天使の死角となる背後左右をミカとガブが守りながら、奥に進む。

 洞窟の通りにくい高低差が嘘のように、真っ平に整備された石畳の上を、コツコツ、コツコツ、と四人分の足音だけが響き渡った。

 同時に、自分の心臓がやけに大きく響くのがわかる。

 闇を見透かすのに好適なランプでも使用しようかと思うほどの、重い静寂。

 ──誰も、いないのか。

 そう呟きかけた瞬間、背後の扉が音を立てて閉門していく。

 戻るべきか否か迷う間もなく、扉は先の動きからは想像もできない速度で、勢いよくカワウソ達を閉じ込めた。外れていたはずの閂が、再びかけられる音色が大きく轟く。

 やはり罠か、それともそういう仕様なのか、いまいち判断を付けかねた、

 その時、

 

 

『ようこそ。ユグドラシルプレイヤー・カワウソ。そして、その従者諸君』

 

 

 交響楽のごとく清澄に響く歓待の言葉と共に、重苦しい闇をパァッと照らす灯がともる。

 その空間は、まるで宮殿。

 白銀の巨大な一枚岩をくりぬいて築き上げたような、巨大建造物の、絢爛を極めた玄関ホール。

 

「ツアー殿か?」

 

 牧人の天使が声の主の名を呼ぶ先から、何者かがやってくる。

 ホールの奥には、竜が二列に並んで通れるほどの幅をもった階段が続き、──その巨大階段から、鎧姿の人物が、一段一段を、カツリカツリと踏み締め、降りてくる。

 案内人を務めた天使の男が警戒から足元の翼を広げ、ミカとガブもそれぞれの翼を伸ばした。

 

 ラファが冒険都市の大会で出会ったという、白銀の鎧。

 竜の形を意匠された、兜や肩の装飾が雄々しい竜鱗鎧(スケイルメイル)

 唯一の一等冒険者チーム“黒白”の片割れ──純白の竜騎士。

 

 周囲を浮遊し旋回する武装は、ひとつとして同じ業物(わざもの)は存在せず、剣、刀、槍、斧などが合計で四本。ナタの装備する浮遊分裂刃や、六つの増設武装群と似た感じだが、何か底知れないモノを想起されてしかるべき圧力を、堕天使の肌身が感じ取っていた。

 こいつは、強い。

 相手の力量を看破するアイテムを取り出し起動させるまでもなく、カワウソはそう結論できた。

 

 

『早速で悪いけれど……いろいろと、試させてもらうよ?』

 

 

 試す、と言われた堕天使たち。

「何を?」と疑念する間もない。

敵感知(センス・エネミー)〉の指輪が、圧倒的な敵意を知らせてくれる。

 

 竜騎士が片腕を振りかぶった先で旋回する武装が、

 

 

 

 

『さぁ──戦おうじゃないか』

 

 

 

 

 カワウソたちめがけて殺到した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ツアーの鎧や武器は、Web版と、劇場版総集編初出の、アニメ・オーバーロードⅡ第一話で披露されたものをなるべく参考にしています。


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白金の竜王と竜騎士

※「書籍11巻作者雑感」より抜粋
 ツアーとかは種族レベルに加えて特殊な(非常に優秀な)ドラゴン専用クラスを多数習得しております。その中にワイルドマジック関係もあったりします。他にも名の知れたドラゴンは成長段階で取得できる種族レベルの代わりに職業クラスを習得していたりしてます。


/Platinum Dragonlord …vol.04

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王は多忙を極める。

 そんな魔導王の傍らには、黒髪のポニーテールが麗しいメイドが付き従っていた。白黒の衣服に金色と銀色──卵の彩を思わせる装甲を纏う魔法詠唱者の左手薬指には、婚姻の証が煌きを放っている。

 

「こちら、議会にて計上・審議・認可された予算案の書類です」

「ご苦労。ナーベラル」

 

 大陸各所に存在する都市や領域の地方政務、王自らが執り行う演説や芸能者らを用いての国威発揚や祭典行事、臣民一人一人の適正診断を併用しての人的資源の効率的運用、冒険の果てや研究室の中で新たに発見される異世界の稀少物質や珍奇な代物、それらの活用法則の模索と探求──などなど、魔導国を預かる国主が目を配り手を配る事柄は、あまりにも膨大かつ多岐にわたる。

 政治。経済。医療。学問。芸能などの文化継承。冒険者や戦闘者などの育成と強化──何より重要なことは、平和的な魔導国の統治に関わる諸々を、アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちに見せて恥ずかしくない国造りのために、彼は優秀な人材を積極的に登用・抜擢し、この100年でほぼ完璧な布陣を整えて久しかった。魔導王が生み出す優秀かつ疲労摩耗することないアンデッドモンスターを大量に使役するのみならず、現地で「これは」と認められるだけの存在──英雄や傑物と言えるものも、魔導国の政務補佐や各公的機関、軍組織などに組み込まれている。

 

 それでも、魔導王は忙しい。

 いくら優秀な人材やNPCに恵まれていようとも、国家の主君たる存在は今日も今日とて、(まつりごと)の最終決定の権を行使せねばならない。

 じっくりと内容を吟味し、血の如く赤い魔導王の御璽を押された予算書類を、ナーベラルと呼ばれるメイドは(うやうや)しい手つきで受け取った。

 

「以上で、午前の政務は終了となります……魔導王陛下」

「よし。では、次だな」

 

 戦闘メイドに精査と捺印を終えた書類を預け、魔導王はすくりと執務机の席から立ち上がる。

 彼がいるのは、魔導国の最終首都防衛戦を担う土地──『絶対防衛』と銘打たれた城塞の中に築かれた、この大陸で一二を争うレベルの発展を遂げた巨大都市の政府庁舎、全面水晶張りの高層建築であった。この城塞都市の成り立ち上、この庁舎があった土地──政務地区と定められているこの場所は、かつてアインズが最初に親交を結んだ村の(あと)を、記念碑の形として残すのみとなっている。

 絶対防衛城塞都市・エモット。

 ここの初代都市長にして、外地領域守護者を拝命した人間の娘──女将軍のアダマンタイト像と共に、各種希少金属で建造された魔導王アインズ・ウール・ゴウンの巨像を戴く広場を有する庁舎建設の中──その最高の位置にあり、最大の防御に護られた、魔導王専用の執務室。

 三歩後ろに控えるメイドを連れて、最上位アンデッドの姿をした彼が向かうのは、第一会議室。

 黒髪のメイドが早足になる。輝きそうなほど磨き抜かれた扉を主人の代わりに開けるナーベラルに頷いて、魔導王は執務室内に控えていた近衛たち──その中で最も屈強な守護者に声をかけた。

 

「行こう、コキュートス」

「ハッ。御供イタシマス、陛下」

 

 例の天使共が、ここにいる彼……「魔導王の代行」に釣られた天使が現れても即応・討滅可能な能力と装備を有するLv.100NPCは、謹直な姿勢で、魔導王役を務める同胞に追随。

 この世界で最も尊き身である魔導王を護衛する腹心の部下、第五階層“氷河”の階層守護者、魔導国六大君主が一柱にして「大将軍」を拝命した蟲の王(ヴァーミンロード)が右後ろに続き、黒髪のメイドは左後ろへ。それ以外の政務補佐(アンデッド)近衛兵(ロイヤルガード)たちは、三名の前後を守る行列を構築した。おまけとして、隠形(おんぎょう)中のモンスターも周囲を警戒し続ける。

 この大陸内──この世界で最頂点に位置する存在の護衛や補佐として万全の彼等が到着したのは、庁舎内でもそれなりに頑丈かつ魔法的な防御を幾重(いくえ)にも張り巡らせた会議室の中だ。吹き抜けは高く、床面積も広い。会議室というよりも大広間として使用するのが相応しいだろう。壁一面を覆う硝子水晶から、朝の陽の光を浴びる城塞都市の威容が一望できる。

 そこに集まっていたナザリックのシモベ達……主に、コキュートス配下の近衛や将兵、それに混じって悪魔やアンデッド、混血種(ハーフ)などが、一斉に起立。

 

「ご苦労、おまえたち」

 

 言って、魔導王は手を振りながら最上位者の席……上座に腰を落とす。

 将軍たるコキュートスが王の右斜め前の席につき、メイドのナーベラルが王の左隣の席に納まる。

 

「では、始めるとしよう。

 第八回目となる議題“堕天使プレイヤーと、そのギルドへの対応について”だが、まず、おまえたち陸軍省の意見を聞こう」

 

 魔導王の号令と共に、議場の長い卓上に用意された書類へ、全員が手を(あるいは肢や触腕を)かける。

 この会議は、議題内容からも判る通り、ほんの数日前に「会敵」した“とあるユグドラシルプレイヤー”と“天使ギルド”に対して、魔導国が今後どのように対応していくか──軍事展開をしていくか、さらなる交渉折衝を試みるかの議を話し合う…………という名目で用意しただけの「舞台」にすぎない。

 全員が、いかにも真剣な語気と表情で喧々諤々の論議を紛糾させているが、実際には何の意味もない小芝居であった。

 アインズ・ウール・ゴウンの決定は、絶対。

 故に、100年後に現れた連中への対応協議など、基本無意味。アインズが紡ぐ一声に忠実であるシモベたちが、こんなところで議論を深めることには、差したる効果など無いのだ。

 だが、これは効果など無いが、意味ならば十分に存在する。

「連中のようなユグドラシルの存在がこのタイミングで現れるのは、“まったくの予想外”であった」とか、「“対応が後手に回ってしまった”のも無理がない」とか、ここに集うシモベ達は、事実と全く異なる──正確な情報を巧妙に隠すための文言を紡ぎ続ける。

 

「至高の御方に唾吐くがごとき行状は見過ごせん」「否。連中と、もっと歩み寄ることも必要ではないか」「連中の戦力が不明瞭に過ぎる。(いたずら)に手を出すのは、あまりにも危険だ」「何を言う! 我等ナザリック地下大墳墓こそ不滅不敗! 至高の御方々への忠節を示し……、──!!」「──、──、──?」「……! …………!?」

 

 つまり。

 これはポーズ……“見せかけ”の会議に他ならない。

 この会議を覗き見ているかもしれない勢力──あの天使ギルドの連中に、事実を誤認させるために。

 会議は平行線をたどり、様々な意見で収集がとりにくい状況を演出。これを、都合八回。しかも、各省庁に属するシモベたち(大半は名前すらないPOPモンスターによる替え玉が多い)にも意見陳述を許しているという状況設定なので、アインズ・ウール・ゴウンは決断と行動を鈍化しているように見えるだろう。

 ……もっとも、連中が警戒を深め、まったく城塞都市の覗き見を、この会議を監視するという蛮行を敢えて実施しないということも、ありえる。

 それでも、連中への対応策は、取り過ぎるということはありえない。

 相手は、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”を標榜する一味。

 油断や過小評価は禁物という、アインズ本人の言もある以上、ここにいる全員は本気で、連中を欺くための会議を断行し続けるのみなのだ。

 

 ──そして、この世で最も尊い御身……アインズ・ウール・ゴウン本人が、この程度の防御設備に身をさらし、実効力も不明な芝居演劇に直接参加する意義は、ない。

 

 本物たる父から代行を任された魔導王役の彼は、会議を総括する立場にありながらも、時を空費するがごときシモベたちの意見に、存在しない耳を傾き続ける。

 

「魔導王陛下は、どのようにご判断を?」

 

 普段とは全く違う呼び方──アインズでもなければ、彼本来の名前でもない──けれど、最上位者への呼びかけに相応しい呼称で、彼の補佐を務めるナーベラル・ガンマが意見を求める。

 

「皆の意見は、どれも理解できる。連中は、至高なる御──アインズ・ウール・ゴウンに対し、敵対すると放言した存在……」

 

 これを看過することは出来ない。

 そう率直に述べながらも、魔導王は連中に対しても一定の慈悲をかける可能性を告げる。

 

「だが。連中が未知なる状況に困惑していることは、先行派遣したメイド──マルコ・チャンの証言で明らか。今しばし……今しばし、対応を伸ばす猶予くらいは与えるべきかもしれない」

 

 まるで歌うような明朗な調べ。

 告げる内容はシモベにはあるまじき軟柔と難渋ぶりだが、これでこそ、この会議を覗き見ているものはこう思うだろう。

『アインズ・ウール・ゴウンは、まだギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に手を出せる状況ではない』と。

『アインズ・ウール・ゴウンは、自分達のようなものを許してくれるかもしれない』と。

『アインズ・ウール・ゴウンに降伏さえすれば、あるいは助かるのではあるまいか』と。

 舞台演者のごとく快活な台詞を紡ぐ王の姿は、見るものにはまったく慈悲深く、敵対することが馬鹿らしくなるほどの情け深さを演じきっていた。

 役者(アクター)の魅せた好演の完璧さ精巧さに、コキュートスが感心の息を吐き、ナーベラルが薔薇色の微笑を浮かべる。

 その時であった。

 役者たちの集う劇場内に、魔法の連絡が届けられたのは。

 

「うん? どうした、アルベ……ほう?」

 

 いずこからか届けられた〈伝言(メッセージ)〉を受信した魔導王は、納得の首肯を落とす。

 

「なるほど。わかった、皆に伝えておくとしよう。ありがとう」

「い、いかがなされましたか、パ──魔導王陛下?」

「フム……マサカ?」

 

 一抹の不安、胸に懐く危惧から、ナーベラルとコキュートスの表情が僅かに(かげ)る。

 魔導王に扮するアインズのシモベは、メイドと大将軍に重く頷く。

 

「ああ。“例の件”だ」

「……ナルホド。ヤハリ」

「ついに……ですか……」

 

 言葉少なに意志疎通を図る三名。

 魔導王の姿をしたシモベが、“例の件”と言った出来事を、ここにいる全員が理解していた。

 

 

 

 あの堕天使(カワウソ)が、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と、邂逅を果たしたのだ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

『さぁ──戦おうじゃないか』

 

 それは暴風雨の激突のごとき衝撃波と大轟音を伴った、攻撃。

 殺到した四本の武装は、過たずカワウソの周囲を守っていたNPC──ミカ、ガブ、ラファのもとへ差し向けられる。

 

「迎撃!」

 

 兜越しにミカの号令が大きく響く。

 カワウソを守るように、舞い飛ぶ四本からなる凶器の侵攻を阻む壁を女天使がスキルで築いた。

 だが、そこでありえない事象が起こる。

 

「なに……ッ?」

 

 太陽光のごとく燦然と輝く壁が、いとも簡単に突破されていた。

 防御が砕けたわけではない。ミカが展開した防御壁を貫通し浸透して、白銀の業物が三体のNPCを攻め立てたのだ。通常であれば、ミカの防御スキル……“太陽柱の盾(シールド・オブ・サンピラー)”に、あらゆる物理攻撃と魔法攻撃は阻まれるはず。たとえ、突破されることがあっても、太陽の光に満ちた盾の効果範囲を通過する内に、攻撃力が著しく減退するはずなのだが──あの浮遊し飛行する四本の武装は、そんなスキルなど知ったことではないと言わんばかりに、射出された際の威力と速度を維持し続けていた。

 女騎士の握った剣と盾が幅広の剣と尖鋭な刀を、幻影の拳を放つグローブが斧の重量を、朴訥な旅人の樹杖が槍の穂先を、それぞれ迎え撃つ。

 

「……チッ」

「な、何よ、これは!!」

「どういうつもりか、ツアー殿っ!?」

 

 三人ともが驚嘆と困惑に彩られた表情で、状況に対応。

 その間に、カワウソは白の聖剣と黒の魔剣を取り出し、虚空に円を描いて〈転移門〉を開こうと試みるが──

 

「やられたな」

 

 門は、転移の魔法は、一切まったく、機能しない。

 何度試しても、剣の能力は発動する気配を見せてくれない。

 この玄関ホール内……もしくは、この建物全域に、高度な転移阻害でも張り巡らされたのか。だが、ユグドラシルを基準に考えると、違和感がひとつある。カワウソは当然のことながら、転移阻害に対する対策や能力、アイテムを整えている。二本の神器級(ゴッズ)アイテムに備わった機能を考えるならば、次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)程度の妨害工作は突破可能なはずなのだ。

 しかし、剣は魔法を発動してくれない。

 これはどういうことなのか──答えは一つしか考えられない。

 

「アンタの仕業か……白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)?」

『さて、何のことだい?』

 

 とぼけた声は軽く響くが、それは強者の貫禄というものだろう。

 カワウソは結論する。

 優雅に歩を進める竜騎士の力を、推定。

 こいつは──この世界で見てきた、今までの敵の中で、最悪に──やばい。

 

 拠点にいるマアトたちと連絡は、……取らない方がいい。監視の目なども控えさせておいて正解だった。こんな得体の知れない敵を前にする主人の姿など見たら、彼等は拠点の防備など忘れて、こちらに強行突入してきたかも。そうなっては、拠点の人員が減る分、向こうの攻略難易度は激減し、魔導国の介入……侵攻軍などに潰され、すべてがパァになる可能性もあるのだ。

 絶対に、ここにいるメンバー以外の増援は望めない。 

 それが、カワウソの導き出した結論であった。

 

『そんなことよりも、いいのかい? 君の仲間たちがピンチだが?』

 

 舞い踊るように自動攻撃を加え続ける武装群……剣、刀、斧、槍の迎撃を続けるミカたちは、重く鋭い、甲高い金属の音色に攻め立てられ、一方的な防戦を強いられている。ミカは光剣の他に、この世界で初めて取り出した光の盾まで使用して、竜王の放った剣と刀の猛攻を本気で(しの)ぐ。ガブはグローブで斧刃や柄頭の一撃を巧みにいなし、ラファは槍に対応するには不向きにも見える樹の杖を見事に使いこなしながら、竜王の武器の群れを相手取る。

 三人のレベルを考えるならば、ただの自動制御──オート化された攻撃──に似た信仰系魔法だと、〈心霊武器(スピリチュアル・ウェポン)〉などがあるが、その程度の性能に後れを取ることはありえないはず。

 この異世界のレベル──魔導国の一般的な臣民が保有するレベル基準が低水準である事実を考えるに、このような拮抗状態を維持するはずはない。

 だとするならば、この武装の持ち主のレベルが、ミカたちのそれと同格である可能性は高い。

 というか、断定してもいいだろう。

 白金の竜王、ツアインドルクス=ヴァイシオンの能力は、カワウソたちLv.100と同等──あるいは、それ以上かも。ユグドラシルには存在しなかったが、この異世界で、Lv.100を超える存在というものが実現していれば、きっと目の前の竜王こそがそれなのやもしれなかった。

 

「ピンチを煽っている相手に言われたくはないね」

 

 それほどの相手に対し、カワウソは冷静さを保った。

 軽い口調で竜鱗鎧(スケイルメイル)の竜騎士を牽制。

 ツアーはまったく上機嫌な様子で肩を揺らすだけの反応しか返さない。

 実に余裕な態度であった。

 そして、カワウソは踏み込むべきか否か、判断を付けかねる。

 無手の相手──この世界の竜王──アインズ・ウール・ゴウンの同盟者とやらの攻撃力の高さは、ラファからそれなりの情報を得てはいたが、それでも、前に踏み込む勇気が、足りない。

 では逃げるべきか、というと──それは、ありえない。

 背を見せ、背後にある扉をこじ開けに向かうなど、論外だ。

 逃げようとした瞬間に背後から急襲されそうな、きな臭い空気を感じ取る。

 

『まぁ、それもそうだね』

 

 ツアーが何も持っていない右腕を振り上げた。

 途端、主人の声なき号令に打たれたように、四本の武装が勢いを増す。

 

「ちょっ、マジで!?」

「これ程、とは!!」

「……くそが」

 

 ガブとラファが純粋な驚嘆を表し、ミカは面倒が増えたことに対する苛立ちを募らせる。

 ツアーは三人の烈声に応じるように、さらに腕を振った──その時、

 

「な、何なに?!」

 

 智天使の聖女が愕然と声をあげた。

 斧を拳で弾き飛ばしたガブの足元から、得体の知れない金属の輝き──床面の石畳と思われていたそれは、白金の板金であった──が舞い上がり、乙女の体躯を包み込む。

 その輝きは瞬きの内に一つの形状を整え終える。

 成形された輝きは、巨大かつ純白の籠手。

 巨腕のごときそれに、ガブの腰から下がガッシリと掴みあげられていた。

 

「ば、馬鹿な!!」

 

 ガブは声を荒げる。

 創造主たるカワウソから与えられた装備によって、拘束耐性の魔法〈自由(フリーダム)〉の恩恵を受けている自分が、動きを完全に封じられていたのだ。NPCたちの認識だと、これはありえない現象のはず。高度な拘束魔法の気配などなく、純粋な膂力のみで、物理攻撃力──パワーに秀でたガブが拘束を受けるなど。

 そんな銀髪褐色の美貌を歪める智天使の頭上に、斧の重量が一直線に雪崩れ込もうとして、

 

「しッ!!」

 

 ラファの投げ放った杖が、聖女への一撃を弾き飛ばした。

 恋人からの救援に対し、だが、ガブは憤懣やるかたない様子で、中指を立てそうなほど吼え散らす。

 

「ちょっと!! これ、どういうことよ!! 聞いてないわよ、ラファ!?」

「すまない、ガブ。私にも何が何だか……いい加減、説明を願えますか、ツアー殿ッ!!?」

 

 否。

 こうなる予感も十分あった。

 このような戦闘状況に陥る可能性──罠の確率も大きいと判断していた。

 それでも。

 ツアーから招待を受けたラファは問い質さねばならない。

 襲い掛かる二本の武装──斧と槍を相手取る神官戦士、牧人(ハーダー)の姿を与えられた主天使(ドミニオン)が、手元に戻した樹杖の他に取り出した鉄槌で、応戦。

 この場所へ一行を連れてきた──主人たるカワウソの利となるだろう邂逅を手配したNPCにとっても、この展開は意想外の出来事といえた。

 冒険都市で出会った白金の竜王・ツアーの人格や人徳を考えるならば、このような騙し討ちまがいの戦いを──罠を仕掛ける可能性は低い、「ありえない」とは言わないが考えにくいと、そう判断していた。

 にも関わらず。現状は甚だ危険を極めた。

 白金の竜王の鎧……彼は怒気を表すラファの問い訴える内容に、清々(すがすが)しい語調で応じる。

 

『うん。言ったじゃないか? “いろいろと、試させてもらう”と』

 

 なので、君たちはしばらく邪魔しないでくれると助かるなどと、白銀の鎧は呟いた。

 

「じょ、冗談じゃ、ない!」

 

 ラファに護られるガブは、普段の神聖な笑みが嘘のような、獅子のごとき獰猛な憤怒を面に表す。

 

「こんな、金属の、塊、なんかで! この、私を、拘束して、おける、わけ……!」

 

 勇ましくも籠手の拘束を力押しでこじ開けようとする智天使(ケルビム)は、しかし、言った内容を遂行できない。

 

「くっ、そッ! 何よ、この籠手ッ……何で、私の、力で、破壊、できない?!」

 

 渾身の力を込めて、女英雄(ヒロイン)の絶大な強化スキルに任せた豪腕を発動するが、籠手の拘束から抜けるのに時間がかかりそうな具合である。ギルド二番手の物理攻撃力を有する彼女の鉄拳と腕力は、相手の武装が脆弱であれば、たった一撃・握力に任せた破壊行為で、すべて破砕できる性能を誇る。

 なのに、それができない。

 

『あまり暴れない方がいいと思うよ? 大怪我をするかもしれない』

「ッ、ふっざっけっんっなああああああああッ!!」

 

 グギギギギギ、と嫌な音を立てながら、純白の巨大な籠手が、その指先や関節が罅割れ始める。

 

『ああ……これは、あまり悠長にしていられないか──』

 

 な、と続く直前に、ツアーの鎧は上体をそらした。

 その心臓部──胸甲の隙間を突き穿つような黒い剣の軌跡が、一直線に奔っていった。

 ツアーが回避した攻撃の主、堕天使は巨大階段の上から、ツアーを見下ろす形となる。

 堕天使の奇襲にたじろぐでもなく、ツアーは微笑まじりの問いを投げてきた。

 

『君は、ユグドラシルプレイヤー、だね?』

「──そうだと言ったら?」

 

 応答を待つよりも早く、堕天使は両脚の足甲を再起動。

 黒い残光を引く影が、下にいる竜騎士の中心を蹴り穿つ速度で跳んだ。

 だが、

 

『なるほど。君は素早いようだ』

 

 直撃はなかった。

第二天(ラキア)〉の足甲は床の石畳を砕くだけで、気がついた時には、騎士の姿は数メートル先の位置へと逃げ果せた後だった。

 カワウソは訊ねる。

 

「俺の勘違いだったら申し訳ないが──俺たちは、アンタの招待を受けて、ここに来ているはずだが?」

『うん。その通りだね?』

 

 では、これは何だ。

 ミカたちを襲う四本の武装からなる剣戟の音色がホール内に響く。

 こんな戦闘が、この世界の竜の「歓迎の儀式」というものなのか。

 ──RPGなんかだと実際にありそうな話だが、現実にやられると迷惑この上ないのだが。

 

『何度も言っているけど、君たちのことを“試させてもらいたい”だけだよ』

 

 今後の為にも(・・・・・・)

 そう言って、鎧姿の竜王は攻勢に出る。

 堕天使は両手に握る片手剣──白と黒の剣を防御するかの如く交差させた。

 聖騎士の強化系スキルを全解放する──瞬間、竜鱗鎧(スケイルメイル)が、握りしめた拳を振り下ろせる至近にまで迫っていた。

 咄嗟に、足甲の超速度で回避。

 その速度のまま、竜騎士の背後へと回り込む。

 手中の剣を同時に振るい、真二文字の斬撃を、後背から首の当たり(クリティカル・ポイント)に加えようとした──

 

 その双撃を、竜王は振り返るでもなく、右の掌で掴み取る。

 ──二本同時に。

 

 マジか。そう唇が紡ぎそうになるほど精密な回避運動だったが、その反応速度は常軌を逸している。ワールドチャンピオン同士のPVP──トーナメント大会の動画じみた反射防御だ。

 

 カワウソは、己の配下たるNPC・ラファから事前に聞いていた。

 冒険都市で出会った、この鎧姿の竜王──ツアーの強さを。

 しかし、それでも、驚嘆を隠すことは出来ない。

 

『悪くない攻撃だけど──それで本気なのかい?』

 

 ツアーの兜がカワウソを振り返る。思わず剣を乱暴に振るった。ツアーは名残惜しむでもなく、カワウソの双剣を手放した。鎧の掌は傷ひとつ負っていないと判る。

 堕天使の基礎ステータスは、お世辞にも優れているとは言い難い。異形種の中では最低とも言えるほどの惰弱ぶりだ。格上を倒そうと思うなら、よほどの戦略と戦術──事前準備と属性相性の計算は必須となる。そんな種族になることをカワウソは決断して、熾天使からこの堕天使に“降格”を果たした。

 そのかつての判断が間違っていたとは、思わない。

 ……思わないが、状況は控えめに言って、マズい。

 カワウソは純白の聖剣をボックスに直しつつ、用意していた(ショートカット)装備を取り出した。

 ユグドラシルには種々様々なアイテム──武器が存在していた。魔を滅する剣や神を殺せる刀。人血を啜ることを望む斧槍や霊魂を貫ける特殊な弓矢。なかにはパーティーグッズじみたピコピコと音が鳴るハンマーやクラッカー爆弾など、バラエティ豊かな武装が。

 その中で、カワウソの長いユグドラシル生活で手に入れたアイテムは、運営の用意したボスイベントの景品から、上位ギルドの解散記念で払い下げられた神器級(ゴッズ)アイテム──通常モンスターが良く落と(ドロップ)した初期武装など、途方もない数にのぼり、ボックスに納まりきらないものはすべて、ギルド拠点の武器庫に預けなければならないほどの量と化している。

 そして、この竜王の招待に応じ──罠の可能性を当然ながら警戒していたカワウソは、それなりの準備を整えていた。

 ユグドラシルでの「対“竜”装備」──その一本を右手に握る。

 

「殺されても、文句はないんだよな?」

 

 とりあえず確認はしておくべきだ。

 相手は、この大陸を治めし大国の同盟者──信託統治者と呼ばれる、強大な竜王だと聞いている。

 そんな相手に、手加減をして勝てる見込みは薄い筈。そこらの一般臣民……Lv.20がせいぜいの強さしかない現地人と一緒にするのは、いかにも礼を失する行為。

 全力で挑むことが望ましい。

 堕天使が取り出した武器は、“竜種特効”の付加能力を帯びた名剣──『グラム』

 北欧神話に登場する「竜殺しの英雄・シグルズ」が愛用した武器が元ネタで、その英雄はドラゴン退治の物語で有名な存在だった。その英雄に扮したイベントNPCと共に、ファブニールという悪竜を討伐すると貰えるのが、このイベント達成アイテムであるわけだ。

 さらに、こういった装備品を自分の手で改造・改装していくことも、鍛冶生産職の手を借りることで可能。そういったことを専門に請け負うギルド団体──鍛冶職ギルドも存在していたし、その程度の改良ならばユグドラシルでは頻繁に行われていた。この剣はカワウソのカスタマイズで、竜種に対する特効を増幅させている。カワウソが竜狩りの際には必ず携行した代物である。

 

『ふむ──見事な剣だね。先ほどの聖剣より格は落ちるけれど、竜に対する特効でもあるのかな?』

「わかるのか?」

 

 竜という異形種は、全般的に財宝や装飾、調度品への執着心が高く、その巣窟には黄金と宝石が山となっているのが多いモンスター。

 種族らしい鑑定眼の持ち主は、カワウソの装備品をいとも容易く目利きしてみせる。

 確かに、この剣は竜への特効能力を持たせているが、神器級(ゴッズ)よりも二つほどランクは落ちるもの。

 カワウソが左手に握り続ける神器級(ゴッズ)の魔剣“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”は、負属性──正の属性に対する特効手段たりえる。見た印象だが、ツアーの属性(アライメント)は悪というよりも、善の方に傾いている気がした。鎧からこぼれる輝きは神聖な雰囲気すら感じさせる。中立である可能性もなくはないが、神器級(ゴッズ)の有する性能は他の武装に比べて、単純に攻撃力数値などを上昇させてくれるもの。ただでさえ弱い堕天使にとって、ステータスを増強する手段は豊富にあった方がいい。神器級(ゴッズ)装備はその代表格と言えた。

「神聖」な「竜」を殺すための武装としては、カワウソにこれ以上の組み合わせは、ない。

 

『では、こちらもなるべく全力で応じるとしようか』

 

 堕天使は応じる口を持たず、両手の剣同士を、キン、と重ね鳴らす。

 なるべくというのが引っ掛かる物言いだったが、竜王は即座に行動へ移る。

 寸前、

 

『おっと』

 

 竜騎士のもとへ清浄な光の束が、一直線に襲来。ツアーは、その攻撃を難なく弾き飛ばした。

 聖騎士の攻撃スキル“光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅳ”──その発生源である熾天使を見やる。

 

『強いね、彼女。僕の剣と刀を迎え撃ちつつ、君の援護を行えるとは』

 

 白銀の武装二本を、単体で同時に相手取り続けるミカが、攻撃の隙をついて刃と殺気を飛ばしていた。

 兜の奥の表情や視線は読めないものの、盾役の乙女は自分の任務をまっとうすべく行動し続けている。カワウソのもとに竜王の刀剣が殺到しないように。

 

「そりゃあ、強いだろうさ」

 

 自慢するわけではないが、ミカは特殊な存在だ。

 カワウソが製作したNPCの中でも稀少なレベルをいくつか与えた。熾天使以上の種族。タンク系に特化した職業(クラス)構成。異形種に対する特効能力を有する女聖騎士として、カワウソが与えられる限りの「すべて」を与えた存在。他のLv.100NPCよりも、レベルや装備や役職の面において、彼女ほどの優遇措置を与えた存在はいないと言っても良い。

 

 ──どうして。──それほどのNPCに対し、どうして『カワウソを嫌っている。』などと設定したのか。

 それは……信じた仲間たちに、裏切られ見捨てられ“嫌われた”過去がなければ、きっとそのような設定文を与えることはなかっただろう。

 自分が生み出し作り上げたものに対し、かつての仲間たちの面影を重ねるなど。

 いくら自分の知っている最適なパーティ構成が、かつての仲間たちのそれ以外に他にないと言っても、度し難い程の愚挙に思えた。

 

 それでも、カワウソは課金してまで、自分の仲間となるNPCたちを強化し続けた。目当ての種族や職業を引くためにガチャを回し、山のように積みあがった外れ景品を換金し続けた。花の動像(フラワー・ゴーレム)などの超レアを引いた時は、その場で飛び上がってしまうほどに喜んだこともあった。

 あの、第八階層を攻略するために必要な力まで、NPCのほぼ全員に、与え施した馬鹿さ加減に吐き気を催す。

 

『ラファたちの方も、もう少しで突破されそうだし──ここは、早く勝負をつけさせてもらうよ』

 

 戦局は徐々にではあるが、カワウソ達の方へと軍配が上がりつつある。

 ミカは単体でツアーの自動攻撃をしのぎながらも、主人への援護を飛ばすようになり、ガブは己を拘束する籠手を破砕する間近。ラファは傷を負いながらも、動けない恋人へ来襲する武装を弾き防ぐ戦いを継続中。

 なので、カワウソは時間をかけさえすれば、完全に事を優勢に運べる状況と言える。ミカとガブとラファが四本の武装を屈服・破壊し果せさえすれば、ツアーはカワウソたち四人を相手に戦い続けなければならない。

 ツアーが勝負を急ぐ理由。さすがにLv.100の存在を同時に四人分相手取れるほどの力量はないということだろうか。カワウソの強さはLv.100でこそあるが、そこまで卓越しているとは言い難い。カワウソの自己評価としての強さは、装備込みでも中の上。相性がよく、よほどの作戦と計算と運が揃えば、上の下にも食い込める程度。ミカはそれ以上の性能を発揮しうるが、NPCであるが故に「戦闘経験の浅さ」という不安材料はあるし、ガブやラファはお遊び要素が強いレベル構成の上、装備品も際立って優秀とは言えない。

 そんな四人を相手に、勝負を早めたいというツアーの意図を探る。

 

「こんな勝負に何の意味があるんだ?」

 

 思わず口を突いて出た言葉。

 堕天使の問いかけに、竜王の鎧は微笑むかのような仕草で肩を竦める。

 

『それを君が言うのかい、プレイヤーのカワウソ君』

 

 ツアーは確認するように首を傾げた。

 空っぽの器のようによく響く声が、問いを返す。

 

『……確か、“アインズ・ウール・ゴウンとの戦い”、“復讐”だっけ?』

 

 そう、ラファから聞いていたという竜王。

 冒険都市を訪れた新人冒険者たる彼の存在がNPC──ユグドラシルに関連するものだと結論付けたツアーは、だからこそ、自分の正体を明かして、ラファにここへの招待状を持たせた。

 

『彼に……彼等アインズ・ウール・ゴウンに刃を向け敵対する勢力……そう聞いていたからこそ、僕は君たちを試したい。──否』

 

 試さざるを得ないのだ、と竜王は告げる。

 ──だいぶ向こうの思惑がわかってきた気がするが、油断は禁物。

 それにまだ、カワウソはツアーを信用することは出来ない。

 剣を構えた姿勢を、一瞬だけ低くして、駆け走る。

 ツアーの鎧の中心を抉る斬撃……竜種特効の剣に乗せた、“光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ”による遠距離拡散の連続攻撃スキルを試みる。

 対して、

 

 

始原の魔法(ワイルド・マジック)────〈・・・・・・〉』

 

 

 悠然と両腕を広げる竜王の、前方の空間が、淡く、小さく……(ひず)む。

 未知の現象に、カワウソは慌てて攻撃動作を回避運動へと切り替えた。

 飛び退いた先で、竜王の眼前で発生した奇怪な現象を観察し観測し続ける。

 

「なんだ?」

 

 何の魔法か特殊技術(スキル)か、判らない。

 始原の魔法(わいるど・まじっく)──そんなもの、ユグドラシルに存在していたか?

 可能な限りユグドラシルの記憶を探ってみるが、そんなもの見たことも聞いたこともな

 

「「「 カワウソ様ッ?! 」」」

 

 突如として響いたのは、天使たち三人の、悲鳴じみた警声。

 そして、

 

『つかまえた』

 

 全身の皮膚が粟立(あわだ)つ。

 振り返ると、竜王の壮健な鎧兜が、カワウソの肩を叩いていた。

 ありえない。

 カワウソは、今、始原の魔法(わいるど・まじっく)とやらを、それを発動していたツアーを見ていた。なのに、気がついた瞬間、NPCたちが叫ぶのを聞いた直後──ツアーに背後を取られている、現実。

 幻術ではない。それならば、この場に連れてきた最高位の幻術使いたるガブがすべて無効化できる。転移魔法の可能性は、どうか。だが、カワウソが握る神器級(ゴッズ)の転移魔法に特化した剣で魔法が起動しないのは確認済み。カワウソと同じ超速度特化のステータスにしては、違和感が圧倒的に強い。

 起こった現象が理解できない。

 まったくの未知なる事象に、カワウソは心臓が止まりそうな恐怖に支配される。

 急展開過ぎる戦いについていけない。

 竜王の片腕には、それまで装備していなかったはずの武器が、一瞬のうちに握られている。

 それは、いつか見た、あの一等冒険者のモモンが握っていたそれと通じた──純白の大剣。

 片手に振りかざした武器を、竜騎士は躊躇(ためら)いなく、振り下ろす。

 白い光跡が、ツアーが掴み押さえた黒い鎧を、袈裟切りに引き裂いていた。

 堕天使の脆弱な身体は、その斬撃に、抗えない。

 

「があ、ぁぁぁッ!?」

 

 轟く苦鳴。

 (くぞお)れる堕天使。

 天使の澱のNPCたちが、絶望の表情で主人の名を叫びかけた。

 

『ん?』

 

 ツアーは瞬時に、自分が感じた、その手ごたえの違和感に気づく。

 堕天使の肉体は肩から胸へ大きく斬り伏せたはず……なのに、

 

「……」

 

 ──血が、一滴も噴き出さない。

 その事実を認識した直後、両断したはずの堕天使の肉体が、細かい灰の粒子のように、掻き消える。

 

『偽物?』

 

 正解を口にするツアーが振り返る。

 醜悪な面貌の堕天使は、そこに佇んでいた。

 

 ──それも、複数人。

 まるで鏡に映し出されたように精巧な像が、幾体も鎧姿の竜王を取り囲んでいた。

 

『なるほど。話に聞く、堕天使の能力だね?』

「……ラファにでも聞いてたのか?」

 

 一瞬、ほんの一瞬だが、ラファがやらかした可能性を想起せざるを得ない。

 だが、ツアーは首を静かに横へと振ってくれる。

 

『いいや。僕が個人的に集めていた情報のひとつだよ』

 

 堕天使Lv.13で獲得する特殊技術(スキル)──“欺瞞(ぎまん)の因子”。

 堕天使は、これといった攻撃用の特殊技術(スキル)を確保できない、劣悪な異形種。

 Lv.1で取得する“清濁併吞(せいだくへいどん)Ⅰ”──己に降りかかるカルマ値依拠のダメージや、正と負の属性から生じるペナルティなどを無とする特殊技術(スキル)から始まり、2レベル刻みで同スキルの上位バージョンを獲得。

 Lv.9で“清濁併吞Ⅴ”を確保した後、次のLv.11で“神意の失墜”というスキルを有するようになり、Lv.13を経て、最後にして最大のLv.15で、ようやく犠牲元になった天使レベルに則した攻撃能力等を解放できる“堕天の壊翼”を確保できる仕組みだ。

 そして、この“欺瞞の因子”は、主に回避スキルとして有用な能力を示す。

 

 堕天使は、多くの同胞を引き連れ、そいつらを率いて神への反抗を企てた存在──それ故に、高レベルの堕天使は「欺瞞からなる反抗と反逆の因子」を周囲に拡散し、自分と同じ堕天使を複数体生み出すことによって、自己に降りかかる脅威や戦禍を、他の堕天使に割り当てることができる…………ようするに、この特殊技術(スキル)は自分の“身代わり”になるための分身を生みだすのだ。

 生み出された分身──人造物(コントラクト)は、まるで戦闘機のチャフのごとく相手の攻撃を自分本体から逸らせることを可能にしている。だが、絶対とは言えない。あまり一戦で回数を使いすぎると敵が特殊技術(スキル)に慣れてしまうし、発動するタイミングが悪いと、本物を探り当てることも容易となる。おまけに、この分身は回避以外の用途には使えない……純粋な攻撃能力どころか防御すらも皆無なため、せいぜい敵の認識を攪乱するための“囮”程度の能力しか持ち得ないのだ。

 

 カワウソと同じ姿の“カワウソたち”は、ツアーに対して特攻じみた集団包囲攻撃を敢行するが、それはあくまで欺瞞……混在している本体の攻撃がどこから来るか不明にするための演出に他ならなかった。

 竜王はカワウソの群れからなる攻撃を、何の支障も感じていない様子で防御し回避し尽していく。

 その口から漏れる口調は軽く、重々しい雰囲気などとは無縁のままだ。

 

『やはり、ユグドラシルの存在は厄介だね。弱くなった僕ら竜王の力では、手加減して戦うのも難しい』

「ユグドラシル……手加減……」

 

 手加減というのは、先ほど言っていた『なるべく全力で』と似たような雰囲気を感じてしまう。

 ツアーが語る様々な情報を、カワウソは注意深く拾い上げることに努めた。

 

「アンタは、あのゲームを、ユグドラシルを、知っているのか?」

 

 ユグドラシルプレイヤーという単語を知る、この異世界の竜王。

 各種情報を総覧した限り、この魔導国が100年の歴史を刻む以前から、この世界に生きていたという白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)。ツアーは、はっきりと頷く。

 

『完全に──とは言えないが、ね。魔導王アインズや、僕のかつての友人から、情報を得ている』

「そうなのか……それを、その情報を俺に教えるつもりは?」

『──今のところは、ないね。けれど』

 

 この“試し”を何とか出来たら、それなりの便宜は図ると、そうツアーは約束を結ぶ。

 カワウソは頷き、竜種特効の剣を素早く振るう。

 

 鎧姿でいる相手・モンスターへの対応方法は、まず、堅牢な鎧の外装を引き剥がすことが有力な攻略方法として挙げられる。鎧で守っているということは、その下にある中身・鎧で覆い隠さねばならない肉体は、比較的弱く脆いものが大勢を占めている。

 なので、

 

「その鎧、引き剥がさせてもらう」

 

 そこにあるはずの素顔と肉体を晒しものにすれば、相手の防備やステータスを削ぎ落とす効果が期待できる。この世界に君臨する竜王の正体を、直に見てみるというのも悪くはない。

 

『君にできるかな?』

 

 挑戦者を見下ろす超越者のような笑声が耳を撫でた。

 カワウソは口内で、無言のまま応える。

「俺にはできない。

 堕天使の攻撃力やスキルでは、そんなことは不可能に近い」と。

 

 だが、ここにはカワウソ以外の存在……かつての仲間に似せて作った部下(NPC)たちが、いる。

 

 ツアーは怒濤のように攻め寄せ、その手に握る白い大剣(グレートソード)を軽々と振るって、カワウソの分身たちを薙ぎ払い、そのスキルの鏡像を灰燼へと帰す。

 

「力を借りるぞ、ガブ」

 

 言って、カワウソはひとつの魔法を発動。

 

「〈協調の成果(コーディネイテッド・エフォート)〉」

 

 唱えられた魔法よりも早く、竜王がカワウソの特殊技術(スキル)で築かれた群れを、突破。ミカやガブ、ラファたちの援護は間に合わない距離にまで詰まった。

 

『──!』

 

 振りぬかれた極太の刃が、堕天使の浅黒い肌を切り裂くよりも早く、カワウソは動く。

 ツアーの握る刃を、カワウソの右掌が無造作に掴んでいた。

 竜種特効の剣は、ひとまず足下に落として。

 そして、先ほどまでありえなかったような、堕天使のステータスには不可能だろう握力のまま、掴んだ大剣の白刃を、ほんの一秒で握り砕く。

 

『お、おおッ!』

 

 感嘆符が頭上に見えそうなほど率直な驚愕をツアーは声にするが、鎧の内の顔色は判るわけもない。

 カワウソは、自分にはありえないような運動能力──通常では考えられないような物理攻撃ステータスの上昇を実感。

 カワウソの発動した魔法。

協議の成果(コーディネイテッド・エフォート)

 仲間の保有する特殊技術(スキル)を自分の取得可能レベルなどの枠を超えて限定的に行使発動が可能になる魔法は、自分と共に戦ってくれる自軍勢力──仲間がいなければ、発動することができないもの。長くソロで活動してきたカワウソが、かつての仲間たちとユグドラシルを遊んでいた時の、その名残。

 その魔法によって、カワウソはこの場にいる──効果範囲内で拘束されている仲間──智天使のガブの保有するスキルの中で、敵の鎧に対する特効物理攻撃を、選択。

 敵の存在や武装を、問答無用で破砕し尽すための、力の集約──“唯の力(パワー・オブ・ワン)”。

神は我が力なり(ガブリエル)」という元ネタに因んだ強化スキル。

 カワウソの速度ばかりに気を取られ、接近戦を挑んでいた鎧は、事後行動に移れない。

 その隙を逃すわけもなく、カワウソは握った拳を、ガブの特殊技術(スキル)で強化され尽くした一撃を、竜王の鎧──その横っ腹へと叩き込んだ。

 ガシャンと白い金属が、鳴く。

 あっけなく分解し崩れ、留め金から割れたようにバラバラとなって吹き飛ぶ鎧装。

 そして、吹き飛んだその中身は、鎧の防御力に護られたことで、健在。

 まったくの無傷。

 鎧に護られた竜王を、中にいた人物を斬り伏せようと剣を振るおうとして──

 

「な?」

 

 カワウソは、千載一遇とも言うべき必殺の機会を得ながら、次の攻撃動作を取れない。

 左手に構えていた魔剣や、足元の剣を蹴り上げて攻撃に連動させる意気がなくなった。

 

 あらゆる敵意と攻意を喪失してしまうほど、その中にいたものに愕然となる。

 

 ──露になった鎧の中身。

 その姿を頭の上から爪の先まですべて確認して、カワウソは目を丸くする。

 

「え、と──これは?」

 

 竜王というからには、竜人とか、そういう感じの男が入っていると思っていた。

 白金の竜王が紡ぐ軽妙な口調は、それなりに年嵩のある男性のそれと符合していた。

 なのに。

 現れた鎧の中身は、まるで違った。

 

 白い髪を結い上げ、白い瞳を決然と細め、白雪のような純白の柔肌を纏った可憐な乙女が、バラバラに(はじ)けた、武骨で強壮で尋常ならざる竜王……その鎧の中に入っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ツアーの情報や設定については、書籍版の他に

※Web版・諸国-5より抜粋
 自らの直ぐ脇、そこにいるのはドラゴンが選んだ騎士だ。
 ドラゴンの鱗そっくりな白銀のスケイルメイルで身を包み、長い白銀の槍を携えている。ドラゴンをモチーフに作った鎧姿は、直立するドラゴンのようでもあった。

※Web版・大虐殺-4より抜粋
「まぁ今は中身が入っているみたいだがの?」
「そのとおりだとも。昔とは違い、私の騎士が入っているよ」

などの記述をもとに、100年後のツアーの鎧の中に、“中身になってくれる竜騎士”が入っている設定です。
あと、ツアーなどの「(ドラゴン)という種族」については、D&Dの方も参考にしています。


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白金の竜王と堕天使 -1

/Platinum Dragonlord …vol.05

 

 

 

 

 

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「ふーん。割とやるじゃんアイツら」

「……そうでありんすか、アウラ?」

 

 連中の動向を監視していたニグレドや混血種たち、さらには彼女らの補助要員として派遣されたナザリックのシモベたちもまた、とある連中の監視任務に動員されて久しい時が流れている。

 そんな同胞たちの仕事を邪魔しない位置取りで、──もっと言えば、彼女たちに何らかの反撃措置が降り注いだ際の迎撃要因として、共に連中の動向を把握するという大命に就くべく、この監視部屋の中に持ち込んだ休憩用の丸卓を囲んでいた階層守護者が、二名。

 魔導国“大総監”“陽王妃”たる闇妖精(ダークエルフ)、アウラ・ベラ・フィオーラ。

 魔導国“大元帥”“主王妃”たる吸血鬼(ヴァンパイア)、シャルティア・ブラッドフォールン。

 二人は最高級の紅茶をたしなみ、送り届けられる映像から観察できた戦闘内容について、Lv.100の存在としての議論──意見交換を交わす。

 

「私からしんしたら、あの程度の戦闘が本気だとすると、あまりにも底が浅すぎるとしか思えなんしが?」

「まぁ。それはそうだけどね」

 

 でも、とアウラは親友にして同じ王妃の位を頂く少女の軽率な思索を修正してみる。

 

「ツアーが今回“本気でなかった”ように、向こうも一緒で本気でなかった可能性もあるよね?」

「え……どういうことでありんす?」

「まったく──しっかりしてよ、シャルティア」

 

 闇妖精の乙女は、お茶菓子のケーキを優雅にフォークの先でサクサク切り分け、音もたてずに口へと運ぶ。子ども時代……100年前の元気いっぱいで、だが、乱雑かつお子様だった挙措が嘘のような淑女然とした様子で、アウラは王妃に相応しいものとしての振る舞いを見せる。

 そのまま、頭の弱い──だが、ナザリックで第一位の戦闘力を誇示する親友を、静かに諭す。

 

「覚えてないの? この間、アインズ様が派遣した上位アンデッド四体──死の支配者(オーバーロード)部隊を殺した時のスキルを、あの堕天使は使ってないんだよ?」

「……まぁ、確かに」

 

 無論、あの堕天使のスキル……死の支配者(オーバーロード)たちを“流血させ”“惨殺した”能力は、今の戦闘では「使用条件を満たしていなかったから発動できなかった可能性」も、大いにありうるところ。しかし、あえて堕天使が使わなかった──本気を出さずに、手加減した状態のツアーたちを打ち負かした可能性も捨てきれない。

 金色の麦穂を思わせる豊かな髪を肩まで流す闇妖精の少女は、他の可能性にも言及しておく。

 

「それに。あの堕天使は、ツアーが展開した転移系の“始原の魔法(ワイルド・マジック)”──その発動を警戒するだけの脳みそはある……つまり、考えなしに突進してくるタイプの戦闘狂ってことじゃないんだから、ただ単純に、ブン殴りにいけばそれで済むような“敵”じゃあないってこと」

「う、で、でも!」

「おまけに。ツアーの扱う武装──四本の業物はどれもが始原の魔法(ワイルド・マジック)製の稀少な遺物。ツアーが語るところの、『八欲王との戦い』以降は、指輪サイズの小物程度を創り出すのがせいぜい限界っていうくらいに力を失った魔法の、最後の財宝──そんなアイテムと正面切って戦って善戦できるとなれば、少なくとも私ら並みの能力は必須じゃん?」

 

 ツアーの用意した自動攻撃性能を有する武装に対し、あの天使たちNPCはそこまで後れを取ったという印象はない。純粋なユグドラシル産の武器やアイテムとは発生原因が違うツアーの武装は、ナザリックにとってもかなりの脅威として力を振るう宝重(ほうちょう)なのだ。

 それこそ、シャルティアが洗脳された折に──ツアーが鎧姿で接触を果たしたという、あの時に──ツアーはシャルティアとの不幸な遭遇戦で、鎧の一部を損失。始原の魔法(ワイルド・マジック)製アイテムの補修作業は、ほんの少しの規模でもかなりの力と時を費やすことになるという話。ユグドラシルの法則であれば、素材と金貨と魔法と特殊技術(スキル)などですぐさま創れるのだが、彼の武装はそのような物品とは訳が違う。──だからこそ、始原の魔法(ワイルド・マジック)製アイテムというのは、ユグドラシルの法則で生きるものにとっての脅威にもなりうる。

 故にかつて、ツアーは自分の鎧を傷付けた圧倒的強者(シャルティア)が、ユグドラシルからの来訪者であるという確信を懐き、それ以上の過度な接触と戦闘は避けざるを得なくなったことは、後に彼と盟を結んだアインズから伝え聞いて久しい。

 シャルティアは、アウラの言った内容に対し、ぐうの音も出ない調子で頷くしかなかった。

 それでも、親友はぽつりと反論する。

 

「チ、チビすけだって、この前はすぐにブッ殺しに行くとか言ってたくせに」

 

 慣習として“チビ”と言うが、100年後のアウラは、すでにシャルティアを色々な意味で凌駕している。身長とか──スタイルとか──。

 アウラは、それなりの実りを揺らすようになった胸元を、ほぼ無意識のうちに反らしつつ、数日前のことを思い起こす。

 

「ん。ああ……あの時は、ちょっと冷静になれなかったからね」

 

 愛すべき主人、そして、アウラが愛してやまない男──アインズ・ウール・ゴウンの厚情を無碍(むげ)にした、外の存在。

 あまつさえ、堕天使の口から漏れた目的──“第八階層への復讐”などというカワウソの発言は、アウラにとって、……否、あのかつての1500人の大侵攻で殺された「アウラたち」全員にとって、まったく看過しようのない事実を突きつけていた。

 

 

 

 

 

 100年後のアウラは思い出す。

 ──思い出さずにはいられない。

 あの第八階層に踏み込んだ、最初で最後の連中について。

 

 まだ、アインズ・ウール・ゴウン……モモンガのかつての仲間たる41人が健在で、お隠れになる前に起きた……あの、忌まわしい出来事。

 

 自分たちをナザリック地下大墳墓の守護者としての生を与え、『かくあれ』と創り上げてくれた創造主たち。

 

 それほどの存在を妬み、疎み、暴虐と奪略のために侵攻してきた大軍勢……あの“1500人”との死闘で、アウラたちは一度、ほとんど全員が命を落とした。

 

 第一から第三階層の“墳墓”を任されていたシャルティアを三度も打ち負かし、第五階層の“氷河”で数多の宝剣や神槍を振るったコキュートスを打ち倒し、アウラたちの第六階層へと侵攻した──プレイヤーたち。

 土足で神聖なナザリックの庭を踏み荒らしていく愚物ども。

 そんな連中を排除すべく生み出され、階層守護者としての力を授けられた、闇妖精(ダークエルフ)の双子。

 しかし、敵の規模と質量は、これまでの脆弱な小勢の比ではなかった。

 無残にも敗れ去りゆく、闇妖精(ダークエルフ)が率いた魔獣の軍団。

 アウラを庇って散った、フェンとクアドラシルの末期。

 姉を守ろうと防御と回復を与え続けた森祭司(ドルイド)を優先的に排除しようと姦計を凝らした侵入者の猛攻によって──アウラの弟、──マーレが。

 

『──お姉ちゃん!!』

 

 そう泣いて、叫んで、砕けた、マーレの姿。

 

『──、マーレッ!!?』

 

 アウラが指を伸ばした先で尽きていく、これまで共に在り続けてきた、双子の片割れ。

 これ以上などないほどの絶望と憤怒と悲嘆に、アウラの精神が蹂躙の坩堝に(おちい)った。

 たった一人となって、それでも、鞭を振るい、弓矢をつがえ、慟哭と咆哮をあげた最後の抗戦の果てに──双子たちが守護する第六階層“ジャングル”は、落とされた。

 

 アウラもまた、あの時に敗れ、死んだのだ。

 

 

 

 結局。

 あの時の大侵攻は、第八階層のあれら(・・・)とルベド、そしてヴィクティムの布陣によって、御方々の居住地たる第九階層へと至らずに済んだ。

 すべてが終わった後、死んだアウラたちは、慈悲深き御方々によって、復活を遂げた。

『よくやった』と労ってくれた。

『さすがはナザリックのNPC』と誉めそやしてくれた。

 そして、あろうことか、自分たちのような無能を──侵入者たちの攻勢に抗しきれなかったシモベたちを許し、アインズをはじめ御方々全員が、アウラたちを元の守護者としての役割を与えてくれたのだ。

 そうして、復活した皆が、誓った。

 

 今度こそ護り抜く、と。

 二度と失態は犯さない、と。

 

 その後、アインズ・ウール・ゴウンの強大さをようやく覚ったのか、侵入者たちの数と勢いは激減した。

 アウラとマーレがいる第六階層どころか、コキュートスの第五階層にすら、侵入し果せる敵は現れなくなってより、長い時が流れた。

 ……その間に、アインズを除くほぼすべての御方々が御隠れとなり、その果てに、この異世界へと転移を果たしたのが、100年前。

 この魔導国に、世界を征服したアインズが君臨してより、100年の後に現れた……あの大侵攻の関係者。

 1500人の討伐部隊のうちの一人であろうプレイヤー。

 名は、カワウソ。

 

 

 

 

 

 アウラは左右で違う瞳の色に、殺意と憎悪の(かげ)を差し入れる。

 

「──あの堕天使が、私たちを、……マーレを殺した奴の仲間だったのなら」

 

 まるで闇妖精の怒気が、殺気が、濃密な瘴気のごとく辺りに立ち込める。陽王妃たるアウラを知るものには馴染みにくい、度外れた敵意と戦意と悪意によって、この場にいるシャルティア以外の存在を、一様に委縮させてしまう。彼女が無自覚に放った、甘い香りのスキル──絡みつくような“恐怖”の効果だ。

 

 絶対に、許さない。

 許していい筈が、ない。

 

 けれど、アインズは今も尚、カワウソたちを救命し、協力する手段を模索している。

 それは“彼等の為”というよりも、自分達ナザリック地下大墳墓と、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の、“アインズたちの今後の為”に、必要な措置であった。

 それは解っている。

 それくらい、王妃の一人として当然知ってはいるし、理解もしている。

 解っているからこそ、アウラたちは強硬な反対姿勢を取ることはない。

 判っていても、カワウソとやらへの疑念と懸念は、まったく拭いきれない。

 シャルティアの記憶している限り、見た覚えがない堕天使プレイヤーの姿は、おそらくあの討伐行に失敗した後に獲得したもの。

 アウラにしても、あんな醜悪で怪異な、浅黒い人間の顔に、漆黒の虚のごとき隈を刻み込んだ男の相貌は、とてもではないが忘れられそうにない類に位置する。デミウルゴスなどが記憶している侵入者の顔……討伐隊とやらの連中が撮影し残していた動画(もの)を、ナザリックの図書館で保管されていた記録(それ)を、アインズの許可のもとで拝見して再精査までして、同じ顔が存在しなかったことは確認済みの事実。

 

「これ、アウラ」

 

 パチン、と少女の額を中指で軽く浅く弾く音が。

 

「イタッ!」

「少しは冷静に、ものを考えなんし」

 

 言い含めるシャルティアの表情は、信頼に満ち満ちた、同胞の不注意を窘める色合いに溢れていた。アウラからこぼれていた甘い恐怖の香りがパタリと途絶える。

 別に痛めたわけでもない額を押さえつつ、アウラは抗弁を吐き出した。

 

「ちょ。あんたが、それを言うわけ?」

「わた……わらわだからこそ、目先の事柄に囚われ過ぎるなと、そう忠告しているでありんすが?」

 

 その言葉に込められた重みに、アウラは憮然となるばかり。

 

「……まぁ。確かにね。あいつらが、あの堕天使が、私たちを殺した連中の一党だったとしても、それよりもまず、優先しておかないといけないことがあるわけだし」

 

 アウラたち自身の悲憤や怨恨などよりも、もっと肝心で、もっとも重要なこと。

 

「至高なる御身を御守りしんすこと」

「うん。そして、アインズ様の望むことを成し遂げること」

 

 王妃たる二人、微笑みあう乙女ら、Lv.100NPC両名の想いは、確実に合致していた。

 この100年。創造主たちに『かくあれ』と定められた関係も、それなりの進展ぶりを遂げて久しい。

 同じ“男”を愛し、愛される者としての関係。

 そんな同志にして同士の意見は、ある方向に終着を見る。

 

「いずれにせよ」

「あの堕天使たちは、油断ならない“敵”ということでありんすね」

 

 今回の戦闘でのツアーは、まったく本気で相手を潰す気がなかった。

 そんな気があれば、白金の竜王が有する最大火力の始原の魔法(ワイルド・マジック)──周辺地域への被害をものともしないで放出した場合に生じる、大爆発の閃光は、アウラやシャルティアたちLv.100NPCでも命の危険に陥るだろう規模の破壊と暴性を可能にする。

 幸い、アインズとツアーが共闘関係を結び、両者が同盟を交わしたことで、彼の竜王の繰り出す焦熱が、ナザリックの存在に対して害をもたらしたことはなかった。

 それでも、その威力を、その大破壊の実現を、一度だけ直接目にする機会はあった。

 あの“スレイン平野”での「事件」で。

 

 そして、竜王たるツアーの性能は、本気は、あの程度の戦闘では済まない領域に位置する。

 堕天使が握り砕いた得物が……魔導国より支給された、最高位の冒険者に下賜される大剣が、もしもユグドラシルの存在では抗するのに不安がある“始原の魔法(ワイルド・マジック)”製の武器であったら、カワウソは白刃取りに成功することなく、確実に片腕を失っていたはず。

 一応、始原の魔法(ワイルド・マジック)の力を、ユグドラシル産の最高位の装備類──神器級(ゴッズ)アイテムなどは完全に防御してくれるが、あの堕天使たちの貧弱な備え……素手などでは、かなり危うい状況だったと言わざるを得ない。

 本当に運がいい。

 

「ツアーの鎧の中身──竜騎士の異能の力まで発揮されていんすのに、なかなか一筋縄でいかなそうでありんす」

「確か今の竜騎士は、“相手を拘束することに特化した”この世界の異能力使いだよね?」

「竜王の鎧に適合できる存在は、稀少。それ故に、竜の鎧の中身を加えることで、単純な戦力強化にも使える仕組みでありんすからね」

「うん……それに、あの堕天使。堕天使のくせに、やたら強い感じだよね。特に、あのすばやさ。天使のNPC(シモベ)から強化を受けていると仮定しても……信仰系魔法かなんかで、何かの加護でもくっついてるのかな?」

「ふむ。同じ信仰系魔法を嗜む身としては、神とやらの力など、至高の御方々の足元にも及ばぬと思いんすが──、それよりも気になるのは、あの女熾天使……」

 

 シャルティアの信仰対象は、始まりの血統・神祖カインアベルだが、アインズ達41人が赴いた“ざこいべんと”の“ぼす”に過ぎない。それと同じように、カワウソが信じ重んじる神とやらの程度もそこまで重要とは思われない。少なくとも、シャルティアたちの認識の上では。

 そんな目に見えない脅威よりも気がかりなのが、兜と鎧で全身を守る、六翼を広げた女天使の、あの輝きの力。

 ミカとかいう熾天使の垂れ流す、希望のオーラのスキルが、シュルティアには甚だ脅威的に思える。

 自分たちの主人が誇る絶望のオーラと同格(認めたくはないが、それと同程度)の力を行使する女の存在が、完全に目障りでならなかった。

 

「飛竜騎兵の領地でも見たけど──本当に、大丈夫かな?」

「ふむ。今のアインズ様であれば、心配無用でありんしょう」

 

 現在、ナザリックに籠っているべき御身──愛する殿方の我儘を聞いていた二人は、主人にして夫の采配に、不安など無い。

 この100年の歴史が、ナザリック地下大墳墓の栄光の歩みが、彼女たちが信じるに値する結果であり、すべての結論たりうる。

 

 アウラとシャルティアは、カワウソが竜騎士の鎧を砕いてみせた(というか、あれはツアーが自分で分割して、内部に到達するダメージを発散して逃がしたのだ。でないと、あそこまで派手に分解されるはずがない)間も、監視任務の合間に設けたティータイムを、共に(たの)しみ続けた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ツアーからの“試し”とやらで、カワウソたちは完勝を収めていると言ってよい。

 ミカやラファを襲う四本の武器は床の石畳に落ちて突き立ち、ガブを拘束していた巨大な籠手は、もとの白金の板金に戻って散乱している。三人はようやくカワウソの前後を守るように布陣し直し、カワウソと共に、竜王の鎧の中にいたある者を見つめて、素直な驚嘆を露にする。

 カワウソは事実を確かめるように、鎧の中から現れたものを、呼ぶ。

 

「アンタ……いや、君は、……女の、子?」

 

 年のころは、高く見積もっても、二十代そこそこ。

 竜騎士の鎧の内にいたのは、見目麗しい純白の髪の乙女だった。

 まるで人形のように可憐かつ細美な姿で、自分が一糸纏わぬ白い女の裸体を晒していることにも頓着していない。

 羞恥に頬を染めるでもなく、激昂に瞳を潤ませるでもなく、ただ、自分がこの場にいる者たちに『敗北』した事実に、自分を守ってバラバラになった鎧の部品を抱いて、竜騎士は一言だけ呻く。

 

「申し訳ありません。ツアー様(・・・・)

 

 その声は清廉潔白。湧き上がる泉の水のように、どこまでも透き通って聴こえる。

 どう考えても、カワウソ達と先ほどまで言葉を交わしていたそれとは似ても似つかぬ、硝子のように無機的で、造り物のごとく美しい声域であった。

 

「私の力が及ばず。──敗けてしまいました」

『謝る必要はないよ』

 

 聞き覚えのある、カワウソと会話していたはずの竜王の声。

 その男の声は、白い少女の唇や喉を通っていないと、判る。

 

『いやいや。意外とやるようだね、“君も”』

 

 なかなか見所があって安心したと言祝(ことほ)ぐ声の主を、その発生源を探るようにカワウソは周囲を見渡して、ある方向を振り返る。

 

「……な……に……?」

 

 完全に不意をうたれたカワウソたち。堕天使は目を(みは)った。

 振り返った先で浮かび上がっているのは、鎧の頭部を構築していた、兜。

 

 ──それだけだ。

 

 その下の全身は、ない。

 あるべき身体の部分は、どこにもない。

 

 つまり、兜だけが、空中で浮遊し静止しているようなありさまである。

 

 全身部分のパーツは今も石畳の上に散乱しており、兜の中に人が入り込んでいるはずが無い。小人でもいれば別だろうが、重い造りをしていると判る──人間の頭ほどもある金属の塊を持ち上げ、浮遊できる小人がいるものだろうか?

 そうして、堕天使はまたも驚かされる。

 カワウソの一撃……ガブの特殊技術(スキル)を借りた必壊の拳によって、少女から脱落し分解されつくしたはずの鎧、その部品たちが、ひとりでにカタカタと震え動き、見えない糸で釣り上げられ操られるかのように宙を舞い始める。

 細かく分割されていたそれらは、四方に弾けていた鋼板や装飾を集合させ、手甲や足甲が徐々に形を取り戻し、胸や背の装甲版が胴体の部分を構築して、まったく全自動で元の形状に整いながら、中におさまっていたものを守るかの如き位置取り──ひれ伏す少女の前方の空間に佇んだのだ。

 

 最後に、少女がかき抱いていた部品、竜の(たてがみ)か尾のようだった腰布が、名残惜し気に細い指先から離れる。

 首のない竜騎士の鎧……空っぽの(うろ)を首のあたりから覗かせる全身鎧が、自分の中身になっていた少女に対し、命じる。

 

カナリア(・・・・)。あとは僕が応対するよ。君は部屋に戻りなさい』

「かしこまりました」

 

 カナリアと呼ばれた白い髪の乙女は悄然としつつも、主人然とした鎧の紡ぐ命令に従って、自分が裸身であることにも構わない堂々とした足取りで、そのまま玄関ホールを後にした。

 

『いや、すまないね。こんな歓迎の仕方をしてしまって』

「あ──アンタ、いったい?」

 

 竜王の正体は、異形種の動き回る鎧(リビングアーマー)

 ……否。だとしたら、中に人間の少女を詰める必要などないはず。

 そもそも竜王──“ドラゴンロード”という触れ込みを考えるならば──

 

「その鎧は、ドラゴンの仮の姿……って、ことなのか?」

『まぁ。分類としては、そういうところだね』

 

 自分の頭……宙に浮かぶ兜を最後に持ち上げ、クルクル手の中で回してもてあそぶ様子は、アンデッドの首無し騎士(デュラハン)を彷彿とさせる軽快な動きだ。鎧の首と接合を果たした兜の眼部分(スリット)に、白金の瞳を思わせる輝きが灯る。

 

 ユグドラシルにおける(ドラゴン)というのは、非常に強力かつ特殊な存在として人気を集めていた。

 だが、プレイヤーが異形の種族として、大人気かつ超強力な“竜”を選択することはできず、同系統の“竜人”などは「NPCに限定された種族」とされる。同じようにNPC限定の種族はそれなりの数にのぼり、それらは例外なく、かなり強力かつ有能な存在となりえるが、その分だけ稀少価値も高いため、ガチャで落ちるのも珍しい傾向にあるのは当然の仕様。強力な“竜”を仲間にするには、超強力なテイムを使うか、課金などで傭兵として使役する程度の方法しかない。飛竜騎兵が扱うような小物の竜程度であれば、召喚して騎乗することは比較的容易だが、“狩り”で人気を集めるタイプの「本物の竜」は、それほどまでに稀少な種族だった。ユグドラシルでは。

 

 そして、

 竜というのは、時に人間を導き、時に人間を堕落させる存在。

 竜は、人と交流し友好関係を構築する者もいれば、

 また、人を支配し隷属契約を強制する者もいる──少なくとも、ユグドラシルの設定においては。

 そんな竜たちが人々と交わる際には、その強大な竜の姿のままでいるよりも、人と同じ目線に立ち、人の姿形をとることで、人との友情や信頼を育み、人の悪意や劣情を喚起しやすい形態として、人型の生物に身をやつす個体も存在したという。

 

 この異世界に住まう竜王……アーグランドの領地を治める彼等は、“竜の王”……ならば、ゲームでおなじみの、あの巨大な爬虫類然とした威容をしている方が自然とすら言える。

 にも関わらず、カワウソは今の今まで一度も、竜王の竜らしい姿を間近にしたことはない。

 ツアーが“鎧の姿”──人でも竜でもない形状で応対している現在の状況を、カワウソなりに推察してみる。

 

「変身の魔法とかじゃあ、ない、よな?」

『ああ。僕は変身系統の始原の魔法(ワイルド・マジック)は不得手でね。父や兄姉、親族の皆が扱えたような、純粋な人間形態は保てないんだ』

 

 その代わりとして。

 彼は親族の竜王が残した魔法の鎧……この、白金の竜鱗鎧(スケイルメイル)を、己の手足のごとく動かすことで、人の世界に紛れ込む手段を確立したのだと。

 

「あの──いや、その“始原の魔法(ワイルド・マジック)”というのは?」

『うん。とりあえず、玄関で立ち話もなんだから。よければ案内させてほしい』

「……案内?」

 

 思い返してみれば、ここは宮殿の出入り口付近。ツアーの家の玄関先に他ならなかった。

 中身が空っぽの鎧は、優雅とも言える挙措で、今度こそ招待客たるカワウソ達を(ぐう)してくれる。

 

『改めて、ようこそ。

 ユグドラシルプレイヤー・カワウソ君。

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)()()──“アーグランドの宮殿”──天界山・セレスティアへ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ツアーたち竜王の情報は、本編ではまだ謎が多いため、D&Dの情報を参考にしております。


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白金の竜王と堕天使 -2

/Platinum Dragonlord …vol.06

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ツアーからの歓迎──“力試し”の戦闘に機嫌を大いに損なっているガブとラファは周辺警戒を必要以上に厳しく行い、何かにつけてツアーから受ける説明に食って掛かるようになった。「騙し討ちとは卑怯極まる」とか、「事前にそうすると連絡しておいてほしい」とか。

 そんな二人に対し、ツアーはあくまで軽い感じを貫いた。

 

『事前に話を通していたら、“試す”ことの意味がないだろう?』

 

 無理もない。

 ツアーの目的は、カワウソ達の対応力と戦闘力の把握だった。

 ラファというNPCから伝え聞いている内容で、カワウソの力量は想定できても、それを確信するためには一戦交える必要がどうしてもあったというわけだ。

 そうして、どうやらカワウソたちは、「合格」のラインに達したらしい。

 カシャリカシャリと生き物の重みを感じさせない足音に先導されながら、カワウソはツアーの説明を脳内に浸透させていく。一応、ミカという頭脳担当の副官も傍にいるから、すべて覚える必要はないだろうが、自分に出来る限りの努力は果たさなければならない。

 

 ツアーは語る。

 竜帝たる父から受け継いだ『白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)』という称号と共に、このアーグランドの大地を一望できる連峰の最上層を継承して、すでに600年程度の時が流れているとか。

 七つの巨大な階段……七つの層をのぼりきった頂上に、彼の居室たる竜の聖堂があるのだ、と。

 ゲームのダンジョンステージのように入り組み、城のような建造方式の中に自然の彩を取り入れている。ところどころに点在する美しい鍾乳洞や泉、外の光を取り込む小穴や財宝を蓄える蔵などを素通りしながら、竜王の鎧は語り続ける。

 

『この宮殿は、少し特殊でね。宮殿の主人たる僕が許可を与えた人物か、ドラゴンセンス──竜の知覚力を飛び越えることに慣れた存在でないと、まず入場することは出来ない場所なんだよ』

「……もしも、それ以外の存在が、強行して入り込もうとしたら?」

『それは、竜王の内臓(はらわた)に飛び込むような覚悟を強いられることになるね?』

 

 具体的なことはひとつも語っていないが、とんでもないことになりそうな気配は十分に伝わってくる。

 さすがに、宮殿というだけあって、それなりの防犯対策は整っているのだろうと思われた。

 そうして。

 竜王の中身が入っていない鎧に案内されて、カワウソとミカたちNPCは、他の竜や人と出会うことなく、その最上層階にまで至る。

 カワウソは巨大建造物の中に、これといった人の気配がないことに少なからず戸惑いを覚えた。

 この宮殿内で他に唯一出会った少女のことを(たず)ねてみる。

 

「さっきの、カナリアとかいう女の子は、何者だ?」

『彼女は、僕の騎士になりうる……いわば、娘みたいなものだよ』

「……娘みたいな?」

『血は繋がっていないからね』

 

 養子や、義理の娘ということか。“僕の騎士になりうる”という表現から考えると、今も目の前で動き回る鎧というのは、誰でも着こなせる類のものではないということか。カナリアという娘の存在が特殊なのか、あるいはそういう特殊な子供を選んで養子として庇護しているのか。

 

『さぁ、着いたよ』

 

 最後の階層に続く巨大な扉を、ツアーの鎧が押し開いていく。

 中へ進んだ鎧に先導されるまま、カワウソ達は足を踏み入れる。

 午前の光が、明かり取りの天窓──というより、朽ちたドームの天井に開いた大穴から差し込んでいる。

 罠や奇襲攻撃の気配は、ない。巨木のごとく清廉な空気が、胸に心地よい。

 そして、

 

 

「ようこそ。ユグドラシルプレイヤー・カワウソ君。そして、その従者諸君」

 

 

 鎧越しではない……だが、“彼”の声だとはっきりわかる声音が、巨大な空間を満たした。

 改めて言われた歓待の言葉は軽妙に響き、重苦しい印象を少しも懐かせないほど(こころよ)く、堕天使の鼓膜を揺らす。

 

「入ってきてくれて構わないよ。さぁ、ここまでのぼりたまえ」

 

 声に促される。

 階段をのぼる鎧に続いて、カワウソ達は、宮殿の最奥部にまで至る。

 

「ようやく(じか)にお目見(めみ)えできたね」

「……ああ」

 

 彼は、まさに竜だった。

 ゲームでも最強と謳われる、異形の存在。

 巨大な体躯は大樹のごとく悠々と膨れ上がり、天を覆おうほど広げた翼の規模は視野の中に納まりきらない。度外れた牙と角の鋭利さは刀剣のごとく研ぎ澄まされ、その瞳は細い虹彩にとらえたものの内実を見透かすかのような、叡智と道徳と賢哲の輝きで満たされているようだ。純白の鱗や爪は、聖なる輝きにも似た微光を放ち、その属性が神聖なる善き者のそれと同質であると思わせる──それだけの威を、あまねく存在へと顕示していた。

 数百年という時間を生きた、本物にして究極と謳われる『白金の竜王』──

 カワウソは、彼の名を口にする。

 

「ツアインドルクス=ヴァイシオン」

 

 微笑むように頷く、竜の王。

 アインズ・ウール・ゴウンの同盟者。

 アーグランド信託統治領を預かる、真なる竜王。

 

「あらためて、ようこそカワウソ君」

 

 人を丸呑みできるほど巨大で重厚な顎を上下させて紡がれるのは、実に軽い口調。

 

「僕のことは気軽に、ツアーとでも呼んでくれると嬉しいね」

 

 猫のように体を休めていた巨竜が、大きすぎる鎌首を持ち上げ、一同を睥睨する。

 ミカたちが疑心と警戒から堕天使の周囲に布陣し武装を手にする様子に、ツアーは苦笑を抑えられない調子で竜の喉を鳴らした。

 

「さきほどは、すまなかったね。結果的に、君たちを騙すようなことをしてしまって」

 

 謝辞を紡ぐ竜王が見据える先で、ツアーの鎧がバラバラに分割される。

 ミカたちが一瞬身構えるが、もはや彼に、そのつもりはかけらもない。

 ここまで堕天使と一行を導いてくれた鎧は、バラバラになった姿で、壁面のある一点──台座の上へ再集合と再構成を全自動で果たし、すべての役目を終えたかのように微動だにしなくなった。四本の業物と共に、先ほどまで動き回っていた事実が信じられない──ただの調度品のごとき沈黙でもって、カワウソたちに見据えられる形に収まる。

 カワウソは摩訶不思議な鎧から視線を外し、目の前に佇む巨大な……見上げるほど巨大にすぎる存在、本物の竜を直視する。

 

「何故、こんな試すようなことをする必要が?」

 

 ツアーの意図は何となく把握できた。

 ラファと冒険都市で出会った竜王は、彼の主人であるところの堕天使──その力量を推し量るために、この地へとカワウソたち一行を招待した。

 だが、そうしなければいけない理由……動機については、実際に聞いてみないと判らない。

 ツアーは繰り返し謝る。

 

「ハハ。いや、すまない。君や君のNPCの力が一体どれほどのものか、興味が尽きなかったものでね」

 

 単純な興味本位……そう納得するには、ツアーの試みは危ういものだと思われる。

 ユグドラシルの存在を知っている、この異世界の竜の王が、わざわざプレイヤーを呼び寄せてまで、“力試し”に興じたいだけとは、思いにくい。

 

「そんなに戦ってみたいのなら、自分で俺たちの拠点に赴くことも出来たんじゃ?」

「それは、君の為にはならないと思うが? あの、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”になる君が、僕のような、魔導王の同盟者を招き寄せるというのは、あらゆる意味で危険に過ぎるはず」

「……確かに」

 

 竜の堅実な判断に、堕天使は舌を巻く。

 

「……どういうこと、ミカ?」

 

 この場にいる五人の中で、正答に至っていないガブが、怪訝そうに親友へ訊ねた。

 ミカは即座に応じる。

 

「ツアインドルクス=ヴァイシオンは、魔導国の中でも最高位に近い“信託統治者”にして“魔導王と同盟を交わした竜王”──そんな存在が、我々のごとき敵対者の拠点に足を運ぶというのは、魔導国側にとって良い話ではないということ」

 

 言ってみればそれは、国家の政治家が、危険なテロリストのアジトに出入りするようなもの。万が一にもバレれば、余計なアレコレを呼び込むリスクが高い。場合によっては、そんな人物を招き入れたカワウソの責任まで問われかねない。

 熾天使の兜越しに響く澄明(ちょうめい)声音(こわね)が説明を重ねる。

 

「私たちはアインズ・ウール・ゴウンの“敵”──そんな存在と密会するべく連絡を交わし、懇意の間柄のごとく遣り取りを重ねる姿は、魔導王への背信行為と見做されるはず。故にこそ、ツアインドルクス=ヴァイシオンは、我々の許へと自らが赴くことはありえない。彼の国内での役職と立ち位置を考えれば、この領地の外へ赴くだけでもかなりの制約があるはず。そうして、そんなことをしていると魔導国に知られるような事態になれば、己の立場と地位が危うくなるのは道理。

 ……だが、このアーグランドの宮殿は、それなりの魔法の防備が整っていると判断できる。ガブを一時完全拘束した籠手や、ツアインドルクスが行使した始原の魔法(ワイルド・マジック)なる力。そして、この領域は、魔導王から特別な自治権限を与えられた『信託統治領』……ここで起こる出来事は、かの最上位アンデッドの王には、届かない」

 

 なるほど、と頷くガブ。

 さらに、カワウソも私見ながら捕捉をつけたす。

 

「それに、俺たちの拠点に赴くということは、ツアー本人が単体で乗り込むリスクという意味で馬鹿には出来ない。敵になるかもしれない相手のホームで戦うよりも、自分に有利な場所で戦う方が、絶対に安心だからな。

 さらに言えば。俺たちの拠点が、魔導国の“監視体制下におかれていた場合”、ツアーが俺たちの……つまり国の“敵”の拠点へ勝手に乗り込んでいく姿というのは……いろいろと不都合が多いわけだ?」

「うん。(おおむ)ね、そういうことだね」

 

 カワウソ達は今や魔導国にとって、危険思想を懐くテロリストか、そうでなければ異星から飛来して文明に(あだ)なすSFホラーの“侵略者”の(たぐい)だ。

 そんな存在と勝手に邂逅(かいこう)し、膝を交えて話し合う姿を見れば、誰だってツアーのことを裏切り者だと見做す判断を下すだろう。

 

「では……だとすると、()(しゅ)の拠点は、すでに?」

 

 ラファが苦虫を噛み潰したような渋面で、最悪の可能性を想起する。カワウソがずっと危惧していた、ナザリック地下大墳墓の“眼”の存在。天使たちの認識を超えて、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)を監視し続ける手段があるとなれば──

 

「そこのところは、どうなんだ。ツアー、……殿(どの)?」

 

 その情報を握っているかもしれない、魔導国の重鎮に問い質す堕天使。

 慣れていない敬称づけに声の調子を外す堕天使を、ツアーは「かしこまる必要はないよ」と言って、敬称呼びをしなくていいと告げてくる。そうして、真剣な語調で応じてくれた。

 

「君らをアインズ達が監視している可能性……うん。

 それは、ありえない。──とは、言えないかな?」

 

 カワウソは首を傾げる。

 

「アンタでも知らないのか?」

「僕は信託統治者……アインズ・ウール・ゴウンの統治体制に口を出さない代わりに、彼等もまた僕らの領地に深入りすることは出来ないという盟約を結んでいる。僕らは魔導国に属してこそいるが、その実、魔導国の法は、そこまで適用され得ない。──憲法や盟約などは、一応順守しているがね」

「──ようするに?」

「すまないが、僕にもそこまではわからない、ということだよ」

 

 なるほどなと納得して頷くカワウソ。

 

「念のために()くが、この場所は魔法で盗み見られていないのだろうな?」

「そこは、大丈夫だよ。この宮殿は、全域に始原の魔法(ワイルド・マジック)の防諜対策が施されている。いかにアインズたちでも、ここを魔法で覗き見ることは無理がある」

 

 心配はいらないと、ツアーは語り続ける。

 アインズ・ウール・ゴウンと呼ばれる魔導王が、今も手をこまねいている最大の原因。

 現在、アインズ・ウール・ゴウンがどのように対応すべきなのか判断に迷っているということ。

 

「何しろ、ユグドラシルからの客人……あちらの世界からの渡来者など100年ぶりだ。魔導国でも、その対応協議に追われるのは当然。たとえ、自分たちの“敵”と放言されてもね。だから、あと数日は、議会なり何なりを通して、君らにどう処するかの最終判断を決定するはずだよ」

「最終、判断」

「つまり、君たちにはまだ、それくらいの猶予はある」

 

 カワウソは頷くしかない。

 自分だって、こんな異常事態に見舞われたりしたら、右往左往するのはあたりまえだと思われる。

 いくらアインズ・ウール・ゴウンとはいえ、そのあたりは通常のプレイヤー……人間らしい不手際があっても、何ら不思議ではない。

 

「それで、俺たちの力を試した理由は?」

「君たちが、本当にアインズ・ウール・ゴウンの“敵”になりうるのか──それを確認したかっただけだよ」

 

 何故そんなことを。そう問いかける言葉を、カワウソは口内に留める。

 

「君たちは、本気で彼に、アインズ・ウール・ゴウンに戦いを挑むつもりなのかい?」

「そうだ、と言ったら?」

「それは本心なのかな? 君は、カワウソ君は、ただ状況に流されているだけで、不幸なすれ違いをしているだけということは、ありえないのかい?」

 

 質問の意味を判じかねる。何故、今さらそんなことを。

 

「……本心だよ」カワウソは誤りがないように言及しておく。「俺の望みは、もうそれ以外にない。アインズ・ウール・ゴウンと戦う……あの第八階層に挑む以外の目的など、今の俺には存在しない」

 

 かつて、マルコというメイドにも言ってやったことだった。

 ツアーは堕天使の宣誓にも似た愚かしい発言を、カワウソの本懐を、口を閉ざして眺める。

 今度は逆にカワウソが問い質した。

 

「俺からも質問させてもらう。さっき、ユグドラシルからの客人……と言ったな?」

「ああ。僕のようなもの──この世界の住人は、君たちのことをそう表現するしかない。この世界とは異なる、“げえむ”なる世界から転移してきたものは、君やアインズ・ウール・ゴウンの他にも存在している」

 

 重要情報を口の端に零す竜王に飛びかかって問いただしたい衝動を抑え込む。

 他にも、カワウソのような転移者がいるという情報。

 堕天使は必死にその場で踏みとどまる。

 

「……どうして、こんな現象が……異世界に転移するなんてことが?」

 

 誰が、

 何が、

 こんな事象を引き起こしているというのか。

 自分はユグドラシルの最終日に、サーバーがダウンするはずの0:00まで、ゲームに残っていた。

 他の客人──転移者もまた同じなのか──アインズ・ウール・ゴウンを名乗る魔導王や、そのシモベ(NPC)たちも──カワウソは率直に訊ねた。

 だが、ツアーは鎌首を横に振って示す。

 

「すまないが、それは僕も知らない、わからない情報だ。先ほどもいったけれど、僕は君たちの情報を、完全には把握できていない」

「……そうか」

「それに、僕はあくまで“同盟者”。アインズ・ウール・ゴウンの内実・内部情報については、そこまで開示されているものでもないのでね。ただ、ユグドラシルプレイヤーたちは、ユグドラシルの最終日というタイミングで、こちらに転移してきているのは、確かだ。これはアインズ以外のプレイヤーから情報を得ている──得ていたというべきかな?」

 

 カワウソは俯きそうになる自分をなんとか直立させる。

 ひときわ輝いて見えた希望の太陽に、邪魔くさい暗雲が立ち込めてしまったような感じだ。

 ……それでも、まだ希望(のぞみ)はある。

 

「その、アインズ・ウール・ゴウン以外の、他のプレイヤーというのは?」

「うん。僕には200年……否、300年前に、共に旅をしたプレイヤーたちがいてね。その情報であれば、ある程度は提供できる」

「──聞かせてもらえるのか?」

 

 ないものねだりをする時間すら惜しい。

 ツアーが握る情報は、堕天使の喉から手が出そうなほどに有用かつ重要な情報だ。

 

「その代わり、こちらもある程度、君のことを教えてもらうことになるけど、構わないかい?」

「内容にもよるだろうが……善処する」

 

 竜王は頷いた。

 ツアーが語る300年前のプレイヤーたち……十三英雄。

 英雄として、傑物として、物語の中の登場人物として、一時は名を馳せた友人たちのことを、白金の竜王は誇らしげに語る。

 彼が首を巡らせた先にあるのは、空っぽの竜鱗鎧(スケイルメイル)

 

「あの鎧──僕が動かす鎧で、リーダーたちと共に、僕は300年前の諸国を旅した」

 

 リーダーは誰よりも弱かったが、冒険を重ねるにつれ、ツアー達の誰よりも強いと評されるほどの成長を遂げた。

 その旅の果てに待ち受けていた、最後の戦い。

 300年前に起きた歴史上の出来事を語る彼の様子は、カワウソに奇妙な既視感を覚えさせる。

 竜の瞳の色も、表情の変化もこれまでの人生で一度も見たことがないカワウソであったが、仲間のことを真摯に慕い、思い出を語る姿が、何か、こう、誰かと重なるのだ。

 

「彼等とずっと……、一緒に旅をしていられると……そう、信じていたのだがね……」

「ずっと、一緒に──」

 

 唐突に理解できた。

 そして、それを口にするのは、躊躇われた。

 ──まるで、鏡の中で毎日のように会っているような。そんな感慨を、竜を相手に懐くなど。

 

「と。感傷にひたっている状況でもないね。……それで? 君は何を訊きたい?」

「……あ、いや」

 

 用意していた質問をぶつけることができない。

 代わりに、兜を被ったミカが、実直な姿勢で情報を獲得しようと前に進む。

 

「先の戦闘で、ツアインドルクス=ヴァイシオンは始原の魔法(ワイルド・マジック)なる力を行使されたが──その魔法の詳細を訊ねてもよろしいでありやがりますか?」

 

 毒舌かつ兜を脱ぐことのない無礼千万な熾天使の様子に、ツアーは気を悪くしたわけでもなく簡単に解答を述べる。

 

始原の魔法(ワイルド・マジック)は、この異世界にもともと存在した、この世界本来の魔法の力だよ。だが、八欲王との戦いで始原の魔法(ワイルド・マジック)の力は歪められ、それを扱うことに長けた僕ら竜王は、悉く敗北を喫した。僕が先ほどの戦いで使ったのは、転移系統の始原の魔法(ワイルド・マジック)──〈・・・・・・〉になるね」

「それは、我々のような、ユグドラシルの存在でも獲得可能なものなので?」

「無理だね。

 言っただろう。始原の魔法(ワイルド・マジック)は“歪められた”もの。位階魔法という新しいシステムに居場所を奪われ、その性能を遺憾なく発揮するには、膨大な力と才を要求される……とんでもなく燃費の悪い術理に(おとし)められている。

 そして、この始原の魔法(ワイルド・マジック)は完全に(すた)れ滅ぶ運命の上にあるもの。この魔法は僕以降に生まれた竜にも悉く扱うことは出来なくなった……いわば、世界の法則から排除された力だ。この世界に現存する始原の魔法(ワイルド・マジック)の担い手たち──僕を含む竜王たちが死滅することになれば、ね」

「そうでありますか」

 

 悲壮な内容を軽く語る竜王に対し、ミカは全くいつも通りに、平坦な口調で確認を終える。

 ツアーはさらに、ごく稀に、竜の力──始原の魔法(ワイルド・マジック)を使う異能をもったものも現れると付け加えるが、

 

「単刀直入に訊く」

 

 使えないものの情報を与えられても意味がない。

 それよりも、もっと知りたい情報が、カワウソにはあった。

 

「この異世界の、アインズ・ウール・ゴウン魔導国についてなんだが」

 

 ツアーは瞳を細める。竜の瞬膜がチラリと動いた。

 

「俺は、ユグドラシルで、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンを相手に戦ってきた──そのアインズ・ウール・ゴウンと、魔導国のアインズ・ウール・ゴウンは、──同じなのか?」

「うん? 質問の意味を判断しかねるが……ナザリック地下大墳墓が、ユグドラシルに存在していた拠点であることは?」

「知っている」

「ならば、それ以上の答えなどいるのかい?」

「だが。ならばどうして、アインズ・ウール・ゴウンは、“アインズ・ウール・ゴウン”と名乗っている?」

 

 それこそが、カワウソにとっての最難問であった。

 理解不能な──否、何とはなしに理解はできるが、確信や確証のある事柄ではない。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンとほとんど同じ存在たる、異世界の大国。自分たちと同じく、ゲームの世界から転移してきたらしいユグドラシルの存在。拠点NPC。魔法や特殊技術(スキル)、モンスターの存在や各種法則など。

 ……にもかかわらず、アインズ・ウール・ゴウンと名乗るアンデッド──プレイヤーの姿をした王が君臨しているという、バカげた現実。

 ありえない。

 ありえない現象の中で、ありえない事実が積み重なって、カワウソの認識と判断を著しく狂わせていく。

 いいや、まさか、という推測を口にするのも憚りがある。

 そう、まさか……

 

(まさか、彼は、モモンガは仲間のために、その名を広めようと──)

 

「……どういうことだい?」

「……アンタは……ツアーは、アインズ・ウール・ゴウンが、プレイヤーだと認識しているのか?」

「そうだが?」

 

 頷くツアーに対し、カワウソは首を振るしかない。

 それはありえない。

 アインズ・ウール・ゴウンに属するプレイヤーは41人。

 その中で、最上位アンデッドたる死の支配者(オーバーロード)の種族を極めた存在は、ギルド長たる“モモンガ”だけのはず。公開されているメンバー以外の、42人目のプレイヤーがいて、そいつがモモンガと同じ姿で、“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗っているのか?

 否。

 それよりも確実にあり得そうなのは、モモンガが意図的に、アインズ・ウール・ゴウンを名乗っている可能性である。

 

「ツアー。アンタが騙されている可能性は?」

「うん。それを言われると……騙されていないとは、言い難いかな?」

「──そうか」

 

 やはり、本人に()くしかないようだ。

 この国でかなりの地位についている竜が知らないとなれば、もうナザリック地下大墳墓の奥にいるはずの存在を問い質すしかないだろう。

 

「カワウソ君。どういうことなんだい? 君は、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”なのでは?」

 

 ツアーもまた混乱したように、竜の眉根を(ひそ)めている。

 両者の間には厳然とした認識の違いがあるのだ。

 

「ツアーは、モモンガという名前に心当たりは?」

「モモンガ……?」

 

 ツアーは逡巡(しゅんじゅん)するように、首を傾げた。

 

「いや──ないね」

「ああ……そうか」

 

 ツアーはユグドラシルのことを知っているが、ナザリック地下大墳墓の内部情報には(うと)い。これ以上の情報は引き出せない。

 ならば、ここからは、どうにかして彼の助力や援助を引き出す方向に(かじ)を切る。

 

「教えてくれないかい? “モモンガ”というのは、アインズ・ウール・ゴウンにとっての何なのか?」

「……そんなに気になる情報なのか?」

「無論だとも。彼を“打ち倒す”のに有用な情報かも知れないじゃないか」

 

 打ち倒す。

 その単語に、カワウソは我が耳を疑った。

 ミカとガブも一様に息を呑む中、ラファだけは自然と竜の主張を受け止めている。

 

「そうか……冒険都市で、ラファがアンタを、ツアーを信用した理由は」

「そう。僕らは同じ“敵”に挑む、──いわば同士というわけだ」

 

 カワウソは望んでいた解答を手に入れた。振り返ると、銀髪の牧人(ラファ)が静かに頷く。

 ツアーが言っていた、カワウソたちに行った“試し”。

 宮殿の玄関ホールで行われた戦闘は、ツアーが「自分が協力するに値するかどうか」の試験と考えれば、一応の辻褄は合う。

 あらためて見上げた巨大な翼……悠々と堕天使たち一行を受け入れる竜の姿は、万軍にも匹敵し得るほどの助力者に思えてならない。

 ──そのはずなのに、堕天使は喜ぶでもなく、相手の正気を疑った。

 

「まさか……本気で言っているのか?」

「僕はずっと待ちわびていたからね。彼等を打倒するための、その同士たりえる、ユグドラシルの存在を」

「……」

 

 正直。

 話がうますぎる気がしてならない。

 だが、この(わら)を掴み損ねることになれば、カワウソ達には他の手立てなど、勝ち得ない。そのまま濁流に押し流されて、溺れ尽きていく未来しか、堕天使は思い浮かべることができない。

 この異世界──魔導国で高い地位に据えられた同盟者──彼をアインズ・ウール・ゴウンに対する離反者としてカワウソたちに協力させることでしか、あのナザリック地下大墳墓には届きそうにない、現状。

 振り返れば、ガブとラファは竜王の申し出を嬉々として受け入れるべきだと、その瞳で語っていた。

 実際問題、カワウソの望みを果たす上で、白金の竜王からの助力と援護を受けられるというのは、間違いなく天使の澱の生存率を引き上げ、あのナザリックに挑戦する機会を増大させるはず。現実問題として、今のカワウソたちには、都市に侵攻するだけでもかなりの戦力を整えねばならないのは確定的かつ絶対的な戦力評価だ。

 ミカは、どう思うのだろう。

 気になって彼女の方を振り返るが、兜の奥の表情は読めるわけもなく、その挙動や言葉はひとつもカワウソにもらすことがない。

 ただ。

 カワウソの視線を受け止め、ミカはかすかに首を頷かせてくれる。

 

「──どうするんだい、カワウソ君?」

 

 君さえよければ、アインズ・ウール・ゴウンの打倒に手を貸すと放言する、竜王からの呼びかけ。

 非常に魅力的かつ強力無比な申し出であると同時に、──これ以外の道のりがないという現実に、心臓が凍り付きそうなほどの畏怖を懐く。

 自分が誰かの書いた筋書きの通りに動かされているような、そんな気味の悪い寒気に襲われてしまう。

 しかし、もはや迷う猶予は、ない。

 

「……手を組む。

 ツアー、アンタと手を組もう。……だが……」

 

 明朗な意思決定とは言い難い。

 それでも、カワウソは自分なりの解答を、その口の中で紡ぎ終える。

 

「アインズ・ウール・ゴウンと戦うのは、俺だ」

 

 協力は募る。

 助力も可能な限り引き出す。

 しかし、アインズ・ウール・ゴウンと直接対決するという大願は、他の誰にも奪われてはならない。

 それに対するツアーの応答は、

 

「うん。『悪くない答え』だ」

 

 という感じで、あくまでも軽妙な調子を崩さない。

 賢者然とした竜の瞳は、カワウソの意思を尊重し、自分はあくまで後援活動(バックアップ)に努めることを確約してくれる。

 これに、ガブとラファは異を唱えた。

 

「カワウソ様。差し出がましいことですが、直接対決するのが我々のみでは、戦力面で不安が」

「問題ない、ガブ。──というか、まったくすまないことだが、俺はまだ、ツアーのことを完全に信用したわけじゃないんだ」

「しかし彼が、ツアー殿が()(しゅ)と同じように、アインズ・ウール・ゴウンに対し、明確な敵意を表していることは事実」

「ラファ。相手を信頼することは大切かもしれないが、信頼しすぎれば足下をすくわれるぞ?」

 

 気を悪くしただろうかと見上げる先で、竜王は頷き、微笑むように喉を鳴らし続ける。

 

「僕も、それで構わないとも。カワウソ君」

「そうか。助かる」

 

 不躾(ぶしつけ)な堕天使の一方的すぎる対応に気安く応じてくれる竜王へ、カワウソは偽りのない安堵を覚えた。

 その安堵というのは、けっして心地の良いものではないのだが。

 

「それで、君の戦力はどの程度のものなんだい? よければ、僕の軍などを貸し与えても」

「心配には及ばない。ウチの戦力は優秀だから、ツアーから軍などを借りるつもりは、ない」

 

 無論、カワウソの言葉には様々な思惑が絡んでいる。

 ツアーを信用していないがために、自分の詳細な戦力や戦術は明かせない(嘘や偽の情報なら別)のが、第一。ウチの数少ない戦力であるLv.100NPCたちへの信頼が第二で、第三はツアーから軍などの戦力を借り入れても、それをうまく使えない・御し得ない・裏切られる可能性があること。

 そのため、軍などの組織だった戦力増強は望めないし、望むべきでもない。

 カワウソが欲しいのは、あくまで、この魔導国の中枢──ナザリック地下大墳墓へと至るまでの道を整えること。

 それだけで十分なのだ。

 

「では、それ以外の方法で、僕が何かしらの支援を与えることが必要かもしれない。──同じように、アインズ・ウール・ゴウンに抗するもの同士」

「ああ。それだけでいい」

 

 むしろ、それ以上など与えられたところで、カワウソには重い荷積にしかならないだろう。

 

「確認しておきたいんだが──ツアーは、どうしてアインズ・ウール・ゴウンを打倒したいと?」

 

 カワウソは(ただ)す。

 ツアーはどこか遠く、過去を見据えるような表情で「100年前」のことを口にしていく。

 

「100年前、僕はアインズ・ウール・ゴウンの同盟者となったが、それは故あってのこと。僕の目的を果たす為に、魔導国と同盟を結ばざるを得なかった。当時、僕と僕たち竜王の治める国を守るために……そして、僕個人の、“とある目的”のために」

 

「だが」とツアーは言い募る。

 この100年で、アインズ・ウール・ゴウンは、僕の目的には沿わないものと断定された、と。

 

「アインズ・ウール・ゴウンは、もはや僕の目的を叶えるには値しない……(くみ)しえない勢力と化しつつある。そして、このタイミングで君たちのようなユグドラシルの存在が現れてくれたことは、まさに僥倖だ。アインズ達が、君たちの存在への対応に手をこまねいている今のうちに、何とか接触できて幸いだったよ」

 

 嘘を言っているとは思えないほど、竜の声は淀みなく流れていく。

 カワウソは訊ねる。

 

「アンタの、その、個人的な、“とある目的”というのは?」

 

 当然の疑問だねと白金の竜王は頷きを返す。

 

「だが──それに答えるより前に、こちらから最後の質問を」

 

 いいかい。これが最後の質問だよと、しつこいほどの念押しが続く。

 白い竜に熟考を要求されるまま、カワウソは質問の内容を、待つ。

 

 

 

 

「君はアインズ・ウール・ゴウンと戦い、そして、復讐をなした後は(・・・・・・・・)──どうする(・・・・)?」

 

 

 

 

 カワウソは、そんな当たり前に過ぎる問いかけに対して──

 

 

 

 

「…………………………え?」

 

 

 ──何も、言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・復讐譚における最大の難関・
 復讐を成し遂げた後に待つものを、復讐者はどのように受け止めるのか。


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白金の竜王と堕天使 -3

/Platinum Dragonlord …vol.07

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜は純粋な調査欲と蒐集(しゅうしゅう)欲に溢れ、未見未知の器物や遺物、財宝を集め保存することに楽しみを見出す種族。

 そして、時に物語に登場する賢者として、愚かしき者たちを教え諭し、その叡智を借りたいと願う者たちを導く存在。

 

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)──ツアインドルクス=ヴァイシオンもまた、一人の男の核心に迫る。

 

 

 

「君は、復讐をなした後は──どうする(・・・・)?」

 

 

 

 (たず)ねる声は不純物を一切含まない。

 問い質す言葉の内容は、吟味(ぎんみ)するほどの時を必要としない簡潔明瞭なものであり、──それ故に、質された方にとっては会心の一撃に匹敵した。

 堕天使のプレイヤー・カワウソが、数秒以上も呆然と自失の時を過ごす……過ごさざるを得ない、問いかけ。

 

「…………あ、と…………後────?」

 

 紡ぐ声は弱々しく、常の調子を保持することは不可能。

 

「あ……後って?」

 

 あたりまえのことだった。

 あたりまえのことを、カワウソはまったく考慮していなかった。

 

 万が一、億が一、兆が一の確率で、アインズ・ウール・ゴウンに打ち勝った“後”。

 長年の願望を叶え、復讐を果たし終えた、…………“その後”。

 

 そうなったら、どうなるのか。

 アインズ・ウール・ゴウンの治める国は? そこに住まう人々は?

 カワウソが、天使の澱が、何もかもをやり遂げることができたとして……その後のことは、どうするのか。

 考える必要などなかった。

 考える余裕などなかった。

 だって、勝てるわけがないから。

 あのナザリック地下大墳墓に勝てる要素など、カワウソにはほとんどありえなかったから。

 ……。

 けれど。

 もしも。

 アインズ・ウール・ゴウンと戦い、何もかもがうまくいったなら──……どうなる?

 

「君は、この魔導国のすべてを滅ぼすのかい? それとも、魔導国に代わる国を望むのかい?」

 

 告げる竜の声は重みを感じさせることはない、軽快な調べ。

 だが、カワウソは問い質された内容の重量によって、今までにない程の圧力を、胸の奥に、両の肩に、頭の内に感じざるを得なくなる。

 

「お、俺、は──」

 

 喉がへばりつく。

 言葉が見つからない。

 何を言えばいいのか、判らない。

 そんなことなど、これっぽっちも考えやしなかった。

 考えることができない自分に、気づく────気づかされる。

 手で口元を抑えなければ、そこから自分の臓物がブチ撒かれるような吐気と畏怖…………絶望を覚える。

 膝がガクガクと震え、今さらに過ぎる己の馬鹿さ加減に倒れ伏しそうになった。

 

「お、れ、……俺に、は、──何、も、ない」

 

 夢も。

 未来も。

 

 何も──ない。

 

 こうなりたいという欲求がない。

 なってやるという決意がない。

 ならねばという志向がない。

 己のなすべき義務がない。

 

 ましてや、復讐をなした“後”のことなど──

 

 ない。

 ない。

 ナイ。

 ナイ。

 無い。

 亡い。

 何一つとして。

 いくら探しても、いくら求めても、そんなモノは、カワウソの中には何処にもない。

 

 自分の中心に、酷く(いびつ)(うろ)が空いたように底冷えしていく。

 押さえた胸の奥で響く鼓動が、数秒以上も止まったように感じた。

 そんな堕天使の狂態を竜は笑うことなく、静かに諭す。

 

「この程度の問いに答えられない君に、果たして彼を、アインズ・ウール・ゴウンを倒せるのかい?」

「あ…………ああ?」

 

 賢知に富みし竜の王に対し、カワウソは何も言えない。言い返せない。言ってやる気力がわかない。

 

「復讐は、正当な戦いの理由だ。それを咎めるつもりはない。が、ただ“敗けるだけの戦い”に挑むというのは、僕にとっては喜ばしいことではない。アインズ・ウール・ゴウンと戦う上で、僕は君に協力する……であれば、君には是が非でも頑張ってもらわないと」

 

 協力する意味がない。

 彼の言うことはわかる。

 わかるのに、カワウソは、言葉が、出ない。

 反論も、抗弁も、何も、できない。

 だって、自分には、カワウソには、

 ──何も──

 

 

「そこまでにしていただく──ツアインドルクス」

 

 

 玲瓏な女の声が、堕天使の傍らに降り立つ。

 

「カワウソ様が望むことは、アインズ・ウール・ゴウン……否……あのナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”の再攻略のみ(・・)

 

 それ以外は余分でしかない。

 冷厳に響く熾天使の声音は鋭く、主人の意識を回復させる何かが込められていた。

 

「君は?」

「カワウソ様に創造されし、第一のシモベ(NPC)、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)防衛部隊隊長──名を、ミカ」

 

 お見知りおく必要はありやがりませんと高言する女天使の不遜さに、ツアーはまったく意に介した様子もなく頷き微笑む。

 

「なるほど。一番に創造されたNPCか。うん。随分と強そうな天使だけれど──君は、本当に、それでいいと思っているのかい?」

「愚問を」

 

 ミカは兜ごしに竜の王を睨みつけている。

 そう判るほどに、彼女の声は光のごとくまっすぐに過ぎた。

 

「アナタがごとき部外者に、カワウソ様の苦悩が、葛藤が、あのユグドラシルでの日々で(つちか)われたモノの重みが、解るものと?」

「わからないさ」

 

 ツアーはあっけなく言ってのける。

 

「わからないからこそ、君たちのことを客観的に評価することも出来る」

「客観的評価など“クソ喰らえ”であります」

 

 ミカは少しも()じることなく、巨大な竜の賢知をたたえる瞳と対峙する。

 

「『カワウソ様が望む』こと。『創造主が望まれる』こと。

 それ以上の行動原因など、我等ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のシモベたちには無用なもの。主人が決定したことに対して、部外者である貴公が、客観的にとやかく言っても、何の意味もない────それとも、ツアインドルクス=ヴァイシオンは、カワウソ様を救命できる手段を持ち得ると? 魔導王とやらに助命嘆願でもして、それをかの王に厳守させるだけの発言権を保有しているとでも? あるいは、魔導国・六大君主などと呼ばれる連中のNPCたちを黙らせるだけの力があると確約できるので?」

「ふむ……まぁ、それはそうだけれどね」

 

 ツアーは彼本人が語る限り、魔導国側に対してそこまでの強行権を有し得ない。

 彼は信託統治者として、この領域の一定の自治権を握っているが、反面、魔導国の政治中枢に過干渉を断行できる権限は、ない。

 

「ならば、貴公」

「もう、いい。ミカ」

 

 カワウソは無駄な言い合いを控えるように、彼女の言葉を遮った。

「ですが」と言って論争を続けようとするミカを、堕天使は肩を叩いてとどめてやる。

 不機嫌に鼻を鳴らす熾天使は、しかし、カワウソという主人の意を読み違えることはなかった。

 

「俺たちは、ここへ言い争いに来たわけじゃない」

 

 そう。

 すでに目的の半分──ツアーから天使の澱に対しての協力は、半ば受諾済み。彼の心証を害し、せっかくの関係を悪化させるような事態は避けるべきだ。……竜は相も変わらず、優し気で賢者然とした居住まいのまま、カワウソたちのことを眺め待ってくれている。

 

「俺はツアーと手を組む。そして、ツアーは俺に協力する……ということでいいんだな?」

「もちろん。ただし、こちらから提示する条件も、君には呑んでもらうが、構わないね?」

 

 当然の等価交換だ。

 契約は対等な条件で交わすことが望ましい。

 あとは、ツアーが納得できるだけの“力”を示し教えてやることで、彼との密約は確立される。

 

「──俺の拠点にいる有効な戦力は、Lv.100NPCが12体」

 

 嘘偽りのない戦力を開示していく堕天使は、続けざまにナザリックへと到達するまでの基本戦術──平原とやらに常駐するらしい軍勢への対抗戦略を論じていく。

 興味深げに頷く竜は相槌を打ちながら、カワウソの保有する戦力・戦術・戦略を、余すことなく理解していく。

 だが、カワウソも自分の全情報を与えるほどのバカではない。

『敗者の烙印』由来の、復讐者(アベンジャー)などの稀少レベルや特殊技術(スキル)の存在に加え、自分の頭上で赤黒く輝き回る世界級(ワールド)アイテムのことは、完全に伏せておいた。竜のアイテムに対する審美眼だと、このアイテムの輪っかがどれほどのものに見えているのか気になるところであるが、カワウソはその情報を隠し続ける。

 

(これが、世界級(ワールド)アイテムが、うまく発動してくれたなら──)

 

 そして最後に、おそらくツアーが、アインズ・ウール・ゴウンを打倒したいと放言する竜の王が望む約束を盛り込みにかかる。

 

「仮に。もし仮に、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)が、アインズ・ウール・ゴウンを打倒し果せた時には……」

 

 勝率は(はなは)だ低いままだが、これを言えば納得できるだろう、宣誓。

 

「──アンタに全部任せる」

 

 丸投げもいいところだった。

 しかし、白金の竜王と名高き頭脳なら、この国を、大陸全土を運用することも、簡単だろうと。

 

「そう、か……微妙に、答えになってない気もするけれど……」

 

 喉を短く鳴らす竜王は、笑みの内側に何か“別の色”を隠しながら、微笑む。

 

「まぁ、受け合っておこう」

 

 思うに。

 ツアーはカワウソに、今の約束を紡がせるために、このような強硬手段を選択したのではあるまいか。

 でなければ、カワウソをここまで招き入れる理由など限りなく薄い──はず。

 アインズ・ウール・ゴウンと共に、この大陸世界に覇を唱えた“白金の竜王”。

 一説によると、100年ほど前に起きた「世界の危機」的な事件を、魔導王と共に解決へ導いたとかいう、眉唾な都市伝説じみた話を、観光案内(パンフレット)で見た記憶がある。魔導国建国時と前後する情報であるため、そういう伝説を打ち立てることで、アインズ・ウール・ゴウンの神格化をはかっているのかもしれないと、ミカは推測を述べていた。

 ファンタジーの生きる異世界だと、「世界の危機」とか、実際にありそうなことではあるが。

 ユグドラシルですら、そういう話には事欠かなかったくらいだ。

 

「それで。ツアーは、俺にどのように協力してくれると?」

「うん。君の要望に応えられる範囲の援助となると、できることは限られてくる……けど」

 

 ツアーたちアーグランドの領域から反抗軍の手勢をカワウソに貸し与えるということは、ありえない。そんなものをカワウソが制御できるとは思えないし、そういう軍団を指揮するNPCに任せるにしても、不安要素が多すぎる。

 となれば、ツアーの国内での地位を生かして、カワウソたちをナザリック地下大墳墓に直接到達させることができれば──そう述べた先で、ツアーは至極残念そうに首を振って見せる。

 

「私の一存で、ナザリック地下大墳墓の内部に通すことは出来ない……ただ」

 

 ツアーはどこからか、一冊の手帳サイズのアイテムを取り出して、魔法で浮遊させたそれを、カワウソの手に託す。

 

「これを君に授けよう」

 

 堕天使のプレイヤーに授けられたそれは、この世界独自の言語の中に、魔導国の印璽と、この宮殿の玄関に入る直前にも見た印璽が、それぞれ刷り込まれている、ある種の通行証明──パスポートに近いアイテムのようだった。

 

「そこにある白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)(しるし)……私の通行証を持っていけば、とりあえずナザリックを取り囲む城塞都市・エモットの通過は、完全に可能だ。この100年、いかなる侵犯者も立ち入ること(あた)わない鉄壁金城、『絶対防衛』の称号を頂く要害──それを、このアイテムは完全にスルー出来る」

「……本当か?」

「ああ。城塞都市に侵入した後は、都市が守る中心部・平原へと至る道を行くといい。竜王の通行証であれば、平原までは難なく到達できる」

 

 無論、カワウソ達がただの通行人でいることが大前提。

 エモットの内部で騒ぎを起こしたりすれば、都市駐屯用の上位アンデッド・蒼褪めた騎兵(ペイルライダー)などとの戦闘は(まぬが)れないだろうという。

 しかし、ただの通行人としてなら、ナザリック地下大墳墓を守護する防衛都市への侵入が容易となり得るだけで、カワウソには願ってもない一品と言えた。

 

「ただし。その後は、君たち次第だ。

 城塞都市は、巨大な壁のような、君らの世界で言うところの“どーなつ”という揚げ菓子に似た構造の都だよ。円の中心に穿たれた穴の部分には、100年前から手つかずの平原──ナザリック地下大墳墓を有する草原が数キロほど広がり、そこにアインズ・ウール・ゴウンが100年をかけて生み出し続けたアンデッドの兵団が待ち構えている。さすがの僕でも、それをどうにかできる権限はないからね」

 

 都市の簡略な内部構造と軍勢情報を教えられ、カワウソは総毛立つほどの歓喜と畏怖を覚える。

 

「感謝する、ツアインドルクス」

 

 無意識に腰を折って、礼節を示す堕天使。

 そんな主人に倣うかのように、ガブとラファ……ミカまでもが、軽い会釈を送った。

 

「もう一度だけ、確かめておくけれど……本当にやるのかい? 私の軍も借りず、ただ城塞都市を通行する手段だけで、本当に、あのナザリック地下大墳墓へ挑むと?」

 

 正気の沙汰ではない。ツアーですら、自分が提示した戦力増補の申し出を固辞する堕天使の戦意を、戦気を、戦術と戦略を疑うのに十分なほどの実力差だ。

 しかし、だからこそ、あえて──

 

「無論」

 

 そう口にするカワウソ。

 

「俺は、“かつてのギルドの仲間たち”との誓いを、約束を果たす──この戦いを、あのナザリック地下大墳墓の第八階層の攻略をやり遂げることで……俺の望みは、約束は、すべて、叶う」

 

 それ以外の何も残っていない男の笑顔。

 堕天使の醜怪な風貌が、怖気を誘うほどの喜悦に歪む。

 愚かしくも勇ましいプレイヤーの紡ぐ言の葉の中に、白金の竜王は彼の根源を見る。

 

「──『仲間が大事』なのは、誰もが一緒のようだね」

「ああ…………んぇ?」

 

 ツアーの言ったことに含まれるものを、カワウソは掴み損ねる。

 竜王はそんな堕天使の疑問符よりも先んじて、最後の約束を取り付けておく。

 

「これを、通行証を渡す上で、僕の要求……目的をひとつ受け入れておいてほしい」

 

 それが最後の条件だと明言される。

 カワウソは思い出す。

 つい先ほどまで交わした、ツアーとの会話の中にあったもの。

 

「僕の、かつての友人──十三英雄と称えられた──“仲間たち”のことだ」

 

 カワウソは聞いた。

 今から300年前。ツアーと共に旅した者たちのことを。

 彼が、心から大切に想う……仲間たちのことを。

 

 

 

「僕の個人的な目的。それは────────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜王との会談を終えたカワウソは、ツアーこと、ツアインドルクス=ヴァイシオン──白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と、手を組んだ。

 かの竜王よりもたらされた情報とアイテム──城塞都市への侵入と通過を容易とする通行証(パス)を入手できたことは、確実にカワウソたちの利益となるもの。連れてきたNPCたちを伴い、宮殿を後にするカワウソは、この現実が確固たるものであることを確かめるように、重い息を吐く。

 

「カワウソ様」

「大丈夫だ、ミカ」

 

 戦闘痕が残る玄関ホールを抜けて、アーグランドの宮殿を守る扉がカワウソ達の帰途を示すように開門していく。またも案内役を務めるツアーの鎧に手を振られながら、カワウソたち一行は、アーグランドの宮殿を後にする。

 NPCたちも気づいているように、カワウソもまた、最悪な可能性を想定できている。

 

 ──これで何もかもがうまくいくと保証されたわけではない。

 

 ──これより後、向かった先に待ち受ける都市が、軍が、敵が、カワウソ達を殲滅すべく、準備を万端整えていたとしても。

 

 ──たとえ、これが“罠であったとしても”。

 

 

 

 

 カワウソは、決して諦めない。

 諦めることだけは、できない。

 

 

 

 

 

 何故なら、カワウソが戦う理由も、「彼等」と同じなのだから──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カワウソたち、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)との邂逅と会談──秘密の約定を交わし終えたツアーは、彼等が立ち去って行った──完全にアーグランドの領域を離れたことを、竜の並外れた知覚力・ドラゴンセンスを駆使することで完全に把握してから、この場にいる“もう一人”を、呼ぶ。

 

 

「もういいよ、アインズ」

 

 

 聖堂の物影に潜んでいた──この世界で開発された〈認識阻害〉の魔法を行使する装身具に身を包んだ、100年来の友を呼ぶ。

 

「……うまくいった、かな?」

「さて。──どうだろうね?」

 

 (ひそ)めた男の声に、竜は軽く喉を鳴らす。

 ツアーが振り返った先にいた男の姿は、この魔導国では知らぬ者はおらず、また、カワウソとミカもつい先日に出会っていた“ナナイロコウを戴く一等冒険者・モモン”のそれだ。

 

 しかし、その正体はもはや言うに及ばない。

 

 今の彼──アインズは、例の果実による、いわゆる「受肉化」という状態・人間の男の形状でいる。そこにアンデッドの気配を断ち切る指輪を身に着け、さらには〈認識阻害〉の魔法の恩恵によって、ここにいる彼を、カワウソやミカたち一行が知覚する手段は存在しなかったわけだ。

 アインズが、飛竜騎兵の領地を離れるカワウソたち一行に、マルコが契約を持ち掛けた際にも、この「かくれんぼ」は有効に働いた。

 

 つまり、先ほどのツアーとカワウソの共謀──会談の内容は、ここにいる彼、魔導王アインズに筒抜けであったわけだ。

 カワウソが(たず)ねたように、この場所──アーグランドの宮殿は、始原の魔法(ワイルド・マジック)による防諜が働いているのは、まぎれもない事実。……だが、ツアーは“この場で聞き耳を立てている第三者の存在”については、何ひとつとして言及しておかなかった。カワウソは始原の魔法(ワイルド・マジック)というものを実演してみせた、ツアーが行使する魔法の威力を疑う理由が薄かった。そのうえで、カワウソは用意していた覗き見と盗み聞きの魔法への警戒のためのアイテムも装備していたがために、彼の言を否定しえなかった────だが、まさか。この場に直接、自分の敵が聞き耳を立てていたなどと思えるはずがなかったのである。

 

「すまなかったな、ツアー。面倒に巻き込んでしまって」

「なんの」

 

 竜王は気安く友に応じる。

 

「君に驚かされるのも、この100年で随分と慣れているからね」

 

 あの「事件」以降、ツアーは魔導王アインズと共闘し協力し、良好な同盟関係を結びながら、時には悩めるアインズの相談役じみたことを何度も繰り返すほど、気さくな関係を維持してきた。アインズから提供される素材などを駆使して、始原の魔法(ワイルド・マジック)製の──とある魔法詠唱者(マジックキャスター)のレベルを底上げする指輪まで、快く提供しているほどに。

 ありていに言えば、今の二人は、良き友人同士であるのだ。

 

 

 

 

 

 ツアーは、確かに、ユグドラシルプレイヤーについて思うところはある。

 

 それは、“八欲王”と呼ばれるもの達。

 それぞれが世界すべてに匹敵する超常の力の持ち主たち。

 

 まず。

 彼等が出現したのと前後して、六大神の生き残りにして盟約者──“スルシャーナ”というプレイヤーが、死んだ。

 スルシャーナ討滅の下手人と思われた彼等は、法国に憎悪され、竜王たちからの厳しい追及にも、多くは語らなかった。

 八欲王は世界に対して「敵対」する姿勢で挑み、ツアーの父や兄姉たちを殺し、親族や他の竜王を滅ぼした。始原の魔法(ワイルド・マジック)を歪める原因を作ったものたちを、幼かったツアーは憎からず思ったこともあった。はっきり言えば、一時ながら復讐の(とりこ)ともなった。

 だが。

 それよりも何よりも、幼き自分の未熟を呪い、皆を見送ることしか許されず、竜王が彼等との戦争に敗北を喫した時に、生き残った中で唯一の竜帝の嫡子たる自分にアーグランドの事後処理を任され……若気の至りで単身挑みかかって返り討ちにされ、王達に“情けをかけられた”。その事実に対し、年若い竜の王子は、度し難い程の憤怒に焦がれ、涙した。

 そして。

 復讐の爪牙を研ぐと亡き竜帝と兄姉に誓い、八欲王の穏健派に保護され、共に過ごし、……後に、八欲王の一部が、亜人や異形の存在へと転化した事実に耐え切れなくなったものたちが“世界の敵”と化して、穏健派の王達と共にそれを打ち倒すことに協力し、……残ったものは、浮遊都市エリュエンティウだけとなった。物語だと、「互いに持つものを求め争った」とされる彼等だが、それは後世の脚色・作り話に過ぎない。……否。──見方によっては、それは真実でもあるが。

 後に。

 浮遊都市の後継管理を任されることになった“白金の竜王”ツアーの前で、最後の王が“寿命”で死に絶える事実に、己のちっぽけな戦意と敵意が、燃え焦がれそうなほどの復仇の思いが完全に尽きていくのを感じて、

 ──ただ、(むな)しかった。

 

 ツアーからすべてを奪った者がプレイヤーであれば、

 ツアーを救った者もまた、プレイヤーであったのだ。

 

 

 

 

 

 それから後、ツアーは六大神や八欲王が転移してきた「ユグドラシル」の情報収集と、その遺物の探索、流れ着いてくるプレイヤーや関係者たちの調査……可能であれば、保護と協力に動き続けた。

 

 だが、そのすべてを把握することは、竜王(ツアー)の知覚力をもってしても困難を極めた。

 100年周期で訪れるらしい彼等は、大陸各所の全土に散っており、その法則性を見出すことも不可能であった。そうして、彼等は場合によっては、転移した直後……自分の身に降りかかった「異世界転移」という異常現象に恐慌し狂乱して、運悪く災厄や敵に襲われて死に絶えたりすることもあるからだ。個体によっては、自分で自分の命を終わらせるものもいるくらいに、彼等の心は(もろ)かった。

 そして、転移してくるものの中には、ツアーの親友となった“リーダー”のように、誰よりも弱い……Lv.1の状態で、この世界に転移させられる者もいる。話によれば、「最終日だから調子に乗って、はしゃぎすぎた」とか、なんとか。

 

 圧倒的に弱いものは、運が悪ければ早死にする。

 圧倒的に強いものは、己の力を過信して無茶をしでかす。

 

 結果として、ユグドラシルからの転移者……世界級(ワールド)アイテム保有者などは、親の庇護から外れた竜の(ひな)よりも()く早く、この世界の脅威にさらされ死に絶えるものが、圧倒的に多いようだった。

 

 そして、100年前。

 ツアーはアインズ・ウール・ゴウンと同盟を結び、世界をひとつの旗のもとで統一する事業に手を貸した。

 アーグランド評議国は、魔導国と盟約でもって結ばれ、双方良好な関係を維持し、後に魔導国内部の信託統治領へと相成った。

 世界を平和に統治し、その全土を掌握することで、今後におけるユグドラシルからの渡来者たちを、効率的に発見保護できる環境を整えるのに、アインズたちの存在は最適と言えたから。

 ツアーでは成し得ない──成し得ることは許されない“世界征服”こそが、彼等不幸な転移被害者たちを救命する特効手段たり得るから。

 ……無論、この世界にとって「ただ擾乱(じょうらん)を引き起こすだけの敵」を排撃し廃滅する手段にも、なる。

 

 

 

 

 

 そうして、100年後の今。

 

「演技には昔から慣れている」

 

 堕天使たちを相手に、見事アインズ・ウール・ゴウンに抗する“同士”にして“カワウソの協力者”の役を演じたツアー。

 

「だてに鎧姿で、人間のふりをして、十三英雄をやっていたわけではないとも」

 

 そのおかげで、リグリットなどからはよく小言を言われていた。かつて、自分の正体を明かした際──空っぽの鎧の中を見せた時は、本当に申し訳ないことをしたが、ツアーが己の領地の中に留まりながら諸国を見て回るには、鎧姿で諸国をめぐる以外によい方法は存在しなかったのだ。

 でなければ、世界は白金の竜王が巡礼するたびに、無用な混乱に襲われたはず。

 竜の姿のままでは、人間の街や村に現れただけで、超級の災厄扱いされるのがオチだから。

 そして、六大神との盟を守り、八欲王の最後の一人からギルド武器を委託された、最強にして真なる竜王。

 それほどの存在が動くだけでも、かなりのリスクが生じるのだ。

 遠隔操作によって動く竜の鎧は、ツアーにとっての目と耳として、十全な役割を果たしてくれた。

 そうして、ツアーはリグリットたちと出会い、当時の世界に渡り来たリーダーたちと、出会えた。

 

 彼等はツアーにとって、嘘偽りのない友となった。

 

 その当時の記憶をありありと思い出せる竜の王は、かつての戦いで見た光景を想起し、アインズに忠告を添える。

 

「あの、カワウソ君の隣にいた熾天使くん……確か、ミカと呼ばれていたね。

 彼女の放つ輝かしいオーラ。かつてリーダーたちが召喚してくれたあれを思わせるよ」

「ふむ。熾天使(セラフィム)の“希望のオーラ”だな」

 

 男は頷く。

 アインズの、最上位アンデッドの天敵となりうる、天使種族。

 熾天使などが有する“希望のオーラ”というものは、自軍勢力に対しての加護や常時回復効果を約束する稀少な力であり、アンデッドなどの負の存在に対しては、強力な武器ともなる。これへの対策として、最上位アンデッドの“絶望のオーラ”などで相殺するか、専用のアイテムで防御するかの二択しかない。

 今のアインズは受肉中……知覚力に優れた存在にとっては、ただの“人間”と同質な上、認識阻害の魔法の装備なども合わさることで、完全に彼女たちからアンデッドとしての気配を遮断できている。そのため、熾天使の輝かしいオーラを浴びても体力が減耗する心配は一切ない。

 もっとも、この受肉化状態のアインズは、通常よりも制約が多く、人間としての弱点も顕在化するため、本気の戦闘になった際にはあまり使えない。一等冒険者としてのパフォーマンス……言い方は悪いが、“お遊び”程度の戦闘力しか発揮し得ない以上、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)との本格戦闘では使えそうにない。今の彼の護衛は、同様に〈認識阻害〉の装備に身を包む者たち、闇妖精の青年“月王妃(マーレ)”と、アインズの優秀な“親衛隊隊長”を務めるユウゴ王太子が、魔導王の背後に侍ることで務めている。

 無論、優秀な護衛がいて、ツアーも場合によっては参戦可能と言っても、魔導王自らが訪問しての覗き見は、危険極まる行為である。

 が、アインズは今回の“我儘”を、明け方早朝に、最も信頼する王妃の一人である最王妃(アルベド)に相談して……無理を通して、危険だが絶対に必要と思われる、カワウソの最終意思確認を──彼の復讐の気持ちを再認すべく、ここまで足を運んできたという顛末(てんまつ)である。

 ツアーは確認の意味を込めて、アインズに(たず)ねる。

 

「君からの要請だったとはいえ──本当によかったのかい?

 彼等、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)を、『ナザリックを囲む平原に通して』?」

 

「構わないさ」アインズは人間の相に、はっきりとした微笑みを浮かべる。「それが、現状において最も被害を最小限に食い止められる、唯一の方法だ」

 

 ツアーも同意するように顎を引いた。

 

 彼を、堕天使のプレイヤーと天使NPCの一行を、魔導国への被害を出させずに掃滅するのに有用な手段。

 それは、あえて城塞都市の内側に彼等を招き寄せ、ナザリック地下大墳墓をまっすぐに目指させることで、それ以外の都市や周辺地域へのいらぬ騒乱を防ぐために、アインズはツアーに、今回の茶番劇をうつように要請しておいた。

 最初こそカワウソたちの保護と説得を試みたいとツアーは考えていたが、実際に魔導国側への被害──POPモンスターやアインズが作成した上位アンデッドの死の支配者(オーバーロード)部隊が掃討され、尚且つ、アインズ側が差し向けた使者、マルコ・チャンとの交渉折衝の計画も失敗に終わっている事実がある以上、強行するわけにもいかなかった。

 

 何しろ、カワウソが殺した、アインズが生み出し永続性を付与された上位アンデッド。

 その貴重な触媒となる素材は、ここにいるツアーによって提供された、他に手に入りようがない“レアもの”だ。

 カワウソは、それほどの素材を使用して生み出されたことを「知らぬ」とはいえ殺し尽くし、アインズ謹製の死の支配者(オーバーロード)部隊、その亡骸を己の拠点に持ち帰ってしまっている事実がある以上、ツアーにとっても喜ばしい状況とは言えない。

 

 そんな竜王に対し、アインズは謝罪に謝罪を重ねてくれていたが、これは仕方がないと諦めはついている。

 ……あの亡骸は、後々回収できれば、それでよい。

 

「カワウソ君──彼は、悪いプレイヤーではなさそうだが……再交渉の余地は?」

 

 自分で言及しておいてあれだが、そんなものは一片も存在していなかった。

 アインズも無念そうに首を横に振る。

 それほどまでに、堕天使の男の望みは“まっすぐ”で、とても明らかに過ぎた。

 

 たとえ、負けるとわかっていても。

 カワウソは、どうあっても止まることはない。

 たとえ自分が、死ぬとわかっていても。

 彼のような復讐の鬼は、止まることを知らないのだ。

 

 ツアーには解る。

 だからこそ、何も言えない。

 

 そして、厄介なことがもう一つ。

 異形種や亜人種のプレイヤーは、人とは違う肉体に精神を引っ張られ、通常の人間にはありえないような判断を下すことがままある。転移当初はそこまででもないが、時間経過や種族スキルを乱用することなどによって、その兆候が顕著になっていく。異形種の存在は人間種とは違い、「不老不死」を誇る強大な種族だが、それ故に、“もともとは異世界の人間”でしかないプレイヤーに制御できる事例は限られてくる。

 ある日、突如あたえられた異形種としての感覚や感情の振れ幅に翻弄され、あるものは精神を病み、あるものは人外の心に染まり果て、あるものは絶望の淵に立たされ──自殺しようとするものも現れる始末。

 ツアーは、そんなプレイヤーたちを知っている。

 八欲王と呼ばれた彼等の中で、“世界の敵”と化した者たちを知っている。

 ──“世界の敵”になるしかなかった者たちのことを、よく──知っている。

 

 そんなものたちを、憎み、恨み、怒り、嘆き、復讐を誓っていた、幼き日のツアー

 すべては目まぐるしい日々の中で、時間と共に、復讐の想念はすり減らされていった。

 

 しかしカワウソに、彼にそれを強いることは、もはや不可能だろう。

 ツアーたちが指し示す先へ導かなければ、彼は魔導国のどこかを襲撃する暴挙に出たやもしれない。

 

 そして、ここにいるアインズも、それら事実を自分自身で正しく認識できている。

 認識できていて、彼は平然と、日々を変わりなく過ごしている。

 そのように己に対して(つと)めているのだ。

 アインズは告げる。

 

「堕天使は、ユグドラシルにおいては『己の欲望に忠実なモンスター』だ。彼が自分の望み欲するものを定めている以上、「自分の求めるもの」「ギルドの仲間たちのため」に動く以上、俺やツアーでは、どうのしようもない」

「仲間のため……ああ、それは本当に、どうしようもない」

 

 ツアーは納得を得るように嘆息を漏らす。

 アインズもまた得心したように肩を竦めた。

 

 それこそ、アインズの種族であるアンデッドが発動する“精神鎮静化”の現象でもなければ、冷静な思考をすることも難しいだろう。自分が醜悪な化け物に成り果てたという事実と直面して、それをどうすることもできないと知った時の絶望は、とてもではないが余人には推し量ることは不可能なものだ。

 とくに、もとの世界──“リアル”という現実が、そのプレイヤーにとってかけがえのないものであればあるほど、この異世界への転移現象は、受容可能な現実にはなり得ない。何に代えても帰ろうと欲し、何を犠牲にしてでも、元の世界に残したものを取り戻そうと、そう乞い願って当然なのだ。

 妻、夫、子供、家族、恋人──それら愛する者と唐突に引き裂かれ、帰る手段も何もないなんて事象を、受け入れられる「人間」など、ありえない。

 

「カワウソ君は、特にそのあたりは言及していなかったから、そういう関係は無縁だったのだろうけど」

 

 (カワウソ)はツアーに対して、この異世界転移の事情を知ろうとはしたが、一度も「帰りたい」「帰してくれ」「帰る方法はないのか」と、お決まりの文句を一言も言ってはこなかった。

 カワウソという堕天使は、そんなあたりまえな感情すら失うほどに歪んだ種族なのか……あるいは、彼はアインズと同じく、リアルとやらでは天涯孤独の身の上だったのか、そのいずれかだろう。

 そんな彼、堕天使が望むことは、竜王が感心するほどに一貫していた。

 

『アインズ・ウール・ゴウンと戦う』

『第八階層“荒野”に挑む』

 

 そう高らかに放言した、愚直なまでの戦意の結晶。

 いっそ危うい程に復讐の理念に(とりつ)かれた、化外の精神力。

 何が彼の心をそのように衝き動かしているのかは、あまりにも瞭然としていた。

 しかし、だからこそ、ここにいるアインズは、自分の敵となることを望み欲する存在に、もはや容赦はしない。

 

「彼等は、これまでの有象無象、どこにでも湧く塵芥(ちりあくた)とは違う……この俺“アインズ・ウール・ゴウン”の、最大限の敵意と敬意でもって掃滅する相手として、ナザリック地下大墳墓の全力でもって、滅ぼす」

 

 可能であれば。

 ツアーは可能であれば、カワウソを説き伏せ、アインズ達との敵対姿勢を緩めるように助言し、白金の竜王の権限で、彼等を庇護下におくことも考慮していた。その可能性に対して、アインズも一定の理解を示してくれていたが──結果はごらんの通り。

 自らの敵の姿を再認識したアインズは、護衛としてついてきた者たちを振り返り、今後の方針を確固たるものとする。

 

「油断はしないことだ、アインズ」

 

 ツアーは叡智と賢知に満ちる瞳で、カワウソというプレイヤーの、その心髄を見抜いていた。

 

「カワウソ君は、確実に世界級(ワールド)アイテムの保有者だ」

 

 竜王は見定めていた。

 彼が装備していた中で、アインズが普段使いしている神器級(ゴッズ)装備と同格のものは、僅か六つ。玄関ホールにて転移の門を開こうとしていた、白黒の双剣。身に纏う黒曜石のごとき輝きに満ちた足甲と首飾り。血の色に濡れた外衣(マント)と、それに包み隠されていた“黒い掌”のごとき漆黒の鎧。

 

 

 

 そして、それらよりも一際強大な威を示し続けた、赤黒い、頭上の円環。

 

 

 

 真の竜王(ツアー)だからこそ、その正体と価値を見抜くことが可能な至宝の一品──世界級(ワールド)アイテム。

 見た目だけでは詳細な情報──威力・効果・範囲・長所・弱点などは判断できないが、その存在感はまさしく、世界ひとつに匹敵するほどのもの。

 それほどの(たから)を平然と頭上に回し続けている堕天使は、おそらく、自分がどれほどのものを戴いているのか、まったく把握できていない。まさに、プレイヤーの一典型例である。

 世界すらも、改竄し、改悪し、改良し、改変し、改造の限りを尽くせる、「世界」の力。

 父や兄姉、親族たちが悉く敗れた──たった一人を殺すのに、十人がかりで挑み殺されて、ようやく一殺が可能だった、世界最強と謳われる竜ですらも蹂躙し得る、破格の能力。

 自分を自分で制御できるだけの素質や精神がなければ、世界に住まうものにとっての害毒にしかならない──“世界の敵”として、望まぬ戦いと争いを蔓延(まんえん)させるしかなくなった、可哀(かわい)そうな転移者たち。

 そして、今回。

 この世界に流れ着いたプレイヤー……彼の世界級(ワールド)アイテムは、その性能を未だに発揮されていない。

 そして、異形の堕天使と化した、元人間の彼の精神は、確実に破綻へと向かっている。

 たった十数人で、あのナザリック地下大墳墓へ挑むなど──とてもではないが、正気であるとは判断しにくい。そして、カワウソが世界級(ワールド)アイテム保有者であるがゆえに、ツアーでも、彼を問答無用でどうにかできるだけの能力を発揮し得ない。

 カワウソが暴走し、頭上のアイテムを起動させる事態になれば、間違いなく、ナザリック地下大墳墓と、アインズの協力は不可欠。場合によっては、ツアーが保護管理下に置く浮遊都市と、その地の最重要アイテムたるギルド武器も必要になるやも。

 

 彼を衝き動かすものが何であるのかを、ツアーは理解し、故に、その歩みを否定することは出来ない。

 何故なら、ツアーもカワウソと“同じもの”を想って、戦い続けてきたのだから。

 そして、アインズ・ウール・ゴウン……モモンガも、また同様。

 

「アインズ。いいや、モモンガ。今、君にいなくなられるのは、正直、困る」

「わかっている、ツアー……我々の計画、否、“あの約束”は、必ず果たす。あと100年、200年、500年かかろうとも」

「──ああ、頼むよ」

 

 そうして、アインズはツアーとの密会を終え、己の拠点へと開かせた転移魔法の門で、優秀な護衛と共に帰還を果たす。カワウソはこの宮殿で扱えなかった転移の魔法だが、彼と個人的な友誼を結んでいるツアーは、アインズたちの転移は行えるように便宜を図っている。

 ツアーは一人となって、聖堂の中にうずくまり、いつもの場所で巨大な体を休む形に整える。

 そうして、カワウソとの会話を思い返す。

 さきほど、堕天使のプレイヤーに明かした、ツアインドルクス=ヴァイシオンの、個人的な目的。

 

 

 ツアーが求めてやまない、願い。

 自分ひとりではなし得ぬ、望み。

 

 

 かつての“仲間たち”──

 200……300年たっても忘れ得ぬ“友ら”──

 あの日、世界の為に死んだ、十三英雄の、リーダーたち──

 

 

 あの“二人”を、救う。

 

 

 そのためならば、ツアーはいくらでも待つ。待ち続けることができる。

 己の手を悪逆に貶めることも辞さない。誰を、何を、犠牲にしてでも。

 それで、彼等が救えるのならば、いくらでも汚れ役を引き受けられる。

 

 

 ただ──

 

 

「カワウソ君……彼と、彼のギルドが協力してくれれば…………いいや」

 

 

 たらればを言っても意味がない。

 彼はアインズの敵となった。

 それで、この話は終わり。

 

 ……だが、もしも……

 

 彼とアインズ・ウール・ゴウンが、ツアーと力を合わせられた時──

 

 

「意外と、……いい関係が結べると、思うのだが、ね……」

 

 

 ツアーは、カワウソ達の行く末を思う。

 彼に協力すると言いながら、その実、彼を破滅の道から救うことができない自分の無様さを嘆きながら、竜は微睡(まどろみ)の底へおちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




未だに謎が多い白金の竜王・ツアー。

彼と八欲王、六大神、十三英雄のリーダーたちとの関係は、
Webや書籍の情報をもとにした空想です。
原作とは著しく違うかもしれません。ご了承ください。

現在判明している情報だと、

・ツアーは六大神と取引をしたことがある(作者Twitter)
・真なる竜王は法国と世界盟約を結んでいる(Web版・舞踏会-4)以下抜粋『世界を汚す猛毒に対する同盟。スレイン法国がかたくなに守る最強の契約』
・ツアーは八欲王と戦ったことがある(Web版・諸国-5/作者Twitter)
・ツアーは十三英雄のリーダーの死について「リグリットだってショックを受けただろう?」と言っているので、ツアーもショックを受けている(書籍7巻P281)
・ツアーはユグドラシルの特別なアイテムの情報を集めていたが、リグリットに協力を依頼している(書籍7巻P281)以下抜粋『今までは私がやっていたことなんだけど、君にも協力してほしい』


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欲望と希望 -1

※59話と60話では、100年後のアインズ様たちナザリック勢は出てきません。
 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)での話が続きます。ご了承ください。


/Platinum Dragonlord …vol.08

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔のことだ。

 

 あの日。

 カワウソは旧ギルドの、世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)のメンバーと共に、ギルド武器の製造について話をしていた。

 やっぱりこの魔法はなくてもいいんじゃないか。でも全体会議の満場一致で、皆がギルド長の提案を受け入れていた。しかし、いかにギルド武器と言えども、無限の容量は望めない。無茶な提案をしたことを反省して謝るギルド長の彼女を、全員が理解してなだめる。いつもの平和な、ギルドの仲間たち。

 

 ギルド武器は最強のアイテムだ。

 ランカーギルドだと、世界級(ワールド)アイテムに匹敵するものもありえるという噂もあった。

 自分たちのような底辺ギルド──十数人しかいない弱小では、神器級(ゴッズ)相当が限界だったけれど、仲間たち皆と一緒に相談して、雑談して、素材を集めて、買い出しに行って、気になるフィールドやダンジョンに赴く計画を立てて……

 

 楽しかった。

 本当に、楽しかったんだ。

 

「カワウソくんー、覚えてるー?」

 

 あの日も、副長の問いかけ──ギルドの皆で誓った約束について、熾天使(セラフィム)だったカワウソは喜んで応えた。

 

「えと確か……

『たとえギルドがなくなっても、もう一度、皆と一緒に、そこへ戻って冒険したいから』……ですよね!」

 

 皆がうなずいてくれた、ギルドの誓い。

 振り向いた先にいる恩人、世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)のギルド長、副長のふらんさんの妹である人間種のプレイヤーが、微笑むように頷いてくれる。ユグドラシルでは表情は動かせないが、彼女の声の雰囲気は親愛に満ちていて、とても面映(おもは)ゆい。

 

 夢のような日々だ。

 

 ああ、これは夢だ。

 

 皆と過ごした時間を、カワウソは忘れないし、忘れられない

 ギルドの誓いを、カワウソは忘れたことはない。

 忘れることができそうにない。

 

 だって……それが……

 

 

 

 唐突に、後ろから誰かに突き飛ばされるような感覚に溺れる。

 

 

 

 落ちた先で見る光景は、ナザリック地下大墳墓・第八階層の“荒野”。

 

 頭上に現れた“あれら”。星々のごときモノから繰り出される絨毯爆撃じみた攻囲の嵐。

 そして、討伐隊を地上で迎え撃つ、“紅い少女”の参戦。流星や彗星のごとき暴虐の拳。

 

 わけもわからず“荒野”を進む討伐隊……カワウソのかつての仲間たち。

 カワウソは、そこにはいなかった。

 

 だから、これも夢だ。

 

 カワウソは吠える。

「──逃げろ」と叫んだ。

「──逃げてくれ」と欲した。

 

 だが、討伐隊を構築するプレイヤーたちが、現れた奇怪な天使に応戦すべく、魔法を飛ばしてしまう。

 

「やめろ」と喚いた。

「待ってくれ」と願った。

 

 胚子の赤子があっけなく死んだ瞬間、1500人の討伐隊の生き残り……第九階層へ続くはずの鏡を目指していたプレイヤーたちは、全員が身動きを封じられた。

 そうして、現れたのは、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバーたち。

 彼等を率いる死の支配者(オーバーロード)……モモンガ。

 

「よせ……やめろ。……待て、──待ってくれ!」

 

 震える声で叫び喚き続ける堕天使は、この瞬間には存在していない。

 

 だから、これは夢だ。

 とびきりの、悪夢だ。

 

 モモンガが世界級(ワールド)アイテムを起動した瞬間、

 ──“あれら”が、「死」が、仲間たちに、……()ちる……

 

「逃げろ! 皆っ、逃げろッ!!」

 

 叫んでも意味はない。

 声をからして喚いても届かない。

 

「逃げてくれ! 頼むからッ!!」

 

 これは夢だ。

 ただの夢だ。

 カワウソの見る、過去のゲーム映像──ただの悪夢(ユメ)だ。

 

 

  誰もが震え上がり、足が体が心が(すく)みあがる、“あれら”の変貌。

  降り注ぐ星々は、

  死神の饗宴か、

  幼子の絶叫か、

  魔王の狂笑か、

  ──あるいは世界の終焉……断末魔か、

  意味不明瞭な音色を奏で吠えながら、荒野の大地に、()ちてくる。

 

 

 そうして。

 

 

 ギルド長たる彼女が持つギルドの武器が、

 皆と創り上げたすべてが、

 皆との絆が、

 

 

 

 一瞬で砕ける。

 

 

 

「やめろ!!

 もういいっ!!!

 もうやめてくれぇぇええぇえぇぇぇッ!!!!」

 

 夢の中で、カワウソは慟哭する。

 誰も何もいなくなった黒い(おり)の底で、堕天使は膝を屈してうずくまり、嗚咽(おえつ)をこぼし(すす)り泣く。

 

 ギルド武器が砕けた時、カワウソは『敗者の烙印』を押される落伍者となった。

 カワウソ達のギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)は、崩壊した。

 仲間たち皆と築き上げたすべては、ユグドラシルのゲームから、消滅した。

 その後に待ち受けていたのは、悪夢のような日々。

 地獄の水底を這いまわる堕天使(カワウソ)

 終わることのない戦い。

 馬鹿げた復讐劇。

 独りぼっち。

 

 カワウソは、今この時のように、たった一人でゲームに残されて、あのアインズ・ウール・ゴウンに、挑み続けた。

 

 誰にも理解されず、

 誰からも認められず、

 たったの、ひとりで──

 

 

 

 ふと、漆黒の空間に、光が差し込む。

 

 希望の(ともしび)。眩しい輝き。暖かく抱きしめてくれる両の手。

 

 何者かに護られているような、果てしない安堵のぬくもり。

 

 ────だが、泣き耽る堕天使は、己の顔をあげられない。

 

 そこにいる誰かを、(かえり)みることが、できない。

 

 何もできない。

 

 

 

 ああ、

 

 だって、

 

 これモ──きっト、

 

 

 夢 ナ ノ ダ  カ  ラ  ……

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 繰り返される悪夢に(うな)され、眠りから覚める日々。

 ここでも。むこうでも。それはほとんど──変わらない。

 

「ぁ……」

 

 呆れるほど繰り返される過去の記憶。冷たい寝汗が気持ち悪い。

 熱い眼を拭って、異形の掌を見る。浅黒い肌を、大量の水滴が濡らしている。

 夢というものは「人間の記憶を整理する作業」のようなものだと聞いたことがある。

 だが果たして、堕天使という種族にそんな脳構造が適用されるのだろうか、大いに疑問だ。

 ベッドの上で丸まっていた身体を伸ばし、重い瞼を開いて、今の現実を直視する。

 ここは、カワウソの拠点。自分が築き上げたギルドの城。最上層の第四階層の屋敷の私室。

 

 

 

 

 いつものように身支度をし、朝食を食べ、拠点警戒状況の報告を受け取りながら、カワウソは時を過ごす。

 

 

 

 無論、漫然と過ごすのではない。

 例の作戦……明日に迫る「その時」のために、できることは何でもして、準備すべきものは何もかも用意した。

 

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)──ツアーと会談し、密約を交わしたカワウソ達は、明日、この世界を征服した国に、挑む。

 ツアーから提示された協力条件の一つに、襲撃をかける日は、彼の都合がつく日と定められた。

 彼が提供してくれた、白金の竜王の通行証。それを城塞都市のセキュリティに通すための手続きが必要なのだと言われれば、納得するしかなかった。カワウソ達の方にも、作戦を決行する準備は必須だったために、その条件を飲まない理由などありえなかったと言える。

 

 急場しのぎの作業になったが、天使の澱のNPCは、全員がよく働いてくれた。

 周辺警戒を休むことなくこなしてくれるマアトやガブ、そして地表で実際に警備を務める動像獣(アニマルゴーレム)四体。アプサラスは可能な限り増産できるアイテム類を揃えてくれたし、薬剤師(ファーマシスト)の力を持つラファはポーションなどの回復アイテムを製造し尽した。軍略能力──戦術家や指揮官系統のレベルを有するミカ、ウォフ、イスラなどによって、平原にいるというアンデッド軍への対抗布陣・突破策がすでに策定されている。

 それ以外のNPCたちも、自分たちにできる準備を着々とこなしている。

 ナタやクピドは自分たちの武装に不備がないことを再三再四に渡って確認しながら整備に励み、魔法火力役のウリやタイシャは魔力の温存に専念するよう読書や瞑想に耽り、イズラは都市で敗北を喫した汚名をすすぎたいと修練に励みつつ、拠点第一階層・城砦の入り口前で、自分と同じ侵入や潜入工作を得意とする存在の警戒に直接あたってくれている。

 決戦を間近に控えた全員の士気は、これまでにないほど高い。

 屋敷のメイド隊十人……Lv.1の彼女たちですら、自分たちも役に立ちたいと奮起してくれていた。

 

 そんなNPCたち皆の様子を、カワウソは苦いものを感じながら、見届けた。

 

 おそらく。

 というか確実に。

 ここにいる彼等のほとんどは、死ぬ。

 

 カワウソの馬鹿な企み──強大な敵であるアインズ・ウール・ゴウンとの戦いで、その命は尽きていく。

 

 そうなることに対して、誰も、何も、文句を言ってこない。

 そうあることに対して、誰も彼もが、納得しかしていない。

 

 いっそ恐ろしいまでに、カワウソという創造主に忠実でいてくれるNPCのことを、カワウソは思う。

 だが。

 もはやどうあっても、自分たちが生き残る道など、無い。

 選択の時は終わった──カワウソは何もかもを決めて、NPCたちを滅亡への片道切符に引き連れたのだ。

 だというのに。

 まるで全員が、遠足やピクニック、イベントの前の眠れない夜を(たの)しむ──子どものよう。

 そんな彼等と共に、カワウソも笑っていたいところだったが……彼等に対する罪悪感が怒濤のように攻め寄せてきて、どうにも苦笑することしかできていない。

 

 後悔だけはしない。

 後悔だけはしたくない。

 彼等に、後悔だけはさせたくない。

 

 なにより。

 これ以外の道で、カワウソの願望……復讐は叶えられない。

 ならば、笑わなければ。

 そうわかっているのに──カワウソは、笑えない。

 彼等にとってふさわしい、主人の姿を、保てない。

 

 本当に、ダメな主で、申し訳ない。

 

 

 

「以上が、明日ナザリック周囲を鎮護するアンデッド軍への作戦要綱になります」

 

 ツアーから得た情報の確度にもよるだろうが、平原を突破するための作戦として、十分なものを用意してくれたミカ。

 

「わかった。……これで何とか、間に合ったな」

 

 日はすっかり沈みかける時刻だ。

 拠点第四階層の外は、夕暮れから夜の景色に染まりかけている。空気の入れ替えを行う小窓からは、清涼な潮の香りが際立って薫ってきた。

 円卓の間で作戦を議論していた長卓の上に、様々な書類が山のように峰を築き、海のごとく一面に散らばってもいる。急ピッチで進んだ作戦会議の結果であり、あーでもないこーでもないと議論が白熱した戦果とも言えた。

 優秀な副官たる防衛部隊隊長に、カワウソはぎこちなく笑って応じる。

 変な笑みを浮かべる主人に対して、ミカは何故か相変わらず“兜”を身に着けたまま、ナザリック攻略のための準備を整えてくれた。

 (いわ)く、「いつ敵が奇襲攻撃を仕掛けるか知れたものではないから」ということ。

 頷ける話だった。

 いかにツアーが協力してくれると言っても、彼の言動を全面的に信用してはいけないし、することはできない。ツアーが言うことすべてが真実であると決まったわけではないし、ツアーの推測以上の行動を、魔導国の王がとっている場合もある。

 

 特に危険なのは、ツアーが魔導王と完全にグルである可能性だ。

 ツアーがカワウソに協力することを、魔導王が熟知、または指示していた場合、カワウソ達にとって最も危険なのは、今こうして「準備を整えている時」と、この拠点を空けて「天使の澱の全員がナザリックに進軍した時」に、この拠点を襲撃されること(・・・・・・・・・・・・)。一番最悪なのは、もちろん後者である。

 考えるだに吐き気しか感じないほど、自分たちの状況は危うかった。

 それでも、カワウソは戦いに臨む姿勢だけは貫き通す。

 

「……城塞都市への侵入は、明日早朝であることは?」

「はい。全員に作戦概要は通達済みです。心配には及びません」

 

 ミカは委細すべてを心得ているように、打てば鳴る速度で主人の言に含まれる意図を読み解く。

 

「現状、考え得る限りにおいて、これ以上の作戦はありえません」

「うん……この通行証のおかげで、転移魔法も阻害されずに使えるという話だからな」

 

 カワウソは竜王の通行証を手にして眺める。

 城塞都市内部から、ナザリックを護る平原とやらへの侵入作戦は、カワウソと極少数の護衛が都市に潜り込み、平原の野へと至る直前にLv.100NPC全員をかの地へと誘導する策で進む。

 都市内をLv.100の手勢が集団で行列をなしながら進むのは得策とは思えない。カワウソの神器級(ゴッズ)アイテムたる血色の外衣(タルンカッペ)は大人数の潜伏には使えない上、そういう〈完全不可知化〉を見抜く上位アンデッドに不審がられるデメリットを考えるなら、潜入に隠蔽魔法の類は使うべきでもない。自然と都市の中を往来する者として相応しい恰好で進むと、カワウソは決定しておいた。

 

「随分と長くなったが、明日に備えて早く休め。ミカ」

 

 イスラやウォフも既に下がらせ、ここの片づけは堕天使メイドのミドル・地精霊メイドのメソスに任せる。円卓の間は、今回の作業であまりにも散らかし過ぎた印象が強いが、メイドたちは嬉々として掃除に励んでくれるので助かっている。まるで、「私、今すごく仕事してる!」と言いそうなくらいに誇らしげな調子で微笑んでいた。メイド隊は全員戦闘能力がほぼないLv.1。明日の戦いでは、完全に拠点に残していかざるを得ない。

 

「私であれば、休むことなく働けますが?」

「働き過ぎて根を詰めるのは、よくないと思うが?」

 

 メイド隊とは逆に。明日の都市侵入の護衛に加え、戦いの指揮官の一人ともなる熾天使(ミカ)は、絶対に万全の態勢でいてもらわねばならない。

 他のNPC──Lv.100の皆にも、休息に入るように厳命している。

 拠点防衛の警戒網は緩んでしまうが、そこはうまい具合にカバーできるようにシフトを組んでおいた。

 

「──了解しました。では、先に休ませていただきやがります」

「ああ、おつかれ」

 

 気安くミカを見送ったカワウソは、イズラの用意した夕食を取った後、今日一日の精神的な疲労を回復させるべく、屋敷のある場所を目指す。

 

「風呂にでも入るか」

 

 ぽつりと呟く主人に対し、付き従う堕天使メイドのサムが「では。湯殿係の用意を」と言ってくる前に、堅く他の仕事に専念させる。

 不承不承という感じではないが、少なからず残念そうに引き下がるメイド長を置いて、大浴場へ。

 メイドたちは、カワウソの衣食住すべての作業を代行したいという欲求があるらしく、いちいち扉を開けてくれたり、食事の配膳に勤しんだりと、甲斐甲斐しく世話を焼こうとする(これは他のLv.100NPCにも共通した特徴でもある)。だが、さすがに自分で生み出したNPCとは言え、自分の裸を他人に見せつけ、熱い湯を使って体を()かせるなど、そんなの羞恥(しゅうち)に耐えきれる自信がない。

 それに。

 メイドたちは誰もが絶世の美女や美少女ばかりで、肉体の方も巨・大・中・小・微など、いろいろと整っている。そんな存在に風呂の世話をさせることになれば、──いろいろと、その、マズい。

 厳密には、下半身の方で、問題が生じかねなかった。

 

「……誰も、いない、よな?」

 

 大浴場の札には「未使用」の文字が。それを裏返すことで「使用中」と他の利用者や清掃のメイドに知らせるシステムだ。

 ここに来るたび、転移したばかりの頃にあった、ミカとの不幸な事故を思い出してならない。

 あの時のような失態を繰り返さないために、屋敷の中では極力転移は使わず歩いて移動するのが日常的になっていた。

 念には念を入れて、慎重に脱衣場を覗き込み、他の人の着替えや使用中の籠がないことを確かめてから、カワウソは自分の装備を脱ぎ捨て、備え付けの洗濯機の中にブチ込み、浴場の方へ。

 

「ふぅ……」

 

 洗い場で体を丁寧に洗い、常に湯の張られた露天の岩風呂を堪能する。

 こうしていると、今日一日の疲れが体の外へとけ出ていくのがわかる。

 暖かな湯に包まれ、そのなんとも言えぬ快感に、堕天使の脳髄は微睡(まどろ)みすら覚える。

 そんな夢心地に(つか)りながら、カワウソは誰もいない大浴場の閑散とした様子に、寂しさのようなものを感じることが多くなっていた。

 

「──こんな広い施設を、俺だけしか使わないっていうのは……」

 

 実にもったいないことだ。

 設定だと、ミカが『時たま利用しているだけ』で、下の階層を護るガブたちNPCをはじめ、屋敷のメイド隊十人も、ここを利用することはない(皆それぞれに与えられた私室に、それなりのバスルームを設けられているので、わざわざここを使う必要がないのだ)。

 

「せっかくだから。最後の最後ってことで、全員に自由に過ごさせたほうが良かった、かな?」

 

 明日は、天使の澱の最後の戦いになるだろう。

 ならば、彼等に最後くらい、我儘に自儘に過ごさせた方がよかったのではあるまいか。

 しかし──

 

「……そんなことをしても、俺の気が晴れるだけか」

 

 ただの安っぽい、独りよがりな自己満足だ。

 これから、ここにいる全員に、カワウソは酷薄に過ぎる運命を押し付ける。その事実は変わらない。

 あのアインズ・ウール・ゴウンとの戦い──その結果は、火を見るよりも明らかなもの。必定でしかない。

 

 だというのに。

 NPCたちの忠誠は揺るがない。

 揺るがないからこそ、カワウソは今、ここで、彼ら彼女らを傷つけるような行為に及ぶような事態は、全面的に忌避しておきたい。

 

 たとえば。先ほどの「湯殿係」のこと。

 メイドたちの欲するように、創造主の湯の世話をメイドたち総出で世話をさせれば、彼女たちは主人に尽くすことができたということに対して、ありえないほどの多幸感を懐いてくれるものと、これまでの生活でわかっている。実をいうと、早朝の身支度なども、メイド隊は「お世話できればしたい」と思っているらしい。

 だが。

 そんな彼女たちの献身に対して、カワウソが、より厳密には堕天使の肉欲や獣欲──性欲が、必ずしも耐えられるという保証はどこにもない。向こうの世界でも未使用だったそれを使ってみたいという欲求もあるが、何よりも、堕天使というモンスターが『そういう欲望に忠実かつ貪欲に過ぎる』ということを考えれば、絶対に、彼女たちの奉仕に気分を良くして、女の清美を極めたようなNPCたちを傷物にしてしまいかねない。獣のごとく交わり、肉の快楽に溺れて、メイドたち全員を手籠めにするなんて馬鹿をしでかしかねないのだ。それが発展して、Lv.100NPCの女性陣にまで累が及ぶことになることも、ありえる。

 まさしくクソの所業だ。

 そして、彼女たちもまた、主人であるカワウソから与えられるものであれば、喜んでそれを受け入れることだろう。

 そういう雰囲気が、確実に彼女たちには備わっている。──例外は一人だけだが。

 プレイヤーであるカワウソは、NPCたち全員の創造主。

 彼女たちにしてみれば、カワウソが望みさえすれば、己の死すら(いと)うことがない。まさに、忠烈のシモベたちだ。

 ならば、最上位者として、それ相応のやり方でもって、彼女たちの信頼に応えねば……否、応えたい。

 そうでなければ、きっと、自分(カワウソ)は今以上に“壊れかねない”。

 

「大丈夫だ」

 

 堕天使は己に頷いてみせる。

 カワウソは、もうこれ以上、壊れない。

 壊れて砕けて燃え尽きるのは、明日の戦いの中だと、自己に決定し、誓約もしておく。

 

 滾る熱を鎮めるべく、全体に回復効果や強化(バフ)魔法のある大浴場の、水の滝を浴びておく。

 

(そういえば、転移して二日目。ここで、ミカが……)

 

 あの時は朝だった。

 ここであった出来事を思い出してしまう。

 また随分と長く滝行もどきを続け、そうしてから、もう一回湯につかって身体を温めなおして、夜空の下で命の洗濯を終える。

 いつものように脱衣場のコーヒー牛乳を飲み干し、いつものバスローブ……ではなく、ただの肌着類に手を伸ばし、黒いジーンズ……最下級レベルのアイテムに脚を突っ込む。洗濯機につっこんで洗濯も乾燥もしておいた装備類をボックスに直す。そうして自室に戻る前に、屋敷のある場所へと(おもむ)いておく。

 

 

 

 そこは、このギルドの中枢にして終着点(ゴール)

 ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の最奥。

 

 ──祭壇の間。

 

 屋敷の中で円卓の間と対となる、最後の、場所。屋敷にある地下武器庫などよりも広く、床面積は円卓の間と同じだが、天井は二階までぶち抜いた吹き抜けになっており、壁一面には伝う程度の滝が流れ続け、その暗い空間の神聖さに磨きをかけている。窓から差し込む色は完全に宵闇のそれ。この屋敷内で唯一“黒”を基調とした空間は、漆黒の神殿を思わせる重みに溢れ、静謐の圧力に満ちていた。祭壇部には、カワウソがシステム上信仰する「復讐神」を象った女神像が掲げられ、その女神が護るように、ひとつの“武器”が安置されている。

 ここに、このギルドの枢軸にして中心となりえる武器が、常に収められている。

 しかし、そこにまったく意想外の人物──先客が、いた。

 

「何してるんだ?」

「っ、カワウソ様」

 

 扉をあけ放った向こうに、いるはずもないNPCが膝を屈していた。

 祭壇の前で礼拝していたらしい熾天使は、黄金の髪を流す頭に、自分の兜を装着して立ち上がる。

 

「いえ──その……」

 

 珍しく言い淀む調子の女天使──ミカ。

 兜を装着すると同時に結い上げられ収納される金色の髪は、祭壇の間にある僅かな(あかり)を反射させて(きらめ)いていた。

 

「休んでおけって、言っておいたはずだが?」

「申し訳ありません」

 

 素直に謝るミカだが、兜の奥に秘された声音は、堕天使を呪わんばかりに(かげ)っている。きっとその下にある表情も、不機嫌な色に歪んでいると推測できる。

 カワウソは言い募った。

 

「ギルド武器なんか眺めて、いったいどうしたんだ?」

「べ……別に、大したことは」

 

 彼女が見つめていた、祈るように膝を折って眺めていた祭壇。……このギルドの最後の場所に、カワウソが常に設置していたその武器に対し、ミカは手を触れようかどうかという距離感を保っていた。

 そのギルド武器は、およそ“武器”と呼べそうにない──ファンタジーやゲームだと、十分に武器としての能力を発揮するだろう──それは、それこそが、カワウソがひとりで築き上げたギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の最重要防衛対象にして、破壊されれば即座に、ギルドの崩壊を招くもの。

 

 祭壇の間は、中央部で数段ほど床が下がる構造になっており、その下がった分を泉のごとく大量の水で満たしている。その泉に身を浸すことで、祭壇に触れる者の(けが)れを洗い落とす演出がなされているが、Lv.100の脚力や〈飛行〉の魔法であれば、ほんの一歩で踏破できる障害にしかならない。

 

 泉を超え、ミカのいる祭壇付近へ。

 ふと、カワウソは“ごく低い可能性”を、悪戯(いたずら)っぽく口にしてみる。

 

「まさか。この武器を、ギルドの象徴を、アインズ・ウール・ゴウンに渡して“降伏”の手土産にでも」

「そんなことを誰が!」

 

 ハッ、とミカが口元を手で塞ぐ。

 常の冷静沈着な様子が嘘のように、女天使は冷厳かつ冷酷な様子を保てていなかった。

 カワウソは自分の冗談が意外にも効果(こうか)覿面(てきめん)だった事実に、苦い笑みを浮かべて応じる。

 

「──わかってる。そんなことをしても意味はないだろうし、おまえがそんなことをするわけもないって、よく解っている」

 

 意地悪なことを言ってしまったと、カワウソはミカの傍に歩み寄りながら反省する。

 そうして、カワウソは天使の兜の奥の(かんばせ)を眺める。

 ミカ(いわ)く『降伏などありえない』

 彼女たちの覚悟と思想は本物だ。

 NPCたちは例外なく、アインズ・ウール・ゴウンへの戦いに挑むことを、己の宿業(しゅくごう)として受容し尽している。創造主を『嫌う』ミカですら、そうなのだ。

 カワウソの馬鹿な復讐に……地獄への(みち)行きに、最後まで付き合う腹づもりだ。

 

「では、カワウソ様は、何故、こちらに?」

「──ちょっと、寝る前に“アレ”を見ておこうと思って、な」

 

 このギルド武器は、とにかく壊されにくいために、様々な防御方面・武器破壊対策にばかり特化された……攻撃能力向上にはまったく使えない代物だ。正直、“武器”と表現するのも烏滸(おこ)がましいレベルである。アイテムのランクとしても、そこまで高い価値があるものでもない。

 だが、このギルド武器に込められたデータ……カワウソが大切にしているものの価値を考えれば、まさに、このギルドの枢軸を担うに相応(ふさわ)しい一品だと言える。

 そして、“アレ”と呼ばれる映像は、このギルド武器にのみ残した、カワウソの最後の(よすが)でもある。

 

「“アレ”──ですか」

「ん……ミカも、見たことがある、のか?」

 

 熾天使は静かに頷きを返した。

 そういえばと、カワウソはゲームでの記憶を掘り返す。

 この第四階層に常駐し、屋敷内をほぼ自由に徘徊できるNPCだったミカの前で、このギルド武器に込められたものを見たこともあった気がする。

 

「……、一緒に見るか?」

「──よろしいのでしょうか?」

 

 構うことはない。

 明日は決戦。その前に、ミカたちの望むこと、やりたいことなどは聞き入れておいても、バチはあたるまい。そんな自分の独善を、ミカはどう受け取るのだろうという興味もある。

 ギルド長権限で、祭壇に備えられたトラップを解除。ギルドの中枢部に設定されたここでしか見られなくなった拠点の情報──NPCのデータや城砦内部の迎撃装置・修復機能、それらの発動に伴う資金の変動なども、ここで把握することが可能なのだ(ユグドラシルだと、拠点内であれば何処でも見れた情報なのだが)──を閲覧し、干渉する。

 そして、あらためて祭壇に掲げられ浮遊していたギルド武器を手にとり、慣れた手つきでページを開く。

 

 そこに()っているのは、カワウソの、かつての仲間たち──ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)──その思い出。

 彼等と共にユグドラシルをプレイしていた時の記録──動画の総覧だ。

 

 仲間たちとの、輝かしい思い出が、ここにはいっぱい詰め込まれている。

 彼等との時間だけは、他の動画データと一緒には扱いたくなかった。

 

 適当な思い出の動画データをクリックして、再生。

 ミカは、そこに映し出される堕天前の創造主(カワウソ)と、彼と共にレイドボスを打倒する仲間たちを、食い入るように見つめている。

 カワウソをPK地獄から救い出し、ユグドラシルに留めてくれた、ギルドの皆。

 

 重い両手剣を二本背負う──聖騎士の王たるリーダー。そんな少女と共に仲間たちを護る異形種──人の造りし哀れな怪物(フランケンシュタイン)の副長。

 たった十三人──2パーティー程度の人数で、厄介なダンジョンを攻略し、貴重な素材を収集していく仲間たち。慣れたように手を叩き合い、拳を合わせて肩を組む人間と亜人と異形。

 

 そんな輪の中に溶け込み、幸福そうに笑い声を奏でる、

 熾天使(セラフィム)の、……堕天前のカワウソ。

 

「笑顔が、幸せそうです」

「ん……そうなのか?」

 

 当事者だったカワウソはいざ知らず、こんなものを第三者が見ても、さほど価値のある動画だとは思わないだろう。この映像に映るボスモンスターは、かなり攻略されまくっている雑魚に過ぎない。

 そして、ユグドラシル──あのゲームでは、表情の変化は実装されていない。人間も亜人も異形も、その面貌に浮かぶものはデフォルト状態の表情・笑顔などで均一化されていた。熾天使の──六枚の白翼を伸ばす、純白の輪を浮かべた光の球体の異形種──カワウソのように、顔面なんてものもない種族だと、そのプレイヤーがどのような心境でいるのかは、わずかな動作や声の感じで読み解くしかない。その為、この程度の動画を第三者が眺めても、「ああ、弱小ギルドが頑張ってるんだな」くらいにしか思わないだろう。

 にも関わらず、ミカは声の調子や仲間同士のハンドシェイクなどではなく、その“表情”に刻まれた想いを読み取っていく。同じ種族にして最高位の天使たるミカだからこそ、見える姿もある。

 

「少なくとも。私はこんなにも情感豊かに、幸せそうに笑っているカワウソ様を、あまり見たことがありませんので」

「……」

 

 その通りだった。

 ミカたち、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCが創られて以降、カワウソは仲間というものからは縁のない生活が続いていた。

 そして、その生活は、ずっと、空虚だった。

 バツが悪くなってしまい、カワウソは最初予定していた動画には目を通さずに、過去のデータを封印するがごとくギルド武器を祭壇に戻す。

 

「ミカ……おまえは、その」

 

 覚えているのだった。

 ミカたちNPCは、ユグドラシルであったことを、自分たちが体験できる限りの記憶を持って、この異世界に転移している。でなければ、カワウソが馬鹿な復讐を望むがまま、あの第八階層攻略のための作戦を延々と考え、その都度ごとに、あのおぞましい悪夢……ギルド崩壊の光景……アインズ・ウール・ゴウンの脅威を、瞳の奥に焼き付け続けてきたことを、知らないはずがなかった。

 

「私は……」

 

 ミカは言葉を途切れさせる。

 

「私は、あなたの望むことをなします。あなたを護ります。あなたに仕えます……その果てに、あなたが望むことを成し遂げ、あなたの願いを叶えることで、もう一度、かつてのごとく笑って下さるのであれば……それで十分です」

 

 十分なのです。

 その言葉が、ただの言葉でしかない宣誓が、堕天使の胸をあたためてくれる。

 ただ彼女の言葉に甘えていられたら、どんなに楽なのだろう。

 

 ──だが、それは許されない。

 

「うまくいくと思うか?」

 

 ここまで散々、議論と検証を進めてきておいて、カワウソは半信半疑の色を顔面に塗りたくる。

 

「うまくいかなければ、俺たちは、──いいや、俺は俺の望みを果たすことなく、何もなしえないまま、この世界で死んでいくことになる」

 

 そして、たとえ全部が全部、うまくいったとしても、その後に待っているのは、国の機軸を奪われた国民と国土──絶望的なまでに膨大な、戦後処理の争乱が続くだろう。

 それは、この平和な世界を、平和に統一されている大陸を、分断し分裂し分散し、数多くの争いと戦いの時代を呼び込む結果しか生まない。

 カワウソに、国家を運営する度胸も技量も手腕も知識も何もあったものではない。アインズ・ウール・ゴウン以上の治世や知性など、自分のようなプレイヤーには望みようがなく、たとえツアーやミカにすべてを丸投げしたとしても、世界が混乱し混沌化することは、確実な未来だと想像できる。

 

 それでも。

 ただ戦う。

 

 その戦闘欲──復讐を望み欲する堕天使の脳髄と精神が、ここにある彼等との絆──このギルドに最後の最後まで残されたカワウソの執着と未練を遂げさせることを、完全に希求してやまない、唯一の衝動だ。寝ても覚めても、あのナザリック地下大墳墓に挑んできた。アインズ・ウール・ゴウンと戦い、かつての“仲間との誓い”を果たすことだけが、カワウソという敗北者に残された──“すべて”だった。

 それ以外は何もない。

 だから、戦う。

 たったそれだけのことなのだ。

 

「うまくいかずとも、私は必ず、あなたを護ります」

 

 そう決然と言いきってくれる金色の女天使が、とても頼もしい。

 カワウソを『嫌っている。』わりに、ギルドの最高の盾として創られたことへの矜持もまた、ミカの根幹を支える思いのひとつであるようだった。

 そんな彼女だからこそ、カワウソは信頼がおける。

 ──ミカだからこそ、できることもあるのである。

 

「もう休むか?」

「いえ。まだ少し、明日の戦いの前に、ここで祈っておきたいのです」

「まだ休まないでいいのなら、少し、実験に付き合え」

 

 本当はすでに第一階層で適当に済ませていたし、ミカに協力を仰ぐ必要もないかなと思っていたが、考えるに今日中にやった方が、彼女の一日の特殊技術(スキル)使用回数的には得になるはず。

 

「──実験…………まさか」

「ん? ちがう、ちがう」

 

 カワウソはミカの曇りかける声音──兜の奥にある空色の瞳に笑いかけた。

 

「俺の特殊技術(スキル)……復讐者(アベンジャー)の実験だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、明後日更新


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欲望と希望 -2

第六章 白金の竜王 最終回


/Platinum Dragonlord …vol.09

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祭壇の間を後にしたカワウソとミカは、連れ立って玄関広場(エントランス)へ。

 そして玄関の扉を開け、屋敷の外に赴き、船着場の桟橋を歩く。

 見渡す黒い水平線の彼方まで星空が広がり、潮の香りが心地よく堕天使の鼻腔をくすぐってくれる。

 

「そういえば、この世界で、第四の屋敷の外に出るのは、はじめてだな」

 

 今更なことだが、それも致し方ない。カワウソにはそんな時間的猶予も、精神的なゆとりも、何も存在していなかった。

 サービス終了の日にいきなり異世界に転移され、わけもわからず混乱しながら、この世界の情報を集めようと動き、そうして、アインズ・ウール・ゴウン魔導国という存在を、知った。

 知ってしまってからは、目まぐるしく流転(るてん)する状況に、対応を余儀なくされる日々。

 そうして、カワウソは「アインズ・ウール・ゴウンの“敵”」となった。

 

「ミカは、屋敷の外に出たことはあるか?」

「こちらの世界に転移してからは、一度も」

 

 それ以前にも何度か足を運びはしたが、あくまで第四階層の巡見任務だとミカは主張する。──これは、防衛機能としてのNPCに与えられたプログラム通りの行動に過ぎない。

 吹き抜ける夜風は、やや冷たい。が、不快さを全く感じない程度の冷気で、堕天使の肺を(こころよ)く満たしてくれる。拠点の中とは思えないほど、自然の風が黒い夜着のカワウソを包み込む。

 そして、見上げた拠点の頭上を眺めれば、そこには鮮やかな星の河が流れていた。幾万の金剛石(ダイヤモンド)をちりばめたような輝煌が降り注ぐ。この拠点を作る時、課金して無理やり増設した第四階層は、とある商業ギルドに建造を依頼して、時間経過で朝・昼・夕・夜を再現する偽物の空が広がっている。ちょうど、ナザリック地下大墳墓の第六階層と似たようなものだ。

 

「綺麗だな」

「……そんなに星が珍しいのですか?」

 

 勿論、カワウソが生きていたリアルだと、珍しいなんて言葉で済む代物ではない。

 環境破壊と大気汚染によって、このような自然の情景は、うしなわれて久しい過去のものだ。

 

「綺麗なものは綺麗だからな」

 

 ただ感嘆してしまうカワウソの様子をどう思ったのか、ミカも無言で空を眺める。

 

「兜は、外したらどうだ?」

 

 いくら「敵の急襲を警戒して防御を厚くしている」と言っても、ここは拠点の最終階層。夜空の星を、直の眼で鑑賞する程度の猶予はあるはずだと指摘する。……というか、祭壇の間では外していたのを、カワウソが来る直前に被り直していた気もするのだが。

 

「……御命令とあれば」

 

 ミカは言って、兜を脱ぎ払った。

 何だか久しぶりに見るミカの顔は、少しだけ不機嫌そうな形に歪んでいる。

 それでも、清廉で潔白な、復讐の女神を彷彿とさせる美貌に、生命の躍動めいた感情が浮き彫りになっているようで、言葉にできないほど見蕩(みと)れてしまうものとなっていた。

 

「……何か、私の顔についておりますか?」

「いいや。相変わらず、綺麗な顔だなと思って」

 

 ミカはぎゅっと眉根を寄せた。少しだけ口元を震わせる。

 短く抗弁しかけて、その言葉を噛み締めるように、女天使は唇をキッと引き結んだ。

 さっと頬に朱色が混じって、怒ったように主人を睨み据えるが、美女がやると一種の魅力のようにしか感じられない。

 褒めてやったのだから、そんな反応をされるのは困るのだが、嫌っている創造主に褒められても、いい気はしないのだなと納得しておく。

 

「それで……カワウソ様の望む実験とは?」

 

 カワウソは軽く頷いて、ここに赴いた本題に入る。

 

「ミカは、俺の復讐者(アベンジャー)については、どれほど理解している?」

 

 副官は桟橋の際にある柵にもたれかける主人の特殊なレベルについて、それなりの理解があった。

 

「はい。確か、『敗者の烙印』なる不名誉な証を持つというカワウソ様が、様々な条件を満たしたことによって獲得できたものだと」

 

 そう。ミカは聞いていた。

 ユグドラシル時代、カワウソが気まぐれや仲間のいない寂しさを紛らわすために、屋敷にいるNPCの長たるミカに、独り言感覚で語り聞かせたことが何度かあった。

 

「そういえば、ミカ。おまえは『敗者の烙印』のことを、どう思う?」

「は……見たことがありませんので、私ではなんとも」

「ん──見たことがない?」

 

 奇妙なことを聞いた。

『敗者の烙印』は、あのゲームをプレイしていたカワウソが、このギルドを立ち上げる前の段階──つまり、アインズ・ウール・ゴウンに旧ギルドを崩壊させられた当初から押され続けた、負の遺産だ。

 烙印は赤色の×印としてプレイヤーの頭上に浮かんでおり、それを隠す手段は絶無。カワウソは、自分がギルドを護り切れなかった落伍者の証を浮かべたまま、あのゲームで戦い続けており、NPCたちの前でも特に隠していた記憶はないし、隠す手段すら知らない。

 だがミカはそんな烙印を、創造主の頭上にデカデカと存在していたそれを、「見たことがない」という。

 唐突に、ある仮説が脳内に閃く。

 

「ミカ、──感情(エモーション)アイコンは、知っているか?」

「えも……あいこん?」

「じゃあ、インターフェース、については?」

「……いえ。──何を言ってやがるんです?」

 

 カワウソは頭を掻く。

 おそらくだが、NPCたちはPCであるカワウソが見ていた、ゲームの機能としての諸々は知覚できていない──あるいは、まったく別のものとして認識しているのだろう。

 ミカは、同士討ち(フレンドリィ・ファイア)無効などの、ごくあたりまえなゲーム仕様を知らなかった。そして、感情(エモーション)アイコンはプレイヤーの真の表情として視覚認知されるもので、時計やマップなどのゲーム内情報のインターフェースの類は、彼女たちの識別圏外の代物(しろもの)だったと仮定すれば、納得がいく。PCとNPCの感じ取れる世界に、微妙な齟齬(そご)があるというのは、これまでの情報で納得がいく現象といえた。

 この異世界に転移したことでなくなった『敗者の烙印』も、広義においてはアイコンなどのそういったゲームシステムや仕様の一種であり、だからこそ、カワウソはそれを消去する手段を持ち得なかった。

 

「まぁ、いい。

 それよりも復讐者(アベンジャー)特殊技術(スキル)の概要については?」

「は……確か、習得してすぐのLv.1で────」

 

 ミカは淀みなく、カワウソの有する稀少な能力を、事細かく口にできる。

 かつて、ユグドラシルで“復讐者”の獲得条件を偶然にも満たしたカワウソは、復讐者などの情報を自分なりに研究し、その成果を誰にも話さなかった。明かさなかった。

 代わりに、その研究中に、屋敷にいるNPC──目の前にいる女天使に、独り言のように語って聞かせたことがあったのだ。

 かつての仲間たちを模して造った、自分のNPC──ミカに。

 

「────以上が、私が知り得る、カワウソ様の特殊技術(スキル)でありますが」

「その通りだ」

 

 復讐者(アベンジャー)の能力は、いわゆる「一撃必殺」の特殊技術(スキル)

 

 あの生産都市の地下で。

 アインズ・ウール・ゴウンが生み出したという上位アンデッド部隊を──死の支配者(オーバーロード)の最後の一体が率いるアンデッドの軍勢を、諸共に殺し尽した(チカラ)

 相手がいかに即死の耐性や無効化を有していようと、それを突破し貫通して、対象となるものをすべて“殺戮する”=「憎むべき敵への復讐を遂行すべく、邪魔者を殺し尽くす」ための力だ。

 この能力の即死耐性突破は、あのアインズ・ウール・ゴウン……モモンガが有しているらしい謎のスキルともどこか似ているが、あちらは一戦闘で一度くらいしか発動していないのに対し、こちらは条件さえ整えれば、一日の上限回数なく行使可能である……くそ面倒な“条件さえ整えれば”。ただし、こちらは彼のスキルほどの広範かつ大規模なスキルとは言えない。復讐者はLv.15まで獲得可能で、それだと超広範囲を殲滅可能なようだが、あまりにも使い勝手が悪いため、カワウソはLv.5程度の範囲で十分だと考え、わざわざリビルドした過去がある。

 そして、その「発動条件」について、カワウソは思うところがあった。

 

「だから、ミカに協力してもらいたいわけだが」

(うけたまわ)ります」

 

 説明に対してミカは即答であった。

 そして。

 ……結果だけを言えば、この実験は成功と言えた。

 

「──ありがとうな、ミカ」

「別に。この程度のことで感謝など」

 

 ふてくされるように背中を向けるミカ。

 

「これで、明日の準備は……」

 

 すべて終わった。

 そう、終わったのだ。

 

 明日。

 カワウソは、長年の望みを果たす。

 カワウソ達は、ナザリック地下大墳墓・第八階層攻略に、挑む。

 

 ……冷静に考えれば考えるほど、正気の沙汰ではない。

 

 堕天使は狂気に罹患(りかん)したモンスターだとしても、それ以前に、あのアインズ・ウール・ゴウンに挑戦し続けてきたプレイヤーとしての自分の狂いっぷりに、渇いた笑みがこぼれる。

 

(あるいは、自分が狂ったプレイヤーだから、狂った堕天使(モンスター)の身体に、心が適合しているのか?)

 

 どこまでも冷静に冷徹に、カワウソは自分の愚かしい欲望を追い求める。

 あの第八階層にいるものを、1500人を殺し尽したモノを知っていて、カワウソは、その再攻略のために、すべてを用意してきた。

 だが、用意できたものは、カワウソの保有するアイテムや装備、そして、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたち。世界級(ワールド)アイテムは、頭上に輝く円環だけ。

 いっそ笑ってしまうほどの戦力差であるにもかかわらず、堕天使の歩みは、確実にあの恐ろしいギルドの拠点・ナザリック地下大墳墓へと進み続けている。

 この世界で得られたものは、白金の竜王ツアーから得られた協力……城塞都市エモットを通行するためのパスのみ。

 現地で知り合った、友好関係が結べそうな人々との縁も記憶も、カワウソは望んで消去するように手配した。飛竜騎兵の人々も、南方の鍛冶職人たちも、誰一人として、このギルドに関わるものを持ち得ない。……アインズ・ウール・ゴウンの“敵”となる存在との繋がりなど、魔導国の民には邪魔にしかならないものだから。

 

「そういえば。飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の領地は──」

「彼女たちの無事は確認済みです。なんでしたら、マアトの監視映像を閲覧しますか?」

 

 ミカの申し出に、カワウソは首を横に振って示す。

「無事ならそれでいい」と一言だけ言って、自分が救った飛竜騎兵の乙女たちの今後が幸福なものであることを、第四階層内の星空の下で祈念しておく。そうして、飛竜騎兵の乙女(ヴェル・セーク)たちへの関心を完全に失う。

 それよりも何よりも、カワウソが関心を寄せることは、ただひとつ。

 

 

 

 敵は、アインズ・ウール・ゴウンを名乗る存在。

 攻略目標は、ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”。

 

 

 

 正攻法では太刀打(たちう)ち不可能。

 だが、この異世界で、この拠点のNPCたちが協力してくれれば──

 

 ……不可能ではないかもしれない。

 ……不可能を可能にできるかもしれない。

 

 

 

 そのうえで、

 一番、絶対、最も警戒し危惧せねばならないのは、アインズ・ウール・ゴウンの戦闘能力だ。

 もしも。

 アインズ・ウール・ゴウンが彼──プレイヤー・モモンガか、あるいはそれに準じる能力を有しているとすれば。

 そして、彼の特異な職業レベルのみが扱う、絶対的な、他に例を見ないレア特殊技術(スキル)

 

「確か、攻略サイトの仮説だと『ありとあらゆるプレイヤーや傭兵NPC……すべてに等しく“死”をもたらす、モモンガの切り札』的な特殊技術(スキル)ってものが──」

 

 それだけが、カワウソにとって未知数に過ぎた。

 

 かつて、“ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの討伐”が謳われ叫ばれた、当時。

 件のギルドの詳細な情報は、ユグドラシル内でかなりの精度のそれが構築されていった。公式大会優勝者であるワールドチャンピオンの一人、たっち・みー。習得可能員数に上限があったワールドディザスターを修める、ウルベルト・アレイン・オードル。他にも多くの異形種プレイヤー、その数41人が、悪名高いアインズ・ウール・ゴウンの一員として、それなりの知名度を誇っていた。

 

 そして、ギルド長である死の支配者(オーバーロード)──モモンガ。

 

 彼等の戦術・戦略・戦闘方法は、実際に戦ったプレイヤーや何かしらのプレイ映像、対ギルド間戦争時の記録などで得られた情報が頻繁(ひんぱん)にやりとりされ、かなりの確度で、彼等アインズ・ウール・ゴウンの戦い方──その対抗策が研究され続けた。

 

 そう。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、ユグドラシルになじみのあるプレイヤーであれば、あの「1500人全滅」を知るユーザーにしてみれば、あまりにも有名な存在たり得たのだ。

 

 あの第八階層“荒野”での大逆転劇。

 ナザリック討伐に赴いた1000人規模の、サーバー始まって以来の動員数を誇った……それほどの数のプレイヤーが攻略に乗り出した戦いは、広くネット上に流れ、そして、“あれら”や“赤い少女”の能力──チートじみた蹂躙に納得いかなかった者たちが、パンクするほどの抗議文を運営に送り付けたのだ。一時期は、アインズ・ウール・ゴウンのためだけのスレが乱立すらした。あれほどの暴虐と殲滅を成し遂げたアインズ・ウール・ゴウンの防衛力を、最後まで真剣に究明しようという意気は芽生えなかったが、それでも、話題にだけは事欠かなかった。

 

「挑戦するだけ無駄」だと、

「再攻略など夢のまた夢」だと、

「アイテムと時間の浪費になるだけ」だと、

「上位ギルドが討伐に行かなかったのも納得」だと、

「あのギルドにちょっかいを出すのは今後やめるべき」だと、

 

 そういう共通認識じみた「諦観」だけは、見事に、完全に、定着する運びとなった。

 

 カワウソは、仲間たちと別れた後、自分で調べ上げられるだけの情報を確実に集め、一人で再攻略に挑み続けた。

 一時期、他にアインズ・ウール・ゴウンへの再攻略に挑む有志を募りはしたが、「1500人全滅」の事実を知る者たちからは色よい返答など期待できず、また新規のプレイヤーにしても、アインズ・ウール・ゴウンの悪名と伝説は、ある種の常識としてネットの海から拾い上げている場合がほとんど。カワウソの唱える、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の存在意義──アインズ・ウール・ゴウンへの再挑戦・第八階層“荒野”の再攻略という至上命題は、まったく無意味な勧誘文句にしか聞こえなかった。中には、カワウソの目的を聞いた瞬間に、嘲笑し、冷笑し、蔑笑する者が数多かった。

 なので、カワウソのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)はギルド長・カワウソただ一人で構成されているという状況にある。

 

 そのような状況で、カワウソは一人、黙々とアインズ・ウール・ゴウンの再攻略に挑んだ。

 氷の針ごとく突き刺さる草原を駆け抜け、モンスターの跋扈(ばっこ)するヘルヘイム・グレンデラ沼地に赴き、その奥深くに存在するナザリック地下大墳墓を、ひたすらに目指した。

 結果は酸鼻を極めた。

 毒の沼地という防衛上圧倒的な優位を誇る立地──湧き出るPOPモンスターの物量──“死者の井戸”と形容すべき墳墓のビジュアル──純粋な天使には極めて不利なフィールド──黒い甲虫の海に満ちた一室──囚われた侵入者で奏でられるらしい聖歌隊──あまりにも巨大かつ不吉な蜘蛛の巣の檻──敵の体力(HP)を奪う神器級(ゴッズ)アイテムを与えられた階層守護者・真祖(トゥルー・ヴァンパイア)の発揮する、上位プレイヤー並みの戦闘力。

 カワウソは結局、熾天使から堕天使に降格してまで攻略を続けたが、結局はそこまでだった。

 

 ──それでも、カワウソは知っているのだ。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの、41人のメンバーの情報を。

 そして、

 最終日まで存在を確認されていた……ゲーム内でチラ見したという情報が“唯一”残ったギルド長の、最後までユグドラシルに残留したプレイヤー・モモンガ──彼の、その力を。

 

 

 

 カワウソは、ミカに聞かせるでもなく呟く。

 

「ラファたちの言う通り、アインズ・ウール・ゴウンがモモンガの“姿”をしているだけの替え玉というのもありそうな話だが……それよりも一番厄介なのは、魔導王とやらがモモンガの“力”を、完全に完璧に備えているか、どうかだ」

 

 彼の死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)としての力量を、最大限に引き出すかのごとき──「完全即死」の現象。

 目撃者──戦闘して負けた連中がネットに載せたプレイ動画だと、時計の文字盤のようなものを背後に出現させた最上位アンデッドが、即死魔法を広域に拡散発動させた十数秒後に、即死対策を超えた“死”が、敵対したプレイヤーたちを襲ったという。

 即死対策を整えていたはずのプレイヤーに対し、まるでそんなものはないかの如く、耐性と防御を貫通していく“死”の力──謎の特殊技術(スキル)の性能は、極めて厄介だ。

 

「ネットでの情報だと『蘇生アイテムを持っていた場合は防げた』っていうくらいの対策しかわかっていないし……」

 

 おまけに。

 未確認情報なのが、彼が所持していると噂の世界級(ワールド)アイテムだ。

 ネットの見解だと、モモンガが肋骨の下・胸腹部のあたりに装備している、赤い球体が「それ」という話だ。

 何故なら。

 

「あの世界級(ワールド)アイテムらしいもの──憶測に過ぎないが、モモンガが保有しているらしい激レアの種族だか職業(クラス)だかに依拠したものだとすると──世界級(ワールド)アイテムも、それに準じる何かなのかもしれない……」

 

 というのが、攻略サイトなどのネット上で流布(るふ)された通説だ。

 世界級(ワールド)アイテムの使用者は、ステータス画面に『ワールド』のバフが表記される仕様があった。モモンガが、彼が世界級(ワールド)アイテムの保有者であることは、あの第八階層に乗り込んだ連中──かつてのカワウソの仲間たちもが実際に目視した、事実であった。

 

 さらに付け加えるならば、カワウソの頭上に戴く世界級(ワールド)アイテムも、“復讐者”などのレベルを極めた最初のプレイヤーとして、ある日突然贈与されて以降、堕天使の頭の上で回り続けている。モモンガの紅い球体も、それと同じ類の「種族や職業を極めたプレイヤーへと贈られる」世界級(ワールド)アイテムだというのも、十分に考えられる話だ。

 

 あの第八階層で、アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーを引き連れて様子見に来たらしい、最高位アンデッドのプレイヤー。

 

 彼が、モモンガが、明確に世界級(ワールド)アイテム──あの球体──を使っている場面というのが、例の1500人全滅時における、第八階層の“あれら”に対し、何らかの処置を施した……あの時だけ。

 

 そして、彼が世界級(ワールド)アイテムを起動させた後で巻き起こった、

 

 ──“あれら”の変貌。

 

 ──「死」をもたらすモノ。

 

 ……今朝も見た、あの悪夢の光景。

 

 それに伴い、第八階層にいた侵入者たちは、すべて“あれら”がもたらした「死」に蹂躙され、ナザリックの攻略は、完全な『失敗』として幕を下ろした。

 カワウソの仲間たちも、その蹂躙の中にいた。

 ギルド武器は、“あれら”の力によって、砕けて、散った。

 

「……この異世界で、プレイヤーの俺が存在している以上、むこうのギルドでも同じことが起こった可能性は高い……」

 

 仮に。

 魔導国の戴く王の正体が、人形や動像や変身や幻影だったとしても、それでモモンガの能力やアイテムを絶対に有していないという保証には、ならない。最悪なのは、これは全てカワウソの夢で、敵はカワウソの記憶にある通りの性能を保持するようにできた存在か──あるいは、ネット情報を参考に組み上げられた、精巧に過ぎる電脳シミュレーションのようなものか。もっと言えば、連中が保持している11個の世界級(ワールド)アイテムのなかには、もしかしたらモモンガの姿や戦闘能力を完全コピーできる……なんて馬鹿げた性能なアイテムがあるのかも。

 何にせよ。1%……0.1%でも、モモンガと同じ戦法と能力を発揮する可能性を有しているかもしれない……そんな存在に対して準備しすぎる・石橋を叩き過ぎてしまうということは、ありえない。

 たとえ自分自身を“殺して”でも、対抗可能かどうかは調べておくべきはずだった。

 

「いざアインズ・ウール・ゴウンと名乗るアンデッド……“モモンガ(仮)”と戦闘になって、初手でいきなり、あの謎の……発動したら問答無用で「即死」とかいう特殊技術(スキル)をぶつけられたら」

 

 そして、いざその時に、その謎スキルに唯一の対抗手段らしい蘇生アイテムがプレイヤーにはまったく機能しないゴミになっていたとしたら。

 その時点で、カワウソは一巻の終わりというわけだ。

 だとすれば、こんな挑戦など無意味。

 この暗くて長い……苦しい状況を、ただ(いたずら)に長引かせるだけ。

 どうあっても、カワウソたちには勝ちの目なんて転がってこない。

 状況は贔屓目(ひいきめ)に見ても地獄以下だ。

 援軍はなく、全世界が、自分たちの敵たる存在。

 相手の戦力は大陸すべて。大量に存在するモンスター。世界級(ワールド)アイテムが11個前後。

 カワウソが白金の竜王から受け取った援助は、城塞都市・エモットを安全に通行できるための手段のみ。

 

 希望なんて一片もない。

 ないからこそ、カワウソは、ありとあらゆる最悪の事態を想定せねばならない。

 不安を払拭(ふっしょく)しておきたかった。いざ実験がうまくいかなかったら──ミカに殺されて、蘇生アイテムが機能せず、死に絶えることになってしまったとしたら、その時はその時だ(・・・・・・・・)。その程度の感慨しか湧いてこない。死に対する恐怖がどこかしら麻痺している。この絶望的な状況からイチ抜けできるかも知れないというのは、少しばかり心惹かれた。

蘇生(リザレクション)〉の魔法は下位の復活とは違って、レベルダウンは起きない(はず。異世界で妙な仕様変更がされてなければ)。蘇生アイテムが機能するか否かの確認は、アインズ・ウール・ゴウンと──モモンガ(仮)と戦う上で、絶対的に必要な調査項目とも言えるだろう。

 

 だと思っていたのだが。

 

「あの時は、悪かったな」

 

 一人でぶつぶつと考え込んでいたカワウソに、いきなり謝辞を贈られたミカは目を丸くしてしまう。

 

「俺の馬鹿な実験に利用して」

 

「あの時」と「実験」という単語で、ミカは即座に理解を得た。

 ツアーの招待に応じる前。どうあってもナザリックへの挑戦を諦めないカワウソを諫めるべく刃を向けた女天使を利用して、自分の蘇生アイテムが使い物になるかどうかの実験をしようとした。

 結果はまったく意外なことに、ミカに止められる形で終わっている。

 

(それこそ。アイテムが起動するかどうか調べるなら、自分の剣で、心臓でも何でも(えぐ)れば──自殺しちまえばいい筈なんだけどな……)

 

 これまた不思議なことに。

 カワウソは転移当初──恐怖と恐慌に駆られ、混乱と混沌のまま膝を屈した時ほど、自分で自分を殺そうと──消えてしまいたいと思いつめるほどの心の重圧からは解放された。この異様な現実を否定する気概は、持ち得なかった。

 訳の分からない状況に怯え震え、一日目は自室のベッドで泣いてうずくまっていたのも懐かしい。

 

 それから、いろいろなことを見て聞いて感じて知って、カワウソは「戦う」という決断に至った。

 

 だから……なのだろうか。

 戦いに望むこと──あの時、ミカの剣で果てようとしたことに抵抗は少なかったのだが、「自分の手で自分を死なせる」ための直接的な行為や衝動、自害や自刃しようという行為からは、カワウソはほぼ無縁となった。ユグドラシルのゲームシステムだと、同士討ち(フレンドリィ・ファイア)がなかったのと同じように、ゲーム時代は自分の武装や魔法で自分自身がダメージを負うことはなかったが…………この世界だと、それも可能な気がする。自殺は出来るはず。

 しかし、カワウソは自殺衝動に駆られることは極めて少ない。

 というか何故なのか、その真似事すら、カワウソは遂行できなくなっている。

 首筋に冷たい刃を当てても、それを本気で自分の肌の下に滑らせることが、何故か、どうあっても不可能だった。斬撃への脆弱性を有する堕天使の肌など、神器級(ゴッズ)の剣先で容易く引き裂けたはずなのに。

 

(堕天使は自殺できない、なんて設定はなかったと思うが)

 

 ミカを利用しての蘇生実験──ある種の自殺未遂は、おそらくだが、「純粋な“戦闘行為”の延長」であるが故に可能だったのだろうと、思う。戦闘行動で死に至ることは、至極当然の事象。戦闘で死ぬことを忌避するというのなら、カワウソはまったく「戦い」というものに赴けるはずはない。望めるはずがない。だが、すでにこの異世界での戦闘は、それなりの数をこなせている。むしろ命の遣り取りや駆け引きというものに、ある種の「(たの)しさ」というものを感じつつあるくらいなのだ。

 

(ミカを使って自殺の実験しようとした時は──)

 

 あの時は。

 若干、微妙に、少しだけ、有体(ありてい)に言えば────“頭にきてしまっていた”のだ。

 ……“どうかしていた”と言ってもいい。

 

「ミカに止められたのが、(いさ)められたことが、思ってた以上に、……こたえた……」

 

 率直に告げる。「すまない」と謝る。

 カワウソは、ミカたちNPCの従順性に慣れてしまっていた。

 馬鹿な自分を信奉し、敬服し、守護してくれる存在に、カワウソは彼等の忠誠を疑いつつも、心の奥底の何処(いずこ)かで────甘えていた。

 ミカですら、自分の言うことには従ってくれると……『アインズ・ウール・ゴウンの敵』として、……“共に戦ってくれる仲間”として、──自分を『守ってくれる』ものだと──そう、期待、していた。

 

 それを、あの時、あの瞬間でだけは……裏切られた気がした。

 

 ミカはカワウソを止めるだけに飽き足らず、「“自分たちだけ”で、アインズ・ウール・ゴウンに対処する」と放言した。

 それが許せなかった。

 あまりにも許容できなかった。

 

 馬鹿な奴だと呆れられるだろうが、本当に、カワウソは、ミカのことを頼りにしていた。

 共に戦ってくれる仲間だと。

 

 カワウソを「守ります」と、あの飛竜騎兵の領地で“約束”してくれたはず──なのに。

 言動や表情はキツい印象の女天使であるが、それでもカワウソと共に戦いに赴ける味方だと──信じた。

 

 信じられたのに、裏切られた、と。

 その想いが、過去の記憶と(ダブ)った。

 

 

「ああ、俺は、“また”裏切られるのか」と。

 そう思っただけで、カワウソは自暴と自棄の(とりこ)と化した。

「もういい」と思った。

「もうたくさんだ」と。

 

 

 だから、何もかも台無しにしかねない実験を、「死んだら蘇生アイテムが起動するか」の試みを、自殺できない自分の代わりに、ミカに処刑人を任せる形で、敢えて断行できた。実験が成功すれば、それでいい。失敗すれば、こんな異常な世界から──復讐する為だけに用意されたような、絶望的なクソ以下の状況から足抜けできると、期待した。

 ……あの時は。

 

「でも。おまえは──ミカは──俺の為を思って、いつでも気にかけてくれたんだよな」

 

 耳に心地よい言葉を並べ、おもねるような語調で、堕天使は女天使に告げる。

 時間経過のおかげで、思考が冷静になったおかげだろう。カワウソは今言ったように、ミカの行動を解釈するだけの余裕を取り戻した。

 堕天使は戦いに、復讐に、誓いを果たす為に用意された状況を望んで受け入れる。

 

(未来への希望や展望はなくても、欲望ならいくらでも堕天使だから……?)

 

 生存への欲求。

 生命への欲動。

 性への……。

 

(ッ──何を、馬鹿なことを)

 

 浮かんだ熱っぽい思考を、頭の外へ蹴り飛ばす。

 ミカの面貌と肢体を眺めた。

 カワウソが丹精込めて描き切った、女神のごとく美しい(かんばせ)。風に揺れて踊る長い髪は金の絹糸のごとく艶やかに、星が煌くような彩を流し続ける。黄金の鎧の下に、女として最低限の膨らみがあるとわかる双丘は、淑女の慎ましさを象徴するもの。手甲に包まれた手指は細く(たお)やかなものであることは、この世界で初めて触れた時に確かめていた。薄いヴェールのようなロングスカートに透かした内側、丈の短いスカートとニーソックスの間から覗く太腿(ふともも)の肌色は極めて肉感的で、健康的な“絶対領域”の様を顕示してくれる。すべてが完成された女熾天使の典雅な瞳は、無限の蒼穹(そら)のようにまっすぐで、どこまでも透き通り、澄み渡り、見つめる堕天使の男の瞳を吸い込んで離さなくしてしまう。

 傍に立つ女天使の麗美を「そういう対象」に見てしまいそうな自分に、口元を押さえねばならないほどの吐き気を(もよお)す。

 いくら忠実なNPCとは言え、天使の澱の彼女たちを、そういう風に──性玩具のごとく扱うなど、どんなクソの所業だ。

 

 ──しかし、

 ──何かが、違っていたら。

 

 

 

 ミカを、──『カワウソを嫌っている。』ではなく、

 たとえば──『カワウソを愛している。』と設定していたら?

 

 

 

 振り向いた先にある熾天使の表情、復讐の女神のごとく冷然とした顔立ちに、しばし、魅入る。

 彼女が“笑ってくれたら”……「愛している」などと真正面から言われようものなら……

 堕天使の心は、その時に懐くだろう衝動に、抗いきれるものなのか──

 

「何か?」

 

 冷たい視線で首を傾げるミカ。

 カワウソは、愚劣を極めた己の思考を切り捨てるように首を振った。

 

「ミカは……逃げたいか?」

 

 自分がミカの立場だったら。

 そう思うだけで、カワウソという主人の愚昧な判断を、咎めて諫めて逃げ去りたいと、そう強く思われて当然だと思考できる。

 

「こんなバカな戦いに巻き込まれて。バカな主人に付き合って……嫌にならないか?」

 

 桟橋の柵をきつく握り、堕天使の醜怪な瞳に耐え切れなくなったように、ミカは横を向く。

 

「いえ──いえ……」

 

 そう言ってくれるだけでも、カワウソの胸に湧く猜疑は晴れていく。

 

 しかし。

 だからこそ。

 見上げた星の夜のように澄み切った心地で、カワウソは最後に確認する。

 

「ミカ。この前の命令──覚えているよな?」

「……」

 

 この前の、自殺実験に失敗した後の、命令。

 

「覚えてるな?」

「……………………はい」

 

 まるで今にも吐き出しかねないほどに青い、侮蔑の表情。

 カワウソは安堵したように微笑む。

 

「それでいい。おまえだけは、俺を──」

 

 許すな。

 好むな。

 嫌え。

 憎め。

 

 皆を、ミカを、復讐の犠牲にするクズを、恨んでくれ。

 

 そうでなければ、きっと──

 自分(カワウソ)は、()えられない。

 

「ありがとう…………もう、休んでいいぞ」

 

 堕天使は自嘲するように笑う。

 彼女には、戦いに備えて英気を養ってもらわねば。

 カワウソという醜愚の極みのごとき存在に対し、ミカは整然として応える。

 

「……了解しました。祈りを終えたら、自室に戻り休みます。

 ……カワウソ様も、ほどほどにおやすみやがってください」

 

 実のところ、カワウソは「あまり休みたくはない」というのが本音である。

 何故なら、休めば必ずと言っていい程、堕天使の悪夢に(うな)され、心が休まることは一時もないから──でも。

 

「わかった。おやすみ、ミカ」

 

 カワウソにとって、あのギルド武器を、一冊の本を眺めて、皆との思い出を振り返っている時が、一番やる気が湧きたってくれる。悪夢を一掃できるはずだと。だから、部屋に戻る前に、明日の戦いの前に、もう一度だけ眺めておこうと。

 

 でも今日だけは。

 

 ミカのおかげで、いい夢が見られるような、そんな期待に胸がいっぱいになっていた。

 

 休息は取れるうちに取っておかねば。

 歩き去っていく女騎士の淀みない歩調を、女天使の背中を、しばしの間だけ見送る。

 ──何故だろうか。もはや戦いの中で死ぬことへの恐怖が、完全に消えてなくなっている。

 

 ただ。

 

 彼女たちをすべて、カワウソはこれからの戦いで、犠牲にすることになる。

 その事実だけが、胸の奥深く──心の一番大切な場所に、(くさび)のごとく突き刺さって、しようがない。

 漆黒の水平線を見渡すカワウソは、その事実を前にしても逃げないし、

 諦めない。

 

 

 

 

 

 すべては、明日。

 (のぞ)みに(のぞ)んだ──ナザリック地下大墳墓へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋敷に戻ったミカは、改めて、先ほどの祭壇の間へと戻る。

 水音と聖泉に護られる、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の最奥の地にある祭壇。

 壇上に飾られるのは、信仰系魔法詠唱者としてカワウソが信じる“復讐の女神・ネメシス”。

 

 その女神像が護る「モノ」に対して、六枚の翼を広げる女熾天使──ミカは祈る。

 

 膝を屈し、目を伏せて、手を堅く組み合わせながら、敬虔(けいけん)な聖徒のごとく、祈り続ける。

 そこにあるギルドの象徴……このギルドそのもの……彼が創り上げてくれた、自分達NPCの根源たるすべてに対し、無垢な祈りを捧げる。

 

 天使は一心に、彼を──思う。

 騎士は必死に、彼を──想う

 乙女は懸命に、彼を──……。

 

 頬を濡らして、祈り続ける。

 

 嫌わねばならない、大切な者を。

 自分が嫌うべき者の、行末(ゆくすえ)を。

 創造主たる彼の──(いのち)を。

 

 

 

 

 

 

「  カワウソ様  」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第七章 ナザリック地下大墳墓へ へ続く】

 

 

 

 

 

 




いよいよ大詰め。直接対決の舞台が整いました。
この「欲望と希望 -2」でのカワウソとミカは、私が『天使の澱』で書きたかった話・ベスト5に入る話だったりします。
連載60話目にもなりましたので、今後の展開に関わる情報、裏話みたいなのをひとつ、ご紹介。

『オリ主・オリキャラのネーミングについて』

嫌う彼のために祈るNPC・ミカの事情も、これでなんとなくわかるはず。
でも、この二人のネーミングの意味に気づいている人もいるんじゃないかな。
……いないか(笑)
※ネタバレ注意※(以下、反転。ネタバレすんなという方は無視してください)

カワウソとミカ
ミカとカワウソ
ミカ・カワウソ
ミカワウソ

ミカは……


では。続く第七章に、ご期待ください。

【感想欄での展開予想や提案はハーメルンの規約違反ですので、くれぐれもご注意を】


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第七章 ナザリック地下大墳墓へ
城塞都市・エモット -1


・前回までのあらすじ・
 カワウソは白金の竜王ツアーとの邂逅によって、絶対防衛城塞都市・エモットへ侵入するための“通行証”を入手する。
 だが、100年後の魔導国を治める王……アインズ・ウール・ゴウンの魔の手は、確実にカワウソたちの上を行っていた。
 ナザリック地下大墳墓を擁する魔導国の都を目指すべく、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の戦いが、幕をあけようとしていた──


/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.01

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 100年前。

 とある理念に()き動かされたひとりのプレイヤーが、ある二人の村娘、姉と妹を助けた。

 その理念とは、かつて仲間から受けた恩義の言葉。

 

 

 ──誰かが困っていたら、助けるのは当たり前。

 

 

 彼の働きによって娘たちの生まれ故郷たる村はまるごと救われ、村は彼の援助と友好──村人たちの尊崇と敬意によって成り立つ信頼関係が強固に結ばれる。やがて村は街となり、街はやがて都市となり、都市はやがて城塞を築くまでに発展を遂げた。

 

 そして、その城塞はこの世界に降臨し、この大陸に覇を唱えた絶対者の偉大なる拠点を護る要害として進化を続け、その領土領域を年ごとに拡大。かつて村の近郊に位置していた森や湖もそのまま飲み込んだ都の規模は、九つの城壁を構築する防衛機構……ナザリックの外地領域の代表格として、魔導国の中枢を担う“首都圏”と化した。

 この城塞都市近郊に存在する“第一都市群”と呼びならわされる各専業都市は、主にこの城塞都市への物資搬入と交易、補助、共生……ナザリック地下大墳墓を防衛する絶対防衛ラインを構築する都の機能を支えるものとなっており、この大陸内で最も栄えた場所であると言わざるを得ない。

 

 100年前まで、この辺りは麦畑の香る牧歌的な村だったと、知るものは少ない。

 

 その名残は、都市のそこここに残る記念碑やオブジェ……この国で初の、人間の“外地領域守護者”……御方に臣従を誓いし“血まみれの小鬼(ゴブリン)将軍”と呼ばれ尊ばれた、城塞都市エモットの初代都市長に関する資料や史跡で知ることができるのみ。

 

 ──二人の村娘に治癒薬を差し伸べる死の支配者(オーバーロード)の像。

 ──騎士の襲撃を受け殺された両親と、今は共に眠る姉妹の墓碑。

 ──残忍非道な王国軍の蹂躙に勇敢にも立ち向かう人間(エンリ)亜人(ゴブリン)のレリーフ。

 

 そして、……

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、待って!」

「遅いわよ、イズーッ!」

 

 その少女らは、城塞都市の目抜き通りをひた走る。

 都市の九つある外壁の内、比較的外側に位置する“七番防壁地区”通称・七番街。

 生家から仲良く手を繋いでいたが、気の急いた姉が我先にと駆け始め、三つ違いの妹がついていくことができなくなったのだ。

 

「はやくはやく! せっかく抜け出してきたんだから、ホラ!」

「ほんとうに良かったの? 衛兵(ガード)の皆が困るんじゃ?」

 

 構うことないと大笑する姉は、目立つ赤栗色の髪を男児の帽子のなかにまとめて、自分たちなりの変装術に身を包んでいる。妹もそんな姉と同様、動きやすい衣服に魔法使いのフード付きマント(子供用)で都市ではあまり目立たない恰好を着込んでいた。

 

「いいの!」

 

 妹の不安を払拭するように、姉は可憐な瞳をにっこりと微笑ませる。

 

「こんなチャンス滅多にないんだから!」

 

 二人が目指すのは、この都市の最も外側にある九番城壁。

 そこへたどり着くことが、二人の目標であり、両親や召使や衛兵──家族皆の目をかいくぐって外へ抜け出すための絶対目的であった。

 ……日付が変わる頃。屋敷の皆が、とある御方の係累……王太子殿下や姫殿下などを警護せねばならなかった事情もあったことを、まだ幼い二人には秘されていた事情もあわさって、二人は難なく家を飛び出すことができてしまったのだ。

 

「急がないと見逃しちゃうかも! ほらほら、はやく早く!」

 

 七番街から八番街へ降りる大昇降機が、門を閉ざしかけている。

 すいません乗りますと昇降機に添乗しているエルダーリッチに手を振りながら駆けこんだ。少女二人を乗せて、昇降機の門が閉じる。あとは全自動で下の八番街に下ろされる仕組みだ。走りっぱなしなのにそこまで疲労した様子もなく、姉妹は現状確認に努める。

 

「今、何時?」

 

 妹が懐にある時計を取り出してみる。

 

「えと……6時20分」

 

 なら大丈夫だ。

 アレが現れる予測時間まで、10分ほどの猶予がある。よしよしと頷きながら、姉はマジックアイテムのシューズの調子を確かめるようにつま先をトントンしてみた。魔法の昇降機が八番街に降りきるまでの数十秒を、はやる気持ちを抑えるように待つ。

 

『八番街。八番街に、到着しました』

 

 姉妹は並んで駆けだした。子どもにしてはかなり早く、疲れることのない様子で。

 八番街の目抜き通りも走り抜け、九番街へと至る最後の昇降機に乗り込む。途中にある露店や魔法の劇場、〈水晶の画面〉に映る芸能ニュースや公衆連絡〈伝言(メッセージ)〉用のエルダーリッチなどを素通りして、行き交う魂喰らい(ソウルイーター)の巨大馬車や白銀の魔獣の乗り物に注意しつつ、やっと、目指していた九番街の外縁部……最外壁の南東門あたりに登った。

 見渡せば、姉妹らと同様に見物に訪れたらしい都市住民や愛好家が城壁の広い歩哨を行き交い、彼等の安全を護るように死の騎士(デスナイト)が規制線のテープを握って直立していた。

 確信する。

 今日こそ、アレを目にすることができると。

 

「行こう、イズ!」

 

 頷く妹の手を引いて、一番見晴らしのよさそうな場所に陣取ろうと走り回る。

 時間も頃合いという時、見物人で構築された人垣が歓声をあげ始めた。

 ついに。

 待ち望んだ瞬間が訪れる。

 姉妹が固唾を飲んで見守る先に、白い濃厚な乳白色の靄……霧が立ち込め始める。

 奇妙なことに水の匂いまで顕著になり始めた。海で生じるものよりも濃すぎる霧が、一帯を包む。

〈遠隔視〉や〈透視〉などはまだまだ勉強中の姉妹は、お小遣いで購入した視力向上用の眼鏡をかけて、その霧を引き連れて現れるものを、確実に視野に収める。

 

「来た、来た、来た!」

 

 しきりに頷く妹と寄り添いながら、少女は霧の奥から見える影の輪郭を捉えた。

 

「すっごーい!」

「おっきいー!」

 

 姉妹は感動に身を震わせた。

 彼女らの周囲の人々も似たり寄ったりな反応で、その威容に魅入る。

 聞いて知っている幽霊船を、己の両目にしっかりと焼き付ける姉妹。白霧に包まれるアインズ・ウール・ゴウンの所有物……100年前よりこの区域を警邏巡航するアンデッドの帆船の姿を前に、少女二人は仲良く手を叩いて、感動を分かち合った。

 

 厚い霧のベールを引き連れた、(おか)を進む──ガレアス船。

 

 魔導国の紋章旗を掲げる幽霊船は、朽ち果てボロボロな様こそが己の(いさお)であるかのごとく。

 何の用もなしていないほどにズタズタの横帆を風に流し、最後尾の縦帆も不気味に千切れた古雑巾のありさまだが、その巨大な質量は確かに「陸上を“帆走”」している。太く長い(オール)が両舷から突き出て、それはまるで大海の荒波を漕ぎゆく勇壮な音色を奏で、大穴の開いた船体が軋みをあげていた。船底が地上一メートルほどの高さを浮遊航行するらしい幽霊船の甲板は、都市最外壁の歩哨と目線の高さが同じになる程の大きさであり、その甲板上に“生きた船員”が誰一人存在しない事実を見せつけてくれる。

 半砕している操舵輪が絶妙な角度で揺れ動き、幽霊船が城壁のギリギリのところを行くよう、巧みに操船している様は、もはやなんとも言えない。

 ……そこに佇む幽霊船の「船長」に対し、見物人たちが喝采と賞美の声を送ると、彼(あるいは彼女)は崩れ朽ちたキャプテン帽をつまんでお辞儀をして見せた。実にサービス精神旺盛なアンデッドである。

 そうして、城塞都市エモット付近の不定期巡航を終えた幽霊船は、カッツェ方面へと帰還するルートに舵を取った。

 あれほど濃厚な霧が見る内に晴れ渡っていき、内陸部である都市にはありえないほど濃密な水の気配は完全に絶えてしまう。

 

「……すごいなぁ」

「……感動しちゃった」

 

 無論、幽霊船が平野を行く光景は、上の街区でも霧の霞んだ先に視認はできるが、遠くから小さく見える構造物を眺めるのと、これほどの近場で巨大なそれを眺めるのを一緒くたに考えることは出来ない。

 ──100年前。

 カッツェ平野を掌握した偉大な御方が支配下においたという伝説の通りに存在する幽霊船。

 

「やっぱりすごいなぁ、アインズ様は」

 

 姉の独言(ひとりごと)に頷く妹。

 少女らはは興奮冷めやらぬ調子で、白い霧に包まれた幽霊船の航跡を目で追った。

 ただし、いつまでも悠長にはしていられない。

 

「じゃあ戻るわよ、イズ!」

「──うん。お姉ちゃん!」

 

 姉妹は家路を急いだ。魔法の眼鏡をポケットにしまう。

 何しろ家の者には内緒で、無理を通して幽霊船の出現予想時刻に都市外縁に馳せ参じていたのだ。幽霊船の出現頻度はまちまちな為、よほどの腕利きの情報通でもない限り──あるいは占術などの魔法関連にそれなりの理解がないと、正確な出現予測は確保できない。ちなみにだが、彼女たちはもっぱら後者である。

 城壁を駆け下り、先ほどの幽霊船の余韻を噛み締めるように談笑する二人は、少しばかりよそ見をしていた。

 南東門より入ってきた通行人とぶつかってしまう。

 

「わっ!」

「お姉ちゃん?!」

「ぃった~……ご、ごめんなさ……?」

 

 姉は見上げた黒い男の姿を凝視する。

 

「ああ、いや。こちらこそ、すまない」

 

 身なりは普通のローブの下に、魔導国臣民にはごく当たり前な衣服を身に帯びているが、その気配に慄然(りつぜん)としてしまう。

 浅黒い肌に黒曜石のような髪色は、種々様々な人間種や亜人種が入り混じる魔導国ではそこまで珍しい造形とは見なされない。闇妖精(ダークエルフ)と南方の人間の混血と言われれば納得もいくだろう。

 問題は、その雰囲気。

 印象に残るのは、覗き込んでくる、その眼だ。

 日々を苦悩と慟哭に明け暮れたかのように怪悪な、悪役道化(ピエロ)の化粧よりも(おぞ)ましく目元を飾る(くま)。深海から引き上げられて死んだ魚よりも黒く濁る瞳は、見る者の背筋に氷の針がすべるような感覚を想起させる怖気(おぞけ)に溢れていた

 一言で言えば、あまりにも醜い。

 もっと言えば、おどろおどろしい。

 アンデッドなどの学園や都市内で見慣れたモンスターとは違う、人間の肉体を痛苦と辛酸で歪め捩れ崩したかのような男の様相が、至近で見るものに根源的な忌避感を抱かせる何かを発露していたのだ。そんなものがニタリと笑い、口を繊月のように薄くつり上げる様は、悪の化身か何かにしか思えない。

 少女ら二人は同時に、喉が引きつるような声で泣き出しそうになる。

 だが、

 

「何をしてやがるんです?」

 

 男の隣に並ぶ女性を見ただけで、その時に感じた感情の一切を亡失してしまう。

 何か神聖なものを、お日様の光のようなものを感じさせられて、恐れなどの感情が霧散してしまう。

 

「お急ぎを。ここでグズグズしている時間は」

「わかっているって」

 

 頷く黒い男と同様に、魔導国で一般的な衣服……ローブを身に着ける女性は、まさに輝かんばかりの、希望の光に満ち満ちていた。

 黄金の長髪をフードで覆うものの、陽光よりも眩しく煌く彩を隠しきれていない。見るものを男女問わず魅了する美貌は、不機嫌な感情で(かす)かながらに歪んでいたが、それすらも女神のごとく耽美な至福を見る者すべてに与え施す……一幅(いっぷく)の宗教画めいた感動をもたらすのだ。

 女性が両腕に抱くのは、彼女の子どもだろうか。女性と同じ髪色を額のあたりに一房だけ垂らしているのが見てわかる。赤子は薄布に全身をくるまれ、実にあどけない天使のような寝顔で、清廉かつ神聖な女神の腕の中で眠りこけているさまが実に可愛らしい。思わず抱きしめたくなるほどに、その赤ん坊も清澄かつ穢れを知らぬ様子であった。

 ……三者に共通しているのは、魔法の装備品であろう色も形状も違う「輪」があるところくらいか。

 

「大丈夫か、お嬢ちゃん?」

「…………ぇ、あっ、はい」

 

 怪奇な男と麗雅な女。

 実にちぐはぐで不釣り合いとも言える男女に対して、尻もちをついていた少女は差し出された手を取ることに迷いがない。

 

「すいません。こちらの不注意でした」

「いや。こっちもすまない……うん」

 

 互いに礼と節を尽くす少女と男。

 ふと、男が何か気がついたように首を傾げる。

 まさかと思いつつ、少女は自分の正体を隠匿する魔法のアイテムを提げた胸元を探った。

 

「つかぬことを聞きたいんだが」

「は……はい、何でしょうか?」

 

 黒い男は人間のそれとは異なって見える瞳で、人間としか思えない声色のまま、真摯(しんし)(たず)ねる。

 

「実は、この都市の中心に行きたいんだが。道はこの通りを行けばいいんだよな?」

「中心って──エモット城のことでしょうか?」

 

 頷く男。

 少女は少しだけ考えて、ひとつだけ確かめておく。

 

「お困り、なんですか?」

「おこまり?」

「お困りであれば、助ける……ええと『誰かが困っていたら、助けるのが当たり前』というのが、我が家の家訓というか……ひいひいおばあさまが、この世界で最も尊い方から戴いた訓示ですので」

 

 ノブリス・オブリージュです。

 端的な布告に再度頷く男に、少女は年齢以上に見える優雅な笑みで応じる。

 

「ええ。中心の城塞は、目抜き通りをまっすぐ行けば、すぐだと思います」

 

 というか。自分たち姉妹は中心地の一番街からやってきたのだ。

 魔法のシューズを装備しているとはいえ、子供の足でも一時間かそこらで到達可能な、とてもわかりやすい区画整理が施されている。

 しかし、そんな常識に対し疑義を提示されるのは予想だにしていなかった。

 

「……『絶対防衛』を謳う要害で、中心へ行くのに『まっすぐ』でありますか?」

 

 先ほどから奇妙な語り口をする黄金の女性を、少女はまっすぐ見つめる。

 

「ええ。まぁ。平時のときは、そうです」

「平時のとき?」

 

 男の疑問符に、少女は応じる。

 

「私は実際に見たことがあ──あー、というか、ほとんどの都市住民が見たことないでしょうけど──この城塞都市は、敵の不意な侵攻があった際、街を防衛戦仕様に変形する機能があるんですよ」

「……へぇ?」

 

 興味深そうに声をこぼす男。

 少女は己の出自から、そういう情報に恵まれて育っていた。

 

 城という建造物がそうであるように、通常の城塞都市は、街の外観や美観を重視するのではなく、あくまで侵攻してくる敵軍を、いかに長く大量に塞ぎ止めておくかの機能に特化する傾向にある。押し寄せる敵を跳ね返す壁や堀は勿論、都市内部も複雑な迷路や罠、衛兵詰所に物見櫓などの要所を配置し、迫り来る敵の脅威から、どれだけ城の主を護るかの工夫ないしは工作が随所に張り巡らされるものである。

 だというのに、この城塞都市は円周を築く最外壁にある八つの門から、都市中心の城・エモット城まで、ほぼ一本道で到達可能。俯瞰図で言えば、巨大なドーナツ、もしくはバームクーヘン状に構築された都市に、八本の放射線が走っているようなありさまと言える。見る者が見ればあまりにも美しい都市の俯瞰に惚れ惚れとするだろう美しさで、城という高所から見た眺めは格別の一言だ。……それも、御方々が創造した、城塞都市の守護対象たるもの……ナザリックに比べれば、まだ常識の範疇に収まるレベルにすぎない。

 

 ありていにいえば、現状この絶対防衛城塞都市は、敵が攻め寄せれば確実かつ簡単に中枢にまで進めそうな構造なわけだ。

 しかし、それはあくまで“平時のとき”。

 少女の言う通り、有事の際には都市は円周構造であることを最大限利用した変形機能を発揮。瞬きの内に整理された区画は迷宮の(よそお)いに変貌を遂げる──というが、ここ数十年で実際にそういった機能が発動した事例は存在しない。

 だが、少女は御方や、その御一家からの覚えが良い血筋である為、特別にそのシミュレーションを拝謁する機会に恵まれていたのだ。

 

「魔法の昇降機でそれなりの高低差……都市中心に行けば行くほど高くなる城壁、大階段の構造を踏破する必要はありますが……そもそも100年前の建造方式や魔法技術だと実現不可能な都市構造ですからね。城塞都市地下のトラップ機能が全解放されれば、事実上、この都市だけで十年は戦い続けられるとかなんとか」

「……随分と詳しいんだな。その年齢(とし)で?」

 

 しまった。

 妹が「駄目だよ」と声をかける。

 少女は気前よく都市の情報を話してしまったが、別にこの程度のことは歴史の授業で習う程度の常識である。

 まずいのは、この年齢で都市構造だけでなく都市の防衛機能そのものに理解を示し、それを他者に教授できる言い方だ。

 幼年学校卒業くらいの年齢で、そこまでの理解力を示す才媛など、都市で数えることが容易なほどしか存在していないだろう。

 自分たち姉妹の正体が露見するのは、実におもしろくない結果を生む。

 

「ええと……う、ウチの親がそういう職業でして?」

 

 苦しい言い訳。

 男は首を傾げるが、それ以上の追及は控えてくれる。

「まぁ、いいや」と軽い口調で、少女らの言われたとおりの道を目指すことに専念する。

 

「教えてくれて、ありがとな」

「……どうも」

 

 連れ添い並んで都市の中心へ進む男女を、そして、黄金の女性の腕に抱かれる赤子が微笑むと同時に親指を突き上げたような仕草を──いや、たぶん錯覚じゃないかな──、姉妹は黙って見送った。

 

「なんだったんだろ……あの、人? たち?」

「……さぁ?」

 

 

 

 

 

 少女らの名前は、

 姉がアン・エモット、

 妹がイズ・エモット。

 

 御方より特別な許可を得て賜った名前の持ち主たる二人は、この都市で有数の、『バレアレ』や『ビョルケンヘイム』、『エル=ニクス』などと並び称される名家の生まれ。

 

 アインズ・ウール・ゴウンその人が100年前より世話をし続けた──その分、重要な役職“都市管理者”を与えているがために、都市の名を戴く家を継ぐ者──(のち)の魔導国に貢献する子供らにも英才教育として与えられた知識と才覚を誇る少女たちは、自分たちがどれほど貴重な邂逅を果たしたのか、この時はまだ、まるで気がついていなかった。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時を少しだけ(さかのぼ)る。

 

 

 

 

 

 カワウソは夢を見ていた。

 しかし、その夢は、今までの黒いばかりの悪夢とは違う。

 カワウソがいるのは、黒い澱の底ではなく、拠点の屋敷の、自分の私室。

 世界に色が付き、唯一、あの悪夢を想起させる要因は、目の前に佇む──漆黒の影だけ。

 影とカワウソは旧知の友であるかの如く、卓を囲んで腰を落ち着けていた。

 

「行くのか」

 

 そうダイニングテーブル越しに問いかけてくる何者かに、カワウソは頷く。

 いったい、どこへ。

 そう問いかけるまでもなく、両者とも己の目指す場所は理解し尽している。

 影は今一度だけ確かめた。

 

「本当に、いくのか」

 

 カワウソは、自分の望みを果たし、仲間たちとの約束を守る。

 その一念だけで、ここまでやってきた。

 

「そうか」

 

 一度、満足げに頷く影法師。

 

「いいね。その狂いっぷりは。それでこそ、──ああ、それでこそ(・・・・・)だ」

 

 黒一色に染まった堕天使の影は、楽しんでいるらしく肩を震わせていた。組み合わせた黒い両手の下で、微笑む形に歪んだ、罅割(ひびわ)れ壊れた赤い三日月がケタケタと(わら)っている。

 

「せいぜい頑張れよ──カワウソ。……いや、“    ”……」

 

 言われなくても。

 そんな鋼の意志を了解しているかのように、黒い影は質感を薄め、灰色の残骸と化してカワウソの足元──影の中に溶けていった。

 悲壮も悲嘆も感じない。

 ただ、得体の知れない充足感が、カワウソの全身を包み込んでくれる。

 堕天使は立ち上がり、自分がゲームで創り上げた景色──ギルド拠点の一室──これからの戦いで失われることになるだろう光景を、眺める。

 窓の外に広がる青と蒼。吹き抜ける潮風に、白いレースカーテンがはためき踊る。

 まるで天国にいるような夢心地を覚える。

 そして、聞く。

 祈りを捧げるような、澄み切った空を想わせる女の声に……呼ばれる。

 

 

 

 

 

『  カワウソ様  』

 

 

 

 

 

 そこで目が覚めた。

 夢で振り返る前に覚醒した意識で、ベッドの上から跳ね起きる。

 ギルド長の私室には当然、誰もいない。

 あの影も。

 あの声も。

 

「──」

 

 窓の外の景色は、払暁の薄明かりの気配すらない。あの鮮やかな青と蒼には、まだ早い。

 時刻を確認。出撃まで三時間も早い時間だったが、久しぶりに夢見が悪いという感じではないため、気力も体力も十分に回復できた。心持(こころもち)、全身が軽くなっているような、爽快な目覚め。

 カワウソは身支度を整える。

 顔を洗い、歯を磨いて、黒い寝間着を脱ぎ捨て、自分の用意できる最高級装備──神器級(ゴッズ)アイテムに代表される品々に身を包む。

 黒い鎧“欲望(ディザイア)”、聖剣“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”、魔剣“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”、足甲“第二天(ラキア)”、首飾り(ネックレス)第五天(マティ)外衣(マント)竜殺しの隠れ蓑(タルンカッペ)”。

 他にも、全身を飾る種々様々な効能を発揮するアイテム──指輪や腕輪、腰の鉄鎖(レーディング)など。

 ステータス画面などは確認できない──ゲームとは違うこの世界で、それをしようと思うと専門の魔法を発動するか、ギルドの中枢である祭壇の間でマスターソースを開いてギルド構成員リストを確認せねばならない──が、ちゃんと堕天使の身体能力が向上していくのが実感できる。

 そして、

 頭上に浮かぶ赤黒い円環──世界級(ワールド)アイテムを手にとる。

『敗者の烙印』保有者……“復讐者(アベンジャー)”を極めたカワウソにのみ扱うことを許された、落伍者のための道具(アイテム)

 ──そして、アイテムボックスの『あるもの』を、ガラクタのようなそれを、取り出す。

 

「うん」

 

 準備は整っている。

 万端とまではいかずとも、今の自分に用意できるものは、確実にすべて揃えることができた。

 

「よし」

 

 少し早いが、最後に屋敷を巡っておこうと、部屋の外に出るべく扉を開けた。

 

「おはようございます」

「ぅおう……!?」

 

 完全に意表を突かれ()()るカワウソ。

 この時間はシフト上、メイドの扉番はいない。

 そして、彼女は屋敷のメイドでは断じてない。

 

「……ミカ……驚かすなよ」

「? 申し訳ございません」

 

 納得いかないように首を傾ぐ女天使に対し、カワウソは脱力するように肩を落とす。

 そして、気づく。

 

「……いつから、ここにいた?」

「と、いいますと?」

 

 ミカに扉番を任せた覚えが、カワウソにはない。

 にも関わらず、こんな早い時間に、夜も明けきらぬうちに、ギルド長の部屋の前にいるというのはどういうことか。

 

「……ちゃんと休んだんだろうな?」

「もちろん」

「じゃあ。なんでこんな時間に、こんな場所に?」

 

 当然の疑問に対して、天使は軽く肩を竦めた。

 

「御自分で創造されたくせに、お忘れですか? 私の特殊技術(スキル)“天使の祝福”で、同族である天使の位置は手にとるようにわかります。なので、堕天使のカワウソ様が動かれれば、それで御起床なされたことは把握できますので」

「あ……あー、なるほど」

 

 ミカに与えた屋敷の私室は、カワウソの部屋の半分ほどの規模であるが、同じ二階に存在している。

 カワウソが起きたことを察知し、部屋の前で待機するだけの距離的余裕は十分。

 屋敷の防衛任務に就くミカだからこそ、主人の起床に合わせて行動するのは当然な行為だったようだ。

 

「それなら、ミカ。外へ通じる鏡の警護役の動像獣たちを除く、防衛部隊の全員を円卓の間に集めろ」

「すでに集まっております」

「……なに?」

 

 カワウソは驚いた。

 

「本日の決戦を前に、皆、戦気に満ち溢れております。昨日いっぱい、御下命通り休息を頂戴し、日付が変わる頃には、全員で作戦の再考察と再審議を続けておりました。おかげで、何らかの不測の事態にも、皆十分に対応可能な状態になっているはず」

「……」

 

 勝手な真似をして、などとは微塵も思わない。

 シモベ(NPC)たちの意識の高さ──あのナザリック地下大墳墓──アインズ・ウール・ゴウンとの戦いに臨む姿勢が貫徹していることがわかって、堕天使は頬が緩むのをおさえられない。手で抑えておかないと、馬鹿みたいに大笑いしかねない高揚感を覚える。

 

「……そうか」

 

 頷く女天使に、カワウソは誠心誠意の感謝を送る。

 そして、自分のような馬鹿なプレイヤーと共に戦ってくれる存在(NPC)たちに、万謝の限りを尽くす。

 

「ありがとう──」

 

 たった一言では言い表しきれぬ感動を込めて、女天使の頭を撫でていた。

 対するミカは驚愕から空色の瞳を見開き、痺れたように硬直してしまう。

 熾天使の頭上に浮かび回る光の輪が、興奮にか驚愕にか、輝きを増した。

 

 ──わかっている。

 

 嫌いな主からこんなことをされても、嫌悪感が強まるだけかもしれない。

 自分が生み出したものを犠牲にする自身の愚かさに、心が塞がっていく。

 そんな創造主に仕えるミカ達を憐れみ慈しむ権利など、自分(カワウソ)には、ない。

 

 だが、それでも、カワウソはミカに対し、そうせずにはいられなかった。

 

 これが、彼女との、ミカとの最後のふれあいになるだろうと思うと……。

 

「……行こう、ミカ」

 

 それでも。

 カワウソは前に進む。

 正真正銘、最後の作戦会議が行われる。

 あたたかな黄金の手触りを、カワウソは僅かな逡巡と共に手放して。

 

「……どうした?」

 

 疑念と共に振り返ったのは、硬直しっぱなしの熾天使を(いぶか)しんだが為。

 ミカは両手で、軽く頭を触れるようにしていた──堕天使に撫でられた部分の乱れた髪を直しているのだろう──が、すぐに手を下ろす。

 

「な……なんでもありやがりません。行きましょう」

「ああ、行こう」

 

 カワウソは進み続ける。

 ナザリック地下大墳墓……それを擁する異世界の城塞都市……エモットを目指して、

 天使の澱は躍進する。

 

 

 

 

 

  ──終わりの時は確実に、彼等のもとに訪れようとしている。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 同時刻。

 未だ夜明けには程遠い、ナザリック地下大墳墓。その第九階層にて。

 

「うむ……よし。では、城塞都市(エモット)の警備レベルは通常通りに。……ああ、“お客”をもてなす準備は万端整っている」

 

 アインズは、来たる戦いに向けて、寝食や休息など忘れて──アンデッドなのでもともと不要だが──作業に没頭し尽した。

 

「ああ。彼等の最後の誘導は任せる──頼んだぞ、ツアー」

 

 この異世界で得られた盟友との魔法の繋がり(ホットライン)が断たれる。

 彼との専用回線を結ぶゴーレム端末を机に置いて、一息つく。

 関係部署に〈伝言(メッセージ)〉を飛ばし、コキュートスやデミウルゴスなどに軍や政治機関の手配を命じ、シャルティアやアウラが表層の平原にいるアインズ達謹製のアンデッド軍の再整備を何度も繰り返し、マーレやセバスはナザリック内の点検と確認に勤しみ、魔導国の政務代行中のパンドラズ・アクターも伴侶と共に宝物殿へ帰還し、さらに、各領域守護者や全シモベたち────各都市に避難させる人員のことなど、アインズ・ウール・ゴウンが成すべきことはすべて終着していると言える。

 執務室で共に最後の確認業務にあたってくれる大宰相、“元”守護者統括たる女悪魔──アルベドと共に、すべての準備を整え終え、その最終確認も完全に滞りなく終了。

 あとは、“お客”が来るのを待つばかりである。

 アインズは悪戯っ子めいた調子で、傍に立つ王妃の笑顔に問うてみる。

 

「一応。カッツェの幽霊船も呼び寄せてみたが──はてさて、驚いてくれるかな、彼は?」

「確実に。連中はアインズ様の偉大さを思い知るかと」

 

 にこやかに肯定してくれるアルベドだが、アインズはそこまで期待はしていない。

 彼と呼んだプレイヤーの驚くさまを思い浮かべるが、いまさらその程度のことで、彼が復讐を──敵対関係をやめるはずはないと了解している。

 幽霊船を呼んだのは、あくまで軽い示威行為と、船長に与えた警戒任務の一環に過ぎない。やらないよりはマシ程度の感慨だが、少しでも“敵”の気勢を削ぐのに役立てば御の字だろう。

 黒革の椅子に身を預けると、艶然と微笑む悪魔の美貌に覗き込まれる。

 アインズはこの100年で慣れ切っていた「家族」のスキンシップを施す。

 女の紅薔薇に輝く頬に骨の手指を伸ばし、宝石を扱うように丁重な仕草で、愛する妻の笑みを労わるように撫でてみる。

 アルベドはされるがまま、夫たる至高の主人の指先と戯れるように、自分の両の手で骨の指を包み込んで離さない。

 そして、アルベドはひとつの疑問をこぼす。

 

「……本当に、よろしかったのですか?」

「何がだ、アルベド? プレイヤーたる彼──カワウソたちと戦うことか?」

 

 それもですがと、アルベドは真剣な眼差しで、“妻”ではなく“NPC”としての意見を具申する。

 

「私たちの嫡子たるユウゴたち、あの子たちの“出撃志願を『棄却』された”のは」

「構わない」

 

 アインズは既に、厳命を下しておいた。

 

「ユウゴたち──我等ナザリックの産んだ、正真正銘の“子どもたち”は……今回の件には、関係ない」

 

 (いわ)く「混血種たる我が子たちには、今回の“天使の澱”との戦闘には、ほとんど参与させない」と。

 そういう命令を通達しておいた。

 

「ですが。皆があんなにも、アインズ様の為に働きたい・戦いたいという意志を表明されたのに」

「『だからこそ』だ」

 

 我が子たちの忠節と忠誠は、ナザリック地下大墳墓の拠点NPCに並ぶほど高い。父や母たちの尊ぶ存在への信奉の心──NPCの“子”であるが故かの遺伝的とも言えるほどに苛烈な尊崇の一念は、アインズが想定していた以上のものがあった。

 それは疑う余地のない事実であるが、だからこそ、アインズはそんな我が子たちを、今回の戦いから遠ざけることを決定した。

 王太子の“母”たるアルベドをはじめ、子どもたちの親となったNPCたちにとって、彼ら彼女らを「参戦させない」という至高の御身の決定は、最初こそ異論が噴出していた。連中と深く関わりをもったマルコをはじめ、混血種の子どもらは戦う気概に満ち満ちており、主人の断固とした命令内容に、当初は納得を得ることが難しかった。

 だが、アインズは決定を覆すことはなかった。

 

「今回の戦いは、私の、……(いや)、“アインズ・ウール・ゴウン”の負の遺産とも言うべきもの──カワウソというプレイヤーが、あの第八階層“荒野”への復讐を企てる存在である以上、これは、俺たちだけの問題だと言える」

 

 かつて、このナザリック地下大墳墓を造り上げ、存在していたギルドメンバー、四十一人。

 その中で、サービス終了の時まで、ナザリックを護り続けたギルド長・モモンガ。

 

 そして、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの拠点に侵攻してきた1500人からなる討伐隊。

 その中で、あの第八階層への復讐を誓い、戦い続けた堕天使プレイヤー・カワウソ。

 

 ……この戦いは、言わば、アインズ・ウール・ゴウンが生み出した遺恨から端を発したもの。

 であれば。

 この異世界で生まれた、ナザリック地下大墳墓の、NPCたちの子どもたちには、関係のない戦いに他ならない。

 

「できれば。万が一に備え、ナザリック地下大墳墓からも、全員退避させておきたかったくらいだが」

 

 当然ながら、これにも反対意見が多かった。

 100年をかけて営々と準備してきたアインズの戦力……混血児たちは、一部には十分にシモベたちと同等の戦闘力を保持しているものも存在している。そうなることを期待して、才能を伸ばし、力を蓄えさせ、数値的なレベルアップを望めないNPCに代わって、ナザリックの戦力増強計画として生み育んできた混血児たちをナザリックから追い出すかのごとく退避するなど、誰の目にも奇異な判断に思われた。

 

 だが、やはり、アインズは優しかった。

 

 子が「親への怨恨」に巻き込まれるなど笑止千万。

 親の不始末を子に押し付ける行為は、アインズにはまったく許容できない。

 混血児(ハーフ)の我が子たちは、今回の戦いには直接参入させる気概は、もはや完全に尽きている。

 

 これがもっと別の戦いであれば、ナザリックの全戦力……NPCの子どもたちも十分に活用することを決定しただろう。

 しかし。

 相手は、ユグドラシル時代からの因縁をもって現れたプレイヤー。

 あの“第八階層への復讐”を遂行せんと欲する堕天使と、その配下たるNPCたち。

 

「確認するが──子どもたちの避難状況は?」

「城塞都市・エモットをはじめ、各第一都市群への避難は、完全に終了しております」

 

 ナザリックに残っているのは、件のギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)と深く関わっていた新星・戦闘メイドの統括にして、竜人(セバス)人間(ツアレ)の実の娘──マルコ・チャンだけだ。彼女は転移当初のカワウソたちの水先案内人を務め、その任務で親交を結んだ唯一の混血児。彼女の堅い意志は、今回の件に最初に動員されたことも影響しているだろうが、自分(マルコ)がカワウソ達を導き“損ねた”──己の不手際であると信じ抜いている。その姿勢に、アインズですら「特例」として、マルコを決戦の際にナザリックに残留することを、了承するしかなかった。

 そうして、アインズ・ウール・ゴウン魔導王としての絶対強権を行使して、子どもたちのほとんど全員をはじめ、その他ナザリック内に招かれた魔導国の民──ナザリックに絶対忠誠を誓う一等臣民や、傘下入りした異形の種族なども、昨日の時点でナザリック地下大墳墓の外に避難済み。

 一応の任務として、子どもらには『ギルド:天使の澱以外に、100年後の魔導国に潜伏しているやもしれないユグドラシルの存在を警戒せよ』と命じておくことで、全員を納得させることができた。

 

「うん。万が一、億が一……京が一にも、この俺、アインズ・ウール・ゴウンが“敗北した”際の事後処理も、外に避難させた皆に任せておけば、安泰だ」

 

 そう。

 アインズは自分が圧倒的強者であるとは思っていない。

 いつか、アインズ・ウール・ゴウン以上の、強大な難敵が到来する可能性を、100年前から常に思考し続けていた。

 そして、自分が敗れ、死んだ“後”のことも。

 

「王太子……俺たちの息子であるユウゴに後事を任せておけば、とりあえず国の混乱は最小限に抑えられる」

 

 いかに強大な敵でも、ナザリック地下大墳墓の有する戦力に対し、無傷で完封勝利できる可能性は極めて低い。

 そうして、戦いの果てに疲弊し尽した敵を処理するだけの戦力が、魔導国には確実に蓄積されているし、“白金の竜王”ツアーの助力も期待できる。アインズ・ウール・ゴウン……モモンガが本当に死んでも、それを復活蘇生させるだけの備えを、我が子とツアーには保持させている。死ぬことへの恐怖など、アンデッドの自分には一片も備わっていない。プレイヤーの蘇生実験は実際には未だできていないが、プレイヤーを知るツアーの話によれば「可能である」と聞いている(が、実際に蘇生の瞬間をアインズ達が確認したわけでないのだ)。100年前の聖王国で行った、避難訓練じみたアインズの“死亡訓練”も、きっと生かされることになるだろう。

 そうして、悠々と敗北から復活を果たしたアインズが、魔導国軍とナザリックの子供らを率いて、ナザリックの敵を誅戮(ちゅうりく)すれば、それで万事解決……という筋書きである。

 だからこそ。

 アインズは絶対に信頼がおける息子(ユウゴ)盟友(ツアー)に、後事を託すのだ。

 全員でナザリックに引き籠って、魔導国の枢軸を担うもの“すべて”が死に絶え全滅するようなことだけは、絶対に忌避せねばならない。

 故に、アインズは我が子をはじめ、ナザリックの子どもたちを避難させている──というのが表向きの理由なのであった。

 裏にある理由は当然、「自分たちの争いに、我が子たちを巻き込みたくない」という、そんな純粋に過ぎる親心しかない。

 

「……できれば、ナザリックの拠点NPCであるおまえたち……アルベドたちも避難しておいてもらおうかと思ったんだが」

「それだけはなりません。アインズ様」

 

 カワウソたち程度の戦力……Lv.100が13人前後であれば、ナザリックが誇るPOP地獄や金貨消費型の傭兵、悪辣なデストラップや様々に存在するギミック、天使に特効のマイナスなフィールドエフェクトの類でも、掃討することは可能なはず。

 しかし、アルベドをはじめ、皆がそれを了承する筈がなかった。

 まるで母が子を叱るように、あるいは恋人が恋人を諫めるように、女淫魔はきっぱりとアインズの愚かしい言動を拒絶する。

 

「我々は、ナザリック地下大墳墓によって創造されたNPC。この拠点を落とされるようなことは(けい)が一、(がい)が一にもありえないとしても、この素晴らしき拠点を防衛する任を遂行することが、私共の生来の役割にして絶対の本能……それを果たせないようなシモベなど生きている価値すら」

「わかっている。わかっているとも、アルベド」

 

 手をあげ、自分でも馬鹿なことを言ったと反省するアインズに、アルベドは可愛らしい膨れっ面をにこやかに緩ませる。

 

「しかし……私のような不束者が、このようなことを言っても何の得心も得られないでしょうが」

「何を言う、アルベド」

 

 今度はアインズの方が、アルベドの方を叱りつけた。

 

「おまえがそのような弱気でいる理由など存在しない。言っているだろう。あの“事件”の時にも──」

 

 アルベドは観念したかのように首を振った。わかっていますと告げる黄金の瞳。そんな女悪魔の弱々しいさまを──すべてを包み込むべく、アインズは女悪魔の頭を己の胸骨へと抱き寄せ、黒髪を撫でつける。

 親が子にするそれではなく、男が女に対する愛情のまま、しばしの時を過ごす。

 

「…………」

「────」

 

 二人だけに聞こえる睦言(むつごと)(ささや)き交わし、接吻も落とせるだろう距離感で、互いの想いを確かめ合う。

 

「ありがとうございます、アインズ様」

「気にするな」

 

 大宰相にして最王妃──アルベドが、“元”守護者統括がこぼしかける涙を、アインズはいつかの時のように優しく拭う。

 

「アインズ・ウール・ゴウンに敗北はない」

「はい」

「ナザリック地下大墳墓の最高支配者とお前たちが呼ぶ存在が伊達(だて)ではないことを」

「すでに十分、お教えいただいております」

 

 アインズは微笑む。アルベドも応えるように、笑みの花を咲かせてくれる。

 

「我が杖……スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの模造品(レプリカ)は?」

「鍛冶長によって念入りに整備を完了しております」

 

 ツアーとの連絡でも言っておいた。準備は万端に整っている。

 

「……第八階層の“あれら”や、ルベドの様子は?」

「奴らの拠点を監視している“あれ”も含めた全員、問題なく起動しております。場合によっては、ナザリック表層にあげ、迎撃にあたらせることも可能でございます」

「うん。オーレオール・オメガは、どうだ?」

「ご安心を。彼女の“指揮”の方も、まったく問題ありません。それに加え、ニニャと、ギルド武器の防衛状況にも、一切不備はございません」

 

 アインズは満足げに頷く。

 ナザリックの防備は完全無欠。

 第八階層、その桜花聖域に安置された(ニニャ)の安否は勿論重要だが、それと同時に、戦闘メイド(プレイアデス)の末妹たる彼女が護る“本物のギルド武器”さえ無事であれば、最も危惧すべき「ナザリックの支配権限の奪略」などは不可能。事実上、現在侵攻不可能……封印され続けている第八階層が、……もっと言えばオーレオールが守護する桜花聖域が無事であれば、ナザリックにどれだけの被害が生じようとも、100年の蓄財を終えたアインズ達であれば、敵との戦闘被害は容易にすべてを修復可能。ギルド武器による「ギルド支配権」の話は、ツアーからもたらされた信頼できる情報……彼が掌握することになった、あの斬ることに全く向いていない形状のギルド武器を、ツアーを保護し養育した八欲王の生き残りである一人の“王”が死ぬ間際に、竜王である彼へ正当な手段で支配権限ごと委託された過去があったのだ。

 ユグドラシルにおいて機能していた“システム・アリアドネ”──拠点ダンジョン内のスタートからゴールまでを一直線に結ぶゲームの仕様も、「ギルド武器の安置場所」については特に制定や規約はない。あのシステムはあくまで入口から終点までを明確にするシステムであり、ギルド最大の弱点=ギルド武器を敵にさらすリスクを強要するものではなかった。でなければ、アインズ・ウール・ゴウンの第九階層「円卓の間」に飾ることは不可能だったはず。

 

「いよいよだな」

 

 そう。

 ナザリック地下大墳墓も、すでに戦いの準備は完了している。

 沸き立つ興奮や焦燥に似た感情が、アンデッドの特性によって鎮静化するほど、アインズの感情は高ぶりつつある。

 

「すべては今日──あと数時間で、終わる」

 

 アインズは待ち続ける。

 己の敵となった馬鹿なプレイヤーを、ナザリックへと侵攻する愚か者たちを、歓迎するかの如く待ちわびる。

 

 

 

 

 

   ──決戦の時まで、六時間をきっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※注意※
 この作品は二次創作です。
 独自解釈や独自設定が登場しますので、あらかじめご了承ください。


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城塞都市・エモット -2

/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.02

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 三時間後。

 ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の円卓の間で、NPCたちとの「最後の作戦会議」を終えたカワウソは、護衛二人を連れて、用意していた偽装の衣服に身を包む。

 この異世界を調査すべく派遣したラファ・イズラ・ナタが確保しておいた、現地人の標準的な服装だ。

 防御力に不安はあるが、いざとなれば身に纏うローブの早着替え機能でどうとでもなる手筈。

 朝食や風呂で得られた強化(バフ)の力を感じ取りつつ、最後にポーションや弁当箱を詰め込んだアイテムボックスなどの確認をすませる。

 カワウソは少し出かけるような気安い口調で、告げる。

 

「じゃあ、いってくる……頼む、クピド」

「応とも、御主人よぉ。──〈転移門(ゲート)〉」

 

 転移門を開く役目は、赤子の天使。

 彼は現地の女性に擬態した防衛豚隊長・ミカの腕に抱かれ、いかにもどこにでもいるような母子に偽装している。

 

「作戦の成功を、我ら全員でお祈りいたしております」

 

 そう言って、片膝をついて主人たち一行を見送る隊長補佐・ガブ。

 彼女たちNPC──攻略作戦の部隊と合流するのは、ナザリックを囲む平原に到達した時になるだろう。

 そんな天使たちや屋敷のメイドに見送られ、カワウソは拠点の外へ。

 転移門の闇をくぐり抜けるミカたちに続いて、堕天使は魔導国のとある都市に舞い戻る。

 そこは集合住宅の屋上。

 見える景色は、魔法の生きる都のありさまだ。

 

「何だか、なつかしいな」

「──そうでありますか?」

 

 応えるミカはこれといった感慨も見せず、カワウソの言動を怪訝(けげん)に思う。

 無論、ミカの言うことも一理ある。

 

「確かにな。まだ、この世界に転移してから一ヶ月も経っていないのに、なつかしいなんて……な」

 

 カワウソたちが降り立った場所は、第一魔法都市・カッツェ。

 ツアーの話によると、絶対防衛城塞都市・エモットには高度な防諜対策──魔法による覗き見などへのカウンターなどが充実しており、マアトに都市を覗かせることは危険を極めた。直で転移するなど論外。なので、すでに転移済みで、比較的安全が確認できている魔導国の都市──カワウソ達が、飛竜騎兵のいざこざに巻き込まれる前にいた高層建築の上に、カワウソ達は舞い降りたのだ。

 

 ──あの時。

 

 飛竜騎兵の乙女(ヴェル)や、ナザリックの使者たるメイド(マルコ)を見捨てて、城塞都市に向かって北上していたら……カワウソ達は確実に城塞都市(エモット)のセキュリティにひっかかっていただろう。そういう話を、白金の竜王から聞いて知ったのだ。

 

(あるいは、飛竜騎兵たちの騒動を巻き起こしたのは、アインズ・ウール・ゴウンの画策なのかも?)

 

 いったい、どれだけの手練手管をもってすれば、カワウソ達の行動をそのように誘導できるのだろう。

 死の支配者(オーバーロード)の種族的な権謀術数か。

 あるいは、プレイヤー・モモンガの知略や、才能か。

 ──または運がいいのか。

 

「まぁ、いい」それよりも、今は目の前の作戦だ。「〈伝言(メッセージ)〉。マアト、監視状況は?」

『は、はい! えと、あの、現在、カワウソ様たちの周辺に、敵影は、あり、ま、せん』

 

 マアトの設定されたとおりの口調に、堕天使は頷く。

「魔法都市を出たら、こちらの監視は全てストップしておけ」という作戦を復唱させる。

 これから向かう場所のセキュリティを考えると、そうせざるをえない。同じ理由で、ツアーなどとの連絡を傍受されるおそれがあるため、連絡は断ち切っていた。都市への侵入方法……常識的な入場手段などは、すべてツアーから譲り受けた通行証に記載されている。

 カワウソたちは一般人……魔導国の臣民に扮した格好で高層建築の集合住宅をかけくだり、何食わぬ顔で魔法都市の乗合馬車広場を目指す。徐々に白み始める空に、都市の明るい街灯なども合わさって、街は暗い雰囲気からは縁遠い。朝市の準備を始める人間や亜人の露天商などで、大通りは(にわ)かに活気づき始めてすらいた。

 都市を魔法で捕捉するマアトから事前に教えられていたポイントを目指す。ロータリーになっているそこで、券売機がわりのアンデッドに金銭を渡してチケットを購入するのが一般的なのだと、実際に馬車を利用したナタは証言していた──だが。

 

「……ほんとに使えるんだよな?」

 

 カワウソは、白金の竜王(ツアー)から譲り受けていた通行証──パスポートのようなそれを取り出す。

 適当な大きさの小型馬車を選び、御者(コーチマン)である死の騎兵(デス・キャバリエ)にパスを見せつけると、騎兵は了承したように魔法の馬車の扉を開放した。

 

『どうぞ、お入りください』

 

 堕天使の胸が震える。

 ツアーの言う通り、この通行証は魔導国内の様々な交通手段の利用や施設への入場を“可”とするアイテムであるらしい。馬車に乗り込むカワウソたちに、扉を全自動で閉じた死の騎兵は『行先を告げていただきたい』と(うなが)す。

 カワウソは痛いほど早まる鼓動を抑えるように、深呼吸をひとつ吐く。

 

「──城塞都市・エモットまで」

 

 アンデッドの御者は何の疑問もなく『承知』の声を紡ぎ、カワウソの告げた都市に向けて手綱をたぐった。

 魂喰らい(ソウルイーター)の吠え声が朝の大気を(つんざ)くように響く。

 馬車は街道を北上する。獰猛な中位アンデッドの疾走は大変な振動をもたらすだろうに、魔法の馬車はほとんど揺れを搭乗者に感じさせない。カワウソは素直に感心してしまう。ミカは無表情で不機嫌そうに目を伏せ、彼女の腕の中にいる赤子は舟をこぐ(フリをする。さすがに、魔導国のアンデッドの前で偽装を解くわけにはいかない)。

 そして、馬車は魔法都市を出た。

 カワウソは、暁に染まり始める世界を、魔導王のおさめる国を、朝焼けに染まる自然の光景を眺めながら、しばしの旅路を愉しむ。

 無論、周囲の警戒は怠らない。

 

「──状況は?」

 

 短くひそめた言葉で問う。

 目の前に座る女天使、その腕の中に抱かれる赤子の表情を(うかが)う。

 ──問題ない。

 優秀な兵士として、周辺の索敵や敵意の感知・歴戦の兵隊が発揮する戦場での“兵士の直感”を頼りとするクピドは、普段はグラサンに隠しているかわいらしい赤子の顔を横へ振った。

 彼をミカと同じ護衛に選んだ理由がこれだ。彼は天使の澱に属するイズラやマアトのような『探索役』ほどではないが、それなりの探知能力に秀でた職を持っており、同時に、天使の澱の中でもかなりの強さに位置する存在だ。「転移魔法の妙手」であり、腕利きの“狙撃手(スナイパー)”や“兵士(ソルジャー)”である彼の握る重火器類から繰り出される総合攻撃力は、ギルド内で四番手につけるくらい。いざという時に敵を迎撃する際、攻撃能力に不安のある探索役二名よりも、カワウソの護衛にはうってつけの存在と言える『その他(ワイルド)』担当。

 何よりクピドは、ぱっと見が「赤ん坊」の身体である為、魔導国の一般人に偽装するにはもってこいの配役……ミカと合わせて“何の変哲もない母子”の姿をとることもできるのが大きかった(無論、ミカとクピドはあくまでカワウソが創ったNPCであり、実際の血縁関係など存在せず、そんな設定すらしていない)。

 この二人ほど、魔導国の民に(ふん)しつつ護衛役をこなせる者はそうはいないだろう。

 

「さて……どうなるか……」

 

 移動する高級宿屋というべき広々とした内装を見上げ、柔らかな座席のクッションに背中を預ける。

 振動も車音も少なく、室温もほど良い……おそらく魔法のおかげであろう……馬車に揺られること、十数分。

 

『まもなく、絶対防衛城塞都市・エモットに到着いたします』

 

 御者台に座る死の騎兵(デス・キャバリエ)の壊れた弦楽器じみた宣告が、馬車の速度を緩める。

 だが、到着し扉が開け放たれた場所は、都市の内部ではなく、都市外縁の──門の前に設置された楕円形の広場だ。広場には似たような馬車が数台ほど並び、そこで城塞都市から出入りしていく臣民が人波を築いている。屋台や休憩所(サービスエリア)なども充実しているそこで、長旅の疲れを癒すべく、飲食や仮眠などして過ごす者も多い。

 カワウソ達が徒歩や〈飛行〉でエモットを目指さなかったのは、城塞都市がひときわ入場規制の厳しい都であり、この広場で一度馬車から降りなければならないからだ。カワウソが馬車に乗っていた際、窓外の光景に徒歩で城塞都市から行き来しているものはおらず、もっぱら馬車同士が往還している。

 カワウソの協力者・ツアー曰く、城塞都市(エモット)の進入路は東西南北の四門とそれらの中間にも存在する四門──合計八つの門のみ。

 カワウソたちがいる門前広場は南東に位置し、第一魔法都市・カッツェへの直通便が通っている場所になる。ちなみに、東門は第一交易都市・バハルスと繋がり、南門は南方の領域で著名な、浮遊する都市と行き来する便が往来するらしい。

 ──何故、このような場所で一度、馬車を降りねばならないのか。

 それは、カワウソが見つめる先に答えがある。

 

「……どんだけ深いんだ、コレ?」

 

 都市周辺に空いた虚無。

 それは、巨大な「堀」……堀と呼ぶのも(さわ)りがあるほど深い、二重の「堀」だ。

 底の部分が見通せない、堀と言うよりも黒い“谷”としか見えないほどの深淵が、城塞都市の全周の大地をはしっている。

 そんなものが都合“二つ”も都市の外縁の城壁を囲んでおり、その中間地……解りやすく言うなら、「W」の真ん中部分だろうか……には、巨大な弓矢を持つ中位アンデッドが距離を空けて等間隔で配置されているのが見てわかる。

 この巨大な堀は、この奥に秘されたものを、ナザリック地下大墳墓に侵攻してくるものを、悉く飲み込む防御装置の一環として、100年かけて造営されたもの。この堀を渡るものは城塞都市(エモット)専用の馬車に乗り換えるか、あるいは徒歩で200メートルほどの通用路を通る以外に、都市へ入場することは出来ない。運搬業者の馬車や、竜の運ぶコンテナについては、複数のエルダーリッチによる検査検問を受けて、魔導国内の同業者に託すというシステムらしい。

 魔導国内でもこれほど分厚い警備機構は珍しいらしく、カワウソと同様に物珍しさを感じた魔導国の臣民が感嘆しながら、黒い二重の谷を柵越しに見渡しているものも多い。

 

「やれやれぇ。やっと入口かぁ」

 

 熟練兵のごとく渋い男の声が、ミカの腕の中にいる赤子から聞こえる。

 ここまで運んでくれた馬車を見送った直後、クピドが思わず嘆息を吐く。ここまで創造主の護衛として警戒を深めていた赤ん坊であるが、さすがに今回の仕事はいろいろと気を使う部分が多い。

 周囲は様々な人種や異形の魔導国臣民がいるが、誰も大してカワウソ達を気にもかけない。一般的な衣服の上にローブで身を包んでいるのもそうだが、魔導国首都圏ではアンデッドやゴーレムを使った〈伝言(メッセージ)〉による通信機構……携帯端末類の代替が普及しているため、赤ん坊の喉からこぼれる年季の入った声音も、何かの聴き間違いや端末からこぼれる会話程度にしか感じないようだ。何より、これだけの人間や亜人が老若男女を問わず集っている広場で、クピドの声など雑踏の人いきれに隠れる程度のもの。

 しかし、余計な言葉をこぼすことを、彼を腕に抱く上官、拠点の防衛部隊隊長たる女天使は許さない。一応、盗み聞きなどを防ぐアイテムを胸元などに隠しているので、そこまで気にする必要はないのだが。

 

「──クピド。まだ我々の役目は終わっておりません」

「わかっているとも、隊長ぉ」

 

 小声で諫める上官に、クピドは無邪気な赤ん坊そのままの笑みで応じる。

 カワウソたちは徒歩で、城塞都市の南東門を目指す。

 馬車に乗り換えるには、臣民たちの築いた長い行列を待たねばならない。当然、そんなものを待つほど、カワウソ達は悠長にはしていられなかった。一分一秒でも早く、都市の中心に向かいたい。

 

「しかし、どうせならぁ。この一帯にいるアンデッド共を、隊長の“希望のオーラ”……キロ単位で展開できる常時発動可能のスキルで吹き飛ばしちまえば、簡単だろうにぃ?」

「馬鹿を言わないことね、クピド。カワウソ様の御命令──“魔導国”への危害行為は厳禁です。現状、我々の殺傷対象は、あくまで“魔導国の王”……“ギルド:アインズ・ウール・ゴウン”……“ナザリック地下大墳墓のNPC”に限定されている。今を生きる、この世界の民草の生活をささえるモノを消滅させることは、カワウソ様の命令に反する行為です──」

「……」

 

 なんだかんだ言いながらもカワウソの命令に従い続けてくれるミカの様子を眺めつつ、周囲に存在する魔導国の臣民たちを見渡す。

 誰もが生者を貪り喰らうモンスターを傍に置き、その援助を借りて生活しているさまは実に見事だ。

 魔法都市で見かけたように、下位アンデッドの骸骨(スケルトン)モンスターが、魔導国臣民に寄り添っているのが見てわかる。召使のごとく追随する骸骨(スケルトン)を侍らせる商家の令嬢や、魔法使いの帽子をかぶる子供が下位骸骨の蛇(レッサースケルトン・スネーク)を腕に巻いて(たわむ)れている。

 

 だが、そのどれもが、ミカの種族である熾天使が誇る“希望のオーラ”で浄化・消滅させることは容易。それをしないのは、カワウソが魔導国の存在を知ってから、これまでかたくなに守り通してきた一念……『臣民への殺傷や、彼等に直接的な危害を加えることを厳禁』とする命令内容が生きているため。

 

 天使の基本的な能力のひとつである“希望のオーラ”には、大きく分けて五つの効果があって、相克関係に位置する“絶望のオーラ”が、「恐怖・恐慌・混乱・狂気・即死」へと五段階に分類されているのに合わせた効果を発揮する。

 Ⅰで勇気。

 Ⅱで勇敢。

 Ⅲで回復。

 Ⅳで治癒。

 Ⅴで大回復+蘇生という具合だ。

 勇気は「恐怖」などの状態異常ペナルティから対象を護る精神的な強化を施した状態。

 勇敢は強い勇気を与え、戦闘行為に対して数%の身体能力向上作用を施し、敵からの逃亡などを抑止する。

 回復はオーラ内に捕らえた指定対象の体力(HP)を一定時間だけ治癒し続ける。

 治癒は「恐怖」「混乱」などの各種状態異常を消し去り、体力の回復も行い続ける。

 大回復と蘇生は、対象の体力を大きく回復させ、そして死亡している対象を(一戦闘一対象への回数制限付きだが)レベルダウンなどのペナルティなしで蘇らせることができる優れものだ。

 これらは共通して強力な「自軍鼓舞」を施し、各種の強化(バフ)作用や、敵からの弱体化(デバフ)防止に利用できる。

 おまけに、こういったオーラ系統のスキルは常時発動可能な物で、一日中垂れ流しても特に問題がない。

 つまり、希望のオーラ「Ⅴ」を発動すれば、蘇生魔法で消耗される魔力(MP)が節約できる。ひとつのパーティにひとりでもこのオーラ取得者がいると、チームの生存率は飛躍的に上昇するわけだ。

 ……が、なにぶん希望のオーラを「Ⅴ」まで極める=「最上位天使になる」には余程の根性がないと、なれない。その繁雑な取得要項を満たすことができず、途中で投げ出すプレイヤーが圧倒的に多いのだ。そこまで苦労して獲得したプレイヤーキャラの外装(アバター)が、光り輝く球体に輪っか+六枚の白翼と言うビジュアルというのも、いろいろと残念に思う人も多いだろう(体感型ゲームで「見た目」や「操作性」において一番人気なのは、なんといっても「人間の外装」なのだ)。

 さらに希望のオーラは、悪属性の対象やモンスターには、かなりのダメージ量を与え、低位の存在だとオーラを起動しただけで、雑魚が吹き飛んでしまうほど強力な「攻撃手段」にもなり得る。“絶望のオーラ”などの相克関係に位置するスキルや、神聖属性攻撃への対策を張り巡らせることで、希望のオーラを中和することが可能……というシステムである。

 ミカは熾天使(セラフィム)“以上”の、NPCに限定されたレア種族によって、希望のオーラⅤのさらに上位に位置する特異なオーラも保有していた。

 この異世界で、そのオーラをカワウソが確認したことは一度もないが、対アインズ・ウール・ゴウン戦においては有効活用してくれることだろう。

 

(上位ギルドのセラフィムとかの、天使種族プレイヤーのみのギルドがランキングに常駐できたのも、言うまでもなく最上位天使の力があればこそ──)

 

 人間ではない形状や外装では、正確にかつ柔軟に扱うことが不便な……ユグドラシルの電脳世界だと、熾天使は空を舞うための翼を腕代わりにしていた……プレイヤーも多い中で、あのギルドの連中の中には熾天使の姿や能力を遺漏なく発揮できるものも多く在籍していたという。

 

(まぁ、それも昔の話か)

 

 そういったギルドが同じようにこの異世界へ転移していたとしたら、アインズ・ウール・ゴウンの国ばかりが台頭するような世界にはなり得ないはず。カワウソたちが知らないところで淘汰されたか、あるいは来ていないと判断して間違いないはず。潜伏する理由などないだろうし。

 カワウソが益体(やくたい)のないことを思い出していた時。

 

「ん?」

 

 ふと、人混みがにわかに騒がしさを増した。南東門に向かって広い通用路を行き来する人々が、ある方向にむかって指をさす。

 門へと至る道筋に、中位アンデッドたちが規制線をはって、現地語で「一時通行止め」の札を提げた。

 カワウソは警戒を強めるが、どうやら自分たち天使の澱を捕縛攻撃するものでは、ない。

 札に阻まれて仕方なく、カワウソも野次馬が見つめる方向を見やった。

 

「……霧?」

 

 霧にしては異様に濃く、また局所的な規模に発生した純白の綿のような水蒸気の塊が、堀の上をこちらに進んできていた。人々の好奇の視線を集めている。

「こいつは運がいい」「ぼく、はじめて見た!」「こんなに近づくなんて、いつぶりかしら?」と訳知り顔で眺める魔導国臣民と共に、その霧の奥に隠されたものを見据えた。

 

「……船?」

 

 両舷から突き出たのは幾本もの(オール)。空へとのびる三本のマストに張られる帆はいずれも朽ち果て黒々と染まり、その役目を果たしていないように見える。だが、“船”はまるで大海を行くかの如く整然と、都市の外縁部を航行している。水辺など一切ない陸上を。というか、巨大な堀の谷の上を。

 輝くほどに磨かれた衝角は、まるで魔法をかけられたようで、その船自体が何らかの魔法によって成り立っていることを容易に推察させた。

 カワウソ達がいる地表よりも一メートル上を浮遊する幽霊船は、ここからでは内部の様子は見て取れない。

 船が地上を行くために、……門と広場を結ぶ道を渡るのに三分ほどかかった。船尾までボロボロに崩れ、舵の部分も歪んで壊れた船は、悠々と堕天使たちの目の前から、霧と共に過ぎ去っていく。

 その間、偽装を取り払って抜剣し迎撃すべきか迷うミカを、カワウソは彼女の手を掴んで押し留め続けた。クピドにしても、愛銃を抜き放つタイミングを探るように黄金の瞳を見開いていたが、……いずれも杞憂に終わる。

 周囲の人々はまるで有名人とすれ違ったような歓声と口笛をあげて、幽霊船を見送るばかりだ。

 

「──ふぅ」

 

 カワウソは軽く息を吐く。

 あるいは魔導国からの「歓迎」かと警戒せざるを得ない状況であったが、どうやら、ただの巡回警備の類だったらしい。

 あらためて、この国の力を見せつけられた気がする。

 死の騎士(デス・ナイト)たちが張った規制線が解除され、カワウソ達は門を目指す。

 攻撃も襲撃も確認できない。クピドの兵士(ソルジャー)特殊技術(スキル)と、カワウソの指輪で感知できる範囲に、敵となるもの・敵意をこちらに向けるモノは存在していない。

 そうして、分厚く壮麗で、堅牢ながら豪奢さも垣間見える巨大な建造物──魔導国の紋章旗を提げた漆黒の門に控える死の騎士(デス・ナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の列を、素通りする。

 

「……」

 

 振り返ってみれば、中位アンデッドの葬列じみた番兵たちは、やはり天使の澱の一行に何の興味も示していない。

 カワウソ達の偽装がうまくいっているのか、あるいはツアーから与えられた通行証のおかげか……そうでなければ、

 

(俺たちのような“敵”を、都市内部に引き入れることを織り込み済み──なのか?)

 

 その可能性は十分あるはず。

 しかし、確証も確信もない。

 ひたすら警戒と猜疑を深める堕天使が立ち止まっていると、不意な衝撃に襲われる。

 女の子の声が堕天使の耳に届く。

 

「わっ!」

「お姉ちゃん?!」

「ぃった~……ご、ごめんなさ……?」

 

 城壁の歩哨から降りる階段から駆けてきた少女が腰にぶつかっていた。

 一瞬だが敵かと強張(こわば)って硬直した表情を、カワウソはなんとも微妙な苦笑で飾り直す。

 

「ああ、いや。こちらこそ、すまない」

 

 怯えたようにすくむ少女は、後ろにいる妹と共に喉を引きつらせるのがわかった。

 やはり自分の、堕天使の顔は女子供には好まれようがないのだなと、再確認させられる。

 赤栗色の長い髪を帽子に隠す姉と、同じ髪色をおさげにした妹と共に、男の子のような活動しやすい衣服を身に帯びた姉妹。カワウソは苦い笑いをこぼすしかない。フード付きのマントは魔導学園という教育機関の中等学科と初等学科の徽章(きしょう)が輝き、一般的な子どもの(たぐい)とみて間違いなかった。

 

「何をしてやがるんです?」

 

 ミカが足を止めた主人と、その腰にぶつかった少女らを見比べ、一言。

 

「お急ぎを。ここでグズグズしている時間は」

「わかっているって」

 

 だが。

 魔導国の少女らの安否確認はしておかねば。

 不慮の事故だったとはいえ、Lv.100の堕天使にぶつかって、どこか怪我でもさせていたら一大事だ。

 指輪のひとつを起動して〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉を発動。体力ゲージを窺ってみると、少女は特にダメージを負った気配はない。一応、口頭でも「大丈夫か」と問うと、少女は「はい」と頷いてくれたので、ひと安心。尻もちをつく少女の手を取って助け起こす。

 不注意を謝る少女に対して、カワウソも礼節に則して短く詫びる。

 ついでに、都市の住人らしい少女に、カワウソは自分の目的地へのルートを確認しておいた。

 ツアーから事前に情報は得ているが、その真偽をはかっておくことは重要である。

 少女はノブリス・オブリージュですと言って、カワウソたちを道に迷った観光客と見做(みな)し、城塞都市の情報を教えてくれる。見た目の年齢よりも利発で明朗な、まるで貴族の御令嬢のごとく誇り高い丁寧な言葉遣いだ。もしかすると、カワウソが出会った飛竜騎兵のヴェルのように、子どもの見た目で大人ということもありえそうなので、一応年齢の方を気にしてみることに。

 ウチの親がうんぬんという言い方は、いかにも子供っぽかった。

 

「教えてくれて、ありがとな」

「……どうも」

 

 言って、カワウソはミカを引き連れて大通りを行く。

 少女らに対しクピドが感謝の意を表するように親指を突き立てるのを、ミカは黙って押さえこんだ。

 

「あの娘たち……魔導国の間者だったのでしょうか?」

「いやぁ。それはないなぁ。敵にしては気配が、あまりにも弱すぎるぅ」

 

 確かに。

 話してみた感じでもただの子どもだった。疑う余地なく、少女らはただの、魔導国の臣民と判断できる。 

 

「さてと」

 

 城塞都市は九つの城壁から成り立つ多層構造の要害だ。

 中心へ行くには、幾度も魔法の昇降機を使ってのぼるしかない。

 魔法都市でもそうだったように、この国では飛行免許や運輸免許などの許可を与えられた臣民しか、都市などの上空を飛ぶことは許されていない。カワウソの手中にある通行証を使えば「あるいは」とも思えるが、今のカワウソ達の恰好……一般的な衣服を纏う姿で空を飛ぶというのは、いかにも目立つだろう。今は偽装を解除していいタイミングではない。

 通りを行く間、この都市に住まう臣民と無数に行き交う。

 人間の親子連れが三人仲良く手を繋いで歩き、森妖精(エルフ)の女性と山小人(ドワーフ)の親父が将棋やチェスのようなボードゲームに興じ、小鬼(ゴブリン)とオーガと妖巨人(トロール)の団体が夜勤明けに酒杯を呷り、蜥蜴人(リザードマン)やミノタウロスが武器の商売をし、ビーストマンと人馬(セントール)が、蠍人(パ・ピグ・サグ)が、豚鬼(オーク)が、ナーガが、トードマンが…………

 誰もが口々に自分たちを支配する者たちの武勇を謳い、この城塞都市が護るべき場所の尊さを歌って、平和に満ちた今、この時を生きる糧を与える王君に、万謝をささげる。

 酒場で、工房で、学校で、街辻で、福音のごとく響く崇拝の音色。

 

「我等が神々の王──神王長陛下、万歳!」「偉大なる御方──偉大なる至高帝陛下に、乾杯!」「大陸を統一せし不死者(アンデッド)の王──死の支配者(オーバーロード)たる御身に、感謝を!」「王の中の王、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に、永久(とわ)の栄光あれ!」

 

 そう言って、すべての種族が、平和に暮らしている。

 誰もが真実──平和を享受している。

 

(本当に、いい国……平和な世界なんだな)

 

 その事実が、堕天使の内臓を氷の釘で突き刺すような絶望を覚えさせる。

 唐突に。

 この平和を自分が壊すことになる可能性を想起される。

 ツアーが言っていた、「復讐を果たした“後”」のことを思い出すが、それはありえない。

 自分たちは、おそらく死ぬ。

 死ぬためだけに、こんなバカな戦いに挑むのだ。

 それを思うと、ここにいる彼等……城塞都市の人々を斬り殺し潰し壊す意味がない。

 彼等は自分の復讐には、何の関係もない。

 

(そんなことをしても、俺の“中立”のカルマ値が「悪より」に傾くだけか……いや?)

 

 ふと疑問に思う。

 この異世界で、カルマ値の変動現象などあるのだろうか。

 カワウソが自分で調べた限り、そういったことは確認できない。

 この間、自分(カワウソ)たちは飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の騒動・元長老の裏切りと反抗を平和裏におさめた。だが、その直後に生産都市でアインズ・ウール・ゴウンの直製部隊とやらを皆殺しにしたことで、プラマイ0という判定なのだろうか。

 だが、それはあくまで異世界の、この魔導国の法などに基づいての視点に過ぎない。

 カワウソのようなプレイヤーからしてみれば、人を助けようが、モンスターをブチ殺そうが、それで誰に憚ることがあるわけでもないはず。「魔導国の民ではない自分」に、魔導国の法が適用される謂れも義務もない。だとすれば、この平和を壊したところで、自分の“中立”カルマが変動することはないのでは。自分の特殊技術(スキル)の獲得条件は、属性(アライメント)が“中立”であることを前提とするものも多い。それを扱えているということは、カルマ値のシステムも、一応カワウソ(プレイヤー)ミカたち(NPC)の中に残っている可能性は高いはず。だが、この世界の平和を壊す行為──アインズ・ウール・ゴウンに戦いを挑み、ナザリック地下大墳墓へ侵攻しようという行状(ぎょうじょう)は、どう判定される? これは「悪」や「善」だと判定され、属性が変化することになれば、自分の特殊技術(スキル)はどうなるのか?

 この異世界において、カルマ値についてもユグドラシルの法則が働いているのか、否か。

 

(……まぁ。いまさら考えてもしようがないか)

 

 雑念を振り払う。

 カワウソは歩を緩めない。

 街を行き交う中位アンデッドの警邏部隊──死の騎士(デス・ナイト)死の騎兵(デス・キャバリエ)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)魂喰らい(ソウルイーター)などとすれ違い、この都市に常駐していると聞く上位アンデッドの気配を確実に探知しながら、都市中心に(そび)える漆黒の城を目指す。

 

『次は一番街。一番街に到着いたします』

 

 エルダーリッチが昇降機の門を開ける。

 この都市備え付けの昇降機に乗るのにも、都市住民の証や一時居留許可などの証明書が必須なのだが、それもツアーの通行証ですべて代用可能。

 下の防壁地区がさらに小さく見える高低差を眺めるのをやめて、カワウソはミカとクピドと共に、大通りを進み続ける。

 

「あれが、エモット城……か」

 

 最後の城壁である一番防壁を乗り越えた先にあるのは、やはり巨大な壁だ。

 逆すり鉢のごとき都市の最頂点に位置するここは、都市内でも有数の高級住宅が並ぶ二番街の住人達が「勤労」に励む土地。この地区を生家にできる者は、都市どころか国家の枢要に位置している。

 魔導国の各種政府庁舎は勿論、魔導国100年の歴史を学ぶ資料館や図書館、魔法の調度品などを収める博物館や美術館などが(のき)を連ねるその地で、もっとも都市中心……つまり、ナザリック地下大墳墓を囲むように建造されている「輪っか(リング)」状の城塞が、カワウソ達の目指す場所。

 この都市の発展に貢献した一人の村娘──アインズ・ウール・ゴウンへ臣従した現地人の名にちなんだ要害を、カワウソ達は目指す。

 

「追手などの気配は?」

「あり得ません……と言いたいところですが」

 

 ミカは振り返るまでもなく、奇妙な気配が二つほどついてきていることを報せる。

 その気配……少女らは間違いなく、先ほど南東の門で出会った姉妹に他ならない。

 

「どういたしましょうか」

「目障りなら転移で排除しようかぁ?」

「……いいや。ほっておけ、クピド」

 

 何が少女たちの琴線(きんせん)に触れたのかは知らないが、あんな稚拙な追跡が、魔導国の──アインズ・ウール・ゴウンの手先である可能性は絶無。それよりも上位アンデッドなどの、都市上空や城壁詰所を巡回警邏する者たち──蒼褪めた騎兵(ペイルライダー)の飛行編隊の方が、まだ警戒に値する。騒ぎを起こすのは(はなは)だマズい。

 大通りの行き止まり。

 エモット城の門扉(もんぴ)の前に、天使たちは並び立つ。

 ──ここまで順調に、城塞都市に乗り込むことができている事実が、カワウソには恐ろしい。

 いよいよだと思うたび、心臓の鼓動がやけに早まり、耳に痛い程の血潮が流れる。

 

「……」

「カワウソ様?」

 

 足がすくんだように動かない。

 今ならば引き返せるのではないかと怖気(おじけ)づく自分が嫌になる。

 引き返したところで道はない。

 進むこと以外に、カワウソの望みは永遠に、絶対に、果たされない。

 

「行こう」

 

 カワウソは震えるつま先を前へ。

 門の番兵……地下聖堂の王(クリプトロード)に向かって歩を進める。

 ツアーの通行証を掲げ見せる。

 

『通行を許可します』

 

 アーグランド領域にて、ツアインドルクスより譲り受けた通行証明。

 信託統治者にして魔導王の盟友である竜王の印璽が施されたそれがあれば、この大陸で侵入できない場所は一ヶ所のみに限られてしまうという。

 エモット城の黒鉄(くろがね)の門扉が開かれた。

 地下聖堂の王が(うやうや)しく目礼しながら、堕天使たちに道を譲る。

 

『どうぞ。お入りください……』

 

 これまでで一番警戒していたミカたちに、手を軽く振って後に続けさせる。

 地下聖堂の王はカワウソ達──堕天使と熾天使の男女と、赤子の天使をエモット城内に入れると、門を閉ざす。

 閉じていく門の向こうで、例の姉妹が驚愕したように後を追う姿が見えたが、それも閉門する金属の重い音色の向こうに置いていく。

 

「……行こう」

 

 震える喉で生唾を嚥下(えんか)する。

 来賓をもてなす衛兵がいるわけでもなく、カワウソ達は城の中庭を進む。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「ちょ、ど、どういうこと?」

 

 アン・エモットは愕然と駆けだした。妹のイズと共に、開かれていく城の門扉を、それを開放した上位アンデッドの姿を視認して。

 城が来客を迎えるということは、別に珍しいことではない。

 だが、今日は来賓の話など聞いていないし、何より、数多くの伴回りや、豪奢な馬車も何もない……ただの魔導国臣民の夫婦かカップルとしか見れなかった男女二人組が、城に招かれるなど聞いたためしがなかった。そんなことは特一等の臣民ですらありえない。少なくとも歓迎の式典や、広く公表されうる国事行為として、エモット城はその門を開くもの。

 だが、エモット姉妹……この城に付随する屋敷を生家とする特一等臣民の少女らは、このような異例の事態に驚愕するしかない。

 たまらずあとを追うが、地下聖堂の王(クリプトロード)……門番に優しく引き止められるうちに、例の男女は城内へと消えていった。

 

「なんだったのよ、あの人たち?」

 

 妹は姉以上に理解できないという表情で首を振った。

 いったい、何がおこっているのだろう。

 

 

 

 最も尊く優しい御方を護る城を、

 先祖代々に渡って鎮護してきた城を、

 アンとイズ姉妹は並んで見つめるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ちなみに、この後アンとイズ姉妹は地下聖堂の王(クリプトロード)の連絡で駆け付けた両親に、勝手な外出を咎められることになるのは、また別の話。


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平原の戦い -1

/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.03

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「ニグレド様から関係各所へ連絡よ。──いよいよ連中が来たわ」

 

 ナザリック地下大墳墓、第九階層の守護を主任務とする戦闘メイド(プレアデス)たちが、緊張に強張る表情と身体を自覚する。

 長姉ユリ・アルファが、棘付きの籠手に包まれた両の手を強く握りそうになり、掌中の端末が壊れないよう力を抜く。

 

「──現在、エモットの城に入ったところのようね」

「あは♪ ついに来やがったっすね~!」

「結局、パンドラズ・アクター様の方へは来ないで終わってしまったわ」

「…………あいつら、そこまで無鉄砲な連中じゃないみたい」

「シズの言う通り。あの天使連中は、──まったく、油断ならない勢力よ」

「確かにぃ」

 

 ナザリック地下大墳墓のほぼ全兵力を傾けて警戒を続けてきた、100年後に魔導国に現れしユグドラシルの存在たち。

 うち何人かと実際に邂逅を果たし、戦闘まで行い帰参を果たしたシズとソリュシャンを筆頭に、連中への危惧と敵意を醸成してきた戦闘メイドたちは、戦闘前のティータイムを存分に(たの)しんでいた。

 

「全員、言うまでもないことだけれど、気を引き締めてかかることね。今回の戦いは、アインズ様がその御名前に──アインズ・ウール・ゴウンという名に誓って、御方のすべてを懸けて戦う“敵”……これまでの有象無象とは、文字通り格が違うのだから」

 

 ユリに言われるまでもなく、姉妹たちは常に全力で、あの連中と渡り合うつもりでいる。

 ──わけても。連中と直接“交戦”した二人のメイドの戦意は、他の姉妹の追随を許さぬほどに苛烈(かれつ)さを極めていた。

 ツアーが聞き出した敵の確定戦力は、少数精鋭。

 Lv.100NPCばかりが12体に加え、ユグドラシルプレイヤーが1人。

 ひとまず、ユリは余裕たっぷりな妹に質問をぶつける。

 

「──ルプー、いえ、ルプスレギナ。()の方は?」

「ウチの旦那(クスト)ならスレイン平野にある敵の拠点(アジト)を秘密裏に絶賛包囲中っすよ? あそこを抑えるために派遣された四個軍の後詰(ごづめ)、信仰系魔法軍の司令官すからね♪」

「そう。頼りにしてるわ。──ナーベラル。パンドラズ・アクター様は?」

「問題ありません、姉様。宝物殿は、『御方々の指輪』無しでは侵入すら不可能ですから、我々が心配する必要など皆無と言えるでしょう」

「それもそうね。──恐怖公は、どう。エントマ?」

「大丈夫だよぉ、ユリ姉ぇ。恐怖公は無敵だからぁ。あ、でもぉ、“黒棺(ブラックカプセル)”が溢れちゃわないかが、心配といえば心配かなぁ?」

 

 皆、口々に防衛戦の要所に配置された殿方たちを信頼しきった声で応じる。

 

「オーちゃん……オーレオールの方も、『問題ありません』と連絡を受けているし、あの子の方も安心ね」

 

 ちなみに、ユリの大事な殿方については第十階層の最古図書館(アッシュール・バニパル)に詰めているため、こちらも案じるには及ばない。

 

「そっちの準備はどう、シズ?」

「…………問題ない、ユリ姉。ガルガンチュアの整備状況は“完全”」

 

 あとは起動コードを打ち込めば、ナザリック地下大墳墓の表層に転移し、迎撃任務に就くことが可能。

 ギルド拠点には攻城用兵器として戦略級ゴーレムがいるもの。

 あの敵NPC、シズたちが戦った「ナタ」とかいう花の動像(フラワー・ゴーレム)が語っていた「デイダラ」だか「デエダラ」とやらが出てきても、ひとひねりで潰すことも出来るはず。さすがにギルド拠点の攻城兵器同士からなる戦闘は戦闘メイドたちにはどうなるか見当もつかないが、ナザリック地下大墳墓の誇る第四階層守護者・ガルガンチュアに対し、外の連中が太刀打ちできるはずもない。

 場合によっては、敵の拠点からこちらの平原に転移してきた戦略級ゴーレムの相手をする上で、第四階層守護者の準備は万事抜かりなく整えられるのは当然の措置であった。

 

「三吉様の調子はどう、ソリュシャン?」

「安心して、ユリ姉様。三吉様には、私の生成した毒をはじめ、アインズ様からも十分な備えが渡されているから」

 

 蒼玉の粘体(サファイア・スライム)である彼をはじめ、ナザリック地下大墳墓を鎮護するNPCたちも並々ならぬ戦気に満ち溢れ、今すぐにでも激発しかねない、導火線に火が付いた爆薬じみた様相を呈している。しかも、天使たちへの対策を可能な限り整えた精鋭たちが、旧来の警備体制を刷新した形で……配置の入れ替えやアイテム類の貸与を存分に受けて、ナザリックの各階層に散らばっている。

 

 長く、あまりにも長く絶えて久しかった、ナザリック地下大墳墓の攻略を目指す“敵”の出現。

 その事実に対し、敵の愚かしさを嘲弄する者が数多く噴出すると共に、生来の役割に回帰できる事実に発奮するシモベたちがいるというのは、あまりにも、そぐわない。──はっきり言えば、あまりにも不謹慎極まる思いを、誰もが(いだ)いてならなかった。

 御方々の居城たるナザリックは神聖不可侵。その地を守護する任を与えられたものたちにとっては、侵入する愚昧が存在しないというのは喜ばしい事実に相違ない。だが、それは必然、自分たちシモベの役目を存分に果たし得ないという、如何(いかん)ともしがたい二律背反を産み落とす結果にほかならなかった。

 ナザリック地下大墳墓が異世界に転移した直後の100年前。

 第五階層守護者コキュートスが、ナザリックの守護という大任を帯びながらも、外へ調査任務に赴く同輩たちを少しばかり羨みすらしたのと同じように、ナザリックを護るシモベたちは侵入してくる敵がいなければ、その存在意義をまっとうすることができないのだ。

 その事実を憂えたアインズ・ウール・ゴウンその人の慈悲によって、数多くのシモベ達が外の異世界での仕事を新たに与えられたりして、この100年という時を過ごし続け……そして、今日。

 

「今。堕天使と護衛の天使二体が、エモット城を通過──平原に至るようね」

 

 連絡を逐一受け取るユリの告げる内容に、戦闘メイドたちは目を細める。

 ルプスレギナは嗜虐的な笑みを牙と共に剥き出し、ナーベラルは冷厳な無表情で紅茶を飲み干し、シズは気がはやって魔銃を取り出し装填をすませ、ソリュシャンは粘体の顔面を敵意と憎悪を満タンにして歪め、エントマはお茶菓子の最後の肉を骨ごとバリボリ噛み砕く。

 ──本当ならば、この場には彼女たちが愛する殿方との間に産んだ娘たちも列席し、共にナザリックを守護するという大任を戴くはずだったのだが、昨日の時点でマルコを除く全員が、王太子殿下たちと同様に、城塞都市エモットの一番街へ避難……カワウソたち以外に現れるやも知れない“敵”を警戒する任務に就くことになっていた。彼女たちに与えられた役目も、可能性は極低いとはいえ、絶対にありえないという話ではない。

 御方が巧みに隠した本心……親心をシモベたち全員が理解しつつも、その寛恕(かんじょ)の度が過ぎる事実に目頭を熱くさせられたものだ。

 ちなみに、唯一の例外として残留を許されたマルコは、決戦を前にした実の父・セバスと共に、ナザリック内に建立された母親(ツアレ)の墓を訪れている最中である。

 

 そうして、ナザリック地下大墳墓内に住まう全シモベが、アインズ・ウール・ゴウン御方からの〈全体伝言(マス・メッセージ)〉を受け取る。

 ……彼女らが待ち焦がれていた命令をいただく。

 

 

 

『──総員、戦闘配置』

 

 

 

 戦闘メイドは立ち上がり、承知の声を奏でた。

 御方への忠節の姿を示すように、その場で片膝をつくのを忘れない。

 残し置くティーセットの片づけを、同胞のLv.1一般メイドに託して、彼女たちは戦地に向かう。

 身に宿る戦闘への意気を鎮めるのに苦心しながら、戦闘メイドたちは各々の武装に身を包み、御方を護る任務に就くべく、御方が此度の戦いを「観戦する」席と選んだ最奥の地────第十階層・玉座の間へと向かう。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 一方。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の拠点。

 ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)にて。

 

「外の様子はどう? マアト?」

 

 銀髪褐色の聖女が、黒髪褐色の巫女に問う。

 

「い、いいえ、ガブさん。そ、それらしい敵は、全然、い、いません」

 

 拠点の第三階層・城館(パレス)の“大広間”にて、天使の澱のNPCたちは待機している。

 全員が、ナザリック地下大墳墓の表層に広がるらしい平原へ、自分たちの主人が到着する時を、一心に待ちわびる。

 

「ああああっ!! もおおおお!! ドキドキしてきましたああああああああああああ!!」

「ちょっとは落ち着きなさいな、ナタ♪」

「だが、気持ちはわかります。ねぇ、イスラ?」

「────イズラの言う通り」

「ようやく、我々天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の念願が、()(しゅ)の悲願が、ついに成就すると思うと……」

「確かにー。私の心臓(モーター)もー、すごく調子がいいー。ごはんもおいしかったしー」

「ウォフの電力(ごはん)を担う拙者もすこぶる調子が良いからな」

「異世界の王侯たるアインズ・ウール・ゴウン! 果たして、我等の力が、術が、能が、どれだけカワウソ様のお役に立てるものか! これより皆で確かめようではありませんかッ!」

 

 居ても立ってもいられずその場で準備運動を高速で行うナタ。少年を(たしな)めつつも巨大な鉄槌をブンブン振り回すアプサラス。泰然と腕を組みながら長弓を肩にかけるイズラ。兄の隣で主武装の角笛を軽く奏でるイスラ。片膝をついて生真面目に主人たちの作戦成功を祈り続けるラファ。己の調子のよさをアピールするように巨大な胸を張りだすウォフ。黒い僧衣を翻し雷霆の独鈷を固く握るタイシャ。炎を撒き散らす杖を掲げ高らかに歌い(のたま)うウリ。

 

「もう……あなたたち、遠足に行くわけじゃないのよ?」

 

 ガブは呆れ顔を浮かべるが、皆と同じように戦意の高揚を感じざるを得ない自分を理解している。

 だからこそ、冷静でいなくては。

 

「浮足立っていたら、カワウソ様の前で変な失態を犯しかねないわよ?」

「わかっておりますとも!!」

「二度と失態は犯しません」

 

 調査に向かった先で魔導国──否、ナザリック地下大墳墓のNPCと交戦するという失態をしでかしたナタとイズラが宣言する。

 だが、あの状況では開戦するのはやむをえない判断であったと、ガブを含む全員が認識していた。カワウソの命令内容には特に言及のなかった敵の“NPC”への対処として、調査に赴いた二人の判断と行動は、あれ以外の対処法など存在し得なかった。

 

 ガブは三時間前の、拠点から出撃する主人と交わした、最後の作戦会議を想起する。

 

『じゃあ。最後の作戦会議だ』

 

 そう告げて、カワウソが確認のために唱えた作戦概要は、至ってシンプルだ。

 まず、通行証を持ったカワウソと護衛二名が、転移魔法で魔法都市に赴き、そこから北上して城塞都市に侵入。次に、敵の罠などを警戒しつつ、都市中心部へ進撃。そして、都市中心部……ナザリック地下大墳墓を擁するという平原で、拠点に残していたLv.100NPCたちを転移で引き込み、進攻を果たす。

 

 以上が、ナザリックに攻め入るまでの前段階作戦。

 

 卓を囲むNPCたちは真剣に主人の作戦に聞き入り、特に奏上すべきこともないと判断を下した。

 ……この作戦の問題点を挙げるならば、『ツアーから与えられた通行証の効果の是非』であるが、城塞都市に存在するセキュリティの分厚さを考えると、無策に突っ込むよりはマシであるはずという結論を得ている。許可もなく都市に侵入・攻撃の意図を見せた相手を迎撃し誅殺する(トラップ)が、城塞都市には数え切れぬ規模で張り巡らされているというのは、ツアーの証言だ。迂闊(うかつ)に都市に近づいて、貴重な戦力を(うしな)うリスクを考えると、ぶっつけ本番で試すほかない。

 これが敵の罠であることも、すべて覚悟の上での進軍である。

 それこそ、アインズ・ウール・ゴウンが天使の澱の戦力を巧みに分断し、各個撃破に乗り出す可能性は大いにあり得る。

 というか、しない理由は薄い筈。

 

 ガブは、というか天使の澱のNPCのほとんどは、

そうなってくれたら(・・・・・・・・・)」と思わずにはいられない。

 

 何故なら、カワウソが授与され装備している世界級(ワールド)アイテムの“効能”を思えば、そういう状況に、戦力を分散されての各個撃破という状況に追い落とされたとしても、戦局をひっくり返すことは十分に可能なはずだから。あるいは、向こうが自らを絶対強者であるなどと驕ってくれれば、むしろ「こちらが連中を各個撃破する」なんてことも可能なはず。アインズ・ウール・ゴウンに対し、手痛い反撃を与えることができるはず。

 だが、ガブたちの主人の目的は、あくまで「第八階層“荒野”の攻略」に終始している。それ以外は余分な行為に過ぎない。

 カワウソ本人は、そこまで自分の世界級(ワールド)アイテムの力を過信していなかったが、ガブたちにしてみれば、そこまで謙遜する理由などないと思われる。いくら「絶対的な弱点がある」としても、彼の世界級(ワールド)アイテムの能力は、まさに“無敵”なのだ。

 

 そうして、次々とカワウソは、ナザリック地下大墳墓を攻略する作戦を(そら)んじてくれた。

 

 前段階──“城塞都市”を通行する作戦。

 中段階──都市が護る“平原”を突破する作戦。

 後段階──ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”を攻略する作戦。

 

 そうして、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたちは、確実にカワウソの作戦を理解していく。中段階作戦の、その「次」の作戦を始め、あらゆる不測の事態に際しての注意事項や変更プランも練っている。ミカやイスラ、ウォフなどの指揮官系統職が導き出した最適解の山を、カワウソは淀みなく口にしていった。

 

『これが、ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”再攻略作戦の概略だ』

 

 薄い刃の上を裸足で翔けるような作戦だが、それでも、やってみる価値は十分にある。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の全員が、カワウソを送り出すことに迷いがなかった。

 自分たちNPCのほとんどが、今回の戦いで“死ぬ”ことになる作戦を、全員が受諾することに躊躇(ちゅうちょ)も迷いもあり得なかった。

 そのためだけに、自分たちは創造(つく)られたのだから。

 ただ、唯一の例外と言えば──

 

「……ミカは大丈夫かしら」

「ミ、ミカさん、ですか?」

 

 拠点周辺を監視し続けるマアトが首を傾げる。

 ガブは頷きながら、過日の親友を思い起こす。

 

 カワウソという創造主を『嫌っている。』……「嫌わねばならない」……そんな“定め”を設けられ、先日は明らかに“命令”までされた親友(とも)の心境を思うと、ガブは何も言えない。

 

 ミカとクピドという、ギルド屈指の戦力たる二人に護られる至高にして唯一の創造主の行く末を、ガブは祈るしかない。

 

「むこうが、カワウソ様たちが、うまくやってくれるといいけれど……」

 

 現状。

 城塞都市へ侵入中のカワウソたちから、緊急要請はない。

 天使の澱のヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)周辺に、敵は見えない。

 白金の竜王(ツアー)の協力のもと、アインズ・ウール・ゴウンの対応が後手に回っているうちに、連中の懐深くに潜り込むことができれば──カワウソに勝機は巡ってくるはず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、敵はアインズ・ウール・ゴウン。

 魔導王が用意した四個軍は、魔導王が周到に用意した認識阻害魔法の恩恵によって、敵勢力による覗き見をほぼ完全に遮断することを可能にしていた。

 ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)は、確実に包囲下におかれつつある。

 そこを護る主戦力──Lv.100の絶対的強者たちが、主命によって拠点を留守にし離れる時を、準備万端に待ち焦がれている。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 エモット城は、かなり変わった構造をしている。

 城というよりも、大きな“筒”を思わせる建造物で、さもなければ王の“冠”と言ったところだろうか。それも巨大な。

 筒構造の上に立ち並ぶ尖塔の数は40基あり、その数はアインズ・ウール・ゴウンその人が最も大切にしてきた友人たちを思う意味を含んでいる。尖塔の頂に位置する魔導国の旗が(ひるがえ)るそこに、かつての仲間たちの紋章を象ったそれがある一定の角度から光などの環境状況によって微かに視認できるように印章されていることは、魔導国内でも周知されていない秘密である。これは、彼等との絆を忘れていないというアインズの意思表明であると共に、「さすがに仲間たちのマークを彼等の許可なく周知させるのは、ちょっと」という配慮がなされた妥協策である。

 都市の構造がドーナツやバームクーヘン状になっているのは、その中心部に空いた土地──ナザリック地下大墳墓が転移した場所である「平原」が、魔導国建国以降「絶対不可侵」と定められているから。エモット城はその平原をグルリと取り囲む最後の関門のようなものと言える。

 

 そんな重要な関門を、今、ひとりの敵が、護衛と共に悠々と進む。

 

『──通行許可』

 

 入り口に並んでいたエルダーリッチたちが、何の逡巡もなく道を譲り、いかにも重く分厚い扉を開け放つ。

 城内はまさにRPGでよく見る王の城だ。

 何枝にも分岐した燭台で飾られる壁や、壺や剣盾、絵画などの調度品は、何らかの魔法の気配を感じさせる。あるいは、あれらもモンスターの擬装だったりするのだろうか。廊下を巡回する骸骨(スケルトン)死霊(レイス)死の騎士(デス・ナイト)死の騎兵(デス・キャバリエ)、清掃用の粘体(スライム)などが、自分たちに与えられた役目の通りに行動している。

 そのような場所を、魔導国の一般臣民の衣服を身に帯びた男や女が通り過ぎるのは、いかにも奇異な光景でしかない。

 だが、そんな中を悠然と歩むことを可能にする“通行証”が、彼の手元にある。

 それを見せつけるだけで、城内の警備を担当する中位アンデッドたちは、カワウソ達を素通りし、閉ざされた平原へと至る門扉を開放してくれる。開け放たれた観音開きの扉は、一行を迎え入れた後はまた重い(かんぬき)をかけたような施錠音を奏で、カワウソ達を送り出すだけ。

 振り返るたびカワウソは思い知らされる。

 これは、後戻りができない道のりであることを。

 汗ばむ掌を拭わなければ、手中のアイテムが濡れそうなほどの緊張と恐怖を強いられる。

 

「カワウソ様?」

 

 立ち止まる主人を(いぶか)しむ女天使に、カワウソは微笑(わら)って応える。

 もともと、後戻りなど期待できない旅なのだ。

 暗澹(あんたん)たる思いを置き去り捨て去るような強い足音で、堕天使は進み続ける。

 そして、五つ目の障害──格子戸と硝子扉が、その口を開く。

 

『平原へと至る全自動魔法昇降機です。下へ降ります方は、行先階ボタンを押してください』

 

 人気声優の甘い声色に似た音声案内に従い、カワウソ達は昇降機に乗り込む。二つあるボタンの内の、下へ向かうボタンを押すと、ほどなくして格子戸と硝子扉が閉ざされた。昇降機は最初ゆっくりと、徐々に速度を上げて下へと降りていく。

 これで、平原へと至れる。

 人やモンスターの気配が完全にない昇降機の中、数十人は降ろせそうな広いガラス筐体の中で、堕天使は安堵の息を吐き落とした。

 

「いよいよだなぁ。御主人よぉ?」

 

 もはや偽装する意味はない。

 ここまで神経を研ぎ澄ませてきたクピドが、周囲から振り撒かれる敵意に過敏に反応できる兵士(ソルジャー)が、からかうような語調で声音をこぼす以上、この昇降機には敵はいない。そう確信してよい。

 

「まったくよぉ。

 この俺様を、こんな赤子(ガキ)扱いして生きていられるのは、御主人だけだからなぁ?」

「ああ。悪い。いやな役を任せて」

 

 クピドは『見た目通りの赤ん坊・子供扱いされるのが許せない』という設定のNPCであるが、創造主として『御主人』と呼ぶ堕天使の命令や指示には嫌な顔一つしない。

 

「気にすることぁねぇ」

 

 くつくつと含み笑う赤子の苦笑を受け取りつつ、カワウソは手中にある通行証をボックスにしまう。

 ツアーから受け取った通行証の説明通り、安全に、完全に、ここまで無傷でこれた。

 ──だが。

 

「はぁ──」

 

 心臓がひっきりなしに動き回って、正直しんどい。

 リアルでもゲームでも、ここまで緊張したことは他にないのではないかというくらいに、全身の血肉が氷塊に変じたかのごとく軋み、震えあがっていくのを感じる。

 

「……カワウソ様?」

「だいじょうぶ──大丈夫だから」

 

 手を伸ばしかけるミカに、カワウソは笑い返す。

 おそらく。

 堕天使の特性である“状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ”の効能だろう。

 自分の内側から溢れるもの──強い恐れや惨めな怯懦(きょうだ)に、堕天使の心は今にも膝が折れて砕けそうなほど、キマっていた。

 

「ああ。クソッ──いよいよ、かぁ……」

 

 かすれた声がこぼれる。

 恐怖や恐慌、混乱や狂気(──否、「狂気」は“元々”か)。

 それら状態異常を覚えるのも無理はない。

 

「おい、ミカ隊長ぉ……これは“まさか”とは思うがぁ?」

「おそらく……平原にいるアンデッドの軍勢とやらに、“そういう力の持ち主”が大勢いるのでしょう……(いや)

 

 あるいは──

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導王……死の支配者(オーバーロード)、モモンガ……か?」

 

 可能性は十分“以上”。

 ナザリック地下大墳墓の最高支配者がいる場所に、カワウソたち……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は攻め込むのだ。

 そんな化け物共の巣窟に、堕天使のプレイヤーが、たったこれっぽっちの戦力で挑むなど、わかってはいるが正気の沙汰ではない。

 震える心臓をなだめるように、硝子の冷たい(はこ)に汗ばむ額をこする。

 魔法の明かりに照らされた昇降機内が、次の瞬間、外の光を燦然(さんぜん)と取り込み始めた。

 

「お……おおお……」

 

 見えた光景は、まさに平原。

 新緑の野が彼方(かなた)まで続きそうな──実際には、エモット城に囲われた土地で、例えるなら火山のカルデラみたいな場所だが──雄大かつ壮観な光景。

 ──そうして、見えた。

 

「あれが……平原にいる、アンデッド軍」

 

 昇降機から見渡せる翠緑の眺望を、黒々と染めるのは、不死の戦列。

 朝の輝きを浴びながらも壮烈な闇色に鋳固(いかた)められたかのような。まるで閲兵式のごとく整然とした隊伍を組みしアンデッドの群れ。望遠鏡などのアイテムを使うまでもなく、その軍団が中位アンデッドなどで構築された軍団であることは、手にとるように分かった。しかも、そのどれもが通常のPOPモンスターとは違う……見る者に威を見せつける高雅なアイテムなどで完全武装されている。死の騎士の朽ちたマントは魔導国の紋章を掲げる最高級のマントに換装。身に帯びる剣や盾、鎧も、誰かの手によって磨かれ、朝光を受けて輝くほど整備されているのが遠目にもよくわかる。

 ただの骸骨(スケルトン)にしか見えない連中も、魔法の装備を纏ったナザリック地下大墳墓の有名な警備兵……ナザリック・オールド・ガーダーやエルダー・ガーダー、マスター・ガーダーのそれであった。

 

「は、はは──」

 

 まさに、魔軍(まぐん)

 侵攻する郎党を(はば)み、(ことごと)くを滅ぼすために用意された、不死の軍団だ。

 ひとしきりアンデッド軍を見回したカワウソは、呆れるのを通り越して愉快さすら覚える。恍惚に口元が緩み、欲望に臓物が燃え盛る。自分が挑む敵が、実際として目の前に顕現された姿に、ある種の感動めいたものを(いだ)く始末だ。

 百や千ではきかない──「数十万」を超える敵と戦うなど、ユグドラシルでも滅多に起こらないイベント。

 それが今。

 今、自分の、目の前に──ある。

 

「どう、されたのです?」

 

 ミカが主人の不調を疑い、回復させるべく“正の接触(ポジティブ・タッチ)”を使う。

 熾天使の癒しは、堕天使の肩から注がれる。

 それでも、カワウソの胸に満ちるものは取り払えない。

 

「どうされたも何もない……ああ、本当に……俺はあんなモノに挑むのか……」

 

 考えただけで“(たの)しい”。

 笑えてきてしまって“たまらない”。

 求めて欲したモノが、己の目の前に、ある。

 狂ったように──事実、狂っていた堕天使は、(わら)う。

 その表情は、赤く罅割れた狂笑は、堕天使という異形種の本性といえる。

 カワウソは嗤う。

 嗤い、笑い、微笑(わら)い続ける。

 

「ああ。やっと……やっと……はは……いいね。いいね、いいね……くはッ!」

 

 これまで警戒の緊張に(よく)し、恐怖に崩れかけそうだった堕天使の身に活力が戻る。

 どうしようもないほどの笑気──あるいは“正気”のまま、カワウソは困惑する二人に下知を飛ばす。

 

「二人共、“偽装を解け”」

 

 言われ命じられた瞬間、二人は身に纏う布きれ(ローブ)を脱ぎ払い、早着替えの機能を発動──元の完全装備に立ち戻る。

 ミカは女騎士の装いに剣を()く。

 クピドは銃火器の鋼鉄を帯びる。

 

「クピド」

 

 ミカの腕から解放され、グラサンをかけた赤子の天使に、同じくローブの早着替えを使って神器級(ゴッズ)装備に身を固めた堕天使が、命じる。

 

「“門”を開け……皆をここへ!」

「応ともぉ!」

 

 喜び吼えるような赤子の天使が、最上級の転移魔法を発動。

 事前に危惧していたような転移阻害の気配は……一切ない。

 黒い〈転移門(ゲート)〉が昇降機内に(そび)え、拠点で時を待っていたカワウソの配下たるNPCたちを招来させる。

〈転移門〉より姿を現す、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のLv.100NPCたち。

 

 銀髪の聖女、ガブ。

 銀髪の牧人、ラファ。

 焔の魔術師、ウリ。

 黒い暗殺者、イズラ。

 白い回復師、イスラ。

 機械の巨兵、ウォフ。

 雷霆の武僧、タイシャ。

 花の少年兵、ナタ。

 翼腕の巫女、マアト。

 碧の踊り子、アプサラス。

 

「お待ちしておりました、カワウソ様」

「御無事で何より」

 

 ガブとラファが言葉を紡ぐ。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の総兵力といってよい12人が、ここに集結を果たした。

 

「うん」

 

 ツアーの“通行証”の効果は、未だ有効。

 そして、この通行証が持つモノの“連れ”は、何の問題もなく入城可能にさせる。転移してきたNPCたちも主人たるカワウソと肩を並べ、そこに居並ぶ“敵軍”を前にする。

 

「おお! あれが! あれこそが! 我が劫熱と焦熱の矛先にさらされる者たち!」

「我等の“敵”……アインズ・ウール・ゴウンの大兵団」

「────すごい数」

「よーし、頑張るぞー!」

「拙者の初戦闘の舞台としては上々な相手」

「やはり、やはりやはり!! 素晴らしい敵でありますな!! アインズ・ウール・ゴウン!!」

「うう……こ、こわい……」

「怯えることはないわ、マアト♪ 最高の眺めじゃない♪」

 

 憎悪するような、詠嘆するような、歓待するようなNPCたちの様々な音色が、堕天使の耳に心よく響く。

 

「マアト、〈鷹の目(ホークアイ)〉を使え──ナザリック地下大墳墓の位置を測定するんだ」

「か、か、かしこまりました!」

 

 言って、黒髪褐色の乙女は怯えながらも、主の指示には忠実に従い、その眼をこらす。

 彼女の翼人(バードマン)の特性と、視力向上魔法で、アンデッドの軍団が護る拠点を、捕捉。

 

「み、見えました! じょ情報通り! ナザリック地下大墳墓の表層を、目視で、か、確認!」

 

 距離は数キロ先。NPCたちが感嘆の声をあげる。

 ツアーの情報はどこまでも正しく、そして誠実であった。

 カワウソは己の胸の内で、白金の竜王への感謝を告げておく。

 たとえこれが……連中の罠であったとしても、カワウソは感謝せざるを得ない。

 

「作戦は言った通りだっ!」

 

 ギルド長の決然とした宣告に、全員が……ミカを含むNPCたちが、一斉に居住まいをただす。

 

「全員。体力(HP)魔力(MP)特殊技術(スキル)回数を消耗するような真似は避けるように。敵軍の戦列中央を突破し、全員で、──“全員で”! ナザリック地下大墳墓の表層にたどり着くことだけを考えろ!」

 

 承知の唱和が轟然と響く。

 そして、魔法の昇降機が、一番下の階……緑なす平原への扉を開く。

 

 ……ようやく。

 ──ようやく。

 

 カワウソ達はスタート地点に、足を踏み入れた。

 …………いいや。

 まだだ(・・・)

 

(──あそこへ行くまで、まだスタートとは言えない)

 

 日の光の暖かさと、そよ風の涼しさを頬に感じながら、天使の澱は平原の野に降り立つ。

 

「ウォフは作戦指示通り、“戦車”を召喚! イスラは“聖獣”たちを!」

 

 承知の声と共に、二人の周囲に聖なる輝煌が(ほとばし)る。

 ウォフの天使召喚によって何もない空間から炎が舞い踊り、イスラが創り上げられる中で最高の聖獣……一角獣(ユニコーン)天馬(ペガサス)鳳凰(ほうおう)などが出現し始める。これら神聖なモンスターは、言うまでもなくアンデッドなどの負の存在に対する特効能力を持っていた。

 

「ウリ、マアト、アプサラスの三人は“戦車の座天使(スローンズ・チャリオット)”に!」

 

 他の拠点NPCに比べ速度に難がある三人を、ウォフの召喚した戦車(チャリオット)……「神の座を運ぶ天使」=「座天使(スローンズ)」の、焔を吹いて回る車輪……御座の形状のモンスターに載せる。他にも複数の高位天使が召喚師(サモナー)たるウォフの手から召喚され、Lv.100NPCの防御役に徹するのだ。

 

「戦闘での細かい指示は、指揮官──ミカ、イスラ、ウォフの指示を仰げ! いいな!!」

 

 鮮烈なまでに轟く、NPCたちの奏声。

 カワウソはボックスに収めていた弁当箱(料理人(コック)Lv.10をおさめるイスラ作)を開き、その中にあるおにぎり(アイテム)を頬張る。白米に海苔だけというシンプルな見た目だが、さすがにLv.10の料理人が握るものになるとステータスの増幅値はなかなかのものになる。絶妙な塩加減と、パリッとした海苔にふわふわな米の噛み応えがたまらない。ついで、薬剤師(ファーマシスト)の職を持つラファ謹製のポーション瓶の蓋を開け、中の液体を一気に煽って喉を潤す。これらも堕天使の貧弱な肉体に、さらなる強化(バフ)作用を施してくれるもの。

 唇の端を手の甲で拭い払う。

 

「……」

 

 戦闘準備を着々と整えていく天使の澱を前にして──目前のアンデッド軍は、動かない。

 まるで、こちらから仕掛けるのを待っているかのよう。

 そういうシステムなのか、むこうの作戦なのか、……判断はつかない。

 いずれにせよ、カワウソたちにはここで手をこまねいている余裕も時間もなかった。強化(バフ)は無限に続くものではない。戦闘の最中に効果時間が切れた時、再び強化する時間を捻出(ねんしゅつ)するのにも苦労する筈。

 カワウソは、ボックスの課金アイテムを取り出す。

 それは、硝子(ガラス)で出来た、小さな砂時計。

 堕天使は戦々恐々を極める内実を吹き飛ばすように、ひときわ大きな声で叫ぶ。

 

「超位魔法────!」

 

 巨大なドーム状の魔法陣が、平原に展開される。

 蒼白い光が周囲に輝きを振り撒き、半透明の文字や記号の羅列が空間を支配する。まったく同一形状に留まることのないそれらは、ユグドラシルの中でも極めて特異な、第十位階魔法を超えた力を演出するためのもの。すでに、この世界でこれらの魔法が使えることも実験調査して判明している。

 

「…………」

 

 やはり、アンデッド軍は動かない。

 超位魔法の発動準備を目の前にして、それを潰そうと……発動する前に発動者を殺してしまおうという行為が、一切確認できない。転移魔法を使用しての突貫攻撃や、広範囲を薙ぎ払う殲滅魔法。超長距離からの狙撃などの攻撃手段が、カワウソの身に降りかかる気配はない。無論、それらの攻撃から主人を護るように、天使の澱のNPCたちは配置されていた。

 

 アンデッドの軍勢……連中にそういった知識がないのか。

 あるいは、連中の作成者……アインズ・ウール・ゴウンの策謀や戦略か。

 

 いずれにしても、敵からの迎撃や反撃にさらされる前に、魔法を確実に起動させた方がいい。敵がいつまでも待ってくれる保障など何処にもなかった。

 カワウソは何の躊躇もなく、手中にある砂時計を、課金アイテムのそれを割り砕く。零れる硝子と砂が、アイテム使用者の展開する超位魔法の光にとけて──そして、魔法が即座に発動する。

 

 

「超位魔法〈指輪の戦乙女たち(ニーベルング・Ⅰ)〉!」

 

 

 すると、カワウソたち天使の澱の陣容に、光り輝く天梯(てんてい)が無数に降り注ぐ。

 光は指輪のような形状を辺り一面に数え切れぬほど降臨させ、幾百の指輪はやがて、純白の光を発する騎士の装い……白銀の武装を帯びた、見目麗しい(いくさ)乙女(おとめ)の集団に転じる。

 

 カワウソという超位魔法発動者──召喚主の勢力に参陣した乙女の数は、500。

 

 そのどれもが、この異世界では英雄を超えるレベルに位置するだろう存在。

 聖剣と鎧兜、白翼を帯びる聖歩兵、100。

 騎士槍(ランス)と盾、騎馬を従える聖騎兵、100。

 長弓と矢筒、小剣を携えた聖弓兵、100。

 聖杖や法典、戦旗を掲げた聖術兵、100。

 他にも種々様々な兵科に分類される女天使たちは、まさに物語に登場する戦乙女(ワルキューレ)の姿だ。

 

 超位魔法〈天軍降臨(パンテオン)〉に似たこの魔法は、分類として「天使」に属する戦乙女たちの召喚モンスター・500体を同時に招来させるもの。強力な最上位の熾天使(セラフィム)ほどの強さは期待できないが、雑魚アンデッドを蹂躙するのにはうってつけの軍勢……“指輪の戦乙女たち”を召喚する。

 それでも、敵がその百倍以上の兵数では、どう考えても心許(こころもと)ない。

 さらに、これら召喚の魔法は、一定時間の経過で消滅を余儀なくされるもの。

 そして、超位魔法はシステム上、『連射がきかない』魔法である為、超位魔法の冷却時間(リキャストタイム)中は、なんとかこの軍勢で持ちこたえるしかないわけだ。場合によっては第十位階魔法などを使用して、別の召喚魔法を行使する必要もあるだろう。

 無論、状況は未だにこちらが圧倒的に不利。

 ナザリック地下大墳墓に到着するまでに、天使の澱のNPCが一人でも欠ければ、カワウソの作戦は成り立たない。

 

「カワウソ様、例の件を」

「ああ」

 

 隣に立つミカに促され、カワウソは一人の天使を振り返る。

 

「イズラ」

「──ハッ!」

 

 死の天使たる暗殺者は、手にした純白の長弓に矢をつがえ終えていた。

 カワウソは、ミカやイスラに相談されていた通り、彼に命じる。

 

「敵軍への“一番手”の名誉を与える──生産都市(アベリオン)で敗北した雪辱を果たすといい」

 

 無様にも、死の支配者(オーバーロード)部隊に敗れ、主人(カワウソ)の手を煩わせたNPC・イズラ。

 彼にそう告げただけで、NPCたちが歓声をあげて同胞を見やった。

 創造主から命じられた死の天使は、身に余る感動に震えつつ、確かな答礼を行う。

 

「あ──ありがとうございます!」

 

 その場で(ひざまず)きそうなほどの熱い感謝を受け取りつつ、カワウソは最後の指示を全員に通達。

 

「全員、強化の魔法と特殊技術(スキル)を解放!」

 

 承知の烈声に続いて、魔法やスキルを発動する声が連なる。

 

「〈全体無限防盾(マス・インフィニティシールド)〉」「〈全体祈祷(マス・プレイヤー)〉」「〈全体(マス・)悪よりの防御(プロテクション・フロム・イビル)〉」「“炎属性攻撃力大強化”」「“暗殺者の歩法”」「────“全体召喚獣強化”」「“全体召喚天使強化”ー」「〈疾風迅雷(スィフトネス)〉」「“全体敢闘精神”!!」「さ、“砂漠の風”」「〈鍛冶師の祝福(ブレス・オブ・スミス)〉♪」「“神風特攻(ディバインウィンド)”ォ」

 

 ミカ、イスラ、ウォフなどの指揮官職保有者たちが、天使の澱の陣容に──召喚された戦乙女たち全軍も含めて施行する。また、各NPCたちも、自分で自分の行えるだけの強化を魔法なり特殊技術(スキル)なりアイテムの効能なりで発動し、戦闘準備を完了させる。

 カワウソも聖騎士の特殊技術(スキル)で自己の身体機能を強化。

 そして、神器級(ゴッズ)アイテムの能力も解放。

 

「……」

 

 カワウソは最後に、アイテムボックスにあるものを、最前列の位置に置いているガラクタのようなそれを、確かめるように撫でる。

 

 このアイテムに託された魔法を、仲間たちとの誓いを、カワウソは脳の奥で、胸の内で、心の底で復唱する。

 

 ──もう一度、皆と一緒に、そこ(・・)へ戻って冒険したい──

 ……きっとまた、そこ(・・)へ戻って、冒険を、続けるって……

 

 

(……、……俺は……行く)

 

 

 あそこへ。

 皆が行った場所へ。

 ナザリック地下大墳墓──

 第八階層──“荒野”へ。

 

 カワウソはボックスから手を離す。

 アンデッドの軍団は──やはり、動かない。

 ただのハリボテやこけおどしであるはずもない不死のモンスターの軍勢に対し、堕天使は手中の聖剣を天へと差し向けるように振りかざす。剣尖が陽光を受けて眩しく煌く。

 激発寸前の火薬のごとき自軍に、統制され管制された天使の軍勢に、ギルド長・カワウソは深い呼吸の後に、こういう時の儀礼として、ミカたちに教えられた通りの号令を、命令を、発する。

 

 

 

「  ── 突撃ッ!!!!   」

 

 

 

 聖剣が振り下ろされた。

 片手剣を両手に握り、猛獣のごとく吼えて疾走する堕天使に併走して、六翼を広げたミカが、四翼を伸ばすガブが、天使の澱のNPCと召喚モンスターの群れが、アンデッドの戦列に向けて飛び出す。天使たちの咆哮と蛮声が、堕天使の凶気に汚染されたように連鎖する。主人(カワウソ)の名を叫んで後に続き、創造主(カワウソ)の目指す目標へ向けて(はし)る疾風怒濤と化す。

 

 アンデッド軍が、ついに、動き出す。

 

 タワーシールドを持つ、最前列だけで幾百もいる死の騎士(デス・ナイト)が、後続の同類と共に整然と盾を並べて、侵攻者の軍を阻む壁を機械的に築く。その手並み足並みは乱れることはない。ただの人間の軍勢であれば壊乱し惑乱し焦乱する天使たちの士気と突撃態勢を前にして、アンデッドたちは恐れ(ひる)むことはない。マスゲームのように整然とした動作は、一見なんの隙もない防御手段の行使に他ならなかった。

 カワウソは、握る純白の剣に光を纏わせる。

 

「イズラ!!」

 

 事前に命じられていた死の天使が、黒い翼で空を駆ける姿勢のまま弓矢を放つ。先陣を切って奔るカワウソの横を抜け、速射連射(クイックショット)Ⅱによって放たれる神聖属性の矢が複数本。それらは確実に死の騎士たちの盾の隙間を抜けて、連中の急所を貫き穿つ。

 一番手の栄誉を受けた死の天使の働きにより、アンデッドの隊列に乱れが。

 堕天使はその直前地点にまで跳び、慣れた特殊技術(スキル)を、解放。

 

「“光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ”!!」

 

 神器級(ゴッズ)の聖剣を最上段から振り下ろす。

 前方数十メートルの敵に連続範囲攻撃を繰り出す聖騎士の攻撃特殊技術(スキル)

 真っ白い光が空間を満たし、イズラが開いた突破口を悉く蹂躙──死の騎士の群れは、神聖属性の連続ダメージによって、特殊能力でHPが1ポイント分だけ残った瞬間に、滅び尽きる。

 だが、思うほどの効能・威力を発揮していないと気づいた。

 やはり、このフィールドは連中(ナザリック)に有利な環境であるようだ。

 当然のこと。

 ここはナザリック地下大墳墓を護る場所である。

 堕天使は左手でボックスを開き、そこから新たな武装──先端部が黒色金剛石(ブラックダイヤモンド)で製造された殴打武器──伝説級(レジェンド)アイテム・黒き明けの明星(シュヴァルツ・モルゲンスタイン)を掴みだす。無数の棘が突き出る漆黒の星球が極太の鎖に繋がれたそれは、見た目は悪魔や暗黒騎士風の凶器に見えるが、立派な神聖属性を帯びる「対アンデッド用装備」のひとつである。

 堕天使は両手に武器を構え、敵陣深くめがけてひたすら駆ける。

 ──世界級(ワールド)アイテムの赤黒い輪を、頭上に重く輝かせながら。

 

「総員、我に続けぇ!!」

 

 忘我に陥る叫声が戦場に(こだま)する。

 Lv.100NPCの攻撃が、召喚された戦乙女の一糸乱れぬ行軍と進撃が、アンデッドの軍勢を狩り取り始める。

 目標は、ナザリック地下大墳墓。

 その途上に存在するものを鏖殺(おうさつ)するかのごとく、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)驀進(ばくしん)する。

 

 

 

 

 

  ──ナザリック地下大墳墓へ向けて、“平原の戦い”が今、幕をあけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




戦車の座天使(スローンズ・チャリオット)などは、原作には登場していない天使モンスターです。
また超位魔法〈指輪の戦乙女たち(ニーベルング・Ⅰ)〉は、書籍10巻P83で名前だけ登場した召喚魔法です。その詳細な効果などは不明ですので、本作のそれは独自設定になっております。
こういったオリジナル要素がふんだんに盛り込まれた二次創作小説ですので、あしからず。


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平原の戦い -2

/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.04

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 君子危うきに何とやら。

 そんな(ことわざ)など知らぬ風に、自ら危難の道を歩み、危険の中へ飛び込む“敵”の勇姿を、視認。

 

「ついに来たか」

 

 玉座に泰然と背中を預けるアンデッド──アインズ・ウール・ゴウン魔導王は、空間に浮かんだ水晶板に映し出されるものを観賞していた。

 ツアーの通行証を手に、城塞都市・エモットの黒門をくぐった堕天使と、その護衛らしい天使が二体──こうして見ると“乳飲み子を抱いた魔導国の夫婦(カップル)”にしか見えないが、彼等の正体はすべて露見済みである。

 この映像はニグレドの監視能力……ではなく、実をいうとツアーの通行証に付随する機能の一つだ。

 現状において、ニグレドは敵拠点の超長距離監視と、アインズたちが見ている映像を第五階層で共有し、その情報をナザリック内のシモベたちに供給する任務に専念させている。

 カワウソたちを唯一この堅牢な都に招くことを可能にするアイテムであるが、その実、彼等の行動を完全に把握するための装置として、彼等の手に渡した向きもある。おかげで、彼等の侵入経路……「魔法都市(カッツェ)城塞都市(エモット)」までの旅路は、すべてアインズ・ウール・ゴウンたちの把握するところとなっていた(連中の拠点内での行動は、さすがに把握できない。通行証はあくまでツアーの能力が届く範囲に限定されている)。あの通行証は〈上位道具鑑定〉などの魔法でも、そういった効能があることを見破れないよう入念に隠蔽・準備されたものであり、アインズ達の備えが確実に彼等100年後のユグドラシルの存在を追い込むために行使されている。

 連中の首領──ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長たる堕天使のユグドラシルプレイヤー、カワウソの都市訪問が確認される以前から、アインズ・ウール・ゴウンをはじめナザリック地下大墳墓の誇る階層守護者たちは、第十階層の玉座の間に集結していた。

 しかし、ナザリックのシモベたちを戦闘配置に置く段階ではない。

 皆が普段通りの生活をしつつ、リラックスして、連中と存分に交戦する時(侵入できるとは露ほども思っていないが、絶対とは言えない)を迎えるように配慮したアインズは、その中で例外として玉座の間に事前待機させておいた守護者たちに確認する。

 

「デミウルゴス、魔導国の政務の方は問題ないな?」

「無論でございます。本日の政務公務はすべて、エモット城に避難されたユウゴ殿下や姫殿下たちが代行する手筈となっております」

「うむ。ユウゴたちであれば、問題なくこなしてくれるな……コキュートス。スレイン平野の包囲網は?」

「万事抜カリナク進行シテオリマス。アインズ様ガ御用意シテクレタ魔法軍モ加ワリ、指揮官ノ方モ万全ノ布陣。イカナル不足ノ事態ニモ対処可能デス──ドウカ、ゴ安心ヲ」

「ああ。だが、四個軍の最高司令官たるおまえの息子たち四人は、最後方に控えさせておいてもらうぞ。彼等に何かあっては、父たるおまえに申し訳ない」

「ソンナ! 勿体(モッタイ)ナイコトデス!」

 

 主人の当然極まる決定に、だが、コキュートスは望外の幸せを戴いたような声音で、魂の芯が熱せられたがごとく身を震わせる。

 

「現地人にも、優秀なものは探せばいるからな。異形種は基本、不老不死。優秀な人間や亜人も、アンデッド化することでナザリックへの忠誠心は高水準を維持。──スレイン平野の包囲は、彼等に任せておけば、良し」

 

 これで、カワウソたちの拠点を制圧する段取りは整ったといえる。すでに、スレイン平野近郊地帯は、蟻の子一匹逃さない規模で魔導国軍が進駐しており、連中に気づかれぬよう隠密行動を徹底させている。現状、カワウソのNPCたちが気づいたような気配はなく、四個軍を奇襲・迎撃するものもない。

 連中の拠点にどれほどのギミックやトラップが存在するのかは不明だが、この戦いが終わり、敵対者(カワウソ)手駒(NPC)達を残らず戦闘不能にした後、確実に安全を確認する意味でも連中の拠点をアインズ達全員で攻略してしまえばいい。ダンジョン型の冒険者育成施設などを100年前から建造し、研究してきた実績を試すのも悪くないだろう。

 アインズと守護者たちの連携は、すでにかつての仲間たちと同等の規模にまで昇華されている。敵のLv.100NPCが尽きてしまえば、あとはどうとでもなるはず。場合によっては、敵ギルド長(カワウソ)か、敵NPCをひとりぐらい生け捕りにして案内させるというのも、考慮に値する。宝物殿に新たに蔵された世界級(ワールド)アイテム“傾城傾国”の完全支配能力を発揮する良い機会だ。そうして、この世界に転移したギルド拠点を完全に制圧し掌握すれば、敵ギルド拠点内の財は、勿論アインズ・ウール・ゴウンの手中にすべて納まる。そして、“この世界におけるギルド拠点”を使って、様々な実験や戦力増強に使い潰すこともできるはず。

 

「と、いかんな」

 

 油断は禁物。

 捕らぬ狸の皮算用をしかける己を、アインズは自戒する。

 

「シャルティア、アウラ。表層のアンデッド軍の整備は?」

「完璧でありんすえ、アインズ様!」

「大丈夫です! アンデッドたち自身は勿論ですが、一般メイドの皆も手伝って、一体残らず綺麗にしてあげましたから!」

 

 この100年で他者を扱うことにも慣れた王妃二人は、昨夜の内に終わった整備を、さらに完全な規模で整え終えていた。まだまだ育ち盛りのアウラは十分な睡眠をいただき、シャルティアはアンデッド故に睡眠は不要であるが、それでも沐浴などの休憩を挟んだうえで、アンデッド軍の整備を完了させていた。

 

「すまんな。このような雑事に、おまえたちの手を(わずら)わせて」

「ふふ。そんなことありんせん。私どもの労など、御身の重責や国務に比べれば、どれだけ易いものか」

「そーそー。遠慮しないでいいんですよ? 誰あろうアインズ様のお願いなんですから!」

 

 むしろアインズたちのアンデッドを少しでも強化できお手伝いができて光栄なくらいだと、とても嬉しそうにはにかんでくれる。

 

「──ありがとう、二人共」

 

 ただの死の騎士(デス・ナイト)も、アイテムなどを整えてやればかなり見栄えの良い雑兵に変わる。

 玉座の右のひじ掛けに集まる二人の頭を、アインズは慣れた手つきで優しく撫でる。

 

「マーレ。今回は不要だったかもしれないが、ナザリック内部の整備状況は?」

「だ、大丈夫、です、アインズ様! セバスさん、たち、も、ずっと手伝ってくれましたし、あの、その」

 

 同じく王妃に列せられる美青年の手腕も問題ない。先ほどの二人と同様に、跪く青年の頭を撫でて「よくやった」と褒める。セバスはここにはいない──決戦前の墓参りに、娘共々アインズが行かせておいたのだ──が、戦闘準備が下達されれば、戦闘メイドの皆と共に、この玉座に集合する予定である。礼を言うのは、その時でいいだろう。

 

「首尾は上々だな」

 

 アインズは現在のナザリック地下大墳墓の防衛状況を完全に把握している。

 天使共がどうにかアンデッド軍を突破したとしても、表層の墳墓にはアインズの作成した上位アンデッドが複数体控えている上、第一~第七階層のシモベたちの配置分布も天使たちへ効果的なもので固めている。天使共が繰り出すだろう各種神聖攻撃への防護も、アイテムや装備品などで整えた。突破することなど、夢のまた夢。何かしら不測の事態でも起きない限りは、ナザリックの防衛体制がやぶれるはずがない。

 その中でも「最大最上級」の防御装置は、アインズたちが集った空間“玉座の間”に安置されているもの。

 見上げた水晶の玉座は、()()えと(きらめ)きを放っている。

 

「“諸王の玉座”──この世界級(ワールド)アイテムが誇る防御性能は、ユグドラシルでも打ち破る事は不可能だったもの」

 

 何も心配することはない。

 遥かな昔、仲間たちと共に勝ち取った栄光の象徴──ナザリック地下大墳墓という高レベルダンジョンを、わずかな手勢で初見クリアしてみせたアインズ・ウール・ゴウンに授与されたそれを、仰ぎ見る。

 この玉座に座すべきもの──このダンジョンを完全完璧な形で攻略したモモンガたち……かつて、この高レベルダンジョンを護っていたレイドボスたちから『自分たちを打ち負かし、支配するにふさわしき攻略者たちへの“敬意”』のごとく、モモンガたちギルド:アインズ・ウール・ゴウンへと贈呈されたいきさつがある。

 その世界級(ワールド)アイテムの防御力によって、ナザリックは他のギルドとは比べようもない高度な転移阻害をはじめ、情報系魔法への完全防御などの様々な恩恵を与えられた拠点ダンジョンだ。

 あの1500人を退けた、第八階層の“あれら”にしても、この「玉座」のおかげで使うことができるものであることは、知るものは少ない。

 

「アインズ様、奴等がエモット城の、最後の昇降機に乗り込みました」

「……うん……」

 

 共に映像を閲覧する女悪魔──玉座の左側に佇む王妃・アルベドが朗々凛冽(ろうろうりんれつ)な音色で告げる事実に、アインズはナザリック内の全シモベ達に〈全体伝言(マス・メッセージ)〉を飛ばす。

 わずかに懐いた逡巡──敵となった者たちへの憐れみを、己の頭蓋から放り出した。

 

「──総員、戦闘配置」

 

 たった一声によって、すべてのシモベが主人からの命令伝達を、受諾。

 これで連中を、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)を歓迎する準備……連中を使った“実験”の用意は、すべて整った。

 

 カワウソの護衛が少ない段階=都市間を馬車で移動中などの段階で、アインズが連中に手を出さなかった理由は、いくつかある。

 ひとつは今言ったように、ユグドラシルプレイヤーとの戦闘の“実験”を行いたいがため。二つ目は彼の保有する世界級(ワールド)アイテムやダンジョン拠点の能力が未だに不明瞭で、こちらから無闇に手を出すのは危険であり、三つ目はそういった脅威をカワウソが無駄撃ちして、その性能を推し量る上で、低コストな軍と絶対有利なフィールドで戦った方が良いという当たり前な判断から。そして、連中から攻撃を仕掛けさせることで、「アインズ・ウール・ゴウンは、あくまで『自衛・防衛のため』に、天使連中と事を構えることになった」という事実を得ることが四つ目だ(もしも他のユグドラシルプレイヤーなどが転移していた場合、こういった大義名分があった方が確実に良いのである)。

 

「さて」

 

 映像の中の堕天使が命じ、護衛二人──ミカとクピドという天使が、完全武装状態を(あらわ)にする。敵ながら見事な黄金の鎧に身を包む女騎士と、幼く(いとけな)い体躯には不釣り合いである漆黒の銃火器とサングラスで武装した赤ん坊が、主人たる堕天使の隣に降り立つ。

 そして、赤子の天使(キューピッド)の振るう短い腕の先から、転移の魔法が解放された。

 

「始まったな」

 

 その様子を玉座の間で平静に視聴観戦する魔導王は、愉快と苦吟(くぎん)を半々にしたような声で、堕天使の配下たるNPCたちが勢ぞろいする時を待つ。

 銀髪褐色の聖女は修道女(シスター)の黒い貫頭衣と純白の装身具を煽情的にアレンジしつつ、うすぼんやりと光を浮かべたグローブで両の掌を覆っている。聖女と同じ銀髪の牧人(ハーダー)は古代の羊飼いのごとき衣服に、樹杖と小さな荷袋を携えた姿。左背中に二枚の羽根を宿す赤髪の男は片眼鏡(モノクル)をかけ、火炎を先端に宿した杖を握っていて、いかにも魔法系統の職を得ているとわかる。

 ソリュシャンと交戦した暗殺者の死の天使(エンジェル・オブ・デス)は、神聖な羽のごとき白布で全身を隠す同胞の手を取りながら降り立つ。全身鎧で人の倍はある巨躯を覆う機械の翼をもった天使が続き、黒髪の男が黒い僧衣の裾を翻して並び立つ。そして、シズと交戦した花の動像(フラワー・ゴーレム)の少年兵が幾多もの剣装を帯びて現れ、両腕が翼の黒髪褐色の乙女と、翡翠のごとく美しい髪色の踊り子を通したのを最後に、転移の門はその役目を終えた。

 この異世界へと転移した直後に、外へ調査のために出てきたことがあるNPCの内、全12体が勢ぞろいしていた。

 

「カワウソが言っていた数的に言って、あれが、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の最大にして唯一の戦力」

 

 12体のLv.100NPCは、主人(カワウソ)の号令に承知の声を重ね合わせた。

 その意気込みは映像越しにも大量の熱量を感じさせ、アインズの膝元に仕え(ひざまず)守護者(NPC)たちのそれと重なる。

 確実に、あれらは敵拠点のNPC──創造してくれたプレイヤーへの敬愛と尊信を無条件で(いだ)く存在とみて間違いない。

 

「あの、アインズ様」

「どうした、シャルティア?」

「差し出がましいことをお聞きいたしんすが……本当によろしかったのでありんすか? ナザリックを直衛する守護兵(ガーダー)部隊を、ほとんど下げたままで?」

「心配ない、シャルティア。あれらはすべて、私やパンドラズ・アクターが生産し、支配している雑魚アンデッド。ほとんどはこの世界で生じただけの有象無象に過ぎない」

 

 それ故に、ナザリックの拠点維持費などはまったく目減りすることはない、かなりの低消費(コスト)で迎撃を行うことが可能である。戦場に並べているガーダーたちは、あくまで敵を威伏できればいいだけの看板──この大地がすべてナザリックの支配下にあることを喧伝するための、ただの予備部隊に過ぎなかった。その証拠に、彼らのほとんどは魔導国の紋章旗を掲げる儀仗兵役に徹しているものが多い。

 

 今回の戦いにおいて参陣したアンデッド軍は、アインズ・ウール・ゴウンとパンドラズ・アクター、両名が100年かけて生み出したものの他に、ナザリックの消費を行わず派兵可能な戦力も投入されている。

 旧・カッツェ平野の砦。

 人狼により封じられていた沈黙都市。

 かつてイビルアイが“吸血姫化”の不可抗力で死滅させた廃都。

 他にも大陸において、これらに代表されるようなアンデッドの自然発生ポイントを、アインズは己の支配地域として有効利用し、アインズの一日で生み出すアンデッド以上の兵力を獲得するのに実験・活用し続けてきた。

 ナザリック地下大墳墓を防衛する平原部隊は、中位と下位、地上・地中・空中部隊を合計して、概算で100万規模。

 八方に展開配置されたそれらは、アインズの能力で強化されたそれもふんだんにつぎ込まれているため、ただの野良に比べても格段に高性能なものが揃っていた。

 ──惜しむらくは、八方に展開されている都合上、すべての部隊を防衛作戦に導入するには、あまりにも数が多すぎることが弱点らしい弱点と言えた。大軍を指揮するアンデッドも潤沢な数を揃えているが、それでも軍勢の移動と再編にかかる手間暇は一瞬で片付くものではない。陣を変更するのにも軍団規模は途方もない時間を消費する。転移の魔法でも使えば別だが、あまりにも多くの人員移動・軍団編成規模の魔法を起動するとなると、たとえ階層守護者(シャルティア)の魔力でも無理が生じるので、まず諦めた方が無難と言える。なので、いくら総員が足並みを完璧にそろえられるアンデッドであろうとも、移動する分のタイムラグは必須。そのため、今回カワウソ達の迎撃にあたることになるのは、多くて50万を動員することができるかどうかという具合だ。

 そして何より、この段階においても、天使の澱以上の強者・第三者が漁夫の利を得ようと都市を突破し、カワウソ達とは別方向から侵攻してくる可能性も否定できない。その迎撃にあたるだけの部隊は待機させ続けるのが妥当という判断であった。

 

「心配はいらない。ナザリックの表層、直上の墳墓に詰めている死の支配者(オーバーロード)などの上位アンデッド陣もある……なんだったら、十分に消耗させた後で連中を墳墓内におびき寄せ、“ひとあて”してしまうのもいいだろう」

 

 守護者たちは理解と納得の首肯を落とす。

 そうさせるだけの戦力が用意され、天使共への対策も準備万端。何も恐れる必要がなかった。

 共闘関係を結んだツアーの協力のおかげで、アインズが永続性を与え生み出すことができた──上位アンデッドの群。

 その中で、アインズが創造した死の支配者(オーバーロード)たちから発せられる“絶望のオーラ”が、確実に天使共の行く手を阻み、侵攻の足を引っ張る障壁として、平原をドス黒く覆っている。オーラの影響によって地表の植物を枯らし死滅させていないのは、これらはマーレというナザリック最高の森司祭(ドルイド)が生み育んだモノであり、また死の支配者(オーバーロード)たちもオーラの出力や範囲を絞るなど調整調節が行えるため、壮大な新緑の園を瑕疵(かし)なく存在させることができるからだ。ただの人間や生物では存在するだけで「発狂」、最悪「即死」することもあり得そうな平原の戦場に、堕天使と天使たちが、進攻せんと歩を刻んだ。

 気づいていないはずがないだろうに。

 絶望のオーラが十分に起動しているエリアで、天使の澱の熾天使・ミカなどが常時展開している“希望のオーラ”は、ほぼ使い物にならない。おまけに、神聖属性や炎属性などのアンデッド特効に分類される各種攻撃の威力を著しく減衰させるアイテム──そして、アンデッドの能力を逆に向上させるアイテムなどが平原全域で機能を発揮していた。

 つまり、天使対策は──もはや“万全以上”。

 そんな環境下(フィールド)をカワウソたちが侵攻し進行せざるを得ないという事実に、アインズは敵とはいえ、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に対し、放り捨てたはずの憐れを再び脳内に感じてしまうほどであった。100年後の今なお存在する、人間・鈴木(すずき)(さとる)の残滓の影響だろうか。

 

「あの、アインズ様?」

「どうした、マーレ?」

「お、王太子殿下──ユ、ユウゴ様や、他の姫様たちを避難させたのは、あの、本当に、よろしかったのでしょうか?」

「勿論だ」

 

 アインズは今回の戦いにおいて、自分たちの子どもらは極力参陣させない意向を示した。

 唯一の例外は、彼ら堕天使と天使たちに直接接触したマルコのみと定めて。

 

「説得するのは大変だったが、我が子たちに相手をさせるには、いろいろとあれだからな……」

 

 アインズはかつて、自分たちの子どもが、ナザリックの一戦力として“有効利用”できればと、NPCたちに婚姻の推奨と、それに伴う愛の結実たる「子」らの創造と懐妊を許した。

 しかし、今は。

 かつてのような打算的かつ計略的な意図は、どこにも残されていなかった。

 

「これは、今回の戦いは、あの子たちの負うべき戦いではない」

 

 アインズは、我が子らを、皆が産み育む異形なる命、そのすべてを、等しく大事に想った。

 親として。

 父として。

 子らの安寧と平穏を何よりも願い、叶えようと欲するまでになった。

 無論、ナザリック地下大墳墓に、そしてアインズ・ウール・ゴウンの威信に傷をつけない範疇(はんちゅう)で。

 そんなアインズの親心を、ナザリックの子供らはよく理解し、感得し、そんな絶対支配者の優しさに、あろうことか「報いたい」と言うようになるまで成長した。

 アルベドたち守護者は「そこまでを見越して、子らの養育に励んでくれていたとは」という感じに受け取っていたが、勿論アインズにそんな意図があったわけがない。

 

「アンデッドとしては、かなり特異な発想かもしれんが──」

 

 しかし、それこそがアインズの本意であり本心だった。

 

 今でも──よく──覚えている。

 

 アルベドの胸に抱かれ戯れる王太子の微笑を。

 シャルティアの手を繋いで離さない姫の姿を。

 ニニャの子守歌で寝入る二人目の姫の寝顔を。

 

 そうして、ナザリックのNPCたちが生み育んだ子どもたち。

 

 小さな我が子たちの成長と、それに伴う労苦など吹き飛ぶほどに眩しい、──未来の可能性。

 

「っと、戦闘準備に入ったな」

 

 子どもらのかつての生長の記憶を幻視する間にも、平原に降り立った“敵”は侵攻の意志を堅固に保つかの如く、様々な手段で自軍強化に努める。座天使(スローンズ)などの天使や一角獣(ユニコーン)などの聖獣の召喚作成。作戦とやらを指揮する個体(NPC)を確認。強化(バフ)アイテムなどの服用と起動。

 そして、

 

「やはり、な」

 

 平原に満ちた、──蒼白い光。

 使うはずと思っていた。使わない理由がないと。

 それはユグドラシルプレイヤーにとって、常識とも言える現象事象。

 堕天使の手には、アインズも良く使った課金アイテムの砂時計が。

 

《超位魔法〈指輪の戦乙女たち(ニーベルング・Ⅰ)〉!》

 

 平原に降り注ぐ天梯。

 魔法によって召喚された、総数500騎にも及ぶ戦乙女たち。

 純白の翼を一対帯びた歩兵が、一斉に細い長剣を鞘から抜き払う。騎兵の右手に構える槍は清廉に輝き、左手に持つ盾は幅広い。戦乙女らの身に着ける軽装鎧は、純白にも見えるほどの銀一色に煌き、暁の空の下で赫赫(かくかく)と燃え焦がれているようだ。

 

「すばらしい“敵軍”だな」

 

 だが、どんなに美しい隊伍を築こうと、所詮は500騎。

 揶揄(やゆ)するような苦笑を浮かべるのも無理からぬ──あれは小勢。

 平原の野を埋め尽くす数十万の軍団に対して、数的不利を覆すことは出来ない。

 彼女たちは召喚主であるカワウソに臣従するように、天使の澱のNPCたちの麾下(きか)に加えられたが、おそらくLv.100NPCの体力魔力の温存のための雑兵として、あの超位魔法は機能する算段だ。

 しかし、一人の闇妖精(ダークエルフ)が疑問から首を傾げる。

 

「アイツ、あの堕天使の奴、どうして広範囲を殲滅する超位魔法を唱えないんだろう?」

 

 アインズよりも先に答えたのは、最王妃アルベドであった。

 

「単純に『習得していない』可能性もあるでしょうけど……おそらくね、アウラ。連中は同士討ちする可能性を危惧しているのよ。広範囲殲滅の攻撃は、アンデッド軍の中心に落としたほうが効果的だけれど、それには堕天使が軍列にギリギリまで接近しなければならない。そして、そこまで近づくまでに、確実に敵のNPCたちは堕天使を護衛すべく前に出るでしょう。けれど混戦乱戦に陥った状態で殲滅攻撃を放てば、自分の配下たるNPCが巻き添えを食うこともあり得る。確かに、代表的な超位魔法だと〈失墜する天空(フォールン・ダウン)〉などの高威力の魔法は空間制圧には向いているし、単純な威力攻撃も高い。でも、あれほどに強壮な“軍”を前にして、連射の利かない超位魔法一発で済むはずもないわ。そして、奴等の主人は魔力消費を抑えよと命令を下している。……その点、軍を召喚する魔法ならば──わかるでしょう?」

「あ、そっか。軍には軍でぶつかった方がいいってことか……」

「そういうこと。第六階層で魔獣の軍団を率いるアウラは、第十位階の殲滅魔法をあの1500人の侵攻時に何発も喰らった覚えがあるでしょうけど、それは敵軍も十分な余力があるからこそ出来る戦法よ。召喚魔法はタイムリミットがあるけれど、逆に言うとそのリミットまで行使可能な暴力の具現化とも言える。一発しか当てられない魔法などよりも、はるかに軍を相手にするのに向いている……あの堕天使、完全に追い詰められているくせに、短絡的にモノを考えているわけではない──本気で、平原を突破するつもりのようね」

「そんなこと可能なの、アルベド?」

 

 優雅に首を振る王妃に、同じ王妃たる闇妖精の少女はアインズにも視線を向ける。それに追随するように、守護者たちも至高の主を見つめてしまう。

 対して、アインズは柔らかく微笑む。

 

「連中がどのような世界級(ワールド)アイテムを持っているかによっては戦局を逆転することもあるだろうが、現状は“ありえない”と見るべきだろう」

 

 アウラだけでなく、守護者たち皆が同意するように頷く。

 あとは、彼が特殊な魔法や特殊技術(スキル)を発動する可能性もある。

 それこそ、あの生産都市で死の支配者(オーバーロード)部隊を平らげ、不死のモンスター50体を、ほんの一瞬で鮮血に染めあげた、あの能力……アインズですら見たことも聞いたこともない特殊技術(スキル)を行使するはず。

 それをこの目でもう一度確認するためにも、アインズはカワウソに、この戦場を用意してやったのだ。

 

「あのアンデッドを抹殺する特殊技術(スキル)……場合によっては、奪うか学ぶか……いや」

 

 所詮、連中はアインズ・ウール・ゴウンの“敵”。

 今日この日、その命は尽きて朽ち果てるが「相応(ふさわ)しいモノ」だ。

 カワウソというユグドラシルプレイヤー……ある意味において、アインズと同じゲーム(ユグドラシル)を愛好していた男への“慈悲”など、死の支配者(オーバーロード)は完全に持ち合わせていない。

 何故なら、アンデッドだから。

 

「遅くなりまして誠に申し訳ありません。アインズ様、そして皆様」

 

 その時、玉座の間に現れたのは戦闘メイド(プレアデス)を率いる執事長・セバス。

 謹直な老人と見目麗しい乙女たち六人。その列に加わることを許されたメイドが、一人。

 母譲り(ツアレ)の面貌に、父譲り(セバス)の髪色を宿す混血種の乙女、マルコ・チャン。

 

「いいや。ちょうど良いタイミングだ、おまえたち。今まさに天使共の侵攻が始まるところだ」

 

 アインズはマーレと共にナザリックの整備に励んでくれた執事やメイドたちへ感謝を贈るのを忘れない。贈られたセバスたちは謹直な答礼を返し、アインズ達が見つめるものを共に眺める。

 映像内のカワウソは、さらに天使の一体……イズラに一番手を命じるなどの差配を整え続ける。

 そして、カワウソに命じられたNPCたちが自軍や自身を強化する魔法とスキル、アイテムを行使する。

 召喚魔法で呼び寄せたモンスターは、一定時間の経過時間によって消滅する。無駄にしてよい時間など欠片もないが、発動する前後で適切な強化を受けられるか受け損ねるかが顕著に現れるため、召喚してから強化するというのは正しい。一定の職種だと召喚する前から強化を施すことも可能だが、それでも後から魔法やスキルで強化を施すのは有効なので、モンスターを召喚した後での強化(バフ)時間は必須と言える。

 

「そろそろ頃合いだな……パンドラズ・アクター」

『お呼びでしょうか、父上!』

 

 この100年でそれなりに慣れた呼ばれ方を送るのは、宝物殿に詰めるアインズ直製の拠点NPC。

 戦闘メイドの何人かが、黒髪の乙女(ナーベラル)(はや)すように視線を送る。

 

「平原の映像はそちらにもいっているな? では、予定通り、第一の防衛線(ライン)は任せる」

『お任せを、父上ッ!』

 

 あー、うん、頼む。

 相変わらず〈伝言(メッセージ)〉越しでも妙なテンションの高さについていけてないアインズだが、あいつはアルベドやデミウルゴス並みの智者という設定だ。アインズに化けることで創り上げたアンデッド軍は、父たるアインズのそれには及ばないが、それでも使えないというほどではない。

 映像の中の堕天使が、ボックスに手を突っ込んで、何かを悼んでいるような、懐かしんでいるような、曖昧な表情を浮かべて、そして何を取り出すでもなく、手を離す。

 その意味不明な行動と物憂げな表情に、一瞬だけ、「もしや彼が思いとどまったのだろうか」と期待した──しかし、それはありえない。

 アインズはとっくに理解している。

 彼はアインズ・ウール・ゴウンの“敵”。

 第八階層“荒野”への「復讐」を標榜する、ナザリックにとっての害悪に他ならない。

 

 カワウソは、戦意を明確に(あらわ)した。

 

 純白の聖剣──天国の門が鍔に意匠された剣を天に捧げて、

 振り下ろす。

 

 

 

《  ── 突撃ッ!!!!   》

 

 

 

 暴声が弾けた。

 堕天使が黒く輝く足甲で駆け、天使たちが各々の翼で空と大地を舞う。

 炎を吹く車輪に乗ったNPCと、戦乙女の天使モンスターの戦列が前進。

 アインズは失意と諦念をもたらした敵に対し、小さく嘆息を吐いた。

 そして。

 骸骨の己には存在しない鼻を鳴らす。

 膨大な敵意の黒一色に染まった声音で、告げる。

 

「……パンドラズ・アクター」

『承りました!』

 

 これまた存在しないアインズの脳内に、宝物殿の領域守護者が紡ぐ快活な了承が、響く。

 宝物殿に詰めているパンドラズ・アクターが、アインズの姿に化けることで、ようやく己の生み出したアンデッド軍を駆動させる。連中の攻撃行動を完全に確認してから、「こちらは仕方なく迎撃した」という体裁だ。作成者からの指示に絶対服従するアンデッドたちは予定通り、カワウソたち天使の澱を阻む壁を築き始める。古代スパルタ兵もかくやという密集陣形(ファランクス)を。

 堕天使の大音声(だいおんじょう)と共に、天使の軍勢が草原を()(はし)る。

 翼を広げて空を駆け、手にとった武装の威力をそれぞれ発揮。

 敵のLv.100NPCが放つ弓矢の一番手を受けた隊列に、乱れが。

 そこを斬砕するように、聖騎士の攻撃特殊技術(スキル)が一帯を閃光の白で覆い尽くす。光の内に捕らえられた死の騎士が、無残にも浄化され消滅を余儀なくされる。その間、二秒か三秒ほどの出来事。

 

 だが、アンデッド軍は恐れることはない。恐れなどするはずがない。

 

 堕天使の攻撃で空いた空間を埋める規模で後続が突貫し、敵軍の侵攻を阻む堰を築く。カワウソが一秒ほど歩みを止める内に、数体のアンデッドが強襲をかけるのに十分な量が殺到。無論、そのままやらせてくれるほど、敵の天使たちは馬鹿ではない。

 

「──いかに回数制限のないタイプの、──基本的な攻撃特殊技術(スキル)であろうとも、……攻撃した直後の技後硬直(リキャストタイム)は、いかんともし難いだろう?」

 

 アインズもまた、己の敵と戦うべく、入念な準備を重ねていた。

 聖騎士や神官などの信仰系職業への対策。最上位天使(セラフィム)モンスターへの対策。アンデッド軍の強化。

 そして、

 この平原の戦いで、ユグドラシルプレイヤー・カワウソと、天使の澱の実力を量り尽くす腹積もりでいる。

 蛮声と烈声が響和し、暴音と轟音が鳴動する。

 鯨波の音色はまさに清白な大波のごとく、不死者の防壁じみた隊伍を呑みこみ、神聖属性の輝きや、火焔と雷霆の疾走が、黒いアンデッドモンスターの群を轢殺(れきさつ)していく。

 

「ふふ。連中、なかなかやるじゃないか」

 

 あのフィールドで、天使の得意攻撃などを封じつつ、アンデッドの兵たちに有利な効能を発する平原の戦いにあって、天使の澱は驀進(ばくしん)する。

 だが、アインズ・ウール・ゴウンの、ナザリックの、魔導国の備えは、あまりにも多い。

 連中が二秒か三秒で合計100の死の騎士(デス・ナイト)を屠ろうとも、それをあと1000回、2000回も続けることが可能なものかどうか。

 たとえ可能だったとしても、果たしてその時、連中にどれほどの余力が残されるものか。

 アインズ達が生み出した軍に対し、Lv.100の手勢がどれだけ戦ってくれるのか。

 この“実験”が、どのような結果をもたらすのか。

 

「さぁ……どうする……どうなる?」

 

 水晶の玉座に悠々と背骨を預け、骨の指を泰然と組む。

 アインズ・ウール・ゴウンは、敵を称えるがごとく微笑する。

 

 平原の戦いは、まだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※注意※

『特典小説・プロローグ下』で、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンが入手した
世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”の詳細な情報については、
「未確定」です。

原作では、書籍三巻P307より「拠点を世界級(ワールド)アイテムの効果から防衛する」という記述、及び、書籍四巻P371より「ナザリックを守る世界級(ワールド)アイテムの効果の一つは、情報系魔法などへの対策」と記述されていますが、それが=“諸王の玉座”であると明言されたわけではありません。また転移阻害の機能についても、それが世界級(ワールド)アイテム由来のものであると記述されているわけではございません。
ですが、この二次創作ではそういう機能が、「拠点を外部からのあらゆる攻撃・転移・監視などから防衛する機能」そして「その防衛能力は、世界級(ワールド)アイテムでも突破不可能な強力な能力」があるなど、複数の機能がある(「世界級(ワールド)アイテムの効果の“一つ”は」という記述から察するに、複数の機能がある)ものと設定して、進行させていただいております。
ご了承ください。


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観戦者

/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.05

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 アーグランド領域。

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の宮殿──天界山・セレスティアにて。

 

「……はじまった」

 

 白い大樹のごとく荘厳な竜。鋭い牙が列をなす口腔の奥から、彼は嘆息を吐き落とした。

 その言葉の意味を理解し、ツアーの傍に立つ騎士──カナリアが生真面目な頷きを返してくれる。

 

 ツアーがカワウソという、アインズ達の敵に渡した通行証──それから送付される情報を、彼は己の脳内で知覚できる。堕天使と護衛たるNPCが二体、魔法都市・カッツェに転移して、そこから、ツアーが教えたとおりのやり方で、一行は平和的に城塞都市・エモットの門をくぐりぬけ、そして、平原の戦いへと至った。

 これで一応、ツアーの役目は完全に果たされたことに。

 カワウソの協力者としても。アインズの友人としても。

 だが。

 

「……」

 

 ツアーは己の住居たる宮殿の聖堂で、カワウソの展開した魔法を眺める。

 ──“超位魔法”という、この世界には存在していなかったはずの、究極の事象。

 それ自体は驚くには値しない。ツアーもかつて、これと同じ位階の魔法を何度か見たことがある。

 六大神が、八欲王が、そしてツアーの仲間たる“リーダー”の仲間が、この魔法を使っていたし、アインズとの共闘戦線でも、それは同じ。

 あの世界級(ワールド)アイテム……八欲王の最後の王が所有していた“無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)”……正統な所有者以外は触れること(あた)わず、また「所有者が変わるごとに、中に記載された魔法の情報も一から刷新される」機能を持ったそれには、アインズがこの世界に到来して以降、超位魔法の記述欄が増えていった。

 八欲王の最後の一人から、ギルド武器と共にそれを継承したツアーは、十三英雄のプレイヤーにそれを託し──そして結局、今ではエリュエンティウの浮遊城内最奥……元の安置場所に蔵されるに至っている。

 

世界級(ワールド)アイテム……」

 

 真なる竜王というべきツアーの知覚力・鑑定眼だからこそ、その脅威的な性能を誇るアイテムの存在を看破することは容易。

 

「カワウソくん、彼の世界級(ワールド)アイテム……あの赤黒い円環は──」

 

 世界一個に匹敵するそれは、まだ起動すらしていない。

 この戦いは、まさに「決死」とも言うべき戦場である。

 にも関わらず、彼は拠点NPC12体と、各種召喚モンスター……超位魔法で召喚せしめた戦乙女の軍団のみを頼りに、平原のアンデッド軍へと、突撃。

 数百年の長い年月をかけて戦術戦略の理を獲得している竜王にしてみても、彼の戦闘方針はこれ以上ないほどの最適解──というか、これ以外の小細工を弄することが不可能なほど「不利」──という戦況にある。

 だが、そんな状況下で世界級(ワールド)アイテムを発動しないというのは、どういうわけか。

 

「単純に、今は使えない……発動条件要項を満たしていない? それとも、発動するタイミングを見計らっているのか?」

 

 いずれにせよ。彼が今以上に不利な局面に陥れば、発動することは確実だろう。

 それほどの影響力を発揮して当然な能力を発揮するのが、世界級(ワールド)アイテムの最大にして絶対の特徴。あのアインズが所有する世界級(ワールド)アイテムにしても、十三英雄のリーダーが所有していたアレも。

 

 ツアーは推測する。

 ナザリックの内部で起動させるつもりか?

 だが、アインズの拠点にはナザリックを守護する世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”がある。

 その情報はアインズ(いわ)く、「当時の上位ギルドぐらいしか推測できていないはず」と証言している。情報が秘匿される「げーむ」だったというユグドラシルにおいて、アインズのかつての仲間たちは、ある程度の情報をリークして、上位ギルドの攻略参加を思いとどまらせるために、それなりの情報を“あえて流した”とか。そして、その情報というのは、あくまでも当時の上位ギルドの間で完全に秘されたという。

 故にカワウソは、それら情報は知らないはず。

 少なくともアインズ……モモンガが遊んでいた当時の情報で、世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”にまつわる情報は、その入手難度の高さ「高レベルダンジョンの初見クリア」などの入手条件から、広く検証可能なものではなかった。当然、それほどのアイテムに護られるナザリック地下大墳墓の防御力についても同様。

 ユグドラシル末期から終焉期においても、ナザリック地下大墳墓を本気で再攻略しようという気運は生まれず、アインズが確認した限り、ネット上でナザリックの情報が売り買いされることも絶えて久しいだけの年月が流れ、何より、「げーむ」に対するユーザーたちの熱が冷え切っていたのが要因だろう、と彼は語っていた。

 だから、ナザリック地下大墳墓は“伝説のまま”に、サービス終了を迎えたのだ──と。

 そう告げるときの彼の寂しそうな語りが、竜王の耳に残響している。

 

「……どうするんだい、カワウソくん?」

 

 アインズと同じユグドラシルのプレイヤー……でありながら敵対することになってしまった、異形の顔を凶暴な笑みで歪ませる男を、見る。

 にっちもさっちもいかなくなれば、通行証を取り出し、備え付けの〈伝言(メッセージ)〉機能を使って、ツアーに降伏を嘆願することは、まだ可能。

 その時点で、彼の至上目的は達成不能に陥るだろうが、命あっての物種とも言う。その程度の判断ができないなんてことはありえないはず。ツアーとの共謀関係がバレるのを懸念してくれているとしても、ならば最初からこんな望みなど一片もない戦いに赴くはずがないだろう。

 だとすれば、答えは単純。

 彼はいまだに、諦めてなどいないということ。

 

「たった500騎程度を招来しても、ジリ貧だと思うが──」

 

 見える光景は、漆黒の絨毯の端に、白い墨液が垂れたような様相を呈している。

 浸透する純白の一滴は、大地の底へ伸びる植物の根のごとし。

 不死者の陣を踏み越え蹴散らしていく天使の戦列。

 

 

 ──それでも、アンデッド軍の有利は絶対的であった。

 

 

 文字通り、四方八方が敵だらけ。

 死の騎士(デス・ナイト)だけでも万単位の軍列は、確実に天使たちの軍を包囲しつつある。

 今は良く抵抗できているが、ナザリックに近づけば近づくほど、アンデッド軍の規模と総量は膨大になる。深く潜り込めば、黒い魔軍の戦団に取り囲まれるのは必定の運び。

 

 ツアーは、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の行く末を、ただ見守るしかない。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 天使の軍勢があげる鯨波の声は、城塞都市・エモットの住人には一切感知できない。

 エモット城の内部と、その奥で起こる出来事の一切は、完全な防音設備と防御魔法の恩恵によって、都市の臣民たちの耳にはまったく届くことはない。無論、盗聴盗撮することなど、論外だ。この戦いを記録してよいものは、エモット城の平原外周部に配置された記録係の撮影班のみが許されている状況にある。

 エモット城は、許可された存在以外が突入しようとすれば、漏れなく城内に駐留しているアンデッドの警備兵たちに存在を探知され、城内の各種トラップ機能の餌食(えじき)になることが確定している。

 今回の平原の戦いは、おそらく魔導国の歴史に残ることはない。

 ただ、当事者たちだけの記憶に秘されるものとなることだろう。

 

「どうですか、ユウゴお兄様?」

「うん……彼等は平原で戦いを始めたようだよ……ウィルディア」

 

 言って、母譲りの黒髪が美しい青年は、銀の髪に紅の瞳をいただく異母妹(いもうと)を振り仰ぐ。

 

 母たる少女然とした吸血鬼(ヴァンパイア)の面影を、成人の女のそれにすればきっとこのようになるだろうという美貌は、愛する兄の双眸を受け止め、(とろ)けるような微笑を浮かべている。後頭部で一房にまとめて結われた白銀の髪は、朝の光を浴びて宝石のごとき煌きを放つ。笑みを刻む花唇(かしん)から覗く皓牙(こうが)は母の種族の特徴であり、その全身に纏うドレスの彩は、父の種族のそれを彷彿とさせる見事な白を基調としていた。都雅(とが)の極みたる美女の麗容の中で、とくに人外じみた特徴をあげるとするならば──その両手だ。

 きわめて細い指先は、実は肉を一切帯びていない……父とまったく同じ、骨の異形。その骨の掌を手袋などで隠すでもなく、ただそのありさまを褒めたたえるがごとく、楚々とした指輪や腕輪の宝飾などで飾りつけ、父より受け継いだ造形の艶と美を、これでもかと言わんばかりに磨き上げている。

 

 骸骨と吸血鬼が融和した混血種(ハーフ)

 名は、ウィルディア・ブラッドフォールン。

 

 母──シャルティア・ブラッドフォールンの息女として、アンデッドモンスター・真祖(トゥルー・ヴァンパイア)(はら)より生を受けた、魔導王アインズの第一王女──姫殿下。

 男女を問わず魅了せしめる吸血鬼の甘美な色気。姫の纏う蠱惑の空気にあてられただけで性的絶頂を催すことになるだろう、至福の笑み。そんな表情を面に浮かべる異母妹に対し、同じ種類の「淫魔の美笑」をたたえる青年は、父と同じ肋骨の奥に秘された心臓を、わずかにも高鳴らせることはない。

 それをわかっていても、異母妹たる姫は瞳の紅玉と妖火を愛欲と情欲にたっぷり潤ませながら、異母兄たる王子に問いかける──

 

「本当によろしかったの、お兄様? 父上やマルコ姉様たちだけで、あの天使共の相手を?」

 

 ──背後から戯れるように抱きつき、椅子に座る異母兄(ユウゴ)の衣服──胸襟が大きく開かれた純白の普段着の下へ指を滑り込ませ、彼の心臓を護る、美しく麗しい胸骨の中心を撫でながら。

 ユウゴは柔らかく骨の指をつまんでみせた。

 

「こーら。駄目だよ、ウィル。時と場所を考えないと」

「もう。お兄様ったら。お父様に似て、相変わらずつれないのですね?」

「今は状況が状況だからね──“遊ぶ”のは、事が全て終わった後にしないと、父上たちに叱られるよ?」

「はーい」

 

 言われずともわかっています。そう微笑んで、アインズ・ウール・ゴウンの姫は珠のように美しい表情(かんばせ)のまま、兄から身を離す。室内にある最高級の椅子に歩み寄り、優雅な所作で腰を下ろすと、純白のロングスカートに包まれた長い足を組む。スリットから覗く太腿は肉感的だが、ピンヒールの足下は両手と同じ骨の異形を露にしていた。

 姫も十分に心得ている。

 父から与えられた「仕事」を疎かにしては、父や母に申し訳が立たない。

 王女は、父からの贈り物たる己の骨の指を愛おしそうに見つめ、慈しむように撫でる。

 兄への気持ち以上に心服し、尊敬し、聖愛すらしている、実の父(アインズ)と同じ形に、姫はまるで恋する乙女のように接吻を落とすのが癖であった。

 そんな妹のいつもの様子に微笑みつつ、ユウゴは自分の役割に努める。妹の先の問いに応える。

 

「僕らが不安がっても意味がない──父上たちであれば、きっと大丈夫だからね」

 

 仕事熱心な王子は手元の端末をいじり、父から送られてくる中継動画(ライブムービー)を室内の巨大な水晶板にスライド操作で投影。

 

「おおお!」

 

 室内で共に行動する同胞、大人形態に変身した二重の影(ドッペルゲンガー)・エルピスなどの「新星」戦闘メイドたち……ユリやルプスレギナたちの娘や、コキュートスの娘たち・ルチとフェル、デミウルゴスの娘・火蓮(カレン)死の騎士(デス・ナイト)を父に持つ娘たち混血種……ユウゴを隊長と仰ぐ『魔導王親衛隊』に属する、ナザリックの子どもらが歓声をあげる。

 

「あれが、我らが至高の君、アインズ・ウール・ゴウン様の“敵対者”」

「あは♪ 敵の数ッ、チョー少な! どう考えてもヤバイっしょ、これ!」

「しかも、おじい様──アインズ様たちと同じレベルのものは、プレイヤー(カワウソ)含めて13人だけ」

「…………連中、実はバカ? かも…………」

「それにしても、戦力差の概算もできないなんてことはないと思うけれど」

「とすると、何か『手』があると見て間違いないのかしら?」

「そう考えるのが自然でしょうね、カツァリダ。それに、連中はLv.100NPCが12人」

「ウチ一体は、ニグレド様の監視に気づきかけた上、ガルガンチュア様に軽微な損傷を与えた動像(ゴーレム)もいる」

「そして、ザフィリの御両親……ソリュシャン様と三吉様を死の天使(イズラ)から救命した死の支配者(オーバーロード)部隊──アインズ様の御直製を“抹殺”し尽した、あの堕天使……」

 

 全員が警戒と危惧を相貌に浮かべて当然の、ユグドラシルから渡り来た敵の姿。

 侵攻する天使の敵勢が、アンデッドの軍列を蹂躙すべく、鏃状の突撃隊形を形成していた。

 そんな秘戦を「鑑賞」することを許され──なれど「干渉」することを一切禁じられた者たちが、エモット城の上層階に詰めていた。親愛の限りを尽くす父母から、そして何よりも(とうと)(たっと)い御方・魔を導く王・アインズより、「完全避難」を命じられ──あるかどうかわからない他の敵を警戒し迎撃する任務に就くべく、エモット城の「北端部分」に位置するダンスホールじみた貴賓室で、その映像を視聴することを特別に許された事実を噛み締める。

 つまりこの場所は「南」──敵対者、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の侵攻地点──から「最も離れた区画」に位置する。アインズがそのような位置に子どもたちを据えた理由については、勿論ながら全員が了解できている。

 ユウゴは混血種の同胞をまとめる立場・『魔導王親衛隊』の隊長職を拝命する者以上に……ナザリック地下大墳墓に残留した父母や同胞たるNPCたち──そして最も愛する女性にして、将来を誓い合ったメイド(マルコ)の安否を気遣う男以上に…………魔導国という“大樹”を、この世界で唯一の絶対的統治を担う“大器”を、父たちから一時的に任されるという大命を帯びた王子(もの)として、その戦いの趨勢を、静かに見守り続ける。

 

「迎撃は予定通り、まずは“兄上”が作った中位アンデッド軍が投入されているね」

 

 魔導国・第一王太子──ユウゴの言う、兄。

 それは、アインズに直接創られた上位(グレーター)二重の影(ドッペルゲンガー)の拠点NPCに他ならない。

 パンドラズ・アクターは、ここにいるユウゴやウィルディアたちの、形式上の“兄”という立場にありながら、彼という存在についてはナザリック地下大墳墓に属するシモベたちにしか知悉されておらず、魔導国臣民で宝物殿の領域守護者である彼のことを知るものは、ごくごく限られた者のみとなっている。

 

 

 

 ユウゴたちは幼少期より、何かと父の政務や国務の代行を請け負う“兄”のことを、不思議に思っていた。

「どうして彼が魔導国の王太子の御位(みくらい)に就けないのか」

 父たちに比肩する叡智と力量を誇り、その変身能力と演技弁舌の妙によって、兄であるパンドラズ・アクター以外に、父たるアインズ・ウール・ゴウンの“代行”など不可能。聞いた話によると、アインズがこの世界に渡り来てすぐに構築した偽装身分(アンダーカバー)「漆黒の英雄・モモン」の代行すら完璧にこなしてみせたと。

 それほどの存在に自然と触れ合い、兄たる彼の聡明さと財政面における辣腕(らつわん)を見てきた弟妹(ていまい)たるユウゴたちは、自分たちの父が直接創造した彼という存在を、本気の本気で敬愛すらしている。

 にもかかわらず、アインズがパンドラズ・アクターを「自分の息子(のようなもの多分)」と公言していながら、彼は本来の姿──二重の影(ドッペルゲンガー)生来の形状──で、魔導国の公衆の面前に立ったことは、一度たりともなかった。

 それがあまりにも解せない。

 特にユウゴ──父アインズの後継としての期待を一身に浴びて生まれた王太子は、その重責を己の宿命(さだめ)として完全に受容し、今やナザリック内外問わず、魔導王陛下の嫡子たる者としての責務に生きるにふさわしい、能力と才覚と慈愛に溢れた英傑ぶりを発揮している。そんなユウゴだからこそ、敬愛する兄を思って「兄上(パンドラズ・アクター)こそが、父上の後継たる王太子の座に相応しいのではないでしょうか」と、幼年期に何度か訴えたことまであるのだが、その発言は父をさんざん悩ませるだけに終わり、結局パンドラズ・アクター本人や“義理の姉”たるナーベラル・ガンマからの説得や事情説明などを受けて、この件は深く追求することはなくなった。

 

 

 

 そんな“兄”の展開する軍勢を目にし、王子たちは率直な尊敬の眼差しで、告げる。

 

「やはり、我らが兄上の軍計は素晴らしいな。中位アンデッドだけの部隊で、召喚された格上の戦乙女たちに拮抗しつつある」

 

 無論。この平原にくまなく設置された、アンデッドにとって有利な戦況を生み出す各種アイテムが起動している状況も大いに関係していたが、それでも、父たるアインズのそれよりも些少劣化している軍団で、敵の召喚モンスターの部隊に敢闘し、善戦できている。

 

 ユウゴやウィルディアも、父たち同様にそれなりのアンデッド生産能力……“中位アンデッド作成”などの特殊技術(スキル)は保有しているが、混血種であるが故なのか、純粋な死の支配者(オーバーロード)と、その精巧な変身ではないがために、アインズの子どもたる混血種たちは、そこまで強力なアンデッドを創造できていない。それでも、魔導国の一般的な国政行事……都市駐屯用や警邏兵程度であれば十分な強さの者を日々生産できている。所用の為──父アインズからの密命遂行の為、ここにはいないユウゴとウィルディアの異母妹──魔王妃ニニャ殿下の息女も、それは同様であった。

 何故なら、ユウゴたちもまだまだ「成長途上」にあるからだ。

 ナザリック地下大墳墓の誇るパワーレベリングによって、他の混血種たちに比べて、Lv.100の存在同士の子であるユウゴとウィルディアは、父アインズたちと同じ段階にたどり着きつつある。

 だが、各種種族レベルや職業レベルに最大15という上限がある一方で、この異世界ではひょんなことから、まったく未知の職業レベルを獲得する事例も確認されている。

 この世界でのレベル数値獲得の実験も行ってきたアインズ達であったが、下手なレベリングを行うと微妙な職種を微妙な数値だけ獲得するなどのムラが生じることが判明しており、そのような事態を避けるためにも、ユウゴたちのレベリングは100年もの間にわたり、慎重の上に慎重を期して続けられてきたのだ。死亡以外でのレベルダウン方法が確立されていないため、我が子らを殺してまでリビルドさせるような真似を、優しいアインズは完全に拒絶していたのも大いに影響している。ユウゴ達混血種(ハーフ)の忠誠心は、(アインズ)に命じられれば自害することも(いと)わないという、親たるNPCの理念と通じる境地にまで達してはいたが、それでも、アインズは我が子たちを自殺させるような行動を「絶対厳禁」と定めている。

 

 それほどの愛情を注がれ育まれてきた王太子たちは、平原で行われる戦闘の光景を眺め、素直な感想を交換し始める。

 

「……けれど、お兄様。連中がLv.100であるならば、いかにお父様や大兄様たちの力で、アンデッド軍が強化されていると言っても、決定的な力量差は覆しようがないですわよね?」

 

 確かに。ユウゴは頷くしかない。

 中位アンデッドで強力な戦乙女の天使に拮抗出来ていても、その白い軍列に護られた敵の首魁の攻撃をとどめることができなければ、大局的にはナザリック側が不利と見える。

 だが。

 ユウゴは知っている。

 

「そこも、父上たちは織り込み済みなようだよ」

 

 レベルの差が開き過ぎている場合、数を頼みとした防衛戦には限界がある。

 それこそ、今回の天使たちと同じことをナザリックの階層守護者たちも「やれ」と命じられれば、中位アンデッドの軍団程度であれば、走破することは難しくはない。さすがに万単位のアンデッドを打ち破るのは苦労するだろうが、不可能ということはなかった。数量による暴力を、質実による暴力で打ち払えるのが、Lv.100という最頂点の力なのである。

 つまり、これは防衛戦の形をしてはいるが、その実態は、違う。

 

「この督戦(とくせん)で、敵である彼等の手の内を完全に『つまびらかにする』こと。そのためだけに、父上たちの召喚された中位アンデッド軍と、ナザリックの外で生み出された雑兵たちが導入されるのは、戦局的に見れば意義はある」

 

 アインズ・ウール・ゴウン……父(いわ)く、これは“実験”のひとつなのだ。

 ユウゴ達は寝物語や歴史の授業などで聞かされてきた。

 ナザリック地下大墳墓の始まり──至高の四十一人──ユグドラシルで起こった出来事──1500人による大規模侵攻──お隠れになった御方々──唯一、この地に残ってくれた、最後の創造主──そして、この異世界への転移現象。

 そうして、アインズ・ウール・ゴウンは、100年かけて営々と準備を続けてきた。

 その100年で生み出され続けた中位アンデッド軍──この平原を護る彼らが、Lv.100の存在に対してどれほどの戦功を“あげるのかあげられないのか”の「実地調査」という意義が、今回の戦いには含まれていた。

 

 敵は、僅か十数人のLv.100の存在たち。

 圧倒的にこちらの優勢下で事が進められると確信できる小勢。

 

 これを使わない手はない。

 父は本気で100年後に現れたプレイヤーなる存在を憐れみ、彼等と協力関係を結べるように便宜を図ったが──結果は、“敵対”という形に落着。天使という、アンデッドにとって相克関係に位置する勢力でもあったために、そういった属性相性の有利不利が、どれだけの大軍に通用するのかを調べる上でも、今回の実験には好適な敵軍たりえる。

 そして何より、

 

「連中がどれほどの戦力を──スキルを──世界級(ワールド)アイテムを所有しているのか」

 

 それを調べる上で、一日の上限数まで自由に生産可能な、補充がいくらでも利く類の軍を動員することは、ユウゴたち──アインズの子供らの判断からしても最適解に違いなかった。

 敵が圧倒的に不利だからこそ、敵は自らの性能を惜しげもなく披露してくれるはず……

 否、披露せざるを得ない。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)──首魁たる堕天使の名は、カワウソ。

 中継映像の中で、アンデッド軍から繰り出される斬撃や弓撃を疾駆によって(かわ)し、色とりどりの攻撃魔法の下を跋扈(ばっこ)して、アンデッドの雑兵を神聖武器で滅ぼしていく存在を眺めながら、弾け潰され始める敵軍の無様を見据え続けるユウゴたち。

 

 あの、カワウソが一度だけ使った特殊技術(スキル)

 

 堕天使が生産都市地下で発動してみせた、死の支配者(オーバーロード)部隊を最後に掃滅し一撃死させた能力。

 智謀において魔導国内の頂点に君臨する母や兄、大参謀たる悪魔は勿論、親愛なる父──アインズですら「まったく知らない」という、未知の特殊技術(スキル)

 

「状況は、あの時とほぼ同じ」

 

 おまけに、今回のこれは軍団規模。

 相手はたった三桁の勢力で挑戦するのがやっとであるのに、ナザリックの備えは万単位。文字通り桁が違った。

 いかに相性や彼我の実力差があろうとも、あれほどの数に蹂躙されては──おまけに、連中の得意分野たる神聖属性などを減衰される環境下(フィールド)では、十分な戦果を発揮し得ない。

 

「ん──地を掘る骸骨(アンダーテイカー・スケルトン)の陣地に入った」

 

 これでまた、天使軍の行軍速度は鈍化を余儀なくされる。

 地中に潜伏していた下位アンデッドの掌が大地より咲く草花のごとく沸き起こり、疾走する堕天使や戦乙女の足元に絡みつかんと、まるで地雷兵器の爆炎のごとく抱擁し、固縛していく。比較的性能の低い下位のアンデッドでは、あれだけの力を秘める天使モンスターに触れるだけでも浄化作用で死滅するものであるが、アンデッドに有利な平原の中(フィールド)で、しかも彼等にも十分な神聖属性対策を指輪などの装身具で施されている。おかげで、十分な妨害工作要員として機能していた。

 

「あそこは、死の弓兵(デス・アーチャー)部隊の射程距離圏内……これで終わりかしら?」

 

 十分な距離にまで進軍してきて敵勢を、正確に射殺(いころ)す弓兵たちが、漆黒の弩弓(バリスタ)を天へと注ぎ撃つ。大量の矢雨は弧を描き、黒い雨のごとく蒼穹を覆い、曇天よりも尚暗い影を大地に落とした。

 おまけに、死の騎士たちの突撃も加われば、天使軍に逃げ場などない。アンデッドたちに同士討ちを(いと)う必要性は絶無である。味方の放った黒鉄の鏃に身を穿(うが)たれようと、不死の存在は敵を掃討する意気を消失することなく特攻可能。まさに、最良にして最優の兵卒たちだ。

 白い軍列が、不死の黒い大津波に呑み込まれる……まさにその時。

 

 ──世界が閃光の白に染まった──

 

「あれは?」

「神聖属性のスキルだね」

 

 ユウゴは即座に理解し指摘する。

 光が閃く中心に、六枚の純白の翼を広げた女騎士──熾天使の姿を正確に捉える。

 

「確か彼女、ミカという名前だったね」

 

 兄が女の名前を呟いただけで不機嫌そうに眉を(しか)める異母妹に構わず、ユウゴはその光景を金色の火の瞳で見据え続ける。

 光が巨大な円球(ボール)状に展開されたことで、そのうちにあった黒い大軍は、瞬く間に光の中で(ほど)け、尽きていった。

 ユウゴは微かに嘆息する。期待していた、堕天使の仕業ではなかったのだ。

 彼の傍に仕え続けるがごとく飛行する女熾天使が、広範囲・全周囲──上空は勿論、地の底にまで広がる烈光を降り注がせただけ。

 死の騎士(デス・ナイト)死の弓兵(デス・アーチャー)は無論のこと、動死体(ゾンビ)地を掘る骸骨(アンダーテイカー・スケルトン)なども、肉片ひとつ残さずに浄化され尽した。

 

熾天使(セラフィム)のスキル……確か……“熾天の断罪”か」

 

 飛竜騎兵の領地──セーク族の聖域たる飛竜洞(ひりゅうどう)にて、カワウソが竜の群れを相手に振るってみせた神聖属性の攻撃スキル。それとほぼ同じ範囲にいるアンデッドたちが、神聖な光耀に触れた瞬間、嘘のように塵へと帰ったのだ。

 いかに「HP1で耐える」特殊能力を持つ死の騎士(デス・ナイト)であろうとも、あのスキルは連続攻撃に分類される神聖属性。しかも、熾天使という最上位天使が繰り出した攻撃である以上、中位アンデッドの手勢では拮抗することすら不可能なダメージ計算となる。死の騎士以外のアンデッドに至っては、耐え抜ける道理すらない。

 そしてそれを、アンデッドを指揮するユウゴたちの兄──宝物殿の領域守護者は心得ている。

 聖なる輝きが陣地をまばゆく照らした瞬間に、軍はその効果範囲から逃れ回避する行動に専念。無駄にやられる兵数を必要最低限に留めることに成功できるのは、指揮する創造者の卓越した判断力の業である。

 

 それでも、至近で光を浴びたアンデッドたち──概算して500体ほどが(つい)えた。

 

 平原にポッカリと空いた陣地に向けて、堕天使と白い軍団は疾走を続ける。

 あまりにも愚直。

 あまりにも短絡。

 そう評して当然の突撃行為が、彼等の唯一の戦術であるかのごとく。

 カワウソたちの単純な作戦を侮蔑し嘲弄する魔導王親衛隊の構成員たち──幼馴染たる混血種の乙女らとは対照的に、ユウゴは深い沈黙を保ち、一言。

 

「……おかしい」

 

 彼だけは、その戦場の光景に違和感を覚えていた。

 

「お兄様?」

 

 ウィルディアが怪訝(けげん)そうに(たず)ねる。

 

「なにか、気になることでも?」

「ああ──何故、ミカという熾天使(セラフィム)は──あの堕天使と、カワウソというプレイヤーと、“同じ範囲を浄化できた”?」

「それは、……あの女天使とやらが、熾天使(セラフィム)だからでは? カワウソとやらが使ったのと同じ“熾天の断罪”、それを使っただけでは?」

 

 あの女天使が常に放出している“希望のオーラ”、その“Ⅴ”というのは、熾天使の特徴たりえた。彼女は飛竜騎兵の領地でオーラによる蘇生を行使した場面も確認されており、確定情報としてナザリック内で周知徹底されていた。

 妹の当然の推測に兄は頷きながらも、それとは別の部分で引っ掛かりを覚えていた。

 率直に告げる。

 

「ここはアンデッドに有利な条件が揃えられた平原だよ。

 大気に満ちる“絶望のオーラ”。天使の攻撃を(さまた)げる各種アイテム。

 特に、神聖属性の攻撃などは著しく機能を減衰される条件がそろっている──なのに、何故、同じ範囲を、あれほどの威力で、あのスキルで焼き払うことができる?」

 

 王子の見定めた全周囲展開式のスキルは、ユウゴたちが動画データで閲覧した件の堕天使の戦闘光景とまったく遜色ない範囲に威力効果を発揮している。いや、ひょっとすると、それ以上かもしれない。

 だが、それでは計算が合わない。

 

「カワウソは熾天使のLv.5を犠牲(コスト)にして、堕天使Lv.15に到達した存在と、父上はご推測なさっていた……」

 

 その推測は事実であった。

 天使種族のレベルをプレイヤーが獲得する上で、上級天使に昇格するために必要な条件──既存の下級天使のレベルを消費することで、上位種への転生を可能にするシステム。分かりやすい例だと、天使(エンジェル)Lv.15を消費することで大天使(アークエンジェル)Lv.1を獲得。または、智天使(ケルビム)Lv.5を消費することで熾天使(セラフィム)Lv.1へと、段階的に「昇格」していくのが、天使種族プレイヤーの成長法則だ(拠点NPCとは違うシステムである)。

 そうして最頂点の熾天使Lv.5の他に、種族レベル用アイテムや様々な獲得条件をクリアすることで、天使長(エンジェルロード)天使将(エンジェルオフィサー)救世主(セイヴァー)救済者(メシア)菩薩(ボサツ)などを追加入手可能。

 そうして、入手できたそれらすべての天使種族レベルを(けが)して(おとし)めて「降格」した姿が、カワウソの取得した“堕天使”となる。

 堕天使最大Lv.15で入手可能なスキル“堕天の壊翼”を行使することで、一日に一度・時間制限付きで、それら元々の種族レベル分のスキルやステータスをカワウソが行使可能になることは、これまでの戦闘調査研究で判明している事実。カワウソが堕天使の最大スキルを現状において使わないのは、“温存”のためだと予想はつく。その他の配下に、不利な戦況でアンデッドの群れなす攻撃を打ち払わさせるのは、それ以外の処方がないためだとも。

 しかし、

 

「何故、あのフィールドで、創造主であろう堕天使なみの攻撃力を、あの熾天使は発揮できる?」

 

 彼女(ミカ)の武装の効果か。

 あるいは課金アイテムか。

 いや、ひょっとすると…………

 

「あの女天使……」

 

 王太子ユウゴは、顔の前で手指を伸ばしたまま組み合わせる。

 母の黄金と、父の火の輝煌をともす瞳を(すが)め、思い出す。

 彼等と、父の創った死の支配者(オーバーロード)部隊との、生産都市(アベリオン)地下での戦闘映像。

 賢者(ワイズマン)が殺された直後、無印の死の支配者(オーバーロード)が、同胞の将軍(ジェネラル)に、こう唱えていた。

 

  ──『あの女熾天使……アレは、強い』

  ──『あの女……ただの天使種族ではないぞ!』

 

 父が生み出した死の支配者(オーバーロード)──彼の紡いだ、あの時の言葉の本質を掴みかける。

 

「まさかとは思うが──」

 

 父たちから聞かされ教えられ、自らも図書館などで総覧できるユグドラシルの研究と見識を積み続けたユウゴは、沸き起こる予感に総毛立つ己を感じる。

 ありえない。

 ありえることではない。

 だが、それ以外の解答は得られそうに、ない。

 至急、連中のレベル構成を看破するように父へ上奏する……には、危険が多い。そういった情報系魔法へのカウンターが飛んでくる可能性を否定できないと、これまでさんざん警戒し続けてきた。

 それに、父アインズたちが、王子(ユウゴ)が思いついた程度のことを看破できないはずがないし、やはり別の解答──ミカの武装が極めて優秀な線も捨てがたい。

 

「うん……ただ……熾天使(セラフィム)“以上”の種族となると、それしか……」

 

 沈思する王太子の耳に、神聖な光輝が繰り出される音色が届く。

 ぱっと顔をあげる。

 天使軍を蹂躙せんと、再び、三度(みたび)──死の騎士(デス・ナイト)などの中位アンデッドが剣を交わし、行軍を妨害する下位アンデッドの戦団が戦乙女(ワルキューレ)の四肢に纏わり食らいつく。動きを止められた騎兵が突き出された槍衾に騎馬ごと貫かれ、数体がかりで羽交い絞めにされた歩兵が騎士の握るフランベルジュ数本に貫かれ、血の代わりに光を吐きこぼしながら、アンデッドを屠殺する乙女らは徐々に、そして確実に、その数を減らされていく。他にも召喚されていた天使や聖獣も、ギルド長やLv.100NPCを護る盾のごとく使われ、そうして消滅していく運命をたどる。

 そういった攻撃の魔手を、うるさい羽虫を焼き尽くすがごとく、あの女天使・ミカは掃滅していく。神聖属性攻撃は、同じ神聖属性や善なる存在を傷つけられない。天を舞う熾天使が繰り出す閃光が、確実にアンデッドたちだけを打ち据える特効能力を発揮していった。

 

 無論、彼女の他にも点在するLv.100NPCによって、十数体~百体規模のアンデッドが浄化され破砕され無へと帰るが、アンデッド軍の戦列の規模は、その程度の攻撃では刈り尽くせないほどに圧倒的。

 

 シスターの振るう鉄拳が死の騎士数十体を空間ごと圧壊させ、羊飼いの握る杖から神聖な輝きがこぼれる。黒翼の繰り出す鏃が骸骨の頭を十体ほど貫通し、白翼の吹き鳴らす角笛から生じる演奏が動死体(ゾンビ)の腐肉を塵へと帰す。機械の巨兵が振るう槌矛(メイス)でアンデッドの戦列は小石のごとく吹き飛び、武僧が投げた独鈷が雷樹のごとき軌跡を描いて軍団を焼灼。元気な少年兵が振るうビルのごとき巨杖が振り回され薙ぎ払われるだけで、まるで嵐の後のごとき暴虐を発揮していた。戦車の座天使に乗せられた魔術師が振るう杖から漏れる聖炎がエルダーリッチの魔法を打ち払い、翼の腕で祈り続ける少女の周囲で渇いた砂塵が渦を巻き始める。翠の髪の踊り子は戦車台の上で大鎚(ハンマー)と共に舞い踊りながら、自分たちを守護する精霊たちを召喚。そして、それら天使軍の行軍後を追撃し包囲しようと奔走するアンデッドの残兵たちを、小さな翼で巧みに飛行する赤子の天使が、その両腕に抱える黒々とした銃火器……六連砲身が旋回しながら大量の魔法弾薬を消耗し、砲火の閃光と轟音で一体残らず撃ち殺す殿軍(しんがり)役を務める。

 そして、それら全員を駆使し、確実にナザリックへと進軍を続ける堕天使・カワウソ。

 

 ──それでも。

 アンデッドは恐れることなく、敵の行く手を阻む盾を広げ、磨かれた剣と槍と斧と矢と杖を差し向ける。

 僚友の骨が砕け、戦友の腐肉が弾け飛び、己自身を浄め朽ちさせる光の奔流を浴びても、彼等はけっして恐れて後退などしない。

 アンデッドだから。

 

 大挙して押し寄せる黒い怒濤を、主人に命じられたミカが、白い光のスキルによって滅ぼし尽くす。

 

「これで四発目……次に発動すれば、“熾天の断罪”の一日の発動上限数に達しますわ」

 

 妹の言う通り、すでに熾天使のスキル上限数分を撃ち終わりかけている。

 その最後の一回を使えば、あとは蹂躙を待つだけのはず。

 

「あ、使った」

 

 数分も経たず、呆気なく使われてしまって、思わず拍子抜けすらしてしまう。

 まったく出し惜しむでもなく、熾天使の解き放つ光芒──攻撃スキルが戦場を白に染め上げる。集合する死体の巨人(ネクロスオーム・ジャイアント)がしゃ髑髏(ジャイアント・スケルトン)まで投入されては、やむなしといったところか。

 ユウゴは揶揄(やゆ)することなく、敵NPCの力量を事実として認識する。

 

「さすがは熾天使──父上たちが、最も警戒すべき種族のひとつということか」

 

 そうして、今ようやく、第一の防衛ラインを突破されたことになる。

 これで、パンドラズ・アクターの率いる第一防衛線のアンデッド軍、その展開布陣された者の半数以上が掃討された。大量のアンデッドたちは敵の繰り出す広範囲に渡るスキルや物理攻撃の連撃によって、まるで暴風雨か地殻変動にあてられたがごとき様相を呈している。彼ら中位モンスターは、集団でこそ意味がある。陣立てが損耗し空隙(くうげき)の生じた状態では、あの天使共を押し留める効力など発揮し得ない。第一防衛線の全部隊が体勢を立て直すには、それなりの時を消費せねばならない損壊ぶりであった……が、この程度は想定内の出来事。

 ──しかし、この時ふと、誰もが予想だにしない、想定外なことが起こった。

 

「まさか、本気で中央突破──を?」

 

 成し遂げるとは思っていなかった妹が、言葉を途切れさせるのも当然。

 

 第一のラインを突破されはしたが、まだ次の防衛線が残っている。

 熾天使の広範囲に及ぶスキルとLv.100の力量差によって、ようやくほんの一枚の戦線を乗り越えることができただけ。

 続く第二防衛ラインが待ち構えている上、第一で中央から分断された戦団が再編を終えてしまえば、そのまま連中に対する包囲陣は完成してしまうだろう。機動力のある騎兵による包囲戦術を使うまでもなく。

 怪しいのは、行軍の塊の中で比較的安全圏に控え、戦車の上に載せられながら進軍に随伴している三体だろうか。とくに、魔法詠唱者(マジックキャスター)の職種であれば、アインズやマーレのように広範囲を殲滅する魔法を行使することもありえる。魔力を出し惜しみしなければ、だが。

 

「他の天使たちに、彼女なみの広範囲殲滅スキルがあれば話は別だろうけ──ど……?」

 

 ユウゴは異母妹と同様、映像内の光景に困惑する。

 

「……あれ……は、どういうことだ?」

 

 王子の疑問する声は、おそらくこの光景を見る者──天使の澱以外の全員が懐いた言葉であった。

 天使の軍団が、整然と居並ぶ第二ラインのアンデッドたちの列を前にして、その編成を組み換えつつある。

 後方に控え、戦車に乗った仲間を護るがごとく密集し、側面と後方から襲い来るものを打ち払うように戦乙女(ワルキューレ)の残兵……およそ300~400の天使モンスターを布陣。

 ダムのごとく巨大な防壁には一点の蟻穴(ぎけつ)も穿てない行軍隊形。

 そして、その隊伍の内に、彼等の守るべき堕天使は、────組み込まれていない。

 

「ば、馬鹿な!」

「何を考えている?」

 

 カワウソは、襲い掛かり来る第二防衛線のアンデッド軍──死の騎士(デス・ナイト)死の騎兵(デス・キャバリエ)死の弓兵(デス・アーチャー)、騎馬のごとき魂喰らい(ソウルイーター)首無し馬(デュラハンホース)、空中に漂う蠢く疫病(リグル・ペスティレンス)上位死霊(ハイ・レイス)などの群れを目の前にして──

 

 ほぼ一人で突っ立っている。

 

 無論、その上空と背後には、ミカをはじめ彼のNPCたちが援護を飛ばせるように武器を構えているが、その距離は先ほど連携を続けていた乱戦時に比べ、明らかに離れすぎている。およそ二十メートルの空間が開かれていた。天使たちの能力であれば防御や強化などの魔法・スキルを飛ばすのには間に合う範囲だろうが、ここでそのように陣立てを組む意味とは。

 ありえない陣形である。

 総大将自らが先陣を、しかも単独で行くつもりか。軍事学の常識など、それら一切を無視している。ウィルディアをはじめ、親衛隊の皆も、愕然と堕天使たちの騎行ならぬ“奇行”に目を(みは)り、絶句するしかない。

 

「自決でもする気か…………いいや、違う」

 

 これは違うと速断する。

 ユウゴは、死の重騎兵団とも呼ぶべきものら──平原の園の先にある地を守護する横列に向かって、堕天使(カワウソ)が前へと進む姿を、見る。

 白い聖剣と黒い星球を両手に握り、たった一騎で──突撃。

 そんな主人に追いすがるがごとく、ミカたちも進軍を再開。

 堕天使の身に降り注ぐ天使たちの防御魔法や身体強化の力。

 

 

 

 その時だ。

 

 

 

 堕天使の頭上に、あの忌々しい『(10)』の文字が──

 死の支配者(オーバーロード)部隊を(ほふ)った──謎のスキルの前兆が現れたのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




死の弓兵(デス・アーチャー)などは、原作には登場していない、独自設定のアンデッドモンスターです。
また、
今回の話で【無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)世界級(ワールド)アイテム】と記述されておりますが、原作書籍五巻P112で「世界一つに匹敵する価値がある」とイビルアイに語られているだけで、確定情報ではありません。また、その性能についても伝聞にすぎず不明瞭なものですので、拙作のそれはあくまで独自設定と独自解釈であるということを、ご留意ください。


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復讐者

※この物語は、二次創作です。
 オリジナルの種族・職業・スキルなどが登場します。


/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.06

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時を僅かに(さかのぼ)る。

 

 ギルド長の号令と共に、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は突撃を開始。

 平原を黒々と染める戦列──ナザリックへと至る第一の防衛線を食い破りにかかる。

 中位アンデッドの大兵団の中心に、堕天使の率いるLv.100NPCと戦乙女(ワルキューレ)たちが突っ込んでいく。

 死の騎士(デス・ナイト)骸骨(スケルトン)の槍兵が、応戦するように突貫。

 堕天使の振るう神聖属性スキル“光輝の刃”が、負の存在たる連中を粉々に斬り砕いていった。

 

「カワウソ様を御守りせよ!」

 

 ミカの号令と共に、再び技後硬直を余儀なくされる堕天使に殺到する雑兵共を、ガブとウォフが殴り砕いて吹き飛ばす。

 彼女らの援護に構わず、カワウソは全く速度を抑えない。

 敵軍に空いた間隙を突くべく、疾走の姿勢を強固に保つ。

 一秒でも早く前進し、一秒でも多く距離を詰める。

 そのためには、前進あるのみ。

 

「よし」

 

 奔るカワウソは掌中の武器──白い刀身の全域に光輝が灯るのを確かめる。

 再び、周囲拡散型の攻撃“光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ”を繰り出す。

 だが、やはりカワウソが知っている通常のそれよりも、神聖属性の光は射程距離・効果範囲を減じられていると分かる。

 この平原は、ナザリック地下大墳墓を護る「戦域(フィールド)」だ。

 ならば、彼等にとって当然有利なエフェクトやアイテムが機能していても、まったく必然の措置でしかない。それ自体はすぐに納得を得られる。

 問題は、その状況への、的確な対応だ。

 ありとあらゆる「善」「悪」の属性値を無視させるなどの大魔法は、魔力消費が激しい。時間経過による自然回復魔力量で(まかな)える分を大幅に超えていた。それほどの魔法をこんな初期で使うのは得策でないことくらい、想像に難くない。

 だとすると有効な手段は。

 

「ガブ、ラファ、ウォフ、ナタ、タイシャ、前へ! 全員、殴打武器主体で戦え!」

 

 カワウソの号令に、殴打武器装備可能なNPCが武器を換装し、併用。戦乙女の歩兵らも、備え付けの鎚矛(メイス)をもう片方の手に取り出し、骸骨などの頭蓋を神聖属性つきの殴打攻撃で浄化。

 アンデッドのほとんどは、殴打攻撃への脆弱性を示すモンスター。例外は死霊(レイス)亡霊(ゴースト)などの非実体系統であるが、それらはとりあえず第一防衛線には存在を確認されていない。

 無論、連中もその程度の備えを用意してきているかもだが、すべての脆弱性を克服するというのは、ゲームの仕様上不可能なこと。

 それでも。Lv.100NPCは圧倒的なステータスの値で破砕してしまえる。死の騎士は、戦乙女の繰り出す殴打に数度ほど耐え抜いた。彼女たちのレベルもそれなりと考えるならば、死の騎士の特殊能力を考慮しても、たった二撃で決着はつくはず。あの、魔導国の紋章──ギルドサイン入りのマントなどに、殴打属性耐性を仕込んでいるという感じだろうか。

 カワウソは矢継ぎ早に指示を送る。

 

「ウリ! 炎属性魔法!」

 

 命じた瞬間、ウリは即座に魔法を詠唱する。

 

「我が裁きと劫滅の焔に伏して祈れ。〈聖炎の鎚撃(フレイム・ストライク)〉!」

 

『不必要な詠唱文を継ぎ足す』という設定どおりに魔法を杖から放出した、大天使(アークエンジェル)魔術師(メイジ)

 振り下ろされた杖の先から、天上の裁判官が振るうがごとき炎鎚が生じ、振るわれる杖と共に戦場を薙ぎ払う。

 戦車の座天使に乗車する彼が、突撃前に発動していた特殊技術(スキル)“炎属性攻撃力大強化”によって、たった一発分の魔法で魔法最強化(マキシマイズマジック)なみの範囲を焼却することになった魔法は、ウリの有する特性や装備によって、さらに広範囲を大火力で焼き払う手段に昇華されうる。

 おまけに、彼の足として機能する火を噴く戦車の形をした座天使の補助もあるので、抵抗突破も容易ときた。

 

「魔法攻撃は、どうやら有効……だが」

 

 しかし、それだとこちらの計画的には、痛手だ。

 まだナザリック内に踏み込んですらいないのに、魔力を消耗するような事態は避けねばならない。あるいはそれを狙って、意図的に魔法攻撃への防御対策を削ったか。

 ウリには、後衛部隊──“砂漠の風”を“砂漠の強風”に昇段させた巫女(マアト)と、補助の精霊を生み出せる踊り子(アプサラス)の護衛に専念させる。魔法の発動は自衛のためのものを、自然回復量で補える程度の消耗に抑えるように指定。

 その時、脳内に声が響く。

 

『こちらクピドだぁ!』

 

伝言(メッセージ)〉機能を有するアイテム──インカムを生やしたサングラスで目を覆う赤子の天使から、〈伝言(メッセージ)〉による交信が届く。

 

『御主人よぉ! ナタの火尖鎗(かせんそう)や、俺様の火炎放射器で一帯を焼き払うのは、どうだぁ?』

 

 後衛のさらに後ろ──殿軍(しんがり)を務めるクピドからの意見具申に、カワウソは首を横に振る。

 

「いいや。それらは使用回数が決まっている装備だ。こんな序盤で使うのは得策じゃあない」

 

 さらに言えば、それらを使ったとしても、せいぜいが十数体から百体のアンデッドを灰にする程度。これほどの暴威・数十万の軍を前にしてそれでは、あまりにも燃費が悪すぎる。第一、それらは対個人戦闘で威力を増幅する使い方を前提とした武装なため、ナタとクピドには広範囲を大量に、何よりも低コストで殲滅できる武装で戦わせた方が望ましい。

 

「作戦は予定通り。ナタは如意神珍鉄(にょいしんちんてつ)の巨大化で、クピドはミニガンの掃射で、アンデッドの軍団を吹き飛ばせ」

 

 如意神珍鉄の、振り回すことによる巨大化は、単純に効果範囲と威力を増幅させる基本機能。おまけに杖は殴打属性の武装である為、対アンデッドへの性能はピカイチときている。火尖鎗(かせんそう)を使うよりも広範囲を掃討できるのも強みだ。

 火炎放射器は、一回の使用で消費する魔法の“燃料タンク”が割と高額かつ素材もそれなりに貴重であるため、あまり大量にはストックできていない。なので、比較的安価で拠点内生産可能な“弾薬”の方が、まだコストは抑えられる計算となる。

『了解だぁ』の一言で、クピドとの繋がりは途切れる。

 カワウソは前進しながらも、こちらに突撃してくる死の騎士三体を左手の星球で舞い踊るように粉砕しつつ、右手に剣を持ったまま、上空を進む天使を呼ぶ。

 

「〈伝言(メッセージ)〉──ミカ」

『はい』

「進軍方向は、変わりないな?」

 

 なにぶん、敵の数が膨大すぎる。

 敵を破砕しながら蹂躙しながら進んではいるが、ふと、方向はこちらでいいのだろうかという疑念が付きまとう。カワウソたちは目印になるようなものが見えているわけではない。カワウソの装備する指輪の中には、目的地・目標物への進行方向を指し示す魔法のそれがあるが、この平原では使えないようだ。探索役として優秀なマアトは、現在後衛に下がっている上、“砂漠の風”系統スキル発動中、彼女は魔法が使えないので、いちいち確認させることもままならない。

 なので観測手役は、NPCのなかでもズバ抜けた実力を誇る隊長──指揮官系統職も有している、上空を飛び続けるミカに頼むしかない。そんなミカを打ち落とそうと矢雨や魔法が打ちかけられるが、彼女の回避や防御で、その六枚羽根には傷ひとつ通らないのに加え、空からの“光輝の刃Ⅳ”や〈聖なる極撃(ホーリースマイト)〉で逆襲されるだけの結果しか生じていない。

 ミカは声のみで冷然と告げる。

 

『そのまま直進してください。方向修正時は、こ ち ら か ら、適時連絡をしやがりますので。……カワウソ様は目の前の敵に集中しやがってください』

「ああ。頼んだ。──それと、そろそろ“断罪”を使ってもらう。これ以上、敵の包囲が増したら、行軍どころの話じゃないからな」

『──了解』

 

 ミカとの連絡を断ち切る。

 カワウソは襲い掛かる敵軍を相手に神聖属性攻撃やスキルで打ち払い、その都度襲われる技後硬直のスキを、他のLv.100NPCとの絶妙な連携で、どうにかこうにか繋いでもらいながら、なんとか進撃を続けてきた。が──さすがに、相手の量が過剰に過ぎた。

 回避行動で前転や宙返りを繰り返すと、どちらが進むべき方角なのか、簡単に見失ってしまうほどの、大群にして大軍の只中にある。どこを見ても同じアンデッドの葬列が雁首ならべてカワウソ達に猛進してくる光景では無理もない。まるで無限に押し寄せてくる黒波を懸命に蹴とばして押し留めようとする作業にも思えて、地味にキツい。何よりNPCたちは乱戦によって、多少ながらダメージヒットを被りつつある。彼等の性能なら今すぐどうなるわけでもないだろうが、ナザリックから立ち上っているらしい黒いオーラが、ここいるアンデッドの攻撃に強化(バフ)を施し、天使の肉体へ負荷(デバフ)をかけ続けているという戦況──

 この状況を打開するには、ひといきにこの軍団を掃除する手段に訴えるしか、ない。

 カワウソはすでに〈指輪の戦乙女たち(ニーベルング・Ⅰ)〉で超位魔法一発を発動しており、リキャストタイム終了まで次の超位魔法は打てない。魔力や回数制限付きスキルは温存せねばならないため──この状況をどうにかできる手は限られてくる。

 NPCたちの中で、対アンデッドに長じている女熾天使──ミカの特殊技術(スキル)

 地を掘る骸骨(アンダーテイカー・スケルトン)の妨害や、死の弓兵(デス・アーチャー)などの加勢が加わったのを見計らい、カワウソは吼える。

 

「──とまれ!」

 

 堕天使の号令を理解した途端、NPCたち全員がその場で足を止める。召喚モンスターも召喚主の意志に従って行動。

 敵が罠へと一体でも多く入り込むタイミングで、“熾天の断罪”が文字通りの「光速」で、戦野を白く染め上げた。

 カワウソの目前で振り下ろされたフランベルジュがボロクズのように(ほつ)れ、よくできた砂像が水を浴びて崩れるよりも速く、その暗黒の形状を閃光の中で崩壊させていく。

 

「すすめ!」

 

 無人となった平原の緑野を突き進む。

 勢い込んで殺到する天使の澱は、熾天使のスキルであけられた穴を埋めようと、猛進。そこへ、敵のアンデッド軍がほぼ全方位から雪崩(なだ)れ込んでくる様相を呈していた。

 カワウソは効きにくいとわかっていても、聖騎士の攻撃スキルを聖剣に通す。

 

 聖騎士(ホーリーナイト)の基本的な攻撃スキル“光輝の刃(シャイン・エッジ)”……悪属性への威力増幅効果を有する聖なる攻撃は、基本回数としては「無限」に発動できる特殊技術(スキル)である。が、その直後には一秒程度の肉体停止時間と、最大九秒程度の次発装填……つまり、同じスキルを放つまでに必要な冷却時間を必須とする“弱点”が存在している(プラスして、善・中立属性にはそこまで有効な攻撃手段たり得ないので、基本的にはアンデッドや悪魔への特効攻撃にしか使えない)。その冷却時間は“Ⅰ”であれば握る武装を輝かせる程度で発動可能。最大である“Ⅴ”になると、まばゆいばかりの光輝を発するようになるという、実にゲームらしい仕様で判別できる。

 さらに言うと。人間種など普通に状態異常へ罹患する存在は、使えば使うほど「疲労」を蓄積していくため、疲労対策も講じておくのは常識。ちなみに、カワウソは耳……装備部位としては顔面に装備している“維持する耳飾り(イヤリング・オブ・サステナンス)”で、ある程度は疲労を抑えることが可能になっている。

 

 この攻撃スキル以上の代物は、軒並み一日の上限回数が設定されている。この平原で使いきってしまっては意味がない。ミカの使う“熾天の断罪”についても同様であるが、彼女が“断罪”をここで使い切っても問題ないとカワウソは判断している。そのように判断して当然な“理由”を、ミカは与えられているのだ。

 今のこれは、カワウソ達にとっては前哨戦に過ぎない。余力を残してナザリックにたどり着けなければ、おそらくどうしようもなくなるだろう。

 

(この世界級(ワールド)アイテム──)

 

 カワウソは頭上に装備されている──装備せざるを得ない、呪われた赤黒い円環を意識してしまう。

 これを使えば、この前哨戦をクリアすることは簡単だろう。

 ──だが、まだだ。

 まだ使っていいタイミングとは言えない。

 状況がどれほどに不利だとわかっていても、カワウソは簡単にこれを使う気が起きなかった。

 しかし、この異世界でなら。

 

「おっと」

 

 かつてユグドラシルでこれを使ったときのことを思い出す内に、敵への迎撃が(おろそ)かになりかける。

 輝く光の攻撃の中を、効果時間中にもかかわらず猛進してきた者──与えられた装備類で完全完璧に神聖属性を無効化してきた隊長騎らしき騎士が、特攻。そんなアンデッドを、カワウソは黒い足甲の回し蹴りで砕いて踏み越える。トドメは後続していた戦乙女の騎兵列が轢殺するのに任せた。

 

 カワウソの予想に反して、天使の澱の快進撃が続く。

 予期していた“最悪の布陣”──最大Lv.90台になる上位アンデッドの大群や、墳墓の拠点内にいるはずの高レベルモンスターが、一騎一体も姿を現さない。

 大陸にて君臨する「六大君主」──階層守護者であるLv.100NPCとも、会敵していない。

 何故だ?

 力の温存か?

 それとも別の切り札が?

 もしくは、魔導王や守護者たちは出払っている?

 深く考えても答えは得られない。カワウソたちは、ただ進むしかないのだ。

 前へ。前へ。ただひたすらに──前へ。

 あの第八階層を目指し、前進あるのみ。

 

 その間にも、ミカ、イスラ、ウォフたち指揮官職NPCの的確な指示がとぶ。

 

戦乙女(ワルキューレ)騎兵隊、突撃。弓兵隊、援護射撃」

「────タイシャ、ナタ、突出しすぎ。皆と足並みをそろえて」

威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)三体同時召喚ー。〈聖なる極撃(ホーリースマイト)〉を放てー」

戦乙女(ワルキューレ)聖術団、〈聖なる光線(ホーリーレイ)〉一斉射」

「────一角獣(ユニコーン)鳳凰(ほうおう)。ガブとラファの盾を」

「うーんー。強化してもやっぱり三発までしか打てないかー。三体ともー、おつかれー」

 

 ウォフによって作成された、王笏を握る威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)が、通常召喚時間よりも早い消滅を余儀なくされていた。

 三体が繰り出す三本の光の柱じみた魔法が三発ほど戦場に降り注いだが、何せ主天使(ドミニオン)程度の火力と耐久力では、このフィールドで運用し続けるのは難しい。一日の天使作成スキル回数を浪費するだけに終わる。ただでさえ過剰な絶望のオーラに支配されているらしい(堕天使はオーラを視認できない)環境下では、生半可なモンスターでは弱体化を免れない。そこへ敵の魔法使い(エルダーリッチ)弓兵(アーチャー)による集中射撃を受ければ、どんなに良くても数発の魔法を撃つのが限界となっている。いかにウォフの職種・召喚師(サモナー)が誇る強化を施しても、それに勝る規模での弱体化と雑兵の手数には、辟易(へきえき)するしかない。

 指揮官たるNPCたちは嘆息を吐き漏らした。

 

「チッ。次から次へと」

「────まだまだ、先は長いよ」

「もっと前へ率先して出た方がいいかなー?」

 

 戦乙女らの獅子奮迅の猛攻と犠牲によって、天使の澱は一定の陣を布くことができている。

 四方から襲い掛かる敵を掃滅する手段を無数に持つLv.100NPCであるが、そのほとんどは回数制限付きや、魔力の消費を大前提としたものばかり。基本的に、雑兵たちの足を止めさせ、カワウソの前進を援護できているのは、彼が召喚した戦乙女らの騎行によるところもある。

 数を頼みとしている戦乙女たちは、カワウソやミカ、イスラやウォフの保有する指揮官系“自軍強化”スキルや、クピドの「格納庫」より無数に貸し与えられる配給品類の効能によって、戦乙女部隊500騎すべてが、かなり大幅な増強効果を施されている。下位や中位アンデッドの群れに後れを取ることは、ほぼない。

 ないのだが──

 

「本当に、……多すぎる」

 

 カワウソがぼやくのも無理はない。

 概算して万単位にも及ぶアンデッドの群れが、天使隊と戦乙女の軍勢を飲み込む津波のように押し寄せてきている。500対「数十万」──その差は歴然としすぎている。

 カワウソたちは攻撃を繰り出し、適時において防御し、魔法や特殊技術で広範囲に犇めくアンデッドの暗黒に染まる怒濤の暴力に風穴を開け続ける。

 ミカの光輝く剣で掃滅され、

 ガブの鉄拳で吹き飛ばされ、

 ラファの樹杖で浄め滅ぼされ、

 ウリの範囲爆撃で焼き払われ、

 イズラの鋼線で胴体や首を断たれ、

 イスラの聖獣で貫き殺され吞み込まれ、

 ウォフの槌矛で突貫した集団は打ち返され、

 タイシャの雷撃で木っ端のごとく黒焦げにされ、

 ナタの剣の群れで貫かれ薙ぎ払われ蹂躙にさらされ、

 マアトの砂塵で前後不覚に陥る瞬間に砂塵へと変換され、

 アプサラスの鍛冶錬鉄用大鎚で下にある地盤ごと砕き折られ、

 クピドの握った銃火器の砲火で破壊され暴虐され撃滅され殲滅され、

 

 ──しかし、それでも、アンデッドは次から次へと攻め寄せる。

 

「キリがない」

 

 走っては攻撃し、また走りながら呟くカワウソに、傍らで世界樹の槌矛(メイス・オブ・ユグドラシル)を振るう天使が頷く。

 

「こちらの消耗は、僅かもありませんがー?」

 

 旧ギルドの副長が握っていた武器を携えながら告げるウォフに対し、カワウソは首を振る。

 

「これじゃあ、本気で……日が暮れちまうな」

 

 行軍速度は目に見えて減退の一途を辿っている。

 これは仕方ない。連中は四方八方、全周囲全空域──さらには地下空間から、何も恐れることなく突貫してくるのだ。召喚モンスターである戦乙女たちも死や消滅への恐怖など存在しない様子なのは一緒だが、何しろ数の差が圧倒的すぎる。いくらこちらが強さ(レベル)で優位に立とうとも、繰り出される攻撃のすべてを払い除けることは不可能。間断なく攻め寄せるアンデッドの群れは脅威そのものだ。たとえば毎秒、僅か10ダメージ分の攻撃しか通らないと仮定しても、それが100や1000や10000ほど積み重なれば、余裕で体力の底が見えるというもの。事実、戦乙女(ワルキューレ)たちは確実に落伍者が生じていた。

 

 なるべくなら、魔力(MP)を消耗する魔法や、一日の上限回数がある特殊技術(スキル)は使いたくない。

 だが、しかし、これでは(らち)が明かない。

 

「“幻影の拳(ファントム・フィスト)”!」

「〈上位(グレーター)善の波動(ホーリーオーラ)〉」

「我が太陽の涙と、暁の野花に接吻せよ。〈大爆撃(グレーター・エクスプロード)〉!」

「“足吊り”、“手吊り”、“首吊り”」

「────〈全体(マス)軽傷治癒(ライトヒーリング)〉」

「“破軍の征服者(コンクエスター・オブ・デストロイ)”ー」

「“雷精霊召喚”」

「はは!! “剣の舞”!!」

「さ……“砂漠の烈風”」

「効果限界時間ね──もう一度、〈鍛冶師の祝福(ブレス・オブ・スミス)〉♪」

「ちぃ。弾切れかぁ。“二番格納庫”開放ぉ」

 

 戦局は、逼迫(ひっぱく)するという程度ではない。

 だが、この次に待ち受けるものを考えると、焦りが堕天使の額を濡らし始める。

 

「ミカ。作戦を次の展開に──とりあえず、今の包囲を突破する」

『了解』

 

 軍総司令官(コンスタブル)の職を有する熾天使は頷き、アンデッド共を掃滅するべく躍進。

 六翼で蒼穹を翔ける女天使は、射程と威力の落ちた聖騎士のスキル“光輝の刃”ではなく、“熾天の断罪”を撃ち尽くす。

 あの広範囲に及ぶ特殊技術(スキル)は、天使種族のそれであり、彼女は“とある種族”の特性によって、天使種族スキルを強化した状態で展開・使用することを可能にしている。いかにここがアンデッドたちに有利なフィールドだろうとお構いなしに、もともとの効果範囲を焼き払うことは造作もなく行えるのだ。

 そうして、解放された行軍路をカワウソ達は勇躍。

 左右から攻め寄せる残敵をナタとタイシャが広範囲を薙ぎ払うアイテム──“如意神珍鉄”と“インドラの独鈷(どっこ)”を展開して寄せ付けず、打ちもらしは他のNPCや戦乙女たちに狩り尽くされる。

 

「よし」

 

 カワウソは安堵感から武器を握る力を緩める。

 緊張しっぱなしだった心臓の鼓動を、わずかながらに鎮めた。

 敵の追撃は途絶え、アンデッドたちは見る間に天使の軍勢から離脱していく。

 だが、それは恐怖からの逃散ではない。あくまで軍事展開上での一時的な後退──崩壊した戦線と部隊を再編するために必要な軍事行動の一環に過ぎないと、天空からカワウソの傍に降り立った熾天使・ミカが教えてくれる。

 

「急がれた方がいいでしょう。連中が編成を終えれば、確実に我等を背後から包囲する軍団となります」

「ああ」

 

 カワウソ達の見据える先には、二つ目の防衛線が見て取れる。

 漆黒の葬列は、重騎兵とも言うべきアンデッドを主体とした陣容である。

 黒い一角獣に跨る死の騎兵(デス・キャバリエ)の他に、魂喰らい(ソウルイーター)に騎乗する死の騎士(デス・ナイト)首無し馬(デュラハンホース)を乗りこなす死の弓兵(デス・アーチャー)。他にも騎兵の補助として配置された骸骨(スケルトン)たちが槍と剣を携えていた。地上だけではなく、伝染病として「病気(ディシーズ)」の状態異常を振り撒く蠢く疫病(リグル・ペスティレンス)や、三つの影の混じり合う姿を見たものに「恐怖(フィアー)」をもたらす上位死霊(ハイレイス)などが群れをなし、空中を濃霧のように漂っていた。おそらく、先ほどの地を掘る骸骨(アンダーテイカー・スケルトン)と同様、地下にも何か潜んでいるとみて間違いない。さて、何が出てくるのやら。

 

「ミカ、陣立てを」

「布陣完了しております」

 

 驚いて振り返れば、作戦通りの行軍隊形をとったNPCたちが微笑んでいた。

 一秒でも時間が惜しい状態で、ミカたちは入念に整えておいた作戦工程通りに事を運んでくれる。

 カワウソは笑みをこぼすしかない。

 

「ありがとな。じゃあ、ここは“俺一人”でやる」

「…………くれぐれも用心してください。我々も、可能な限りの支援を行いますが」

 

 多くを言わせることなく、カワウソは一人きり、前へと進む。

 一分一秒も時間が惜しい──せっかくミカたちNPCが作ってくれた時間的猶予を、おしゃべりに興じて潰すのは不誠実に思えた。

 ミカが追いすがるように声をかける気配がしたが、それも六翼の羽ばたきに変わる。

 

「さて」

 

 手頃な位置で歩みを止めたカワウソは、深呼吸をひとつ。

 震える気道に肺を満たす酸素が殺到する。吸って吐いてを三回ほど繰り返す。最後の一回だけ、強く大きく行う。体の底にある燃料が燃え滾るような熱量を生む。

 心の中で「よし」と頷く。

 瞬間、右手の聖剣と左手の星球を強く握り、──また、突撃。

 堕天使の黒く輝く足甲が、魔獣よりも早い疾走を可能にしてくれる。

 見る間に迫ってくる漆黒の騎兵集団が、応じるように突っ込んできた。

 カワウソは──ほくそ笑む。

 射かけられる弩や、何処からか降り注ぐ火球と雷撃と氷柱の雨をかいくぐり、前進。

 

「“復讐者(アベンジャー)”スキル──」

 

 向こうから寄せて来てくれる分、こちらは発動条件を整える時間を短縮できる上、敵はあろうことか騎兵スタイル。つまり、ひとつところに、二体の敵が重なっているということ。

 これを利用しない手はない。

 

 

「“OVER(オーバー) LIMIT(リミット)”」

 

 

 特殊技術(スキル)を発動した堕天使の赤黒い円環の上に、イズラ救命の時に実験していた特殊技術(スキル)兆候(エフェクト)──ローマ数字の『(10)』──が、火のように、血のように、赤く紅く、灯る。

 

 

 

 

 

 カワウソの保有する──異世界に転移した後は消えたように見える──ギルド崩壊経験者が戴く『敗者の烙印』というもの。

 その烙印を持つプレイヤーが、『とある条件』を満たすことで取得する職業(クラス)──“復讐者(アベンジャー)”。

 

 ……『敗者の烙印』由来の特殊クラス──“復讐者(アベンジャー)”の取得条件。

 

 一、ギルド崩壊の証『敗者の烙印』を押されていること。

 二、種族レベルを一定数、新たに獲得すること。

  (例:人間→異形種、悪魔→上位悪魔、熾天使→堕天使など)

 三、その状態で、“『敗者の烙印』を押されることになった土地(エリア)や施設”に、規定回数以上戦闘へ赴く=「復讐へ何度もいく」こと(カワウソの場合、グレンデラ沼地・ナザリック地下大墳墓への挑戦が該当)。

 

 ──つまり、この復讐者のレベルという代物は、ゲームではありえないような行為・ゲーム内での「復讐行為」というロールプレイを達成したプレイヤーに授与されるものであるということ。

 れっきとした敗北者の証を押されながらゲームを続け、復讐の意志を遂行するために必要な転生・レベルアップを行い、あまつさえ、幾度も同じ土地や施設──カワウソが挑んだ、難攻不落をもって鳴るギルド拠点に戦いを挑み続けるというプレイスタイルは、ほとんどのプレイヤーには理解しがたい蛮行でしかない。そんなことに貴重な時間と労力とアイテムなどを消費するくらいであれば、不名誉でウザったい『敗者の烙印』を消去し、仲間や友人たちと他のイベントやクエストに挑んだりした方が、まだ健全的かつ遊興的な行動だと判断できて当然である。

 なので。この復讐者のプレイスタイルは、ユグドラシルの歴史上、ひとりのプレイヤーしか続けることができなかった奇行に他ならない。『敗者の烙印』を押されるプレイヤーは数多くいても、その状態で人間から面倒の多い異形種に転生したり、ひとつの“敵”に向かって驀進し続けるような行為が、特殊な職業レベル獲得に必要だと、いったい誰に予測できるものであろうか。そんな野蛮なプレイスタイルを遂行することよりも、尚多くの未知が眠るゲーム世界へ探求の手を伸ばすことを優先して然るべきと、誰だって簡単に理解できる。敵対者への報復など、せいぜい一度か二度ほど挑む程度。実力差がある敵に何十回も挑み続けるような執念を燃やしてまでゲームにのめり込むなど、余裕で狂人の域に達しているといえる。

 

 だからこそ。

 カワウソは、あのユグドラシルで、おそらくただ一人の“復讐者”と成り果てた。

 復讐者のみが信仰することを許される神「復讐の女神(ネメシス)」への隷属を可能にした。

 

 そして、復讐者の職業(クラス)スキルの数は、最大レベル15に至るまでに、ただ四つのみ。

 カワウソは、この内の二つを取得している。

 その二つの内の、ひとつ。

 Lv.5で取得した、復讐者の第二特殊技術(スキル)を──発動。

 

 その特殊技術(スキル)の名は“OVER(オーバー) LIMIT(リミット)”。

 

 瞬間、カワウソの頭上の空間に、ローマ数字のⅩ──10カウントを示すエフェクトが現れた。

 

 

 

 

 

『オオオァァァアアアアアアア──!』

「──くはッ!!」

 

 堕天使は(わら)う。

 最前を(はし)り咆哮を奏でる騎手に跳びかかる復讐者(カワウソ)は、両手にある神聖属性武器──聖剣と星球で、アンデッドを一体一体、斬り殺して砕き滅ぼす。死の騎士(デス・ナイト)の頭蓋を黒色金剛石(ブラックダイヤモンド)の星球を浴びせて兜ごと弾き潰し、ついで魂喰らい(ソウルイーター)の騎首を神器級(ゴッズ)装備の刃でギロチンのごとく両断してみせる。

 HP1を残す頭のない騎士を、続けざまに星球の二撃目でブッ飛ばした。

 

 すると、Ⅹ……10カウントが(09)(08)と、徐々に減っていく。

 

 頭上のカウントは、スキル発動に必要な条件──「犠牲(いけにえ)の数」に他ならない。

 

 続く死の騎兵(デス・キャバリエ)突撃(チャージ)を黒い足甲で騎馬ごと蹴り砕いて、馬の首に武装が当たることを気にせずに矢を装填し射撃可能なスタイルをあらわす死の弓兵(デス・アーチャー)首無し馬(デュラハンホース)の弓騎兵を打擲し割断していく。

 

 (07)(06)(05)──

 

 雑魚アンデッドを、魔法や特殊技術(スキル)によらない、カワウソの直接攻撃で屠り続ける。

 物理攻撃が通用しない非実体の相手は、回避一択。ゲームで馴染んだ戦闘を思い出すたびに、笑い続けるカワウソの五体は十分な戦闘行動を可能にしていた。背後や上空に控えるミカたちNPCのバックアップ──遠距離支援射撃や強化の魔法によって、天使の澱のギルド長は、完全に護られている。

 

 (04)(03)(02)──

 

 そうして、最後のカウント──(01)──が、骸骨の槍兵を貫き抉り殺すと同時に、消滅……

 

 

 

 

 

 瞬間──世界が、鮮血の赤に、染まる。

 

 カワウソという復讐者の周囲にいた五十体のアンデッドモンスターの軍勢が、彼等にはありえないはずの生命の色──“血しぶき”をあげて、一斉に倒れ伏していた。

 

 

 

 

 

 そうして──

 

「次」

 

 呟く堕天使の頭上に、再び“OVER LIMIT”の──「Ⅹ」の一文字が浮かび上がる。

 

 復讐者は止まらない。

 復讐者は一路、ナザリック地下大墳墓──第八階層“荒野”を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 以前、第五章の「敵対 -4」のあとがきでもお伝えしましたが、

 本作『天使の澱』はWeb版「設定」で語られる“敗者の烙印が無ければなれないクラス”が登場しております。それに伴い、“烙印の形は「×印」”“獲得にはさらに特殊条件”“獲得するクラスの名は「復讐者(アベンジャー)」”“職業由来の種族レベル”などを独自設定・独自解釈として組み込んでおります。

 これらの設定は、原作とは著しく異なる可能性がございますので、あしからず。





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降臨

/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.07

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「……ふむ」

 

 アインズは眼球のない眼窩、その奥にある火の瞳を瞠目させる。

 それほどの光景が、そうさせるに足りる驚愕が、彼の存在しない脳髄に刻まれたのだ。

 

「あれは、生産都市地下で、ソリュシャンたちが撮影してくれていた、あの特殊技術(スキル)で、ほぼ確定的だな」

 

 驚くべきことだが。

 不死身のはずのアンデッドたちが、朽ちかけながら動く死者たちが、血など全く通っていないモンスターの群れが、瞬きの内に鮮血を吹き出し(・・・・・・・)、細切れに斬り刻まれた。数にして一度に50のアンデッドが死んだ(・・・)

 即死耐性を備えているはずの(・・・・・・・・・・・・・)不死体であるアンデッドが(・・・・・・・・・・・・)、“即死”。

 堕天使の周囲一帯の領域にあった者すべてが、動力源を失った機械のように壊れ、滅んだ。

 堕天使は起こった現象に躊躇し逡巡することもなく、前進。

 遅れて天使たちが草原に散る鮮血と死骸を踏み超え、勇躍。

 

「生産都市の映像でも見たが、何らかの……範囲攻撃系の特殊技術(スキル)、か? ツアーが言っていた世界級(ワールド)アイテム──頭上の円環の効果……ではないな。あの円環には、特に変化がないからな……」

 

 世界級(ワールド)アイテムの発動ではないということか。

 というか、あの鮮血は、いったい?

 吸血鬼の“鮮血の貯蔵庫(ブラッド・プール)”などとは勝手が違う。

 特殊技術(スキル)のエフェクトにしても、少々派手すぎる。

 生産都市地下に残された大量のそれを採取・研究した限り、何らかの“血”であることは確実だが、何の血なのかは未だに不明である。

 あんな現象がゲームで、ユグドラシルで確認された情報は、アインズの知る限り……つまり、ナザリック地下大墳墓の情報量をもってしても、「骸骨系や非実体系アンデッドを、流血させながら殺すスキル」など、ありえない。

 

「アインズ様」

 

 危惧の色を双眸の黄金に宿す最王妃が、意見具申の許可を求める。

 

「どうした、アルベド」

「はい。あの堕天使は危険です。我々の想定以上に」

「うむ。だが」

「即死耐性を種族特性によって獲得している御身のアンデッドを、一撃のスキルで抹殺し尽くす力など」

「──この“俺”(アインズ・ウール・ゴウン)ですら、即死されるかもしれないと?」

 

 アルベドの警戒は当然極まる。

 なので、妻たる最王妃は臆することなく、そんな可能性を確実に完全に消滅させるだろう戦力投入を申し立てる。

 

「第八階層の“あれら”をあげて、即時、あの堕天使を殺戮すべきかと」

 

 見渡せば、他の王妃や守護者、戦闘メイド(プレアデス)にしても、アインズが展開した第二防衛線の重騎兵団を掃滅した堕天使への憤懣と憎悪“以上”に、アンデッドを一撃死した(カワウソ)への警戒心と苛虐心を懐いていた。

 アインズ以外の誰もが思っているようだ。

 ──もはや、アレが生きているだけでも不快極まる。

 アインズの製造したアンデッドを殺し屠る不遜なプレイヤーの息の根を、可能であれば自らの手で……そういう覚悟がピリピリと玉座の間の空気を張り詰めさせていた。

 

「案ずるな、おまえたち」アインズ・ウール・ゴウンは悠々と、玉座に腰かけたまま、微笑む。「この“私”、アインズ・ウール・ゴウンに敗北はない」

 

 常日頃から皆へ言い聞かせている、矜持に満ち満ちた言の葉。

 ユグドラシルの、1500人全滅という“伝説”のみならず、100年の長きに渡って、勝利者として、支配者として、絶対者として、この名は大陸世界に轟き続けてきた“実績”を誇っている。

 アインズは歌うように言い聞かせる。

 

「まぁ。確かに警戒に値する即死スキルであるようだが、所詮は50体のモンスターを殲滅させただけ。あの大軍に対して、そこまでの実行力は──」

 

 言いかけた言葉を、アインズは呑みこんだ。

 カワウソの発動してみせた特殊技術(スキル)は、あれだけの範囲に効果を及ぼした以上、冷却時間(リキャストタイム)も相応に要求されるものと推測。あれが、アインズの誇る切り札、エクリプスの職業のごとき特殊なレベルによるものであったりすれば、それ相応の弱点は存在しているもの。ユグドラシルではそういったバランス調整は必須と言えた。なので、しばらくは警戒する必要はないと思えた。後陣に下がらせていた天使隊は、同士討ちの巻き添えを恐れたが故の布陣だったようだ。再び、天使隊に護られながら前進するのを、アンデッド軍で消耗させ続ければよいだけ──そう思考していた。

 だが、新たな重騎兵団へ飛び込む堕天使の姿に、アインズは絶句する。

 

「……そんな、まさか──」

 

 走るカワウソの赤黒い円環の上。そこには先ほどと同じ「(10)」の徴候(しるし)が、浮かび上がっていた。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 復讐者の第二特殊技術(スキル)──“OVER LIMIT”。

 このスキルの再使用にかかるまでの時間は、確かに設定されていたが、それはたった“一秒”程度。

 しかも、カワウソは技後硬直すらない。

 躍進を続ける堕天使は、鮮血をこぼし横たわるアンデッドの残骸を踏み超え、新たな騎兵を狩り始める。

 

「はッ!」

 

 笑いながら敵を殺すたびに、頭上のカウントが犠牲(いけにえ)の数を満たしていく。

 (10)(09)に、(09)(08)に……そのカウント数を減らしていった。

 無論、アインズ・ウール・ゴウンとナザリックの強化を受けるアンデッドたちも、ただやられるだけではない。跳びかかってくる堕天使の急所めがけて武器を差し向け、馬蹄の一撃にかけてみせようと果敢に挑み続けるが、いかに脆弱な堕天使であろうとも、Lv.100プレイヤーの速度は、中位アンデッドのそれを超過して余りある次元。偶発的にヒットダメージを与えようにも、彼等では堕天使の影すら踏むことができない。

 偶然にも、カワウソの鎧の端にヒットしかけた攻撃があっても、後続の陣から援護射撃と防御や強化を飛ばし続けるLv.100NPCたちがいる。ミカの手より生じ、味方を防御する光の盾をもたらす「防御役(タンク)」の特殊技術(スキル)──ナタの展開する“浮遊分裂刃”Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳの刃列がアンデッドの剣を槍を斧を鏃を弾いて切断──ガブの身体強化が──ラファの悪属性防御が──ウリの火球が──イズラの鋼線が──イスラの小型召喚獣が──ウリの自軍強化が──タイシャの速度向上魔法が──マアトの砂塵が──アプサラスの召喚精霊が──クピドの狙撃銃から放たれる魔法弾が──主人たる堕天使の周囲を守護すべく、殺到。主人の肉体に降りかかる脅威……全周から襲来する不死者の魔剣や黒鉄の鏃、範囲攻撃の魔法など、何もかもをすべて無に帰していく。無論、主人が殺す分のアンデッドを完全に残して。

 カワウソは敵陣深くに突撃しながらも、自分の生み出したNPCたちによって守護され続けていた。そんな堕天使の守護者たちを、カワウソの召喚していた戦乙女たちが護るように行軍。

 

 そうして、

 

「ラストッ!!」

 

 短く吼えた堕天使の戴く真紅のエフェクトが、(01)を刻み、消える。

 頭頂を斬撃と殴打に連撃され殺された死の騎士(デス・ナイト)──その騎馬、その周囲にいたアンデッドすべてが、即滅。

 溢れかえる血の真紅。

 大量に零れるのは屠殺場のごとき鮮血の音色。

 まるで見えない凶手に、不可知の刃に、吹き荒ぶ剣の嵐に、その身を撫でられ抉り斬られたがごとき、死の炸裂。

 骸骨は勿論、腐肉や霊体に通うはずのない生の色が、平原の野を真っ赤に染める。

 その惨劇の光景は、おおよそ先ほどの惨殺の事象と同じように見える。

 だが、実際は、先ほどよりも“より多くの数”が、今の一撃で死に絶えていた。

 

 堕天使はまたも鮮血の屠殺場を踏み超える。

 その頭上に、この地で三度目となる「(10)」のエフェクトを浮かび上がらせて。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 アインズの予想に反して、堕天使のスキルには冷却時間などは存在しないように見える。

 

「──ふむ」

 

 その事実を前にして、「何故だ」「ありえん」「チートかよ」と罵詈雑言を吐き散らすほど、アンデッドという種族は感情的にはならない(いや、それも場合によるが)。

 起こる現象をすべて事実として認め、冷徹に、冷酷に、敵の能力を正確に検証していくのみ。

 

「40……45……50」

 

 アインズは、まったく冷静に、カワウソが発現し顕現せしめた戦果──二度目のスキルで殺し尽くした雑兵の数を、数える。

 

「51──52…………59──60」

 

 嫌な予感が、存在しない臓腑を重くする。気の弱い人物なら失神してもいい大量の流血など気にもならないが、とてつもなく不吉な、“ある仮説”をアインズは頭蓋骨の内に構築していかねばならない。

 それでも。

 アインズは映像の中の光景を冷徹に見据え、その現象の実態を、正確に、完璧に、そして瞬間的に把握していく。

 

「70……80……90……──100だと?」

 

 計算に誤りがないか確認すべく、二人の守護者を呼ぶ。

 

「アルベド」

「私の数えた堕天使が殺害せしめた兵数は、同じく100体になります」

「デミウルゴス」

「同じく。御身のアンデッド100体が殺されたものと、計上できます」

 

 見れば、シャルティアやコキュートスたちも、頷きを返していた。

 先ほどの一撃よりも多い“倍の数”が殺されたことを確認していた。

 数え間違いや錯覚幻術の類では、ない。

 

「アンデッドを大量に即死させる能力……か?」

 

 あるいは、即死耐性や即死無効化を突破する能力と見るべきか。

 そうして予想を組み立てていく内にも、堕天使は重騎兵たちを屠殺し──

 

「──また増えた」

 

 10カウントが消滅し、0となった瞬間に、その周囲にいた不死の魔軍は、流血の末の戦死を遂げた。

 

「三度目の発動で、150体を殺戮」

「まさか、あの特殊技術(スキル)は──」

 

 アルベドとデミウルゴスが、苦い虫を歯の上に感じながらも、それがまったく噛み切れないような表情で、語気を荒げていく。

 アインズは、ナザリックの智者たる大宰相と大参謀が打ち立てた仮説に頷くしかない。それはまさに、アインズ自身も構築しつつある仮定そのものであった。

 カワウソは四回目の「Ⅹ」のカウントを、順調に減らしていく。

 そして今度は、200体のアンデッドの重騎兵団構成体が──即死。

 

 続けざまに、堕天使の頭上には、五つ目の「Ⅹ」が。

 カワウソは、己の周囲に存在する全てを鏖殺(おうさつ)していく。

 

「対集団戦用の……対軍スキルだとでも言うのか? ……ふ、ふふふ!」

 

 アインズが何故(なにゆえ)か微笑む先で、堕天使の周囲にいた大量の騎兵──250体のアンデッドが、ついえた。

 (おびただ)しい鮮血が、平原の野に血の雨となって注がれ、堕天使はそれらを一顧だにせず、猛進。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「次!」

 

 六回目のスキルを発動する。

 漆黒の鎧“欲望(ディザイア)”をはじめ、自分の身体や装備に降りかかる鮮血の雨を、カワウソは一切頓着することなく突き進む。“第二天(ラキア)”の足甲が発揮する速度で振り落ちる血粉(けっぷん)を背後に残し、堕天使は血に飢えた猛禽のごとくアンデッドのモンスターへ襲いかかり、手中の装備で、蹴り足の速さで、不死者の戦列を殺し尽くす。

 

 10体の敵を犠牲(いけにえ)に捧げた堕天使(カワウソ)

 今度は、300体の敵が断末魔をあげ、糸の切れた人形のごとく倒れ伏す。

 足元の草原を、赤く紅く染め上げて。

 

 復讐者(アベンジャー)特殊技術(スキル)“OVER LIMIT”は、直訳すれば「過限界」──つまり、限界(リミット)超過(オーバー)していくことを意味する。

 通常では考えられないほどの量の敵を打ち倒す、限界突破の、「復讐の女神・ネメシス」の助力を獲得せし復讐者(アベンジャー)が遂行可能な、まさに「一撃必殺」のスキル。殺戮を(ほしいまま)に続けていく復讐者の戦いは、使えば使うほどに、限界を乗り越えていく性質を発揮。最初の発動で50体を殺害。次の発動でもとの50に追加(プラス)して50・合計100体を。さらに次の発動で、100体にまた50体をプラスして、合計150体を。またその次の発動によって50体が…………そうやって、このスキルは延々と殺傷数を倍化──「限界を乗り越えていく」ことで、圧倒的な大軍を打倒し果せる能力を発現できる。一律、【10体】の犠牲(いけにえ)を刈り取るだけで、カワウソは理論上、最終的には千単位万単位──何もかもうまくいけば“億単位”の敵を撃滅することも可能になるのである。

 

 無論、弱点がないわけでは、ない。

 

 現実的に考えれば、一度で一万の敵を屠る頃には、犠牲数は通算2000体目を数える。億の敵を殺せる時にはその万倍……2000万の敵を狩っていることになる。それほどの敵を殺す内に、何らかの対策は立てられて然るべきな上、根本的な話、万を超える敵を倒すほどの長期戦となれば、堕天使(カワウソ)の気力体力が尽きることは確実と言える。

 

 さらなる弱点は、この特殊技術(スキル)は連続使用を大前提とした特殊技術(スキル)であること(冷却時間(リキャストタイム)がほぼないのは、連続で使うことを前提としているが故の措置といえる)。

 最初の一回目の発動後、カワウソが別の攻撃スキル──“光輝の刃(シャイン・エッジ)”などを発動した場合、殺戮対象数はもとの一段階目へのリセット=殺害スコア50体に戻ることを余儀なくされるため、割と使い勝手が悪い。発動条件となる大量の敵の死──犠牲(いけにえ)というのも、ユグドラシルの主要な狩場……Lv.100のプレイヤーにとって有用なフィールド・高レベルモンスターが(たむろ)している場所では、発動は諦める他ない。カワウソの比較的弱い直接攻撃力では、よくて雑魚モンスターを手玉にとることができる程度。Lv.70~90のモンスターの集団、数十体前後に出くわす事態に陥れば、それらを狩って犠牲カウントを稼ごうと戦っているうちに逆襲され、やられるような事態に陥りかねないからだ。

 

 復讐者Lv.10で取得できる“OVER(オーバー) THROW(スロー)”の特殊技術(スキル)になると、犠牲(いけにえ)に必要な敵の数が爆発的に増加し、一度の発動で【200体】もの敵を屠る必要が生じる。最大Lv.15だとそれはもう途方もない量になるため、カワウソはそれらを「もっていても無意味なレベル」と判断し、わざわざ最大限にまで上げた復讐者のレベルを一瞬で「リビルド決定」と決意をさせたほどである。

 

 正直な話。

 カワウソはこの特殊技術(スキル)のことを好ましく思っていない。

 いかに復讐の女神の力を──つまり、『即死耐性・無効化を突破貫通可能な能力』と併用させれば、あらゆる種類種族の軍集団すら討滅可能とは言え、それを実行するまでにかかる手間が多すぎる。一日の制限回数なく行使可能……「無限」に使えるとは言っても、カワウソが一撃二撃で狩れる雑魚モンスターがいるフィールドは、せいぜい初心者から中級者前半の土地であり──そんな場所で得られる金貨や素材などのアイテムドロップは、Lv.100プレイヤーには何の利益にもなりえないというゲームの仕様などの事情もあった。

 何より、カワウソが目指したナザリック地下大墳墓が存在する毒の沼地地帯は、高レベルモンスターの巣窟である。敵を殺した数に応じて発動する能力など、通用する道理がなかったのだ。

 

 おまけに。

 この異世界では同士討ち(フレンドリィ・ファイア)が“解禁されている”。

 つまり、この特殊技術(スキル)は現在、“味方が巻き添えになるリスク”が非常に高かった。なのでカワウソは、ほとんど単独・単騎で、敵の集団に飛び込まねばならない──この現在の陣立てを組む以外に、復讐者の広域拡散型のスキルを発動することができないのだ。

 カワウソが試した限り、“OVER LIMIT”の殺傷範囲は、ターゲティング不可能……カワウソを中心とした全対象を、敵味方の区別なく殺し尽くす特殊技術(スキル)と化している。

 いかにカワウソの拠点NPCとは言え、復讐者のスキル発動中に近くに居ては、この殺戮の被害を免れることができない。Lv.100NPCが一体死ぬだけで、カワウソの計画……第八階層攻略の企図は成就不能となる。ミカたちが後方にさがるしかないのは、まったく当然の処置であったわけだ。

 それだけの即死能力が、このスキルには確実に備わっている。

 しかし。

 だからこそ。

 この特殊技術(スキル)はアンデッドなどの不死者──即死攻撃への耐久能力や無効化を有する集団への即死手段になりえた。

 カワウソという復讐者(アベンジャー)が献上した(いけにえ)の死。奉じられたそれを受け取った復讐の女神──ネメシスが、自らの信仰者にして使い魔(サーバント)──カワウソの取得している特殊種族“復讐の女神の徒(ネメシス・アドラステイア)”へと下賜する贈り物が、復讐者(カワウソ)の周囲に存在する、復讐者(カワウソ)の復讐劇を邪魔する一切衆生を殺戮する……血の惨劇となって顕現されていく。

 

 カワウソの特殊技術(スキル)を直で被った者が目にする、女神の降臨。

 殺戮されるアンデッドたちは、死の直前、神域に住まう女神の威容を一瞬の内に目の奥に焼き付け、そうして、無残な死を遂げていく。

 

 人間も亜人も異形も関係ない。

 血の通わぬ不死者(アンデッド)であろうと、例外なく復讐の血刃にかけられ、絶対的な“死”を与えられる。

 

 最高神(ゼウス)すらも恐れ、神々を罰し破壊する権能を有した存在──女神(ネメシス)の裁定からは、何者であろうとも逃れること(あた)わず。

 

「次ッ!」

 

 肩で息をしかけるカワウソの周囲には、60体の犠牲(いけにえ)と、6回目の発動によって通算1050体の血にまみれた亡骸が転がっている。

 嗤う堕天使の頭上には、新たな「Ⅹ」のエフェクト。

 70体目となる(にえ)が、堕天使の武装で切り刻まれ砕き潰れる。

 350体のアンデッドが即死……これで合計、1400体目。

 

「次だ!」

 

 現れる八回目のカウント。

 復讐者たる堕天使は、邪魔する者を排除し続ける。

 己の行く手を阻むすべてを(みなごろし)にしようと、嗤って、笑って、──前へ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「──これで、十回目」

 

 絶え間なく降臨するのは、真紅の惨劇。

 余裕で頬杖を突くアインズは、映像の中で自分の生み出した50の10倍──500体のアンデッドが血まみれになって倒れ伏す光景を眺めた。これで、通算2750……発動に必要らしい10体分が10回分で100……合計2850体が、カワウソひとりの手によって殺された勘定となる。

 

 500体殺し。

 

 それは、第一防衛線でミカが一度に浄化し尽したアンデッドの撃破スコアと同等。

 しかも、カワウソはまだまだ、スキルを段階的に向上させることができるらしい。11回目となる10カウントの後には計算予測通り、550体のアンデッドが殲滅されたと、ナザリックが誇る智者二人の瞬発的な計算と測定で把握される。

 アインズは火の瞳を細め見る。

 

「なかなか、おもしろい」

 

 守護者たちが空恐ろしくも思いながら──同時に、勇猛果敢、深慮遠謀、大望大略に耽る様が、守護者らには真実(まこと)に雄々しく見えてしようがないほどの──名実ともに備わった王者の貫禄と共に、アインズ・ウール・ゴウンは、告げる。

 

「非常に興味深い特殊技術(スキル)だ……アンデッドの即死耐性を突破可能、か」

 

 あるいは、あらゆる即死対策や無効化なども貫通できるのかもしれない。であれば、あのスキルで、生産都市にて死の支配者(オーバーロード)が即殺されたのも納得がいく。

 この能力は、どこかしらアインズが誇る切り札たる特殊技術(スキル)と似ている。

 あれとの決定的な違いは、カワウソのそれは「段階的に、大量かつ広範囲を即死できるようになり、犠牲(いけにえ)さえ払えば何度でも使用可能」であるところと比べ、アインズのそれは「一度で大量広範囲を即死させるが、長時間の冷却時間が絶対に必須」といったところか。

 

「彼も何かしらのロールプレイに傾倒していた? ……うん……気になるな……」

 

 嘘偽りのない感情と心象をこぼすほど、アインズはカワウソの示した能力に、篤い興味を懐いてならなかった。

 あの特殊技術(スキル)を、たとえば我が子らの誰かに学ばせることは出来ないものか……それが出来たとしたら、ナザリックはさらなる戦力増強を期待できるというもの。特に、即死耐性や即死無効化を貫通しているように見えるところが肝だ。連続使用による段階的な発動条件は面倒だろうが、カワウソが発揮している殲滅能力はいろいろと魅力的にアインズの眼には映っていた。見ただけではアインズに詳細はわからないが、彼に、カワウソ本人に直接()けば──

 

「いや。ありえん」

 

 己の描いた予想図を一笑に付す。

 彼は“アインズ・ウール・ゴウンの敵”。

 奴らの「死」は確定した未来である以上、このような算段は無意味なこと。

 それに、王太子(ユウゴ)たちのレベルは90台に差し掛かっている。あの力を学ぼうとしても、必要な前提職や取得条件を満たせない確率の方が、断然に高いはず。

 ……それでも。

 

「アインズ様。急ぎ、あの堕天使を誅戮(ちゅうりく)し、天使共を殲滅する御許可を」

 

 アインズは、玉座の間にひれ伏す者たちを見る。

 黙考し続ける主人に業を煮やしたアルベドをはじめ、守護者たちが不遜な堕天使への反撃を奏上するのは当然の反応。すでに、奴の特殊技術(スキル)は“危険極まる”と判定されてしかるべき結果を発揮し続けており、最悪の可能性──アインズというナザリック地下大墳墓の最高支配者すら殺傷しかねないという事態に、ここにいる全員の脳内で警鐘の音圧がガンガン響き渡っていると、その鬼気迫る表情の色で把握できる。

 

「そう急ぐな、おまえたち」

 

 魔導王たるものとして、アインズは余裕をもって対処する。

 この程度のことで慌てふためくほど、危機的状況とは言い難いのも大きい。

 

「あれは、この私ですら未知の即死能力だ。死の支配者(オーバーロード)たる私ですら知らない、即死スキル……もっと詳細を把握しておきたい」

 

 アインズの主張には、油断や慢心の気配は一片も生じない。

 それこそ。

 彼以外のプレイヤーが、あれと同じ能力を持って、アインズの前に現れる時が来るかもしれない(『敗者の烙印』由来の特殊技術(スキル)であることを知らないアインズにとって、そう危惧を懐くことは当然の思考回路であった)。

 カワウソ以外のプレイヤーがこの異世界に渡り来た時に、カワウソと同じような能力を有していた場合、その詳細を知っているのといないのとでは、かかる手間はだいぶ違う。敵は未だに小勢であり、カワウソ達は圧倒的不利と劣勢を強いられているフィールドで、アリジゴクの巣に落ちた(あり)のごとき抵抗を続けるのみ。敵を(なぶ)る趣味はアインズには存在しないが、敵の特殊技術(スキル)を学べるだけ学び、知れることは知っておいて損はないだろうという現実的な認識が、カワウソの異様な特殊技術(スキル)を凝視させ、かかる危難への対策を講じるべく、観察を続けるのは至極必然的な戦略に他ならない。アルベドらが奏上するような直接的な排除手段──第八階層の“あれら”の参戦や、守護者たちによる迎撃に当たらせるような段階とは言い難く、あるいは、何か不測の事態に陥って、アルベドたち守護者を反攻に向かわせたばかりに、みすみす殺されるような事態になるかもしれないと思うと、首を縦に振るのは不可能である。せめて、あのスキルを『止める方法』を知るまでは。

 なかなかレアっぽい能力を観賞したいという純粋な知識欲も手伝って、カワウソへの強硬な攻撃姿勢をとらせようとするほどの気概は、アインズに湧くことはなかった。

 

(あるいは、これも鈴木悟の残滓の影響かな?)

 

 人間であるアインズ……モモンガ……鈴木悟はこの期に及んで、まだ同じユグドラシルプレイヤーを憐れみ、彼を助命したいと、心のどこかで願っているのか。

 だが──ありえない。

 彼は、奴は、自ら称するところの、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”──“第八階層への復讐”を標榜する、愚か者。

 アインズが何よりも大事に思う、仲間たちと築き上げたナザリック地下大墳墓に害をなす存在に他ならないのだから。

 ……そんなナザリックへの想いもまた、鈴木悟の残滓の影響だろうと考えると、如何ともし難い。

 

「まずは、そうだな……」

 

 とりあえずアインズは、墳墓の表層に待機している上位アンデッドのうち一体に、指令を下す。

 数十秒後。

 作戦指示を受け取ったアンデッドが、堕天使と会敵を果たす。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 復讐者のスキル使用回数は、十五回に達した。

 一度の発動で平原へ沈むアンデッドの数は750となり、そのいずれもが、死体を残して血だまりの中に倒れ伏したまま。ただの召喚作成された存在では、こうはいかない。マアトたちが研究して発見した──現地の死体から生じたアンデッドモンスターの類ならではの現象、ということか。

 いずれにせよ。雑魚ばかりの戦場では、カワウソの復讐者(アベンジャー)スキルにとっては、都合のいい犠牲にしかなり得ない。

 あのグレンデラ沼地にいた高レベルモンスターに比べれば、中位アンデッドの騎兵集団など、いくらでも狩り尽くせる雑兵に他ならない。

 だが。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 息が切れ始めるのを実感する。いくらミカたちNPCに護られながら前進し、周囲のアンデッドを殺戮するのに好都合な戦況であろうとも、堕天使の肉体は、肉体を持つが故の「疲労」を蓄積していくもの。耳飾り(イヤリング)維持の魔法(サステナンス)でなんとか抑制することは出来るが、それでも、完全にとは言えない。カワウソはそこまで優秀かつ恵まれたプレイヤーとは言い難かった。このアイテムのランクを考えれば、湧きおこる状態異常を完全に抑制することは不可能。適時休息を挟めば何も問題ない程度の代物なのだが、こんな戦場のど真ん中で、悠長に足を止めて休める道理などない。何より、これは肉体の疲労というより、精神の疲労という方が、近い。

 汗のしたたる黒い鎧を──瘴気をくゆらせ続ける鎧を見る。

 カワウソの神器級(ゴッズ)の鎧“欲望(ディザイア)”は「状態異常(バッドステータス)を呑みこみ、装備者の基礎能力値(ステータス)に変換する」機能がある。だが、この状態異常というのは外部から、つまり他人からもたらされる攻撃──魔法や特殊技術(スキル)などによるものを前提としている。カワウソが自分で自分に状態異常をかけるような事態というのは、今のような状況は、極力回避せねばならない。“欲望”は与えられた状態異常を受容し、ステータスに変換するが、単純に消滅・無効化させるわけではないのだ。己の身から沸き起こり続けるような異常は、一律恒常的な身体機能強化を施してくれるが、異常を受容した瞬間に同じ異常がもたらされるのでは、普通に状態異常に罹患しているのと変わりないわけだ。

 

「──ふぅ」

 

 この特殊技術(スキル)発動中に、はじめて足を止める。

 聖剣を平原に差し込んで杖とし、その場で倒れ伏したい衝動に抗ってみせる。

 左手に握る黒色の星球が汗で滑り落ちそうになるのをグッと掴んでこらえた。

 耐え難い疲労。

 気を抜くと心が折れて、汗に濡れる瞼を閉じてしまいそうな、重い眠気にも似た感覚。ゲームでユーザー自身は感じるはずのない、だが、異世界に転移したことで現実化した堕天使の肉体は、通常人類よりもそういった状態異常を受容しやすい弱点を有する。

 

「クソが」

 

 霞みかける視界の先で敵の騎兵が密集し、突撃態勢を構築しつつある。

 右手でボックスを探り、状態異常回復用のポーションを使おうとした──その時。

 

「ぁ……あれ?」

 

 治癒の輝きが、自分の身体を満たしていくことに気づく。

 

「おやめになりますか?」

 

 清らかな声に振り返れば、ミカがカワウソの背中に手を這わせていた。女の“正の接触(ポジティブ・タッチ)”が、堕天使の疲労を和らげ、背中越しに心臓やそこから巡る血流を温め癒してくれる。

 そこに降臨していた光──カワウソの創った最初のNPCは、いつもの冷徹な眼で、主人を睨み据えていた。

 

「ミカ……おまえ──俺の復讐者スキル発動中は」

「そんな体たらくをさらして、ブツクサ言わないでほしいであります」

 

 近づくのは危険だからさがっていろ、と言明し厳命しておいたはずなのに。

 そんなことなど関係ない様子で、熾天使の女騎士は回復スキルを行使し続ける。

 酷く憔悴(しょうすい)している堕天使の無様を笑うことなく、ミカは無表情のままに言い募る。

 

「回復程度であれば、私のスキルで魔力消費なしに行えます──そんなことまでお忘れに?」

「……いいや」

 

 正直、思っていたよりも一人で集団を切り倒し砕き殺す作業は重労働であった。

 相手がまごうことなき“敵”──しかも、あのナザリック地下大墳墓の軍集団という状況が、堕天使の脳髄に、間断のない緊張状態をもたらし続ける。「ここで失敗すれば、何もかもおしまいだ」という思いが、ただでさえ脆弱な堕天使の五体を切り刻むような強迫観念となって、熱いはずの血潮を氷点下のごとく凍えたものに変えていく。指先の関節や筋肉が恐怖と絶望に軋み、臓物の中にヘドロが詰め込まれたような違和を抱いて、骨髄の奥底がからっぽになったような空白感を味わいながら、カワウソは剣を、武器を、振るい続けるしかなかった。

 ヘラヘラと笑っていられるのも、ただ、状況のどうしようもなさに辟易しているが故の、ごまかしに過ぎない。

 

「それで──おやめになりますか?」

 

「何を」──そう問うまでもない。

 この馬鹿げた復讐行を、愚にもつかぬ蒙昧(もうまい)な戦いを、やめた方がいいと──ミカはそう進言していた。

 勝ちの目など存在しなかった。カワウソ達は“勝つため”にではなく、ただ“戦うため”だけに、あのナザリックへ──第八階層の荒野へ向かって、行軍を続けているだけ。ミカがとめるのも無理からぬ、ただの自殺行為じみた暴走が、カワウソの現在の状況だといえる。

 それらをすべて理解し、認識し、承知した上で、カワウソは聖剣の柄を握りしめる。

 どんなに敵が強大で膨大で絶大であろうと、カワウソの行く先はひとつしか、ない。

 ミカの問いに応じるように聖剣を右に抜き払いながら、星球を軽く六回転させて下段に構え直す。

 その様子に納得を得た熾天使は、主人を回復させた左の手を、はなす。

 

「次の敵が来ます」

 

 告げてくれる声にカワウソは頷いた。ミカの翼は後方へとさがっていく。

 感謝を告げるかのごとく、まっすぐ頷くようにして、堕天使は再び特殊技術(スキル)を起動する。

 突撃してきたアンデッドの騎兵団を、堕天使の頭上に浮かぶ「Ⅹ」の文字が歓迎する。

 そうして、16回……17回……20回目の“OVER LIMIT”発動により、一度で1000体のモンスターが血だまりに沈んだ直後、

 

 それは現れた。

 

「……あれ、は」

 

 21回目の特殊技術(スキル)発動中、装備した神器級(ゴッズ)装備の首飾り“第五天(マティ)”が、輝きを強める。

 魔眼のごとき装飾品が感じ取った魔の気配は、中位アンデッドのそれを超過して余りある、敵の襲来。

 平原上空を黒い濃霧のごとく漂っていたものたちが、道を譲るかのように空けた、天の一点。

 それは、闇よりも深い黒影の集合。あまりにも巨大な白刃を宿す処刑鎌(デスサイズ)両手(もろて)に携えし──上位アンデッド。

 

 

 

 

 

具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)!」

 

 

 

 

 

 名の通り、具現した死の神が、堕天使の前に降臨していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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殺戮

具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の設定は、書籍七巻P352から
【経験値を消費して生み出されるアンデッドの副官で、レベルは90にもなる】
 これ以上の情報は現在のところありません(多分)。なので、この作品に登場する具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)は、原作とは著しく異なる可能性が“大”ですので、あしからず。


/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.08

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「さすがは至高の御身、アインズ様の生み出したアンデッドでありんすえ!」

 

 シャルティアが喝采を飛ばすのと同期して、各守護者たちも、映像に映る堕天使を攻め立てる上位アンデッドの姿に惚れ惚れとした表情をうかべ、歓声を喜悦の色に染める。

 アインズは己惚れることなく、冷厳に頷いて応えた。

 

「うむ。相手は、異形種にしては脆弱極まる堕天使……Lv.90クラスのモンスターでは、実力が拮抗するのは道理だ」

 

 たとえ彼がプレイヤーであり、アンデッドへの対策を整えた装備やレベルを保持していようとも──種族としてのステータス数値が劣悪になり、各種の攻撃への脆弱性を露呈する“堕天使”である以上──これは必然の結果と言える。

 確かに、彼もLv.100プレイヤーとしてふさわしいだけの戦闘能力はあるらしい。

 ヘイト値を稼ぎながらHP1で耐え抜き、敵の手数を増やす死の騎士(デス・ナイト)。オーラを垂れ流し、即死スキルを連発する魂喰らい(ソウルイーター)。他にも、この異世界においての英雄クラスや伝説に謳われていた中位や下位アンデッド程度では、いかに“堕天使”といえども速攻で殺し尽くせて当然な力を示せて、当たり前。それがLv.100という存在であり、適正な支援者や防御役を侍らせることで得られる戦闘能力なのだ。

 透徹とした声音で、アインズは分析を述べていく。

 

「彼の強みは、これまでの戦闘を見る限り、速度・敏捷性を超特化させての、“先の先”をいく戦法によるもの。自分へと降りかかる脅威や攻囲を超速度で回避・突破することで、相手を翻弄するスタイル。だが……具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)……あれもまた、殺戮をもたらす死神の『速度』については、ユグドラシルではかなりのものがある」

 

 おまけに。

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)は、ツアーから提供されたある死体を使って、永続性を保持しているアンデッド。アインズの経験値消費型特殊技術(スキル)で生み出されたLv.90を超えるモンスターは、堕天使の脆弱な攻撃で倒すのは至難となるだろう(ちなみに、作成のために消費した経験値は、100年間の反抗因子鎮圧平定や、ツアーなどの竜王との模擬戦闘で回復できている)。

 白刃を閃かせる亡霊のごとき幽鬼が、堕天使の聖剣と鍔迫り合う。

 彼の特殊技術(スキル)──頭上にある「Ⅵ」の数字は、一向に減る気配がない。

 

「やはり、あのカウント数字は、敵の命を生贄(いけにえ)として捧げ、その死によって発動するもの。つまり、強大な敵──カワウソ本人では倒しようのない敵をぶつけておけば、発動する条件を満たせないようだな」

 

 100年という長きに渡り君臨してきた魔導王アインズ。

 その頭脳は、はっきりと堕天使が繰り出すスキルの弱所を見抜いていく。

 いかに後方に待機して支援を飛ばすNPCでも、上位アンデッドたる具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を覆すほどの強化は見込めない。堕天使のステータスの劣悪さはそれほどの領域に位置している。

 アインズはこれまでに観察していた戦闘の事実から、正答を次々と論じていく。

 

「彼、カワウソが具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を、あの謎スキルで殺すには、他のアンデッドを狩るべきだろう。……しかし、それは不可能なこと」

 

 死の神の特殊能力によって、カワウソは目の前の“死”との対決を余儀なくされる。

 誰も死から(のが)れること叶わぬように、死の神は何人(なんぴと)であろうとも、回避することはできぬ事象──故に敵対者は、死に対して背を向けて逃げることは、不可能。

 命という雑草を刈り取る死神の刃と鍔迫り合うカワウソを、NPCのミカたちが護るように攻撃と防御を飛ばすが、いかんせん距離が離れ過ぎていると、有効な対策を打ち立てることは難行を極めた。

 

 

「さぁ……早く殺してみせろ」

 

 

 殺せるものなら──アインズは凶暴な笑みを骨の顔に浮かべながら言い募ってしまう。

 対してカワウソは、降臨し来襲してくる死に対し、輝きをこぼす聖剣を、振るい──

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 よりにもよって、このタイミングで。そう口の端にこぼしかけるのをこらえるように、堕天使は歯を食いしばる。

 否。

 このタイミングだからこそ投入されたか。

 

「チィッ!」

 

 大きく舌を打つカワウソは、何とかスキル発動条件数を稼ごうとするが、それよりも尚早く敵の攻勢は到来する。

 

「ッ!」

 

 クスクスと聞こえるのは、死を誘う微笑み。

 女神が含み笑うように響き続ける風の()は、あまりにも巨大な鎌が奏でる葬送の韻律であり、鎮魂の挽歌。

 漆黒の影のごとくたなびくローブは、不定形の靄のごとく空間を染め上げ、そうして一瞬のうちに(カワウソ)の視界から消え失せる。

 無論、実際に消え失せたわけではない。

 次の一瞬で、視界を巡らせるだけの時すら与えずに、死の神はカワウソのもとへ接近していた。

 フードの奥に秘された虚無の相貌……黒影(かげ)が、死を想起させる。

 アンデッドの振り上げた得物の速度は、まさに、死の神の凶風。

 

「クソ!」

 

 咄嗟に聖剣の刃を顔面に持ち上げた時、死神の振るう曲がりくねった処刑鎌(デスサイズ)と鍔迫り合いを演じる。

 わかっていても回避が遅れた。

 あの黒い幽鬼……“具現した死の神”と呼ばれる上位アンデッドモンスターの最大の特性は、「死の風」と呼ぶべき戦闘方法を発揮することが挙げられる。生きとし生けるものすべてが死より逃れること叶わず。その事実を突きつけるがごとき呵責なさで、あの死神は敵プレイヤーの首を刈り取りにかかる超速度特化型のステータスを披露する存在。敵対したと分かった瞬間には先手を打たれ、その速度に嫌気がさして逃走を試みても、死神の速度から逃れることは許されない──ゲーム的にいえば、“逃走不可”スキルを保有している厄介な相手なのだ。

 カワウソは神器級(ゴッズ)の足甲“第二天(ラキア)”を起動している……起動していて、この速度に追随できない。

 死の支配者(オーバーロード)部隊もそうだったが、魔導王の生み出すアンデッドというのは、かなり強化された状態にあると見て間違いな

 

「クォ!」

 

 思考する端から攻撃を間断なく注ぎ込まれる。鈍くたちこめる鉛色の瘴気を纏った鎌の白刃は、カワウソの目では追いきれる次元にはない。物理的には不可能に見える大鎌の十三連撃に圧倒されてしまう。

 幸いというべきか。速度に超特化されたステータスゆえに、死神の攻撃力はさほどでもない。

 が、油断していると処刑鎌(デスサイズ)に宿る「一定の確率で対象を即死させる特殊能力」に襲い掛かられるため、クリティカルダメージだけは負わないように努力しなければ。即死対策はLv.100の戦闘では基礎中の基礎。カワウソはしっかりと対策を講じてきているが、こんなところまで来て、貴重な蘇生アイテムを起動させて消耗するのは避けたい。道半ばで倒れている暇などあるものか。

 

(ユグドラシルと同じ、野良のモンスターであれば行動は読める──が、しかし)

 

 この上位アンデッドは、魔導王アインズ・ウール・ゴウンの生み出したもの。

 死の騎士(デス・ナイト)ですら、大軍で密集陣形を組み、魂喰らい(ソウルイーター)に騎乗するなど、その挙動はユグドラシルのそれとは比べようもない汎用性を発揮していた。

 ただのNPCでは不可能な事象を、この世界では可能であるという、現実。

 

「……ッ!? なッ?!」

 

 予想通り。

 予想していても、驚かされた。

 野生に存在するモンスターの挙動とはまったく異なる戦闘行動を取られる。まるで影の残滓を揺らめかせながら戦野を馳せる死神は、主人に鞭でも喰らっている馬車馬のごとき苛烈さで、堕天使に猛攻猛追を仕掛けてくる。通常の野良にはないパターン。十三連撃など軽い挨拶だったと言わんばかりの練武を、闘争を、死の大鎌による嘲虐を、死の神は堕天使の前で披露してくれる。

 野良だと相手の出方を窺うように周囲を漂い、逃げられない敵をじわじわ嬲るように攻め続ける余裕な動作をするのが通常行動パターン──なのだが、奴からはそんなものを微塵も感じなかった。

 奴の主人であるアインズ・ウール・ゴウン──その作戦指示を忠実に果たそうとする、強大なシモベということか。

 

「──離れやがりなさい、死神」

 

 そう告げるミカの光剣が、カワウソを攻め立てる黒影へ輝く刃を飛ばす。しかし、彼女の攻撃はアンデッドの残す影の粒子すら、かすらない。

 それを追って、カワウソの創り上げた……こちらもこの異世界でありえない自立意識と行動能力を有したNPCたちが、主人の援護を次々に飛ばした。ガブの幻影の巨拳が宙を薙ぎ、ラファの神聖属性魔法が空を払い、ウリの極大火球三連射が天を焦がす。

 が、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の速度……現状のカワウソのそれを超えている敏捷性能に、ついてこれる奴は多くない。カワウソと同格の花の動像(フラワーゴーレム)・ナタであれば何とかしのいでくれるはずだろうが、カワウソの復讐者スキルに巻き込まれることを危惧して動くに動けない。少年の速度が遺憾なく発揮される近接戦闘距離に近づくということは、カワウソの展開しているスキルの必殺圏内に常在することを意味する……それではカワウソのスキルを発動するわけにいかない。さらにいえば、ナタに死神の相手をさせるということは、物理攻撃主体の彼には難しいこと。非実体系統の筆頭格・最上位に位置しているアンデッドに対し、ナタはそこまでの攻撃性能を発揮し得なかった。

 

「申し訳ありませぬ!! 自分の分裂刃では!! ──大してお役に立てません!!」

 

 悔し気ながらも盛大に、かつ壮烈に吼える花の動像(ナタ)の飛ばす四種の分裂する刃は、純粋な物理攻撃系アイテム。非実体のモンスターを相手にするには、魔法を付与したアイテムか、魔法そのもので攻撃するしかない。

 魔法詠唱者(ウリ)鍛冶師(アプサラス)のNPCであれば、魔法を武器へ一時的に付与(エンチャント)することは可能だが、それに伴う魔力消費──具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を殺せるだけの効果を発動する消耗量は、馬鹿にはできない出費となる。

 おまけに、あれだけの速度を誇る敵対象を追尾しきる魔法や、範囲攻撃系による絨毯爆撃もまた、魔力消費量は過大になる傾向にあった。ウリをはじめ、遠距離支援攻撃を放てるNPCたちの魔法では、攪乱程度の用途にも使えず、無駄撃ちするだけに終わる。

 

師父(スーフ)!! 火尖鎗(かせんそう)の使用許可を!!」

「よせ! まだ使うな!」

 

 背中に背負う秘密兵器を取り出そうとする少年を、短い大声で押し留める。確かにあの火力で、ナタの戦闘速度で繰り出される炎上攻撃を行使すれば、天使の澱を襲う死神を倒すことは出来る。だが、火尖鎗の一日の使用回数は、六回。大量に存在しているであろう難敵──たかだか一体の上位アンデッド程度に使うのは得策であるはずがない。かなうならば、ナタの主武装はナザリックの守護者たちか、第八階層での戦いに残しておきたかった。

 

「タイシャ! 独鈷(どっこ)を!」

 

 言われた黒髪の武僧──通常形態の今は大した速度を出せないが、雷精霊形態に変身するとかなりの速度ステータスを確保できる座天使(スローンズ)は、その手に握る雷霆を意匠された特殊装備、“僧”などの職のみが扱えるそれを、投槍の如く肩の上──袈裟という衣服を焼かんばかりの至近に、構える。

 

(オン)…………!」

 

 彼の元ネタにちなんだ真言の聖音を紡ぐ。

 瞬息で黒い僧衣の裾を翻し、純白の足袋に覆われた脚で大地を踏み込む。投げ払われた武装は雷霆の刃を纏い、上位アンデッドの影へと幾枝ものばす雷樹の輝きとなる。天を引き裂かんばかりの轟音が、聞く者の鼓膜を震わせて痛い程に。

 身に降りかかる物理攻撃など気にも留めていなかった死神が、本気の回避運動をとって後退。魔法攻撃やアタックスキルは、奴への数少ない特効手段たりえる。

 が、

 

「すぐにまた来ますぞ主殿!」

 

 タイシャに手ごたえはなかった。

 緊迫した空気。

 インドラの独鈷(どっこ)による魔力を込めた一撃は、これといった戦果もなく……せいぜい空中にいた中位アンデッドの群れをいくらか掃滅しただけで、ほとんど空振りに終わる。

 黒い有髪僧(うはつそう)の早口が告げる通り、影は二瞬ほどでカワウソの視界に舞い戻り、三瞬ほど様子見するように飛行。

 次の一瞬で、カワウソの眼前に影が(よぎ)る。

 

「イッ!?」

 

 斬撃を受けた堕天使の右足──だが、神器級(ゴッズ)装備の足甲を突破するほどの攻撃力は示せないため、刃はカワウソの身体を転ばせる程度の状況しか生まない。

 しかし、その事実だけで、堕天使は慄然(りつぜん)する。

 

(装備の効果を読んだ? ──いいや)

 

 確実に。

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)は、カワウソの速度特化性能──その発動原理の主体となる“足”を刈ろうとしていたのだ。

 

(ただのアンデッドであるわけがない──アレは、アインズ・ウール・ゴウンの生み出した……)

 

 結論する間にも、死が黒い疾風(はやて)のごとく、影のごとき無音と共に、押し寄せる。

 回避も逃亡も不可能。他のNPCたちではついていけない戦闘速度。

 だとしても、解せないことが、ひとつ。

 

(どうして、“第二天(ラキア)”に速度向上能力があると知っている?)

 

 足甲を引き裂こうとした理由……それは、カワウソの速度を向上されては面倒だから。

 それに気づいたのは、今までの戦闘で、その事実を見ていたからだろう……とするならば。

 

(アインズ・ウール・ゴウンは──俺を、見ている?)

 

 見て、知って、理解している。

 そうでなければ──おかしい。

 速度向上効果は特段珍しくもない装備効果だ。ユグドラシルであれば足甲や靴に限らず、指輪や首飾りなどの装身具類でも、使用者の敏捷性を向上させるアイテムはいくらでも存在する。にもかかわらず、死神は執拗に堕天使の「足甲」のみを剥ぎ落とそうとするかの如く、大鎌の驟雨(しゅうう)を注ぎ続ける。

 

(単純な部位脱落──脚をなくせば機動力が落ちるということを狙って……なわけ、ない。わざわざ足甲を引き剥がしている暇があれば、首や心臓を狙って一撃死を狙い続けるはず)

 

 無論。カワウソはそういったクリティカルポイント──致命箇所を護る神器級(ゴッズ)の首飾りを装備しているし、同ランクの鎧もあればそれは不可能という判断が働いたと見做せる。実際、初手の十三連撃はほとんどそのあたりを狙っていたが、鎧の防御力は神器級(ゴッズ)のそれ。容易に突破できるわけがない。

 それでも。カワウソの速度向上能力を潰そうという次善策に訴えるというのは、ただのモンスターの判断で行える戦略ではないだろう。いくらNPCが自我を持つ異世界であろうとも。

 

(相手に合わせた戦略修正。ユグドラシルの、野良には不可能な頭脳戦。

 そんなことができるのは作成者や召喚主────『プレイヤー』だけ)

 

 確定に近いだろう。

 勿論。魔導王とやらが、そういう知識を得ているだけのデータの集合という線も、なくはない。高度に組まれたプログラムであれば、「あるいは」とも思う。

 アインズ・ウール・ゴウンが生み出したはずの上位アンデッド。死神が自発的かつ自律的に思考する存在だとしても、あれほど積極的かつ苛烈的に、逃走不能な敵を攻撃する性能や性質というのは、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)には存在しない。逃亡できない敵をじわじわと嬲り引き裂くことを愉しむモンスターが、まるで相手の強み・長所を潰すという必勝手段にかかりきりになるというのは、戦術選択の基本とはいえ、いかにも奇妙に思える。

 カワウソは嗤い震える唇に、歪んだ微笑を刻みながら疑問をこぼす。

 

「はは……“いつから”だ?」

 

 いつから。

 いつから連中は俺たちの存在に気づいた?

 いったい、いつから連中は俺たちの戦闘方法を探っていた?

 この戦いの最中か? エモット城や都市に侵入した時か? ツアーとの会談の時か? 魔導国の調査──生産都市地下での戦闘──飛竜騎兵の領地で起きた造反事件の時?

 いいや……それとも

 

「ギィッ!」

 

 さすがに神器級(ゴッズ)装備の装甲を突破できないと理解した死神の鎌は、カワウソのほぼ剥き出しになっている腕を背後から引き裂きにかかる。思考に意識を持っていくと戦闘警戒が疎かになるのは如何ともし難い。

 左腕に奔った、鮮血の噴き出る一文字。

 

「ギ、ァ、ガアアアァアアアア、ァアアアアアッッッ!?」

 

 ありえないほどの痛み。

 堕天使は種族特性──弱点として、斬撃武器脆弱Ⅳを有する。

 それは、適正なレベルの者から与えられる斬撃攻撃に対して──抵抗不能なダメージを(こうむ)るということ。

 

「カワウソ様ッ!」

 

 ガブをはじめ、NPCたちが我慢ならぬ様子で悲鳴と叫喚を紡ぐ。

 追撃しようと企む死神を、ミカとナタが危険を承知で、阻む。

 

「チッ、逃げられたか──!」

「大事有りませんか、師父(スーフ)!!?」

 

 主人が痛苦にのたうち、両手の得物を草原に取り落とすという無様をさらしている光景に驚嘆を覚えているNPCたち。

 カワウソは痛みを拡大していく──死神の振るう処刑鎌(デスサイズ)に纏わりついた鉛色の瘴気が、呪詛のように切り傷を拡大していこうとしている──傷口を、ボックスからひったくるように取り出した真っ赤なポーションを傷にぶっかけて、癒す。この状況で、死神の襲撃を警戒せねばならないミカの癒しを期待することはできない。空になった瓶を放り捨て、祈る思いで斬撃ダメージの消滅を……確認。

 

()……くぁ……」

 

 湧き出る脂汗を拭い、この世界ではじめての“傷”の痛みから解放される。

 カワウソはミカたちに無事を伝えながら、未だ頭上に浮かぶエフェクト……“OVER LIMIT”の残りカウント「Ⅵ」を眺める。

 しかし、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の襲来によって、いつの間にやら第二防衛線を築いていた中位アンデッド軍は後退。あれを追いすがっているうちに、今でも攻撃の機を窺っている死神の急襲を受けるのは確実だろう。

 今は急がなければならない。落とした聖剣と星球を構え直す。

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)……上位アンデッドを投入してきたということは、おそらく、復讐者のレベルの特性に感づいたからだろう。生贄となる敵を求める内に、今のような反撃を繰り返されては、カワウソの気力と体力が底をつくことになる。

 なので──仕方ない。

 

「“光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ”」

 

 逆襲すべく発動したのは、復讐者のスキルではない。

 死神の舞う空を閃光の純白で覆い尽くす神聖属性アタックスキル。範囲攻撃を後退することで回避する具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)は、またもカワウソの視界から消え失せる。

 

 同時に、復讐者のエフェクト……「Ⅵ」の数字が消え失せる。

 

(アレを殺すのに、六体も殺していられるか)

 

 20回分の累積殺傷スコアは無に帰することになるが、惜しくはない。それよりも確実に、上位アンデッドを屠る手段に訴えておく必要がある。

 そのために、“OVER LIMIT”では都合が悪い。

 

「予定より早いかもだが──ミカ」

 

 横目に窺う女天使に、短く「やれ」と命じる。

 委細承知済みの天使が、空いている片手に魔力を集めた。

 天使の長たる彼女に発動させるそれは、第十位階に位置する召喚魔法。

 

「〈最終戦争・善(アーマゲドン・ヴァーチュ)〉」

 

 彼女の手より生じた魔法の輝きは、白い球体となって天へと昇る。

 一個の極大水晶のごときそれは一定の高さに達した際、その内側から、多種多様な下位・中位などからなる天使の軍勢が湧きおこり、戦場の空を色とりどりの羽根や火の粉で舞い飛び始める。これと似たような魔法だと〈最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)〉が存在しており、あちらは大量の悪魔からなる軍勢を召喚するもの。悪魔は勝手に暴れ出すなど味方として機能するものではないが、天使の場合──“善”の側は別だ。

 

「   総軍   」

 

 熾天使(ミカ)は命じる。

 召喚主たるミカの強化を受けた小天使の軍団が、天上より攻め寄せる隊伍を築き、四方の空に、展開。

 

「  蹂躙せよ  」

 

 清明に響く命令を受け、新たに得られた味方の軍勢は、平原の空を馳せる。

 そして、カワウソもまた行動する。

 

戦乙女(ワルキューレ)、残存部隊──“特攻”」

 

 カワウソからの最後となる下知を受けた聖歩兵・聖騎兵・聖弓兵・聖術兵などからなる超位魔法〈指輪の戦乙女たち(ニーベルング・Ⅰ)〉の召喚天使たちが、喜び勇んで翼を広げ、戦野を痛快な速度で疾走(はし)る。彼女たちの召喚可能時間は、あとわずか。見渡せば、戦乙女たちの横顔は──召喚主たちへの敬意と、戦うことへの喜びを表す美笑(びしょう)しか、見て取れない。「どうか、あなた方の武運長久を」──そう口にするがごとき乙女らの、死への行軍。

 全員がカワウソの命令に従って、カワウソの行く先を照らす篝火のごとき微光を振りまきながら、堕天使に崩されかけた陣を立て直したアンデッドの軍団を、追撃。その途上で、投槍や弓撃、神聖属性の魔法で、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の存在と、奴の逃走回避のための道を潰すがごとき飽和攻撃を、敢行。

 

 天使軍によって、天と地が、戦場のすべてが、覆い尽くされる。

 堕天使と、彼の拠点NPCたちの姿すら、一瞬の間だけ隠れ消えてしまうほどに。

 

 そして…………

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)は、フードの奥にある黒い影でしかない面貌に驚愕を(あらわ)にする。

 

 敵がさらに用意した、ありとあらゆる雑魚天使からなる軍団……炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)雷の上位天使(アークエンジェル・サンダー)監視の権天使(プリンシパリティー・オブザベーション)安寧の権天使(プリンシパリティー・ピース)などの軍列が生じ、それらが一糸乱れぬ行軍隊形をとって、自分たちナザリック地下大墳墓の表層を護る大任を帯びしアンデッド軍へ攻撃をしかけてきたのだ。

 さらに、あの堕天使が召喚したという強力な戦乙女(ワルキューレ)──この平原に満ちる膨大かつ過剰な負のフィールド効果によって弱体化されながらも、ここまで完闘してきた戦乙女らが、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)と、その後方に控えしアンデッド軍へ特攻じみた突撃を行い始めたのも異様だ。

 いくら残された召喚時間がわずかばかりだと勘定しても、こんな攻撃にさらされてどうにかなるような上位アンデッドはいない。少なくとも、死神の速度を誇る己には、あれらの繰り出す遠距離攻撃の類は、容易に回避できる程度。さすがに“素”の状態……ナザリックの強化を念入りに受けている状態でなければ危険だったかもしれない鉄風雷火(てっぷうらいか)の波状攻撃であるが、ここはナザリックの者にとって有利に、そして、此度の敵である天使共には、まこと不利な戦域の中。

 

 無駄なことを。

 

 槍と鏃と魔法の雨を苦も無く避けきり、最前を走っていた騎手を、白亞(はくあ)悍馬(かんば)ごと大鎌の一刀で(ほうむ)る。

 仲間の死に(おび)()じることなく、戦乙女らの空中騎行は、死の神の黒い旋風に撫でられた瞬間に、首を断たれ胴を切られての消滅……敗着を余儀なくされる。

 頭上からは、戦乙女よりも弱い雑魚天使共の戦列が殺到。

 死の神は、女の声で(わら)い続ける。

 それが死の神としての種族の象徴……(あまね)く死者を平等に扱い、微笑をもって葬り去る存在としての性質がそうさせるのだ。

 それに、連中は至高の御身──己の創造主たるアインズ・ウール・ゴウンに牙を剥き刃を向ける愚物の郎党。

 残った第二防衛線を食い破ろうと挑みかかるクズ天使共を、農耕用のそれよりも(いびつ)禍々(まがまが)しい巨大鎌にかけてやる。

 ここに集いしアンデッドは、同じ主人(アインズ)によって作成された同胞たちだ。それを護るのは、御身に創られた上位アンデッドとして、当然の責務。

 戦乙女の最後の特攻と、有象無象の天使軍の総攻撃が、天と地を満たしたとき、

 

 

 

 ──ドスッ

 

 

 

 という音を聞いた。

 

『……な?』

 

 見下ろしたそこにいるのは、開いた黒い転移門より渡り来た、漆黒の、堕天使の、狂笑。

 敵の、カワウソの握る聖剣の刃が、死の神たる己の胸に突き刺さっているが……おかしい。

 自分は実体を持たない、いかなる物理攻撃をものともしないアンデッド。誰も闇を刃で貫けないのと同じように、死神たる己に物理攻撃手段は通用しない。神聖属性の“スキル”や“付与魔法”を纏った攻撃ならいざしらず、ただの剣の一撃ごときに、貫ける道理は、ない。

 

 ない、はず、なのに──

 何故──この、赤くて紅い血は、非実体の、自分の、胸、か、ら?

 

 

 

「“OVER(オーバー) KILL(キル)”」

 

 

 

 堕天使が手中の剣を捩じり発動するスキルの名を聞いて間もなく、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)は殺戮された。

 赤く紅い血を、その身から吹きこぼして。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「な──何ッ?」

 

 アインズは唐突に、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)と繋がっていた召喚の糸が断ち切れたことを理解する。

 中位アンデッドなどの膨大かつ過剰な総量のそれらはいちいち把握できない繋がりであるが、強力な存在たる上位アンデッドのそれは強固かつ巨大なものであり、何より数もそこまで多いというわけではないので、理解し把握すること自体は、今の、100年もの研鑽を積んだアインズには十分可能である。

 しかし。ありえない。

 映像で見れた光景は、確実にアインズの作成した上位アンデッドの圧倒的有利を示していた。

 第十位階魔法〈最終戦争・善〉で召喚された雑魚天使の過大な軍勢が戦場を満たしはしたが、あの程度の雑兵が増えても、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)ならば問題なく対応可能なレベル。

 この地に充満し充溢する負の存在を強化するオーラやアイテム──それらの強化を受けた具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の性能は、Lv.100のそれにも匹敵する。事実、カワウソは自分以上の速度を有する高レベルモンスターに翻弄され、彼の副官たるミカをはじめとしたギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のLv.100NPCたちにしても、有効な攻撃性能を発揮し得なかった。当たりさえしなければ、どんなに強壮な力も0(ゼロ)と同義。

 

 にもかかわらず、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)は死んでいた。

 

 熾天使の召喚した新たな雑魚天使軍や、残存の召喚時間を有効利用すべく特攻を命じられた戦乙女らに体力が徐々に減らされていったわけでもなく、ほんの一瞬で、少しばかりカワウソ達の姿が雑魚天使共の影に隠れた数十秒間で、上位アンデッドのモンスターが、即死無効の特殊能力を有する存在が──死亡。

 

「まさか」

 

 湧きおこる予感に、骨の体には存在しない鳥肌が生じたかに思えるほどの危惧を(いだ)く。

 アルベドやシャルティアたちが、主人の表情が暗く(かげ)っていくのに気づき声をかけようとした(具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の死亡は、作成者であるアインズにしか知覚し得ない)時──天使の軍が第二防衛線を食い破るように突貫する光景の中で──

 

 血を吹きこぼして絶命している上位アンデッド・具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の死体が、平原に打ち捨てられていた。

 

「バッ、馬鹿なっ!?」

「い、一体、何が?!」

 

 白皙の面貌を愕然と蒼褪めて吼えるアルベドとシャルティア。

 他の王妃や守護者、戦闘メイドたちですらも面にする。悲鳴じみた声音は重なり続け、「ちょ、ありえない!」「どど……どうして?」「あの堕天使の仕業でしょうか?」「コレハ──即刻即時ニ、迎撃ヘ向カウベキデハ」「待ちたまえ、コキュートス。それはあまりにも拙速だ」と、危機意識の色に染まり果てていく。

 

「落ち着け。アルベド。シャルティア」玉座の間に満ちるのは、闇のごとくすべてを内包し抱擁するがごとき、主君の声。「そして、我がシモベたちよ」

 

 一斉に配下たちの不安と警鐘を鎮めるアインズは、本当に、穏やかであった。

 

(慌てても意味がない。アンデッドになったおかげで、冷静に思考できて助かる)

 

 悠然とした挙措と口調は、真実、アインズが胸中に懐く大波の嵐を見事に隠しきる。

 

「皆の警戒は当然だ。しかし、今は──今少しだけ、冷静に、な」

 

 大いなる父のごとく、NPCたちの不安と焦慮を(なだ)めて安堵させるアインズは、瞬きの内に具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の被った“死”を推理する。

 

(戦闘状況からして、何かしらの即死攻撃を受けたのは確実。だが、アンデッドの即死無効を貫通突破することが可能なレア能力となると、やはり先ほどの10カウント特殊技術(スキル)ぐらいだろうか。だが、10体の犠牲(いけにえ)を稼ぐほどの時間があったとは思えない)

 

 それこそ。あの雑魚天使の軍──第十位階魔法〈最終戦争・善〉の発動と、戦乙女たちの騎行によって、一時的にカワウソ達の姿は覆い隠されてしまった、あの時に。あの一瞬に……何かが。

 

(カワウソには何か、他の切り札があるのか?)

 

 もっともありそうなのは、彼が頭上に戴き続ける赤黒い円環……世界級(ワールド)アイテムの発動か。

 だが、円環は相も変わらず通常通り、堕天使の頭上に浮かんだまま。

 世界級(ワールド)アイテムが発動すれば、なにかしら派手なエフェクトなり演出なりが出てくるもの。アインズの保有する“これ”も。宝物殿に蔵されている、“傾城傾国”も。

 世界級(ワールド)アイテムによるものという可能性は、極めて低い。

 

(まさか。ミカとやらに〈最終戦争・善〉を発動させたのは、……)

 

 単純な軍対軍の状況を構築するためのもの──だけでは、ない。

 上位アンデッドを邀撃(ようげき)し殲滅するための手段──なのでは、けっしてない。

 

 この時。あるいはアインズが、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)と視界を共有する魔法を発動しておけば、このような事態にはならなかっただろう。そのような魔力を消耗せずとも、平原の野を監視し撮影するシモベ達から送られる映像情報だけで事は足りるだろうという吝嗇……至高の存在たるもの、泰然自若に構え、NPCたちの仕事を奪うような真似をしてはならないという自戒……あるいは、カワウソ達への手心・慈悲・情けの類が、そこまでのことをアインズに要求させなかった。

 

 アインズは確信していた。

 第十位階魔法で行われた召喚攻撃は、ただの“目くらまし”に過ぎない。

 本当は、大量に召喚される天使の軍団によって、カワウソの発動する特殊技術(スキル)──切り札の存在を隠すために、あの魔法は覿面(てきめん)な効果を発揮。

 無論、最初からこれを発動しなかったのは、召喚モンスターの召喚持続時間には限りがある上、単純に魔力を消耗することを嫌ったが故か。

 

「──見事だな」

 

 真実、アインズは感心させられる。

 カワウソと彼のNPCたちは、本気の本気で、ナザリック地下大墳墓を、第八階層に到達することを希求してやまないからこそ、これほどの作戦行動を可能にしているのだろうと推察できる。

 それが、その事実が、アインズには面映(おもは)ゆい

 

「彼には驚かされてばかりだな……」

 

 アインズが、あのサービス終了の日に期待していた挑戦者──ギルド長として、ナザリック地下大墳墓をずっと維持し続けた存在として、待ち続けていた。それが、100年の時を超えて、こうして目の前に現れてくれた事実に、ほくそ笑む。

 あの時は「過去の遺物」と思い知らされていた。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの栄光など、まったくの無意味であったと知らしめられたような気概をもたらされた。

 だが。

 彼は、彼等は、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、“今”この時に、ナザリック地下大墳墓への再挑戦のために、並み居るアンデッド軍を走破し、強化された上位アンデッドの妨害すらも争覇してみせた。

 純粋な賞賛に値する。

 

「──だが。これ以上、好き勝手はさせない」

 

 その強い意思を見て取った王妃二人が、忠言する。

 

「アインズ様。私達にお任せ」

「必ずや。わらわ達が御身の敵を撃ち果たして参りんす」

 

 二人の覚悟に後押しされて、アインズは決意する。

 当初の作戦計画のひとつ、残された企図のひとつを、冷酷に採択していく。

 

「アルベド、シャルティア」

 

 二人に世界級(ワールド)アイテムを持たせているアインズ・ウール・ゴウンは、命じる。

 

「我が上位アンデッド部隊と共に──上で歓迎の用意を(・・・・・・)

 

 アインズの下知を受け、王妃二人が迎撃に討って出る。

 カワウソの能力は不明な段階で、守護者をあたらせるのは得策ではないが、場合によっては彼女たちに貸し与え装備させている世界級(ワールド)アイテムを発動し、蹂躙してしまえばよい。いかに彼が世界級(ワールド)アイテム保有者といっても、二つの世界級(ワールド)アイテムに抵抗できる確率はどれほどのものと言える。

 第八階層のあれらを投入はしない。

 あれらの攻撃力は過剰であり、今も平原にて防衛の役目を演じるアンデッド軍を、諸共に吹き飛ばすような暴威にしかならない。この異世界では同士討ち(フレンドリィ・ファイア)は解禁されている。敵を追いすぎて、万が一にも、表層にある墳墓へ蹂躙攻撃を飛ばされる可能性を想起すると、こんな近場で投入はしたくないというのが本音だ。それならばまだ、しっかりとした戦術戦略に則して行動可能な守護者二人に任せた方が良い。

 

「くれぐれも用心するんだ。場合によっては、我がアンデッドたちを盾にしてでも生き残れ」

「──御心のままに」

「必ずや。二人で帰還いたしんす」

 

 意気軒昂──連れ立って迎撃に向かう二人を見送り、水晶の画面へと視線を戻す。

 映し出されるのは、薄くなった第二防衛線を破断する堕天使と、彼の天使たち。

 アインズは、第三の防衛線を再編・再構築しながら、彼等の来襲を、待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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願い

第七章 ナザリック地下大墳墓へ 最終回


/Go to the Underground large grave of Nazarick …vol.09

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ナザリック周囲を囲む平原。

 エモット城の内周と呼ぶべき地に屯する撮影部隊──ハンゾウなどの傭兵モンスターや隠形可能なシモベたちは、様々な形で、天使の澱なる敵対者共の侵攻を記録し、連中の戦闘能力の完全把握のために必要な映像データを収集するという、重大な任務を仰せつかっていた。

 その栄誉職──部隊の一員に組み込まれた影の悪魔(シャドウデーモン)たちは、文字通り草原に生える芝の極めて小さな影に隠形しながら、御身より貸し与えられていた“とあるアイテム”の効果で、連中に気づかれることなく、自分たちの役目に準じ続けていた。接近は極力抑えて、連中のスキルや魔法や特殊能力の余波を受けない程度のギリギリの位置で、職務を全うし続ける。

 

 そうして、彼等の中の一人が、それを見ていた。

 

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)──至高の御身が作成した上位アンデッドが屠られる瞬間を、わずかながらに、自らの目で、見た。

 赤子の天使(キューピッド)が開いた〈転移門(ゲート)〉──そこから連行された、戦場の雑魚アンデッド──それらを瞬殺し、スキルの生贄を捧げた堕天使の策謀。その、一部を。

 遺憾なことに、撮影用アイテムの捕捉範囲に紛れ込んだ天使の数が過大かつ圧倒的であったために、アイテムの性能仕様上、映像として記録することは出来ずにいた。だが、彼等の中のほんのわずかな人員が、堕天使が解放した未知のスキルを、悪魔の視力におさめていた。

 急ぎ連絡しなければならない。

 だが、自分たちにのみ通じる種族同士間で行われる念話は使わない(万が一にも盗聴・傍受され、撮影班やナザリックへ害を被る危険を冒すわけにはいかなかった)。連中に気づかれるような行為行動は厳に慎みつつ、重要な情報を、至高の御身へ的確に十全に完璧に奏上すべく、遠回りになりながらも最適な移動速度とルートで、天使共の走破する戦場を離脱。

 ナザリックへと己の足で戻り、表層に詰める御身のアンデッドを通して、伝達を乞うのだ。

 

 影の悪魔は、死神を屠る際に微かに見届けた、堕天使(カワウソ)が頭上に浮かべたエフェクトの情報を、己の尊き主人のもとに届けるべく邁進する。

 

 悪魔たちの背後。

 天使の澱は、第三防衛線を切り崩しにかかっている。

 

 

 

 

 

 そして、まこと幸運なことに。

 悪魔の帰還した表層の墳墓には、堕天使のスキルを『止める』手法を考察し終え、来たる天使どもの歓迎の用意のために主王妃(シャルティア)と出向いていた、ナザリック最高の智者たる最王妃(アルベド)──女悪魔の姿が。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 カワウソは思い出す。

 

 

 

 

 

 それは、出撃直前の、最後の作戦会議でのこと。

 

「我々、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)が生き残る道は、これ以外にない」

 

 この異世界で、アインズ・ウール・ゴウンと戦うという無謀な挑戦を遂行せんとする堕天使を、ミカが導いてくれた。ツアーとの会談を終え、エモット城への侵入路の確認や、作戦指揮を構築していく中で、絶対的な“勝利条件”として、ミカが最大限に利用すべきと進言していたもの。

 

「連中は大陸すべてを、全世界全種族全臣民を統治下におく超大国。我々のような木っ端な、……失礼。ただ、事実として、Lv.100の存在“十数人”規模の勢力では、天地がひっくり返りでもしない限り、ありえない」

 

 そんな戦局において、唯一の光明たりえるのは──ただ、ふたつだけ。

 カワウソの装備する世界級(ワールド)アイテム。

 そして、もうひとつ。

 

「アインズ・ウール・ゴウンの、連中ほど強大な相手が、我等“格下”に懐いて当然の心象。

 ──慢心。

 ──油断。

 そして、(おご)り。

 そこを利用するしか、我々が、このギルドが……戦える方法は──ない」

 

 ないないと、繰り返し冷ややかに紡ぐミカの声。

 熾天使たる彼女が語った必須条項は、相手が強大であればあるほど、壮大で膨大で超大で雄大であるがために、確実に生じるであろう、決定的な“スキ”だ。

 

 物語でよく目にすることだが。驕慢(きょうまん)な王の物語において、王者というのはいつだって、己の栄華と名誉を絶対と信じるもの。

 たとえ、どんな賢帝や賢者であろうとも、失敗する時には失敗する。何故か。

 それは人間であれば誰しもが己の成し遂げた事柄を、積み上げてきた基礎と基盤を肯定するから。肯定できないもの──自己で自己を否定するものは、自家撞着の自己矛盾に耐え切れない。人は、自分が降り立つ大地が不変であると信じなければ、一歩を踏み出すことは出来ないし、落ちてくるはずのない空が落ちてくるなどと妄信しては、青空の下にいることにさえ怯え震えながら生きることになる。それらは常識というものであり、誰も自分を否定しながら生きていくことはできない。──否定を続けていけば、人はあまりにも簡単に粗末に、究極の否定を自己に施す。自分が、「この世界にいること」すらも、否定してしまう。

 国家もまた同じこと。

 素晴らしき大国・幸福な生活を送る臣民・あまねく世界に名を轟かせる栄光の極みに立つ以上、それだけのことを成し遂げた事実を誇り、肯定し、受容できなければ、それは暗君の治世であり、100年もの長きに渡って存続できるものではない。

 王とは権威者だ。権威というのは、否定されては維持できない。

 否定し拒絶し反逆する何もかもを掃滅していけば、後に残るのは死山血河(しざんけつが)の、廃墟の国しか残らない。

 国民に支持されぬ王侯が、大手を振って凱歌を謳えるわけもなく、自己を規定できぬ統治者が、法によって治まる国の規範にはなりえない。

 

 ミカが語るのは、敵である魔導王──魔導国の主君たる者に生じ得る「肯定」の間隙(スキ)、わずかな“驕慢(おごり)”を衝くこと。……それを狙う以外に、自分たちの望みは果たされず、カワウソの生存は不可能だろうと、説いて語った。

 驕慢とは、一概には悪いことではない。

 驕慢(それ)が過ぎれば破滅を招くというだけであり、それによってもたらされた失敗をすら呑みこみ、失敗の結果を「是正する」ことで、人はより良きものを、価値ある成功を勝ち取ることに繋がっていく。転ぶことを恐れて立ち止まっては、前へと歩くことは出来ないのと同じように。失敗を恐れて何もしないことは、“何もなしえない”という最悪の結果しか生じ得ない。

 驕るものは久しからず……されど、驕らないものに、栄光も栄華も極められない。

 過度な自己否定を繰り返すものに、勝利が微笑む道理はない。

 

 しかし当然、カワウソは(たず)ねた。

 

「アインズ・ウール・ゴウンが、驕慢に(はし)らなければ?」

 

 ミカは、押し黙った。そして──

 

 

 

 

 

 そうして、今。

 

「あと少しだ!」

 

 第三の防衛線にて。

 第二防衛線や第一防衛線の残存が、背後から追撃し包囲網を築きあげてくるのも撃退しながら、天使の澱は平原を進む。

 やはり上位アンデッドの姿はなく、居並ぶのは中位アンデッドの戦列ばかり。そこへ死体の集合した巨人や巨人そのものが白骨化したようなモンスターが加わりながら、地下より現れる骨の竜(スケリトル・ドラゴン)炎竜の動死体(フレイムドラゴン・ゾンビ)霜竜の動死体(フロストドラゴン・ゾンビ)など──ナザリック地下大墳墓を護る平原の巨竜兵共をものともせず、カワウソたちは突き進む。

 アンデッドのくせに死体そのものの効果で炎に耐性を備える炎竜のゾンビが盾となって立ちはだかり、霜竜のゾンビが吐き出す氷雪の嵐が、雑魚天使の軍を凍えさせ地に墜とす。

 だが、天使の澱の誇るLv.100NPCの進撃を止めることは難しい。

 竜形のアンデッドを神聖属性の光で焼き尽くして、ブチのめして、行軍路を確保。

 その間にも、カワウソは新たな疑問を懐き始める。

 

(アンデッド共の抵抗が、心なしか薄まっている、ような?)

 

 何かの作戦か──アインズ・ウール・ゴウンの思惑は何だ。

 心の(うち)で繰り返される疑問符の発生を思考の隅に蹴り落とす。

 考えても(らち)はあかない。

 強化された上位アンデッドさえ湧いてこなければ、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の行軍を阻むことは不可能。

 加えて。

 ただただ、敵を(ころ)(ころ)すことにのみ特化した、復讐者(アベンジャー)特殊技術(スキル)もある。

 これを止めようとしたところで、兵力を(いたずら)に損耗するだけ。となれば、まともに相手をするだけ無駄という思考も判る。

 

(上位アンデッドがこないのは、“OVER KILL”を警戒している?)

 

 カワウソが具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を抹殺したスキル。

 それを警戒しているかのように、次の上位アンデッドは襲ってこない。

 あれは“LIMIT”に比べれば発動条件はそう多くない犠牲者数で(まかな)えるし、これだけの乱戦下──雑魚が大量にいるフィールドでは、投入する理由が薄いと判断してあたりまえ。

 ミカに目くらまし用として〈最終戦争・善(アーマゲドン・ヴァーチュ)〉を使わせたが、連中に対してどれほど有効に働いたかは、わからない。死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)の極みのごときプレイヤー・モモンガであれば、召喚したアンデッドモンスターと視界を共有も出来るだろう──これだけ有利な状況で、魔力を少しでも使ってくれるとは思えないが。魔力は自然に回復するといっても、敵軍が自分の拠点に襲来している状況で、せっかくこれだけの大軍を使役しているのに、率先して貴重な魔力を消費浪費するというのは、普通のプレイヤーであれば危険(リスク)と思えるはず。

 

 魔力はケチって当然。

 彼のような純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)は、魔力がなくなっただけで戦闘不能に陥る。

 

 もしも仮に、いざ正面から対戦するような状況を構築された場合。

 その時までに、無数にいるアンデッドと視界を共有し、やられて魔法がキャンセルされたら、すぐに魔法で繋ぎ直して視界を共有する……なんて面倒をかけて監視する使い方をしては、いくらなんでも魔力の無駄遣いが祟ることになりかねない。具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)のみに一点集中して視界を共有していたとしても、それではクピドの〈転移門〉の向こうで行われた発動条件を満たすための挙動・復讐者の第一特殊技術(スキル)の様子が見れないため、やはり無駄になったはず。

 あるいは、そう。魔力を無限にもっているような反則技(チート)行為が可能ならば、やっているかもしれないだろうか。

 

(少なくとも。モモンガというプレイヤーは、そういう運営にBANされるチート使用者って情報はないんだが)

 

 ユグドラシルの評価だと、「悪のギルド、アインズ・ウール・ゴウンの長」「強力な即死スキルの使い手」という他に、「異様にPVPの勝率が高い」とか、「時間魔法のコンビネーションが適確」とか、そういう感じの情報しかなかったはず。

 

(なんにせよ。会ってみれば、解る)

 

 会えればの話だが。

 

 また、長い長いアンデッド共の戦列を踏み超え、大量の人骨や腐肉の残骸を焼き尽くして──

 

 その時が来た。

 

「見えました」

 

 カワウソの肩の少し上。空を舞う熾天使の瞳にもはっきりとわかるほどの距離に(そび)えるもの──黒い一枚岩の壁。

 ナザリック地下大墳墓の表層を護る墳墓の壁。

 カワウソは、懐かしさすら感じながら、前進。

 以前は、瘴気と毒霧の立ち込める沼地の奥に聳えていたはずのそれが、いまは、爽快な新緑の野に鎮座していて、近くにはログハウスも。そのギャップに、少しだけ笑いがこみあがる。

 

「…………嗚呼(ああ)

 

 思い出す。

 皆と一緒に。

 あの門を踏み超えた。

 あれから、どれくらい経ったか。

 あれからカワウソは、どれだけ戦い続けてきたのか。

 

 1500人からなる討伐隊……その一員として、カワウソの旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)は、末席も末席であったが、小規模ギルドとして参戦。雇い主のギルド──討伐失敗の後、しれっと解散して消えた八ギルド連合のひとつに強要され、カワウソ達はギルド武器……神器級(ゴッズ)相当のそれをもって、乗り込んだ。

 

 第一階層の墳墓を破壊し尽くした。

 第二階層の蟲地獄や水死体を焼き払った。

 第三階層で、階層守護者(シャルティア)の最後の抵抗を受け、ギルド長を護った拍子に神器級(ゴッズ)の槍で貫かれ、熾天使だったカワウソは蘇生不能に陥り、脱落。

 

 ──仲間たちは進攻を続けた。

 

 第四階層の地底湖を走破し、

 第五階層の氷河を煉獄に変え、

 第六階層のジャングルを蹂躙し、

 第七階層の溶岩を凍結させて……

 

 あの、第八階層で──仲間たちは、皆、負けた。

 

 1500人の討伐隊は、“あれら”と“少女”に、殲滅された。

 

 ギルド武器は砕き折られ、ギルドは消滅し、皆とあれだけ苦労して整えた拠点は、無人の屋敷に変わった。ナザリックの第三階層で死んで、ホームポイントだった拠点に戻った後のこと。ギルドの皆が勝って戻るのを、いつものようにささやかな祝勝会の準備をしながら待っていた時、唐突に、旧ギルドのNPCたちが消え失せ、拠点を使用していたギルドがなくなり──カワウソはそこで初めて、討伐が失敗した事実を知った。頭上に浮かぶ『敗者の烙印』が、赤々と、熾天使の頭上に輝いた。

 

 ギルド長たち主要メンバーはINしなくなり、残存していた人たちもユグドラシルに留まることはなく、副長はリアルの仕事がようやく一段落して再会を果たし、同時進行でリーダーに起こったトラブルも、──ようやく聞けた。

 ……旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)は、完全に崩壊し、カワウソは『敗者の烙印』を押されたまま、狂ったようにゲームにのめり込み続け、ボーナスを全部課金してまで続けて……そうして。

 

「カワウソ様」

 

 耳元で呼びかける女天使の声に、カワウソは頷く。

 

「──門を開けに行け! イズラ! タイシャ!」

 

 鍵開けの得意な盗賊(ローグ)と、偵察哨戒に一日(いちじつ)の長を持つ斥候(スカウト)が翔ける。

 二人を阻もうと、地中や空中より襲来する骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の大軍列を、ウリの広範囲爆撃が薙ぎ払い、灰燼に帰して踏破する。

 イズラとタイシャが真っ先に門の巨大な錠前にとりついた。

 

「防御陣形!」

 

 二人の作業を護るべく半円の陣をミカは召喚した天使で築き、その内側に護られるNPCたちは適時援助攻撃を行う程度。

 堅牢な門扉の複雑な施錠を外すまでの五分あまりを、カワウソは祈る思いで戦い待ち続ける。

 

「────開錠成功!」

 

 金属の荘厳な音色が響く。

 歓声はあがらない。あげている余裕などない。アンデッドの黒い竜が煩わしい以上に、ここから先にある本物の戦域(ナザリック)での戦いを思えば、浮足立っている余裕など皆無。

 最低限の周辺警戒を終えて、イズラとタイシャが我先にと鉄製格子扉の奥へ滑り込む。敵影は、いっそ不気味なまでに存在しない。仲間たちを門の内に誘導。

 ナタとクピドが警戒と邀撃(ようげき)に加わり、ついで座天使(途中で再召喚したもの)に乗っていたウリ、アプサラス、マアトが戦車から降りて続く。イスラ、ガブ、ラファがカワウソを護り囲むようにして墳墓の入り口をくぐり、ミカとウォフが殿軍(しんがり)を務め終える。召喚した天使たちを全投入して、アンデッドたちの防波堤役を命じた。

 天使の澱は、全員で、ナザリック地下大墳墓の表層に、到達。

 

「ガブ、今だ!」

 

 吼えた主人の号令に則して、聖女は魔法を唱える。

 

「〈三重魔法最強化(トリプレットマキシマイズマジック)完全聖域(パーフェクト・サンクチュアリ)〉!!!」

 

 聖なる光の絶対防壁。三つの神聖な立方体の力によって、墳墓の外の軍勢……腐敗した不死竜共は、一歩どころか一指たりとも、己の防衛対象である拠点へ触れること叶わず。

 この魔法を発動中、ガブは攻撃行動をとれなくなるが、問題ない。

 侵入を果たすまでの時間を稼ぐための完全聖域は、アンデッドなどの負の存在に対して、触れただけでたちまちの内に浄化する攻性防壁のごとく立ちはだかり続けるのだ。

 

「よし。中央の霊廟(れいびょう)に!」

 

 向かおうとした、その時。

 

 

 

「そこまでよ──侵入者共」

 

 

 

 湧きおこる気配。

 戦慄が氷の刃のように、背筋を、心臓を、脳髄を、撫でる。

 

ようこそ(・・・・)。不遜にして無知蒙昧なる天使共」

「──歓迎いたしんす(・・・・・・・)

 

 中央の霊廟より姿を現した、傾国の美女。

 それが、二人。

 イズラたちNPCが、誰一人として気配にまったく気づかなかった、圧倒的強者。

 反射的にイズラが弓矢を瞬速で放ち、タイシャが速攻で雷撃を飛ばす──が、それらは不可視の壁にでも激突したように払い落とされる。

 一方は、カワウソが良く知っている吸血鬼。

 一方は、カワウソにはまったく未知の存在。

 真紅の戦装束・鎧甲冑を身に帯びた銀髪紅眼の真祖。

 純白のドレス・黄金の首飾りを纏う黒髪黒翼の悪魔。

 

「ば、馬鹿な──どうやって……どうやって隠れていた?!」

貴女(あなた)方ほどの気配を我々が完全に失念する筈がないぞ!?」

 

 イズラとタイシャの絶叫。

 その負け犬共の吠え声に対し、吸血鬼は超然と微笑み、女悪魔は艶然と含み笑う。

 

 

〈認識阻害〉という、この異世界で練り上げられた魔法は、ユグドラシルの存在には覿面(てきめん)な効能を発揮する。アンデッドの気配を断つ吸血姫(イビルアイ)のそれや、生命反応を遮断する旧沈黙都市の封印者が使っていたそれなど、独自の進化を遂げた現地のマジックアイテムを余すことなく研究し検証し──ナザリック地下大墳墓は、「あらゆる存在の認識を阻害する」魔法の装備類や敷設型アイテムを、極秘裏に、かつ大量に鍛造し製造することができていた。

 

 

「──『降伏勧告』のために、私たちは姿を見せたのに」

「──手を出したのは“そちらが先”でありんす、ねぇ?」

 

 愉悦に歪む美貌は恐ろしく微笑み、敵対者たちへの慈悲など最初(ハナ)から与えそうにない気配で煮られていた。

 そして、〈認識阻害〉の装備やアイテムの恩恵で隠れていたのは、そこにいる悪魔や真祖だけでは、ない。

 カワウソとミカ達──天使の澱の前に、それは顕現する。

 

「……チッ。クソが」「ちょ、う、嘘!」「この、気配は──」「やられ、ましたな」

「あり、え、ない」「────こんな、数」「うわー……、マジかー」「不覚不覚不覚ッ」

「いや真に誠に多すぎます!!」「ぁわわわ」「──へぇ?」「はッ。結構な数だことでぇ」

 

 ミカたちが口々に雑言を漏らすほど、不可解な事象。

 いつの間にか、そこに現れていた……蜃気楼のヴェール、特殊な迷彩布にでも隠されていたように姿を現すのは、ナザリック地下大墳墓が誇る、屈強な衛兵たち。

 

 ナザリック・オールドガーダー。

 ナザリック・エルダーガーダー。

 ナザリック・マスターガーダー。

 

 そして。

 それら精悍な衛兵共と共に(あらわ)となった、強壮かつ烈凶のアンデッドたち。

 

 蒼い悍馬に跨った騎士・蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)。十数体。

 白濁した眼球を無数に宿す肉塊・集眼の屍(アイボール・コープス)。十数体。

 死と腐敗のオーラを常に撒き散らす盗賊・永遠の死(エターナル・デス)。十数体。

 黒い幽鬼の姿は、先ほど仕留めた者とは別の、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)。十数体。

 ……生産都市で殺した死の支配者(オーバーロード)系統も、ダース単位で表層の墳墓で待ち構えていた。

 他にも様々な“上位”アンデッドが、見本市のごとく墳墓の表層に並び立っている。優に100を数える上位アンデッドの群れ……軍が、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)を完全に、包囲。

 たった13人程度のLv.100では追いつかない、「絶対死」の葬列。

 ──ここにいるアンデッドのすべてが、ナザリックの超烈な強化を受けていると考えれば、その能力はLv.100相当──それが100体以上とは、確実に脅威的だ。

 あれほどの行軍の果てに、苦労して解放したはずの門は固く閉ざされ、石像のゴーレムや墓石に化けていたモンスターによって、退()き口を潰される。

 第三の防衛線が手薄に見えた理由は、これ。

 すべては罠であった。狩りの獲物が、籠にぶら下がる餌に食いつくのを誘うように、天使の澱はまんまと出し抜かれたわけだ。

 終わりだ。何もかも。

 撤退脱出など不可能。

 突破は、……

 

「突破できるなどとは、夢にも思わないことね」

 

 ドス黒い蔑意(べつい)の眼差し。

 女神のごとく優美な顔に宿る敵対者への呪詛じみた感情は、遠目にも、カワウソたちを八つ裂きにしたくてたまらないという悪暴の色が塗りたくられていると、わかる。

 

「おまえたち、天使共の死に場所は、“ここ”」

 

 虐殺の意気に濡れる紅玉。

 見慣れていたはず第一・第二・第三階層守護者が紡ぐ甘い声音は、「おまえそんな声だったのか」と軽く感動するのも憚られるほどの、敵意の血色に滲んでいると、理解する。

 

「至高の御身、魔導王アインズ・ウール・ゴウン様の慈悲を得て、この表層で果てることができるという事実を、御身からの御恵み……かくも素晴らしき御方から、貴様らに対する贈り物であると思いなんし」

「諦めることね、堕天使」

 

 抵抗さえしなければ、慈悲深き死でもって、罪を償わせてやると。

 ミカたちが手にした武装を構え、カワウソを囲む防御陣を築くが、四方八方に(こご)る死の圧力に、誰もが抗し難い事実を脳裏に描く。

 そんな、NPCたちの後悔と屈辱と挫折感の中心で。

 

「……諦める?」

 

 堕天使は、悪夢に(うな)される傷病者のような声音で、くりかえす。

 

「あきらめる、だと?」

 

 カワウソは、白い女悪魔を睥睨(へいげい)する。

 

「諦めるわけがない。諦めていいはずが」

 

 ない、と。

 そう紡ぐよりも先に、

 

 ドシュ

 

 と肉を引き裂くような音色が、堕天使の耳に突き刺さる。

 

「グ、ァ!!?」

 

 次いで零れた声音は、少年の苦鳴。

 カワウソの目の前に飛び出していた蒼い髪。

 自分たちの創造主へ迫る脅威の超速度──それに完全に対応可能なステータスを示す“矛”。

 少年の中心を、鉛色の瘴気を纏う白刃が、抉る。

 差し込まれた刃の数は、二つ。

 

「ナタッッ!?」

 

 驚愕し、目を見開く間際。

 ナタは己を抉り殺した──ゴーレムの起動(コア)を確実に斬り砕いた──ほんの一瞬で一撃死(クリティカル)させた処刑鎌の持ち主たちを切り払う──が、完全な非実体モンスターに、ナタの物理攻撃は効果を発揮しない。

 超速度で離れていく上位アンデッド二体は、同胞の仇討ちをしそこねたことを悔やみながらも、後退。

 この場を仕切る女悪魔と吸血鬼の壁になる位置に舞い戻る。

 貫かれた胸元から、純白の花弁をこぼすナタ。

 

「ア──あ……」

 

 壊れた機械のように、手足から力感をなくす少年──その四肢に、新たな力が蘇る。

 (コア)に灯るのは、一瞬の閃光。

 風火二輪の靴を大地に噛ませ、落としかけた武装を器用に振るって持ち直す。

 

「自分は、無事です!!」

 

 ですが、と少年は申し訳なさげに続ける。

 

「申し訳ありませぬ、師父(スーフ)!! 自分は今、復活スキルを、消費しましたッ!!」

 

 そう。

 それがナタの最大の能力。

 確実に今、花の動像(フラワーゴーレム)の機能中枢──コアを破壊されたにも関わらず、ナタは自動で復活を果たした。

 その光景を前にして、玲瓏な悪魔の美声が紡がれる。

 

花の動像(フラワーゴーレム)の特殊スキルね。──Lv.5の花の動像は、一日に一度だけ、自らを蘇生・完全復活させることを可能にする能力」

 

 他にも、花の動像は“光合成”──つまり、自然体力回復という稀少な能力も併せ持つ、NPC限定のレア種族。

 それらを確実に理解しながらも、カワウソの知らない女悪魔──シャルティアという守護者と肩を並べて君臨する女神のごとき(たお)やかな淑女を、堕天使は睨み据え続ける。

 

「おまえは、いったい」

「貴様らごときに、この私が名乗りをあげるとでも?」

 

 だろうなとカワウソは頷く。

 カワウソという侵入者・侵犯者に対して、情報を与えるようなバカはしないという強い意志を感じ取る。

 嘲弄するように面貌を微笑みのまま固定しつつ、暴力的なほど過剰な敵意を如実に示す黒髪有角の烈女。その正体は、カワウソが知らないナザリックの守護者か。あるいは、現地で捕縛使役することに成功した存在なのかは不明。だが、その存在感は、隣に立つ真祖の吸血鬼……シャルティア・ブラッドフォールンのそれと同等同格。

 シャルティアと並んで、魔導王が生み出しただろう上位アンデッドに護られている立ち位置にある以上、悪魔たる彼女もまたこのナザリックにおいて相応の実力者……Lv.100NPCと同等の存在と見て、間違いない。第八階層の次・第九階層の守護者あたりだろうか。

 

 しかし、疑問がひとつ。

 どうしても気になる事実が、ひとつだけ、ある。

 

「俺は、アンタに似たあれを、……少女を知っている」

 

 あの第八階層で。

 あの1500人全滅の動画で、幾度となく視聴し続けてきた──真っ赤な、少女。

 今、あそこにいる女神のごとき女悪魔は、あまりにも、あの少女にそっくりであった。

 

「おまえは、あの赤い少女の、姉妹(しまい)か、何か、か?」

 

 震える声でこぼす疑問。

 だが、解答は得られることなく、白い女悪魔は問い返してくるのみ。

 

「……あの()を知っているということは、やはりオマエは、あの1500人の関係者……ということね?」

 

 悠然とした微笑が、ただでさえ黒い凶笑が、敵意と憤怒と憎悪と失望の熱を滾らせるような無表情に、変貌。

 

「1500人?」

「とぼけるなッ! 堕天使風情がァッ!」

 

 猛り狂うシャルティアが、轟々と槍の穂先を振るう。

 

「貴様は! あの不遜愚昧なる1500人! 我等が守護する大任を与えられしナザリック地下大墳墓を──御方々の居城を踏み荒らした害獣共! その一人だったのでありんしょうが!」

 

 火山噴火よりも荘烈な激昂は、弱い存在が傍にいれば声と槍の風圧音圧だけで吹き飛びかねない力を周囲に(おど)らせ続ける。

 それを前にしても、カワウソは少し記憶を探るでもなく、解答へとたどり着く。

 

「ああ。だったら、どうした?」

 

 1500人という数字に、あの“討伐隊”のことであるという理解を得た。

 堕天使の肯定を前にして、ナザリックの守護者たちは厳格な対応に努める。

 

「──泣いて許しを請いなさい、堕天使共」

「さすれば。我等が至高の主、アインズ様によって、“苦痛なき死”を御許し戴けることでありんしょう」

 

 守護者たちは烈火のごとき怒りに身を委ねることなく、冷厳に天使の澱を葬る戦列を前進させる。

 

「……その程度のこともできない愚鈍愚昧愚劣であれば」

「おまえら全員──切り刻んで砕き潰して焼き融かして凍え震えながら殺された方がマシだったと、後悔させるでありんす!」

 

 万事休す。

 死の恐怖に竦むカワウソには、この上位アンデッドの全周包囲を、どうにかできる力は、ない。

 だというのに。

 カワウソの世界は、まったく別の色に染まっていく。

 

「────」

 

 泣いて喚いて獣の如く地を這いながら許しを請う──

 許しを請う。

 苦痛なき痛苦なき死を死を死を御許しいただける──

 御許し。

 

 ──許し?

 

 黒く染まる視界(ブラックアウト)

 

「ア、ああ、ア˝ア˝ア˝……?」

 

 漆黒の闇が、一言の紅い血文字で塗りつぶされていく。

 

  許し

  許し許し

  許し許し許し

  許し許し許し許し許し許し許し許し許し許し許し許し許し──!!

 

 堕天使の狂気的思考が、カワウソの奥にある禁忌の領域を侵犯していく。

 古ぼけていく記憶。何よりも大切な汚物。忌まわしくも尊き仲間達。繰り返される過去。

 嘲弄する悲鳴。数え切れない震動。涙は血の味に。血は涙の味に。嗤う自分を笑う自分。

 裏切った裏切り。裏切りを裏切った。裏切られ裏切り続けて。裏切っても裏切り足りない。

 許してください。許してください。許してください。──誰でもいいから許シテクダサイ。

 思考がチグハグに汚染されては修繕を受ける。

 思想がアチコチに移ろい流れイカリをおろす。

 ──許しにいったい、何の意味がある。

 仲間を許した自分。仲間を許してしまった自分。許してはいけない──許すべきではない──許していいはずがな

 

「カワウソ様」

 

 狂乱の坩堝(るつぼ)の中で、鮮やかに輝くような、呼び声。

 聞きなれた天使の温度に、意識が一瞬で浮上する。

 

「ア、──あ?」

 

 ここは、ナザリック地下大墳墓の表層。

 振り返れば、復讐の女神によく似た、熾天使(ミカ)の表情。

 堕天使の浅く震える呼吸を、あたたかな癒しの掌が励ましてくれる

 

「大丈夫です」

 

 無表情の極みを得ている熾天使の言の葉。

 星彩を帯びる唇は、そっと口づけるような声で、嫌っている主人の枢軸を支える。

 

「──我等が、います」

 

 その一言で十分……否……“十分以上”だった。

 

「は、はは……ああ、ああああ」

 

 脳液を沸騰させ、全身を焼き焦がしそうだった狂気が薄まり、自分の地獄行きに付き合う存在たち──この異世界で得られた“仲間”たちを、見つめる。

 

「……そうだな」

 

 震える声で、ミカ達の存在に万謝を贈る。

 しかし──

 ああ、なんて、ひどい。

 どこまでも非道で、どこまでも無道な、こんな自分(バカ)に付き合って死んでいく天使の澱たちを、カワウソは全員まとめて連れていく。

 

「うん。許しなんて、いらない」

 

 許しという言葉を紡ぐことへの抵抗をなくす。いつの間にか取り落としていた武器を拾い上げ、ボックスの中にしまう。

 

「俺は、みんなを許したから──だから」

 

 真実、すべてを許すかのように澄明(ちょうめい)な旋律を声にしながら、カワウソは涙を零す代わりに、ただの決意を口にこぼす。

 

「──諦めるわけにはいかない」

 

 涙声で言って、カワウソは頭上で緩やかに回り続ける円環を掴む。

 ナザリックの守護者たちが油断なく身構えるが、知っているのかいないのか、赤黒い円環の能力は、世界に波及するもの──

 

 世界級(ワールド)アイテム。

 

 発動を阻害されるよりも早く、カワウソの前に下ろされた円環は、復讐者の意志と掌に押し込まれるようにして、起動。

 途端、円環は赤黒い血のようなモノを(こぼ)し、したたり落ちた大量のそれは一瞬で、周囲一帯の大地を囲む円陣ほどの広さに、拡散。

 

「ついに!」

「発動しやがったでありんすね!」

 

 凶悪な笑みを浮かべる守護者たちになどお構いなしに、世界級(ワールド)アイテムはその効果を示す。

 円形の紅い陣は墳墓全周を廻り、やがて、その天上……空中にまで効果範囲を示す巨大な円環が何重にも回り広がり始める。

 そして──

 

「…………ん?」

「…………は?」

 

 

 

 

 何も起こらない。

 

 

 

 

「え…………なに?」

「一体、何だったでありんす?」

 

 墳墓の表層は、平穏そのもの。

 平原から薫る草花の風が、涼しく頬を撫でるばかり。

 守護者たる二人は、手に手に見慣れない装備を換装しながら、カワウソの世界級(ワールド)アイテムの効果が及ぼす攻撃などを警戒していた。

 だが、攻撃らしい攻撃はない。

 あるわけがない。

 

 

「発動完了」

 

 

 黒い男は飄然と頷く。

 残り発動時間は、きっかり10分。

 カワウソは悠々と、ボックスからあるものを探る。

 

「チッ。ただの、こけおどしかヨッ?!」

 

 血気にはやって、シャルティアが上位アンデッドに「()れ!」と命じる。

 ナタを貫き殺した具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)二体が、カワウソへの急襲を務める──その前に立ちはだかった薄鈍(うすのろ)熾天使(ミカ)を斬り殺そうと、邪魔するものを排除しにかかった──瞬間。

 (ざん)──と閃く音。

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)が、二体同時に死んだ。

 

「なにッ!?」

「ハァッ?!」

 

 ミカを引き裂かんと鎌を振り上げた死神は、熾天使の致命箇所への攻撃をいれようとしたその時、ミカの反撃の二太刀で死んでいた。鍔迫り合いもなにもない、一方的な殺戮劇。

 守護者たちをはじめ、全員が凝視する熾天使(ミカ)の肢体には、赤黒い光がともっているように見える。

 異変を察した具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)がさらに二体、世界級(ワールド)アイテム発動者であるカワウソめがけての特攻を演じる。

 そして、今度は先ほど容易(たやす)く致死させた──二体同時によるクリティカルヒットで殺したはずの、物理攻撃主体の少年兵によって、これまたありえない“即死”を遂げていた。

 笑う少年兵・ナタの全身もまた、ミカと同じ赤黒い……否、あの世界級(ワールド)アイテムの円環と同じ色に、淡く輝いていた。

 

「貴様、何をした!」

 

 女悪魔が堕天使に吼える。同時に直接攻撃ではなく、死の支配者(オーバーロード)部隊による魔法攻撃を命令。

 だが、天使共を殲滅できるだけの負属性魔法の絨毯爆撃は、何の効果も与えられずに終わる。

 堕天使は明るい微笑みのまま言ってのける。

 

「『卑怯』とは言わないよな?

 おまえたちナザリックも、世界級(ワールド)アイテムをいくつも持っているわけだしな?」

 

 二人は手中の装備を構える。

 カワウソたち、天使の澱の様子はまるで、“敵となれるものなど無い”がごとく。

 

「……ユグドラシルでは不可能だったけれど」

 

 熾天使(ミカ)智天使(ガブ)、天使たちの翼にくるまれ護られる堕天使は、

 

「この、異世界でなら────」

 

 攻撃を断行するでもなく、何かを、右手の指にはめつつある。

 ついで右手に、何か鉄の塊を握りしめた。

 平原の戦いの直前に、彼が確認していた──カワウソの、宝物。

 

「おまえたちは、この“剣”と──」

 

 掲げ示すそれは、どう見ても武装とは呼べない。

 カワウソが愛用する神器級(ゴッズ)アイテム──聖剣“天界門の剣(ソード・オブ・ヘブンズゲート)”では、ない。

 刀身は朽ち果てたように折れ砕け、武器としての用途としては使えそうにない両手剣──そのほとんど柄しかないような形状の、クズ鉄。“元の完全な姿”の時とは比べようもなく粗悪で脆弱で、何の攻撃にも防御にも使えず、何の光輝も美調も宿さない“剣だったようなモノ”を、カワウソは放擲することなく、しっかりと、握る。

 

 それは、この異世界に転移した初日、アイテムボックス内で真っ先に確認した「あるもの」だった。

 アルベドたちには、まったく価値のないゴミクズにしか映らない“これ”こそが、カワウソの切り札のひとつ。

 さらに、もうひとつの札を切る。

 

「あと……“これ”が何か知っているか?」

 

 剣の詳細など分かりようがなかったアルベドは一転、その純銀のごとく輝く装備品を見せられて、愕然と叫んだ。

 

「そ、それは──!」

 

 彼女は知っている。

 遠目にも、その意匠が意味する指輪の正体を理解する。

 銀色の輝きを灯す指輪に、三つの流れ星が意匠された、超々希少(レア)アイテム。

 彼女は、かつて、それを目の前で使ってくれた主人の説明を、克明に記憶している。

 堕天使は傲然と唱える。

 

「指輪よ! 俺の願いを叶えてくれ!」

 

 すでに、平原で使った超位魔法〈指輪の戦乙女たち(ニーベルング・Ⅰ)〉の冷却時間(リキャストタイム)は終了している。

 この指輪に込められた超位魔法の発動に支障はない。

 その証拠に、指輪が起動したことを報せる光輝が、墳墓の表層を明るく照らす。

 

莫迦(ばか)が! 超位魔法程度で、このナザリックの防御を突破できるわけがない!」

「悪足掻きにも程がありんす!」

 

 確信に満ち満ちる悪魔と真祖の叫喚。

 だが、カワウソは意にも介さない。

 

「やってみる価値はある」

 

 指輪の蒼白い閃光は、まちがいなく、堕天使の願いを発動させようと、煌々と輝き続ける。

 その光景に、悪魔は真祖に攻撃を託す。危険極まる(カワウソ)に、近づくような愚は犯さない。

 

「奴を止めてッ!!」

「言われずとも!!」

 

 シャルティアは中央の霊廟に陣取ったまま、スキル・清浄投擲槍(せいじょうとうてきやり)を構える。

 遠距離からの攻撃でも、魔力を込めることで目標を完全に追尾して穿(うが)ち殺す神聖属性の槍。

 (ゴウ)、とうなりをあげながら突き進む槍刃は、だが、火器を握る赤子の天使(キューピッド)の銃床に払い落とされて効力を失う。その小さな矮躯を覆うのは、やはり、赤黒い障壁。勝ち誇るような笑みが、グラサンの下の唇を釣りあげているのが憎たらしい。

 

 奴らの本当の性能を発揮した──わけがない。

 あるべき可能性は、ひとつだけ。

 

「奴ら全員、攻撃がきかない?!」どういうことだと疑問を発するよりも早く、シャルティアは周囲にある上位アンデッド群に下知を飛ばす。「殺せ殺せ!! 殺し尽せェ!!!」

 

 自らに与えられた口調すら忘れ紡がれた、主王妃による強命。

 とにもかくにも、上位アンデッドたちが攻撃を、魔法を、特殊技術(スキル)を解放。

 しかし、堕天使を取り囲む天使たちによって阻まれ護られ、何の成果もあげられない。

 否。

 その天使たちこそが、何かの力によって、守られている。

 

「俺の願いは、『この“剣”、このアイテムに与えられた機能を発揮し──』」

 

 その間にも、堕天使のプレイヤー・カワウソは、己の願いを発露する。

 右手の指にはめた指輪の流れ星(シューティングスター)が、輝きを増す。

 その最中(さなか)

 心の臓腑を握る魔法を。時を支配する時計を。袈裟斬りに振り下ろされた大剣を。豪速で繰り出された穂先を。魔法を帯びた一矢を。死神の巨大な処刑鎌(デスサイズ)を。あらゆる瘴気を綯交ぜにしたオーラを。騎兵の突撃を。邪眼の視線を。致死の短剣を。憎悪──敵意──呪詛──悪罵──殺意──ありとあらゆる、死を。

 それらは(ことごと)く弾き飛ばされ、無効化される。

 反則的なまでの性能。

 幾重にも張り巡らされた赤黒い防御力・明滅するような発光現象は、ただの一枚も、天使たちを一体も、突破できない。

 

「なんだ! 何なんだ、コレはッ!?」

「まさか、あの赤黒い環の効果が?!」

 

 この現象。

 吸血鬼(ヴァンパイア)女悪魔(サキュバス)が悔し気に呻く中で。

 赤黒い円環を“世界”に戴く堕天使が、最後の願いを、指輪に託す。

 

「『──“この剣の魔法”でもって、我等、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のすべてを……』」

 

「「やめろ!」」と本能的に叫ぶ守護者二人。

 だが、堕天使の声を──カワウソの願い求める声を、遮断することは、ついに、できなかった。

 

 

 

「『ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”に転移させよ』!」

 

 

 

 超位魔法が、発動した。

 

 願いは、聞き届けられた。

 望みはすべて、かなえられた。

 

 ──世界級(ワールド)アイテムに護られた拠点へ。

 ──世界級(ワールド)アイテムに護られた者たちが。

 

 ガラクタの残骸──朽ち果て折れた剣が光を放ち、天使たちを、天使の澱のすべてを、

 

 ──かの地へ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 起こったことが理解できない。

 

「な…………に────?」

 

 アインズは〈水晶の画面〉に映し出された光景を食い入るように見つめる。

 目の前から敵が消失してしまった事実に惑乱するアルベドとシャルティア。

 上位アンデッドたちも、完全に姿を見失っているように右往左往している。

 

 そして、映像の中には、奴らが、いない。

 

 天使の澱が、いない。

 

「チッ、クソ、馬鹿な、ありえん!」

 

 動揺し混乱の極致に達するアインズだが、アンデッドの精神はすぐに起こった出来事を、事象が現実のものであることを確認させる。

 玉座に備え付けの大画面──防衛機構の一部を使用して、表層の墳墓とは別の地点を透視するカメラを発動。この異世界で唯一、ギルド拠点に干渉可能なゴール地点──玉座にあるコンソールを操作しながら、奴等を探す。

 そして、映し出された光景は、剥き出しの岩塊が延々と地平線を構築するような、荒野。

 第六階層に比べ面積と高さは及ばないまでも、それでも広大な、剥き出しの大地が砂塵を巻き上げる、静寂の景色。

 

 

 

 そのほぼ中央に、ありえないものが、いた。

 

 

 

「……転移、している?」

 

 ありえない。

 このナザリック地下大墳墓は、世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”によって護られた拠点だ。

 その防衛能力によって、この拠点内に転移して侵入することは不可能。

 ギルドメンバー専用の指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)がなければ、たとえアインズであっても、階層をすっ飛ばして転移することは不可能なのだ。

 なのに。

 ナザリックの表層にいた天使たちは、

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)はすべて、

 第八階層“荒野”に転移した。

 

 ────信じがたいモノと、……世界蛇(ヨルムンガンド)脱殻(ぬけがら)と共に。

 

「ありえん。いくら超位魔法──〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使ったとしても……、いや、待て」

 

 この異世界において。

 使用者の“願い”“望み”を確実に実現する魔法へと変わっていた超位魔法。消費される経験値にもよるが、それは、不可能を可能とするのに好都合な魔法へと変じていた。

 カワウソが指に嵌めて使用したソレは、アインズも使ったことのあるガチャアイテム。

 経験値消費が要求される〈星に願いを〉を、経験値消費なしで、しかも三度も使うことができる超々希少なもの。

 

 だとしても。

 ナザリック地下大墳墓の防御力、世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”の防御を飛び越えるほどの魔法ではない。

 なかったはず。

 

 無論。それくらいのこともアインズは100年の間で既に実験検証済みだし、世界級(ワールド)アイテムを保有しているだけの存在……通称・モモンガ玉を装備するアインズであっても、世界級(ワールド)アイテムの転移阻害は『突破不能』──少なくとも、アインズ・ウール・ゴウンが所有する世界級(ワールド)アイテム──幾億の刃──強欲と無欲──「二十」と呼ばれるそれらを装備していても、不可能な事象。また、この世界に残っていた同格のもの──傾城傾国などでも、そんなことは──〈星に願いを〉の魔法を使って、ナザリック地下大墳墓の防御を突破することは──完全に不可能であるという実験結果を構築済みだ。

 勿論、貴重な経験値を消耗する魔法故に、実験可能だった絶対数はそこまでではない。

 が、それでも、こんなことありえないという思いが、アインズの存在しない脳髄を沸騰させる。

 

「いいや、いいや、いいや、まさか──」

 

 アインズは冷静に、冷徹に、冷酷に考える。

 今しがた。

 堕天使の輪のごとく浮かんでいた──鮮やかな血の色に輝き回る、天を覆うほど巨大な円環。数は“九つ”。それが今、“八つ”へと減った。

 それはまるで、紅の印璽のごとく、世界全体に、転移した先の第八階層に、赤黒い影響力を及ぼしている。

 

「まさか、あの円環の世界級(ワールド)アイテム……ええい!」

 

 ゆっくりと予想に耽溺しそうになる自分をアインズは叱咤した。

 原因究明(それ)よりも、今優先すべきことは、適確迅速な判断と対処であった。

 アインズは〈伝言(メッセージ)〉によって、第八階層守護者と即座に繋がる。

 

「ヴィクティム!」

あおみどり()()ボタン()()ハイ()タイシャ()()あおむらさき()

「敵が第八階層に侵入した。まことにすまないが、桜花聖域のオーレオールと共に、ギルド武器とニニャ、あとダアトを死守せよ。急なことで、我々がそちらに行くには問題がある。桜花聖域の防御レベルを最大級に──あれら(・・・)とルベドの状況は?」

 

 問題なく起動しております。御心配には及びません。

 そう告げる赤子のエノク語を聞いて、とりあえず胸をほっと撫で下ろす。

 

「うん。わかった。では侵入者共の迎撃は、“あれら”とルベドに一任する。おまえたちは、警戒を怠るな」

 

 第八階層守護者との連絡を切る。

 次いで、アインズは玉座にいる守護者たちに確認する。

 

「デミウルゴス……スレイン平野の、敵拠点の様子は?」

「も、申し訳ありません! これは、あまりにも予想外なことで、確認対応に時間が。情報も錯綜しており!」

「構わない。スレイン平野を常時監視させている“あれ”──火星(ゲプラー)天王星(コクマー)は、そのまま残しておこう。第八階層は、残る七体で対応できるはず。状況が判明次第、連絡を頼むな」

「──畏まりました。アインズ様!」

「うむ……コキュートス」

「申シ訳アリマセン! 我ガ息子タチノ方モ、敵拠点ノ“消失”──転移現象ハ意想外ノ事態ダッタモノデ……申シ開キナドモッテノホカトハ心得テオリマスガ!」

「良い。おまえの子供たちに落ち度などあるものか。この事態を予期しえなかった私の不明こそが、最大の(あやま)ちと言える」

 

「そんなことは」と抗弁する守護者やメイドたちを落ち着かせつつ、冷静に事態を見据えること己に課すアインズ。

 それでも、まんまと転移して(おお)せたカワウソに対する痛罵を吐き散らす自分を抑制しきれない。

 

「馬鹿な連中め──たったの十三人で、ナザリックの第八階層に、転移するなど……」

 

 思った瞬間、アインズは己の軽薄な思考を捩じ伏せる。

 あの堕天使──カワウソとやらは、……プレイヤーだ。

 プレイヤーであるのなら、アインズ・ウール・ゴウンが誇る第八階層の蹂躙劇を知らないはずはない。1000人規模のプレイヤーを飲み込み、殺し尽したあれら(・・・)の光景を、ルベドの脅威を、知らないユグドラシルプレイヤーが、いるものだろうか?

 全盛期ではなく、末期の時にユグドラシルにハマったとしても、あの時の動画データはネット上で無数に拡散され、だからこそ抗議メールが、運営もパンクするほどの量が届けられたのだ。その当時を知らない新参であろうとも、ナザリック地下大墳墓は、その第八階層を守護する者らの力は、周知徹底されて然るべき情報だったはず。

 ナザリック地下大墳墓は「難攻不落」──挑むモノは馬鹿でしかない、と。

 

「いいや、違う──」

 

 知っているに“決まっている”。

 堕天使は、カワウソは、言っていたではないか。

 飛竜騎兵の領地を去る際、マルコに交渉役をやらせた時、奴ははっきりと、明言していた。

 

『あのナザリック地下大墳墓・第八階層にいるモノたち(・・・・・・・・・・・)……“あれら”への──これは、復讐』

 

 そう。復讐。

 復讐こそが、彼の絶対目的。

 それ以外など、彼は何ひとつとして望みはしなかった。

 アインズ・ウール・ゴウンそのものではなく、ナザリック地下大墳墓の存在ではなく、

 カワウソの復讐の対象は、「“あれら”と“少女(ルベド)”だけ」だ。

 それ以外は余分でしかない。

 

 だから、願った。

 だから、欲した。

 

 あの堕天使は、明確に、明快に、「第八階層に転移させよ」と求め願い、そして、叶えられた。

 彼は、間違いなく第八階層を、知っている。

 第八階層の“あれら”や、ルベドを知っている。

 

「何か──まだ切り札があるのか?」

 

 あの、相も変わらず天を、第八階層の(そら)を覆う、赤黒い円環……世界級(ワールド)アイテムだろうか?

 だとしても、実に馬鹿げている。

 

「まさか、本気で──あれら(・・・)とルベドに、挑むつもりとは──」

 

 ありえないと思った。

 誰もが『チート』と表現した、ナザリックの最大戦力たる者たちに挑戦するなど──正気の沙汰どころの話ではない。

 堕天使とは自殺願望の強い種族なのだろうか。アンデッドに成り果てた自分のように、彼も種族的な特性や性質に引っ張られている可能性もあるだろうから、その辺りは研究してみたいところだ。

 しかし、

 奴らはもはや、助かりはすまい。

 

 だが、

 あえて、

 あの堕天使がすべて承知の上で、

 ナザリックの第八階層“荒野”に転移したとするならば。

 

「……何を企んでいる?」

 

 他にも様々な疑義が、難解極まる迷路のように、アインズの頭蓋の内に構築される。

 そもそも、奴らはどうやって転移した? 超位魔法の影響だけなのか?

 あの壊れた剣の効果だとしても──単純な転移魔法だとは思えない。

 仮にそうだったとしても、大いに疑問が残った。

 転移魔法は、己の目で……魔法で見た場所への転移は可能にするが、『動画で見た』場所というのは転移可能地点にはなりえない。かつて、あの第八階層に踏み込んだ存在だと仮定しても、そもそもどうやって“諸王の玉座”の防衛能力を──「転移阻害の絶対防壁」を突破したのか。いくら異世界に転移したことでシステム的な変更や調整が加えられているとしても、ナザリックが実験した限り、転移魔法の仕様はそこまで便利な改竄を施されていなかった。

 つまり、あの剣の力は、単純な転移魔法ではないという、推測がひとつ。もうひとつは、奴の世界級(ワールド)アイテムに、世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”を突破する「何か」がある可能性。しかし、そんな世界級(ワールド)アイテム、アインズは見たことも聞いたこともない。

 是が非でも、あの円環の性能や効果などは究明しておきたいが、使用者を限定しているアイテムの可能性もあるので、問題と言える問題はそのあたりか。カワウソの特殊な種族・職業が必須のアイテムとなると、奪い取っても使えない確率が跳ね上がるわけで。

 

「それに……」

 

 連中が転移した地点も、アインズ個人には奇怪に思えた。

 第八階層の入り口ではなく、何故か、荒野の中央地帯に、転移。

 連中、第八階層“荒野”のフィールドのほぼ中心に、ありえないもの(・・・・・・・)と共に転移している。

 

「なるほど。『天使の澱(ギルド)の“すべて”』と願ったのだから「そうなる」こともありえるだろうが」

 

 だとしても驚嘆して余りある光景に相違ない。

 すべてが終わったら、念入りに調べておく必要があるだろう。

 天使たちが今いるのは、第七階層から第八階層へ転移してすぐの入口地点でもなければ、第九階層に至るための出口である転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)の直前というわけでもない。

 荒野のほぼ「真ん中」だ。

 かつて確か──あのあたりで待機していたヴィクティムを殺したことで、連中の大多数は身動きが取れなくなり、それを眺める位置にいながらアインズたちは、あれら(・・・)の暴虐を発動。かつての討伐隊1000人規模……その全員を殺し尽すことに、からくも成功したのだった。

 そのような古戦場とも言うべき荒野の中心に、暴虐の嵐が吹き荒れるだろう死地に、奴らは自ら望んで飛び込んでいた。

 ナザリック侵入という愚劣極まる侮辱行為への激昂も、一周回って感嘆に置換されるほど、アインズは真実、面白がってしまう。

 表層周囲にある草原での合戦は、見事な差配だったが……あまりに「愚か」としかいいようがない。

 その証拠に、天使たちはアインズが最も危惧する方向とはまったく“逆”の道に──転移の鏡に向け、駆け出していく。

 

「連中の進行方向──目的は……やはり“鏡”だな」

 

 次なる第九階層へと至るための転移の鏡に向かって、13の敵が走る。

 あたりまえと言えば、あたりまえだが……桜花聖域──この異世界においてのギルド武器の安置場所と定めている領域──からは、遠ざかる道のりである。

 

「──ふぅ」

 

 ない心臓が穏やかな鼓動に変わるように、焦燥感は引く波のごとく消えていく。

 やはり、堕天使たちは、この拠点の、アインズ・ウール・ゴウンの誇るギルド武器の所在など──知らない。知りようがなかったようだ。これは当然。ギルド武器の安置場所については、あのツアーにさえ漏らしていない。万が一の可能性として、戦闘メイドなどのナザリックに属するNPCの記憶を覗いたりした場合も考えられたが、それは杞憂であったようだ。

 愚直なまでに、次の階層を目指し、全員一丸となって走り続ける。

 実に懸命な判断だ。

 涙ぐましいほど適切な処置である。

 しかし、だからこそ……愚かしい。

 

 ゴールになんてたどり着けるはずもないのに(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 思わず安堵と嘲笑の吐息を吐き出してしまう。

 アンデッドが息なんて吐くはずもないが。

 

「アルベド、シャルティア、(すみ)やかに玉座の間へ戻れ。……ああ、連中やってくれたよ」

 

 魔法の繋がりの向こう、画面(モニター)越しに見える狂乱と恐慌に彩られる二人の蒼白な表情を見かねて、アインズは「大事(だいじ)ない」ことを言い含めていく。親が子の失敗を許すように、夫が妻の小さなミスを許すように、彼女たちの失態を受け入れ、それを“()”とする。

 

「なに、おまえたちが謝る必要などない。そして、心配する必要も、ない。連中があの第八階層で果てる様を、ここで皆と共に観戦しようじゃないか。大丈夫。私はおまえたちのすべてを許そう。アルベド。シャルティア」

 

 待っているぞと優し気な微笑を含めつつ、王妃二人との〈伝言(メッセージ)〉を終え、泰然と指を組むアインズは、改めて第八階層を、観る。

 いっそ小気味よいほど軽妙な心持ちで、魔導王は玉座の間に煌々と映し出される大画面(モニター)を見つめ直す。

 嘆息するように肩を竦める。

 

「……さぁ、どうするんだ?」

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)とやらが、“自称アインズ・ウール・ゴウンの敵対者”たちが、最後にどのような抵抗を見せるのか。

 アインズは空っぽな胸骨の奥の鼓動を熱くしながら、天使たちの行方を──その道程(みちのり)に存在し待ち受けるあれら(・・・)少女(ルベド)を、ただ観る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズは、知らない。

 ナザリックの者たちも、知らない。

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に存在する十二体のNPC……

 その力、その機能、その役割……

 

 彼らのほとんどは、

 堕天使プレイヤー・カワウソによって、

 あの「第八階層を攻略するべく用意されたもの」である──その事実を。

 

 

 

 アインズは、まだ知らない。

 

 まだ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 超位魔法と、朽ち折れた剣が導いてくれた結果を、堕天使は整然と受け入れる。

 カワウソは荒野の園の中心で、生命の息吹を感じない戦場で、天を見上げる。

 

 

 

「……やっと」

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓が誇る転移阻害。

 転移阻害は、ギルド拠点の仕様というより、拠点防衛用のアイテムなどを使って敷設されるシステム。だが、ナザリック地下大墳墓などの高レベルダンジョンは軒並みありえないような転移阻害能力を獲得しており、小規模のそれとは雲泥の差と言ってよい。

 

「やっと、会えた」

 

 そんなナザリック地下大墳墓の防御を突破し果せた堕天使は、空を──(そら)を、見上げる。

 

「ああ……やっと……やっと終わらせられる(・・・・・・・)

 

 

 

 皆との、誓いを。

 あの時の、約束を。

 

 

 

「終わりにしよう。何もかも」

 

 

 

 カワウソは、拠点NPCたちと共に、“あれら”を見上げる──

 

 

 

 そこには、空に浮かぶ星が、──七つ。

 

 太陽・月・水星・木星・金星・土星など。

 

 愚かなる侵入者・カワウソは、その名前を知らない。

 

 第八階層の“あれら”こと──

 

 

 

 

 

 生命樹(セフィロト)

 

 

 

 

 

 生命の樹はエデンの園に存在する樹であり、知恵の実を食べた人間が、生命の樹になる実を食すことで、完全なる生命・不老不死となることを恐れた神により追放される原因となったもの。

 そして、ユダヤ教・神秘主義思想のカバラにおいて、生命樹とは10個の(セフィラ)と22個の小経(パス)で繋がる象徴図で表され、それぞれが神の属性を反映し、それぞれに対応した名称や色彩、宝石や金属、守護天使──そして“星”が定められている。

 

 

 太陽(ティファレト)(イエソド)火星(ゲプラー)水星(ホド)木星(ケセド)金星(ネツァク)土星(ビナー)天王星(コクマー)海王星(ケテル)、そして、地球(マルクト)

 

 

 第八階層の“あれら”とは。

 第八階層守護者たる胚子の天使・ヴィクティムに与えられた住居(ゆりかご)

 そして。

 かつて“ナザリック地下墳墓”を守護していたボスモンスターたちより賞賛のごとく贈られた世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”によって統制された暴力装置。

 諸王とは即ち、かつてダンジョンに君臨していたボスモンスターのことを示す。

 

 

 星の形状を構築した、偽りの宇宙(ソラ)に浮かぶ発光体。

 

 

 ──世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”とは、ユグドラシルの拠点敷設用アイテムの中で、最高の防御にして、最大の攻撃を顕現せしもの。

 

 

 あまねく王を統べ治めし者──「諸王が(かしず)(とうと)ぶ、究極の玉座」に座することを許されし、絶対者にして超越者──高レベル拠点ダンジョンを初見クリアで獲得せしめたギルドの長を守護し、刃を向ける有象無象を悉く焼き尽くし薙ぎ払い飲み込み滅ぼし壊し砕く性能を発揮する──“拠点防衛”において、ユグドラシル世界最高の威を示す世界(ワールド)クラスの降臨体。

 

 

 

 

 

 

 

 

 カワウソは──天使の澱はついに、第八階層の攻略に、挑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第八章 第八階層攻略戦 へ続く】

 

 

 

 

 

 




※これは二次創作です。
 第八階層守護者・ヴィクティムの住居【生命樹(セフィロト)】の情報は、書籍六巻の巻末キャラシートを参考にしております。
 ただし。
 第八階層の“あれら”が、生命樹(セフィロト)のことを指すという原作情報はありません(・・・・・)
 ──ありません(・・・・・)

 しかし。第八階層にある複数形のもの=あれらって呼べるものは、
 現状だと生命樹(セフィロト)ぐらいしかなさそうなんですよね。
 おまけに、Web版の「大虐殺-4」で、

〈以下抜粋〉
「──戻れ、第8階層に」
 アインズはここまで連れてきた最大戦力の1つをナザリックに撤収させる命令を送る。誰が気づいただろうか。太陽と重なるように、巨大な発光体があったのを。
〈抜粋終了〉

 という感じでしたからね。
 もちろん、書籍とWebでは設定が違う可能性も大いにありますが……
 さぁ、どうかなー?

 次回・第八章もお楽しみいただければ幸いです。


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第八章 第八階層攻略戦
“荒野” -1


〈前回までのあらすじ〉
 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、平原の戦いを凌ぎはしたが、絶体絶命のピンチに陥る。
 その時、カワウソが起動した世界級(ワールド)アイテム、超位魔法、そして──“壊れた剣”。
 堕天使はついに、自らの復讐を遂げるための、本当の戦いに身を投じていく。

 第八階層“荒野”を突破するための戦い──

※注意※
 今話にて、1500人討伐前の『ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの回想・過去』が入ります。
 ですが、これは【二次創作】です。


/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.01

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 時を少しだけ遡る。

 

 

 

「うーん」

 

 簡単な任務だと聞かされていたスティーヴ・テスタニア……魔導国・第五方面軍・第二連隊・第七大隊所属の特一級哨戒(しょうかい)兵長は、遠眼鏡のマジックアイテムや〈遠隔視〉の魔法などに頼ることない方法で、魔導国首都圏で“禁断の地”と称される大地・スレイン平野を眺める。

 生き物が全く存在していそうにない──現実的に考えれば、砂漠などの土地にもそこを棲み処とする生き物がいて当然なのだが、その平野はまったく生物が寄り付かない・時が止まっているかの如く封じられたようなありさまで、とても現実的な光景ではない──土地に、不可思議な魔法の鏡が(ちゅう)に浮かんでいた。

 男の疑問符まじりの声に、女の明朗な声が重なる。

 

「なに、どうかしたの?」

「いや……最初からの疑問なんだが」

「うん」

「……何なんだろうな。アレ」

「さぁ? 私には何も見えてないし」

 

 曖昧に相槌を打つのは、艶やかな黒の体毛に覆われた全身を誇る獣身四足獣(ゾーオスティア)の女。名は、ルヤ。

 スティーヴと共に……というか、数多く存在する特殊警戒任務部隊の一員として派遣された亜人の乙女は、他のものたち同様に、この任務の基幹を担う人間の同僚を護衛する任を帯びた一兵卒だ。ふかふかの毛ざわりを同僚の男に対して供与できる定位置につく女性兵士は、もはや慣れた調子で明るい髪色の人間──異種族の雄との共同作業に勤しむ。

 スティーヴは彼女の四足獣の部位に背中を預けている。全身肉食獣な見た目に反して、ルヤは割とおとなしく、スティーヴの能力を発揮するのにそこまでうるさくない性格であり、いろいろと相性がいい。苦節10年も経ったことで(つちか)った信頼関係のおかげである。

 人間の脆弱な見た目では戦闘にも役に立たないような、異能の力だけで軍籍に身を置かせてもらっているだけの男に対し、女は生粋の戦闘巧者な亜人の系譜。獰猛な四足獣からなる下半身に、上半身もまた獣じみた体格と毛皮に覆われ、黒い艶を帯びた長髪をふわふわとたなびかせている、屈強な女戦士。護衛役の用心棒にはもってこいでありつつ、スティーヴの限定的な異能の力には欠かせない存在であるため、入隊時からずっとペアを組んでいる間柄なのだ。

 

 ここは〈上位認識阻害〉という魔法で覆われた大天幕。

 スレイン平野を囲む沈黙の森から数キロ離れた土地、位置的に言えば冒険都市の南部、三日月状の湖を挟んだ対岸の草原丘陵地に、彼等魔導国の軍属は居留して久しい。

 天幕の中には、他にも様々な軍人が野営しており、それら全員が今回の特殊任務に合わせた制服……〈認識阻害〉の効能を発揮するものを帯びているが、その形態や体形は様々。

 スティーヴのような人間の他に、多腕多脚が特徴的な蟻人や蠍人、人蜘蛛(スパイダン)の他に、虎や猿や豚や山羊や鉄鼠のような見た目、下半身が馬や獅子のそれになっている者、あるいは手足のない異形の姿などもある上、精霊や森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)なども勢揃いしている。

 

 スティーヴたちは、大陸の第五方面……俗にいう大陸中央の北西地域を管轄としている軍団に属しており、その地で魔導王陛下やナザリックの方々に仕えることを生業(なりわい)としつつ、地方都市で軍務に明け暮れていた。明け暮れるという言葉の通り、軍は日常的に戦闘訓練に勤しみはするが、本格的な武力衝突・実際の戦闘戦争などに駆り出されることは滅多にない。なにしろ、ここはアインズ・ウール・ゴウン魔導国。敵対する組織も国家も、100年も昔に絶えて久しい統一国家の軍組織なのだ。軍らしい働きと言われると、ごく最近、10年前の反乱鎮定に駆り出されたのが、最も大きな務めとなっている。

 それ以降は、平和なものだ。

 十代での初陣が、件の反乱鎮定作戦──大規模な動員令だったが故に、当時のスティーヴは「転職しちまおうか」と従軍中は何度も考えた(異能のおかげで適した職業を差配されていたが、スティーヴの臣民等級だと自由に職業を選択可能である)。しかし、運よく彼は生き延び、この10年は穏やかな軍隊生活を満喫させてもらっている。災害派遣や要人警護、諸々の儀礼や式典行事なども重要極まる任務に相違ないが。

 そして、今回。

 四個軍──第五方面の他に、第六・第九・第十方面軍を結集し、首都圏での大規模攻囲戦を想定しての訓練(と、下士官たちは通達されている)にて、スティーヴのいる特務部隊は、奇妙な任務内容を受領していた。

 

「スレイン平野に“魔法の鏡”があるなんて噂、ルヤは聞いたことあるか?」

「そんなの、あるわけないでしょ、スティーヴ?」

 

 ルヤは巨大な鉄槍を肩にかけたまま、静かに語る。

 

「そもそもスレイン平野自体、いったい何であるのかも不明ときているからね」

 

 牙列を剥きだして笑う漆黒獣の乙女が語る通り。

 魔導国臣民でスレイン平野の情報を詳しく知るものは、ほとんどいない。場合によっては、ほとんどの臣民が存在を認知しておらず、通りがかっても森や湖の向こうにある土地へと興味を示すような観光客など少ない。スティーヴたちのような軍属であればある程度の認知を得ることは得られるが、場合によってはスレイン平野近郊の都市民ですら、軍に入隊してはじめて存在を知った……なんて話もあるほどだという。一説によると、よほど偶発的なことでもなければ、臣民にはスレイン平野のことを気にかけるようなことはできない特殊な魔法が施されているのでは──なんてことがスティーヴたちの属する軍団内にて囁かれ始めている。

 そんな謎の土地に、ポツンと浮かぶ、一枚の鏡。

 スティーヴが、彼の能力……幼少期に義務として受けた適正鑑定によって知った生まれながらの異能(タレント)「遠くのものを見ることができる(ただし、“ふわふわ”の感触に身体を預けていないと発動しない)」によって見定めている限り、現在、その鏡の周辺には何もない。ここ数日とはかなり状況が変異しているが、その詳細などただの兵隊に理解が及ぶものではなかった。

 スティーヴたちも、何とはなしに察しはついている。だが、それを口にするのは憚りがあった。

 これは訓練という名目で、あの奇妙な鏡を隠密裏に調査しているのだろう。と。

 

「調子はどうです?」

 

 呼びかけられた瞬間、スティーヴは視界を天幕の中に戻す。

 ふわふわの感触から身を起こすだけで、異能は解除された。

 獣顔銀瞳のルヤと共に立ち上がり、天幕の中の全員が敬礼でもって迎え入れたのは、この大天幕の中では一番の上位者──大隊長である。

 森妖精(エルフ)の耳に悪魔のごとき角を生やし、ルヤのそれよりもデカい胸元が妖艶な香りを漂わせる女性……ではなく、その胸に大事そうに抱かれて姿を現した藍蛆(ゼルン)──水晶じみた光沢のある、でかい“蛆虫”が、それだ。

 

「ハッ。大隊長殿──観察対象に動きはありません」

 

 遺漏なく応える哨戒兵長に対し、大隊長──蛆虫は驚くほど柔らかく甘い蕩けた女の声で頷く。

 

「よろしい。くれぐれも警戒監視を怠らぬように」

 

「五行」などの特殊な魔法の使い手でもある藍蛆(ゼルン)の女隊長は、急いで動くには不向きな形ゆえに、副官に抱かれて動くことが常態となっている。スティーヴたち監視要員たち──“遠見”系統に準じる異能(タレント)持ちたちを、女隊長は労うように巡っていく。異形の姿をした一等臣民の蛆虫を、下士官たちは本気で敬意を払って見送っていった。

 

 魔導国で義務化されている「異能鑑定」によって、臣民の中に潜在している異能持ちは(ことごと)くデータベース……戸籍上に登録されており、そういった者たちはそれぞれの異能を駆使できるような職業──軍などに職を得ることが多い。何しろどのような等級──第一等~第五等であろうとも、等しく国家公務員なみの生活と給金が保証されるとあっては、無碍(むげ)にする方がおかしいというもの。勿論、これは強制ではなく、あくまで臣民の自由意志と自己決定権が尊重されているため、転職は容易ときている(それだけ“人員の補充”がきくという事実があるのだ)。

 

「にしても不思議」

「なにが?」

「スティーヴの異能(タレント)──なんで私みたいなフワフワがないと発動しないの?」

「さぁ──なんでなのかなんて、こっちが聞きたいくらいだよ」

 

 真実、訊かれた方も首を傾げるしかない。

 生まれながらの異能(タレント)にはこれといった規則性があるとは臣民には見なされておらず、その発動原因や構成因子についても、一般常識として語られるものではない。魔法都市などの研究機関であれば、あるいは説明のしようもあるのだろうが、専門家でも知識人でもないスティーヴにしてみれば、「ただ使えるから使っている」程度のものでしかないのだ。これは。

 

異能(タレント)持ちって言えば、噂の信仰系魔法軍の」

「全盲のスゥ卿だろ? 昨日、ビョルケンヘイム卿と一緒にいた」

 

 (きょう)という呼ばれ方は、魔導国内でも有名な実力者に対し、一般臣民たちが使う敬称の一種だ。魔導国に旧態依然な貴族階級などは存在しないが、ナザリック地下大墳墓と、その運営に深く関わる“傘下”や、第一級都市長などの特一等臣民などは、他の臣民よりも重い責務を与えられている上、王陛下や守護者各位からの覚えも良いという境遇にある。これで他の臣民と同義に思う者は多くないがために、半ば自然と浸透していった敬称呼びが、これなのだ。

 

「噂だと、スゥ卿は“人狼(ワーウルフ)”っていう珍しい異形種って話なのに、見た目は完全に人間なのな?」

 

 後詰部隊として派兵されている信仰系魔法軍──なんでも、その総司令殿は、ナザリック地下大墳墓の、とある女性配下と婚姻関係にあるのだとか。定期的に〈認識阻害〉の魔法が機能不全に陥っていないかどうかを点検するかのように姿を現す人狼部隊の筆頭は、黒い短髪に黒い聖衣姿の、ただの人間とさして何も変わらない姿をスティーヴなど下士官や兵員たちの前にさらしている。彼は『信仰最適性』という異能によって、ほかの臣民よりもはるかに強力な信仰系魔法詠唱者の力量を獲得しているらしい。

 国内で有名な“異能持ち”は他にもいる。その筆頭と言えば、魔導王陛下と魔王妃殿下が御息女の『魔法増幅』や冒険都市長(旧竜王国の女王)の『竜王しか扱えないはずの始原の魔法(ワイルド・マジック)を扱える(ただし、大量の魂が必要)』という希少な異能。さらに、あのバレアレ商会の創始者と言われるンフィーレアなる歴史上の人物は、『ありとあらゆるマジックアイテムを使用可能』という破格の異能持ちだったと、その界隈(かいわい)では知らぬ者はいない。

 

「にしても。何だってまた異能(タレント)以外での遠見や監視が禁止されているんだ? 監視や遠見だったら魔力系魔法軍の方が適任だろうに」

「私は、魔法には詳しくないけど、遠見の魔法って相手に気づかれたら反撃される危険があるとかって、魔現人(マーギロス)の友達が言ってたから、それが関係してるんじゃない?」

 

 黒い獣身の乙女が紡ぐ言及に、スティーヴは顔を(しか)める。

 

「じゃあ、何で異能(タレント)だといいことになるんだ? 遠見していることには変わらないと思うんだがな?」

「んー……魔力の節約とか?」

 

 無論それもあるが、実際には、生まれながらの異能(タレント)などのこの世界固有の力というものは、ユグドラシルの存在には知覚しえない代物であることが大いに関係している。が、そういった裏事情を知る現地の人間は絶無と言ってよい。

 

「何だかなー。俺があれを見ていて、反撃の魔法とか飛んで来たら、すごくヤバい気しかしないんだが?」

「監視してから何日も経ってるし、大丈夫だよ。スティーヴは私が護るし──それに」

 

 ルヤは言葉を途切れさせる。

 

「それに、いざとなったら、ナザリックの誇る四大将様たち、『大将軍』コキュートス様の御子息様たちもいるもん。軍務中の殉職は、ちゃんと蘇生保険が適用されるし」

「──自慢じゃないが。俺は生き返るのに必要なだけの強さはないと思うけどな?」

 

 ルヤなどは蘇生に耐えるだけの力を持っているだろうが、スティーヴなどは一般人程度の身体能力しかないと自負している。腕相撲でも部隊のビリ争いをしているような有り様な上、魔法などの理解力でも劣っていた。

 しかし──哨戒兵長たる役職を賜る彼は、サポート系職業においては大隊内でも一、二を争うほどの存在であり、10年前の戦争でその才覚を無自覚に機能させていた。彼本人はまるで自覚していないが。

 

「あと。噂だと、ナザリックの“最大戦力”? っていう秘密兵器が“ふたつ”も、私たちと一緒に、スレイン平野を見ているとかなんとか?」

「最大戦力ねぇ──噂に尾ひれがついているんじゃないよな?」

 

 あの超常的な強さを誇る方々──アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下や、階層守護者様たちよりもずっと強い存在がいるとかいないとか、そんな風聞が軍内部でまことしやかに囁かれ続けている。反逆やクーデターなど(くわだ)てようものなら、聯隊(れんたい)ごと蒸発・殲滅されるだけの戦力があると。

 だが、その程度のことは魔導王陛下や守護者の方々でもやり(おお)せそうなもの。

 ──実際、魔導国の歴史上、彼等に反抗的だった中央六大国と呼ばれるものらの半分は徹底抗戦を試み、わずかな日数で陥落……恭順を余儀なくされたとかなんとか。100年も昔の話ではあるが、実際に10年前、スティーヴが見届けた戦いは、それが真実だったのだろうと確信させるほどの威を発揮していたと、今もなお強く認識できる。

 あの方々はまさに、この国の王者たるにふさわしい存在であられるのだ。

 

「──さて、と。休憩もそこそこに、また監視を続けますか」

「うん。がんばって、スティーヴ」

 

 おしゃべりに興じつつ、毎日毎夜よく手入れしてやっている毛並みを撫で梳きながら、快く応じてくれる相棒(ルヤ)の背中にねそべり、異能を発動したスティーヴは、その異様を目の当たりにする。

 

「────え?」

 

 遠く見透かした先の景色は、茫漠とした大地に、浮遊する一枚の鏡。

 その鏡が……これまで、魔導国四個軍の監視下に置かれ続けていた鏡が、眩いばかりの蒼白い閃光に包まれる。

 何だ、なんの光だと疑念するスティーヴ。同じ光景を眺めている同輩・同系統の能力者の声が天幕中で響き始め、これが夢や幻覚とは違う──そういった攻撃や反撃への防御対策も万全な装備を与えられていた──事実を呑みこんだ。まさか、先ほど話していた、反撃の魔法かと一瞬ながら思い出した──瞬間だった。

 

「は……はぁ?」

 

 蒼白い閃光は一瞬で収束し──同時に、その蒼色に包まれていた鏡が、消失。

 突如として、スレイン平野の監視対象を失った部隊──のみならず、四個軍すべてが、惑乱の極みに達する。

 

 

 

 

 

 ありとあらゆる想定外のなかでも想定外の事象。

 

 念入りに、魔導国軍内でも長期監視任務に扱える生まれながらの異能(タレント)が多い軍を派遣してまで、ユグドラシルの存在=拠点の出入口を見張っていたはずの四個軍は、下から上まで混乱し、起こった事態の正誤を判断すべくどのように行動すべきか迷う内に、彼等の派遣主たる大将軍から、この監視任務を与えられていた四人の息子たち──四大将のもとへ、極秘裏に通達が届く。

 

 

 

 

 

『敵拠点ガ、ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”へ転移──侵入ヲ果タス』

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓の表層──荘厳な霊廟と墓碑などに飾られた表層部で、二人の王妃は共に、天使共の歓迎(・・)任務に励んでいた。

 最後の降伏勧告を行う直前──連中の首魁たる醜悪な面貌極まれり堕天使プレイヤーの未知のスキル、その情報を持ち帰った影の悪魔(シャドウデーモン)たちを(ねぎら)言祝(ことほ)ぎ、ナザリック最高の智者たる純白の女悪魔は、主人たる夫へと情報を共有──カワウソの必殺スキルを「阻害」「停止」するための手段を十分に十全に考察し終えて、ナザリックの階層守護者内で最強と謳われる同胞・シャルティアと共に、その時に備えていた。

 あとは、連中が所持している世界級(ワールド)アイテム──ツアーが見定めた世界一個に匹敵する装備物の真価を見定めることができれば、御の字であった。

 アインズより貸し与えられている世界級(ワールド)アイテムで武装したアルベドとシャルティアには無用の長物となるだろうモノの効能を、その肌身で理解し感得することができれば、アインズ・ウール・ゴウンの勝利は揺るがないものになると結論できていた。

 

 だが、事態は思わぬ展開を見せた。

 

「クッソ!! 失態でありんす!!」

「落ち着いて、シャルティア」

 

 槍の穂先で霊廟の床面を抉りそうなほどの激昂を顕す同胞を、同じ感情の釜で煮られたアルベドが厳しくも優しく諭す。

 

「私たちの任を忘れては駄目よ。あるいは連中、まだこの近辺に潜んでいる可能性も」

「わかっている! わかっていんすが、しかし!」

 

 シャルティアは、うそを言っていない。

 事実、彼女は驚くほど冷静でいる。冷静でいてもコレなのだ。彼女が冷静さを失えば、血眼になって連中を探して駆けずり回り、制止するアルベドを押しのけて、無駄に戦場を飛び回るような愚挙に及んでいたやも。だが、シャルティアは憤怒に彩られた鬼相を浮かべながら、ナザリックへと侵入するための中央の霊廟──入口を鎮護する位置に固く居座り続ける。

 それに。ナザリックの表層は、深層に比べれば安い修理費用で修繕可能な上、一日のうち少額で済めばほとんど無料で自動修復可能ではあるが、ここを築き上げた御方々──栄光あるナザリックの墳墓を、その墳墓を住居とする階層守護者が破砕するような愚を犯すような真似は、絶対にありえない。

 苛立たしげに振るわれる神器級(ゴッズ)の槍は、職業(クラス)レベル・戦乙女(ワルキューレ)(ランス)Lv.5を与えられし真祖の手元で、ただ空を掻き切るだけにとどまっているのが、その証拠だ。

 

 王妃たちの下知を受けた上位アンデッド軍……なかでも、集眼の屍(アイボール・コープス)──第六階層守護者・アウラの探知能力を上回る性能を保持するもの十数体を筆頭に、徹底的に連中の行方(と同時並行で、カワウソたち以外の他のユグドラシルの存在がいないかどうか)を探り、完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)などの看破を試みる。敵が起動した世界級(ワールド)アイテムの具体的な性能は、未だに不明。……まさか本当に、超位魔法一発の効果で(厳密には、堕天使が握りしめていた“剣”の能力で)、ナザリックの高度極まる転移阻害を突破し、天使の澱の“すべて”が、第八階層“荒野”の地に転移した可能性を、信じることができなかったのだ。

 それほどの防御力を誇る世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”──その性能を主人から教えられ知っているからこそ、彼女たちは周辺警戒を厳にし、敵の急襲強襲を警戒し続ける必要がある。

 取り急ぎ、集眼の屍たちによって、表層に不可知・完全不可知の影響を受けた存在がいないこと……アルベドやシャルティアたちを襲い掛かる脅威がどこにもないこと……加えて、第一・第二・第三階層のシャルティアの配下たちからも、それらしい不審な影・天使の澱が潜入浸透していないという確認をとっていく。さらに追加で、拠点周囲の平原にいる隠形中の撮影班たちシモベらにも、逃散する天使の姿を確認できたものは皆無ときている。

 確定として、このナザリックの表層と墳墓、アンデッドの跋扈(ばっこ)する平原に、ナザリックの敵は、いない。

 では、天使の澱は、ドコへ消えて失せたというのか。

 

「クソが! 連中、どこへ消えやがったァア!?」

「まさか、本当に……第八階層へ?」

「そんな──バカな!」

 

 それはありえない。

 シャルティアも、そして口走ったアルベド本人も、その可能性を否定しておく。

 そんなことが可能というのであれば、どうして今まで誰もナザリック地下大墳墓の転移を突破して、攻略に踏み込んでこなかったのか。

 そんなことが可能な世界級(ワールド)アイテムを、例の堕天使が……カワウソが装備しているというのなら、何故、わざわざツアーに協力を仰ぎ、通行証を手にして城塞都市を素通りして、面倒かつ危険極まる平原の戦いを敢行し、ナザリックの表層から順当に攻略しようという姿勢でいたのか。これは大いに疑問だ。

 

「──奴の世界級(ワールド)アイテムの効能」

 

 困惑と焦燥と憤懣に駆られながらも、ナザリック最高の智者として、アルベドは透徹とした思考力で、目の前で生じた出来事への見解を深めていく。

 

「今の現象……おこった諸々を考えるに、──おそらく」

 

 堕天使が、はじめて掴み使用した、円環。

 鍵盤を叩く音楽家や御朱印を施す法僧……御璽を捺す王君のごとき、指先の自然さ。

 手慣れたかのように起動し、世界全体へと強権を発揮せんと輝き、血のごときモノをこぼして(まわ)った世界級(ワールド)アイテム。

 まるでスイッチが入ったかのように、全世界に轟いた改変力……ツアーが見定め警告していた通り……アレこそが、世界ひとつに匹敵する脅威の源泉と化していた。

 

 その影響力は、アルベドらへの直接的な危害という形ではなく。

 連中の──堕天使の配下たち全員へと注がれた“強化(もの)”──故に。

 

「あの堕天使──未知のスキルにて、上位アンデッドなどの即死無効化を突破する“必殺”の力。

 おそらく、それに準じる何かしらを、自軍勢力──己の麾下将兵たちへと波及・伝播・行使可能な権能を与えるもの──?」

「それが、あの赤黒い障壁……天空に生じていた、あの九つの円環だった、と?」

 

 確信はないが、アルベドの理解力だとそう判断する以外の処方がなかった。

 熾天使(ミカ)花の動像(ナタ)に一掃され、死骸をさらした具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)

 非実体でいたはずのそれらが、至高の御身が生産した上位アンデッドが、神器級(ゴッズ)にも届かぬ剣の一振りで薙ぎ倒され、死に果てるなど……ありえない。

 

「……それを可能にし得るアイテムだったとしたら」

 

 アルベドたちへ攻撃を──絨毯爆撃や精神支配などの圧倒的な攻勢がなかったのは解せないが、あるいはそれこそが、あの円環の弱点なのだろうか。もしくは単純に、動きたくない理由があったのかも。

 いずれにせよ今回、敵の仕掛けてきたアイテムの効能を推し量る意味でも、アインズが生み出した上位アンデッドの軍勢は有用な働きを見せてくれた。討滅されたのは口惜しい限りだが、彼等のような強力無比なシモベでなければ、先の異常事態が世界級(ワールド)アイテムによるものだと確信することは難しかったはず。

 

「こちらの攻撃は一切、連中の防御陣……いいえ、あの赤黒い障壁(チカラ)を超えることは出来なかった」

 

 アルベドは事実だけを口にしていく。

 遠距離からの魔法や特殊技術(スキル)(ことごとく)く弾かれ、衛兵(ガーダー)や近接職のアンデッドたちの特攻劇も、何ひとつ有効打にはなり得ず、連中からのカウンター……反撃に(たお)れた。

 しかも、ほんの一撃で。

 

「まるで──第八階層の──」

「ヴィクティムの揺り籠……生命樹(セフィロト)のような?」

 

 100年後のアルベドとシャルティアは、知っている。

 第八階層にて防衛任務の最大障壁として機能し続ける、宇宙の星々(ほしぼし)(かたど)ったモノたち。

 

 このナザリック地下大墳墓、第八階層のあれら……世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”の統制下におかれた、「地下墳墓」時代のボスモンスターたちの成れの果て(・・・・・)たる暴力装置類──

 ──その名は、生命樹(セフィロト)

 

 あれらが、かつてこの地を侵犯し略奪と蹂躙を繰り広げた1500人を──第八階層にまで侵入し(おお)せたプレイヤー1000人規模へと一方的な攻勢を断行できたのは、生命樹(セフィロト)たるあれらこそが、世界級(ワールド)アイテムによって生み出された絶対防衛の要・世界規模の力の顕現であるからこそ。何しろ“世界そのもの”から攻撃され撃退され蹂躙され殲滅されるという事態など、ただのプレイヤー共に抗する手段などありえなかった。

 世界級(ワールド)アイテムの効果は、同ランク……つまり世界級(ワールド)アイテムによって、ある程度の防御・中和は可能。

 だが、「ギルドの防衛」という用途において、ナザリック地下大墳墓を守護する任を与えられているあれらは、確実に強大かつ絶大かつ超大な殲滅能力を発揮。いかに同等のアイテムで武装していようとも、複数形として存在する生命樹(セフィロト)と、あれらの本拠(ホーム)たる第八階層“荒野”で相対することになれば、どちらが有利な戦況で、事をやり遂げることができるのかは歴然としている。

 くわえて。生命樹(セフィロト)はアインズ・ウール・ゴウン……モモンガの保有する世界級(ワールド)アイテムとの相乗作用(シナジー)によって、さらなる暴虐を達成できるように、御方々の手によって改造の限りを尽くされた殲滅兵器群である。

 あれらの変貌は、まさに“死”そのもの──生命樹(セフィロト)がモモンガの“死”によって転換された姿は、吸血鬼(シャルティア)女悪魔(アルベド)をしても、筆舌に尽くし難い。

 まさに、“無敵”。

 だからこそ、あれらは、ナザリック地下大墳墓の最大戦力たりえるのだ。

 

 ……しかし。

 もし、仮に。

 

 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”と同等・同格・同規模・同系統の能力を発動できる代物が、他にも存在していたら?

 そして、それこそが──あの赤黒い円環──カワウソの世界級(ワールド)アイテムだったとしたら?

 

「ありえない」

 

 仮にそんなものが存在していたとしても、それを何故、あの堕天使が……100年後に現れたプレイヤーが……よりにもよって、“アインズ・ウール・ゴウンの敵”を標榜し、“第八階層への復讐”などという愚行を犯すクズが……所持しているという確率は、いったいどれほどのものだと言える。そんな可能性など億にひとつ、兆にひとつ、(けい)にひとつも存在していないはず。

 それこそ、奇跡でも起こらない限り。

 

「……いいえ」

 

 奇跡などありえない。

 この世界に、魔法や特殊技術(スキル)以外での奇跡など、生じるはずがない。

 だが、現実として、アルベドは目の前で起こった現実を分析し尽くす。

 血の気の失せた顔に、悲憤と屈辱の色を浮かべながら、冷徹に考える。

 ──自分たちの主君を──愛する者を守護するために。

 ちょうど、その時だ。

 

『アルベド、シャルティア、速やかに玉座の間へ戻れ』

 

 王妃たちの失態を寛容にも許し、悠然と語りかける愛しき君の言葉が届く。

 御方の愛をたっぷり受け取った王妃たちは、急ぎ玉座の間を目指す。

 天使の澱が壊滅する瞬間を、その目に焼き付けるために。

 だが、そのまえに──やらねばならないことが。

 

「ただいま、戻りました……アインズ様」

「申し訳ございんせん、とんだ失態を!」

 

 シャルティアが開いた〈転移門(ゲート)〉から飛び出し、開口一番に謝辞を述べ立てる最王妃と主王妃。その指には、ナザリックの転移阻害を正常に乗り越えるための指輪をはめなおしている(無論、表層へ上がる際、万が一に備えて外していたものだ)。玉座の間の床に額をこすりつけんばかりの姿勢で、二人は主人の叱責を受け入れる姿勢を構築しつくす。

 玉座に座す魔導王。その周囲に(はべ)るもの達も、起こった事態への驚愕と懐疑に(さいな)まれた表情を浮かべている中で、アインズの顔だけは、いつものごとく超越者の微笑みが浮かぶ。

 勇壮にして慈愛に満ちた火の瞳と共に、彼女たちの夫は、「よい」と一言だけ添えて、優しく手を差し伸べた。

 ひれ伏す王妃二人は、主人のその(たなごころ)に、垂れた(こうべ)を撫でられる。

 

「さっきも〈伝言(メッセージ)〉で言ったが、本当に気にするな。これほどの事態──このような展開を予想できなかった“俺”の方こそが、失態を演じたまで」

 

「「そのようなことは!」」と同じ言葉を共鳴させるアルベドとシャルティア。そんな二人の優しさに応えるように、誰よりも優しい主君は水晶の画面を仰ぐ。

 

「いいから、二人とも。──見てみろ」

 

 促されるまま、二人はそこに映し出される驚異と脅威に声を失う。

 

「ば、ばかな……ッ!」

「あ、ありえなんし!」

 

 アルベドは本気で起こった現象が理解できない様子でぼやき、シャルティアもあまりの衝撃で首を力なく横に振ってしまう。アウラやマーレ、コキュートスやデミウルゴス、セバスや戦闘メイド(プレアデス)たちもまた、未だにその光景が信じられない面持ちで、重い沈黙を保った。

 だが、これは現実……これが現実なのだ。

 映し出された“荒野”の真ん中で、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)すべて(・・・)、そこに転移し果せていた。

 そこになぜか存在する砦の造りに、二人は見覚えがある。

 デミウルゴスの奏上した、予想され得る敵拠点の映像データで。

 

「あ──あれは、世界蛇の、脱殻」

「ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)?」

 

 堕天使プレイヤー・カワウソ率いるLv.100NPCは12体。

 今も赤黒く輝き染まる者らの背後に聳える城砦は、無論、第八階層には存在しえない物体。

 というか、予想されていた通りの、敵ギルドの拠点に他ならなかった。

 図書館にある図鑑で確認されたとおりの外観──ユグドラシル世界全域に存在した“世界蛇”ヨルムンガンドが成長した過程で残した、巨大に過ぎる蛇の脱殻(ぬけがら)──今も鱗の紋様ひとつひとつが見透かせるほどの強度と美彩を宿す天然の構造物──その内部にできた空洞空間に、何者かの手によって建立(こんりゅう)された(というゲーム設定の)岩の砦が、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の本拠地であった。拠点ポイントはわずか1350──典型的な中級ダンジョンのひとつだ。

 デミウルゴスなどが推定し報告してくれていた通りの拠点であったことは、驚愕には値しない。問題は、その拠点がある“場所”である。

 敵のギルド拠点が、あろうことか、広大なナザリック地下大墳墓の第八階層内に──“転移”。

 これは“ギルド拠点の内に、他のギルド拠点が出現した”ような案配(あんばい)である。

 誰も予想も考慮もできるはずのない、それは、まぎれもない異常事態であった。

 ……なのに。

 

「彼の拠点の外観には、さしたる変更点はなさそうだな。さすがに内部構造くらいは手を加えているだろうが」

「あ……アインズさま?」

 

 深い音色は、骸骨の口腔から紡がれる美声。

 アルベドは、こんな異様を前に冷静沈着でいられる主人の胆力に惚れ惚れしてしまいそうになるが、何しろ状況が状況……自分の欲求欲情を優先してよい戦況であるわけがない。

 アインズはアルベドの困惑を見下ろし、頷く。

 

「ん……ああ。さすがに超位魔法を使っただけのことはある。なるほど、そうか。土地固定タイプのギルド拠点は、〈星に願いを〉で移動もできるということなのだろう。これはいい勉強になる」

 

 そういうことではないのだが──アルベドは肩にかかっていた重圧が抜け落ちるのを感じた。

 うんうんと感心の頷きを打つアインズに、守護者たち全員が安堵の心地を得て、一様に脱力。

 

 ギルド拠点の転移・移動で(こうむ)るやも知れないナザリックそのものへの実害──転移失敗時などに生じるかもしれぬ弊害の可能性を思うと、怖ろしすぎて却下され続けた実験が、ひとつの成果として目の前に現出した。

 そんなただの現実に、アインズは骨の相好を崩していた。

 自分たちの至高なる御方は、まったくもって揺るぎはしない。この程度のことも計算の内……たとえ計算外であったとしても、そういった不測の事態すらをも、己にとって有益な情報へと置換していく思考速度は、ナザリック最高の智者たちですらも舌を巻くもの。

 やはり彼こそがアインズ・ウール・ゴウン──いと尊き四十一人のまとめ役として、この拠点を掌握せしめた絶対者なのだ。

 

「ですが……カワウソは事前に、これほど破格の大転移が、超位魔法で行えるものと気づいていたのでしょうか?」

「それはさすがにありえないでしょう、アルベド。連中はこの世界に流れ着いて、まだひと月も経っておりません」

 

 アルベドが推察を述べ、デミウルゴスが論理立てて疑義を唱える。

 

「だとすると、ただの偶然、行き当たりばったりでありんしょうかえ? だとしても、何ゆえ超位魔法程度で、第八階層への転移が?」

「フム。アノ赤黒イ世界級(ワールド)アイテムノ効果カ……モシクハ奴ガ、カワウソトヤラガ握ッテイタ武装……今、腰帯(ベルト)部分ニ差シ込ンダ、アノ“剣”ガ、関係シテイルノデハ?」

「でもさ、コキュートス。だとしたら、あんなブチ壊れた剣に込められた魔法って何なの? そんな大したアイテムには見えないけど?」

「え、でで、でも、お姉ちゃん。ひゃ、100年前、あ、あの「事件」の時に協力することになった、え、ええと──」

「……漆黒聖典の第一席次殿、でしたか。彼が持っていた槍は、見た目は実にみすぼらしいものでしたが、────」

 

 シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ、セバスなどもそれに加わる。

 主人と同じモノを見聞きし、同じように問題に処することを是とする者たちは、アインズと同じく冷厳に、冷徹に、冷静に、この超級の異常事態に対処していく。

 彼ら彼女らは一様に、アインズに倣うがごとく、ナザリックの敵に──100年ぶりとなる“侵入者”たちの手練手管を、食い入るように眺める。

 

 堕天使がNPCたちに何事かの作戦を命じ、天使の澱は戦場を駆けている。

 第八階層に浮かぶナザリックの最大戦力たち──(そら)()生命樹(セフィロト)が、荒野を馳せる天使共へ、攻勢を一瞬で仕掛けた。

 赤黒い障壁──世界級(ワールド)アイテムの影響を引き続き発現している天使共が、あれらの殲滅攻撃や絨毯爆撃じみた能力を()ねのける。

 そうして。

 堕天使は……カワウソは、己の周囲にわずかな手勢を連れ、鏡に向かって──前進。

 侵入者が荒野の大地を走り続けた──その先で。

 

「お? ──きたか」

「はい、アインズ様」

 

 純白の女悪魔が、福音(ふくいん)をもたらす女神のような笑みで、彼女の参戦を見つめる。

 

 

 

 

 

「あの()が──私どもの妹──ルベドが、到着したようです」

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 アインズは思い出す。

 それはもはや──100年以上も前の出来事。

 赤錆びたような、100年という年月の中で朽ちて削れはじめようとしている、過去の栄光。

 

 

 ・

 

 

「八ギルド連合による討伐隊」

 

 円卓(ラウンドテーブル)に集いし、41人の異形種プレイヤーたち。

 重い口調で語られるのは、ナザリック地下大墳墓──ギルド:アインズ・ウール・ゴウンはじまって以来の大きな、あまりにも巨大な危機であった。

 

「その総数は──向こうの発表を信じるなら、……1500人」

 

 円卓の間に集ったアインズ・ウール・ゴウンの仲間たちが、一様にザワついた。

 アインズ……モモンガも例外ではない。

 

「──(かた)りや誇張の可能性はないんですか?」

「いいえ。モモンガさん……どうやら本当に、本気で、1000人規模の討伐隊が組織されたそうです」

 

 そう分析を述べるアインズ・ウール・ゴウンの軍師──ぷにっと萌えは、仕事の空き時間で作成してくれたレジュメを、コンソールを通じて全員に配給。記録され要約された情報は、八つのギルドをそれぞれ治めるギルド長が、アインズ・ウール・ゴウン討伐の演説を打つ集会映像の動画や、討伐のための人員を募る勧誘広告……それらによって徐々に膨らみ始めた討伐隊は、ユグドラシル史上において空前絶後の規模へと拡大していく様が、グラフやカレンダーで、簡潔に明快に記載されていた。

 

 無論、この程度の情報など、アインズ・ウール・ゴウンの全構成員が風聞で知っていた。

 しかし、それでもこのような明確極まる集積情報として眼前に揃えられると──もう、何も言えない。

 最初はいつものことだと思われた。

 ひとつふたつのギルドがゲームの広場で、声高にアインズ・ウール・ゴウンの討伐の必要を説いた。

 ユグドラシルにて「悪のギルド」と自ら標榜するアインズ・ウール・ゴウン──その悪行を殊更(ことさら)にあげつらい、悪しざまに(ののし)るギルドの長たちの謳い文句は、ただの怨恨だけではなく、一種の興行じみた装いを孕みながら、餌を過剰に摂取して肥え太った豚のごとき醜態を演じながらも、一定の層からの支持を得ていた。

 最初は“二つ”だった連合が、気がつけばアインズ・ウール・ゴウンへの怨みを吐き散らす“八つ”の団体からなる大連合にまで、肥大化。

 

 (いわ)く、「アインズ・ウール・ゴウンの存在を許すな!」「連中の専横を食い止める必要があるのです!」「ユグドラシルから悪のギルドを駆逐せよ!」「悪のwwギルドww何それwwテラワロスwww」「こっちは必要があって異形種狩ってんだ! ソレの何が悪いんだよ!」「あの蟲地獄だけはゼッタイに許さないからね!」「ウチの世界級(ワールド)アイテム返せ!」などなど。

 

 アインズ・ウール・ゴウン側からしてみれば失笑を禁じ得ない宣伝広告であったが、膨れ上がる員数は八ギルドに従属隷属する小ギルドを巻き込み、まるで世紀の大イベントじみた調子でゲーム内に広く拡散──騒ぎに乗じてうまい汁を吸おうという腰巾着や、単純にお祭りを愉しみたいという愉快犯──まったく事情を知らない善意の第三者プレイヤーなども参画するようになり、気がつけば1500人という大所帯を構築して、いよいよ本格的な、ユグドラシル史上類を見ない、大規模極まるギルド攻略戦が始まろうとしていた。

 

「ぷにっと萌えさんの情報リークのおかげで、とりあえずセラフィムなどのランカーギルドは攻略に参加しないよう工作できて助かりました」

 

 そう結論する純白の聖騎士──たっち・みーの称賛に、ギルメンたちは蔦の死神(ヴァイン・デス)森祭司(ドルイド)に拍手を送る。

 いかにアインズ・ウール・ゴウンといえども、上位ギルド複数……それも、世界級(ワールド)アイテムを持っていることが確定の相手を“すべて”相手取ることは不可能なこと。

 

「しかし──本当に良かったんですか? あれだけの情報を流して?」

「大丈夫ですよ、ウルベルトさん。第八階層の生命樹(セフィロト)……世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”によって機能する『あれら(・・・)』については、彼等もそうそう他の連中にバラすようなことは避けたいでしょうからね」

 

 それに、それだけの情報を掴んだとしても、それを有用に──有効に扱えるかどうかは、プレイヤーの実力次第。未確定な情報をそれっぽく垂れ流したところで、その情報に確信が持てる連中でなければ、情報をうまく利用することは不可能な図式だ。ユグドラシルにおける確定情報は、それほど多くはない。いかにアインズ・ウール・ゴウンが他のギルドとは違い、数多くの世界級(ワールド)アイテムを保有しているからとて、たかだかひとつのアイテムで戦局と勝敗を覆し得るなどとは、夢にも思わないだろう。だからこそ、リーク元になった軍師をはじめ、全員が情報のリークに納得し、結果は「上々」ときている。

 

「やっぱり、他にも持ってた団体がいたわけだ」

「のようですね」

 

 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”。

 その入手条件は、高難易度(レベル)のダンジョン拠点を初見クリア──おまけに、攻略に乗り出したメンバー数は27人+傭兵NPC3体を加えた30人の六人チーム五組──その程度の少人数で、ダンジョンの「諸王(ボスキャラ)」に“完全勝利”したもの達への敬意として贈呈される、水晶の「玉座」──

 故に、“諸王の玉座”──

 つまり、ナザリック地下大墳墓と同等──あるいはそれ以上の拠点を攻略する際に、完全勝利を遂げた団体であれば、同じように世界級(ワールド)アイテムを贈呈されている可能性は十分にあるわけだ。

 そして畢竟(ひっきょう)、“諸王の玉座”は高レベルダンジョンに挑むこともできない、中規模どまりのギルドやプレイヤーには、存在を確認することすら難しいアイテムであることは、明白の事実。

 そのギルド防衛に特化した能力は世界級(ワールド)を冠するだけのことはある、超強力な一品だ。それだけ強力な切り札を、ホイホイと他の連中に──ランキング上位にも食い込めない層へと供与し、広く伝達するような愚を犯す上位ギルド団体など、皆無。

 そもそもにおいて、“諸王の玉座”は獲得条件を満たすことそれ自体が難しいがために、検証や確認などの作業はほぼ不可能……あのランキング第二位、ユグドラシルの未知を探求し尽くすことに情念を燃やす冒険者ギルド「ワールド・サーチャーズ」ですら、保有する世界級(ワールド)アイテムは“グライアイ”というものが一点だけ。他に“諸王の玉座”を獲得することができた団体など、ユグドラシル史上において数えるほどしか存在しないだろう。他プレイヤーに検証ができない情報は、どうあがいても確定情報にはなりえない。ユグドラシル運営が推し進める「未知を探求してほしい」というゲーム理念から、運営側から確定的な情報を流すことはほぼなかったがために。

 そういったわけで、拠点防衛戦において最強の切り札を有するギルド:アインズ・ウール・ゴウンに、実際ナザリック地下大墳墓に突入していったところで「勝率は著しく薄い」と、格上の上位ギルドは参戦を断固辞退していったのだ。八ギルド連合からのラブコールにも、一切まったく応じなかった。

 無論、今回のこの情報リークは、ぷにっと萌えがある程度の交流を持ち──情報統制や構成員の管理などにおいて信頼のおける団体の長などに留め、他の上位陣が参戦を芋づる式に渋るよう働きかけた結果である。特に、同一のアイテム──同じ“諸王の玉座”を有する団体にしてみれば、世界級の防衛力の働く拠点へ討伐に攻め込むなど、ありえない。それが、“拠点防衛”において世界最高の威を発揮するアイテムの「力」だったのだ。

 

 ……戦いとは、始まる前からの準備の積み重ねで成り立っている。

 

 情報戦を早期に展開し、上位ギルド陣の参画を押し留めたことで、ナザリックの勝利が堅実なものへと推移していくのは、当然の帰結に過ぎない。

 

「でも、さすがに1500っていう数は、多すぎじゃないですか?」

「タブラさん」

 

 黒と銀装飾が眩しいボンテージ衣装で身を包む、歪んだ蛸型の異形種が、不安要素を指摘する。

 確かに、最も危惧されていた敗北要素……“諸王の玉座”──その「弱点」と「攻略法」を知るギルドやプレイヤーの参戦は、水際で食い止めることができた。

 だが、今回の討伐イベントにお祭り感覚で便乗するプレイヤーが、予想に反して多かった。

 複数のギルド同士が同盟を結ぶなどしてひとつの陣営に固まることはよくあることだが、それでも「八つ」のギルドが連合を組むというのは、なかなかにない出来事だ。ギルドの最大員数は100人……もちろん、100人のプレイヤーが一堂に会する団体規模を維持展開可能なギルドはそれほど多くはない。方針転換や人間関係の軋轢などによって、内部分裂やメンバーの大量脱退、ギルド長を含む全構成員がゲームを引退したことで自然消滅していくなどという事例も頻発する以上、上限ギリギリを停滞している団体は多いし、アインズ・ウール・ゴウンのように少数規模で募集を打ち切る例も存在する。

 そんなゲームのなかで、本来は思想も方針も構成員たちの趣味もバラバラな「八つのギルド」が、まったく同じ目標=敵に向かって討伐隊を組むなど、まずありえない。

 当時、国内においてDMMO-RPG(イコール)ユグドラシルというほどに人気を博したゲームではあったが、連合を組んだ八ギルドで600人──そこへ下位の従属ギルドなどが複数あわさって200人超──ナザリック討伐に追随しようという傭兵プレイヤーが200人近く……もはやこの時点で、前代未聞の1000人単位、四ケタのプレイヤーで構築された討伐隊が組織され、その討伐隊の規模は、ただの単一ギルドを落とすにはあまりにも過剰かつ過密な総量と化していた。

 

「──確かに。いくら傭兵NPCなんかも勘定に入れていると言っても、少なくとも1500人が一勢力を築くとなると、ナザリックのほとんどの階層・第一から第七の階層は蹂躙されかねません」

 

 酷薄に分析するぷにっと萌えに、全員が黒い溜息を吐くような感情(エモーション)アイコンを浮かべる。

 

「1000人規模は、さすがにな」

「500とか600だったら、なんとか」

「ていうか、よく集めたよな、こんな数」

「どんだけウチ嫌われてるんだよっていうな」

「2ch連合が最盛期(3000人)の頃の半分──アホみたいな数字だな」

「やばいなぁ。俺らが対象でなかったら、正直参加してみたい感ある」

「1000人規模でダンジョン攻略……うん。夢があるな」

「ナザリック討伐ツアーへご案内~ってか?」

「ああ、楽しかったな。ここでの生活」

「世界を一個ぐらい征服してみたかったなぁ」

「ブループラネットさんの造り込み最高だったのに」

「第六階層とか本当すごいですもんね」

「いやいやいやいや! ……ちょっと、皆さん。まだ諦めるのは早すぎますよ?」

「ウルベルトさんの言う通りです! 始まる前から諦める必要はないでしょう?」

「──珍しく近接職最強と魔法職最強の意見が合うとは」

「でも、俺のシャルティアが大勢によってたかってイジメられるのは、ちょっと」

「おい、黙れ弟」

「大勢によってたかって……」

「るし★ふぁーさん、ちょっと自重して」

「…………」

「────」

 

 モモンガは押し黙った。

 皆の議論をギルド長の席に座って聞いていた。

 皆、浮足立った感のある会議は白熱していく。

 そんな遣り取りを、どこか遠くで聞いているような感覚を覚えた。

 

 実のところ──モモンガは、正直──不安だった。

 

 みんなと創り上げたモノを壊されることが。

 みんなと共にいられる居場所がなくなるような事態が。

 みんなとこんな形で別れたくない・終わりたくないという想いが──胸を、塞ぐ。

 

「で、どうします、ギルド長?」

「……あ、……え?」

「最後はモモンガさんに、ビシっと決めてもらいましょう」

 

 恒例行事として、全員の視線がギルマスの死の支配者(オーバーロード)へ集中している。

 道は二つ。

 徹底的に拠点に引き籠って“抗戦”するか、戦いを放棄して──攻め込まれる前にギルドを解散して“逃げる”か。

 今回の話は、多数決では決められそうにない(実際、行った多数決の結果は20:20の“半々”であり、最終的にはギルド長たるモモンガの、最後の41人目の意志意見を残すのみという)議題であり、ギルドの今後に関わる重要案件であった。

 ただの狩りの行き先ではなく、ギルドの存在が危ぶまれる緊急事態に他ならない。

 ネット上での下馬評は、確実に1500人側に傾いている。何しろ、いくらアインズ・ウール・ゴウンとはいえ、その規模はたったの41人──プレイヤーの数で言えば、討伐隊が圧倒している。まともに考えるならば、これだけの数的不利を覆せる道理はない。いかに世界級(ワールド)アイテムを複数所持し、それらの情報を隠匿できていると言っても、「もしかしたら」ということも、ありえる。

 逃げる方法は、あるには、ある。

 このナザリック地下大墳墓を捨て、持っていけるだけのアイテムや資金をもって、ギルドを自主的に解散。そして、新たな拠点を皆でみつけ攻略し、いちからすべてをやり直すということも、一応は可能だった。

 けれど、

 

「──戦いましょう」

 

 モモンガは意を決した。

 

「自分たち、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、別に間違ったことをしたわけではない。運営の規約に抵触したわけでも、ユグドラシルのルールに反したことも、ない──皆さんと築き上げてきた“悪”のギルドとして、このゲーム世界に君臨してきたまで」

 

 ウルベルトをはじめ、頷くメンバーたち。悪辣なデストラップや地獄のモンスターたちを作成・配置した。運営の規約にはギリギリ触れはしない程度で、恐怖と絶望のダンジョンアトラクションを構築してみた。各階層の守護者だけでなく、各地の領域守護者──五大最悪──他にもさまざまなギミックやらグラフィックやらを作り込んだ。ときにはふつうに攻略へきたプレイヤーから「下手なお化け屋敷よりも楽しめる」「その筋のプレイヤーにはたまらないダンジョン」「第六階層の空はマジで綺麗。一見の価値あり」と、意外と高評価を受けることもしばしば。

 

 そして、いま。皆が築き上げた拠点の力・機能・役割を信じて、ギルド長の決定が下される。

 

「これが最後の戦いになるというのなら、“悪”は“悪”らしく、ゲームの魔王の如く、侵入者たちを迎え撃ちましょう」

 

 快哉をあげる声が重なった。

 モモンガの決意表明は、正義を目指すたっち・みーですらも異論抗弁のようがない──まっすぐな主張。

 無駄な戦いを繰り広げるよりもずっと安易な戦法──逃亡を選択していたメンバーたちも、このギルドの絶対方針に逆らう理由は薄い。

 

「でも」

 

 立ち上がったモモンガが、席の背後を振り返った先にあるギルドの象徴──スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 

「やるからには、勝ちに行きます」

 

 これをはじめ、このナザリック地下大墳墓を築き上げるべくして積み上げてきた労苦を、卑しく怯えて捨て去るようなことは、できない。各階層に散るNPCたちのプログラミングや外装データも、そのひとつひとつが、メンバーたちの一個の芸術作品──そういった外には出せないモノたちを、この場で見捨てて放棄するような真似は、モモンガには不可能だった。

 

(これを作るのにだって、皆で苦労してきたんだ)

 

 それら思い出を水泡に帰し、自分たちの手で放り捨ててたまるものか(・・・・・・)

 不退転の決意と共に、円卓の間で回り続けるギルドの杖に手を伸ばしかけて、とめる。これを手にするときは、ギルドの皆の承認を得るものと決めていたのを思い出して。

 しかし、

 

「杖を取ってください、モモンガさん」

 

 ふと、振り返る。

 

「自分たちの、我等アインズ・ウール・ゴウンのギルド武器を」

「──たっちさん」

 

 このギルドの発起人たる聖騎士と共に、羊頭の大悪魔が笑顔のアイコンを浮かべる。

 

「こんな時くらい、ギルド武器を手にとってくれてもいいんですよ。それが(リーダー)の特権ですし、何より──格好(カッコ)いい」

 

 見渡せば、メンバー全員が首肯してくれる。

 みんなの公認と共に、モモンガはケリュケイオンにも似た黄金の杖を手にとる。

 悪のギルドを統べるにふさわしい黒々としたオーラを纏いながら、モモンガは朗々と宣言した。

 

「では。これより、我等アインズ・ウール・ゴウンは、敵ギルド連合の宣戦布告を受諾──

 各員、来たる攻略戦に備えてください!」

 

 轟然と床を衝く杖の音と共に、モモンガの宣告が威風堂々と議場を満たす。

 

「その意気です。モモンガさん!」

「連中に、目にも見せてやりましょう!」

 

 たっち・みーとウルベルトが並んでモモンガの両肩を叩いて、彼の決意を賞賛すべく握手を交わす。

 

「──最悪の場合。ウチのギルドには“諸王の玉座”以外にも、多くの世界級(ワールド)アイテムもありますしね。特に、モモンガさんの持っている“それ”と、第八のあれら(・・・)相乗作用(シナジー)を使えば、たいていの敵は防ぎきれるはず。──タブラさんが創ったあのシステムも合わせれば、侵入者は確実に惑乱するでしょう。そこをヴィクティムの足止めで封じてしまえば……」

 

 どこまでも策士に徹する蔦の死神(ヴァイン・デス)も賛同。

 

世界級(ワールド)アイテムの“大盤振る舞い”とくれば、ほかのギルド攻略戦とは別の結果もありえるでしょう。それに、第八階層に置いている“ルベド”は、自分の「最高傑作」ですし。アルベドやニグレドとは、根本的に違う存在として、“荒野”で存分に暴れまわってくれますから。期待しててくださいよ~、モモンガさん?」

 

 大錬金術師が細長い指先を(たお)やかにくねらせながら、小気味よく首を(かし)がせる。

 モモンガはうれしくなって、子どものように大きく頷いてみせた。

 全員の意思統一が成し遂げられ、各々が決意を新たに立ち上がる。

 

「よぉし!」

「そうこうなくちゃっ!」

「そうと決まれば、しっかり準備しないと、だ」

「ギルド資金──金貨も今以上に確保しておきましょうか」

「いま一番近い金貨ドロップがうまいのって、どの辺?」

「時期的に遠出は無理か。八ギルド連合の偵察(スパイ)がうろついているかもだし」

「トラップの配置をもう一回見直しておきますか?」

「NPCのAI、プログラミングに穴がないか、チェックしときますよ」

「ほんと忙しいのにありがとうございます、ヘロヘロさん、プログラマーの皆さま」

「となると。NPCの装備やアイテムも、なるべく増強しておきたいですね」

「あまのさんの仕事が増えるな」

「ああ。火蜥蜴(サラマンダー)の鍛冶長もな。あと、ついでに料理長も」

「だとすると、ガルガンチュアの定期整備は後回しでいいよな?」

「ええ、ぬーぼーさん。攻城用ゴーレムは、今回の防衛戦には使えませんし」

「自分のNPC──ナーベラルとか、出番あるかな?」

戦闘メイド(プレアデス)の護る第九にまで攻め込まれたら、確実にヤバいけどな」

建御雷(たてみかずち)さんの第五階層守護者(コキュートス)とかは割と出番多いのに比べて、下の層は全然ですからね」

「今のところ、私のアウラとマーレが護る第六より下は、未踏破だよね?」

「そのはずだよ、かぜっち」

「姉ちゃんみたいなピンクの肉棒から、あんな強烈に可愛い双子が生まれるとか、何の冗談だよっていう」

「こらこら二人とも。武器はしまいなさい?」

「まーたモモンガさんに怒られるぞー?」

「…………」

「────」

「   ?」

「   !」

「    」

 

 

 ・

 

 

 赤錆びた記憶を眺めるのに必要な数秒から、目を醒ます。

 100年も昔のことを思い出すのは、人間の残滓でしかないモノには、ひどく難しい。

 それはまるで、虫食いの生じた日記を見るような、ところどころが劣化した映画フィルムのような、そんな感じ。

 

 それでも……

 あれは、栄光の時。輝かしい過去。仲間たちとの絆を護るために奔走した──素晴らしい記憶。

 

 だが悲しむべきことに、それは100年も昔の出来事である。アンデッドとして睡眠などが不要なアインズは、ただの人間よりも長い時を活動してきている。──通常人類の精神であれば、間違いなく発狂モノな、長い、あまりにも長い年月を。

 そんな中で、確実にすり減っている人間性をなんとか保てているのは、アインズには護るべきものが今も眼前に、「ナザリック地下大墳墓」という確固とした形で、存在してくれているから。

 だからこそ、アインズは変わらず、この拠点を──皆と共に守り通したナザリック地下大墳墓を、護り続ける。護り続ける必要が、ある。

 

「あの、アインズ様」

 

 玉座に悠然と座る主人へと、ひとりのメイドが申し訳なさそうな瞳を向けていた。

 

「うん。どうした、マルコ?」

 

 セバスの娘──ナザリックに新たに誕生した“新星”戦闘メイドを率いる重職を担いし白金の乙女は、母親(ツアレ)叔母(ニニャ)によく似た顔立ちを堅くしつつ、メイドらしい動作の中で、かすかな疑義を呈してみる。

 

「あの、寡聞にして、勉強不足と咎められることを承知で……アルベド様の“妹”という、ルベド様の御力というのは?」

 

 ああと言ってアインズは骨の首を柔らかく動かす。

 

「そういえば、マルコはルベドを見るのは?」

「はじめて……でございます」

 

 これは無理もない。

 第八階層は現在、ナザリックの者でも侵入・通行を制限した階層だ。

 そこに存在する最大戦力──生命樹(あれら)と肩を並べて戦う赤い少女のことを見る機会など、いかにマルコと言えども絶無。

 というか、実際に会うことになれば、高確率で「殺される」可能性がある以上、誰も立ち入れるわけにもいかなかったのだ。

 

「うん、いい機会だ。おまえもよく見ておくといい。……あれの“力”を」

 

 アインズの、モモンガの友──大錬金術師──タブラ・スマラグディナの最高傑作を。

 ナザリックの寵児に授業を行うがごとき軽妙さで、アインズは悠々と水晶の画面を手元で操作し、荒野を徘徊する少女を観測。

 赤いドレスを翻す少女の顔立ちは、アルベドの美貌とあまりにも似通っているのは、アルベドと少女の創造主がそのように創った結果に過ぎない。

 

 

 

 

 

 真紅の少女・ルベドは、天使の澱の前に立ちはだかるべく、荒野を進む。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 第八階層“荒野”の(そら)に浮かぶ、七つの星。

 

 生命樹(セフィロト)──

 

 あれら、ナザリック最大戦力たちと比肩する、もうひとつの(・・・・・・)脅威(・・)

 

 荒野の大地を流離(さすら)う、ひとりの、少女。

 姉たちよりも幼い女体に纏うのは、血に濡れたような真紅のドレス。

 荒れ野をいくには不似合いといえる典雅な身なりで、塵埃(じんあい)の舞う風など知らぬ様子で、光の柱の如く背筋をまっすぐにした姿勢で、大地の上を徘徊。

 ふと。

 少女は赤いピンヒールを止め、紅の長髪を振りまき、白い(かんばせ)を無表情に巡らせた。

 暁色の瞳が、この地に到来せし者たち・侵入者の存在を、──戦いの気配を、感知。

 

 

《 ──Terminal mode(ターミナル モード) , start(スタート) 》 

 

 

 少女は向き直り、進む。

 やがて少女は、生命樹(あれら)たちの大攻勢が叩き込まれる戦場へと、至る。

 

 

 

 

 

《 ──戦闘状況を把握。Rubedo(ルベド)は、“殲滅”を開始します 》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




・今回登場した、今後登場しないオリキャラ設定・

〇スティーヴ・テスタニア Age27
 種族:人間
 魔導国一等臣民。バハルス領域出身。遠視系統の異能を有する。
 ご先祖に「幻を看破する魔眼」を持った方がいる模様──
 
〇ルヤ・??       Age25
 種族:獣身四足獣(ゾーオスティア)
 魔導国二等臣民。生産都市アベリオン出身。鉄槍を扱う女戦士。
 入隊当時はスティーヴとのペアに不満を懐いていたが──


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“荒野” -2

/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.02

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 平原を越えるための作戦を辛くもやり遂げ、カワウソは世界級(ワールド)アイテムによって自軍のNPCたちへの超強化を施し、超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉に願いながら、これまでずっとボックスの最前列に安置しておいた“剣”を、起動。

 

 赤黒い輝きに包まれたミカたちに護られながら、蒼白い閃光を放つ魔法を解放して、懇願。

 

『我等、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のすべてを、ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”に転移させよ』

 

 その願いは叶えられた。

 壊れた“剣”は、その機能を──とあるひとつの魔法を、遺漏(いろう)なく発揮。

 

 かつて、ゲームでは不可能だったことが、この異世界では“可能”となった。

 カワウソの頭上に戴いていた円環──世界級(ワールド)アイテムの起動にしても、今回はじめてナザリック地下大墳墓で使用することができた。

 使用条件を満たすことができたのだ。

 

「は、はは──」

 

 笑う堕天使は頭上を仰ぐ。

 かつての仲間たちとの“誓い”を──あの時の“約束”を、完全に果たすために。

 

 

 

 そのためだけに、カワウソは戦い続けた。

 

 

 

『敗者の烙印』という不名誉なものを掲げ続け、「落伍者」「軟弱者」「ギルド崩壊経験者」と(そし)られ(あざけ)られながら、難攻不落と謳われ畏怖されたギルド拠点・ナザリック地下大墳墓を目指し続けた。

 ニヴルヘイムの拠点から世界を超え、異形種に有利な世界・ヘルヘイムへと定期的に渡り、モンスターの巣窟を、氷の針のごとき草原を、グレンデラの毒の沼地を、幾度となく走破しようと試みた。熾天使の状態ではナザリック地下大墳墓が誇る第一・第二・第三階層への勝算が薄く、堕天使となることでナザリック攻略の優位性を保とうとしたが、今度は逆にその周辺地域……特に、毒の沼地のモンスターとフィールドエフェクトを突破することが難しくなった。

 それほどの困苦の果てに、堕天使の姿でナザリックへの侵入を果たそうとしても……単純に強力なモンスターが……金貨をケチって出撃に来たアインズ・ウール・ゴウンのギルメンが、(ことごと)く阻んだ。カワウソのようなソロプレイヤーなど、一方的に蹂躙可能──空間爆撃や遠距離狙撃──圧倒的な力で一撃死される程度の小勢に過ぎない。運よく野良モンスターの群れや警戒網をすり抜け、ギルメンたちのいない時間帯を見つけて滑り込み、中央の霊廟から堕天使の能力を駆使して、ナザリック内の警備システムやNPCにひっかからないルートを入念に確認しながら、どうにかこうにか潜入できても──結局は堕天使の脆弱性(もろさ)によって、力負けを喫するしかなかった。

 

 そんなカワウソは、モモンガと会ったことは一度もない。

 社会人であるカワウソには仕事があるし、食事も睡眠も必要──そして、社会人ギルドの長たる彼等にも、ゲームにIN(イン)できない時間があるはず。そのゲーム中だって、ずっとナザリックに籠ることもない。狩りやイベントなどで拠点を留守にすることもあるだろう。

 

 アインズ・ウール・ゴウンのメンバーのIN(イン)が確認されなくなった後も、カワウソは『敗者の烙印』を押された状態で、どうにかナザリックの第八階層に侵入潜入する道はないかと、足掻き続けた。墳墓内のある領域で、転移トラップか、巨大蜘蛛の巣に巣食った蟲モンスターを倒したおかげか、あるいはアインズ・ウール・ゴウンのメンバーの気まぐれか何かなのかは判然としないが、ひといきに下の階層へ飛ぶような現象を(こうむ)ったことがあるプレイヤーがいたと聞いた。その情報の有効性や真偽は不明であるが、カワウソはそれに賭けるしかなかった。

 だがカワウソは、デストラップで死に、大量のモンスターに喰われ死に、真祖の吸血鬼が握る神器級(ゴッズ)装備に背後から貫かれて死に──やがて、金貨やレベルが足りなくなった都合で、しばらくの間は狩りとレベル上げに勤しんで、そうやって十分な状態に戻ってからナザリックの再攻略に向かって…………そうして、さんざん死に続けた。

 その都度(つど)ごとに、カワウソは自分のレベルをイジれるだけイジり、自拠点にいる鍛冶NPCなどを有効利用して装備を強化しながら、課金ガチャをブン回してアイテムを揃えて──時々思い出したように自分や拠点NPCの外装(ビジュアル)などにも手を加えたり、解散ギルドの払い下げ品を購入したりなど、息抜きをはさみながら………………負け続けた。

 何度も。

 何十度も。

 そうやって、数えることすら出来ないほどに戦い続けた、あくる日の朝。

 カワウソは自分のプレゼントボックスに、ログインボーナスや詫びの品などを運営から受け取れるそこへ、届けられたものがあることに気がついた。

 

 それこそが、『敗者の烙印』を押されながら、飽くることなく一個の敵を目指し戦い、“復讐”を続けたプレイヤーに授与される奇特な称号──「復讐者(アベンジャー)」のレベルデータであった。

 

 ──やがて、『敗者の烙印』由来の種族・職業レベルを獲得し、一個の世界級(ワールド)アイテムを授与されることになった“その後”も、カワウソは第八階層“荒野”を目指し続けた。

 

 ネット上に流れる1500人討伐の膨大なデータ記録(ログ)──その中でも第八階層に関連するものには、すべて目を通した。ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの再討伐隊を結集しようとゲームの広場やスレに宣伝広告を打ってみた(結果は“お察し”だが)。接触可能な限りの討伐隊構成員=第八階層に侵入したプレイヤーから手がかりを得ようと奔走した(ただし、当時のあのチートぶりに、運営への抗議目的でゲームを引退する者はそれなりに多かったし、カワウソがいた旧ギルドの雇い主たち・八ギルド連合の一角も、しれっと解散してユグドラシルから足を洗っていたくらいだ)。あのギルド:アインズ・ウール・ゴウンに、ほぼ唯一残留していたプレイヤー・モモンガの情報を集めた。

 

 そんな日々の中で、カワウソは自分のギルド、その拠点NPCたちに、ひとつの役割を与えた。

 カワウソが考察できる限りにおいて最善最適解の、第八階層“荒野”を攻略するためだけの、──ただのシミュレーターとしての役目を。

 ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の防衛部隊たる“天使たち”に。

 

「────、くひッ」

 

 そうして……今。

 

「くは、はははッ」

 

 渇いた笑みは、血を吐かんばかりの凶暴性を(あらわ)すように、歪み果てる。

 カワウソは頭上を眺める。

 無窮にも思えるほど深い(そら)の色。

 その中に浮かぶのは、巨大な──あまりにも巨大な、星の球体。

 通常ではありえない距離に──地表と近すぎるような位置に浮遊する、宇宙(そら)の巨球。

 

「ッ、──やっと、……ヤット、だ」

 

 あれこそが、求め欲した仇敵。

 カワウソが復讐を誓うべき、真の存在。

 旧ギルドの崩壊を助長してくれやがったモノ。

 真実、堕天使から仲間たちを奪いとることになった元凶。

 何度も何度も、何十度も何百度も検証を続けた、第八階層の蹂躙劇。

 1000人規模のプレイヤーを虐殺せしめた……絶対的な死をもたらす星の異形。

 

「クは、ハハッ、アははははッ!」

 

 ……ああ。

 あれら(・・・)だ。

 あれら(・・・)が……

 あれら(・・・)が──彼女(リーダー)を──皆を──俺の、仲間を!

 

「カワウソ様」

 

 熾天使の呼びかけにバッと振り返る。

 そこにいるのは、世界級(ワールド)アイテムの影響で、赤黒い光を宿す、カワウソの配下。

 怨敵を前にした堕天使の狂笑と黒い眼球に(ひる)んだかのごとく後ずさる女騎士──兜の面覆い(バイザー)をあげたミカは、毅然とした態度で顎を引く。

 

「指示を、いただいても?」

「──ああ。すまん」

 

 カワウソは笑みを掌で押さえつけながら抑制する。笑い狂っている時間などない。

 いかにミカといえども、彼女はただのNPC。カワウソが脳内で築き上げた作戦や、自分たちの役割は完全に理解し尽しているが、主人の命令に従うことがこの第八階層攻略戦において、何よりも優先される。

 何しろカワウソ以上に、この“荒野”を研究した存在は、他にいないのだから。

 

「作戦には……さして変更はない。予定よりもだいぶ違うが、これは嬉しい誤算だ」

「──わかっていて、超位魔法を起動したのでは?」

 

 そんなわけない。

 カワウソは順当に第一階層から攻め込み、噂に聞くナザリック内の転移トラップを使って下の階層に行こうと企んでいたが、墳墓の表層であれだけの上位アンデッドに囲まれては、どう考えても順当な攻略方法など望みようがない。

 だから、カワウソは“賭けた”。

 流れ星の指輪(シューティングスター)という、超々レアな課金ガチャアイテムに縋りついた。

 ユグドラシルでは不可能だったことが、この異世界でならば──という、一種の賭けに過ぎなかった。

 そして、カワウソはどうやら、その賭けのひとつに勝ったと言える。

 ──あるいは、カワウソが展開中の世界級(ワールド)アイテムも影響しているのかもしれないが、今はそんなことを気にする暇すらない。

 

「というか、本当に……“転移できるとは”──な」

 

 賭けといえば他にもあった。

 カワウソは手中に握っていた「壊れた剣」を、腰のベルト部分に差し入れる。

 これは、もとになった剣が壊された場所(・・・・・・)である“荒野(ここ)”へと、所有者であるカワウソとその手勢を導くためのアイテムに過ぎないため、手に持っていても邪魔なだけだ。攻撃にも防御にも使えず、すぐに取り出せる位置に、道具(アイテム)巻物(スクロール)などを挟み込んでおける場所に保持しておく必要は、ほぼないと言える。

 それでも。これを──かつて皆と創り上げたモノの『残骸』を、いつものようにボックスの中に収めておくことは躊躇(ためら)われた。

 魔法理論的な弊害の可能性もそうだが、何よりも重要なことは、これこそが旧ギルドの仲間たち皆との絆の、最後の残り滓に他ならなかったから。

 

「ありがとうございます、リーダー……エリ・シェバさん」

 

 この剣を創ってくれて。

 この剣があったからこそ──カワウソは“あれら”と、戦える。

 万感の思いをこめて、カワウソは柄と鍔しか残っていないような、思い出のクズ鉄を撫でる。

 もう二度と会うこともない彼女たちへの──最後の感謝を口の中に含む。

 

「カワウソ様──我々のギルド拠点……ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)は、どのように?」

 

 振り返るミカと視線の先を同じにした。

 超位魔法で『ギルドのすべて』と願ったおかげ(あるいは、せい)か、カワウソたちの背後には、見慣れた城砦の威容がデカデカと(そび)えている。

 全世界を覆う蛇(ヨルムンガンド)が成長の際に脱皮し、そうして残された脱殻(ぬけがら)址地(あとち)──透明な蛇の鱗で覆われた円筒の中に建立(こんりゅう)されたというゲーム設定の拠点ダンジョン。

 こればかりは、カワウソにも予想外過ぎた。

 

「マアト、メイド長──サムたちに現状報告を。命令内容は変わらず“待機一択”だ」

「え、えと、よ、よろしいの、ですか?」

 

 Lv.1の拠点管理用のメイドや、番兵もとい自爆装置として残した動像獣(アニマルゴーレム)を連れ出す理由は皆無だった。「自軍勢力に効果を及ぼす」世界級(ワールド)アイテムの効能は、あるいはメイドやゴーレムたちにも機能している可能性もあるが、やはり拠点を完全に(カラ)にするのはリスクが高いと思う。

 やがて、マアトが拠点最奥“祭壇の間”に控える十人のメイドたちの生存確認と、門の内側で侵入者を『自爆攻撃』で焼き払う気満々のシシやコマたちの無事を報せる。

 続けて、剣装に身を包む少年が、まっすぐ手を伸ばして具申してきた。

 

師父(スーフ)!! どうせであれば、この第八階層攻略に、我が戦友たる戦略級攻城ゴーレム“デエダラ”を出撃させてみては!!?」

 

 ナタが第一階層“迷宮(メイズ)”で共に過ごす、種族系統関係は共通の存在。

 万が一に備えて、スレイン平野を魔導国の軍などに包囲殲滅の布陣を展開された際の最後の伏兵にして反撃手段と定め残してきておいた戦力のひとつが加わるのは、確かに最上の作戦案に聞こえる。

 だが、カワウソは首を横に振った。

 

「いいや、ナタ。この転移すら奇跡みたいな偶然でしかないかもしれない。それに、攻城ゴーレムはギルド拠点を攻めるための装置であって、拠点の内部に侵攻する機能は──ない」

 

 はず。

 この異世界でどういう仕様になっているのかは不明瞭だが、無理に出撃させて、ギルド資金を目減りさせるような結果にならないとも限らない。場合によっては墳墓の表層──アンデッドの跋扈する平原に戻る形で、デエダラが転移する可能性もあるので、やはり無駄な試みと思われる。何しろ戦略級攻城ゴーレムは、起動し使用しようとすれば、ほぼ全自動で拠点外へと転移するものだから。

 

「デエダラの出撃は、拠点最奥のコンソールで操作できるメイド長(サム)たちに一任。この拠点に侵攻してくる敵が確認された際にのみ、──つまり、シシやコマたちの“警報装置”が作動した時にだけ、出撃を試みさせろ」

 

 頷くナタと、メイドたちと魔法で繋がっていたマアト。

 カワウソは大きく息を吸い込む──埃っぽい荒野の空気は、堕天使の喉と肺には合わなかった。思わず咳き込みかける。

 

「ッ、──第八階層攻略の作戦概要は変わらない」

 

 12人のNPC全員が、事前の作戦会議で言われていた通りの役割に服す。

 前段階と中段階を乗り越えた、最後の後段作戦。

 

「全員、蘇生アイテムは?」

「すでに」

 

 応じるミカに合わせて、ガブやラファたちNPC全員が、誇らしげに頷くのを見る。

 屋敷を出るときに、カワウソから配給された課金アイテムのあまりを有している状態だ。これで、天使の澱は全員、モモンガと対峙することになっても、例の謎のスキル──絶対的な即死現象に対抗できる、はず。

 

 これがおそらく、カワウソたちの最後の戦いになるのだろう。

 ついに相見(あいまみ)えた第八階層の星々(あれら)が、────────動き始める。

 

「予定通り。ミカ、ナタ、クピドは俺の直衛(ちょくえい)につけ。他の九人は、順次あれら(・・・)の相手を!」

 

 轟く堕天使の命令。

 了解と頷く女天使(ミカ)に続き、承知の声をそれぞれ奏でるNPCたち。

 

「各員前進!」

 

 もはや背後に聳える自分達の拠点を一顧だにせず、カワウソたちは荒野を進む。

 両手を振って荒れ野を駆け、前方2キロ先に浮かんでいる転移の鏡を、目指す。

 カワウソの周囲を完全に囲みながら、前進していく天使の澱のNPCたち。

 そして──

 早速、宙に浮かぶ星のひとつが猛威を振るう。

 位置的に最も近くにいたのだろう星が吐き出したのは──白い、あまりにも(しろ)い雷。

 

「マアト!」

 

 カワウソの声と共に、白雷の軌跡の先端にいたサポート特化の少女が攻撃を受ける。

 竜雷(ドラゴン・ライトニング)よりも巨大かつジグザグと複雑な光跡を描く超速攻。

 一様に世界級(ワールド)アイテムの影響によって守られていることを示す……赤黒い障壁に全身を明滅させる黒髪褐色の少女は、大嵐の閃光もかくやという大熱量と超速度攻撃にさらされて──

 

「だい、大丈夫、です!」

 

 へっぴり腰で頷きながら、盾のように展開した両腕の白い翼で、白い暴力の塊を防ぎ落としていた。

 カワウソの世界級(ワールド)アイテムのおかげで、その防御性能──ステータス数値は、ありえない規模に増強されている。だからこそ、墳墓の表層で、カワウソのNPCたちは上位アンデッドの攻囲に対し、一人として脱落することなく、ナザリックの守護者や上位アンデッド共の猛攻を凌ぎ尽くしたのだ。

 マアトはその場に倒れ伏しそうなほど震える脚で、涙声をこぼしながら……しっかりと、自分の務めを果たす。

 

「わた、わたし、私は、ここで、あ、あ、あれの、相手を、します!

 か、カ、カワウソ様や皆は、ど、どうぞ、オ、お、お先へッ!」

 

 額に大量の汗を流す少女の攻撃力は、平原の戦いから展開し続けていた“砂漠の風”系統……現在は“砂漠の(あらし)”にまで昇格されたそれによって、大幅な強化が施されている。この特殊技術(スキル)は彼女の職業レベルのひとつ精霊術師(エレメンタリスト)(アース)の魔法性能を増強しつつ、凶悪な性能を誇るモンスターでも、吹き荒ぶ砂塵の竜巻で包み込まれて砂塵へと帰る=致死ダメージを与えるもの。──ただし、これは一番最初の“風”から、「時間経過」と共にスキルを段階的に強化していくスキルであり、それ以外の攻撃能力発動はもっぱら不能になるという弱点がある。

 マアトの仲間達──天使の澱のNPCの口々から、激励と称賛が飛び交う。

 

「良く、(しの)ぎました」

「すごいじゃない!」

「お見事です、マアト」

「さすがは、我等が同胞!」

 

 他にもマアトの敢闘を讃歌するNPCの声。カワウソは頷いた。

 自分の世界級(ワールド)アイテムが、あれら(・・・)と“拮抗できる”……その事実を目に焼き付ける。

 そうして──(うつむ)く。

 

「すまない」

 

 わかっていたことだ。

 サポートに特化され尽した──故に、実際の戦闘力はほとんどない──カワウソが、そのように創り上げてしまった巫女は、ここで置いていく(・・・・・)

 その事実を──作戦を──NPCたちをこのように使う以外の方法を思いつけなかった自分の愚かしさを、カワウソは噛み締める。

 情けなくてたまらない。

 情けなくてしようがない。

 情けなさすぎて謝りきれない。

 だが──

 

「謝らないでください!」

 

 普段のマアトには似合わないような大音声(だいおんじょう)に、カワウソは驚いて顔をあげる。

 伏せかけた目に映るのは、自分が主人に対して無礼を働いたことを自覚して焦る、黒髪褐色の少女。

 

「ぅわ、ももも、もももも──もうし、申し訳、ごご、ございません!」

「──いいや」

 

 その通りだ。

 何度も(あやま)ってきた。

 何度となく(あやま)ってきた。

 そのたびに、カワウソは皆に(あやま)っていた。

 だが、マアトたちは、NPCたちはいつだって、(わか)ってくれた。

 わかっていて……ここまで……こんな戦場にまで、ついてきてくれたのだ。

 カワウソは気づく。

 ──許しなんていらない。

 ──謝ったところで、何にもならない。

 ただ。それでも。

 

「ここを────『頼む』」

「はっ、はい! が、がが、がんばり、ます!!」

 

 精一杯の虚勢を張って、目の前に注がれ降り落ち続ける白雷の群れを、展開した砂嵐による壁で阻み続けるマアト。

 黒髪褐色の巫女が浮かべる柔らかな微笑み……頷く横顔に、カワウソは喉が詰まりかけた。

 ──息が、しにくい。

 荒野の地に酸素が少ないということでは、ない。

 肺が、臓物が、胸の中心が、芯から凍え崩れるような痛みを(かか)える。

 当初予定しておいた通りの用途に、マアトたちを「使い潰す」事実を、堕天使は泥のように重い空気と共に呑み込む。

 呑み込まなければならない。

 そのための……天使の澱のNPCたち……“あれら”を止めるモノ。

 そのように、カワウソは皆を創った。

 だから。

 

「お急ぎを」

 

 ミカに呼ばれ、意識を前に向ける。向けなくてはならない。

 

「……わかってる」

 

 カワウソの──復讐者の世界級(ワールド)アイテムが起動発動しているうちに、何とか次の階層へと転移する鏡に近づかなければならない。

 あの宙に浮かぶ星々は、間違いなく、マアトの発動していた特殊技術(スキル)“砂漠の嵐”を感知している。

 だから、真っ先にマアトが狙われた。

 かつての動画映像で、ここへ来た討伐隊が(こうむ)ったのと同じ現象……敵の攻撃や何らかの動きを、あれらは的確に感知しているらしいのだ。そうして叩き込まれる攻撃は、ありえないレベルの攻撃力・超速度で迫り来る脅威。Lv.100プレイヤーであろうとも、誰もまともに相対できないほどの暴力装置としての有り様を見せつけてくれた。

 あれらのひとつに対し、荒野の砂塵を意のままにする巫女が翼を広げて、(そら)の星のひとつを相手取る──あんなにも戦いが嫌いで不得意な、カワウソへの忠義だけで面倒な任務をこなし続けてくれた少女を……

 カワウソは今、置き去りにした。

 

「……………………くそ」

 

 なんて、ひどい。

 そう、自覚できる。

 自覚可能な罪悪感の重圧に、全身が押しつぶされそうになりながらも、カワウソはNPCを引き連れ、駆け足のまま前進。

 

「次は私ね♪」

 

 ほどなくして攻撃の雨が……雲一つない宙から降り注ぐ水滴が、荒野の園をサァッと染め上げる。大量の雨滴からなる爽やかな音色が耳朶(じだ)を撫でた。

 頭上にあるのは、やはり巨大な星。

 瞬間、強烈かつ尋常でない臭気……空気を焼く臭いが、荒野を行く天使の澱の前方空間を満たした。

 その雨は強い酸性らしく、これだとカワウソの──堕天使の(はだ)に致命的なダメージをもたらしかねない。

 それを十分にふまえて、数多くの鍛冶(スミス)職を兼任する踊り子(ダンサー)──翡翠色(エメラルド)の長い髪を(しと)やかに揺らす歌い手(シンガー)が、両腕に握る大鎚(ハンマー)を振り上げ、大地を豪快に、叩く。

 

「フンッ!!」

 

 瞬間、ハンマーの打撃部分から生じる、大量の金属鉱石。まるで傘のごとく天を覆う防御を展開。能天使(エクスシア)精霊(エレメンタル)種族を併存させるアプサラスは、常のような歌うがごとき調べで、カワウソを導いた。

 

「さぁ♪ どうぞお先に♪ あの星については、私が相手をいたします♪」

「うん……頼んだぞ、アプサラス」

「仰せのままに♪」

 

 彼女の創造主は方向を転換することなく、鏡を目指す。

 多彩かつ多量の精霊を召喚できる精霊女王(エレメンタルクイーン)の力を駆使し、星に特攻をかける小精霊たちを尖兵として、アプサラスは大槌を使って、強酸雨への防御姿勢を維持し続ける。

 カワウソは罪悪感で胸を塞ぎかける感覚にまたしても溺れかけるが、ミカの先を促す声を聞くと、そういった状態はすべて改善されていく。──何故か。

 そんな疑問を(いだ)く間に、灼熱の波濤が荒野を舐める。

 

「なんの!」

 

 その炎属性の全体攻撃を、片眼鏡(モノクル)をかけた赤髪の魔術師が唱えた炎属性防御魔法が塞ぎ止める。

 かつてLv.100プレイヤーを呑みこみ焼き尽くした大熱量の奔流であるが、カワウソの世界級(ワールド)アイテムの性能で強化されたNPCを破壊することは不可能。

 左肩に二枚の翼を広げる魔法詠唱者は、焔を零す杖を掲げ、気安く告げる。

 

「足の遅すぎる配下(シモベ)は、カワウソ様の行軍には不要……お次は、我こそが務めを果たす番」

「ウリ」

 

 すでに、平原の戦いで“戦車”となる天使召喚を使い果たした。この状況で召喚師(ウォフ)生命創造者(イスラ)を頼るわけにはいかず、カワウソの直衛たるミカのスキルや魔力は温存しておかねばならない。

 太陽の如く赫奕(かくやく)たる光量を放出し続ける、ひときわ巨大な星を、ウリという名の大天使(アークエンジェル)は睨み据える。

 

大事(だいじ)有りませぬ。我等は一人残らず、“務め”を果たし終えます。どうか、御身の武運長久を!」

「ああ──いってくる」

 

 またしても、仲間を置き去りにする堕天使。

 燃える星を相手にする同胞を謳いながら、カワウソの周囲を囲んで、驀進(ばくしん)を続ける天使の澱。

 

 ここまで来て、カワウソは迷う。

 

「本当に、これでいいのか」という想いと、「いいや、これでいいはずだ」という考えが、胸の奥で──頭の中で──魂の深底で、(せめ)ぎ合う。

 そして、ただ純粋な決意だけが、堕天使の足を進ませる。

 宙を覆う世界級(ワールド)アイテム──円環の能力が生きている内に、前へ……前へ。

 八個あった円環が、“七個”に、減る。

 急がねばならない。

 発動可能時間は、刻一刻と減り続けている。

 そうして、数十歩以上を、息を切らせながら走り抜けた時。

 

「──次から次へと」

 

 また別の星がカワウソの頭上に降臨。

 真っ白い月のような見た目と、水色の輝きに潤む星……同時に、二つ。

 四個目の星。月のような白星から繰り出される風圧の斬撃が荒野に降り注ぐが、天使の澱は、無傷。

 その下にある赤茶けた大地も、あれほどの斬撃攻撃を浴びて、何の爪痕も残らない。

 動画だと、あの一撃でプレイヤー複数人が一撃で死んでいた。

 

(……第八階層の“荒野”……フィールド自体の防御性能も格が違うってことか?)

 

 考察を重ね深めるうちに、もうひとつの──五個目の星が輝きを増した。

 他の星々へと注がれる、強化の気配。水色の大強化の後に降り注がれるのは、巨大鉱石の砲弾。

 

「次は私と」

「自分が相手をします、()(しゅ)よ」

 

 二つの星に対して立ち向かうのは、二人の天使。

 修道女の白黒を基調とした衣服を煽情的に着崩した聖女と、(いにしえ)の羊飼いのごとく牧歌的な衣服に身を包む牧人。

 聖女は腰から純白の四翼を広げ、牧人はサンダルの羽根飾りを天使の翼に変えている。

 

「ガブ──ラファ──任せた」

 

 ここまで来て、躊躇する時間すら惜しい。

 

「ええ。いってらっしゃいませ」

「この最後の時まで、あなたと共に戦えたことを誇りに思います」

 

 微笑む銀髪の智天使(ケルビム)主天使(ドミニオン)を置き捨てて、カワウソたちは鏡を目指し続ける。

 罪悪感が重くのしかかる。

 そして、その途上に、六個目と七個目の星が立ちはだかる。

 

 無数の巨大な流星を飛ばしてくる、巨大な(リング)を自分の周囲に浮かべた茶色の星。

 それと共に現れたのは、海の如く深い色合いを灯した星から放たれる、冷気属性レーザー。

 

「では。あの二つについては」

「────私たちが、“お務め”を」

 

 黒い外套に身を包む暗殺者(アサシン)と、白い面布で顔を隠す回復師(ヒーラー)が、前へ。

 かなり派手な流星攻撃や極太レーザーを受けても、赤黒い障壁が、二人のすべてを護り包む。

 

「イズラ……イスラ……」

 

 すまないと言いかける声を噛み砕く。

 こうなるとわかっていた。わかっていて、カワウソは彼等を連れてきた。

 なのに。ここまで来て謝罪などしても意味はない。浅はかな自己満足に浸る自分が許せない。

 最初にマアトが喝破してくれたおかげで、それを強く自覚できる。

 

「────どうか気に病まれないでください、マスター。私たちにとって、これほどの栄誉はありえません」

「私のような、無様(ぶざま)にも敵に敗北した者にも、これほど素晴らしい死に場所を与えていただき、感謝の念に()えません」

 

 そう言って、兄妹は流星の豪雨と冷気の閃光を阻む壁となる。

 それは一発だけでも広範囲を薙ぎ払い、凍結の状態異常を与えうる暴威の顕現。

 天使の澱のNPCが、それほどの暴力に対抗できているのは、カワウソの──“無敵”と言ってよい世界級(ワールド)アイテムの効能によるもの。

 では、

 その効能が尽きた後は……

 

「礼を言うべきは俺の方だ──ありがとう、皆」

 

 血を吐くような声と共に、カワウソは前進を続ける。護衛のミカたちを引き連れて。

 星々(あれら)は、動画で研究検証した限りにおいて、一度攻撃した相手が生き残っていた場合、しつこく追撃を重ねることに専念する傾向にある。今も尚スキルで、魔法で、武器武装の効能を発露して、あれらの前に立ちはだかり続けるNPCたちを撃滅しない限り、あれらはカワウソとその周囲を囲むミカたちを襲撃できない。

 かつて、その特性を偶然にも利用して、カワウソの仲間たちは一目散に鏡を目指した。目指すことができていた。

 

 しかし、今回の攻略戦において、あの動画とは違う現象も、ある。

 

「……なんで、“七つ”しか出てこない」

 

 堕天使の遅い足で走りながら、疑問符を浮かべる。

 かつての攻略戦において、あの宙に浮く球体は“九つ”あった。

 だが、今は“七つ”しか確認できない。

 伏撃を狙っているのか? あるいはどこか別の場所に? 完全に稼働させるには何かしらの条件が?

 様々に浮かぶ脳内の疑義を振り払うように頭を振った。

 時間は少ない。

 カワウソの周囲を囲むNPCは、ミカ、ウォフ、タイシャ、ナタ、クピドの……五人。

 残り効果時間は、円環の数からみて……たったの六分程度。

 次の階層へと至る鏡は、まだ遠い。

 

 と、その時。

 

「ぬゥ!!」

「なッ?!」

「警戒!?」

 

 NPCたちが停滞を選ぶ。

 ナタ、クピド、ミカの順で、敵の襲来を検知。

 世界級(ワールド)アイテムを展開している発動者を攻撃させないために防御の壁を厚くするべく、NPCたちの円陣が堕天使を覆い尽くす。

 

 ザリッ──という、足音。

 

 荒野の先に、(そら)ではない大地に──何かの──影……赤い、紅い、(あか)い、人影が。

 カワウソの心臓が止まりかける。

 

「……あ、……あれは」

 

 つい先ほど墳墓の表層で見た、白い女悪魔──それを少女にしたらこんな具合だろうというビジュアルは、血に濡れ染まったような真紅一色のドレスを身に着け、赤を基調とした装身具や手袋、紅玉のごとき光沢の眩しいピンヒールなどで着飾っている。

 そんなモノが唐突に、カワウソたちの行軍路に立ちはだかった。

 人の形をしているくせに、その少女は一切の生気を……正気を感じさせない無機質な眼で、暁色の瞳で、天使の澱を眺め見る。

 かつて、討伐隊の誰もが(てき)しえなかった──赤い暴風のごとき少女は、その優美な唇を一切動かすことなく、(そら)んじる。

 

 

 

 

 

《 ──戦闘状況を把握。Rubedo(ルベド)は、“殲滅”を開始します 》

 

 

 

 

 

「絶対にー!」

「させるか!」

 

 真っ先に吼えた二人の天使が戦場を馳せる。

 巨兵の全身鎧から伸びた機械の翼と、瞬速を誇る黒雷の僧衣が、赤茶色の大地を突っ切る。

 

「カワウソ様とみんなは、先に行ってー!」

「アレは作戦通り自分たちがくいとめます!」

 

 わかったと頷いて、カワウソは鏡への一直線ルートから外れるコースをたどる。

 この第八階層において唯一の、人の形状をした敵の姿。

 その戦闘方法は動画で考察できた限り、ウォフとタイシャのコンビネーションで対応可能……二人はそのようにして創られた存在。少なくとも、世界級(ワールド)アイテムの“無敵”状態で倒されることはないはず。最初はウォフひとりに“赤い少女”を任せつつ侵攻するつもりであったが、タイシャという前衛と哨戒をこなせる魔法火力役(アタッカー)がいれば、生存率は飛躍的に上昇するはず。

 轟く豪音を背にしながら、カワウソは前へ進む。ひたすらに鏡を目指す。

 堕天使を護る壁は薄くなるが、ミカとナタとクピド……このギルドにおいて最強格の三名であれば、大抵のことには対処可能。

 

 最高の防御役(タンク)……ミカには熾天使(セラフィム)以上のレア種族が。

 最強の物火役(アタッカー)……ナタには近接職に超特化させたレベル構成が。

 最悪のその他役(ワイルド)……クピドには転移・空間職業に長じるが故の“格納庫”が。

 

 当初の予定だと、ウォフがあの赤い少女への迎撃任務を単独で受け持ち、クピドとタイシャで、残る二つの星の相手をしつつ、カワウソとミカとナタとの三人チームで、第九階層へと乗り込むつもりであったが、クピドも連れてこれる事態というのは思わぬ誤算である。

 が、しばらく荒野を迂回していると、

 

「どうした?」

 

 一人のNPC──ナタが、その足を止める。

 敵襲を疑うカワウソであったが、予想される(そら)の“星”からの襲撃はなく、動画で存在を確認していた“胚子の天使”も、何故か邂逅を果たしていない(カワウソの作戦だと、あの足止めスキル保有者は絶対に相手にしない・無視すると決めていた)。

 足を止めた少年は、蒼髪の後頭部をカワウソに見せるだけで、しばらく応じなかった。

 そして、快活な一声が轟く。

 

「申し訳ありません、師父(スーフ)!!

 自分はウォフとタイシャの加勢に、あの“少女(あかいの)”を止める役に向かいます!!」

「な……え?」

 

 カワウソは首をひねった。

 振り返る少年の表情にあるのは、死地へと赴く戦士の色。

 

「自分の、『戦士の直感』が、告げております!!

 アレの相手は、ウォフとタイシャだけでは、非常に困難なものであると!!」

「な……ナタ?! どこへ行くッ!?」

 

 創造主(カワウソ)が止めるのも構わず、ナタはウォフとタイシャが舞う戦地へと、逆走。

 

「必ず!! 必ず後で追いつきます!! 自分が戻るまで、どうか御三方とも、ご無事で!!!」

「あの子! なにを勝手なことを!」

 

 そう言って少年兵の背中を追い止めようと六翼を広げるNPCの長──熾天使を、火器と爆薬で武装した赤子の天使(キューピッド)が制止した。

 短く小さい手が、女隊長の黄金の鎧──その肩当(ポールドロン)を押し留める。

 

「行かせてやれぇ──隊長ぉ」

「クピド? なにを言って?」

 

 怪訝(けげん)そうに疑念する女天使に、グラサンの奥の瞳は臆することなく述懐する。

 

「……実際に目の前にしてなぁ。──俺様の『勘』もビンビン言っているぜぇ。

 アレはぁ……あの赤い(やつ)はぁ……“危険だ(ヤバイ)”ってなぁ」

 

 クピドは声を絞り出し、小さな掌を掲げて教える。

 いつも飄然として悠々とした赤子の天使には似合わない……それは、震え。

 怯懦(きょうだ)に打たれた熟練の兵士は、未知なる脅威を前にして、適確な戦況分析と戦術知識として、ナタが助勢に向かった事実を肯定する。

 

「クピド……あれが、あの少女が何者なのか、わかるか?」

「わからねぇ……わからねえがぁ……ヤバイってことだけは、理解できるぅ」

 

 カワウソは静かな納得と共に、彼等の判断を信じた。

 

「──わかった。……鏡へは俺たちだけで向かう。クピドは周辺警戒を。ミカは瞬間防御に徹してくれ」

 

 短い作戦内容の修正に、二人は頷いた。

 ()しくも、拠点から城塞都市(エモット)侵入に向かった時と同じ三人編成になりながら、カワウソたちは次の第九階層を目指す。

 荒野を駆ける上で、強化スキルや補助の魔法を起動することは出来ない。敵はそういった挙動を見せた侵入者を探知し、「優先的に潰す」ように大攻撃の大攻勢を加えてくる。それが、カワウソが研究できた限りにおける、あの大虐殺──この第八階層で1000人規模が殺された蹂躙劇の、一連の流れであった。

 故に。なるべくそういった挙動をとらないように、ミカとクピド……カワウソと共に次の階層を目指すNPCには、作戦会議で事前に命じておいたのだ。

 

「しかし。カワウソ様の作戦でナタは」

 

 抗弁しかけるミカに、カワウソは頷くことでそれ以上の議論を封じる。

 

「ナタなら、大丈夫なはずだ」

 

 必ず追いつくと言ったのだ。

 あの少年は、ギルド最強の“矛”。

 彼の言葉を信じるに足りるだけの力が、ナタには存在する。

 敵を食い止めるのには過分な能力と装備を与えた、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の第一階層と第四階層の護り手となる花の動像(フラワーゴーレム)。カワウソの見立てでは、身内贔屓を抜きに考えても、上の上プレイヤーに匹敵する戦闘力の持ち主。復活スキルは消耗しているが、それでも“光合成”という常時体力回復や、魔法吸収などの強力かつ希少なスキルは健在という事実。

 ……ただ、不安がないということは、ない。

 もしも、あの赤い少女が、カワウソ達の常識を遥かに超える存在であったりしたら──三体のLv.100NPCをものともしない戦闘能力を有していたとしたら──

 

「急ぐぞ!」

 

 荒野の大地に響く、戦闘の暴音。

 世界そのものが震撼し破砕されているかのような、衝撃に次ぐ衝撃。

 カワウソは第九階層を目指す。

 この第八階層を攻略すること=第九階層に至ることのみが、カワウソの至上目的。

 息を切らし、恐怖と罪悪にすくみながら前進するしかない堕天使は、偽りの(そら)を仰ぐ。

 頭上の円環──天を、世界を覆い尽くす赤黒い輪っか(リング)の数は……

 

 残り、五つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 マアト         ──VS── 木星(ケセド)
 アプサラス       ──VS── 金星(ネツァク)
 ウリ          ──VS── 太陽(ティファレト)
 ガブ          ──VS── (イエソド)
 ラファ         ──VS── 水星(ホド)
 イズラ         ──VS── 土星(ビナー)
 イスラ         ──VS── 海王星(ケテル)
 ウォフ/タイシャ/ナタ ──VS── Rubedo(ルベド)
 ミカ/クピド      ……カワウソの護衛として、第九階層を目指す。


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“荒野” -3

/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.03

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「……なるほどな」

 

 アインズは第八階層にまんまと転移し果せた侵入者、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたちの挙動から、アルベドやデミウルゴスとほぼ同じ──否、それ以上の結論を懐くに至る。

 

 ナザリック地下大墳墓が誇る拠点防衛戦に特化した世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”。

 その力の恩恵によって、第八階層のあれら……ダンジョン時代の「ナザリック地下墳墓」、“大墳墓”になる前のダンジョンを守護していたボスモンスターの係累として、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの支配下に組み込まれた存在たち……ギルドのシステム的には拠点ポイントとは別個の傭兵……第八階層守護者・ヴィクティムの住居として機能する、世にも珍しい“住居型”モンスター……荒野の(そら)に浮かぶ星々。

 

 通称“生命樹(セフィロト)”。

 

 天空に浮かぶ発光体の攻撃力は甚大かつ超絶の威を誇り、通常プレイヤーに耐え抜ける道理は、ない。

 ただ1個だけでも強力な力を誇る10個の(スフィア)。外装は太陽系の惑星をモチーフとした生命樹は、その象徴図通り22の小経(パス)で互いに繋がり合うことで、互いの性能を相乗強化させるシステムを構築。中でも、三つの「柱」──『峻厳の柱』『慈悲の柱』『均衡の柱』──と、三つの「三角形」──『至高』『倫理』『星幽』──の陣形で繰り出される多層広域殲滅攻撃の雨霰は、あの討伐隊・Lv.100プレイヤー1000人規模を、瞬きの内に壊乱させるほどの暴力を発揮し、その光景は超位魔法の大乱舞・ワールドエネミーの来襲かと見做(みな)されるほどの殲滅能力を有している。

 なにしろ世界級(ワールド)アイテム──世界ひとつに相当するアイテムの強化を受けた、かつてこの拠点を守護していたボスモンスターの成れの果て(・・・・・)たる星々(あれら)たちは、同ランクの存在……つまり、世界級(ワールド)アイテム保持者や、ワールドチャンピオン・ワールドディザスター・ワールドガーディアンなどでなければ、抵抗することすら難しいもの。

 そのように、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバーたちが、諸王の玉座によって与えられた“地下墳墓”時代のボスモンスターのデータを改造し改良し改悪し尽した──まさに“最大戦力”と呼ぶべき兵器群こそが、第八階層の“あれら”の正体なのである。

 ……だが。

 

「まさか。この“諸王の玉座”に似た効能の──“無敵”状態を与える世界級(ワールド)アイテムがあるとはな」

 

 アインズですら知り得ぬ情報。

 しかし、珍しいことではない。

 有名どころで言えば、「運営にお願いできる」系統の世界級(ワールド)アイテムに、超稀少鉱石──七色鉱──セレスティアル・ウラニウムの大量確保によって獲得可能な“熱素石(カロリックストーン)”と、あの「二十」のひとつである“永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”があるように、世界級(ワールド)アイテムのランク内でも、上位互換や下位互換、似た効能や系統の近しいアイテムというものは、あって当然といえる。

 運営が用意した壊れ性能の世界級(ワールド)アイテムであろうとも、その性能は特化型の神器級(ゴッズ)アイテムに劣ることもあるなど、必ずしも万能とはなりえない。そういうゲームバランスが、ユグドラシルには生きていた。

 故に。

 ナザリック地下大墳墓が誇る「ギルド防衛」に長じた世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”に近しい効力──下位互換か、もしくは上位互換──あるいは明確な“弱点”となる世界級(ワールド)アイテムが存在していても、何も不思議ではない。

 不思議ではないが、アインズはたまらず鼻を鳴らす。

 

「はッ……だとしても、“まさか”……だよな」

 

 それほどのピンポイントに──まるでナザリックを、あの第八階層の“あれら”と伍する為だけに用意されたような世界級(ワールド)アイテムがあるなど……ましてや、それだけのアイテムを、100年後に現れたプレイヤーが、ナザリック地下大墳墓の第八階層“荒野”にいるあれらへの「復讐」を標榜する“敵”が確保していたなどと──さしものアインズ・ウール・ゴウン魔導王であろうとも、予想の範疇外を余裕で飛び越える事態である。

 

「あんな脆弱な……Lv.100の天使NPC一体程度で、生命樹(セフィロト)の攻撃を受けきれるとは」

 

 信じがたい光景が水晶の大画面に投影されている。

 アインズの仲間たちが見ていたら、誰もが驚嘆してあまりある事象に違いなかった。

 見える光景は、まるで星々から降り注ぐ絨毯爆撃じみた各種各属性の大攻撃力を、“たった一体のNPC”で迎撃し、防御しているようなありさまである。

 まるで、天使の澱のNPCが、生命樹(セフィロト)たちと同格の存在になり果せたような状況と言えた。

 

 

 木星(ケセド)の白い雷樹の群れを、黒髪褐色の天使が砂の竜巻や砂の津波で阻み──

 金星(ネツァク)の強酸性を示す驟雨を、翡翠の髪の踊り子が大地をめくりあげて防ぎ──

 太陽(ティファレト)の回避不能の大熱波を、赤髪の魔術師が同属性の広範囲魔法で迎え撃ち──

 (イエソド)の風圧の斬撃からなる嵐を、銀髪褐色の聖女が幻の拳の連突連撃で払い除け──

 水星(ホド)の大強化された鉱石の砲弾を、銀髪の羊飼いが樹杖からこぼす光で焼き尽くし──

 土星(ビナー)の環から飛来する大量の流星群を、黒い暗殺者が手指より伸ばす鋼糸で断ち切り──

 海王星(ケテル)の空間を凍てつかせる巨大光線を、白い回復師が奏でる巨大喇叭で相撃ちとする──

 

 

 生命樹(セフィロト)が繰り出す攻撃ひとつひとつが、世界級(ワールド)アイテムによって増強された超過ステータス──特に、物理火力・魔法火力などの攻撃性能において、容易(たやす)く他を圧倒できる規模を誇る数値に昇華強化されていることを考えれば、迎撃や防御など、理論上は不可能である。

 なのに。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCは、健在。

 彼等の創造主であるところのプレイヤー・堕天使(カワウソ)が発動したモノ──未知なる世界級(ワールド)アイテムの影響を受けて。

 

(実に興味深い世界級(ワールド)アイテムじゃないか)

 

 この戦いが終わったら、堕天使(カワウソ)から奪略してでも研究実験したいところであるが、特殊な種族や職業レベル──あるいは何かしらの特別な発動条件などを満たす必要があるだろうし、あまり期待はしないでおくべきか。

 敵にまんまと侵入されたことを加味しても、こういった事態もありえるという教訓を得られただけでも、今回の戦闘はなかなかの収穫であったと考えておく。

 次の100年後に現れるだろうプレイヤーなどへの対応も、いろいろと変えていく必要があるか。

 

「失礼ながら、アインズ様」

「うん。どうした、アルベド?」

 

 あれこれと思慮を深めるアインズに対し、危惧の色を麗美な面貌に宿しっぱなしの女悪魔が、実直な意見具申を述べる。

 

(おそ)れながら申し上げます。あの、天使の澱なる勢力は、第八階層のあれら“生命樹(セフィロト)”と拮抗できる能力を発揮しております。一刻も早く、迅速かつ確実な討滅の手に出るべきです」

 

 そして、

 片膝をつく守護者たちと共に、自分たちに貸し与えられた世界級(ワールド)アイテムを掲げ、告げる。

 

「階層守護者各位と、()守護者統括である(わたくし)を、第八階層に挙げての迎撃任務に『出征せよ』と、お命じ下さい」

 

 コキュートスが鈎爪の間に握る“幾億の刃”、アウラが腰に携える“山河社稷図(さんがしゃしょくず)”、マーレの両腕を覆う“強欲と無欲”、デミウルゴスの手中にある“ヒュギエイアの(さかずき)”──そして、アルベドとシャルティアにも、世界級(ワールド)アイテムという破格の装備物が与えられて久しい。

 確かに、これだけのもので武装したアルベドたちであれば、いかに世界級(ワールド)アイテムの効果を発揮しつづける堕天使の勢力を迎撃し、壊滅させることは可能だろう。世界級(ワールド)アイテムを保持する者は、世界級(ワールド)アイテムの効果を防御し、対抗可能というシステムがある……だが。

 

「駄目だ。それは許さん。一人として、今戦場となっている第八階層には、挙げない」

「そんな!?」

 

 どんなに愛しい王妃からの意見であろうとも、事ここに至っては、アインズは慎重にならざるをえない。さらに、アインズは単純な感情論ではなく、実際的な戦術知識として、アルベドの提案を即時棄却する。

 

「確かに世界級(ワールド)アイテムを保有する今のおまえたちは、世界でも類を見ないほどの戦力・戦術・戦略を展開できる力を握っている。何しろ世界級(ワールド)アイテム──ツアー(いわ)く、『世界ひとつに匹敵するモノ』なのだからな……だが」

 

 世界級(ワールド)アイテムは万能にあらず。

 この世界の謎をそれなりに究明しつつあるアインズであったが、世界級(ワールド)アイテムの示す能力には未開未見なところが数多い。

 さらに言えば、不安要素もある。

 

「何よりも危惧すべきは、彼の──カワウソの未知なる世界級(ワールド)アイテムの能力が、我々の有する世界級(ワールド)アイテムを上回る可能性だ」

 

 かつてのこと。

 世界級(ワールド)アイテムの“永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”によって、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバーは、ひとつのワールドから締め出される事態を受けたが、世界級(ワールド)アイテムを個人で保有していたメンバーについては、その締め出しを受けなかった。

 また、「二十」のひとつに数えられる“五行相克(ごぎょうそうこく)”……それによる世界改変の現象が発動した際、運営から世界級(ワールド)アイテムを保有するプレイヤーへメッセージが送られ、詫びアイテムを渡されながら説明を受け入れた。「世界の改変が適用されないはずの世界級(ワールド)アイテム保有ユーザーのデータを、そのままにしておくことはシステム的に不可能」という謝罪文を。

 このように、世界級(ワールド)アイテムにも例外的な事象が起こり得ることは、十分にありえること。

 それでも、アインズは確信していた。

 ナザリック地下大墳墓が誇る、拠点防衛の用途に特化された“諸王の玉座”は、かつて侵攻してきていた1500人……その中にいた世界級(ワールド)アイテム保有者を刈り取り、まんまと連中から新たな世界級(ワールド)アイテムを奪取するという大金星を挙げた実績を誇る。

 生命樹(セフィロト)は、こと第八階層で運営する限りにおいて、まさに“無敵”なのだ。

 

「おまえたちが心配するには及ばない──私には、カワウソの世界級(ワールド)アイテムの“弱点”が見えつつあるしな」

「それは(まこと)にありんしょうか?!」

 

 シャルティアが驚愕と共に面をあげた。

 

「無論だとも」そう頷いてアインズは、第八階層内部に、偽りの(そら)にくっきりと刻まれる赤黒い円環の“数”を、全員に数えさせる。

 

「わかるだろう? あれは、カワウソの発動した世界級(ワールド)アイテムを象徴するものであり、同時に、彼の世界級(ワールド)アイテムの……おそらく“効果時間”なり“耐用回数”なりを示すエフェクトだ」

 

 最初、墳墓の表層で発動した際に発生した巨大円環の数は、“九つ”だった。だが、それは一定の時間経過と共に数を減らし、赤黒い円環は外周部の(リング)から砕け始め……“八”、“七”、“六”……そして今では“五”にまで、順当に減少し続けている。

 実に判りやすい。

 

「あれを見るに。いかに世界級(ワールド)アイテムといえども、無限に発動していられるタイプのものでは、ない──ということだな」

 

 だからこそ、生命樹(セフィロト)の誇る超絶的な全体攻撃や広範囲殲滅の一撃を、ただの拠点NPC一体一体が、確実に無力化することができるのだろう。

 カワウソの世界級(ワールド)アイテムの効果は、自軍勢力に属するものを“無敵”にするものと、とりあえず仮定。

 そのリスク・弱点のひとつは、「発動限界……時間制限がかけられていること」か。

 アインズにしてみれば、ああいった演出はゲーム的には珍しくもなんともないエフェクトであるが、そんな知識など欠片もなさそうなNPCにとっては、驚懼(きょうく)するほどの理解力に思えたらしく、守護者たちや戦闘メイドらはしきりに首を頷かせ、主人の叡智の深さに感嘆したがごとく瞳を煌かせていた。

 この段階で、アインズとほとんど同じ解答に至れているのは、ナザリック最高位の智者たる三人……アルベド、デミウルゴス、宝物殿に詰めているパンドラズ・アクターに加え、外で映像を共有する我が子・ユウゴくらいしかいない。

 

「くくくく──すべてアインズ様の御明察通りであるとすれば。

 あの愚かしい天使共、……連中に残された時間というのは」

 

 デミウルゴスが喜悦に歪みかける表情を、非常時ということで峻厳な(いただき)のごとき冷たさ鋭さを宿しながら、己の頭脳を超越し尽くす至高の主に、明確に(たず)ねる。

 

「うん……もって、あと五分といったところか」

 

 アルベドやシャルティアたちの表情が(やわ)らぐ。

 つまり──それで、天使の澱の大活劇は、終わる。

 こちらはほとんど何もせず、ただ五分間を耐え忍ぶだけで、後事はすべて生命樹(セフィロト)たちとルベドがやってくれるだろう。

 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”の統制下にある生命樹(セフィロト)には、効果発動時間などの縛りはない。

 無論、あれらの運用には、ナザリック側もそれなりのリスク──“弱点”があるし、正当な攻略方法も存在する。

 知るものが知れば攻略することも不可能ではない。かなり危険極まる“弱点”であるが、現状では不安に思うほどのことはない。

 

「カワウソは、いまも変わらず“鏡”を目指し続けている」

 

 かつて1500人が犯した“(あやま)ち”と、ほとんど同じ道だ。

 ──あれではダメだ(・・・)

 仲間たちが創り上げ、アインズの課金で強化されまくった第八階層“荒野”。その『正当な攻略法』には、今現在のカワウソの行動は、まったくもって“遠すぎる”。

 生命樹(セフィロト)たちやルベドに与えられた特性を見抜き、自分や最低限の護衛役に、強化などの特殊技術(スキル)や魔法を「発動させない」という判断は適切であるが、堕天使の遅い足では、あの距離を進み続けるのは困難。彼を護っている二体のNPC──ミカとクピドは、そこまでの速さを発揮するものではない上、カワウソを超長距離から狙う敵がいないかと、慎重に彼の警護を厚くせねばならない。

 

 その光景が、カワウソの世界級(ワールド)アイテムの“さらなる弱点”を露呈していた。

 アインズは、気づいたのだ。

 あの赤黒い障壁は、ミカとクピド……彼の護衛、“自分の軍勢”にしか、適用されていない。

 

「無理もない。あれでは、慎重にならざるを得ないだろう」

 

 アインズは嘘偽りなく憐れを懐く。

 強硬的に荒野を突破しようと思えば、生命樹(セフィロト)やルベドの優先破壊対象に据えられることは確実だ。太陽系の惑星を(かたど)りし星々と、まるで彗星の如き戦いぶりを発揮する赤い少女の任務は、第九階層へと至る鏡の防衛──そこへ近づかんとする“ありとあらゆるモノ”を殲滅することを基本原理として存在している。

 第八階層“荒野”の中央に現出したギルド拠点に関して、生命樹(セフィロト)やルベドが手を出さないのは、優先的に破壊しようという気が起きないというよりも、本来、ギルド拠点内にありえない「モノ」であるが故に、破壊対象だと見做すことができないという方が近いか。

 だからと言って、あの敵拠点に強襲ないしは潜入を試みることは、アインズたちには難しい。

 今現在、荒野の中央で繰り広げられる大攻勢……白き雷の嵐を、強酸の滝雨を、大爆発の渦を、風圧の万撃を、大鉱石の砲を、無数の流星を、大寒波の光を……そんな暴虐の只中に、自分たちナザリックの手の者を向かわせることは、ありえない。第八階層の中心に転移したヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の調査や潜入・破壊工作に向かわせることは、まず不可能だ。

 第八階層に侵入したものを、敵味方問わずに迎撃・殲滅するように創られたものたちは、同士討ち(フレンドリィ・ファイア)可能になったこの異世界においては、冗談抜きで危険極まりない存在に昇格されている。いかに世界級(ワールド)アイテムを装備したアルベドたちでも、無事に済むような公算は得られないほどの脅威。

 唯一の例外は、ギルド長として管理コードを掌握しているアインズのみであるが、現時点でアインズが敵の世界級(ワールド)アイテムが起動している戦地に向かう理由など、普通に考えれば当然ありえない。

 そして。第八階層の“桜花聖域”にいるヴィクティムやオーレオールは、あの聖域から外に出すことはできないし、その配下たるウカノミタマたちも出撃させない。今は、あそこ“こそ”が、このナザリックにおいて絶対に攻め寄せられてはならない場所になっている。

 

 何故なら。荒野の中で唯一、桜の大樹が常に咲き誇る聖域は、このナザリック地下大墳墓の絶対守護対象──ギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウールゴウンの現・安置場所であり、さらにはアインズの大切な魔王妃・ニニャの寝所であり、もっと言えば、荒野の(そら)をいく生命樹(セフィロト)たちの“弱点”──「ダアト」が、厳重に保管・守護されている場所なのだ。

 

 そう。

 

 つまり、ユグドラシル時代において、第八階層“荒野”の正当な攻略方法のひとつは、生命樹(セフィロト)の大攻勢をかけられる「前」に、巧妙に隠匿された“桜花聖域”を何とか発見し、そこに収められた生命樹(セフィロト)の“弱点”を──それを守護する桜花聖域の領域守護者、七姉妹(プレイアデス)のリーダー、オーレオール・オメガを、攻略。さらにはルベドの脅威をなんとか受けそらしながら、第八階層守護者・ヴィクティムを「無視」しつつ、荒野の先に見えていた転移の鏡をくぐり抜けることで、はじめて第八階層の攻略が成立する。

 そういう風に順当な手順を踏むことで、まさにゲームのダンジョン攻略じみた紆余曲折を経て、ナザリック地下大墳墓の、最後の階層へと通じる第九階層への侵入が可能になる──という流れだったのだ。あの1500人の討伐隊──かつて第八階層に乗り込んだ連中は、そういった手順など知り得ず、荒野の先にドンと鎮座していた転移鏡(ゲート)に、まるで誘蛾灯に群がる夜虫の如く殺到し──そうして、生命樹(セフィロト)とルベドに殲滅され、モモンガが起動した世界級(ワールド)アイテムによる最後の「死」を迎えたわけだ。

 いくら外野が「チートだ」「インチキだ」「バグじゃないか」と叫んだところで、ギルド:アインズ・ウール・ゴウン、およびナザリック地下大墳墓は、運営の用意した規約に抵触することなく、自分たちにできることを確実に成し遂げていっただけ。だからこそ、運営がパンクするほどに押し寄せられたギルド凍結の嘆願や内部調査請求を、運営はキッパリとはねのけたわけだ。

 (いわ)く、『あれはチートではない』と。

 

「まぁ……至極真っ当な方法があるからには、その『裏をつく方法』もあるというのは……うん?」

 

 あれ?

 これは誰の言葉だっただろうか?

 メンバーの誰か──タブラさん、だったか? それとも他の誰かが言ったことか? あれ??

 必死に赤錆びた過去の映像を再生しようにも、あまりにも長い年月を過ごした存在しない脳髄は、鮮明な記憶情報を提供してくれない。記憶のフィルムが空回りして、まるで荒野に吹く砂塵のようなノイズが、懐かしい友らとの思い出たちを遠ざけていく。

 アインズはその事実に、「仲間たちとの思い出を失うのでは?」という危惧を懐きかけ、その事実に真実恐怖しかけるが、すぐにそういった強い感情は抑制される……“アンデッドだから”。

 

「……いずれにせよ。カワウソ達が、あの第八階層を超えることは、不可能(できない)

 

 魔導王は、死の支配者(オーバーロード)は確信を込めて頷く。

 ……“天使”が、ヴィクティムと同種族のNPCが、第八階層に侵入したという事実は何となく気がかりであるが、悪く考えたところで(らち)が明かない。

 ……………………だが、もしも。

 もしも彼が、カワウソが────気がついていたとしたら(・・・・・・・・・・・)

 

「ありえんか」

 

 脳裏に閃く疑義を、アインズはかすかに頭を振って否定する。

 気が付けるプレイヤーがいるとは思えない。

 いたとしても、あの手(・・・)を拠点NPCに用意する筈がない。

 第八階層の生命樹(あれら)──そして、第八階層守護者・ヴィクティムの──

 

「──さて、どうなるかな?」

 

 冷静に冷徹に、冷酷に冷厳に、アインズ・ウール・ゴウンは荒野を眺める。

 堕天使は、カワウソは、いまだに第九階層の鏡には遠い位置にある。

 七体の生命樹(セフィロト)に対する、七体の天使たち。

 荒野を(めぐ)るルベド一体に対する、三体のNPCたち。

 世界級(ワールド)アイテム同士のぶつかり合いとも評すべき戦場の様相は、まさに、最後の戦いと形容してもおかしくないほどの規模で展開され続ける。

 天上の輪の罅割(ひびわ)れ砕ける音が、存外に清らかな調べで荒野に響く。

 

 (そら)を覆う赤黒い円環の数は、残り四つ。

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

 世界同士が激突しているような、暴圧と轟音の(ひし)めく、戦域の片隅で。

 

「はぁ……ハァ……、かはッ──」

 

 堕天使は、カワウソは、疲労に耐えかねて足を止めていた。

 表層の平原から、この第八階層侵入まで、ずっと戦い通しで来ている。

 

「カワウソ様。……私の正の接触(ポジティブ・タッチ)で回復された方が」

「──ダメ、だ」

 

 背後を護るミカ……その六枚の翼で、カワウソの側面から叩き込まれる攻撃は払い落とされる位置にいる女天使に、カワウソは厳しい声を落とした。

 

「まだ──連中の──伏撃が、ある、かも」

 

 ですがと言って抗弁しかけるミカ。

 カワウソの疲労度は、すでに最悪に近い。だが、この第八階層では、スキルや魔法──攻撃性のあるものを起動する存在に対して、あの頭上の星や赤い少女のような超急襲を受ける可能性を思うと……ただの回復スキルすら、自分たちの命運を縮める結果になりかねない。あの連中がヘイト値などを計測しているのだとすれば、回復スキルは最悪なヘイト対象にカウントされるはず。

 現在、カワウソ達がいるのは、第九階層へと続く鏡──荒野の丘から、1キロ以上離れた地点。

 背後をミカに、前方をクピドの二人に守らせながら、なんとかここまでこれたが。

 

「か、ぁ……はッ……」

 

 たった1キロが、遠い。

 ひっきりなしに痛む、肺腑と心臓。

 極度の緊張と、これまでの戦闘の影響からか、両足の筋肉が痺れたように痙攣(けいれん)を始める。

 ここへ来て、堕天使の精神的疲労が極限にまで達しようとしているらしい。

 額どころか顔面全体から吹き出る滝のような汗は、同じく汗に濡れた両腕でこすっても、なんの爽快感も得られない。たまりかねたミカが、自分のボックスにおさめているタオル類を取り出して、堕天使の浅黒い肌を、意外にも丁寧に拭ってくれる。おかげで、少しだけ清涼な心持を取り戻す。

 

「御主人、ポーションをぉ」

 

 立ち止まり、周辺に照準器付自動小銃を差し向け警戒し続ける赤子の天使(キューピッド)に促され、赤い治癒薬……全状態異常(バッドステータス)回復特化のそれを口に含んだ。喉を潤す溶液が胃の腑に落ちる。荒野の空気でカラカラに干上がっていたものが潤っていく快感に、しばし息をつく。

 

「──、ふぅ……ふぁ……くそ──」

 

 それでも。

 堕天使の疲労(ひろう)困憊(こんばい)は続いている。

 精神的な疲労は、肉体の疲労とは別物。脚の痙攣はおさまったが、もうしばらくは荒野の大地に座り込む時間を必要とした。残り時間は五分を切っている。急がなければならないのに、堕天使は立ち上がりきれない。無理に立とうとすると足がもつれ、ミカの支えを必要とする始末だった。

 

(第八階層の──、この塵風──、フィールドエフェクトが、俺の疲労を誘っているのか?)

 

 否。

 そんな情報はない。

 かつての討伐隊は、そんな症状に襲われたものはいなかったはず。フィールドエフェクトで体力を奪われる・魔力を無駄に消耗する・各種状態異常への罹患を余儀なくされるというのは、ゲームではあたりまえな事象であり、このナザリック地下大墳墓内に限っても、様々なフィールドが、それぞれの階層に合わせた自然現象として、攻略に乗り出したプレイヤーの行く手を阻んだもの。

 だからこそ、そういったわかりやすい自然現象は、確実にプレイヤーの自覚認知が可能なもの──にも関わらず、この荒野には驚くほど“何もない”。

 夜のように暗い(そら)と、巨大に過ぎる星々の威容──加えて、あの赤い少女と、枯れた樹のようなもの背中に生やす、胚子の天使だけ。

 それ以外は何もない。

 第一階層から第七階層まで、あれほど多彩かつ多様な自然の造形を再現し尽した地下ダンジョンの中で、この荒野だけは、本当に、何もない。デコボコの赤茶けた大地は無味乾燥としており、草木はおろか、他のいかなる生命の存在を感じさせないほど、無謬(むびゅう)に過ぎた。

 

(なんだか──スレイン平野、みたいだな──)

 

 あそこと、この第八階層の近似性に何の因果があるのかは知らない……が、とにかく今は、他の重大事に心を砕く。

 

「あれらと──皆の、様子、は?」

 

 問われたミカとクピドは、戦場の中心で──荒野の宙をいく星々や赤く濡れ輝く少女からの攻撃に耐え、自らの能力や武装を誇示しながら敢闘する同胞(NPC)たちを、遠く離れたここで、見る。

 

「皆、よく戦っております」

「御主人の“無敵化”のおかげで、とりあえず脱落者はいないぜぇ──いまのところは、なぁ」

 

 ミカは熾天使の同族感知で。クピドは視力向上効果を持つ双眼鏡で。

 仲間たちの戦いぶりを観戦できている。

 

「よし──すこし、一分だけ、……休む」

 

 時間はないが、精神──気力は限界寸前だった。

 命令を受諾したミカは時を正確に数えつつ、クピドと共に周辺警戒を継続。

 カワウソは岩壁に背を預け、打たれれば砕けそうなほど鼓動を繰り返す心臓を抑えながら、戦場に響く暴虐の騒音に耳を傾ける。白い稲妻、黒雨の幕、赤い爆裂、斬撃の風と巨岩の礫、流星の群と蒼い閃光──色とりどりの破壊の暴力。

 岩場の影に隠れつつ、他の伏兵──“あれら”の残り二体や胚子の赤子、あるいは他に第八階層にいるかもしれないNPC──などを警戒。来たる時に備えて、心を落ち着かせることに努力せねば。

 

 もう少し。

 もう少しなのだ。

 もう少しで、カワウソの望み──(こころ)みは、達成される。

 

 誰もが諦め、(さじ)を投げた。ナザリック地下大墳墓──第八階層は“難攻不落”。1500人という、史上空前のプレイヤー集団による討伐隊を、完膚なきまでに退(しりぞ)けた。たった41人で、それだけのことを成し遂げた悪のギルド。運営にパンクするほどの抗議文が送られ、そして、それら一切を一蹴して、運営が『チートじゃない』と太鼓判を押すほどの逆転劇を成し遂げた──「伝説」にまでなった存在。

 

 そんなものに、カワウソは挑み続けた。

 ギルドを失い、拠点を失い、チームを、仲間を、友達を失い、

 それでも、もはやカワウソは、目指さずには────いられなかった。

 

 目を瞑るだけで、脳内に残響する汚辱の過去が、ありありと瞼の裏に浮かぶ。

 

「無駄だ」「無理だよ」「無茶苦茶な」「──ゲームにマジになってどうする?」「そんなことをして何の意味が」「──無駄だよ、カワウソさん」「諦めの悪い。無理に決まってる」「あんなの。もう二度と見たくない」「実際に見てない人にはわかんないか」「あほらし……一人でやってなよ」「どうしてそんなことを?」「何にもならないじゃないか」「もうちょっと利口になれ」「リスク計算もできないのか?」「馬鹿げてる」「やっても何にもならない」「できるわけない」「できっこない」「やめた方がいい」「あそこには、もう近づきたくもない」「はぁ? ナザリック再攻略? ムリムリ!」「噂には聞いたけど──本当に本気だったんだwww」「やべ超ウケるwww!」「ここまでくると滑稽を通り越して素晴らしいな」「いや……なんのために?」「なに? 復讐?」「バカか?」「え、本気?」「ちょ、マジ無理なんですけど」「生理的にないわ~」「人間としてどうかと思います」「頭のネジが飛んでる?」「悪いこと言わないからやめとけ」「『敗者の烙印』──言葉通りの敗北者だな」「ゴメン、ドン引き」「こんなクソださい烙印を頭に浮かべるなんて、恥ずかしくないわけ?」「自分のギルドも護れなかった腰抜け野郎」「ギルド武器破壊されるとか、どんなマヌケだ?」「病院いけよ」「ああ、病院にいけないほどの貧乏人か」「いや医者に診せてもどうにもならないレベルじゃん?」「もう引退しとけば?」「ゲームのことじゃん」「たかがゲームで、そこまで?」「ゲームで復讐とか」「うわぁ、こうはなりたくない」「狂ってるよ、アンタ……」「とりあえず、クソ気持ち悪い」「レアアイテム落っことして死ね」「ちょうど異形種狩りのポイントが欲しかったんだよ」「駆除開始♪」「あ、待て逃げんな!」「ポイントゲッツ!」「とっととやめちまえ」「ウザいんだよ、異形種が」「ま、せいぜい、ガンバレ~」「諦めた方が無難だぞ、キ・チ・ガ・イ」「あッはははははハハハハハッ!!」「……もう、忘れた方が、あなたのためだと思う──」

 

 

 

 ────────クソが。

 

 

 

「忘れろ」だと。

「諦めろ」だと。

 

 そんなことができれば、とっくの昔に忘れているし、諦めてる。

 でも、カワウソには──もうこれ以外、なにもなかった。

 これ以上も以下もない。

 ほんとうに、“これ”以外──なにも、望むことがないのだ。

 家族は既に亡く、リアルに友達も恋人もいない。自分の住処は、六畳程度のワンルーム。汚染された大気。ガスマスクがなければ簡単に死ねるほど破壊された環境。そんな中で社会の──会社の歯車として消耗されるだけの、機械的な存在。無機的な半生。つらいノルマをこなし、死人じみた同僚たちと不死人(アンデッド)のように働き続け、唐突に誰それが過労死した穴を埋めつつ、営業のために黒い濃霧のなかを外回りして、毎度の如くサービス残業に勤しむ日々。食事は栄養食を一日二回。外食どころか、間食も一服もない。風呂はスチームバス。そんな生活の中で、唯一の娯楽は……ユグドラシル……あのゲームだけ。ゲームの中には、それこそ無限にも思えるほどの娯楽が揃っていたのだ。そこで初めて出会えた、無二の仲間……旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)……カワウソの、かつての友ら。暖かな思い出。柔らかい時間。永遠に続くと思えた、優しい世界。

 

 けれど。

 

 仲間たちと築き上げた場所(ギルド)は、すべて電子の世界に(かえ)った。

 仲間たちと創り上げた存在(NPC)も、すべて同じ末路をたどった。

 ギルドが崩壊した時を、屋敷の内装が融けだし、NPCたちが崩れ尽きていく──あの瞬間を、カワウソは鮮明に覚えている。

 仲間たちは一人残らずカワウソの前から消え失せ、残ったものは……仲間たちの遺産……かつて創り上げた武器(もの)の“残骸”と、ひとつの“約束”──ギルドの“誓い”だけとなった。

 

 忘れることは出来ないし、諦めることは当然出来ない。

 だって、もう、“これ”しか、残っていないから。

 何もない人生の中で、初めての友達だった。

 心の底から笑い合えた仲間だった。

 そんな皆が残したもの。

 カワウソの根源。

 自分のすべて。

 

 嗚呼(ああ)でも(・・)

 

 それはすべて過去のもの。

 こんなことに、なんの意味も価値もないことはわかっている。

 かつての仲間たちが戻ってくるわけでもないし、皆が褒めてくれるわけもなし。

 復讐など、無意味で無価値だと他人(ひと)は言う。──けれど。カワウソには、そんな一切がどうでもいい。カワウソが望むことは、もはやこれだけ……もう、これしか、残っていない。

 こんな戦いの果てに、意味も意義も価値も、栄誉も救済も名分も何もあったものではない。

 何もない。

 何も。なにも。ナニモ……

 何もカワウソには残っていない……

 

 わかっている。

 全部わかってる。

 わかっていても────────どうしようもない。

 

「……俺は、“約束”を守る。皆と交わした、かつての“誓い”を──果たす」

 

 震える拳を、祈るように組み合わせる。

 戦いの恐怖と緊張で歯の根が鳴りかけるのを、グっと喰い縛って耐え抜く。

 ──約束。

 ──誓い。

 それだけが、カワウソの絶対動因にして、今まで惨めに生き足掻いてきた存在理由。

 と同時に。

「無理だ」「無茶だ」「忘れろ」「諦めろ」と言ったすべてを見返してやる────とんでもなく格好悪い“当てつけ”──意地汚いにも程がある、無様な“未練と執着”────理解なんてされなくて当然の、これはカワウソの“我儘”に過ぎない。

 

 それらを頼りに、カワウソは今日まで……『すべて』を用意してきた。

 

 腰のベルトに挟んだ、剣の残骸を撫でてみる。

 この武器を……壊される前のそれを造り上げる時に、誓った。

 

 そのためには、この“荒野”を────攻略する。

 第八階層にいる“あれら”や“少女”への「復讐」を、果たす。

 

 本当に、我が事ながら呆れるほどの気持ち悪さだ。

 狂っている・病んでいると評されて当然の、狂態。

 誰にも理解されず、共感も納得も助力も得られず。

 たったひとり、この難解な拠点に挑み続けてきた。

 

 それでも。

 だとしても。

 

「俺は……ここまで(・・・・)来たぞ(・・・)

 

 ここまで()れたんだ。

 おまえたち全員が、口をそろえて「できない」と「無理だ」と「諦めろ」と言ったことを、俺はいま、やってのけている。

 自分を見捨てたかつての仲間たちや、悉く馬鹿にして嘲虐したプレイヤーたちを、カワウソは心の(うち)で笑ってやる。嘲笑(あざわら)ってしまう。

 唇が愉快そうに震え、笑っていられる状況でない事実を噛み締めるべく、引き結ぶ。

 それでも、言葉をもらすのを止められない。

 震える両の掌で口許を覆う。

 

「ッ、俺の──やってきたことは──無駄でも──無理でも──無茶でも、なんでも、……ない」

 

 夢を見るような呟き。

 祈るかのごとき囁き。

 俺はできた。

 俺だけが、できたんだ。

 まっとうな方法でないことは承知しているが──自分だけは──自分だけが!

 

「──はぁ、……はぁ、はぁ……………………よし」

 

 気息を整え、荒かった呼吸を正常にしていく。

 自分がいる場所──あの悪夢の住人達と、かつて仲間たちをあっけなく敗北させた化け物どもと、真っ向から対立し対決し対戦しているという──どうしようもないほどの現実。

 あの大攻勢をカワウソが受けたら、ひとたまりもない。

 ただの余波だけで、堕天使は拙く死に果てるだろう、殺戮の暴撃。

 それを、天使の澱のNPCたちは、懸命に──文字通り“懸命”に、食い止めている。

 

「頼むぞ……みんな」

 

 星の大攻勢を受け止める配下(シモベ)たちへ。赤い少女へ戦いを挑んだ仲間(シモベ)たちへ。

 カワウソは乞い願う。

 

『もう一度、皆と一緒に、そこへ戻って冒険したい』──その約束と誓いを、自分は遂げる。

 

 そうだ。

 そうだとも。

 カワウソは戻ってきた。

 カワウソだけは、戻ってこれた。

 皆と共に戻って続けるはずだった、冒険の地に。

 ギルド武器が砕かれた此処に……ナザリック地下大墳墓・第八階層の“荒野”に。

 

 そのために、

 ただそのためだけに、

 カワウソは…………ギルド:天使の澱のすべてを────“使う(・・)”。

 

 堕天使を護る二人の天使に頷きながら、カワウソは天上に広がる円環を見やる。

 ギルド防衛に失敗し、あえなくギルド武器を破壊された証たる『敗者の烙印』──そんな不名誉を戴き続けた者へ与えられた世界級(ワールド)アイテムの現象を、黒い眼球で数えた。

 さきほどしばしの休息時間と定めた「一分」が、経過。

 巨大な赤黒い円環のひとつが割れ砕ける。

 

 残りの円環は……三つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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天使の澱の“死” -1

/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.04

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 吹き荒ぶ砂塵。

 赤茶けた大地の塵旋風。

 生命の色をまったく感じさせない、戦場。

 そこへ轟々と鳴り響くのは、神の怒りのごとき雷霆。

 雲一つない(そら)──ありえざる距離にまで降臨している星々の一つから、白い雷の嵐が降り注いでいる。

 かつて、白い極大の龍とも見紛う一撃を浴びただけで、容易くLv.100のプレイヤーを打ち砕いてみせた、ありえざる大攻撃のひとつ。

 

「と、とまってくださーい!!」

 

 少女は言って、極大の砂嵐と共に、尋常でない量の砂……黄金の津波のような砂の一撃を展開。それは〈大地の大波(アース・サージ)〉によく似た〈砂漠の大洪水(デザート・デリュージ)〉と呼ばれる魔法。精霊術師(エレメンタリスト)(アース)砂漠の魔女(デザート・ウィッチ)を修める天使──古代エジプトの巫女のごとき姿をした黒髪褐色の乙女は、常時展開中の数少ない攻撃スキル“砂漠の竜巻”と共に、(そら)から降り注ぐ星の殲滅攻撃を、大規模な地属性魔法でもって迎え撃ち、耐え凌ぐ。

 

「あ、あ、あの! どうか、話を! 話を、その、き、聞いてください!」

 

 マアトは『争いを好まない、優しい性格』だと定められた。

 拠点を防衛する任務に就くべきNPCとしては、“争いを好まない”というのはどういう意図があるのか──そのような設定を何故創造主(カワウソ)が施したのかは不明だが、マアトは自分自身をそのように規定して、行動するしかない。

 

「うひゃ!」

 

 争いをおさめるには、対話を求める──そして、交渉によって矛を収めさせるという作業に訴え続けているのだが、敵はあの見た目通り、口も耳も存在しないかの如く、マアトの呼びかけに応じる素振りすら見せない。間断なく降り注ぐ雷撃の雨はほとんど滝のように、マアトの展開する竜巻や砂の大洪水を打ち払い、その奥にいるマアトの褐色肌を焦がそうと殺到する──が、少女を覆う赤黒い障壁が、相手の尋常でない攻撃力のすべてを跳ねのけてくれる。

 創造してくれた方──カワウソが起動した世界級(ワールド)アイテムに、“護られている”。

 その事実に頬がこそばゆくなるほどの喜悦を感じるが、マアトはとにかく、今回の第八階層攻略戦──その作戦要綱通りに、行動する。

 

「は、話を聞いてくれないと、どど、どうなっても知りま、って、わひゃあ?!」

 

 轟雷の気配は一向にやまない。

 通常人類では鳴りやまぬ雷鳴の怒濤だけで、鼓膜と精神がイカれる嵐の様相。

 星は対話するどころか、マアトが抵抗すればするほど、嵩にかかって攻め立ててくる。

 あるいは落雷の爆音で、もしかするとこちらの主張は聞こえていないのだろうかと不安になるが、まぁ致し方ない。

 とにかくマアトは、自分の任務を果たすべく、砂の攻撃で宙にある星のひとつと、戦い続けるしかない。

 

「も、もう! し、知りませんからね!」

 

 ……実のところ。

 マアトは見た目に表している挙動ほど、恐怖や緊張などを感じては、いない。

 拠点防衛要員として創り出されたLv.100NPCたる少女の精神力は、ただの人間などとは一線を画すもの。主人のために戦えることへ喜びを懐きこそすれ、主人に望まれた戦いを忌避するというのは、ほぼありえない。主人のために命を賭して戦うことはNPCにとって無上の喜びでありこそすれ──その「逆」というのは、あまりにもそぐわない思考回路なのである。

 彼女が今現在のように──怯えた表情や口調で話すのは、自分自身の創造主に『かくあれ』と、定めを設けられたからにすぎない。

 彼女が恐れることがあるとすれば、自分が創造主(カワウソ)の足を引っ張り、失望されるような事態を引き起こすこと──それだけ。

 天使(エンジェル)翼人(バードマン)を両立させる巫女は、静かな心持で、その時を待つ。

 

「どうか……カワウソ様の作戦通りに、事が運びますように」

 

 砂の多層攻撃を展開しつつ、両腕の翼を祈るように組み合わせ、天使の輪を黒髪に戴くマアトは、両膝を屈する。

 自分たちにとって、最大の願い。

 

「……どうか、あの御方の望みが遂げられますように」

 

 

 ──残り時間、2分40秒。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 翡翠の髪に天使の輪を浮かべ、色とりどりの精霊たちから織り成されたような虹色の翼を広げる乙女。

 衣装の背中が盛大に開放されたそこから、天使の特徴を広げた踊り子は、手中にある鉄槌を振りかざす。

 

「フンッ!!」

 

 再び大槌で地表を叩くと、そこからは鉱石で出来たような岩塊が出現し、まるで大地の岩盤が根こそぎ剥がれたような大質量の“傘”を展開。最初に発動していた同じものと同規模のそれで、煩わしい敵の攻撃──強酸の驟雨を防ぎ尽くす。

 岩塊の傘を叩く雨の量は、もはや激甚の災害。

 天上の底が抜けたような雨量は音の圧力と共に、アプサラスの展開する防御を融かし尽くす勢いで殺到していた。

 

「~♪ ~~♪」

 

 巨大な金槌を振り回すアプサラスが口ずさむのは、精霊を呼び、精霊を鼓舞する歌。

 精霊女王(エレメンタル・クイーン)を併存させる能天使(エクスシア)の歌声と共に、大量の精霊たちが彼女の身を護り、敵する星への特攻に撃って出る尖兵役を引き受けていった。

 

「「 ~~♪ ~~♪ 」」

 

 主人から与えられた大槌の柄を軸として舞い、ふと、大槌を軽いバトンのごとく振るって踊る女は、歌い踊ることで、自分の味方に利する効能・強化(バフ)を施し、また敵対者に不利な影響を及ぼす弱体化(デバフ)を授ける(クラス)踊り子(ダンサー)を有している。

 

「「「「 ~♪ ~~~~♪ 」」」」

 

 その唇と喉が紡ぐのは、〈祈りの歌〉と〈呪いの歌〉、〈戦いの歌〉と〈砕きの歌〉の同時四声合唱。

 最高レベルの歌い手(シンガー)であれば、一人で「十」の歌を奏で響かせることも出来るらしいが、あいにくサポート役として、ギルド内唯一の鍛冶職なども兼任するアプサラスに扱えるレベル域ではない。

 踊り子の衣装と天女の羽衣を纏う妖艶な肢体──アジア系の麗雅な顔立ちと共に女の魅惑をふんだんに魅せる〈酸耐性の戦舞・上級〉によって、彼女の召喚し呼び寄せた四大精霊と配下の従属霊の群れは、強酸の雨をものともしないはず。加えて、歌い手(シンガー)の歌声にあてられた精霊軍は、確実に強く、強くなり(おお)せていた。

 ──なのに。

 

「あー、……まったく、もう……」

 

 ハリの良い桃の果実のごとき胸を揺らし反らせる。

 常のような、設定された『歌うかのごとき』口調は鳴りを潜め、召喚した同族たちが次々と融け朽ちていく気配を前に、アプサラスは嘆息せざるを得ない。

 誰かが傍にいれば絶対に聞かせられない……NPCは、自分に与えられた設定を軽んじたり、無視したりすることは許されないため、他の者の前で設定に無い行動を取るのは難しいし恥ずかしい──以上に、「創造主の意に反する」という危険を犯しかねないのだ。創造主が共通しているNPC同士であり、配置された場所が近いものであれば、そういう裏の事情にも通じるようになるもので、アプサラスは時折であれば、仲間たちの前で胸襟(きょうきん)を開くかの如く、素の口調で語ることも珍しくはない。胸襟など、この衣装には存在しないが。

 いずれにせよ、創造主に命じられたことには、忠実でいることが推奨されて当然と言える。

 だが、今ここにいるのは、アプサラス一人だけ。

 素の口調でしゃべることを咎め聴く者などない。

 唯一、聞き咎めるだろう創造主──『かくあれ』と願い定めた堕天使は、すでに遠く離れた距離を進み続けている。

 

「ああ、またやられちゃった」

 

 従属している下位精霊どころか、四体の強力な大精霊たちまでもが(かえ)ってしまった。

 もちろん、己の至高の創造主であるカワウソの発揮する“無敵化”に比べれば、どう考えても心許ないと理解できる──それでも、アプサラスご自慢の四大精霊まで同時投入し、彼ら大精霊がさらに召喚する中位精霊、その中位精霊がさらに召喚した下位精霊……という具合に、精霊の軍団は増殖の勢いを増していくはずなのだが、現実はそうではなかった。

 強酸への高い耐性を与え、祝福と戦意高揚、物理攻撃力向上の強化まで施したはずの精霊軍による突撃は、ただの一体も星には届かない。呪いの歌による呪詛にしても、やはりあの星のような敵には届いていないと見るべきだろう。

 

「なんなのかしらね、あれ」

 

 創造主・カワウソをしても未知が多い敵。

 星の形状をした謎の物体から落とされる、王水のごとき雨滴。

 正体不明な攻撃性能を誇り、その一撃一撃に耐えきれるプレイヤーは皆無だった、と。

 

「それに、この荒野にしても──」

 

 天使種族として酸耐性をそれなりに有するアプサラス。そして今はカワウソの赤黒い力に護られる彼女の周囲に落ちた強酸液は、赤茶けた大地を濡らしはするが、それ以上の変化は起こらない。

 これが通常の大地であれば、間違いなく酸攻撃による浸食を余儀なくされるはずなのに──“荒野”の大地はまったく変化を見せることがない。大地が乾燥しすぎていると、雨の水分が地中に浸透することができず、大地の上に貯まってしばしば洪水などを引き起こすこともあるだろうが、精霊モンスターを焼き融かす酸性雨を浴びて無事な大地というのは、これはどういうことなのだ。

 さらに付け加えて言うと。

 大地を操っているように戦っている鍛冶師であるが、実際にはこれは自前のエフェクト……鍛冶錬鉄用ハンマーに宿る地属性精霊の“演出(エフェクト)”に他ならない。その下にある大地──荒野の表面は、アプサラスの一撃の影響を全く受け付けていないのだ。アプサラスを護る金属の傘は、ほとんど“球形”に近い形の防御膜として展開しないと、足元の荒野を流れる溶液がつま先を焼き尽くさんと浸水してくるので、正直わずらわしいやらうっとうしいやら。つい感情的になってしまい、設定された口調を忘れるほど、アプサラスは機嫌を損ねてしまう。超踊りにくい。

 ここが敵の土地──ナザリック地下大墳墓のフィールドであるとしても、違和感が微妙に(ぬぐ)えない。

 もちろん、この荒野というフィールドそのものが有する防御力が強いということの証明なのかもしれないが、アプサラスの鉱石鑑定が適応できない……石コロひとつ鑑定対象にならない……鑑定しようと手近な石礫を拾っても、“石”として認識できないというのは、あまりにも不可解である。

 いくらギルド拠点内と言っても、おかしい。何かしらの、鑑定スキルが使えないようにするフィールドエフェクトなどが存在しているのか?

 

「マアトの土地鑑定が行えればよかったんだけどね……」

 

 そのマアトは、真っ先に星々のひとつに攻撃され、戦闘を余儀なくされた。

 自分たち天使の澱が出現できたポイントが、カワウソのかつてのお仲間さんたちが死んだ場所でなければ、もう少しは余裕をもって行動できたかも。そうしたらば……

 

「──たらればの話をしてもしょうがない」

 

 作戦内容は変わらない。

 自分はここで、あの黒雨を吐き出している金色に濡れた星を、食い止めるだけ。

 それこそが、今回アプサラスの達成すべき仕事であり、天使の澱のNPCとして……最後の務めとなる。

 踊り子は大槌を大地に立たせ、両手と虹の翼を一杯に広げ、音高く讃歌を捧げる。

 大地のドームの中、歌い手はいるはずのない聴客に美しき調べを届ける。

 この歌声を聴けたものは、この荒野で戦う仲間たち。

 創造主への万謝を歌い、主の栄光を祈る歌。

 尊き君へと贈る三聖頌(サンクトゥス)

 

「♪ ……我等は、ただ、御身のために♪」

 

 

 ──残り時間、2分20秒。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 左肩から伸びる、二枚の翼。片側にのみ広げられた翼というのは、ウリの元ネタの天使が、“かつて堕天使扱いを受けた”という情報をもとに創られた、堕天使(カワウソ)の最大スキル使用時の姿と微妙に似せられた外装(ビジュアル)だ。

 焔のエフェクトを振り撒く杖を掲げ、設定に刻み込まれた通り──『魔法効率が上がるかもしれないと思っている』のでやっている儀式を執行する。

 

「──我、タルタロスの門に鎮座する。

 黄泉の国を開きて、あまねく咎人を、審判の御席に着かせし者──」

 

 システム的には不必要なはずの魔法詠唱文を綴り紡ぎながら、彼は己の最大魔法のひとつを唱える。

 赤髪の魔術師・ウリ──彼のカルマ値は、ギルド第二位。ミカに次ぐ数値の善カルマ・499の持ち主。

 だからこそ、彼は臆することなく“敵を滅ぼす”。

 カルマが「極善」であろうとも……否、極端に善に振り切った「天使種族」は、己の創造主(かみ)に対して、まったく完全に忠烈を尽くすもの。創造してくれたものが命じてくれれば、ウリはこの地この異世界に災厄の業火を降り落とし、「我らの創造主の敵(アインズ・ウール・ゴウン)」を“王”と戴く都市や街区を、数限りない火と硫黄で焼き尽くすことも(いと)わない。悪のギルドの名を戴く王を信奉する者たちの暮らしを、悪徳と不義のはびこる邪悪の(まつりごと)と断罪し、己の殲滅魔法にて灰になるまで焼却処分していたことだろう。それが、ウリにとって絶対の行動原理──創造主・カワウソのためになると、彼は本気で信じ抜く性質を持っている。

 もしも、ウリが最初にアインズ・ウール・ゴウン魔導国と接触した場合、彼は高い確率で、そのような名を戴く国と都を攻め滅ぼそうとしたはず。彼の“極善”は、一切の呵責なく、己の敵を焼き尽くして死滅させる方向性を、ウリという大天使(アークエンジェル)の男にもたらしたはず。

 ──だが、幸いというべきか、そのようなことにはならなかった。

 ウリは詠唱文を終える。

 

「太陽を統率するは、神の光にして神の炎。これ(すなわ)ち──我が真名(しんめい)に他ならぬ!!」

 

 第十位階魔法。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)神炎(ウリエル)〉!!!!」

 

 劫火。

 日輪。

 轟音。

 衝爆。

 そして、破壊の十字光。

 

 万物を一切合切、灰燼に帰すがごとき「神の炎(ウリエル)」の魔法──その三重最強化が、荒野の宙に浮かぶ太陽を焼き砕かんと天を焦がす。

 魔法詠唱者のカルマ数値がプラスの最大値であることで規定通りのダメージを与えることができる魔法。それを使用する上で、ウリの499は、申し分ないカルマ値を与えられていると言える。しかも、ウリの炎属性攻撃強化系スキルなども全解放している以上、この一撃は魔導国の堅牢な都市のひとつを、完全な焦土に変えることも容易(たやす)い威力を、発揮。

 己が主君(カワウソ)にあだなし、災厄と危害をなそうという者をすべて焼き払って焼き砕いて焼き滅ぼすことを()とする炎の魔術師(フレイム・メイジ)は──(そら)を仰ぐ。

 

「ちぃ……これでも……、突破ならぬとは…………」

 

 片眼鏡(モノクル)越しに睨む太陽は、健在。

 先ほどから試し続けているが、ウリの得意かつ絶大な威力を誇る殲滅魔法は、まったく歯が立たない様子であった。

 対象は、紅炎(プロミネンス)を絶え間なく(ほとばし)らせる、まさに太陽のごとき星。荒野に吹きつける恒星のフレアの温度は、ただのプレイヤーやNPCでは、ほんの一瞬で黒焦げにされるだろう大焦熱地獄。カワウソの世界級(ワールド)アイテムの効能を受けていなければ、いかに炎属性のエキスパートたるウリをしても、破滅的な結果は避けられないだろう、まったく回避不能な灼熱と劫熱と暴熱の波状攻撃。

 あの星は、何かしら炎への完全耐性を有しているのか……最悪なのは、炎属性攻撃を“吸収”している可能性も、なくはない。

 だが、ウリは笑う。

 さんざん自分の魔法が通らない事実を前にして、恐れることなく、天上の星と対峙し続ける。

 

 これはウリにとって、はじめての戦闘。

 そうして、おそらくは最後の──死闘。

 

 拠点NPCとして──第三階層“城館(パレス)”の大広間(ホール)で戦うべく設置された自分にとって、最初で最後の「務め」となる。

 これほどの栄誉はない。

 これほどの歓喜もない。

 これ以上も以下もありえまい。

 

「……さぁ。勝ちましょう、皆さん」

 

 荒野の各所で、ウリと同様に戦闘を継続する、天使の澱の仲間達。

 微笑むウリはまったく諦めることなく、主君から与えられた焔の杖を、振るう。

 大天使は“最後の時”まで魔力を練り上げ、心のメモ帳に自作した詠唱文を読み上げながら、天にある太陽を、神の炎で食い止め続ける。

 自分が死ぬ時まで。

 天を覆う赤黒い(リング)が、またひとつ砕けた。

 

「どうか……どうか、お元気で……我が創造主(かみ)……カワウソ様」

 

 

 ──残り時間、2分。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 神秘的とも言える巨大な輪に囲まれた星……その輪から吐き出される無数無尽の流星群を、イズラは肉眼で見るのが難しい程に細い鋼線(ワイヤー)で、次々に裁断していく。

 黒いコートを翻す彼は、まったく当然の感覚で鋼線を手繰り、その一本一本に至るまで、創造主の赤黒い力を宿したまま、Lv.100プレイヤー複数人を弾き潰すだろう暴撃の連続を切断し続けていた。

 

「────大丈夫、“おにいちゃん”?」

「心配ないよ、イスラ」

 

 二人きりの時にだけ、親し気に兄を呼ぶ白一色の衣を纏う妹に対し、イズラは淡く微笑みを返す。

 兄の肩に、まるで体重を感じさせない調子で──天使なので浮遊しているだけだが──腰掛ける妹は、面貌をさらすことないように覆った白い布をかすかに取り払う。

 その下にあるイスラの美麗な造形は、カワウソが『常に隠している』と定めているのが不思議なほど整っており、仲間たちの中でも“兄”という風に定められたイズラしか知り得ない。中東系の肌色。目鼻はくっきりとしており、花のような凛々しさと瑞々(みずみず)しさを、輝くような明灰色の髪房が飾り付けている。常に涙で潤むような白瞳は慈悲の色にそまり、その淑やかな唇で奏でる音律は、あらゆる罪咎を洗い浄める神の言葉のように、あまねく世界へ等しく響き渡るもの。

 

「────でも、もうおにいちゃんの矢は尽きちゃったし。私の演奏や召喚獣も、あれらには届かないみたいだし」

 

 イスラの言う通り、状況は芳しくない。

 自分たちの遠距離攻撃──清弓の矢の残弾はなく、イスラの喇叭(ラッパ)による演奏や、召喚された聖獣や小動物による特攻は、二つの星には何の効果も成果も戦果も示すことがない。

 土色の星は輪っかから流星群を注ぎ続け、海色の星は冷気属性の蒼い光を吐き出し続け──イズラとイスラは、落ちてくる流星を鋼の糸で細切りにし、冷気の光を音圧で吹き飛ばすことしかできておらず、星そのものへの破壊行動は何ひとつとして成し遂げられていない。

 当たっていないとか、届いていないとかではない。

 どうにもあれらには、まったく有効打にはなりえないようなのだ。

 カワウソの世界級(ワールド)アイテムによって拮抗状態を構築できている天使の澱であるが、拮抗はそれ以上の展開に持っていけないという意味合いも含む。

 だが、イズラは臆することはない。射るような眼差しを優しくほころばせながら、己の妹に語りかける。

 

「大丈夫だよ。私たち──“(ぼく)ら”のお務めは、あれらを少しでも長く食い止め続ける事」

 

 妹と二人きりの時にだけ使う一人称で、イズラは笑い続ける。

 カワウソの世界級(ワールド)アイテム──その効能が尽きる、その時まで。

 

「僕のような、敵に敗北したシモベにまで、あの方は『死に場所』を与えてくださった」

 

 あの生産都市(アベリオン)で。

 調査任務に失敗し、魔導国の部隊と一戦交え、死の支配者(オーバーロード)四体に殺される寸前にまで追い込まれた。その時の苦い記憶──敵に敗戦を喫した汚辱を思えば、これほどの戦場を、戦闘を、戦争を与えてくださった創造主への尊崇は、限界以上の階梯に余裕で登り切っていた。

 あまつさえ。あの平原の戦いで、敗北の屈辱にあったイズラを気遣い──(イスラ)隊長(ミカ)たちの忠言や進言があったとしても、戦いにおける“一番手”の栄誉を、彼が──創造主が──唯一の主君たるカワウソが、与えてくれた。

 そんな優しい堕天使の道行きを阻むものを、

 

「絶対に止める」

 

 頷く(イスラ)と共に荒野を舞い飛ぶ(イズラ)は、星々と対し続ける。

 

「だから、頑張りましょう。最後の最後まで」

「────うん。おにいちゃん。最後の最後の最後まで、私たちは戦い続ける」

「うん。その意気です」

 

 

 ──残り時間、1分30秒。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 月の色に煌く星から降り注ぐ風圧の刃を、幻の巨拳の連突が弾き落とし──

 水色に潤む星から飛来する巨大鉱石弾を、聖なる光の輝きが払い浄める──

 

 圧縮空気による斬撃や何かしらの強化の輝きを周囲に波及させる気配と対しながら、二人の天使は未だに無傷。

 しかし、女智天使は苛立たしげに荒野を踏みつけた。

 

「ああ、もう! 何なのよ、あいつら!」

「少し……落ち着いたらどうだ、ガブ?」

 

 銀髪を褐色の肌に流し、修道女の衣服を着崩した姿がなまめかしい聖女は、同胞にして恋人と定められた牧人(ハーダー)──羊飼い然とした銀髪の天使に振り返ることなく、抗弁する。

 

「落ち着いてなんていられないわよ! なんで“無敵”状態の私らの攻撃が、あれらに効かないのよ!?」

 

 ガブの言う通り。

 攻撃の手を少し休めて会話に興じる隙に、星々から落ちる攻勢の総量は、確実にNPCの肉体を切り刻みかねないはず。

 なのに。

 ガブは、まったくの──無傷。

 まったくの“無敵”であった。

 

「ん。向こうも同等のステータス──あるいは何かしらの防御能力を有している──そんなところだろう」

「でも、私たちのこの力──無敵状態は、カワウソ様の世界級(ワールド)アイテムの効能よ? それ以上の防御やステータス増強なんて……」

 

 言っている内に、ガブは己の中で答えを探し当てた。

 相手は、あの“アインズ・ウール・ゴウン”。カワウソの語る通りだとすれば、あのギルドに蔵された世界級(ワールド)アイテムの数は、桁違いの「11個」である。

 ラファは声にして正答を紡いだ。ガブの認識が正しいと認めるために。

 

「考えたくはないが、アチラの世界級(ワールド)アイテムに、そういうものがあったと仮定してしまえば、すべて辻褄は合う」

 

 仮に、同質・同等・同性能・同系統の世界級(ワールド)アイテムがあれば。

 そうと考えれば、この地──この荒野で1000人規模のプレイヤーが、カワウソの仲間だったという旧ギルドの者たちが死滅したのも、頷ける。

 世界級(ワールド)アイテムによる“無敵化”。

 ユグドラシルにおいて最大最高峰に位置づけられるアイテムの効能は、ガブたちの認識や常識を遥かに超えるもの。無敵となったNPCたちは、ありとあらゆる攻撃や魔法に耐え抜き、その一撃は相性属性など関係なしに、敵を“一撃必殺”させる性能を誇る──実にゲームじみた反則技を可能にさせる。

 だからこそ、それほどのアイテムを頭上に戴くことになったカワウソの功績は計り知れない。自分(ガブ)たちNPC──自軍勢力に属する者全員を“無敵”としてしまう能力は、使いようによっては、ユグドラシルで強大な力を誇る竜種などのモンスターを狩ることも容易となる。彼が神器級(ゴッズ)アイテム──状態異常(バッドステータス)吸収の鎧“欲望(ディザイア)”を自作する時に、必要な素材の都合上、どうしても狩っておかねばならないボスモンスターがいた場合、傭兵NPCを使った裏技的な手法で世界級(ワールド)アイテムを発動──ボスやドラゴンを一方的にフルボッコにして素材集めに使っていたという話を、彼の独り言や、それを聞いたミカから聞き及んでいる。

 

 ただし、その発動時間は、わずか「10分」のみ。

 発動後は途方もないリキャストタイムを要する。

 さらに、時間制限以上に致命的な“弱点”も、ある。

 

「ったく。世界級(ワールド)アイテム11個とか──どうやったら、そんなことが可能なの?」

「さて、な…………しかし」

 

 弱々しく呻く恋人(ガブ)に、恋人(ラファ)は欲しい言葉をかけてやる。

 

「この、第八階層に乗り込めた時点で、我等の宿願は『成就した』も同然だ」

「……うん」

「あとは、我々の最後の務めを成し遂げ、あれらや少女を食い止めることで」

「うん。──これで──カワウソ様の長年の願いが」

 

 かなえられる。

 この第八階層に戻り、仲間たちとの“約束”“誓い”を果たす。

 そのためだけに、ガブやラファ……天使の澱のLv.100NPCは、創り上げられた。

 

「──あんたは、最後まで(そば)にいてよね?」

「──ああ。もちろんだ」

 

 ガブとラファは恋人が手を繋ぎ絡めるかのように、背中合わせで微笑みを交わす。

 月と水星から零れ落ちる大攻勢を、二人は命を賭して、自分たちに引きつけ続けるべく、魔法や攻撃スキルを乱射し続ける。

 聖女は誇るかのごとく、事実を口にする。

 

「……私たちの命は、あなた様からいただき、あなた様のために使われるもの」

 

 死への恐怖など、ありえない。

 自分たちは全員……死ぬためだけに(・・・・・・・)、ここへ来たのだ。

 

 荒野を行く創造主(カワウソ)と、その護衛を果たす大任を得られた同胞(NPC)達に、聖女(ガブ)は真摯に願う。

 いつも鋼鉄みたいな無表情でいる女天使へ……本当はとんでもなく情感豊かな親友へ……創造主を嫌わねばならないものへ……静かに祈念する。

 恋人たちの頭上で、主人の発動した世界級(ワールド)アイテムのエフェクトが、またひとつ砕ける。

 

「──(しゅ)よ。おさらばです」

「──おさらばです、カワウソ様」

 

 恋人共に、主人への別れの挨拶を紡いだガブは、親友へのエールを唇に乗せる。

 

「……頑張ってね、ミカ」

 

 

 ──残り時間、1分

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 人の身の丈を超える巨岩をよじのぼりながら、敵の伏兵伏撃を十分に警戒しながら、カワウソ達は鏡まで700メートル付近に迫った。

 

「……鏡に、敵の姿は」

「ないぜぇ。鏡の周辺にもぉ。鏡から出てくる気配もぉ」

 

 クピドは気安く断言する。熟練兵としての“勘”に優れる彼の感知能力は、与えたサングラスの効果も合わさって、よほど隠れるのに特化した存在……近いところで言うと、身内の暗殺者(イズラ)くらいでないと、すぐに探知可能な技能を持っている。

 

 ここで他の階層守護者──シャルティアやコキュートスなどの強力なNPCとの邂逅・会敵は、ない。

 そして、

 死の支配者(オーバーロード)の魔導王……モモンガは出てこない。

 

 カワウソの最大級の懸念……“あれら”を変貌させる世界級(ワールド)アイテムを使用すべく、この階層にやってくる可能性はないと見るべきか。

 今のモモンガ……転移後のアインズ・ウール・ゴウンに、そんな戦略は存在しないのか。あるいは単純にカワウソの世界級(ワールド)アイテムによる“無敵化”状態のNPCを警戒しているのか──まぁ、後者だろう。

 さすがに、相手のギルド拠点(ナザリック)内部に侵入し侵攻している状況で、魔導王アインズとやらがこちらを映像なり何なりで見ていないなど、ありえない。可能性は、ほぼ100%と言える。でなければ、墳墓の表層で、シャルティアなどのLv.100NPCや上位アンデッドの大軍団に囲まれるなんて状況に追い込まれ、あげく降伏勧告するつもりだったという(“真偽”は不明だが)──それほどの大略を発揮しながら、第八階層を見ていないというのは、どう考えても「ない」選択のはず。

 

 魔導王が“モモンガ”であるならば、あるいはあの星々(あれら)を、またあの恐ろしい姿に変貌させることも可能なはず。

 

 あれを使われたら、十中八九、カワウソは敗ける。

 

「……」

 

 あの黒く、黒く、黒く歪み果てた星々の光景が、脳裏を過る。

 

 世界そのものが“死”を迎えたような、“闇”。

 

 黒い星が、漆黒に染まる(そら)から失墜した時の──

 

 

 絶叫

 悲号

 喚声

 轟音

 断末魔

 

 

 おぞましくてたまらない、地獄の鳴動……まるで生まれたての赤ん坊が(くび)り殺されかけるような泣き声……強姦され輪姦され凌辱された少女が世のすべてを憎むかのような喚き声……四肢をもがれ舌を穿ち裂かれ目も鼻も耳も削ぎ落とされた罪人のような叫び声……狂った悪役道化師のような下卑(げび)笑声(しょうせい)……生きもがこうと殺戮者に立ち向かうような獣声(じゅうせい)……生物のそれであるかどうかも意味不明瞭を極める蛮声(ばんせい)……それらすべてを甘美な交響楽の演奏の如く聞き惚れる魔王の美声(びせい)……

 

 声と声と声と声。

 

 漆黒の眼と闇色の牙を剥き、落ちて墜ちて堕ちてくる、九つの星。

 圧倒的な“死”の騒乱と奏上と葬送と総滅が奏でる、()(ごく)(はて)(はて)

 星の墜落と崩落に潰し殺された討伐隊、砕けた旧ギルドの剣。

 あれこそまさに、ひとつの世界の……「(おわり)」だった──

 

「カワウソ様?」

 

 なんでもない。

 そうミカに言えないほどに、カワウソは疲労の蓄積した肉体を自覚する。

 自覚しながらも、あの動画映像で、何度も何度も、何十度も何百度も、仲間たちとリーダーが砕ける時の光景を繰り返し見ながら研究をつづけた現象事象を、心に留める。込み上がる吐気を胃の腑に押し込み、黙考を続けながら、力なくミカの声に手を振って応えておく。

 

 世界級(ワールド)アイテム保有者であるモモンガが現在出てこない以上、これ以上のイレギュラーは起こらないはず。

 

 あれらの変貌は、カワウソが仮定するに、モモンガの保有する世界級(ワールド)アイテムの効果。

 だとするならば、カワウソの保有する世界級(ワールド)アイテムで防御などもできるだろうが、いいや、それは難しいかもしれないとも、思う。

 あの“あれら”による最後の「暴虐」……黒い星の終焉……あれは世界級(ワールド)アイテムを装備していた討伐隊の生き残りすらも飲み込み、挙句の果てには死亡によるレアドロップとして“喪失”、アインズ・ウール・ゴウンに奪われる結果を生んでいる。

 カワウソは仮定を立てていた。

 だとすると。考えられるのは、

 

(………………世界級(ワールド)アイテムの“複数同時発動”)

 

 そうだと考えると、「なるほど」と思えることは多い。

 同ランクであるはずの世界級(ワールド)アイテム保持者が防御しきれなかったのは、彼等が持っているのは単一だった。だが、もしも、世界級(ワールド)アイテムを“複数個”所持し、それを「一度」に「同時」に発動することができたなら──それはいったい、どれほどの効能を生むことになるのだろう。

 しかし、この情報を検証するには、世界級(ワールド)アイテムを複数……最低2個以上を、プレイヤー個人か単一ギルドで所持している必要があるだろう。ただ一時(いっとき)の同盟や連合で、世界に冠たるアイテム=運営の用意した壊れ性能の“切り札”に関する情報を明確に開示するわけがない。そんな危険を犯して、世界級(ワールド)アイテムの性能や弱点を露呈することは、ユグドラシルにおいては「奪ってくれ」と言っているようなもの。なので、複数のギルドによる検証や研究は、ほぼありえない。というか、そういうことを検証しようとした団体(マヌケ)は、ユグドラシル創始期に、そういう痛い目を見まくったのだ。誰も同じ轍を踏むはずがない──というより、地雷が埋まっているとわかっている野原を裸足(はだし)で踊るがごとき暴挙なのである。

 

 そして、ユグドラシルの12年の歴史上、他を寄せ付けない「11個」の世界級(ワールド)アイテムを有する単一の団体は……ギルド:アインズ・ウール・ゴウン、ただひとつだけ。

 アインズ・ウール・ゴウンだけが、数多くの世界級(ワールド)アイテムを保有し、それらを同時に発動するなどの研究検証が行えただろうという推測が、一応、成立する。

 さらに推測を推し進めれば、世界級(ワールド)アイテムのなかには、世界級(ワールド)アイテム同士の共鳴なり相互作用……“シナジー効果”などを発揮するものがあってもおかしくはない。……かも。

 200個も存在したとされる世界級(ワールド)アイテム──そのすべてが世に出たことは、ない。

 さらに、カワウソが保有するそれにしても、ゲームやネットで広く拡散しようという気にはまったく完全にならなかった。

 

 カワウソの世界級(ワールド)アイテム……名は『亡王御璽

 

 取得条件は、不名誉な『敗者の烙印』が絶対条件。

 効果発動時間の他に存在する致命的な弱点の存在。

 拡散しようにも、偽情報扱いされて終わる可能性。

 真実だと認定されても“狩り”の対象になる危険性。

 

 異形種狩りや、ナザリック再攻略の人員募集時の一件などで、他のプレイヤーと交流する気をほぼほぼ喪失していたカワウソには、それら危険を犯してまで、ユグドラシルの情報を広める事業に貢献しようなどという意識は、ついに芽生えることはなかった。

 

 カワウソの世界級(ワールド)アイテムは、『敗者の烙印』由来のものである上、これを与えられたものは、これを頭上に“装備し続ける”という、ある種の呪いじみた装備品なため、ドロップや略奪の対象にはならないようなのだが──さて、この異世界ではどうなのだろう。

 そんな頭上の円環は今、カワウソの頭よりさらに上──世界全体を覆うかのごとく巨大化し、天上に赤黒い(まる)(じるし)を施しているような様相を呈している。

 

「『敗者の烙印』が×(バツ)(じるし)だから、あの(まる)なのかね……」

 

 ミカが怪訝そうに兜の面覆いを傾ぐ。

 そんなミカに対して、カワウソは笑う。笑うしか、ない。

 

 宙を覆う円環の数は、残りひとつだけ。

 

 その時(・・・)が近いのだと思うと、胸の奥がせわしなく(はず)むのを実感する。

 同時に、今も荒野で戦い続ける、カワウソのNPC(シモベ)たちへの罪悪感が強まっていく。

 だが、決めた。

 カワウソは決めた。

 彼らを──“使う”と。

 天使の澱のNPC全員を率いて……この地獄を、第八階層“荒野”を攻略する。

 そのために、カワウソは彼らを創った。

 だから、ここですべてを“使う”。

 そう、……決めたのだ。

 

 ──頭上で廻る円環、世界を覆い尽くすアイテム……その最後の一個が、(ひび)割れる。

 

「……ミカ、時間は?」

 

 カワウソの認識──世界級(ワールド)アイテム発動者の体感だと、残り13秒程度。

 

「残り時間、12、11、10、9、8、7」

 

 熾天使(ミカ)の正確なカウントダウン。

 同時に、赤黒い円環は明滅を繰り返し、まるで花火の光音のような──心臓が最後の鼓を打つような音色を響かせた。

 カワウソは鏡に向かって急ぐでもなく、すべての結果を見届けるように、鏡のある丘のふもと付近で、荒野を振り返る。

 

「6、5、4」

 

 七つの星が尋常でない攻撃を荒野に叩き込む──その光景こそが、天使の澱の全員の無事を確信させる。

 だが、それも、あと数秒の奇跡。

 

「3」

 

 カワウソは、荒野に置き去りにした天使の一人一人を……その名前を心に刻む。

 

「2」

 

 自分と共に第八階層にやってきた、天使の澱のNPCたち──

 

「1」

 

 その“死”が確定する。

 

 

 

「0」

 

 

 

 最後の円環が砕けた。

 

 

 

 ガブ、ラファ、ウリ、イズラ、イスラ、アプサラス、マアト──

 七人の天使が、

 死んだ。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 それは、筆舌に尽くし難い──非業の死。

 

「きゃぁああああああああああああぁぁぁッ!!?」

 

 雷樹の集中攻撃を受けたマアトが、白い雷の超過ダメージで褐色の肌を粟立て、黒焦げに。

 

「いっ、──う˝あ˝あ˝あ˝ああああぁあぁッ!!?」

 

 酸性の滝雨を受けたアプサラスが、王水のごとき強酸を頭から浴び、朽ち融かされていく。

 

「が、お˝お˝お˝お˝お˝お˝お˝お˝お˝っっっ!?!?」

 

 太陽フレアの熱量を受けたウリが、炎へ耐性を持つ体を、焔で炭化するほど炙り焼かれる。

 

「ぐぅ! うあ、があ……ぅうあああぁぁっ?!!」

 

 無数の流星群を受けたイズラが、展開した全鋼線を引きちぎられ、大質量の下敷きになる。

 

「────な! ぅ、っ、ぁ……カッ 、  」

 

 冷気の大光線を受けたイスラが、全身どころか呼吸の吐息まで、絶対零度の氷像に変じる。

 

「ぎ、ぃぃぃッ、い˝い˝い˝、がぁあああああ!!!」

 

 鉱石の尖弾群を受けたラファが、天使の体を穴だらけにする散弾を受けつつ、一歩を前へ。

 

「こんのおおおおオオオオォォォォォぁぁぁッ!!!」

 

 風圧の大斬撃を受けたガブが、最後の烈拳を飛ばそうとして、四肢と胴を斬り落とされる。

 

 

 

 荒野の園に転がる“死に体”。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたちは、絶命の間際に、頭上の星を、見る。

 

 

 

「──……あ、…………こ──れ──で」

「……ぃ、ぃ………………、ウ、フフ♪」

「──ッ…………われら、の、勝ち、だ」

「……ぁぁぁ、……これで……やっ、と」

「────ぉ、ぉ、つ、と、め……、を」

「…………わ……が……しゅ……よ……」

「……すべて、あなた、のぞむ、ままに」

 

 

 

 黒焦げのマアトが、融け朽ちたアプサラスが、体中炭化したウリが、全身が潰れたイズラが、氷の唇を動かすイスラが、顔も四肢も臓物も穿たれたラファが、同じく顔も四肢も臓物も斬り砕かれたガブが、

 

 

 

 

 死んだ。

 

 

 

 

 ──そして、

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

「──ふん。……あっけない」

 

 まったくもって、あっけない死に様だった。

 カワウソの世界級(ワールド)アイテムが砕け消えた瞬間、七体の生命樹(セフィロト)の大攻撃と大攻勢の殲滅能力が、過つことなく、天使の澱のNPC──そのうちの七体を殺戮し尽した。

 ゲームではなく現実化したことで、その破壊の規模は常人であれば精神に重篤なダメージを与えるだろう(しかばね)をさらし、酷烈なまでの“死に様”を演出していた。

 極電圧の蹂躙によって肌が武装の衣服ごと黒焦げになった巫女。強酸をもろに浴びながら人の形をギリギリ維持した踊り子。全身が炭化しながらも杖の残骸を支えに仁王立つ魔術師。首から下が流星によって挽き潰された暗殺者。絶対零度のレーザーによって全身氷と化した回復師。数え切れぬ巨岩の散弾で全身をくまなく貫かれた羊飼い。(おびただ)しい数の風刃で顔面も四肢も何もかも削ぎ落ちたような修道女。

 あいつらの死は確定的だ。

 確定して「当然」でしかなかった。

 生命樹(セフィロト)の攻撃力は、あの1500人の討伐隊をも破砕し粉砕し撃砕した実績を誇る。

 ただの拠点NPC──カワウソの天使たち──Lv.100であろうとも、耐え抜ける道理などない。

 それこそ先ほどまでのように、世界級(ワールド)アイテムで強化された状態でもなければ。

 

 これまでさんざん煮え湯を飲まされていたアルベドや守護者たちが、大いに溜飲を下げた微笑みを浮かべ、生命樹(セフィロト)を支配下に置くアインズの偉大さを言祝(ことほ)ぐ。

 アインズはアルベドたちの称賛を受け入れつつ、生命樹(セフィロト)が動くのをゆっくりと待つ。

 詳しい戦闘命令など不要。

 あれらは起動している限り、勝手に第八階層の侵入者を、敵味方問わずに吹き飛ばすようになっている。

 

「さて」

 

 後は、鏡から未だに遠い位置の堕天使共を狩って、すべて終わりだ。

 否。今から降伏勧告を送ってみるのも悪くない気がするし、だが、第八階層に侵入した敵を、アインズ・ウール・ゴウンが許す、はず────など────?

 

「ん……なんだ?」

 

 第八階層を映し出すモニター。その中の生命樹(セフィロト)たち──木星(ケセド)金星(ネツァク)太陽(ティファレト)土星(ビナー)海王星(ケテル)水星(ホド)(イエソド)──すべてが、活動を停止している。鏡に向かったカワウソと護衛を追い撃つ動作を見せない。

 おかしい。

 あまりにも不可解であった。

 アインズは生命樹(セフィロト)たちに停止命令を与えたつもりはない。

 

「──いや。待て」

 

 さらに、おかしなことに気づく。

 生命樹(セフィロト)の星々……その真下には、自分たちが殺した敵NPCの死体が残ったままだ。

 

「どういうこと、だ?」

 

 何故。

 何故──生命樹(セフィロト)は動きを止めた?

 第八階層内には、まだ敵性存在……カワウソと護衛二体が、いまも鏡を目指している。

 優先破壊対象を悉く殺し、死体に変えた今、生命樹(セフィロト)たちの暴力装置としての役割は、自然と残った敵の排除に向かうはず。

 なのに。星は攻撃を繰り出すことなく、その場で静止。

 まるで、その下にある天使の骸を、死体を見下ろしているかのように。

 ──ふと、アインズは奇妙を覚える。

 NPCの、天使の、死。

 天使の──

 

「天使の、死体、だと?」

 

 天使種族は、そのほとんどは光の粒子を振り撒いて消滅を余儀なくされる──特に、下位天使であればあるほどその傾向は強く、熾天使などの血肉が通う感じのものでも、その“死”は光の粒子というエフェクトで完結するのが、ユグドラシルにおける天使モンスターの法則であり、それはこの異世界に存在する天使でも同じこと。ちょうど、アインズ達の転移直後の時期、カルネ村を救い、陽光聖典の召喚した、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)がそうであったように。

 彼等の死体が残っているのは、拠点NPCであるが故の現象……では、ない。

 そして、アインズはひとつだけ、その事象に思い当たる節が、ある。

 戦慄の粟立(あわだ)ちが、骨の腕を、背中を、全身を、(はし)る。

 

「おい…………まさか────、!!!?」

 

 瞬間。

 天使の死骸が淡い輝きを放ち、強烈な光を放つ。

 彼等が生き返ったのではなく──生命樹(セフィロト)たちの大攻勢の連続超過ダメージのおかげで、蘇生アイテムや復活スキルで蘇生復活した瞬間にも殺される──、彼等は死んだまま(・・・・・)で、ひとつの力を発揮していた。

 

 それは、負けなければ、「死ななければ」発動しない能力。

 

 光は一本の腕のごとく──指を伸ばす手のごとく──伸びる。

 (そら)へ。(そら)へ。

 荒野に存在する“あれら”へと向かう光の帯は、まるで金色の柱のように、確実に星々と、生命樹(セフィロト)たちと、繋がった。

 

 アインズは愕然となる。

「ありえない」と思った。

「ありえないだろう」と信じた。

「気づく者がいたはずがない」と──。

 事実、ユグドラシルでそこまで理解できたものは、アインズの前に現れなかった。

 

 だが。目の前の光景は、アインズの理解を超えかけていた。精神が沈静化と混沌化を繰り返す。

 

 荒野の地に転がる“天使の死体”。

 その、残るはずのない死体から溢れる、光のエフェクト。

 

 第八階層守護者──ナザリック内でも比較的矮小かつ脆弱な存在でありながら、「階層守護者」の地位を戴くNPC──“あれら”を、生命樹(セフィロト)を、監視する者として最適な存在──胚子の天使──“ヴィクティム”。

 彼の役目と、同じ(ことわり)特殊技術(スキル)が、()きていた。

 

「ば、か、な……」

 

 ──天使種族固有の力。

 ──殉教者(マーター)などの職業レベルを必要とする力。

 

 かつての光景が脳裏を(よぎ)る。

 第八階層に侵入した大量のプレイヤーたちを──

 ヴィクティムの「死」によって、全員完全に“足止め”し尽くした、天使のスキル。

 

 アインズは叫んだ。

 

 

 

 

「  足止めスキルだとッ!!??  」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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天使の澱の“死” -2

/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.05

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズは今さらになって、かつての記憶が鮮明に輝きだすのを実感する。

 赤錆びていた記憶のフィルムが綺麗に修復され、(こころよ)い速度で回り始める。

 

 

 

「これはシステム上の問題を、手っ取り早く解消するのに一番都合がいいですからね」

 

 ユグドラシルでは、すべての属性や攻撃手段への耐性や完全対策は“不可能”というシステムがある。

 どんなに無敵に見える存在でも、何かしらの“弱点”となる攻撃や特効手段などが存在するようになっており、それはいかに世界級(ワールド)クラスと謳われる存在でも、例外にはなり得ない。

 

「なので、生命樹(セフィロト)を止める手段として、“足止め”スキルは有効になっているんです」

 

 そう説明したのは、生命樹(セフィロト)の元ネタになる知識を提供した“大錬金術師”──カバラなどの情報に精通していた、蛸の水死体のごとき異形種プレイヤー、タブラ・スマラグディナ。

 殲滅兵器たる生命樹(セフィロト)も、突き詰めて言ってしまえば、ただの傭兵NPCの亜種に過ぎない。

 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”の支配下に組み込まれた、かつてナザリックのボスとして君臨していたモンスターを、敵を狩り尽くす暴力装置として改造し尽し、合計“11個”の星の姿に分けたモノ。

 彼等にも、当然ながら“弱点”となる能力が存在したのは、至極当然の道理でしかない。

 

「だから、ナザリックは徹底的に、天使のプレイヤーなんかは第八階層にまで到達しないよう、マイナスエフェクトの罠や第五階層のコキュートス戦──冷気属性の能力で脱落しちゃうようにしてもらったんです」

 

 ただ単純にギルド拠点の階層を野放図にこしらえるのではなく、自分たちの「最強戦力」たる者たちを安全にかつ確実に運用できるように、タブラは拠点建造の初期段階から、ダンジョン時代のナザリックの階層構造を踏襲しつつ、自分たちの最大戦力の殲滅兵器を存分に活動できるように、入念な準備をこしらえていた。

 

 第八階層の生命樹(セフィロト)を強制的に止めるには、天使種族のプレイヤー……より具体的には、“足止め”スキル保有者が、必須。

 だが、その天使種族は、ナザリックの上層階で脱落を余儀なくされるシステムを構築していた。

 これは、ユグドラシルの運営規約に抵触することではない。場合によっては、天使種族のプレイヤーでも、運が良ければ下の階層に至る可能性があるため、システム・アリアドネ的にも、何も問題はないと見られた。

 

「こういう堂々巡りの仕かけって、ユグドラシルの元ネタの北欧神話にもあるんですよ?

 エッダ詩の『フョルスヴィーズルの言葉』の話なんですけどね。

『スヴィプダクルという男が、とある砦に囚われた女性を助けようと、その砦に入るのに必要な北欧神話の雄鶏・ヴィゾフニルを必要とした。けれど、その雄鶏を狩るには、炎の巨人スルトの武器・レーヴァテインを必要としました。しかし、レーヴァテインを手に入れるには、スルトの妻・シンモラという女巨人にヴィゾフニルの尾羽を与えないといけない』……気づきました?」

「えと、ヴィゾフニルを手に入れるにはレーヴァテインが。でも、レーヴァテインを手に入れるにはヴィゾフニルが──ん、あれ、一周してますよ? どうやって手に入れるんです、これ?」

 

 首を傾ぐ骸骨のプレイヤーに、タブラは愉快そうに肩を揺らした。明るい笑顔のアイコンが蛸の頭に浮かぶ。

 

「言ったでしょ? 堂々巡りなんですよ──」

 

 第八階層の生命樹(あれら)。その“裏”攻略法も、それと同じ。

 

生命樹(セフィロト)を無理やりに止めようと思えば、天使(足止めスキルを持った)が必要。けれど、天使が第八階層に至ることは、ナザリックの上層階の仕様上不可能。こっちも堂々巡りな仕組みなんです」

「ああ、そういう」

 

 もちろん。この“裏”攻略法のヒントは、第八階層を守護する天使──ヴィクティムの存在で、それとなく暗示されている。

 

 何故、第八階層“荒野”の「階層守護者(・・・・・)」が、脆く弱い──ヴィクティムなのか。

 何故、NPCの役職上、最上位に位置する地位を、脆弱に過ぎる天使に与えたのか。

 

 それは、彼こそが、荒野の園に降り立つ最後の障害であり、“同時に”彼の持つスキルこそが、理論上“あれら”を──ナザリック地下大墳墓の最大戦力たち・生命樹(セフィロト)を封じ、縛りたて、抑止することが可能な能力の持ち主であるから。

 ただの拘束や封印ではなく、天使種族固有の“足止め”スキルが、第八階層の(そら)を行く最強の群……“生命樹(セフィロト)”への特効手段・最大にして絶対の弱点であるから。

 故にこそ、ナザリック地下大墳墓の表層~前半部は、天使種族を悉く殺戮できる仕様で固められているという鬼仕様。

 

 誰もがチートだインチキだと評した第八階層“荒野”──

 だが、攻略の(ヒント)は、最初から示されていたのだ。

 ヴィクティムの“足止め”スキルは、あの第八階層で問題なく起動する特殊技術(スキル)のひとつであることは、あの戦いを視聴していれば誰しもが気づけるはず。

 だが、このヒントに気づけたユグドラシルプレイヤーなど、まるで皆無であった。

 誰もが“あれら”や“ルベド”、そしてモモンガが起動した“世界級(ワールド)アイテムの効能”に目を奪われ、その可能性を考察し吟味するまでに至れなかった。「あんな場所に近づくだけ無駄だ」と。「再攻略など不可能である」と。誰もがそう諦め、結論づけていった。それこそが、ユグドラシルにおける正しいプレイヤーの姿であったのだ。

 

 

 だが、カワウソは違った。

 

 

 仲間たちを倒した“あれら”への対抗策をひとり考え続け、第八階層“荒野”の研究を狂ったように行い続け、あの討伐隊が惨敗を喫した──仲間たちが一人残らず死んでいく動画を確認し続けた、孤独な男……その妄念と執念と怨念がたどり着いた解答こそが、彼が自作した拠点NPC・ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の防衛部隊である天使たち……彼等のほとんどすべてに施された“足止め”スキルであったのだ。

 

 

 たったLv.35の「生贄の赤子」──第八階層守護者・ヴィクティム。

 

 

 足止めスキルは、ヴィクティムがそうであったように、大半のプレイヤーの身動きを封じることができる強力な力だ。単純な“封印”や“拘束”への耐性や無効化などの対策を講じているはずのLv.100プレイヤーを100人単位で“足止め”できたのは、「足止め」という状態異常は、単純な封印・拘束とは見なされない──まったく別系統の状態異常にカウントされるもの──故に。

 当然、“足止め”というスキルに耐性を持つことは、プレイヤーたちには難しい。

 通常ドロップで落ちる防具やアイテムで手に入る防御能力・耐性データではない上、足止めを使ってくる野良の天使モンスターの類も少なかったし、そもそもヴィクティムという存在自体が、“足止め”スキルを発動するのに「最適化」と「最特化」された存在であるのが大いに影響している。

 たった一体の天使の無残な「死」によって、第八階層の“荒野”を進んだ討伐隊の残存を、一人残らず捕捉し、強固な足止めの呪縛にとらえたのは、彼の天使種族レベル・合計29と、天使の“足止め”を発動する職業(クラス)レベル・合計6──愛国者(パトリオット)殉教者(マーター)聖者(セイント)のバランス配分が成し遂げた、ひとつの奇跡であった。彼はそのためだけの存在であった。ヴィクティムが天使や大天使など、かなりの雑魚天使レベルを積み上げているのも、有する天使種族のレベル数値によって、『“足止め”の捕捉可能重量』を増減できるからに他ならない。熾天使や智天使などの高位に位置する天使レベルよりも容易く手に入る下位の天使レベルが優先的に投入された最大の理由……「“足止め”を発動する為だけの存在」は、いたずらに強力すぎては意味がないから。Lv.100プレイヤーにすぐさま殺される程度の雑魚である方が、強力無比な“足止め”の効果を、より効率よく発揮できるというカラクリである。

 

 そして、タブラは生命樹(セフィロト)を改造する際、その弱点を“足止め”スキルに指定した。

 ヴィクティムの創造者や、生命樹(セフィロト)の外装担当になったギルメンも、彼の意見を大いに受け入れた。

 

「ゲームをプレイする中で、ヒントはそこら中にバラまかれているのが、TRPGの鉄則ですから」

 

 その地を護る守護者(ボス)に、攻略の糸口はあるもの。

 公正かつ平等なゲームプレイを挑戦する者に用意する、ゲーマーの(かがみ)

 アインズは──モモンガは、タブラの知識量とゲームへの情熱に圧倒された。

 いったいどこからそんな濃い魔術知識や神話関連の情報を仕入れているのか、軽く聞いてみたことがあるが、いつもはぐらかされて終わった。あまり現実世界(リアル)に干渉するのも(はばか)られるので、本当に軽く聞き込むこと、十数度目。

 

『それは企業秘密ということで』

 

 こうした、生命樹(セフィロト)第八階層守護者(ヴィクティム)の力関係に限ったことではない。

 ルベドという“最強”のシステムを生むことを思いつき、それを現実に達成してしまった功績は計り知れない。

 他にも様々なことで世話になった。

 ユグドラシルの攻略法指南やダンジョンでの留意点など。

 モモンガは真実、タブラ・スマラグディナという仲間を尊敬した。魔法火力においてモモンガを超越するステータスを誇りながら、モモンガの死霊術師(ネクロマンサー)特化のロマンビルドを本気で称賛してくれた──大親友。

 

「で。さっきのヴィゾフニルとレーヴァテインの話の続きなんですけどね」

 

 水を得た魚のごとく……見た目はタコだが……彼が水かきの両手を広げながら嬉々として語る趣味の話を、モモンガはいつも楽しく聴いていた。

 タブラはこうも言っていた。

 

『至極真っ当な方法があるからには、その『裏をつく方法』もある』

 

 あまりにも巧妙かつ狡猾な、悪魔のゲームメイクを嗜む“大錬金術師”は、多くのものを残してくれた──ナザリック最高の智謀を誇る、最王妃・アルベド──ナザリック最高の情報系魔法の妙手たるニグレド──ナザリック最大戦力と比肩して戦う“最高傑作”たるルベド──彼女たち全員の創造主として──ホラー映画に通じ、TRPGを趣味とし、神話関係の無駄な雑学をモモンガに垂れ流したギルドメンバー…………タブラ・スマラグディナ。

 

 

 

 友との思い出が、100年前のことだとは思えないほど、モモンガの脳裏に、色鮮やかに蘇る。

 

「…………ふ、ふふふ」

 

 カワウソのおかげで、アインズは──モモンガは、かつての記憶のひとつを、鮮明に思い出すことができた。

 それが、たまらなく嬉しい。

 

「ふ、ははははは、あははははははははっ!」

 

 アルベドたちの目も気にせず、存分に、盛大に、まるで狂ったように大笑いしてしまう。

 おろおろと止めるべきか問い質すべきか迷う王妃や守護者やメイドたちに構うことなく、骨の掌で骨の(かんばせ)を叩き、感心しきったように頸骨を、首の骨を上下する。

 

「はははは……ああはは……ふははは! ──ああ──うん。完全に抑制されたな」

 

 それでも、こんなに笑ったのは、久しぶりだ。

 強い感情の“揺れ”は、アンデッド化の影響で、どうしても抑制されることが多い。

 抑制されても、次々と湧きおこる喜びと歓びが、アインズの空っぽの胸と脳を満たして、暖かい心地でいっぱいにしてくれる。

 

「ふふ──ああああ……そうか……」

 

 アインズは心の底から、嬉しさに溢れていた。

 

 ──過去の遺物だと思っていた。

 仲間たち皆で創り上げたこの場所──ナザリック地下大墳墓は、忘れ去られた存在なのだと……かつてはそう思い知らされていた。アインズにとっては100年も昔になり果せた……あのサービス終了の日に、そう痛感させられていた。

 

 しかし、

 そうではなかった。

 

 少なくとも彼は…………カワウソという堕天使は、本気でナザリック地下大墳墓に、挑み続けていたのだ。あるいは彼ならば、あのサービス終了の日にナザリックへと攻め込んできてくれたのかもしれないと思うと、言いようのない満足感を覚えてならない。

 彼は真実、ナザリックへの挑戦者であった。

 その証明にして証拠が、あの天使の澱のNPCたち。

 彼等の“死”によって足止めを受ける、ナザリックの最大戦力たち──天使たちによって行動を封じられた生命樹(セフィロト)たちの現状が、すべてを物語っている。

 

「まったく──拠点のLv.100NPCに──しかも、あれだけの数の足止めスキル保有者を創るとは……」

 

 馬鹿げている。

 絶対にありえない。

 痛快なほどに常軌を逸している。

 Lv.100NPCに──拠点防衛用の──ユグドラシルでは拠点の“外”に出せなかった存在達に──よもや“足止め”スキルを、などと──

 

「……ああ。──なるほどな」

 

 アインズは思い出す。

 飛竜騎兵の領地を去る、あの時。マルコとの交渉を棄却した直後のカワウソを、彼を護るように立ちふさがった天使(NPC)たち──三人の言葉を、思い出す。

 アインズの敵として、処され誅され殺されると、暗に示されたNPCたちが、明快に告げた。

 

 

だったら(・・・・)どうだというのです(・・・・・・・・・)?』

『ミカの言う通りね。私たちの(いのち)は、ここにいるカワウソ様だけのもの』

『カワウソ様に創られた我等ー。この(いのち)尽きてー、尽きた(のち)に至るまでー、創造主(あるじ)(めい)に準じるのみー』

 

 

 命を捧げる覚悟程度は、創られた拠点NPCにとって当然の感情。

 だが。

 事ここに至っては別の意味を含んでいたと、遅まきながら気づく。

 

(彼女たちは、最初から──“死ぬつもりだった”……)

 

 そう。

 ただ『負けて』『死ぬ』ことが、『第八階層“荒野”で、あれらにつたなく殺されること』こそが、天使の澱のNPCの存在理由にして、創造主たるカワウソから与えられた絶対の使命であったのだ。

 命尽きて、尽きた後に至るまで、創造主の命に準じる…………それは、与えられた“足止め”スキルによって、命尽きた“後”に至るまで、彼の命令に──与えられた使命に役割に──足止めの役儀に準じ、そして殉じる。

 まさに殉教者だ。

 NPC故に──死など恐れることがないという次元ではなく、“死ぬことによってのみ、彼女たち天使の澱のNPCは、本来の用途を発揮可能な存在だった”のだ。

 

 愚かにも、ナザリック地下大墳墓・第八階層への復讐を標榜した堕天使。

 そんな彼が奇跡的に至った、第八階層の“裏”攻略法。

 

 彼は己のギルド拠点を護るためのNPCに、第八階層を攻略するための役割を与えて──あのゲームを、ユグドラシルの最終日を、迎えた。でなければ、彼があれだけの足止めスキル保有者を揃えられた理由の説明がつかない。この異世界へ転移した時点で、拠点NPCのレベル数値をイジることは、まず不可能になっているのだから。

 これは、正気の沙汰どころの話ではない。

 拠点NPCに、特に、Lv.100のNPCに、足止めスキル獲得のための職業レベルを付随させることは──ありえなくはない。

 だが、強力なレベル帯である最高位Lv.100という数値を与える以上、“足止め”の使いやすさからは程遠い。腐ってもLv.100というレベル数値は、強力な力を必然的に備えることを意味する。拠点を防衛するのに“足止め”を使うのであれば、攻撃力や防御力を削ぎ落とし、他のあらゆる魔法やスキルを発動しない、殺しやすい、ただの「的」の方が都合がいい……ちょうどヴィクティムのような雑魚を量産する方が、効率は断然よくなるはず。

 だが。

 カワウソは違う。

 彼が用意した拠点NPCは、まさに一個のチームとして機能するように整えられたと、素人目にも判断できる。物理火力役(アタッカー)魔法火力役(アタッカー)防御役(タンク)回復役(ヒーラー)探索役(シーカー)その他役(ワイルド)──それが各々二名ずつの12人。基本的な2パーティ分の構成が成り立つ員数。ナザリックという強固な要害を共に走破するのに、Lv.50以下の雑魚など、第八階層まで連れこめるわけがないが故の、Lv.100。そして、そんなLv.100を簡単に殺してくれる戦力が、あの第八階層の生命樹(あれら)たち。

 12人の天使をまとめるギルド長・カワウソ。彼はそのためだけに、あのチームを“第八階層攻略のため”だけに創り上げた──それ以外の答えはない。

 

(彼のNPCは……おそらく、ナザリック第八階層“荒野”を攻略するための、最適なチーム編成をシミュレートしたもの、か)

 

 拠点内部の情報を知らぬアインズではこれ以上の詮索も検証も不能だが、カワウソは彼等12人を、完全に一個のチームとして機能させていた。

 墳墓の表層へと至る平原の戦いにおいて、12人のLv.100NPCたちは、完全にそういった運用方法を発揮し、カワウソと共にアンデッドの軍団を蹴散らし続けてきたのだ。

 

(彼は、本当に……本気で、第八階層を目指していたのか)

 

 本当を言うと、アインズは疑い続けていた。

 これまでの彼の抗戦と勇戦は、まぎれもない事実として、アインズの眼には価値あるものに映っていたが、まさか「本気」で、あのゲームで第八階層にいる最大戦力やルベド達に“復讐”を誓う姿が、解せなかった。

 余人では馬鹿げていると、呆れるのを通り越して怖気(おぞけ)(おぞ)ましさすら感じるほどの戦いの理由……ゲームごときで“復讐”に憑かれた堕天使の戦意を、復讐の対象に見られる側に位置するアインズは、だが、彼の有り様を、今では大いに歓迎すらできた。

 自分が仲間たちと築き上げたギルド──アインズ・ウール・ゴウン──ナザリック地下大墳墓へと本気で挑戦すべく、入念に準備を重ねてきたという事実。また、あるいはかつて、ナザリック地下大墳墓を攻略すべく、ギルメンやモモンガと戦ったことがあるかもしれないユグドラシルプレイヤーが、この今、この現在に現れてくれた事実に、いまはアンデッドの身ながら、感動を禁じ得なかった。

 

 加えて、彼のおかげで、仲間達とのかけがえのない──この100年の活動で、ところどころ劣化の見られる過去の一部を、鮮明に修復・復元できた事実も大きい。

 

 優に100年の時を超えて、あの第八階層のあれらを攻略されるとは、思いもよらない事件である。

 だが、不思議とアインズは清々(すがすが)しい気分で、カワウソの生み出した拠点NPCを喝采し、あれらの弱点に気づいた堕天使プレイヤーの理解力と想像力を称賛し、讃美した。

 ──せねばならない。

 彼の成し遂げたことを、矮小かつ劣等、愚鈍にして惰弱な、狂ったプレイヤーの悪足掻き……などと一笑に付すことはできない。

 彼は……彼こそが、誰もが「チートだ」「無理だ」「諦めるしかない」と背を向けていった難問に、見事ひとつの最適解を見出(みいだ)してくれた、ただ一人の解答者だったのだ。

 少なくともアインズは──このナザリック地下大墳墓の最高支配者は、そう評せざるを得ない。

 

「見事だ」

 

 大錬金術師が、もしもここにいたら、きっと大いに喜びに湧いたことだろう。

 ゲームを愛したタブラ・スマラグディナが用意した第八階層攻略の糸口……“弱点”を見抜いたのか──あるいは偶然かは知らぬが、事実として、生命樹(セフィロト)たちの戦闘能力を奪い、あれらの膨大な攻撃力を一切合切封じ込めることができた敵の手腕を、アインズは素直に実直に、感謝と感激を懐かずにはいられなかった。

 

「アインズ、様?」

 

 アルベドたちが困惑に顔を歪め近寄るのを、アインズは笑みを浮かべて「心配ない」と手を撫でる。

 守護者らや戦闘メイドらにも、まったく同じ顔色で……骸骨だから変化していないのだが、応じる。

 

 

「カワウソは確かに、まんまと生命樹(セフィロト)たちを“足止め”してくれたな。

 ……だが」

 

 

 大いなる時間稼ぎに成功したつもりでいる“(カワウソ)”を、アインズは憐れに思う。

 知らないはずがないだろうに──

 第八階層の脅威は、生命樹(あれら)だけでは──ない。

 

 

「あの“足止め”……

 果たして、あの()に──あのルベドに通じるかな?」

 

 

 守護者らの不安を一掃するように、モニター映像のひとつを、アインズは拡大する。

 真っ赤に染まるドレス姿の少女──ルベドの貫手によって、機械の天使の(コア)が──ウォフと呼ばれていた全身鎧を着込んだ巨大な女(……“女”だったのだ)の中枢部が、抉り砕かれている。

 

 アインズは、アルベドとシャルティアに声をかけながら、諸王の玉座から立ち上がった。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

「ふ……ふふ」

 

 堕天使は、振り返り見届けた光景の(はげ)しさに、目を奪われた。

 涙があふれ出そうなほどの熱を視界に感じながら、七本の光のエフェクト……宙を行く星と繋がる天使の死体という景観を、感動の鼓動と共に見据え続けた。

 

「くは……くははは!」

 

 カワウソは、“賭け”に半ば勝った。

 ずっと疑問だった……不安だったのだ。

 

 これは机上の空論かもしれない。

 想像通りにはいかないかもしれない。

 こんな試みは妄想に終わるかもしれない。

 あれらには通じるはずがないのかもしれない。

 絶対の確信や確証があったわけではなく、確定情報だなどと誰かから聞いたこともない。

 それでも、カワウソは可能性に“賭けた”。

 

「そうだ。そうだよ。そうだとも!」

 

 RPG……ゲームを攻略するにあたり。同じエリア・フィールド・ダンジョン、そして階層内に、その場所を攻略するヒントというのは、隠されていて当然の理論。

 あの第八階層で起きた出来事……あるいは隠された真実……そういったものがあるとするならば、それはチートでもなくインチキでもなく、正当なゲーム攻略の鉄則として、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンが、第八階層に侵入にした挑戦者たちへと出題する難問として、あらかじめ第八階層“荒野”に仕込んでいるはず。

 

 だが。カワウソはさんざん迷った。

 

 かつての討伐隊は完全に瓦解・離散し、カワウソの旧ギルドメンバーにしても、半数が速攻でやめていった。あれだけ「アインズ・ウール・ゴウンの専横を許すな」と声高に叫んでいた雇い主たちにしても、ユグドラシルに残った者は皆無という醜態を露呈していた。

 故に。カワウソは延々と、第八階層の動画映像を繰り返し視聴し、自分たちの敗北が確定した瞬間まで含めた最悪の光景に至るまで、すべてを脳の記憶領域に、血文字をナイフで抉り残すかのごとく刻み込んだ。黒い星々の失墜に怯え震えるリーダーを護ろうと、立ちふさがった副長(ふらん)が身を盾にして防ごうとするが、足止め状態で身動きが取りづらく、……そうして、ギルド武器は黒い破壊の濁流に飲まれ、砕けた。

 

 轟く声と声と声と声と声と声と声と声と声と声と声の暴力。

 世界の終わりがあるとすれば、まさにあのような光景を体験するだろう、暴虐の連鎖。

 

 それら劇的な映像の中で、カワウソが最後に注目したのが──あの弱い、胚子じみたモンスター。

 ほんの一発の攻撃で殺され、そうして発動した、強力無比な“足止め”スキルを持った……“天使”。

 

 

 カワウソが何故、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCの大半を、天使のNPCとして創り上げたのか。

 

 

 別にカワウソは、自分が天使種族だから、天使種族のNPCを創ったつもりはない。

 あれが、あの胚子じみた天使が、ナザリックにおいてどれほどの存在なのか何なのかはわからない……わからないが、ナザリック地下大墳墓ではじめて存在を認知された“天使”モンスター……第一から第七階層まで、不死者(アンデッド)、吸血鬼、悪魔、蟲、魔獣、竜、粘体などの多種多様なモンスターが跋扈(ばっこ)していた中で、唐突に現れた“天使”のスキルが、大量のLv.100プレイヤーを“足止め”したという事実。

 

 おそらく、天使種族のレベル数値を獲得できるだけ獲得しつつ、侵入者のプレイヤーに一発で殺される程度のレベル帯になるように調整され、そうすることで強力な“足止め”を発動できるように創られた拠点NPCだと、カワウソは理解した。

 あの蹂躙劇を見た誰しもが、“あれら”や“赤い少女”の殲滅攻撃に目を奪われ、あげく“あれら”の変貌によって、討伐隊が完全に全滅した事実に着目したのは無理もない。その発動原理やステータスの分析などは、一時期盛んに行われはしたが──結局すべて「ありえない」というひとつの結論に達していた。

 

 そして、──あの天使に関しては、特に注目されることはなかった。

 足止め用に創られたNPCということだけは理解されたが、ただ“それだけ”に終わった。

 何故、天使に“足止め”をさせたのか……そのあたりの疑義を呈する者は、ついぞ現われはしなかった。

 ただの戦略的な配置……第八階層に侵入し、星々と赤い少女の蹂躙劇から逃げ果せた残存部隊を、悉く行動不能に陥らせるための、巧妙な“罠”……その認識だけでネット上の見解は一致し、そしてそれ以上の議論には発展しえなかった。ナザリック討伐を断固辞退していた上位ギルド陣は、ナザリックの逆転勝利を「やっぱな」という感じで受け流した。おかげで、再攻略に本気の本気で乗り出そうという勢力も機運も、完全に消滅するしかなかった。

 

 だから。

 カワウソは、自分のギルド:天使の澱の中で、“あの天使と同じモノ”を作ってみようと思った。

 人間種のNPCとは違い、異形種の天使であれば飲食費用などの維持費がかからない──以上に、カワウソは自分のNPCたちを“足止め”スキル保有者になりえるように、自分と同種族の「天使」を大量に創った。それこそが、天使の澱のLv.100NPC──ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の防衛部隊たるモノたちの、防衛任務とは別個の役割となった。

 同じ“足止め”スキルを保有できる天使種族NPCを、徹底的に調べ、研究する意味も含めて。

 

 だが、カワウソが新たに築いたギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)を防衛するために割りふられた拠点ポイントは1350のみ。足止め用として弱い天使ばかりを創っていては、いざ侵入者がいた場合に、何の抵抗も出来ずに終わる……ギルド拠点が陥落する事態に陥りかねない。

 そこで、カワウソが創り上げたのは、Lv.100の天使たち。

 彼女たちの何人かを、“足止め”スキル保有者に選定し、NPCスキルの研究と検証を続けつつ、拠点防衛の戦力になるよう、徹底的に調整と計算をやり尽くした。

 しかし、ここでも問題が浮上した。拠点防衛用として生み出したLv.100NPCたちに、あれほど強力な……Lv.100のプレイヤー100人単位を足止めし尽す規模のそれを創ろうと思えば、Lv.20~30程度の弱体化を免れないことに気づいた。そこでカワウソは、足止めスキルで縛る対象を、“大量複数”ではなく“単一”に絞って発動できるように調整することで、本来の用途であるところの拠点防衛任務に影響がない範囲で、天使たちの戦闘力減衰を留めることにこぎつけた。

 

 天使種族が扱う“足止め”という強力な状態異常──受けたプレイヤーの“戦闘行動停止状態”は、ポピュラーな「封印」や「拘束」、「部位脱落」や「感覚喪失」などとは別の異常(システム)と扱われるもの。おまけに、この“足止め”スキルを発動可能な者が天使種族に限られているせいか、ドロップアイテムなどの安価な装備類で防御できる状態異常ではなく、耐性や無効化などを施されていない場合が大勢を占めていた。それを自分の武器防具に組み込もうと思えば、「封印」耐性や「拘束」無効化と同じように、“足止め”耐性・“足止め”無効化の専用データクリスタルの入手と使用が必須──だが、そもそも“足止め”状態を発症させるモンスターとの会敵があまりないことから、大半のプレイヤーはもっと他に有用な状態異常防御などのデータを優先して(メイル)なり(ヘルム)なり鎖帷子(チェインシャツ)なりに付与するもの────だから、あの第八階層で、侵入したプレイヤーは一人残らず、“足止め”スキルの餌食になったわけで。

 

 カワウソは赤い繊月のような笑みを口許に刻む。

 自分が脳内で描いた、この地獄の荒野を攻略する図式が見事にはまり、実に痛快な形で、かつての仲間たちを殺した“あれら”への復讐を成し遂げたのだ。

 これで、カワウソを阻むものはなくなった。

 この地を守護する存在として、“あれら”はカワウソたちには手が出せなくなった。

 つまりそれは──カワウソは第九階層に至ることが、ほぼ確実となった事実を物語っている。

 あれらは、もはや役目と使命を果たせず、カワウソたち侵入者を、ただただ見送ることになる。

 それが、それこそが、カワウソの選んだ“あれらへの復讐”……その方法であったのだ。

 

「くはは、そうだろうさ──“あれら”も同じ、ただのユグドラシルの、モンスターやNPCの類だとするならば──こっちが“足止め”スキルを使えば、それで止められる道理だよな!」

 

 無論、“足止め”スキルは、ヴィクティムがそうであるように、そこまで取得するのは難しい代物ではない。天使の種族と、殉教者(マーター)などの職業を積み重ねることで、より高性能な、より広範囲かつ大出力の“足止め”を可能にする。Lv.100のプレイヤーが三桁単位で“足止め”を完全に喰らったのは、彼がそのためだけに創造された……それ以外の機能を与えられず、また、強力すぎては敵の攻撃であっさり負けて死ぬことも出来ないために、Lv.30程度という数値の、“殺しやすい弱さ”であることを求められたから。

 

 そして、ユグドラシルの『プレイヤー』で、あのような“足止め”スキルを、「プレイヤー自らに課すような真似をするもの」は、あまりにも稀少だ。

 というか、完全にいないといってもいいレベルで存在しなかった。

 それもそのはず。

 誰が好き好んで取得するのが面倒な“異形種の天使”になった挙句、“殉教者”などの足止めの為だけのレベルを取るような愚を犯すというのか。

 信頼できる仲間などの支援者……自分がゲームで死んだ「後」を引き継いでくれる存在がいるならば別だが、自分が死ぬことを大前提にキャラビルドを行うプレイヤーなど、普通はいない。ソロのプレイヤーでは絶対にありえない構成(ビルド)だった。

 そうして、“足止め”スキル獲得のために消耗したレベル分、得られるはずだった他の強力なスキルやステータスを「捨てる」ことになる以上、Lv.100同士の対決だとどうしても分が悪くなる傾向がある。何が嬉しくて、「自分がゲームで死ぬことを前提」として、「弱いキャラ構成を取得」しなければならないというのか。それだったら、強くて派手な魔法やスキルを覚えて、自分やチーム全体の生存率を底上げした方がいいはず。そう判断されることの方が自然であった。

 

 故に、“足止め”スキルというのは、超稀少な野良の天使や殉教者のレベルを与えられた拠点NPCの天使が使うものか──あるいは、余程仲の良いギルド内で活動する純粋な天使プレイヤーが取得し、自分の死後、仲間の戦闘を有利にすべく発動するものでしかなかった。

 

 カワウソは半ば諦めた。

 諦めるしか他になかった。

 第八階層の“あれら”を封じる手段たりえるかどうか不明瞭なスキル取得者を募ったところで、そもそも論として「天使の“足止め”スキル保有者」の稀少性……“以上”に、カワウソ以外にナザリックを真剣に攻略しようという意気を持つプレイヤーが、いなかったのだ。

 

 というか、ゲームで『敗者の烙印』を押されたプレイヤーの姿をからかい、嘲弄の的にするものがほとんどであったがために、カワウソは表立って行動することも許されなくなった。

 表に出て、街頭で有志を募れば、『敗者の烙印』を頭上に浮かべたプレイヤー=ギルド崩壊経験者であることをバカにするPK集団に囲まれ、PKの後、金貨とアイテムをドロップ……喪失することが十数度も続けば、さすがに効率が悪いことに気づいた──気づくしかなかったのだ。自分の拠点より遠いPK禁止エリアで活動しても、色よい返事はひとつもなく、無理に話を聞いて貰おうとしたら、迷惑行為と認定され、街の治安維持NPCに退去命令が出されることも何度かあった。

 

 仲間をうしなった熾天使(セラフィム)のプレイヤーは、金貨で雇う傭兵NPCなどを連れ、ソロで第八階層を目指したこともあるが、彼ひとりきりではナザリックどころか、表層にあった沼地を突破するのも難儀した(ゲーム時代のNPCの仕様や性能を考えれば、ただの壁役程度にしかならなかったのだからしようがない)。“足止め”スキルは、最強の天使・熾天使(セラフィム)でも発動可能であるが、単純に天使のレベル数が多い方が強い能力を発揮できる。かつての攻略時に、カワウソが第三階層のシャルティア戦で早々に退場した時も、発動した“足止め”のおかげで、シャルティアを行動不能にした実績もあったが……単独(ソロ)の熾天使のままでナザリック地下大墳墓を攻略することは不可能でしかない。様々な試行錯誤の末、カワウソは堕天使に降格したことで“足止め”スキル保有者であることをやめた。堕天使は“足止め”スキルを獲得不可能なのだ。

 

 理由は、自分が仲間たちから……餞別(せんべつ)として残されたギルド拠点と“天使の澱”を維持するために。

 

 ギルド拠点はタダではない。収入と支出の帳尻を合わせなければ資産運用が破綻し、最悪の場合、そのギルドは閉鎖・消滅を余儀なくされる。自分が生み出したものを、そして、かつての仲間たちが残した遺産の一部を、手放すのはいかにも勿体なかった。

 カワウソはナザリックの攻略頻度を著しく減らし、ひたすら狩りに没頭することが多くなった。

 ナザリック地下大墳墓の攻略ばかりをして、無駄に金貨と道具を消耗できるほど、カワウソの資産は潤沢ではない。課金するにしても限度額はある。リアルで生活するために必要な分は確保しておくことが、正しい社会人の在り方だとカワウソは認識していた。──それでも、ボーナスのほとんどをガチャにブチ込んだこともあるのは、けっして褒められる行為ではないが。

 

 こうして、カワウソは自分の拠点NPCで、ナザリック地下大墳墓・第八階層の猛威たちを“足止め”できる存在を、シミュレーション感覚で組み上げ、自分の拠点の防衛任務に就かせた。

 

 そうして、アインズ・ウール・ゴウンがこの世界に転移してより100年後の現在。

 

 カワウソ達、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、この第八階層“荒野”を攻略することを、本気で目指し続けたのだ。

 

 カワウソが予想し、想像し、計算した通り。

 第八階層でありえないほどの蹂躙劇と逆転劇を演出した宙の星々は、かつて、この階層で“足止め”を喰らったプレイヤーたちと同様に、滑稽にも棒立ち同然な状態を強制され、荒野の宙に浮かんでいた。

 

「くは……ざまあみやがれ、だ」

 

 ガブたちを惨殺し轢殺し焼殺した星は、荒野からたちのぼる光の柱に繋がれ、そこから一センチたりとも動けなくなっている。

 カワウソが創った通り、ガブたちNPCは、あれら一体一体を、確実に“足止め”してくれた。

 彼女たちの、……その命を──懸けて。

 

「ああ────────クソったれ、ッ」

 

 カワウソの胸に渦巻く恍惚と勝利の酩酊は、瞬時に、敗北感と罪悪感に置き換わる。

 泣き喚きたいほどの自己嫌悪に襲われ、俯くほどに、吐気が喉をせり上がりかける。

 

 なんて酷い。なんて醜い。なんて浅ましい!

 

 彼女たちを死なせることで──殺すことで──カワウソは、自分の望みを達成しようとしている。

 自分という創造主に、あんなにも尽くして労わって忠誠を捧げてくれた者を、カワウソは殺した。

 カワウソが、“殺した”のだ。

 こうなると……わかっていた。

 こうするしかないとわかっていた。

 こういう結末になると分かっていて、カワウソはNPCを犠牲にした。

 天使の“足止め”は、「負けて」「死ぬ」ことによってのみ、発動する術理。

 そうして、自分の周囲にある敵性対象を、光のエフェクトが問答無用で固縛していく。

 七つの星々(あれら)を止めるべく、七人の天使(NPC)が──その命を捧げた。

 ガブが、ラファが、ウリが、イズラが、イスラが、アプサラスが、マアトが、唯一の主であるカワウソのために命を捧げることに、まったく抵抗も後悔も懐いてないことは、熟知している。連日続けた作戦会議で。今朝の最後の会合で。……NPC全員の意志は、確認できている。

 この第八階層を攻略する上で、置き去りにしたNPCたちは、全員こうなるとわかっていた。

 ガブやラファたち──全員が、そうなることを望み、そのように使い潰されることを願った。

 使われることが喜び。使い果たしてもらえることこそ幸せ。

 天使たちは、NPCたちは、そうあるべきモノ──だから。

 

「────ちくしょお」

 

 そうわかっていても。

 血が滲みそうになるほどの力で、両の拳を握り込む。

 カワウソは臓物が捩じ切れそうなほどの憎悪を、悪劣な己に対し懐く。

 何故──どうして、かつての自分は、こんな方法しか思いつけなかった。

 ガブたちNPCを生き残らせながら、この荒野を、あれらや少女の蹂躙を、くいとめる方法が他にもあったのではないか。それを知ってさえいれば、わかりさえすれば、考慮さえしていれば……

 

「畜ッ生!」

 

 どうして自分は……こんなにも、ダメなんだ!

 

 否。

 違う──違う違う──違う違う違う!

 

 ダメじゃない。

 ダメじゃない。ダメじゃない。

 ダメなんかじゃない。駄目であるはずがない。

 今さら、後悔も謝罪も卑屈も否定もあってはならない。

 そんな独り善がりな自己満足のために、喜び望んで死んでいった天使たちを、いま以上に『裏切るようなこと』をしてはいけない。

 

 これ以外の攻略方法など“無い”。

 自分が思いつける攻略法は、これ以外に“ありえない”。

 もしもそんな奇跡のようなモノがあったとしても、今の自分には“関係ない”。

 

 十体の天使を“足止め”の犠牲に支払い、「九つの星」と「赤い少女」を停止させ、荒野の丘の上に開いている転移鏡(ゲート)を、僅かの護衛と共に目指す。

 それこそが、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)がたどり着いた、唯一の第八階層攻略の筋書きであった。

 喜ばしいことに、九つあったはずの星は七つしか姿を見せず、七つの星が“足止め”された今も、カワウソ達を追撃するがごとく、残る二つの星が現れることは、ない。

 

「俺たちはやった……やったんだぞ、みんな……」

 

 荒野に散るガブたちの死に、丘の麓に佇むカワウソは、真実、感謝を胸に抱いた。

 これで、カワウソの望みは叶う。

 かつての約束と誓いを果たす。

 カワウソは冒険の先へと進む。

 ……カワウソの『すべて』を、何もかもを終わらせられる。

 

「おめでとうございます。カワウソ様」

 

 峻烈なほどに何の感情も感じさせない、女熾天使からの──祝福。

 振り返り見たミカの横顔は、兜を外し、死んでいった同胞たちへの哀悼を捧げ告げるかのように、重い黙祷の姿を保っていた。

 その美しさに……かすかに震える睫毛の輝きに、堕天使は目を奪われる。

 

「──行こう、ミカ」

 

 促せば、ミカは即座に瞼を開く。空色の瞳が、冷水のごとく澄んだ光を放つ。

 

「まずは、ナタと合流すべきかと」

「……ああ」

 

 兜を装着し直しながら明快に訂正を求める護衛を連れて、カワウソは頷き、もう一人の護衛の天使を呼ぶ。

 

「行くぞ、クピド…………?」

 

 だが、赤子の天使は──荒野の一角を眺める重武装の兵士(ソルジャー)は、主人の呼びかけに応じない。

 

「まずいぃ……」赤子の天使の唇が紡ぐ、重低音の警告。「これは、まずいぞぉ……」

 

 その一言の意味を判じかねて、カワウソは「どうした」と問いかける。

 クピドは表情を蒼褪めることはなく、だが、危惧と不理解を一杯に宿した声音で、創造主に双眼鏡を掲げ渡す。「見てみなぁ」と言われるまま、彼が見つめていた先──赤子の指が示した荒野のはるか彼方を、魔法アイテムのレンズ越しに、見る。

 吹き飛ぶ巨大な岩塊。舞い上がる戦塵。疾駆する複数の影。

 煌きを放ち奔るは、無数無尽に分裂した刃と、雷神の独鈷。

 砂塵が“轟”とうねり、その中を舞う天使(タイシャ)の身体が──抉り千切れる。

 

 あまりにも赤く紅く濡れた、少女の手刀によって。

 

「────は  あ?」

 

 座天使(スローン)雷精霊(サンダー・エレメンタル)を掛け持つ武僧……短い黒髪を雷霆の紫電の光輝に染め上げたタイシャが、体の脇腹部分を吹き飛ばされ、体力(HP)を著しく減衰されていた。

 

「な……ば、ばかな!!??」

 

 カワウソがそう口走るのは当然。

 雷精霊として霊体に“変身”した状態のタイシャは、精霊の特性によって、通常物理攻撃を無効化可能。おまけに、雷精霊……雷の速度を得た彼の速度は、神器級(ゴッズ)アイテム起動時のカワウソや、ナタという最強の矛の速度に追随できる──つまり、彼を物理的に抉る「手」など、存在しない、はず。

 

「どういうことです、クピド!」

 

 彼に赤い少女との戦いを監視・観測させていたミカは、慄然(りつぜん)とした声で叫ぶ。

 

「ウォフは──ウォフは、いったいどうなりました?!」

 

 防衛部隊“副長”の任を与えられた、巨大な女天使の姿を、隊長たるミカは探す。

 あの少女と戦い、“足止め”スキルを起動する予定だった天使二人。その片割れの姿が、どこにもない。

 ウォフにも当然“足止め”の役儀は与えられていた。

 だからこそ、彼女(ウォフ)が死んで、“天使の祝福”の感知にかからないのは当然と、そうミカは判断していた。

 

 なのに、ウォフの死体は……ない。

 スキルの光を放つものは……どこにも。

 

「──殺されたよぉ。胸の起動核を抉り壊されてなぁ」クピドは事実を口にする。「……だがぁ」

 

 赤子の口が重々しく告げる内容に、カワウソは首を横に振ってしまう。

 殺されたのは、当然。ウォフたちも、ガブたち同様に、足止めの役目を与えた天使の一人であり、その役目に準じるべく、あの真っ赤な少女との戦いに身を投じたのだ。カワウソの世界級(ワールド)アイテムによる“無敵化”が解除されれば、簡単に死ぬということも、すべて織り込み済み。

 であるならば……

 

「足止めは──“足止め”スキルは、どうした? どう、なった?」

 

 ウォフの創造主として、カワウソはありないと断言できる。事実、ガブたちの死体は荒野に残り、その大小や破壊具合……ズタズタのボロボロのバラバラ死体になっていても、天使の死は間違いなく、一個の対象を捕縛する光を放っているのだ。

 なのに、ウォフだけは、そうなっていないというのは、()せない。

 クピドは克明に告げる。

 

「あの娘……あの赤い奴には、“足止め”スキルが、発動しなかったぁ」

「そんな!?」

 

 ミカが珍しく大声をあげている事実が、遠くに感じる。

 

「発動、しない? スキルが効かなかったんじゃない、のか……いや、どういう、ことだ──それは?」

 

 カワウソは息が詰まるかのように、呻く。

 ウォフの“足止め”が「効かない」のであれば、まだ納得がいく。

 あの赤い少女に、珍しくも“足止め”無効化などの耐性が付与されていたと結論できる。

 だが、──『発動しない』とは、どういうことだ?

 カワウソの理解力でも、瞬時に答えは得られない。

 

「どうするよ、御主人ッ?」

 

 足止め役のウォフが機能を発揮せず、タイシャとナタが必死に抗戦を繰り広げている、この現状。

 すべての判断を下すのは、堕天使のプレイヤー、ただ一人。

 

「──鏡を、目指す」

 

 目的は変わらない。変えるべきでもない。

 第九階層へ。次の階層へ一刻も早く……逃げ込む。

 もはやカワウソたちは、予定通りに行動するしかない。

 未だ敢闘しているタイシャとナタ……あの二人はLv.100NPCだが、“足止め”が通じない未知の存在を……赤い少女を相手に、ミカとクピドを引き連れて、堕天使のカワウソが助けに行っても、どうにもならない可能性が高い。かつて、この荒野で散っていった討伐隊と、まったく同じ末路を辿るだけになるだろうと、容易に想像できる。

 そんなことはごめんだ。

 そして、何より──

 

「これまでのすべてを、ガブたちの“死”を、無駄にしてたまるかよッ!」

 

 頷くミカとクピド。

 ここでカワウソがしくじれば、ガブやウォフたちに、こんな地獄までついてきて、そうして死んでいったあいつらに、何と弁明すればいい。

 すでに世界級(ワールド)アイテムの効能は尽きた。リキャストタイムの都合上、カワウソの“無敵化”は、もう絶対に使えない。ウダウダ考えあぐねている内に、彼等タイシャとナタの戦闘状況が悪化したら、確実にマズい。

 

「走るぞ!!」

 

 言うが早いか、カワウソは神器級(ゴッズ)アイテムの足甲“第二天(ラキア)”を起動。もはや敵に感知される可能性など心配する状況にあらず。

 鏡までの距離は1キロを切っている。

 あとは、他の伏兵が現れないことを祈るしかない。

 

 タイシャが『完全雷精霊化』を発動して、赤い少女への“特攻”に訴えかける。

 鳴り轟く雷霆の衝撃音が、荒野を駆け巡った。

 

 

 

 カワウソたちは、隕石落下……彗星衝突もかくやという戦闘風景に背を向けて、一路、第九階層を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、ルベド戦


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Rubedo(ルベド) -1

/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.06

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 ほぼ、同時刻。

 

「はい……はい、父上。ツアー殿へも、映像共有を……はい。そのように」

 

 ナザリックを囲む平原での戦い──その局面は、誰しもが予想だにしない変転を遂げ、想定されうる中でもほとんど最悪な結末を迎えていた。

 世界級(ワールド)アイテムを発動した敵が、あのギルド:天使の澱が、あろうことか、まんまとナザリック地下大墳墓への侵入を果たしたのだ。

 いかにツアー……“白金の竜王”ツアインドルクス=ヴァイシオンと呼ばれる竜帝であろうとも、彼が知覚しうるのは、ナザリックの表層まで。ナザリック内部を遠視透視することは、今世における始原の魔法(ワイルド・マジック)の担い手であろうとも、不可能。故に、アインズ・ウール・ゴウンその人が、盟友たる竜帝への戦闘映像の供出を、信頼できる息子に依頼しておくのは必定必然の流れと言えた。

 

「すべて、父上のお望みのままに」

 

 それでは、と言って、魔導国王太子の位を戴く混血種、ユウゴは〈伝言(メッセージ)〉での繋がりを打ち切った。これで、アインズは敵の迎撃に集中できる。

 

「〈伝言(メッセージ)〉──ツアー殿」

《ああ、ユウゴくん。久しぶりだね》

「お久しぶりでございます。さっそくですが、父上から火急の要件とのことで、ツアー殿へ情報共有の連絡を」

 

 間髪入れずに、ツアーとの専用回線(ホットライン)を開いた。100年前、盟約によって結ばれ、魔導王の信頼できる相談相手ともなった友人の竜に、ナザリックの現状を報告すると共に、彼の持つ回線を通じて、第八階層“荒野”での戦闘状況を共有する任務を万事抜かりなく果たし終える。

 

「さてと」

 

 監視部屋として“親衛隊”の皆が集っている室内を見渡すでもなく、真っ先に、異母妹(ウィルディア)が声をかけてきた。

 

「お兄様」

「心配いらないよ。ウィル」

 

 銀髪紅瞳の姫に対し、兄は安らかに微笑む。

 

「けど! ……敵が第八階層に、ナザリックの最奥に近い地へと侵入を果たしたというのに!」

 

 今すぐにでも、父や母たちの援護に駆け走りたいという衝動に抗うように、妹は豊かな胸の中心を、痛々しいほどに食い込む骨の指先で抑え込んでいる。少し視線をよそへやれば、戦闘メイドの娘たちである“新星”たちや、ルチとフェル、火蓮なども、一様にアインズの娘たる姫の希求に同調していた。敵を殺し、至高なる主君を護る任務と使命に殉じたいと、彼女たちはそう望んでやまない忠烈の徒。そんな幼馴染全員の態度と意志には、ナザリックのNPCたちと比肩するほどの何かが、確実に宿り備わっていた。

 しかし、ユウゴはそんな乙女らの焦燥と愛情を痛いほど理解しながら、魔導国の王子として、首を横に振る。

 

「だからこそ。だよ」

 

 ユウゴは冷静に、王子としての責務を全うする。

 

 至高なる御身──父たちが築き上げ作り上げた神域の居城へと、いかなる策謀と術数によってか、「転移による侵入」を果たした“(プレイヤー)”と、そのギルド。おまけに、どういう理屈か法則かは分からないが、敵のギルド拠点そのものが、ナザリックの第八階層内部に転移しているという、前代未聞の大転移をやり果せた結果、スレイン平野に詰めていた魔導国四個軍の包囲網はまったく不本意ながら無駄な労苦と化し、スレイン平野をこの100年監視し続けていた「あれら」の内“二体”の派遣が無為に帰したようなもの。

 ……否。

 あの“禁断の地”に、100年も昔に、アインズとツアーたちの共闘によって封じられたモノを思えば、ナザリック最高戦力がひとつたる星……火星(ゲブラー)天王星(コクマー)の監視は継続されて然るべき処置。何かの拍子で、あの「事件」とやらでスレイン平野に封じられたものが目覚めないという保証もない以上、父たるアインズの差配は的確と評するよりほかにない。

 ──それでも。

 本音を言えば、ユウゴ自身も今すぐに妹たち親衛隊全員を引き連れて、ナザリックの玉座の間に詰めている父や母たちのもとへ舞い戻り、玉座の間に留まることを特別に許された幼馴染にして婚約者のメイドを──マルコを抱きしめに行きたかった。

 だが、それはできない。

 状況はそれを許さない。

 

「父上たちは第八階層に侵入した敵の迎撃に神経を集中している。このタイミングで、誰かしら何かしらの襲撃や、魔導国内で不測の事態事件が生じた場合、誰が対応するのか──わかるだろう?」

 

 姫やメイドたちが息をのんだ。

 ユウゴは結論を簡潔に述べる。

 

「僕たちは、このエモット城で、このナザリックを囲む平原を防衛する重要な役儀を賜っている。──“その上”。父アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下と、母上たち六大君主……ナザリックの守護を(つかさど)るシモベたちに“代わって”、現在、『魔導国』の守護と管理という大命を任されている。それを反故(ほご)にすることはできない」

 

 王子の言う通り。ユウゴたち、ナザリックの子供らに与えられた任務は、この城塞都市(エモット)の王城にとどまり、侵入してくるやもしれない・漁夫の利を狙った第三勢力を警戒しながら、魔導国の現状に、何かしらの事故事変が加わった際には、それを適切に確実に処理するための代役が、100年前に誕生した魔導国の王子と、その補佐を務める“魔導王の親衛隊”たる戦乙女達なのだ。

 アインズ達が第八階層へ侵入した敵に対し、後顧の憂いなく戦いに集中できるよう、ユウゴたちがここを堅守せねばならない。それだけの能力が、確実にナザリックの子供らには与えられていたし、与えられた側も事実として、そういった作戦要綱を理解している。にもかかわらず、越権行為も同然にナザリックへとトンボ帰りを果たし、身勝手な我儘で父母たちから与えられた本来の労務を投げ出すなどしたら、……それは、父や母たちへの“裏切り”に他ならない。

 

「不安はわかる。けれど、戦わないことに引け目を感じるだけで、戦いのおこっている場に急行しても、それは、ただの横車……ただの邪魔にしかならない以上に、危険な行為だ──それを父上が、アインズ・ウール・ゴウン王陛下が喜ばれるものと、本気で思うのかい?」

 

 姫やメイドたちは、戦意に(くすぶ)る声と表情で、だが、しっかりとした頷きを返してくれる。戦いの栄誉に耽溺するのではなく、戦わないことで果たされる使命を理解することができないほどのバカは、この城には存在しない。それでも、自分たちの存在が無為に時間を浪費している感情に気を揉むのは、いかんともし難い。

 そして、“魔導王の親衛隊”、その隊長たる王子は、己の務めを果たすべく、死の騎士(デス・ナイト)の娘に問いかける。

 

「“大将軍(じい)”の子息たる四将帥……カイナたちの状況は?」

「──目下のところ、敵襲や天変地異などの確認はないとのことです」

「うん。引き続き、スレイン平野での警戒と監視を継続させるようにと、父上──魔導王陛下からの命が下っているから。……あと、各領域と各都市、各地方の最高責任者に、伝達。警戒レベルを一段階上昇させ、どんな些細な事件も見逃さないこと。アンデッド警邏部隊の巡回と守護任務を徹底させるように。敵が、彼等天使の澱のほかに潜伏・潜在し、父上の大事な臣民へテロ行為などを起こされでもしたら、たまらないからね」

 

 ユウゴ王太子たちは、任された務めに邁進する。

 おかげで、魔導国の今は、完全に平和そのもの。

 

 第八階層で天使の澱が蹂躙されるときを待ちわびながら、ユウゴたちは、アインズ達が築き上げた国そのものを護る務めを、果たし続ける。

 

 そして、ユウゴたちは映像の一つを注視する。

 

 

 

 

 第八階層の脅威のひとつ……“ルベド”が、敵の前に立ちはだかり、うち一体の天使の、その心臓部が抉り砕かれていた。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 時をわずかながら(さかのぼ)る。

 

 

 

《 ──戦闘状況を把握。Rubedo(ルベド)は、“殲滅”を開始します 》

 

 

 

 そう明確に敵意と戦意を表明する敵方の少女に対し、二人の天使が突撃していた。

 

「絶対にー!」

「させるか!」

 

 通常形態でもすばやい斥候(スカウト)のタイシャが先を行き、召喚師(サモナー)たるウォフは後に控える。

 

「カワウソ様とみんなは、先に行ってー!」

「アレは作戦通り自分たちがくいとめます!」

 

 あれが、あの赤い少女が──カワウソが「要警戒」と認識していた、謎の存在。

 宙にある(あれら)と共に、あの1500人の討伐隊を殲滅し続けた、異様な少女。

 主人(カワウソ)が頷き、別ルートへ逸れていくのを見送ることなく、二人の天使は攻撃態勢を構築。

 

「いざ尋常に!」

 

 アジアの雷神の名を戴く法具“インドラの独鈷”をタイシャが握り構え、世界樹(ユグドラシル)を素材として創られた武器“世界樹の槌矛(メイス・オブ・ユグドラシル)”をウォフは抜き払う。

 

「いくぞ!」

 

 黒い僧衣のすそを翻し、足元の白足袋(たび)で踏み込んで、手元の独鈷を雷霆に変えながら投槍体勢をとる僧兵に対し、ルベドは棒立ちの姿勢のまま、動かない。

 

(オン)……!!」

 

 タイシャは動かない敵に対し、一切の躊躇なく攻撃を繰り出した。

 全身全霊の一撃。平原の戦いで、数多くのアンデッドを焼き払った雷樹を、一体の敵に集約して放出。

 荒野を染める雷速の光跡。落雷の轟音が耳に痛いほど(つんざ)く戦景の中で、タイシャは一切の手加減をしない。

 

「今だウォフ!」

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)善なる極撃(ホーリースマイト)〉ー!」

 

 巨大な全身鎧姿の天使から放たれ、降り注ぐのは光輝の円柱。清浄に過ぎる青白い光が“三本”。属性が悪に傾いているものへ効果的なダメージを与え得る、天使種族の得意魔法。

 横殴りに押し寄せる雷霆と、頭上より落ちる光柱の三閃。

 その交叉攻撃の中心にある少女は、

 ──歩みを止めない。

 

「健在か!」

「だよねー」

 

 わかっていたし、知っていた。

 カワウソが絶えず視聴していた、第八階層の動画映像……その中でも異彩を放つ、少女の赤い威容。かつてこの荒野を進んだ討伐隊を一方的に蹂躙し、魔力もスキルも消費し尽したプレイヤーたちの反撃を悉く無視していた圧倒的強者としての、異様。天使の澱のNPCもまた、同じ映像を視聴することで、情報を共有できていた。この第八階層を攻略すべく、あの“星々(あれら)”と共に攻略しておかねばならない存在のことを、ウォフやタイシャだけでなく、全員が知悉できていた。

 いざとなれば、誰がどの相手を“足止め”するかも、今朝の最後の作戦会合で示し合わされていた。

 そして、あれの──あの赤い少女の相手を務めるのは、ウォフ。

 場合によってはタイシャが護衛に務めることも、組み立てられた作戦の通りにすぎない。

 

《 ──敵性情報を、把握──“(Air)”と『(Virtue)』属性と認定── 》

 

 少女は唇を動かすことなく、何事かを告げる。

 だが、その意味を推し量ることなど、無意味。

 ウォフとタイシャは、カワウソの世界級(ワールド)アイテムが機能を発揮している間、この少女を相手取りつつ、最後には“足止め”の役目を遂げる身。

 二人の天使は怖じることなく少女を見据える。

 まるで星のように輝く真紅の髪をなびかせて、その少女は血のように深い色合いのドレスと手袋、装身具や紅玉のピンヒールを纏い現れた。ナザリックの表層で初めて相まみえた黒髪の女悪魔──その容貌をだいぶ幼くした、十代半ば程度の見た目。暁色の瞳は赫然と燃え盛る黄金の輝きを灯しながら、いかなる感情の機微も伺わせないほどの無表情を、典雅かつ美彩な少女の面に張り付けている。

 

「幾度となく動画で見てきた相手だが」

(なま)で会うのは、初めてだものねー」

 

 ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”を彷徨うNPC……と思われるもの。

 何しろ、この第八階層自体そのものが、難解極まる敵ダンジョン拠点の最奥部に位置する。

 カワウソという創造主が調べ尽くした限り──あの少女は「何が何だかわからない」というのが、ユグドラシルプレイヤーの共通認識じみたものであったと、天使の澱のNPCたちは認識している。自分たちの主人と同格(認めたくはないが、カワウソは“外”で殺されて帰ってくることがある以上、そうとしか言えない)であるはずの者たち……プレイヤー全員が、ここの攻略を投げ出してしまうレベルの相手。

 それが、あの赤い少女。

 

《 ──敵、攻撃行動継続、確認。優先破壊対象、捕捉。

  ──最後通告。Rubedo(ルベド)は、“殲滅”を開始します 》

 

 同じ宣告を機械的に繰り返す挙動に、ウォフとタイシャは率直な不気味さを覚えた。

 天使たちの頭上……荒野の(そら)に浮かぶ星々がボスであるなら(まさか、ただの足止め役程度の、自分たちと同族の天使(NPC)こそが階層守護者(ボスキャラ)であったと、誰も思えなかった)、荒野を行く少女の能力は裏ボスと呼ぶにふさわしいだけの風格と力量を備えている。

 何しろ、奴の能力は得体が知れない。

 Lv.100のプレイヤーを掃滅しながら、まるで一人でコンサートホールを舞い踊るバレリーナのごとき優雅さで、あれだけの蹂躙劇を演出したモノの一人なのだ。

 そして……

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 少女が消える。

 

「来る! 気を付けろウォ……フ?」

 

 警戒の声をあげたタイシャの背後。同胞にして部隊の副長たる天使の、目の前に(・・・・)──

 

「な?」

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 タイシャという前衛を完全に無視し、すっ飛ばして。

 二人の天使の中間地に現出した赤色の影。血のように染まる手袋の指先を、可憐な少女は一切の呵責なく、握り込む。

 繰り出される、瞬撃。

 徒手空拳とは思えぬ熱量と暴風をまき散らす轟拳。

 ──しかし、それはウォフの体表面ギリギリのところで、せき止められる。

 

「カワウソ様の世界級(ワールド)アイテムに護られている私たちにー、そんな攻撃は通らないからー!」

 

 少女の拳を阻む、赤黒い障壁。

 天上を──世界全体を覆う円環がすべて砕け堕ちない限り、自軍に“無敵化”を与えるアイテムが停止しない限り、ウォフとタイシャを傷つけること(あた)わず。

 次の動作に移れない……移る気がないかのように硬直する少女に対し、ウォフはまったく容赦なく世界樹の槌矛を、メイス・オブ・ユグドラシルの大質量を、大上段に構える。

 人間の二倍から三倍ほどある背丈を誇る巨躯から振り下ろされる暴力は、カワウソの“無敵化”によって尋常でない攻撃性能を発揮可能。

 逃げることは不可能。

 防ぐことは尚、不可能。

 

「えーーーい!」

 

 荒野の大地まで割れ砕けよと振るわれた、入魂の一撃。

 ズンという激震と共に、樹木製の武器とは思えないほどの破壊力を相手に刻み落とすはずの一撃は──

 

「────え?」

 

 少女の肉体を“素通りしていた”。

 メイスの樹木は、その下の大地……少女の股下を叩くだけ。

 

「なん……でー?」

 

 飛び掛かる少女は答えることはなく(敵なのだから当然か)、あまりにも鋭い蹴り足を繰り出す。全身鎧の上半身を吹き飛ばしかねない衝撃を受けながらも、ウォフは、主人からもたらされた恩寵ともいうべき“無敵化”により無事である。……だが。

 

「ちょ、や、ぐ──!?」

 

 間断なく繰り出される鉄拳と踏翻。まるで円舞(ワルツ)を踊るがごときドレスの律動。

 

「こんのッ!」

 

 うっとうしくじゃれつく猫か犬を追い払うように、メイスの重量で周辺空間を薙ぎ払う。

 少女の肉体を打ちのめした感触もなく、何の手応えも前触れもなしに、少女の姿が消えた。

 

「あいつ、どこへ!!」

「うしろだ相棒ッ!!」

 

 タイシャの忠告通り、ウォフの後背──機械のような鋼の翼を打ちのめすように、少女の蹴りが流星のごとく叩き落されていた。しかし、それも今のウォフたち──ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の無敵状態であるNPCたちには、何の痛痒にもなりえない。

 たとえ、機械の翼をむしりとろうと手指を突き入れられようと、それすらも赤黒い(エフェクト)がすべてを阻んでくれる。

 それでも。

 同胞を目前で乱暴に解体せんとする少女を好き勝手にさせておくわけにはいかない。

 

「離れよ!」

 

 ウォフの両手が回らない完全な死角で、無駄に攻撃を続行せんとする少女。それを理解した僧兵が、同胞の救援に躍りかかった。助走をつけるでもなく、まるで両脚が雷に変化したがごとき轟音と共に、空を駆けぬけた武僧。タイシャは雷撃の雨を降らせる独鈷を、何の躊躇(ちゅうちょ)斟酌(しんしゃく)熟考(じゅくこう)なしに、振るう。

 ほとんど同士討ちを気にしていない様子で──事実“るべど”と名乗る少女と密着状態にあったウォフの全身鎧に、タイシャの雷撃は盛大にスパークを炸裂させていた。

 ──これは、見方によっては、世界級(ワールド)アイテムの同士がぶつかり合うがごとき状況……無敵と無敵の味方同士による同士討ち(フレンドリィ・ファイア)であったが、攻撃の雷を受けたウォフはとくに気にした様子もなく、有髪僧(うはつそう)が繰り出したものを(たい)らげた。

 

「大事ないかウォフ?」

「平気平気ー、むしろおいしい“ごはん”でしかないしー」

 

 ウォフを構築する種族レベルのひとつ“機械巨兵(マシン・ジャイアント)”。

 その特性によって、ウォフという天使は雷系統ダメージを無条件で“吸収”……ようするに、機械が電力(HP)を補給するかのごとき能力を発揮できる。そのため、この二人はヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の拠点内にて、二人組(ペア)で配置されている関係にあり、拠点の第三階層“城館(パレス)”の廊下で、侵入者を共に迎撃するように組み合わされた存在であった。

 前衛と斥候を務める“雷”のタイシャ。後衛と指揮を務める“機械”のウォフ。

 この二人は互いが互いを支えあい、巧みに互助しあえるようにカワウソが用意した相棒同士の拠点NPCであったのだ(勿論、同士討ちが不能だったゲーム時代には無用な関係であり、あくまでそういう「ロールプレイ」──カワウソが書いた設定上の絆に過ぎなかったのだが)。

 

「それであの少女は?」

「──、あそこだねー」

 

 タイシャの攻撃を嫌ったのか、ずいぶんと遠くへと一瞬で移動した少女は、自分の攻撃が相手に通じないことに対し、何か特別な感情を懐いた様子もなしに、状況を分析。

 

《 ──未知の現象を確認。Rubedo(ルベド)、内部データベースと照合……該当なし(アンノウン) 》

 

 唇の動きどころか、瞬きのひとつもしない少女の、そのあまりにも機械的な様子が不可解であった。

 

「ふむ。あれはウォフの近親種だったりするのか?」

「だったら、同族感知でわかるはずなんだけどなー?」

 

 天使が天使種族を感知する“天使の祝福”があるように、機械種族は同系統の機械種族──またはそれに準じる人工生命などを、ある程度は判別・探査することが可能。

 だが、ウォフは“るべど”と名乗る少女を、自分と同じモノであるとは認識できない。

 

「機械でないとすると──機械じゃない……自然系のゴーレムあたりー?」

炎の動像(フレイム・ゴーレム)氷の動像(アイス・ゴーレム)あたりか。……否……どうもそれらとも違う気しかしないのだが」

 

 冷静に敵の正体を探っている二人に対し、ルベドはやはり何の感情も感慨も懐いていない眼差しを向け、次の瞬間には消え失せていた。

 

「早い!」

「後ろ!」

 

 二人同時に振りかえる。

 まるで影のごとく無音で忍び寄る少女の拳を、タイシャは掴み封じようと試み──

 

「なにッ?!」

 

 いきなり“背後から蹴り飛ばされていた”。

 

「ちょ、なに今のー!?」

 

 精霊化していない状態のタイシャは、物理ダメージを負うことはありえる。いかに少女の肉弾戦闘が、かつてこの荒野を訪れた討伐隊を粉微塵になるほどの威力を発揮していたと加味しても、今のタイシャたちには、カワウソが施してくれた“無敵化”が備わっている。この状態を維持する数分間は、とくにダメージらしいダメージを被ることはなく、また、こちらが繰り出す攻撃は、どれもが「必殺」の効果を相手に与えることになる。

 だが、今の攻撃……現象は、完全に、意味が、分からない。

 ウォフとタイシャが同時に振り向いた先の背後で、拳をふるって突っ込んできたはずの少女が、いきなり振り返った二人の“背後へと回り込んでいた”という感じだ。

 タイシャが悔し気に呻きつつ放った雷霆によって、またも少女は遠くへと移動。

 その移動の速度すら、ウォフとタイシャには視認できないのは、奇怪に過ぎた。

 

「──幻術とかの気配はー?」

「それはありえん」

 

 カワウソの世界級(ワールド)アイテムによる“無敵化”は、いわば世界級(ワールド)アイテムによる完全防御状態を構築する。精神支配や幻視幻覚などの状態異常への耐性もバッチリ備わっているのが“ゲームでの無敵化”である。時間制限付きという最悪の弱点があるが、その制限時間までは、ウォフとタイシャは優勢に事を運べるはず……なのに。

 

「……なんなのだあれ」

 

 は、と続ける間もなく、タイシャの眉間に、少女の貫手が突っ込んでくる。

 雷精としての判断速度と反射速度が、紙一重のところでその一撃を避けさせた。

 のけぞる姿勢のタイシャを、少女はあまりにもまっすぐな眼差しで見下ろしている。

 精霊化を進めていきさえすれば避ける必要はなく、というか、世界級(ワールド)アイテムの“無敵化”状態なのだから尚のこと回避する必要はない……だが、少女の一撃があまりにもNPCの常識を逸しすぎており、思わずそのような反射行動をさせていた。

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 まるで警告(アラーム)音のように言動を繰り返す、異質な少女。

 タイシャは咄嗟に思案する。

 ──果たしてあれは、自分たちと同じNPC(モノ)なのだろうか、と。

 

「ちょこまかとー!」

 

 全身鎧の兜、その奥から紡がれる高音が、(いら)ただしげに荒野に響く。

 ウォフは首から下げていた首飾りを掴み、ひときわ大きく輝く六つの真珠玉じみた宝玉を、解放。

 召喚師たるウォフが使ったのは、自分と同じ天使──その中でも選りすぐりの者を、召喚。

 六つの宝玉の内、五つが眩いばかりの輝きを放ち、首飾りの鎖から千切れ離れる。

 

「来いー!

 貞節の地天使(アールマティ)ー!

 最善の火天使(アシャ)ー!

 理想の金天使(クシャスラ)ー!

 不滅の樹天使(アムルタート)ー!

 完璧の水天使(ハルワタート)ー!」

 

 宝玉から現れたのは、ウォフの元ネタと近しい、ウォフの体長と同程度の巨大な体躯を誇る、女天使たち。

 大地の装甲を纏った女天使──烈火の大剣を帯びた女天使──金属の甲冑を纏った女天使──樹木の戦鞭を携えた女天使──清水の長弓を番えた女天使──いずれもが強大な力を誇る天使種族モンスターであり、ウォフの首飾りに宿る優秀な「大天使(アムシャ・スプンタ)」たち、その六柱のうちの五柱である。

 

 さらに、ウォフは全身鎧の各所に仕込まれた装身具……肩章や肘当、腕輪や腰帯などのアイテムから、火の天使(アータル)水の天使(アナーヒター)風の天使(ワユ)守護の天使(フラワシ)太陽の天使(ミスラ)正義の天使(ラシュヌ)遵守の天使(スラオシャ)──戦勝の天使(ウルスラグナ)──それらがそれぞれ複数体──数多くの天使(ヤザタ)たちを招来し、戦列に加え続ける。

 先の平原の戦いで召喚したものとは別系統に属する天使群は、人形獣形定形不定形非生物形など種々様々であり、キリスト教圏のそれとは別の宗教に伝わるもの。つまり、どれもがウォフの元ネタに近しい個体で構築されている。

 優秀な召喚師と指揮官職のレベルを有するウォフによる強化を受けて、それらはただの雑魚とは一線を画す性能を与えられており、ウォフは単体ながら、このように“群”を率いて戦うことを容易とするが故に、今回の作戦において重要な、“謎の少女の「足止め」役”に抜擢された戦闘力を持っている。個においてはひたすら固いだけの防御役(タンク)にすぎないが、こうして「軍勢」を率いた状態で、的確な強化と指揮を施せる戦況を作り上げれば、かなりの戦闘力を発揮するように創造された機械種と天使種の混合存在。神官系の職も有しているため、味方を癒す各種回復能力にも通じているなど、なかなか応用力と集団戦闘力に富んだ拠点NPC……“防衛部隊の副長”なのだ。

 おまけに、タイシャという前衛もついている状況というのは心強い。ただの前衛として機能するだけでなく、黒い僧兵の強力な雷撃を浴びることで、ウォフは自己体力の減耗を治癒する手段を、より多く備えることが可能になっているわけだから。

 

 対するは、少女としか見えぬ敵が、たったの一人。

 天使の澱は、Lv.100NPCが2体と、大天使(アムシャ・スプンタ)が5体、さらに配下の天使が40体以上。

 一人の敵に対しては、いかにも過剰な戦力……軍団に思えた。

 

 だが、相手はナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”にすまう存在。

 カワウソという至高の創造主と同格の者たちを、悉く砕きつぶした星々と、唯一共闘するがごとき殲滅能力を発揮した“化け物”。

 戦力過剰という言葉は、ここではまったく無意味なものとなる。

 

「少女を包囲してー、叩きつぶせー!」

 

 下知を受け取った天使たちが、一斉に武装を牙を嘴を魔法の光を、少女の痩身に差し向ける。

 だが──

 

「……え?」

 

 少女は、ルベドは、繰り出した拳によって、ウォフにより強化されたはずの天使群──その最前線を舞い飛んでいた火の天使たちや水の天使たちを、一瞬のうちに、蒸発。

 そして……

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 赤い、あまりにも赤い、暴力。

 殴打が。

 掌底が。

 手刀が。

 背刀が。

 貫手が。

 肘鉄が。

 足刀が。

 飛蹴が。

 膝蹴が。

 踏足が。

 ──進撃と震撃が。

 ウォフの能力で強化された天使の群れを、瞬きの内に蹂躙していく。

 まるで飛んで火にいる夏の虫……ではなく、まるで焼け溶けた鉄の炉に突っ込む紙片や塵屑のように、ほんの一瞬で燃え尽き、燃え融け、燃え果てる。炎への強力な耐性や無効化を特性として保有している、「天使たち」が。

 

「な……ん……で……?」

 

 言った途端、ウォフは己の状態に気づく。気づかされる。

 自分の全身鎧の巨躯が、わずかに一歩──下がっていた。

 ありえない。

 カワウソに創られたNPCたる自分が、敵に(おそ)(おのの)くなど……あってはならない失態だ。

 頭では分かっている。天使の心は折れるはずがない。なのに……

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 轟く声は、まるで階層全体から聞かされているかのように、ウォフたちの鼓膜に響き渡る。

 

「調子に乗るなァア!!」

 

 雷のような男の声。

 打ち鳴らされる太鼓のごとき音圧と共に、黒髪の有髪僧(うはつそう)が手足に雷霆を纏うような変化形態を見せる。ドガンと空気を大量に爆ぜさせる盛大な衝撃は、強力な放電現象の奏でる交響楽の圧力だ。

 四肢が紫電の輝きに染まった座天使の速度は、飛躍的に上昇。さらにダメ押しとして、彼は〈疾風迅雷(スィフトネス)〉や“韋駄天(スカンダ)”などの速度向上作用の強化魔法を詠唱し、強化スキルを解放していく。

 ウォフの召喚天使たちを屠殺する少女の背後をとるのに、十分な速度ステータスを維持。

 そして──振り構えられた右腕には、上下に無数無尽の雷霆を表す、黄金の法具。

 

(オォォォォォン)──!!」

 

 遠雷のごとく響く喚声。

 少女のほぼゼロ距離から放出された“インドラの独鈷”の最大出力形態──金剛杵(ヴァジュラ)

 神の“鎗”とも形容すべき偉容に変じた雷撃の一点集中攻撃は、それなりの耐性を備えている敵やモンスターでも、そういった耐性を貫通してしまうほどの威力を発揮するほどの大攻撃力。おまけに、カワウソの“無敵化”が加われば、それはまさに覿面(てきめん)な制圧能力を期待できる。

 雷鳴のゴロゴロという音圧どころではなく、バリバリバリと空間を引き裂き走る神の閃光に穿たれた少女は、タイシャの手で確実に、その華奢な背中の中心を抉り穿たれた──かに思えた。

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 いまだ白すぎる雷光で染まっている戦場で、少女の声が平然と紡がれる。

 タイシャは驚愕する余裕もなく、少女に胴体を“背後から”蹴り払われていた。

 

「ば!」

 

 バカな。そんなはずがない。

 そう声を発する間もなく、体勢が崩れる。ルベドの流麗に過ぎる踵落としの大車輪が、タイシャの首根を断ち落とさんばかり叩き込まれていた。半精霊化している体に物理ダメージは通りにくいはずなのに、タイシャはありえない勢いで吹き飛ばされる。天使や精霊には存在しないだろう呼吸器官から、無様な苦悶の声を轟かせて。

 

「ゲハぁッ?!」

「タイシャ!?」

 

 ウォフが召喚した天使に命じて、タイシャの救援・少女への特攻に向かわせるが、そんなものなど知らん顔でルベドはタイシャを追撃するように、(くずお)れかけた僧兵の脇腹を(したた)か大きな膝蹴りの威力で吹き飛ばしていた。バゴォンという暴音と共に、僧兵の身体は放物線を描くことは、ない。まるで空を突き進む光の軌跡で、荒野の宙を舞うことに。カワウソから与えられた“無敵化”……赤黒いステータス増強の障壁がなければ、確実にタイシャは絶命を余儀なくされていただろう二連撃であった。

 たまらず、ウォフは吹き飛ばされたタイシャの軌道上に、機械の翼を駆って滑り込む。

 

「タイシャ、無事ッ?!」

「けはッ──なんとか」

 

 ダメージらしいダメージは、ない。

 無敵のステータスがなければ泣き別れ崩れ落ちていただろう首根と脇腹をさすりながら、タイシャは巨兵の豊かな胸の中心で息をつく。

 

「ああクソ! クソォ! なんなのだアレは?」

「さすがにね。これは予想外だよ? ……あ、“だよー”?」

「はは……珍しいことだ。ウォフが己の設定された口調を忘れるとは」

「──それを言ったら、タイシャだってクソなんて汚い言葉使わないでしょ?」

 

 あまりの状況に、二人が二人とも、常のような調子でいられないことは、確定的な事実であった。

 ウォフは胸の中の相棒と共に、(そら)から敵の姿を見下ろす。

 少女は標的を追うでもなく、挑みかかり飛びかかってくる召喚された天使を掃滅するのに忙しくなっていた。天使たちは見る見るうちに数を減らし、雑魚レベルの者は一瞬で還されてしまっている。最初から十全に残っているのは、五人の女大天使くらい。

 

 ──ウォフが現在召喚している天使たちは、カワウソの“無敵化”の効果対象にはなりえない。

 召喚の魔法やスキル、アイテムで呼び出された存在は、ただの「攻撃手段」「防御手段」などに分類されるものであり、カワウソの「自軍勢力」を構築する存在とはカウントされない。金貨などで雇い入れる傭兵NPCなどは別であり、また、ウォフたちのような拠点NPCも自軍勢力とカウントされる。召喚主が殺され消えたりすれば共に消え失せる従属者たちは、『独立した一個の存在』──個人として認識されることはなく、ユグドラシルで攻略戦などに赴くときは、召喚攻撃などで召喚されたモンスターなどは、その勢力の一員とはカウントされないし、できない。──そんなことが可能であれば、世界級(ワールド)アイテムなどで無限に召喚されるモンスターの群れが出現した場合、その勢力は“∞”ということになりかねないのだ。

 

 ……余談だが、アインズがこの異世界にて、現地の死体という媒介を介して召喚し、“永続性”を備えたアンデッドなどについては、独立個体……自軍勢力として扱われる。

 

「で。アレはいったい──“どういう敵”なのだ?」

 

 タイシャの疑問に、ウォフは答えようがない。

 ウォフでも知りようがないというか──あまりにも超然とし過ぎていた。

 

「クピドのような転移魔法の使い手……じゃないよね。転移の発動なんて、一回も確認できないし」

「同意だ。だがそうすると何故あの娘御に背後をとられるのか──謎だ」

 

 タイシャの速度は雷霆のそれだ。部分的に精霊化しつつある現状でも、カワウソやナタに近い速度に追随できる性能を発揮している。──なのに。そんな有髪僧の目の前で、今まさに攻撃していた敵が、いきなり背後に立って攻撃を繰り出してくるという現象は、あまりにも()せない。

 

「クッ! 考えている暇はない!」

 

 召喚された下級天使の群れ、最後の天使(ヤザダ)が砕かれた。

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 不吉なサイレンのように響き続ける、少女(ルベド)の声音。娘の面立ちは一切の感情を(うかが)わせない無表情で固定しており、唇は発音しているかどうかも怪しいほどに引き結ばれたままだ。

 

「タイシャ。私──“アレ”、やってみる」

「“アレ”か──ならば時間稼ぎは任せよ」

 

 タイシャの黒髪が、手足と同じように紫電を放つ。

 部分的な精霊化は、その範囲を拡大するごとに精霊としての形態に近づいていくことを意味する。

 雷速を駆る僧兵の近接戦闘──少女は応じるがごとき武闘の演武と円舞で、迎撃。

 その間に、ウォフは「最後の天使召喚」を行う準備を整える。

 

「……ふぅ」

 

 軽く息を吐きながら、重く重い白兜を脱ぎ払う。防御ステータスが少しばかり下がる危険性があるものの、カワウソの世界級(ワールド)アイテム発動中であれば特に気になるような弱体化でない。

 常に巨兵の頭を覆っていた(ヘルム)

 その中から零れ落ちるのは、大量の黒く長い髪。

 まるで波打つ大地のような、燐光のごとき色艶を帯びた髪色に飾られる(かんばせ)は、機械と天使の黒い瞳を併せ持つ“女”の表情。

 天使の輪の位置を気にしつつ、兜を大事そうにボックスへしまったウォフは、六玉の首飾りに残されていた最後の一個を、これまた大事そうに両手で掲げる。

 

「おいでー、創造の聖霊神(スプンタ・マンユ)ー」

 

 首に下げておいた六つの宝玉の内、最後の一つに宿る女天使──切り札を、召喚。

 現れた少女──否、幼女は、白い光を抱いて、ウォフの巨大な手の上に降り立つ。

 ウォフの召喚師のレベルで呼び寄せられるものの中で最高最強の存在に位置するモノ。

 これを呼び寄せるための「コスト」として、ウォフは自分の召喚スキルのほとんどを封じ、大幅な魔力消耗と、クリティカルポイント……致命箇所である頭部の装備を“空白”にするという弱体化を余儀なくされる。仮にも“神”に近いモンスターを召喚する以上、召喚するものへの敬意として、ウォフはその美しい黒髪と面貌をさらさざるをえない。

 だが、それだけの価値が、女巨兵の掌に腰掛ける幼女……聖霊には備わっている。

 

「お願いねー」

 

 慈母のごとく微笑む召喚者の望みを了承した女天使たち五人が、大地と聖火と純金と神樹と雲水の翼を広げ、タイシャが抗戦を試みる少女を包囲する位置に飛ぶ。

 そうして、天使たちは召喚主の指示通りの魔法、その五唱和を紡ぐ。

 

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)善なる極撃(ホーリースマイト)

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)善なる極撃(ホーリースマイト)

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)善なる極撃(ホーリースマイト)

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)善なる極撃(ホーリースマイト)

魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)善なる極撃(ホーリースマイト)

 

 さらに、ウォフの切り札たる幼女が、同族たる天使たちを“大幅に増強する効果”を発しながら、まったく同じ神聖属性の魔法を唱える。

 

『〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)善なる極撃(ホーリースマイト)〉!』

 

 創造の聖霊神(スプンタ・マンユ)の詠唱。

 まるで神聖な祝詞を謳うかのように共鳴する、六つの魔法の連鎖。

 そして、ウォフ自身もまた、彼女たちの織り合わせた連鎖の輪に、加わる。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)善なる極撃(ホーリースマイト)〉ー!!」

 

 戦域に満ちる、21柱の、光。

 その標的に据えられた、たったひとりの、赤い少女。

 三重の最強化を受ける青白い光輝──その七人同時発動の一点集中による光量は、赤い存在を純白に染め上げ、世界からすべての悪しき存在を掃滅するがごとき大威力を構築。……この攻撃にさらされたものは、もはや善悪のカルマ値など関係ない光の熱量で焼き払われることは絶対と言えた。

 さらに、さらなる魔法を紡ぐ声が、前衛として戦地を駆ける僧兵から。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉!!」

 

 ダメ押しとばかりに、タイシャの雷化した右腕、その手中にある独鈷が繰り出したのは、巨大な豪雷の三重最強化。

 だてにギルド内の魔法火力役に抜擢されたわけではない。座天使にして雷精霊の紡ぐ雷系最大級の魔法は、タイシャの種族特性によって、あのアインズ・ウール・ゴウンが繰り出すそれよりも、凶悪かつ膨大な威力を誇る殲滅魔法に昇華されている。

 さらに、タイシャはそれだけの大魔法を、連続で(うた)う。

 

「まだまだッ! 〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉!!!」

 

 左腕から奏で落ちる、雷葬の連撃。

 天上から降り注ぐ光と雷が束になって、確実に少女の総体を包み焼き、耐性などを超えそうなほどの暴撃と化す。

 どんな存在もブチのめして当然の魔法────“無敵化”の攻撃力に耐えられる存在など存在しえない────だった、はず。

 

「なッ?」

「えェ?」

 

 だが。

 少女は────健在。

 二十一の青輝も、六本に及ぶ万雷も、まったく無視して。

 さらに信じがたい速度で、ルベドは天使群の召喚主たるウォフへの急襲を仕掛ける。

 赤い長髪が、ウォフの背後に。

 誰も反応できない。

 何もできない。

 ──その時。

 

「 さ せ ま せ ぬ !! 」

 

 無数の剣が、縦横無尽に少女のもとへと殺到。

 舞い飛び交錯する刃の輝きは、無尽。その刃の種類は、四つ。

 さらに、

 

「 如 意 神 珍 鉄 !! 」

 

 偽りの(そら)より墜落するがごとく飛来する、巨大すぎる円柱。

 ウォフへと奔らんとしていた暴力へと追突する、ビルのごとき太さと質量の武器。

 叫んだのは、二人同時であった。

 

「「ナタっ?!」」

 

 ウォフとタイシャのかけがえのない同胞にして、最高の物理攻撃力を誇る少年兵。

 蓮の花をイメージされた鎧具足に身を包み、数多くの剣装を(よろ)った戦巧者(いくさこうしゃ)

 

「助太刀します、御二方っ!!」

 

 元気いっぱい、溌剌(はつらつ)と揺れる蒼い髪は、水底のような深い色合いに煌いていた。

 しかし、タイシャとウォフは悲鳴か非難じみた声音で少年兵をにらむ。

 

「バカな! 何故(なにゆえ)にもどってきた!」

「ナタ──カワウソ様の護衛役は?」

「ミカ殿とクピド殿にお任せしました!! それよりも、あの赤いのは!!?」

 

 三人が会話を交わす間もなく──

 

 

 ドン

 

 

 と、荒野の大地に突き立っているようになった杖──如意神珍鉄が、轟音と共に、揺れる。

 地震ではない。

 だが、地震もかくやという激震が、荒野の地を、天使の澱のNPC三人を、揺らしている。

 

「ま──さ──か!?」

「う、嘘、でしょ?!」

「あれは、いったい!!??」

 

 ナタの誇る秘密兵器──巨大化という性質を露わにした円柱のごとき“赤杖”──その先端部が、揺れる。

 異世界の大地……南方の新鉱床を砂山のごとく崩し壊していた少年の武器の重量を、受け止める小さな掌が、ある。

 巨大な杖の先端と荒野の間に立って、少女は如意神珍鉄の一撃を、完全に“掌握”。

 

《 新たな敵性存在を、感知── 》

 

 ナタのあれほどの一撃を受けて、まるでビクともしない荒野。

 武装と大地の狭間で仁王立つモノもまた、小動(こゆるぎ)もしない。

 敵の武器の巨大な影の下で、赫躍と燃えるように──

 赤い少女──ルベドが──

 告げる……

 

 

 

《 殲滅(ターミネイト) 》

 

 

 

 カワウソの世界級(ワールド)アイテム──その効能が尽きる、三分前の出来事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Rubedo(ルベド) -2

/The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.07

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 アーグランド領域・天界山セレスティアの宮殿にて。

 

「……なるほどね」

 

 純白の竜が唸るような声色で感心の吐息を落とす。

 アインズの息子たる王太子・ユウゴ──彼を経由して供されるナザリック内部の映像・第八階層“荒野”での戦闘風景は、いかに白金の竜王たるツアーの知覚能力でも、独力で観覧することは不可能。それがナザリック地下大墳墓という拠点ダンジョンの防衛力……世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”の誇る絶大な防御力のなせる業であった。

 始原の魔法(ワイルド・マジック)を操る竜王にすら、あの拠点防衛の壁を突破することは無理がある──にも関わらず、カワウソは、彼が頭上に浮かべていた世界級(ワールド)アイテムは、そんな不可能を可能にしていた。

 

 八欲王により庇護され、十三英雄のリーダーたちなどと友誼を結んだツアーが推測するに。

 この世界で世界級(ワールド)アイテム同士による激突があった場合、両アイテムの純粋な相性や能力の序列によって、どちらの機能が優先的に働くかが決定される。たとえば、永劫の蛇の指輪(ウロボロス)で叶えられた願いは、同じ系統の効果を持つ熱素石(カロリックストーン)よりも優先的に実現され得ることになる。だが、もしも仮に、それら「願い成就」系統の世界級(ワールド)アイテムを、“完全に打ち消す”ことに特化した世界級(ワールド)アイテムが存在していた場合は、いかに永劫の蛇の指輪(ウロボロス)といえども、歯が立たない。

 

 では。

 もしも仮に。

 ナザリック地下大墳墓の「拠点防衛」に特化した世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”の効果を打ち消す──ほんの一時的にでも無力化する世界級(ワールド)アイテムが存在していた場合は?

 

世界級(ワールド)アイテムにも、場合によっては複数の機能が付随することはあると聞くが……」

 

 実例としては、アインズ・ウール・ゴウン──モモンガが保有する、あの赤い玉がそうか。

 死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)の極みたる彼の世界級(ワールド)アイテムは、本来の効能とは別に、竜を殺すことに長じるという特効機能が付随している。

 そして、第八階層“荒野”を進む異形種プレイヤー・カワウソの発動した、あの赤黒い円環の力は──

 

「自軍勢力に属する存在を“無敵”とする世界級(ワールド)アイテム。それと同時(・・・・・)に、“諸王の玉座”の防衛能力を阻害・無効化するのが、彼の円環だったということ、かな?」

 

 堕天使の種族にはありえないはずの、頭上に浮かぶ赤黒い円環。

 円環はカワウソの手によって、第八階層の(そら)を回り巡る形に発動し、その超絶な影響力を発揮。

 

「自軍勢力を“無敵にする”……か」

 

 ツアーたちが真実、心の底から「欲しい」と願ってやまない力の結晶だ。

 もしかしたらば、カワウソのあのアイテムこそが、すべてを解決へと導く手段たりえるやもしれない。そう思うと、ツアーの数少ない欲望の火が、竜の心の臓腑で、豪然と燃え盛る気配を感じてしまう。

 だが、

 

「……発動時間は、せいぜい10分かそこらというのは、短い気もするけど」

 

 表層で発動した際には九つあった円環の内、すでに八個の円環が砕け散っている。

 これまでの時間経過から計算して、残るひとつの輪にしても、あと一分も持つとは思えない。

 

「ふむ。だとすると……発動条件には『自軍勢力が必要』……」

 

 ツアーは思い出す。

 竜王の友たる十三英雄の(リーダー)が持っていたアレとは、まったく相反する代物だ。

 否。ある意味において、彼のアレも、自軍勢力が必要と言えば必要なのだが。

 リーダーがこちらの世界へ転移する際に所有していた世界級(ワールド)アイテムは、彼曰く「なんで授与されたのか、こっちが聞きたいくらい」だったらしい。

 そして、

 リーダーが持っていたそのアイテムの効能を最大限に利用し、彼らの尽力によって、200年──否、もう300年前の過去に、世界は一度、消滅と崩壊の危機から、救われた(・・・・)。伝説でも風聞でもなく、神話や御伽噺でもなんでもなく、本当に世界を救ってくれたのだ。

 ……………………彼等の犠牲と、引き換えに。

 

「ツアー様?」

 

 人形や工芸品のように精錬された少女の声。

 白金の竜王の娘たるカナリア……当代における竜帝の騎士は、父たる竜王の瞳をのぞき込む。

「なんでもないよ」と返すことが、ツアーにはできなかった。

 白金の竜王は、事の成り行きをひたすら待つ。

 ツアーはすでに300年を待った。

 あと100年、200年、500年の先まで、ツアーは待つことができる。

 

 ツアーたちが犠牲にした、かけがえのない「友」……十三英雄のリーダー……そして、彼の仲間を、救う(・・)──その日まで。

 

 

 

 

 カワウソの世界級(ワールド)アイテム、その最後の輪が、砕けて散った。

 

 そして、第八階層に、天使の足止めスキルの光が、燦然と輝き出す中で──

 

 一人の赤い少女、ルベドの蹂躙が始まっていた。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 頭上の輪が、カワウソの世界級(ワールド)アイテムのエフェクト──その最後の一つが罅割(ひびわ)れ、激しく明滅する。

 荒野の中央各地で七つの星を相手取るガブ、ラファ、ウリ、イズラ、イスラ、アプサラス、マアトから離れた場所で、

 彼ら三人は戦い続けていた。

 

「クソ、また消えた!?」

「ナタ! 貴殿の敵感知は?!」

「ダメです、タイシャ!! まったく読めません!!」

 

 だが、その内容はもはや戦いと形容すべきものではない。

 たった一人の少女を相手に、三体のNPCが、カワウソに創られた存在たる者たちが、まったく決定的な有効打を示せておらず、どういう理屈でか、気がついたときには少女の輪郭を影ごと見逃し見失うという失態を演じ続けている。

 これはありえない。

 見えているはずの敵の存在を、気配を、力量を、様々な手段・方法・アイテムや特殊技術(スキル)などで感得できるはずのウォフとタイシャとナタが、敵の正体を掴むことができていない……そのとっかかりすら、彼ら三人には掴めていなかった。

 

「いたぞ!」

 

 タイシャが雷精霊化によって空気そのものに己を浸透させ、さらには小型の雷精霊を召喚散布することで、広域にまで感覚知覚の網を張り巡らせることに成功。先ほどよりも、より確実に、少女の移動ポイントなどを捕捉することに成功できており、先制攻撃を仕掛けるだけの余裕もできた。

 だが、

 

「なに?!!」

 

 またしても愕然と目を見張るタイシャ。確かに己の視界にとらえ、雷霆の飛び蹴りをお見舞いしようとしていた対象──少女が、影も形もなく消え果てていた。

 どこへ行ったと首を巡らせる、次の刹那。

 

「タイシャ、後ろです!!」

 

 少年兵の警告と共に、分裂刃がタイシャの背後を何十本も交差し、護る。

 少女は無数の刃の威嚇に怯んだというわけでもなさそうな無表情で、またいずこかへと姿を消す。

 だが、その姿を消すという現象が、三人にはどうしても理解不能な事象となっていた。転移の魔法・不可視化や不可知化・幻術幻覚に時間停止などの手段によって、身を隠すといった手法は普通にありえる。だが、転移魔法発動の残滓は存在せず、あれだけの攻撃力を備えた存在が隠形の魔法やスキルを使っても、成功率は著しく低い。溢れ出る濃密な攻撃の気配は、どう頑張っても周囲に存在する敵の感知スキルやアイテムの探査能力などで丸裸にできるもの。ちょうど戦士の直感や熟練兵の勘、〈敵感知(センス・エネミー)〉の魔法やアイテムなどがそれだ。

 にもかかわらず、少女の攻撃軌道や出現地点などは、「少女がそこに現れた」瞬間にのみ、ナタたちNPC三人の知覚力がようやく検知可能という、ありえない状況が続いていた。そのせいなのか、相手の情報──体力や魔力を読み取る魔法やアイテムも通じない。

 なんとか反撃や攻勢に打って出ようとしても、何故か少女への直撃はできず、どれだけの殲滅魔法も、どれほどの物理火力も、少女のドレスの端すら捕らえ壊すことができていない。

 

「もー、なんなのよー、アレー?」

「フン。映像情報で見た通りではあるがな」

 

 タイシャの言う通りだった。カワウソが狂ったように収集し続けたムービーデータ……ナザリックの第八階層“荒野”で起こった1500人全滅の動画内に収められた赤い少女の挙動は、まさに今のこの状況そのもの。カワウソという創造主と同格程度の“プレイヤー”を、一方的に殴り壊し蹴り砕いて踏み殺し続けた、異様な少女。

 ウォフたち天使の澱のNPCに、カワウソの“無敵化”が働いていなければ、間違いなくあの動画と同じ事象が降り注いでいただろう、暴撃の嵐。流星のごとく飛び、彗星のごとく巡り続ける、少女の形をした、破壊力の権化。

 当時、第八階層へ侵入し、動画を撮っていた連中は、撮影班よりも先に荒野を駆け抜けようとしたバカが引き連れてきた少女の烈火のごとき行軍に巻き込まれ、即刻死亡。そうして、さきほどから紡ぎ続けている《 Terminate(ターミネイト) 》という音声だけを繰り出す不気味な存在が、討伐隊本隊へと合流し、「あれら」と共に舞い踊る少女の蹂躙が繰り広げられたのだ。

 

「どちらにせよ!! やることは変わりませぬ!!」

 

 徒手空拳を(たしな)むらしい少女へと、物理攻撃力最強の誉れ高き少年兵が、急速接近。

 が、少女は武闘家や戦士としての名乗りも礼儀も知らぬようにナタを無視し、ひたすら第八階層の侵入者であるところの敵NPCを殲滅する挙に訴えてくるだけ。ナタは「それもまた良し!!」と豪胆に微笑みを深めながら、尋常な勝負にこだわる戦士としてではなく──“ただの敵”として、少女を相手に杖や剣を振るい続ける。

 謎は深まるばかり。

 しかし、それも終わりが近づいてきた。

 

「いよいよだよー」

「もうそんな刻限か」

 

 見上げた頭上で、創造主の力の結晶とも見える巨大な円環が、崩壊の音色と明滅を繰り出している。

 

「結局アレの正体はわからずか……口惜しい」

「ですが!! これは作戦通りでもあります!!」

 

 赤い少女と互角に格闘を演じるナタは、巨大な杖の先端……赤黒い力を宿した武装で、少女を下敷きになるように叩き伏せた。

 しかし、ルベドは如意神珍鉄の轟閃を容易に回避するか防御するかしてくれるので、まったく(らち)が明けないのであった。

 作戦通りという少年兵の言に、ウォフは静かに頷く。

 

「じゃあー、あとはお願いねー、二人ともー」

「ここで見届けるぞ相棒」

「自分もです!!」

 

 あの赤い少女を封じるための“足止め”……そのためのスキルを、ウォフは確実に与えられている。タイシャもそれは同じであるが、足止め役は一体につき、ひとりで十分──というか、重複して敵を足止めする意味がない。ウォフの足止めで少女が縛られれば、あとは残ったタイシャとナタがカワウソたちの行軍に、駿足を駆って合流するだけ。予定よりも十分な戦力が、次の第九階層へと侵入を果たせることになるだろう。

 

「じゃあねー!」

 

 ウォフの笑顔が、機械の翼を羽搏(はばた)かせる。

 世界級(ワールド)アイテムの発動時間が──切れる。

 カワウソの展開した最後の円環は、粉微塵に砕け散り、彼の自軍勢力にカウントされるすべてを護り続けていた力が、消滅。

 ウォフは、ここまで半壊しながらも生き残った同族の五大天使たちを率い、唯一無傷でいる聖霊神の幼女を左腕に抱きかかえるようにして、ルベドと名乗る少女へと、特攻。

 

 

「うぉおオオオオオー!!」

 

 

 そして、

 

 

「   な、ぇ、……あ  ? 」

 

 

 機械巨兵(マシンジャイアント)の左腕が、消し飛んでいた(・・・・・・・)

 

 

「……う、そ?」

 

 その腕に抱いていたはずの幼女……創造の聖霊神(スプンタ・マンユ)……諸共に。

 吹き飛ばされた本人すら、自分の腕が弾け消えた事実に気がつけなかった、神速。

 機械の破片……駆動するモーターやシリンダー、電気回線のケーブルやコードなどから、電気の火花(スパーク)や燃料オイルが、血のように溢れ零れ、それらは光の粒子と化して消え失せる。

 

「「ウォフ!!?」」

 

 悶絶し墜落する同胞の様に驚愕したタイシャとナタ。

 座天使(スローン)にして雷精霊(サンダー・エレメンタル)の種族を併存する僧兵は、雷撃の速度で同胞のもとへ飛ぶこともできたが、それはできないし、やるべきでない。せめて、雷の魔法でもお見舞いしてやろうかとインドラの独鈷を振るうだけ。

 ──ウォフの背後で、機械の大翼を握り千切ろうとする少女の影へと、雷撃が迫る。

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 再び、耳を撫でる少女の声音。

 

「あ?」

 

 目まぐるしく戦場を見渡すまでもない。少女は、ウォフから遠く離れた“タイシャの胸元”にまで、接近。

 あまりにも不自然な、その挙動。一方的にウォフの鎧を、堅牢な機械の左腕を引き千切り吹き飛ばした少女は、その手中にあった天使の巨大な左腕──その残骸を興味なさそうに(ほう)()て、雷精霊(タイシャ)の頭部を割り砕かん勢いの蹴りを繰り出していた。

 

「ごァあ?!」

「タイシャ!!??」

 

 花の動像(ナタ)が愕然とその光景を見る。

 タイシャは精霊化したことで、物理ダメージへの強いアドバンテージ・ある程度の無効化を有するようになっている。──そんな状態の拠点NPCを、ルベドは“蹴り砕いた”のだ。

 

「キ……キサマぁ……ぐぅッ!」

 

 呻く僧兵は左手で顔面を覆う。右側頭部が眼球部分まで砕けたタイシャは、吐血する代わりに電流の火花を唇から零し落とし、手中の独鈷を構えながら、問いを投げる。

 

「貴様は──何者か?!」

 

 少女は答えない。

 訊ねた僧兵は答えを期待していたわけでもないが、問わずにはいられなかった。

 次いで、轟く豪雷。

 だが、少女はすでにタイシャの必殺圏内から脱していた。

 

「クソォォォッ!」

 

 その攻撃力・移動能力は尋常ではない。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の防衛部隊内において“最硬”と謳われるべき能力と装備を与えられた防御役(タンク)──ミカに次ぐ防御性能を与えられた全身機械の天使から、たった一撃で、神クラスの召喚モンスターごと“左腕をもぎ取る”=「部位脱落」という大ダメージを施し…………そしてほぼ同時に、タイシャの精霊化していた肉体を、物理攻撃手段である「蹴り」で打ち砕くなど、それはどんなステータスや仕様(システム)が成し遂げる(わざ)だというのか。

 

「おのれ!!」

 

 同胞二人を手痛く傷つけた少女へ向け、ナタは分裂刃Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳの群れを幾百も飛ばす。が、遠距離戦は不得意な近接職業完全特化の少年には、少女の影をとらえることすらままならない。

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 その一声と同時に。

 

「キャアあああああッ!?」

 

 ウォフの残った右腕──世界樹の槌矛(メイス・オブ・ユグドラシル)を握る腕が、背後からの一撃で吹き飛んでいた。

 少女の鉄拳、その一発で。

 おまけに、ウォフの背中の翼と、彼女の貴重な首飾り……五大天使(アムシャ・スプンタ)たちと聖霊神(スプンタ・マンユ)を召喚せしめた六玉の装身具が、衝撃で抉り壊されていた。よって、残存していた巨大な女天使、その五柱も、召喚アイテム崩壊によるキャンセルを受けて、消滅。ウォフを護る最後の天使群が、消え果てた。

 これを、あの少女の計略と見なすのは微妙であった。

 ウォフは右腕を“肩甲骨ごと”持っていかれ、その軌跡に絡めとられる形で、副次的に首のアイテムが砕け壊れたという方が近いだろう。

 

「この──!!!」

 

 たまらず矢のように走り抜け、片翼となってしまったウォフの援護に飛ぶナタ。

 その少年の前で、ナタを護るように旋回していた浮遊分裂刃の外周が、少女の蹴り足で一掃され、半ば消し飛んでいた。

 折れ砕けた刃の破片が雪のように舞い散る中で、ルベドは一切の感情も感じさせない無表情のまま、ナタへと急襲。

 が、その攻撃の途上で、横っ面を叩くように繰り出されたタイシャの雷霆が走った。

 

「クソ! また逃がし」

 

「た」と僧兵が続ける間に、少女はタイシャの妨害をマネするように、華麗な飛び膝蹴りでタイシャの脳天を狙う。空間を圧迫するような音色。吸い込まれるようにタイシャの頭部が少女の攻撃に蹂躙されかける。

 

「させるか!!」

 

 吼えるナタが伸ばした杖の先端、如意神珍鉄の一撃に打ち払われる──ことはなかった。

 

「なんで?!!」

 

 ナタの杖は、ルベドの身体を“素通り”し、タイシャが迎え撃つように頭上へ振るった雷の右足を蒸発させた。

 

「がぁ、オオオオオおおおおッ?!!」

 

 タイシャの脚が溶けて放りだされ、彼の体力が大幅に減少。

 彼が叫喚と共に、同族の雷精霊を多数招来するが、それもルベドには無力。

 ──もはや、わけがわからない。

 自分たちはいったい、何を相手に戦っているのかすら、判然としない。

 

「ナタ……私、もう、ダメ、だ」

 

 その表情には、天使には似合わない死相がはっきりと刻まれている。

 タイシャの雷撃(ごはん)で体力回復に成功したおかげで、こうしてナタと話をする猶予を得られただけの、半死状態であった。

 

「な、何を言いますか、ウォフ!!」

 

 ナタは一瞬ながら、自分たちの作戦を、“足止め”の役儀を忘れて叫んだ。

 何を言っていると問うまでもない。

 

「……私を、……あいつに、……“殺させて”」

 

 それで、自分の“足止め”スキルは発動する。

 殺されて死ななければ、カワウソから与えられた使命をまっとうできない。

 彼女自身が言った言葉──『この命尽きて、尽きた(のち)に至るまで、創造主(あるじ)(めい)に準じる』時──それが、今なのだ。

 

「それと、耳、貸して……」

 

 ウォフは、機械の早口で告げる。自分が気づいた──あの少女の法則──攻撃パターン──予測され得る最悪の可能性を、少年兵の小さな耳に落とす。

 

「あとは、お願い──ね?」

「ウォフ……何を言って?」

 

 ナタは悔し気に呻き、再疑問する暇すらない。

 

「ぐぉ??!!」

 

 攻撃が当たる寸前、直感で回避したのに、ナタの目の前の空間に爆薬が投じられたような衝撃が奔る。

 吹き飛ばされた先で、僚友の名を呼ぶことは、できなかった。

 

 

「な……ァ?」

 

 

 あまりの光景に、天使の澱のNPCは、全員が全員、目を瞠る。

 膝をついていたウォフの肉体──全身鎧の中心を、赤い少女の掌が、確実に抉り貫いていた。

 巨躯を誇る女の胸を真正面から握り砕く、赤い少女。

 破壊されたものは、機械巨兵(マシンジャイアント)の起動核──コア。

 機械の身体を誇る天使にとって、否、ほとんどありとあらゆる存在にとって、その場所に蔵されたモノへの攻撃は、あまりにも致命的だ。

 ゴシャリという嫌な破壊音が鼓膜を突き刺す。

 

「「ウォフ!?」」

 

 最後の耳打ちを聞かされたナタ。足を再構築する間も惜しんで駆けてきたタイシャ。

 二人ともが、防衛部隊副長たる彼女の、最後の瞬間を、看取る。

 

 

「  ────  」

 

 

 敵を呪う言葉も、友へ祈る声音も、ない。

 壊れた機械が電源を落とすように、ウォフの巨体がガクリと沈む。

 ただ、安らかな笑顔と共に、ウォフは最後の瞬間、敵を縛り止める術理を施す。

 天使と機械の体より漏れ出すのは、“足止め”スキルの輝き。

 そのあまりにも清廉さに満ちた光の束を至近で受けた「敵」は、確実に“足止め”の呪縛を受け入れることに。

 タイシャは片足立ちの姿勢で合掌し、ナタも杖を荒野に突き立てながら、同胞の葬送を務める。

 これで、ウォフの役目は終わった。

 ────終わるはずだった。

 

「……な?」

「そんな!!?」

 

 タイシャは短く声をもらし、ナタは起こる事象を理解できない。

 確かに、ウォフの死体は、“足止め”スキルを発動しようとしていた。

 機械種族と併存されていようとも、天使の死体は、確実に“足止め”の役目を担うにふさわしい光輝に包まれていた。

 

 なのに。

 ウォフの死体から立ち上りかけていた光のエフェクト……“足止め”の縛鎖は伸びることなく、スキルの発動対象を見失ったように、数秒後には掻き消えていた。

 

 足止めスキルは、発動しなかった。

 

 その死体を貫き抉ったはずの下手人を──少女を──目の前に佇むルベドを、完全に無視して。

 

 そうして、天使の澱の防衛隊副長……ウォフという名の女巨兵の死体は、残っていた頭部・腹部・両脚──美しい黒髪の毛先にいたるまで、すべてが光の粒子に変じて、荒野の風に吹かれ消えた。

 しかし、それはありえない。

 ありえないはず──なのに。

 

「そんな莫迦(バカ)な!!」

「こんなはずは?!」

 

 ナタとタイシャは同時に叫んだ。

 しかし、状況はどこまでも事実だけを教える。

 ウォフを殺した少女は、敵の死に何かを感じるでもなく、自分の使命を──務めを──やるべきことを果たしていく。

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 再びの宣告。

 またも、少女の姿が消える。

 

厄場(やば)いぞナタ?!」

 

 (ほう)けかけるナタを叱るように呼び掛けるタイシャ。

 二人は起こった現象を十全に理解する間もなく、速攻でその場から飛び退()いた。

 そして、繰り返される凶行。

 ルベドという少女は、一切の呵責なく、苛烈な徒手空拳の絶技を披露し続ける。

 

「くぁ!!?」

 

 ナタの指先が、少女の必殺拳から逃げ遅れた。彼の右手を包む“(たく)”の一文字を刻んだグローブが剥がれ、武装はルベドの一撃……その余波によって、瞬く内に灰燼と化す。

 無敵状態であればなんとか堪えしのげた豪撃も、今のNPCたちでは一撃ですべてが終わってしまいかねない。直撃など喰らえば、ウォフと同じ末路を辿ることは確定的だ。

 それでも、わからない。

 

「どうして!!」ナタは子供の声で吼えまくる。「どうしてです!! どうして、ウォフの“足止め”が通じないのか!!?」

 

 蒼い髪の少年の問いかけに、赤い髪の少女はやはり答えない。

 答える口がないのか。あるいは、答えるための「意志そのもの」が、存在しないのか。

 そして、タイシャもまた、最悪な可能性に身を震わせるより他にない。

 

「逃げろナタ!」ほとんど全身が雷に変身しかけている僧兵が告げる。「ここは拙者がなんとかしのぐ!」

 

 同僚が応じるよりも先に、タイシャは最後の抵抗を試みる。

 肉体のままの部位……顔面や胴体にまで、雷化の変身を施し、雷精霊の完全変身状態を構築すべく準備を整える。

 しかし、

 

「できませぬ!!」

 

 武僧の実直かつ当然な意見に対し、少年兵は真っ向から反発を懐く。

 

「できませぬできませぬできませぬ!! ここで、自分一人が逃げ延びても意味がない!! せめて、あの赤い少女()の正体を把握するまでは、テコでも動きませぬぞ!!」

 

 ナタは感情的になってはいない。

 実際問題として、ウォフの“足止め”が効かない(発動しない)敵に対し、タイシャまで失敗を喫することになれば、確実に自分たちの創造主──カワウソたちに被害が及ぶ。そうならないためにも、少女をこの荒野の中央で相手取りつつ、その正体を、弱点を、対抗策や停止手段を、何でもいいから探り当てておくことは、何よりも優先される。

 あれの速度や移動能力は、確実にこの階層の侵入者を捕らえる……ならば、今も鏡に向かって進軍しているはずの主人のために、ここにとどまり戦った方が、無策に逃げるよりも数億倍マシである。

 ナタの言わんとしていることを、その挙動と意気によって悉く理解したタイシャは、重く頷く。

 

「では! 同時にやるぞ! しくじってはならぬ!」

 

 少年は僧兵の指示に「応!!」と頷く。

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 宣告と同時に、少女が消える。それはもうわかっている。

 そして、少女は確実に、二人の背後から強襲をかけてくる。

 速度についてはかなりのステータスを誇るタイシャとナタ──その二人の反応速度で振り返った先に、赤い少女の拳が迫る。

 

「ここ!」

 

 合図と共に、“ナタだけ”が前方に向き直る。

 タイシャと背中合わせに敵の襲来を待つナタの視界に、少女の姿が。

 

「そちらが“本命”か!」

 

 吼えて独鈷の雷霆を振り回すタイシャは、“背後には目もくれず”に、背後の少女を雷で薙ぎ払う。雷精霊の空間認識力をフルに利用した一撃と共に、ナタの杖が鋭く伸びる。

 

「当たりのようです、な!!」

 

 大気を(つんざ)く放電熱にさらされながら驀進してきた少女の中心を、ナタの赤い杖が突き砕く……かと思われた。

 

「なぬ?!!」

 

 攻撃は、素通りしていた。

 この現象は、先ほどから数多く繰り返されてきた。

 ウォフの槌矛が、ナタの剣や杖が、何一つとして有効打にはなりえなかった。

 しかし解せない。

 今もまるで幻影か霊魂のごとく実体を失う敵──だが、彼女はナタの物理攻撃をはじき、巨大化した杖の先端を抑えこみ、数多の剣閃を吹き飛ばした。その能力は、確実に物理攻撃系統に位置する事象。

 つまり、これは────どういうことだ?

 単純に「無敵」の存在なのか?

 そんな存在をアインズ・ウール・ゴウンは飼っていたのか?

 

「この!」

 

 タイシャの雷系魔法で、ルベドはまたも消える。

 その間ナタはウォフから死に際に耳打ちされていた内容を、脳内で反芻(はんすう)する。

 

 アレは『回復や強化の気配を読んで攻撃していた』こと。

 アレは『魔法の属性──“風”と『善』を読み上げていた』こと。

 アレは『こちらの物理攻撃・魔法攻撃を、選択的に無効化していた』こと。

 

 そして……

 

「まさか──まさか、ウォフが言っていた、アレは!!?」

 

 そういう意味だったのかと理解した瞬間、戦慄が花の動像(フラワー・ゴーレム)の背筋を凍らせた。

 

「どうした!」

「いけませんタイシャ!! ウォフが最後に言っていたこと、それがようやくわかりました!!」

「何? どういう」

「ウォフは言っていたのです!!」

 

 あれは

 

「ぐぎゃああああああああアアアアアッ!!??」

「ッ、タイシャ?!!」

 

 説明する間もなく──否、説明を聞こうとしたのがマズかった。意識を同胞の声に向けたスキを突かれ──少女の手刀の一撃だけで、タイシャの右の脇腹が“もっていかれる”。

 ナタは遮二無二なって分裂刃を飛ばすが、アレに通じるわけもないと、これまでの戦闘経過で思い知っている……それでも、やらねば気が済まなかった。

 

「が ギ……ナタ はッ 逃げ ろ……あと 拙者がっ!」

 

 体躯をごっそり抉られながらも発話できる天使と精霊の混合存在は、まっすぐに敵の少女の赤い輪郭を瞳に焼き付ける。

 黒い僧衣の裾を脱ぎ払い、その引き絞られた上半身の筋肉美を惜しげもなく(さら)す。抉り消えた脇腹からは、電光のごとき天使の粒子がパラパラと零れ落ちていた。

 

「これが最後だぁッ!」

 

 轟雷が降り落ちるかのような閃光。

 タイシャのすべての部位……顔面も手足も胴体も何もかもが、“完全雷精霊化”によって紫電の光輝を(ほとばし)らせる。

 しかし、ナタは同胞を止めようと声を荒げた。

 

「駄目です、タイシャ!!」

 

 アレに“一人で挑んではいけない”!

 そう告げる間にも、体力の減耗著しいタイシャの思考能力は、確実にすり減っていく。

 彼に与えられた職種の内でも禁忌的なステータス増幅を狙えるモノ──狂戦士(バーサーカー)

 体力減耗、瀕死の重傷を負った際の常套手段を、武僧は最後の最後で披露する。

 背中より迸る雷光が、まるで双翼のように天を焦がした。

 

「ぎ、ぎ、ガガ、ぎぃぃぃいいいいいアアアアア──────ッ!!」

 

 発動されたものは、狂戦士化したタイシャの固有スキル“迦楼羅(カルラ)

 自己の全ステータスを、速度と攻撃のみに変換し尽くす特殊技術(スキル)。この特殊技術によって、彼の速度と攻撃は、理論上ステータス上限の三倍にまで増強できる。だが、その代償として、体力や魔力は勿論、あらゆる防御や耐性の数値が限りなくゼロに近づき……HPやMPはたった一目盛分と化す。即ちそれは、敵の攻撃を受けた瞬間に、タイシャの敗北が、死が、確定することを意味しているのだ。

 だが、これほどのステータスがなければ、もはやアレには届かない。届く気配すらない。

 神鳥の名のスキルを身に宿したタイシャは迷わなかった。躊躇も逡巡もありえなかった。

 自分が倒れ消え果てるとしても、こいつの正体を暴き、この極限状況で何とかナタが勝てる光明を導き出さねばならない。

 どの道、タイシャの状態は一撃も持たぬ体力(HP)しか残っていなかったし、魔力の消耗も厳しい。ならば、ここでせめて、一矢報いることができるはずの、タイシャにとっての最善の策を尽くすほかなかった。そのための狂戦士化……そのためだけの“迦楼羅”の発動であった。

 すべては、あの少女を──ルベドを食い止めるために必要な手段。

 そのために、タイシャは喜んで命を蕩尽(とうじん)できる。

 決意と殺意を込めた声を振り絞った。

 

()く」

 

「ぞ」と宣告することすら、アレは許さなかった。

 

「…………ご……ぁ?」

 

 最優先殲滅対象に認定されたタイシャの心臓部が──紫電という非物質・自然現象に変じたはずの身体の中心が──何の抵抗も摩擦も感じさせないほどの速度で、“穿たれ”、“貫かれていた”。

 ステータス上限の三倍にまで強化された、雷の狂戦士の反応速度を、完全に無視して。

 

「ぉ──ぁ──あア?」

 

 起こった現象を(さと)るのに、貫かれた本人(タイシャ)までもが、気づくのが遅れていた。

 心の臓腑を抉る、真紅の腕。戦槍のごとき貫手。捩じ込まれる暴撃。

 自己の存在の核(クリティカル)となる部位に奔る、圧倒的な破壊の力。

 ──死。

 

「そ──う、か──そう、いうこと、か……キサマぁ!」

 

 あたりまえなことを確認した瞬間、タイシャは少女について確実な結論を悟り、声の限りに、叫ぶ。

 

「ッ……ナ──タァッ! こ こいつ っ あ アアア …… ── 」

 

 しかし、もはや、言葉を構築することも出来ない。

 天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に属する唯一の仏教系(ブッディズム)NPC──軽装戦士の斥候、突撃能力に秀でた『魔法火力役』の僧兵として戦い続けた黒髪の有髪僧……タイシャは、死んだ。

 座天使(スローンズ)雷精霊(サンダー・エレメンタル)の混合NPC……その死体は、ほのかなスパークの閃光と化して、消滅した。

 

 死体は、(のこ)らない──残らない。

 やはり……足止めのスキルは、発動しない。

 

 タイシャの足止めが、発動していないわけではない。

 奴には(・・・)発動しないのだ(・・・・・・・)

 

「──わかりました、……わかりましたよ。……ウォフ、……タイシャ……っ!!」

 

 アレの、正体が。

 

「剣たちよ!!」

 

 叫ぶ少年兵に応え、彼の剣装が解き放たれる。

 真円を描く分裂した四層の剣群。ドリルのごとく旋回する斧戟の総軍。

 如意神珍鉄と火尖槍を脇で構え、花の動像の全力全開全身全霊を賭して、──突撃。

 

《 Terminate 》

 

 応じたわけでもなく、ルベドは無手のまま、強烈な武装群に身を包む少年兵と、交錯──する瞬間、彼の誇る伝説級(レジェンド)武器である赤杖と炎槍──物理攻撃と魔法攻撃の連撃が繰り出された。

 だが、ナタの攻撃は、盛大に空振りに終わる。

 

「くそッ??!!」

 

 二振りの連撃は、ナタの出せる最高速度……戦士職業でも最上級レベルのものでなければ捕捉不能な神速の打撃斬撃の連続放出。

 物理ダメージ特化の“杖”と、炎属性魔法攻撃を加える“槍”──

 

 それらの先端が、ルベドの両手に叩き込まれた後には、真っ黒に変色し、刹那の内に(ほど)け、砕け、消えていた。

 

 カワウソが与えたナタの武装の中でも、かなりのレア度を誇る──主人のかつての仲間が使っていたという大切なアイテムが黒焦げに炭化し、もはや何の使い物にもならない。呪われた騎士(カースドナイト)粘体(スライム)種の武器(アイテム)破壊とは、また違う現象。武器がまるで熱源に突っ込まれたように黒く焼かれ、そして(ほつ)れ尽きていったのだ。

 しかし、ナタは自失する猶予すら与えられない。

 少女の紅のガラスで出来た靴──翻るスカートの奥より迫り来る赤い爪先(つまさき)が、少年兵の肉体を鞭打つように振るわれた。

 

「チィッ!!」

 

 避けるナタが幾分悪感情に染まった表情で、策を弄する。

 半ば壊れ朽ちた杖を「伸びろ!!」と言って長大に伸ばす。

 伸びた杖の柄につかまって、ナタは戦場を跳ねるように、飛ぶ。

 少年の悪足掻きは、しかし、少女の身体──慎ましい胸元を素通りしていくだけ。

 ──その瞬間こそが、好機。

 もはや、これしかない。

 

「うあぁ!!」

 

 頭上から魔法攻撃の炎を纏う槍刃を(なげう)ち、伸びた杖を素通りさせ続ける少女を、音速で襲う。

 

 物理攻撃を無効化している状態であると仮定するならば──その間は、魔法攻撃を無効化していることはできないはず。

 ユグドラシルのPCやNPCに、“完全な弱点対策”は、ありえない。

 何らかの弱点や対策抜けは「あって当然」の構図に過ぎない。

 ナタは、その可能性に賭けた──賭けるしかなかった。

 その結果は、

 

「──ダメ、ですか!!」

 

 手応えが――ない。

 それは、まるで影の手を掴むように、空に向かって拳を振るうように、何の感触も伝えてこない。

 火尖槍も如意神珍鉄も、いまや完全にボロクズ同然と化して、ナタの掌からバラバラと零れ失せた。

 つまり、この現象が意味することは──

 ルベドの正体とは──

 

「こいつは、“自分たちと同じ(NPC)”じゃあ──ない!!」

 

 最悪の事実。

 それを理解したと同時に、ナタは飛び退く。

 真紅の手袋の拳撃を正確に見切り、完全に回避。

 射出した剣の群れ“浮遊分裂刃Ⅰ~Ⅳ”、空中に追随し旋回する斬妖剣(ざんようけん)砍妖刀(かんようとう)縛妖策(ばくようさく)降妖杵(こうようしょ)綉毬(しゅうきゅう)火輪(かりん)からなる“六臂(ろっぴ)の剣”、さらには乾坤圏(けんこんけん)戦輪(チャクラム)に至る全武装が、確実に少女の中心を、身体を、存在を貫いていった。

 しかし、紅蓮のドレスはいかなる痛痒も感じず、損傷も負っていない様子で、ナタに拳を振るってくる。

 

 (すなわ)ち、物理攻撃完全無効。

 ……否。

 アレには、そういうスキルや特性など、ない。

 

 ……“NPCではないのだから”。

 

 おまけに、花の動像(フラワー・ゴーレム)の特性で伸びた蔓製の四腕と共に握った六臂(ろっぴ)の剣は、少女の肉体を斬りつけ穿ち抉ろうとした瞬間に、武器破壊の豪熱によって溶融する始末。二つの戦輪からなる乾坤圏は、少女の“手”を確実に抉り切る速度で回転しながら……その手に触れるでもなく、とけたバターのように崩壊。

 ナタは咄嗟に、三枚の大きな盾を招来させ重ね合わせるが、それらすらもルベドと名乗る少女は砕き、少年兵へ必殺ともいえる拳撃を叩き込む。

 

「ぐ…………ぎぃ!!」

 

 回避が間に合わない。

 腕がへし折れ、右肩が抉れるように吹き飛ばされる。右腕はかろうじて脇の肉で繋がっているが、これでは部位脱落と変わりない。肩から先の感覚は消え失せ、もはや攻撃には使えない。

 ナタは目の前の存在の正体に気づき、無事な左腕を振るって、数多の剣群を三度射出。

 

 それらはやはり、ルベドの身体を捉えることはなかった。

 

 通り過ぎた剣の群れを呼び戻す。ナタはルベドの繰り出す必滅の拳を、感覚のない右腕を半ば鞭のごとくしならせ、突き出される攻撃の盾とする。衝撃で崩れる右腕は、白い花弁と、黒い消し炭に置き換わる。そして、少年は目の前にある戦闘中の少女──その無防備な背中に、自走・飛来する剣を突き入れていこうと図った。

 だが、

 

「ぐぇっ、オァぅ……!!」

 

 剣は、ナタだけを貫いていた(・・・・・・・・・・)

 ナタの目の前にいる(・・・・・・・・)ルベドを、「素通り」して。

 少女はそんな少年の狂態を笑うでも蔑むでも憐れむでもなく、まるで機械のような……否、まるで暴風雨であるかのような超自然とした無表情で、眺めているだけ。

 

「が、ぁ……お、ま、え、ッ!!」

 

 ナタはルベドの“手”を風火二輪(ブーツ)の爪先で蹴り飛ばし、自分を貫く自分の剣に、新たな命令を下した。

 

「ぐぅ、ああああ、──ああああああああああああああっ!!!!」

 

 剣は、ナタから引き抜かれることなく、むしろ“より深く”、持ち主である少年を貫き、抉った。

 そうして、ナタは剣群に貫かれる勢いのまま、遥か後方へと加速する。

 ルベドを荒野の園に、置き去りにして。

 

「……来い!!」

 

 ナタは、別に逃げているわけではない。

 

「来い!!」

 

 むしろナタは、自分に与えられた使命を、役割を、その完遂を第一に考え、そのように行動していた。

 

「来い……来い……来いッ!!!」

 

 ナタの敵意に釣られるように、少女は機械的に行動してくれる。

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 ナタの目的──それは、荒野の赤い少女・ルベドの「足止め」に終始する。

 

 だが、ウォフやタイシャたちの足止めスキルが通用しなかった今、ナタはまったく別の方法で、ルベドの“足止め”をしなくてはならなかった。

 ナタの選択した足止め方法とは、実に単純。

 

『一秒でも長く、あれの相手を“し続ける”こと』

 

 そして、一メートルでも、一センチでも、一ミリでも、いい。

 

 師父(カワウソ)たちの傍から、少女(ルベド)を引き離すこと。

 

 これまでの行動パターンから察するに、ルベドは逃げる敵にも容赦なく、呵責なく、慈悲も理解も、無慈悲も無理解も、何も抱いていない瞳で、敵を鏖殺(おうさつ)し続けるだけの存在だと知れた。

 影のように当然に、光のように突然に、

 奴は、絶対、必ず、自分(ナタ)を追っ

 

「ゴッ、バァ、っ!!??」

 

 星が降るような速度の紅い突貫が、ナタの左腹部をもっていく──花の動像の華奢な矮躯を、完全な“消し炭”に変えていた。

 

「があ、ああああ……アァァ……ッ!!」

 

 いくらLv.100の拠点NPCでも、花の動像(フラワー・ゴーレム)というレア種族であろうとも、もはや継戦能力など絶無な状態になる。これがたったの二、三撃で行われた威力攻撃だとは信じがたい。しかし、ナタのもつ“光合成”や“魔法吸収”……体力回復の能力のおかげで、体力(HP)は未だに残されていた。

 

 ──そう。

 あれは物理攻撃と魔法攻撃の、ありえないような“融合攻撃”。

 だからこそ、これほどの力を、ナタたちLv.100NPCを砕き抉る暴威を発揮できる。

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 つまり、

 ナタは、まだ、まだ死ぬことは、できない。

 

 それでも、否、だからこそ、ナタは「自分(ナタ)にできる足止め」を続けていく。

 

 薄れ始める意識の中、ナタは自分をそのように造ってくれた創造主に、感謝をささげる。

 

 まだ終わらない。

 まだ終われない。

 

 まだ、

 まだまだ、

 自分は、戦える!!

 

 自分を縫い付け飛翔するための幾百にもなる剣群も、あれの拳の破壊力で、五分の一にまで減じていたが、ルベドへ向けて僅かな悪意と殺意と敵意を込めて、ひとつ刃を刺し向ける。

 そうする度に、剣は砕かれ、ナタは抉られ、失われた武装の分だけ、彼の飛ぶ速度と距離は減じられていく。さらなる突貫が四度。衝撃をまともに受けた──迎撃のために蹴り振るった両脚が武装諸共に崩れ去り、もはや得意の格闘戦に持ち込むことすら不能の、左腕だけ残ったダルマと化す。

 顔面……頭部だけは無傷で済んでいるのは、そこを完全に破壊されては、さしものナタであっても、ゴーレムの即死条件のひとつを満たし、活動は停止してしまう──奴を、足止めできなくなる──から。そこと心臓のある胸部は、周囲を踊り舞う剣群と防具を巧みに操り、己の手腕と同じ道理で、奴の攻撃を受け流す……には、あまりにも過剰な拳の威力であったため、僅かに軌道を反らすことに成功してこれただけ。それも、あと何分……何秒……何撃後までしのげるか、どうか。

 

 それでも、ナタは自分の戦いを続けていく。

 

 ウォフが死に際に教えた、ルベドの性質。

 タイシャが最後に伝えた、ルベドの本質。

 

 ……あの“手”。

 

 それらはもはや、ナタたち程度の存在では覆しようのない事実を告げていた。

 

 それでも、ナタは、任務に、使命に、役割に、ただ、ただただ、──生きる。

 

 (そら)漂う巨星へと伸びる、七つの光柱を遠目にしながら、ナタはルベドを引きつけ続ける。

 減り続ける剣群に自分を縫い付け、浮遊し飛空する刃で、無茶苦茶な軌道を描き続ける。

 

 吹き飛んだ右肩と両脚、抉り取られた腹、全身に刻まれる戦傷から、白い花弁を零し散らしながら、ナタは思う。

 

 あれほどの脅威を──ルベドと名乗った少女を「消し去ってみせた」というものを、

 荒野の上空に佇み停止する「惑星たち」を、

「第八階層のあれら」を、

 

 マアトが、

 アプサラスが、

 ウリが、

 イズラが、

 イスラが、

 ラファが、

 ガブたち──皆が、

 

 今、死に果てながら、“足止め”してくれて、いる。

 

 ならば、

 せめて、

 自分も、

 自分たちも──

 

師父(スーフ)の、──創造主(あるじ)の──!!」

 

 あの方の──

 

「お役に!!!!」

 

 

 

《  Terminate(ターミネイト)  》

 

 

 

 平坦な声と共に。

 ナタの中心を、動像(ゴーレム)の核たる部分……「胸の心臓」と、知性と意識を宿す部分……「頭部の脳」を、互いに繋ぎ止め、繋がりあい、戦闘活動を可ならしめる結合部──致命箇所(クリティカルポイント)の「首元」を、どこまでも紅く細い少女の指先が、貫いた。

 

 

「  う゛ が、 あ …ア… ……ァ  ──────Aa  」

 

 

 砕き折れる花の声。

 痙攣(けいれん)のように震える蒼い髪。

 動像(ゴーレム)のほぼ中心を背後から穿ち抉った掌を、かろうじて動く左腕で反射的に掴み、残った親指と半ばだけの中指と薬指で、ガチリと握る。

 

「 すいませ 師 ……必ず、戻る゛、言っだ、ノ、ニiiii── 」

 

 事切れ壊れる花の動像(フラワー・ゴーレム)が、足止めを続けた先の眼下で。

 ナタが、最後の最後に見た、あまりにも、美しい、もの。

 ()しくも、彼と同じ花の────

 

 

 

 

   桜 、

 

      の 、

 

          木    が    ──────────────

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

  殲滅対象の完全停止、確認。

   重要防衛対象“桜花聖域”、健在。

    問題──「神の見えざる手」に敵性残存物質(ひだりて)が、付着。

     【神人合一】システム、再探査──完了。戦闘行動に支障なし。

 

  至急、警報。さらなる殲滅対象を、検知。急速移動中。優先度、最大。

   付着中の死体(オブジェクト)処理──移動後に排除可能。最優先任務、遂行。

    第九階層接続転移鏡(ゲート)周辺、計三体の殲滅対象を、捕捉。

     最優先事項──『侵入者の完全殲滅』──承認。

 

 

 

 

 

 

 

《 Rubedo(ルベド)は、殲滅を開始します 》

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、第八章最終回。


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Rubedo(ルベド) -3

第八章 第八階層攻略戦 最終話


The war to breaks through the 8th basement “The wilderness” …vol.08

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 アインズは玉座の間で、守護者たちとちょっとした押し問答をしながら思い出す。

 カワウソのおかげで、100年前の皆との思い出が、次々と心地よく脳内を駆け巡る。

 

 その中のワンシーン。

 

 

 

 

 Magnum oups(マグヌム・オプス)──

 このラテン語は、英語ではThe Great Work──「大いなる(わざ)」と訳される。

「大いなる業」とは、一般的には芸術作品などの「大作」や“傑作”を意味する言葉であるが、こと錬金術においては「卑金属を貴金属……つまり“金”へと錬成する」または「“不老不死”をもたらす霊薬の精製」あるいは「“賢者の石”という完全な物質を作り上げる」作業を指す。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに属する“大錬金術師”タブラ・スマラグディナ。

 

 彼が作り上げた……三人の姉妹。

 

 長姉たる「ニグレド」は“黒化”を、

 その妹の「アルベド」は“白化”を、

 そうして、

 彼女らの妹である「ルベド」は“赤化”を、それぞれが意味している。

 

 以上この三工程(あるいは四工程)──“黒化”・“白化”・“赤化”の状態変化をたどることで、錬金術師は自らの至上命題たるモノの錬成……賢者の石と呼ばれる完全なる物質を生成──つまり、“大いなる業”を成し遂げることが可能であると伝承された。大いなる業で錬成された物質を、卑金属と混ぜ合わせることで黄金が生み出され、また、これを溶かした液体は万病を退(しりぞ)け、服用者に不老不死をもたらす万能薬にもなったと。賢者の石は、最終工程段階“赤化”の赤色をしていると考えられ、その様子はルビーのような宝石であったり、あるいは石と呼ぶには不適格な「液状」であったりもしたと様々な文献に散見される。

 

 そして、このナザリック地下大墳墓において、

 

 情報系魔法詠唱者として第五階層に配された、黒い「ニグレド」──

 拠点NPCの頂点・守護者統括として第十階層に配された、白い「アルベド」──

 

 この両者の妹としてタブラ・スマラグディナが創り上げた、赤い「ルベド」に限っては、姉たちどころか、他の全NPCとはまったく異なる創造方法によって構築された存在であり、長姉ニグレドはそれ故に、仮にも妹であるルベドのことを“スピネル”──「偽物」「まがい物」「ルビーと紛らわしい石」と称して、誰はばかることなく忌み嫌うようになっている。

 

 ニグレドは、ルベドのことを蔑み予言した……ナザリックに災いをなすクズ石と呼んだ。

 アルベドは、ルベドのことを慈しみ護った……あの娘は決して害にならないと確信して。

 ──この両者の認識の違い。

 ──それが、100年前のあの『事件』の、小さな火種であったと言える。

 

 姉妹に共通した“黄金”のようにきらめく瞳、“不老不死にして不滅”の存在、“賢者”のごとく超然とした佇まいや雰囲気……子への執着と愛着を示す、人間の母のごときニグレド……設定文において『元々は最高位天使として作り出される計画であった』とされる、女神のごときアルベド……姉二人はたびたび「狂った」ような感じになるが、ルベドは「話が通じない」「冷酷な“狂”戦士」「怪物」のごとき挙動という点では、彼女たちと驚くほどよく似ている。タブラ・スマラグディナが制作した姉妹は、確実に製作者の思いによって結ばれた者たちであったわけだ。

 

 だが、ルベドは、拠点NPCとは根本的に異なる存在。

 

 赤いドレスを身に纏う少女──ルベドの根幹をなすシステム。

 

 それは【神人合一】

 

 神と人、

 無限と有限、

 ないものとあるもの、

 完全と不完全が、ひとつとなることを意味する言葉──それが、ルベドの本質であり、彼女の性質であった。

 

 

 

 

 

 ルベドが、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバー数人へと、初お披露目された日。

 

「……嘘でしょ?」

 

 あの日、モモンガは呆けた声で呟いていた。

 

「ちょ、こんなのチートじゃね!?」

「たっちさんがガチで負けるとか、ありえないって!!」

「どんだけナザリックのリソース食ってたんだよ、タブラさん?!」

 

 全員が、第八階層に設置されることになった「赤い少女」と、その少女の制作を一手に担ったメンバー・蛸の水死体のごとき異形種プレイヤーを取り囲んだ。

 

 第八階層で待ち受けていた赤い少女に、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンにおいて近接職最強と謳われる男──モモンガの大恩人──アルフヘイム・ワールドチャンピオン──たっち・みーが、あろうことか、“敗北”を喫したのだ。

 お披露目に参加したメンバーたち全員が恐懼(きょうく)と畏怖に身を震わせ、感情(エモーション)アイコンを浮かべる余裕すらなく、問い質した。

 

「……ワールドチャンピオンに『土をつける』とか、ありえなくないですか?」

 

 ライバルが戦闘不能に陥った事実に、嬉しいやら悔しいやら判然としない声音で、魔法職最強の大悪魔(ウルベルト)が唸る。

 ルベドが手加減して、HP残量1の死亡ギリギリのところで寸止めするように調整(プログラム)されていた模擬戦闘は、戦いと呼ぶのも憚りがあるほどの、ただの蹂躙劇でしかなかった。

 

 そのときは、全員が呆気にとられながら眺めた。

 

 ワールドチャンピオンたるたっち・みーの鎧や盾に守られる体を、いとも容易く吹き飛ばす、少女の拳。対個人戦闘において超絶の戦闘力──ガチの肉弾戦で最強のプレイヤーと評される男を、ただの少女じみた存在が、完封。管理権限の掌握コード……ギルマス権限によって模擬戦闘を中断しなければ、たっち・みーはゲーム内で死亡していたような(模擬戦でそんなことはおこらないはずなのに)、そんなありえない予感しか湧きたたなかったほどの、暴撃の連鎖。

 

「……こっちの攻撃が通じない、ゲームでの『無敵』というのは、ここまで恐ろしいことだったとは……」

 

 驚きですと感心しながら、珍しく肩で息をし片膝をつくほどに消耗したらしい聖騎士が、それまで無感動に無感情に無表情に拳を交えていた少女を、眺め見る。

 ただのNPCだと思っていた。

 タブラから呼び出され、「対個人戦闘用」に特化した存在として、ルベドのお披露目を受けたメンバーたちは、まるで「してっやったり」という笑顔の感情アイコンを浮かべる蛸頭を凝視する。

 

「すごいでしょ? うちのルベドは?」

 

 ただ、と言って、タブラはルベドの頭──紅玉(ルビー)のごとき真紅の髪を撫でるように水かき付きの細長い手指を伸ばした。

 そのタブラの指が、ルベドの頭を「素通り」する。

 それはまるで、空間に投影された立体映像のよう。

 

「だますみたいな感じになっちゃって、すいません。けれど、どうしてもこの()をナザリックで作ってみたくて」

 

 タブラは言い募りながら、映像のような少女の肩や胸にも掌を透過させていく。少女の胸から細長い異形の指が伸びているさまは、実にスプラッターホラーのような雰囲気であるが、少女は無表情のままでいる上、そこに見えている物は、すべてが映像……虚実の影に過ぎない。

 NPCであれば、こうはいかない。ゲーム内のNPCは、DMMO-RPGで遊ぶプレイヤーの身体と同様に実存を与えられたキャラクターであり、ただ、その中身がプレイヤーでない(ノンプレイヤー)というだけの存在。()れようと思えば()れられるし、敵のNPCの肉体を適正な手段で攻撃すれば、ヒットダメージを与えられる。これが味方のNPCでも、同士討ち不可能なゲームなので「0point」表記が浮かぶ。ちょうど、机や椅子のようなオブジェクトと同様に、ゲーム内に厳然と存在するモノなのだ。

 なのに、目の前の少女──完全停止中のルベドは、体の“ある部分”を除いて、すべてが「素通り」してしまう。これだけを見れば、少女は亡霊(ゴースト)死霊(レイス)などの非実体の存在にしか思えないが、たっち・みーを吹き飛ばしていた“手”を、タブラの細い指先が、まるで宝石を取り扱うような手つきで“撫でることが可能”なのは、おかしい。ありえない。

 タブラは誇らしげに説明する。

 

「対個人戦闘……理論上、近接職最強のワールドチャンピオンにナザリックが攻め込まれても、この()をぶつければ、ご覧の通りに安心ってわけです」

 

 ワールドチャンピオン、たっち・みーさえも凌駕する──“相性勝ち”可能な戦闘力の発揮。

 タブラが構築した、完全停止状態の少女は、初見では間違いなくNPCやモンスターだと錯覚を起こすように、製作者である大錬金術師が、丹念に入念にこしらえた──ナザリックの防衛機能を担う“システム”であった。

 もしも、このナザリック地下大墳墓が──ギルド:アインズ・ウール・ゴウンが、上位ギルドなどに属するワールドチャンピオンなどから本格的に敵対され侵攻された場合、その秘密兵器として、タブラが設計からグラフィックまで用意したのが、この少女(ルベド)であった。

 モモンガは「あっ」と気づいた。

 

「じゃあ、ナザリックの自由設計データ──あれだけのデータ量を使い込んだのって……?」

「そう! まさにそのために! あれだけのデータ量が必要だったんですよ!」

 

 タブラは、いの一番に気づいてくれた友に、言祝(ことほ)ぐかのごとく頷きを返す。

 モモンガたちは一様に納得してしまった。

 

 ナザリック内部のギミックの二割──五分の一を作り込んだ彼のせいで、結構な自由設定データ量を食いつぶされ、他のメンバーからブーイングが出た際、タブラ自身が課金アイテムを買い集めることで、使えなくなった分のデータ量をなんとかした。

 

 

 だが、ふと疑問が浮かぶ。

 

 

 いかに広大なナザリック内部のギミックの、その二割──たった20%を作り込んだ程度で、他のメンバーから苦言が飛ぶほどのデータ量を使い潰せるものだろうか? これが半分の50%やそれ以上ならばいざ知らず、タブラ・スマラグディナが請け負ったギミックは……繰り返すが「二割」だけ。

 もう一人のギミック担当や、ちょっとした“お遊び”程度に協力したメンバーたちで、残りの八割を請け負ったはずなのに、タブラひとりだけで、それだけのデータ容量を食い尽くすなど、常識的に考えてありえることだろうか? メンバーのなかには「まさか、タブラさんはとんでもないモノを作っているのでは?」と疑う者もあり、それが運営にギルドごとBANされるような代物であったらと思うと、居てもたってもいられなかった。

 

 

 しかし、その答えはとんでもない形で披露された。メンバー全員の理解と納得を得ることができた。

 ナザリック最強を誇るプレイヤー、ワールドチャンピオンたる正義漢、たっち・みーに伍するシステムを構築したとあっては、「やむなし」という認識である。

 

 少女の神がかった戦闘。

 暴風雨のごとき蹂躙性。

 ワールドチャンピオンを単身で迎撃可能なモノ。

【神人合一】を体現した、一人の錬金術師(プレイヤー)の最高傑作。

 そうして、タブラ・スマラグディナという“大錬金術師”が膨大なデータ量を消費して完成させたのが、このナザリック第八階層に設置された存在。

 

 

 

 ──神の暴威と人の形状の融合物……ルベド。

 

 

 

 第八階層の“荒野”をさすらう赤い色の少女は、──拠点NPCではない。

 

 その正体は、言うなればナザリック地下大墳墓の“ギミック”に相当する。

 NPCよりも道具じみた、NPCを正確に真似しただけの、“立体映像装置”の類……あるいは各階層に存在するフィールドエフェクト──“敵を攻撃する自然現象を、少女の姿に擬人化したモノ(・・・・・・・・・・・・)”。敵を凍えさせる氷雪や敵を燃焼させる溶岩が、少女の姿に転じたようなイメージが近いだろう。

 

 だからこそ、ルベドの脅威的な移動能力は──否、移動能力というのは不適切である。

 ルベドは、この荒野に存在する侵入者すべての傍にいるもの(・・・・・・)

 太陽の光、驟雨の雫、氷河に降る冷気、火山に満ちる熱──それと同じ(・・)

 ルベドは移動していたのではなく、いわば、この第八階層“全域”に存在しているモノ。

 まさに【神と人が合一】したモノ。

 神のごとく傍近くに降り立ち、人の形状で暴虐を振るうシステム。

 NPCに似せるために、わざと、移動している風に動作することで、敵の目を欺き攪乱しながら、侵入者を必ず滅ぼす挙を確実に成し遂げるためのシステムの(わざ)が、今回の戦闘でも遺漏なく発揮された。

 

 彼女はNPCのような実体と実態を持たず、製作者にプログラムされた通りの行動と言動を少女の映像として投影しているだけの、ただの影法師。

 

 その手足……攻撃手段として振るわれる暴力の発生機関……ナザリック内部の世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”と繋がった「神の見えざる手足」こそが、彼女の本質たる殲滅能力・物理攻撃と魔法攻撃の“同時攻撃”を支えるもの。その手足で貫き砕く対象は、何者であろうとも防ぎようはなく、また、繰り出される敵の神器級(ゴッズ)以下の位に位置する武器や防具を瞬きの内に蒸発・炭化……崩壊させることが可能という“神”の権能──無敵の暴虐を行使できる。そして、ギミック故に、彼女を発生させる“本体”の装置類(アイテム)を持ち歩けば、ナザリックのどこにでも配置することが可能となっていた。

 

 故にこそ。ルベドは「最強」たり得た。

 

 どんなに攻撃しても、ルベドの体躯を吹き飛ばすことは不可能。

 そもそもにおいて、ルベドにはそういった体躯が、体力(HP)などのステータスが、元々そなわっていないのだから。

 

 どれほどの豪腕も、どれほどの魔法も、どれほどの軍団も、どのような特殊技術(スキル)も──たとえワールドチャンピオンの一撃であっても、ルベドの肉体──映像の少女を「素通り」してしまうだけ。プレイヤーは彼女の本質に気づく間もなく、少女の繰り出す徒手空拳の絶技……という名の虚像に翻弄され殲滅される始末。

 

 あの、天使の澱の拠点NPC三体の戦闘においても、それは同じ。

 ルベドは自分を通過するだけの物理攻撃や魔法攻撃を完全に無視し、敵が己の本質に気づくような事態にならぬよう、適時適正に距離をとりつつ果断に攻め立て、無敵の“手”と“足”──生命樹(セフィロト)たちの広域殲滅能力を“一点集中”の対個人に絞り込んだ暴圧の発生機関によって、あらゆるプレイヤーを撃砕する能力を発揮。第八階層内に存在する、隠されたルベドの本体たちが敵の攻撃を把握・解析・認識し、その敵たちの中で、最も優先的に破壊・殲滅すべき対象を策定する。

 目の前で数多くの邪魔な壁役・天使(ヤザタ)を招来させ強化する指揮官(ウォフ)が最優先に排除すべき存在であると認められ、ついで狂戦士化による大幅なステータス増幅を成した僧兵(タイシャ)が刈り取られ、最後に残った少年兵(ナタ)は、前者二人に比較すれば圧倒的に優先度は低かった。

 

 そして、ウォフとタイシャ、二人の天使が起動させるはずだった“足止め”スキル。

 だが、天使の足止めは、自分を殺したPCやNPC、モンスターなどを対象に発揮される能力。

 自然現象(フィールド)そのものに殺された──つまり自然死したような場合に、“足止め”の力が機能を発揮するはずがない。

 特に、「単一の敵」を縛ることしかできない天使の澱のNPCでは、不可能であった。

 

 

 

 無論、ユグドラシルの仕様上、ルベドにも「弱点」は、ある。

 

 それも数限りない弱点が。

 

 

 

 一つ目は、生命樹(セフィロト)と同じ世界級(ワールド)アイテムに繋がっているため、彼等と同じ運用方法上の“弱点”……世界級(ワールド)アイテム起動の際に消耗消費されるギルドの運営資金を、乱用しすぎると蕩尽・枯渇させかねないこと。二つ目は対個人戦闘に特化した存在故に、広域を大多数同時に殲滅する能力は持ち得ない──敵を攻撃するときは必ず「一体ずつ」しか殺せないこと。三つ目は、指揮権限を与えられた者、たとえばギルド長であるモモンガが権限を委譲せずに死んだ場合、完全に「暴走」してしまう・管理不能となること(無論、最悪の事態に備えての予防策はあるが)。四つ目は、ルベドの立体映像を看破し、その投影機構そのものへの攻撃は可能ということ──つまり、ルベドを攻撃しようと思えば、第八階層に隠されたルベドの“本体すべて”を破壊さえすれば、機能は完全に停止してしまうこと(なので、第八階層という荒野、限られた広さのフィールド内で運用することがベストとされる)。五つ目は、それだけのシステム故に、一度完全に破壊されるなどしたら、復旧費用はかなりの金額になること──少なくとも、ユグドラシル金貨五億枚どころでは済まない計算となる。

 

 さらに六つ目は、ルベドは“敵”を殺すことに特化するあまり、“敵の死体”や“残骸”、ただの「オブジェクト」の類を、優先破壊対象・排除目標に据えることはできないこと。

 

 ウォフの“左腕”を剥ぎ取ってみせた際、ルベドは天使の巨腕を──「掴んで」──「棄てた」

 ナタの掌がルベドの手を掴んだまま絶命した際、ルベドは彼の死体を「殲滅目標から外した」

 

 荒野の真ん中に転移してきた敵のギルド拠点……ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)にしても、もともとのプログラムで破壊するように設定された目標でない以上、侵入や侵略などの意志や思案など不可能。

 NPC以上に与えられた任務内容に忠実でいるため、自分に付着する死体(オブジェクト)処理は後回しにされるわけだ。

 

 七つ目は、タイシャが気づいたように、接触状態で敵の思考が継続してしまった=即殺できなかった場合、少女の肉体に敵の方から触れるなどした際に、実存のない、ただの映像であることは「一発でバレる」こと。だからこそ、ルベドは無敵に近い暴力によって、敵を一撃で屠るか、それが無理ならば急速離脱するという挙動を繰り返し、接近と後退・衝突と回避を繰り返すよう活動することになっている。そして、かつての討伐隊において、ほとんどのプレイヤーは魔力やスキルを消耗していた上、まさか「ただの映像」がこれだけの蹂躙劇をしているとは思えなかったが故に、誰もその可能性を想起することすら出来なかったのである。

 

 八つ目は、ルベドというシステム……最高傑作は、完全にタブラ・スマラグディナの独自設計であり、その膨大な設計データ量を再現することは、他の誰にも不可能であったこと。データはタブラの手によってブラックボックス化され、彼の要請通り、モモンガはギルドメンバーにも、彼の珠玉の傑作であるルベドの設計情報を公開することはなかった。

 ユグドラシルの、ゲームの無限の可能性を信じたタブラ・スマラグディナが生み出した、脅威……ただのシステムプログラム──よく出来た「NPCの紛い物」で、(タブラ)生命樹(セフィロト)たちと伍するだけの存在・ルベドを構築して見せた。

 

 そして、

 

 ゲームではただのシステムであったが故に、この異世界においても、ルベドには感情がない。表情がない。意識もなければ、意思もない。

 いかに天才的な超絶技巧を成し遂げた“大錬金術師”タブラ・スマラグディナであっても、ルベドの表情を動かす──「唇を動かして発話させる」といった機能までは付随(プログラム)させられなかった。極限まで無駄を省くために、ルベドのグラフィックも幼く小さくせざるをえなかった。当の本人(タブラ)曰く「こういう怪物じみた力を持った少女っていうのも、ギャップ萌えですよね~」とも言っていたが。

 その結果が、ナザリック地下大墳墓の本来の自由設計データ量を使い潰すほどのシステム構築……ルベド誕生の経緯であった。

 

 

 

 

 ルベドを(ほふ)り、消失させるほどの手段は、ごく限られている。

 彼女の“本体すべて”を「完全に同時に」破壊するだけの、超広範囲を攻撃できる手段が必須。

 それほどの能力は、ナザリック内部でも稀少。

 アインズのワールドアイテムの使用……特に、第八階層のあれらこと生命樹(セフィロト)たちと併用することによって、それだけのことが可能になる。

 生命樹(セフィロト)の元ネタ提供者であるタブラ(いわ)く、

 

 

「さすがのルベドも、モモンガさんの世界級(ワールド)アイテムを使った“生命樹(セフィロト)”の『死』──あの“死の樹(クリフォト)”達には、完璧にやられちゃいますけどね」

 

 

「世界そのものさえも殺す」という設定の死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)の究極地点──“エクリプス”。

 その第一発見者にして最高レベル5の取得者に贈呈された、〇〇〇〇・オブ・モモンガ。

 タブラは、モモンガの存在を最頂点に据えるかのような弱点を、ナザリック最強の個に残しておいたのだ。

 事実、あの第八階層に乗り込んできた1500人を、ヴィクティムの足止めで動けなくなった侵入者たちを、モモンガの発動したワールドアイテムによって変貌……“死”へと転換された生命樹(セフィロト)たちの暴虐…………“死の樹(クリフォト)”は、共に戦っているルベドをも飲み込み、消滅させていた。

 

 

 

 

 ────しかし、ここで大きな疑問が残る。

 

 このルベドの膨大な設計データ(少女の精巧な立体グラフィック動画映像・一部の隙もなく構築された戦闘プログラム・世界級(ワールド)アイテムの余剰能力を流用する“手足”)にしても、ゲームや魔術や映画やオカルトや神話の知識にしても、タブラ・スマラグディナという個人が持っていた情報量や技術力は、あまりにも異常に過ぎた……異様でしかなかった。

 あの時代。2100年代。

 企業が完全に社会秩序を牛耳る世界において、アインズ──モモンガが『小学校に通えた』ことすら恵まれた環境と言われる中で……彼が持っていた知識量は、一般個人の限界を過剰に超越していたと言える。小学校で教えることは、企業の経営する会社で生きていくことに最適化した「職業訓練」じみた内容ばかり。義務教育のあった時代の情操教育など、より上等の教育機関でようやく施される程度のディストピアにおいて、一体どれほど恵まれた環境にいれば、これだけの知識を、情報を、ゲームに生かそうという余裕や遊び心を、養うことができたというのか。

 また、彼はどういうわけか、モモンガも知らぬうちに、宝物殿に蔵されているべき世界級(ワールド)アイテムのひとつを、玉座の間に詰める自作NPC──守護者統括・アルベドに託していたり……そもそもにおいて本来は無料で遊べるゲームのダンジョン拠点を作り込む上で、かなりの課金アイテムを購入できるなどの資金力の面においても……割と、謎が多すぎる存在であった。

 さらには、

 彼がどうしてそこまでナザリック地下大墳墓の強化に貢献したのかも、多くを語ることはなかった。

 

 彼は、“大錬金術師”タブラ・スマラグディナは、果たして何者であったのだろうか、という──当然の疑問。

 

 

 

 

 アインズはそういった過去の疑問の芽を摘み取り放り棄てながら、今優先すべきことを考える。

 100年後の異世界で、このナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”に攻め込むという奇跡を成就させた、第九階層を一心に目指す(カワウソ)のことだけを、思う。

 

 第八階層で三体の敵NPCを掃滅したルベドは、新たな殲滅対象──第九階層を目指す敵を“本体たち”が見つけて、荒野の宙を彗星のように飛んでいく。

 少年兵の死体(オブジェクト)を、その細腕に貫き携えたまま。

 

 もはやアインズに、迷っている暇はなかった。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 カワウソは、荒野の丘の上を目指す。

 世界級(ワールド)アイテムの赤黒い円環を、黒髪の頭上に戻した頭で、思い出す。

 

 そこに、かつて、第八階層にまで到達した討伐隊を、まんまと罠にはまった無様な侵入者を笑いに来たように現れた、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの構成員(メンバー)たち。そんな異形種プレイヤーたちに守られるようにして姿を見せたギルド長が、その腹胴に携えていた紅玉を思わせる巨球を取り出し掲げ、使用した瞬間に起こった────“死”。

 宙も大地も星々も、(くら)くて(くら)い漆黒に染まり果て、世界全体から奏でられる悲鳴じみた叫喚と慟哭と暴声と音圧が響き渡った。

 そして、頭上の星々のみならず、荒野の大地そのものが“死”の化身に転じたがごとき威容を見せつけ、“足止め”を受けた討伐隊を包囲し……虐殺。

 九つの星が黒い牙と眼を剥き出しにして────笑い、歌い、恐れ、慄き、叫び、狂い、泣き、喚き、怒り、嘆き、讃え────“死が「降りてくる」”

 

 誰も、何も、できなかった。

 抵抗も闘争も──

 逃亡も分析も──

 理解も感得も──

 ひとつとして満足にできないほどの、純粋な“死”。

 

 同時に、討伐隊の──仲間たち12人の、魂切(たまぎ)る絶叫が、動画には収められていた。

 

『ううわぁああああああああああああ!?』

『いやああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!』

『やだやだやだやだやだやだ、やだァ!?』

『ちょッ、グロすぎでしょ、こんなの!』

『なんだよコレ! なんなんだコレぇ?!』

『え、え、え、え、え、うそ──ええ?』

『落ちてくるぞ! 防御っ! 防御を!』

『そんなの、できるわけねぇだろがッ!』

『──落ちてるというか……これって?』

『ギルド武器を、リーダーを護れ、副長(ふらん)!!』

『だめッ、──うう動けない!! エリィッ!!』

『…………………………………………ひッ』

 

 瞬間だった。

 

 闇の中に落ちていったカワウソの仲間たちは、全員が死んだ。

 黒い濁流とも暴風とも崩落とも言える事象によって、討伐隊は鏖殺(おうさつ)された。

 悪夢のような動画の中で、神器級(ゴッズ)相当のギルド武器は、木っ端のごとく砕けて、消えた。

 

 星の奏でる歪んだ笑声が、最後まで耳に残った。

 

 カワウソの旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)は、崩壊。

 ナザリック第三階層で死に、ギルド拠点の屋敷に戻っていたカワウソは、ギルド崩壊と時を同じくして、拠点である屋敷の内装やNPCたち──赤い杖を握る動像の女性や狼男のような風貌の黒いジャッカル、インドの破壊神じみた男やハートの弓を携えた赤子の天使など──が、融けて消える様を見届けた。

 そして、カワウソたちがそこに築いたすべては、電子の世界に還されたのだ。

 

 あの日から、カワウソは『敗者の烙印』を押された──敗北者となった。

 

 

 

 

 そうして、今。

 かつては熾天使だった堕天使は、息を荒げ、大粒の汗を落とし、腰帯(ベルト)にある壊れた剣がそこに「在る」ことを確かめるように握りながら、荒野を(はし)る。

 

「あと……少し……」

 

 カワウソは、自分のギルド──その拠点NPCたちを引き連れて、この異世界で無謀な挑戦を試みた。

 ガブやラファ達、七体のNPCによる“足止め”スキル発動によって、宙にある七つの星を停止させた。

 あの赤い少女の猛攻……蹂躙にさらされたウォフとタイシャとナタを置き捨て、荒野を駆け抜けた。

 

「あと少しだ──」

 

 後悔も罪悪感もかなぐり捨てて、ただ、彼等と共に目指した場所へ、ひた走る。

 そうして。

 あと100メートルのところに、まぎれもない“ゴール”が、見える。

 

「──俺の」

 

 敵の伏兵を最小限に警戒しつつ、ミカという女天使と、クピドという赤子の兵隊を護衛につけて、長年夢にまで見た場所へと、一心に駆ける。

 神器級(ゴッズ)の足甲で強化されたカワウソの速度は、護衛たちを置き捨てる速さで前進してしまいそうになるが、それはできない。ここで僅かに残った護衛を捨ててしまえば、次の階層で戦うことは至難の業。それぐらいの思考力は、堕天使の沸いた脳髄でも判断がついた。ミカとクピドも主人の脚に追いつくべく、周辺警戒に徹しながら、各々の翼を広げ低空を舞う。カワウソが振り返るたびに頷く護衛の表情に、恐れも何もありはしない。

 

「──俺たちは」

 

 カワウソは、我知らず言葉を零す。

 ──俺たちはここまで来たぞ、と。

 これまでのすべてが、走馬灯のように頭の中を駆け巡り、ここから始まる先のすべてが、堕天使の心を奮い立たせる。

 カワウソは、自分が犠牲にしたものに、足止め役のために死んでいったNPCたちに、心の奥底から感謝を紡ぐ。彼らのおかげで、ここまで来れた。ここまで戦い続けてきた。思うたびに赤茶けた砂礫を踏み超える脚は軽くなり、熱いほどの血潮が、希望と期待に震える鼓動が、心地よい。

 そして……第八階層の荒野、その丘の上に堂々と(そび)(たたず)む転移の鏡まで、

 あと10メートル。

 

「これで、俺たちの──」

 

 カワウソは、浅黒い肌の腕を──堕天使の手を伸ばす。

 ミカとクピドという、たった二人の護衛を引き連れて。

 第八階層の次・第九階層へ至る門へと──疾走。

 たまらない思いが、声となって漏れる。

 

「俺の」

 

 転移の鏡まで、

 あと1メートル。

 

「勝ちだッ!」

 

 

 

 ──バン

 

 

 

「…………へ?」

 

 カワウソは激突しそうな勢いで、鏡に手を這わせていた。

 しかし──

 

「な、んで?」

 

 堕天使の手は、鏡の奥に沈んでいかない。

 呆けた顔の堕天使が鏡面に映っている。浅黒い肌に黒い髪。眼窩のような(クマ)に縁どられる濁った眼がいっぱいに見開かれ、愕然という表情の自分自身に対面し、その手を──掌を、ぴったり重ね合わせていた。

 カワウソは、鏡の中の自分と、両の手を叩きあう。

 ただバンバンと音を奏でる。

 それだけ。

 

「え……え?」

 

 まるで普通の鏡のようだ。

 いいや、これは普通の鏡ではない。

 拠点の各階層をつなぐアイテムは、そこに確かに存在している。

 次の階層へ至るはずの転移門……その魔法のアイテムに他ならない、はず。

 なのに、手は通らない。

 第九階層へ行けない。

 

「うそ、だろ……?」

 

 拳を握って鏡面を叩く。ドンドンと音だけが響く。数度続けたそれは、もはや殴りつける威力に変わる。だが、魔法のアイテムを破壊できるわけもなく、カワウソは手の甲を痛めながら、執拗に確認作業を繰り返す。鏡に何かギミックでもあるのか……あるいは何らかの誤作動を信じるが、転移の鏡は、その機能を発揮することは、ない。

 

「嘘だ。……な……なんで……なんで、なんでなんで!」

 

 カワウソは、イジメられた子供がイジメの理由を尋ねるような弱弱しい声で、鏡を叩き続ける。

 ふと、背後に控える女天使が、兜の面覆いを上げ、苦い声で推察する。

 

「……まさか──ッ、偽、物?」

「ばかな──そんな、バカな!」

 

 カワウソは何度も見てきた。

 あの討伐隊の動画映像で。討伐隊を倒すために、世界級(ワールド)アイテムを行使すべく、この階層に姿を現したモモンガたち。彼等は確実に、この鏡を通っていた。この鏡が、ナザリックの最奥に通じる鏡だと、そう……思い込んだ。

 

くそったれ(ファック)ッ! まさか俺たちを、この階層に閉じ込めたってえのかぁ! ア˝ア˝ぁ!?」

 

 クピドが周囲を()めつけるように見渡す。赤ん坊の口が紡ぐには汚すぎる罵詈雑言を、鏡に向かって、このギルドの奥に控えるはずの者共へと吐き散らす。

 状況は、その通りにしか思えない。

 それ以外の解答など、ありえない。

 

「畜生……ちくしょう……チクショ……」

 

 システム・アリアドネはどうなったとか──やはりアインズ・ウール・ゴウンは悪辣な連中だとか──そんなことを思考する時間すら惜しい。必要なものは、状況への的確な対処法のみ。

 だが、それがカワウソには、わからない。

 

 どうすればいい?

 どうすればいい!

 どうする。

 どうする。どうする。

 どうする。どうする。どうする!!

 どうして、どうしたら、どうにかして、どうにかしないと、どうやってどうなってどうなればどういうふうにどうしようどうしようどうしようどうしようもない!!!

 

 思考は加速するが、(いたずら)に空転するのみ。

 ギルド拠点の転移鏡(ゲート)への干渉は、不可能。他の鏡を、転移門(ゲート)を探すにしても、それがこの階層のどこにあるのか、まるで見当もつかない。もう一回、超位魔法〈星に願いを〉を起動するには、まだリキャストタイムが残っている。あの転移から、まだ十数分しか経っていない。ナザリック内部から外へ逃げるにしても、転移阻害がそれを許さない。ならば、第八から第七階層へと戻る道を行くのか? これまでの苦労を、ガブやウォフたち……NPCの死を、水泡(すいほう)にして──

 

「こ、こんな──こんな……ッ!!」

 

 こんな、終わり、なのか──

 思うごとに、唇を白くなるほど噛み締めてしまう。嗚咽がこぼれかけるのを、ひたすら堪える。

 後悔や未練が怒濤のように脳内へ押し寄せ、次の手立てを考慮する冷静さを失わせた。

 

 カワウソは知りようがなかったが──

 アインズは、この第八階層に転移したカワウソたち侵入者を見て、こう、思っていた。

 

 

 

 ──ゴールになんてたどり着けるはずもないのに(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 そう。

 カワウソは知りようがなかった。知る(すべ)などありえなかった。

 

 この第八階層の正当な出入り口は、諸事情により、とうの昔に“閉鎖されていたのだ”。

 

 怒りと嘆きと疑問符の渦に飲み込まれる堕天使。

 そんな男にかわって、ミカは冷静に、周囲の状況に目を配っていた。

 そして──

 

 

「ッ!! 特殊技術(スキル)、“全体(マス)後退(リトリート)”!!!」

 

 

 女天使の絶叫に近い、スキルの発動。

 唐突に発動された防御役(ミカ)の回避防御の特殊技術(スキル)

 鏡にしがみついていたカワウソをはじめ、この場にいる三人が、全速力で後退させられた、

 刹那、

 

 

 

 

 ド  ────────  

 

 

 

 という豪音。

 空気どころか、空間すら圧迫したような音の暴力が降り注ぎ、荒野の丘に隕石か流星……彗星の墜落じみた衝撃と爆音を奔らせる。

 

「く、ウァっ?!!」

 

 姿勢を低くし、身構えるカワウソたち。ミカが天使の翼で堕天使を覆い、クピドが必死の形相で銃器を構え、起こった出来事にグラサン越しの目を凝らす。

 それ(・・)は、カワウソたちが先ほどまでいた地点に降り立ち、腕を振り抜き振り向いて、逃げた殲滅対象たちを、確認。

 その拍子に、その細腕で貫いたままだった死体──というよりも残骸を、さらに打ち壊す結果を、生む。

 

 残骸から零れるように外れ落ちたのは、動像(ゴーレム)の、頭。

 

 首元を抉り千切られ、先の衝撃と腕の回転速度によって、ゴロゴロともげて転がるそれを、カワウソは、注視せずにはいられない。

 

 

 

 創造主(カワウソ)足許(あしもと)へ、

 ついに帰還を果たした、

 約束通りに戻ってきた、

 少年兵の、

 その、

 頭部。

 

 

 

「…………ナ、タ?」

 

 カワウソは、残骸の名を、呼ぶ。

『必ず後で追いつく』と、『戻る』と言って別れたNPC──

 深い水底のような蒼い髪。白蓮の花のような白磁の(かんばぜ)

 小さく幼く(いとけな)い──元気(げんき)溌剌(はつらつ)天真爛漫(てんしんらんまん)だった──花の動像(フラワー・ゴーレム)

 荒野の塵埃(じんあい)に汚れた、少年の、頭。

 

「……ナタ?」

 

 カワウソが再び呟いた瞬間、少年の無表情極まるズタボロの死相は(ほど)け、散る華のような、舞い落ちる花弁(はなびら)の集合物にグシャッと変じて、消滅。

 花の動像(フラワー・ゴーレム)たる少年兵──近接戦闘の申し子──ギルド最強の「矛」として創った物理火力役のNPCが、果てた。

 

 

 

《 さらなる敵性対象、確認 》

 

 

 

 震えるカワウソは向き返った。

 貫き抉りっぱなしになっていた矮躯を、

 首から上を失った少年の四肢のない胴体を、

 ハラハラと花弁を零して消滅しかけている骸を、

 その赤い少女は、何の感慨も懐いていないように掴み──真横へ放擲。

 (なげう)たれた物体は、少年の胴体だけの残骸は、荒野の大地に触れるかどうかという瞬間、砕け散った頭部と同じ花弁(オブジェクト)となって、消え去った。

 かろうじて少女の手首にぶら下がっていた左手も、花弁と化して剥がれ落ちる。

 

「──ナ……タ……ッ!」

 

 答える声など、ない。

 ナタは、死んだ。

 ナタまでも死んだ。

 ウォフも、タイシャも。

 彼の、彼等の、足止めの任務は、…………失敗した。

 

「──退()けぇ! 御主人っ! ここは俺がぁ!」

 

 裂帛(れっぱく)の呼気を宿す兵士の重低音が、意識の停滞するカワウソの前へ──勇躍。

 グラサンの赤子が対物ライフルの銃身を、まるで槍衾を築く槍兵のごとく突き出し、現れた暴虐の化身に向け、構える。

 

「よ──よせ、クピド!」

 

 叫んだが、遅かった。

 紅一色の少女が、その身を沈める。

 

《 敵対行動を確認 》

 

 ──戦闘態勢を、構築する、赤い、影。

 

《 Terminate(ターミネイト) 》

 

 すべてが終わりかけた、その時。

 

 

 

 

 

「『アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ』」

 

 

 

 

 

 瞬きの間もなく──暴虐が、蹂躙が、少女が、とまった。

 

「ぃ…………、なにぃ?」

 

 クピドの顔面を打ちのめし抉らんとした貫手が、彼の髪先数ミリという地点で、停止。

 息を呑む天使たち。

 誰も全く反応できなかった、怒濤にして弩級の速攻能力。

 少女の体躯で、あれほどの速度で移動したとは思えないほど、ルベドの停止は完全に過ぎた。吹き荒れる暴風も衝撃もない。事実、驚愕に静止するクピドの黄金の髪房は、ひとそよぎ分の運動を示さない。

 そんな“敵”の蒼白い表情など見えていないかのように、少女(ルベド)は何もかもを置き去りにして、ただ、己に組み込まれたプログラムコードに則し、動く。

 

《 ――当ギルド内において、有効な『上位命令文(パスワード)』を確認。さらに、本日有効な、『完全停止命令文』の入力をお願いします 》

 

 尚、それが確認されない場合は、周辺存在殲滅のための機能が発揮されます──と、“唇を全く動かすことのない”攻撃姿勢のまま、鋼鉄のごとく硬直する少女から、声が、聞こえてくる。

 あるいは少女の声は、この階層全体から紡がれたような錯覚さえ、カワウソは覚えてならなかった。……錯覚ではなかったのかもわからない。

 少女の背後の鏡の「横」より現れた、骸骨姿の魔法使い……死の超越者(オーバーロード)の姿をした彼が、王者のごとく整然と、悠然と、冷然と、宣告する。

 

「──『人、その友のために命を捨てること、これより大いなる愛はない』」

 

 口から出まかせで紡げるはずのない、それはギミックコード。

 ギルドのギミック発動や解除のために設定された一節を、この地の支配者は朗々と唱えていた。

 それを受諾した少女は、戦闘態勢を解除し、粛々と言葉を紡いでいく。

 

《 本日有効なコードを確認。『停止命令』を受諾。殲滅活動(ターミネイト)終了。

  Rubedo(ルベド)は、通常行動に戻ります 》

 

 主人の「ご苦労」という言葉に、少女はまったく反応を見せない。

 それまでの暴虐が嘘であったかのように、ルベドという存在は、目の前の敵対者(カワウソ)たちを置き去りにして、ドレスの裾を翻し、荒野の中心へと向き直り、少女らしい“とことこ”とした足取りで歩き去っていく。

 この地の存在──NPCにしても機械的で、何の感情も意志も感じさせない少女を、カワウソたちと、少女の主人と思しき者らは、見送るでもなく見送っていく。

 危機は去った。

 去ったように思われた。

 だが、カワウソは、それは「ありえない」とわかっている。

 堕天使は戦慄を痛みとして心臓に抱え、転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)とは違う場所、鏡の横から転移門(ゲート)の闇を通り現れた救済者たち──あるいは魔王たちを、振り返り、見る。

 魔王は──魔導王は、告げる。

 

 

 

「すまない。

 実は、こちらの世界に転移した際、この第八階層は、ほとんど封鎖していたのだ。だから、この門は使えない──使えなかったんだ(・・・・・・・・)

 

 

 

 魔王を護るかのごとく控える、二人の守護者たちを連れた、骸骨の魔法使い。

 彼のそば近くには、墳墓の表層で見た乙女が、二人──

 

 真紅に濡れた鎧を着込み、蝙蝠の翼を広げた銀髪の戦乙女。

 漆黒の鎧に身を包んだ、赤い少女に似ている黒髪の女悪魔。

 

 そして、

 

 重く黒く、燦然と輝く後光を背負うがごとき、魔を導く王。

 

「……アインズ・ウール・ゴウン、ギルド長……」

 

 何故と問う、その前に。

 カワウソは、確かめる。

 確かめなくてはならないことが、ある。

 

「……………………モモンガ、……か?」

 

 堕天使の紡ぐ積日の問いかけに、魔王──魔導王は悠然と頷く。

 頷いてしまう。

 

「いかにも」

 

 否定されなかった。

 否定する理由がなかった。

 彼は、目の前の最上位アンデッド……死の支配者(オーバーロード)は、身に帯びる極上の装身具と武装の数々は、カワウソが生産都市(アベリオン)で屠り潰した同種たちのそれとは、まるで比較にならないほどの威を発露している。

 ユグドラシルの攻略情報、Wikiページで幾度も閲覧した目撃情報の通りだ。

 

 闇夜を切り裂き衣に変えたような、漆黒のローブ。

 天を覆い尽くす綺羅星のごとき、照り煌く宝飾の彩。

 骸骨の表情(かんばせ)──不死者の眼窩に灯り続ける、熾火(おきび)の瞳。

 

 カワウソが知らない“杖”──二匹の蛇が絡み合うような構造の──幾多の宝石をはめこみ、典雅と豪奢を極めた黄金の武装は、このギルドの証とも呼ぶべき武器の、「外装だけを似せた試作品」のひとつ。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの長。

 モモンガとしての姿、そのもの。

 だが彼は、モモンガは明言する。

 

しかし(・・・)。今の私の名は、“アインズ・ウール・ゴウン”……アインズと呼んでくれて構わない」

 

 はい、そうですか、などと頷けるはずもない。

 聞きたいことは山ほどあった。

 この異世界のこと。この魔導国のこと。

 このナザリック地下大墳墓が存在すること。

 この第八階層のあれら(・・・)や、あの赤い少女(・・・・)のこと。

 ──この世界で、この国で、モモンガが……“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗っていること。

 

 なのに。

 カワウソは、堕天使の口を(つぐ)む。固く唇を閉ざしてしまう。

 アインズの左右を守護する者たちの気迫に、気圧(けお)されたからでは、ない。

 カワウソの左右を護るように武器を構えるNPCたちの警戒心に圧倒されたからでは、ない。

 

(……ようやく)

 

 ようやく、会えた。

 はじめて、彼と会えた。

 

 あのゲームで、ユグドラシルで、何度も、何度も何度も、ここ(・・)に挑んできた。

 彼のギルドに挑戦してきた。

 仲間たちと別れてからも、カワウソはずっと、アインズ・ウール・ゴウンを、このナザリック地下大墳墓を、攻略すべく挑み、戦い続けてきた。

 復讐の対象として──復仇の存在として──幾度も望み欲したアインズ・ウール・ゴウンを体現する、ユグドラシルプレイヤー。

 

 かつて。

 誰もがカワウソを(わら)った。

 誰もがカワウソを(わら)った。

 誰もがカワウソを(あざわら)った。

 誰もが「無理だ」と諦め……誰もが「無駄だ」と諭そうとし……誰もがカワウソのことを「馬鹿な奴だ」と蔑み侮り、『敗者の烙印』を押された姿と共に、笑いものにし続けた。

 かつての仲間たちも、誰一人として、共感も理解もしてくれなかった。

 そうして、それは仕方のないこと。

 カワウソも、自分がどれほど愚かしいか理解している。

 それでも、カワウソは諦めなかった。諦めることだけは、しなかったし、できなかった。

 

 でも、カワウソはやってみせた。

 やり遂げることが、できたのだ。

 

 無言無音で、堕天使は感動に打ち震えすらした。

 そんな堕天使の硬直を知ってか知らずか、アインズは吹き出すように声をあげる。

 

「フフ。まったく…………よもや、この第八階層に、直接乗り込む“馬鹿”がいようとは」

 

 その通りだ。

 カワウソは自分で自分を馬鹿だと思う。

 誰よりも何よりも、カワウソは己の愚かさを──こんな場所にまで至るほどに、諦めの悪い強情な奴である事実を、わかっている。

 

 わかっていても、どうしようもなかった。

 だが。

 だからこそ。

 自分は今、──ここにいる。

 

「……馬鹿、だと?」

「ハッ。撤回を要求しても、かまわねぇかぁ?」

 

 敵の首領が吐き飛ばした侮辱を看過できず、ミカとクピドが身構える。

 

「無礼者共がァッ!」

「愚劣極まる天使共が、誰に向かって要求など!」

 

 天使二人に応じるように、吸血鬼と女悪魔が得物を振りかざそうとして──

 

「「 やめろ、おまえたち 」」

 

 双方の主人の声が、完全に重なった。

 抗弁する配下たちを振り返って、制するタイミングまで合致してしまう。

 四人はとりあえず矛を納める姿勢を見せた。だが互いの雰囲気は険悪を極め、もはや敵意と悪意と戦意と殺意で、何もない空間が炎上しているかのような焦げ臭さを錯覚させる。

 

「ふっ。──すまない。馬鹿というのは、言い過ぎたかな?」

 

 カワウソは驚いた。

 骸骨の、物語に出てくる魔王然とした存在が、まるで似合わぬ静かな声音で、己が非礼を涼やかに()びてみせたことに。

 頭を下げることこそない──だが、それこそが「王者の謝辞」だと判りきったような、実に堂に入った振る舞いで、カワウソと同じユグドラシルプレイヤーと思しき存在が応対してきたのだ。

 カワウソは、まだ確信が持てない。

 

「……どうして」

「うん?」

「どうして、おまえが……ギルド長自ら、この第八階層に?」

 

 堕天使は、暗い声で(たず)ねる。

 彼等が此処へ来た理由を、わざわざカワウソたちの眼前に姿を晒し言葉すら交わしたワケを、堕天使の脳髄は思考する。

 

 ──侵入者であるカワウソたちに、直接トドメを?

 その程度のこと、あのまま赤い少女に任せておけば済んだ話だろう。

 

 ──鏡を超えられなかったカワウソたちを、憐れんで?

 それは言っては何だが、あまりにも感傷的過ぎる気がしてならない。

 

 ──カワウソに、何か訊きたいことでもあるのだろうか?

 

「実は。今後のためにも、是が非でも君に()きたいことがあってな…………堕天使くん(・・・・・)?」

 

 当たりだ。

 堕天使は問いを問いで返す。

 

「俺たちは、侵入者だぞ? 表層の草原にいたアンデッドの軍勢、おまえたちの兵隊を吹き飛ばして、こうして第八階層にまで(もぐ)り込んだ俺たちに、何を()く?」

 

「否。だからこそだ」と、アインズ・ウール・ゴウンは含み笑いすら浮かべて、ひとつの提案を述べる。

 

「ここで立ち話に(きょう)じるのもアレだな。どうせならば、ここまで辿り着いた褒美でも、どうかな?」

「……褒美、だと?」

 

 カワウソは声を震え詰まらせながら、大いに疑問してしまう。

 アインズ・ウール・ゴウンが、侵入者であるカワウソに?

 何を訊く?

 何を知る?

 魔導王アインズ・ウール・ゴウンは、カワウソ達に興味があるということ、か?

 それならそれで、こちらのカードの枚数は増えてくれる。だが、それが果たしてどんな結果を生むのか、想像がつかない。新たに配られるカードが、必ずしもいい手札として加わることがないのと同じだ。

 

「──断ったら?」

「断れる状況だと?」

 

 アインズが見つめる先で──空が、鳴いた。

 カワウソも、背後で幾多の硝子が(ひび)割れ砕けるような轟音を聞き、「ああ、そうか」と思いつつ、振り返った。

 あれら(・・・)を封じ縛っていた光の帯“足止め”スキルが、ナイフで断ち切られる荒縄よりもあっけなく、消滅していく。

 その様は、星に届く光の塔が、風に吹かれ崩れる砂塵の楼閣に変貌したように見える。

 効果時間の限界か、あるいは“相手の規模や質量が過剰であった”が故に、通常よりも早く天使のスキルが(ほころ)んだかは、判断が難しい。

 いずれにせよ。

 これで天使の澱のLv.100NPC──ガブ、ラファ、ウリ、イズラ、イスラ、マアト、アプサラスの役目は終わり、あの帯の下にある死体もまた、天使種族特有の光の粒子と化し、消えて滅んだことを意味する。

 もし、ここでアインズが自由を得たあれら(・・・)に命じ、カワウソたち侵入者を掃滅するように仕向ければ──あの動画と同じ──かつての「1500人全滅」の再現を見ることになるだけ。最悪なのは、アインズがその身に帯びる世界級アイテムを使用しての──あの蹂躙劇……“死”が始まることも、実際としてありえる。

 少なくともカワウソは、そう結論するしかない。

 

「……応じよう」

 

 アインズの提案に、堕天使は首肯した。

 ミカとクピドが制止するよりも早く、カワウソは再疑問する。

 

「それで、褒美と言うのは?」

 

 アインズ・ウール・ゴウンは粛然と、骨の頭を頷かせた。

 

「うむ。君たちの健闘と勇気に、私も応えるとしよう」

 

 絶望感に浸る間もなく、堕天使はアインズ・ウール・ゴウンその人に向き直る。

 随分と上機嫌な調べを口腔から零す骸骨の姿の魔法使いは、カワウソに対し、朗々と宣告した。

 

 

 

 

「特別に案内しよう。

 ナザリック地下大墳墓の最奥――“第九階層”そして──“第十階層”へ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【第九章 玉座の間にて へ続く】

 

 

 

 

 




『オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~』の〔独自設定・独自解釈〕

・第八階層の「あれら」=生命樹(セフィロト)
 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”によって統制された拠点防衛機構・住居型モンスター(旧ボス)

・ルベドは、ナザリック最強の「個」(ただしNPCではない。ただのギミックシステム)
 ……というか、ルベドって「NPC」だと明言されていたかどうか?
 書籍三巻P199にて
 ニグレド曰く「スピネルは私たちとはまるで違う創造の仕方をされたもの」
 外から連れてきたモンスターや傭兵ではない、一応は「創造」されたもの

・書籍七巻P354にて
 アインズがルベドのことを「あれに勝てるのは八階層に配置したあれらを、世界級(ワールド)アイテム併用で使った場合のみ」と思考

 アインズの世界級(ワールド)アイテムで併用された生命樹(セフィロト)は、生命樹の反対……“死の樹(クリフォト)”へと変貌する
 そのシナジー効果によって、あの討伐隊1500人は、一人残らず“死”を迎え、全滅──

死の樹(クリフォト)
 邪悪の樹・Tree of Evilとも。生命の樹・Tree of Life……セフィロトの逆さまの姿


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第九章 玉座の間にて
絶対者(オーバーロード)復讐者(アベンジャー) -1


〈前回までのあらすじ〉
 ついに第八階層を突破したかに思えたカワウソであったが、封鎖された転移鏡に行く手を阻まれ、襲来したルベドによって蹂躙されかける。
 そこへ救いの手を差し伸べたのは、なんとアインズ・ウール・ゴウン本人、モモンガ。
 第八階層を突破しかけた100年後の侵入者に対し、アインズは“褒美”を授けることに……


/The 10th basement “Throne” …vol.01

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 つい先刻。

 玉座の間には、アルベドやデミウルゴスたちの悲鳴じみた声音が満ちた。

 

 

「アインズ様、お待ちください!」

 

 

 第八階層のあれら……生命樹(セフィロト)が、敵の首魁が生み出した天使共の足止めスキルに封じられた瞬間、このナザリック地下大墳墓を統べ治める最高支配者は、驚愕し、感嘆し、そうして、守護者たち全員が畏怖するほどの哄笑を、その骸骨の口腔から吐き洩らしていた。カタカタとなる頸骨の音色すらもが、愚劣な侵入者たちの搦手を賞賛するような喝采ぶりであった。

 それだけではない。

 アインズは、「ルベドに足止めスキルが通用するかな?」と囁くのと同時に……

 骨の玉体を、ナザリックの防衛を担う世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”から、離していた。

 そして、この場で立ち上がる主人の挙を不審に思い、疑問するアルベドたちに対し、悠々と頷いてみせた。

 

 

「アルベド──すまんが。私はこれから、第八階層に行く(・・・・・・・)

 

 

 ありえないと誰もが思った。

 守護者が、戦闘メイドが、マルコも含む玉座の間に詰めていた全シモベたちが、完全に声を失うほどの、宣言だった。

 即座に転移門を開こうとする魔導王を──主人を──愛する殿方の手を、アルベドは一切の迷いなく握り、制した。

 

「おやめください! 何故! 何故、そのようなことを!?」

「そうでありんす! どうか、どうかそのようなことは!!」

「ダメです! 絶対に、絶対絶対、ゼッタイにダメですってば!!」

「そそそ、そんな! えと、ど、どうして、なんです……アインズ様?」

「執事たる身で愚見を申し上げることは差しさわりもありましょうが──それだけは」

「……ナニカ、御身ニハ、深イ考エガ、アッテノコトナノデゴザイマショウカ?」

「いいや! だとしても! あまりにも危険でございます! 何故(なにゆえ)、御身自ら?!」

 

 守護者たちは首を横に振り続ける。

 我儘な子どもが、大好きな父と離れたくないとダダをこねるように。

 無論ながら、()は守護者たちの方にこそ、あった。

 敵が、仮にもナザリック最強に位置する生命樹(あれら)を封じた事実。天使の能力・神聖属性に特化したモンスターと、アンデッドであるアインズとの相性の悪さ。そして何よりも、未知の世界級(ワールド)アイテムの効果が完全に切れたとはいえ、仮にもアインズの“敵”として、いと尊き至高の四十一人が築き上げた聖域・ナザリック地下大墳墓内に土足で踏み込んだ“外の存在”……プレイヤーの前に、アインズ・ウール・ゴウンその人が、ナザリックに唯一残られた慈悲深き(きみ)が、その身をさらす危険性(リスク)

 いかに優しいアインズであろうとも、敵にまで情けをかける姿勢が、NPCたちには(はなは)だ理解不能であった。

 

「私は、いかねばならない」

 

 すでに、ルベドの手によって全身鎧の女・ウォフは光の粒子に還った。

 ついで、驚異的なステータス増幅を果たした僧兵・タイシャの身体が抉り飛んだ。

 

「このままいけば、間違いなく、カワウソたちは第九階層へ至る鏡に到達する」

 

 だが。

 

「──100年前から第八階層は封鎖済みだ。このままでは、カワウソたちは憐れな袋の鼠で終わるだろう」

 

 それがどうしたのだろうと全員が首を傾げた。そのまま、あの愚かしい侵犯者共を、ルベドという最強の個に討滅させてしまえばよいはず。自分たちは、その光景を主人と共に目の中へ焼き付けるべく、この玉座の間にとどまっていたはず。なのに、何故。

 

「それではダメだ」

 

 ダメなんだ、とアインズは固い声で続ける。

 

「カワウソは、彼は生命樹(セフィロト)を封じ、ルベドという戦力を他の仲間に引きつけさせることで、確実に、第八階層を攻略する手を尽くし、そして、それはもはや成就する寸前だ」

 

 ルベドの挙動や戦闘パターンを読んだかのように、近接職に特化した少年兵が、その身をボロボロに融け朽ちさせながら、あろうことか桜花聖域の真上(・・・・・・・)にまで、ルベドを「足止め」し続けた。

 おかげで、カワウソたちは完全に、フリー。

 彼らの騎行を──進撃の速度を阻むものは、ない。

 あとは、次の階層に続く鏡に触れさえすれば、第八階層の攻略はなされるだろう。

 だが、あの鏡は現在──使えない。

 触れてもどこにも転移できず、カワウソたちの進軍を阻む最大にして最悪の罠として、大いに立ちはだかることになる。

 天使の澱は、ゴールには辿り着けない。

 しかし、それは今のアインズの……より正確には、アインズの仲間たちが、かつて望んだことでは、ない。

 NPCたちでは理解が及ばないことだが、アインズの仲間たち──ギルドの皆で決めていたことのひとつが、アインズをどうしても、カワウソたちの助命のために行動させた。

 アインズは重く告げる。

 

 

「彼を、第八階層の正当な攻略者と認める」

 

 

 守護者たちシモベの絶句に、アインズはすべてを理解しているという首肯で見渡す。

 

「どうして、そのようなことをする必要が?」

 

 アルベドだけは。

 何かを察してしまったように、毅然とした表情で、愛する男の双眸を受け入れる。

 

 

「この私が、いいや、──俺が──“アインズ・ウール・ゴウンだから”だ」

 

 

 アインズは言って聞かせた。

 これこそが、アインズ・ウール・ゴウン“四十一人”の決定なのだと。

 そして、これはアインズの我儘なのだと。

 守護者たちの異論抗論は、引く波のごとく穏やかになる。

 アルベドは観念したかのように、あるいは祝福するかのように、夫の骨の手首から手を放した。

 

「すべて、御身の望むままに」

 

 アインズは頷く。

 同時に、空中の映像を振り仰ぐ。

 

 転移の鏡に至った堕天使は、転移不可能という事実を理解し、絶望のまま鏡に縋りつく。

 そんな彼と護衛たちの許に、花の動像を貫き殺したルベドが、落ちる彗星のごとく迫る。

 

 もう時間はない。

 迷う暇などない。

 

 至高の主人は、アルベドとシャルティア──二人の王妃を護衛役に選抜し、残されたアウラたち守護者らに後事を託し、転移門を開いた。

 

 そして──

 

「『アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ』」

 

 ギルド内で有効なパスワードによって、ルベドは止まった。

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンは、ついに、カワウソと本当の対面を、果たした。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓・第八階層の荒野を後にしたカワウソとミカ、クピドの三人は、この拠点のギルド長、モモンガ――大陸の覇者、至高帝、神王長、絶対者(オーバーロード)であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王の案内により、続く第九階層を訪れることが叶った。

 カワウソは戦々恐々、転移門の闇を、二人の護衛に守られながらくぐった。

 

「おお……」

 

 思わず感嘆が漏れる。

 荘厳という言葉が似合う白亜の宮殿。高い天井に長い廊下。吊り下げられたシャンデリアや壁面を飾る調度品の美麗さと数量には、心の底から圧倒されてしまう。無論、自分が造ったヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城塞(じょうさい)──第三階層の“城館(パレス)”や、第四階層にある屋敷などとは、比較するのも馬鹿馬鹿しい規模に相違なかった。

 

「 おかえりなさいませ、アインズ様 」

 

 立ち並ぶ華々。

 侵入者であるカワウソたちを堂々迎え入れたメイドたちの数は、四十人前後。誰の瞳も恐怖とも怯懦とも言えぬ敵意が込められていたが、主人の迎え入れた“客”への礼節として、深く腰を折っていた。

 

「 いらっしゃいませ――侵入者さま(・・) 」

 

 暗く凍えるような声。

 ツギハギ傷を負った犬頭や、人間然としたメイドらからの眼光が突き刺さる。

 カワウソは、応じない。

 応じることが、できない。

 そんな彼と、彼の従者二人を引き連れて、メイドたちの主人──アインズは鷹揚に頷く。

 

「ご苦労だった、ペストーニャ、おまえたち。下がれ」

 

 犬頭のメイドが、少女たちの(おさ)らしいきびきびとした答礼を行い、主人の命令通り、メイド隊を引き下げていく。

 そんな中で──唯一の例外がいた。

 そのメイドの姿……初老の執事(バトラー)と肩を並べた少女は、飛竜騎兵の領地で別れた時のものと、まったく同じ。

 白金の髪を、竜の翼のごとく背中に広げた女性を、カワウソたちは見る。

 

「お久しぶりでございます、カワウソ様、ミカ様」

 

 ロングスカートの裾を持ち上げた、一部の狂いもないカーテシーの姿勢。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王親衛隊所属、“新星戦闘メイド(プレイアデス)”の統括(リーダー)

 異形の混血種(ハーフ・モンスター)──マルコ・チャン。

 

「あと……そちらの(かた)は」

「ああぁ。俺の名はクピドだぁ」

 

 銃器をかつぐカワウソの護衛──赤子の天使(キューピッド)が、主人たるカワウソへ挨拶を交わす女中に対し、傲岸不遜な顔色で、小さな鼻を鳴らす。

 

「アンタには、ウチの御主人が世話になったらしいなぁ。要らんだろうが、礼を言わせてくれやぁ」

 

 こぼれた言葉は、実に礼節に即したものであったが。

 

「私の方こそ──その節は」

 

 マルコは言葉を選ぶような、どこか怖じるような気配を見せかけて、だが、キッパリとした所作で腰を折る。

 

「マルコ。おまえも下がるといい。彼らは、“私の客人”だ」

 

 まるで『おまえが関知する必要はない』とでも言いたげな、主人の鉄の声。

 メイドは、反駁も逡巡も見せず、短いお辞儀と共に場を離れる。

 カワウソが見送る後ろ姿は、まったく完璧な使用人──忠節の限りを尽くすシモベでしかなかった。

 そうして、唯一アインズたちとカワウソたちの先導役として場に残った老執事が、峻厳な声色で名乗りを上げる。

 

「お初にお目にかかります、皆様。私は、()えあるナザリック地下大墳墓の家令(ハウススチュワード)を務めております、セバス・チャンと申します」

「────セバス……チャン? って、おい、まさか?」

「はい。今のメイド──マルコ・チャンは、不肖私めの“娘”にございます」

 

 カワウソは納得の首肯を落とす。だが、まさか目の前の老人が、あの可憐な少女の父親とは。言っては何だが、どちらかというとセバスという老人は、マルコの祖父という方がまだ馴染むような外見である。ユグドラシルの法則だと、拠点NPCであれば、異形種でも人の形をしていられるが、果たして老執事の正体は何か。

 

「今回は私が、第九階層および第十階層への案内を務めさせていただきますので、どうぞよしなに」

 

 カワウソは、ミカをチラリと振り返り見る。

 堕天使の作った女天使は、油断してはならないと言わんばかりの目つきで、首を横に振って見せた。ということは、この道先案内人も、かなりの手練れ……Lv.100相当のNPCと見做すのが的確な判断だろう。遅れて振り返ったクピドもまた、手信号(ジェスチャー)とグラサンの表情で、『油断するな』と告げてくれる。

 アインズ・ウール・ゴウンの“客”として招かれた敵対者を相手に、『老執事だけが案内人として残った』、その理由。

 それは、彼以外のシモベでは、いざLv.100同士の戦闘になった際、確実に邪魔にしかなりそうにないという判断があってのことか。

 

「さぁ、こちらへ」

 

 セバス・チャンに促され、カワウソはミカとクピドと共に、神の住まうがごとき宮殿を、アインズたちの背後を行く。

 いかにも危険かつ余裕な素振りで、敵である堕天使に背後をとらせているが、それも当然。

 宮殿には数えきれぬほどの扉、装飾、調度品、隠されたトラップのほかに、蟲のような姿をしたモンスター……ロイヤルガードという名の二足歩行する甲虫のほかに、アインズ・ウール・ゴウンが生み出したらしい中位アンデッドの死の騎士(デス・ナイト)なども、等間隔に配置されていた。

 もしも、カワウソたちが妙な動きを働き、アインズ達に害悪を成そうと動き出せば、確実に包囲殲滅できるだろう過剰な兵力。なので、ミカもクピドも、沈黙を保ったまま、それらモンスターやトラップの襲撃がないように、警戒を深めるしかない。

 

「そう固くならなくていい」

 

 しばらく進んだところで、アインズが余裕綽々という語気で振り返ってくる。

 

「今のところ、君たちはこの私──アインズ・ウール・ゴウンの“客人”だ。気を楽にするといい」

「…………」

 

 カワウソは応えない。答えようがない。

 いかにナザリックの支配者たるアインズ──モモンガがそのように勧めようとも、ここは完全に敵地にして戦域。しかも、ユグドラシルにおいて、誰一人として到達しえなかった領域とくれば、いやでも警戒と畏怖を懐かざるを得ない。おまけに、アインズの護衛役として傍に侍る女守護者二名の敵意と蔑意の眼光──案内役を務める老人からも、ごく薄い闘気がみなぎっており、それらは目に見えないのが不思議なほどの威圧感(プレッシャー)を醸成し続けていた。こんな状況で安心できるほど、堕天使の精神というのは緩慢ではない。むしろ恐怖などの状態異常に罹患しやすいのが、堕天使の弱点である

 それを、連中の戦気をカワウソが指摘しないのは、カワウソのNPCたち……護衛二人もまた、敵の首領に対する言語化不能の感情を懐いているのが、左右両側からひしひしと伝わってくるからだ。

 つまりは「お互いさま」というところである。

 

 それに、アインズは『今のところ』と言ったのだ。

 その意味は推して知るべきだろう。

 

 

 

 

 

 やがて一行は巨大な階段──これまた数多くの死の騎士(デス・ナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が階段脇を埋め尽くしている──を、粛々と降りていく。

 

「ここから先が、ナザリック地下大墳墓の真の最奥“第十階層”になります」

 

 降りるセバスの説明に、カワウソは軽く感動したように瞳を輝かせつつ、ふと疑問を浮かべる。

 

「この第九階層の、その、階層守護者は?」

「ああ。そういうものは、特にはいないな──あえて言えば、このセバスが守護者といえるだろう」

 

 アインズは嬉々として語る。第九階層の、今アインズとカワウソ達が進んだ廊下──そこで戦闘メイド(プレアデス)の六人を率い、第八階層を攻略した猛者(プレイヤー)たちを少しでも削ぎ落とし食い止める──「時間稼ぎ」のための要員として、今一行の先導を務めるセバス・チャンというNPCたちが配置されていた。

 

 だが、あの第八階層を攻略するほどの手練れ──プレイヤーが現れるということは、ほとんどアインズ・ウール・ゴウン側の敗北は確定していると言えた。

 

 世界級(ワールド)アイテム“諸王の玉座”に繋がった暴力装置……11個の星たる“生命樹(セフィロト)”。あれらと共に戦い、侵入者の中でもとりわけ厄介な存在を優先的に殲滅するようプログラムされたギミックシステム……“ルベド”。

 

 さらには、アインズの──モモンガの使用する世界級(ワールド)アイテムとのシナジー作用……“諸王の玉座”との相乗効果によって、絶対の“死”へと転換された生命樹──“死の樹(クリフォト)”。

 

 これらすべての猛威をかいくぐり、適正な攻略プロセスを踏んだゲーマー……異形種プレイヤー41人の(きょ)たる大墳墓の防衛機構を突破し尽した「勇者たち」を、悪のギルドたるアインズ・ウール・ゴウン……「魔王たち」は、悪の親玉よろしく、最奥の地にて泰然と待ち構えるべきというウルベルト発案のロールプレイが、このナザリック地下大墳墓の第九階層と第十階層の構造を生み出していた。本当は、あの廊下にはコキュートス配下の蟲モンスターや、アインズ謹製の中位アンデッドなども存在しえない──ゲーム時代にはありえなかった配置である。

 だが、この異世界に転移してより100年が過ぎた。

 

 そうして、このナザリック地下大墳墓で、紆余曲折・異論反論はあるものの、確実に第八階層を「攻略した」──生命樹(セフィロト)の弱点たる“足止め”スキルを使い、おまけにルベドという絶対脅威を、三人のNPCが敢闘し、最後の少年兵・花の動像(ナタ)が、おそらく偶然ながら、桜花聖域に逃げ込むまで引きつけ続けたからこそ、カワウソたちが次の階層への転移の鏡に到達するための貴重な時間を稼ぐことに成功した。

 ……さらには。

 封印閉鎖されていたとはいえ、あの荒野に設置された転移の鏡=第九階層への扉を叩いた……封鎖処理さえされていなければ、カワウソたち一行は確実に、次の階層へ到達していたという事実。ユグドラシルでは誰も成し遂げられなかった偉業をやり果せた堕天使と彼のギルドを、アインズは第十階層にまで案内することに決めた。

 

 かつて、アインズの仲間たちが決めた通りに、カワウソというプレイヤーを、魔王の待つ玉座の間へと導くことを、彼は大いに望んだのだ。

 

 無論、守護者たちは大いに反対反論し、転移でカワウソたちのいる第八階層に行こうとする主人(アインズ)を頑強に引き止めたが、カワウソという第八階層攻略者を招くことは『至高の四十一人の総意』であり、『何よりも尊いアインズ個人の願い』とあっては、抵抗し続けることは不可能であった。最低限の護衛として、アルベドとシャルティアを選抜しなければ、アインズは単独単身で敵であるカワウソたちの救命に──ルベドの停止命令を履行すべく転移しかねないほどの押し問答が繰り広げられた。アインズが敵の前に“単独”で姿をさらす危険を思えば、アルベドやデミウルゴス──弁舌に長ける者達であっても、反論は諦め、カワウソたちがヤケを侵さない程度の護衛・連中と同数の二人ほどを選んでもらったほうが無難であるという認識しか生まれなかった。

 

 そうして、アインズ・ウール・ゴウンは、第八階層を半ば攻略したも同然の(カワウソ)と、その護衛二名を随行して、第十階層に降り立った。

 

「さぁ、着いたぞ」

 

 執事に先導されたナザリックの最高支配者は、悠然と振り返り、骨の顔で微笑む。

 アインズとカワウソ達たちは進み続ける。

 壁に穿たれた七十二の穴には、六十七体の悪魔像。四つの輝きを満たしたクリスタルの部屋。

 第十階層・最終防衛の間──ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)

 半球状の巨大ドーム内に鎮座する罠。悪魔を(かたど)った超稀少鉱石の動像(ゴーレム)が侵入者を襲い、地水火風の上位精霊(エレメンタル)を召喚するクリスタルの広範囲爆撃を放つことで、Lv.100プレイヤーの2パーティー、12人程度は確実に掃討できる──たった三人の敵など、ひとひねりである。だが、今回その役目は必要なかった。

 これだけでも十分すぎるほどに、魔王の城の最奥じみた荘厳さと重厚さを感じさせるが、広間の奥には、さらに奥へと続く巨大な扉が、女神と悪魔のレリーフに守られるようにして、そこに佇んでいる。

 

「この奥こそが、我等アインズ・ウール・ゴウンの誇る、ナザリック地下大墳墓の最奥」

 

 アインズは音吐(おんと)朗々(ろうろう)に宣した。

 

「玉座の間だ」

 

 

 

 

 

 上機嫌に語るアインズに促され、カワウソは優に5メートルはある門扉を仰ぐ。

 右扉は女神が、左扉は悪魔が微細に彫り込まれた様は、今にもそれらが侵入者であるカワウソ達めがけて襲い掛かりそうなほどのリアルさを、ただの扉に刻み込まれていた。

 アインズは言った。

 この奥が、ナザリック地下大墳墓の最奥──玉座の間だ、と。

 主人の代わりにセバスが扉に触れた途端、両開きの黒扉は自動ドアのごとく施錠を外し、ゆっくりとした動作で開かれていく。

 空気が変わったように思った。

 静謐と荘厳で磨かれた空気が、その扉の奥に封じられていた。

 

「さぁ、入りたまえ──侵入者諸君」

 

 雄弁に促すアインズは、執事と守護者二人を連れて、広く高い室内へと歩を進める。

 

「さぁ」

 

 振り返ったアインズに導かれ、カワウソは深く呼吸する。

 もはや、言葉すら要らない。

 

 

 やっと──ここまで、来た。

 

 

 ひときわ大きな沈黙の中で、自分の鼓動と思考だけが、耳に痛い。

 天上から吊り下げられた複数のシャンデリアの豪華な宝石。

 巨大な円柱を幾本も連ねた壁に掲げられる、計四十枚の旗。

 何処までも高く、何処までも広い空間──金銀財宝を埋め込まれたがごとき部屋の奥には十数段の低い階段があり、段上には巨大な水晶を背負うがごとき巨大な玉座が鎮座している。あれこそが、“玉座の間”の主体であることは容易に察しがつく。その高く大きな玉座の背後には、アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインが刺繍された真紅の布幕。

 そして、そこに居並ぶ各階層守護者……第五階層守護者、コキュートス……第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラとマーレ・ベロ・フィオーレ(背格好が成長しているのは、100年後(ゆえ)の姿だからか)、第七階層守護者、デミウルゴスが、アインズ達の帰還を歓迎する。──主人が引き連れた侵入者(モノ)には、まったくそんな感情も感傷も懐いていないようだが。

 そして。

 それらすべてを、威風堂々と背負う絶対者(オーバーロード)が、王者の貫禄たっぷりに、水晶の玉座に腰を落とす。

 

「さぁ、来たまえ……侵入者諸君」

 

 座った彼に再び促されて、ようやくカワウソは、ナザリック最終地点と目される空間へ、足を踏み入れる。

 罠も攻撃もない。守護者らの敵愾心と好奇心──主人たるアインズが認めた“プレイヤー”への眼光だけは、過剰なほどカワウソたちを射抜いていたが。

 

「────」

 

 カワウソは無言で、自分の護衛たちへの言葉すら発すること無く、この地この場所へ初めて到達した“敵”として、前へ。

 一歩。

 また一歩。

 足甲(ラキア)の踵が、カシャリ、カシャリと音を刻み、広大な玉座の間を進み続ける。

 畏れで痛いほどに弾み続ける心臓──魂が喉からこぼれそうなほどの怖気──それにも優る光景の壮麗さ──そして、この未踏の地を、はじめて踏むことになった“敵”として、カワウソは栄光の(きざはし)をのぼるかのような幸福感に満たされる。──実際には、その階段が断頭台の処刑場に至る道筋であろうとも。

 と、その時、

 

「『そこで止まりたまえ』」

 

 中ほどを過ぎたところで、第七階層守護者・デミウルゴスの呪言が威圧的に響く。

 だが、天使の澱に属するカワウソたちのレベルには、何の拘束力も示さない。

 

「よせ、デミウルゴス」

「アインズ様、しかしッ!」

 

 魔導国の大参謀は抗弁の声をあげる。

 まったくカワウソたちを歓迎する気のない悪魔に対し、アインズは鷹揚に頷くのみ。

 デミウルゴスは主人の手前、勝手なことをした自分の非礼を“アインズのみ”に捧げる。カワウソたちへは儀礼的かつ形式的な姿勢しか見せないことに、堕天使は別に何も言うことはない。

 

「すまない。失礼なことをしたかな?」

「いいや」

「本当にすまなかった。我々も実のところ、この世界で、こうして君たちのような他のギルドと戦い、この第十階層で、本格的に相対するのは初めてのことでね」

 

 アインズは言い募った。

 悪魔のスキルが効いたわけでもなく立ち尽くすカワウソは、理解していた。

 ナザリックのNPCに歓迎されないのは、アタリマエ。

 拠点NPCの言動や理念は、どうやら、どこのギルドでも同じらしい。自分たちの属するギルドこそを最頂点とする信奉心。創造主に対する忠義や信義。それらに即してNPCたちの行動規範は確定されていると、これまでに判明し尽している。

 天使の澱のNPCたちにしても、カワウソ以外のプレイヤーや、よそのギルドに対する感情は劣悪に過ぎた(別に相手が「ギルド:アインズ・ウール・ゴウンだから」というわけではなく、本当に“外の存在”全般が嫌いなようなのだ)。なればこそ、玉座を護るがごとく居並ぶ階層守護者たちの鋭い視線──本気で身体が切断されそうな怒気と殺気に満ち溢れている光景は、当然のものであると了解できる。

 そして、それはカワウソの背後左右に並ぶ天使──ミカとクピドも、同様。

 

「──チッッ」

手前(テメェ)の配下すら(ぎょ)せないのかぁ? アインズ・ウール・ゴウンさんよぉぉ?」

 

 瞬間、守護者たちの怒りが沸点を超える。全員が眼と牙を剥き、陽炎のごときオーラがたちのぼったかのように見え、手には武装を──斧や槍、鞭や杖、刀や拳、悪魔の諸相が一瞬で整えられていた。

 ほとんど同様に、光剣と光盾、ライフルとミニガンを構える天使たちが応じる。

 

 

「騒々しい、静かにせよ」

 

 

 その一挙手のみで、ナザリックの守護者たちは己を律する。

 アインズ・ウール・ゴウンの──カワウソと同じ存在(プレイヤー)であるはずの、魔導王の堂々とした振る舞いに、カワウソは「へぇ」と頷きながら、ミカとクピドを手で制す。ただの威嚇・示威行為でしかなかったかのように、互いのNPCは視線の圧力と悪気だけはそのままに、冷静な姿勢を構築し直すように武装を収めた。

 ──いつでも敵の喉元に迫ることができるぞと、互いが互いの実力を推し量るかのごとき、虚無のうちでの、交錯。

 

「さて。では──改めて、ようこそ。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)、ギルド長・カワウソ」

 

 朗々と紡がれる王の声。

 空虚な眼窩の奥に灯る、血のような熾火。

 すべてがRPGの魔王然とした、悪のギルドの首領としてふさわしい、闇の一極点。

 

 

「アインズ・ウール・ゴウン、ギルド長・モモンガ……

 ……まず、確認のために、改めて、名乗らせてもらう」

 

 

 カワウソは、この異世界に転移してより、ずっと問いたかったことを問い質す前に──

 自分の“本当の名”を、教えてみる。

 

 

「自分は、若山(わかやま)宗嗣(そうし)です」

 

 

 カワウソは己の本名を口にしていた。

 若い山に、宗を嗣ぐ。若山宗嗣。

 背後でミカとクピドが、疑問に首を傾げる気配がする。

 

「わかや、ま……そう、し?」

「んんん?」

 

 あたりまえと言えば、あたりまえ。カワウソは、カワウソというユーザー名でしか、ユグドラシルで遊んでいなかった。……NPCである彼女と彼は、その名前以外の主人など、知る由もなかったのだから。

 そんなカワウソの挨拶をどう思ったのか。

 アインズは静かに頷く。

 

 

「自分は、鈴木(すずき)(さとる)です」

 

 

 鈴なりの木に、ものごとを悟る。鈴木悟。

 まるで営業のサラリーマンが、名刺交換をするような事務的な口調だ。

 まかり間違っても、異世界の一国の君主がするような挨拶などではないだろう。

 

 さらに、彼の傍近くに控えるNPCたち何人かも、ミカやクピド同様に疑問の視線を主人に捧げていた。彼らもまた、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCと同じく、ただのNPCでしかなかった証明だと、カワウソには感じられた(実際は、主人が自らの本当の名を、下劣な侵入者に明かしたことに対する驚愕に過ぎないが)。

 そうして。

 告げられた日本人然とした名前は、彼が、死の支配者(オーバーロード)の姿をした存在が、間違いなく、あのゲームのプレイヤーであるということを確信させる。

 ただのゲームデータの再現(ロールプレイ)では、さすがに個人情報とも言える本名を喋らせるはずがない。そんな必要性がどこにあるというのか。ただの魔王であるならば「──なんだ、その名前は?」くらいの反応で返しても、おかしくも何ともないはず。

 プレイヤー二人は同時に息をつき、そして頷いた。

 

「やっぱり……か」

「ああ。そのようだな」

 

 カワウソは、長らく疑問を懐いていた。

 

 本当に、この世界に存在するアインズ・ウール・ゴウンというのは、ユグドラシル時代のアインズ・ウール・ゴウン……モモンガというプレイヤーと、完全同一な存在なのか?

 

 ひょっとすると、この世界のアインズ・ウール・ゴウンというのは、ただのゲームデータを移植しただけの、ユグドラシルの時のそれとは別個な存在であるのではという、そんな疑念がいつもあったのだ。

 それこそ、この世界はカワウソの悪辣かつ馬鹿げた夢みたいなもので、カワウソの復讐心が望み欲した仇敵を再現しているだけの存在として、アインズ・ウール・ゴウンの名を冠するものがいるのではないのか──そう、懸念していた(無論、その疑念の矛先はカワウソ本人、本名でいうところの若山宗嗣であろうとも、同じく向けられてしかるべきだろう)。

 

 だが、アインズ・ウール・ゴウンは、己の本名を、日本人としての名を、口にした。

 

 カワウソもまた、己の本名を、過去を、記憶を、鮮明に告げることが可能という、事実。

 

 そして、これまでの行動経過を(かんが)みれば、彼がただの移植データや、ネットのWiki情報を(もと)にした存在……カワウソの空想が生み出した仇討ちの標的として夢想する“幻”という可能性は、綺麗さっぱり潰えたわけだ。

 彼は──アインズは──カワウソ同様に、ユグドラシルから転移してきたプレイヤー……ただの日本人ということが確定した瞬間だった。――勿論、彼が口から出まかせに日本人っぽい名を告げている可能性もなくはないが、そんなことをする理由の薄弱さを考えると、ありえないという思いが強かった。

 

「本当に、ユグドラシルのプレイヤーだったわけだ」

「ああ。こちらもそれを懸念していた」

 

 軽妙ともいえる調子でカワウソの言に同調する、魔導王アインズ。

 泰然と玉座に座すアンデッドの様子は、支配者の相がありありと浮かんでいた。

 リアルだと企業の社長だったりしたのかなというくらい、その様は堂に入った振る舞いである。

 そもそもが、ユグドラシルで四桁も存在したギルドの頂点と言っていい「十大ギルド」に数えられたこともある組織の長だ。カワウソのような、なんちゃってギルド長と比較することすら烏滸(おこ)がましい。

 

「でも、そうじゃなかった」

「ああ。そうじゃなかったようだな」

 

 まるで互いに健闘を讃えあうかのごとく、この状況に笑いが込み上がる感じで肩をすくめあう。

 ユグドラシルのプレイヤー同士──ただそれだけの理由で打ち解けられるほど、二人の事情や関係性は単純ではなかった。

 片や、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンへの復讐に焦がれる堕天使。

 片や、国に擾乱(じょうらん)をもたらされた統治者にして、この大陸の至高なる王。

 二人はサラリーマン同士が握手を交わすかわりに、ただ互いの疑問を解消するための質疑応答を求めた。

 

「他にも確認していいか?」

「どうぞ、なんなりと」

 

 両腕を軽く広げ、胸襟を大きく開いた王の姿に、堕天使は問いを並べる。

 

「──質問。この世界は、いったいなんだ?」

「それは、我々も未だ調査中だ」

「──質問。どうして、この異世界に、俺たちユグドラシルの存在が転移している?」

「それも、我々の方で調査中だ」

「………………えええ?」

 

 不満そうな息が漏れるのを隠し切れない。

 もしや、本当は答える気などないのかと疑い掛けるが、そんなことを言っていられる状況でもない。

 

「────質問を変える。どうして、おれを、俺たちをこのナザリック地下大墳墓の、第十階層に招いた?」

 

 こればかりは答えざるを得ないだろう。

 アインズは重く頷き、その問いを待っていたと言わんばかりに、心地よさそうな音色で話し出す。

 

 

「君が、あの第八階層を攻略したからさ」

 

 

 カワウソは首を斜めにするしかない。

 あれは、第八階層の攻略は、カワウソにとっては失敗に終わったものだと思っていた。

 しかし、アインズにとっては、何かが違うかのように、何か嬉しいことを思い出したように、言葉を連ねる。

 

「私の、かつての仲間たち皆と決めたことなのだが──あの第八階層を、ナザリックにおいて最強の存在である生命樹(セフィロト)やルベドを、突破されるような事態に陥れば、あとは悪のギルドらしく、ナザリックの最奥で、攻略者たちを待ち構えようと──そう決めていたのだ」

 

 アインズは、どこか遠くを見るような、遠い場所に置き去りにした何かを見つめるような不思議な表情で、述懐していた。

 

「仲間、たち──」

 

 その言葉が意味することを、カワウソは推し量る。

『まさか』とは思った。

 幾度となく推考していた。

 彼がプレイヤーのモモンガであれば、『あるいは』と──

 そして、彼の語る口調や、気取らない自然な音律は、魔王然とした言葉よりも、真実彼という男の本質──本心を言い表していると、理解できた。

 

「ああ……やっぱり」

 

 そういうことか。

 カワウソは納得してしまう。

 

 

 

「あんたがギルドの名前を、──“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗っているのは──

『仲間たちのため』……なんだな?」

 

 

 

 カワウソの指摘した言葉に、ミカとクピドは疑念するように声を吐き掛ける。

 逆に、アインズ・ウール・ゴウンたち──特に、玉座に座るものを護る階層守護者たちは、目の前の外の存在……浅はかで卑しい“敵”が、その真実に、わずかな問答で至った事実に、沈黙の瞠目で応えるしかないようだ。

 

「…………ああ、そうだ」

 

 指摘を受けたアインズ本人──モモンガは照れたように、あるいは寂しそうに、もしくは誇りに満ちたように、まっすぐな声色で、頷きを返すのみ。

 

 モモンガが、アインズ・ウール・ゴウン……ギルドの名を名乗る理由。

 

 それを理解できるユグドラシルプレイヤーなど、いったいどれほどの数になるというのか。

 あの「悪名」によってネット上を賑わし、非難賞賛、あらゆる罵詈雑言と、ごく少数の美辞麗句を捧げられた伝説のギルド。「悪のギルド」としてランキング最高九位の座に就き、前代未聞の1500人からなる討伐隊を全滅させた存在。彼らの成した功績を疎み、妬み、憎み、罵る連中は数知れず。あるいは彼らの遂げた偉業を、讃え、賞し、憧れ、羨んだプレイヤーは、それなりにいた。

 

 

 

 そんなギルドの名を戴くプレイヤー……ギルド長の、モモンガ……

 

 

 

 もしも、100年後の異世界に現れたのが、カワウソ以外のプレイヤーであったなら、大多数のプレイヤーは、モモンガの、アインズの成そうとしたことを推察することすら不可能であっただろう。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの栄光の歴史。その存在を不動のものとして、この異世界に刻み込み、不朽の大国として、大陸全土に覇を唱える統一国家を樹立するなど……それは、ほとんど狂気の沙汰だ。

 ユグドラシルのギルド……アインズ・ウール・ゴウンの栄光は、のぼる日がやがて西の果てに沈むがごとき、過去のもの。

 当然の結末(おわり)のひとつ……過日の思い出にすぎない。

 あのサービス終了の時、ユグドラシル内で確実に活動していたログインメンバーは、せいぜいギルド長の(モモンガ)ただ一人であり、ランキングも最盛期の頃・最上位である十大ギルド時代からは確実にダウンしつつ、そのギルド拠点ポイントと、世界級(ワールド)アイテムの桁違いな所持数によって、どうにかギリギリ上位に食い込んでいた“だけ”。他のプレイヤーたちは、ナザリック地下大墳墓を本格的に再攻略しようという意気は完全に潰え去り、ナザリックへの物見遊山を試みるご新規さんすら絶えきった過疎化の時代……ユグドラシルの“終焉期”において、このギルドは「過去の遺物」になりさがっていた。誰も何も、ナザリックの存在を、そこにある悪のギルドの名を思い出すことすら不可能であった。……当のギルドメンバーたちですらもが、「まだここが残っていたなんて思ってもみなかった」ような代物にすぎなかったのだ。

 

 最盛期から終焉期への移行を知る者が、この100年後の異世界に転移したら、確実にアインズ・ウール・ゴウンの世界征服を「笑った」だろう。

 過去の栄光にしがみつき、転移した先の異世界で、惨めにも王様ごっこを繰り広げるプレイヤーの憐れな狂態を、完全に理解不能な蛮行と判じ、アインズや守護者たちNPCの逆鱗に触れたはず。たとえ、その本心を巧みに隠せたところで、真に心で思うことを隠し通せる人間(プレイヤー)は、いない。

 

 あるいは、異世界で暴力と混沌を撒き散らし、強者の倫理というものを笠に着て、平和な国家を築く中で行われた、アインズ・ウール・ゴウンの虐殺と悪逆と非人道の歴史に憤り、異世界の自然の在り方やあるべき歴史を「壊して」「歪めて」「改変した」という事実を悪しざまに罵り、憤ってみせる“主義者”が現れたかもしれない。

 

 たとえ、そういったアインズ・ウール・ゴウンに対する偏見や知識を持たないプレイヤーが現れたとしても、アンデッド故に同族意識を向けられない人間……臣民を、時にはモノのように消費し、国家体制を構築する上で必要な犠牲を強いなければならない「王」の姿を、一般的な感性しか持ち得ないプレイヤー……人間が、彼のやることすべてを、受け入れることが出来るものだろうか。

 

「王」にとって必要な治世において、犠牲をまったくなくすことは不可能。内乱の鎮定。武力の衝突。殺人や事故。犯罪者の処刑。病気や寿命問題。魔導王アインズは、その犠牲にした“すべて”を、アンデッドの脳髄に記憶し記録し続け、今や名実ともに至高の王帝として君臨しているが、しかしそれ故に、犠牲にしたものは、戻らない。

 アインズが、100年前のことを、何よりも大切な仲間たちとのかけがえのない思い出を赤錆びさせていたのも、そういった膨大に過ぎる記憶容量に、人間の残滓(スズキサトル)は確実に疲弊を余儀なくされていたから。さりとて、そういった犠牲をまったく省みず、心に留めない「モノ」になり果てたならば、鈴木悟は、身も心もアンデッドの死の支配者(オーバーロード)になりはてる……あの邪神……かつて法国で信仰された死の神……「神に成り下がってしまった」プレイヤー……“スルシャーナ”のように。

 

 

 だからこそ、アインズは忘れない。

 自分が犠牲にしたものを。

 自分が救済したすべてを。

 アインズは、けっして、忘れない。

 

 

 だが、今回。

 100年後の異世界に現れた異形種プレイヤー・堕天使のカワウソは、完全に理解していた。

 魔導国の「王」としての責務ではなく、アインズ「個人」としての絶対基準を。

 彼が、モモンガが、“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗った……その理由を。

 

 それは、

 仲間たちと築いたギルドの(そんざい)を残すため。

 仲間たちと創り上げたものを異世界中に喧伝するため。

 仲間たちに……「アインズ・ウール・ゴウンは、“ここにいる”」と……そう告げるため。

 

 だからモモンガは、アインズ・ウール・ゴウンという名を、不朽不滅の国家の名前にした。自らをアインズ・ウール・ゴウンという名に変えることで、仲間たちとの思い出を、自分(モモンガ)は忘れていないと──そう教えるためだけに。

 

 カワウソは感服していた。

 ただただ「仲間たちのため」に……ただそれだけのために、これだけのことをやり遂げ、100年もの長きに渡ってやり果せてみせた男の姿に、堕天使は憧憬ともいってよい眼差しを向けそうになる。カワウソもまた、「仲間」というモノを絶対としている点では、完全に一致していた。

 しかし、決定的に違うものが、両者の間には横たわっていた。

 堕天使は思い知る。

 

 自分ではこうはいかない。

 自分にはこれだけのことはできない。

 自分では、これほどのことをする意味が、ない────

 

 ふと思う。

 

 ──もしも。

 もしも、彼が自分の仲間だったなら……

 もしも自分が、彼の仲間だったなら……

 

 そんな馬鹿げた、意味のない空想に耽溺しかける自分を笑うように、カワウソは首をかすかに横へ振る。

 

 

「……うらやましいな」

 

 

 たまらなくなって、言葉がこぼれるのを抑えきれない。

 

「俺には、そこまでしてやれる仲間は、そこまでしてやろうと思える仲間なんて……いなかった」

 

 ギルドの名を残すという一大事業……その果てに築き上げた、平和な統一国家。

 それに比べてカワウソは、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)という名のギルドを築いた。かつて築き上げたものとは違うものを創り上げ、己の目的のみを追求し検証し研究するための道具として、ミカたちのようなNPCを生み出した。

 今のカワウソにあるものは、仲間たちとの「かつての誓い」を、「約束」を果たしたいという、切実な思いだけ。アインズ・ウール・ゴウンとは似て非なる思想──両者は、大切な仲間がいることは共通していたものの、カワウソの自己認識だと、堕天使が目標としてきたものは、ただの馬鹿な男の“我儘”でしかない。

 堕天使は訥々と語る。

 

「誰も、俺の言うことを理解してくれなかった。誰も、俺たちのギルドを、世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)を再興しようと──賛同してくれるメンバーは、……いなかった」

 

 一人も。

 一人たりとも。

 だから、カワウソは、世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)を再建することはしなかった。

 同名のギルドを創り上げ、仲間たちが戻ってくる時を待つようなことは、しなかった。できなかった。

 

「ナイツ・オブ……ラタトスク?」

 

 はじめて聞く情報に、アインズは小首をかしげる。

 堕天使の渇ききった声をどう思ったのか、アインズ・ウール・ゴウンはそれ以上多くを聞くこと無く、もっと違うことを、優先的に知らねばならないことを、率直に(たず)ねる。

 

「……では。今度は、こちらの質問に答えてくれ」

 

 カワウソは声の主を、この国の王を、その火の瞳を睨み据えた。

 

「君について、君の世界級(ワールド)アイテムについて、私から質問だ」

 

 堕天使は静かに頷いてみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




To be continued…


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絶対者(オーバーロード)復讐者(アベンジャー) -2

※注意
 今回のお話に登場する魔法〈闘争の中継〉は、オリジナル魔法です。


/The 10th basement “Throne” …vol.02

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズは重い声音で告げてきた。

 答えてもらうという強要に近かったが、カワウソは無言で顎をしゃくり、魔導王に先を促した。

 守護者たちの青筋がピクリと動いた。しかし、自分たちの主は別に気を悪くした風も見せないので身動きが取れない。

 アインズは穏やかともいえる口調で問いを投げる。

 

「君の目的は確か、我がナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”にいる“あれら”への復讐、だったな?」

「マルコから聞いていたか……それとも……いいや。それがどうした?」

「君の復讐は、あれらを、我が生命樹(セフィロト)たちを封じ、ルベドの蹂躙を他のNPCにひきつけさせたことで、第九階層への転移の鏡に到達したことで果たされた」

「…………それで?」

「この状況で、復讐を終えた君は、いったい何を望む?

 まだ我々と、この私アインズ・ウール・ゴウンとの無為な戦いを望むか?」

「……そうだな」

 

 復讐は果たされたはず。

 カワウソの目的は、これですべてが遂げられた、はず。

 なのに、何故──

 

 

「戦う」

 

 

 堕天使の戦意は──カワウソの見開いた眼は、モモンガを、アインズたちを殺したくてたまらないという風に、黒く暗く、水底の澱のごとく、鈍く輝いてみえるのか。

 アインズは疑念する。

 彼は、カワウソは気がついていないはずがない。

 居並ぶ守護者たち七人の猛烈に過ぎる虐意。ギルド拠点の最奥の地に潜在するデストラップ。──さらに、世界級(ワールド)アイテムという至宝が、この異世界で新たに手中にした物も合わせて11個以上。アインズ・ウール・ゴウン、モモンガの従える全戦力を考えるなら、たった三人の敵──堕天使プレイヤーとNPC二体の1チームなど、掃滅し殲滅し全滅することは、あまりにも容易。

 彼ら天使の澱の運命は、確実に破滅の門を通り抜けようとしている──なのに。

 

「俺はまだ、戦う。

 戦わないといけない……戦わなくちゃ、ここまで来た意味がない(・・・・・)

「──何故だ」

 

 アインズは困惑を声に零すことなく、冷徹な王の口ぶりで、泰然と手指を組んだ姿勢で、告げる。

 

「こちらとしては、君たちに降伏を勧告し、然る後に和睦を申し出る用意もあるのだが?」

 

 ただ力を漫然と振るうことだけが、真の強者の戦いではない。無用不毛な争いを避け、それですべての目的を達成することができれば、それで十分。今回は結果的にこのような事態に陥りこそしたが、カワウソたちとの戦いで、ナザリックや魔導国が被った被害など、アインズにしてみればどうということもない程度……というか、被害らしい被害など「ない」と言ってもよい。第八階層のあれらは足止めスキルで封じられこそしたが、健在。ルベドのシステムにも問題はなく、せいぜいギルドの運営資金を消耗しただけ。ナザリックの拠点NPCや魔導国の臣民は、天使の澱から直接的に害された者は皆無という状況であるのだ。彼との和睦条件にしても、それなりの地位を彼と彼のギルドに与えてもいいと、アインズは考慮している。だが──

 

「……それは、慈悲深いことだ。さすがは、至高の魔導王陛下ってヤツか」

 

 薄ら笑いを浮かべる敵の言葉。守護者(シモベ)らにはあまりにも軽率で高慢な物言いで、脳髄を直に爪で引っ掻くかのごとく不愉快な音色だったようだが、同じプレイヤーであるアインズにとっては、特に気にする口調ではない。

 ただ……「不可解」ではあった。

 

「それでも、俺は──アンタと……“アインズ・ウール・ゴウン”と、戦わなくちゃ、いけない」

 

 いけないんだ。

 

「……いけない、だと?」

「ああ。だって、俺の戦いは……俺たちの冒険(・・)は……まだ、終わっていない」

 

 そう言い募る堕天使の声を、アインズは重く受け止める。

 

「何故だね? 君の復讐は果たされたのではないのか? それとも、我々が何か、君たちの不興を買うようなことでも?」

 

 ありえるのは、マルコによる監視要員を秘密裏に派遣していた案件か? だが、あれはカワウソ自身が、彼自身の口から理解を示していた。理解を示しながら、カワウソはアインズたちとの敵対関係を、頑迷なまでに望み欲した。

 

「そういうんじゃあない、……かな?」

 

 堕天使は飄々と、自嘲するように黒く微笑んだ。

 アインズ・ウール・ゴウン側の失態や不手際はないと、彼は頷く。

 要領を得ない堕天使との問答に疲れを覚える。アインズは別に訊くべきことを最優先とする。

 

「──では、質問を変えようか」

 

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンは問い質す。

 

「どうやって。我がナザリック地下大墳墓の防御機構・完全無欠の転移阻害を打ち破り、あの第八階層に転移した? いくら“流れ星の指輪(シューティング・スター)”を、超位魔法〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉を使用したとは言え、こちらは世界級(ワールド)アイテムで防御を張っているのだぞ?」

 

 彼が骨の指で示した先にあるもの。

 カワウソが知らぬ玉座の名は、世界級アイテム“諸王の玉座”。

 

 アインズが座する玉座そのものが行使する防衛能力によって、ナザリックはそこいらのギルド拠点よりも数段優る防衛能力とデータ量──NPC作成レベル上限の高さを発揮していた。わけても、拠点内に侵攻する敵に対する転移阻害能力に関しては、最高峰とも言える防衛機能を発揮し続けたのだ。

 それを、目の前に存在する堕天使プレイヤーと、天使ギルドのNPCたちは見事に打ち破り、あの誰も踏破不能であった第八階層を無事に(くぐ)り抜け、そして今、こうして、このナザリック地下大墳墓の最奥──前人未到である第九階層……そして第十階層“玉座の間”への入場を成し遂げた根本的な理由が、アインズはどうしても知りたかったのだ。

 というよりも、知らねばならない。

 今後、このナザリックを、完全かつ完璧に防衛するために、何が必要なのかを認識するために。

 

 ……カワウソは、その余裕ぶりに笑いが込み上がる。

 すべてはナザリック地下大墳墓の防備を、盤石以上のものに昇華するために。

 そのためだけに、アインズ・ウール・ゴウンはカワウソをここまで招き入れたのだ。

 もう既に、侵入者(カワウソ)たちを倒した後の算段をつけている魔導王が、あまりにも超然としすぎていて、文句を言ってやろうという気概さえ湧かない。

 苦笑するだけしかない堕天使に、アインズはひとつの仮説を打ち立ててみせた。

 

「君も、世界級(ワールド)アイテムの所持者なのだろうと我々は見ているが、どうかな?」

「……確かに、俺は世界級(ワールド)アイテムを持っている」

 

 カワウソはアインズに倣い、指を頭上に突きつけ、そこに浮遊する“御璽”──赤黒い輪っか状の装備を示した。

 

「これは世界級(ワールド)アイテム……名前は、“亡王の御璽”という」

「……亡王の、御璽……」

 

 墳墓の表層で、カワウソが掴み発動した、生物の臓腑のごとく妖しく明滅する、赤黒い円環。

 もはや力を失った無用の長物でありはしたが、アインズにとってはかなり興味深い情報だったらしく、事細かく質問が重なる。

 

「なるほど。やはり、それか。具体的な効力や、使用条件などを聞いても構わないだろうか?」

「……多分、戦闘を見てわかってはいるだろうが、これは『自軍勢力を“無敵化”する』世界級(ワールド)アイテムだ。使用条件は、とくに決められていない。俺が使いたいと思った時に、自分の軍勢を、任意の時に強化できる」

「ふむ。それは、『一定時間の制限付き』だな?」

「……ああ、そうだ」

 

 カワウソは嘘をつかなかった。

 嘘をついたところで、もはや円環を……この“御璽”を発動させることは不可能な状況だ。いつでも使える万能アイテムなんだぞと、警戒させるメリットがない。そんな嘘はすぐに見破られる。おまけに、アインズはこのアイテムの正確な弱点までをも看破していた。

 

「その、無敵化の対象というのは、『発動者本人である君は、“含まれない”』……違うか?」

「…………正解」

 

 さすがは、ランカーギルドの(おさ)だった男。

 無敵化された天使の澱のNPCに護られ続けていた堕天使プレイヤーの挙動を、あの戦闘光景を観察しただけで、そこまでの解答に至れるとは。

 

 カワウソの発動した世界級(ワールド)アイテムが、自分(カワウソ)自身を含む無敵化であったなら、NPCたちに壁役を任せる理由はないはず。墳墓の表層でも。第八階層での戦闘でも。カワウソは常に、傍にいるミカたちNPCに護られ続けていた。まるで、カワウソを護らなければ、自分たちの無敵化が終わるかのごとく。

 

 そうして、たった一度の発動を目にして、カワウソたちの僅かな挙動や戦闘風景を観察し続け、その発動法則や致命的な弱点を看破するアインズの目利き……守護者たちですら最高位智者だけが勘づいていた程度の情報を読み解く慧眼(けいがん)は、見事と評するよりほかにない。

 

 

 カワウソの世界級(ワールド)アイテム──“亡王の御璽”──

 

 

「無敵化」の状態……敵からのあらゆる攻撃を防御し、敵のあらゆる防御を突破しうる、ゲームでの“無敵”状態を、発動時間10分の制限時間……「九つ」の世界を囲む円環がすべて砕けるまでの間、自分の率いる自軍勢力全体に波及・伝播させる世界級(ワールド)アイテム。

 そのため、このアイテムは強化すべき自軍……自分以外のPCやNPCが、発動者の近くに存在しなければ、発動することは出来ないという、とても面倒な発動条件を有する。

 そして、この世界級(ワールド)アイテムの発動者は、無敵化の対象にはなりえない。

 さらに、無敵ではない発動者(カワウソ)さえ死んでしまえば、世界級(ワールド)アイテムの効力は失われるという、致命的過ぎる弱点が存在していた。

 だからこそ、カワウソの拠点NPCたちは、カワウソの盾として、彼を傷つけ殺そうとするすべてから、身を挺して主人を守り抜いていたわけだ。

 

 

 アインズはこともなげに言い放つ。

 

「実に興味深い。君がそれを差し出してくれるのならば、今回の大罪……ナザリック地下大墳墓への侵入は、不問にしても良いが?」

「……悪いが、このアイテムは“呪い”みたいなものでな。『敗者の烙印』を押された、ギルド武器破壊に伴うギルド崩壊経験者『のみ』が扱うもので……俺の取得した烙印保有者専用の職業(クラス)復讐者(アベンジャー)のレベルとかを持った奴にしか装備できず、使用することも出来ないらしい」

「──ほう? 『敗者の烙印』…………復讐者」

 

 嘘ではない。

 この世界級(ワールド)アイテムを取得できたのは、カワウソが獲得した“復讐者(アベンジャー)”や“復讐の女神の徒(ネメシス・アドラステイア)”などの特殊なレベルがあってこそ。というか、そういった特殊な職業をはじめて獲得し、最大レベルまで獲得した第一人者へ贈呈された代物であり、同時に、復讐者の頭上に問答無用で浮かび続ける……装備を解除できない……“呪い”じみたアイテムだったのだ。

 言い方を変えれば、これはカワウソの存在自体が世界級(ワールド)アイテムそのものというべきかもしれない。

 これを差し出そうと思えば、堕天使の「首から上」を持っていくしかないだろう。

 なので、カワウソは彼の申し出に対し、首を縦に振れるわけがない。

 ──それはつまり、自分の「死」に他ならないのだから。

 

「そうか。それは残念だ」

 

 アインズは心底残念そうに、玉座の背もたれに体を預けた。

 

「我がナザリックの転移阻害を、防衛能力を一時的か限定的か、どちらかは不明だが『突破』したアイテムともなれば、なかなかに強力な戦力になると思ったのだがな」

 

 そう告げる彼の言った内容に、カワウソは少しばかり訂正してやりたい気持ちが芽生える。

 違う。

 自分が、あそこへ、第八階層へ転移できたのは──

 

「──第八階層に、あの“荒野”の真ん中に転移出来たのは、単純に世界級(ワールド)アイテムの力を使ったからじゃない。

 ……はずだと思う。たぶん」

「ん──なんだと?」

 

 正直に言うと、カワウソも確信があって言えることではなかった。

 この異世界に渡り来たことで、アイテムや装備品の効果効能に疑問を覚えることはままあったし、ユグドラシルの法則が通じる世界でありながらも、ユグドラシルとは決定的に違う異世界でもある事実が、カワウソの認識を著しく困惑させてきた。

 さらに言うと、この御璽には、カワウソも知らない秘められた性能があって、この異常事態に際して、真の効力を発揮した可能性も、一応だが0(ゼロ)ではない。

 

 

 

 

 /

 

 

 

 

 カワウソは知りようがなかった。

 

 この“亡王の御璽”の効果は、「いかなる攻撃や反撃、迎撃や魔法効果、特殊技術などから対象となる軍勢を守護する状態ステータス=“無敵化”を与える」こと。

 

 だが、その無敵化に、発動者・装備者・カワウソ自身は、“一切”含まれない。

 この御璽の無敵化は、装備発動者であるカワウソは、完全に適用されえない。

 

 それ故に、御璽の発動には「カワウソ以外の自軍勢力」が必要不可欠──ゲーム時代、彼個人がソロで活動せざるを得なかった時は、ほとんど発動させることは不可能な仕様が存在していたのだ。この自軍勢力というのは複数人──少なくとも1チーム──発動者を含めて2名程度の員数が必要不可欠。

 これは「強化すべき対象が傍にいない状態では、強化が発動するわけもない」が故の、ただの仕様に過ぎない。

 単純な召喚魔法や作成系スキルで作った存在=「攻撃や防御手段」として発生した存在は、「自軍勢力」とはみなされず、あくまでキャラクターとして独立した存在──わかりやすく言えば、自分以外のPC(プレイヤー)・傭兵NPC・拠点NPCなどのことを指す。そのため、カワウソがユグドラシル時代、ナザリック攻略時には単独で乗り込むしかなかった状況では、まったく完全に発動することができない・使えない世界級(ワールド)アイテムであったのだ。

 

 しかし……ある一点において。

 この御璽は発動した時、カワウソ自身にも“無敵”と言える性能を供与してくれる“隠し機能”が備わっていた。

 

 それは、「無敵化の効果発動中、敵対象の世界級アイテムの効果を、局所的・限定的ながら、完全に無力化する」という能力。

 とくに、“亡王”……「王を亡き者とする」というネーミングから、“王”の名を戴く「とあるアイテム」には、覿面(てきめん)な効力を発揮しえる。

 

 そう。

 カワウソ=「ギルド崩壊経験者の“復讐者”」に与えられる“「亡王」の御璽”は、「ギルドの拠点防衛」に特化した世界級(ワールド)アイテム──“「諸王」の玉座”に対抗し、その絶対的なギルド防衛力と拮抗・一時無力化することが可能という、絶対的な権能を与えられていたのだ。

 ……本人はまったく、その事実に気づいていなかったが。

 この機能をカワウソが知らなかったことは、無理からぬ事態であった。

世界級(ワールド)アイテムの効果を無効化する能力』――言い換えればその機能は、世界級(ワールド)アイテムと対決する状態を構築……具体的には、拠点防衛力が働いているダンジョン内……今回でいえば「墳墓の表層」で使用されなければ、当然発揮されるはずのない機能であること。

 カワウソが、あのゲーム(ユグドラシル)で直接確認できた“亡王の御璽”の効果は、『自軍勢力の無敵化』のみ。

 そうして、発動する際にはどうあっても、無敵化を施す“自軍”が存在していなければならないこと。

 それが、堕天使のソロプレイヤー・カワウソの知りえる、ただひとつの真実であった。

 

 なんという皮肉だろう。

『敗者の烙印』保持者・ギルド崩壊経験者の中でも特異な“復讐者”へと贈呈される世界級(ワールド)アイテム。だが、その効力を発揮するには、自軍勢力──「自分の仲間」がいることが、絶対の発動条件と定められていた。

 仲間たちと別れざるを得なかったプレイヤー……仲間たちと別れたことで、保持し続けることがはじめて可能である『敗者の烙印』を押された存在に対し、あろうことか「仲間」を求めるアイテムを授与するというのは。

 だからカワウソは、この世界級(ワールド)アイテムが嫌いだった。

 運営にも何か別の意図や思惑があって、こんな悪辣な世界級(ワールド)アイテムを創ったのだろうと思われるが、ユグドラシルで仲間たちを(ことごと)く失ったカワウソにとっては、ただの皮肉────意地の悪い“呪い”にしか思えなかった。

 

 だが、そんなアイテムに隠された機能――「対」世界級(ワールド)アイテムに限定特化した“無力化”能力によって、カワウソの“亡王の御璽”は、彼の認知する以上の効果を発揮。

 

 ──ギルド防衛用アイテムを、ギルド崩壊経験者が戴くアイテムが、完全突破。

 

 100年後の今現在も、ナザリックを防衛する絶対権能として起動していた“諸王の玉座”の効能「転移阻害」に、一点の穴を穿つことに成功。その小さな穴から、カワウソたち──“ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のすべて”──は、ナザリックの最奥に近い第八階層への転移侵入を果たすことが相成ったわけだ。流れ星の指輪(シューティング・スター)に“すべて”と願ったことで、彼のギルド拠点までもが、第八階層への転移対象に追加されたのであった。

 

 そして、彼が墳墓の表層で起動した、あの『壊れた剣』の効果が、彼ら天使の澱を、“荒野”の“真ん中”へ──かつて、カワウソの仲間たちが死んだ場所へ、送り届けてくれたのだ。

 

 

 

 

 /

 

 

 

 

 しかしながら、アインズは仮定として、“諸王の玉座”を無効あるいは無力化する能力を備えているものと、完全に見做(みな)していた。看破していた。

 ユグドラシルの仕様上、自分の保有するアイテムですら未知が多数織り込まれていることもある(その最たる例は、100年前、かつてアインズが一人の村娘(エンリ・エモット)に与えた“小鬼(ゴブリン)将軍の角笛”である)。その事実がある以上、カワウソが知りえない“以上”の性能というのも、実際としてありうることだと思われたから。

 ……だとしても。

 解せないことが、ひとつ。

 

「では、どのようにして君は、あの第八階層にまで転移することができたと?」

 

 しかも、自らのギルド拠点「丸ごと」という、前代未聞の現象を、大転移を引き起こしたというのか。

 ただの転移魔法である可能性は、完全にゼロ。単純な転移魔法は仕様上、使用者が認知したフィールドへの転移しか行えない。遠方の地へ転移する場合は、事前に「その場所へ行っている」か、魔法やアイテムなどで「そこを覗き見ている」「情報を得ている」場合でしか転移できない。動画映像によって見た場所程度は完全に適応範囲外だ。そもそもにおいて、ギルド拠点内にギルド拠点が転移するなんて、いくら異世界に転移した事実を加味しても、そんな超常の転移現象はありえない。そこは超位魔法〈星に願いを〉の汎用性が高まったことが要因だろうか。

 だとするならば、彼がナザリックの表層で取り出し、手中に握り続ける(・・・・・・・・)アイテム──腰のベルトに携行している壊れた剣(・・・・)は、いったい何なのだろう。

 アインズは興味が尽きなかった。

 そうして、それくらいのことなら、カワウソも解っている。

 

「君は、かつてあの第八階層に踏み入ったことが?」

「──いいや。“()”じゃあない」

 

 堕天使は首を振った。アインズはかすかに当惑する。

 

「ぇ……君では……ない?」

「──ああ、──そうだ」

 

 だから、カワウソは頷き、もうひとつ……ナザリックへの侵入に貢献したアイテムを、腰帯から抜き払い、まるで祭具を扱うかのように両の手で、掲げ見せる。

 

「──かつて、俺の仲間たちが、あの第八階層にまで辿り着いていたおかげ」

 

 だと思う。

 

「……どういうことだ?」

 

 疑問するアインズに、カワウソはナザリックの表層にある墳墓で取り出し、腰部に携行したまま、ともに第八階層を突破したものを、眺め見る。

 

 

 その剣は、

 この異世界に転移して、

 アイテムボックスのなかを探った時、

 最初に確認していた──「あるもの」であった。

 

 

 クズ鉄かガラクタにしか見えない刀身は、朽ち果て砕け折れ、完全に壊れている。とても戦いで使えるものではないはず。なのに、カワウソは決して、この武器(アイテム)を放棄することはなかった。ユグドラシルでも。この異世界でも。常にボックスのトップ画面……“お気に入り”の定位置に据えていた。

 まるでそれだけが、かつての仲間たちとの(よすが)であるかのようにさえ思っていたのかもしれない。

 馬鹿げた未練を懐く自分を密かに(あざけ)りつつ、カワウソは言う。

 

「──これは、俺がかつて所属していた、今は亡きギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)が製作したギルド武器。名前は、ナイツ・オブ・ラタトスク・ソード」

 

 その、試作品外装データを流用して加工しただけ(・・)の“模造品(レプリカ)”。

 それを、あのギルド崩壊後、カワウソが半ば自棄(やけ)で改装し、この朽ちたデザインを施したもの。

 

「あの討伐隊に参加した俺の仲間が携え、そして、あれらによって砕かれたギルド武器の、──なれの果てだ」

「……なに?」

 

 これは、ギルドのグラフィッカーとして……NPCやオリジナル武装のデザインを製作する際に、カワウソが外装(グラフィック)の作成をほぼすべて請け負っていた役割の関係から、かつての仲間たちより預けられ譲り受けていた複製物。

 それほどのアイテムを、このようなクズ鉄のような外装に整えて、おまけにアイテムボックスの最前列──トップ画面にいつまでも据えて残しておいた理由は、「絶対に忘れないため」に他ならない。

 この「崩壊したギルドの剣」こそ、自分たちがこの場所にまで辿りつけた、最たる要素にして因果だと、カワウソは結論している。

 

「どういうことだ?」

「かつて、これと同じものに、ギルド武器に組み込まれていた魔法の中で、アンタが知りたいのは、ひとつだろうな」

 

 自軍勢の大鼓舞、所有者のステータス三重化、大鷲フレスヴェルクと魔竜ニーズヘグの召喚。

 それらを遥かに凌ぐ大魔法。

 

 

「──第十位階魔法〈闘争の中継(セーブ・ザ・ウォー)〉」

「…………な、何?」

 

 

 驚愕に彩られたアインズの様も意に介さず、カワウソは説明を続ける。

 

「アンタも知っているだろう? 御大層なネーミングの魔法だが、その効果はずばりそのまま。そこで行われていた「闘争(たたかい)」を中継(なかつぎ)し、次の闘争に備えるための準備点を……言わば、『セーブポイントの創設を可能にする』魔法。

 創られたセーブポイント・転移可能情報データ(・・・・・・・・・)は、魔法を発揮した対象軍勢──つまり──この魔法で供給される“繋がり”のアイテム所有者──『セーブデータ』を与えられた自軍・味方にしか知覚されえない。……たとえ、それが……」

「敵拠点の……このナザリック地下大墳墓の住人であろうとも、か」

 

 頷くカワウソ。

 アインズは驚愕の声色と動揺の雰囲気を、すぐさま別のものに変える。

 

世界級(ワールド)アイテムと、超位魔法(ウィッシュ・アポン・ア・スター)と、大魔法(セーブ・ザ・ウォー)の相乗効果……だから、到達不可能なはずの第八階層に…………ふむ、なるほど、納得がいった」

 

 それは、説法や嘲笑の気配ではない。

 むしろ、まったく正反対の感動――詠嘆にも似た感心であった。

 

「だが、その魔法を、〈闘争の中継(セーブ・ザ・ウォー)〉を、よりにもよってギルド武器に組み込む(・・・・・・・・・・)など、──正気の沙汰か?」

 

 不愉快げに呻くプレイヤーに、カワウソはまったく同意できた。

 

「ああ…………俺も最初、まったく同じことを思った」

 

 そして、カワウソのかつての仲間たちすらも。

 

「でも、だからこそ、俺は、今こうして、ここにたどり着けた(・・・・・・・・・)

 

 笑い誇るように、堕天使は表情を(やわ)らげる。

 この剣のおかげで。

 この剣のもとになった魔法のおかげで。

 カワウソは、この終焉の地にまで、足を運ぶことができたのだから。

 

「えと──どういうことでありんすか、アルベド?」

 

 まるで理解が追いついていない者たちを代表するように、銀髪の真祖が、傍らに立つ友に問う。

 

「──〈闘争の中継(セーブ・ザ・ウォー)〉は、その特性上、様々な制約をクリアしなければ発動しない魔法なのよ、シャルティア」

 

 アルベドの強張った声が紡がれる。

 

 セーブポイントを発動・設置させるために、その魔法を組み込んだ武装やクリスタルをあらかじめ用意・携行・所持していなければならない(この場合は、ギルド武器=ナイツ・オブ・ラタトスク・ソードがそれに該当する)ことが、第一。

 その魔法の発動によって、特定対象=装備者本人や事前に登録しておいた味方たち(今回の場合は、カワウソの旧ギルドのみ)に、セーブポイントへの帰還──DMMO-RPG──ユグドラシルというゲームにおいては不要なシステム──を可能にするアイテムクリスタルが“ひとつ”授与され、それを単体で使用、あるいは「装備品の一部」として武器に付与・携行することで、セーブポイントに戻ることができる(ただし、終了したイベントのボス部屋や、世界級(ワールド)アイテムの防衛機能が働いているなどの特殊なフィールドでは使用不可になる)ことが、第二。

 さらに、第三として。

 

「この魔法の初動……セーブポイントの設置には、データ量・魔力量を消耗することで有名なの。一般的な武器や防具に込められる容量を大幅に超過しているから、必然的に、この魔法を込められる器は極めて限定される。その制限を打ち破れる武器と言ったら……分かるでしょう?」

「そ──それが、ギルド武器、と、いわすこと?」

 

 無論、ギルド武器に限った話ではない。

 広大なユグドラシルの世界において、大魔法を込めるのに最適化した・大容量データを詰め込める武装──神器級(ゴッズ)アイテムや第十位階まで封じ込める魔封じの水晶などがあり、たいていの場合はそちらに込めることが大前提となる。

 しかし、そういった大容量アイテムというのは課金ガチャか、最上級ランカー報酬、そして、ある程度のクリスタル生産能力を保有できるような大規模ギルドでしか手に入らない、ウルトラレアな代物。

 ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)に属していた当時のカワウソのプレイスタイル――無課金主義の低級プレイヤーたちでは、まったく手が出ない代物であった。そもそも、それほどウルトラレアなアイテムを、たかだか『セーブポイントを創るだけの魔法』で消耗するなど、馬鹿げている。ありえないと言っていい。それこそ他の魔法を、第十位階の中に様々ある、ド派手で美麗な広範囲殲滅魔法を組み込んだ方が、万倍もマシなはず。アインズたちが正気を疑うのも無理からぬ暴挙だ。

 アルベドの説明に、アインズが補足を行う。

 

「無論……無論、魔法詠唱者や魔法戦士などが習得し発動することも可能ではあるが、はっきり言って、その魔法を取得し使うメリットが、プレイヤーには少ない。自分が死亡しても、復活魔法や蘇生アイテムを使えば、事なきを得られるはずだからな。それはあくまで、復活魔法を使えない職業のソロプレイヤーが、難解なダンジョンやフィールドで蘇生アイテムを失った時……残った余剰魔力を無駄にしたくない時にのみ発動させる、ただの保険的なものに過ぎない。この魔法のメリットは、せいぜいが「冒険の利便性」や「再攻略の簡易化」を期してのもの。

 だが、そのあまりの使い勝手の悪さで、枠を潰してまで習得するプレイヤーは多くなかったし、かくいう私も、取得しようとさえ思わなかったほどだ。おまけに、武器やアイテムに込められた状態の、というか、この魔法の絶対発動条件を考えると……とてもギルド武器には……」

 

 アインズは重く、深い思考に意識を沈ませるようにして黙りこくる。

 ユグドラシルにおいて、取得できる魔法には限りがある。イベントをこなしたりすることで上限を解放することもできるが、それにも限界がある以上、魔法を取得する際には絶対的に取捨選択を迫られることが多い。

 そんな中で、『セーブポイントの創設』という魔法に魅力を感じられなければ、それを無暗(むやみ)に取得する必要性など絶無だ。貴重な取得枠を一つ潰すほどのメリットなど、この魔法にはまったく存在しない。使い勝手の劣悪さが顕著に過ぎる上、より位階の低い復活魔法などを修得した方がDMMO-RPGにおいて有用であるという事実が、その認識を加速させる。

 しかも、この魔法の使い勝手の劣悪ぶりは、天井知らずなことこの上ない。

 カワウソは、〈闘争の中継〉の最後の発動条件を、気安い感じで呟く。

 

 

 

「知らない奴もいるようだから教えようか?」

 

 堕天使は微笑んだ。

 

「この魔法は、闘争を中継(セーブ)するその特性上、クリスタルや武器が破壊された時──

 ああ、つまり……『敗北』した時に“のみ”──発動する仕掛けなのさ」

 

 

 

 知っていたアインズ、アルベド、デミウルゴスは深い沈黙を保った。

 代わりに、

 

「……はぁ!?」

「え、えええ?」

「何を──馬鹿な」

「アリエンダロウ!」

「そのようなものを……本当に、ギルド武器に?」

 

 知らなかったアウラが、マーレが、セバスが、コキュートスが、シャルティアが、愕然と目を見開く。

 

 ギルド武器の破壊……『敗北』は、即ち──ギルドの崩壊を意味する。

 にも関わらず、ギルド武器破壊を、「敗北を前提とする」魔法を込めるなど、ありえない。

 カワウソは彼らの驚く顔を当然の反応と受け止め、手中にある壊れた剣に、視線を落とす。

 これと同じ剣を創っていた時の、かつての思い出が、瞼の裏に浮かびかけてしようがない。

 

 楽しい笑い声が、

 カワウソを呼ぶ音色が、

 記憶の水底から響き聞こえる。

 

 少しずつ、ほんのちょっぴり、両の目の視界が潤み、ぼやけ始めた。

 カワウソは、この朽ちた剣に(あわ)せて組み込んでいた大切な映像データ……みんなと過ごした時の記録情報を、再生。

 空間に浮かび上がる映像には、世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)の、メンバーの姿が。

 黄金の髪を伸ばした、聖騎士の王たる少女──ギルド長のリーダー。

 カワウソの……かけがえのない……12人の仲間たち。

 

「かつて、俺たちは、……いいや、……俺は、俺だけ(・・・)は…………“誓った”」

 

 誓ったんだ。

 

 あの日に。

 

 あの時に。

 

 

 

 

 

 … 

 

 

 

 

 

「なぁ、やっぱり他の攻撃魔法とかを込めた方がよくないか?」

「あら、そう?」

「一応──全体会議で決めましたよね?」

「でもさぁ、カワウソさん。やっぱり、ない方がよくないかな? ……『ギルド武器が破壊されなきゃ発動しない魔法』なんてさ」

「言いたいことは判るけど、リーダーが提案して、多数決で決めたことじゃん」

「しかも全会一致でww」

「まぁ……でも、いざやってみると、データを圧迫している感が半端ないんだが?」

「それは言わない約束だろう?」

「自軍鼓舞、数秒間能力三倍、魔獣召喚に大魔法――現状のデータ量だけで見ると、ほんと神器級(ゴッズ)超えだよね」

「ランカーギルドだと、ギルド武器は全部世界級(ワールド)じみた性能だって話」

「まったく手が出ないよな。一体どんな裏技が使われているのか」

「課金じゃない?」

「課金でしょ♪」

「課†金†一†択」

「課金だよね、やっぱ」

「チートでも使ってないのかしら?」

「運営にBANされるのが関の山だろ?」

「そうなったらなったで、ランキングの席が一つ空きますなwwwドゥフフフwww」

「空いたところで何になるのよ?」

「ウチらみたいな万年ランキング圏外、1000位以下の弱小ギルドじゃ……ねぇ?」

「デスヨネー」

 

 爆笑。

 

「みんな、ごめんね。ボクのわがままに付き合わせて」

「……なにを謝ってんのかねぇ、この子は」

「皆、リーダーの、ギルド長の考えには納得していますから。……ですよね?」

「そうそう♪」

「カワウソさんの言う通り!」

「アンタの気持ち、ちゃんとわかってるから」

「うん。ありがとう……みんな! カワウソさん!」

「いえ、こちらこそ!」

「――あれれ? 何だかいい雰囲気?」

「確かに♪」

「リア充は永遠に爆ぜていればいいのDEATH」

「嫉妬すんなって、ネカマ」

「ネカマの人権を侵害しないで下すお!」

「いや、どうでもいい。あと語尾おかしい」

「も、もう! 何言ってるんですか! ……すいません、カワウソさん」

「い、いえいえ」

「よっ! 御両人!」

「青春……羨ましいわぁ……妬ましいわぁ」

「こらこら。嫉妬すんなって自分で言ったんでしょが」

「おーい。買い出し終わったよー?」

「ただいまです」

「あ、おかえり」

「おかえりなさい」

「おかえりん♪」

「二人とも、必要なモノは揃った?」

「買いだせる素材については、これで全部ですかね」

「おかげでウチの金庫はすっからかんだー! 狩りが(はかど)るねー?」

「あと必要なのは、ミストルティンの木の葉が三つ、世界樹の黒金(くろがね)の果実が四つだな……青生生魂(アポイタカラ)十、緋緋色金(ヒヒイロカネ)十、原初の炎と氷、白金と黄金と赤金と青金の果実、召喚の巻物(スクロール)と極大クリスタルは、もう必要数あるから──」

「次と次の狩りで最後ってところか?」

「どっちも一日で全部ドロップしたら、な」

「道のりは長いねー」

「苦難の先にこそ、信じる未来が待ち受けるものです」

「それ†宗教?」

「いや、学校の校訓」

「ええええ?」

「まぁ、それにしても、ウチのリーダー、ギルド長は大胆なことを思いつく」

「〈闘争の中継(セーブ・ザ・ウォー)〉。武器や器物破壊が前提条件の、『敗北すること』ではじめて発動する魔法を、よもや、『敗北したら破壊される』ギルド武器に組み込もうとは──普通、思いつくはずないですよ」

「レアな課金アイテムでやることだろうに。ねぇ?」

「あんな人気のない魔法を修得するプレイヤーなんて、普通いないからなぁ」

「取得枠の限られるウチらみたいな無課金の低級じゃ、とてもねぇ。もっと他の強力な魔法を覚えた方が、生存率あがるはずだし」

「いや、まったく。いくらユグドラシル広しと言えども、こんなギルド武器を持っているのは、我々だけでしょう」

「え、えへへへ」

「でも」

「うん」

「あんなこと言われたら納得するしかないっての」

「あれね」

「同感♪」

「カワウソくんー、覚えてるー?」

「えと確か……

『たとえギルドがなくなっても、もう一度、皆と一緒に、そこへ戻って冒険したいから』……ですよね!」

「うんうん」

「いやぁ、あれにはビビった」

「私、女だけどリーダーには抱かれてもいいわ♪」

「私も」

「アタシも」

「俺も」

「おまえは黙ってろ」

 

 大爆笑。

 

「それじゃー。いつものあれ、やろうかー?」

「うん! お姉ちゃん! みんな!」

 

 槌矛(メイス)を担ぐ人の造りし哀れな怪物(フランケンシュタイン)の修道士の提案に、“聖騎士の王”たる少女は頷き喜んで、背負った両手持ちの聖剣を鞘走らせる。

 天へと差し向けられた聖剣から順に……副長の槌矛(メイス)。補佐のグローブ。樹杖。鋼鉄杖。弓矢。指揮棒。大太刀。戟。水晶玉。番傘。狙撃銃……最後に、天使の握る片手剣が、高々と掲げられた。

 ギルド長から順に、お決まりの文句を紡ぎ、繋いでいく。

 

「ボクたち!」

「私たちはー!」

「たとえ!」

「世界が!」

「滅び!」

「この!」

「ギルドを!」

「失おうと!」

「心は!」

「いつも!」

「ひとつ!」

「DA†ZE!」

 

「皆――誓いますか!?」

 

「「「「「「「「「「「「「 誓おうっ!!! 」」」」」」」」」」」」」

 

 

 

 交わる十三の武器を──意志を──宣誓を──天へと捧げた。

 人と亜人と異形……全員で、皆で、肩を組み合い、手を叩いて、笑い合った。

 

 

 

 あの時の真摯な誓いを、皆の想いを、朗らかな笑い声を、

 

 少なくともカワウソは……疑ったことなど……なかった。

 

 

 

 

 

 … 

 

 

 

 

 映像は終わった。

 終わったのに、笑い響く声が、続いて聞こえる。

 

「──は、ハハハ」

 

 わらう声は、

 泣いているような笑い声は、

 

「アは、はは……くはハハハハ、ハハ、ああはははは……」

 

 堕天使の口元を、グシャグシャに罅割れさせる。

 パラパラとこぼれる硝子(ガラス)片のような水滴が、玉座の間に落ちる

 

「は、はは、ハッ、ハハっ、はッ────まぁ。結果として、その誓いは果たされなかったわけだが」

 

 潤み続ける視界とは対照的に、渇ききった笑い声が零れ続ける。

 うすら寒いほどの虚無感で、自分の中心がごっそりと抉られる。

 

『たとえギルドがなくなっても、もう一度、皆と一緒に、そこへ戻って冒険したいから』

 

 その約束は、反故(ほご)にされた。

 ナザリック攻略失敗に伴う仲間たちの離散。メンバーのユグドラシル引退。

 残されたのは予備として――ギルド武器が壊された後、即座に再集結できるよう、攻略を保留しておいた新拠点「ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)」と、残ったメンバーがカワウソに遺品として残した金貨や装備、アイテムの数々。

 それらをやりくりすることで、カワウソはほぼたった一人で新ギルドを創設し、Lv.100のNPCを十二体も創造することが出来た。

 

 だが、

 それからの日々は、

 ひたすらに──――空虚だった。

 

 仲間を模して創り上げたNPCたちを、かつてのギルメンたちと同等に扱って過ごしたのは、一週間で頓挫した。それ以降はことさらに無視しようとしたが、気がつけば独り言を聞かせることが多くなった。頭がどうにかなりそうだった。外でPK集団に囲まれて、狩りの成果を奪い尽くされた日とか。リアルで仕事のストレスが溜まりすぎた時は、特に。あまりにもつらすぎて、当時……同士討ちなど不可能だったNPC(ミカ)を、サンドバック代わりに殴ったりしたことまである。

 

 はっきり言って、クズみたいな所業だ。

 女々しいを通り越して、人格異常者の域に達していると言われても、まったくもって否定できない。

 

「……でも」

 

 熱く滲む眼で、カワウソは己の思うことを、ただ言い募る。

 

「でも」

 

 仲間たちが自分に背を向けたとしても。

 

「それでも」

 

 あの日の誓いを踏み(にじ)られたとしても。

 

「だとしても……」

 

 あの時に(いだ)いた、

 自分の想いは――

 誓った言葉は──

 

 

 

「本物、だったんだ……」

 

 

 

 どこまでも優しく響く音色が、硝子(ガラス)のごとく明るい笑みと共に、こぼれる。

 

 それこそが、カワウソにとっての根源だった。

 すべて(・・・)──“だった(・・・)”。

 

 家族も友人もなく、恋なんて甘酸っぱい思い出も何ひとつない孤独な人生の中で、人間らしさなど望みようがなかった生を茫漠と過ごしてきたカワウソ──若山(わかやま)宗嗣(そうし)にとって、仲間たち皆との出会いは、対話は、思い出たちは、確かに、この胸の内から熱い思いを(たぎ)らせ、瞼の淵から暖かなものを頬に伝わせる。

 

 今も。

 今でも。

 

 

 

「ああ、楽しかったぁ……ああ、本当に……たのしかったんだ」

 

 

 

 ギルドの運営について揉めに揉めた。

 素材集めの為に休日を一日費やした。

 全員で雑魚イベントのボスを倒した。

 報酬の金貨で皆とたのしく豪遊した。

 オフ会でリーダーの実年齢に驚いた。

 けれどメンバーの絆は一層深まった。

 ギルドの防衛戦を全員で考え抜いた。

 拠点NPCの画や設定を試行錯誤した。

 

 ……………………そんなある日。

 

 1500人の討伐部隊の末席に加わった。

 上位ギルドの脅迫じみた要請に屈した。

 ナザリックの攻略について話し合った。

 不安になる自分を皆が勇気づけてくれた。

 負けるはずがないと──皆が言ってくれた。

 

 ……その結果は、ご覧のとおり。

 

 だが──

 

「たとえ、あんなことになったとしても……俺は、……俺は……ッ!」

 

 滲む視野をいっぱいに見開き、かつての記憶を、仲間たちとの思い出を幻視してしまう。

 

 ──ひとりぼっちだった自分を、

 ──仲間たちが救ってくれた。

 

「あ……………………あ、あ?」

 

 ──カワウソさん。

 

 手を差し伸べてくれる女騎士の声が、耳に心地よい。

 修道士の副長が頷き、女英雄と賢者と魔術師、忍者と音楽家、武士と剣士と巫女と芸者と銃使い……かつての仲間たち……全員の、姿が、見える。

 そんな暖かな幻影に向かって、思わず手を伸ばす自分が、おぞましい。

 

 ここは、ナザリック地下大墳墓、その第十階層……玉座の間。

 目の前の現実は、まったく容赦なく、カワウソを叩きのめして地に墜とす。

 

 ── 仲間は、彼らは、もう、どこにも、いない ──

 

 彼らを模して造ったLv.100のNPCたちも、そのほとんどは……

 その事実を痛いほど理解して、堕天使の伸ばしかけた右手が、ダラリと落ちる。

 

「皆と出会えて、……ほんとに、本当に……幸せだったんだ」

 

 いつの間にか。

 止めどなく溢れる熱が、黒く醜悪な眼から零れ落ち、頬を幾筋も濡らし堕ちていく。

 自嘲の表情は消え去り、まるで幼児特有の、くだらない宝物(たからもの)を自慢する子どものような──無邪気すぎる微笑が、堕天使の(かんばせ)を覆い尽くしていた。

 

「なのに…………ナノニッ!」

 

 数瞬の後、その至福の(かんばせ)に、憎悪にも似た怒りの炎が燃え上がり、すべてを灰と化す。

 カワウソは思い出す。

 思い出されてならない。

 連絡が取れなくなったリーダーや仲間たち。

 惰性的に新拠点獲得に付き合ってくれた、残存メンバー。

 そして、あの別れの日に浴びせられた、──あの、……最後、の──

 

 

 

 

「ふざけるな!」

 

 込み上がる怒気に蓋できず、涙がこぼれる感情のまま、吠えて叫ぶ。

 

「あそこは! 皆で創り上げた世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)だったんだぞ!

 なんで! あんな! 簡単に! ……簡単、にっ!!

 ──()てることが出来るっ!!!!」

 

 

 

 

 アインズは──笑っているのだろうか。

 あるいは何かを思い出したかのように、彼はいきなり口元を震える掌でおさえ──何も言わない。

 笑われて当然。

 こんな馬鹿げた思いを懐いて、ほとんど関係のない(アインズ)に、やつあたり同然で復讐を挑むなど、どう贔屓目に見ても失笑ものだろう。

 カワウソは静かに、言葉を詰まらせそうになりながら、彼に構わず、語り続ける。

 泣き濡れっぱなしの声で、瞼の淵から零れるものと共に、はっきりと、言い募る。

 

「ッ、おまえに、アインズ・ウール・ゴウン、にぃ……復讐したところでぇ……なんの意味もないって、わかってるぅッ」

 

 それどころか。

 復讐の対象にすることすら、お門違い。

 あれは、あのギルドの崩壊は、完全にカワウソたちの問題……失態だった。

 いくら上のギルド連中の──雇い主からの要請を受けて、弱小ギルドの最大最高の装備を持ち出して、攻略に挑むことが厳命されていた(暗に……受けなければ「どうなっても知らないぞ」と脅されていた)としても。何よりも強力無比だが、「破壊」は即ち「ギルド崩壊」という武器を持ち出し、そして破壊された責任は、すべて、カワウソたちだけのもの。

 ──破壊されたとしても、カワウソ達はきっと、また同じ冒険に繰り出す仲間として再集結を果たすと、そう誓っていたからこそ、あんな暴挙を敢行できた。

 その結果は、ご覧の通り、惨憺(さんたん)たるもの。

 滑稽の極みだ。

 そもそもにおいて。攻略失敗後にメンバーが離散したことからしても、完全にこちらの身勝手……仲間たちの裏切りでしかない。それはわかっている。

 カワウソが懐くほどの情熱を、ただのゲームに注ぐことを期待するなど、間違いだ。皆にも生活があるし、ゲームに飽きもする。それもわかっている。

 

 それでも、どうして、──どうしてあんなことになってしまったのか。

 

 いくら第八階層のあれら……「死」そのものに変貌したような星々に恐慌したとしても、ナザリック地下大墳墓の防衛能力がチートじみていて再攻略しようと思うことさえ馬鹿らしいと……そう思えたとしても。

 もっと当たり障りのない、よくある別れになっていたら──誰も彼もが裏切るように、ユグドラシルから去っていくことがなかったら…………

 だから、これは、カワウソの我儘(わがまま)でしかない。

 

「でも」

 

 我儘だと知っていて、我儘だと(わか)っていて、堕天使は壊れた剣を握る両手に力を込める。

 掌が痛むほどの力で、そこにある“壊れたモノ”に、ガラクタに、残り滓に、──(すが)りつく。

 わかっていても、心が、精神(こころ)が、思い出(ココロ)が、カワウソの五体を衝き動かしてしようがない。

 

「それ、でも――俺は、――俺はッ!」

 

 カワウソは己の復讐の対象を、“その名を冠したプレイヤー(アインズ・ウール・ゴウン)”を、濡れ潤む瞳の奥に灼き付ける。

 瀕死の獣が噛みつくかのように、狂える堕天使は胸をかきむしりながら吼えたてる。

 

 

「おまえに挑まなくちゃ! もう、一歩も前に進めない!

 おまえと戦わなくちゃ……皆との誓いを、果たせない!」

 

 

 たとえ、誓いを果たそうとするのが、自分(カワウソ)一人だけだったとしても。

 たとえ、相手がたった一人きりの、アインズ・ウール・ゴウンなのだとしても。

 

 

「ッ、俺だけは!!

 あの日の誓いを嘘にはしない!!

 ……嘘にして、たまるものかッ……!!!」

 

 

 ──もう一度、皆と一緒に、そこ(・・)へ戻って冒険したい──

 ……きっとまた、そこ(・・)へ戻って、冒険を、続けるって……

 

 

   ボクたち

   私たちは

   たとえ

   世界が

   滅び

   この

   ギルドを

   失おうと

   心は

   …………こころは…………いつも…………いつも……………………

 

 

「誓った。

 ────誓ったんだ。

 オレは…………オレだけは(・・・・・)ッ!!」

 

 

 両手に掴む剣を硬く握りながら、朽ちた刀身に涙を零す。

 やりきれない思いが、心臓を幾万の剣となって穿ち抉る。

 

 カワウソまでもが誓いから背けば、彼らとの絆は、思い出は、何もかも崩れ去ってしまう。

 これまでの月日が、準備が、苦悩や葛藤のすべてが奪われ、虚無の彼方に、堕ちてしまう。

 

 嗚咽を吼声に、悲嘆を戦意に、弱気を勇気に、誓いを誓いのままに、

 堕天使は思い、──想う。

 

 絆は断ち切られ、約束は裏切られ、それでも、カワウソにとって仲間たちとの思い出を──誓いを──残された「すべて」を──カワウソ自身が断ち切り、裏切るなど、けっして認められない。受け入れることは出来ない。

 

 裏切られたから、(なかま)を裏切っていいという選択肢は、カワウソには、ありえない。

 カワウソは、仲間を裏切ることだけは、できない。

 

 誰も彼もが、カワウソを笑った。

 誰も彼もが、カワウソの挑戦を嘲った。

 誰も彼もが、カワウソの生き方と在り様を馬鹿にした。

 誰も彼もが、カワウソの誠意を──あまりにも下らない執着を、狂気を、理解できなかった。

 

 裏切ればよかった。

 見捨てればよかった。

 何もかもを諦めて、忘れて。

 カワウソは──また、ひとり──

 

 ──いやだ。

 …………いやだ!

 それだけは、いやだ!

 絶対に、絶対に絶対に、いやだ!

 

 切なさが臓腑を芯まで凍えさせた。

 誠実さとは似て非なる、ただ“我儘”に過ぎるガキの主張が、玉座の間に響く。

 何もできなかった、何も捨てられなかった、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす。

 

 それでも。

 だとしても。

 心が張り裂けそうなほどに、堕天使はかすれそうな声で、きっぱりと、布告する。

 

「──だから、……ああ、だから!」

 

 たった一秒で。鋭く抜剣する右手。

 振るえばシャンと澄んだ音色を響かせる聖剣の先に、彼の者の姿をとらえ睨み据える。

 玉座に座す「死」の支配者に、復讐を誓う堕天使は、ただひたすらな眼を差し向ける。

 

 

 

 

「俺と戦え!! ──“アインズ・ウール・ゴウン”!!!!」

 

 

 

 

 どこまでも憐れで、どこまでも切実で、どこまでも孤独な響きが、広大な空間を満たした。

 

 彼が――アインズ・ウール・ゴウンが、カワウソの宣戦布告に応じる必要性など、皆無。

 居並ぶ守護者たちNPC、控えているであろう伏兵、拠点にあって当然のデストラップを使った飽和攻撃で蹂躙されてしまえば、カワウソたちはつたなく死に果てる。

 ――“だろう”では、ない。

 それは、もはや絶対の結果。

 予感や予期ではない、確実な未来の事象として、カワウソは己の命の最後を実感している。

 

 ここで死ぬ。

 確実に死ぬ。

 死を、当然のものと受け止める。

 

 だから堕天使は、文字通りに死の支配権を握る超越者(オーバーロード)の言葉を待つ。

 

 涙を流し、鼻水をすすって、奥歯を噛み締めたまま、待ち続ける。

 

 

 

 

 

「――いいだろう」

 

 

 

 

 

 震える声が聞こえた……気がする。

 何を言われたのか、すぐに飲み込むことができなかった。

 カワウソの背後に控えるNPC二人は勿論、玉座の間に居並ぶ守護者たちも、疑念と不安を覚えたような顔色を浮かべ、声の主を見やる。

 

「いいだろう。──相手をしようとも」

 

 いっそ静穏なほど、耳朶に快い音色が響き渡る。

 吐き出された言葉は、宣戦布告の受諾に他ならない。

 アインズは骨の掌を差し出し、手招くように握りしめた。

 

「旧世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)メンバー……

 そして、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)ギルド長……カワウソ……」

 

 アインズは深く──深く、宣する。

 ――君の宣戦布告に応じよう、と。

 玉座から立ち上がった死の支配者は、轟然と拳を振るい、黄金の杖を突いて、決定を下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これより、アインズ・ウール・ゴウンと君たち、三対三の、チーム戦を執り行う!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




カワウソの旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)の「誓い」は、
 第三章・最終話「過」
 第六章・第八話「欲望と希望 -1」
このあたりで説明されていたものになります。

次回、第九章最終話


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開戦

第九章 玉座の間にて 最終話


/The 10th basement “Throne” …vol.03

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 三対三のチーム戦は、双方の準備と作戦時間として三十分の猶予が設けられた。

 アインズ・ウール・ゴウン側は、アインズの護衛役となる二人の選出も行わねばならない上、装備についても色々と見直す必要があったらしい。

 アインズはこの戦闘において、基本ルールを二つ指定してきている。

 

 一つは、双方、世界級(ワールド)アイテムの使用は全面禁止。

 

 カワウソは首をひねった。アインズ・ウール・ゴウンたちの保有する世界級(ワールド)アイテムで蹂躙してしまえばいいはずなのに、アインズはカワウソたちとほぼ対等な条件下での「決戦」を望んだ。カワウソの保有する“亡王の御璽”は、一度の発動につき膨大なリキャストタイム(十日間)によって使用不可な状況にあるのだが、アインズ曰く「そこを考慮して」ということらしい。アインズがカワウソの供述した御璽の発動要綱を疑うことがないのは、万能と思われる世界級(ワールド)アイテムにも、少なからず弱点が存在することを知り尽くしていたからだ。カワウソの語る「240時間のリキャストタイム」の存在というのは、彼らが表層から第八階層で示した「10分間の無敵化」という破格の性能にふさわしいだけのデメリットを示している。疑う余地もなく、カワウソはもう、御璽を使うことは出来ないと確信できるほどの弱点であった。

 それでも解せないのは、何故わざわざアインズは、自分たちの世界級(ワールド)アイテムを封じたのか──アインズ・ウール・ゴウンのみぞ知るところであった。

 

 もう一つは、チーム戦はあくまで、「三対三のみ」で行うこと。

 

 チームには当然、双方のギルド長であるアインズとカワウソが参戦する流れとなったが、これは彼が玉座に招集した各守護者たちをしても瞠目させた。欠員が出ても、あとから補充するようなことはしないと、最初に明示されたチームメンバーでのみ戦闘を継続することが決まって、さらに驚愕の悲鳴があがった。魔法や特殊技術(スキル)での作成召喚モンスターは、攻撃手段として有効。アインズは天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の未知の伏兵を気にしているようだが、カワウソがここまで引き連れることがかなった戦力は「ミカとクピドの二人だけ」で、完全にカワウソ側が有利だと見える。アインズは、主人の言を疑念し制止しようとするデミウルゴスやコキュートスなどを静かに(さと)し、この条件を厳守させた。ナザリック側がこれを破れば、その時点で「“アインズ・ウール・ゴウンの敗北”とする」という誓言までアインズ自身に立てられては、彼らは主人の決定に従うほかない。さらに言えば、アインズはこの玉座前に鎮座しているデストラップ――クリスタルからの精霊召喚やレメゲトンの悪魔など、他の戦力投入も一切ないことを確約してきた。

 これまた、カワウソたちを厚遇しているようにも思えて、そこが奇怪と言えば奇怪だった。

 

 

 

 

「奴らは、どういうつもりなのでしょう?」

「さあなぁ……ただ、これはチャンスだろうよぉ」

 

 あのアインズ・ウール・ゴウンが、正面切っての決戦、チームによる決闘を受け入れてくれたことは、ミカとクピド──カワウソたち天使の澱にとっては、文字通りに「千載一遇の好機」である。

 というより、これを(のが)してしまえば、もう二度と、あの魔導王と、死の支配者と戦うことは不可能だ。

 天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の残存NPCは、ミカとクピドの二人のみ。第八階層に置いてきた……おそらく占拠されただろう拠点に残してきたゴーレムやメイドたちは、もう……

 ならば、この決戦が、最初で最後のチャンスなのは、確実な事実。

 だが、それでも、NPC(ミカとクピド)たちは解せない。

 どうして魔導王(アインズ)は、わざわざ危険を冒してまで、この戦いを承諾したのか?

 自ら大量に所蔵するはずの世界級(ワールド)アイテムの使用を封じ、守護者たちからわずかな護衛二人のみを選抜するという──奴らの狙いは……魔導王の意図は……なんだ?

 

「もしや。この隙に、我々の拠点奥に安置された、アレを狙って?」

「……ギルド武器かぁ?」

 

 隊長がアレといったものを、クピドは即座に理解する。

 拠点奥に蔵されて久しい、“天使の澱”の中枢と言っても差し支えないもの。

 アレを、ギルド武器を破壊されてしまえば、その時点で、NPCであるミカとクピドの命は尽きるだろう。

 かつて、創造主であるカワウソが経験したという、ギルド崩壊と同じ末路だ。ギルドの象徴であるギルド武器を破壊されれば、ギルドは崩壊し、ダンジョンは元の姿に戻り、当然のごとく、ギルド拠点のポイントによって創造された拠点NPCたちの存在は無に帰する。

 彼らアインズ・ウール・ゴウンは戦うまでもなく、ここまで辿り着いた賊を、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)を、いとも簡単に破滅させられる。ミカとクピドが消滅すれば、自分たちの至高にして唯一絶対の主人・カワウソは、一人で連中と戦い、そして蹂躙される運命を迎えることになるわけだ。想像するだに恐ろしい、完璧な作戦である。

 

「ふむ、確かに……ありえるかも、な……だがぁ」

 

 クピドは言葉を口内で転がす。

 それならば、どうしてわざわざチーム戦を行う。

 連中は、時間稼ぎをしている──とは、どうにも見えない。

 本気で、アインズ・ウール・ゴウン……死の支配者(オーバーロード)の姿をしたギルド長は、装備の交換やアイテムの確認を急ピッチで行い始めている。六人の武装したメイドたちを急かし、どこからか持って来させた装備を身に纏い、空間から棒状のアイテムを数本取り出して腰のベルト部分に差し込むなど、確実に戦闘準備に勤しんでいた。

 明らかに、連中は堕天使と天使たちへの対策に身を固めつつある。

 あれらが全て演技演出の類だとすれば、連中はとんでもない役者であると喝采してしまっていいだろう。

 

「我々を油断させる意図が?」

「そんなことをしなくても良いと思うがぁ?」

「では、我等のギルドを残しておきたい、理由でも?」

「ふむ……ありえる、かぁ」

 

 連中の話だと、アインズ・ウール・ゴウンがこの異世界で、本格的に他のギルドと事を構えるのは初めてと聞く。他のギルドの拠点を残しておいて、カワウソたちを捕縛あるいは封印でもして、使用権を奪取するなどの企図があっても、何ら不思議ではない。そんなことが可能かどうか、NPCでしかないクピドたちには(あずか)り知らぬことだが。

 とにかく、あれこれ考えても(らち)が明かない。

 クピドはミカほどに頭脳面で優れているわけでもない“兵隊”なので、とりあえず簡潔な事実だけを、告げる。

 

「いずれにせよ、御主人は戦うつもりだぁ。ならばぁ。我々も、またぁ」

「──戦うだけ」

 

 唇の端を吊り上げるクピドは、巨大な愛銃・対物ライフルの絶好調ぶりを確かめるように撫でてやる。

 ミカもまた、主人である堕天使と共に戦う時までを、静かに過ごす。

 そんな二人を一顧(いっこ)だにせず、彼は、主は、カワウソは、開戦の時を待つ。

 この拠点に乗り込んだ時点で、装備もアイテムも、十全な状態で整えられている。魔法などによる強化(バフ)はさすがに尽きているが、それも開戦ギリギリまでかけ直す必要はない。魔力は時間経過によって回復するため、表層での戦い以降、こうしてクールダウンする時間が多いほど、天使の澱の三人が消耗した魔力は回復できていく。なので、カワウソにしてもアインズが提示した猶予時間の存在は、むしろ望むところであったわけだ。

 実に冷徹で、完璧な差配といえる。

 

「ていうか、隊長ぉ。何度も言っているが、俺に対してそんな律儀に敬語を使う必要はねえぞぉ?」

 

 赤子の見た目で『大好きなのは、酒と女と金』という、かなり俗っぽい……下衆(ゲス)な設定をされたクピドは、女性とはもっとフランクに、きどった感じのない関係を求める軟派(ナンパ)男な一面がある。

 さらに。自分たちは唯一にして同一の創造主を戴く、真の同胞。本来は上も下もない──役職上の儀礼に即した言動をするだけで、階梯としては完全に横一線に並ぶ同格者たちだ。これはレベルの強弱も関係ないため、屋敷のメイド隊十人や、門前に控えるように設置されたシシやコマたちも同じである。

 故に、いくら防衛部隊の隊長職を拝命している女熾天使であっても、もっと壁を感じさせない声を聴きたいというのが、クピドの希求する付き合い方であった。

 しかし、ミカは同胞の性癖・設定を毛嫌いしているでもない調子で、ひそめた声を交わすだけ。

 

「──あなたは、カワウソ様の旧ギルドにて、カワウソ様の大恩人という方の造られたNPCと同じ形状、同じ種族(キューピッド)。それ故に『敬意を払われる』という風に設定された傭兵なのですから。多少は」

「ああ、そうかいぃ」

 

 ミカたちと同じ創造主に創られたクピドであるが、彼だけは設定の上で、カワウソの「旧ギルドの拠点NPC」の生まれ変わりのように定められた(無論、クピド本人にはそんな意識などさらさらないが)。かつては愛欲の弓矢──魅了魅惑を司り、人々の融和と信愛を深めた使者として創造された赤子の天使が、旧ギルド崩壊に伴い、今のような、サングラスをかけ銃器と爆薬に身を包む兵隊──グレた赤ん坊のごとくなり果てたとか……そういう感じだ。

 だが、クピドたちにとって、カワウソの大恩人とやらや、旧ギルドの仲間とやらは、そこまで重要な対象とは見なされない。何しろ彼らのほとんどはユグドラシルを去り、カワウソが天使の澱を築いた頃には、ほとんどが永遠に会うことのない他人になりさがった……創造主(カワウソ)を「裏切ったモノたち」に過ぎないのだから。

 だから、本当を言うと、その発端となった、カワウソが「仲間」と呼ぶものらと別れる原因となったギルド:アインズ・ウール・ゴウンに対する敵愾心というのも、そう強く設定されているミカに比べれば、クピドはさほども感じては、いない。外にいる有象無象……ギルドの外で“狩り”を行い、ナザリック地下大墳墓への挑戦へ向かうカワウソを、幾度となく殺し、拠点に死に戻らせるほどに危険な存在だという……そういう認識くらいしか、クピドは懐くことはなかった。

 クピドはLv.100NPCの中で、カワウソの手によって生み出された順序だと、最後に位置する傭兵の兵隊であり、転移などの空間系能力に秀でた存在。

 その能力故に、“格納庫”と呼ばれる大容量のアイテムボックスを多数所持した、赤子の姿をして空を舞う「武器庫」というのが、彼の役割。ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)・第三階層“城館(パレス)”に侵入したモノ共を、その特殊能力と銃武装の数々で圧倒するように配置された遊撃手が、クピドという傭兵天使の戦闘スタイルであった。

 クピドは自分たちの設定を思い起こすたび、その中でも酷烈といってよい一節を加えられたミカに同情する。

 

「隊長も、難儀なもんだぁ」

「? なにがです?」

「俺への対応も“設定”というのなら、隊長の“あの設定”も……いいや、なんでもねえやぁ」

 

 言うだけ「無粋」というもの。

 我らの女隊長は、実直に誠実に、創造主の設定どおりに行動するのみ。

 その事実を理解しつくす防衛部隊の傭兵天使は、銃火器と格納庫の残数を確かめつつ、開戦の時を待つカワウソの背中を、ただ見守るのみ。

 そんな赤ん坊の横で、祈るように光剣を持つ両手を組み合わせた女天使は、『嫌っている』と設定された、創造主の身を護る戦いに、挑むだけ。

 

 この玉座の間での戦いで、自分たちの終わりを確信しながら、天使の澱のNPCは、開戦の時を、主人と同じように待ち続ける。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

「この戦いには、私、アルベド、シャルティアの三人で挑む」

 

 アインズの宣告に、抗弁し意見を具申するものは限られていた。

 戦闘準備のため、戦闘メイド(プレアデス)のナーベラルを経由して、宝物殿のパンドラズ・アクターから十分な量の装備やアイテムを送らせている。もちろん、アインズは天使対策について万全の態勢を整えてこそいるが、さすがに今回のような事態は想定から外れていた。

 

 選抜を受けたのは、アインズの前衛を務める守護者二名。

 ナザリック最硬の盾たる女悪魔、この玉座の間での戦いを想定され配置されていたアルベド。

 ナザリック第一等の力を誇る吸血鬼、アンデッドでありながら信仰の力を司るシャルティア。

 

 この両名であれば、アインズを護り、敵を悉く突き穿つチームとして機能すると、すべての守護者たちが納得を面に浮かべる。ナザリックのLv.100──守護者の力の序列順で言うと低位に位置するアウラやデミウルゴス──「率いる猛獣を駆使した集団戦闘最強」や「変身能力に特化している炎属性の大悪魔」は、今回のような員数制限には不向きな戦闘スタイルや力の持ち主。力の序列第二位であるマーレ──殲滅能力にズバ抜けた森祭司(ドルイド)も、アインズが後衛役を受け持つ今回のチーム構成では、前衛一の後衛二というのは、かなりバランスが悪い。前衛二名がアインズという後衛を守護する形が、望ましい戦力配分といえる。では、他に前衛役をこなせそうな、アルベドと同率第三位のセバスについては、どうだろう。この老執事は肉弾戦において、アルベドやコキュートスをしのぐ。だが、飛竜騎兵の領地で、あの女天使・ミカの攻撃スキルや、アーグランド領域で白金の竜王・ツアーを相手にしていたカワウソの様子から判断するに、彼らはセバスの属する“竜”の種族に対する特効を発揮するはず。さらに、通常形態の今のセバスでは、本気セバスほどの出力は見込めないのが悩ましいところ。

 

「確かに、アルベド様とシャルティア様なら、問題なくチーム戦もできるでしょうが──」

「やはり、ここはコキュートスを、天使に対して特効を示す冷気属性を主体とすべきでは?」

 

 セバスとデミウルゴスの懸念と申告に、アインズは頭を振る。

 

「いいや。天使種族が冷気に対して脆弱性を示すことは、常識の中の常識だ」

 

 神聖属性や炎属性に特化したモンスターである異形種、天使種族。

 だが、“それ故”に、それへの対策構築、耐性付与や無効化は必須要件といえた。

 天使は、彼らの得意とする「炎」とは相性の悪い「冷気」に脆弱……コキュートスの元ネタと近い、ダンテの『神曲』に登場する地獄の最下層──そこに封じられたルシファーという天使もとい堕天使は、氷漬けにされて封じられているという逸話から、この弱点をユグドラシルの天使種族は設けられていた。

 アインズは告げる。

 

「そういったポピュラーかつ最悪の弱点というのは、ユグドラシルでは優先的に対策が施されるもの。だから、今回は悪いが」

「スベテ、完全ニ承知シテオリマス──アインズ様」

 

 主人の言わんとしている内容を、コキュートスは完全に理解しているように頷きを返した。敵が、完全に冷気対策を施している可能性が高いため、もしも冷気属性に最特化した第五階層守護者をぶつけては、これといった有効打を示せずに完封される危険性が大きい。コキュートスの強みは武器攻撃に長じている点もあげられるが、冷気を封じられては彼の本来の持ち味が生かしきれない可能性が強すぎる。なので、誠に遺憾ながら、コキュートスを今回のチーム戦に組み込むという選択肢は消去するしかなかったのだ。セバスと同様に、連中の判明している戦法や戦力・講じられているだろう弱点や対策を考慮するならば、同率第三位の三竦みの中で、『防御力』に完全特化したアルベドを前衛の“盾”に配置した方がマシなはず。

 そういった諸事情を……コキュートスがまるで役立たずに終わるような展開を忌避し、なによりもコキュートス自身の安全のためにも、アインズが凍河の支配者はさがらせるしかない事実を、主人に逆に護られる蟲の王は、嬉しいやら悔しいやら、言い表しようのない感情で、受け入れるほかになかった。彼はせめてもの力添えとして、アルベドに己の最も強力な武装を託しておくことを選んだ。

 

 今回の戦いは、三対三の、人数を完全に限定したチーム戦。

 

 まったく直前に、アインズが自分自身で決めたこととは言え、アインズの本来企図していた戦闘とは、まったく完全にかけ離れた様相を呈していた。

 本来であれば、この玉座の間で、カワウソから搾れるだけの情報を引き出し、良ければ講和や和睦、悪ければ鏖殺(おうさつ)し蹂躙する気満々であったアインズ。天使の澱への対策として、神聖属性などへの対抗手段や装備の充填は済ませていた守護者たち“全員”を率いて、愚かしくも勇ましい第八階層の攻略者たち──その残党である堕天使と護衛二体に対し、一方的な殲滅と全滅戦を展開するだけに終わるはずだった。

 こうして尋常に一戦交えるつもりなど皆無だったし、その必要性も必然性も薄すぎた。。

 だが、アインズはカワウソたちと、正々堂々、対等な条件下での戦いを、今や完全に希望していた。

 

「う~ん。せめて、もう少し人数が増やせればいいのに」

「だ、だめだよ、お姉ちゃん。アインズ様は、“三対三”って、そう決定されたのだから」

 

 この100年の成長で、年頃に成長し、本来の性別通りの装束に身を包んでいる闇妖精(ダークエルフ)の双子が言い合った。

 天使の澱の残存兵力──三名。

 公正かつ対等な勝負を望んだがための、アインズの下した決断が、三対三のチーム戦であった。

 敵の頭数と同じ数の員数で挑むことを、100年後の魔導王は即座に決断し、それを守護者たちも消極的ながら受容し尽した。

 

「しかし何故、対等な勝負を求める必要がありんしょうかえ?」

 

 本来「戦い」というものは、用意スタートの掛け声と共に始めるようなスポーツやタイマンとは違う。

 それこそ、双方の勝利条件や前提条件──戦況や立地、戦いに至るまでのプロセスや準備段階の差なども、すべてが統合・計上された上で、どちらかの状況が勝利か敗北かに傾くもの。実戦において、万全盤石なコンディションを揃えられたとしても、そういった状況に油断し慢心してしまえば足元をすくわれかねないし、圧倒的不利な状況を強いられながらも奇跡的な差配や作戦手腕、綿密な情報管制や兵站準備、あるいは増援や伏兵のタイミング次第によっては、弱者が強者に勝ち得るという例は、軍学史において山のように存在する。そして、逆もまた然り。

 だからこそ、アインズはカワウソが率いる天使の澱にまんまと出し抜かれた形で第八階層に侵入されたわけだし、逆にカワウソ達の方もナザリックの第八階層に閉じ込められてルベドに殺される一歩手前という失態を演じもしたわけだ。

 

 そんな状況の中で、アインズがカワウソと、彼というユグドラシルプレイヤーと、対等な勝負にこだわった、理由。

 

「少し……思い出してしまって、な」

 

 先ほどの、彼の口から迸った慟哭を、一言一句違わずに、想起する。

 

 

 

『──ふざけるな!

 あそこは、皆で創り上げた世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)だったんだぞ!

 なんで! あんな! 簡単に! ……簡単にっ!!

 ……()てることが出来るっ!!!!』

 

 

 

 驚いた。

 驚いてしまった。

 

 彼と似た言葉を──思いを──アインズ・ウール・ゴウンも、モモンガも、鈴木悟も(いだ)いたことが、ある。

 それは、もはや100年も昔の出来事だった。

 しかし、アインズは今もなお、覚えていた。

 正確には、鮮明に思い出すことが、できた。

 

 誰もいなくなった円卓の上に吐露した……あの日の、寂寥(せきりょう)

 

 ユグドラシルのサービス終了のあの夜が、無性に思い出されてしようがない。

 懐かしさすら込み上がってしまう堕天使の声が、言葉が、アインズの胸いっぱいに残響して、痛いくらい身につまされる。

 彼の声を──悲嘆を聞いた時は、本当に驚いた。

 あの時は、口元を抑えないと、自分が言いかけた言葉を、感情を──嗚咽を──飲み込むのが難しかった。

 ひっきりなしに精神が安定化され、その次の瞬間には、凪いだはずの精神がすぐさま嵐の夜波のごとく荒れ狂って、収拾がつかなくなるほどに。

 骨の身にはありえないはずの眼球が、熱く濡れていく感覚さえもあった。

 もしも、受肉した人間の姿でいたならば、間違いなく彼等の前で落涙していただろうと断言できる。

 アインズは、ちらりと視線を横に向け、玉座の間に佇む堕天使を──開戦の時をただ待つ彼を──涙の跡が黒い貌を汚した堕天使を、眺める。

 

「……もう一度……皆で、一緒に、か」

 

 その誓いを果たされなかった時の彼の悲哀が、慟哭が、絶望が、アインズには痛いほど理解できた。理解できてしまった。

 この玉座の間には、かつての仲間たちの旗がはためいている。その数は四十一枚から一枚(モモンガ)をひいて、四十枚。

 あの日、あのサービス終了の日、アインズも……モモンガも……鈴木悟も、願ったのだ。

 

「馬鹿げた思考ではあるが、な」

 

 彼と自分が、あまりにも似ている気がしてならない。

 否。

 

 あれは、俺だ。

 かつての俺だ。

 

 そう、

 もしも、

 もしも仮に、

 アインズが、

 モモンガが、

 ……鈴木悟が、

 仲間たち皆に──“裏切られていたとしたら”?

 

「ありえん」

 

 湧き上がる仮定を、即刻即座に否定するアインズ。

 無論、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーが、アインズを……モモンガを裏切ったことはなかった。皆が皆、モモンガに背を向けたわけではない。彼らは自分自身の生活のために、家族のために、人生のために、このギルドから去らねばならなかった。苦渋の選択の結果として、モモンガを残して引退した者たちだ。そう、モモンガは了解している。

 

 ただ、彼は、目の前の堕天使──カワウソという青年は、明確に、簡潔に、完全に、仲間たちから裏切られ……そうして、絶望した。

 

 真正面からギルメンたちに食い下がって、ギルドの再興を、再集結を唱えたカワウソ。

 

 だが、メンバーが集まることはなく、彼は誓いを反故にされ、裏切られ、…………それでも…………このナザリック地下大墳墓への戦いに焦がれ、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの敵として、果敢に挑み続けてきたのだろう。

 

 仲間との約束を、誓いを、ただ守り、ただただ──果たしたいがために。

 

 熾天使から堕天使に身を落とし、自分で考えられる限りのレベル構成にリビルドを試み、装備やアイテムを整え、それでも惨敗と撤退を重ね……なのに、彼は、諦めることだけは、しなかった。

 

 彼の絶望は量り知れない。

 彼の労苦は推して知るべきもの。

 彼の執念は、信念は、余人には決して、推し量れない。

 

 しかし、原因の一端が、自分たちアインズ・ウール・ゴウンにあることは、欠片もアインズの心には影響を及ぼさない。カワウソの唱える論理が、どれほど身勝手で破綻したものであるか判っていて……なのに……彼の存在は、いっそ清々(すがすが)しいほどに、アインズ・ウール・ゴウンの……否、モモンガの……鈴木(すずき)(さとる)琴線(きんせん)に触れていた。

 

 かつて、たった一人で、ナザリックに挑み続けたという堕天使。

 そうして、今、このナザリック最奥の地にて、決然と戦いの時を切望する存在。

 

 応じなくては。

 応じるべきだ。

 そして何より、「応じたい」と、そう思わざるを得なかった。

 

 

 

 あれは、俺だ。

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンになる前の──ユグドラシルを孤独に続けてきた、かつての俺だ。

 何かが違っていたら、何かを間違えていたら、きっとああなっていただろう──自分(モモンガ)だった。

 

 

 

 ふと思う。

 もしも彼が、カワウソが、若山(わかやま)宗嗣(そうし)が、

 このナザリック地下大墳墓の、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバーとして在籍していたら?

 もしもモモンガが、カワウソと共に、この場所で、サービス終了の日を、迎えることになっていたら?

 

 ──しかし、それはありえない。

 ありえないことなのだ。

 

 そして……

 

 

 

「だからこそ……彼と俺は、戦わなければならない」

 

 

 カワウソの戦いを、彼の冒険を、ここで終わらせてやる。

 彼の苦難と破滅と悲劇の物語を、すべて終わらせてやる。

 

 

 そうすることだけが、彼の望みを──彼の願いを──彼の誓いと約束を、果たさせてやれる。

 

 

 それ以外に、もはや彼を救うことはできない。

 彼は真実、アインズ・ウール・ゴウンへの“復讐者”──「敵」として、終わらせねばならない。

 彼自身のためにも。

 

 だから──

 

「戦おう」

 

 戦おうとも。

 正々堂々。正真正銘。

 アインズ・ウール・ゴウンが滅ぼすべき、“敵”として。

 100年後に現れたプレイヤー、天使の澱のギルド長、第八階層攻略者、──カワウソ。

 

「おまえのすべてを、終わらせてやる」

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

「まもなく刻限です」

 

 ミカの正確な体内時計が告げる声に、カワウソは頷く。

 

「────」

 

 ありがとうな。

 そう告げてやってもよかった。

 ──けれど、カワウソは口を(つぐ)み続けた。

 自分たちは、天使の澱は、ここで終わることになる。

 たとえ奇跡のような確率で善戦できたとしても、カワウソたちは無事にはすまない。

 首尾よくアインズの率いる三人チームを打ち倒し、一時の勝利を収めたとしても、消耗し戦力減耗した天使の澱を、玉座の周辺に控える階層守護者たちが見逃す確率は薄すぎる。むしろ、主人に一敗地をつけた敵の愚挙に烈昂し、事前の約束も何も関係なく蹂躙劇に発展する可能性は十分以上だ。

 自分たちは負ける。

 敗けるために、ここにいる。

 そんな馬鹿に付き合わされ、使い潰されることになるNPCたちに、「ありがとう」だなどと──絶対に言えない。

 罪悪感と死への恐怖で、今すぐ吐き出したいほどに心臓が跳ねて暴れる。

 ふと、ミカの手に背中を撫でられ、耐え難い緊張から解放される。

 

「──、……ッ」

 

 カワウソは、やはり、何も言えない。

 自分のような主人に、どうしてそこまで優しくできるのか──『嫌っている。』はずの者を支えてくれるのか、本気で理解できない。

 

 しかし、ミカたちと最後の問答を交わす暇すら、ない。

 刻限が迫ったのと同時に、アインズ・ウール・ゴウン側も、例の女守護者たち──墳墓の表層や第八階層でも相まみえた女悪魔と吸血鬼……主人たちと共に、天使の澱との戦いにおける綿密な作戦を打ち立て、装備の確認やアイテムの補充を済ませたNPC二人を引き連れて、死の支配者(オーバーロード)が玉座の段上から降りてきていた。

 相対距離は、だいたい20メートル程度。

 モモンガ──魔導王アインズは、告げる。

 

「我等のチームは、この私、アルベド、シャルティア、以上三名が務める」

 

 アインズ・ウール・ゴウン──モモンガが左右に従える圧倒的強者の気配。

 

()守護者統括、『最王妃』アルベド」

「第一・第二・第三階層守護者、『主王妃』シャルティア・ブラッドフォールン」

 

「御身の前に」という唱和と共に、アインズへと(こうべ)を差し出す王妃たち。

 アルベドと呼ばれた純白の女悪魔は、主人の左に立ち、シャルティアという真祖の吸血鬼は主人の右を進む。

 

「防衛部隊“隊長”──名は、ミカ」

「防衛部隊“傭兵”──クピドだぁ」

 

 ナザリックの守護者たちに倣うかのごとき、名乗り。

 相対する天使の澱のNPCは、カワウソの右をミカが歩みだし、クピドが左の空間へと羽ばたいて進む。

 そんな敵の様子を笑うでも蔑むでもなく、アインズは粛然とした頷きで応じる。

 

「後ろにいる他の我が守護者たちは、あの玉座周辺からは動かさない。同時に……デミウルゴス」

 

 呼ばれた第七階層守護者が、委細承知した声で空間に何かしらの防御シールドを、玉座のコンソールを操作して展開。

 

「これで、彼らへの危害行為は控えさせてもらうぞ」

 

 カワウソは頷く。

 敵が、戦闘で相対する人数を減らしてくれた状況で、こちらから無駄に仕掛ける員数を増やす気もなかったので、そんな防御機能を発揮しなくても、狙う理由がなかった。

 

「本当に、この人数で、俺たちが勝ったら……」

「ああ。それで、君たちの“勝ち”だ。私を煮るなり焼くなり、好きにするといい」

 

 骨を煮て焼いても、美味(うま)くもなんともないだろうに──そう思いはするが、噴き出していられるような状況でもなかった。

 

 これで勝てば。

 ここで勝てば。

 

 

  天使の澱は

       カワウソは

            ────どうなるのだろう?

 

 

 

「戦闘開始時間、三分前!! 双方、準備時間です!!」

 

 

 

 腕にはめた時計で時間を知らせる闇妖精(ダークエルフ)の少女。

 両者互いに魔法やスキルでの強化(バフ)を施す準備時間の三分間。

 

 カワウソは、アイテムボックスに忍ばせている強化のポーション数本を取り出し、口内に含む。堕天使の脆弱なステータスを補うための手段その一。

 同時に。

 アインズ・ウール・ゴウンが、モモンガが自己や全体強化の魔法を詠唱していく。

 

「〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)〉〈全体(マス)魔法詠唱者の祝福(ブレス・オブ・マジックキャスター)〉〈全体(マス)無限障壁(インフィニティウォール)〉〈全体(マス)魔法からの守り(マジックウォード)神聖(ホーリー)〉〈全体(マス)上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)〉〈全体(マス)上位幸運(グレーター・ラック)〉〈全体(マス)上位硬化(グレーター・ハードニング)〉〈全体(マス)上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)〉〈混沌の外衣(マント・オブ・カオス)〉〈天界の気(ヘヴンリィ・オーラ)〉〈竜の力(ドラゴニック・パワー)〉〈虚偽情報(フォールスデータ)生命(ライフ)〉〈虚偽情報(フォールスデータ)魔力(マナ)〉〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)上位魔法封印(グレーターマジックシール)〉〈魔法三重最強(トリプレットマキシマイズ)位階上昇化(ブーステッドマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉……」

 

 湧き出て流れる泉のごとく、魔法の詠唱は続いていく。

 アインズの個人装備──神器級(ゴッズ)アイテムによる装備効果で、〈自由(フリーダム)〉〈看破(シースルー)〉〈不屈(インドミタビリティ)〉〈吸収(アブショーブション)〉〈感知増幅(センサーブースト)〉〈魔法増幅(マジックブースト)〉〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉〈魔力の精髄(マナ・エッセンス)〉〈上位全能力強化(グレーター・フルポテンシャル)〉など、掛ける必要がない魔法は一切省かれていく。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)上位魔法封印(グレーターマジックシール)〉……」

 

 さらに続く魔法詠唱。

 カワウソも、負けじと信仰系の強化魔法を詠い始める。堕天使の強化手段その二。

 慎重に、かつ猶予時間中に吟味され尽くした強化(バフ)魔法を、自分と自分の陣営たる二人の天使に施していく。

 

「〈光の航跡(ウェイク・オブ・ライト)〉〈早足(クィック・マーチ)〉〈駆足(ハリーアップ)〉〈疾走(ランナウェイ)〉〈爆進(バースト・チャージ)〉〈疾風迅雷(スィフトネス)〉〈電光石火(ライトニング・スピード)〉〈全体(マス)聖騎士の祝福(ブレス・オブ・ホーリーナイト)〉〈武器祝福(ブレス・ウェポン)〉〈全体(マス)悪よりの防御(プロテクション・フロム・イビル)〉〈全体(マス)上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)〉〈全体(マス)祈祷(プレイヤー)〉〈全体(マス)上位瞬間鎧(グレーター・インスタント・アーマー)〉〈全体(マス)正の力の薄衣(ヴェイル・オブ・ポジティブ・エナジー)〉〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)刃の障壁(ブレード・バリアー)〉〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)復讐の風(ウィンズ・オブ・ヴェンジャンス)〉……」

 

 他にも様々な強化がカワウソと天使二人に施されていく。

 紡がれる魔法効果は、プレイヤー二人だけでのものではない。

 

 アインズ・ウール・ゴウン側はアルベドとシャルティアが、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)側はミカとクピドが、それぞれが考えうる限りの強化魔法や強化スキルを発揮し、戦闘の激発を待ち焦がれる。

 闇妖精(ダークエルフ)少女(アウラ)の声が、厳粛な調子で開始十秒前を刻みだした。

 

「10! 9! 8! 7!」

 

 シャルティアは、神器級(ゴッズ)の強力無比な槍刃を、腰だめに構え、

 アルベドは、黒の斧と盾を握り、全身鎧の兜で顔面すら覆う。

 クピドは、ライフル銃とミニガンの砲身を、軽々と持ち上げ、

 ミカは、兜の面覆い(バイザー)を下げた後、輝く剣盾を両手に携えた。

 

「6! 5! 4!」

 

 アインズは、宝玉を(くわ)えた双蛇のごとき黄金の杖を右手に、

 カワウソは、天国の門を鍔に意匠された白い聖剣を右手に、

 

「3! 2!」

 

 各々の敵を、瞳の奥へ刻み込む。

 

「──1──!!」

 

 0(ゼロ)

 

「戦闘開始!!」

 

 

 

 声を響かせたアウラの手が、鋭くも盛大に振り下ろされた。

 

 

 

 しかし、

 

「…………」

「…………」

 

 双方共に動かない。

 相手の出方を(うかが)うかのような視線の交錯。

 主人たちがそのような態勢でいる以上、シモベである者たちは先制攻撃をしていいものかどうか計りかねている。

 

「ふ……では、まずは小手調べだ」

 

 突っ立っているだけの状況に失笑しつつ、アインズは実に気安い、慣れたような調子で、ある魔法を堕天使たちに贈りつける。

 

「──〈時間停止(タイム・ストップ)〉」

 

 アインズが得意とする時間魔法を発動した。

 この異世界では対策を取れる存在は、希少。ユグドラシルだとLv.70以上の戦闘だと対策必須とまで言われる基本事項だが、それでもせいぜい無効化される程度。

 キャンセルされても特にどうということもない。「そうなった時」用の対抗策も準備済み。無装備同然の死の支配者(オーバーロード・)の時間王(クロノスマスター)のような後れを、アインズ・ウール・ゴウンが取るはずがないのだ。

 それに、アインズは時間魔法コンボなどにも長じており、ただ漫然と、天使には効きにくい死霊系魔法を唱えるよりはマシと判断して発動した……

 

 その瞬間、

 

 

 

 

「……?」

 

 停止した世界の中から、彼が、堕天使(カワウソ)が、いなくなった。

 だが、それは錯覚であった。錯誤であった。

 視線を彷徨わせようとする間もない。

 

「……」

 

 黒い堕天使が、

 

「なっ」

 

 白い剣を振り下ろし、

 

「に?」

 

 アインズの身体を──既に──斬り裂いていた。

 

 

 

 

 肩から胸を引き裂かれたダメージに、アインズは苦悶の声を玉座の間に響かせる。

 

「が、あああああっ?!」

 

 カワウソは、この世界で二戦目となる現象――ほぼ全自動で発動した特殊技術(スキル)のもたらした結果を、見た。

 至高の存在であると民から信奉され、このナザリックの全存在の頂点に君臨する存在が、片膝をつき、胸元へ受けたダメージを抱くように、(うずくま)る。神聖属性を保有した武装で攻撃されたことで、偽りの生命力が削ぎ落されたような異臭が、血の代わりとして玉座の間に煙る。

 

「「アインズ様ッ!?」」

 

 御身の時間停止魔法が無効化された──だけでなく、魔法発動の瞬間、誰の視線からも消え失せた堕天使が、いつの間にか主の懐深い位置で、聖剣を振り下ろしていた。それを理解したアルベドとシャルティアは、即座に主人の援護へと()ぶ。

 果断に過ぎる戦士二人の反射速度。

 カワウソはすぐさま足甲を駆って、二人の攻撃から逃れるように床を跳ね、宙を滑る。

 

「眷属よ!!」

 

 攻撃を(かわ)した直後、吼えるシャルティアの解き放った強力な眷属たち――吸血鬼の(ヴァンパイア)蝙蝠(バット)(ラット)(ウルフ)、計六体に追い立てられるが、それらはすべてミカとクピドによって薙ぎ払われ撃ち落とされた。

 床に降り立つ堕天使は、深呼吸と共に、告げる。

 

「まずは、一撃」

 

 カワウソは既に解っていた。

 生産都市地下で、死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)死の支配者の将軍(オーバーロード・ジェネラル)、そして、死の支配者の時間王(オーバーロード・クロノスマスター)と戦闘になった際に、あの時間王(クロノスマスター)を完封した手段として、すでにこのスキルが有効であることは理解していた。

 そして、アインズ・ウール・ゴウンもまた、起こった現象の意味を瞬時に、かつ的確に、(さと)る。

 

「こ、これは──全自動、オートカウンター、スキル。

 だが、これは──“ただのオートカウンター”では……ない。

 ……はっ。そう、か……そういうことだったか、……おまえは!」

 

 早速、ひとつの確信を懐き再認するアインズに、堕天使のプレイヤーは頷いた。

 

「そうだ」

 

 今更に過ぎることを口にしていく。

 

「俺は、おまえ(・・・)を知っている」

 

 知り尽くしている。

 死の支配者(オーバーロード)姿(アバター)をしたプレイヤー。

 アインズ・ウール・ゴウン――――ギルド長・モモンガ。

 その存在は、少しでもユグドラシルというゲームに馴染みのある人間なら、知らぬ者はいない。

 あの「1500人の討伐隊を退けた、伝説のギルドの長」として君臨した彼の情報は、Wiki情報で、スレの書き込みで、様々な形となって、カワウソという一人のプレイヤー……アインズ・ウール・ゴウンに復讐を誓った男に知悉されて当然な知名度を誇っていた。

 

 

 強力無比な死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)。他のプレイヤーには未知のスキルによる、『即死対策や無効化を“完全無効”』とする絶対の力。紅い球体の、未知なる世界級(ワールド)アイテムを保持する存在。

 それらと並び称されて、モモンガというプレイヤーを形容する情報。

 

 

 

 ――時間停止魔法の達人であること。

 

 

 

 ユグドラシルにおいて、時間対策は必須項目と言われるほどポピュラーな情報だ。

 時間停止に代表される魔法は、Lv.70以上の戦闘では必須。レイドボス戦は勿論、このレベル帯に属するプレイヤーは時間魔法取得条件に達する為、PKやPKK――対プレイヤー同士の対戦や、トーナメント大会などのイベントでは非常に重宝される。相手の時間を奪う〈停止〉をはじめ、任意対象を〈加速〉・〈減速〉させる魔法の他、数ターン分のダメージ計算を加算ないし回復する〈跳躍〉、時間を(さかのぼ)ることで一定の戦闘状況の再構築を可とする〈遡行〉など、割と幅広い運用方法が用意されている。

 そんな時間魔法の中で、停止時間中の攻撃というのは、ダメージを与えることはシステム上、不可能。停止時間は陣地移動や逃走手段、罠などの準備時間に使われることが大勢を占めているが、魔法詠唱者の扱う〈遅延魔法(ディレイ・マジック)〉――発動時間を一定時間だけ遅らせて発動する魔法と併用すると、停止状態の解除と共に、対象者は多数の魔法攻撃の餌食になることで有名だ。いくら装備や特性、特殊技術(スキル)で魔法に対策を施していても、属性も威力も種々様々な魔法の多面的な波状攻撃にさらされては、致命的なダメージを被る魔法がひとつでも叩き込まれる危険があるのだ。これは割とよく知られた時間魔法の戦闘コンボで、専用のWikiページまで作られていたほどである。

 故にこそ、高レベルに達したプレイヤーは、時間対策を講じ、時間魔法の発動によって即死瞬殺される事態を回避せねばならない。

 

 だが、基本的なコンボと称される〈時間停止〉と〈遅延魔法〉の組み合わせは、言うほど簡単に習得習熟するには無理がある。

 

 魔法詠唱のタイミング取りは難解極まるし、停止時間の長短についても、複数個の魔法を効果的に遅延させる計算処理能力がなければ無駄打ちに終わる。よほど各種魔法の発動時間や遅延魔法の最大効果を研究し尽くしたとしても、コンマ一秒でもずれたらコンボは成立できないのだ。早すぎては繰り出した魔法は停止時間内の攻撃とされ無力化し、逆に遅すぎても反応のよいプレイヤーは魔法効果範囲外に逃れ、回避されて無駄となる――「ぴったり」と二つ以上の魔法を噛み合わせることができなければ、この時間停止コンボは遂行不能。魔力(MP)を無駄遣いする結果だけを生む。その“失敗できない”という重圧は、並大抵のプレイヤーで克服できるものではなく、そのコンボを完成させるための訓練時間を積むことは、ただの片手間程度の情熱で成し遂げることは不可能とされている。

 一説には全魔法職プレイヤーの、せいぜい5%が使いこなせているというデータがある程度だ。

 

 

 そして、モモンガは、あの有名なギルド:アインズ・ウール・ゴウンの長たる彼は、

 ──“そんな5%の一人(・・・・・・・・)”として有名だったのだ。

 

 

 だからこそ、カワウソはモモンガの時間停止コンボを打ち破れる対策を――時間停止を即座に無力化する手段を、当然の如く講じている。

 それが彼の取得した最上位信仰系職業“教皇(ポープ)”と“法皇(ハイエロファント)”――双方、Lv.10まで確保した時に取得できる時間対策スキル“予言”と“神託”――双方共に、未来を「予知」し、対策反撃を可とする権能を表す言葉――時間魔法発動への自動反撃(オートカウンター)スキルによる超速攻手段が、〈時間停止〉の魔法発動と共に発動。停止魔法は無効となり、カワウソの聖剣が、アンデッドの王への“反射攻撃”を加えたわけだ。

 無論、アインズはそれ専用の対策を、迎撃用の手段を、己の身に纏う神器級(ゴッズ)アイテムに施している。

 だが、

 さすがに“二つ同時(・・・・)のオートカウンター”を無効化は、できない。

 せいぜい封殺できるのはひとつまで。あるいはこの時、本物のギルド武器の杖(スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)に組み込まれた自動迎撃システムの力も借りれば、この一撃を迎撃することもできただろう。だが、慎重なアインズは当然の如く、本物のギルド武器を装備していなかった。本物は、あの第八階層・桜花聖域に安置されたままであった。

 発動者であるモモンガへの、スキル保有者であるカワウソすら知覚し得ない、有無を言わさぬ超速攻の剣撃は、(あやま)つことなく死の支配者(オーバーロード)の身体に「一撃分」のダメージを与えた。

 カワウソが堕天使の特性も使って取得した教皇と法皇は、一朝一夕に取得できる職業ではない上、オートカウンターを二個も保持するメリットは、通常プレイヤーには存在しない。このスキル二つを両立させるには、最低でも合計Lv.20――プレイヤーレベル最大合計100の五分の一、さらに取得条件の職業も加算するとそれ以上――を費やすのだ。そんな労をかける時間と余裕があれば、もっと強力な職業レベルをカンストさせる方がマシなはず。少なくとも、普通のプレイヤーであれば、どちらかひとつで事は足りると感じるはずなのだ。

 言ってしまえば、このオートカウンターの二重発動は、「時間停止コンボ使い」――時間王(クロノスマスター)などの「時間魔法特化」の中でも「時間停止コンボを使用する」モンスターに対してだけの特効兵器であり、絶対的な封殺手段。それ以外のPKやPKK、レイドボス戦などでは、(ことごと)く無用の長物と化す。

 

 

 カワウソは、今さら言うまでもないが、まともなプレイヤーでは、ない。

 

 

「恥さらし」と揶揄(やゆ)されて当然の『敗者の烙印』を押されたまま、ユグドラシルにINし続け、PK地獄や嘲笑の対象にされても尚、ゲームをやり続けた精神も、そう。

 あれほどの暴圧を、第八階層で起こったLv.100プレイヤー1000人規模の蹂躙劇を知りながらも、それを突破する手段と対策に研鑽と検証を積み上げた“徒労”の量も、そう。

 

 そして、何より。

 

 ユグドラシルにおいて最もアインズ・ウール・ゴウンの研究に情念を注ぎ続けた、アインズ・ウール・ゴウン打倒への執念に衝き動かされ、それを果たすためだけに、数年もの時を費やした、強者(きょうしゃ)ならぬ“狂者(きょうしゃ)”の妄執が、そう。

 

 それが、その意思のみが、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長――カワウソという存在の根底に積もり積もった(おり)の正体。

 

 怨讐と未練に縋りつき、汚泥のごとく(よど)んだ絶望の水底を這いまわり、それを自覚しながら、はるかな高みに位置するアインズ・ウール・ゴウンを打倒するという至上命題を懐き続け、誰からも支持されず、誰の心も動かすことができなかった無用者――──そうして────堕天使として異世界に降り立ち、骨の髄から爪の先まで復讐者(アヴェンジャー)と成り果てた、狂気と狂奔と狂乱と狂態の(かたまり)……天使の(おり)

 比類ない落伍者。

 無類ない破綻物。

 復讐心が産み落とした、一匹の(ケダモノ)

 

 

 宝物の壊し方も、

 友情の捨て方も、

 思い出の葬り方すら知らず──わからず──

 

 

 誰か一人でも、彼という人物を──餓鬼(ガキ)を──理解する家族が、仲間が、プレイヤーが、誰かがいたのなら、彼はここまで狂い捩れ、(ゆが)(ひず)むことはなかったかもしれない。

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンへの、ナザリック地下大墳墓への挑戦など忘れて、ギルドの思い出も、仲間たちとの絆も、何もかも(なげう)って、何もかもを見限って、何もかもを諦めて、何もかもに絶望して、──そうして、他のDMMO-RPGに興じる会社員(サラリーマン)として、平穏で凡庸で機械的で、まったく何者でもない日々を過ごしていたかもわからない。

 

 

 だが、彼はここにいる。

 ここにまで、辿り着いた。

 辿り着いて、しまったのだ。

 

 

 復讐に餓えた鬼が、

 渇くほどに望み、熱にうかされるほど望んだ、ナザリック地下大墳墓の最深部。

 そして、

 アインズ・ウール・ゴウンの象徴にして頂点であるプレイヤー……モモンガとの決戦(PVP)

 

 

 それが、カワウソという堕天使プレイヤーの真実だった。

 

 

 カワウソは――100年後に現れたプレイヤーは、当然知らない。

 彼自身の成し遂げた隠れた偉業――この百年近くもの間、あの「事件」以降、まったくダメージらしいダメージを負うこともなくなった魔導王への“有効な正面攻撃を可能とした”――を自覚することなく、ただ目指した目標の第一歩を踏み締め、油断なく神器級(ゴッズ)武器の聖剣を構える。

 その傍らには、彼の創造した、残り二人のLv.100のNPC。ミカとクピドが、言祝(ことほ)ぐ。

 

「御見事……であります」

「フクク、さすがだぁ!」

 

 素直な感嘆と称賛に、だが、カワウソはまったく反応しない。

 頷くどころか振り返りもしない。

 対して。

 アインズ・ウール・ゴウンの誇るLv.100のNPCたちは、脳髄が、臓腑が、煮え凍える思いで、不遜な侵入者たちを、ユグドラシルプレイヤーの堕天使を睨み据える。

 

「きっ、キ、サマ、らぁ……!」

「よくも、よくもヨクモ……!」

 

 これまで経験したこともないような憎悪と怨嗟に表情を歪める、悪魔と真祖。

 至高の主人の盾として、愛する御方の矛として、御身に危害を加えるすべてを屠殺し拒絶し蹂躙し尽くす意思に駆られる王妃二人は、

 

 

「ふ……ふふ」

 

 

 背後で湧き起こった笑声(しょうせい)の意味を判じかね、振り返った。

 

 

「くっ……ふふ、ふふはははは、はっはっははっははははははハハハハっ!」

 

 

 いっそ快活なほど朗らかな笑みは、敵対する位置の三人にも、わけがわからなかった。疑念に駆られるカワウソは、その微笑みに宿る感情を僅かに読み取ることができたのが、不思議だった。

 その感情は、喜び。

 魔導王は、こみあがる(かす)かな笑いを止められない。精神が安定化した端から、感動にも似た何かが込みあがるのだ。掌を額にあてがい、愉悦そのものという声で笑い吼える。

 

「ああ、そうだ……そうだっ、これが……ははっ……これこそが戦い……これこそが、PVP!」

 

 確かな実感と共に、倒れ跪いたままの魔導王──ギルドの長は、骨の左手を握り込む。

 もはや久しく忘れていた、全力の、本気の、戦いの感覚。

 戦慄。

 震撼。

 脊髄の内を走る確かな昂揚(こうよう)に、アインズの骸骨の表情は破顔しているようだった。

 

「ああ。ありがとう。──感謝する!

 感謝するぞ、若山(わかやま)宗嗣(そうし)……いいや──“カワウソ”!」

 

 身を起こすアインズの所作は緩やかだが、誰もその行動を妨げられない。

 完全に相対する格好を取り戻したアインズは、聖剣のダメージもどこへやらと言わんばかりに、今度こそ、“戦い”の場に身を置いた。

 

 あるいは、ようやく、アインズ・ウール・ゴウンは、目を覚ましたと──いったところか。

 

 

 

「さぁ、始めようか」

 

 

 

 眼窩の奥に灯る輝きは、怒りや侮りなどは一切ない、焔のように透き通った戦意の煌きしか見て取れない。

 息を呑むカワウソは、震えそうになる己を縛り諫めるように、剣を握り構える力を強くして、頷きを返す。

 

 

 

「ああ……始めよう」

 

 

 

 

 

 

 

 戦いを。

 

 

 

 

 

 

 

【第十章 (たたかい) へ続く】

 

 

 

 

 

 




今回、アインズ様が唱えている魔法は、書籍三巻を参考にしております。
一方のカワウソの詠唱している魔法は、一部はD&Dなどを元にしている独自魔法です。


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第十章 戦
至高


〈前回までのあらすじ〉
 最後の戦いが始まる。


/War …vol.01

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナザリックの最奥、その玉座の間のさらに奥に位置する“諸王の玉座”周辺の段上。

 玉座の間の防衛システムのひとつである不可視の防御シールドによって、侵入者たちはここで繰り広げられる最後の戦いにおいて、万が一にも、ナザリックの防衛中枢を担う世界級(ワールド)アイテムへの破壊工作などはできないようにする仕様……“諸王の玉座”の最後の防御機構が施されていた。何しろナザリック地下大墳墓の、他のギルドとは一線を画す『転移阻害』の機能を発揮するアイテムであるため、これを破壊することが叶いさえすれば、敵は理論上、外からの転移による増援を、いくらでもこの玉座の間に呼び込むことが可能となる。いかにギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバーであっても、外から次々と敵が転移で押し寄せでもしたら、あっという間に壊滅を余儀なくされるだろう。

 この防御シールドの弱点は、プレイヤーを──つまりギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバーを直接守護する機能にはなりえない。何しろこのシールドの中に、メンバー全員で閉じこもれば、勝ちもしないが敗けもしない状況を構築することはできるだろう。だが、そんな状況を構築しても、ユグドラシルの運営が用意したゲームシステムに著しく抵触する。このシールドはあくまで「拠点そのもの」を護る世界級(ワールド)アイテムの機能の一種であるため、プレイヤーは──拠点の付属品扱いの拠点NPCなど以外は、容赦なく排出──シャットアウトされるのだ。

 

 無論、悪のギルドを標榜し続けたアインズ・ウール・ゴウンのメンバーも、最後の玉座の間の戦いで、防御装置に隠れてやり過ごすような無様をさらすわけがない。

 悪の親玉として、RPGの魔王よろしく、この第十階層にたどり着いた勇者一行を迎え撃ち、最後の決戦にメンバー全員で挑むという筋書きこそが、最もアインズ・ウール・ゴウンらしい結末であると、誰もが納得していたから。

 

 

 そして、100年後の、今。

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国、スレイン平野という禁断の地に降り立ったギルド:天使の澱。

 そのギルドの拠点NPC──ミカという名の熾天使(セラフィム)と、クピドと名乗る愛の天使(キューピッド)

 天使の澱の防衛部隊たるモノらに護られる堕天使のユグドラシルプレイヤー、

 生命樹(あれら)やルベドの跋扈する第八階層の攻略に辛くも成功したことにより、

 ついに絶対不可侵の領域であった第九、および第十階層に到達した──ひとりの男。

 アインズ・ウール・ゴウンの“敵”──

 名は、カワウソ。

 

 

 アインズ、アルベド、シャルティアの三名との決戦に挑むプレイヤーへの、守護者たちが懐く印象は最悪に近い。主人の強命……「手を出したら許さない」という意図がはっきりとわかるチーム戦の布告に、シモベでしかない者達には、否も応もなかった。

「あるいは」と誰もが思った。

 あのユグドラシルプレイヤーは、アインズなみの智者なのではあるまいか、と。

 あのカワウソとやらは、アインズがこのように発言すると読んで、あのような狂態を演じ、見事、至高の御方を(たばか)ってみせたのでは。

 無論、そんなことはありえない。

 

 カワウソの意志と言葉は本物であった。

 そんな彼に感銘を受けたアインズの……モモンガの我儘な願いも、本物であった。

 

 しかし、守護者たちには信じられなかった。

 ナザリック地下大墳墓を、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンを創造せし、至高の御方々、そのまとめ役にして、最後までこの地に留まられた慈悲深き彼と伍する“外の存在”など、ありえるはずがない。アインズを謀るなどということは誰にも不可能であり、その思考・計略・軍才は、守護者たち全員の及ぶべくもない至高の階梯に位置している。そんな史上最強の死の支配者(オーバーロード)と、比肩するプレイヤーなどがいてたまるものか。それでも、否、しかし──

 実際として、ユグドラシル時代にアインズ──モモンガはナザリック外の世界で殺されることもあったと聞く。主人の言に嘘があるはずがない。それはつまり、外にいる敵が、アインズの智謀と魔力を凌ぐという実証に他ならないはず。

 故に、守護者たちのみならず、ナザリックに属する全シモベが警戒を余儀なくされた、100年後の世界に現れたユグドラシルの存在。アインズが直接、モモンという偽装身分を使ってでも“会ってみたい”と願ったプレイヤーには、そうするだけの価値が……力量が……可能性があることを、誰もが理解し尽した。

 そうして。

 あの飛竜騎兵の領地で。

 堕天使プレイヤー……カワウソは、監視要員として派遣されたナザリックの娘……マルコ・チャンに放言した。

 

 

『自分は、アインズ・ウール・ゴウンの“敵”になる』などと。

 

 

 これにより、アルベドやデミウルゴスという、ナザリック地下大墳墓の最高智者たちが用意した、ありとあらゆる懐柔計画や融和政策(──という名の、100年後のプレイヤーに対する「鬼謀」と「悪策」……純粋なユグドラシルの存在への“作戦”と“実験”)は、すべて水泡に帰していた。

 何もかもが守護者たちの、同時に、アインズの思惑をかけ離れていた。

 かけ離れすぎていた。

 アルベドとデミウルゴスは、100年後のアインズ・ウール・ゴウンの賢世と平和(アインズの主たる兵力である“アンデッド”の基本能力を社会基盤とし、魔導王やナザリックに完全依存させながら、大いなる発展を遂げた)──超大国を見せられながら、『敵になる』と標榜するカワウソの愚かさの極みに、とんでもない番狂わせを喰らっていた。連中を魔導国内部に呑み込み、情報集積を終えた後、“(しか)る手段によって”ユグドラシルの存在たるギルドを、プレイヤーを、NPC共を追い込み、ナザリック地下大墳墓の利益につながる事業に利用できるよう“とある処置を施す”。

 具体的には。

 外の存在(カワウソ)に謂れなき大罪を負わせ、虚偽の罪状と過失を暴き、ナザリックの十分な戦力を投じて、包囲・殲滅・完全に無力化。──仮にも魔導国に属した天使連中を、アインズの為政に「瑕疵(キズ)を与えた」として処刑・処断してしまえば、あとは狡猾かつ凄惨かつ悪魔的な謀略が催す“実験コース”に案内することが、完璧に可能。それこそが、当初アルベドやデミウルゴス達全員が信じた──敵対行動に奔った天使NPCたちへの誅罰であり、さらにはアインズ・ウール・ゴウンその人にとって、最も有益かつ重要な結果を生む戦略であったのだ。

 

 

 だが、そうはならなかった。

 

 

 天使の澱のカワウソは、あろうことか、魔導国には“属さず”、あまつさえ──

「アインズ・ウール・ゴウンの“敵”」に、成り果ててみせたのだ。

 ……自らの意志で。

 

 

 ありえないと思われた。

 いかなる事情心情があろうとも、異世界転移という破格の苦境に追い込まれながら、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の庇護を──傘下入りを受け入れず、言うに事欠いて、ありとあらゆる道義と順序を無視して、至高の御身たるアインズの……“敵”になることを望む存在など、通常ならば、まずありえない。

 

 これが他のプレイヤーであったなら、マルコの話に喜んで飛びつき、魔導国の庇護の傘の下に参画。そして、甘い蜜に釣られた羽虫が、食虫植物の罠に水没するがごとく、アルベドとデミウルゴスの企図する通りの行為行動に陥って、そうして、気がついた時には何もかもが手遅れになっていたことだろう。

 それくらいのことを、極悪のカルマを与えられた悪魔たちが計画し遂行しない理由はない。他ならぬ“アインズのため”、ひいては“ナザリック地下大墳墓のため”に、外の存在への、ユグドラシルの“プレイヤー”への実験は必要不可欠。そして、アンデッドになり果てているアインズ──モモンガ……鈴木悟にとって、「ナザリック地下大墳墓」以上の優先事など、ない。魔導王アインズが、アルベドやデミウルゴス達の企図に気がついたとしても、それがひとえに自分のため、ひいてはナザリック地下大墳墓の利益につながると(さと)ってしまえば、彼は容易に外の存在を──たとえ自分と同じプレイヤーであろうとも──斬って捨てる程度のことは(様々な葛藤はあるだろうが)、普通に行える。この100年で、幾万・幾億という“死”を積み重ねた死の支配者(オーバーロード)の感性が、今さらその程度のことで罪の意識を加速させることはない──彼は“アンデッド”なのだから。

 

 

 そして、この玉座の間にて。

 守護者たち全員が度肝を抜かれていた。

 

 

「アインズ、様?」

 

 

 拠点NPC──ギルドの防衛を担う付属品扱いとして、シールドに護られている守護者各位は、堕天使の自動反撃(オートカウンター)スキルで、〈時間停止〉が発動せんとした瞬間に魔法が打ち消され──同時に、黒い男が握る白い聖剣が振り下ろされ──片膝をついて(うずくま)る主人を、見た。

 

「「「「「 アインズ様ッ!!?? 」」」」」

 

 アルベドとシャルティアと同様に、守護者たち全員もまた、主人の異変に……敵からのありえない攻撃に、瞠目。

 驚愕と悲嘆と激昂と憤怒と暴意が、地獄の釜の底で一緒くたに煮られたような感情の(おこ)り。

「主人からの命令に反する」という重罪を働こうとも、御身の救援に駆け飛ぼうとする意志を、“諸王の玉座”のシールドが阻んでくれた。これがなかったら、アウラたちは主人からの絶対命令を反故にする愚物に成り下がっていたやもしれない。

 そして、全員が聞いた。

 

「ふ……ふふ。

 くっ……ふふ、ふふはははは、はっはっははっははははははハハハハっ!」

 

 轟く豪笑を。

 凄まじい歓喜の音色を。

 アインズ・ウール・ゴウン、その人の口腔から迸る──戦気を。

 

「これこそが戦い……これこそが、PVP!」

 

 黄金の杖を強く突き、骨の左手を握り込む死の支配者(オーバーロード)の表情は、背中越しにでも守護者たちには読み取れるようだった。雄々しく(そび)えるかのような黒いオーラが空間を重く歪ませ、闇よりも深い彩に染め上げている。

 

「ああ。ありがとう。──感謝する!

 感謝するぞ、若山(わかやま)宗嗣(そうし)……いいや──“カワウソ”!」

 

 敵に対して嘘偽りのない賛辞を贈る魔導王、アインズ。

 

「さぁ、始めようか」

 

 アウラやマーレ、コキュートスやデミウルゴスやセバスたち全員が、息を呑む。

 圧倒的強者として君臨する王の姿……至高の主……この地に最後まで残られた慈悲深き御方が魅せた──本気の本気。

 

 誰もが確信した。

 この戦いの果ての、絶対的な結末を。

 アインズ・ウール・ゴウンの勝利を。

 

 魔導王の布告に怖じることなく、愚劣の極みに至りし堕天使……アインズ・ウール・ゴウンの“敵”が、応じる。

 

 その様子を見ていたアウラとマーレの表情は、曇り空が晴れ渡るように輝きを増した。

 

「ちょっとびっくりしたけど、やっぱりアインズ様は凄いね!」

「う、うんお姉ちゃん。か、カッコいいよね!」

 

 無邪気に微笑みを交わす闇妖精(ダークエルフ)の双子に、蟲の王(ヴァーミンロード)が四つの腕のうち二つを組んで頷き、悪魔と竜人が完全に同意したように幾度も首肯する。

 

「冷気ニ耐性ヲ持ツワタシニ、コレホドノ“震エ”ヲモタラストハ」

「私の方は逆に……とんでもない熱量で、悪魔のこの身が焦がれそうな思いだよ」

「やはり、アインズ様の御力は、我々のそれよりも遥かな高みにあるものでございますな」

 

 敵の情報──手練手管は、不透明な部分も多いが、それにも勝るほどの絶対者の“絶望のオーラ”が、ビリビリと大気を震撼させていた。まるで玉座の間が、否、世界そのものが、アインズ・ウール・ゴウンその人の威圧に屈し、泣き叫んで許しを請うかのよう。敵のNPCの一人……熾天使(ミカ)の常時展開している“希望のオーラ”が、委縮したかのように気圧(けお)されるほどの負のエネルギー。アインズ・ウール・ゴウンのギルド武器、その試作品に込められていた、数少ない機能が発揮された結果である。

 守護者たちは納得の笑みで首肯を落とす。

 アインズ、アルベド、シャルティアのチーム編成は、ほぼ完璧と言える。装備類の事前準備、天使共への対策手段、チームの三名が共有し了解した作戦概要……どれもが天使の澱にとって致命となりうるものばかり。

 

 無論、ナザリック……アインズ・ウール・ゴウン陣営にも不安要素は、ある。

 

 ひとつ。敵の戦力はいまだに不明瞭な部分があること。カワウソがここまで連れてきた二体の天使。女騎士と赤ん坊。特に、ミカとかいう、カワウソがこの世界で四六時中護衛に就けている女天使。あいつの能力は死の支配者(オーバーロード)の賢者(・ワイズマン)を即殺するほど。その能力は女が“熾天使”の種族であることを考慮しても、あまりにも強力な位階に位置する。その証拠に、あの女の醸し出す“希望のオーラⅤ”は、御身の解き放つ“絶望のオーラⅤ”を完全に中和。堕天使たちを即死の帳で包み込むことを阻み続けている──

 

 ふたつ。カワウソの保持するレアもの“復讐者(アベンジャー)”なる職業(クラス)の即死能力。表層を囲む平原での戦いで見せた、中位アンデッド軍を掃滅し、上位アンデッドたる具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を抹殺した特殊技術(スキル)。発動に必要な“犠牲(いけにえ)”となる者──雑魚モンスターを大量に投入するのはあまりにも危険な事実。故に、シャルティアは雑魚レベルの“眷属召喚”は行えない。少なくとも、堕天使に一発でやられるようなタイプは厳禁。なので、かつてアインズに対して行使した、スポイトランス+同士討ち(フレンドリィ・ファイア)による回復手段は、今回まったく使えない──

 

「できれば、いかに危険であろうと、連中のレベル構成などを完璧に把握しておきたかったところ」

 

 デミウルゴスは苦い声を零す。

 それこそ。

 今からでもナザリック最高の情報系魔法詠唱者であるニグレドを、いかなる反撃や対策──死の危険も辞さずに、敵対者共のレベル構成を読み取らせることをシモベ全員で具申していたし、当のアルベドの姉自身も、それを強く主張していた。しかし、ナザリックのシモベに対する絶対の安寧と無事を望むアインズは、結局そのような強硬策を採択させてくれず、結果的に、この段階に至っても、連中がどのようなレベルを構築しているのかは不明。御身(アインズ)の“死”以上に危惧するものなど無いシモベたちであったが、至高の御身があのような雑魚に殺される可能性を考えることはあまりにも不敬……である以上に、アインズの個人的な「我儘」には、誰もが膝を屈するほかにないのだ。

 そして、今回の戦いは“三対三”。

 戦闘に臨むアインズ、アルベド、シャルティア以外に、連中への害悪を成そうとする魔法やスキルはすべて、アインズが定めたチーム戦のルールに抵触する行為。それが可能だったのであれば、玉座の間で戦いを観戦することを許された守護者たちや、ナザリックの他のLv.100NPCから、アインズ達を支援する魔法やスキルを発動することで、確実に天使の澱を打破・壊滅させることが可能。なのに、誰もアインズ達を強化する手段には訴えかけていなかった。これが、ナザリック側にとっての不安要素の、みっつ目。

 さらに四つ目は、カワウソという名の堕天使は、自らの口で放言していた──「おまえを知っている」と。事実、奴の堕天使という種族や聖騎士という職種は、モモンガにとっては天敵ともいえる相性の悪さを顕現している。堕天使は神聖属性に長じているくせに、アインズの得意とする戦法や属性には、完全な対策を講じているという状況が、その認識を加速させる。

 状況は、さしものアルベドやデミウルゴス達の想定を超えていた。

 あるいは、アインズの予想よりも、はるかに。

 だが。

 それでも。

 

「──だとしても、アインズ様が決めたことだもの」

 

 魔導王の王妃のひとりとして紡ぐアウラの言葉に、マーレや、他の守護者全員が頷く。

 全員が信じた。

 

 アインズ・ウール・ゴウンの──絶対的勝利を。

 

 こうして、戦端は開かれた。

 開かれてしまったのだ。

 

 

 そして、主人が次に見せた行動……完全に本気の本気を示す特殊技術(スキル)の発動によって、守護者たちは再び驚愕を得る。

 

 

 ──アインズの背後に、あの、十二秒を告げる時計盤が、現れた。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 カワウソはアインズから見えないオーラが立ち上ったような重圧に竦みかけながら、聖剣を構える手の力を強固に保つ。

 オートカウンターで一撃を与えた以上、アインズは「時間系統魔法は無意味だ」と覚ったはず。そして、天使種族は死霊系魔法への耐性を有する。彼の得意分野について、カワウソは軒並み対策を整えているわけだ。

 それを十全に理解した時、モモンガの、アインズの打つ手は、何か。

 次の瞬間。

 アインズが、ひとつのスキルを、発動。

 

 

特殊技術(スキル)あらゆる生あるもの(The goal of )の目指すところは死である(all life is death)

 

 

 カワウソは、いきなりのことに(おのの)いた。喉から変な息が漏れかけるほどに。

 死の支配者(オーバーロード)の背後に出現する時計盤が現れ、カウントを刻みだす。

 

「〈魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)嘆きの妖精の絶叫(クライ・オブ・ザ・バンシー)〉」

 

 アインズの強力無比な即死魔法の叫び声。だが、嘆きの妖精たちが奏でる絶叫が鼓膜を(つんざ)くと同時に、カワウソたちが倒れ伏すようなことはない。これは天使たちの耐性が、即死の事象を防いでいるわけでは──ない。

 あの時計盤(スキル)を、カワウソはユグドラシルのプレイ動画で幾度も見てきた。

 カチリ、カチリ、と刻まれる音色が、「十二秒」を数えようとしている。

 

「アレを止めろ!」

 

 そう命じはするが、まず不可能だとわかった。命じられた瞬間、ミカがカワウソと同様に〈光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ〉を飛ばし、クピドがミニガンによる機銃掃射を行う。広範囲を薙ぎ払い、空間制圧を試みたが、それはアインズの前方に飛び出した守護者二名に阻まれた。神聖属性の光輝二連撃をアルベドの盾と鎧が真正面から弾き飛ばし、秒間100発規模の魔法弾の弾幕はシャルティアの槍が一発残らず叩き落した。そうして、アインズのスキル発動までの時間を悠々と稼ぐ。

 カワウソは自分の左腕を、自動蘇生をもたらすアイテムを、固く握る。

 時計の針が再び最頂天を指す位置に(まわ)り終えるのを、確認。

 発動されたのは、アインズの……プレイヤー・モモンガの切り札。

 

 

 ──死。

 

 

 周囲に存在する有象無象を死に至らしめる、絶対死。

 たとえ、どんなに無効化能力や耐性や対策を有していても、それらをすべて貫通して、「十二秒」の間に発動された即死魔法を敵に叩き込む究極の即死技。魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)の影響を受けた〈嘆きの妖精の絶叫(クライ・オブ・ザ・バンシー)〉の威力射程は半径100メートル程度。直径200メートル圏内に存在していたカワウソやミカ、クピドを呑み込むのに十分な範囲魔法──威力圏内から後退していたとしても、モモンガが追ってくれば意味のない動作に終わる可能性があったので、カワウソ達はあえて連中への攻撃を断行した。少しでも敵の体力や装甲を削ぐために──

 そして、

 

「やはり対策済みか」

 

 アインズは軽く頷いてみせる。

 カワウソの左腕にあった自動蘇生アイテムが、効果が発動したかのように、崩壊。

 また、ミカとクピドに与え、装備させておいた同様の効能を示す指輪(アイテム)も、役割を終えた。

 対モモンガ戦を想定していたカワウソの備えは、アインズが速攻で発動した切り札から、完全に守り通してくれていた。

 

「やはり知られていたようだな。俺の切り札たるスキルへの対策について」

 

 当然と言えば当然。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの長たるモモンガの情報を、カワウソはもはや己の常識として認知していた。

 ただ、

 カワウソとしては、こんな序盤の序盤に使われるのは、意想外の出来事であったが。

 

同士討ち(フレンドリィ・ファイア)が有効なこちらでは、我がシモベたちも蘇生アイテムを備えていないと危うい即死の力なのだが──」その証拠に、アルベドとシャルティアの両名も、アインズの即死魔法効果内にいながら、健在。「──しかし、これで確定だな」

 

 カワウソが、アインズ・ウール・ゴウン──否、“モモンガへの対策”に十分以上の準備を重ねているという認識を得る。

「ならば」とアインズは宣する。

 

「俺は今──“アインズ・ウール・ゴウン”として、君たちと存分に戦うとしよう」

 

 モモンガの──否、アインズの瞳が煌きを増した。

 カワウソは油断なくミカに命じる。

 

「ミカ! 熾天使(セラフィム)召喚!」

 

 下知を受けた女天使が、前方に構えた光剣の先に玉のような光を集束させる。

 

「上位天使(エンジェル)作成──」

 

 光は玉座の間を白く染め上げ、その光だけで不浄なものを祓い清めるような圧を展開。

 

 

「──至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)──」

 

 

 光玉がひときわ大きな輝きを爆発的に広げ、世界を刹那の間、純白のベールで覆った。

 そして、

 

「……ほう?」

 

 感嘆するように頷くアインズが見上げ、アルベドとシャルティアが警戒を深めた姿。

 

 最上級天使たる“熾天使(セラフ)(クラス)”の天使モンスターたち。

 

 月天の熾天使(セラフ・ファーストスフィア)

 水星天の熾天使(セラフ・セカンドスフィア)

 金星天の熾天使(セラフ・サードスフィア)

 太陽天の熾天使(セラフ・フォーススフィア)

 火星天の熾天使(セラフ・フィフススフィア)

 木星天の熾天使(セラフ・シックススフィア)

 土星天の熾天使(セラフ・セヴンススフィア)

 恒星天の熾天使(セラフ・エイススフィア)

 原動天の熾天使(セラフ・ナインススフィア)

 

 そして、それらの最頂点に位置する熾天使──

 

 至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)

 

 六枚の羽根を広げた女騎士が召喚した、それは紛れもない、ひとつの異形。

 ミカという拠点NPCは、一日の発動可能数四体を“神聖儀式習熟”のスキル効果で強化し、上位エンジェル創造を二回分消費することで、最大90レベル弱の天使を作り出せる。門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)に代表される智天使が80レベル代に留まる中で、熾天使は軒並み90レベル規模の強力なモンスターとして、ユグドラシルに存在していた。おまけに、召喚された至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)は、ミカの指揮官系能力や同種族(エンジェル)モンスター強化作用によって、その強さはもはやLv.100以上と言っても過言にはならない。そうして作成召喚したそれは──天使の澱は知る由もないが──アインズが100年前、この異世界で最初に警戒した、相性的な問題で最悪に戦いにくい絶対的脅威。

 ナザリック最奥の空間を埋め尽くすかのような純白の降臨。

 幾千もの輝く羽毛を散らす巨翼を三対生やしたモンスターは、トパーズ色の瞳を見開き、金属のごとく煌く裸の天使……見る者によっては男女の区別もつかない清美な裸体をさらした、炎の剣を握る美丈夫……は、ただの付属品。その下半身に接続された、星のごとき巨大な輝煌を溢れさせる直径10メートル規模の球体──神に最も近しい存在として君臨する、太陽と見紛うほど赤い宝玉こそが、ユグドラシルにおいて最高位の天使種族モンスターの象徴だ。その巨体や美麗さから、天使と言うよりもレイドボスと言われた方がしっくりくる。

 この姿こそが、アインズが、モモンガが最も警戒して当然の熾天使……その至高の天上に座する神聖存在の極致たるにふさわしい炎熱と破壊力を、広大な玉座の間を所狭しと覆い尽くしている。外の存在では、太陽が地上に現出したがごとき熱量に一瞬で焼灼されかねないが、ナザリック地下大墳墓の最奥に位置する玉座の間が、アインズの“エクリプス”による絶対死すら撥ね退ける防御力が、その程度の事象に焦げ融け朽ちることは、あり得ない。

 魔導王は余裕の表情で含み笑う。

 

「ふふ。素晴らしいな。それでこそ、俺たちが全力で戦う価値がある」

 

 アインズにとっては、カワウソが熾天使のNPCを率いていた時点で、これだけの相手をすることは確実視されていた。

 炎熱への強力な耐性を有するデミウルゴスならばいざしらず、アンデッド種族であるアインズやシャルティアにとっては、醸し出される炎熱のオーラで吹き飛ばされそうな威を発揮。

 その証拠に、

 

「くぅ、ううう!」

 

 鎧甲冑の下にある皮膚が焦げつくような異臭と共に、吸血鬼の戦乙女の動きが明確に(にぶ)る。

 

「シャルティア! ──ハッ!」

 

 同胞の窮地を護るがごとく、アルベドが盾のように迫りくる熱気を、戦斧の一振り二振りで薙ぎ払うが、それも暖簾に腕押しと言った有り様である。

 

「アルベド、シャルティアを頼むぞ」

「ハッ」

 

 アンデッドでありながら、炎属性の空気を涼しい貌で受け流す魔導王に対し、承知の声を奏でたのは、漆黒の鎧に身を包む女悪魔。

 そして、彼女たち前衛を置いて。

 ────〈飛行〉したアインズが、“前へ”と、躍動。

 

「なに!」

「バカな!?」

「はあぁ?!」

 

 カワウソのみならず、ミカとクピドが驚愕を露わにした。

 こともあろうか、ギルド長(アインズ)自らが、後衛の魔法詠唱者(マジックキャスター)が、前衛たちの“前”に躍進するなど、ありえない。

 あまりの事態に、カワウソさえもが、アインズの手に込められる魔力を、黙して凝視するしかなかった。

 

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)究極破壊(スフィアー・オブ・アルティメット)の球体(・ディストラクション)〉!」

 

 

 アインズの掌で生成された黒い球体に、カワウソは慄然となりながら叫ぶ。

 

「“あれ”に、近づくな!」

 

 ミカとクピドは主人の意を理解して、即座に停止後退することができたが、すでに召喚され、攻撃態勢に移行している作成(サモン)された熾天使(モンスター)を下げる余裕はなかった。

 

 黒い球体は、発動者の掌中にありながら宙を疾駆し、まるで魔法の武器であるかのように詠唱者の身振りに併せて振るわれる。

 熾天使の振るう、巨大化した赤炎の刀剣と鍔迫り合うかのように。

 

「ふん」

 

 アインズが熾天使からの攻撃に、最も接近した瞬間、黒い魔法の暴圧が威力を発揮。

 漆黒の大真珠は、我が意を得たりという風に、敵対する位置の召喚天使へ殺到。黒球はまるで自らの意志を持つかのように、至高天の熾天使が振るう炎剣に食らいついた。ついで、目にも止まらぬ速度で──地を這う蟲を超速で早送りにしたような速度で、ありえない食事風景を披露した。

 ボボボボボ、と空間ごと削ぎ落されるような、破壊音。

 あれは、あの天使を炎の剣ごと貪り尽くす黒い球体は、単体に限定した圧倒的ダメージ──究極破壊を与える絶対的な攻撃魔法。故に、その射程距離は比較的短い――アインズの掌からわずかに浮き上がる範囲――という不利はあるが、その単純な破壊力は、第十位階魔法の中でも高い威力を誇る〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉にも比肩し、特に「神聖存在への高い攻撃力」を有する。

 その証拠に、黒球が至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)に触れた瞬間、まるで自らの意思を持っているかのごとく、最高位天使の表装に取りつき、字義通り輝かんばかりに美しい熾天使の肉体を、見るも無残に分解、消滅させてみせた。あの球体は、触れたものすべてを虚無に還す破壊の権化。いかに至高の天使でも、自らを喰らい尽くす究極の球体には、防護の(すべ)などない。

 それでも、まだ攻撃を繰り出そうともがく様相を、熾天使は見せつける。

 漆黒の球体に食い散らされた天使は、魔導王の続けざまに唱える次の魔法にも、無力。

 さらに、本気の追い撃ちをかけるアインズが、新たな魔法を発動。

 

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)災厄の黒き刃(ブラック・ブレード・オブ・ディザスター)〉!」

 

 

 先ほどの球体と同じ邪悪な闇一色に塗れた刃……次元の裂け目のごとき長剣が、アインズの掌中から発生。

 瞬間、敵を分解して消滅させる黒い剣が天使を頭上から薙ぎ払い、光に満ち溢れる神聖属性の存在(モンスター)を、完全完璧に両断してしまった。

 これらの攻撃は極善属性に傾注している熾天使などへの特効を有している反面、極悪属性のアンデッドなどには、いまいちなダメージしか与えられない。故に先の魔法と同様、かつてのシャルティア洗脳時において、アインズはこれらを使うよりもマシな、同程度の威力を持つ〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉の空間切断魔法や〈重力渦(グラビティメイルシュトローム)〉による超重力球の攻撃を多用したわけだ。

 

 ミカの創造した究極の天使──至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)は、名残惜しげに光の粒子を振り撒きながら、その実体を失ってしまう。

 時間にしてわずか数秒の交錯は、アインズ・ウール・ゴウンの完勝と言えた。

 

「……チッ」

「むこうもやるなぁ」

 

 ミカとクピドがそれぞれ反応する。

 対する魔導王は、

 

「ふぅ。危ないところだったな」

 

 などと言いつつ、まったく危なげない様子で、アインズはアルベドたちの傍に降り立ちローブの裾をただしてみせる。黒い長剣(ブラックブレード)は、至高天の熾天使が有する〈魔法解体(マジックディストラクション)〉の効果……己を破壊した魔法物体を解体する能力で消滅したが、アインズ自身はまったくの無傷。

 

「お見事です、アインズ様」

「まさに、最強の御方に相応しい戦いでありんすえ」

 

 アインズの防御に全神経を集中させていた王妃らに称賛される魔導王は、むしろ王妃たちの存在をこそ褒めそやした。

 

「いいや。おまえたちが私の防御に集中していたおかげだとも」

 

 でなければ、さすがにアインズも全力で攻撃に打って出ることは難しかっただろうと、冷厳に告げる王の姿。

 カワウソは完全に意表を突かれていた。

 ……というか。

 魔法詠唱者が、純粋な後衛職が、誰よりも前に出てくるなんて思わなかったのだが。

 カワウソの知る限りにおいて、モモンガはそこまで接近戦に明るいプレイヤーではない。にもかかわらず、アインズ・ウール・ゴウンは慣れた様子で熾天使との近接戦闘を採択し、実行して見せた。

 これはどういうことだろう。

 モモンガはゲーム時代、実力を隠していた可能性は? ──否。そんなことをする理由がどこにある。

 

「次はこちらの番だな」

 

 考えている時間すら惜しい。

 アインズ達は次なる構成の準備に入る。

 ミカの熾天使召喚に倣うかの如く発動されるスキルや魔法。

 

「さぁ、来なさい――“騎獣召喚”トップ・オブ・ザ・ワールド!」

 

 アルベドを(またが)らせるように戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)(いなな)きをあげて姿を現し、

 

「〈第十位階怪物召喚(サモン・モンスター・10th)〉――オルトロス!」

 

 シャルティアの左右両手に顎を撫でられる双頭の魔狼が低く(うな)りつつ姿を現し、

 

「〈第十位階怪物召喚(サモン・モンスター・10th)〉――ケルベロス」

 

 アインズの背後に何よりも巨大に過ぎる三つ首の暴君が六つの眼を(すが)めて姿を現す。

 カワウソは号令を発した。

 

「“散開”しろ!」

 

 指示通りに動くミカとクピドは、カワウソを護る距離から遠ざかっていく。

 

「馬鹿め! 貴様一人で何ができると!」

 

 狼に蹂躙命令を下すように指先を伸ばす吸血鬼には構わず、カワウソは大地──石畳の床に手を這わせる。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)大地震(グレーター・アースクェイク)〉!」

 

 瞬間、玉座の間を激震が襲った。

 

 堕天使の手より発動された三重の大地震は、ナザリックの誇る第十階層にはいかなる痛痒(つうよう)にもなりえない。地割れを起こして対象を飲み込むこともなければ、建造物を崩壊させ瓦礫に生き埋めという事態も起き得ない。が、カワウソのもたらした震動の魔法は、他にある効果を期してのもの。

 アインズたちの召喚されたモンスターたちの動きが、すべて、止まった(・・・・)

 この大地震によって、地上を這うあらゆるモンスターの動きは「行動不能」に陥るのだ。

 例外は、アルベドが騎手となっていた双角の黒い獣だけ。主人の反射運動にも近い「ハイヤァッ!」の号令の意図を解し、跳び上がって回避できていた。

 それ以外の二匹の獣……オルトロスとケルベロスは、カワウソの魔法が起こした激震によって、完全に身動きがとれなくなる。

 

「やれ、クピド!」

 

 即座に吼える創造主(カワウソ)の下知に、空舞う傭兵天使の狙撃兵(スナイパー)は遺漏なく応じる。

 震動が続く数秒の間に、彼は低空を浮遊しつつ、己のなすべき攻撃を叩きこみにかかった。

 

魔法弾(マジックバレット)――〈上位排除(グレーターリジェクション)〉装填」

 

 その小さすぎる掌中で見事に装填を終えた対物狙撃銃(アンチマテリアルライフル)の照準器を、グラサン越しの瞳が射抜いた。通常兵器であれば地上で、二脚(バイポッド)を使い、射撃時の反動を吸収し、射手の負担を軽減することが望ましいのだが、もちろん、魔法の弾を撃ち出すものが通常兵器であるはずもなく、また、射手である赤ん坊は、愛の天使(キューピッド)という異形種(モンスター)に過ぎない。

 

「ファイア」

 

 召喚モンスターを問答無用で消滅させる魔法の弾丸が、魔法の光と轟爆に包まれ、過つことなく、アインズの召喚した三つ首の狼(ケルベロス)を穿ち、そして還す。

 

「ふん」

 

 己の召喚獣を消された事実に対し、鼻を鳴らしつつも静かに感心するアインズ。

 対して。

 

「キッサマァ!」

 

 義憤に駆られたシャルティアが吼えて、槍を構える。

 そうした一連の動作よりも先に、赤子の天使は次弾装填を終えていた。

 貫通力および破壊力に特化したクピドの愛銃、対物ライフルがモデルの伝説級(レジェンド)アイテム“マジックモーゼ〇(カスタム)mk.(マーク)27”が、秒間一射の速さですぐ横に立ちっぱなしの双頭狼(オルトロス)を撃ち終わっていた。

 クピドの愛銃……かつての仲間(ギルメン)の一人である“銃使い(ガンマン)”──ジャス†ティスが、26回もの試作と改造を繰り返したそれは、愛の天使の主武装として長く赤子の手に握られてきた一品であった。

 

「コノ、クソ雑魚天使ガアアアあああああッ!」

 

 赤い瞳を血走らせたシャルティアが突撃を断行。しかし、赤ん坊のいる空間に肉薄しようとした途中──

 光る霧のようなものを見た。

 瞬間、

 

()ッ! なにッ?!」

 

 シャルティアは弾かれたように顔をのけ反らせた。アンデッドの右腕を、かすかに焼いたような臭気が香る。先ほど見た極薄の霧のようなもの。それが航跡のように、空間の中を漂っていると理解した。

 

「我が御主人の発動しておいた〈光の航跡(ウェイク・オブ・ライト)〉だぁ。おいおい──たった一分前のことも忘れたのかぁ? お嬢ちゃん?」

 

 嗤うクピドは武器換装を終えていた。

 これまた赤ん坊の肢体では操作どころか携行不能なはずの超重量──全長90センチ、本体重量だけで18キロ、稼働させるバッテリーや大量のベルトマガジンと合わせれば、通常人類がひとりで持ち運んで運用することは不可能な、ガトリング式電動機関銃──通称、ミニガン。

 その黒く鈍く光る六連砲身が火を噴いた。

 シャルティアの眼前で旋回する砲身が、秒間100発という制圧射撃を遂行。空間を引き裂く爆音の連鎖は止まることなく、真祖の赤い鎧の上に襲来してくる。

 

「ぎ、ぎぃ……なめるなぁッ!」

 

 吸血鬼は果敢に応戦する。炎属性の弾丸を一発残らず、スポイトランスの槍身で弾き防いだ。

 が、さすがにこの至近距離で、全弾回避は不可能。

 

「チィ!!」

 

 クピドの冷酷かつ冷淡な射撃は間断なく降り注ぐ。彼がその身に巻くベルトマガジンのみならず、何もない空間(アイテムボックス)から無限に弾倉(マガジン)が配出されているような有り様だ。

 シャルティアは炎属性への耐性が低いアンデッド。一瞬でも防御が途切れれば、かなり危うい状況が続く。

 

「オラオラァ! こんなものかよぉ!」

「ぐ──コノォ!」

 

 憎悪に煮えたぎるシャルティアの思考に、氷のごとく滑り込んだ声音が響く。

 

「“位置交換(トランス・ポジション)”!」

 

 防御役(タンク)の基本スキルによって、仲間といる位置を交換した女悪魔の全身鎧が、ミニガンの射撃力を一身で受け止めた。アルベドの鎧と騎獣は、クピドの握る武装程度や炎属性など知らぬがごとく、あらゆる弾丸を跳ねのけてしまう。

 

「調子にのるなァ!」

 

 双角獣(バイコーン)を乗りこなす、女悪魔の一声。

 ほんの一歩、宙を蹴って殺到する漆黒の重装甲騎兵。

 振り上げた漆黒の斧刃が、クピドの握り構える砲身を引き裂く、その前に。

 

「“位置交換(トランス・ポジション)”」

 

 アルベドの発動したものと完全同一のスキルが発動。

 瞬間、女悪魔の眼前には、うるさく吠える銃器を振り回す赤ん坊ではなく、黄金の鎧兜に身を包んだ女天使──ミカの姿が。

 黒斧と光剣は鍔迫り合い、互いの息が嗅ぎ分けられるような至近の位置で、漆黒と黄金の女騎士たちは兜越しの頭を突き合わせている。

 ミカがこのスキルを使うのは、飛竜騎兵の領地で、殺されかけたヘズナの族長に対してであったが、今は完全に、天使の澱の仲間に対して、その能力を発揮している。

 

「──貴女(あなた)の相手は、私が務める」

「あら、そう? それは光栄だわ。じゃあ、……さっさと、死んで!」

 

 再激突する斧と剣……アルベドとミカ。

 その遥か後方に位置交換で飛ばされたシャルティアとクピドもまた、互いの主人を護るべく激闘を繰り広げる。

 双方のNPCが交戦する中、

 

「なるほど」

 

 にらみ合い、対峙するだけの、アインズとカワウソ。

 

「〈光の航跡(ウェイク・オブ・ライト)〉。聖騎士などの信仰系魔法を扱う職種にとっては、基本的な罠だな」

 

 この魔法は、発動した魔法詠唱者の移動した空間に、ほとんど不可視と言ってよい、文字通り「光る航跡」=神聖属性の、堕天使の辿った道に薄く伸びた“霧”が張り巡らされることで、その光に触れたモンスターやプレイヤーの動きを阻害。相手のレベルが低位の場合などによっては、わずかながら追加ダメージを与える魔法である(これも神聖属性故に、悪属性の存在にしか通じないが)。

 先ほど、アインズの時間魔法(タイムストップ)をキャンセルし、カウンターを仕掛け、守護者二人の攻撃から回避し果せたことで、一連の動作により堕天使の通った場所には、触れれば発動する光の罠がチラチラと舞い飛んでいるという状況。シャルティアがまんまとカワウソの張った罠に行く手を阻まれ、空飛ぶ赤子の制圧射撃に屈したのも無理はない。

 

「なかなかの策士じゃないか。それに。我が守護者の中でも最強と呼び声の高いシャルティアと、最硬と謳われるアルベドと、ほぼ互角の戦闘を繰り広げるとは……君の天使(NPC)も、割とやる」

「……」

 

 カワウソは会話するべきか否か迷う。

 実力的に言って、カワウソの方が圧倒的に不利。いくら策を講じても、それにも勝るアインズたちの力量と知略を肌身に感じる。こんな状況でおしゃべりに興じられるほど、カワウソの肝は豪胆ではない。

 逆に、豪の者を地で行くかのようなアインズ・ウール・ゴウンは、悠々と両手を広げる。

 まるで愛しい仲間を抱くかのごとく。

 

「さぁ、かかってこい。“俺”を失望させるなよ?」

 

 それはまるで、RPGではおなじみの、魔王の宣告であった。

 超然と微笑む死の支配者(オーバーロード)に対し、カワウソは空いている左手に、武器をとる。

 アンデッドモンスターの中で特に、スケルトン系統に効果的な殴打武器である伝説級(レジェンド)アイテム・黒き明けの明星(シュバルツ・モルゲンスタイン)を、平原での戦いの時と同様に握る。漆黒の星のごとき棘に覆われた禍々しい鉄球の柄を器用に回し、回転力を加算する装備品。これで、堕天使の攻撃力ステータスを上昇。

 右手にあるのは、神器級(ゴッズ)アイテムの天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)。斬撃武器はスケルトンには効き難いが、神器級(ゴッズ)のステータス上昇数値はバカにはできない性能である。

 アンデッドを打擲(ちょうちゃく)し斬壊させるのに適した、カワウソにとって一番の攻撃力上昇状態を、構築。

 深く、深く、息を整える。

 

「────、ッ」

 

 魔王を打破する勇者の役など似合いっこない、黒い堕天使の怪悪かつ汚濁にまみれた面貌で、真正面から、睨み据える。

 そして駆け出す。

 

「〈第二天(ラキア)〉!」

 

 神器級(ゴッズ)の足甲が闇色の閃光に輝く。

 爆発的に増幅する堕天使の速度ステータス。

 両手には、神聖属性の輝き──モモンガには致命の武装が、二つ。

 何もかもを置いてきぼりにする勢いで、カワウソはアインズ・ウール・ゴウンとの戦いに、挑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




※注意※
この作品に登場する独自魔法などは、D&Dや、その派生作品などを参考にしております。
尚、至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)なども、名前程度しか登場していないモンスターであるため、あしからず。


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交手

【交手】
①手をこまねくこと。敬意を示す礼。拱手。
②別れを惜しんで手を取りあう。
③争う。技を競う。


/War …vol.02

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 なんという敵だろう。

 アインズは畏怖とも緊張ともつかぬ、骨の内に走る電流じみた感情に、精神を強く揺さぶられる。そんな自分を理解し、安定化の波に揺られ、また戦意と戦気に満ち満ちた戦場で……この玉座の間で、かつて仲間たちみんなで待ち望んだ戦闘に、100年後の今……興じている。

 

 敵の熾天使が召喚作成した至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)に、完全に完璧に対応して見せた。アインズは天使の澱たちが転移してより、彼らのギルドが熾天使モンスターを召喚することを予期して、十分に対策と予習復習を重ねてきた。その成果を示せた。100年前は不安でしかなかった熾天使掃討の魔法攻撃は、敵モンスターが攻撃態勢を構築するよりも先んじての超速攻が必要不可欠。さすがに、あの陽光聖典共に見せたような余裕を披露する自信はなかった。それほどの能力が、至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)には確実に備わっている。本当ならば、最初に発動した黒球でケリがつくはずだったが、予想以上にミカの能力で強化された至高天の熾天使に、トドメの一発をおみまいしないとならなかったことだけは、単純に驚いた。やはり、あの女天使のNPCは油断ならない。

 

 いや本当に、おもしろい。

 これほど楽しい戦いは、この100年の間では数えるほどもないだろう。

 

 この世界における現地人の敵が弱すぎるということもそうだが、場合によっては、アインズにとって笑える状況でなかったこともある。戦闘を楽しむなど、それはどんな戦闘狂(ウォーモンガー)だというのか。

 

 しかし、おもしろい。

 

第二天(ラキア)!」

 

 さらに速度をあげた堕天使が迫りくる。

 

「ハっ!」

 

 アインズは無い鼻を鳴らして、敵との近接戦闘に、真っ向から、挑む。

 ギルド武器に似せた試作品の黄金杖で、純白の聖剣を受け止め、即、はじく。間髪入れずに繰り出される黒い星球。鎖につながれ遠心力の加わった一撃。アインズの苦手な殴打武器を、死の支配者(オーバーロード)の体はひらりと身を翻すようにして回避。むしろカワウソの武装や防具こそが魔王然としている事実に苦笑しつつ、超至近距離で片手の指を突き出す。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

 堕天使は身をそらした。この魔法は堕天使に通用しやすい無属性。カワウソはそれを難なく避けたが、追尾してくる光弾の数は魔法最強化(マキシマイズマジック)の作用によって合計10発。驚異的な速度で背走しつつ、聖剣と星球で光の弾丸を払いのけるカワウソ。なるほど、肉体速度のみならず、神経や感覚……反射速度に関してもかなりの位階に位置するわけだ。アインズが同じことを杖でやろうとしても絶対に無理がある。

 やはり、とアインズは思う。

 敵の武器や防具に当たった瞬間、完全なヒット扱いにはならない。あくまでその下の生身……プレイヤーの肉体そのものへの攻撃こそが、敵の体力を削減する有効手段たりえる。攻撃をはじいた方の武器の耐久力が、プレイヤーの体力を温存する仕組み、というべきだろうか。

 故に、カワウソはアインズの魔法を切り伏せ叩き落すと言った芸当を可能にしていた──DMMO-RPG──あのユグドラシルでは、そんな芸当は一部の最上位プレイヤー、実際の肉体能力に恵まれたワールドチャンピオン(クラス)の回避手段が、この現実化した世界において、異形種化した(カワウソ)の速度では十分に可能。これがワールドチャンピオンなどの最上位者たちだと、どれほどの技巧が生まれたのだろう。

 

 転移からたった一か月も経過していないのに、それだけこちらの世界での戦闘になじんでいる彼の労苦を、思う。

 

 アインズは100年前、他のユグドラシルプレイヤーの痕跡や、判明した世界級(ワールド)アイテムの存在に、無い肝を冷やしつつ、自分たちナザリックの強化計画を打ち立て、その途上で、自分自身の“成長”の可否についても、様々な実験を経たのちに、ひとつの可能性を導き出した。

 ナザリックに侵入した害虫共との、闘技場で行った戦闘実験。バハルス帝国にて武王ゴ・ギン相手に、魔法やスキルを封じての実戦練習。そういったものはゲームの経験値としての数値ではなく、様々なことをアインズに供与していた。魔法やスキル、種族能力だけではなく、たとえば、技術──技巧──情報──戦略──戦術──戦史……それら知識や記憶の集積は「可能」であるという事実。

 

 逆説的に言ってみれば、「経験は積み上げることが出来る」ということ。

 

 そう。100年後のアインズは、魔法詠唱者であれば容易に振るえる魔法の杖を、最適・最善・最高の状態で振るえるように、アルベドやコキュートスたち近接戦闘に長じた守護者の監修のもとで、ずっと鍛錬を積み続けた。これはレベル数値などの上昇を期してのことではなく、ただ単純に、ずぶの素人のアインズが、自己を構築するレベルによる補助や補正以外の……つまり“経験”“知識”として、「どう動いたら杖をうまく振るえるか」「杖をどう使ったら敵の攻撃を防ぐのに最適か」「どのように手や腕、肩や腰、全身を動かすことが、望ましい攻撃動作をもたらすのか」を研鑽し続けた結果である。料理人(コック)などの特定の職種がなければ料理を作れない・行使不可能な事象はそのままだが、自分が扱える武装武具を、どれだけ自分の肉体感覚になじませるかという点では、経験値にはなりえない──“生きた経験”というものは、アインズの成長計画においては有用に働いた。今やアインズ・ウール・ゴウンは100年の研鑽によって、生粋のLv.100戦闘職ほどとはいかないまでも、並みの人間・魔導国の一般臣民レベル相手であれば、魔法もスキルもなしの杖一本で戦い抜ける程度の武力を構築していたのだ。

 それと同時に、来るユグドラシルプレイヤーと戦わねばならない状況を想定して、アインズの護衛として常に侍る守護者たちとの連携……チーム戦の練習も欠かさなかった。

 

 だが、対するカワウソは、本当に圧倒的不利な戦況でしかない。

 アインズ達は100年という準備期間を得ているのに対し、天使の澱はこちらの世界の情報状況になじむ間もなく、アインズ・ウール・ゴウンの監視下に置かれ、そして、あえなく敵対する道を突き進んだ。

 

 確かに。当初アインズは困惑を覚えた。

 敵となったカワウソの言動が、あまりにも愚かしい選択だと思われた。

 少なくとも彼を本気で救い、協力体制を構築する気だった(守護者らが巧みに隠した企図には気がついていなかった)アインズにとっては、彼の行動と発言は、理解不能すぎる領域の、はるか彼方にあったのだ──以前までは。

 しかし、このナザリック地下大墳墓へ──第八階層“荒野”攻略戦を経て、この第十階層“玉座の間”へと至るほどの働きをみせた彼のすべてを、アインズは心の底から理解し尽した。

 

 だからこそ、彼の冒険を、戦いを、約束を、誓いを、この場所で終わらせてやらねばならない。

 でなければ、あまりにも……つらすぎる。

 故に、アインズは一切の加減や手心を加えはしない。

 

「フッ──〈魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

 天使には効きにくい特異な死霊系魔法の使用は控えつつ、カワウソを効果的に追い込める魔法のみを詠唱。

 またもアインズの手指より放たれる十の光輝。猟犬のごとく追尾する魔法を打ち払うカワウソは、〈光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ〉で空間を薙ぎ払い掃除するが、それは失策である。

 自身の特殊技術(スキル)の閃光と技後硬直によって次の行動への移行に後れを取ることに。

 

「〈次元の移動(ディメンジョナル・ムーヴ)〉」

 

 アインズの発動した第三位階の空間魔法。

 それによってアインズは、魔法詠唱者でありながら、自らカワウソの懐に飛び込んでいた。

 

「なに?!」

 

 驚愕する(クマ)まみれの相貌。彼の周囲を覆う〈刃の障壁〉や〈復讐の風〉を完全に無視した接近。無論、アインズの保有する装備の効果によって、死の支配者(オーバーロード)の身体は傷一つ負うことはない。

 アインズは黄金の杖で、堕天使の肉体を強か殴りつける。無制限に放てる攻撃スキル後の技後硬直中の奇襲は、覿面(てきめん)な効果を発揮。おまけに、堕天使の「攻撃に対する脆弱性」は顕著に過ぎた。

 

「ぐがッ!」

 

 これで、第十位階の魔法を叩きこむことも容易。アインズは確実にカワウソの首根を断つべく、彼の意表を突く行為に訴え続けた。そして、それだけのことが可能なのは、ひとえにアインズ達が研鑽を、練磨を、鍛錬を怠らなかったが故のもの。これに抗しうる100年後の存在(プレイヤー)など、ほとんどいないと言ってよい。それこそ、上の上クラスの力量でもなければ。

 倒れ伏しかける堕天使がふんばりを見せる首元に、アンデッドの骨の手を、添える。

 あたたかな肌の上、魔力が掌の内で集束する気配。

 完全ゼロ距離で放たれる魔法。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)・──!」

 

現断(リアリティスラッシュ)〉の刃が、堕天使の身を──首を──頸動脈を引き裂き断絶する、はずだった。

 

「ちッ!」

 

 しかし、アインズはとっさにカワウソから手を放した。

 完全に直感から来る回避行動。

 驚異的な速度で迫りきたのは、烈光と弾丸。転移魔法で後退を即時選択。

 後退した先で、見据えた堕天使の至近に、彼を護った熾天使と赤子の天使が舞い降りた。

 

「そう簡単に勝たせてはくれんか」

 

 否、それでこそという意気込みで、アインズは黄金の杖を握り直す。

 

「申し訳ございんせん、アインズ様!」

「御身の戦いに、余計な邪魔立てを許した私達の失態! 平にご容赦を!」

 

 再びアインズの傍近くに傷ひとつなく帰還した王妃二人──双角獣(バイコーン)を乗りこなす女騎士(アルベド)と、吸血鬼の翼を広げた戦乙女(シャルティア)に、アインズは骨の顔で微笑む。

 

「いいや。十分だ」

 

 アインズの魔力残量はまだまだ十分。

 おまけに、今の“一撃”で、カワウソは確かなダメージを得た。

 

「げ、アッ!」

 

 膝を屈し、吐血する口を片手で押さえる堕天使。彼を護る護衛二人は、それぞれ女の右腕と赤ん坊の額に傷を負っていた。アルベドとシャルティアという守護者を前にして、主人を十全に護る余裕を持てるほどの状況ではない。

 

「戦いは始まったばかりだ。気を引き締めてかかれ」

 

 即座に頷き、承知の声を重ねた最王妃と主王妃。

 アインズはミカの手によって回復されるカワウソとクピドを静かに見やりながら、ふと、思い出す。

 

 この玉座の間で──

 仲間たち皆と、最後の戦いに挑む勇者たちを相手に、“悪”のギルドとして、どうやって戦ってやろうかと考え抜いた。その当時を知る者など、アインズ以外では、この玉座の間に置かれ、最終防衛戦で共に戦うようにされていた、アルベドだけだろう。

 

 そう。

 

 ──もしも。

 もしも皆が、ギルドの皆が、今、この戦いを見たら……

 

 楽しんでくれるだろうか。

 喜んでくれるだろうか。

 笑ってくれるだろうか。

 許してくれるだろうか。

 褒めてくれるだろうか。

 認めてくれるだろうか。

 

 それとも(・・・・)──

 

 眉を(ひそ)めるだろうか。

 失望されるだろうか。

 嘲笑されるだろうか。

 呆れられるだろうか。

 (けな)されるだろうか。

 蔑まれるだろうか。

 

 

 ……カワウソを。

 

 ……アインズを──モモンガを……鈴木悟の、未練を。。

 

 

 あの日の声が、

 かつて、このナザリックを共に創り上げた皆の声が──

 存在しない耳に、どこにもない脳内に、アインズの、モモンガの、鈴木悟の奥底に──

 まだ──

 マダ、コダマ、スル

 

 

 

『誰かが困っていたら、助けるのは当たり前!』

『勇者さまたちを歓迎しようぜ』

『ギャップ萌え』

『エロゲーイズマイライフ』

『弟、黙れ』

『取り敢えず殴ってみよう』

『誰でも楽々PK術』

『糞運営』

『糞制作!』

『馬鹿やろうぜ』

『最強ゴーレムを作りましょうよ』

『メイド服は俺の全て(ジャスティス)!』

『ナザリック学園を作ろう』

『ユグドラシルの世界の一つぐらい征服しようぜ』

 

 

 記憶の彼方で、彼らとの対話が──友情が──その終焉が、いつまでも残響している。

 

 

『ここがまだ残っているなんて思ってもいませんでしたよ』

『モモンガさんがギルド長として────』

 

 

「ああ。そうだよ」

 

 その通りだとも。

 

「俺は…………アインズ・ウール・ゴウン」

 

 そのギルドを統べる者としての義務(つとめ)を果たす。

 100年前の記憶の果てから、アインズは目を覚ました。

 腰のベルトに差し込んでおいたアイテムの棒っきれを、骨の指で撫でる。

 

 ──皆さんの力、また、お借りします。

 

 アインズ・ウール・ゴウンは戦う。

 アインズ・ウール・ゴウンの“敵”たる堕天使(プレイヤー)と──戦い続ける。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 口内に溢れる血を、噛み砕く。

 カワウソはさきほど首元を触られた影響をもろに被った。

 モモンガの、死の支配者(オーバーロード)の種族スキル“負の接触(ネガティブ・タッチ)”。熾天使であるミカとは相克関係に位置する最上位アンデッドの攻撃スキルは、堕天使の常時発動(パッシブ)スキル“清濁併吞Ⅴ”──正も負もすべて呑み込むスキルで中和されるはず。

 なのに、──“これ”。

 まるで、体の……具体的には首の内側から血肉がごっそり抉られたような。

 なんだ、これは。

 

「ゲホ……ケホ……」

「大事ありませんか?」

 

 大丈夫だと言って頷くことができないカワウソ。

 喉奥からひっきりなしに訴えかけてくる鋭い痛みと血の臭気が、思考の妨げになる。

 ミカが“正の接触(ポジティブ・タッチ)”で癒してくれるのに任せつつ、どうにか考えを巡らせた。

 モモンガとの「初の実戦」ではあったが、ネットで拾い集めたような情報は、あまり役に立っている感じがしない。確かに、最大級の脅威にして懸念事項たる即死技は防いだ。が、アインズ・ウール・ゴウンを名乗るモモンガは、ミカの作った至高天の熾天使を見事に狩り取り、あまつさえ、脆弱な堕天使とはいえ、魔法詠唱者の分際で、聖騎士の武器格闘戦に完全適応して見せた事実。彼がこの世界で鍛錬を積んだ成果か、あるいはネット上で流布されているような魔法詠唱者としての戦闘力と同時に、とんでもない身体能力を隠し持っていた……スーパーマンか何かだったのではないかと勘繰りたくなる。

 何より今、(アインズ)がカワウソの身体に何をしたのか、まったく計りかねている状況。

 

「見た感じ、おそらく〈吸収(アブショーブション)〉の魔法か、アイテムの効果だろうなぁ」

 

 ミカの手により、血の滲む額の傷を癒されたクピドが唱えた通りであった。

 彼のグラサン越しの瞳は、先ほどカワウソから受けたダメージ量をわずかに回復させたアインズの情報を読み取っていた。〈虚偽情報(フォールスデータ)生命(ライフ)〉を、クピドの眼──グラサンは完全に見透かしてしまう。

 

「アインズ・ウール・ゴウンからの接触で、無属性の“吸収”攻撃が発動する、と?」

 

 なるほど。異世界で現実化した〈吸収〉が、コレ。

 おそらくは、装備に仕込まれているのだろう〈吸収〉の魔法。これは任意の対象への「手」を介しての接触時間分、その対象から体力(HP)を文字通りに吸収してしまう(ただし、与ダメージの5%ほどだが)。これは、一般的な武器防具に込められるものではない。間違いなく神器級(ゴッズ)アイテムのみに許される能力データだ。なるほど。負の接触(ネガティブ・タッチ)による接触攻撃は通じない堕天使に対して、アインズは別の手段……主に「無属性」の魔法や攻撃手段で対応するという作戦か。おまけにアンデッドにも有効な回復手段を持ってこられると、いろいろと厄介極まる。

 

「ケホ──まぁ、〈生気吸収(エナジードレイン)〉のレベル下げ弱体化(デバフ)はこっちに通用しないだけ、マシと思うか」

 

 死霊系の第八位階魔法は、死霊系魔法への高い耐性や無効化を誇る天使種族にとっては、発動しても魔力(MP)の無駄に終わる可能性が高い。それを見越して、純粋な〈吸収〉だけを扱っていると。

 油断できないな、これは。

 首の痛みから完全に解放されながら、考える。

 いかにアインズの……モモンガの長所をつぶせる堕天使とは言え、その基礎能力値は異形種の中では最弱。熾天使Lv.5をコストに支払っている関係上、今のカワウソの状態が、堕天使の中では比較的マシな戦闘力を保持している計算となる──にも関わらず、聖騎士が魔法詠唱者に体術で後れを取るとすれば、アインズの装備品類の秀逸さ……神器級(ゴッズ)アイテムの厄介さも、当然考慮しておかねばならない。

 さらに、モモンガの習得している膨大な量の魔法の中には、死霊系魔法や時間系魔法以外も多く存在していることだろう。

 となると、

 

「どうする、御主人よぉ?」

「どうするも何も──戦うだけだろうが」

 

 口内の血の残りを吐き捨て、復調したカワウソは立ち上がる。ミカの手が名残惜しげに離れた。

 堕天使の視線の先には、余裕の表情と立ち姿でこちらの回復と準備が整うのを待つように見つめてくるだけのアインズ・ウール・ゴウンたち。

 カワウソは、腰のベルトにある壊れた剣を、皆との絆の残骸を、撫でる。

 まだ、戦いは始まったばかり。

 まだまだ、戦い足りない。

 戦わねば意味がない。

 戦い続けねば。

 戦うしか。

 戦オウ

 戦エ──

 

「連中に、俺たちのちからを、存分に見せつけてやれ」

 

 そう(うそぶ)くかのように命じる堕天使に、二人の天使は首肯でもって応える。

 

「──ふむ。もういいのか?」

 

 実力の違いをまざまざと見せつけたかのごとく、余裕たっぷりに微笑む絶対者(オーバーロード)

 まさに『魔王の笑み』である。

 そんな敵の姿を天晴(あっぱれ)と評するかのように、カワウソは両手の武装を手の中で回し、掴み直す。

 

「……絶対に勝つぞ」

「──言われずとも」

「ハッ、応ともぉ!」

 

 天使の澱は戦い続ける。

 命尽き果てる、その時まで。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 城塞都市──エモット城にて。

 

「控えめに言って、父上たちの有利は覆らない」

 

 王城内の執務室にいる魔導国王太子・ユウゴは、そう結論できている。

 長い濡れ羽色の髪を一房にまとめ、装着した眼鏡の奥で、いくつもの作業を同時並列で行う瞳が(せわ)しなく動く。映像に映し出されるナザリック内部──玉座の間での戦況を把握しつつ、現地語で記された書類とナザリック内部の意見書(日本語)を同時に理解する言語力を翻訳魔法ナシで駆使し、おまけに「魔導国冒険者組合からもたらされる外洋探査船から新たに発見の報が届いた薬草や鉱石、モンスターの情報」「アゼルリシア領域にて新しいルーン文字の刻印と実用に成功」「魔法都市の研究機関で開発が進む、魔法義肢や義眼などの新マジックアイテムの試験運用」などの内容の吟味と精査を、まったく容易(たやす)く執り行っていた。それを補佐するウィルディア……シャルティアの娘の助けもあるので、まず問題は一切見逃されることはない。

 居並ぶ親衛隊の乙女らへ、自分が目を通し終えた書類に王太子印を押して手渡し、魔導国内の情勢に何らかの兆候や変化などがないか徹底的に検証見聞させつつ、アインズの嫡子たる息子は一切の遺漏なく、魔導国という巨大な船を、安全に堅実に運用して見せながら、父が決定した玉座の間での戦いにも、忌憚のない意見を奏でることができていた。

 家族としての身内贔屓ではなく、純粋な一人の戦闘者として──Lv.90程度の魔法騎士長としての判断が、アインズ・ウール・ゴウンの勝利を、天使の澱……カワウソの敗北を予見させる。

 

 アインズの身に帯びたローブや指輪などの装身具は、最高級品である神器級(ゴッズ)装備。ナザリックの鍛冶師によって、精巧に似せられたギルドの杖。おまけに、前衛にはユウゴ達の母たるアルベドとシャルティアが、完全武装状態で身を固めている。

 それに対して、カワウソたちの装備は比較的劣悪。堕天使の身を飾る神器級(ゴッズ)装備は、二桁には届かず。その護衛たる二体の天使の装備やアイテムも、際立ったものは確認できない。せいぜい、ミカという名の熾天使が着用する鎧が神器級(ゴッズ)アイテムであったが、それ以外はお粗末なもの。

 身に着ける装備の優劣だけでも、ナザリックの、アインズ・ウール・ゴウンその人の勝利は確定的だ。

 

「あの堕天使の未知のスキルというのも──影の悪魔(シャドウデーモン)より報告を受けた最王妃殿下、我が母上による考察も、十分」

 

 連中に対応する作戦概要についても、これといった穴はない。

 天使は冷気属性に脆弱──なれど、自らの弱点をそのままにしておくのは、少しでも戦いを知る者であれば忌避して当然。すべての弱点に対策対応は不可能だとしても、天使にとって致命な冷気への対策をおろそかにする理由など、ありえない。

 そして、あの平原での戦いにおいて。

 カワウソが立て続けに発動した一撃必殺スキル……その存在を確認し、理解し、発動原理を推測することは、あまりにも容易。

 母アルベドが至った結論を、ユウゴもまた支持していた。

 父や兄たち謹製の中位アンデッド軍を掃滅し続けた広範囲スキル。

 ──これには、発動するコストとして敵を“十体”殺す必要がある。

 そして、あの上位アンデッド・具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を一撃死させた際の、単発スキル。

 ──これの発動コストは、単発故なのか、発動コストは僅か“二体”で済むらしい。

 

「あの堕天使のスキルは厄介だが、まぁ『発動さえさせなければ』……どうということもない」

 

 堕天使が狩り殺せる雑魚を複数体召喚さえしなければ、今回のチーム戦では、カワウソが例のスキルを使える機会は確実に失われるはず。シャルティアが召喚した六体の眷属は、いかにカワウソでも、秒殺することは不可能なモンスターであったので、問題ない。

 まだ、他に未知の能力を持っている可能性もなくはないが、いずれにせよ、あの第八階層を乗り越えた時点で、カワウソの手立てはすべて出し尽くした感が強い。でなければ、生命樹(セフィロト)やルベドの猛攻から逃げるだけの戦闘行動をとれなかった理由が見えなかった。

 第八から第九への転移鏡を通れずに絶望した姿──直後、目の前に転がるNPC(ナタ)の骸に恐懼(きょうく)し、それを運んできた赤い少女(ルベド)を前にしながら、カワウソは完全に怖気(おじけ)づいていた。奴には、もう、これといった策は、ない。そう判断したから、父上はカワウソとの戦いを決意なされた────

 

「それだけでは、なさそう……かな?」

 

 父が、完全に殺し尽くせると確信したから、カワウソに手心を加えたと思うのは、違うと思う。

 

「まったく。また『我儘』を起こされて」

 

 言いながら、ユウゴはそんな父のありさまを尊んだ。喜びすらした。

 時折、共にナザリック地下大墳墓を築き上げた──“悪”のギルド:アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちとの思い出を語って聞かせてくれた父の表情を、口調を、朗らかさを、子供のような微笑みを、息子であるユウゴは好ましく思う。

 父自身はそれを「短慮」と言って自戒しようと努めているようだが、彼が王としてではなく、家族としてナザリックの皆と、自分たち混血種の子どもらを大事に思い、信頼してくれる事実が、ただ嬉しい。

 アインズが我儘を言ってくれる限り、アインズの心は、(プレイヤー)としての何かを、確実に保持していることを意味するのだ。

 

「──父上の語る“ユグドラシル”、その同じ世界にいた者たちと、共に平和に暮らせれば……」

 

 もっと。

 もっと、父上の人間性……プレイヤー・鈴木悟としての“心”は、より良い環境の中で守られることが可能となる、はずだった。

 異形種のプレイヤーに必ず訪れるという、“本当の(・・・)異形化”。

 異形(モンスター)の肉体に宿る人間(プレイヤー)の心が汚染され浸食を受けた“なれの果て”。

 ツアーが、ユグドラシルの事情を僅かに知る竜帝の語ることを信じれば、それは間違いなく、今後アインズ・ウール・ゴウンにとっての試練となりうる。

 

 

 

 

 六大神の最後の一人・スルシャーナは、愛する仲間五人と、現地で出会った恋人の死に耐え切れず、……後の世に言い伝えられる“邪神”──殺戮と戦乱を求め、命を殺し合わせる「死の神」となった。

 

 

 八欲王の中の三人……異形種になった己を受け入れられなかったプレイヤーたちは、“世界の敵”と化して、他ならぬ八欲王の仲間たちによって──深祖も天狼も崇鬼も、全員葬られるしかなかった。

 

 

 

 

 父は、アインズは、モモンガは……鈴木悟は、その事実を憂慮していた。

 

『──いつかの日か、俺も……ナザリックやアインズ・ウール・ゴウンへの思いを忘れ、“本当のアンデッド”“本当の死の支配者(オーバーロード)”に成り果てた時には……』

 

 ユウゴは、その懸念を、異母妹(いもうと)たちと共に聞かされた。

 主王妃が娘──ウィルディアは『そんなことは絶対に起こりません!』と言って泣き、

 魔王妃が娘──コアは『その時が来たら、私が“お父様を討ち果たします”』と約束し、

 そして、最王妃が子──ユウゴもまた、アインズに……モモンガに……鈴木悟に、誓った。

 

『父上が御正気でいられるように、我ら全員でお助けします』

 

 王太子は儚げに、だが悪戯っぽく、笑ってみせた。

 

(そうでなければ……困ります)

 

 アインズ・ウール・ゴウンという絶対の柱を、根底の基盤を失えば、魔導国は、全大陸は、ナザリック地下大墳墓は、確実に破綻的な顛末を余儀なくされるだろう。ユウゴたちの大好きな場所が、父たちが築き上げたすべてが、目の前で崩れ去ってしまうかと思うと、あまりにもおぞましい。悪夢以外の何物でもない。

 いかにアインズの血を継ぐ王太子(ユウゴ)が力を磨き、技を修め、才を尽くし、誠を──政をなそうとも、ユウゴは“アインズ・ウール・ゴウン”その人には、なりえない。

 どれだけアインズ本人がユウゴに信頼を寄せ、守護者たちNPCからの忠義を注がれようと、ユウゴはアインズの代わりには……なりえない。

 どうあっても比較され批判され非難されるはず。「アインズ様に比べれば」「魔導王陛下ならば」「所詮は子ども」「父の威光、位階、領域には及ぶべくもない」……そういった事態になりえないと誰が言えるだろうか。至高の存在であるアインズに対し、絶対的忠誠を懐くが故に、NPCはユウゴへの忠誠を保っている。では、アインズが“お隠れ”になった後、残された王太子たちに対し、彼らの全てが無償の愛情や忠節を尽くすことが、果たして本当に可能なのかどうか。たとえ、NPCにそれができたとしても、国内の臣民たちは確実に、魔導王と王太子を比べるはず。NPCたちが懐くほどの信義と信奉心を、外の臣民たちが、超大国に住まう民草全員が、理解し感得することなどまず不可能なのだ。

 そうなれば……どうなるか。

 下手をすれば、後継者であるユウゴの地位を認めるか認めないか……あるいは守護者たちだけで魔導国の全運営を担わせるべきだという意見が乱立し、国内が二分三分四分される。国が割れれば、その先に待つのはどちらかを滅ぼすまで続く戦乱の時代。多くの実りが焼かれ、命が金勘定のように扱われ、荒廃と焦土と不幸が、世界を覆い尽くすことになるだろう。そうなれば、今のこの平和を取り戻すことはできない。戦いで受けた傷を癒そうと、血で血を洗うがごとき復讐戦が、枯野を走る風火のように拡大していくだけ。父が目指し望んで勝ち取った平和の国からは、あまりにも遠くなってしまう。

 

(……『盛者必衰』とは言うが……)

 

 滅びない国も王も、神も人も存在しない。不老不死を誇る異形種のプレイヤーにも、そういった事態が隠されていたからこそ、神と崇められたプレイヤーも、王と呼ばれ畏れられたプレイヤーも、等しく栄え、そうして等しく……滅びの末路を辿っていったのだ。

 そんな中で。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国のみが、それらとは違う──唯一の例外であると妄信するほど、ユウゴは自分たちを恒久的かつ絶対的かつ超越的な存在であるとは思っていない。……他ならぬ(アインズ)が、そうユウゴに教え説き続けたのだ。

 

(それでも、僕は、父上のために)

 

 親愛なる父のために。

 誰よりも優しい父のために。

 そんな父の期待に応えるために。

 そんな父が築いたすべてを護り抜くために。

 そんな父が待ち望む、アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちとの再会のために。

 ユウゴは、一身と一心に懸けて、魔導国の平和を希求し続ける。

 その平和を脅かすものには、容赦などしない。

 あまつさえ、彼らはユウゴの幼馴染を、王太子妃候補の一人である混血種(ハーフ)のメイド長に、やむを得ない事とはいえ刃を振りかざした……郎党。

 なんとか助け出し、アインズの目指す計画と事業に協力してもらいたかったのだが、それも最早──

 

「ユウゴ殿下!」

「ああ。どうかしたかい、フルカ? そんなに慌てて?」

 

 黒く染まりかける思考をおくびにも出さず、ユウゴは清廉な微笑みを浮かべ応えた。

 見つめる先にいる乙女……名は、フルカ・アルファ・セクンドゥス。

 黒髪に片眼鏡(モノクル)の姿──戦闘メイドの副リーダーとよく似た美女だが、母とは違い胸の膨らみがまったくない戦闘メイドが、珍しく声を荒げていた。

 ユウゴは視力向上用の眼鏡をはずして、幼馴染のメイドを見つめ返す。

 

「はっ、失礼いたしました。しかし──最古図書館(アッシュールバニパル)に詰めております私の父に問い合わせていた件で、早急にお耳に入れたいことが!」

「うん。聞こう」

 

 ユウゴはメイドの色白を極めた唇が耳に寄ることを許した。

 

「殿下のご命令を受け、熾天使(セラフィム)“以上”の神聖存在を検索した結果、該当する種族は“二種族のみ”ということで──詳細はコチラに」

 

 フルカが手渡した書類に目を通す。

 

「…………うん。やはり、そうか」

 

 思った通りだ。

 これで、あのミカとかいう熾天使。その力量の一端を掴んだ。

 

「いかがなさいましょうか? この情報、やはりアインズ様たちへ直接〈伝言(メッセージ)〉を?」

「いいや。この程度の情報であれば、父上も十分に調べられている」

 

 ユウゴがフルカを通じて情報を問い合わせたのは、ただの確認がしたかったからにすぎない。

 天使の澱と戦うことが確定した時から、天使種族などに代表される神聖存在の情報データは再確認を終えている。おまけに、あの戦闘はアインズ・ウール・ゴウンがルールを定めたチーム戦。外からの情報供給なども、魔法やスキルによる強化同様にシャットアウトすることが基本原則と言い渡されており、よほどのことにでもならなければ、ユウゴたちがアインズ、アルベド、シャルティアへの連絡を取り付けることはできない。一応、同じ玉座の間に詰めている守護者たち五人には、懸念を伝えておくよう命じる。

 フルカが〈伝言(メッセージ)〉を発する横で、母と父それぞれの特徴を宿す瞳を、図書館司書長の娘が用意した文面に落とす。

 ユウゴの推測した通り、あの『ミカ』という黄金の熾天使は──

 

(──だとすると、実に厄介だ)

 

 熾天使“以上”の力の持ち主。

 ユウゴの実母たるアルベドと鍔迫り合いを演じ続ける女騎士。

 ただのNPCが、ただの“希望のオーラⅤ”によって、モモンガというプレイヤー──死霊系魔法詠唱者の極みに立つ存在──アインズ・ウール・ゴウンその人の発する“絶望のオーラⅤ”を中和するほどの威を発揮するという事象。

 

 その正体は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




吸収(アブショーブション)〉は書籍三巻で登場する魔法ですが、具体的な効力が不明なため、「敵の体力を吸収する無属性魔法」にしております。

 また、六大神や八欲王に起こった話についても、空想病の「空想」です。その空想の詳細が明らかになる時は──とりあえず天使の澱が完結するまで、お預けです。


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腫瘍

腫瘍(しゅよう、Tumor)とは、組織、細胞が生体内の制御に反して自律的に過剰に増殖することによってできる組織塊のこと。腫瘍ができたことにより、身体に影響を及ぼすことがある。
病理学的には、新生物(しんせいぶつ、Neoplasm)と同義である。なお、Neoplasmはギリシャ語のNeoplasia(新形成)からできた単語である。

腫瘍細胞は、環境さえ許せば(例えば人工的な培地で培養されるなど)無限に増殖する能力を持つ、不死化した細胞である。
(以上、Wikipedia参照)


/War …vol.03

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

「失せろ、雑魚天使!」

 

 シャルティアの槍撃が、クピドの放射し続ける弾雨をかいくぐって迫る。

 しかし、グラサンをかけた赤子は怖じるわけがない。

 

「“神風特攻(ディバイン・ウィンド)”──軍勢召喚」

 

 名もなき戦友たち。

 神風特攻によって招来される、特異な存在たち。

 愛の天使(キューピッド)のクピドが空間から呼び寄せたものは、陽炎(かげろう)のごとく輪郭のない天使群。その命は短く、攻撃のためだけに呼び出され、数秒間の攻撃の後には、塵ひとつ残さず消滅する──泡沫(うたかた)のごとき兄弟たち。その総数は数秒間の攻撃のみにしか使えぬ制約から、30体ほど。壁役や盾にも使えない赤子の影たちに、クピドは己の格納庫から一種類の武装群を与えていく。

 

「銃列横隊」

 

 召喚主たるクピドの号令で、彼らは召喚主を中心とした横三列の隊形を構築。

 手足だけが力感を灯し、槍衾のごとく築かれた火打銃(マッチロックガン)の数々。クピドの格納庫に収納されていた銃系統アイテムの中では、そこまで価値はない。

 だが、たった一騎の吸血鬼を相手取るのに、これほどヤリやすい手段もない。

 

ファイア(はなてぇ)ッ!」

 

 徹底的な面制圧射撃。火力のみを追求した火属性の攻撃アイテムは、アンデッドには煩わしい威を発揮する。ミニガンの弾切れを狙って突撃を敢行した紅い吸血鬼が、その鎧と翼とを、炎属性の一斉射で押しとどめられてしまう。

 

「このクソ!」

 

 呻くシャルティアは、またも反転し、後退。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)〉!」

 

 貴重な魔力を摩耗して、斉射攻撃を繰り出した陽炎の軍勢ごと、愛の天使(キューピッド)の矮躯を焼き尽くさん広範囲魔法を唱えた。しかし、

 

「天使には炎属性なんぞ、涼風みたいなモンでしかねぇぞぉ!」

「〈朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)〉!」

 

 装填を終え、再びミニガンの火力を発揮するクピドに対し、シャルティアは会話に応じることなく、炎属性攻撃魔法を再詠唱。

 広範囲を焼灼する爆炎の業火が晴れた時、クピドはシャルティアの姿を見失ってしまう。

 

「はん? 爆炎に紛れて、身を隠すかぁ? お利口さんだなぁ……」

 

 吸血鬼の能力、ミストフォームによる霧散化。本来であれば大量の眷属召喚などの影に隠れて行い、敵の視界から消え失せる──あるいは敵の範囲攻撃を受けたと同時に行うことで、敵の攻撃外へと完璧に逃げ果せる技。霧と言っても自然に発生するそれではなく、星幽界(アストラル)体への変化によるもの。これの長所は隠れ潜むのには向いているが、感知され発見され攻撃されたときの防御力が低下するという弱点がある。

 

「だがぁ。この俺様の装備を、侮るなよぉ?」

 

 クピドの両目を覆うグラサンは、高い看破能力や視力向上作用を発揮する魔法のアイテム。

 さらに同時に、星幽界(アストラル)体には攻撃不能なミニガンを収納し、新たな武装を格納庫から取り出して換装。手にしたショットガンは、魔法の効果で〈星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉を一発だけ打ち込むことができる。銃器は、煩雑な換装や装填の手間さえ克服すれば、ほぼあらゆる攻撃属性への対応が可能な汎用性を発揮する魔法武器だ。

 グラサン越しの視界。

 空間を非実体の存在が滑る感覚。

 宙を舞う赤子の背後から突撃してくる戦乙女を確実に捉えるクピドは、まったく振り返ることなく、後方からの急襲奇襲にも完全に対応。

 背後に突き付けられる銃口──トリガーが引き絞られる。

 衝音。

 

「くそ……“眷属”よ!」

 

 完璧な奇襲が失敗に終わったシャルティアは、召喚した蝙蝠を盾に直撃を防いだ。

 

「〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉!」

「〈転移遅延(ディレイ・テレポーテーション)〉!」

 

 シャルティアの転移魔法を、振り返るクピドの転移阻害が大いに邪魔立てする。

 スポイトランスの届く距離から離れた赤子の天使が、その身に纏う手榴弾を片手で器用に二つほど放り投げた。遅れて転移してきた吸血鬼が、炸薬の爆ぜる空間に突っ込んでくる。

 

「チィッ!」

 

 生じた爆炎に身を焦がされ、ランスの突撃(チャージ)を諦めたシャルティア。

 代わりに、彼女は別の手段に打って出る。

 

「清浄投擲槍!」

 

 白く輝く槍刃の煌き。

 一日の使用回数が限定されている特殊技術(スキル)。だが、もはや出し惜しんでいてよい状況ではない。神聖属性は天使には効きにくいだろうが、問題ない。墳墓の表層で、カワウソを止めようとした際に使ったのが一回目。これで二回目であるが……

 

「おっとぉ!」

 

 戦乙女の投擲したスキルを、使用済みのアイテム(ショットガン)を失った天使は避けようとするが、

 

「チ˝ィッ!」

 

 魔力を込めた追尾性能は、野を行く猟犬のごとく、宙を躍動する。

 愛の天使がどれだけ必死にジグザグの飛行軌道を描こうと、無駄。

 逃げれば逃げるだけ、シャルティアの罠の方へ誘導されるクピド。

 

「ハハッ! やはり特殊技術(スキル)を払い落せたのは、世界級(ワールド)アイテムの強化のおかげだったわけね!」

 

 墳墓の表層ではしてやられたが、ここへ来て溜飲の下がる思いを懐く吸血鬼。被膜の翼も軽くなったよう。クピドの逃げる先に待ち構えていたシャルティアが発動する魔法〈力場爆裂(フォース・エクスプロージョン)〉の、不可視の衝撃波が、赤ん坊の小さな体に降り注いだ。

 

「く……〈上位転(グレーター・テレポーテー)

「させるかよぉ!」

 

 今度はシャルティアの方が、クピドの魔法を物理攻撃で阻む。

 右手に再換装したミニガンの砲身で、スポイトランスの穂先を受け止めるが、

 

「ッ、やべぇ!」

 

 神器級(ゴッズ)アイテムの、おまけに呪われた騎士(カースドナイト)の槍撃を真っ向から受けた途端に、ミニガンの鋼鉄で出来た六連砲身が、一息に朽ちて崩れた。そこへ突っ込んでくる清浄投擲槍の白刃。直撃こそ免れたが、クピドの体力を些少は減少させるのに十分な威力を発揮していた。

 

「クソがぁ! “四番格納庫”解放!」

 

 半ば融けた飴のように砕け壊れたミニガンに執着することなく放り棄て、クピドは拳銃を──デザートイーグルの外装に酷似した大型のそれを取り出し、迷わず発砲する。

 

「ハッ。接近戦は苦手なのかしら? ク・ソ・天・使・がッ!!」

 

 赤子の天使の放つ弾道を読み切り、鎧と槍で弾き飛ばすシャルティアが、猛追。

 再度、振り下ろされたスポイトランス。

 ──だが、

 

「なにッ!」

 

 固い金属音が交差する。

 驚愕を面にするシャルティア。

 純銀一色の拳銃(ハンドガン)の銃身は、まるで接近することを、武器と打ち合うことを前提とした、分厚い金属で出来たものと言わんばかりの音色を奏で、神器級(ゴッズ)アイテムとシャルティアの特殊技術(スキル)による破壊攻撃を耐え抜いていた。

 シャルティアは理解した。

 

「ふふふ……俺様のような“兵隊”に、苦手な距離があるかよぉ!」

 

 兵士(ソルジャー)は左手の愛用品・対物(アンチマテリアル)ライフルを、近接戦闘武器・銃剣(バヨネット)の無骨な輝きに換装していた。

 

「シャアアアアアァァァッ!」

 

 鋭声と銃声を張り上げ、戦乙女に立ち向かうのは、身長数十センチほどの赤子。

 天使の澱の防衛部隊において、“遊撃手”としての役目を与えられた兵隊、その力。

 シャルティアよりも小さく、素早く、そして何より面倒くさい、赤ん坊の姿の──敵。

 

「く、……コノォ!」

 

 意外にも手数の多さに翻弄されかけるシャルティアは、白皙の顔面を大いに歪め、深紅に輝く血の武装を身に纏いはじめる。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

()きなさい、“トップ・オブ・ザ・ワールド”!」

 

 アルベドの放った、激励のごとき一声。

 かつては諸事情によって乗れなかった戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)が、轟く(いなな)きをあげ、騎乗者(ライダー)たる女悪魔の号令に、完璧に呼応。重々しい蹄鉄を黒く踏みしめる速度は、外の現地産八脚馬(スレイプニル)の疾走よりも早く、鋭い。先ほど女天使が右腕に追った損傷も、この騎兵状態で繰り出される速度に、ミカが追随できなかったことが要因だ。

 漆黒の戦斧を振りかざし、突撃してくる女騎兵の姿に対し、黄金の女騎士は悠然と、自分のスキルを発動。

 

「──来なさい。“天上体の戦車(セレスティアル・チャリオット)”」

 

 振りかざした左手より招来されたものは、雷光と耀雲を纏う物。

 ミカの召喚物はモンスターというよりも、ただの人工物──オブジェクトとしかいえない外見であり、これは古代における戦車──馬などの騎獣に曳かせて運用する兵器“チャリオット”であった。しかし、騎獣のいるべき位置には生物の姿はなく、代わりに燃え盛る大戦輪が六つあるだけ。

 ミカの元ネタである天使は、天上に瞬く太陽や星々の運用を管理する役職を与えられ、そのために天空を自在に駆ける乗り物を有していたとされる──それに(ちな)んだスキルが、この天上体の戦車(セレスティアル・チャリオット)という名のスキルオブジェクト。

 本来であれば、戦車を操る騎手と攻撃を担う弓兵とが相乗りするものだが、ミカが乗ることで、純白の戦車は自分の意志があるかのように車輪の雷火を回し始める。

 

「──進め」

 

 その速度はまさに流星──夜闇を引き裂く一条の星であった。

 アルベドの駆る魔獣の突撃速度を、まったく完全に凌駕するほどに。

 

「“誅殺の弓矢(スレイング・アロー)”」

 

 戦車に乗ったミカの手中に、これまたスキルで構築された光の弓矢が構えられる。

 しかし、ミカは純粋な弓兵ではなく、あくまで聖騎士の職業で弓という武器を扱えるだけで、剣ほどの威力は期待できない。速射連射(クイックショット)などの多数多層攻撃ではなく、単発の神聖属性弾を矢の形として撃ち出しているだけだ。

 故に、矢の直撃を三発四発受けても、黒い女にはダメージらしいダメージを与えられない。

 

「はん。そんな蚊のような攻撃で、どうにかなると思っ────てッ!!」

 

 アルベドは拍車をかけ、双角獣を跳躍させる。

 玉座の間の広大な天井を疾駆し、衝突を繰り返す騎兵たち。

 ミカは弓矢のスキルを諦め、光剣と光盾を、再び両手に構え直した。

 瞬間、

 

「──、?!!」

 

 戦車を揺らす暴撃。

 装備変更のスキを突いた漆黒の女悪魔が、単体で、双角獣(バイコーン)の鞍から跳ね上がるように飛び降りて、ミカの騎乗する戦車の車体に星が降るような速度で降り立った。

 その衝撃と重量で、ゴシャリと崩れる炎の車輪群。踏み砕かれた戦車は、しかし、まだ健在。続けざまに振り下ろされる斧刃がトドメとなり、戦車の機動力が完全に低下。さらにそこへ遅れるように、天上体の戦車(セレスティアル・チャリオット)の後背より迫る、騎乗者の命を受けて追撃に馳せ参じた、戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)の蹄。まさに前方の悪魔、後方の双角獣という状況。

 ミカは焦ることなく魔法を唱える。

 

「〈嵐の大釘(ストームボルツ)〉」

 

 黒い金属の馬具に身を包む騎乗獣には耐え難い雷の襲来。

 釘の形状に展開された雷霆の全方位攻撃は、魔法防御においても優秀なアルベドには特に問題なかったが、さすがに召喚された獣に対抗する手段はなかった。雷釘に穿ち貫かれ、悲鳴をあげながらもんどりうつ馬体。

 続けざまに、女天使は“光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ”による拡散攻撃で空間を薙ぎ払う。さすがにこれはアルベドも直撃を嫌って、回避行動を選択したが、体力の削られた双角獣にはひとたまりもない一撃である。

 玉座の石畳に落下した召喚獣は、健在。

 ミカは完全に迷うことなく、天上体の戦車──その残骸にしか思えないそれを、双角獣へのトドメとして突撃させる。床面に墜落する速度で車輪を回すオブジェクト。双角獣は抵抗する間もなく、戦車と同じ運命をたどるように、雷爆の閃光の中へ消えた。

 

「──なかなかやるじゃない? 私の可愛い“トップ・オブ・ザ・ワールド”を、まさかこんな簡単に撃ち滅ぼすなんて?」

「──それは、お互い様であります」

 

 騎兵たちは騎乗物を喪った。アルベドとミカは再び対峙する。

 双方共に、魔法を武器の先端から解き放った。

 

「〈深闇(ディーパー・ダークネス)〉」

「〈明輝(サンライズ・ブライト)〉」

 

 深き暗闇と明るい光輝が衝突して、相殺。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)不浄なる鉄槌(アンホーリーハンマー)〉」

「“回避(パリィ)”」

 

 アルベドが振り下ろした極大な暗黒は斧全体に纏わりついたが、女天使はそれを防御スキルで(かわ)しきる。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)輝光(ブリリアントレイディアンス)〉」

「“飛び道具回避(ミサイルパリィ)”」

 

 飛び退いたミカが解放した極大の光に対し、女悪魔も己の得意な防御スキルを駆使して(かわ)してしまう。

 二人の女騎士の戦闘は、完全に拮抗。

 魔法もスキルも回避し合い、戦斧と光剣は何十合何百合打ち合い続けたのかも判然としない。

 ミカは、自己に与えられた攻撃スキルの中で指折りの性能のものを発動。

 

「“黙示録の獣殺し(キラー・オブ・ザ・ビースト)”!」

「“ウォールズ・オブ・ジェリコ”!」

 

 魔への特効攻撃となるスキルによって生じた光の蹂躙攻撃を、アルベドは防御役(タンク)の最高峰の防御スキルで完璧に耐え抜く。

 どんなに高性能なNPCでも、防御役(タンク)である以上は攻撃力に特化されたそれよりも格段に劣るのは、ゲームの鉄則であった。

 互いが互いの長所と弱点を知り尽くす二人は、そのための打開策を強行してみる。

 

「「 “武装剥奪(アーマー・デプリヴェイション)一点突破(ワンオーダー)”! 」」

 

 完全同時に発動した力。

 対象の武装を一箇所だけ削ぎ落とす中で、確実にひとつの防具を弾き、以後の戦闘で再装着不能にすることで、敵対象の弱体化を誘発するスキル。こうして、相手の性能を下げていくことで、自分の有利な戦況を構築していくことが、タンクの基本的な戦闘技巧であり、基本戦術と言える。

 アルベドとミカ──二人の頭部を覆っていた重い兜が剥がされ、玉座の間の床を転げ落ちる。

 漆黒の髪と黄金の髪が流れ、金色の瞳と空色の瞳が外気にさらされた。

 先に声を上げたのは、嫣然(えんぜん)と微笑む──アルベド。

 

「くふふ、認めるわ。……どうやら、あなたは私並みのタンク職を(たまわ)ったNPCのようね?」

 

 扱う魔法の系統どころか、特殊技術(スキル)に至るまで、二人の女騎士たちは似通っていた。

 

「けれど、私はナザリック地下大墳墓、()守護者統括、そして、アインズ・ウール・ゴウン魔導国・大宰相──至高にして絶対者たるアインズ様の“愛”を勝ち得た、王妃の一人たる“最王妃”──アルベド」

 

 矜持に満ち満ちた女悪魔の眼光が、冷徹な彩色と温度を帯びていく。

 アルベドの紡いだ“愛”という一音に眉根を動かしたミカは、こちらも冷静に、敵の動向を把握していく。

 

「見せてあげるわ、私の真の力──真の姿を!」

 

 漆黒の鎧の内で、悪魔の変身能力(オリター・セルフ)の膨張が、泡立ちのように魔の存在を変異させ、その異形にふさわしいステータス上昇効果を施していく──はずだった。

 

「────?」

 

 アルベドは、自分の変身が──肉の膨張が静まったことを感じる。

 感じざるを得なかった。

 だが、望んでいた本気の力──本来の姿に戻ったという実感はなく、事実、アルベドは女神のごとく嫋やかな肉体……通常形態のままを維持していた。魔法の鎧は、神器級(ゴッズ)アイテム……ヘルメス・トリスメギストスは、内部にある体が拡大しようと縮小しようと──たとえ人外の形状に変貌しようと、自動的にサイズ変更が加えられる性能を持つ。

 なのに、アルベドの五体は、女のなまめかしい肢体や白魚のような指先から、まるで変化がない。

 疑念する女悪魔は、ふと、顔を上げた。

 

特殊技術(スキル)──“底なき淵の鍵(アビス・シーリング・キー)”」

 

 女天使の囁く声。

 まるで、鍵のように伸ばされた人差し指の先に、スキルエフェクトの“錠前”が浮かぶ。

 手首から指先までの手全体が、半回転したと同時に、ガチリ、と施錠される音色が轟く。

 アルベドは悟った。

 ミカは頷き謳った。

 

「このスキルで、悪魔の変身能力(オルター・セルフ)による大強化は“封じた”──熾天使(セラフィム)たる私の前で、『悪魔ごとき』が本領を発揮できるとは思わないことね」

 

 挑発するような音色。

 純白の錠前は、まるで装備品のごとく、女天使の鎧の胸章部分へと吸い込まれ、その位置に固着。

 これで、ミカというスキル発動者──女天使が死なない限り、この封印スキルは解除されない。

 つまりそれは、アルベドの本来の力は、この戦いの間、完全に封じられたことを意味する。

 

「テメ˝ェ!」

 

 アルベドの沸騰した感情が、空間に刃のごとき殺気を打ち込んでいく。

 特殊技術(スキル)騎士の挑戦(ナイト・チャレンジ)”で、ヘイト値が二倍になった以上の憎悪感情のまま、アルベドは突撃。

 

「〈暗き征服の刃(ブレード・オブ・ダーク・トライアンフ)〉!」

「〈輝く勝利の刃(ブレード・オブ・ブライト・ヴィクトリィ)〉!」

 

 ミカもまた応じるように、炸裂するような速度で駆ける。

 悪しき聖騎士(アンホーリーナイト)と、聖騎士(ホーリーナイト)の武器強化魔法が、一点で交錯。

 交差する武器に灯る悪意と聖気が、舞う火の粉のように、女騎士たちの激突を照らした。

 彼女たちは、互いの敵を主人たちに近づけさせないよう、全力を尽くし続ける。

 女たちの背後──玉座の間の中心で、ひとつの嵐が吹き荒れていた。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンは、強い。

 そんな今さらなことを、カワウソは思い知らされた。

 

「は……はぁ……はッ……」

 

 息が切れる。

 呼吸が続かない。

 常のような調子ではいられない。

 今さらになって緊張が極限に達したのか、あるいは別の要因か、まるで判然としなかった。

 

「クソ」

 

 追尾してくる魔法の光弾を切り伏せながら、玉座の間を巡り続ける。第二天(ラキア)という神器級(ゴッズ)の足甲が繰り出す速度は、中の上のプレイヤー程度では追いきれないほどの速度を発揮していた──が。

 

「また待ち伏せ!」

 

 急ブレーキをかけて軌道修正。直角に近い軌跡を描いて、カワウソは自己を追い立てる魔法を回避し尽す。これが無限の広がりを持つ空間なら逃げ果せることもできるだろう。だが、この玉座の間は閉鎖された場所。いかに広大と言っても、壁や装飾柱、照明具に四十の旗などが行く手を阻む。

 アインズが解き放つ〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)魔法の矢(マジックアロー)〉の群れは、三十発を数える。魔法への脆弱性も酷い堕天使では、一発でも直撃を喰らうだけでヤバい。脅威的な光弾雨は、ゲームでは見られないような正確無比な追尾性を発揮しており、カワウソは極めて不利な戦況に陥ってしまう(これは、魔法の性能が現実化によって向上したというよりも、アインズが100年かけて研鑽を、戦闘練習を積んだ結果である)。

 そうして、カワウソはアインズの罠の中に飛び込んでしまった。

 

「ッ……まさかッ!」

 

 点滅する世界。

 カワウソが飛び込んだ先で湧き起こる光球の三連鎖は、〈浮遊大機雷(ドリフティング・マスター・マイン)〉によるもの。天使は炎属性には強いが、単純な衝撃力をすべて殺せるわけではない。

 

「この!」

 

 カワウソは駆け続けるしかない。完全に起爆するよりも先に、爆発範囲から脱出する可能性に望みを託した。

 

「しゃッ!」

 

 後方で爆発する威力を追い風として、アインズの魔法を回避した──その先で。

 

「ちょ、ウソだろ?!」

 

 新たに詠唱された〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)魔法の矢(マジックアロー)〉が殺到してきていた。真剣勝負にハメ技をしかけるのは常套手段だが、あまりにも発動のタイミングが良すぎる。

 カワウソは魔法で宙を踏みしめながら駆け続けた。一歩でも速度を減じれば、待っているのは無属性の蹂躙。

 しかし、アインズは冷酷に魔法を唱える。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)心臓掌握(グラスプハート)〉」

 

 第九位階の死霊系魔法。天使種族には効き目が薄い即死魔法。その上、カワウソの鎧の内にある神器級(ゴッズ)アイテムの首飾り“第五天(マティ)”によって、そういったアインズの長所はほぼ無効化される。だが〈心臓掌握〉には、抵抗~無効化に「成功した」際の、優秀な副次作用が備わっていた。

 

「ぐ、ッ!!」

 

 朦朧とする意識。

 心臓を掌握された堕天使は、状態異常を即時吸収しステータス上昇を行う鎧“欲望(ディザイア)”があるのだが、この場面での状態異常罹患は危険すぎた。カワウソは一瞬からニ瞬の間、胸を打つ痛みによって昏倒しかける。

 つまり、堕天使の脚が、“止まる”。

 

「が、ああ、がああッ!!?」

 

 大量の〈魔法の矢〉が、背を、腕を、足や後頭部を打ちのめす感覚。背後から全身を棍棒で殴打されたような衝撃に、完全に打ちのめされた。

 

「い、てぇ……ッ!」

 

 振り返るカワウソの直上。

魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉を振り下ろしたアインズ。

 

「チ˝ィッ!!」

 

 刹那、床を蹴り上げて逃げる堕天使。

 一秒前までカワウソの頭があった空間を、次元ごと引き裂く無属性の刃が降り落ちる。

 玉座の間の床面は、傷一つ走っていないが、〈現断〉の威力はかなりのもの。これは単純に、ナザリック最奥の地だからこそ、そう簡単には壊れないという実証なのだろう。

 

「あぶね……ッ!」

 

 さらに、詠唱される〈魔法の矢〉が、横殴りの雨嵐のごとく空間を満たす。

 完全にペースを握られていた。この状況を打開しなければ、カワウソに勝機はない。

 

「いちか、ばちか──!」

 

 カワウソは背中を見せていた相手に対し、真っ向から対峙するように振り返る。攻め寄せる暴風のごとき魔法攻撃は三十発。それをかいくぐるしかない。

 深呼吸する間もなく殺到する矢の雨。聖剣と星球を振りぬき、迫り来る弾雨を防ぎながら、前進。盾を使うことも考えたが、被弾箇所が広くなりかねない盾を装備しても、堕天使の脆弱な体では耐久しきれない場合もあるので、カワウソは盾を使用した戦闘方法は完全に捨てていたのだ。防御ステータスを底上げしても、それを覆すほどの脆弱性が、堕天使の身体には備わっている。ならば、少しでも敵を攻撃する手数を増やす意味でも、両手に武器を携行するスタイルの方が、カワウソには有用に働く。まさにいちかばちかなのだ。

 十発を払い落とす中で、脇腹をかすめたものは一発だけ。

 ニ十発をかいくぐる中で、星球の鎖にヒビが入り始めた。

 そして、三十発を数える──

 

「抜けた!」

 

 嵐をかいくぐり、アインズ・ウール・ゴウンに肉薄する堕天使。

 聖剣に光を灯し、聖騎士の攻撃スキルを浴びせようとしたとき。

 

「──解放」

 

 死の支配者(オーバーロード)の重い号令。彼の周囲に浮かび上がるのは、戦闘前に準備していた〈上位魔法封印(グレーターマジックシール)〉の三つの魔法陣。各陣から撃ち出される三十発の光弾、合計九十。

 残光を引く魔法……奇しくもその様は、天使の降臨を思わせてならない。

 が、ここまで近づいたカワウソは、諦めない。

 このチャンスを無駄にはしない。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)復讐の嵐(ストーム・オブ・ヴェンジャンス)〉!!」

 

 スキル発動の兆候は、完全なはったり(ブラフ)

 本命は、信仰系攻撃魔法の中でも最強クラスの大魔法。身を護る(ウィンズ)ではなく、敵を攻め滅ぼす(ストーム)の力。酸・雷・炎・氷の複合属性ダメージが、魔法時間中、対象を襲い続けるのだ。天使と見紛うほどの光の雨は、竜巻に絡め取られた小鳥の群れのごとく統制を失ってしまう。

 自ら発動した魔法陣に囲われた魔法詠唱者は、その場から動けない。魔法の矢がすべて撃ち終わる瞬間まで、その場での待機が必須となるというゲームの制約があった。

 

「──クソが!」

 

 嵐の酸雨と雷鳴と炎熱と雹弾が渦を巻き、神からの天罰であるかのように、敵の総身を切り刻み続ける。

 その中心にまんまと捕らわれたアインズは、当然そのままでいるわけがない。

 

「〈魔法解体(マジックディストラクション)〉、〈魔法解体(マジックディストラクション)〉、〈魔法解体(マジックディストラクション)〉!」

 

 効果時間はまだ十分残っていたが、魔法解除の魔法で嵐が唐突に止んだ。

 三重最強化を打ち破るには相応の数の魔法を唱えなければならないので、都合三度もアインズは貴重な魔力を消耗したことになる。

 

「ふん。やるじゃないか」

 

 まるで余裕な表情で、吹き荒ぶ烈風に乱されたローブをただすアインズ。

 カワウソは思い知らされる。

 アインズ・ウール・ゴウンは、──強い。

 自分のようなプレイヤーでは、打倒し果せるイメージが、ほんの少しも脳内に閃いてくれないほどに。

 その力の正体は──力の源は、なにか。

 

「……なんで」

 

 そんなものは、決まっている。

 この玉座の間。

 このギルド拠点。

 この地に集ったプレイヤーたちの、実力がなせる業。

 ナザリック地下大墳墓……ギルド:アインズ・ウール・ゴウン……ランキングで公表されたギルド拠点ポイントは2750。カワウソが苦労して手に入れたヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)が1350ポイントであることを考えれば、この拠点を手に入れたアインズ・ウール・ゴウンの力量は、最初(はじまり)の段階から天と地ほどの開きがあるのだ。

 そう。

 カワウソは気づいていた。

 自分ごときでは、アインズ・ウール・ゴウンに抗しきれるはずがないことなど、とっくの昔に、わかっていた。

 なのに──

 

「なんで、俺は……」

 

 その事実を前にして、カワウソは俯く。顔を上げ続けることが難しい。

 カワウソは弱い。

 レベルは同等でも、対策を打ち立てても、作戦を練りに練っても、結局のところは、ただひとつの事実が、カワウソの敗北の確たる要因として鎮座していた。

 

 アインズ・ウール・ゴウンは、仲間たちを信じている。

 この異世界に流れ着いても、きっとまた、仲間たちと出会える未来を思い描いていたからこそ、彼は──モモンガは──鈴木悟と名乗ったプレイヤーは、“アインズ・ウール・ゴウン”の名を世に広めたのだ。

 それに対して、カワウソは、どうだ?

 

「げはッ!」

 

 殺到した無属性魔法の一矢。

 堕天使の肉体には覿面に効く魔法を詠唱し続ける、アインズ・ウール・ゴウンの戦術と戦略。

 

「カハっ……」

 

 手足が萎えるほどの絶望感。

 アインズ・ウール・ゴウンという存在と戦えば戦うほど、彼というプレイヤーの、聳えるかのような矜持の頂を見せつけられる。

 煌びやかな第十階層、玉座の間。

 アインズが仲間たちと共に築き上げた、栄光の証。

 居並ぶ階層守護者たちはNPCらしい忠誠心を堅固に保ちながら、ギルド長を支え続けたのだろう。

 嫌になるほどわかってしまう。

 

「どうした? この程度で終わりか?」

 

 戦える今を喜ぶようなアインズの呼びかけに、カワウソは萎えた手足に力を灯す。武器を握り直し、悠々と空を舞う死の支配者(オーバーロード)の威容を睨み据える。フーッフーッと繰り返し奏でられる荒い息は、手負いの獣がこぼす威嚇音にも聞こえる。

 

「愚かだな、君は。勝てない戦いに身を投じ、無意味に死ぬだけの末路を辿るとは」

 

 彼の超然とした振る舞いが、カワウソの精神を逆撫でしていった。

 

「……なんだ、その目は」

「──え?」

 

 骸骨に目はないぞと小首をかしげるアンデッドの王。しかし、骨の表情(かんばせ)ではあるが、カワウソという堕天使……異形種の瞳には、そこにある感情が不思議なほど透けて見える。

 楽しんでいる。

 愉しんでいる。

 何がおかしい──何がオカシイ──何を嗤っている──なにを嗤っていやがる!

 

「俺を、憐れむな」

 

 剣を杖にして立ち上がる堕天使は、無様の極みであることだろう。彼の言う通り、愚かだとしか言えないのも、正直わかる。

 魔導王の表情は、確かに好奇だろうか失笑だろうかの気配によって、確実に完全に緩んでいた。

 しかし、カワウソにとっては、それはあまりにも不愉快な事実を、堕天使の脳髄に刻み込むことを意味する。

 アインズは疑問する。

 

「憐れむ、だと?」

 

 そうだ。

 

「あんた、俺を憐れんでるだろ」

 

 そうとしか言えない。

 それ以外にありえない。

 この三対三のチーム戦といい、今も余裕な表情で立ち上がるのを待っている行為といい──そもそもにおいて、第八階層で転移鏡を超えられなかったカワウソたちを救いだした時点から、彼の中には、カワウソに対する憐憫の情が見え隠れしている。

 カワウソの大嫌いな感情だ。

 カワウソを嘲弄し嘲笑し嘲虐する者も多かったゲームの中で、次に多かったのが、カワウソを憐れむ連中だった。

 ナザリックの再攻略を夢見るという稀代の馬鹿──頭の沸いたプレイヤーを諭す者。誰からも賛同されず、理解も協調も合力もされないままだった堕天使を見下した声。そして、あろうことか、「忘れた方が身のため」などと説教だか説得だかしようとする奴らまで現れる始末。

 無論、彼らの言い分の方が正しい。絶対的に正しいのだ。

 ゲームなんかでマジになって、復讐だとか仕返しだとかを企むクソを、むしろ応援する方が難しいもの。

 カワウソ自身、自分がどれほど馬鹿な所業にとらわれているのかわかっていながら、結局はあのサービス終了の日まで、諦めることは、できなかった。

 

「妬ましいな……嫉ましいよ……」

 

 彼の強さへの嫉妬では、ない。

 カワウソが狂おしいほど実感しているのは、アインズと自分の絶対的な“差”だ。

 

「あんたは、仲間を信じて、アインズ・ウール・ゴウンの名を、アインズ・ウール・ゴウンという存在を、この世界に轟かせたんだろ?」

「────ああ。そうだ」

 

 (おごそ)かな雰囲気を孕む首肯。

 その超越者の存在こそが、カワウソにとって最大の障壁であった。

 

「俺には、そんなこと……できない」

 

 涙が頬の上を黒く伝う。

 

「俺は結局、仲間を信じられなかった……みんなの、仲間たちのギルドを、残すことは……できなかった」

 

 旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)

 カワウソの設立したギルドは、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)

 ユグドラシルの自動名称システム……街角にいる占術師のNPCに名付けてもらった、カワウソというプレイヤーにおあつらむきの名を、ギルド創立申請用紙に記名した。旧ギルドの名を名乗ろうという気は、まったくこれっぽっちもありえなかった。

 もちろん、仲間たちと築き上げたものといくら似せようとも、仲間たちがいた時と同じギルドになど、なりえない。

 そう分かっていたから、カワウソは適当な名前をギルドの名とした。

 なのに。

 彼はどうだ。

 

「なんで、あんたは……あんたは、どうして、『アインズ・ウール・ゴウンでいられるんだ』!」

 

 カワウソは吠えたてた。

 嫉妬で狂いそうなほどの熱量が、堕天使の心臓を爆発させたかのように。

 

「どうして! どうして、あんたは仲間を信じられるんだ! 俺だって、俺にだって仲間たちがいた! なのに──俺は、もう信じられなかった。仲間たちが立ち去っていくのを、俺は、止めることすらできなかった!」

 

 仲間たちとの哀しい別離、おぞましい記憶の深部が、堕天使の脳神経を揺さぶり続ける。

 

「はじめての友達だった。大切な仲間たちだった。なのに、俺は、俺には、仲間たちと築いたものは、ほんの少ししか残らなかった。なのに、アンタは、アインズ・ウール・ゴウンを名乗り、ナザリック地下大墳墓を一人運用して……この世界でも、不動の伝説を築くなんて……どうして、どうやって、どんな志でいたら、それだけのことができる?」

 

 仲間を信じる彼が。

 仲間を信じ続けた男が。

 仲間との絆をつなぎ続けた王の姿が、カワウソには、太陽よりも眩しく輝いて見える。

 嫉ましい。

 妬ましい。

 俺には、できない。

 俺にはそんなこと不可能だった。

 俺は、彼のようにはできないし、彼のようには、なれない。

 これだけのことを、100年もかけてやり果せた彼のことが、心の底から……羨ましい。

 

「──ッ、俺と! アンタは! いったい、なにが違ったっていうんだ!?」

「それは……」

 

 アインズがどう答えたものか判然としない表情で顔をそむけた時。

 

「俺は……オレは……おれ……ぁ……お、ぁ……?」

 

 カワウソの、堕天使の視界が、暗転する。

 そして、その声を、悪夢の中で耳に馴染んだそれを、聴く。

 

 

 

 

『憐れだなぁ、おまえは。

 自分がヒトリボッチであることに、ようやく気付いたのかよ?』

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 カワウソの様子がおかしいことに、アインズは数秒遅れて気づく。

 

「──どうした?」

「おれ、おれぁ、おれは?」

 

 心底、困惑を覚えさせられる、堕天使の狂態。

 

「お、おい──カワウソ?」

「俺あ……ア、あ……お、れ──ァアァァァ?」

 

 眼窩のごとく真っ黒に染まった、カワウソの双眸。

 堕天使の感情が、見る間に狂気の度合いを深める。

 

『おまえはひとりぼっち』

「や、めろ」

『おまえはだれにもりかいされない』

「やめ、ろ」

『おまえになかまなんてものはいやしない』

「やめ……」

『おまえは、ココで、ヒトリボッチデ(ミジ)メニ()ヌンダヨ!』

「ヤメロォぉぉぉおおおおおオオオオオオッッッ??!!」

 

 カワウソは聖剣を振りぬいた。星球をとり落した左手で耳と頭をかき乱し、右手に持った凶器をめちゃくちゃに振り回して、そこにいない影法師を、笑い嘲弄する誰かを切り伏せようと、狂い、もがく。

 

「アアア! ああ、あああ!! アアアおおおあぁあああぁああッ!!!!」

 

 しかし、そこにはなにもない。

 いるわけがない。

 さきほどの会話はすべて、カワウソの、堕天使の唇から零れ落ちたものだと、相対するアインズは見て聴いていた。堕天使の嘲笑と絶望の双面劇を見せられているような錯覚を覚える。しかし、アンデッドの感覚野が見聞きするものが、目の前にある現象事象が、幻聴や幻覚の類であるわけがない。

 そして、アインズは結論する。

 

「これは、ツアーの言っていた……“異形化”が進行しているだと? もしや、堕天使であるが故のものか? まさか、状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴの影響? それで、これほどの? ──いや、しかし」

 

 

 ツアーから聞いていた。

 

 

 八欲王の中でも、自分の外見が醜悪すぎる異形種(バケモノ)のそれに変貌した事実に惑乱し動乱し狂乱しきった者が、三人ほどいたと聞く。中でも“深祖”──真祖(トゥルー・バンパイア)深きもの(ディープ・ワン)の種族を同時取得していた()の王は、「──人間に戻りたい」という一心で、『異形種からの人間化』を目指した結果、数多くの現地人の生き血を啜り、邪悪と混沌を極めた儀式の研究と探求にのめり込み続けるほどに、暴走した、と。

 

 

 アインズは、精神安定化のおかげで平静を保てるモモンガ……鈴木悟は、カワウソの症状を、その狂気を、ただ見据える。

 

『お、おおおおおれれれれれはああああああああああ」

 

 ただの黒以上におどろおどろしく染まった暗黒の容貌から、滝のごとくこぼれる音色。それはまるで、バグったゲームキャラのような狂相か。あるいは脳髄に病巣となる悪性腫瘍を宿し苦悶する、死病罹患者のそれであった。

 泣いて嗤って狂い続ける堕天使は、前後不覚に陥っている。この状態で、カワウソに手を下すのは容易だが、どうにもふんぎりがつかない。

 その理由は、彼に対して憐れみを懐いたからでは…………ない。

 カワウソは重度の薬物中毒、その禁断症状じみた調子で、吠えまくる。

 

「あぉ、俺は、『ヒャハ! おれは、オレ、ああハハハハ、「ちがう違うチガウ』、俺が俺で俺は……う、ぅぁああ」……おォれェはァ? アアあああ、ううう、おおおオオオ──あ˝ーはは! ひゃあはははははは、ハハァ!!』

 

 もはや、アレが何なのか──どういう状態にあるのかもわからない。

 アインズは、聖剣すら振り落とし、両手で頭と顔面を掴み覆うカワウソの狂貌を、観察し続ける。

 ぐるぐると入れ替わる感情。両の眼を穿たれたような漆黒の(うろ)。そこからボタボタこぼれおちるのは、粘性のある血涙の赤と黒。通常人類とはかけ離れすぎた、狂態と呼ぶのも躊躇われるほどの、異常。

 アインズは思い出す。

 これに似た、この世界で確認された彼の狂暴と狂乱を、ひとつひとつ思い返す。

 

 

   俺は、とっくに許している。

   とっっっくの昔に、……許しているとも──裏切り者のことなんて

 

 

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の領地で見た、部族の裏切者(ホーコン・シグルツ)に対する過剰な悪意。

 

 

   許しなんてしない……許しなんて……許し?

   ──許し? 許し?? 許し???

 

 

 生産都市(アベリオン)の地下で見せた、死の支配者(オーバーロード)部隊に対する狂乱地獄。

 

 

   ア、ああ、ア˝ア˝ア˝……?

 

 

 ナザリックの表層に到達した彼が、アルベドとシャルティアとの会話中、唐突に……「許し」という単語に過剰反応を引き起こした堕天使。

 いずれも、堕天使という種族の見せる、狂気と凶意にまみれた変貌ぶりであった。

 そして、今。

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンという存在……仲間たちとの絆を見せつけてくれる至高の魔導王の姿を前にして、カワウソの精神は、仲間たちとの誓いを果たそうと死戦を繰り広げる男は、心のタガが外れたような様態を呈している。

 

 

 彼もまた人間とは違う物──人間の(ことわり)から外れた者──人間にはなりえないモノとして、精神を異形のそれに変質させていると、そう判断するしかない。

 

「ふむ。これは……………………!!」

 

 アインズは瞬間、アンデッドの自分の身に湧く理論的過ぎた企みに、慄然(りつぜん)となる。

 憐れみでもなければ哀れみでもない。そんな感情、かけらも懐いていなかった。

 それが、何よりも恐ろしい。

 

(馬鹿な……『この男を捕縛し、調べてみる価値がある』──などと!)

 

 心底から湧き出る恐怖に竦みあがりながら、アインズは精神安定化の波に揺られて、通常の冷静沈着な思考に立ち戻る──否。

 断じて否だ。

 アインズがまっとうな人間であるならば、どうして目の前の男を「助けたい」と思わない。冷静なアンデッドの思考は、そう思うことができなかった。同じユグドラシルのプレイヤーを、自分と似た境遇に苛まれた彼を助けようと、そう必死に乞い願うことこそが、人として正しい在り方であるはず。

 なのに。安定化した精神は、そんなことを些末事と捉えて、アインズに何のアクションも起こさせない。ナザリック地下大墳墓への侵入者──敵に対する悪感情と敵愾心(てきがいしん)が、確実にマズい方向に舵をきっている感覚がある。人間としての強い感情はすべて、アンデッドの精神安定化の対象と見做され、問答無用で鎮静化されていくから。

 こうして、敵の自滅を待つかのように、自分の利益になりそうな情報を見せつける敵の姿を──“愉しむ”など──実験動物のもがき苦しむさまを観察するかのように振る舞うなど、完全にアンデッドのそれでしか、ない。

 

(……俺も、人のことは言えない、か)

 

 アインズも確実に、アンデッドに成り果てたことへの影響を受けている。受け続けている。かろうじて残っている鈴木悟の残滓を、なんとか人の形に保つことで、人としての自分を認識できている程度────それも、この先どれほど保存がきくものかどうか怪しい。スルシャーナという「死の神」、六大神の最後の一人ですら、共に法国を築いた大切な仲間や、現地で出会った恋人と死に別れ、そうして、ついに“壊れ果てた”というのに。

 自分だけが例外であるはずがない。

 あるいはすでに、アインズは狂っているのかも。

 カワウソは、壊れた機械人形のように、膝を屈し顔を覆って、不明瞭な思いを呟き続ける。

 

 

みんな、ミンナ……どこ?

 ──みんなぁ、おいてか、ない、で……

「…………カワウソ?」

さ び し ぃよ……こ わ ぃ…………たすけ、──タスケテぇ 」

「カワウソ──さん?」

 

 たまらず、骨の手を差し伸べかけた。

 だが……

 

『ヒャアはははあはははははははははッ!

 助け? だずげぇ?

 誰がお前をダズゲル˝ぅ? ヒトリボッチのテメェごときをさ!

 アハッ! アはは、ぁひゃひゃっはあヒャヒャヒャヒャ、ハハぁっ!!』

 

 もう、アインズは直視できない。

 ゲタゲタと赤黒く嗤い続け、ボタボタと赤黒い涙を零し続けるカワウソを、救うべきか死なせるべきか、迷いあぐねている内に──痛烈な音色が、轟いた。

 

特殊技術(スキル)──“スプリング・オブ・コロサイ”!」

 

 途端、アインズとカワウソの足元を中心に、神聖な輝きがあふれ出す。

 

「な、なにッ!?」

 

 落下感。膝付近まで濡れる水の音。

 唐突な神聖空間の生成を、広範囲の規模で感じとる。自分とカワウソを取り囲むような薬泉(スプリング)。それは、石畳の床に置き換わって出現し、アンデッドの骨の足元を呑みこんでいたのだ。

 ついで、悪逆に過ぎる痛み。

 

「こ、これは!」

 

 アンデッドには耐え難い、強すぎる正のエネルギーが、その泉には満ちている。

 

「ッ、ぐ、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉!」

 

 下手をすれば、神聖属性の防備を固めていなければ、両脚がもげるやもしれない状態に陥ったものの、意外にもあっさりと転移魔法の使用で逃げることができた。泉からは程遠い位置に降り立ち、そんなアインズの無事を確かめるように、アルベドとシャルティアが舞い降りてくる。それなりの損傷を受けた死の支配者(オーバーロード)に、〈大致死(グレーター・リーサル)〉による回復を行使する主王妃と、そんな二人を盾のごとく護る最王妃は、敵の動静を注視する。

 謝辞を述べたてる二人だが、これは仕方ない。

 

「あの女天使──戦略家としても優秀なようだ、な?」

 

 ミカは、アルベドの斧による自分へのダメージなど(いと)わずに、主人にトドメの一撃でも喰らわせようとしていた(ように見えた)敵の首魁を、完全に追い払う治癒スキル空間の生成で防いだのだ。護衛に馳せ参じる女天使と赤子の天使は荒い息で体を上下させながらカワウソの身体を揺さぶり、主人を狂変させた敵首領(アインズ)への憎悪感情を剥き出しにしていた。

 ミカという女は、カワウソの身体を包み込むようにして己の胸に抱きながら、堕天使の頭を“手”で触れて癒す。クピドという赤子は、泉の淵の向こうに待機する敵たちへ油断なく、対物ライフルの銃口を差し向ける。

 理不尽であるとは思わない。

 そう。

 あるいは、自分も……モモンガも……鈴木悟も、何かが違っていれば、カワウソと同じことになっていたのかもしれないのだ。

 

(アインズ・ウール・ゴウンの皆が、俺を、裏切るような真似をしていたらと思うと……)

 

 そんなありえない妄想をするだけで、アインズの存在しない心臓が、刃に抉られるような痛みを訴えてくる。

 もしも、そんな事態に……境遇に陥っていたとしたら。

 アインズも、カワウソと同様か、あるいはそれ以上の悲嘆と慟哭を味わったかもしれないのだから。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 堕天使は、“眼”を開ける。

 

「は──は、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……あ、あああ?」

 

 カワウソの意識が、整合性を取り戻した。

 自分の身体を濡らす水の感覚から伝わる、癒しの力。

 治癒空間生成の特殊技術(スキル)──“スプリング・オブ・コロサイ”。

 ミカの元ネタの天使の加護が授けられたという伝承の薬泉は、その泉に浸かれば難病が癒され、万病に苦しむ人々を数多く救ったとされる。

 

「大事、ありませんか?」

「み……ミ、カ?」

 

 泉の中で自分を抱く女天使の表情は、今にも泣きだしそうに見えた気がした。けれど、濁り霞んだ視界では、あまり判然としてくれない。

 

「野郎ぅ……あの骸骨野郎ぉ……俺たちの御主人に何をしやがったぁ!?」

 

 クピドは猛り狂わんばかりの怒声を張り上げ、そのライフルの照準に敵の姿をとらえ続ける。

 カワウソの重みを増したような脳は、再起動したての電子端末のように調子が悪い。

 自分に何が起こったのか──正確に思い出すことすら困難を極めた。

 

「おれ──いったい、なにが?」

「思い出される必要は、まったくありません」

 

 ミカは砕けた自分の右籠手にかまうことなく、その表情を峻厳なものに整えながら、カワウソが立ち上がる補助を務める。堕天使の霞目が、霧の晴れたように世界を視認し始めた。

 

「あなたは、あなたの望む戦いを、続けやがってください」

 

 もはや、それ以外に天使の澱が生き残る手段はない。

 強大に過ぎる敵。圧倒的な戦力不足。

 だが、だとしても──

 

「私たちは、私たち“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”は、最後の一瞬まで、あなた様の援護を務めるだけ」

 

 カワウソは、諦めはしなかった。

 諦めなかったから、この戦いを実現できた。

 それが幸福か不幸か、幸運か不運かなど、もはや関係ない。

 

「あなたが、“あなたのままでいられますように”…………だから(・・・)

 

 兜の脱げ落ちた天使の表情は、依然として氷のような無表情のまま。

 しかし、カワウソはその言葉と声に、強く、心の底から励まされる。

 

「──ああ。わかってる」

 

 これは、カワウソのはじめた戦いだ。

 犠牲にした者は戻ることなく、逃げる道も帰る道もない。勝算は限りなく低く、勝ったとしても、そのあとは──

 だとしても。

 ただ、戦う。

 それを再認識した堕天使は、震える心臓を励ますように、ミカが回収してくれていた自分の武器を、両手に振るう。

 薬泉のスキルが明滅し始め、発動時間が切れかけることを認める。

 思わぬ形でダメージを回復できた天使の澱に対し、アインズ・ウール・ゴウンは粛然とした態度で待ち続けるのみ。

 

「いこう──」

 

 輝く泉の効果が消えたと同時に、戦闘は再開される。

 カワウソの背を護るように、ミカとクピドもそれぞれの敵に相対していく。

 

 

 破綻は、もはや目の前にまで迫っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




良性腫瘍(Benign tumor)
一般に増殖が緩やかで宿主に悪影響を起こさないもの。
悪性腫瘍(Malignant tumor、Cancer)
近傍の組織に進入し、遠隔転移し、宿主の体を破壊しながら宿主が死ぬまで増え続けてゆくもの。一般に「がん」と呼ばれるが組織学的分類により癌腫と肉腫に大別される。
(以上、Wikipedia参照)


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陽言

【陽言】
 いつわって言いふらすこと。


/War …vol.04

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 ツアーは、カワウソの狂態を……兇変を……強暴なまでの混沌を、己の宮殿の中で視認している。

 アインズの息子たるユウゴ王太子を経由して送られる戦闘映像を共有する白金の竜王は、父たる竜帝・先代の白金の竜王が生きていた頃、まだ幼い竜だった時分から、ユグドラシルプレイヤーを幾人か見てきた。

 

 

 200年、否、もう300年前の御伽噺にのみ残された、ツアーの親友たち──リーダーと、彼の仲間──口だけの賢者、など。

 世界を守る協定を結んだ六大神──その最後の一柱として、当時から法国において信仰されていた「死の神」・スルシャーナ。

 そのスルシャーナ殺害の疑いをかけられ、逃亡の末、各地で戦乱に陥った八人のユグドラシルプレイヤーたち……後の八欲王。

 

 

 

 八欲王の中で、異形の姿に成り果てた自分の醜悪さに恐怖し、異形種の発揮する非人間性を、最終的に抑止できなかった三人の王たち──“深祖”・“天狼”・“祟鬼”。

 

 人間に戻る方法を誰よりも希求し、あらゆる命を犠牲にすることも厭わなかった、吸血魔。

 深祖は狂いながら叫んだ。

『俺は人間だ! ニンゲンなんだあああああぁぁアアアアアアアアアッッ!!』

 

 天衝くほどの巨体にふさわしい暴威と悪虐に憑かれた、今は絶えて久しい人狼国の、大王。

 天狼は笑いながら吼えた。

『邪魔はさせねぇ……この世界も、ヒトも何もかも、全部ブッ壊れちまえ!!』

 

 南の地に微かに存在していた鬼の系譜と迎合し、彼女らを守護し続けんと欲せし、祟り神。

 崇鬼は憤りながら諭した。

『人間に、人間という生き物に、守る価値など、あるというのでしょうか?』

 

 そして、他の王たちとの死闘暗闘──裏切りと策謀の末に、彼らは“世界の敵”と化した。

 

 彼ら“世界の敵”を止めるために、他の王は死力を尽くし、ほとんどの王が死んだ。

 その戦いの後──

 たった一人だけ生き残った王は、竜王との生存戦争の末に保護していた竜帝の子・ツアーを養い、アーグランドの地や自分たちが壊した世界の再生と再建に努め、自分の統治下となった南方の一地域────浮遊都市型の拠点に引き籠りながら、自分が打ち倒した八欲王の仲間たちと、犠牲になったあらゆる命への祈りを、終生にわたって捧げ続けた。

 そして、彼は老いた。

 老衰した彼は死期を悟り、成長したツアーに自分のギルド武器を託し、都市管理者30体のNPCたちとの協力関係を結んで、この世を去った。それが、500年──今では600年前の出来事。

 

 八欲王の物語は、「互いが互いに持つものを求め争った」とされている。

 それは、一面において正しい。

 だが、よくある金銭や財宝を求めたのでは、まったくない。

 

 異形種の王たる三人は勿論、亜人種の王たる二人もまた、自分から失われた人間性を取り戻したいがために、人間として生きることができる仲間たち三人を羨み、人間になることを求め欲した──どんな手段を行使してでも、人間になるためならば、どんなことでも(ため)(こころ)み、研究と探求を繰り返して──結果として彼らの多くは、この世に混沌と擾乱と不破と大戦争をもたらすことに、なってしまった。

 一方で、人間種として異世界にわたり来た三人の王たちもまた、世界の頂たる人外じみた力を遺憾なく発揮し、欲望と衝動のままに戦い続ける他の五人の王の在り方に、心の奥底では惹かれ続けた──強すぎる力を持ちながらも、人としての形をもって存在する王たちは、現地の人々に「対等な存在」と扱われることは、まったく完全にありえなかった。過ぎた力の保有者は、神聖視されるか、白眼視されるかの二択しかない。

 

 彼らの力は、始原の竜を等しく根絶し、次元を断切するほどの威を、世界に対し行使し続けた。

 そして、あまりにも強大かつ莫大に過ぎる力は、彼らを孤独に追いやった。

 

 人であることを求め欲し、結局、人になることはできなかった、王の物語。

 人になることを望み欲し、結果、人ではない王として存在し続けた、プレイヤーの話。

 人という存在から「わかたれてしまった」──ユグドラシルという異世界(ゲーム)からやって来た、客人(まろうど)たちの、悲劇。

 

 ──人であることを欲した王。

 ──人でないことを欲せられた王。

 ──人というものから“わかたれた”、欲の王。

 

 かの都市に眠る王たちの墓碑に、そう刻み残されている。

 

 

 

 故に、八欲王……

 

 

 

 だが、実際に数百年の時が経ち、風聞される八欲王の物語は、細部を省略したり歪曲したり脚色されたりなど、その当時を完全に伝達するような内容からは程遠いものへの変質を余儀なくされた。偽って言いふらされる──陽言(ようげん)されるのは、物語を誇張する吟遊詩人(バード)たちには日常茶飯事。民間で読み書きも出来ない農村だと、口伝されるのが関の山というのも、その傾向を加速させる材料となった。

 竜帝を含め、アーグランドの有力な竜王は悉く死滅し、当時の様子を完全に知る者は、ツアーなどのごく一部のものに限られている。今を生きる竜王で、ツアーよりも上の年齢のものは、アーグランドに属さない、世界への関心をほとんど持たない孤独主義者たちばかり。

 協定によって──何より、死の間際に残したギルド長の命令によって、浮遊都市内を護る守護者(NPC)たちは、外の世界への侵攻と進行を完全に停止している。──彼女たちが行動を起こす時は、浮遊都市への害意や侵略の企図があった時のみとされ、それはアインズ・ウール・ゴウン魔導国との協調を結んだ今も、変わっていない。彼女たちは、八欲王なる御伽噺を、修正し訂正しようという気概すらないのだ。そんなことをしたところで、彼女たちの主人は、戻ってくることは、ない。

 何より忘れ去られることこそが、彼女たちの信奉する王の、望みであったから。

 

 そして、人の世は常に忘却と共に歩むもの。

 

 どんなに言語や学術や魔法を発達させ、歴史や真実や記録を残そうと努力しても、100年どころか、ほんの10年も経てば、人々の記憶は自然と風化されていく。どれほどの厄災も、どれほどの戦乱も、子々孫々にわたり“事実”だけを留め残す法など、この世界の──否、どんな世界の人の術理にも、存在しえない。人は年を重ね、代を重ね、竜などの異形種よりも多くの子や孫を残すことで、脆弱な血脈を残し続ける、劣等の(うから)

 故に、御伽噺にまで堕した八欲王の物語は、「愚かな王たちの物語」と切って捨てられ、忘却の底に落ちることになるのは、必定自然の流理でしかなかった。

 六大神しかり。

 八欲王しかり。

 ──ツアーが最も大切に思う、十三英雄にしても、そうなのだ。

 

 

 

 そして、アインズ・ウール・ゴウンが渡り来てより、100年後の今。

 ツアーは、アインズと戦うプレイヤーの姿──その変貌ぶりに愕然となる。

 

「莫迦な。──あまりにも早すぎる」

 

 ツアー自身、映像越しに確認されるカワウソの狂状は、目を覆いたくなるほど憐れなもの。

 だが、ツアーが見てきた異形のプレイヤーと比較すると、彼の“異形化”の速度と深化は、本当にありえない。亜人種に訪れる“真の亜人化”でも、このような事例は見たことも聞いたこともない。

 いったい何がどうして、カワウソの異形化が促進されているのか──

 

「堕天使という種族であるが故のものか? 装備品の速度上昇──は関係ない。それを言ったら、八欲王において最速を誇った崇鬼は、最も早く異形化が進行したはず」

 

 だが、崇鬼は最も長く異形化を抑止できていた。

 かつての記憶を、幼少の頃とは言え、王の一人に保護されたツアーは、八欲王全員と面識を得ていた。

 アインズから聞いていた、堕天使という種族の特徴を、脳内で一挙に総覧する。

 その中でありえそうな要因となると……

 

「──“状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ”か?」

 

 アインズの取得した死の支配者(オーバーロード)は、精神の昂奮や人としての強い感情を、問答無用で「鎮静化」する作用が働くという。

 これは、死の支配者(オーバーロード)の身体にそなわる特性が、精神的作用などの影響を受け付けないスキルが働いているせいだろうと、アインズは推測していた。

 

「だとすると、カワウソくんの精神異常も、堕天使の特性故のもの、か?」

 

 竜であるツアーに、人の機微や心情は掴みづらい。数百年を生きるうちに学習し、理解し、納得することはできているが、それを竜の感性に落とし込むこと……体感することは実に難しい。そういったことが苦手なせいなのか、この齢でも人化の始原の魔法(ワイルド・マジック)は習得できずにいる。

 しかし、堕天使は比較的人間と近しいモンスターであり、ユグドラシルの設定だと、人間に感化され共感した異形の天使たちが、やがて人間の世俗に毒され、そうして人間と同じ姿かたちをもって、享楽の(とりこ)となった──とかなんとか。

 つまり、堕天使は並の人間と同等か“それ以上”に、精神的に不安定な存在と成り果てているわけだ。

 人が喜ぶことで狂喜に酔い、人が悲しむことには悲嘆に暮れ、人が怒ることに対し激しい憤怒を覚える。

 ゲーム的には“恐怖”“恐慌”“混乱”、“興奮”や“高揚”などの状態異常に罹患しやすく、アルコール摂取による“毒”や異常作用持ちの食材摂取による“麻痺”や“睡眠”などにも陥りやすい──それが“状態異常脆弱Ⅴ”を有する堕天使の、最大の弱点であった。彼らは一部の状態異常──もともと『狂っている』という設定が故の“狂気”や、『神の下僕』としての設定故の“精神支配”系統には一切罹患しない程度の耐性しかない。

 ふと、気づく。

 

「まさか……もともと……もとから──狂っている?」

 

 堕天使は狂気や精神支配には絶対耐性を有しているが、それは種族設定としてそうなっているものと聞く。

 であれば、何故──

 

「どうして、カワウソくんは、普通にしていられたんだ?」

 

 ツアーは自分の中で何かを掴みかける。

 もともとが狂気に侵された存在であるというのなら、どうして彼は正常な思考能力を持って行動できていた? 追われていた飛竜騎兵の乙女を救出し、マルコ・チャンと魔法都市を目指し、魔導国の様子を静かに見聞しつつ…………しまいにはツアーとの個人的な面識まで得る時にも、狂気に汚染された様子は見受けられなかった。いずれもまっとうな人間としての行為であり、プレイヤーという存在がみせる人間性の発現であった。

 だが、本当は“逆”なのではないか?

 そう。むしろ。

 

「あの盛大に狂った鬼顔を、凶相をさらす今の方が、堕天使という種にとっての“通常”なのか?」

 

 あれこそまさに、異形種(モンスター)の名にふさわしい異形である。

 世界級(ワールド)アイテムの赤黒い輪っかの下にあるのは、純黒の面貌。臓物のような色調の涙を流す部分は、絶望と狂気にとらわれた心を(あらわ)にしたような虚無の様を呈している。世界の全てを見たくなくなったと言わんばかりに、落ちくぼんだ眼球はどこぞへと消え失せた。狂い笑う堕天使は、泣言を囁く人間を喜んで虐罰するかのように、カワウソの助けを呼ぶ声を、鞭打つがごとき笑声で蹂躙していく。

 あのアインズですら、カワウソの異変ぶりに手をこまねくしかない状況の中で。

 

「ん──治癒空間の生成スキルか?」

 

 熾天使が即座に動いた。

 アルベドの猛攻を、装備されている右籠手を犠牲にして耐えながら、主人が泣き崩れ笑い転げる地点を中心に、あるスキルを発動していた。

 玉座の間に立ち込める清浄な湧き水の気配。

 復讐を望み、いつしか諦めたツアーは、映像に映る復讐鬼──堕天使の黒い鬼相が、熾天使の腕の中で快癒していくのを、まじまじと眺めた。

 

「アインズが発する“絶望のオーラⅤ”が立ち込める空間を、熾天使の“希望のオーラⅤ”で中和しているらしいが────?」

 

 最初は、アンデッドのアインズを、カワウソから遠ざけるためのスキル発動だと誤認した。

 だが、ミカの胸の中に抱かれ、太陽のごとき光輝と言葉に包まれるカワウソの表情を見て、愕然となる。

 

「まさか……“なおっている”? ……いや、一時的に抑え込んでいるとみるべきか?」

 

 天使(ミカ)の腕に抱かれ護られる堕天使(カワウソ)の表情が、見慣れた通常のそれに戻っていた。

 ふと、ツアーは疑念が膨らむ。

 異形化の力を、抑え込むだと?

 治癒の力が働いたおかげ──というのは、考えにくい。

 そんなことが、単純な治癒魔法や治癒効果のアイテムなどで“真の異形化”を完璧に阻止できるのであれば、八欲王たちの異形化も阻止できたはず。スルシャーナや深祖などのアンデッド系統に属する者に正当な治癒は与えられないとしても、人狼(ワーウルフ)の四足獣形態に馴染んだ彼や、(オニ)の種族を極めていた彼は、治癒の正常な力を十分に供与されていた。

 なのに、カワウソは異形化の状態から、一時的にだろうが、脱出してみせた。

 

「あの女天使、いったい──?」

 

 再度、アインズとカワウソたちの戦闘が始まる。

 その時、ツアーの傍近くで、共に映像を共有していた娘が、無機質な声をかけてきた。

 

「ツアー様」

「うん。どうしたんだい、カナリア?」

「我々は、というか、ツアー様は、ここで見ているだけでよろしいのですか? アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下は、ツアー様の同盟者にして御友人。あのカワウソなる復讐の鬼を、討滅しに赴いた方が良いと判断できますが?」

 

 ツアーは鎌首を横に振った。

 それには及ばない──以上に、アインズが明示した戦闘方法は「三対三のチーム戦」であることを考えれば、ツアーが参戦しに行っても、逆に無礼に値するだろう。

 

「ですが、あのような暴虐の徒に、アインズ殿が万が一にも打倒されることになれば、義父(ツアー)様たちの計画に支障が出ます」

 

 確かに。

 ツアーの望む計画には、アインズ・ウール・ゴウンの……モモンガの協力は必須である。

 それを思えば、アインズに敵対するだけの郎党など、ツアーにとっては邪魔者以外の何でもなかった。

 それでも、ツアーは首を横に振り続ける。

 

「カナリア。君は、カワウソくんが気に入らない?」

「復讐など、“人形”である私には理解できません」

 

 生まれてこの方、復讐どころか誰かに対して感情的になることすら知らない人形の少女は、カワウソの述べ立てた嫉妬の感情に、まったくの不理解を示した。

 

「それに、彼の嫉妬に狂った様子も、甚だ理解不能です。やはり私には、感情というモノを理解することができません」

 

 カナリアには感情という機能がない。それは特異な生まれ故のものなのだろうが、ツアーは「気にすることはない」と言って薄く笑う。

 

「何故、カワウソはあそこまで過去にこだわるのでしょう。過去の出来事など忘却し、何だったら記憶を操作でもして、今の環境に馴染んでしまうことの方が、もっとも有意義なはず。なのに何故?」

「それは、ね。

 彼が“人間であるから”だよ」

 

 今の状態など関係なく、カワウソもまた、己の人間性に──彼自身の望む復讐(こと)に忠実でいることを良しとしている。

 アインズと同じように、人間としての残滓を強固に保つことで、彼は彼としての自我を有し続けている、この状況。

 

「人間を人間たらしめるのは、姿形というよりも、心の在り方こそが、比重としては大きい。彼ら異形種のユグドラシルプレイヤーは、自分自身であることを選び続ける限り、人としての心を保つ限り、異形種の精神に食い尽くされることはない。それは、アインズの例から見てもわかるだろう?」

 

 もっとも。

 それこそが一番、異形の姿に変わった者には難しいことなのだ。

 

「ですが。人らしい心というもので、嫉妬に狂う在り方など、恥ずべきもの。嫉妬とは、悪しき心の代表、バケモノのごとき醜悪な感情ではないのですか?」

 

 カナリアには不思議でならないようだ。

 嫉妬というものは、大概の物語において卑近かつ猥雑で、唾棄すべき罪の感情だと吹聴されるもの。

 だが、ツアーはそれらとは異なる意見を持っていた。

 

「嫉妬というものを、一概に悪だと論じるのは、あまりにも浅はかだよ。カナリア」

 

 白金の竜王は、超然とした瞳で、自分の騎士たる義理の娘を諭す。

 

「この僕、白金の竜王(ツアインドルクス)でさえも、若かりし頃は嫉妬に狂ったものだ」

 

 意外なことを聞いたという風にきょとんとする娘をおいて、ツアーは思い返す。

 父たる竜帝や数多くの兄姉、親族たち竜王を悉く打ち負かした、八欲王への復讐の想念。

 その根底にあったものは、憤怒や哀惜というよりも──力を持っていた者達、八欲王(プレイヤー)への嫉妬心が大きい。

 自分にも、彼らほどの力があれば。

 自分に彼ら以上の能や質があれば。

 そうであれば、ツアーは数多くの仲間を、兄姉たちを、父を、死なせずに済んだのではあるまいか……と。

 だが、ツアーは幼かった。

 生まれて数十年程度の若輩者であり、彼らとの戦争に駆り出されるほどの力は、一片も保持していなかった。父母や兄姉が扱えたような、人への変化も、道具の作成も、誰かを癒すような始原の魔法(ワイルド・マジック)も、すべて苦手を極めた。当時のツアーが得意だったことは、ただ世界を滅ぼすほどの熱量──“炎”の放出だけという、不出来な末っ子であった。

 しかし、戦いが終わった後、「復讐してやる」と豪語し断言したツアーに対し、他ならぬ王の一人──アースガルズ・ワールドチャンピオンだった“アイツ”に保護され、若き竜帝の子は、敵であった王から、教えられた。

 

「誰かしら何かしらを嫉み妬むことは、(ひるがえ)って考えれば『いつか必ず、その位階その領域に到達してみせよう』という、『向上心』の現れだ。嫉妬を懐けないものは、遥か遠い高みを目指すようなことは、絶対にしない。自分はここまでだ。自分ではこれ以上いけない。そういう思いにとらわれ、完全な敗北を自明のものと認めてしまった落伍者は、重力にとらわれた路傍の石コロのように、地の上を転がるだけの境遇に甘んじるだろう。

 嫉妬を懐けないモノとは、ただの敗北者よりも陰惨な、賢者や覚者のフリをしただけの────“永遠の停滞者”となる」

 

 だが、嫉妬を懐くものは、遅くても這ってでも、『前へと進む』だろう。

 どんなに無様でも、どんなに不格好でも、どんなに不器用だろうと、……関係ない。

 自分もきっとそこへいける、それになれる、絶対に出来る──そう信じて、前に、進める。

 それが嫉妬という悪感情を養分として成長する、普遍的な「進歩」のメカニズムだ。

 遥かな目標へ向け、妬みながら嫉みながら、“上”を向いて、歩いていく。

 

 きっと、そこへ。

 いつか、それに。

 不可能など、ない。

 だからこそ、前へ。

 ──そう信じる「心」こそが、嫉妬という感情の底に、潜在しているもの。

 

「だから、僕はカワウソくんにも、生きていてほしいと思う──」

 

 復讐に憑かれた鬼と化すプレイヤーにとって、復仇の対象を目の前にしながら、「過去のことなど忘れろ」「そんなことをしても、仲間たちが戻ってくるわけないだろう」と教え諭したところで、何にもならない。ツアー自身が、親兄姉を殺し尽くした王たちへの復讐に憑かれた過去があり、幾度となく挑んでは返り討ちにされていったもの。

 そうして、復讐の対象として挑み続けたアイツが、老衰で死ぬときには、かつて懐いた、劫火のごとき感情は、見事に綺麗さっぱり消失していたのも経験している。

 膨大な過去の記憶から、とある日のページを紐解く。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

「儂は、いい王でいられたのだろうか……」

 

 彼には死期が迫っていた。

 

「儂のやってきたことは、正しかったのだろうか……」

 

 只人の死などには興味のないツアーであったが、浮遊都市の寝所で横になる“王”の死とあっては、話は別だ。

 神殿のように広く高い空間。

 都市の中でも特に厳重な警備が敷かれている城の中で、枯れ木のごとく真っ白に染まり果てた男の眠る場所は、多くの臣下たち──NPCや都市を治める現地の人間が数人、彼の最後を看取るべく参じていた。

 王に保護され、アーグランドの地へと還された、ツアインドルクス=ヴァイシオンも、その一人であった。

 

「ツアー……すまなかった」

 

 こいつは、ツアーに謝るのが癖になっているように、儚げな表情で笑う。

 かつては新緑色の髪──ゲームのキャラメイク──を鮮烈に輝かせていた美男子は、もはや灰塵のような燃えカスの様を呈している。木の根を思わせる大量の髪はすべて白灰色になりかわり、かつての短髪姿を想起することすら難しくさせた。精悍な肌色は谷のように深い皺が幾筋も刻まれ、世界を──次元を切断するほどの力を振るった豪腕は、もはや小さな蝋燭と同じく、容易(たやす)く折れそうなほど、細い。

 彼は弱くなった。強さ(レベル)ではなく、老いが、彼の肉体を死に追いやりつつあったのだ。

 

「いまさらになって言うのは卑怯だろうが────儂らのせいで、おまえの家族を、仲間たちを、他にも多くの異世界の人々や命を、失うことになった」

 

 人間になろうと努力し、それがもとで狂気を加速させていった王たちの惨劇。

 そうして──最終的に“世界の敵”と化した八欲王(なかま)たちとの、世界の命運を賭けた戦い。

 その余波はいくつもの国を滅ぼし、いくつもの地を次元の淵に落としたほど。

 とても許されることではない。

 事実、八欲王は数十年前に絶滅したと、そういう風聞を広めた。互いに持つものを求め争い、自滅した愚極な王として、一人残らず滅び尽きたということになっている。さらに着色され脚色された王の物語は、ほんの数十年で、原形を読み解くことは難しいほどに変質していた、あと数百年も経てば、八欲王の恐怖の支配や、世界を引き裂くほどの脅威など、誰の記憶からも消え失せるだろう。そうした方がいい。彼らはユグドラシルの中でも、最上位に位置する存在たちだ。たとえ後続が現れたとしても、彼らほどの混沌と擾乱をもたらすことはないだろうと──逆に、次に来るプレイヤーたちへの恐慌や差別を助長するだけになることが危惧されてならない。八欲王は、過ぎ去る嵐の中でも、極めて特異な一例に過ぎないのだ。

 

 しかし、ここにいる王は、一人だけ生き残った。

 

 生き残って、自分や仲間たちが壊し尽くした──元の世界に帰りたいがために、普通の人間に戻りたいがために、そんな仲間たちを止めようと足掻いたがために、数多くの蛮行と非道と我儘の限りを尽くしたがために、滅びかけた世界……その再生に貢献し、そのためだけに一生を費やした。ギルド長たる彼にのみ従う浮遊都市のNPCたちの協力もそうだが、ツアーという現地の外部協力者の存在もあって、世界は混沌の時代から回復することができた。

 そして、今日。

 八欲王の最後の一人が、死の(とこ)に就こうとしている。永遠に。

 

「できれば、──大きくなったツアーの背中に乗って──、世界を見てみたかったなぁ……」

 

 強力な竜騎兵(ドラゴンライダー)としての職を有する王は、結局、ツアーへの罪悪感から、そういった軽率な行動をとることはなかった。王はツアーの仇。ツアーの一族を殺し尽くし、アーグランドの竜王を潰滅させた、郎党の一人。そんな奴に、誇り高き白金の竜王が背を預け、頭の上に乗せるなど、あってはならない狼藉に相違なかった。

 事実、ツアーはこの王に保護されてからも、復讐の爪牙を研ぎ続けていた。

 会えば必ず憎悪の言葉を舌にのせ、隙を見つけては王の背後から奇襲し、コテンパンに返り討ちにされたのは、数十年の間で、軽く一万回は数えるだろう。

 ツアーがそういった騙撃伏撃をやめるようになったのは、彼が不治の病に侵され……やがて老衰という事態に陥ることになったから。

 かつては並み居る竜を悉く吹き飛ばし、強制隷属させた騎乗職の王は、見る影もなく痩せ細り、今ではベッドの上で寝たきりの生活を強いられる姿を見て、ツアーの復讐の炎は、見るも無残に鎮火していった。

 

「ごめんな……ツアー……。『復讐させてやる』って、約束してやったのに……もう、儂は、戦うことも……」

「黙れ!」

 

 幼少の頃とは違う、青年期を迎え成熟しつつある竜の身体から、魔法のガラスでなければ窓が全損していただろう呼気を飛ばす。

 

「そんな声で笑うな。そんな声で鳴くな。そんな声で、この僕に語り掛けるな! 王ッ!!」

 

 ツアーは詰め寄った。

 

「いいとも! 頭でも背中でも、乗りたいというのなら、いくらでもどこへでも乗せて飛んでやる! ──だから!!」

 

 忌々しい好敵手に、ツアーたちへの罪滅ぼしを続けた老王に、肺腑の許す限り吼え立てる。

 

「死ぬな!!!」

 

 耳すら遠く成り果てた老王の鼓膜にも、ツアーの喝破は心地よく響いたようだ。

 過日の、若かりし頃の面影が、老爺の顔面に浮かび上がる。

 木漏れ日のように眩しい笑顔。

 太陽のように温かい言葉と共に、王は心の底から、笑う。

 

「乗せて…………くれるのか?」

「あたりまえだろう!」

 

 ツアーは涙を流すように怒声を零す。

 

「お、おまえ。この僕が、いつまでもせこい復讐をすると思ったら、大間違いだ!」

「あはは……あー、そりゃあ……そうか…………ああ、それが聞けて、よかった」

「おい、王。──目を閉ざすな! 僕の眼を見ろッ!」

「だいじょうぶ……ちょっと、だいぶ、眠い、だ、け」

「目を開けろと言っているんだ、王!」

 

 いつかのように。

 幼く震えているばかりだった白竜を匿った時のように、王は寝台に迫ったツアーの鱗に、手を伸ばす。

 

「また、明日、な…………」

 

 白竜の鼻先を撫でる優しい手が、こぼれた。

 

「──、王?」

 

 寝台の端から投げ出された(しわ)だらけの掌は、ピクリとも動かず、いかなる血流の脈動を感じない。

 悲鳴が、悲嘆が、王の寝所を鳴動させる。

 

「お父様!」「王よ!」「陛下!」「御主人様!」「目をお開けください!」「そんな!」「蘇生を! 蘇生の魔法を!」「ダメ、……やっぱり、効かない──」「ああ、なんという……」「崩御、ナサレタ──」「嫌ぁ……イヤッ!」

 

 都市守護者たち三十人と臣下達が泣き崩れ、喚き散らし、この世の終わりのような声と表情で、目の前にある現実を認識していく。

 他ならぬ王自身が、このときのために、準備していた。

 自らの終焉の時を──死の訪れを──彼はずっと備え続けてきたのだ。

 

「……違う」

 

 だが、ツアーは受け入れなかった。受け入れることは難しかった。

 もしかしたら、父たちが死んだ時以上に、目の前の現実を認められなかった。

 

「王! 約束が違うぞ!」

 

 竜の巨体から咆哮を飛ばし、何故か潤む瞳の中で、復仇の存在として君臨し続けた王を──人間の老爺を、……その死体を、睨み据える。

 

「おまえ、僕に言っただろう! 復讐させてやると! いつだって挑戦を受け入れると! なのに?!」

 

 これでは、もう約束は果たせない。約束は、果たされない。

 

「おまえは! 約束を(たが)えるような男じゃない! 嘘つきでも、不誠実な奴でも、ない! なのに!?」

 

 今になって、最後になって、すべてを台無しにするのか。

 ツアーとの約束を。これまでの日々を。

 

「目を開けてくれ!」

 

 ツアーは叫んだ。

 

「────友樹(ユウキ)!!」

 

 

 

 

 八欲王と呼ばれた、その最後の王が、この世を去った。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 ツアーは長い一瞬から、目を開ける。

 そして、不思議そうに見つめる騎士(カナリア)に、言い含める。

 

「復讐は何も生まないという……だが、復讐から生まれる“何か”も、この広い世界には、確かに存在しているのだよ」

 

 ツアーは、ナザリックで進行する戦闘状況を眺める。

 過日の自分と同じく、敵にぶつかることでしか自分(おのれ)になれない存在(カワウソ)の行末を、見つめ続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ──人であることを欲した王。
 ──人でないことを欲せられた王。
 ──人というものから“わかたれた”、欲の王。


 人という字を二つに分けて──“八”。


 だから、八欲王。


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限界

※注意※
 本作は、原作キャラの戦闘能力について不明瞭な部分もあるため、各キャラに原作では登場していない独自の魔法やスキルなどを使用させております。念のため。


/War …vol.05

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 カワウソは駆け続けた。

 追いすがる猟犬じみた魔法の矢を打ち払い逃げ果せ、死の支配者(オーバーロード)の放つ数々の魔法に薙ぎ払われ吹き飛ばされても──駆け続けた。ただ狩られ喰われるだけの運命に、堕天使のプレイヤーは抗するのみ。

 

「シッ!」

 

 魔法に撃たれ意識が昏倒する端から、鎧の効果でステータスが微増されていく感覚を得る。攻撃・防御・素早さ・魔法攻撃・魔法防御など、体力と魔力以外のどれかが確実に、ランダムでカワウソの状態異常をプラスの効果に変換していく。それがカワウソの自作できた唯一の神器級(ゴッズ)アイテム“欲望(ディザイア)”の機能──状態異常に罹患しやすい堕天使の特性を生かし補強するための神器級(ゴッズ)アイテムだ。これを創るために、かなり面倒なクエストや狩りにも単独(ソロ)で通うことになったのだった。

 

「チィッ!」

 

 回避を続けるカワウソの神器級(ゴッズ)アイテムは、合計で六つ。

 天国と地獄の門を意匠された転移魔法の剣“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”と、“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”の白黒の双剣、完全不可知化を行える外衣“竜殺しの隠れ蓑(タルンカッペ)”の真紅の鎧布──そして、

 

「“第二天(ラキア)”、“第五天(マティ)”!」

 

 堕天使の脚全体を覆う漆黒の足甲が黒く輝きながら鋭く捩じれ、鎧の下にある邪眼のごとき首飾りも相乗効果(シナジー)を得たかのごとく黒金(くろがね)の閃光を灯していく。共鳴し共振していく二つのアイテムが、“アンデッド殺し”に長じたカワウソの本領を発揮させていく。

 生産都市で行った実験──死の支配者(オーバーロード)の将軍(・ジェネラル)が、ほんの一刀一剣で殺された時と同じ。

 

「────」

 

 一瞬。

 アインズの視界から、堕天使が消え失せる。

 カワウソの星球が、アインズの頭蓋を背後から叩き砕こうとした、その時。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズ・マジック)絶対零度(アブソリュート・ゼロ)〉」

 

 アインズの全周囲半径5メートル圏内を、冷気属性の最上位魔法が包み込んだ。

 これまで使ってこなかった、天使種族に対して特効を有する冷気の繭。その効果範囲にとらわれた堕天使は、ほんの1秒、硬直を余儀なくされ──

 

 ピシリ

 

 という音を立てて、あっけなく解放される。生物や非生物、空気や空間を含む、ありとあらゆるものが凍結し、大ダメージと共に氷の凍結地獄を受けなければならない魔法であったが、冷気属性への対策は万全であった。さすがに、堕天使が何の対策も取らずに冷気属性攻撃へ身をさらせば、あっという間に体力が底をつくもの。何より、このナザリックの第五階層守護者・コキュートスなどは、こういった冷気属性の保持者としてあまりにも有名。彼はカワウソたち天使種族にとっての天敵。当初の作戦計画上、“氷河”に君臨する彼も打倒することを視野に入れて、天使の澱は装備やアイテムを整えていた。

 

「無駄だ」

 

 そういって攻勢を再度かけるカワウソに対し、アインズの骨の横顔はニヤリと微笑む。

 

「それはどうかな?」

 

 アインズの握る黄金の杖とは別の得物が、もう片方の手に握られている。カワウソが硬直を余儀なくされた一瞬で得た、換装のための猶予。その武器は彼が、モモンガが握るには似合わない……とても凡百で凡庸で平凡な、ただのスティレットにしか見えない。

 魔法詠唱者にしてはまったく無駄のない動きで、アインズは鋭利な短剣を突き立ててくる。

 ありえないと思われた。アインズの職種は死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)。戦士や騎士などの直接攻撃力が高いわけでもないプレイヤーが、直接このようにして近接戦を挑むなど、どうかしている。

 その一瞬の疑念が、カワウソの防御の手を鈍らせた。白い聖剣ではなく、黒い星球で打ち払うことに。鎖に繋がれた殴打武器の方がリーチは確実に長く、アインズの骨の掌を砕くのにもちょうど良いはず。

 だが。

 

「起動」

 

 アインズの突き立てた攻撃が、星球と柄を繋ぐ鎖の輪を、正確に完璧に貫いたと同時に、

 

「なにッ!?」

 

 カワウソは驚いた。酸系統の攻撃魔法が、スティレットの先端から零れだした。

 濁音と共に噴出した強酸──〈強酸の槍(グレーター・アシッドランス)〉は、魔法の矢などの攻撃を払い除け続け酷使した武装を破壊するのに覿面な効力を発揮。星球はその用を成せないほどの形状に融けて破壊されてしまった。

 カワウソは、このマジックアイテムを知らないし、何よりアインズが──モモンガがこのような戦闘方法を得意とするなどの情報を知らない。

 さらに、アインズは謎のスティレットをさらに数本取り出してきた。魔法によって宙に自動で浮くそれらを警戒して、カワウソは後退せざるを得ない。

 

「どうした? かかってこないのか?」

「……」

 

 ハッタリや脅しにしては、アインズの手並みは堂に()るものがある。

 それに先ほどの短剣の捌き方は、ただの魔法詠唱者のプレイヤーが行使できる領域とは思えない。

 彼がユグドラシルで手を抜いていた────以外の可能性があるとすれば?

 

「ずいぶんと、……鍛え上げたみたいじゃないか?」

「ほお? わかるのか?」

 

 アタリ。

 レベル的な戦闘力の向上ではなく、純粋な近接戦闘に対する順応……「慣れ」という名の経験を積み上げるのに、100年という時間は十分すぎる。過量とさえ言えた。

 圧倒的強者(オーバーロード)は悠然と、武器を持った両腕を広げ、告げる。

 

「先ほども言ったが。今の私は“アインズ・ウール・ゴウン”──ただの“モモンガ”だと思って戦うのは、あまりにも愚かしいことだと思うが、どうかな?」

 

 カワウソは静かに舌を巻く。

〈魔法の矢〉の操作性といい、回避運動や武器の扱いといい、ユグドラシルの“モモンガ”しか知らないカワウソにとっては、今の彼“アインズ・ウール・ゴウン”は、未知の強敵以外の何でもない。

 

「クソが」

 

 堕天使の左手に残されていた星球の柄を、壊れ融けた黒き明けの明星(シュヴァルツ・モルゲンスタイン)を放り棄てる。

 代わりにボックスから取り出したのは、骸骨に効果的な殴打武器──全長2メートル超え、先端の鉄鎚は直径40センチの円柱状で、柄との接合部にスタンダードな十字をあしらった──予備武装の“聖鐘を鳴らす戦鎚(チャーチベル・ウォーハンマー)”。他にも神聖属性を有する剣などもあるが、アインズの種族に有効なのは殴打武器……骸骨を打ち砕くアイテムの方が有効。

 落ち着いて深呼吸を繰り返す。

 アインズが強敵だろうことは判り切っていたこと。

 今更、その程度のことを痛感して、精神を乱している場合ではない。

 カワウソは速攻を体現するかのように疾走を再開した──その直後。

 

『よこせ』

 

 聞き覚えのある声が。

 自分のそれであって自分ではない声が。

 

『よこせ──』

 

 耳の中に、脳の内に、心の奥深くに、荒々しく(こだま)する。

 

『ヨコセ──よこせ、寄越せ、寄越せ、寄越せ、寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ!』

 

 寄越せ寄越せと繰り返し紡がれる呪詛の声。

 疑念に陥るまでもない──この身体本来の持ち主が主張する声の怒濤に、カワウソは戦いながら耳を傾け続けている。

 声は明快かつ克明に、カワウソの意識を剥ぎ取るような強意のまま、(のたま)う。

 

『俺の身体を──俺様のモノを──俺様の全部を、今すぐ俺様に! 寄越しやがれッ!』

 

 先ほども味わったのと、似た感覚。

 自分の内側に、自分以外の何かがいて、そいつがカワウソという意識に覆いかぶさってくるのだ。

 だが、声を聴かされる方は、必死の抵抗を試みる。

 

(いやだ)

 

 カワウソは戦いを続ける脚を、止めない。(もつ)れかけた両足を踏ん張らせて、アインズとの戦闘に意識を向け続ける。

 その間にも、脳内で(うごめ)蠕動(ぜんどう)する、もうひとりの誰かとの戦いにも明け暮れていた。

 

(それはできない)

『……ふざけるなよ、カワウソ──いいや……若山(わかやま)宗嗣(そうし)ィ!』

 

 何かのタガが外れたかのようだ。狂笑し、嘲笑し、罵倒と侮蔑の言葉を吐き連ねる意識は、間違いなく、連日の悪夢で、今朝の夢の中で顔を突き合わせていた、堕天使としてのカワウソに他ならない。

 

『この身体(からだ)は俺のモンだ! 俺様という“堕天使のカラダ”だ! テメェみてぇな弱虫のヒトリボッチごときにィ──ただの人間にッ! これ以上、好き勝手にあずけておく意味も理由も価値も──もうどこにもねぇんだよ!』

「ぐぅ、ううぅ!」

 

 頭を強く振って理性を保つ。浅黒い肌の上を脂汗が伝っていく。

 声は鼓膜を衝き砕かん勢いで、カワウソの脳液を震わせ続ける。

 

『おまえにはもう何もありはしない! 勝利や栄光どころか、後生大事にしていた“仲間たち”とやらすら、今のオマエには在りはしないんだからな!』

 

 カワウソは頷くしかない。

 さんざん思い知らされてきた。

 自分は、カワウソは、──ひとりぼっち。

 かつての仲間たちに見捨てられ見限られて、なのに、どういうわけだが、今こうして何の意義もありはしないだろう復讐戦に、バカみたいに身を焦がすだけ。我が事ながら、本当に理解し難い。

 アインズの繰り出す怒涛のごとき〈魔法の矢〉をかいくぐり払い落しながら、脳内でもうひとりの自分と、異形種としての存在たるカワウソと、支配権を奪い合う。

 

『わかったら! とっとと消え失せやがれ! 俺のものを全部、俺様に返してな!』

 

 たまらず、声が漏れ出ていく。

 

「だめだ。それは、駄目だ!」

『テメェなんぞに拒否権はねぇ! 今すぐ俺の身体を寄越せ!

 あんな骸骨ごとき、人間の中身のままの死の支配者(オーバーロード)なんぞ、本当の堕天使(オレ)様の力で、捩じ切って捩じ伏せて、捩じって捩じって捩じり潰してやる!』

 

 アヒャヒャヒャと下卑た声が頭蓋の内で乱響していた。

 

『わぁかってんだろう? テメェみたいな死にたがりの敗けたがりのザコごときが、このまま戦い続けたところで、何もできずに負けて殺されるだけだろうガ!!』

 

 脳と全身を繋ぐ回路が、身内にいる何者かの手によって、物理的に切断されかけているような……斬首も同然の感覚に怖気(おぞけ)を覚える。あまりの恐怖。あまりの絶望。堕天使の声が主張する内容は、カワウソに否定する余地はない。むしろ、異形のゲームアバターの中に、人間としてのプレイヤーが入り込んでいると考えれば、このような事態は当然の出来事と推測しておくべきだったのではないか。

 カワウソが……否、若山(わかやま)宗嗣(そうし)としての自分こそが、堕天使の肉体にとっての腫瘍……異常作用をもたらす、バグの一種なのかもしれない。

 だが。

 

「それでも、駄目だ!」

 

 強く、(つよ)く、(つよ)く、(つよ)く、己の心を固く保ち続ける。

 人としての自分を、精神の大地に打ち込む(くさび)のごとく突き立てていく。

 

「俺はまだ──!」

 

 魔法攻撃を左目に喰らう。仰け反る体躯。明滅し急転する視界。零れ落ちる赤色の塊。

 

「ぎ、ぁ────まだ、“まだァ”!」

 

 閉じた左目を見開いた。

 傷は完全に“ふさがっている”。

 鎧の効果で微増し強化されていた防御ステータスのおかげ──というだけではない。

 この場にいる天使の澱のNPC、中でも自軍勢力の強化や回復において、超級の能力を与えておいた女熾天使──ミカの存在が、カワウソの能力を底上げし、体力を毎秒のごとく微回復させ始め、適時的確に回復の魔法を施してくれる。

 

(まだ、諦めない……)

 

 カワウソは、堕天使たる異形の精神に、頭の中で語り掛ける。

 

(俺は、皆を、あいつら(・・・・)を犠牲に、ここまでやってきた)

 

 脳裏に浮かぶのは、かつての仲間たち──ではない。

 あの第八階層攻略戦で置き捨ててきた、

 自分(カワウソ)の拠点NPCたち。

 

(マアトも、アプサラスも、ウリも、イズラも、イスラも、ラファも、ガブも、ウォフやタイシャやナタも──皆!)

 

 宙に浮かぶあれら(・・・)を止めるための“足止め”役として。

 ルベドと名乗る少女を押し留めるための“時間稼ぎ”用として。

 ギルド長たるカワウソの、若山(わかやま)宗嗣(そうし)という男の我儘に、嫌な顔ひとつ見せることなく臣従し──そうして、その役目と用途を(まっと)うして──逝った。

 そうまでして、そうまでさせて、やっとたどり着いた、ナザリック地下大墳墓の最奥──この、第十階層。

 彼ら“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”がいたからこそ、成し遂げられた奇跡。

 

 アインズ・ウール・ゴウンとの、最後の、戦い。

 

 NPCたちの声が、笑顔が、忠誠心が、カワウソの心を満たしてくれた。たとえ、彼らの見せる忠義や敬愛が、ギルド長たる存在に対して──“作られた”だけのものであろうとも、関係ない。全員が、この一戦、この一瞬のためだけに、すべてを捧げ……死んでいった。Lv.100NPCで残っている二人──クピドと──ミカも──今、懸命にアインズの守護者たちを()き止めてくれている。

 彼らの犠牲を、こんな形で、こんな所で、こんな時に放棄して……たまるものか。

 

(この戦いが終わるまで、俺は、まだ消えるわけには──死ぬわけにはいかない!)

 

 堕天使の意識や感情にしてみれば、カワウソのような異分子など、今すぐ頭の中から追い出して殺し尽くしたい対象でしかないのだろう。だが、それでも──カワウソは望まずにはいられない。

 

(我儘に過ぎることはわかってる──こんな無意味なことに挑む俺が、どれだけ滑稽で憐れなのかも──仲間たちは誰も残らず、この世界で新たに得た仲間を……NPCたちを全員、犠牲にするような俺が、「正しいわけがない」ことぐらい──でも、それでも、ッ)

『……勝ちたいか?』

 

 堕天使の問いかけ。

 

『勝ちたいのか?』

 

 カワウソは、若山(わかやま)宗嗣(そうし)は、己の中にいるバケモノに頷き、頼む。

 

(手を貸してくれ、堕天使)

 

 悪夢の中で顔を合わせていた狂貌が、暴力的な笑みを、嗜虐心の集積物じみた喜悦を、面に表す。

 

『いいとも』

 

 繊月のように鋭い笑顔から零れる、ドス黒い賞賛の声。

 

『いぃぃぃぃぃとも! 契約成立ッ! 俺様のようなクソ弱い堕天使に縋り、助力を乞うとは! とんッでもない狂人(イカレ)だ! ひひゃ! そうだ、そうだよ、それでこそ! ひゃははッ! いいね、いいね、最ッ高だね! この期に及んで、まだ勝つ気でいるとは、本当におもしれぇじゃねぇか! ええ? 人間(カワウソ)ッ!』

 

 カワウソは、堕天使の抵抗が緩みきるのを、ほとんど実感する。

 

『可哀そうなオマエに、この俺様が力を貸してやるぁ! その代わりに──おまえは俺様の望みを果たせ! 俺との契約を忘れるな! そうして、せいぜい惨めに生き足掻いて死ねッ!

 ──俺がおまえを殺すまでな(・・・・・・・・・・・)!』

 

 救いようのない契約を結んだカワウソは、脳内に響く堕天使の哄笑を、月明かりのように冷え冷えとした心持ちで聞き取り終える。

 

『それと忠告だ。あの“女”には、気をつけておいた方がいいぜ──

 

 笑声が止んだ。

 同時に、ほとんど反射的に、無意識的に、堕天使の固有スキルを発動。

 この戦況を回転させるであろう、堕天使Lv.11で取得できる特殊技術(スキル)

 カワウソが、ナザリック攻略のために“堕天使となった”理由のひとつ。

 

「“神意の失墜”」

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 シャルティアとクピドの魔法が交差する。

 

「〈魔法抵抗難度強化(ペネトレートマジック)内部爆散(インプロージョン)〉!」

「〈審判の火(ファイアー・オブ・ジャッジメント)〉!」

 

 天使の肉体を内部から引き裂き、吸血鬼の肢体を焼きつくす魔法。だが、お互いに受けた損傷を省みることなく、戦闘を継続していく。嗤う唇の端から鮮血を零すクピド。アンデッドの肌には致命的な神聖属性の炎に炙られたシャルティア──だが、

 

「“血の武装”を防御に全部回しやがったかよぉ!?」

 

 応じない吸血鬼の乙女は、さらに魔法を詠唱し続ける。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)大致死(グレーター・リーサル)〉!」

「かッ!」

 

 負属性の奔流が、赤子の天使を包み潰す。クピドはさらに大量の血を吐き零すが、委細構わず対物理(アンチマテリアル)ライフルの銃爪(ひきがね)を絞る。炎属性と神聖属性、さらには貫通効果付与の弾頭を嫌った吸血鬼は迷わず回避に専念。

 シャルティアは鮮血のような鎧に、さらに鮮血からなる異様な武装を身に纏っている。面覆いは幾重にも巻かれた茨のよう。肩当や肘当、腰布や具足に至るまで純血の薔薇を思わせる棘が、幾本も毒々しい血流を滴らせている。吸血鬼の“血の武装”──その防御形態ともいうべき追加装甲である。

 

「……〈生命力持続回復(リジェネレート)〉」

 

 だが、この状態でも神聖属性の炎攻撃は、完全に無効化はできない。せいぜい耐久力が上がっただけであり、炎や弾丸の直撃を受けた箇所は血が蒸発して役割を終えている。

 

(回復魔法を使うか。奴の挙動や体力の減耗からして、炎属性はなかなかに有効のはず。なら……!)

 

 クピドは隊長の方を窺う。

 

「“武装解体(アーマーディストラクション)”!」

「“シールド・オブ・サンピラー”!」

 

 女悪魔の特殊技術(スキル)が再び女天使の装備を狙うが、さすがに連続でそんな失態を演じるわけにはいかない。

 右籠手を失った腕を突き出し、大量の閃光に空間が輝きで満ちる防御スキルで耐え抜くミカ。

 

「隊長! 『位置を』!」

 

 クピドの声に呼応するように、ミカはタンク職のスキルを発動。

 

「“位置交換(トランス・ポジション)”!」

 

 両者の位置が一瞬で交換される。

 アルベドの前にクピドが。シャルティアの前にミカが。

 

「ちッ! コノ!」

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)・──」

「させるか!」

 

 今度はアルベドの“位置交換(トランス・ポジション)”。

 シャルティアに打ち込まれる女天使の魔法が何であれ、奴の抑えはアルベドの役割──奴らがこのタイミングで位置を交換した意味を思えば、熾天使の相手を吸血鬼にさせ続けるのは危険に過ぎた。

 再び両者の相手が元の相手に──場所だけは完全に入れ替わった時。

 

「火炎放射器・最大出力!!」

「ぐ──ああああぁぁぁ!?」

 

 クピドの所有していた、アンデッドや吸血鬼への特効兵器が火を噴いた。

 盛大に濡れ潤む業火に嘗め尽くされる戦乙女に、炎属性はかなりこたえた様子。

 

「シャルティア?!」

「──善なる極撃(ホーリースマイト)〉」

 

 天使たちの作戦が見事にハマった。吸血鬼と女悪魔──それぞれが灼熱地獄と極光の三連撃を味わうことに。

 しかし──

 

「オイオイぃ。ったく、これだけやってもぉ」

「…………全然、やりきれそうに、ない、とは」

 

 位置交換を使っての攪乱攻撃であったが、防御を固めたシャルティアとアルベドは、そこまで危機的な体力減少を、美麗な女の面に表さない。

 

「──はン。無駄なことでありんす」

「いかに同レベルといえど、我らナザリックと、貴様たちのごとき下等ギルドが、対等な勝負を展開できるなどと思われるのは、屈辱だわ」

 

 圧倒的な力の差を見せつけるがごとく君臨する女傑たち。両陣営の身に帯びる装備のランクの差は勿論、100年もの間、異世界にてギルド長たるモモンガを、魔導王を支え守り抜いた矜持が、大樹のごとく悠々と(そび)えたっていると判る。

 

「チッッッ」

「なめんじゃねぇぞ、お嬢ちゃん達ぃ!」

 

 舌を打つミカが光剣と光盾を構え、クピドは燃料の尽きた火炎放射器を投げ捨てて、銃火器二丁を掴みだす。

 四者が再びの激突のために対峙した、直後。

 

 

 

 堕天使の特殊技術(スキル)が、発動。

 その特殊技術(スキル)は、玉座の間の空間を汚染するような気配を、周囲に撒き散らし始める。

 

 

 

「何?」

「これは? アルベド!」

 

 ナザリックにおいて最も荘厳な空間に、異様なスキルの発動が確認された。

 それは、アインズが魔法で戦い続けていた雑魚──杖や短剣で相手取り続けた敵首魁を中心に起こっている。

 

「堕天使の、“神意の失墜”!」

 

 アルベドは即答の後、即応した。

 彼女が見据えた先──アインズが対峙する堕天使の容貌が、さらに別の異様さに変質している。

 

 堕天使Lv.11で獲得される特殊技術(スキル)──“神意の失墜”。

 このスキルは、読んで字のごとく、“神意”が“失墜”することを意味する。

 そも神意とは何か。それは、神の意志であり、神の御心(みこころ)。神が残した法典や掟、ありとあらゆる戒律や約定を意味する。その絶対意志こそが世界の法と秩序を支え、社会と平和を築き上げたと────では、その“神意が失墜する”と、どうなるのか?

 それは、悪の肯定。または、無秩序の容認。

 このスキルを使用した者が成し遂げること……それが善行であろうと悪行だろうと、神意を否定し失墜させた存在への絶対的な全肯定が、この特殊技術(スキル)の本質とされる。

 

「ふん」

 

 アインズは鼻を鳴らし後退。強襲を警戒するように防御魔法──〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)〉など──を重ね掛けていく。

 彼の目の前に対峙していた堕天使の顔が、スキル発動によって、またしても変貌を遂げていた。

 

『ごぉぉぉおおおおおおおおオオオオオオオオ────ッ!!』

 

 口腔から迸るはずの声。だが、今のカワウソに、口と呼べる顔面構造は、ない。

 咆哮する獣が如き堕天使の、その顔面部に穿たれた、真っ黒い純暗の、……円。

 恐慌し狂乱した際に見せたような、両眼を穿たれたが如き漆黒の(ウロ)にも似ているが、これはあれとは違う。今、カワウソの顔面は、額から顎に至る全面が純黒に染まり、そこにあるべき構造が何もかも完全に陥没している在り様であった。眼球も眉間も、鼻梁(びりょう)口唇(こうしん)も、およそ人間の表情を構築していたすべての部位が黒い(あな)に丸ごと潰され、すべてを呑み込む宙の大穴(ブラックホール)に変じたかのよう。

 醜悪怪異の極みに達した、異形の相貌──

 これこそが、堕天使Lv.11が取得できる“神意の失墜”発動における肉体エフェクト。

 神の意志を否定し、神の御心を拒絶した堕天使が、神から与えられた姿であることすら“許されなくなった”……神の御意志からも見捨てられ、失墜してしまったが故の、変容。

 すべてを飲み込み欲すること──欲心に憑かれたバケモノが至る、最悪の形態。

 Lv.13のスキル“欺瞞の因子”やLv.15のスキル“堕天の壊翼”は、神から与えられた仕打ちに逆上し、神の地位を我が物としようと求め、さらなる力を蓄えた堕天使が至る力の発現──というのが、ユグドラシルにおける堕天使という種族・モンスターの設定であった。

 そして、このスキルの効果が、あっという間に、玉座の広大な空間を満たす。

 

 ──見れば、堕天使の率いていたNPCたちの、その足許に、黒い円環が輝いている。

 

「シャルティア! 今のアイツらは!」

「わかっているでありんす!」

「負属性は使うな!」

 

 短く注意喚起するアインズたちが迎撃の態勢を整えていく。

 天使種族──中でも堕天使の種族に関する勉強は、奴らが転移してきてから、アインズ監修のもとで、守護者たち全員で行い続けてきたこと。

 故に。あのエフェクト……あの特殊技術(スキル)の意味を、よく理解できている。

 

「アインズ様をお守りしんす!」

「ええ! シャルティア、予定通り!」

「──“死せる勇者の魂(エインヘリヤル)”!」

 

 天使共より遠く離れ、アインズを直衛する位置を確保。そして、シャルティアの有するスキルの中でも最高峰の切り札によって、純白に染まる“もう一人のシャルティア”が、戦列に加わる。

 

 堕天使のLv.100プレイヤーを相手にするうえで、最も警戒すべき種族スキルのひとつ。

 

 堕天使・Lv.1~Lv.9で取得する“清濁併呑Ⅰ~Ⅴ”の効果は、純粋な天使種族ではボーナスダメージとなる呪詛・闇・負属性への高い耐性を獲得し、呪詛、闇、ありとあらゆるカルマ値に依拠した攻撃や魔法、エリアなどでのペナルティやダメージをほぼ無効にする能力を発揮するもの。

 そして、“清濁併吞”の効果は堕天使本人だけが対象となるわけだが、さらにLv.11で獲得される“神意の失墜”は、その『効果範囲拡大版』ともいうべき能力を持つ。

 

 神の意志によって墜とされた堕天使が、神の意志を否定し拒絶し、その意を完膚なきまでに失墜させ、己と同じ場所にまで追い墜とそうとする、力。

 それをこの戦域に……世界そのものに……フィールド全体に及ぼす権能が、堕天使の種族レベル11で与えられる。

 

 このフィールドスキル“神意の失墜”は、自軍勢に、堕天使の“清濁併吞”の効果……負属性や悪に対する絶対的な耐性を与えるもの。

 

 つまり、天使の澱のNPCたち──強力な神聖属性攻撃を有するミカやクピドに至るまでもが、負属性などの特効が通用しなくなることを意味する。

 これは、なかなかに脅威的な事態である。

 連中の魔法やスキルはこちらに有効打を与えうるのに、こちらの得意な、連中への特効攻撃は、ほぼ無効化されるということ。

 ちなみに。このスキルを発現させれば、ナザリックの第一~第三階層“墳墓”のマイナスエフェクトに、天使の軍勢たるギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)が苦労する確率は確実に減らせるはず。カワウソが発動したこのスキルは、彼が死ぬか、何らかの手段でフィールドスキルを上書きする力を行使しない限り、およそ一時間は発動し続ける。それだけの時間があれば、ナザリック攻略を長く続けてきたカワウソが率いるLv.100のNPCたちは、ほぼ無双状態の最短ルートで、ナザリック前半の悪辣な“墳墓”を踏破することが可能だったはず(無論、100年後のナザリックの警備状況や罠、シモベの配置は変わっているので、そこを考えるとカワウソたちでも攻略難易度は跳ね上がっている)。

 この異世界に転移し、拠点NPCが自分の意志で動き、拠点外で活動できるようになったからこそ立案できたナザリック前半の攻略作戦は、結局、採択されることなく終わってしまったのは惜しむべきか喜ぶべきか。

 

 何はともあれ、堕天使のスキルの加護を受け、黒い円環に乗るかのように飛行する二人の天使が、それぞれ魔法を飛ばす。

 

「〈審判の火(ファイアー・オブ・ジャッジメント)〉」

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)輝煌(ブリリアントレイディアンス)〉」

「ちっ!」

「クソ共がァ!」

 

 アインズに降りかかる脅威……神聖属性による絨毯爆撃を、二人はステータスやスキルを駆使して、辛くもしのぐ。

 だが、かと言って反撃に転じようとしても、二人の得意とする負属性は、この状況では特効能力を喪失している。おまけに、カワウソの超速度が二人の脇をすり抜けていこうとするのを止めるのに力を尽くし、神経を労さねばならない。空間を自在に駆け走る堕天使の脚力は、まさに瞬速。アルベドとシャルティアという前衛でなければ、確実に見逃してしまう速度を誇る。100年の研鑽を積んだアインズであれば、一撃二撃でどうなるはずもないのだろうが、あの狂乱したような面貌をさらす愚物が主人に攻撃を成すのを座して見るなど、耐え難い屈辱だ。

 

「ミカ! クピド! 突撃(チャージ)!」

 

 しかし、意外なことに、堕天使は──カワウソは正気の声をもって二人に命令を下した。狂気の汚濁にまみれた気配が一片も感じられない主命。漆黒の真円に穿たれた面貌は、あるいは先の狂態以上の兇変であるが、カワウソはどういうことか正常な思考でいられる模様。それが判った女天使と赤ん坊は、一切の躊躇なく突撃姿勢を構築する。

 驚き慄くアルベドとシャルティアに、命じられた敵NPCが聖剣の転移魔法で肉薄。

 カワウソが握る聖剣の力によって、二人はすぐさま近接戦闘に移行したのだ。

 そして、

 

「「 しまった! 」」

 

 カワウソが二人の視界の端で、天井を疾駆しながらアインズのいる最後方に進撃。近接戦闘状態で、カワウソを追撃する攻撃や魔法を放つことは難しい。おまけに奴は堕天使Lv.13の“欺瞞の因子”という回避手段(チャフ)まで展開していて的が絞れない。シャルティアの用意していた戦乙女──エインヘリヤルが妨害に向かったが、ミカによって召喚された天使群に邪魔立てされる。堕天使たちは悠々と疾走を続けた。

 その状況で、アインズは冷徹の極致にある。

 LV.13の回避スキル“欺瞞の因子”で発生する分身体を含め、突撃してくる敵に対し、有効な戦術を展開。

 

「〈魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)千本骨槍(サウザンドボーンランス)〉」

 

 玉座の床より突如として出現した、膨大過ぎて千や二千を超えているだろう骨の槍。その効果範囲拡大。白亜の槍の乱立はアインズを中心とした広範囲──堕天使が走る天井どころか壁からも、縦横無尽を地で行くプレイヤーの脚を止める障壁を築く。骨の槍はもはや怪生物の口腔の様を呈しながら、堕天使の黒相と回避スキルを全周囲全包囲から飲み込み、彼が新たに発動した防御の魔法〈刃の障壁(ブレード・バリアー)〉と〈復讐の風(ウィンズ・オブ・ヴェンジャンス)〉によって砕け散っていく。

 

「ほう。狂乱はしていないようだな?

 ……堕天使の力を使えば使うほど、異形化が進行するわけではないのか?」

 

 堕天使には聞こえていないだろう独り言を紡ぎつつ、アインズはカワウソの戦闘方針の差配ぶりを心の内から賞した。

 そして──いずれにせよ、アインズの時間稼ぎは成功。こちらとあちらの間には、十分な距離が空いたまま。

 

「超位魔法」

 

 アインズの周囲を、彼がこの日はじめて唱える魔法の閃光が輝かせた。

 蒼白い魔法陣は、位階魔法の最頂点に位置するものを示していた。

 アインズの企図は、ただ一点。

 堕天使のフィールドスキルは面倒。何より、カワウソの引き連れてきた護衛どもを勢いづかせ、アルベドとシャルティアを苦戦させるのに覿面かつ絶大な効果をもたらしている。“神意の失墜”の効果を確実に、かつ恒久的に打ち払うのに都合のいい超位魔法を選択。

 同時に、アインズは課金アイテムを、ボックスから手早く取り出した砂時計を掌中に握り……砕く。

 

「超位魔法!! ──〈天地改変(ザ・クリエイション)〉!!!」

 

 堕天使のフィールドスキルが、玉座の間を僅かの間だけ満たしていた敵に利する力が、アインズの超位魔法によって、消滅。熾天使と赤子の天使を守っていたエフェクト、黒い円環が消え失せた。

 これで、ミカやクピドの能力──神聖属性やプラスの能力に、一方的に蹂躙される可能性は消えた。

 その事実に安堵しかけた、

 刹那、

 

「超位魔法!」

 

 千を超えた骨の槍の園の果て。

 堕天使のユグドラシルプレイヤーの周囲が、アインズと同じ蒼白い魔法陣が輝いた。

 

「なッ! ──ふん。そうか。はじめから、こちらが超位魔法を詠唱するタイミングを狙っていたか!」

 

 すでに、彼が墳墓の表層で唱えていた〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉の発動から十分な時間が経過している。カワウソもなかなかの策略家であると痛感するアインズ。

 気がついた時には、カワウソの手中で、課金アイテムが割れ砕ける音が。

 

「超位魔法!! ──〈天上の剣(ソード・オブ・ダモクレス)〉!!!」

 

 黒貌の名残を半分残すカワウソの、振り上げた掌。

 その遥か上方──高く広い玉座の間の天井付近に浮遊する、壮麗と光雅を極めた一振りの王剣が、形を成していた。

 

「落ちろぉぉぉおおおおおおおおおおお!」

 

 超位魔法の詠唱者が振り下ろした掌と共に、王権の象徴にして、王の座る座の天上に吊るされた、刃渡り10メートルはあるだろう剣が、ゴッ──と落下していく。次第に風切り音を立てて、豪快な音色を奏で吠えさせながら、巨大にすぎる王の剣が、目指す目標へと落ちていく。

 カワウソが見定めた標的は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王その人。

 そして、その“下”──

 

「ふむ。なるほど。私が回避したら、このナザリックの、玉座の間は……」

 

 破壊される。

 それが〈天上の剣(ソード・オブ・ダモクレス)〉──建造物破壊において、これほどの特効威力を発揮する超位魔法は他にない。ナザリックの第一階層の防御力程度であれば、確実に一階層まるごと消し飛びかねない究極の魔法であるが、その攻撃性能は、この最奥の地である“玉座の間”を、その絶対的な防御を突破することもありえる。

 それは、アインズにとっては、まったく見過ごせないこと。

 故に、アインズは躊躇なく、彼女を呼ぶ。

 

「アルベド」

 

 愛する彼に呼ばれた王妃は、即座に応えた。

 

特殊技術(スキル)! “身代わりの盾(サブスタチューション)”!」

 

 タンク職のスキルによって、味方(アインズ)へと叩き込まれる攻撃の“身代わり”となる位置へと後退したアルベド。

 そして、跳ぶ。

 降り落ちる天の剣、その軌跡へ。

 

「“ヘルメス・トリスメギストス”!」

 

 超位魔法の王剣(ソード・オブ・ダモクレス)と、黒い暗黒騎士の鎧(ヘルメス・トリスメギストス)が、激突。

 

「な……何っ!??」

 

 カワウソは愕然と目を見開くしかない。

 そう。彼の目の前で、ありえないことが起こった。

 ガリガリガリガリガリと空間を圧搾し斬砕し破壊し尽くすがごとき大ダメージの刀身を、NPCの鎧が確実に捉え、あろうことか、アインズとギルド拠点そのものへのダメージを完全に防ぎ、無力化している。

 そうして、遂に、

 

「んんんんんんんんんぬぁッ!」

 

 女の豪声と共に、鎧の腹胴を貫けなかった〈天上の剣〉が空間へと弾き飛ばされ、そのまま崩れ去る。

 アルベドという女悪魔の防御スキルによって、なんとも信じがたいことに、極大ダメージを誇るはずの超位魔法が、まったくの無駄に終わってしまったのであった。

 カワウソは「ありえない」と思った。

 あんな芸当、カワウソがミカに与えた神器級(ゴッズ)アイテム“第四天(マコノム)”であっても、ほぼ不可能。少なくとも、鎧は超過ダメージを受けた時、ボロボロに崩れ去ることになる。タンク職には鎧にダメージを流すことで、その鎧を犠牲にする形で、本体である自分自身を無傷で済ませる特殊技術(スキル)があるが、だとしたら、何故あのアルベドは、あの鎧は、まったくの無傷だというのか。

 女悪魔は耀然と微笑み、魔導王も瞭然とアルベドの“盾”の(いさお)言祝(ことほ)ぐだけ。

 

「さすがだ。我が最王妃・アルベド」

「ありがとうございます、アインズ様……ですが、今あの堕天使が攻撃せんとしたのは!」

「うん。“だが”気にするな。私でも、似たような戦況に陥れば、似たような戦法を取るだろうからな」

 

 ナザリックそのものへの破壊行為を企てたも同然なカワウソであったが、それは、アインズへと確実に超位魔法の大規模ダメージを集積させようとしたが故の戦略によって。

 それは誉められこそすれ、理不尽に激昂してよいはずがない。憤怒に震えるアルベドを(たしな)(なだ)めるアインズは、まったく感服したように頷くばかりだ。

 

「さぁて……次は、どうするんだ?」

 

 これで、カワウソの一日に発動可能な超位魔法は、残り一発だけ。

 対してアインズ・ウール・ゴウンは、まだ三発分の余力が、ある。

 カワウソの顔面が、“神意の失墜”が消えたことで元のそれに完全に戻った表情が、悔しさか愉しさかわからない色と形に、歪む。

 その時だ。

 

「どけぇええええええぇ! 御主人──────ッ!」

 

 間髪入れずに轟く赤子の重低音。

 カワウソの後方に残してきた天使……シャルティアと一戦交えつつ、超位魔法の大威力の余波で吹き飛ばされないよう硬直していたNPCたちの一人が、吼える。

 咄嗟に、聖剣の転移を使って、後方へと後退。

 

神風特攻(ディバイン・ウィンド)──軍勢召喚!」

 

 まさに横槍を入れてくる赤子の傭兵であるが、彼が呼び寄せた三十人の軍勢が一斉に構えた武装は、なかなかに凶悪であった。

 

「“大破城鎚(だいはじょうつい)”ッ!!」

 

 物理攻撃・殴打系の武装の中でもとりわけ巨大かつ膨大な威力を発揮するそれは、通常は巨人か、でなければ人間などが大人数の徒党を組んで──同時に所持することで初めて使用可能になる、攻城兵器。ミカの指揮官系スキルによる強化を受け取った戦友たちは、シャルティアを無視し、その矛先を完全に死の支配者(オーバーロード)の魔法詠唱者──カワウソの怨敵へと差し向けて、突撃。

「突っ込めェ!」と号令を下すクピドを乗せて、破城鎚の一団は進軍していく。

 さながら、堅固な城門と番兵を打ち砕くべく走る、攻城部隊のごとく。

 

「させるかよッ!」

 

 ミカとの鍔迫り合いをシャルティアは切り札たる戦乙女“死せる勇者の魂(エインヘリヤル)”に託し、武器の展開者を乗せた攻城兵器を砕きにかかった。

 

「死にさらせぇッ! “不浄障壁盾”!」

 

 シャルティアが一日で二回しか発動できない切り札の一つ。

 盾の一撃で、重金属の塊たる破城鎚が折れ砕けてしまう。さらに〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)力場爆裂(フォースエクスプロージョン)〉が、アルベドに護られるアインズへと突っ込もうとしていた陽炎(かげろう)の騎行を、連中の直上から完膚なきまでに破壊し尽くした。

 中途で折れた極太の円柱のごとき破城鎚を見下ろすシャルティアは、気づく。

 

「クソ! あの愛の天使(キューピッド)ヤロウ、ドコに!!?」

 

 クピドが姿をくらませた。おそらくシャルティアの攻撃の直前に転移で逃げ出していたのだ。

 敵の矮躯を四方八方見渡して探す真祖は、ふと、上を見上げた。

 天井のシャンデリアの宝石の影に隠れた──小さな翼。

 

「そこかァッ!」

 

 スポイトランスを構え、空を駆る吸血鬼よりも早く、クピドが“格納庫”を開ける。

 

「“第七格納庫”──解放!」

 

 瞬間、その武装はクピドの手に現れた。

 

「これが、俺の、トッテオキッ!」

 

 空間から取り出されたのは、ありえないほどに、巨大な、戦略兵器。

 

 

大陸間弾道ミサイル(ICBM)だあああああああああああぁ!!」

 

 

 広大な玉座の間の天井にまで届きそうな、先の破城鎚など眼ではない、ほぼ塔ほどの巨大さを誇る、兵器。

 クピドの所有する“格納庫”ひとつを使い潰さねばならないほどの重量を誇る武器を両腕にひっさげ、赤子の天使は吸血鬼の戦姫を強襲する。

 

「くぅ、う˝ぁ──ううう、くぅ!」

 

 突撃した勢いのまま、スポイトランスの尖端で弾頭部分を受け止める。神器級(ゴッズ)装備は、この程度を受け止めきれないわけがない。

 腕が千切れんばかりの巨重に全身の筋肉が悲鳴をあげかけるが、アンデッドであるシャルティアには僅かな痛痒程度。

 しかし。

 

「ふ、ざ、け、ん、なぁあああああ!!」

 

 問題は。これが、ミサイルという大量破壊兵器が、ユグドラシルでは大規模な炎属性攻撃を可能とするアイテムであること。

 それをこの玉座の間で発動させるわけにはいかない。

 自分の肉体が焼かれることよりも、この場にいる御方の身へ敵の炎が降り注ぐような事態を、王妃たる吸血鬼は断固拒絶する。

 

「全部、粉微塵に、粉砕してやるぁああああああああああ!!」

 

 シャルティアはスポイトランスで弾頭を切り裂くのと同時に、己の職業であるカースドナイトのアイテム破壊スキルを最大限に発揮。起爆されるよりも早く穂先が鋼板を抉り斬り、呪われた騎士の槍が、吸血鬼の爪と牙が、戦略兵器の機械装置類を腐敗させ崩壊させる。

 

「おらぁああああああアアアアアアアア!」

 

 叫喚と共に、ミサイルの構造を破砕しながら登破するシャルティアは、赤子の天使が握るミサイル中部に到達し、

 

「──な」

 

 刺激臭をこぼす液体がランスを濡らした。

 それは、シズなどの機械生命類を駆動させる魔法の燃料(スペシャル・ドリンク)と、ほぼ同じ。

 

「はい、おつかれさん」

 

 赤子の天使が開けた燃料の供給口から零れる、黄金の液体。

 そこへ、クピドは“火のついたライター”を、放り落とす。

「クソっ」と毒づく瞬間、──大量高純度の燃料が、爆ぜた。

 ミサイル本来の起爆規模には及ばないが、それでも激甚に過ぎる爆炎が、玉座の間の天井を焦がさん勢いで吹き荒れる。

 下にいるアインズ達への直撃は期待できないが、敵のLv.100NPC──真祖の吸血鬼を仕留めるのに十分な熱量の大奔流。純粋な天使にとって、爆炎など涼風も同然。クピドは粛々と吸血鬼の炭化した姿を探そうとした、その時。

 

 

 

「残念だったなぁあああああああああああアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 

 吹き荒れる炎の底より飛行してきたシャルティアは、ほぼ無傷。

 

「な、なにぃ?!」

 

 血の武装や鎧の一部を焼き融かし尽くし(あらわ)となった吸血鬼の肌は、まったく何の焦げ跡も、ない。

 回復したわけではない。そんな時間的猶予など、この数秒であるわけがない。

 血色の戦乙女は簡単に過ぎるタネをあかした。

 

「炎属性への対策を──“していない”と勘違いしていたかぁッ!!」

「ちぃ──馬鹿な?!」

 

 つまり、あの苦鳴は、炎を浴びた際の反応は、ただの演技に過ぎなかった。敵をだまし、本当に有効な攻撃手段──神聖属性をむやみに行使されないための布石。これはかつて、アインズがシャルティアとの戦いで実践した方法そのものであるが、それを天使の澱が知るはずない。

 今度は赤子の天使が「クソ(ファック)」と毒づく番。血の武装をあれだけ分厚く展開していたのも、防御性を高める目的ではなく、吸血鬼の皮膚に、火傷痕などの損傷がないことを(いぶか)しく思わせないための予防措置か。クピドのグラサンが映していた体力の減耗は、〈虚偽情報(フォールスデータ)〉の魔法、そのアイテムの働きに違いない。

 事実を瞬きの内に理解するクピド。そして、新たな小火器を空間から取り出す時間だけが、圧倒的に足りなかった。

 

特殊技術(スキル)!」

 

 シャルティアの突き出した手の先で、赤子の天使が純血の箱の内に囚われる──そして。

 

「“血落の棺獄(ブラッドフォールン・コフィン)”!」

 

 筐体の中が純血の暴刃に、斬撃と刺突の暴虐に、染まる。

 

「な、ぎ、ががあああがぁぁぁあおおおあああぁおおおおおおああああぁ!?」

 

 取り出しかけた武装ごと斬り砕かれる、クピドの絶叫。

 真紅の筐体からこぼれた、低く重い断末魔。

 カルマ値が善傾向の敵を封じ込め、対象の善カルマ値分の連続ダメージを与える、一日一回きりの、シャルティアのオリジナル特殊技術(スキル)。あのアインズ戦においては、相性的な関係で、使えば逆にアインズを回復させる攻撃手段であるため、使用することはなかったもの。

 

「クピド!」

 

 アインズたちを速度で翻弄していたカワウソが、悲鳴にも近い声をあげた。

 堕天使の創った赤子の天使──そのカルマ値は、250。

 善カルマ値の持ち主には、耐えきれる連続ダメージではない。たとえ、耐えられたとしても、この棺獄(スキル)に囚われた対象にはさらに、対象の回復や蘇生を阻害させる“回復不能(キュア・キャンセル)”“蘇生不能(リザレクション・キャンセル)”の呪いが組み込まれる。熾天使の誇る希望のオーラなどの特殊技術(スキル)や、単純に魔法・アイテムを使用しての即時回復や復活は、完全に不可能となるわけだ。

 紅い棺桶が消え去り、そのうちにあったものを、250回分の剣山地獄を喰らった敵を、玉座の床に落とす。

 ドチャリという音が愉快に響き、香ばしい血の香りが、シャルティアの鼻腔を心地よく突き抜けてくれる。

 

「──……──……、ヒャハッ!」

 

 (くずお)れ、動かなくなった、傷だらけで血まみれの天使を見ること、四秒。

 即座に振り返ったシャルティアは、怨敵である堕天使を赤い瞳の奥にとらえる。

 己の誇る特殊技術(スキル)の、一回分を消耗。

 それは光り輝く、神聖属性の穂先。

 

「死にさらせぇぇぇ、堕天使ヤロウがああああああああああっ!!」

 

 清浄投擲槍・魔法追尾式。

 確実に堕天使の臓腑を抉り、動きを縫い留める威力を誇る輝光の槍刃が、空間を疾走(はし)る。

 回避しようと身構えるカワウソ。だが、この槍は避けようと思って避けられるものではない。

 魔力を込めた槍身は、確実に相手の肉体を貫きでもしないと、消え果てることはない。

 

「とったッ!!」

 

 快哉をあげるシャルティア。

 堕天使が逃げ惑う姿を幻視し、肉体を抉られる時の悲鳴に耳を傾けようとした。

 そんな真祖の白い耳に、甲高い発砲音が一発、盛大に水を差す。

 

「な?」

 

 振り返る間もなく、シャルティアの放った“特殊技術(スキル)めがけて”、砲弾が撃ち込まれていた。

 その弾頭の効果は、“特殊技術(スキル)排除(リジェクト)”。

 堕天使を貫く筈だった光槍は、目標に届く前に弾かれ、消滅してしまう。

 シャルティアは憎悪に表情を歪め、振り向いた。

 

「は、ハハ……さ、ぜ、る……がよ˝ぉ。う˝は、はははぁ」

 

 砕けたグラサンの奥で、投擲槍を撃ち落とした金色の眼が勝ち誇る。

 憎き天使の腕には、戦車砲の黒鉄(くろがね)の輝き。

 

「ああああああああああ、うざったああああああいいいいいいいいいっ!」

 

 限界だった。

 シャルティアの意識が噴火した。

 吸血鬼の瞬発力で床に伏す赤子へ肉薄。盾のごとく構えた砲身ごと蹴り上げた。

 

「……グ、ばハっ!!」

 

 血を吐いて、ボールのように宙をまっすぐ突っ切り、床面を転げ壁に激突したクピド。

 瀕死の重体で武装を取り落とし、エビのように痙攣するだけの天使に、シャルティアは確実な引導を渡す。

 何かする前に殺戮(コロ)()クス!

 

「〈魔法最強化(マキシマイズ・マジック)大致死(グレーター・リーサル)〉!」

 

 突き出された手から魔法を発動。ほぼ零距離から放たれる負の奔流。天使には効き目の薄いはずの信仰系魔法の中で、特別に有効的な、負属性の攻撃魔法を浴びせたのだ。

 しかし、シャルティアの怨念は尽きない。

 吹き飛ぶだけの天使を、さらに追撃する。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズ・マジック)大致死(グレーター・リーサル)〉!!」

 

 もう一撃。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズ・マジック)大致死(グレーター・リーサル)〉!!!」

 

 さらに一撃。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズ・マジック)大致死(グレーター・リーサル)〉!!!!」

 

 さらなる一撃。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズ・マジック)大致死(グレーター・リーサル)〉ゥゥゥァッ!!!!!」

 

 都合、五度にわたる膨大な負のエネルギーは、天使の矮小な総身を蹂躙し、玉座の間の中央にまで吹き飛ばす。

 シャルティアは大きく溜飲を下げる。これで自分のMPはほぼ尽きてしまったが、致し方ない。貴重な魔力を消費して、〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉で確認したHPは危険域(レッドゲージ)を超え、ついに何の輝きも示さない状態――やっと 0となった。さきの棺獄(スキル)の副次効果で、女天使のオーラや魔法、アイテムによる蘇生回復も、ありえない。

 クピドという愛の天使(キューピッド)は、限界を迎えた。

 己に与えられていたオリジナルスキルですら耐えきった、クソ硬かった天使の死体に、今度こそ背を向ける。

 

「アインズ様!」

 

 今こそ加勢を、──と宣しようとして、シャルティアは自身の異変に気付く。

 

「……これ、は……なに?」

 

 前進しようとしたシャルティアの片足が――――両の脚が、動かない。

 振り返る。

 天使の死体を見やる。

 床に転がった天使を見る。

 シャルティアに縋りつき止める者の気配はどこにもない。

 奴は、死んでいる。

 確実に。着実に。

 絶対絶対絶対に。

 ──ふと気づく。

 

 

 ……NPCの、

 

 ……天使の、

 

 ……死体?

 

 

「ま、まさかっ!」

 

 

 天使の死体が淡い光を放つ。

 その光は床面を蛇のように這い回り、真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)の足へ一直線に繋がった。

 それは、第八階層で無残にも潰されていったあの天使(ゴミクズ)たちと同じ術理。

 

 

「あ、足止め、スキル!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




天使の澱  残存兵力
二名


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開帳

/War …vol.06

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 ああ、くそ。

 ドジったな。

 

 まさか、あれだけ……しこたまブチ込んできた炎属性の弾幕や魔法が、あの吸血鬼には通じていなかったとは。まったくもってしてやられたわけだ。あんなすげー痛そうに悶え苦しんでいたのが、ぜんぶ演技演出の一環でしかないなんて、予想もしていなかったぜ。

 やっぱりすげぇな。御主人の“敵”は。

 俺らと同じはずの、ただのNPCまで、あんな戦法や戦術を披露してくれるとは。御主人が集めていた情報データ以上の力を示されたのは意外っちゃ意外だが……いや、100年も前にこの妙な世界を征服したらしいから、それからずっと、100年も軍拡を──戦いの準備をしていたとしたら、逆に当然なのかね?

 

 ああ、くそ。

 まだ他にもドジってる気がするな。

 

 あれだ。“たられば”の話にしかならねぇが。

 ──ナタが生きていたら。

 ──ウチの最強の“矛”殿が生きて、この戦いに参加していたら、もちっとマシな戦いを披露できた…………というのは、微妙なところかね?

 この“三対三”の戦いは、完全にアチラさんのご厚意みたいなモンだからな。ナタが生きていたら、向こうのコマも増やされるだけだろうし。じゃあ、俺が代わりに、あの第八階層で、あの赤い娘(ルベド)の相手をしても、ナタほどの時間を稼げたとは、どう考えてもありえねぇわな。

 

 結局、格納庫は最後の一個まで開けなかったな。

 第六格納庫の最強殴打武器“大破城鎚”──第七格納庫の最広範囲兵器“ICBM”──全部が無駄に終わっちまって。第八の戦車と戦闘機群のあとは、第九格納庫の予備武装しか残ってなかったし、ああ、これは「しゃーなし」だな。

 

 あとは、そう。

 そうだ。最悪なミスが、ひとつだけ。

 隊長のミカが、一日一回だけのスキル・大回復フィールドの生成“スプリング・オブ・コロサイ”を発動した時に、次元操作師(ディメンジョナラー)の俺が、〈次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)〉をして…………は無理でも、せめて〈転移遅延〉や〈不死者拘束〉、〈光の縛鎖〉とかを使って、少しでも長く、死の支配者(オーバーロード)のアインズ・ウール・ゴウンを、正の力で満ちた薬泉に()からせておけば、シャルティアの魔力をもっと削り落とせて、もちっとだけ、コッチの戦況が有利に働いたかもしれない。勿論、拘束耐性や封印無効化はしているだろうから、通じたかどうかはガチで微妙なところだろうが。

 あれは完全に、隊長の対処についていけなかった、俺のミスだわ。

 御主人の危機(ピンチ)になると、光の速さで反応する“盾”殿についていけないのは、当然っちゃ当然なのだろうが──ああ、もう、チクショウメ。

 

 まぁ、いずれにしても。

 俺が死ぬことで、敵のNPC一体を──確実に“足止め”できるだけでも、ヨシとするか。

 

 しかし。

 ほんと容赦しねぇな、この女。

 御主人が持っていた攻略戦時の映像で見た時のツラに比べれば、ずいぶんと冷静な感じだが、もう「俺を殺したくてたまらない」って感じだわ。いい面構えだよ、まったく。天使の身体をボールみたいに蹴り飛ばしやがって。うはははは……“それでいい”。それでこそ、“俺の最後の役目”も、果たしやすいって、もんよ。

 

 第一・第二・第三階層守護者──真祖(トゥルー・ヴァンパイア)──シャルティア・ブラッドフォールンの魔力は、だいぶ削り切った。

 スキルの“槍”も“盾”もそれなりに使わせたし、エインヘリヤルとかいう切り札も、これで終わり。“血落の棺獄”については、カルマ値が中立の御主人には効きゃしねぇ──カルマ値500の隊長にブチ込まれていたら危なかったから、おまけでヨシってことにしておくかね。

 仮に、奴がここから戦線復帰できても、大したことはできないはず。

 これで、俺の戦闘は、終わり、か…………

 

 ああ……

 

 嗚呼、ちくしょう。

 

 最後まで、御主人、の、戦い、見届け、たか、った、な……

 

 

 

 じゃ あとぁ 頼むぜ   隊 長

 

 

 

 ── あ ば よ     ご しゅ じ ん

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 シャルティアは、己を縛る天使の固有スキルに対し、慄然と吼える。

 

「バカな!!??」

 

 光の帯を切り裂いてみたが、当然のごとく効果はない。では、自分の足首を切り飛ばそうとしたが、光が攻撃を弾き返す。ならば脛を。それがダメなら膝を。太腿を。腹部を。いくら自らに刃を突き立てようとしても、淡い光がシャルティアを覆い尽くし、やがて、すべての攻撃行動が取れなくされた。

 

「ぐ、ぎ、くそッ……あ、ありえない……こ、こんな!」

 

 まさか奴は、あの堕天使は、“自分の配下(シモベ)全員”に、これを──この、最後の決戦の場でまで、“足止め”の『捨て駒』をさせるつもりなのか!

 このスキルのせいで、シャルティアの召喚したもう一人の戦乙女“死せる勇者の魂(エインヘリヤル)”が実存をなくしていく。この“足止め”スキルは、スキルを被った存在のあらゆる敵意・敵対行動を否定し、完全に攻撃性能を封じられてしまう。当然、他に例を見ない強力な召喚攻撃たるエインヘリヤルによる攻勢は、これといった戦果も勝ち得ることなく封殺されることに相なった。

 あまりにも口惜しい。

 シャルティアは憎悪と驚嘆に思考を煮え滾らせながら、氷山のごとき冷厳さを取り戻す。

 そうして、戦い続けている同胞──アインズを護るもう一人の王妃へ──警告を飛ばす。

 

「アルベド! 気を付けなんし! コイツラを殺したら!」

「ええ。判ったわ、シャルティア」

 

 同胞の窮状を、女天使との剣戟の最中に視認した女悪魔。

 

 アルベドは短く応えたが、さてどうすべきか。

 目の前の敵を、女天使(NPC)を殺した途端に、自分も“足止め”スキルによって行動を制限されるだろう。

 そうなっては、アインズはあの汚らわしい堕天使と、あろうことか一対一で戦い続けることになる。

 無論、アインズ・ウール・ゴウンに、モモンガという至高の存在に、敗北はあり得ないと判っている。それでも、自分は彼の盾なのだ。盾が主を護らずして誰が護る?

 では、殺さずに女天使を無力化する方法はあるか?

 自分には拘束や封印と言った無効化手段は持ち合わせがない。この手は敵の攻撃を弾き飛ばし、主を如何なる災厄からも守護し果せる盾の機能しか持ちえない。その盾の暴力性は、敵を無力化するのではなく、敵を消滅し蹂躙し虐殺する手段しか発揮しえない。

 このままでは──

 

「御主人様を、護れないわね」

 

 睨み据えた金色の女天使は、会心の微笑を浮かべ、悪魔を見下ろす。

 アルベドの意識が漆黒と化す。

 

 殺したい。

 殺したい殺したい殺したい。

 殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい。

 殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい

 殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい

 殺シタイ殺シタイ殺シタイ(コロ)シタイ(コロ)シタイ(コロ)シタイ(コロ)シタイ(コロ)シタイ(コロ)シタイ

 心ガ弾ケソウナホド、殺戮(コロ)シタイ。

 

 ──だが

 

「──殺してやる」

 

 冷徹なアルベドの無表情に宣告されたミカは、同じく無表情に、言いのけた。

 

()れるものなら」

 

 突撃する女悪魔と女天使──戦斧と光剣が、交差する。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 パチパチと、拍手を短く打つ骸骨の掌に対し、カワウソは何も言わない。

 

「ふふふ……やってくれたな」

 

 にこやかな雰囲気すら漂う声音の主は、玉座の間の中心で硬直を余儀なくされる吸血鬼の乙女を縛りたてた敵の術策を褒めそやす。

 

「まさか、だ。

 まさか。このナザリックの最奥を目指すためのチームメンバーの中にまで、“足止め”スキル保有者を揃えていたとは──いいや」

 

 そうしながらも、アインズはまったく冷静すぎる思考で、カワウソのNPC──クピドの本来の用途を推察していく。

 

「あの愛の天使(キューピッド)くん。クピド──という名だったな。彼もまた、第八階層での“足止め”要員として、使うつもりだったのかな?」

 

 カワウソは無言を貫くが、表情が震えるのを抑えきれない。唇の端が吊り上がってきて、たまらない。

 

「かつての攻略戦の時と比較して、“あれら”の数が二つ分、少なかった。

 かつて、君の仲間とやらが踏み込んだ時……1500人撃退時の“あれら”は、九体。そして、“ルベド”。合計して10体の脅威を、君のギルドの拠点NPCたちに封じさせようとした。違うかな?」

 

 否定する言葉がない。

 否定する意味もない。

 カワウソは微笑(わら)うしかない。

 これで、カワウソたち天使の澱の残存戦力は、カワウソとミカの、たった二人。

 状況は悪くなる一方。だというのに、カワウソは嗤えてしまってしようがないままに、笑い続ける。

 クピドの死によって、ナザリック最強格と目される階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールンを封じることに成功。おまけに、厄介な分身体(エインヘリヤル)も消え失せた。これは喜ばしい大戦果と言える。

 応じることなくほくそ笑むだけの堕天使。それに対し、アインズは業を煮やしたわけでもない、実に軽すぎる口調で、シャルティアの戦闘不能状況を“よし”とした。

 

「まぁ、想定の範囲内だ。君たちが、あの第八階層で、“あれら”を止めた時点で、こうなることもある程度は予期していた」

「──予期していたなら、足止め対策はしておくべきだったんじゃないのか?」

 

 無論。アインズ・ウール・ゴウンとは言え、すべての敵の属性や攻撃手段などへの対策は、システム上の理由で不可能である。弱点となる各種属性への耐性や無効化、時間対策や即死対策、状態異常や次元封鎖などへの抵抗手段の確保など、例を挙げていけばキリがない。いかに無数の種族特性や特殊能力を有するアンデッドや悪魔とはいえ、ユグドラシルの法則に則る以上、この異世界でも種族としての弱点が強制されている道理だ。

 そして、天使の“足止め”は、専用の対策を施さなければ確実に罹患する事象──かつて、プレイヤー1000人規模の討伐隊が──全員があの第八階層で足止めされ尽くしたのと、同じように。

 

「そうだな。さすがに“足止め”対策の装備やアイテムなどを、こちらが用意しきれなかったのは、痛切の極みだ」

 

 嘘っぽいな。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの生産力をもってすれば──というか、第八階層に“足止め”用の天使を置いている以上、“足止め”対策の装備だけ用意できなかったというのは、虚偽に思える。もちろん、シャルティアは完全に行動不能の棒立ちになっているのは、エインヘリヤルが消えた事実から見ても明らかだが、残るアインズとアルベドの方は、さてどうだろう?

 考えられる可能性としては、「“足止め”対策・無効化」のデータはそれなりに高額かつ貴重。そのため、その武装はそれ一点の能力に突出し、他の防御データなどを組み込めない──わかりやすくいえば、装備箇所が食いつぶされる可能性が高まるということ。

 だが、仮にも真剣勝負の場で、あるかどうかわからない“足止め”のために、貴重な装備箇所を消耗するよりも、確実に使ってくるであろう属性への対策をひとつでも多く固めた方が、まだ建設的な判断だと言える。実際、シャルティアは炎属性への防備を固めていたからこそ、クピドの弾幕や魔法を喰らって、あれほど余裕な状態をキープできていたのだ。カワウソも同じ立場に立てば、アインズと同じ対応と判断をしたはず。

 何はともあれ、戦いは継続される。

 

「安心しろ。少なくとも堕天使の俺には、“足止め”スキルは使えないんだからな」

「わかっているとも。穢れた堕天使に純粋な天使のスキルが与えられないのは、よく理解している」

 

 そう。

 アインズがカワウソを殺す上で、躊躇すべき障害は、何ひとつとして、ない。

 

「さて。君を憐れんでいたつもりはないが。さすがにシャルティアを止められた以上、のんびりとはしていられない──」

 

 戦闘を再開するように歩き出したアインズ・ウール・ゴウン。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)のくせに、聖騎士たる堕天使と接近しようと、悠々たる足運びで、歩を進め続ける。

 

「私も、そろそろ……本気で挑むとしよう」

 

 カワウソは一瞬で、聖剣と戦鎚を構え──。

 

「“第二天(ラキア)”!」

 

 堕天使専用の足甲が黒く輝く。

 刹那。

 堕天使の脚力が、石畳の上を滑るように駆けた。

 刹那の間に距離を詰め、反射防御など期待しようがない背後へと回り込む。

 神聖属性の剣とハンマーによる同時攻撃。ミカの薬泉のスキル(スプリング・オブ・コロサイ)が通用した彼の姿からして、神聖属性への対策は万全とは言い難い。アンデッド種族における、弱点の中の弱点。あれが演技だというのなら、シャルティアの〈大致死〉で回復される理由は? 貴重な魔力を消耗する主王妃の様は、確実にアインズの体力を気遣っての行動に他ならない。

 さて。

 アインズは、どうする。

 先ほどと同じように、自己の周囲を護る魔法を飛ばすか?

 それとも他の手段に訴え出るか?

 カワウソは交差した両手で、一秒の後に、死の支配者(オーバーロード)の頭蓋を打撃し破砕する軌道を、描く。

 防御の魔法はない。

 唱えられた魔法は、防御のそれでは──ない。

 

 

 

「〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉」

 

 

 

 高く澄んだ硬質な金属音が、神聖属性の武装二丁を堰き止め、装備者の骨の身体を守り抜いていた。

 数歩たたらを踏むように後退して、カワウソは息を呑んだ。

 

「な……そん、な……」

 

 堕天使の攻撃軌道に現れたのは、白銀の盾。

 否。

 開帳されたのは、盾だけではない。

 

「あ、あッ、ば──か──な……ッ!」

 

 カワウソは己の眼を疑った。

 幻や夢の類を見せられたように、次の攻撃への運動と思考に移行できない。物理攻撃が封じられたのなら、せめてこの距離で、ゼロ距離で信仰系攻撃魔法を、神聖属性魔法をブチ込むことが、正しい戦者の追撃となりえた。

 だが、カワウソはまるで魅入られたかのように、全身が硬直する。精神支配などへの完全耐性を、神の隷属者であるが故の特性で付属している堕天使の脳が、一瞬以上も呆けるほどの衝撃を、精神的一撃を受けていた。

 アインズが唱えた魔法は、繰り返すが防御の魔法を盾にするものでも、純白の鎧を編み込むものでも、ない。

 漆黒のローブの代わりに、今、アインズ・ウール・ゴウンの総身を覆う、現実。

 現れた白銀の武装は、魔法詠唱者が、アインズが装備できるはずがない、もの。

 

「あ、アア、アース・リカバリー? …………、馬鹿な!」

 

 カワウソの双撃を受け止めた盾と鎧。

 鎧の胸甲部には巨大な蒼い宝石……特大のサファイアが輝きを放ち、骸骨の姿からは想像もできないほど清廉で神聖に過ぎる光輝を溢れさせている。

 距離をとることすら忘れたように立ち尽くすカワウソは、吠える。

 喚き散らすしかなかった。

 

「それは、たっち・みーの! 『ワールド・チャンピオンの鎧』だ!」

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに所属する、“最強”のプレイヤー。

 九つある世界(ワールド)のひとつ・アルフヘイムでの公式大会優勝者(チャンピオン)たる、純白の聖騎士。

 その鎧は間違いなく、カワウソが動画の中で幾度となく確認してきた、至宝の中の至宝。

 たっち・みーの鎧装束は、幻術や精神的な錯誤ではない……完全な現実として、カワウソの目の前に、白銀に輝く恐怖のごとく、光臨している。

 

「何故──何故おまえが、魔法詠唱者(マジックキャスター)のおまえが、それを装備できる!?」

 

 否。

 語り説かれるまでもない。

 カワウソは、直前にアインズが唱えた魔法を思い出す。

 

「まさか〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉……そんな、ことが」

 

 カワウソが知らなかったのも無理はない。

 

〈完璧なる戦士〉の魔法は、そこまで珍しい魔法ではない。

 魔法詠唱者がLv.100の戦士へと変貌する魔法。その程度の情報はカワウソも知悉している。この魔法によって、魔法詠唱者であろうとも、職業によるペナルティ……制限なく、戦士の扱う武器を装備することが可能になることを。

 ユグドラシルに存在する種々様々な武装――特定の職種につかねば使用不可な、忍者専用の手裏剣、仏僧系統職の金剛杵や袈裟など、一風変わったものでも手軽に扱えるようになる――を使い、楽しむ程度の救済措置でしかなかった。

 敵やモンスターが落と(ドロップ)したレアな武装も、即座に換金や交換、素材にするのではなく、そのアイテムの魅力をDMMO-RPGの世界で体感するべく、この魔法は大いに便利使いされてきたもの。

 

 だが、魔法詠唱者というのは、当然のことながら近接職最強と謳われるワールド・チャンピオンとは無縁のプレイスタイルを貫く存在。九つの世界それぞれで最強と冠されるワールド・チャンピオンにしか与えられない装備であるはずのアイテムを保持する魔法詠唱者など、本来であれば存在するはずがない。公式大会での優勝商品であるため、その性能は破格の一言。神器級(ゴッズ)を超え、ギルド武器にも匹敵する領域にあるアイテムであるため、詳細な情報は多くの謎に包まれていた。

 

 しかし、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンには、ただ一人だけ、他の八人のワールド・チャンピオンとは違う道を突き進んだプレイヤーが在籍していた。

 

 言ってしまえば、かつてユグドラシルというゲームにおいて、〈完璧なる戦士〉の魔法が、ワールド・チャンピオンの武装も使用可にせしめると知り得た者は、限られていたのだ。

 そして、ワールド・チャンピオンであるたっち・みーが、ギルド長である魔法詠唱者に譲り遺した鎧は、この異世界で幾度となく、アインズを助けてくれた。

 そして、今回も。

 

 

 

「──我が名は、アインズ・ウール・ゴウン」

 

 

 

 その名の意味が、ここへ来てさらに堕天使の脳髄へ浸透し尽くす。

 

「おまえの前には、我等アインズ・ウール・ゴウンの、四十一人のプレイヤーの力が集まっていることを知るがいい」

 

 アインズの“本気”。

 語られる名の重みが、カワウソの中心にあるもの……心臓よりも脆い何かを、握り、砕く。

 

「……あ、……あああ」

 

 勝てない。

 勝てるはずがない。

 だって、アインズには────

 

「ぅ、あ……!」

 

 感情が凍え軋む。

 臓腑が氷点下に達し、全身を巡る血潮が半ば滞っていく。

 

「フン」

 

 カワウソの狂変に頓着することなく、本気のアインズは戦闘前の準備時間中、腰のベルトに差し込んでいた“棒”を取り出し、間髪入れずに砕き折った。

 課金アイテムである棒の効果で、新たな武装が両腕にはめこまれる。

 

「せいや!」

 

 魔法使いには似合わない咆哮と踏み込み。

 至近距離で呆けていた堕天使は、両手の武装・剣と鎚を無意識に交差して、防御の姿勢を整えた──

 

「がっゲ!」

 

 つもりになっていた。

 無様な声を喉からブチ撒ける。

 極太の棘が怒りの感情を彷彿とさせる巨大なガントレットの拳が、防御ごとカワウソの身体を弾き飛ばした。

 とんでもない衝撃が全身を鳴轟していき、構えていた武装の内、“聖鐘を鳴らす戦鎚(チャーチベル・ウォーハンマー)”が、枯れ木のように粉々となって砕け散った。さすがに神器級(ゴッズ)装備たる聖剣の方は、鉄拳の破壊力に耐え抜いたが、カワウソは反撃や迎撃に移れない。

 

「お次は、これだ」

 

 また棒の砕け折れる音が。

 瞬間、吹き飛んだ関係で距離の離れた堕天使を射抜くような、太陽の輝き。

 アインズの両手が構える弓矢の先端は、まったく当然のごとく、堕天使の方角へ向けられている。

 

「そん、なっ」

 

 射かけられたのは属性ダメージの集合にして巨塊。物理防御など無視して、堕天使の鎧も武器も貫通して、確実にダメージを集積させる射撃武器だ。シャルティアが興奮しきった歓声で「ゲイ・ボウ!」と武装の名を叫んでいるようだが、幾閃も繰り出される光矢を(かわ)すのに必死すぎて、カワウソには半ば聞こえていない。

 

「さっきの籠手は、やまいこ、の……あの弓は、ペロロンチーノ、の……う、嘘、だろ?」

 

 間違いなく、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに所属するメンバーの武装だ。

 カワウソが見間違えるはずがない。アインズ・ウール・ゴウンへの復讐のために、ナザリック地下大墳墓の再攻略のために、カワウソが蒐集(しゅうしゅう)し探求し検証し続けた、ギルドメンバーたちの情報。彼らのログインが確認されなくなった後も、カワウソが溜め込んだアインズ・ウール・ゴウン対策の情報量は、確実に彼らの武装なども把握させることを可能にしていた。

 しかし、それでも──

 

「あ、あああ……」

 

 絶望感で足が(すく)む。

 耐え難い畏怖に、心の臓が凍りつく。

 カワウソは今になって、ナザリック地下大墳墓の最高支配者……アインズの底を見誤っていた事実に気付かされる。

 

「さっきまでの威勢は、どうしたっ!」

 

 弓での射撃になれていないのか──はたまたカワウソの転げるような回避に焦れたのか、アインズは吼えたてながら別の武装を披露してくれる。突撃してくる魔法詠唱者に、堕天使の聖騎士は半泣きになりながら逃げだしていた。

 

「うぅ、あああぁ!」

 

 あれは、あの雷光を帯びた刀は、武人建御雷(ぶじんたけみかずち)の──

 

「ぎゃああああああああッ!?」

 

 逃げようとするカワウソの背中……右の肩甲骨を引き裂く激痛。

 神器級(ゴッズ)の鎧である“欲望(ディザイア)”でなければ、確実にその下の肺腑ごと、右腕をもぎとり斬り落としていただろう一撃は、神器級(ゴッズ)アイテム・建御雷八式(たてみかずちはちしき)の、鍛え上げられた刀身のなせる業。

 

「あ、ああ、ああああ……」

「どうした? ──もう終わりか?」

 

 (そび)え立つ絶望が、刀を振り上げている。

 カワウソは震える脚で、足甲の速度で、どうにか回避できた。ほとんどアインズを蹴り上げるような、優美さもクソもない、悪足掻きも同然の挙動。打たれたアインズの方がかすかに怯んだおかげである。だが、次もうまくいく保証などない。

 

「く、ぅ、あ──」

 

 胸の奥底にあるべきものが欠け落ちたような──頭の中心に冷たい鉄を撃ち込まれたような──悪戯な神(ロキ)に横合いから投石をぶつけられたような感覚を味わい、そこに佇む白銀の絶望を、直視できない。

 水底に沈むような窒息感。堕天使(カワウソ)は武器を取り落とし、溺れかけた。

 

「あああ、ああ、あ、ははは……」

 

 あまりの恐怖。

 あまりの絶望。

 人間──思考がマヒし尽くすと、笑いが込み上がる。

 そんな空笑いも、数秒もすれば嗚咽(おえつ)に融けて消えた。

 

 彼と自分の違いを、これ以上ない形で目の当たりにした。──させられたのだ。

 

 勝てない。

 勝てっこない。

 勝てるはずがない。

 勝てる道理なんてない。

 

 アインズには、四十一人の仲間がいた。

 

 今も彼には、ナザリック地下大墳墓が、拠点NPCが、仲間たちが残していった武装が、彼の命を守り、今まさにこの時も──共に戦い続けている。

 

 対して、カワウソは、一人。

 たったの、一人。

 ひとり──

 ヒトリ……

 (ひと)

 

「く、ぁ、あぁぁ──」

 

 胸を穿つ感情の鉄杭に、黒い涙が零れ、血を吐くような純黒の(あぶく)があふれる。

 堕天使の眼球が崩れ、世界が虚無の暗黒に落ちていく──

 瞬間だった。

 

 

 

前を見なさい!

 

 

 

 声が。

 女の声が。

 女天使の大音声が。

 暗闇を駆け抜ける一条の光のように、カワウソの意識を明るく照らした。

 

あなたの目的を果たしなさい! あなたの目指すことを成し遂げなさい!

 

 厳しくも凄烈に。

 激しくも壮麗に。

 ミカの声が、女天使の存在が──

 カワウソの胸を──脳を──魂を──心のすべてを、励ましていく。

 

 

 

あなたの望むまま! あなたの挑むまま!

 前に進め! そして、乗り越えろ!

 あなたの、──すべてを!!

 

 

 

 言われたことをすべて理解した、瞬間だった。

 

「お……お、おお……う」

 

 戦意が、

 闘志が、

 復仇の魂が、

 堕天使のすべてを、再燃させる。

 

 

「 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお! 」

 

 

 手折られた花の茎のごとく無惨に全身を屈しそうだった堕天使が──

 黒から透明に変わった、涙にまみれの相貌と眼差しが──

 感情的に吠える。

 そのまま、異形の復讐者は、何か得体の知れぬ力に、脚を、剣を、身体を、心臓を支えられたかの如く立ち上がり、一歩を、──前へ。

 

「今のは?」

 

 アインズはその変貌を──カワウソの再燃を前にして、静かに疑問する。

 彼の興味は、堕天使(カワウソ)の昂奮ぶりではなく、それを促した熾天使(ミカ)の能力に向けられた。

 

「あの女天使……まさかとは思っていたが……」

 

 最高位天使たる熾天使(セラフィム)が放つことができる“以上”の光り輝くオーラにあてられ、堕天使の能力が格段に飛躍していた。

 否。それだけではない。

 

「自軍鼓舞──いや、違う。これは、やはり、()

「アインズ様ッ!?」

 

 注意喚起するアルベドの声に、アインズは自分の状況を把握する。

 至近に迫るは、黒い堕天使の双眸。

 寒気が骨の髄から沸き起こった。

 肉薄した堕天使の剣が、いつの間にか拾い上げた天国の門の剣と、新たにボックスから取り出したらしい黒曜石製の片手剣──銘は“黒曜の聖剣(オブシダント・ホーリーソード)”──が、これまでにないほど鋭く、(はや)く、骸骨の(くび)へと叩き込まれようと──

 

「うぉ!!」

 

 ──した瞬間に、驚異的な反射速度を披露して、アインズは致命箇所(クリティカル・ポイント)への攻撃を避け──

 

「がはぁッ!!?」

 

 ──た先で、続く堕天使の回し蹴りを胸骨の中心に叩き込まれた。

 神器級(ゴッズ)の足甲“第二天(ラキア)”には、さほどの攻撃力はなかったはず。

 だが、堕天使の脚に纏わりつく神々しいまでのオーラが、アインズの骨の身体を焼灼して、吹き飛ばす。

 

「が! はぁ! くっ、──な、ん」

 

 だ、と続けようとして、堕天使の壊れた翼──その影を、真上に、感じた。

 

「ッ、“堕天の壊翼”!」

 

 堕天使最大レベル15によってのみ開帳される、元の天使の力……カワウソの場合は熾天使の能力をある程度まで解放できるようになるスキル。飛竜騎兵の領地・飛竜洞の地底湖で見せた時と同じ肉体エフェクトが、カワウソの右の背中より伸びていた。

 それ自体はいい。

 熾天使対策は万全である上、彼が行使できる熾天使の能力は、あくまで攻撃性能に特化したものばかり。対応さえ誤らなければ、恐れる必要などありはしない。

 だが。

 

「あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ あ!」

 

 死の支配者(オーバーロード)として精神が沈静化されるアインズ──自分を戦慄させ続ける、この尋常でない覇気は、なんだ?

 先ほどまで恐怖に泣く子供のような様態を呈していたのが信じられない復調ぶり。否──ただの復調ではない。

 

「……先ほどよりも速いだと?」

 

 アインズの体感でしかないが、足甲の効果で速度が向上した以上のステータスで、カワウソは蹴撃を叩きこんでいた。

 おまけに、どういうわけか。先ほどまで感じられなかった……鎧や足甲などの装備効果とは別物らしい神聖属性の強化が、堕天使の全身を覆い尽くしている。あれは熾天使の力ではない。“堕天の壊翼”に、回復能力たる希望のオーラは発揮できない上、アインズの“絶望のオーラⅤ”で、容易に中和できるはず。

 

 なのに、これはいったい、なんだ??

 

「グォ!」

 

 あまりにも速く迅い、一閃と一閃。

 聖剣の(きっさき)が存在しない心臓を貫き抉ろうとするのを回避してみせるが、カワウソの身体に触れる端から、浄化の力によって体力が削られていくのを実感するしかない。これでは手による接触──〈吸収(アブショーブション)〉の装備による体力奪略など論外である。

 アルベドの悲鳴じみた絶叫が聞こえるが、当然ながら女天使(ミカ)に行く手を塞がれていた。シャルティアが動けないのは言うに及ばず。アウラたち他の守護者も。

 アインズは一瞬で思考する。

 戦士化中は魔法が使えない。魔法のアイテムを起動させることは出来る。できるが、それはアイテムに込められた魔法だけであり、この状況に即応するには不足してしまう可能性が大であった。たっち・みーの鎧や盾の防御力は高いが、何しろカワウソの身に宿る神聖属性は、それすら貫通してアインズの体力を削減していくもの。

 口惜しさは残るが、今のカワウソを相手取るのに、アインズが本来得意とする魔法を封印するのは、本能的に危険な気がした。課金アイテムの棒は、ストック残量は十分。〈完全なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)〉にしても、魔力さえ残っていれば再発動は可能。カワウソの謎の状態・謎の力が驚異的である以上、ここでこだわる必要性は、限りなくゼロだ。

 魔法を解除。

 アインズは、元の漆黒のローブ姿に立ち戻る。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)剣守り(ウォール・オブ・プロテ)の障壁(クションフロムソーズ)〉」

 

 涙の消し飛んだ純黒の相貌を見上げる間もなく、全周囲に防御魔法を展開。

 断頭台(ギロチン)のごとく振り下ろされ叩き込まれようとした白黒の双刃を、寸でのところで押し止めることに成功。

 しかし、カワウソはアインズが高速で紡いだ三重防御にすら、すぐさま(ひび)をいれて、破壊。

 馬鹿な。

 そう呟く余裕すらない。

 咄嗟に身を退くアインズ。直後、半瞬前までアインズの頭があった地点を、防御を破壊した二振りの聖刃が抉り焼き尽くしていた。聖騎士の特殊技術(スキル)とは一線を画す清浄な輝きが、アンデッドの目に痛いほど飛び込んでくる。

 

「ク、ソ!」

 

 毒づくアインズを、神速の足甲がまたも強烈に蹴り払った。

 さらに後退するアンデッドを、蛇のように執着し追撃する蹴り足の回転円舞が捕らえる。

 足甲の両くるぶしに掴まれ挟まれた頭骨を、脊髄諸共引きずり出さんばかりに持っていく、脚の力。

 

「ハァッ!!」

 

 堕天使の紡ぐ、裂帛の呼気。

 それと共に、アインズの視界が数回転、縦に転がり回って堕ちる。

 気づき、衝撃を感じた時には声もあげられない。アインズは、カワウソの脚によって投げられ、頭蓋から派手に床面に叩き伏せられていた。第三者目線だと、見事なフランケンシュナイダーを喰らったような格好となる。

 さらに追撃の気配。

 容赦も遠慮もない堕天使の殺気が五月蠅(ウルサ)い。

 何となく──本気で──存在しないはずの脳髄や臓腑が悪寒で震えそうなほどの敵意に打たれたように、その場から横に転がる。

 硬い金属の衝突音。

 辛うじて横目に見れば、堕天使の二つの聖剣が、アインズの先ほどまでいた頭と胸の位置を、床諸共に貫こうと刺突してきていた。第十階層の石畳の防御は最高クラス……にもかかわらず、カワウソの剣は、かすかに床面を割り砕いていた。

 アインズは素早く転げ続け、訓練通りの回避方法に則り、その場を離れ続ける。

 立て続けに殺到する神聖属性を纏う連撃。

 野兎を狩るのに全力を尽くす獅子のごとき爪牙の殺到ぶりだ。

 足甲だけでも得体の知れない焼灼攻撃を与えたことを考えれば、純粋な殺傷兵器である剣での攻撃は、是が非でも回避せねば。

 しかし、堕天使は追撃の手を緩めない。

 

「チィッ──〈飛行(フライ)〉!」

 

 機動力の増す魔法でその場を飛び退る。

 堕天使は、猟犬かハイエナのごときしぶとさで、獲物であるアンデッドの足元に追随し、しつこく喰らいついた。

 状況分析を冷静に行えるアンデッドの特性──それをもってしても、堕天使の速度は彼の対応限界を超越し尽くしていた。

 黒い異形が振るう白刃の軌跡が、(あやま)つことなくアインズに殺到する。

 

「しまっ!」

「うあっ!」

 

 右肩から胸にかけての範囲を深く抉り斬られる。

 

「ぐぅぁ、──くそ……!」

 

 想定以上に強化されたステータスと属性攻撃を浴びて、鎖骨あたりが砕けたような痛みを訴える。

 肩の切り口を左手で押さえ、悪態をつく間もなく、アインズの身体が再度襲い掛かる衝撃に吹き飛んだ。

 またも堕天使の蹴り足。

 それを構えた黄金の杖で防御した直後、さらにもう一本、堕天使の空中足刀が伸びてくる。

 アインズの鳩尾(みぞおち)をまっすぐに穿つ衝撃に、骸骨の身体は続けざまに吹き飛ばされた。

 

「ごぅ、ぐぐぁ!」

「あああああっ!」

 

 呻くアインズの身体を、蹴りからの突進で、そのまま壁面の柱へと叩きつける堕天使。

 刹那。

 振り抜いた聖剣二つの軌跡が、アンデッドには存在しない臓腑の部分を、真二文字に抉り、引き裂いた。

 

「ぎぃ! ──な、め、る、なぁ!」

 

 返す刃でもう二撃を加えんと欲する堕天使を、アインズは〈魔法最強化(マキシマイズマジック)負の爆裂(ネガティブ・バースト)〉によって吹き飛ばし引き剥がした。

 堕天使の特殊技術(スキル)で中和され、それほど凶悪な一撃にはなりえない負属性魔法だが、自分の周囲を掃除するのには適していた。カワウソは爆裂の波動にさらされ、十数メートルも吹き飛ばされたところで、難なく片翼を広げ宙に留まる。

 アインズは反撃の姿勢を緩めはしない。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)現断(リアリティ・スラッシュ)〉!」

 

 立て続けに放たれる第十位階魔法を、堕天使は見事に回避し果せる。そして、またも出鱈目な軌跡と速度(スピード)で突貫してくる。

 その瞬発力は、Lv.100とはいえ、魔法詠唱者の能力で捉えきれる次元にはない。

 

「ぐ、が!」

 

 一撃離脱(ヒット・アンド・アウェイ)方式に白と黒の聖剣を振るい、宙を舞い踊る堕天使の灰色の羽根を、残滓として残すのみ。

 アインズは実感せざるを得ない。

 完全に、奴にペースを握られてしまった。

 

「く、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉」

「うあああッ!!」

 

 堕天使のデタラメでジグザグで滅茶苦茶な軌道が、〈上位転移〉で逃げ果せた後(・・・・・・)のアインズを捉える。

 

「な!」

 

「マジで!」と心中で驚嘆するアインズ。

 カワウソは転移先を把握したわけではない。

 ただ、デタラメに玉座の間を縦横無尽に飛行し、その軌跡にアインズが偶々飛び出しただけだ。

 もはやカワウソの速度は、閉鎖空間内での転移では対処不能。転移した先に堕天使が突っ込んでくる速度は、魔法詠唱者の判断速度を超えすぎていた。

 せめて、強化魔法で補強し直す時間さえあればと口内で呻きつつ、アインズは堕天使の剣によって、天井に叩きつけられた。アンデッドの肋骨数本が砕けるダメージを負う。そうして、また吹き飛ばされる。

 

「ぐ、が──」

「うあっ!」

 

 カワウソは、追撃の手を緩めない。

 

 そんな中で、

 

「……ふ、ふふ」

 

 どこからか聞こえる笑声。

 その発生源たる骸骨……今まさに死地に立たされ、死戦を繰り広げる男の面貌──

 表情など浮かぶはずのない彼の顔に浮かぶそれは、見える者には完全に見えていた。

 

「────フハッ!」

 

 アインズは、まるで無邪気な子どものように、破顔していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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超過

/War …vol.07

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠い日の記憶。

 輝かしい過去。

 アインズは死闘のさなか、もの思いにふける。

 

 皆とこの玉座の間に集い、ここまでやってきたプレイヤーたちを、悪の親玉らしいロールプレイとして、ナザリック最奥の地にまで踏み込んだ勇者たちをどうやって歓迎してやろうかと、さまざまな議論を尽くした。

 近接職最強、ワールドチャンピオン率いる前衛たち。

 魔法職最強、ワールドディザスター率いる後衛たち。

 そして、水晶の玉座に悠々と腰かけ、魔王の部下という体裁で戦うギルメンたちを、悪の大幹部たちを差配するギルド長の姿。

 強靭無比なる前衛部隊と後衛部隊が敗れることは、ほぼありえない。魔王たるギルド長は泰然自若として君臨する存在でこそ映えるもの。何より、アインズの切り札たる“エクリプス”のスキルや、彼が個人で所有する世界級(ワールド)アイテムの能力を最後まで温存することが、この玉座の間での戦いの最適解であると、そう判断されていたのだ。

 第一から第八階層までの戦闘で消耗し尽しただろう勇者たちを、四十一人のプレイヤー全員で、圧殺する陣立て。

 玉座の間に唯一控えることを許された拠点NPC・アルベドも戦線に加え、勇者たちの一行を蹂躙する悪の軍団が形を成していく様を、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの全員で夢見たものだ。

 

 しかし、それも今や昔。

 

 メンバーは一人、また一人と去っていき、いつしかナザリック地下大墳墓は、ギルド長(モモンガ)ただ一人だけが活動する拠点と成り(おお)せた。これは、メンバーたちの裏切りではない。彼らは全員、リアルの事情で、自分の生活のため、ユグドラシルからの引退を余儀なくされ、結果、モモンガに自分のアイテムを譲り遺して、ほとんど全員が辞めていった。あのサービス終了の日よりも遥かな以前から、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは半ば死んでいた。広大かつ強力なギルド拠点の管理維持に必要な資金稼ぎに傾倒したモモンガは、ユグドラシルのゲームで新規実装された情報などは、その当時のモモンガに必要なもの──最低限の範囲だけを収集するのに留まった。

 さらに言えば、多数決を重んじるギルドの方針もあった。メンバーたち全員で協力し、共に築き上げた思い出深いナザリック地下大墳墓を、そのままの形で残すことにこだわったモモンガは、メンバーに無断でナザリックの改造や改良に着手することは、ありえなかった。2750あった拠点NPCポイントは既に使い切っていたし、彼らが創意工夫した作り込みに文句をつけるような真似は慎むべきであった。ユグドラシル後期において新規実装された、拠点NPC限定種族などが登場しても、まるで見向きもしなかったし、拠点防衛用の新機軸のトラップなどが発表されても、特に興味は惹かれなかった。

 

 ただ……“皆がいたら”……

 

「モモンガさん、このレアガチャに挑みましょう」とか、「フィールドが無限回廊になる罠が欲しい」とか、いろいろと想像するくらいに留めたことも、いまではすっかり懐かしい思い出である。

 アインズが懸念したナザリック地下大墳墓の“弱点”は、メンバーたちがいた全盛期の頃で半ば時が止まっていること──新情報や追加パッチ──他のギルドやプレイヤーに、ナザリックには存在しえない脅威が存在している可能性だった。

 

 

 

 そして、アインズは──モモンガは、今こうして戦っている。

 

 

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、死んでなどいない。

 

 無論、かつてはそう思い知らされた。すべては過去の栄光だと。泡沫(うたかた)のごとく儚い思い出の末路だと。ランキング最高第九位──だが、全盛期の地位からは遠く離れ、サービス終了日には29位。ナザリック地下大墳墓に挑戦する者は絶えて久しく、せいぜいモモンガがログインしていない時や狩りに行っている間に、ごく少数が上の墳墓に侵入し、いつの間にか返り討ちにしていたらしいぐらい。あの1500人とまではいかずとも、本格的にナザリック打倒を謳い、正面きって攻略に乗り出そうとする者は、あの攻略動画を知るユーザーたちから嘲笑されるのが関の山だった。ゲームの末期では話題のひとつにすらあがらなくなっていた。ナザリック地下大墳墓は、忘れ去られた──過去の遺物に成り下がっていた。凋落とは、まさにあの時、あの状態のことを言うのだろう。

 そして、この異世界へ転移した日。

 ギルメンたち友人らが残したものが、ナザリック地下大墳墓と拠点NPCが、皆の思いの結晶が、モモンガの前に黄金の輝きとなって残されていたのだ。モモンガはナザリック地下大墳墓の最高支配者として、この異世界に光臨するに至った。

 そうして、モモンガはギルドの名を背負い、アインズ・ウール・ゴウンとして大陸を統一し、全世界を征服せしめ、何よりも尊きナザリックの威を、遍く存在すべての上に示した。

 アインズ・ウール・ゴウンは、不変の伝説となった。

 地上に。天空に。海に──

 それまでにかかった労苦と災厄の数は、けっして少なかったとは言えない。

 だが、アインズ・ウール・ゴウンは、やり遂げた。

 やり遂げることができたのだ。

 

 

 

 そうして、100年後の今。

 

 

 

 アインズは戦っている。

 ギルドの皆と共に夢想してやまなかった戦いを、この玉座の間で、現実のものとしている。

 

 それがただ嬉しい。

 こんなにも楽しいことはない。

 

 すべては、そう。

 ──“彼”のおかげだ。

 

 100年後の魔導国に現れた敵として、アインズ・ウール・ゴウンに挑む彼と──彼のギルドがあったからこそ、アインズは今こうして戦っている。その事実によって、存在しない心臓が快く弾み、これまた存在しない眼球が涙で潤むかのようだ。本当に、嬉しくてたまらない。皆と見た夢を、自分は今まさに体感している。絶望を撒き散らすアンデッドのくせに、骸骨の総身から喜びと歓びが満ち溢れてしまう。

 もっと長く。

 もっと強く。

 もっと先へ。

 もっと前へ。

 そうして、この一秒を、少しでも多く、堪能したい。

 ただの自己満足かもしれない。本当は「皆がここにいてくれたら」という自暴自棄もあるかも。

 

 それでも、この我儘は、この戦いだけは、

 譲れない。

 

 だから、アインズは迷うことなく────戦う。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 アインズの身体が、神聖属性の一蹴を受けて、またも吹き飛ぶ。

 だが、同時にカワウソの身体を引き裂く〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉の刃がカウンターのごとく叩き込まれ──同時に、ミカとかいう天使の「加護」によって、すぐさま再生・回復していく。

 

 その状況を、シャルティアは刮目して見ていた。

 見ることしかできなかった。

 

 戦況は、控えめに見ても、アインズたちの企図から逸脱して余りある状況に達していた。

 アインズの時間魔法への完全対策(カウンター)

 脆弱な肉体を巧みに強化し尽くした装備と魔法。

 平原の戦いで、雑魚狩りに使っていた未知の多い特殊技術(スキル)

 対アインズ・ウール・ゴウンへの執念が結んだ、完璧な戦術と戦略の妙。

 さらに、奴が連れ込んだ女天使──否、“それ以上の神聖存在”としての力を発揮する女が、アインズの盾となるべき王妃を妨害し尽している。

 最悪な戦況だ。

 最悪を超え過ぎていた。

 

「クッソッ……このまま、では……ッ!」

 

 そう鮮血の戦乙女──堕天使の配下である愛の天使(キューピッド)の死後に発動し続ける“足止め”スキルに身動きを封じられた──シャルティア・ブラッドフォールンが、危惧を懐いたのも無理はない。

 何とかしなくては。

 しかし、今の自分は“足止め”によって動けない。

 何としてでも、戦線に復帰し、広間の中心で片膝をつきつつ応戦するアインズの──自分が愛する御方の助力と援護に向かわねば。

 このまま状況を眺めたままでいるくらいなら、舌を噛み千切って自死した方がマシだった。……アンデッドの吸血鬼が自死と言うのはおかしい上に、それすらもこの足止め状態では許されないのだが。

 故に。

 シャルティアは吼える。

 

「……アルベドォオオオ!」

 

 健在でいる最王妃。

 女天使の猛追を、アインズのもとに向かわせまいとする敵との奮闘を繰り広げ続ける仲間の名を、一心に叫ぶ。

 告げる言葉は短い。

 

「“やりなんし(・・・・・)”!」

 

 だからこそ、アルベドの判断と行動も、速やかだった。

 

「申し訳ありません――アインズ様!」

 

 アルベドは叫んだ。

 同時に、心の中で親友(シャルティア)と、親友の創造主へと心から謝罪しておく。

 吼えると同時に、女天使を狩り殺すことにのみ終始していた女悪魔が、何を思ったのか、女天使とは別のものに飛び掛かり、暴力を与えるとは思われなかったもの──その場から微動だにできない味方の吸血鬼(シャルティア)──に、巨大な戦斧の刃を振りかぶる。

 

「せぁッ!」

 

 大質量の金属が(くう)を横に滑る。

 その途上には、シャルティア・ブラッドフォールンの矮躯があるのみ。

 真紅の鎧に身を包んだ親友の身体を、その胴体を、アルベドの一撃は確実にとらえ、そして──

 

「な?」

 

 唐突に距離を放されたミカは、目の前の光景に、愕然と目を(みは)った。

 あまりにも信じられない光景。

 女天使は言葉を失い、棒立ちも同然となる。

 

 アルベドの戦斧が、シャルティアの中心である腹部を真一文字に引き裂き、あろうことか上と下の“真っ二つ”にせしめたのだ。

 鮮血の尾を引く戦斧。大量の真紅が、石畳を濡らす。

 

「まさか、気づかれた⁉」

 

 女天使が驚愕の声を奏で硬直した、一瞬以上の──隙。

 

()きなさい!」

 

 矢継ぎ早に、アルベドは両断した親友の上半身を、背中を、裏拳で殴って吹き飛ばしてみせる。

 

「ぎぃ!」

 

 シャルティアの苦悶が声となる。

 あまりにも無残な同士討ちにも見えたが、実際は当然──違う。

 アルベドが、シャルティアを吹き飛ばした方向には、堕天使の影が。

 そして。

 

 

 

 

 足止めスキルで微動だにしていなかったシャルティアの身体が――指先が、

 

 ――“動く”。

 

 

 

 

 吹き飛ばされる上半身にのみ力が戻った。

 久方ぶりに体の感覚を──腹から上のみではあったが──取り戻せた。

 

「ハハァッ!!!!」

 

 会心の笑みと共に、大量の鮮血が口腔の奥から零れるが、構わない。

 アルベドの拳の力で吹き飛ばされる中途にありながら、吸血鬼固有の被膜の翼が、歓喜に湧くように羽搏(はばた)いてくれた。

 血色の瞳が輝きを増して、怨敵たる堕天使を見据える。

 掌中に握る神器級(ゴッズ)アイテムの先端が大気を(つんざ)く。

 

 

 

 シャルティア・ブラッドフォールンは、体力を大幅に減少されながらも、戦線に復帰してみせた。

 

 

 

 この現象は、ナザリックの誰も知りえなかった。

 少なくとも“足止め”スキルに関する詳細な情報を知らない(さすがにこの短時間では、アインズに“足止め”の全情報について教えを乞う暇はなかった。足止めスキルにもある程度の多様性があり、それらすべてを解説する時間を捻出することは不可能だった)NPCたち――アルベドとシャルティアにとっては、賭けに等しかった。

 さすがにこれほどの損傷を、「胴体両断」という光景は、いくら真祖の吸血鬼といえど──アンデッドであっても、かなりの致命傷である。

 だが、これほどの大ダメージを外部から与えられなければ、足止めスキルは解除できない。シャルティアの行動の一切を封じる天使(クピド)呪縛(スキル)から、逃れることは不可能だった。

 敵であるカワウソとミカが、棒立ちに固定されたシャルティアを攻撃しなかったのは、何も攻撃する優先性が薄くなっただけではなかった。むしろ、足止めスキルが発動した相手は、外部からの飽和攻撃によって“即死させる”か、あるいは“無視する”かの択一しかない。せっかく動けなくした敵にヘイトを向ける暇があれば、他の残存敵兵力を排除することにこそ全力を注ぐ。それが戦闘における鉄則であり、必勝戦略。この戦いにおいては、わざわざ目の前の強敵を無視して、動けない敵に即死レベルの大ダメージ攻撃を発動させる余裕も間隙もなかったことが、大いに影響を及ぼしていた。

 

 しかし、アルベドとシャルティアは、この一縷(いちる)の望みに賭けた。

 

 あの第八階層で、あの堕天使が配下の天使たちのほぼ全員を足止めスキル保有者にしていたことは周知の事実。

 ……まさか本当に、配下のすべてに捨て駒役をさせるとは思っていなかった。足止めスキル獲得に伴う分のレベルは当然ながら失われる以上、その失われたレベル数値分だけ不利を被るはず。

 が、だからこそ、アルベドたちは決戦に至るまでの作戦時間で、もしもの時の緊急対応として、足止めスキルを喰らったNPC(もの)に対し、致命的なダメージを与えること――それによって、足止めの効果が解除されるか否かを試みること──を、あらかじめ示し合わせていた。彼女らを大切に想うアインズの了承も、彼本人は最後まで渋々ではあったが、取り付け済みである。

 

 つまりは、この同士討ち攻撃こそが、天使の澱の“足止め”スキルへの、──装備交換以外での、“対策”であったわけだ。

 

 無論、これで足止めが解除されるのかは不明だった。

 もしも、あの天使共の保有するスキルが、対象の“死亡”によってのみ解除される類の強力なものであれば、こんな試案を実行に移しても徒労に終わる。そこまでの危険を冒してまでシャルティアを解放させるほどに、状況は逼迫(ひっぱく)していなかった。

 

 だが、状況は思わしくない方向に向かい転がり始めている。

 思い悩む暇など、かけらも残ってはいなかった。

 

 そうした懊悩の果てに、“同士討ち(フレンドリィ・ファイヤ)可能”なこの世界において、アルベドがシャルティアに致命的な損傷を与えたことで、足止めスキルは「足止めの役目を果たした」と判定。かくして、可憐な吸血鬼に施された天使の呪縛を排除せしめてくれたのである。転がっていたクピドの死体が、スキルを解除されたことで、今度こそ完全に消滅していった。

 

 しかし……アルベドとしては、この方法だけは使いたくはなかった。

 

 そもそも論として、本当にそんなことが可能なのかという懸念が強かったのも、ある。

 そして、何より、シャルティアは至高の御方々の一人により作られたナザリックの同胞であり、戦友であり、恋敵であり、今や共に正妃の座に連なり、同じ男と褥を共にする無二の親友で──アインズの“家族”だ。それほどの存在に刃を突き立て割断するなど、本来であれば絶対に遂行できない蛮行であり、悲劇であった。

 

 

 だが、アインズの危機は、すべてを超える。

 

 

 その事実を、引き裂かれた側のシャルティアも理解している。

 故に、自分を断ち斬らせた。

 アルベドのおかげでシャルティアは、それまでの鬱憤を晴らすかの如く、憎悪の突撃喇叭(ラッパ)を吹き荒らせるのだ。

 

 

「くったっばっれぇぇぇぇぇ!

 クッソッ天使共ォォォォォおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

 銀の弾丸、というより、鮮血の砲弾と化したシャルティアが、切り分かれた腹から自分の血を、生命力の象徴ともいうべきものを辺りにまき散らしながら急速飛行する。アルベドの拳撃の威力に加え、自分の翼を駆ってスピードに乗る。憎悪という燃料をくべた吸血鬼が、何ひとつ(あやま)つことなく、アインズを襲撃し続ける堕天使の姿を目標に定めた。

 

「な……チィっ!」

 

 急転する戦局に、カワウソは片翼を使い、終始優勢であった戦域から逃れるように宙を滑る。

 アインズへの攻撃を諦めた先の空域に、鮮血に塗れた戦乙女(ワルキューレ)が、突撃。

 空間をゴリゴリ削減していくような風切り音。

 カワウソはそれを、寸手のところでギリギリ回避できた。さすがに、あの形状、上半身のみという状態になるほどのダメージを与えられては、いかにシャルティアでも十全な追尾攻撃は不可能な事。

 だが、シャルティアは諦めない。

 諦めるはずもない。

 

「逃がすかァッ!」

 

 玉座の間の壁面を滑りつつ、左手で方向を転換、そのまま柱を叩いて再突撃を敢行する。

 ただの人間や生命体では、これほどの失血を被って、これほどの執念を燃やしながら、戦い続けることは不可能なこと。

 だが、シャルティアは人間でなければ、厳密には生命ですらない。

 アンデッドとして、真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)として、当然な感覚のまま、鮮血の戦乙女シャルティア・ブラッドフォールンは、槍を構え突撃していく。

 見る間に「三対二」の図式が整えられた。

 正確には「二・五対二」というべきだが。

 

「アアアァァァアアアアア――ッ!!」

 

 突進する戦乙女の繰り出した槍撃が、カワウソの広げた片翼をかろうじてとらえた。

 長いリーチを誇る神器級(ゴッズ)アイテム、スポイトランスが突き刺さる。

 

「しまっ!」

 

 吸血鬼に体力を吸い取られる。

 いくら特殊技術(スキル)でステータスを底上げしていても、スポイトランスの一撃は容赦なく、カワウソの体力を削り取っていく。

 

「キャハッ!!」

 

 戦乙女が傲然と、艶然と、超然と、嗤う。

 

「クッソ!」

 

 たまらず、カワウソは“光輝の刃Ⅴ”を発動して迎撃する。だが、あと僅かのところで回避され、直撃はできなかった。

 片翼は、堕天使が〈飛行〉を行使するのに必須なオブジェクトであり、アバター外装の一部とカウントされる。

 つまるところ、堕天使の最高レベル特殊技術(スキル)は、被弾箇所がどうしても広がってしまうというデメリットが存在しているのだ。

 本当に、どこまでも使いにくい種族であると実感してしまうカワウソを、吸血鬼は逃すはずがない。

 

「まだまだぁ! 私はぁ! 戦えるぞぉォォオオオ!」

 

 天使(クピド)の呪縛から逃げ果せた真祖は、敵が描いたのと同じ縦横無尽の軌跡を真っ赤に描きつつ、堕天使の戦闘意識を攪拌(かくはん)していく。

 

「チィッ、クソ!」

 

 そして、

 

「──おいおい……私を忘れてもらっては、困るぞ?」

 

 闇の底より響く死の音色。

 繰り出されるは、彼の得意とする死霊系魔法。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキマイズマジック)心臓掌握(グラスプハート)〉」

 

 アインズの掌が、堕天使の臓器をいたぶるように三度、握り込まれる。

 

「ぐ、が、おアッ!」

 

 またも繰り出された心臓への三連撃は、確実にカワウソの気力を損なっていく。神器級(ゴッズ)の首飾り“第五天(マティ)”の即死無効化によって、致命的な事態にはならないが、三瞬もの間、再び「昏倒」状態に陥った堕天使は、愛する者の援護に応えようと猛追するシャルティアの突進(チャージ)を受け止めきれない。

 金属同士の衝突音が豪快に響く。

 

「ぎ、ぁ!」

 

 またも繰り出された槍撃が、避け損なったカワウソから体力を奪掠していく。三連続の「昏倒」の状態異常を“欲望(ディザイア)”はステータスに還元してくれる……が、それよりも先んじてシャルティアの槍に体力を奪われては、どうのしようもない。足甲の速度に乗っても、守護者最強の座を冠するシャルティアはそれに追随できる。逃げようがない。

 何よりも恐るべきは、アインズとシャルティアの連携ぶりだ。カワウソではNPCをここまで使いこなせはしないだろう。

 

 ──カワウソは、まだまだ見誤っていた。

 

 アインズと、ナザリックのNPC……特に、アルベドやシャルティアたちは、アインズの正妃として(きずな)を最も深めた存在であると同時に、ただの魔法詠唱者でしかないアインズに、“知識”における近接戦闘のいろはを叩き込んだ教官でもあるのだ。さらに言えば、三人の連携は既に〈伝言(メッセージ)〉などの魔法が必要ないほどに完成され尽くしている。アインズがこれほどの戦闘センスを磨いたのは、無論、100年後に現れるだろうプレイヤー――今、目の前にいる堕天使が該当する――に対抗するために必要なことだったから。

 そして、カワウソはアインズたちの100年に及ぶ研鑽の前に、なす術を失いつつある。

 完全に、戦局は再逆転されてしまった。

 

「げぅ……!」

 

 翼の付け根の背肉が削がれ、吸われる。

 他にも肩や太腿、脇腹にも槍の穂先がめり込んだことを示す赤が滲み流れ出ていた。俄かに血にまみれ始めるカワウソは、ボックスからポーションを取り出し、中身を浴びて回復するが、そんなことをしてもまた吸血鬼の穂先に体力を吸われ、敵を回復させる助けにしかならない。むしろポーションをそのまま投げて浴びせてしまった方が吸血鬼のダメージになるだろうが、あの速度では命中させることは無理だと判る。では捕縛して身動きを封じればとも思えるが、拘束などの状態異常に耐性・対策手段を備えていることは、腰にある“巨狼の縛鎖(レーディング)”が弾き飛ばされる光景からして確定だ。

 傷を広げる呪詛と血色に染まる怨嗟の槍舞が、堕天使の総身を包み込む。

 シャルティア・ブラッドフォールンは、まるで容赦などしない。

 迎撃や防御に使う聖剣のうち、“黒曜の聖剣”が槍の突進により罅割れ、呪われた騎士(カースドナイト)たる吸血鬼の牙で、アインズからの強化魔法を受け取った体で、確実に割り砕いていく。この戦いで三本目となる武器破壊。カワウソは迷うことなく、砕けた黒曜石の剣を放り棄て、対吸血鬼(ヴァンパイア)用の武装──“(しろがね)甕布都神(みかふつのかみ)”という片刃の銀武器を即座にとりだす。

 油断も逡巡もなく、敵を狩り尽くす意思のみで、己に与えられた翼を駆動させ続ける吸血鬼が、迫る。

 

「もォうゥ、一ッ撃ィイイイアアアアアッ!」

 

 吼えるシャルティア。憎悪に彩られた血色の瞳が、敵の全身を射抜く。

 恐怖と畏怖と酷怖に荒くなりかける息を懸命に整える堕天使。

 怖れすくむ自分自身が、カワウソには無性に腹立たしい。

 ここまで来て、恐れている暇など欠片もないのだ。

 堕天使は、意識を大地に突き立たせるかのように、“一歩”を踏み込む。

 玉座の間を激震させるにはいたれない、ただの堕天使の脚力。無論、その程度の現象はこの場にいるものには大した効果は及ぼすはずもない。拠点そのものへのダメージにすらなりえない。威嚇目的としても使えはしないのは確かだ。

 しかし、カワウソにとっては、違った。

 

「──来い!」

 

 薄弱な己をその場に突き立つ杭のように固定する強い意思を、自分自身に宿らせるための一喝に過ぎなかった。

 文字通りに「決死」の覚悟のまま、聖剣を胸元で刺突する半身の姿勢を保つ――瞬間、穂先と剣先が交わった。

 真正面から突き出される戦乙女の正確無比な槍撃は、堕天使の中心を突き穿つ。

 

「ごぅ、ぅあ……!」

 

 空気と共に鮮血を吐き出す堕天使。

 だが、

 

「ガァアアアァアアアアアああああああああああっ!?」

 

 悲鳴を上げたのはシャルティアだった。

 純白の聖剣が描く軌道は、確実にシャルティアの左腕を縦に両断していた。

 肉を切らせて骨を断つ――ならぬ、胸を突かせて腕を断つ。

 その損傷は()しくも、世界級(ワールド)アイテムにより洗脳された時のシャルティアが、アインズとの戦闘で負った傷と一緒であった。

 だが、今回の相手は、彼女の慈悲深い主にして、誰よりも優しく優しいアインズでは、ない。

 

「ウアァ!」

 

 続けて、カワウソは血を吐き散らし、獣のごとく吼え返すまま、左手を振り抜いた。

 もう片方の手に握る銀の剣が、シャルティアの首元から胸の奥を流れるように貫き、抉り、そして、捩じ切る。

 

「ギィャアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああ!!!?」

 

 さらに突き刺さった神聖属性の“銀”の剣。

 その一撃は、吸血鬼の心臓に、白木の杭を打ち込むが如き暴撃であった。

 絶叫の度を増す吸血鬼の様は憐れを誘うが、

 

「ガア、アアア、……っ、ナ、ナメルナァッ!」

 

 己が身を捩じり抉る“銀”のダメージも(いと)うことなく、吸血鬼の乙女は反撃に討って出る。

 堕天使を穿つ穂先を片手の膂力で振り回し、玉座の間の荘厳な石畳が割れ砕けんばかりの衝撃と共に、打ち下ろした。

 

「ご、あ――」

 

 カワウソの意識が、二秒の間だけ、飛ぶ。

 シャルティアは床面に己の身体を叩き落とした。

 堕天使への追撃には持ってこいの好機であったが、さすがに強力な銀武器に貫かれっぱなしでいては、吸血鬼の命に係わる。〈上位(グレーター)武器破壊(ブレイクウェポン)〉を発動する魔力は残っていないシャルティアは、自分の握る武器(スポイトランス)で患部を抉り、銀の脅威を引っかけるように排した。

 

「げ、カハァ、アァアアアゥゥ……あ、ああ!」

 

 鮮血と共に、神器級(ゴッズ)装備で強引に引き抜かれた“(しろがね)甕布都神(みかふつのかみ)”が床の上に勢いよく転がり、刀身をランスで貫かれた部分から割れ砕けていく。銀武器による激痛によって、上半身のみとなっていたシャルティアは、体力(HP)をさらに減耗させた。銀製の聖剣の凄まじいまでのダメージで、もはや翼を駆る力は残っていない。下半身は再構成しきれておらず、左腕まで失った。槍を構えたまま動き回ることは、物理上不可能な状況である。

 

「……クソ、……くそ、糞…………糞ぉオオオオオ!」

 

 胸に懐く思いのまま、床に伏すシャルティアは罵声を吐き出してしまう。

 黒い堕天使が上半身を起こし、立ち上がりつつある。

 忌々しきは、奴の装備する防具の、鎧の力。

 外部からもたらされる状態異常(バッドステータス)を一瞬の後に無効化するのみならず、己の基礎能力値(ステータス)に還元されては、理論上、無限に強化を施され続けることを意味する。シャルティアに与えられた体力を吸い取る神器級(ゴッズ)アイテムにも通じる厄介さだ。迂闊に状態異常を誘発させてはならないが、Lv.100の強者たる存在が繰り出す攻撃は、得てしてそういう状態異常や属性攻撃を誘発する仕様になっている。強大な力であるが故に、多様な攻撃性能を発揮し、確実に敵対象を撃滅するための仕様。

 そして。

 カワウソの、堕天使の特性は、そういった付加される異常を、殊更(ことさら)に受け取りやすい事実。

 なるほど。奴というプレイヤーが堕天使である限り、あの鎧は最高峰の防御手段となりえるのだ。

 

「クソッタレが!」

 

 口惜しいが、称賛に価する。

 だからこそ忌まわしい。あまりにも呪わしい。

 槍を右腕に握ることをやめずに、シャルティアは僅かな間隙(かんげき)を伺うように血眼を見開いた。

 憎々しげに堕天使を見据える吸血鬼に、カワウソは荒い息を整えながら、油断なく拾い回収した聖剣と、新たに取り出した刺突戦槌“火天の刺突戦鎚(ウォーピック・オブ・アグニ)”を構える。

 

 

 無論、カワウソも酷い痛みに襲われ倒れ伏したい気分だ。胸からこぼれる液体……どころか肉の破片の感覚は、まさに死を想起させて余りある。激痛は並の人間以上にカワウソの肉体を切り刻み、なれど異形種にして堕天使の狂気的な精神は、これ以上に壊れ狂うことを許しはしない。本当に、最悪に最悪な気分だ。この場でなければ、思い切り泣いて暴れまわりたい気もする。

 だが、倒れたままでいるわけにはいかない。

 アインズのオーラを中和中のミカ──彼女の回復スキルでは、完治させるには時間がかかりすぎる。

 カワウソは聖剣を持った手で、本日何本目かの上級治癒薬(ポーション)を取り出し、剣を握ったまま蓋をねじ開け、無理やりに傷口へ突っ込む。そうして、肺腑にまで届く戦傷をふさいだ。空になったビンを無造作に投げ砕く。無理矢理に気息を整える。

 聖剣を構え直し、アインズの挙動──シャルティアの戦闘・妨害活動によって、彼は、『自己への強化魔法をかけ直す補強時間』を得ていたのだ。まったくもって油断ならない──にも目を光らせる。

 しかし、次の瞬間。

 見咎めた彼の行動が、カワウソには不可解であった。

 

「……〈大致死(グレーター・リーサル)〉」

 

 アインズはたまりかねたように、アンデッドの回復手段を行使していた。

 回復対象は、アインズ本人では、ない。

 上半身のみとなり、今も重傷を被った真祖(トゥルー・ヴァンパイア)に対して。

 だが、誰の目にもそれは、明らかな失策に思われた。

 

「な、なりんせん、アインズ様!」

 

 回復の対象にされたシャルティア本人こそが、悲痛に彩られた絶叫をあげ、嘆いた。

 この魔法は、アインズ自身に施すべく用意されたもの。だというのに、シモベでしかないシャルティアに使い果たしては意味がない。この魔法は、本来アインズが使える魔法ではない。装備箇所をひとつ潰してようやく使うことができるように細工されたものなのだ。

 万が一、あの堕天使に致命傷を負わされても、ギリギリのところで回復できるのとできないのとでは、勝率が著しく変動してしまう。

 その程度のことは、アインズ本人も十分把握していた。

 が、見捨てるという選択肢は存在しなかった。

 ──否。

 戦闘前の作戦会議では、場合によっては切り捨てることも思考し、アルベドもシャルティアも「そうすべき」と了承していた。シモベたちNPCは、ギルドの運営資金を、ユグドラシル金貨を支払うことで復活することを、アインズ達は知悉している。

 ……が、いざ目の前で、自分の愛する妃の一人が生死を彷徨っている場景(じょうけい)を見ては、とても無視できるはずもなかった。

 アインズは厳格に、そして、誰よりも優しい思いを声に乗せる。

 

「さがれ。シャルティア。これ以上の戦闘は、私が許さん。今は──休め」

「……ッ、…………か、かしこまりんしたっ」

 

 文字通り血を吐くほどの言葉と共に、吸血鬼の戦乙女は後退を余儀なくされる。

 アインズとしては、この世界でシャルティアを二度にわたって喪失することが許せなかっただけ。その程度の主の配慮――我が君の想いは、すでに王妃の座を与えられた真祖の乙女には理解できる。

 理解できても、尚、悔しい。

 シャルティアは、アインズに回復された体力で翼を伸ばし、他の守護者たちが待機する玉座周辺にまで退いた。

 その様を、カワウソは(もく)して見過ごした。

 万全を期するならば、シャルティアを屠って、戦闘人数を確実に減らしておくべきだっただろう。

 アインズはシャルティアをさがらせたが、吸血鬼が再び戦線に投入され、今度こそカワウソたちと「死なば諸共」な特攻に(はし)ってこられてはたまらない。

 しかし、カワウソは追撃をしなかった。

 己を睨み据え、憎悪のまま咆哮し恫喝する少女に怯えたということはない。

 ただ、少しだけ、“意外”だったのだ。

 だから、思わず血に濡れた渇笑を零してしまう。

 

「カッハハ、……舐めプ、ッ、しやがっ、て」

 

 堕天使のカワウソは、傷は塞ぎ治癒したが、体力は戻りきっているわけもない。胸に残留する痛みに悶絶しつつ、たまらなくなって笑っていた。

 

「フッフフ、何とでも言え……まだまだ、我々には余力がある。それが事実だ」

 

 アインズもまた同様に、嗤っている。

 何とも意外に過ぎることに、気づく。

 気づかされる。

 

 彼が、アインズが、自分のNPCたちに垣間見せる愛情が、本物であることは疑う余地のない事実。だからこそ、それに応えようと、報いようと、求め欲する少女たちの戦い闘う姿が、敵ながら天晴(あっぱれ)だったのが、ひとつ。

 

 二つ目は、カワウソ自身、これまでの戦闘で、カワウソ自身のNPC……ミカたちの体力や体調などを(おもんばか)ってやったことがない事実を、今さら再確認してしまったこと。カワウソは、酷な命令ばかりを発してきた。中でも最たるものは、“足止め”となって散ることを、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたちのほとんどに強要し、それを実現した今の状況であるだろう。

 

 そしてさらに、カワウソとシャルティアの戦闘中に、アインズは自己強化をかけ直すだけの時間を──特に、神聖属性への耐性強化の魔法を重ね掛ける猶予を得ている。ほのかに強化魔法の光を宿す死の支配者(オーバーロード)──冷静に、冷徹に、勝利への布石を投じ、堕天使に死をもたらす道筋を整える存在を前にして、カワウソは改めて実感し尽くす。

 

 ……強いなぁ。

 ……勝てないなぁ。

 ……ああ、……でも。

 

「ハハッ。……たのし……ああ、もう、クソっ……楽しいなぁ」

 

 本当に意識しないまま、唇から言葉がこぼれた。

 

「──フフッ。奇遇だな」

 

 そんなカワウソの独り言に応じるように、アインズも楽しそうに、こぼす。

 

「私も、──楽しいぞ。……フフッ、フフフハハハッ」

 

 愉快で愉快でたまらないという風に、彼は骨の顔で嗤う。

 バカみたいな思考だ。カワウソにはアンデッドの、骸骨の表情など判らないはず。

 ──否。ひょっとすると、異形種同士のシンパシーのようなもので、彼の微笑みを実感しているのかも。

 だが、いずれにせよ。

 

「では。そろそろ、決着をつけようか?」

 

 先んじるようにアインズに言われてしまい、カワウソは大いに鼻を鳴らす。

 

「上等」

 

 堕天使は繊月のような笑みを刻み、聖剣と刺突戦鎚を交差させるように構え、ナザリックの最高支配者に挑みかかる。

 アインズは黄金の杖を器用に一回転させて握り直し、カワウソの突撃に、己も突撃でもって応じる。

 女悪魔と女天使──両者の間で散る火花と烈音も、響く。

 両者は再び、戦いを始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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天使の澱に属する第一のNPC──ミカの正体とは?

『愛している。』VS『嫌っている。』


/War …vol.08

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 アインズとカワウソが激突し合う、その頭上で。

 黒翼を広げた悪魔と、六翼を羽搏(はばた)かせる天使が、殺し合いを続けている。

 

「さぁ、おまえの主を、護ってみせろっ!」

 

 ミカの表情が大きく、歪んだ。

 アルベドの戦斧を受け止めきれず、後退を余儀なくされる。

 

「健気なことね」翼を広げ追撃するアルベド。「おまえが、いくら堕天使の体力を回復させ、ステータスを増強し続けたところで、奴は、もう終わりよ!」

 

 女悪魔は高らかに笑った。

 カワウソはミカのことを気にもかけない。

 気にかける素振りすら、見せようともしない。

 アルベドは、憐れにすぎる女騎士を──目の前の熾天使を、笑った。

 嗤った。

 嘲った。

 ワラエテきてしまってどうしようもなかった。

 

「おまえの“希望のオーラⅤ”……いいえ、今はそれ“以上”のチカラに当てられ、堕天使の奴は全身に神聖属性付与と、同時に、常時体力を微回復させ続けていることは、お見通しッ!!」

「……チッ」

 

 ミカは反撃しきれない。

 剣でも。言葉でも。アルベドの猛攻をふせぎきれない。

 

「だが、おまえの主人は何? それだけ尽くすおまえのことを、一瞥(いちべつ)もしやしないのねッ!?」

「ッ、──なにを?」

 

 女天使の声が陰を帯びる。

 無理もない。

 鍔競り合うアルベドは、目の前の敵に対して、同情の念をくれてやりたいほどだ。

 自分たちの主人にして、愛する御方たるアインズは、主人の危機に己の身を割断してでも馳せ参じることに成功したシャルティアの援護に応え、彼自身が再び強化の魔法で武装する猶予を十分に得ていた。そんなにも忠節を尽くし、愛する戦乙女の奮戦を讃え、戦傷の身を後退するよう厳命した彼の「優しさ」は、アルベドたちにとっては性的絶頂にも通じる快悦をもたらしてくれる。

 

 アインズはいつだって自分(アルベド)たちの事を、大事に、大切に、思って想って思い続けてくれている。

 

 なのに。

 目の前の女天使──ミカとやらは、同じユグドラシルプレイヤーを主人に持つ存在(NPC)は、まったくもって憐れだ。

 

「あんな! 自分の配下すべてに! 捨て駒役を与える主人に対して! おまえが、それほど熱を上げられるのが、不思議で不思議でたまらないわ!」

 

 戦斧の高速連撃を受け流しきれなかったミカは、“第四天(マコノム)”の鎧のおかげで致命打をもらわずに済んだが、それでも、大きく舌を打つしかない。

 

「──なんのことよ?」

「とぼけても無駄ァ!」

 

 さらなる一撃で吹き飛んでいく天使。

 女悪魔には判っていた。

 アルベドの内で滾る女淫魔(サキュバス)の血が、この女の“熱”を──“劣情”を──“本当の想い”を、確実に完全に教えてくれている。他者の好意や愛情を推し量ることなど、淫魔にとっては当然の機能であり特質だ。淫魔はそういう心の機微に通じなければ、他者を誘惑し、淫獄(いんごく)の淵に(いざな)うことはできない。一説によれば、淫魔は人間の最も好ましい性対象……実際に愛する異性の姿を読み解き、その通りの姿へ転化することによって、夜な夜な姦淫の儀に耽る夢魔の能力を心得るものだとされる。

 

 そうして何より、“ミカは拠点NPCの一体に他ならない”という、歴然とした事実。

 

「主人に創造されし私たちNPCが、偉大なる創造主を敬愛し信愛し、情愛し聖愛し熱愛し、愛して愛して愛し尽くすことは、必定にして必然の事実!」

 

 アルベドの語る通り。

 NPC……被造物たる存在たちにとって、自分たちを創ってくれた者に対して、無条件かつ絶対的な愛情を懐いてならないのは自明の(ことわり)

 自分達NPCを『かくあれ』と定めてくれた者がいなければ、被造物たちは生まれること叶わず、今ここに存在することすら、ありえない。

 その根源にして骨子(こっし)となった“ギルド拠点”への信奉は、金剛石のごとく強健なもの。アルベドのように、特定個人を『愛している。』などと定められようものなら、その強烈な愛敬は一方向の極一点に集約され、いっそ怖ろしい程の苛烈さを示すこともままあるほどに。

 被造物にとって、創造主の存在は「絶対完全に必要不可欠」なもの。

 見たこともない神への信仰などではなく、自分たちを『かくあれ』と望み創ってくれた──事実そこに、目の前に存在している主人への恩義と熱情は、すべてのNPCの行動原理に組み込まれてしかるべき法則である。

 さらにいえば、アインズ・ウール・ゴウン……アルベドたちの創造主たちのまとめ役として、このナザリック地下大墳墓に留まり、この100年をかけて錬成され続けた御方への報恩は、もはや自分自身の創造主に懐くのと同レベルか、それ以上と言っても過言にはなるまい。

 アインズが「死ね」と言えば喜んで死に、アインズが「ナザリック以外のモノと(つが)え」と命じれば喜んで(つが)う……NPCにとって、自分の思考と思想は二の次、三の次。

 彼という絶対者、御方の意思と存在こそが、NPCにとって何よりも優先されるべき事柄なのだ。

 

 使い潰してくれて構わない。

 どんなに酷な命令でも、彼の為を思えば耐えられる。

 己の身を粉にして働き、汚辱極まる下劣な行為にも、歓喜と共に己の身を(ひた)せるのだ。

 

 アインズは、そんなアルベドたちNPCの存在を心から愛し、すべてを包み込むように、守ろうとしてくれている。

 使い走りの道具ではなく、大切な仲間たちの残した“子”と称して憚らずに、NPCたちの絶対愛に報いようと、100年前から変わることなく、一心に想い続けてくれている。

 

 ……それに対して。

 

 ミカとかいう女天使共の、その主は──あのプレイヤーは──あの堕天使は、どうだ。

 お粗末の極みである。

 

「おまえの主人は! おまえらを一人たりとも守ろうとせず! ただただ! 無意味にして無価値にして愚劣愚昧な“復讐モドキ”の戦いに赴き! ここですべてを無為にしようとしている! 我等がナザリックの最高支配者たる、“アインズ様のご厚情”も!! ──何もかもを!!!」

 

 戦斧の重みを、光剣は受け止めきれない。

 ミカは後退する。

 受け流すように流れる刃は、だが、光の破片を撒き散らして(ひび)を立てていた。

 彼我のギルドの戦力差……地力(じりき)の差は、ただのアイテムにまで及んでいる以上、この結果は必定に過ぎない。むしろよくぞここまで武装を壊すことなく拮抗できていたというべきだ。ミカの能力で「祝福」を受けた武装だからこそ、ここまでなんとか凌ぎ切っていたというのが大きい。

 しかし、だ。

 ()しくも、アルベドとミカは同じ『防衛役(タンク)』の職種ゆえに、似たような戦法を取るしかない。レベル数値も同一のLv.100であるため、両者は拮抗を余儀なくされるが、やはり最後に勝利を決めるのは、根本的な基礎部分の“量と質”だ。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、弱い。

 アルベドたちが三対三のチーム戦に挑んでも、余りあるほどに絶望的な実力の差が、この終盤で顕著に現れ始める。

 たとえ、ミカの種族が、熾天使以上の“レア”物であろうとも。

 

「何か言ったらどうなのよ、熾天使(セラフィム)……いいえ」

 

 アルベドは、敵の正体を看破し、叫ぶ。

 

 

 

 

「“女神(ゴッデス)”!!!」

 

 

 

 

 それが、ミカという存在の、隠された正体であった。

 指摘されたミカは、明らかに表情を歪ませる。

 

「……私は、“神”などでは、ない!」

 

 そう言って、女天使は反論を試みるが──

 

「はッ! しらばっくれるなぁッ!」

 

 女悪魔の振り下ろした戦斧が、ミカの眼前に盾のごとく召喚された中級天使──勇気の力天使(ヴァーチュ・カレッジ)を両断していく。

 

 アルベドの告げる、ミカの種族名。

 ユウゴたちが図書館のデータから確信を得ていた異形種(モンスター)の存在。

 NPC限定種族──神聖存在の中で、最高峰にして最大級のレア度を誇る“神”。

 ──あるいは“女神”。

 

 ユグドラシルには、神が存在した。信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)が信仰すべき存在として──現に、シャルティアが信仰している神、始まりの血統、神祖カインアベルなどがそれだ。神はユグドラシル最初期に実装されたイベントのボスであったが、12年の長い歴史の中で復刻されまくり、最盛期にはほとんど誰でも狩りとれる雑魚ボスになりさがっていた上、ユグドラシルの運営は神の脅威を、“世界の敵”よりも格下に位置付けた。神の種族が拠点NPCデータとして扱われるようになったのは、最盛期を過ぎた頃……ある種のテコ入れとして、運営は神の種族を解禁したのだ。

 

 熾天使以上の能力を発揮するミカの、女天使の異常なまでの能力は、もはやそれ以外に、説明することができない。

 死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)の極地点に到達せしアインズ・ウール・ゴウン──死の支配者(オーバーロード)の絶大無比な“絶望のオーラⅤ”を完全に中和するだけに飽き足らず、今は女の主人である堕天使のステータス向上と神聖属性の付与強化、加えて体力微回復を成し遂げているさまは、ただの“熾天使”では無理のある所業に相違なかった。指揮官系スキルの効果や、身に着けるアイテムなどが特に強壮かつ強力な力を持っているわけでもない以上、答えはそれだけである。

 そして、先ほど膝を屈しかけた──アインズ・ウール・ゴウンの名に戦慄し尽した堕天使へ、(かつ)を入れた女の声。

 それに打たれ励まされた堕天使の、異様に過ぎる戦闘力の急上昇。

 もはや確定的であった。

 

「なめないことね。私たちの主は、ナザリック地下大墳墓の最高支配者、アインズ・ウール・ゴウン。“神”程度の存在と敵対することなど、とっくの昔に計画済みよ!」

「チッ」

 

 ミカは抗弁を諦めた。

 アルベドは勝利を確信する語調のまま、攻勢を緩めない。

 

「己の不明がわかったのなら、そのウザったい“女神のオーラ”を止めろ!」

「──いや」

「堕天使を極大強化している、そのウザすぎる“女神の加護”を断ち切れ!」

「──嫌!」

 

 ミカが“女神”の特殊技術(スキル)をこのタイミングで投入したのは、間違いなく、この今でなければ発動させる意味がないと判断してのこと。

 いかに神と呼ばれるモンスターでも、完全とは言えない。少なくともユグドラシルというゲームの仕様上においては。

 常時展開している“希望のオーラ”と相乗し、強化や回復を行う“女神のオーラ”。

 自軍勢力の限定一体に対し、“女神の加護”という超強化ステータスを施すスキル。

 Lv.1の“オーラ”とは違い、アインズを吹き飛ばすほど強壮な神聖属性付与の“加護”は、「発動効果時間が限られており、その後には膨大な冷却時間を必要」とする女神Lv.3の力。

 アインズを追い込むほどの強化……“加護”を受け取ったカワウソの進軍は、もって後──数分というところだ。

 それらをすべて理解しつつ、ただ待っていれば勝利できるだろう状況において、アルベドは盤石な勝利への布石として、敵である女神に提案を述べる。

 

「今、おまえがナザリックの軍門に(くだ)るというのであれば、そうすれば、私からおまえたち二人を生かしてもらうよう、アインズ様に慈悲をいただいてあげてもいいのよ?」

「ッ、──絶対に、イヤ!」

 

 ミカの意志は堅牢堅固なままだ。

 

「私たちの唯一の創造主──カワウソ様は、降伏(そんなこと)など望んでいない!」

 

 主人と共に生かしてもらうという言節に心惹かれることなく、一心不乱に戦いを続けていく意気は天晴見事(あっぱれみごと)ですらあった。

 だが、おしゃべりに籠る熱量が、彼女の盾持つ左手を緩ませた。

 ほんの一瞬、一刹那の、隙。

 その隙を衝いて振り上げられた戦斧の衝撃に、ミカは天秤を意匠していた光盾を割り砕かれる。

 

「くッ──こ、の……!」

「はン。理解不能だわ。おまえたち全員を死地に追いやり、惨めにも負け戦に駆り立てるだけの無能など、仕える価値があるとは、これっぽっちも思えないわね!」

「ッ、──チィッ!」

 

 ミカは光剣で戦斧を受け止めることを避けた。

 盾を掴んでいた左の籠手──それが砕けるのも構わず、アルベドの斧撃を殴るように弾き、カウンターとして光剣の連続刺突攻撃“光輝の刃Ⅱ”を繰り出す。

 しかし、女悪魔の鎧は貫けない。

 

「無駄だと言っているのよ!」

 

 アルベドの流れるような上段蹴りを、ミカはかろうじて翼の防御壁で弾いた。

 その衝撃は甚大の一言。大量の白い羽根が、鋭い蹴りの一刀で空を舞い散る。

 女神のスキルを他者に対して“複数”使用する際に生じる最大のデメリット──「発動者(ミカ)自身のステータスが低下してしまう」というシステムがあること。ただの有象無象が相手ならばいざ知らず、アルベドというナザリックの守護者──絶対の強敵を前にして、女神のスキルを二つ三つ解放し続けるのは、どう考えても危険極まりない行為。だが、カワウソを守り、癒し、戦いを継続させるうえで、ミカには迷いなどありえなかった。

 ミカは確実に、そして徐々に、与えられた武装を消耗している。両手の籠手は砕け落ちた。(あらわ)となる手指には、衝撃の余波で出来たのだろう傷口から血の雫が伝う。赤い軌跡は手の甲を濡らし、掌にある光剣の柄を汚していた。黄金の髪や天使の(かんばせ)は無傷だが、それもどこまで保てるものか。

 アインズの“絶望のオーラⅤ”があるからという以前の問題────熾天使の“希望のオーラⅤ”は、効果範囲の自軍勢力を強化・回復・蘇生させる能力であるが、発動者本人を癒す手段には、なりえない。

 ミカにはカワウソから与えられたポーション類などもあったが、アルベドの猛攻には隙と呼べる隙がない。ボックスを探る数秒で、アルベドの斧がアイテムを取り出す手首を引き裂き、斬り落とすイメージしか湧いてこないほどに。

 取得している自己回復魔法でなんとかここまで敢闘を続けてこれたが、さすがに魔力量は七割以上も消耗している状態であるため、(いたずら)に使用するのは躊躇(ちゅうちょ)される。指揮官系統職を有する頭脳明晰なミカにとって、敵を攻撃できる手段は温存しておかねばならないという戦術判断であった。

 

「さぁ。降伏なさい。

 そうすれば、たとえ女神であろうと、アインズ様からの慈悲を賜ることもありえ──」

 

 声は遮られた。硬い金属音が弾ける。

 ミカの神速の突きが、アルベドの顔面を貫かんと繰り出され、見事に斧の刃でふさがれ、失敗した音。

 

「そんなに死に急ぎたいのかしら?」

 

 ミカは応じない。

 まぁ、それも当然だろうと、アルベドは納得を笑みの形にしていく。

 奴を──堕天使が率いる女天使を殺すと、自動的に“足止め”のスキルが現れるだろうことを考えると、アルベドは慎重にならざるをえない。自殺するかのように攻勢を緩めない女天使に、女悪魔はいっそ優しさすら滲み出る声音で語りだす。

 

「本当に、理解できないわ。あんな堕天使のどこに仕える価値が──守る意味があるというの?」

 

 文字通りの──悪魔の囁き。

 姑息だろうと小癪だろうと関係ない。アインズを護るためであれば、いくらでも卑怯卑劣の限りを尽くせる──むしろ、そうでなければNPCとは言えない。

 それに、これはアルベドの本心そのものでもあった。

 いくら愚かしい敵とはいえ、ミカたちNPCを、このような死出の旅路につかせて、地獄行きの片道旅行の、その“道連れ”にするなど、正気も狂気もありはしない。沙汰というものを超えている。気を違えるにも度を越し過ぎていた。

 

「私たちの主たるアインズ様と同じプレイヤーのくせに、どうして奴は、おまえたちをまったく守ろうとしないのかしら?」

 

 慈悲深い女神のような、憐れっぽい口調で(ただ)すアルベド。

 無論、こういった会話で敵の気力や精神集中を削ぎ落す意図は、明白。

 事実として、ミカは押し黙ったままだが、彼女の攻撃は明らかに鈍くなり、あれほどわずらわしかった天使の熾烈さが、徐々にひそめられていくのを実感する。

 アルベドは女神のごとく(たお)やかに、悪魔らしく玲瓏(れいろう)と、嗤う。

 

「本当に可哀(かわい)そうだわ。アイツも……そして、おまえも」

「──ッ」

 

 憐れむなと言わんばかりに繰り出される剣筋を、アルベドは悠々と片手の握力で掴み取った。

 罅割れた光の刃など、ナザリック最硬を誇る女悪魔には、なんの脅威にもなりえない、現実。

 もはや口づけすら交わせる距離で、アルベドは敵の天使を篭絡するがごとき音色を唇に灯す。

 

「こんな戦いに意味など無い。冷静に考えれば、それぐらい判る筈でしょう?」

「……」

 

 剣を掴まれ引き寄せられるミカは、刃を返して剣を振るう。

 両者は剣と斧越しに睨み合う。

 それでも、ミカは敵の言わんとしている内容に、不理解しか示さないというわけでは、なさそうだ。

 

 ミカにもわかっているのだろう。

 金色の女天使は消耗し、カワウソも確実に死へと向かって驀進(ばくしん)している。

 どんなにミカが主人を励まし癒し強化しようと、彼の死は、敗北は、ほとんど避けられそうにない。

 何より、カワウソはこの戦闘の間中、ミカたちを回復することすら忘れて、敵であるアインズ・ウール・ゴウンとの戦闘を愉しむことしかできていない。

 実際は、そんな間隙すらなかったことが影響している。

 カワウソの精神状態……戦闘状態を維持するための精神的な余裕も、極めて少なかった。

 そもそもにおいて堕天使は、信仰系魔法による回復や、通常天使の回復スキルを封じられる劣等種族。ポーションなどのアイテムでミカを回復させるには、対象となる相手の至近距離で、溶液を飲ませるなり体にかけるなりする以外に、方法が無い。

 

「“判るわ”。あんな主でも、あなたたち拠点NPCにとっては、守るべき主人であり、誰よりも愛すべき創造主なのでしょう?」

「…………」

「今からでも遅くはない。──降伏なさい。

 そうすれば、私たちの愛するアインズ・ウール・ゴウン様──モモンガ様はきっと、おまえたちをお許し下さるはず」

「…………愛、す、る?」

「ええ。私たちが慕い、敬い、命を賭して仕える至高の御方──私が愛し、私を愛していただける、私の(いと)しいお方──モモンガ様は、天のように高く、海よりも深き慈悲の心で、あなたの困苦と不遇を憐れんで下さるでしょう」

 

 (とろ)けるような表情を露わにする女悪魔。

 アルベドは本気で、ミカがアインズに許される──などとは思っていない。

 たとえ本当に許されることがあろうとも、アルベドたち守護者たちは、アインズに刃を向けた郎党への害意を、完全に消滅させることは難しかった。

 それでも。

 アインズが「許す」と言えば、それですべてが許されるのだ。

 故に、アルベドは告げる。

 

「だから、“その剣を捨てなさい”」

 

 あなたの創造主を、守るためにも──

 慈母のごとき愛情を感じさせる、降伏勧告。

 敵を物理的にではなく、精神的に篭絡するための舌戦に、アルベドは勝利をおさめた、かに見えた。

 

「…………私は」

 

 ミカは、震えながら、告げる。

 

 

 

 

「私は、あの方が、────────嫌い」

 

 

 

 

 吐き捨てるような声音だった。

 

「……………………なん、です──って?」

 

 勧告の応答を期待していたアルベドは、疑問し、疑念し、疑心する。

 思いもよらぬ反撃を受けたように硬直する慈悲深き女悪魔に対し、ミカは痛烈な思いを言葉に変える。

 

「嫌い。

 きらい。

 大、嫌い。

 だいきらい────────ダイッキライ!」

 

 零れる落ちる言葉と、両の眼から滔々と溢れる(しずく)

 湧き出る泉のごとき清澄な調べは、だが、NPC(シモベ)にはあるあじき毒言の色に、濁っていた。

 

「そのように私を創ったあの方が、大嫌い。そのように定めてしまった御方が、大嫌い。私に『かくあれ』と──『嫌え』と、……この前なんて「憎め」などと、──そんな風に、命じやがった──命令してくれた──そう言ってくださりやがった、あの方が……私の、カワウソ様、が、……だいきらいッ!」

「お、……おまえ?」

 

 武器を交わしながら紡ぐ怒声──血を吐くかのような告白に、アルベドの意識は、疑問符の怒濤で埋め尽くされる。

 ミカの述懐は続く。

 

「……あなたに、何が、わ、判るというの?

 自分の主を、もっとも尊いあの方を、この世界で最も愛すべき創造主を──

 あのかたを『嫌い』にならなければいけないシモベの気持ちが──

 自分の主人を“愛し”、主人から“愛される”悪魔(アナタ)に──

 アナタなんかに!

 ッ、私の!!

 何がッ!!

 ワカルって、いうの!?」

 

 六翼が、まるで爆ぜるかのごとく、輝きを増した。

 アルベドの、悪魔の肉体には致命的なまでの、浄化の力。

 その影響を反射的に嫌った女悪魔の方が、先ほどとは逆に大きな後退を余儀なくされる。

 否。

 ミカの能力に気圧(けお)されたというよりも──アルベドは信じられないことを聞いたことに、精神的な畏怖を覚えていた。

 今しがた女天使の──女神の口から告げられた内容に、恐慌のような感情に支配されかけたのだ。

 

「じ、自分の、創造主を、『嫌う』よう、定めを、設、定……?

 そ、そんな、バカな! そんなこと、何故、おまえの主人は?」

「そんなこと知るか!!」

 

 迫りくる光の剣閃。

 罅割れた輝煌が悪魔の網膜に眩しく入り込む。

 

「く! 貴様!」

 

 アルベドの構えた戦斧に、光剣がまた盛大に砕けかける音がぶつかるが、女悪魔は無傷。

 しかし、それ以上の脅威を、驚異を、アルベドは己の耳に注ぎ込まれる。

 ほとんど額同士がぶつかるほどの至近で轟く、

 ミカの、

 女の、

 独白。

 

「私が、彼を、あの方を、カワウソ様をどう思っていようと……そんなこと関係ない!!」

 

 あまりにも白く、(しろ)く、(しろ)く、(しろ)い──告白──

 

「彼の望みを果たす──

 主人の願いを叶える──

 あの方の全てを守護(まも)る──

 それが、私たちの存在理由!

 それのみが、私の存在証明!

 それこそが……」

「────ッ」

 

 

 

NPC(ノンプレイヤーキャラクター)!!!」

 

 

 

 女神の光輝に弾き飛ばされるアルベドは、驚嘆に震えた。

 

 ミカが女神であることは、大いなる(わざわい)と思えた。

 だが、今はそれ以上の“(わざわい)”を、アルベドは目の前にしていた。

 

 自分とはまったく違う設定を与えられた──創造主を“愛する”のではなく、“嫌うこと”を命じられた女の姿に、敬意とも賞賛とも、侮蔑とも毒意とも、憐憫とも悲嘆とも、いずれの感情にも該当しえない思いを懐いてならなかった。

 アルベドの脳裏に、あの「事件」のことが浮かび上がる。

 100年前の記憶に、明晰な頭脳が溺れかける。

 

「あ、ありえな……ありえ、ない……」

 

 その隙を、女天使にして女神たるミカは見逃さない。

 

特殊技術(スキル)! “女神の奇跡”!」

 

 女神Lv.5の力。

 平原の戦いで見せた“熾天の断罪”に酷似する属性攻撃の光が、全周囲にこぼれた。

 しかし、単純な神聖属性攻撃ではない。

 悪魔が魂を引き換えに行う奇跡とは、当然のごとく違う──アルベドという極悪のカルマ値を有する存在に対し、神格者たるミカは、完全なる“奇跡”を顕現させた。

 

「〈女神召喚(サモン・ゴッデス)〉!!!」

 

 ミカの剣が刺し示した頭上より降臨する、極上の神聖存在。

 白金に輝く面貌は目の部分を帯で覆い隠され、その美貌と直接拝謁することは叶わない。だが、光そのものが翼となっているかのような後光と、右手には悪を討つ巨剣を、左手には正義を量る天秤を、全身には聖明にすぎる白亜のドレスを帯びて現れた“天意の執行者”は、確実に、至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)よりも上位上級の力量と権能を発揮できる異形種(モンスター)だ。

 このモンスターは、召喚の魔法効果が切れるか、女神自体が倒されるまで、アルベドを襲撃する脅威として、存在し続ける。

 

「な……ちっ……、ナメルナァ!!!」

 

 ナザリック地下大墳墓、()守護者統括たる女悪魔は、一息に戦闘態勢を構築し直す。

 神など恐るるに足らず。

 アルベドは──というよりもアインズ・ウール・ゴウンは、この事態を予期していた。

 熾天使以上の存在(NPC)……神に該当するモンスターなど、警戒して当然すぎる天敵。

 故に、アルベドは、その手段を渡されていた。

 アルベドは心の内でナザリックの同胞たる凍河の支配者に感謝を送りつつ、その刀身を抜き払う。

 

 

「斬神刀皇!」

 

 

 戦闘前。同胞たる第五階層守護者・コキュートスより預かっていた、“神”を、“斬る”、武器。

 このチーム戦を戦う上で、他の守護者たちから必要になるだろうアイテム──中でも神器級(ゴッズ)相当の貸与を受けるのは、当然の戦略だ。戦闘員数が三名のみなのに、他の守護者たちに強力な武器を持たせっぱなしにするのはデメリットでしかない。無論、その武装に馴染みがない職業では扱うことにも苦労することになるだろうが、幸い、アルベドの悪しき聖騎士(アン・ホーリー・ナイト)などの騎士系統は、刀を装備し取り扱うことも十分に可能であった。

 

「せぃぁ!」

 

 戦斧と太刀の二刀流は難しい。

 それでもアルベドは、召喚された女神を頭頂から腹部まで完全に割断する一撃を振るう。

 神を斬るというネーミングは、ダテではない。

 この“斬神刀皇”は、「神」などに類する強力なモンスターを屠ることに特化したデータを──特攻能力を埋め込まれている。そこへ、アルベドの悪魔の力を注ぎこめば、召喚された程度の女神など、一撃で屠殺(とさつ)しても何の不思議もなかった。

 だが、女神は自己再生を繰り返して、しぶとく存在し続けた。繰り出される神聖属性を帯びた巨剣を戦斧で払い落とし、返す刀で女神の上腕を割打していく。

 その影で──

 

「〈魔法三重化(トリプレットマジック)上位(グレーター・)魔法蓄積(マジック・アキュリレイション)〉!」

 

 ミカは、“女神の魔法”という特殊能力で、上級魔法詠唱者が扱う魔法コンボ──三つの魔法陣からなる現象を発動してみせた。通常よりも消費魔力・詠唱時間は増加するが、今のミカであればギリギリ可能な三重蓄積。

 

「キ、サ、マッ!」

 

 女悪魔の憎悪が、黒い声となって湧き上がる。

 奴の狙いはコレか。

 アルベドはミカの詠唱を止められない。

 ミカの壁役として召喚されたモンスターの四肢を、翼を、頭を引き裂き引き千切り破壊しながら、戦斧と太刀の超高速連撃で、進撃を続けることしかできない。

 その間、ミカは整然と詠唱を続ける。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)神炎(ウリエル)!〉」

 

 魔法陣のひとつを満たす劫火の紅蓮。

 第八階層にて、炎の魔術師たるNPC・ウリが扱ったのと同じ殲滅魔法。カルマ値が“500”の極善──ギルド:天使の澱において第一位であるミカは、規定値通りの大威力を発揮可能。

 さらに、

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)神薬(ラファエル)!〉」

 

 魔法陣のひとつを満たす回復の新緑。

 この魔法は〈神炎〉と似ており、対象のカルマ値が“500”であれば規定通りの「極大回復」──だが、逆に対象が、“―500”の者の場合は「極大ダメージ」を与える神聖属性の力。

 そして、

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)神英(ガブリエル)!〉」

 

 魔法陣のひとつを満たす清廉な青色。

 この魔法も上記二つと同じく、カルマ値が最大である“500”の者が扱うことで、その真価を発揮できるもの──その魔法の威力は、広範囲を叩き潰す重力空間……英雄を前にしたときに感じる重圧(プレッシャー)を生成し、あまねく敵を破砕・掃討するもの。

 三つの魔法陣が埋め尽くされた。

 アルベドが、召喚された女神を、壁として立ちはだかったクソ邪魔な障害物を破壊し尽くしたのと──ほぼ同時。

 最後の魔法が、ミカの口舌より紡がれる。

 

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)・……」

 

 

 女悪魔の大攻勢──斧と刀は、

 まったく届かない。

 

 

「……・神と似たるもの(ミカエル)〉!!!」

 

 

 さらに「解放(リリース)」の大音声と共に発動した、四つの魔法。

 女神たる拠点NPCが解放できる魔力の全てを賭けた、四連撃の大魔法。

 天使の統率者を元にした女熾天使・ミカが繰り出したのは、四大天使の名を冠する第十位階魔法群。

 

 紅蓮と新緑と青色──それらを包み込む純白の光輝が、漆黒の鎧に身を固める敵の姿を、確実に捉えた。

 

 熾天使本来の魔法攻撃力など目ではない。

 まさに神の──女神の暴力と称するにふさわしい、極大魔法の顕現。

 神聖存在たる女神の練り込んだ極善の連撃が、数秒間、玉座の間の伽藍空間を満たす。

 だが、

 

「──甘い」

 

 アルベドは、無傷。

 またも神器級(ゴッズ)の鎧“ヘルメス・トリスメギストス”に、与えられた極大ダメージをすべて受け流すことで、女悪魔は剥き出しの黒髪一本分も傷つくことはない。

 カワウソが発動した超位魔法〈天上の剣(ソード・オブ・ダモクレス)〉すらも無力化したアルベドの能力と鎧の性能は、女神に対しても遺憾なくタンク系スキルの極技を発動してみせた。

 魔法コンボ発動後の技後硬直(リキャストタイム)

 この隙を衝かない理由など、ありえない。

 空を舞う女神に対し、アルベドは降伏勧告を諦め、速攻に撃って出る。

 

「死ね──」

 

 一刹那の殺意。振り上げた戦斧と刀身による、十文字の軌跡。

 それを喰らったミカは、おもむろに身体を崩しかけ──

 

「な、違う!?」

 

 アルベドは即座に気付いた。

 目の前の熾天使は、女神でも熾天使でもない。

 一秒の後、四等分に割断された女の身体は、鏡のような破片にガシャリと変じて、ばらばらに砕け落ちた。

 

「下級天使の、変身体ッ?!」

 

 しまった。

 これは変わり身。

 魔法で視界がとざされた際に入れ替わったのだ。

 ミカは、熾天使であり女神。

 彼女に召喚作成できない天使は、およそ堕天使以外に存在しえない。

 この鏡の天使は、二重の影(ドッペルゲンガー)のごとく外装・外見をコピーする能力を持っており、ミカがカワウソを魔導国から逃がそうと画策した折に使う予定だった天使モンスター。無論、真似(コピー)できるのは外側だけで、本物の力量や人格などは一切望むべくもない。故に、アルベドの斬撃二連で砕けるのは当然の結果であった。

 理解したアルベドは、背後に気配を感じる。

 隠形化した熾天使にして女神の気配は、与えられたアイテムで把握するのは可能。

 

 そして、振り返ったアルベドは、再び目にする。

 

「カワウソ様に戴いた我が命……使い、果たす!」

 

 罅割れ壊れかけの剣が、轟々と唸りをあげる光輝を(ほとばし)らせる姿。

 アルベドは直視する。

 ミカの本気を──女神という存在の深淵を──奥義を。

 

 

 

 

 

 彼女の、最後の一撃を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、ミカの過去編


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ミカ -1

ミカの過去 その1


/War …vol.09

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 ミカの脳裏に過ぎる、昔日の記憶。

 

 

 

 

 私はNPC。

 私は、とあるギルド拠点の、とある創造主の手によって、創り出された。

 

 

「…………ミカ『起動』」

 

 

 それが、

 その声が、

 NPCとして造られた存在が認識した──いちばん最初に聞いた、創造主の声。

 

 その音声と共に、NPCは己を認識した。

 

 

「『外装(グラフィック)』は、前も横も後ろも……よし、と」

 

 

 ミカとよばれたNPCは、その素晴らしい声の持ち主を、両の瞳にしっかりと焼き付ける。

 ふわりと浮かび輝く球体に、大きな三対六翼を広げた熾天使の姿。

 異形種らしい人外の形状。

 私を創造してくれた主人。

 至高の存在の名は、

 

 ────カワウソ。

 

 彼の名前は──カワウソ!

 

 ああ、この世の何よりも尊く、どんなものよりも素敵な御名前!

 

 

「ミカ『プログラムチェック』…………うん。バグらしいバグは、なし。うんうん。商業ギルドの“ノー・オータム”から買った基本NPC動作データは、信頼と実績があるからなぁ。前のギルドの時にも、結構流用させてもらったし……」

 

 

 彼が呼ぶ名前は、女性NPCである自分の深部記憶、存在の根幹に刻まれた、愛しい音色。

 NPCの私に与えられた名は、──── Micha ────

 ミカ。

 ミカ!

 それが、この私。

 ああ、なんてすばらしい名前!

 そして、この私の身体、魂、忠誠、心!

 何もかもすべてが、素晴らしい贈り物でございます!

 

 

「NPCの『設定文』は、んー…………あとで考えるか。とりあえず『種族データ』と『職業(クラス)データ』も詰め込んで、と」

 

 

 ミカの目の前に存在する熾天使────創造主たる彼から、これ以上ないと思っていた以上の贈り物を、次から次へと授けられていく。

 

 種族レベル……熾天使(セラフィム)Lv.5。天使長(エンジェルロード)Lv.15。救世主(セイヴァー)Lv.5。etc

 職業レベル……聖騎士(ホーリーナイト)Lv.10。聖上騎士(パラディン)Lv.10。守護者(ガーディアン)Lv.10。etc

 

 ああ、なんという数!

 次々と私の中に充足していく力の結晶が、種族レベルと職業レベルを合わせて100も授与された!

 

 

「『ステータス』……ここもバグなし。──おお、我ながらすごい数値になったな。これなら防御役(タンク)もバッチリこなせる。いや、すごいな、ミカは」

 

 

 ──まさか。

 今、目の前の御方に、私は、誉めていただけたのか?

 いいえ、そんなはずはない──誉れを受け取るべきは、私を創って下さったあなたの方では?

 

 

「次は『装備品』か。──女騎士の基本武装な感じだと、……こんなもんだよな?」

 

 

 烈光の剣“究極(アルテマ)”。閃光の盾“最大(マキシマム)”。黄金の兜“輝煌(グロリアス)”。

 すべてが我が身の力を増強させていくことがわかる。

 とんでもない多幸感だ。ミカは創造主への飽くなき感謝と礼賛を捧げるしかない。

 

 

「はは。すごいな。これじゃあ、まるで……リーダーと、そっく……り……ッ」

 

 

 ?

 カワウソ様?

 どうされたのでしょうか?

 

 

「…………まぁ、いい。次」

 

 

 ────カワウソ様?

 

 

「じゃあ、ガブ『起動』」

 

 

 ミカの創造主は、いきなり顔をそむけるように、ミカの横に控えていた銀髪の乙女……無装備状態で、肌着姿に褐色の肌が目立つNPCを起動させた。コンソールを六翼の内二枚で巧みに操りながら、ミカにしたような確認作業とデータ入力を行う。それが済むと、さらに横に控えている銀髪の青年──ラファの設定画面を。それが済めばウリの設定をイジった。

 こうして、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)……最初の四体たる拠点NPCが創造された。

 しかし、ミカは大きな疑問を懐いた。

 

 

 

 

 どうして、私は自分の声を、創造主の耳に届けられないのだろうか?

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 拠点NPCとなる天使のネーミングを付ける時、当時はまだ純粋な熾天使(セラフィム)であったカワウソは、ユグドラシルのデータの他に、天使について語る参考書籍なども閲覧していった。

 天使の代表格たるミカエルをはじめとして、ガブリエル、ラファエル、ウリエルなどから、神を意味する“エル”の字を抜くことで、それっぽい感じの拠点NPCたちを四体試作してみた。

 ミカ。

 ガブ。

 ラファ。

 ウリ。

 カワウソが取得したヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)──仲間たちの置き土産を存分に活用して創設されたギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、カワウソという存在を首領とする組織として、広大なユグドラシル世界の、最盛期では四桁のギルドが乱立したゲームのなかに設立された。

 ギルドの名前は、異形種の街の片隅にあった占い師のNPCを使って、適当に。

 ギルドメンバーも、ギルド長・カワウソ“たった一人”のみという、弱小も弱小。

 ただ、立地条件として、他のプレイヤーたちに攻め込まれる可能性の低い、ニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯──厄介なマイナスエフェクトの森、悪辣極まるモンスターの巣、ニヴルヘイムの二大支配者たる腐食姫……その住居たる黒城(くろじろ)を囲む大叫喚泉(フヴェルゲルミル)の近郊も近郊──真っ黒い森の、他の樹々と大して違いのない双樹の間に、隠れるがごとく位置していたため、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)はほとんど他のプレイヤーに認知されることなく、結局、サービス終了の日まで、隠れ潜み続けることができただけであった。

 

 カワウソは新ギルドを設立し、拠点NPCたちを適当に制作する傍ら、ある活動をはじめた。

 それこそが、天使の澱の至上命題にして絶対目標。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンへの再挑戦──

 あのナザリック地下大墳墓、第八階層の再攻略──

 

『敗者の烙印』という“×印”を頭上に浮かべるカワウソは、かつての仲間たちと共に挑んだ場所へ、今一度挑戦すべく行動を開始した。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 熾天使であるカワウソ──唯一絶対の主人に創造されてから、数週間が過ぎた。

 その間にも、至高なる御身の手で作り出される同胞は増えていった。

 死の天使たるイズラ。聖天使であるイスラ。

 ウォフ。タイシャ。ナタ。マアト。アプサラス。クピド。

 さらには城砦出入口の罠となる動像獣(アニマル・ゴーレム)や、拠点維持管理用の十人のメイド隊。

 誰もがカワウソというただ一人の主人を信奉し、忠誠を捧げ、己の命を賭してお仕えするNPCとして、この世界に生を受けた。

 しかし、誰一人として、カワウソと言葉を交わせるものは、いなかった。

 ミカたちNPCは、創造主と語り合えない……否、至高の存在と言の葉を交わすなど、畏れ多いことだと……自分たちNPCは、彼と語らうほどの存在ではないのだと──そう納得することにした。

 彼の言葉の中から、『反応するように』定められた一節に従って行動し、それ以外の動作は慎むことが、NPCの在り方であると心得るようになった。主人の命令(コマンド)は絶対だ。そういった法則に即しながら、ミカたちはカワウソという創造主への忠誠を示した。

 示すしか、なかった。

 

 そんな中で、ミカは最初に創られたNPC故か、創造された当初はカワウソに贔屓されているとしか思えないほど、よくお言葉を頂いたものだ。

「リアルの仕事でクソ上司が手柄を横取りした」とか、「ナザリックのあのルートを通るには、ミカみたいに頑丈な防御役(タンク)がいればなぁ」とか、折に触れてNPCのレベル構成や装備品項目をイジりながら、カワウソは寂しそうに語り続けた。

 彼が独り言を呟く己を自戒し、俯くたび、ミカはその身を助け起こそうか迷った。

 しかし、彼と対話することすら畏れ多いことなのに、NPCたる自分が直接手で触れるなど、憚りがあるどころの話ではない。

 ミカは──自分自身では丁寧に相槌を打っていたが、まったくカワウソに反応されることなく、彼がたった一人で、単独で、外へ狩りに出かける姿を、幾度となく見送った。

 そうして、彼が帰還されるときを、不動の姿勢で待ち続けた。

 帰ってきたカワウソの表情は、本当にいろいろであった。

 時には、狩りの成果に満足したような笑みを浮かべ、ミカたちに声をかけてくれた。

 そうでない時は、不満そうに、不機嫌そうに、彼に仕えるミカたちを遠ざけていた。

 

 そんな日々の中で、カワウソが最大の目標として語る、ナザリック地下大墳墓の、そのダンジョンを統べる悪のギルドのことも、ミカたちはすべて記憶していった。

 彼が研究のために蒐集(しゅうしゅう)し、何度も、何十度も、何百何千も繰り返し視聴する──カワウソが、かつての仲間たちと共に冒険した最後の記録を、彼の傍近くで、NPCたちは視聴し続けた。

 

 ミカには、さらなる疑問がひとつ生まれた。

 

 ミカは最上位天使──熾天使(セラフィム)だ。

 その種族は、強力無比な“希望のオーラⅤ”を常に解き放ち、自軍勢力のステータスをマイナスの効果から遠ざける能力を誇る。味方に勇気を与え、敵の恐怖をものともせず、回復と蘇生の力が働く限り、熾天使の力はあまねくすべての希望として光臨し続ける…………なのに。

 

 何故ミカは、

 創造主カワウソの悲しみを、

 彼の心痛を、寂寥を、嗚咽を、慟哭を、あまりにも深い絶望の涙を、

 癒し、治し、やわらげてさしあげることが……………………できないのか。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 カワウソは、アインズ・ウール・ゴウン再討伐およびナザリック地下大墳墓の再攻略を志す同行者や同盟を募った。

 しかし、その活動はまったく実を結ぶことがなかった。

 それどころか……

 

 

「──はぁ?」

「何言ってんだ?」

「ナザリック、再攻略?」

「それがギルドの方針だぁ?」

 

 数日後……

 

「え、なにそれ?」

「ちょ、アンタ、あたま大丈夫?」

「そんなの、無理に決まってんだろ?」

「ま。やりたきゃどうぞ、ご自由に?」

 

 数日後……

 

「いや。ていうか、なんだってそんなことを?」

「仕返しとか……復讐って、本気で言ってるそれ?」

「うっわ。ダッサ」

「ていうか、キモすぎ」

「あー。熾天使は良い回復要員になると思ったけど。ゴメン。今回の話、ナシで」

 

 数日後……

 

「あんたが、例の?」

「噂には聞いたよ。頭がオカシイって」

「『敗者の烙印』持ちの熾天使(セラフィム)──ナザリックの再攻略だっけ?」

「よくもまぁ、そんな馬ッ鹿なことを目指せるよね」

「無駄なことにプレイ時間を浪費して。お気の毒~」

「恥ずかしいと思わないわけ?」

 

 数日後……

 

『こちらは、保安用NPCです。この中立地帯の都市は、街頭勧誘行為が禁止されております。警告を無視し続ける場合、五分後に強制措置を──』

 

 数日後……

 

「あ! 熾天使発見!」

「よっしゃあ、PKポイントよこせ!」

「負属性と冷気属性でタコ殴りにしろ!」

「は? 大事な待ち合わせに遅れるだぁ?」

「そんなの知るかボケ!」

「俺らハンター集団に見つかった自分の不運を恨みな! ヒャッハー!」

 

 数時間後……

 

「……残念ですが。私たちはあなたに協力することはできない。

 いえ、約束の時間に遅れたことへ腹を立てているなどの理由は、一切ありません。遅れた理由もお察しします。

 ただ──あなたの協力要請を受けるメリットがまるでない。控えめに言っても、常識的ではない。リスクリターンは合わないし、あなたの言っている作戦も、すべて机上の空論だ。あの極悪なナザリックの構造上、天使種族が第八階層まで到達できる確率は、一割を完全に割ります。ほぼ0(ゼロ)とすら言える。たとえ天使プレイヤーばかりを数百集めても、“墳墓”にいるシャルティア・ブラッドフォールンに削減され、“氷河”のコキュートス戦で全滅するでしょう。私たちのギルド:セラフィムが、あなたのギルド……いえ、たった御一人と同盟を組むような理由も意味も、その価値すら見受けられない。あなたの提示できる報酬も、我々にとって魅力的なものは何ひとつないとなれば──おわかりいただけますね?」

 

 

 

 とある日……

 

 

 

「囲め囲め!」

「そっちに逃げたぞ!」

「久しぶりの天使狩りだ! ぬかるなァ!」

「網もってこい、網! 翼に引っ掛けろ! 狩人(ハンター)のスキル!」

「よし、つかまえたぞ!」

「やれ、やれ! やっちまえ、やっちまえッ!」

「とっとくたばれよ熾天使(セラフィム)。ドロップがもらえねぇだろ?」

「おっしゃぁ! ポイントゲッツ! あと二つで転職(クラスチェンジ)!」

「ヒュー! いい素材が落ちてくれたぜ! これでやっと神器級(ゴッズ)装備が完成できる!」

「クソ、そっち当たりかよ。俺なんて雑魚の防具一個しか貰えなかったのに」

「──ていうか、コイツなんで『敗者の烙印』浮かべてるんだ?」

「さぁ?」

「つか、どうでもよくね?」

「自分たちのギルドも守れない弱小だったってことだろ?」

「おまけに、ギルドの再結成も出来なかったってところだな。超・(みじ)め」

「あはー。だからソロでいるのか。珍しい奴がいるもんだ」

「はい、じゃあ、お疲れさん」

「またポイントよろしくね、熾天使さん♪」

 

 

 

 

「「「「「「「  あッはははははははははははははは!  」」」」」」」

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

 カワウソが、ホームポイントとしているヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)へ帰還を果たした。

 それを出迎えるのはミカの公然の務め。彼に一番最初に創られたNPCは、彼のかつての大恩人……旧ギルドの長の役割に寄せられていた。それが影響しているのか、ミカはカワウソの独り言を聴く役に徹することも、ままあった。

 プログラム(いつも)通りに出迎えるミカは、主人のレベルが微妙に落ちていることに気付いた。装備していたはずの剣や盾なども喪失されていた。

 広大なユグドラシルの世界には、常に危険が付きまとう。

 自分たちは一切外に出されることはなかったが、カワウソという至高の存在が死に戻ってくることもあるほどに、外の世界には彼以上の強者が(ひし)めいているようであることは、彼の言動などから完璧に理解(わか)っていた。

 その事実を思うたびに、ミカは口元が歪みそうになる。

 自分も彼と共に外へ繰り出し、彼を護る一助を(にな)えれば、どんなに良いか。

 しかし、ミカは思ったことを口にはしない。

 口にしても、カワウソの耳には届かないと心得ている。

 なのに、

 

 

 ──カワウソ様?

 

 

 いつになく意気消沈した様子の創造主の姿に、ミカはたまらず声をこぼし、首を傾げそうになる。無論、首を傾げるというプログラムは、ミカというNPCには組み込まれていない。

 だから、ミカはじっと突っ立ったまま、カワウソから頂けるはずの言葉を、待ちわびるだけ。

 しかし、

 

 

「うわぁぁああぁぁああああぁぁぁああああああ!!!!」

 

 

 喚き声と共に、ミカはカワウソの翼に殴り飛ばされていた。

 ミカには体力の減少はありえなかった。

 だが、それ以上の衝撃が、ミカの脳を駆け走った。

 光を放つ球体に六翼という外装でしかない姿の創造主が、泣いて、喚いて、狂乱と絶望にいろどられた叫喚を吐き零していた。

 

 

「なんで……なんで、なんで! なんで、みんな、皆ぁ! 皆してオレをッ!!」

 

 

 お、お気をお鎮めください。なにか──何か私が、不調法を?

 

 

「どうして……どうして、ぁぁ……たすけて……助けてよォ、皆……ミンナァ……」

 

 

 お助けします!

 絶対にお助けします!

 お助けするに決まっております!

 何なりとお命じください──どんなことでも叶えて御覧に入れます!

 私たちは、私は、そのために、そのためだけに、あなた様に創られたのです!

 

 

「アア、アアアア、アアアアアア、アアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 

 お応えください、創造主(カワウソ)様!

 

 

「う、あああ、あああああ……」

 

 

 ……どうして。

 どうして……私の声は。

 あなたに、届かないのですか?

 

 

「──あああ……もう、イヤだぁあああああッ──、──   」

 

 

 血に濡れたような嗚咽と涙声を吐き落とし、ミカをサンドバックのごとく殴り続けていた熾天使は、いずこかへと姿を消した。

 女天使の祈りが通じた、というわけではない。

 ミカには理解できなかったことだが、神経に負荷がかかりすぎたことで、ゲームシステムがカワウソに対してログアウト処理……強制退去を施し、現実世界へと帰還させただけであった。もちろん、NPCでしかないミカには、そんなリアルの事情などわかりようがない。

 

 ミカは切実に思った。

 熾天使である自分の力が、味方を癒し護る“希望のオーラⅤ”が、何故、創造主に対して機能していないのか。

 ミカが気づかないのも無理はないが、ゲームでの効能と、リアルでの感情や精神状態が、直で作用するわけがないのだ。

 だからミカは、自分の力が、創造主に対して何の効能も上げられないのは、自分が無力であるからだと、結論するしかなかった。

 そうして、カワウソは、そんなミカの劣悪ぶりに、嫌気が差しているのではないかと──

 そう思うたびに、ミカは絶望の闇に捕らわれかけた。

 自責の念を深めていくしかなかった。

 

 ……待って……

 ……待って、ください。

 どうか、どうか、いかないで。

 私の力が至らないことを御許しください。

 あなたに与えられた力を十全に使いこなせない、不明で無能なミカを御赦しください。

 あなたが望めばなんでも差し上げます。

 ご命令とあればなんでも叶えます。

 だから──

 どうか──

 棄てないで、ください──

 捨てないでください──

 私たちを……私を──

 

 見捨てないで!

 

 

 

 

 

 

 あくる日。

 ミカが危惧していたような……もう二度と、彼はこの拠点・ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)へ帰還することはないのではないかという、最悪にして最低の予測は、完全に外れてくれた。

 熾天使のカワウソは、再びユグドラシルの世界での冒険を続けに来たのだ。

 しかし──

 

 

「……………………」

 

 

 彼はミカのことを眼中に入れず、拠点の外を目指し、去っていった。

 昨夜のことを気にされているのかもしれない。

 だとしたら、ミカはいくらでも否定することができた。

 創造主である彼から与えられるものであれば、苦痛でも汚濁でも、侮辱でも凌辱でも、すべてが祝福と同義になる。創造主である彼から求められさえすれば、何でもして差し上げる所存であった。少しでも、彼の心を、悲嘆を、慟哭を、慰めることができるように。

 だが──

 

 

 カワウソは一顧だにせず、ミカを置いて拠点の外へ向かった。

 

 

 それからというもの、カワウソはNPCたちを無視することが多くなった。

 以前までのように、かつての仲間たちを模倣した存在たちに対する親愛や哀惜の情を言葉にすることなく、あまり深くかかわらないように努めた。だが、時折外で見つけた強力な装備やアイテム、日課となっていたNPCデータのガチャでレアものを引いた時などは、面と向かって、彼らを強化することを忘れずに行い続けた。

 これより後に、ミカが“女神(ゴッデス)”のレベルデータを与えられたのも、その一環に過ぎない。

 彼から与えられるものは、すべてが祝福であり恩寵であり、──同時に、彼の言語化不能な感情の()け口にされる機会ともなっていた。

 

 

「これだけのNPCが外に連れ出せたら、少しは攻略や狩りもはかどるのかね…………はは」

 

「今日はいい素材が手に入ってよかった。PK連中の包囲を抜けるのはメンドウだったけど」

 

「思い切って第四階層を作ってみたけど、ミカは気に入っ…………ッ、なに言ってんだ、俺」

 

「なんか久々にふらんさんからメール来たけど。どうしよ、これ……会った方がいいかな?」

 

「お久しぶりです。ふらんさん。五ヶ月、半年ぶりでしたっけ? こちらこそ御無沙汰して」

 

 

 その日。

 ミカはカワウソ様の御仲間というプレイヤーが拠点に招待されると聞き、歓迎の用意をしようかどうか悩んだ。

 彼が常々、ミカたちNPCに面影を重ね合わせていた“かつての仲間”の御一人。興味が尽きることはなかったし、おさおさ無下に扱うのも憚られる。

 いかに、このギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)支配者の一人(ギルドメンバー)でないとしても、相手は創造主様の個人的な友人。挨拶を交わす程度の礼節は、カワウソに造られたものとして、あって当然の処法だと思われた。

 だが、カワウソから命じられるべき内容は特になく、第一階層から第四階層の定期巡回しか命じられなかった。

 お二人は私が見回りの間、円卓の間で話し込まれているのがわかった。

 屋敷の巡回をやり尽くし、ほぼ定刻通り、円卓の間へと戻ろうとしたミカの耳に、扉越しの主人の声が聞こえた。

 

 

「────────────忘、れる?」

 

 

 悪寒がした。

 その、調律が狂った楽器のような音色は、あまりにも不吉すぎて。

 ついで、女性の声がかぶさるのを聞いた。友人であるカワウソを思いやる慈しみを感じさせるそれは──だが、彼の心を責め苛むものにしか、なりえなかった。

 

 

「大丈夫、です。ふらんさん」

「でも、カワウソさん。いくらウチの妹が、エリィが、ナノマシンの障害で入院していたからって」

「さすがに。そんな事情がある以上は、謝れなんて言う方が(こく)ってものでしょう? リーダーの、エリ・シェバさんの体質で、ナノマシンが過剰動作……暴走なんてしたら、今のご時世、ネトゲどころか日常生活だってつらいでしょうし? ネットに繋がれないなんて、アーコロジーの富裕層でもないと、即死亡案件じゃないですか? 少なくとも自分みたいな底辺の独り身だと、確実にヤバいことになりますね。だから、うん、お二人が連絡できなかったのも、無理はありません」

「──それは、そうですが」

「ふらんさんが、たった一人の家族を大事にするのは当たり前です。(リーダー)の入院の世話に、ご自身のゲーム会社での仕事。それを両立しながらユグドラシルを、ゲームを続けるなんて、普通に考えれば無理ってもんです。自分でもそんなことできませんよ。家族とゲーム。どっちが大事かなんて、ハッキリしてます。連絡する余裕さえなくなっても、全然ふつうです」

「いいえ、でも」

「それにリーダーは、まだ14歳。ここで引くべきなのはドチラだって話になれば、間違いなく大人の自分になるはず」

「では。せめて、私に謝罪させてください。連絡もできなかった私のことを、一生恨んでくださって構いません! あなたが望めば、どんなことでも、なんでもします! だから!」

「いいや、だから、大丈夫ですって。

 ──自分は、──俺は、……もう、とっくに、とっくの昔に…………“許してます”」

 

 

 リーダーを。

 みなさんを。

 あなた(ふらん)のことも。

 そう引き絞った声が、あまりにも痛々しい。

 彼の心が汚穢にまみれ、涙と血が噴き零れるほどの傷を刻み込まれたと、わかった。

 ミカは堪えきれなかった。

 ミカは扉を開けた。

 何か言ってやろうと思った。

 創造主を傷つける者は、たとえ御友人であろうと、ミカには許容しきれなかった。

 だが、

 

 

「ミ、ミカ! 見回りの時間は……あ、もう、過ぎてたか」

「カワウソさん……え……その人、いえ、NPC、は?」

 

 

 しかし、ミカは言葉を発せられない。

 少なくとも、二人のプレイヤーに届けられる声は発することができない。

 至高の創造主と対等に言葉を交わすような権利も機能も、NPCには存在しえない。

 ただの被造物ごときが、至高にして絶対の存在である造物主と対等になれるなど、ありえない。

 

 

「ミカ、もう一度、『屋敷を巡回』」

 

 

 命じられた以上、ミカには否も応もない。

 後ろ髪引かれる思いはぬぐえなかったが、カワウソの命令は絶対だ。

 

 そうして、再びの巡回を終えたミカは、円卓の間に戻った。

 

 そこには、長卓に突っ伏して震える、創造主の姿しか、ない。

 彼の友人、ふらんという名のプレイヤーは、どこにもいない。

 ひとりで震える熾天使の許へ、ミカは危ぶむように歩み寄る。

 

 

「ああ、最悪だ。最悪最悪最悪……なんで、俺、なに、なん、で……あ、ああ、あああああッ!!」

 

 

 テーブルを砕かんばかりに振るわれる翼の強音。

 創造主の震え壊れた怒声が、ミカの耳を引き裂き抉り千切らんばかりに轟いた。

 

 

「ふざけるな! ふざけるなふざけるなふざけるな! フ、ザ、ケ、ル、ナァッ!」

 

 

 卓を持ち上げてひっくり返す熾天使の荒々しさが見るに堪えない。存在していない脚で椅子を蹴り上げ、天井や照明や窓ガラスにぶつけまくった。

 それだけの暴虐でありながらも、〈道具破壊(ブレイク・アイテム)〉などの専用の手段でない以上、その行為はいかなる破壊ももたらさない。一脚の椅子が跳弾のようにミカの翼に当たっても、同じこと。

 円卓の間に恐慌と狂然の叫びが(こだま)した。

 そして、ついでとばかりにカワウソはミカに詰め寄り、天使の顔面を殴り倒し、その体を蹴り飛ばす。

 ──だが、同士討ち不能な世界で、ミカの体力に干渉することはできないこと。

 ミカには目にすることはできないが、カワウソの一撃ごとに、0pointの虚しい表示が浮かんでは消える。

 それでも──

 

 

「なにが俺のためだ! 何が忘れた方がいいだ!

 何が『他のゲームに招待(コンバート)できますから』だ!

 何が『もう、忘れた方が、あなたのためだと思う』だ!

 なにが、『こんなことを続けても、他の皆から嫌われてしまいます』だ!

 なんで、なんでナンデ、ナンデナンデナンデ、こんな、コトに……ッ」

 

 

 絶望し混沌化する創造主の狂態に、ミカは幾億の刃に貫かれるような気を味わった。

 

 ──それでも

 

 

「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」

 

 

 ミカの目の前で、翼で自分の頭を覆うように──血色の涙を抑え込むように喚き散らし──この世の全てを恨み呪い尽くす絶叫をあげながら、熾天使のプレイヤーが消え失せた。

 当然、精神状態の過剰昂奮による強制退去(ログアウト)──ゲームの仕様を、ミカは知らない。

 知らないが──彼が、今ここに、この場にいることがつらくて、つらくてつらくて、つらくてつらくてつらくてたまらないことだけは、完全に理解できた。

 

 それでも。

 だとしても。

 

 彼がこの世界にいることを拒絶したがっていると理解しても──

 立ち上がるミカは、願わずには、いられない。

 

「…………いかないでください」

 

 震える祈りと共に、ミカは(こいねが)う。

 

「……見捨てないでください」

 

 ミカは心から、彼のことを想う。

 

「私たちを……、私を……」

 

 

 

 

 おいていかないで

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 カワウソは、たった一人になった。

 もはや旧ギルドにこだわる理由など、これっぽっちも存在しなかった。

 

 リーダーは、今どき珍しい──導入最初期は頻繁に報告されていた──ナノマシンの異常暴走で入院し、数ヶ月もの間、意識混濁になるほどの重傷を負い、長いリハビリを余儀なくされたという。そんな14歳の妹の看病と介護、ならびにユグドラシル運営の親会社でチーフプロデューサーとして業務にあたるふらんは、ユグドラシル内で勃発した事件「ナザリック地下大墳墓のチートじみた逆転劇」の対応……調査と収束に追われ、多忙を極めた。これだけのリアル事情が重なって、あの討伐戦失敗後、彼女たちがカワウソたちに連絡を怠ったことを責めるのは不可能だ。企業が絶対とされる社会秩序において、余暇で遊ぶゲームを疎かにしても、誰も文句は言えない。

 むしろ企業の(いぬ)として、ふらんはまだ幸運な立ち位置にいられたのだ。酷い企業であれば身内の病気や事故・死亡ごときで便宜を図る──保険の適応や忌引休暇を与えることすら“ありえない”社会の中で、ふらんは可能な限り、家族と仕事を両立できるように計らってもらえたのだ。彼女の社内での地位と、その技能と経営手腕を喪うことを回避したかったのも確実にあるだろうが、「ユグドラシルを遊んでいてナノマシンが暴走した」という事実を隠蔽しようという、企業側の圧力もあったのかもしれない。

 

 

 

 

 ナノマシンは言うまでもないが、人間の体内に極小の機械を……異物を注入することで、その機能を発揮する。

 仮に、人間の免疫不全を解消するために『免疫機能を代替すべく、体内で自己増殖するナノマシン』があったとして、そのナノマシンが何らかの事故で過剰に暴走し、増殖規模が増大したら、いったいどうなるだろうか。人の体内で無限に機械物質が生成され続け、気がついた時には……想像するだけで恐ろしいことになる。

 2100年代のディストピア世界において、ナノマシンに自己増殖機能を持たせない……使用すれば使用するほど劣化摩耗し、体外へ排出されていく仕様になっているのも、そういう暴走の危険を取り除く意味では有用であった。

 しかし、すべての暴走要因を排除しても、何がきっかけでナノマシンに誤作動があるのかわからない。

 それが脳神経や脊髄に直結していれば、ナノマシンの異常動作──暴走で、被験体に何が起こるのか。

 ナノマシン事業を一手に担う世界規模のメガコーポレーションが推奨した、新世代のニューロン・ナノ・インターフェイス。

 富裕層・中間層・貧困層を問わず、生まれた瞬間に取り付けられるのがほぼ義務化されているほどの普及率を誇っている、人の脳を巨大な演算機とするための、新技術の粋。

 が、その導入には懐疑的な意見も多かった。人の体内に、機械などの異物を注入することを忌避する自然主義者や宗教家の批判は免れず、ナノマシンが何らかの原因で暴走や事故を引き起こすかもしれないと知れれば、単純に危険視する場合も十分あり得る。

 もっとも。企業が世界の舵取りを行う時代において、そういう異論反論は揉み消されて当然の異分子。金にモノを言わせ、あるいは家族を人質にとってしまえば、あとはどうとでもなる。それでどうにもできない場合は、この世界から反抗する者達を存在ごと「排除」することだってできる。……世界を牛耳(ぎゅうじ)る彼らならば、それが十二分に可能なのだ。

 無論、彼らナノマシン製造の最大手たる巨大複合企業も、度重なる実験と症例を研究し、考えられうる限りの暴走要因や事故原因を排斥し、そうして何重にも働く安全装置を機能させている(自分たち富裕層も使うのだから当然だ)。ユグドラシルなどのゲームにおいて、五感の内、嗅覚や味覚二つを遮断し、触覚にも制限処理を施しているのも──使用者の意識が過分に興奮した状態を記録した場合に、強制ログアウトが作用するのも──すべてはナノマシンの暴走から、利用者の脳や体機能に対し、過剰過大に過ぎる影響を与えないようにしてのこと。

 しかし、今でも年に数例ほど、ナノマシントラブルに見舞われる患者は存在している。だが、それは普及している人口率と照合すると、「ほぼ存在しない」レベルであった。──少なくとも企業側の発表では。

 この暴走事故は多くの場合、患者の体質とナノマシンが合わないことが大きな要因とされているが、場合によってはゲームの体感覚制御機能がうまく調整できていない──五感全てを再現しようとするなどの無理を企業が開発初期に試行・実験した場合──あるいは悪質なユーザーが違法改造を断行したことで、ナノマシンの危険領域に触れることもありえる。電脳法でこれら体感覚の制限方式が規定されているのは、現実と仮想世界の混同を引き起こさない以上に、技術面における不安要素を根絶するためなのだ。

 脳とナノマシン──人と機械が繋がるということ自体に、何らかの原因があるのかもしれないが、いずれも企業側の人間のみが知りうる情報であり、一般の人間にはそこまでの情報が開示されることは、あまりない。

 

 そして、

 

 そういった巨大複合企業の、是が非でも秘匿したい情報を手にした一般人は、企業の許で監視されるか、あるいは企業の手で「処理」されるかの二択しかない。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンのメンバーのとある一人も、企業に「処理」された側の人間であることは、彼から情報を与えられた一人しか、知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ミカ -2

ミカの過去 その2


/War …vol.10

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リーダーとふらんは、ユグドラシルから去っていった。

 去っていくしかなかったのだ。

 カワウソは一人になった。

 彼の挑戦を──復讐を──仲間たちとの誓いを果たすことだけを希求する男の企みに賛同する物好きなプレイヤーは、一人たりとも現れることなく、観念したカワウソは単独で、ナザリック地下大墳墓の再攻略を、可能な限り続けた。続けるしかなかった。

 

 熾天使の種族のままでは、どうしても第一・第二・第三階層の“墳墓”を突破できないと悟った。

 マイナスエフェクトが通じず、シャルティアとの戦闘でも有利になれるだろう堕天使に、熾天使の状態から降格した。

 共にナザリック地下大墳墓を攻略しようという勢力やプレイヤーと迎合しようという気も、完全に潰えた。

『敗者の烙印』を浮かべたまま近寄っていけば、必ずといっていい割合で馬鹿にされ嘲笑され軽蔑され、最悪、PKポイント目当ての狩人(ハンター)たちに襲撃されることを理解し尽したのだ。

 せいぜいナザリック地下大墳墓に物見遊山(ものみゆさん)目的で向かうご新規さんがいる時に、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーがそいつらの迎撃に夢中になっている隙を衝いて、密かに潜入侵入する程度のことしか、しなくなった。

 

 堕天使の弱点・不利を補うべく、ひとつ作るのにも大変な労力のかかる神器級(ゴッズ)アイテムを、自分の拠点でひとつ製造してみせた。贔屓にしていた商業ギルドの長に連れられ、上位天使ギルドの払い下げ品である神器級(ゴッズ)アイテムを五つ購入し、四つを自分の装備として、残るひとつを拠点NPCであるミカに装備させた。その商業ギルド“ノー・オータム”の長からも、彼女がゲームを引退する際、ひとつの神器級(ゴッズ)装備を譲り受けた。

 

 ほどなくして、堕天使となったカワウソは、『敗者の烙印』由来の“復讐者(アベンジャー)”のレベルを獲得し、それをゲーム内で初めて極め尽くしたことで、他に類を見ない世界級(ワールド)アイテム──頭上の赤黒い円環──“亡王の御璽”の授与条件を満たすことになった。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 創造主がふらんという名のご友人と別れて、しばらく経った頃。

 カワウソは熾天使であることを捨て去るように、堕天使という劣等種族への転生を果たした。

 だが、彼に創られたミカたちNPCにとって、創造主の行動選択は絶対であり、たとえ彼がどんなに弱くなり果せようと、まったくもって関係なく、変わらぬ忠誠を捧げ続けられるもの。それに伴い、第四階層の屋敷に詰めていた──以前は第三階層の“城館(パレス)”で仕事をしていた──メイド隊十人の内、五人、純粋な天使(エンジェル)であったLv.1の拠点NPC=サム、インデクス、ミドル、リング、リトルの五名は、主人と同じ堕天使へと変更された。

 そうして、久方ぶりにLv.100NPC全員が招集され、カワウソに連れられるまま、拠点第四階層にある屋敷に集まった。

 どうやら、新しい装備類の支給と、新たに得られたNPCレベルデータの交換による“強化”が主な目的であったらしい。

 新たな装備としては──ミカが“第四天(マコノム)”を、ナタが“六臂の剣”シリーズを、マアトが“太陽神ラーの加護”など、これまでよりも比較的性能の良いものを、全員がそれぞれ下賜された。

 新しいNPCレベルは──ガブが“聖母(ホーリー・マザー)Lv.5”を、ウリが“災厄の弟子(ディサイプル・オブ・ディザスター)Lv.5”を、クピドが“次元操作師(ディメンジョナラー)Lv.10”を──そして、ミカも“無垢なる者(イノセンス)Lv.5”という力を、新たに与えられた(無論、そのために以前まで組み込まれていた、比較的不要なレベルデータを抜き取って調整が行われるというのが、拠点NPCにとって唯一のレベル再構成(リビルド)方法である)。

 それに伴い、拠点の防衛部隊として活動するLv.100NPCの配置見直しや新たな戦術プログラムの構築なども行われた。特に、第三階層“城館(パレス)”の警備をより一層盤石のものになるよう調整を加えられた。

 そうして、カワウソは最後の最後に、NPCたちの設定文に、はじめて手を加え始めた。

 ミカを含む全員が心を躍らせた。

 彼から『かくあれ』と望まれること。

 与えられる容姿も能力も、装備に至るまでも何もかもが、彼という絶対の主から与えられるもの。即ちそれは、すべて他に変えようのない恩賜となるのだ。

 そして、創造主が最初に手を付けたのは、最初に創造された拠点NPC──ミカであった。彼がいかなる理由でか、創造してからまったく付け加えることのなかった設定文の項目に、創造主の手が触れるのを実感するだけで、ミカは歓喜の虜と化してしまう。

 カワウソが、ミカの設定文を入力していく。コンソールのキーを叩く音が耳に心地よい。

 

 

『ミカは、』

 

 

 ミカは感激に身を震わせかけながら、しかし、NPCらしい謹直な立ち姿のまま、彼から与えられるものを切望した。

 彼が望むのは、果たしてどんなミカなのだろう。

 彼が望むことなら、どんな存在にでもなってみせよう──そうあることが、彼の望みである以上、NPCには否も応もあるまい。

 ミカは、設定文の入力に悩み、少しばかり時間をかける主人を、沈黙のまま見つめ続けた。

 だが、

 

 

『ミカは、堕天使であるカワウソを嫌っている。』

 

 

 …………………………え?

 

 

 その一文を視認した時、ミカの目の前が、夜よりも深い暗黒で覆い尽くされた。

 無論、それは錯覚。

 光を司る天使種族に“暗黒(ダークネス)”などの状態異常は発生しえない。

 だが、ミカはこの世界(ユグドラシル)に生まれてから初めて、そうとしか形容しようのない絶望の淵に突き落とされた。“希望のオーラⅤ”を纏う熾天使が、だ。

 同じく主人の行動を直立不動の姿勢で見つめていた同輩たちから、悲鳴じみた疑念の声があがる。

 だが、ミカたちNPCの声は、カワウソに届いた(ためし)がない。

 ミカは首を振りそうな己を硬くし直した。

 それでも、頭の中に浮かぶ疑問符は、尽きることない泉のように湧いて溢れる。

 

 

 うそ。

 まって。

 待ってください。

 いや、嫌、イヤです!

 お願いです! どうか──どうか、それだけは!

 

 

 声なき声で主人のしようとしていることを諫めるように拒絶しかける。

 堕天使のカワウソは、淀みない調子でコンソールを叩き続けた。

 

 

『ミカは、堕天使であるカワウソを嫌っている。

 何故なら、ミカはカワウソという堕天使のせいで下界(ユグドラシル)に降臨せざるを得なかった天使の長であり──』

 

 

 ミカの生い立ちや気質、頭脳明晰な智略や防衛部隊指揮官としての役割、毒舌という口調に至るまですべてが、創造主たるカワウソからの贈り物となって、彼女の存在深部に刻印される。それは、まさに祝福と同義。『かくあれ』と望まれ、NPCはそうあることが当然のものと、定めを設けられる。間違ってもNPC個人の都合や意思で歪めてよい領域のものではない。

 だが、ミカは叫ぶしかない。

 叫ぶ以外にどうしろと言うのか。

 

 

 ありえません!!

 ありえません、ありえません!!

 そんなことなど、決してありえません!!

 私は、あなた様に創られた存在なのです……それなのに!!?

 

 

 嫌っているわけがない。

 カワウソを嫌う理由がどこにあるというのか。

 創造主に殴られるのは、ミカが何か不作法を働いたせいだろう。それを恨みに思うなど筋違いである上、そもそも殴られてもどういうわけか、ミカの体力が減るなどの事象は起こっていない。きっとカワウソが手心を加えてくださっているのだろうと納得している。

 ミカは彼を癒し、護り、共に戦う宿命を負うNPC。だから、きっと、ミカが思うような機能を発揮できないことに、苛立っておられるのだろうと、そう思われてならないくらいだ。

 嫌っているはずがない。

 むしろ敬愛して忠愛して清愛してやまない──それが創造主に対する被造物(NPC)の感情なのだ。

 なのに、

『嫌っている。』などと定められては、ミカの魂が紡ぐ膨大な愛情は、いったいどこに行けというのだろう。

 ミカは叫び続けた。慟哭し、咆哮し……けれど、その声はPC(カワウソ)には、届かない。

 何故なら、ミカはNPC(ノンプレイヤーキャラクター)

 彼女の声が届くことは、ありえない。

 ありえていいことでは、ない。

 

 カワウソが設定文「決定」のキーを叩いた瞬間、ミカのNPCとしての設定が定められてしまう。

 ミカは動かない身体を動かそうと試みたが、NPCには勝手な行動など不可能。

 プレイヤーに対し、NPCがどうこうできる権限など、ない。

 

 もはや祈るしかなかった。

 祈って祈って祈り続けるしかなかった。

 カワウソの気が変わってくれることを、ミカは必死になって祈り続けた。

 

 だが、その祈りは決して届かない。

 

 こんなものかという軽い感じで入力し終えた設定文を閲覧し、そうして頷くカワウソ。

 ミカたちの唯一の創造主は、

 決定キーを、

 

 押した。

 

 

 

 あ、……ああ、……あああああ!

 

 

 

 ミカの設定が刻印される。

 魂の底に、存在の根幹に、ミカがミカである理由が焼きつけられる。

 

 

 

 ──いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!?

 

 

 

 NPCの絶叫は、

 ミカの絶望は、

 プレイヤーには届かない。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

『ミカは、堕天使であるカワウソを嫌っている。』

 この一文に込められた当時の感情と思惑は、無論、カワウソの旧ギルドの仲間たちが影響している。

 カワウソを見捨てて去っていった仲間たち。

 皆にもそれぞれの事情心情があることは理解している。

 副長であったふらんが最後に言っていた諫言(かんげん)──「他の皆から嫌われてしまう」という忠告も、すべて。

 理解できていながらも、カワウソはそれを拒絶するかのように、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦を──ナザリック地下大墳墓の再攻略を──『皆と一緒に、そこへ戻って冒険したい』……あの誓いを果たしたいという、バカの極みじみた愚行を、一心不乱に目指し続けた。

 

 ただの拠点防衛用のLv.100NPCたちのほとんどに、あの「胚子の天使」が使ったのと同じ“足止め”スキル発動のためのレベルを少しだけ与え、あの第八階層“荒野”を突破する上で必要な戦力を考察し、考案し、戦略シミュレーションの一環として計12人の二パーティー分のチーム編成を構築してみせた。

 NPCの課金ガチャでレアものを引いた時には、それをミカたちに与えた。自分では装備できないレア装備も、それを装備できる職業を有するNPCたちに率先して振り分けた。すべては、彼女たちを一個のチームとして完成させるために行われた。自分が目指す場所に、復仇の存在が待っている地を攻略するのに必要な、理想的と言えるチーム。それこそが、かつての仲間たちと役割や構成の似通った、天使の澱のNPCたちであったのだ。

 

 カワウソ自身、自分がどれだけ醜悪で(おぞ)ましいことを嗜好しているのか、自覚はしていた。

 けれど、どうしようもなかった。

 拠点NPCは、外に連れ出すことはできないという常識・ゲームの仕様を考えれば、カワウソのやっていることは、ほとんど無価値でしかなかった。

 だが、カワウソは、そうした。

 既にいなくなった友人たちに似せられたNPCたち──電脳世界の構築物──ただの人形たちに、愛憎うずまく思いを懐きながらも、それを一個の芸術作品のごとく、丁寧に丹念に、カワウソの能力が許す限り強化を重ね、拠点防衛を担うにふさわしい存在──以上に、ナザリック地下大墳墓・第八階層“荒野”を突破できる部隊として、懸命とも言うべき執念のまま、(こしら)え続けた。

 しかし、それは、余人にはまるで友達のいない子供が、人形を使って友達ごっこに興じているようなありさまであったのだ。あの時、ミカと出くわしたふらんがドン引きしたのも無理はない。

 

 だから、カワウソはかつての仲間たちとよく似た人形たちの設定を、かつての仲間たちとは「違う者」として定めを設けた。

 

 熾天使のカワウソを気に入り、その球体の身体の抱き心地を堪能してやまなかったリーダー……エリ・シェバ。

 

 そんな彼女と同じ役割を背負うミカは、カワウソのことを気に入らない──『嫌っている』と、定めた。

 

 ……そうすることでしか、当時のカワウソは、自分の心の均衡を保つことは、不可能であった。

 

 ミカは本当に、カワウソも驚くほど、リーダーの外装と似てしまった。

 カワウソはそんなつもりでミカのグラフィックを描いたつもりはないが、気がついた時には、エリ・シェバというプレイヤーと似通った女聖騎士が誕生していた。

 

 ……あるいは、カワウソも解っていたのだろう。

 仲間たちはもう、誰一人として、戻ってくることはないことを。

 

 だから、仲間たちの姿を精巧に、精密に、正確に正常に正統に、かつてのままの姿を保ったものを、あのユグドラシルに残したくてたまらなかったのかもしれない。

 

 ただの思い出として風化させまいと、仲間たちと似たもの達を創り上げて、それらに囲まれることで、仲間たちとの日常を──記憶を──思い出を、形ある器物として、描き切ったのかもわからない。

 

 だが、それゆえに、ミカたちは仲間たちとは相反する──まったく違うモノだと自分自身を戒めるために、そのNPC設定文は、仲間たちのそれとはまったく違う部分を多く取り入れた。勿論、すべてがすべて違うというわけでもないのだが、とにかくカワウソは、そういった矛盾した要素を、仲間たちを真似て創った存在(NPC)たちに施したのだ。

 

 それほどまでに、カワウソにとって仲間(とも)とは……“すべて”だった。

 孤独な人生の中で、はじめてにして唯一の存在となっていた。

 

 そんな彼──本名、若山(わかやま)宗嗣(そうし)──カワウソ──という、極限まで狂い捩じくれた、かわいそうな男の姿と心を理解できるものは、現れなかった。

 

 彼と同じように、仲間たち全員の姿をゲームに残そうとするプレイヤーなど…………

 

 そうして。

 たった一人のギルドであったからこそ、カワウソの目指す方向性・指針は、まったく迷うことなく一直線に保たれ続けたのも、事実だ。

 

 カワウソは、ナザリックへの再挑戦をソロで続けつつ、自分の拠点や装備強化に必要なクエストや金貨獲得などのためにユグドラシルで活動を続けつつ、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに関する情報を、ギルド長・モモンガの研究を、黙々と行い続けた。

 

 余暇の時間をすべてユグドラシルのゲームに費やし、けっして多くはない給料もボーナスもほとんど課金して、自分の強化のために使い込み、自分の拠点やNPCを強化すべく、馬鹿みたいに散財の限りを尽した。リアルではかろうじて黒の多かった髪が、いつからかすべて白髪に染まり、傍目にも不健康な老人めいた感じになるまで、カワウソという男は自分の生活を切り詰めた。

 仕事が疎かになって上司に叱責され罵倒されようと、頭の中ではヘルヘイムにあるグレンデラ沼地……ナザリック地下大墳墓の攻略ルートを構築することに躍起になっていた。傍目にはあまりにひどい衰弱ぶりで、過労を心配する同僚もいるにはいたが、寝ても覚めても、食事をしていても、ゲームの仲間たちから裏切られ捨てられた時などの悪夢がフラッシュバックするたびに、吐き戻してしまうことが多かった。そうして、そのまま食は細くなっていった。ガリガリに痩せ細った体躯は、あばら骨がくっきりと浮かび上がるほどに、二十代の成人男性とは思えない貧相なさまを露呈していた。そうして浮いた飲食費を、ユグドラシルのゲームで課金するというサイクルが確立されたのは、ほとんど自然の法則ですらあった。

 重度の栄養失調が疑われて当然の変調ぶりであったが、カワウソの会社には定期的な健康診断どころか、労災保険すらありえなかったので、いつ過労死しても不思議ではない……あのご時世ではまったくありふれた、消耗に耐え切れなくなって抜け落ちる歯車のごとく、社会からいつの間にか弾き出されてもおかしくない部品のひとつとして、世界から忘れ去られるだけの身の上に、甘んじることになった。

 

 それでも、カワウソはユグドラシルを続けた。

 ほとんど一日も欠かすことなく、ログインし続けた。

 堕天使として。復讐者として。ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長として。

 カワウソが生きる目的──仲間たちと生きた記録が残されたゲームで遊ぶのは、やめることはできそうになかった。

 

 

 

 

 そうして……

 

 カワウソは結局、何もなしえないまま、あのユグドラシルのサービス終了の日を、迎えたのだ。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 ユグドラシル最後の日。

 カワウソはそう言って憚らなかった。

 だが、ミカたちNPCには、そういったリアルの……ゲームの事情というものは、よく理解できない言葉であった。

 

 

 あれから、ミカが『カワウソを嫌っている。』と定めを設けられてから、どれだけの時が流れたのか。

 折に触れて、彼がミカたちの設定……レベルや装備を改める際に、ミカは祈念し続けた。

 自分に与えられた設定文を、その第一節に刻み込まれた嫌悪の項を、改定してくれることを切に願った。

 だが、カワウソにはミカの祈りも願いも、いかなる言の葉も届くことはなかった。

 そのたびに、ミカは狂い死にそうなほど泣き喚いた。

 しかし、『かくあれ』と定めた創造主の言葉を、無下に扱うことは許されない。

 わかっている。

 何もかも解っているが──それでも。

 自分は、彼を……創造主を……カワウソを愛してはいけないのだと、まざまざと教え込まれて────つらかった。

 

 そうして、今。

 

 

「今日で、終わり、か……」

 

 

 カワウソはいつものように、ナザリック地下大墳墓の攻略動画……例のムービーを視聴していた。

 

 

「楽しかったなぁ……本当に」

 

 

 ミカたちは久方ぶりに、カワウソの命令によって、全員が拠点最奥の屋敷──円卓の間へと召集を受けた。メイド隊十人は勿論のこと──今回は珍しいことに、城砦の門前広場で敵を攪乱し自爆攻撃をかますことで、侵入者の数を減らす警報装置として創造された動像獣(アニマル・ゴーレム)の四体・シシとコマとイナリとシーサーまでもが、集められていた。

 これでは不意の侵入者があった場合に、いくら迎撃用の罠があちこちに点在しているとはいえ、初動が遅れるのではないかと懸念されるところだったが、カワウソはまったく頓着することなく、すべてのシモベたちを召集したのだ。

 何しろ、このヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)は、今まで一人の侵入者も現れることがなかった隠密性を誇る居城…………実際には、その周囲にある森や黒城が有名すぎる上、あまりにも人気がない中級ダンジョンであった為に、誰にも発見されず、発見されても素通りして当然の物件でしかなかっただけであることを、NPCたちは知る(よし)もない。

 何より、今日はユグドラシルの最後の日。

 こんな拠点を訪れ、侵入し侵略しようなどと企むプレイヤーなど、完全に皆無だったのだ。ユグドラシルが最盛期を終え、ユーザーが他のDMMO-RPGに移行していく黎明期が訪れたのも、その流れを加速させた。

 この日、普通のプレイヤーたちが集うのは、運営が用意したイベント会場……最終日を彩る花火が打ちあがり、運営のイベント用NPCが司会進行を務める超広場の方である。

 

 

「うん。そうだな」

 

 

 いつになく遣る瀬無い表情に見える堕天使の主人が、動画映像を一時停止して、集めたNPCたちを見つめる。

 彼の操作するコンソールの中で、『名を呼ばれたら平伏する』というコマンドが行われる。

 

 

「ミカ」

 

 

 呼ばれたミカは、命令を受諾したように片膝をついた。

 いくらカワウソを『嫌って』いようとも、命令には忠実であることが、NPCの鉄則であり、絶対の原則だ。

 続けざまに、ガブやラファたち──この場に集合を果たしたNPCたち全員が、平伏の姿勢を構築する。

 

 

「はぁ……」

 

 

 溜息を吐く創造主の一挙一動に精神を集中させる。

 彼の口からこぼれる言葉を、命令を、ミカたちは切望してやまない。

 カワウソは動画を再生し、「バカが」と悪態をついて、何もない天井を仰ぐ。

 

 

「……過去の遺物ですらない」

 

 

 何かを悼むような、何かを惜しむような、そんな独白であった。

 その意味するところを、ミカたちNPCは推測しきれない。

 

 

「あぁあー……楽しかったなぁ……本当に」

 

 

 楽しさというよりもおかしみを多分に含んだ、諧謔的な口調と苦笑。

 カワウソは、すべてを諦めたかのように顎を引く。

 水底の澱のように濁った眼差しを伏せる。

 ミカたちは、そんな主人の諦念を理解しながらも──何もすることができない。

 ミカたちは全員、NPC。

 彼の求めに応じ、彼の指示に従い、創造主の身命を命がけで守り抜くために、ただそれだけのために創られた存在。

 が、彼からの求めはなく、彼からの指示もなく、侵攻してくる敵などの脅威すら、創造されてから一度も相対したことがない。

 それでも、自分たちは変わらぬ忠誠をもって、カワウソのために尽くし、戦う。

 彼が決して振り向いてくれなくても、自分たちNPCの声や思いに気がつかれなくても、彼のためだけに、彼を守り護るためだけに、自分たち拠点NPCは存在し続けるのだ。

 

 これ以上の喜びはない。

 それ以上を期待して何になる。

 

 ミカたちもまた、そのまま時が過ぎるのを待った。

 誰も何もすることなく──自分たちがどのような運命を迎えるのか一切予想だにせず、ただ、沈黙を続ける主人を見つめる。

 そして、

 

 

 

 

 

 0:00:00

 

 

 

 

 

 ギルド長の椅子に座り続ける堕天使と共に、日付が変わる零時ジャストを迎えた。

 それからしばらくもしない内に、カワウソが瞼を開いた。

 

「……んん?」

 

 カワウソが困惑したようにあたりを見回している。

 

「なんだ? なにが起きている?」

 

 主人の独言を、NPCは聞き逃さない。

 ミカは口を開いた。

 彼に与えられた口調で、彼に定められた通りの、“自分(ミカ)”として。

 カワウソに──聞こえるはずもないだろうが──呼びかける。

 

「──どうかなさいやがりましたか、カワウソ様?」

 

 応答があるとは思わなかった。

 いつものように無視されると、存在を認知していないがごとく振る舞われると思った。

 けれど、違った。

 彼が、主人が、創造主が──カワウソが、ミカの声に、気がついた。

 はじめて、気がついてくれた。

 

「返事をしたらどうですか──カワウソ様」

 

 嬉しさのあまり、続けざまに声を吐き連ねた。

 そうして、カワウソの瞳が、ミカの空色のそれを、とらえた。

 

「な……に?」

「────」

 

 ──あ。

 あ、ああ。

 ああ、やっと──

 

 

 

 やっと……届いた。

 

 

 

 ああ……

 でも……

 

「カワウソ様?」

 

 膨大に過ぎる歓喜と快悦に身を浸すことなく、ミカは与えられた自分を貫いた。

 私は『堕天使であるカワウソを嫌っている。』と設定された存在(NPC)

 

 だから。

 どうか。

 お許しください。

 

「な……に……とは、随分な言いザマですね。人がせっかく心配してやっているというのに」

 

 至高なる創造主に対し、まったくふさわしくない毒を含めた音色をこぼすミカを──

 いまも冷徹な無表情の鉄面皮を構築せねば、喜びに震え泣きかねない熾天使のシモベを──

 こんなにも不遜で不穏で不快で不当で不忠で不義で不実で不順で不良で不和で不敬にすぎる、私を──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回、ミカの今


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ミカと天使の澱 -1

ミカの今、その1
転移初日から、飛竜騎兵の領地まで


/War …vol.11

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミカに追随するかのように、ガブたち天使の澱のNPCもまた、実直な思いを言葉に変える。

 それにも、カワウソは気がついたように首を巡らせていた。

 ああ、どれほどに、この時が来るのを待ちわびていたか。

 ミカたちは行動の自由を得た。

 何やら異常事態に直面しているように確認を続けるカワウソ──主人の細かな命令に従い、ミカは自分の右手の籠手を外し、その指先を主人たる堕天使に差し出した。彼が何かを確かめるように、女の手首に触れる。そんなひと時も、ミカの内心は広げた翼と共に、宙を舞い踊るような心地だった。とても優しい堕天使の指先が、自分の指先と交わるのを感じるだけで、表情が熱く面映ゆいものに変わりかける。

 けれど、自分に与えられた設定において、そのような挙動を彼に前にさらし見せることは「不忠」だと思われた。

 ミカは、『カワウソを嫌っている。』存在。

 だから、ミカは懸命に隠し続けた。

 自分の内実を──創造主に対する情愛を──すべて。

 そうして。幸福感に震えかけるミカの脈拍を確かめ、その表情を一瞥したカワウソが、自分の首筋を撫でて──唐突に膝を折り、倒れかけた。

 

「……おい。どうかしやがりましたか?」

 

 主人に対して、なんという口の悪さだと我ながら呆れそうになるが、彼の与えた『毒舌』という口調に即すならば、これで正しいはず。それを諫める役割を設定されたガブや、他のNPCたちも一斉に、カワウソの異常を前に立ち上がりかけた。

 カワウソの身を案じるミカに対し、堕天使は恐慌の嗚咽を零すのみ。

 堕天使に、創造主である彼に対応不能なほどの異常が発生している? まさか、何者かの襲撃? 否、断じて否──ここに集うNPCたちの感知を抜けて、敵が来襲した気配は一切ない。

 とにかく今は、カワウソの状態異常を癒すべく、ミカは自分の掌を、回復スキル“正の接触(ポジティブ・タッチ)”を一瞬で敢行。

 ミカの癒しの掌が、カワウソの正体不明な状態異常を消し去ってみせた。

 ほっと息をつく間も、ミカはカワウソの身を襲った異常事態を確認するように、硬い表情で主人を気遣う。

 

「カワウソ、様?」

 

 問いかけるミカに対し、カワウソは質問を被せた。

 

「ここは何だ」という、意味不明瞭な問いに対し、ミカたちは首をひねるばかりだ。ここはヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)──自分たち天使の澱のNPCが死守すべき、カワウソの拠点に他ならないはず──なのに。

 

「誰も気づいていないんだな」と確認を求められて、ミカたちはいよいよ狼狽を極めた。自分たちは何もわかっていなかった。カワウソという偉大に過ぎる創造主が気づいたことに、ただの被造物でしかない自分たちには、到底理解できない事柄であったのだ。

 

「外に出る」というカワウソに対し、ミカは表情を律しながら、即座の戦闘や危難に対応すべく、装備を右手に装着し直す。彼の気配は、何らかの異常を、敵の襲撃や……それ以上の“何か”を警戒し危惧しているものと察しがついた。

 命令に従い、NPCたち全員が、拠点内の階層間移動に使われる転移の鏡の前へと躍進する。

 

 そうして、カワウソに命じられるまま、“最高の盾”たるミカは、“最強の矛”たるナタと共に、はじめて拠点の外を目指した。

 

「──ここは、……なに?」

 

 ミカは拠点の外に出たことはないが、自分たちの拠点の外に広がる黒森……ガルスカプ森林地帯の情報程度は知悉していた。

 だが、そこはただの平野だ。時間帯は深夜零時の真夜中の世界。

 人も獣も、虫一匹いないような、荒涼とした大地。眩しく朧な月だけが、ミカとナタの頭上に煌いている。

 

「はじめての外です!!」

 

 好奇心のまま駆け出すナタを、ミカは引き留めなかった。

 ナタほどの戦士であれば、一キロ先から飛来する敵意を読み取り、回避を行う程度の技能は十分。……それが“敵意を持つ存在”であることが大前提になるが、そんな少年兵が警戒心なく走り回っている以上、即座の危険は存在しないはず。

 ミカは膝を折り、何もない平野の砂をすくいながら、その土質を確かめる。

 

「別の土地? いえ、別の世界、というべき、なの?」

 

 そうやって二分が経過した頃、拠点内のマアトから〈伝言(メッセージ)〉が届き、ミカと連絡を付けたカワウソが、そのままミカたちの許へ。

 

 ──そして、

 

「ミカ。俺を殴れ」

 

 

 

 

 スレイン平野という謎の土地に……異世界に転移しているとわかった天使の澱。

 そうして最上階層の円卓の間へと戻ったミカたちは、「外を調べおいてくれ」と命じる主が自分の私室へ戻るのを、黙って見送っていった。主人は「疲れた」とは言っていなかったが、その弱々しい様は、疲労としか言いようのないバッドステータスの存在を、シモベである彼らにありありと伝えてしまっている。

 しかし、彼らは主の不調を指摘し、あげつらうことをしない。

 主人がわざわざ隠そうとしていることを、根掘り葉掘り聞き出そうという暴挙に及ぶような不忠者は、この場には存在していなかったことがひとつ。そして、もうひとつは、唯一その役目を果たすことを許されているはずの存在が、“それどころではない”状態だったことが関係している。

 

「……お疲れさま、ミカ」

 

 貝のような沈黙を保っていた一同の中で、口火を開いたのはガブであった。

 ここは、NPCたちの長であるミカが真っ先に発言するのが良かったのかもしれない。だが、ガブの同胞にして親友の彼女は、敬服の姿勢として腰を折った状態を保ったまま、仔犬か仔猫のように震え始めている。

 

「ガブ……」

 

 ミカは悄然としながら、近寄る親友の袖を掴んだ。

 

「うぅ……私ぃ……」

 

 振り返った女天使――女の表情は、先ほどまでの怜悧で透徹とした様子は、一欠片も残っていない。

 

「わ……あ……私、カ、カワウソ様を、殴……殴ってぇ!」

 

 泣きそぼる乙女の様相。

 まるで哀惜のごとき感情の濡れ具合だが、ガブは隊長補佐の役割という関係設定以上に、親友のそういった傾向を把握してくれている。

 

「はいはい、落ち込まない。落ち込まないの、いい子だから」

 

 しようがなしにミカの顔を自分の胸の中に包む込み、その豊満な起伏の中に顔を(うず)めさせる。傍目には、銀髪褐色の修道女が、金髪碧眼の女騎士をあやしているかのよう。

 普段は二番目に創造された智天使・ガブの絶妙に過ぎるプロポーション……主に胸……を妬み嫉んで憚ることのない乙女な熾天使であるが、こんな時ばかりは幼い子供みたいに大人しくなるばかりだ。

 スンスンと静かに泣き耽る最高位天使に、仲間たちは一様に理解の表情を示した。

 彼女が行ってみせた「主への直接攻撃」というものを見て、聞いて、考えれば、ここにいるミカ以外の者であれば、あまりの不忠不遜に、即座の自死を選択することも現実的にあり得る。ミカがそれをしないのは、彼女に与えられた役割、設定の部分が大いに関係していた。それを、ここにいる全員が知悉しているのである。

 同時に、彼らはひとつの事実と、現れた懸案事項を口の端にしていく。

 

「……一体、どうされたというのだ、()(しゅ)は?」

「わからないですよ、ラファ。ただ」

「現在、このギルドは“何かしらの異常事態に見舞われている”。それを我等が創造主は、いち早く察知されたようです」

「――――マスター、すごい」

「ほんと、そのとおりだよねー。まさか、このギルドが、別の土地に転移しているなんてー」

「うむ。拙者でも気づかなんだ」

「やはり師父(スーフ)はすごいです!! 自分たちの誰も気づかなかったような異常を、ただ一人、お気づきになっていたとは!!」

「う、うん。そうだね、ナタくん」

「しっかし、まぁ……何というか……これからどうなるのかしらね?」

「フクク、どうもこうもあるまいぃ。我々は、御主人の(めい)に準じるぅ。それだけよぉ」

 

 赤子の天使(クピド)のあたりまえな宣告に、円卓に集ったシモベたちは一斉に頷きを返す。

 それは、動像獣(アニマル・ゴーレム)の四匹は勿論、メイド隊十人も同じこと。

 ここに集う二十二人と四匹のシモベたちは、このギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に、その創設者にして創造者であるカワウソに、唯一絶対の忠誠を誓う存在。役職としての序列や上下関係は存在しているが、強さや大きさ、創造された順番や経緯、設定の内容など関係なく、全員がただ一人の主に身命を捧げる同胞(はらから)なのだ。

 

「ほら、ミカ。

 隊長のあなたが指揮してくれなきゃ、私たちは何もできないでしょ?」

 

 何だったら、副長のウォフに指揮権を委譲しようかと提案する親友に、ミカは即座に頭を振って応えた。

 

「……私が、する」

 

 他ならぬカワウソに指揮を任されている女天使は、涙を拭い落し、泣き腫らした顔を上向ける。

 普段の調子に立ち戻ってくみせた親友を解放し、ガブは仲間たちの列に戻った。

 ミカは決然とした調子で深く呼吸し、己の()すべきことを、ただ、()し遂げる。

 

「カワウソ様の(めい)に従い、私たちはこれより、外の未知なる異世界を探索します」

 

 それに伴い、大きく拠点内での配置変更を行うことが、決定された。

 

 

 

 

 だが、異世界探索は慎重に慎重を期すため、……何より、探索系の技も術も持っていない戦闘要員ばかりのLv.100NPCたちでは、遅々として進まなかった。

 カワウソは、屋敷二階にあるギルド長の自室に籠りながら、ミカたちNPCへ〈伝言(メッセージ)〉を飛ばして、指示を送るのみ。ミカたちが具申した「下級天使の大量召喚による調査」……ローラー作戦は、現地に住まうかもしれない存在や勢力への害となりかねない危険性から完全に棄却された。ミカたちは特別に貸し出された隠密機能を発揮する指輪や衣服などを身に着け、スレイン平野の調査を続けた。それが一日目。

 そして迎えた、二日目。

 

「はぁ……」

 

 ミカは溜息を吐いた。

 カワウソから与えられた休息時間──本当にお優しい創造主の差配に準じて、NPCたちは疲労無効化の装備を持たされていながら、定期的な休憩をとることになったのだ。

 その、主人からの贈り物たる(いこ)いの時を、ミカは屋敷の入浴施設──大浴場で過ごす。

 ミカは、この第四階層にある屋敷に常駐し、ギルド長の私室以外への立ち入りをほぼ解禁された、ギルドの防衛部隊の隊長だ。ミカ自身の私室にも、それなりに大きな湯浴み場は設けられているが、この大浴場ほどの広さと開放感はないため、足繁く通っている。──そう定められている。

 岩風呂の淵に腰を落とし、清明な湯の柔らかな水圧に肩まで浸かる。

 

「ふぅ……」

 

 純白の六翼を、その羽毛のすみずみまで手入れするようにもみほぐしながら、自分の胸部に視線を落とす。

 一糸纏わぬ乙女の裸体は、その身長に比して胸のボリュームは薄い。はっきり言えば、Lv.100NPCの女性陣──ガブ、イスラ、ウォフ、マアト、アプサラスの六名の中では、一番の貧乳である。が、この姿この形であることをカワウソという創造主から与えられたので、如何ともしがたい。ミカがガブたちの豊満な双丘を嫉妬するのは、そのように振る舞うという設定に即しているだけだった。

 

「カワウソ様……」

 

 ただの休憩時間であろうとも、NPC(ミカ)の心は常に、創造主へと思いを馳せる。

 同族感知のスキル“天使の祝福”で──もっと言えば、ギルドに属する者を識別するためのオーラによる判断で、カワウソが今、拠点の第一階層にいることはわかっている。他のNPCとは違い、ミカに与えられた“女神”の種族は、階層間を飛び越えても機能を発揮する超常的な射程距離を誇るもの。けれど、「供回りをせよ」という命令をいただいていない以上、ミカには彼を追いかけることはできない。何より、ミカは今、彼の命令で「休みを取っている」真っ最中。それを無下にしてはNPCとは言えない。

 だが、

 

「──どうして、私は、あなたを……」

 

 嫌わねばならないのだろう。

『堕天使であるカワウソを嫌っている。』

 あの設定を与えられてより、早数年。だが、ミカの中で、その疑問に対する明確な正答は、まったく完全に浮かび上がってこなかった。頭脳明晰を誇る熾天使にして女神であるミカが、彼の提示する難題に答えることができないでいる。

 答えなど無いのかもしれない。

 だが、もしも答えがあるとしたら──

 

「私は……あなたを嫌うために、創造されたのですか?」

 

 そう思うたび、視界が熱く滲んでいく。

 それが主人からの願いであれば、シモベであるミカには、否も応もないはず。

 なのに……ミカの心は、ミカの本心は、どうあってもカワウソを嫌うことができないでいる。

 そんなミカを知れば、カワウソはどう思うだろう。

「創造主の設定に刃向かうのか」「そんなこともできないのか」「なんという不忠者だ」……そう言って(なじ)られ(けな)され(さげす)まれ、言葉の限り(そし)られるだろうか。呆れられるだろうか。ミカのことを、「主人の決めた設定に従うこともできない、出来損ないの役立たず」だと立腹され、失望され、そうしてミカたち全員の前から、“お隠れ”になる……()てられるのではないか……そんな最悪の事態を思うたび、ミカは肩を抱いて震えあがった。そうして、激しく自分を律した。律することでしか、彼への忠誠を示せないのだ。

 

 彼の定めた通りに生きねばならない。

 たとえ、それが、嘘にまみれた──真意や真実から、遠いものになるとしても。

 カワウソが、彼が『かくあれ』と望むNPCとして、この嘘は貫き通さねばならない。

 ミカは水面に映る自分が涙を落とすのを見て、そんな無様をかき消すように、温水を払い除けた。

 感傷的になり過ぎた。煮え滾るような絶望を鎮めるように、最後に打たせ湯の滝を浴びていこう。

 両目の熱が引くのを十分に待って、ミカはタオル巻いて脱衣場に行こうとした────その時だ。

 

 

 

「……な」

「……あ」

 

 

 

 カワウソが剣で開いた転移門によって、タオルを身体に巻く直前の、裸のミカの目の前に現れた。

 両者とも沈黙するしかない。

 こういう時の対応法が、ミカには即座に判りかねる。

 だが、ミカは彼を『嫌っている。』“女”──だとすれば、答えはひとつだけ。

 カワウソの纏う鎧の中心に、ミカは突き飛ばすよりも重い殴打を叩き込んだ。

 

「嫌いです」

 

 そう告げておかなければ、自分の行動を正当化できない。

 こうあることが、彼の求めるミカの在り方であるはず──だが。

 

(ばか馬鹿バカ莫迦!)

 

 身内に木霊する罵倒の言葉は、だが、女の裸を見据えた創造主に対するものではけっしてない。

 

(何してるのよ、私ッ!?)

 

 ミカは口元を手で覆って自責を続けた。

 タオルを巻いて脱衣場に逃げ込んだミカは、自分の凶行の劣愚ぶりに、涙が出るほどの怒りを覚えてならなかった。脱衣籠に預けておいた衣服と装備をボックスに詰め込み、身体を丁寧に拭くのも惜しんで、タオルを巻く身体にバスローブを肩にかける程度に羽織って、自室へと逃げるように駆け出していく。途中、清掃道具を持ったメイドとすれ違っても、まともに挨拶すら交わせないほど、ミカの精神的余裕は消失していた。

 どうして──どうして、あんなことを──仮にも主人にして、創造してくれた御方をブッ飛ばすなど、正気が疑われるほどの蛮行ぶりである。NPC(シモベ)失格の烙印を押されても、何も文句は言えないだろう。

 けれど。

『嫌っている。』男を目の前にした、裸の女の行動というのは、古今東西ああいう風である以上(屋敷内にある書庫に保管されている、ユグドラシルを舞台とした公式小説(ライトノベル)参照)、ミカの刹那の内で成し遂げられた判断と対処は、どこも間違ってはいないはず。やられた方のカワウソも、激昂し憤慨し、ミカの不忠不敬を責め立てるように追ってくることもなかったのだから、これですべてが正しいわけで。

 この異世界に転移した直後、一度カワウソを殴りつけていたおかげか、そこまでの抵抗なく殴打攻撃を振るうことができた。それでも、ミカの罪悪感は極限まで膨らみまくっていく。

 屋敷の二階にあるミカ個人に与えられた私室に逃げ込み、メイド隊によって張られたベッドシーツをめちゃくちゃのしわくちゃにするほど悶絶していく。喚き声が漏れないよう枕に顔を埋めて、ぐすぐすと泣き耽った。ガブに〈伝言(メッセージ)〉を送って「どうしよう……また殴っちゃったぁぁ……」と相談を持ち掛けるが、さすがに外の調査から戻っていない親友の助けは遅延する道理。弱々しい声で窮状を訴えるも、主人からの命令・調査任務遂行こそが優先されるべきなのは、他の誰でもないカワウソに創造されたミカには当然わかっている。

 本当に最悪な気分だ。

 次にカワウソと顔を合わせる時、どんな表情(かお)をしていけばいいのだろう。

 怒りか。嘆きか。蔑みか。

 だが、どれもこれもミカの本心からは乖離(かいり)しすぎている。

 カワウソが悪かったことなど一点たりとも存在しえない。主人が風呂に入るタイミングで、大浴場を使用していた自分の選択こそが間違っていただけのこと。

 それでも──彼を『嫌っている。』NPCならば、そんなことを主張するわけがない。「むしろ嬉しかったです」なんて、口が裂けても言えるものか。

 どうすれば……

 

「失礼します、ミカ様」

 

 思考を遮るノック音の後に聞こえた女の声──メイド長からの呼びかけに、ミカは応える。

 

「──サム? 何用、ですか?」

「は。実は、インデクスがカワウソ様より言伝(ことづて)を賜っているとのことで」

「……言伝?」

 

 濡れた枕から顔を引き剥がした。

 閉めた扉の向こうにある淡い気配と凛とした声音は、堕天使メイドの長のそれに相違ない。

伝言(メッセージ)〉を使用しない、口頭での言葉のやり取りを()えて選択したカワウソの意図を思う……だが、明確な正答は得られない。

 ミカはバスローブの袖で顔を拭い、姿勢をただして告げる。

 

「入りなさい」

 

 言うが早いか、サムは妹のインデクスと、他三名のメイドを引き連れて現れた。

 この、拠点防衛上の観点から言えば、何の力も持たないメイドたち。

 戦力にはまったく完全にカウントされない彼女たちは、当然のことながらカワウソという唯一無二の創造主から生をうけた同胞たち。だが、そのレベルはたったの1。戦闘に使える能力を少しも持たないメイドをプレイヤーたる彼が創り上げたのには、当然のごとく理由がある。

 ミカが聞いた創造主(カワウソ)の独り言の中に、彼女たちメイド隊のこともあったのだ。

 

 ギルド拠点には、その拠点が破壊・破損、または汚染された場合、それを修復・修繕、または清掃するための専用NPCが存在する。その頭数に応じて、拠点の修復速度向上および修復費用が抑えられる……みたいなギルドの特典仕様がある。ただし、それらは戦闘用の存在ではない=「戦闘に使えるレベルを持てない」という条件があり、「異形種のLv.1」メイドや、種族レベルのない人間種NPCである場合は、非戦闘用職業(クラス)女給(メイド)Lv.1」や「家政婦(ハウスキーパー)Lv.1」を与えることで、『拠点維持管理用NPC』としてギルドシステムに認定される。ミカが今まさに汚した回復効果持ちのベッドも、そういったNPCによって清掃され、再使用が可能になるというシステムだ。

 そのNPCの数が多いほど修復能力などの特典を受けられるが、防衛要員として使えないNPCが多すぎては、もちろんギルドの防衛能力に支障も出る。

 拠点ポイントが最大の3000に近いほど、その拠点は強力かつ、破壊された際に元通りの状態へ復元するための費用も高額となる。故に、何らかの方法で出費を抑えるための救済措置として、ギルド拠点を清掃・修理・維持管理の業務を遂行するNPCが存在している。NPC自身にも飲食費などでの維持費用は定期的にかかるが、強力な拠点ほど、万が一破壊された時の修復費用が途方もないことを考えれば、有事の時の保険程度には必須の存在たちであるわけだ。

 無論、この維持管理用NPCを創る創らないは、各ギルドを運営するプレイヤーの自由。

 だが、「絶対に壊されない」「壊されるわけがない」「壊される前に敵を全滅させればいい」と高をくくって、結果、拠点深層部を一回破壊されただけで修復費用を賄いきれず収支決済が破綻し、そのまま消滅を余儀なくされたギルドも少なくない。

 なので、どんなギルド拠点でも、せめて数人から十数人くらい(最上位ギルドは数十人)はいた方が便利かも──という評価のもとで、カワウソも1350あった中で余った拠点ポイントを使用し、堕天使と精霊の五体──合計十人のメイド隊を作成していたわけだ。

 

 そんな非戦闘要員である堕天使のメイドの一人──サムに連れられてきたインデクスは、随分と慌てた様子で、ミカの前に一歩を踏み出す。

 

「インデクス、どうかしました?」

 

 カワウソと同じ浅黒い肌に銀髪が眩しく映える少女は、緊張の極みにあるようだ。

 

「ミ、ミミ、ミカ様ッ……あ、ああ、あの、カ」

「?」

 

 あまりの様子にミカは首をひねる。サムに落ち着くよう促されて、インデクスは数回の深呼吸の後、高らかに(のたま)った。

 

「カ、カワウソ様が! ミカ様を、お、お部屋へと! お呼びでございますゥ!」

「…………」

 

 ミカは、言われたことを瞬時に理解して、

 

「────────はぇ?」

 

 情けない声を零していた。

 

「え、お、お部屋って、カワウソ様、の?」

 

 インデクスはブンブンと音を立てて頷く。カワウソの自室は、第四階層の屋敷の二階奥──そこは、屋敷内を定期巡回するミカでも、立ち入りを禁止されている聖域である。

 だが、ミカはそこへ呼ばれた。

 その意味するところを、インデクスは告げる。

 

「お、おそらくは、……“そういうこと”、かと」

「ちょ、──え、なんで……え、え……えぇ?」

 

 顔面どころか、全身が茹でられたような熱を感じた。

 下腹部のあたりが温かく疼き、そこから込み上がる多幸感が、胸の奥に心地よい。

 否。あるいは、先ほど殴り飛ばしたことに対する叱責では。

 だが、それならば何故、わざわざギルド長の、カワウソの、私室で?

 なんらかの懲罰を与えられると考えるなら…………男であるカワウソが、女であるミカを、自分の部屋へ招くという、主命──つまり、それは、──“そういうこと”──なのだろう。

 それでも、ミカは疑問した。

 

「で、でも……わ、私は、カワウソ様を……『嫌って』……え、な、ええ?」

「これはチャンスです! ミカ様!」

 

 のぼせたように視線をさまよわせるNPCの長・ミカに対し、サムやインデクスたちは瞳を輝かせて両手を握る。

 

「きっと今日ここで! カワウソ様の御寵愛を頂くことができれば!」

「あの設定の件について、御主人様にお尋ねすることもできるはず!」

「いいえ、あるいは! もう既にミカ様の本心を見透かされていて!」

「なるほど確かに! 我らが主様なら、それぐらいできて当然よね!」

「我が拠点最高のコック、イスラ様に赤飯を炊いていただかないと!」

 

 (かしま)しく提言し、めでたいめでたいと祝辞を述べる堕天使と精霊のメイドたち。

 だが、ミカはしどろもどろに答えるほかない。

 

「で、でも、私は……その……と、(とぎ)だなんて、そんな」

 

 そんなの、知識でしか知らない。

 うまくできる自信なんて、まったくない。

 熾天使にして女神である自分に、カワウソが人間の見た目──外装を与えているのも、きっとそういう意図があったのかもしれないが、いや、けれど、しかし──

 

「ささ、お早く! カワウソ様をお待たせしては、臣として恥ずべき失態となります!」

「お支度(したく)ならば、私たち五人がお手伝いしますから!」

御髪(おぐし)は私たちが完全に仕上げます!」

「手足の爪のお手入れはお任せを!」

「香水はいかがなさいましょうか!」

「う………………うん」

 

 そうして、メイドたちの勢いに流されるがまま、ミカは急ピッチで身支度を整えた。

 すべての用意を整え、主人からの許可を得ていたミカは、禁断の領域に──カワウソの私室へと導かれた。この時間帯、ずっと扉の番をしていた水精霊のディクティスが「どうか、ご健闘を!」と激励していく。メイドたちの情報伝達速度は瞬きの内に、この階層にいる全メイドへと波及していたようだ。

 ミカは、カワウソの私室内で──彼の寝起きするベッドの上で──その時を待ち続けた。

 

 もっとも、すべては勘違いだったわけだが。

 

「は? 研ぎ?」

 

 ベッドに腰掛ける女の姿に対して、彼が小首をかしげる姿に、ミカは悟った。

 

(あ、ヤバ、──勘違いだコレ!)

 

 カワウソに呆れられ笑われて、ミカは彼に言われた通り装備を整えるべく、敗走するかのように部屋へと戻った。

 そして、

 

「も、申し訳ございませんでしたァ!」

 

 実態を説明されたサムたち全員……ミカの輝かんばかりの肢体を磨き上げてくれたメイドたちは、平身低頭の限りを尽くす。インデクスをはじめ、全員が“そういうこと”だと勘違いして、ミカを(そそのか)してしまった結果、彼女たちの上位者である熾天使は赤っ恥をかいたのであった。

 無論、インデクスが……ミカが大浴場から出ていくところをすれ違い目撃し、その大浴場に主人の気配がすることに「まさか」と思い、恐る恐る覗き見た脱衣場の中で、バスローブを纏う半裸同然の創造主がいた以上、二人が“そういうこと”を(たしな)む関係であると誤認したのは、当然の帰結。おまけにカワウソ自身の口から、ミカを自室に呼びつけられた以上、確定的とすら言える。

 そんなメイドたちに対して、ミカは穏やかであった。

 

「いえ……うん……だいじょうぶ……だいじょぶ、だから……」

 

 ミカは惜しいとも悔しいとも情けないとも言えない微妙な心地で、本当の顛末を──カワウソが転移で大浴場に現れただけである事実を、頭から説明した。

 それに、サムやインデクスたちの行いが、すべてミカを想ってのものである以上、それを無下にするような気概にはなりえない。

 

「でも! すべては私の早とちりで!」

「インデクス……」

 

 ミカの力や権を恐れての謝罪ではない。

 純粋に、インデクスたちはミカに恥をかかせた自分自身を許せないでいるのだ。

 信賞必罰は世の常──ミカは何らかの形で、彼女たちに責を負わせなくてはいけない。このギルド拠点の、NPCの長として。

 

「はぁ……じゃあ、衣服と装備を整えるのを手伝ってください。それでチャラということで、ね?」

 

 半泣きだったインデクスは、ミカの寛恕に頷き、すぐさま涙を拭って立ち上がった。

 メイドたちに着付けを任せ、バスローブの姿から元の完全装備状態に戻ったミカは、カワウソの提案するまま、彼と共に拠点外へと調査に向かうことになった。

 このギルドの枢軸にして最頂点であるカワウソが外に出ていかれることに抵抗を覚えるミカであるが、彼の明示する効率性は明快であった。あるいは自分たちNPCでは気付けないことに、プレイヤーであるカワウソは気づくことができるかもしれない。

 もっと言えば、カワウソと共に行動できること自体が、ミカにとっては至福と言って差しつかえなかった。

 

(カワウソ様と、一緒に……)

 

 思うたびに、頬がにやけそうになるのを必死にこらえた。

 気を引き締めてかからねばならない。

 自分のミスが、カワウソに少しでも瑕疵(きず)を与えてはならないのだから。

 そうして、マアトの監視部屋へ訪れた時、森でモンスターに襲われているらしい少女を発見。

 現地の住人らしい存在を助けに行くという判断に、ミカはただ従うのみ。

 個人的に、誰かを助けるという行為自体、そんなには嫌いではなかった。

 転移した先の森で、カワウソが少女の救命を、ミカは死の騎士の団体を相手にすることに。

 勿論、死の騎士などミカの敵であるわけがない。というか、常時発動している“希望のオーラ”で、一瞬で消し飛ばすことも容易。だが、連中を狩り尽くした証拠は残しておかねば、カワウソに誉めていただけないかも。烈光の剣“アルテマ”を一度だけ振るう。そのたった一撃で、四体のアンデッドを狩り殺した。アンデッドの死体からフランベルジュのみを回収し、汚い残骸はオーラで粉微塵になるまで浄化し尽した。

 ミカは少女を救命したカワウソと合流。

 

「――やるじゃないか。こっちは一体倒すので精一杯だったのに」

 

 彼に褒められるだけで、ミカは鎧に纏わせた翼を、そわそわせざるを得ない。

 無論、嫌っている御方の手前、そんな軽はずみな行動は控えねば。

 辛辣にも聞こえる毒舌で応じるNPCに、創造主は満足げに頷いてくれる。

 カワウソは自分たちが救った少女──ヴェル・セークと名乗る飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)への聴取を始めた。

 これで、この異様な世界の情報を存分に得られるだろう。本当にお見事だ。今回のことはすべて、カワウソの功績として語り継がれるべきものとなる。

 だが、

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン、魔導国、です

 

 

 

 

 少女の告げた国家の名に、カワウソとミカは、絶句した。

 

「今、何て言った?」

 

 ミカは主人に代わって、真っ先に確認の声をあげた。

 面覆い(バイザー)をあげ、天使の澱のNPCにとって禁断の名を口にした現地の少女に対し、ミカはどうしても語気が荒れ狂うのを抑止できない。

 

「アインズ・ウール・ゴウン? それは一体、何の冗談なのでありやがりますか?」

 

 カワウソが数年もの長きに渡って、苦渋と辛酸を嘗めさせられてきた、悪のギルドの名前。

 少女が紡いだ国の名前が、一瞬でミカの機嫌を損なわせる。

 創造主が茫然自失するのも無理からぬ──これはまさに異常事態だ。

 応答を躊躇するアインズ・ウール・ゴウンの国民に対し、ミカは焔のごとき敵意を溢れさせるしかない。

 だが、そんなミカの言動を、他ならぬカワウソが(たしな)めてくれる。そこにある表情を見れば、ミカは弁を続けることができない。

 そして、ミカは顔をそむけ、思考した。

 

(──しまった……)

 

 ここにカワウソと共にやってきたのは失策だったと、ミカは思う。

 アインズ・ウール・ゴウン。

 真偽は不明だが、カワウソの仇敵とされる存在が統治するという異世界──この情報は、間違いなく、カワウソの精神的な負担となってしまう。ただでさえ、あの転移初日の段階で、原因不明の不調で倒れかけ、ミカが回復に専念せねばならない状態に追い込まれたカワウソの状況を考えれば、「“アインズ・ウール・ゴウン魔導国”なる存在が、この異世界にあること」など、絶対に知られてはならない事柄であった。

 だが、カワウソは知ってしました。

 知ってしまわれた以上、彼が何を望むのか──答えは判り切っている。

 ミカは知っている。

 カワウソがどんなにもアインズ・ウール・ゴウンを恨み、憎み、蛇蝎(だかつ)のごとく忌み嫌っていたのかを。

 どれほどの歳月をかけて、ナザリック地下大墳墓を再攻略しようと、挑戦と失敗──進軍と撤退を、続けてきたのかを。

 だからこそ、自分たち天使の澱のNPCは創られたということも。

 ミカは、よく──知っている。

 

(迂闊だった……せめて、私一人で、ここへ救出に来ていれば)

 

 まだ、隠しようもあったはず。

 隠すこともできたはずなのに。

 だが、今まさにカワウソ自身の手で、アインズ・ウール・ゴウンの国民……ヴェル・セークを救命し、そうして救った彼女の口から、最悪な情報を聞き出してしまった

 

(最悪──さいあくサイアク……!)

 

 ミカが危惧した通り。

 カワウソは野営拠点にヴェルとミカを通した後、すぐ凶行に奔ってしまわれた。

 死の騎士(デス・ナイト)の残骸を粉微塵に消し飛ばし、地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)の死体が散る森を、“光輝の刃”で斬滅しまくった。

 ミカには判っていた。

 彼の心に降り積もった、件のギルドに関する感情の重さを。

 それほどの情報を前にして、正気でいられるはずがないということも、すべて予見できていた。

 だから、ミカはヴェルをシェルター内に残して、すぐにカワウソの許へ駆け戻った。隠形して戻った地上では、下手をしたら、そのまま自刃でもしてしまいかねない堕天使の変調ぶりが、痛いほど目に飛び込んできた。ミカは命令に反するとわかっていても、カワウソを癒す手を、彼の背後から伸ばした。

 当然、創造してくれた方の主命に背くシモベを、カワウソは鋭い声で詰問する。

 

「どういうつもりだ?」

「……私は、」

 

 言葉が詰まらないように、用意しておいた理由を吐き出した。

 

「あなたが嫌いです」

 

 ミカは徹底して、無表情の仮面を被った。

 被り続けなければ、いけなかった。

 

「俺の命令には、従えない……と?」

「……従うべきでないと判断すれば」

 

 そうあることが、彼を『嫌っている。』ミカの務めだから。

 ミカだけに託され、ミカのみに許された、忠義の在り方であると、女熾天使は十分心得ている。

 だとしても──

 

「今、おまえが見たことは忘れろ。いいな?」

「…………」

 

 そんなことは不可能だ。

 ミカは、カワウソのNPC──彼に創られたシモベ。

 創造主の一挙一動を、己の脳内に、魂の真底に、心の奥深くに、記憶し続ける存在たるモノ。

 返事を強要されても、ミカは曖昧な頷きを返すだけにとどめる。

 

 創造主の命令を遂行できない私を、彼はどう思うだろう。

 

 そう思うたび、ミカは自分の出来損ないぶりを痛感していく。

 彼のシモベなのに……カワウソという主人に仕えるNPCなのに……

 私は少しも、彼の期待に応えられそうにないのだ。

 

 そんな私を、どうしてカワウソは傍近くに置くのだろう。

 こんな、身勝手で、不忠者で、彼を嫌うフリしかできない無能を。

 

 ──わからない。

 ──わからない。

 ──わからない。

 

 明晰な頭脳でも解読不能な設定だが、彼に『かくあれ』と求められる以上、そのように振る舞う以外に処しようがない。

 それでも、ミカはカワウソと行動する以上、彼のすべてを心と記憶に焼き付けていく。

 そんな中で。

 

(あ、……いい)

 

 ヴェルを伴い、森を進むカワウソが、あまりにも遅い現地人の歩みに業を煮やし、ひとつの手段に訴え出る。

 シモベであるミカには、頼んでもしてくれそうにないほどの、密着率。

 

(いいな……………………いいなぁ──)

 

 ミカの創造主であるカワウソに、あろうことか、“お姫様抱っこ”されている人間の少女に対し、ミカはひどく嫉妬してしまう。

 そんな女天使の羨望の眼差し──険し気な表情をどう思ったのか、カワウソは「ああ、すまない。女性に体重を聞くのは失礼だったか」などと謝辞をこぼす。

 何もかもが羨ましい。

 けれど、それを口にすることは、ありえない。

 

 

 

 

 ヴェルの案内の果てに、彼女の乗騎を癒していた魔導国の民──マルコ・チャンに導かれ、カワウソとミカは魔導国の都市を訪れた。

 その第一魔法都市の発展ぶりと平和ぶりに、カワウソの精神が疲弊していくのを、まざまざと感じ取った。

 彼に許され、“正の接触(ポジティブ・タッチ)”の使用を完全に解禁されたミカは、彼の肩を抱くように手を這わせた。

 ──正直に言えば。

 彼を真正面から抱きしめて、この胸の中に包み込んで、彼を襲う悲しみのすべてと共に、癒してあげたかった──

 

 

 

 

 紆余曲折を経て、飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の領地に招かれたカワウソと、寝所を共にする運びになったときは、小躍りしたくなるほどの歓喜に浴した。表情がにやけるのを抑えるのが、これまで以上に苦しかった。いつも以上に冷然な言葉を選び、眉根を寄せていなければ、とても隠し切れないと思った。

 拠点にいるマアトとの連絡を終えたカワウソは、ミカに夜間の護衛任務を命じて、ツインベッドの片方に、早々と身体を預けた。ミカにはナタたちほどの敵意感知の心得はなかったが、悪魔や竜種、モンスターなどの敵を察知することは容易。それ以外の人間や亜人など、展開した希望のオーラに触れる感覚でなんとなく位置を掴めた。

 何より、この一室はカワウソのアイテムの効果で守られているのが心強い。

 だが、いかなる敵襲などよりも厄介を極める敵が現れる。

 ミカに対し、拠点に残しておいたNPCたちへの指示出しを命じたカワウソは、蓄積された疲労困憊が祟ったのか、寝台に横になる状況を余儀なくされた。

 大丈夫だと、少し眠いだけだと、そう告げて意識を手放した主人の様子を、ミカは瞳の奥に刻み付けた。

 

「う、ううう……」

 

 連日のことであるが、カワウソは睡眠の最中、必ずと言っていいほど(うな)されている。

 苦しみ、痛みをこらえるような声に、ミカは矢も楯もたまらず、堕天使の傍に寄り添った。

 彼の眠りを妨げる悪夢を払おうと、創造主の手を握る。

 そうして、祈る。

 

(どうか、彼の心の憂いを、取りのぞけますように──

 彼の生きる道に、希望の灯が、ともりますように──)

 

 ミカの手を介して、肩を抱くように丸くなり、小動物よりも激しく泣き震えるカワウソの深部に……悪夢の底に、希望の力が流れ込み始める。

 だが、

 

「や、め……ろ」

「ッ! ──?」

 

 一瞬、カワウソが起きたのかと思って手を放しかけた。しかし、堕天使の瞼は固く閉ざされたまま。

 

「ちが、う……ち、がう……ちがう……う、ぅぅ……」

 

 ハッキリと判る。

 彼の眠りに巣食う“悪夢”が、彼の脳と魂を、心のすべてを蹂躙していくのが。

 寝言を紡ぐ堕天使の両瞼からは、あまりにも悲しい透明な輝きが零れ出ていく。

 それなのに、ミカは──

 

「だって……おれは……」

「カワウソ様──!」

 

 小声で囁くばかりのミカには、何もできない。

 熾天使にして女神であるはずの自分の力ならば、「眠り」などの状態異常も即座に癒せる。彼を襲い続ける悪夢から、彼を救い上げることなど容易(たやす)いはず。

 なのに──救えない。

 救いきることが、できない。

 

(どうか──どうか──私の力が、あなたの御力になれますように)

 

 深く、深く──祈る。

 さながら許しを請うかのように。

 ミカは祈りの思いを、己の内に募らせ続ける。

 女天使の癒しの力は、確実に効果を発揮している────だが、カワウソの身の内から溢れる何かが、堕天使の特性である“状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ”が、あまりにも過量かつ過剰に過ぎて、癒す端から次の状態異常が発生し続けている。

 これではなんの意味もない。

 

(…………何が神だ。何が女神だ!)

 

 こんなにも儚い御方を、こんなにも愛おしくてたまらない主を、これほどの苦悩から……困難から……絶望の悪夢から……今すぐ救うことすらできない私が、神などと名乗れるものだろうか?

 

(私は、神などではない…………)

 

 だが、それでも。

 カワウソから与えられた女神の力を、ミカはカワウソのためだけに行使する。

 ミカは自責の念に駆られながらも、懸命に、献身的に、祈る。祈って、祈って、そうして祈る。

 カワウソの明日を……カワウソの生きる道を照らす光とならんことを、他ならぬ自分自身に対して、祈り続ける。

 

 その祈りは、カワウソが覚醒する朝方まで、ずっと、ずっと続けられていた。

 そして、その様子を、ミカの祈りを、女天使が堕天使の眼前にさらすことは、ありえない。

 何故ならミカは、『カワウソを嫌っている。』のだから──

 零れる涙を拭いながら、ミカは堕天使を癒し続けた。

 ふと、声がこぼれる。

 我儘ともいうべき主張が、主人の定めに疑義を呈する不作法の極みが、乙女の唇から落ちていく。

 

「教えてください…………カワウソ様」

 

 届けてはならない言葉。

 届かせてはいけない疑問。

 天使の涙と共に──けっして言えない気持ちが、NPCの愛情のすべてが、弱々しい音色の中に──溢れていく。

 

「あなたは、私を…………」

 

 

 

 

 

 どう思っているのですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ミカと天使の澱 -2

ミカの今、その2
飛竜騎兵編終了から、ナザリック地下大墳墓まで


/War …vol.12

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴェル・セーク救出から端を発した、飛竜騎兵の領地での騒動を解決した。

 カワウソという圧倒的な力を顕示してみせた男の姿に、魔導国の民や一等冒険者らは、惜しみない賞賛と尊敬でもって、堕天使との邂逅に感謝を捧げた。

 ミカは冷徹な表情のまま、飛竜騎兵の族長家……特に、ヴェル・セークなどが、カワウソにひとかたならぬ想いを募らせ、共に生きることを希求する姿を、良しとした。

 たとえ、彼女たちがあのアインズ・ウール・ゴウンの──カワウソの仇敵の統治する国の臣民であろうとも、ヴェルという乙女がカワウソと共に生き、その愛情によって、創造主たる男の憎悪感情を癒す存在になってくれたのなら──彼に対する「愛」でもって、真の意味での癒しをもたらしてくれるというのであれば、カワウソの安寧を祈り続けるミカにとって、拒絶する理由などなかった。

 何より、ヴェルは堕天使の異形の精神を目の当たりにしても──あの裏切者を嘲虐する姿を見ても、怖れることなくカワウソを止めるほどの胆力を示した。

 そんな彼女であれば、自分(NPC)たちにはできないことを成し遂げてくれるかもしれない。きっとカワウソの喪った何かを……心の隙間を……アインズ・ウール・ゴウンやナザリック地下大墳墓に対する悪意のすべてを、癒し、慈しみ、清浄なるものに変えてくれるかもしれない。

 

 

 だが、そのヴェル・セークからの申し出を、他ならぬカワウソが、拒絶。

 

 

 ヴェルが紡いだ“仲間”という単語──これがいけなかった。

 もしも、彼女が“仲間”というものになろうとするのではなく、“恋人”や“伴侶”、“妻”となることを真っ先に希求していたら、あるいは違う目もあったのかもしれない。

 そういった情欲に訴え、堕天使の孤独を慰撫することは──彼という創造主の方から求められない限り──ミカたちNPCには提言不可能。あの、ミカが初めてカワウソの私室を訪れた、勘違いの“(とぎ)”についても、あくまでカワウソが「それを望んでいる」と誤認したことから。自分たちの方から創造主と対等な立場に立とうなど、あるいは不敬とも思われかねないような大言であるのだから。だが、ミカは思った。あるいは彼女なら、ヴェル・セークという現地人の乙女であれば…………

 しかし、ヴェルは至極実直に、段階を踏むことを望んで、カワウソと共に生きる方法として、「私が、貴方の仲間に、なってあげられませんか」と、そう言ってしまったのだ。

 かつての仲間たち──ご友人諸氏から裏切られ見捨てられ、アインズ・ウール・ゴウンへの挑戦を続けてきたカワウソにとって、その単語は禁句にも等しい。故にこそ、ミカたちはカワウソの“仲間”ではなく、ただの“シモベ”の地位に甘んじているのだから。

 

 そうして、カワウソは飛竜騎兵たちとの繋がりを、ガブに記憶をイジらせることで、無に帰した。

 そうする以外に、カワウソは飛竜騎兵らの敬意や友好を処することが、できなくなった。

 

 カワウソの望みは、ただひとつだけ。

 この異世界転移によって、彼が目指すべき場所は──目的は、ただ一点に絞られてしまった。

 それを果たす上で、ヴェルたちのような存在は、無用の長物でしかなくなったのだ。

 だから、カワウソはこう言った。

 

「……あんな雑魚共がいたら、自由に動けないだろう?」

 

 そう(うそぶ)く堕天使に対し、ミカはたまらなくなって、つい口を滑らせた。

 

「本当にうそつき」と。

 

 誰よりも寂しがり屋のくせに。

 何よりも仲間たちを求めているくせに。

 彼は、嘘を、つき続けている──そんな彼に創られた、ミカも。

 

「それで。今後は如何(いかが)なさるおつもりで?」

「そうだな。この大陸の有力者に渡りをつけられたらいいとは思うが──」

 

 魔導国の打倒か転覆かは判然としないが、冒険都市で一角の冒険者としての地位を築き、然る後への算段をつけようとするカワウソの企図に、ミカは彼の望むがままに任せた。

 

 彼の望みを果たす。

 彼の願いを叶える。

 彼の全てを守護(まも)る。

 

 それがミカたち──ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCにとっての、絶対。

 あのナザリック地下大墳墓、第八階層“荒野”を攻略すべく創造された、12体のシモベたち。

 

 しかし、あまりにも困難な道のりだ。

 天使の澱の敵は、あのアインズ・ウール・ゴウン。

 カワウソを幾度となく死に戻らせ、絶望をもたらし続けた存在。

 そして、今やこの異世界において知らぬ者はいない、統一大陸の絶対者(オーバーロード)なのだから。

 

 

 

 だが、敵の手はあまりにも巧妙に、ミカたちの手練手管を上回っていた。

 

 

 

「お察しの通り、(わたくし)の、“旅の放浪者”というのは仮の姿」

 

 ここまでカワウソとミカたちに同道していた白金の髪が美しい男装の麗人が、その正体を露わにした。

 

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国、ナザリック地下大墳墓・第九階層防衛部隊“アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下親衛隊”所属、“新星・戦闘メイド(プレイアデス)”の統括(リーダー)に任命されし存在。至高帝、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に対し、身命を賭してお仕えする異形の混血児(ハーフ・モンスター)が一人。

 名を、マルコ・チャン」

 

 現れたのは、ナザリック地下大墳墓に所属する、謎のメイド。

 そして、このタイミングで発覚した、カワウソが派遣していた天使の澱の調査隊の内、イズラとナタの二人が、魔導国の部隊と──交戦した事実。

 

 もはや、状況は決した。

 ミカたち──天使の澱の運命も、すべて。

 カワウソは覚悟を決めたように、笑い続けた──嗤うしかなさそうだった。

 

 

 

 

 

 マルコの懇意を蹴って、魔導国の部隊と交戦していたイズラとナタを回収し、カワウソはアインズ・ウール・ゴウンと戦う手を打つしかなくなった。

 というか、それ以外の欲求が潰え去ったかのごとく、堕天使は戦いを望み、欲した。

 そうして、調査隊三つの内、ラファが向かった冒険都市で、彼はアインズ・ウール・ゴウンの同盟者とかいう白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)──ツアーとの面識を得ると共に、彼の住まう信託統治領への招待状を受け取っていた。

 竜王から魔導国の、アインズ・ウール・ゴウンの情報を引き出し、あわよくば協力関係を結ぶことで、天使の澱の戦いに、少しでも光明が差すことをカワウソは祈念した。

 しかし、ただひとりだけ……ミカだけは、反対の立場に立った。

 このまま、アインズ・ウール・ゴウンと戦うことになれば、カワウソの命に係わる。

 それは、NPCたちにとって看過しようのない事態であり、この世で最も忌むべき可能性を想起せざるを得ない。

 

 カワウソの、──死。

 

 自分たちが死ぬことはなんとも思わない。

 むしろ、NPCたる自分が死んで、カワウソの望みが果たされることができれば、それだけで本望なのだ。天使の澱の「本懐」を遂げることができるというのであれば、これに勝る喜びもあるまい。

 だが、創造主である(カワウソ)が死に果てる運命など、どう考えても許容できるはずがない。

 

 それでも。それこそが、自分自身の死すらも呑み込んでも──創造主たるカワウソが戦うことを望み、希み、臨もうとするのであれば、ただのNPCたちには、何も言えない。これが、もしも違う相手であれば、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の皆も、「逃げた方が良い」「危険が多すぎる」「御身の安全には変えられない」と、忠言の雨を降らせたことだろう。

 

 だが、相手はよりにもよって────アインズ・ウール・ゴウン。

 自分たちの主人が、一生を賭すかのごとく挑戦を続けてきた、復仇の相手。

 

 ミカのように、強い敵意を懐くよう設定されたNPCでなくても、自分たちがあのナザリック地下大墳墓の第八階層“荒野”を攻略すべく創造された……“足止め”スキルの発動要員としてのレベルを与えられた経緯を知悉している以上、主人の万願成就を成し遂げることに身命の限りを尽くすように思考するのは、当然すぎる意思決定であった。

 あのユグドラシルで、カワウソがどんなにか、対アインズ・ウール・ゴウンへの執念を──欲望を──敵意の炎を燃やし続けていたのか、天使の澱は一人残らず知っている。知り尽くしている。だから、そんな主人の復讐への道を、止めることなどできなかった。出来る道理がなかったのだ。

 

 ただ一人だけ──

 ミカを除いては。

 

「お守りします──あなたの行く先を。あなた、御自身を」

 

 そう、飛竜騎兵の領地で言った。誓った。約束をした。

 だから、ミカは別の手を打つことを考えた。

 カワウソだけを逃がし、その道行きを助けるためだけに、自分たち天使の澱は玉砕しようという、作戦とも呼べない特攻手段を奏上した。

 だが、カワウソはミカの申告を完全に拒絶した。

 

「──“おまえたちだけ”で、だと?」

 

 ミカの言った作戦内容に、カワウソは戦略的な疑義を呈し、心理的な拒否反応を示した。

 

「“おまえたちだけ”で、やらせるか」

 

 そう言われると思っていたミカには、驚きなど無い。

 

「おまえたちだけで、アインズ・ウール・ゴウンと戦わせてたまるものか(・・・・・・)

 

 まるで、自分の獲物を横取りするなと、そう付け加えんばかりの狂笑も、ミカはすべて予想がついていた。

 そんな主人の燃え上がるかのような戦気を、ミカは手放しに賞賛できない。

 全身全霊を賭して、彼を止めなければ。

 さもなければ、彼は死んでしまう。

 自傷し自殺し自失し自滅の道をひた走ることになるなど、女天使の心が許すはずもない。

 

 

 だが、ミカは結局、カワウソを止められなかった。

 

 

 止めようとしても、それが結果的に、カワウソの死期を早めるだけだと悟れば、打つ手などありようがない。ミカの手で、カワウソという主人を(あや)めるなど、そんなことは天地がひっくり返っても、ありえない。

 わかっていたことだ。カワウソの求めるものは、もはや、あそこにしかないということ。

 ナザリック地下大墳墓……第八階層“荒野”──そこにある星々(あれら)と、少女。

 カワウソから大事な仲間たちを奪い取った、真の復仇の対象たち。

 それを足止めし、あの荒野を攻略して、第九階層へと至ることで、カワウソのたったひとつの欲望(のぞみ)が果たされる。

 そこまでの道のりを築き、邪魔する障害を打ち払い、彼の願いと望みと求めを果たし尽くすことで、ミカたちの存在意義は達成される。

 だから、ミカは口をとざした。

 そんな女天使たる配下に対し、あの時カワウソは──命じた。

 

 

 

「おまえは、俺を嫌え」

 

 

 

 ミカは、何も言えなくなった。

 情けない小声をこぼしたことにも、気づけなかった。

 

 

 

「俺を憎め」

 

 

 

 彼の命令が、

 創造主の言いつけが、

 ミカの五体を抉り、貫き、(はりつけ)にしていく。

 

 

 

「おまえだけは、…………俺を、…………許さないでいてくれ」

 

 

 

 静かすぎる懇願だった。

 それが、彼の──創造してくれた御方──ミカたちの主人たる男の……命令──望み。

 

 

 

「────────了解であります」

 

 そう応えるのが精一杯だった。

 顔を背けるように伏せて、必死に涙がこぼれそうになるのを抑えながら、男の命令を受諾する。

 ミカの表情は、あたかも敵意と悪意にまみれた、真に嫌悪感を醸しだしたかのようなものに相違なかった。

 だが、実際は違う。

 

「……ぁ、ぁ」

 

 カワウソに背を向け、第一階層から第二階層へほとんど逃げ込む形をとったミカは、先ほどの遣り取りを克明に記憶していく。

 そんな熾天使を、智天使の親友が追いすがった。

 

「待ちなさい! 待ってってば──ミカ!」

 

 だが、ミカは応じることが、できない。

 強引に肩を掴まれ振り向かされても、抵抗することも出来なかった。

 

「…………ミ、カ?」

 

 ミカと正面から向き合ったガブは、そこにある絶望を直視しきれない。

 

「ぃ、ぁ…………」

 

 震える唇が、何かしらの音を刻みだす。

 

「い、い、いや、ぃあ、いぁ……いやぁ」

 

 主人から与えられた命令──希望──設定に対する、ミカの想い。

 

「嫌、嫌、嫌ぁ……なん、で──どう、し……あ、あああああ、アアアアアアアアアアアアアア……」

 

 嗚咽と慟哭が、無限に続く回廊の中で響き渡る。

 

「ああ、ああああっ、ああああああああ──ああぅ、ぇああああああ、ぁあああああああああ……」

 

 顔を覆って膝を屈し、文字通り泣き崩れる親友を、ガブは自分の胸の中に抱き留め、零れ溢れる涙と悲鳴を、受け止め続ける。

 

「ミカ…………もう、カワウソ様に、お願い、しましょう?」

 

 こんな命令は撤回してください、と。

 このような設定はあんまりです、と。

 

「ッ、だ──め──」

 

 カワウソのなすことは、絶対。

 創造主の定めは、完全。

 それを成し遂げられないNPCこそが、すべて、悪いのだ。

 

「ガブ、迷惑、かけ……ダメ……だめ、だよぉ……ぁぁ」

「大丈夫。私は『命令違反をしても許される』設定がある。それに、あの優しいカワウソ様が、本気で処罰を与えたりなんて、するはずがないわ。それに、私だけでは無理でも、天使の澱の全員で、御奏上すれば、きっと」

「だめ……だめぇ……」

 

 どうあっても承服しない。承服できるはずがない。

 

「わ、わたし……カワウソ様、嫌わなくちゃ……なのに、ちっとも、嫌い、に、なれ、な、う、うぅ、ふぇぇぇ……」

 

 ミカは怖れる。

 熾天使でありながら、女神でありながら、怖れ続ける。

 

 ──創造主の設定に刃向かうのか?

 ──この程度のことさえできないのか?

 ──おまえという奴は、なんという不忠者だ!

 ──主の言うことも聞けない、出来損ないの役立たずが!

 

「違、チ、ちがいま、ぅ」

 

 ミカの内実を、本心を、女の気持ちを彼が知ることになった時、そのように痛罵されることになったとしたら……ミカは、とてもではないが、生きていくことができない。

 

「わたし──私、は……」

 

 彼の期待に背くこと。

 彼の希望に添えないこと。

 彼の願いに応えられないこと。

 

 すべてが、NPCであるミカにとって、死よりも恐ろしい結果を生む。

 

 捨てられる──

 棄てられる──

 すてられる──

 ステラレル──

 

 考えただけで恐ろしい。

 

「すて、捨て、ないで……くだ、さ、ぅ、ぅぅ」

 

 絶望を払い除けるはずの“希望のオーラ”を纏う熾天使の心が、たやすく絶望できると断言できる。

 捨てられるとは、どういうことか。それは彼のために働き、戦い、癒し、護ることの一切を拒絶されること。おまえなど必要ない、おまえなど二度と見たくない、おまえなど創らなければよかったなどと宣告されることは、NPCにとって、究極の存在否定にしかなりえない。それは「彼のために死ぬ」ことすら許されなくなるということ。これ以上の恐怖と絶望があるものだろうか。

 

 …………ここにも、ミカたちNPCの知りようがない事実がひとつ。

 

 拠点NPCは、ある程度まで己の創造主の思考や思想、精神性が似通うという(ことわり)

 仲間に捨てられきったカワウソ、彼に作られたミカたちは、彼のその恐怖の思いないし心的外傷(トラウマ)を受け継いでいる────《大切なものから棄てられる》ことが、一体どれほどに恐ろしいことであるのか、心の髄から思い知らされている。

 

 故に。

 絶対に。

 ミカは、カワウソを嫌い、憎まねばならない。

 そうあるかのように、振る舞わねばならないのだ。

 そうあることだけが、カワウソの望み──願い──希望である以上、ミカの意志など、介在する余地など無い。

 だから、ミカは隠し続けなければ。

 彼を思う心を。

 彼を想い続ける、自分自身を。

 なのに──

 

「いや……いやぁ……ぅ、ぅう、あ、あああああ、……」

 

 ミカは泣き続けた。

 小さな子供のように、怯え続けた。

 

 創造してくれた者に対する怨嗟も呪詛も悔恨もない。

 ただ、自分の背負うべき役目の重さだけが、それに耐えきることができない自分の無能が、──苦しかった。

 

 

 

 

 ツアインドルクス=ヴァイシオンなる、魔導国の信託統治者との会談の日。

 あの、カワウソからの主命「嫌い憎む」という命令に激してから、数日が経った。

 ミカは、拠点内でも兜を被り、自分の表情の変化を──常に泣き濡れかねない弱さを隠せるようにした。そんな防衛隊隊長の変化を、天使の澱の仲間たちは、すべてを承知しているかのように受け入れた。現場を目撃したガブとラファから事情を説明されたのである。敬服すべき主人の前で、『かくあれ』と定められたわけでもないのに兜を脱がない不遜も、ミカに与えられた命令の苛烈さ過酷さを考えれば、致し方ない。他の者がミカと同じ命令を与えられても、遂行することはできそうにない、最難事でしかなかった。だが、カワウソはそれを望んだ。その意志と意図を疑うことに意味など無い。主人が求めさえすれば、NPCは自害することも容易く遂行できるもの──だが、ミカ個人へとくだされた設定と命令だけは、耐えられる道理がない。

 自分を創ってくれた存在への愛情と敬慕を懐くのが、NPCの本能にして本性。

 その事実から背理せねばならないという設定など、どうしてカワウソがミカに与え給うたのか──天使の澱の誰にも、わからない。

 ガブをはじめ誰もが、ミカの窮状をカワウソに訴え、熾天使にして女神たる同胞の困苦を和らげようかと苦慮してきたが、他ならぬミカが、それを(かたく)なに拒んだ。

 ミカの実情と内心を知られることは、ミカにとって最悪の結末を呼びかねない──NPCでありながら、創造主の施した設定に忠実であることができない無能ぶりをさらす──ということ。

 それが引鉄(ひきがね)となって、カワウソがミカを“捨てる”判断を下すかもしれないと思うと……それが拡大して、天使の澱の全員に累が及ぶかと思うと……

 だから、ミカは堪えるしかなかった。

 堪える以外に、カワウソへの忠誠を示す法が、彼女には存在しえなかった。

 

 

 

 

 ツアーとの会談を終え、彼の協力のもと、魔導国の首都たる絶対防衛都市への潜入手段を手に入れた天使の澱は、最終作戦の立案と調整に数日を費やした。ツアー自身が言うところの、防衛都市のセキュリティを通すための準備期間を有効に使いまくった。装備を完全に整え、生産できる限りのアイテムを揃え、個々人で出来る限りの修練や敵拠点の予習を繰り返し、Lv.100NPC同士の連携や協力態勢──有事の際の作戦変更に伴う諸々についても、すべて入念に協議し尽した。

 誰もが浮足立つ心地を抑えるのに必死だった。

 まるで、主人(カワウソ)と共にピクニックでも楽しもうかという雰囲気で、敵の居城に攻めて寄せる時を心待ちにしていた。

 ついに、自分たちの本懐が──カワウソが試みた『第八階層“荒野”攻略のため』のチームが機能する、その絶好の機会を得たのだ。

 六人パーティの2チーム分──あの第八階層の“あれら”九体と謎の少女を、連中が使ったのと同じ術理で足止めするための力を有する天使たち「足止め役」が十人──ガブ、ラファ、ウリ、イズラ、イスラ、ウォフ、タイシャ、マアト、アプサラス、クピド──そして、カワウソと共に次の第九階層を進むための「(ミカ)」と「(ナタ)」……現状、考えられる限り、最高の布陣であった。

 

「随分と長くなったが、明日に備えて早く休め。ミカ」

 

 そう気遣ってくれるカワウソの優しさが、ミカは身に染みてならない。

 だが、そう簡単には頷けない。明日の作戦の重要性を考えれば、もはや休んでいる暇さえ惜しむべきだ。「根を詰めすぎるのは良くない」という主人の言説も解るが、ミカは休まずに動き続けることができる。最上位の熾天使(セラフィム)である上に、カワウソから女神(ゴッデス)のレベルまで与えられたNPCに、疲労など感じる道理がない。

 

(休む……休む──)

 

 休むといえば、屋敷の大浴場が頭に浮かぶが、あそこでの失態を思い出すたび、自然と足は遠のくもの。

 次いで思いついた場所は、ミカだけでなく、天使の澱の全員にとって、思い入れの深い聖地。

 

(うん……あそこに行こう)

 

 とりあえず自室に用意された浴場で沐浴をし、身を清めてから衣服を装備し直し、ミカは拠点最奥に位置する「祭壇の間」を目指す。

 ここに安置された、カワウソが信仰することを許された復讐神(ネメシス)像と、その像に護られるかのように祭壇に捧げられたギルド武器──ミカたちの根源たるギルドそのものとも言うべきモノに、真摯な祈りを灯し続ける。

 明日の作戦成功を。

 カワウソの勝利を。

 

 ──そのときだ。

 

「何してるんだ?」

 

 祈りを捧げるのに集中しすぎて、完全に主人の気配を失念していた。

 休んでおけと命じられたのに、このような場所で時を過ごすことに疑問を供するカワウソに対し、ミカは言い訳することもできない。

 聖明な泉を飛び越えてくる堕天使は、風呂上がりの軽装であったが、実に似合っている。浅黒い肌も、濡れた黒髪も、隈だらけの眼も、すべてがミカの情愛を刺激して止まない造形だ。堕天使は嫌いなミカだが、自分のギルドに所属するすべてを同胞として信頼する熾天使にとって、屋敷の堕天使メイドも、全員が美しく愛らしいもの。その頂点に君臨するカワウソなど、美しいという言葉では語り尽くせない……天上に住まうとされる神などよりも、はるかに神々しい気配すら感じられる。

 けれど、ミカは己の設定に忠実であり続けるモノ。

『カウウソを嫌っている。』NPC。

 ただ、それだけの存在。

 それでも。

 だとしても。

 

「私は、あなたの望むことをなします。あなたを護ります。あなたに仕えます……その果てに、あなたが望むことを成し遂げ、あなたの願いを叶えることで、もう一度、かつてのごとく笑って下さるのであれば……それで十分です」

 

 たとえ『嫌って』いようとも、NPCとしての義務(つとめ)を果たす。

 たとえ、彼を愛することが許されなくても──憎まなければいけないとしても──彼のために生きることだけは、誓うことができる。

 珍しくも弱気な様子を垣間見せてくれるカワウソに対し、ミカはどこまでもついていくだけ。

 まだ休まずにいられるミカに対し、カワウソは“とある実験”の協力を持ち掛ける。

 あの、アインズ・ウール・ゴウンとの戦いにおいて、必ず必要となる、ひとつの確認。

 カワウソの“復讐者(アベンジャー)”の力────

 屋敷外の、船着場の桟橋で行われた実験結果に、カワウソは満足したように微笑んでくれた。

 それから、二人で言葉を重ね合わせるうちに、

 

「あの時は、悪かったな」謝辞を零されてドキリとした。「俺の馬鹿な実験に利用して」

 

 彼の言わんとしていることを、ミカは瞬きの内に理解した。

 同時に、あの直後に味わった、あの命令が、脳の底に反響されてしまう。

 

「ミカに止められたのが、(いさ)められたことが、思ってた以上に、……こたえた……」

 

 ああ。

 なんて優しいのだろう。

 優しすぎて、泣いてしまいそうになる。

 カワウソは実直に、自らの不明ぶりを謝りはじめた。

 でも、ミカにとっては、カワウソに悪いところなどありえない。謝るべきところなどあるはずがない。創造主である彼に、いかなる落ち度があるというのか。ミカには本気で理解しかねた。

 そうして、カワウソは随分と長い間、ミカの反応を観察するように、沈黙を保った。

 思わず、ミカは「何か?」と首を傾げてしまう。

 それに対し、カワウソは応えた。

 

「ミカは……逃げたいか?」

 

 こんなバカな戦いに巻き込まれて。バカな主人に付き合って……嫌にならないか、と。

 ミカの答えは判り切っている。

 

「いえ──いえ……」

 

 どういう表情をしてよいか、本当に、わからない。

 

「ミカ。この前の命令──覚えているよな?」

「……」

「覚えてるな?」

「……………………はい」

 

 カワウソは「それでいい」と言ってくれる。

 創造主を嫌うミカを、堕天使を憎むNPCを、彼は真実、心から求め欲している。

 だから、ミカは頷いた。

 それが、ミカだから。

 

「わかった。おやすみ、ミカ」

 

 祈りを捧げに戻る女天使を、カワウソは安らかな微笑で見送ってくれる。

 たったそれだけのことで、ミカの苦しみは和らいだ。

 これ以上ないほどの喜び──安らぎ──至福の一時(ひととき)

 そうして、ミカは祭壇の間に戻った。

 ミカにとって、ただひとつの幸福をもたらす源泉……ギルドに対し、祈る。

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)への──このギルドを創ってくれた(カワウソ)への、終生変わらぬ祈りを紡いだ。

 

 頬を濡らして、祈り続けた。

 

 

 

 

 

 

 そうして、迎えた翌日──

 

 天使の澱は、ナザリック地下大墳墓へと攻め込んだ。

 あの第八階層で、十人の仲間たちが、その命を散らすことで、主人から与えられた役目を果たした。

 

 ミカは、カワウソとクピドと共に、アインズ・ウール・ゴウン魔導王と、相対した。

 

 

 

 

 

 

 

 




第十章、残り三話
完結まで、あと……


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戦いの果て

/War …vol.13

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 堕天使の男は駆け続ける。

 両手にアンデッド特効の武装を帯びて。

 死の支配者(オーバーロード)は戦い続ける。

 黄金の杖と天使特効の魔法を駆使して。

 

「“熾天の断罪”!」

 

 ほぼゼロ距離から起動された熾天使のスキル──“堕天の壊翼”発動中にのみ許された、アンデッドを浄め滅ぼすことを得意とする神聖属性スキルは、だが、全身を神器級(ゴッズ)アイテムに守られ、防御魔法を幾重にも重ねたアインズを打倒できない。

 

「ふん!」

 

 アインズは余裕綽々と言わんばかりに、〈魔法の矢〉を発動してくれる。無属性対策が抜けている堕天使にとっては、致命ともなりかねない魔法。魔法詠唱者の基礎中の基礎であるが、それだけに、アインズ・ウール・ゴウンの繰り出す十の魔弾は尋常でない勢いで、堕天使の四肢を打擲(ちょうちゃく)しにかかる。

 

「チッ!」

 

 カワウソは聖剣の刃で、火を纏う刺突戦鎚で、足甲の蹴り足で、魔法の矢を的確に払い除けていく。ミカの女神の能力に強化補助された今、その精度は格段に向上している。

 そして、堕天使は迷うことなく、突撃。

 

 カワウソたちは急がねばならない。

 アインズが使った超位魔法〈天地改変(ザ・クリエイション)〉のリキャストタイムで、彼らは超位魔法を打つことができない。勝負は、そのリキャストタイム終了までにかかっている。もしも、それまでに攻め切ることが出来なければ、第十位階を軽く超える大破壊が、カワウソたちの頭上に降り注ぐのは確定的。同時にカワウソの超位魔法のリキャストタイムも同じタイミングで終了するので、それで相殺してしまえばいいと思うが、一勢力が打てる超位魔法は一日の上限回数が設けられている。

 つまり、すでに〈指輪の戦乙女たち(ニーベルング・Ⅰ)〉〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉〈天上の剣(ソード・オブ・ダモクレス)〉──合計三回分を使用しているカワウソでは、ジリ貧もいいところなのだ。

 様子見も時間稼ぎも、不要である以上に、状況を悪化させるだけの愚策でしかない。

 なので、圧倒的に有利なアインズこそが、そういう時間稼ぎの策術に訴える方が良いはず──なのに。

 

「ふふ……!」

 

 アインズは微笑みさえ浮かべながら、カワウソの突撃に対し、素直に応戦してくれる。

 遠距離から魔法を打ち込み、安全な位置で敵の体力と速度を削ぐ──でもなく、アインズ・ウール・ゴウンは愚直とも言うべき姿勢で、カワウソと正面から一合を交わす。

 無論、そうするだけの意図はある。

 

解放(リリース)

 

 天使のごとく翼を広げ現れたのは、90発にもなる〈魔法の矢〉の群れ。

 足止めから復活したシャルティアが命がけで稼いでくれた魔法の再詠唱時間。それによって、アインズは着実にカワウソを打倒する準備を整えていた。解放された〈魔法の矢〉が、超至近距離で放出された大量に過ぎる弾雨が、堕天使の五体を盛大に殴打していく。女神の加護を突破するには至れないが、少しずつ、カワウソの体力を削減していくのを実感できる。ミカがカワウソに施している体力微回復の性能を上回る規模で攻撃するには、アインズもまた「近接戦の速攻戦」を挑む方が確実であり、そうするだけの実力を、すでにアインズはたゆまぬ努力によって、経験値獲得によるレベルアップではなく、知識や認識──(なま)の経験として身に着けている。

 この100年。飲食も睡眠も不要な身体を最大限利用し、(きた)るプレイヤーとの一戦を想定して、かつてのモモンガとは打って変わった近接戦闘の術を練り蓄えることは、必要不可欠なこと。自らの力を絶対と信じることなく、順当に確実に軍拡を続ける中で、アインズ・ウール・ゴウン自身もまた、魔法詠唱者一辺倒の戦い方だけにこだわる理由はどこにもなかったのだ。本物のギルド武器ほどではないが、アインズの手中にある黄金の杖は、そういった戦闘状況を想定して、鍛冶長に鍛造させた至宝の一本。それを杖術のごとく軽々と振り回し、堕天使の振るう凶器と打ち交わせるのは、アルベドやシャルティアたちナザリックの守護者たちの手ほどきがあればこそ。

 すべては、このナザリックを──仲間たちと築き上げた場所を、護るために。

 

「ゲ、は──!」

 

 堕天使の苦鳴がこぼれる。

 内臓破裂および多臓器不全も危ぶまれる集中弾を至近で喰らったが、カワウソは後退しない。

 

「がぁぁぁッ!」

 

 吐血しつつ突撃──身を独楽(コマ)のごとく回し、回転の勢いのまま刺突戦鎚(ウォーピック)を豪快に振るう。杖で防御したアンデッドの体勢を崩す、その瞬間。

 大上段から振り下ろされた聖剣──純白の刀身から迸る“光輝の刃Ⅴ”の斬光が、アインズの鎖骨あたりを強襲する。

 

「ぐぅぅ、うぉおおおおおッ!」

 

 神聖属性への防御が砕けかけるほどの暴圧。

 アインズは即座に、ボックスから〈氷嵐(アイスストーム)〉の魔法を蓄積したスティレットを取り出し、カワウソの剥き出しの右上腕を貫いた。

 しかし、冷気属性対策を万全整えた堕天使には、氷雪の嵐は効果がない。

 

「チィッ──なら!」

 

 発動した〈骸骨の壁(ウォール・オブ・スケルトン)〉に押し上げられるカワウソ。

 骸骨の防御壁にもみくちゃにされる堕天使を、〈魔法の矢〉が追撃。カワウソが骨の壁と魔法の矢を斬り伏せ薙ぎ払うところに、アインズは転移魔法で頭上と背後を取る。

 

「フン!」

 

 双蛇の絡み合うかのような杖の先端を、カワウソは防御しきれない。

 魔法詠唱者に顔面をブッ飛ばされ昏倒しかける堕天使を、アインズの魔法の矢が襲撃していく。

 が──

 

「ッッ、(デコイ)!」

 

 砂や灰のごとく、あっけなく砕けた堕天使の身体は、スキル“欺瞞の因子”による変わり身。聖剣の転移を使用したカワウソに、逆に頭上と背後をとられたアインズ。

 

「はぁぁぁあああああッ!」

 

 カワウソの振るい握る“火天の刺突戦鎚(ウォーピック・オブ・アグニ)”が、アインズの左上腕骨を焼き、骨の欠片が散るほどの(ひび)を入れる。

 

「こッのォおおおおおッ!」

 

 アインズの繰り出す魔法蓄積のスティレットが、カワウソの左肩を抉り、魔法の矢を流し込んで、爆ぜる。

 

 

 

「があああああああああぁぁぁぁぁッ!!」

「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉッ!!」

 

 

 

 二人は戦い続ける。

 互いの命を賭けて。

 死力を尽くして──

 

 

 

 その最中(さなか)

 彼らの頭上で、煌々と世界を照らす女天使──女神が、その威を発揮しようとしていた。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 ミカとアルベドの攻防は、終局を迎えつつあった。

 

 

「それこそが……

 NPC(ノンプレイヤーキャラクター)!!!」

 

 

 無垢に過ぎる至言。

 純粋に過ぎる宣誓。

 酷烈に過ぎる礼賛。

 

 対峙し、侮蔑と嘲弄を吐き続けた女悪魔ですら、ミカの事情を察するにはあまりある状況。

 それでも。

 ミカの言動の端々から、アルベドは最高位の知恵者として、最悪の可能性を思考し──その、あまりにも酷薄な“設定”を前に、恐怖した。

 その『恐怖』こそが、当惑するアルベドの命運を決した。

 

「カワウソ様に戴いた我が命……使い、果たす!」

 

 背中から伸びる天使の翼。

 六枚ではない。それは、もはや千単位──万単位の、純白。

 舞い散る羽毛ひとつひとつが神聖な光をともし、地下にある玉座の間に太陽のごとき輝きを想起させる。

 女の頭上に浮かぶ金色の円環も、その輝度を増すばかり。

 

「“無垢なる者(イノセンス)”最大スキル!!」

 

 轟々と光の密度が増し、正眼に構えた剣に極大の輝煌が(ほとばし)る。

 世界のすべてを無垢なる光に包み込み、敵するものすべてに膨大な力の奔流を叩き込むであろう、一撃。

 女神と熾天使の力によって相乗された、ミカの最大攻撃手段。

 そのデメリットは計り知れないが、もはや出し惜しみなど、不要。

 熾天使にして女神である、ミカの振るうことが可能な、最高にして最大の、閃光──

 

 

「 ── “真剣(トゥルース)” ── !!!!」

 

 

 (まこと)(つるぎ)

 そう号された、無垢なる者(イノセンス)のみに許された、神聖な力の、一振りの一閃。

 激烈に過ぎる光が空間を満たし尽くした瞬間──アルベドの防御……鎧が、神器級(ゴッズ)アイテム“ヘルメス・トリスメギストス”が、砕けた。

 

「ば……」

 

 馬鹿な。

 そう問い質しかけるアルベド。

 これは、至高の四十一人が一人“大錬金術師”タブラ・スマラグディナが与えた最上級の装備物。理論上、超位魔法の一撃すら三度まで耐えきれる特殊能力──絶対的な防衛装置としての機能を有する神器級(ゴッズ)アイテム、その最後の一枚が、たった一撃で砕かれた。

 だが、今の一撃は、世界そのものを烈光の輝刃に染め上げる能力は、それだけの威力を込められていたのだと理解する。これは、他の守護者たち──アルベド以外のNPC──さらには、至高の御方と信仰して止まぬアインズ・ウール・ゴウン……モモンガ……鈴木悟では、確実かつ完全に、命の危険すらありえた、絶対的な攻撃能力の顕現に他ならない。

 おかげで、アルベドは普段の純白のドレス──あの女天使の攻撃力の前では紙同然の装備──を再び晒すことになるが、神器級(ゴッズ)の鎧の効果に守りぬかれた女悪魔の体力は、ほぼ無傷。

 それに対して、

 

「ッッッ!? ──クッソォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 美麗な相貌を焦燥に歪め、天使にあるまじき毒気の混淆した叫喚を吐き散らす女騎士は、自分の最大攻撃スキルすらも防御し果せた女悪魔の無事を認め、悲嘆の限りを尽くした。

 アルベドは静かに納得の表情を顕す。

 

「……最大スキル、というだけはあるわね。

 タブラ・スマラグディナ様より頂戴した最高位の防御を、あなた一人で“二枚”も砕くとは」

 

 一枚目は、カワウソの超位魔法──〈天上の剣(ソード・オブ・ダモクレス)〉を受けて。二枚目は、女神(ミカ)の発動した魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)の〈神炎(ウリエル)〉〈神薬(ラファエル)〉〈神英(ガブリエル)〉──そして、〈神と似たるもの(ミカエル)〉の連鎖魔法攻撃にて。最後の三枚目は、今まさに発動した光輝の極剣──“無垢なる者(イノセンス)”の最大攻撃スキル──“真剣(トゥルース)”の、袈裟斬りによる一撃によって。

 

 この“真剣(トゥルース)”の特殊技術(スキル)は、発動者のカルマ値と、ダメージを負う対象の、両者のカルマ値の“差分”によって威力が決する。ミカのカルマ値は「500」の極善に対し、アルベドのカルマ値は「―500」の極悪……つまり、カルマ数値の差が合計「1000」の開きがある今回の戦況において、ミカの放った攻撃スキル“真剣”の威力は、事実上最大級の規模にまで増幅されていた。おまけに、この特殊技術(スキル)は“黙示録の獣殺し(キラー・オブ・ザ・ビースト)”と同じく、悪魔や魔獣、竜種などへの特効効果も付属している。その威力はたった一発ながら、超位魔法クラスの対個人への破壊ダメージをもたらしうる……少しでも防御が間に合わない=無防備な状態で受けた時=鎧に攻撃ダメージをすべて移すスキル「以外」を使用していたら、与えられることになっただろうダメージ量は、たとえアルベドという防御役(タンク)であっても、一撃死は免れない極限の攻撃手段となる………………はずだった。

 

 だが、アルベドの誇る神器級(ゴッズ)の鎧、ヘルメス・トリスメギストスは、超位魔法級と評すべき攻撃──ありとあらゆる大攻撃に対し、三層構造からなる鎧を、タンク系の防御スキルと併用することで、装備者であるアルベドを“三度”、無傷で守護し果せるという破格の性能を示すように創られた超一級品である。

 

 アルベドがミカに対して懐いた『恐怖』……

 だが、それこそが、アルベドの思考を完膚なきまでに冷静にさせた。冷徹を極めさせた。

 

 まったく相手を(あなど)(かろ)んじることなく、もはや明確に危険過ぎる敵の一撃に耐えるべく、防御役(タンク)スキルと鎧の特殊能力を完璧に機能させえた。

 ミカという名の、敵NPCの統括者たる女天使は、最終的に、アルベドの創造主が残した最硬の装備を、ただ一人の力で“二枚”も打ち砕いた。

 女神(ゴッデス)の種族はダテではない。

 その事実を、アルベドは冷厳に、粛々とした口調で受け入れる。そして、事実を突きつけ返す。

 

「けれど──もう、終わりよ」

 

 アルベドの装備が教える、ミカの体力(HP)。天使の体力が、一挙に警戒域の色へ下降する事実を示した。

 無論、ミカの誇る最大攻撃“真剣(トゥルース)”の発動には、条件が存在する。

 発動の際には、単一目標となる敵が真正面の攻撃範囲(レンジ)にいること(距離は関係なく、真正面にいる敵だけが攻撃対象となる)。スキル発動前の準備時間・三秒間は、発動者(ミカ)が完全静止の無防備状態に移行すること。その準備時間中に、敵からの妨害攻撃が加えられないことで、ようやく発動可能となること。

 

 そして最後に、発動した後は「使用発動する対象(ミカ)の残存体力(HP)の、五分の四……実に80%を消耗する」こと。

 

 この玉座の間での戦いで摩耗したミカの体力は、確実にアルベドのそれを下回っていた。

 だというのに、ここで残存体力の八割を捧げて発動するスキルが、──不発。

 アルベドの神器級(ゴッズ)の全身鎧・最高の防御性能を破砕し尽したという大戦果はあるが、それでも、敵のタンクがほぼ無傷で君臨しているのに対し、ミカの体力ゲージは警戒域(イエローゲージ)を下回るのは、痛切の極み。熾天使は、自分のスキルで体力を回復することはできず、おまけに魔力(MP)はさきの“女神の魔法”のコンボによって消耗し尽した。時間経過による魔力回復を待つことなど、アルベドという悪魔が許すはずもなし。

 

「クソ!」

「無駄よ」

 

 ミカがこれまで温存しておいた(というより、せざるを得なかった)上級のポーションを取り出した瞬間に、治癒薬が斧刃の軌跡──完全破壊の攻撃によって一掃・破砕される。その余波だけで、天使の左手の薬指と小指が削ぎ落ち、血と光の粒子を零しながら落ちていく。ミカが少しでも治癒薬の使用を強行していたら、確実に手首から先が落ちていただろう速攻の斬撃だ。落ちたミカの指先は、玉座の床に触れるかどうかというところで、完全に光子の塊となって消滅。ミカの予測した通り──ほんのワンアクション、たった一秒の無駄な動きも、アルベドは決して見逃してくれない。女天使は剣を握る手で、二指の傷口を塞ぐなどの体勢は見せない。そんな余裕など、この悪魔の前であるわけがない。

 どちらが優勢に立っているのかは、もはや火を見るよりも明らかだ。

 日蝕のごとく、太陽の威光が陰りを帯びる。

 

「クソ、クソッ、クソッッ──クソッッッ!」

 

 痛みなど苦ではない。

 だが、それにも勝る屈辱の事実が、ミカの唇から毒のある息吹を吐かせ続ける。

 そう……完全に、ミカの作戦失敗であった。

 

 ──アルベドの舌戦に応じなければ。

 ──相手が主人を愛しているNPCでなければ。

 ──そんな敵の姿に嫉妬し、逆上し、戦いを焦らなければ。

 

 あるいは、……そう……何かが違ったのかもしれない。

 

 だが、そうはならなかった。

 ただそれだけのこと────たった、それだけのこと。

 

「いくわよ。覚悟しなさい」

「チィッ!!」

 

 僅かも怖じることなく、アルベドはLv.100同士の本格戦闘では裸同然とも言えるドレス姿で、漆黒の戦斧を構える。対するミカは応じるかのごとく、罅割れ壊れかけの光剣を両手で握り直し、六翼を羽搏(はばた)かせて──突撃。

 再び拮抗する両者の戦闘。

 防御においては、アルベドが不利。

 体力と魔力では、ミカが圧倒的不利。

 加えて、二人の心理的な有利不利については────語るまでもない。

 

 

 その時だ。

 

 

「ミカ!」

 

 

 女天使を呼んで叫ぶ、堕天使(カワウソ)の声が。

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 堕天使の魔力も既にカラに等しく、時間経過で回復できても、第五位階程度が一発撃てればいい方だろう。純粋な魔法詠唱者ではないカワウソの魔力容量も、そこまで多いわけがない。

 対して、アインズの魔力は未だに余力あるのが現状だ。魔法詠唱者でありながらも、近接戦に対する心得や能力を獲得していたことで、ここまでの温存が可能だったのだ。己を強化する魔法は最低限に抑えつつ、確実に堕天使を打倒する無属性魔法を主体に戦闘を組み上げている。

 

 二人共に、死に物狂いで戦い続けた。

 それは見る者によっては餓鬼(ガキ)同士の喧嘩じみて見えたかもしれない。“上の上”のプレイヤー同士であれば、もっと華麗かつ流然とした芸事のごとき演舞にもなっただろう。

 だが、そんなことは当事者同士には関係ない。

 そして、二人の心に満ちる意気も。

 

「ふは、フハハハ!」

 

 アインズは笑う。

 ナザリック地下大墳墓を攻略せんと欲する敵に対し、ギルドを、アインズ・ウール・ゴウンのすべてを守るべく、先頭に立って戦い続ける己を自覚して。

 自らを砕き切ろうとする敵──堕天使の一撃を払い、落とし、逆襲し、逆転し、さらにそこから逆襲され逆転される、闘争(たたかい)の連続。

 それが心地よい。アンデッドの空っぽの胸の奥に、満ち足りたものが感じられてならない。

 対するカワウソは──

 

「…………くはッ!」

 

 堕天使もまた、黒い貌に狂笑を浮かべ、子どものように笑っている。

 自分たちの間には、もう、何もない。

 この戦いを通して、二人はようやく、互いのことを真に理解しつつあった。

 

 それでも、否、だからこそ、二人は戦いをやめることはない。

 

 やめることなどできはしない。

 

 アインズは、仲間たちの残してくれた場所(もの)を護るために。

 カワウソは、仲間たちの残してくれた約束(もの)を守るために。

 

 互いが互いに大切に思うもの──仲間を第一に考えるという点において、彼らは完全に一致していた。

 

 故に、二人はどちらとも、それを“譲る”ことなど、ありえない。

 

 アインズにとっての大事な仲間たち。

 あのユグドラシルで出会えた無二の友人たち──ナザリック地下大墳墓──その拠点NPCたち──ここを維持するために、ギルド長として、皆がいつでも戻ってこられる居場所を作るために、この異世界で、アインズ・ウール・ゴウンは不変の伝説を築き上げた。

 そこまでして、アインズが仲間たちを待ち続けた理由。

 

(楽しかったんだ、本当に──楽しかったんだ)

 

 月額利用料金無料のゲームで、給料の三分の一を課金していた。趣味が他にない金の使い道が、仲間たちと共に冒険し、遊ぶこと以外に使いようがなかった。そして、仲間たちとの日々は、これ以上ないほど楽しかった。現実世界に両親はなく、友達も恋人もいない寂しい社会人にとって、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの仲間(メンバー)たちとの思い出は──皆で創り上げたナザリック地下大墳墓は、何物にも代えがたい(たから)であった。

 だから、アインズは──モモンガは──鈴木悟は、待ち続けた。

 あの最終日。

 ギルド長として、ナザリックへの挑戦を受け入れるために。

 ギルド長として、アインズの仲間たちを歓迎するために。

 そうして──“今”──アインズは、戦っている。

 戦うことができる。

 このギルドのために。

 仲間たちの残した宝物を、守るために。

 これ以上の奇蹟が、果たして他にあるものだろうか。

 

 

 

 一方で。

 

 カワウソにとっての大切な仲間たち。

 両親が死に、社会の歯車に組み込まれ、茫漠として何の色彩もなかった世界の中で、ギルドの仲間たちとの日々だけは、常に眩しく、輝いて見えた。

 

(楽しかったんだ、本当に……楽しかったんだ)

 

 カワウソという歯車を、

 人間扱いしてくれた、

 人間にしてくれた、

 仲間たち皆との、

 

 約束

 誓い

 

 ──もう一度、皆と一緒に、そこ(・・)へ戻って冒険したい──

 

 それを成し遂げることで、きっと、カワウソは──若山(わかやま)宗嗣(そうし)は、前に進むことができるはず。

 たとえ異世界に転移し、今や異形の堕天使になり果ててしまったとしても、カワウソは諦めない。

 その心臓が、脳髄が、魂と心が望む限りを尽くすことで、カワウソの生き続けた意味を達成する。

 

 

 

 二人ともに思った。

 

 二人ともに、ここにいない誰かに、心の内で語りかけた。

 

(俺は……俺たちは……)

 

 ──“ここにいる”。

 

 ──“ここにいる”から。

 

 ──だから…………だから。

 

 

 

 ふと、何十合目かの遣り取りを終えた二人の頭上で、ありえないほどに燦然と輝くスキルが解放された。

 さすがに、お互い攻撃の手を止め、同時に頭上を仰ぐ。

 そして、その結末を見た。

 

「……ミカの“真剣(トゥルース)”まで防御しきるNPCなんて、どんな性能だよ」

「ふふふ。さすがは、タブラさんだな。アルベドとあの鎧は、我がナザリックにおいても最高の盾。アルベドは私が最も信頼する部下の一人であり、今や我が正妃の一人に列する存在──」

 

 二人が見据える先。

 ミカが非業の叫喚を奏で、アルベドは誇らしげに黒く微笑む。

 防御役(タンク)にとって重要な鎧を破砕されこそしたが、アルベドの余裕ぶりは顕著に過ぎた。それに対するミカの余裕のなさは、反比例するように下降線を描く。体力などのステータス的な有利不利ではなく、精神的な両者の違いは、ここで克明に実力の差を顕示していくようだ。

 

「さて、──どうする?」

 

 決まりきっていることを、アインズはわざわざ口にしていく。

 

「まだ、この状況で、()たちと戦うつもりか?」

「当然」

 

 一拍一秒もない、堕天使の返答。

 悩む必要など絶無──そして、振り返るべき道など、もはや無い。

 アインズとカワウソの状況は、どう控えめに見ても、アインズの方に軍配が上がっている。

 カワウソは、ミカの女神のスキルによる超強力な補助能力に助けられているとはいえ、アインズの優秀な武装や魔法の力は侮れない。死の支配者(オーバーロード)の全身が、神器級(ゴッズ)アイテムで覆われているのだから当然か。体力的にも魔力的にも、カワウソの方が残量は少ない。アインズの魔法や武装によって、黒い男の体躯は至る所に戦傷を負い、微回復効果では追い付かないレベルの流血が、堕天使の体のあちこちに刻まれている状況。

 ミカの状況も(かんば)しくはない。“真剣”を使っても打倒できないほどの強敵に、彼女がどこまで戦闘を膠着させられるのか

 この状況を打開するための手段を、カワウソは瞬時に理解する。

 ──もはや、“作戦は一つしかない”。

 

「なるほど、例のスキルでも使いたいのかな?」

 

 アインズはカワウソの戦いを見てきた。

 堕天使の発動していた、世にも珍しい必殺スキル。

 強力無比な、アインズの創った上位アンデッドを、瞬きの内に滅ぼす力。

 もっとも。その発動条件を、アインズたちが満たす理由など、どこにもない。

 

「しかし残念ながら、我々が雑魚のモンスターを召喚して、君にわざわざスキルを発動させてやるほど」

「優しくはない……よなぁ?」

 

 カワウソは唇を吊り上げ、赤い繊月の笑みでクスクスと声をもらす。

 戦闘で、ところどころ歪んだり崩れかけたりしている“火天の刺突戦鎚(ウォーピック・オブ・アグニ)”を、左手から放り落とす。

 

「そう。確かに。アンタらが、俺の“OVER(オーバー) KILL(キル)”のスキルを使わせる理由は、これっぽっちもないな」

「……?」

 

 復讐者(アベンジャー)のスキル。『敗者の烙印』を押され続けたカワウソにのみ、与えられた力。

 それを使うために、カワウソは深く呼吸した後、彼女の名を、叫ぶ。

 

 

「ミカ!」

 

 

 呼ばれた女天使は、カワウソと目を合わせた。

 

 

「“アレ”を!」

 

 

 言われ、命じられたことを即座に理解し、彼女は慣れた様子で特殊技術(スキル)を発動。

 

「下位天使(エンジェル)作成──」

 

 だが、ミカの発動した特殊技術(スキル)の意図が、アインズは勿論、アルベドですら判然としない。

 

炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)!」

 

 虚空より招来された、炎の残光を舞い落とす天使が、たった、二体。

 それらはカワウソへ向かい、飛翔。

 瞬間、アルベドは眉を顰める。

 ──何故、こんな雑魚を?

 アインズとの戦いで追い込まれた堕天使、その援護に駆けつけるとしても、あまりにもお粗末な戦力である。あんな壁役にも不十分な天使を、たった二体だけ召喚させた、女天使の、その(あるじ)の真意を思考する。

 何らかの策略によるもの。でなければ、女天使があの短い遣り取りで、躊躇なく特殊技術(スキル)を発動するわけもない。しかし、ここで何故、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を? 壁を作ろうとするならば、せめて中級天使や上級天使の方がよいはず。あんな下級の天使では、アルベドなら刹那もかけずに断殺できる。アインズもまた然り。

 なのに、あの二体は堕天使にとって必要な……………………必、要?

 

「まさか!」

 

 気づき戦慄した時には、神速を駆る堕天使が、壊れた翼を羽搏(はばた)かせ、ミカの作成した天使の一体──その中心に、いつの間にか左手に換装した黒剣“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”を突き入れ、殺し(・・)ていた。神聖属性の装備では攻撃どころか回復させるところであるが、堕天使が装備可能な魔剣の効能──負に属する性能は、下級も下級の天使に対し、確実な殺傷威力を発揮できる。

 

 その堕天使の頭上には、既に特殊技術(スキル)エフェクトのカウント数字が、(02)

 

 そして、

 

 左手の魔剣を振り上げた瞬間、

 せっかくミカに召喚させたはずの、

 自軍勢力である下級天使が──両断。

 と同時に──

 堕天使(カワウソ)の頭上を飾るエフェクトの(02)が、

 (01)に、

 減る。

 

 

「ッ! 貴様らあああアアアアアアア────ッ!!」

 

 

 アルベドは理解(わか)った。

 理解した瞬間、悪魔の全身が総毛立つ。

 ゲームではない──この異世界では、“同士討ち(フレンドリィ・ファイア)可能”という事実。

 アルベドは堕天使の壊れた翼を、超越的な速度を削ぎ落そうと試みた。

 だが、血みどろになりながらも戦う女天使が──ミカの剣を振るう腕が邪魔で、堕天使を(ほふ)れない。殺せない。止められない。

 

 白黒の剣を握るカワウソが、残る“もうひとつ(・・・・・)犠牲(いけにえ)”に向けて左の魔剣を構え、そして……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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身代わりの盾

/War …vol.14

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

『敗者の烙印』保有者──復讐者(アベンジャー)特殊技術(スキル)

 一日の発動上限数がない代わりに、その発動には、“犠牲(いけにえ)”が絶対条件。

 この必殺の特殊技術(スキル)は、ユグドラシル時代は「敵」を“犠牲”に定め、殺すことで、己の邪魔立てをするすべてを「殺戮する」ことによって、より確実な復讐を遂げることができるように──という設定の下で発動する仕様であった。

 犠牲さえ支払えば、“OVER KILL”の力で、相手の残存体力などを無視し、「一撃死」のオーバーキルが発動できる。

 それは理論上、雑魚モンスターを一定数さえブチ殺せば、どのような強敵も殺戮できるということ。カワウソはやったことはないが、ワールドチャンピオンやワールドガーディアンといった最上位プレイヤーでも、うまくやれば一発で殺し尽くせるだろう破格の能力であるのだ。

 しかし、この特殊技術(スキル)は“ユグドラシルにおいて”あくまで「敵プレイヤーや敵性モンスターを殺害した数」に限定されていた。

 ユグドラシルのゲームでは、同士討ち(フレンドリィ・ファイア)は不可能であったが故に。

 だが、この異世界において、“同士討ちは有効”であり、カワウソは今回の決戦を前に、自分の拠点内で、決戦前夜の屋敷の外で、……ミカと共に(・・・・・)ひとつの実験を終えていた(・・・・・・・・・・・・)

 昨晩のこと。

 ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)・第四階層の屋敷にて。

 はじめてミカと共に、夜の桟橋へ赴き……ミカに実験への協力を頼んだ。

 

 その実験こそが、復讐者(アベンジャー)のスキルの発動実験。

 

 そこで、ミカの召喚した天使モンスターを犠牲にカウントできるという事実を、あらかじめ確かめていた。

 この世界で、この特殊技術(スキル)は、カワウソが直接的に殺した“すべて”を犠牲(いけにえ)と定めることができたのだ。

 そして。

 この決戦の場において。

 三対三のチーム戦の最中、召喚モンスターの類も攻撃手段として“有効”と規定されたことは、カワウソの特殊技術(スキル)発動において大きなアドバンテージを与え得る。シャルティアの眷属や、アインズのアンデッド創造……そして、ミカの下位天使作成の特殊技術(スキル)は、カワウソの必殺スキル発動要項を満たす重要な因子となりえた。

 だからこそシャルティアもアインズも、むやみやたらと十体以上の雑魚──比較的弱い小型の眷属や壁モンスターの召喚を行わなかった。召喚していたものは、どれもが堕天使の単純攻撃では殺しにくいものを選択。今回の敵に対し、ただ闇雲な数による暴力は、カワウソの必殺能力と、文字通り致命的なほどに相性が悪すぎるのだ。

 アインズたちは、カワウソが地表で行った必殺スキルによる蹂躙劇を警戒し、発動に必要なだけの雑魚を(きょう)することは控え続けていた。

 しかし。

 ミカという熾天使のおかげで、カワウソは地表の平原では一度しか使用していない──復讐者(アベンジャー)Lv.1で行使可能な特殊技術(スキル)を発動できる。

 

 復讐者Lv.5で取得するスキルとは、また別の力。

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を抹殺した必殺能力。

 復讐者Lv.1……獲得してすぐに扱える必殺スキルの名は──OVER(オーバー) KILL(キル)

 発動条件の“犠牲(いけにえ)”数は、(02)

 必殺スキル発動による「殺傷可能員数」は、わずか“一人”──

 

 だが、

 それで十分。

 

 それで殺せる。

 それで、アインズ・ウール・ゴウンを、殺す。

 

 殺す。

 殺す。

 殺す。

 

 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す

 

 その思考だけが、異形種たる堕天使の内に充溢していく。

 同じユグドラシルプレイヤー……人間を殺すことへの罪障感は、極限まで薄まっている。

 

 種族“復讐の女神の徒(ネメシス・アドラステイア)”の最大Lv.5──スキル効果によって、対象の即死攻撃対策を、すべて貫通可能。

 

『敗者の烙印』……ギルド崩壊経験者の証を押され続けながら、ゲームを続けた者のみに許された、復讐を、確実な復仇を遂行するためだけの、能力(ちから)

 

 その結実が、この一瞬で果たされる。

 

 雑魚天使一体を貫き滅ぼした瞬間、頭上のカウントが(01)を刻んだ。

 堕天使たちの企図に気づいた女悪魔が、憎悪の咆哮を叫び奏でる。

 できれば戦闘で、アインズの取り巻きすべてを蹴散らしておきたかったが致し方ない。

 カワウソは、ミカに任せたそちらに目もくれず、返す刃で残る一体の雑魚天使を狙う。

 これまでの戦闘で強化されまくった、堕天使の超速攻。

 二体同時召喚故に、距離は僅かに離れているが、仕方ない。そして、問題ない。アインズの攻撃魔法で殺されるよりも早く、堕天使の速度で先に殺せる距離と位置関係。

 カワウソの速度は神速を超えている。唯一対応可能だろう女悪魔(アルベド)、漆黒の斧を振るう女戦士は、女天使(ミカ)によって完全に阻まれている。カワウソ達の企図に戦慄し、妨害を試みようと狂いもがくが、たった一手分だけ、遅かった。

 カワウソを邪魔することはできない。

 アインズ・ウール・ゴウンを護る者は、今は──いない。

 よって。カワウソは一瞬の間、未来を予期し、その内容を確信することができた。

 

「これで──」

 

 勝てる。

 勝てる。

 勝つ。

 勝つ。

 勝。

 勝つんだ!

 

「──終わりだ!」

 

 ほんの一秒の歓声の通り、これが最後の一撃となる。

 全身全霊を込め、片翼で空を叩き、両手を広げる雑魚天使に、突撃。

 カウントが消失(00)を刻み、“OVER KILL”の特殊技術(スキル)が対象一体──アインズ・ウール・ゴウンという存在に「必殺」の結果だけを与えるだろう。

 左手の魔剣が、ミカの召喚した炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を貫く──

 

 

 

 

 直前、

 

 

 

 

「〈時間停止(タイム・ストップ)〉!」

 

 

 

 唐突に唱えられた魔法を耳にし、理解した瞬間、

 カワウソは、アインズの肉体に(・・・・・・・・)右の剣を振り下ろしていた(・・・・・・・・・・・・)

 

 切り伏せるはずだった──スキルの犠牲とするはずだった下級天使を、

 遥か後方に、

 置き去りにして。

 

「   な   ?」

 

 カワウソは声を漏らした。

 

「くっ、ぐぅぅッ!」

 

 アインズの苦鳴が、堕天使の耳元に零れ落ちていた。

 だが。

 苦悶にのたうつも、その痛みには既に慣れてしまったように耐えるアンデッドは、────この程度の攻撃では、殺せない(・・・・)

 アインズ・ウール・ゴウンの体力は、防備は、防御の魔法は、堕天使の攻撃力で、右手の聖剣の一振り程度で、揺らぐことはない。

 だからこそ。

 殺し尽すための特殊技術(スキル)を──OVER KILL(オーバーキル)を──今、カワウソは発動しようとして──そして、

 

 

 こうなった。

 

 

 痺れたように、目の前で起こった出来事を、カワウソは呆然と見つめ……数瞬も遅れて瞠目し、堕天使の表情を蒼褪めさせる。

 瞬間、頭上を仰いだ。

 復讐者(カワウソ)の頭上にあったカウントの(01)は、全自動反撃(オートカウンター)スキル──別の特殊技術(スキル)発動によって、“00を刻むことなく”、別の意味で(・・・・・)消失する。

 瞠目するカワウソを、アインズが高らかに嗤う。

 

「ふふ。残念、だったな?」

「    ──ッ、アっ?!」

 

 失敗した。

 失敗した──

 失敗した失敗した──失敗した!

 声にならぬ声で、カワウソはアインズの理解速度と行動判断に、心の奥底から畏怖を抱く。

 己を切り裂いた堕天使などには目もくれず、敵に絶望を知らしめるために、死の支配者(オーバーロード)は悠然と、“目標”に片手をさしあげた。堕天使の超速攻よりわずかに遅れる魔法だが、その堕天使は今、目の前で固まっている。

 誰かの悲痛な声が「やめて!」と叫ぶ。

 カワウソはその女の声を、どこか遠くで聞いた。

 

 アインズの掌が、問答無用に、ミカに召喚され強化されている雑魚天使……炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)の心臓を、確実に掌握。

 

心臓掌握(グラスプハート)

 

 かくして、カワウソの特殊技術(スキル)発動の犠牲(いけにえ)になるはずだったものは、役目を果たせぬまま、消え果てた。

 

「あ、ああ、ああああ──!」

 

 悲嘆のままに叫んだミカが、再び下級の天使を作成しようとするのを、嗤うアルベドが肉薄し、間髪入れずに妨害。作成した端から、雑魚天使は戦斧に砕かれ、片手の握力で捩じ伏せられ叩き潰される。女天使の一日の作成上限数を目減りさせていくだけに終わった。そして、女天使を蹂躙せんと欲し、高らかに笑うドレス姿の女悪魔……その追撃を、ミカは迎撃せねばならない。

 召喚に必要なタイミングすら失ってしまう。

 何とか隙を見て、アインズの魔法やアルベドの猛攻に耐えられるだけの天使を作成しても、それは畢竟(ひっきょう)、カワウソの脆弱な単一攻撃では殺せない……殺そうと躍起になっている隙に、アルベドの戦斧が、アインズの魔手が、犠牲となるべき天使を破壊する方が早いだろう。

 すべては、彼らの……アインズ・ウール・ゴウンの判断力と理解力が(まさ)っていたことの証明。

 ──そもそもにおいて。

〈時間停止〉の魔法発動と同時に、別の特殊技術(スキル)が働く状況下では、どうあっても発動は不可能であった。しかし、時間対策の特殊技術(スキル)を解除しては、アインズの時間停止コンボによって蹂躙される未来しか、ない。

 だから、アインズ・ウール・ゴウンは、あえて〈時間停止〉の魔法を発動した。

 たとえ、己の身体が引き裂かれようとも、必殺スキルに比べれば抗しようがあるから。

 時間魔法を発動することによって、カワウソの必殺スキルは完膚なきまでに、封じられてしまった。

 

 

 

 たった二つ。

 たった二つの事実が、カワウソの最後の逆転の一手を、完封し尽くしたのだ。

 

 

 

 惜しむらくは、カワウソの誇る復讐者(アベンジャー)の必殺スキルを、その発動原理を、アインズ・ウール・ゴウンは監視し、観察し、推測し、考察し、ひとつの結論を懐くことができていた──敵のスキルを読み解き、それに対する“準備”を、「備えることができた」こと。

 

 さらに、この必殺スキルは、他に類を見ない強力な力故に、他の特殊技術(スキル)攻撃などと同時発動することは出来ず、発動者は単一攻撃──単純な剣のダメージなどの物理的魔法的攻撃手段で殺した場合によってのみ、「犠牲の数」をカウントする仕様上、カワウソが自分自身に備わる他の攻撃(アタック)特殊技術(スキル)を、意識的または無意識的に関わらず発動させた時点でキャンセルされるという、「“最悪の弱点”が存在する」こと。

 

 堕天使は一応、下級天使を作成召喚可能であるが、堕ちた天使に、あまり大量かつ複数同時に召喚する芸当は不可能。そして、この“必殺スキル”のカウント中、カワウソは他の攻撃スキルや召喚スキルを行えない。つまり、どうやってもカワウソ自身が犠牲となる天使を召喚することは不可能なのだ。雑魚を一体ずつ生み出す端から、(アインズ)に魔法で砕かれない保証がどこにあるというのか。

 

 どこまでも敵を殺すことに特化した復讐者(アベンジャー)は、それ以外の機能を発揮しない。

してはならない(・・・・・・・)

 敵を完全に殺すこと、それ以外の攻撃(スキル)の行使など不要。

 それが、復讐者が奉じる復讐の女神(ネメシス)との契約。

 それこそが──復讐者の誓約にして、制約だったのだ。

 

 

 

 戦いとは、戦いに至るまでの全行程によって成り立ち、戦いに備え、準備することまでも含めたすべてを「戦い」と呼ぶ。

 

 つまり、これは、この結末は、奇跡でもチートでもなんでもない。

 

 必然の勝敗に過ぎなかった。

 

 

 

「く、……ぁ!」

 

 すべてを呪い恨み蔑む雑言(ぞうごん)を紡ぐことすら忘れて、カワウソは目の前の「死」を感じる。

 巨大な闇が、虚無の色が、堕天使の意識と心象を瞬く間に染め上げるようにさえ認識した。

 白い右手の聖剣を振るう意思すらも、骸骨姿の魔法詠唱者の声が、容易に掻き消し潰し殺す。

 

 それでも尚、カワウソは逃げることだけはしなかった。

 諦めるよりも先に、何か他の手を考えようとする──が、思考は空転する速度を増していくだけ。

 

「これで──」

 

 轟く声で、アインズ・ウール・ゴウンは魔法を、堕天使に照準。

 ()しくも、カワウソが紡いだ言葉をお返しする形で、数秒後の結末を、語る。

 

「──終わりだ」

 

 彼の得意とする死霊系・即死魔法への対策を重点的に施された、堕天使の聖騎士を殺すための、魔法。

 カワウソに対して申し分ない威力を誇ると実証済みの、純粋無垢な、至近距離から放たれる、破壊の一撃。

 

「〈三重魔法最強化(トリプレットマキシマイズマジック)・……」

 

 カワウソは、

 畏怖と混沌に硬直する堕天使は、防御も、回避も、攻撃も、その場から一歩をさがることさえ、何ひとつとして──できない。

 アインズは、

 敵に対する最大限の礼儀として、未だ残っている魔力量を出し惜しみせず、かすかに懐いた逡巡と躊躇を、刹那の内に拭い落す。

 

「……現断(リアリティ・スラッシュ)〉!」

 

 死をもたらす空間切断。

 破壊破断の閃光が、目の前で棒立ちも同然な恰好でいたプレイヤーに叩き込まれようとして──

 

 

 

 

 

「な、なにッ!?」

「…………ぇ?」

 

 

 

 

 

 アインズとカワウソ――双方共に不意を突かれ、眼を剝いた。

 二人同時に、信じられないものを、

 見た。

 

 

 吹き出す真紅の鮮血。

 

 

 放たれた第十位階の空間切断は、二人の間に割って入った存在……熾天使にして女神……NPCのミカによって、思いもよらない結末を招いた。

 

 

 堕天使を断ち殺す筈の魔法を、

 堕天使の配下である女天使が、

 乙女らしい細い背中で、

 三対六枚の純白の翼で、

 破壊のすべてを、

 受け止めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 いつからだろう。

 

 

 いったい、

 いつから私は、

 あの方に対して、

 至高なる創造主に対して、

 

 

 こんな不遜な思いを懐くようになったのだろう。

 こんなにも儚い夢を見るようになったのだろう。

 

 

 何よりも暖かで柔らかで、切なくて苦しくて愛おしい、それは空想。

 

 

『ミカ……』

「あ──」

 

 

 あの声を、あの顔を、あの方を、刹那の夢に見る。

 彼が差し出してくる手に、夢の中で両手を伸ばす。

 

 

『ミカ……』

「あ、あああ──カワウソ様……」

 

 

 願えるのなら。

 

 

 彼の(もと)に、

 彼の傍に、

 彼の隣に、

 

 

 ずっと居たい、

 ずっと在りたい、

 ずっと寄り添いたい、

 ずっと……ずっと──

 

 

 ああ。

 でも。

 

 

 それは絶対に──“許されない”こと。

 けっして、“彼が許すはずのない”こと。

 私は、ただの拠点NPC、彼のシモベ、創造主の被造物。

 彼を──『カワウソを嫌っている。』と、そう「かくあれ」と、定められた存在。

 

 

「────ぅ、っ、ぅううう……ッ」

 

 

 そんなモノが、

 

  ──彼と

  ──共に

  ──いきたい

  ──生きていたい

 

 なんて……

 そんな、莫迦な、馬鹿げた……幻想(ユメ)……

 

 

 ミカは刹那の思考を切り捨てる。意識を今に向ける。

 

 

「ッ!?」

 

 飛び込む斧刃。

 硬い金属の音奏。

 またも罅割れていく剣。

 飛び散り落ちる火花の煌き。

 

「ツゥッ!」

 

 両腕をもっていかんばかりの一合を、衝撃を、ミカは血まみれの両手に握る剣で防ぎきる。

 女悪魔(アルベド)は容赦なく、呵責なく、躊躇も遠慮も何も懐くことなく、女天使(ミカ)の行く手を阻み続ける。

 

「さぁ! おまえの主を! 守ってみせろォ!」

 

 獣然と轟く哄笑。

 連続で閃く戦斧。

 それを打ち砕き、主人のもとへ馳せ参じることが、ミカには出来ない。

 熾天使であるのに、女神の力を与えられたのに、ミカにはそれができそうにない。

 

「チィッ!」

 

 強すぎる。

 強すぎたのだ、この女悪魔は。否────アインズ・ウール・ゴウンたちは。

 

「もう終わりよ! キサマラは!!」

「……ッ!」

 

 そうだ。

 そうだとも。

 そんなこと、最初から、すべて、わかっていた。

 こんなことになるより、ずっと前から、全部わかっていて、こうなった。

 

 だから──

 だから、私は止めた。

 

 わざわざ地獄へ向かって進軍するなど正気の沙汰かと問い質し、聞き入れてくれない彼を、己の全身全霊を賭して諫めようとした。

 でも、彼は諦めなかった。

 諦めては、くれなかった。

 絶対に、曲がらなかった。

 曲がるはずがなかったのだ。

 どんなに不利な状況だろうと。

 どんなに不条理な物語であろうと。

 どんなに不幸な結論が待ち受けていようと。

 

 私たちの創造主……カワウソは、諦めることだけは、しなかったのだ。

 

 全部、わかっている。

 わかっていて、私たちは………………私は──────

 それでも、

 

「…………ぃ、や」

「────はァ?」

 

 鍔迫り合い、互いの吐息さえ嗅ぎ分けられる至近距離で、女悪魔が眉を(ひそ)める。

 しかし。

 ミカは、もはや目の前の敵など眼中にない──そんなことなど、どうでもいい。

 

 もはや、カワウソの「必殺」を誇る“OVER KILL”は発動できない。

 戦局を一変し得る特異な力。カワウソだけの特別な力。

 それほどのスキルを、平原での戦いを見て知っているらしい敵が、わざわざ雑魚モンスターを召喚してくれるわけがない。ならばと、ミカが召喚する下級天使を、カワウソが犠牲として殺戮する作戦だった。だが、それよりも先に、敵の攻撃が完全に、カワウソのスキル発動に必要な天使たちの命を刈り取っていく。こうなることを恐れて、ミカはアルベドという敵を早々に確実に打破打倒し、無力化することで、彼のシモベたる女天使は、カワウソの求める犠牲(いけにえ)を供するのに十分な余裕と状況を造り与える……はず、だった。

 でも、これでは、もう、本当に…………無理だ。

 

「いや……いやぁ……」

「?」

 

 当惑するアルベドのことなど、もはやミカの意中には存在しない。

 ミカの脳と心を埋め尽くす、最悪の可能性。

 だが、ミカはそれを拒絶する。

 拒絶し続ける。

 数秒後に訪れる破滅を──ひとりの男の死を──かけがえのない愛の、喪失を。

 

 いやだ。

 いやだ。

 いやだ。

 いや!

 いや!!

 いや!!!

 

「いやァ!!!」

 

 あの人が──

 カワウソが──

 私の創造主(あるじ)が──

 

 彼が!!

 ……死ぬところなど!!

 

「絶対に!! 見たくない!!!!」

「ッ、な……?」

 

 女天使の挙げた涙声に、女悪魔は刹那の間のみ、怯む。

 そのわずか、一刹那の間で、ミカは己の運命を決めた。

 

 光剣を(なげう)つかのように押し飛ばすという行為で、女悪魔の意表を突いた。

 何をするつもりだと警戒する敵のことなど、考える余裕すらなかった。

 馬鹿の極みだと、嗤いたくば嗤うがいい。

 事実、ミカ自身も嗤われて当然と判断している。

 これは、大いなる自殺行為。

 彼の命令への、紛れもない背信行動となるだろう。

 

 それでも。

 どうしても。

 どうあっても。

 どうなったとしても。

 

 それだけは──彼が、創造主が、カワウソが、「死ぬ」という事実だけは、

 

 死んでも、見たくない!

 

 ミカは、己の我儘を自覚しながらも、自分が護るべき者だけを一心に思い、そして、泣き叫ぶ。

 

 

 

特殊技術(スキル)!!  “身代わりの盾(サブスタチューション)”!!!!」

 

 

 

 前衛タンク職の、味方を守る位置に己を置く……確実な「盾」となる能力を、発動。

 ミカの体力は、完全に危険域(レッドゲージ)──だが、構うものか。

 特殊技術(スキル)発動と同時に、両手を広げたミカの背中へ……全身を蹂躙する魔法の三閃が叩き込まれる。

 アインズ・ウール・ゴウンの〈現断〉の刃が、熾天使(セラフィム)の翼を、第四天(マコノム)の鎧を、背中を、体躯を、割り砕く。

 

 

「……カ、……あ」

 

 

 目の前で驚愕に目を剥く主人が無事であることを認めつつ、ミカは一歩を踏み出そうとして、自分の脚がないこと──胴から下が千切れ落ちたことに、気づく。左腕もおまけとして斬り落とされていたが、それに気づく余裕はなかった。

 

 そのまま、破壊の衝撃で吹き飛ばされる拍子で、主人の腕の中に飛び込めたのは、まったくの偶然に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




天使の澱  残存兵力

──



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ミカとカワウソ

第十章 (たたかい) 最終話
……
ミカは嘘をついていた
ミカは嘘を──
ミカはウソ
ミカワウソ


/War …vol.15

 

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 

「……カ、……あ」

 

 かすれた声と吐息。

 辺り一面に散る(あか)

 輝くように舞う(しろ)

 光に満ちる金色の髪が、切り裂かれた羽と同様、はらはらと舞い散り墜ちて、消えていく。

 

 倒れ伏す女天使の体を、カワウソの腕が、受け止めていた。

 受け止めようとしたのではなく、ただそうなっただけだ。

 あまりの出来事に、受け止めた拍子のまま尻餅をつく。

 

「────ミ…………カ…………?」

 

 倒れて打った体の痛みも忘れ、夢を見るように呟きを漏らす。

 腕の中にある女の感触は、現実そのもの。

 堕天使の喉が震える。

 心臓が跳ねる。

 

「か、ハぁ──ッ!」

 

 綺麗な天使の顔、美しい唇から吐き出される血袋の水音が、堕天使の鎧の上を跳ねて割れた。

 震える女が必死に呼吸を整えようと喘鳴(ぜんめい)を零す間も、致死的な光景は酸鼻を極めていくだけ。

 

「あ…………」

 

 彼女の口や背から溢れる生温い真紅、鎧と共に無残にも砕け散った六つの白翼、長かった黄金の髪も肩辺りから下が削ぎ落され、胸から下の身体は重傷と呼ぶのも憚られる惨状に染まって千切れ“落ちて”おり──そして、それらすべてが、嘘偽りのない光景、胸の奥の鼓動が早鐘を打つ……現実であった。

 

 しかし、カワウソは理解できない。

 

 彼女が、彼女自身に与えられた防御役(タンク)特殊技術(スキル)によって、味方(カワウソ)に注がれようとした攻撃のすべてを受け止めるポジションへ瞬時に移動したことだけは、(わか)る。この戦闘において、この最後の局面において、ミカが自己の本懐を遂げたのだと、判断できる。ミカに与えた神器級(ゴッズ)アイテム・第四天(マコノム)の鎧があったからこそ、天使の防御を砕いた魔法攻撃が貫通してくることなく、堕天使の男が致命傷を受けずに済んだことも──すべて。

 

 それでも、カワウソは理解(わか)らない。

 

 

「……生き、て、くだ、さ……ぃ……」

 

 

 何故、

 どうして、

 死にかけの天使が、

 切なく震える声と掌を、

 堕天使に──カワウソに──差しだしているのか。

 

 

「あな……た、だけ……は」

 

 

 そこにある感情は、果てしないほどの、情動。

 大切なものを護らんと欲する、慈しみの発露。

 だからこそ、理解できない。

 わからない。

 

「ミカ…………どうして? …………おまえは…………俺、を」

 

 嫌っていただろう?

 

「──嫌、い……です」

 

 嫌っているのに、何故?

 

「……大、嫌い、で……す」

 

 そうあるべく創造された女天使は、血の(あぶく)を吹き、震え崩れそうな身体を鼓舞するように、己の役目を、設定を、彼に与えられた“自分”を、貫徹する。

 

「あなた、が、そう願い、そう望ん、で……そう、創って、くれたぁ、……だからっ」

 

 女天使の片方のみになった掌が、かすかに堕天使の左頬を、女が男を抱き締めるように、とらえた。

 紡がれる言葉に宿るのは、清らかな祈りにも似た、切なる想いだけ。

 カワウソは、やはり、理解できなかった。

 

「でも…………」

 

 彼女の震え濡れる微笑みが、

 優しく切ない最後の音色が、

 なにを意味しているのかを、

 

「それ、で……も…………っ」

 

 

 

 

 カワウソは、理解しては────いけなかった。

 

 

 

 

 ○

 

 

 

 

「でも…………それ、で……も…………っ」

 

 理解できていないカワウソに、彼の手で最初に創造されたNPC(ミカ)は、僅かに残った力をすべて(つい)やし、最後の思いを言葉に変える。己の血肉が輝きをこぼし、身体の端から光の粒子と化して溶けていくのにも構うことなく、一心に、目の前にある創造主──堕天使(カワウソ)にむかって、祈る。

 祈り続ける。

 

「どう、か…………どうか…………」

 

 己が失われることより兆倍も京倍も恐ろしいことにならぬよう、文字通り懸命に、祈り続ける。

 

 

 

 

「生きて……ください」

 

 

 

 

 ミカは思った。

 想い、焦がれていた。

 掌から伝わる、彼のぬくもり。

 至高なる創造主と、共に在れる、──奇跡。

 

 だけれども。

 それ以上、言葉は紡げない。

 この気持ちを、狂おしい想いを、伝えることは“許されない”と、わかっているから、口にはできない。

 

 ──嫌え、と。

 ──憎め、と。

 

 そう望まれるまま、そう願われるまま、創造主の意思に準じ、そうして今、殉じようとしている。

 ああ、どうか……どうか、お許しください。

『嫌っている。』と定められたのに、そのように設定されたにもかかわらず、まったくこれっぽっちも、その通りに思うことができなかった、不出来に過ぎる被造物(わたし)を。

 

 ミカはカワウソと同じだ。

 カワウソと同じ嘘つきだ。

 

 ミカは嘘つきだ。

 ミカは嘘をついていた。

 

 ミカには、それしか──できない。

 ミカには、それしか──ありえない。

 それくらいのことでしか、(カワウソ)に報いることは、許されない。

 そう『かくあれ』と、望まれているから。

 彼の、カワウソの、シモベ(NPC)だから。

 ──だから。

 

「…………ミカ…………」

 

 名残惜しくも彼の身体から頬を離し、自分を呼んでくれる声を、熱い眼で滲む視界いっぱいに、仰ぎ見る。

 だがもはや、主人の表情(かんばせ)を見る視力(ちから)すら、ミカにはない。

 最後だから、これが最後だから、思わず微笑(わら)ってしまう。

 

 ミカは堕天使(カワウソ)が嫌いだ。

 

 嫌いで、嫌いで、たまらない。

 憎くて、憎くて、たまらない。

 

 どうして……こんな私を、お創りになった。

 どうして……『嫌え』などと、定めてしまわれたのか。

 どうして……「憎め」などと、命じてしまわれたのか。

 

 

 

 

 こんなにも──あなたを慕い、愛し、想わずにはいられない、NPC(わたし)に。

 

 

 

 

 ──それでも、あなたが願うことであるならば、

 

 私はそれに──従おう。

 

 私の嫌いな──

 

 私の大嫌いな──

 

 たったひとりの、私たちの……、私の……創造主(あるじ)──

 

 私の……すべて……

 

 地獄の底まで、ついていこう……

 

 そのために、死ねというのであれば……よろこんで、死のう……

 

 

 

 ……だから……どうか。

 

 

 

 

 ……あなた だけ  は

 

 

 

 

 

 …… 生 ……  き      て

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

「……まて……待ってくれッ!」

 

 叫んだが、遅かった。

 震える声は、腕は、掌は、(くう)を掻くだけ。

 天使の澱(エンジェル・グラウンズ)、最後のLv.100NPC、防衛部隊隊長である女天使――ミカは、死んだ。

 最後に自分を護ってくれた者を抱き締めてやる間なく、感謝だろうか哀惜だろうかの言葉をかけてやる猶予もなく、カワウソの目の前で、彼女は幾多もの輝きを撒き散らす光の粒子となって、その構造のすべてを失い──最後の微笑みも、熱いほどの掌の温度も、初めて瞼の端から零し見せてくれた感情の発露も──あたりに撒き散らされた肉片や白い羽毛──血の一滴までも、滅び、尽きて、いった。

 逝ってしまった。

 

「っ、ッ……ぁ……あ?」

 

 カワウソは、瞳の奥に宿るミカの光の残滓を、限界以上にまで見開いた熱い眼で追ってしまう。

 幾億の星の瞬きのような輝きと化して、女天使ミカは、消滅した。

 堕天使を、たった一人、残して。

 

「ぁ、あああ?」

 

 

 

 

 一方で、

 その光景を無言で眺めていた死の支配者、アインズ・ウール・ゴウンは、疑問する。

 

「……どういうことだ?」

 

 彼女を、ミカという天使を、直接に(あや)め滅ぼしたアインズは、──健在。

 アインズは己の手足を眺める。骨の手指は問題なく、動く。

 

「足止め、スキルは?」

 

 発動しない。

 そんなものは最初から存在しなかったかのごとく。

 女天使の死体は欠片も残らず、如何なる封印や絶対拘束の効果を、アインズに伸ばすことはない。それを警戒していたからこそ、アインズ達は即座にカワウソたちから距離を取り、事の推移を見守るのに務めた。

 しかし。

 アインズの手足は、自由に動く。彼を縛る光──“足止め”のスキルは、現れない。

 

「まさか……あいつだけは、例外、だったというの?」

 

 主の盾となる位置に陣取って、困惑する最王妃・アルベドの理解は、正しかった。

 カワウソの創造したLv.100NPC、そのほとんどには天使種族固有の“足止め”スキルを与えられていた。

 だが、“すべて”ではなかった。

 実際、カワウソはすべてのLv.100NPCに、足止めスキルを発動できるよう設定していなかった。

 というよりも、設定できないものがいたのだ。

 

 その例外たるLv.100NPCは、12人の内、わずか2人だけ。

 

 まず一人目は、ナタだ。

 

 あの少年は、花の動像(フラワー・ゴーレム)という超稀少種族だが、彼はそのレア度故に、天使種族のレベルを獲得すること・併存させることは出来ないという制限があった。彼の種族レベルは最大値であるLv.5のみ。種族レベルのすべてを花の動像(フラワー・ゴーレム)の力を発揮する為だけに使用し、残るLv.95を近接系職業でほとんど埋め尽くしていたのだ。だからこそ、彼は天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCの中で、近接戦闘において最も驚異的な戦闘能力を発揮することが可能だった。思い出せば、ルベドとの戦闘で、ウォフとタイシャは足止めスキルの光を発動して、そうしてルベドには悉く効力を発揮しなかったが、ナタは足止めスキルを──あの光のエフェクトを一切発動することなく、その死体をカワウソたちの前で散らしている。

 

 残る二人目が、ミカだ。

 

 ミカという女天使は、カワウソがNPC作成用課金ガチャで獲得した種族レベルデータの中で、最高峰のレア度を誇る『女神(ゴッデス)』最大Lv.5を、他の天使種族レベルと共に与えられていた。女神という種族は足止めスキル獲得に抵抗はないが……そもそもにおいて、彼女はギルド最上層を鎮護する役目を与えられた存在。女神(ゴッデス)という超稀少種族レベルを獲得した際、“『女神』のレベル”を供与されるべき対象として白羽の矢が立ったのが、ミカであったのだ。女神という超レア種族をあたえられる際、ミカは足止めスキル発動に必要なレベルと交換する形で、熾天使にして女神という存在になりおおせた。彼女のタンク職としてのレベル構成を考慮した時、どうしても一番不要なレベルが、足止めスキル用のレベルデータであったのだ。

 

 第一、足止めスキル保有者が十体以上もいたところで、ギルド防衛にはあまり意味もなかった。にも関わらず、カワウソは彼らの作成コンセプトである「ナザリック第八階層攻略のための構成」にこだわった……それが結果として、カワウソたちを、この戦いの場にまで連れてきてくれたことは、周知のとおり。

 

 そうして、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に属するLv.100NPCの中で、ナタとミカの二人だけは、足止めスキルを発動できない――有事の際にはヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)・拠点内における最終到達地点の第四階層にて、主を守護する“矛と盾”として、ギルドの中でも最高位の力を完全に存分に全力で発揮できるよう、設定されていただけなのだ。

 

 ……もっとも、カワウソの築いた最小最弱のギルドに侵攻してくる物好きなプレイヤーたちはまったく存在せず、中級レベルの量産型ダンジョン・ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)自体が、そこまで人気のある拠点ではなかった。また、彼が主に活動していたニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯そのものが、プレイヤーたちの琴線に触れるほどにレアなフィールドでなかった上、その地に住まうモンスターたちへの対策やフィールドエフェクトが厄介極まることからも敬遠される土地であり、結果として、彼と彼のギルドは、ユグドラシルサービス終了まで誰にも知られず、気づかれることもなく過ごすことができただけに過ぎない。

 

 

 

 こうして、女天使──ミカは、その命と力を代価として、主人(カワウソ)の守護を果たす“盾”の役割に殉じ、たった今ここで、消滅した。

 

 

 

「あ……ぁ…………ぁああああ…………?」

 

 その光景を()()たりにした堕天使──見事“盾”に守られたカワウソは、情けない声を漏らすばかりで、立ち上がらない。

 これを好機と判断して、アルベドは忌まわしい女天使の主人に対し、膨大無比な殺意を、黄金の瞳に宿らせて、見据える。

 

「次は貴様だ」

 

 戦斧を抜き払う女悪魔は、堕天使を刑する断頭台そのものと化した。

 アルベドの握る漆黒の斧は、ようやっと本懐を果たせる喜びに閃く。

 だが、

 

「アルベド、──下がれ」

 

 処刑人の一撃を、不遜無礼の極致を犯した大罪人・敵の首魁たる堕天使に歩み寄ろうとする王妃を、他の誰でもないアインズが制止した。

 制された純白の女悪魔は、疑念に満ちた声色で振り返るしかない。

 

「アインズ様、何故」

「見ろ……」

 

 主人に短く促され、アルベドはまったく動こうとしない堕天使の“異様”に、ようやく気付く。

 アインズは事実を──悲しみに染まっているような声音で──言葉にして示す。

 

「彼は、もう…………戦えない」

 

 手から取り落とした両手の剣を拾うことなく、堕天使は自分が怨敵の前に存在する事実すら忘れたように、カラッポな表情で、失われた女天使の残骸を……光の粒子の残りを掴もうとするかのように、何もない虚空を、震える両の掌で、包み込む。開いた両手には、当然のごとく、何もない。……カワウソの手には、もう、何も……

 

 瞬間、

 

 いかなる感情も消え失せた男の表情が小刻みに震え、音を立てて罅割れる。

 

 

 

 

「あ、ぁ、ぁあ、あ、あぁあ、……あ、ぁ……、ぁぁ――っ!!!」

 

 

 

 

 罅割れた表情から、血のように滔々(とうとう)と溢れかえる、透明な輝き。

 止めどなく、黒い両の眼から溢れる雫の量が、彼を襲う感情の正体を(あらわ)にしている。

 

「あああ、あ、……う……あ、あああ、ぅああぁぁぁぁぁっ!!!!!」

 

 それは、恐怖。

 それは、絶望。

 それは――「(いのち)

 

 たった一人でいることへの恐怖。

 目の前に存在する敵の強大さへの絶望。

 あまりにも明確で絶対的な「生」という結論。

 

 それらすべての、“重み”。

 

 積み重ねられた末の結実は、堕天使の身の上に、あまりにも残酷な顛末(てんまつ)をもたらした。

 彼はもう、自分の奥からこぼれる感情を、抑えられない。

 抑える力すら、ない。

 

「ぁ、ああああ、あああ、ああ、ぅああああっ…………」

 

 

 カワウソは、

 カワウソとミカたちは、

 アインズ・ウール・ゴウンたちですら、

 最後の最後まで────気づいていなかった。

 

 

 ミカが、熾天使(セラフィム)が保有する特殊技術(スキル)――“希望のオーラⅤ”。

 そして、“女神”の能力。

 

 

 彼女の保有する最上位レア種族である女神(ゴッデス)の特性やスキル……“女神のオーラ”などと相乗させることで、有効射程は数十キロ──拠点の階層間を隔てた先にまで効果が及ぶよう強化されたオーラ系特殊技術(スキル)は、アインズの強力無比を誇る“絶望のオーラⅤ”と拮抗し、アインズの発し続ける即死効果や恐怖から、自分の軍勢を守護する役割を果たしてきた。この特殊技術(スキル)の真価は、絶望のオーラなどの“「負の効果」が及ばない範囲”であれば、任意対象を常時回復させることは勿論、即座に蘇生復活させることも容易い。

 そして、さらに、このオーラは強力無比な「自軍鼓舞」や「治癒回復」、つまり──“希望”の加護を、自分たちの陣営に注ぎ続ける。外的な「恐怖」や「恐慌」――“絶望”に襲われない効果を、これまで日常的に、恒常的に、発揮し続けていたのだ。

 しかし、カワウソの堕天使という種族は、堕天使であるが故に、そういった希望・加護に対する知覚が不可能な設定テキスト──曰く、『神の威光や加護、慈悲を理解できなかった愚か者』──を与えられており、プレイヤーであるカワウソ自身が、NPCである彼女の力の恩恵に預かっていたことを知って自覚することは、この異世界では半ば不可能であったことが災いしていた。

 また、カワウソ自身から、その身の内側からこぼれる『普通の感情』についても、ミカのオーラは一定以上の効果を及ぼせないこともマズかった。

 

 カワウソはいつだって、ミカのオーラの加護に包まれ、その恩恵によって、この異世界で尋常ではない戦いを繰り広げることができた。

 

 実に、彼が自傷・自殺する実験ができなかったのも、彼に対して常に希望を与え続ける存在(ミカ)の力が、彼の生存を願う女天使の真摯な祈りが、堕天使の凶行を知らぬ間に抑止していたからにほかならない。

 

 それを、堕天使である(カワウソ)自身が知る術はなく、またミカ本人も、そのことを殊更に主張するような卑しさはなかった……というよりも、その必要性をすら感じなかった……自分の力がそこまでの効力を、この異世界転移で、創造主の生存に必要不可欠なものに昇華されていたなどとは、まったく認識できなかったのだ。

 彼を『嫌う』よう設定されたとしても、ミカが、彼に創造されたNPCである女天使にして女神が、偉大なる創造主であるカワウソを支え守ることは、至極当然な、「あたりまえの思想と行為」に相違ない。そのうえ、まさか自分の主人が、創造主が、自分がごとき被造物(NPC)の存在なくしては、この現実化した異世界で生きていけないような事態に陥るなどと、まったく完全に思考できるはずがなかったが故に。

 

 はじめての外での戦闘でも、飛竜騎兵との戦闘でも、NPCたちの救援時にも、

 そうして、このナザリック地下大墳墓への侵攻と、第八階層“再攻略”作戦にも、

 さらには、目の前にいる、アインズ・ウール・ゴウンたちとの、全力の戦闘でも、

 ミカは主人であるカワウソの盾として共に戦い、常に傍近くで、彼を支えてきた。

 

 

 

 だが、もう彼女は……カワウソの蛮勇に、ここまでついてきてくれたNPC・ミカは、……

 いない。

 

 

 

 明晰な頭脳を誇るミカですら、読みたがえていたのだ。

 今際(いまわ)の時までカワウソの生存を願った熾天使ではあったが、皮肉なことに、彼女(ミカ)がいなければ、カワウソは武器を手に執るどころか、この場で立ち上がり、生きる力すら、残らない。

 残るわけがないのだ。

 堕天使の保有する特性にして弱点……“状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ”……状態異常への絶望的なまでの高感受性によって、「人間としての感情を残す(カワウソ)」は、戦闘に挑む気概はおろか、自らを生存させようとする意識すら、欠乏してしまった。

 この場に満ちる“敵意と戦いの空気”が黒い重圧となって、男の全身に襲い掛かっている。アインズの発する黒いオーラの効果は、堕天使の鎧 “欲望(ディザイア)”の力によって無効化され、瞬時に彼の能力値に変換されは、する。それは、これまでの戦いにおいても、彼の能力を向上させる効果を生み続けていた。

 

 しかし、

 

 恒常的な状態異常の発生…………つまり、彼の「内側から生じる負の感情」「カワウソ自身が体感する戦闘への恐怖や不安」「自分を護った女天使の死を目の前にした絶望と混乱」には、神器級(ゴッズ)の鎧であっても、まったくの無力でしかない。

 

 さらには、

 

 自らが失った存在(もの)の優しさとぬくもりを理解して、

 そのあまりにも(むご)い「罪悪の重み」に、

 (ニンゲン)の心は一瞬で圧殺された。

 

「あ、ぅ、ああ、ぉ、あ……」

 

 自分がどんなものを、

 どれほどに尊く優しいものたちを、

 残酷な「死」に追いやったのか省みてしまい、

 深い自責の念に襲われた。

 

「あ、あああああ、ああああああああああ、ア、アアアアアアアアア──!!!!」

 

 あるいは理解できずにいたら──理解さえしなければ──彼はもう少しだけ、戦いに身を投じ、生存を続けようと敢闘することができたかもしれない。完全不可知化を行える神器級(ゴッズ)装備を駆使し、ナザリックを脱出するべく、敵に対する復讐を諦め、何もかもから逃げ出して、無様に生存を続けようとしたかもわからない。

 

 だが、カワウソは──若山(わかやま)宗嗣(そうし)は、理解した。

 理解して、しまったのだ。

 

 

  ──翼の巫女は雷に灼かれ、

  ──鎚の踊子は溶け朽ちて、

  ──炎熱の杖は炭と化して、

  ──死の射手は星に潰され、

  ──聖天の奏は凍え砕けて、

  ──旅の牧人は巨岩に穿たれ、

  ──銀の聖女は風刃に裂かれ、

  ──鋼の巨兵はボロボロに壊れ、

  ──雷霆の僧はズタズタに千切れ、

  ──花の少年はバラバラに散らされ、

  ──赤子の傭兵はこの玉座の戦いで果て、

 

 

  ──そして、ミカは、…………ミカは…………

 

 

「ぁぁぁ、ぁぁ、あああっ──ぁぁぁぁあああああ、あああああああああああああああああぁぁぁぁぁあああああ──」

 

 この感情を、堕天使の被る圧倒的な心への負荷(ダメージ)を──いい意味でも、悪い意味でも──緩和してくれる唯一の手段として存在していた“希望のオーラ”は、既に()い。

 

 ミカの死と共に、カワウソを癒し、支え、護る力は、この世界にひとかけらも、残りはしなかった。

 

「ぁぁぁ、あ、ああ、あぅ――うぁぁぁあああ……っ」

 

 (せき)が切れた涙腺から、雫が止めようもなく落ちる。堕ちる。墜ちる。おちて砕ける。

 嗚咽を噛み殺し耐える(すべ)も力も気概も、堕天使の内側には、残されてはいなかった。

 

 彼が、カワウソが生き残るには、最低でもミカだけは、失ってはならない柱だった。

 だが、最後に失ってはいけないものを、カワウソは今──目の前で失ってしまった。

 

 もしも仮に、カワウソがこの世界へ──“たった一人で”転移してきたとしたら。

 彼は半日ともたずに自殺していただろう。

 

 ありえない状況に絶望し尽くし、恐慌と混乱のあまり自刃したか。さもなければ野山に潜在する強力なモンスターとの戦闘で、呆気なく狩られ喰われていたかもわからない。たとえそうでなくても、思考は余裕をなくし、感情の振れ幅に翻弄され、常人以上に傷や痛みを甘受しやすい堕天使の特性……堕天使の精神(こころ)は、この異世界で、単体で生存し続けることは不可能に近かった。

 熾天使にして女神(ミカ)という庇護者がいたからこそ、彼は十全な戦闘行為を、生存行動を、精神活動を可ならしめる。彼女からもたらされる希望の(オーラ)だけが、カワウソという堕天使を、死や絶望から恒常的に遠ざけ続ける唯一の手段たり得た。

 

 この異世界に転移した直後の、あれほどの恐慌・動悸・戦慄・心神喪失を被った──ミカの接触によって回復に専念されなければ、カワウソはあの時の狂態のままを永遠永劫にわたって維持し、乱雑かつ混沌化した思考と思想から回復されることはなく、そして、平常かつ平静な脳機能を保持することは不可能であったという──事実。

 

 それほどまでに、堕天使(カワウソ)は脆いのだ。

 

「お、あ、あ、ああ、あ、……あ、あああ、う、ああ、あ、ぅぅあ、ぁう……」

 

 歪み開いた唇からは、泣き濡れた声音が、言葉にならない嗚咽が、痛いほど乾き切った慟哭が、止めようもなく溢れかえってしまう。

 カワウソは、自刃するだけの衝動すら残っておらず、無様にも地に這いつくばり、泣き崩れる。

 もはや、正常な思考など何処にもない。

 まるで世に存在するすべての悲劇を、一身と一心に浴びせられたようにも見えて、無残だった。

 こんなにも憐れなものが、今この世界に存在していることすらも、敵対者であったアインズに対し、いたたまれない思いを懐かせるほどに。

 

「こ──……こ、ろぉ……ぇ」

 

 どれほど、彼の悲鳴に、悲嘆に、悲愴に、耳を傾けていたのだろう。

 

 

 

 

 

「お……ぉれ、を、……殺、せ、……ァイン、ズ……ウ、ル……ゴ、う、うううぅぁあああぁぁぁ」

 

 

 

 

 

 やっとの想いで紡がれた言の葉を、アインズは理解して、それでも思わず、問い返す。

 

「いいのか?」

 

 右手で顔を血がこぼれるほどかきむしり、左手で狂ったように痛む胸元を手繰り寄せる男は、敵である男へ確実に嘆願し、心願し、懇願し、哀願の限りを尽くす。

 

「た、の──むぅ…………ご、殺゛、じ、て……ぐれぇ…………っ、うぅ、ぁぁぁ、……あああああ、ああ……」

 

 顔を覆い背を丸め、自らを抱きしめ続ける堕天使の様は、親を失った幼童よりも弱々しい。

 終わりのない悲しみが、カワウソの総身を貫き、その場に(はりつけ)にしていた。

 鞭打たれ釘打たれ、許しを請う虜囚のごとく、堕天使は幾度となく額を床面に叩き続ける。

 

 もはや、勝敗は、決した。

 カワウソは負けた。

 敗けたのだ。

 

「――そうか」

 

 アインズがしばし言い淀む間すら、カワウソにとっては地獄の秒数でしかない。

 

 恐怖。

 絶望。

 敗着。

 失意。

 落胆。

 悪夢。

 虚脱。

 空疎。

 悲哀。

 惜別。

 後悔。

 

 それら諸々の感情が、堕天使の指先から爪先までをひとつひとつ、皮膚の一枚一枚を縫い止め縛り痛苦をもたらす針であった。あるいは心臓を抉る刃であり、または心を蹂躙する拷問具と化していた。ありとあらゆる意気が消滅し、己を構築すべき全部が摩耗に耐え切れず。耐える力もなく。

 

ごめんなさい

 ごめん、なさい

 ごめん……ごめん

 みんな……みんなッ

 

 ただ、何事かを、唇の隙間からこぼして、震え哭く。

 そこにあるすべてが、度し難いほどの罪科(ざいか)災禍(さいか)を内包する地獄の窯の底にくべられたように、一縷(いちる)希望(のぞみ)もなく──灰燼と化す。

 

 今、ここにあるモノは最早、愚かしくも勇ましい、アインズ・ウール・ゴウンへの敵対者……では、ない。

 

 ただちっぽけな、

 ただただちっぽけな、

 ……敗者でしかなかった。

 

 

「今、楽にしてやる」

 

 

 凍えるように、

 焦がれるように、

 震え咽ぶ堕天使を、

 アインズ・ウール・ゴウンは救済する。

 

 

ごめん……ミカ…………ミカぁ…………

 

 

 もはや声をあげることすら満足にいかぬ堕天使。

 彼の衰弱と悲劇を終わらせるべく、振り下ろされるのは介錯の斬撃。

 

 第十位階魔法〈現断(リアリティ・スラッシュ)〉の空間切断。

 

 致命的な急所(クリティカル・ポイント)である首への魔法攻撃は、容易に、簡単に、即座に、弱りきった堕天使の脆い肉体を、

 

 断殺した。

 

 

 

 

 こうして、

 見事に呆気なく、

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長、

 

 

 

 

 

 

 カワウソは、

 

 

 

 

 

 

 

 死んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウンは、床に転がった堕天使の死体を沈黙と共に見下ろす。

 

 そして…………

 

 

 

 

 

 

 

【最終章 Epilogue へ続く】

 

 

 

 

 

 




…………ということで、連載当初からの予定通り、カワウソたち天使の澱の「敗北・敗戦」で終わりました。これで、長かったナザリック敵対ルートも、ひとまず終わりを迎えることになります。

でも、完結まで、あとちょっとだけ続きます。
次回からは、皆様待望の救済の話──「終戦」編です。

たぶん100話までに終わる、かな? ご期待ください     by空想病


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最終章 Epilogue
終戦 -1 ~蘇生~


/War is over …vol.01

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 天使たちが狩り尽くされ、醜い堕天使の頭が床に落ち、首から大量の色をこぼす……その死体を、守護者たちは沈黙と共に遠く眺める。

 

 守護者たちの見つめる玉座の間には、しばし静寂が舞い降りた。

 

 神聖不可侵を誇るナザリックに侵入を果たした暗愚共を、見事に討ち果たせたことに満足を覚えている、これは確かだ。超絶なる魔導王にして、至高の四十一人のまとめ役であられるアインズ・ウール・ゴウンに、ダメージと呼べるダメージを負わせ続けた大罪人共がようやく死に(おお)せて清々(せいせい)した、これも事実だ。卑しく汚らわしい堕天使の死体が、ナザリックで最も尊い玉座の床を(けが)していることに激昂し、義憤していた──これも真実だ。

 しかし、守護者たちは、何も言わない。

 

 無言で堕天使の死体を見下ろす(アインズ)が、守護者たちを、アルベドを振り返らず、深い沈黙を保っている。

 

 片膝をつくアインズはしげしげと、自分と同じユグドラシルからやってきた存在を────その“死”を、検分検証する。

 死体の片手を持ちあげ、あるわけもないが手首の脈のないことを確かめる。死にたての身体は、まだ暖かい。横に転がる頭部を見ると、半開きの眼に気づく。死者への礼儀として、骨の指で慣れたように瞼を伏せさせた。そうすると、溢れ落ちた雫と血に濡れた表情は、どこか安らかな印象すら覚えるものに変わる。胴とわかれた頭上には、あの赤黒い世界級(ワールド)アイテムが。臓物色の輪っかは、主人の死など知らぬように回り続けているのを確認。試しに触れてみようとするが、アインズにはそれを掴むことができない。盗賊対策の類ではない。まるで、その円環は実存を持たぬかのようで──確か、「呪いじみたアイテム」と言っていた──戦闘前、彼から聞いた話は本当だったのだ。

 

「ふむ……」

 

 アインズは頷く。

 堕天使は、肉体を持つ天使。

 他の天使たちが光の粒子と化して散るのとは、当然違う。死体が残ることは道理だ。

 

「やはり、プレイヤーの死体も、ちゃんと残るんだな……」

 

 理知的で透徹とした声が、玉座の間に響いた。

 死体に対する忌避感や、自分が命を(あや)めたことに対する罪悪感は、欠片も口にのぼらない。この世界において、アインズは死を振り撒く不死者──アンデッドに変貌した上、魔導王として人を死に追いやる事態というものは経験済みだった。つまり、慣れていた。

 100年前、とある姉妹を殺そうとした騎士を殺した。

 冒険者として、不愉快な悪党どもに直接手を下した。

 そして、魔導国建国後は、為政者として、世界屈指の魔法詠唱者として、戦場にて魔法を行使し、敵を蹂躙したことは、一度や二度……というか、十や百ではきかない。

 それでも。自分と同じプレイヤーであれば、違う思いを懐くかもと懸念していたが、やはり何とも思わない──アンデッドだから。

 

 彼が魔導国に潜入し、ナザリック地下大墳墓へと侵攻し、アインズ・ウール・ゴウンと戦った、愚かな“敵”であるのが影響しているから……とは、断じて思えない。

 

 むしろ、アインズは、カワウソのこれまでの戦闘に、行動に、思想に、この拠点の最奥の地までやってきてくれた歴然とした事実に、ある種の感動にも似た感覚を覚えていた。

 存在しない脳裏を過ぎる、カワウソの、言葉。

 

 

   ふざけるな!

   あそこは! 皆で創り上げた世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)だったんだぞ!

   なんで! あんな! 簡単に! ……簡単、にっ!!

   ()てることが出来るっ!!!!

 

 

   おまえに挑まなくちゃ! もう、一歩も前に進めない!

   おまえと戦わなくちゃ……皆との誓いを、果たせない!

 

 

   ッ、俺だけは!!

   あの日の誓いを嘘にはしない!!

   ……嘘にして、たまるものかッ……!!!

 

 

 ただ『戦え』という、あまりにも酷烈に過ぎる、宣戦布告。

 ただ仲間との誓いを、約束を果たしたいという、我儘な主張。

 アインズ・ウール・ゴウンは、それを真っ向から受諾した。

 

 そうしなければならないと、そう確信できたのだ。

 

 そして、彼は戦いの最中、問い質した。

 

『あんたは、仲間を信じて、アインズ・ウール・ゴウンの名を、アインズ・ウール・ゴウンという存在を、この世界に轟かせたんだろ?』

 

 ああ。

 そうだ。

 そうだとも。

 アインズ・ウール・ゴウンの敵でありながら、アインズのすべてを理解し尽した──理解してくれた──たった一人のプレイヤー。

 後にも先にも、彼のような存在は現れないかもしれない。

 あと100年、200年──1000年の後に至るまで、カワウソのような敵と出会えるものだろうか……“否”。

 断じて否。

 いったい、誰が理解できるものだろうか。

 アインズの仲間たち以外の誰が理解できるものか──そう。あるいは仲間たちであろうとも……

 だが、カワウソは理解した──完全に理解してくれたのだ。

 

 仲間たちから見捨てられ、なのに仲間たちを追い求めてならなかったという、孤独な男の姿。

 それは、アインズにも──モモンガにも──鈴木悟にも、起こり得たこと。

 アインズが、ナザリック地下大墳墓を喪っていたら。

 アインズが、仲間たちから裏切られていたとしたら。

 

 だから、なのか。

 

「──うん」

 

 アインズは動かない堕天使を見下ろす作業を止め、アイテムボックスに手を伸ばした。

 そして、あるひとつのアイテムを、空間から取り出す。

 それを見たアルベドは、叫ばずにはいられない。

 

「ア、アインズ様ッ!! 一体、何を!?」

「──さがれ、アルベド」

 

 守護者たち全員が驚愕と動揺に身構えるのを、振り返ったアインズは一言で鎮めていく。

 

「おまえたちも鎮まれ。これから私のすることに、余計な口出しや茶々入れは無用だと知れ」

 

 アインズの決定は、絶対。

 ──“それでも”。

 主人の手に握られるアイテムの効能を思えば、誰しもが疑念と困惑と驚嘆を覚えて然るべきだろう。

 あのアルベドやデミウルゴスまでもが、アインズの行動を、その真意を、推し量ることは不可能に近かった。シャルティアやコキュートス、アウラとマーレ、セバスにしても、愕然と主を見つめるしかない。

 

「……本当は、状態異常(バッドステータス)治癒付の上級治癒薬(メジャー・ヒーリング・ポーション)の方が、安上がりと言えば安上がりだったんだが……」

 

 ぽつりとこぼすアインズであったが、それでは“彼”が納得しなかっただろう。

 少なくともアインズが“この男”の立場だったら、そうとしか思えない。

 神聖で柔らかな光が、アインズの握る純白の短杖(ワンド)から零れている。

 ──それに、これはちょうどよい『実験』にもなる。

 

「だが、このままやってはマズいよな──」

 

 堕天使の“状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ”が最大の問題か。

 それに、蘇生拒否の可能性もあるし。

 さて、どうするか。

 

「うん……そうだな。

 急ぎ、前室に控えているペストーニャとルプスレギナ、あと一応マルコを呼べ」

 

 火急の命令を下し終えたアインズは、取り出したアイテムを、床に転がる死体に向け、何の逡巡もなく起動する。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 長い悪夢を見ていた。

 我ながら、薄っぺらい人生だった。

 ゲームなんぞに金をつぎ込み、結局、自分には、何も残っていなかった。

 身も心もボロボロになるほど、楽しかった過去を懐古し続け、狂っていると嘲られ、馬鹿げていると呆れられ、それでも──自分は、皆と遊んだゲームを、やめられなかった。まるで薬物中毒のごとく、ハマり込んだ。

 

 だって、皆と一緒にいる時間は楽しかった。

 皆といられたから、自分は心の底から笑うことができた。

 皆がいてくれたから、あんなにも楽しいことが世の中にあるのだと知った。

 皆と出会うことがなければ、じぶんにはなんのいみもかちもないまま、誰にも何にもなることなく、無機質な人生を終えていただろうと思うと──

 

 けれど、それすら誰も、自分の仲間たちでさえ、認めてはくれなかった。

 

 ナカマなんてくだらない──

 現実を見ないでどうする──

 たかがゲームじゃないか──

 諦めろ諦めろあきらめろ……

 

 もう何を信じればいいのか、わからなかった。

 自分が信じていたすべてが、まちがっていた。

 それを思い知らされても、何もできなかった。

 

 でも、それでも、守りたかった。

 自分が信じたものを──誓いを──約束を──仲間たちとの思い出を。

 だから、カワウソは戦い続けた。

 自分が信じてきたものを──誓いを──約束を──果たしたいという一心で

 

 どうしても戦いたかった。

 どうしても挑みたかった。

 どうしても勝ちたかった。

 どうしても、どうしても──

 誰にも理解されなくていい。

 誰に賛同されなくてもいい。

 誰からもせせら笑われて構わない。

 罵倒され、拒絶され、否定され続けても、カワウソは抗い続けた。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンを倒したい。

 ナザリック地下大墳墓の、第八階層を攻略したい。

 そんな失笑もののバカげた夢のために、夢の実現を形にしたいがために、自分の拠点NPCへ攻略手段に使えるだろうと考察した能力を付属し、そうやって、たった一人で、ユグドラシルを続けてきた。

 

 間違っていてもいい。

 侮蔑されても仕方がない。

 狂っていようとも構わない。

 皆から嘲られ罵られ、お笑い(ぐさ)になろうとも──

 

 ただ、カワウソは、夢を、希望(ユメ)を、見ていたかった。

 

 

 

 

 けれど、そんな悪夢も、ようやく終わった。

 

 

 

 

 優しく心地よい、全身を包み込んで守ってくれるような、幸福な水底。

 何の色もない(おり)の中──

 ずっとここに居たい。そう思わせられるほどに、カワウソは何者でもなくなっていた。

 ここはどこなのだろうか。そんなことを想い巡らせる余地など、自分には存在しなくなっていた。

 それを邪魔するような気配を振り払う。

 また、あの悪夢を繰り返すなど、ごめんだ。

 ここにいること以上に、大切なものはないと、そう直感できる。

 

 ただ、自分は、何か、とても大事なことを、忘れている。

 その懸念が、それだけが、自分という存在にこびりついて離れてくれない。

 

 何を思い出す必要があるのだろう? 何を思い煩う必要があるのだろう?

 何もかもが意味をなさないような、この場所で、自分は何を想い巡らせることがあるのだろう?

 

 肉体も精神も呼吸も体温も反射も神経も感覚も感情も感性も感動も何もない、無そのもの。そんな時間や空間すらも茫漠とした地平線の彼方で、刹那的で久遠的で永劫的で瞬間的な、固定された虚の只中で、────ふと、誰かの声を、感じた。

 

 その声が誰だったのか、すぐに思い出す。

 

 血と涙に濡れた天使の微笑み──何よりも美しい女神の表情(かんばせ)──守り切った主人の頬に差し伸べられた、優しい掌。

 

 瞬間、飛行の魔法とは比べようもない浮遊感と共に、意識が急上昇した。

 カワウソは跳んだ。自分を守って散った天使の、あの女の声のする方へ。

 

 

 

 ──生きてください──

 

 ──生きて……生きて──

 

 

 

 あまりにも慈悲深い幻想(ユメ)だと、自分で自分を嘲笑(あざわら)う。

 見上げたそこにいる女神の姿に、頬を何かが伝いだす。

 

 差し伸べられた掌の温度を味わうことに、迷いはなかった。

 あいつが、あの優しい天使が、微笑みと共に手を伸ばしてくれる。

 誰よりも自分を想ってくれる存在が、たったひとつの祈りを紡ぎ続ける。

 

 ただそれだけで充分。

 もう──充分なのだ。

 

 

 

 

 彼女の、天使にして女神の微笑みに、差し出し繋いだ手を、引き上げられる。

 

 

 

 

「っ、……!」

 

 呼吸。拍動。繰り返される瞬き。

 全身の骨肉に血が巡り始める感覚が、嫌になるほど鮮明だった。

 

「は、……ぅ、あ˝ぁ?」

 

 瞬間、途方もないほどの重圧を感じ、感情の波濤にさらされる。

 自分の内側から零れる恐怖感などが実像を得て、視野に暗い影を落とすかのように錯覚する、が。

 

「ミ──ぁ、あっ……?」

「アインズ様、彼が目を」

「うむ。ではペストーニャ、手筈通りに回復を」

 

 聞き知った声が交わされる。それが誰のものだったのか判然としない。

 

「な、……あ?」

 

 黒く染まりかけた思考では、起こる現象どころか、自分という存在の実存性すら曖昧になっている。自分という意思を持つ者が何処にいて、自分とはどんなものだったのか、確かめる時間を必要とした。

 腕を目の前にあげる。

 太陽に焼かれ過ぎたような浅黒い肌が見て取れる……堕天使の、身体。

 これが、自分の腕だと実感するのと合わせて、何者かの神聖な力が、体表面に魔法の明かりを灯し出す。

 瞬間、陰鬱な影を落としていた精神に、冷静さが付与されていくのがわかる。

 何らかの精神系魔法──あるいは回復系魔法効果の影響か。

 そう。

 ここは異世界。

 魔法が生きている世界。

 ゲームの法則が根付く異様な大陸。

 アンデッドなどの異形が存在する、魔導国。

 典雅壮麗、絢爛豪華、難攻不落を誇る、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの、居城。

 

 そう。

 

 ──ナザリック地下大墳墓、第十階層、玉座の間。

 

「どうだ、ペストーニャ?」

「はい。しかしこのペースでは、私の回復魔法と魔力量だと──おそらく30分が限界かと」

「そうか、わかった……。それにしても、やはり、プレイヤーも蘇生条件は同じというところか」

 

 カワウソは完全に目を覚ました。

 見上げた先で、「貴重な情報を得られた」と頷く骸骨……魔法詠唱者が思案に耽っている。

 

「っ、な、に……?」

「ふむ。どうかな? この世界で蘇生を果たした気分は?」

「な、──アン、タ」

 

 カワウソは、アインズが握っているものを確認して愕然となった。

 象牙製で、黄金が先端にかぶせられた、握り手にルーンを彫り込んでいる神聖な雰囲気のワンド。

 

 蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)

 

 ユグドラシルプレイヤーにとっては、必須中の必須と言える蘇生アイテムである。

 以前、カワウソが魔導国の一人の臣民──飛竜騎兵の乙女に使ったものと、同じ。

 それを視認しただけで、カワウソはすべてを理解した。

 

「な……んで……?」

「うん?」

 

 カワウソは、もう一度深く呼吸し、さらにもう二度、呼吸する。

 

「何故……俺を、蘇らせ、た? 俺は、おまえの……おまえを」

 

 アインズ・ウール・ゴウンの敵。

 アインズ・ウール・ゴウンを殺そうとした者。

 そんな堕天使を、馬鹿なプレイヤーを、何故、彼は、……蘇生させた?

 

「“そんなことは判っている”。それよりも、質問に答えてほしい。

 ──蘇生を果たして、何か気づいたことは?」

 

 カワウソは混乱し困惑しながらも、自分の断ち切られたはずの首元を手で探りつつ、とりあえず感じたままの異変を、自分の内側に意識を向けると同時に、鮮明化される事実を口にしていく。

 

「……レベルが、落ちている?」

「ふむ。──それは、どうやって気づいた?」

「いや……何となくだが、自分の中から、何かが欠け落ちたような……何と言えばいいのかわからないが、言いようのない、──喪失、感? 今まで使えた特殊技術(スキル)が、いくつか欠けていると判るような、そんな実感が……確かに、ある」

「ふむ。――他には?」

「…………、…………ああ、悪い。それ以上は、今は何も」

「頭が情報を整理できていない、といったところか。まぁ、現地人の蘇生実験ならそれなりにやって来たから、そんな感じなのだろうなとは思っていた」

 

 淡々とした口調に、カワウソは薄ら寒いほどの恐怖を懐かずにはいられない。

 殺して、蘇らせる。

 それを実験と呼んで憚ることないプレイヤーの思考が、カワウソには痛いほど理解できた。

 というか、……もうずいぶん昔な気もするが、カワウソも飛竜騎兵の女狂戦士に、同じような措置を働いたことがあるのだ。

 彼もまた、カワウソと同様に、この世界における未知をなくすべく努力を惜しまなかったことの証明がなされた。

 混乱しつつも理解し納得する堕天使は、問い質したくてたまらない。

 

「……悪いが今度は、俺の質問に、答えてくれ」

 

 アルベドなど、守護者たちから抗議の声があがるのを、他ならぬアインズが制した。

 

「何故、俺を、蘇生したんだ?」

 

 回復されながらも疲労感と脱力感を拭いきれない中で、カワウソは強く返答を求めた。

 アインズが何の意味も理由もなく、ただの実験程度で、敵対者を蘇らせるはずがないと確信して。

 もしや、レベルダウン現象を繰り返していき、消失(ロスト)するまで実験するのでは? ……そう思う矢先、彼が自分の部下であるメイド長──ペストーニャで回復の魔法とスキルを使用させる意図がわからない。

 カワウソのレベルが落ちた事実など、高位の情報系魔法で、相手の状況(ステータス)を透視看破すればよいはず。実験材料とするならば、そっちの方が危険は少ないと思考するだろう。

 なのに何故、わざわざ回復させながら、カワウソに蘇生の感想を聞きたがるのか、理解が及ばなかった。

 アインズは、頬を指で掻いて、自然とした口調を取り繕おうとしつつ、言い放つ。

 

「うん──実は、ひとつ、提案を、したいのだ」

「…………提、案?」

 

 白い骨の掌が、堕天使の眼前に、ゆっくりと差し出される。

 

「私の、その、『盟友』に、ならないか?」

 

 差し出された掌は、いつだったか、正体を明かしたメイド(マルコ)のそれと(ダブ)って見えた。

 

「ぇ────、はぁ?」

 

 カワウソの精神は、回復されながらも混乱の極みにのぼった。

 彼の言っていることが、あまりにも、そぐわない気がした。

 

「それ……“傘下”の──『……配下になれ』の、間違いじゃ?」

「ああ、いや。私は、君に、もはや従属など求めはしないさ」

 

 傘下ではなく、臣民でもなく、奴隷ですらない。

 この世界に生きる“同士”を得たような、晴れやかな口調と表情(骸骨なのに何故かカワウソにも分かる)で、死の支配者は、アインズ・ウール・ゴウンは、先の戦いに思いを致す。

 

「先ほどの戦闘──実に素晴らしい戦いだった。

 この100年、この世界に転移してからというもの、これほどに胸が躍る全力の戦闘を経験したことは、私にはなかった」

 

 アインズは思わずという風に語り続ける。そのどれもが、カワウソの理解を超えていた。

 

「洗脳されたシャルティア戦では、戦闘を楽しむという余裕などありえなかった。王都でのヤルダバオト戦では、モモン状態だったが為に、私の全力全開とは言い難い。ガゼフ・ストロノーフとの戦いでは、それなりに感情を動かされはしたが、決着はほんの一瞬だった……」

 

 その後にも。幾多もの戦闘を、戦場を、戦争をアインズ・ウール・ゴウンは経験してきたのだが、これほど全力全開の状態で、尚且つ心躍るほどの高揚感を伴って戦ったことは、久しく無かった。ツアーと共闘した、あの「事件」においても、これほどに胸がすくような戦いは送れなかったと、アインズは語る。

 

「率直に言おう。我が“魔導国”と、君の“ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”とで、『盟約』を交わしたい。あのエリュエンティウやアーグランドの竜王たちと結ぶものと同じ、『世界の盟約』を」

 

 ギルド間の連合同盟ではなく、魔導国が盟を結ぶ──それはつまり、ツアー率いるアーグランド領域の、浮遊都市の都市守護者らへの“約定”と、ほぼ同じ。

 

「なので。君が望むのであれば、それなりの地位と領土を約束するが、どうかな?」

 

 あまりにも破格に過ぎる好待遇。

 アインズ・ウール・ゴウンの敵として、アインズ・ウール・ゴウンその人に危害を──不遜極まる愚行を働いた者に対し、彼はまったく晴れやかな声音で、カワウソ達の存在を受け入れるという。

 だが、堕天使は首を縦に振れない。

 その理由はひとつだけだった。

 

「ギルドと盟約っていっても、俺のNPC──ギルドの拠点は、もう」

 

 ミカたちは全員一人残らず死に、第八階層に転移した拠点にしても、無事ではないだろうという、当然の予測。こんなありさまで、いったい何がギルドだと言えるのか。

 だが、アインズは朗らかに告げる。

 

「安心しろ。君の拠点は、無事だ」

 

 カワウソは心底から驚愕し、魔導王の微笑を見上げた。

 

「え……な、なんで?」

「うん。

 というか、君の拠点が世界級(ワールド)アイテム使用中に発動した“流れ星の指輪(シューティング・スター)”──〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・アスター)〉で転移した、あの第八階層は、特別でな……あれら(・・・)が稼働している状況だと、我々でも階層内をおいそれとは活動できない。そして、君のギルド拠点を、あれら生命樹(セフィロト)は、システム上、敵性存在と認識できていないし、ルベドも興味を示していない」

「…………ほんとう、に?」

 

 たまらず(たず)ね返したのは、カワウソが一縷(いちる)希望(のぞみ)を成し遂げられると思われたから。

 もしも、あそこが無事であるならば……まだ、“間に合う”。

 彼女たちを、取り戻せるはず。

 

「さぁ──どうかな?」

 

 交換条件を受け入れるか否かという、軽い声。

 カワウソは、今さらここで罠を張る必要性などを考慮する──より先に、頭を振っていた。

 

「……そんなもの、いらない」

 

 地位も領土も、何もかも不要と告げる。

 守護者たちが警戒し身構えるが、アインズが手を振って制した。

 カワウソは、まだ言い終わっていなかった。

 そうアインズには判ったのだ。

 

「──ただ──」

 

 望みを、願いをひとつ、言っていいのであれば。

 

「あいつらを――俺の、NPCたちを――復活させたい。それに、──協力、……してほしい」

 

 血を吐かんばかりの嘆願だった。

 背後に控えるアルベドたちが、一斉に侮蔑と嘲笑の声を上げようとするのを、主人が振り返っただけで鎮め、諫めていく。

 

「いいとも。(うけたまわ)ろう」

 

 アインズは、誰もが驚くほど快く頷いた。

 

「ただし、そのためにはこちらの条件・約束をいくつか呑んでもらうことになるが、構わないな?」

 

 カワウソは即座に頷き返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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終戦 -2 ~復活~

/War is over …vol.02

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルドにおいて製作された拠点防衛用NPC。

 Lv.100のそれを“復活”させるのに必要な資金は、一体につき、ユグドラシル金貨5億枚。

 それが十二体で、しめて60億枚。

 中堅ギルドにも届かないようなカワウソのギルドでは、一度に賄い切れるような金額ではない。

 

 カワウソは、ナザリックの再攻略を続ける(かたわ)ら、ギルド資産が破綻しないように狩りなどを精力的に行いつつ、情報収集や武装の改造、自分自身のリビルドに務めていた。

 種族をイジり、職業(クラス)を変え、課金の傭兵NPCを連れて再攻略に挑んでも、表層部の周囲を取り囲む毒の沼地に阻まれ、何とか単騎で侵入を果たしても、良くて第三階層に足を踏み入れることがかなった程度。堕天使になった後も結果はほぼ同じ。むしろグレンデラ沼地を超えることにすら四苦八苦し、なんとかナザリックに到着する頃には体力(HP)魔力(MP)などリソースの消耗が著しく、結局は──というのが大半であった。

 そんな無茶も、ギルド運営資産――ユグドラシル金貨が尽きようかという事態に陥れば、挑戦すら出来なくなった。

 完全に金を総失することこそなかったが、ギルド運営に必要最低限の資金繰りのための狩りを継続する羽目になった。ナザリックへの挑戦頻度は次第に減らすしかなかった。リアルの仕事が忙しくなったこともあいまって、カワウソはもはや自分のギルドを──仲間たちの最後の遺産たる拠点を守ることに……ギルド運営資金の出稼ぎに、終始せざるを得なくなった。

 幸いというべきか、カワウソの拠点に乗り込むプレイヤーは絶無であり、その存在を知っているのは、忘れていなければかつての仲間たち数人と、拠点内装製作を請け負ってくれた商業ギルドの長だけであったことから、Lv.100NPCの復活が必要になるような事態は一度もなく、ギルドとしては弱小極まりない体たらくを、あのサービス終了日まで演じ続けられただけ。

 

 あの最終日、最後の記念としてナザリック地下大墳墓を目指そうかとは、思った。ユグドラシル最終日ということで、すべての野生モンスターがアクティブ状態からノンアクティブ化することになっていた。沼地の強力かつ大量のモンスターに阻まれる可能性はゼロ。だが、誠に遺憾ながら、その日は会社を休むことはおろか、早退することもままならなかった……前日、同僚が過労死してしまい、その穴埋めが必要で、大切な有給を返上することになった……さらには上司にサビ残を強要され、なんとか帰宅した時には、とてもではないがナザリックまで行ける時間的猶予は皆無だった。カワウソがログインできた時には転移魔法を使っても、よくて広大なグレンデラ沼地の奥にある島か、頑張ればナザリックの表層まで行ければいい方であった。ナザリック再攻略など、到底不可能な物理的距離があったのだ。

 

 

 

 そもそも、ユグドラシルはユーザーの人気を集めていた全盛期からは見る影もないほど衰退した。

 単純な話──「飽きられた」のだ。

 他の新興DMMO-RPGが台頭し始め、コンバートも盛んに行われ始めた。

 黎明を迎え、過去イベントは常時復刻されまくり、新イベントやコラボ企画は盛り上がることなく、最上位に君臨していたギルドも解散と自然消滅が相次ぎ、しまいには神器級(ゴッズ)アイテムなどの希少品が特価廉売され、カワウソのようなソロプレイヤーがある程度まで買い付けることが可能なほどに、その価値を落とした。この手のゲームでは当たり前なことだが、永遠にサービスが続くゲームなど、ありえない。ゲーム人口──実稼働ユーザー数は、ひたすらに減少。ちょっとした都市エリアだと、プレイヤーよりも都市常駐型NPC(宿泊施設や武器道具屋の店員、都市管理用の役人など)の方が常に多いという状態にまで下落。サービス終了が告知されたことで、昔懐かしいDMMO-RPGに既アカ新アカで戻ってくる人もいるにはいたようだが、そこにカワウソの仲間たちは、一人もいなかった。ユグドラシルというゲームそのものが、過去の遺物と成り果てていたのだ。

 そうして、最終日の祭りまで、大々的なイベントが開催されることはなく、ユグドラシルはついに、すべての終わりを迎えた。

 

 

 

 そうして、現在。

 カワウソはアインズ・ウール・ゴウンと共に、ナザリックの第八階層“荒野”に戻っていた。

 荒野の中心に転移した拠点──世界蛇(ヨルムンガンド)の巨大な脱殻(ぬけがら)にくるまれるような、岩塊の砦──荘厳な壁で構築される立方体状の巨城に、カワウソは帰還。

 

「それにしても、素晴らしい拠点じゃないか」

「世辞はやめてくれ。アンタのところのナザリック──あの第十階層に比べたら、どう足掻いても月とスッポンだ」

 

 カワウソは第八階層に転移していたギルド拠点・ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)に帰参を果たした。

 あの、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長──魔導王──モモンガ──鈴木悟と共に。

 

 無論、二人きりではなかった。

 カワウソを拘束するかのように、アウラが金色の縛鎖の輪で彼の肉体を自分の手中と繋いでおり、妙な動作や意図を見せた途端に、堕天使を大地に打ち伏せることは容易(たやす)い。また、カワウソの精神を安定化させるための回復役として、ペストーニャとマルコも随従している。

 そして、彼女らの他にも、アルベド、デミウルゴス、コキュートスの三人の守護者が、アインズを護るように左右背後を囲んでいる。ちなみに、他の守護者──シャルティアは回復待機中、マーレはセバスと共に他の侵入者などがないか、大量のシモベ達と共にナザリックの内外を順調に警戒中という状態である。

 連行されているカワウソは、アウラを挟んでアインズの前を歩いているため、二人の会話はカワウソが振り向く形で行われていた。

 アインズは実直な思いを口に紡ぐ。

 

「いや、御世辞抜きで素晴らしいと思うぞ? たった一人でこれだけの外観を仕上げるのは、並大抵の努力……金貨や課金では無理だったろうに」

 

 アインズの言は確かだ。この拠点はカワウソひとりで攻略したわけではないが、協力してくれた仲間たちはギルド創設前に引退。拠点の運営と改造、外観や内装の工事については、まったくの独学と独力で成し遂げなければならなかった。それでも納得のいく成果を挙げることは難しく、課金して内装を買ったり、あるいはそういった拠点工事関係のことまでも請け負う商業ギルド“ノー・オータム”に、金貨やアイテムを譲って仕上げてもらったものだ。特に、転移鏡のギミック周辺や祭壇の間をはじめ、最上階にある第四階層は絶妙な出来栄えだと思っていたが、あの宮殿の壮麗さと比べれば、ただの品の良いリゾート地みたいなものである。

 

「さぁ、行こうか」

 

 死の支配者(オーバーロード)に促され、堕天使は一歩を踏み出す。

 カワウソは城へと続く路面部分──さらには、地上へと続く転移用の鏡まで完全に他ギルドの拠点内部へ移転し尽くしたそこを進む。“荒野”の中に突如として現れた石畳の通りには、四本の柱がある。そこにはユグドラシルで侵入者を迎え撃つ役目を与えた動像獣(アニマル・ゴーレム)四体がいるはずなのだが、カワウソたちが進軍した後、役不足が確実な個体として、拠点内に(こも)らせている。

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 カワウソがアインズの歩みを止めたことに、アルベドらが抗議しかけるが、アインズに窘められる。

 堕天使は事実を述べる。

 

「入口に、ウチのNPCたちが待ち構えている。まず、それを何とかしないと」

 

 拠点内への侵入者を警戒するよう指示して残してきた四体の小動物たち。

 Lv.35程度の存在だと、ここにいる連中に傷を負わせるどころか歩みを止めさせることも不可能に思われたが、彼らには“警報装置”としての役割の他に、侵入者に対する“自爆特攻”のスキルを与えていた。下手をすれば、ひとつのパーティー分の戦力を吹き飛ばすこともできるため、戦闘後で防御の薄いアルベドなどには、最悪、傷を負わせかねない。

 アインズは快くカワウソの提言を受け入れ、アウラに拘束を一旦解除させた。

 カワウソはすばやく〈伝言(メッセージ)〉を飛ばし、入口を主人の許可なく開けた有象無象を吹き飛ばす自爆装置(セルフ・イジェクション)の役割に殉じようとする小動物ら──シシやコマたちを呼ぶ。

 主人の声に応じ、内部にいた動像獣らは、命令されるまま分厚い両開きの岩の扉を開放。

 

「あ。かわいい」

 

 魔獣使いのアウラがそう表現して当然の小動物──現実で言うところの、フェレットに似たようなゴーレムたちは、拘束されている主人の足元に近づけない。主人の周囲には、明らかに自分たちの敵──それも格上の強敵がいる以上、さすがにどうすることもできないような状況と言える。フーッという威嚇音をあげるので精一杯という感じだ。

 

「全員、何もするな」

 

 人質となっている格好のカワウソの言葉に従属するよう大地に身を伏せた小動物たちに「拠点内に戻れ」と命じる。彼等は自分たちの本来の居場所──四本の柱の上にのぼり、魔像(ガーゴイル)として硬直するものなのだが、アインズ曰く、この第八階層では危険なので中に入れておくしかない。

 

「いいぞ。行こう」

 

 アウラに再拘束されるカワウソに先導され、アインズ一行はヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)に侵入──もとい歓迎される。

 

 こうして、第一階層の“迷宮(メイズ)”から、カワウソの拠点に施されたギミックを利用して、第二階層の“回廊(クロイスラー)”・第三階層の“城館(パレス)”をすっ飛ばし、一行は最上階層を目指す。

 気がつけば、拠点の第四階層・屋敷の円卓の間に至る転移鏡をくぐっていた。

 

「うん? ……おお、これは!」

 

 その光景には、さしものアインズ・ウール・ゴウンと言えど、目(?)を奪われていた。

 守護者四人も息をついて、その光景を前に、瞠目する。

 円卓の間に零れる真昼の太陽光。

 窓の外には、波の音。

 

「これは、──まさか?」

「海! 海ですよ、アインズ様!」

 

 アルベドが僅かに当惑し、アウラが興奮したように主人を振り返る。

 

「見事だな……」

 

 一面に広がる蒼と青。

 雲一つない蒼穹と、水底まで透き透る海原。

 白いサンベッドとパラソル、海と空に繋がるようなインフィニティプール。

 別方角の大窓を覗けば、ウッドデッキにウッドチェアが並び、その先には白い砂浜が透明度の高い波に打たれ磨かれていた。ヤシの木陰や大きな貝殻、灼熱の太陽、船着き場の桟橋──吹き抜ける潮の風まで心地よい、南国リゾートの景観が、屋敷の外には広がっている。

 

 ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)・第四階層。

 ──“珊瑚礁地(ラグーン)”。

 

 それが、カワウソの大量課金で増設した拠点最上階層のフィールドエリアであった。

 

「いや素晴らしいものだ。──ここを少しばかり、我々の保養地として借りても、構わないだろうか?」

 

 アインズの提案に、カワウソは思わず笑った。

 

「好きにすればいい……この拠点はもう、半ばおまえの……アインズ・ウール・ゴウンのものなんだから」

 

 勝者の当然の特権というものだ。敗者であるカワウソに、否も応もあるまい。

 ──というか。第八階層に転移侵入している時点で、カワウソたちの方が彼らの拠点面積を不法占拠しているような状態なのだ。その程度で済むのなら、いくらでも使ってくれて構わないと本気で思う。

 自分でも驚くほどに、カワウソは己の拠点に対する執着心が薄くなっていた。

 

 それよりも、なによりも、今のカワウソには優先したい事柄があったのだ。

 

 興奮するアウラをしゃんとさせるアルベドも、さすがにギルド拠点内に水平線を構築する第四階層の出来栄えには、感心の吐息をつかずにはいられなかったようだ。デミウルゴスとコキュートスも、ほぼ同様な様子である。

 

「この先が、ギルドの中枢だ」

 

 円卓の間を通り抜け、屋敷中央の中央階段を抜けて、さらに奥へ。

 円卓の間とは対となる位置にしつらえた、拠点最奥部。

 

「ここが、俺のギルドの終着地点──祭壇の間だ」

 

 両開きの扉を開けると、静謐な水音が空間を満たす。

 太陽の光を取り入れていた円卓とは違い、そこには外の明かりはほぼ通っていない。

 薄暗い室内は、この屋敷の中でもっとも広く、高く、何よりも重要な一品を保管する聖域となりえた。

 

「これも見事じゃないか」

 

 アインズは無意識に近い声音を零す。

 聴こえる水音の正体は、室内の一段下に設けられた青黒いプール──水底を思わせる床一面に溜められた水量が、湧泉のように室内を満たし尽くしていた。さらに黒い壁から伝う程度の極小規模な滝が流れ落ち、室内の空気を休むことなく(きよ)め上げている。

 その空間内に、避難させていた10体のメイドの姿が。

 ギルドの最後の防衛線である此処で、できるはずもない戦闘の準備をして身構えていた、屋敷の女給たち。

 

「「カ、カワウソ様ッ!?」」

 

 堕天使と火精霊のメイド長、二人の声が共鳴した。ほか八名のメイドたちも、主人を連行してきたように現れたナザリックの存在に、モップやホウキを剣と槍に見立て、バケツやチリトリを盾のごとく突き出し、とても武装とは呼べない武装で立ち向かおうとする。

 

「サム。アディヒラス。──ただいま」

 

 創造主の様子が平常の通常通りであることを理解して、困惑と疑念を緩めるべきか深めるべきか、迷うメイドたち。

 主人に命じられるまま、拠点最奥の地である祭壇でのみ開くことができるようになったマスターソースを開かせ、そこにあるギルドメンバー情報を総覧させる。

 カワウソの項目は、一応、いかなる状態異常(バッドステータス)も示しておらず、洗脳や離反・精神支配の赤色とは、無縁。

 無事(?)に帰還を果たした主人に命じられ、状況を理解したメイドたちが、武器とも呼べぬ武装……モップやホウキなどを放棄する。ついでに、その下に並ぶLv.100NPCの項目が全て空白──死亡状態に変わっていることを、メイド長二人は震える声で教えてくれた。

 解ってはいたが、いざ事実を目にすると、心が(きし)む。

 しかし、アインズは約束してくれた。

 その約束に、カワウソもまた応じる。

 

「あれが、ウチのギルド武器だ」

 

 祭壇の間の、さらに奥。

 数段ほど下った床を上げ直し、屋敷の元の床の高さに戻された祭壇……女神像が佇むそこに、何者の干渉も許さぬように光の輪の中に守られ、浮遊し、静止する、一冊の「本」が。

 

 ギルド武器、天使の澱の書(ブック・オブ・エンジェル・グラウンズ)──

 

 あれこそが、カワウソの築き上げたギルドの枢軸──破壊は即座にギルド崩壊を意味する、天使の澱の絶対防衛対象物だ。

 剣などの武具にしなかったのは、単純にカワウソが、アレに与えた機能を表すのに都合がいい形状が、“本”であったからにすぎない。あのギルド武器は、ギルド武器としての最低構成要件を満たす程度のデータ量しか込めておらず、攻撃力どころか身体強化系統の力すら発揮し得ない。武器単体としての防御力と耐久性に能力を全振りしている代物で、戦闘には全く使えないタイプと言えた。

 なぜ、そんな武器ともいえない“ギルド武器”を製造したのか。

 それは、カワウソが旧ギルドのような使い方をすることを忌避したがためのこと。カワウソは同じ轍を踏まないように、あえて最弱なギルド武器を構築し、この屋敷から外に出さなくしただけだった。せいぜい自己防衛としての防御力しかないので、アインズなどが破壊しようと思えば、割と簡単に破壊できるだろう。

 しかし、アインズは──彼本人が言うところの“個人的な盟友”として、そんな凶行に及ぶことはない。

 むしろ逆だ。

 

「アウラ」

 

 自分の妃の一人であるところの闇妖精(ダークエルフ)の少女に命じると、アウラはまたも不承不承ながら拘束用アイテムを解除。カワウソは再び自由となる。

 ここからは、この拠点を掌握するカワウソの作業が不可欠。拘束しておくことは不可能だ。

 代わりに、アルベドとコキュートス、双方が握る得物で、いつでも首を両断できる恰好になる。

 サムとアディヒラスたちメイド隊が怒号と悲鳴を奏でるのを、カワウソは「いいから落ち着け」と言って、笑って鎮めていく。その笑気にあてられ、メイドたちはとりあえず敵意を萎えさせてくれた。

 冷たい殺意の結晶を、自分の首の薄皮一枚程度の先に感じつつ、この地を治めるギルドの長は、冷静にアインズ達を導いた。

 一行は水に濡れるくらいのことには構わず(魔法の装備品は防水対策も完璧)、祭壇の泉を渡る階段を降りて進み、また上る。

 そして、カワウソはサムたちに代わって、ギルドの中枢にアクセスする。

 

「……準備できた」

「よし──〈伝言(メッセージ)〉。シャルティア、〈転移門(ゲート)〉を開け」

 

伝言(メッセージ)〉を終えたアインズの傍の空間に、あの第一~第三階層守護者が、カワウソから剥奪した神器級(ゴッズ)アイテム・転移門(ゲート)の剣で、転移魔法を行使する。

 転移門の闇を超えて現れるのは、ユグドラシル金貨の山だ。

 とりあえず、しめて五億枚分。ナザリックの財政を担うパンドラズ・アクターによって用意されたものだ。その所有権をカワウソのギルドへと譲渡するアインズは、首を微かに傾ける。

 

「しかし──本当に、こんなことでいいのか?」

 

 アインズの疑問に、カワウソは決然と頷く。

 何しろ、Lv.100のNPCが死んだだけで5億の出費なのだ。いくらカワウソの資産でも、桁が九つも並ぶ金額をぽんぽん支払うのは難しい。無論、できなくはないが、一度に12体分ともなれば一日の収支決算が破綻し、最悪、ギルドそのものが消滅することにもなりかねなかった。

 そこで、アインズにNPC復活を頼む際に、提案されたのが復活資金の一時的な貸与──ようするに“借金”をすることであった。

 アインズ・ウール・ゴウンは100年もナザリック地下大墳墓を維持し、おまけにこの異世界を統治する上で、必要な運用資金が尽きぬように蓄財を続けていた。アインズ自身のポケットマネーも、だいぶ潤っているとか。

 

「ああ。……頼む」

 

 確認するように頷きあう二人のプレイヤー。

 ペストーニャに回復されながらも、カワウソは沈鬱な心地を胸に懐きつつある。

 懸念が重みを増して、心臓の拍動を滞らせるのを実感するほどに。

 アインズの話だと、NPCの復活で失われるのは、数日分の記憶程度のみだという。

 それぐらいならば問題はない。今、最も問題なのは……

 

「──場合によっては、また俺を殺せ」

「うん? 何故?」

「ミカが……俺のNPCが、おまえたちに襲い掛かる可能性も、あるからな」

「NPCの彼女は、君が言い含めてくれればそんなことにならないと思うが。──まぁ、君がそうしろと言うのなら」

 

 カワウソは微かに笑った。

 本当に冷静で冷徹な男だ。

 ああ、だからこそ。100年もの間、この世界を支配してこれたのかもしれないなと、カワウソは奇妙な納得を覚える。

 アインズは語り続ける。

 

「それに、私の個人的な『目的』と、ツアーとの『計画』……その双方にとって、君のNPC──とくに、ミカという彼女の──“女神”の力は有用なのでな。むしろ、君に復活してもらわないと困る」

「一応、説得はするが……どうなっても知らないぞ?」

「ふふ。心配ないさ……では、条件を確認しよう。まず、その一」

「『復活させるNPCは、ひとまず、一週間に一体ずつ以下』」

「その二」

「『真っ先に復活させるのは、ミカ』」

「その三」

「『敵対感情を剥き出しにするNPCについては、主人たる(カワウソ)が全力で説得する』」

 

 他にもいくつかあるが、とりあえず重要なのは、その三つだ。

 

「では、はじめようか」

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の、NPCの復活を。

 アインズの号令に従い、カワウソは手元にあるギルド武器のページをめくり、起動。

 金貨の山がギルド武器からの指令を理解したかのように、どろりと形を崩して液体に変じる。融けた金貨は川のごとく流れ、一万トンもの重量が圧縮されながら、ひとつの形状を作る。それは、黄金の人形。カワウソが幻想(ユメ)にまで見た、女の姿。

 アルベドたちがアインズを守れる位置に陣取り、熾天使から放射される力を警戒。アインズ自身も、ミカの“希望のオーラⅤ”などを中和する“絶望のオーラⅤ”を再展開するが、カワウソにはまったく視認できないこと。

 

「あ──」

 

 堕天使は視界が熱く滲むまま、そこにある奇跡を見下ろす。

 削ぎ落ちた金髪も。千切れ砕けた体も。六枚の白い翼や金色の輪──女の表情も、すべてが元通りになっていた。

 サムとアディヒラスに持たせていた白い布のマントが、だらっと横たわる熾天使の肉体にかけられる。

 

「……ミカ?」

 

 創造主の呼ぶ声を感じて、ミカの瞼が押し上げられ、空色の瞳が(あらわ)となる。

 その様は、寝ぼけた人間の女のそれでしかない。

 

「──カワウソさま?」

 

 なにがおこったのか判然としていない、うすぼんやりとした口調。

 ミカは復活を果たした。

 夢でも幻でもない。

 永遠に喪われたと思ったものが、カワウソの目の前に蘇ったのだ。

 

「──ミカ」

 

 カワウソは声を震わせ、両膝を屈し、人目もはばかることなく、マントの薄布だけを纏う女を抱き起こした。

 ミカは途端に、頬へ朱色を差し込んでしまう。

 

「ふぇッ! ちょ! ぁ、の……?」

 

 ミカは、自分を包み込んでくれる主人の背中と肩に手を回す。

 手を回して、主人の体調を気遣った。

 堕天使の──その肩が、声が、全身が、震えていた。

 けれど、それはけっして、ミカが忌み嫌うような、恐怖や絶望によるものではない。

 むしろ逆だった。

 

「もういい──もう、いいんだ」

 

 底抜けに明るい達成感。

 今、ここにある女に、言葉を届けることができる、歓喜の感情。

 

「よく、やった。よく、ここまで、俺なんかのために──ッ」

 

 天使の裸の肩を濡らす雫は、堕天使の頬から伝い落ちるもの。

 

「ごめん、ごめんな……ミカ…………ミカッ」

 

 謝辞を繰り返しながらも、薄衣を纏う天使を掻き抱く力は、少しも緩むことはない。

 

「カワウソ……さま?」

 

 子どものように咽び泣きながらも、堕天使はミカに謝り続ける。

 それが“できる”ことに、ひたすら安堵していく。

 先ほどはできなかった──光の塊と化して散る前にやってやることができなかった抱擁を、カワウソは固く、硬く、そこにある彼女の実感を得ようとばかりに、強く抱きしめ続ける。

 

「ごめん……何もわかってなくて、きづいてやれなくて、本当に、ごめん……ごめんな」

 

 カワウソを救い出してくれた、たった、一言。

 

『生きて……ください』

 

 あの声が、彼女の思いが、ミカの願いが、カワウソにすべてを理解させた。

 理解したが──もはや取り返しがつくことではないと、絶望した。

 ミカは『カワウソを嫌っている。』と、そう設定されながらも、これまでずっと、カワウソのことを考え、忠節の限りを、親愛の想いを尽くしてくれていた。けれど、この異世界では、NPCの設定は、改変不可能(イジれない)

 カワウソの馬鹿な設定文が、彼女の心に、どれほどの負担を強いていたのか──想像を絶する。

 それでもミカは、カワウソのために、カワウソの定めと願いに、準じ続けてくれたのだ。

 泣いて謝って済むことではないかもしれない。

 それでも。カワウソは、理解した。

 ようやく、理解することができたのだ。

 

「ごめん──ごめんな──」

 

 ミカは戸惑い、(たず)ねるしかない。

 

「何を、……泣いていやがるんです?」

 

 状況を理解できていないミカは、カワウソの設定通りの自分(ミカ)でいようとしてくれる。

 そのことが、ますますカワウソの罪悪感を募らせる。それでも、絶望する理由はない。

 

 ミカが、ここにいる。

 目の前にいる。傍にいてくれる。

 

 ただそれだけで、カワウソはもう、充分なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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終戦 -3 ~盟約~

/War is over …vol.03

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)は、アインズ・ウール・ゴウンの支配下に下った。

 ギルド武器である本(ブック・オブ・エンジェル・グラウンズ)は、アインズが所有権を握るところとなり、実質の上ではカワウソに代わってギルド:天使の澱のすべてを掌握することに。

 だが、アインズは天使の澱のギルド武器を、そのまま祭壇の間に──カワウソのギルド拠点内に残した。その管理をカワウソに命じることで、事実上ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の長は、カワウソがそのまま担うに任せた。アインズ・ウール・ゴウン──彼個人はあくまで、「ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの長」であり、複数のギルドに所属し、さらには長の役割を兼任することは、不可能な仕様に即したのだ。

 そのうえで、アインズはカワウソたちに、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の全存在に、ある程度の自由を保証した。

 復活した天使の澱のLv.100NPC──ミカは、創造主であるカワウソにのみ、臣従を誓った存在。

 たとえ、ギルド武器を第三者が担うことになろうとも、自分たちを製作してくれた創造主のことを忘れ軽んじることは不可能な摂理。これは、ツアーが盟を結び掌握する者たち──ギルド武器を八欲王の一人から預かり続けてきたエリュエンティウの都市守護者と同じことであったので、驚くほどの情報ではない。

 

 カワウソはミカの復活以降、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)内での蟄居(ちっきょ)──軟禁状態を余儀なくされた。

 第八階層“荒野”に、ギルド拠点が転移したことへの悪影響の有無などの調査が終わるまで、カワウソはアインズの指示の下で、ギルド拠点内に転移したギルド拠点という奇特な状況──さらには復活したカワウソ本人やミカたちNPCの状態を日々検証する役割を担いつつ、アインズへの協力姿勢を貫いた。

 最初は、敵対者たるプレイヤーへの疑心と警戒を続けていた守護者たちであったが、何故かミカに対し親身に接しようとするアルベドなどを筆頭に、双方のギルドは融和関係を徐々にではあるが構築されていった。

 主人たるアインズの人心掌握術によって、敵の首魁すらも篭絡せしめたと思えば、早々に納得がいくものというところか。

 

 そうして──

 

 ガブ。ラファ。ウリ。イズラ。イスラ。ウォフ。

 タイシャ。ナタ。マアト。アプサラス。クピド。

 

 およそ三ヶ月ほどかけて天使の澱のLv.100NPCは一人ひとり復活を果たし、カワウソの命令によって、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに対する戦闘行為は、完全に禁じられた。無論、その命令内容に納得できるものは多くなかったが、カワウソという唯一の創造主が命じる以上、否も応もない。

 さらには、あれだけ敵への復讐に燃え焦がれていた堕天使が、まるで憑き物が落ちたかのように穏やかな表情で「よく戦った」と労ってくれた。今までにないほど優しい声で誉めてもらえただけで、当の戦いを覚えていないとしても、NPCたちには十分以上だったのだ。

 天使の澱の唯一の支配者たる男が、アインズ・ウール・ゴウンその人に協力している光景はいろいろと疑義が飛び交った。が、それが精神支配などによる──悪質なものではない以上、抗弁の余地などなかった。

 

 カワウソは、Lv.100NPCの復活費用の借財を負った。「ユグドラシル金貨60億枚分、きっちり返済する」と表明し、アインズもまた「気長に待つさ」と言って、二人の契約関係……そうして、『世界の盟約』は、成立した。

 

 

 

 

 こうして、カワウソが転移してより、数ヶ月が経過した。

 魔導国は、堕天使のユグドラシルプレイヤーが引き起こした戦いなど知らぬ様子で、穏やかな日々の中で、建国99周年の節目を迎えた。

 多種族が規律よく(くつわ)を並べ、各領地・各一族・各臣民の中から選ばれた精鋭たちにより行われる、平和の式典。

 幾万幾億にも及ぶ民が、アインズ・ウール・ゴウンの統治と安寧に感謝を捧げる祭典は、十日もの間、大陸中を席巻することに。

 アインズ・ウール・ゴウンの計らいにより、拠点内での軟禁を命じられているカワウソは、それら魔導国の国事に参じることなく、飛竜騎兵の領地で結ばれた族長たちの婚姻の儀も知らぬまま、ナザリックの中で、その中の第八階層に転移したギルド拠点の中で、自分のNPCたちに囲まれながら、健やかで安らかな日々を過ごした。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 カワウソたちが平和な日々を享受される以前。

 あの第十階層での戦いが終わり、ミカの復活が遂げられた直後の、その日のこと。

 

 

 

 

 第九階層の執務室に、アインズと守護者たちは集まっていた。

 

「何故ですか、アインズ様!」

 

 カワウソ率いるギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)との戦いが終結した後、一人の階層守護者が、アインズの決定に対し、明確な疑義を申し立てた。

 火山噴火もかくやという灼熱の声色が、皆の集まった執務室の隅々まで轟く。

 デミウルゴスは跪拝(きはい)しながらも、アインズの裁可の甘さを指摘せずにはいられなかったのだ。

 

「連中は至高なる御身に刃を向け、あまつさえ御身を戮殺せんとした大罪人たち! それをあのように生かしておくなど! 寛恕のほどを逸しておられると、そう苦言を申し上げるほかありません!」

 

 激昂を面に表すデミウルゴスを筆頭に、執務室に集ったナザリックの守護者たちは、多かれ少なかれ、デミウルゴスの疑念を、至極当然のものであると思考していた。

 何故、アインズは自分たちの敵を許したのか。

 何故、アインズはカワウソを『世界の盟約』に参画させたのか。

 まるで理解が及ばなかった。

 無論、ただのシモベたる者達にとって、至高の御方々のまとめ役であるアインズ・ウール・ゴウンの決定は、絶対的権能を誇る。それが、拠点NPCを制作してくれたギルドの長の権限であり、ある種の自然法則とも言えた。

 だが、今回の決定は、どうしても首をひねるしかない最難題である。

 シャルティアもコキュートスも、アウラもマーレも、あのセバスですらアインズの決に対し、疑問符の嵐を脳内に乱発させるしかない事態といえた。

 例外は、椅子に腰かけるアインズの背後に控える、アルベドのみであった。

 まったくもって意外なことに、アルベドは天使の澱に対する──もっと言えば、その中のNPCの一人・ミカに対する、慈悲の想念を懐いていたようだった。

 今回の議題に対して、デミウルゴスと比肩する智者・アルベドは口を挟むことなく、アインズの決めたことに追従している。こういう時、真っ先にアインズの我儘な主張を諫めるはずの最王妃が、すべてを承知し観念したような表情で、事の成り行きを見守っていたのだ。「まさか連中に対し、臆病風にでも吹かれたのでは」と詰問を受けても、アルベドはアインズの決定を第一という姿勢を貫いた。

 他の守護者たちも同様に、今回のアインズの決定に対し異論反論を挟まず──なれど、連中を許せるか否かと言えば、あまりにも微妙に過ぎる。同じ王妃の座に列するシャルティアが、とりあえず親友(アルベド)の支援に回った程度で、そのほかの守護者各位──アウラ、マーレ、そしてコキュートスとセバスは、完全にデミウルゴスの疑念に首肯している。

 どうしてアルベドがここへ来て、天使の澱への敵愾心を萎えさせたのかは、ミカと直接対話していないNPCたちには、理解不能な状況。アルベドはあまり明言したくない調子で、アインズの言葉を待つばかり──

 故に。

 デミウルゴスとの問答は、アインズ・ウール・ゴウンその人が務める。

 

「デミウルゴス。おまえの忠義の誠は認めよう」

「ならば!」

「だが、これは私の決定────いや、俺の願いだ」

「ッ…………ねがい、ですか」

 

 その言葉の重みを、デミウルゴスは無論理解している。

 拠点NPCたる者にとって、それは当然の思考回路の帰結とすら言える。

 そう理解できても、こればかりはシモベの一人として、忠言を繰り返すほかにない。

 

「──アインズ様がお優しく、慈悲深いことは存じております。“なれど”──あの連中がやったことは、御身への明確な戦闘行為に他なりません! 御身の傷は、すでに〈大致死〉の魔法で回復できているとしても、我らが()えあるナザリック地下大墳墓を、あの第八階層“荒野”を土足で踏み荒らし、貴重なギルド資金を減耗せしめた所業は、断固として許し難い! そもそもにおいて! あの堕天使風情は、マルコを通じて行われた、至高なる御身からの御厚情を一度は反故(ほご)にし! あまつさえ第十階層“玉座の間”にて、あの、よう、に……ア ノ ヨ ウ ナ──!」

 

 牙を物理的に剥く悪魔は、掌で抑えつけた顔面──眼鏡の奥にある宝石の眼を剥き出しにして、憤死も危ぶまれるほどの熱量に身を焦がし始めた。傍にいたコキュートスに冷静になれと諭されても尚、マグマのごとき暴熱は衰えることを知らない。デミウルゴスは先の戦闘を思い出すだけで──アインズが床に転がされ、その体が斬り砕かれようかという光景が脳裏に過ぎるたびに、半魔形態を通り越した完全形態……“溶岩”の階層守護者にふさわしい姿への変形ぶりを露呈しかける。

 無論、アインズの前でそんな醜態を演じる参謀を、守護者たちは炎のオーラを払い除けつつ諫めた。

 

「ちょ、こら待ちなんし、デミウルゴス!」

「ばっか! ここアインズ様の執務室っ!」

「ぜ、ぜんぶ、もも燃えちゃいますよぉ!」

「イイ加減ニシロ! デミウルゴス!」

「アインズ様の御前ですぞ!」

「ッ、──し、失礼いたしました、アインズ様」

 

 義憤に駆られる気持ちは解るが、御身の前で憤懣の醜愚をさらす無様が、どれほどアインズの心を痛めていくのか──それを判っているが故に、守護者たちの大半は大人しくできている。

 だが、デミウルゴスは、魔導国の大参謀たる悪魔は、普段の冷厳な様子とは打って変わって、劫熱を従える悪魔らしい激情を抑えることが難しかったようだ。すべては、この100年をかけて錬成された、アインズへの忠義心が深すぎるが故のことであり、また、彼は天使共への敵対関係に位置する悪魔の種族──あんな奴儕(やつばら)が、アインズの協力者……“仲間”ではなく、ただ協調関係を結んだことに対し、本気で理解が追いつかなかったのだ。

 勿論、アインズの個人的な『目的』や、ツアーとの『計画』があることも熟知している。熟知できていても、よりにもよって何故、100年後に転移してきた堕天使とギルドごときと、偉大なる御身が、仮初(かりそめ)の友誼を結ぶ必要があるのか。

 デミウルゴスの当初の計画──悪魔(じぶん)の命すら勘定に入れた作戦が、何もかもすべてうまくいけば、あるいはナザリック地下大墳墓のさらなる軍拡……未知を既知に変え続けていく雄図大略の事業……プレイヤーや他ギルドのNPC、拠点そのものを用いた「実験」なども行えた“はず”。

 だが、それはもはや難しいどころではなく、完全に不可能な段階に終着していた。それほどまでに強固な関係が、あの『世界の盟約』……始原の魔法(ワイルド・マジック)の使い手たる竜王・ツアインドルクスや、八欲王の都を守る別ギルドのNPCたちとの、盟友関係の構築であった。

 変形し炎上するデミウルゴス。彼の憤怒は、近くにいたコキュートスから極冷気の氷雪を背中から浴び、セバスにまで羽交い絞めにされたところで、どうにか正気に戻った。だが、仲間たちの叱責から解放された後も、悪魔の論舌は休むことなく繰り返される。

 

「アインズ様。どうか、『連中を誅せよ』──と。『天使の郎党を殲滅せよ』と。

 偉大なる御身に楯突いた『ナザリックの敵対者共を壊滅せよ』と──どうか!」

 

 その命令さえ頂ければ、デミウルゴスをはじめ、守護者たちは我が意を得たりと誅戮の戦いに挑むだろう。

 アルベドとシャルティアも、アインズの決断さえ覆れば、否と言えるはずがない。

 だが、アインズは決して、一度決めたことを、誓った物事を覆すことは、しない。

 

「……“何故”──と言ったな、デミウルゴス」

 

 アインズは、癇癪をおこして我儘を言う子を窘める父のような口調で諭し始める。

 

「カワウソは、彼ならば……私の協力者として、素晴らしい働きが期待できる、と、そう考えたからだ。無論、ただの協力者ではなく、『私が私でなくなった時』に、『私を殺せるのに十分な知と力を備えた“敵”』として」

「な……それは……」

 

 それは、守護者たちにとっては、耳を塞ぎたくなるような……可能性の話。

 だが、過去において、この世界に存在していたプレイヤーたちに起こった、現実的な大問題である。

 

「忘れたのか? ツアーから聞いた邪神の話──六大神の最後の一人──スルシャーナという男の話を」

 

 忘れるわけがない。

 こと、アインズ・ウール・ゴウンその人が、今や最も警戒して当然の、最悪の事態。

 不老不死を誇る異形種のプレイヤーが、ほぼ必ず辿るという破滅の道筋──“真の異形化”について。

 

「あの戦いにおいて……この目で、カワウソの異形化を目にして実感した……異形種のユグドラシルプレイヤーは、何かが違えば、こうまでも狂い果てることになるのだな、と」

 

 あの戦闘を通してアインズが見てきた、カワウソの狂心に汚染された──堕天使としての心に蹂躙されかけた光景。思考は千々と化し、意識を保つことも難行を極めた、あの壊れっぷり。そのたびに、彼はミカという熾天使にして女神に回復されることで、ようやく己の理性と正気を保ってきていたという事実。聖なる力はアンデッドを焼き滅ぼすので、アインズにはまったく使えないにしても、異形種たるカワウソを、プレイヤーを異形化させない力を顕示できているミカの存在は、アインズには非常に有用と思えた。

 

「そして、私も──俺もまたアンデッドとして、死の支配者(オーバーロード)としての“異形化”を、この身に深く感じても、いる」

 

 スレイン法国の六大神が一柱・スルシャーナの悲劇を、アインズはツアーを通して──そのツアーは、ツアーを保護した八欲王最後の一人たるワールドチャンピオンから、事の真相を聞いて知った。

 

「あと100年、200年を持ちこたえることが出来ようとも、1000年2000年の先にまで、俺の心が確実に不変であるという保証はどこにもない。あるいは俺以外に、こちらの世界に来ていた異形種プレイヤーがいたとするならば、それが誰一人として生き残っていないというのは……そういうことなのではないのか? 無論、『まったく一人も来ていない』可能性もなくはないが、あのカワウソがみせたような異形化に耐え切れずに、自死自滅したものが多かったと仮定すると、なかなかありえそうな話ではないか?」

「お──おっしゃることは判ります! なれど、至高なる御身が、そのような外の愚物たちと同じ結末に至るはずがありましょうかッ?!」

「おまえにしては軽挙かつ浅薄な発言だな、デミウルゴス。俺は、自分がそれほど特別だとは思っていない──あるいは俺も、鈴木悟というプレイヤーも、カワウソやスルシャーナのように、何かが違っていれば、もうとっくの昔に狂い、壊れていたのかもしれないのだ……」

 

 (いな)

 今もアインズは、気づかない内に狂い、壊れているのかもしれない。

 だが──仮に──最悪を想定するのなら──

 もしも、ナザリック地下大墳墓を喪っていたら。

 愛する友らの子供(NPC)たちを、目の前で壊され尽くしていたら。

 きっと、アインズ・ウール・ゴウンは、ただの死の支配者(オーバーロード)……最上位アンデッドの精神に、取り込まれてしまったのではあるまいか。

 

 

 

 /

 

 

 

 スルシャーナは、六大神の仲間たちが残した子や孫……そして、法国という居場所を、神の席でずっと支え続けた。そんな折に、自分を本当の意味で愛してくれる現地の恋人を見初め、契りを結び、その女が死ぬまでの50年もの間、ずっと人間の心を維持し続けた。

 たとえ、法国内部の人間たちが、次第に人間第一主義の教義を先鋭化させ、そのほかの人間種や亜人種などへの陵虐と悪辣……エルフなどの同じ人間種を奴隷とし、ゴブリンなどの亜人たちをモンスターとして討滅する蛮性を振るい始めても、スルシャーナは必死に、法国の民を守り続けた。

 

 その結果。

 法国内に、そこに住まう民たちに、「人間は神に選ばれた種族なのだ」という教範が浸透し尽し、他の種族を排斥し侮蔑し劣等視する傾向に転落し始めた。絶滅の憂き目にあっていた人間を保護した六大神たちの本分を逸脱し、我ら人間こそが、世界の確たる支配者たらんと増長させる──そんな悪循環に陥ってしまった。

 無論、法国内部の人間にも、そういった傾向を倦む勢力は生まれた。だが、そういった少数派は「非国民」「神に歯向かう反逆者」「神の教義に反する大罪人」として、死刑台か私刑(リンチ)の宴に連行される始末を露呈していった。やがて、そういった圧政に耐えかねた者達は、スルシャーナを含む六大神信仰を捨てた。ある者は森妖精(エルフ)の里や竜王の国に難を逃れ、ある者は四大神信仰への帰俗を果たし、小国として分離──後の世にて、リ・エスティーゼ王国やバハルス帝国、この二つの国のもとになった大国での、主信仰の地位を確立した。

 

 そうして、スルシャーナの友たちが残した子孫らは暴走し、他の種族への差別意識が根付いてしまった法国内部でも、不和と戦火……離反と内乱……犯罪とテロリズム……天罰や浄化という名の弑逆と破壊が横行し、互いの正義と教義を賭けた生存競争にまで発展する事態に。

 それに対し、スルシャーナはアンデッドの種族特性を超える規模で、精神的な疲労困憊に陥っていた。自分が守るべきものが、互いに相争うような事態など、ただのプレイヤー(ニンゲン)に過ぎない彼には手の打ちようがなかった。スルシャーナは死の神。アンデッドでありながらも、法国の民を慈しむ最大神の一柱。そんなものが、どちらかの勢力に加担し、どちらか一方の民たちの期待に反する姿を……どちらか一方を見放し見捨てて虐殺するなど、論外だ。ただの人間の男で対応できる限界を、もはやとっくの昔に超過していた。

 さらには、そういった有象無象を、一切合切、うるさい蠅として叩き潰すように滅ぼしたいという──実にアンデッドらしい、だが、人として最悪の欲求に駆られ始めた結果、彼は進退を窮めていく事態に。

 彼の本当の姿を、心を、懊悩を、人間としての在り方を知ってくれる人は、もう、彼を愛してくれる恋人以外に、存在しなかった。

 

 だが、スルシャーナの恋人は──50年もの間、死の神の巫女として寄り添い続けてくれた女は──死んだ。

 

『……ぃやだ』

 

 スルシャーナは、涙を流すことなく、泣き叫んだ。

 

『いやだ! イヤダァ! おまえまで(・・・・・)、俺をおいていかないでくれェ!』

 

 喚いても恋人は目覚めない。

 

『あ、ああ、あアア……ァ……!!!』

 

 その日、ついにスルシャーナは────壊れた。

 男は恋人の死を超克しようと、彼女を死から蘇らせる秘法を探していた。

 けれど、そんな方法は存在しなかった。老衰によって死んだ現地の人間を復活させることはできない。死の神として崇められるスルシャーナは、恋人の死体を、意思の通じぬ中位アンデッドとして傍におき、唯一にして第一のシモベと称して、寄り添わせた。

 スルシャーナは、後の世に“邪神”と呼ばれるほどに、世界を静かな混沌に追いやった。『盟約』を結んでいた各国の代表も気づかない水面下で、最上位アンデッドとしての完全な変貌……“真の異形化”を果たした。六大神の仲間たちが残した遺物──世界級(ワールド)アイテムと、愛用の戦鎌(ウォーサイズ)をもってして、彼は遍く存在の「死」そのものへと、化身。

 

『“我”が(いと)()たちよ…………“我”に「死」を献上せよ!』

 

 スレイン法国は、死の神の加護と恩寵の許で、全盛の時代を迎えた。

 スルシャーナは、愛する者たちの絶えた世界で、愛する者たちが守ろうとしたモノのみを守りながら、それを邪魔する一切衆生を狩り殺し、異を唱える不信仰者を処刑し続け、最上位アンデッドの欲望のまま、生贄の皿を「死」で満たし尽くした。

 その空っぽの胸に宿る慈愛と友情のまま、邪神として、死の神として、彼は仲間たちが残したものを──殺しながら──守り続けた。

 プレイヤーとしての彼の心は、もはや風前の灯でしかなかった。

 

 

 

 そうして、孤独に壊れ狂ったプレイヤーは、後に八欲王──ワールドチャンピオンたちと出会い、その生涯を、境涯を、ようやく終えることができたのだ。

 

 

 

 /

 

 

 

 その事実を、アインズ・ウール・ゴウンは、ツアーから聞いて知らされていた。

 

「だからこそ。いざという時、私を殺してくれる存在が、殺してでも私を止めてくれる力が、どうあっても必要なのだ」

 

 スルシャーナのような悲劇を繰り返さないために、二の轍を踏まないように、アインズは常に心掛けている。死を(いたずら)に大量に蔓延させては、最上位アンデッドとしての心が、嗜虐や陵虐の側に傾いて、心の天秤を振り切ってしまう事態になりかねない。

 ツアーより話を聞いてからというもの、用心と注意を怠ったことはない。

 それでも、やはり、万が一の保険は用意しておかねば。

 

 せっかく築き上げた“アインズ・ウール・ゴウン”の名を戴く超大国を、他ならぬアインズ自身の手によって、「死」が蔓延し席巻する廃墟に変えることになっては、アインズの仲間たちに申し訳が立たない。

 

 たとえ、どんな事態になろうとも、アインズが、モモンガが、鈴木悟たる自分が──“死ぬ事態に陥ろうとも”──『皆と創ったギルドの名前だけは、永遠不朽のもの』として、この異世界に留め残したいという、そういう覚悟が、魔導王の内に存在している事実。実際として、エリュエンティウの守護者たちは、八欲王の生き残り・亡きギルド長の命令と訓戒を、数百年の長きに渡って維持し続けている。ならば、アインズがたとえ道半ばで(たお)れたとしても、その跡を継いで、アインズ・ウール・ゴウン魔導国を治め、その名を不動のものとして残すことくらい、ナザリックのNPCにできないということはないだろう。──この話をすると決まって守護者たちは「そんなことにはなりえない!」と首を横に振り続けるが、万が一に備えておく必要性があることぐらいは、もはや全員が了解できている。

 そのために、利用できるものはすべて使う。

 ツアーやエリュエンティウの者たち、さらには嫡子たるユウゴたちには、アインズが暴走した時のための歯止め役を任せている──それだけの戦力を、彼ら彼女らは所持できている。

 そして、100年後に現れたプレイヤー・カワウソも、“復讐者(アベンジャー)”という必殺スキルや、“亡王の御璽”たる世界級(ワールド)アイテムの「自軍勢力の無敵化」という、とても素晴らしい力を保持していた。

 これを利用しない法があるものだろうか。

 

「おまえたちはカワウソたちを許せない。そして、“それはそれでいい”。警戒は大事なことだ。何もすぐに連中と仲良しこよしをしろという話でもない。だが、彼らは今、我々の仮想敵であると共に、盟友として共に進むことを約束した、いうなれば同士なのだ。おまけに、首魁たるカワウソは完全に降伏し、こちらの提示する条件をすべて無条件でのみこんだ。そして、勝利者たるアインズ・ウール・ゴウンは、敗者に鞭打つような振る舞いなどするはずがない。弱いものイジメなど言語道断だ。この状況で、もしもカワウソたちを、天使の澱を害するものがいたとしたら、それはこの私──アインズ・ウール・ゴウンの顔に、しこたま泥を塗ることになる」

 

 デミウルゴスは肩を揺らしかけた。

 自分が計画していた、連中を煽動し、今度こそ連中を討滅せんとする策謀は、『読まれている』と確信して。

 実際にそうであるような──そうでもないような──調子で、魔導王アインズは語気をやわらげたまま言い募る。

 

「無論、天使の澱のNPC──カワウソのシモベたちが独断専行を働く可能性も否めないのは理解している。だが、それは彼らの主人たる堕天使の沽券にかかわること。同じNPC同士として、そのような愚昧を働いたものが、本当に主人から褒められると思考できるか? 我が身の安全を(なげう)ち、死すらも容易に受諾できるおまえたちが、主人と仰ぐ私の期待を裏切る行為を、ほんとうに『是』であると、認めることができるのか?」

 

 問われるまでもない。

 たとえ「不忠者だ」と叱責され、「自害せよ」と命じられても、シモベたる者にとって、御方のためになることならば、自分の命などいくらでも差し出せる。そういう覚悟と矜持は、どの拠点NPCでも共通だと、エリュエンティウの都市守護者たちや、天使の澱の配下たちを見ても、そう確信できていた。

 しかし、だからこそ。

 デミウルゴスたちが何よりも恐れるのは……主人(アインズ)の思いを裏切ること。

 

「おまえたちが『私の敵』たる者達を許さない・許せないというのは理解できる。同時に、おまえたちのそれら思いを是正・改変する権限など、私には“ない”ことも。100年前の『事件』にしても、遠因としては私が、愚かにもアルベドの設定を変えていたがために起こった事──」

 

 ナザリックの最高支配者らしからぬ弱音に聞こえるが、実際として、あの『事件』を覚えている守護者たちは息を呑んだ。

 あれは紛れもなく、改変されたアルベドだけなく、ナザリックの全NPCにとっての失態──暴走であった。

 

 それに加えて、あのスレイン法国が保持していた、『盟約』に反する存在。

 番外席次……“絶死絶命”……その力。

 

 あの『事件』の責によって、アルベドは守護者統括の地位から降ろされ、“()守護者統括”という地位に落とされた。それでも、彼女は新たに得ていた「魔導国の宰相」という地位でもって、アインズ・ウール・ゴウンへの忠節を新たにし、さらには「最王妃」として、アインズの御嫡子を産む栄誉の極地まで賜っている。

 そうして、アインズ・ウール・ゴウンは100年が経った今でも、その罪は我にありと、今もここに表明し続けている。

 

「おまえたちは、私がカワウソに対する措置を「甘い」という。私でもそう思うのだから、当然だ……だが、私はカワウソを……カワウソと「友達になりたい」と思う」

 

 実利的とは言えない、あまりにも感傷的に過ぎる、まっすぐな言葉。

 アインズ・ウール・ゴウンは立ち上がる。

 

「だが、だからこそ────頼む。デミウルゴス。

 俺の願いを叶えてほしい。

 彼らを殺し尽くすのではなく、彼らと共に生きていく道を、その明晰な頭脳で導き出してほしい。ただ敵と戦い、屠り、殲滅するよりも、間違いなく困難で険しい道のりとなるだろうが──だからこそ、おまえたちナザリック最高の叡智と力量を誇る守護者たちにしか、頼めないことなのだ」

「…………アインズ様」

 

 デミウルゴスは俯くように頷くほかない。

 主人にここまで言わせて、確実かつ安易な道を……天使の澱を害し誅戮し消滅させる手段を選択することは、アインズの思いを、期待を、切なる願望を、シモベたるデミウルゴスが、自らの足で踏み躙るに等しい蛮行である。

 そんなことを魔導国の大参謀が、ナザリック地下大墳墓・第七階層“溶岩”の守護者が、できるはずがない。

 忠烈の徒たる悪魔は、刃を呑むがごとく、己の意を決する。

 守護者の列に歩み寄るアインズの望む通りの選択──まったく不確かで困難に満ち溢れた道筋を、御方の御心に即する道のりを、選ぶ。

 

「──かしこまりました。

 彼奴(きゃつ)ら天使の澱との完全融和政策──彼らに対し、絶対的かつ完全に、一切の危害実害を加えることなく、協調し協力し、共存していくプランを、必ずや、御身の許に御奏上いたします!」

 

 こうして、天使の澱の完全破壊を目論む急先鋒──魔導国の大参謀は、その矛を収めた。

 アインズは、我儘な願いを受け入れてくれた悪魔の肩に、感謝の言葉と共に手を置いた。

 

「ありがとう、デミウルゴス」

 

 悪魔は深く──さながら許しをこうかの如く──頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




完結まで、あと三話


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終戦 -4 ~友~

※この話に登場する十三英雄の諸々は、空想を多分に含んだ独自設定ですので、あしからず


/War is over …vol.04

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

「本日の経過観察報告、確かに受諾いたしました」

 

 白金の髪に猛禽類を思わせる眼差しが凄愴な老執事が、敵だった者に対するには謹直すぎる姿勢と声音で、カワウソの提出した報告書類(レポート)を小脇にかかえる。

 セバス・チャンというLv.100NPC、ナザリック第九階層の家令(ハウススチュワード)は、マルコの男装を思わせる出で立ちで……それもそのはず、この老人こそが、マルコの実の父親なのだから……実に執事らしい足運びで、ここまで共に参じてきた同胞にして部下たる戦闘メイドのユリと共に、円卓の間にある転移の鏡────第八階層に転移した後、外に通じる鏡もナザリックの表層部に移動していた────から、自分たちの拠点に戻っていく。

 これで本日のノルマは終了。

 通算150回目の仕事を片付けたことになる。

 

「おつかれ、ミカ」

「…………」

 

 書類作成に尽力し、今も変わらず主人の護衛任務に就くミカは、ぶっきらぼうに会釈するだけにとどめた。

 無言を貫く天使に対し、カワウソは軽く微笑さえ浮かべながら提言する。

 

「そろそろ昼食の時間だから、食堂に行こう。イスラの食事の用意は?」

「……完了しております」

 

 あの戦いに敗北し、カワウソやミカたちNPCが復活を果たした後も、ミカたちは相変わらずカワウソのみに臣従し、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の防衛任務──および、カワウソがアインズより与えられた労務として、第八階層内に転移したことによる影響の有無を調査する任務に勤めている。

 さきほど、セバス・チャンに提出したレポートも、大半はその任務の報告を行うものであったが、特にこれと言った異常や異変……侵蝕や崩壊の可能性といった危険性は見受けられない。NPCたちの言動や思想も、何ひとつとして、復活前との違いは感じられなかった。

 ただ……一点だけ。

 

「じゃあ、全員を食堂に集めてくれ」

「……了解しました」

 

 ミカは〈伝言(メッセージ)〉をマアトに飛ばし、彼女を通して全員が第四階層に集まるように手配を整える。

 全員を集めても、飲食が必要な存在などたかが知れている。全員を集めるのは、単純な話、カワウソがNPCたち全員と卓を囲みたいから……ただそれだけの理由で、創造主の昼食の場に集合をかけただけだった。

 敗戦前までのカワウソであれば鼻で笑っていたことだが、Lv.100NPCたちを一度失った男にとって、もはや偽善でもなんでもいいから、もっと彼らと交流を深め、より互いの理解を深めたいという欲求が優っていた。

 以前までは、敵との戦いで喪うものへの罪悪感から忌避していたことだが、その敵との戦いが終結したことで、もはやそういった懸念や感情は消失していた。今では、NPCたち全員を、カワウソはかつての仲間たち以上に思い、より大切なものだと認め始めているのである。執着すべきもの、欲求の対象がすり替わっただけなのかもしれないが、そんな事情や感情すらどうでもよくなるほど、カワウソは今──天使の澱のNPCたちと生きること以外に、大事なことは存在しなくなっていた。

 ミカは、しおらしく──というよりも、どこか沈んだ面持ちで、カワウソの命令に従ってくれる。

 彼女の憂いの原因は、おそらくたったひとつだろう。

 

「なぁ、ミカ」

「……なんでございやがりますか?」

「────いや、いい」

 

 ミカは、釈然としない無表情で首を傾げるだけ。

 カワウソが口を噤んだ理由……

 NPC復活前との明確な違い──

 

 天使の澱は、負けた。

 敗北した。敗戦した。敗着を喫した。

 

 アインズ・ウール・ゴウンが記録用にと残していた〈記録(レコード)〉のマジックアイテムで、あの時のことは平原の戦いから第八階層攻略戦、さらには第十階層での決戦に至るまで、すべてが映像として残されていた。そして、その映像の結末を──さすがに、カワウソの死そのものなどのショッキングな内容は省いていたが──完全に敗けた事実を、他ならぬカワウソ本人が「事実だ」と認めた。

 そうして、天使の澱の唯一の創造主たるカワウソは、仇敵たるアインズ・ウール・ゴウンの支配下に納まった──納まってしまった。

 それが「悔しい」と、ミカ以外のNPCたちは思っている。自分たちの力が及ばなかったばかりに、カワウソへ勝利をもたらすことができなかった……敗死を遂げさせたことに対し、本気で忸怩(じくじ)たる思いを懐いてならなかったようだ。

 

 だが、ミカはわかっていた。

 ミカだけは最初からわかっていた。

 自分たちでは(かな)いようのない敵だと。

 わかっていても、主人たるカワウソの凶行を、止めることができなかった。

 彼女たちは無論、アインズ・ウール・ゴウンが憎い。

 憎いが、カワウソという自分たちにとっての絶対者が、「盟を結んだ」相手を、いつまでも敵視するのは不敬千万。何より、カワウソが「もう戦う必要はない」と宣告し明言した以上、シモベたちが敵対姿勢を貫徹する理由は薄すぎた。

 

 だが、ミカは違っていた。

 彼女は設定文の中に、アインズ・ウール・ゴウンへの悪感情を強く刻印された存在。

 ミカは『カワウソを嫌っている。』にもかかわらず、彼のシモベとして地上に降臨した理由が、ナザリック地下大墳墓への憎悪──それが、彼女の設定だったのだ。

 そう「かくあれ」と定めを設けられた存在である以上、ミカが、アインズ・ウール・ゴウンたちと仲良しこよしな状態を、良しとするわけがない。創造主カワウソの意志は尊重したいが、それでも、刺々しい感情を抑えつけるのにも一苦労しているのが、カワウソにも理解できた。理解できるようになっていた。

 

(アインズに、相談はしておいたが……)

 

 魔導王は、自分の敵となる者の存在を“是”と認め、ありえないほどの寛容さで受け入れてくれた。

『むしろ、その方がいいくらいだな』と朗らかに告げる男の度量は、カワウソには理解が追いつかない領域にある。

 

(『100年も王様をしていると、敵の一人二人いる程度でビクついてはいられない』だったか?)

 

 敵の有無以上に気がかりになっていることがあると語っていた。

 しかし、だとしても自らの敵を……最悪の天敵たる熾天使にして女神の存在すら受容するというのは、いろいろな意味で驚嘆に値する。何か理由があるのだろうとは思うが、現状では何ひとつとして理解が及ばない。

 この数ヶ月の軟禁状態で、アインズと直接やりとりを、会話の場を持ったことはなかった。何しろカワウソは元・アインズ・ウール・ゴウンの敵──そんな存在と即座に仲良しこよしなんて、できるわけがないという判断だ。実に賢明かつ現実的な対応だといえる。二人の遣り取りは、せいぜいが〈伝言(メッセージ)〉用の魔法端末越しで、直に会ったときなど数えるほどしかない。

 かわりに、カワウソはミカのことを思う。

 

(どうしたら、いいんだろう…………)

 

 折に触れて思うことだが──

 もしも、何かが違っていたら。

 ミカの設定を『アインズ・ウール・ゴウンの敵として、地上に降臨した』という一節を削ぎ落していたら。

 そして──

『カワウソを嫌っている。』ではなく、『カワウソを愛している。』にしていたら。

 いったい、ミカはどうなっていたのだろう。

 

(……いいや。……考えても(らち)が明かない)

 

 この問題は、もはやどうしようもないこと。

 この異世界に転移したことで、ミカたちの設定を変更することは不可能となっている以上、自分には打つ手がない。アインズならば、何かしらの手段を持っているのかもしれないが──

 押し黙ったカワウソは屋敷の食堂に向かうべく席を立った。

 その時、

 

「いざ参上いたしました、師父(スーフ)!」

 

 元気いっぱいな少年兵──第一階層“迷宮(メイズ)”を守る『最強の矛』──花の動像(フラワー・ゴーレム)が、円卓の間の転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)から駆け出してきた。

 ついで、〈伝言(メッセージ)〉を受け取ったNPCたちが続々と現れる。

 

「ナ、ナタくん。走っちゃ、ダ、ダメだよ?」

「ふふ。言っても聞かないと思うわよ、マアト♪」

「およよ? 私たちよりも先に、第一階層組が着いてる?」

「忘れたのか、ガブ? 拠点ギミックを使えばあっという間だろ?」

「イスラとイズラ殿の第二階層組は、すでに食堂にいるようですな?」

「そりゃー、ウチのギルドのごはんはー、イスラしか作れないしねー?」

「然り。あの兄妹は常に共に行動するのが基本となっております故」

「フフッ。ご相伴にあずかりに来たぜぇ、我が御主人よぉ」

 

 カワウソは、自分の表情が緩むのを実感するしかない。

 天使の澱のNPCたちを、復活した配下たちを、堕天使のプレイヤーは迎え入れる。

 

「ああ。(めし)にしよう、みんな」

 

 

 

 

 午後。

 カワウソはなんとなく、自分の拠点の第四階層“珊瑚礁地(ラグーン)”の白い浜辺にいた。

 昼食の後は、とくにやることもなかった。午前の報告は終わり、午後の調査作業はウォフとタイシャが代行してくれている。ナタはコキュートスとの鍛錬という名の練習試合に呼ばれた。マアトやアプサラスなども、ナザリックのNPCたちとの技術交流に赴いている。この間は、イズラが魔導国で交戦した戦闘メイド(ソリュシャン)から奪いっぱなしだった〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)を返却しての謝罪まで果たしている。たった数ヶ月で、これほどの和解が成立したのは、間違いなく両ギルドの長の意見が一致していたからであり、NPCたちにとって、自分たちの主人の命令以上の重大事が存在しないが故の、絶対順守性が働いたからにほかならない。

 

 浜辺でくつろぐカワウソの身なりは、戦闘用の鎧装束・完全装備ではなく、普段着として使っている白いワイシャツと黒いジーンズ姿の堕天使……その傍には、主人の供回りを務める熾天使のミカと、地の精霊メイド・パラメソス。

 堕天使は純白のパラソルの下で、ウッドチェアのリクライニングを倒し、ただ、ぼうっと過ごす。

 潮の薫りをはらむ海風が心地よく、昼過ぎからずっとここで昼寝するのが日課となっていた。

 あの戦いの後。転移してから目まぐるしく流転する状況に目を回しかけていた頃からは考えられないほど、穏やかな日々。冷たい飲み物で喉を潤し、おやつを口に含みながら、太陽と雲が流れていくのを眺めるだけ。潮風が心地よく髪を撫で、波の音色は眠気を誘うのに十分な調べを奏でていた。目を覚ました時、太陽の傾き具合から見て、昼食から数時間は寝ていたようだ。

 浜の白砂を洗う波しぶき、夕焼けが熱く水平線の彼方に没していく様まで、すべてが完璧な内装である。天候などの気象状況も変えられるが、ここはたいてい晴れた南国リゾートのままなのだ。この内装を仕上げてくれた“ノー・オータム”のギルド長には、感謝してもしきれない。

 

「お目覚めですか?」

 

 カワウソの覚醒を目敏く感じ取り、ミカが声をかけてくる。

 いつの間にか、傍に侍る女天使にブランケットをかけられていたらしい堕天使は、そこに佇む女天使の美貌に──相も変わらず優美な無表情へと手を伸ばしかけ──

 

「…………」

 

 手を下ろした。

 膝を着いたミカの頬に触れようとする自分を諫めるように、カワウソは片手の甲を額に乗せる。

 カワウソの気がかり……ミカは『カワウソを嫌っている。』……そのような設定を与えられながらも、ミカがどれほどに創造主たるカワウソを“想っている”のか──あの最後の戦いで、堕天使たるプレイヤーはすべて理解し尽していた。

 

 だからこそ、カワウソはミカに触れられない。

 気安く触れていい資格など、ありえなかった。

 

 こんなにも優しく美しい女天使を、自分のように醜い堕天使が……愚劣の極みのごときプレイヤーが、あろうことか一度は確実に死へと追いやった。それがNPCの忠義の果てに辿り着いた、アインズ・ウール・ゴウンとの完全和平……堕天使プレイヤーの復讐の終焉をもたらしてくれた功績は、はかりしれないものがある。

 そして、復活を遂げた今。

 カワウソは今も、ミカの設定の事に対し、何の解決策も見いだせない。

 だというのに、いまさらカワウソの方から……触れてよいはずなど……

 

「何か?」

「……なんでもない」

 

 自嘲するように苦く笑う。

 多くを求める必要などない。

 彼女がそこにいてくれるだけでも十分。

 ミカが生きて、自分の傍にいるだけでいい。

 それ以上など求めようがないし、求める意味もないはず。

 カワウソは悪戯っぽく笑いかけ、ミカの睫毛がぴくりと動く様さえも、愛おしむように眺める。

 ふと、

 

「いつ見ても、素晴らしい作り込みじゃないか?」

 

 もはや聞き馴染んだ声が、堕天使の耳によくとおる。

 ただし、〈伝言(メッセージ)〉の魔法ではない。

 カワウソは声のした方向を見つめ、体をウッドチェアから引き起こした。ミカが立ち上がり、メイドのパラメソスも警戒の視線を差し向ける。

 カワウソは声の主に応じる。

 

「俺が創ったんじゃない。商業ギルド“ノー・オータム”に頼んで、外注で造ってもらっただけだ」

 

 しかし、アインズにとっては、拠点の中に朝・昼・夕・夜を再現し、南国の熱帯魚の泳ぐ様さえ見透かせる海──エメラルドグリーンに輝く珊瑚礁の(さざなみ)を備えたギルド拠点というのは、馬鹿にできるものではなかったようだ。

 

「それは、君が相応の対価を支払って得たということだ。ならば、やはりこの光景は君の物だよ……カワウソ」

 

 アインズ・ウール・ゴウンが、王妃の一人であるアルベドと、新星・戦闘メイドの統括──この異世界で出会った、アインズが仕向けた水先案内人たるマルコを引き連れ、珊瑚礁の海辺に姿を現した。

 カワウソの傍で仕えていた騎士(ミカ)女給(パラメソス)が、「仇敵」ではなく「旧敵」の来訪に会釈する。

 それに対し、アインズ・ウール・ゴウンのシモベたちは毅然と応じるだけ。

 数ヶ月前より、カワウソたち天使の澱は経過観察も含めた軟禁を余儀なくされたが、アインズ曰く「盟友として迎え入れる」という下知がある以上、不敬だなんだと発言するナザリックのシモベは、絶えて久しかった。

 

「今日はどうした? 提出したレポートに不備でもあったか?」

「いいや。実によくできた報告書だったよ」

「書いたのはミカだからな。俺は確認くらいしかしていないし」

 

 天使の澱の拠点は、とりあえず何の異常も変調もなく、平静な状態で稼働し続けている。近いうちに、カワウソの流れ星の指輪(シューティング・スター)を起動させ、ギルド拠点の再転移による第八階層からの退去も検討されていた。ただし何故なのか、あのスレイン平野へ戻す予定だけはない。

 アインズはカワウソの隣にある空いたウッドチェアに腰かけた。

 二人のプレイヤーは小さめの丸テーブル越しに言葉を交わす。

 

「ふぅ。疲れた」

「……疲労しないアンデッドなのに疲れるのか?」

「一国の王として、いろいろと気を遣っているのでな……我がシモベたちやツアーなどは理解してくれているが、国事行為中は、こう、肩が凝る」

 

 わざとらしく首の骨を左右に振り、ポキポキと肩を鳴らして上下するアインズの様子に、アルベドは慈愛に満ちた様子でマッサージを施していく。マルコも、その補助を務めた。王妃やメイドからの奉仕を当然のごとく受け入れるアインズは、いろいろと気が抜けた感じに脱力していく。

 カワウソはアインズの様子に微笑みつつ──ふと、この数ヶ月でずっと気にかかっていたことを確認してみた。

 

「ところで、“モモン”さん」

「ええ。何でしょう、カ……あ!」

 

 やっぱりか。

 

「だろうとは思ったが」

「い、いやぁ、あれだ。モモンガ。そう、モモンガさんと聞き間違えてしまっただけで?」

「というか。俺を蘇生したときに、うっかり言っていただろう? ヤルダバオトとの戦いで、モモン状態だったとか、なんとか?」

「あ、……あはは──はぁ、……すまんな。隠してしまって」

「いいってことよ。“モモン”さんには、世話になったから、なぁ?」

 

 カワウソが促すように見上げた先にいる白金の髪のメイド──マルコは主人の慌てふためく様子に、笑うのをこらえてか、頬が膨らみかけている表情で視線を逸らすのみ。アルベドにしても、しようがないという風に口元を軽く押さえている。

 

「で、今日は何の用だ?」

「ん……ああ、用件は二つだ」

 

 アインズは咳払いをひとつ。そして、簡潔に言い始めた。

 

「まず、君のNPCのミカ……彼女とアルベドに、少しだけ話をさせてほしい」

「──はぁ?」

 

 そう応答したのはカワウソではなく、ミカであった。

 不機嫌そうに眉根を寄せる熾天使は純白の女悪魔を睨み据えるが、当のアルベドは涼しい(かお)で微笑するのみ。この数ヶ月、二人は何度か対峙することはあった──双方のギルドのあれこれで会う機会はあったが、あの玉座の間の戦い以降、両者の関係は微妙な距離感を保っているように見える。

 カワウソは(たず)ねた。

 

「どういうことだ?」

「いや、大したことじゃない──ただ、そう、両陣営のNPCの長……統括と隊長とで、いろいろと、な」

 

 なぜ、このタイミングで?

 要領を得ないアインズの口調であるが、今更ミカをどうこうするわけもない。

 

「ミカは、何か不都合があるか?」

 

「ある」と言われれば強行する気はないカワウソだったが、両ギルドの微妙な関係を思うと、無下にするのは愚策とも思えたのか、ミカは数ミリ程度の首肯で応えた。カワウソも頷きを返す。女天使と女悪魔は主人たちの傍を離れ、赤く染まる夕浜を連れ立って歩く。二人は主人たちから目の届く距離──会話の内容は聞き取りようのない波打ち際で、軽い会談の場を開いた。

 終始微笑みっぱなしのアルベドに、無表情のミカがどう切り返しているのか、いささか気にはなる。

 だが、カワウソは、アインズの残る用件を片付けねばならない。

 

「で。あとひとつは?」

「うん…………」

 

 アインズは少しばかり虚空を、その先にある夕暮れの海を眺めた。

 

「ずっと気になっていたんだが」

「──何が?」

「……あの海って、塩辛いのか?」

「…………さあ?」

 

 そこまで気になる案件だったのか、立ち上がったアインズはミカとアルベドたちが向かった方向とは逆の波打ち際にまっすぐ歩を進める。なんとなく、カワウソもそのあとを追った。

 ユグドラシルのゲーム時代は味覚なんてありえなかったし、カワウソは転移後、この拠点の内部をじっくり堪能するほどの心のゆとりなど存在しなかった。最上層にある海の味がどうのこうのなんて、考えたこともない。

 アインズは寄せては返す波の様子を眺める。

 ものは試しと、カワウソは(さざなみ)に素足をつけ、迫り来る波しぶきで手を濡らす。この海は別に回復効果などがあるような施設ではない。言ってしまえば、ただの飾りみたいなものだった。それが今、カワウソの素足の浅黒い肌を冷たく濡らしていく。

 掌で作った皿に、海水をすくい上げ、そのまま口内に含み舐め啜る。

 

「しょっぱ」

 

 環境破壊の進んだ現実世界で、“海”という自然環境はアーコロジー内の娯楽施設の一種に成り果てていた。ただの一般人では、そんなリゾートレジャーを愉しむ金も暇もない。

 

「海って、こういう味だったのか?」

 

 つくづく、この異世界転移は無茶苦茶だなと痛感させられる。

 

「ふむ……」

 

 その様子を見ていたアインズも靴を脱ぎ、カワウソの隣に並ぶように、遠浅の海に骨の素足をつけた。

 細い骨の手指で波を掻くと、指先を口内に突っ込み、そして“味見”する。

 

「──確かに、しょっぱいな」

「骨なのに、味がわかるのか?」

「ああ。ちょっとした仕掛けがあってな」

 

 仕掛けというのがどういうものか気にはなったが、それよりも懸念すべきことがあると思い、カワウソは早々に本題へと至る。

 

「それで?」

「うん?」

「まさか、この海の味見がしたくて来たわけじゃないだろう?」

 

 海を見たくなったということもないと思う。〈転移門(ゲート)〉を使えば、アインズは大陸の端々に旅立つことも容易い。なにしろこの大陸は、すべて魔導王(アインズ)の所有物なのだから。プライベートビーチなんていくらでもあるだろう。噂に聞く「塩辛くない海」との違いを試したかったとしても、カワウソが休息中のこのタイミングでということは、何か理由があると見た方がいいはず。

 カワウソの予想に違わず、アインズは簡潔にここへの訪問理由を述べ立てる。

 

「ああ。少し、君とゆっくり、話がしたくてな」

「話……?」

「うん。ユグドラシルのこと──君のこと、君のギルドのこと、君がユグドラシルで経験したこと──そして、俺のことについても」

 

 二人はもといたウッドチェアの方へ歩み始める。

 アインズは訊ね始めた。そうして、語り始めた。

 あのユグドラシル最終日から始まった、異世界転移──ナザリック地下大墳墓を、仲間たち皆と築き上げた場所を守るべく計画された、アインズ・ウール・ゴウンの世界征服。

 あの玉座の間の戦いでカワウソが指摘した通り、アインズは、アインズ・ウール・ゴウンという存在を残したい一心で、その名前を冠する国を興したという事実。

 それを成し遂げるために奮励努力の限りを尽くしてくれた、アルベドをはじめとしたナザリック地下大墳墓の拠点NPCたち──ギルドメンバーたちが残していった子どもたち。

 どれひとつとってみても、カワウソには及ぶべくもない。

 カワウソには、もう何もない…………そう、思っていた。

 けれど、違ったのだ。

 夕暮れの海岸を眺める堕天使のユグドラシルプレイヤーは、悠揚と語る。

 自分の過去のことを。

 ナザリックへの無謀な挑戦を始めた、バカげた男の物語を。

 二人はウッドチェアに腰かけ、夕暮れを眺めながら語り明かした。

 

「あの第八階層攻略戦において、俺の旧ギルドのギルド武器は、完全に破壊された。ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)が崩壊したことで、俺は『敗者の烙印』を押されることになった。それとほぼ同時に、俺には復讐する理由が──仇討ちの理由となるべき要素(なかま)が、完全にいなくなってしまった」

「……そうか」

「それでも、俺はナザリックを目指すことを続けた。あの思い出を、誓いを、約束を、果たすことだけが、俺の唯一の望みだったから。そうして、『敗者の烙印』を押されていたプレイヤーが、復讐プレイを敢行し続けたことで、俺は“復讐者(アベンジャー)”の職業レベルを与えられたんだ」

「うん。実に興味深い話だな。あの『敗者の烙印』に、まさかそういった効能があったとは」

「たぶん、だが……皆『検証する価値がない』と思ったんじゃないかな……俺だって、“復讐者”を与えられたときは「まさか」としか思わなかったし。そもそもあんなクソダサい、目立つキャラエフェクトを浮かべたままゲームを続けても、他の奴らから馬鹿にされるしかなかったからな」

「ふむ……話を聞くに、異形種のレベル獲得も復讐者(アベンジャー)のレベル獲得の(キー)ということだが……あるいは人間種のプレイヤーで、『敗者の烙印』専用のレベルを獲得できる可能性も?」

「ああ。むしろそっちの方がありそうな気はするんだがな。ユグドラシルの主流は人間種プレイヤーなんだし。けれど、少なくとも俺がネットで調べた限り、ギルド:ワールド・サーチャーズでも未解明──未判明情報だったはずだ」

「だろうな。この私──いや──俺も、噂の端にさえ聞いたことがない。そもそも自分たちのギルドを崩壊させてまで検証しようにも、いろいろと問題があるだろうし」

「問題以上だろ? ギルドを創立し、わざとギルド武器をブッ壊して、『敗者の烙印』を獲得する必要性なんて皆無だからな。そのあとは他のユーザーから後ろ指さされながら……つまり『敗者の烙印』を持ったままゲームを続けるメリットがまるでない。ゲームの進行そのものに影響はない・デメリットはないといっても、悪目立ちするとPK連中のカモになるだけだからな、ユグドラシル(あのゲーム)では。……それに、俺がやったような復讐プレイなんて、誰もやるはずないだろうし」

「ふむ……だが、君と同じように、敵対ギルドに挑戦することだけが条件とも限らないだろう?」

「ん……まぁ。それも今となっては誰も知りようがないが」

「だな。では、とりあえず君のこれからのレベリングのことを協議しようか?」

「……俺の?」

 

 カワウソが首を傾げると、横にいるアインズもまた首を傾げる。

 

「いや、何故?」

「うん。可能であれば、君の“復讐者”のスキルを強化できればと思ってな。

 ──確か、蘇生した時のレベルダウンによって失った、君の職業(クラス)は?」

「……料理人(コック)Lv.1と狩人(ハンター)Lv.3、剣聖(ケンセイ)Lv.1だ。実際、今の俺は調理や狩猟のスキルは使えなくなってる。マスターソースの情報で確認したし、確定だ」

「うん。だとすると、君の復讐者(アベンジャー)Lv.5とやらを強化・レベルアップする余地が生じたということで」

「いやいやいや」

 

 カワウソは思わず身を乗り出した。

 敗者の烙印が消え失せている状態で、烙印保有者専用のレベルが増えるのかという懸念もあるが、それ以上に不可解なことが。

 

「何を考えている?」

「うん? ……ああ。文書報告と、君のギルドのマスターソースを使った情報閲覧でわかってはいたが、やはり直接、君の口から説明を聞いておくのも肝要だと思って」

「ああ、なるほどな。──いやじゃなくて!」

「んん? なんだ? どうかしたのか?」

「いや、なんで、俺を強化する必要がある? 俺はあんたの────敵だったんだぞ?」

「ああ。そっちの意味か……理由は簡単だ。この数ヶ月の経過観察で、君たちの安全性……我々の脅威でなくなったこと・敵意を完全に鎮静化したことは、ほぼ保証された。そのうえで、君が弱いままでは、こちらにとってデメリットが大きいから。ただそれだけだ」

「……? それって、どういう?」

 

 カワウソは理解が追いつかなかった。

 一度は敵対したプレイヤーなど、弱体化させたままでいた方が、飼い殺しも容易になるはず。

 なのに、アインズは自分たちの敵だった男を強化しようとしている。

 それも、アインズにとって厄介極まるかもしれない、“復讐者”の力を──これはどういうことなのか。

 頭脳明晰なミカが傍にいてくれれば、何らかの理解を得られたのかもしれないが、女天使は女悪魔と共に場を離れていた。傍にいるのは双方のメイドが一人ずつだけ。カワウソは死の支配者(オーバーロード)の魔導王へ、素直に説明を要求するしかない。

 そうして、アインズは語り明かした。

 アインズの『目的』と、ツアーとの『計画』……それにカワウソという戦力を加える、覚悟と意志を。

 彼の『目的』のひとつは、カワウソにも理解しやすい内容であった。

 

「──真の、異形化?」

「ああ。君をたびたび襲っていた変調は、君の意識や意思が、その異形種の肉体そのものに宿るモノ──つまり、異形種の堕天使そのものに『とってかわろう』としていたことで生じたものだと思われる」

 

 カワウソは思い出す。

 夢の中で幾たびも対峙してきた影法師。脳の中に乱響し残響する、自分であって自分でないモノの声。

 あの決戦の後。

 カワウソは自分の中のアレ──堕天使の存在と邂逅していない。あれだけ毎夜毎夜のごとく続いていた悪夢は、今は完全に潰えている。

 その代わりに見る夢は、比較的おだやかで、やすらかな──眠りから覚めると忘れてしまうほど安穏(あんのん)としたものばかり。

 そのどれもに共通しているのは、ひとりの女天使の気配……希望の光を感じることくらい。

 アインズはさらに語り続ける。

 

「君にも覚えがあるだろうが。君は、ミカという熾天使にして女神の加護を受けている状態で──なおかつ、心身共に健全な状態を保っている限り、異形化の影響はない……そのように見える」

「──だとすると、死の支配者(オーバーロード)の、アインズは?」

「私は……さて、どうだろうな?」

 

 含み笑う骸骨の横顔は、諦観とも寂寥とも違う色をたたえていた。

 カワウソは詰問すべきかどうか迷った。

 アインズは同じ異形種のプレイヤー。だが、堕天使とアンデッドでは、いろいろと事情が異なっている可能性が大きい。あるいは、アインズ自身も、確たる実証を得ていないという線もありうるだろう。しかし────だとしたら、何故こんな話を?

 考えあぐねる男を前に、骸骨姿のユグドラシルプレイヤーは悠々とした態度で言い募る。

 

「いずれにせよ。君はミカというNPCがいる限り、そしてミカは君という創造主がいる限り、互いの存在を堅固に保てるだろう。私が万が一に人間・鈴木悟としての意識を欠乏することになっても、カワウソの──若山(わかやま)宗嗣(そうし)の意志は継続されるはず。もしも、その時が来たら……」

「────」

 

 なんとなく、カワウソは彼の言いたいことを理解した。

 理解することができた。

 

「……俺一人で、どうにかできる気がしないな」

「心配には及ばない。もしもの時には、ツアーたちに協力を仰ぐといい」

「……ツアーか。あの竜王には、一杯食わされたから、なあ?」

 

 一応、戦いの後に謝罪の場を用意されたが、何もかも彼らの掌の上で転がされていただけだったことがおもしろいわけもない。無論、そこまで恨みに思っているわけではなく、むしろ貴重な機会をくれたのだから感謝しかないのだが、とりあえず当分の間は、この件でツアーにはチクチク嫌味を言うことに決めている。

 そんなカワウソの冗談めかした態度を完全に理解しながら、アインズは胸骨を張って反撃。

 

「ふふ。それはお互い様だ。

 まさか、本当に第八階層を攻略しに来るなんて、思わなかったんだからな?」

「くはッ……ああ、そうかい」

 

 実際、カワウソもツアーが内通している可能性を考慮していた。

 それでも。その状況を「利用する」と決めて、ナザリックを囲む平原での戦いへと至れたのだ。

 だとすれば、やはりツアーには感謝してもしきれそうにない。

 

「それにしても、だ」

「?」

「君のギルドのNPC──特にミカの、彼女の能力には、本当に驚かされた。熾天使にして女神の種族……あるいは今後、協力をもちかけることになるかもしれない貴重なチカラだ。君のような異形種プレイヤーの異形化を、恒常的に抑止する手段というのは」

「一応、言っておくが」

「わかっている。君に話を通した上で、利用させてもらえればと思っている──俺のようなアンデッドのプレイヤーには利用しようがないのは、まぁ仕方ない。今後、俺以外の異形種プレイヤーが転移してきたときには、少し相談させてもらいたいところだが」

「……まぁ。ミカにきいておくよ」

 

 その解答に満足げに頷くアインズは、件の女天使の方を見やる。

 

「そういえば。彼女たちの外装(グラフィック)は、どこに頼んだんだ? やはり例の商業ギルドに?」

 

 波打ち際で。

 アルベドの告げたことに何か感動か感傷か──感銘かを受け取った表情を見せるミカ。夕明かりに煌々と輝く黄金の髪。空色の瞳はカワウソたちの視線を感じ取り、ふいと逸らされる。

 カワウソは、ミカを創った時のことを思い起こす。

 天使の澱の第一のNPC……聖騎士の王たる旧ギルドのリーダーに似せて作ってしまった、最高傑作の存在。

 

「あれだけ精巧な外装データだと、素人には難しいだろうし」

「いや──俺が描いた」

「……え? 君が?」

 

 カワウソが創ったNPCたち、その外装データはカワウソの手掛けたもの。

 これでも、旧ギルドのNPCなどの外見デザインも担当した経験があり、商業ギルドの長に頼まれて、そういう外注を受けたこともあるにはある。もともと、カワウソがユグドラシルのゲームに惹かれた理由こそが、そういう絵を存分に描ける世界だったことが挙げられる。その理由も、仲間たちとの別離で、半ば忘れ去っていたのも懐かしい。

 興味深そうに眺めるアインズに対し、カワウソは包み隠さず暴露していく。

 

「ミカたちは、俺のかつての仲間たちを模して造ったNPCだ」

「──君の? かつての仲間を?」

「そう。だから、外装(グラフィック)を描く時は、そこまで苦労はしなかったよ」

 

 似せるつもりはなかった……そのはずだった。

 だが、実際に完成したNPCたちは、驚くほど皆の特徴をとらえてしまっていた。

 最初は、チームのメンバー構成だけは踏襲すると決めていた。物理火力役(アタッカー)魔法火力役(アタッカー)探索役(シーカー)防御役(タンク)回復役(ヒーラー)その他役(ワイルド)の構成──カワウソが知り得る完璧なチーム──それこそが、旧ギルドの皆の存在に他ならなかった。

 そうして、実際に出来上がったものは──

 

「バカな話だろう? もう、誰も、俺のところに戻ってくるはずもないのに──な」

「…………」

 

 アインズは沈黙する。

 カワウソは彼の反応を当然と思った。

 ふらんさん……旧ギルドの副長ですら、カワウソの奇態を前に、何も言えなくなっていたのを思い出す。

 

 それでも。

 カワウソは夢を見ていたかったのかもしれない。

 皆と一緒に、もう一度、あのゲームで楽しく過ごせたとしたら……そんな淡く、(つたな)く、愚かしい幻想を、自分のギルドの拠点NPCに託したのだ。

 

 それが、合計12人のLv.100NPC……かつての仲間たちの面影を、その面貌その役割その装備と設定に投影した……滑稽極まる人形劇。

 だからこそ。

 カワウソはミカに対し、あんな設定を施した。

 あろうことか『カワウソを嫌っている。』などと、随分とひねくれたことを。

 彼女たちとは違うものとしての役割を与えることで、カワウソは自分自身を戒めることにした。

 本当に、バカなことをした。

 悔悟する堕天使の横で、ふと、アインズが勢い込んで立ち上がった。

 

「? どうした?」

「──君に見せたいものがある。ついてきてもらいたいのだが?」

「……“アインズ様のご命令”とあれば従うが?」

「いや、命令ではない。

 我らは同士なのだから、……これは俺の、──個人的な願いだよ」

「……そこまで言うほどなのか? その、お願いっていうのは?」

 

 アインズは皮肉気に堕天使へ微笑む。

 

「ただ、……そう、君に見てもらいたいんだ」

 

 (アインズ)の……(モモンガ)の作ったものを。

 

 

 

 

 

 アインズに案内され、カワウソは潮の薫りから離れ、ナザリックのとある領域に踏み込んだ。

 二重の影(ドッペルゲンガー)の領域守護者──聞くところによると、アインズ謹製のNPC──が守護する、宝物殿。

 その最奥を、アインズとアルベドに連行される形で、カワウソとミカは訪れた。

 

「お待ちしておりました、父上!」

「ようこそ、おいでくださりました、アインズ様──天使の澱のお二方」

「…………うむ。突然押しかけてすまんな、二人共。では、手筈通りに」

 

 ──“霊廟”と呼ばれる場所に訪れる前に、装備していた指輪を外し、アインズは収納箱に収めている予備の指輪というものも、すべてその地に住まうパンドラズ・アクターとナーベラル・ガンマに預けていった。

 そうして、アインズ主従はカワウソたちを奥深くへと導く。

 いささか不用心な気がしなくもない……というか、一度は敵対したプレイヤーとNPCを招き入れるには不適切な気がしなくもないが、カワウソはもはやナザリック地下大墳墓をどうこうする気などカケラもない。アインズはそれを十分に理解しているようで、堕天使の忠告をありがたく受け入れることしかしなかった。

 カワウソの欲求──願望は、ギルド:天使の澱に属するすべてを護ること。それだけとなっていた。復讐も敵対も何もない。アインズ・ウール・ゴウンが天使の澱と本気で盟を結びたいというのだから、これを利用しないでいるわけがなかった。

 

 そうして、カワウソはアインズの言う造形物──霊廟の名の通り、一切が静寂の帳に覆われた空間にあるものを、その両目に焼き付ける。

 

「これって……まさか?」

 

 カワウソは見誤るはずがなかった。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの研究を続けまくったプレイヤーは、その構成メンバーに関する情報についても、すべて己の脳内に叩き込んでいる。種族や職業、得意とする戦術や属性──その外見についても。

 長い空間の左右の窪み──そこに並べられた像は、37体。

 そのどれもが、アインズの主武装と比肩する装備品──アイテムで完全に武装された化身(アヴァターラ)たち。

 

「タブラ・スマラグディナ……ペロロンチーノ……ウルベルト・アレイン・オードル……」

 

 他にもギルド:アインズ・ウール・ゴウンの構成員たるプレイヤーを彷彿とさせるものばかり。

 どのゴーレムも、カワウソにとっては忘れようのない存在──ギルド:アインズ・ウール・ゴウンを構成するギルドメンバーたちを模したものであると、はっきりと認識できた。やや不格好で歪められたとも言える外見であるが、その元デザインとなったプレイヤーたちの特徴や、彼らが実際にユグドラシルで使用していた装備品の格が落ちるわけでもない。

 アインズは喜ぶように肩をすくめてみせた。

 

「さすがだな。よく気がついたな?」

「そりゃあ、まぁ。自慢じゃあないが──アインズ・ウール・ゴウンの研究を、俺はずっと続けてきたからな」

 

 眺めても眺めても、アインズ・ウール・ゴウンの異形種プレイヤーたちの像が立ち並んでいるだけ。

 たっち・みー、死獣天朱雀、餡ころもっちもち、ぶくぶく茶釜、武人建御雷、ばりあぶる・たりすまん、源次郎、やまいこ、弐式炎雷、テンパランス……ふと、気にかかったことがあってカワウソは問い質す。

 

「あと四人は、どうした?」

 

 何も置かれていない四つの空白。

 このナザリック地下大墳墓を統べるプレイヤーは41人。だが、像の数は37体だけ。アインズ──モモンガを含めた四人分の像は、存在しなかった。まるで、造ることを半ばで放棄したような感じだが、造ったはずの本人は多くを語ろうとはしない。

 曖昧な感じで頷く様子に、カワウソは逆に納得がいった。

 

「ああ……そうか……ここは、“霊廟(れいびょう)”……だったな」

「──うん。そうだ」

 

 おそらくは。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンをやめていった──ゲームを引退していったメンバーたちの化身が、ここに安置されたゴーレムなのだろう。モモンガなどの像がないのは、引退せずにゲームに残留していたメンバーの分とみて間違いない。だが、アインズ以外の、残りの三人が、この異世界でナザリック地下大墳墓に存在しないということは、ゲームの常識に照らしてみれば──まぁ、そういうことなのだろうと察しがつく。

 モモンガは、たった一人で、この異世界に転移してきた────

 アインズは肯定するように頷き、アルベドは沈鬱な表情で、愛する主人の袖に手を添える。慰めるような妃の配慮に、死の支配者(オーバーロード)は骸骨の顔で微笑みを返していた。

 ナザリックの最高支配者は、自虐するように、自嘲するように、何も持たない骨の両手を広げる。

 

「実に不格好だろう? 私が作った──かつての仲間たちは?」

「…………」

 

 カワウソは無言で首を振った。

 だが、アインズは遠慮しなくていいと言って、笑う。

 

「君のLv.100NPCたちに比べれば、どう考えても不出来なものだ──俺が作ったコレは、彼らのカッコ良さの一割もない……外見のデータは、パンドラズ・アクターに使ったものを流用したが、残念ながら、俺一人ではこれで限界だった。購入してきた外装を無理やり押し込んだりしたせいで、こんな歪んだものばかりになってしまったのも、まぁ、いい思い出だよ……」

 

 気恥ずかしさにも勝るアインズの感情を、カワウソは見抜いた。

 

「私にも、君のように精巧な絵が描ける能力や特殊技術(スキル)があればよかったのだがな」

「…………そうか」

 

 カワウソは、ついに理解した。

 

「────仲間がいなくなるのは、寂しいもんな」

 

 堕天使の口から零れる言葉に、アインズは打たれたかのごとく声を詰まらせる。カワウソも無言になった。どちらとも、何も言えない気がした。

 片や拠点NPCに。

 片や霊廟のゴーレムに。

 二人のプレイヤーは、仲間たちの存在を──彼らがいたことの証を残そうとしたという事実。

 ほぼ同時に、二人のプレイヤーは肩をすくめあう。

 声を形にしたのは、アインズの方が先だった。

 

「──ここで言うのもあれだが。君に頼みがある」

「──頼み?」

 

 借金の返済を早める催促──のはずがない。

 アインズは一度アルベドの方を窺い、彼女の首肯を受け取った後、明確な口調で宣言する。

 

「我がアインズ・ウール・ゴウン魔導国──魔導王政府の“第三者委員会”を、君に任せたい」

「第三者……委員会?」

 

 それは、つまり──

 

「分かり易く言うと、君に我々の監査機関を任せたい。100年前から作ろうと思っていたが、結局は有名無実化してしまう程度の組織であったが──しかし、今。君というユグドラシルプレイヤー──そして、君のギルドにならば『託せる』と、私は強く確信している」

 

 監査機関──監視役を、敵対したカワウソたちに任せる?

 

「本気、か?」

「無論だとも」

「本気で言っているのか?」

「勿論。──自信がないというのなら、断ってくれても構わないが?」

 

 アインズは澱みなく応じる。

 

「我々ナザリック地下大墳墓は巨大な一枚岩のごとく堅固な組織力を保持している。それは確かに強力な武器であるが、それが故に、私の胸先三寸──独裁で決定してしまうことにも繋がりかねない。だが、もしも、“私が間違ってしまったとき”に、私たちの行動を抑止できる存在がいた方がいい──いや、いなければならないのだ。

 この魔導国を、──愚かにも私の判断ミスや異形化の暴走で崩さないために。

 だが、それをナザリックのシモベ達が担える可能性は、残念ながら低いと言わざるを得ない。皆、私を絶対者として追従し追随し、是正することが難しいものも多い。私の命令ひとつで自害できるNPCでは、な。私の意に添わぬことをしてしまったと思った瞬間に、自刃しようとするものまでいる……それほどの忠義を嬉しく思う反面、不安要素のひとつともなりうることは、まったくもって如何ともし難い──」

「……だから、俺のような外様(とざま)を雇用する、と?」

「外様という言い方は少し気に入らないが──、まぁそんなところだ。我々が──というか、俺が君を魔導国に引き込みたかった理由のひとつも、まさにそれだったのだよ」

 

 言い募る男の姿は、ただのゲームプレイヤーのそれではない。

 まさに、王者と呼ぶよりほかにない姿──責任と意思──決断力と実行力の傑物。

 カワウソは苦笑しながら、敵対していた目の前のギルド長の姿に敬服してしまう。

 

「あんた、本当にすごいな……」

 

 こんな奴に勝てるはずがない。

 自分の敵であったものを許すのみならず、国内の要職に据えて、あろうことか「自分を監視してくれ」などと──どんな精神力と判断力の化け物だというのか。

 少なくとも、愚かにも敵対したカワウソには、思いつく道理がない。

 

「……わかった。でも、少し待ってほしい。こんな重大な案件は、俺一人では荷が勝ちすぎる──ミカと、NPCのみんなと十分に話し合ってから、決めたいのだが?」

 

 振り返り見た熾天使は、委細承知した調子で、実直な首肯をおとす。

 

「ふふ。ああ、そうだな。そうしてくれて構わない。ぜひとも検討してくれ」

 

 話し合いは大切だからなと、懐かしむような口調でアインズは囁く。

 

「それと──“もうひとつ”」

 

 囁く声が、元の威厳溢れるそれに置き換わる。

 

「君のその力──復讐者(アベンジャー)の持つ必殺スキル──それを私とツアーの『計画』……とある目的のために、使わせてもらいたい」

「俺の──復讐者(アベンジャー)の? 必殺スキルを?」

「それから、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の、Lv.100NPCの力も」

「──どういう、ことだ?」

 

 協力要請に対し疑問するカワウソ。

 アインズは言い募ることで応えた。

 

「ツアインドルクス=ヴァイシオン……“白金の竜王”……ツアーの、彼の友人であるユグドラシルプレイヤーたちを蘇らせるために、協力してほしいのだ」

 

 カワウソは“十三英雄”という古い物語に謳われる存在たちを知らない。

 だが、ツアーという大恩人のこと──ツアーの親友らの話は耳にしていた。

 彼らと友誼を結び、そんな彼らとの別れを数百年も悼み続ける、竜王の姿と共に。

 しかし、解せないことがひとつ。

 

「でも──ユグドラシルプレイヤーを蘇生させることぐらい、アインズたちなら簡単にできるんじゃ?」

 

 それこそ。

 アインズによって殺されたカワウソを蘇らせたように、容易く実行できる案件のはず。

 なのに、それをしない……できない理由とは、何か?

 

「彼らを蘇生させるうえで、非常に厄介な問題があってな」

「厄介な? 蘇生させるうえでの問題って……蘇生拒否や蘇生妨害、か? しかし、アインズ・ウール・ゴウンの、ナザリックのNPCなら、それぐらいの条件はクリアできるんじゃ?」

 

真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)〉に代表される高位階の蘇生魔法は、そういった悪条件……蘇生拒否や蘇生不能……蘇生妨害の状態異常に関係なく、ゲーム準拠の設定だと100年単位の時間経過すら問答無用で対象を完璧に蘇生することが可能という、最上級の蘇生手段だ。これで蘇生不能な案件は、蘇生対象の命の残量=寿命が尽きている以外ありえないはず。

 実際、アインズはナザリック内でその魔法を扱える神官系NPC──ペストーニャがいることを認める。別に、カワウソの配下である天使──中でもその極致たる女神(ゴッデス)・ミカの蘇生能力が必須ということもないようだ。

 

「無論、その通りだ。だが、“彼”の場合、そうはいかないようでな」

「そうはいかない?」

「ああ。十三英雄のリーダー……彼は、世界級(ワールド)アイテム保持者なのだが、……最後の戦いである神竜との戦いの後に、自殺したことは?」

「……詳しくは知らないが、ツアーからそう聞いている」

 

 ツアーの個人的な目的。

 彼の友人たるリーダーたちの、……救済。

 

「うん。そして、彼は()むに()まれぬ事情で、蘇生を拒否している。『世界級(ワールド)アイテム保持者』である彼の拒絶の意志は、我々でも難しい──どうしようもない領域の問題だ」

「それって……どういう?」

 

 アインズは訥々と語りだす。

 世界級(ワールド)アイテム保持者であるという、十三英雄のリーダー。

 世界級(ワールド)アイテムを所有するものは、世界級(ワールド)規模の改変や干渉を受けつけないというゲームシステムがあり、この現実化した異世界でも、その原則は基本的に同等。たとえば、“傾城傾国”という精神支配系の世界級(ワールド)アイテムの効果は、同格のアイテムを持つアインズやカワウソには効果がない。そうして、ゲームではなく、現実化したことによっての影響なのか、世界級(ワールド)アイテム所有者の意思などを捻じ曲げる行為──リーダーの場合、蘇生魔法による魂への干渉は、まったく完全に無効となるのだ。それは一個の世界の意思そのもののごとく……それほどまでに、リーダーは生き返ることを拒絶している。

 

「現に。君も一度、私の蘇生を拒否しかけただろう?」

「え…………あっ?」

 

 いやぁ、あれは焦ったぞと笑うアインズを置いて、カワウソは思考に耽る。

 

 カワウソが僅かに覚えている、死亡時の記憶。

 何の色もない澱の底で、悪夢の現実を繰り返すことを忌避した自分。

 だが、天使の声に導かれ、差し出された女の手の感触を、今でも鮮明に覚えている。

 あの瞬間、カワウソは蘇生の力を拒否しなかった。

 他ならないミカの想いが、カワウソを死の狭間から救い出してくれたのだ。

 

 だが、リーダーの場合はそうはいかない。

 確かに、これは問題だ。大問題だといえる。

 

「当時、彼の蘇生を試みた十三英雄の一人──ビーストマンの覚醒古種──小さな猫の『大神官』──彼の力では、頑なに蘇生を拒否するリーダーを、無理矢理に蘇生させることは不可能だったようだ」

 

 カワウソは記憶の端にある、ツアーとの初対面の会話を思い出す。

 ツアーの友──リーダーの蘇生拒否は、仲間を自らの手で殺したことによるもの。

 ならば、その殺された相手の方を蘇生させてしまえば解決するのでは…………と考えたところで、気づく。

 

「……蘇生、できないのか? その、リーダーに、殺された方の、仲間は?」

 

 この世界独自の法則や蘇生妨害が?

 そんなことがありえるのかと、カワウソは疑念しそうになる。

 しかし、アインズはカワウソの問いかけよりも先に、解答として首を横に振って示した。

 

彼女(・・)の蘇生なら、容易く実行できるだろう。

 だが、彼女(・・)もまた蘇生させた後に、問題があってな」

 

 (リーダー)と、……“彼女”?

 ツアーの友というユグドラシルプレイヤー。

 その二人の性別から、カワウソは直感的に、言い知れぬ恐怖を感じ取る。

 リーダーが仲間を……男が、女を、殺す。

 カワウソは思わず問い質した──問い質さずにはいられない。

 

「ま、待てよ、おい……まさか、とは思うが、その“彼と彼女”というのは──」

「さすがに察しがいいな。

 そう。“彼と彼女”は、ユグドラシルのサービス終了の時を共に過ごした、“恋人同士”のプレイヤーだと聞いている」

 

 カワウソは、口を手で押さえる。酔いではない、劇物を含まされたような吐き気を催した。堕天使の内より生じた悲しみと哀しみからなる激烈な嘔吐感は、背後に控えていたミカの力……掌の温度によって即座に安定化される。カワウソはミカに感謝しつつ、問い直した。

 

「まさか──恋人を、殺したのか? その、リーダーは?」

「ああ…………勘違いをしてはいけないが、彼女の殺害は、彼にとっても苦渋の事態であり、そして、自ら自刃し、頑なに蘇生を拒む理由となっている。また、リーダーは君と同じで、実存を持たない世界級(ワールド)アイテム保有者であるため、彼の蘇生拒否を覆すには、相応の条件が必要なようでな」

 

 聞かされて納得した。

 自分の恋人を、自分の手で殺す。

 ふと、カワウソは自分の背後にいる女天使にして女神を振り返る。

 たとえば──ミカを殺すことは、もはやカワウソには不可能なこと。彼女への真摯な愛情を思えば、ミカが堕天使にとって有用である実態……それ“以上”に、彼女を殺す行為は完全に忌避すべき行為行動に成り下がっている。転移直後の時期からは考えられないことだが、カワウソはもう、自分のギルドのNPCたちを死なせるようなことはありえないほどに、思いやっていた。

 しかし、アインズが語る十三英雄のリーダー……彼は、それをやり遂げた。

 やり遂げねば、ならなかった。

 

 その時に抱いた恐怖と絶望は、どれほどのものだろう。

 あの、アインズとの戦いの最後、カワウソが抱いた罪悪感と同量か……あるいはそれ以上。

 主に見つめられ続けるミカは小首を傾げ、何事かと眉根を寄せる。そんな天使の無表情に、堕天使は微笑みを返すことができた。カワウソはアインズに向き直る。

 

「いったい……“彼女”に、何が? どういう理由で、彼女さんの蘇生ができない、と?」

 

 アインズは整然とした口調で、告げる。

 

「彼女が蘇生された瞬間、とんでもないものが一緒に復活してしまうのだ」

「とんでもない、もの?」

 

 そう、あのアインズ・ウール・ゴウンが語るものとは何なのか。

 アインズの声に含まれる不穏な影が見え隠れするのを、カワウソは錯覚し始めた。

 錯覚……では、なかったのかもしれない。

 アインズは十三英雄の顛末を語りだす。

 

「十三英雄、最後の冒険となった“神竜”との戦い。

 ツアーやリグリット、そしてリーダーたちは、彼女をはじめ現地勢力の英雄たち──数多くの犠牲を強いることで、一応の勝利を収めた」

 

 だが、実態は惨敗に等しかったという。

 竜王秘蔵の宝剣・始原の魔法(ワイルド・マジック)で造られた宝重たる武器は砕け散らばり、その残骸は諸国に散った。数多くの国土と種族──かつて八欲王が護り率いた人狼(ワーウルフ)(オニ)などの異形種……強大な一族が喪われ絶滅の憂き目にあうほどの、悲劇の時代。その果てに、世界の命運を賭けた決戦において、(リーダー)は彼女を自らの手で殺すことで、“神竜”を封殺──

 そこまでを聞いて、カワウソは手をあげて会話をとめた。

 確かめずにはいられなかった。

 

「ちょっと待て。リーダーが……彼女を殺して、“神竜”を、封殺? ──それって、つまり」

 

 アインズは頷く。

 

「うん……彼女は、憐れにも“神竜”と融合してしまい、その存在の核と成り果てた。核となったものを死体から物理的に分離したとしても、彼女の魂と“神竜”の魂……つまり、存在の根源部は完全に融け合っている。これを切り離すことは魂の領域に干渉する行為であり、現状の我々では不可能だ……故に、彼女を蘇生させた瞬間、“神竜”もまた復活を遂げることになり」

「待て。待て待て待て待て待てッ!」

 

 待ってくれと手を挙げた。

 語られる内容に、うすら寒いほどの怖気を感じて、カワウソは問い質し続ける。

 

「な、……何、なんだ……その、“神竜”、って、いうのは?」

 

 信じられないという思いのまま、カワウソは彼を見る。

 あのアインズ・ウール・ゴウンをして、カワウソのような者達に助力を欲するほどの、存在。

 この世界には、そんな馬鹿げた力があるなどと、本気の本気で思考できない。

 だが。アインズが語る“神竜”の正体が、カワウソにすべてを納得させる。

 

 ──“神竜”というのは、現地人がつけた通称にして仮称に過ぎない。

 

 その本質、その正体をユグドラシルの単語で言い表すならば、たったひとつ。

 

 

 

「“世界級(ワールド)エネミー”だよ。

 200年──いや──300年以上前の過去、こちらの世界に転移した、な」

 

 

 

 

 

 

 /

 

 

 

 

 

 

 それは、英雄譚の終わりにはふさわしくない、まったくの悲劇であった。

 

 

 

 

 

 

『お、願い──私、を、殺して』

「いやだ!!」

『はや、ク……もう、モタナい』

「いやだ、いやだ、いやだァ!!」

 

 恋人の示した自己犠牲の言葉を、彼は首を振って拒絶する。

 いかに相手が世界の敵(ワールドエネミー)に取り込まれた姿になっても、愛する女を──将来を誓い合った女性を──森妖精(エルフ)の女プレイヤーを──異世界に転移してからもずっと寄り添ってきた仲間を、自らの手にかけられるほど、リーダーと呼ばれた男は非情な心の持ち主ではない。むしろ、彼はどこにでもいる平凡な人間でしかなく、こんな状況でもまだ他に打つ手があるはずだと妄信するほどに甘い男でしかなかった。

 ──だが、彼の身体は、間違いなく剣を構え、世界の敵を討ち滅ぼすべく、一歩を踏み出す。

 

「や、め、ろ──やめろ、やめろ、やめろ……やめろ!」

 

 やめてくれと必死に懇願する男の意志に反し、歩み続ける肉体。

 それを、リーダーはどうにか食い止めようとする。

 

「発動するな! 発動するなッ、世界級(ワールド)アイテム!」

 

 だが、もうそれは……発動してしまっている。

 英雄たる男の肩にとまる光の小鳩──その口には、一本の枝葉。

 

 ──リーダーの世界級(ワールド)アイテム──

 

 ──“ダヴはオリーブの葉を運ぶ”──

 

 世界を滅ぼす大災厄……それを生き延びた者へともたらされた、平和の象徴。

 その伝承が転じて、世界級(ワールド)アイテムの中でも希少な、「“対”世界級(ワールド)エネミー用」の性能を与えられたもの。世界級(ワールド)エネミーには通じないはずの世界級(ワールド)アイテムの中で、唯一例外的に、世界の敵を滅ぼすことに最特化した、壊れ性能のアイテムがそれだった。

 この異世界で、はじめて彼は発動要項を完全に満たした。

 故に、発動した。

 発動条件さえそろえば──そろってしまえば──問答無用で、保有者の意思さえ関係なく、災厄の根源たる世界の敵(ワールドエネミー)を滅ぼすことになる、絶対不可逆の概念事象。

 それに対し、保有者(リーダー)の身体が即して行動する──行動するしかないのだ。

 世界級(ワールド)アイテムの発動効果は、絶対。

 それに抗える力など、ない。

 

「い、やだ…………イヤダァ!!!」

 

 涙を流し、血反吐を吐きながら、白い髪を振り乱して、男は女を殺そうとする自分自身の力に、抵抗する。

 だが、

 

 

『……大 好き だよ、    ……』

 

 

 天変地異を操り、大災厄として降臨した巨龍の逆鱗部分──そこにある宝玉に、顔面を含む半身が組み込まれた女の微笑みの気配。愛する恋人に対し、世界級(ワールド)アイテム保有者たる男が、ツアーより託された竜王の宝重たる剣を差し向け────

 

 

「やめろぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!!」

 

 

 轟く悲鳴。

 貫かれる災厄の“龍”。

 その核となっていた女の、鮮血。

 

 絶命。

 

 同時に、核の命を奪われた世界級(ワールド)エネミーの体があらゆる力を失い、その巨体と重量……竜ではなく“龍”の異形をズシンと横たえ、そうして、ぴくりとも動かない。

 

 世界級(ワールド)エネミーは倒された。

 世界の敵は滅ぼされた。

 世界の平和は守られた。

 

 だが、

 

 

「あ ああ あああ ああああぁぁぁッッッ──!!??」

 

 

 ここに、一人の男の罪が確定した。

 男は、愛する者の肌と肉、心の臓腑を引き裂く──その生々しい感触とおびただしい真紅の色を、硬く握り込んだ剣の柄を通して実感した。

 そうして、彼の心は、破綻した。

 

 

「ああああぁあああああああああぁああああああああああああああぁぁぁあああああああああああアアアアアァアアアァアアァアァアァアアアアアアアアアッッッッッ!!!!!」

 

 

 

 リーダーは即座に、神竜の核を──仲間の命を──愛する恋人の胸を抉った刃を、自分の心臓へと差し向け、

 自殺した。

 

 

 

 共に戦い、体力も魔力も尽き果てていたツアーやリグリットたちは、止めに入る間もなかった。英雄にして世界の恩人──救世主たる(とも)の、その非業の死を前に、悲鳴をあげることしかできなかった。ビーストマンの神の血を引いた小猫……大神官による〈真なる蘇生〉は完全に拒絶され、暗黒邪道師の魔法によって蘇生拒否の状態にあるものと理解された。リーダーたちから譲り受けていたユグドラシルの復活アイテムも、悉く意味をなさなかった──

 

 

 

 これが、戦いを生き残った誰もが、詳細を語りたがらなかった、十三英雄の最後の物語。

 

 

 

 こうして、十三英雄の冒険譚……世界を守った御伽噺は、引き分けとも敗北とも言い難い──ツアーやリグリットら当事者にとっては“惨敗”と言うべき結果でもって、完結した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Web版オーバーロード『設定』より「ワールドアイテム」の項目を参照

『ダヴはオリーブの葉を運ぶ』:なにこれ

 ……以下は考察というか、独自設定……

『ダヴはオリーブの葉を運ぶ』とは?
 旧約聖書・創世記に記述されている「ノアの箱舟」伝説に因んだ言葉と思われる。
 堕落した地上の人間を一掃すべく、神の引き起こした大洪水。その大災害から唯一生き残った人類・ノアが鳩(ダヴ)を外に放ち、その鳩がオリーブの葉を運んだことで、洪水の水が引いた──地上の悪徳を洗い流す災いが去ったことを確認したとされる。なお、世界各地の数多くの神話や伝承、特にギルガメシュ叙事詩などとの相似性があげられる。

 この伝承から考えられる世界級(ワールド)アイテムの効果としては、
=世界を覆うほどの災厄の、その終焉を告げること
 そのため、
=オバロ世界内で世界規模の災いとなりうるワールドエネミーを終焉させる
 ……というものになるのではないか。

 しかし、そのための発動条件として、
・使用者はワールドエネミーと交戦していること(世界規模の災厄と直面する)
・使用者以外の味方が、ほぼ全滅していること(生き残ったのはノアの一族だけ)
 が必要になる。 

 十三英雄のリーダーは、ユグドラシルでこの世界級(ワールド)アイテム保有者となるが、世界級(ワールド)エネミーと交戦する機会などがなかった(そういった戦闘イベントには関心がない、非ガチ勢の低級プレイヤーだった)。もしくは世界級(ワールド)エネミーと戦うイベントに参加しても、たった一人だけ生き残るような状態にならなかった。──故に、リーダーは『ダヴはオリーブの葉を運ぶ』の発動を一度も確認したことがなく、また確かめる機会を逸したまま、仲間と共に異世界へ転移したのではないか……
 だが、十三英雄の最後の冒険・神竜との戦い(これもWeb版『設定』より参照)で、リーダー以外の仲間が死亡するか戦闘不能に陥り、十三英雄の中で誰よりも強くなったとされる(実際の強さレベルは不明だが)リーダーだけがかろうじて継戦可能な状態を保ったことで、世界級(ワールド)アイテム『ダヴはオリーブの葉を運ぶ』の発動要件を満たしてしまった……



 ま、全部ただの空想なんですけどね!!



────完結まで、あと二話


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最終話 -1 ~手~

/War is over …vol.05

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユグドラシルの最終日……あの時に、ゲーム内に存在していたものの中で、ある一定の条件下にあったモノが、この異様な異世界への転移現象に巻き込まれた。

 その条件とは、『ワールド』を冠する何かを付属していること。

 または、それと密着している状態にあったこと。

 世界級(ワールド)アイテムを保有しているプレイヤー……ギルド拠点……または、アイテムが単体で、この異世界に転移する。世界級(ワールド)アイテム保有者──あるいは世界級(ワールド)アイテムを蔵するギルド拠点のメンバーは、突然の状況に混乱し混沌となり、異世界での生になじむことなく生涯を終えるか、あるいは暴虐と擾乱の運び手として君臨するか──ひとつの種の保存のために、その首都は別のまったく違う者たちへの戦争と破壊を強行するなどして、自らの地位と命運を盤石なものとして来た。その最たる例こそ、“六大神”。絶滅の憂き目にあっていた弱小種族(ニンゲン)を守るという大義名分のもと、そのほかの種族──亜人や異形を排斥したプレイヤーたちがいた。さらにはワールド級の職業(クラス)……ワールドチャンピオンも、後の世に伝わる“八欲王”として、この異世界で尋常でない災禍を巻き起こし、過日の伝説として語り継がれてきた。

 さらに、世界級(ワールド)アイテムの保有者であるプレイヤーのみならず、世界級(ワールド)アイテムが“単体”で、あるいはそれを蔵した──世界級(ワールド)アイテム所有者の私物と同義とみなされた拠点などが転移し、それを現地の存在が発見・発掘したことで、世に混乱が巻き起こることも、ままあったようだ。

 そんな中で。

 最悪にして災厄そのものと言うべき存在が、世界の敵──ワールドエネミーの存在である。

 

 

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国とギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)

 両者は協力関係を締結することで合意した。

 アインズは、カワウソというプレイヤーを魔導国に迎え入れ、天使の澱という100年後の異世界に現れた存在を『世界の盟約』に参画させた。

 

「この世界の盟約というのは、かつてこの異世界に流れてきたユグドラシルプレイヤーと、当時の現地人たち──僕の父、世界最強と謳われた“竜帝”、先代の白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と交わした約定が基礎になっている」

 

 そう語るのは、アーグランド信託統治領を治める竜王──ツアー。

 ツアーの居住地たる朽ちた宮殿にて、椅子に座るアインズとカワウソ──そして、彼らの傍に侍る随従たるアルベドとミカを前に、始原の魔法(ワイルド・マジック)の最後の担い手たる竜王(ドラゴンロード)は説明を続ける。

 

「ユグドラシルとよばれるゲームの最終日。どういう理由でなのかは未だに不明だが、この異世界に転移してきた渡来者たちには一定の法則が存在している。100年ごとの転移期間の開きやユグドラシルのゲームルールに縛られるということ。人間種は人間種の、亜人種は亜人種の、異形種は異形種の姿形を備えたまま、こちらの世界にやってくる。

 そして、中でも重要なことは、君たちが何かしら「世界級(ワールド)」規模の要素を保有していること。さらに、世界級(ワールド)アイテムだけではなく、八欲王のようなワールドチャンピオンなどの職業(クラス)レベル保有者────そして、“ワールドエネミー”という最悪の災厄・善悪の区別すらない絶対の脅威が、この異世界に100年単位で転移してきていることだ」

 

 その事実を前に、ツアーの父たる竜帝などに代表される現地の住人や、当時のユグドラシルプレイヤーたちが協議を交わし、最終的に交わした契約というのが『世界の盟約』であった。

 当時、ツアーは幼いながらも、その調印式典に立ち会い、交渉の場を見届けたという。

 

「六大神以前にも、ユグドラシルの存在の影響はあったというのが、僕の父の見解だった。この世界でユグドラシルの力や法則が作用したり、そもそもにおいて転移者たちが現れたのも、あるいは『そういう風に設計した何者か』が存在したのではないかと──そうでもなければ、ゲームのアイテムなどが機能してしまうこと自体がありえないことだ。父は、六大神の前に存在していたユグドラシルの転移者たち──ユグドラシルの魔法システムに挿げ替えられる前の存在とも懇意にしていたことから、その推論に辿り着いたらしいが……まぁ、現状において確信に迫れたものは、ひとりもいないというのが実際のところだ」

 

 率直に「それは何故だ?」と訊ねる100年後の世界に現れたプレイヤー・カワウソに対し、ツアーは微笑を込めて説き続ける。

 

「世界は(あまね)く広い……僕の父や、父と同世代の“聖天の竜王(ヘヴンリー・ドラゴンロード)”と“常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)”たちですら、世界の真相には至れていない。何より、この世界の謎の“すべて”を調べるにしても、いろいろと問題が多すぎた。

 この謎を究明しようとすれば、あらゆる国家や大陸、あらゆる種族や一族、ありとあらゆる存在が、平等に公正に協力し合う必要が出てくる。国家、種族、思想と信仰、主義や主張の垣根さえ超えて団結するほどの意思がなければ、世界の謎をすべて解き明かすなど不可能なことだ。しかし、当時の人間と亜人と異形は、競い合い奪い合い殺し合うという生存競争に明け暮れ、とてもではないがひとつの意志の許で、ただひとつの事柄を探求するというのは不可能だった……かつては、ね」

 

 カワウソやアインズたちがいた世界でも、すべての物事が解明されていたわけではないように、この異世界にも未知は溢れかえっていた。

 しかし。今では大陸世界の全てが、アインズ・ウール・ゴウン魔導国という、錦の御旗の許に統合され、アインズという超越者の意志の許で動き続けている。

 魔導国が100年前に始めた、新たな冒険者たちの育成。そうして、今もなお冒険者は大陸に散り、多くは海洋へと飛び出し、いまだ明らかではない未知を調査・発見し続けているという事実。

 伝え聞く海上都市の存在──「夢見るままに待ちいたり」などの実在も、やがて明らかになるはず。ツアーの友──リーダーと彼女が偶発的に辿り着き、たった一度だけ協力関係を結んだという“眠り姫”。

 

「海上都市ね……大陸の周りは塩辛くない淡水の海って話だが……確か、アインズの持っている果実、アンデッドを受肉化させるというアレも、そこから流れてきた一品なんだよな?」

 

 カワウソは、アインズがモモン状態となっていた時のことを思いだす。

 女神であるミカの感知能力ですら、モモンを一人の人間・一個の生命と誤認させたほどの、アンデッドを受肉化させるアイテム。

 

「厳密には、それをナザリックで品種改良し、いろいろと手を加えて栽培したものだ。100年前、“重爆”という女冒険者チームが漂着し助けられ、帰還するときに持たされたものらしいが……俺も、この果実を初めて口にしたときは驚いた。こんなのユグドラシルには絶対に存在しないアイテムのはずだからな」

 

 アインズがボックスから取り出した白金と黄金のマーブル模様の果実。

 異形種プレイヤーは、人間種への転生はできないという、ユグドラシルの縛り(ルール)

 だが、アンデッドモンスター……その中でも骸骨(スケルトン)系統の存在に、人間の肉体を授けるというアイテムがあるというのは、確かに奇妙である。

 それを最初に造り出したとされる海上都市は、300年前の過去──十三英雄のプレイヤーたるリーダーたちと協力したこともあるというが、詳しくはよくわかっていない。リーダーたちは海難事故で遭難し、気を失って漂流していたはずが、いつの間にか海上都市の入り江に辿り着いていたらしいという。そこからどうやって大陸に戻ってきたのかも詳しくは覚えていないようだったと、当時をツアーは振り返る。

 

「二人を蘇生させ、〈記憶操作〉に一日の長がある天使の澱のNPC……ガブくんに当時の記憶を()てもらえば、いろいろと判るのかもしれないがな」

 

 そう提言するアインズ。プレイヤーであるアインズには色々と限界がある〈記憶操作〉の魔法であるが、NPCの専門家にやらせると目に見えて違う成果を獲得できる。

 しかし先日、そのリーダーと彼女の二人が、容易に蘇生できない事情は知らされていた。

 

「うん。そうなると、あとは──」

「ああ……僕たち全員の計画……“彼女”を復活させ、ワールドエネミーを生かした状態で、“彼女”の魂を救い出す。そして、ワールドエネミーを、今度こそ完全に打倒する」

「そうすれば、リーダーの蘇生拒否問題は解決し、ツアーの友人たちは完全に復活を遂げる。俺はツアーとの約束を果たせるわけだ。……しかし」

 

 アインズが唸るのも無理はない。

 ワールドエネミーを倒すというのは、生半可なことではない。

 何しろ相手は、最大人数六人からなるチーム六つで構成される軍団(レギオン)でも、苦戦を強いられる壊れ性能なボスモンスターだ。つまり、Lv.100の存在が6×6=“36人”態勢で挑んでも、勝率は圧倒的に低い。それ以下のLv.90台の戦力など、使い物にすらならずに殲滅される。体力を削るよりも先に全滅する可能性が高すぎるのだ。

 そして、アインズ・ウール・ゴウンの保有するLv.100の存在は、アインズを含めて10名。

 さらに、カワウソが率いる天使の澱の保有するLv.100の存在は、カワウソを含めて13名。

 両ギルドの戦略級攻城ゴーレム──ガルガンチュアとデエダラ。

 そこに現地最強と謳われるツアーが加わっても、合計で26……笑えるほどに戦力が足りていない(ちなみに、彼以外の竜王で絶対的な戦力になるもの──そして、戦いに参加してくれるものは、絶無。世界級(ワールド)アイテム持ちの“常闇の竜王”は、住居の洞窟から出るのを拒否している。世界の敵とやらにはまったく興味がないのだ)。

 そこで、打倒作戦にはナザリック最強と謳われる第八階層の戦力も投じたいところだが、いろいろと難がある。広域殲滅に特化した“生命樹(セフィロト)たち”=九つの星を戦力にカウントすれば35名。だが“ルベド”だけは、敵味方の区別がつかないので集団戦には使えない。かと言って個体で投入しても、ワールドエネミーを相手に孤軍奮闘させるのは分が悪い上、もしも敗北すればナザリックの貴重な戦力と資産が無に帰しかねない。せいぜい、最後の手段としてバックアップに徹させるしかないというのが、アインズの下した判断だ。

 

「例の、ツアーが掌握している、エリュエンティウの守護者たちというのは?」

「ダメだな。彼女たちはあくまで、八欲王のNPCであり、最後の王たる彼が残した君命に忠誠を尽くす存在。世界の敵・ワールドエネミーが直接あの都市を襲う事態にでもならない限り、彼女たちが戦うということは、絶対にありえない。なぁ、ツアー?」

「……まぁ、世界級(ワールド)アイテムを貸し出してくれるだけでも、良しとしてくれると助かるよ」

 

 ツアーはそう言って、竜の大きな肩をすくめた。

 

 南方の浮遊都市・エリュエンティウ……その都を守護するLv.100NPCたち。

 彼女たちの存在理由は、“あの都市を守ること”に終始しており、都市外の世界への干渉行為……武力行使は基本厳禁となっている。専守防衛の理論に則り、自分たちの側から仕掛けるような行為は、この数百年間ずっと控え続けてきたのだ。──かつて、八欲王の勢力が、全世界の版図を一変させた時のような謀略と暴力を発揮させないために、あの地において寿命で死んだ最後の王・彼女たち都市守護者が信奉するギルド長が、ツアーに後事を託した際に交わした約定と盟友関係こそが、主亡き守護者たちの存在理由と成り(おお)せている。

 一応、エリュエンティウも魔導国の王たる存在・アインズへの恭順状態を受け入れてはいるが、それはあくまでツアーとの盟友関係を前提としたものであり、アインズから彼女たちへの強権力については、そこまでのものはないのが実際だ。

 早い話。彼女たち都市守護者は魔導国には干渉しない代わりに、魔導国もまたエリュエンティウの者に過度な干渉をしてはいけない。

 それを破った瞬間に、彼女たちはナザリック地下大墳墓を“敵”と見做して行動することになりかねず、アインズとしてはわざわざ眠っている獅子の尾を踏む……あるいは、眠っている竜の巣へ盗人を送る危険を冒したくはないのだ。そういった点に留意しながら交流しておけば、エリュエンティウの守護者はツアー同様、有用な協力者でいてくれる。南方において著名な都市として、あの地域における特産食料や魔法開発と研究事業──この異世界での先達たる転移ギルドとして、アインズたちとは非常に良い協力関係を維持できている。

 では、エリュエンティウの守護者らにバレないようにワールドエネミーを誘導する方法などを使えばという案も考えられるだろうが、そんなものはまるで実現性がない愚案である。あのワールドアイテムすら通じないワールドエネミーを、一体だれがどのようにして誘導してくれるというのか。

 何より、そんな姑息に頼っては、偉大なるアインズ・ウール・ゴウンの名が泣くというもの。

 

 とりあえず、揃えるだけ揃えても、現状において十分な戦力は35名しかないと考えるほかない。

 それでも、天使の澱が加わらなければ、使える戦力は21しかなかったことを考えれば、ずっと希望が持てる員数である。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国で育つ混血種(ハーフ)……さらに、プレイヤーと現地人の間に生まれた子供たちの中で、ユウゴ以外にLv.100の階梯に辿り着けそうなものは確認できていない。そして、そのユウゴは魔導国の正統な後継者として期待される大黒柱──このような無謀な作戦に投じて、ワールドエネミーに取り込ませて喪うというのは、あまりにも辛い。

 

「ワールドエネミーに対抗するために、ナザリックと天使の澱──そして、この異世界に流れ着いていた世界級(ワールド)アイテムを装備すれば、どうにか互角…………と言いたいところだが」

 

 ツアーが語る“神竜”の能力は厄介であった。

 破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)による奸計により、リーダーの恋人だった彼女を核として目覚め、アレは自分の敵を喰らい、その力を養分として吸収することで、尋常でない強さを発揮していた。弱肉強食──喰った者のレベル、スキル、ステータス、あるいは道具(アイテム)異能(タレント)ですら、あのワールドエネミーは己の性能として無限に取り込み続け、誰にも何にも手出しできない地点にまで到達してしまった。アレには集団の力など意味がない。むしろ、アレを成長し強化させるための餌にしかならなかった。その成長能力は、まさに無限にして無尽蔵。倒す手段はないと、誰もが諦めかけた。

 だが、そんな状況下で、リーダーの世界級(ワールド)アイテム“ダヴはオリーブの葉を運ぶ”が発動したことにより、どうにか封殺することが可能だった。だが、喪われた者は多かった。神竜の力を前に、エルフ王家の女王やドワーフの工王など多くの仲間が(たお)れ喰われ、瀕死のツアーやリグリットの目の前で──リーダーは…………。

 おまけに、件のワールドエネミーは、ユグドラシルのWiki情報にも、一切の記載がない存在──アインズが知る32体のそれとは、まったく違う存在であったのが厄介の極みだ。

 

「運営が用意したワールドエネミーのなかでも、誰にも知られず、発見されぬまま最終日を迎え、転移してきたワールドエネミー……というところだろうか。竜というよりも龍の見た目ということだから、「八竜」とは違うな。そして、あの「八竜」ですらアンデッドの完全耐性を超える屍毒ブレスを扱う。ならば、それに準じる破格の性能を持っていても、何ら不思議ではないが」

「ああ。最終的にアレの扱う天変地異は、僕たち竜王の力・始原の魔法(ワイルド・マジック)でも対抗不能で、まるで打つ手がなかった──“世界の敵”だと、まさにその通りだと言わざるを得ない性能だったよ。まともに対抗できたのは、無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)などの世界級(ワールド)アイテムが存在したことや、僕の父たちが残した始原の魔法(ワイルド・マジック)製の防具があったからというのも大きい」

「じゃあ……あとはコイツがどれだけ役に立つか──」

 

 頭上の赤黒い輪っかを掴み、眺めおろすカワウソ。

 アインズなどの第三者では奪うどころか触ることすらできない、『敗者の烙印』保有者専用の、呪いじみた世界級(ワールド)アイテム。

 

「“亡王の御璽”──自軍勢力・味方全体に世界級(ワールド)アイテムの“無敵化”を与える性能か」

「ああ。だけど、あの第八階層“荒野”の戦いでわかったことだが、これは世界級(ワールド)規模の攻撃は完全に防げるが、世界級(ワールド)相当の防御力は、どうやら貫けないらしい」

 

 あれから数ヶ月も経過していたが、カワウソはありありと思い出せる。

 あの七つの(実際には十一個の)星──アインズが語る生命樹(セフィロト)たちは、ナザリックの保有する“諸王の玉座”によって統制される殲滅装置だった。その殲滅性はまさに世界級(ワールド)規格。1000人のプレイヤーを蹂躙可能だったのも、当然といえば当然の仕様であった。

 それと戦った時に、カワウソの無敵化に護られたNPCたちは、相手の攻撃を防ぐことに成功したが、自分たちの攻撃を通すことはできなかった。世界級(ワールド)アイテム同士の戦いで、互いの性能が相殺された結果、あのような膠着状態を維持できたものと断定してよい。相手が世界級(ワールド)アイテムの影響にない存在であれば、表層の墳墓で一撃死させた上位アンデッドの死神のように、たった一撃で事は終わる。

 ならば、相手がワールドエネミーとの戦いとなると────

 

「我々が保有する世界級(ワールド)アイテムとの相互作用──シナジー効果に期待したいところだな」

「ああ。それでいて、効果時間10分の間に、相手を、例のワールドエネミーを倒しきる目途を付けられるかどうか、だな」

 

 アインズの判断に、カワウソは首肯する。

 震える掌は、この現実化した世界において、ユグドラシル最悪の敵を相手にするという恐怖──戦いで死ぬかもしれない危惧を、雄弁に物語っていた。しかし──

 

「──ありがとな、ミカ」

 

 背中に手を添えてくれる女天使・ミカの回復能力で、平静さを取り戻す。

 軽く頷くだけのミカに頷きを返し、カワウソは(アイテム)を頭上に浮かべ直した。

 

「無限に敵を喰らい、強くなるワールドエネミーか……喰らうって言えば、「九曜の世界喰い」か、「七大罪の魔王」の“暴食”か……その神竜とかいうワールドエネミーの名前は、わかっていないのか?」

「──決戦の時、世界級(ワールド)アイテムを持ったリーダーが、かろうじて情報魔法系のアイテムで読み解いてくれた名前がある」

 

 ツアーがリーダーから聞かされた名前は、今カワウソが告げた者とは該当せず、「五色如来」や「第六天君主」、「八竜」や「セフィラーの十天使」ともまた違う。

 白金の竜王は告げる。

 

「アレの名前は、────」

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 アインズとカワウソ。

 

 二人は暇を見つけては、互いのギルドを案内し合った。

 さらに、アインズは魔導国の名所なども、彼自らの手で案内してくれた。

 昨日はあそこに。今日はここに。明日はどこかに。

 

 そして、カワウソは蘇生によって失った分のレベルを取り戻すべく、アインズ指導の下で戦闘訓練にも励んだ。ナザリックの無限湧きPOPモンスター……だけではなく、冒険者御用達(ごようたし)の都市にある人工ダンジョンや、場合によってはコキュートスなどの守護者や、時間が許せばアインズ本人を相手に、レベリングを続けた。

 アインズの目論見通り、カワウソは復讐者(アベンジャー)のレベルを引き上げることに成功。対ワールドエネミー戦にまで、復讐者のレベルを5から10へと上昇させていくのが、今後の課題となった。

 

 アインズとカワウソはプレイヤー同士だからなのか、なかなかに馬が合った。互いの知ることを共有し、互いの思うことを伝え合った。無論、二人の部下……互いのギルドを護るNPCたちは疑義を呈していたが、二人の間に存在する、目には見えない関係性──相互に根を張った信頼感は本物であった。時には、この異世界における特異な法則をアインズが教授し、またはカワウソが知り得るユグドラシルの微々たる情報を共有した。

 中でも、アインズ・ウール・ゴウンの至上目的……彼が“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗る理由について、アインズは熱く語ってくれた。

 カワウソが既に辿り着いていた正答……アインズ・ウール・ゴウンの名を、世界に知らしめるという一大事業。

 その理由をカワウソは聞いた──

 

「笑うか?」

 

 アインズは失笑されるのを覚悟したように肩をすくめた。

 カワウソは笑わなかった。

 あの玉座の間での戦いで、「そうに違いない」という思いを懐いてもいた。

 だから、驚きは少ない。

 だが……カワウソは何故か、押し黙った。

 

「笑ってくれてもいい──というか、笑われて当然だろう」

 

 言った本人も、これがどれだけ途方もない企みであるのか理解していたようだ。

 アインズの最大にして、絶対の目的。

 

「アインズ・ウール・ゴウンの名を遍く世に広め、そして、この異世界に渡り来ているかもしれない異形種プレイヤーの仲間たちに──友に──安心して平和な日々を過ごせる居場所を提供したい……」

 

 もしかしたら。

 この世界にいるかもしれない、やってくるかもしれないメンバーの元に、その名が届くように。

 アインズ・ウール・ゴウンは……自分は、ここで、みんなが来るのを、待っている────と。

 

「…………」

 

 カワウソには、まったく真似できそうに、ない。

 だからこそ、カワウソはひとつの決断に至った。

 

 

 

 

 

 そんな主人たちの交流を、NPCたちは肯定した。するしかなかった。

 NPCたちにとって、自分の主人たる者たちがそうあることに抵抗はあろうとも、主人の意志と決定こそが、絶対。

 シャルティアも、アウラも、マーレも、コキュートスやデミウルゴス、そしてセバス──ナザリック地下大墳墓のNPCたちは、順調に天使の澱との関係改善に努めた。その逆、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)──カワウソのNPCたちも、然り。

 中でも顕著な改善が見られたのは、アルベドとミカであった。

 二人は互いのギルドのNPC代表という立場故に、いろいろと折衝役としての業務に従事することが多くなり、初めて会った時の戦闘ぶりが思い出すことが難しいほど、良好な関係を築いた。傍目には、互いに遠慮のない“悪友”とも言うべき印象を周囲に懐かせるほどに。

 彼女たちの心境に何があったのか──。

 あの夕暮れの浜辺で交わした会話から端を発した、彼女たちの相互理解。

 そのことについて、カワウソはまだ知らない。

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 アインズの執務室にて。

 

「だいぶ〈記憶操作〉の魔法も上達されてきたようですね」

 

 そう評するのは、銀髪褐色に扇情的な修道服を着込んだ智天使・ガブ。

 評された死の支配者(オーバーロード)のプレイヤーは、この異世界で仕様が変わった魔法の代表例たる〈記憶操作〉について、精神系魔法詠唱者のレベルを有したカワウソのNPCを通じ、授業を行ってもらっていた。

 授業といっても、教科書を開いたりノートに何かを書き込むということではない。

 

「なるほどな。…………ここはこうすればよかったのか」

「ええ。精神干渉において記憶を司る魔法を操る際には、対象の表在記憶と潜在記憶、重要と不要、意識的もしくは無意識的、『大切にしている』記憶と、逆に『忘れ去りたい』という記憶が複雑に混淆している。記憶というのは、ただ一筋の足跡(そくせき)・流れる映像というよりも、一冊のアルバムといえます。なので、まずはそれを理解し、流れではなく記憶の構造を整理しないと、要領よく記憶を“見る”ことは難しい。そのような状態で、膨大な過去記憶の中からひとつの事柄を書き換えるのは困難を極めるでしょう──陛下は実戦練習の積み重ねで、どうにか実用に足る結果を生み出しているようですが、はっきり申し上げて、まだ、改善の余地はある」

 

 アインズは対象の記憶を直近の記憶から網羅し、一から遡上する形で魔法を行使していたらしいが、ガブに言わせるとそれは「効率のいい方法ではない」という。

 たとえば、数分前に親を殺された直後の子の記憶を覗き見た時。

 そんな子供の記憶の中の、ある特定の記憶を見る上で、何よりも強烈な記憶が魔法使用者の意識へ真っ先に飛び込んでくる。肉親の死。流血の赤色。殺戮者に対する憎悪。逃げなければ殺されるという恐怖。だが、その記憶を消し去りたいというわけではない以上、そういった肥大化し鮮明化され、無意識に繰り返し繰り返し閲覧されまくった強烈な記憶は、この魔法を行使し続ける上で、ただの邪魔にしかならない。さらに、本人が忘れているような記憶・理解が追いつかない記憶などは薄ぼんやりとしており、そういうぼんやりとした、無意識の中に溶け込みきっている部分こそを狙って操作する場合、とてつもなく手間がかかるわけだ。また、その対象が大切にしたい思い出なども、いわゆる鍵のようなものに阻まれることがあるらしい。

 

「なるほどな……言うなれば、映画を最後の場面から巻き戻すか、チャプター選択から選んで自分の見たいシーンに辿り着く……そういう違いか」

「……?」

「いや、こちらの話」

 

 アインズはさらに数分かけて、精神系魔法詠唱者のNPC・ガブから、〈記憶操作〉の手法を教授される。

 

「ありがとう。ガブくん」

 

 謝辞を述べ立てる主人の盟友に対し、聖女は慇懃な首肯でのみ応じる。

 この授業を──監視も込みで──眺めていたのは、アインズの王妃に連なるNPC──シャルティアと、魔導王アインズの近衛兵を率いるコキュートス。そして、アインズと対面の席に座るカワウソと、堕天使の護衛役を務める主天使・ラファ。

 ちなみに、アルベドとミカは、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)で両ギルドの業務提携についての協議を行っており、席を外している。

 カワウソはプレイヤーとしての常識として、些少の疑問を呈する。

 

「〈記憶操作〉の講義なんか受けて、何か意味があるのか?」

「ふむ──俺の知る限り、ユグドラシルで使った〈記憶操作〉の魔法は、ここまで魔力を浪費する代物じゃなかったからな。一応、100年前からいろいろと調べたり試行錯誤を重ねてはいたが、純粋な精神系魔法詠唱者ではない俺には、さすがに限界があってな」

 

 頷ける話だ。

 ゲームでは一律の魔力消費で済んだことが、この異世界転移で現実化したことにより驚きの変化を遂げているものがある。その代表例が〈記憶操作〉。アインズは、他の魔法にしろ特殊技術(スキル)にしろ、そういった変化を把握し許容し改善していくことができれば良しの精神で、こういった作業を100年にもわたって続けていたという。が、〈記憶操作〉という精神に干渉する技巧について、アインズは専門職に一歩以上の遅れが生じる。それも当然。アインズはもともと死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)に特化したレベル構成であるため、新たにそういった職種を獲得できる見込みもない以上、〈記憶操作〉の真価を発揮するには至れていない。

 遠い過去に、シズ・デルタという戦闘メイド──ナザリック内部のすべてのギミックに通暁しているという設定などを弄るべく、まちがった記憶をあえて植え付けるなどの応用法をアインズは発明したが、…………そこまでであった。

 期待していたようなNPCの根源や、“設定”の部分に対する干渉という領域には踏み込めていない。

 もちろん、これまでの100年でダメだったからといって、これからも絶対に不可能であるという予測は、早計の極みだ。

 

「しかし、〈全体記憶操作(マス・コントロール・アムネジア)〉のみならず、〈完全記憶操作(パーフェクト・コントロール・アムネジア)〉まで習得できているとは。優秀なNPCだな」

「光栄でございます──魔導王陛下」

 

 ガブは比較的にこやかに対応してみせるが、完全にアインズのことを信じ切っているわけではない。

 一応、自分の創造主が盟を結んだ相手に対する礼節に即しているだけ。

 ふと、カワウソは口を挟んだ。

 

「──確か、〈記憶操作〉で、NPCの設定は」

 

 カワウソの傍らで、ガブとラファが肩を動かし、息を呑む。

 しかし、アインズの告げる事実は、希望通りとはいかない。

 

「ああ。(いじ)ることができる部分は、極めて限定される。主に、知識面での“蓋ができる”感じだが、メリットは敵に情報を抜き出されない程度。それに、感情や信条、個性や人格などを書き換えることは、ほぼ不可能だ」

 

 そこを書き換えようとすることは、NPCの存在そのものを否定することに繋がる。

 仮に。アインズの背後に控えるコキュートスの場合。

『武人』だと設定されているコキュートスの記憶を弄っても、彼は武人としての個性・数多ある武装・近接戦闘用のレベル・戦術知識や言葉遣いなどを失うということには、ならない。たとえ記憶を弄って『武人』ではなく、『魔法使い』などと記憶を変えようとも、それでコキュートスの武装やレベルがすべて魔法使いのそれにかわることなど、ありえない。

 さらに、アインズが話した“蓋”の一件。戦闘メイド(プレアデス)のシズ・デルタ。彼女のナザリック内部のギミックに関する設定を封じた一件・間違った知識についても、ガーネット……シズの創造主たる博士の部屋にある本を読んでしまえば、あっという間にご破算になるらしい。知識とは蓄積されていくもの。シズに与えた間違った記憶も、正しい情報を習得していけば、そのまま間違った記憶を維持するということはできないのだ。

 このように、〈記憶操作〉でNPCの設定に干渉することは、ほぼできない。

 なので──

 

「残念ながら、君のNPC……ミカくんの設定……君を『嫌っている。』を(いじ)ることは、できないと思った方がいい」

「……そう、か」

 

 驚きはない。

 あるいは、〈記憶操作〉の魔法が『堕天使のカワウソを嫌っている。』設定を与えたミカの、あるいは救済になるのではないかと考えた。

 しかし無理だった。

〈完全記憶操作〉を扱えるガブであっても、NPCの設定……NPCがそうある根本的な理由を改造する能力は、ない。そもそもにおいて、最上位種族たる“女神”の精神耐性は、ガブの能力でも干渉不能な領域にあるという。

 たとえ、そんな無理が可能であるならば、陸に住む普通の人間の記憶を操作し、「魚のように水中で暮らす」記憶を与えることも可能なのか? あるいは逆に魚の記憶を弄って「鳥のように空中で生きる」ことは? ──だが、実際には記憶をどんなにイジくり倒しても、人間は魚にはなれないし、魚は鳥にはなれない。生物として根本的な構造自体が違いすぎるが故に、記憶だけを改造しても意味がないのだ。それをしようと思えば、記憶のみならず、肉体などの構造自体を変質させる必要がある。水中で生きるための呼吸器官や、陸上や空中を行く体構造の獲得が不可欠となる。

 そして当然。

 ただの人間に、万海を行く(えら)(ひれ)があるわけがないし、水中の魚に、万里を行く肺や翼や脚があるわけもない。それは、まったくべつの生き物でしかないのだ。

 これと同じように、NPCの根源部分に根差した設定は、書き換え不能な領域にあるという。

 

「なにか──手はないのか?」

 

 項垂れながら、思わず言葉を零す。

 納得しても、カワウソは方法を考える。

 どうしようもないと理解しても、なお迷う。

 ミカの、優しいNPCの本当の思いに背く、あの設定。

 カワウソを死んでも守り通すNPCには、あまりにも酷薄な一文。

 だが、カワウソにはどうしようもない。

 あの設定は、もはやどうしようもないこと。NPCの根源にかかわる問題なのだ。

 本当に、過去の自分はバカな事をしでかしたものだと、自分で自分に腹を立てる。

 

「……なぁ、カワウソ」

「──なんだ、アインズ?」

 

 項垂れるのをやめて、堕天使は沈黙を破った死の支配者(オーバーロード)を仰ぎ見る。

 

「実は、その件でひとつ──試したいことがある」

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 数日後。

 時刻は夕刻過ぎ。

 廊下の窓から差し込む西日が、世界を朱色(あけいろ)に染め上げている。

 

「……なんですか、いったい?」

「いいから。カワウソ様が、お呼びなの」

 

 親友である隊長補佐・ガブに手を引かれ、自室で沐浴を終えて休んでいたミカは、自分たちの拠点の第四階層“珊瑚礁地(ラグーン)”──その屋敷のウッドテラスへと、同道を余儀なくされる。

 

「──? 屋敷の外に何の用が?」

「いらっしゃいませ、ミカ様」

 

 声をかけてきたのは、十人のメイド隊。

 お待ちしておりましたと告げる堕天使メイドのサムに促されるまま、ウッドテラスの先──海面と接するようなインフィニティプールの方へ。

 

「お……おう、──いや、よく来てくれたな……ミカ」

「?」

 

 ミカは怪訝そうに眉を顰めた。

 そこにいたのは、間違いなく自分の創造主。

 いつもと変わらない装い。いつもと変わらぬ御姿。

 だが、どこか挙動がおかしい……なにか、いつもとは、違う。

 

「何か、ございましたか? もしや、アインズ・ウール・ゴウンに、何か?」

「いや、そーいうことは──いや、ある? ──なんでもいい。とりあえず、座ってくれ」

 

 プール近くのテーブルセットに、カワウソと対面する位置に腰を落とす。

 そして、カワウソの指示のもとで、メイドたちが食事を運んでくる。

 あっという間に、オーシャンビューの夕食(ディナー)が形を成した。

 テーブルの中心でアロマキャンドルのちいさな灯が、ゆらゆらと揺れて煌いている。

 しかし、疑念は残る。

 

「なんです、コレは?」

「まぁ──いいだろう、たまには?」

 

 カワウソは慣れた様子でグラスに注がれた果実酒を掲げる。ミカもそれに倣って、一応の乾杯となる。堕天使は一皿目の前菜料理をナイフとフォークで切り分け、口へと運ぶ。

 用意された食事は二人分。これは、つまり──

 しかし、ミカは疑問する。

 

「私は飲食不要な熾天使(セラフィム)であり、いちおう女神(ゴッデス)なのですが?」

「──まぁ。気分だけでも味わってもらえれば、それでいい」

 

 わけがわからない。

 何の気分を味わえと言われるのか。

 これでは、そう、まるで────否、断じて“否”だ。そんなことなどありえない。

 カワウソはミカと二人で、夕食の席を愉しんだ。二皿目の前菜、メインディッシュ、デザートやドリンク──だが残念ながら、ミカに出された料理は下げるしかなかった。それでも、カワウソはミカと、実務的なことや世間話めいたことを(しゃべ)った。しかし、ミカは多少の困惑と共に、謹直な無表情のままで応答を返すだけ。とてもではないが、楽しい食事という場にミカの存在は不適格だろう。こんな自分と共に食事をしていても、なにもおもしろくはないだろうに。

 なのに、カワウソは笑ってくれる。

 外の者の眼には醜悪と謗られて当然という堕天使の凶相──だが、彼の被造物(NPC)たるミカにとっては、至高の造形──ありとあらゆる美の極致ともいうべき至宝の耽美に他ならない。落ち窪んだ隈も。濁り切った瞳も。赤い三日月のような笑みも、すべて。

 けれど、浮ついた心を厳しく律する──律しなくてはならない。

 ミカは、己の分をわきまえている。

 何故なら、『ミカは、堕天使であるカワウソを嫌っている。』──そう設定された存在(NPC)

 それでも。

 明晰な頭脳とは関係なしに、バカな勘違いをしそうになる。

 そんなことなど、けっして……

 

「相変わらず美味(うま)かったな、イスラの料理は」

「……それは、何よりかと」

 

 こういう時──カワウソと食卓を並べる時に、必ず思う。

 

「……私も」

 

 あなたと同じ堕天使だったら──同じプレイヤーだったのなら。

 ちゃんと食事ができて。ちゃんと楽しい会話を交わして──

 きっと、何かが違ったのだろうに。

 ──否。

 愚鈍愚昧なことを考えるな。

 私は、(カワウソ)に創造されたことで、ここに存在しているだけのもの。

 私は熾天使であり女神であり──だからこそ、ミカは彼のシモベでいられるのだ。

 

「どうした?」

「……いえ」

 

 ミカの胸に秘めた懊悩を知ってか知らずか、カワウソは目を伏せつつ立ち上がる。

 

「ちょっと、腹ごなしに散歩したいんだが、付き合ってもらっていいか?」

 

 立ち上がった男から差し出される手を、ミカは躊躇いながら受け取った。

 

「──ご命令とあれば」

 

 浮きあがりそうな足取りを抑えて、ミカはカワウソの手に導かれるまま、前へ。

 

 

 

 

 

 

 

 




次回完結


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最終話 -2 ~新たな始まり~

/War is over …vol.06

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 カワウソはミカだけを伴い、西の方角のみが眩しく赤い──それ以外は蒼く暗い水平線を見渡しながら、夜の帳がおりつつある波打ち際を、二人で歩く。波の音が心地よく、カワウソの緊張に激しつつある心音を和らげてくれるかのよう──勿論、傍にいるミカの希望のオーラの効力もあるだろう。

 

「いろいろあったな……この異世界に、おまえたちと一緒に転移して……」

「──はい」

「驚くことばかりだったが……いざこうしていると、本当に、……ミカたちには感謝しかないな」

「……っ」

「どうした?」

「な……なんでもありやがりません」

 

 夕刻の終わり。

 拠点内部の夜空には、星と月が輝き出す。

 その光景を見上げると、拠点ごと異世界に転移したこれまでを思い出す。

 

「ヴェルを助けて。魔法都市に行って。飛竜騎兵の事件に巻き込まれて」

「──はい」

「マルコの招待を蹴って。魔導国と敵対して。この世界で、おまえたちと一緒に、あのナザリックを目指して」

「──はい」

 

 相変わらず忠勤に励むミカの首肯。

 これまでは、ミカの本心や本意など読むことはできなかった。

 言い訳になるだろうが、異世界転移という破格の状況に、カワウソの脳髄が追いついてくれなかったのが主な原因だろう。

 そして、アインズ・ウール・ゴウンやナザリックの存在を知った時から、カワウソの意中には、目の前に現れた敵への戦いを求める欲望・復讐を果たす機会を渇望する餓鬼──それしか存在しなかった。

 すぐ傍にいたNPC──ひとりの女天使が、心の内に抱えた苦悩と葛藤に、一人のプレイヤーが思いを致す余裕など、微塵もなかった。

 でも、今は違う。

 戦いは終わり、アインズとの戦いでカワウソは、ようやくミカの真実に辿り着いた。

 

「ミカ」

「──何か?」

 

 見つめてくる天使の双眸に宿るのは、嫌悪の色彩。

 その奥にあるものを見透かすべく、カワウソは女の視線を受け止め続ける。

 

「ミカ、あの命令──『俺を憎め』というのは、もう忘れていい」

「……そうですか」

「それと、あの設定──『嫌っている』というのを、忘れることは?」

「……それは、できません」

 

 わかっていた。

 ミカがそう告げるしかないことを。

 

「私の設定は、私というモノ(NPC)が、ここに存在する理由──動因──絶対の原則。それを、私のごときシモベ風情の、賤しく浅ましい我意と私欲で歪めること──忘却すること──無視すること──それは、我らNPCには、不可能な摂理なのです」

 

 言っている本人が、悔恨とも絶望とも言い難い表情で、瞳を伏せる。

 記憶を操る魔法でも無理がある──それはすでに分かっていたことだ。

 話はそれだけですかと問い質すミカに、カワウソは最後の“手”に訴え出る。

 

「聞いてくれ、ミカ」

 

 アインズから聞かされた──ひとつの手段。

 

「おまえは『堕天使であるカワウソを嫌っている。』──俺がそう設定したよな」

「………………はい」

「だから、おまえは、俺を嫌っている」

「チッ──それが何だというのです?」

 

 憎み切っているかのような眼差し。

 転移直後の自分では見続ける自信がないほど鋭い眼光は、堕天使の視線を受け止めたくなくなったと言わんばかりに逸らされ、背中を向ける形で拒絶される。

 その姿を前に、カワウソは迷いかける。

 それでも、カワウソはミカの背中に向かって、まっすぐに告げる。

 

「ミカ──おまえは知らない──いや、覚えていないだろうが。

 俺の本当の名は、若山(わかやま)宗嗣(そうし)という」

「…………わかやま、──そうし?」

 

 あの玉座の間で告げたはずの名前。

 だが、直後の戦いで死亡し、拠点で復活を果たしたミカは、その時の記憶を完全に失っている。

 ミカの疑念に対し、カワウソは話の核に迫る。

 

「ミカ。おまえの設定は『堕天使のカワウソを嫌っている。』だろ?」

 

 しかし。

 カワウソという名前は、ゲーム内でのただのハンドルネーム──偽名のようなものに過ぎない。

 ──そう。

 つまり。

 

「ああ、つまり、だから、その──ミカが俺を、若山(わかやま)宗嗣(そうし)という名前の存在を、嫌う必要は…………ないと思う」

 

 本当に。

 随分と身勝手な物言いに聞こえるだろう。

 こんな調子のいいことを言っても、カワウソのやったことを帳消しにできるものではないはず。自分勝手にNPCの設定を与えておきながら、それを反故(ほご)にしろなどと。

 

「勿論、おまえが大嫌いな俺の意見なんかを聞きたくないというのなら、それでもいい」

 

 それでも。

 

「それでも俺はミカの本当の気持ち、を──?」

 

 (うつむ)けていた顔をあげた時、ようやくカワウソは気づいた。

 

「……ミカ?」

 

 見つめる女天使の背中が、かすかに、だが明確に、震える。

 

「…………ミカ?」

 

 その異変を、変調を、カワウソは質すように声をかけた。

 主人の疑問符を混ぜた声に対し、ミカは一向に振り返らない。

 ただ彼女の全身は、ありありと女の思いを(あらわ)し始めている。

 

「────ミカ?」

 

 三度目の声に、ミカは応えるように、震えっぱなしの身体で、振り返った。

 

 

 

「………………………………いい、の、です、か?」

 

 

 

 振り返った女天使の頬を、ひとしずくの光が伝う。

 

「私が──、私ごときが──、私なんかが。

 あ、あ──あなたを、あなたさまを──

 お、お慕いしても、いいのでしょうか?」

 

 泣き濡れる様は、強力な力を持つNPCとしての面影など微塵も感じない。

 ただ純粋に、男の申し出に感極まっている一人の女性が、そこにはいた。

 切なさが込み上がった。

 刹那、目の前の天使を、カワウソは意識しないまま胸の中に抱き寄せる。

 彼女からの抵抗はなかった。

 拒絶も、なかった。

 

「ごめん──ごめん──」

 

 ひたすらに、カワウソは謝った。

 縋りつくように、ミカの両手が男の肩に回された。

 そのぬくもりが切なかった。切なすぎた。嫌っている者になどするわけもない抱擁を、ミカは返してくれた。

 そうして、ミカもまた、創造してくれた主人に対し、男の肩を濡らしながら、謝り始める。

 

「ごめんなさい──ごめんなさい──ほんとうは、今まで、ずっと、ずっと──うそ、ついて、あなたに、わたし──ごめんな、さい……」

 

 あふれる言葉と想い。

 

「あなた、に、捨てられたく、なくて、見捨てられたくなくて、怖くて、恐くて、ずっと、……嘘を……」

「うん」

「ごめん、なさい──ごめんな、さい──わたし、こ、んな、嘘つき、で……ぅ、……ごめんなさいッ……」

「──それは違う」

 

 嘘つきなどというのは間違っている。

 ミカの述懐は、そうあることを強要されたが故のこと。

 カワウソの、若山(わかやま)宗嗣(そうし)の紡いだ設定の悪辣さによるもの。

 だから、責任はカワウソのみにある。

 カワウソは、自分の責を認め、謝罪を繰り返す。

 

「ミカ。謝るのは俺の方だ……だから」

「でも、私、あなた、の、決めたこと、なのに、全然、その通り、できなくて、……ご、ごめんなさい」

「もう──いい」

 

 もういいんだと、儚く震える天使に言い含める。

 これほどまでに思ってくれる──想い続けてくれていた天使を、カワウソは真実、(いと)おしく思う。

 

「ミカ……ごめん……」

 

 ごめんな。

 そう告げると、ミカは謝罪を紡ぐ主を見つめ、何でもないことのように首を振ってみせた。

 カワウソは、ミカから体を離した。

 そうして、彼女をまっすぐに見る。

 黄昏(たそがれ)よりも明るく輝く、金糸の髪と天使の()。純白の六翼は嬉しさを体現するように羽ばたきを繰り返しながら、堕天使の総身を躊躇いがちに包んでくる。涙で潤んだ二つの碧眼は美しく、まるで、見上げればそこにある青空(そら)のように、男の感情を──悲しみも寂しさも、あらゆる苦痛と慟哭を受け入れ、そして、癒し尽くしてくれる。

 ああ、本当に綺麗だ。

 両目からこぼれるもので濡れるミカ。

 ──彼女がいたから、カワウソは孤独(ひとり)にはならなかった。

 子どものごとく震え続ける肩を慰めるように、けっして彼女が壊れてしまうことがないように、もう二度と失いはしないと誓うかのように、カワウソは慣れない調子で──そこにいてくれる愛しいものを抱きよせる。

 抱擁を受け入れる女の謝辞は、夜の浜辺に落ちきった。

 代わりに、ミカは自分の本当の思いを、紡ぐ。

 

「あなたに……私──ずっと……ずっと、言いたかったことが」

「うん。なんだ?」

 

 泣き濡れた美貌を覗き込む。

 そこにある微笑みを、堕天使の掌は包む込む。

 涙を拭う女天使は、創造主の手の甲を、自分の掌で包み返し、額と額を合わせ、安らかな面持ちのまま、すべてを受け入れた。

 主の提案を。

 彼の言葉を。

 男の温度(ぬくもり)を。

 想いも、すべて──

 

「私は、あなたを……」

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 うれしい。

 うれしい。

 うれしい。

 

 こんなにも、幸福なことがあるのだろうか。

 こんなにも、幸運なことなどあるものだろうか。

 

 私は、彼を、“愛してもいい”──“愛することができる”という。

 

 その可能性について、つい先日、ナザリックの元守護者統括──アルベドという女悪魔──アインズ・ウール・ゴウン魔導王の最王妃から、聞かされていた。

 

(──「彼を『嫌っている。』貴女が、彼を愛する方法が、ひとつ、ある」──)

 

 その詳細を聞かされても無論、半信半疑だった。

 もともとは敵であった──玉座の間での戦いで、ミカと相対し、戦闘を続けたらしい悪魔の言うことなど、信じるべき要素など少なかった。そもそも天使や女神が、悪魔の言動を信じる道理すら、ない。

 

 ……けれど。

 (ミカ)の設定は『カワウソを嫌っている。』……

 

 だが、──否、だから、「プレイヤーの若山(わかやま)宗嗣(そうし)という存在」を、嫌う理由には、“なりえない”。

 

 それを理解した瞬間、悪魔の讒言(ざんげん)弄弁(ろうべん)だと断じるべきという思いは、崩れた。当然ながら、疑いは残った。本当に、そんなことがありえるのか──ありえていいことなのか──自分は敵の掌で踊らされているだけで、何か、女悪魔の悪辣な罠という可能性や、ナザリックの謀略と奸計の坩堝(るつぼ)に突き落とされている懸念も十分ありえた。

 なのに。

 彼を、カワウソを、自分の創造主たる男を──“愛してもいいかもしれない”という妄想は、否定しきれなかった。

 否定したくなかったのだ。

 

 この話は、私の中で数日間、重々しく渦巻き続けた。

 彼に、この可能性を提言してみようかという欲求が芽生える端で、彼にそれを否定され、拒絶され、罵倒され侮蔑され失望され──「すてられる」ことになったらと思うと、恐くて怖くてたまらなくて、何もできないまま、ミカの一日は終わるばかりだった。

 

 けれど、今日。

 いま、この時。

 

 他の誰でもない──誰よりも何よりも信頼に値する男の口から──創造主たるカワウソから──最も欲しかった言葉をいただいた。

 

 だから──ああ、だから。

 どうか言わせてほしい。

 

 ずっと、ずっとずっと、生まれた時から言いたかったこと。

 

 私はあなたを……

 

 

 

 

「──愛しています」

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 月と星の明かりに照らされる浜辺に、二人の影が重なり合った。

 その様を、ウッドデッキの端で見届ける者たち。

 天使の澱のガブやラファ、涙ぐむ十人のメイド隊。

 そして、その最前には、カワウソの盟友となったプレイヤーの姿が。

 アインズは、すぐ隣に侍る王妃アルベドに、満足そうな首肯を落としてみせる。

 

「成功だな」

「ええ……先日、私が彼女と話をした際、もうすでに種は蒔いておりましたから」

 

 あの夕暮れ時に。

 アルベドとミカの間で交わされた会話……その内容こそが、今回アインズがカワウソに提供した、ひとつの試案だった。

 アインズは懸念していた不安要素を口にする。

 

「プレイヤーの“偽名(ハンドルネーム)”と、プレイヤーの“本名”──あるいはプレイヤー“そのもの”に対する認識の差異──下手をすれば、彼女の意識に悪影響を及ぼすやもと懸念していたが」

「ご心配には及びません。彼女は……熾天使のミカは、私のあの設定とは正反対のもの──むしろ、彼女にとっては、これ以外の救済はあり得ないものかと」

「……ああ。そうだな──」

 

 ミカにとっては、これ以外の救済はなかった。

 逆に、『愛している。』という設定の方こそが、酷な状況を作り上げたやもしれない。

 そう。

 それこそ。

 100年前に、アインズがアルベドに対して行った──残酷な仕打ちのように──

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

 100年前。

 あの『事件』において。

 

「何故、“裏切った”……アルベド?」

 

 アインズは涼しい声で問い質した。

 アインズ・ウール・ゴウンの名を貶め、裏切りと愛情に満ちた笑みを浮かべる、美貌の女悪魔に。

 敵の──スレイン法国最強にして最凶の存在・番外席次“絶死絶命”の手に落ちたナザリックの守護者統括は、恍惚とした瞳の色で、相対する至高の主人に、整然と告げる。

 

「何故? ──簡単なことでございます。

 私の愛すべき主人は、“モモンガ様”ただ御一人だけ!

 はッ! アインズ・ウール・ゴウンなど、くだらない(・・・・・)

 私が愛すべき方に比べれば! あなた様の本当の名と比するなら! アインズ・ウール・ゴウンなどという名に──そのような称号(モノ)に、いかほどの価値があるというのでございましょう!」

 

 だから。

 アルベドは“捨てた”。

 アインズ・ウール・ゴウンを。それを信奉する同胞たちを。

 自分の創造主、タブラ・スマラグディナより託された世界級(ワールド)アイテム“真なる虚(ギンヌンガガップ)”までをも捨て去り、あの番外席次“絶死絶命”──彼女の能力によって起動した世界級(ワールド)アイテム“傾城傾国(けいせいけいこく)”の支配に、堕ちた。

 それこそが、アインズを、モモンガという愛すべき存在に回帰させる手段に成り得ると確信できた。

 そんな、精神を半ば支配されている守護者統括に対し、アインズは──否──モモンガは揚々と告げる。

 

「ふむ。そうか。

 ──だがな、アルベド。“間違っているぞ”」

 

 何を間違っているというのか理解しかねる女に対し、男ははっきりと告げてみせる。

 

 

 

「私は──俺は、──“モモンガではない”」

「……………………………………、えっ?」

 

 

 

 言われた内容を、アルベドの耳はとらえ損ねた──わけではない。

 

 

 

「ふむ、聞こえなかったのか? ならば、もう一度、断言しよう」

 

 

 

 モモンガは、アルベドの設定に組み込まれた陥穽(かんせい)……悪辣な落とし穴の蓋を開いた。

 裏切者に対する罰を下した。

 

 

 

「俺は──モモンガという名の存在では、断じてない」

 

 

 

 告げられた言葉の重みを、アルベドは受け止めることができずにいた。

 できるわけがなかった。

 

「な、にを──え、……どういう?」

「そのままの意味だが?」

「あ、あ、あア、ありえません! あなた様は間違いなく! 私の愛するモモンガ様です! 声も姿も御力も! 御身より溢れるオーラに至るまですべてが! モモンガ様のそれでしかない! ア、アインズ・ウール・ゴウンなどという穢れた名を名乗っておられようとも! この私が! あ、あなたを愛する私が! あなた様のことを間違えるなど!!」

「──ああ、確かに。モモンガという名を、私は使ってきた。アインズ・ウール・ゴウンという名を、この世界で名乗り始めはした。──だが、“アインズ・ウール・ゴウン”が俺の本当の名ではないように、“モモンガ”もまた、俺の『偽りの名』のひとつでしかない」

 

 女悪魔の全身が、心が、魂が引き()った。

 告げられた言の葉の意味を、アルベドは悟り始める。

 それでも、その事実を受け入れることは──不可能だった。

 

「う……そ?」

「何度も言わせるな。事実として、私の本当の名は、モモンガという名では、ない」

「ウソ……う、う、嘘、ですよね? モモンガ様は、モモンガ、さま、ですよね?」

「知らないのであれば教えよう。私の本当の名は────────“鈴木悟(すずきさとる)”という」

 

 彼が明言する本名を──スズキサトルという音色を告げられて尚、恐怖と絶望に震撼する女悪魔は、目の前の出来事を拒絶するしか、ない。

 アルベドが知りようのない、真実。

 ゲームのマナーとして、リアルの名前をゲームで呼称することは、ほぼありえない。

 モモンガの仲間たち・NPCたちの創造主たるギルメンたち全員が、鈴木悟に対し、モモンガという名で、死の支配者(オーバーロード)のプレイヤーとして接していた事実。しかし、モモンガという存在は、ただの幻の名称──ゲームプレイヤーの、至極あたりまえに用いられる嘘の名前(ハンドルネーム)のひとつに過ぎない。

 だが、アルベドの改変された設定は『“モモンガ”を愛している。』……つまり。

 

「さぁ。答えろ。アルベド。

 おまえは一体、誰を愛している?

 偽の名前“モモンガ”という虚構か?

 それとも、この俺“鈴木悟”だと、そう言えるのか?

 ……なぁ、どっちなんだ?『モモンガを愛している。』アルベド──」

 

 女は戦斧を取り落とした。

 武器を落とした両手で顔と頭を覆い尽くし、黒髪を振り乱して首を横に振りまくる。

 

「そ、ん、な──そんな、こ、と──ッ!」

 

 あまりの真実を前に、悪魔の頭脳が混沌化の極致に昇る。

 

「あ──あなたは、モモンガ様、モモンガ様、モモンガ様、モモンガ様、モモンガ様、モモンガ様、モモンガ様、モモンガ様、モモンガ様、モモンガさま、モモンガ様モモンガ様モモンガ様モモンガ様モモンガ様モモンガ様モモンガ様モモンガ様モモンガサマ──モモンガ様ァア˝!!」

 

 零れ落ちる涙の濁流。彼女の両手は、身内から溢れる悲嘆の洪水を受け止めきれない。

 狂乱する女を前にして、男はどこまでも冷酷に告げる。

 

「物わかりの悪い──違うと言っているだろう? 私は────」

「あ……言わないで、……も、もう、い、言わないで!」

 

「────“俺はモモンガではないッ”!!!」

 

 悪魔の脳髄が、漆黒の闇にとざされる。

 アルベドは、『モモンガを愛している。』

 ──だが、モモンガは、“モ モ ン ガ で は な い”。

 では、モモンガではない──目の前の、愛する御方は、────いったい誰だ?

 誰だ誰だ誰だ、ダレだ──彼は、あれは、アレは、アノ方は、一体なんだ?

 自分は、アルベドは、誰を、──何を、愛して──ナニヲ、アイシテ?

 

「ワ、わた、し、私、は、モモンガ様、ヲ、あイし──愛して?」

「俺はモモンガではないと言っているだろう?」

「あ、ああ、あああ、アアアアア˝……ッ!」

 

 モモンガだと「信じてきた者」から浴びせられる、防御不可能の、言の葉の一撃。

 モモンガではない──だが、「モモンガ以外の何者でもないと信じてきた者」から送られる、最悪にして災厄の事実。

 あのとき、あの玉座の間で改変された設定……

 

『モモンガを愛している。』……

 

 主人から与えられた設定は、NPCの根源に刻印されしもの。

 それは、喜ばしき祝福であり、何にも変えがたい恩寵であり、自分というNPCが生存する絶対動因にして存在理由……そのはずだった。

 

 だが────

 

「う──うそ、うそウソ、ウソウソウソウソウソォ!!」

 

 まんまと騙されていた──かわいそうなNPC(アルベド)は、前後不覚に陥るほどの狂態を見せ始める。女悪魔の心は惨状の極みに達した。漆黒の全身鎧(ヘルメス・トリスメギストス)が着用者の変身能力によって膨張し始め、彼女の生来の能力が解放されていく──“しかし”。

 ナザリック最高と謳われた智者でありながら、あまりにも愚かしい。アインズ・ウール・ゴウンを『モモンガ』という名に戻そうと、すべてを準備してきた。仲間たちを裏切り、アインズ・ウール・ゴウンを貶め、逆に協力してくれる力強い(コマ)も揃えた──“なのに”。

 

 

 その『モモンガ』は、最初から、この世界のどこにも存在しないという、現実。

 

 

ッ、嘘˝よ˝ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!

 

 

 醜い本性に変身した姿を露わにしながら、滂沱の涙に濡れていく女悪魔。

『モモンガを愛している。』怪物の巨拳が、悲鳴のごとき咆哮を奏でながら、モモンガ……否……アインズ・ウール・ゴウン──否──鈴木悟に対し振り上げられ──

 そして……

 

 

 

 

 …

 

 

 

 

「あれから100年か」

「はい……」

 

 アインズの──モモンガの──鈴木悟という男の言葉に、しっかりと頷くアルベド。

 

 あの時のことを、アルベドは“覚えている”。

 あの『事件』のすべてを、記憶の中にとどめている。

 忘れることはできないし、忘れてはならないと厳命されている……他でもない、100年前から隣に寄り添い続けている、寄り添うことを許してくれている男の──いっそ酷薄なまでの、──願い。

 

「アインズ様────私は」

「わかっている…………ああ、わかっているとも、アルベド」

 

 アインズを見上げる純白の女悪魔は、微笑みを強くした。

 アルベドの想い──彼女の愛情は、今や「モモンガのみ」には留まらない。

 アルベドは、モモンガだけでなく、アインズ・ウール・ゴウンを──鈴木悟という男のすべてを、今では完全に愛し抜いている。

 そう。

 アルベドは『モモンガを愛している。』──だが、“モモンガ以外を愛してはいけない”という道理には、ならない。

 それを、あの『事件』……最悪の障害……世界の盟約に反するモノ……世界の敵の「後継」たる者との戦いの中で、(さと)された。アルベドは主人を裏切り、最強最悪の番外席次の手に落ちてまで、アインズや周辺諸国に災厄をなした。『事件』後、アルベドは自刃することすら許されず、その責を負うべく、愛する御方からの断罪を受け入れた。その果てに、アルベドはナザリック地下大墳墓の守護者統括という地位を追われ、“元”守護者統括となり(おお)せた。

 付け加えて、魔導国の「宰相」から「大宰相」という新たな地位に落ち着いた。

 そうして、魔導国による世界征服完了より数年後。

 ツアレの懐妊から始まった『術師』の復活……そして、あの婚姻騒動の末に、シャルティアやアウラやマーレ──そしてニニャたちと(くらい)を同じくする「最王妃」として、愛する男の寵愛を受けとり、念願であったアインズ……モモンガ……鈴木悟の御嫡子を賜ることまで、叶った。

 

「……ミカくんの設定を聞いた時は、まさかと思ったが」

「はい。私も、あの戦いのさなかに聞いて、驚きを隠せませんでした……ですが、そのおかげで……」

「ああ。そうだな」

 

 アルベドは明言こそしないが、ミカという敵を「救いたい」と思った。

 勿論、自分の敵である状態を継続した、玉座の間での戦闘中、一片の慈悲も情けもかけずに、女悪魔は女天使と戦い続けた。

 だが、カワウソが蘇生し、ミカが復活を果たした後は、できる限りにおいて、彼女たちを救済する側に立ち続けた。

 ミカは、アルベドと真逆の設定を与えられた存在。──だからこそ、アルベドはそんな彼女の思いを、苦悶を、苦痛を、……自らの愛を否定し拒絶しなければならない不幸を、完全に理解できたのだ。

 

「ありがとう、アルベド……我々も、この異世界での先達として、後輩たちを導くことができた」

「ありがとうございます。アインズ様」

 

 大華のように微笑む妃を抱き寄せ、魔導王は慣れたように王妃の額へと口づけを落とす。

 そうして、こちらに気付いたカワウソとミカに応じるように、アインズはアルベドを連れて、二人のもとへ。

 ミカと寄り添ったまま、堕天使のプレイヤーはあらゆる重荷から解放されたような安堵感を面にする。

 彼はそのまま、柔らかく微笑んだ。

 

「ありがとう、アインズ・ウール・ゴウン魔導王……モモンガ……鈴木悟さん」

 

 堕天使の復讐者──カワウソ──若山(わかやま)宗嗣(そうし)は、頷いた。

 そうして、彼はアインズに対し、畏敬の念を込めて、頭を垂れた。

 長い首肯から顔をあげた。

 彼の唇が、嘘偽りのない思いを、宣誓を紡ぐ。

 

「決めた」

「うん? ──何を?」

「俺はアンタの、アインズ・ウール・ゴウンの、モモンガの、鈴木悟の夢を“支持する”」

 

 アインズ・ウール・ゴウンの至上目的。

 ひとりの男が突き進む道を、彼に救われたカワウソは、憧れと尊び……敬服と感謝の念を込めて、認めた。

 

 

「アンタの夢が叶う日まで、俺はアンタに協力する。

 ──あなたが、あなたの仲間たちに会えるところを、どうか俺に見せてくれ」

 

 

 カワウソは告げた。

 同じ夢を、見させてほしい。

 それに対する魔導王の返答は、ただひとつのみ。

 

 

「──ああ、見せよう。見せてやるとも」

 

 

 アインズは誇らしげに頷いた。

 それは王としての首肯──自らの意志に揺るぎない想いを──真誓を懐く男の、決定であった。

 この時、アインズとカワウソは、同じ夢を目指して進む同志となった。

 道のりはなお遠く、見果てぬ夢──叶わぬ妄言に堕するかもしれない。

 だとしても、夢見る価値があると、二人のプレイヤーは、信じぬいた。

 彼らが目指すのは彼方の果て……艱難辛苦の頂きの、さらに上を行く最難事となるやもしれない。他の者から見れば、馬鹿げた夢だと嘲弄され、叶わぬ願望に縋りつくさまを滑稽と、そう嗤われて終わるやもしれない。

 だが、それが何だというのだ。

 たとえ夢の覚める時が来ようとも、叶うはずのない野望になり果てても、二人の思いは今や完全にひとつとなった。

 敵として刃を交わし、互いの言葉、信念と理想、約束と誓いをぶつけ合った男たち。

 だからこそ、彼らは互いにとっての理解者となり、道行きを共にする盟友となった。

 アインズ・ウール・ゴウンの『仲間との再会』という夢を、二人は共有の(たから)とした。

 

 こうして。

 100年後の魔導国において。

 堕天使のユグドラシルプレイヤー・カワウソは、アインズ・ウール・ゴウンの夢の賛同者となり、協力者となった。

 

 自分では敵わない敵に。

 自分では夢見れない夢に。

 カワウソは自分のすべてを託した。託すことを決めたのだ。

 

 二人は夜の浜辺で、互いの手を差し出し合い、堂々たる思いと共に握り合った。

 彼らは、もはや、孤独(ひとり)ではない。

 

 彼らの戦いは、今ここで、新たな始まりを迎えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 終 】

 

 

 

 

 




『オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~』をご覧いただき、誠にありがとうございます。

 偉大なる原作『オーバーロード』と、
 偉大なる原作者・丸山くがね様(むちむちぷりりん様)に、心からの感謝を。

 この場を借りて、ハーメルンという創作の場(サイト)を提供してくれる運営様にも、心からの感謝を。

 そして、ここまで読んでくれたあなたにも、感謝を。

 思い返せば実に長く、そして長い道のりでした。
 連載開始が2017年2月、連載終了が2019年1月……およそ2年間。
 ナザリック敵対ルートという完全に「自分の趣味」というか「読みたい話」──ナザリックの第八階層攻略戦や玉座の間での最終戦、「敗者の烙印」を押されたプレイヤー、創造主を『嫌っている』設定のNPCを形にしたくて筆を執った『天使の澱』──原作キャラとの敵対によるシリアス展開に苦言や酷評を頂くこともあって当然の二次創作作品でしたが、オリジナルギルドがアインズ・ウール・ゴウンに敗れ、そして和解するエンディングを迎えることで終戦という結末に相成りました。
 いやぁ、何度筆をへし折ってシュレッダーで粉々に砕いてゴミ箱に投げ入れてTNTで爆散してやろうと思ったことか。正直、連載は当初一年程度で終わらせようと思っていたのですが、結局2年近くかかったのも、そういうのが影響していると言えなくもないかもしれません。モチベ管理は難しい。
 ですが、「はじめてしまった物語は、できる限り終わらせること」が信条方針ですので、予定していたお話の中で余分なところは極力省いて、すっきり100話前後での完結といたしました。
 魔導国100年の歴史や冒険都市編で登場する予定だった原作キャラ……アンデッドになった古田さんとかクレマンとかシズの友達の目つきが悪い女の子とかは……さて。ただでさえオリ要素の強い作品ですから、原作キャラが出ない(出ても100年の時間経過でそのまんまとは絶対に言えない)から、いろいろと難があるのですよね。ごめんなさいです。

 最後のあとがきなので、拙作について少し語らせていただきます。
 興味のない方は読み飛ばしてください。



 この二次創作『天使の澱』を作る上でのテーマは、

 ──「モモンガVS“もうひとりのモモンガ”」──です。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王として大成した100年後の原作主人公・アインズ・ウール・ゴウン魔導王ことモモンガに対し、モモンガと似て非なる主人公──もういない仲間のために戦う100年後のユグドラシルプレイヤーとして創り上げられたのが、拙作の主人公・復讐者の堕天使・カワウソとなります。
 もしも原作のアインズ……モモンガがナザリックを失い、アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちから「捨てられ尽くした」というIF設定。
 ですが、そんな最悪の状況でも仲間たちを、友達を信じてしまうだろう……そんな悲哀に満ちた主人公像を、この二次創作の形で映し出した存在が、拙作のオリジナル主人公・カワウソ。
 そして……「そんな二人が出会うことになったら」……それが、この『天使の澱』の物語の主軸だったわけです。
 カワウソはモモンガのダメな部分や悪いところを煮固めて作り上げた──仲間たちへの思いに縋って泣き喚き、足掻き続けることでしか生きていけない人間であるため、ご不快に思われる方もいたことでしょう。
 我々のような現代人が忘れ去って当然の子供時代。仲の良かった友達に裏切られ罵られ、あるいは逆に友達を裏切って罵って、そうして互いに見捨てあい忘れあうという、ごくごくあたりまえに起こり得る辛い経験を伴って、私たちは今を生きる普通の人間として成長していきます。
 けれど、そういう「普通」を、オバロ世界のディストピアに生きるモモンガやカワウソは経験することが出来なかった。“生まれてはじめての友達”との良き思い出に固執し執着する様は、なんとも言えない寂寥を感じざるを得ません。仲間や友達への思いや過去を引きずる姿というのは実に子供らしい、けれど、誰もが通るべき道のりでもあるのです。読者の誰もが過去の幼少期の経験として記憶の宝箱にしまいこんだり、あるいはチリクズ同然にゴミ箱の底へ忘れ去っていった姿が、オーバーロードの主人公・モモンガの根底にあるもの。だから彼に対する読者の共感性を高めているものと、個人的に愚考しております。本当に、このような共感しやすいキャラをよくぞ創り上げられるものだと、原作者の丸山先生には感心してなりません。
 そんな原作主人公との比較対象として生まれた、ダメダメで弱っちい二次創作主人公・カワウソの、愚かしいながらも奇跡のような行動選択によって、彼はナザリックと真っ向から敵対し、アインズ=モモンガ=鈴木悟と戦いを通じて真の理解を深め合うことで、最終的には友誼を結ぶ……その過程が、この『天使の澱』で描きたかったことのほとんどすべてであります。
 もしも、カワウソがひとつでも別の判断を下していたり、作中のキャラクターが別の行動をとっていたらば、二人のプレイヤーが理解し合う機会など完全にありえず、カワウソ達のギルドは死よりも恐ろしい結末を強いられていたことでしょう。
 もしも、最終日にカワウソがナザリックへと向かっていたら。
 もしも、ミカの設定が『カワウソを愛している。』だったら。
 もしも、アインズがモモンとしてカワウソに接近しなければ。
 もしも、カワウソが飛竜騎兵ヴェルの心を受け入れていたら。
 どの可能性も、ギルド:天使の澱がハッピーエンドで終わることはありえないことばかりとなります。そして、ナザリック……モモンガにとっても、これから待ち受ける困難や不安を取り除くために、カワウソたちのような存在は必要不可欠となることでしょう。ただ敵対する者を見つけ滅ぼし、殺し尽くして利用するだけでは解決しない問題も、あの世界には大いにあり得ることなのですから。



 さて。
 長話はこれにて終わり。
 最後に、この二次創作『天使の澱』を執筆するにあたり、大変お世話になった方々のご紹介を。


 空想病初の「推薦」を書いてくださった【飴玉鉛】さんに、感謝の極み。

 空想病初の「支援絵」を描いてくださった【鬼豆腐】さんに、感謝の極み。


 そして

 拙作を「お気に入り登録」してくれた1100人以上の方々。
「評価や評価コメント」、「誤字報告」をしてくれた読者の方々。

 さらに、天使の澱の100話までに「感想」を残してくれた──

【たぬえもんⅡさん yakuさん 西園弖虎さん オバロ好きさん ぴけ!さん zzzさん mkmkさん 名無屋さん 謎の人物MORさん 大正義こしあんさん ディザスター◆0OEYGVrXeUさん 117711さん 炬燵猫鍋氏さん N瓦さん 名無しさん(名無しさんさん/めんつゆさん) なかたまんさん 亞シムさん ヴァルさん アインズ・ウール・ゴウン魔導王さん YueAruさん あかささん にょんギツネさん 通りすがりさん NHK(ID:0Ah9RvyE)さん よーぎさん はしばさん かっちぇさん L田深愚さん ルギエルさん 山本今日嗣郎さん あぼん!?さん トッポ51さん 遠野さん namaZさん 21の目さん 花月喜さん siratakiさん メロンクリームソーダ魔導王さん(初めて登場する単語にはルビ頼むさん/ルビ振ってくれてありがとうさん) 伊豆魔さん シャルロット(ID:mkn6CBso)さん tooriさん ジャイルさん HIROMIYAさん ウキヨライフさん GNC伯爵さん ケッティーさん 鈍兵さん シャルロット(ID:ZTwz2pcg)さん ニバンさん トマトのヘタさん 通りすがりのスコッパーさん 二軍さん takeshimanさん どこにでもいる輩さん 堕天使さん NHK(ID:pN2QaBo6)さん 通りすがりの読者さん てんからっとさん 胡桃割り兵長さん かなさん じゅんぼさん 腐腐腐さん goidaさん are0210さん 55555さん トリアージさん あららさん mazyさん ぷぅ汰さん 川見垣亜さん シャルロット(ID:ddetdhRE)さん アマゾンさん szanさん くまたろう2号さん 三日月?さん たまご◆7w76kxZ/Ncさん ますかわさん slayerさん くまのすけさん benson778さん ポテトンさん めろさん アイエエさん ダッフィさん チロルチョコ10円世代さん prayerさん テニスンさん TOWさん 鬼豆腐さん 横っちょさん けい~さん むっちゃん!!さん 対艦ヘリ骸龍さん スガシカさん 逆真さん ジント・Hさん 皇帝wkmtさん 魄鴉さん [] さん takame234さん 00さん 団栗啄木鳥さん KAITO364さん zelkovaさん ていとくンさん 飴玉鉛さん 北卿さん マリオネーターさん kob15495さん オーレオールオメガさん 星の王子様☆彡さん まぼ725さん 九十欠さん ahさん(あああさん/ahoahoさん) ヒキコウモリさん ワッカさん ソリューさん 兎山万歳さん とまってぃさん いのさん せりんさん ボルドガングさん 先行者(小)さん 赤覇さん】以上、120名以上の皆さま──

 本当に、ありがとうございました。

 これにて、この作品は幕引きとなります。
 ですが、少しばかり後日談を投稿するかも。
 いまだに謎が多いですからね……すべてが明らかになる日は来るのかどうか。
 そこは次回作に期待しましょう。

 カワウソとモモンガ、二人のプレイヤーの行末(ゆくすえ)は、いかに?

 それでは、また次回。     By空想病






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後日談 EXTRA STAGE
後日談 -1 ~会~


/After story …vol.01

 

 

 

 

 ×

 

 

 

 

 不思議な夢を見た。

 とても不可解な夢。

 

 

 

 

 どことも知れぬ闇。

 (そら)の境目のような──世界の果て。

 ユグドラシルの深淵原野(アビスランド)……異形種のはじまりの街を想起させる、暗黒の神殿。

 

「よう、死の支配者(オーバーロード)さんよぉ」

「──何用だ、堕天使」

 

 ひとりの堕天使が、骸骨の魔法詠唱者に声をかけた。

 その声は、カワウソが幾度も夢の中で聞いてきた、異形種の声音。

 彼らはダイニングチェアに対面で座り、黒大理石のテーブルをはさんで、互いを()めつけ合っている。

 しかし、彼らはカワウソでもモモンガでも、ない。

 

「アンデッドは寝ない種族のはずだろうに。こうして夢の中で顔を合わせるなんてな。モモンガの野郎が寝たのかよ?」

「──ああ。人間化・受肉した時の、ほんの数時間程度のみだがな。で、何用だ?」

「まぁとりあえず。アイツを生き返らせてくれたこと、まだ礼を言ってなかったよな? 感謝しとくぜぇ?」

「──それは“我”の関与したことではない。あれは、“アレ”が勝手にやったことだ」

「アレ、ね。おまえさんの中身……アインズ・ウール・ゴウン、じゃねぇ、モモンガ……スズキ、サトル、だっけ? ま、何にせよ、互いにイミフな状況におかれていることに、変わりはねぇか?」

「──然り。『異世界転移』などと、まったくもって理解不能な事象だ」

「おまけに、俺らの中身のプレイヤー共まで一緒に、とはなぁ……なんか心当たりはねぇのかよ、せんぱ~い?」

「──さてな」

 

 不動の姿勢を保っていた死の支配者(オーバーロード)は肩をすくめた。

 それに対して、足を組み背もたれに身体を預ける堕天使もまた、肩をすくめて嗤うしかない。

 

「いずれにせよ。おかげで俺様もアイツと一緒に生き返ることができて、こうしておもしろおかしく生きられることになった。カワウソのボケクズが、生きて生きて生き続ける限り、俺はアイツの欲望に身をゆだねることができるって寸法だからな。……ま、正直。もっともっっともっっっと、今以上に欲得に欲情に欲念に溺れてほしいところだがぁ。あいにく俺の中身(カワウソ)はただのガキだからな。もっと爛れた生活を送ってもバチはあたんねぇだろうによ。ちょいと俺様が小突けばすぐに崩れるだろうが、あの女──あの忌まわしい女神の加護(スキル)のせいで、そう上手く事を運べねえのは、痛し痒しってところだぁな」

「──ならば、あのミカとやら、女神を己の手で葬り去ればよいのではないか?」

「ひゃっ、はははは! それぁいいプランだ! もっとも! あの女神(アマ)を殺せば、カワウソが自壊自滅する状況にある以上、俺様もまた共崩れになるからな! ヒャハハハハハハハッ!!」

 

 ツボにでもハマったかのように腹を抱えて笑い転げる堕天使に対し、死の支配者(オーバーロード)は憮然としながら存在しない鼻を鳴らす。

 

「──理解できんな。何故、貴様はプレイヤーに、あのカワウソとやらに肩入れする?」

「あー? 別に肩入れしてるわけじゃねぇ。ただ、あいつとは契約もしたし。第一、あいつが死ねば俺も同時に死ぬ……本当のところは、あいつが俺様の欲望に身をゆだねる……肉体の支配権を取らせてくれれば、それで万事解決なんだが。あいつが転移当初、生存欲という基本的な感情や、復讐欲なんて強い欲望を懐くことなく、それこそあのまま拠点の女どもを手籠めにでもしてくれれば、それで俺様の天下が訪れたこったろうによぉ……それを言うなら、アンタの方はどうなんだ? 死の支配者(オーバーロード)──“生あるものに死を与える”ことしかしないはずのアンデッドの最上位者様が、この異世界で数十億の民を率いる魔導王陛下さまサマとして君臨するなんてよぉ?」

 

 似合っていないにもほどがあると、堕天使は黒い髪を揺らすほどに含み笑う。

 そんな堕天使の野卑な主張……嘲笑に、死の支配者(オーバーロード)は熟考するでもなく応じる。

 

「──興味がない」

「……はあ?」

「──興味がないと言ったのだ。我の中身、鈴木悟(スズキサトル)なる者の企みも想いも、何もかも、我には何の関心事でもない」

 

 骸骨は、どこまでも空虚で、何よりも確固たる鋼鉄のごとき調べで、述懐する。

 差し出した空っぽの骨の掌に、どこまでも澄みきった、火の視線を注ぎながら。

 

「我にとって、魔導国も、アインズ・ウール・ゴウンというギルドも、ナザリック地下大墳墓も、そのNPC共も一人残らず、ただひとつの例外もなく“どうでもよいもの”だ。死の支配者(オーバーロード)たる我にとって、一切衆生、何もかもが小五月蠅(こうるさ)い羽虫の戯れ。我の望みなど、ただすべてを等しく叩き潰し、何よりも素晴らしい死の静謐(せいひつ)が訪れてくれること……それだけだ」

 

 虚言でもなんでもない。

 それこそが、アンデッドの最高位種族たるモノの本心──根源的な活動方針にして絶対無比の衝動に他ならない。

 すべてに等しく死を。

 それが、死の支配者(オーバーロード)として正しい存在動因だと言える。

 ──むしろ、それ以外など、余分以外の何物でもない。

 アインズ・ウール・ゴウン──モモンガ──鈴木悟が懐くギルドへの愛着も愛情も愛惜も愛染も、死の支配者(オーバーロード)そのものにとっては全く無価値の極みでしかないのだ。いっそすべてを蹂躙し陵虐し殺戮し尽くすことを願ってやまない。敵も味方も関係なく、己の周囲を死の地平で(なら)し尽くす……それこそが、それのみが、それだけが、最上位アンデッドの本懐であったのだ。

 

「ひゃは。──じゃあよ、何故“そうしない”?」

 

 モモンガを、鈴木悟という人間に対し、期待も憐憫も何も懐いていないことはわかっている。

 堕天使は言い募る。

 

「プレイヤーに対して、異形種たるモンスターの俺たちが、そういった荒唐無稽な感情や感傷を(いだ)くなど、ありえねぇ。奴らプレイヤーは、俺らという異形種の肉体に宿る腫瘍──本来の在り方に背く“ただの人間”に過ぎない。ウザったいことこの上ねぇ連中だ……そうだろう? 異世界転移の先輩さんよ?」

 

 死の支配者(オーバーロード)は無言の肯定を示した。

 異形種の肉体に宿る人間(プレイヤー)の意思──それは、異形種の肉体そのものの持ち主にとっては、(はなは)だ理解し難い状況に相違ない。だからこそ、異形種の彼らはプレイヤーの精神を侵食していく。彼ら自身の奸計というよりも、プレイヤーの宿る肉体そのものが元の状態に、あるべき形に戻りたいと望むが故に、異形種のプレイヤーは永くは“もたない”。まるで病原を攻撃する抗体のように、人間のこころを、異形の肉体が攻撃し尽くす……そうして、彼らは例外なく破綻するという、必然の図式。

 堕天使は問う。

 

「なぁんでテメェ、お行儀よく王様ごっこに付き合ってんだよ? それだけの能力と魔法と装備、おたくの兵隊共がいれば、世界全土を死の庭に変えることも、十分に可能だぁ……違うのかよ?」

 

 魔導王にしてアインズ・ウール・ゴウンのギルド長である死の支配者(オーバーロード)ならば、ナザリックのNPC共に命じ、ツアーなどの同盟者を裏切り奇襲し、今を生きる魔導国の民や子を鏖殺(おうさつ)させ、その後で生き残ったNPCたちに一言「自害せよ」と命じれば、それで最上位アンデッドの望みは達成されるはず。彼らにとってアインズの、モモンガの意思決定……命令は、絶対。黒が白となり、白が黒となるのは、NPCたちにとっては摂理とも言うべき方針転換だ。

 死の支配者(オーバーロード)は両手の指を組みながら、悠々と告げる。

 

「──愚問。何もせずとも、アレは死ぬ。アレは確実に、我というアンデッドそのものへと変貌しつつある。多くの死を経るごとに、多くの死を与えるごとに、アンデッドとしての在り方に染まっていく。王である以上──王であるからこそ、そもそもがアンデッドであるが故に、アレは死に触れざるを得ない。死とは、常世(とこよ)すべての法だ。死に触れないモノなど存在しない。抗いきることは不可能。精神も魂も、何もかも、だ。ならば、我が直接手を下すまでもない。アンデッドたる我には、そこまでの欲動も渇望もない。堕天使の貴様のように、直截な衝動や直情な欲望に(とりつ)かれ狂奔(きょうほん)するなど、そんな無様をさらすことなど、死の支配者(オーバーロード)たる我には、まったくありえないことだ」

 

 死の支配者(オーバーロード)たる存在にとって、自らが率先して動くということ自体が、精神的な欲望の発露に分類される。

 故に、死の支配者(オーバーロード)たる彼は、アインズを、モモンガを、鈴木悟を直接に葬るような仕儀にでることはないという。

 

「──だから我は待つだけだ。

 あと100年、200年、1000年程度の時間など、悠久を超える『死』そのものである我にとっては、つかの間の微睡(まどろみ)でしかない。アレの死を味わった後でも、我は十分に事を成し遂げられる」

 

 死は静かに宣告を終えた。

 

「は。確かに、そうだわな。

 むしろブチ殺しブチ壊しブチ犯すなら、多い方がオモシロそうだしな。

 肉体的な死を共有する堕天使(おれら)とは違い、たとえアンタは、モモンガという人間(プレイヤー)が、片割れのクソ人間が死んでも、アンデッドの肉体自体は何の問題もなく存在し続けることができるわけだ……だが」

 

 堕天使は赤い三日月のように唇を開き、ニタニタと笑った。

 

「それを、俺の中身が、あのバカ野郎(カワウソ)が、そのまま許すものかねぇ?」

「──さてな。興味がない」

 

 二人の異形は、また肩をすくめあった。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

「……?」

 

 朝の光。

 柔らかな目覚め。

 夢の内容を思い出せなくなるほど、爽快な目覚め。

 

「おはようございます。────ソウシ様」

 

 聞きなれた女の声。

 黄金の髪に天使の環、何よりも愛らしい女の微笑。

 見上げた碧眼は空のように、カワウソの心を癒し浄めてくれる。

 

「…………おはよう、……ミカ」

「? なにか、悪い夢でも?」

「ああ、いや──大丈夫」

 

 悪い夢など見ていなかったはず。

 カワウソは体を起こそうとして寝返りをうった。

 しかし、シーツとは違う別の感触──柔らかな六枚の翼に抱き起こされる。その優しい肌触りに、思わず全身をゆだねたくなる。

 

「起きられますか?」

「起きる……でも、もうちょっとだけ」

「はい。仰せのままに、ソウシ様」

 

 ミカに本当の名を告げてから、ひと月以上が経った。

 彼女からの新しい呼ばれ方も慣れた気はするが、リアルでも呼んでくれる相手が絶えた下の名前は、思った以上に面映ゆくなる。

 主人の黒髪を優しく撫でてくれる女天使の左手……その薬指に輝くのは、カワウソと同じギルドの指輪。

 女の翼へ飛び込むように身体をしずめた。六枚の翼は実に器用にカワウソの背中を支え、ふわりふわりと全身を撫で包む。拠点のベッドよりも暖かで居心地がいい、天然の羽毛布団だ。お日様のような香りが気持ちよくてたまらない。胸いっぱいに吸い込む空気まで心地いい。

 

「昨日は、ごくろうさま」

「苦労などということはありません。ナザリックの者達とのビーチバレーや水泳大会程度で、私たちが音を上げるはずもありません」

 

 カワウソは昨日の記憶を思い出す。

 アインズ主催で開幕した、両ギルドのNPCの慰労会兼懇親会。

 会場となったのは、このヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)・第四階層“珊瑚礁地(ラグーン)”。

 太陽の光降り注ぐ砂浜、蒼穹と青海を背に並び立つ、両陣営のNPCたち。

 女性陣チームがビーチバレーで覇を競い合い、男性陣チームが遠泳やビーチフラッグに興じてみせた。

 水着を着たミカやガブ、同じく水着姿のアルベドやシャルティア、NPCたちが火花を散らし、アタックの一球入魂が砂浜を爆散させ、クロールやダッシュが水柱を幾本もおっ立てた。手加減し合っているのに熱戦と激戦を繰り広げる様を、カワウソはアインズと共にパラソルの下で眺め、「うわぁ」と互いにしか聞こえぬ声を交わしながら、楽しい時間を過ごした。

 

「みんな、楽しんでくれたか?」

「無論です」

「ミカは、楽しんでくれたか?」

「はい。誓って」

 

 カワウソは良かったと呟く言葉を、天使の羽根に(うず)めた口から零し出す。

 純白のシュミーズ姿のミカは、抵抗も拒絶もしない。『嫌っている。』という設定の問題を解決して以降、もはや主人たるカワウソと、このようにくつろぐことが常態化していた。くすぐったそうに微笑む女天使の羽毛にずっと包まれていたい衝動に抗いつつ、ニ十分ほどミカのぬくもりと会話を堪能してから、ゆっくりと起床する。

 一晩中添い寝してくれていたミカもベッドから降りて、主人の身支度を整えにかかった。NPCの長に呼ばれた堕天使のメイドが数名、カワウソの私室に入室してくる。いまだに羞恥が強くてあまりさせない作業だが、転移当初ほどの抵抗感はもはやない。それほど、カワウソは目の前のNPCたちに対して、絶対の信頼を寄せるようになっていた。──ミカに対しては、それ以上の感情も、順調に育てつつある。

 

「どうかなさいましたか?」

「……いや。なんだか……今でも夢を見てるんじゃないかって、思って」

「?」

 

 きょとんと首を傾げる女天使やサム達メイドらに任せるまま、顔を洗い歯を磨き、短い黒髪の寝ぐせも櫛で丁寧に梳かれていく。寝間着を脱いで装備品を着込み、従順なミカやメイドたちに礼を述べるのも慣れたものだ。

 本当に、夢のような日々が続いている。

 この異世界に転移する前……ゲームの時は、本当に地獄のような毎日だった。

 仲間たちと出会い、別れ、本当の孤独を知った──知ってしまってからの数年間。

 ──だが、今はもう、ひとりではない。

 普段の鎧姿に早着替えを行い、眼鏡をかけたミカが、今日の予定内容を秘書のごとく口にしていく。

 

「本日のご予定は、アインズ・ウール・ゴウン魔導王との朝の会議のため、ナザリックの第九階層へ。その後、彼と共にナザリックを転移にて出立。魔導国内において、ソウシ──カワウソ様が領地として配分・統治される土地の実見──族長らとの簡易的な顔合わせに向かわれることになります。カワウソ様と我々が、魔導国王政府の“第三者委員会”を担う上で、領地をひとつも持っていないと示しがつかないという先方の意見ですが──」

 

 魔導国と盟を結んだカワウソは、ミカ以外には今も変わらずカワウソという通り名で呼ばれている。若山(わかやま)宗嗣(そうし)という名を必要とする存在は、正直なところミカだけなので、天使の澱のNPCやアインズ・ウール・ゴウンたちに対しても、今さらリアルの名前で呼ばせる必要性がなかったのだ。

 その影響で、ミカはカワウソという名を公務や政務などで使うこともあるのは、致し方ない。

 黙って頷く堕天使を見つめながら、女天使の声が続く。

 

「先日からご相談しておりますように、領地と言っても実質の支配権限については、かの地を治める族長などに委託し、あまりカワウソ様の御負担にならぬよう、私が実務の一切を代行させていただく形でよろしいでしょうか?」

「うん。俺は政治の知識はないし。ミカになら安心して任せられる。代行は面倒かもしれないけど、頼むな」

「──とんでもございません」

 

 微笑むミカは、午後の業務内容についても報告と確認を述べ始める。

 

「その後、お昼の休憩を挟み、午後はナザリック第六階層の闘技場にて、第五階層守護者・コキュートス殿と、我等が拠点の第一階層防衛者・ナタによる戦闘訓練の見学……“復讐者(アベンジャー)”のレベリング活動がございます」

「復讐者は今Lv.8か──午後は、アインズとは別行動、だったか?」

「はい。アインズ・ウール・ゴウン陛下の予定もこちらに開示されておりますが、彼の方は魔導国冒険者組合・外洋探査群の定期査察があるとのこと。ナザリックでの業務・戦闘訓練見学には、“陽王妃”アウラ殿下と、“月王妃”マーレ殿下が参加される予定です」

「外洋探査……ね」

 

 カワウソは思い出す。

 アインズ・ウール・ゴウンが支配する大陸の外に広がる、淡水の海。

 

 淡水の海は、地球にある普通の海……塩分を含む通常の海水よりも浮力が少ない。なので長距離の航海に耐えるだけの大型船舶の建造が難しい事情が存在する。100年前の魔導国内では、遠洋航海専用の魔法……船を保護し浮きやすくするための魔法〈浮遊船(フローティング・シップ)〉や、それに準ずるマジックアイテムの開発が必要となったと聞く。

 さらに、淡水魚というのは、海水魚よりも危険な寄生虫などのリスクが比較的に多いため、はるか昔は下処理……加熱調理や専用魔法による寄生虫駆除が必須の食物だったと。加えて、海水では生息できない蚊の幼虫などの虫、または病原と成り得る微生物などが、淡水の海では好きなだけ猛威を振るうため(海水と比較して、という注釈が着くが)、この異世界での海水浴というレジャーなど、魔法によって洗浄された土地──ごく限られた王侯貴族の避暑地にしか存在しない娯楽であったとされる。それも、魔導国の台頭によって、だいぶ庶民向けに改善されてはいるらしい。

 ちなみに、海から取れるはずの貴重な“食塩”などは、生産魔法で生み出し手に入れるものになるため、塩を巡って戦争などが起こったことは、ここ数百年存在しないという話だ。

 

「この大陸の東西南北の端に連れていかれたこともあるが……本当に、この異世界にはこの大陸しかないという考えには、なれないよな」

「はい。ですが、魔導王が100年をかけて錬成してきた冒険者組合……その外洋探査のための専用機関ですら、いまだに別の大陸の発見には至れていないといいます。これは、(いささ)か以上に奇怪であるといえます」

「うん。大陸がここしかないのなら、話に聞く海上都市って、いったいどこにあるんだって話だよな?」

 

 冒険者たちの手腕・レベルに問題がある──ということはないだろう。

 彼らは魔導国、つまりアインズ・ウール・ゴウンの全面的な支援(バックアップ)を受けて外洋に漕ぎ出している精鋭たちだ。

 そんなもの達が探査のために造船した船舶を操舵して、大海の果てを目指すこと100年。

 せいぜいが無人の離れ小島などを発見できる程度で、目ぼしい成果は皆無だったという。

 

「ええ……お話を総括するに、海上都市に行ったとされるものは、悉く嵐などに巻き込まれ遭難した漂着者であること。彼ら彼女らは、都市に住まう者──『夢見るままに待ちいたり』という眠り姫などの都市住人の庇護を受けた後に、転移魔法とみられる事象によって、この大陸に帰還している、とのことですが」

「十三英雄の二人が流れ着いたっていう、謎の海上都市。RPGだとよくある設定だが、嵐の守りの中にある都、とか……?」

 

 ユグドラシルプレイヤーがいそうな気配がぷんぷんする。

 というか、ユグドラシルでも実際、嵐に護られた都市なんてギルド拠点があった気がしなくもない。

 あいにくユグドラシルにおける情報は、プレイヤー個人で収集し編纂する仕様があった以上、カワウソにはそこまでの確度ある記録は、手元に存在しない。アインズ……モモンガと同じように、ゲームで遊ぶ上で確定とされたまとめ情報や、運営からの数少ない開示情報・各種ランキングやお知らせのほかにあるのは、商業ギルドで安く買った雑学や事典──そして、ナザリック地下大墳墓やギルド:アインズ・ウール・ゴウンの構成員(メンバー)に関する噂や確定情報──あとは、カワウソが独自に考案し考察した第八階層“荒野”の攻略法……天使の足止めスキルや、世界級(ワールド)アイテムの複数同時使用によるシナジー効果の可能性についてのあれこれなどを、拠点の書庫に例外なくブチ込んできた程度だ。

 ワールド・サーチャーズなどの冒険者ギルド、彼らが転移してくれていれば、そういった未知の情報が潤沢に揃っている可能性は高いだろうか。

 

「異世界転移……」

 

 改めて口にして考えると、本当に、訳が分からなさすぎる。

 100年ごとの揺り返し──世界級(ワールド)に連なるアイテムや存在──それに巻き込まれるように転移してくるプレイヤーやNPCたち──ゲームが現実化したような異世界──どれだけ考えても、満足のいく回答など得られようがない大災と大禍ではないか。

 だが、アインズはその謎を解くつもりでいる。

 この謎を解くことで、これからやってくるユグドラシルプレイヤーを、そして、これまでに道半(みちなか)ばで倒れたプレイヤーたちを救済し、望むひと達を元の世界に帰還させる目途が立つかもしれない。

 そして、何よりも彼が望む目的────アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちとの、再会。

 だが、もし仲間たちと再会しても、アインズは彼らが望めば、もとの世界に戻る一助を担いたいと考えている。

 

(それも当然か。ギルド:アインズ・ウール・ゴウンは、異形種プレイヤーで構成されたギルド──)

 

 こちらの世界に来た異形種プレイヤーに起こり得る──悲劇。

 あるいは惨劇。

 アインズもカワウソも、伝え聞く過去のプレイヤーたちも一人の例外なく、異形種の肉体に精神が引っ張られる傾向にあった。カワウソのように、堕天使(モンスター)の自分を表在化・顕在化させ、壊れた様を露呈する者もいた。代表的なのは、人を守るために人を殺すことしかできなくなった六大神の死の神──スルシャーナ。そして、人でなくなった自分を、人に戻そうと狂いもがいて逝った八欲王──ワールド・チャンピオンのことを、ツアーの口から聞かされたのも最近である。

 

 もしも。

 アインズの仲間たちが、この世界に転移してきたとしても、異形種の肉体に精神が汚染され、そうして壊れ狂うことは確実。だが、そのような不幸を、友であるモモンガが許すものだろうか?

 何より、彼らが困っているのなら、いかなる労も惜しまずに助ける──その一心で築き上げた魔導国そのものが、友らの困苦を和らげるための居場所になればという思いで建国された背景がある。

 だから、アインズはこちらに来ているかもしれない・これから来るかもしれない仲間たちが望むものを、すべて与えられることができるように、100年が経った今も尚、努力を重ね続けているという。

 そんなにも誠実な男だからこそ、カワウソは彼の夢を支持できた。

 彼の夢が実現できるように力を貸すことを、あの夜の浜辺で誓ったのだ。

 

「──朝食にしよう、ミカ」

「はい。御食事はすでに準備済みでございます、ソウシ様」

 

 微笑むミカとメイドたちを連れて、カワウソは食堂へと向かった。

 寄り添ってくれる女神の微笑があたたかい。

 おかげで、これから与えられる魔導国の領地について──そこに住まう住民たちへの懸念──記憶を消した人々に対する鬱々とした後悔も、すべて瞬きの内に吹き飛ばされる。

 ガブの強力な精神系魔法〈全体記憶操作〉の仕様上、一度消した記憶を復元することは不可能。たとえ、もしも記憶の復元が可能だったとしても、カワウソは自分の都合で消した記憶を、自分の都合で今さら蘇らせるなんてクズの極みのような所業を、したいなどとは──思わなかった。

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の領地──

 その共同墓所。

 時刻は朝。

 

「お父さん、お母さん、おばさま──」

 

 部族の者らが住まう奇岩よりも遠い峰の頂。

 周囲に点在するものよりも遥かに大きな石碑に刻まれるのは、少女と見紛う体躯の女騎兵……近況報告を終えた彼女の、家族の名前。

 墓所といっても、ここには死者の骸などはひとつも埋葬されていない。せいぜい、かつての故人が使っていた私物が、各家の石碑などに結ばれたり置かれたりしている程度。

 骸がないのは当然。

 飛竜騎兵独自の葬儀によって、その遺体は飛竜たちの食事という形で、空と地に還されるからだ。

 そして、族長家の横に位置するのは、セークの家に仕えた者達の碑。

 数ヶ月前に彫られたばかりの真新しい名前を、ヴェル・セークは指先でなぞる。

 

「ヴェストのお(じい)さん──」

 

 どうか、今日も私たちを、ご先祖様たちと一緒に、空と地から、見守ってください。

 部族固有の祈祷を捧げると、ヴェルは相棒である飛竜(ワイバーン)・ラベンダの鞍にまたがった。

 

「行こう!」

 

 翼を広げ、鋭くも軽快に吼える友と共に、飛竜騎兵の乙女は空を舞う。

 

 

 

 

「さぁ、皆! これから新しい領主様がお見えになる! 気を引き締めてお迎えするように!」

 

 規律よく響く唱和の声。

 奇岩地帯の内の一柱にあるセークの邸宅は、にわかに活気づいていた。

 普段から行う掃除は念入りに繰り返され、部族伝統の料理や酒なども用意した。

 長老の造反を未遂のまま終わらせ、式典参陣と部族統一の功によって、長らく臣民等級をあげること叶わなかった飛竜騎兵たちが、魔導国二等臣民の位を手にして、数ヶ月。

 女当主たる長身の族長──否、元族長の号令に従い、魔導国の使者を邸に迎え入れた彼女たちは、これからやってくる者達……魔導王陛下と、彼の任命を受けた領主の到来を、空の玄関口で歓迎するべく整列していた。

 騎兵隊を率いるのはウルヴ・ヘズナとヴォル・ヘズナ夫妻。

 鎌首を揃えた飛竜(ワイバーン)は全員礼装を整え、騎兵隊の皆も式典用の儀仗兵風に装備を統一されている。飛竜騎兵の中でも軽量化による速度特化に発展した軽装鎧は、乙女らの肌色を存分にさらしているものの、高層地の寒気と冷風に震える軟弱は、この地には存在しない。

 歓迎の用意は万端整った玄関口で、手持無沙汰の乙女らは雑談を交わすことに興じる。

 

「にしても。この時期に新領主が決まるなんてね?」

「でも、族長──ヘズナの旦那様と共同管理なんて形にする意味ってあるの?」

「そりゃあ、その土地に馴染みのある人が管理した方が断然マシだからじゃん?」

「なんにせよ、魔導王陛下のご決定であらせられる以上、拒否権なんてありえないし?」

 

 セークの飛竜騎兵・一番騎兵隊の乙女たちは疑問と解答をぶつけ合った。

 

「いったい、どんな方が来るわけ?」

「ハラルドは知らないの?」

「知らん。そもそもヴェルですら何も聞いてないことを、俺が聞いてると思うか?」

 

 水を向けられた乙女は、からかうようにじゃれつくラベンダの手綱をしっかり握りながら、頷くしかない。

 

「私どころか、お姉ちゃんも全然わからないみたい」

 

 ヴェルが見つめる先にある、姉の背中。

 統一族長の伴侶──愛する男との婚姻を終えた、元族長たるヴォル・セークにとっても、今回のことは急なことであった。さらには、彼女の夫であり現飛竜騎兵の長を任せられたウルヴ・ヘズナですら、今回の顔合わせで初めて対面するのだという。

 皆、新しい領主というものへの疑念が、各自の脳内で渦を巻いていた。

 

 魔導国においては、上の階級に立つほど臣民の生活レベルは引き上げられていき、それと同時に、ある程度の制約が課されることを意味する。たとえ一等臣民であろうとも──否、上に立つ階級のものだからこそ、下の者を冷遇するような特権階級的な権限を与えられることはないのだ。むしろ、上の階級のものは、魔導王から下賜される恩寵に耽溺し増長しないよう、徹底的に(秘密裏に)管理される傾向にある。下等臣民は身体的経済的社会的な束縛を受けることは多いが、その逆として上等臣民は政治的階級的な制限を加えられるようになる。無論、どれほどの制約を課されても、ありあまる幸福と財貨を享受されようと望み、臣民等級をくりあげたいと努力するものは後を絶たない。武勇を磨き、学問を修め、未知を既知とし、王の目にかなうほどの「功」を認められれば、その等級を個人であげることは不可能ではないし、場合によっては部族単位で恩寵にあずかれることもありえた。

 

 だが、今回の新領主の一件は、かなり異例の事態である。

 表向きは二等臣民にあがりたての飛竜騎兵の監視要員として派遣・招致されるという体裁を取られているが、その監視要員役というのが、この一ヶ月の間、ずっと秘匿され続けている。名前も出自も、具体的な種族や階級すら判然としていない。ウルヴ統一族長が聞いた限り、「王陛下の同盟者」という話しか伝え聞かない。

 魔導国において領地を賜る=魔導王から地方の政を認可されるものは、その土地の代々の管理者や族長のほかには、あまり多くない。地方政治の代行という、それほどの大役を担えるものは、ナザリック地下大墳墓に直接所属するシモベか、その血統たる子だけ。例外といえば、ツアインドルクス=ヴァイシオンなどの信託統治者、魔導王の同盟者たる竜王くらいのものである。

 

「皆」

 

 雑談を咎めるでもなく、空の一点を見上げていたヴォルが鋭い声を発した。

 それだけで、全員がその場で膝を折り、従属と礼節の姿勢を構築する。騎兵らの意を汲んだ飛竜たちも例外なく頭を垂れた。

 現れたのは、魔導国の紋章旗を掲げる一団。

 浮遊する馬車を牽くのは、炎と霜の混血(ハーフ)ドラゴンが四頭立て。

 不死者の先触れが告げた通り、魔導王とその一行が、飛竜騎兵の領地に参じたのだ。

 馬車を降りて真っ先に現れるのは、純白の女悪魔──黒翼を腰から伸ばす、魔導国の大宰相。

 彼女と同時に馬車を降りたのも、また女性。

 

(……翼?)

 

 ヴェルは我知らず呟きかけた。

 白い、あまりにも白い六枚の翼を羽搏(はばた)かせる──黄金の髪を風になびかせた、金色の環を戴く、あまりにも美しい女騎士。

 有翼の英雄を祖に持つ飛竜騎兵にとって、その翼を白く淡く輝かせる女傑こそが、今回の新領主なのだなと納得しかけた。

 しかし、違った。

 

「……………………あ」

 

 玄関口に降り立った女性たちがシモベのごとく跪拝した後で、馬車の中の人物たちが降りてくる。

 一人は、魔導国臣民すべての尊崇を集める死の支配者(オーバーロード)

 ……アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。

 

 そして──“もう一人”。

 

 魔導王陛下は統一族長と軽い挨拶を交わす。

 

「歓迎、感謝するぞ、ウルヴ族長」

「ありがとうございます、魔導王陛下。遠路はるばる、ようこそ」

「うむ。堅苦しいのはやめにしておこう──ああ、ヴォル・ヘズナくん」

「はっ!」

「“懐妊した”との報せを受けたが、──順調か?」

「はい。つつがなく」

 

 それはめでたいと魔導王陛下は祝辞を述べた。

 陛下は飛竜騎兵の未来を担う族長夫妻の子に、大きな期待を寄せている様子。

 姉が身に余る光栄に笑みを深め、愛する夫の子を宿す身体をさする──そんな誇らしい情景さえ、今のヴェルの瞳には映ってくれない。

 

「うむ。では本題と行こうか……こちらの人物が、このあたり一帯の領地を新たに管轄する、私の『同盟者』だ」

「“はじめまして”」

 

 男の声を、聴いた。

 短い黒い髪に、日に焼かれ過ぎた肌。

 顔は大きな隈ばかりが目立ち、濁った瞳は不吉な色をたたえ、とても正視に堪えるような造形ではない。身に纏う鎧や足甲が立派なだけに、その醜怪な面貌は際立っておぞましかった。

 なのに、ヴェルは男を見据え続ける。

 

「ああ、と──俺が、この度このあたり一帯の領地を拝命することになった…………?」

 

 男の視線が、ヴォルの後ろにいるヴェルの方へ向けられた。

 隣に立つハラルドや同僚の友人たち、振り返った(ヴォル)義兄(ウルヴ)、魔導王陛下たちまでもが、ヴェルの様子を(いぶか)しんだ。

 ラベンダが心配げに鳴いて指摘する声で、ようやく、気付いた。

 

「え──あ、あれ?」

 

 頬を熱く濡らすもの。

 瞼の端から溢れかえるそれを拭うが、とまらない。とまってくれない。とまってくれそうにない。

 

「な、なんで?」

 

 何故、あのひとを見ただけで、自分は泣いているのだろう?

 わからない。わからない。わからない。

 わけもわからずしゃくりあげる。

 王陛下の前で、新しい領主の前で、とんだ醜態をさらしているのに、感情の雫は収まる気配を見せない。

 

「ご、ごめんなさい……私、どうして?」

 

 怖いのではない。

 恐いのではない。

 痛くもないし苦しくもない。

 悲しいのでもないし、哀しいわけでもけっしてない。

 狂戦士の力の暴走ということも、まったく完全にありえない。

 ただ、何故なのかはわからないが、彼と会えたことが、本当に、嬉しい。

 本当に、何故だろうか──

 あのひとが、女騎士と寄り添い、ここにいる姿に……

 安心してしまったのだ。

 

「だ、大丈夫か…………ですか?」

 

 駆け寄ってきたのだろう黒い男に、ヴェルは肩を叩かれる。

 

「だいじょうぶ、です」

 

 思わず、はにかんでみせた。

 名前さえ知らない男の人に、ヴェルは心の底から笑みを返した。

 肩に触れる初対面の人との距離にも、意外なことにさしたる抵抗も懐かぬまま、肩に置かれた彼の手に触れる。まるで、この手を二度と忘れることがありませんようにと、祈る思いで。

 奇妙な話だが……以前、彼とは、これ以上の距離で見つめ合ったような、そんな気の迷いのような錯覚が、胸の奥の心臓をズキンと高鳴らせる。まるで、そこを剣の刃で貫かれたかのごとく。

 だからなのか、どうしても、(たず)ねたかった。

 尋ねたくてたまらなかった。

 

「どうか、どうか教えてください。

 ──あなたの、お名前は?」

 

 新たな領主として訪れた、“彼”が告げる名前──

 何故かとても懐かしく、何故か愛しく恋しい男の名前を、すべてを忘れたままのヴェルは、もう二度と、忘れることはなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次の更新で、長かった「天使の澱編」は終わりです。

あと、せっかくなのでアンケートをとってみたいと思います。お気軽にご投票ください。(アンケ報告などは感想欄ではなく、活動報告コメやメッセージなどでお寄せ下さるとうれしいです)
(※繰り返しますが、アンケートの回答は感想欄をご利用しないよう、お願いいたします)


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後日談 -2 ~夢見るままに待ちいたり~

最後のご挨拶。
連載開始が、2017/2/22
そして本日、2019/2/23
連載期間・二年と一日。
長くお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
ご意見ご感想など、心からお待ちしております。
では、またどこかで、お会いしましょう。   by空想病


/After story …vol.02

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 カワウソが飛竜騎兵の領地を暫定管理する同盟者と公表されて、数週間が経過した頃。

 

「彼女が?」

「ああ──魔導王の魔王妃・ニニャだ」

 

 アインズは、カワウソたちに自分の五人の妃、その最後の一人を紹介した。

 普段、第八階層“荒野”のとある聖域で厳重に封印されているという人間の女性──

 今回の邂逅のために、わざわざ第九階層のスイートルームに、彼女に与えられた私室のベッドへと移された。身を横たえる女性は大地の色の髪がシーツ一面に広がり、長い時を眠り続けている話が真実であると直感させる。

 ふと、寝たきりのニニャに寄り添う人影が、こちらを振り返り立ち上がった。

 一人は、赤と白の和服──“巫女服”と呼ばれるものを着込んだ、人間の女性。

 一人は、宝剣と魔法杖を携えた、火と黄金を灯す瞳を輝かせる、黒髪の青年。

 一人は、真紅の衣装に身を包んだ、銀髪紅瞳の、艶美を極めた、吸血鬼の姫。

 そして、最後の一人は……

 

「久しぶりだな、アコ」

「…………」

 

 魔導王たるアインズと言葉を交わすことなく──どころか睨みつけるようにして、そっぽを向いた。

 

「お母さまをくれぐれもお願いします、オメガさん」

 

 巫女にそれだけを告げると、ニニャとよく似た髪色と顔立ちに眼鏡をかけた女性は、足早に部屋を辞していく。

 だというのに、そんな女性のことを、アインズは勿論、彼を絶対者と信奉するナザリックのNPCたちもすべて、殊更に非難するようなことはなかった。

 

「ふふ。相変わらず、反抗期が長いな」

「……え……今のは?」

「ああ。俺とニニャの娘だ」

 

 あっけらかんと告げたアインズは、そのままアルベドとシャルティア、アウラとマーレを連れて、魔王妃の横たわる寝台に歩み出す。彼を愛するNPC──魔導王の妃たちも、気にも留めた様子が一切ない微笑を浮かべていた。

 カワウソとミカも、そのあとに続いた。

 

「はじめまして、堕天使のプレイヤー殿」

 

 賢知に富んだ聡明な声。

 目の前にいるアルベドと面影が似た青年は、男までをも魅了しかねない色気を漂わせながら、艶っぽく微笑む。

 

「私は、魔導国“第一王太子”──ユウゴと申します」

「ああ──君が、その、アインズとアルベドの?」

「はい、不肖の息子です」

 

 求められるまま握手を交わす堕天使。

 初めて顔を合わせたはずなのだが、カワウソは彼とどこかで……魔法都市(カッツェ)あたりで会った気がしなくもなかったが、確信には至らない。ミカも特段、なにかに気付いた様子もなく、淡々と挨拶を交わす。天使には魅了の類などは無効化されるので心配には及ばない。

 次に、魔導国の王子の隣に立つ銀色の女性──魔導国第一王女──ウィルディア・ブラッドフォールンとも握手を交わした。豊満かつ、しなやかな肢体は、人間の男であれば我慢が出来そうにない麗笑を浮かべていたが、今のカワウソには効果がない。握った手袋の下にある女性の手が、骸骨の掌だったことには純粋に驚かされた。名前から分かるように、彼女はユウゴとは腹違いの妹である。

 

「そして、今部屋を出ていったのが、私たちの末の妹──ニニャお(かあ)さまの娘──アコ・ベイロンですわ」

 

 ウィルディアは実母(シャルティア)の背中に回り込み、肩から包み込むように抱きしめた。両者の体格差を考えると、母と娘が逆転しているようにしか見えないが、シャルティアに甘えるウィルディアの様子は、まるで小さい幼子(おさなご)彷彿(ほうふつ)とさせる。

 カワウソは訊ねた。

 

「えと──今のアコっていう王女様は、アインズと仲が悪いのか?」

「答えは「いいえ」でありんすね」

「アコちゃんは、お父様から“あのお話”を聞かされてから、ずっとあの調子ですから」

 

 あのお話というのは気にかかったが、ここへ来た目的の第一を果たすことをカワウソは優先する。

 

「確か、魔王妃の、ニニャさんの寿命問題、だっけ」

 

 アインズは頷いた。

 人の命は有限──異形種のような不老不死を持ちえない。

 だが、この異世界では魔法の恩恵によって、自分の寿命を延ばし生きることを可能にした者もいる。

 そして100年前、このナザリックに迎え入れらた『術師(スペルキャスター)』──ニニャも、その一人ということになる。

 

「では、ミカくん……頼む」

「────」

 

 ミカはカワウソを振り返り、主人の首肯を確認してから、ニニャの額に手を伸ばした。

 そうして、安らかな寝顔の女性を、彼女の状態を的確に()ていく。

 

「……なるほど。確かに不老ではありますが、彼女は不死の存在とは言えない……しかし、このようにして延命することが可能だとは……魔力系と信仰系と精神系魔法の複合……細胞の老化を睡眠、というよりも仮死状態で止めている……しかし、それ故に通常活動は不可能……人間種限定の職業レベル……資料でしか見ておりませんでしたが、なるほど、確かに理に適っている」

 

 ミカは診察を終えた。

 天使のスキル“正の接触(ポジティブ・タッチ)”──それを、女神の特殊能力で増幅可能なミカではあるが、ニニャを睡眠の状態から目覚めさせることは憚られた。そんなことを強行しても、人間の肉体老化が促進されかねないからだ。

 そして、結論する。

 

「これは、私でもどうしようもない案件だと判断できます」

 

 熾天使にして女神たるミカは、率直な意見を表明する。

 

「彼女のレベルは、ツアー殿から贈与された指輪で強化・昇格されていますが、やはり限界が存在している。私の力──治癒の能力は、人間の細胞組織を活性化させ、強制的に再生を促進・高速化させるもの。つまり、人間の老化を早める力ともいえます。老化に伴う寿命については、アインズ・ウール・ゴウン側も知悉していることでしょうが──これは、正攻法では解決不能かと」

「ああ。確かに超位魔法“星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)”などの手段で、一時的に人間を若返らせたりすることはできる……だが、結局はただの一時しのぎにしかならないことは、確定しているからな」

 

 いろいろと試行錯誤を重ねていたらしいアインズは、重く頷いた。

 対してミカは口が重くなった様子もなく、己の中で得られた解答と事実を羅列していく。

 

「ええ。魔法も万能の力ではありません。スキルもまた同じこと。

 いかに女神である私でも、不老不死の存在を創るということは不可能です。いえ、不老不死の同族(エンジェル)を創ることはできますが、人間を人間のまま不老不死にするというのは、魂の改変現象にほかならない……下手をすると、彼女の存在自体が変貌・変異しかねない」

 

 天使種族が人間の意志を保有できるかどうかというと、まったくの「否」だ。

 むしろ、天使は神の忠実なシモベとして、人間を虐殺することも躊躇しない……ただのモンスターに他ならないのである。神の掲げる正義の名のもとに行われる大量虐殺──その先駆けにして処刑人の名が、天使だ。それでは生命を憎み殺すアンデッドと変わりない。ひょっとすると、アンデッドよりも残虐な側面を発現しかねないといえるだろう。

 ミカたちのような拠点NPCにしても、カワウソという創造主への崇拝と崇敬ぶりは、いっそ怖いほどの善行にして善感情の現れだ。彼らは何かが違えば、魔導国の都市を、そこに住まう無辜の民を、魔法やスキルで蹂躙したかもしれない。天使とは必ずしも人間の味方をするものではない。むしろアンデッド以上に無慈悲であり、自分たちの創造主の敵を殺すことに、天使が罪悪感に苛まれることなどほとんどないのだ。

 では、ニニャを異形種(モンスター)に変えるか否か──そんな問答に是非もない。

 

「……うん。やはり、そうか」

 

 アインズは心なしか、とても落ち込んだように息を吐いたように見える。

 骸骨に呼吸は不要。なので、その真似事ということらしいが、アンデッドの王は即座に気分を切り替えた。

 

「ありがとう。ニニャを診てくれて」

「──いえ」

 

 そうして、アインズは眠り続けるニニャのことを、巫女のNPCや自分の子どもたちに託して、部屋を出た。

 アルベドらと共に、カワウソとミカもその背中を追う。

 

「で、どうするんだよ?」

 

 カワウソはすぐさま立ち直ったように──精神が安定化したらしい──きびきびと廊下を歩くアインズに問いかけた。

 

「ニニャさんは、このまま眠りっぱなしにするのか?」

「……言われるまでもない」

 

 死の支配者(オーバーロード)は決意するように頷きを繰り返す。

 とてつもなく情愛の深い男の──人間の声が、切ない。

 

「何か、方法があるはずだ──それに、ニニャの使っている今の方法は、ツアーから聞いた眠り姫からヒントを得たもの」

「海上都市の夢見るままに、だっけ?」

「“夢見るままに待ちいたり”です、カワウソ様」

「ああ。その、待ちいたりっていう眠り姫さんと、今のニニャさんは、ほとんど同じ状態って話だろ?」

「うむ……十三英雄のリーダーたちは、海上都市で彼女の協力を取り付けて、その際に、自分が数百年だかの長い時を、眠ったまま生き続けているという情報を得たと聞く」

 

 ニニャの状態を改善できる見込みがあるとすれば、海上都市の謎を解き明かすしかあるまい。寿命問題の解決策の一環としてニニャが獲得した睡眠の仮死状態であるが、もっと他に有用な方法があるのではないか。その情報を持っている可能性があるとすれば……やはり、いまだに未知とされている海の上の都を目指す他に処方がなかった。

 いわゆる“願いを叶える”タイプの魔法やアイテムでは不十分──その中でも最上級とされる“永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”ならば「あるいは」とも思えるが、アインズの手元にはないという現実は、如何ともし難い。

 そして、海上都市という存在は、アインズ達の100年間におよぶ活動でも、まったく判然としていないという事実が、一同の空気を重くする。

 

「夢の中で生きるか……」

 

 夢と言えば。

 カワウソが夢の中で出会い、対話すらした堕天使……あの玉座の間の戦い以降、まったく表に出てこなくなった異形種の身体の持ち主を思い起こす。

 だが、彼女(ニニャ)たちはただの人間。

 異形種の身体に宿る人間の意志という状態とは、事情がまったく異なるはず。

 

「ニニャさんがいる夢の世界っていうのは?」

「ああ。意外と住み心地はいいらしい。……最近、奇妙な話し相手と出会ったという話だが」

「話し相手?」

「妙な格好をした女性、ということらしいが。ニニャ本人もよくわからないらしい」

「妙な、格好?」

「ああ。黒い喪服のようなドレスに、これまた黒い革帯(ベルト)を大量に身に纏った女性だとか」

「ドレスにベルト?」

 

 わけがわからない。

 それほどまでに、夢の中の世界というのは複雑怪奇だということか。

 カワウソは自分たちになにか出来ることはあるだろうかと思案するが、こればかりは何とも言えない。

 そんな協力者の隠れた懊悩に気付いたわけでもなく、アインズは直近の問題に言及する。

 

「カワウソ──今のレベルは?」

「ああ……五日前、復讐者(アベンジャー)Lv.10になった」

 

 ナザリック地下大墳墓内でのレベリング。

 復讐者のレベル獲得の条件というのは、“敗者の烙印”を押された場所・土地・建物へ赴き、戦うこと……ゲームでは実行する者など絶無と言える復讐行為を断行すること。カワウソは復讐者のレベリングには、ナザリック地下大墳墓へ向かう途上にある毒の沼地地帯などで厄介なモンスターを狩っていくことで、獲得条件を満たしていた。

 そして、この異世界では、ナザリック地下大墳墓内でのレベリング……戦闘訓練を続けることで、レベルアップの条件を満たすことができたのだ。

 

「無事、Lv.100に戻ったということだな。──ならば、そろそろだな」

 

 時は満ちつつあった。

 アインズの告げる、ユグドラシルの絶対的脅威。

 白金の竜王──ツアーとの契約にして盟約にして、約束を果たす為に、カワウソという堕天使プレイヤーは蘇ることができたと言える。

 

「近日中に、ツアーと会談を開こう──あの計画を、実行に移すために」

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 さらに月日が流れた。

 アインズとカワウソとツアーは、計画の実行に向けて動き続けた。

 途中、ナザリックの第八階層に置かれたままとなっていた天使の澱のギルド拠点を、飛竜騎兵の領地内に移動させたり、魔導国内の政務や公務──第三者委員会の本格的な運用をはじめたり、ツアーが率いる八欲王の遺物・エリュエンティウ(本当の名は別にあるというか、現地人の発音が一般的に浸透している為、便宜上そのまま呼ぶようになっている)の都市守護者30人と面識を得たり……

 そして、カワウソたちがスレイン平野に異世界転移してから、一年が経過した頃。

 

「いよいよだ」

 

 アインズ・ウール・ゴウンとナザリック地下大墳墓。ツアインドルクス=ヴァイシオン。エリュエンティウ。現地人のなかで得られた有用な協力者──それに加えて、カワウソと天使の澱が、例の計画実行のために知恵を絞った。

 

「ついに始まるか……」

 

 アインズとカワウソは、ツアインドルクス=ヴァイシオンの背に乗って、大海の上空を飛行している。それぞれのLv.100NPCたちも飛空するアイテムに乗りこみ、決戦地と定めた大海原──ワールドエネミーとの戦いで生じるだろう被害を最小限に抑えられるポイントに向かっている。大陸から最も遠い無人の小島──岩礁帯が顔を出している、遠浅の海の上。

 白金の竜王の背中には、始原の魔法(ワイルド・マジック)で造られ操作される竜鱗鎧(スケイルメイル)も同乗し、三勢力の首領は顔を突き合わせる形で、最後の作戦確認を入念に進めていた。

 

「我々の目的は、神竜ことワールドエネミーと戦い、龍の核と成り果てたプレイヤーの『救済』にある」

 

 今回の討伐行の目的を、アインズが重々しい口調で説明する。

 

「200……300年前に、十三英雄リーダーの世界級(ワールド)アイテム“ダヴはオリーブの葉を運ぶ”によって封殺された神竜。多くの犠牲を支払い封じられた骸は九つに分解され、災厄を生き残った当時の人々や各国政府によって、厳重に管理されることになった……しかし、時の法国指導者が管理することとなった神竜の腹から、ありえざるものが生まれたのは、皆の知っている通りだろう」

 

 その生まれたものは、『世界の盟約』に反するモノ。

 アインズは、今回の大規模作戦の概略のみに言葉を尽くす。

 

「スレイン平野に封じたアレが、今回復活させる神竜と同調し、復活する可能性もありえるが、あちらは世界級(ワールド)アイテム“二十”を装備したユウゴとウィルディア、ナザリック地下大墳墓の全兵力を結集している。我々が戻るまでの時間稼ぎ程度は、難なくこなしてくれるはず。そう言い切れるのも、カワウソの世界級(ワールド)アイテム“亡王の御璽”の『自軍勢力の無敵化』のおかげだ」

 

 堕天使の頭上で回る赤黒い円環に、全員の視線が集まる。

 いきなり持ち上げられてしまい、カワウソは頬を掻いた。

 すでに、アインズ・ウール・ゴウンと協調を始めてから数ヶ月以上……互いの連携や、世界級(ワールド)アイテムの性能確認などは、十分に行い尽くしている。

 アインズは確認を続けた。

 

世界級(ワールド)エネミーは、Lv.100プレイヤーの軍団(レギオン)──6人×6チーム……36人編成をもってしても、攻略が難しい敵である。“だが”」

 

 それ以上の人数編成で挑むことは不可能な摂理(ルール)が存在する。

 ワールドエネミーの討伐は軍団(レギオン)単位……たった36人構成で攻略するのが望まれる。

 だが、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの討伐に乗り出した、1500人という大規模侵攻が繰り広げられたユグドラシルにおいて、ワールドエネミーを倒すのに1000人──とまではいかずとも、100人単位のプレイヤーが協力すれば、打倒することは容易に思える。現れたワールドエネミーを軍団が三つほど集まり囲って、そのままタコ殴りにしてもよさそうな感じだ。

 だが、それは“できない”。

 できない仕様が、あのゲームには存在した。

 ワールドエネミーというのは文字通り、世界の敵である。

 世界の敵たるボスモンスターは、一軍団(レギオン)以上のプレイヤー数・36人以上を検知すると、打倒することが事実上不可能な“無敵”の存在に変わってしまう。無敵の敵が吐き出す広範囲拡散攻撃はすべて即死級。9が数桁も並ぶ超過ダメージとなり、ワールドエネミーの召喚に応じた雑魚共まで、討伐に赴いたプレイヤーを駆逐し蹂躙し殲滅するありさまを呈するのだ。そして、無敵と化したワールドエネミーの防御力は、わずか1ダメージも通らない鉄壁ぶりを発揮する。

 世界の敵(ワールドエネミー)が、バランスブレイカーといわれる所以(ゆえん)──世界の敵を討伐するための員数は、事実上の制限が設けられていた。100人規模のプレイヤーに、均等にワールドエネミー討伐の報酬を支払うだけのデータが足りないということもあっただろうが、プレイヤーたちからしてみれば、運営側からの挑戦と挑発にほかならなかった。

 そして、この異世界にはユグドラシルのゲームシステムが、ある程度まで適用されているという事実。

 故に、ワールドエネミーを倒すには、36人しか投入できないのである。

 当時それが理解できていなかった十三英雄の現地人──彼らの麾下におかれていた大軍勢は、瞬きの内に殲滅された。

 リーダーの彼女を核として顕現した、神竜の食事・栄養源として、多くの英雄や人々が犠牲となり、魔神たちによって崩壊しかけた諸国を跡形もなく──文字通りに“平らげてしまった”のだ。いくつもの国が滅び、いくつかの種族が絶滅の憂き目を見た。

 アインズは現状を冷静に分析しつつ、見解を述べる。

 

「一応、こちらは用意できるだけの戦力は用意できている。──君たち天使の澱の参入のおかげで、な」

「期待してくれてどうも」

 

 だが、カワウソの用意した戦力──Lv.100NPCたちは、その性能にはバラつきがある。

 レア種族たる「女神」のミカ、「花の動像」のナタなどは破格の性能と言ってよいが、暗殺者特化のイズラや補助タイプのマアトなどは、今回の戦いでどこまで役に立てるものか。一応、アインズに案内されたナザリックの宝物殿から、天使の澱のNPCに使えそうな武装やアイテムをピックアップして再強化を試みてはいるが、ワールドエネミーを相手にする上ではまだ不安の方が大きいところ。

 

「できれば、あの赤い……ルベド、だっけ? あのおっかない少女も、使えたらよかったかもだが」

「それは不可能と言うべきだな。あの娘には、NPCのような知性や判断力は備わっていない──アレは、ただのシステムとして、タブラさんがこしらえた暴力装置だからな。外に出してワールドエネミーを倒す前に、こちらがルベドに全滅させられる方が早いかもしれん」

「……おっかないなぁ、本当に」

 

 ルベドは、タブラ・スマラグディナというプレイヤーが創り上げたギルド防衛システムとしての投影装置。その暴虐性はただのシステムであるが故に、まったく“敵味方の区別なく”駆動するもの。あの赤い少女は、プレイヤーやNPCを強襲する破壊の権化であり、悪辣極まりない殲滅兵器──おまけにブラックボックス化されたその機能を改造改変するなどは不可能ときている。願望成就系のワールドアイテムでも使えば話は違うだろうが、アインズが仲間たちの残した存在たるものを過度に変質させ、変換させるようなことをする男でないことは、もはや十分了解できるほどの親交をカワウソは得ていた。

 今回の戦いに投入できる戦力は、ごく限られている。

 求められる戦力というのは、Lv.90代の高レベルモンスターでも“足りはしない”。

 雑魚ばかりが数千……数万……数億体いたところで、“世界そのもの”というべき敵には何の用もなさないのだ。おまけに今回の敵の特性は、そういった雑魚を喰らえば喰らうほど性能が上昇するタイプ──実際に交戦して生き残っているツアーが分析した結果なので、この情報は確定的だ──「“あれ”は、数国を一夜で食い尽くし、僕たちが揃えることができた異種混合の討伐軍を、ものの数分で平らげ、まったく手が付けられなくなった」とのこと。

 つまるところ、ナザリック地下大墳墓の上位NPCがどれほど優秀だと言っても、迂闊に中途半端な戦力投入を試みては、逆にこちらの首を絞める結果にしかならないということ。現地の一般人──魔導国臣民の戦線投入など論外。求められるのは、「少数精鋭」による「速攻即滅」……これしかない。

 

 ナザリック地下大墳墓が有するLv.100の戦力

 

 アインズ・ウール・ゴウン──アルベド、シャルティア・ブラッドフォールン、アウラ・ベラ・フィオーラ、マーレ・ベロ・フィオーレ、コキュートス、デミウルゴス、セバス・チャン、パンドラズ・アクター、オーレオール・オメガ……以上10名(各員、世界級(ワールド)アイテムを装備済)。

 ナザリック地下大墳墓のギルド拠点付属・戦略級攻城ゴーレム──ガルガンチュア……1名。

 第八階層のあれら──生命樹(セフィロト)シリーズの太陽(ティファレト)(イエソド)火星(ゲプラー)水星(ホド)木星(ケセド)金星(ネツァク)土星(ビナー)天王星(コクマー)海王星(ケテル)……9体。

 

 そして、アーグランド信託統治領のLv.100戦力

 始原の魔法(ワイルド・マジック)の担い手、“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツアインドルクス=ヴァイシオン……1名。

 

 以上、21の戦力。

 

 そして、100年後に加わった新戦力の存在。

 

 ギルド:天使の澱のLv.100の戦力

 カワウソ──ミカ、ガブ、ラファ、ウリ、イズラ、イスラ、ウォフ、タイシャ、ナタ、マアト、アプサラス、クピド……以上13名。

 ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の戦略級攻城ゴーレム──

 デエダラ……1体。

 

 以上、14の戦力が加入し、合計して35の戦力────

 

 計算上、世界級(ワールド)エネミー一体と戦うのに必須の頭数は、ほぼ揃っている。ユグドラシルのシステム上、36人から構成される軍団(レギオン)にも匹敵する戦闘集団だ。

 あと一人くらい追加しておきたいところであるが、Lv.100相当ではない存在など、数合わせとして組み込んでも意味がない。真っ先に脱落してしまう戦力など、対ワールドエネミー戦においては邪魔になりかねない。

 一応、候補として名前があげられた一人──アインズ・ウール・ゴウンの御嫡子である第一王太子──ユウゴが、Lv.100の領域に最も近いというが、彼の魔導国内での立場や責務……有事の際の後方支援や残務処理、スレイン平野の監視を生命樹(セフィロト)の一体である地球(マルクト)と共に務め、もしもアインズたちがワールドエネミーに一歩及ばなかった場合、父たちの復活を断行するための要員として残しておくのに相応しい存在となれば、アインズの息子以外に存在しなかった。

 八欲王の残したLv.100NPC──エリュエンティウの都市守護者30名が参戦できない理由は、語るには及ばない。

 

「やるんだな」

「当然だ」

 

 カワウソの声に、死の支配者(オーバーロード)は悠然と頷いた。

 

「私は、アインズ・ウール・ゴウン。

 世界の敵ごときを打倒できずして、すべての伝説を塗り替えよなどとは、言っていられないからな」

 

 カワウソは笑った。

 そして、三人は最後に互いを見やる。

 

「では」

「ああ」

「始めるとしよう」

 

 アインズが、カワウソが、ツアーの鎧が、頷いた。

 そして、アインズのNPCたちが、上位(グレーター)無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァサック)……九つを用意する。

 袋の中に詰まっていたのは、大陸各地に散らされ、魔導国による大陸統一以降は、厳重に封じられていた……神の竜の骸。

 人の背丈を優に超えたそれを、アルベドたちは竜の背中から、眼下の海に投棄する。

 

「ミカ」

 

 アインズ・ウール・ゴウン──もとい、エリュエンティウの都市守護者たちから一時的に貸与された世界級(ワールド)アイテム“無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)”……を携えた女天使が、最上級の蘇生手段を行使する。ワールドエネミーを復活させるのに、低位の蘇生では効果がない。

 ミカの伸ばした手指が、ひとつの死骸──神竜の核につきつけられる。

 

「〈真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)〉」

 

 彼女の魂を、NPCの希望の(オーラ)が、捉える。

 そして、

 ついに、

 

「おおおお……」

 

 鎧ではなく、竜体のツアーが、感嘆の吐息を零した。

 待ち焦がれていた再会。

 ありし日の姿──友に世界を旅した森妖精(エルフ)の女プレイヤーの匂いを、竜王の明敏な感覚野が嗅ぎ取っていく。

 同時に──

 

「…………ああ、やはり」

 

 絶望の象徴たる異形も、その姿を、力を、取り戻していく。

 彼女を──プレイヤーを核たる宝珠に組み込んで顕現した、一匹の“龍”。

 

「久しぶりだな──ワールドエネミー……」

 

 リーダーが読み取ってくれた情報。

 あのワールドエネミーの名は、「四凶」の──

 

 

「“饕餮(とうてつ)”」

 

 

 光臨したのは、深淵よりもドス黒い、純黒の龍。

 その瞳は貪欲な色彩に濁り、獲物を渇望する牙の列は、巨躯を誇る白金の竜王・ツアーすらも砕き、呑み込みかねない。

 

 その日、その時、飢え渇く世界の敵が、死の(とこ)から目を覚ました。

 ユグドラシルサービス終了の日に、どこかで存在を忘れ去られていた者が、この異世界に現れてより幾年月。

 

 

「 ────────────────────── !!!!!!!!

 

 

 遠雷とも雪崩とも、悲鳴とも絶叫とも咆哮とも形容しがたい、天地鳴動の音圧。

 その猛り狂った旋律は、まるで、親とはぐれ迷う嬰児の声にも思える。

 

 

 今ここに、アインズとカワウソとツアーの率いる軍団(レギオン)による、ワールドエネミー“饕餮(とうてつ)”との戦いが、幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢の中の世界──昔懐かしい、モモン姿の彼と共に訪れた、とある村の木陰で、彼女たちは再会する。

 

「ああ、やっぱりいた!」

「あ」

「久しぶり、ニニャさん」

「お久しぶりです。えと」

「ああ、また忘れちゃった?」

「すいません。私の力だと、あまりこちらでの記憶が」

「仕方ないわ。ニニャさんは私とは違って、レベル上限のある現地人だもの」

 

 ニニャが夢で会うようになった女性は、黒い喪服のような──だがとても蠱惑的で艶っぽいドレスに、黒いベルトの拘束具などがアクセント感覚で散りばめられている。豊満な肢体を拘束するような感じになっているので、同性の目から見てもかなり──きわどい。顔立ちもよく整っているが、ふと、誰かと面影が重なっている気もするのは何故だろう。翠玉色の髪が影となっているが、とてもきれいな微笑を持っていて、一目見たら忘れそうにない美人さんなのに。

 ちなみに。

 夢の中のニニャの風貌は、ありし日の冒険者の装い──かつて、アインズと共に旅をした当時を思わせる格好に、当時よりもだいぶ伸びた茶髪という風情で、この不思議な夢の世界を彷徨(さまよ)っている。

 夢の世界は本当に居心地がいい。

 空腹も痛みも何もなく、歩いても歩いても、疲れることが決してない。

 そのうえ自分が生きたい場所や風景を見ることができるが、誰かと出会うことはほとんどない。

 唯一の例外が、ニニャと女性の出会いであった。

 

「やっと会えましたね……前は、二ヶ月前、でしたっけ?」

「あれ? 二年前じゃなかったかな?」

「え。そ、そんなに……ああ、夢の中だと時間の感覚も、その」

 

 狂ってしまう。

 無論、人間の時間を順当に歩むということは、それだけ寿命に近づくということなので、この状態こそが望ましいことではあるが。

 

「いやいや。私感覚で二年だから、ニニャさんの方が正解かもよ?」

「すごいですね。夢の中でずっと生活していらっしゃっるんでしたよね?」

「そうそう。もう何十年……何百年……何千年くらいかな?」

 

 話を聞くたびに、とんでもない女性だと痛感させられる。

 いったい、彼女がどうして夢の中で生きるようになったのか聞いたことがあるが、本人もあまり覚えていないという。

 それもそうだ。

 何千年も、こんな世界で生きていると、寂しくてたまらない。40~50年ほど、この状態を維持しているニニャですら、誰もいない孤独な世界というのは、いろいろと悩ましかった。

 時間の感覚は薄まり、記憶にもいろいろと齟齬が生じる。

 ──時折、自分を呼ぶ旦那様・愛すべきあのひとの声に反応して、意識が浮上する時が待ち遠しいくらいに。

 

「せっかくだし、お茶にしましょ?」

 

 そう言って翡翠の髪をはずませながら、女性はウキウキと〈上位道具作成〉の魔法を行使する。

 魔法道具の作成に適した職業レベルを有しているらしく、あっという間にティーセットをのせたガーデンテーブルと、繊細な造形をあしらったイスが二脚、木漏れ日の眩しい緑の大地に現れた。

 彼女が淹れてくれた──作った魔法のアイテムなので、調理スキルなどではない──紅茶は、飲食不要な夢の中でも素晴らしい味わいであった。お茶請けのバタークッキーやドーナツ、マカロンやチョコレートも美味しい。

 

「すごいですね。私も、夢の中で魔法が使えればいいんですけど」

「最初のうちはしようがないですよ。私だって、魔法を自由に使えるのに300年は特訓しましたから」

 

 微笑みながら目の前の人はすごいことを言う。

 ニニャは、対面に座る女性に(たず)ねてみた。

 

「どうして、そんなにも長い間、夢の中で生きているんですか?」

 

 気になってしようがない。

 この話は前にもしたような気もするが、記憶があやふやになる夢の世界では、致し方ない。

 

「うーん────ニニャさんになら、言ってもいいかな。うん。ちょっと恥ずかしいけど、せっかく出来た話し友達だし……」

 

 女性はカップをソーサーに置き、イスの上で膝を抱え、その上に頬杖をつきながら、とても恋しい音色で、とても愛らしい胸の内を、述懐した。

 

「私はね。待っているの」

「待っている──誰を?」

 

 たまらずニニャが行った問い返しに、彼女は答えあぐねる。

 

「わからない……私がこうなってから、もう五千……数千年は経っているみたいだから」

 

 ニニャは息を呑んだ。

 この夢の世界を、何千年も生きる女性を一心に見つめる。

 

「でも、私は彼を待っている。それだけは忘れない」

 

 彼女は語った。

 

「私にとって彼は、とても大切で、とても大事で、とても──ええ、とっても大好きな人だった……彼のためにいろいろと頑張って……結果やりすぎちゃったことも何度かあったけど、そのたびに彼は笑って許してくれて。私の長話にも、いやな顔ひとつ見せないで……ああ、もう、リアルの顔も名前も、彼や皆と作ったギルドのことも、今は何も思い出せないけれど……それでも、私は、彼がこの世界に来ることになった時に、ちゃんと彼を支えられるようになろうって、彼が生きやすい・住みやすい場所を用意してあげようって……彼がユグドラシルのゲームアバターのまま、異形種の姿でこっちに来ることになったら、きっと、とても大変だと思う。けれども私は、あの当時はいろいろと嘘をついたり隠したり……しかも、この姿じゃ、たぶん──彼には気づいて貰えないかもしれない…………それでも」

 

 その眼差しは遠くを見ていた。

 遥か数千年の向こうに置き去りにした、大切な思い出を見つめているとわかった。

 

「その気持ち、わかります」

「?」

「同じことを目指して、やろうとしているひとを、私は、知っています」

「……へぇ? 私みたいな人が、他にも?」

 

 だから、ニニャは言い募った。

 

「何か、彼という人のことで、憶えていることはありませんか?」

 

 なんでもいい。

 少しでも彼女に協力できることはないものか、ニニャは問い続けた。

 

「異形種の、骸骨……だったかな……?」

「──骸骨?」

 

 ニニャの脳裏にすぐさま浮かぶのは、たった一人だけ。

 

「そう。それで、とても強い死霊系魔法詠唱者(ネクロマンサー)で、私の力は人間でそれを再現してみたものなの──あれは本当に凄かった。すごい数の敵を、彼の世界級(ワールド)アイテムで変貌した星が、一片に吹き飛ばしちゃったこともあった……っけ? あれ、……あったよね?」

 

 骸骨。

 死霊系魔法。

 そういったプレイヤーに、ニニャは覚えがあった。

 覚えがあり過ぎた。

 脳裏に浮かぶのは、自分を伴侶としてくれた彼が──死の支配者(オーバーロード)の魔導王が、語り聞かせてくれたことがある、1500人の討伐隊を全滅させた話。

 確か、その時の人が、100年後の魔導国に現れた、と。

 

「あの──前にも聞いたことかも知れませんけど」

 

 ニニャは黒衣の女性に(たず)ねた。

 

「あなたの、お名前は?」

 

 その問いかけに、新緑の髪の乙女は儚げに微笑み、唇を開く。

 

「私の、名前は」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界のどこか。

 その入江は、「海上都市」と呼ばれる土地。

 

 褐色の肌と金色の髪を海風にさらす見目麗しい少女たち・軍服姿の十人は、黄金に輝く粘体の手足で、広い浜辺に漂着するゴミの回収任務に従事している。魔導国では一般的となった清掃用スライム──彼女たちは、それと同じように、内部に取り込んだものを溶解・消滅させていく。入り江には時々、ゴミ以外のもの──あちらの大陸から漂流してくる人間などもいるため、それの発見・救助なども業務に含まれているが、ここ100年では一度しか例がない。

 ふと、清澄な鐘の音が響いた。

 

「あれ? お昼?」

「いいえ、違うわ」

「“招集令”の鐘よ」

 

 いつもとは違う鐘の音に導かれ、少女たちは作業を中断。

 今日の清掃班長役に促されるまま、自分たちの拠点へと戻ることに。

 転移門へと向かう道すがら、粘体の少女たちは噂話に花を咲かせる。

 

「ねぇ、聞いた? 例の大陸のこと?」

「聞いた聞いた」

「アインズ、ウール、ゴウン、魔導国、だって」

「100年前には樹立されていたから、このまま何もなければ安定するかしら?」

「だといいけどね~」

「100年ごとにユグドラシルから流れてくるアイテムやプレイヤーを制御できるかどうか、よね」

「魔導王という王様は、異形種のアンデッド──死の支配者(オーバーロード)って話だけど」

「帰還された我等の“代行”、エメト様の情報だから確実か……ここ2000年で、やっとまともな統一国家が誕生したわけね」

「遅れまくってるわよね、あっちは」

「こっちはもう一万年も前から統一されているのに、ねー?」

「あれ? あっちって確か、500年前か600年前に統一されかけてなかった?」

「それは途中で空中分解を起こして“おじゃん”になったじゃん」

「八欲王、だっけ。ワールド・チャンピオンが八人も同時転移したんだよね?」

「そ。でも、亜人種と異形種の王が、人間になりたいとかなんとかで暴走したって、エメト様が言ってた」

「情けな~」

「カッコわる~い」

「ワールドの職業(クラス)ね。こっちは1000年前にワールド・ディザスターが何人か流れてきたけど」

「ああ、あの雑魚」

「雑魚の割には、おいしかったわよね」

「ええ? 私は、もっと体力ある方がすき」

「分かるわ~。踊り食いの時、中で暴れる感覚とかね」

「うんうん」

「でも、中で魔法を乱発してくれる感触も捨てがたい」

「だねー」

「でもワールド・ディザスターやワールド・ガーディアンみたいな職業持ちじゃなくて、世界級(ワールド)アイテムが来てくれないと意味なくない?」

「確かに」

「今、ウチのギルドが蒐集し終わっているのは」

「100個と少しくらい……アイテムは全部で200個って話だから、ようやく半分だね」

「そろそろ向こうの大陸に行ったやつを採りに行く時期? まだ早いかな?」

「前は200年前だっけ。熱素石(カロリックストーン)が発見されたの」

「あんな量産可能タイプの世界級(ワールド)アイテム、もういらない気がするんですけど?」

「まぁね。でも、単体で来てくれると、ほんと楽だよね。所持者までおまけに付いてきたら、剥ぎ取るための交渉とか戦闘とかやらなくちゃだから、正直めんどい」

「こ~ら。大事な任務なんだから、めんどくさがらないの」

「はーい。わかってまーす」

「──で。むこうの大陸は、八欲王とか言う連中のあと、目ぼしい国やプレイヤーは立ち上がらなかったんだよね?」

「やっぱり人間も亜人も異形も、全部を受け入れる度量がないと」

「他の種族を絶滅させるのって簡単だけど、一種族だけが生き延びてもジリ貧もいいとこだし?」

「最強のドラゴンだけじゃ、宝石や貴金属は生まれないのと一緒よね」

「人間やドワーフみたいに、細かいことができる弱小種族も、必要不可欠だもの」

「ねー」

「アインズ・ウール・ゴウン魔導国って言えば、100年前に、冒険者っていうのが来たことがあったわよね?」

「ああ、あったあった」

「私たちとは違う班の子が助けたヤツ」

「で、エメト様がすぐに帰還させたのよね。手土産に、アンデッドを受肉化させる果実とか持たせて」

「うん。創造主(あるじ)様が『もしものために』って、作ったやつ」

「あれ、なんで手土産にあげたの? ぶっちゃけ何の意味が?」

「魔導王っていう人が骸骨だからでしょ?」

「いやでも友好関係の構築にしては、中途半端な気がしなくもないけど」

「まぁ、エメト様がやることだから」

「うん。あまり深い意味なんてないかも」

「確かに」

 

 談笑をこぼす少女たちが、浜辺近くの転移門をくぐる。

 普通の国民ではただの門扉でしかないが、彼女たちに支給されている指輪のおかげで、とあるギルド拠点へと即座に転移することが可能。

 門をくぐった少女らの目の前に飛び込んでくるのは、絢爛豪華な、暗緑色の巨石で建造された都。非ユークリッド幾何学で組み合わされた曲面と曲線で描かれたモニュメントが突き立つ街路を、進む。彼女らのほかにも、招集令を受けた同胞同族たちが、都市中心部に(そび)える神殿──この世で最も尊い方が眠りにつく場所を目指す。

 彼女らの同胞。

 人型ではない不定形の粘体──蛇や鰐の頭を持つ人間──根で自立移動する巨大植物──浮遊する一冊の魔導書──妖艶な色香の漂う女郎蜘蛛──奇怪悪辣を極めた肉塊──竜の形に擬態した触手の群れ──人知を超えた姿の悪魔や精霊や竜や蟲、アンデッドやクリーチャー……魔女や魔法使いなど、まさに化け物のオンパレードというありさまであった。

 彼女たちは並んで、増改築されまくった神殿を降りる。

 その最奥たる“第100階層”で眠り続ける創造主のもとへ。

 たどり着いた拠点最深部……すり鉢状の舞台のような広間“大歌劇場”。

 色鮮やかな緞帳の向こうに、数千年の間に渡って安置されている、圧倒的強者の気配。

 舞台が幕を開けた瞬間、濃密なオーラが閃光のように、場内を満たし尽くした。感激の声が漏れ出す。ここに集うシモベ全員が、畏敬と尊敬、信愛と聖愛、忠義と忠節を尽くすべしと心得ている、世界で最も貴き創造主の名を、海上都市の絶対支配者・創造主の愛称を、唇に乗せる。

 

 

「エメラ様」

 

 

 世界級(ワールド)アイテムを胸に抱きながら眠り続ける、一人の女性。

 翠玉に輝く髪を舞台上に伸ばしまくる、漆黒の眠り姫。

 自らを夢の中におくことで、肉体の死を食い止めるプレイヤーが横たわっている。最高級の寝台を安置した大舞台に向けて、聴衆席にいた全員が、完全同時に跪拝の姿勢を構築。

 いつ見ても美しい。

 いつ見ても愛らしい。

 いつ見ても変わりない。

 そして、眠り姫の寝入るすぐそばに侍ることを許されたギルドの幹部たち──海上都市の枢軸を担うNPCたちが、跪く同胞らを眺め、告げる。

 

「諸君。急な招集令に応じてくれたことに対し、まず感謝を」

 

 主人に降り注ぐスポットライトを背にして、壇上の乙女は宣言する。

 ギルド長の“代行”を務める暗黒邪道師──漆黒のヴェールで顔を隠す淑女に代わって声をあげたのは、“五星辰”と呼ばれる最高幹部……その一柱を担う、無数の触手を翼のごとく広げた、見目麗しい水色の髪の女剣士。彼女以外の幹部に目をやると、金髪褐色の竜人や巨大烏賊(イカ)の人魚、黒褐色の先住民や純白の女神の姿が。そして、幹部というのは“五星辰”だけではない。“従属官”と称される執事(バトラー)女中(メイド)の二人。三人の兄と一人の妹で構築される“四兄妹”。他にも“邪悪の皇太子”、“這い寄る混沌”、“千火の星”、“怠惰の王”、さまざまな異形の存在が集う中で、舞台上で演説をぶつけるのは、もっぱら最高幹部と位置付けられる“五星辰”、その中でも真面目で堅物な女剣士の役割であった。

 精錬と清廉に磨かれた女の声音は鋭く、そして何よりも重い使命感の(たぎ)りを感じさせる。

 ここにいる全員の目的は、この場で語り説かれるほどのことではない。

 祭壇の寝台に横たわる人間の女──自らの状態を仮死状態の睡眠に留め、定命の存在たる人の寿命を引き延ばし続けている眠り姫を、シモベたちは尊崇の眼差しで眺め見る。

 ここに集う者たちは、この数千年から一万年もの間、まったく変わらぬ忠誠と共に存在し続けている、無二の同胞たちだ。

 彼ら彼女らの目的はただ一つ。

 

 ──自分たちを創造し、この素晴らしいギルドを御一人で築きあげてくれた御方を、目覚めさせること。

 

 しかし、今それは叶わぬ願いだ。

 人間である彼女を、眠りから覚ましてはならない。

 目覚めた瞬間に、人間の寿命を迎える事実を思えば、是非もない。

 目覚めさせるための方法と手段、魔法やスキル、アイテムやモンスターを探索し探求しているが、目ぼしい成果は得られていない。

 ギルドの最高支配者に代わって、触手の翼を持つ女剣士がギルドの指針と舵取りを行って、早数千年。

 与えられた名をクートゥルーという女傑は、今回の招集令の内容を(のたま)った。

 

「もう噂には聞こえているだろうが──例の大陸、我等とは違う地を統治せし国、アインズ・ウール・ゴウン魔導国にて、不穏な兆候が見られる」

 

 不穏な兆候。

 その内容は、クートゥルーたちにとっては看過しようのない事態であった。

 

「連中……あろうことか、300年前に封滅した、ワールドエネミーの復活を目論んでいる。我らが創造主たるエメラ様が協力し、封じたモノを、だ」

 

 愚かしい選択であると、女剣士は眉間に皴を寄せて唾棄(だき)した。

 せっかく与えられた創造主の厚意を水泡にして、あろうことかワールドエネミーを復活させようだなどと、ここにいる者達にとっては冒涜的な所業に他ならない。

 これを座して見守る必要があるものか──否か。

 

「無論、魔導王とやらにも様々な思惑や理想があるのだろう。我々と同じように、ワールドエネミーを捕縛・拘束し、麾下に加えることを計画立案している可能性も否定できない──」

 

 だが、だからこそ、裁定を下す必要が出て来るやもしれない。

 連中にどのような思案や計画が存在していようとも、自分たちの唯一無二の最高支配者が力添えを──協力活動を行った、ワールドエネミーの封滅。

 これを反故にするような行動など、あってはならない狼藉だ。

 

「各員、戦いの用意を整えておくように。場合によっては、アインズ・ウール・ゴウン魔導国を、我等の敵性国家とみなすことになるだろう」

 

 水色の髪の乙女の声は、鋼のごとく鋭く硬い。

 しかし、最高幹部らは穏健に事を進めたい考えも表明する。

 

「アンデッドの魔導王……連中の真意がどこにあるのか見極め、調査するべく、今日ここで部隊を再編する。魚人(インスマス)隊と不定形の粘液(ショゴス)隊の第1班から第25班を先遣隊要員に任命、青雷(フサッグァ)隊と炎の精霊(ジンニー)隊の第1班から第12班は────」

 

 クートゥルーの号令に、全員が傾聴し続けた。

 そして、

 

「最後にギルド長代行・エメト様。お一言」

「ええ。──では皆、礼拝の儀を」

 

 そう告げた漆黒のヴェールの女──暗黒邪道師が、眠り姫のつまさきの前に、口づけるかのごとく(ひざまず)いた。

 舞台上の最高幹部たちをはじめ、すでに平伏していたシモベたちも、一斉に居住まいをただす。

 

「必ず、かならず貴女(あなた)様を目覚めさせます」

 

 紡がれるのは宣誓の祝詞(のりと)

 ただそれだけを一心に願うシモベたちは、万歳三唱を広大な歌劇場に響かせ続ける。

 

「「「「「  我等が創造主(あるじ)……“エメラルド・タブレット”様──  」」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニニャは、朗らかに微笑む女性──夢見るままに待ちいたりの名を、聞いた。

 

 

 

 

 

 

「私の名前は、エメラ……“エメラルド・タブレット”……それが、今の私の名前です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【 To be continued…? 】

 

 

 

 

 

 




エメラルド・タブレット = ???・???????


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