オーバーロード 天使の澱 ~100年後の魔導国~ (空想病)
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序章 Prologue 復讐の終わりと始まり

 いったいn番煎じの設定かはわかりません。
 が、前作の後日談で予告した通り、投稿いたします。

※諸注意※
 基本設定は書籍やWebを参考にしております。
 オリジナル主人公・オリキャラ・独自設定が出てきます。
 舞台については、原作から100年ほど未来を想定しています。
 アインズ・ウール・ゴウン魔導国に大陸が支配されております。
 原作キャラとの「敵対」関係。
 これらを苦手と感じられる方は、くれぐれも、ご注意ください。



/End and beginning of the Revenge
















 DMMO-RPG〈Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game〉


 YGGDRASIL(ユグドラシル)


 西暦2126年──今から十二年前──に発売された、仮想世界体験型ゲームタイトルの一つ。
 当時としては破格とも呼べる「プレイヤーの自由度」で人気を博し、国内においてはDMMO-RPG=YGGDRASILと評されるほどの知名度を誇っていた。
 しかし、今は2138年。サービス開始から十二年も経てば人気は下火となり、数多(あまた)のDMMO-RPGと同様の運命を辿ることに、相成った。





 サービス終了の時を迎えたギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)
 そのギルドマスターにして、事実上唯一のギルド構成員である堕天使という異形種――良く日に焼けた普通の人間のような外装の種族、黒い鎧や足甲などを装備したユグドラシルのプレイヤー・カワウソは、ギルド長専用の重厚な椅子に深く体を預け、一つのムービーを見つめながら、その時を待っていた。
 視聴しているのは、ナザリック地下大墳墓攻略時に撮られた動画(ムービー)データ。
 その中で戦う、旧ギルドメンバー……“世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)”……カワウソのかつての仲間たちの姿。ナザリック攻略に参加した、弱小ギルドのプレイヤーたちだ。
 とある事情により、自分(カワウソ)は第三階層で脱落せざるを得なかった為、この動画の中には映っていない。
 しかし、もはやその映像は、自分自身の記憶や経験といっても差し支えないほど彼の脳裏に、深く刻み込まれている。呟く声には、怨念じみた暗さは薄く、むしろ手慣れたような馴染み深い雰囲気、軽妙と言ってよい明るさが(うかが)い知れた。

「何度見ても、チート……反則だろう、これ」

 映し出された場面は、ナザリック地下大墳墓・第八階層。
 第一から第七階層まで多様かつ多彩な装いをして、見る者を驚愕させ詠嘆させていたことが信じられないくらいに何もない「荒野」のフィールドが、プレイヤーたちの目の前に広がっていた。

 だが、ここは悪名高き当時の十大ギルドの一角──アインズ・ウール・ゴウンの拠点の最奥。
 何もないはずのない、広大なフィールドに、当然のごとく現れた、少女とあれら(・・・)
 そして、程なくして、あの惨劇が、幕を開けたのだ。

 動画に映っているのは、1000人近いプレイヤーたちが、ダンプカーに吹き飛ばされる蟻のごとく脱落していく瞬間。
 あそこに映る一人一人のレベルが最大Lv.100であることが信じられないほど、その様は異端的に思える。
 挑んでは潰され、逃げようとすれば砕かれ、防ごうとしたら流され燃やされ、諦めたら諦めたで死の鉄槌が容赦なく呵責なく降り注ぎ降り注ぎ降り注ぐ。
 まるで、路上で踏まれ死にいく虫のようではないか。
 この蹂躙劇によって、ナザリック地下大墳墓の攻略は完全な失敗を遂げ、動画を視聴した多くのプレイヤーから、抗議メールがパンクするほどに運営へ送り付けられたという。
 しかし、運営はプレイヤーたちの抗議を徹底的に退けた。
 声明文はこうだ。



《ギルド:アインズ・ウール・ゴウン(以下、当ギルド)に違法処理を働いた形跡は見られず、そのギルド拠点の運用においても、特に問題視すべき点は見受けられない。当ギルドの行ったと言われるチート行為と評される事象は、すべてギルド運営要件の範疇に収まるものであり、運営がこの案件について、当ギルドへと直接介入すべき点は、一切確認できない……》



 端的に言えば「あいつら、チート使ってないから文句言うな」である。
 しかしながら、ほとんどのプレイヤーには納得がいくはずがなかった。
 再三にわたる調査要求やギルド凍結の嘆願が届けられるようになりはしたが、やはり運営は、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに裁きを下すようなことはなかったのだ。あれは、チートではなかったのだ、と。
 そんな情報を鵜呑みにするほど、プレイヤーたちは従容とした存在ではない。
 いくら相手がそれなりの世界級(ワールド)アイテムを保持している、当時のギルドランキング第九位を誇る最高峰のギルドであろうとも、あんな暴力と破壊の顕現を、たった四十一人程度のギルドで実現できるはずがない。侵攻した討伐隊にも、世界級アイテム保持者がいた(そう、過去形である)のだ。その程度のアドバンテージで、あんな反則じみたことが可能になるはずがない。
 それでも、アインズ・ウール・ゴウンは潔白であるという見解を、運営はついに覆すことはなかった。

「まったく。本当にチートじゃないのかよ、これ?」

 第八階層のあれら(名称不明なため、ネット上では便宜的にこのような呼ばれ方をしている)と、あれらと共に共闘する一人の紅い髪の少女。
 それらの防衛網をかいくぐり、どうにか次の階層へと逃げ延びようとした集団を待ち構えるかのように現れたのは、枯れた樹のような翼を生やした、胚子じみた奇怪な天使。
 それを殺して──殺せて──しまったことで発動した、強力無比な足止めスキル。
 完全に身動きが取れなくなったプレイヤーたちの前に現れたのは、多くの異形種プレイヤーを従えた、強大な力を持つ骸骨の魔法使いの姿。
 死の支配者(オーバーロード)────ギルド長・モモンガ。
 彼が発動させたと思われる世界級(ワールド)アイテムの輝きが荒野を覆った瞬間に見せた、あれらの変貌。
 変貌したあれらが繰り広げた暴虐の果てに、1000人規模のプレイヤーたちは、一人残らず討ち果たされていく。
 その中には当然、自分の仲間たちも。

「……はぁ」

 画面をクリックし、動画を一時停止させる。
 すべては過去の泡沫(うたかた)。ほんの一夜の悪夢。
 過ぎ去ってしまえば、何もかもが懐かしく、輝いて見えるようだ。

「今日で、終わり、か……」

 結局、あのギルドを再攻略しようというものは現れなかった。否、自分と同じように、少数精鋭で果敢に挑みかかる手勢もなくはなかったのだろうが、ついぞ噂の端にも聞くことはなかった。
 当然と言えば当然か。1500人に及ぶ討伐隊が全滅した事実を思えば、あんなギルドに戦いを挑むなど、自殺志願者のそれである。
 そして自分は、そんな自殺志願者の一人だった。

「楽しかったなぁ……本当に」

 悪夢の光景を脳内から払拭したカワウソの胸に去来するのは、かつての仲間たちとの思い出。
 誰もいない大理石の(テーブル)。空いている席の数は、十二。
 座するプレイヤーは、自分ひとり。
 かつての仲間たちとの思い出の再現。いたたまれないほど空虚で広大な空間の中に、自分が創り上げたNPCが二十二体と四匹が並んでいる。これが、ギルド“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”が保有する全戦力、拠点合計レベルは1350となる「ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)」の中に配置された従僕たちだ。
 そのほとんどは天使種族で構築されていたが、とある目的というか理由のため、他にも多種多様な種族と職業で編成されており、一個のチームと考えると、穴という穴、欠点と呼べる欠点の見つからない、身内贔屓を考慮したとしても他のありようが想像できないほど、最高な構成で成り立っていた。
 我知らず笑ってしまった。
 何とも実に馬鹿げている。
 拠点NPCは、外で活動する機能など与えられていない。彼女たちはあくまで、ナザリックに挑むにはどうしたらよいか、あの第八階層を突破するにはどのような編成チームで挑むのが最適解なのかをシミュレーションするための実験にすぎない。


 そうして気づかされたのだ。
 あの第八階層は、通常のプレイヤーたちでは、事実上攻略不能なのだという、事実を。


 そして、カワウソもまた、あのナザリック地下大墳墓に、あのアインズ・ウール・ゴウンに戦いを挑み打倒すべく、純粋な天使種族から「堕天使」へと転生・降格を果たし、それまでの職業編成も出来る限り実戦仕様(ガチビルド)に組み直したのだ。
 ……そうまでして、ナザリックに再挑戦しようとした自分の気持ちを思うと、笑うに笑えないわけで。

「うん。そうだな」

 ふと、カワウソはサービス終了までの退屈しのぎ──ムービー視聴の休憩時間に、彼らをより相応(ふさわ)しい姿勢にすることを思いついた。せっかく此処に全員を集めたのだ。最後くらい、NPC全員の名を呼ぶのも悪くない。
 命令コマンドを「平伏する」ように設定して、先頭から、創造した順番に、その名を呼ぶ。

「ミカ」

 黄金の鎧に身を包み、剣の柄を握った光の騎士とも呼ぶべき容姿端麗な女天使が、名を呼ばれたことで命令を受諾し、平伏(ひれふ)すように膝を折った。
 身に着ける鎧よりも輝いて見える金糸の髪を腰まで流し、空色に輝く瞳を伏せた瞼はきめ細かい肌艶を(まと)って煌いている。慎ましく膨れた胸に、僅かばかりの女の隆起を施した姿であるが、その怜悧な面差しは天使というよりも復讐の女神を思わせる。冷酷な感情と厳正な人格とを秘しているようで、製作したカワウソも凄まじい出来栄えだと自負せざるを得ない。
 最初に創った、カワウソ製作の第一のNPC(ノンプレイヤーキャラクター)は、自分と同じ聖騎士の職業を中心としたレベル構成をしており、ギルド長の“右腕”として機能するだけの実力を備えている。普段は他のNPCがこの階層よりも下層階で巡回警護を行っているのに対し、彼女だけは、常にこのギルドの中枢部に待機させているのは、何とも勿体ない使い方だろう。と言っても、こんな城砦とは名ばかりの穴倉(あなぐら)の中に侵攻してくるプレイヤーなんて皆無だったわけだし、最終日の今となってはどうでもいい反省であった。
 思い、彼女の設定をコンソールで確かめる。
 種族や属性、職業や保有スキルなどを読み飛ばし、彼女の根幹をなす文書データを閲覧する。



『ミカは、堕天使であるカワウソを嫌っている。』



 ……うん。一文目から酷いな、これは。
 思わず吹き出してしまいそうになる。我がことながら、昔の自分は随分とひねたことをやったものだ。
 だが、それすらも今は懐かしい。
 設定データの閲覧画面を排除(シャットアウト)し、カワウソは続けざまに、従僕(しもべ)たちの名を呼びつけていく。

「ガブ」

 黒褐色の肌に微笑の浮かぶ聖女が、

「ラファ」

 厳格ながらも優しい表情の牧人が、

「ウリ」

 炎纏う杖を握る片眼鏡(モノクル)の魔術師が、

「イズラ」

 漆黒の外套に総身を包んだ暗殺者が、

「イスラ」

 純白の衣で全身を覆い尽くす治療師が、

「ウォフ」

 六つの宝玉を首に下げ槌矛(メイス)持つ巨兵が、

「タイシャ」

 雷霆を表す独鈷(どっこ)を手に握った偉丈夫が、

「ナタ」

 数多の剣装を与えられた幼い少年兵が、

「マアト」

 腕と翼が同化している褐色黒髪の娘が、

「アプサラス」

 妖艶な衣装に身を包む翠髪の踊り子が、

「クピド」

 銃火器(マシンガン)を肩に担ぐグラサンと翼の赤子が、

 それぞれの体格や装備、設定を反映するような仕草で、十二人のNPC全員が、ギルドの主である堕天使の前に頭を差し出す。

「それから──シシに、コマに、イナリに、シーサー」

 名を呼ばれた四匹の獣──現実世界でいうところのフェレットのように、細く小さい体躯をしている──が、光を反射させて輝く床面に身体を伏せる。
 そして、Lv.1の堕天使と精霊が各五体ずつの計十体。彼女たちも名を呼べば淀みなく、無言で敬服の姿勢をとっていく。
 この程度の数ならば、コンソールを開いて確かめるまでもなく名は把握している。
 自分が一人で創り上げたものなのだから、当然と言えば当然か。
 それに、彼らの一部にはそれぞれ、かつてのギルメンたちの遺品──武器や防具を装備させ、当時の思い出を風化させないように気を配ってきた。忘れることなどできるはずもない。

「はぁ……」

 時間を確認する。
 再び、動画を再生する。
 あの場面が映るのを、見る。
 かつてのギルド長、“聖騎士の王”(ギルド内での通称であり、厳密にはそのような職業にはついていなかった)として君臨していた彼女が、あれらに蹂躙され、呆気なく脱落する場面を。

 その瞬間、無残にも砕け破壊された、ギルド武器──ギルドの証を。

 この場面だけは、何度見ても目頭が熱くなってしまう。
 カワウソはその光景をまっすぐに見つめ、吐き捨てた。

「……バカが」

 思えば、ここからカワウソの受難は始まったようなものだ。

 自分の頭上に輝く『敗者の烙印』を眺める。

 そこにはまるで赤黒い、天使の輪のように見える──天使の輪は、「堕天使」の種族を取得している自分には本来発生しない。この輪は装備品でしかない──ものがあり、それに被さるように、赤く明滅する“×印”が施されている。この“×印”こそが『敗者の烙印』と呼ばれるキャラクターエフェクトであり、傍目(はため)に見るとこの状態は、×部分の異様に大きな警察署の地図記号が頭の上に浮かんでいるように見えるかもしれない。

 そう。
『烙印』とはその名の通り、これ以上ないほど不名誉な証明に他ならない。

 ギルド武器を破壊されたことでギルド崩壊を経験したものに与えられる『敗者の烙印』は、崩壊したギルドメンバー全員でギルドを再結成するか、キャラクターアカウントを完全削除しない限り、永遠にプレイヤーの頭上に輝き続ける仕様になっている。
 ──そうだ。
 カワウソのかつての仲間たちは、カワウソを一人置いて、このゲームから引退した。
 いや、実際には、逃げ出したのだ。
 いくらギルドの再結成を唱えても、アインズ・ウール・ゴウンに再攻略を挑もうと叫んでも、誰一人として賛同などしてくれなかった……否、それ以前の問題だった。ギルドマスターである彼女を含め、半数以上のギルメンたちは、カワウソに何も告げることなくユグドラシルからアカウントを削除して辞めていった。メールにもまったく反応してくれなかったのだ。
 残されたカワウソ以外のメンバーは、予備のギルド拠点として攻略を保留していた城砦拠点(ギルドはシステム上、複数個の拠点を保有できない。攻略を保留していたのには理由がある)を共に攻略し、カワウソにその使用権を与え、自分の装備やアイテム、金貨を譲り渡し、このユグドラシルというゲームから立ち去って行った。
 彼らへの感情は、今もなお、カワウソの精神を嬲り者にするほど複雑なものであった。



 ゲームにマジになってどうする?



 そう言い残して辞めていったメンバーの一人を、カワウソは否定しない。彼らの言い分は至極当然なものだし、現実的に考えていけば、ただの遊びに本気を出しても見返りとなるものなど、ないに等しい。
 見返りなんて期待していない。
 楽しめさえすればそれでいい。
 そんな気持ちを誰もが抱いて、このゲームを遊んできたのだろう。
 少なくとも自分は、そう思って続けてきた。たとえ、仲間を失い、一人で孤独に戦い続けることになろうとも。
 たった一人で、あのアインズ・ウール・ゴウンに挑んできた。
 だが、そんな日々も終わる。
 あと、十分もしないうちに。

「……過去の遺物ですらない」

 苦笑と共に、頭上を眺める。
 アインズ・ウール・ゴウンに挑戦しようとゲームを続けたカワウソは、とある一つの世界級(ワールド)アイテムを確保することができた。
 しかしながら、その情報をネットに拡散するような愚は(おか)さなかった。(おか)せなかった。
「情報は力」という以前に、こんな世界級(ワールド)アイテムがあることなど、予想すらしていなかった。
 その発見者になったところで、恥の上塗りになるしかないと目に見えている。
 第一、こんなものを確保したところで、あのアインズ・ウール・ゴウンの本拠地、ナザリック地下大墳墓の攻略にはまったく通用しない。いっそのこと、超位魔法〈天上の剣(ソード・オブ・ダモクレス)〉並みの火力があれば、あの墳墓の一階層くらい吹き飛ばすことも出来るのだろうが、このアイテムにはそんな効力は秘されていない。
 故に、誰もカワウソのことなど知らない。
 かつてのギルメンたちも、自分がこんな穴倉のような拠点で、こんなNPCに囲まれながらゲームを続けているなどとは、夢にも思っていないだろう。
 いいや。
 すでに記憶の端にすら残っていないのかもしれない。
 最終日ということで、かつての仲間たちに送ったメールは、ただの一つも返信されなかった。というか、まともにメールを送れたのは、一人しかいなかったのだが。

「あぁあー……」

 最後くらい、本当に最後の最後くらい、もう一度あのギルドに、アインズ・ウール・ゴウンに挑戦してみてもよかったかもしれないと、今になって考える。さすがにこの時間から赴いた所で意味はない。攻略どころか表層の墳墓、というか、ヘルヘイムのグレンベラ沼地にすら到達できまい。
 カワウソは未練を断ち切るように、真っ黒な動画画面を追い払うようにシャットアウトする。
 インターフェイスの一つである時刻を確かめる。

 23:57:28

 0時まで、もう残り時間は三分を切った。
 きっと今頃ひっきりなしにゲームマスターの呼びかけが行われ、終了を記念する花火大会などが行われたりしているのだろう。そういったすべてを遮断してしまっているカワウソには、関係ないことであるが。
 この×印──『敗者の烙印』がある以上、自分は他のプレイヤーの輪の中には溶け込めない。恥さらしと後ろ指を差され、嘲笑されるのは目に見えているし、実際そういった目には何度も遭っている。
 カワウソは改めて、自分が一人で作ったギルドを、かつてギルメンたちと共に創り上げたものに似せた、「かつての栄光の再現」でしかないモノを、眺めた。円卓の間の外を映し出す窓は、薄いレースカーテンの向こうに夜の(とばり)を映し出し、その向こうからは(かす)かな波の音が。
 いよいよ、お別れだ。

「楽しかったなぁ……本当に」

 こんな末期状態のゲームではあったが、ギルメンたちとの思い出は、鮮烈に、鮮明に、この脳裏に思い出すことが出来る。ギルド武器の製造について話し合った。素材集めの予定合わせや狩場の選択でもめにもめた。武器に込める魔法では、とんでもないアイデアをギルマスの彼女から出された時は、満場一致で可決された。
 現実世界に家族も友達も恋人もいないカワウソにとっては、彼らとの時間は、宝物のように感じられた。
 ギルド離散後は、自分やこのギルドを強化するのに、月額利用料金無料にもかかわらず、給料の三分の一を毎月のように課金していた。ボーナスをすべてレアガチャにつぎ込むこともあった。それくらいにのめり込んだ。はまり込んだ。
 こんなにも楽しいことは、二十年以上の人生の中ではじめてのことだ。
 それも、もう終わる。
 再び時刻を確認する。

 23:59:03

 サーバー停止は0:00。残り一分もなくなった。
 幻想の時は終わりを告げ、現実の日々に戻される。
 当たり前と言えば当たり前だ。人は幻想の世界では生きられないのだから。
 カワウソは、最後の瞬間を噛み締めるように顎を引く。
 明日は四時起きだ。サーバーが落ちたらすぐに寝ないと、仕事に差し支えてしまう。
 見渡せるギルド内の光景に、誰もいない孤独な空間に、彼は胸の中で別れを告げた。
 そうして、時刻を数える。

 23:59:55 ── 56 ── 57 ── 58 ── 59 ──

 瞼を下した、瞬間……幻想が終わりを迎える、刹那……何もかもがブラックアウトし……










 0:00:00










「……んん?」

 瞼を開けてみて、その意外な光景に目を(みは)る。
 どうしたことかと、カワウソは視界を見渡す。
 ここはユグドラシルだ。自分の部屋ではない。
 一部を除いて、視界に映るのはゲームの中の光景のままであった。
 カワウソは視線を彷徨(さまよ)わせる。
 マップやタイムログ、他の様々なインターフェイスが視界から消失していた。
 あの忌まわしい『敗者の烙印』までも消え失せている。装備品であるアイテムの赤黒い輪っかだけが、頭上で重く輝き回っているのは変わらない。
 ここはどうみても仮想現実空間のままだ。煌びやかな拠点の最奥。平伏しているNPCたち。
 サーバーダウンで強制排除されるはずが、自分はどうしてゲーム空間の中に残っているのか。
 拠点内装の、古い美術品のような仕掛時計、その時を刻む秒針を確認する。
 少なくとも0時を過ぎていることは確実。
 サーバーダウンが、延期になった? それとも、ロスタイムでも発生したか?
 そう思い、指先で宙を幾度となく叩いてもコンソール──プレイヤーがゲームシステムにアクセスするためのキーボード──が出ない。コンソールを用いない強制アクセスやチャット機能、GMコールも通じない。これでは何もできはしない。

「なんだ? なにが起きている?」

 困惑が声となってこぼれた。
 カワウソは首をひねる。最終手段の強制退去(ログアウト)も試してみたが、世界は依然としてゲームのままだ。
 堕天使は皮肉をたっぷり込めながら頬を緩める。思わず首を横に振っていた。
 サービス終了という最後の最後で……このような失態をやらかすとは。
 いくら末期状態の運営だからといっても、せめて、こんな時ぐらいはしっかりしてもらいたい。
 だが、これも悪くないか。
 誰にだって失敗はある。あの糞運営に対し、今更期待することなどありはしない。
 いや、それとも、まさか──YGGDRASILver.2ということも、ありえるだろうか?
 であるなら、何かしらの通知なり情報なりが入ってきてもよさそうなものだが……

「──どうかなさいやがりましたか、カワウソ様?」

 首を傾げ黙考していたカワウソの意識に、ありえざる声がかかってくる。
 誰だ? 何だ? ここには、自分以外のプレイヤーなどいないはずだが?

「返事をしたらどうですか──カワウソ様」

 様付けの割に、辛辣(しんらつ)な毒舌口調。初対面にしては無礼極まる行為だが、何故かしら耳に心地良いのは、その声は玲瓏(れいろう)な女性の調べを宿していたからだ。
 しかし。
 ますます分からない。
 この声は何処から、誰から発せられているのだ?
 カワウソは周囲を見渡した。そして、視線が合った。合ってしまった。

「な……に……?」
「カワウソ様?」

 呆気に取られ、その女を──NPCたちの長である彼女を見つめる。
 黄金の鎧を纏った女天使──ミカの瞳が、カワウソを見つめていた。





 




 ・




 




 平伏し続けていたはずのNPCの一人が──否、ほとんどすべてのNPCが、その顔をカワウソが見えるように上げている。視線が合ったのはそのせいだ。
 いいや待て。
 おかしいぞ。
 何故、こいつらは顔を上げている?
 俺はそんな命令、出していないぞ?
 混乱の極みにあるカワウソを、さらに困惑させる動作をNPCが取り始める。

「な……に……とは、随分な言いザマですね。人がせっかく心配してやっているというのに」

 輝く金色の輪を頭上に戴く女天使の毒舌が鋭さを増した。
 怜悧な眼光はまるで射抜くようにカワウソの双眸(そうぼう)を見つめ返していて、カワウソの知っているNPCのありさまからはかけ離れているようだった。
 そんなNPCの(おさ)の言動に釣られるように、他の者たちも口を開き(・・・・)、声をあげ始める。

「ちょっと、ミカ。その毒舌は止めなさいな。主様(あるじさま)に失礼でしょう?」
「ガブ、言葉を慎むべきは君の方だよ。我らが隊長の口調は、我が(しゅ)より決められた定めなのだから」
「まぁまぁ、二人とも。君らが争うなんて、無意味なことこの上ないですよ?」
「ウリ殿。そうは言っても、彼らの仲が悪いのも、定めと言えば定めであれば」
「────イズラの言う通り」
「おーい、皆ー。今は平伏中だぞー?」
「貴殿ら。少しは私語を慎むべきだ」
「だがウォフ!! それにタイシャ!! 師父(スース)の様子は明らかにおかしいと思われますが!!」
「そ……それでも、勝手に喋るのは、その、まずいと思う……よ? ナタ君?」
「マアトの言うことも一理あるわね♪」
「フクク、少し黙ってろ、貴様らぁ。御主人(ごしゅじん)が何か言いたそうにしているぞぅ?」

 Lv.100のNPCたちが声を発し、互いが互いに言葉を掛け合って会話している。
 待てよ、おい……会話だと?
 ユグドラシルのギルド作成NPCに、そんな芸当は出来ない。否、その真似事をプログラムすることは出来るが、少なくともこんな流暢に話し合えるようなマクロは存在しない。第一、製作者本人であるカワウソに、そこまでの技能は存在しないのだ。カワウソの技術は、せいぜいキャラクターなどのグラフィックをいじり倒すのが上手い程度。彼らに組み込んだプログラムは、ユグドラシルで流通していた必要最低限な代物。であるなら、彼らの行動は明らかに異常でしかない。

「どう、いう、ことだ……これは」

 彼らだけではない。他に控えているLv.35の動像獣(アニマル・ゴーレム)四体と、メイド姿の堕天使や精霊たちも困惑したようにギルド長へ、カワウソの方へ、視線を投げていた。
 何が起きているのか理解できない。理解なんてできるはずがない。

「本当に、どうかしやがったんですか?」
「だからミカ。こんな時ぐらい、少しは口を汚くするのをやめ」
「っ、ちょっと、黙ってろ!」

 あまりにも混乱し過ぎてしまい、カワウソは大声で怒鳴り散らしていた。

「申し訳ありません」

 二人の女天使は顔を伏せて謝罪の言葉を連ねていく。周りのNPCたちもそれに(なら)うかのように視線を床に落とした。その綺麗に整えられた反応も、カワウソには恐ろしかった。
 彼女たちと、会話している。
 会話が、成立してしまった。
 カワウソは「ちょっと、黙ってろ」というコマンドは組んでいない。
 だが、彼女たちは一様に、その意味するところを理解し、その命令を遵守する。
 ありえない。
 こんなこと、ありえない。
 ありえていいことでは…………ない。
 恐ろしくなって、カワウソは部屋の外へ通じる転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)に視線を走らせた。
 鏡に映っているのは、人間種の外装と酷似した異形種──「堕天使」の青年だ。
 ユグドラシルで遊んでいた自分の姿は、表情を蒼白なものに変えて、鏡の中に映る己を一心に見つめている。

 ……表情?

 目を見開いたカワウソは、更なる異常事態に気付いて椅子を蹴り立ち上がる。鏡に向かって突き進む主の姿に、NPCの視線がまた集中するが、今は知ったことではない。
 ユグドラシル内で活動していく上でPC(プレイヤーキャラクター)というのは、ある程度まで外装をいじることができる。しかしながら、異形種であるプレイヤーに関しては例外が発生する。醜い容姿をしている種族設定のキャラになることを選んだプレイヤーは、人間の価値判断に照らして美しいといえる容姿に改造することはできないのだ(NPCに関しては、このルールからはほぼ除外される)。カワウソが転生・降格を経て獲得した「堕天使」という種族は設定として、異形種の中ではそれなりに人間らしい平均的な造形を備えていたが、その狂相じみた面貌──三白眼の気がある濁った瞳に、髑髏(どくろ)の眼窩を思わせるほど醜悪で不健康な“(くま)”──や、何より異形種の中では最弱的なまでの能力値(ステータス)の低さ……種族的な特性の不利が多すぎる点から、あまり人気なキャラクターではなかった。そんな不利を被るぐらいなら、いっそのこと人間種になって職業レベルをカンストさせたり、悪魔などの他の種族を取得して外装をいじり倒したりした方が、効率が良かったくらいと言えばわかるだろうか。

「なんだ、これは……!」

 そして、
 ここからが重要なのだが、
 ユグドラシルにおいてプレイヤーの表情は絶対に変わらない。
 人間種や亜人種の外装であろうとも、これはほぼ同じだ。表情を各プレイヤーのアバターごとに標準実装することは技術的に無理があり、各プレイヤーがそこまで改造する(やりこむ)意味は薄い上、ゲームをプレイする上での利点が皆無なのだ。
 プレイヤーの心情を表すための感情(エモーション)アイコン──キャラの頭上に浮かぶもの──は実装されていたが、今カワウソが鏡の中で見定めている自分のような顔面の変化は起こらなかったはず。アイコンだと喜怒哀楽とその他程度しかなかった。だが、鏡に映る自分のキャラクターとしての顔面は、本当の自分の顔のようにしか思えないほどに、恐怖と混乱と焦燥などの感情に震え、引き()っている。その変化ぶりは、千差万別と言ってもよい。掌で覆った頬の動く感触までも精巧の一言に尽きる。その触覚にしても、ユグドラシルではここまで現実的ではなかったはず。

「どう、して……こんな……」

 無論、この堕天使の顔というのは、カワウソの本当の顔ではない。現実の自分は二十代後半ながら、白髪ばかりの、悪く言えば老人めいた男だった。この目の前にある、浅黒い肌の青年では──黒髪一色の男では──なかった。この顔は、ユグドラシルに存在する画一された堕天使の表装を流用したもの。課金などによって改造され、完全に他の堕天使と同一ではなくなっているが、現実の自分に似せて楽しめるほど、カワウソというプレイヤーは自己愛(ナルシズム)の強い人間ではない。

「何か、問題でもあったんですか?」

 心配して駆け寄ってきたのだろう鎧の女天使を振り返る。
 彼女の行動と言葉は、心からギルド長であり製作者であるカワウソを案じてのものだと理解する。
 だからこそ、理解できない。
 何故、NPCに──ノンプレイヤーキャラクターに──ただのゲームデータの集合体に──こんなことができるのだ。

「おまえたち……何が、どう、なっている?」

 ()いても、ミカは何のことかわからずに仲間のNPCたちを振り返った。
 彼女らもまた、カワウソの問いかけに疑問符を浮かべている。

「何があったんです? はっきり言ってもらわないと、こっちは迷惑なんですけど?」
「わからない、のか?」

 (いな)。わからない方が自然なのかもしれない。
 彼女たちはゲームの外の世界など知らない存在。プレイヤーであるカワウソのように、ゲームと現実(リアル)の違いなんてものを検分検証するようなことなど不可能なことだろう。
 ここが、此処(ここ)こそが、彼女たちにとっての現実であり、彼女たちだけの世界なのだとすれば、わからないという方がむしろ現実じみた気がする。
 とにかく、もっと確認しておく必要がある。
 確認せねばならないことが、ある。

「ミカ。俺の、(そば)へ」
「……了解」

 かすれた声に応じた天使は、一歩前に踏み出し、カワウソに触れられる位置につく。
 彼女は毒舌家ではあるようだが、製造者の命令には従ってくれるらしい。
「俺の傍へ」とはカワウソが設定したコマンドだ。返事をするようなことはゲームではあり得なかったはずなのだが、次で確定的になる。

「手を出してくれ。右手の装備、籠手(こて)は、外してだ」

 (いぶか)しむミカは面倒くさげに装備されている籠手を外して、右手を差し出してくる。
「手を出してくれ」というのはコマンドにはない命令だった。あまりにも細分化され過ぎている命令を組めるほど、カワウソはマクロに通じてはいないし、そういうツテもコネも金もなかった。さらに言うと、NPCの装備というものは、プレイヤーの手によって脱着されるものであり、彼女(NPC)個人で取り外せる仕様ではなかったはず。だが、ミカは自分で装備を外せた。これらが意味することとは。
 ……とにかく、確認することが第一だ。
 何はともあれ、女の手に触れる。
 より正確には、その細い手首に。
 人間と同じ健康的な肌の色の下で、生物の鼓動がトクントクンと脈を打っていた。体温もしっかり感じ取れる。無論、こんな現象はユグドラシルには存在しない。存在する意味がない。
 この脈動と温度が意味すること──彼女は、生きている。
 他のNPCもそうだとしたら、これは一体どういうことなのか。
 カワウソはミカの手を解放し、咄嗟に自分の首筋へ震えっぱなしの手を伸ばす。
 そこに脈と熱があるのは勿論、掌にべったりと張り付いていたのは、汗の雫だ。
 ユグドラシルには疲労という状態異常は存在したが、こんな風にプレイヤーが発汗するような仕様ではなかった。せいぜい汗を流す感情アイコンが出てくる程度。喉を生唾が嚥下していく。これもまた、ユグドラシルではありえない生体反応。

「ひぅ……う、あっ!」

 あまりのショックに口を手で覆った。短く小さい嗚咽が、ひっきりなしに喉を滑る。
 荒い呼吸と嘔吐感に襲われ、立っていられなくなる。こんな感覚もユグドラシルなら存在しない。存在しなかったはずだ。膝を床に強く打ちつける。そのまま倒れ伏してしまいたくなるほどの寒気が、背中を突き刺し、腹から飛び出し、口腔の奥底から何かをブチ撒けてしまいそうになる。全身が痙攣にも似た震えに支配された。

「……おい、どうかしやがりましたか?」

 女天使の声を無視して、熱くなる瞼を閉ざす。
 祈るような気持ちで早鐘を打つ胸に片手を伸ばした。
 その鼓動の早さと呼吸の苦しさまでもが、気色悪いほどに現実的で、

「お、う、あ……あ………………、あ、あれ?」

 瞬間、
 何故だか急に、心が安らぐ。ミカの手が触れた肩先から、何か暖かなものが心臓に流れ込んでくるような気がする。

「カワウソ、様?」

 いきなり思考が冷却されて若干以上に戸惑いつつも、カワウソは姿勢を正した。

「……おまえたちに、聞きたい……ここは、……何だ?」

 主人の言葉にミカは手を添えたまま首を傾げ、事もなげに言い放つ。

「ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)、でありますが?」
「いや。ギルドの拠点名じゃなくてな……」

 何と言えばいいのだろう。
 ギルドの外の地名か?
 それとも九つある世界の内のひとつの名か?
 どれも違う気がする。
 というか、このギルドの外というのは、本当に自分の知っているゲーム(せかい)なのか?
 考えただけでおぞましい仮説に身を震わせながら、カワウソは疑問をNPCたちにぶつける。

「誰も、気づいていないんだな?」

 疑問にはやはり、誰一人として答えられなかった。ミカも困惑を深めた、険のある眼差しで見据えてくるだけに終わる。
 意を決し、カワウソは立ち上がる。鏡の前に向き直った。

「外に、出る」
「狩りですか?」

 装備を右手に着け直した天使が問いかけた。
 カワウソは簡潔に応じる。

「確かめたいことが、ある。とりあえず全員、転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)の前に」

 打てば鳴るかのように、すべてのNPCが、カワウソの命令を順守した。
 この最上階層には、下の階層へ続く鏡――転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)が存在する。
 鏡は高さ三メートル、幅一メートルもある大きさだ。
 ホームポイント……ユグドラシルにIN(イン)した際に、プレイヤーが必然的に出現する仕様になる登録地点のギルド拠点内部に(しつら)えたそれは、下の階層へ至る唯一の手段であると同時に、ここから外へ──厳密には地表へ出ていくのに便利なギミックを施されている。
 鏡を支える左右二体の天使像がそれぞれ掲げ持っている鞘込めの剣を、二本とも前に傾ける。
 これで、この鏡は下の階層にではなく、外に通じる鏡と繋がるようになった……はず。
 もしかすると、転移機能は失われており、自分はこの階層に閉じ込められている可能性がチラッと頭を()ぎる。
 カワウソは熟考に熟考を重ねて、ひとまず二人のNPCに命令を出した。

「ミカとナタ、二人で外に出ろ。地表の様子を確認してこい。戦闘は極力避けるんだ。誰か、話の出来るものがいたら友好的にふるまえ。出来れば、ここへ連れてき……いいや、それはいい。とにかく、出来る限り、情報を集めてくれ」
「……了解」
「承知!! お任せを、師父(スース)!!」

 やる気なさげな返答と、元気一杯な笑みが、鏡の向こう側へ消える。命令を断られたらどうしようと身構えていたが、無駄になってくれて助かった。
 そしてどうやら、転移機能に問題はないようだ。
 しかも、NPCたちは外に出られるらしい。
 ギルド拠点のNPCは基本的に外の世界へ出ることは不可能なはずだったが、とりあえず問題はないように見受けられる。彼らが出られなければ、自分ひとりで外に向かわねばならないと思っていたから大いに安堵する。しかし、だとするとこれは、ゲームの出来事ではない、のか?
 偵察や囮役としてなら、門番の動像獣(アニマル・ゴーレム)たちや堕天使と精霊のメイドを使うのもよかったが、この外がどうなっていて、どんな存在がいるかわからない以上、こちらの最高戦力二人を出すのが適切だと判断した。(いたずら)に強力な手札を失う可能性もなくはないが、中途半端なレベルの動像獣(アニマル・ゴーレム)たちや、ギルドにおいて最弱のメイドたちでは即座の戦闘やデストラップなどに対処することは不可能なことを考えれば、他に処置がない。
 無論、カワウソがいきなり外に飛び出すのは論外だ。こんな異常事態に、外の様子も解らないまま外に飛び出たりして、何かあってはたまったもんじゃない。今の自分の感覚は、まさしく生きた感覚のそれだ。もし仮に……仮にだが、この世界が現実のもので、この体に、心臓に、何かしらのダメージを与えられたりしたらと思うと、根源的な死の恐怖を想起される。絶対に、自分がいきなり外に出ることなど出来はしなかった。
 時間にして二分ほどが経過したのを()れる思いで見計らない、カワウソは次の指示をNPCの一人に命じる。

「マアト、ミカに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばしてくれ。二人の状況を確認したい……出来るか?」
「か、かしこまりました」

 翼が腕と同化した褐色肌に黒髪の乙女に魔法を使わせる。
 自分が魔法を使う実験をするのも(やぶさ)かではないが、NPCにプレイヤーの〈伝言(メッセージ)〉が通じるとは思えなかったので、ここではあえてマアトに魔法が使えるかどうかを確かめるために使わせた。本来〈伝言(メッセージ)〉の魔法というのはプレイヤー同士が互いに連絡を取りあうための手段であり、NPCそのものに〈伝言(メッセージ)〉が使える意味などない。だが、この状況下ではNPC同士であれば〈伝言(メッセージ)〉も十全に使える公算が高いし、その後で自分も彼らと交信が可能なのか実験すればいい。カワウソは聖騎士や信仰系の職業しか修めていないため、それほど多彩かつ大量の魔法は修得していないし、さらに言うと、カワウソは〈伝言(メッセージ)〉を飛ばせるだけの親交のあるプレイヤーが、最終日の段階で存在しなかったことも理由のひとつに含まれる。
 何はともあれ、NPCはあっさりと魔法を使い、程なくして外へ出た仲間との意思疎通が可能な事実をカワウソに教えてくれた。

「あ、繋がりました。〈伝言(メッセージ)〉を中継しますか?」
「あ……ああ……頼む」

伝言(メッセージ)〉の会話は、マアトを通じて女天使の意思とカワウソたちの意識とを直結させた。
 これは、彼女が保有し発動した魔法〈全体伝言(マス・メッセージ)〉の効果によるもので、誰でも使えるものではない。ここにいる全員の耳に、外に出た彼女の声が届く。

『何の御用で?』
「ミカ。外の様子は?」
『これくらい、自分で確かめたらどうです?』

 彼女の毒舌ぶりには何故か安心してしまうが、今は他に重要なことがある。

「外の様子を教えろ、今すぐに」
『チッ……何もありませんね』
「何?」
『だから、何もないんですよ。ただの平野。吹きっさらしの大地。輝く月と夜空だけ』

 はぁ?
 何だ、それは。

「ちょっと待て……森は? 腐蝕姫(ふしょくひめ)黒城(くろじろ)は?
 何か、空を飛んでたり、文字が浮かんでたりとかは?」
『そんなもの、影も形もありやがりませんね。ついでにいうと、モンスターどころか小動物すら見当たらない。ひょっとすると虫一匹いないんじゃないかという感じですね、これは』
「そう、か……そうか……」

 頷きはしたが、まったく理解が及ばない。
 この拠点の外の世界は、ユグドラシルとは違う……のか?
 無数の可能性や疑問点が頭の中を駆け巡るが、どれもこれも情報が足りていない現状下では意味をなさないものばかりだ。
 カワウソは、決めなければならない。
 自分が一体、どうするべきなのかを。

「……外へ出た二人に合流する。ガブ、ラファ、ウリ──マアトの四人は俺に続け。四人とも、戦闘になった際には俺を護れ。残る全員は……この場で待機。こちらで何か緊急事態にあったら〈伝言(メッセージ)〉を飛ばす。わかったな?」

 居残り組を代表するように、巨体を屈めたウォフが、兜の奥で服従の声と笑みの気配をこぼす。
 カワウソはいつものように鏡をくぐろうとして、そこに映る自分の表情に数秒をたじろぐ。
 鏡の中にある自分の表情は、明らかな怯え。
 あの固定された、堕天使の顔など何処にもない。
 しかし、ここで躊躇しているわけにはいかないのだ。
 思い出したように、カワウソはあることを確かめておく。ゲームの時にやっていた感じを思い出しつつ、彼が手を中空に伸ばした瞬間、掌は水面に沈むように何かの中へ入り込んだ。傍で見ていると、彼の腕が中途から虚空に消えたような光景である。アイテムボックスも健在なようだ。
 アイテムボックスの中に「あるもの」があることを真っ先に確かめて、とりあえずカワウソは一本の剣を選び、それを取り出す。右手に握ったそれは、カワウソが装備する神器級(ゴッズ)アイテム、六つの内のひとつ“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”という名の聖剣だ。上位プレイヤーであれば、全身くまなく、数十単位でこれと同じ価値のアイテムを装備することも出来ると聞くが、カワウソはそこまで優秀なプレイヤーではない。自己評価としては中の中、装備と課金アイテムを充実させて尚且つ相性と運が良ければ、上の下と伍するかもぐらいか。
 アイテムボックスの存在を確認し終え、武装を整えてから、とりあえず深呼吸してみる。
 この呼吸までも、現実に行うそれと遜色がない。
 室内の静謐に磨かれた空気は、現実世界では嗅いだことのないような清らかな香りをしていた。
 二度目の深呼吸。
 目を閉じていたい衝動を何とか抑え込んで、カワウソは鏡の中心に、空いている左手を差し入れた。
 瞬間、転移の光に包まれる。
 そして気づいた時には、荒れた平野の中心、無味乾燥とした大地の上を歩いていた。

「お……おお……」

 仰ぐ中天に座す朧な月の眩しさが鮮やかだ。
 こんな光景、ゲームの中でしか見たことがない。

「結局、来やがったんですか?」

 呆れたように声をかけて来たミカ。
 月明かりに照らされたその横顔と共に、遥か彼方の遠方まで走っていくナタの姿が、かろうじて視界にとらえられた。夜の中を元気に走り回る少年兵は不用心なことこの上ないように見えるが、彼は花の動像(フラワー・ゴーレム)でありながらも卓越した戦士の技量を備えている。むしろ、いい感じに囮役をこなしていると見てもいいのかもしれない。無邪気に「誰かー!! いーまーせーんーかー!!」と声を張り上げているのも、この際かまわないだろう。
 カワウソに遅れて、四人のNPCが鏡を通ってやってくる。

「……何なんだ、ここは?」

 カワウソの口が、無意識にそう呟いていた。
 夜空と聞いて、拠点最上階層――円卓の間のある、屋敷の外の光景を思い浮かべていたのだが、やはりここはギルド拠点の外だ。
 自分が拠点としていたヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)があったフィールドは、ニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯だったはず。鬱蒼と茂った樹木が黒々と生え、数多くのモンスターが跋扈(ばっこ)していた不吉な森の様子が思い出せなくなるほど、その平野は何もなかった。あの群れ集う恐狼(ダイア・ウルフ)待ち伏せ竜(アンブッシュ・ドレイク)凶手の黒蔦(アサシン・ブラックヴァイン)夜の捩れ樹(ナイト・ツイスト)の存在は何処にもない。
 双樹に挟まれるように隠匿されていた外へ通じる転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)は、今は吹きっさらしの平野の真ん中で、ひとりぽつんと浮かび佇んでいる。
 痛いくらいの静寂が、その大地を満たしていた。
 それくらいに、何もない場所だったのだ。

「……マアト、この土地の名は?」

 分かるかどうか(たず)ねると、褐色に黒髪の娘は即座に翼の腕を大地へ伸ばす。
 翼人(バードマン)であり天使(エンジェル)でもある少女は、職業(クラス)による特殊技術(スキル)を発動させ、フィールドの名称や特性を読み取ることができた。サポート職に秀でた、この巫女にしかできない芸当である。
 NPCが特殊技術(スキル)を簡単に使えることに軽く衝撃を受けながら、カワウソは彼女の反応を待つ。

「あ、わかりました。この土地の名は、スレイン平野、という土地です」

 特別なフィールドエフェクトは存在しないと報告されたカワウソであったが、新たな疑念が沸き起こる。

「スレイン平野? そんな名前の土地、ユグドラシルに存在したか?」
「き、記録上には存在しません。未発見未探索のフィールドという可能性もありえますが、な、何のエフェクトもないというのは、奇妙と言えば、奇妙です」

 思わず呟いた主の声に、少女は答えることができた。
 ユグドラシルのゲーム上において、フィールドエフェクトは割と数多く存在するやりこみ要素の一つである。火山地帯であれば熱のダメージ、氷河地帯であれば冷気ダメージ、毒の沼地であれば毒のダメージなどのわかりやすい効果が発生する。自分がいたガルスカプ森林地帯も、「狂気(バーサク)」や「暗黒(ダークネス)」などの状態異常や、魔力消費量倍化などのマイナスエフェクトがそこいらで働いていた。ユグドラシルでそういった効果と無縁な土地は、ユグドラシル初心者が最初に必ず訪問滞在する“最初の街(ホームタウン)”や“深淵原野(アビスランド)”などだろう。プレイヤーは「はじまりの地」で、種族を選び、道具を揃え、装備を整え、レベルを上げていき、そこから広がる多くの世界に冒険の旅に出かける。訪れたフィールドの特性や効果を見極め、それに見合った道具や装備、特殊技術(スキル)や種族特性で身を守る──あるいは守らない選択をする──のは、ユグドラシル攻略においては必須事項の一つに挙げられるわけだ。
 しかし、カワウソは勿論、NPCのマアト(彼女は設定として、ユグドラシルで知悉されているフィールドはすべて記憶している。ゲーム末期に掲載されたWiki情報などをカワウソが参照した)ですら、このフィールドの存在に心当たりはない。
 ユグドラシルの仕様上、未発見のフィールドにプラスやマイナスの効果が付与されていないというのは奇怪に過ぎるし、ここが仮に「はじまりの地」にしては殺風景に過ぎる。何より低位モンスターの存在がまったくないというのは、プレイヤーがレベルを上げることに難儀してしまうではないか。



 



 スレイン法国。
 かつて人間種の団結を謳い文句に、周辺諸国に覇を唱えていた宗教国家。六大神という、この地域に限定した信仰を生活基盤とし、信仰系中心ではあるが魔法詠唱者の教育や管理、戸籍謄本、古くは冒険者制度などの画期的なシステムを最初に生み出したとも言われていたらしいが、今となっては見る影もない。

 とある理由から、ここにあった国──神の都は、一夜にして滅んだ。
 あのアインズ・ウール・ゴウン魔導王と、その守護者たちによって。

 それは、今となっては知る者も少ない、あのカッツェ平野の大虐殺の再現と呼ぶのも生易しい、蹂躙に次ぐ蹂躙劇であった。
 激流に飲み込まれる蟻の巣。
 獅子の親子に喰われ玩ばれる鼠。
 竜の逆鱗に触れた物語の中の愚か者。
 そんな形容の仕方ですら表現に値しないほどの惨劇──あるいは神話の進軍──によって、その国に住まう数十万の民草は、その悉くが死者の仲間入りを果たした。生き残れたものは実験材料として連行され、その行方は(よう)として知れないという噂だ。知らない方が幸福なのかも分からない。
 空が落ち、地が裂け、生きとし生ける全ての者を押し潰し踏み砕き切り刻み焼き融かし喰い殺されて……その果てに残ったのは、この荒涼とした、生命の息吹がまったく感じられない平野だけ。
 湖沼(こしょう)は干上がり、山岳(さんがく)(たいら)となり、人の跡など欠片も残らず、かつて神殿などの聖域がそこここに建立(こんりゅう)されていたとは思えない茫漠(ぼうばく)とした地平線の様が、かつての栄光を偲ぶだけである。
 この惨劇は勿論、中央諸国に見聞され、魔導国の暗部を示す風説の一環として吹聴されてきたのだが、大陸がかの王に統一統治されると共に口に出すのも(はばか)られ、今となっては人々の記憶からも消え去って久しい。
 ここは訪れる者はおろか、生命が生存するのも躊躇(ためら)われるかのように、一切の命が芽吹くことも居着くこともなく、すべての存在が亡憶の底に置き去りにした死の魔境。
 一国はおろか、世界さえも容易く破滅させ崩壊させ改変させる、魔導王の偉業の一つ。
 それが、このスレイン平野の由来である。



 



 しかし。
 そんなことなど知りようがないカワウソは、ここがかつて自分の体験したゲームと、ユグドラシルとは違う世界であるという事実だけを、飲み込むしかなかった。
 それでも、飲み込んだ事実は、彼に罵倒の呟きを漏らさせるのに十分なものであった。

「馬鹿げてる」

 ログアウト不可。
 意思を持ったNPC。
 鏡の中に映る堕天使の自分。
 ギルド拠点ごと転移した先の異世界。
 何もかもが小説や漫画やアニメ、ゲームなどでしかありえない超常現象。
 夢だとしても破格の馬鹿さ加減ではないか。だというのに、まったく夢のような気がしない自分の思考が、酷薄なほど現実そのもの。これまでの自分に存在した常識というものが、音を立てて崩壊していくようにさえ感じられる。
 これまでのことから、カワウソは結論する。
 ここは、ユグドラシルとは違う異世界であるという、厳然たる事実を。
 それでも──

「いかがいたしましょう、主様(あるじさま)?」

 銀髪に黒褐色の聖女──ガブの呼びかけに我に返った。
 振り返れば、五人のNPCたちが困惑を表情に浮かべて、ギルドマスターを見つめていた。

「ミカ。俺を殴れ」
「…………はぁ?」
「さぁ、早く。顔でも腹でもどこでもいい!」
「……了解」

 言い終えてから、女天使が拳を振るうまでは早かった。
 長く伸びた金糸が、殴打の軌跡を残光のように流れる。

「ぐ! ……ぅう」

 みぞおちを抉るような一撃に、カワウソは体をくの字に折り曲げながら吹き飛ばされる──ことはなかった。
 Lv.100の、種族が異形種で、職業が聖騎士主体で、装備もある程度充実しているとなれば、それなりの物理ダメージは低減できる。上位物理無効化Ⅲという常時発動型(パッシブ)特殊技術(スキル)はミカの攻撃を防ぐのに役には立たないものだが、NPCが弱体化したのではない限り、彼らの物理攻撃はあまり意味をなさないわけだ。
 だが、やはり、完全に無効化できたわけではない。

「──痛い、かっ」

 同士討ち(フレンドリィ・ファイア)は有効。
 おまけに、夢から覚めることも、なかった。
 ダメージを受ける胸の痛みは、まさに現実世界で感じるものとまったく遜色のない、痛覚そのもの。
 もはや完全に、この世界がゲームではなく、現実であることを確信するしかなくなった。
 しかし、現実と呼ぶには意見が分かれるところだろう。
 魔法が使え、特殊技術(スキル)が使え、他にも様々な異常事態に見舞われている現状が、果たして現実と呼んでいいものなのかどうか。
 虚空へと手を伸ばすと、アイテムボックスを開く。
 無数に保存されていた上位治癒薬(メジャー・ヒーリングポーション)を飲み干し、ダメージを回復した。アイテムの機能にも問題はないらしいことにひとまず安堵する。

「……カワウソ様」
「ありがとう、ミカ。悪かったな、変なこと頼んで」

 カワウソは起き上がり、ひとまず皆を引き連れ城内へ戻ろうとして──

「ん?」

 奇妙な感覚を味わった。
 何というべきか。誰かの視線を味わった時に感じるものに似ているのだが、それとは少し違うような。
 振り返り、仰ぎ見た空には、相変わらず見事な──汚染された地球では絶対に見ることができなかった──(おぼろ)(まばゆ)い月が輝いているだけ。

「どうかしやがったんですか?」
「いや……全員、城内へ戻るぞ」

 カワウソは遠くで走り続けていた少年を呼び戻しつつ、思案を巡らせる。

 とにかく、今後の方針を決めなければならない。

 まず。自分はどう行動すべきか?
 ユグドラシルの魔法や特殊技術(スキル)などが通用することは分かった。だが、情報を集めなければならない。何にしても情報が不足している現状下では、迂闊に身動きが取れない。周囲には強力なモンスターや敵はいないようだが、それ以外の地域には強敵がうじゃうじゃいる可能性は十二分にある。こんなわけのわからない状況で死んだりするのはごめんだ。情報収集は慎重に、かつ厳重に行わねば。

 次に。NPCたちをどうすべきか?
 彼女たちはとりあえず、自分の指示や命令に忠実でいてくれている。どうにも個々に与えた設定のとおりに動いているらしいが、こんなにも情感豊かに会話し、行動し、まるで人間のように振る舞うことができる存在が、プログラムなどによるものだなどとは到底思えない。仮定としては、人間と同じ扱いで構わないだろう。

 さらに。情報をどう集めるべきか?
 自分のギルドが作成したNPCは二十二体と四匹。その内、Lv.100構成のものが十二体で、それ以外はすべて、ギルド維持の名目で造り上げたものばかり。はっきり言えば雑魚モンスターの類でしかないので、必然的に、調査に使えるのは十二体が限界──否、ギルドの防衛を考えると、半分は残しておく必要があるので六体を上限にしておこう。

 そして。この世界は一体、何だ?
 ユグドラシルの法則が通じることに違和感を覚えなくもないが、完全な異世界だと認識しておく。自分が知っているユグドラシルとは違い過ぎるし、さらにいうと現実の世界とも違い過ぎた。環境汚染の進んだ地球で太陽と青空の下で呼吸できるはずもないし、より未来、または過去の地球だと仮定するのも微妙な判断だと思う。

 最後に。元の世界には戻れるのか?
 仮に戻れる方法や手段があったとしても、あんな世界に戻る価値があるのか? ノルマに追われ、サビ残に苦しみ、ストレス過多と生活リズムの乱れから生じる体調不良の毎日。薬や栄養剤に頼り、まともな食事も口を通らない。どうしようもなく閉塞した、娯楽以外に逃げ場のない、環境汚染よりも社会汚染が深刻なレベルの現実世界に。
 そんな奴隷じみた生活で、友達も家族もなく、ましてや恋人だって……。
 その時、かつてのギルメンたち──“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”以前に所属していたギルドのメンバーたちの存在が、頭を()ぎる。
 もしも。
 もしも仮に、彼らがユグドラシルに復帰していて、カワウソと同じ事態に巻き込まれていたなら。

「──ないな」

 ないない。
 絶対に、ない。
 カワウソのかつての仲間たちがユグドラシルに復帰することは、九割九分九厘──99.9%、ありえない。
 あのナザリック攻略戦において味わった敗北の記憶。その時に体験した凄絶なまでの反則技によって、彼らは完全に心を折られてしまった。自分は実際には体験していないが、あの動画(ムービー)データを見れば、彼らの判断も止む無しと言わざるを得ない。それほどのチートぶりだったのだ。
 カワウソに装備や道具を託して別れを告げたものもいたが、ギルマスをはじめ、ほとんどの人はそういった遣り取りすら忌避するように、ユグドラシルからアカウントを削除していった。そんな連中が、末期状態で過疎(かそ)っていたゲームに舞い戻るイメージがどうしても湧かない。他の新興DMMO-RPGを満喫しておく方が、はるかに有意義だと感じるだろう。
 無駄なことを考えたと自嘲しつつ、カワウソは拠点最上層に戻るべく、転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)をくぐり抜けていく。
 その足取りは重く、これから訪れるだろう不安と艱難を予期しているかのようであった。





 





 彼は──気づいていない。
 否、言い訳を述べるのであれば、この時の彼や、彼が選んだ護衛たちは、そういう特性や技術を備えていないため、それに気づく道理などあるはずがなかった。
 彼らはすでに、ある者の監視下に置かれているという、その事実を。















【第一章 異世界探索 へ続く】









第八階層の戦闘描写、『敗者の烙印』などについては、作者の想像が含まれてます。
ご覧のように、オリジナル要素の強い物語ですので、くれぐれもご注意ください。


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第一章 異世界探索 実験

 総集編映画の公開を祝して、予定より早めに投稿。

※注意※
 この物語には、
 オリジナルとしてのスキル、種族、職業、アイテムなどの独自設定が多数登場します。



/Different world searching …vol.1





 





 ユグドラシルのサービス終了の日……この世界に来てから、二日が経過した。

 異世界へ転移したと思われるカワウソは、己のギルド拠点、ヨルムンガンド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の最下層、迷宮(メイズ)に赴いていた。
 この砦はもともと全三階層で構成されたダンジョンであったが、カワウソのバカみたいな課金によって最上層にさらにひとつ階層を増設され、全四階層で構築されている。最上層は円卓の間などが置かれている屋敷があるが、それ以下の階層は“城館(パレス)”の第三階層、“回廊(クロイスター)”の第二階層、そして今カワウソがいる“迷宮(メイズ)”の第一階層という具合である。
 その第一階層の奥深く、永続炎(コンティニュアル・フレイム)の照明で照らされた岩塊の巨人像に見下ろされる闘技場にて、カワウソは一人(たたず)む。

「ふぅ……」

 思わず呼吸を整える。
 この迷宮には、とある実験のために赴いたのだが、どんな結果になるのか予測がつかない。
 うまくいけばいいと祈ってはいるが、同時にそんなうまくいくのかという不安が頭をもたげる。だが、悩んでいても事態は解決しない。昨日一日、最上層にある私室に籠って思い悩んだ末に取った実験行動であるが、それでも決意は常に安定してくれない。
 カワウソは両手に握る剣――神器級(ゴッズ)アイテム“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”という聖剣と、対を成す神器級(ゴッズ)アイテム、“魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)”という銘の魔剣――を構える。
 純粋な天使種族や聖騎士という職業は、原則としてカルマ値が負に傾きすぎた呪詛属性の武器・魔剣を装備することはできない――できてもペナルティとして常時継続ダメージや行動制限が追加される――が、堕天使という種族固有の特殊技術(スキル)清濁併吞(せいだくへいどん)Ⅴによって、カワウソは問題なく魔剣を装備することができる。
 神聖武器一辺倒な装備編成だと、それ専用に対策を講じているモンスターを狩る時、圧倒的に不利になるため、カワウソは神聖属性の武装と呪詛属性の武装などをバランスよく装備するのが日常的になっていた。かつて、仲間たちがユグドラシルをやめていき、ソロプレイを強行するしかなかったカワウソにとって、装備のバランス調整は必要不可欠なものであった為だ。
 聖剣と魔剣を構えた先には、迷宮(メイズ)の階層奥に位置する巨大空間――個人的に“闘技場”と命名しているここに備蓄している人間大の案山子(かかし)が数体。
 これらは魔法や特殊技術(スキル)の試し撃ち用に支給・ユグドラシル金貨で売買されていたアイテムで、同士討ち(フレンドリィ・ファイア)不可だったゲームで、プレイヤーが練習用の的にすることができる簡易な敵として流通していたものだ。他には藁人形とか、ガンシューティングの的などもある。値の張る奴だと、ある程度の自律運動までこなすこともあるが、この案山子たちはかなり安い部類に入る。
 カワウソが動かぬ案山子を次々に斬り飛ばし、あっという間にバラバラにすると、それを片付けるように命じられているモンスターが待機状態から移行して宙を滑った。
 これらはギルドの拠点内で自然発生するPOPモンスターの雑魚天使、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)。光り輝く胸当てを備えているが、主武装である紅蓮の炎を灯すロングソードは握られておらず、一対の煌く翼からは、羽の代わりに焔の残光が舞い落ちている。
 ユグドラシルにおいては雑魚中の雑魚というべき最底辺の天使モンスターであるが、カワウソは実験の為、それら数体ほどを雑用に集め、動かない案山子を相手に、一人孤独に剣を向け、使い物にならなくなった残骸を、順次モンスターたちに片づけさせているところだ。
 何故、カワウソはこのような戦闘行為の“真似”をしているのか。
 無論、遊びや暇つぶしの類でないことは、彼の表情を、その汗の滴を見ればわかるだろう。
 ゲームでやっていた時は、魔法は浮かび上がるアイコンをクリックすることで発動し、攻撃系の特殊技術(スキル)についても、それは同様であった。しかし、この異世界に来たことでゲーム画面というものは存在しなくなり、インターフェイスやアイコンなどは消え去ってしまっている状況にある。
 そんな状況の中、カワウソは自分の奥へ意識を集中する。
 天使たちによって新たに準備された案山子五体を、同時に見据える。
 何となく、呼吸するように、思考するように、極めて当然な感覚として、自分が取得するひとつの攻撃(アタック)特殊技術(スキル)を発動した。

 光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ。

 聖騎士の基本的な攻撃手段。
 剣から放たれた割と派手な範囲攻撃エフェクト――天から降り注ぐような光の束――が、目標に見定めた案山子の五体を(あやま)つことなく断裁・粉砕していく。聖騎士(ホーリーナイト)Lv.10の放ったスキル攻撃は、ゲーム時代に体験した戦闘そのままに、目標五体を同時に破壊し尽くしてくれた。

「……なるほど」

 自分も戦闘行動が可能という事実に、半ば安堵、半ば戦慄しつつ、天使たちに指示を飛ばす。
 命じられるまま新たに案山子を用意する天使たちは、ギルド長の意向に従容としており、自分たちに与えられた命令に忠実でいてくれている。これは、ゲーム時代とは違う。拠点のPOPモンスターとは、ギルドの運営資金――ユグドラシル金貨によって召喚されるものでしかなく、ギルド構成員の指示やコマンドを理解することは不可能な存在だ。せいぜい、敵か味方かの認識は可能になる程度の判断能力しかなかったはず。しかし、この未知の異世界に転移し、ギルド作成のNPCが自発的に思考と行動を可能にしているように、この雑魚天使たちも、カワウソの複雑な命令内容を詳細に理解し、かつきちんと順守できている。
 カワウソは、ふと思う。
 ここにいる天使たち数体を、シューティングゲームの的よろしく攻撃対象に見据えて、自分の戦闘能力を実験したら。

「……やめておくか」

 同士討ち(フレンドリィ・ファイア)が解禁されていることを確認していたからこその思考であるが、この戦闘実験のことは、拠点防衛用のNPC――ミカやガブたちには内密に行っていた。
 カワウソはとりあえず、彼らを普通の知的存在――人間と同等に扱っていいものと決定したが、だからこそ、不安を覚える事柄がある。

 それは彼ら(NPC)の裏切りだ。

 彼らはとりあえず、ギルマスの地位にある自分を上位者と見据えて命令に準じてくれているが、それが絶対不変のものであるという保証はどこにもない。特に、ミカの反抗的な態度と口調――ゲーム時代に設定した『カワウソを嫌っている。』という一文――が、どのような影響をもたらすのか未知数だった。
 最悪の想定だが、NPCの長である彼女を旗頭として、彼ら全員に反乱でも起こされたら、自分は孤立無援な状況に立たされる可能性もあるわけだ。幸いなことに、アイテムや装備品はゲーム時代とほとんどまったく同じ効力を発揮することは確認され、ボックスの中のアイテムもすべて記憶にある通りの潤沢な量が手中にある。最悪、彼ら全員と戦うことになっても、自分の安全くらいは確保できる、はずだ。
 が、油断は禁物だろう。
 この雑魚天使たちも、いわばギルドの一員。
 そういう意味では、カワウソが転移後のこの世界で、ギルドのNPCたちを順当に相手取ることが可能なのか否かという実験には、――天使たちを相手に、堕天使のカワウソがどれだけ戦えるのか確認するのには、都合がいい存在とも言える。
 だが、それはしない方がいいと、同時に思う。
 ミカたちがPOPする同族たちをどう思っているのか知らないが、もし仮に、ここにいる雑魚天使に強い同族意識を持ち合わせていたらと思うと、簡単に切り飛ばすことは出来ない。下手をすると、自分から彼らを激発する材料を供することになるやも。故に、自分(カワウソ)の戦闘実験には、自分の財物といえる案山子を相手にするしかないわけだ。

 反乱という最悪の事態――そうならないためには何をすべきか。

 まず。
 自分の戦闘能力がゲーム時代と同様なのか確認する作業が第一だった。
 これは、自分が彼らの上位者として君臨するのにふさわしい力量があるかないかを、自分自身が知っておく必要があるからだ。彼らの前で大々的にデモンストレーションを行って、それが空振りに終わってしまっては目も当てられない。カワウソの危惧する事態を招く要因にもなりかねないだろう。現実世界で営業職を十年以上やっていた時分から、徹底的な根回しと下調べは身に染みて覚え込まされていた為、この思考に至るのは割と難しくはなかった。そうして、カワウソの戦闘能力は、ゲームの時とほぼ変わってないことは、今回の実験で判明したわけだ。
 次に。
 NPCたちの意識調査が必要になるだろう。
 カワウソは聖騎士系統の他に上位の信仰系職業なども取得しているが、扱える魔法や特殊技術(スキル)に、相手の思考を読み取るなどと言った便利なものは取得していない。そういったアイテムや装備も所持していなかった。だが、彼らに対して「自分(カワウソ)のことをどう思っている?」なんて聞くのは、あまりにも(はばか)られる。面と向かって「嫌い」と表明しそうな女天使がいる以上、そういうことをするのは躊躇(ためら)われるのだ。真正面から嫌悪感を示されるなど、空中釣銭落としの何十倍もつらい。カワウソはそこまでメンタルの強い人間ではなかった……今は堕天使のようだが。
 最後に。
 この拠点の指揮権や運営権を、彼らにすべて(ゆだ)ねてしまうことも考慮すべきだ。
 反乱を起こされる前に、自分から率先して上位者としての地位から降りてしまえば、反乱など起こる道理がなくなる。本末が転倒している気もするだろうが、カワウソの目的はあくまで自分の安全の確保であり、別にギルドの運用について自分が上位者であることにはそこまでこだわる理由がないのだ。かつての仲間たちとの思い出の再現を失うことにつながるかもしれないが、そこは命あっての物種である。その時はこの拠点を放置して外の世界を冒険することも視野に入れていいが、この世界の実情――敵やモンスターの存在や強さ、蘇生アイテムの使用が可能か否か――が不明な段階では、迂闊に単独行動をとるのは危険だと言わざるを得ない。当面はこのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)を使って、この世界の調査と状況の把握に努めることが、自分に今必要な最優先事項なのである。

「何とも……情けない話だな」

 思わず呟いていた。
 カワウソは、最強の存在ではない。
 ユグドラシルにはワールド・チャンピオンやワールド・ディザスター、ワールド・ガーディアンといった珍しい職業に就く者や、最上位ランカーと呼ばれる廃課金プレイヤーなどが存在した。彼らと比べれば、自分は圧倒的に弱すぎる。カワウソ自身、それなりのボーナスを課金にぶち込んで手に入れたアイテムや、二日前まで存在した『敗者の烙印』に因んだレアな種族や職業(クラス)を取得してはいるが、自己評価からしても最大で上の下(相性がいい場合)程度なのだから当然である。堕天使の貧弱っぷりはダテではない。
 それこそカワウソというプレイヤーは、ユグドラシルで遊んでいた時はPK(プレイヤーキル)の良い的であった。
 PKペナルティの存在しない異形種の中でも最弱ステータスの「堕天使」な上、『敗者の烙印』を頭上にデカデカと掲げていた落伍者の姿は、そういうことを生業(なりわい)にしているプレイヤーたちからは格好の獲物。雑魚モンスターを狩るよりも膨大な経験値を獲得できる上、運が良ければプレイヤーの抱えた希少なアイテムドロップも狙える。おまけに特定の種族や職業(クラス)の取得においてはPK経験が必須にもなるので、標的にしないでいる方が難しい。それが彼らの論理だ。これはカワウソも同意見である。自分も似たような立場になればそうしていただろう。異形種の自分は、異形種PKの恩恵などないから活用することができなかっただけだ。
 ユグドラシル――ゲームでは自分より強い敵やモンスターは無数に存在していた。
 そして、この未知の世界にも、そういった強者がいる可能性は十分高いとカワウソは見ている。というより、そう思っていないと危険だと言わざるを得ない。
 そんなものたちと事を構えるにしろ面従するにしろ、自分の強さがどの程度のものか把握できていなければ話にならない。この拠点に潜伏しているだけでは、いざそういった強者に攻め込まれでもしたら、あっという間にやられてしまう。蘇生アイテムや専用の装備も充実しているが、果たしてこの世界で通用するかどうかは不明な以上、死んで確かめるなんてことはできない。専守防衛を唱えるとしても、肝心の力がなければ犬死(いぬじに)である。
 だからこそ、カワウソは拠点内でほぼ自動でPOPする雑魚天使を従え、自分の強さが、自分が知っている通りの、ユグドラシルにいた時と同質なものなのか、調べ尽くす必要があるのだ。

「ふぅ……」

 それからしばらくの間、戦闘実験は続けられた。他の特殊技術(スキル)や攻撃魔法の発動、装備の効果についても及第点な成果を獲得できた。とりあえず、堕天使である自分の得意とした攻撃手段や戦闘方法は、ゲーム時代とほぼ遜色なく発揮できると見ていいだろう。用済みとなった雑魚天使たちを「ご苦労」と(ねぎら)い、闘技場から迷宮(メイズ)に送り返した。理解してくれるかどうかはわからないが、今回の実験……戦闘訓練のことは誰にも口外しないように命じて。
 しかし、

「……やっぱり、戦うのは疲れるな」

 完全に一人になったことで、ぽつりと感想をこぼしてしまう。
 ゲームで遊んでいた時は、呼吸や鼓動などを殊更(ことさら)意識したことはなかったが、やはり五感を始め、各身体機能は現実に味わうものと遜色(そんしょく)ないものに変貌し尽くしている。現実の自分の筋力では、こんな長い剣を片手で握って駆けまわるのにも苦労するはずだが、とりあえず戦闘訓練の間は、汗が一滴流れる程度の疲労度しか感じられない。疲労というバッドステータスを無効にするアイテム――維持の耳飾り(イヤリング・オブ・サステナンス)を装備しているため、これは体力的な疲労ではないと分かる。言うなれば、精神(こころ)の疲労だ。これを外して過ごした昨日、わずか数分足らずでとんでもない疲労感を覚えていたので確実だろう。現実のユグドラシルプレイヤーである自分は、言うまでもないが戦いや武道とは無縁な人生を送っていた。スポーツなどの身体を使った勝負事というものも経験したことがない、社会底辺所属者だったのだ。
 だから、なのだろう。
 Lv.100の異形種の膂力(りょりょく)からすれば大したことない行為なのだろうが、どうにも現実的な感覚との齟齬(そご)と合わさると、この実験はちぐはぐな印象が拭えない。自分は紛れもなく自分なのに、自分の知らない自分が唐突に降りてきたみたいな――とても奇妙な感覚。焦燥、混乱、後ろ暗い昂揚、ほんの僅かの罪障感。
 実験と言えば、武器庫で試した限り、魔法使い専用の杖やローブ、暗殺者専用の暗器や忍者道具などを扱えなかったのも奇妙だった。金属でできた剣よりも軽いトネリコ製の杖を、振るおうとした瞬間に取り落とすなど、まるで理解不能な現象だ。まるでゲームのような縛りがあるのだが、自分が感じている感覚は現実そのもの。だが、現実に考えればただの棒を振り回すこともできないなんてことが起こり得るか?
 わからないことが多すぎる。
 とにかく、情報を集めないことには話にならない。
 このギルドを管理維持していく上で、外の世界の存在との交渉を持つべきか。
 はたまた外の存在など排除し尽くして、鎖国のように引き籠る……のは、ないよな。
 自分の転移してきた場所は何もない平野であったが、周囲すべてを探査し尽くせたわけではない。探せば集落や、それなりの都市もあるかも知れない。街道でも発見できれば確実だろう。現在、NPC六人を、三人構成の二チームで周辺の調査に行かせているが、それらしい報告などは――〈伝言(メッセージ)〉は受け取っていない。

「……〈伝言(メッセージ)〉」

 カワウソは誰もいない迷宮の奥で、ひとつの魔法を発動する。
 遠方にいる相手に声を届ける魔法は、ユグドラシルプレイヤーにとっては基礎的な魔法の一つだ。
 送る相手に選んだ名前は、とりあえずGM――Game Managerという名の運営。コール音は誰とも繋がることなく、魔法の効果は失われる。まぁ、〈伝言(メッセージ)〉の魔法はプレイヤー間の意思伝達手段なのだから、GMに届かない方が普通である。そうしてから、かつての仲間たち十二人分、順番に〈伝言(メッセージ)〉を発動させていく。しかし、昨日から試していたが、誰とも連絡はとれない。とれるとも思っていなかったが。

「…………〈伝言(メッセージ)〉」

 最後、カワウソは確実に繋がると、これまでの経過で判っているNPCの一人に、外の調査状況を教えてもらおうと魔法を飛ばした。コール音は僅か一度で相手と意思を繋いでくれる。この魔法は、カワウソも問題なく発動することができるという証明である。

『はい。我が(しゅ)よ』
「……ラファ。外の調査は、どれほど進んだ?」
『ガブ、ウリ、不肖私のチームが東へ、イズラ、イスラ、ナタのチームが西へ調査を行っておりますが、双方ともにようやく平野地帯を抜け、湖と森にまで到達いたしました。全体の進捗状況の確認は、第三階層・城館(パレス)に詰めているマアトが把握しておりますので、詳細は彼女に』
「わかった……あと五分で、双方ともに〈転移〉を使って一旦撤収しろ。戻り次第、城館(パレス)で休息に入れ」

 主の下知に対して、ラファは承知の声をあげる。カワウソは魔法を解除した。

「はぁぁぁ……」

 マヌケにも大きく息を吐いてしまう。
 彼らLv.100NPCは主に戦闘用に特化したレベル構成のNPCたちだ。サポートタイプも無論いなくはないが、そのサポートタイプの二人は昨日から第三階層の城館に詰めて、周囲から採取したものから地質調査や土地鉱石の鑑定、そして最も重要な「周囲の地図化(マッピング)」を行ってくれている。NPCにも疲労などのバッドステータスを無効化するアイテムを装備させているが、さすがに24時間フル稼働させるというのは気まずいものを感じざるを得ない。というか、ひょっとするとカワウソと同じように、内面から溢れる疲労というものを感じているかもしれないのだ。彼らに反感を抱かれるような命令や指揮は、控えるに越したことはないだろう。
 カワウソが住んでいた現実の世界は、企業が絶対者として君臨する社会構造が築かれており、個人が雇い主に意見を物申すことを是としない、いわゆるブラックな就労規則が蔓延(まんえん)していた。サービス残業は日常的に行われ、ノルマを達成するまで帰宅どころか休憩すら満足に許されない。半ば奴隷生活のような環境にあった身の上としては、たとえNPC――かつてはゲームデータの集合体に過ぎなかった存在――であろうとも、ブラックな体制下で無理に働かせるのは、あまりにも非情に思われた。
 何らかの探査能力に特化したモンスターを召喚して使役することも考えているが、それらが現地住人と戦闘に陥るなどの不幸な事故に見舞われたらと思うと、踏ん切りがつかない。せめて、この世界の存在がどんな「姿かたち」で、どのような「文明」を持っていて、どれほどの「強さ」なのか判明すれば、こちらの最大戦力たちを連続投入する必要性は薄れるのだが。

「いっそ、天使作成の特殊技術(スキル)が使えたら……」

 思わず呟いてしまうが、それはほぼ不可能な話だ。
 天使種族の上位種──カワウソやミカが取得している熾天使(セラフィム)やその他など──は、同じ天使種族の下位種を作成・創造し、自分の忠実な配下……という名の壁役や斥候として、戦闘や偵察に使うことができる。実際、ミカやガブら、他のものなどの作成系スキル保有者から上申されては、いた。カワウソは「堕天使」へと降格しているため、一部能力に欠落があるものの、中位の天使(エンジェル)作成などはソロプレイでは大変重宝した能力である。
 だが、天使種族モンスターは異形種の例に漏れず、人間の形状からはかけ離れた形状をしているものが大勢を占めている。火の粉をまき散らす炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)や、獅子の頭を持つ門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)などがそれだ。もしも現地の住人と邂逅を果たした際に、火の翼を持つモンスターや猛獣の頭を備えた存在と友好的に接してくれる可能性を考えると、どう考えても頭をひねらざるを得ない。逆に、天使や獣人が世界を席巻していたら、使うのもありだろうか。
 どちらにせよ、今は天使の群れをミカたちに作成召喚させるのは、当分なしだろう。
 ミカたちなどの“天使の澱(エンジェル・グラウンズ)”に所属する人間然とした天使たちは、拠点製作NPCであるが故の例外だ。さらなる例外が、カワウソの他に五人のメイドらの取得している堕天使であるが、堕天使の強さは下手な構成にすると人間種にも見劣りすることもあり得るため、この探索では使い物にならない。


 ちなみだが。
 堕天使は、それまで積み上げてきた天使レベル──最低位の天使(エンジェル)から始まり、天使Lv.15で大天使(アークエンジェル)、大天使Lv.15で権天使(プリンシパリティー)、権天使Lv.15で能天使(パワー)、能天使Lv.15で力天使(ヴァーチュ)、力天使Lv.15で主天使(ドミニオン)、主天使Lv.10で座天使(スローン)、座天使Lv.10で智天使(ケルビム)、智天使Lv.5に至って、最終的には熾天使(セラフィム)の最高位天使に、「昇天の羽」に類する転生アイテムを大量に消費して、ようやく昇格することが可能(これは、NPCのレベル取得方法とは根本的に異なる)──を基準点として“堕天”……それまでの天使の座から降格することで取得するのが普通である。
 最高位の熾天使(セラフィム)から堕天すれば、一応は異形種らしいステータスの高さを最終的に取得出来る(それでも他の異形種に比べれば微妙である)が、最初のキャラ作成から「天使」ではなく「堕天使」になることを選択すると、全ステータス──体力(HP)魔力(MP)・物理攻撃・物理防御・素早さ・魔法攻撃・魔法防御・総合耐性・特殊──の総計値が、Lv.100になっても三桁にいかないかもという劣悪っぷりである。そんなステータスでは初心者の街から抜け出るのも一苦労……というか、不可能なほどだ。そんなことをする物好きは、戦闘や補助、冒険を重視するのではなく、商売や鑑定、さらには作成系などの職人(クラフトマン)として、異形種の有名な「はじまりの街」“深淵原野(アビスランド)”などに常駐していたのを見かける程度である。当然、プレイヤーが「熾天使」に至るまでに犠牲(コスト)となるレベル合計を考えると、わざわざ強力かつレアな熾天使(セラフィム)にまで昇格しておいて、劣悪な種族に“堕天”する存在は珍奇ですらあった。何しろ熾天使になるまでに(数値上の合計ではあるが)Lv.100分の経験値を獲得し、さらにはそれを“捨てる”ことが必須なのだから。
 いくらユグドラシルの仕様上、レベル上げそのものは早くこなせると加味しても、堕天使になるのは面倒なこと極まりないと、ご理解いただけることだろう。さらに言うと、堕天使の特性も輪をかけて面倒が多いのだから、本当にどうしようもない。


 話を戻す。
 NPCたちに天使作成スキルは使わせたくない、最大の理由。
 それは、やはり最悪な想定のひとつである、NPCたちの反乱の可能性だ。
 彼らが「一時的に」とはいえ、召喚モンスターの大群を使役し、ギルマスのカワウソに反旗を(ひるがえ)されては目も当てられない。
 いかにも慎重すぎる気がするかもしれないが、とにかくカワウソは疑心暗鬼に囚われ、今でも混乱が続いているのが、少なからず悪影響を及ぼしていた。
 NPCたちは実に従容(しょうよう)と主人の命令に準じてくれているが、もともとカワウソはただのサラリーマンだ。平社員がいきなり上位者として、あろうことか天使たちに下知を飛ばすなど、まったく予想だにしていなかった状況である。
 無論、彼ら拠点NPCを作成するうえで、あのナザリック攻略の他に、そういうロールプレイを楽しもうという意気込みは多少あったし(ミカたちに与えた設定文は、その名残だ)、彼らの設定を作る際にもそういった趣味嗜好に走ったこともあったが、それが四六時中、24時間に及ぶなんて、想像の埒外(らちがい)だ。
 しかし、泣言や弱音など無意味。
 昨日、拠点内に戻ってから装備を脱ぎ捨て、一日の間は私室に籠り、混乱と恐怖でベッドの中で震えていたが、いくら寝ても覚めても、この世界から現実の自分の家に戻ることはなかった。そうしてまた一日かけて、この世界の調査と実験を繰り返している。こうして二日が経過する頃には、それなりの覚悟を固めるくらいの気概が湧いてくれた。吹けば飛びそうな、脆く儚い覚悟ではあったが。

「……風呂にでも入るか」

 意識に(かすみ)がかかるかのように、思考に余計な汚濁(おだく)()()むのを感じる。精神が疲弊し、休息を求めているのだ。
 こういう時は冷水でも温水でもいいから、身体を水で洗い落とすに限る。実際、一日目が経過し、ベッドで震えることにも意味が見出せなくなったカワウソが最初に赴き、気分を転換するのに使った場所だ。現実のあちらの世界ではスチームバスぐらいしか経験していないが、滝行というのか、ゲームでそれと似たような行水を行える場所が、このギルド拠点の最上層にはある。円卓の間のある屋敷の中庭に造った(もとい商業ギルドに頼んで造ってもらった)ものだ。ゲーム時代はちょっとした治癒(ヒーリング)強化(バフ)を施すための施設でしかないものだったが、少なからず精神的なリフレッシュ効果も味わえてお得なのである。
 ギルド拠点というのは、たいていの場合は侵入者迎撃の観点から階層間の転移を阻害する仕様になっており、この城もその例には漏れないのだが、カワウソはギルドメンバー(ほぼ一人だったが)の証である指輪を身に着けているため心配いらない。ちなみに、この指輪を持つ者しか赴けない場所も存在しているので、ギルド内に限ればこれは必需品ですらあるのだ。左右の手でひとつずつしか装備できない指輪を、課金で十本の指すべてにはめることを可能としており、左手薬指以外の合計九つの指輪のうち一つに、この拠点用の指輪をはめているわけである。
 左手に掲げた魔獄門の剣(ソード・オブ・デモンズゲート)をほんの一振り、切っ先で円を描くようにすると、転移の闇がカワウソを包み込んだ。これが対となる天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)であれば神聖な光に包まれる仕様である。
 この二本の剣は、ユグドラシル末期、解散を宣告した上位ランカーギルドが売りに出していたものを買い取った、カワウソが保有する数少ない神器級(ゴッズ)アイテム。その効果の最たる特徴は、“門”という名前だけあって、正当な所有者に無限ともいえる〈転移門(ゲート)〉……転移の魔法を供与するものだ。
 途中の階層をすっ飛ばして転移した先は、ギルド拠点の最上階層。自分の私室やキッチン、客室や金庫、武器庫まである屋敷の、その中庭──露天風呂のスペースに転移した。礼儀や常識を考えれば、まず脱衣場で衣服や装備を脱いで入るのがマナーであろうが、精神的に疲弊しているカワウソは、そこまで頭は回っていない。風呂場で直接脱ぎ捨てるか、あるいは着たまま入ってもいいだろう(というか、ゲーム時代は着たまま入るのが普通だった)。頭上の赤い輪については、外すこともできないし。
 今は一刻も早く、滝の温かいシャワーを浴びて頭の熱を取り除きたかった。

 ──故に、その失態は必然とも言えた。

「……な」
「……あ」

 堕天使と天使が声を漏らす。
 転移した先は紛れもなく、最上層にある、朝焼けに照らされた屋敷の中庭。
 そこに佇む、金髪を大量の湯で濡らした少女の肌色が、堕天使の()を焼いた。
 カワウソが浴びようとしていた滝を浴びていたのだろう、珠のような無色透明の雫が一点の曇りもない肢体と一対の白翼を艶やかに染めている。慎ましい胸の膨らみも素晴らしいが、鼠径部から太腿へと至るラインも見事に過ぎる。その立ち姿は、女の魅力を結集させても到達できない、無垢なる輝きを放って煌いているようだった。

 双方ともに目をぱちくりさせる。

 思わず見入ってしまった堕天使は、裸身の女天使が繰り出す刹那の拳に対応できない。
 肺の中の空気をすべて吐き出されるほどの衝撃に吹き飛ばされ、広大な岩風呂の水面を二回跳ねて、水没する。泡を喰ってもがきながら水上の空気を吸おうと半身を起こす。激痛よりも呼吸困難、溺死寸前に陥った事実に慄然(りつぜん)としながら、いつの間にやらタオルを身体に巻いた女天使が立ち去る翼と背中を見た。

(きら)いです」

 そのたった一言が、カワウソの胸の奥を血が滴らんほどに抉る。
 何とか謝ろうと声をかけるよりも早く、NPCの長たる天使──ミカは、脱衣場へ去ってしまった。
 追いかけるのも(はばか)られたカワウソは、そのどうのしようもない事態を忘れようと、清浄な回復効果を持つ温水に、体を沈めるしかなかった。





 




 ちょっとしたハプニングがあったが、とりあえずひとっ風呂浴びて気持ちの切り替えに成功──いや、失敗か?──したカワウソは、濡れそぼった装備品類を全自動洗濯乾燥機に突っ込んで(どう考えても容量過多なはずだが、入れられた。剣や鎧なども投入可能なのだ)、タオルで体を丁寧にふき取り、備え付けのバスローブに身を包んだ。ゲーム時代は脱着する必要のない装備や衣服の類であったが、この世界では現実世界同様、濡れていると水滴をあたりにまき散らす上、水を大量に吸って少々重くなる。さすがに濡れ鼠な状態で屋敷を歩くわけにもいかないだろう。
 冷蔵庫内のフルーツ牛乳を開けて、一気にあおる。素晴らしい喉越しと舌を包み込む甘い味覚は、やはりユグドラシル時代にはなかった(なま)の感触である。体力(HP)満タンの状態で飲んでも回復効果はない──つまり使用は不可のはずだ──が、それでもこういった飲食まで可能となると、仮想現実の可能性はごくわずかしかないと思っていい。カワウソの知る限り、そこまでの電脳技術は存在しないはずだ。
 ふと、カワウソは視線を走らせる。
 壁一面を覆うような鏡台に映る堕天使、赤い輪を頭上に戴く存在の濁った瞳と視線が交わる。カワウソはそこに佇む引き絞られた肉体、バスローブの裾からチラ見する胸筋と腹筋、(たくま)しく男らしい両腕の造形に、何も言えなくなる。こんな健康的な肉体を持つ浅黒い肌の青年が、違和感なく今の自分だと思える半面、現実に存在していた自分の、肋骨がほとんどすべて浮き上がるほどに痩せぎすだった様が、余りに憐れに思えてならなかった。
 こういった感覚も、何気にカワウソの精神的疲労に繋がっていく。
 あまり深く考えるのは止めておこう。

「……はぁ」

 思わず嫌な息を吐いてしまう。
 喉奥にぶつかる呼気すらも、事態が現実であることを主張してくる。
 かつての時代、「風呂は命の洗濯」といったらしいが、今回に限ってはその格言からは程遠い印象を抱いてしまう。いや、今回のこれ──女性の入浴を目撃──は、完全に自分の失態だと判ってはいるのだが。
 その時、出入り口付近で、バケツやモップやらがガシャンと散乱する音が響く。

「しし、失礼しました、カワウソ様!」

 風呂の清掃に来たらしい、十人いるメイドの一人である堕天使──天使の輪も翼も持たない、ただの人間の美少女然とした異形種──のインデクスが慌てたように退出しようとするのを、バスローブ一枚きりというあられもない姿の主は引き留める。

「ああ、いや、すまない。ここへは転移してきたから、使用中の札を付けるのを忘れていた」
「そ……………………そう、でしたか。本当に、失礼いたしました」

 恐縮する可愛いらしいメイドは、カワウソへの畏敬の視線を隠そうともしない。
 それが酷く恐ろしい。
 現実の自分は、こんな視線を他人から浴びた経験はない。
 だが、今の自分は、このギルドを支配する最上位者・堕天使のカワウソなのである。
 カワウソは退出する彼女に、ついでとばかりにミカへの言伝(ことづて)──〈伝言(メッセージ)〉を使って直接連絡する勇気がなかった──が可能であれば、自分の私室に待機させるように頼むと、主人と同じ浅黒い肌に、主人とは違う銀色(シルバー)の髪のメイドは、腰を折って清掃用具を片手に脱衣場を後にする。
 残されたカワウソは、とりあえず直近の懸案事項に頭を悩ませる。

「……ミカには、なんて謝ればいいんだ?」

 これは完全にカワウソの失態(ミス)だ。ミカはほぼ常に、この最上層の屋敷に常駐させている。設定文だと、ギルドの拠点NPCの長として、この屋敷のほぼすべての部屋への出入りを許されているという感じだったか。
 だから、なのだろう。ミカは自発的に、屋敷のこの風呂場を利用していたわけである。彼女に休息をとらせていたのは、カワウソ本人。休憩時間に風呂を堪能するというのは、考えてみるとひどく現実的な思考であり行動ではないか。
 女性と風呂場で対面するなんてゲームでしかありえないような珍事件など、もちろん、カワウソは現実で経験したことはなかった。というか、まともに女性と交際したこともない自分には、こんなハプニングイベントは想定外過ぎる。誰か代わってくれないだろうかと本気で思ってしまうほどに思い詰められる。
 いろいろと考えを巡らせるが、これといった妙案などない。
 素直に謝る。
 これぐらいしかないと決意しつつ、乾燥機が稼働を終える時を椅子に座って待つ。

「……それにしても」

 カワウソは冷静に、先ほどのミカとの不幸な──幸福なんて断じて思ってはならない──遭遇を思い返す。
 けっして(よこしま)な思いから、股座(またぐら)に微熱を感じながら、女天使の裸身を思い出しているのでは、ない。
 ユグドラシルは、非常にエロに……18禁行為に厳しいゲームだ。下手すると15禁もあり得る。違反者は名前を公開される上にアカウント停止処分という罰が下されるのは、この界隈(かいわい)ではあまりにも有名な話だ。
 だが、カワウソは自分が創ったNPCの裸を見た。
 しかし、18禁で有名なゲームのキャラクターメイキングで、あれほどに精巧な裸体を再現することは事実上不可能(限りなく肌色部分を多くし、秘所部分にシールや光処理、モザイクなどを施すのも無理。少なくとも衣服などの“装備”がなければ規制対象)だし、第一、製作者本人であるカワウソが、彼女の外装を、肌着や下着の「下の部分」まで作り込んだ記憶などなかった。
 これがもしも、ゲームのユグドラシルの中で起こった出来事だと仮定するならば、カワウソは完全にアウト判定をもらうだろう。即BANされてもおかしくはない。
 さらに、このログアウト不可な現状が、GMや運営会社、企業ぐるみに行われている新たな電脳ゲームの先行テスト──YGGDRASILver.2や、追加パッチを当てているだけだと仮定するのは無理がある。これらは風営法や電脳法に著しく抵触するうえ、こんな危険な状況実験を組織だって行うメリットが運営側には存在しない。こんなことがバレるのは時間の問題だ。プレイヤーをゲームの中に閉じ込めるということは、即ち“監禁”に他ならない。いくら末期状態の運営でも、一企業である以上、法に触れるなんてことをするはずがなかった。
 ならば、やはり……この世界は、現実のもの、なのだろう。
 今回の出来事は、ある意味でそういう事実確認をカワウソに示してくれたと言ってもいい。
 しかし、

「……ミカ、怒ってるだろうなぁ」

 そう思うだけで吐く息が重く沈んだ。
 あれだけ本気の拳撃をおみまいしてきたのだから、それは確実なことだと思われる。何の装備も付けていないのにあれほどの攻撃ができるとは。二日前の、転移したばかりのあの時に殴らせた際は、完全に手心を加えられていたのだなと納得する。
 そして、何より、あの去り際の一言。



(きら)いです』



 あれは、本当に、きつい。
 思い出しただけで、体が震え心臓が凍りそうなほどの恐怖を抱く。
 絶対、他のNPCたちの自分に対する好感度や評価なんて、直接確かめられないな。
 数分間思い悩むうちに、乾燥機が終了の電子音を奏でると、ゲームの時と同様に蓋を開けた。全自動で折り畳まれた(どういう仕組みなのか不明だが)衣服に身を包み、磨かれたように輝きを放つ強化(バフ)がかかった装備を身に着けて、カワウソは悄然と肩を落としつつ、自分の私室に向かうべく風呂場を後にし、屋敷中央の円形広間(エントランス)にある螺旋階段を上った。
 このギルド最上層の屋敷は二階建てで構築されており、ギルマスであるカワウソの私室は、一階の「円卓の間」や「祭壇の間」に匹敵するほど広く大きな造りとなっている。部屋の内装はスイートルームのように整えられているが、ほとんどは課金ガチャなどによって入手したはずれアイテム……おまけ程度の価値しかない。
 自分の私室なのに、誰かを待たせていると思うと妙な気分になる。
 いっそいなければいいなと思いつつ廊下の角を曲がると、私室前に待機している水色の髪に人間の少女然とした精霊メイドのディクティスが、主の帰還を待ちわびていたように腰を折る。

「カワウソ様、ミカ様が室内でお待ちです」

 まぁ……いるよな。
 自分で呼び出したんだから、当然だよな。

「わかった。これから、ええと……重要な話があるから、俺が入ったらおまえは下がっていろ」

 ぶっきらぼうに聞こえたかなぁと若干不安を覚えるカワウソの内実に気づく様子もなく、水精霊(ウォーター・エレメンタル)のメイドは承服し、両開きの扉をノックすると、室内にいる者に主人が帰ってきた(むね)を伝え、静かに純白の扉を押し開けた。訳知り顔で微笑むメイドの様子が気にかかる。
 カワウソが室内に入ると、扉は再び閉ざされる。ディクティスが部屋の前から立ち去る足音が聞こえるのを扉に耳を当てて確認してしまう自分が情けない。
 溜息をひとつ漏らす。
 あらためて室内を眺めると、応接用のテーブルセットやソファには誰も座っておらず、カワウソは困惑を覚える。上位の天使種族は、同族である天使を発見認識する特殊技術(スキル)〈天使の祝福〉が存在するが、無論、これは堕天使には使えない。怪訝(けげん)に思いつつも、書斎スペースやカウンターバーを巡り、最後に天蓋付きのキングサイズベッドのある寝室スペースに向かうと、
 そこに、やっと彼女の姿をみとめた。

「お……待ちしておりました、カワウソ様」
「ミ、ミカ?」

 一瞬、その光景がカワウソには理解できなかった。
 純白のバスローブ姿で、金髪美女がベッドにちょこんと腰掛けている。
 その表情は硬く、だが風呂上がり故か上気しっぱなしの身体は、実に柔らかな光を宿して輝いているようだった。
 しかし、カワウソは疑問する。

「な、なんで、そんな恰好?」
「え、と……(とぎ)、に」
「は? 研ぎ?」

 小卒社会人には意味不明な言葉に、カワウソは首を(かし)げるしかない。

「な、何でもないです気にしないでくださいやがりませですバカ」

 震える声で早口に告げると、ミカはそっぽをむいてしまう。
 そんな彼女の様子に、カワウソは思わず脱力してしまった。

「……装備を整えて出直してこい」

 何だか、思い(わずら)っていた自分がおかしくなって、額を押さえつつも頬が緩んでしまう。
 カワウソは気づいていなかった。
 それは、この世界で彼が初めてこぼした、心の底からの笑みに、他ならなかった。








 







 数少ない癒し回(?)終了。
 次回から、いよいよ不穏な感じになります。


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発見

/Different world searching …vol.2






 ×






 少女は走っている。
 胸が張り裂けんばかりに鳴り響き、自分の呼吸すら喉を切り開くかのようにうるさく吐き出されている。
 遮蔽物の多い森に逃げ込めたおかげで、何とか小休止できるほどの猶予は稼げているが、追ってきている者の数を考えると休んでばかりはいられない。身を隠すためのマジックアイテムはあの子に預けたままだ。今はとにかく、あの子から離れ、あの追走者たちから逃れることに終始せねばならない。
 自分が死んだら、きっとあの子は助かるまい。
 自分をかばって、深手の傷を負ってしまったのだ。何とか合流して治癒できる場所に連れていくか、治癒できる人や物を持ち寄らねば話にならない。
 それも、自分があの追跡するものたちを撒くことが前提の話だ。
 だからこそ、走る。
 走って、走って、走り続ける。
 苦しみを主張する胸を抑えつけようと、手甲に覆われた右手を伸ばした。
 こういう時、鎧の奥で胸が揺れるのが苦痛過ぎる。
 体はどうあっても休息を求めていたが、現実は、それを許してくれない。
 追いつかれれば、どうなるか。
 そうなったら、あの子は、自分は、助かりはすまい。
 助かるはずがないのだ。
 あの死の暴力たちに捕まっては。
 腰に佩いた鞘に、剣は収まっていない。
 追跡者からの攻撃を防ぐ一合で折れ砕けたので、棄ててしまった。
 瞬間、聞く者の肌が粟立つような雄叫びが聞こえる。
 薄紫色の髪を背に流す少女は、さらに大地を踏みしめ、薄暗い朝の森を走り続ける。





 ×





 ミカが一旦部屋を退出し、普段通りの装備に身を包んでギルド長の私室に戻ると、カワウソはアイテムボックス内の確認に専心していた。真紅の治療薬(ポーション)下位(マイナー)上位(メジャ)まで几帳面に、かつ大量に並べられ、種々様々なアイテムや予備の装備が軒を連ねている。すでに装備品の類、特に防御装備についてはカワウソが用意できる万全の状態で身につけられていた。洗濯機にブチ込んだことで得た強化(バフ)効果もまだ継続中である。
 堅い金属に覆われた闇色の鎧、ほとんど銀色に近い光を宿す鎖帷子(くさりかたびら)、夜のように黒く輝く足甲、魔眼のような宝玉を宿す首飾り、絡みつく漆黒の掌のごときチョーカー、背中には血色を宿すマント、九つの指に嵌め込まれた金属と宝石――頭上には、赤黒く回り続ける王冠のごとき円環。

「ミカ、戻ったか」

 カワウソは、普段通りの鎧姿に戻った女天使に振り返った。
 頬にはもはや紅潮の気配さえない。女天使の冷徹な表情を見止め、安心する。

「先ほどは……失礼いたしました」
「気にしなくていい」

 メイドたちに伝言ゲームを任せた自分の落ち度もあったので、カワウソは本気で気にしていなかった。

「こっちこそ、その、すまなかった。まさか、おまえが先に風呂を使っていたとは思わなくて」
「ぁ……そうです。反省しやがってください」

 辛辣な口調で返されてしまうが、ようやく彼女らしく思えて、軽く笑えてくる。

「それで。一体何用でありますか?」

 苦し紛れという語調で、女天使は(たず)ねてくる。
 カワウソは頷き、ミカに語り始めた。

「さっき、ラファたちの探索隊を城に戻した。完全不可視化の装備も回収している。次は俺とおまえで、探索に出るぞ」
「カワウソ様と、私で……でありますか?」

 一瞬呆けるミカは、二秒もせずに眉根を寄せた。

「お待ちを。差し出口をさせていただきやがりますが、仮にもこの城の主たるカワウソ様が、調査偵察に向かわれる必要性は」
「馬鹿を言え。おまえたちが苦労して道を開いてくれているのに、俺一人がのうのうと、ここでふんぞり返っているわけにもいかないだろう?」

 いかにも公明正大に聞こえる文句を連ね、上位者らしい振る舞いを見せつけるギルド長は、内心で自分を嘲笑(あざわら)った。とんでもない嘘つき野郎だと、自分で自分に吐き気が込みあがる。
 本当を言うと――カワウソは何もかもを彼らに託し、城の中に籠っていたかった。
 少なくとも、外の存在と邂逅を果たし、その強弱や敵意の有無を確認するまでは。
 しかし、カワウソはギルド内で問題なく戦闘ができるという確証を実験で得てはいるが、拠点外の異世界でも戦闘が行えるという確証は保持していない。NPCたちは外で特殊技術(スキル)を、魔法を、戦闘を行使できることは確認しているが、プレイヤーである自分についてはまだ実験できていない。かと言って、自分一人でモンスターも何もいない地で訓練など出来るわけもないし、もしも外で不幸な遭遇戦に、未知の強敵との戦いに見舞われでもした際に、一人の護衛もいないというのは心細い……以上に、極めて危険な状況になることは想像するに難くない。
 故に、カワウソは護衛という名目で、ミカに、NPCの長にして自分の右腕であるLv.100の女天使に、同行を命じたのだ。
 ……いざとなれば、彼女を切り捨てることも、思考の端に思いながら。

(おさ)(おさ)らしく、泰然と構えている方が似合っていると思われますが?」

 そんな主人の内実を知ってか知らずか、彼女は怪訝(けげん)な表情を隠すことなく反論を述べ立てる。

「それもそうだな。だが、俺という戦力を(いたずら)に無為にさせておくわけにもいかない。この異常事態に際して、おまえたちは昨日からよく働いてくれているが、体力や魔力の補給のための休息は必須だ」
「その温存のために、外に出ているラファやナタたちには特殊技術(スキル)や魔法の使用は部分的に禁止させているはずでは? 〈飛行(フライ)〉を使わず、徒歩(かち)での探索を絶対原則にしているのも、そのためであるのでしょう?」

 無論、飛行では綿密かつ詳細な調査には向かないという実効力の面においても、徒歩でのローラー作戦じみた探索の方が有用である。

「そうだ。しかし、おまえたちという貴重な手駒をすりつぶして、いざという時に使い物にならないような事態を招かないと、おまえは確約できるか?」
「それは……」

 ミカは言葉に詰まる。
 彼女にしてみても、この世界には未知な部分が多く、主の言った可能性を否定する材料に乏しい。
 カワウソは厳格な表情で――内面では心臓を痛いほど締め付けられながら――己の憂慮する最悪の事態を回避する手段を選択してみせる。

「だからこそ、この世界の調査と探索は急務だ。しかし、このギルドで唯一、探査と遠視の魔法を持つマアトの魔力は無尽蔵ではないし、彼女へと魔力を供与できる存在も僅かだ。当面は幻術と防御の使えるガブで鏡を隠蔽防衛しておけるが、それもどれほどの効果が期待できるかわからない。であるなら、この世界の情報を知悉する作業は何よりも優先される。彼女たちの地図作成や土地鑑定を急がせるためにも、ギルド長である俺が、彼女たちの手伝いに加わるのは当然の務め……何か間違ったことを俺は言っているか?」

 ミカは逡巡し、観念するように首を振った。
 彼の提案する論理は、確かに費用対効果においては正論に過ぎる。彼は一応、ミカたちと同等のステータスを誇るプレイヤーだ。それほどの存在をただ待機させ続けるというのは、確かに言われるまでもなく勿体ない。
 しかし、それでも、ミカは抗弁を続ける。

「では……せめて、護衛をもう数人連れていくべきでは?」
「駄目だな。ガブ、ラファ、ウリ、イズラ、イスラ、ナタは先ほど帰ってきたばかり。ウォフとタイシャ、クピドはギルドの防衛と周辺の警戒に当たらせている。鑑定作業中のアプサラスにも、休息をとらせないとな。残るはマアトだけだが──」

 はっきり言って、マアトは戦闘向きではない。
 否、戦闘よりも戦闘の「補助」に徹した職業構成になっており、種族構成においてはLv.2しかない。それも、翼人(バードマン)Lv.1と、天使(エンジェル)Lv.1だけ。それ以外は職業レベルで98を与えている。彼女の実力は他のLv.100NPCに比べ遥かに見劣りするのだ。この世界の存在が、すべてLv.100相当か、それを上回るステータスを保持していたら、間違いなく足手まといになるだろう劣悪さである。無論、それ以外の動像獣(アニマル・ゴーレム)やメイド隊の投入は論外。

「──彼女は外に出る俺たちの観測手(オブザーバー)をやらせる。その傍ら、地図化(マッピング)を続けさせるつもりだ」

 マアトが唯一誇れるのは、潤沢な魔力量くらいだ。拠点NPCの中では最大値と言ってよい、その魔力量のおかげで、彼女は今も外界の監視を続けてくれている。しかしそれでも、無尽蔵に扱える代物でないことは確かだ。魔力(MP)体力(HP)のように、ポーションによる回復手段は存在しない以上、必ず枯渇する時は来るというもの。

「もってあと一日か……それまでに何か見つけられるといいが」

 森から採取した木や花、湖から汲み取った水には、これといった効能や性質は見られなかったという報告を、取り急ぎ鑑定してくれたアプサラスから受けている。
 次はこの世界の住人やモンスター、何だったら小動物などでもいいから発見できれば御の字か。
 できなければ、マアトも休息が必要になる。有事の際には、ラファやウォフから魔力を提供させるのも手だが、あのか細い少女を働かせ続けるわけにもいかない。〈伝言(メッセージ)〉越しだと本人はまったく問題なさそうに振る舞ってくれているが、それが表面的なものに過ぎない可能性も考えねばならないのだから。

「了解しました。が、せめて後詰(ごづめ)として、隠形(おんぎょう)可能な上級天使などの召喚許可を」
「……そうだな。ただし、召喚する時は俺がしよう」
「――失礼ながら。カワウソ様の天使作成創造の特殊技術(スキル)は」

 欠けている。
 それが「堕天使」という種族だ。
 ミカやガブ――熾天使(セラフィム)智天使(ケルビム)のキャラたちは下位・中位・上位までの天使を作成召喚する特殊技術(スキル)を有しているが、カワウソは下位天使の召喚はできない。中位と上位、それも半分以下の数しか一日に生み出せない。カワウソが特殊技術で生み出せる一日の上限は、中位の天使が四体。上位の天使が二体。これっぽっちだけだ。ミカたちはその三倍の数(これが普通の数)を一日で創造できる上、カワウソには創造できない下位の天使を二十体は生み出せる。
 ちなみに、これらの特殊技術で召喚した天使は時間制限付きであるため、ギルド拠点から外へ放っても、周りの平野を超えることができずに消失してしまう。それほどまでに広いのだ、この土地は。
「堕天使」という種族は、他にも純粋な天使種族が保持しているべき特性や特殊技術を欠落あるいは使用回数や性能が、総合的に減退している場合が多い。〈天使の祝福〉や〈天使の後光〉などは扱えず、〈聖天の裁定〉、〈熾天の断罪〉、先ほど述べた〈天使作成〉系統は著しく制約が多くなっている。
 おまけに「堕天使」の基礎ステータスは、異形種プレイヤーの中では貧弱だ。ランカーギルドから払い下げられていた神器級(ゴッズ)アイテムを買い取ることで、どうにかしている部分が大きいというのが実際である。
 これだけの不利益を被ってまで、「堕天使」を取得するプレイヤーというのは、難易度上げ縛りプレイを(たの)しむ強者(つわもの)か、あるいはそういう本格ロールプレイを望んでいるかの二択になる。
 ただし、カワウソは自己認識として、その両方には該当しない。
 彼はひとつの明確な目的意識の下で、異形種の中でも微妙な種族「堕天使」であることを選択しているのだ。“M(マゾ)プレイ”や“なりきり”を本気で味わいたいわけではなかった。

「……ラファたちが探索を終えた地点まで転移した後、中級の天使を適時投入していく。場合によっては、上級の天使も、な」

 堕天使であるカワウソには、恒星天の熾天使(セラフ・エイススフィア)原動天の熾天使(セラフ・ナインススフィア)至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)などの最上級の熾天使(セラフ)(クラス)は使役できない――厳密には、数秒しか召喚できない――が、他にも智天使(ケルビム)座天使(スローンズ)で使い勝手のいいモンスターはいるので、壁役としては申し分ないはず。
 それで文句はないだろうとミカに問いかけると、女天使は僅か逡巡しつつ、頷いてみせてくれた。
 カワウソはとりあえず胸を撫で下ろす。

「それじゃ、マアトの様子を見に行こう。その後、外の偵察に向かう」
「……了解」

 ミカは諦めたような声で呟く。
 嫌われている割にカワウソの身の安全を優先しようというのは、一応は彼を上位者として仰いでいることを示しているのだろうか。とてもそんな表情には見えないんだが。
 カワウソがアイテムをボックスの中に収納し終えると、二人は指輪を持つカワウソの剣の〈転移門(ゲート)〉によって、第三階層城館(パレス)奥に位置する場所に転移した。
 そこは、最上層の屋敷への〈転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)〉を守る大広間。
 平時においてはガブ、ラファ、ウリの三人によって守護される空間だが、そこには誰の姿もいない。
 カワウソは迷うことなく、広間の壁に無数にある隠し扉(完全に内装と同化している)のひとつへと歩み寄り、一応の礼儀としてノックする。中にいるはずの少女に自らの訪問を告げた。

「え、あ! カ、カワウソ様っ!?」

 作業を中断して扉を開けに来たのだろう少女は、日に焼けた肌色に、ひとつしかない天使の輪が二重に存在すると見紛うほどの艶を帯びた黒髪を切り揃えた、古代エジプトの巫女の簡素な白い聖衣を纏ったいつも通りの恰好に、普段はかけることのない丸眼鏡の姿で、主人たちを迎え入れた。

「出迎えありがとう、マアト」
「か、感謝なんてとんでもない! あ、と……な、何か、あったのでしょうか?」

 カワウソは、次の外の偵察に自分が赴くことを告げる。マアトは驚き、少し考え込んだ末に、二人を室内に招いた。

「こ、こちらが、現在このギルド周辺の探索できた範囲の地図に、なります」

 暗い室内には壁一面を覆うほどに巨大な〈水晶の大画面(グレーター・クリスタル・モニター)〉が発生しており、そこにマアトが外へ偵察に赴いた同僚たちの視覚情報を共有することで地図化(マッピング)したマップが掲載されている。他にも様々な画面が大小色々と室内に浮かんでいるのだが、これらはすべて、現在のギルド拠点内のリアルタイム映像を映し出す監視モニターの役割を果たしているのだ。城門にはクピドが銃火器を磨いて待機しており、その左右にウォフとタイシャが鎮座している。地上の鏡の前には二匹の動像獣たち(残る二匹は休息中)が鏡の前後を守るように待機し、防衛と警戒は万全といった具合だ。他にも、第一階層(カワウソのいた巨人像のある大空間は、今は除外されていた)や第二階層には天使の中級モンスターが徘徊しており、この第三階層の現状守護を任されているマアトの監視部屋とアプサラスの作業部屋、そして第三階層と最上層の管理保全の作業に従事するメイド隊が、それぞれ映し出されているような状況である。ちなみに、休息中の拠点NPCたちの私室は、監視対象には含まれていないため、ここには滅多なことでもないと映し出されることはない。彼らの私室に隣接する総合リラクゼーションルームなどは例外で、そこでイズラとイスラが音ゲーに興じ、ジムスペースにいるナタが木人形を相手に鍛錬しているところを見られ、意外なものを見られたと笑いが込みあがってしまう。
 だが、堕天使は浮かびかけた笑みを掌で覆い、消す。
 こんなものを見てほくそ笑む為に、ここへ来たのではないのだ。
 カワウソは、ここへ訪れた目的に視点を定める。大画面に映し出される地図には未だにところどころ虫食いのような空白が存在しているが、とりあえず一日ほどを費やして探査できた『スレイン平野』なる場所は、驚くほど何もない土地であることが判明した。
 カワウソたちのギルド拠点、その出入口である転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)は、その平野のほぼ真ん中に存在しており、掘っても何も出土せず、鑑定した砂や岩石は何の益にもならない普通のものであるという結論に達している。
 そして、つい先ほど戻った偵察隊二つは、ようやく平野を抜け、湖と森の発見に成功してくれた。
 カワウソは、その湖と森を見てみたい衝動に駆られ、頼んでみる。

「ちょっと外の様子を適当に映してみてくれ」
「わ、わかり、ました」

 マアトは即座に魔法を発動させる。
 第八位階魔法〈遠隔視(リモート・ビューイング)〉を発動させ、拠点外の光景を新たに水晶板に投影する。
 マアトは他にも様々な探査魔法――〈次元の目(プレイナー・アイ)〉や〈千里眼(クレヤボヤンス)〉など──を行使可能だが、前者は調査対象を指定しての覗き見、後者は他の探査魔法……〈発見(ロケート)〉系の魔法と併用するか、遮蔽物のないフィールドで超々遠距離狙撃に使うものに過ぎない。ちなみに、翼人(バードマン)の特性として“鷹の目(ホークアイ)”という遠見能力をマアトは与えられているので、〈千里眼(クレヤボヤンス)〉は補助程度の用途でしか使わない。
遠隔視(リモート・ビューイング)〉は指定したポイントを映し出す魔法。マアトは他にも対情報系魔法の対策を重ね掛けすることで、特に隠蔽処理や攻性防壁を施された場所でもない限り、安全に外を監視することが可能なのである。ちなみに、彼女が装備している眼鏡というのは、情報系魔法への防御をある程度まで貫通突破する効果と共に、攻性防壁などのカウンターを防御するアイテムだ。

「……何もないな」

 見渡す限りの平野は生命という生命が一切存在しておらず、その何もなさは、逆に作為的な、自然の手ではない何者かの力が働いた結果なのではと勘ぐってしまう。
 画面はマアトの意思のまま、拠点から一直線に遠方までの景色を動画の早送りのように流していく。それも、二チーム分の辿った軌跡をジグザグに蛇行し、左右に振り分けた映像として投影する。
 二つの画面に映るのは、どこまでも生命の息吹を感じさせない大地。
 昨夜、この目で確かめていた事実ではあったが、ここまで何もないとさすがに嫌気が差してくる。

「も、申し訳ありません、カワウソ様」
「ああ、いや。気にするな、マアト」

 彼女を責めたつもりは毛頭ないが、どうにもこの少女は、引っ込み思案な性格が強く出ている。これはカワウソが設定したことなので仕様がないのだ。同時に、ミカが自分を嫌っているのも、設定どおりなので何も言えない。この設定が書き換え不能なことも、すでに今日の実験で調べがついている。
 程なくして、湖の畔が右の画面に、深い森の光景が左の画面いっぱいに広がる。
 ようやく代わり映えのない光景から脱却できたことに、カワウソは密かな感動を抱いてしまった。

「これが、湖と森か」

 画面上に映る自然物は、やはりゲームなどでしか見たことのないもの。現実の地球では失われて久しい光景だった。
 しかも、双方ともに、これといったフィールドの特性――見るものを幻術に落とす水面とか、弱体化(デバフ)効果や微ダメージを一定時間ごとにかけ続ける樹や草とか――はないとのこと。
 普通の湖。普通の森。
 どちらもカワウソの熱い興味をひくものであった。

「それで。カワウソ様は一体、どちらの探索を行いやがるのですか?」
「み、湖や森でしたら、カワウソ様の狩人(ハンター)職業(クラス)で、その、狩猟を?」
「そうだな……釣り竿があったはずだし、釣りに向かうのもいいが……」

 狩りにいくにしても、どういう生物……モンスターがいるのかが不明だととっつきにくい。
 映る湖は決して透明度が高いわけではなく(それでも現実の地球のものと比べれば雲泥の差だ)、上空から見渡せた限りは三日月のように湾曲しているのが見て取れる程度。水鳥などの姿がなさそうなのは、水棲モンスターが悪辣故に棲みようがないのか、水質的に餌が豊富にあるというわけではないのか、いまいち判断がつかない。
 森にしても、画面越しではあったが、見る限りは小動物の姿が見受けられないのは疑問だった。これだけ鬱蒼とした森であれば、その森を棲み処とし、縄張りとする存在がいないと不自然極まる。森は、森に生きる動物などの力を借りることで、一定のサイクルを維持し、森という一個の自然を構築しているのだと、“ふらんけんしゅたいん”さん――以前のギルドで、副長の地位についていた――が語っていたはず。
 さらに言えば、カワウソはレベル構成を実戦仕様(ガチビルド)に組んだ折に、そういう実戦に向かないレベル――この場合は狩人(ハンター)料理人(コック)――は可能な限り削ぎ落としている。モンスターを狩って調理することは一応可能で、それらのおかげでダンジョン攻略などの長時間に及ぶソロプレイにも耐えられてきたが、あまりにもレベルの高すぎるモンスターを、食材に加工することも調理することも難しい。
 そして何より、あの湖や森に棲む唯一のモンスターが、レイドボス級だとしたら……向かうのは自殺行為にしかならないだろう。

「……ん?」

 そんな懸念を払拭(ふっしょく)したいカワウソは、森の木陰(こかげ)をちらりと横切るものを見逃がさなかった。

「マアト、今なにか映ったな?」

 頷く少女は、即座にリアルタイム映像の時間を巻き戻していく。これは〈記録(レコード)〉という魔法で、サポート職の中でもそれなりの上位者でなければ習得できない(しかし、実戦闘ではただの動画保存用のカメラにしかならない上、課金アイテムなどで再現可能という微妙な)もの。
 一時停止した画面の奥を横切る、それは人の輪郭。

「この森の住人か? マアト、続きの映像を」

 左の画面をさらに上下で分割し、一時停止映像と並行して森のリアルタイム映像が映し出された。
 マアトは魔法の視点を指先の操作でさらに奥へと進め、一時停止中の輪郭を浮き彫りにしつつ、その下に続けさせた映像に意外な影を捉えてみせた。

「あれは……地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)? 何で、こんな森に?」

 地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)は、大型の犬系モンスターの姿をしているが、その眼球は邪悪な輝きに染まり、口腔からは灼熱地獄を思わせる炎を、大量のよだれの代わりにこぼれ滴らせている。
 あれらは「猛獣」というよりも「悪魔」という種に分類される存在で、今目の前に広がるような森よりも、廃都市や城塞、魔王の館や火山地帯などのフィールドを徘徊することで有名なモンスターだ。少なくとも、森の木々を焼き尽くす火力を持つ存在が、ユグドラシルで森を闊歩した姿というのは見たことがない。
 ……というか、ユグドラシルのモンスター、だと?
 カワウソは違和感と共に眉をしかめた。猟犬はさらに二頭、三頭、四頭と森の奥を横切り、先ほどの人影の跡を追うように駆け出していく。

「どうやら、追われているようですね」

 ミカの抱いた感想は、カワウソも当然そう感じた。
 しかし、わからない。
 何故、ユグドラシルのモンスターがこの世界に(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 やはり、この世界はユグドラシルなのか? それとも、あれらもユグドラシルから転移したもの、なのか?
 疑問の渦に陥りかけるカワウソだったが、それを少女の声が引き留める。

「カ、カワウソ様、あれを!」

 マアトが、彼女にしては大きな細い声で、映像の奥に映る巨体を指さしたのだ。
 それを見た堕天使は目を一杯に見開き、本気の本気で、驚いてしまう。
 即断即決したカワウソは聖剣を抜いた。

「あの森に向かう。行くぞ、ミカ」
「了解」

 偵察のことは完全に忘れ去り、即応する堕天使は剣を頭上に掲げる。
 マアトに監視と警戒を(げん)にするよう命じると、聖剣の先端に〈転移門(ゲート)〉を開いた。





 ×





 とうとう追い詰められた。
 地獄の猟犬たちは純粋な獣ほどに敏捷(びんしょう)な生物ではなく、嗅覚なども専門のものに比べればそれほど優れているわけでもない。まだ普通の(ウルフ)やバグベアの方が、追跡者としては優秀なくらいだ。
 しかし、猟犬とは追尾し捕食するだけの存在にあらず。
 追跡対象を狙うポイントへと誘導し追い立て、主人の意のままに罠へと嵌め込む技能もまた必要となる。
 そういった意味では、あの猟犬たちはとんでもなく優秀な働きを遂げてみせた。個々の性能ではなく、互いの意思疎通と統一された目的のもとで、彼らという群体は並の猟犬などよりも格別な存在となり果てるのだ。
 少女はついに、崖の淵にまで追い詰められ、断崖を背にして佇むことを強要されてしまう。
 逃げ場はない。
 少女には魔法詠唱者が当たり前に扱うような〈飛行(フライ)〉は修得しておらず、そういう飛行系マジックアイテムとも無縁な生活をしていた。
 剣も隠れ蓑も失っている状況。
 無数の獣の唸り声が、森の奥深くから響き渡る。
 それの後に、一際大きく少女の肌を震わせる轟吼が。
 思わず、少女は一歩もさがれない断崖の淵で足を退()く。

「あ!」

 唐突な浮遊感。
 滑落する身体。
 意識せず両手を上に伸ばし、肌を大いに擦り切れさせながら両手の指で全体重を支える。

「く、ぅあ!」

 足が、岩肌にかからない。
 割と脆い地質なのだろう。足甲の硬さが崖をわずかに削ぐ程度の効果しか得られない。
 ふと、唸り声が至近に聞こえる。我知らず少女は空を見上げてしまい……戦慄する。
 邪悪な意思を灯す獣の瞳が、牙列からこぼれる紅蓮が、幾つも少女を見下ろしていた。

「ッ!」

 悲鳴を上げようとしたのも束の間、少女の指がかかっていた崖の淵が崩れ落ちる。
 死んだ──そう思った。
 この高さは、確実に死ぬ。
 運よく生き残っても、自分は治癒の薬を持ち合わせていない。足や腰の骨を折れば身動きが取れず、野垂れ死には免れない。そもそも、あの追跡者たちに追いつかれて終わりとなることは確実だ。
 短い間で、驚くほど長い思考の最中(さなか)、確実に空は遠ざかり、追跡者たちの姿は小さくなる。
 頭の中を走馬灯が、たくさんの光景が、過ぎ去っていく。
 ごめん。ラベンダ。
 必ず戻るって、約束したのに。
 固く、それよりも固く、瞼を閉ざす。



 その瞬間────ありえないことが、起こった。



「おい、大丈夫か?」

 まったくいきなり、その声は現れた。堅い地面の感触ではない。
 一瞬だが、あの子が助けに来たのかと思ったが、あの子は言葉を話せない。話せたとしても、あの子は(めす)なのだから、こんなにも雄々しい音色を奏でるなんてことはないと思う。
 背中と、両膝の裏に、逞しい何者かの腕力を感じ取る。
 閉ざされた瞼を、少女は押し開く。
 自分の薄紫に輝く前髪を通して、その人を、見る。

「…………え?」

 夢かと思った。
 良く日に焼けた顔立ち、太陽の光を受けて輝く黒い鎧、黒髪の上に赤い輪をうかべた天駆ける青年に、少女は抱きかかえられていた。





 







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救出

/Different world searching …vol.3




 





 薄紫色の髪の少女を抱き助けたカワウソは、〈飛行(フライ)〉によって空中を飛んでいるのでは、ない。
 堕天使は飛ぶことができない。「堕天した天使」が空を自由に飛ぶ〈飛行〉の状態になるには、最高レベル獲得時に取得できるスキルを発動するより他になく、また今回は使う必要を感じなかった。あれ(・・)がなくとも、聖騎士の身体強化スキルでどうにかなってくれると判断し、事実、使うまでもなくカワウソは目的のひとつである「少女の救出」を成し遂げられた。
 ジャンプした勢いそのままに少女をキャッチしているような状態だ。迷宮(メイズ)で自分の身体能力を把握しておいてよかったと、心から思う。カワウソと少女の身体は、弧を描くボールのような放物線の軌跡のまま、崖下に広がる森の中に着地する。聖騎士の持つ肉体強化の特殊技術(スキル)は、思いのほか堕天使の肉体能力を底上げしてくれた。おかげで、カワウソは傷一つ負っていない。

「よし」

 着地の衝撃は難なく相殺可能。
 救出にはばっちりのタイミングだったが、マアトの先導(ナビ)もあって、少女の居場所と危機的状況は知悉していた。だからこそ、カワウソは何とか少女の落下をギリギリ回避させることができた。
 急転する事態に混乱する少女を腕の中に抱えたまま、〈敵感知(センス・エネミー)〉の魔法を発動し、僅か遠くに見える崖を注視すると、黒い影が無数に岩肌をくだっている様子が見て取れる。その中でも、とりわけ巨大な暴力の塊が、まるで滑落する勢いで崖を走破していく。
 やはり、あのモンスターたちは、少女を追跡する意思を持っている。

「そこで大人しくしてろ」

 抱き下ろされ、大木を背にし、瞬きを繰り返す少女は、ゲームのプレイヤーにしてはかなり弱っちい感じしか受け取れない。
 そもそもにおいて、地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)ごときに逃げ惑う事しかできず、あまつさえ崖から転落するなど、素人にしても出来が悪すぎる。身に着けている装備は一目見た感じだと、それなりに整っている。だというのに、こいつは猟犬たちよりも低いレベルしか保持していないというのか?
 いずれにせよ。
 まともな話ができそうな存在と言うのは、いろいろな意味で貴重だ。
 あんなモンスターたちに狩られるままにしておくというのは、いかにも勿体ない。
 そう結論するカワウソの背後で、揺れ動く茂みの音と、獰猛な獣の唸り声が奏でられる。
 少女が危険を告げるのとほぼ同時に、地獄の焔を滴らせる牙が、カワウソの身体へ四つ、六つ、八つ……合計して十八体も殺到する。
 もうひとつの目的である「戦闘の実験」を敢行。
 聖剣を空間から鞘走らせた堕天使は、もはや使い慣れた特殊技術(スキル)を解放。
 光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ。
 下段から降り注いだ光の束が、一直線に奔る輝きの奔流に数多(あまた)の猟犬をとらえ、その存在を影法師ごと斬り刻み滅ぼしていく。
 種族としては悪魔系統に位置づけられるモンスターなため、聖剣による神聖属性攻撃はかなりのダメージ量となる上、特殊技術(スキル)で数ターン分の継続ダメージをもたらすとあっては、その形状を留めておくことすら不可能だ。
 この攻撃エフェクト自体は、迷宮(メイズ)で実験検証済みだったので驚きも何もない。
 だが、それでも。

「……おいおい」

 意外なことが起きてしまい、カワウソは愕然となる。
 切り払った猟犬の群れと共に、周囲に鬱蒼と生い茂っていた草木までも、諸共にカワウソの視界から消滅してしまったのだ。
 まるで、森の一部が切り開かれたかのように、太陽の光が視界を明るく染め上げる。

「やべっ……森の木まで、攻撃できるのかよ?」

 ユグドラシルのゲームでは、カワウソはフィールドそのものに攻撃を加えるようなことはできなかった。否、より正確には、ゲーム内においてああいう「普通の木」というのは、採取や伐採、開墾や土壌調整を行える職業・木こり(ランバージャック)森祭司(ドルイド)などでなければ、燃料となる薪や、建築資材の木材に加工することは不可能なはず。ユグドラシルにおいてゲーム画面にある物体(フィールドオブジェクト)というのは、専門職による採取・伐採によってのみ、プレイヤーたちの懐に収まるアイテムに変貌する仕様であった。それこそ、モンスターの死骸からデータクリスタルや食材などのアイテムはドロップしても、その全身を、内臓や骨格、表皮や鱗などを取得するのにも専用の特殊技術(スキル)を持つ職業・狩人(ハンター)や加工職人などでなければ、余すことなく使い尽くすことはできなかったし、死霊系魔法詠唱者などの職種でなければ、死体をゾンビやレイスといったアンデッドモンスターとして再利用することも不可能だった。
 勿論、森の探査をわずかに行っていたNPCたち――イズラ、イスラ、ナタ――が採取可能だった時点で、ゲームの時のようなフィールドオブジェクトという可能性はありえなかったわけだが。
 しかし、

「ユグドラシルじゃ、こんな大地が(えぐ)れるような攻撃じゃなかっただろうに……」

 樹々が攻撃対象になったこともさることながら、その下にある地面まで、光の刃によって地割れのような陥没……というか、ほとんど地形が断層を起こしているような様が、鋭くひた走っている。事前に戦闘実験を行った拠点第一階層の迷宮(メイズ)では、こんなにもえぐい効果を発動することはなかった。これはつまり、この地面というのは、ギルド拠点ほどの防御力など一切もたない、現実として存在する本物の大地なのだという証明なのでは、と推測する。

「でも、現実の大地に、ゲームの攻撃が通じるって、おかしくないか?」

 そう呆れたように独り言を呟くが、自分の目の前で起こった出来事を説明するとなると、そうとしか言いようがないのも事実だ。
 印象としては脆い世界なのだなという考えを抱きつつ、カワウソは次なる標的を感じ取り見定める。
 開けた森、大地の傷、同胞たちの死を迂回して現れた猟犬たちによる挟み撃ちのような多面攻撃を、堕天使は片手に握る聖剣ひとつで薙ぎ払う。
 発動させた特殊技術(スキル)は、光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅰに留める。
 光輝の刃Ⅰは、無属性武器を一時的に神聖属性に転換する光の刃を、その剣の表面に覆った姿で発動する程度の攻撃(アタック)特殊技術(スキル)だ。見た目にはただでさえ煌きを放つ聖剣が、光の粒子によって覆い隠されたような感じとなる。この粒子によって、敵に継続ダメージを加算するのだ。
 聖騎士にして、Lv.100の堕天使の腕力と瞬発力で木っ端のように吹き飛ばされる猟犬たち七頭は、その骸を大地に転がし、吐き出そうとしていた紅蓮の焔を(ことごと)く鎮火・霧消されていく。カワウソ自身の剣尖の速さによって、彼には一片の傷も汚れも付着することはない。

 ……はて。
 カワウソは新たな現象に頭をひねる。

 死体が残ることは、ユグドラシルでは珍しくもなんともないが、あんなにも様々な形状になるものだっただろうか?
 クリティカルヒット扱いというもので、モンスターの死体にも差別化があったのを見た覚えはあるが、頭部の消滅した死骸や、腹部から赤黒いものをこぼしているというのは、少し、──いや、かなり、──グロい。中には吹き飛ばされた衝撃で森の木の幹に貫かれて果てている死体まであるのだから、かなり異様な光景になる。おまけに、流れ出てくる血の量というのも、ゲーム時代とは比較にならないほどだ。
 無論、血というのも立派なアイテム扱いを受けるオブジェクトなのだが、ここまで生臭い香りを嗅ぐなんてこともなかった為か、やけにリアルに感じられる。もうちょっと威力の強い攻撃で、完全に消滅させるくらいの攻撃をした方が、精神衛生上いいかもしれない。だが、それだと実験が──
 などと状況を努めて冷静に分析するカワウソの耳に、


「オオオァァァアアアアアア──!!」


 聞く者の肌が粟立つような咆哮が。
 同時に、地獄の猟犬の(むくろ)を踏み超えて、それは現れた。
 カワウソは、これの姿をマアトの魔法越しに見ていたので、この邂逅(かいこう)にはさしたる動揺はない。
 しかし、その姿は堕天使の声音をわずかに凍えさせ、鋭さを増幅させる。


「やっぱり、死の騎士(デス・ナイト)、か」


 猟犬たちの飼い主のごとく現れた追撃者。
 その身長は二・三メートルにもなり、身体の厚みは人というより猛獣のそれを思わせる。左手には全身の四分の三を覆うような巨大な盾──タワーシールドを保持し、右手には一・三メートル近い波打つ形状の大剣──フランベルジェを握っている。その巨体を覆うのは漆黒の金属。随所に血管のような真紅の紋様を刻んだ全身鎧だ。鋭い棘が所々から突き出す様は、暴力をそのまま形におさめた形状である。兜は悪魔を思わせる角を生やし、顔の部分が開いた箇所から憎悪と殺戮に着色された亡者の眼窩が、爛々と世界を睨み据えている。
 ボロボロの黒いマントを翻し、死の騎士はカワウソめがけ突進する。その姿は騎士の突撃というより、肉食獣の跳躍じみた速度。人間の平均身長を超過する巨躯でありながら、その動作は影のように軽やかなものだ。
 しかし、カワウソにしてみれば、死の騎士(デス・ナイト)は雑魚アンデッドの一種に過ぎない。
 特性として、死の騎士は雑魚モンスターのヘイトを集め、どのような強力な攻撃もHP1で耐え抜くという盾役としては非常に優秀な存在だが、そのレベルは35程度。カワウソのギルドの門番を務める小動物たちと同レベルに過ぎない。

 一合。

 たったそれだけで、死の騎士の命運は決する。
 刃を交わした瞬間に、光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅰを発動する神器級(ゴッズ)アイテムの攻撃により、騎士の持つ大剣はバターのように切り裂かれ、そのまま勢いよく白い刃を喉元に突き入れられる。指輪のひとつを使い〈生命の精髄(ライフ・エッセンス)〉を発動。確認したHPは僅か一目盛分。とどめとして抜き放った刃は、過つことなく騎士の頭を大地に転がしてみせた。
 大地の上に(くずお)れた死の騎士の肉体は、清浄なる力によって浄化されるとか、憎悪から解き放たれて粉微塵に砕け散るといった現象を起こさない。光輝の刃Ⅰは、そこまでの効果は発揮しないのだ。
 ユグドラシルの仕様上では、実体を持つモンスターは死体をそのまま残すものが多い。その死体からデータクリスタルやドロップアイテムを入手できたり、あるいは死体に特殊技術や魔法などを使用し加工することで別のもの──肉などの食料や、金属などの素材、あるいはゾンビなどのアンデッドモンスターの傭兵NPC──にして手に入れることが可能だ。
 ……だが。

「クリスタルは、ドロップしないな?」

 死の騎士の(むくろ)をくまなく検分するが、これといったアイテム──クリスタルや素材はドロップしていない。これは、先ほどの猟犬たちも同様であった。
 ここがユグドラシルとは別の世界であることの証明が、ひとつ増えたと考えるべきか。
 だが、それならユグドラシルと同じモンスターが徘徊しているというのは、どういう理屈なのだろう。
 しかも、ここは森の真ん中だ。
 アンデッドは大抵の場合、墓場や廃墟などで自然発生(POP)するモンスターだ。それ以外では悪魔の城や地下洞窟などのダンジョンで見かけるぐらい。こういった森林地帯であれば、アンデッドよりも猛獣(ビースト)とか精霊(エレメンタル)とか、あるいは小鬼(ゴブリン)人喰鬼(オーガ)くらいとエンカウントするのが自然だろうに。

「カワウソ様」

 さらなる疑問に陥っていた堕天使の耳に、怜悧な音色が注がれる。

「ミカ。無事だな?」

 振り返り見た先で「馬鹿にしないでください。あたりまえであります」と、毒舌天使が宣言する。
 彼女が握る光の剣は、役目を終えたことを確認すると、目にも止まらぬ速さで鞘の中へ戻される。
 ミカは頭部の上半分をすっぽりと覆える(ヘルム)に、目の部分はサンバイザーを思わせる透明な硝子構造で覆っている。彼女が熾天使である特徴の“輪”は、その兜の構造物であるかのようになっているが、健在だ。正常な天使種族の中でも、特に熾天使は、余程の事でもないと“輪”と“翼”を失うことは出来ない種族。同じように背中から生えるべき翼についても、鎧の一部──胸当て部分を護るか隠すように盛られ、組み巻かれた感じとなっており、自然に存在を主張している程度に落ち着いている。事情を知らないものが見れば、ただの人間の女騎士といった立ち姿だろう。
 カワウソの右腕として創造しただけのことはあるらしく、ミカは主人とは違い、まったくそつなく戦闘行動を完了させたようだ。その証拠に、彼女は死の騎士(デス・ナイト)が持っていたのだろうフランベルジュを四本、大地の上に突き刺して示す。ドロップアイテムという感じだが、これはカワウソの倒した騎士の傍に切り裂かれ落ちているものと遜色ないもの。聞けば、やはりクリスタルなどをミカは入手していないらしい。位置的には数百メートルほど離れていた感じか。これ以上、他のモンスターが現れる気配はなかった。

「――やるじゃないか。こっちは一体倒すので精一杯だったのに」
「崖を下りた死の騎士が一体だけだったからでは? おかげで、猟犬たちの始末はカワウソ様が一手に引き受けてくれたわけですし」

 ミカは追跡続行のために崖下への安全ルートをとった死の騎士四体を狩るべく、別行動を取っていた。
 無論、カワウソの貧弱な能力でも、さすがに特効属性を扱える状況で、Lv.35程度のモンスターが相手なら、その倍の量を連れてこられても対応は可能なのだが。

「しかし。少し派手に戦いすぎではありませんか?」
「ああ……やっぱり、そう思うか?」

 光輝の刃Ⅴを繰り出した際に、森の一定範囲が猟犬諸共に断裁され消滅してしまっている。この森が誰かの領地なり所有物なりしたら、カワウソは罪状をはられるかもしれない。そうなる前に、ガブあたりを連れてきて、幻術で森の破壊っぷりを隠匿するか、さもなければ森祭司(ドルイド)系魔法を扱えるアプサラスに再生させる必要があるだろう。
 ここが誰かの土地や命名済みのフィールドだとすれば、マアトの特殊技術(スキル)で鑑定も可能だが、はたして。

「あ、あの」

 思考に耽っていたカワウソは、ミカ以外の声を聞いて、ようやく自分がここに赴いた理由を思い出した。
 カワウソは比較的穏やかな、あたりさわりのない表情を浮かべて振り返る。

「ああ。怪我はしていないか?」
「あ……はい。おかげ、さまで」

 腰が抜けた感じの女の子は、しかし礼儀を知っているらしい調子でお辞儀してくる。言葉も通じるようで少し安堵した。翻訳魔法を発動するコンニャク(アイテム)を摂取する手間もない。
 あらためて、その少女を見下ろした。
 少女の身なりはそれなりに整っている。軽金属で出来た胸当ては、見た感じの年齢に比して豊かな膨らみを隠しきれていない。はっきり言えば南半球に当たる部分が露出している。へその部分もまる見えだ。防御能力は最小限に、身軽さを最大限にしようという意思の表れだろうか。腰には剣を収めていただろう鞘がぶら下がっていたが、中身は空。あの死の騎士たちから逃げる途中で折れるなり紛失するなりしたのだろう。
 顔立ちはゲームに登場するキャラのように、可憐かつ麗美だ。カワウソの見た感じとしては、リアルなら十人中七人か八人は振り返るんじゃないかといった具合である。年齢は多く見積もっても十五歳前後、それぐらいに小柄であった。
 一言でいえば、軽装剣士の美少女。
 それが、この女の子から抱いた第一印象である。

「いくつか質問しても構わないか?」
「は、はい。何で、しょうか?」
「どうして死の騎士(デス・ナイト)たちに追われていたんだ? こいつはヘイトを集めることはできても、逃げるプレイヤーを追い回すようないやらしい特性は持っていないはずだが?」
「え、ええと……最後の方は、よくわかりませんが、私が追われていたのは、その……」

 何とも歯切れの悪い調子だ。
 ゲームだとこういう場合、大抵がワケありなのだが。

「……正直に言わせてもらうと、私、罪人なんです」

 ワケあり確定かよ。

「……そうか……罪状は?」
「え? その、えっと多分……不敬罪という、奴で」
「不敬罪?」

 それってつまり、こいつはこの世界の王族だか有力者だかを怒らせた手合い、ということになるのか?
 ワケありの中でも最悪な部類だな。出来れば異世界の王様とか政府とかなんかと敵対なんて、現状ではしたくないのに。
 こめかみを押さえつつ、カワウソは先を続ける。

「どんなことをして、不敬罪に問われたんだ?」
「あ、アンデッドの行軍に、その、墜落して」
「アンデッド、行軍……?」

 おいおい。
 それってつまり、アンデッドが支配する国がこの近くに存在するってこと?
 いや、アンデッドを支配できる種族や、魔法詠唱者(マジックキャスター)という線も捨て難いか?

「み、見たこと、ありませんか? 骸骨(スケルトン)の、戦士団とか、死の騎士(デス・ナイト)の、儀仗兵(ぎじょうへい)とか」

 いや、そんな恐ろし気なイベント、参加したことないから。
 もう……何というか……面倒くさくなってきた。

「はぁぁぁ……おまえ、名前は? 出身は? 種族は?」

 眉間をおさえっぱなしのカワウソは、自分の腰に装備した鎖の端を意識する。この装備を使えば、少女の捕縛は容易である。訊けるだけのことを聞いたら、こいつを捕まえて、適当な国家機関に引き渡してしまおう。
 死の騎士たちを()ったことはこの少女のせいにして「お目こぼし」を狙う。可憐で純朴な少女のようだが、今は下手に助けることができないのだから、しようがない。
 そんなカワウソの心算も知らず、少女はつっかえつつも自分のことを紹介していく。

「えと……私の名前は、ヴェル・セーク。出身は飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の一族。えと、種族? と言われると、あの、人間だと思います?」

 正直、名前以外はそんなに重要視していなかった。ただ、いざ国家機関などに突き出す際に、情報は多い方が擦り合わせもうまくいくだろうという心積もりがあったからだ。
 だが、意外にも気になるワードが出てきた為、カワウソは興味本位に問い質してみる。

飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)? 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)と言ったか、今?」
「は、はい。一応、私も飛竜騎兵の、その、端くれで」

 飛竜(ワイバーン)とは。
 ユグドラシルでは三十レベル後半に到達した騎乗兵系統の職を有したプレイヤーが騎乗できる魔獣の一種だ。その飛竜を特別に呼び出し騎乗できる職種が「飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)」という。竜を乗りこなすなど、実にファンタジー感のある職種であるため、憧れたプレイヤーは数多い。実際、カワウソも一度は目指したこともある。
 だが、こいつはレベル的には大して違いのないはずの死の騎士(デス・ナイト)に逃げ回っていることしかしていない。ということは、こいつのレベルは三十未満──(いや)地獄の猟犬(ヘル・ハウンド)からも逃げの一手しか取っていなかったから、ひょっとすると二十五を下回るはずだ。だというのに、三十レベル後半が必須条件のはずの飛竜に乗れる?
 ……訳が分からなさすぎるぞ、もう。

「……それで、ここからもっとも近い都市とか、国はどこにあるんだ?」
「はぇ?」
「だから、この近辺にある街や国の場所を聞いているんだよ」

 ヴェル・セークは困惑の上にさらに困惑を相乗させるような眼差しで告げた。

「え、あ、あの……この近辺に国は、一つしかありません。というか、この大陸は、一つの国の支配下にあるんです、けど?」
「……何?」

 カワウソは呻いた。
 その答えはさすがに予想を超えていたのだ。
 一つしか国がない。そんなことが実現可能なのか?
 大陸というからには、日本のような島国ということはあるまい。
 オーストラリア? 南北アメリカ? ひょっとするとユーラシア大陸なみの規模を、たった一国で支配しているというのか?
 まさしくファンタジーな世界観だな、頭痛が酷くなる一方だ。

「……その国の名前は?」

 知らないと主張するのは、割と勇気のいる行動だった。
 大陸を一国で支配している事実を、その大陸にいる存在が知らないというのは奇怪なものだ。実際、少女は疑問符を大量に浮かべながら、たどたどしく質問に答えようとする。

 だが、カワウソの予想など、その少女は(ことごと)く裏切ってしまう。

「ア……」
「……あ?」










「アインズ・ウール・ゴウン、魔導国、です」







 





【第二章 至高なるアインズ・ウール・ゴウン魔導国 へ続く】









 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の記述や設定は、書籍四巻p12を参考にしています。
 二章に続く前に、幕間を一話はさみます。


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監視者

100年後のアインズ様たちの出番です。


/keep watch

・幕間1・









 時を二日前にさかのぼる。





 彼らは待っていた。
 至高の四十一人が住まうに相応しき居城・ナザリック地下大墳墓の正当な主人が、彼の住まうにもっとも相応(ふさわ)しき空間である聖域──第九階層に、新たに設営された転移の間に、帰還する時を。
 100年後の魔導国──ナザリック地下大墳墓への非常招集をかけられた守護者たちは、その全員が、現在ナザリックに常駐しているわけではない。
 セバス、コキュートス、デミウルゴスは、自分に与えられた各都市での使命や政務を十全に果たしての参上。そして、ナザリックの今月の防衛を担う真祖の吸血鬼(トゥルー・ヴァンパイア)、魔導王の主王妃に選定された銀髪の少女、シャルティア・ブラッドフォールン、以上の四名と、四人に付き従う側近や配下たちだけが、その場に満たされていた。

 やがて。
 ひとつの鏡の奥から、この大陸の頂点に君臨する王が姿を現して、すでに(ひざまず)いていたシモベ全員が尚一層、頭を地に近づけてみせる。

「お待ちしておりんした、アインズ様」

 死の支配者(オーバーロード)
 この大陸全土を完全掌握し、すべての国民に安寧と繁栄を約束した不滅の王。そして、御身から宰相に任じられ、やがて最王妃として正妃に選定された純白の悪魔、()守護者統括、アルベドと、一般メイド・フォアイルを背後に従えた至高の四十一人のまとめ役。あらゆる魔を導く王者──魔導王至高帝陛下──アインズ・ウール・ゴウンに相対し、漆黒のボールガウン纏う真祖が、執事服に身を包む老紳士が、歪められた蟲の姿から冷気を振り撒く蟲の王が、オールバックの黒髪に眼鏡をかけたスーツ姿の悪魔が、またそれらの配下たるシモベたち全てが、己の主人に拝謁できる栄誉に(こうべ)を垂れていた。

「出迎えに感謝する、シャルティア。そして、おまえたち」

 主人より深く感謝されてしまったシモベたちは、溢れかえるほどの喜悦に浴しつつも、まったく緩んだ表情を見せることはない。彼らを代表して、王妃が陶然となりながらも、冷厳に応じる。

「とんでもございんせん」

 アインズは起立するシャルティアの肩を一度抱き、即座に他のシモベたちも立ち上がらせた。

「うむ。(かしこ)まった挨拶は、なしだ──それで? 先の報せは本当か、デミウルゴス」

 訊かれた守護者の一人、デミウルゴスは頷くしかなかった。

「シャルティアより急を(しら)され、至急、数時間を費やし私どもの方で調査吟味(ぎんみ)しましたところ……確実かと」

 アインズは「ついに来たか」という言葉を、己の空っぽな胸骨の底に沈め隠す。

「ご苦労だった、デミウルゴス。そして、ありがとう、シャルティア」

 紅く濡れそぼる主王妃の瞳に感謝を紡ぎ、アインズはシャルティアを腕の中から解放する。

「……では、さっそく見せてもらおうか?」

 委細承知したシモベたちを引き連れ、アインズは自分の私室に向かう。
 そうして悠然と歩を進める(内心ではすごい動揺している)骸骨の背後で、シモベたちが言葉を交わす。

「それにしても、シャルティア、デミウルゴス……スレイン平野というのは、いくら何でも出来すぎじゃないのかしら?」

 アルベドが険の深い視線を込めて、同じ王妃と同胞の悪魔に疑念する。
 まず、シャルティアが淡く微笑む。

「信じられんでありんしょうが、ね」
「私も、最初に報告を受けた時は耳を疑いましたよ──まさか、よりにもよって、“あの地”に転移するものが現れるとは」

 続くデミウルゴスは(かぶり)を振って大いに慨嘆する。言葉には冷たい刃のような酷薄さが滲みつつも、起こったことをむしろ歓迎するような微笑──嘲笑(ちょうしょう)の気配が僅かに含まれている。セバスとコキュートスは、沈黙でもって彼の意見に同意しているようだ。
 アインズは苦渋に満ちた表情を骨の顔に浮かべそうになり、誰も見ていないだろうが、ぐっとこらえる。

 よりにもよって……あの場所に、か。

 暗い過去の記憶を目の前に見据えるように、アインズは無言を貫いた。
 もはや100年近い昔の、歴史に語られることもなくなった程度の事件に成り果てていたが、アインズの朽ちることのない不死者の精神は紛れもなく、あの時のことを克明に思い出すことが可能だ。
 ちょうど、その時。
 背後から快活な足音が、駆け寄るように近づき響き始める。
 アインズが足を止めて振り返ると、それで二人は一行に追いつくことが叶った。

「アインズ様、遅れて申し訳ありません!」
「も、ももも、……申し訳、ありません!」

 アインズたちに遅れての参上となった、闇妖精(ダークエルフ)の双子が列に加わった。

「二人とも。場を(わきま)えなさい。ここはナザリック第九階層の廊下なのよ?」

 神をも超越した存在がおわします宮殿、聖域への礼儀を考えるのであれば、乱暴にも足音を響かせ走ることは、決して許される行為ではない。一歩一歩を、感謝と尊崇の念の湧くままに感じ取りつつ、決して早すぎず遅すぎずという速度を維持しなくては。
 同じ王妃であるアルベドの軽い微笑を含めた叱声に、王妃二人は少なからず悄然とした面持ちで謝罪を述べる。
 無論、この地下大墳墓の主人であるアインズに対して。

「本当に、申し訳ございません。アインズ様!」
「あの、も、申し訳ございません!」

 急報の内容が内容だけに、今回の招集にはナザリックの全存在が知悉すべきもの。わけても、Lv100の階層守護者たちは絶対に、欠席することなど許されはしないだろう。それを理解しているからこそ、二人は慌てて、与えられた仕事を切り上げるべく奔走し、今回の非常招集に応じてくれたのだ。感謝こそすれ、遅刻くらいで目くじらを立てることはあり得ない。

 アインズは二人を見つめる。
 この百年という時の流れによって、健やかに成長を遂げた闇妖精の双子は、かつての小動物然とした愛らしさを面影に残しつつも、以前よりも落ち着いた、非常に大人びた雰囲気を醸し出していて、そしてその面貌には、より確かな、より洗練された美の結晶を、両者共に宿らせるようになっていた。

 長く尖った耳。薄黒い肌。左右の色が違う瞳(オッドアイ)は森と海の輝きを満たしているが、姉弟で色の位置は真逆になっている。これらは変わることのない双子の魅力であるが、二人とも人間種として健全な成長を遂げてみせてくれているのも、忘れてはならない。

 陽王妃、アウラ・ベラ・フィオーラ。
 170歳代の闇妖精は、以前までの幼い少女の姿からは卒業し、人間であれば十代後半程度と思われる乙女の体躯を獲得していた。ピンと伸びた背筋は高く、以前までは少年然としていた軽装鎧の前面が、大きな膨らみを豊かに二つ実らせ、白い女悪魔にも匹敵するほどの“女”の魅惑を、発露するまでになっていた。以前は短かった髪もだいぶ伸ばされ、肩と背中に黄金の滝を降り注がせて、風になびくままにしている。己の創造主に与えられた以前までの格好を止めるのは抵抗があった……が、さすがに女性として創造された身の上、ミニスカートなどの姿にモデルチェンジした白と赤の軽装鎧へ、無事に衣替えを果たしつつある。
 月王妃、マーレ・ベロ・フィオーレ。
 姉と同じく170歳代にまで成長した少年──否、もはや青年と言うべきだろう。長身を我が物とした姉よりも明らかに伸びた頭身は、もはやアインズの視線の高さとほぼ同じ。姉同様に伸ばされた黄金の髪は、一反の絹の布地ともいうべき艶と手触りに満ちて、髪自体が光を放ち輝いているようだ。姉が豊満な女体美を宿す森の女王とするなら、彼は精悍な、それでいて妖精(エルフ)然としてしなやかな体躯を誇る森の化身か。姉と同様、以前とは違って少女のようなスカートは身に着けておらず、普通に男性的な白を基調とする青い軽装鎧の姿をしているが、その言動や性格は今も姉の陰に隠れそうな、か弱い少女のようですらある。
 両者ともに、これでまだ成長途上というのだから、驚きだ。現地の妖精(エルフ)基準で言うと、あと3、40年で完全な成長を遂げるという。

 ──シャルティアが、陽王妃(アウラ)の身体のある部分をじっと見つめ、自分の胸の詰め物(パッド)に視線を落とすところは、……とりあえず、何も言わないでおこう。

「気にするな、アウラ、マーレ」

 二人には中央にて新造させている新たな魔法都市の工事に(たずさ)わってもらっている。アウラは城塞建造のノウハウを生かしてもらっての現場指揮、マーレは魔法を使っての土地に対する基礎工事や地下空間の設営に、それぞれが尽力しているのだ。100年の時をかけ熟達した二人の仕事量。これは他の者に任せようとすると、数十倍~百倍規模の人員が必要不可欠な大事業だ。おいそれと他の者に任せて抜け出せるはずもない。
 これで、魔王妃を除く王妃たちと守護者たち、ほぼ全員が一堂に会した。
 久方ぶりに対面を果たした王妃二人と軽く抱擁を交わし、二人も背後に加え、アインズは無事に自室にまで辿り着く。





 




 ――スレイン平野にて、変あり。

 その一報を受けたアインズは、すぐさまナザリック地下大墳墓への帰還を果たした。
 報告されてきた内容が内容だけに、予定されていた都市での一日……政務と公務という名の、とある冒険者たちとの交流の場をキャンセルせざるを得なかったのは、本当にしようがない。あまりにも無念でならないが、それだけの変事であることは疑いようのない事実なのだ。パンドラズ・アクターに代役を頼むのは避けたいところだったが、さすがに公的な祭りなどにおいて、主催者の一言もなしでは締りが悪いというもの。
 あいつも一応は、アインズの「子」の一人に列せられる存在であり、ナザリック最高位の智者の一人。少し注意してやれば要領よくアインズの代替……影武者役をこなすことも容易な存在である以上、活用しないでいるわけにはいかない。こういうことにばかり動員して申し訳ない気もするが、あいつも、そしてその嫁や子供──アインズの孫娘にしても、そのことに対して完全に理解を示してくれているのは、少なからず救いだった。

 それに、報告された内容を考えれば、アインズがナザリックに戻るのも止むなしと、言わざるを得まい。

 此度のスレイン平野における変事……『ユグドラシルプレイヤー出現の可能性』が事実であるならば、まかり間違ってもアインズの耳──骸骨だから耳なんてないが──に入れて然るべき事態に相違ない。さらに言えば、未知の敵が現れたのに、至高の御身をナザリックの外に赴いたままにしておくことも論外だ。外の世界には様々な恩恵や魔法を施し、発展を遂げさせ、億単位の国民に対し、幸福を供与してきたアインズ・ウール・ゴウン魔導国であるが、ナザリック全周を取り囲む”絶対防衛”城塞都市・エモットと、至高の四十一人によって創造された拠点『ナザリック地下大墳墓』の誇る防衛能力に比べれば、他の都市では天と地の差が歴然と存在する

 魔導国は建国より100年近くの時を、着実に歩んできた。

 それはつまり、“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツアインドルクス・ヴァイシオン……ツアーの語る、100年周期の揺り戻し――異世界からの客人(まろうど)――ユグドラシルプレイヤーの出現の時が迫ったということ。

 アインズ・ウール・ゴウンは、魔導国は、この日のために準備してきた。
 やがて現れるであろう、ユグドラシルのプレイヤーに備えて。営々と。
 そう自覚し、自負し、自任しているアインズ。
 それでも、いざ実際に自分と同じプレイヤーが現れたと聞いては、心穏やかでいることは難しい。
 いざプレイヤーが転移してきても、転移直後の時期は気づくはずがないと、何となく思っていた。
 にも関わらず、思わぬ形でプレイヤーの転移をいち早く把握することができてしまったのは、思わぬ誤算でしかない。

「こちらが、六時間前……時刻としては、昨日の映像です」

 アインズの自室に集った守護者たちを代表し、魔導国の誇る参謀・デミウルゴスが、巨大な水晶の大画面(スクリーン)を空間に投影させている。
 まるで衛星映像のような鳥瞰図(ちょうかんず)が、水晶の画面に映し出された。
 何もない平野は、アインズと守護者たち──さらに「ある者」によって破壊された後、厳重に封印されてから以降、いかなる生命や存在も受け入れることはなかった。かの地には命が留まることなく、また、アインズ自身も、魔導国の民には誰一人として立ち入ることを許可していない。
 そして、100年もの歳月をかけて、あの土地は魔導国の民から忘失された遺物にまで成り果てていた。
 だが、

「そして、こちらが本日の、日付が変わった直後の映像になります」
「ふむ…………これは」

 茫漠(ぼうばく)とした大地に、一点。
 何もない土地のほぼ中心地に現れたものは、間違いなく、そこに存在するはずのないアイテム。画面に映し出されたものは、日付変更の前までは絶対に存在していなかったはずの物体だった。
 高さ三メートル、幅一メートルほどの、大きな鏡。
 しかも、普通の鏡ではなく、まるで〈浮遊〉の魔法でもかけられたかのように、平野の大地から浮き上がって、月明かりの下に影を作っていることが窺い知れる。

「──まさか、〈転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)〉か?」

 アインズは正解を口にしていた。
 転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)は、ギルド内の階層間移動や、隔絶空間への転移に使われることで有名な、ユグドラシルのアイテムだ。大小や形状は様々にあるが、あのアイテムは二点間を永続的に繋ぐ転移機能を発揮するもの。実際、アインズ・ウール・ゴウンの本拠地であるナザリック地下大墳墓をはじめ、ほとんどのユグドラシルプレイヤーが世話になって然るべき転移アイテムの一種である。
 ちなみに、現在のアインズ・ウール・ゴウン魔導国では、魔導国王室御用達の魔法アイテム作成機関にしか、製造免状(ライセンス)を与えていないアイテムであるため、国民の誰かが勝手に製造し保有し設置することは、無理がある。そもそもにおいて永続的な転移魔法を発動するという機能を鏡に定着させる技術からして、並みの魔法詠唱者(マジックキャスター)程度では絶対的に不可能なのだ。
 様々な角度――ほぼ360度に渡って監視点を変更可能という映像は、望遠鏡のごとく遠くからその物体の詳細な情報を観測することが可能であった。
 そうして、アインズはあたりまえに過ぎる懸念を口にする。

「……この鏡から、出てきたものは……いるのか?」
「動画がこちらに」

 そう主から告げられることをあたりまえに予期していたデミウルゴスが宣すると、彼は手元にある端末に視線を落とし、何かを操作する。数度ほど指で軽くクリック操作すると、スクリーンにあった光景が記録映像──動画画面に切り替わった。中にある光景が動き始めたことを示すシアターバーが左から右に動き、再生時間を示す左下端のカウントが、00:01、00:02、00:03と加算されていく。
 アインズを含む全員が、拡大された映像を注視する。

 ほどなくして、鏡から二人の人物が姿を現す。
 白い翼を背中から生やした女騎士風の金髪碧眼と、数えきれない剣を全身に纏った翼のない蒼髪の少年が、ほぼ同時に飛び出してきた。

 二人はまるで、初めて見る光景に圧倒されるように視線を右往左往させるが、女は頭上に輝く月を眺め続け、逆に少年は好奇心のままに鏡の周囲を疾走し始める。その速度は、あれだけの重武装状態では通常不可能なレベルだ。ざっと数えただけでも30以上の剣や装具が確認できる。おまけに、そんな重武装にも関わらず、少年の敏捷性──足の速さはアインズをしても目を(みは)るものがあった。人間の幼い少年の体躯とは思えない速度で、あの敏捷性能は魔導国の誇る二等位の冒険者のそれに比肩する。おまけに、少年の満面に浮かぶ快活な笑みと、踊り舞うようなステップを見ると、まだまだ十分以上に余力を残していると感じられてならない。

 この二人は……先遣隊か。
 アインズはそう直感する。

 かつてアインズも、この場にいるNPCの一人……セバスに命じ、安全や確実性に配慮して二人一組(ツーマンセル)を組ませ、ナザリックの周辺地理を早急に確認させた。あの女と少年の二人は、その(たぐい)ではないかと思われてならない。
 立ちすくんでいたように見えた女は、少年が走るのを咎めるでもなく、足元の大地を指ですくったり握ったり、小石をつまんで目を(すが)めたりなどを二分ほど繰り返していたが、いきなり姿勢を正して数秒以上も側頭部に指をあてていた。
 さらに、数十秒後。

 女の背後……転移の鏡から、さらに人影が出現する。

 新たに鏡から現れた者の見た目は、人間の男にしか見えない。
 黒髪に、よく日に焼けた肌。漆黒の鎧と足甲。対照的に純白に輝く剣からは、神聖な力がこぼれていると容易に判断できる。頭上には天使の輪にしては禍々しい、赤黒い円環を(いただ)いていた。
 さらに、その男に追随して、様々な翼を生やした男女が出現してきた。

「これは……天使たち、か?」

 思わず(うめ)くような声を、アインズはもらしてしまう。
 土地柄を考えるに、法国の残敵とも思われそうになるが、奴らは明確に違うと判る。
 その天使たちは、ユグドラシルに標準実装された異形種モンスター──炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)などとは、全く違った。違いすぎていた。
 まるで人間のような顔に体。翼の付き方だけに注目しても、背中・脚・腰・腕などと、あまりにバラつきがある。一体として、同じ形状の存在は見受けられず、また、全員が見渡せる世界の光景に瞠目(どうもく)したり慨嘆(がいたん)したりする光景は、ただのモンスターとは程遠い、はっきりとした意志と知性とを宿している証明だった。視線を右に左に、上下前後に差し向けている様も、傍目(はため)には人間然とし過ぎている。

「ハッ……よりにもよって、あの場所に、天使たちのギルドが現れるとは……どんな皮肉だ?」

 そう(うそぶ)くアインズであったが、内実はやかましく打ち鳴らされる警鐘の音圧に辟易(へきえき)してしまう。
 天使は、最上位のものとなれば、非常に厄介な相手だ。
 アインズをはじめとした、負や悪属性に傾倒したプレイヤーやモンスターと対を成す善属性に(ひい)で、尚且(なおか)つ神聖属性による攻撃や防御、天使種族の特性を保有した存在は、言うなれば「悪のロールプレイ」に興じていたアインズ・ウール・ゴウンの天敵とも言うべきだろう。
 実際、アインズは転移して幾日もない自分が邂逅した陽光聖典との戦いに際し、もっとも警戒したのが熾天使(セラフ)(クラス)の召喚だった。実際に召喚されたのは、あまりにも脆弱な雑魚天使で失望感すら抱いたのも懐かしい。

 あれから100年。

 スレイン平野に出現したユグドラシルの存在が、プレイヤーと思しき者が現れるのに、十分な時間が経過している。それ自体は半ば予期していた事柄であったので驚愕には値しないが、いざ現実に他の人が──プレイヤーが自分と同じように転移してきた事実を前にすると、精神が微妙に揺り動かされてしようがなくなるのだ。
 努めて冷静に、アインズは映像を検分する。
 問題は、あいつらの(なか)にプレイヤーはいるのか、……と思案にふけそうになるアインズは、彼らの取った次の行動に言葉を失う。

「……何をしているんだ、あれは?」

 頭上に光の輪を戴く女騎士が、黒髪の男を殴りつけたのだ。
 同士討ちによって、その場に(うずくま)る男の姿を見ると、ギルドの中枢に位置する立場にあるとは考えにくい。
 仲間割れか? 下っ端の構成員か、あるいは女騎士が創ったNPC?
 ――(いや)。違う。
 違うぞ、これは。

「まさか……今、殴られた、あの黒い男……プレイヤー、か?」

 直感で呟いたアインズの言葉を、疑念する守護者たちを代表したシャルティアが、不思議そうに聞き返す。

「そ、そうでありんすか? 私には、むしろ女の方こそがプレイヤーだと判断しんすが?」
「いいや、それはない」

 アインズはきっぱりと否定する。
 シャルティアはプレイヤーであるアインズをはじめ、至高の四十一人に絶対的忠誠と忠義を誓う存在(NPC)。故に、アインズが語るように、殴られた男というのがプレイヤーで、殴った女がNPCだとするならば、そのNPCは自決自害して当然なほどの大罪を行ったことに他ならない。
 少なくともシャルティアは、かつて洗脳された際にとはいえ、アインズに刃を向け、敵対的行動をとった事実を知らされた際には、あまりの罪深さに荒れに荒れた。しかし、アインズ本人から頑強(がんきょう)なまでに許され、己を自傷自壊させる行いに(はし)ることすら許されなかった経歴を持つ。そんなシャルティアだからこそ、涼しい顔でプレイヤーを……ギルドの創造者にして、最上位者に位置するはずの男を殴り飛ばした女天使が、自分と同じ存在──NPCだとは認識しにくいのである。他の天使たちが沈黙しているのも、その判断を加速させてならないほどだ。
 しかし、アインズは彼女らの外装などから、黒い男以外の連中がプレイヤーである可能性がありえないと判断できる。

 その理由は簡単だ。
 天使種族の異形種プレイヤーは、一部の例外を除き、人間らしい形状の外装(アバター)でいる者は絶無と言ってよい。

 熾天使の(クラス)であっても……否、上級の天使であればあるほど、プレイヤーたちは各天使にちなんだ容姿──熾天使(セラフィム)であれば、三対六枚の翼で姿を覆い隠していたという説から、「六枚の巨大な翼と光の輪、輝く後光で構築された存在」が基本的な造形として与えられる。この姿に人間の容姿を付け加えることはほぼ不可能で、武器などを振るう際も、その武装がほとんど宙に浮かんで自立攻撃してくるようにしか見えないのだ。他にも、智天使(ケルビム)は「獅子や牛、それに鷲の頭をもった存在」とされ、座天使(スローン)に至っては「火の車輪」という非生物的な形状で固定されることになる。最初期の天使にしても、ただの小さな光の輪と玉というのが普通(デフォ)であり原則なのだ。
 天使種族モンスターで完全上位に位置するモンスター──“原動天”や“至高天”だと考えても、アインズが知る最強最上に近い天使の姿ではないことは明白だ。図書館に残されたユグドラシルの資料や百科事典(エンサイクロペディア)でも紐解けば、あんな人間然とした異形種は存在しないことは、容易に把握できる。……むしろ、彼らは人間種の姿に、課金の改造で飾りの翼を増設したという方が、まだありそうな話だった。が、しかし、さすがに頭上に戴く金色や純白の輪を見れば、明らかに天使でしかない。さすがに、ああいう「天使の輪」というのは、天使種族の異形種のみに許された象徴であり記号なのだ。
 天使の光輪を持つものは、人間の造形は得られない。
 そして、そのような制約から除外されるキャラクターというのは、作成された拠点NPCだけ。
 無論、アインズはすべてのプレイヤーキャラメイキングに通じていたわけではない。ひょっとするとだが、何かしらの裏技や課金アイテムなどによって、人間らしい容姿を持った天使種族の可能性も、ありえなくは、ない。
 しかし、そういったものよりも、まずありえそうな可能性──例外が、ひとつだけ、ある。

「あの黒い男の見た目……堕天使、だな」

 天使種族の中で、一部例外的に、人間の容姿に極めて近い異形種が、確実に、ひとつだけ存在していた。
 それが、堕天使。
 堕天使は、神に仕える内に、堕落した人間の世界に降臨した結果、人間たちと同じように堕落し“堕天”した忌むべき存在……という感じの種族設定だったか。人間の営みに順応し、欲得に塗れた結果として、あのような人間らしい形状を、唯一的に取得可能なのだとか。
 他の天使種族レベルを犠牲(コスト)にすることによってのみ、基礎ステータスを増強させることを可能にする、ユグドラシル内でも屈指の面倒くささを誇っていた──天使というよりも悪魔という方が近い──異形種、それが「堕天使」だ。
 その劣悪なステータスや保有する種族スキルの微妙さ、純粋な天使の力を大幅に減じられるペナルティ、堕天使固有の特性が扱いにくいがために、あまり取得するプレイヤーはいなかったはず。
 おまけに堕天使の見た目というのは人間らしい造形であるが、一応は異形種=モンスター探査の魔法に引っかかるため、異形種PKを生業(なりわい)とする連中にとっては「クソ弱っちい異形種」として認知され、絶好のカモと言ってよい存在ですらあったのだ。
 ぱっと見た男の外見は、完全に日に焼けた肌色の人間種のそれではあるが、髑髏(どくろ)の眼窩を思わせる大きな(くま)や、欲得に濁った瞳の色で飾られた狂気的な面貌は、人間の基礎的な美性からは程遠すぎる。彼の周囲にいる他の天使たちに比べれば、かなり醜いといってもいいくらいだ。まさに異形種然とした面構えでしかない。人間種の外装で、あんなにも不気味な顔面を構築するなど、どんな変わり者だというのか。
 結論。
 あの男はユグドラシルのプレイヤーであり、種族は推定する限り、「堕天使」だと思われる。

「──天使を従える、堕天使か」

 何が彼を堕天使プレイに駆り立てたのか、アインズは純粋な好奇心に駆られてしまう。
 そして、あの男……堕天使は、自分を殴らせることによって、この世界において同士討ち(フレンドリィ・ファイア)が可能な、ユグドラシルのゲームとは異なる世界であるという事実を確認したのだ。これが一番、彼があの中で唯一のプレイヤーであると確信できる理由でもある。
 同士討ち(フレンドリィ・ファイア)の確認ということなら、それができる存在はプレイヤーだけだ。アインズは100年前の転移初日、アウラとマーレの二人と闘技場で対面した時に確認していた。だが、アウラはユグドラシルで同士討ち不可だったことを知らずにいた。少なくとも、特殊技術(スキル)の効果範囲内にいたアインズは、アウラの特殊技術(スキル)の影響を些少ながら受けた。このことから、アインズは同士討ちが解禁されている事実を認識することがかなったのだ。
 逆に言うと、アウラたちNPCは、ユグドラシル時代にゲームシステムとしての同士討ち不可だった事実を知らなかったということ。
 同士討ちの可否を判断・査定できるのは、プレイヤーのみ。
 そして、あの男は真っ先に、明らかにNPCでしかない天使からの、仲間の攻撃を、受けた。そうするように命じたのだ。

「しかし、思い切ったことをする。この世界で回復が可能かどうかも判らぬうちに、自分の体力(HP)を削り取る判断を下すなど」

 否。回復可能かの確認も含めての同士討ちだったのかもしれない。
 その証拠に、男はすぐさま何か──治癒薬(ポーション)を取り出し飲み干すと、すくりと体を起こす。そのまま、彼は鏡を通って現れた天使たちを伴って、一度頭上の夜空の月を……こちらを見上げるようにして、鏡の中に姿を消していった。
 それから鏡は、早送りされ、小さな動物が鏡を護るように前後に置かれ、先ほど出てきた天使たちと、それ以外の新たな天使が三人一組を組んで、東西南北をローラーのごとき牛歩の歩みで進み、平野の中心で何かをし始めた。見れば、砂や土、石ころを採取し、それを持って帰っているらしい。小休止を挟んで、次に鏡から現れた四人ほどが、何を思ったのか延々と鏡の周囲を適当に掘り進め、そして埋め立てるなどを繰り返している。これもまた、土地の鑑定作業や異世界の調査と思えば納得がいった。さらに時間が経過すると、黒い肌に銀髪を流す天使が、鏡の上空を幻術魔法で覆い、ようやく簡単な隠蔽措置を完了させる。が、完全に隠蔽できているわけではないため、監視は継続可能であった。



 そして、それらの作業には、あの黒い堕天使の男は、加わることはなかった。



 アインズは認めるしかない。
 彼らは、この世界にはじめて触れる存在。
 紛れもなく、ユグドラシルから転移してきた存在だと、確信できた。
 ほくそ笑む気配すら見せるアインズに対し、魔導国宰相・アルベドは即座にひとつの案を具申してくる。

「強行偵察――いえ、先制攻撃をしかけますか?」

 普段とは打って変わった仄暗(ほのぐら)い声色で、提案される。
 新たに転移してきたユグドラシルの存在に対し、主導権を握り、有利に事を進めるための一手を、宰相は提言したのだ。
 彼らの拠点の出入口である鏡を制圧、または破壊してしまえば、容易に連中を無力化できるだろう。この世界で、システム・アリアドネ──ゲームにおいて、ギルド拠点の入り口を完全に封じるという違反行為を行ったギルドが(こうむ)るペナルティ──が機能しているかの実験にもなり得るし、あるいはうまくいけば、プレイヤーの蘇生実験なども行えるかも。
 だが、アインズは軽率な宰相の言葉を、軽く微笑みつつも、否定する。

「フッ、馬鹿を言うな。彼らが友好的に事をすませようとする存在である場合、いきなり攻撃を加えるなど、あってはならない暴挙だ」

 それこそ、この世界に転移した直後、アインズはこの世界にいるかもしれないプレイヤーと敵対姿勢を取りたくはなかった。それと同じように、なるべく穏便に事を進めることを優先しようと、まったく同じことを思考してくれているかもしれない。

 ……勿論、その真逆の可能性も十分ありえることを、忘れてはならない。

 さらに最悪なのは、連中が何かしらの脅威──主に、アインズの知らないような世界級(ワールド)アイテムを保有していた場合、とんでもないしっぺ返しを食らうやも知れない。わざわざ藪をつついて蛇を出したり、虎の尾を踏んで噛まれたりする必要は何処にもない。
 警戒を厳にしておく必要があるのは、変わらないだろうが。

「確かに、連中がどのような力を持ち、どのような思想行動に(はし)るか判らない現状では、連中の頭を押さえ屈服させてしまう方が、効率はよいだろう。さすがにこのナザリックの掌握する戦力に伍するとは考えにくいが、そのような短絡的に行動するのは、原則慎むべきだ。何より、そのような振る舞いをしていては、アインズ・ウール・ゴウンの名が(すた)るというもの」

 彼らもまた、自分と同じように、ユグドラシルのプレイヤーと協力したいと考えてくれるのなら、アインズは協力を惜しまないつもりでいる。
 無論、協力に対する見返りは、相応に要求するつもりだ。
 まずは、彼らがこの世界で、この大陸で……魔導国で、どのような行動方針のもとに活動してみせるのか、知らなくては。

「かしこまりました。アインズ様の御心のままに」

 アルベドたちは委細承知したように微笑みを浮かべ腰を折る。
 そんなアルベドに呼応するように、守護者たちも礼拝するように主の意向に従う姿勢を見せる。

「ところで、アインズ様。此度の一件──殿下や姫様方、それにニニャ様には」
「無論、話す。……だが、今はな」

 承知の声を奏でるデミウルゴスに、アインズは鷹揚に頷きを返す。
 相手の戦力によっては、ナザリックの総力を結集させても勝てない可能性を考慮する必要がある。無論、そうならないための軍拡や技術開発、魔法体系の確立にも邁進し、この世界に存在する希少なアイテムも、ほぼすべて手中に収めているといってよい。シャルティアを洗脳した忌まわしい世界級(ワールド)アイテムも宝物殿に蔵されて久しかった。
 しかし、油断は禁物だ。たとえば連中が、世界を天使の軍勢で覆い尽くすアイテムや、世界中に災厄の炎を降り注ぐ超級の破壊魔法を保有していた場合、こちらがとんでもないダメージを被るやも知れない。
 王太子と姫たち──息子や娘たちと情報を共有するのは(やぶさ)かではないが、それよりも重要な役目を果たしてもらおうと、アインズは思考している。
 そのためにも、とにかく相手の情報を入手することが先決だ。
 しかし、監視状態のままで、これ以上有益な情報が入る可能性は僅かだろう。連中と接触を図るにしても、ナザリックの既存NPCだと、ユグドラシルプレイヤーには即刻看破される可能性があるため、ネットで広く知られている守護者たちを動員することは、完全に不可能。こちらから攻撃を仕掛け、大義名分を与える理由も意味もない。ならば攻略されていない第九階層以下の存在であれば安全かというと、微妙なところだ。彼らはナザリックに、そしてアインズ・ウール・ゴウンへの忠烈に燃える同胞であるが故に、それ以外に対しての悪感情を隠すことは難しい存在が多すぎる。あのユリやセバスですら、ナザリックに少しでも不遜な態度をとる輩が現れれば、不快感を表明して(はばか)ることはないのだから、当然だ。万が一にも、連中を「下等生物」「ゴミ」「蛆虫(うじむし)」なんて呼称し、戦端を開かれでもしたら、取り返しがつかなくなる。
 と、なると。
 ユグドラシルプレイヤーが知りようのない存在で、かつ中立的に事を進められそうでもあり、何より奴らと事を構えるしかなくなった場合に自衛手段に長けた──現地の有象無象とは完全に一線を画す人物を選定する必要が、ある。

「とりあえず、そうだな──セバス」

 主に名を呼ばれた老執事が、鋭い視線を閃かせた。
 アインズは短く命じる。



「あの()に連絡を」





 







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第二章 至高なるアインズ・ウール・ゴウン魔導国 混乱

 総集編映画の後編が公開されましたので、第二章を投稿。
 ツアーの鎧、はじめて見たけど予想以上にかっこよかったなぁ。数秒だったけど。
 そして……


/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.01





 





 アインズ・ウール・ゴウン魔導国。
 聞かされた単語の意味するところを、カワウソは理解できずにいた。

 アインズ・ウール・ゴウン。
 それはまさに、カワウソが攻略に挑み続けた、ギルドの名前。

 いきなり茫然自失(ぼうぜんじしつ)(てい)に陥るカワウソの様子を奇怪気に眺める少女の呼びかけにも、堕天使の男は反応を返さない。
 返せない。
 返せるはずがない。

「今、何て言った?」

 だから。
 問い質したその声は、カワウソのものではなかった。
 男の隣にいた黄金の女天使、ミカは、兜の面覆い(バイザー)を押し上げ、名状しがたい感情に(いろど)られた表情を(あらわ)にする。
 少女はミカの碧眼に射竦められ、瞬時に凍り付く。
 ミカがはじめて少女に対して、声を浴びせていた。
 その普段よりも冷徹に研ぎ澄まされた声音は氷のように肌を滑り、少女の耳を貫き、そのまま脳髄に突き刺さる針のよう。

「答えなさい──あなたは、今、何て言った?」

 声に宿る温度とは対照的に、女天使の内には、余人には推し量ることなど不可能な劫熱(ごうねつ)を潜在させ、()(たぎ)っていた。

「アインズ・ウール・ゴウン? それは一体、何の冗談なのでありやがりますか?」
「ひぇ…………あ、あの」
「さっさと答え」
「よせ。ミカ」

 明らかに怯える少女に詰め寄ろうとした天使を、カワウソは引き剥がすように命じる。
 ミカは何かを言おうとして、そこに佇む主の表情を見つめ、あっさりと引き下がった。
 そんな天使の様子を横目にしつつ、堕天使の青年は膝をついて、少女の瞳を見つめる。

「その、アインズ・ウール・ゴウン、魔導、国? ……から、おまえは追われているんだ、な?」
「は、はい……? え、あ、あの」

 カワウソは視線を大地に落とす。

「そうか……いや、気にするな。こっちの──そう、こっち、の、事情、だ……」

 意識が若干──ほんの少しだけ、ふらついた。

「少し、休憩しよう。ミカ、ヴェル(こいつ)を、あー、そう……」

 彼が空間から取り出したのは粗末な鋼の板、スチール製の扉を思わせるミニチュアである。これは“地下避難所(アンダーグラウンド・シェルター)”という簡易野営拠点を作成するアイテムだ。同じ用途のもので、規模が小さめのものだと天幕(テント)、大きなものだと隠れ家(シークレットハウス)、巨大なものだと要塞(フォートレス)(タワー)などが存在する。魔法詠唱者が常時魔力を消費して創造作成することもできる簡易拠点だが、カワウソも、そしてミカもそういう魔法は修得していない。このアイテムはそういう魔法を使えないプレイヤーが野営を行う際に、アイテムを消費することで野営拠点を創り出すことを可能にするアイテムなのだ。
 放り投げた一枚の板切れが地面に触れた途端、大地に設けられた大きな長方形の鉄製シャッターに早変わりして、来客を招くようにガシャガシャと口を開けた。その奥は、地下へと続く階段が伸びており、下り階段には等間隔で〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉が灯っている。

「この中で、一緒に待機しておいてくれ」
「……カワウソ様」

 ミカは何か言いたげな瞳で主を見やった。

「待って、ろ」

 カワウソはミカに立たされ歩く少女を見ることができない。扉の奥へ降りていく二人。感じられる周囲に人の気配がないことを確認すると、監視を続けるマアトに〈伝言(メッセージ)〉を飛ばした。自分を監視対象から外すよう厳命するために。
 抗弁しようとするマアトを、語気を強めて屈服させた。
 渋々という感じで承知の声を奏でた少女との繋がりが、断たれる。
 これで、カワウソは誰の目も気にすることは、ない。

「……ッ!」

 奥歯が砕け散りそうになるほど、空気を噛んだ。

「――ッ!!」

 剣を振り下ろす。
 転がる死の騎士(デス・ナイト)の骸に向かって、カワウソはさらに攻撃を加える。光の斬撃が、モンスターの骸を縦に両断してみせた。

「ッッ!!!!」

 死体蹴りならぬ死体斬りの二撃目により、骸は粉々に断裁される。
 カワウソはもう一本、聖剣とは対となる魔剣を左手に抜き払い、横薙ぎに森を吹き飛ばした。
 光輝く刃が、さらに森へと破壊を加えていき、さきほど切り開かれた場所以上の暴力を幾度も振るっていく。少女が落下しかけた崖にまで破壊は及び、まるでひとつの荒れ地が現れたかのように、岩塊や森の残骸が生成されていく。

「――、――、――、ッッッ!!!!」

 ひとしきり剣を振り終えると、カワウソは両手の剣をさらに振り下ろす。

「ぁあぁああぁぁあああぁああああああああぁぁぁああああっ!!!!」

 大音声(だいおんじょう)が喉の奥よりも深い(からだ)の底から吐き出された。
 地を貫いた二本の刃が、一帯を閃光で染め上げる。
 光。爆音。
 一瞬の後に、目の前から何もかもが消え去った。
 樹々も大地も、光の刃の内にとらえられ、世界から存在という存在を消失していた。地響きがそこかしこでうなりを上げ、宙に放り上げられた岩盤などが、森に大地に降り注ぎ、また轟音を奏でる。
 さらに大きく気を吐いた。肩の線が激しく上下する。
 胸の内にわだかまるマグマのような熱が喉を焼くかのように思えた。実に狂気的な暴力と惑乱の様であるが、カワウソはそんな自分をどこか遠くに感じることしかできない。

 これは、いったい、何だ?
 何なのだ、これは?
 何かの冗談か?
 それとも自分の脳が描いた、悪辣(あくらつ)な夢?

 内側より生じる興奮と混乱によってふらつく堕天使の背に────人の手の感触が。

「ッッ!!」

 反射的に振り返ると、ほとんど自動的に背後の気配を、剣を左手に持ったまま掴み上げ、喉元に右の剣先を当てる。
 だが、

「……………………」
「…………ミ、カ?」

 カワウソは、兜を脱いだ女天使を、その冷徹な無表情を、これまでにない至近距離で、眺める。
 冷たい聖剣の刃を首筋に当てられながら、女天使は厳然とした態度で、カワウソの暴力に自らをさらしていた。
 しかし、()せない。

「──シェルターに、入っていろと、命じた、はずだが?」
「申し訳ありません」
「──命令に、背いたのか?」
「申し訳ありません」

 女は悪びれる様子も見せず、主人の暴力が込められた剣持つ右手を”握って”いる。
 そうしていなければ、カワウソは勢い余って彼女の首を()ねる──ことは不可能だろうが、それなりのダメージを負わせていたかもしれない。いくらギルド最強の防御性能を誇るミカであっても、喉や首への攻撃は致命傷(クリティカルヒット)になる。そんな傷を被れば、それなりのダメージ計算になるのだ。ユグドラシルでは。

「……あの()は? どうした?」
「私の作成召喚した天使の監視下にあります」
「ッ……天使作成は。俺が行うと……そう決めていたよな?」
「申し訳ありません」

 平坦な声が続いた。
 苛立ちのあまり、それ以上彼女を掴みあげることすら嫌になった。
 というよりも、恐ろしかった。
 NPC(ミカ)は、カワウソの命令を反故(ほご)に出来る……それはつまり、カワウソがずっと不安視してきた懸念を……彼女たちの反乱の可能性を補強する、厳然とした実証であった。
 何かを間違えれば、彼女(ミカ)たちはカワウソの意を離れ、暴走し……挙句の果てには主である自分(カワウソ)を追い殺すモノに変異するやも。
 その懸念を払拭することは出来そうにない。
 すべては、カワウソの設定した通りのこと、故に。
 だとしても、あえて(たず)ねずには、いられなかった。

「どういうつもりだ?」
「……私は、あなたが嫌いです」
「俺の命令には、従えない……と?」
「……従うべきでないと判断すれば」

 怜悧な眼光は臆することなく言いのける。
 不安と恐怖が楔のように胸の中枢を貫き、カワウソの臓腑の底を火で炙るように凍てつかせる。おかげで、まったく冷静になれない。冷静に考えれば、少しは女天使の扱いを、マシな感じに取り繕うべきだったと判る。しかし、カワウソは出来なかった。ミカという存在が、あまりに危険なものに思えてしようがない。いっそのこと、この場で……とも思考するが、それは無理だ。ミカのレベル構成は、悪属性や負の存在、異形種(モンスター)への特効に秀でており、属性が「中立」で一応は「天使種族」のカワウソには特別な効果をもたらさないが、本気モードになった際の熾天使(セラフィム)は、どうあがいても堕天使では(かな)わない。おまけに、ミカは“熾天使以上”のレア種族の力も宿している。装備類についてもカワウソと同程度のものがいくつか存在し、さらにおまけにカワウソの戦闘スタイルとは絶望的に相性の悪い、防御力重視の前衛タンク……本格的な実戦仕様(ガチビルド)だ。

 結論として。カワウソは、ミカを殺せないだろう。
 その逆であれば、簡単に成し遂げられるだろうが。

 主の震える手から解放された天使は、ずれた鎧甲の位置を直しつつ、軽蔑するような視線を、怒りにか紅潮する頬を、すべてカワウソに寄越す。
 耐えられず、カワウソは命じることで彼女の視線から逃れた。

「……勝手な行動は、するな。次はないと思え」

 二つの剣を空間にしまいつつ、吐き捨てるように告げる。

「……了解」
「今、おまえが見たことは忘れろ。いいな?」
「…………」
「返事は!」

 押し黙るミカは、主人に強く返事を促されてから、ようやく頷いてみせた。




 




 地下に続くシェルターにミカを連れて降りたカワウソは、金庫のように重厚な造りの扉を開いた。いくつもの留め金が外れる音が連鎖し、外部からの干渉や攻撃に万全の備えを誇る避難所の中へ。
 そこで、火の粉舞う二体の最下級天使に守られ……監視されていた軽装剣士の少女と再会する。

「待たせて、すまなかった、な」
「いえ、あの、大丈夫です」

 この簡易拠点はシェルターというだけあって、防音性や衝撃緩和に優れている。外でカワウソが行っていた凶荒の気配は一切、ヴェル・セークという少女の知覚できるものではなくなっていた。
 カワウソはとりあえず、立ちぼうけをくらっていた少女をカウチの一つに導いた。ミカに客対応を任せるのは無理だなと納得する。
 シェルターの中は地下というロケーションから外の光は入ってこないが、〈永続光〉の放つ真昼のような輝きで満たされており、外の鬱蒼(うっそう)と生い茂っていた森の中よりも明るいくらいだ。他にも種々様々な調度品や内装で飾られており、カワウソたちのギルド拠点にある一室を思わせる。

「あの……お二人は、外で、一体、何を?」

 四角く座る少女の疑問に、カワウソは「敵の伏兵を片づけていた」と説明する。
 勿論、これは嘘だが、少女には真偽を量る手段など、ない。

「質問を繰り返すが、おまえは、アインズ・ウール・ゴウン……ああ」
「魔導国」

 聡明なミカの声が、カワウソの問いを補助してみせる。
 チラリと女天使を睨みつけそうになるが、ミカは冷厳としたすまし顔で佇んでいるだけ。

「……その、ギルドの一員……いや、じゃなくて魔導国の、国民ってこと、だな?」
「ええ、まぁ……そういうことに、なります?」
「魔導国で、おまえは不敬罪を働き、追われている、と」
「あの……あなたたち、一体」

 何を聞かれているのか判然としない少女は、たまりかねて質問し返していた。
 これは止む無きことだとカワウソは考える。
 一国により支配されている土地の中にあって、その国の事情などを知らない存在がいるだけで怪奇的だ。日本という島国にいながら「私が今いるこの国の名前は何ですか?」なんて質問されたら、カワウソだって同じ反応を返すだろう。
 だが、それをカワウソの副官のごとき女天使は許そうとしない。

「質問はこちらが先です――答えなさい」
「ミカ」

 名を呼んで軽く叱りつける声をあげる。
 ミカは憮然と主人の視線を見つめ返すが、すぐに瞼を伏せて抗弁を控えた。

「すまん。こいつはこの通り……短気でな」

 短気という性格は、ミカには組み込んでいない。
 ミカはどちらかというと『深謀遠慮、冷静沈着、頭脳明晰、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)最高の叡智を誇る隊長』という設定文を与えた存在。むしろ短気というのなら、外の森を荒れ地に変えたカワウソこそが短絡的だろう。
 この時のカワウソは、ミカの存在を煩わしく思うことはない。
 むしろ、この場においてはうまい具合に利用できると考えた。
 ヴェル・セークという少女は、あからさまにカワウソとミカを不審に思っている。二人の頭上に浮かぶ赤と光の輪も珍奇に映るだろう。だが、この二人はまがりなりにも命の恩人であり、追跡者たちから少女を救い出した庇護者の立場だ。目の前の少女が本当に罪を犯し逃走中となれば尚の事、カワウソたちの力を借りることで己の利に変えようとするは必定。だが、ミカはヴェルに対してまったく好意的な態度を見せない。友好関係を構築しようとしても、失敗に終わるだろうことは明らか。
 であるならば、まだ理知的かつ友好的に接することが可能そうなカワウソと、親交を保つことを考えるだろう。
 ――ひどいマッチポンプだ。警察の取り調べでもあるまいに。

「とりあえず確認の意味も込めて、答えてくれ。おまえは魔導国の一員、アインズ・ウール・ゴウンの配下、そういうことだな?」

 こくりと、少女は声も出さず――出せず――首を縦に振る。

「……そうか。うん」

 ミカを伺うように見ると、女天使は首を静かに横に振るのみ。
 少女が嘘をつく理由がない。少女の挙動についても、不審な点は見受けられない。
 ヴェル・セークという少女は、確実に嘘をついていないと見て、間違いないだろう。
 カワウソは考える。
 考えて、考えて、考えて――ひとつの事実を確かめる。


「その、アインズ・ウール・ゴウン……魔導国の話を、詳しく聞かせてもらえるか?」


 とにかく、状況を確認しなければならない。
 そのためには、まずヴェルという少女から、聞き出せるだけの情報を取得せねば話にならない。
 この世界に、アインズ・ウール・ゴウンなる国があるとして、それが本当に、カワウソの知るギルドと同一であると考えるのは、(いささ)か早計だろう。──奇跡のような確率で、同一の名称を掲げた“だけ”の国という線も、なくはないのだ。
 ――たとえ、聞けば聞くほど、その国がユグドラシルのギルド:アインズ・ウール・ゴウンと符合し酷似した部分を大量に備えた存在だとしても、カワウソは冷静に、少女からの説明を、脳内のメモ帳にくまなく筆記していく。


 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンとの符合点。


 まず、守護者と呼ばれる存在……拠点NPCの名称と合致する事実。
 各都市の統治などの国家の中枢を担う務めを果たすのみならず、新造都市の建造や学園機構での講義授業なども行っているという、魔導国内でも最上位階級に位置するシモベたち。

 ──シャルティア・ブラッドフォールン。
 ──コキュートス。
 ──アウラ・ベラ・フィオーラ。
 ──マーレ・ベロ・フィオーレ。
 ──デミウルゴス。

 この五人の名は、当然の如くカワウソは知っている。
 というか、シャルティア・ブラッドフォールンに至っては、かつての攻略時に、実際に戦ったこともある存在だ。
 かつて、ナザリック地下大墳墓を攻略するべく編成された討伐隊は、第七階層までを順当に攻略し、その階層を守護する「階層守護者」なるLv.100NPCと交戦し、その際に知り得た戦闘能力などはWikiにも記載されることになった。唯一、未確認情報とされているのが、それ以下の階層――あの第八階層にいた少女と、あれら(・・・)など――の情報くらいなもの。
 他にも、魔導国宰相にして最王妃のアルベドや、魔王妃などの名が語られるが、それらの名称について、カワウソは聞いた覚えがない。ナザリック第八階層以下……第九階層にいる存在? あるいは攻略部隊の到達していない領域の守護者か? ひょっとすると、現地人という可能性もなくはないだろうか?

 次に、魔導国の首都……ギルド拠点、ナザリック地下大墳墓の存在。
 城塞都市エモットと呼ばれる超常的な規模と魔法に守られた要害の中心……不可侵地帯にあるらしく、そこを訪れることが許されることは、魔導国の民にとっては至高の栄誉とされる聖域なのだと、ヴェルは簡潔に口にしていく。
 ちなみに、ヴェルはナザリックどころか、その城塞都市にさえ立ち入ったことはないという。

 そして最後に、魔導国の国主は、最上級アンデッドの“死の支配者(オーバーロード)”であるという事実。

「…………」

 カワウソは口元に手を添えて黙考する。
 ここまで見事に名称と内実が一致しておいて、まったく無関係な存在ですなんて理屈は通りそうにない。
 少なくとも、カワウソはアインズ・ウール・ゴウンという名を(いただ)く魔導国が、自分の知るユグドラシルのギルドそのものであるという確信を抱きつつあるくらいだ。
 それでも、さまざまな謎は残る。

 建国から100年近いという歴史を誇るという魔導国。大量に使役されているらしいアンデッドの軍団。ユグドラシルと同じ存在がいて、なのにユグドラシルとはまったく違う異世界。

 何より、国主である魔導王の名前が、そのまま国の名前として用いられているのも、奇妙と言えば奇妙に思えた。
 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに存在する死の支配者(オーバーロード)の名は、ギルド長である“モモンガ”だけのはず。その最上位アンデッド――魔導王が、ギルド長であった彼だとするなら、“モモンガ”ではなく、“アインズ・ウール・ゴウン”と名乗っている理由が、カワウソには理解が及ばない。

 ……まさかとは思うが……

 いずれにしても、カワウソの常識を遥かに凌駕する事態であることに変わりなし。
 それらを一旦保留して、カワウソはヴェルの事情に首を突っ込んでいく。

「おまえは、これからどうする?」

 追われているという彼女の状況を考えれば、ヴェルが猟犬や騎士の群れに襲われかけていたのも理解は容易となる。
 間違いなく、あのモンスターたちは、魔導国の(つか)わした追跡者にして捕縛部隊ということ。
 カワウソたちは――知らないことだったとはいえ――大陸を支配する国家機関に属する存在を壊滅せしめたわけだ。
 しかし、それを今更悔やんだところでどうしようもない。第一、あれらは年端もいかぬ少女を集団で追い立て、崖から滑落せしめたモンスターだ。これがもっと理知的かつ人間然とした追跡――警察官などであったなら、カワウソも違う対応をとっていたことだろう。少なくとも、輝く剣で問答無用に斬殺することはなかったと思う。
 無論、「そんなこと知ったことじゃない。ウチの警邏(けいら)を斬り殺した責任をとれ」と言われもするだろう。
 その時は──覚悟するしかない……だろうな。
 カワウソが静かな決意と戦意を(たぎ)らせているのを知ってか知らずか、少女は大いに困惑しつつ、己の望みを口にする。

「私は、とりあえずラベンダと合流したい……です」
「ラベンダ?」
「あ、私の相棒の飛竜(ワイバーン)です。この森近くに姿を隠している……はずです」

 聞けば、その飛竜は追跡を逃れる途中で深手の傷を負ってしまい、飛行することが困難になったので、アイテムで身を隠し潜伏させたのだと。
 ヴェルは何とか追跡者たちを自分に誘引しつつ、何とか逃げ切った後に相棒と合流しようとしていたらしい。実に涙ぐましい努力であったが、カワウソが助けに入らなければ、確実に、双方とも死んでいただろう。それだけ状況は差し迫っていた。
 だから、少女は申し訳なさそうな表情で、男に頭を下げる。

「あの、私を助けていただいて、本当に、ありがとうございます、えと……カワウソ、さま?」

 まっすぐな感謝を受け止めた瞬間、堕天使の胸を痛みが襲う。
 自分がそんな感謝とは程遠い企図があったことを、少女は知るはずもなかった。
 だからこそ、眩しい。直視することができない。
 むしろ蔑まれて当然な思考しかしていないのに。

「感謝されることじゃない」

 というか、感謝されては、困る。
 冷静に考えれば、カワウソは犯罪者の逃亡を幇助(ほうじょ)――手助けしている立場にある。
 手放しに喜びを分かち合えるはずもないのだから。

「……ん、待て」

 咄嗟に、カワウソは少女が告げたことを脳内で反芻(はんすう)する。
 この森近くに、姿を、隠して…………って。

「どうかしましたか?」
「あ、いや。何、でも、ない」

 震えそうな声を、口を手で覆うことで塞いだ。
 カワウソは少女が告げた言葉に、新たな懸念事項が追加されてしまった。
 シェルターの上の森は、カワウソの暴力で更地同然の荒れ具合に変貌を遂げている。

 ……俺、吹き飛ばしたりしてないよな?

 呟きかけた言葉を喉奥に何とか留める。吹き飛ばされた森というのは、ほんの一部だけだったのだから、心配ないと思うが。
 懊悩と不安に思考を回転させるカワウソは、〈伝言(メッセージ)〉の魔法で一人の少女を呼び出した。

「マアト」
『あ、は、はい! カワウソ様!』

 主人の命令通りに待機していた少女は、いきなり復旧した通信魔法に泡を喰ったように応対する。

「ああ、すまん。もう監視を復活させていい」

 カワウソはヴェルの事情を簡単に話すと、少女の懸念する相棒の存在を探査可能か聞いてみた。

「この()の言う、飛竜の位置は、分かるか?」
『え……あの、しょ、少々お待ちください…………』

 マアトはカワウソ越しにヴェルが告げる領域を見ようとするが、

『す、すいません、ダメです。指定ポイントが、その、あやふやで』

 まぁ、そうだろうな。
 ヴェル・セークという少女は、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の仲間というわけではない。マアトが魔法で安全に覗き見をしようと思えば、斥候偵察役が必須となる。今ここで出会っただけの少女の見た光景なんてものをマアトが読み取ろうと思えば、今すぐここへ転移させる必要がある。が、そこまでしてマアトを外に出す理由がない。基本的に戦闘が苦手なマアトは、安全な拠点で観測手をさせる方がマシなはず。その逆――ヴェルをマアトのいる城塞に招く必然性も、ない。

「……こうなったら仕方ない。外に出て、直接探すか」

 カワウソは精神的に重い腰をあげて、剣を抜く。
 剣尖を振り〈転移門(ゲート)〉を開いた。驚愕と疑問を抱く少女を手招き、その手を掴むように握って、門をくぐる。
 一挙にシェルターから外の森に移動すると、手を放されたヴェルは愕然とした表情でカワウソを見上げていた。
〈転移門〉は後続のミカを転移させると、瞬く間に消え失せる。

「さて。何か目印とかあるのか?」
「…………え…………あ、あの、はい」

 少女は奇妙な硬直を解いて、あたりを見渡すと、偶然にも少女が逃走した道だとわかった。
 それは当然でもある。
 ここは、カワウソが拠点内で、マアトの魔法越しに見たヴェルが逃げていた場面に映っていたそこなのだ。カワウソたちはここからヴェルの救出に向かったわけで、カワウソの剣撃の嵐も、ここにまでは影響を(偶然だったが)及ぼしていない。

「こっちです」

 (あやま)つことなく、ヴェルは逃走した時とは逆の道を突き進む。
 その道は、カワウソたちに救出された現場に背を向ける道程(みちのり)でもある。
 最初はヴェルの誘導のまま歩いていたカワウソたちだが、追跡から逃げ続けて疲労困憊(ひろうこんぱい)というヴェルの歩みは遅々として進まず、()れたカワウソは仕様がなしに少女をまたも抱き上げる姿勢で森を走破することにした。
 このままのペースでは日が暮れてしまいそうだったし、何より、飛竜の相棒とやらが負傷しているとなれば、一刻を争うかもしれない。
 カワウソは難所を走破する指輪を装備している上、いくら堕天使とはいえ異形種の基礎能力値――Lv.100の筋力があれば、この少女程度の重量はなんてことはない。
 それでも気になることがひとつ。

「おまえ、体重いくつだ? 何だか、軽い気がするんだが?」
「え? えと、多分44キロだったはずです」

 少女に聞くと、そのように返ってきた。鎧の重量を加味すれば、少なくとも50キロ以上は確実だろう。異世界で“キロ”単位というのは違和感があるが、ヴェルの言説を信じれば、Lv.100の堕天使の筋力でもすさまじい結果を生むということ。これが純粋な戦士職や、他の異形種だったらどうなっているのだろうか気にかかる。
 そして、

「…………」

 ミカが何か言いたそうな、鋭い視線を向けてきているのは何故なのだろう。
 自分が何かしらまずいことをしたのかと(かえり)みたカワウソは、自分の常識に照らしてみて、ひとつの解答を得る。

「ああ、すまない。女性に体重を聞くのは失礼だったか」
「い、いえ。別に気にしてませんから」

 腕の中に納まる少女は、だいぶはっきりと受け答えることができるくらいになった。アンデッドやモンスターに追われる心配がなくなった上、乗騎のもとまで楽な姿勢でいられるのだから、少しは心に余裕ができているのかもしれない。
 ……もっとも、だからこそ懸念すべきことがある。
 少女とのおしゃべりを間近で行う内に、カワウソは奇妙な違和感を覚え始めた。
 彼女の唇の動きと、出てくる言葉が噛みあっていないことに、ようやく気付いたのである。

「ヴェルは、翻訳魔法を使っているのか?」

 翻訳魔法は、ユグドラシルでは割とポピュラーな魔法だ。
 人間種や亜人種、そして異形種などの多種多様な存在が生存するゲーム世界において、未知のフィールドには謎が(ひし)めいていたもの。北欧神話に基づき、主要なワールドだけでも九つに区分され、そのワールド内だけでも異様な数の言語が存在していた。
 初心者の赴く「はじまりの地」でこそ各種種族の共通言語(まぁ日本語だ)で遣り取りされ、そこから未開の地やワールドの奥に至るほど、種族別の文明や法則が根差していた。人間語にエルフ語、ドワーフ語にオーク語、ゴブリン語にトロール語、巨人語、ドラゴン語、精霊言語や機械言語などが存在していた。加えて、種族別だけでなく、天界言語や暗黒言語などという宗教的文化的特性を帯びた設定の魔法関連言語まで存在していたほどだ。プレイヤーたちは種族の特性やアイテム、あるいは各種スキルや魔法の力で、そういう各種言語の違いを解消することは必須知識であった。でなければ、翻訳魔法なんてものが存在するはずもないし、翻訳専用に特化した眼鏡なども流通するわけがない。
 ここが異世界であるとするならば、カワウソがヴェル・セークという現地人の少女と問題なく意思疎通が可能な理由は、翻訳魔法の恩恵以外に考えられない。
 だが、少女は首を横に振るのみ。

「いいえ。私は姉さんと違って、そういう魔法の才能はまったく」
「……そうか」

 であるならば、カワウソが言語を翻訳しているのかというと、これはない。
 天使が習熟できる言語は、共通語(日本語)を含め、人間語と天界言語の四つのみ。堕天使であれば、これらに加えて暗黒言語にも通じるはずだが、カワウソは信仰系上位職業ばかり取得している関係上、習熟度はさほどでもない程度。いわば、日本人が英語の気軽な挨拶が解せるレベル。
 いずれにせよ、本当の――ゲームなどではない――異世界の言語など、熟達しているはずもない。それ専用の、翻訳魔法の効果を発揮するアイテムというのも未使用かつ未装備な状態である。翻訳魔法が効果を発揮するのも、そもそも怪しい状況ではあるが。

「あの、翻訳魔法が、どうしました?」
「……おまえは、俺の言葉が解るんだよな?」

 何故、今更そんなことを?
 そう言いたげに首を傾ける少女に、カワウソは自分の唇を見つめさせ、言葉を繰り返すよう頼む。

「こんにちは」
「こんにちは?」
「ハロー」
「ハロオ?」
「グーテンターク」
「グーテンタアク?」
「……ふむ」

 どうにも、ヴェルはカワウソが(いだ)いているような違和感とは無縁なようだ。
 単純に少女の理解力が(つたな)いのか、あるいはそういう法則や何かが働いているのか。多分だが後者だろう。簡単な挨拶ではあるが、日本語以外の「こんにちは(ハロー)」を「こんにちは」と訳さずに返せるということは、そういうことなのだろうと思われる。
 いずれにせよ、この世界は翻訳コンニャクを食べている(・・・・・・・・・・・・・)――そう確信するしかない。一体、誰が食べさせた? まさか、アインズ・ウール・ゴウン……魔導王という存在が、だろうか?
 魔法が使えて、特殊技術(スキル)も使えて、アイテムも使える上、モンスターが跋扈(ばっこ)する世界であれば、なるほどこれくらいのことができても不思議ではない。
 何しろ、この世界を治めるのは、あのアインズ・ウール・ゴウン。世界級(ワールド)アイテム保有数だけに着目しても、文字通り桁違いの存在であったのだ。これくらいの超常現象を引き起こしても、不思議ではないのではあるまいか。

「あ、止まって」

 駆け続けるカワウソをヴェルが声を引き留めた場所は、大きな岩陰だ。ここで一旦小休止をしたという。

「えと、次はあっちです」

 追跡をまこうと必死だったのだろう、ヴェルは小休止ごとにジグザグな軌道を描くように森を駆けまわっていたようだ。森というフィールドを考えれば、一直線に逃げ果せることは不可能な立地であり、自称飛竜騎兵という少女のレベル構成が、こういった森を走破することを想定した職種でないことは、容易に想像がつく。身に着けた鎧や武装なども、カワウソの基準に照らせば高い価値を持っていないことは明白であった。

「あ、あの岩山」

 しばらく走ると、少女がまた指を差す。
 ヴェルの告げる目印……大地から生えた牙のごとき岩塊めがけ、カワウソは跳んだ。
 そうして、カワウソたちは森を北上し続けた結果、湖を見張らせる岩山に到達する。

「お……おお」

 眼下の光景は、まるで一幅(いっぷく)絵画(かいが)だ。
 風の手に撫でられる深緑の絨毯が太陽の光に燦然と輝き、翡翠色の波濤を無数に描く。三日月状のように湾曲する湖にも、風の踊り子が無数に舞い降りて水面を煌かせている。草原を這う黒い線のように見えるものは、街道だろうか。地平線の先にまで幾つも丘陵や草原が見渡せ、稜線を描く山々が実に雄大である。
 動く風景画という方がしっくりくるような美しさだ。
 現実のものとは思えないくらい、カワウソはその自然の姿に圧倒される。

「――――――さん」
「え?」
「ああ、何でもない。……それより、ヴェルの飛竜は?」
「えと……このあたりです。この岩山近くの森に……」
「カワウソ様、あそこを」

 二人の背後に追随していたミカの指摘に、カワウソとヴェルは森の一角、ちょうど岩山の(ふもと)に近いあたりを望んだ。そこだけ微妙に森が開けているような空白がある。不自然に折れ曲がった樹々の姿は、大質量が空から降ってきたことの証左だろう。

「あそこです!」

 ヴェルが快哉に近い声を吐いた。
 カワウソはすぐさま森の空白めがけ跳躍する。
 空白地点に降り立つや否や、ヴェルは相棒の名を叫び、カワウソの腕から飛び降りる。

「ラベンダ!」

 名を告げて……そして、固まる。
 カワウソも、次の行動に移せない。
 ヴェルの相棒は、隠蔽の魔法――不可視化するマントによって隠れていると聞いた。傷から漂う血の臭いなども、アイテムで周到に封じているので心配はいらないとも。
 なのに、その飛竜(ワイバーン)をカワウソたちは、完全に視界の中に納めていた。これはおかしい。カワウソは看破系の魔法を発動していなかった。隠伏に失敗した可能性を誰もが想起する。
 森の木々に同化する(みどり)色の竜鱗。数多く存在する竜の中では小柄な飛竜は、その体躯はレーシングカーを思わせるほどシャープであると印象付けられるが、実にがっしりとしている。翼と前肢が結合しており、しかし、鋭利に閃く爪とともに広げた翼の長さは、六メートル以上にもなる巨大さだ。飛行中の姿勢制御に使われる尾は長く鋭い。その一振りだけで岩を砕くことも容易だろう。それなりに長い鎌首に支えられた頭部には、爬虫類然とした造形の中に、角のようにも思える骨格の隆起が見て取れて精悍(せいかん)である。鰐のように鋭い牙列(がれつ)と、虎のように強力な顎力で、獲物を噛み千切る様子が目に浮かぶかのようだ。
 そんな強力なモンスターが、傷を負い、大地に突っ伏していると聞かされた。

「……クァ?」

 だが、その飛竜は、まったくもって健在である。
 腹と翼に負った傷というのも……見当たらない。

「ラベンダ!」

 ヴェルは喜びとは全く違う――むしろ悲嘆にも似た驚愕の声で、相棒を呼ぶ。
 カワウソも、そしてミカも、警戒から剣を抜いていた。
 少女の乗騎――飛竜の傍に、何者かが、いる。

「あんた、……何者だ?」

 カワウソの静かな問いかけに、その人は飛竜の伸ばした翼に手を当てる作業を中断する。

「あ、すいません」

 答えた声は(すず)()を思わせるほど心地よい。
 白金に輝く長髪を肩の辺りで簡単にひとつに結った人物は、男物と思しき漆黒の修道服を着込みつつ、しかし、豊かな女性の特徴を胸に秘めていると容易に知れた。女として完成された男装の麗人が、猛禽(もうきん)のように鋭い視線を優しく(ほころ)ばせ、あっという間に愛嬌を満載した笑みを差し向けてくるのは、怖いほどに美しかった。

(わたくし)の名は、マルコ」

 己の名を誇らしげに告げる女は、威風堂々、カワウソたちに向き直る。



「マルコ・チャンといいます。以後、よしなに」





 








 よっしゃああああああああああああ!!
 二期製作決定おめでとうございます!!

 やったあああああああああああああ!!

 ザリュースが見れるぞおおおおおお!!
 蒼の薔薇も動いて喋るんだああああ!!

 ……早く見たいです


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放浪者

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.02





 





 ラベンダという飛竜(ワイバーン)は、確かに重傷を負っていた。
 魔導国の誇る空軍──聞いた感じ、上位アンデッドである“蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)”と思われる──部隊が一度追撃に加わった折に、かなりのダメージを(こうむ)っていた。ヴェルが語るところによると、そいつらは括りつけていた死の騎士(デス・ナイト)たちを地上に降下させて、そこで帰還したという。
 装備されていた(くら)(あぶみ)、鎧の留め金部分が飛散し、竜の硬い鱗も血飛沫と共に舞い散らせた。そうして手痛い一撃を加えられた結果、ヴェルとラベンダは一日に“二度目”となる墜落を経験してしまい、墜落の衝撃によって飛竜の命ともいえる翼が折れ破ける傷を負うに至ったのである。
 騎手であるヴェルが無事に済んだのは、ラベンダに守られていたところが大きい。
 故にこそ、助けられたヴェルは、背中と翼に傷を負い行動不能に陥ったラベンダを残し隠れさせ、地上部隊の追撃を一身にうけおったのだ。

「クアー」

 そんな危機的状況にあったとは思えないくらい間延びした声をあげる飛竜を、救った人物がいる。

「はいはい。もう大丈夫ですよ?」

 飛竜の傷ひとつなくなった翼を撫でる、白金の髪の乙女だ。
 彼女が、ラベンダの傷を癒したのである。
 マルコ・チャンは、彼女自らの言うところを信じれば、旅の修道僧……もとい修道女なのだという。
 野山や荒地を流離(さすら)い、その地に住まう村落や孤民を訪れ、疲れている者、傷ついている者、病に苦しむ者を自由に治癒することを目的とする、ただの“放浪者”なのだと。男装については、女だてらに放浪の旅を続けている関係で……ということではないらしい。
 理由を聞くと「宗教上の理由で」としか答えてもらえなかったので、とりあえずカワウソは納得するしかない。宗教の話はあまり深く首を突っ込むのは(はばか)られるほど、現実世界でも微妙な問題なのだから。

「あなた方も、旅の方なのでしょうか?」
「まぁ……そんなところだ」

 問われたカワウソは、剣をしまいつつもひとまず頷いてみせた。
 敵意を見せない相手に武器をちらつかせ続けるのは良くないと判断し、ミカにも剣を鞘に戻させる。
 自分達とは関係ないヴェルについては少し迷ったが、「この先の森で“偶然”遭遇した」だけの“行きずり”でしかないと言い含めておくことに。
 マルコの鋭い視線がカワウソとミカ……二人の鎧姿と頭上の輪っかを注視するが、また愛嬌のある微笑みを浮かべてくる。

「なるほど。わかりました」
「今度はこっちが質問していいか?」
「ええ。もちろん」
「あんたは……何故、ここに?」

 男装の麗人・マルコは、自分がこの場──墜落した飛竜の傍にいる理由を、簡潔に述べていく。

「この近くの街道を通っていたら、この()の苦しそうな声が聞こえてきたので」
「クァ!」

 重傷を負っていたという騎乗者であるヴェルの発言が信じられないくらい、そこにいる飛竜は健在であった。少女と再会できたことで、声にはさらに明るさ気軽さが乗っているとわかるほど、竜の吠える様は安穏(あんのん)としている。主人……というよりも「相棒」であるヴェルは、ほとんど半泣きになりつつも、ラベンダの顔を掴んで、額と額をこすりつけあわせて「よかった!」と呟き続けている。その様は、少女の愛情の深さを存分に物語っていて、カワウソは何とも言えない。

「……それで、今ここで治癒を行っていた、と」

 カワウソは呆れたように納得した。彼女の旅の目的を聞けば、なるほど森で重傷を負っていた獣に治療を施し、救いの手を差し伸べるというのはあり得る話ではないだろうか。
 不可視化の装備というのは、より上位の「不可知化」とは違い、着用者の鼓動や発声を消す効果はない。相応の魔法や特殊技術(スキル)で容易に看破することは可能であり、察知能力に秀でた高レベルの戦士職でも、気づく者はあっさり気付くことは可能だ。反面、低レベルな存在から隠れるのには十分な性能でもあるので、雑魚モンスターと遭遇(エンカウント)したくないプレイヤーには重宝された魔法である。

 ……つまり、目の前にいるマルコ・チャンという乙女は、雑魚アンデッドとは比べようもない、それなりの強さを誇っているということ、か。

 見た印象としては、少なくともヴェルの二倍くらいのレベルは保持していてもおかしくない感じである。身に着ける装備の衣服も、黒地の内に細かく施された白銀の刺繍が鮮やかだ。刺繍は自己主張の激しいものではなく、あくまで黒い聖衣を引き立てる役目程度にしか目に飛び込んでこず、わずかに朝の光を受けて宝石のように艶めくばかり。粗製乱造品ではいかないような(たくみ)の手の存在を、その聖衣から感じずにはいられなかった。
 少なくともユグドラシルにおいては、こめられるデータ量に応じて装備品の強弱がはっきり分かれ、そのデータ量というのは当然のごとく、見た目(グラフィック)にも影響を及ぼすものであることが多い。子供の落書きと芸術家の手による点描画を比べれば、どちらがより多くの労力を込められて創り上げられたのかは、歴然としているのと同じである。
 だからこそ、気にかかる。

「マルコも、アインズ・ウール・ゴウン魔導国の民、なんだな?」

 問われた乙女は嬉しげにも見える笑顔で「もちろん」と応じる。

「この統一大陸において、魔導王陛下が誇る魔導国が建国されてより、まもなく100年の節目に立ちます。この地に住まう、あまねくすべては、偉大にして至高なるアインズ・ウール・ゴウン様の所有物なのです」

 まるで福音を紡ぐ聖者のように、マルコは笑みを輝かせた。

「……それが、何か?」

 そんな修道女の言葉が、思いの外、堕天使の中心を(さむ)からしめる。
 この大地のすべてが、この世界の何もかもが、あの『アインズ・ウール・ゴウン』の所有物。
 告げられた事実を前にして、カワウソは心の底から恐怖を(いだ)いた。
 自らを誰かの所有物と言わしめる乙女の笑みは、本当に、眩しい。
 眩しすぎて、だから、恐ろしい。
 どうして、カワウソはこんな世界にやってきたのか。
 どうして、自分はこんな世界に、────どうして。

「カワウソ様」

 絶え間ない不安と懊悩と混沌の渦に飛び込みかける精神を、誰かの手によって掴み戻される。
 ミカの冷たい眼光が、振り返った主の視線を受け止めていた。
 カワウソは、とりあえず唇を開いて、告げるしかない。

「……大、丈夫、だ」

 主人の声は弱々しく震えていたが、ミカは納得したように視線を落としてくれる。

「…………」

 カワウソは、彼女(ミカ)の手の感覚が肩から離れるのを、黙って見つめてしまう。

「あ、あの」

 そんな二人のやりとりなど知らぬ様子で、一人の少女があらたまって、白黒の修道女に声をかける。

「本当に、ありがとうございます。マルコさん」

 半泣きだった目元を(ぬぐ)って、ヴェルが相棒(ラベンダ)の命の恩人に頭を下げる。飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)にとって、相棒の飛竜(ワイバーン)は家族も同然。幼少期より苦楽を共にしてきていたという飛竜の危機的状況を、目の前の女性がいち早く救ってくれたというのだから、礼を言うのは当然ですらある。自分を直接救ってくれたカワウソたちと同量の感謝を紡ぐことは、むしろ必然と言えるだろう。

「感謝されるほどのことでは」

 白金の髪の乙女は、ヴェルの感謝を柔らかく受け流す。
 代わりに、マルコは飛竜(ワイバーン)が着用していたマントを、元の持ち主に返した。どう考えても少女の体躯を覆う程度の面積しかない装備であるが、魔法のアイテムというのは装備者の体躯次第でサイズ変更は容易である。これはユグドラシルでもそうだった。
 ただ…………人間種の装備品を、騎乗モンスターの飛竜に装備させるというのは、実在したかどうか判然としない。
 多分だが、ありえないことだったはずだ。
 飛竜は一応、モンスターの一種。装備することが可能な装備というのも、騎乗系統専門のもの数点に限られていたはず。手綱(たづな)(くら)を人間が普通装備しないのと同じように、飛竜というモンスターは人間のもつ剣や盾を装備できない。マントなのだから被って隠れる程度は出来てもよさそうなものだが、そういうシステムだったはずなのだ。
 受け取ったマントを肩に羽織って、ヴェルはひとつの懸念を言葉にする。

「ラベンダは、もう大丈夫なんですよね?」

 飛竜であるラベンダは、マルコの回復手段──気功というらしい──によりほぼ全快にまで治癒されたようだが、問われた修道女が言うには、あまり無理はさせない方がいいという。

「じゃあ、長くは飛べませんか」
「ええ。私の気功は、あくまで一時しのぎ。ちゃんとした神官か、治癒薬を使った方が得策でしょう」

 その声を聞いたカワウソは、一瞬だが、自分の保有するアイテムを、次に背後に控える女天使を意識する。
 ミカの保持する熾天使(セラフィム)特殊技術(スキル)を使えば治療は容易だろうし、カワウソの保持している治癒薬(ポーション)を使う手もある。

 だが、使わない方がいいと判断した。

 確かにミカの保有する治癒手段──常時発動(パッシブ)特殊技術(スキル)正の接触(ポジティブ・タッチ)”や“希望のオーラⅤ”などは、使用回数に関してはユグドラシルのゲームシステム上、ほぼ無制限だった。
 発動者である自己を含まない任意の特定対象との「接触時間」分の回復(ヒーリング)効果をもたらす“正の接触(ポジティブ・タッチ)”や、一定の効果範囲に存在する任意の対象や全員(これまた発動者本人は一切含まない)に回復や蘇生の恩恵を授ける“希望のオーラ”系統Ⅰ~Ⅴの特殊技術(スキル)であれば、この世界の傷病者を癒すのに覿面(てきめん)な効力を発揮するやも知れない。ちなみに、この回復効果というのは、一定の種族──存在が”負”に傾くアンデッドモンスターへは”浄化”……特効攻撃と化すため、回復ではなくボーナスダメージを与えることは、あまりにも有名な話だ。
 だが、この異世界でも変わらず無制限に使用できる保証はないし、これから先、未知の敵や事故にあって、いざという時に「使用回数を超えました」なんて事態に陥ったら、たまったものじゃない。同じ理由で、カワウソが無数に保有するアイテムも、使用は控えておいた方がいいだろう。拠点で生産することも一応可能だが、それも材料と金貨が尽きたら、打ち止めだ。もしもこれらアイテムが、この大陸で入手不可な代物であるのなら、やはり危機的状況で枯渇させたくはない。
 ちなみに、カワウソは聖騎士などの信仰系職業を取得している関係上、神官などの扱う治癒魔法や復活魔法も習得してしかるべき──というか、信仰系魔法詠唱者では最高位の職を「二つ」も取得済みだが、残念ながら「堕天使」という種族は、治癒や復活の力を振るえない設定もとい特性まであるため、扱うことは出来ない。カワウソが扱う信仰系魔法は、ほぼすべて直接戦闘や強化補助に用いるものばかりという具合に限定されている。熾天使の治癒回復特殊技術(スキル)も、堕天使は使用不可能であるわけだ。

 そして、何より……カワウソは、アインズ・ウール・ゴウン──魔導国の民だという彼女らに対し、複雑な心境を抱いていたことも、関係がないとは言いきれなかった。

 アインズ・ウール・ゴウン。

 その単語を(いただ)く存在──国家、政府、君主……魔導王という存在──を、信奉し隷従(れいじゅう)する立場にある国民。
 これは一体、どういう冗談なのだ?
 やはりここはユグドラシルで、ユグドラシルはサービス終了からたった二日で、アインズ・ウール・ゴウンのものになりましたとでも言うのか? ユグドラシル末期ということで、上位ランキングから陥落していた存在が? 一人を除き、主要メンバーのINがまるで確認されていなかった、ユグドラシル末期のギルドにありがちな最期を迎えていた彼らが?
 この世界がユグドラシルでないという推測と、この世界はユグドラシルなのではという疑念が、真正面からぶつかり合う。
 だが、ゲームでは実現不可能な五感などの現実感や、現状におけるダイブ技術を超越した現象、NPCたちの挙動の自然さ精巧さなどを考えれば、まだ異世界転移の方が可能性としては大きいと判断すべきだろう。ここがゲームだとするならば、ヴェル・セークやマルコ・チャンも、異様なまでに人間然としすぎている。彼女らが生きた表情を見せ、己の判断で行動している以上、純粋な異世界人という認識の方が、収まりがよいはずなのだ。
 では、……どうしてユグドラシルの十大ギルドに名を連ねた、伝説のアインズ・ウール・ゴウンが、ここに?
 ユグドラシルでないというのなら、何故ユグドラシルの法則が通用する?
 そもそも何故ユグドラシルのギルドが、この世界に?
 建国から100年近い歴史とは、一体どういうことだ?
 わけがわからない。
 考えすぎて眩暈(めまい)がしてしまう。

「カワウソ様?」
「何でもない」

 かすかに主の様子を懸念してくるミカに、カワウソは首を振ってみせた。
 思考の渦は、カワウソの精神を容易に疲弊させる。自分の内側より生じるバッドステータスは、外部からの影響によってのみ反応するだけのユグドラシル装備では対処不可能な状況だと、これまでの経緯で知悉(ちしつ)している。それこそ、サービス終了直後の転移初日に、ミカたちの挙動に恐慌してしまったように。
 とにかく、無駄に状態異常に陥る可能性は低くせねば。

「飛竜に乗れないなら、どうする? 誰か、近くの街や都市から救援を呼ぶのか? それとも、やっぱり〈伝言(メッセージ)〉でも飛ばすのか?」
「それもいいですが、あいにくここは、スレイン平野の近くです。この“沈黙の森”周辺は空白地帯ですので、一般用の〈伝言(メッセージ)〉の受信範囲には含まれません」

 沈黙の森?
 空白地帯?
 カワウソが疑問符を浮かべる様に頷き、マルコは朗々とした調べで説明してみせる。

「旅の方。……たしか、カワウソ様、でしたか? アインズ様の築いた魔導国において、あのスレイン平野は禁忌の地。かつて、至高の御方の大切な守護者様に大罪を働きし者共の土地であるため、〈伝言(メッセージ)〉の送受信を司るアンデッド、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の通信管理官も派遣されておりません」

 禁忌とか大罪とかの単語が気にかかる中、カワウソは〈伝言(メッセージ)〉の情報について、とりあえず聞き返す。

「アンデッド、の……通信、管理官?」
「魔導王陛下の創造されたアンデッドたちによる、〈伝言(メッセージ)〉供給網を担う存在です。ただの人間の魔法詠唱者(マジックキャスター)であれば、背信や裏切りによって虚偽情報を流布(るふ)されることもある〈伝言(メッセージ)〉ですが、アインズ様に忠実なアンデッドであれば、そのような心配は無用となりますから」

 聞いていく内に、この世界──というか魔導国では、アンデッドは単純な「兵隊」であると同時に、現実世界でいうところの「機械」の役割を(にな)っていることが解った。
伝言(メッセージ)〉を使えるアンデッドを通信道具や公衆電話の代替(またはそのもの)という具合に取り扱っているのだと。聞いた限りだと、大陸全土で総数万単位の〈伝言(メッセージ)〉専用アンデッドがそこここに常駐し、場合によって大陸の東端から西端までを結ぶこともできるとか。
 ただし、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は、そこまで(・・・・)強いレベルではないので、数を揃え、それらを大陸中に派遣することで〈伝言(メッセージ)〉を送受信する大陸の通信網を確立しているのだと。
 まるで通信端末の電波塔(アンテナ)じゃないか。
 おまけに個人端末のように、〈伝言(メッセージ)〉や〈画面(モニター)〉に特化改良された小動物の(レッサー)骸骨(スケルトン)も併用しているというのだから、まさにそうなのだろう。

 だが、カワウソは疑問を覚える。

 大量のアンデッドを作成、使役しているらしいが、ユグドラシルでは百を超える召喚モンスターや傭兵NPCを完全に統率することは不可能な技術だった。万単位なんて途方もない。それは大量召喚の超位魔法か、世界級(ワールド)アイテムで引き起こした場合くらいでしかありえないはず。否、カワウソが知らないだけで、そういう魔法や技術もあったのかもしれないが、Wiki情報だとプレイヤー一人で操作できるNPCは、せいぜいが二、三体程度だ。一日で作成や召喚が可能な数は、二桁に届くことも珍しくないが、はっきり言って、NPCの完全操作は余程の猛者(もさ)でなければ、十全に行使することは不可能だ。
 考えてみれば当然である。
 プレイヤーは戦闘において、自分のキャラクターを操作するのに必死で手一杯という状況が普通なのに、自分が操作すべき対象が一つ二つ、三つ四つと重なっては、脳がパンクしてしまう。二桁を同時操作するなど、まさに超人の領域だ。NPCの行動を最適化するコマンドプログラムを組めば話は違うのかもしれないが、それでも、縦横無尽にフィールドを駆る敵プレイヤーに追随できるはずもない。ユグドラシルで召喚や作成されたNPCというのは、ただの壁役か、さもなければ魔法や特殊技術の生贄にする存在――もしくは、一時的な大量投入によって敵陣営を蹂躙させるだけの、ただの事象でしかない。そのはずだった。
 だが、この世界においてアインズ・ウール・ゴウンは、アンデッドモンスターを万単位で量産し、それらをすべて完全支配下に置いているという。
 しかも、時間制限などは無視して。
 おまけにどういう技法でかは完全に理解を超えるが、それらを警邏や行政や通信装置……場合によっては、農作業や開墾に従事する屯田兵や、単純工作や鉱山掘削などの労働力として派遣しているとのこと。

 ……どうやって?

 無論、ユグドラシルの単純なアンデッドモンスターに、そんな自由度は存在しなかった。そういった職人系とかの作業は、それ専門に特化した種族や、職業(クラス)スキルなどによってのみ行える仕様だった、はず。骸骨(スケルトン)農夫(ファーマー)とか、死の騎士(デス・ナイト)警邏(ポリスマン)なんて、聞いたことがない。行政官とか工場作業員など、論外だ。

 どのようなカラクリによって、そんなことが可能なのか。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの保有する世界級(ワールド)アイテムの力?
 さもなければ、この世界独自の法則や魔法という線も、十分にありえるのだろうか?

「あの」

 疑問に拘泥(こうでい)しそうになる青年の耳を、少女の声音がかすかに引っ張る。

「でしたら。ラベンダはとりあえず歩かせて、近くの都市に、向かいませんか?」

 飛竜を完全に回復させるためには、専用のアイテムを購入するか、さもなければ神官のいる「治療院」の手を借りるしかない以上、ヴェルの提案は理に適っていた。

「歩かせて……って、大丈夫なのか?」
飛竜(ワイバーン)は空を飛ぶことに最適化したモンスターですが、一応、竜の脚力もあるので問題ないのでは?」

 マルコが訳知り顔で、(みどり)の竜の顎を撫でると、“彼女”は機嫌よさそうに喉を鳴らした。催促するかのように、ラベンダは鼻先を微笑むマルコの頬にこすりつける。命の恩人に対しての信愛……以上の(えにし)でもあるかの如く、マルコとラベンダは打ち解けてしまっていた。その様子は、「主人」ではなく「相棒」のはずのヴェルが不可思議に思うほどですらある。
 飛竜は同族以外、己の騎手となる相棒以外には、滅多に心を開かないはずなのに。

「では、行きましょう。この()も、大丈夫と言っていますし」
「クルー」

 かわいらしく吠える飛竜は、相棒の少女を救ったカワウソへ向け、アピールするように翼を広げた。

「そうだ、な…………とりあえず行ってみるか」
「──カワウソ様」

 あまりにも軽薄な相槌(あいづち)に見えたのか、カワウソの背後でミカが僅かに抗議する。
 小さく潜めた会話は当然、他の二人と一匹には聞こえない位置で行われた。

「その──よろしいのでありますか?」
「……ここで唐突に別れても、怪しまれるだけだ。それに、こいつらについていけば、“都市”とやらの情報が手に入る」

 ここで彼女らと別れた後、戦力を整えて、秘密裏に、都市とやらに偵察に向かえば、いかにも安全そうでは、ある。
 しかし、その内実や環境を外から眺めるだけでいるのと、マルコたちという案内人を伴って詳細を語ってもらうのとでは、得られる情報量というのは段違いなはず。少なくとも、カワウソは都市の人間に強制的に魔法などを使って聞き出すなんてことはしたくない。アインズ・ウール・ゴウンの国民だからという理由だけで、乱暴してやるつもりはさらさらないのだ。……こちらから善意を振り撒くのもアレだが。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の、都市。

 都市というからには、そこには大量の人がいるはずだ。
 ヴェルとマルコの話を聞く限り、死人だけで構築された「死都」ということはないのだろう。たぶん。
 この世界の生活水準がどのようなものか、どれほどの魔法や文明が根付いた場所なのか──アインズ・ウール・ゴウンが統治する国がどんなものであるのか──カワウソは知りたかった。
 否、知らねばならない。
 この大陸で、この世界で、なんとか生きていくためにも。
 ミカは観念して顎を引く。彼女なりの了解という合図だった。

「あの、ごめんなさい。誰か、(くら)つけるのを、手伝ってくれません?」

 飛竜の装備……持たせていた荷物入れから、予備の革帯を取り出したヴェルが鞍を竜の背に(くく)りつけようとしている。森を抜けるにはラベンダの巨体は不向きだ。一度は空を飛ばねばならず、空を飛ぶ以上、装具を壊したままでは荷が飛散するのは必至。
 マルコが承知の声を奏でるのに続いて、カワウソも作業に加わるべく足を向けた。
 ゲームでは装備品など、アイコンのワンクリックや画面のスライドで済むのに、現実だとそうもいかない。この世界で装備を身に着けるのは、魔法でも使わない限り、本当に面倒なのだ。カワウソもそれは自室や風呂場で散々経験している。
 カワウソはヴェルの隣で左側、反対側である右側にミカとマルコとが並んで、皮製のバックルや留め金を装着させていく。
 ──だから、反対側でひそかに交わされた遣り取りを、カワウソは知らない。

「随分と、お詳しいのでありますね?」

 ミカの、鋼を思わせる語気が、マルコの耳に注がれる。
 疑念を抱かれたと判る声音を浴びながら、白金の乙女は気軽に応じる。

「この程度の知識は、魔導国の“一等臣民”などであれば、必須ですので」

 柔らかい微笑み。
 ミカはとりあえず視線を伏せて、作業を続けた。




 






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街道

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.03





 





 鞍の装着を終えた飛竜(ワイバーン)のラベンダを連れて、カワウソたち四人は、森から街道のある北を目指した。飛竜にまたがり飛行するヴェルは、確かに騎兵としての技量に恵まれている。彼女の言が(かた)りでないと解ると同時に、彼女のような強さ……低いレベルの人間が、飛竜に乗れる事実が不可思議でならない。この世界の住人はレベルの概念なく飛竜に乗れるのかと思ったが、ヴェルやマルコの話を聞く限り、飛竜に乗れるのは飛竜騎兵だけで、魔導国最強と謳われる上位アンデッドの航空騎“蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)”ですらも、生きた飛竜に騎乗することは不可能なのだとか。蒼い馬に騎乗する禍々しい騎士たちの強さ(レベル)なら、乗れなくはない気もするのだが、カワウソはそこで考えを保留しておく。深く考えるだけで頭が疲れてしまうから。
 鞍にはヴェルの他にマルコが同乗し、カワウソとミカは地上を走る。

「ちょっと、乗りたかったな……」

 飛竜は主人以外のものを背に乗せたがらない(マルコはなぜか例外なようだ)上、ラベンダは負傷していた身。あまり大人数を運ぶことは控えるべきだと判断された結果である。彼女たちの騎影を追うと、程なくして、草原を望む街道に抜け出した。
 三叉路が北と東と西に分かれており、その行く先は杳として知れない。矢印のような看板が目に飛び込んできたが、それはカワウソには未知の言語で、どんなことが記されているのか理解できない。翻訳魔法の眼鏡や巻物を拠点に残してきたことが、心底悔やまれる。

「マアト。この文字、おまえなら読めるか?」
『しょ、少々お待ちを』

 翻訳魔法にも長じているマアトに、監視越しの解析を頼んでみるが、未知の言語と言うことで時間がかかるらしい。彼女に装備させている眼鏡――情報魔法系統の防衛装置を今は外させるわけにもいかないため、解析出来次第連絡するよう命じておくだけにしておく。

「ミカ……おまえは読めるか?」
「読めるわけがないでしょう?」

 毒舌を送るミカもまた、看板に施された言語を理解できない。会話が翻訳されているのなら、文章だって翻訳されてもいい気がするのだが、この両者の違いとは何なのだろう。

『カ、カワウソ様。ヴェルさんとラベンダさん、あとマルコさんのレベル推定も算出しましょう、か?』
「ん……そうだな、頼む。あと、俺が森に残した避難所(シェルター)付近に、ガブとアプサラスを派遣してくれ。壊れた森を隠蔽、ないしは修復するように伝えてほしい」
『か、かしこまりました。あの、引き続き、マッピングも続けます、が?』

 脳内に響く巫女の声に、カワウソは短く「頼む」とだけ答えを返す。
 看板と睨めっこをしつつ頷いた男の背後に、飛竜に乗った二人が降り立ったのだ。
 この会話を聞かれるのはマズい。ミカと会話をしているか、さもなくば独り言を言っているのだとしても、文字が読める読めないなどの会話というのは、かなり珍奇な印象を与えて然るべき内容に違いない。
 空を二、三キロほど飛翔した竜は、傷の開く様子もなく、問題なさそうに翼を(たた)む。振り返った時、飛竜騎兵と修道女がほぼ同時に竜の背から飛び降りていた。

「一番近い街……都市は、ここから北にあります」

 マルコの柔らかな声が注がれる。
 カワウソに近づいてきた修道女が、看板の一つを使って示した方向は、ほぼ北の方角である。
 この辺りは、マアトの作成した地図のはるか北側。
 カワウソたちは、さらに北上することを余儀なくされるわけだ。
 足甲で踏みしめる街道は、黒い鉱石を思わせるアスファルトかコンクリートのようなもので舗装され、しかも幅は飛竜が二体ならんでも通れそうなほどに広い。よく目を凝らすと、何かの紋様が路面に小さく細かく浮かび上がっていて、何かの魔法的な細工が施されているのかも知れなかった。

「……あれは?」

 ミカが驚くほど低い声を奏でるので、カワウソは視線をあげざるを得ない。
 見ると、街道の向こう──三叉路の一方向から、こちらに向かって走ってくる車体が見て取れた。

「うっ……」

 カワウソは思わず声が上がりそうになるのを、ぐっとこらえる。
 あまりにも驚くべきものが、四輪駆動の箱を牽引(けんいん)していた。
 こちらに向かってくる馬車の列──馬車というべきか(はなは)だ疑問だ。何しろ馬は魂喰らい(ソウルイーター)首無し馬(デュラハン・ホース)鉄馬の動像(アイアンホース・ゴーレム)ばかりで、生きた馬はいなかった──は、死の騎兵(デス・キャバリエ)……中位アンデッドの御者などによって、街道を整然とした調子で走行している。

「どうかされましたか?」
「いや……」

 マルコに首を傾げられ、何とか警戒心を剥き出しにしそうな自分を取り繕う。ミカの表情もだいぶ峻烈に研ぎ澄まされていたが、こちらからいきなり先制して襲い掛かることはしなかった。事前に、この大陸にはアインズ・ウール・ゴウンの創造したアンデッドが(ひし)めいていると聞かされていても、まさか一交通手段にまで使われていると、誰が予見できるだろうか。
 男装の修道女に先導され、カワウソたちは馬車たちとすれ違い、街道を進む。
 先頭をマルコが進み、その後ろにカワウソとヴェルが並んで続き、カワウソのすぐ後ろをミカがついてくる感じだ。ちょうど巨体のラベンダの左側に四人が並ぶ感じである。
 カワウソたちのように、徒歩で歩いている者も少なからずいた。彼らはヴェルと同じく、驚くほど装備の整ったものたちが多い。
 剣や刀を腰に()く者。槍や斧、弓矢を背中に(かつ)ぐ者。魔法使いのようなトンガリ帽子に杖、神官のような聖印を施した鎚矛(メイス)鎖棘鉄球(モーニングスター)など、様々な武装や防具で身を包んだものたちだ。性別も人種も、どころか種族や体格まで違いすぎるものたちばかり。
 少年が小鬼(ゴブリン)と共に談笑し、微笑む森妖精(エルフ)の乙女が豚鬼(オーク)の巨躯の肩に腰を下ろす徒党もあれば、蜥蜴の尾を持つ美女や獣耳を生やす青年が二人ずつ道を闊歩する中心で、キマイラに似た双頭の巨獣に据えられた輿に、悠然と騎乗した悪魔の角をもつ童女という集団もいた。

 まるで……というか、これは……ユグドラシルでよく見る光景だった。
 ただ、違うのは、彼らはゲームキャラではなく、本当に生きた存在であるという事実。

 そういう連中は一様に、首元に同じ規格の金属板が下げられていることで共通していたが、カワウソはそれが冒険者──アインズ・ウール・ゴウン魔導国で人気職に従事する者たち──の証明(プレート)だとは、知る(よし)もない。

「冒険者の方々がそんなに珍しいですか?」

 無自覚にじっと眺めてしまっていたのだろう、マルコにそう声をかけられてしまう。
 冒険者という単語に疑問を呟きそうになる自分を必死に抑える。カワウソはとりあえず、別方向の疑念を口にしてごまかしてみせた。

「いや……あいつらは何処に行くのか……気になっただけだ」
「あの方たちは、装備や進行方向から察するに、冒険都市に向かっていますね」
「冒険、都市?」
「冒険者の都です。そこでは各領域や都市にはないほど、難解かつ複雑なダンジョンが多数建造されており、上級冒険者たちの絶好のレベリングスポットとして著名な場所です。また冒険者専用の武器や防具、治癒薬(ポーション)などのマジックアイテムも数多く取り揃えられております。そこで年に一度だけ行われる闘技大会に、参加するものかと」

 なるほどと思った。
 ほとんどの馬車が進む方向も、おおむね冒険者たちと同じだったのは、その大会に参加する同業者か、あるいは観客などを満載しているというところか。そんなことを我知らず呟いていたらしいカワウソに、マルコは確かに頷きを返す。

「……あれ? じゃあ、連中は何で、馬車で移動しないんだ?」

 わざわざ徒歩で、自分の足で長距離を歩くなど、無闇に体力を消耗するだけでは?
 思わず疑問符が口を滑って出てしまったことに気づいたのは、マルコが丁寧に解説した途中からだ。

「いえいえ。むしろ、彼らは優秀であるからこそ、わざわざ金貨を支払ってまで馬車に乗る必要がないだけです。疲労無効のアイテムや、体力を自動回復させるアイテムを装備していれば、徒歩移動は大した労苦にはならず、おまけに節約に便利。街道自体にも〈早足(クィックマーチ)〉などの速度向上魔法の加護が付加されておりますし、いざとなれば、冒険者各々が各種魔法などで強化して、馬車には出せない速度で街道を走破することもできるという感じで──あ、ほら」

 指差すマルコの視線を追うと、向こう側から兎の耳を生やした少女と亀の甲羅を背負った少女が競うかのように街道を疾駆していく。その後ろからは、杖や水晶にまたがった魔法使い……人間の男と、人魚の女が、風の如く追随していった。誰の表情も真剣かつ愉快気な調子で、吠えまくる声は「小鬼(ゴブリン)亭の特上ランチは私んだぁ!」「させるかってのぉ!」「おーい、こっちの魔力も考えろ。ったく!」「みんなー、がんばれー!」などと、やかましくも仲睦まじい感じ。

 カワウソは思う。
 思い知らされる。

 どの顔にも、悲惨で暗澹(あんたん)たる色合いは窺い知れない。
 誰の表情にも、自分の置かれた立場や境遇に、不満の気配を(にじ)ませてはいない。

「そうか……」

 ここは──いい国──なのだな。
 呟きそうになる唇を、カワウソは必死に引き結んだ。
 隣に立つ少女の視線が、少しだけ、男の横顔を撫でてしまう。

「転移を使うものはいないのか?」

 少女の視線から逃れたい一心で、前を行くマルコに問いを投げてみた。

「魔導国において、確かに転移魔法を扱える魔法詠唱者も、それなりの数が存在します。ですが、長距離を一挙に、また大人数や大質量を伴っての転移は難しいのが現状ですから」

 聞いた瞬間、しまったと思った。
 カワウソは歪みそうになる表情を、何とか鉄面皮(てつめんぴ)で覆う。

 マルコの言う大人数かつ大質量の輸送運搬に使える転移の魔法と言えば、カワウソが常用している〈転移門(ゲート)〉の魔法くらいだろう。距離無限。転移失敗率0%。おまけに、ギルド攻略戦などの大人数が移動する上で、この魔法があるのとないのとでは大きな差が生じるほどに利便性に富んだ、最上級の転移魔法。それを神器級(ゴッズ)アイテムのおかげで、カワウソはほぼ無限に使用可能なのだ。

 だが、魔導国において、それほどの転移を行えるものは限られているという話。
 カワウソは静かに推測する。
 ありえる可能性は、二つ。
 一つは、この世界の住人は、高位階の魔法に習熟できないほど脆弱である可能性。
 もう一つは、高位階魔法を魔導国が故意的かつ意図的に占有独占している可能性。
 あるいは、この両方が同時に成立しているのだと思われる。

 しかし、ここでひとつ、それらとは違うレベルでどうしようもない問題発生に直面する。

 カワウソは、ヴェルに──現地人たる少女に、〈転移門(ゲート)〉を使うところを見せてしまった。隣にいる少女は自分がどんな魔法の影響を受けたか解っていない……解っていないからこそ、それをこの場では口にしないのだと考えられる。だが、少なくとも転移魔法を易々と使う存在だということは、あの状況下でも察しているだろう。だからこそ、少女はあんなに驚いていたのだなと、一人ごちる。
 自分の浅慮さ軽薄さが憎い。
 いずれにせよ、魔導国民(こいつら)の前で〈転移門(ゲート)〉を開くのは少しマズいということだ。
 今後は慎重に、人目を忍んで発動させるしかないだろう。
 ヴェルには、後で口裏を合わせてもらえるよう説得するか──いっそのこと。

「……チっ」

 己の内側から溢れる黒い思考に、カワウソは舌を打つしかない。
 自分は、何を、考えている。
 すぐ横にいる、年端もいかない少女を、どうしてこうもあっさり“切って捨てる”可能性を思索するのか。
 かつての自分は、ここまで冷淡な思考の持ち主ではなかった。こんなにも狡猾(こうかつ)で、卑小で、酷薄な思慮を抱くような人間ではなかったと自負している……そして、それは確かだ。

 …………まさか。

 他にも思い出してみれば、拠点内のPOPモンスターを標的にしようとしたことも、背後に追随する女天使を切り捨てる思考も、かつての自分にはありえないような冷淡さである。
 ひとつの懸念が、頭を貫くのを感じる。

 まさか──異形種の堕天使になった──から?

 そんな可能性が、すんなりとカワウソの脳内に解答を与える。
 堕天使とは、天使でありながらも、人々を嘲弄し、暴虐し、堕落させ、大罪を犯させることを無上の喜びとする悪魔に近い種族。天上にある頃は、地上にて堕落する人間たちの在り方を理解できず、何故そこまで堕落できるのか知りたい天使たちが地上に降臨した結果──いとも容易(たやす)く人間たちに感化され、欲得を覚え、私欲の限りを尽くし、あらゆる欲心に焦がれ、欲念に溺れ、そうして“堕天”した落伍者(らくごしゃ)の果ての姿。
 そう考えれば、今までのことも()に落ちることが多い。
 異形種のステータスとは別に、異様なほど重い疲労を覚える脳髄や精神。装備を外した時に味わった、とんでもない倦怠感と不安感。人間時代とは違いすぎる、思考回路の迷走。自分の仲間であるはずの天使たちに対しても、場合によっては薄情に過ぎる決断を容易に下すことができる、この現状。あまりにも暗く黒い──暴力の可能性。
 だとするならば。
 そんな存在が、堕天使という名の異形種(モンスター)が、たかが小娘一人の命を奪うことに何の情動も抱かないのは、なるほど、ありえる。しかも彼女らは、あのアインズ・ウール・ゴウンの配下とも言うべき存在――どうしてそんなものに遠慮をする必要が?

「……っ、いけない」

 首を振って自分の底に(くすぶ)りかける感情を瞬く間に鎮火する。
 カワウソの常識的な思考が、重石(おもし)となって感情の暴走をセーブしてくれた。とにかく、今は迂闊(うかつ)に動いてはいけない。この世界の──魔導国の実像を知るまでは。

「どうか、しました?」

 カワウソが一人で考え込む姿は奇妙に映ったのか、ヴェルが心配げな瞳で男の瞳を見上げ覗き込む。
 堕天使は声の震えを覚らせまいと、懸命(けんめい)に言葉を選び、連ねる。

「いや…………ヴェルは、その、冒険者なのか?」
「いいえ、違います。私は飛竜騎兵の部族というだけで……その」
「確か『ローブル領域の平定記念式典、その今朝の「演習」で、(あやま)ってアンデッドの予行行軍に堕ちちゃった』──ですか」
「な、なんでっ?!」

 ヴェルの表情が真っ青に染まる。
 そんな少女の変貌を何とも思わずに、マルコは言いのけてしまう。

「ラベンダが、そう言っていましたけど?」
「クゥ?」

 最前にいるマルコと、不思議そうに竜の鎌首を傾げるラベンダ。

「あ~、も~……ラベンダってば……」

 諦めたように首を振りつつ、大いに肩を落とすヴェル。
 話が見えてきた。
 どうやら、その式典の演習とやらで、少女らは何かしらの失態を演じ、あの追跡部隊に追われていたと、そんなところか。カワウソは納得と共に、その式典のことを問う。
 マルコの話では。
 平定記念式典というのは、かつてその地域より先で行われた「魔神王ヤルダバオト」の討伐戦に勝利してより99年目を祝して──とか何とかの催し物(イベント)のようだ。
 式典というだけあって、その演習や準備は万全の態勢で臨むべしとされ、尚且つ、あのアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下も御照覧いただく関係から、大陸各地から勇士を集め、その雄姿を等しく魔導王の御前に献上することは、もはや法や掟を超え、常識ですらあるのだと、熱く語られる。
 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の二つの部族をはじめ、蜥蜴人(リザードマン)小鬼(ゴブリン)人食い大鬼(オーガ)妖巨人(トロール)、ビーストマンやミノタウロスなど、人間も亜人も異形も、ナザリック地下大墳墓の直下に平等という彼らが一堂に会し、等しく魔導国の絶対王者に忠誠と感謝を捧ぐ場として、そういった式典は年数回規模で催されるのだとか。
 そういった諸般の事情を何となく聴いて理解するカワウソは、式典に関するひとつの名称──魔導王と戦った“魔神王”なる存在の名が、気にかかった。

「ヤルダバオト……」

 何かの伝承かで聞いたことがある名称を呟いてしまうカワウソは、天使系の拠点NPC製作の際に、そういった神話系統の情報を可能な限り収集した過去があった。
 確か……グノーシスの、神様とか造物主だか何かの名前、だったか?
 どうにもはっきりとは思い出せない。何しろNPC製作時に収集したきりの情報だ。あとで拠点に残した百科事典(エンサインクロペディア)でも紐解いてみるとして、カワウソはマルコの話を静かに聞いていく。

「なるほど。ニュースで流れていた式典演習の事故は、あなたたちだったんですね?」
「……ええ、そうです」

 ヴェルはもはや諦観(ていかん)の境地で白状していた。マルコは存外、穏やかなまま、式典で起きたことを話し始める。

「ニュースだと確か、アンデッドの行軍に騎兵が突っ込んで、演習が一時中断されるほどの騒ぎになったとか?」
「たぶん……そのとおりです」

 だというのに、当事者であるはずのヴェルが、どうしてこんなにも歯切れが悪い感じにしか頷かないのか、カワウソは大いに疑問だった。

「たぶんって、何だ。たぶんって?」
「私──あまり、その時のことを覚えてなくて」

 言いにくそうに言葉を紡ぐ少女は、「予定通り演習に参加していたら、いきなり自分は行軍の中に墜落して、暴走していた」とだけ語る。さらに言うと、ヴェルは墜落した後のことは、ラベンダに伝え聞いた程度にしか把握できておらず、気がついたら自分とラベンダは追われていたのだとか。墜落と暴走のことは、共にいたラベンダから聞かされた情報に過ぎず、彼女自身にはそんな記憶は欠片も残っていないという。

「何とか、部族の皆と合流して……その、上の御方とかに、ちゃんと謝罪すべきだとは思うんですけど。私、アンデッドは、その、苦手で……」
「……そうか」

 少女は謝罪に赴く意思を持ってはいたが、問答無用で襲い掛かってくるモンスターが相手では、なるほど逃げるしかないというのもやむを得ない判断だろう。
 だとしても……かなり奇怪な話では、ある。
 聞かされた感じ、ヴェルは自分の意思とは無関係な感じで、予行演習中に暴れたようであるが、何故そんなことに?
 何者かに操られて? それとも、ヴェル本人の病気──健忘症の類か何かの可能性もあるのか?

「あの、マルコさん」

 少女は不安げな眼差しで、事情に通じていそうな修道女に、その演習の仔細(しさい)を訊ねる。そうせずにはいられないという調子で、ヴェルは小さくも強い声で問う。

「皆は──私以外の、部族の参加者は?」

 式典の演習中に暴走した。なるほど、これは罪に問われもするだろう。彼女の言っていた“不敬罪”というのも納得だ。“不敬罪”というより“公務執行妨害”や“軍務規定違反”という方が、より正確かもしれないが、そんなことは大した違いではないのかも。
 それよりも、解せないことが多すぎる。
 何故、少女は暴走とやらの最中の記憶を持っていない? 誰かに消されたのではないとしたら、その原因は? そもそもどうして、こんな小さな少女──ヴェルが暴走を?
 それに、何故──少女は演習に残してきた部族の者らを気に留める? 連帯責任として処されるとでも思っているのか? ……たぶん、その可能性は高いのだろう。でなければ、少女が残してきた仲間を案ずる必要はないはず。魔導王というのが暴力と理不尽で国を治める圧政者であれば、彼女の仲間が処される可能性は高いのではないか。
 少女が追跡部隊から逃げていたのは、根源的な死からの逃避からだろう。
 わけも理由もわからず、いきなり中途の記憶がないのに追われたりすれば、カワウソだって逃げるしかない。おまけに、追ってきた部隊というのがアンデッドや悪魔のモンスターとあっては、尚更だと思う。聞く限り、ヴェルは長く部族内での生活を続けていた関係上、魔導国の実情とやらには疎い傾向があるようだ。一般常識程度の知識は保有しているが、ただそれだけなのだと。
 ヴェルの懸念を理解したマルコは、心底から見るものを安堵させる笑顔と音色で、ひとつ頷く。

「御心配には及びません。ニュースによると、大した人的被害もなかったので、演習はその後、通常通りに進んだとか」

 その説明を聞いて、ヴェルはひとまず胸を撫で下ろした。
 対して、カワウソは仄暗(ほのぐら)い疑念を(いだ)かずにはいられない。

「いいのか?」
「何がです?」
「一応、ヴェルは国の追跡を受けていたんだぞ? いくら何でも、暴走した当人が、警察──軍や国家機関の世話になるでもなく、自由の身でいるというのは」

 マルコの言動が、カワウソには不可解なほど親切に過ぎた。
 それこそ、この状況は指名手配犯が目の前にいるようなもの。良識のある国民であれば、捕縛するとはいかずとも、国家に通報なり連絡なり何なりするのが当然ではないのか? ……ヴェルを行きがかりにとはいえ助け、個人的に逃亡の幇助(ほうじょ)をしてしまっているカワウソが言えることではないだろうが。もしや、これから向かう都市で突き出そうと考えているのかもわからない。
 しかし、そんな姦計とは無縁そうな修道女、マルコ・チャンは澄ました微笑みで、こう告げる。

「私は、ただの“放浪者”です。
 自由に生きて、自由に過ごし、自由に人々の助けとなる──そのお許しを、いと尊き御方(おんかた)に許されておりますので。私からわざわざ、彼女を国家に突き出す必要性はないのです」

 明るく微笑む横顔は、光に満ちて眩しい。
 悪戯な子供っぽい動作で胸を張り、マルコは主張する。

「それに──『誰かが困っていたら助けるのは当たり前』と教えられておりますので」

 こんな状況でもなければ見惚れていてもおかしくないほど、そこにある表情は愛嬌と矜持に溢れていた。

「あなた方も、旅の放浪者なのですから、ヴェルさまを助けてあげているのでしょう?」

 引く波のごとく、全身から血の気が引いてしまう。
 告げられた内容が内容だけに、カワウソは返答に窮してしまう。
 曖昧に頷いて言葉を濁すしかほかにない。
 マルコは、カワウソとミカの二人を、自分と同じ旅の“放浪者”とやらと見做(みな)して納得しているが、勿論カワウソたちはそんな存在であるわけがない。

 この異世界に転移して、僅かに、二日。

 未だに世界の実情は掴み切れず、流されるまま魔導国の都市とやらを目指すカワウソたちの行く手に、新たな影が迫りつつあった。
 どれくらい歩いたことだろう。
 黒い街道の両脇に、二つの人工建築物が鎮座しているのが見え始める。

「ひぅ」

 ヴェルが怯え、身を隠すようにカワウソの纏う赤いマントに縋りついた。

「……」

 カワウソは彼女らの手前、内心でかなり驚嘆しつつも、歩調を止めたり緩めたりは、できない。
 黒い街道沿いに安置されたそれは、簡単な石材で左右と背後、そして天井を覆った程度の小屋だ。これと同じ感じのものを、カワウソは知っている。かつてユグドラシルのゲーム内に存在した純和風な国家フィールドに、オブジェクトの一種として見かけたことがある。道祖神や地蔵尊を(まつ)(ほこら)のようだ。剣を杖のようにし、彫像のように直立する死の騎士を納めるサイズを考えると、どうにも巨大すぎではあるが。
 それがちょうど関所のように、広い街道の両脇を挟むように並列され、その小屋の主が、通りかかる通行人すべてを監視するように、邪悪な色に染まる眼差しを無遠慮に差し向けて(はばか)ることはない。
 小屋に(まつ)られているものは神や仏ではなく、生者を殺戮するアンデッドの一種──死の騎士(デス・ナイト)というのが、カワウソにはかなり恐ろしく思えたのだ。怯え震えるヴェルはつい先刻までこいつと同じものに追われていたし、カワウソにしても、死の恐怖とは別の意味で、深い(おそ)れを(いだ)きつつあった。

 カワウソは、彼らと同じ存在を……死の騎士(デス・ナイト)たちによる部隊を壊滅させた。
 その情報を、奴らが何らかの手段で共有している可能性を思索せざるを得ない。

 右肩に携えた血色の外衣(マント)──装備する六つの神器級(ゴッズ)アイテムのひとつ・タルンカッペの〈完全不可知化〉を使うべきか、迷う。
 だが、咄嗟のことで、ラベンダを隠蔽の効果範囲に取り込むことは出来ない。そもそも、この自分の装備が、騎乗モンスターに有用であるかどうか不明だ。カワウソは、騎乗モンスターを強化し、魔法や装備の影響を与えることが可能な職業……“騎乗兵(ライダー)”や“調教師(テイマー)”系統は取得していない以上、これはしようがない。
 何より、先頭を進むマルコは、まったく気にするでもなく、二体の騎士の間を通過してしまったのだ。
 何も考えてなさそうな飛竜を小脇に連れて。
 マルコは首に下げていたらしい装備物を豊満な胸元から手繰り寄せて取り出し、二体の死の騎士に見せつける。
 そうして、しばらく歩いた彼女が、振り返って笑みまで差し出してくるので、カワウソたちは、前に進むしかない。

「……」

 奇妙な沈黙が下りる中、カワウソたちは互いの鼓動が聞こえそうなほどに身を寄せ合う。
 ──そうして、難なく、騎士たちの前を通過してしまった。
 兜を脱いだ状態のミカも、自然と二人の後に続いてみせる。
 嫌な空気を、カワウソとヴェルは同時に吐き出してしまう。
 それがわかって、可笑(おか)しそうに見上げてくる少女に、カワウソは軽く微笑みを返せた。

「カワウソ様」

 途端、ミカの呼ぶ声に振り返る。
 何事かと思うよりも先に、大気を蹂躙する轟音が背後より響く。振り返った先の死の騎士たちは微動だにしていない。〈敵感知〉の魔法にも反応はなかった。だが、何か翼を持った存在──モンスターが急速に近づいていることだけは容易に知れる音量が迫っている。

「何だ?」

 剣を抜くべきかどうか迷う間もなく、マルコは悠然と空を仰いだ。

「ドラゴンです」

 あっけらかんと告げられた瞬間、一行の頭上を、空の彼方から現れた巨大な影が翔けていく。
 輝く鱗には霜が降り、太陽の光を浴びて真っ白に輝いている。巨大な翼が羽搏(はばた)くと同時に、大量の空気が圧搾(あっさく)されるような音色が鼓膜を走り震わせた。雄々しく伸びる尻尾の後姿を残して、霜竜(フロスト・ドラゴン)はカワウソたちの視界から駆け去っていく。
 竜の種族は、ユグドラシルでもそれなりの強さを誇るモンスターだ。カンスト勢には脅威になりえないが、中途半端なレベルだと狩ることが難しい。強大無比な上級の古竜(ハイ・エンシャント)(クラス)ともなると、ソロプレイのカワウソが狩るのはほぼ不可能で、よほどの好条件と準備、何よりも運が必要だった。
 凶悪なモンスターであるはずの竜は、眼下にいるカワウソたちには一瞥(いちべつ)もくれず、一直線に流れ飛んでいく。吹き抜ける冷気の風の感触だけを残して。

霜竜(フロスト・ドラゴン)による天然の冷凍運搬(クール)便です。あれのおかげで、大陸はこの内地にまで、海の恵みを新鮮なままに運んでくれるのです」

 カワウソの濁った瞳に映った荷物には、現地語の羅列であろう記号が、かろうじて見て取ることができた。魔導国の運搬会社の名前か何かだろうか。

「ああ、見えてきましたね」

 (ドラゴン)の巨大さと運用方法に驚いていたカワウソは、折れ曲がる街道の先、丘の上から女が指し示した方角にあるものを見て、唖然となる。

「これは……」

 息を呑むとはこのことだ。
 そこにあるものは、紛れもない都市に他ならない。
 四つ五つに重なる隔壁の下、まるで群がるように住宅や工廠、倉庫などが立ち並び、その奥に(そび)えるものを護る質量の壁を築いていた。中心へ行くほど高く強く形成された壁の内に、宝石を思わせるほど輝く水晶の尖塔が立ち並び、その奥に一本の白い柱にも似た、壮麗な城が見える。その城下の街区を無数の人々が行き交い、空を駆る影や翼、魔法使いの姿が、数限りなく飛び交い、──生きている。
 芸術的とも言える麗雅な都。
 幻想の物語にしか存在しない魔法の街。
 カラァンという澄明(ちょうめい)な交響楽のごとく重なり合う鐘の音が、カワウソたちの立つここにまで、正午の(とき)を告げている。

「あれが、我らが魔導王陛下の誇る“第一”魔法都市・カッツェです」





 








次回はいよいよ、魔導国の都市です。


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魔法都市・カッツェ -1

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.04





 





 丘をなだらかに下る街道を進み、カワウソたち一行は、都市の門にまで辿り着いた。
 その都市外縁を鎮護する門内にも、死の騎士(デス・ナイト)たち十体ほどがずらりと並んでいたが──さすがに二度目ともなるとそれほど緊張することなく、カワウソたちは大きな門をくぐり抜けてしまう。一応、〈敵感知(センス・エネミー)〉の魔法でこっそり確認する限り、誰もカワウソたちを敵と見定めて襲ってはこなかったので、バカみたいに安堵してしまう。
 他にも多くの人々が整然と列をなしつつ、門内を行き来していたのも助かった。物見遊山(ものみゆさん)か何かのように、外から都市内に向かう行列は都市の威容に瞠目し、その栄華の極みのごときありさまに目を輝かせている。おかげでカワウソも、そんな観光客の一人として、都市の様相に自然と目を瞬かせ続けていても、誰からも不思議に思われることはないのだから。

「魔法都市・カッツェにようこそ」

 おどけたように門の看板に記されているらしい文言を紡ぐマルコに応じることもできず、三人(と一匹)は一様に愕然となる。

「ふわぁぁぁ」
「……すごい」
「……これは」

 ヴェルが、カワウソが、ミカまでもが、感嘆に言葉を失った。

 そこにあるのは、水晶の都。

 真昼の太陽の輝きを燦然と灯して、輝きを常に反射する摩天楼は、水晶か宝石のように整えられた形状だ。巨大な硝子(ガラス)に覆われた長方形の建築物は、内部を行き交う人々の様子もよく見える透明度で、浮遊する箱の内に乗りこんだ連中を指定の階層にまで運ぶ円筒形の構造は、現実でいうところの昇降機(エレベーター)を思い出されてならない。同乗している死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はエレベーターガール……ではなく、箱を浮遊させる魔法を発動する存在か。
 建物の壁面や屋上には、巨大広告のような〈水晶の大画面(グレーター・クリスタル・モニター)〉がそこここで発動されており、今日のニュース動画や明日の天気情報などを映し出している様は、まさに『魔法都市』というだけのことはある。
 空を行き交う魔法使いや魔獣の姿も多く見受けられるが、何よりも驚きなのは、都市外の街道と同じ色の黒い通り……地上にも数えきれないほどの人波があること。
「人」だけではない。森妖精(エルフ)が、山小人(ドワーフ)が、小鬼(ゴブリン)が、蜥蜴人(リザードマン)が、人食い大鬼(オーガ)が、妖巨人(トロール)が、ビーストマンが、人馬(セントール)が、ミノタウロスが、互いが互いを殊更(ことさら)に意識することなく、そうあることが自然だとでも言いたげに、整然と都市の営みに参加していたのだ。
 人間がウェイトレスを営むカフェで森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)が同じ卓で茶をしばき、蜥蜴人(リザードマン)の露店主が人や小鬼(ゴブリン)などに向けて陳列された色とりどりの瑞々(みずみず)しい魚を売りつけている。人食い大鬼(オーガ)妖巨人(トロール)が広場で格闘試合の取っ組み合いを演じ、人垣が賭けの半券を握りしめて熱狂していた。白線のみの簡単なリング脇に控え、互いに笑みすら浮かべている獣顔の男と下半身が馬な男は、おそらく次の対戦カードという具合だろう。牛の頭部に巨躯という出で立ちの棟梁らが指示して、骸骨(スケルトン)動像(ゴーレム)が建築工事に勤しんでいる姿もあった。見上げた城壁は高く分厚い造りをしていて、その歩哨にはやはり死の騎士(デス・ナイト)の衛兵隊が等間隔に配置され、まったく微動だにせず都市の内外を見張り続けている様は、それだけで犯罪抑止に貢献しているようなありさまだった。
 カワウソたちが転移したスレイン平野からは想像もできないほど、都市には生命(いのち)が満ち満ちており、やはり、誰の顔にも暗鬱(あんうつ)とした気配は(うかが)えない。居合わせる異形種──アンデッドモンスターたちにも、これといった忌避感を覚える輩はいないかのようですらある。



 誰もが生を謳歌してやまない世界が、そこにはあった。



「この第一魔法都市・カッツェは、魔導国で最も由緒ある都市のひとつで、魔導王陛下が最初期に造営に着手した土地のひとつです」
「そうなんですか……」

 道中。
 マルコは都市の過去をつまびらかに、好奇心の(とりこ)となった生徒──ヴェル・セークに望まれるまま、語り聞かせる。
 カワウソたちは、そんな二人の遣り取りを背後で聞き耳を立てながら、つぶさに情報を収集することに努めた。監視中のマアトにも、記録を残させる徹底ぶりである。

 修道女曰く。
 100年前までは荒涼とした大地だけに覆われ、度々国同士の領土争いの決戦場に使い続けられた結果、戦争で避け得ない大量の死に招き寄せられたアンデッドが集団発生してどうしようもない土地だったその地を、慈悲深いアインズ・ウール・ゴウンの威光と魔力によって、見事、完全支配下に置き、平定。
 以後はアインズ・ウール・ゴウン魔導国に、新たな魔法の恩恵を授ける教育機関『魔導学園』を中枢に据えた国家事業に従事し、数多くの功績を残してきた、魔導国でも二番手に付ける発展を遂げた都市として、今日(こんにち)に至っているとのこと。

「それでは、行きましょうか」

 (うなが)されるまま、カワウソたちは都市のより中央──街は五重の壁が円周を築いており、第一門から入ってすぐの内側の区画は第五街区、次の第二門をくぐると第四街区という具合に、簡単な区分けがされている――に(おもむ)くべく、目抜き通りをまっすぐ進む。
 簡単な魔法の実演興行を観光客相手に行う魔法詠唱者(マジックキャスター)の若者がいれば、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が催す全自動の人形劇──題目は『漆黒の英雄譚』というらしい──も盛況なようで、人間や亜人の子供らの歓声が耳についた。
 それらをすべて横目にしつつ、通りをしばらく歩いて次の門にまで至る。
 門にはやはり死の騎士(デス・ナイト)十体が常駐していたが、これといった検査や通行料の遣り取りがあるわけでもなく、カワウソたちは内部に入れた。
 ふと周りを見れば、カワウソたちのように武装を整えた者たち──冒険者、だったか──の姿もある。武器の持ち込みなどについては、特に規制がないのかもわからない。
 実に不用心ではないかと思う反面、何か魔法的な手段で探査(スキャン)なり支払い(ペイ)なりしているのかもしれないが、確信はなかった。マルコが何かしてくれている可能性が高いのだろうが、彼女は特段気にするでもなくカワウソたちを都市中央に同伴している。見知らぬ他人の通行料を肩代わりするほどの善人だとでもいうのだろうか?
 ──通行料といえば、この世界で流通しているのは、ユグドラシル金貨なのか? 思い出してみると、先ほど露店や賭け試合で遣り取りされていたのに、紙幣があった気がしたのだが。
 そう思う間もなく、マルコは第四街区内に入ってすぐ、大通りから少し外れる方向に進んだ。

「すいませんが、ここから先の街に飛竜のラベンダは連れていけません。なので一旦、宿に預けることになります」

 ここから先の都市内では交通の便や治安維持を考えて、騎乗獣などに代表されるモンスターの類は、すべて宿屋の係留所に預けることが原則となっているらしい。特に、これから赴く第三街区以内は都市内でも厳重にそういった制限が課されており、王城の直近地帯──第一街区になると、魔導国の公的装置や交通手段以外のモンスターは全面的に入場を禁じられているとか。飛行可能なモンスターは特に規制が厳しいという。
 ラベンダを一匹にしてしまうことに不安を覚えるヴェルであったが、マルコに「カッツェの魔法警備は万全です。ご安心を」などと(さと)されては、他に処置がない。むしろ、都市のどこかに隠伏させておくよりもマシかもしれないのだ。
 都市の内外には死の騎士(デス・ナイト)の警邏隊と共に、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も巡回警備にあたっている。ラベンダがそういったのに発見される可能性もそうだが、この魔法都市には看破や探査に秀でた魔法詠唱者──『魔導学園・情報科』の生徒なども多数在籍している以上、バレる可能性の方が高いらしい。
 そして、いざ騎乗者不明のモンスターが発見されれば、都市管理と警備の都合上、ラベンダは警邏隊に強制連行(レッカー)されることもありえると聞く。最悪なのは、発見されたラベンダの素性を徹底して調べあげられ、ローブル領域の騒動の中心にいたものだと判明された場合だろう。
 そうなれば、ラベンダがどうなってしまうのか。
 そして、連鎖的に、その騎乗主であるヴェル・セークのことも知られたら。

「では、よろしくお願いします」

 マルコ行きつけという第四街区の宿屋を切り盛りする女主人──蠍人(パ・ピグ・サグ)という種族で、上半身が人間の乙女、下半身は鋏と毒針を持つ蠍の姿――に、ラベンダを預けた。
 宿屋には他にも多数の魔獣が預けられており、ラベンダは割と小さい印象しか抱けないくらい、そのモンスターの群れに埋没していた。鷲馬(ヒポグリフ)獅子鷲(グリフォン)、白銀の八脚の馬(スレイプニル)の群れまでいる中、一番でかそうなものだと建物ほどの体躯を誇る黒い有翼の大蛇もあって、係留所周囲はちょっとした観光スポットにでもなったのか、見物(けんぶつ)の人ごみで溢れそうになっていた。
 なるほど。あれならラベンダを留め置くのも問題ないだろう。

「あと、ちょっと〈伝言(メッセージ)〉を使ってくるので、お待ちいただけますか?」

 そういうとマルコは、宿に常駐しているらしい死者の大魔法使い(エルダーリッチ)(もと)まで赴くと、銀貨一枚を手渡す。何かの暗号か、さもなくば電話番号のごとき文字や数字の羅列を告げると、アンデッドを通して誰かと会話し始める。
 ……本当に、アンデッドが電話扱いされているようで、カワウソは驚嘆を禁じ得ないが、何とか平静を保ってみせる。隣にいる少女のように、驚いてしまってはいけない気がしたから。

「……す、すごいですね」
「……ヴェルは、あれを見るのは初めてなのか?」
「ええ。私たちの土地では、見たことありません。そもそも常駐しているアンデッドの数や種類も、都市くらいのものにはまったく及びませんから」

 カワウソの問いに対して簡単に答えた少女が好奇の眼差しを向けるのに合わせて、カワウソもしばらくマルコの通信が終わるまでを、眺めながら待った。
 そうして、マルコは〈伝言(メッセージ)〉を終えて、こちらに振り返った。

「お待たせしました。では、参りましょう」

 四人は、一匹を第四街区の宿に残し、第三街区――学生の寮区画――に。
 さらに通りを進んで第二街区にまで、すんなり入り込むことができた。
 この地域は観光客向けの施設はほぼなく、この魔法都市の根幹を担う学園機構直轄の街として栄えているようだ。冒険者の姿も一応まばらに存在するのは、その街区にある最古の人造ダンジョンでのレベリングのためだと、マルコは語ってくれる。
 そうして、彼女に案内された円形広場(ロータリー)の一角に、一際巨大な建物が建っていた。周囲がビルディングのような水晶然としたものが多い中で、その外観は異彩を放つ木のぬくもり。バカみたいに巨大なウッドハウスと言えばわかりやすい外観の施設には、何やら看板が掲げられているが、カワウソたちに読めるわけもない。

「ここは、魔法都市内でも最高の、バレアレ商会の営む治癒薬(ポーション)専門店です」

 実に気安い表情で、マルコは全自動で開閉する硝子扉の奥に歩を進める。機械ではなく、魔法のアイテムによる自動ドアのようだ。

「いらっしゃい」

 店内は淡く涼やかな音楽が流れており、外と変わりないほどの明るさを灯す照明用のアイテムで、数多(あまた)あるポーション瓶を(きらめ)かせていた。

「お久しぶりです、リューさん」
「んん? ああ、マルコかい。待っていたよ──そちらのお連れさんが、さっきの〈伝言(メッセージ)〉で言っていた?」

 頷くマルコと親密な様子であると容易に知れる、優し気な声。
 古めかしいトンガリ帽子を布で磨く手を止め、青く輝く髪を蛇のように波立たせる女性は、カウンターの上で〈水晶の画面〉を空中に投影していた小型アンデッド――下位骸骨の蜥蜴(レッサースケルトン・リザード)――を「停止」させ、カワウソたち三人に興味深げな視線を送る。

「ウチの名前は、リュボーフィ・フフー。ご覧の通りの商人(あきんど)さ」

 カワウソはまじまじと女の体躯を凝視する。
 様々な人や亜人や異形が暮らす都市の中で、彼女はさらに、異彩を放った存在だ。
 印象的なのは、青い前髪に飾られる瞳。右は氷のように透き通った水色なのに、左は爬虫類を思わせる細長い虹彩が(あかがね)色に輝いている。カウンターに隠れていた下半身には、街道で見かけた冒険者の一団と同じもの──蜥蜴の長い尻尾が臀部から伸びていて、それが自由に宙を撫でている。さらに驚くべきは、丈が短い作業着に前掛け(エプロン)の胸元を膨らませた姿……その布に覆われた胴体から伸びるのは、四つの腕だ。蟲を思わせる硬質な外殻に覆われた上腕と、人間の女性らしい白魚の指を備えた下腕が、一対ずつという具合。
 化物と人間が見事に融和した異形が、その女性の全身に散りばめられていたのだ。当然、こんなにも多彩な異形を施す存在は、ユグドラシルでも滅多にお目にかかれない。かなり縮小化(スケールダウン)したレイドボスの、第一形態くらいではないだろうか。
 そんな異形の中の異形という女性を、マルコは親しみを込めた音色で紹介していく。

「リューさんは商人(しょうにん)ですが、この都市でも指折りの魔法詠唱者(マジックキャスター)にして、錬金術師(アルケミスト)――ポーション職人の一人でもあります」

 ただちょっと変わっておりますがと、マルコは微笑みすら浮かべてみせる。

「リューさん。こちらはカワウソ様とミカ様、それとヴェル様です」
「よろしく大将。それにお嬢さん方。どうか贔屓にしておくれよ?」

 かなり男前な口調で、一瞬性別を忘れそうになるが、カワウソは軽く会釈を交わした。突き出された蟲の右腕にも、とりあえず握手を求められたと理解し、応じる。

「お二人さん。変わった装備をしているね?」
「ん……ああ、いや」

 カワウソとミカの頭上にある輪っかのことを言われたと理解し、言葉に詰まりかけた。
 ちょうど、その時。

「お師匠」

 幼そうな、けれども凛々しい声が建物の奥に続く扉から零れた。手動で開く扉のノブが回るのを、全員が振り返り注視する。

「あ……お客でしたか?」

 だが、現れた存在──矮躯は、人間のそれではない。
 胸から上は人間の少年だが、そこから下は竜の尾のごとく伸びた──長い蛇の異形だ。一見すると、ユグドラシルにもいた「ナーガ」なのだが、赤髪の少年の側頭部あたりから頭上と後方へと突き出す四本角を見ると、悪魔なのかとも思われる。
 少年は「じゃあ、後で」と告げて場を改める。
 それなりの礼儀を心得ているらしい調子で、扉の奥に引っ込んでいった。

「あの子は、ウチの弟子のモモさ」
「──モモ?」

 女性の告げた名前にカワウソは少なからず引っかかるものがあった。

「『漆黒の英雄』モモンに因んだ名前でね……知らないのかい?」
「ああ……」

 そういえば、先ほど街角で催されていた人形劇の主人公が、そういう名前だったか。
 アインズ・ウール・ゴウンのギルド長と似た名前だったから、妙に耳に残っていた。
 英雄の名前というのは、気にかかると言えば気にかかるが、一般常識として定着しているらしい名を、知らない風に答えるわけにもいかない。それに、一音しか違わないというだけで、あのギルド長・モモンガと関連して考えるのも早計だろう……絶対、何か関係ありそうな気はするが。
 カワウソの態度を深く追求するでもなく、リュボーフィは「ご用件は?」と(あきな)いに勤しみだしてくれる。
 マルコが淀みなく応えた。

飛竜(ワイバーン)を癒す治癒薬をお願いします」
「はいよ……しかし、珍しいね。マルコはいつから飛竜の主に?」
「私ではなく、こちらにいるヴェル様の飛竜ですよ」
「おう、そうかい。ちょいっと待ってな──ここに置いておいたから」

 言って、女性は四つの腕を巧みに操り、室内の一角にある飾り棚の奥を物色し始める。
 しばらくもしないで現れた治癒薬は、飛竜の巻き付く優美な硝子瓶のなかに、赤紫の溶液が満たされていた。

「はいさ。バレアレ印の治癒薬(ポーション)を調合した、飛竜(ワイバーン)特効の治癒薬」

 一個3870ゴウンと言われ、マルコは即座に財布を取り出し、そこから紙幣三枚と貨幣九枚を取り出した。

「マ、マルコさん。ここは私が払うべきじゃ」
「いいですよ。これくらい安いものです」
「……」

 カワウソがこっそりと見つめる金銭は、やはりユグドラシル金貨のそれではない。
 紙幣の表面にはアインズ・ウール・ゴウンのギルドサインが、一部の狂いなくしっかりと印字されていた。転がる金貨九枚を見ると、表面にはやはりギルドサインが、裏面には骸骨の頭蓋……アンデッドの顔がしっかりと浮かび上がっている。無論、ユグドラシルの金貨──新旧二種類のいずれともまったく異なる意匠に相違なかった。
 リュボーフィが手渡したおつりの銀貨三枚についても、まったくユグドラシルの面影は見受けられない。
 この世界独自の経済貨幣が生きている証拠である。

「いつもありがとうございます」
「なんの」

 二人の遣り取りが一応の落着を見たところで、

「ちょっと、いいか?」

 カワウソは指先に二枚の新旧ユグドラシル金貨をつまんで、リュボーフィに見せた。

「たとえば、なんだが。この金貨はどれくらいの価値になるか、わかるか?」

 この世界で通用する金銭が手元にないというのは、非常にまずいことだと思われる。
 カワウソとミカは旅の二人連れを装っているが、先立つものもないのにそんなことが可能だろうか? そんなはずがない。無論、装備や他のアイテムで寝食などの心配は無用だと思わせることは可能かもだが、それでも、この大陸に生きている風を取り繕うのに、現地の金を一切持ち合わせていないというのは、かなり奇矯だと思われるだろう。それこそ、カワウソたちは身分証も何もない、ただのユグドラシルプレイヤーと、拠点NPCだ。これより後、他の都市や土地に厄介になる際、通行料だの飲食代だのを工面する状況というのが発生する可能性はあり得る。いつまでもマルコという修道女に関わっていられるはずもない以上、何とかして外貨を獲得する(すべ)を見出せなければ、今後のことに支障が生じるのは必定である。

「ちょいと拝見させてもらうよ……うむ」

 エプロンに、胸の谷間部分に差し込んでいた眼鏡を装着した店主が、ユグドラシル金貨二枚の表面をそれぞれなぞったり、永続光の照明にかざして()めつ(すが)めつしたり、棚にあった秤にかけたりしながら、鑑定(魔法やスキルではないようだ)を行う。

「いい金貨だね、旦那。どっかの遺跡にでもあったのかい?」
「まぁ、そんなところだ」
「これなら換金屋にでも持っていけば、1000ゴウンくらいにはなるんじゃないかな?」

 鑑定と換金は畑違いなので、あまりあてにはしないでくれと、女店主は金貨を返却しつつ語ってくれる。
 1000ゴウンというのがどれほどの価値──高いのか安いのか分からないので、カワウソは曖昧に頷くだけに留める。
 では、ポーション専門の店ならば、カワウソの持つ治癒薬を換金したら……と思ったところで、それはやめておいた方がいいと判断する。
 この店へ赴いた目的は、ラベンダを回復させる治癒薬の購入のため。
 なのに、ここで治癒薬を取り出しては、あの場にいながらカワウソが治癒薬を提供しないでいることが二人にバレることになり、その時に抱かれる心証を思うと、ここで上位治癒薬(メジャー・ヒーリング・ポーション)を取り出すのは愚策でしかないとわかったから。
 ──マルコの細められた瞳が、男がしまう金貨を注視していたことに、カワウソ本人は気づいていない。

「皆、いつでも寄ってきな。またコイツ(・・・)に連絡してくれりゃ、すぐ用意できるから」

 店主は(ほが)らかに、客商売の挨拶を送って一行に手を振った。
 コイツと呼ばれた、肩に乗る小さな蜥蜴の骨。その頭を撫でる女店主の言葉を残して、カワウソたちは外へ。
 チラリと振り返ると、店主が下位骸骨の蜥蜴(レッサースケルトン・リザード)を「再起動」して、投影される映像を楽しみつつ、再びトンガリ帽子を磨くのが確認できた。
 ──あれと同じ感じのものを、都市の何人かが携行していたのを思い出す。特に、都市中心部だとそれが顕著だ。蜥蜴だけでなく、骸骨(スケルトン)(ラット)栗鼠(スクァーレル)(スネーク)蝙蝠(バット)(クロウ)……より大きいのだと(ウルフ)(フォックス)(オウル)(ホーク)なんかを、手や腕、肩や頭に乗せて、ものによっては足元に連れて歩いていた。骸骨だけでなく、木や金属で出来た、小箱やタブレット型の小さい動像(ミニ・ゴーレム)なども、それなりの数にのぼるだろう。
 なるほどと納得する。
 あれが通信網の「端末」を果たしているものか。

「それじゃあ、ラベンダのところに戻りましょうか」

 提案するマルコに連れられ、カワウソたちは来た道を引き返そうとした。
 その時、

「──ミカ?」

 ふと。
 自分のNPCが北方向の何処かを見つめていることに気づき、カワウソはその先を視線で追う。

「どうかし──ああ、あれですか」
「すごいですね、あの……王城?」

 マルコとヴェルも納得と共に、カワウソたちの横に並び、空の彼方を見上げる。
 天を衝くばかり高い塔。
 水晶の都のほぼ中心に建立されたと思しき建造物は、あまりにも巨大であることがこの場にいても容易に知れた。周囲に追随する水晶の摩天楼とは比べようもなく整えられた、至高の大建築。太陽の光に燦然と輝く真っ白な城壁は、高潔という言葉が非常に似合っており、まさに「王の城」であった。
 素直な感動にも似た思いをカワウソが抱きそうになるほど、この都市の光景というのは筆舌に尽くし(がた)いほど素晴らしい。

 ──ただ、一点。

 広場の街灯や建物から降ろされ(なび)く赤い幕旗が、アインズ・ウール・ゴウンのギルドサインを(いただ)いていなければ。




 




 何事もなく第四街区にまで戻ったカワウソたちは、相変わらず元気そうなラベンダと合流を果たし、特に問題なさそうな事実に安堵した。ひょっとすると治癒薬は無駄な買い物だったのかもしれないくらい、ラベンダは壮健そのもので、一舐めしたらそれ以上はいらないとばかりに顔をそらした。残った治癒薬は、ヴェルが大事そうに道具入れにしまうのをみると、自分が剣を何もない空間から出し入れしているのはどうなのだろうと疑問を覚える。特に気にした様子をヴェルもマルコも見せないことから、そういうアイテムがあるのだろうと思われているのかも知れない。
 ちょうど腹も空いた時間と言うことで、宿屋の食堂に入り込んだ。
 ラベンダについては、すでに店が食事を済ませてくれていたらしいので、心配はいらない。

 異世界の食堂は、何とも食欲をそそる芳醇(ほうじゅん)な香りに満たされていた。

 油が弾けるほどに焼けた肉の香り。焼き立てのパンのぬくぬくとした歯触りの音。塩や香辛料のきいた各種魚料理の(いろど)り。真っ昼間から酒精に酔う大人たちの雑然とした宴……それらすべてが、カワウソにとっては未知の体験だった。現実世界だと、長らく固形栄養や流動食ぐらいしか縁のない社会底辺者だったのだ。旧ギルドのみんなと過ごしたオフ会で、一度だけ経験したくらいの空気である。
 無論、飲食自体は装備を外した昨日の時点で空腹に耐えきれなくなり、拠点内の食堂で味わっていたが、微笑むメイドの視線を一身に浴びて、たった一人で晩餐会じみた長卓に座して味わうコース料理よりも、こちらの方がはるかにおいしそうな気がする。見た感じ、そんな特別な効果が宿ってそうにない、ただ「飢え」や「渇き」の状態異常(バッドステータス)程度しか癒せそうにない料理ばかりなのに。
 堕天使の胃袋が、一刻も早く飲食にありつきたいと(こいねが)ってきてやまない。カワウソは装備のおかげで飲食そのものは不要なはずだが、どうにも堕天使というのは食欲旺盛な種族なようだと納得する。
 オープンテラス──通りに面した、丸い木の卓に通された四人は、マルコのおすすめでドラゴンステーキを注文するが、ミカだけは食事を断固辞退して、場の空気が少し悪くなる。これはしようがない。最上級の天使であるミカは空腹というものを、状態異常(バッドステータス)の「飢え」や「渇き」を感じることはありえないこと。そもそも純粋な天使であれば、飲食そのものが不要なのだ。店員がおいていった“お冷”にすら口をつけようとしない。
 それでも、マルコはとりあえず四人分のオーダーを従業員(ウェイトレス)に頼んだ。
 テーブルマナーは、ヴェルやマルコの見様見真似。運ばれてきたドラゴンステーキを、カワウソは瞬く間に完食してしまう。肉質と脂の乗りが絶妙だった。副菜のサラダやパン、スープもすべてたいらげる。ミカに運ばれた分も、彼女の許可を取り、おかわりとして舌の上に味わい胃袋に納める。──考えてみると、前の食事から半日ほどが経過しているのだから、腹は空いていて当然とも思える。だが、身体が空腹を解消したいという欲求というよりも、未知の料理を味わいたいという衝動が(まさ)っていた気がするのは何故だろう。これも異形種の──堕天使の特性なのだろうか?

「そんなにドラゴンステーキがお好きで?」

 問いかけてくる修道女に、異様な速度で二人分の食事を終えたカワウソは、紙ナプキンで口元を拭ってから応じる。

「腹が空いていたから、な」

 カワウソの取り繕うような嘘に気づいた様子もなく、マルコは「自分のステーキも良ければ」と差し出してきた。

「……いいのか?」
「私はパンとサラダ、スープがありますので」

 遠慮するのもあれなので、カワウソは黒鋼(くろがね)のプレートのおかげでまだ十分に熱の残るステーキを貰い受けようとして、

「あー……」

 もう一人の相席者が、うらやましそうに眺めてくる声に気づいた。

「……食うか?」
「え、でも、あの」

 無言でマルコの分のステーキを、恥ずかしそうにしながら断固としてよだれが滴る無様をさらすまいと必死な少女──ヴェルの前に促した。

「……じゃあ、いただきますね」

 召し上がれとマルコに微笑まれ、ヴェルは既に空になった自分の皿を脇にずらして、新たに現れた分厚いステーキ肉の食感を堪能し始める。
 あらためて少女の、ヴェルの食事風景を眺めるカワウソは、その様子を見るだけで満腹になってしまいそうなほど実においしそうに舌鼓を打って瞼の端を潤ませている姿に苦笑してしまう。

飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)なのに、竜の肉(ドラゴンステーキ)を食べて平気なのか?」

 からかうような──その実、かなり意外そうな口調で呟くカワウソに、最後の肉片を噛み締めていたヴェルは、きょとんと眼を丸くする。

「んむ…………はい、大丈夫です。というか、割と慣れてますから」
「──慣れてる? 慣れてる、って?」

 奇妙なことを聞いた気がして、思わず問い続けた。
 少女はグラスの水を飲み干すと、準備していた言葉を連ね始める。

「私たち飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)は、場合によっては飛竜を食べます。老衰の末に死んだ飛竜も、戦いによって命を失った飛竜も……みんな、手厚く葬儀を行った後、食べるんです」

 告げる少女の瞳には、臆するところは一切ない。
 それが(おきて)なのだと……それが自分たち(ワイバーン・ライダー)飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)たらしめるのに必要なものだと、少女はまったく(いさぎよ)い調べで呟く。
 彼女は、場合によっては、自分の乗騎である飛竜をも食すと、冷厳に告げているのだ。
 少しだけ少女が違うものに思えるほど、その瞳には迷いがなく、また暗い感情も窺い知れない。
 カワウソは初めて、ヴェル・セークが背丈以上に成長した存在な気がし始めた。

「その代わり────?」

 言い募ろうとしたヴェルの言葉を、通りから響く喧騒が大きな波のように呑み込んだ。
 喧騒は波紋のように大通りに存在するすべての者に伝播され、ふと、ある程度までいくと深い沈黙に変貌してしまう。
 行き交う市民や観光客の集団は勿論、店内で飲食中の親子や卓を片付けていた従業員(ウェイトレス)まで、その場で片膝をつき始めるのはどういうわけか。

「皆さん」

 マルコの澄んだ声音に、ヴェルが何かを承知した。少女が慌てて席を離れて(ひざまず)き、マルコがそれに続くので、カワウソは二人の行動に(なら)った。
 だが、

「あれ……ミカ、さん?」

 ヴェルは自分の左隣に座っていた女性の姿がないことに気づく。少女の右隣に座っていたマルコも怪訝(けげん)な視線で周囲をかすかに見渡すが、徐々に大きくなる大量の足音を聞き、捜索を諦めるしかない。
 ……あとで説教するしかないのかと女天使の行動に呆れつつ、カワウソはテーブルの陰で跪きながら、大通りを整然と進む集団を窺い見た。

 人波が端にまで割れ、その中心を、何もかもが予定通りに決められていたかのように、
 彼らは突き進む。

 アインズ・ウール・ゴウンの紋章旗を掲げた死の騎士(デス・ナイト)
 紅に煌く眼の黒い一角の獣に跨り手綱を握る死の騎兵(デス・キャヴァリエ)
 都市を警邏のため練り歩き、交通機関の御者台に座っている姿が多かった二体のアンデッドモンスターの他にも、様々な不死者が列をなして、それらが一分の狂いもなく軍靴の音色を奏でている。
 彼らが守護するように、列の中段を飾るかのごとく煌く焔色の宝玉細工の輿(こし)が、豪奢な薄布の御簾(みす)で内部にある人影を、外部から完全に遮断している。八体の魂喰らい(ソウルイーター)によって丁重に運ばれる人物の仔細(しさい)は不明だが、あれだけの人いきれで賑わっていた通りが、水を打ったように静まり返っているところから察するに、かなり高貴な存在であるものと推測して然るべきだろう。
 やがて。
 行進の列は消え去り、世にも恐ろしい大名行列に平伏する市民らは、もとの暮らしを取り戻す。
 誰の顔も恐怖や不安という色は見受けられず、そうすることが至極当然な慣習として、受け入れられているようであった。まるで記憶が抜け落ちでもしたのかと思えるほど、全員が先ほどの「死の行軍」を話題にしない。幼い子供が「カッコよかった!」などと言ってはしゃぐのを、周りの大人が微笑み頷く程度である。

 これが、魔導国の日常、か。

「あ、あれ……ミカさん?」

 再び、ヴェルが消えていたはずの鎧の女を呼んだ。
 先ほど消え失せたように見えたミカが、何事もなかったように、椅子に座っていたからである。

「……なにか?」

 ほとんど睨みつけるような言葉で応じる女に、少女は二の句が継げなかった。
 今すぐ叱りつけたい衝動を何とか抑えつつ、立ち上がったカワウソは優先すべき情報の確認を急いだ。

「さっきの輿(こし)……誰が乗っていたんだ?」

 カワウソの視線を受け止めたヴェルは、同じ疑問を抱いていたのだろう。
 そのまま、国の事情に通暁していそうな残る相席者に水を向ける。

「ま、魔導王陛下、でしょうか?」
「いいえ、ヴェル様、そしてカワウソ様。あの輿は“参謀”閣下、デミウルゴス様の御息女様のものです」

 あまり市井(しせい)に赴く方ではないのですがと説明するマルコの言葉に、堕天使は反応しない。
 それ以外の部分で、カワウソは眉を(ひそ)め、聞いた内容を吟味(ぎんみ)するのに忙しかったから。

 第七階層“溶岩”の守護者──“炎獄の造物主”デミウルゴス。
 ナザリック地下大墳墓の最奥に近いだろう階層の赤熱神殿にて、プレイヤーたちを三つの変身形態でもって迎え撃ったLv.100NPCだ。


 そんなNPCの御息女──娘──それは、つまり……子ども?


 そんなことが、可能なのか?
 否、この異世界では、NPCたちも生きているようなものなのだから、そういう行為に至ることも可能なのかも。
 …………では一体、どれほどの強さの子を産めるのだ? Lv.100のNPCが産んだ子は、すべてLv.100に至れるとしたら…………これは、とんでもないことになるぞ?
 デミウルゴス自体は強力なパワーで敵対者を圧倒するのではなく、特殊な戦闘スタイルで搦め手を得意とするNPCだったはずだから、そこまで直接的な強さはないかもしれない。が、それでも、Lv.100やそれに準じるほどの強さを量産されでもしたら、どうあがいてもカワウソのような堕天使プレイヤーには勝ち目なんてない。
 カワウソのギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のLv.100NPCは、僅か十二。カワウソを数に含めても十三人しかいないのだ。それ以上の数を、魔導国が量産し保有しているとしたら。
 そういえば、同じLv.100NPC──シャルティア・ブラッドフォールン、アウラ・ベラ・フィオーラ、マーレ・ベロ・フィオーレも、あろうことかアインズ・ウール・ゴウン魔導王の“王妃”に列せられていると聞く。
 あの三人のNPC──「少女ら」も、同じように子を産めるとしたら?
 それ以外のNPC──コキュートスや、ナザリック地下大墳墓の未知なる階層や領域の守護者も、子を産んでいるのなら?
 何より、アインズ・ウール・ゴウン魔導王本人が侍らせる残り二人の王妃──アルベドという宰相や、ニニャという女性というのも、子を産んでいるのであれば?

「まさか──な」

 震える胸の奥に、痛みにも似た恐怖を覚えかけるのを、頭をかすかに振って霧消させる。

 ミカの視線が、苦笑するように首を振る主を──さらに、その向こう側──店内奥のカウンター席に()す二人の人影を捉えて、……ふいに興味を失い、そらされた。





 







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魔法都市・カッツェ -2

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.05





 




 食事を終えたカワウソたちであったが、食後のお茶を愉しもうというマルコの案には、乗らなかった。

「少し、街の様子を見てきたい」

 そう告げると、修道女は強く頷きを返した。
 何の気負ったところがない、純粋な善意しか、その微笑みには感じられない。
 だから、たまらず問い質してしまう。

「しかし、本当にいいのか?」
「──何がです?」
「マルコは……その、……四人分の食事代なんて」
「ああ、お気になさらず。貧しき人に施すことも、私の信じる道ですので」

 彼女の信仰心には本当に脱帽してしまう。脱ぐべき帽子など、赤黒い輪しかない頭にはのってないし、のせることすら不可能なのだが。
 しかしながら、女性に食事をおごらせるというのは、カワウソの常識に照らすなら、かなり抵抗感があって然るべきこと。何より、マルコはこの日初めて会ったばかりの、赤の他人だ。そんな人にいきなり何もかもおんぶにだっこというのは。

「ふふ。……そんなにお気になさるようでしたら、こういうのはどうです? 先ほど、リューさんの店で鑑定していただいた金貨。あの二枚を頂戴(ちょうだい)しても?」
「え……だが、あれは1000、ゴウン? くらいの価値しかないんだろ?」

 料理のメニュー表を眺めても、数字の羅列……っぽいのはあるにはあったが、やはり値段は不明だったカワウソだ。それでも、まさかドラゴンステーキ四人分が金貨二枚程度で済む額だとは思えない。ユグドラシル基準だと、少なくとも二桁の金貨が支払えなければ購入は不可能な素材なのだ、ドラゴン肉は。
 しかし、マルコは出会った時と変わらず、柔らかく微笑む。

「私は、もっと価値あるものだとお見受けしましたので──(わたくし)たちが出会った記念にもなるでしょうし」

 是非にと、そう言い含められては遠慮するのも躊躇(ためら)われる。さらに言うと、マルコにはカワウソたちへ都市の情報を快く供与し、ここまで導いてくれた恩もあったので、拒絶するのは礼を失するだろう。
 カワウソは新旧二枚のユグドラシル金貨を、マルコ・チャンの手に、しっかりと渡す。
 金貨二枚など、はした金もいいところだ。カワウソは何桁にも及ぶ金貨を手元に、拠点に、潤沢な量を残している。ここでたった二枚を失ってでも、マルコ・チャンの善意には報いたかった。

「ありがとう。恩に着る」

 心から感謝を口にするカワウソに、修道女は愛嬌のある笑みで応じてくれる。

「ここで待っておりますから」

 そう言って、マルコは気軽に手を振って、カワウソと彼の同行者──ミカを見送った。ヴェルはラベンダの様子を見てくると言い、それぞれが別行動を取るために別れる。大まかな集合時刻は、次の鐘の音が鳴る18時と定めて。





 




 堕天使と女天使は、目抜き通りのすみずみまで露店で賑わう市街の中、なるべく人通りがなさそうな方向に足を向けた。
 生命の営みが感じられる都市というのは、少し路地裏に入り込んだ程度で人の流入が皆無になることはない。その上、街をくまなく巡回警邏する死の騎士(デス・ナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)などもあって、すれ違うたびに湧き上がる警戒心から精神をすり減らされていく感覚は、本当にまいった。
 そうしていると、どうしてもこの魔法都市が平和で、安寧の時を生きる場である事実を、いやでも痛感させられる。
 すれ違う市民は誰も彼も、凶悪なはずのアンデッドが都市を行き交う光景を何とも思っておらず、子供らの団体が(たわむ)れるように死の騎士の腕や肩に飛びついたり、死者の大魔法使いのあとを行進したり……なんて光景も珍しくなく、それを見守る人々の姿も穏やかに過ぎた。
 集合住宅らしい建物の壁に背を預け、行き交う人波を、ただ、眺める。

 人間と亜人と異形。

 まさに、“理想郷”ともいうべき平和があった。
 無性に、かつてカワウソが所属していたギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)のことを思い出されてしまう。
 ギルド長の彼女が定めた方針の下、あのギルドには様々なプレイヤーが集っていた。
 人間・亜人・異形の垣根を超えたプレイヤーが十二人……異形種の、当時は純粋な天使種族だったカワウソも含めると、十三人ほどが集っていた、弱小ギルド。
 いやなことを思い出しそうになって、瞼が熱くなる。
 カワウソは眉間をおさえ、頭を大きく振った。

 隣に立つミカが心配そうに手を伸ばす気配を感じ、
 ──その手を、即座に掴み、とらえる。

「何をしようとした?」
「…………私は」

 カワウソは非難がましい声音で指摘する。

「おまえ、正の接触(ポジティブ・タッチ)を使っているだろう?」
「……それが、何か?」

 悪びれるでもなく、ミカはあっさり肯定した。
 天使種族の特殊技術(スキル)正の接触(ポジティブ・タッチ)”は、任意の対象──手などで接触した存在に対して、ある程度の回復効果をもたらすことができる常時発動(パッシブ)特殊技術(スキル)のひとつだ。接触する時間が長ければ長いほど、回復する体力(HP)量や多数の状態異常(バッドステータス)も治癒可能な「正のエネルギー」を多く与えるものであるが、一部アンデッドモンスターなどが保有する“負の接触(ネガティブ・タッチ)”と相克関係にあるため、そういった負の存在や、属性が悪に傾きすぎたものには、逆にボーナスダメージを与えることになる。天使種族では最上位に位置するミカの扱うこれは、“あるレア種族”の特性やスキルなどと相乗させることで、かなりの性能を発揮するよう、カワウソが徹底的に、自らの手で創り上げた。

 カワウソは、思い出さずにはいられない。
 あの、サービス終了の時……この世界に転移した直後。
 恐慌状態に陥ったカワウソの肩に、ミカの手が触れた瞬間に起こった、思考の鎮静化。



 



 ユグドラシルにおいて堕天使には、大きな「弱点」がいくつか存在する。

 異形種である堕天使が種族として保有する特徴などを、以下に列挙する。

 種族固有スキル“清濁併吞(せいだくへいどん)Ⅴ”の恩恵で、純粋な天使種族ではボーナスダメージとなる呪詛・闇・負属性への高い耐性を唯一獲得し、これによって高位階の堕天使は「呪詛、闇、いかなるカルマ値に依拠した攻撃や魔法、エリアなどでのペナルティやダメージをほぼ無効にする」ことを意味する。
 いわば……天使の絶対的弱点を克服した存在となりえるのだ。
 他にも天使種族の保有する特殊能力として、クリティカルヒット耐性、炎・風・電気属性ダメージ完全耐性、(ポジティブ)ダメージでの回復、聖霊魔法に耐性、「支配」「狂気」への完全耐性など。また上位物理無効化Ⅲ、上位魔法無効化Ⅲ、即死攻撃耐性も備わっている。それが堕天使という異形種の特徴である。

 反面、
 堕天使は「堕天した肉体」を持つが故の肉体ペナルティとして、
 斬撃武器脆弱Ⅳ、刺突武器脆弱Ⅳ、打撃武器脆弱Ⅲ、魔法攻撃脆弱Ⅳ、特殊攻撃脆弱Ⅲ、冷気ダメージ倍加、酸素必要、飲食必要(大量)などを被る。無論これらは、純粋な天使種族であれば、冷気ダメージ倍加以外は、かなり軽減・無効化できる弱点ばかりである。
 基礎ステータスも、純粋な天使種族からほぼ半減され、さらに強力な天使種族の攻撃能力を一部減退・制限されることにもなるのは、あまりにも有名な話だ。

 そうして。
 極め付けとなる、堕天使の最悪の弱点。

 それは──「支配」「狂気」系以外の──、状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ。

 この状態異常脆弱Ⅴは、言うなれば、毒・病気・睡眠・麻痺・空腹・疲労・窒息・暗黒──恐怖や恐慌──興奮や混乱などなどの、ほぼすべての状態異常(バッドステータス)各種に罹患(りかん)、影響を受けやすいことを意味する。
 たとえば、毒の沼地に行けば毒ダメージを負い、僅か数分で「中毒」を発症。さらに「猛毒」「劇毒」と状態異常の症状は悪化し、最悪の場合、体力(HP)が0となり死亡。勿論、状態異常を回復する専用治癒薬(ポーション)や、そもそも毒を無効化する装備を身に帯びていれば、とりあえずの問題は解決できる。だが実のところ、異形種でそんなにも状態異常に罹患し、症状が数分で悪化するなんて言うのは極めて稀だ。たいがいの異形種はそういった状態異常とは無縁であることが普通。人間種でも、職業(クラス)レベルをカンストさせれば、ここまで状態異常に脆いものはいなくなるはず。
 純粋な天使であれば、むしろこういった状態異常とはほぼ無縁でいられるもの。天使種族の中で、唯一的に堕天使だけは、そういう弱点を与えられるのである。この点だけを見ても、下手な人間種のプレイヤーよりも遥かに扱いにくく、取得するプレイヤーがどれだけ奇矯かつ奇異な存在に見られていたかがわかるだろう。
 カワウソが転移直後に「恐怖」し「恐慌」し「混乱」してしまったのも、この弱点が大いに影響を及ぼしていたのかもしれない。

 ちなみに。
 一応、天使種族である堕天使は「支配」と「狂気」にだけは完全耐性を有しており、これは即ち『堕天使とは、神の“絶対支配”下にある“狂信”者』であるが故のものにすぎない。堕天使は「支配」と「狂気」の状態が基本であり絶対なのだという考え方であり、堕天使固有の耐性・特殊能力に列挙されるものだ。

 無論、これだけ大きな弱点を、そのまま抱えたままにしてはいられないため、カワウソはそれ専用の対策も、装備でどうにか克服──もとい、大いに『利用』している。

 しかし、この装備は強力な神器級(ゴッズ)アイテムではあるが、自分の内側から生じる状態異常──特に「恐怖」や「疲労“感”」などについては、この世界では特に効果を発揮していないようなのだ。
 ──冷静に考えてみれば、当然か。
 カワウソの(いだ)く恐怖も疲労感も、すべて彼の内側から生じる“感情”であり、外部からの直接攻撃というわけでは、ない。
 カワウソは自らの置かれた状況に恐怖し、思考の渦に精神を疲弊してきている。
 それが、カワウソが獲得し、異世界転移の経過(これまで)で実感している「堕天使」という種族なのである。



 



 あの時の、転移直後の接触から始まり、彼女は……ミカは事あるごとに、カワウソの恐怖や混乱などの状態異常(バッドステータス)を掻き消していた。そう気づかされた。
 アインズ・ウール・ゴウン、魔導国の名に取り乱し、剣を振るった時。
 マルコ・チャンがこの大陸における常識を、語って聞かせてくれた時。
 ──そして、今。
 ミカは尊大にも聞こえるほど冷酷な声と瞳で、反論する。

「この力は、あなたがお与えになったものですが──どう使おうとも私の自由では?」

 確かに、その通りだ。ミカには「勝手な行動はするな」と言ってしまったが、常時発動(パッシブ)特殊技術(スキル)のオンオフまでどうこうしろとは命じていない。無理矢理に人に当てはめるなら「呼吸するな」と言われて実行できないのと同じだろうか。
 カワウソは反論しない。
 反論する意味も、ない。
 代わりに、問いかける。

「……それは、使い続けても大丈夫なのか?」
「問題ありません」
「……本当に?」
「はい」

 確信をもって頷く女天使の碧眼が、実に頼もしい。

「そうか……」

 諦めたように、カワウソは彼女の右手を解放する。

「なら……いい」

 ミカは痛めたはずもないだろうが、主人に掴まれた手をさすりつつ、視線を落とす。
 常時発動(パッシブ)といっても、攻撃の際などにオンオフが選択可能な仕様だったのだから、金輪際(こんりんざい)、カワウソに対して発動するなと命じること自体は出来るだろう。
 だが、それだと緊急時の回復手段が減ってしまうということ。ミカ本人が言うところを信じれば、カワウソはほぼ無限に近い回復手段を持っていると考えても、問題ないことになる。これは、実にすごいことだ。かつてのソロプレイ時代から考えると、ミカというNPCが自立行動し、外の世界で護衛についているというだけでも、戦闘において破格のアドバンテージを保有することを意味する。
 ──もっとも、その回復のためには、ミカの手などがカワウソに“触れて”いなければならず、またミカに設定した『嫌っている。』がある以上、どう転ぶか分かったものではないが。
 ──もしも、カワウソが回復をせがむ余り、ミカの我慢や嫌悪感が限界に達し、暴走することになるとしたら?
 そう考えると、あんまり使わない方がいいのかもしれない。
 だが、使えるのなら使うべきだと、判断していいはずだ。

『し、失礼します、カワウソ様』

 ふと、頭の中に聞き慣れた観測手(オブザーバー)の、拠点にいる少女の声が、〈伝言(メッセージ)〉の魔法によって届いた。

「マアトか。どうした?」
『あの、それが、わ、ちょ、ガブさん待っ……えと、み、皆さんが、その』
「皆? ──皆って」
「カワウソ様、〈全体伝言(マス・メッセージ)〉をマアトに」

 ミカの無表情に言われるまま、マアトに魔法を使うことを許可する。

主様(あるじさま)! 御無事で!』

 途端、マアトとは違う女性の声が、頭の中に大音量で響く。
 拠点を幻術などによって隠蔽防衛する精神系魔法詠唱者にしてパワーファイター──銀髪褐色肌の聖女──智天使(ケルビム)Lv.15である隊長補佐が、声を荒げるままの音量を奏で吠える。

「ガブ、か? ……どうした? そんな声を出して?」
『先ほど、御命令に従い、主様の破壊した森の修繕にアプサラスと向かったのですが──おかしいです!』
「ちょ、え、なにが?」
『ガ、ガブさん、あの、落ち着いて』
『ごめんね、マアト。でも落ち着いてなんていられないわ!』

 ガブは金切り声じみた高音で先を続ける。

主様(あるじさま)。記録映像を拝見しました。マアトに通信と観測を中断させる前、主様が破壊した森なのですが!』
「それがどうし…………あ」

 そういえば。
 マアトに監視させていたタイミング的に、カワウソが破壊した森は最初に放った“光輝の刃(シャイン・エッジ)Ⅴ”の一撃くらいだと認識されていただろう。しかし、実際に破壊された森の荒れ様……カワウソが混乱と動揺のまま両手の剣で森を蹂躙し尽くした場面は、マアトの知るところではなかった。
 にも、かかわらず。
 実際にはさらに強力かつ暴力的な戦闘痕を残す森があったとなっては、彼女たちが疑念してしまうのも無理はない。
 マアトの見ていない間に「何かがあったのでは?」と惑乱するのは、十分あり得る誤差ではないか。

「ああ、えと──すまん。あれは、何というか」

 どう弁論しようかと悩むカワウソに“気づかない”まま、ガブはまくしたてる。
 とんでもないことを報告し始める。



『あの森、どこも破壊されておりませんでした!』



 言われたことが、瞬時には理解できない。

「────は?」

 言われたことがようやっと脳に染み込むのと同時に、堕天使の思考に、さらなる空白が生じる。

『マアトも見ていた、御身の特殊技術(スキル)の一撃で消滅した森の一帯は、完全に、元の状態に修復されていたのです!』

 こんなことありえませんと、隊長補佐は吠え続ける。

『私どもは至急転移で向かいましたところ、森がそのように復元されていることが確認できたのです。主様の使用した、野営アイテムの避難所(シェルター)は健在でございました。で、あるならば、あの森は勝手に再生する魔法や特殊技術か、〈時間遡行〉などの影響を受けている可能性が高いと推察できます!』

 普通の森だと思っていた場所が、そうではなかったことが判明した。
 カワウソが恐慌のまま更地にしたはずの森が、マアトが主人らの転移に合わせて監視態勢を移行したことにより、森からは目を離さざるを得なかった結果──いつの間にか元の深緑の大地を構築していたというのだ。
 これは、ありえない。
 あの森に特殊なフィールドエフェクトは存在しなかったはず。
 少なくとも、カワウソやミカが赴いた時点では、これといったマイナスやプラスの効果を受ける感覚はなかったし、最初にあの森に到達したNPC三人が採取し調査できた草木というのも、これといった異常や特徴は見受けられなかった。時間が遡行する──「巻き戻る」なんて大魔法が働いていたら、時間魔法対策を備えるカワウソたちに影響を及ぼさないとしても、それ以外の存在……特にヴェル・セークや追跡部隊などはもろに影響を受け付けていないとおかしすぎる。時間系の干渉や事象があることはないと見て、ほぼ間違いないだろう。

 なのに、一日もせず自己再生する森が存在するというのは、……つまり、どういうことだ。

 しかも、野営アイテム……地下避難所の周囲一帯を薙ぎ払った規模の破壊を、数時間足らずで。
 この世界独特の植物の成長速度の法則が? あるいは何らかの魔法で──天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に属するものとはまったく違う森祭司(ドルイド)が育成した結果、とか? しかし、そんなことが実現可能なのか? この世界独自の魔法や、アイテムの影響が? 考えてみると、あの森には生命らしい生命を確認することができなかったのも奇妙ではないか? あまりにも疑問が多すぎる……

「…………沈黙の森…………空白地帯」

伝言(メッセージ)〉の魔法越しに、全員が虚を突かれたように押し黙るのに気づかず、カワウソは誰かから聞かされた単語を反芻する。
 それはあの修道女──マルコが語った、森の名称。
 それがカワウソにとって異質な響きを帯び始める。
 彼女が呟いていた言葉を、可能な限り、思い出す。

  (いわ)く、スレイン平野は、禁忌の地────
  曰く、守護者様に、大罪を働きし者共の────土地────

 ゾッ、とする可能性が、背筋を幾本の刃となって突き刺した。
 心臓が握りしめられてしまったように、苦しみを訴え始める。
 自分たちが、巨大な掌の上で転がる様を幻視せざるを得ない。

主様(あるじさま)……一刻も早く、ミカと共に御帰還ください!』

 鋼鉄のように硬い声で、意見具申するガブの声に耳を傾ける。
 だが、



「──戻って、どうしろと?」



 カワウソは冷静に、冷徹に、ガブの進言を棄却していく。
 理由は、宿屋に残したヴェルとマルコに心配をかけるだろうから──では、ない。

籠城(ろうじょう)でもするのか? この大陸を支配する存在に対して? たったひとつの城しか持たない俺たちが、か?」

 暗い声で紡ぐ現実に、ガブはそれ以上、抗弁する意気を見せず押し黙る。
 これは、彼女の理解力が深いことを物語っているとみるべきだろう。
 (くだん)のギルドと、カワウソの創ったギルドの戦力比を(かんが)みれば、持久力を要求される籠城など、無意味である以上に、緩やかな自殺行為にしかならない。

「マアトから聞いていないか? ──この大陸は、あのアインズ・ウール・ゴウンの支配下にある、と」
『……はい。聞きました』

 どうにも、ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCたちも、ユグドラシルのギルド:アインズ・ウール・ゴウンのことは知悉(ちしつ)しているようだ。ヴェルから最初に聞いたその名前に、拠点NPCの長であるミカが一早く反応できていたのだから、他のNPC──ガブたちも知ってはいるのだろうと予想は出来ていた。
 これは、カワウソが彼らをそれぞれ作った際に定めた設定文の影響か、あるいは円卓の間などで眺めた動画(ムービー)から知識を得ているのか……または両方によるものか、判然としない。
 いずれにせよ、NPCたちも、カワウソの復仇(ふっきゅう)の対象であるものを知覚し、認識し、理解できてはいるらしい。
 隣に立つ黄金の女天使は、カワウソの言に反駁(はんばく)することなく、そこに佇み続ける。

「──戻ったところでどうしようもない。であるなら、少なくともこの大陸の、この世界の、実情と現状を把握し、今後の活動方針を確かにする必要が、ある」

 そうとも。
 まだ決定的な状況であると確定したわけではない。
 監視の目がどこそこにあるとか、明らかに拠点へ侵攻しようという軍勢が現れたわけでもないのだ。

 まだ、まだどうにかできる。
 どうにかする猶予が、ある。
 そう信じるしかないだけと言われれば、そうだとしか言えないだろう。
 それでも、カワウソはその可能性に、賭けるしかないのも事実だった。

 戻って対策を協議する暇があるのなら、少しでもこの世界の、この大陸の──この魔導国の情報を集積し、いかなる対抗策があるのか……あるいは、ないのか……調べなくては話にならない。
 籠城など論外だ。
 カワウソの保有する戦力は「ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)」拠点レベル1350の地下潜伏型のギルド。Lv.100NPCは十二人。Lv.35が四体。Lv.1が十人のみ。課金アイテムはかなりの量を私蔵しているが、そのすべてを手元のアイテムボックスに入れることは不可能。というか、割と微妙系アイテムが大半な、課金ガチャの外れ景品みたいなもので、使えるかどうかも怪しい。
 カワウソが保有する世界級(ワールド)アイテムは、この身に1つだけ装備されているそれのみ。

 ──対して。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウン──および魔導国の戦力は、ひとつの大陸全土に及ぶ臣民。いかなる技術でか不明だが、時間制限なしに保有する大量無比なアンデッドモンスターの数々……概算で数万規模。さらに、少なくともLv.100NPCが五人。他にも高レベルモンスターNPCが多数。「ナザリック地下大墳墓」の、ランキングデータを参照した拠点レベルの情報は2750……最大が3000ともなる拠点レベルに、あとわずかで届くという、十大ギルドの座に君臨するにふさわしかった、強大なダンジョンであったのだ。
 そうして、世界級(ワールド)アイテムの保有数は、桁違いの11個……のはず。
 この世界独自のアイテムや魔法、さらには、カワウソの知り得ない新たな世界級(ワールド)アイテムも有しているとしたら……

「……馬鹿馬鹿しいな」

 これだけ戦力に違いがある相手に籠城を決め込めば、一方的に蹂躙されるだけだろう。圧倒的な物量戦で押し潰されることは明々白々。
 数万のアンデッドモンスター……それは、下手をするとその存在自体が、専門の超位魔法か、世界級(ワールド)アイテムによる召喚攻撃に匹敵する戦力であり暴力だ。さらに、桁が一つ二つ増えれば途方もない。いかに雑魚とはいえ、100万の軍勢に無双できるほど、Lv.100という存在は万能ではないだろう。体力(HP)魔力(MP)が尽きれば、死あるのみ。蘇生アイテムや蘇生魔法が使えなければ、それまでというわけだ。全方位から拠点に強襲をかけられたら──とてもではないが、想像を絶している。100万の軍勢なんて、ユグドラシルの十二年という長い歴史上でも、果たしてどれだけ実行された規模の攻撃だというのか。
 その矛先に、自分自身が晒されると考えただけで、肺腑が凍る。
 しかも、カワウソのギルド拠点は、現在は吹きっさらしの大地の中心で、鏡一枚だけを出入口にしている状況を思い出すと、嫌な可能性が想起される。

 システム・アリアドネ。
 ユグドラシルのゲームシステムにおいて、ギルド拠点への侵入を完全に防ぐような措置――たとえば、絶対に拠点を攻略されないよう出入口を完全封鎖するために、“都市”であればすべての門を閉じ、すべての壁を侵入不能にし、すべての空を〈飛行〉不能にする。“地下城砦”であれば地表との通路や転移装置などを破壊するなど──を拠点製作時に施したギルドに、運営がペナルティを与えるものだ。
 ギルド拠点となるダンジョンは、入口(スタート)から心臓部(ゴール)までを一本の糸で繋がねばならない。どんなに難解複雑な迷路を建造しても、誰も終点にたどり着けないものでは、インチキ過ぎる。システム・アリアドネは他にも内部を歩いた距離に比例して、どれほどの扉を設置せねばならないなどの制約を、事細かくユーザーに定めていた。ちなみに、課金などの方法で、ある程度は魔改造を組み込むことは、一応可能ではある。
 このシステムに著しく違反したダンジョンが創設された場合、そのギルドにペナルティとして、ギルド資産が一挙に目減りする現象が発生。
 拠点を管理維持するために必要不可欠な財貨が尽きてしまえば──あとは、言わなくてもわかるだろう。

 ここは、ユグドラシルではない。
 だが、可能性は、なくはないだろう。
 システム・アリアドネが機能しているかは不明だが、他のユグドラシルの法則が適用されている世界で、同じようにアリアドネも機能していたら……あの〈転移鏡(ミラー・オブ・ゲート)〉を破壊されただけで、カワウソたちの拠点はペナルティを被ることになるかもしれない。
 そして、この異世界にはユグドラシル金貨は流通しておらず、モンスターからのドロップも期待できない以上、拠点内にあるアイテム換金のためのエクスチェンジボックス──通称“シュレッダー”を、商人のレベルを持つNPCに使わせて獲得するしか、他に手がない。
 あの初期からある鏡の他にも、転移用の鏡を増設した方がいいかもしれないか。
 思ったカワウソは即決する。

「ガブ。早急に第四階層の金庫にある〈転移鏡〉を三つほど用意しろ。予備の出入り口として、起動するように手配を」
『よ、よろしいのですか? 出入口が合計四つとなると、敵に侵入される(おそれ)が増大しますが?』
「……入口が今のままでは、破壊された際の被害がとんでもなくなる。防衛と隠蔽の対象が増えて負担だとしても、最低でもひとつは、予備を設置しておかねばならない。鏡の直衛は、現状の二匹体制を一匹体制に減らして、二つの鏡を六時間交代で護衛させるようにするんだ」
『──かしこまりました。しかし、シシやコマたちは疲労しませんが、一体ずつのみでは、有事の際には不安が残るのでは?』

 動像獣(アニマル・ゴーレム)の彼らは、拠点防衛のために有用な守護というよりも、“警報”を期待して作った存在だ。この大陸を(ひし)めく雑魚アンデッドと互角に渡り合うことは出来ても、それ以上の強者に会敵しては無力極まる。彼らの“最終手段”を使えば、格上の存在にもある程度の威力は期待できるが、それでも二桁の敵対者を前にしては、容易に突破されるだろう。

「それならば、カワウソ様。我等の拠点防衛隊の内、二人ほどを鏡の護衛につけることを提案いたします」

 防衛隊隊長であるミカの提案に、補佐のガブも同調する。

「うん……とすると、誰がいいか」

 補助役(サポートタイプ)の二人、マアトとアプサラスは除外。防衛と隠蔽の魔法を発揮するガブも、拠点内に籠らせるべきか。カワウソは、他のNPCに設定したレベルや保有スキルを、ひたすら思い出していく。

「……鏡の護衛や、急襲時の時間稼ぎに使えそうなNPCは、前衛タンクの防衛隊副長・ウォフと、斥候としての感知能力を持つタイシャが適任……か?」
「ウォフは前衛としての戦力に信頼はおけますが、タイシャは、あまり通常形態でのパワーは期待できません。この二人を別個に護衛に就けるのはお勧めできませんが」
「……誰も別個につけるとは言ってないぞ?」

 疑念するミカに、カワウソはとりあえず告げる。

「二人一組で、初期設定の転移門周辺を護衛させる。予備の方に、シシやコマたちを配置する。悪いが、さっき言った一匹一匹体制は撤回だ。防衛隊のNPCが使えるとなれば、より防衛はしやすくなるだろうからな」
「それは、どういう……」

 カワウソは、疑念し続けるミカに向け、左右両手の人差し指をたてて示した。

「ここに二つの進入路がある。一方は屈強な番人が二人いて、もう一方は貧弱な獣が二匹いるだけとしたら、ミカなら、どっちに進む?」
「──そういうことですか」
『どういうこと、ミカ?』
「予備の方を囮にし、そちらから侵入しようとするものを、狩る」

 ミカの言は、カワウソの思う策そのものであった。
 シシとコマたち……明らかに弱い小動物然とした方に敵を誘引し、ひっかかった連中を逐一打破していくという、かなり基本的な策略である。動像獣たちには悪いと思うが、もともとの運用方法が似たり寄ったりな感じなので、大丈夫だと思いたい。思うことにするしかない。
 何より、ミカやガブたちも、その案に対して忌避感を抱いている節は見受けられなかったのも助かった。
 同種族でないから無視できるのか、あるいはシシやコマたちの役割や思考体系を熟知しているからなのか……たぶん後者だと思われる。
 交代要員として、瞬間火力と広域殲滅力で最強の魔術師(メイジ)であるウリと、多くの長距離戦用兵装を有する兵士(ソルジャー)のクピドも、予備としてつけておいた方がいいと判断しておく。あいつらであれば、一応は二桁から三桁の雑魚モンスターに攻め込まれても、迎撃し時間を稼ぐくらいのことは可能だろうから。
 ミカは目の前で顎を引き、〈伝言(メッセージ)〉越しにもガブが肯定の意を示す。


 無論、その程度の対策で万全とは言えない。


 誰にも知覚できない超長距離から狙撃されるとか、あまりにも大量の軍勢に攻め寄せられたりしたらとか──無数の問題点を抱えている。そこはマアトの監視や、ガブの防衛力に頼むしかないが……あの二人の魔力だって有限である以上、どこかで隙が生じるだろう。いざ戦闘になった際の治癒係(ヒーラー)も残しておく方がベストだと考えると、イスラも拠点に残留させるべきか。
 こちらの交代や休息時……その時をこそ狙いすましてくる連中がいれば、NPCたちの全戦力を傾けて迎撃するほかない。
 そういった迎撃体制を整えるためにも、情報収集と異世界探索は継続し、かつ、早急にやり遂げねばならない。
 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の情報。魔導国が確実に動かせるだろう全兵力。この世界独自の魔法や特殊技術(スキル)、高レベルモンスターの有無。ユグドラシルと同じ法則と──異なる法則の検証と実験。
 これらすべてを把握するには──

「手が足りない……か?」

 拠点防衛のために、残しておくべき戦力は六体以上に微調整。
 ガブ、ウリ、イスラ、ウォフ、タイシャ、マアト、アプサラス、クピド……合計八体。
 魔導国の実態と実情を調べるメンバーを選抜する必要性に迫られる。
 残る四体のNPC……ミカ、ラファ、イズラ、ナタ……を使うより他にない。
 幸いというべきか、残っている四体のNPCには、そういった隠密性などに秀でたレベルや装備を保有、所持可能な存在が多数をしめている。だが、それだって絶対安全とは言い切れないだろう。

 ないない尽くしで嫌になってくるな。
 だが、弱音や愚痴など無意味なことは、歴然とした事実。

 二人の感知をすり抜けようとする敵がいた場合、動像獣部隊(シシやコマたち)を緊急対応的にぶつけて様子を見るか……いや、相手が友好的に事を進めるタイプであれば……って、入口に隠形して近づくというのは、どう考えても敵でしかないはず。
 ……否。
 カワウソたちはまがりなりにも、一国家の土地に転移してしまったのだ。スレイン平野がどうして「禁忌の地」なんて称されているのか知ったことではないが、カワウソのギルドは、魔導王という人物の土地に勝手にお邪魔しているような状況である。警戒して近づいてくる調査隊というのも、十分にありえる話ではないのか。

「いずれにしても、一刻も早く、情報を集めるしかない」

 己に言い聞かせるような調子で、今後の方針を確固たるものとする。
 ミカやガブたちも首肯の気配でもって応じてくれた。
 拠点の防衛を密にしつつ、いざという時の保険も用意し、なおかつ、自分たちがこの世界で生きていくのに必要な措置を講じねば。
 こそこそ隠れることはソロプレイ時代からの慣習だったので抵抗などないが、果たして一体、どのようにして生きていけばよいのか、まるで想像もつかない。

 自分たちから望んで連中に──魔導国に下るか?
 しかし……あのPKやPKKを繰り返していたDQNギルドが、自分たちのような存在を受け入れるものなのか?

 たった二つながら、それ故に厳しい“加入条件”を課していたことによって、その内実を知るユーザーはほとんどいない。時折、ギルド長のモモンガがユグドラシル内で取材に応じていたことがあるぐらいで、彼らが何故そこまで「悪」にこだわるロールプレイに傾倒したのかは、長らく謎であった。
 ゲームのサービス終了日にはランキング29位に……最低だと48位まで落ちていたこともあったか……細々と名を残していた程度で、構成メンバー41人中40人、ほぼ全員のINが確認されなくなって久しかった。唯一、定期的にスレなどで「ギルド長(モモンガ)の姿を見た」という情報が時々ある程度。

 しかし、だ。
 普通に考えるなら、あのギルドはかなり健闘した方なのである。

 ギルド最大構成員数100名であるにも関わらず、その半分にも満たない人数で、十大ギルドに名を連ね、世界級(ワールド)アイテムを桁違いの数保有した、伝説の存在。メンバーのほとんどが辞めた状態だとしたら、終了日で29位というのは、途方もない大健闘だと言っても過言にはなるまい。
 これは彼らアインズ・ウール・ゴウンだけではなく、全盛のころのユグドラシルに存在したギルドのほとんどが同様の末路をたどっている。中にはメンバー全員が引退するのを機に、保有していたレア装備の払い下げが盛んに行われ、カワウソが保有する神器級(ゴッズ)アイテムの大半がその時に購入したものばかり。
 かつては四桁……大小強弱を問わず、1000を超えるギルドが(しのぎ)を削っていたユグドラシルも、末期にはギルド解散や消滅が相次ぎ、その総数は800弱にまで減退していたのだ。
 こういうのを何だったか。
 (つわもの)どもが夢のあと、だったかな。

「……マアト」
『は、はい!』
「ヴェルとマルコたちの推定レベルと……街道にあった看板の文字、解読の方は?」

 終わっているか(たず)ねると、少女は肯定の声を紡いだ。
 ヴェルはLv.20前後という結果で、やはりユグドラシルの前提条件を満たしておらず、その乗騎となる飛竜にしても、Lv.20相当のモンスターであると試算された。
 だが、

『マルコさんは、申し訳ありませんが、その、測定できませんでした』
「……マルコ、だけが?」
『たぶん、何かのアイテムか装備の影響だと思うのですが、これ以上は、その、直接見て確かめる以外の方法がなくて……すいません』
「気にするな、マアト」

 マルコについては要注意ということが判明しただけでも、彼女の鑑定結果の功績は大きい。現地人でも、情報系対策は万全に備えているのかもしれないという事実が、カワウソの意識をより引き締めてくれる。
 マアトは続けざまに、街道にあった立て看板の詳細を報告してくれる。
 解読できた文字列は、以下の三つ。


「第一魔法都市・カッツェ。
 ~絶対防衛城塞都市・エモット、アゼルリシア領域への中継地~」

「冒険都市・オーリウクルス。
 ~第二魔法都市・ベイロン、中央都市領域への中継地~」

「第一生産都市・アベリオン。
 ~空中都市・エリュエンティウ、南方士族領域への中継地~」


 実に看板らしい、簡潔な案内文であった。
 そして、そのどれもが、カワウソの知らない単語……都市の名前であった。
 この内の魔法都市・カッツェという土地に、現在カワウソたちはいるわけだ。

「……他の都市にも──情報偵察に向かうべき、か」

 その必要性は十分あるものと考えられた。
 カッツェという魔法都市は、実に穏健な人々の営みで溢れているが、それ以外だとどうなっているのか、純粋な好奇心が湧き起こる。
 冒険者の都という土地はどのようなものか──第二魔法都市というのは、このカッツェとはどう違うのか──生産都市とやらの役割とは何か──領域と呼ばれる土地とは──他にもあるのだろう、さまざまな都市や土地のありようは、どれほどカワウソの心を捉えてくれるのか……知りたかった。
 何より、ナザリック地下大墳墓を擁するという城塞都市──「絶対防衛」を謳う“エモット”なる都がどんなものかは、非常に興味深い。本当に、この世界にナザリック地下大墳墓があるというのであれば、実際に見て確かめておきたい衝動を抑えきれない。
 わざわざワールドを移動してソロ攻略に長いこと挑んできたカワウソにしてみれば、目と鼻の先といってもよい距離感ではないだろうか。
 何より、この世界にはグレンベラ沼地のような、強力な毒ダメージなどがないだろうというのは、それだけでかなり難易度が下がる。沼地は毒ダメージのみならず、面倒な蛙型モンスター……ツヴェーグ系の群れなども多数出現し、本当に攻略難易度を引き上げてくれたもの。酷い時は一日費やして、大墳墓の表層にすらたどり着けないこともありえたのだ。……カワウソ一人では。『敗者の烙印』を押されたプレイヤー、ただ一人では。
 勿論、この異世界でナザリックを直接防衛する都市というからには、この都市ほど潜入など容易ではないだろうと思われる。侵攻など不可能かつ無理な警備体制である確率は高いだろう。そうでなければおかしい。
 調べてみないことには判然としないが、城塞都市というからには、本当に城塞が聳えるように建立されていても、なんら不思議ではない。下手をすると、上位アンデッド……蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に代表される高レベルモンスターのみで構築された防衛部隊が鎮護していることも、可能性としてはありえると判断しておく。
 カワウソはミカ以外の、調査に適しているだろう三体のNPCの名を呼ぶ。

「ラファ、イズラ、ナタ」
『はい、我が主よ』
『どうかしました?』
『何事ですか、師父(スース)!!』

全体伝言(マス・メッセージ)〉によって繋がっていた──しかし儀礼的に沈黙していた彼ら三名に、カワウソは命じる。

「おまえたちには、各都市とやらに出向いて、魔導国の人たちの暮らしぶりなどを調べてきて欲しい」

 隠密裏に行うことを厳命され、一も二もなく、三人はそれぞれが承服の言葉を紡ぐ。

「そして、ミカには悪いが……引き続き、調査に赴く俺の護衛を勤めてもらう」
「お待ちを…………拠点に、戻るつもりはない、と?」

 堕天使はミカにきっぱりと頷く。調査には自分自身も使わねばならないと、厳かに告げる。
 魔法越しに、NPCたち全員が驚愕の声をあげる様が響くが、構わない。

「ミカにも言ったことだが……俺一人がのうのうと、ギルドの奥に留まっていることは出来ないのが現状だ。そのことを、おまえたちにも理解してほしい」

 告げる主人の声の硬さに納得してくれたのか、全員からの抗弁が途絶える。
 主人(カワウソ)を嫌悪しているミカであるが、その性能──防御力と治癒力は、必ずカワウソに利するはず。ギルド最高の叡智を備えるという設定も便利に扱うことができれば、尚良しだ。
 ──さらに。それとは別の打算もいくつかあるにはあるが、果たして彼らは、カワウソの異なる企みに気づいているのか、いないのか。

『しかし、カワウソ様。せめて、護衛をもう一人くらい付けた方がよろしいのでは?』

 そう最後に意見具申するガブの声音は、真摯にカワウソの身を案じていると判るほど柔らかく暖かだ。
 マアトはこの後、ギルド防衛のための監視体制拡充のために働く。
 そのため、これまで通りのリアルタイムな観測手(オブザーバー)は、作業量的に無理があると判断されて当然だった。カワウソは真実、ミカと二人で異世界を闊歩(かっぽ)せねばならなくなる。
 二人一組で調査に赴くよりも、三人一組の方が、主人の護衛は万全に保たれるという意見であって、別にカワウソ本人やミカの能力を疑っているわけでないことは、その声音から窺い知ることができる。
 その優しさが痛いほど胸を苛む。
 だからこそ、カワウソは、言う。

「……問題、ない。ミカと俺なら、とりあえず戦闘に不備が生じることはないだろう」

 本音を言うと、ギルド最強の攻撃性能を与えた花の動像(フラワー・ゴーレム)・ナタも連れていければ、基本戦闘のパーティーとしては完璧なのだが、調査隊を減らしてまで攻撃力に特化した──ギルドにおいて「最強の矛」たる存在を連れ歩く意味は薄いと判断する。むしろ、彼の能力ならば、「単独」でLv.100の存在と一対一で相対しても、圧倒できるだろう。自分の拠点の第一階層の守護を任せ、最終戦である第四階層にも動員できるよう特別に作った存在の強さは伊達ではない。
 自分の身はかわいい堕天使であるが、だからこそ、調査隊の数と質が、今後の運命をわける状況であると納得もできている。
 調査は合計四つの班。
 ラファ、イズラ、ナタ、さらにカワウソとミカの四チームで挑むことが決定した。
 承知の声を真っ先にあげる隊長補佐、智天使(ケルビム)の聖女に向かって、カワウソはある事実を確かめておく。

「ガブ……おまえ確か、〈記憶操作(コントロール・アムネジア)〉が使えた、よな?」

 無論ですと、ガブは誇るように応じる。
記憶操作(コントロール・アムネジア)〉系統は、精神系魔法に特化したレベルをいくつか保有する彼女であればこその魔法だ。
 それを使って、ヴェル・セークの記憶をいじれば、とりあえず自分たちと初遭遇した際の不審点──魔導国の実情を知らないこと、転移魔法を軽く扱えてしまうこと、など──を帳消しにできるだろう。わざわざ少女の命を摘み取るよりも穏健な解決方法が見いだせて、カワウソは大いに安堵の吐息を漏らしてしまう。

「とすると……ガブには一度、こちらに来てもらう必要があるか」

 魔法の向こう側で首を傾げているらしいガブに、カワウソは言った。

「──ありがとな、ガブ。心配してくれて」
『か、感謝されるなんて! と、とんでもないことです!』

 泡を喰ったように応対する声が耳に心地よい。
 ガブの好意と厚意に甘えつつ、そんな自分の軽薄かつ仄暗い(はかりごと)に吐き気を催す。
 他の──ミカ以外のNPCから感じられる敬意や尊重、(あるじ)に対する信頼や親愛を、カワウソは裏切っている。利用している。自分が生き残りたいがためだけに。
 これが、堕天使のあたりまえな思考なのか。
 もしかすると、自分の本性そのものなのか──まるで判然としない。
 あまりにも情けなくて吸い込む空気が重く、不味(まず)い。
 自分の中身がドロドロに濁った汚れに満ちているようで、気分が悪くなる。
 そうして、カワウソは自分以外に調査に赴く三人のNPCに、諸注意としてのルールを定める。ガブたちにも再三にわたり、ギルド拠点の防衛と対策を密にするよう命じると、魔法を断ち切った。

「ふぅ……」
「カワウソ様」

 限界だった。
 軽く笑ってみせるが、胸の奥が震えて、しようがない。

「何、なんだろうな……この世界は」
「──カワウソ、様?」

 建物の外壁に身体を預け、ずるずると、鎧越しの背中を引き摺るように、座り込む。
 全身を丸め、足を抱いて、顔を埋めた。

「すまん……少し、……少し疲れた」

 泣きたくなるほどの不安感を、ミカが背中にかけた掌の温度で和らげてくれる。
 自分を癒すNPCの、その峻厳な表情を横目にする。
 主を案じているとはとても思えない無表情が、カワウソの視線を受け止めて……やはり醜悪な堕天使の面貌に耐えられなくなったのか、あるいはあまりの体たらくぶりに呆れ果てたかのように、視線を落とした。

 カワウソは、久しく感じたことのない安堵感に、深く息をする。

 そのまま微睡(まどろ)むような時を、ただ過ごす。





 ×





 宿の係留所で、ヴェル・セークは相棒である飛竜の鱗を撫でながら、ひとつ相談していた。

「うん……そうだね。やっぱり、このままじゃ、ダメ……だよね」
「クゥ……」

 魔化された丈夫な樹の柱と柵に囲われた竜。大量のモンスターが畏怖して当然の竜種族のラベンダであるが、ここでは割と低い等級というか、他の騎乗用の魔獣が凄すぎて、借りてきた猫みたく身を縮こませていることしかできない。けれど、彼女はそんなことを苦にはしていない。もっと別のことに……ヴェルのことについて、心を痛めてくれている。
 慈しみを纏う相棒の心配げな声と眼差しに、騎乗者たる少女は頷きを返した。
 ラベンダとヴェルは、互いが生まれた頃からの付き合いだ。
 いつだって共に食事し、共に遊び、共に寝て……今も共に、生きている。……そして、その後(・・・)も。

「じゃあ、そうするよ」

 一人と一匹は、互いに静かな覚悟を込めて、自分たちの今後を、決定する。













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襲撃

/Great AINZ OOAL GOWN Magic Kingdom …vol.06





 





 18時の鐘の音が鳴る頃に再集合したカワウソと、ミカ、ヴェル、マルコの四人は、マルコの進言で宿の部屋に案内されそうになる。
 だが。

「すまないが。やっぱり俺たちはここで別れるよ」

 なるべく明るい声で、きっぱりと告げてみせる。

「え……そう、ですか?」

 意外そうに眼を見開くマルコに、カワウソは静かに、そして確かに頷く。
 さすがに宿の世話までさせるのは、気が引けたというのが大きい。異世界の宿屋がどんなものか興味は尽きないが、さすがに断固辞退しておくべきだろう。──マルコの金銭的・経済的なアレで、ミカと二人部屋にされそうになった時には、本当にヤバいと感じたのもあるが。
 何より、この女性を、善意を供することに抵抗のない現地人を、カワウソの事情に巻き込みたくはなかった。
 さらに言えば、マルコのレベル算出が、マアトの魔法では不可能だった事実も、過分に影響を及ぼしていた。
 どちらの比重も奇跡的なバランスの上で拮抗しており、だからこそ、これらすべての要因が、マルコ・チャンへの警戒心を増幅させているのが事実だった。
 たとえ、その微笑が、その言葉が、その態度が、どんなにも、好ましく愛らしい代物であったとしても。
 そんな堕天使の疑惑を知らぬ様子で、彼女は小首を傾げ、問う。

「今から、都市の外に? ──行く宛は、お決まりなのでしょうか?」
「とりあえずは、うん……このまま、北に向かおうと思う」

 城塞都市・エモットなる、魔導国の中枢。
 そこにあるだろうナザリック地下大墳墓に──近づくことは不可能かもだが、その都市がどんな規模で、どんな場所なのか、確かめておきたい衝動は覆せない。あわよくば……なんて馬鹿げたことを思考する自分が、かなり卑屈に思えた。実際、そうなのだろうとも納得しておく。

 そうして、もう一人……
 竜の鎌首を撫でる少女も、さすがに都市に滞在し続けることは遠慮する意を示す。

「あの、私も、もう大丈夫です、マルコさん」

 ヴェルもまた、これ以上は迷惑をかけたくないと、ラベンダが治った以上は自分たちと行動を共にする必要も義務もないと、主張する。
 その言葉の裏には、自分が魔導国に追われる立場にあること、そんな罪人がこれ以上カワウソやミカ、マルコと共にいることは、互いのためにならぬと自覚していることが、大いに含まれていることがわかった。
 すっかり復活した相棒の飛竜と相談して決めたのだと、ヴェルは譲る気配を見せない。
 飛竜騎兵の少女はもう一度、頭を深く下げた。

「本当に。お世話になりました」
「そう、ですか……もう少し、皆さんのお話をうかがいたかったのですが」
「私もです」

 二人が淡く微笑む様を、カワウソはただ見つめる。
 少女は誠実な物腰と言葉で、相棒を治癒してくれた救済者……今も荷の中に残りがしまってある治癒薬(ポーション)まで買い与えてくれた男装の麗人に、底知れぬ感謝を募らせる。

「この御恩、忘れません。できれば、何かお返しができればいいんですけど」
「お気になさらないでください。私が、勝手にやったことですので」

 はにかむ頬を指でかくマルコ。ヴェルも柔らかな気持ちを、その(おもて)に浮かべて示した。

「カワウソ、さん」

 ヴェルは、少し離れたところにいた男に駆け寄った。

「本当に──本当に、ありがとうございました。あの森で、私を助けてくれて」
「感謝されることじゃ……」
「それでも、ありがとうございます」

 かすかに怯えるように言い淀む男に、少女はまっすぐに言ってくれる。
 ヴェルは不意に、カワウソに前かがみになるよう手振りで促す。それに従うと、少女は「森でのお話。私、絶対に誰にも言いませんから」とだけ告げてきて──どきりとした。
 追跡部隊の件も、すべて自分の胸におさめておくのだと。
 カワウソは呆れた。心の底から。
 潔いのを通り越して、馬鹿みたいに優しすぎる。

「だから、私のことは気にしないでください」

 そう言う少女は、これからこの都市の衛兵所に赴き、自首するという。より厳密に言えば、出頭というべきか。
 そして、然るべき裁きを受けようと──静かに決意していた。

「大丈夫なのか?」
「……正直、今でも不安ですけど、これ以上逃げ続けて、部族の皆に迷惑や嫌疑をかけられたら大変ですから」

 カワウソの問いかけに、ヴェルは表情を和らげようと努める。
 表情の硬い少女は、相棒の飛竜(ラベンダ)と相談し、決めていた。
 何も覚えておらず、わけもわからぬまま、正確な情報も知らないで逃げ続けるしかなかった少女は、マルコの話を聞いて、とりあえずの安堵を覚えていた。自分の命は勿論惜しいが、街頭の水晶の画面から流れるニュース情報を聞く限り、そこまで破滅的な結果には繋がっていないと知って、ようやく決心がついたのだと。
 むしろ、これ以上の逃亡は不可能だと判断された結果ともいえる。

「それじゃあ……皆さん、お元気で!」

 クシャリと笑う彼女に、続く飛竜の声が軽やかに響く。
 相棒と共に(きびす)を返した少女は、夕暮から宵闇に染まる目抜き通りを進んでいく。
 薄紫の髪は、一度も振り返ることなく、去ろうとして。

「──待ってください」

 白金の髪を揺らす修道女が、ヴェルの背中を追う。

「私も、共にいきます」
「え……でも。私と一緒にいたら」
「ここまで来れば、乗り掛かった船です」

 ヴェルは、けっして弱音を零さない。
 ただ、代わりに、深く深い感謝のまま、頭を下げるしかなかった。
 少女らの罪は、重いのだろう。その小さな肩に負うには、あまりにも酷烈な未来が待っているのやも知れない。
 しかし、それでも、そこまでの道のりを、肩を並べ共に歩んでくれる善人がいてくれるというのは、とんでもない安堵をもたらしたようだ。
 だが、だからといって、カワウソは彼女らについていこうという気概は、まったく湧かない。

「──じゃあ。俺たちはここで」
「カワウソ様、ミカ様。お二人とも、お気をつけて」

 カワウソは、通りを行く少女と飛竜、修道女の背中を、ただ見送る。
「マルコがついていくのなら安心」というよりも、情けないほどの自己保身に駆られた結果だ。
 ──自分(カワウソ)は、連中と、魔導国の王と、事を構えたくはないのだ。
 最後まで礼儀正しく心清らかな乙女らを見送り終えると、カワウソたちは北に向かう……フリをする。

「案内、頼む」

 カワウソが短く命じると、終始沈黙していたミカは「了解」の意を唱え、前を歩く。
 宿屋の前からほどなくして身をくらませると、誰もいない路地裏をようやく見つけ、神器級(ゴッズ)アイテムのマント“タルンカッペ”の〈完全不可知化〉を発動。ミカも同様に装備の魔法を発動し、姿をくらませることはできる(昼食の時、あの行列を前に姿を消したのと同じ理屈だ)が、今回はカワウソの装備効果の範囲内に取り込んだことで、互いに意思の疎通と存在認識には、影響を及ぼさない。不可知化の帳の下、彼女が特殊技術(スキル)で感知可能な存在を探す。
 五度ほど、整えられた区画を抜けて、粘体(スライム)に清掃される綺麗な街の路地を折れ曲がった時だ。

「この上です」

 言われ指差された建物は、この街区でもそれなりの高さを誇る集合住宅らしいが、沈黙の森や岩山を走破したカワウソであれば、外壁を駆けあがることで簡単に登頂できる。装備した指輪のひとつ“簡易登破の指輪(リング・オブ・イージークライム)”と、堕天使の身体能力の賜物であった。魔法的な防御を張られた城壁などには通用しないものだが、異世界の建物の壁を走るくらいのことには、なんら支障がないようである。
 黒い足甲がカツンと耳に響く。
 屋上にまで数秒かけて辿り着くと、稜線(りょうせん)の向こう側へ今まさに沈まんとする太陽の赤に目を細める。見上げた頭上に、星空が間近に迫ったような錯覚を覚えた。本当に、現実の光景とは思えないほど、その美しさには圧倒されてしまう。
 ただ、感動している暇はなかった。
 屋上の隅にある、貯水タンクじみた一角に移動。ここでなら、上空を飛び交い飛行する魔獣やアンデッド、魔法詠唱者の監視は及ぶまい。念のため、欺瞞情報系の魔法もアイテムで発動しておく。
 タルンカッペの効果を切る。するとほぼ同時に、そこに佇むNPCたちも装備の効果を解いて出現した。
 ミカの保有する同族を感知識別する“天使の祝福”を強化駆使し、装備で不可視化したギルドのNPC三名と合流。
 カワウソは、まったく実直な言葉で彼らを迎え入れた。

「ご苦労……待たせたか?」
「とんでもございません、()(しゅ)よ」

 一様に跪く三人を代表して、ラファが応じた。

 ラファは、白い布の衣服に腰からは薬箱や水筒を下げ、さらに小さなズタ袋が括りつけられた牧人(ハーダー)……古代の羊飼いじみた、若い旅人といった姿をしている。平時において足首から天使の羽を二枚生やした姿でいる彼だが、今は小さく革製のサンダルの装飾のように翼は偽装されていた。樹で出来た簡素な杖を捧げるように膝をつく様は、騎士団の儀仗兵じみた謹直さが想起されてならない。多くの信仰系職業を有したことで堅物な口調と態度が定着された主天使(ドミニオン)であった。

 イズラは、漆黒のフード付き外套(コート)に身を包み、軍人の詰襟じみた聖衣を纏う暗灰色の髪に黒瞳の青年。低い階級の天使だが、代わりに暗殺者(アサシン)やそれに由来する職業レベルをおさめることで、高い隠密戦と撹乱戦──暗闘を得意とする。暗器を仕込んだ手袋と、即死系アイテムを武器とする彼は、イスラとは兄と妹の兄妹関係にあると設定されており、見た目は髪と瞳の色以外そっくりだ。

 ナタは、蒼い髪の少年兵で、全身に帯びる剣装や防具の数はギルド随一。花の動像(フラワー・ゴーレム)というレア種族故に、総合的な攻撃性能についてはかなりの部類で、第一階層最奥にある“闘技場”と、第四階層における最終戦“円卓の間”に出現するように創造した『最強の矛』──生粋の重装剣士であり、近接戦闘の申し子である。やかましく元気一杯な口調で、その言動や表情にはまるで裏表がない。

 各々、体躯や装備品などまるで違うものたちばかりだが、全員が潜入活動に必要なアイテム、〈完全不可視化〉などを発動する装備を所持させることで共通していた。昼過ぎに〈全体伝言(マス・メッセージ)〉で提示しておいた通りである。他にも〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)や、治癒薬(ポーション)などを一定数与えており、潜入活動の準備は万端といった感じだ。
 この都市まで転移してやってきた三人は、カワウソの命令を拝聴する姿勢を崩さない。
 カワウソは、なるべく上位者らしい語気を、喉の奥底から引っ張り出す。

「──言っておいた通り、おまえたちには各都市での、情報収集を任せる」
「畏まりました」
「仰せの通りに、マスター」
「どうかお任せください!! 師父(スーフ)!!」

 ラファが実直に、イズラが清廉に、ナタが元気満点に応じる。

「うん──くれぐれも、戦闘や騒動は起こさないように。情報収集のためには、現地の人々とある程度は接触を持つことになるだろうが、可能な限り、穏便に、対処するんだ」

 他にも数個ほど情報収集時の注意事項──魔法や特殊技術(スキル)の使用に関する制限や、緊急時における対応方針などを、口頭で、繰り返す。
 そして、彼らの向かうべき場所の名を、あらためて示した。

「ラファが冒険都市に。イズラが生産都市に。ナタは生産都市を中継後、さらに、天空都市や南方士族領域という地に、それぞれ向かえ」

 承知の声を短く奏でる三人には、スレイン平野……カワウソたちのギルド拠点のある地をグルリと囲むような位置取りにあるらしい各都市や領域と呼ばれる土地を調査させる。
 拠点の周囲環境をより確実に把握することで、四方から攻め込まれる可能性を失くすと共に、いざ撤退する際には都合がよい距離感を保つためだ。また、拠点から彼ら三人への増援を送らねばならない事態に際して、転移で届く範囲にいてもらった方がいいと判じた結果に過ぎず、他意はない。
 スレイン平野よりはるか北方に位置するこのカッツェに、彼らをわざわざ招集したのは、カワウソ自身が口頭で、直接彼らの様子を眺め、観察しながら命じたいからという理由によるもの。こうして直接対面し、臆することなく命令を受諾するNPCたちには、暗い表情は存在しなかった。三人とも、命じられた内容に疑問も躊躇も懐くことなく、そうされることが自然だとでも感じているような爽快感が垣間見える。
 ……隣にいるミカとは、えらい違いだ。
 だからこそ、懸念すべきことは、ある。

「他に、質問は?」

 聞いてはみたが、三人は誰も疑念の声をあげず、態度も変わらない。
 これは、少しダメだと思った。
 彼らは創造者であるカワウソに、絶対的な服従の姿勢を見せてくれているが、事ここに至っては、何の意見具申もされないというのは、マズい。
 カワウソは、完璧ではない。
 何か致命的なミスを犯したり、問題に気がついていない可能性は十分、ありえる。
 小卒社会人程度の常識しか持ち合わせがないユグドラシルプレイヤーでしかない男が、あろうことか天使たちの上位者として命令する立場に置かれているというのは、奇特を通り越して異様な事態であることは想像するに難くない。だからこそ、自分の失敗や問題点があれば、それを是正する意見や見解というのは大いに歓迎すべきだ。どんなに耳に痛い言葉が突き刺さることになろうとも、間違った方向に(かじ)を切り続けては、船が(おか)にあがるというもの。取り返しのつかない状況に陥り、そうなってから後悔しても遅いのである。
 そういう意味では、カワウソを嫌う女天使、拠点内の防衛隊隊長の地位を与えた最高位の知恵者(NPC)というのは、非常に有意義な存在となってくれる。

「戦闘になりそうな際には撤退せよとの命令ですが、相手の戦力や戦局次第では、撤退は難しいのでは?」
「……その場合は、クピドの〈転移門(ゲート)〉を使ってでも、逃げるしかない」
「転移が使えない状況に陥った場合は? さらに言えば、開いた〈転移門〉からこちらの拠点にたどり着かれる可能性も、十分あり得ますが?」
「うん…………そうなると、クピドを使っての撤退は無理と思うべきか?」

 このように、カワウソの思い付き程度の戦術を上方修正する要素として、ミカの存在は素晴らしい成果を発揮してくれる。伊達に軍総司令官(コンスタブル)の職業を保有しているわけではないようだ。

「場合によっては、戦闘も止む無しか? …………だが」
「問題ありません。我が主よ」

 銀髪碧眼の牧人、ラファの声に、イズラとナタも同調する。
 彼らは、第八階層攻略をシミュレーションして製作した存在であるが故に、最上級ランカーレベルのプレイヤーや、強力なレイドボス並の存在と会敵したら、まるで対抗できない。カワウソやミカほどに装備が充実しているわけでもなく、ガチなレベル構成や装備というのは、ナタぐらいだろう。ラファとイズラはどちらかというと元ネタの天使に則した……お遊びな要素をふんだんに盛り込んだ存在に過ぎない。
 そんなロマンビルドな二人の内一人が、冷酷に宣言する。

「万が一、我ら三人がしくじる事態に陥れば、その時はお捨て(・・・)ください」
「……ラファ?」
「我らの存在理由は、ただ、貴方(あなた)様のために」

 見渡せば、イズラとナタの表情も、まったくラファの言に同意していた。
 自分たちを見捨てよ、と。
 彼らはそれほどの覚悟をもって、カワウソの前に跪いていたのだ。
 感謝するべき、なのだろう。

「…………そう、か…………」

 だが、カワウソは、何も言えない。
 当然と言えば当然。
 カワウソは、そこまでして誰かに尽くされることなど、一度だって経験したことはない。せいぜい死んだ両親が必死の思いで学校に通わせてくれたことがある程度だが……まさか、自ら望んで、「切り捨てて構わない」なんて思考をぶつけられることなど、ありえない出来事だった。
 しかし、彼らの思考、想念、行動原理は、そこに由来しているのだろう。

 創造主であるカワウソに尽くす。

 ただ、それだけのためだけに、自分が存在しているものと信じて疑うことがないようだった。

「悪いな……おまえたち」

 堕天使の卑近な脳髄が、とりあえずの感謝を紡がせる。
 心から信頼してのことではない。誠に彼らの真意を悟ったとは思えない。
 それでも、カワウソは、真実そこにある彼らの在り方と思いに、感動していた。
 自分ではこうはいくまい。
 自分ではこんな風になれない。

「だが、できることなら、そのような事態にはならないよう、努力してほしい」

 君命を確実に受け止め立ち上がったNPCたちが、一瞬にして、表情を一変させる。
 彼らは街の一点を見つめ始めた。カワウソは純粋な不安に駆られる。

「……どう、した。おまえら?」

 自分が何かしただろうかと堕天使が(かえり)みるより先に、漆黒の外套を着込む天使が、薄く微笑(わら)う。

「血の臭いですね」

 いっそ狂暴なほどの喜悦に歪む天使の相貌が、街区の彼方に差し向けられる。

「戦いの声があがっております!!」

 元気さとは裏腹、湖面のごとく静かで穏やかな表情をしたナタが指差す方角には、翼を広げたモンスターが何処からか飛翔し現れ、その中心で、やはり翼を広げる存在を、集団で一斉に押し包もうと殺到していた。
 戦いの声とは、竜の蛮声であったのだ。

「……飛竜(ワイバーン)?」

 もはや見慣れた感すらあった飛翔するモンスター──その群れ。
 翼を広げる竜たちに乗って空を駆る、人間の姿。
 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の大群が、第四街区の、宵闇に沈まんとしていた都市の空に現れていた。

 ヴェルとラベンダ、そしてマルコが、そこにいる。

 というか、彼女たちは、ほぼその中心にいたのだ。
 ヴェルと同じ飛竜騎兵たちによって、彼女たちは、追われている。

「一体、何が?」
「同士討ちでしょうか?」
「国に逆らった同胞への対応と考えられますが」

 ラファとミカが、疑問と結論を同時に並べ述べる。
 飛竜騎兵のヴェルが、飛竜騎兵の連中に、あろうことか狩られようとしていた。
 数の暴力による蹂躙とは、少し違う。ただの同士討ちというには、飛竜騎兵の連中からは、対象である少女らを嘲弄し嬲り者にしようとする意志は、垣間見ることができない。その統制された編成と連携は、一個の組織として完成された統制のもとに行われ、「そうしなければならない」という、ある種の義務感や使命感の存在を感じさせる。私刑というよりも、処刑なのかもしれない。
 だからこそ、ヴェルたちには抗う術は、ない。
 異形種の視力でもって、彼女らの危地を目の当たりにする。
 せっかく傷を癒したはずの飛竜(ラベンダ)の背に、銛のような投鎗が降り注ぐのを、ヴェルの身を庇うように同乗するマルコが払い落としたようだ。しかし、そのすべてを払えたわけではなく、ラベンダは体の端々から血の色を流し、碧色の鱗をちらちら撒き散らしながら、空を駆けつつのたうち始める。その悲痛な様は、堕天使の濁った瞳であろうとも、容易に視認することがかなった。
 女天使の声が、冷厳に問いかける。

「いかがいたしますか?」
「……」

 カワウソは、すぐには応じない。応じられるはずもない。
 見捨てても良かっただろう。
 見捨てた方が良かったはず。
 そもそもにおいて、彼女たちはアインズ・ウール・ゴウンの国民。
 カワウソとは、縁もゆかりもないはずの、赤の他人でしか、ない。
 ここで、衆人環視の下にある、あんな戦闘に介入するなんていう、とびきり目立つ行動は避けるべきだと思う。
 ……なのに。



 ──「『誰かが困っていたら助けるのはあたりまえ』と教わっておりますから」──



 その声が耳に残響する。
 カワウソは、見捨てられない。
 ほんの半日以下の時間を共に過ごし、食事を味わった程度の仲でしかないはずの彼女らを、

「……たすける」

 助けるとも。

「……これも、乗り掛かった船と言う奴だ」

 暴力的な微苦笑を浮かべ決意する主人に、ミカは僅かも逡巡することなく頷く。
 他の三人からも、さしたる異論反論があがることは、ない。

「しかし、まぁ……なんてことだ」

 カワウソは(うそぶ)く。

 アインズ・ウール・ゴウンの民を護るために、
 アインズ・ウール・ゴウンの民と戦わねばならないとは。

 堕天使は、屋上の淵に足をかけ、煌々と照り輝く摩天楼の都──その隙間にある夜闇を、跳ぶ。





 ×





 幾多の羽音が重なっている。
 昼の街道で聞いたドラゴンの大きな翼が奏でるそれとは違い、小さくも鋭く、そして数多くの飛竜(ワイバーン)の翼がはためき、空を裂く騒音。
 街の人々にとってもあまり聞き慣れないものであったようで、誰もが頭上をかなりの速さで流れ飛ぶ影を振り仰いだ。
 何かの行事イベントか、さもなくば冒険者同士の決闘か何かだと見做した市民ら住人たちから野次と歓声が飛ぶ。
 しかし、飛竜騎兵たちは応じない。
 無論、ヴェルたちも。

「マルコさん! お願いだから、逃げてください!」

 必死になって、ヴェルは頑なに飛竜の背に同乗し続ける意思を曲げない女性に嘆願する。

「そうは、いきません──よ!」

 鞍の隙間に爪先をつっこんで体を固定する修道女(マルコ)の裏拳が、ラベンダの中心を抉るべく放たれた投鎗(スピア)を盛大に弾く。彼女の長く細い指先を包む、純白の手袋(グローブ)の力なのだろうか? まさか、彼女(マルコ)本人の力ということはないだろう……あまりの威力に空間を引き裂くほどの金属音が、宵闇の街に響き渡っている。だが弾かれた鎗は別の飛竜たちの連携と、鎗に込められた魔法により空中で回収され、そして投げるというサイクルが築かれつつあった。
 それだけではなく、鎗を構え、果敢にも突撃する者も出始める。
 鎗のみの重量を頼みとした攻撃ではなく、飛竜の重さと騎兵の技巧を合わせた突進攻撃。
 ヴェルは応戦しようにも、自分の得物はすべて失った状況だ。最初の墜落で専用の鎗は紛失、続く追撃部隊との戦闘で、腰に帯びた剣は砕け折れ、捨てていた。唯一残った鞘で戦うなど不可能。鎗のリーチと破壊力との差が絶望的過ぎる。
 文字通り、四方八方から降り注ぐ暴力の包囲網。
 ヴェル・セークは、今度こそ終わりを迎えると、そう確信してしまう。

 ──どうして、こんなことになってしまったのか。

 衛兵所に向かっていたヴェルたちを、空から急襲してきた仲間たち……飛竜騎兵の隊列が押し包んだ。あまり近くに通りがかりの人がいなかったおかげで、急襲はすべてヴェルたちが被るのみとなったのは、不幸中の幸い……否、もしかしたら、そうなるタイミングを周到に窺っていたのかもしれない。
 空から降り注ぐ鋼鉄の暴力を、いち早く気付いたマルコが払い落とし、一瞬遅れたラベンダがヴェルの首根っこを掴むように翼の上で転がし、定位置となる鞍に乗せてくれた。一拍の間もない瞬発力と判断力で上昇する相棒の背に、男装の麗人もすぐさま飛び乗ってきて──そうして、今に至っているわけである。

「皆、お願い! 話を!」

 させてほしいと叫ぶ間もなく、騎兵の突撃をラベンダが回避のために宙を一転する。
 ほぼ真横に振り回される騎手と同乗者も無事に済んだが、襲ってきた騎兵が行きがけに投じた短剣四つが、ラベンダの胸と腹に(あやま)たず食い込む。飛竜の分厚い鱗と肉によって、致命的な傷にはなりえない刃であったが、

「グゥ、ア!!」
「ラベンダ?!」

 悲痛の叫びを彼女の口腔から撒き散らす効能を与えてみせた。
 おそらく、毒だ。飛竜騎兵のとある一族が伝来していた毒剣が、たっぷりとラベンダの臓物に染み込みつつある。抜いて治療したいところだが、そんな暇は空戦の最中にあるわけもない。ラベンダがかきむしるように、翼の爪で払い落とすのに任せるしかなく──その隙を彼らが、皆が、見逃すはずもなく。
 翼を駆るのを一時的にやめた飛竜は、宙で静止し、まもなく墜落の軌道を描く。
 そうして、そこへ殺到する、見慣れた仲間三人と三匹からなる、猛進。

「ッ、ラベンダ!」

 回避を──そう指示する間に肉薄する穂先が、夜の都市灯りに閃き輝く。
 ヴェルは、自分を包み込むように抱き締める同乗者、マルコの腕の感触に包まれながら、無言で詫びる。
 こんなことに巻き込んで申し訳ない。情けなさ過ぎて泣けてしまう。
 直前に別れたあの人たち……カワウソとミカにまで累が及んでいないことを祈念しつつ、ヴェルは潤む視界を直視しきれず、瞼を落としてかけて、

「おいおいおい」

 瞬間、聞き慣れた声が、ヴェル・セークの意識を包み込んだ。
 不意に、飛行中のラベンダに搭乗するのとは違う浮遊感で、二人と一匹は宙を漂い始める。


「……おまえら、女子供相手に、おもしろいことしているじゃないか?」


 轟くように響く声。
 続く音は、三つの鎗撃が一斉に捩れ曲がる瞬間の悲鳴。
 突撃を真正面から無力化された騎兵たちが瞠目する間もなく、黒い影が、目にも止まらぬ速度で一撃を──蹴りを──繰り出す。三匹の竜が、見えない巨人の手に叩かれたように空を横滑りして──墜落する者は一騎もなかった。三騎とも、軽い眩暈や衝撃に呻きつつ、戦線に復帰する。
 これは、男が弱いということではないだろう。
 軽く振り抜かれた程度の、人間の蹴撃が、一挙に突撃中の飛竜三騎を吹き飛ばしたという、事実。
 誰もが驚愕と畏怖を込めて、その人影を──人物を、見る。
 ヴェルは手綱(たづな)を握り、鞍に跨りながら、“宙に浮いた”ままで、それら現象と光景を眺めていた。
 ラベンダは毒の影響を脱しつつも、翼を駆る力は取り戻していない。
 マルコにしても、ヴェルを腕の中に抱き守る姿勢を解いてはいない。
 にもかかわらず、自分たちは宙に浮いている。
 見下ろすと、奇妙な光り輝く光の円環……それを頭上に(いただ)く女性が、飛竜の巨体を軽々と持ち上げ、騎乗者二人分の体重も含めて、空を飛行していた。浮遊感の正体は、飛竜の巨体ごと私たちを肩に担ぐ、黄金の女騎士の膂力(りょりょく)──とはさすがに思えなかったので、多分、魔法かアイテムじゃないかと思われた。
 黄金の髪を流すミカの〈飛行〉によって、ヴェルとラベンダ、マルコは全員無事に、ひとつの建物の、広い屋上にまで降下する。
 そこに、轟く声の持ち主が、夜空を“駆け降りて”着地する。
 目の前の人影は、もはや見慣れてしまった、黒い、ヒト。
 皮肉をたっぷり含ませた横顔と声色が、すごく怖い。
 それでも、目をそらすことだけは、出来ない。
 する必要はないし……したくも、ない。

 まるで物語の英雄が纏うような、黒い鎧と足甲と装具の数。
 日に焼けた肌色の綺麗な手には、純白の剣は握られてない。
 眼窩のようにも思えるほど落ち窪んだ眼の(クマ)が、凄まじい。
 寝ても覚めても苦吟(くぎん)にのたうつ人生を歩んだ、苦悩者の相。
 人間の姿に化物じみた力を秘め隠した、災いのごとき、男。

 ヴェル・セークを救ってくれた存在──名前は、カワウソ。

「俺も、混ぜてくれないか? んん?」

 そう言って(わら)いつつ、彼はヴェルたちの方を一瞥(いちべつ)もしない。
 明らかに飛竜の群れに襲われたヴェルたちを助ける意図があって、この場に現れたことは確かだろうが、彼は戦闘に赴くのに必死で、こちらを(かえり)みる余裕もないのかも。
 この一日で、二度も窮地から救われた少女は――不謹慎ながら――胸の奥の鼓動を高めてしまう。
 それほどまでに、その男は恐ろしく、そして怖ろしかった。
 こんな思いは、これほどの想いは、はじめてだった。


「邪魔立ては無用に願いたい」


 夜闇を羽搏(はばた)く羽音のひとつから、その声は注がれた。
 ヴェルは空を仰ぐ。
 知らぬ仲ではない──むしろ懇意ですらある──部族の騎兵隊隊長が、整然と、あるいは悄然と、言い放つ。
 漆黒の男が救ってしまった罪人を……逃亡者である少女の瞳を……ただ、睨み据えて。
 ヴェルは、たまらなくなって声をあげた。

「……ハラルド──どうしてッ」

 問われるまでもないこと。
 ヴェル自身もそれを解っていて、それでも、()かずにはいられない。
 確かめなければならない。

「ヴェル・セーク……我等は貴女(あなた)を」

 今まで聞いたこともないような同胞の暗い声。
 悲嘆に引き絞られ尽くした喉を震わせながら、
 眉根を険しくする幼馴染(ハラルド)が──告げてくれる。





「抹殺する」





 





【第三章 飛竜騎兵 に続く】









忙しくなってきたので、次回の更新はかなり遅れます。ご容赦ください。


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第三章 飛竜騎兵 鎖

〈前回までのあらすじ〉
 魔法都市にて。
 堕天使プレイヤー・カワウソは、魔導国の実態調査を決意するも、
 折悪しく彼等と交流を持った少女らが都市上空で何者かの襲撃を受ける。
 カワウソVS飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の幕開けです。


/Wyvern Rider …vol.1





 





 魔法都市の王城──アインズの私室がある隔離塔からすぐの、城の最頂部にある執務室。
 そこに、二人の異形が並んで椅子の上に鎮座していた。

「ようやく。始まったようですね」
「ウム。スベテハ計画通リ、トイウコトダナ」
「ええ。あの堕天使のプレイヤーと思しき者らがどれほどのものか、この場でとくと拝見するとしましょう」

 彼らは、この城の主人の留守を預かるために、常にこの王城に詰めているわけではない。
 今日、この時に限って、とある目的を果たす計画によって、主人の許可を得て、ここに作戦本部を設立しているに過ぎないのだ。
 二人の眺める先には、アインズ・ウール・ゴウン魔導国で開発・生産される水晶の画面(クリスタル・モニター)のマジックアイテムによって投影された画面が宙に浮遊しており、そこに“ある者たち”の行為行動を観察・監視するモニターの役割を果たさせていた。大小合わせて十枚ほどの画面は、宵闇に沈む魔法都市の絢爛豪華な暮らしの頭上で交わされる“戦闘”をつぶさに把握し、記録映像として納め、後々、この世界の絶対支配者へと献上される運びとなっている。二人の異形は、この画面の映像をリアルタイムで確認するために、今ここに存在することを許されている。

「──シカシ、良カッタノカ」
「何がです?」
彼奴等(キャツラ)ノ戦力把握ノ為ナラバ、我等デモ十分対応可能ナハズ。アマツサエ、昼間ニ(オノレ)ノ娘ヲ、ワザワザ釣餌(ツリエ)ノゴトク扱ウ必要ハ、ナカッタノデハ?」

 悪魔は、悪魔の娘を心配してくれる友たる将軍の優しさに(かぶり)を振った。

「今回の計画は、我が子らも『是非、尽力したい』という願いも、あったのでね」

 この異世界に転移してより100年。
 ナザリックに生まれた異形なる混血児(こども)たちは、軒並み立派な成長を遂げ、十分かつ充実した教育の甲斐もあってか、まったくもって素晴らしい──偉大なる至高の御身へと忠烈を尽くすのにふさわしい──信徒の列に加わる栄誉を授かった。
 故に、彼ら彼女らも、魔導国に、ひいてはアインズ・ウール・ゴウンその御方(おんかた)の危難の種となるやもという存在への対処……“計画”に参じたいと欲するのは、完全に必定でしかなかった。

「第一。“私の子ら”の中でも、あの()はとびきりの厄介さを有していることくらい、君も承知しているのではないのかね?」

 友は凍てつく吐息と共に唸る。
 仮に。
 連中が魔導国の枢要に近い、ナザリックの子どもたちの一人である“デミウルゴスの()”に手をあげる「愚物」であったとしても、あの娘はLv.100の存在であろうと、かなり善戦できるだけのスペックを有している。母体となったシモベの特性を半分継承したあの娘は、周囲一帯を己の得意とするフィールド……奈落の底の溶岩に変換して、相手を引き摺り込んで「喰らう」戦法を得意とする、最上位悪魔(アーチ・デヴィル)奈落の粘体(アビサル・スライム)の混血児だ。炎系ダメージに耐性を持つ天使には効き目は薄いだろうが、肉体ペナルティを保有する堕天使であれば、溶岩の中で呼吸不能に陥り、窒息もありえるだろう。アインズがプレイヤーと睨むあの黒い男──マルコからの報告によると、男は“カワウソ”という名前らしい──を完封することは容易(たやす)いはず。勿論、身に着ける装備やアイテムで克服されている場合もあるが、それはそれで、現れたプレイヤーたちの戦力判断を行えるというだけで、ナザリックに属す存在を近づける試みというのは、意義深い結果をもたらすだろうと簡単に思考された。さらに言えば、奴が、堕天使が、あの黒い男が、本当にユグドラシルプレイヤーであるのなら、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの戦力を、ある程度知悉している可能性もあり得る以上、ナザリック従来の戦力を「当て馬」とする行為は、魔導国(こちら)から喧嘩をふっかける行為と見做(みな)されるだろう。それは、穏健に事を進めようという偉大なる御方……魔導国の主たるアインズの望むところではない。
 故に、今回の魔法都市散策を、悪魔は己の愛する娘に、命じたのであった。
 結果は「不戦」に終わり、少々興醒めというところであったが、次はもっとマシな状況を構築済みだ。
 隣に立つ蟲王(ヴァーミンロード)は、相性の関係から、あの娘の戦闘訓練の相手は不得手という程度の親交しかないのに、それでも、彼はナザリックに属する者に対する優しさから、友人の娘の大事を危惧(きぐ)してくれている。
 娘の父たる悪魔は、朗らかに微笑む。

「ともあれ、心配してくれたこと、我が娘・火蓮(カレン)にかわって礼を言おう。コキュートス」
「私ノ方コソ、アノ娘ノ役儀ニ(クチ)ヲ出シテシマイ、本当ニスマナカッタ。デミウルゴス」

 二人は水晶の画面を注視する。
 魔法都市・カッツェの王城で、守護者二人に新たな対戦カードを組まれた堕天使が、魔導国の三等臣民──飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)部族の部隊八名と、はじめて交戦する。





 ×





 カワウソは、ミカを伴い、飛竜騎兵たちに狩られようとしていた少女たちを、“助ける”判断をした。
 この都市にまで呼び寄せたNPC三人──ラファ、イズラ、ナタは、装備で〈不可視化〉の魔法を発動させつつ、有事の際の援軍のために待機させているが、原則は「手出し無用」と定めた。
「都市調査に臨む際、俺の戦闘をなるべく参考にしろ」と命じて、カワウソは戦地へと馳せ参じたのには、勿論、理由がある。
 彼らに、この世界の存在と戦う際の注意として、「“殺戮”は基本厳禁」を言い渡した。そのため、「殺さないで済ませる」戦いというものを、彼らに実地で学ばせるための最初で最後の機会として、今回の戦闘に敢えて介入したのだ──そういう風に、自分自身へと強く言い聞かせて。
 本当は、
 ただの感傷的な判断で少女たちを見捨てられなかった自分を、ごまかすために。

「俺も混ぜてくれないか? んん?」

 翼を広げ空を飛翔する飛竜と、その騎乗者八人に、カワウソは(あざけ)るような声を送る。
 固く頓狂(とんきょう)な声になっていないだろうか不安になりつつ、傲慢かつ尊大な台詞を浴びせてみる。
 彼ら飛竜騎兵を侮辱するつもりはないが、そうすることで、彼らの興味関心が自分(カワウソ)の身に集約されてくれたら、大いに楽ができると意図したからだ。本当に申し訳ない。
 カワウソの保有する特殊技術(スキル)には、他者を直接防衛したり救命したりできるものはないのだ。なので、彼らの敵対的行動が挑発するカワウソに集中し、ヴェルたちに向けられなくなれば手間が省けると思ったのだが──

「邪魔立ては無用に願いたい」

 部隊長らしい青年は、まったく臆することなく、そして厄介なことに、自分たちの目標と目的に実直な姿勢を貫徹する。
 ただの怨恨や憤懣とは違う雰囲気が、堕天使にはかろうじて理解できた。

「……ハラルド──どうしてッ」

 ヴェルが「ハラルド」と呼ぶ青年は、この世界の“冒険者”とかいう連中並みに隆々(りゅうりゅう)としている。ヴェルと同様、鎧で守られていない剥き出しの腹は彫像のごとく綺麗に引き絞られていて実に(たくま)しい。長さ二メートル弱にはなるだろう突撃鎗(ランス)を掴み支える腕の起伏も見事なものだ。
 まことに精強な飛竜騎兵の隊長が、部隊員である騎兵七人を率いる様は、実に堂々としたものがある。
 同じ飛竜騎兵の、大人しそうな性格のヴェルとは、まったくえらい違いであった。

「ヴェル・セーク……我等は貴女(あなた)を」

 そんな青年指揮官は、青紫に赤いメッシュが二つ走る長髪の下に備えた美貌を悲痛に歪めながら、厳然とした口調で、告げる。


「抹殺する」


 鉄の芯が通されたような宣告に、傍らで竜に乗り続ける少女の表情が強張(こわば)った。
 真正面から冗談抜きで「殺す」と言われたら、カワウソも同じ反応をするだろう。
 だから、何も言わない。
 言ってやれる言葉がない。
 しかも、自分の“仲間”から言われた言葉だとすれば尚更、少女の被った一撃は、重く、つらいものに相違ない。事実、少女は幼い容貌を蒼褪めさせ、目の端から雫をこぼしかけた。
 ──ヴェル・セークを抹殺する。
 ただ、そのためだけに、少女の仲間である彼らは、鎗を構え、剣を携え、手綱を握る力を強くする。

「邪魔立てするなら、貴公(きこう)諸共(もろとも)、討つ!」

 闖入者(ちんにゅうしゃ)のカワウソへ届けられた最後通牒じみた大声に、彼の跨る飛竜が応じるように()えた。
 続けて、幾多の滑空音が夜空を(つんざ)き、殺到する。

「に、逃げて!」

 カワウソたちに向けて、悲痛に叫ぶヴェルの声は小さい。
 八匹からなる飛竜らの口腔より轟く声に、かき消されたせいだ。
 乗騎である飛竜との阿吽(あうん)の呼吸により、彼らと彼女ら──見た感じ、何故か女ばかりだ──は非常に優秀な騎乗兵として勇名を馳せてきたのだろう。それほどまでに、飛竜騎兵部隊の連携は素晴らしく、互いの一挙手一投足、さらには僚友の名を呼び視線を交わすのみで、自分たちの役割と位置取りを決定していた。
 だからこそ、彼らは同輩であるヴェルとラベンダを、そして同乗者であるマルコも含め、短時間で追い詰め抜いた。
 カワウソという黒い鎧姿に赤い輪を頭に浮かべる人間(にしか見えないだろうな。堕天使は)に対しても、彼らの判断と能力は、遺憾なく発揮されることだろう。

 ──さて、どうするか。

 飛竜騎兵たちが屋上に殺到するまでの“数瞬”を、カワウソは対応手段の模索に費やした。
 聖騎士(ホーリーナイト)聖上騎士(パラディン)などの使う攻撃スキルは使用不可。強力すぎて手加減には向きそうにない。武器の使用も却下。連中の握る代物は、それなりの魔法が付与されているようだが、聖遺物(レリック)級にも届いていないだろう。いくらLv.100の堕天使であるカワウソでも──さらには神器級(ゴッズ)アイテムという最高位の力を保持するとはいえ、攻撃力増強効果のない“ただの足甲”で“軽く蹴り払った”程度で折れ曲がる鎗など、強度不足もいいところではないか。少なくともユグドラシルでは、この程度の攻撃でアイテムを破壊できたことはない。カワウソの両脚を覆う禍々しい造形の黒い足甲には、僅かな防御と、速度の能力(ステータス)値のみを特化させる機能しかありえないのに。

 結論。
 手加減して、戦う。
 そして、どうにかして、連中を無力化する。

 そこまでを決定した途端、四本の鎗が、頭上四方から襲い掛かった。
 カワウソは、屋上の床が砕けないよう、静かに宙へと「落下」する。
 ヴェルたちを抱え続けるミカも、それに続いた。事前に打ち合わせていた通り、カワウソの傍らに控え、都市外への脱出ルートを飛行させる。純粋な天使種族であるミカは、魔法や特殊技術(スキル)ではない特性として、空中を自由に飛行可能なのだ。鎧に纏わりついていた一対の白翼が、生物のように羽搏(はばた)き、夜空を叩く。
 そして、堕天使のカワウソは、落下から一転、焦ることなく魔法を発動。

「〈空中歩行(エア・ウォーク)〉」

 発動と同時に、足が空中を大地のように踏みしめ、不可視の足場を構築した。堕天使は最高レベル特殊技術(スキル)を発動しない限り、「〈飛行〉不可(できない)」という特性──デメリットがあるため、カワウソはこの魔法を使うことで“空”というフィールドを自在に駆け回ることを可能にしている。
空中歩行(エア・ウォーク)〉という信仰系魔法は〈飛行(フライ)〉ではなく、ご覧のように空中を踏みしめ歩くことを可能にする、第四位階の移動手段だ。上昇したり下降したりは坂道をのぼりおりする要領で行え、強い風が吹くフィールド環境の影響を強くうける。そのため、魔法詠唱者の第三位階魔法〈飛行(フライ)〉と比較すると、どうあっても使いにくい。あちらは素で地上を歩くよりも機動力に優れる移動手段であり、取得可能位階についても一個下だ。
 なのに、この信仰系魔法詠唱者に許された〈空中歩行(エア・ウォーク)〉は、発動者の通常移動速度の半分程度の速度しか出せない。魔法詠唱者よりも、神官や聖騎士のほうが肉体能力・速度に優れているが故の制約だ。
 にもかかわらず、その速度を目の当たりにした女騎兵たちが、叫ぶ。

「な、何なのよ! あの魔法ッ!?」
「マジックアイテムか何かなの!?」

 突撃が空振りに終わった飛竜騎兵たちが愕然となるが、無理もない。
 カワウソの速度と疾走距離は、瞬く内に騎兵たちの投鎗の威力と射程を超過していた。
 おまけに、魔導国の臣民である飛竜騎兵の知る魔法──〈飛行(フライ)〉とは、違いすぎた。

 カワウソは知らないことだが。
 100年後の魔導国において、実効力や運用能率の低い魔法を教えることはほとんどない。高度に教育体系化(システマイズ)された魔導国における魔法教義は、数多く存在する魔法の中で、より優先性や効率性の高い魔法のみを教授することを()としている。高位階に属しながら、それよりも低位な魔法で代用できる類の魔法は、よほど魔法理解に対する執着心がなければ、魔法の深淵に関する研究と探求に心血を注ぐほどの“キチ”でなければ、研鑽を積むどころか、その存在を認知しようという意気すら湧いてこない。魔導国の臣民は義務教育程度の魔法への理解を有しているが、それ以上の理解度となると、魔法詠唱者の学校……“学園”に通わねば、まず手に入らないだろう情報である。
 純粋な魔法詠唱者ではない飛竜騎兵の常識に照らし合わせて、カワウソという謎の闖入者(ちんにゅうしゃ)──ユグドラシルプレイヤーが披露した〈飛行〉の代用として発動させた魔法は、魔導国の一般的な(低レベルの)魔法詠唱者が必須とする乗り物……魔法の媒介となる「杖」や「箒」、「水晶玉」……などを必要としないスタイル。さらには、空にまるで見えない地面があるかのように疾走する動作というのは、明らかに〈飛行〉の魔法ではありえないモーションである。
 おまけに、空を駆け走るカワウソの速さも常軌を逸していた。
 カワウソの通常速度……その半分の速さにまで移動速度を減じられても、その疾走は黒い夜風のごとし。普通の〈飛行〉を使う魔法詠唱者と同等か、より上の速さだ。しかも、今のカワウソはまるで本気ではない。足甲の力を存分に発揮していないし、各種速度向上系統の強化(バフ)もかかっていなかった。騎兵連中に“追随可能な速度”をギリギリ維持している。
 それで、この驚愕。

「うろたえるな! 追うぞ!」

 冷静かつ沈着な隊長の叱咤に叩かれ、飛竜騎兵がカワウソたちを追走追撃する。

「……よし、っと」

 空を駆けつつ、堕天使は南に向かってひた走る。
 一刻も早く都市の外へ、都市の空を騒がせる位置取りから退避せねば。
 そのための最短ルートである南へ。
 陽が落ち、灯りが煌々と照り出す魔法都市の空は、(ドラゴン)の運航便や空飛ぶ魔法使いに魔獣の乗り手たち、さらには都市上空を飾るニュース動画や浮遊広告の水晶の画面(クリスタル・モニター)などで犇めいている。この騒動で、魔導国の警邏などが出動してきたら面倒だ。
 ミカにも、そのための逃走を厳命している。

「カワウソさん、どうして来られたんです!」

 振り返る。
 女天使に担ぎ上げられた飛竜──未だに翼が痺れて動かない相棒の背の上で、少女は糾弾に近い声を発した。「なりゆきだ」と応じるカワウソを、少女は涙を湛えた瞳で睨みつける。

「それに……『誰かが困っていたら、助けるのは当たり前』……だろ?」

 続くカワウソの声に、少女の背後にいた修道女が意表を突かれたように苦笑して、ひとつ頷く。
 女天使は無表情のまま、空を走り抜ける主に追随するのみ。

「カワウソ様、ご注意を」

 ミカの発する声に「何?」と疑問する間もなく。

「って、うぉっと!」
「ば、ばっきゃろう! 気を付けろい、(ニイ)ちゃん!」

 チラリと横目に女天使と少女らが共に逃げる姿を確認していたのがマズかった。
 横合いからすれ違うように、荷物を抱え運んでいた霜竜(フロスト・ドラゴン)の鼻先をかすめそうになってしまう。ミカが注意喚起していなかったら、まず衝突していただろう交錯である。
「悪い、すまん!」と竜の一声に吼え返して、カワウソは気合を入れ直した。
 カワウソは油断なく己の目的を果たすべく行動するのみ。
 瞬く内に、カワウソと追走者たち八騎は、都市外の空へ。
 さらに都市を離れ、街道からも外れ、余計な邪魔立てや警邏の干渉がなさそうな、都市から南東に位置する草原の直上に至る。しばらくすると、草の生えていない、降下地点によさそうな空き地を発見。周囲に人などの気配はない。
 ここら辺りでいいだろう。

「先に降りろ、ミカ」

 短く命じて、女天使とその荷物たちを草原の空き地に降下させる。
 Lv.100の熾天使は、飛竜と人二人を抱えても辟易した様子を見せていなかったが、戦闘には参加させない。ミカの戦闘能力だと、飛竜騎兵たちを“皆殺し”にしかねない。復活の魔法や特殊技術(スキル)、蘇生アイテムを消耗したくないし、それが通用する保証もないのだから、ここは慎重に戦わねば。
 発動しっぱなしの〈敵感知(センス・エネミー)〉で、夜を睨む。
 追ってくる八人と八匹──飛竜騎兵八騎を、正確に捉えた。
 それ以外の反応……敵はいない。
 カワウソは空を踏み締め、その場で身体の向きを反転。
 すぐさま漆黒の鎧の腰にある“鎖”を発動する。
 無骨な鉄色の輝きが、長く、長く、さらに長く、伸びる。
 目算で1~2メートルほどにまで伸びた鉄鎖を右手で回しつつ、狙いをつける。

「ん!」

 ゲームで慣れた感覚のまま、鎖の先端……狼の意匠を凝らした鉄色を、投げ縄の要領で解き放つ。
 鎖は空を自在に舞う飛竜の一体に向かって、飛翔。
 しかも、ありえないほどの伸長──50メートルは優に超えるだろう──を得て。

「ッ! (かわ)せ!」

 先頭の隊長騎たる青年の命令で、飛竜騎兵らはいっせいに回避行動をとる。だが、

「ちょ、なに!」
「うわ、っと!」

 右に急旋回しようとした女騎兵二人が呻いた。その乗騎たる飛竜もやかましく吠える。
 投げられた勢いのまま、さらに伸び続ける鉄の鎖は、それそのものが生きているかのように空中で蛇のごとくうねり、まっすぐな直線から、しなやかな曲線を描き、一匹の飛竜の首に巻きついたと同時に、騎乗者を含めて食らいつくように拘束。近くを飛行していた僚騎を巻き込む形になって、捕縛されていった。
 回避など無意味だ。
 この“レーディング”という、北欧神話の巨狼を繋ごうとした鎖の名を戴くアイテムは、カワウソの狩人(ハンター)の職業が愛用する捕縛用装備だ。その効果は「目標に定めた対象を自動追尾し、捕縛・拘束する」というもの。〈自由(フリーダム)〉などの付与された高位階のアイテムや魔法、無傷かつ強力な敵やモンスターには無用の長物でしかない聖遺物(レリック)級の中級アイテムだが、雑魚モンスターや低レベルな存在の生け捕りなどでは割と重宝した代物であり……どうやら、連中にも効果があるようだ。自動追尾の鎖は、最大補足員数である四対象──飛竜と騎兵のペア二騎を、拘束せしめた。

「なに、このぉ!」
「は、外れない!」

 まんまと拘束され自由を奪われた飛竜と騎兵らは、完全に無力化。空から落下するも、鎖は捕縛対象を傷つけることがないよう、地面に激突しない速度で、対象物を落下させる。
 鎖は、拘束に必要な量だけを残したまま中途で断ち切れ、元の状態に戻る。これで、他の対象を再捕縛する準備は整った。

「あと、六騎」

 再び鎖を手中で振り回すカワウソは冷静に、残る追走者たちを眺め見る。

「ハラルド隊長!」

 進退を問う雰囲気を滲ませた僚友に、青年は大いに顔を(しか)めている。
 ここでカワウソにかかずらっていては、彼らの目的──ヴェル・セークの抹殺任務は果たせない。しかし、黒い男の捕縛用装備(レーディング)は、いとも容易く飛竜騎兵を無力化できると実演された。慎重を期するならば、撤収することも視野に入れるべきだろう。
 だからこそ、カワウソは連中を退かせる気など毛頭ない。
 鎖を投げ放つ。

「そらっ」
「チッ! 躱せ、躱せ! 躱すんだ!」

 一辺倒に過ぎる命令だったが、それぐらいしか対処法がないのだから仕方ない。
 捕縛系統の攻撃に対策を取っていなかった己の不運を嘆いてくれと、カワウソはもう一騎の飛竜騎兵の男の腕を鎖で捕らえ、そのまま伸びる勢いに任せ飛竜の翼と近くを飛んでいた少女騎兵と竜を封じこみ、空中にて諸共拘束する。
 残りは、四騎。

「ここだッ!」

 瞬間、果敢にもカワウソの(ふところ)めがけ、青年隊長と女騎兵二騎、さらに白紫の短髪である熟練の老兵(ロートル)が挟撃をかける。

「全騎、突撃!」

 カワウソから伸びた鎖は、未だに伸びきったままだ。なるほど、レーディングの再使用までにかかるリキャストタイムを狙われたようだ。存外にやるじゃないかと感心すら覚える。
 しかし、

「くらえ!」

 青年と乙女、少女と老兵が差し込んできた鎗と剣、計四つの暴力を、カワウソは回避するまでもなく、受け入れた。
 ──より正確には、「回避しないでいたらどうなるのか」を確認したかったがために。
 そして、

「……ッ!!」
「な、何!?」
「なんで?!」
「何とッ!!」

 四人の一斉挟撃は黒い“鎧”に阻まれ、鋭い金属音を奏でたものの、その穂先を一寸たりともカワウソの肉体に突き入れられずに終わる。どころか、半分は何の用もなさずに砕け、鉄の破片を落としていた。
 カワウソには“上位物理無効化Ⅲ”という「Lv.60以下の物理攻撃を無効化」する特殊技術(スキル)があるが、それも使っていない。
 やはりと思った。
 この神器級(ゴッズ)アイテムの鎧の防御力──硬度が、あまりにも強大すぎるようだ。
 都市上空にて、足甲で鎗を捻じ曲げたのも、同じ理屈か。
 理解したカワウソは、“鎖”のリキャストタイムを終える。

「──レーディング」

 腰に巻き戻った途端、使い手の意思を受けた鎖が、自動捕縛を発動。
 遠距離では四体までしか補足できない鎖だが、自分に組み付く超至近距離にまで迫った対象を、一度に倍の八体──騎兵四人と飛竜四匹──まで捕縛できる機能によって、飛竜と、それに跨る男女の計八標的は、完全に無力化される。

「クソっ、この!」
「外せぇぇぇッ!」

 獣然と叫びながらも、地に降ろされた騎兵たちは慌て怯えることはない。
 自分たちがまんまと捕縛された事実を理解しつつも、何の痛痒(つうよう)もない拘束状態だから強硬な態度を保っている──わけではないだろう。

「貴公! 自分が、何をしているのか、わかっているのか!?」

 いや、知らんがな。
 降ろされた彼らと共に大地を踏み締めた堕天使は、嘆息してしまう。
 それが「わからない」からこそ、互いに話ができる状態に無理やりながらもってきたのだ。わざわざ彼らが追撃可能な速度を維持したのも、彼らから何かしらの情報が得られないかと期待してのこと。あとは、あまりスピードを出しすぎて、それに振り回されるヴェルたちの身に悪影響があることも危惧していたのとで、半々というところだ。
 懸命に拘束を抜けようと欲する彼らに何か言ってやろうかと思ったが、止めた。

「カワウソ様」

 翼を再び鎧に纏わせた女天使が、声をかけてくる。

「ミカ。そっちは無事だな?」

 当然と頷く女天使。
 ミカの傍らには、これまで無傷で済んだ少女ヴェル・セークが控え、少し離れた位置でラベンダの傷を“気功”で癒すマルコの姿が。

「さて、と」

 草原の空き地──かつては誰かが焚火でもして野営していたようなスペースだが、道らしい道はない。随分と長く使われていないようだ──で、まんまと拘束された騎兵たちに、カワウソは静かに向き直る。
 改めて、全員の装備を眺めてみると、同じ飛竜騎兵の部族というだけあって、ヴェル同様に装備だけは整った印象が強い。ヴェルの物と同じく肌色が剥き出しな部分があるのは、そういう規格統一がなされた結果であり、飛竜に乗る上での軽量化を期してのことだろうと推察できる。
 要するに、こいつらは正規の軍隊と同じく、上位者に従属する存在──魔導国の臣民ということの証左だ。

「ちょっと()きたいことがあるんだが?」

 なるべく優しげな声で問いかける。だが、当然ながらカワウソという闖入者および拘束者に対し、快く応じてやろうというアホは一人もいない。
 カワウソが数分で拘束せしめた連中は元気だった。捕縛はあくまで対象を「拘束」するものに過ぎないので、体力は有り余っているのが当然である。カワウソのことを口々に痛罵(つうば)する甲高い声に、横にいるミカの表情が夜闇の中でもわかるくらい暗くなっていくのは何故だろう。
 そんな中、冷徹に状況を見定めていた青年が、呟く。

「致し方、ない──起動!」

 カワウソは少し驚く。
 青年の発した声に合わせて、彼の首飾りが淡く輝き──瞬間、カワウソの装備である鎖が、捕縛機能を一斉に解除される。
 そして、八人の騎兵と八匹の飛竜が自由を得たのだ。
 考えられる可能性はひとつ。

「拘束を抜けた、か。〈自由(フリーダム)〉のアイテムでも使ったのか?」

 しかも、対象は自軍勢力全員へという“全体効果”版だ。別に珍しくもないアイテムだと思われる。
 あの首飾りがあやしいが、装備の効果は一回分しかなかったのか、見る間に消失してしまった。

「御免!」

 律儀に吠え真っ先に突進する青年の剣撃に対し、カワウソはかなり手加減した上段蹴りを、慣れた調子で浴びせようとして、

「〈不落要塞〉!」
「うおおっ!?」

 あまりにも重い金属音が、けたたましく鳴り響く。
 カワウソは己の蹴りを、青年の剣によって弾かれた(・・・・)
 神器級(ゴッズ)アイテムの足甲が、ただの剣だろうアイテムに、阻まれたのだ。
 愕然とするカワウソに、

「〈即応反射〉!」

 続けざまに唱える青年の剣が突き立てられようとして、

「おっ、と」

 籠手も何もない──腕輪(バンド)しか装備されてない腕一本で払い除けることに成功。
 やはり、青年の剣が凄まじいアイテムということではないようだ。

「そ……そんな、馬鹿な……武技もなしに、どうやって?」

 今度は青年の方が驚愕に目を見開いていた。
 カワウソは、先ほどはカットしていた常時発動型(パッシブ)特殊技術(スキル)のひとつ“上位物理無効化Ⅲ”を発動したのだ。特殊技術(スキル)のオンオフもだいぶ熟れてきたもの。この特殊技術(スキル)がある以上、LV.60以下の攻撃は、カワウソという異形種プレイヤーには通用しない。ゲーム時代は、カワウソの主要な狩場ではあまり使えない微妙系な特殊技術(スキル)であったが、意外と使いようがあることに使用した本人が驚きを覚えている。
 カワウソは話しかける。

「意外とやるな。“第二天(ラキア)”の硬度に対抗できる武器って感じはしないのに」

 体勢を整え、爪先で地面を叩きながら足甲の名を呟く堕天使は、目の前で起こった出来事を脳に浸透させていく。
 これは貴重かつ重大な情報だ。
 レベルは大したこと無さそうな青年であるが、脆弱な武装で、そして何らかの手段によって、カワウソの攻撃を防いだのだ。いくらカワウソのステータスが異形種の中では微妙と言っても、推定されるレベル差を考えるとありえないとしか言いようがない。おまけに、この足甲はカワウソの剣や鎧などと共に、かつてランキング上位に位置した天使ギルドが引退解散する際に払い下げた神器級(ゴッズ)アイテムのひとつだ。この足甲の蹴りで、魔法都市上空では大きな鎗を折り曲げた事実を思えば、ただの剣など(ひし)げ砕けてもおかしくはないはず。この世界独自の技法だろうか。それとも、飛竜騎兵の青年が保持する未知のアイテムか何かだろうか。
 そんな悠長に構え、状況検分に勤しみながら対峙する男に、他に鎖から解放されていた三人が剣を抜いて駆け出していく。

「この!」
「ふっざけんな!」
「ハラルドから離れろ!」

 少女らの握る三つの剣が、堕天使の胸の鎧──は、ダメージを与えられそうにないので──その間隙(かんげき)である関節部や接合箇所を狙いすます。
 しかし、その目論見は叶わない。

「……『控えなさい』」

 女天使の重く清廉な声が、三騎の突撃行動を、さらには残る騎兵や飛竜までをも、静止させてしまう。
 ──カワウソは知覚できなかったことだが。
 少女と飛竜らは、女天使の背後から放たれる光輝を、確かに見た。
 状況から見て多分、上級の天使が扱う特性である“天使の後光(エンジェル・ハイロウ)”の「畏怖」の効果によって、低レベルの人間でしかない彼女たちは、ミカの後光に畏れ、身動きが取れなくなったようだ。

「ぐ……がっ?」

 さらに、その効果はカワウソと一騎打ちの形で挑んでいた青年にも及んだが、

「ミカ。こいつの相手は俺がする。手出しはしなくていい」
「──ですが」

 逡巡する女天使を、半ば睨みつけるように「いいから」と命じる。
 不満そうに肩を落とすミカ。彼女の特殊技術(スキル)の対象から、青年が除外される。
 無論、女天使の後光から解放された彼は、疑念した。

「……どういう、おつもりか?」
「気にするな」
「……尋常な勝負を、お望みか?」
「そんな構えたつもりはないが──とりあえず、やってみてくれ」

 カワウソの真意を(はか)りかねる青年は、騎兵の剣を脇の位置に構え、左手を鍔に添えるように刺突の型をとる。
 完全にペースを青年の側に預けるカワウソは、依然として無手のままだ。構えらしい構えもない。

「……剣を」
「──ん?」
「剣を、お持ちではないのか? 貴公、その鎧──姿で?」

 鎧と呼ぶには少し奇怪な造形に見えたのだろう。実際、普通の──飛竜騎兵の彼らが装備している銀色のそれに比べて、カワウソの黒い防備は禍々(まがまが)しい印象が強い。外衣(マント)で隠れる背中部分を見ると、その印象はより顕著になること受け合いだ。

「もし良ければ、私の部下の剣をお貸ししてもよいが」
「いや? 持ってるが?」
「ならば、構えていただきたい。丸腰の相手に正面から切りかかるのは、戦士の恥です」

 ここまで散々戦ってきているのに、そういうところをこだわる青年の愚直さが、どこか笑えた。感心したと言ってもいい。
 だから、はっきりと告げておく。

「すまんが、それは無理だ」
「……何故(なにゆえ)?」
「おまえらを殺したくないんでな」

 完全に上から目線の発言だった。
 彼を隊長と仰ぐ飛竜騎兵たちから「ふざけたことを!」と不満の声が噴き出す。ミカがそちらをジロリと睨むとすぐに黙るが、敵意は依然として健在である。
 双方共に、これは致し方ないことだ。
 カワウソのメイン装備である“天界門の剣(ソード・オブ・ヘヴンズゲート)”の攻撃力は、伊達に神器級(ゴッズ)アイテムに列せられていない。ちょっとかすった程度で……あるいは、青年が突進してきた勢いのまま剣を鎧を諸共に貫いて、殺し尽くすことも十分にありえた。拠点の金庫や武器庫を漁れば、弱い初期装備くらいはあるだろうが、今カワウソの手元にあるのは、完璧万全な“戦闘用”のものばかりである。これらは使うわけにはいかないだろう。


 何故なら。
 魔導国の民は殺さない。
 厳密に言えば、殺すべきではない。


 その基本方針を覆していない現段階で、(いたずら)に剣を抜くわけにはいかないのだ。
 無論、彼の放つ独特な戦闘能力──不落要塞(フラクヨーサイ)、と言ったか──があれば、防ぐこともありえるかもだが、勢い余って殺しちゃいました、なんて馬鹿馬鹿しすぎる。
 カワウソの余裕をどう受け取ったのか、青年は深く呼吸し、剣を持ったまま、大地に四肢を這わせるように身構える。ただし、許しを請うような形ではない。

「……武技(ぶぎ)

 それは、四足獣のモンスターが、獲物に向け飛び掛かる直前の姿に似ていた。

「──〈疾風走破〉!」

 瞬間、怒濤の風と化した青年の速攻。
 兜などの守るものがない剥き出しの頭部……カワウソの眉間に叩き込まれようとする刺突攻撃を──

「……すげぇな」

 驚嘆する男の、堕天使の浅黒い剥き出しの掌が、文字通り眼前で、難なく刃先を掴み受け止めていた。
 爆風になびく黒い前髪すら、一本も切り裂くことは出来ていない。赤黒い輪っかも、微動だにしていなかった。
 カワウソは小声で、起こった出来事を確かめる。

「これ、ただの人間の身体能力じゃないだろ……魔法の強化(バフ)って感じもしないし」

 余裕綽々と目の前で起こった事実は何なのだろうと確認する堕天使。
 ほとんど反射的に刃先を掴んだ掌には、血の色は勿論、擦り傷ひとつ走っていない。

「ッ! これでも、駄目か!」

 半ば予想していたらしい青年が苦し気に呻いた。
 そして、我慢の限界という様子で、吠えたてる。

「頼むから、邪魔立てするな! これは、我等セーク族の問題! 余人が首を突っ込むべきことではない!」
「って言っても、なぁ……ん? 待て、……セーク族、……問題?」

 青年の剣幕など何処吹く風という感じで、カワウソは新たな情報に首を(かし)ぐ。
 (いわ)く、セーク族の問題?
 あれだ。“セーク”とは、確か、ヴェルの名字じゃなかったか?
「まさか」という思索に囚われ、剣を掴みっぱなしで黙考するカワウソに業を煮やし、若者は剣を……押しても引いてもビクともしないので、仕方なしに手放した。
 そうして改めて、ここまでの成り行きを眺めるしかなかった抹殺対象の少女(ヴェル・セーク)を、青年は睨み据える。

貴女(あなた)のおかげで、我等(セーク)の汚名返上の機会は失われた……式典における飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の招集は撤回され、ヘズナ家との確執は広がるばかり! 今回のこれが、最後の好機であったというのに……よもや、貴女(あなた)が……セーク族長の妹御(いもうとご)がッ……このタイミングで、暴走なさるとは!」
「ま、待って! 私は!」
「問答無用と言っている!」

 剣がなくとも少女を切り殺しかねない言葉の鋭さ。
 蚊帳の外にされるのはしようがないとしても、カワウソは冷静に、けれども軽い口調で、怒る。

「──少し、落ち着けって」

 視界に映る騎兵、ヴェルを含む全員が、身を震わせる。

「人の話は最後まで聞いてやったらどうだい……なぁ?」

 自分自身でも、暗く薄気味悪いと判る声をもらしてしまうが、もはや構うものか。
 言外に「あまり、俺をイラつかせるな」と言う雰囲気を、かすかにだが、滲ませてしまう。本当に申し訳なく思うが、説明がなければ話にならないのだから、しようがない。
 堕天使の軽い威圧は、思いのほか飛竜騎兵の若者と、その背後に居並ぶものたちをすくませた。堕天使の狂相は、人の美意識にとっては実に醜悪極まりないもの。そんな面貌で、こんなにも険悪な声を響かせたら、尻込みするのも当然か。後ずさり、震え上がり、堕天使の表情を注視せざるを得ない飛竜騎兵ら。だが、中には仲間や相棒にしがみついてないと、自分の身体さえ支えられないものまでいるというのは、……ちょっと傷つくな。
 しかし、そんな中ハラルドは、毅然とした態度のまま、尊厳に満ちる実直な声を奏でてみせた。

「貴公。やはり只者(ただもの)ではないと、お見受けする。
 ……魔導王陛下の、……親衛隊か、何かか?」

 カワウソは肩を(すく)めるだけで、応じない。
 ハラルドは、頬伝う汗を拭うことも忘れ、朗々と主張する。

「いずれにせよ……これは我らが族長から命じられたこと。ひいては、魔導国の王にあだなした存在を(ちゅう)するための行い。故に、貴公が反抗するとあら……ば、……?」

 青年の呼吸に微動する喉元を、いつの間にか眼前に迫った人物──金色の輪を頭上に浮かべる騎士風の女──ミカが、手元に握る剣の先で、撫でていた。

「反抗したら、……何だというのです?」

 ほんの一ミリ、剣を突き出すだけで、冷たく光る刃が肌を貫くことは確実な未来。
 誰も──カワウソすら──知覚できない、一瞬の出来事。
 ミカは、最初からそこにいたかのように、主人に害なす奴儕(やつばら)を引き裂くポジションを確保していた。鋼のように硬く堅く構築された、暗い無表情と共に。

「な……何者、なの、だ、……あなた、方は?」
「どうでもいいことを()かないでほしいものであります。
 それよりも、答えやがりなさい。それが何だと(・・・・・・)?」

 カワウソは舌打つ。
 後ろに退く青年を追わんとしたミカの握る光剣を、空間から取り出した聖剣で、硬い音を奏でるように押さえて強引に下げさせる。

「やめろ、ミカ。殺しは厳禁、と言ったよな? ……下がってろ」

 暗い声で諫められる天使は、主を睨み、鼻を鳴らしつつ、あっさり剣を引いた。
 カワウソは冷静だった。ここで「魔導王のために動いている」存在を殺すのは、よろしくない。何があろうと避けねばならない事柄だ。
 そんなことをすれば、カワウソたちは完全に魔導国の敵対者と見做(みな)され、蹂躙される未来が待ち受けるだろう。
 まぁ、そうなったらそうなっただが(・・・・・・・・・・・・・)
 さらに言うと。今、目の前で起こる人死(ひとじ)にを、カワウソの常識が忌避して止まなかったことが大いに影響を及ぼしている。

「説明してくれないか? そうしてくれれば、とりあえず俺は(・・)助かるんだが?」

 凍てつく刃の声色──ミカの尋常ならざる殺気から解放された青年に、カワウソは明朗に催促してみる。

「……いいでしょう」

 無傷の首を撫でる青年が応じると、部下である騎兵たちも矛を収める意思を示すように頷いた。
 カワウソも、左手にあった青年の得物を返却してやる。
 不用心極まりない判断かもしれないが、それでまた切りかかってきたら、また捕縛してやるだけだ。こいつらの戦闘パターンは読み切れているし、強さもヴェルと大差ないのであれば、万が一にも自分たちが殺されることはあり得ない。
 そんなカワウソの心配は無用だとでも言いたげに、全員が装備されている剣を鞘ごと外し、鎗や短剣まで捨てて、投降の意思を(あらわ)にした。





 ×





「ああ~、惜しい! 惜しかったですね~、今のは!」
「何ガ、惜シカッタノダ?」

 最上位悪魔(アーチデヴィル)の語る声に、蟲王(ヴァーミンロード)は凍てつく息と共に疑問を吐いた。
 魔導国「国軍」の最頂点に位置する“大将軍”を拝命されているコキュートスには、水晶の画面に映し出された今の戦闘で、惜しむべきところなど発見できなかった。堕天使の捕縛技はなかなか洗練されていたが、実際の戦闘力は未知数のまま。捕縛の対象に据えられ、まんまと降伏せざるを得なかった飛竜騎兵の部隊についても、善戦と呼べるほどの場面はひとつもない。想定される彼我のレベル差を考えれば、飛竜騎兵たちが無傷で済んだことは驚嘆すべき戦果やも知れないが、魔導国の国軍を預かる大将軍としては──いくら中流の、三等臣民とはいえ──もう少し頑張れと思ってしまうというのが本当である。
 しかし、叡智に優れる“大参謀”は、武力や戦闘とはまったく違う角度から、痛切な感想を懐いてならなかったようで。

「奴が──というか、あの女天使が、あのまま飛竜騎兵の彼等に危害を加えてくれていれば、もう少しで我々の大義名分の“第一”が立ったところだったのですがねぇ?」

 デミウルゴスが「実に惜しい」と評した内容を理解し、コキュートスもすぐに納得する。

「ナルホド。政治戦略トシテ、民ノ(イノチ)ニ害ヲ成シタ瞬間、彼奴等(キャツラ)ヲ討伐スル任務ガイタダケタハズ──トイウコトダナ?」
「まさに」

 この100年で驚くほどの戦上手と化した友に、悪魔は祝福の笑みを浮かべ肯定する。
 大義名分。
 それさえあれば、連中を完膚なきまでに制圧蹂躙できるのだ。
 魔導国の民を、一方的に害する者が現れれば、それは即ち魔導王の、アインズ・ウール・ゴウンその人の御敵(おんてき)にほかならない。
 無論、連中の戦力評価や戦術分析を入念に重ねて、保持しているやも知れない最大脅威──世界級(ワールド)アイテムなどの有無や、その機能など──が判明するまでは、(いたずら)に手を出すことは出来ない。そのために、デミウルゴスやアルベドは、奴らの戦力を推し量る機会を、──そのための戦闘状況を──つぶさに構築していっているのだ。
 だが、いざ連中を討伐し果せる際に、そういった大義と名分が揃っていなくては話にならない。デミウルゴスの娘も、そのための布石として街を散策させたのである。

 魔導国は、魔導王であるアインズは、無益な殺戮(さつりく)を好まない。

 しかし、殺戮に有益なものがあると判断されれば、喜んでその叡智と威力を示してくれることは周知の事実であり、これまでの経験則であるのだ。
 あの堕天使と、あれが率いているだろう天使ギルドを滅ぼすことが「益」となることは、デミウルゴスからしてみれば必定の事実。
 100年周期で現れるプレイヤーへの“生体実験”。さらには、他ギルドに属するNPCの“実態調査”など、これまで判然としていなかった情報を探る上で、奴等には是が非でも、魔導国の「敵」となってほしいところなのが、悪魔的頭脳を誇る大参謀の本音である。勿論、お優しいアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下の威光に浴し、「従属する」というのであれば、アーグランド領域・信託統治者であるツアーの保護下にある、あの八欲王の遺産たる者たち同様、安寧を与えることも十分ありえることでは、ある。
 そして、あの堕天使である男は、今のところ魔導国に対し、積極的に害をなそうという意志や姿勢は垣間見えない(ちなみに、アインズの作成した中位アンデッドや、魔将の配下の悪魔が召喚した雑魚悪魔モンスターである猟犬などについては、大したコストが必要というわけではないため、別段狩られ滅ぼされても良いらしく、アインズ本人はあくまで、“魔導国の臣民たる者たち”への殺戮行為のみを、反撃の理由に使うべきと定めている。沈黙の森で吹き飛ばされた追跡隊については、むしろ滅ぼしてしまう方が、常識的かつ良識あるプレイヤーならば当然な対応だったわけだ)。
 追われていたヴェル・セークを匿う行動も、派遣したマルコとの遣り取りも、そして今しがた見せた敵対行動をとる魔導国の臣民たちを“無傷”で“無力化”した事実を見ても、すべてアインズの眼鏡にかなう対応判断であったのは大きい。
 連中が歩み寄る場合、アインズは連中が魔導国に従属することを許す(アインズ本人の感覚としては、「手を携えていきたい」)姿勢を見せているのだ。それに反駁(はんばく)する理由などデミウルゴスには存在しない。
 ──しないのだが、悪魔的な思考と嗜好から、堕天使たちが敵になってくれることを、彼個人が祈念するのは極めて正しい思想理念でしかない。それが最上位悪魔としての必然であり、アインズ・ウール・ゴウンに仕える大参謀として必要なことであるのだから。

「はてさて、彼らはどれほど頑張ってくれるのでしょうね?」

 この100年後の魔導国に舞い降りた堕天使のプレイヤーを、彼らは観察し続ける。
 微笑みを深め嘲笑する友たる悪魔に、蟲王(ヴァーミンロード)は同意するように凍えた吐息で唸った。





 








 今後は不定期更新になるかもです。ご了承下さい。

 飛竜騎兵に関する情報などは、”書籍四巻などを参考”にした「作者の独自設定」です。

 第一章の三話「救出」で使おうとしていた鎖がやっと登場。
 以下は、カワウソの使った捕縛用装備の参考情報。
 読み飛ばしていただいてかまいません。


 作中のカワウソの装備のネタなどについて01

・レーディング

 北欧神話に登場する巨大狼・フェンリル。
 悪戯の神ロキの産んだ三兄妹の怪物、その長男。弟はヨルムンガンド。妹はヘル。
 その身体は巨大で、口を開けば上顎が天に、下顎が地につくほど。
『ラグナロクによって、フェンリルは最高神オーディンを殺す』という予言により、フェンリルを危険視した神々が彼を封じるべく、鎖で繋ごうとするがうまくいかず、後に用意した強力な鎖が “レーディング” という。神々は「力試し」と(そそのか)して、フェンリルを封じようと試みる。
 だが、レーディングはフェンリルの力でやすやすと引き千切れ、神々は次にレーディングの二倍の強度を誇る“ドローミ”を使うが、これも破壊される。神々は最終的にドヴェルグ(ドワーフ)に創らせた魔法の紐“グレイプニル”を使ってフェンリルを封じることになるが、さすがに事態を怪しんだフェンリルはこれを拒否。彼を納得させるために、戦争の神・テュールが人質としてフェンリルの口に右腕を突っ込んだ後、グレイプニルでフェンリルを縛る。結果、騙されたとわかったフェンリルは、テュールの右腕を食いちぎるも、そのまま封じられた。
 このようにして封じられてしまったフェンリルであるが、神々の黄昏(ラグナロク)の時には封印から解放され、予言の通りオーディンを丸呑みにして喰い殺してしまう。


 今作内では、狼の意匠を先端部にあしらった魔法の鎖/狩人専用の捕縛用攻撃アイテム(聖遺物(レリック)級)の名につけられている。低レベルモンスターなどを複数体、高レベルモンスター(体力消耗)一体を捕縛、生け捕りにすることが可能。
 他にも、”ドローミ”や”グレイプニル”などの上級の捕縛アイテムもあるが、職業:狩人(ハンター)のレベルが低いカワウソでは扱えない為、拠点の屋敷に死蔵されているらしい。






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/Wyvern Rider …vol.2





 





「とりあえず、こんなもんか?」

 街道を外れた草原の真ん中。その中で大きく開けた場所で──かつては誰かが野営地にでもしていたのか、かまどのような石組みがあったそこで、カワウソたちは火を起こした。本物のアウトドアなんて当然初めてのカワウソであるが、果たして、これがアウトドアというものなのか、疑問を(いだ)く。
 火を(おこ)すと言っても、中世のような火打石で着火、ということはない。
 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の一人が従える、火のような紋様を顔面から首にまで描く飛竜(ワイバーン)が吐き出した火で、カワウソの野営用アイテムである一本の丸太──無限の薪材(エンドレス・ファイアウッド)を燃やしている。このアイテムを燃やす時は、それ専用の道具・火蜥蜴(サラマンダー)(じるし)燐棒(マッチ)(ひと箱50本)を使うものだったのだが、薪は問題なく燃焼してくれている。
 カワウソの認識としては、火属性を扱う飛竜の性能──〈火球(ファイヤーボール)〉などとは明らかに違う。ゲームにおいて攻撃魔法の火では、このアイテムを燃やすことはできないはずだから。というか、火を吹く飛竜自体が珍しい──に驚いてしまったのだが、それよりも飛竜騎兵の方こそが、驚愕と驚嘆の連続のようだった。

「ねぇ、もしかして、今の」
「ええ。なにもないところから道具を出したわ」
「さっきも、剣を突然、出してた、よね?」
「空間、魔法……とか?」
「族長と同じで、魔法の荷袋でも使ってるのかしら?」
「てか、あの薪。なんだアレ。たった一本で、普通あんなに燃え上がるか?」
「ふむ。油でも塗ってるわけでは……なさそうですがね?」

 現地人の彼女ら彼らには、カワウソが取り出し見せたすべては非常に珍しいアイテムだったようで目をキラキラさせていだが、これはユグドラシルだと割とポピュラーなキャンプ道具(PKの的になるが、火を使う料理などでは必須になる調理器具の一種)でしかない。アイテムボックスというものも、彼らの常識的には理解不能な代物なようだ。……いや、カワウソ自身も、どうしてアイテムボックスが普通に使えるのか、一応不思議ではあるのだが。考えてもしようがない。
 さらにカワウソは、無限の水差し(エンドレス・ウォーターピッチャー)を取り出して、ここにいる人数分のコップ──合計12個も供出する。この水差し(アイテム)は小さな見た目に反して、かなり大量の“水”を保持し、「渇き」などの状態異常を回復させることを可能にするアイテムで、ゲームではよく自分用や生け捕りにしたモンスターに使っていた品だ。ここにいる人数分を遥かに超過する量であることは、ヴェルの相棒であるラベンダの前に出された盆に張られた水量を見れば、いやでもわかるだろう。連中はさらに目を丸くしてしまった。
 最初こそコップ入りの水を警戒……毒や睡眠薬でも入ってないか不安視する者らが大多数だったが、カワウソとヴェル、それにマルコが並べ置かれたコップの中から無造作に選んだ水を飲み干し、それを見ていたハラルド──隊長たる男が先頭に立って、ガラスコップの中身を一気に干した。

「せっかく、厚意によって提供されたものを、無下にするのは恥ずべきことです」

 そう言う青紫の長髪に二つの赤いメッシュを刻んだ青年の態度は、実に堂々としていて、割と好印象なのだが、逆にそれが危うい気もする。毒無効のアイテムでも装備しているのなら話は別だが。
 隊長たる者に追随するように、三人の飛竜騎兵もコップの中身を呷り出した。警戒心の強い半分は、(がん)として水を飲もうとはしなかったが、カワウソは別に気にしない。構わずおかわりを自分のコップに注いで、飲み干すだけだ。当然、毒なんて何も入っていないし。水を飲んで落ち着くというのは、人としてはなんてことない生理現象のひとつである。……堕天使で“(ひと)”というのはアレな気もするが。
 ここまでのことを(かんが)みるに、飛竜騎兵というのは、あまり魔法のアイテムに明るくない連中なのだなと思考したところで、先ほどの会話を思い起こす。
 確か『我等セークの汚名』が、うんぬん。
 ひょっとすると、彼ら飛竜騎兵の部族というのは、魔導国ではそんなに良好な立ち位置にはないのかもしれない。ヘズナ家とやらとの確執、というのも気にかかる。
 原因は何だろう。
 力がないから? 学がないから? 先祖代々の因果から? 汚名というからには、何らかの罪を働いたというのがありそうなところだろう……反乱か、暴動か──テロだったりしたなら、カワウソ個人としてはちょっと洒落(しゃれ)にならない。
 とりあえず、簡素な会談の場が整い、カワウソたちと飛竜騎兵の討伐部隊は、共に大地の上に腰を落ち着ける。

「あらためて名乗りましょう」

 カワウソ、ミカ、ヴェル……三人に対して、飛竜騎兵の男女八人が、焚き火を境界とするように相対する。ちなみに、マルコは再び傷を負ってしまっていたラベンダの治療に引き続きあたっており席を外していた。
 そんな中で、八人の騎兵を統括する立場にある青年が、堂々と名乗りをあげる。

「私の名は、ハラルド・ホール」

 セーク族の一番騎兵隊隊長の座を預かる青年は、驚くべきことに「歳は“19”だ」と宣言する。
 もう少し上の年齢……いや正直、二十代後半か三十代前半と思っていたカワウソは無言で驚嘆しながら、青年──じゃなくて少年か──の言葉を聞き続ける。
 ハラルド少年の説明を簡潔にまとめると、自分たちは “族長”からの命令によって、セーク族を率いる長の妹……ヴェル・セークを発見討伐すべく派遣されたとのこと。
 それを聞いたカワウソは、とりあえず振り返って、疑問を口にする。

「セーク族の、(おさ)の……妹?」
「…………はい」

 振り返った先で、ヴェルが頷く。
 ヴェルには確か……魔法に詳しいらしい姉がいるという話を、森で聞いた気が。
 それがよもや、飛竜騎兵の一部族を治める族長であったとは。
 少女の沈鬱な表情は実に痛々しいが、それに構ってやる暇も余裕もない。
 カワウソは再確認するしかなかった。

「えと、おまえらは、その族長……つまり、あれか……ヴェルの、その、……“姉”の命令で?」
「そうです」

 ハラルドは肯定する。
 カワウソは絶句した。
 隣に座る少女は、部族の長から、自分の家族から、血を分けた実の姉から、抹殺されようとしていたという事実。
 堕天使となったカワウソは、その事を理解し納得することに抵抗がなかった。考えてみれば、ヴェルは式典の演習とやらを邪魔した咎で追跡を受け、逃げ出し、あろうことかカワウソと出会ったことで、追跡部隊を全滅させてしまった罪状がある。いくら場当たり的に、やむを得ない事情や心情が重なった結果とはいえ、国家に反旗を翻したと判じられても仕方のない蛮行であったのだろう。堕天使はいっそ冷淡なほど、彼女の身に降りかかった災難……身内である姉や幼馴染ら、部族の者らに抹殺されようとしていた現実(いま)を理解した。
 しかし、
 それでも、
 ひとりのユグドラシルプレイヤー……(ひと)としての常識や良心が、その酷薄な物語に対応しきれなくなったのも事実だ。

「それは、いくら何でも……」

 (ひど)くないかと続ける前に、ハラルドの表情を見て、言葉に詰まる。
 青年──少年は、心底から、嘆きと悲しみに彩られた相を隠していると、つぶさに見て取ることができたからだ。必死に隠そうとしているが、こう真正面から冷静に眺めると、なんとなくわかる。
 そして、彼の仲間たちも──真実、ヴェルを誅戮(ちゅうりく)することを、受容できているわけではないらしい。
 しかし、断じてやらねばならなかった。
 それがヴェルの姉の、セーク族の族長の、そして何より、大陸全土を統べる者の、魔導国の王への忠臣であるならば。
 戦士として。
 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)として。
 部族を代表する者らの責務として。
 否も応もなく、ハラルドは自分たちの任務を、使命を、完遂する意気を見せつける。

「この際、貴公らの出自や所属は問いません」

 表情と同様、巧みに隠された感情とは裏腹なほど残酷に響く声音で、少年は告げる。

「ヴェルを……ヴェル・セークを、こちらに引き渡していただきたい」

 それですべてがおさまると、ハラルドは宣した。
 カワウソは、考える。
 考えて、考えて……
 そして、言った。

「はい、そうですか……なんて俺が言うと思うか?」

 ほぼ全員──部下であるミカ以外の誰もが、息を呑む。
 そんな反応に対し、堕天使は呆れたように肩を竦めてしまう。

「冗談じゃあない。ここまでヒトを巻き込んでおいて、あとは知らぬ存ぜぬを決め込めと?」

 挑むような口調になってしまう。
 だが、どうしても、カワウソは納得がいかなかった。

「貴公には関係のないことです。とても納得し難いことは重々承知。ですが、どうか、このまま引き下がって」
「引き下がれる状況だと? ──族長とやらの命令を邪魔した時点で、一蓮托生だ。というか、ヴェル・セークを助けた俺を放置するのは、それはそれで問題じゃないのか?」
「……では、何故ヴェルを助けたのです?」

 ハラルドの問いが、それまで軽快だったカワウソの口舌(こうぜつ)を封じ、堕天使の臓腑に重く響いた。返答に詰まりかける。
 しかし、

「『誰かが困っていたら、助けるのは当たり前』だからですよ」

 応えた声は、カワウソのものではない。
 見上げると、飛竜の傷を塞ぎ終えた男装の修道女、マルコ・チャンが、会談の場に加わるべく歩み寄っていた。
 カワウソは(たず)ねる。

「ラベンダの容体は?」
「毒を抜いて、傷もやっと塞ぐことができました」

 魔法都市で買っておいた飛竜用ポーションは最高品質を謳う品であるが、毒や麻痺などの状態異常を全快させる効力はなかった。それをせずに治療をしては、内部に残留する毒物によって継続追加ダメージが発生する。治療は難しかったが、カワウソたちのおかげで毒抜きの治癒に専念できたのが大きいと、マルコは誇らしげに宣言する。
 会談の地に腰掛ける謎の修道女に対し、ハラルドは冷たい視線で問い質す。

「失礼ながら、貴女(あなた)は、一体?」

 ヴェルと共に飛竜に騎乗し、あまつさえハラルドたち飛竜騎兵の誇る投鎗を、手袋に包まれた“拳”で弾いていた乙女は、静かに答えを紡ぎ出す。

「私は、ただの“放浪者”です」

 微笑みながらマルコは胸元に隠していたネックレス……その先端にある小さな水晶をさらして示す。街道に立っていた死の騎士(デス・ナイト)に示したものか。
 納得したように、あるいは夢見るように、頷きを返した飛竜騎兵たち。
 乙女の手元で左右に振れる水晶の様を見たカワウソは、何かを思い出しそうになるが、判然としない。大したことでもなさそうなので、あまり気にしないことにする。

「今度は、こちらから質問を──あなた達は、王陛下にあだなした者を誅すべく、族長の命令を受けて、ということを言っていましたね?」
「…………それが、何か?」
「それは、魔導王陛下の裁可の下に、行われた命令なのでしょうか?」

 怪訝(けげん)そうにハラルドは眉根を寄せる。

「いや、……そのはずですが」
「であれば、陛下からのお達しを明文化された“代理執行許可状”は? あるいは、“勅令状(ちょくれいじょう)”をお持ちではないのでしょうか?」

 少年の眉根がさらなる困惑に歪む。
 マルコの口調は、清流のように滞りなく一行の耳に注がれたが、ハラルドは困惑の渦に巻き込まれ、その後ろの騎兵たちも、誰一人としてそんなものは持ち合わせていなかったようだ。
 はじめてそんなものがあることを知ったような表情で、彼らは首を横に振る。

「だとしたら。あなた方がいくら同輩の徒であるとはいえ、ヴェル・セークさんを誅することは許されないはずです。この大陸の臣民、その命の裁量権は至高なる御身ただ御一人のもの。王陛下からの命を受けているわけではない以上、誰であろうと武力でもって他人を害することは許されない。陛下からの許しを、命令を受諾したという証拠を提示できなければ、ヴェル・セークさんを引き渡すことは拒否させていただきます」

 微笑みを深めつつも、マルコは厳格に言ってのけた。
 カワウソは思わず目を丸くして、優しくも厳しい物言いを披露した女性を見つめる。
 自分がいた現実世界でも、警察が人の身柄を拘束したり家宅捜索をしたりするのにも、裁判所から発行される“逮捕令状”や“捜査令状”が必要だったはず(現行犯でなければ)。王政を敷いているはずの国の中で、そういった明文の重要性──令状の必要体制が確立されていることに驚いてしまった。王の命令は絶対としても、それを笠に着た私掠(しりゃく)弑逆(しいぎゃく)は認めない法制度が樹立されているとすれば…………アインズ・ウール・ゴウン魔導王は「王政支配を建前にした“法治国家”の概念」を築いていることを意味する。魔法都市の暮らしぶりを省みても、とても暴君によって治められた恐怖政治な様相がなかったのも、そこに根があるのかもしれなかった。
 カワウソは思う。ひょっとすると、魔導王というのは、大陸を統一する象徴的な存在に過ぎないのか。
 マルコは続ける。

「あまつさえ。あの時、都市にてあなた方に襲われる直前、ヴェルさんは自ら率先して、都市にあるアンデッドの衛兵駐屯地に「出頭」しようとしたところでした。そこへ現れ、問答無用に危害を加えんとしたあなた(がた)は、むしろ彼女を“妨害”してしまったことにもなりかねません。いきなり戦闘になってしまってお話を聞いていただけませんでしたが──むしろ私は、あなた(がた)の方にこそ、今回の出陣は早計……“非がある”と申し渡してしまうより他にありません」
「そ、それは……」

 魔導国の内実、法体系などに(うと)いらしいハラルドや騎兵たちは、どうしたことかと互いを見やった。王に敵対する同族を討伐せんとする自分たちが、まさか罪を犯していたなどとは露ほども思っていなかったのだ。その狼狽(ろうばい)は推して知るべきもの。

「無論、放浪者である私には、それを殊更に主張して、あなた方を拘束・処断する権利はありません。なので──」

 混乱し混沌とする飛竜騎兵たちを、マルコはやはり優し気な調べを唇に宿して、そして促す。

「話していただきたいのです。
 ヴェルさんの身に何があって、あなた方の身に──何が起こったのか」

 救われたように緊張を解く騎兵たち。
 カワウソもまた、ようやく話ができそうな事態に推移したことに安堵しかけて、

「それを知るために、こちらにいるカワウソ様が、私たちを助けて下さったのです……よね♪」

 陽気に同意を求められる。
 おかげでカワウソは、咄嗟に「あ……ああ」と無様に呻くことしか、できなかった。
 その背後。天使(ミカ)の方から少しだけ声が漏れたのは、何かの聞き間違いだったのだろうか。振り返ってみるが、相も変らぬ女天使の無表情に睨まれて終わる。

「──では、順を追って話しましょう」

 飛竜騎兵部隊の部隊長は、仲間たちと二言三言なにかを話し込んだ後、そう進言してくれた。

 彼の語るところによると。
 ハラルド・ホールは、ヴェルが暴走したという式典の演習に、参加していた。というか、ここにいる全員が、今回の式典に参列を許された飛竜騎兵の、ほとんどすべてだという話だった。──だからこそ。彼らは目の前にいながら、ヴェルの暴走を抑止できなかった罪状を貼られ、その恥罪を自らの手で(そそ)ぐべく、派遣された向きもあったらしい。少なくとも、彼らはそう認識せざるを得なかったようだ。
 式典における航空兵力展示──飛竜騎兵の隊列の、さらに“前の位置”を任せられる栄誉を授けられたヴェルは、演習が始まって間もなく墜落の軌跡を描き、おまけに墜ちた先にいた骸骨の戦士団に恐慌したかのごとく暴れまわった(・・・・・・)。飛竜騎兵をはじめとする騎乗兵(ライダー)系統の職種は、己の乗騎を自らと共に強化する特殊技術(スキル)を持っている反面、己の状態異常を乗騎となるモンスターと共有するデメリットがある(逆に騎乗モンスターの状態異常は、騎乗者へはフィードバックされない。騎乗モンスターは騎乗兵の“装備物”も同然なゲームシステムがあった)。それによって、相棒のラベンダ共々暴れまわるヴェルは、墜落地でちょうど待機していた骸骨(スケルトン)の戦士団を半壊させてしまい……現在に至るというのだ。

「私どもが迂闊(うかつ)でした。もっと早く、彼女(ヴェル)の異変に気付いていれば、此度の事件は未然に防げたやもしれない」

 沈痛な響きを滲ませるハラルドに、カワウソは根本的な要素を問い質す。

「そもそも……どうしてヴェルが、その、暴走? なんてしたんだ?」

 演習にてヴェルが暴走したらしいことは、記憶があいまいな少女の供述とも合致しているが、やはり()せない。
 いくらアンデッドが苦手だという少女でも、アンデッドに怯えたが故に墜落して、演習をメチャメチャにしたというのはないと思われた。ヴェルの恐慌が「恐怖」系統の状態異常だとすれば、むしろヴェルは行動能力に制限が課せられ、動きは鈍くなるのが道理なはず──少なくとも、ユグドラシルでは「恐怖」の状態異常は、あらゆる動作に対してペナルティが生じるもので、これが「恐慌」に重症化すると恐怖対象からの全力逃走、戦線離脱、戦闘行為の完全停止を余儀なくされた。ゲームシステムとは違う“現実”ならではの事象か。あるいは何らかの外的要因か。そこは判然としない。
 ハラルドの解答、説明が続く。

「ヴェルは、セーク族の中でも最高の騎乗兵(ライダー)であると同時に、ひとつの暴走要因を身に(いだ)く存在です」
「暴走、要因?」
「ええ。それ故に、彼女は強い。だからこそ、我等は彼女を仕留めるつもりで──“抹殺する”つもりでかからねばならなかった。我等だけの戦力では、殺しでもしなければ、彼女を(ぎょ)することは難しい」
「ちょ、ちょっと待て……ヴェルが、強い?」

 カワウソの疑問に、ハラルドの応答がすぐさま返される。

「ああ、御存じないのも当然でしょうが……ヴェルは、彼女は、セーク族において現存する、唯一の“狂戦士(バーサーカー)”なのです」
「…………バー、サー、カー?」

 言われたことが事実なのかどうか、カワウソは大いに戸惑った。

「本当に?」
「……はい」

 相変わらず肩身の狭い思いを懐いているような少女を見ても、僅かに頷くだけに終わってしまう。
 カワウソは問う。問わずにはいられない。

「え、ちょ……だとすると暴走、って……おい……まさか」
「彼女は演習中に、あろうことか“狂戦士化”したのです」

 カワウソは頭の中でナルホドと納得してしまう。

 狂戦士(バーサーカー)とは、ユグドラシルでも割と有名な戦士系職業(クラス)で、読んで字のごとく“狂ったように戦う士”を表す存在。戦闘時──主に特殊技術(スキル)発動中──には常に「狂気」「混乱」の状態異常に苛まれ、爆発的なステータス上昇の効果と引き換えに、防御性能に関してはかなり不安な特性を持つ職業だ。「狂気(バーサク)」の状態異常(バッドステータス)が原則必須(状態異常を回復させたら一挙に弱体化)というデメリットから、有名ではあったがそこまで人気の職業ではない。実を言うと狂戦士化状態のプレイヤーは、半ば自分のゲームアバターと意識が乖離して、冷静な戦況対応や戦局判断に欠けるほど勝手にアバターが“暴走”するため、DMMO-RPGの体感としては、あまり気分がよくないものらしい。しかも、外部から回復されない限り、それが永続してしまうという面倒くささだ。それでも、戦士職の中で攻撃などに超特化したビルドを組もうとすれば、必要不可欠とまで評されるほどに有名であり、同時に稀少な職種であったのも事実だ。
 狂戦士のゲームでの取得条件は、確か……狂戦士は強力な竜の血を大量に浴びたとかいう伝承から、上級のドラゴンを狩って、ドロップした血や肉を大量に入手し、転職アイテムとして使用する……だったか。この取得条件に近いものだと、竜滅士(ドラゴンスレイヤー)なども強力な竜系モンスターである魔竜とか邪竜とかを数多く倒した経験──ポイントゲットがないと獲得できないはず。
 拠点NPC製作用の課金ガチャでもあまり引けないレア職業で、実際カワウソの拠点NPCで取得しているのはタイシャだけだ。
 だが、納得と同時に、さらなる疑問が湧き起こる。
 それほどの希少(レア)を、目の前のこの()──ヴェル・セークという可憐な少女が取得しているとは思えなかった。
 しかし、ヴェルはカワウソの疑念を当然と受け止め、きっぱりと告げる。

「私は、今代のセーク族で唯一、狂戦士(バーサーカー)の資質を備えた飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)なんです」

 カワウソが知りようのない飛竜騎兵の中での“狂戦士”について、ヴェルは語る。



 かつて飛竜騎兵の九つあった部族……セーク族のように“速度”に特化した者、ヘズナ族のように“防御”に特化した者、他には魔法技術やアイテム、毒物や錬金などに長じた者などに分岐する……には、ごく稀に、「狂戦士」としての力を有する“適性者”が現れ、一族の中でも厚遇されてきた歴史を持つという。
 しかし、今から100年前、あのアインズ・ウール・ゴウン魔導国が台頭し、周辺諸国を併呑属国化していく波にのまれる形で、飛竜騎兵の九つの部族が先住し続けた地帯も、あの魔導王の支配下に加えられる運びとなった。
 当初は三つの部族が従属を拒否し、徹底抗戦を掲げたが、戦いは一日も経たずに終結。魔導王の力の前に、戦いを望んだ三つの部族は、それぞれが守護してきた領地ごと、滅ぼされてしまったという。
 以降、残った六部族の中で最も理知に富み、二大勢力と讃えられていたセーク部族とヘズナ部族が魔導国への従属と、魔導王への臣従を誓ったことで、残る飛竜騎兵たちは安寧を得ることを許された。
 そうして、飛竜騎兵たちの中でそれまで神聖視されていた「狂戦士」は、半ば“お役御免”となり、以降は他の職にありつくもの──冒険者や研究者、芸能者や魔法詠唱者などの職種を獲得・併用する個体が重宝される運びへと至っている。



 そして100年をかけて、飛竜騎兵の中で、狂戦士(バーサーカー)に対する尊敬と崇拝の念──信仰は低減されていったという。だから、部族内でもヴェルが狂戦士である事実を知っている者は、それほど多くはない。
 しかし、この異世界でも類稀な狂戦士の強さ(レベル)を保持している事実は変わらない。
 さらに言えば、ヴェルの騎乗能力──飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)としての実力は、セーク族の中でも一二を争う位階にあると、ハラルドは補足する。

「故に、今回の式典招集に選抜されるメンバーに、彼女が加わることは、完全に必然でした。最前の位置を単独で任せられたことからも、それは明らかです。……それがよもや、あのような事態を招くことになろうとは」
「ごめん、ハラルド。私、本当に、何も覚えてなくて──その」
「覚えていないで済まされる問題ではない!」

 再び言い合う形になる二人を眺めつつ、カワウソはひとつの見解を懐きつつあった。
 狂戦士(バーサーカー)特殊技術(スキル)発動による暴走──狂戦士化。
 それが、ヴェルという少女を演習中の事故を誘発した起爆剤なのだと納得する。
 それでも同時に、まだ理解できないことが幾つもある。
 ヴェルは自らが“狂戦士”──の適性者──と認知しているが、彼女らは狂戦士の特殊技術(スキル)や特性を熟知していない様子。ゲームと同じシステムだと仮定するならば、高レベルの狂戦士はスキルの発動そのものには、ある程度の操作性があったはず(狂戦士は普段から「狂気」に陥るのではなく、スキルを使うことで「狂気」を発動……発症する仕様)だし、低レベル帯の発動条件は自己残余体力(HP)警戒域(イエロー)危険域(レッド)に達した際か、あるいは付与された状態異常の数に応じた自動発動(オート)方式だ。実際、拠点NPCのタイシャがそんな感じだったはずなのだが、聞いている感じ、ヴェルは自分の意思で狂乱したわけではないし、生命活動に不安があった感じでもない。

 ならば、どうやって狂戦士化したというのか?

 本当にヴェル・セークは狂戦士(バーサーカー)なのか? 本当だとすれば、ゲームとは違う狂戦士の“職業(クラス)獲得”や“特殊技術(スキル)発動”のシステムが? 外から「狂気」の状態異常を付与されたとか? だが、そんなことをする意味があるのか? 第一、そんな条件で狂戦士化できるものなのか? 仮に可能だとしたら、誰がそんなことをする必要が? 魔導国の式典の、その演習を妨害したい誰かがいたと?
 解せないことは多すぎる。
 が、ハラルドたちの証言を疑うことはできないし、すべきでもない。
 同時に、ヴェルの言動もまた疑義には値しない。

「だ、だって! ほ、本当に覚えていないんだもん! こっちだって何が何だかわからなくて!」
「だから! そういう問題ではないと、何度も言って」
「待て待て、落ち着けって」

 カワウソは議論が白熱する……というよりも額が衝突しそうな剣幕を帯びるヴェルたちの間に割って入る。
 当然のごとく、ここでは少女の方に肩入れするしかない。

「ヴェルは、その、こんなに幼いんだぞ? ホラ、あれだ。少年法──は、ないかもしれんが、少しくらい情状酌量とか、そういう余地はないのか?」
「──は?」
「え……?」

 少年法や情状酌量という単語が異世界では奇妙な単語に聞こえた──わけでは、なかったようだ。

「貴公、あの…………ヴェルが幼い、とは?」
「いや、だって見た感じ14歳くらいだろ?」
「え?」
「え?」
「……え?」

 ヴェル、ハラルド、カワウソの三人は顔を見合わせる。
 堕天使は首を傾げる。
 もしかして16、いや17くらいだったかと見積もりを上方修正するカワウソに、ハラルドは困惑そのものという口調で、事実を告げる。

「あの、彼女は私と同い歳の、幼馴染(おさななじみ)、なのですが」
「…………は?」

 首をグルンと横にいる少女に振り向ける。

「あ。えと私、20歳(はたち)です」
「────はたちぃ!? はぁ?!」

 思い切り叫んでしまった。
 カワウソの腰より高いくらいの背丈しかない、肝心なことを教えていなかったことに気づいて照れ笑う少女のようにしか見えない人物が、目の前のたくましい若者と同年齢くらいだとは思えず、素っ頓狂な声をあげてしまう。
 20歳の成人女性であれば、なるほど、彼女の胸に実る発育した果実のごとき様も納得はいくが──こんなちっさい背丈で、20って。成人て。
 周囲にいた飛竜騎兵の少女ら(もしかしたら、少女然とした彼女たちも成人女性の疑いが濃厚だ)から、嘆息めいた忍び笑いが漏れてしまうが、無理もない。青年と老騎兵も肩を竦め苦笑ぎみだ。振り返れば、マルコまでも笑みをこぼして吹き出し、ミカも呆れ果てたようにそっぽを向いて、その表情を見せようとしない。肩が揺れているのは、主人(カワウソ)の体たらくぶりに怒り心頭という感じだろうか。
 これは完全に、カワウソの誤認……認識の甘さと確認を怠ったが故に生じた失態でしかなかった。

「と……とりあえず、整理、させてくれ」

 羞恥に顔を真っ赤に茹でられるカワウソは、呆れ顔で頷く二人に、問いを投げる。
 ユグドラシルでは30レベル後半が必須なはずの飛竜(ワイバーン)に乗れているのに、低レベルに過ぎる騎兵たちのことを、(たず)ねる。

「そもそも、飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)って何なんだ?」

 根本的過ぎる問いであったが、彼らは一様にカワウソの疑問を解く姿勢を見せる。
 もしかすると、飛竜騎兵というのは、魔導国内でも認知度は高くない存在なのかもしれない。だからだろう。カワウソの疑問はもっともな質疑だと思われたらしく、ハラルドは深く逡巡することなく応答する。

「ええと、そうですね────我等飛竜騎兵(ワイバーンライダー)は、幼少より飛竜と(たわむ)れ、死した飛竜の血肉を(かて)として、生きる文化を持っております。己の相棒に“選定される”儀式を行い、その相棒と苦楽を共にし、さらには死した飛竜を食すことで、彼らの同胞(はらから)と認められ、彼等飛竜と共に戦いに身を投じることを可能にした一族が、我等飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の部族なのです」

 言って、ハラルドは自分の相棒である(オス)の飛竜を見やった。竜の鎌首をじっと伸ばし、深い絆で繋がれた相棒に応じるように、喉を重く鳴らして応える。雌のラベンダよりも二割か三割増しという巨躯からこぼれる重低音は、なるほど飛竜騎兵の隊長騎という栄職を賜るに相応しい威がある。
 説明された内容に、カワウソはまたひとつ納得する。
 そういえば確か、ヴェルも魔法都市の食堂で「死んだ飛竜を喰う」と話していた。
 しかし、飛竜は竜系モンスターの中では弱い類に位置する。カワウソの知る狂戦士の職業獲得条件には符合しない存在だ。だが、その血肉を子々孫々、脈々と受け継ぎ食す者たちでなければ、なるほど「大量の竜の血肉」が必要な“狂戦士”が生まれると、そういうわけか。少なくともシステム的な代償現象があるのかもしれない。ヴェルが狂戦士の適性をもっているというのは、そういう文化体系──竜を一族ぐるみで食べる風習が関連していたと考えると、一応辻褄(つじつま)は合うのかも。

「飛竜騎兵の、おまえらの部族の住んでいる場所というのは?」
「それも御存じなかったですか? ──そうですね、ここからおよそ北東にあるバハルス領域、その辺境にある奇岩地帯です」

 先祖代々、その地で飛竜と共に生きていた飛竜騎兵たち。
 その暮らしぶりはいかなるものか、カワウソの好奇心が刺激される。

「じゃあ、最後の質問──」

 カワウソは、確認しておくべきことを、口にする。

「おまえらは、本当に──殺す気なのか? こいつを?」

 ヴェル・セークを。
 言われた言葉に対して、ハラルドが怯んだのは、僅かに一瞬。

「──我等ごとき三等臣民に、選択の余地はありません……王陛下の式典演習を阻害し、あまつさえアンデッドの兵団を半壊させた罪は、限りなく重い。……彼女は処断されねばなりません。一刻も早く」

 視線から圧を受けた。血を吐くような述懐だった。法的には何の令状も持たないことに抵抗が生まれているかと期待したが、それは無駄だった。
 少年のこめかみに、筋が幾つも走っている。都市上空で見せたのと同じ表情であるが、そこに別の感情が今は透けて見えるようだった。処断対象に見られている少女──幼馴染のヴェルを前にして告げるには、あまりにも酷薄な決定なのだろうから、これは人として当然な反応とも思える。
 だからこそ。
 カワウソは決めるしかない。決めなければならない。
 ヴェルを引き続き、守るのか──ハラルドたちに少女を引き渡し、見捨てるのか。

「お願いします。我らの使命を、果たさせていただきたい!」

 少年がついに頭を下げた。大地に額をこすりつけそうな勢いでの懇願は、すぐさま彼の率いる飛竜騎兵部隊員にまで及ぶ。

「カワウソさん、私──」

 声に振り返ると、ヴェルはとても穏やか表情で見つめていた。
 自分は「もう覚悟はできている」とでも言いたげに。
 カワウソは、全員に応えようとした──その時、



「その必要はなくなりました。一番騎兵隊隊長、ハラルド・ホール」



 降って湧くような、清澄な響き。
 雪のように冷たい声音が、耳に溶ける。
 同時に、豪風が草原に波紋を描き、堕天使は腰をあげて身構える。
 ミカが警戒心に剣を抜き払って主人(カワウソ)の前に立ってみせた。
 ハラルドたちが一斉に、膝をついて迎え入れる。
 誰もが夜の星を眺めるように、空を仰ぐ。

「ぞ、族長っ!」
「お姉ちゃん!」

 ヴェルが快哉とも悲嘆ともつかない声で呼んだ姿は、やはり飛竜騎兵(ワイバーンライダー)だ。
 カワウソは目を細める。
 現れた女性と飛竜は、とんでもなく美しかった。
 スラリと伸びた身長はモデルのようにまっすぐで、眉目も麗雅に縁どられており、どうみても二十代前半にしか見えない。ヴェルよりも濃い紫の髪は、男性的に短く整えられておりながらも、その豊満な肉付きの良い肢体は、ヴェルのそれを遥かに上回る女性美の完成形だ。身に帯びる鎧は簡素で、武骨というイメージからは程遠い。妹や女騎兵らと同様に胸の南半球などを露出する肌面積はかなりの量になるが、鎧と同色の銀の毛皮で襟元や両肩を飾られた様というのは、他の飛竜騎兵らには絶対にない意匠だ。それがとんでもなく艶っぽい。少女な体躯のヴェルが大人になったら、間違いなくこんな感じになるだろう。満天に輝く星空を背にした女傑のシルエットが、翠碧の竜に跨り、皮膜の翼を羽搏(はばた)かせながら、夜を降りてくる。

「お姉ちゃ……ん」

 ヴェルが立ち上がり駆け寄ろうとして、止まった。
 少女の姉という族長は、(ヴェル)を一顧だにせず、白金のマントを翻し、鞍から降りる。膝上まで覆う白い足甲を大地に打ちつけ、彼女は腰に帯びた革袋から、巻かれた書状を取り出し広げた。

「こちらは、魔導王陛下からの勅令状──代理執行許可状になります」

 広げられた紙──現実世界と同じ、真っ白なA4用紙に、紅玉色に煌く魔導国の印璽(ギルドサイン)が飾られ、流暢に筆記された魔導国の王のサインが一番目立つ右下の部分を占拠している。
 妹のことをまったく無視して、銀鎧の女傑はほぼ同じ背丈のマルコと、その横に位置するカワウソとミカに相対する。

「彼らは、私の指揮下において働いていた者たちです。私は別命があって隊を離れており、彼らにこの書状を託すことができないでおりました。すべて、こちらの不手際です。申し訳ありません」

 謝辞を紡ぐ声は、ある意味において最後通告のような絶望をヴェルに与えた。罪悪とは程遠い鋼の声は、聞く者の耳を叩くかのよう。
 マルコが文面を几帳面に読み上げる。書状に記されているのは、『飛竜騎兵、ヴェル・セーク(及びラベンダ)の討伐許可』という内容が、難しい文言で記されている。魔法の印璽が、心拍のように明滅していた。それが、この書状が嘘偽りない、王命を遂行するのに必須な勅命を文書化したものであることの証であるらしい。
 マルコが頷くと同時に、書状は宝石を扱うがごとく丁寧な手つきで、族長の腰元へと納め直された。

「ハラルド隊長、一番隊の皆、苦労をかけました」

 女族長はやはりというべきか、事態に困惑してしまった部下たちの方を、まず(ねぎら)う。
 労われた騎兵たちと飛竜たちは尊敬の意のままに首を垂れ続けている。両者の間の上下関係──信頼感が、そこから垣間見ることができた。一番騎兵隊の皆はハラルドをはじめ、自分たちの無様(ぶざま)悔悟(かいご)する言葉を吐き連ねるが、族長は手を振ってそれを制した。謝罪すべきは自分であると宣して。
 しかし、

「……なぁ」

 カワウソは自分でも厳しいと判る声音で問いかけてしまう。

自分の妹(ヴェル)に、一言くらい言っても良くはないか?」

 目の前の女性こそが、カワウソの助けた少女の「家族」だと、聞かされた。
 だというのに、「実の姉」たる女性は、先ほどからまったくと言っていいほど、小さく肩を落とす(ヴェル)を気に掛ける素振りすら見せない。
 そんな対応に、ただでさえ心細げなヴェルの表情が、極端なほど弱々しく歪められる。憐れを懐いて当然な哀しみと切なさが、彼女のこれまでの行為行動──「罪」に根があるものだと判断出来ていても、それでも肉親に対する情愛を期待するのは、悪いことではなかったはず。

「……失礼ながら、今は、それは許されません」

 だが、少女の姉はそんなことを希望するのは愚かとでも言いたげに、ヴェルの存在を無視し続ける。
 先に折れたのは族長でもカワウソでもなく、事態を見守っていた──無視され続けるヴェル本人だった。

「いいんです、カワウソさん……本当に」

 これでいいですと、少女はカワウソの腕に縋るような声で、実姉からの処遇を甘んじて受容した。
 しようがない。そう思った。
 あろうことか……魔導国の最頂点に君臨する王の式典に招集されながら、その演習中に暴走し、狂戦士化したという事実が、ヴェルという少女──女性を、退路のない袋小路に追い詰め抜いた。ヴェルは国家の反逆者という“烙印”を押され、その一族郎党までも同罪に処されかねない状況にあるとしたら──甘んじて討伐される以外の選択肢など、ない。状況のわからない暴走中に逃げ果せ、言葉の通じない追跡者に追い立てられ、ありえない者たちとの出会いを経て、ようやく考えをまとめる猶予を貰い──そして、ヴェルは己の罪を認めることができたのだ。
 処断されて当然。
 こうなってあたりまえ。
 むしろ、飛竜騎兵の部族全体に累が及ばぬための最後の措置として、ハラルドたち討伐隊が派遣されたのは、これ以上ないほどの慈悲だとも、薄紫の髪を流す乙女は思考するに至っていた。
 そんな彼女の覚悟が、堕天使たるカワウソには“不愉快”だった。
 何故不愉快だなどと思ったのか判然としないまま、つい口が滑る。

「勝手に終わらせるな」

 内面にザラつく不快な思いのまま、堕天使は弱々し気に見上げてくる彼女を、見る。
 カワウソは言った。
 ここまでくれば一蓮托生だと。
 ヴェルが処断されるというのであれば、それを(たす)(まも)った自分たちも同罪。マルコは放浪者という身分によって、酷いことにならないだろうが、あいにくカワウソたちの身分を保証するものなど存在しない。
 ならばここは──腹をくくるしか、ない。

「まず、あなた方に言っておかねばならないことがあります」

 女族長が、首をまっすぐにカワウソの方へ向けてきた。
 カワウソは剣を交える代わりに、舌鋒(ぜっぽう)でもって応じようと、少女の姉に相対する。
 制止しようと咎めるような視線をミカが送ってくるが、そんな部下をなんとか(なだ)めてさがらせた。
 ほぼ同じ目線の女傑に、決闘でも申し込むような心意気で何か言ってやろうと言葉を探していると、

「ありがとうございます」
「は──?」

 ありえない言葉を聞いた気がしたが、それは断じて事実だった。
 その証拠に。あろうことか、一部族の長たる女傑が、紫色に艶めく頭頂部を、カワウソの眼前にさらしていたのだ。新人サラリーマンに見習わせたい、見事なまでのお辞儀の姿勢で、だから、混乱する。
 これは皮肉かとも思われたが、まっすぐな声音はそれを否定している。そう理解できた。
 その姿勢は完全に、感謝以外の何物でもない意志のなせる業だということ。
 狼狽(ろうばい)してしまうカワウソに対して、ヴェルの姉は告げる。

「あなたたちのおかげで、我が妹ヴェルは命を繋ぐことができました」
「いや、えと」

 何を言っているのでしょうか。
 そう()くことができたらどれだけ楽だったろう。
 ヴェルの姉は、体裁としてはヴェルの存在を無視しつつ、それでも、彼女の身を案じていたと判る調子で続ける。

「ヴェルは狂戦士(バーサーカー)です。あの()が暴走するというのはおよそ初めてのことで、対応が後手に回ったのは、長にして姉にして家族にして保護者である私の不徳。ですが、あなたたちの働きによって、一度は行方知れずとなった妹らと無事に再会し、沈黙の森にて追撃部隊までをも壊滅させた狂戦士を、保護する運びと相成りましたこと──感謝にたえません」
「……保護って、ええと」

 アンデッドの追跡部隊を壊滅させたのはカワウソたちのはずなのだが、何か話がややこしい方にこじれそうで、何も言えない。ヴェルも何か言える立場にないので、貝のように押し黙るしかない様子。

「我が妹の処遇は、一旦保留です」

 その言葉を聞いて、光のようなものを、カワウソは脳裏に感じた。
 族長は新たな文書を──二枚目の書状を広げて、カワウソたちに見せた。これを新たに賜っていたから、彼女が“この場に遅れて現れた”ことを、語られる。
 現地語の理解のないカワウソの代わりに、マルコが内容を告げてくれた。

「ヴェル・セークの、暴走の原因を究明すべし──ですか」

 さらに。
 この命令には一枚目の令状よりも優先度が高いという文言が盛り込まれているらしく、こちらの履行具合によっては、王からの討伐命令は撤回される旨が、正確に記されているのだと。
 族長はきっぱりと頷く。
 背後に並ぶ騎兵たち──ハラルドたちが快哉に近い声をあげかけるが、すぐに押し黙る。「あくまで保留ですが」と、族長から告げられた意味を理解したから。
 場合によっては、ヴェルの命は奪われる。それゆえの「討伐許可」は下されていた。
 だが、“そうならない目”も、今はありえる。
 処断までの猶予を得られた少女は、夢を見るような調子で、やはり何も言わない。何も言えなかった。

「我が妹であるヴェルの暴走原因を究明するまで、彼女の討伐は遅らせた方が良いと、陛下は御判断されてくださったのです」

 カワウソは、心の中で拳を握りそうになった。
 なるほど、魔導国というのは思うより融通が利くのだなと思う反面、奇妙な違和を感じるが、はっきりしない。顔の表には興味の薄い表情だけを浮かべたまま、告げられた命令内容改定の報に心が浮き立つのを感じたせいか。
 ──そんな堕天使の昂揚と疑問を、横から殴りつけるような声が、ひとつ。

「それは、魔導王陛下──あるいはそれに準ずる方の判断でしょうか?」

 この場にいる中で、もっとも魔導国の事情に通底(つうてい)していそうな修道女、マルコ・チャンが、猛禽(もうきん)を思わせる鋭い視線を投げていた。

「はい」

 はっきりと頷く女族長。
 まるで王と直接対面し、玉言でも賜ったような、そんな印象をかすかにだが、感じる。
 そんな様子をじっと見つめるだけだった修道女は、一瞬にして笑みの調子を取り戻す。
 族長は朗々と告げる。

「ですが。その為には皆様から、詳しいお話をお聞きしたいと思い、御足労ではございますが、一度我等の領地にして郷里、セーク族の屋敷にお招きしたいのです。残念ながら此度のことは「密命」との指示も受けているので、大した歓迎は出来ないやも知れませんが」

 マルコや飛竜騎兵らに委細承知する空気が流れるが、むべなるかな。
 あるいは極刑もありうる状況に置かれた乙女・ヴェルの状況を、その処断までに至るまでの過程を思えば、問答無用に討伐されて当然の事態──反逆罪として、彼女のみならず、一族郎党諸共に処されることもあり得そうな状態らしい──なのだ。これが(おおやけ)になる前に、秘密裏に「原因を究明せよ」とのお達しだったのだろう。(ひるがえ)って考えてみれば、都市のニュース映像で「演習中の“事故”」としか報じられていないというのは、そういう事情を考慮してのものかと納得がいく。
 ただ、納得の裏で、奇妙な違和感を覚えたのは何故だろう。
 招待を受けたマルコが承知の意を示す。
 ミカが問いかけるように見つめてくるので、カワウソが代表するように、女族長へ頷いた。

「では。私、セーク族族長、ヴォル・セークの名のもとに、あなた方を歓迎いたします。失礼ながら、御三方の名を改めて()いてもよろしいでしょうか?」

 マルコ・チャンが己の名を心地よく宣する。
 それに続くカワウソも、ヴェルの姉──女族長ヴォル・セークに、応じる。

「カワウソだ。こっちは、ミカ」
「……よろしくお願いします」




 





 こうしてカワウソたちは、飛竜騎兵の領地──故郷(ふるさと)へと案内される運びとなった。
 騎兵たちは装備を整え、相棒に携行させていた水筒水を飲ませるなどして、移動の準備を終わらせる。ヴェルも相棒のラベンダの装具を整え、マルコが念入りに飛竜の傷が開かないかどうかを確かめる。

 堕天使もまた、やるべきことを済ませておく必要があった。

 しゃがみこみ、置かれたままになっていたコップの水を使って火の後始末──無限の薪材(エンドレス・ファイアウッド)を鎮火させ、ボックスに収納しつつ、周囲に他の連中がいないことを確かめる。ミカを背後に控えさせ見張らせたまま、カワウソは「傍にいる」とミカが教えてくれるNPC──天使二体と花の動像(フラワー・ゴーレム)一体──を、静かに呼ぶ。

「ラファ、イズラ、ナタ」

 装備の効果を解く前に、三人には不可視化したままで命令を聞くよう言い含める。
 そして、(ひそ)めた声で、はっきりと告げる。

「予定通り、おまえたちは調査任務に行け」
「──本当に、よろしいのでしょうか?」

 三人を代表するように、彼らの隊長たるミカが、最後に確認の声を漏らした。
 主人たる堕天使の護衛の数を気にしているらしい女天使に、カワウソは小さな声で言ってやる。

「見ていた通り、この魔導国の民というのは、なかなか馬鹿にできない存在が多い。確か、武技(ブギ)とか言っていてな。そういうスキルみたいな存在や、未知のアイテム────何より、アインズ・ウール・ゴウン……魔導国の情報を、なるべく多く集めてくれ」

 できればユグドラシルとの相違点や共通点なども実地で検証して欲しいところだが、NPCである彼らには無理な注文だとわかる。NPCの保持する知識の量と質は未知数だが、少なくとも彼らは同士討ち(フレンドリィ・ファイア)不可などの、プレイヤーなら当然のゲーム知識は備えていなかった。
 ならば、彼らにはこの魔導国の実情を、正確に綿密に調べさせ、それをカワウソに報告させることで、ひとつずつ地道に確認し検証していくしかない。
 委細承知した三人の総意として、ラファが了承の声を紡ぐと同時に、彼らは音もなくカワウソの傍から離れた。
 うまくやってくれよと、堕天使は祈るよりほかにない。

「本当に、よろしいので?」
「……ああ」

 ミカに頷くカワウソは、内心では不安と懸念でいっぱいだった。
 このまま飛竜騎兵の領地に向かってよいものかどうか。
 本当に、この流れに乗っていいものかどうか。
 何か重大なミスを犯していないだろうか。
 自分は取り返しのつかないことに……そんな疑問が体の中心で渦巻いてならない。
 しかし、それでも、カワウソは決める。決めるしかないのだ。

「逃げたところで、状況は解決しない」
「大陸すべてが敵であるなら、別の大陸に逃げるというのは?」
「海を越えるか……で、その手段(あし)は誰が調達する?」
「強奪します」
「そういうのは駄目だって、言ってるだろう?」

 カワウソは呆れたように、笑う。

「そもそも、そんなことが可能だとしても、おまえらはどうなる?」
「────私、たち?」
「スレイン平野のギルド拠点を捨てて、おまえらは生きていられるのか?」

 ミカは口ごもる。
 今後、あの拠点が魔導国に発見接収された後、そこに残したものからカワウソたちの足取りを調べられたら? 距離無限の転移魔法〈転移門(ゲート)〉などの手段で追われたら? あの拠点を捨てたとして……拠点奥に安置し続ける、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のギルド武器を破壊されたら?

「あそこは、俺の拠点だ。あそこは俺の……俺の仲間たちが残してくれた、最後の財産(たから)だ」

 馬鹿げた感傷に浸る自分がおかしかった。
 なのに、カワウソは笑えない。
 あの拠点を捨てることは、できそうにないのだ。
 カワウソが以前いた旧ギルド:世界樹の栗鼠たち(ナイツ・オブ・ラタトスク)……その仲間たちの名残を残した、……未練の城。
 皆との、思い出。

「カワウソ殿」

 思わず総毛立つ。

「長らくお待たせしてしまい、申し訳ない」
「……いや」

 カワウソは深く呼吸し、ゆっくりと立ち上がった。
 思い出に浸る思考を切り上げ、背筋を伸ばす。
 今や“客人”となった者たちを輸送する準備を万端に整えた飛竜騎兵──ヴェルとラベンダも含む──を代表して、女族長ヴォルが近づいてきた。

「では、ご案内いたします。我等が郷里へ」

 飛竜騎兵の領地へ。





 ×





 ほぼ同時刻。
 ナザリック地下大墳墓、玉座の間にて。
 その玉座の間には、新たに増設された巨大な水晶の画面が煌々と浮かび上がり、そこにある者たちの動向を映し出していた。画面は四分割の上にさらに特大の映像をひとつ投影しており、合計五つの監視モニターによって、連中の頭目だろう堕天使と、そいつの率いるギルド拠点の出入り口を観測可能にしていた。
 ふと、玉座の間に聞き慣れた足音が。
 その五つの光景すべてを同時に注視していたアインズが、傍らに控える女悪魔と共に、漆黒のボウルガウン姿の少女の来訪を歓迎する。ちなみに、他の三人の王妃は、それぞれが強力な護衛付きで、各地で自らの任務に励んでいる。

「あら。来たわね、シャルティア」
「遅れたでありんしょうか、アインズ様」
「いや。時間ぴったりだ。気にすることはない」

 魔法都市で監視させていたデミウルゴスたち(本日の就労時間を超えた)から引き継がれる形で、現在アインズたちの集うこの玉座の間へと、監視の役目は引き継がれた。アインズたちはナザリック内で行える政務をすませ、夕食後の息抜きも同然に、100年後に現れたプレイヤーたちの観察を行っている。
 100年周期で出現した、未知のプレイヤーと、天使たちによるギルド。
 その監視と観測の任務は、今やナザリック全域に存在するすべてによって行われるべきもの。
 アルベドの姉であるニグレドをはじめ、探知や監視……隠形能力に特化したシモベなどをフル活用して、連中の動静は逐一把握済みだ。映像は記録として残されており、守護者たちが直接観測しているのは、有事の際に現場へ急行するための予防措置に過ぎない。
 そして、
 監視されている彼らは、かなり理知的かつ義侠心に溢れた行動を一貫させていた。
 アンデッドに追われた少女を森で助け、そしてつい今しがた、魔導国の飛竜騎兵たちと一戦交えてでも、少女とマルコを救命せんと働いてくれた姿は、アインズの瞳にはまったく好ましい印象しか受けなかった。
 そんな堕天使の様子を眺めている内に、アインズはひとつの願望を懐くようになってしまう。

「実は、ここにおまえたちを呼んだのは、少し話があってな」
「お話……でありんすか?」
「いったい、どのような?」
「おまえたちに、ひとつ、我儘(わがまま)を聞いてほしい」

 魔道王は重く呟く。
 アインズがここへ、ナザリックに滞在する王妃たちを招集した最大の理由。
 監視任務であれば他のシモベに命じればいい。守護者が最低一人は映像を監視するよう厳命しているのは、連中が魔導国に対して暴虐を働いた際に、すぐさま“応戦できるように”との心配りに過ぎない。そして、今のところナザリック最強の戦力たちを投入すべき事態には発展していなかった。
 にも関わらず、アインズはこの玉座に監視任務のついでとして、二人を呼んだ。

「何なりとお命じ下さい」
「まったくでありんす」

 ひとつと言わず十も百も我儘を言ってほしいと願う彼女らに、だが、アインズの口は、重い。

「うむ……どうか、怒らないで聞いてほしい」

 先にそう注意された二人は顔を見合わせる。
 至高の御身であるアインズが、怒りを懸念するほどの願望とは。
 二人同時に、言い知れぬ不安を覚えてしまってならないという表情を浮かべた。
 その不安は的中する。


「私は──しばらく、ナザリックを離れる」


 言われたことを理解した瞬間、アルベドとシャルティアは己の耳を疑う。
 疑わざるを得ない。

「それは──」
「どう、いう、ことで……ありんしょうかえ?」

 アインズは誠実な口調で、自らの望みを、希求することを率直に、告げる。

「うむ。あの堕天使──プレイヤーと(おぼ)しき彼らに、直接、会ってみようと思う」
「そんな!」
「な、なりんせん!」

 いくら至高の御身であろうと、いくら愛する夫であろうと、その命令は、首を縦には振れない。
 しきりに「何故」と疑問し疑念し続ける二人に対し、アインズは解っていたという風に数度頷く。

「実は、正直に言うと。このやり方は、すこし、多少、僅かにだが、私の求めるものでは、ない。そう確信しつつあるのだ」
「お、お待ちください!」
「そ、そうでありんす!」

 アインズを不快にさせるような事態を何よりも誰よりも嫌い、恐怖すらしてしまう彼女たちは、それでも、首を縦には振らない。
 振れるわけがない。

「アインズ様がお優しいことはわかります! ですが! この手法こそが最も確実かつ安全なものだと、御理解していただけましたよね!?」
「うむ。だが──」
「あの子を、マルコの身を案じられることはわかりんす! ですが、そのために、あの()の精神状態などのステータス把握も、ニグレドに任せているのでありんしょうし、装備できるものは最高峰のものを用意したのでありんしょう? 今のところ、何も異常はなしという報告を受けていんす──それなのに!」

 何故、自ら危難の只中に邁進(まいしん)しようというのか。
 二人は涙すら浮かべかけて──まるで出征する恋人を送り出す女か、あるいは仕事に行く親と離れたくないと愚図り出す幼子のように、アインズの膝元に縋りつく。

「わかっているとも。だが、私は…………」

 魔導王の見つめる先、二人の表情が何かを悟ったように静かな気配が漂う。
 アインズは思った。
 今や、この大陸の、魔導国の王として君臨する者として、これで本当にいいのだろうか。
 彼がプレイヤーであるならば、いきなりこんな異世界に飛ばされ、右も左もわからない状況に相違ない。かつてのアインズと同じように、否、アインズはアンデッドの特性である「精神鎮静化」で助かった部分が大きい。堕天使である彼は、アインズが(いだ)いた以上の混乱と混沌に追い落され、苦悩する日々を送っているやも知れない。そんな人物を、こんな遠くから眺めて、まるで檻に囲われた獣を鑑賞するがごとく扱うなど────勿論、万全を期するならば、この手法こそが最適解にして最善手であることは、紛れもない事実だ。彼がアインズ・ウール・ゴウンに友好的に接してくれる可能性の薄さを思うと、いきなり接触を図るというのは最大の悪手だった。
 しかし、彼らに魔導国の情報をある程度まで取得させた現在、彼が魔導国に対して行う活動を見ていけば、そこまで粗悪な感情は見受けられない。森を破壊した時というのは、おそらく混乱に拍車をかけてしまったのだろうと推測できるし、それ以降は目立った異常行動は見せていない。すべてアインズたちが予測可能な行動と活動に相違なかった。カッツェを徘徊した際、女天使に付き添われ蹲る堕天使の姿は、何とも憐れを誘ったものだ。
 アインズの考えは、アンデッドとしての冷徹なそれと同時に、鈴木悟の残滓が混在している。
 その鈴木悟の部分が、自分と同じように異世界に転移した彼を気遣う意志を懐くというのは、極めて自然な道理ですらあったわけだ。
 アルベドやデミウルゴスが語る“仮説”で行けば、連中──あの堕天使プレイヤーも、世界級(ワールド)アイテムの保有者である可能性は、十分にありえた。ツアーの語る100年周期のプレイヤー出現には、(ツアー)の記憶している限り、「そういった要因」を自己に付属させていた場合がほとんどだという。
 高い確率で世界級(ワールド)アイテム保有者だろう堕天使に、マルコを単身で派遣したのは、彼女の純粋な戦闘能力──“初見殺し”とも言える竜人の混血児(ハーフ)としての性質や、半分人間であるが故の温和な性格、母譲りの愛嬌の良さ、ナザリックに対する忠誠度、etcの諸々の要因を考慮しての人選であった。
 マルコに、“世界級(ワールド)アイテムを装備させていない”のは、万が一にも連中に奪われることを危惧してのこと。そのために、マルコの生命活動や精神状態は逐一ニグレドなどの監視者数名によって把握されており、彼女にもしものことがあれば、アインズは何の躊躇なく、連中を蹂躙する号令を発するだろう。だが、今のところ堕天使たちは、むしろマルコを率先して助ける姿勢を見せているので、問題ない。都市上空で襲撃を受けていた彼女らを堕天使──そういえば、マルコからの報告だと“カワウソ”という名前だったか──が見捨てていたら、印象は最悪にまで落ち込んでいたかも。

 だからこそ、
 アインズはカワウソと直接会って、彼らと友好関係を結べないか、探りたくなってきたのだ。

 100年後に現れたプレイヤーと手を(たずさ)えていけたなら、きっとこの魔導国は、さらなる発展を遂げるだろう。
 無論、接触を図るにしても、アインズそのままの姿──死の支配者(オーバーロード)のままでは、相手に警戒されるのは確実。となると、久しぶりに変装が必要かもしれない。
 アインズ・ウール・ゴウンはユグドラシル内で「悪名」を馳せていたギルド。
 桁違いの世界級(ワールド)アイテム保有数を誇り、あの「討伐隊1500人全滅」は伝説として、長く語り継がれてきた実績がある。
 そんなギルドの存在を快く思っていないものは多くいるだろう。
 もしかすると、多少なりとも遺恨がある可能性だってありえる。
 だが、それでも。

「私は、彼らを迎え入れたいのだよ。この異世界────否、この魔導国に」

 そして、あわよくば、あの計画に協力してくれればとも、思っている。
 おまけに此度の狂戦士(ヴェル・セーク)暴走というのも、アインズには少なからず興味を惹かれてならなかったのが大きい。王にあるまじき事だが、飛竜騎兵たち魔導国の臣民の不安の種を、手ずから摘み取りたいというのも本心に近い。

「それに私は“アインズ・ウール・ゴウン”」

 威風堂々とした口調で、告げる。

「この私が、おまえたちの主人である私が」
「「敗北することはありえない」」

 王妃らが口を揃え、言う。
 アインズは微笑みを深めた。
 アルベドとシャルティアも、大輪の花のごとき笑みを浮かべる。
 彼女たちに先に言葉を紡がれてしまい、その内容がぴたりと自分の口から紡ごうとしていた思いと符合していた事実を、ただ喜ぶ。
 二人は至高の御身の、自らの夫たる男の性質を、完璧に理解し尽くしている。
 彼がここまで──誇り高いアインズ・ウール・ゴウンの名のもとに宣してまで、我を通そうとしている。
 こうなっては最早(もはや)、誰にも止められない。
 かつて洗脳されたシャルティアと戦うことを決めた時と同じだと、アルベドは理解している。
 そして、シャルティアもまた、違う形ではあったが、アインズの(かたく)なさを知悉していたのだ。

「──わかりんした」
「もはや、お引き留めはしません。止まっていただけるはずもないと、既に心得ております。ただ……」

 二人は同時に跪き、毅然とした美貌をまっすぐに、玉座に座した愛する男の(かんばせ)に差し向ける。
 そして、何よりもあたたかい想いを与えてくれる両の手を、二人はそれぞれひとつずつ、己の手にとって包み込んだ。

「どうか、お約束ください」
「必ず。ここへ、私たち(みな)のもとへ、お戻りになることを」

 二人の王妃の手を握り返して、アインズは彼女たちに、ゆっくりと首を縦にして、誓う。

「約束しよう。そして、留守は任せたぞ。アルベド、シャルティア」

 アインズの良き妻たらん二人は、同時に頷いた。
 愛する二人の理解を得て、男はひたすらに感謝する。







 アインズたちは、知らない。
 知りようもない。

 堕天使のプレイヤー……ギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のカワウソが、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの“打倒”を目的に、あのユグドラシルのゲームを続け、一人孤独に、「敗者の烙印」を押されたまま、難攻不落であるナザリック地下大墳墓に、挑み続けていた事実を。

 アインズたちは、まだ知らない。

 まだ。





 








一話あたりの分量が多くなってきている気がするけど、いい切り所が見つからない……
次回は、いよいよアインズ様が本格的にカワウソと接触を図りに来ます。


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※このお話に登場する飛竜騎兵たちは、二次創作です。
※書籍の記述を可能な限り参考にして考察しておりますが、オリジナル要素が過多です。ご注意ください。

最初は天使の澱のNPCパートです。アインズ様は最後に登場します。
あと今回の話、すごく長くなってる気が……


/Wyvern Rider …vol.3





 ×





「はい──はい……わかりました。他の調査隊は、そのように監視を。はい……あの、くれぐれも、お気をつけて」

 褐色肌に黒髪の上に天使の輪を浮かべる少女は、〈伝言(メッセージ)〉の魔法を名残惜しくも断ち切った。
 ふぅと息を漏らす。
 マアトは疲れとは無縁の眼に、緊張から生じる麻痺にも似た感覚を覚えた。眼鏡をあげてゴシゴシこすりたくなるが、両腕が翼人(バードマン)の羽根だとフワフワとした感触で撫でてしまって効果的ではないので、かたい肘の裏あたりに顔を押し付けるようにするしかない。自分が起動し続けている〈水晶の画面〉は、すでに十基を超えていた。蒼い光に照らされる室内は依然として薄暗い。
 その時。軽快なノックの音が。
 少しどもりながら「ど、どうぞ」と告げる。

「ご苦労さま♪」

 隠し扉の向こうから現れた同胞の姿は、煽情的に過ぎる薄褐色の肌の肉体を艶めかしいアジア系の踊り子の装束で包み込み、半透明かつ自由に宙を漂い流れる羽衣で口元や体躯を覆いつつ、その両腕は鍛冶錬鉄や各種作業に使える武骨な鉄鋼の巨大籠手で武装した、マアトと同じ補助役(サポートタイプ)のNPC。
 裸足のくるぶしに身に着けた足輪をシャランと響かせた、天使と精霊の両種族保有者を、マアトは名を呼んで迎え入れる。

「あ、アプサラスさん」
「調子は、どう?」
魔力(MP)は、えと、あと五、六時間はいけると思います」

 マアトは率直に、自分の活動限界時間までの刻限を算出する。
 カワウソとミカが拠点(ここ)を発ってから、すでに半日以上が経過しているが、彼女に割り振られた魔力量は未だに底へたどり着いていなかった。
 しかし、

「無理はしないことね♪ あなたが倒れでもしたら、周辺警戒は全員で、あるいはガブやウォフの力で召喚した上級天使か、私のかわいい精霊たちを大量に派遣しないといけなくなるから♪」

 一応、拠点内の雑魚モンスターも、外で活動できることは確認済みだが、大量に外へ解き放つことは出来ない。
 外の存在に、せっかく隠蔽した自分たちの拠点を喧伝し、あまつさえ雑魚ばかりでは、魔導国のアンデッドなど対抗する手段には向いていない。かと言って、上級の天使を大量にPOPさせては、ギルドの資産を大量消費する。ユグドラシル金貨が存在しない異世界で、主の許可もなく資産を蕩尽(とうじん)するわけにもいかないのだ。よほどの危機的状況でない限り、POPモンスターを外へ放つことは出来ない。
 かと言って、拠点NPCであるガブやアプサラスの保有する召喚魔法や作成特殊技術(スキル)で作ったモンスターには時間制限がある上、一日の上限数まで存在した。正直、緊急時以外に使うべきではないだろう。

「は、はい。それはそうなのですが……あの」

 マアトは俯きがちに視線を上げる。
 アプサラスが片手の銀盆に軽く乗せたものを注視した。

「えと、その、食事は?」
「イスラからあなたへの差し入れ♪ 各種ステータス向上効果付き、フレスヴェルク(世界樹の大鷲)の卵を使用したオムライス♪ 中は当然、アルフヘイム産最高級トマト製ケチャップをふんだんに使ったチキンライスよ♪」

 黄金のごとき卵黄の生地に包まれ、真っ赤なトマトケチャップの香りを放つ料理を前に、マアトは翼人(バードマン)の食欲をそそられる。磨かれた銀食器のスプーンがナプキンにくるまれ、コップの中の“ミーミル泉の湧水(わきみず)”が添えられている。

「あ、ありがとうございます。えと、いただきますね」

 フワフワの羽の先を巧みに操り、マアトは盆を受け取って椅子に座った。モニターを視界に納める位置の机に盆を置き、スプーンを羽根に包んで器用に料理を味わう。

 天使は元来、飲食不要なモンスターだ。
 しかし、それは飲食によってエネルギーを補給する必要がなく、また「飢え」「渇き」といった状態異常から無縁であるが故に、料理を摂取する必要性がないだけ。
 ユグドラシルでは料理人(コック)のレベルを一定以上獲得した存在が作れる料理には、「飢え」「渇き」といった基本的な状態異常回復効果の他に、ある程度特別な料理を調理し作成することが可能で、その料理は摂取して一定時間、プレイヤーの各種ステータスを向上させたり、「飢え」「渇き」以外の状態異常を解消あるいは予防出来たり、レアモンスターを誘き寄せたり、ドロップ率が上昇したりなどの便利なアイテムとして利用可能なものになりえた。
 調理特殊技術(スキル)を行使するのに最低限必要な設備や、食材の入手は面倒ではあるが、ゲーム内でのプレイを円滑に進めようと思えば、そういった料理によるバフ効果というのは馬鹿にできるものではなくなる。
 外で活動するミカがまったく飲食をしないのは、外の料理には彼女に利する効果がなく、また「飢え」や「渇き」と無縁の熾天使(セラフィム)であるがために、摂取する必要をまったく感じていないからだった。
 つまり、今マアトに提供されたようなステータス向上などのバフがかかった料理でさえあれば、ミカも外で食事を嗜む姿勢を取っていたかもしれないのである。

 受け取った料理を食す間、マアトは同輩であり、同じ補助役(サポートタイプ)として創造され任務に励む翠髪の踊り子を対面に座らせ、じっと眺められ続ける。

「えと、アプサラスさん」
「なあに?」
「あ、あの、良ければ、一口、いただきます?」
「気にしないで良いわ♪ 今からいただいても、私にはバフがかからないし♪」

 料理は専用の食材──巨大(ジャイアント)──でも用いない限り、原則一人一食分の効果しか得られない。仲間全体で一皿の料理を囲んでも、その恩恵は一人にしか供与されないシステムなのだ。
 そして、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCの中で唯一料理人(コック)としてのレベルを与えられていた純白の治療師──イスラがマアトの差し入れに調理したオムライスは、普通の食材を用いた一人用のもの。あとで他のNPCが口につけても、料理に施されたバフ効果は期待できない。
 それを二人は承知している。

「そう、ですよね」
「気にしないでいいから♪」

 にこやかに頬杖をついたままの美女に眺められつつ、マアトは食事を堪能し、最後に飲み干した清らかな湧水の効果で、僅かにだが回避ポイントがアップした。料理のバフ効果は一定時間で尽きるが、ないよりはマシだと思うことにする。

「あの、アプサラスさん」
「どうしたの? いつも通り、深刻そうな顔して♪」

 少女を陽気にからかう踊り子に、マアトは気を悪くしたわけでもないのに、表情を暗くしてしまう。

「その……カワウソ様や、外の皆は、本当に、大丈夫、なんでしょうか?」

 アプサラスは微笑んだままの表情で姿勢を正す。
 マアトは現在、この拠点ヨルムンガルド脱殻(ぬけがら)址地(あとち)城砦(じょうさい)の警備主任かつ地上警戒任務の傍ら、方々(ほうぼう)に散った調査部隊の定期的な観測監視と地図化(マッピング)を任されている。
 城砦内部の警備は、POPする中級天使や精霊などのモンスターを巡回させつつ、この拠点に残留した防衛隊副長ウォフや、隊長補佐であるガブなどの指揮統率によって警護網を厚くしている。一応、マアトの感知できる限り、この拠点に近づく敵影や存在は未だに零だが、この土地周辺に存在する沈黙の森の異常現象を知ってからは、まったく油断できない状況が続いていた。

「な……何なのでしょうか、この世界は。あの森にしても、おかしすぎますし……」

 マアトが呟いた懸念材料。
 ガブやアプサラスたちが修復のために赴いた先で、見たもの。──“すでに修復されていた森”の存在が、NPCたち全員を驚愕させたのは、記憶に新しい。
 マアトの知覚する限り、あの破壊された森に近づく存在と言うのはいなかったはず。少なくとも、ユグドラシルの魔法や特殊技術(スキル)の発動は確認できなかったのだ。マアトの実力では。
 だとすれば、森が修復された可能性としては、おそらく二つ。
 あの森には、マアトたちNPCのようなユグドラシルの存在には知覚不能な何らかの法則が働いている可能性。
 もうひとつは、あの森そのものが、森という存在そのものに偽装・擬態した、未知のモンスターである可能性。
 ありえそうなのは、圧倒的に前者だ。
 この世界には、マアトたちNPCには理解の及ばない現象や法則が働いており、それらが何らかの作用を「沈黙の森」に与えているのかも知れない。反面、後者の可能性は微妙なところだ。“森”に擬態するモンスターというのは、ほんの二日前まで、この天使の澱(エンジェル・グラウンズ)の拠点があったニヴルヘイム・ガルスカプ森林地帯だけでも数多く存在していた。不気味な黒森にうまく溶け込んだ植物系モンスター、夜の捩れ樹(ナイト・ツイスト)。木々から垂れ下がる黒い(つた)に化けて通行者に音もなく襲い掛かる、凶手の黒蔦(アサシン・ブラックヴァイン)古竜(エンシャント・ドラゴン)ほどの巨躯に島をひとつ乗せて泳ぐ腐食姫の黒城周囲を覆った大叫喚泉(フヴェルゲルミル)の最大モンスター、黒鉄殻の亀竜(ブラックシールド・タートルドラゴン)など。モンスターの一部が森のような体表だったとすれば、自己を高速治癒したことで、森が修復されたような光景が出来上がるという寸法だ。
 しかし、それは──巨大モンスターの類である可能性は、極めて低いと判断されている。
 マアトが取り急ぎ鑑定したところ、「沈黙の森」は「沈黙の森」であることを鑑定でき(フィールドエフェクトは不明あるいは無いという結果を得た)、尚且つマアトはモンスターの存在をレベルと共に鑑定する魔法も備えていた。それを使っても、上空から見渡せた森が、何らかのモンスターそのものであるという結論には至れなかったことから、確定的と言ってよい。
 それでも疑問は残る。

「となると誰が、というか“何”が、カワウソ様の破壊した森をなおしたのか、よね?」
「──はい」

 フィールドに、土地そのものに、これといった効果は確認できていない。
 この世界独自の法則によるものである可能性は十分高いが、だとすると自分たちは、とんでもない脅威に囲われていることを想起されてならない。
 自分たちの認識外から飛び込んでくる敵がいたとしたら?
 この世界独自の法則によって成り立つ攻撃手段に、自分たちの力が通用しなかったら?
 先ほど、カワウソが戦った飛竜騎兵の部隊、その中の一人が発動した「不落要塞」などの武技(ぶぎ)なる存在は、その仮説を補強する根拠となりえた。
 この土地、この大陸のすべては、あの伝説のギルドの名を(いただく)く存在……アインズ・ウール・ゴウンという名の魔導王によって統治されたものであるという事実が、マアトたちにはとても信じられない。
 しかし、実際に出逢った魔導国の国民・都市・組織などが、すべてが現実であることを主張している。
 だとしたら。

「だ、大丈夫、なのでしょうか。カワウソ様や、み、皆は?」
「──それは、私にもわからないわね♪」

 彼女は誠実に、事実だけを告げてくれる。
 陽気に弾む声の裏で、アプサラスは不安の表情を隠していると判る。彼女は常に微笑み、その舞踏によって見るものを圧巻させる魅力を発露すると、そう設定されているから。アプサラスは対面の少女に比べ、ある程度の攻撃性能を与えられていた。天使のレベルなどよりも “精霊”種族のレベルに重きを置いて構成されたアプサラスには、精霊の女王(エレメンタル・クイーン)の誇る精霊召喚の特殊技術(スキル)がある上、職業(クラス)レベルにも戦闘用のものが少しばかり備わっている。
 対するマアトは、サポート職に秀でる反面、あまり戦闘では役に立たない。ギルド防衛戦にはほとんど参加しないよう、第一階層の隠れ部屋(ボーナスステージ)に避難・待機するように設定されているほどだ。通常物理攻撃は貧弱すぎるため、攻撃はもっぱら魔法攻撃を使用=MP消費が大前提となるほどに劣悪にすぎる。おまけに、単独での移動速度も比較的かなり遅いため、この異世界にて、外で彼女が活動するためには、マアトの身辺を護衛する「盾」と、彼女を移送する「足」の二つの役割を備えた者たちが同行するしかなくなっていた。ガブなどの上級天使召喚の手段を持ったものを中心とした護衛チームが組まれることは必然となり、離脱時には転移魔法関係に長じるクピドの力も借りることで盤石の態勢を整える必要があったが、それ故に、ギルド防衛を優先すべき現在においては、彼女を長く外で活動させることは大いに忌避される運びとなったのは致し方ない。活動中に急劇な状況変化──魔導国による強襲を受けるなどすれば、彼女は完全にお荷物と化す。
 現在の状況から言って、彼女を外へ連れ出し続けることは、得策ではなかった。
 マアト本人はそのことを恥と思っている節があるが、これはしようがない。
 彼女はそのような性格と人格を持つよう、創造者(カワウソ)に「かくあれ」と創られた存在なのだから。
 彼女は貧弱なステータスであるが、カワウソに与えられたサポート職を駆使すれば、広範囲・長時間を監視観測することが可能な唯一の存在たりえた。それは、防衛隊のLv.100NPCの中で唯一の“力”であり、他の仲間たちにはできない索敵と広域警戒、分散した外の仲間の監視と把握、周囲の地図化(マッピング)作業は、今後の活動にはなくてはならない重要な役割であり、マアトはそれだけの任務を唯一完遂することができる存在であるわけだ。
 故に、天使の澱(エンジェル・グラウンズ)のNPCは誰一人として、引っ込み思案で挙動不審かつ、自信とは無縁そうな少女を軽んじることはなく、尊敬に値する同胞として接し、その存在を庇護することに、ある種の誇らしさすら感じるのだ。
 現在において、最もギルド:天使の澱(エンジェル・グラウンズ)に──つまるところ、その創始者にしてNPCたち全員の創造主であるギルド長……堕天使のカワウソに対し、二番目くらいに貢献することができていると言っても、過言にはなるまい。一番目は、何といっても彼を直接護衛するミカになるだろうか。
 ともすれば、羨望と憧れの的ですらあったのだ。
 このか弱い、天使(エンジェル)翼人(バードマン)の力を与えられた少女が。

 NPCたちにとって、創造主の存在は絶対だ。
 創造主(カワウソ)が「死ね」と命じれば、迷うことなく死ぬ。
 それが、創造されたモノ(NPC)たちにとっての必然であり、義務なのだから。

「心配いらないわ♪ カワウソ様の御傍には、私たちの隊長が付いている──彼女(ミカ)以上の護衛など存在しないわ♪」
「それは、そうですが……カワウソ様は、ミカさんに『嫌っている。』と命じられているのですよ? お二人の間に、いらぬ争乱でも起きはしないでしょうか?」
「すべてカワウソ様の御意思によるもの──私たち如きでは考えもつかない、深い御考えがあるのでしょうね♪ それに、ミカ隊長がカワウソ様を殴ったりした後どうなるか、知らないわけではないでしょう?」
「た、確かにそうですが」

 最初、異世界に転移したと判明した直後。
 カワウソはあろうことか、NPCのミカに、自分を殴れなどと命令してきた。
 マアトたちでは絶対に実行できない命令内容であったが、ミカだけは例外であった。
 他の者では実行した途端、自決したくなるほどの凶行に及んで、ミカがあの程度の狼狽で済んだのは、彼女の設定が利いていた証だと言える。
 正直に言って、あれはすごく可愛かった。

「……私の魔力も、あと数時間で切れます。それから数時間は、お二人の様子を見ることは」
「気・に・し・す・ぎ♪ ねぇ、マアト──それ以上は、カワウソ様の決定を軽んじることになる……それくらいにしておく方が賢明よ?」

 晴れ渡る空の陽光のごとき調子が、曇天の鈍色に閉ざされたように重く凍える。
 瞳には月光のように狂おしいほど鋭い輝きが。
 マアトは、アプサラスの変貌に臆したわけでもなく、ただ、自分のあるがまま……設定されたとおりの自分に忠実であるべく、肩を落とした。

「ですよ、ね」

 臆病と言われるだろうか。
 しかし、マアトを『臆病な性格』に創った主のことを思えば、この思考も悪いことばかりではないはず。慎重にことをなす上で、マアトの臆病は覿面(てきめん)な効能を発揮するだろう。
 これから先、マアトの魔力をもってしても、彼等全員を、調査部隊四つ分の監視を、24時間体制で続けることは不可能。とりあえずあと三時間ほどは監視を続けるが、そこからは休息に専念するように、カワウソの指示を仰いでいたミカに厳命されていた。以降は二日の内、一定の時間帯は魔力回復に専念すべく、監視の目は閉ざすことになる。それが、とても恐ろしい。その間に、何か致命的な問題が生じはしないだろうか。
 そんなことを生真面目に思考し、主と仲間たちの無事を祈るマアトは、臆する心を振るい落とすように、(かぶり)を振った。切り揃えられた黒髪がさらさらと流れる。
 その様子に、アプサラスは笑みを取り戻して言葉を紡いだ。

「大丈夫♪
 あなたが見ていてくれれば、外の皆は安心して活動できる♪ あなたにならできる♪」

 あなたにしかできないのだと、アプサラスは少女を激励した。
 言葉に力を込めて届ける同輩に、マアトは意を決したように、頷く。

「アプサラスさんも、その、がんばって」
「任せて♪」

 マアトが食べ終えた皿を下げるために残っていた踊り子は、盆を手に持ち立ち上がる。
 アプサラスにも、主から与えられた任務が待っているのだ。採取したこの異世界の土石や樹木の鑑定は終わり、次は拠点内で行えるアイテム生産体制を急ピッチで整えている。鑑定では素材になりえない土石や樹木を使って、治癒薬(ポーション)などのアイテムが生産できるかを実験するために。異世界の法則が働いているのなら、異世界の材料を使いこなせはしないだろうか、という試みである。成功する率は限りなく低いが、やれるだけのことはやっておくべきだ。
 二人の補助役(サポートタイプ)NPCは、お互いに主への献身を続けるべく、名残惜しくも別れる。
 マアトは、各地に散った調査部隊三名の他に、飛竜騎兵の領地──族長の邸宅の一室で休み寝入る主と、その護衛である女騎士を見つめる。

「……カワウソ様」

 ベッドで丸まり、(うな)されているらしい主の様子に、マアトは胸の奥が塞がりそう。
 不敬だと重々承知しているが。
 主の手に触れ、悪夢の苦しみを緩和できる隊長(ミカ)の立場と能力が、少しだけ、ほんのちょっとだけ、羨ましかった。





 ・





 優しい掌を、感じていた気がした。
 柔らかで暖かな、誰かのぬくもり。
 それが、何処かへ遠ざかる。
 瞬間、意識が整合性を失う。
 光と影が寄り添うように、一切の出来事に、何らかの輪郭が浮かび上がる。
 自分の奥に、何かを、感じた。
 おかしなものが、目の前にいる。
 浅黒い肌。漆黒に濡れる髪。
 赤黒い環を頭上に戴き、醜い双眸(そうぼう)相貌(そうぼう)が怨霊じみた、奇怪な存在。
 まるで鏡のごとくそこに(たたず)む存在に対して、圧倒的な違和感を覚える。
 自分は、いま、笑っていない。
 なのに、鏡の自分は、
 笑っている。

 目の前にいる自分から、クツクツと含み笑う吐息が漏れている。
 堕天使は、自分(カワウソ)に向かって歩を進めてきた。

「これは、夢だ」

 いや、現実だ。

「こんな現実が、あるもんか」

 いやいや、現実でしかないだろう?

「現実であって、たまるもんか」

 ──自由意思を得たNPC、ゲームにはない現象事象、自分自身の呼吸・鼓動・生体反応・新陳代謝、痛み、恐怖……これらすべてが“現実”でなくて、何だと?

「……現実、なのか?」

 現実だよ。

「こんな、現実」

 よかったじゃあないか。

「…………何が?」

 アインズ・ウール・ゴウン。

「アインズ・ウール・ゴウン?」

 おかげで、おまえの“望み”が果たせるぞ。

「……のぞみ?」

 今までずっと望んできたこと。
 おまえ自身が求めてやまなかった希望(のぞみ)
 かつての仲間たちを、かつてのおまえから奪ったものに──これで、復讐できる。

「……やめろ」

 おまえのたったひとつの絆を。

「やめろッ」

 仲間と呼んで憚ることのない思い出の住人を。

「やめろ!」

 おまえから遠ざけ、追い立て、あまつさえ“あんな別離”を迎えさせたものを、ここで討ち果たせるんだ。

「そんなことに何の意味がある!」

 意味?
 ──意味だと?

「だって、そうだろう!」

 なら、何故、おまえは挑み続けた?
 あのナザリックを攻略すべく、あのゲームを続け、あんなギルドを作って──

「ちがう! あれ、は……あれは!」

 あれは?
 あれとは、何だ?

「あれは……皆とのことは、おれの、──俺たちの責任でしか」

 ああ、そうだとも。
 あんな結末を迎えたのは、おまえたちの責任。それは確かだな。
 じゃあ、ならどうしてオマエは、あのナザリックに、挑み続けたのさ?

「……それは」

 あのゲームで。
 あのYGGDRASIL(ユグドラシル)で。
 あの“ナザリック地下大墳墓”の攻略を、何故たった一人で続けてきた?

「それ……は」

 仲間に捨てられ、ナカマに(あざけ)られて、なのに未練がましくアンナNPCたちを作っておいて、他のプレイヤーに笑われて当然の「敗者の烙印」を押された存在のまま──ソレナノニ?

「違う……違う、違う!」

 なにが違う?

「だって俺は!」



 叫ぶ意識が指向性を失い、太陽のような温かさに振り返る。
 再び、差し出された掌の温度を感じた気がした。
 けれど、優しい時はいつか終わる。
 次の夢は、





 ・





「あ────?」

 瞼を押し開いていた。
 枕がやけに濡れている。
 意識が混濁したように、ひどい眩暈を、横になった姿勢のまま覚える。

「……ゆめ?」

 喉を毒物のような唾と息がひっかいた。
 ひどく、悪い夢を、見ていた気がする。
 とびきりに(むご)い、狂ったような、紛れもない悪夢を。
 ここ最近で、一番最悪な目覚めだった。

「──はぁ」

 見たことのない部屋の内装。
 こうなる以前の、現実にあった自分の部屋よりも閉塞感のない空気。
 悪夢の中で溺れるようだった意識が、朝の光の中にとけていくよう。
 悪夢……夢の中で夢を見るなんて器用な真似が、果たして、自分に出来るものだろうか。
 そんな浮ついた疑問が定着するよりも先に、カワウソは枕元に、目の前に、自分の掌を持ってくる。
 そこにある“現実”を、事実として認識する。
 浅黒い肌。堕天使の掌。手相や指紋までくっきりと見て取れる。現実(リアル)の、こうなる前の、枯れたような自分のそれとは比べようもなく筋骨のある──腕。両目をグイとこする。
 仰向けになる。
 頭上に、黒い前髪越しに見える、天に浮いた赤い装備物。
 指を伸ばすと、輪っかはキィンとした感触と共に横に滑って、そして戻る。
 現実(リアル)とは違う。だが、今はこれこそが、カワウソとしての現実(げんじつ)
 堕天使の、カワウソ。
 深く、息をする。

「お目覚めですか」

 天使の輪を頭上に固定した女騎士の冷たく響く声音が、覚醒を促す。
 堕天使は応じるように、ベッドから半身を引き起こした。
 半分眠ったままでいるような口調で、ミカのいる方向に顔を向ける。

「……おはよ?」
「おはようございます、カワウソ様」
「……今、俺……なにか言ってた?」
「何か、とは?」

 厳しい視線を浴びせて、主人の起床に返答するミカ。

「いや、いい」

 夢を見ていたのだろう。寝言を言っていたかも。そんな気がしたにはしたが、確認しても特に意味はなかった。話していると、内容も微妙に思い出せなくなっている。
 カワウソは呆然と頭を掻きつつも、部屋を見渡す。

「結局、寝なかったのか?」

 カワウソは彼女に、寝る直前に問いかけたのと同じ疑問を投げる。
 堕天使が寝起きしたベッドの脇に、もうひとつの寝台があるのだが、そこは誰の手も触れていないと判るほど真っ白なシーツが張られたままだ。枕すら使用された痕跡がない。
 ミカは、やはり憮然としつつ、寝食が不要な事実をカワウソに告げる。

「私は“一応”、カワウソ様の護衛です。いつ何時、敵が攻めて来るやも知れない状況で、寝食に(ふけ)るなど、ありえません」

 あくまで、自分の役割を心得ているのだとミカは宣言した。一応、この部屋はカワウソの周囲警戒用のアイテムで防御されているが、万が一に備えて、女天使は一睡もしていなかったという。
 彼女の言は、ひどくカワウソを責めている──わけではないだろう。
 そもそもにおいて、肉体を有するが故のペナルティなどとはほぼ無縁の純粋な天使は、寝食の必要な体ではないのだから。
 だが、カワウソは、堕天使は、違う。
 カワウソは自分の耳に維持する耳飾り(イヤリング・オブ・サステナンス)を装備している。これによって、飲食睡眠を何とか抑えることができた。だが、このアイテムを装備しているにもかかわらず、この世界でカワウソは睡眠飲食を可能にしていた。
 というよりも、定期的に睡眠や飲食が欲しくなってしようがなくなるのだ。


 ユグドラシルにおいて人間種や亜人種などのプレイヤーが被った「眠り」「飢え」「渇き」というのは、放置しても短時間で“死”に直結するようなことはほとんどない(異形種プレイヤーの場合は、よほどの種族でもないと発症しない)。だが、ゲーム内で24時間睡眠をとらず飲食をしないでいると、肉体を持つ彼等は上記のような状態異常(バッドステータス)にさらされ、その行動を大いに制限される。

 睡眠をとらなかった者は睡魔に襲われるように「昏睡」し、飲食を過度に怠った者は「飢餓」に罹患して、最悪の場合、死亡。また、重度の飢餓状態で“回復の為”と称していきなり食事を摂ると、逆に症状が悪化して死亡するなんて仕様だったので、プレイヤーたちはゲームをプレイする上で、そういう睡眠や飲食の必要性を抑える道具を装備するか、あるいは定期的にゲーム内の宿屋(ホテル)や野営拠点、ギルド拠点内の回復地などを使用して、そういった状態を全快させる必要があったのだ。
 また、この状態異常はフィールドに散るモンスターも同様で、彼らを生け捕りにした狩人(ハンター)や、大量に使役する調教師(テイマー)、あるいはそういったモンスターを飼って繁殖し、買い取りたい人たち(プレイヤー)(おろ)したりする業者・育種家(ブリーダー)なども、大量の飲食アイテムや寝床の確保は必須となっていたので、割と面倒が多い。カワウソもモンスターを生け捕りにして街に売り払いに行くまでに、ちゃんと世話をしていないと生け捕りにしたモンスターが死亡=素材化してしまって、売値が大幅に減少するのを防ぐのに苦労したものだ。


 そして、おそらく、だが。
 カワウソの「人」としての記憶──脳内(あるいは魂か)に刻み込まれた習慣や感覚が、睡眠や飲食という名の休息を求めていた。体力(HP)的には一目盛も減じていないカワウソが、睡眠や飲食を欲する理由など、それぐらいしかないだろう。
 あるいは、堕天使という異形種の特性として、状態異常(バッドステータス)脆弱Ⅴ……状態異常に罹患しやすい体質が故に、そういった寝食を必要とするのだろうと、そう結論できる。装備している耳飾り(イヤリング)にしても、そこまでレアな(クラス)でもなかったのも原因か。
 女天使は、窓の外を見やりながら言い募る。

「それに、私は睡眠など不要に働けますので。それぐらいご理解しておりますよね?」

 ぶっきらぼうに事実だけを告げてくれるミカ。
 そんな横柄にも聞こえる女の口調にも、カワウソはだいぶ慣れてきた。
 いまだにボウっとする熱い眠気眼をこすって、ギルドの私室で味わったものよりだいぶ硬い寝台から立ち上がるべく、カーペット敷きの床に足を伸ばした。客室備え付けのスリッパ──ではなく、脱いでいた足甲に足を突っ込む。
 今のカワウソは、神器級(ゴッズ)アイテムの鎧などは脱いでいた。当たり前と言えば当たり前だが、あんな造形の鎧を身に着けたまま、現実のベッドに寝転がるわけにはいかない。堅い金属の感触は、快眠には向きそうにない上、下手をすると、この異世界の脆弱な品物を寝返りひとつだけで破壊する可能性もあり得た。
 故に、カワウソは今、鎧の下に着込んでいた鎖帷子(くさりかたびら)……聖遺物級アイテム、光の鎖帷子(チェインシャツ・オブ・イルミネイト)とズボン姿という出で立ちでいる。この鎖帷子は金属製の防具だが、輝くような白銀色の肌触りは羽毛のように滑らかで、むしろ装備したままの方が心地よいほど。尚且つ、防御力もそれなりに期待できるため、夜襲にも即座に対応可能だ。今のカワウソが、つけっぱなしで眠っても問題ない装備のひとつである。脱いだ漆黒の鎧についてはベッド脇に鎮座されて、赤い外衣(マント)腰帯(ベルト)狩猟用の鎖(レーディング)も懇切丁寧に折り畳んで置いてあった。
 それらを一旦意識の端に放置して、立ち上がってひとつ伸びをしたカワウソは、ベッドから離れる。
 ふと、ミカの手元にあるものが気にかかった。

「何だ、その本?」
「室内にありました。『漆黒の英雄譚』という伝記物語のようです」

 魔法都市(カッツェ)で聞いた御伽噺だ。
 ミカが開いていたページには『ギガントバシリスクに一人で雄々しく立ち向かう』といった場面が記述されていたのだが、あいにく二人には解読の方法がなかった。ミカは何か情報を得られないかとパラパラめくって中身を(あらた)めていただけのようだ。結果は思わしくなかろうと、やらないよりはマシという程度の行為に過ぎない。
 カワウソは大いに頷いた。
 本による情報は非常に重要である。マアトに送って内容を精査したいところだが、

「マアトは現在休息中であります」
「だったな」
「ガブらによって、出入り口の鏡は既に増設済み。予定だと昼までには、クピドを通して、言語解読用の眼鏡などの通常アイテムが輸送される手筈です」
「うん。了解」

 昨夜、寝る直前にした命令通りに行動してくれたようだ。
 ミカが椅子に腰かけ眺めるものを共有すべく、窓の外を見る。
 目に飛び込んでくるのは、セーク族族長家の住まう邸宅、その中庭。

「……へぇ」

 カワウソは目を瞠る。
 夜明けの薄明りに照らされて、朝露に濡れた草木から香る穏やかな空気が、肺を優しく満たす。小鳥が遊び戯れる声が、耳に心地よい。
 朝。
 それは、この異世界に転移して三日目──初めて見ることになった、本物の朝だった。





 




 昨夜。
 カワウソたちは草原の空き地から、この飛竜騎兵部族がひとつ“セーク族”の領地を訪れた。
 そこまでの道のりは、無論、飛竜(ワイバーン)の翼による空路であったが、セーク族の飛竜たちは自分の“相棒”に選んだもの以外は滅多に乗せることがなく、乗せられる量というのも相棒の体重と同量ぐらいのものがせいぜいという話だ。これはヴェルとラベンダで考えると、ヴェルの体重44キロ+鎧で50キロ程度から、ラベンダは100キロの質量を運び飛行することができるということ。とすると、ヴェルと共に騎乗することができたマルコの体重は50キロ前後という感じなのだろうが、あくまで目安だ。さらにいうと、飛竜は自分の最大積載量に近い質量を持った状態だと、機動力や航続距離、空中戦闘能力に著しく不安を覚えるものだという。故に、人二人が乗った状態で、都市上空であれだけの空戦を繰り広げ持ちこたえたヴェルとラベンダの能力は「破格」と言ってよいらしい。並の飛竜騎兵ではまず行えないという話を、ここまでの移動中に、ヴェルの幼馴染(おさななじみ)であるハラルドから聞いて知らされていた。
 その移動の際。カワウソは自分で空中を足で翔ける魔法を発動してとか、一対の翼を広げるミカに抱えられながらではなく、族長が用意した割と巨大な折り畳み式の板──聞くところによると、第一位階の〈浮遊板(フローティング・ボート)〉の魔法がかけられているらしいが、ユグドラシルにはない魔法なはず──に乗せられ、それを四匹の飛竜らに牽引される形(残る四騎の内三騎が族長とヴェルの周囲を囲み、ハラルドが監視……護衛役として、カワウソたちの付近を飛行していた)で、カワウソたちはこの地を訪れることがかなった。
 八匹の飛竜たちは騎乗者の相棒同様に、カワウソとミカを“敵”と認識しているようで、近づこうとしても盛大に威嚇される始末だったのだから、しようがない。唯一、ラベンダだけはカワウソたちを受け入れてくれていたが、それでも背中を預けることは出来ないのは相変わらずであった。ひょっとすると、カワウソやミカの装備するものが重すぎるからかも。
 夜陰に乗じて、さらには、表から堂々帰還を果たした族長のおかげで、カワウソたちは誰の目にも触れることなく、セーク族長の邸宅に迎え入れられた。一番騎兵隊──ハラルドの部下たちは邸宅の事情に明るいらしく(というか、ほとんど全員がこの屋敷の使用人同然に生活しているようだ)、彼ら数人によって客室のひとつに通されたのだ。
 客室の広さは、カワウソにとっては不自由のない1R(ワンルーム)で、風呂トイレも完備されている。正直にいうと、現実世界にいた自分の住まいよりも広く感じられるのは、ベッドが二つ用意されているからだ。人ひとりが寝転がるのに不自由ない寝台が“二つ”もあって、小さな丸卓や椅子の他にも〈永続光〉を放つランプスタンドがあるなど、家具を置くスペースも十分だった。白い内装の色調が目に心地よい。
 ただ。
 問題は、──ベッドが“ふたつ”ということ。

「……結局、こうなるか」

 部屋に通された時。諦めたように項垂れて言ったカワウソの隣で、不服そうな女天使が、何か言いたげに腕を組んでいたが、結局は何も言ってこなかった。
 冷静に考えるなら。嫌っている(カワウソ)と同室という状況は、女性にはストレス以外の何物でもないのだろう。だが、今は耐えてもらうしかない。何とか別室にしてもらえないかと交渉してみたが、申し訳なさそうに却下されたのだから。
 カワウソたちはヴェル・セークの救出者として、彼女の姉にして族長のヴォル・セークに歓迎されはしたが、それだっていつまで続くか知れたものではない。後々やはり「ヴェルを処断する」という展開になれば、それを擁護したカワウソたちも処される可能性は十分にありえる。はっきり言えば、カワウソたちを監視下に置き「いざとなれば諸共に拘束できるように」という意味で、同室に詰め込んでいるのだろうという企図があるように思われてならない。実際そうなっても、逃げ果せることは簡単だろうが油断は禁物である。
 さらに。邸宅と言っても、カワウソのギルド拠点にある屋敷の半分程度の広さもない建坪だ。そんな場所で客人を別個に納めるスペースが余っているわけもないというところか。客室は一応、二部屋はあったが、それだけだ。もう一方はマルコに与えられていて、三人は邸宅の一区画に押し込められている状況にある見方もできる。

 しかし。
 それよりも。
 誰が“二人部屋を使うのか”というのが、その時における一番の問題点であった。

 カワウソの一般常識としては、いくらギルド長とNPCとはいえ、“男女が同室”になるのは遠慮すべき事態に思われて当然のこと。それよりも、女性同士が同室になる方がいいのではと提言したのだが、誰あろう“ミカ”が、それを承服しなかったのだ。カワウソを守護する位置を確保するために、自分が主の傍を離れるなどありえない、と。
 本心からの言葉……なのだろうか。
 あんなにも剣呑な表情で、「護る」と言われても、正直ピンとこないのだ。
 これがもう少し好意的であったらと何度も思ったが、彼女に与えた設定の通りなので何も言えない。
 もはやここまでくると、どうして昔の自分は、ミカに『カワウソを嫌っている。』と設定したのか、軽い憤懣(ふんまん)を懐くようにもなっていた。

 あるいは。
 この設定が『カワウソを“愛して”いる。』だったらと思うと────それはそれで「何やってるんだ恥ずかしすぎる!」と思ったわけで。実際に、彼女を創った当初にそうしかけて、急遽変更した過去があったのだ。ならば、今の方がまだマシだろうと思うことにする。するしかないのだ。

 ちなみに、この邸宅の住人──セーク家の一員であるはずの少女、カワウソたちが保護したと見做されている狂戦士──ヴェルは、自分の私室ではなく、別の場所に幽閉される運びとなっているのは、本気でどうしようもない。彼女は、今は非公開だが、魔導国に大罪を働いた叛逆者──その可能性を持つもの──として刑されるやも知れないのだ。そんな存在を、いくら郷里とはいえ、彼女自身の私室に返すわけにはいかないというのが主な理由だ。それは納得している。カワウソも、幽閉されているヴェル自身も。

 そんなこんなで、カワウソは昨日一日の疲労感が限界を迎え、鎧などの装備を脱いで身軽になった途端、ベッドに沈むように倒れ込んでしまった。一応、気休めとして〈聖域〉系の課金アイテムを発動して防御を張ったのを思い出す。ついでとばかり、マアトなどにも休息を適時とっておくようにミカに伝えたのだったか。
 ミカにも「しようがないからゆっくり休め」と言ったのだが、天使は首を縦に振ることなく、窓辺の椅子に腰かけるのを見届けて、カワウソは寝落ちするに至ったわけだ。
 そうして、今。

「さて、これからどうするか」

 部屋にある時計──十二の数字らしきものを長針短針が指し示しているそれを見ると、長身と短針が天と地を刺すようにまっすぐな形を保っている。朝の六時というところだろうか。とりあえず、時間表記は60進法が採用されているらしい。
 気分を改めようと室内の手洗い場で顔を洗おうとして、備え付けの鏡に向かい合った。途端、無性に、あの悪夢で笑っていた堕天使(じぶん)を想起されるが、今のカワウソはまったく笑えない。気持ちを切り替えるべく、蛇口をひねって透明で新鮮な冷水を両手ですくった。水の感触が、頭にわだかまる熱を冷やしてくれるように思える。
 手を伸ばすと、真っ白なタオルを掴んだ。布地は洗濯したてのような香りをほかほかさせていて、水で濡らすのがもったいないほどに思える。顔の水分を丁寧に拭った。
 タオルを差し出してきた同室の女性が、何も言わないで手を突き出してくる。
 数秒して、カワウソは濡れたタオルを彼女に返却した。ミカのアイテムボックスにしまわれていく。

「──おまえの、だったの?」
「あなたが私に与えた物でありますが?」

 呆れたように肩を竦めるミカ。
 タオル掛けに目を向ければ、客室備え付けのタオルはそこにあるままだった。
 そういえば、彼女に与えた装備やアイテムというのは、一年以上前から手を加えていない。というかアイテムボックス内の物は、ほとんど彼女を創った時、適当に放り込んだ時の物で溢れていたはず。治癒薬(ポーション)などの回復アイテムや、彼女の扱える魔法の巻物(スクロール)の他に、いろいろと雑多に詰め込んでしまったことを今はっきりと思い出した。それがこんな形で利用されるとは。

「ああ……悪いな」
「べつに」

 短い遣り取り。
 ミカは小さく咳払いをしつつ、今後の動向を伺う。

「それで、いかがなさいますか? 邸宅内であれば、自由に使用・徘徊しても良いという話でしたが?」
「うん……どちらにせよ、装備をつけてから考えるか」

 現在、カワウソの護衛はミカ、ただ一人。
 観測手(オブザーバー)としてカワウソたちを魔法で監視していたマアトは、他の都市調査に向かった三人を定期的に見張る(さらに広域の地図化(マッピング)をする)必要があるため、今は頼ることができない。魔力回復のための休息中でもあるのだ。
 つまり、カワウソたちはカワウソたちで、問題や状況に対応するしかない。いざ敵に襲撃され、この邸宅内を脱出するのに最適なルート選択・防御に使えそうな道具の有無・罠などの確認を怠っていては、十分な安全を確保できないというもの。一応、昨夜訪れた時に、簡単な脱出路は頭の中に叩き込んでいるが、それがしっかりと使い物になるかどうかはわからない。いざとなれば邸の壁を蹴破ることも考慮しているが、他人様(ひとさま)の家を壊すというのは、常識的に考えて控えるべきことだろう。

「了解しました。では」

 ミカが当然のごとく頷くと、カワウソは脱いだ鎧の装着を始める。
 それを、女天使は手伝ってくれた。

「え、ミカ?」
「何か問題が?」
「ああ……いや」
「早く済ませましょう。今、敵に入られでもしたら面倒ですので」

 硬い声は、警戒心が強くて頼もしい限りだ。カワウソのアイテムでも、この異世界だと何処まで有用かわからないから、警戒することは大事だ。カワウソも慌てない程度の速度で装備に手を伸ばす。
 装備の装着中、カワウソは思い知った。
 一人では少々面倒だが、手伝いの手があるだけでこうも楽になるとは。
 しかし、こんなことになるのなら、早着替えのローブでも持ってくるべきだったか。
 拠点を出た時は、用心のためにとにかく戦闘用のものばかりを持ち出して来ていた。あまり装備を丸ごと取り替えたりする習慣のなかったカワウソは、早着替えのローブを常備していなかったのだ。
 手伝ってくれるのはありがたいが、他人に自分の衣服を世話させるというのは、こう、面映ゆいものがある。小さい子供でもあるまいに。
 氷のごとく冷たい無表情なまま、目が合うたびに何か言いたげな表情で睨みつけられるものの、ミカの手際は完璧と言ってよかった。肩や腰の留め具をガチリと噛ませ、身動きに支障がないことを確認。他の装備品も、ミカがまるで慣れた手つきで装備させていくのに任せるが、「どうしてこんなに慣れたように装着できるのか」という疑問が湧き起こる。
 それは、勿論ミカが知っているからだろう。
 だとしたら、どうやって知ったというのか?
 ユグドラシルの仕様上、こんな複雑かつ煩雑な手順で装備の脱着など、カワウソはしたことがない。装備の扱いはコンソールの操作で一発だったのだ。ミカが自分で自分の籠手を外せたように、装備類の扱いというものを、NPCがある程度は熟知しているという仮説が立つ。
 そういえば、ミカは聖騎士の装いで身を覆っているが、他の装備などは身につけられるのだろうか?
 カワウソのように、ある程度の制約や限界がある可能性はあるが、どうだろう?

「なぁ、ミカ」
「何か?」
「ユグドラシルの……この世界に転移する前のこと、覚えているか?」
「無論。覚えております」
「……それは、どの程度の記憶なんだ?」
「は? ──あなたに創られた時から。ここに至るまで、すべて」
「じゃあ、俺の鎧の装着方法とかは、どうやって覚えた?」
「それは──質問の意味は理解しかねますが、私はあなたが装備を変更する方法を知っている。あなたに仕える防衛隊隊長として、当然の知識です。おそらく、メイド隊の皆も心得ているはずですが?」

 簡潔に断言され返答に困る。
 カワウソはゲーム時代、ミカがいる第四階層で、装備の変更を行ったことは確かだ。ホームポイント……ゲームにINした際に登場するよう設定された自分のギルドなのだから、その回数は数えきれない。ただ、ミカの目には、カワウソが自分で装備を脱着した場面が見えていた……というところなのだろうか。あるいは、事前にそういうことを知っているという風に設定された? いや、そんなピンポイントな設定、カワウソは書いた記憶がない。設定した以外の部分が、何らかの方法で補填されている感じなのか?
 また疑問点が増えただけのような気がするが、これも重要な情報である。
 忘れないよう、頭のメモ帳にしっかりと書き加えておく。
 腕輪に肩当、腰には鎖やベルトを装着し終える。
 すでに履き終えていた足甲(ブーツ)の感触を、踵を鳴らして確かめた。

「うん。これでよし、っと」

 最後に呟いて、ミカの手から渡された血色の外衣“タルンカッペ”を肩に羽織る。
 深く一呼吸を置く。
 ちょうど、その時。

 コンコンコン

 ノック音にミカが軽く身構えるのを、カワウソが手を振って普段通りのまっすぐな姿勢に戻す。

「おはようございます。カワウソ殿、ミカ殿」

 扉の奥から聞こえる声は、すでに聞き慣れた部隊長のそれ。
 どうぞと入室を促すと、青紫の髪に赤いメッシュが特徴的な偉丈夫の少年、ハラルド・ホールが、家人(かじん)の代わりに客人らを案内すべく現れたようだ。

「おはよう、ハラルド」
「おはようございます」
「……ヴェルの方は、どうだ?」
「ご心配には及びませんので、あしからず」

 実直かつ馬鹿真面目な少年は、彼らしい誠実な声音と姿勢で応対してくれる。

「お二方の支度(したく)が整い次第、朝食へご案内させていただきますが」
「ああ。それなら大丈夫だ。……大丈夫、なんだ、が?」

 普段着──騎兵の正装を脱いだ状態──の少年のすぐ背後に、かなり信じられないものがいて、カワウソは少々、言葉に詰まる。
 とりあえず、挨拶を試みる。

「ええと──おはよう、マルコ?」
「…………あ、…………おはようございます」

 反応は、亀のように遅くやってきた。
 あんなにも利発で、あんなにも明朗闊達(めいろうかったつ)としていた男装の修道女、マルコ・チャンが、ものすごく疲れ切ったような、今にも倒れ込みそうなほどドンヨリとした口調と姿勢で、かろうじて挨拶を返す姿に、カワウソは大いに違和感を覚える。

「ど、どうした。その、ええと」
「…………何でもないです。…………気にしないでください」

 昨日までの、優しくも厳しい、聡明さに満ち溢れ、カワウソたちを導き続けていた人物と同じだとは信じられないぐらい、その乙女には覇気がなかった。何というか、すごい投げやりな応答が続く。

「もしかして、寝てない、とか?」
「……ええ、まぁ……そんな、ところです」

 何があったか聞いてもいいか。そう(たず)ねることすら憚られるほどに、女性の異常っぷりは際立っていた。
 昨夜、部屋別に別れた時はきびきびしていた背筋も、(しお)れた花のように薄弱としている。生気すら失われたのかというぐらいに、黒く重い暗雲を頭上に醸し出しているかのよう。彼女の周囲だけ重力が数倍になっているような気さえ覚えた。振り返ると、あのミカですら大きく顔を傾げていた。

「あの、マルコ殿……やはり、部屋で休まれておいた方が?」

 朝食なら部屋へ運びますと進言するハラルドの親切に、マルコが断固として頭を振った。
 飛竜の威嚇声にも似た唸り声をあげて「気にしないで結構です」と告げるが、どう考えても気にせざるを得ない異変である。

「急ぎましょう……お話を、伺いに」
「ちょ! マルコ殿!」

 言ったマルコは、ハラルドよりも先に廊下を進もうとするが、少年にあっさり引き留められる。勝手に邸内をうろつくことを拒否するニュアンスではない。
 マルコは、廊下の突き当たりの壁に向かって、頭をぶつけそうになったからだ。

「どうしたんだ?」
「さぁ?」

 夢見でも、悪かったのだろうか。
 カワウソたちの心配を一身に受けつつ、修道女は階段を滑り落ちそうになって、少年に引き留められていた。





 




 少年に案内され、結局あっちこっちにぶつかりそうになるマルコをカワウソとミカで押さえつつ向かった先は、邸宅一階の、大きな食堂だった。長い卓上は白いクロスで覆われ、部屋の隅には大きな花瓶に飾られた大量の花の香りが。

「ようこそ、皆さま。よくお休みになられましたか?」

 飛竜騎兵のセーク族を率いる女族長ヴォル・セークが、鎧を脱いだ非武装の格好……白紫の、足元まで隠す丈長のワンピースっぽい肩を露出する衣服(オフショルダー)で、それが鎧姿とはまた違った艶を感じさせる。朝日に燦々と照らされる窓を背後にした卓の上座から立ち上がった女族長──その周囲には一番隊の、昨夜カワウソと交戦した騎兵の女衆が二人、完全武装で警護についている。
 カワウソたちの戦闘能力を知っていれば、明らかに力不足な警備兵だが、儀礼として必須なだけという可能性もあるし、何よりカワウソ本人に戦闘をする意気も企図も、もはや存在しない。
 家の主によって歓待されるカワウソ、ミカ、マルコの三人は、すでに用意されていた朝食の席に着く。湯気の立つスープの匂いに胃袋が踊りそうなほど食欲が湧いた。毒や睡眠薬が入れられている可能性をほんの一瞬だけ考慮するが、この鎧を身に着けている限りは大丈夫だろう。ここまで歓待しておいて、今さらカワウソたちに毒を盛る必要性もない、はず。
 しかし、それよりも気にかかることが、カワウソの対面の席に座した、修道女の容態である。
 それは彼女も、ヴォルも同様であったようで、しきりにマルコの様子を気にかけていて、たまりかねたように声を発した。

「あの……マルコ殿?」
「…………あ、はい?」
「大丈夫、なんでしょうか?」

 よく眠れていないような暗い表情の修道女に、ヴォルもまた部屋で休むことを提案する。家主にまで体調を気遣われるマルコは、一瞬だけシャンと背筋を伸ばしたが、「大丈夫……です」と言っている内に、背を小猫のように丸めてしまう。ほとんど卓上に突っ伏すような感じになる。声をかけるたび、バネ仕掛けのように身を起こして、またも背筋が丸くなる。この繰り返しだった。
 カワウソたちと少なからぬ交流を深めた女性の変容が気にかかって、食事を愉しむどころの話ではない。
 本当に、何かあったのだろうか?

「ええ……と、とりあえず。朝餉(あさげ)にしましょう」

 気分を変えようと、セーク族の祖先と飛竜に祈りの言葉を捧げるヴォルの声が響き、カワウソはそれを数秒ながめた。
「いただきます」の唱和に合わせて、カワウソも礼儀として手を合わせる。
 マルコの調子は食事中も変わることなく、食事はなるべく静かに、粛々と行われた。
 行わざるを得なかった、というべきか。マルコは食事が手につかない調子で、カワウソに自分に出された朝餉を差し出してきた。飲食不要なミカも、その行為に追随する。家主を前にして無礼に値しないか不安に駆られるカワウソは、一応、ヴォルの了承を仰いだ。女族長はにこやかに許してくれる。助かった。
 スープの他に、パンやサラダも堪能した。中でも極め付けだったのは、ふわとろ食感なスクランブルエッグ。あの味は、もうなんとも言えない。焼き加減や塩加減も絶妙で、レシピを教えてもらえないか真剣に考えた。二人分を平らげてもまだ味わいたくなり、「おかわり」を言おうとするのを自制するのに苦労した。おかげで、少しばかり挙動がおかしくなっていたかもしれない。

「では、デザートもいただいたことですし」

 切り分けられた果物(くだもの)──レインフルーツというらしい、瑞々(みずみず)しい食後の甘味(これもミカとマルコは口にしなかったので、貰った)に舌鼓を打っていたカワウソは、その姿勢を正す。

「改めて、皆様には我が妹、ヴェル・セークを救出していただき、誠にありがとうございます」

 朗々と紡がれる声音は、虚飾を一切感じさせない家族の思いが込められている。
 実の妹には冷たい対応──今も、特別な幽閉所に監禁──をしていても、ヴェルの状況を考えれば仕方がないと思われた。

「感謝されることじゃない」

 カワウソは率直に、状況を歓迎できなかった。
 ともすれば。ヴェルは確実に処断されるべき罪人。
 魔導国──大陸を統治する一国に対して、とんでもない造反行動を──アンデッド兵団を半壊という、信じられない冒涜行為を働いたのだ。これを刑さずにいるというのは、上にいる者たちの温情に他あるまい。
 兵団を、半壊。
 本当にあんな少女が──いや、実年齢から言えば女性というべきだな──とも思うが、いずれにせよ、追跡部隊として派遣した中位アンデッドの死の騎士(デス・ナイト)部隊まで退けたと見做されている(・・・・・・・)ヴェル・セークが、本当に「兵団を半壊」という性能を行使出来たのかどうか、大いに疑問だった。
 たとえ彼女が、“狂戦士(バーサーカー)”の適性者だとしても。
 そして、そんな彼女を助けたカワウソたちも、諸共に処罰や調査の対象に見据えられたら──なんて、とても想像したくない。

「今は一刻も早く、ヴェルの暴走原因を突き止め、彼女に本当に咎があったのかどうかを知ることが先決……だったよな」
「その通りです」

 打てば鳴るように、女族長は応えた。
 濃い紫の前髪の奥にある視線に込められた圧力は、思わず腰が引けそうなほどの活力が乗っていて、まるで獰猛な竜のようにさえ錯覚する。
 小動物的な妹のヴェルとはだいぶ違う印象だ。むしろヴォルの方こそが、純粋な戦士然とした強さを秘めている印象が強まるが、聞くところによると彼女はどちらかと言えば“魔法”の造詣(ぞうけい)が深い部類に入るという。魔法詠唱者(マジックキャスター)で、あの鎧姿だったということは、彼女はウォー・ウィザードか何かなのだろうか。

「よろしいでしょうか?」

 これまで興味なさそうにしていた黄金の女騎士が、手を挙げた。
 ヴォルが手を挙げた方に鋭い視線を投げる。

「なんでしょう、ミカ殿?」
「ヴェル・セークが暴走した現場に皆様はいらっしゃったという話でありやがりましたが。であれば、皆さまは何らかの記録映像などを保有・撮影してはいないのでしょうか?」

 彼女が発した質問を、その内容の的確さを、カワウソは心の底で褒めた。
 なるほど。映像記録があれば、何かしらの手掛かりが映し出されているかも知れない。
 と思ったところで、ヴォルは残念そうに頭を振った。

「式典演習の記録は、その一切が魔導国の軍上層部が掌握しております。私たち程度の臣民等級では、個人で演習風景を撮影し、持ち出すなどの行為は原則禁じられております」

 カワウソは唸った。
 考えてみれば、職場の光景を個人で勝手に映像記録にすること自体が不謹慎に値するだろう。

「……となると」

 手詰まりじゃないか?
 壊滅した現場検証なんて、国側がすでに済ませているはずだし。
 早くも行く手を阻まれたと感じたカワウソに、ヴォルは心配ないと告げてくる。

「なので、今回特別に、軍部から映像をお借りしてまいりました」

 言った女族長は指を鳴らして、隣に控えていた騎兵たちを呼び、「例のものを」と命じる。
 彼女らがカートに乗せて持ってきたものは、現実で見たことのある映写装置とは似て非なる、一個の球体──ボールだった。ユグドラシルプレイヤーが愛用する〈記録(レコード)〉用のアイテムでもない。ボールは金属質な光沢を放っており、スイッチらしきものが幾つかある。球体上部の中心には黒い穴が穿たれており、全体の大きさとしてはバレーボールぐらいになるだろうか。
 アイテムは長方形の卓の上、カワウソたち全員が囲む位置に安置される。
 カワウソは我を忘れて、未知のアイテムをしげしげと眺めてしまう。

「式典の演習風景を記録していた、軍の情報部から提供された証拠品です」

 言うが早いか、ヴォルはアイテムを起動させた。彼女の手中にあるリモコンで操作されているらしい。
 食堂内の窓のカーテンが仕切られ、〈永続光〉のランプが光を落とす。
 唯一の光源となったボールは、中心の穴から青緑色に輝く魔法の光を灯し、数秒後には巨大な立体映像──四方一メートル程度の光の箱を、何もない空間に投影していた。〈水晶の画面(クリスタル・モニター)〉の魔法に近いものと思われる。
 ヴォルが再生ボタンを押すと同時に、中の光景が鮮明な色を持って現れた。

 空中を舞う蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)数体や骨の竜(スケリトル・ドラゴン)数十体の後に、生きた魔獣の騎乗兵──人間・森妖精(エルフ)山小人(ドワーフ)小鬼(ゴブリン)・ビーストマンなど──が姿を見せる。どの航空編隊も一個の生命のごとく整然とした統制がなされていた。
 それらに続いて現れたのが、飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)十騎による航空編隊。
 典型的な(やじり)形態で、女族長のヴォルを先頭中心にいただき、一番騎兵隊の八騎がそれに追随。そのさらに前方の位置に、(くだん)の“狂戦士(バーサーカー)”ヴェル・セークが飛行していた。優美な空飛ぶ竜たちの姿は、そのまま写真にして保存したいくらいに堂に入ったものがありありと窺える。
 
 異変は途中からだった。
 
 ヴェルの相棒のラベンダが、数度ほど乱暴に翼をはためかせる。他の飛竜騎兵とは違うパフォーマンス、ではない。
 何事かと思考していると、ラベンダの背に乗っていたヴェルが、首をガクガクさせて身体を前後に揺らし始めた。手足も力なく、人形のようにブラブラしている。儀礼として持参されていた鎗も、あろうことか宙に放り出された。気を失っていると直感するしかない。手綱を放して鞍に跨っていられるのは、騎乗兵の特性故か。数秒もせずに、ヴェルたちは予定の航路を外れ、重力の指にひっかけられたように墜落の軌跡を描く。飛竜が不調をきたしたという可能性はない。ヴェルの身体が、ついにラベンダの鞍から剥がれるように落ちかけたからだ。ラベンダはたまらず相棒を追う。何とか少女の身体を背に運んで上昇を試みている内に大地が迫り、そして──

 カワウソはヴォルに短く言って確かめた。

「墜ちた」
「ええ」

 この時に、彼女が墜落した地点もまた悪かった。
 カメラアングルが空中から地上の撮影班のそれに切り替わる。
 そこで整然と方陣──真四角の陣形に並んで待機していた骸骨の戦士団の中心に、ヴェルとラベンダは落ちていたのだ。いきなりの変事に、カメラマンの手元が二秒ほど揺れて、その現場を見やる。
 飛竜(ワイバーン)墜落の衝撃で密集していた骸骨の兵隊が宙を舞い、彼女らの下敷きになった者らが、無残に圧し潰されて地面にめり込み、バラバラに砕けていた。
 それで終わっていたら、ただの事故だったのだろうと、誰もが思う。

「……あれは?」

 カワウソが指摘した先には、もうもうと立ち上る土煙の奥に、うずくまっていた飛竜の巨体。
 その背に騎乗する者、その容貌の変化に息を呑む。
 爛々と、燃えるように輝く、両眼。
 正気を失い、自ら「狂気(バーサク)」の状態異常を発現させたことを意味する、狂戦士固有の特殊技術(スキル)エフェクトだ。
 確かに、そこに墜落した少女は、紛うことなき狂戦士(バーサーカー)と化していた。
 そして、騎乗兵の特性として、彼女を背に乗せた飛竜(ラベンダ)も、同様のエフェクトが浮かび上がる。騎乗兵は騎乗物を、己の影響支配下におくことで“強化”が可能な反面、乗り手である騎乗兵の状態異常を騎乗物にもフィードバックしてしまう。

「なんと、まぁ──」

 名状しがたい咆哮と共に、狂戦士(バーサーカー)による蹂躙が始まった。
 その場で待機状態だった骸骨たちを、同じく狂化してしまった騎乗物・ラベンダと共に、アンデッドの尖兵を飛竜の脚で踏み砕き、長い尾で弾き飛ばし、ヴェルの拳で殴り潰して……そうして瞬く内に骸骨(スケルトン)の戦士団は半壊の憂き目にさらされた。竜に乗った狂戦士の力は、ろくな装備も与えられていない下級兵の骸骨たちを、蹂躙するのに十分なレベルを保持していた。骸骨たちは、スイッチを切った機械のように、為すがままにされていたのも影響を及ぼしたようだ。
 空から実の姉をはじめ、同族の飛竜騎兵たちが降下してくるが、時すでに遅し。どころか、暴虐の渦に引き込まれれば、自分たちまで壊滅させられる──そう直感できるほどの暴力を、彼女らは共に振るい続けた。
 だが、その暴走は思わぬ形で終息に向かう。
 飛竜が鎌首を乱雑に左右へと振った。何らかの攻撃を被ったわけではない。ヴェルの「狂気」に呑まれていたラベンダの片目が、自力で正気を取り戻し、苦し気な呻き声をあげながら翼を広げた。未だに暴走中の相棒を背に乗せたまま、ラベンダの巨体は空へと舞い上がる。
 ラベンダは、狂気の暴力をさらに辺り一面に撒き散らそうと欲する相棒(バーサーカー)をその場から遠ざけ、それ以上の暴走で二次被害が生じるのを防ぐかのように、逃げ去ってくれたのだった。
 あとに残されたのは、広い演習会場に轟くどよめきと、土煙の晴れた向こうで、砕けた骨の様を累々とさらすアンデッドの戦士団だけだった。

「映像は、以上となります」
「……なるほど」

 カワウソは指を組んで頷いた。
 演習場から逃げ延びた二人はその後、魔導国による追跡を受ける中で完全に正気を取り戻し、わけもわからぬまま逃走を続け、そして、あの森で、カワウソたちと出会ったと、そういうところか。

「この映像、ヴェルには見せたのか?」
「昨夜の内に」
「……ヴェルの反応は?」
「最初は戸惑っていましたが、次第に腑に落ちてくれたようです」

 カワウソは納得する。
 確かに、これでは事情が分からない人の目には、ヴェルがいきなりアンデッドたちに強襲をかけたようにも映るだろう。上空と地上で見える光景は違ってくる必然だ。空の映像では明らかにヴェルの状態に異常がみられるが、地上で見ていた限りにおいては、突然飛竜騎兵が降下してきて戦士団を攻撃したとも判断できる。というか、そういう風にしか見られないというべきか。

「よろしいでしょうか?」

 カワウソの隣に座しているミカが、冷酷な声色で挙手していた。ヴォルはどうぞと言って促す。

「ヴェル・セークが狂戦士として暴走した理由について、心当たりは?」
「わかりかねます」
「これまでに、彼女が暴走したことはなかったのですよね?」
「ええ──我が妹の暴走は、実のところ、今回が初めてで」
「……そのことなんだが」

 カワウソは昨夜聞きそびれた疑問を口にしていた。

「狂戦士化したのが、今回が初なら……じゃあ、どうやってヴェルが狂戦士って、判ったんだ?」
「我が一族に伝わる秘術──魔法の鑑定に近いもので、彼女が生まれた頃に把握されていたのです」
「鑑定……ああ、そうか」

 ユグドラシルにも、相手の強さを「精密に」あるいは「大雑把に」識別するための魔法や特殊技術(スキル)、アイテムなどが揃っていたものだ。実際、カワウソのNPCの一人であるマアトが扱ってくれた。それによって、『ヴェルのレベルはLv.20程度』などの鑑定が可能だったわけで。
 しかし、疑問がひとつ。
 女族長の言を信じるならば、ヴェルは狂戦士のレベルを生まれた頃に取得していたと、そういうことになるのだろうか?
 この異世界で、どのようなレベル獲得ができるのか定かではないので推測の域を出ないが、生まれた頃にある程度の狂戦士のレベルを確保していたのか。あるいは未来予知じみた感じで、ヴェルが将来的に狂戦士になれることを知覚できたとか。そんなところなのか。

「その秘術、鑑定というのは“数字”を見るのか?」
「数字?」
「たとえば、こう──狂戦士Lv1とか、Lv.2とか」
「れべる? いえ……多分そういうものでは、ないと思われます。あの()を占った先代の竜巫女──私の先達(せんだつ)が、『この娘は狂戦士だ』と、適性者であるという事実を宣告しただけで。……数字のようなものは、たぶん言及していなかった、はずです」
「──そうか」

 カワウソは納得しつつも首を傾げた。
 ユグドラシルでは、相手の獲得するレベル──強さを数値で表す仕様だった。
 しかし、ヴォルの説明だとレベル数値というものを彼女らはしっかり認識できていない。異世界であるが故の仕様変更か、あるいは彼女らの“等級”では知りようがない情報なのか──多分後者なのではと思う。
 この異世界でレベル数値が「消失した」とするならば、どうして拠点NPC(マアト)が、現地人のヴェルやラベンダの推定レベルを鑑定できた? 彼女らには確かに数字としてのレベルが割り振られているからだろう。でなければ、マアトの鑑定が出鱈目だと判断するべきだろうが、あの引っ込み思案なマアトが嘘をついているとは、どうしても考えにくい。それならばまだ、ヴォル・セークたちの理解力が薄いだけという方がありそうな気がする。
 曰く、“三等臣民”の飛竜騎兵部族。
 三等というからには、一等や二等、四等や五等という臣民階級が存在していそうな感じがする。
 もしかしたら、魔導国内には与えられる知識量的な等級分けが一般化しているのかも知れない。
 三等はここまで。
 二等は三等よりも上のここまで。
 一等は二等よりも上のこのぐらいまで──という感じに。
 カワウソは確かめてみる。

「飛竜騎兵の部族は、確か三等臣民──だよな?」
「ええ、そうです」
「なんで、その、三等臣民なんだ? 俺は飛竜騎兵の部族について、あまり詳しくないから」

 瞬間、その場にいる飛竜騎兵たちが、微妙に表情を険しくする。
 カワウソは一瞬だけ身構える。聞いてはまずい情報だっただろうか。
 懸念が的中したと判断し、質問を撤回しようとするよりも早く、族長が微笑みを強くした。

「無理もありません。これは長老たちに聞くのが早いでしょうが、我等飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)は、100年前の過去、魔導国創立期に、暴慢にも魔導王陛下らに弓を引き、従属を要求された際には一度拒否し、愚かにも戦いを選んだ者らを同胞に持った者たちの末裔です。今でこそ三等臣民にまで地位向上を果たしましたが、国内での認知度は、未だに低い部類に入るでしょう」
「えと、確か……昨日の夜に聞いた内容だと、九つの部族の内、三つが従属を拒否した──だったか?」
「ええ、まさに。その三つの部族は、飛竜騎兵の力を過信しすぎた。当時の情勢ですと、『空を飛ぶのがやっとの魔法詠唱者(マジックキャスター)程度に、同じく空を飛びながら、様々な戦術と魔法、単純な力でもってあたれる我等飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)が負ける道理などない』と。
 実際、当時の世界情勢ですと、第三位階の〈飛行(フライ)〉を扱えればかなりの才能が認められていた時代だと聞いております。魔導国の誇る学園機構より輩出される魔法詠唱者の“最低水準”が、当時における一般的な魔法詠唱者の最大戦闘能力に見做(みな)されていたので」
「……第三位階で」

 カワウソは僅かに呟く。
 ユグドラシルでは最高で第十位階までの魔法が存在しており、その上に超位魔法が存在していた。だというのに、この異世界の人々にとって第三位階程度で最も強大な力と思われていたらしい。
 単純に当時の人々のレベルが低すぎたか、レベルアップできる環境が整っていなかったのか、いずれにしても、ユグドラシル基準で考えると薄弱として脆すぎる印象しかない。
 ヴォルの説明が続く。

「どんな魔法使いだろうと、空を飛んで〈火球(ファイヤーボール)〉の遠距離攻撃をするのが限界──そのようにたかを(くく)ったことが、間違っていた。いくら周辺諸国と国交が薄く、また飛竜騎兵らの航空戦力と、この天然要塞である奇岩の存在から、当時のビーストマンなどの亜人たちの国家すらも侵攻するに値しない“陸の孤島”のごとき土地に見做され無視されていたがために、──だから、当時の彼らは選択を誤った」
「……その、三つの部族ってのは、確か領地ごと」

 ヴォルは苦笑しつつ頷いた。

「徹底抗戦を掲げた彼らは、一日もせずに滅亡しました。彼らの領地であった(そび)える奇岩諸共に、魔導王陛下の魔法攻撃で蹂躙され、アンデッドの軍勢に敗北したと聞いております」
「従属を拒否した、だったか」

 一度は勧告なり要請などを表明していたのだろう。選択権を与えられた九つの部族の内、三つの部族が戦いを選んだ。故に、負けて、滅んだ。
 その事実を、堕天使の脳髄は驚くほど無感動に受け入れてしまう。
 ヴォルは続けた。

「残った六部族の内、セーク族とヘズナ族──この二家が魔導国との交渉を進め、何とか魔導国の支配に組み込まれることが許されました。ですが、三部族が勝手に反抗したことで、当時の中で最低位の扱いを受けた飛竜騎兵たちは」
「不満を爆発させた、とか?」

 ありそうな話だ。物語とかだと、こういう場合は奴隷みたいな扱いに耐え切れず、反乱や一揆を起こすフラグでしかない。
 だが、違った。

「? ──いいえ。むしろ新たにもたらされた魔法の恩恵に与ることができたのです」

 魔導国は、まるで我が子を慈しむ父のような寛大さで、飛竜騎兵の六部族を受け入れた。
 食料を与え、教育を施し、それまで同族同士で領地や財物を巡る殺し合いに明け暮れ続けた飛竜騎兵たちに、新たな道を指し示した。
 冒険者として世界に羽ばたく者。
 研究者として世界を探求する者。
 芸能者として世界を巡り歩む者。
 それまで考えもつかなかった生き方を提示され、その引き換えとして当時は「四等臣民」としての責務を負わされたが、誰もがそんな生き方を当然だと受け入れるようにすらなっていった。それはまるで“人心掌握”という名の魔法にでもかけられたかのように、飛竜騎兵だけでなく、その他の地において一度は魔導国の存在を軽んじ反抗した者らも、やがて恭順の意を示すことにさほどの時間を必要としなかった。次第に各種族や都市国家で、ひとつの共通認識すら蔓延するまでに至った。
 曰く、魔導国による支配こそが、平和を実現できるのだと。

「お待ちを」

 ミカが身を乗り出すように疑問を投げる。

「寡聞にして聞き及んだことがないのでありますが、四等臣民の責務というのは、一体どのようなことを?」
「ん? 簡単です。現在の我等三等臣民と共通する『義務教育』『適性診断』『異能診断』『食糧などの生産活動』『独自文化の継承と発展』あと『死亡者の提供』など、これに『労役』と『採血』が加わったものになります」

 意外と普通のことばかりで──というか義務教育とか、現実の世界では廃れすらした社会制度が組み込まれていることに驚いた。『生産活動』や『労役』も、共同体の社会維持にとってはあたりまえなこと。『文化の継承と発展』も、一応は理解できる。『診断』というのも、まぁ、なんとか想像はつく。
 ──だが、──『死亡者の提供』とは?
 聞いている限り、死体の最終処理を、国が一手に引き受けていると見るべきなのか。
 しかし、死体など各地個別に火葬して灰にしたり、あるいは土葬して埋めたりした方が、効率が良い気もする。実際、カワウソの両親は一応、民間の葬儀屋で火葬され処理された。民間ではなく、国ぐるみで死体を処分するというのは、あるいは衛生観念的な事情があるのかも。

「……労役などは解りますが、採血というと、血をとると?」
「ええ。健康把握の一環として。一定の周期サイクルで成人から血を採取しているそうです。三等臣民だと、これが医療従事者による『定期健康診断』に代わり、血をとられることはほぼなくなりますね」

 二人の遣り取りを聞いて、カワウソは疑問を覚える。
 魔法の生きる世界で、血を採取する必要があるのだろうか?
 魔法の鑑定による生体精査にはリスクでもあるのか? あるいは魔法だけでなく、医術や医療方面にも発展を遂げているのかも? 治癒薬(ポーション)や回復魔法で癒せない病態があるのか? だとしたら、手術輸血用の採血なのかもしれないが……だったら等級に関わらず採血しても良くはないか?
 答えは出そうにない。
 そして、やはり、カワウソが気になったのはひとつだ。
『死亡者の提供』──これは本当に、どういう意味なのか?
 直接聞くのは憚られる。語順としては三等臣民──現在の飛竜騎兵たちも行っていることらしいが、それ以上の“二等”や“一等”だとどうなっているかによっては、聞いてはならない情報だろう。カワウソたちは、何食わぬ顔でこの場に臨席しているが、実際は魔導国の臣民でも何でもない、ただのユグドラシルプレイヤーとNPCなのだ。知らないことは多くある。だが、それを知らないと言っては、魔導国に住まう者らに不審がられるのは明白だ。今は、深く聞かない方がいいはず。

「族長」

 食堂の隅にある扉から、やはり見慣れた一番隊の女騎兵が飛び込んできた。
 慌てた様子で、しかし客人らの手前ということで抑えた早歩きで、家主のヴォルに小さく巻かれた羊皮紙のようなものを手渡し献上する。
 彼女は結ばれた紐を解き、内容を凝視する。
 理解を得た族長は、書状を届けた騎兵に感謝を告げて、さがらせた。

「申し訳ありませんが。今すぐ皆様に会わせたい方がおりますので、少しばかり御足労を願います」
「会わせたい?」

 書状を大事そうに懐へしまう女族長は、少しだけ明るみを帯びた声で告げる。

「我がセーク家と対を成す飛竜騎兵の(うから)……ヘズナ家の使者が参りました」

 状況は、カワウソたちが思っていたよりも遥かに、深刻であった。
 ヴェルの暴走は、事によれば飛竜騎兵たち全部族の処分もあり得るほどの罪。
 彼らが団結して、事態解決に臨み挑むというのは、まったく自然な流れとも言えたようだ。
 しかし、カワウソは思い出す。

「“ヘズナ家”って、セーク家と仲が悪い感じの?」

 ハラルドが言っていた「ヘズナ家との確執」とやら。
 ヴォルは少し苦笑する。カワウソの問いに対し、「道中でお答えします」とだけ告げて、立ち上がった。





 




 飛竜騎兵の部族らが存在している領地というのは、少しばかり変わったところにある。

 カワウソたちは屋敷の一階から、地下へと続く階段に案内された。昨夜、カワウソたちは夜陰に乗じて二階建ての邸宅の中庭に降り立ったが、それは普段であれば絶対に使用しない帰宅手段であるらしいことは、すでに昨夜の内に聞かされて知っていた。本当は、この地下階段を使って下から入るか、正規の客人──重要人物などの賓客を迎えるための正門に飛竜を横付けするように入る以外の方法は許されていない、という話だ。カワウソたちは秘密裏に、セークの族長家に迎える運びとなっている以上、大ぴらなことは出来なかった。
 地下は〈永続光〉のランプで明るく、内装も整っていることがよくわかる。明かり取りの小窓から外を望むと、どこまでも青い空色がよく()えた。

「セーク家とヘズナ家は、大昔から互いに鎬を削り合う仇敵とも言うべき存在でしたが、魔導国編入と共に、残された部族らをまとめ上げることを王陛下によって命じられ、今では飛竜騎兵の二大派閥として名を残すことが許された者たちです」

 カワウソたちはヴォルの説明を受けつつ、さらに階下へ続く階段を下る。
 カワウソのすぐ隣をミカが歩き、その後ろに肩を落とし続ける修道女マルコが、かろうじて続く。

「セーク家は軽い体躯で“速度”に重きを置いた飛竜と騎兵らの一族。対して、ヘズナ家は重い巨躯による“防御”に重きを置いた飛竜騎兵の一族で、その戦力は常に一進一退を繰り返しておりました。互いを水と油のごとく思いつつ、切磋琢磨の時を重ね──簡潔に言えば、おっしゃる通り「仲の悪い」部類に入りますね」

 その道のりは迷路のように入り組んでおり、まるで敵の侵入を阻害するために複雑な構造をした「城」を思わされた。邸宅はさらに階下に進むと、ほとんど洞窟のような有様になっていくが、これは無理もない。
 三階分ほど降りた先で、巨大な翼がはためく音と共に、飛竜の豪快な寝息や、戯れじゃれ合う大声が耳につく。そこはまるで格納庫のように広く高い空間に、十数匹の飛竜と、その世話に明け暮れる女性たちがいた。やはりカワウソの見覚えのある女性たち──昨夜の女騎兵たちは礼儀正しく膝をつき、一行を見送ると、飛竜の鱗や翼を磨く作業や大量の藁を敷き詰めるなどの作業に没頭していった。岩肌が剥き出しの格納庫──その壁面の一部は完全に消失しており、横に広がる空色のパノラマを映し出している。吹きすさぶ空気は冷たかったが、不快ということはなく、むしろ心地よい。そこから飛竜たちが自由に飛び出し、離着陸を自在に行えるための用途があると確信できる。ここで住人は飛竜の乗り降りを行い、階上にある邸宅や、この下の土地に赴くことができるという造りだった。

「しかし、魔導王陛下の力を過たず理解した当時の族長らは、同族の飛竜騎兵らに“従属”を求めたのですが、これを聞き入れられなかった三つの部族が、亡くなった」

「飛竜の巣窟」とも言うべきそこを、ヴォルたちは迷うことなく通り過ぎようとする。
 カワウソだけは、巣の断崖から望む眺望──大パノラマに圧倒されかけて、足を止める。目が眩むほどの高さというのもそうだが、遠く眼下に生きる者たちの姿が、鮮烈に堕天使の網膜に焼き付けられたからだ。
 セーク家の邸宅──ヴォルたちが住まうこの家は、セーク族領地である奇岩地帯で最も高い峰の、さらに先端部に位置する。屋敷は奇岩の最頂点に構えられた代物で、この奇岩の所有者たるセークの家の者と、限られた者たちの出入りしか許されていない。これより高い位置を飛ぶことは、族長家への逆心ありと見做され処断される掟が生きているとのことだが、これほどの高度になると、並みの飛竜では長時間飛行できないため危険という認識こそが実際なようだ。

 飛竜騎兵たちは、(そび)える柱のように佇立する珪岩の岩山──現実世界でいうところの“武陵源(ぶりょうげん)”のような奇岩の地を、そこに無数に穿たれる洞窟などを()()とし、先祖代々に渡って暮らし続けた歴史を持つ人間たち。

 いわば此処は、カワウソたちのいる邸宅というのは、雲海を眼下に望むほどの高さに建立(こんりゅう)された、天然の要害なのだ。
 飛竜の発着場たる此処から下を望めば、岩壁の下の部分に“街”が見渡せる。あそこが、セーク家が治める飛竜騎兵らの住まう土地のひとつであり、直轄地。岩肌をくりぬいたような家屋が所狭しと並び、そこでは人々が商いを行い、鍛冶や工芸に勤しみ、教師が子どもたちに授業を行って、そんな光景の中にモンスターの飛竜(ワイバーン)が、共存共生を果たしていた。まるで猫みたいな小動物のような感覚で、幻想の生き物であるはずの竜が、人々の営みの中に生きている。真新しい木造の家々の軒先には、セーク家の紋章らしい木工細工(レリーフ)があしらわれていた。
 寝転がる竜の背で洗濯物を干す主婦がいれば、竜の翼を滑り台にして戯れる児童らもいる。老人が飛竜の鎌首に背を預けて茶を嗜みつつ共に読書に耽る姿もあれば、飛竜の口内に並ぶ牙を巨大ブラシで丹念に磨き上げる男まで、ありとあらゆる老若男女の人間たちが、自分たちの生を、相棒である飛竜たちと共に謳歌している。
 そこここに、魔導国の国旗がはためき、その真下の広場には、駐在の警官のごとく立ち尽くすアンデッド──死の騎士(デス・ナイト)も確認できるが、それを含めて考えても、至って平和で、朴訥とした幻想の街が、カワウソの眼下に窺えたのだ。
 率直に言って、感動を禁じ得ない。

「こちらです。カワウソ殿、ミカ殿」

 立ち尽くしてしまったカワウソと、その背後に続くミカを、女族長が呼ばう。二人は急ぐでもなく列に戻った。
 飛竜たちの巣のさらに奥にある通路へ。

「ここは、我が祖先が使っていた秘密部屋です」

 この場所で、かつては飛竜騎兵部族同士による様々な権謀術数が渦巻き、時に侵略を、時に防衛を、時に同盟を、時に裏切りを企て実行されてきたのだが、そんなことは今のカワウソたちにとっては、知ったことではない。
 秘密部屋は、先ほど通り過ぎた巣と同じぐらいの空間があり、そこに見慣れない飛竜が、一匹。

「なっ」

 思わず声を漏らして仰ぎ見た巨躯は、これまで見慣れた飛竜とは違っていた。
 体格は見慣れていた飛竜の二倍以上に膨れて重みを増し、顔面の造形はずんぐりしていて重厚な兜を思わせる。鎧にも似た首覆い(ネックガード)のごとき筋肉の層も厚かった。折り畳まれた両翼に顎を乗せ、まどろむように呼吸しているが、見開かれた眼は大きく、かなりの威圧感があった。かの飛竜が指先の爪にひっかけている布は、ヴェルが所有していた不可視化のマントにも似ている。近くに転がっている香炉の用途は、さすがに判断がつかなかった。
 しかし。秘密部屋というそこは、これだけの巨躯が侵入可能な部屋ではなさそうだった。室内は〈永続光〉の明かりで煌々と照らされていたが、見て取れる内部構造は閉鎖的で、岩塊を削り掘って作られただけの巨大洞窟にも見える。どこにもこの飛竜が通れそうな通路は存在しない。魔法か何か──「開けゴマ」などのパスワードで作動する搬入路でもあるのだろうか。天井が空いたりする可能性は、上の邸宅が邪魔で無理そうではあるが。
 見上げっぱなしになるカワウソに、ヴォルが簡単な説明を添えてくれる。

「ヘズナ家が誇る「重量種」の飛竜です。我等セーク家の飛竜は、おおむね「軽量種」に該当しますね」

 防御のヘズナに、速度のセーク。
 防御に優れた鎧皮を獲得した分、重くなった飛竜があれば、逆に速度を上げるべく軽い体躯を獲得した飛竜という系統樹などがあるのだろう。なるほど。飛竜とひとくくりに言っても、その中には様々な個体別の能力や差異があるようだ。九つの部族の中で統廃合が進められた可能性もなくはない。
 カワウソは納得と共に周囲を見やる。

「それで、ヘズナ家の使者っていうのは──」

 いた。
 広い空間の中に、一組だけ置かれた応接セットのようなソファーテーブル。
 真四角の卓上には三人分の茶が置かれ、ずっとここで待たされていたらしい。
 椅子に腰掛けくつろぐ人影は、三人。背格好から判断して、大人二人に子供一人。
 族長を除く飛竜騎兵の乙女らの誰もが緊張と不安に視線を細めるのに混じって、あのマルコが、とんでもなく険しい表情を向けているのが気にかかる。修道女には似合わない唸るような雰囲気で、カワウソは大いに疑問を深めるが、ヴォルの発した声に意識を引っ張られる。

「こちらが、ヘズナ家の使者の方々です」

 使者の一人が、上座のソファからすくりと立ち上がる。
 身に纏っていたローブ──フードに隠していた相貌を脱いで露にした男の顔と頑健な肉体をみとめて……、女騎兵たちが驚愕に眼を剥いた。

「はっ?」
「な、何で!」

 口々に吠え身構える、警護役の女騎兵ら。
 カワウソは思わず呟いた。

「有名人か?」
「いや、有名、というか──ええと」

 呆れたような困ったような、そんな調子で応じるハラルドたちの戸惑いに構わず、黒に近い紫の髪を短く刈り揃えた男から、声が。

「はじめまして」

 低い声だ。誠実そうな口調の奥には、深い遺恨や悪意という気配は感じられず、穏やか。
 精悍な男。右瞼を頬にまで貫く傷跡に笑みがはりついて、男の豪胆の度合を深めていた。
 力強い眼。金属の如く冷たく凍えた青い瞳は、まるで静かに燃え焦がれているかのよう。

「彼は、ヘズナ家の現当主、ウルヴ・ヘズナです」

 ヴォルの紹介する声に、カワウソは痺れたように立ち尽くした。
 現──当主?
 ヘズナ家の?
 当主が使者?

「は? どういう……本当に使者、なのか?」
「ええ。こちらの方が、話も早いでしょう?」

 応える男は、実に率直な意見の持ち主なようだ。
 確かに、ヴェルの一件を早急に、可及的速やかに解決するために、ヴォルは昨夜の内にヘズナ家へと協力を仰いだという話。かつては戦いに明け暮れたという両家の歴史を思えば、何かしら思うところはあるはずだろうに、二人の族長の間には全くそれを感じられない。共に共通の君主──魔導王を戴くが故の協調だろうか。
 精悍に思えたハラルドよりも雄々しく、洗練された美丈夫は、ほとんど野獣のように膨れた筋肉の鎧に負けぬ重厚な鎧を身に纏い、二メートル超過の巨体で歩み寄ってくる。

「あなたが、カワウソ殿ですね?」
「あ……ああ。カワウソです」

 50cmほど上から見下ろされ、差し出された手の意味を反射的に理解して握手する。
 握る力は手のサイズに相応しく強大であったが、異形種の堕天使には大したダメージにはならない。

「セークの族長から、話は伺っております。ヴェルを、セークの狂戦士(バーサーカー)を発見保護されたとか」

 カワウソは曖昧に頷くしかない。

「それほどの力を持つあなた方が協力してくれるというのは、実に心強い」
「いや。協力って言っても、とくに何かできるわけでもないと思うから、そんな期待されても」
「御謙遜を。セークが誇る一番騎兵隊を完封したあなた方であればこそ、出来ることもあるでしょう」

 子供のように純粋な善意で笑顔を向けられる。
 族長といっても、そこまで堅苦しい感じがしないのは好印象だった。そういう意味では、セークの女族長のまっすぐさも好ましい部類に入る。

「そして、こちらは──我が家の用意した、秘密裏に、此度の事件に協力してくれる方々です」

 彼らと共にことを成せば、解決も早まるだろうとヘズナの族長が宣する。
 ヘズナ家当主の紹介に合わせて、じっと座りっぱなしでカワウソたちの遣り取りを眺めていた二人が立ち上がる。ヘズナと同じく、目深にかぶっていたフードの下が露になった。
 途端。

「ちょ、マジ!」
「うそでしょ!」

 先ほどの驚嘆とは打って変わって、黄色い声援にも似た歓声が、広い空間に響いた。
 女騎兵たちが手を叩いて喜びを表現している。自分たちの族長に短く窘められても、驚愕は収まり切らぬという興奮ぶりだった。
 微苦笑を浮かべるヘズナ家当主──ウルヴが、誇り高そうな語調を紡いでみせる。

ナナイロコウ(セレスティアル・ウラニウム)級のプレートを預かる、魔導国内“唯一”の一等冒険者チーム。
 私の方で依頼した、四人のうちの御二人です」

 まず、男の面貌をカワウソは眺める。
 漆黒の髪に、深淵のような色合いの瞳。兜などを被っていない顔立ちは、ヴォルやウルヴたちの西洋的なそれとは違う東洋系で、ただの日本人と言われたら信じられるほど見慣れた顔つき。年齢は、軽めに見積もっても三十代。口さがなく言えば壮年と言っても差し支えない凡庸な感じで、はっきり言えば、とても女を魅了するものとは言い難い。だが、カワウソの堕天使の造形よりは遥かに人間的で、見るに耐えないというほどではない。二枚目俳優が加齢に伴い、三枚目になった印象を受ける感じか。ウルヴの二メートルを超す肉体とは比べようもなく細いものの、黒水晶のように鮮やかな全身鎧が纏われており、巨大な両手剣(グレートソード)を”双振り”背中に担ぐ様から、その下にある身体の強靭さを雄弁に物語ってくれる。何ひとつ無駄のない、スマートな重装戦士という印象が強かった。
 ここからは、カワウソの(あずか)り知らぬことだったが。
 国内で“唯一”の一等冒険者(ナナイロコウ)として、その男を知らぬ者はおらず、その「勇名」は先代、先々代、そして『初代』から受け継がれてきた“力の象徴”──故に現地人の、特に女性陣には非常に有名な存在であり、まったくもって類稀な大人気を博していた。その誠実な人柄と人徳の篤さによって、人種や等級などを超えて広く尊敬の念を集めている。
 それほどの超常者にふさわしい、歴戦の勇士めいた声色が洞内に轟く。

「はじめまして。皆さん」

 カワウソは、この世界の冒険者と、はじめて言葉を交わした。

「ご紹介に(あずか)りました“黒白(こくびゃく)”の、モモン・ザ・ダークウォリアーです」



 モモン。
 その名は、『漆黒の英雄譚』に登場する、魔神王ヤルダバオトの討伐の為に立ち上がった、当時最高峰の武勇と力量を持って諸国に知れ渡った、古い古い冒険者の名だった。
 彼の逸話や物語を書き綴った書物は、魔導国内で必ず寝物語として読み聞かされ、学習教科書にも登場し、数多く存在する冒険者たちのバイブルとして読み込まれ、毎年の如く増刷され続けている『大陸内で最も多く発行販売され読書されている物語』として人気を集めている。
 国内では毎日のように『漆黒の英雄譚』に関する演劇や興行、映画や派生小説が催されているとも言われ、実際、魔法都市などでは彼の物語を模した魔法の人形劇が盛んに行われ、芸能都市においてはモモン役を務める男優は常に一番人気を獲得しているものにのみ、その大役を任されていた。カワウソたちが夜を明かした客室にも、その原本とも言うべきものの新装版が本棚にあったほどに、彼と彼の名を記した物語は、大陸全土に普及し尽くしているのだ。
 そんな魔導国内で、モモンの名は当然の如く広く知れ渡り、毎年のように「生まれてくる男の子につけたい名前ランキング」首位の座におさまっている。モモンの名を少しばかり拝借して『モモ』とか『モン』とか、あるい『モー』などの変形命名も人気なほどだ。
 ちなみに、アインズ・ウール・ゴウンの名前は、魔導王陛下への不敬にならぬよう、ごく限られたものにしか与えられない名という認識が強く、それ故に一般に普及することは一切ない。

 そんな中。

 唯一、一等冒険者として“ナナイロコウ”を預かるチームは、少々変わった冒険者たちだ。

 白金の全身鎧を着込み、あまり表には出て来ない純白の騎士。
 常に仮面をして、素顔を見せることのない謎多き魔法詠唱者。

 魔導国創立から今日に至るまで、100年もの時を生きる彼等二人の他に、魔導王によって任命される最高位の冒険者として、“モモン・ザ・ダークウォリアー”の名を継ぐ戦士が、ほとんど常に存在するのだ。
 これは、かつて(くつわ)を並べ戦い、魔神王との壮絶な戦いにて、“蘇生不能”な状態に至るまで人々のために力を尽くした英雄モモンをアインズ・ウール・ゴウン魔導王が偲び、「彼の魂と生きざまが永遠不朽のものになるように」と祈願し、魔導王が特に認めた冒険者に、新たな“モモン・ザ・ダークウォリアー”の名を授ける……他の有象無象には一切名乗ることが許されない──いわば個人任命制の冒険者を、ナナイロコウ級冒険者に加えるのだ。そして、任命された“モモン”の推薦を受けて認められたものが一人だけ、国内で唯一の一等冒険者の地位に参加する。これは、モモンと共に散った“美姫”の存在をも、魔導王が認めていることの証である。
 純白の騎士と、漆黒の英雄。
 故にチームの名は“黒白(こくびゃく)”という。



 そういった事情には明るくなかったカワウソは、続けざまに「こちらは、私の仲間のエルです」と隣に立つ子供──日本人形めいた童女の紹介を果たす男を、御伽噺(おとぎばなし)の英雄の名を戴く存在の姿を見つめ、確かめるように名を呟く。

「モモン・ザ・ダークウォリアー……」

 カワウソは思い返す。
 モモンという名は、あれだ。
 都市で人気だった『漆黒の英雄譚』にあやかった名前という奴か。
 故の、漆黒の英雄(ダークウォリアー)なのだろう。
 いい名前だな。
 カワウソは真剣に思った。
 ただ、何故か。
 それまで黙りこくっていたマルコが、思い切り咳き込んで、カワウソたちの前に歩み出る。

「オホン。ええと、ダークウォリアーさん? ちょっっっと、よろしいですか?」

 珍しく、というか初めて険しそうな微苦笑を面に表し、マルコが漆黒の英雄の胸倉をつかみそうな勢いで、間に割って入る。朝食中の元気のなさが信じられないような迫力が込められており、得体の知れない凄みを感じざるを得ない。

「う、うむ……あ、いや、いいですよ。何でしょうか?」
「こ ち ら へ お ね が い し ま す」

 微笑みを増す修道女の眉間に、何故か青筋すら浮かび上がるように幻視した。その剣幕に気圧(けお)されるように、漆黒の戦士はマルコに手首をつかまれる形で連行された。
 彼の従者的な黒髪の童女も、その様をさも当然のごとく受け入れ、二人に付いていく。置いてきぼりになるカワウソらに対し、ちょこんとお辞儀して。

「ひょっとすると、……知り合いだったりするのか?」
「さぁ?」

 どうでもよさそうに肩を竦めるミカ。
 この世界で、初めて間近に見ることになった“冒険者”という存在。
 その中でも、最高位に位置するという、ナナイロコウの一等冒険者。

「何か、不思議なことがいっぱい起こるな」

 呑気に事の成り行きを見守るカワウソ。
 滅多にない出会いにはしゃぐ飛竜騎兵の乙女ら。
 何やら神妙な顔で内緒話に興じているセークとヘズナの両当主。

 ……それらをすべて眺めつつ、ミカは昨日の、あることを思い出していた。

 魔法都市カッツェの食堂で、雰囲気のよく似た感じの二人連れを見かけていた事を。
 食堂奥のカウンターテーブルから、カワウソたちの様子を眺めていたような、黒髪の男女。
 だが、両方ともに同年代の青年と女性に見えた。間違っても、今目の前にいる壮年の男と幼い童女という組み合わせではない。
 それでも、何かが、引っかかるような。

「どうした?」

 ふと、主に声をかけられ、彼女は言うべきか言わざるべきか一瞬だけ迷い、

「なんでもありません」

 些末な情報にかかずらうのをやめた。己が神経質になっているだけという可能性の方が高い上、今は、すでに過ぎ去った事象に思いを巡らせる時ではない。
 ミカは別のことに神経を研ぎ澄ませる。カワウソと視線の向きを同じくして、何やらにこやかに談笑するマルコと英雄たちを眺めつつ、今、主の脅威になりそうなものが現れないか、ただそれだけを危惧し、警戒を強めた。





 ×





「どういう、おつもりですか?」
「マルコ。頼むから、そんなに怒るな」
「怒ります! 怒らないで、どーしろと!」

 カワウソたちから離れ、密談の場を設けて対峙するマルコは、本気で怒っていた。
 どうして自分から、危険やもしれない場所に飛び込んでくるのか、本当に理解できない。
 笑顔をはりつけなければならない状況だと判断出来ていても、眉根にこもる力を霧消させるのは難しすぎた。この方はどうして昔から、自分の身を軽んじられるのか。長々と説教でもしてやりたい衝動に駆られるが、そんなことをしても暖簾(のれん)に腕押しだと心得ている。強者であるが故の傲慢ではなく、賢知に富むが故の卑屈さが、マルコには(はなは)だ度し難かった。こちらが明け透けに喋れば喋るほど、親しみやすそうな笑みを浮かべてくれるのは嬉しい限りだが、事この場においては、あまりにも軽薄なものに見えてしようがない。

 マルコが我知らず砕けた口調で喋るのも無理はなかった。
 もはや言うまでもないだろうが、ここにいる“モモン・ザ・ダークウォリアー”という人物の正体は、魔導国王陛下──統一大陸唯一の至高帝──ナザリック地下大墳墓最高支配者にして、至高の四十一人のまとめ役であられる死の支配者(オーバーロード)──“アインズ・ウール・ゴウン”その人に他ならない。
 かつて、マルコが生まれる遥か昔、モモンという名の人間として人間の国で過ごし、当時最高峰とされたアダマンタイト級冒険者として活躍したのと“ほぼ同じ”感じで、魔導王アインズは、今は時に冒険者として市井(しせい)に降り、そこで暮らす人々の暮らしぶりに馴染みつつ、臣民の生活向上に必要な“目線”に立つことを己に課していた。彼のモモンとして築き上げた偽装身分(アンダーカバー)を、今や国ぐるみで完全に擁立している、といったところだろうか。

 この身分を再び作った大元の原因──きっかけとなったのは90年前、復活を遂げた「とある冒険者チーム」との話は、それはまた別の物語である。

 そのこと自体は、マルコも当然熟知している。
 無論、御身が軽薄であるなど、まったく完全にあり得ない。
 そう見えるのは、マルコの心眼が胡乱(うろん)なせいだ。
 一等冒険者として、時に市井で活躍する御身の智謀は何よりも重く、醸し出される威厳だけで誰もが膝を屈するだろう。
 しかし、だとしても、すでに90年も共に生活する御方に対し、今は“さすがに一言(ひとこと)くらい言っておかないと気が済まない”のだ。
 ちなみに、この会話は盗聴防止用のアイテムで外部には適当に談笑している風な内容にすり替えられており、互いがにこやかにしている限り、そこまで違和感を覚えられることはなくなっている。
 ただ、普段は温厚かつ寛大で知られた修道女でも、ナザリック内でそれなりの地位と役職を賜る混血児(ハーフ)の一人であろうと、怒る時は怒るのであり、そして、今は怒るべき時に違いない。

「昨夜、〈伝言(メッセージ)〉を受け取った時は、もう驚きましたよッ。……わざわざエルピスまで連れだしてきて!」
「申し訳ありません、マルコ姉様。おじ──モモンさんの計画は極秘に遂行されるべきことで、その」
貴女(あなた)が謝る必要はないわ、エルピス。謝るべきは、我等が陛下の方なのだから!」

 マルコは少しばかり頬を膨らませてしまう。自分の“妹分”についても、失態などあり得ない。おまけに、この黒髪を足元にまで垂らす童女は、眼前に存在する御方の“初孫”であり、単純なレベル数値で言うと、マルコよりも強靭なくらいだ。二重の影(ドッペルガンガー)の変身した姿の中でも幼い容貌を今は露にしているが、彼女の変身能力を駆使すれば、マルコと同年齢程度の姿になることも容易(たやす)い(というか、そちらが普段の彼女の好む姿であり、母親とほとんど瓜二つになるのだ。今の童女姿は、“冒険者エル”としての姿に過ぎない)。
 困ったように照れ笑いを浮かべる壮年の戦士に、マルコはこれ見よがしに肩を落とした。
 どうにも、この御方は、自分(マルコ)たちのことを生まれたての赤ん坊のように()い者として扱うことが多く(無論、そのこと自体は不満ではない。むしろ至福であり、幼少期から続く習慣ですらあるのだが)、総じて甘い。正直に言うと、最近生まれた赤ん坊をあやすように見ることが大半なのだ。

「もう。大宰相閣下(アルベドさま)たちから『こちらに向かった』と連絡を受けた時から、肝が冷えっぱなしです。魔導国の公務政務は変身されたパンドラズ・アクター様が代行しているとしても、ナザリックの運用については?」
「勿論、一任してきた」
「……閣下たちに?」
「その通り」
「……“若君(わかぎみ)”は、このことを?」

 モモンは鷹揚に頷いて、自分の息子が共犯であることを暴露していた。
 マルコは眉間を抑えてしまう。
 あの方もあの方で、実の父親に甘い。
 否。これは本人たち曰く、信頼しきっているということらしいのだが。

「ああ、もう、何やってるのよ、ユーちゃ……殿下の馬鹿莫迦バカばか」

 人の目も気にせず頭を抱えたい。
 しかし、それは大いに憚られるので、額を軽く指で突く程度に抑える。
 大陸唯一の王太子殿下──若君──マルコと幼馴染の、アンデッドと悪魔の混血児に対する恨み節が喉から零れ続けるのを、どうにかこうにか封じ込めた。
 息子を馬鹿呼ばわりするマルコを、父たるものは軽く微笑んで許してしまう。

「はは、そういうな。あれもマルコの身を大いに案じて、魔法都市(カッツェ)でこっそり観察していたという話だし」
「……初耳なんですけど、それ」

 だが無理もない。
 マルコは、魔導王の嫡子ほどの強さには至れていない。
 彼や、彼の妹君──姫殿下たちに本気の本気で隠れられたりしたら、マルコ程度の力で発見することは難しい。

「……プレイヤーなる存在の調査に、私のみ(・・・)では不安というのは重々承知しておりますが、それもひとえに、御身の安全と魔導国の安寧に必要な措置だと」
「それは違うぞ、マルコ」

 御方の口調の変化に、時が止まるような錯覚を覚えた。

「私は、おまえの能力、才覚、頭脳、戦術、そして強さであれば、たった一人で、大抵のプレイヤーに対抗し得るものと評価している。身内贔屓というわけではない。おまえにはそれだけの(ちから)がある。これは事実だ」

 竜人の父と、人間の母。
 その血を受け継ぐ混血児(ハーフ)たるマルコの“特殊技術(スキル)”と“異能(タレント)”をあわせれば、一応相性にもよるだろうが、単純なLv.100の存在とも互角に渡り合える。ユグドラシルの法則と、異世界の法則が混在する修道女(マルコ)の戦闘能力は、ユグドラシルのシステムに通じている者であればあるほど、初見で打ち倒すことはほぼ不可能に近い。彼女の混血児(ハーフ)としての特殊技術(スキル)異能(タレント)というのは、ユグドラシルの存在にとっては完全に初見でしかなく、その発動原理を分析することは困難を極めるだろう。 “短時間”の“一戦だけ”という条件付きなら、竜人の力を「半分ほど」行使できるマルコの勝率は驚くほど高い試算になるのだ。一応、彼女の装備や持ち物には有事の際の逃走用アイテムを多数供与されており、それでも駄目な時のバックアップとして、常に彼女をモニターし、彼女を救命する戦力──守護者たちを待機させている。
 さらに、

「おまえは程なくして、名実ともに私の“娘”となる。
 そんな()を、おまえにしかできないとはいえ、単独で危険な任務に従事させ続ける私を、許せ」

 マルコは望外の幸せに口を引き結んだ。
 この御方の“娘”に、迎え入れられるという未来。
 近頃になって練習中の呼び方が、つい、唇の端から零れそうになる。

「──御義(おと)……」

 瞬間、マルコの頬が炎のように熱せられた。たまらなくなって俯いてしまう。
 そんな娘に対し、アインズが悪戯っぽい微笑と共に、指を立てる。

「ここでは、モモンだ。頭を上げよ」
「はい。申し訳ありません、モモンさん」
「もっと砕けた口調で構わん。ここでの我等は、対等な友人同士ということにしておこう」

 つまり、“普段”のような感じで。

「それに、おまえの見立てだと──カワウソという名の彼は、話が通じるタイプの存在なのだろう? 魔法都市(カッツェ)で襲撃された時には、率先して助けになってくれたというではないか?」
「まぁ。確かに、そう御報告しましたけど……」

 それでも、まさか、いきなり対面したいなどと考えるものだろうか。
 あんなにも危惧していたプレイヤーと。
 否……あるいは、御方の深淵のごとき智謀には、別の意図や大略があるのかもしれない。マルコ程度の頭脳では、ナザリックの最高位の方々ほどの次元に至ることはできていない。実の父同様に、性格的には甘いところが多々ある(御方は「良い」と言ってくれるが、その言葉に甘えてばかりはいられない)のだ。まだまだ研鑽が足りないと、常に思い知らされている。

「この“変装中”の私は、アンデッドだと見破られることはありえないだろうし、天使や神聖属性対策も準備済みだ」

 100年の研鑽と準備によって、今のアインズは完全に“モモン”という人間そのものに化けている。顔面の皮膚も肉も、すべて本物。これは、カワウソは勿論、女天使のNPCの力をもってしても、看破することは不可能なものだった。おまけに、イビルアイが使っているのと同じ原理の、アンデッドの気配を遮断する指輪まである。
 問題ないと、ここまで強く主張されては、マルコには抗弁する余地がない。

「もう、わかりました。ですが、万が一の時は」
「ああ、わかっている。おまえたちと共に、すぐに避難するさ」

 マルコは渋く笑いつつ頭を振った。
 そういうことじゃ、ないんだけどなぁ。





 ×





「あ、戻ってきた」

 漆黒の英雄と楽し気に話し込んでいたマルコが、黙って見つめるままだったカワウソたちに笑みを振り撒く。

「申し訳ありません、皆さま。モモンさんとは、少しばかり前にお世話になったことがあったので」
「そうでしたか」

 ヴォルやウルヴたちが「なるほど」と頷く。カワウソもまた、なんとはなしに理解を示した。
 モモンは実に爽やかな好青年じみた笑みを浮かべて、改まって挨拶をやり直す。

「ええ、では。改めまして、カワウソさん。私の名はモモン、連れの名はエルと言います。どうか(・・・)よろしく(・・・・)

 二人は先ほどの続きをやり遂げるように、気軽な雰囲気で握手を交わした。
 ヘズナ家の族長よりもだいぶ力を抑えられた、少し気を使われている印象すら覚える程度の握力に、気安く応じる。

「あ、ああ……はい。カワウソと言います」

 どうぞ、よろしく。





 ──二人は、こうして対面を果たした。
 堕天使にはまったく“それ”と気づかれはしなかった初邂逅は、何の変哲もない、まるでサラリーマンの初めての営業じみた簡素な調子で、平穏無事に行われたのだった。





 








どうしよう。
今話の分量が三万字を超え、四万ぐらいに。
長いのは読むの疲れるから、分割して一話一万字程度で投降した方が読みやすいのではと思われるが、果たしてどうすべきか。絶対分割した方がいい気がするけど。うーん。


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第三章はサブタイトル一字縛りに挑戦中。

今回の容量は13000字ぐらいです。

諸事情によって幽閉されているヴェル・セークの現状から始まります。


/Wyvern Rider …vol.4





 ×





 時を少し前に、カワウソたちが起床する前までに遡る。



 直立奇岩の内部は、飛竜騎兵の部族たちが先祖代々より受け継ぎ、他部族や他種族からの侵攻に耐えられるように掘削され、ちょっとした要塞じみた造りになっている。何より、垂直にそそりたつ奇岩は堅牢堅固。一説によると太古の昔に飛竜騎兵の祖たる巫女が行使した超常の力でもって祝福を施したことにより、この奇岩地帯は飛竜に連なる存在でしか掘削や加工、破壊行為を働くことは不可能な硬度を誇っていたとか。
 そんな天然の要害に加え、空を飛ぶことに慣れた飛竜騎兵の部族は、空を飛べる種族や魔法を扱えるものでなければ侵攻不能なため、滅多なことでもない限り、飛竜騎兵以外の(うから)が入り込むことはなかった。時折、傭兵や冒険者に身をやつして諸国に下りた者らによって、その奇岩地帯を鎮護しつつ、互いに相争う歴史を繰り返してきた人間がいることは知らされていた程度の交流しかない。

 そんな歴史が積み重なったセーク族の保有する第一要害の奥底、族長邸の最下層最奥部に位置する牢獄の中に、部族伝来の紫色の髪を流した少女──ヴェル・セークは幽閉されていた。
 与えられた普段着の他に、手足にはマジックアイテムではない、鉄の手枷と足枷をひとつずつ施されて。
 部族内で「当代唯一」とされる、強力な“狂戦士(バーサーカー)”を封じるものとしては、かなり粗悪な措置に思われるだろう。狂戦士の増幅されたステータスは、この程度の障害や拘束具は難なく引き千切れることくらい、族長たちには周知の事実。いくらヴェルの狂戦士化が不定期かつ不安定なものであるとしても、万全を期するならばもっと質の良い、魔法などによって全身を拘束しておく方がいいはず。
 だが、実のところこの世界における狂戦士は、魔法によってそういった状態異常(バッドステータス)の影響下に置かれている場合が、かなり危険なのだ。
 たとえば、重篤な「盲目」や「暗黒」、「拘束」の状態は、罹患者に「恐怖」を与え、それが「恐慌」を経て「狂乱」に至れば、狂戦士の能力が発揮される運びとなることを、飛竜騎兵らは口伝筆伝によって知悉している。ヴェルのいる牢獄も、最低限の生活は送れる程度の備え──光を取り込むためだけの窓、机に椅子、ベッドとトイレも完備──が用意されているのは、彼女が族長の妹であることが主に影響しているわけではないのである。
 狂戦士を鎮静化するには、(いたずら)に追い詰めるよりも、安らかな心地で普通に生活させた方がいいことを、彼らは長い歴史の中で学んでいた。
 牢獄に囲い、手枷足枷を施すのは、あくまで対外的に、彼女が拘束監視下に置かれていることを示すための慣習であり、いわば目印でしかない。仮にも、自分たちの奉じる上位存在──魔導国への反逆の嫌疑をかけられた罪人を、自室でくつろがせておくというのは不敬極まるのである。

「食事だ」

 故に、少女の食事も普段通りのものが取り揃えられている。野菜と豆のスープに、飛竜の干し肉を混ぜたもの。カワウソたちの堪能することになる朝食は、セーク家の中で最高級のもてなしであり、また、それが限界値でもあったわけだ。食事のトレーには他に、見慣れた粉薬と見慣れない丸薬、それぞれが包みに覆われ小皿に盛られている。

「……ハラルド」

 ヴェルは、食事を運んでくれた幼馴染……ヴェルというセーク族ただ一人の狂戦士を、罪人として拘束していることをこれまでに知らされている数少ない一人たる少年に対して、真っ先に懸念をこぼす。

「カワウソさん達は?」
「心配ない。あの方々は今も、客室でお休み中だ。まもなく自分が、朝食の案内に向かう」
「そう。……ラベンダは、どうしてる?」
不貞腐(ふてくさ)れてる。相棒(ヴェル)と離されてるのが余程ご不満らしい」

 鉄格子越しに会話する二人。
 ハラルドはヴェルの抹殺任務に一度こそ従事したが、本当は今のように、少女とは明け透けに言葉を交わすほど懇意の間柄。伊達に生まれた時からの幼馴染ではない。
 そんな相手だろうと、ハラルドは容赦なく任務に従った。そういう男なのだ。彼ほどに義に厚く情に深い男も珍しいかもしれない。
 ことがことだけに、今回の一件は部族内でも、ごく限られたものにしか知らされていない。
 ともすれば、何かのはずみで、良くないことが起こるかもしれないから。

 ──王陛下を冒瀆(ぼうとく)した大罪人の首を差し出せ。急いで誅戮(ちゅうりく)せねば部族の恥だ。何故、族長たちは手をこまねいているのか。ヴェル・セークの逆心を許すな──
 ……などの悪罵と怨嗟と共に、苛烈な思想に憑かれた同胞たちが、ヴェルを断罪しようと殺到するやもしれない。

 だが、ヴェルは魔導王自らが存命を許して、狂乱した原因の究明と解決に努力することを命じられはした。だとしても、魔導王の不興を買うことを望まぬ同胞が、望まぬ形で凶刃を握る可能性がある以上、ヴェルの一件は隠匿された方が、誰にとっても都合がよい。故にこそ、演習での事件は“事故”として一旦処分を留保され、この今の状況を構築した。ともすれば、この族長邸の奥底に位置する幽閉所に隔離され監禁されることこそが、ヴェルの身を護るのに最も適した措置ともいえるだろう。

「しかし、驚きだな」

 ヴェルは食事の手を止める。

「何が?」
あのヴェル(・・・・・)が、外の連中とここまで仲良くなるとはな」

 その証拠に、彼女は自分の相棒よりも先に、外の存在であるはずのカワウソたちの方を真っ先に心配する声を発していた。彼女自身、気づかない内に。

「カワウソさん……たちは、その、特別だから」

 スプーンをくわえてモゴモゴしてしまう。
 ヴェルは、正直なところ、そこまで社交的な性格ではない。そんなヴェルが、外の人間のことをここまで気遣うことは、ハラルドどころかヴェル本人ですらも初めてのことだと認めざるを得ない。彼女は同族の、飛竜騎兵以外には、滅多に心を開くことなく、それは長年領地内に存在するアンデッドに対しても同様だ。ある意味においては、ヴェルという女性には飛竜の性質などと似た部分が多くある。だからこそ、彼女はセークの中でも指折りの飛竜騎兵として洗練されているのかもしれない。
 優秀な姉の陰に隠れて、相棒や飛竜らと戯れてばかりいた為、人見知りな傾向が強い。魔導国の成人年齢に達しているというのに、幼少期から続く性質は是正できておらず、姉には苦労をかけっぱなしだった。
 だから、今回の式典に参陣するメンバーに選ばれた際にも、異議は言えなかった。
 多くの衆人環視にさらされるイベントの一員となるなど、想像しただけで胃が痛くなるほどだが、これを経て、少しは良い方向に成長できればと────そう思った自分は愚かだった。
 よりにもよって、狂戦士の力を振るって、国や皆に多大な迷惑をかけてしまった。
 その結果が、今のこのどうしようもない状況を招いたという見方もできるが、それを気にしても仕方がない。
 かわりに、ヴェルは思う。
 そのような災難の中で出逢った、不思議な彼らのことを。

 彼ら──特にカワウソという男に懐いた印象は、これまでどんな人物と相対しても得難いものに満ちていた。

 この世のすべてを憎み、恨み、呪い殺すかのような眼の様相は酷く恐ろしいのだが、ふとした時に幼い子供のような調子で軽く笑うところが()い印象を覚える。冗談を笑い飛ばせる教養と柔軟性もあり、尚且つ、頭の回転も早いようだ。少々常識に疎いところも見受けられるが、飛竜騎兵もまた同じような知識量なので、ひょっとすると同じ等級臣民の出身なのやも。
 そして何よりも肝要な事実が、ひとつ。

 彼は強い。

 飛竜騎兵部族内でも指折りの鍛冶師に鍛えさせた魔法の突撃鎗(ランス)を蹴り曲げる力。数多装備されたマジックアイテムの輝き。それらを駆使しての空中戦闘の冴え。圧倒的数の不利をものともしない、胆力の持ち主。いっそ恐ろしいまでに研ぎ澄まされた、あの閃光。
 それがカワウソという人物に見た実像。

「確かに……あの方々はどうかしてる。狂戦士に陥り、アンデッドの追跡隊まで壊滅せしめたヴェルたちを保護し、あまつさえ我々一番騎兵隊を、双方無傷で完封し果せるなど……かの御仁(ごじん)は、元・一等冒険者か何かなのだろうか? あの若さで……いや、若いのだろうか?」

 ハラルドが疑問するのも無理はない。
 魔導国には寿命のない異形種も、国民として蔓延している今現在。見た目の若さや印象だけで、相手のすべてを推し量ることは不可能だった。アンデッドは死なず、悪魔や吸血鬼は老いず、他にも様々な異形が、それまでの垣根を乗り越えて、人間や亜人と共に、ひとつの王の威光にひれ伏している。

「──いずれにせよ。彼らが協力してくれるとなれば、原因究明も(はかど)るはず。そうすれば、きっと」
「うん。ありがとう、ハラルド」

 彼が自分を案じてくれていることを、ヴェルは誇りに思う。伊達に幼馴染を二十年も続けたわけではないのだ。

「でも、ハラルド。一等冒険者は、さすがにないと思うよ? 一等の方は、モモン様とその従者様以外では引退なんてされてないし。可能性は低いんじゃ?」
「そうかな? 先代、先々代は神聖なる“ナザリック”内にて隠居されているともっぱらの噂だが、ひそかに今も、国の安寧のために働いているとの風聞もあるし」
「うーん、そうだねぇ……」

 意外と、領地外の事情に通暁しているハラルドだが、これは無理もない。彼は『漆黒の英雄譚』に代表される英雄たちの物語に憧れ、彼ら英雄を真似て鍛錬と修練に励んだ結果、戦士としての才能をめきめきと開花させた男だ。国内の冒険者事情については領地内の国立図書館へ足繫く通って入手するほどで、まさか、それが高じて一番騎兵隊隊長にまで抜擢されることになろうとは。
 一等冒険者は、魔導国においてひとつだけである。
 彼らは魔導王陛下肝いりのチームである上に、他の冒険者としての任務と並行して、何やら「密命を帯びている」という噂もあるが、真偽は不明だ。終身栄誉階級じみた一等冒険者(ナナイロコウ)の次の階梯──アポイタカラ級の二等冒険者チームはそこまで多くはないが、少なくとも二桁のチームが常に存在している。中には諸般の事情によって引退する者なども少なくはなく、そういった存在は一都市に定住すべく転職するか、あるいは後進育成のために私塾を開くことが大半と聞く。可能性としては、二等の方がありえそうな気もする。

「あるいは、本当に──魔導王陛下の親衛隊か」

 ハラルドのつぶやきに、ヴェルは首を振った。
 だとしたら、カワウソたちがあんな行為をするわけもないし、あの森の会話も意味不明になる。
 無駄口を叩いて、彼らの立場を危ぶませるわけにもいかない。いくら幼馴染のハラルドとはいえ、彼らのことは──彼らこそがアンデッドの追跡隊を葬り去った犯人であることは──秘しておくべきだと了解している。
 カワウソとミカは、ヴェル・セークの恩人に、相違ないのだから。

「そういえば、ハラルド」
「どうした?」

 スープを一滴残らず平らげたヴェルは、話題を転換するように、小皿に盛られた二種類の薬剤を持ちあげる。
 正確には、見慣れない丸薬の方を。

「この薬は? いつも飲んでいる粉薬(やつ)とは違うけど?」
「ああ。……状態異常鎮静用の丸薬だと。また「狂気」に陥り狂戦士化されたら、事だから。食後すぐに服用するようにと、族長から」

 姉からの指図となれば、ヴェルには否も応もない。
 10年前の戦役で父母を亡くし、以来ずっと、姉が親代わりとなって、ヴェルを育てあげてくれた。
 二種類の薬を口に含み、水と共に流し込む。食事の皿を下げる幼馴染に礼を言って、その背中を見送った。
 ひとりで残されたヴェルは、明かり取りの窓を見上げる。
 はるか彼方、大地の裂け目のような明かり取りから零れる陽の光に、ヴェルは吸い寄せられるように目を細めた。

「……ごめんなさい、皆さん。巻き込んでしまって」

 一心に祈る。
 敬虔な信徒のごとく両膝を折り、腕を胸の前に交差して、頭を少しさげる礼拝の姿。
 死んだ父母に、セーク族の太祖に、飛竜の霊たちに対して、ヴェルは願うしかない。
 自分を救ってくれた黒い男を、その従者たる女騎士を、相棒を二度も癒してくれた修道女を、
 どうか、お守りください。

 狂い戦う士などとは程遠い情念だけが、その朝の光の中に、満ちていた。





 ×





 時を今に戻る。



 バハルス領域の、ほぼ南西。
 珪質岩の巨大な奇岩地帯、幾多もの岩の柱が垂直に、奇跡的なバランスで(そび)えている光景が、見るものを圧倒する。そんな幻想世界の片隅に、秘密部屋と称される洞窟の奥深くに、彼等は集い、一卓を囲む。
 堕天使のプレイヤー、カワウソ。
 その護衛として侍るNPC、ミカ。
 この世界の放浪者、マルコ・チャン。
 飛竜騎兵の二大部族を任される両部族の長、ヴォル・セークと、ウルヴ・ヘズナ。
 ヘズナの族長が急遽雇い入れた一等冒険者、モモンと、黒髪の童女エル。
 護衛役のハラルドたちは自分たちの役割として、自分達の長であるヴォルの傍で待機する直立不動の姿勢を取る。

「あの……ダークウォリアーさん」
「なんでしょうか、カワウソさん?」

 カワウソは真向かいに座す男性に、ひとつ確認したいことがあった。

「その、首から下げているプレート……見せてもらっても構いませんか?」

 まるで営業マンが天気の話をするような平坦な調子で提案してみた。
 モモンは快く応じ、うなじに手を回して白銀の飾り紐を外してみせる。

「カ、カワウソ殿!」

 途端、ハラルドから叱責にも似た声が僅かに零れるが、この確認はカワウソにとっては重大な意味を持つ。
 七色鉱、セレスティアル・ウラニウムという、超希少金属。
 その金属が市場に出回る前に、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンが鉱山を独占して価格が高騰していたことはあまりにも有名だ。彼等から鉱山を奪取すべく、さらに有名な世界級(ワールド)アイテム”永劫の蛇の指輪(ウロボロス)”が使われたとも言われている。
 モモンが首から下げたそれは、傍目には確かに七色鉱独特の質感と色彩を露にしており、並みの金属でないことは見るからに明らか。だが、騙りの類でないという証明にはならない。あるいは、よく似た金属をぶら下げただけの偽物が、ヘズナの族長をたぶらかしている可能性もあるはず。
 そんな疑念など無意味と言いたげに、彼が快く差し出してくれたプレートを受け取る。
 これが、この世界に存在する、冒険者の証。
 堕天使の浅黒い肌色を焦がさんばかりに眩しい金属の独特の光沢は、カワウソも市場で見かけた超希少金属のそれに他ならない。残念ながら触覚については良く知らない上(ゲーム時代の触覚は、今の現実ほどに精巧でもなかった)、探査系統のアイテムを消費するのは躊躇(ためら)われたのは、どうしようもない。本人を前にしてそこまでするというのは常識的にアレだったし、変な目で見られるのは今後の活動に支障も出るだろう。ふと裏面を見れば、何か文字が彫られているのに気がついた。

「モモン・ザ・ダークウォリアーと刻印されています。本物ですよ」

 隣にいたマルコが覗き込みつつ、確認の声をあげてくれて助かった。おまけに、ハラルドや女騎兵らが、ソファの背もたれ越しに、もの珍し気な様子で一等冒険者のプレートに食い入るような視線を注ぎこんでもいる。彼等も一様に、プレートの真贋について本物だと宣言してくれた。まるで憧れのトップアイドルを眺める子供のような無邪気さを伴って「すごい」とか「はじめて見た」とか。
 自分たちの族長から(たしな)められるような微苦笑を向けられて、ようやく引き下がっていく飛竜騎兵らに、モモンは愉快痛快な面で朗らかに笑う。

「どこへ行っても、皆さん同じような反応をされるので、プレートをお見せするくらいのことは慣れたものですよ」

 何より、依頼を引き受ける場などでは、プレートの携行と掲示は必須条件ですので──そう彼は教えてくれる。なるほど、冒険者にとってこのプレートは、身分証明書と同義に扱われるのだなと納得しつつ、カワウソは超希少金属の板切れをモモンの掌に返却する。義務的な確認作業を終えて、カワウソは常識的な感謝を紡いでおく。

「ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ」

 確認を終え、応接セットのソファーテーブルに、一同は改めて腰かけた。
 一人用のソファに腰掛けるセークとヘズナの族長が対面に、カワウソとミカとマルコ、モモンたち“黒白(こくびゃく)”が対面という具合で長椅子に座り、そこへ全員分の茶が用意される。

「ありがとう、ヴェスト」
「ありがとうございます」

 ヴェストという名で呼ばれ、族長に笑みを送られる彼を眺める。茶を用意されて、普通の社交辞令的に会釈しつつ感謝するカワウソにまで、そのまっすぐな腰を折る老人は、昨夜カワウソらと戦った老兵(ロートル)に相違ない。彼はこの秘密部屋に通された使者たち──ヘズナ家当主と、彼の雇った冒険者二名の世話を仰せつかっていたようだ。執事然とした淀みない所作だが、彼の着るものは飛竜騎兵独特の簡素な、竜の鱗にも似た枯草色の衣服に過ぎない。
 見ようによってはヴォルたち姉妹の祖父などとも見受けられるほどに親しみ深い両者であるが、あくまで主君と従者の関係に過ぎず、血の繋がりなどもないそうだ。
 続いて、彼は手中の急須を傾けて、別の客人らにも茶を振る舞う。

「ありがとうございます」
「勿体ないお言葉です」

 ヘズナとモモンが紡ぐ感謝にも、老人は礼儀正しく返礼を送る。
 ただ、主人であるヴォルに向けるよりも言葉には影がおりており、セークと対をなすヘズナに対する何かしらの思いが、ほんのわずかに感じ取れた。無論、昨夜戦闘したばかりのカワウソたちにも、その傾向は露になっていたが、そこまで気になるほどの敵意ではない。
 改めて()れられた飲み物に舌鼓を打つヘズナ家の彼等と同様に、カワウソも「いただきます」と呟きつつ食後のティータイムのごとく深緑色の茶が注がれた湯呑を口元に運ぶ。「南方より取り寄せた特級茶葉でございます」とか何とかの説明を小耳にはさんだ。苦味と甘みが共存する中で、青い香りが奇跡的な調和をもって際立っている。美味い。
 南方産の茶の味に密かに驚嘆しつつ、カワウソは協議を始めるべく声を発した女族長を見る。

「では、これより協議を開始します。協議の内容は、既にご存知でしょうが──我が妹ヴェル・セークの、暴走原因の究明についてです」

 粛々と紡がれる女族長の声に、いきなり待ったをかける低い声が。

「その前にひとつ、確認させてほしい。セーク族長」
「いかがされました。……ヘズナ族長」

 二人は鋭く視線を交錯させる。
 まるで決闘を挑む剣士が如き冷たい瞬間は、男の硬い笑みに、即やわらぐ。

「ヴェルの……そちらの狂戦士(バーサーカー)の暴走についてなのだが、我々はその現場を見ていない。現場を見ていない状況では、いくら我々でも、原因の究明には役に立てそうにないが?」

 ウルヴは、カワウソたちと同じ正論を吐いた。ヴォルは応じるように首肯する。

「ハラルド」
「はひ!」

 素っ頓狂極まる声で、ここまで追随してきたハラルドが応じた。
 彼は何故なのか、全身がちがちに震えて、両手に抱え慎重に運んでいたボール状のアイテム──軍部の映像記録投影機──を、全員の中心となる卓の上に置いた。思わず、フーと長い息を吐く彼の情けなくも見える姿を、その場に座る全員が注視する。

「あの、大丈夫ですか?」
「も、もん、問題ありません! モ、ダ、ダークウォリアー様!」

 何やら肩が四角く強張っていると判るくらい緊張しっぱなしの少年だが、他のセークの連中は訳知り顔で微笑むばかりだ。元の位置に戻り、とにかく冷静になろうと背筋をまっすぐに伸ばして硬直する少年隊長。──もしかしてハラルドは、モモンたちのファンだったりするのだろうか。
 何はともあれ。今は他にすべきことがある。
 アイテムが起動すると、先ほどの朝食の席でカワウソたちが見せられたものと同じ動画が映写される。初見のヘズナたち三人は真剣に、二度目のカワウソたちはさらに吟味を重ねるために、食い入るようにヴェル・セークたちの墜落の軌跡を、狂戦士の暴走っぷりを、視野の中に刻み込んでいく。

「なるほど、確かに。これは狂戦士の暴走だ」

 訳知り顔で呟き、頷きを繰り返すヘズナ家の族長。
 モモンたちも動揺するでなく、しきりに頷いた後で、己の雇い主に意見を求める。

「ヘズナ族長……ウルヴさん。“狂戦士”は、飛竜騎兵の中で、ごく稀に生まれる存在と聞きましたが?」
「その通りです……アー──モモンさん」
「ならば、どのようにして狂戦士が狂戦士としての力を発現するのか、どのようなプロセスを経ているのでしょうか? ランダムに発現するものなのか、あるいは、ある程度の法則や理論は存在するのでしょうか?」
「それは、難しい質問ですね。そのあたりの話については、長老たちの方が適任やも知れません」
「そうですか」
「ただ、私が知っている限り、飛竜騎兵部族の代表たる族長家──その血に連なる一族の中での発生例が多いことは、確かです。実際、ヴェル・セークはセーク族長家の次女、現族長であるヴォル・セークの実妹なのですから」

 ヘズナの族長はそう述べる。
 飛竜騎兵の中に生じる狂戦士。ユグドラシルにおいては大量の竜の血というアイテムを必要としたはずのレア職業について、認識を共有する。一等冒険者といえども未知なる情報を整理する為か、その口調はかなり事務的に響いていた。まるでこの場にいる者に語り聞かせるような印象さえ、ほんのかすか含まれている気がする。
 曰く、狂戦士は飛竜を喰う風習に生きる、この地域固有の存在。
 飛竜を食べる──その条件について、カワウソはふと、ある思いを巡らせた。

「そういえば、魔法都市で俺はドラゴンステーキを食べたんだが、あれは……狂戦士の発生要因にはならないのか?」

 飛竜の血肉を転職アイテムの代替と考えるならば、都市で流通するドラゴンのステーキ肉なども、十分に必要条件を満たすのではあるまいかという、そんな疑問だった。
 しかし、ヴォルやウルヴたちは目を丸くして首を傾げるばかりで、何も言ってくれない。
 何か変なことを言ったのだろうかと、カワウソは若干身構えてしまう。
 そんな堕天使の問いかけに、意外な人物が口を開いた。

「確かに。魔導国でドラゴンステーキが流通して、すでに数十年の月日が経っておりますが、各地で狂戦士が発生したという話は、聞きませんね」

 すっかり普段通りの利発な調子を取り戻した修道女、マルコが快活な笑みでそう補足する。

「でも、あれだろ? 狂戦士が飛竜を喰らうことで狂戦士になりえるなら、飛竜以上のドラゴンの血肉を摂取すれば、条件は満たされるんじゃ?」

 無論、ユグドラシルではただのドラゴンステーキを転職アイテムに使用できるといった話はない。
 狂戦士の転職には、高位の古竜(ハイ・エンシャント)級のドラゴンからドロップされるアイテムを大量に集め、それをもって転職が可能だった。ドラゴンステーキをたらふく喰ったところで、狂戦士などのレアになることは、通常ならありえない。
 だが、この異世界で、実際に狂戦士としての力を発現できるものがいるという現実。
 しかも、転職には通常使用できない雑魚モンスターを喰う部族たちの中で。
 飛竜(ワイバーン)は比較的小柄で、ユグドラシルのゲームに存在する竜の種族だと、比較的弱い部類に位置する。飛竜よりも強く大きな体躯を持つドラゴンに騎乗できる騎乗兵(ライダー)は、竜騎兵(ドラゴンライダー)としてのレベルを獲得するという感じだったのだ。平均してLv.70前後の騎乗兵プレイヤーは、他にも神獣だの幻獣だのを召喚使役できるようになり、はては巨大船舶を操船する船長(キャプテン)や、航空戦闘機を操る操縦士(パイロット)にまでなりえたのだ。「ヴァルキュリアの失墜」という大規模アップデートによって、そういった近代兵器・機械装置の類もユグドラシルでは蔓延し、それまでの完全ファンタジーだった世界観に新たな要素がふんだんに盛り込まれ、多くのプレイヤーを愉しませてくれたものだが……いずれにしても、今や昔の話である。

「ええと。それは……」

 さすがにそこまでの知識のなかったのだろう、マルコが言葉に詰まる。
 カワウソとしては何の気なしに呟いた疑問にまで真摯に対応しようとする彼女には好感しか覚えないが、

「すいません。今度、調べてみますね」
「いや、そこまでする必要はないから」

 生真面目に謝罪する女性に、こちらの方が申し訳ない思いを懐く。気にするなと言ってやるしか他に処方がない。
 微妙な空気を換えるように、一等冒険者が少しばかり大きめの咳ばらいをしてくれる。

「ああ……セーク族の狂戦士は、ヴェル・セークさんのみというお話でしたが、であれば、ヘズナ族に現存する狂戦士というのは」
「無論、おります」

 モモンとウルヴの会話に、カワウソは耳をそばだてた。

「他にもいるのか? 狂戦士が?」

 思わず口を挟むように問い質してしまうが、彼らは気を悪くしたわけでもなく、にこやかに事実を宣言する。

「ええ。今まさに、あなたの目の前にいますよ」
「──目の前?」

 今、カワウソが見ているのは、モモンたちと、ヘズナの族長。
 言われたことを遅れて理解したカワウソは、それでも、確認を求めるほかにやりようがない。

「え、ちょ……ひょっとして」

 まるで狡猾な狼のような鋭い笑みが、剣を突きつけるように差し向けられる。

「別に、おかしいことではありません。族長家の娘であるヴェル・セークが狂戦士であるように、ヘズナ家の族長家にも、狂戦士たりえる因子は、脈々と受け継がれておりました」

 飛竜騎兵の中で生まれる……子々孫々に渡り飛竜と過ごし、飛竜の血肉を喰らう文化の中に生きる異世界の住人である彼等だからこそ、竜の血肉を必要とする“狂戦士”になりえるという仮説。それに従うのであれば、勿論、ヘズナ家の者にも狂戦士が生まれるのは道理だ。

「この私、ウルヴ・ヘズナが、当代において現存する、ヘズナ家の狂戦士(バーサーカー)となっております」

 カワウソは目を数回も瞬かせた。

「アンタも──ああ失礼、あなたも狂戦士、だと?」

 しっかりと頷いてみせるウルヴ。
 他の飛竜騎兵であるセーク族の四人にも視線を巡らせると、全員が疑義を懐くことなく、半ば常識として認知している風に頷くのみだ。ヘズナ族長が狂戦士であることは、部族という壁を越えて有名なのかもしれない。
 だが、だとすると昨夜のハラルドたちとの会話で、おかしかったことがある。

「証拠を御覧に入れたいところですが、ここには我が一族の治癒者がいないので、一度狂乱化しては対応にも困るところ……ですが」

 カワウソの疑問と黙考に気づくわけもなく、ウルヴはあっけらかんとした口調で、この場での部外者である三人──放浪者のマルコや、ヴェルを保護したカワウソとミカに、狂戦士の証を立てようと欲した。

「モモン殿。エル殿。暴走した私の抑止と回復を、お頼みしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、勿論」

 頷いた一等冒険者たちの意気込みは、軽い。
 ハラルドたちが快哉に近い驚愕を覚えて息を漏らす。
 一等冒険者チーム“黒白(こくびゃく)”は、まるで予定調和か何かのように、自分たちの雇用主が目の前で“暴走する”という試みを受け入れてしまっている。

「……大丈夫なのか?」
「問題ありません」自称狂戦士の族長、ウルヴは気安く頷いた。「この”秘密部屋”は、防音防諜対策が念入りな上、かなり頑丈な造りですからね」

 いや、そういうことじゃなくて、暴走なんて状態異常を自ら発生させて大丈夫なのだろうか?
 というか、なんでウルヴはそんなことを──セーク族の邸の秘密部屋の事情を知っているのかも疑問なのだが……アレかな、ヘズナ族も、この秘密部屋を使ったことがあるのだろう。これまで様々な権謀が何とかとも言っていたし。
 あと、いくら一等冒険者といっても、この世界の存在に、狂戦士の暴走を食い止められるのか?
 ハラルドたちすらも、カワウソと同じ類の懸念に囚われ、自分たちの女族長に異議を申し立てようとするが、ヴォルはそれらを悉く払い除けた。「心配ない」と言ってのける。自分たちの目の前で、仲の悪いはずの部族の長が狂戦士になるのを見過ごせと言うのは、いったいどういう理屈なのか。

「では、少し離れていてください」

 言って、立ち上がった彼はほとんど一足飛びで、通常の人間の脚力と瞬発力では不可能な距離を跳躍する。ヘズナゆかりの重厚な鎧を着込んだ肉体とは思えない動作だ。立ち上がったその場から、足の力だけで、走り幅跳び並の軌跡を躍動し、空中で身体をひねりこむなど、常人では決してありえない身体能力である。だというのに、誰も驚いていない。この世界だと、あれが普通の身体能力というわけではないだろうが、別に不思議でも何でもないようだ。ウルヴ・ヘズナとは、それほどに有名な存在なのか。

「…………」

 しばしの沈黙。立ち上がり席を離れた全員が、食い入るように、彼の動静を見つめる。
 ウルヴの乗騎にして相棒の巨大飛竜が、確認するように鎌首を持ちあげ、僅かに頭を下げた。どうにも、相棒に対して頷いたようだ。
 深く息を整えるヘズナの族長が、その瞳を静かに閉じて……

 いっぱいに見開かれた両眼から、狂気的な焔がこぼれる。

 映像で確認した、ヴェルとまったく同じ現象。
 人間の瞳に、燃え上がる篝火のごとく灯り揺れる、狂乱の相。間違いなく、あれは「狂戦士化」のエフェクトだ。男の食いしばった歯の隙間から、金属がこすれるのにも似た音色がギリギリ響く。

「コ……レ、ガ……」

 驚くべきことに、彼の方から人の声と判別できる音が聞こえてきた。

「これ……ガ、──(バー)戦士(サーカー)、ノ、チカら……飛竜、騎、中で……限ら、レタ、者ガ、ガぁギ、が、ガァア!」

 瞬間。
 音が爆ぜた。
 そう認めるしかないほどの絶叫が、広い洞窟内に乱反射し、内部にいるすべての鼓膜を突き破らんばかりの、暴力の風と化す。
 理性的な音色は瞬く間に消滅し、意味消失した耳障り極まる野獣の吠え上げる蛮声が轟いた。秘密部屋は内部の会話や音を外に漏らさぬように魔法的な処置が施されていて、この絶叫で外にいる存在に危害を及ぼしたり、存在を認知されたりすることはない。だが、それは裏を返せば、音が逃げ場もなく反響を続け、増幅と蹂躙が繰り返されるということを意味する。
 実際、ハラルドをはじめとしたセークの騎兵たちは耳を塞いで耐えるしかない姿勢をとっており、カワウソもいきなりの珍事に反射的に片耳を手で覆うしかなかったが、絶叫(シャウト)系のダメージというわけではない。この行為はただの生態反射だ。その証拠に、ミカも涼しい顔で、狂戦士の動向を眺める作業を続けている。ダメージは受けていない。
 そして、

「ガアッ!」

 吠え声が、女天使同様に涼しい顔でいる女族長に向かい、跳躍。
 猛り狂う獣。情け容赦のない荒ぶる戦士の狂乱に、たおやかな女の肢体が数瞬後、確実に蹂躙されんとするだろう暴挙の波濤。
 いきなりの事態に、カワウソは反射的に自分の剣を取ろうと空間に右手を沈めそうになって──

「ご心配なく」

 紡ぐ声は、ヘズナ族長と相対する、セーク族長の静かな調べ。
 瞬時。
 狂気に陥る戦士が、一瞬にして目標との間に割り込んだ漆黒の英雄(ダークウォリアー)と両手で組合い、僅かにモモンの上体を仰け反らせようとしている。両者の拮抗状態は、そう長くは続きそうになかった。
 その背後。

「お鎮まり下さい」

 モモンの従者である黒髪の童女が、状態異常治癒効果が付与されていたらしい治癒薬の蓋を開け、ウルヴの頭部から全身に浴びせかけていた。狂戦士を羽交い絞めにするような格好で行われたそれは、幼い子供の腕力脚力とは思えない、一瞬の手並み。いくら同じチームを組んでいる壮年と童女とはいえ、その連携は見事と言ってよい。カワウソが驚嘆するほどの速度や力量ではなかったが、事態を静観するに任せていたハラルドたち護衛役は、呆然と感心の吐息をこぼしてしまう。
 見る内に、ウルヴの「狂気」は鎮静化され、巨躯の男は平静を取り戻していく。
 狂戦士のエフェクトも、もはや完全に消滅した。

「ありがとう、ございます……お二人とも」

 深く息をついて、ヘズナの狂戦士はその場の全員に詫びる。

「すいません。ですが、カワウソさんなどの御三方には、しっかりと、認識しておいてもらった方が良いと思いまして」
「いや……」

 呟くカワウソは、逆に感謝すら覚えた。
 この世界の狂戦士というものを、生の目で確認できる機会に恵まれたのだ。

 これが、狂戦士(バーサーカー)
 この世界に存在する、本物の狂戦士。

「それでは、改めて。協議を、続けましょう」

 完全に平常の相を取り戻したウルヴに促され、全員が再び卓を囲み、ソファに身体を預ける。

「あの……ひとつ、いいか?」
「なんでしょう、カワウソさん?」

 気安く応じる族長に、カワウソは簡潔な問いかけを敢行する。

「ヘズナ家の族長が、ウルヴ・ヘズナが狂戦士(バーサーカー)っていう情報は、どれほどの人が知っているんだ?」

 何故そんなことを聞くのか不思議そうに、男は笑みを浮かべる。

「おそらく、現存する飛竜騎兵の全員が知っておりますね」

 あっけなく言われた内容に、カワウソは疑念を深めるが、口にはのぼらせない。
 一回うなずいて、あとは協議に耳を傾ける作業に戻るままだった。
 カワウソは、協議されるヴェルの暴走について考えると同時に、ある疑惑が浮かんでいたのだ。

 昨夜の会話で得た情報。

『100年をかけて、飛竜騎兵の中で、狂戦士(バーサーカー)に対する尊敬と崇拝の念──信仰は低減されていった』

 ハラルドやヴェルたちとの話で聞いていた、狂戦士に関する脳内のメモ。

『だから、部族内でもヴェルが狂戦士である事実を知っている者は、それほど多くはない』

 疑問。
 ウルヴ・ヘズナは、狂戦士として認知されているという事実に対し、
 何故、ヴェル・セークは狂戦士としてあまり認知されていないのだろうか。





 







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容量は前回と同様、13000字ぐらいです。

モモン、もとい、アインズ様のターン。



/Wyvern Rider …vol.5





 





 狂戦士の実演を終え、ソファに戻る直前。

 協議に参加する一等冒険者モモン──アインズ・ウール・ゴウンは、実に新鮮な心持ちで、目の前に存在するプレイヤーと相対しつつ、本当の人の表情がはりついた面が、微笑みに優しく緩んでしまうのをおさえるのに苦労していた。
 人間の表情は変わりやすい。アンデッドのくせに微妙ながらも精神的な昂揚感を覚えるという変わった特性を持つアインズは、受肉中は並の人間よりも冷静に物事を見極める程度の精神性を確保しているだけで、割と普通の人間と同じ感性で表情が変化してしまう。かつてのように兜で顔面を覆えばいいとも思われるが、「当代」におけるモモン・ザ・ダークウォリアーの姿(スタイル)がこの形状であるため、安易に兜で顔を覆うわけにもいかなかった。
 ずっと昔に、ある女性冒険者グループによってナザリックにもたらされた未知の果実“アンデッドを受肉化するアイテム”の研究は存分に進められ、ナザリック内で品種改良を施され、ある程度はアインズにとって利便性に富んだ受肉アイテムに変貌してくれているが、やはり精神は肉体に引っ張られるものなのか、随分と感情が豊かになってしまう傾向にある。品種改良のおかげで、魔法発動不可などの致命的な弱点は改善されるに至っているが、やはりいろいろと面倒が多い感じだ。

「──モモンさん」
「心配ない、エル」

 密かに心配げな声をかけてくれる童女に、モモンあらためアインズは、小さく頷いて応える。
 両手を握り込んで、動作に異常がないことを確認する。
 狂戦士の単純な力。
 知ってはいたが、やはりすさまじい。
 かつてアインズは、Lv.33程度の腕力を頼みに、アダマンタイト級冒険者──英雄モモンとして数々の戦場を疾駆したものだが、当時はこの地域の存在の強さは、戦士のフリをした魔法詠唱者(マジックキャスター)に最高位の冒険者の証を授けたほどに、脆かった。
 しかし飛竜騎兵は──少なくとも斜め前の席に座す依頼者の族長は──違う。
 あと少しでも抑止が遅れていたら、漆黒の戦士は、単純な力によって押し切られていたかもしれない。アインズはそれなりの価値の装備に身を固めている上、常時発動型(パッシブ)特殊技術(スキル)を使っているので無傷に済むのは間違いないが、力比べで負けかけるほどの膂力を、かの狂戦士は発揮してみせた事実は覆らない。

「おまえの治癒薬(ポーション)(ウルヴ)の回復に間に合ったおかげで、私は怪我ひとつ負っていない。
 ありがとう」

 言って、普段するように、小さな黒髪の童女の頭を、籠手に覆われた掌で優しく撫でまわす。
 母のそれと似た怜悧な眼を閉じて、されるがままになる孫娘は、恐縮したように頷くのみ。
 アインズはとりあえず、自分の計画通りに事が推移していることを確かめる。

 昨夜。
 魔導王の権力(コネ)をフル活用して、セークと相対するヘズナの族長に接触。ヘズナ家からの使者として、セーク族長の要請に応じるために今、この協議の場へと至ったわけだ。ごく自然な流れで。

 モモン姿のアインズは、カワウソと名乗る黒い男──日に焼かれたような肌と世界を呪うような暗い眼の様子が特徴の異形種・堕天使のユグドラシルプレイヤーを視界に納めつつ、その”装備”に着目していた。
 浅黒い肌色をさらす両手の指先には、アインズと同じ色とりどりの九つの指輪。細く引き締まった両腕は簡素な腕輪しか装備されていない。肩部分を僅かに覆う盾のような防具に、脇などの隙間からは銀一色の鎖帷子(チャインシャツ)の輝き。鮮やかに翻る血色の外衣(マント)。両脚には、鋭利な装飾と造形が施された漆黒の足甲を太腿(ふともも)にまで纏い、腰には鎖や帯が巻かれている。

 そして、異彩を放つのは、あの鎧。
 一目見た感じだと、ただの黒い鎧だと思われるが、足甲並みに黒く輝く金属はあまりにも禍々(まがまが)しい印象を覚える作り込みがなされている。肩と背に巻かれる外衣(マント)に隠れた背中部分はよく見えないのだが、まるで悪魔の指先を彷彿(ほうふつ)とさせる歪な五本指にとらえられ、装備者のカワウソの胸や腹を背後から圧搾しているような形状に整えられていたのだ。一体、どのような意図があって作られた防具なのか気にかかる。

 さらに、もっとも異質かつ興味を惹かれたのが、堕天使にはありえないはずの──頭上の輪。
 無論、アレは天使の輪ではない。
 あんな(おぞ)ましい色艶を帯びて、回転と明滅をゆっくりと、心臓の鼓動の如く確実に続ける円環が──人の血と臓物より紡がれ生成されし赤黒い糸で編みこまれたような、呪詛の結晶のごとき装備物が──正常かつ清浄な天使種族のエフェクトであるはずがない。魔導国の存在にとって、もはやマジックアイテムはそこまで珍しいものではないので、飛竜騎兵たちや都市の住人などは「変わった装備をしているな」程度の認識しか受けないだろうが、同じプレイヤーのアインズは、まったく異なる印象を覚えてならない。

 堕天使は、天使の輪とは無縁の存在。彼の外装は見れば見るほど、かつてユグドラシルで街の道すがら遭遇した堕天使プレイヤーの狂相に酷似しすぎていながら、明らかな差異が顕著に現れている。
 彼もユグドラシルのプレイヤーであるならば、あの装備品の中に神器級(ゴッズ)アイテムが存在していてもおかしくはない。今は装備していない剣などの詳細も知りたいところだ。
 しかし、腕輪や鎖、腰帯(ベルト)などは既製品の、明らかに神器級(ゴッズ)には届かない、ユグドラシルで流通していたよくあるアイテムであるように見えるところから考えるに、彼はそれほど強力なプレイヤーではないのかも…………否。否だ。決めつけはよくない。
 かつてのアインズも、漆黒の英雄に(ふん)していた時代、意図して比較的劣悪な装備である漆黒の全身鎧を着込んでいたことを考えれば、彼の今ある姿が全力装備であると確定するのは、些か早計だろう。彼も外の世界を警戒し、奪われるのを忌避して、わざと装備のランクを落としている可能性もありえるはず。
 何よりも、一番の懸念は、あの中にアインズの保有する最大最上のアイテムと同じもの──世界級(ワールド)アイテムがあるやもという可能性。

 そうして、アインズが注視する中で、

「ヘズナ家の族長が、ウルヴ・ヘズナが狂戦士(バーサーカー)っていう情報は、どれほどの人が知っているんだ?」
「おそらく、現存する飛竜騎兵の全員が知っておりますね」

 カワウソは狂戦士の情報を共有すべく、率先して声を発していた。
 協議に参列するセーク族長の席の背後に、若い部隊長が一人、女騎兵二人、老騎兵が一人並んで、ことの推移を見守っている。カワウソの隣に座すミカは冷淡に、カワウソたちの論議を見守る姿勢に徹していた。逆に、彼らと共に行動していた「“放浪者”役」のマルコは、温和な笑みを浮かべて席に着いたままである。
 アインズは思い出す。
 飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の部族、その中に生まれる狂戦士というのはそれほど多くはない。魔導王であるアインズが彼等を統治し君臨してきた100年の間に、今代の二人──ヴェル・セークとウルヴ・ヘズナを含めても、五人しか存在しない。他の三人はいずれも三十年に一人のペースでしか現れておらず、いずれの個体もすでに死亡済み。二つの部族で同時代同世代に狂戦士が生じるのは珍しい方だと聞く。
 そのため、アインズ自身も、この世界における狂戦士(バーサーカー)の情報は乏しい。

 狂戦士は自らの肉体ステータスを一部爆発的に増強する代わりに、終わりのない「狂気」と共に戦うしかない存在。そんな彼らの個体発生メカニズム、スキル発動条件、ユグドラシル由来のアイテムでの狂戦士創出の可否などは、謎が多いままだ。しかし、魔導国臣民である彼等を、何の罪科もなく実験生物的に研究し解剖するようなことはしなかった。実験しようにも絶対数が少なすぎて、使い潰すような真似をするのは不可能だった以上に、無意味でしかなかったのも影響している。実験というのは、数多存在するサンプルがあって初めて比較検討に値するもの。ならば、この世界の狂戦士は、なるべく丁重に扱い、可能なら徐々に増やしていければ御の字という具合だった。
 それほどに稀少(レア)な存在だからこそ、ヴェルの処遇は一時留保としたアルベドやデミウルゴスたちの采配には、心から同意できた。
 何より、今は“とある事情”で、セークとヘズナの間に()らぬ“わだかまり”が生じるのは避けたい時期でもある。だからこそ、式典にセークの精鋭騎兵らを召喚し、セークの一族が過去に犯した行為に対する「贖罪(しょくざい)」の場を設けさせ、両部族の確執をなくそうと試みたのだ。

 にも関わらず、式典の演習で、よりにもよって族長家に連なる狂戦士、ヴェル・セークが暴走。
 待機命令を受諾中の雑魚骸骨(スケルトン)の集団を半壊させてしまったという、この事実。
 当然、疑わしきはセーク家の人間たちだ。
 それを了解している“対”の部族──ヘズナの長が、対面に座る女族長に水を向ける。

「セーク族長。率直な話、君らはどう見ている?」
「……どう、とは?」
「君たちの中で、今回の式典に混乱を呼び込もうとする不逞の輩がいる可能性は?」

 それは聞き捨てならぬと、ヴォルの護衛として付いてきていた騎兵たちが気を吐くが、族長から諫められ制止されては、いかんともしがたい。
 黙考するように、彼等のやりとりへ耳を傾けるカワウソと共に、門外漢同然の立場であるモモンことアインズも、二人の族長らが中心となる議論を、ただ見守る。

「ありえない──とは、言いきれないでしょうね。時期的に(・・・・)
「では、たとえば。ヴェル本人が、意図的に狂戦士化を起こした可能性は?」
「本人は否定しております」
「だが、証拠はない」

 長方形の卓上で、族長らの応酬が続く。
 ヴェルは事件当時のことを「覚えていない」という主張を繰り返している。
 だが、実際の記録映像には、彼女の狂乱と暴力が克明に映し出されていたことを考えると、ただの見苦しい言い訳以下の戯言(ざれごと)にしか聞こえない。
 ウルヴが実演したように、狂戦士のスキル発動は狂気の状態異常に苛まれるが、その発動には本人の自由意思、ある程度の操作性が付属している。一度発動すると暴走しっぱなしで、その間の記憶を損なうことはウルヴからの聴取などでアインズは知悉している。とすれば、ヴェルの狂戦士化は彼女個人の意思がトリガーになっているはずなのだが、本人にはその自覚はない。両者の違いとは何なのか。ヘズナとセークという部族の違いがあるのか。カワウソではないが、アインズもまた興味を懐いてならない情報だが、やはり”狂戦士”のサンプリングが少ないため、どうしようもなかったというのは、状況としては痛い。女狂戦士(ヴェル)が罪人に確定しようものなら、思う存分に研究することも出来るかもだが、「ヴェルが罪人ということはない」という見方が、映像を確認したアインズには強かった。
 狂戦士の姉たるヴォル・セークは、挑むような笑みでヘズナの当主に食って掛かる。

「では、いっそのこと拷問……尋問でもしてみますか? 我が妹を?」
「ご冗談を。いくら同じ力を持つ自分でも、狂戦士に危害を加えて無事に済むとは考えにくい。狂戦士同士での死闘ともなれば、どちらかの落命は確実だ」
「妹の性格や志向は、姉である私が熟知しております。妹は、本当に覚えていないのでしょう。それよりも私としては──率直に申し上げるならば、ヘズナの間者(かんじゃ)という線もありえると思っております」
「……ほう?」
「今回のセーク家のみ(・・)の参陣出兵を羨望し、忌避したいヘズナの手の者が、我が妹を、何らかの方法で陥れたのでは? そうして、ヘズナ家こそが飛竜騎兵の代表に──ということはありえませんか?」

 二人の族長の視線が交錯する。
 それはありえないと、ヘズナの族長は断言できない。ソファに座る巨躯の偉丈夫は皮肉気に、自分よりも頭二つ以上低い身長の……しかし、セークの中では中々ずば抜けた長身を誇る女族長を、見る。

「それをいわれると、こっちも疑惑されて当然だ」

 互いに笑みを深めつつも、異様な剣幕を帯び始める協議に、カワウソをはじめ列席者たちは口を(つぐ)むのみ。
 セークとヘズナの溝は、かつてほどの深さではない。
 アインズは知っている。100年前の彼らを。
 この中で唯一知るアインズだからこそ、両家の確執というものは、遠くない将来には氷解してもおかしくないほどに薄くなりつつあった。
 だが、だからこそ、そんな状態を最悪の形で崩落させんと欲する愚者(バカ)がいたのかもしれない。
 この族長二人の新たな関係についても(・・・・・・・・・・・・・・・・・)、歓迎しない者がいる可能性もありえる。
 しかし、

「失礼。両族長」モモンは挙手して、二人の議論を整理する。「そもそもにおいて、今回の式典に三等臣民である飛竜騎兵が導入されたきっかけを、ご説明願えますか?」

 冒険者“黒白(こくびゃく)”のモモンたちは、急遽依頼を受けて駆け付けたという(てい)で、ここに臨席している身だ。いろいろとモモンの口から核心に迫る必要はない上、逆にカワウソたちに疑念を向けられる危険もある。応答は慎重に行わねば。
 二人の族長は同時に頷く。口火を真っ先に切ったのはセーク族長であった。

「それを説明するには、我等飛竜騎兵……というよりもセーク族は、50年前に犯した大罪の清算を続け、ついに10年前、飛竜騎兵の部族は三等臣民としての等級にまで回復するに至りました」
「50年前、大罪?」

 カワウソが気になる情報だったらしく、顔をあげて同じ言葉を繰り返した。
 大罪とは……多分、あれだな。

「50年前に飛竜騎兵の起こした、小規模な反乱ですね?」

 魔導国の歴史の教科書にも載る程度の事実。
 モモンの口から零れた正答によって、飛竜騎兵らの面貌に影が差した。

「その通りです」ヘズナの歳若い大将が頷く。「100年前、お優しい当時のセーク族の人々は、魔導王陛下に盾突いた罪によって滅ぼされた連中を、ひそかに、秘密裏に、助命し、庇護していた──それがすべての間違いだった。発覚したのは50年前。三部族の残兵が決起し、あろうことかセークの領地のひとつを占領。馬鹿げた名分を掲げ、我等飛竜騎兵全部族を相手に反乱勢力を築き上げた」

 アインズは静かに思い出す。
 100年も昔。
 魔導国への恭順を拒んだ三部族は、決戦の時、魔導王の放った超位魔法一発で、瓦解した。
 三部族は方々(ほうぼう)(てい)で逃げ出し、それをアンデッドの軍団によって、殲滅した。
 しかし、すべての敵を、三部族を滅ぼせたわけではなかったのだ。
 50年前。
 愚かな三部族の生き残りは、それぞれが個人的に親交を持っていたセークをはじめとする他部族や大陸中央に庇護を求め、そのまま散り散りとなった。無論、そのまま事なきを得て人生を謳歌すればよかったものを、愚昧な一部過激派によって、奴らは「飛竜騎兵の誇り」とやらの為に、いらぬ戦乱を巻き起こした。

「人道上は、同じ飛竜騎兵同士で情けをかけたい気持ちもわかるが、セークの祖先は、匿った後の彼らを御しきれなかった。彼らはなまじ腕に覚えがある連中だったが故に──敵を殺すことに長けた技術に磨きをかけた一族だったが故に──飛竜騎兵の力を過信していた。傲慢と言ってよかった。……彼らがもう少し利口でいてくれたら、我等飛竜騎兵の扱いも、今よりもだいぶマシな感じになっていたはずだとも言われている」

 惜しむ声には、憎悪や悲嘆という色は薄かった。
 むしろウルヴの好青年然とした表情に張り付く笑みは、起こった出来事を振り返ることに対するおかしみが、多分に含まれていると容易に判る。

「それは既に過去のこと。セーク家の、今の族長には関係のない話です!」

 揶揄(やゆ)するようにも聞こえたヘズナの族長の広言に対し、ヴォルの背後で控えていた少年騎兵から、糾弾する音色が。続いて、彼の部下らしい女騎兵たちも同意するようにヘズナの族長を睨む。静かにたたずむ老兵、ほのかに笑う族長は、そんな彼らを鎮めるための声を漏らした。
 それでも。
 激昂の視線を受け続ける男は、蛙に睨まれた蛇のような面持ちで、冷たい笑みを浮かべるのみ。

「これは失礼。だが、我々の間に横たわる確執の根には、セークの犯した過ちがあることは事実」

 実に理知的な応答によって、ウルヴはセーク側の言い分を封じ尽くした。
 精悍な族長は、野卑にも見える魁偉(かいい)な見た目とは裏腹に、明晰な洞察力と舌戦を嗜む胆力にも優れていた。少年部隊長とは十年かそこらの違いしかない歳の差ではあるが、ウルヴ・ヘズナは紛れもなく、一部族を束ねるに相応しい長の風格を帯びている。
 余裕な表情のまま、ヘズナの族長は理解の言葉を紡ぎ出す。

「……当時の情勢上、セークが汚名を(こうむ)ったことは、致し方ない出来事だ。反抗した三部族の残兵を吸収し、我等ヘズナとは違って、反抗因子たちを王政府にほとんど突き出すことなく匿った結果、生き残った反逆者たちが力を盛り返し、数十年もの潜伏を経て、魔導国に混乱を招いた事実は覆らない。一応は祖先を共有する同胞を国に突きつけたおかげで、『ヘズナは血も涙もない一族』と罵倒する声もあるが……これも致し方ない」
「だからこそ、10年前の戦役で我等の!」
「ハラルド」

 はっきりとしたヴォルの諫言する声音に、彼女に従う部隊長は引き下がるしかない。
 白熱する議論であったが、これでは本題に至るのに時間がかかりすぎる。
 焦れたように視線を動かすカワウソと同じく、アインズも少しばかり、協議を加速させたくなったところで、ヴォルが部下の少年を静めると同時に、問題の核たる事実を教えてくれた。

「モモン殿……我等セーク家のみが、此度の式典に招集されたのは、対外的に魔導王陛下が、これまでお話しさせていただいた飛竜騎兵の“罪”を御赦しになったことを喧伝する上で、重大な意味を持っておりました。セーク家を赦すための式典において、ヘズナ家の者を参陣させるというのは」
「遠慮されて当然のこと、ですか」

 モモンの紡ぐ正答に、女族長は頷きを返した。
 無論、魔導国の一大イベントである祝賀行事に、セーク家が参列するというのを面白く思わない連中もいるだろう。ヘズナ家や二大部族以外の残存部族の者も勿論のことだが、飛竜騎兵そのものに対して遺恨を持つ存在と言うのも、実際ありえる。
 だからこそ(・・・・・)、アインズはセークの部族のみを、式典の航空兵団に加えた。

 10年前の戦役にて。
 彼等飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)は多大な犠牲を払いながら、当時の反抗因子鎮定の役に貢献した。

 結果として、この若い族長たちの親世代は、壊滅的な打撃を被りつつも、その当時の反逆者たちを討伐し果せたのだ。
 その功によって、飛竜騎兵の等級は回復されるに至ったが、同時に、彼らを恨みに思う反逆者たちが生き残っている可能性も。
 魔導国は平和を築いたが、その平和に()いたような無法者が国土を僅かに荒らすことも、たびたび発生しているという事実。これはどうしようもない事態だった。それらの再発防止の対策として、アインズは今も国務に励んでおり、100年目の節目ということで、ある程度の問題解決策が打ち立てられ始めているが、取りこぼした臣民の数は紛れもなく存在している。それは技術的な問題というよりも、体制とか宗教とか、主義信条に関わる問題だった。人間に限らず、あらゆる生命はほうっておくと「戦いを望む」かの如く振る舞うものだから。

 しかし、そのことを──救えなかった者がいる事実を──アインズは後悔することは、ない。
 精神を鎮静化されるアンデッドだから、ではない。
 生命を作業的に殺すことに長じた“死の支配者(オーバーロード)”だから、でもない。
 アインズ・ウール・ゴウン魔導王として。後悔を(いだ)くことだけは、絶対に、ありえない。

『それはそれで酷いですよ? 自分が“救えなかった”人のことばかり考えて、“救ってあげられた”人のことを気にもかけないなんて』

 かつて、アインズは自らが救った少女に、そう諭されたことがある。

『できなかったことを覚えておくことも結構ですが、自分にできたことも、ちゃんと考えてくれないと、救われた方はたまりませんから』

 愛すべき妻──復活した『術師』──妃の一人として共に生きてくれる彼女の言葉に、アインズは今も、支えられ続けている。
 アルベドやシャルティア、アウラ、マーレ、コキュートス、デミウルゴス、セバス──パンドラズ・アクター、戦闘メイド(プレアデス)などをはじめとするナザリックのシモベたちの存在たちに加え、現地で出会った数えきれないほどの人々、復活を果たした少女(ニニャ)の仲間たち──この100年で経験した、多くの「出会い」と「別れ」によって、今のアインズは構築されていると言っても良い。

「質問があります」

 深いアインズの思考に、冷徹なほど硬い声の女騎士──カワウソという男の従者として、彼の隣に座す天使──ミカの音色が割り込んだ。
 女族長が受け答える。

「なんでしょう、ミカ殿?」
「遠慮されて当然の事という話ですが、セークの者のみを(ゆる)すということは、ヘズナの者には罪科はないと?」
「我等セークの犯せし罪は、反抗因子たる三部族を匿い、その逆心の芽を断てなかったことにあります。いかに幼子や女らを憐れんだが故と言っても、彼らの反逆を止め得なかった罪は重い。対してヘズナ家にはまったく咎めるべき余地などありませんでしたが、連帯責任として、ヘズナ家も含む飛竜騎兵の全部族が等級を下げられてしまった。故に、両家の遺恨というのは、今代にまで及ぶことになっているのです」

 魔導王に逆らった愚者たちに対し、一方(セーク)は助命を、一方(ヘズナ)は断罪をもたらした。
 まったく異なる道を選んだ両家ではあったが、それ故に、両者の認識や心情には複雑な誤差が生じ、双方共に埋めがたい確執を根付かせた。さらに50年前の小規模な反乱騒ぎによって、彼らはその責を問われる形で、臣民等級を下げられてしまった。巻き込まれた形になったヘズナにとってはたまった話ではなかった為、彼らの長老たちには明らかにセークの部族を恨みに思う者が多い。
 しかし、反乱はすでに過去の出来事。

「だからこそ。ウチのじじい共──ヘズナ家の長老衆は、此度の式典に『セークのみが参陣する』という条件について、意見が割れました。……セークこそが飛竜騎兵の代表と認識されはすまいか、セークが何か良からぬ企みを実行しはしないか、セークを監視する要員を派遣できないか、などなど…………だが、王陛下の決定こそが絶対だった」

 魔導王の決定は覆らない。
 ヘズナ家は、式典参加の栄誉を、大逆の徒という烙印を押されていたセークに譲り、その結果が……

「なので。今回のセークの失態、ヴェルの狂戦士化については、我等ヘズナの者には一切、知らせておりません。知っているのは、族長の自分と優秀な副官。この二人だけです」
「……は? それは、何故?」

 聞き逃せない情報だったようで、カワウソがウルヴの方へ顔を向ける。

「族長の自分がここへ……ヘズナの存在としては単体で出向いた理由でもありますが、今はこれ以上、両家の間に無用な騒乱の火種を散らせるべきではない。確執は取り除かれ、両家は手を取り合って、協力せねばならない。今回の一件は確実に、飛竜騎兵同士の闘争にまで事が発展しかねない。そしてそれは、偉大なる魔導王陛下の希求するものでは、ない」

 故に、彼は一族の誰も連れず知らせず、モモンたち一等冒険者という信頼に値する部外者たちに依頼した──ことになっている。

「自分と、ヴォル・セークの、(ちぎ)りのためにも」
「…………(ちぎ)り?」

 要領を掴めずに、黒い男が小首を傾げる。
 ウルヴは応じるように笑った。

「陛下曰く──『ヘズナとセークは、今こそひとつにならねばならない』──と。
 それが、我等二人の族長に対し、魔導王陛下が下した決定となっております」

 今こそ、飛竜騎兵たちがひとつとなるべき最高のタイミングだと、アインズは理解した。
 100年前は、血で血を洗うかのような闘争を続け、飽くなき戦乱と領地奪掠を繰り返していた飛竜騎兵たちは、魔導国の幕下に加えられ、その血脈を統一する事業を推し進められつつも、諸部族の伝統や技術を失わせず、巧みに統合と投合を果たしてきた。残存した六部族は二大部族のもとに統治され、互いに競い合う良き好敵手(ライバル)として向上と発展を遂げさせてきたが、“そろそろ”という時節を迎えたと知れた。
 今までは不可能だった、長い年月をかけて講じられてきた飛竜騎兵部族間の“完全和平”。
 その象徴こそが、この“二人の族長たち”と言えるだろう。
 故に。

「ウルヴ・ヘズナとヴォル・セーク……両部族の長は、魔導王陛下の祝福を受けて── 夫婦の契りを ──両部族の新たな関係を確立することが決められているのです」
「夫婦の、契り……」

 驚愕する堕天使プレイヤーは、自分が協力する部族の女族長を見やった。
 ヴォルは冷たくも静かな苦笑で、告げられた内容を肯定する。
 カワウソは数秒ほど口を開け、

「それは────おめでとう、ございます?」

 アインズは、思わず吹き出しかけた。
 受肉化による人間としての体の内から、生じる本物の吐息が心地よく肺をくすぐり、喉を滑る。驚く周囲に「失礼しました」と謝辞を送りつつ、息を整える。目の前の男が見せた純粋な驚愕の表情に、新鮮な共感を覚えてならない。
 (カワウソ)の見せた日本人らしい挨拶が、少しばかり場を和ませたようにさえ錯覚した。

「失礼ながら」そこへ、透徹とした女天使の声が。「それはお二人のご意思ですか?」

「いえ。陛下の決定です」
「でなければ、相対する部族長同士での婚姻など、ありえませんから」

 ウルヴとヴォルの主張に、ミカは些か不満げに肩を落としつつ、「……そうですか」とだけ応える。
 カワウソの従者的な──翼を鎧に纏ったような女天使は、二人の在り方をどう思ったのか、もはや興味なさそうに視線を落とすのみ。

「なので。今は部族間での抗争に発展しそうな情報は不要なもの。両家の確執を理由に、国内で争乱を繰り広げてはならない」
「だからこそ、ヴェルのこのタイミングでの暴走は、時期的には“最悪”のものと言っても良かった」
「……ということは、流れとしては、セーク部族とヘズナ部族の関係を壊したい何者かが、ヴェルを暴走させた可能性が?」

「高い」と二人の族長は同時に頷いた。
 頷かれたカワウソは唸り声を口内に留めるように、唇の前で指を組んだ。

「……本当に、ヴェルが意図的に、自発的に暴走した可能性はないんだな?」

 疑念された少女の姉が、少し、僅かだが、表情を険しくする。
 なるほど、やはりカワウソというプレイヤーは、馬鹿ではない。
 彼の疑念は非情な追求に思われるだろうが、容疑者としてはヴェル本人が両家の婚姻に反対する可能性も捨てきれないのだ。何より、彼女はセーク族長の妹。姉がヘズナ家と結ばれることに、何か悪い感情を懐くことも、なくはないだろう。
 だが、疑われたヴェルの姉はその可能性をまっすぐに切り捨てる。

「ありえません。何より、私の妹は──その」

 珍しく、明朗極まる女族長の言葉尻がしぼんだ。
 その後を継ぐように、彼女の未来の夫たる者が口を開く。

「それは、ヘズナの族長としても『ない』と、判断できます」ウルヴが率直な意見を述べる。「ヴェル・セークが暴走することは、必然的に彼女自身を危険の只中にさらすということ。いくら“大好きな姉”の嫁入りが気に喰わないと仮定しましても、それならばもっと別の方法があるはず。ありえそうなのは、ヘズナの者らを誘導して、魔導国で事件を起こすなどでしょうか? 彼女がそんなことをするとは思えませんがね。
 いずれにせよ。自分自身をアンデッドの兵団に突っ込ませ、魔導国を相手に反抗的な行為をなせば、姉や仲間に対し、迷惑以上の危難を呼び込むことぐらい彼女ならば理解するはずかと」
「まぁ、……それもそうか」

 ウルヴの正論に、カワウソは納得しつつも、まだ喉元に何かが引っかかっているような調子で首をひねった。
 そんな主の代弁役とでも言うべき調子で、傍らの女天使が疑わしそうな視線を投げて、口を挟む。

「失礼ながら。
 ヘズナ族長は、ヴェル・セークの志操を熟知されているのですか?」
「え? ……そう、見えます?」
「仲がよろしいのでしょうか?」
「それは──どうでしょうね?」

 あやふやに微笑み黒に近い紫の髪をかくウルヴに対し、ミカは深く追求するでもなく了承の声を短く吐いて、己の主を見やる。

「……とりあえず。飛竜騎兵同士の混乱を望む手合いを調査するって方向でよろしい、のかな?」

 ミカの視線に応じるべくカワウソがまとめた結論に、全員が納得の吐息を漏らした。

「モモンさんたちも、それで構いませんか?」

 義理堅く(たず)ねてくれるカワウソに、アインズは隣に座って黙りこくっていた童女を見る。
 そうしてから改めて彼を見ながら、頷いた。

「ええ。それで構いませんよ、カワウソさん」

 種をまいておいた作物を収穫するような気安さで、アインズは今回の事件の要となる者たちを見やる。

 飛竜騎兵の事件に巻き込まれた堕天使プレイヤー、カワウソ。
 そのプレイヤーの従者の如く行動し続ける女天使、ミカ。
 そして、セークとヘズナの族長が、二人。セーク族の護衛たち四人。
 放浪者として臨席した、マルコ。
 全員が承知の意思を示す。

 はてさて、どうなることやら。
 ここには──正確には、飛竜騎兵の部族の中には──デミウルゴスあたりが前から何かしら仕込んでいるという話だったが、やっぱり詳細を聞いておくべきだったか。いつものように「アインズ様には説明の要もないでしょう」という感じで微笑まれては、説明してほしいですなんて言えないからな。実際、これまでもそれでどうにかなってきているのだから、デミウルゴスの采配には信頼が置ける。専属の強力な護衛役とか何かがいるのかも。低レベルの隠形モンスターでは、カワウソたちに感知されて役に立たないだろうし。

 まぁ……なんとかなるだろう。
 協議の終結を告げるように、アインズは決定された基本方針に則した行動計画を定めたいと声をあげた。

「とすると、この後はどうしましょうか?」
「飛竜騎兵の、下の街で聞き込みでもするのか?」

 領地内に点在する集落に赴く案をカワウソは具申するが、すぐさま女天使に否決される。

「カワウソ様。一連の事件は秘匿されている以上、それは愚策だと思考できますが?」

 NPCだろう女天使の冷淡な異議に、アインズは純粋に「へぇ」と呟きかける。
 これは驚きだ。
 自分の主人であるはずのユグドラシルプレイヤーに対し、女天使は厳然とした言葉でもって応じることができるというのは、初期段階のアインズたちナザリックのシモベたちにはあまり見られない傾向だ。無論、アインズの思想と行動に、アルベドたちが唯々諾々と追従しているだけということはない。彼女たちも時には、主人であるアインズの意見に反対し反論し、正当な理をもって応じることは出来る。この100年で、そういった姿勢は顕著な成長として受け入れられるべきものとして認められ、実際アインズ自身も、彼らの判断に救われる場面は多かった。

「ああ。そうか。だとすると、街に下りて調査というのは、ナシか?」
「あたりまえであります。まずは現場に、式典演習に赴いた飛竜騎兵らの、セーク族の精鋭という一番騎兵隊の者への聴取が重要かと。次に、両部族内で不穏な行動を取った存在の有無、その確認が急務です」
「だよなぁ──」

 しかし、目の前のプレイヤーとNPCは、既にそういう関係を、転移してより僅か三日の間で獲得したかのように、互いの意見を交換できている。
 これはどういうなりゆきで獲得できた関係なのか。
 女天使が遠慮も呵責もなく主人と話している姿は、歴戦の絆を感じさせるほどに頼りがいのあるものがあり、かつてのアインズが経験したようなNPCたちのありえないような高評価っぷりとはまったく異質な、一定以上の距離感さえ感じ取れる。……多少、毒舌すぎるように思えたが。
 創造者(プレイヤー)被造物(NPC)ではなく、対等な仲間じみた、そんな印象さえ彼と彼女のやりとりの中に、感じざるを得ない。ミカの見た目──天使の輪を浮かべる姿の異形種が、美しい人間の乙女の出で立ちでいる以上、ミカは完全にNPCでしかないはずなのに。彼をまがりなりにも「様」と呼んで憚らない姿勢も、その論理を補強していた。ミカという存在は、プレイヤーではありえない。
 やはり、遠くから眺めるだけでは得られない情報は多かったのだなと痛感させられる。ここへ直接赴いたことで、彼らをより理解する機会に恵まれた。
 カワウソとミカ──二人の会話は続く。

「第一、我等が自由に行動できるのは、この邸内のみとセーク族長より仰せつかっていることを、お忘れなく」
「せっかくだったら、街に行ってみたかったんだけどな……やっぱ無理か」
「──無理とは、限りませんよ?」

 肩を落として落胆の仕草を見せる堕天使に、冒険者モモンは気安く応じる。

「私にお任せを。一等冒険者として、そういったことを可能にするアイテムもありますので。ただ……」

 全員が一人の女性に視線を注ぐ。
 この領地を治める女族長の許可を仰がねばならないのだ。
 ヴォルは委細承知したように頷き、モモンとカワウソの試みに賛同の意を示した。

「では、……モモン殿。私たちが案内を」
「いえ。セーク族長には、出来れば……」

 アインズは魔導王としての強権ではなく、冒険者モモンとしての提案を、女族長に対し希求する。
 求められた内容を熟考する族長は、ふと対面に位置する敵部族の長、婚約相手の青年を見やる。彼は反駁(はんばく)するでもなく、頷きを返して応えた。

「承知しました。早速、準備を整えておきます。その間だけ、皆様方は里へ」
「ありがとうございます」

 モモンの表情を大いに微笑ませながら、アインズは感謝の言葉を紡いだ。




 








独自設定
飛竜騎兵の部族・簡易年表

100年前
 魔導国樹立。バハルス帝国が属国化するなど、諸国は魔導国の勢力圏に呑み込まれる。その途上にあった飛竜騎兵の九部族に、魔導国が接触。降伏勧告を送るも、三部族がこれを拒否。
 九部族中、三部族が壊滅。残った六部族の内、真っ先に臣従の意を示していたセークとヘズナが二大部族として存続を許され、飛竜騎兵の統合統治を連名で任じられる。
50年前
 壊滅した三部族を多数匿っていたセーク部族の領地内にて、三部族の生き残りが反乱。軍により鎮圧。
 その責を負う形で、飛竜騎兵全部族は四等臣民にまで等級を落とす。
10年前
 大陸極東で勃発した反乱因子を鎮定するべく、飛竜騎兵らが戦役に参加。
 当時の族長たち(ヴェルたちの父母)をはじめ、多くの飛竜騎兵が犠牲となることで魔導国への忠誠を示し、臣民等級を三等に回復。
現在
 飛竜騎兵内に蔓延する確執を取り除くべく、セーク族を赦す名目で魔導王主催の祝賀行事の兵団に参加することが(三等臣民でありながらも)決まる。同時に、セーク家とヘズナ家の「婚姻」が結ばれることで、飛竜騎兵部族の”完全和平”が成し遂げられる──はずだった。


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/Wyvern Rider …vol.6





 ×





 カワウソとモモン一行を里に見送った女族長は、領地内で最も高い族長邸に戻り、ヘズナの族長と個人的な会談の場を設ける。

「では、族長。あとはお任せを」
「ええ。ありがとう、ヴェスト」

 モモンに要請されたことをなすべく、一通りの準備は済んだ。あとはヴェストが差配を整えてくれる。年老いた世話役の騎兵が辞していくのを、ヴォル・セークは柔らかな笑みで見送る。

「俺もこの後で帰ったら、ヘズナの方で可能な限り情報を収集してくる」
「ええ、お願いします」

 まがりなりにも国家に認められた婚約者という(てい)でいる彼を無下(むげ)に扱っては、いろいろとマズいことになる──以上に、ヴォルはウルヴと話がしたくてたまらなかった(・・・・・・・)

「にしても、良かったのか? 彼らを行かせて?」
「致し方ありません。些少の不安は残りますが、一等冒険者殿の力添えがあれば、問題も少ないでしょう」

 慣れたように女族長の態度で返答してしまい、少しだけ彼に苦笑をこぼさせてしまう。

「今は誰もいないのだから、普通に話したらどうだ?」
「……ふぅ──それもそうね。あーあ、つっかれったぁ~!」

 文字通り肩肘を張っていた女族長は、それまでの丁寧で社交的で柔らかな物腰を、かなぐり捨て去った。
 セークの部族を預かる女族長としての面は、ここでは不要。
 ヴォルはまったく普段通りのくつろいだ感じで、さして広くない──それでもこの領地では指折りの邸内にあるダイニングスペースで、無作法にもソファに寝転がってしまう。朝食や協議の時の様子を借りてきた猫のようだと評するならば、今の姿は路地裏を王者の如く我が物顔でふてぶてしく生き抜く野良猫のごとし。本当に肩が凝っているようで、オフショルダーの露出した肩を盛大に揉みほぐしつつ、自分の部屋の菓子類に指を伸ばす。ケーキと呼ばれる甘い菓子をフォークも使わずにガブリと噛み千切って咀嚼した姿は、朝食時の淑女然としたマナーからは程遠い。ウルヴという男性……婚約者の目にも構う様子も見せずに、ヴォルは傍若無人を地で行っていた。
 事実、この領地内で並び立つ者はほとんどいない女族長として立派に務めを果たす彼女は、セーク部族に君臨する女帝とも言えた。豊満な肢体に怜悧な美貌が、その度合いを高めているように見えるのは、(たが)えようのない事実である。
 この部屋だけでしか……より言えば、気を許した相手以外には絶対に見せることのない、ヴォル個人としての姿に驚くでもなく、ウルヴは女の座るソファの対面──ではなく、彼女の隣に許可もなく着席する。が、ヴォルは特に気にするでもなく、彼との“個人的な会談”を始めた。

「で。何者なんだ。あのカワウソと名乗る──人間?」
「そんなの知らないわよ。コッチが訊きたいくらい!」
「……ちょっと機嫌悪い?」
「ええ……もう、最悪よ!」

 ヴォルは寝転がったまま両手を降参する形に掲げ、怜悧な顔を悲痛に歪めた。
 最悪の中の最悪だ。
 何もかもが悪い方向に転がっているようで、しかも、どうやって止めればよいのか、まるで想像できない。
 飛竜騎兵・セーク部族の式典参加を一時的に撤回された。演習で暴れたヴォルの妹、その暴走原因の解明(場合によっては処刑)のみが、その状況を修復し得る唯一の手段。
 それら部族の存続問題“以上”に、ヴォル・セークが最悪と評して余りある事態。

 ──ヴェルが狂戦士であること。
 ──その情報は限られた者しか知ってはならないこと。

 それを、あの部外者……カワウソとかいう名のおかしな連中に知られてしまった。
 事実、里に送り出す直前、それとなく探られたのだ。『ヴェルのことで疑問がある』という感じで。
 その時はとりあえず『詳しくはあとでお話させていただきます』などと言って誤魔化したが、話したところで何になるというのだろうか。
 一族の中で、族長の妹・ヴェルが狂戦士である事実を知るものは限られている。姉として彼女を育てた自分(ヴォル)(やしき)で共同生活を送る一番騎兵隊の皆。彼女の出生に関わった長老たち。そして、対の部族であるヘズナの狂戦士にして、現当主──ヴォルの婚約者であるウルヴ・ヘズナ。これに故人も含めると、前族長であるヴォルたちの父母や、名付け親の先代巫女(ヴォルの師匠でもある)、“旧”一番騎兵隊の皆も数えられるが、いずれも10年前に「名誉の戦死」を遂げており、その名は慰霊地の墓碑に刻まれている。
 今現在、生きている飛竜騎兵数万人の中で、この秘密を知っている者は、たったの十数人だけだ。
 それ以外の一族の者には、たとえ同門同族であろうとも、彼女が飛竜騎兵の中で誕生する希少な存在である事実は巧妙に、長い間に渡って隠匿され続けた。
 彼女が生まれてから現在に至るまでの20年もの歳月を掛けて、この事実は隠蔽されてきた。
 だというのに、カワウソたちには、知られてしまった。
 ハラルドたちが口を滑らせたのも無理からぬことだと、ヴォルは了解している。狂戦士たる妹を救った、異様な戦士。ほぼ単騎でセーク部族の誇る一番騎兵隊を完封した手腕。保持する様々なアイテムの存在を思えば、彼が魔導国の中枢に近いだろう大人物だと容易に推測されてしかるべきだ。そんな人物を相手に虚偽を吐き続けることは、ただでさえ危うい一族の存続が、さらなる危難の色に染められるものと理解できる。実際のところ、まだ素性は定かではないのは、それだけ彼が魔導国の深部に関わる存在──噂に聞く親衛隊か、さもなくば極秘部隊……隠密・諜報・秘密工作などを司る危機管理部門の一員──として、今この場に派遣された特殊な“影”である可能性を、容易に想起されて然るべきもの。
 正当な手続きで依頼さえすれば口を噤んでくれる冒険者であれば良かったが、どうにも、そうはいかない雰囲気しか感じられなかった。
 
「……率先して情報をバラす人物じゃなさそうなのが、まだ救いかしら?」

 しかし、それもどこまで信頼が置けるか、定かではない。
 バラされたら困る情報だと気づかれたら、さて、どうなるだろう。
 複雑に考え過ぎだろうか。しかし、万が一ということも。
 (いな)。否。否だ。奴は何か気づいている。気づいているから、確かめようとしているのだ。
 ならば、いっそのこと──などと思い詰める女族長の脳内に、心配そうに見つめてくる男の声が()み込んだ。

「なぁ、ヴォルよ……。このあたりが(しお)じゃないか? ヴェルが狂戦士である事実は、どうあっても(くつがえ)らない。今は亡き前族長や巫女殿をはじめ、全員で隠しておきたい気持ちはわかるが、これ以上は無駄な抵抗でしかないと思うが?」
「……嫌よ。絶対、いや!」

 ヴォルは体を起こし、頭を振った。男に向けて、小さな子供がするように、いやいやと駄々をこねているようだ。実際、その通りなのかもしれない。
 いくら彼の、ウルヴからの提案だろうと、それだけは。
 彼が唇に紡ぐ真実に、彼女は必死に目を背ける。背けずにはいられない。

「……どうして、あの子なの? どうして──どうして、私じゃなくて、あの子が!」

 二の腕を抱いて悲嘆に喘いだ。
 喉が凍ったような声音が、女族長の広い私室に響く。

「わかっていると思うが、そういうところは絶対に、誰にも見せるなよ……おまえは族長なんだからな?」
「判っているわよ、それぐらい!」

 どこまでも模範的で規範的な男の態度が気に喰わなくて、頬を軽くつねってしまう。見るものが見ればあまりにも子供じみた反抗心であり、仮にも未だに道を違える部族の長同士が見せていいような軽妙な仕草ではなかった。だが、一部族の長たる偉丈夫は、そんな女の軽挙を(たしな)めつつも、本気で不興不愉快を感じていない面持ちで微笑むだけ。

「……そもそも、ウルヴが自分のことをありったけ喋るから!」
「って、言ってもなぁ。俺は、嘘をつかないのが信条だし?」
「……どの口がそれを言うわけ?」

 怒る女を、怒られる男は抱き締めるような声音で包み込む。
 昔からそうだ。彼は見た目の豪胆さとは裏腹に、とんでもなく理知的で聡明な賢者だった。だというのに、二人きりだと冗談や軽口を平気で叩き、嘘も虚言も得意ときてる。一族を治める者として、彼は必要なものをすべて持っていると言ってよい。
 おまけにおまけにと、ひっきりなしに嫉妬心が湧き起こりそうになるのを、ヴォルは自制する。
 今は他に優先すべきことがあるのだ。

「早く、どうにかしないと」

 手遅れになる前に。





 ×





「これが、飛竜騎兵の街か」
「──のようでありますね」

 カワウソとミカは、族長邸の下にある街……彼らの言うところの“里”を散策している。
 里は、昨日訪れた魔法都市(カッツェ)に比べて、明らかに見劣りする。
 だが──悪い街では、ない。
 そこここに軒を連ねる木造家屋。洞窟を削りだしたような住居。都市にあったような水晶のような硝子構造というものは、せいぜい小窓程度の規模でしか見受けられない。住居構造もせいぜい二階建てぐらいが限界らしいが、飛竜たちが翼を広げ浮き上がるのに支障がないほど道は広く、舗装も行き届いている。
 それらが段々畑のような階層を築き乱立しつつ、下へ下へと街を広げていっている。坂の上の街という印象が強い。巨大な直立する柱のような奇岩に居を構える人々の家は飛竜も入れるほど間口を広く開けられており、鍵付きの扉といった境界を仕切る装置はないのが特徴的だ。相棒となる飛竜の出入りの簡便さを考えて開放されているようである。
 普通の住居をはじめ、商店や飲食店、鍛冶場や武器屋、中には小動物──豚や鶏の家畜小屋などもあって、多種多様な暮らしぶりが窺い知れる。断崖の上にある広い場所では、ヴェル・セークなみに幼そうな外見の飛竜騎兵が騎乗訓練に励み、教官の男の一喝と共に、自分の相棒である飛竜と直下の雲海へ向けて滑空飛行を披露、さらに下の場所に設けられた広場へと順次着地していく。上手く降下できない生徒は、教官の他に見守っているアンデッドの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)一体が補助に入る感じで、怪我人らしい怪我人もなかった。

「みんな、いい顔をしている」
「──のようでありますね」

 背後に付き従うミカの声を聞く。
 カワウソやミカ、マルコ、ハラルド、モモンとエルの一行は、誰に気を使うでもなく、里を進む。
 里には都市ほどではないが、人々の活気で賑わっていた。
 人以外に飛竜(ワイバーン)というモンスターが共に生活していることを考えても、その賑わいには独自の香りが漂っていた。ここが大陸内でもごく稀な高所に存在しているということで空気が濃いという事実もそうだろうが、やはり飛竜というモンスターと共存している人々の街だからだと確信させる。
 老若男女を問わず、人々は己の“相棒”たる飛竜と共に生活し、よく注意してみれば、歩き立ての幼児ですら、幼い飛竜と戯れている姿が、どこか安穏とした牧歌的な雰囲気を滲ませている。
 ふと、カワウソはさらなる眼下の光景に目を奪われる。

「あれは、農地か」
「種蒔きされているのは、この奇岩地帯でしか育たぬ高地用の小麦です」

 族長に代わり、直轄地の案内役に任命されたハラルドが、快く説明してくれる。
 カワウソが立ち止まった先から見下ろした段々畑には、土壌を耕すべく重量(すき)を繋いだ飛竜が往復し、さらにそこへ調整を加えて十分柔らかくなった耕作地に、農夫姿の人々が種を蒔く。

「魔導国に編入される以前は、休耕地を設けねばならなかった飛竜騎兵の農法ですが、森祭司(ドルイド)の魔法やアンデッドの労働能力のおかげで、年中休むことなく農作物の栽培と収穫が可能。魔導国の他の生産都市に比べれば、まるで足元にも及ばぬ収穫量ですがね」

 種蒔きをしている最中の畑があるのに、さらに下の畑では黄金の麦穂を風にそよがせる光景があった。
 そこでは農作物の収穫を教え込まれた骸骨(スケルトン)らの振るう鎌により、高地用麦が大量に刈り取られている。種蒔きから収穫までの行程が、同じ土地で同時並行されているというのは、100年前は考えられない光景だが、魔導国の力がそんな不可能を可能にしていた。魔法による農地回復や局所的気候操作、重労働を担うアンデッドの恩恵から増大した生産能力は、100年前の比ではない。
 骸骨(スケルトン)たちは農夫の指示に的確に応じ、畑に落ちた麦穂の一粒までをも回収される。小鳥たちがご相伴に与るがごとく畑の表面を(ついば)んでいるが、それに骸骨らは構うことはない。たかが小鳥とはいえ、彼ら生きた生命体の存在も、農耕を営む上では重要な役割を担っている。それを考えれば、落ちた麦穂を食べるくらい、許容されて当然の報酬である。小鳥すらもが、アインズ・ウール・ゴウン魔導王の所有物なのだ。

「やばいな……」

 カワウソは誰に聞かせるでもなく呟く。
 アンデッドというモンスターが、まさかここまで有用な存在に成り果てるなど、数日前まで……ユグドラシルが終了する日以前は、考えもしなかった。
 ユグドラシルにおけるアンデッドモンスターは凶悪で狂暴、生ある者すべてを嫉妬し、敵と見定めた何もかもを蹂躙する、ただそれだけの行動原理でのみ戦い続ける存在。そういうゲーム設定だった。
 それが、飛竜騎兵の農夫の指示に従い、木陰で休む飛竜(ワイバーン)の傍らで、頭蓋の上に小鳥を乗せて平然としている。

「カワウソさんは、農業用アンデッドを見るのは初めてですか?」
「ああ、いやその……」

 気持ちよく笑みを浮かべて訊ねる壮年の男性に、カワウソは一応応じてみせるが、彼の「モモン」という名前には実を言うと、微妙に抵抗があった。自分がかつて攻略せんと挑み続けたギルドの長の名前に似ているという事実が、カワウソの意識に引っかかってしようがない。
 だが、似ているというだけで無下に扱うのは礼を失する。
 魔法都市でも似たような名前のナーガっぽい少年がいたことを考えれば、この国、この異世界ではポピュラーな名付けだと理解できる。深く考えても悪くなるばかりだ。似ている名前と言うだけでいちいち気に病んでいては、これから先が思いやられてならないというもの。

「この、飛竜騎兵の里というのは、はじめて訪れたので」

 田園を眺めながら曖昧に返答するしかない自分が情けなくなるが、仕方がない。
 冒険者のモモンやエル、ハラルドの前でボロは出せない。魔導国の民ではないカワウソが知らないことは無数にあるが、この大陸に存在しながら、この大陸唯一の国のことを知らないとあっては、いろいろとがマズい。いっそ記憶喪失だとでも言ってしまおうかとも考えたものだが、カワウソに随従するミカがいる以上、そんな場当たり的な策は意味がない。

「なるほど。確かにこの地は、滅多なものでは足を踏み入れられませんからね」

 飛竜騎兵の領地は、直立奇岩の柱のように垂直な崖の上に築かれた里からなる。
 普通に街道を通って訪れる、ということは出来ず、普通に崖を上り下りするのにも様々な弊害があるため、基本的にこの地へは飛竜騎兵によって連れ込まれるか、〈飛行〉や〈転移〉などの魔法を扱えることが大前提となる。だからこそ、100年前までの彼らは長い間、この奇岩地帯で覇を唱えることができたという。
 カワウソらは農夫や飛竜、農業用アンデッドと称される骸骨(スケルトン)を横目にしつつ農地を抜ける。さらに下の広い街へ。
 九十九折(つづらおり)になっている坂や階段を下りる冒険者たちと共に、カワウソはハラルドから──時には一等冒険者として情報通らしいモモンからも──色々と飛竜騎兵に関する情報を教授される。







 飛竜騎兵の中で、特にセーク族は、幼い容姿の者──比較的小さな外見の者が多い。誰もかれもが“十代後半”じみた若々しい姿なのに、そのほとんどは“二十代半ば”。上の年齢だと“三十代後半”のものまで存在している。

 これは、セーク族が“速度”に長じた一族であったことが大いに関係している。

 飛竜の中でも小型であるが故に、敏捷性と加速性に富んだセークの乗騎たる軽量種の飛竜たちは、反面、あまり重い騎乗兵を乗せることを好まない──以上に、不可能であるのだ。
 数多く存在した九つの部族の内、セークの部族は軽量種の飛竜と共に“速度”を追求し続けた結果、自然淘汰的に小さな見た目の騎乗兵──「空気抵抗が少なく、空中戦闘を行う上で重荷にならない“軽い体重の者”ばかり」──が生き残り続けた結果、ヴェルのように20歳の成人なのに、十代前半にしか見えないという個体が標準(スタンダード)化していったと言われている。
 故に、セーク族の飛竜騎兵の中でも実年齢の割に若い見た目でいる個体というのは、高い確率で強い飛竜騎兵の強さを備えている傾向にあるのだ。

 ちなみに、セーク族の正式装備である鎧姿が露出過剰な──腹部などを大きく晒した造形であることについても、ひとえに騎乗する騎兵の重量を少しでも軽減させるための措置に過ぎない。魔法の鎧などであれば重量軽減などの恩恵も授かれる今の魔導国であるが、飛竜騎兵の三等臣民階級には容易に与えられるものではない上、魔法的技術なども公開許諾が下りない(それ以前の時代から彼等が保有している魔法技術については対象外だが)。セーク族は突撃戦闘などにおいて、最低限防御する必要がある部分を護るための金属鎧で身を護ることが常態となっているのだ。敵に先んじる“速度”こそが、彼らの必勝戦略であるが故に。
 一説には、セーク族の始祖たる女は、鎧さえ身に着けず、ぴっちりとした薄布に包まれた身ひとつで、握る二本の(ランス)の穂先で己の相棒と共に魔竜の群れを狩っていたとも言われているが、これは神話の──つまり架空の話と見做されている。

 逆に言えば、ヴェルの姉である現族長ヴォル・セークなどの、年齢通りに完熟し成長しきった大人の姿でいる個体はかなり珍しい(神話の始祖と同じと言われているが、定かではない)。部族内で比較的空気抵抗の多い体格+重い体重で、まがりなりにも一族の代表たる長の地位についているのは、彼女を相棒に選んだ雌飛竜──名は、アラクネ──の力量と、ヴォル個人のたゆまぬ努力の賜物と言ってよい。他の例だとハラルド・ホールも見た目は完全に戦士のように成長しきっているのも、純粋なセーク族にはない特徴である。彼は他の部族の血が強く発現しているようだった。
 魔導国創立以前ではありえないような族長やセークの飛竜騎兵の姿は、これもひとえにセーク家が魔導国に(くだ)る際に、セーク族がヘズナ家と共に、生き残った諸部族を吸収・統治し、様々な血の交雑を果たしたが故とも言われているが、まだ100年程度の経過報告でしかないので今後も要研究と定められている。
 無論、これが対となるヘズナ部族──重量種の飛竜と共に“防御”に徹した戦闘能力を探求し続けた者たちは、ほぼ真逆の進化過程を経ることになる。







 里の中で一番広い街に下りたカワウソたち一行は、魔導国最高と謳われる小鬼亭(ゴブリンてい)──バレアレ商会が営む“小鬼(ゴブリン)の護り亭”の、街の中では最高の規模を誇る食事処(レストラン)で一休みする。広い坪面積の店内は広く、木の内装を照らす永続光が明るく灯っていた。ここでの勘定については、セークの誇る一番騎兵隊隊長の少年が喜んで引き受けてくれた。セークの地に招いた客人方に支払わせては、末代までの恥となるらしい。どこまでも武人気質な少年である。

「マキャティア三つに、コーヒーとアイス・カフェラテがひとつずつですね」

 少々お待ちくださいと離れた従業員の女性も、勿論飛竜騎兵のようだった。ヴェルやハラルドと同じ紫系色の髪を背に流す女性は十代前半かそこいらの外見だが、彼女はここに勤めて十年になるベテランだと、同じ部族の案内役が説明してくれた。
 オーダーは飲み物ばかりということですぐに運ばれてきた。
 カワウソはウェイトレスに差し出されたブラックコーヒーを口に含みつつ(ミカは相変わらず飲み物は固辞した)、注意深く視線を巡らせる。マルコやエル、モモンはマキャティアという飲み物を注文しており、その聞き慣れない飲み物は、ハラルドの前に置かれたカフェラテに似た色と香りだった。この世界独自の飲み物の味は興味があったが、カワウソは自分の拠点内でも提供可能なコーヒーと、この世界のコーヒーが同じかを実験する方を優先させた。結果として、この世界のコーヒーは拠点のものと同じコーヒーのようだ。これはアインズ・ウール・ゴウンが普及した結果なのだろうか。それとも、それ以前からのものか。
 一服して落ち着いたところで、カワウソはとりあえず話をしようと口火を切った。

「いや申し訳ない、モモンさん。自分の我儘に、付き合わせるみたいになって」
「構いませんよ。街におりて、不穏な兆候がないかどうかを探ることも、冒険者としては重要な役目です。公的機関には開示できないような事情を市民が抱えていて、それを隠匿している可能性も、なくはないのですから」

 その言葉は、聞く者によっては『セーク部族の市民が、不穏な企みを図っていないか調べる』という意が含まれていると理解できるニュアンスだが、誰も気にしなかった。一等冒険者という、国家の枢要に近い──魔導王肝いりの存在を相手に抗弁する勇気や興味を持った者がいなかったのである。
 席の対面、通りに面した硝子窓を背にするモモンの理解力に、カワウソは本当に頭が下がる。
 興味本位で街におりただけだったのだが、彼のような一等冒険者になると、しっかりとした事情が付属するようだと知れた。伊達(だて)に、大陸唯一の一等冒険者をやっているわけではないようである。

「しかし、本当にすごいですね。この指輪(アイテム)
「いえ。これは特別に、魔導王陛下より下賜された品ですので」

 カワウソは右手を見る。
 注文を取った従業員の女性は勿論、他のテーブルについて談笑する人々もまた、カワウソたちの特異な身なりを気にすることはなく、大陸唯一の一等冒険者として有名人である“黒白”のモモンやエルを前にしても、その存在を認知していないかのごとく、まったく意識の対象として見てこない。せいぜい目があえば会釈したり、通りがかりに挨拶されるぐらいのことしか起きていない。この世界の新聞や雑誌が読めないカワウソでも、他の客が読みふける一面や表紙ぐらいは見て取れる。一等冒険者の顔写真が堂々と飾っている様子が、デカデカと掲載されているのだ(魔導国では印刷技術が普及しているらしいことは、魔法都市やセークの領地を行き交う間にも発見した“書店”などの存在から確認済みである)。
 にも関わらず、誰も一等冒険者モモンたちを取り囲み、握手やサインを願う列は構築される気配を見せなかった。
 タネは、モモンが用意してくれた装備にある。
 カワウソの神器級装備のひとつであるマント(タルンカッペ)の不可知化を使えば、人目につかずに移動はできる。だが、そうするとハラルドやモモン達までもがカワウソの存在を認識できなくなる。この装備の有効範囲員数は、装備者の自分を含む二人のみ。穏便に、隠密裏に、モモンたちと行動を共にしつつ、飛竜騎兵の少年隊長に案内を頼むには、別の手段を講じなくてはならなかった。

 それが、冒険者モモンが所持していた“認識阻害”の指輪である。

 同じ効能のものだと首飾り(ネックレス)腕輪(ブレスレット)があるらしい装備は、身に着けている者の正体を、群衆などの大多数の存在から隠すのにうってつけなアイテムであった。ただの〈不可視化〉や〈不可知化〉とは違い、これならば物理的に人々の視界から消えることなく、人々の営みに紛れ込むことができる。人を呼び止めて聞き込みを行ったり、食事のオーダーをとってもらったりということも容易になるのだ。今、この場に座っているのは魔導国の一等冒険者モモンや、見慣れない装備を身に着ける連中、さらにはそんな妖しい集団を引率するセーク族の最頂点に位置する族長(ヴォル)の懐剣として周知された一番騎兵隊のハラルド隊長ではなく、ただの一般飛竜騎兵の寄り合いか何か程度にしか思われていないらしい。これは同一装備を着用している者らでなければ、看破することも難しい位階にあるという。まさに、平常時の市井(しせい)の状態を確かめるのに、これほど適確な効力を発揮する装備はないだろう。
 すでにはめていた指輪をひとつボックスに収納する労はあったが、ギルドの指輪を外でずっと身に着けていても意味はない。空いた右手の人差し指に改めてはめ込んだ指輪の宝石は、オパールのように艶めく白水晶が輝いている。サイズについては魔法の指輪なので問題なく装備できた。
 ただ。ミカはこの装備を受け取ることはなく、自分の装備による隠形で間に合わせている(カワウソは装備のおかげで、彼女の隠形を突破可能だった)。ミカがハラルドの奢りを固辞したのは、この場には六人ではなく、五人しかいないとしか見られていなかった影響もある。女天使が装備を変更するのを拒絶したというのもそうだが、モモンが用意している指輪は五人分で、ここにいる六人全員には行き渡らないと判明した時点で、彼女は指輪を受け取らない選択を取ってくれた結果でしかない。
 六人掛けの席を占領し、エル、モモン、マルコが窓際奥のソファ席に。ミカ(隠形中)、カワウソ、ハラルドが手前の椅子に着席している構図である。

「本当に──魔導王陛下は偉大でありますな! こんな装備があったなどと、三等の自分には想像もつきませんでしたよ!」
「このことはどうか内密にお願いしますよ、ハラルド隊長」

 憧れの英雄(ヒーロー)を見るような眼差しで、ハラルドは大きく首肯した。
 そんな少年に応える英雄は、真正面に座すカワウソをしっかり見つめる。

「カワウソさんは街に、この里に下りてみて、どうでしたか?」
「そうですね。とても良いところだと思います。街も、人も、どこを見てもおかしなところはない」

 アインズ・ウール・ゴウン魔導国の施政が、隅々まで行き渡っていることを証明するようだ。
 自らを三等臣民と卑下する調子さえ見えた族長らとの対話から感じられた雰囲気とは程遠い。
 街にいる人々は、真実幸福を謳歌しているようにしか見えない。

「三等臣民とは言え、完全に幸福なものということはないようですよ」モモンは(うそぶ)くように告げた。「三等臣民は、様々な義務の他にも、各種制約や制限が施されている。幸福追求の権利は保障されているが、それだって様々な前提条件をクリアすることを第一条件としている」

 中でも今回の一件に関わるだろう問題は、三等臣民は魔導王の兵団には、原則として正規編入されえないという事実を、モモンは語ってくれた。
 ハラルドは言い募る。

「ですが、魔導王陛下の特選枠として式典への参列が認められた──部族の皆は、それはもう喜びに湧きたったものです。ヘズナ家との婚礼により、長らく対立していた両家が統合を果たすことで、我々飛竜騎兵は、さらなる躍進を遂げると、誰もが信じて……」

 事実、街には婚礼の準備として、純白の造花が飾られはじめ、婚礼の時には白い花冠に飾られた道のりを、セークの族長が歩く筋書きが整えられていた。誰もが自分たちの敬愛する族長の、晴れの門出を祝福してたまらないという雰囲気。
 里の人々は知らない。
 式典の演習で、自分たちの代表がどのような事態に陥っているのかを。

「それを、ヴェルが台無しにした、と」

 正確に指摘してしまうと、横にいる少年の顔色がズンと暗くなる。

「きっと訳があるはずです。彼女があの場で暴れた原因が、何か」
「……さっきの協議から、ずっと気になっていたことがあるんだが……」
「何でしょうか?」

 カワウソたちの会話も、指輪の効能によって周囲の人間には知覚され得ないので、情報漏洩という問題は気にすることではない。
 堕天使が僅かに言い淀んだのは、言っていいのか悪いのか、いまだに判然としないせいだ。先ほどもセークの族長に対した時と同じ迷いが、言葉を口内に押しとどめる。
 それでもカワウソは、「遠慮なさらずに」と安請け合いするセークの隊長たる彼に、率直な声で(たず)ねた。

「ヴェルが、セーク唯一の狂戦士であること──どうして、セーク部族の人間は知らないんだ?」

 目の前の彼から聞いたのだ。
 狂戦士に対する尊敬と崇拝の念──信仰は低減。
 故に、部族内でもヴェルが狂戦士である事実を知っている者は、それほど多くはない、と。
 これを訊くのは礼儀に欠けるだろうか。あるいは、彼らにとっては秘しておきたい何かがあるのか。
 しかし、いい加減はっきりさせておきたい情報だった。
 互いの意志に齟齬(そご)があった状態では、とてもではないが信頼関係は構築できない。相手が信用に足る人物でなければ、諸々の取引が成立しないのと同じ理屈だ。当然、それはカワウソに対する飛竜騎兵(ハラルド)もそうだろうが。魔法都市で会敵し、戦闘に及んで武器を壊した挙句、傲慢にも狩猟用アイテムで縛り上げたカワウソらのことを警戒していることは、明白な事実。彼らはあからさまに、カワウソのことを警戒している──警戒して当然とすら言える。
 カワウソは里に下りる直前、見送ってくれたヴォルにそれとなく聞いていたのだが、後ほどお話します的な返答しか返ってこなかった。
 モモンがひとつの提案をし、ヴォルたちがその準備を進めている状況で、ハラルドにまでこれを訊くのは、遠慮すべきことなのかも判らない。

 この異世界、この飛竜騎兵の領地には、狂戦士が、二人。
 一方は魔導国に反旗を翻したやも知れない大罪人。ヴェル・セーク。
 もう一方は立派に部族と領地を治め続ける貢献者。ウルヴ・ヘズナ。
 この差異は何だ。
 何故、ヴェルが狂戦士であることを周知させない。
 それは、周知されては困る事情があるから。
 だとしたら、その事情とは。

「……そのことについては、族長と長老たちに」

 ハラルドは謝りながら席を立つ。
 アイス・カフェラテを飲んだからなのか、あるいは他の事情なのかは分からないが、彼はそそくさと店内にあるトイレに姿を消した。生理現象とあっては、引き留めるわけにもいかないだろう。
 カワウソは考える。
 何故、セーク部族の他の者は、ヴェルが狂戦士であることを知らない?
 昨夜の会話には言い間違いや伝達ミスが?
 ヘズナ家とセーク家の風習や価値判断の違いが?
 無数の可能性が想起されるが、答えは得られない。
 得られないまま、カワウソは直近の問題──ヴェルが暴走した原因についても、自分なりの推測を打ち立てていく。
 そして、この世界で屈指の実力を誇るという一等冒険者に意見を求める。

「モモンさんは、何か知っていますか?」
「あいにく。セーク部族の事情については、私も詳しくは」
「では、モモンさんはどう考えますか?」
「何か深刻な事情があるのだろうとは理解できます。が、それを開けっ広げに指摘しても、良いことはないでしょう」
「……確かに」

 カワウソも解っている。
 解っているが、隠されたままでは色々と面倒というか手間というか、悪い方向にしかいかない気がしてしようがないのだ。
 カワウソは、ただのユグドラシルプレイヤー。この異世界、この大陸においては、何の後ろ盾も存在しない。そんな状況で、飛竜騎兵の事情や問題に巻き込まれて、それが転じてカワウソたちの身に危難の雨を降らせることになれば、その時はどうすればよいのだろうか。
 考えただけで背筋が寒くなる未来を脳内から一掃するように、カワウソは別の問題についても、モモンの意見を訊く。

「では、狂戦士については。何かご存知でしょうか?」

 ユグドラシルのゲームシステムだと、狂戦士は自分の身に降りかかる各種状態異常(バッドステータス)……「毒」「麻痺」「恐怖」などの質や量においても、狂戦士としての特殊技術(スキル)を発揮する。自ら発動した際には、「狂気」のみに罹患。爆発的なステータス値上昇と引き換えに、「狂気」の状態異常に永続的に苦しめられ、ほとんど特攻じみた勢いで敵対存在を撃滅するという戦法を得意とする(それ以外の戦法がないとも言えるが)、“諸刃の剣”そのものという上位戦士職業(クラス)のひとつだ。
 この世界に何故か存在する、低レベルの飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)
 適正なレベル取得とは完全に異なる彼等部族の中に出現するという狂戦士。
 ユグドラシルの転職アイテムもなしに、生まれた瞬間から「そうある」ことが規定されているかの如く、彼らは飛竜たちと共に暮らし、その翼をかりて空を舞い、あまつさえ狂った戦士すら生み出されるという、事実。
 本当におかしな世界だ。
 考えれば考えるほど、どうしてこの異世界にユグドラシルと同じ法則が存在して、ゲームのモンスターや魔法、アイテムなどが存在できているのか不可思議でならない。

「ウルヴ・ヘズナ族長から、ある程度の情報は頂いております」

 カワウソは安堵感から溜息をこっそり吐く。
 この状況においては、モモンの存在は重要なものだ。飛竜騎兵と関わりのない立ち位置から、飛竜騎兵の事情に精通する人物がいるだけで、何とも頼もしい印象を受ける。

「じゃあ、──狂戦士の特殊技術(スキル)、狂戦士化の発動条件については?」
「あくまで狂戦士本人の意思による発動が原則ですが、場合によっては勝手に発動することもあるとか」
「場合とは?」
「各種状態異常……毒物や麻痺薬、盲目化や拘束、あるいは精神的な状態が負に傾いた状態……恐怖や混乱、病気などの複数の体調不良が原因で狂気を発動するとか」

 そこはユグドラシルと同じなのだなと、カワウソは理解する。
 だとすると、だ。
 外部存在からの「狂気」を罹患(りかん)した可能性が、現実味を帯びてくる。

「では、何者かが、ヴェルを魔法によって包み込んで、彼女を「狂気」状態に陥れた結果、ヴェルは己の意志とは無関係に狂戦士としての力を発揮した──というのは?」

 無論、この世界の存在に、対象を任意に選択して狂乱させるような力があることが大前提な話だ。最低でも「狂気」をもたらす”絶望のオーラⅢ”などを扱えるアンデッドが演習場にいて、その影響を受けて暴走したとか。
 低位の魔法だと〈恐怖(フィアー)〉や〈混乱(コンフュージョン)〉程度がせいぜいだろうが、魔導国の魔法詠唱者であれば、あるいはそれ以上の状態異常発生用の魔法も習得可能かもしれない。それに、時間停止魔法コンボなどで、誰にも気づかれない内に大量に「毒」や「麻痺」、「盲目」や「病気」といった状態異常を無数に重ね掛けしていけば…………否。そうすると、ヴェルの狂戦士化が解けた後が大変になるだろうから、ナシだな。大量の状態異常による狂戦士化はないと判断して間違いないだろう。そんな面倒な手順を踏むよりは〈狂気(バーサク)〉の魔法一発でいいと思う。
 だが、本当にそんな単純な方法で……状態異常の魔法一発で発動するのか? 狂戦士化が?

「ありえない──とは、断言できないですね」

 カワウソの語った〈狂気(バーサク)〉を発動されて罹患したが故の狂戦士スキル発動について、モモンは一考の価値ありと評してくれる。

「早速、ヘズナ族長に──は、今は準備中のはずですから、後程合流した時に訊ねるとしましょう」
「助かります」

 カワウソは真摯に告げた。

「さすがは、一等冒険者ですね。
 一等冒険者というのは普段からも、このような任務に就いているものなのですか?」

 興味本位で訊ねていた。
 人の感情の機微を読んだり、いろいろと複雑な事情や思惑が絡みついている状況で、モモンたちは粛々と、自分たちの業務を全うする姿勢を見せてくれる。仕事のできる人間というのは、それだけで称賛に値するし、それが礼儀正しい性格だと尚更である。
 魔導国における人気職、ハラルドが尊敬と緊張をもって応じる冒険者の日常の、その一端を知ることは重要なことに思われた。あるいは今後、カワウソたちが魔導国内で生き抜くのに必要な知識の、ほんの一欠片(ひとかけら)でも入手できれば、他の都市や土地に向かった三人の調査隊の役にも立つはず。
 モモンは鎧の上にあるプレート(ナナイロコウ)をつまんで、少しばかり言葉を選ぶ。

「そうですね。一等冒険者ということで、依頼はかなりの報酬を頂くことになります。大抵は外地領域守護者や都市管理官、あるいはツアー……インドルクス=ヴァイシオン信託統治者などの、各都市や領域の代表者らに依頼されて、大陸内で発見される不可思議な出土品や発掘品を調査します。調査対象は様々で、時には理解不能な事象だったり、あるいは百年単位の過去の遺跡だったり。今回のような任務は、少しばかり特殊なもので、やや緊張しております」

 モモンは、緊張をまったく感じさせない声で言い募る。「冒険者は”未知”を”既知”にするべく、あまねく世界を冒険し、それを誇りとする者たちです」と。
 彼は、まるで遠い昔を懐かしむように視線を伏せた。
 隣に控える童女は押し黙り、マルコは掌中にあるマキャティアのカップに口をつけていた。
 五人のいる場に、奇妙な沈黙が流れる。
 その沈黙を破ったのは、やはりモモンだった。

「──未知なるものを探求する冒険者。この大陸に存在する同業たちの中で、我々“黒白(こくびゃく)”の一等冒険者のみに、王陛下が課せられた最重要任務が、ひとつだけあります」
「…………それは?」

 これまでにないほど厳格かつ厳正に響く声音が、堕天使の耳を震わせる。



「──『世界級(ワールド)アイテムの探索』です」



 隣で隠形したまま控えるミカが、僅かに、密かに、息を呑んだ気がした。
 あるいは、カワウソ自身がそうしたのを錯覚したか。
 告げられた内容の意味を()(はか)り、カワウソは冷静になるよう、己に言い聞かせる。しかし、だ。モモンが語る唯一無二のアイテム──ユグドラシルには同価値のアイテムは200しかなかった──カワウソ自身が保有するソレを、どうあっても意識せざるを得ない。
 モモンたちへの警戒心と猜疑心が微妙に再燃しかけた、その時、
 里の通りが明らかにザワついたのだ。

「……なんでしょうか?」
「飛竜の喧嘩、でしょうか?」

 それにして違和感が凄まじい。
 あまりの喧騒に、モモンとマルコが身体全体を振り向かせた。
 いろいろな飛竜の声が絶え間なく大気に(とどろ)くが、その上をいく奇怪な音量が、まるで燃えあがるように耳に焼き付いた。

「ああ、ハラルド隊長」

 ちょうどトイレから戻ってきた少年が、通りの様子に戸惑うところをモモンが呼びつけた。

「表で、何かあったのでしょうか?」

 疑念された少年隊長も、不審げに首を傾げるしかなさそうだった。

「いえ、自分にも…………!」

 モモンとエル、マルコが振り返った窓の外を眺め、ハラルドも窓から身を乗り出すようにして見上げた空に対し、眼を剥いた。

「……なんだ、あれは?」

 気になりすぎて、また異様な雰囲気──人々の悲鳴にも似た声音を感じて、カワウソは席を立つ。
 小鬼亭(ゴブリンてい)を飛び出し、通りで天を仰ぐ人々と同じようになる。隠形中のミカもその脇に控えた。

 異様なものが、空にいた。

 最初は、黒い点のようにしか見えないそれは、飛竜のように翼をはためかせながら、まっすぐ街に向かって降りてきている。
 ハラルドをはじめ、モモンたち三人も外へ。

「ハラルド、あれは?」
「いえ……飛竜のようですが……なんだ、あの、黒い?」

 徐々に輪郭がはっきりとわかるほどに近づいてきた。
 (みどり)の竜鱗をおどろおどろしい病的な黒斑が、まるで膨れた腫瘍のように覆っている。頭の先から尾の端の全身に至るそれは、まるで鎧のようにも見えるが、生々しく膨れた肉の塊でしかなく、印象としては黒い泡立ちのようですらあった。そんな異様に呑み込まれたような姿の飛竜は、暴力的な蛮声をはりあげるが、それはカワウソの耳には悲鳴のような苦しみをいっぱいに響かせている。

「いくぞ、エル」
「承知しました」

 言うが早いか、通りを走り抜ける漆黒の戦士。彼に頷く黒髪の童女が、即座に黒い飛竜に向かって駆け出していく。
 カワウソも、たまらず彼らの後に続いた。





 








黒くて凶悪そうな飛竜があらわれた!
どうする? →たたかう
       なかま
       アイテム
       にげる にげられない!


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/Wyvern Rider …vol.7





 





 見張り台の物見やぐらが崩れ、小屋の屋根板が引き剥がされるほどの怒濤の暴風を伴って、それは現れた。

「どうされるおつもりで?」
「──今さら、それを聞くか?」

 カワウソは隠形したまま追走するミカに応えつつ、漆黒の戦士らと共に通りを走る。
 黒い影は、確実に街に住まう人々の脅威であると推定される。通りで遊んでいた母子が屋内に身を隠し、そこいらに存在する飛竜たちが一斉に威嚇の蛮声を張り上げていた。
 あれは──特徴的な前肢部分の大きな翼をはじめ、身体の各所を黒い腫瘍と斑点に侵されながら、空を引き裂くその姿形は──確かに飛竜の特徴に酷似していた。だが、異様と異常と異形に膨れ、悪魔の外皮で仕立てた鎧を幾重にも纏い武装しているかのようで、そのありさまは不気味に過ぎる。まるで魔王の乗りこなす邪悪極まる騎乗生物のようにも見えるが、醜く膨れた背筋には、何者も乗せることを拒絶するかのような肉腫が剣板のごとく突き出しており、乗り心地などまったく考慮してよい造りをしていなかった。鞍も手綱もなく、無論、騎手となるべき人影も存在しない黒竜は、孤独に、青い空を恨むような暴音を奏で続けている。

「コォア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ァァァァァァァッ!」

 暗く重く、そして脳髄をひっかくほど耳障りに轟く、黒飛竜の声。
 恐慌すら覚える竜の吼声に、無論、里にいる住人たちは黙って強襲を受け入れるはずもない。
 突如として現れた黒い飛竜一体に応戦しようと、慌ただしく武器のみを装備したセークの飛竜騎兵たちが包囲戦を挑むが、その飛竜の膨れた鱗は見た目よりも頑強なようだ。飛竜騎兵の投鎗(ランス)や矢礫は、その悉くを弾かれ、痛痒どころか飛行の妨害すら儘ならない。顔面は面覆い(フェイスガード)でも被ったのかと思えるほどに変貌していて、竜の眼の色すら窺い知れない。スリットすらないあのような形状で、一体どうやって周囲にある障害物を認識し、騎兵たちの攻撃を躱しているのか、軽く疑問さえ覚える。
 狂ったように()えまくり()えまくる黒飛竜の突撃によって、二騎の飛竜騎兵が墜落を余儀なくされる。余りの衝撃で飛行姿勢を維持できない二体の飛竜。周囲にいた十数騎の飛竜と騎兵は、余波に耐えるのに精いっぱいで、同僚の救助など望めはしない。宙に放り出される二人の女騎兵と共に、二匹の飛竜の巨体が放物線を描き、その落下地点には、軒先で遊んでいた子供らが、二人、一人……子に駆け寄る母親だろう女性も含めると、合計四人。あの重量が落下したら、当然、まずい。

「ミカ!」鋭くも僅かな声で、女天使に命じる。「あっちの子どもを!」

 天使の応答を聞く間も惜しんで、カワウソは駆け出す。
 一足先に、墜落する女騎兵らをモモンらが救出に向かっている為、カワウソたちは飛竜の方に集中できた。
 転移魔法などは、魔導国において一般普及しているような類ではなさそうなので、衆人環視の前では使うべきではない。
 ならば、これしかないだろう。
 神器級(ゴッズ)アイテムの足甲が装備者の意志に応えるように黒く淡く輝いた瞬間、速度のステータスを急激に上昇させる効果を発揮。驚異的な跳躍力を確保する。

「ッ!」

 跳ぶ。
 他の者には──特に、カワウソたちを追っていたハラルドやマルコの目には──いきなり黒い男が消え去ったようにさえ錯覚するほどの速度。割れ砕けた大地の足跡だけが、彼がそこにいたことを証明する。
 落下する飛竜二体の内一体に、追突する勢いで接近。沈黙の森でヴェルを助けた時と同じ要領で、カワウソは落下する飛竜の鞍の革帯を掴みあげ、強引に落下軌道を修正。
 革帯は堕天使の速度と放擲に耐え切れずに引き千切れるが、致し方ない。空中でいきなり方向を転換された飛竜は宙を跳ねるような軌跡につんのめりつつ、大地に激突する事態は回避された。飛竜はわけのわからない調子で首を巡らせ、翼をはためかせながら、上空で飛行態勢を整え終える。
 カワウソは壊れた鞍を放り出し、空に身を投げ出すように落ちていく。

「あっちは!」

 無事か。
 カワウソは振り向いた。
 遠く彼方で、翼を広げた女騎士が、飛竜の巨体を巧みに持ち上げ、墜落地点にいた子供らを救っていた。不思議そうに頭上の現象──姿を消しているミカに持ち上げられた竜は、宙で不自然に静止している──を眺める子供らに構うでもなく、女天使は意識を失っていた飛竜を子供らの脇に降ろす。
 とりあえずの安堵を覚えた、瞬間。
 ミカが何かを叫ぶように、落ちるカワウソの方へ振り向いて──

「コォア˝ア˝ア˝ア˝ア˝ァァァッ!」

 喧しい竜声が、堕天使に向かって空を滑走してきた。

「ちッ!」

 カワウソの意識は安堵に弛緩していた。
 セークの軽量種よりも膨れた見た目だが、その速度はどの飛竜騎兵にも追随できない速度だと容易に知れた。直感だが、倍以上は性能差がある。魔法都市の空で、セーク族の里の上空で、彼らの速度は瞼の裏に焼き付いていたから。
 咄嗟のことで、魔法を使うか特殊技術(スキル)を使うかの判断が遅れる。〈空中歩行(エア・ウォーク)〉では速度が減退して今の状況での回避には向かない。〈飛行〉できる特殊技術(スキル)についてはできれば使うべきじゃない。
 黒飛竜(アレ)のレベルが六十以下なら物理無効化Ⅲでしのげるが、確信は持てない。
 何より、竜の牙並ぶ(あぎと)が近づく様は、「捕食される」という根源的な恐怖を想起されてしまってしようがない。
 思考が、判断が、動作のすべてが、遅れ──

「ギャア˝ァ!?」

 竜の一鳴。
 強烈な金属音。
 ついで、カワウソは何もしていないのに、黒い飛竜が顔を斜め上に()らして軌道を変えていた。
 堕天使の眼には、巨大な両手剣(グレートソード)の剣尖が一本、眼前の飛竜に叩きつけられたことが容易に判った。濁った瞳の動体視力で確認。飛竜騎兵のハラルドでは一本持つのがやっとだろうと道すがら言われていた重量の塊は、下にいた人物から放り投げられた勢いで目標に衝突し、クルクルと宙を舞っている。

「遅くなって申し訳ない」

 その剣を掴み回収した戦士の声が、至近から謝辞を述べる。
 カワウソと共に、空中を降下する漆黒の戦士。

「モモンさん」

 放り出された女騎兵らの方を救出し終えて駆け参じてくれたモモンが、戦列に加わった。
 共に地上へと降下し、黒い襲撃者の脅威から距離を取る。
 あの飛竜は投擲された剣の威力に体勢を崩されていたが、すぐさま暴意に満ちた声を張り上げ、“敵”と見定めたカワウソたちの方に分厚く膨れた鎌首を巡らせた。翼が大気に悲鳴をあげさせ、ありえない速度と衝撃を伴って降下してくる。
 街はずれの倒れた尖塔のような岩塊に降り立ったカワウソは、努めて冷静に、分析した状況を隣に立つ戦士と共有する。

「アレの頭、かなり頑強なようだ。剣を投げてぶつけた程度では、通らない」
「ええ。おまけに脳震盪(のうしんとう)の類も見られない。普通、竜とは言っても、あの衝撃を受けたら数秒以上、活動不能になるはずなんです──が!」

 会話もそこそこに、二人は共に大きく跳躍する。
 二人が数瞬前までいた場所に、暴走機関車のごとき勢いのまま竜が殺到し、その下の岩塊を砕いて散らせてブチ壊していた。

「モモンさん。そちらの状況は?」
「放り出された飛竜騎兵の女性方は皆、私とエルで救助できました。二人はマルコ──さんが治療中です」

 一方で、ミカはカワウソの指示通りに子供らを護った後、カワウソたちに向かって飛行してきている。

「〈伝言(メッセージ)〉」女天使の主として、カワウソは新たな指示を送る。「ミカ。こっちには来なくていい。それよりも、他にコイツと同じモンスターが周囲にいないか、警戒してくれ。周囲1キロを念入りに。場合によっては、作成召喚の特殊技術(スキル)の使用も許可する」

 魔法の会話越しに一瞬ながら躊躇の反応を見せるミカだが、「頼む」と念押しすると「……了解」と応じてくれる。
 彼女との魔法の繋がりが断ち切れた、瞬間。

「コォア˝ア˝ア˝ア˝ア˝────ッ!」

 背後から迫り来る音の暴力。
 街からだいぶ離れた地点であるが、まだ民家らしき建物が周囲にある中で突撃されてはたまらない。

「このあたりで反撃しましょうか」
「……やるしかない、でしょうね」

 大地に着地する前、カワウソは白い聖剣を空間から抜き放った。
 少しだけ、モモンの方から感嘆する声音が漏れた気がするが、振り返った先にある竜声の圧が吹き飛ばしていた。

「では、まず私から!」

 言って、漆黒の戦士が黒竜の蹂躙に真っ向から切ってかかる。
 短くも鋭い戦士の一刀、一声。
 飛竜騎兵の鎗を弾き返していた黒い肉腫を、モモンの双剣はバターのように引き裂き落とす。あっという間に片翼を二分割されて失墜しかける黒飛竜。そのもう片方の翼を、跳び上がったカワウソは聖剣の刃で引き裂いてみせた。攻撃系特殊技術(スキル)を発動するまでもない。神器級(ゴッズ)アイテムの一撃が、黒斑に染まる皮膜を削いで落とす。
 両腕をもがれた蜥蜴のような様で墜落の軌道を描く黒竜──だったが、

「……はぁ?」
「嘘、だろ?」

 モモンとカワウソは同時に呟いた。
 赤い血飛沫(ちしぶき)もなく、黒い肉腫ばかりが泡の如く盛り上がり、瞬く内に飛竜の被膜に覆われた翼を再生させていた。テラテラと輝く粘液までも黒く、羽ばたきによって小規模な雨を降らせる。竜の生命力はユグドラシルでも極めて高いが、あんなグロテスクな再生能力など、飛竜には存在しないはず。ああいうのは魔竜とか邪竜とか、そういった一部のレアな個体で見かける程度だったが、目の前の暴走竜の形状は紛れもなく飛竜のそれだ。巨大長大な体躯の中に、多腕多脚に多翼で多眼を纏う魔竜や邪竜よりかは、まだまだ大人しい形状である。
 再生した翼は、さらに内側から泡立つ肉腫を鎧のように纏いながら、その機動力は衰えるどころか、加速の一途を辿っていった。

「ふむ。──これは、珍しい」

 冷静に状況を見定める戦士に、カワウソは(たず)ねる。

「モモンさんは、やはり竜と戦ったことが?」
「ええ。経験は豊富だと、自負しております」
「じゃあ、竜の致命傷になるのは何処か、御存じで?」

 カワウソは、この異世界での竜と、ゲームでの竜の違いをそれとなく探る。
 漆黒の戦士は穏やかな闘気を宿した微笑で頷きを返すのみ。

「狙いにくいですが、比較的柔らかな“眼”。堅牢な鱗と筋肉に守られた“心臓”。あとは──」

 正解を紡ぐ一等冒険者とカワウソのもとへ、竜が肉薄する。

「──“首”を落とせば、大抵のモンスターは倒せる!」

 カワウソは頷くしかない。
 眼や心臓は勿論、首は、ユグドラシルでは有名な弱点(クリティカル・ポイント)として有名だった。人間も亜人も異形も、首を切られ、頭と胴体が泣き別れては、そのダメージ量はかなりのものになる。場合によっては即死させることも可能なほどだ。首無し騎士(デュラハン)のように元から首が分かれていたり、粘体(スライム)のように首のない存在だったり、あるいは首から上の部分(あたま)は飾りだったりしなければ、大抵の敵は行動不能になるもの。非生命のアンデッドや機械的なゴーレムですら、その思考行動を司る部位を破壊されたら、著しく活動停滞に追い込まれる仕様だった。
 そして、その原則は、この異世界でも通用するはず。
 特に、分厚く膨れた肉腫の壁に守られた、黒い飛竜の鎌首。
 その防御の厚さこそが、その下にある弱点の存在を雄弁に物語っていた。
 カワウソは、もはや慣れた調子で、跳ぶ。
 空を突っ切る暴力の塊と完璧に交差する軌道を跳躍しつつ、ゲームの時の感覚に近い感じでひとつの特殊技術(スキル)を発動。手中の剣を振るい、鉋掛(かんなが)けの要領で首の肉腫をごっそり剥がす。やかましく吠える黒い竜に対する憐れみは、あまり感じていない。聖騎士の肉体能力やステータス増強の特殊技術(スキル)効果などを併用することによって、さらに堕天使の攻撃性能を底上げしていき、精神系ダメージへの耐性をも強化したからか。
 カワウソは振り返り、見る。
 再生が始まる直前、弱点が(あらわ)になったそこへ、間髪入れず続くモモンの握る双剣の一振りが首肉に深く叩き込まれ、さらに二振り目が一振り目の剣を大鎚(ハンマー)のごとく打ち下ろし、完全に生物の頸椎を叩き折った。内部にある筋肉の束も諸共に両断せしめる。
 断末魔をあげる喉や声帯ごと両断された黒飛竜は、その巨体を大地に墜とし、完全に活動を停止。
 落ちた首の下から、血の代わりに再生の肉腫が溢れるといった現象も生じない。その逆も然り。
 黒く穢れた飛竜は、二人の戦士との戦いによって、見事完全に討滅された。
 歓声ともどよめきともつかない声音が、空を舞う飛竜と騎兵たちの間で唱和される。

「サポート、ありがとうございます」
 
 並んで息をつくモモンとカワウソ。
 ──二人は特に役割を決めたわけでもなく、何故だろうか、自然と共闘することができていた。
 双剣にこびりつく黒い肉片を払う戦士は、終始余裕な表情で微笑んでいる。
 その笑みにつられ、カワウソも思わず気安く応じてしまう。

「いや、こちらこそ。……すごいですね、モモンさん」

 そのまま聖剣をアイテムボックスに収納しつつ、モモンの手並みの見事さを讃えた。

「“一番騎兵隊隊長(ハラルド)以上の戦士”という話。確かに、本当のようだ」

 道すがら、少年が語っていた「当代」におけるモモンの武功。ハラルドたちが英雄視する漆黒の戦士の力量は、素人目にも少年隊長のそれを軽く超えていると判断できる。

「いえいえ。私など、まだまだですよ」

 謙遜の限りを尽くす漆黒の戦士は、カワウソの剣捌きの方こそを絶妙と評した。
 黒飛竜の腫瘍のごとき鱗だけを引き剥がした手並みは、「力任せな自分には真似できそうにない」などと主張してくる。

「あー、それは──」
「……それは?」

 カワウソは言いあぐねる。
 信仰系の職業(クラス)特殊技術(スキル)のひとつ“神の啓示”を発動しただけだ。敵対象への攻撃を行う際に、致命傷となる攻撃を加えやすくなる……つまり、「クリティカルヒットの確率を向上させる」特殊技術(スキル)である。たとえ一発目は不発でも、続く攻撃はさらにヒットの可能性が増幅されるという、なかなか利便性に富んだ優れもので、ゲームでもカワウソはよく使っていた。
 しかし、特殊技術(スキル)のことは異世界の住人に説明するには難しい情報だった。神の啓示という名称も悪い。「神の啓示のおかげで戦えた」などと主張すれば、聞く者によっては「こいつ大丈夫か?」などと心配されるオチしか見えない。
 カワウソは誤魔化すように口を開いた。

「あー……モモンさんこそ。“武技”という奴も使わずに、あれだけの身体能力を発揮されるとは。驚きです」
「私には、魔導王陛下から下賜された装備があります。国内最高峰の装備の力がなければ、とてもとても」

 なるほど。カワウソは一人ごちる。
 モモンの身に着けた鎧や剣は、どれをとっても秀逸な造形が施され、データ量で言えばかなりのものだと容易に判断がつく。とりわけ目立つのは、ルーン文字という、ユグドラシルでも人気だった装飾文字だろう。北欧神話ゆかりの古代文字は紫などに輝き、黒い刀身や鎧の中で冴え冴えと存在感を主張している。聞けば、ドワーフたちの多くが住まう工業都市、その地で指折りの評判を誇るルーン工房“火の髭(ファイアビアド)の炉”で鍛造された一品だとか。
 何はともあれ、彼の、一等冒険者の力の一端は知れた。
 今回の戦闘が全力だったという確証はない(武技とやらも使っていなかったから、多分そうだろう)が、それでもモモン・ザ・ダークウォリアーという存在の力量を把握することができたのは、今後の活動の中で大いに参考にできる要素が多い。

「……さて、どうするか」

 カワウソは、首切られた黒い竜の死骸を見る。
 同時に、周囲から突き刺さる野次馬のごとき視線が不安を掻き立てた。
 墜落したのは街の外れだが、彼等飛竜騎兵の人々にとっても珍事らしい黒竜を眺めようと人だかりが構築されかけている。
 いくら指輪で認識阻害を施していても、ここまで大っぴらに衆目を集めるのは、正直まずい気しかしない。

「大丈夫です、カワウソさん。ほら」

 言って、モモンが頭上を指で示す。
 そこでは、数多くの部下を統率した若い隊長が声を張り上げていた。

「この場は一番騎兵隊の自分(ハラルド)が預かります! 里の皆様は、どうか負傷者の確認と治癒を願います!」

 邸から呼び寄せた己の飛竜に跨り、群衆に空から号令を繰り返し発するのは、飛竜騎兵の部隊長。
 セーク家の誇るハラルド・ホール一番騎兵隊隊長の言は重く、その場にいる全員がハラルドの言に納得したように、黒い竜の死よりも、風圧などで破壊された街や怪我人の確認に急いだ。





「お二人とも。遅くなって申し訳ない!」

 周囲の人だかりを散らし、一番騎兵隊の部下である女性ら三人を連れて馳せ参じた少年の第一声がそれだった。

「特に、墜落した十番騎兵隊の二人と二匹の件、本当にありがとうございました!」
「いえいえ」
「困ったときはお互い様だからな」
「はい! ありがとうございます!」

 聞けば、町はずれのやぐらや小屋にいた数人が重軽傷を負ったが、命に別状はないとのこと。
 モモンとカワウソは少年の感謝に応じるのもそこそこに、改めて、自分たちが討滅し直立奇岩の大地の上に転がした黒竜の(むくろ)を見る。モモンがとりあえず疑問を紡いだ。

「ハラルド隊長。これは飛竜、なのでしょうか?」
「だと思うのですが……こんな飛竜、私は見たことも聞いたこともありません」
「ヘズナの重量種とか、じゃないのか?」

 カワウソは族長邸の秘密部屋で見たアレと大きさだけは似ていることを指摘。
 しかし、ハラルドのきっぱりとした断言が、その可能性を否定する。

「重量種とも違います。頭から尾までの体格は、重量種特有のずんぐりした感じじゃないですし──そもそも、こんな黒い色と腫で覆われた竜なんて」

 彼の見解に耳を傾けつつ、敵対部族(ヘズナ)の誰かが解き放った可能性もありえるだろう可能性を脳内に留めておく。
 何はともあれ、この飛竜の出所をはっきりさせなければ。
 ハラルドや部下の女性らが短剣を取り出し、飛竜の尾やら鱗やらを詳しく検分するべく、慣れた手つきで解体していた。少年は首だけになった頭に取りつくと、口内にある舌まで黒く染まった肉を見極めたり、肉腫に隠れて見えなかった眼の様子を見るべく顔周りの腫を切り払ったりして──生きていた時は投げられた鎗すら弾き返した硬度は何処へ行ったのか。死んだことで肉腫の硬さが失われたようだ──そこにあるものを無理矢理に覗き込んだりする。彼はある一点を確認すると、さらに混乱に拍車がかかったようで部下にも確認させているようだが、カワウソは黙って待つ。

 そんな飛竜騎兵たちの作業工程を眺めつつ、カワウソは必死に、脳内に残るユグドラシルのモンスター図鑑を紐解いていく。
 だが、それでも、あるひとつの結論に至るしかない。
 こんな飛竜、ユグドラシルでも見たことがないという、至極単純な結論だけだ。
 飛竜と言っても軽量種だの重量種だのがいるように、小型の竜モンスターにはよくある派生パターンとして、「色」だとか「扱う属性」の違いとかで様々な差異がユグドラシルでは存在したはずだが、こんな病的な黒斑の、おまけに腫瘍のごとき肉泡に覆われた飛竜など、カワウソは知らない。竜はユグドラシルでも人気のあるモンスターだった。そのビジュアルの秀逸さ、RPGにおいて「最もポピュラーな敵」である歴史、竜の血肉や毒牙や骨に鱗などのレアな素材ドロップ、他の同レベルモンスターよりも大量に行き渡る経験値の量、狩人のスキルで確保できる新鮮なドラゴンステーキ肉、生け捕りにした際の売買価格の高額ぶりなど、その人気の要因を数え上げればキリがない。
 では、だ。

「ハラルド」ひとしきり確認を終えたらしい騎兵隊隊長を呼ぶ。「この黒い飛竜、いったい何だ?」

 飛竜と同じ骨格とサイズだが、明らかに飛竜の特徴と合致しない。
 レベル獲得などの法則が変わったように、モンスターなども特異な進化や変貌を遂げている可能性を思い浮かべるが、この中で飛竜の事情に通じているはずのハラルドは首を横に振った。

「いいえ。我々も──少なくとも私は、こんな子を見るのは、その、初めてで」

 ありえないことを聞いた気がして、カワウソは問い質す。

「……“子”? “こんな子”って?」
「ああ、見てください」

 ハラルドは黒飛竜の死骸の頭を、肉腫を切り払って確認していたそこ──顎下──にあるひとつの鱗を示した。

「これは「逆鱗(げきりん)」というもので、竜種固有の特徴であり、これの大きさで大体の年齢が判別できます」

 逆鱗というだけあって、その鱗は他の鱗とはまったく逆方向に生えていることが、かろうじて判った。「かろうじて」というのは、逆鱗のサイズが他に比べて小さく、いかにもか弱そうな存在感しか主張しない程度のものだったからだ。言われなければ、そこにある逆鱗の存在に気づけそうにないほどであるのは、この飛竜の顔面は全域に渡って、黒い肉腫が兜のように覆われていたからだ。肉腫に侵されていない部位にしても、まるで病的な黒い斑点に侵されている鱗ばかりで、これでは元の翠色を探す方が難しいくらい。
 ハラルドは説明に努める。

「この子は逆鱗の大きさから察するに、生後一年か、少なくとも二年以下しか経っていない。ほとんど赤ん坊みたいなものです。顔の造形にしても、黒い肉の下はかなり幼い。目は丸く愛くるしいもので、とても成竜のそれでは、ない」
「……いや。この巨体で、赤ん坊ってことは、ないだろう?」
「ええ、確かに。でも翼は並の成竜か、それ以上に成長しています。脚や尾もかなり頑強ですが……ならば、この逆鱗のサイズは、ありえない。黒斑に染まっている牙も成体に比べれば微妙に小さいし、ああ、爪もそうですね。一体、この子はどうなっているのか……わからない」

 カワウソは呆れ返った。
 仮にも一番騎兵隊の隊長を務め、部下や里の人々に命令を下す立場の人物ですらもが、この目の前の異形を理解不能な代物と認めるしかないという現実。
 ハラルドは自分で自分の打ち立てた確証に、疑問符を大量に浮かべてならないようだ。彼自身、こんな飛竜が存在する事実が信じられないという風で、目の前に厳然と存在する黒い死骸の検分をひとまず終える。
 無理もない。
 この竜は先ほどまで、成人サイズの飛竜たちを簡単に吹き飛ばすほどの巨躯で空を縦横無尽に駆け回っていたのだ。このサイズで子供以下の赤ん坊というのは、悪い冗談でしかない。これが順調に大人に成長していたら、並みの飛竜の十倍以上の体躯になってもおかしくないが、果たしてそんな巨体が飛竜と呼べるのだろうか。都市で見た霜竜(フロスト・ドラゴン)よりも巨大になりそうな気さえするぞ。
 困惑と疑念に憑かれて眉根をひそめるしかない飛竜騎兵の若者から視線を外し、カワウソは縋るような思いで一等冒険者のモモンを見やるが、彼は無念そうに首を振るのみ。この大陸一の冒険者ですら、知り得ない情報が今、目の前に転がっている。

「これは、魔導国の、専門の研究機関にでも送付するしかないのでは? 近い所だと、魔法都市あたりにでも?」

 事態をとりあえず進展させようとする声が紡がれる。
 モモンの背後に現れた黒髪の童女が、その小ささ可愛さからはほど遠い冷厳な声で主張するが、それを主人のごとき男が押しとどめた。

「いや、エル。今は事を荒立てる時ではない。ただでさえ、一連の事件で飛竜騎兵の立場が危ぶまれている現状では、他の者に報せるのは慎むべきだろう。ハラルド隊長が知らぬだけで、部族の誰かが熟知している可能性も捨てきれない」
「承知しました、モモンさん」
「うむ──ハラルド隊長。セーク族において、この黒い飛竜を知ってそうな人物に心当たりは?」
「……族長や、長老たちに、聞いてみるしかない、かと」

 それでも、たとえヴォルや長老であろうとも、これの正体など知らない可能性は十分以上に存在するだろう。
 これは飛竜騎兵たちの中でも特異な状況なのだと、飛竜に詳しいはずのハラルドの混乱ぶりでよく判る。

「この死骸……黒い飛竜は、どうするんだ?」

 まさか、ここに置きっぱなしというわけにはいくまい。黒く歪んだ鱗の色は不吉極まる。死骸を放置するというのはいかにも不潔で、衛生観念で言っても推奨できる行為ではないだろう。──いや、アンデッドの警備兵がいるから、そんなこともないのか。
 カワウソの問いかけに、ハラルドは悔し気に呻いた。

「この子は……かわいそうですが、これでは葬送の儀にも出せません。皆が、嫌がるでしょうから」

 皆が嫌がるという言葉に微妙な何かを感じるが、判然としない。
 同じ死体なのだから埋めたり焼いたりして処分すればいいと思うのだが。
 そういえば、飛竜騎兵の街には墓地というものは見かけていない。土地が少ないから存在しないのか、あるいは奇岩の奥まったところにでも埋葬するのか──臣民の義務とやらで「死体の提供」とか言っていたから、ひょっとすると国の共同墓地みたいなものがあって、そこに送付しているのかも。

「一度、族長に指示を仰いできます」

 そう告げたハラルドは、傍にいる同僚に伝令を頼んだ。どうやらハラルド個人は、〈伝言(メッセージ)〉の魔法などを扱えないらしい。指示を受けた部下が代わりに〈伝言(メッセージ)〉を発動する。

「カワウソ様」

 一組の飛竜騎兵が邸へ飛び去った直後、周辺警戒に走らせていた女天使が舞い戻ったのをカワウソは迎え入れる。

「ミカ。おかえり」
「ぁ……ぇと……ただいま、戻りました」

 変な間が生じた気がするが、カワウソはとりあえず、隠形したままの彼女に与えた任務の進捗を確認する。

「どうだった? 他に、アレと同じモンスターは、いたか?」
「いいえ。影も形もありやがりませんでした。
 この奇岩は無論ですが、周囲1キロ圏内、隣接する大中小の直立奇岩にも、そういった気配はありません。念のために地図でヘズナの領地とやらも中位天使を隠形させて飛ばし確認しましたが、そこも特に問題は見受けられませんでした」

 地図は、昨夜までカワウソたちの周囲を監視観察してくれていたマアトが、この領地に至るまでの行程で把握できた地域を地図化(マッピング)していたものを使用。
 ミカは自身が羽織るマントで存在を隠匿しつつ、上空から見定めた他の領地には、これといった異変や異常はなかったと報告してくれた。

「となると。これは、ただの異常個体……ということか?」

 だとしても、この黒竜が棲息生存していた場所というものは確実に存在するはず。モンスターだって生き物である以上、自分の縄張(なわばり)寝床(ねどこ)を確保し、そこで食事睡眠などしている、はず。非生命のアンデッドだったら自然発生してもおかしくはないが、この竜はアンデッドモンスターという印象は薄い。低位の動死体(ゾンビ)であるなら再生能力など持ち合わせるはずもないし、カワウソの知るドラゴンゾンビの腐り落ちた見た目とは、あまりにも違いすぎる。これはカテゴリーとしては、ただの普通の竜と認めて間違いないだろう。どう考えても普通の見た目ではないが。

「ハラルド、こいつが何処から現れて飛んできたのかは?」
「見張りやぐらにいた部隊の話を聞いた限りだと、これは下の“巣”から飛んできた、と」
「巣?」

 疑問するカワウソを、即座にフォローする男の声が。

「野生の飛竜たちの巣ですね?」

 ハラルドはモモンの言葉に頷き、野良の──野生下の飛竜の可能性が濃厚だという見解を示した。
 カワウソは率直に訊ねた。

「その野生の飛竜の巣って、何処にある?」
「ほとんどは、奇岩の中腹の位置にありますが?」

 つまり、奇岩の先端に位置する(ここ)より下の所にあるわけか。

「そこへ行くことは?」
「い、行くって──行って、何を?」
「何、って……そりゃあ」
「調べるしかないでしょうね」

 意外なことに、モモンがカワウソの言わんとした言葉を先に紡ぐ。
 その様子に、飛竜騎兵の隊長は大きく動揺してしまった。

「い──いいえ、それはなりません! 危険すぎます!」

 野生の飛竜は、“相棒”を持たない。
 現在における飛竜騎兵の飛竜というのは、“相棒”である騎兵たちと共に暮らすことに“馴れきった”個体たちで、それら飛竜が(つがい)となり、一個から三個ほど卵を産み、その卵から(かえ)った赤ん坊の飛竜が、次世代の飛竜騎兵の乗騎になる──というサイクルのもとで維持されてきた。だが中には、里にいる飛竜とはどうしても折り合いがつかない騎兵が存在しており、そういうあぶれのほとんどは、家業の手伝いなどで一生を送ることが多いという。それだって、親や家族の許しがあればこそのもので、“相棒”を得られなかった騎兵が大量に発生した時代には、口減らしの一環として、若者たちに対して他の土地や他国への強制移住が申し渡されることもあったとか。
 無論、それを甘んじて受け入れるばかりの腰抜けは、そう多くなかった。
 飛竜騎兵は武功の一族。
 力を示すことが、男女を問わず標準的な美徳とされ、“相棒”を持つことこそが、飛竜騎兵として一端(いっぱし)の存在だと認められることの最低条件に見做されている。
 里で“相棒”を見つけられない者たちは、果敢にも野良の飛竜の「巣」へと潜り込み、そこで新たな“相棒”を見つけて里に帰還することで、飛竜騎兵の証をたてることができるのだ。当然のことだが、その道のりは口にするほど簡単なことではない。
 奇岩の中腹までの道は存在しない。大抵の場合は自分たちで断崖絶壁を降りねばならず、野生の飛竜に気取られぬよう留意せねばならない。そのため、ロープなどの小道具や身動きのとりにくい装備などは持っていくことはできない。許される武装は短剣一本のみで、それ以外だと崖を降りている途中で気の敏い飛竜に気づかれ、巣にたどり着く間もなく喰い殺される結果しか生まないのだ。
 野良の飛竜は、基本的に人間単体を食料か玩具のようにしか思っておらず、同族の飛竜と共に飛行する姿を取れる“飛竜騎兵”以外の存在は、基本的に敵対的行動に(はし)る存在だ。小型とは言え危険極まりない竜モンスターの一種に過ぎない。それが巣には、百どころか千単位で生活している。雌雄関わりなく強力な存在であり、多くの生物の例にもれず、彼らは子育てをしている時期が一番凶暴になる。いくら飛竜騎兵の里で生まれ育ったセークの一族と言えど、飛竜の背に乗っていない騎兵など、当然のごとく「一人の人間」でしかない。
 彼ら飛竜の巣に潜入することは、一族としての成人の儀と同等であると同時に、大いなる自殺行為となる場合がほとんどだ。その勇気がない者、生き抜く知恵や力量がない者にとっては、飛竜の巣はただの災害の坩堝(るつぼ)でしかなく、実際、巣に入り込んで無事に“相棒”を見つけられる例はそれほど多くはない。生還できたものは“相棒”を獲得するが、さもなければ「死」あるのみという摂理に、古来より従ってきた存在の末裔が、彼等飛竜騎兵(ワイバーン・ライダー)の部族なのだ。
 故に、魔導国に編入され、「死体の提供」が義務付けられる現在の飛竜騎兵らにとっては、滅多なことでは飛竜の巣に挑むことはしなくなった。提供すべき死体を回収しようにも、“喰い荒らされた後”ではそれは不可能なことであるが故に。
 さらに言えば、魔導国は魔法詠唱者を代表する「特別な才覚を持つ者」を広く募っており、“相棒”を得られなかった飛竜騎兵でも、運が良ければ、領地の外で「ひとかどの存在」として受容できる受け皿が整えられているからというのも、影響としては大きい。おかげで魔導国の人口と平均寿命は増加の一途を辿っている。

「飛竜の巣は、今の我々にとってはただのモンスターの巣窟に過ぎません! いかにモモン殿やカワウソ殿の力が強壮強靭だろうと、無謀すぎる!」

 勿論、モモンやカワウソの力量であれば、あるいは無事に済む公算は大きい。
 が、それはそれで、大問題に発展しかねない。

「たとえ無事に済むとしても、飛竜を、つまりモンスターを狩る行為は、魔導王陛下が認めた一定の領域、冒険都市などの一部解放区に限定されています。飛竜は魔導王陛下の保護対象モンスター。人の領地内に入り込んだものを自衛目的で討伐する分についてはお咎めをうけませんが、自ら率先して赴いて飛竜を掃滅されては、それこそ法に(もと)る。弁解の余地なく、大罪人として処理されます!」

 たとえ一等冒険者の“黒白(こくびゃく)”だろうと、例外とは言えない。そんな超法規的な存在ではないのだ、一等冒険者というのは。
 魔導王の特別な推挙を得た英雄“モモン・ザ・ダークウォリアー”として、王の法に背くことなど、ありえない。

「だが。可能性があるのが飛竜の巣だけとなれば、調査は必須事項にあげられるでしょう。私はカワウソさんの案を支持しますよ、ハラルド隊長」
「モ、モモン殿!」
「無論、飛竜たちに危害を加えることは一切しない。竜除けや不可知化のアイテムを使って、調査は隠密裏に遂行するつもりです。巣の中で、これと同じ黒い個体がいても、狩ることなく撤収すると確約しましょう。モンスターを“狩る”のではなく、“調査する”分には、法に背くことではない」

 事情を知らなかったまま意見していたカワウソは、内心でモモンの言に感服してしまう。
 なかなか思い切った裏技を使ってきてくれて、純粋に驚いた。
 ハラルドもそこまで約束されてはぐうの音も出ない。「それならば、大丈夫でしょうが……しかし」と懸念はこぼし続けていたが。

「それに、このタイミングでの飛竜の異常変異個体の出現……偶然と片づけるのは、危険だと思われる」

 モモンの語る内容を、一番隊隊長は疑問する。
 何のタイミングだろうと首を傾げるハラルドに、カワウソは嫌な可能性を口にしてしまう。

「……ヴェル・セークと、この黒い竜……何か関係している、と?」

 確証はないと呟くモモンに、だが、カワウソは大いに同調する。
 ヴェルの謎の暴走の翌日に現れた、異様に過ぎる謎の黒い飛竜。
 ハラルドは、事態の重みをひしひしと感じたように、黒竜の死相を、ただ見下ろしていた。





 ×





 セーク族長邸の地下深く。
 狂戦士を幽閉する独房内で大人しくしていた彼女は、外が騒がしくなるのと同時に、奇妙な“声”を聞いた気がした。

「ラベンダ?」

 自分の相棒を呼ぶが、聞こえる声は慣れ親しんだ飛竜のそれでは当然ない。その声は、飛竜とは思えないほど変質しており、まるで割れ響く歌声のようにも思える。知っている声では、ない。

「……誰?」

 声は小さな男の子のように思われる。
 彼女は誰にともなく(たず)ねた。
 同時に、気分が酷く悪くなる。
 彼女の問いに応える声は、答えになっていない悲鳴を奏で続け、その意味を推し量ることすら難しい。
 ただ、その声は、とても幼い狂音は、ひっきりなしに叫んでいた。
 読み取れた言葉は、二つだけ。

 ──タスケテ。
 ──コロシテ。

 ヴェルは、自分の脳内を無茶苦茶に撹拌(かくはん)するような意志の暴力に対し、額を抑えて耐えようと試みるが、あまりにも酷い頭痛と吐き気に襲われ、ベッドの上にふらつき倒れる。
 その間にも、声は先と同じ二言を吐き出し続けた。

「……誰、なの?」

 悲しい声の主は答えない。
 己の名すら黒く染められたかのように、その声は我を失っていた。
 自らを抹消することを希求して止まない子供の声は、狂ったように二言を叫びながら戦い続け、そして討たれた。
 ヴェルは半ば意識を失いながら、両目が燃え焦がれるかと思えるほどの涙を流し、その子の死を嘆き、悲しんだ。
 永遠に続くかと思われた苦しみから解放された子の魂が、安らかな声をあげて逝けたことが判って、安堵できた。

「何……今の?」

 起こった現象の意味を、ヴェルは正確に理解することができない。
 ただ。
 倒れたヴェルは気づいていなかったが、涙でいっぱいの両眼には朧げに、狂戦士の焔の気配が、揺らめいていた。





 







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/Wyvern Rider …vol.8





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 ナザリック地下大墳墓にて。

 主人であるアインズのいない執務室には、随分と慣れた調子で大画面の映像を覗き込む守護者たちの姿があった。
 映像には、彼等の主人にして、大陸世界を統一した唯一存在・魔導王として君臨すべき御方が、世を忍ぶ仮の姿である冒険者の出で立ちを取って、飛竜騎兵の領地に突如として現れた暴竜の息の根を、完膚なきまでに叩き潰した瞬間が。
 その補助を務める栄誉を与えられたプレイヤーの姿に、五人は一斉に快哉を挙げる。

「くふふ……アインズ様の術中に、連中は完璧にはまっているわね」
「まったくでありんすえ、アルベド! 愉快痛快とは、このことでありんす!」
「ウム。我々ノ誇ル御方ガ築キ上ゲシ、アインズ・ウール・ゴウン魔導国──ソシテ、御方ガ創リシ英雄(モモン)ノ素晴ラシサヲ前ニシテ、連中ハ感服ノ限リヲ尽クス。ソレニヨリ、我々ヘノ敵対意識ヲ低減サセ、可能デアルナラバ我々ノ統治下ニ帰属サセヨウトイウ御心ノ深サ。誠ニ、見事!」
「さっすがは! 私たちのアインズ様だね!」
「そ、そうだね。お、お姉ちゃん!」

 守護者たちは暇を持て余しているわけではない。
 アルベド、シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレ……彼らに与えられた任務は最重要に位置付けられるもの。
 政治・軍事・経済・魔法、あらゆる国の一大事業に関わる重要な役儀を仰せつかっている場合が大半であり、それを滞らせることはアインズが目指す「魔導国の未来の安寧」にとって、決して無視できない損失を生み出す事態に繋がりかねない。無論、魔導国の各教育機関より輩出される優秀な人材を登用することで、ある程度の時間的余裕は取れるのだが、その余裕が、各階層守護者全員ぴったり同じタイミングで休息し、顔を合わせることが叶うという機会を勝ち取る場合というのは、滅多にない。アインズからの緊急招集を受ければ話は別だが、今回の場合は、ほとんどが守護者たちの我意によるところが大きい。

「あの連中に対し、アインズ様が秘密裏に接触を図ることを望まれた。そこにはきっと、深い意味がある」
「まぁ、おそらくは。連中を懐柔(かいじゅう)篭絡(ろうらく)しんすことで、魔導国の支配下に組み込み、アインズ・ウール・ゴウンの偉大さを、さらに盤石なものにせんとする意図がありんしょうえ」

 満足げに主張するシャルティアの言は、この場にいる全員が了解している規定事項のひとつだ。
 至高の御方々のまとめ役、アインズ・ウール・ゴウンは、100年後に現れた謎のギルドにまで慈悲をかけ、奴らを効率よくアインズ・ウール・ゴウンの支配下におくことで、共に存在することを許そうというのだ。これを慈悲と呼ばずに何と呼べばいいのか、守護者たちにはわからない。

 天使ギルド(ギルドの名称は不明な為、とりあえずそのように呼称されている)の連中は、昨日の昼過ぎから、ギルド拠点周囲の土地での積極的な調査活動は行わなくなった。外で活動し、魔法都市に赴いた堕天使などから情報を受けて──というよりも、堕天使が破壊した森が再生しているありさまを目撃したことで、自分たちがどれほどに危機的な状況にあるのかを、漠然とながら察知しているということなのだろう。遅きに失した感はあるが、それぐらいのことを考える知恵は働くようだ。
 以前よりも周到に、高度に、多層に渡って幻術を張り巡らせた鏡の他に、「沈黙の森」の奥部……堕天使の破壊から元通りに再生を果たした地点に設置された新たな鏡が置かれていることも確認済みである。
 いずれの鏡も、幻術を突破しうるナザリックの力によって、情報管理官のもとに常時観察中。鏡には天使ギルドのNPC二体が一定時間ごとに交代しながら防衛しており、平野の方は天使が、森の方は獣たちが守護している。森に増設された方は囮か、さもなければ緊急脱出路か……あるいはシステム・アリアドネを考慮に入れた配置だと推察できる。

「でもさ、アルベド、シャルティア。あの黒い飛竜。いったい何なのか、聞いてる?」
「ま、魔竜とか邪竜にしては、その、小さすぎる、よね? 首もあれ、そんな太くないし」
「あれは、きっとアレでありんす。デミウルゴスあたりが仕込んだとかいう」
「確かに。デミウルゴスが何か用意していると、聞いているけれど」
「フム。デミウルゴスデアレバ、アリエルカ」

 全員が、アインズ──冒険者モモンによって首切られるという最大級の栄誉を賜ったモンスターの詳細について意見を述べた。
 ちょうど、その時。

「やぁ、皆さん。遅れてしまって申し訳ない」

 噂をすれば影という、まさに完璧なタイミングで、ナザリック地下大墳墓が誇る最上位悪魔(アーチデヴィル)が、同僚の執事(セバス)に廊下を案内されて執務室に参上した。
 デミウルゴスとセバスの遅い登場に、全員別段の不満を懐くでもなく、二人を迎え入れた。
 アウラは変わらずまっすぐな調子で問う。

「何やってたのさ、デミウルゴス?」

 第九階層に詰める執事(セバス)は、最後に到着した守護者を迎えに行っていただけで、遅れたということはない。ここにいる全員をこの執務室に案内した老執事は入室して間もなく、デミウルゴス分の紅茶を用意し終えると、執事として相応しい鋼鉄のような立ち姿で、今回の守護者たちの会合に顔を連ねる姿勢を整えた。
 悪魔は微笑みを深めて、闇妖精(ダークエルフ)の乙女に応じる。

「アインズ様の久々の“御出陣”ということで、パンドラズ・アクターの政務補助の方をね」

 宝物殿の領域守護者である彼は、デミウルゴスやアルベドと並び称される叡智の持ち主。だが、彼は創造主のアインズを含む至高の四十一人が残した“宝物殿”の品々の管理に心血を注ぐことを本分として生み出された存在であるため、長く宝物殿を空けておくことが難しい。パンドラズ・アクター流に言えば「辛抱たまらん」という状態に陥るため、魔導王アインズの姿で政務や公務を円滑に且つ迅速に遂行すべく、彼を補佐しバックアップする要員として、魔導国の大参謀たる悪魔が派遣されたのは、無理からぬ事態であった。何より、完璧完全なるアインズの統治能力には百歩どころか千歩も劣るNPCである彼らが、主人の代役をたった一人でこなすなど不可能なこと。アインズが一時的に抜ける穴を埋めるためには、ナザリックの誇る智者が、最低でも二人体制で臨まなければ、愛する主人の国政に瑕疵(きず)を与えかねない以上、この政務補助体制は絶対に崩すことは許されない。
 最近では三人の智者に並ぶとも称されるほどに研鑽(けんさん)を積んだ“若君”の力も借りることが多くなっているが、「自分などまだまだ」というのが、王太子殿下の人柄の良さを物語っている。

 アインズの“モモン”としての出陣は久々な上、それが決定したのは“昨夜”ということもあってか、その擦り合わせ作業にデミウルゴスやアルベドたちが奔走することになったのは、言うまでもないこと。
 勿論、そのことで生じる参謀や宰相をはじめとした各守護者やシモベたちへの負担などについては、不満など出るはずもなかった。むしろ彼らは、主人の願いや望みを叶えるべく創造された存在。その成就のために労を尽くせることをこそ、至上の喜びとするNPC(シモベ)たちなのだ。これまでナザリックの為にアインズが惜しみない愛情と尽力を注いでくれている事実を思えば、感謝こそすれ不満を懐くことなど、シモベにはまったくありえない思考回路である。
 アウラは長く伸びた自分の毛先を、指先でつまみながら頷くしかない。

「まぁ、そうだろうとは思ってたけどね」
「それに。彼奴等(きゃつら)天使ギルド連中の動向も、逐一把握しておかなければならない。監視態勢は24時間に渡って継続できるよう、あれ(・・)をはじめ、アインズ様直々に創造した部隊も投入されている現状下ではありますが、油断は許されませんからね。今一度、奴らに関して判っていることを皆さんと共有したいと思い、資料をまとめておきました」
「……ちょ、これを政務補助の合間に用意しなんしたと? この量をでありんすか?」
「ええ、シャルティア。ほんの片手間ですが」

 あたりまえに過ぎることを確認しつつ、デミウルゴスが空間から取り出したのは、なかなかの厚みがある書類の束。
 これには、接近できる限りの範囲で──数km圏より外側より空撮しておいた天使ギルドの構成員だろう連中のスナップ写真や行動記録など──その要約(レジュメ)を、ここにいる人数分、用意していた。全員が配られた紙束を手にとり、付属している写真の中の影を記憶していく。

 赤黒い円環を戴く堕天使が一体に、
 NPCと思われる者たちが十二と、四匹。

 金髪碧眼の女騎士、銀髪褐色の修道女、銀髪美貌の牧人、赤髪片眼鏡の魔術師、暗灰色の髪の黒衣、明灰色の髪の白衣、全身鎧を纏う巨兵、袈裟を着る有髪僧、蒼髪に剣装の少年兵、黒髪黒褐色の巫女、緑髪褐色の踊り子、銃火器を軽々と担ぐ赤ん坊……これらに、フェレットのような小さな獣が四匹、追加される。
 これら以外の存在は、現在までのところ確認されていない。
 この空撮された者らが、拠点の出入口である鏡から飛び出してきたすべてだ。

 拠点の内部構造把握や、さらなる拠点構成員……PCやNPCの有無については未知数。事態が事態だけに、無理矢理に突貫していくという策はありえない。魔導国の臣民たる「冒険者」を派遣して調査するというのもナシだ。今は、こちらから奴らに対して付け入る隙を与えるべき時ではないのだから。
 デミウルゴスは簡潔に、100年後に転移してきたギルドの首領についての情報を伝達する。

「アインズ様の御推察されるプレイヤーは、この堕天使。
 マルコとのやり取りで判明した個体名、カワウソ。彼の者の従者として常に傍に侍る女天使、この個体名はミカということも解っておりますが、いずれも偽名や偽称の可能性もありますね」
「カワウソって、水辺にすむ動物の?」
「やもしれませんが、確証のない話です、アウラ。ここでは単純に、堕天使とだけ呼んでおきましょう」

 デミウルゴスはレジュメの三ページ目を開くよう、同僚たちに求めた。

「奴の情報の中で特筆すべきは、堕天使でありながら天使の輪に酷似する装飾を浮かべ、それは戦闘中であろうとも、彼の者から離れることは一切ないこと。ティトゥス司書長やユリを動員して図書館のデータと照合しておりますが、堕天使でありながら“天使の輪”という特徴を戴くことはありえないということが確認されております」

 堕天使は強力な物理攻撃や魔法攻撃、状態異常(バッドステータス)に“(もろ)い”特性を持つ。
 それを考えると、奴の装備は中々にスカスカで軽い印象しか見受けられない。
 鎧と足甲は重厚そうだが、その両腕は堕天使の日に焼かれた肌色をさらし、弱点となる頭部をさらした姿でいるというのは、一体どういう了見なのか理解に苦しむ。あれでは超長距離狙撃によるヘッドショットでもくらえば、あっという間に死んでしまうはず。あの赤黒い円環によって、不可視不可知の防御手段が展開されている感じなのだろうか。
 他にもいくつかの推論は成り立つが、現状において確実な情報でもない為、この場では割愛する方がいい。時間は有限。より重要な確定情報をデミウルゴスは(そら)んじた。

「あの堕天使プレイヤーは、死の騎士(デス・ナイト)をはじめとする捜索隊や、森を破壊した攻撃方法から察するに、神聖属性に重きを置いた存在であることが推察できます。写真D-01~06で見受けられる剣から放出される光の斬撃は、聖騎士(ホーリーナイト)聖上騎士(パラディン)に連なる攻撃スキルのそれと酷似しておりますね」
「つまり、あの堕天使は、アインズ様とは相反する属性に長じた存在、ということですね?」
「ええ、セバス。その可能性は極めて高い。堕天使の割に、神などへの“信仰”を頼みとする聖騎士というのは奇矯な話ですが、何はともあれ、これは憂慮すべき事態であることに変わりない」

 吸血鬼なのに信仰系魔法詠唱者が一人この場に着席しているが、天使種族の信じる神というのと、シャルティアの信じる邪神“カインアベル”とは当然、違う。奴がどんな神を信じているのか、興味は尽きないところだ。
 デミウルゴスは続ける。

「ですが、奴がアンデッドにとって危険極まる信仰系職業(クラス)保有者である事実は、アインズ様も当然の如く御承知のこと。既に、アルベドやシャルティアの協力のもと、奴等と接触する上で十分な神聖属性対策と天使への防御手段は講じられており、熾天使の中でも最上級の力を示すものがいなければ、(おそ)れるには値しません」
「で、でも、あの、デミウルゴスさん。えと、こ、このレジュメ、じゅうろく、ページの、その」
「……何が言いたいの、マーレ?」
「マーレは堕天使の従者を務めている女天使を危惧しているのよ、アウラ」
「ええ。少しとびますが、マーレの言う通り十六ページ目をご覧ください」

 (うなが)され(ページ)をめくった守護者たち──アウラ、コキュートス、セバスが目を見開いた。

「ちょ、デミウルゴス! これヤバいじゃん!」
「ナ、ナントイウコトダ……」
「これは、しかし──」

 判別できた種族レベルは、ほんのごく一部でしかなかったのだが、それでも、その情報は守護者全員の意識を縛り上げるのに十分な効果を発揮した。

「まさか……あの女天使が、熾天使(セラフィム)ですと?」

 デミウルゴスは、執事らしい沈黙を保ちきれなかったセバスの懸念を補説する。

「遠方遠隔地からの鑑定ですので、これ以上は調べようがありませんが、ニグレドは数度に渡って、隠密裏に、奴らにそれと悟らせること無く、鑑定を続けてくれました。この情報の精度は確かです」

 ユグドラシルでも、ある程度までは敵の「情報」を読むことに長けた魔法や特殊技術(スキル)などが存在しており、それを使って、ユグドラシルプレイヤーは未知なるゲーム世界内で邂逅するモンスターの強さを断定できた。それを流用・強化することで、場合によっては敵対するPC・NPCの正確な種族・職業レベルを鑑定し尽くすことも可能で、その情報をもとにプレイヤーたちは敵の扱うステータスや属性、得意な戦法、弱点などの有無などを推理考察する仕様であったのだ。
 ミカたちに代表される拠点NPCたちは、その仕様上、プレイヤーほど情報系魔法や特殊技術(スキル)に対する対策は、そこまで機能し得ない。が、ナザリックが誇る情報の専門家──情報系魔法に特化したレベル構成のニグレドなどは、自身の身体能力や戦闘手段をほとんど持たない代わりに、その機能を発揮するだけの力を与えられた存在。
 アルベドの姉という立場にある、現ナザリックに存在する全混血児(ハーフ)の乳母的存在として一定の支持を得ている情報系魔法詠唱者の手腕は絶対的だ。デミウルゴスがこの情報に太鼓判を押して当然な確度を誇っている。
 だとしても。
 否、だからこそ。
 得られた情報は、ナザリックのNPCたちに、ある種の危機意識を植え付けるのに十分な可能性を想起させた。

「奴等の拠点には、熾天使が満載されている可能性も、否めないということね」
「まったく。……忌まわしいことでありんす」

 アルベドとシャルティアがぽつりと零す。

 熾天使は、ユグドラシルでも中々レアな異形種(モンスター)として有名であった。
 月天の熾天使(セラフ・ファーストスフィア)から始まり、水星天(セカンドスフィア)金星天(サードスフィア)……恒星天の熾天使(セラフ・エイススフィア)原動天の熾天使(セラフ・ナインススフィア)と続き、最終的には至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)という最大最上クラスにもなれば、守護者たちの主人たるアインズであっても、警戒して余りある脅威となる。守護者の中の何人かは、まともにぶつかっては勝機など見込めないほどの力を、最高位天使たる熾天使(セラフ)(クラス)は秘めているという、事実。
 唯一の救いというか、付け入る隙となるのは、現在まで確認された純粋な熾天使(セラフィム)というのは、あの黄金の女騎士一体に限定されているところだろう。
 他の連中は鑑定できた限り、智天使(ケルヴィム)主天使(ドミニオン)、あるいはレア度の低い各種天使の他に、精霊(エレメンタル)翼人(バードマン)を複合させた個体が存在し、熾天使なみのレア度というのは、数多の剣を纏う蒼髪の少年兵の保有する“花の動像(フラワー・ゴーレム)”くらいだろうか。
 判別できる全員は、展開されている幻術や装備の影響で合計レベルなどの詳細については判然としていないが、部分的な、主たる種族構成を断片的に読むことだけは可能だった。
 これ以上の探査を敢行するとなると、ニグレドなどには現地にまで──つまり“スレイン平野”にまで足を運ぶことになるだろうが、彼女は情報系魔法に重きを置いたシモベである以上、自力での戦闘には不安が残る。かと言って、護衛体制を盤石整えて行こうとすれば大所帯になってしまい、連中に逆に探知発見されるような事態を招きかねない。
 慎重を期するのであれば、ここで無理をするのは愚の骨頂でしかないのだ。

「飛び出してきた連中全員が熾天使でないところから推察するに、連中はそこまで強力なギルドでないのか……あるいは、地上で活動していた連中は、拠点内の雑兵でしかないのか」

 可能性としては五分だと、デミウルゴスは評価する。
 地下潜伏型ダンジョン方式のギルド拠点というのは、その強弱に関わらず、そこに至るまでのフィールド──土地の特性や、棲息するモンスターの種類や総数によって、かなりの攻略難易度を誇る。都市や城邑のように、常に衆人環視の目にさらされるような拠点は、一部例外を除いて、得てして攻略しやすい。都市はプレイヤーが常時行き交うのに不都合がない環境が整っていたり、入口が四方八方──場合によっては、上空全周囲から侵入され攻略される危険性が高いことを考えれば、都や城などの拠点はまったく防衛には向かない。よほど強力な守護者を創り上げ、効果的な罠を敷設し、ある程度のフィールド特性──〈飛行〉魔法の禁止や特殊技術(スキル)使用制限など──を得ておかなければ、まるで話にならない。
 とすれば。
 ナザリック同様に地下潜伏型の特徴を持つあの天使ギルドは、生半可な情報で早合点し攻撃するのは、危険を通り越して馬鹿げた話でしかない。
 仮に、飛び出してきた十二体と四匹のすべてがLv.100と仮定するなら、その総数を合計して計算すると、拠点レベルは1600。無論、個体ごとに割り振りにばらつきがあるだろうことを考慮すれば、これよりもさらに低くなるはず。だとすると1200~1400が妥当な数字だろうが、何事も想定される以上の事態をも想定しておかなければ。

「我々もまた、油断なく連中と渡り合わねばなりませんことを、皆様にはご理解していただきたく思います」

 守護者たちが鋭く頷く様に笑みを深め、直近の問題──堕天使と直接接触しに赴いた主のことについて言及していく。
 改良に改良を重ねた“受肉化”の果実(アイテム)。完全完璧といえる人間の姿に変貌を遂げたアインズは、その装備をはじめ、従者役の孫娘(エルピス)や、すでに堕天使と接触して情報を送ってくれたマルコという、腕利きの護衛がついている。万が一の時には、守護者たちの何人かが緊急出動する態勢も万全となれば、連中が至高の御身を害する可能性は、万に一つも存在しない。

「でも、本当に大丈夫かな?」
「そんなに悲観することでもありんせん、アウラ」

 デミウルゴスが応じるよりも先に、親友の吸血鬼が闇妖精(ダークエルフ)の乙女を窘めた。

「アインズ様は、天使どころか“神”をも超越する存在。あの程度の奴儕(やつばら)に後れを取ることなど」
「そういう増長が危ないって、判って言ってるの。シャルティア?」

 シャルティアは思わぬカウンターに表情を「ぐぬぬ」と歪める。

「……でも、まぁ。不安がっても仕様がないよね。シャルティアの言う通り、悪く考えすぎるのもあれだし」
「そうよ、アウラ。アインズ様が約束された以上、必ず御帰還なさるわ。愛する私たちのもとに」

 同じ王妃として共にある女悪魔にここまで言われては、陽王妃たる乙女は納得するしかない。
 アインズ・ウール・ゴウンに敗北はない。
 そして、アインズが戻ってこない事など、ありえない。
 見上げた大画面では、堕天使の信頼を得たかのように話し込むモモンの姿が映し出されている。一行は至近にあった穀物を満載する倉庫に匿われ、そこで族長たちの到着を待つことになったようだ。
 危険の種子など何処にもない。そう確信させるような遣り取りが交わされていた。

「ソレデ、デミウルゴス。今後ノ方針ニツイテハ?」

 魔導国の国軍を預かる大将軍に、悪魔は軽く頷く。

「基本的には、引き続き監視と観測が続けられることになります。監視対象が増えるのは想定内の事態ではありますが、各都市に散った三体のNPCについては、有事の際にはアインズ様の上位アンデッドを投入することの許可も下りております」

 いっそのこと、各地に散った連中の三人をすぐさま拘束してしまえばともコキュートスは主張しかけるが、それはアインズの望む融和策を考えて否決する他ない。

「スベテハ、アインズ様ノ御心ノママニ、ダナ」
「ええ。いずれの行程を経るにせよ、あの天使ギルドを掌握することができるのであれば、ナザリックの支配体制に、さらなる力をもたらすことでしょう」

 プレイヤーの蘇生実験。
 他ギルドに属するNPCの生態調査。
 この世界における他ギルドへの干渉の可否について。

 奴らを懐柔し篭絡した暁には、魔導国は、ナザリック地下大墳墓は、さらなる飛躍と軍拡を遂げるはず。
 アインズはそのための布石として、奴等がナザリックに、魔導国に加わるに相応しい人材かどうかの測量を、自らの目で遂行しようというのだ。これは、デミウルゴスから見ても途方もない慈悲であり、同時に悪魔の大参謀には考えもしなかった──殲滅と蹂躙による暴虐以外の道を、アインズが開拓してくれた深謀遠慮を、如実に物語っている。
 確かに、連中を一気呵成に取り除く際のリスクを考えれば、一度は連中の懐に忍び寄り、急所を一刀のもとで深く抉ってしまった方が、跳ね返ってくる危険は薄まる。熾天使をはじめとした強力な天使モンスターによる反撃を許してしまえば、最悪の場合、国内でいらぬ騒乱や混沌を招き寄せるやも知れない。
 デミウルゴスが、何もアインズ自らが懐に入り込む役をやる必要は、当初思考の端にすら思わなかったのは、ひとえに至高の四十一人のまとめ役にして、自分達ナザリック地下大墳墓のシモベたちが唯一忠誠を尽くせる絶対君主──待ち望んだ継嗣である“若君”もいるが、やはり忠誠の度合いはアインズの方に軍配が上がるもので、それを当の“若君”も「当然」と認めている。父に似て、慈悲深い王太子なのだ──への負担と危難を一切排除したいという、NPCらしい忠道の思いからに他ならなかった。
 無論、連中の首領と目されるあの堕天使が、率先してナザリックの庇護下に(くだ)ることを認め、アインズの支配に従順でいるのであれば、悪魔には何の文句もないのだが。
 しかし。懸念は残る。

「で、でも、あの、デミウルゴスさん」

 成長した闇妖精の少年……ほとんど青年といってよい同胞が、さらに疑問する。

「何です、マーレ?」
「えと、あの人たちが、ナザリックに、その、そう簡単に、くだるのでしょうか?」

 果たして、そう上手くいくかどうか。
 マーレが言わんとする懸念は、デミウルゴスの叡智をもってしても、読み切れない。

「確かに、無知蒙昧に過ぎる下賤な輩では、我等ナザリック地下大墳墓の威光と支配の素晴らしさを解せず、反発することも十分にありえるでしょう。……かつて、このナザリック地下大墳墓の深部……私が守護する第七階層“溶岩”までを蹂躙し尽くした“プレイヤー”なる存在は、まったくもって、信頼には値しない。……皆さんも、覚えているでしょう? あの“大侵攻”の時を」

 刹那、憤怒に焦がれたのは、デミウルゴスだけではない。
 第九階層にいたセバス、第十階層の“玉座”にいたアルベド以外の四名……シャルティア、コキュートス、アウラ、マーレを含めたほとんどの階層守護者たちは、思い出すのも忌まわしき大侵攻──1500人からなるプレイヤーたちの連合に攻められたあの時、あの瞬間に、一度だけ力尽きた。
 自らの無力さを嘆き、敵であるプレイヤーたちの傲慢を呪いながら、彼らは等しく死の(とこ)につくことになった。

 ──そうして、すべてが終わった後。

 無残にも敗れ去り、無念にも役目を果たしきれなかった、無様な失態を演じた自分(NPC)たちを、御方々は深淵よりも尚深い愛と慈悲によって、復活を遂げさせてくれた。
 ナザリック地下大墳墓という最高の地を再び踏むことを許し、再び御方々のために働き戦うための命を、与えてくれた。

『よく戦った』

 そう復活した際に御方々から声をかけてくれた瞬間を、
 その時に懐いた尊崇と敬愛の念を、
 守護者たちは、覚えている。

「おっと失礼」

 目元の雫を悪魔は指の先ですくう。
 誰もそれを咎めることは出来ないのは、彼の胸に宿る感情と感動は、等しく全員が理解できていたからだ。

 この方々のために生き、
 この方々のために戦い、
 この方々のために死ぬ。
 こんなにも素晴らしいことが、他にあるはずもない。

 見れば、シャルティアも頬を濡らし、コキュートスが極寒の吐息を熱くし、アウラも服の袖で顔を拭い、マーレが鼻をスンと鳴らして嗚咽をこらえる。頷くセバスやアルベドも、彼等の復活を行った現場を目にしており、その時に懐いた想いは、ほとんど同一と言っても良い。

 全員が密かに、だが確実に至高の御方々への尊信を深め、唯一残