博麗になれなかった少女 (超鯣烏賊(すーぱーするめいか))
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序章
第一話 博麗になれなかった少女


主人公の名前が少し奇抜だと思われるかもしれません。
でも彼女は私の娘同然の大切な子です。
どうか優しい気持ちで受け入れてくださると幸いでございます。


 

 幻想郷の均衡を保つ『博麗の巫女』。

 

 代々人を守り、妖怪を退治してきた彼女達の間には血縁関係が無い。

 

 何故ならば博麗の巫女には元来より、処女でなければならないという決まりがあるからだ。

 男性と交わる事を許されていない彼女たちは、世襲的後継ぎは産めない。

 

 その為、博麗の巫女が役割を終える時、自身の子ではない一人の少女に博麗の名を託す。

 

 

 ……と言っても、博麗の巫女に選ばれる女性は総じて恋愛運が無いし、この決まり事の意味はあんまり無いんだけどね。

 

 

「ああ、そうか。私が博麗に選ばれなかったのは、それが原因か」

 

 

 玄関先を箒で掃いていた私は、誰に言うわけでもなく呟いた。

 

 博麗の巫女というのは即ち『モテない』の代名詞でもある。

 歴代の巫女も先代様も、どういうわけか男運・恋愛運には見放されており。引退した博麗の巫女が結婚したという話も聞いた事が無いので、ある意味彼女達は生涯に渡って生粋の巫女だったのかもしれない。

 

 うん、なるほど、当代の博麗の巫女(・・・・・・・・)もめちゃくちゃ不愛想だもの。

 あんなのに彼氏が出来るなんて、天地がひっくり返ってもありえない。

 

 その点。

 この私『八十禍津水蛭子(ヤソマガツ ヒルコ)』ちゃんは男子にモテモテだし?

 夫が出来る事なんて確定事項だし?

 そりゃあ博麗の巫女に選ばれるわけないわよねぇ!

 

 多分八雲紫も、その辺を考慮した上で、霊夢を博麗の巫女に選んだに違いない。

 

 ふふ、哀れな博麗霊夢ちゃん。

 その不名誉な名前を背負って一生魑魅魍魎達と乳繰り合ってなさい!

 

 あーはっはっはっはっ!!!!

 ……はは。はぁ。

 

「そう考えると、気が楽になって来たわね」

 

 脳内でひとしきり高笑いし終えると、心いっぱいに充実した気分で満たされる。

 虚しさもちょっぴりあるが気にしない。

 

 あーあ! 今まで霊夢の顔を見るたびにイライラしてた私が馬鹿みたい!

 

 ……あ、そうだわ!

 今日は天気も気分も良いし、久しぶりに霊夢に会いに行ってみよう。

 この大親友の顔を久々に見たらあの子、喜ぶぞぉ〜。

 

 

 

 

 ニコニコとした笑顔を浮かべながら竹箒での掃除を終わらせると、水蛭子は自室で姿見を眺めていた。

 その顔からは依然として笑顔が絶えていない。

 

「今日も私は可愛いわね〜……」

 

 己の顔を眺めて、ニヤニヤ。

 明らかに正気の沙汰ではない。

 しかし彼女にとってこれは毎日の恒例行事だ。

 

 世間一般の感覚からすれば、八十禍津水蛭子と言う少女は文句無しに美少女ではある。

 しかし生憎と言うべきか、この幻想郷という土地は女性の顔面偏差値が非常に高い。

 

 つまり生半可な美人は一般女性レベルなのだ。

 そんな土地で生まれ育ったからか、水蛭子は自分の容姿に少し自信がなかった。

 

 だから彼女はこうして継続した暗示を自身にかけ続け、かれこれ数年間女性としての自信を必死に保ち続けているのだ。

 

「……さて、そろそろ行こうかな」

 

 姿見から離れ、机に置いていたウェストポーチを肩から掛け、自室から出る。

 トタトタと廊下を歩き居間に差し掛かったところで、編み物をしている母に声をかけた。

 

「お母さん! ちょっと霊夢ん家行ってくる!」

「はいはい、気をつけていってらっしゃい」

 

 編み物を中断させた母が柔らかな口調で言うと、水蛭子はご機嫌に可愛らしい笑みを浮かべた。

 それから先程よりも大きな足音を立てながら家を飛び出した娘に、「幾つになっても騒がしい子ね」と苦笑した母は編み物に意識を戻した。

 

 しかし、先ほどの娘の言葉を思い出し、再び顔を上げる。

 

 

「……今あの子、霊夢って言ったかしら?」

 

 

 娘の口から幼馴染の名前が出てくるなんて、何年ぶりだろうか。

 

 

 里を出て空を飛び、霊夢が住んでいる博麗神社へと向かう。

 道すがら水蛭子は、今から会いに行く幼馴染の事を思い出していた。

 水蛭子が霊夢を最後に見たのは、およそ半年前くらいの事。

 言葉を交わしたのはもっとずっと前である。

 

 少しの間、空の散歩をゆるりと楽しんでいると、眼下に懐かしい神社の姿が見えた。

 相変わらずのボロ神社に苦笑して、水蛭子は神社の脇にある社務所の前に降り立つ。

 そして、一瞬だけ躊躇してから、木とガラスで作られた引き戸を控えめにノックした。

 奥から小さく声が聞こえたので、どうやら在宅らしい。

 

 家の中からトタトタと早めの足音が聞こえてくる。

 

「はーい、どちら様ですか……」

 

 ガラリと戸が開くと、中からは脇丸見えのヤバめな巫女服を着た少女が姿を現した。

 この少女が水蛭子の幼馴染であり、博麗の巫女である『博麗霊夢』だ。

 

 彼女は想定外の訪問者の顔を見てポカンと口を開き、惚けた声を溢す。

 

「……は、え?」

「おはよう霊夢! 久しぶりだね」

 

 水蛭子は数年振りに対面した幼馴染に向けて満面の笑顔を浮かべた。

 ……が、しかし。控えめに振られたその右手からは若干の気まずさの様なものが見てとれる。

 

 対して霊夢は、開いていた口を一度閉じて、瞼を瞬かせた。

 

「……えっと」

 

 霊夢は少しだけ水蛭子の顔を眺めてから、戸惑った表情で頬を掻き、そして一言。

 

「ごめんなさい。どちら様ですか?」

「は?」

 

 その言葉は水蛭子にとってあまりにも想定外のものだった。

 思考が追い付かなかった水蛭子の表情が、一瞬の間を置いて驚愕に染まる。

 あらんかぎりに開かれた口から、飛び出したのは特大の当惑。

 

「……はぁ!?」

 

 見開かれた橙色の瞳はわなわなと震え、水蛭子の受けたショックが相当なものなのだということが容易に分かった。

 

 その双眸にはじわりと涙が込み上げ。唇も震え始める。

 

(わた、私って……そんなに薄い存在だったの……!?)

 

 さて、号泣寸前のこの水蛭子という少女。

 彼女のメンタルはどちらかというと結構強い方に入る。どんなに嫌味な態度をとられても、どんなに理不尽な目にあったとしてもへこたれない。

 寧ろなにくそと逆に燃え上がるタイプだ。

 

 では何故そんな彼女が元々仲違いをしていた相手に忘れられていた程度の事でフツーに泣きそうになっているのかというと。

 

 

 水蛭子は霊夢のことが大好きだからである。

 

 

 根本的な話をすると、水蛭子は元博霊の巫女候補であり、先代博霊の巫女の元で修行していた身だ。

 博麗の巫女の座に霊夢が着いたことで彼女は博霊になれず、そのことから霊夢に対して妬み嫉みを抱いていた。

 それが二人が仲違いをすることになった原因だ。

 

 しかしその前、博麗候補時代の二人はとても仲の良い友人で。

 互いにとって、一番の親友と言っても差し支えない程の仲だった。

 

 加えてそもそもの話を言ってしまえば、水蛭子は霊夢に悪感情を抱いているが、霊夢の方はそういう感情は全く無く、水蛭子の事も全然嫌っていない。むしろ霊夢の方も水蛭子のことは大好きだ。

 つまり霊夢が水蛭子を忘れてしまう可能性なんてゼロ。

 

 そう。

 大切な幼馴染を、彼女が忘れる筈が無いのだ。

 

 

「ふ、ふふふ……」

「ぅ……? ちょっと霊夢、どうしたの……?」

 

 

 水蛭子がショックで固まっていると、霊夢は俯いて肩を震わせ始める。

 自分のことを忘れたことといい、彼女はどうにかしてしまったのではと心配になった水蛭子が声を掛けようとした、その瞬間。

 

 霊夢はバッと顔を上げ、水蛭子の顔を指差して大きな声で笑い始めた。

 

 

「あっはは! なんて間抜け面なのよ、冗談に決まってるでしょ! 冗談に!!」

「は、……なぁ!?」

 

 

 おちょくられた。

 

 それを確信した瞬間、水蛭子の頭の中に「屈」と「辱」の二文字が飛び回る。

 

(騙した? この私を……? コ……イツ……ッッ!!)

 

 ビキリと額に青筋を浮かばせ、今度は怒りから体を震わせ始めた水蛭子だったが、次の瞬間には全身を脱力させた。

 すーはーと深呼吸を数回繰り返し、目を閉じる。

 

(ま、まぁ? 会うの久しぶりだし、霊夢ったら舞い上がっちゃったのね。仕方ない仕方ない。私の方が一つお姉さんだし、妹分のこういう悪戯も寛大な心で許してあげなくちゃ……!)

 

 

「も、もう。酷いわよ霊夢ったら」

「あははは……いや、ごめんごめん。立ち話も何だから入って」

 

 

 霊夢は目端に浮かべた涙を拭いながら、水蛭子を社務所の中へといざなった。

 

「ふぅん……中は昔見た時とあんまり変わってないのね」

 

 水蛭子は久々に入る宅内をキョロキョロと眺めながら、履いてきた革のブーツを脱ぐ。

 霊夢を見てみると、脱いだつっかけサンダルを揃えながらまた肩を震わせていた。

 

 コノヤローまだ笑ってやがると、水蛭子は再び額に青筋を浮かばせたが、やはり数秒後には脱力させる。

 

 ちゃぶ台だけが置いてある寂しい居間に案内され、腰を下ろした薄っぺらな座布団に思わず苦笑してしまう水蛭子。

 それから、お茶を持ってくるわと言って部屋から出て行った霊夢の後ろ姿を見送ってから、ぼんやりと考え始める。

 

(……なんかあの子、明るくなったわね)

 

 霊夢の様子を思い浮かべながら、水蛭子は考えた。

 

 半年前に霊夢を見た時はあくまでチラリと視界に入れただけなので、言葉は交わさなかった水蛭子。

 だけれど、最後に言葉を交わした時は、少なくともあそこまで明るい性格では無かった筈だ。

 

 仲の良かった二人だが主に話していたのは水蛭子の方で、霊夢は頷くだけか、「へぇ」や「そう」とか、最低限の相づちしか打たない、割と素っ気ない性格の女の子だった。

 少なくとも、出合い頭にあんな心臓に悪い冗談をかましてくる子ではなかった筈だ。

 

 一体何が、誰が彼女をあそこまで社交的な性格に変えたのか、水蛭子はひどく気になっていた。

 

 そんな感じで水蛭子が唸っていると、霊夢が急須と湯飲みと煎餅の入った皿を乗せた盆を持って戻ってきた。

 

「はい、粗茶だけど」

「ありがとう」

 

 水蛭子は霊夢から湯飲みを受け取ると、さっそくこくりと茶を飲む。

 

「あ、美味しい」

「ふふ、良かった」

 

 なかなか美味しいお茶だ。

 

 水蛭子の向かい側の座布団に腰を下ろした霊夢も、湯飲みを手に取った。

 お茶を飲んであらほんとに美味しい、と呟いた霊夢は、さてと水蛭子に問いかける。

 

「それで、何の用なの? あれだけ私を毛嫌いしてた癖に」

 

 とても穏やかな表情で霊夢は問いかける。

 それに対して、水蛭子はむんずと腕を組みながら。

 

「私、アンタを許すことにしたのよ」

「許すって……別に私は悪い事してないじゃない」

 

 水蛭子の言葉に霊夢が苦笑しながら言うと、フッと睫毛を下に向けた水蛭子が頷く。

 

「そう。……私はただ、悔しかったのよ。アンタが博麗の巫女に選ばれたのが」

「……」

「博麗の巫女って、人里の人間からすれば英雄みたいな存在じゃない? 私も先代様に憧れていたから、どうしても博麗の巫女になりたかったの」

 

 そう言って水蛭子は、ギュっと自身のスカートの裾を強く握る。

 

「博麗の巫女の候補として選ばれて先代様に師事し始めてから、里の皆も応援してくれて、お母さんも誇らしげにしてて。私はそんな皆の気持ちに答えたくて、必死だった」

「水蛭子は、昔から里の人達の人気者だったもんね」

「光栄な事にね。でも、八雲紫は私じゃなくて、ずっと私の隣にいたアンタを選んだ」

「……ごめん」

 

 霊夢が俯いて、小さな声で謝った。

 そんな彼女を見て、今度は水蛭子が苦笑した。

 

「謝らないでよ。むしろ私の方が謝りたいの」

「え?」

「霊夢の言う通りだよ。霊夢は何も悪くない。悪いのは勝手にいじけて、アンタから離れていった私」

「水蛭子……」

 

 震える声で話す水蛭子に、霊夢の胸がズキリと痛んだ。

 ちゃぶ台に手をついて、とてもか弱く見える幼馴染の頬に手を伸ばす。

 

 頬に添えられた白く細い手を触りながら、水蛭子は顔を上げた。

 

「ごめんね、霊夢。今まで無視して。今まで逃げてて」

「い、良いのよ。もう気にしてないもの」

 

 焦ったように手を振る霊夢を見て、水蛭子は涙目のまま笑った。

 

「昔私、霊夢のこと大嫌いって言ったじゃない?」

「……うん」

「ホントは霊夢のこと大好きだったし、ずっと仲直りしたいって思ってたの」

「うん。私も」

 

「でも自分から離れていった手前、仲直りしようだなんて都合の良いこと、言えなかった」

「そんなこと……」

「良いのよ。ホントに、私が全部悪かったんだから」

 

 悲愴な面持ちで話す水蛭子を見て、霊夢も辛そうに顔を歪める。

 そんな霊夢はすくと立ち上がって水蛭子の隣に移動すると、彼女を横から優しく抱きしめた。

 突然の事に水蛭子は戸惑いの声を上げる。

 

「霊夢……?」

「ねぇ水蛭子。……私、明るくなったと思わない?」

「う、うん」

 

 明るい口調で言った霊夢に、水蛭子が頷く。

 寂しそうな笑みを浮かべながら、霊夢が言う。

 

「水蛭子が離れていった後ね。私すごく寂しかったんだ」

「……うん」

「私って、あんまりお喋りが得意じゃなかったじゃない? でも、水蛭子はそんなのお構いなしに話しかけてくれた。私の不愛想な態度を気にせずに接してくれるアンタと一緒にいると、なんだか穏やかな気分になれたの」

「そう、なんだ」

 

 霊夢の心の内を知った水蛭子が、嬉しそうに笑った。

 

「水蛭子がいなくなってからは、人と触れ合う機会がめっきり減ったわ。でも最初の頃はあまり気にしてなかったのよ? たまに参拝者とか知り合いも来るし、紫も定期的に様子を見に来てくれるし。……それでも、ホントに最近、「あ、水蛭子が居ないと寂しいな」って、気付いた」

 

 霊夢はゆっくり体を水蛭子から離して、自嘲の笑みを浮かべた。

 

「それで、仲直りしたいって思ったんだけど、ずっと仲違いしてる水蛭子と今更顔を合わせに行くのも、なんだか気恥ずかしかったの」

「……うん」

「だから、変わろうって思った」

「え?」

 

 にこりと笑ってから、霊夢は煎餅を一枚摘み、縁側へと出た。

 

「水蛭子に会いに行く勇気が出ない自分が情けなかったから、もっと強くなろうって」

「アンタは、十分強い子じゃない」

「そんなことない。私一人じゃ、全然強くなんか」

 

 一拍置いて、霊夢は煎餅を一口齧った。

 

「さっき言った知り合いの中に、元気の塊みたいな子が居てさ、ソイツに相談してみたんだ。どうやったら仲違いした友達に会いに行く勇気を出せるかなって」

「そんなの、いきなり言われたら相手も困るでしょうに」

「それがソイツったら、私の話しを聞いたとたん大笑いしてさ。そんなの難しく考えなくて良いんだよ!って言って、私を強引に里まで引っ張っていったの」

「ええ~……?」

 

 霊夢にできた思った以上にアクティブな知り合いに、水蛭子は軽い困惑の表情を浮かべた。

 

「一回だけ、水蛭子ん家の前まで行ったのよ?」

「え、そうなの!?」

 

 笑いながら言う霊夢の言葉に、思わず驚愕する。

 彼女が自分の家まで来ていただなんて、全く気が付かなかったのだ。

 

「でも寸前になって、やっぱり恥ずかしくなって逃げちゃった。その知り合いには呆れられたけど」

「ごめん。その時、私が気付ければ良かったんだけど……」

「無理よ、一分もしない間に逃げたんだから」

「あら……ふふっ」

 

 少しおどけたような口調で言った霊夢に、思わず笑ってしまう。

 

「でも、嬉しい。会いに来ようとしてくれてたんだ」

「うん。でも結局、水蛭子の方から来ちゃったけどね」

 

 振り返った霊夢と顔を見合わせると、水蛭子は笑った。

 霊夢も釣られて笑いをこぼす。

 

(なんだ、霊夢も私のこと想っててくれたんだ……)

 

 そう考えてから、水蛭子は今まで自分が霊夢を避けてきたことに猛烈な申し訳なさを感じ始めた。

 霊夢は悪くないのに、彼女に寂しい思いをさせてしまっていたのだ。

 

 水蛭子は霊夢のいる縁側まで行き、先程彼女にしてもらった様に横から彼女を抱きしめた。

 

「ひ、水蛭子?」

 

 感覚の短いまばたきをして慌てた口調で言った霊夢だったが、やがて落ち着きを取り戻すと穏やかに微笑み、水蛭子を抱きしめ返した。

 

「ごめん霊夢。ごめんね」

「それ、さっきも言ってたじゃないの」

「何回言っても足りないわよ。私、霊夢の気持ちを全然考えれてなかった」

 

 そう言ってから、水蛭子の瞳にじわりと熱いものが込み上げて来る。

 

(私は、なんて自分勝手だったんだろう)

 

 一時的な嫉妬で、親友だった彼女から離れて。

 大嫌いだなんて、心にもないことを言って。

 

 あの時の霊夢の顔が、今でも水蛭子脳裏には焼き付いている。

 

 「大嫌い」という水蛭子の言葉に、少し呆然としてから、いつもの無表情に戻った顔。

 それでも、その黒曜石の様な瞳から感じた確かな悲しみから目を逸らし、水蛭子はその場から逃げた。

 

 それが、二人が共に過ごした最後の瞬間だった。

 

「今更、仲直りなんて虫が良すぎるよね」

 

 自分より霊夢の方が、よっぽど辛かったに違いない。

 水蛭子は俯いて、自嘲気味に笑う。

 

 今更霊夢と友達に戻るなんて、図々しいにも程があると、水蛭子は諦めていた。

 

 

「────そんなことないっ!!」

「えっ?」

 

 

 霊夢は大きな声で水蛭子の言葉を否定する。

 

 彼女は水蛭子の両肩を掴み、続けて語りかけた。

 

 

「私だって水蛭子と仲良くしたかったって言ったじゃない! 私と貴方が同じ思いをしてるんだから、虫が良いとかどうとか、そんなの関係ないじゃない!!」

「で、でも……」

「でもじゃない! もう一度、友達になろう水蛭子!! 昔みたいに一緒に遊んだり勉強したりしてさ! 私に寂しい思いをさせたって感じてるんなら、もう私が寂しいと感じないくらい、これから沢山、たくさん! 楽しいことを一緒にしようよ!!」

「……れい、む……」

 

 水蛭子の視界が霞み、ぼろぼろと大粒の涙が頬を伝っていく。

 

 この子は、許してくれるのか?

 こんな自分勝手な自分を。

 

 水蛭子は服の袖でぐしぐしと目元を拭うが、溢れ始めた涙は止めどなく流れ続ける。

 鼻をすする音が聞こえた。どうやら目の前に居る彼女も泣いているらしい。

 

(なんで、こんな真昼間っから、良い年した女が二人して号泣しなくちゃならないのよ……)

 

 そんなことを思う水蛭子の思考とは裏腹に、涙は依然と止まる気配をみせなかった。

 

 

「ごめんね! ごめんね霊夢……大好きだよ……!!」

「私も……水蛭子のこと、大好き……っ!!」

 

 

 二人は、どちらからともなく再び抱き合った。

 

 強く、強く。

 

 長年共に過ごせなかった時を、必死で埋めるようとしているように。

 

 




 
博麗の巫女には何人かの候補がいて、「最終的に八雲紫が選出→博麗爆誕」みたいなシステムってありそうじゃないですか?

仮にそのシステムがあったとして、選ばれなかった少女は選ばれた少女に何を思うんだろうか。
適当に考えたその設定に、なんか悶々としてたので、書いてみました。

水蛭子という少女がどんな未来を歩むのか、まだ私にもわかりません。
出来ることなら、清く正しく、友達思いの良い子のままでいてほしいですね。


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第二話 博麗の二人組

 

 暫くの間流し続けていた涙を拭い、抱擁をとく。

 赤らんだ頬と鼻面を手で隠すようにしながら、はにかんだ口調で霊夢が言った。

 

「えっと……お昼、食べてく?」

 

 ということで、この日の昼食は霊夢の手料理をご馳走してもらうことになった。

 

 献立は白ご飯にお味噌汁、焼き鮭と付け合せの沢庵というシンプルなもので、しかしその味はまさに絶品という他なかった。

 お米の炊き具合、味噌汁の塩梅、鮭の焼き加減にめちゃくちゃ美味しい自家製だという沢庵。

 霊夢の料理を食べたのは久しぶりで、元々結構な腕だったのは覚えていたけど、そこからの上達ぶりが凄まじい。

 ご馳走に舌鼓を打ちながら、私も負けてられないなと口の中で呟く。

 

 そして食後は、散歩がてら人里まで歩くことにした。

 

 いつも長距離の移動は面倒くさくて、飛ぶことが多いんだけど、あんまり楽をし過ぎると健康的じゃないし、腹ごなしにもなるので徒歩が丁度良かった。

 ちなみに霊夢は有事の際以外は空を飛ばないらしい。

 なんだかこういうところでも格の違いが滲み出ている気がする。

 

 里に到着し、雑談をしながら歩いていると、視界に甘味屋さんが入った。昔、良く霊夢と訪れたお店だ。

 最近はあまり行かなくなってしまったが、懐かしさから隣を歩く霊夢に提案する。

 

「ねぇ霊夢、お団子食べない?」

「良いけど……太るわよ?」

「太ッ!?」

 

 予期せぬ返しに一瞬思考が停止する。

 

 中々痛いところついてくるわねこの子……。

 確かに最近、お肉が付いてきたかな〜とかお風呂場で二の腕や太ももを触りながら思ってたけど、普通に「良いわね!食べましょう!」って乗ってくれりゃ良いじゃない。

 

 口端が引き攣るのを感じながら、失礼な事を言う霊夢に言い返す。

 

「ふ、太るほどの量は食べないわよ!」

「でも水蛭子、昔から甘いもの好きで結構際限無しに食べてたじゃない。心配だな」

「昔の話でしょ! 今は、そんなに……食べてない、から」

「ふーん……」

 

 実は甘い物を食べるのが日課になっているの事を誤魔化しながら言うと、霊夢が目を細めて私の身体をジロジロと眺め始めた。

 

 な、なに? 何なの?

 

「……ちょっと触るわよ」

「え? なになに?」

 

 拒む間も無く、霊夢の両手が私の二の腕をふんわりと掴む。

 そしてふにふにと小刻みに揉まれた。

 ちょっぴりこそばゆい。

 

「うち貧乏だから、普段食べる物は節約してるの。……だからこう感じるのかも知れないんだけどさ」

「な、何よ」

「水蛭子。アンタ少し、無駄なお肉ついてるんじゃない?」

 

 霊夢の淡々とした指摘に、先程止まった思考が再びフリーズした。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 水蛭子という少女は、少し自分に酔っている節がある。

 

 自己に関して甘いというか、軽度ではあるが慢心的な思考をする事があるのに加えて、彼女は容姿を褒められた事はあっても、醜い等と言われた事は一度もなかったからだ。

 

 事実、水蛭子は容姿端麗である。

 サラリと肩まで伸びた、新月の夜を思わせる黒髪は見る人が見れば感嘆する程綺麗なものであるし、背はそれ程高く無いにしても、ある程度出るとこは出て引き締まる所は引き締まったスタイルは人里でもそれなりに評判を集めている。

 故に水蛭子も己の容姿には絶対的な自信を持っていた。

 最も、性根が少しネガティブなので、自己暗示によるところも多いのだが。

 

 しかしその自信自体は問題では無く。

 

 先程水蛭子に対して失礼な事を言った、博麗霊夢という少女。

 彼女は普段の運動量や食管理が高じて、無駄な脂肪という物がほぼ無い。

 その為水蛭子と同程度の身長であるにも関わらず、その体型は非常にスレンダーで、外の世界のモデルのようだった。

 そしてそれは、水蛭子の理想に酷く近いもので。

 

 その人物から伝えられた「アンタ太ってね?」という言葉は、年頃の少女にとって、あまりにも残酷だった。

 

 

 ただ勘違いしてほしく無いのだが、元々霊夢には同年代の友人が少なかった。

 同年代の女子に対しての接し方も、まだ良く分かっていなかった。

 先程彼女の口から出た言葉は、彼女のなりの気遣いの結果であり。

 

 つまりこの場にいる誰も、悪くなかった。

 

 

「……水蛭子?」

「────」

「え? 水蛭子?」

 

 

 突然固まってしまった水蛭子の身体を、戸惑う霊夢が軽く揺らした。

 数回揺らされた後、水蛭子はハッと意識を取り戻し、捲し立てる。

 

 

「い、いいわよ! どうせ私はデブだもん!!」

「え。いや、そこまでは言ってな……」

「おばあちゃーーん! お団子、五人前頂戴! こうなったらヤケよ! 豚みたいになるまで食べまくってやるーーーッ!!」

「ひ、水蛭子!?」

 

 

 猛烈な勢いで甘味屋に乗り込んでいった水蛭子に、霊夢が悲鳴に近い声をあげた。

 

 霊夢は知らなかったのだ。

 年頃の女の子に体型の話をするのは、あんまりよろしくないという事が。

 

 店先の椅子に腰をかけ、受け取った団子を狂った様に貪り始めた水蛭子に、彼女は酷く焦りながら、「え、え、ご、ごめんね……!!」とぎこちない謝罪を繰り返した。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 熱めのお茶をズズッと啜る。なまら美味しい。

 段々と気分も落ち着いてきた。

 団子の串が束で置かれた皿を傍らに、一息つく。

 

「あのね霊夢」

「うん」

 

 なんかちょっとムカつく真顔で、もぐもぐと口を動かす霊夢に話しかける。

 ゆっくりと、諭すように、まるで仏陀が鹿たちに説法を説くように。

 

「女の子ってね。繊細なの」

「繊細って?」

 

 不思議そうに小首を傾げる霊夢。

 私が何を言ってるのか分からないといった感じだ。

 

「だからその。太ってるとか、言っちゃダメなの」

「嫌なの?」

「いや、いっちばん嫌」

 

 なんだその純粋無垢な瞳は。

 疑問の色が浮かぶそれを見て、思わず言い淀んでしまった。

 どうやら、本当にわからないらしい。

 なんでやねん。

 

 ……くっ、そんな綺麗な瞳で私を見るなッ! 俗世にまみれ汚れた私を……!

 なんとか、気を取り直さなければ。

 

「霊夢だって、急に太ってるって言われたら嫌でしょう?」

「別に」

 

 間髪入れずに言われた。

 

 マジで言ってんのかコイツどんなメンタルしてんの?

 

「じゃあその、仮にだけどね? 仮に「アンタって不細工だね」って言われたら傷つかない?」

「うーん……特には」

 

 今度は少し思考を挟んだが、自身が貶されることに関しては気にならないといった様子。

 

 私の幼馴染、精神力強過ぎん……?

 デブとかブスとか、老若男女を問わず言われたら傷つく言葉トップ3に入るわ。それをなんで真顔で受け止められるのこの子は?

 

 思わず頭を抱え、少しの間思考を凝らす。

 がしかし、彼女には何を言っても無駄な気がするので、私は考えることを止めた。

 

「とにかく! 他の人にはそういう言葉を使わないこと! わかった?」

「うん、わかった」

 

 霊夢は一回頷いて、残りの団子を口に放り込んでモッシャモッシャと咀嚼し始めた。

 

 ホントに分かっているのだろうか……。

 

 

 

 

『っていうか、そういう霊夢も沢山食べてるじゃない!』

『私は良いのよ、元々痩せてるから』

『ぐぬぬ、これが強者の余裕というものか! 出来る事ならこの贅肉を分けてやりたい……!!』

 

 場所は変わり、迷い家(マヨヒガ)と呼ばれるこじんまりとした日本家屋の一室。

 そこに霊夢と水蛭子の声、しかし少し籠った感じのそれが部屋に響く。

 

 

「……藍、緊急事態だわ」

「紫様。こういう趣味の悪い事するの、もうやめません?」

 

 

 屋敷の中のいる二人の妖怪。

 

 やたら深刻そうな顔つきで喋っている紫色のドレスを着た金髪美人。

 彼女は幻想郷の賢者と言われている妖怪『八雲紫』。

 

 暗がりの室内で彼女は、某汎用人型決戦兵器を運用する機関の司令官の様に手を組んでいた。

 

 そしてもう一人、藍色を基調としたゆったりめの服を着た人物。

 彼女はその昔、傾国の大妖怪と謳われていた存在。

 現在は八雲紫の式神として彼女に従事している妖怪『八雲藍』。

 

 こちらは、「毎日毎日もういや……!」という表情で自身の主人を見ている。

 

 うんざいだという様子の藍の言葉に、憮然とした態度で紫は返す。

 

 

「趣味が悪いとは失礼ね。愛しい霊夢を四六時中見守ることの、何処がいけないって言うのよ」

「いやいや全部全部。発想がヤバい奴のソレですから」

 

 

 二人の前には昔ながらのブラウン管テレビが一台。

 電力供給プラグはコンセントに繋がっておらず、しかし不思議な事にこのテレビは二人の少女の姿を画面に映し出していた。

 

 

「あ~……なんで、今更こんなのが出てくるかなぁ」

「こんなのとか言うの、やめましょうね」

 

 

 間延びした嘆きの声を出す紫を、藍が少し厳しい口調で注意した。

 紫はそれを無視しつつ、畳の床へと四肢を投げ出す。

 

 

「はーーー。いやもう、超ッ仲良さげじゃないッッ!!!!」

「それはまぁ、幼馴染ですからね」

「気に入らないわーーー! マジでーーー!!」

「ちょ、賢者ともあろうお方がそんなはしたない物言いを……。大体、人間相手にそこまでムキにならなくてもいいじゃないですか」

 

 

 ギリギリと歯軋りを立てる紫を、藍は呆れながらまあまあと諌めた。

 

 

「唯でさえ霊夢にはあの白黒ゴスロリ魔女っ子の友達がいるのに、加えてヤソマガツだなんて……!」

「同種族の友が出来るのは良い事では?」

「わーたーしーのーはーいーるーすーきーまーがーなーい!! スキマ妖怪って言われているのにーーー!」

「え? ……そ、それが洒落だとしたら笑ってあげますが、どちらですか……?」

「洒落に決まってるでしょう!!」

「…………ハハハハ」

 

 

 わざとらしく声を上げて笑ってみせた藍(真顔)を、紫は寝転んだ体制のままジロリと睨む。

 

 

「なによ、その馬鹿にしたような笑い方。従者の癖に生意気よ!」

「生意気で結構。私も手間のかかる主人を持って大変です」

「なんですって!?」

「事実でしょう?」

「何がよ! このデキる女の代名詞とも言われている紫ちゃんの、何処らへんに手間がかかるって!?」

大凡(おおよそ)、全ての事柄(ことがら)らへんに。」

 

 

 ギャー ギャー ギャー ギャー!

 

 その日の迷い家もいつも通り騒がしかったが、その騒動を聞いているのは橙色をした少女の寝耳だけだった。

 

 

 

 

 私と霊夢は、仲の良い幼馴染だった。

 

 二人とも博麗候補だったから、里の人達に顔が知られていて、昔は今よりも里の人達がよく話しかけてくれたものだ。

 今でも仲の良い里の住民は沢山居るけど、あの時程では無い。

 

 あの時は二人とも人気者だった。懐かしいなぁ。

 

「……あぁ、思い出した」

 

 お茶を啜る霊夢の横顔をぼやっと眺めていると、店の奥の方から声がした。

 見てみると、甘味屋の店主であるおばあちゃんが、何かを懐かしむような表情でこちらを見ている。

 

「どうしたのおばあちゃん?」

 

 私の問いかけに、おばあちゃんは朗らかに微笑みながら話し始める。

 

「水蛭子ちゃんとその子が並んで団子を食べる姿に、やけに見覚えがあると思ってなぁ。……いま思い出したわ。博麗の霊夢ちゃんやね?」

「あ、はい。お久しぶりです」

「本当、久しぶりやね」

 

 驚いた。おばあちゃんは霊夢の事を覚えていたようだ。

 

 ……いや、当然と言えば当然だ。

 私と霊夢が仲違いしたのはそれ程昔という訳じゃない。そもそも霊夢は博麗の巫女だから人里の人達には知られているしね。

 どちらかというと、おばあちゃんは私と霊夢が隣にいるというこの光景を懐かしんでいるのだと思う。

 

「おばあちゃん、私たちの事、覚えてたの?」

「覚えているともさ。水蛭子ちゃんと霊夢ちゃんは、いっつも一緒だったもんねぇ。そうかい、仲直り出来たんだね」

 

 私と霊夢が仲違いしたのは里の人達も知っている。

 当時は色んな人に心配されたものだった。

 

 最近はそんな事も聞かれなくなり、私達が二人組であったという事を皆忘れていたものだと思っていた。

 私自身、霊夢と疎遠だった期間は酷く長く感じていて。

 

 ……だからだろうか。

 他の人が、私の隣に霊夢が居たと覚えていてくれたのが、私はとても嬉しかった。

 

 ゆるむ頬をなんとか抑えるのが大変だ。

 

「うん。仲直りしたのは、ついさっきだけどね」

「ほんならまた、昔みたいに、二人でここに団子を食べに来てくれるんやね?」

 

 おばあちゃんは心底嬉しそうな表情で言った。

 そんなおばあちゃんを見て、私はますます嬉しくなってくる。

 

「ええ、なんなら明日も来ようか?」

「ちょっと、流石に毎日お団子食べたら本当に太るよ」

「う、うるさいわね! その分歩くから大丈夫よ!」

「本当かなぁ?」

 

 ニヤリと笑いながら、霊夢がこちらを覗き込む。

 

 もう、ホントにこの子は……!

 

「はは……二人とも、なんも変わっていないみたいで安心したわ」

「「え」」

 

 おばあちゃんの言葉を聞いて二人同時に顔を向ける。

 おばあちゃんは良い笑顔で笑う。

 

「ほんに、ええ友達もっとるなぁ。何年も仲違いしていたのに、そない仲良く出来るんは凄いことよ」

「え、そ、そうかな?」

「……」

 

 そう言われると、なんだか少し照れ臭い。

 ふと気になって霊夢の方を見てみると、彼女も少し頬を赤らめていた。

 

「またいつでもおいで。オマケしてあげるわ」

「ホント!?」

「もう、水蛭子ったら……」

 

 オマケの一言に、自分でも分かるくらい過剰に反応してしまった。

 隣から聞こえる霊夢の呆れたような声に、顔が熱くなる。

 

 それを見ておばあちゃんが朗らかな笑い声をあげた。

 

「ほんまに、仲ええなぁ」

「……ふふ、ありがとうおばあちゃん」

 

 なんだか懐かしい。

 隣に霊夢が居て、彼女と一緒に誰かと話すことが、とても懐かしい。

 他の人からすればなんでも無いようなことかもしれないけど、こういう小さなところで心が温かくなる。

 

 私にとって、霊夢がどれだけ大きな存在だったか、つくづく思い知る。

 ……これから過ごす霊夢との時間を、大切にしていきたいな。

 

 

 

 

「……」

「紫様、この二人を引き離すのは鬼の所業では?」

 

 

 画面の向こうのやり取りを見て黙り込んだ紫に、藍が言った。

 紫は口を尖らせながらぶっきらぼうに返す。

 

 

「……そんなこと、しないわよ」

「おや、珍しく簡単に引き下がりましたね」

「だって流石に可哀想だもの……。霊夢だって、凄く楽しそうだし」

「うんうん、実に賢明だと思いますよ。流石妖怪の賢者様です」

「でしょう? ……いや、そこはかとなく馬鹿にしてるわね?」

 

 

 我が子の成長に感激する親の様にしきりに頷いている藍に、紫は手に持った剥きかけのミカンを投げ付けた。

 

 

 

 

 それから水蛭子達は、甘味屋の店主も交えて昔話に花を咲かせた。

 

 楽しい時間が過ぎていくのは早いもので、話を終える頃になると既に空は橙色に染まっていた。

 沈む太陽の中を羽ばたくカラスの鳴き声が、どこか心寂しさを感じさせる。

 

「……帰ろっか」 

 

 山の向こうに落ちて行く夕陽を眺めながら、水蛭子が言った。

 

「そうね」

 

 霊夢も同じように夕陽を眺めながら頷き、二人は肩を揃えて帰路に着く。

 

「ねぇ霊夢。甘味屋のおばあちゃんにああ言っちゃったし、明日も遊びに行っていい?」

「いつでも良いわよ。暇だからね」

 

 穏やかな雰囲気のまま、時は緩やかに流れる。

 

「あら、水蛭子と会うのが楽しみだからね。の間違えじゃない?」

「それもある、かな」

 

 さっき悪口を言われた仕返しにからかってやろうと思った水蛭子だったが、笑顔で頷いた霊夢に逆にたじろいだ。

 

「あ、あれ? 肯定しちゃうんだ」

「だって本当に、水蛭子と会うのが楽しみなんだもん」

「……そ、そう言われるとなんか照れるわね。あはは」

 

 顔が熱くなるのを感じて水蛭子がそっぽを向く。

 そしてその恥ずかしさをはぐらかす様に小さく笑った。

 

 その横顔を霊夢がジッと見つめる。

 

「……ねぇ、水蛭子」

「なに?」

「私いま、なんだかすっごく幸せ」

 

 ふいに告げられた言葉。

 同時に浮かべられた華の咲いた様な笑顔を見て、水蛭子の思考が一瞬停止する。

 

「は? ぅ……わ、私も……だけど」

 

 なんとか平静を保とうとして返事をした水蛭子。

 しかし内心は全く穏やかではなく。

 

(な、なんだそのこっ恥ずかしい台詞! 顔熱っ! 顔熱い!!)

 

 顔面がぐわりと猛烈に熱くなる。

 

(ていうか咄嗟に返しちゃったけど、この状況何? 私とこの子恋人なの? なんでそんなロマンチックな顔でロマンチックなこと言ってんの?)

 

 という感じで猛烈に悶える水蛭子だったが、丁度その時彼女の自宅へと続く分かれ道に差し掛かった。

 助かった!と心の中で叫んだ水蛭子が、少し唐突に言葉を続ける。

 

「じゃ、じゃあ私の家こっちだから!」

「そう、ならここでお別れね」

「え、ええ! また明日行くわね!」

「うん。待ってる」

 

 そう言って優しく微笑む霊夢の顔に、水蛭子は再び見惚れてしまう。

 

(もしかしてこの子、実はめちゃくちゃ人たらしなのではないだろうか)

 

 今朝水蛭子は、霊夢に男なんて出来るわけないとか思っていた。

 

 しかしこの笑顔を、もし男性に見せたら?

 言わずもがな、一発で、確実に陥落するだろう。

 霊夢の笑顔の破壊力はそれ程だった。

 

「……心配だなぁ」

「? 何が」

「な、なんでもない! じゃあ……またね!」

「うん、帰り道気を付けて」

「わかってる! ありがと!」

 

 軽く手を上げながら、水蛭子は心中で考える。

 

(もしや私は、女としての格。引いては人としての格が彼女よりも圧倒的に劣っているのでは? 今朝、心の中で霊夢のことを馬鹿にしたけど、馬鹿は私だ馬鹿!)

 

 水蛭子は胸に渦巻く何とも言えない感情をそのままに、家までの道を小走りで駆けていく。

 

 彼女が時折振り返ると、視線の先の霊夢が軽く手を振る。

 どうやら水蛭子が見えなくなるまで待ってくれるらしい。

 

 そんな霊夢から顔を背け、水蛭子はしみじみと言った。

 

 

「……アイツ、幻想郷で一番良い奴かもしんないなぁ」

 

 

 再び歩を進め初めた水蛭子は、とても嬉しそうに笑っていた。

 

 

 




行先の見えない彼女たちの物語を、私と一緒に見守ってくださると幸いです。


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第三話 割と困ったちゃんの賢者

 

 翌日。

 私は日課である玄関先の掃除を終わらせて、お母さんに出かける旨を伝えて家を出る。

 

「うん、良い天気だわ~!」

 

 山から顔を覗かせる太陽の暖かな陽気を全身に浴びて思い切り背伸びをすると、なんとも言えない心地よさを感じた。

 

 さて、今日も今日とて博麗神社に向かうんだけど。

 

「手ぶらで行くのもなんだし、なんか買ってってやろうかな……」

 

 えーと、霊夢の好きなものってなんだったかなぁ。

 お団子……は、今日も一緒に甘味屋に行くから微妙だし。

 

 あ、そうだ。

 

「お昼の材料買って行こうかな」

 

 昨日は食べさせて貰ったから、今日は私がご馳走してあげよう。

 まぁ料理の腕は明らかに霊夢の方が上だけど、こういうのは気持ちが大事だからね。うん大丈夫。多分。

 

 そうと決まれば……うーんと、何を作ろうかな。

 

「とりあえず、お店を見て回りながら決めますか」

 

 そんな感じで里の大通りへと向かう事にした。

 

 

 

 

「紫様知ってます? 人って塩分取らないと体調不良になるんですよ」

「藪から棒に何よ。ていうか藍、アナタ人じゃなくて妖怪じゃない」

 

 幻想郷の何処かにある小さな日本家屋。

 通称「迷い家(マヨヒガ)」と呼ばれる建物の一室で、三人の妖怪が遅めの朝食(ブランチ)を食べていた。

 

 死んだ目を主人に向けて、藍が吐き捨てるように言う。

 

「このお味噌汁、不味いです」

「め、滅茶苦茶ハッキリ言うわね……。大体この私が作った料理が腕によりをかけて作った料理なんだからマズいわけないでしょ。ホント冗談が好きなんだから」

 

 ふふと穏やかに微笑みながら、紫が自分の味噌汁を飲んだ。

 

 さて、ここで把握しておきたい事がある。

 今日の朝食は、この自信満々の様子で味噌汁を飲んでいる八雲紫が作った。

 だからどうしたと思うかもしれないが、まず大前提に、普段彼女は料理をしない。もう全くと言っていいほど。

 

 この家の家事全般を担っているのは、主に従者である藍一人だ。

 その補助で藍の従者である橙が。大主人である紫は皿を運ぶとか洗濯物を極まれに取り入れる程度であり。

 要は主婦力が皆無なのである。

 

 とどのつまり料理なんてものは冗談抜きで百年に一回位の間隔でしかやらず、加えて料理のイロハも知らない彼女が作った味噌汁は──。

 

 

「……あれっ?」

 

 

 紫はぽかんと、呆然とした表情を浮かべて首を傾げる。

 

「味が、しない?」

 

 彼女の口内に広がるのは、圧倒的無味。

 味噌の風味は問題ないのだが、味に至っては味の「あ」の字も感じられない。

 紫は愕然とした顔のまま、もう一度お椀を傾けるが、やはりお茶碗の中の味噌汁は味がしないままだった。

 

 そんな主人を呆れ顔で見ながら、藍は目の前の味噌汁を指さす。

 

「紫様。お湯に具と味噌放り込んだだけじゃ味はしないんですよ」

「え、味噌って最初から味付いてるんじゃないの!?」

「外の世界ではそれが多いかもしれませんが、幻想郷の味噌は基本的に無塩味噌です。塩を追加で入れて味を調えないとちゃんとした味噌汁にならないんですよ」

「えっ! えっ!? だって、ええ!? そうなの……!?」

 

 分かり易く狼狽える己の主人を見て、藍は一つため息。

 今日は珍しく「私がご飯作るわ! 手伝いは不要!!」とか言ってきたので任せてみた。

 その結果、おこげがあり過ぎるご飯に、何をどうしたのか半分レアで半分ウェルダンの焼き鮭。

 極み付けに無味の味噌汁。

 

 まぁ何も教えなかったらこうなるよなぁと軽く後悔しながら、藍は味のしない味噌汁の入った鍋を持って台所へと向かった。

 ご飯と鮭はもう手が付けられないので、せめてこの無味噌汁に味を付ける為に。

 

 そして居間には紫と、人の形に成ったばかりの化け猫、橙が残される。

 

「……ね、ねぇ橙」

「?」

 

 紫は恐る恐るといった口調で橙に語り掛けた。

 

「味噌って最初から塩の入ってるものだと思ってたの、私だけじゃないわよね…?」

「……!(コクリ)」

 

 紫の問いかけに橙は少し考えた後、言葉を発さずに頷く。

 本当は橙もたまに料理を手伝うので、味が云々というのは知っていたのだが、紫を気遣って彼女の言葉を肯定した。

 

「そうよね!? 私だけじゃないわよね! あー、良かったぁ」

「……」

 

 胸を撫で下ろす紫を尻目に、橙は沢庵とおこげを上手い具合に除けてよそった白ご飯を交互に口に運び、ポリポリもぐもぐと咀嚼する。

 一方で残されていた味噌汁の椀に手がついた様子はない。

 どうやら食べる前から、妖獣特有の鋭い嗅覚で味噌汁に味がついてないという事を察していたらしい。

 

「……ぁ」

 

 それを見た紫の中で、何かがばきーん!どがしゃーん!と音を立てて崩れた。

 アメジスト如く透きとおった双眸に、じわりと涙が浮かび上がる。

 

 込み上げる熱いものを感じながら、紫は考える。

 目の前の化け猫の少女橙は、己の従者である藍の従者。即ち彼女からすれば紫は主人の主人。大主人だ。

 大だぞ、大。

 それなのに、最近の橙の態度はなんだかすごーく素っ気無くて、もうちょい愛想良くしてくれても良いのになと思っていた。

 

 つまり八雲紫は、寂しかったのだ。

 仮にも同じ屋根の下で暮らす……家族なんだから。

 

 

「うぅ……」

 

 

 齢永遠の17歳と周囲に主張し続けている紫だが、実際は数百年の歳月を生きてきた大妖怪だ。

 人生、否妖生経験も凄く高いはず。だと本人は思っている。

 

 そんな自分が、生まれて百年も経っていない、それも自分より遥かに格下である橙と、まともなコミュニケーション一つ取れない。

 橙の態度が気に入らないのもそうだが、そんな自分が情けなくて仕方ない。

 

 常日頃から積み重ねてきた小さなストレスにより、紫の中で今何かが壊れてしまった。

 

「?」

 

 顔を俯かせている紫に気付いた橙が、不思議そうに紫の顔を覗き込むが。

 

「……もう、橙なんて知らない!」

「!?」

 

 どうしてそうなったのか、突然大声を出した紫は朝食を残したまま部屋から飛び出た。

 

 廊下を駆けて、向かう先は玄関。

 途中鍋を持った藍とすれ違ったが、彼女が言葉をかけるより速く、紫は自分の靴を回収して迷い家を飛び出した。

 

 

「う、わぁぁぁぁん!!!!」

 

 

 手の持つ靴を履かないまま暫く地面を走り、そのままの勢いで宙へと浮く。

 流れる涙を拭おうともせず、彼女はただただ幻想郷の空をもの凄い速度で駆け抜ける。

 

 行くあては無かったが、とにかくこの悶々とした気持ちをぶっ飛ばしたかった。

 

 

 

 

「美味しい!」

「本当?」

 

 お昼時の博麗神社にて。

 霊夢と水蛭子が二人で食卓を囲んでいた。

 

 口にした料理に感嘆の声を上げる霊夢に、水蛭子は嬉しそうに笑みを浮かべる。

 大皿に盛られている天ぷらが今回のメインディッシュのようだ。

 

「私、こんなに美味しい天ぷら初めて食べたかも」

「えー? 絶対霊夢の方が美味しく作れるでしょ」

「ううん、私が作るのより断然美味しい」

 

 真面目な顔で言う霊夢に、水蛭子は照れくさそうに笑いながら首を振る。

 

「嘘」

「嘘じゃないわ、本当」

「……ホントに本当?」

「もう、嘘つく理由がないじゃない」

「……えへへ」

 

 嬉しそうにする水蛭子を視界端にとらえながら、霊夢はカラリと上手に揚がった天ぷら達をジッと眺めている。

 他人の手料理を食べた経験の少ない霊夢。そんな彼女の顔は一見無表情に見えるが、その実ちょっと興奮していた。

 

 普段母親以外に料理を振る舞う機会が無かった水蛭子も、張り切って作った料理を手放しで美味しいと言ってもらえて、かなり心が踊っていた。

 

「ほ、ほら遠慮せず沢山食べなさい!」

「うん」

 

 えへえへとはにかみながらも、水蛭子は霊夢の取り皿に次々と料理を乗せていく。

 霊夢も嬉しそうに目を細めながら天ぷらを食べ、美味しい美味しいと咀嚼多めに頷いた。

 

 

 

 そんな二人を、少し高い所から眺める女が一人。

 

 

 

 紫色のドレス姿で生暖かい視線を二人に向ける彼女の名は、幻想郷の賢者八雲紫。

 彼女は天井に空いた異様な穴、「スキマ」から上半身を乗り出し、無言のまま二人を観察していた。

 

 そして自分に気付かず談笑する水蛭子と霊夢に、紫はゆったりとした口調で声をかけた。

 

「良いわねぇ、料理が上手だと褒めてもらえて」

「え!?」

 

 唐突に飛んできた声。水蛭子は勢い良く天井を仰ぎ見た。

 そこには見覚えのある女性がにょきりと生えていた。

 異様な光景に水蛭子が「ひえ」と小さな悲鳴を上げる。

 

「はぁ、アンタか……」

 

 声だけで相手が分かった霊夢は、先ほどよりワントーン下がった声色で呟くように言った。

 それぞれの反応をする二人にニコリと微笑んで、紫がぬるりと居間に降り立つ。

 

「はぁい、お二人さん」

「ゆ、紫さん!? え、今天井から生えて……あぁそういう妖怪なんでしたっけ……」

 

 ホラー映画みたいな光景を見たことによってバクバクと鼓動する心臓を右手で抑えながら、そういえば八雲紫という妖怪が空間と空間を繋ぐ「スキマ」を使う能力を持った存在だということを思い出す。

 

 それから安堵の吐息をした水蛭子が、少し気になってチラと紫の足元を見る。ちゃんと靴は脱いでいた。

 何を気にしているんだろうと自分で自分の思考を不思議に思いながら、視線を紫の顔に戻す。

 

 それと同時に、霊夢が不機嫌そうな顔で紫に話しかける。

 

「いきなり何よ」

「あら、私がいきなり以外に登場したことがあって?」

「ないわね。そういう話をしてるんじゃないのよ」

「ふふ、まぁ暇潰しよ、暇つぶし」

「幻想郷の賢者が暇つぶしに他人の食卓覗くってどうなの?」

 

 なんか疲れるなー。

 紫との会話にそんな感想を抱きながら、ぐりぐりとこめかみを揉む霊夢。

 そんな彼女を見て苦笑しながら、今度は水蛭子が紫に話しかける。

 

 博麗の巫女候補だったこともあり、水蛭子は紫のことを知っていた。

 

「あの! えっと……お久しぶりです!」

「ええ、久しぶりね八十禍津。息災でなりより」

 

 久々の対面に緊張した様子の水蛭子に、紫は苦笑しながら言葉を紡ぐ。

 

「ふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ、取って食べたりしないから」

「あ、あはは……」

 

 優雅に広げた扇子で口元を隠しながら微笑んだ紫に、水蛭子は未だ緊張を孕ませた愛想笑いを浮かべた。

 

「で、ホントに何の用よ。今お昼の途中だから用があるなら早めに済まして欲しいんだけど」

「ホントに暇つぶしだって。貴女達の仲睦まじい様子を見てほんわかさせてもらっていた所ですわ」

「……」

 

 さも当然の様に覗き魔宣言をした紫に、霊夢は眉間に皺を寄せた。

 紫のストーカー行為には慣れていた霊夢だったが、馴染みと仲良く食卓を囲んでいた姿を見られていたと思うと、なんだかいつもと違う照れた感情を抱く。

 

 そんな霊夢を見ながら、水蛭子は折角の料理が冷めちゃうのが心配だなとか思っていた。

 

 そして「あ」と声を洩らし、それから少しだけ考えてから紫対して一つの提案をする。

 

「あの、折角ですしお昼一緒にどうですか?」

「……えっ、いいの?」

 

 ぽかんとした顔で紫が水蛭子を見た。

 水蛭子はニコリと柔らかい笑みを浮かべる。

 

「ちょっと作り過ぎちゃったので二人で食べきれないかもって思ってた所なんですよ。あ、ごめん、霊夢は大丈夫?」

「……あんまり騒がしくしないでよね」

 

 超絶に渋々といった表情で頷く霊夢を見て、紫はパァッと目を輝かせ、満面の笑みを浮かべて飛び上がる。

 

 

「やったぁ~!」

 

 

(かわいい……)

(年甲斐皆無か)

 

 嬉しそうに声を上げて居間を飛び回る紫を見て、水蛭子はにこにこと笑い、霊夢は微妙そうな表情をする。

 

 紫をあまり知らない水蛭子からすれば「可愛い女の子」。

 紫をある程度知っている霊夢からすれば「数百歳のおばあちゃん」。

 

 真実を知っているか、否か。

 それはそれは、残酷な話ですわ……。

 

 

 

 閑話休題

 

 

 

 プルンと麗しい桜色の唇が、シソの天ぷらをパリッと一口。

 小気味の良い音と共に、シソ独特の爽やかな風味が鼻腔を駆け巡る。

 口に広がる香ばしい味わいは正に至極。

 

 嗚呼。

 

 紫は目を閉じた状態で天井を仰ぎ、もぐとぐと数回の咀嚼した後、カッと目を見開いた。

 

 

「ん美味しいッ!!」

「あ、ありがとうございます!」

 

 

 迫真の「美味しい」に苦笑交じりの感謝を告げる水蛭子。

 褒めてもらえるのはやっぱり嬉しい。

 

 しかし次の瞬間に紫の双眸からぶわっと涙が溢れ出した。

 

「うぅ……お、おいしいよう……」

「え? あれっ!? 泣く程ですか!?」

 

 藍の作る、計算し尽された料理は美味しい。

 どれもこれも舌鼓を打つ絶品ばかりなのは、これまで何百年も彼女の料理を食べてきた紫は知っている。

 今更ながらそんな料理を毎日食べれる自分は幸せ者だなと思う。

 

 だかしかし、人の作る料理にはまた別の美味しさがある。

 ぼたぼたと涙を流しながら、紫は味覚に全神経を集中させ始めた。

 

 もぐもぐ。

 この上なく完璧という訳では無い。

 

 もぐもぐ。

 しかし人間という種族は不思議な力を持っているらしい。

 

 もぐもぐもぐ。

 幾度が食べる機会のあった、彼女らが作るどの料理に宿る、名状し難い温かみ。

 

 

「ありがとう、八十禍津水蛭子」

 

 

 何処か懐かしく、故郷の風景に思いを馳せてしまう味。

 人はそれをお袋の味と呼ぶ。

 

 のだが、水蛭子には自覚が無いし、紫もこれがそうだとは知らない。

 ものすごく感激した様子で感謝の言葉を述べた紫に、水蛭子は驚きと、純粋に嬉しいという感情に胸が一杯になった。

 

「ど、どういたしまして」

「貴女に出会えた事、神に感謝するわ」

「神に!? 大袈裟過ぎませんか……?」

 

 胸元で手を組み太陽を仰ぎ見る紫を見て、水蛭子は慌てた様子でいやいやと手を振った。

 流石にそんなので神に感謝されても神様も迷惑だろうと。

 

 しかしそんな水蛭子にはお構いなしに、紫は次々と天ぷらへと箸を伸ばし、ひょいパクひょいパクと爆食いし始める。

 

「本当に美味しいわ……一体どうやったらこんなに美味しく……?」

「ちょっと! アンタ今私の取り皿から取ったでしょ!」

「はぁ~……美味しい~……」

「聞け! あ、海老は本当に駄目!! 海老はうわぁぁぁ!!!!」

「うわもうすっごい! プリップリ! プリップリよ霊夢!」

「おいぶっ飛ばすぞクソバ〇ア!!!!」

 

 大袈裟なリアクションと大煽りを繰り広げる紫の胸ぐらを霊夢ガッシリと掴み上げる。

 一瞬慌てて腰を浮かせた水蛭子だったが、胸倉を掴まれている紫が笑顔だったので再度腰を落とした。

 

 しかし、自分の作った料理でこんなに喜んでもらえている事はかなり嬉しい。

 今まで料理に関して特に自信が無かった彼女は、少しくらいなら自信を持って良いのかもしれないなと自分の料理の腕の認識を改めた。

 

「さ、選ばせてあげるわ、この最後の一匹の海老を私が食べてしまうか、それとも私にあーんしてもらって食べさせてもらうかをね!!」

「いいから寄こせって言ってんのよデコ助野郎……!」

「……ふふ」

 

 そして賑やかに天ぷらを取り合う紫と霊夢を見て、水蛭子は胸はじわりと温かい物で満たされるのを感じた。

 

 

 

 

 食事を終えた藍と橙。

 二人は縁側に座り、紫が飛んで行った空の彼方を眺めていた。

 

「……橙、紫様に何かしたのか?」

「!」

 

 藍からの問いかけに、橙はブンブンと首を横に振る。

 その勢いに藍は微笑みながら頷いた。

 

「ふふ、分かってる。橙は良い子だから、人の嫌がる事はしないよね」

「……」

 

 顔を俯かせた橙の頭を、藍が柔らかく撫でる。

 藍が橙に語り掛ける柔らかな口調には、紫と接する時の様な固さは無い。

 まるで我が子を慈しむ母親のように優しいものだった。

 

「大丈夫だよ。きっと夕方になれば帰ってくるさ」

「……」

 

 藍の言葉に、少ししてから頷く橙。

 彼女の頭の中には、紫が出て行く際に放った言葉が悶々と残っていた。

 

 

『……もう、橙なんて知らない!』

 

 

 橙は妖怪になって間もない化け猫である。故に知能はあまり高くない。

 それは彼女自身も自覚していた。

 

 彼女は自分が馬鹿なばかりに紫を傷付けてしまった考えており、自責の念に駆られているのだ。

 

 紫が出て行ったのは橙の対応が一因かもしれない。

 しかし、紫が橙に対して考えていた事はまるきり見当違いのものであり、橙は紫の事を舐めていないし軽視してもない。

 

 ただ、主人の主人である紫と親しくするのは、失礼に値するのではないか。

 そんな考えを持った橙のよそよそしい態度を、紫は不快に態度に感じてしまった。

 事実、橙の態度は紫と接する事を避けるものであり、紫がそう感じるのも無理はなかっただろう。

 

 今回の諍いは、そういった考えの相違が原因だった。

 

 

「……そうだ橙、今日は一緒に人里へ行こうか?」

「?」

 

 

 相変わらず落ち込んだ様子の橙に、藍がそう提案した。

 

「夕飯の材料を買いに行こう。美味しいご飯作ってあげれば、紫様も機嫌をなおすさ」

「!」

 

 橙は強く頷いて立ち上がり、トタトタと可愛らしい足音を立てながら家の中へ入っていった。

 いつも買い物の時に使うお気に入りの手提げ袋を取りに行ったのだろう。

 

 そんな橙の後ろ姿を見て、藍は懐かしむ様に笑みを浮かべ、呟く。

 

「……私も、あんな感じだったな」

 

 これから橙は、紫様に関しての様々な苦労に苛まれるだろう。

 今回の件もその一つだ。

 

 何度も何度もあの人に振り回されて……不思議と次第に慣れてくる。

 紫の子どもじみた言動も、呆れを通り越して可愛らしく感じる時が来る。

 それから主人の凄い所や優しい所を沢山知っていって、本当の意味で主人を慕える様になる時が来る。

 

 だからその時まで

 

 

「頑張れ、橙」

 

 

 藍はそう言うと、腰を上げて橙を追うように家の中に入っていった。

 

 

 

 

 

 

 水蛭子の中で、八雲紫に抱いていたイメージが今日、一気に壊れた。

 もちろん良い意味で。

 

 少し子どもっぽい言動と、霊夢によくちょっかいを出すのがすごく可愛らしい。

 

 実を言うと、水蛭子は今まで彼女の事を怖い妖怪として認識していた。

 昔はなんか近寄りがたいオーラを放っていたし、異様に高圧的で胡散臭い笑いをずっと浮かべていた当時の紫には、話しかけるのも若干勇気が必要だった。

 

 でも、実は優しい人だったらしい。

 自分の料理を食べて喜んでくれて、自分と話してコロコロと可笑しそうに笑ってくれるから。

 

「あ~美味し」

 

 温かいお茶を飲んで、紫はすっかりふやけた表情になっている。

 そんな幸福感満載といった彼女に対して、霊夢が目を細めながら言った。

 

「アンタ、何時まで居るのよ」

「うーん……今日は泊まって行こうかしら?」

「はー?」

「だって、家に居てもつまんないんだもーん!」

 

 そう言って、四肢を投げ出し畳に寝転がった紫を見て、霊夢は首を傾げる。

 

「つまんない? アンタん家には藍と橙が居るでしょうが」

「……帰りたくないの」

 

 不貞腐れたように言う紫に、霊夢と水蛭子は顔を見合わせる。

 そして少しの間をおいて、水蛭子が話しかけた。

 

「何かあったのなら聞きますよ?」

「ううん。いいの、私の問題だから」

「そう、ですか」

 

 相変わらず不貞腐れた風の紫に、また二人は顔を見合わせる。

 それから霊夢がため息を一つ吐き、仕方ないなぁといった感じで話し始めた。

 

「何があったか知らないけど、アンタが言いたくないんなら詮索しないわ」

「そうして頂戴」

「でも、アンタがそんなんだったら私調子が狂うから」

「……ごめんなさい」

 

 迷惑をかけているという自覚はあるのか、紫の長い睫毛がしな垂れた。

 が、次の霊夢の言葉が紡がれると同時、アメジストの双眸は見開かれることになる。

 

「だから、今から人里に行くわよ」

「え、なんで?」

 

 霊夢の唐突な発言に、紫は疑問の声を漏らす。

 何故自分の状態と人里に行くことが「だから」で繋がるのか、全く分からない。

 

「少し歩けば気分も晴れるでしょ」

「え? しかも歩くの?」

「良いわね~! 甘味屋のおばあちゃんにも紫さんを紹介したいし」

「えっ? えっ?」

 

 戸惑う紫をよそに、二人は外出の準備をし始める。

 霊夢は箪笥から財布を取り出し、水蛭子は脇に置いていたウェストポーチを肩から斜めに掛けた。

 淡々と外へ出る準備を進める二人に、眉を八の字にした紫が問いかける。

 

「いや、人里に行くのは良いんだけど……あ、歩くの……?」

「当たり前でしょ。さっさと行くわよ」

「今から行くお団子屋、すごく美味しいんですよ! 紫さん食べたことあるかな……」

 

 仏頂面の霊夢と笑顔の水蛭子が廊下への襖を開いてこちらを見る。

 どうやらこの大妖怪は今から、人里へ赴き甘味屋へ行かなければならないらしい。

 

 しかも恐らく徒歩で。ここが大事だ。

 

「……えっと、私の能力で行きましょ? 空間と空間を繋げる能力でね? 原理としては本来三次元から十一次元に繋がるゲートと開けるというだけなんだけど、三次元と十一次元は位置情報が同じでもその間の距離は違うのね? つまり結局中で歩く事になるんだけど、三次元で歩くより十一次元の中を歩いたほうが本来の距離より短くなるし、不思議と体力消費が少ないのよ。こんなに革新的な力があるんだから頼っても良いと思うの。どう?」

「そういうの良いから。普通の歩きで行くから」

「飛ぶのもダメなので」

「えぇ……?」

 

 迫真の勧誘がバッサリと、さも当然かの様に突っぱねられた。

 理解不能。理解不能である。

 

 移動するならスキマを通って行くのが一番早いし、生理的に嫌(スキマの中はグロい(・・・)から)だというのなら飛んでいけば良いのに……。

 なのに何故、目の前の人間二人は自分から徒歩で移動するなどという苦行を……?

 

 人間は楽するのが本望の生き物でしょうが……!

 

 紫は二人に隠した右の拳をふるふると震えさせるが、やがて諦めたように拳を解いた。

 

「水蛭子、お金大丈夫?」

「大丈夫。霊夢は?」

「最近貯金してるから気にしないで」

 

 そんな話をしながら、仲の良い二人はさっさと玄関へと歩いて行く。

 

 博麗の二人組の後ろ姿を見ながら、紫は顔を顰めながら、かつ情けない声で一言。

 

 

「歩きたくなぁい……」

 

 

 




妖怪は人間より精神力が弱いのだとか。

大体の物語では大胆不敵な大妖怪って感じの紫さん。
この物語では妖怪らしく精神的な弱みを見せてほしいなと、思いまして。
原作や別の物語の紫さんより、比較的マイルドな性格をしてると思われます。
うちの紫さんはこういう子です。よろしくお願いいたします。

さて公式の設定では紫さんと藍さんは同じ家に同居しており、一方橙だけ何処かの山にあるマヨヒガに住まわしているらしいです。

でもそれはちょっと橙も寂しいんじゃないかなと思ったので、この物語では三人を同居させています。

最後になりましたが、お気に入りや感想コメントの数々ありがとうございます。
とても嬉しいです。
これからも私と一緒に、彼女たちを見守っていただけると幸いです。
では、失礼します。


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第四話 妲己の微笑み

 唐突だが、八十禍津水蛭子という少女はそれなりの運動能力を持っているということを自負している。

 

 普段の移動方法は専ら飛行に頼りっぱなしであるが、現在就いている妖怪退治や護衛などの職と共に、自警団にも所属しているため、運動不足とは程遠い人間であった。

 

 彼女はスタミナの無い人がしんどそうにしているのを見る度、「運動ってやっぱ大事だなぁ」と反面教師気味に再確認していたりする。

 

 そして彼女は現在進行形で、目の前の反面教師を心配そうな眼差しで見ていた。

 

 

「はぁ、はぁ……ゲホゲホッ!」

 

 

 だくだくと流れる汗、絶え間ない呼吸。

 そうやって割と本気でしんどそうに肩を上下させるのは、妖怪の賢者八雲紫である。

 

 場所は人里の入り門。

 神社から人里までは結構な距離がある。それこそ運動慣れしていない者が徒歩で移動するにはかなり辛い距離かもしれない。

 普段飛行と己が異能に頼りっきりの彼女が瀕死の状態に陥っているのは、当然の通りであり、仕方のないことだと水蛭子は考えた。

 

 だがその隣に立つ霊夢は認識が異なるらしく、肩で息をしている八雲紫をまるでゴミを見るかの様な目で眺めている。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「ふ、ふふ。問題無……ゴホッ! ゴホォッ!!」

「モヤシみたいな奴ね。運動しなさ過ぎなのよ。どうせ普段暇なんだから、少しは運動すりゃいいのに」

 

 紫の背中を擦ってあげている水蛭子が霊夢の辛辣な言葉に苦笑する。

 心なしか、いやあからさまに自分と紫さんの間に扱いの格差があるな……と口の中で呟いた。

 

 しかしそれを言っても仕方ないので、水蛭子は膝を杖にして辛うじて自立している紫に肩を貸して、その体を道の脇にあった背もたれの無いベンチに座らせた。

 

「少し休憩しましょう、お水飲みますか?」

「え、えぇ……ありがとう……」

 

 物凄くゲッソリとした表情で水筒を受け取る紫を見ながら、本当に昔とは別人みたいだなと水蛭子はまた苦笑した。

 

 

 

 

「……さて。結局、何を作ろうかな」

 

 商店街へと到着した藍。

 彼女は道中、ついぞ決まらなかった今晩の献立について考え始める。

 

 ちなみに橙は、藍の服の裾をチョイと掴み周囲をキョロキョロと見回している。

 彼女は普段里には来ないので、まだ新鮮みを感じるのだろう。初めての街に出てきたお上りさんのような反応である。

 

 さて、八雲紫という女性は食への関心が旺盛である。美味しいものが大好きだ。

 しかしそれと反比例する形で、彼女にはコレといった大好物が存在しない。

 

 藍としては、その都度食べたい物のリクエストを聞かなくても、出たものを「おいしいおいしい」と笑顔で平らげる紫のことを、ワンクッション無くて便利だなくらいにか思ってなかったのだが。今日は少し勝手が違う。

 

 機嫌を普段より良くしてあげないといけないからだ。

 こういう時、特段好物が無いとさぁ困ってしまう。

 取りあえず今まで食卓に出してきて、反応が良かった料理を思い出してみることにした。

 

「お寿司、唐揚げ、ハンバーグ、カレー、親子丼……ふふ、なんか子どもみたい」

「?」

 

 ブツブツと呪文の様に料理名を呟いていく主人を見て、橙が不思議そうに首を傾げた。

 

 ちなみに、藍が「ハンバーグ」という言葉を口にした時、橙のけもの耳と尻尾がぴくぴく!と動いてたりしていた。

 

 

 

 

「うん、甘くて美味しい! これなら何本でも食べれちゃうわ」

 

 子どものような無邪気な笑顔の紫を見て、水蛭子は「良かった」と安心したように微笑んだ。

 

 この長年食べ続けた思い出の団子だ。もし何か文句を言われた場合、水蛭子の心が張り裂けてしまうところだったが、杞憂だったらしい。

 三色団子を頬張り恍惚な表情を浮かべるこの紫を見て、嘘だね!と言える人は多分居ないだろう。

 

 実際この団子が気に入った紫は、後日持ち帰りで購入していくことになるのだが、それはまた別のお話。

 

「たまにはこうやって人間の作ったものを食べるのも良いわね。歩くのは金輪際遠慮願いたいけど」

「そのうち病気になるわよアンタ。あと絶対太るわ」

「あ、また霊夢はそんなこと言って!」

「ごめん水蛭子。でもコイツに関してはマジだから」

 

 出不精な発言をする紫に呆れながら霊夢が言う。

 しかしその言葉を聞いても紫自身は大して気分を害した様子も無く、逆に自信有り気なドヤ顔をして豊満な胸を張った。

 

「残念! 私の力を持ってすれば全ては無に帰します! つまりこのお団子もカロリーゼロ!! 病気もしません!」

「んなわけないでしょ。アンタの能力そこまで万能じゃないし」

「……くっ、先代から聞いたの?」

「は? 先代様は関係無いわよ。何となく分かるから」

「あ……そう」

 

 虚勢をアッサリと見破られた紫は、しょぼくれた顔で横に垂らした髪束をくりくりと弄り始めた。

 その様子を見て水蛭子は苦笑いを浮かべ、同時に霊夢の言う「病気になる」という言葉は最もだと思い、紫へ語りかける。

 

「あの、紫さん」

「なに水蛭子?」

「妖怪でも、体調を崩す事ありますよね?」

「えぇまぁ、極稀にだけど」

 

 どうしてそんなことを聞くのかという顔で紫が水蛭子を見る。

 

「そんな時、紫さんの周りの人たちはどう思うでしょう?」

「周りの……」

 

 視線を宙へ彷徨わせ、ぼんやりと思考を凝らす。

 

「(自分の周りの人物と言えば、藍と橙、冥界の姫とその従者、チビ鬼に花妖怪に……あとは霊夢くらい? ……パッと思いついたのはこのくらいかしら)」

 

 という具合に考えて、紫が視線を向け直すと、水蛭子は少し眉を下げながら言う。

 

「きっと、紫さんが心配で、皆さん悲しむと思います」

「悲しむ……」

 

 悲しむ? 疑問符を頭の中に浮かべさせた紫が小首を傾げるが、水蛭子はそれに気付かず言葉を紡ぐ。

 

「日頃から運動すれば、その可能性も少なからず減少すると思います! どうですか、明日から私と一緒に早朝の走り込みなど!」

「別に悲しまないと思うけど」

「ですよね! じゃあ明日朝から早速……って、え!? いや絶対悲しみますよ! なんでそこで捻くれちゃうんですか!?」

「や、マジマジ。紫ちゃん嘘つかない」

 

 真顔で「ないない」と手を左右に振る紫に、水蛭子は思わずこめかみを抑えた。

 霊夢は「もうその言葉が嘘だけどな」と横目で紫を見ながら草団子を頬張る。

 

 気を取り直した水蛭子が「じゃあ」と紫に再度質問する。

 

「さっき神社で霊夢が言ってた、藍さんと橙さん、でしたっけ。その人達はどうですか?」

「藍は結構ドライな性格してるから……私が体調崩しても機械的に看病してくれるんじゃないかしら」

「機械的って……じゃあ橙さんはどうです?」

「橙はもう論外。そもそも私の事を道端の石ころ程度にしか思ってないみたいだし」

「同じ家に住んでるって言ってましたよね!?」

 

 複雑なご家庭なのかなと一瞬悲しい気持ちになったが、先程神社で会話した時も不貞腐れた様子だったので、絶対なんかあったんだと考えた水蛭子は、少し躊躇しながらも問いただす。

 

「えっと、もしかして喧嘩してる、とか?」

「……」

「(あ、当たりっぽい!)」

 

 ぶすーっとした顔でそっぽを向いた紫を見て、内心「かわいい」と思ってしまった水蛭子は少しだけ笑いそうになった。

 しかしそれは失礼に当たるぞと自分を律した水蛭子は、身体を紫の方へ向け座り直す。

 

「一体何があったんですか? お話し聞きたいです」

「……」

「あ、嫌なら大丈夫です! 無理に聞いてしまったら悪いですもんね」

 

 そう言えば、神社で不貞腐れていた紫に、霊夢は深く追求しなかった。

 霊夢がそう判断したということは、この話にはあまり深く踏み入らない方が良いのかもしれない。

 

 そう気になって見てみると、霊夢は大通りの方を見ながらのんきに茶を飲んでいた。

 良くも悪くもマイペースな幼馴染に水蛭子が苦笑していると、紫は小さなため息を一つ吐き、口を開く。

 

「……話すわ」

「え?」

 

 霊夢に気を取られていた水蛭子が紫の方へ顔を向け直す。

 外を見ていた霊夢も視線だけをそちらに向けた。

 

「良いんですか?」

「うん……年下のアナタ達に、これ以上呆れられたくないし」

「(あ、分かってたんだ……)」

「(分かってたんかい)」

 

 そして、紫は今朝の事をぽつぽつと話し始めた。

 

 

 

 

 藍は食材の入った手提げ袋を片手に、人里を歩いていた。

 その反対の手にはご機嫌に鼻歌を歌っている橙の小さな手が握られている。

 

 獣の耳や尻尾。一目見て妖怪と判断できる二人だからか、彼女らが通る道にいる人々は少しだけ体を脇の方へ寄せた。

 しかし藍は、そんな人間たちの態度に気にした様子も無く、ただある事を考えていた。

 

 

(……言葉が話せないのは不便だろうな)

 

 

 藍は、自身と手を繋ぐ少女を見て思考する。

 

 意思の疎通が困難と言う現状は、間違いなく良い事では無い。

 日頃のコミュニケーションでも一方的な会話しか出来ないし、言葉を話せた方が本人も勝手は良いだろう。

 それに、今回紫が出て行った原因はその辺りにある。

 諸々の事情を含めて、前々からなんとかしないといけなかった事なのだ。

 

 だがしかし、橙には言葉を操れる程の知能がまだ無い。

 妖獣ではあるのだから、知能指数が上昇する値は人間の幼子と比べれば高く、あと二、三年もすれば自分たちと問題なくコミュニケーションを取れる程になるだろう。

 藍自身も、昔はただの狐だったであったから、それは分かっている。

 

 だが早急になんとかするとなると。

 

「~♪ ~♪」

 

 ご機嫌に鼻歌を口ずさむ橙を見ながら、藍は優しく微笑む。

 しかし、その思考は冷たいままだ。

 

「……」

 

 方法が全く無いということはない。

 実際藍の頭の中では、幾つかの対処法が浮かんでいた。

 

 その中で一番手っ取り早い方法が、橙に式神を憑依させるというものだ。

 大妖怪である紫か、藍の式を橙に憑かせれば、その知能は格段に上昇する。

 妖力だって、並みの妖怪よりは一個上の格に上がるだろう。

 

 しかし間違いなく、本人に悪影響が出る。

 

 橙は大人しく良い子ではあるが、所詮は妖怪。

 突然強い力を持ってしまった妖怪は、何をしでかすか分からない。

 

 藍自身は、橙を信用していないわけではない。

 しかし橙はまだ幼い。

 目先の事をだけを考えて安易に力を与えてしまえば、後悔することになるかもしれない。

 

「……?」

「ん、なんでもないよ」

 

 気づけば、橙が不思議そうに藍の顔を見上げている。

 そんな少し不安の入り混じった顔をしている橙を安心させる為に、藍は微笑みかけた。

 

「(まだ、そこまで焦る必要も無い。何か、余程のことがあった時、考えよう)」

 

 そうして思考を中断させた藍は、明るい声で橙へ提案する。

 

「そうだ、団子でも買って帰ろうか?」

「!」

 

 橙はその言葉に耳と尻尾をピンッと立てて目を輝かせた。

 何気なく提案したものだったけど、嬉しそうにしている橙の様子を見て、藍は笑みを深くする。

 

 手を繋ぎ直した二人は、甘味屋へと向かい始めた。

 

 

 

 

「大雑把に説明すると、こんなところかしら」

「「……」」

 

 紫が話し終えると、霊夢と水蛭子は無言のまま互いに目配せをした。

 そして両者が紫の方へ視線を戻し、霊夢が口を開く。

 

「まぁ、どっちも悪いわね」

「そうね、味噌汁の話はちょっと驚いちゃったけど、紫さんだけが悪いわけじゃないと思いますよ」

「あれ……。てっきり私、バチバチに責められるものだと思っていたのだけど」

 

 二人の意外な反応に、紫はパチクリと目を瞬かせる。

 自分と橙、批判されるのは年上の自分の方だろうなと考えていた紫だが、目の前の二人はそうではないという。

 

 水蛭子はともかく、霊夢までそんな反応をするのは心底意外だった。

 目を丸くする紫に、霊夢は「要するに」と切り出す。

 

「橙の素っ気ない態度が、アンタからすれば嫌だった訳よね」

「えぇ、まぁ……」

 

 霊夢は口ごもる紫に小さくため息を吐いた。

 

「アンタが嫌って思ったんなら橙の態度もよろしくなかったんでしょ。全部アンタが悪いだなんて言わないわよ」

 

 霊夢の言葉に水蛭子が強く頷く。

 

「紫さんだって一人の感情ある人なんです。どれだけ年の離れた子との触れ合いでも、気に入らないことの一つや二つ感じたって何も可笑しい事じゃない。私なんて、もっと我儘で、どうしようもなくて……」

「……もう、自分を卑下するのは止めて。それ癖になるわよ」

「痛い!」

 

 霊夢のことを突き放した過去を思い出して、自嘲気味に笑う水蛭子に、霊夢が強めのデコピンをお見舞いする。

 額を抑えて蹲る水蛭子を無視して、紫の方に視線を移し、霊夢は珍しく彼女に向かって微笑んだ。

 

 

「ま、でもアンタに一切の否が無いって訳じゃないから。とにかく今日帰ったら速攻で橙に謝りなさい。一度関係が拗れちゃったら絶対に後悔するし、取り戻すのに凄く苦労するだろうから」

 

 

 自らが幼馴染と離れていた期間を思い出したからか、少し困ったように笑う霊夢の笑顔に、思わず紫は見惚れてしまった。

 それから、感心の笑みを浮かべて。

 

「ふふ、なんだか貴女、今のすっごい大人っぽかったわよ」

「そりゃあ、大人の癖して物凄く子どもっぽい奴がずっと近くに居たんだから、嫌でも大人っぽくなっちゃうわよ」

「あら? もしかしてその子どもっぽいヤツって、私のこと?」

「うんそう、大正解」

 

 サラリと流すようにそう言うと、霊夢は懐から巾着財布を取り出した。

 そしてお皿の回収に来ていた店主のお婆さんにお金を手渡し、その際彼女に小さな声で何かを囁いた。

 

 霊夢の囁きを聞いて、店主はニコリと笑って頷く。

 それから彼女は、渡された硬貨の中から数枚だけを握り、後のお金は霊夢に返す。

 

 どうやら昨日の約束通り、オマケしてくれたようだった。

 

「ごめんね。ありがとうおばあちゃん」

「かまへんよ」

 

 霊夢はお婆さんに礼を言って立ち上がり、水蛭子と紫に対して「さて」と切り出す。

 

「あんまり長居しても迷惑だし、そろそろ出ましょうか」

「あ、ちょっと待って霊夢」

 

 さっさと店を出て行ってしまった霊夢に、水蛭子も慌てて店主のお婆さんの元へ向かった。

 代金を支払おうと肩からかけたウェストポーチを開けて財布を取り出す。

 

 しかし、店主の一言にピタリと手を止めた。

 

「代金ならもう霊夢ちゃんから貰ったよ」

「え?」

「そっちの金髪のお嬢さんの分も」

「あら」

 

 どうやら先ほど霊夢が勘定した際、あとの二人の分の代金も支払っていたらしい。

 思えば、確かに出していたお金が少し多かったように感じる。

 

 顔を見合わせた水蛭子と紫が、同じような苦笑を浮かべて甘味屋から出た。

 

 

 甘味屋から出た先、霊夢が誰かと話している。

 

 その会話の相手を見て、水蛭子は思わず感嘆の声を上げた。

 そこに居たのが、物凄い美人さんだったから。

 

 お尻から七本の尻尾が生やしている彼女は、恐らく妖怪なのだろう。

 

「水蛭子、こっち」

 

 甘味屋から出てきた水蛭子に気付いた霊夢が、ちょいちょいと手招きする。

 水蛭子はそれに従って歩を進めようとしたが、ある違和感に気付いて首を傾げる。

 

 

「……あれ、紫さん?」

 

 

 先ほどまで隣に居た紫が居ない。

 横を見ても、後ろを振り向いても、彼女はいなかった。

 

 前を向く。霊夢とその会話の相手の美人がいるだけだ。

 

「消えた……?」

 

 それを認識した瞬間、大きな焦りを感じた水蛭子が霊夢に駆け寄った。

 そして、勢いそのままに口を開く。

 

「れ、霊夢!」

「どうしたの?」

「紫さんが消えちゃった!」

「消えた? あー、別に珍しい事じゃないわよ。そういう妖怪だし」

 

 焦る水蛭子を、霊夢は極めて平静な態度で落ち着かせる。

 そう言われて水蛭子もようやく気付いた。

 八雲紫という特殊な妖怪は、その能力を用いて次元を切り裂き、そして創り出したスキマからスキマへと移動する事が出来る、非常に特異的な力を持っていると。

 

 ということは、外的原因で消えてしまったのではなく、自分から何処かにいってしまったということ。

 謎は残るが、彼女の身に何か起きたわけではないということを検討付けた。

 

「そういえばそうだったね……はぁ~」

 

 安堵の溜息を吐く水蛭子を眺めながら、「でも」と霊夢が手を顎に添えた。

 

「逃げたのは感心しないわね」

「逃げる? それってどういう──」

 

 霊夢の言葉に首を傾げた水蛭子が、霊夢の指差した先を目線で追う。

 

「この子から逃げたのよ、あのヘタレは」

「この子」

 

 この子とは何処にいるのだろう。

 水蛭子は軽く辺りを見回して、そして気付く。

 

 霊夢が会話していた背の高い女性の後ろに、もう一人小さな女の子がいた。

 彼女は女性を盾にするように体を隠しており、そこから顔だけをひょっこりと出していた。

 水蛭子の方を不思議そうな目でジッと見つめている。

 

 パッと顔を明るくさせた水蛭子が、その少女に視線をあわせるように膝を折り、元気に話しかけた。

 

「あら! こんにちは」

「……」

 

 笑顔で挨拶をする水蛭子に、女の子は恥ずかしそうにするだけで、何も言わない。

 否、正確には、何も言えなかった。

 

「……ええっと」

「ごめんね、この子はまだ喋れないんだ」

 

 気まずげに頬を掻く水蛭子に、女性が苦笑混じりに言う。

 それを聞いて、水蛭子はホッとした表情を浮かべた。

 引かれたわけではないらしい。

 

「そうだったんですね。……あ、私八十禍津水蛭子って言います」

「私は八雲藍。見ての通り妖怪だよ。よろしくね」

「はい、よろしくお願いします! ……ん、藍?」

 

 どこか聞き覚えのある名前に水蛭子が首を傾げる。察した霊夢が説明を始めた。

 

「さっき紫の話に出てた同居人。そのちっこい方が橙」

「あ! へー! それは偶然!!」

「んー、偶然というか、何というか……」

 

 空笑いを漏らした藍が頬を掻く。

 それから話題を逸らすように彼女は言葉を続けた。

 

「そうだ。紫様が一緒だったんだってね。何処かに行ったらしいけど」

「そうなんです……」

「まぁ良くあることだから気にしないで良いよ。あの神出鬼没妖怪は留まることを知らないから」

「神出鬼没妖怪……」

 

 申し訳なさに苛まれていた水蛭子だったが、意外と気にした様子のない藍を見て、少しだけ心が晴れた。

 

 それから、藍の表情がパッと生暖かい笑顔に変わる。

 

「それより、ごめんね? 折角二人っきりだったのに、紫様が邪魔したみたいで」

「え、別に大丈夫ですよ。 ……なんですかその顔?」

 

 何故だか分からないが、物凄いにやけ顔になった藍を見て、水蛭子は不思議そうに首を傾げた。

 

 二人きりの時間を邪魔されたなどとは露とも思っていなかった水蛭子は、次の藍の台詞を聞いたことにより、更に脳内の疑問符を増やすことになる。

 

「や、ホントに申し訳ない。あの人空気読んだりするのが苦手なんだ。許してあげてほしい。ああ、こんな事なら、あの時ちゃんと引き止めておけば良かったな」

「あの、ええと、どういうことですか? ちょっと意味が……」

「恥ずかしがらなくて良いよ。長い諍いの時を経て、やっと仲直り出来た恋人……いや友人との時間を邪魔されたら不快に決まってるわよね。ホントごめん、後でキツく言っておくから」

「……!?」

 

 オイなんか勘違いしてるぞこの人!!

 水蛭子は先程紫が消えてしまった時よりも強い焦燥感を感じ、こめかみからは大粒の汗がタラりと流れてきた。

 

 そして身振り素振りを駆使し、全力の反論を伝え始める。

 

「今恋人って言いかけました!? 違いますよ私達ただの友達ですから!!」

「え……ただの?」

「あぁ違うの霊夢! 特別な友達! 大親友だよね私たち!!」

 

 フッと寂しそうな顔する霊夢を見て、更に汗の量を増やしながら言葉を訂正する。

 それを聞いて霊夢が薄く微笑み、謎に艶っぽく睫毛を枝垂らせて。

 

「そう、ね……」

「なんでそこで顔を赤らめる!?」

「うーん、やっぱり若いっていいね」

「さっきから藍さんはどういうスタンスで喋ってるんですか? 知り合いのおばさんにそっくりなんですけど!」

 

 昼下がりの大通り。水蛭子の大きな声が響き渡って行く。

 

 道行く人々は足を止め、野次馬よろしく彼女達の騒がしいやりとりを眺め始めた。

 

 そして人々は気が付く。

 

「あれ、博麗の二人組だ」

「あいつら喧嘩してるんじゃなかったっけ?」

 

 少し懐かしさを覚える博麗の二人組が、久々に二人揃っている。

 

「そう言えば上さんが昨日、二人で甘味屋に居るのを見たって言ってたよ」

「つーことは仲直りしたんか」

「みたいだな」

「おー、そりゃめでたいな」

「おう、めでたいめでたい」

 

 野次馬の会話は瞬く間に里中に伝播して行き、その話を聞いた人間が続々と集まってくる。

 

「水蛭子ちゃんと霊夢ちゃんが一緒にいるらしいぞ」

「マジでか」

「何年ぶりよ」

「とにかく久々だな」

 

 いつの間にか、彼女たちの周囲には大勢の人混みが出来上がっていた。

 

 しかし、藍の認識を正そうと奮闘していた水蛭子がその人々に気付いたのは、それから凡そ一刻ほど後のことである。

 

 

 




 
 藍さんも性格柔らかすぎたかなと思いましたが、この幻想郷の彼女はこういう人ということで一つよろしくお願いします。
 


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第五話 亡霊嬢は甘い物がお好き

「ふうん。それで、顔合わせるのが怖くて逃げだしてきたと」

「怖いとかじゃ……いや、そうとも言うわね」

 

 亡くなった魂の集う場所、冥界。

 

 そしてその冥界に聳える天を穿たんばかりの大桜「西行妖」、その根元に建造された白玉楼と呼ばれる日本屋敷の縁側で、八雲紫ともう一人の女性が湯飲み片手に話していた。

 女性は心底呆れた顔をして吐き捨てるように言った。

 

「はぁ、アナタって本当にスットコドッコイな妖怪よねぇ」

「スットコドッコイって口に出して言う人初めて見た……」

 

 両者の間には煎餅がてんこ盛りに盛られた木皿が。

 一見すると女性二人ではとても食べ切れない量に感じる煎餅なのだが、ほわほわとした笑みを浮かべている桃色髪の女性にかかれば大した苦ではないので安心してほしい。

 

 女性はその柔らかな雰囲気と打って変わって、尖った口調で紫を責め立てる。

 

「情けない、情けないわ紫。自分でそう思わない?」

「だって、朝あんなことがあったばかりなのに顔を合わせるなんて、気まずかったんだもの」

「……幻想郷の賢者も、従者の扱いは手を焼くわけね」

 

 「どちらかというと従者の方が主人の扱いに手を焼いてる感じだけど」と小声で言って、桃色髪の女性が溜息を吐いた。

 

「霊夢と、八十禍津水蛭子だっけ? 従者の子たちに加えて、その二人にも気を使わせるなんて。ダブル甲斐性無しよね」

「だ、ダブル甲斐性無し……。やっぱり私、あの子たちに気を使わせちゃったわよね……」

「話を聞く限りでは、それはもう盛大にね」

 

 気を使われていたという事実は気付いていたものの、改めて他人に明言されるとそれはそれで落ち込む。

 しょぼんとした顔の紫に追い打ちをかけるように、女性の遠慮無しな言葉責めは続く。

 

「橙ちゃんも可愛そうに。素っ気無い態度が嫌だったって……、あの子もあの子なりの考えがあっての接し方だったんじゃないの? 飛び出して来るくらいなら普段から意思の疎通を頑張ってしてあげてれば良かったのに、無駄に格上ぶっちゃってさ~」

「う。そ、それも反省してます……」

「それに大の大人が子どもを困らせて、悪いのはどっちも同じです! だなんて普通に考えて可笑しいでしょう? 年下の気遣いに気付けずに勝手に気を悪くして出て行くとか、大人気無いにも程があるわよ」

「うぅ……めっちゃ刺すわねアナタ……」

 

 ずけずけと紫を責め立てる女性は、涙目になっている紫を他所に煎餅をバリバリと食べ、ズズッとお茶を飲んだ。

 紫はガックシと顔を俯かせながら、小さく呟くように言う。

 

「……私って、本当にどうしようもない女ね」

「ん、この煎餅美味しいわ~。また妖夢に買ってきてもらわないと」

「その妖夢を送迎するの私なんだけど! っていうか友達が落ち込んでるんだから、励ましの一つくらいしてくれても……」

「だからそれは自業自得じゃない。いつまでも子どもみたいな事言ってないで早く帰りなさいよ。ホントに、いい歳して全く」

「いい、歳……!?」

 

 女性が目を細めて言った言葉に、ガーンという効果音が目に浮かぶような驚きようをする紫。

 わなわなと震えさせた手で女性を指差す紫は、まさにあからさま(・・・・・)である。

 

「失礼な……! 私はピッチピチの17歳」

「も~、いい加減そういうのキツいキツい」

「……そういうあしらい方……やめて欲しいな……」

 

 紫のあからさまな嘘に若干鬱陶しそうに手を振る女性に、紫はしょんぼりと寂しげな表情で呟く。

 そして自身の髪先をくるくると弄ってイジけていると、唐突に「あ、そうだ」と女性に向き直る。

 

「それはそうと、今晩泊めてくれないかしら?」

「だから駄目よ~。帰って橙ちゃんに謝ってきなさい。霊夢にもそうしろって言われたんでしょ?」

「そうだけど……」

「あのねぇ。つまんない意地張ってると、そろそろ本当に愛想尽かされるわよ」

「……そろそろ帰るわね!!」

 

 女性のジトッとした目線にササッと立ち上がった紫は、少しだけ残っていたお茶を飲み干して縁側から続く枯山水へと素早く数歩、歩いた。

 一応幻想郷の賢者、日本の大妖怪と言われるほどの実力者である紫でも、従者に愛想尽かされるのは心底嫌なのだ。

 

 じゃあ、また来るわね。そうと言おうとして紫は振り返るが。

 それより先に桃色髪の女性が先に口を開いた。

 

「まぁいろいろ言ったけど、藍も橙ちゃんも良い子だし、そんなに怒ってないと思うわ」

「うん」

「大丈夫、ちゃんと謝れば許してくれるわよ」

「う、うん」

「それとアドバイスなんだけど、出かける時は欠かさずお土産持って行ってあげたらポイント高いと思うわ。藍と橙ちゃんの好みとかちゃんと把握してる? ちょっとした物でもプレゼントっていうのは嬉しいものよ。お菓子とか小さめの置き物とか、消え物や邪魔になりにくい物が望まし──」

「ああもうわかった! わかったからもういいわ!!」

「……はいはい」

 

 頬を桃色に染めて大声を出した紫を見て、苦笑した桃色髪の女性が頬に手を置く。

 そして口をへの字にさせた紫が、改めて別れの挨拶を言った。

 

「じゃ、また来るわね」

「今日はもう来なくていいからね」

「わかってるわよ!」

 

 そう言うと紫は空間にスキマを開き、ひょいとその中へ入っていった。

 そしてその裂け目はすぐに消え失せ、後には静寂が残る。

 

 女性はいつの間にか残り一枚になっていた煎餅をボリボリと食べながら、ほわりと微笑んで薄暗い空を見上げた。

 

「……バカ殿様演じるのも、大変ねぇ紫」

 

 スキマに消えて行った友人に向けてそう小さく呟くと、桃色髪の女性は屋敷の方を向いて自身の従者を呼んだ。

 寂しくなった隣の席を、誰かに埋めて欲しかったからだ。

 

 

 

 

 水蛭子は今、物凄く気分が良かった。

 

 藍の誤解を解くのに四苦八苦すること役一刻。

 その間に大勢の人が集まってきたことには度肝を抜いた水蛭子だったが、なんと、その殆どの人達が霊夢と自分という「博麗の二人組」のことを覚えていた。

 

 二人が袂を分かってから再び隣を歩くようになるまで、それなりに長い月日が経ってしまったが、里の殆どの人が自分たちのことを覚えていてくれていたのは、霊夢と水蛭子にとって妙に感慨深いものであった。

 

 

「……そうだ! 折角だし今日の晩御飯うちで食べてかない?」

 

 

 里の外へと続く道を四人で歩いていると、藍が唐突にこんな提案をした。

 

「わー、良いんですか!」

「私はパス。悪いけど、人肉なんて食べないから」

「もう、霊夢ったら釣れないなぁ。……え? 人肉?」

 

 藍の提案に水蛭子は嬉しそうに頷いたが、次に続いた霊夢の言葉に愕然とした表情で固まった。

 

 真顔の霊夢からは冗談の雰囲気なんて一片たりとも感じられない。

 まさか、本当に人肉を……?

 顔を引き攣らせた水蛭子が藍の方をぎこちない動きで見やった。

 

「いや、人肉なんて出さないよ」

 

 苦笑いを浮かべながらそう言った藍に、水蛭子はホッと胸を撫で下ろす。

 

「で、ですよね! はぁ~びっくりした」

「なら、行っても良いけど」

 

 安心する水蛭子は、この幻想郷に「人間牧場」なるものがあるという事を知らない。

 里の人間を害することは幻想郷の規約によって禁じられているが、人間を食べること自体を禁じているわけではないのだ。

 妖怪は人間を食べる。だから、八雲家の食卓にも人肉が出ることはたまにある。

 

 しかし、藍はあえてそれを言わなかった。

 霊夢はそれを知っていたが、「普通の食事であるのなら一食浮くし丁度良いや」くらいに思っただけで特に何の反応も示さなかった。

 

 本当は怖い幻想郷。

 ともあれ、これは妖怪の食事情を鑑みれば当然のことである。

 残酷ではあるが、人間が他の動物を喰らうように、妖怪もまた人を喰らう。

 人と妖怪が共存する上で、これは二進も三進もいかないことであり、致し方無いことなのである。

 

 まだ幻想郷の闇、否、幻想郷の摂理を知りえない水蛭子は、質の悪い冗談を言った幼馴染に「酷いわよ霊夢~」と口を尖らせ、それから笑った。

 

 幻想郷は今日も、至極平穏である。

 

 

「……」

 

 

 賑やかに話す三人の少し後ろ。その背中を何処か寂しそうな表情で眺めている化け猫の少女。

 言葉が喋れない彼女は、当然会話に参加することが出来ずにいた。

 

 その気持ちを表すように、顔を俯かせる。

 

 そんな折、ふと水蛭子が振り返った。

 

 俯く橙を見て、水蛭子は歩調を緩めて隣に並んだ。

 少し頭を下げ視線を合わせつつ橙に話しかける。

 

「橙ちゃんは……えっと、食べるの好き?」

 

 水蛭子はどんな料理が好物なのかを聞こうとしたが、寸前で仕草だけでも答えられる質問に変えなければと思い、少し変な質問をしてしまう。

 

「……(こくこく)」

 

 紫や藍以外から話しかけられることに慣れていない橙だが、それでも少しだけ考えてから、水蛭子を見て頷く。

 水蛭子は優しく微笑んで、着物の袖を軽く捲り、ちからこぶを作るように腕を上げた。

 

「そっかー! じゃあ今晩のご飯楽しみにしてて! 私も作るの手伝うからね!」

「(こくこく)」

 

 少し慣れたのか、今度は間髪置かずに橙が頷く。

 その顔には小さな笑みが浮かんでいた。

 

 後方の二人を見ていた霊夢と藍は、一連のやり取りを見て顔を見合わせる。

 そしてもう一度水蛭子と橙の方へ視線を戻し、微笑ましそうに頬を緩めたのだった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 ニョキリと顔のみをスキマから出す。

 

「……」

 

 玄関から続く廊下には誰も居ないようだ。

 それを確認すると、八雲紫はそっとスキマから出て廊下へ降り立った。

 そして出来る限り物音が鳴らないよう、ソロリソロリと廊下を移動する。

 

 廊下には何処からか漏れ出した、いつもより賑やかな声が聞こえてくる。

 まあ十中八九、居間からの声だろう。

 しかし、藍と橙だけではこんなに賑やかな声は聞こえてこない筈だ。

 なんせ片方は喋ることが難しいのだから。

 

 ということは、誰か来客が来ているということ。

 しかし誰が訪れているのか、皆目見当が付かない紫は不思議そうに首を傾げた。

 

 

「……誰かしら」

 

 

 居間の前までたどり着いた紫は、ソーッと襖を開け、中を覗きこむ。

 

 すると襖を隔てた直ぐ向こうには一人の少女が。

 

 というか紫の目と鼻の先に、彼女の目と鼻の先があった。

 ドがつく程の至近距離である。

 

 その黒曜石の如き透き通った瞳には、大きな呆れの色が浮かんでいた。

 

 

「なにやってんの?」

「ぎゃあああああああああッ!!!!」

「うるっさ……!」

 

 

 どんがらがっしゃーん!!と、ギャグみたいな音を立てて紫が後ろへぶっ倒れた。

 

 凡そ乙女の物と思えない程に大音量の悲鳴が、霊夢の鼓膜を猛烈に叩き、彼女は思わず顔を顰めて両手で耳を抑えた。

 その悲鳴と物音に驚いた藍と橙、水蛭子が急いで廊下の方まで駆け寄ってくる。

 

 すこぶる不機嫌そうな顔をして、霊夢が目の前でひっくり返っている紫へ話しかけた。

 

「この……! 鼓膜破れたらどう責任とってくれるのよ……!」

「だだだ、だって! そんなすぐそこに人が居るなんて思わないじゃない!」

「外から物音が聞こえて来たから、襖を開けようとしてたのよ。アンタだって知ってたらわざわざ行かなかったわ。……そういえばアンタ、なんで「ただいま」って言わなかったわけ?」

「う。そ、それは」

 

 紫はもごもご言い淀んだと思うと、そっぽを向いて黙り込んだ。

 

 それを見て霊夢はピクリと片眉を動かし、水蛭子は苦笑いする。

 藍はやれやれと呆れたように首を横に振り、橙は所在なさげに手を宙で動かしていた。

 

 霊夢は暫く無言のまま紫を睨むように見た後、肩を脱力させて口を開く。

 

「……さっさと入りなさい。ご飯出来てるわよ」

「え?」

 

 思っても見なかった霊夢の言葉に、紫は弾けるように顔を上げた。

 しかし霊夢は既に背を向けており、居間に入っていく所だった。

 

「おかえりなさい紫さん。みんな紫さんを待ってたんですよ!」

「そ、そうなの? それは……ごめんなさい」

「あ、いや! 料理が出来たのは、ついさっきですから! 実はそんなに待っては無いんですけどね……!」

 

 水蛭子は続けて「冷めないうちに食べましょう?」と言って、いそいそと居間へ戻って行った。

 

「さて、今日は紫様の好きなハンバーグですよ?」

「藍」

 

 戻ってきた主人に、藍は嬉しそうに、しかし少しだけ困ったちゃんの子どもを見るような表情をして、紫に手を差し出す。

 

 その手を掴んだ瞬間、強い力で引っ張られた彼女の体が一気に立たされた。

 

 藍の思っても見なかった力強さに呆気にとられた紫は、少しの間をおいて感嘆のため息を一つ吐いた。

 

「……ありがとう」

「いえ。それと、橙がずっと心配していましたよ」

「橙が?」

 

 そう言われて、橙を見る。

 橙は少し恥ずかしそうに頬を赤らめたが、紫の目をしっかりと見てコクリと頷いた。

 

「そう」

 

 紫は一瞬何かを考えるように俯いたが、すぐに顔を上げた。

 

 そして橙の頭を撫でつつ、優しく微笑んで。

 

「心配してくれて、ありがとう橙」

「……!」

 

 いつもなら気恥しさから素っ気ない謝罪しか出来なかったであろう紫。

 しかしこの時ばかりは、感謝の意がなるべく届くように。丁寧に心を込めた言葉を送った。

 

 これに橙は驚きの表情を浮かべたが、次の瞬間には綻んだ笑みを浮かばせて深く頷いた。

 

「さ、行きましょうか」

「(こくこく)」

 

 紫は橙の小さな手を、おっかなびっくりといった様子でゆっくり取り、居間の中へと入っていった。

 

 そうして、廊下に一人残った藍。

 彼女は部屋の中を眺めて、そこにある賑やかな光景に頬を緩ませた。

 

 

 

 全員が食卓に着く。

 

 さて、この家の居間は奥の方に(とこ)の間もあるしっかりとした和室だ。本来こういった和室では床の間の前が上座となり、家主である紫がそこに座るのが自然である。

 しかし彼女たちはそんなことを気にしない様子で、各々好きな席に腰を落ち着かせていた。

 

 床の間の前に腰を下ろしたのは霊夢で、その隣には水蛭子が座っている。

 ……ちなみに霊夢はこの手のマナーを知っているのだが、それでもその席に座ったのは普段迷惑をかけられている紫への小さな意趣返しの意があった。

 

 しかし当の紫は、霊夢のそんな悪戯に気が付くこと無く、目の前の料理に意識が釘付けになっている。

 

「まぁ、美味しそう!」

 

 ニコニコと屈託のない笑顔で紫が言う。

 

 今晩の献立は、ハンバーグと白ご飯に味噌汁、添え物に沢庵を数切れというものだ。

 ハンバーグの材料には昼間に藍と橙が買って来たものを使っている。

 キノコをふんだんに使ったソースが照り輝き、豊かな香りが鼻腔を刺激する。

 

 間食に煎餅をお腹の中に入れていた紫であったが、美味しそうなそれらを見て胃が活性化し、小さくお腹を鳴らした。

 

「ねぇ紫さん。紫さんのハンバーグ、橙ちゃんが作ったんですよ」

「え?」

 

 水蛭子の言葉に紫は間隔の狭いまばたきをして、今日は珍しく自分の隣に座っていた橙に視線を移した。

 

「そうなの橙?」

「……」

 

 口調に驚きを孕ませた問いかけに、橙は恥ずかしそうにコクリと頷いた。

 

 紫は自身の前に置かれたハンバーグをもう一度しっかり見て、おお……と感嘆の声を漏らした。

 言われてみると他のハンバーグより形が崩れている気がしないでも無いが、そう言われなければ全く分からなかった。それくらい素晴らしい出来である。

 

 紫は胸から湧き上がった感動に目を輝かせて、再び橙の方を見た。

 

「すっごい!! すごいわ橙! 貴女料理人になれるわよ!」

「!?」

「素晴らしい造形美だわ……完全完璧な藍の作り出したハンバーグにも引けを取らないなんて……」

 

 少々飛躍しているかもしれない褒め言葉。橙は目を見開かせて驚愕する。

 しかし褒められたことは単純に嬉しいらしく、照れくさそうな笑みを浮かべた。

 

 紫への干渉を自ら絶ってから、彼女に褒められるなんてことは皆無だったように思う。

 だからこそ、紫の誉め言葉は橙の胸に深く染み渡った。

 内心彼女は小躍りしそうな程であったが、食事の席なのでなんとか気持ちを抑えることになる。

 

 

「ふふ、それじゃあ、いただきます!!」

 

 

 紫が合掌して言うと、それに合わせて他の面々もバラバラと合唱し、「いただきます」と口にする。

 橙は喋れないので手を合わせるだけだったが、すぐに料理に手をつけようとしなかった。

 

 というのも、自分が作ったハンバーグを食べる紫の反応が気になって仕方がなかったのだ。

 不安そうな眼差しで橙が見守る中、紫が白のオペラグローブを纏った両手でフォークとナイフを手に取った。

 

「ハンバーグかぁ、久々に食べるから楽しみだわ~」

 

 そんな口調とは裏腹に、とても丁寧な所作でフォークとナイフを操り、ハンバーグを切り分けていく。

 

 ちなみに紫以外はフォークナイフでは無く、箸を使っている。

 

「あ~」

「……」

 

 紫は大きく口を開き、ハンバーグを口に迎え入れようとして。

 それを橙は緊張した様子でまじまじと見つめていた。

 

「……ん!」

 

 紫がハンバーグを完全に口に入れる。そしてもぐもぐと大きな咀嚼を始めた。

 

 口を動かしていくにつれ、紫の表情はどんどん惚けたものになっていき。

 

 

「う~ん! 美味しい~!!」

「!」

 

 

 恐らくは今日一番であろう満面の笑顔。

 そして心の底からの味への感想。それを聞き橙は表情を目を輝かせ、それと同時に耳と尻尾がピンッと真っ直ぐに立たせた。

 

「良かったね。橙」

「……!!」

 

 母親のような微笑みを浮かべる藍に、橙は激しく頷いた。

 それから「ハッ」とした様子で気を取り戻したあと、照れくさそうな笑顔を浮かべた。

 

 ここで、紫が気分の高揚に任せてか、陽気な口調で言った。

 

 

「いや~、こんな橙がこんなに美味しい料理作れるようになったなら、そろそろ藍もお役目御免かしらねー!」

 

 

 完全に余計な一言だった。

 

 先ほどまで母神の笑みを浮かべていた藍の表情が、すぅっと能面のような真顔に変わる。

 

「……ははは、面白い冗談を言いますね紫様。安心してください、そうなったら橙も連れて出ていかせてもらうので」

「あっ。……じ、冗談よ冗談。そ、そんな怖い顔しなくたっていいじゃない……」

 

 藍が放った極寒の視線に怯えながら、紫が気まずそうに目を逸らした。

 

 その視線の先には、仲睦まじく食事をしている霊夢と水蛭子が。

 

 水蛭子がハンバーグを切り分け、戯れにそれを霊夢の口元へ持っていっている。

 俗に言う「あ~ん」だ。

 

 霊夢は赤らんだ頬をして一度それを拒んだが、良い笑顔をしている水蛭子に「もう……」と一つ溜め息を吐いた。そして、観念した様子でハンバーグを口に迎え入れる。

 数回の咀嚼の後、ぶっきらぼうに一言「美味しい」と霊夢が言うと、水蛭子は嬉しそうに笑って食事を再開した。

 

 そんな光景を見て、紫と藍は先ほどのやり取りの事をすっかり頭の隅に追いやってしまった

 

 

「見てよ、藍。あれが何年も仲違いしてた関係だって言って、誰が信じると思う?」

「確かに、まるで新婚の夫婦の様なやりとりですね。それでいて雰囲気は熟年夫婦みたい」

 

 笑いを噛み殺すように言った紫に、にんまりと目を細めた藍が返した。

 ちなみに二人の会話は囁きあうほどのもので、霊夢と水蛭子には聞こえていない。

 

 そんな顔を寄せ合う二人に気付いた霊夢は「ん?」と首を傾げたが、しかし大して気にした様子もなく食事を再開した。

 

 

 

 

 

 

「そうだ。妖夢、お願いがあるんだけど~」

「なんですか?」

 

 桃色髪の女性が縁側に座りながらのんびりとした口調でそう言うと、話しの相手である銀髪の少女が小さく頭を傾ける。

 

「明日、お煎餅買ってきて?」

「分かりました、お煎餅……えっ?」

 

 主人のお願いに頷きかけた少女が、疑問符を頭の上に浮かべた状態で勢い良く女性を見た。

 物凄く困惑した表情である。

 

「え、え。一昨日買ってきたばかりなんですけど……え?」

「全部食べちゃった」

「大きな風呂敷包二つ分だったんですけど? あの量をもう食べちゃったんですか……!?」

「ふふふ」

 

 お茶目な笑顔を浮かべるばかりの女性に、愕然とした表情で銀髪の少女が小さな悲鳴を漏らした。

 

 彼女はかれこれ数十年程、女性の従者をしているが、未だに彼女の大食い早食いには慣れる事が出来ない。

 胃袋と頭のタガがイカれまくってるのだ。

 

 しかし、この時少女の心の内に大きく浮かんでいたのは、「またあの人(・・・)と一緒に買い物に行かなくちゃいけないのか……」という嫌悪感である。

 

「もう! もっと自重してくださいよ幽々子様! 紫さんと一緒に買い物しにいくの気まずいんですよ!」

「よ、妖夢……! アナタ、なんてことを……!」

「あっ」

 

 口が滑った、と言わんばかりに両手で口元を押さえた銀髪の少女を見て、桃色髪の少女は苦笑いをする。

 

「アナタって、たまに抜けているところがあるわよね~」

「うぅ、失言でした……」

 

 銀髪の少女が気まずそうに顔を俯かせる。

 そんな彼女を見て、桃色髪の女性はニコリと微笑み、口を開いた。

 

「まぁ、苦手なものは無くした方が良いわ。連絡は私がしておくから、明日よろしくね」

「……はい、わかりましたぁ」

 

 銀髪の少女は明確な不満を顔に張り付けながらそう言うと、屋敷の中へトボトボと歩いていった。

 余所行き用の服(普段着と見た目はほぼ変わらない)と、お財布の確認。それから買い物袋の用意。

 

 抜けている所がある彼女だが、その性根は至極真面目である。そんな少女は前日から準備を怠らないのだ。

 

 

「あ、それからね。妖夢」

 

 

 襖の向こうに消えた少女に、桃色髪の少女が何かを思い出し、呼びかけた。

 

「はい?」

 

 銀髪の少女が屋敷の奥から、ひょっこりと顔だけを出す。

 桃色髪の少女は振り返り、とても良い笑顔で言った。

 

「しょっぱいの沢山食べちゃったから、アナタが戸棚に入れてた牡丹餅、食べたいなぁ」

「………………え?」

 

 前のお使いの際、こっそり食べようと思って少女が隠しておいた牡丹餅。

 食べ物に関しては妙に嗅覚が鋭くなる白玉楼の主人には、屋敷内にある食べ物のことなどは全てお見通しだった。

 

 

 静寂が支配する冥界で、銀髪の少女の悲しい悲鳴が木霊する。

 

 ちなみに、彼女が今までオヤツを隠し通せた事は全くない!

 

 




紫サンノ駄ベリヲ聞イテ、橙ニ勉強ヤラ折リ紙ヤラ教エテ、藍サンノ手料理食ベテ褒メチギッテアゲル。
ソンナ生活ヲ私ハ送リタイ。(宮沢賢治風)


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第六話 恋色の魔法使いは楽しげに笑う

 

 八十禍津水蛭子は元博麗の巫女候補である。

 その為彼女は人里の人々から一目置かれる存在であり、水蛭子自身もそれを一応自覚していた。

 

 しかし元博麗候補であったとしても、彼女が暮らしているのは万年人手不足の人里である。

 そして人里の民の信条は、働かざる者は食うべからず。

 完全に無職である人間は、赤子を除いて一人も存在していない。

 

 水蛭子は職業は、職業自警団員だった。

 魑魅魍魎が跋扈する幻想郷で人間を守ってくれる存在は、幻想郷のルールそのものと博霊の巫女、そして郷内に点在する各人里で組織されている自警団だ。

 彼女はその中でも特別な位に座している。

 

 

 その役割は、博麗の巫女が不在時に限り、妖怪と真っ向から殺し合うこと。

 

 

 とはいえ、博麗以外が力のある妖怪と対峙するのは基本的には禁止されているし、霊夢が里の危険を無視することはまず無いので、水蛭子が本来の役割を全うするケースは非常に少なかった。

 

 その為、水蛭子の普段の仕事と言えば、博麗の手を借りる必要も無いほどの雑魚妖怪を追っ払うことや、警ら(里内のパトロール)等に出動するのみである。

 とどのつまり、今日も今日とて朝の集会を終えた彼女は、ほぼフリーな状態であった。

 

 一応副業もしているのだが、最近はそちらの依頼は少ない為、水蛭子は変わらず暇を持て余しているというわけである。

 

 

「暇だー……」

 

 

 忙しいのも困るけど、暇過ぎるのも考えモノだな。

 そんな、里の平和を維持する自警団らしからぬことを考えながら、彼女は自主的なパトロールも兼ねて大通りをグダグダと歩いていた。

 

 不意に、視界に見知った後ろ姿が映り込む。

 

 一見してただの人間とは言い難い、ちょっと変わった雰囲気の女の子だ。

 

「あ、若白髪ちゃんだ」

 

 開口一番、物凄く失礼な事を口走った水蛭子の視界に居るのは、自分と同じくらいの年頃であろう一人の少女。

 

 おかっぱ気味に切りそろえたボブカットの銀髪に、黒いリボン。

 白いシャツの上には深緑のベストを着ており、同色のスカートは少し短めで動きやすそうだ。

 全体的に冷たさを印象付けられるカラーリング。そして銀髪と切れ目である事から、近寄りがたい雰囲気を醸し出している彼女であるが、話してみると割と気さくだという事を、水蛭子は知っていた。

 

 水蛭子は既にこの少女と面識があった。

 たまに人里を訪れ、毎回大量のお菓子と食材を買い込んで帰っていく変なヤツだから、里の人達にも顔を覚えられていた。

 

 ちなみに水蛭子は彼女の事を若白髪ちゃん(あくまで愛称)と呼んでいるが、本人の前では流石に言わない。

 

 さて、例に漏れず、今日の彼女も大荷物の様で。

 両手にそれぞれ脇で挟むように持った手提げ袋がはち切れんばかりに膨らんでいる。

 時折足をよろめかせるその姿はちょっと危なっかしい。

 

 水蛭子が少女の元へ小走りで近付き、声を掛ける。

 

「こんにちは」

「はい? ……あぁ、あなたですか」

 

 煩わしげな顔で少女が振り向く。

 明らかにキャパオーバーな荷物を持っているからか、少し不機嫌そうだ。

 しかし話しかけてきた人物が水蛭子だと確認すると、その非難めいた視線は直ぐに普通の物に戻った。

 

「朝からご苦労さま。今日もなんというか、すっごいわね」

「はは、今回はまだ楽な方なんですけどね」

 

 苦笑いを浮かべながらも歩き続ける少女に、水蛭子は「毎回大量に買い物をしている理由はなんなの?」「そんなに大量の荷物をもって何処まで帰るの?」といった問いかけをしようと口を動かしかけた。

 しかし寸での所で言い留まる。

 

 水蛭子が彼女と会話を重ねてきて、分かったことが一つある。

 彼女は基本的に、自分のことを喋りたがらないのだ。

 

 聞きたいことは山積み。

 しかしあれこれしつこく聞いて鬱陶しがられるのも双方の為にならない。

 そんな考えの元、水蛭子は突っ込んだ質問は自重していたのだ。

 

 ちなみに言うと水蛭子が少女を若白髪ちゃんと呼ぶのも、彼女が自らの名前を名乗らないからだった。

 

 そうして出しかけた質問をグッと堪えて、水蛭子は純粋な親切心から申し出る。

 

「半分持つわ」

「えっ、いや悪いですよ」

 

 銀髪の少女は慌てた様子で言った。

 少女が遠慮しがちの性格だというのは水蛭子も理解していたので、もう一度言葉で押してみる。

 

「今日は仕事も無くて丁度暇してたの、やる事が出来てむしろ嬉しいくらいよ」

「いや、でも……」

 

 妖夢は、よこしなさいと言わんばかりに差し出された手を見る。

 次に自身の両手に持ったパツパツの袋を見て、少し考えてから口を開いた。

 

「んー……ならちょっと、甘えましょうかね」

 

 遠慮がちに、左手に下げていた袋を差し出す。

 それを笑顔で受け取った水蛭子は袋を右手に下げた。

 

 袋の中を見てみると、そこには大きく膨らんだ風呂敷が。パツパツのそれはもはや球体の域だ。

 中身は何だろう?気になった水蛭子は、これくらいなら構わないだろうと思い聞いてみることにした。

 

「なに買ったの?」

「煎餅です」

「へー、そっか煎餅…………え?」

 

 せんべい?この、パンッパンのやつが?

 思いがけない返答。それは水蛭子の思考を一時停止してしまう程には衝撃的なものであった。

 震える声で水蛭子が言う。

 

「……これ全部?」

「ですねぇ」

 

 虚空を見ながらハハハと空笑いする少女を見て、水蛭子はポカンと口を開けて惚けた顔をした。

 それから少しの間の後、可笑しそうに笑いだす。

 

「ふふ、あはは……!」

「な、なんですか突然笑いだして? ・・・…あっ、言っておきますけど私が全部食べるわけじゃないですよ!?」

「隠さなくて良いわよ、私だって甘いモノ大好きだし。好きなものってついつい食べ過ぎちゃうわよねー」

「違ッ! 違います~~!!」

 

 この時水蛭子は、少女がよっぽどの煎餅好きなのだろうと勘違いした。

 事実は少女の主人である桃色髪の女性がブラックホールよろしく飲み込んでしまうのだが、水蛭子がそれを知る由が無い。

 銀髪の少女は頬を赤らめ、先ほど自由になった左手をブンブン振って抗議するが、そんな彼女を見て水蛭子はますます笑顔になり、笑い声も大きくなっていく。

 

「あはははっ!!」

「ホントに違うんですよぉ……! これは、幽々子さまが……!」

 

 少女の口から自身の主人の名前が飛び出した。

 聞き慣れない名前に、水蛭子は首を傾げる。

 

「幽々子さまって誰?」

「……アッイヤ……ハハッ……なんでも、ないです」

「何よう、やっぱり自分が食べるんじゃない」

「…………ハイ」

 

 絡繰りのような口調で話し始めた少女を不思議に思ったが、いつもの隠し事なのだろうと、特に言及はしなかった。

 その後水蛭子が一分ほど笑い続けていたら、「もういいです……」と少女が不貞腐れだしたので、滅茶苦茶謝罪した。

 

 

 閑話休題

 

 

「ありがとうございました。ここまでで大丈夫です」

「え? もういいの?」

 

 里のはずれにあるアバラ家に差し掛かった所で、少女は水蛭子の方へ振り返ってそう言った。

 まだまだ歩くのだろうと思っていた水蛭子は拍子抜けした様子で首を傾げる。

 最低でも隣の里くらいまで歩くと考えていたのだ。

 

「別に遠慮しなくてもいいんだよ?」

「いや、遠慮とかじゃなくて……その、ここでもう十分というか」

「どういうこと?」

 

 水蛭子がもう一度首を傾げたその時、アバラ屋の戸がガラガラと音を立てて開いた。

 視線を向けると、中から出てきたのは見覚えのあり過ぎる女性だった。

 目を丸くして水蛭子は声を上げる。

 

「あれっ? 紫さん?」

「あら、水蛭子じゃない」

 

 現れたのは昨日仲良くなったばかりの妖怪、八雲紫。

 突然現れた彼女に驚く水蛭子だったが、紫も予想外だったのか同じような表情をしている。

 

 そして二人が知人であることに驚いているのが銀髪の少女である。

 

 なにせ、片や何の特徴も無い人里の娘で、片や幻想郷を代表する大妖怪。

 目の前の二人に接点があるなどとはまさか予想できるまい。

 少女は戸惑いながら声を出す。

 

「え、二人はお知り合い、なんですか?」

「それはもう。知り合いも知り合い、超知り合いよ」

「超、知り合い……!?」

 

 この幻想郷の総括者である八雲紫と、超がつくほどの知り合い!?

 

 と、紫の軽い冗談を、言葉通りに受けた少女が驚愕で目を見開く。

 純粋であるのは素晴らしいことだが、同時に怖いものでもあり、こんなあからさまな冗談すらも真面目に受け止めてしまうからタチが悪い。

 

「超知り合いって……もう。昨日知り合ったようなものじゃないですか」

「やん、悲しいこと言わないでよー」

「え、あ……んっ?」

 

 呆れた表情をする水蛭子とあざとい声を出す紫を見た少女が、「あ、おちょくられてるわコレ」と勘付くのは存外早かった。

 

 破茶滅茶に騙されやすいが、嘘だと気付くのも早い。

 少女は純粋であるが、主人がああいう性格なので、からかわれる事には慣れているのだ。

 ならいちいち冗談を真に受けるのを止めたらいいのでは?と思うかもしれないが、残念ながら彼女はそういったベクトルで生きてはいなかった。

 

 スンと冷静な顔になった少女を見ながら、水蛭子が「もしかして」と切り出す。

 

「紫さんと一緒に居るって事は、若白髪ちゃんって実は凄い妖怪だったりします?」

「ん? 若白髪?」

 

 何気なく発せられた言葉に眉を寄せた少女だったが、それを意を解した様子も無い紫が言葉を返す。

 

「実力はそれなりだけど、違うわね。この子は友人の所で働いてる使用人みたいなもので、私は買い出しの足になってあげてるだけよ」

「え、紫さんを、足に?」

「……え!?」

 

 水蛭子の湿気た視線を感じて「い、いけないことでした!?」と困惑しはじめる少女。

 

「(あー可愛いな)」

 

 本気で焦った様子の少女を見て、水蛭子はうふふと惚けた笑みを浮かべながら、紫の方へ視線を戻す。

 

「それじゃあ、今から紫さんのアレ(・・)で帰るんですね」

「そうね」

「そうですかー。ならあんまり引き止めちゃうのもなんですし、私も戻りますね」

「愛しの霊夢が待ってますものね」

 

 ニヤニヤとした笑みを浮かべながら言った紫に、水蛭子はムッとした表情になる。そして少しだけ赤らんだ頬を手で隠すようにしてからため息を吐いた。

 

「もう、茶化さないでくださいよ」

「ふふ、ごめんなさい。それじゃあ行くわね」

「はい、また」

 

 水蛭子が軽く手を上げてさよならの挨拶をすると同時、紫の横の空間がヌッと裂けるように開く。

 そして無駄に優雅な足取りでそのスキマに消えていった大妖怪に続き、銀髪の少女もその中に入って行った。

 

「今日はありがとうございました。ではまた」

「うん、バイバイ」

 

 向こうで少女が頭を下げると、スキマがヌッと閉じる。

 それを見て水蛭子は「便利な能力だなぁ」と思いつつ、訪れた静寂に寂しさを感じて、少し早足で里への道を戻り始めた

 

 

 

 

 里の大通りをそのまま通過した水蛭子は、博麗神社の境内に立っていた。

 

 彼女の片手に下げられているのはパンッパンの袋。その袋を見て、水蛭子は深い深いため息を吐く。

 それから玄関の戸をノックして、もう一度袋に視線を向ける。そしてまたため息を一つ。

 

 トタトタという足音が近付いてきて、戸が開かれる。

 

「はーい。あ、水蛭子いらっしゃい」

「……こんにちは、霊夢」

 

 昨夜と比べ、あからさまにテンションの低い水蛭子を見て、霊夢は不思議そうに声を出した。

 

「どうしたの?」

「なんでもない……いや、ある……かな?」

「どっちよ。本当にどうしたの?」

 

 明らかに様子の可笑しい友人を見て、霊夢はいよいよ心配の表情を浮かべる。

 

 そんな彼女の様子に、水蛭子はポツリ、ポツリと話し始めた。

 

「最初は、少し喜んじゃったの」

「……何に?」

「でもその後直ぐ、物凄い罪悪感にさいなまれたわ。……だけど私には、この煎餅をあの子に届けるすべが無いの……っ!」

「え、なに。その手に持ったまるっこい手提げの中身、煎餅なの?」

「あの子が次いつ里に来るのかも分からないし、かといって保存しておくにも期限があるわ」

「……」

 

 自分の言葉に反応せずに一人で話し続ける水蛭子に、霊夢は少しだけ不機嫌そうな表情になる。

 それでもとりあえず様子を見ようと、黙って次の言葉を待った。

 水蛭子は瞼を閉じつつ、まるで説法をするかのように霊夢にゆっくりと語り掛ける。

 

「と、いうわけでね、霊夢」

「うん」

 

 目を見開いた水蛭子が、同時にニヤリと笑う。

 唐突に悪い面構えになった彼女に霊夢がまばたきをすると、水蛭子は声高らかに言った。

 

「今日は煎餅パーティーをしましょう!!」

「話しを聞く限り盗品よね?」

「盗品じゃないわよ! どっちかというと忘れ物だからセーフ!!」

「多分誰が聞いてもアウトなんじゃないかしら」

 

 さらりと受け流すようにそう言って、霊夢はさっさと社内に入っていった。

 そんな霊夢の背中を暫く眺めた後、水蛭子はしょんぼりとした表情で靴を脱ぎ、いそいそと霊夢の去っていった廊下を進んだ。

 

 

 二人並んで縁側に座り、ずずずっと茶を飲む。

 火傷しそうなほど熱いけれど、これくらいのお茶もやっぱり美味しいなと水蛭子は満足げである。

 続けて、おそらく醤油味であろう茶色の煎餅を一口。

 ぼりぼりと数回の咀嚼の後。

 

「うっまい」

 

 恍惚な表情を浮かべながら、水蛭子はそう感想を吐露した。

 

 かなり好みの味だったので今度からちょくちょく買おう。と店を探す算段を組みながら再びお茶を飲む。

 

 ニコニコ顔の水蛭子を呆れた表情の霊夢が見た。

 

「あーあ、もう知らないんだから」

「だーいじょーぶだって! また今度あの子に会ったら買ってあげるから!」

「その、あの子って誰?」

 

 さっきも言ってた「あの子」というワードに、霊夢は訝しげな表情をする。

 

「ええっと、銀髪の……全体的に緑っぽい女の子なんだけど、知らない?」

「何その全体的にアバウトなヒント」

 

 そう言いながらも、うーんと考え始める。

 

「銀髪は何人か心当たりがあるけど、緑ねぇ……」

「あと、腰に刀差してて、周りに白い……モニョモニョしたのが浮いてるんだけど」

「いやそれ絶対に人里に入れたら駄目でしょ」

「大丈夫大丈夫……あれ? 良く考えたら、あんまり大丈夫じゃない?」

「もう、しっかりしてよ……」

 

 能天気な幼馴染にため息を吐く。彼女は自警団に所属しているのに、この警戒心の無さは職務怠慢と言っても過言ではないだろう。

 この子には向いてないんじゃないか?と霊夢が考え始めた時、水蛭子はにへらと笑った。

 

「まぁでも、やっぱし大丈夫だって。あの子、優しいし」

「ふーん。……で、名前は?」

「それが、知らないんだよね~!」

「……はぁ」

 

 やっぱり、絶対に向いてない。

 あははと笑う水蛭子を見て、霊夢は人里の自衛の練度に少々不安を感じるのだった。

 

 

 閑話休題

 

 

「……美味しいわね」

「でしょ?」

 

 十数分後、なんだかんだ言って、霊夢も一緒になって煎餅を食べていた。

 少しの間無言で煎餅を食べ続けていた二人だが、霊夢は三枚目くらいで既に飽きを感じていた。

 そして水蛭子も同じ感想を抱いていたようで、苦笑いを浮かべている。

 

「……あの子この量をもう一袋食べるって言ってたけど、見かけによらず大きい胃袋してるのねぇ」

「化け物じゃない……。今度会ったら、ちゃんと素性を……ん?」

 

 名前も姿も知らない妖怪に戦々恐々としていた霊夢が、ふと空を見た。

 彼方から何かが飛来してくるのが見える。

 

 ──箒に跨った少女だ。

 その少女のことを、霊夢は良く知っていた。

 青い空に良く映える白黒の洋服が、徐々に鮮明に見えてくる。

 

 それを見た霊夢が、思わず仏頂面になった。

 

「ああ、面倒くさいのが来たわね……」

「どうしたの?」

 

 突然こめかみを押さえだした霊夢を見て、小首を傾げる水蛭子。

 よく悩ましげにしている幼馴染だなぁ……と心配そうにしていると。

 

 ブワッと、唐突に強風が巻き起こった。

 庭に落ちていた木の葉が宙を舞い、二人の目の前に白黒の、ゴスロリドレスとメイド服を掛け合わせたような洋服を見に纏った少女が箒片手に華麗に着地した。

 

 突飛な出来事に、水蛭子は思わず煎餅を膝の上に落としてしまう。

 

「……えっ!?」

「おーっす霊夢! 遊びに来たぜ」

「……うん、いらっしゃい」

 

 ヒラヒラと舞い落ちる木の葉の中で快活な笑顔で挨拶をした少女に、霊夢はしんどそうな顔で言葉を返した。

 あんまり歓迎はしてないようだ。

 

 

「……あっ!」

「……お?」

 

 

 よくよく少女を見てみて水蛭子が気が付いた。彼女に見覚えがあったのだ。

 少女の方も同様のようで、水蛭子を見ると笑顔で話しかけて来た。

 

「水蛭子じゃないか! 面と向かって話すのは初めてだな」

「うん、アナタは魔理沙よね? 霧雨商店の」

「……う、」

 

 霧雨商店、という言葉を聞いて苦虫を噛み潰したような顔をした魔理沙は、言葉を詰まらせながらも「ま、まぁな」と曖昧に返した。

 それでも彼女は気を取り直し、優しい笑みを浮かべて縁側に座る霊夢と水蛭子を交互に見る。

 

「そういやお前ら仲直りしたんだっけか、良かったじゃないか。博麗の二人組復活だな」

「えへへ、ありがと」

「なんでアンタがそれを知ってんのよ」

 

 朗らかに笑う水蛭子と対象的に、疑問を感じた霊夢が不思議そうな顔で問いかけた。

 その言葉に魔理沙は「え?」と首を傾げる。

 

「甘味屋の前があんだけ騒ぎになってたんだぞ? アタシが気にならないとでも思ったのか?」

「くっそ、昨日のか……」

 

 空を仰ぐ霊夢と良い笑顔を浮かべる魔理沙を交互に見て、水蛭子が口を開く。

 

「魔理沙は霊夢と仲が良いの?」

「おう! そりゃあもう、大親友だぜ」

「へーそうなんだ……あ、もしかして」

 

 魔理沙と霊夢は結構タイプの違う女の子だ。そんな二人の仲の良さを意外に思った水蛭子は、ふと先日、霊夢と仲直りした時にした会話を思い出す。

 

「霊夢が言ってた『元気の塊みたいな女の子』って魔理沙のこと?」

「あっ! ちょっと水蛭子!」

 

 小さく肩を跳ねさせた霊夢が水蛭子の方を勢い良く見た。

 別段、話されてマズいことでは無いのだが、何か微妙に美化して話をしたような気がして、単純な気恥ずかしさがあったのだ。

 

 霊夢の焦りようを見て、魔理沙がニヤリと笑ってあごを撫でた。

 

「ほ~う、霊夢が私のことを話してたのかぁ。そりゃ気になるぜ」

「気にならなくて良い! アンタは煎餅でも食ってろ!!」

「そんな固いこと言うなってふごぉッ!?」

「良いじゃない。別に話しても」

「アンタが良くても私が嫌なのよ……ッ!」

 

 頬を桃色に染めた霊夢は魔理沙の口に煎餅を勢い良く突っ込んだ後、不満そうにしている水蛭子に小さく怒鳴った。

 普段はクールな彼女でも、羞恥心は人並みにあるのだ。

 

「わかったわかった、言わないから」

 

 本当に嫌そうにしている霊夢に、水蛭子は件を話すことを諦める。

 人の良い彼女は、人に嫌がられることは極力したくないのだ。

 

 しかし、魔理沙は眉を寄せて口を尖らせている。

 

「なんだ、そりゃ残念だな」

「ごめんね魔理沙」

「いや、また霊夢が居ない時に聞くさ」

「しばかれたいのかアンタは」

 

 生暖かい笑みを浮かべる魔理沙の言葉に、霊夢は額に青筋が浮かべて凄む。

 そんな彼女に、魔理沙は「おー怖い怖い」とそのままの笑顔で戯けた。

 

 二人の様子を見て、水蛭子がふふと笑う。

 

「ホントだ、仲良しだね」

「何処が!?」

 

 顔一面に驚愕の色を浮かばせた霊夢が水蛭子を振り返る。

 水蛭子はニコニコしながらあざとく首を傾けた。

 

「あれ、照れてるの?」

「てれっ……照れてないわよ!」

 

 頬を朱く染めた霊夢に、水蛭子はにんまりと笑う。

 

「も~、かわいーわね~霊夢は~」

「う……ぐぅ……っ!!」

 

 うざい、と口を出しそうになった霊夢であったが、相手が水蛭子であるため、なんとか喉の奥に言葉を押し込んだ。

 長年離れ離れになっていた幼馴染なのだ。基本的には優しく接してあげたかった。

 

 そんな霊夢の葛藤を知ってか知らずか、魔理沙が続けて彼女を指差し。

 

「うわ顔真っ赤じゃん! かーわーいーいー!!」

「うっぜえわ!!」

「あいたーーーっ!!」

 

 からかわれるのが白黒の少女となれば話は別である。

 霊夢は一切の遠慮無く、魔理沙の頭を強めの力でぶっ叩いた。

 

 しかし、魔理沙は気を悪くした様子も無く心底楽しそうに笑う。

 その様子をみて水蛭子も笑い、なんだか二人に負けたような気がした霊夢は仏頂面のまま顔を背けた。

 

 




水蛭子、若白髪ちゃんは普通に悪口ですよ


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第七話 紅く煌めく華人小娘

 

 今日のお昼は魔理沙が持ってきた山菜とキノコを使い、鍋をすることになった。

 彼女が住んでいる魔法の森産の山菜とキノコは、カラフルでマジカルな見た目のものばかりだったので水蛭子は爆裂な不安を訴えた。

 しかし魔理沙の「全部食ったことあるけど身体に害は無かったよ」という言葉を信じ、昼食に採用した。

 

 一人暮らしをしているだけのことはあり、下準備が既に済まされていたそれらを鍋に放り込み、囲炉裏に掛ける。

 煮えた鍋の具材を恐る恐る口にした水蛭子は、意外にも絶品だったそれらに花が咲いたような笑顔を浮かべた。

 なお素材が素材なので、鍋の見た目は結構グロテスクである。

 

 うら若き三人の少女はヤバい見た目の鍋を平らげた後、折角だから人里にでも行こうかということになった。

 

 いつもの大通り、例によって甘味の誘惑に負けた水蛭子が「甘味屋!甘味屋に行こうよ!」と目を輝かせて言うと、呆れ顔をした霊夢が「今食べたばかりじゃない」と盛大なため息を吐いて返した。

 しかし水蛭子の意見に賛同した魔理沙に背を押され、霊夢は半ば二人に連行されるように甘味屋に入り、そして結局仲良く団子を頬張ったのであった。

 

 甘味屋を出て、談笑しながら人里を散歩していると、空はもう橙色に染まり始めていた。

 空を優雅に羽ばたく烏の群れの鳴き声、帰宅を始める人々、里は、哀愁の漂う雰囲気に包まれていく。

 

「……あーあ、楽しいと時が経つのが早いなぁ」

 

 山間に沈みゆく夕焼けを眺めながら、水蛭子は口を小さく尖らせながら、寂しげに言った。

 それに反応したのは、不思議そうな顔をした魔理沙だ。

 

「そう? 私は割とのんびりした一日だったと思うけどな」

「アンタは神経図太そうだからそう感じるんでしょ。繊細な私達と一緒にしないでよね」

「……酷くないか?」

「あはは」

 

 冗談交じりの嘲笑を浮かべた霊夢に、魔理沙は目をジトリとさせて抗議の声を上げた。

 二人のやり取りを見て、水蛭子が可笑しそうに微笑んだ。

 

 

 会話が止み、少しの静寂が続く。

 転圧、舗装された土道を踏む音が、三つ重なってザッザッと小さく鳴る。

 その音を聞きながら、水蛭子はそろそろお別れの時間だなと、心に寂しさをはらませた。

 

 

「……そういや、あの話、知ってるか?」

 

 

 静寂に気まずさを覚えた魔理沙が、頭の隅に置いていた話を引っ張り出した。

 二人の視線が自分に向いていることを確認すると、彼女はゆっくりと話し始める。

 

「妖怪の山の麓に湖があるだろ? 昨日、そこに行った子どもがいたらしいんだ」

「ああ、その話。朝の集会で聞いたわね」

 

 それは今朝、水蛭子が自警団の集会の場で聞いた話だった。

 

「あんな、いつ妖怪に遭遇するとも分からない所に、子どもだけで?」

 

 訝しげな表情をして霊夢が問いかけると、魔理沙は小さく頷いてから、それに、と付け加える。

 

「その子は一人だったらしいぜ」

「完全に自殺行為じゃない」

 

 怒りの籠もった口調で霊夢が言う。

 物事への関心が普段から希薄な彼女でも、子どもがたった一人で危険な場所へ行ったと聞いたら心配はするのだろう。

 

 探しに行かないと……と眉間に皺を寄せる霊夢に、水蛭子がまったを掛けた。

 

「大丈夫よ霊夢。その子、無傷で帰って来たって」

「あ、そう。ならいいわ」

 

 無事ならどうでもいいと言わんばかりに、霊夢は話への興味を一気に無くした。

 その様子に、魔理沙が「いや待て待て」と口を挟む。

 

「ここからが、面白いんだよ」

 

 真剣な顔をする魔理沙に、霊夢が憮然とした顔で再び彼女の目を見た。

 クイーンオブ淡泊の興味を再度惹けたことにより、何故か自信満々な顔をした魔理沙がにんまりと口角を上げて話を再開した。

 

「今朝その子どもに話を聞きに行ったんだよ。なんで一人で湖に行ったんだってな」

「大方好奇心でしょ? なんかあそこデッカイ魚が釣れるらしいし」

「十八尺(※7m弱)もある怪魚だっけ。ホントに居たら凄いよね」

 

 小さい頃、大人たちから聞いた噂に見当(けんとう)をつけた二人に、魔理沙は「おっ」と目を開いた。

 

「正解だ。……最も、怪魚関係無しに、湖での釣りに興味があっただけなんだと」

「危機意識無さ過ぎでしょ」

「で、ここからが本題だ」

 

 憤慨する霊夢に掌を向け、魔理沙は神妙な面持ちで言った。

 

「その子、妖怪に襲われてたらしい」

「なんですって?」

「え!?」

 

 驚きの表情を浮かべた二人に魔理沙は込み上げる笑いを堪えながらも、神妙な顔を繕ったまま話を続ける。

 

「ただ水蛭子が言った通りで、子どもに目立った外傷は無かった。驚いて転んだ時に出来たって擦り傷はあったんだけどな」

「ただの人間、それも子どもが妖怪を倒せるわけ無い。……助けてくれた人が居たって事ね」

 

 顎に手をあてて思考する霊夢の言葉に魔理沙が頷く。

 

「そうだ。妖怪に危害を加えられる寸前で、誰かに助けられたんだと」

「誰かって、誰?」

 

 霊夢の視線が自身の目に重なるのを感じて、真剣な顔をした魔理沙は数拍置いて、そして口を開いた。

 

 

「それはこの、名探偵魔理沙様にもさっぱりだぜ」

「何よそれ。肝心なとこが分からないんじゃない」

「あはは……」

 

 

 やけに勿体ぶった様子で何の価値も無いことを宣った魔理沙に、霊夢と水蛭子はそれぞれ気の抜けた表情をした。

 じゃあと霊夢が聞く。

 

「その助けてくれた人の特徴とか聞かなかったの?」

「おう、聞いたぜ」

「聞いてんのかい」

 

 魔理沙は人差し指を顎にあてながら宙に視線を泳がせ脳から情報を引っ張り出していく。

 

「えーと、確か緑色の変な服を着てるらしい」

「緑色の?」

「変な服?」

 

 霊夢と水蛭子が顔を合わせた。

 

「ん、心当たりがあるのか?」

「いや、水蛭子が今朝会った妖怪も緑の服を着てたって聞いたから」

「そう。確かにあの子だったら助けそうだわ」

「ふむ。聞いた特徴はまだあるから照らし合わせてみるか」

 

 すっかり真面目な表情になってきた魔理沙が言う。

 

「一気に言うぜ? ソイツの特徴は赤色の長髪に、服と同色の帽子を被ってて、そんで背が高かったらしい」

「……赤い髪なら違うわね、水蛭子が言ってた奴は銀髪だって言ってたし」

「それに帽子も普段は被ってないわね。背も私達と同じくらいだったから……完全に別人みたい」

 

 予想が外れた事を残念がる水蛭子だったが、霊夢は「まあそんな都合よくはいかないか」と思考を切り替え、もう一つ気になっていたことを口にした。

 

「で、結局そいつは人間なの? 妖怪なの?」

「それは知らん。でも妖怪を撃退できるって事は妖怪なんじゃないのか?」

 

 あっけらかんと断言めかした魔理沙に水蛭子が苦笑する。

 それもその筈で、目の前に人間の妖怪退治専門家が二人居るのだから。

 

 しかし魔理沙の言葉も間違いでは無く、現代の幻想郷において、妖怪に真っ向から立ち向かってそれを打倒出来る人間など殆ど存在しない。

 魔理沙は魔法を使うことが出来る稀有な人間であるが、妖怪をタイマンで倒せる実力は無く、どちらかと言えばそちら側(・・・・)なのだ。

 

 博麗の巫女と元博麗候補であった自分達だけなのだろう。妖怪は倒せるという認識を持っているのは。

 

 そんな考えと並行して、子どもを助けたという人物に心当たりがあったかなと水蛭子は暫く唸っていたが、やはり思い当たる節は無かった為、思考を中止した。

 

「まあ、運が良かったよな子どもも」

 

 魔法使い特有の三角帽子をクシャリと巻き込みながら、頭の後ろで手を組んだ魔理沙が欠伸混じりに言う。

 それに憮然とした表情で、あからさまに不機嫌な声色の霊夢が返した。

 

「危機管理能力が無さ過ぎる。里人が年に何人消えてるのか伝わってないのかしら」

「自警団でも注意喚起を呼び掛けてるんだけど……もっと沢山した方が良いみたいね」

 

 はあ、と呆れ顔の霊夢と水蛭子が同時にため息を吐いた。

 

 そうして話し込んでいると、空は橙色が紫色へと染まり夜の帳が落ち始める。

 そんな空を眺めながら大きく背伸びをした魔理沙が、よいしょと箒に跨った。

 

「ま、なんか分かったらまた教えるぜ。今日はもう帰って寝るわ」

「ん、じゃあね」

「おう、水蛭子もまたな!」

「うん! またね魔理沙」

 

 手を振る水蛭子にニカッと明るい笑顔を浮かべ、魔理沙を乗せた箒が宙へ浮かぶ。

 ふと水蛭子は、空を飛ぶのは魔理沙自身の力なのか、それとも箒の力なのかが気になったが、暗い空を飛んでいくその背中を眺めているうちにどうでもよくなった。

 

 魔理沙の姿が完全に見えなくなると、霊夢と水蛭子も別れの挨拶をしてそれぞれの帰路に着いた。

 

 

 

 

 

 

「ん~~」

 

 日が明けた翌日。

 水蛭子は件の霧の湖に来ていた。

 

 魔理沙が話していた「変な緑色の服を来た赤髪の人物」の手がかりを探す為である。

 湖周辺はいつもと変わらない相変わらずの濃霧だったが、たまにここを訪れる水蛭子は慣れた様子で、ランタン片手に散策をしていた。

 

「ふ~……特段手がかりは無し、か」

 

 件の人物が湖周辺に住んでいる可能性を考えた水蛭子であったが、湖の周辺の建築物と言えば昔から怪しい雰囲気を醸してそこに佇んでいる廃洋館だけである。

 一応その洋館の中も探したが、住民の幽霊達の気配がするだけで他に何も無かった。

 そうなると霧の湖の近くにある妖怪の山が赤髪緑服の住処なのか、それとももっと離れた所にあるのか。

 

「……あ! 私が妖怪に襲われたら現れたりするかな?」

 

 ふと水蛭子の頭にこんな超極端な案が思い浮かんだ。

 

 手がかりがほぼ無いため、思いついたことは取り敢えず実行してみるつもりらしい水蛭子は、鼻歌を口ずさみながら一度里への道を戻っていった。

 

 

 少女往復中……。

 

 

 再び霧の湖に舞い戻った水蛭子は肩から袈裟にかけたウェストポーチに針と符等の退妖道具、そして自身の身長より長いイスノキ製の棍を背負い完全武装の装いへと変わっている。

 加えて、家の神棚を拝んで来た彼女の身体は朧気な神力に包み込まれていた。

 

「よーし完璧!!」

 

 瞑目し、水蛭子は心の中で自身を鼓舞する。

 イスノキの棒を身体全体をうねらせる様にして大きく回し、その先端を地面に突き刺した。

 そうして、喉を鳴らす。

 

「さぁここに生身の人間が居るぞ! かかってこい有象無象の妖怪共!!」

 

 案外大きな声が出た様で、水蛭子自身が驚きで目を見開いてしまっている。

 ちょっとマズったかなと水蛭子は舌をチロと出した。

 暫くの静寂。不穏な気配が辺りに漂い始める。

 低級の妖怪が放つ瘴気だ。

 

「………」

 

 耳を澄まし、周囲をゆっくりと見回す。

 人を襲うために速攻で突撃してくるような雑魚妖怪なら、打倒するのは簡単だ。

 しかし今回の目的は赤髪緑服と出会うこと。

 こちらからは手を出さず、最低限の抵抗だけをして、傍から見てキチンと襲われている様に演じなければいけない。

 

「いやあぁぁぁぁっっ!!」

 

 赤髪緑服に聞こえるように、あざとく、大きな声で叫ぶ。

 それと同時に妖怪の気配が段々と濃密になっていき、その姿を表した。

 

 見た目はただの狐。

 数は十匹。

 妖力は真ん中の狐以外は微弱。

 妖怪になりたての化け狐のようだ。

 

 はっきり言ってしまえば霊力を持っている人間であれば倒せる雑魚だが、馬鹿には出来ない。

 こういう存在が長く生きると人の形を成すからだ。

 そういった強力な妖を安易に産み出さない為にも、博麗の巫女は存在する。

 彼女たちが代々こういった下級の妖怪を間引き、幻想郷の均衡を保ってきたのだ。

 

「た、たすけて……っ!!」

 

 足を後方にジリと開き、相手の攻撃をいつでも避けられるように構える。

 背面からの攻撃にも備え、棒を水平にして背中に密着させる。

 

 狐達が薄く開けた目でジッと此方を見る。

 奴らはいつの間にか半円状に水蛭子を取り囲んでいた。

 

「……」

 

 汗が一筋、額から流れる。

 霊夢なら、こういう場面でもマイペースな態度を取るのだろうなと水蛭子は己の心の弱さを内心で嘆いた。

 

 という所で、視界の端に居た左右一対の狐が、ゆったりとした足取りで近付いてくる。

 全員でかかって来ないのか?と疑問符を浮かべた水蛭子であったが、気を抜く事は無く、足に力を入れ直す。

 

「来ないでっ!!」

 

 それから、他の狐達も順に歩を進め出した。

 しかし水蛭子の正面。隊列の真ん中にいた狐だけは、ジッとこちらを見たまま動かない。

 どうやらあの狐がリーダー格らしい。

 

「こぉん」

「……?」

 

 突然、その狐が短く鳴いた。

 それと同時に水蛭子の視界がグニャリと揺らぎ始める。

 

 眩暈に似た感覚に、昔読んだ本の内容を思い出す。

 妖怪の中には、人や物の身体を乗っ取り、自分のものにしてしまうモノが居るということ。

 この現象にあっていると言う事は、『憑依』されている最中であるということを。

 

 一歩、二歩と覚束無い足取りで後退し、三歩目を踏み出した時、ぬかるんだ地面に足を滑らせ、水蛭子の身体が傾いた。

 倒れる自身の身体に、水蛭子は受け身を取らず、霧の向こうからぼんやりと見える太陽をボーッと見詰めていた。

 

 水蛭子の背が、地面に落ちかけたその時。

 力強く、柔らかな何かが彼女を抱き留め、そして叫んだ。

 

 

「何、やってるんですかッ!?」

「……ぅ、あ」

 

 

 朧気な意識を振り払い、周囲を見渡すと、狐たちは姿を消していた。

 現れたもう一人の相手に、分が悪いと踏んだのだろう。

 憑依されかけた事に顔を青くしながら、水蛭子がまだモヤが掛かった様な頭で思考する。

 

 妖怪は人を殺して食うが、人間に憑依した妖怪は強い力を得ることが出来る。

 水蛭子は攻撃の意思を示さなかった為、簡単に憑依出来そうだと、つまりあの妖怪に舐められたのだ。

 

 そう言う妖怪も居るという事を忘れていた己の迂闊さに、水蛭子はギリッと奥歯を噛んだ。

 

「……ちょっと聞いてます? まさかもう乗っ取られちゃいました?」

「ん……大丈夫。まだ少し、頭がぼやけてて……」

 

 今も尚水蛭子を支えていた女性は、心配そうな顔をして水蛭子の顔を覗き込んでいた。

 視線が合った水蛭子が、少し顔を赤くしながら礼を言って立ち上がる。

 

「……すみません……迷惑をおかけして」

 

 向き直ると、そこには背の高い女性が立っている。

 女性は安堵の息を吐くと、次の瞬間には不機嫌そうな顔をして腰に手を当てた。

 

「貴女ねぇ、自己防衛の力があるのに何で抵抗しなかったんです? 新手の自殺ですか? それとも妖怪を信仰対象にでもしているカルト教団の方?」

「いえ、私は人と会いたくて…………あっ!?」

「人? また誰か迷子に?」

 

 怪訝な表情を浮かべる彼女を見て、呆然とする。

 何故なら彼女の髪は紅くて長くて、緑色の変わった服を着てて、頭には緑色の帽子を被っていたから。

 

(こ、この人だ!!!!)

 

 目当ての人物との邂逅を果たし、水蛭子は内心飛び上がる様な思いだった。

 正味言うと、別にそこまでして会いたいわけではなかったのだが、少しリスクがあったので達成感も自然と多くなっていた。

 

「えっとあの! 昨日人間の子どもを助けてくれましたよね!?」

「え? えぇ、まぁ助けましたけど。……まさか会いたい人って私の事ですか?」

「そうです! そうなんです!!」

 

 そう言って「やった!」と小躍りする水蛭子を見て、女性は困惑の表情を見せる。

 しかし水蛭子はそれに気付かない。

 

「ありがとうございました! うちの里の子どもを救ってくれて!!」

「あー、昨日は、たまたまその場に居合わせただけなんで」

「でも、私のことも助けてくれたじゃないですか!!」

「昨日襲われてたから今日も誰か襲われてるかなと思ったから見回ってただけです。まさか本当に襲われるとは思いませんでしたけど」

「……あ、あはは」

 

 呆れ顔で言う女性に、水蛭子は照れくさそうに笑った。

 

「それで、私に何の用が?」

「そうそう! あなたに直接お礼が言いたかったんです! もう済ませちゃいましたけど!」

「……え? それだけ?」

「そうですけど、なにか?」

 

 水蛭子が首を傾げると、女性は顔を右手で覆い呆れのため息を吐く。

 

「えっと、幻想郷の人間って皆そんなに呑気なんです? 命の危険があったんですよ?」

「子どもが救われたらお礼を言うのは当たり前ですからね〜。今回の事は反省します……」

「……はぁ」

 

 のほほんと答えた後落ち込む表情豊かな水蛭子を見て、女性は黙ってその旋毛を眺めた後、クルリと背を向けて歩き始めた。

 移動を始めた女性に慌てた水蛭子がその後を追い、少し後ろを着いていきながら話しかけた。

 

「あの、私八十禍津水蛭子って言います!」

「そうですか」

「出来ればその、あなたの名前も教えてほしいな〜、なんて、えへへ」

 

 ほりゃりと笑って水蛭子が言うと、少女は横顔を向けて視線を水蛭子に合わせた。

 

「どうせもう会いませんし、教えません」

「え? でもこの辺りに住んでいるんでしょう? 顔を合わせる機会はあると思うんですけど」

「ないです。もう出歩かないでしょうから」

 

 少し疲れたように言う女性に水蛭子は首を傾げる。

 

「なんでですか?」

「元々昨日も、特別な用があってこの辺にいたんです。普段は出歩きませんよ」

「えぇ? 見かけによらず出不精なんですね」

「……失礼っていう言葉、知ってます?」

 

 額に軽く青筋を浮かべる女性だったが、水蛭子は大して気にしていない様子で喋り続ける。

 

「でも、二度と会わないんだったら逆に教えてくださいよ。命の恩人なんですし、名前くらい知っておかないと悲しいです」

「はぁ、そういうものですか」

「そういうものです」

 

 何故かドヤ顔で頷く水蛭子を見て、女性はこめかみの辺りを掻きながら考え始める。

 それも少しの間だけで、直ぐに「うん」と頷き、水蛭子の方へ視線を戻した。

 

「紅美鈴です」

「ほん…めいりん? 変わった響きの名前ですね!」

「そうですか?」

「はい!」

「……そうですか」

 

 釈然としない様子の美鈴だったが、笑顔の水蛭子を見てそういうモノか、と思考を落ち着かせた。

 

 




 水蛭子はバランス型の戦闘スタイル。
 護符や針といった武器の扱いは長けている。
 陰陽玉やお祓い棒は博麗の巫女が使う唯一品なので使わない。
 身体能力は並みの人間よりかなり高く、霊夢には劣る。
 飛行速度も霊夢と同程度であるので、速くは無い。
 スタミナがかなり高い所と、フレンドリーな性格である為、霊夢より人里の人間に慕われているのが長所。

 対妖怪要員として自警団に所属している。
 妖怪退治、護衛が主な仕事で、パトロール等は他の自警団員が行っている。
 普段暇そうにしているが、忙しい時は忙しい様だ。

 因みに母親は機織りの仕事をして欲しかったらしいが、博麗候補に選ばれた時は素直に祝福してあげた。


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第八話 自覚無き少女は予感する

 

 

「では、私はこの辺りで」

「あ、はい」

 

 改めて言った美鈴の言葉が合図になり、この場はお開きとなった。

 美鈴は軽く会釈をして、森の中へ消えていった。

 道なき道を、まるで舗装された道を歩くかのような自然な足取りで去っていくその姿に、水蛭子は妙な違和感を感じた。

 

「……なんの妖怪なんだろう」

 

 水蛭子は紅美鈴と名乗った彼女が、どういった妖怪なのか気になっていた。

 足運びは武人のソレ、しかし武道の心得をもった妖怪なんて聞いたことがない。

 名前も聞き覚えのない不思議な名前だった事から、水蛭子は美鈴を外来の妖怪なのかもしれないと見当をつけた。

 

(ま、いいや)

 

 害の無さそうな妖怪であったから、それ程警戒しなくても大丈夫だろうと考えた水蛭子。

 しかし水蛭子は美鈴が見えなくなった後も、彼女の去っていった森を少しの間眺めていた。

 

 

 

 

 森の中を歩きながら、美鈴は思考に耽っていた。

 

 先程の変な人間。

 容姿は一見普通の黄色人種で、肩までの黒髪に茶色の瞳。

 整った顔立ちをしているが、派手な衣服は身に着けておらず、言ってしまえば地味。

 唯一印象に残ったものといえば……。

 

 人とも妖怪とも異なった、異質なオーラ。

 

「……彼女は一体なんなんだ?」

 

 彼女の纏う気は、美鈴が知っている人間のソレではなかった。

 人ではあるが、明らかに異質。

 本来ならば人間には嫌悪されるべき存在。

 

 しかし彼女の言動から鑑みると、どうやら彼女は人里の社会に受け入れられているらしい。

 それは何故?

 

「何故あんなのが(うと)まれないの?」

 

 彼女が受け入れられるなら、あの子(・・・)だって受け入れられる筈だ。

 この地なら、あの子も……。

 

 胸の中に沸き立つ感情に、次第に美鈴の表情は険しくなっていく。

 その時、美鈴の肩を誰かが叩いた。

 

「こんな所でボーッとして……どうしたの?」

「……咲夜さん」

 

 意識を戻し、不思議そうな顔をしている少女を見る。

 どうやら、いつの間にか自身が仕えている屋敷へ戻ってきていたようだ。

 

 美鈴は「ふー」と一つため息を吐くと、無言で少女の銀色の髪を撫ではじめた。

 突然撫でられた事に困惑した少女は、美鈴の顔を慌てて見上げる。

 

「ちょっ……な、何よ?」

「いえ、特になにも」

 

 我が子を慈しむような手つきで少女の髪を指で梳かし、美鈴は優しく微笑む。

 そんな彼女に少女は頬を桃色に染めながら抗議した。

 

「も、もう! やめなさいってば!」

「あはは、すみません。なんか無性に撫でたくなっちゃって」

「……変な事言ってないで、早く屋敷に戻ってよ。美鈴が居ないから妖精メイドたちが好き勝手して困ってるの」

「おやおや、それは大変ですね! 急いで戻ります!」

 

 少女の言葉に少し大げさなリアクションをしながら美鈴が歩きはじめる。

 少女も美鈴の隣に並んで屋敷の玄関へ向かった。

 

 

 

 屋敷に入ると、まず初めに花瓶に頭を突っ込み、足をバタバタさせている子どもが目に入った。

 

「……」

 

 美鈴は無言で花瓶をコツンと小突く。

 すると花瓶がパカンと小気味の良い音を立ててバラバラに砕け、中から女の子が出てきた。

 背中から透明な羽が生えており、身長はとても低い。

 

 涙目の女の子に美鈴は苦笑しつつ脇に手を入れて立たせ、ポンポンとその頭を軽く撫でた。

 

「しょうがない子ですねぇ、咲夜さんの言う事を聞かないからこういうことになるんですよ?」

 

 その言葉に女の子は少ししょぼくれた表情になる。

 子どもっぽい彼女の反応に、美鈴は再び苦笑しながら話しかけた。

 

「貴女は賢いんですから、その気になればなんでも出来るでしょう? 私を助けてくれていた様に、咲夜さんの事も助けてあげてください」

「!」

 

 女の子は美鈴の言葉に何度か頷いた。

 突然元気になったその姿を見て、美鈴は優しげに微笑む。

 

「さ、お仕事に戻りましょうね」

 

 女の子はもう一度大きく頷くと、廊下の奥へと飛んで行ってしまった。

 女の子が去っていった方を眺めながら、銀髪の少女……咲夜がため息を吐く。

 

「あれで私の命令も聞いてくれれば問題ないんだけど」

「うーん……咲夜さんは少し高圧的というか……。妖精は気まぐれですから、もっと柔らかい態度で接すれば彼女たちも従ってくれると思いますよ」

「……高圧的なつもりは……ないんだけど」

 

 しょぼくれた様子の咲夜を見て、美鈴は「あぁ」と神妙な表情で頷く。

 

「なによ」

「いえ、咲夜さんは出会った時から表情も言葉使いも硬いですし……なんというか、それが素の態度なんですよね」

「……直した方が良いわよね?」

 

 そう言って咲夜が美鈴を見た。

 美鈴の方が背が若干高いため上目使いになってしまっている。

 そんな咲夜を見て美鈴は「そんな、とんでもない」と言って柔らかく笑った。

 

「私は今の咲夜さんが好きですよ」

 

 パチクリと瞬きを二つして咲夜が固まる。

 

「とはいっても、あの子達への接し方は変えた方が良いかもしれませんねー。もうアナタは立派なメイド長なんですから、私がいなくても彼女達をしっかり纏められる様にならないと」

「なら、やっぱり」

 

 顔を俯かせる咲夜に、「いやいや」と美鈴が言葉を挟む。

 

「別に貴女のアイデンティティを曲げる必要なんてないんですよ。やり方を変えてみれば良いんです」

「……よく、分からないわ」

「私も一緒に考えますから、頑張りましょう?」

「でも、美鈴は別の仕事もあるし、迷惑でしょう?」

 

 すっかりしおらしい雰囲気になってしまっている咲夜の言葉に、美鈴は大きくため息を吐きつつ首を横に振る。

 

「あのですね、他でもない咲夜さんの為なんです。門番や庭の手入れもそこまで忙しくないですし、気にしないでください」

「でも」

「さっきも言いましたけど、私は今の咲夜さんが好きなんです」

 

 美鈴は柔和な笑みを浮かべて優しく言葉を紡ぐ。

 

「咲夜さんの可愛らしい笑顔が好きですし、クッキーを焦がしてしまってとても焦っている咲夜さんはとても愛らしいです。それに今みたいに砕けた口調で話してくれるのが私に対してだけだと思うと特別な気分になれますし……あれ? 何が言いたいんでしたっけ」

 

 美鈴が首を傾げる。

 それを見て咲夜は一瞬ポカン表情を呆けさせると、次の瞬間には可笑しそうに笑い始めた。

 美鈴は恥ずかしそうな表情で腕を上下する。

 

「わ、笑わないでくださいよー!」

「ふふ……ご、ごめんなさい可笑しくって……」

 

 そう言って咲夜は再度肩を震わせる。

 それを見て美鈴は「もう!」と怒ったような声を出しそっぽを向いた。

 

「とにかく、咲夜さんは今のままで良いんです! 妖精メイドたちへの接し方はまた考えますから」

「……ありがとう美鈴」

 

 咲夜が穏やかな笑みを浮かべ言った。

 

 そんな二人の背後から、コツコツと間隔の狭い足音が迫っていた。

 

 妖精メイドは基本的に飛んで移動するので、歩幅の狭い人物と言ったらこの館では一名に限られる。

 二人は背後を振り向き、足音の主に一礼をした。

 

 

「おかえり美鈴。どんなヤツとお話ししてきたのかしら?」

 

 

 一見すると、幼い少女。

 蒼みがかった銀髪と白い肌は、大凡東洋の血を感じさせるものではなく、妖しく鈍い光を放つ紅の瞳が彼女の周りの雰囲気をも厳かなものに変えている。

 そして背に生えた悪魔的な羽が、彼女が人外の存在であるということを主張していた。

 

 美鈴は先程とは打って変わった、真面目な表情で報告する。

 

「八十禍津水蛭子という人間の少女と出会いました」

「人間? ふーむ、見えたのは人間なんかじゃなかったんだけど」

 

 幼い少女は眉を(ひそ)(あご)に手を当てて考え込む。

 見た目に反して、その仕草は妙に様になっていた。

 

「あくまで自称だったので本当に人間なのかは定かでは無いのですが……」

「ではお前の目から見て、どう感じた」

「雰囲気は人間だったんですが、どうも気がハッキリしなくて」

「……なるほど。道理で見え辛い筈だ」

 

 幼い少女が目を細め口角を上げる。

 

「ご苦労だった。仕事に戻りなさい」

「わかりました」

 

 美鈴に労いの言葉をかけると、幼い少女はクルリと背を向けた。

 そして横顔に向けて、口を開く。

 

「咲夜」

「なんでしょう」

「今日は客人が来る。もてなしの準備をしておけ」

「……承知いたしました」

 

 咲夜は「客人」という長い間聞かなかった単語を不思議に思ったが、直ぐに了承の言葉を口にし、少女の背に深々と頭を下げる。

 少女は満足そうに頷くと、やって来た廊下を戻っていった。

 

「「……?」」

 

 幼い少女が見えなくなると、咲夜と美鈴は顔を合わせ、首を傾げた。

 

 

 

 

 水蛭子が人里への道を歩いていると、何処からか声がかかった。

 

「水蛭子」

「?」

 

 不意の呼びかけだったので、キョロキョロと辺りを見渡す。

 聞いた事のある声だった。

 

「……紫さん?」

「上よ、上」

「うえ? おぉぅ……」

 

 言葉に従って上を見てみると、空間の切れ目から紫が顔を覗かせている。

 いつも上から来るな……と激しくなる動悸に胸を抑えながら、水蛭子は紫に話しかけた。

 

「どうしたんですか?」

「話があるの、ちょっと着いてきてくれないかしら?」

「今からですか?」

 

 水蛭子の問いかけに笑顔のまま無言で頷く紫。

 その笑顔がイタズラっ子のソレだったので、水蛭子は疲れた空笑いを浮かべた。

 

「別にいいですけど……一体何処に?」

「んふふ、秘密~」

 

 そう言うと紫はのろりと地面に降り立ち、入りやすい位置に再度スキマを開けた。

 

「便利ですねぇ、その能力」

「でしょう? 私だけしか使えない、私だけの能力なんだから」

 

 得意げに胸を張る紫に、水蛭子はほんわかした気持ちになる。

 先程までの疲れた空笑いを、ニコニコとした柔らかなモノに変えた。

 

 それから少しのやり取りの後、スキマに入って行った紫に水蛭子も続き、まずは顔だけを覗かせてみる。

 

「うわぁ」

 

 慣れなさ過ぎる光景にドン引きした声を上げる水蛭子。

 スキマの中では、目玉がギョロギョロと動き、手がうねうねと此方に迫って来ていた。

 

 控えめに言って滅茶苦茶キモい。

 

「あのー、これ大丈夫なんですか?」

「害を与えてくることは無いから心配しないでいいわよ。さ、着いてきて」

 

 流石に慣れているのか、鼻歌を口遊みながら紫がスキップで進み始める。

 スキップにこなれてる感じがまた可愛いと、口角を上げながら水蛭子がその後ろを着いていく。

 

 少し歩き、ふとした疑問を水蛭子は感じた。

 

 目玉と手があるだけで道という道も無いこの空間で、紫の足取りには迷いが一切ない。

 しかし慣れれば分かるものなのかなと、水蛭子は一人納得した。

 

 

 数分ほど進んだ後、紫が立ち止まった。

 

「着きました?」

「ううん、ちょっと藍と橙を拾ってくるから、ここで待ってて頂戴」

「……えっ!?」

 

 この気持ち悪い空間で一人待つのが滅茶苦茶嫌だった水蛭子は着いて行きますよと自信の無い愛想笑いをしながら言った。

 紫はそれに悪戯っぽい笑みを浮かべて頷く。

 

 あ、コレおちょくられてるわ、と感じた水蛭子はまた空笑いをした。

 

 

 スキマから降り立つと、そこは紫達の住んでいる家の玄関だった。

 わざわざ玄関にスキマを開いて土足を脱ぐ辺りに、大妖怪の変に律儀なところを感じる。

 

 この前一緒に食卓を囲んだ居間へ行き、紫がカラリと襖を開けた。

 

「そうそう、そこの端と端を合わせて……あら、おかえりなさい紫様」

 

 藍が橙に折り紙を教えているところだった。

 

「(藍さんって、前から思ってたけど滅茶苦茶お母さんっぽいわね……)」

「藍、橙。殴り込みに行くわよ」

「えぇ……? 一人で行ってください」

 

 ニコニコとした笑顔で結構暴力的な発言をする紫に、藍が物凄く迷惑そうな顔をする。

 殴り込みとは聞いていなかった水蛭子が後ろで「え?」と声を漏らした。

 

「……殴り込みは嘘だから着いてきなさい」

「いやでも、今から昼食の準備しようと思ってたんですけど」

「いいから着いてくるの!!」

「ちょ、なんで怒るんですか! そもそも行き先も教えられてないのにホイホイ着いて行くわけがないでしょう!」

 

 行き先教えられてないのにホイホイ着いてきた人間がここに一名居るが、水蛭子は敢えて口にしなかった。

 

「来れば分かるから!」

 

 紫が地団駄を踏んで怒鳴る。

 もの凄く迷惑そうな顔をした藍がそれに対抗して大声を出す。

 

「やですよ! 紫様がハッキリ物言わない時は面倒事の時って決まってるんですから!!」

「あ、あーッ! ご主人様にそういうこと言っちゃうんだ! ふーんじゃあもう良いわよ! 水蛭子と二人で行くから!!」

「水蛭子?」

 

 藍が不思議そうな顔をして水蛭子を見る。

 そして柔らかい笑みを浮かべて挨拶をして来た。

 

「あら、いらっしゃい」

「こんにちは藍さん」

「こんにちは。ほら、橙も挨拶しなさい」

 

 藍が促すと、橙も恥ずかしそうに会釈する。

 ほんわかする心にだらしない笑みを浮かべながら、水蛭子は頷いた。

 

「はい、こんにちは」

 

 それからよしよしと橙の髪を撫でると、橙は嬉しそうに目を細めた。

 

 水蛭子がふと気付き横を見ると、紫が何故か悔しそうな顔で此方を見ている。

 

「……ど、どうしました?」

「ついこの間知り合ったばかりなのに、なんでそんなに仲良くなれるのよ……」

「え?」

 

 もしかして嫉妬しているのだろうか。

 昔と比べて豊かな感情を持っている紫に、水蛭子は感心した様に頷く。

 昔の胡散臭く、異様に突き刺さる眼差しが幼心には恐怖だった水蛭子には、それがとても感慨深い物に感じたのだ。

 

「(人って変わるものなのね)」

 

 

 紫が「一緒に行くのー!」と駄々をこね出した辺りで、藍も思わず苦笑いを浮かべながら仕方なさそうに重い腰を上げた。

 

 四人パーティになった水蛭子達はスキマの中の空間に戻った。

 紫と藍が前方を行き、水蛭子と橙が後ろを続いて行く。

 前方組の二人がなんだか真面目な表情で会話しているのを見て、自分達が入れる隙が無いと判断した水蛭子は、隣を歩く橙に話しかけた。

 

「橙ちゃんは何処に向かってるのか知ってる?」

 

 問いかけに橙は横に首を振る。

 

「そっかー、どこに行くんだろうね」

 

 何かが始まる予感を感じながら、水蛭子は笑顔で言った。

 

 




ご存知だと思いますが、水蛭子は大体の女の子の大体の仕草に癒しの波動を感じる体質です。
割とストレスフリーな性格をしています。


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第九話 紅き革命のドラキュリア

 

 

 スキマの空間から出た先は、建物の廊下の様だった。

 赤いカーペットが延々と続き、その終わりは霞んで見えない。

 不気味な雰囲気を醸し出すその光景に、水蛭子は不安を感じながら問いかける。

 

「あの、ここは……?」

「可愛いお嬢さん方のお家よ」

 

 そう言って微笑んだ紫を見て、少し気分を落ち着かせた。

 

 しかし藍が警戒した様子で周囲を見渡しているのを見て、再び気を引き締める。

 普段物腰柔らかな藍が真剣な表情をしているのは、酷く新鮮に感じた。

 

「一応武器は出しておいて頂戴」

「あ、はい」

「ごめんなさいね。もしもってことがあるから」

「大丈夫です」

 

 眉を下げる紫に笑顔で言い、背中に差していた長い棍を両手で持つ。

 それを確認すると紫は赤いカーペットの上をゆっくりと歩き始めた。

 

 

 暫く歩くと、先頭を歩いていた紫と藍が立ち止まる。

 両者とも何時になく真剣な表情をしていて、ただならない雰囲気が感じ取れた。

 

「何か来たわね」

 

 囁く様に呟いた紫に、水蛭子は首を傾げた。

 来た、って。何が?

 

 刹那、刺すような悪寒が背中を奔った。

 

 

「いらっしゃいませ。お出迎えが遅れて申し訳ありませんでした……少々クッキーを焼いていたもので」

 

 

 冷たい平坦な口調で述べられた言葉は、案外のん気そうだった。

 背後から聞こえたその声に全員が振り返る。

 

 紺の布地に白のフリルが施されたメイド服を見に纏う少女が、そこに居た。

 窓から射し込む太陽の光を柔らかく反射させる銀色の髪に、南国の海を彷彿とさせる透き通った碧眼。輝く白い肌はきめ細やかで、何処か浮世離れした雰囲気を醸す少女だった。

 

 少女は薄く桃味がかった唇を再度動かす。

 

「お嬢様がお待ちです。どうぞこちらへ」

 

 相も変らない無表情に、淡々とした口調で述べてから、少女は水蛭子達が今来た筈の道を戻る様に歩き始めた。

 その行動に藍は怪訝な表情で声を掛けた。

 

「待て。私達はそちらから来たが、扉は一つも無かったぞ」

 

 少女はクルリと振り返り、また同じ口調で答える。

 

「この館で部屋を見つけるには、ちょっとしたコツが必要なんです」

 

 部屋を見つけるのに、コツ?

 水蛭子は内心で首を傾げ、藍も眉を八の字にして困惑した表情になる。

 そんな彼女たちに少女は薄く微笑んだ。

 

「着いて来ていただければ、わかりますよ」

 

 そう言って踵を返した少女は再び歩き始めた。

 

 それから少女に着いて行った一行の前には今、大きな扉が佇んでいる。

 それを軽く見上げた水蛭子が、唖然とした様子で零す。

 

「来た時は、無かったのに……」

「空間を弄っているのかもね」

 

 水蛭子の言葉に答えた藍は内心で感心する。

 それと共に、空間を弄るなどという芸当をやってのける者が、主人の他に居たのかという驚きも感じていた。

 

 道案内を終えた少女が扉をノックする。

 

「お嬢様、お客人を案内しました」

『入ってもらって』

 

 扉の向こうから聞こえてきたくぐもった声に、水蛭子は首を傾げる。

 その声がとても幼い女の子のモノだったから。

 

 やけに軽々と扉を開けた少女が、一行に中へ入るよう促す。

 

「どうぞ、お入りください」

「ありがとう」

 

 紫がそう言って最初に部屋の中に入って行く。

 後の者達もそれに続いて部屋に入っていった。

 

 部屋の中は赤を基調としたレイアウトであったが、落ち着いた色合いが主だった為、視覚への刺激は意外にも少ない。

 赤いクロスの敷かれた長テーブルが、奥行のある部屋に合わせ伸びていた。

 

 そしてその一番奥に座っていた誰かが、口を開いた。

 

「ようこそ、紅魔館へ」

「突然の訪問ごめんなさい。迷惑だったでしょう?」

 

 テーブルの一番上座に座っていたのは一見するとただの幼い女の子であった。

 しかし、その容姿は人里にいる子どものソレとは一風違う。

 

 薄い桃色の洋服に、青みがかった銀髪。瞼の隙間からこちらを覗く赤い瞳は不気味に輝き、口端からは長く伸びた鋭利な犬歯がチラリと見えていた。

 そして、背中から生えている黒いコウモリの様な翼がゆったりと揺れている。

 

 水蛭子は一瞬で理解する。

 この幼い少女は、とんでもなく強い力を持った妖怪であると。

 

「……いや、貴女達が来るのは知っていたよ」

「あら、道理で落ち着いていると思ったわ」

 

 少し間を開けて言った少女の言葉に、紫がわざとらしい笑顔で返した。

 真顔で紫の目を数秒見つめた少女だったが、まばたきを一つさせると穏やかな物に戻らせる。

 

「早速だけど、用件を聞こうか」

「お待ちになさって、今日は貴女と初対面の子が居るのよ。まずは自己紹介しましょう?」

 

 紫はそう言って隣に居た藍の頭を撫でる。

 

「この子は知ってると思うけど、私の従者の藍よ」

「……ご無沙汰しております」

「ああ久しぶり。元気そうで何よりだ」

 

 細めた目をして軽く会釈する藍。

 それを見て水蛭子は、眼前の容姿の幼い少女が曰く付きの妖怪であるということを再確認した。

 

 次に紫は、水蛭子の隣に居た橙を抱き上げる。

 

「この子は初めてね。藍の従者の橙よ」

 

 軽いお姫様抱っこをされて戸惑いながらも会釈をした橙に、少女はニコリと微笑む。

 

「怯えなくていい。客人を取って食ったりはしないから」

 

 容姿に反して妙に貫禄のある少女の態度を不思議に思っていた水蛭子の頭に、ポンと紫の手が置かれた。

 

「で、この子は水蛭子。人間よ」

「八十禍津水蛭子と言います。人間です」

「八十禍津、水蛭子、か。変わった響きだけど、良い名前だね」

「ありがとうございます。……あの、不躾で申し訳ないんですけど、質問させてもらっても良いですか?」

「構わないよ」

 

 仮にも自警団に所属している水蛭子は、目の前の妖怪がどういった妖怪であるかを把握する為、直球で質問を投げかける。

 

「貴女は、何という妖怪なんですか?」

「種族はヴァンパイアだ」

 

 間髪入れず少女が答える。

 

 耳馴染みのない妖怪であるが、響きから察するに外国の妖怪だろうとあたりを付けた水蛭子は、納得したように頷いた。

 

「さて、私も自己紹介させてもらおう」

 

 そう言って少女は立ち上がると、軽く畳んでいた翼をぐいと広げる。

 そして怪しい笑顔を浮かべながら水蛭子を見つめながら、穏やかに、それでいて良く響く声で口を開けた。

 

「私はこの紅魔館の主、レミリア・スカーレット。君や里の人間には危害を加えるつもりは毛頭無い、至極善良な妖怪だよ」

「スカーレットさん、ですね」

「レミリアで良い」

「それじゃあレミリアさん。よろしくおねがいします」

「ああ、よろしく」

 

 もう幾つか質問したい事があったが、あまり詮索し過ぎると鬱陶しいかなと考えた水蛭子は、深めの会釈をしながら言葉を喉の奥に押し込めた。

 

 そして自己紹介の終わりを告げる様に、無言のまま立っていたメイド服の少女が口を開く。

 

「こちらへ、どうぞ」

 

 少女は手前の席の椅子を四つ引き、そちらに座るように促した。

 それに従い水蛭子達が椅子に座る。

 同時に、館の主人レミリアも座り直した。

 

 水蛭子は椅子に座った瞬間、うわこの椅子めっちゃ柔らかい……!と内心で驚いたが、それをなんとか顔に出すことなく話の流れを待った。

 

「では、改めて要件を聞きたい」

「そうね、では単刀直入に言いますけど……」

 

 何処からか取り出した扇子で口元を隠した紫が、笑みを深めた。

 

「異変を起こして欲しいのよ、この幻想郷に」

 

 ……え?なに?

 

 紫の言葉を理解出来ず、水蛭子の呼吸が止まった。

 

「なるほど、分かった」

 

 紫の頼みを悩む素振り無くレミリアが快諾する。

 

 ドクドクと激しく鼓動する心臓に、水蛭子は思わずギュッと自身の左胸を握り締めた。

 どういう、事だ?

 

 状況の把握がしきれない水蛭子は、戸惑いの表情を隠すことなく紫へ問いかける。

 

「あの、紫さん……?」

「なぁに?」

 

 丁度対面に座った紫の口元は扇子で隠され、細められた双眸は酷く無機質なもので、感情を読み取ることは出来ない。

 

「異変、って……?」

「異変は異変よ。博麗の巫女候補だった貴女が知らない筈無いと思うけど」

「それはそうですけど、でも」

 

 思わず口ごもってしまう。

 なんと言えばいいのかわからないかったからだ。

 

 水蛭子にとって異変など、里の老人から聞かされる昔話の一つでしかなかった。

 だから、紫の「異変を起こす」という言葉が、あまりにも衝撃的で、何処か現実味の無いものだった。

 

 だがそれでも、水蛭子は渇く喉を震わせながら、問いかける。

 

「なんで……紫さんが?」

「うーん、なんで私が、かぁ」

 

 人差し指を顎にあてながら、紫は無機質な表情を崩さずに言葉を繋げた。

 

「まず、これまで異変を起こしてきたのって、大体私なのよね」

 

 何の気なしに放たれたその言葉が、水蛭子を更なる困惑の渦へと叩き落とした。

 

 マトモな反応が出来ず、水蛭子はただポカンと口を開く。

 

「……え?」

「霊夢が博麗として未熟な内は異変解決は重荷だったから、最近はご無沙汰だったのよ。でも、霊夢も大人になって来たし、力も歴代の博麗と遜色の無い所まで育った。ここらで一つ、巫女としての仕事を与えてあげようかと思ってね」

 

 酷く饒舌に話す紫に水蛭子の戸惑いはピークに到達する。

 グルグルと回る頭の中が、心無しか甲高い音を立てている様に感じていた。

 

「意味が……分からないんですけど」

「えーと、異変を起こす意味ってことかしら? 理由の大部分は妖怪の存続の為ね。幻想郷は人と妖怪が唯一共存できる楽園。その楽園を維持し続けるには、人が妖怪という存在を認知し続けなければならないの。妖怪は人に忘れると消えてちゃうからね。それに必要なのが、妖怪の存在を大きくアピールできる異変ってわけ。……ま、偶に妖怪じゃない子が首謀者になることもあるけど、超常現象が起きれば大抵の人間は妖怪のせいだって勝手に解釈してくれるから問題は無いわ。……とにかく勘違いしないで欲しいのだけれど、別に人間に意地悪したくて異変を起こしてるんじゃないのよ?」

 

 話を挟む間も与えて貰えぬまま、紫の言葉をただただ聞いているだけだった。

 知らない情報が多過ぎて、頭の中で処理し切れない。

 それでもなんとか話を理解したかった水蛭子は口を開く。

 

「妖怪が、消える? よく分からないですけど、人が忘れない様にするだけなら、わざわざ異変を起こす必要なんて……」

「あら、人間って妖怪に対してそんなに親切かしら?」

「え」

「人間って自分にとって不利益な事は忘れるじゃない。現に外の世界では、妖怪の存在を人が否定してしまってる。だからあっちには妖怪が少ないのよ」

 

 紫の言う外の世界とは、幻想郷の外全てを指す。

 外の世界では古に残る妖怪の伝承はあくまで言い伝えとして認知されており、本当に妖怪が居ると思っている人間は極めて少ない。

 その二の舞にならない為にも、妖怪の存在を人間に主張しなければならないというのが、紫の話だった。

 

 水蛭子は今までの紫の言葉を頭の中でゆっくりと咀嚼していく。

 

 そもそも妖怪を忘れるなんてことが、本当に可能なのか?

 

 幻想郷の人間にとって、妖怪は大きな脅威だ。

 妖怪は人を襲い、殺し、食べる。

 だからこそ人は妖怪への警戒を怠らない。

 

 妖怪を忘れてしまうということは、人が妖怪を脅威と思わなくなったということ。

 しかし人と妖怪が隣合わせに暮らしているこの幻想郷で、それを叶えるのは至極難しい。

 

「私たち妖怪は、今ここに存在している。そう人間に知らしめるのが異変なの。でなければ私たちは、幻想郷からですら、消え失せてしまう事になる」

「そんなこと……ありえませんよ。人が、妖怪を忘れるなんて……」

「外の人間は、妖怪の存在を忘れて日々のうのうと暮らしているのよ?」

「……」

 

 紫の説得するかの様な口調に、水蛭子はただ黙って俯く。

 

 本当は、外の世界がどうとか、関係無いのだ。

 

 水蛭子はただ、紫がこれまで起きた異変の首謀者だと言うことが信じられなかった。

 

 天ぷらを食べた時に浮かべた朗らかな笑顔が水蛭子の脳裏に甦る。

 

 たった一日。

 それでも、賑やかな喜怒哀楽を持つ女の子が。

 同じ釜のご飯を食べた友が、とてつもない悪であると断じるのが、水蛭子はどうしようもなく怖かった。 

 

「……ねえ水蛭子。貴女は勘違いしているみたいね」

「はい?」

「貴女は異変を、どんなものだと認識しているの?」

「そんなこと聞いて、何に」

「聞かせて頂戴」

「……」

 

 強い懇願の言葉に、水蛭子は逡巡する。

 自身が認識している、異変とは。

 

 

 小さな頃、里の老人に聞いた話。

 

 その昔、外来の妖怪が起こした異変があった。

 

 何の前触れも無く、突如空を覆った赤い雲。

 同時に現れた何百という凶悪な妖怪達が、人里を襲った。

 当時の博麗の巫女の奮闘により妖怪達は打倒されたが、それでも何十人もの人間が亡くなった。

 重傷を負った人はその数を遥かに上回り、家屋にも多くの被害が出た。

 甚大な被害を受けた人里は、当時の博麗の巫女の指揮の元、徐々に復興していった。

 

 これがキッカケになり博麗の巫女は、人里において英雄的存在になっていったと云う。

 

 そして人間達は妖怪への警戒を高め、大規模な自警団を組織し、何時以下なる時も妖怪に対抗出来る様に備えるようになった。

 

 

 水蛭子にとっての異変。

 それは、ただただ純粋なる災厄。

 

「……異変は、恐ろしいものです。沢山の人が亡くなったと聞きました」

「そうね」

「また、異変を起こすんですか?」

 

 恐る恐る尋ねる。

 

「ええ、起こすわ」

 

 水蛭子の問いに、紫はアッサリと頷いてしまった。

 

 握った拳から滴った赤い雫が、赤い絨毯の上にポタリと落ちる。

 背中から引き抜かれた棍の先端が、扇で口元を隠す紫へと向いた。

 愉しげに歪むアメジストの瞳に、水蛭子は胸の中に生まれていた怒りに任せ吐き捨てる。

 

「所詮は、妖怪か……!」

 

 この場で行動しなければ、また大勢の人が死ぬかもしれない。

 自警団員として、何より人間として、それを見過ごすことは到底出来なかった。

 

 ……良い妖怪(ひと)だと、思っていたのに。

 

「(刺し違えてでも、殺す!!)」

 

 紫へ突撃しようと、テーブルを飛び越える為つけた助走の一歩は。

 

 

「おい、一人で盛り上がるな」

「あうっ!?」

 

 

 一歩は、いつの間にか横に移動していたレミリアに軽々と掬われた。

 バランスを崩し後ろに倒れそうになる水蛭子の身体は、何者かに抱えられる様にして受け止められた。

 

 不機嫌そうに口をへの字にしたレミリアを、水蛭子は困惑した表情で見た。

 それから、背中に感じる柔らかな感触に身に覚えがある事に気付く。

 

「……あ、え?」

「先程ぶりですね。八十禍津水蛭子さん」

 

 苦笑を浮かべながら抱きとめた水蛭子を見下ろしていたのは、先程霧の湖の近くで助けられた謎の妖怪、紅美鈴だった。

 

 混乱する頭を落ち着かせながら、水蛭子は美鈴に問いかける。

 

「なんで、ここに美鈴さんが?」

「私、この屋敷の使用人なんですよ」

「ええええええ!?」

 

 一体どういう偶然なのか、それとも仕組まれていたことなのか。

 とにかく水蛭子の頭は、ショックの連続でそろそろ限界が来ていた。

 

 頭を抑える水蛭子に、元の席に座り直したレミリアが声をかける。

 

「その辺で一度区切ってくれ。後でいくらでも話したら良い」

 

 テーブルに肘を着きながら、仏頂面のレミリアが紫を睨んだ。

 

「お前は性根が腐っとるな、八雲紫」

「そんなに褒められると照れるわね」

「おっと、耳も腐ってたか……」

 

 扇を畳み、ニコニコとした笑顔を見せておどける紫に、レミリアは神妙な顔をして頷いた。

 

 その光景を見て、「あー……」と喉から声を漏らしながら水蛭子は気付く。

 

 紫の茶番に付き合わされていたのだと。

 

「悪かったね八十禍津水蛭子。今回の件は前々から決まっていた事で、この部屋に入ってからの全てが全部コイツの茶番だ。付き合ってやった私が馬鹿だった」

「えへ」

 

 レミリアに指さされた紫がにへらと笑う。

 ペロッと出した舌とウィンクが、ムカつくようで可愛いと思ってしまった事に水蛭子は敗北感を覚えた。

 

「誤解の無い様言わせてもらうと、此度起こす異変は人への害は一切無い。まぁ、アピールとして空に紅い雲を張らせてもらうつもりだが、それが無いと異変が成立しないからな。我慢して欲しい」

「名付けて『紅霧異変』ね!」

「お前ちょっと黙っておけ」

「ぐへ!」

 

 ヤクザ蹴りでのした紫の背中に、レミリアがどっかりと座る。

 ぐえっとカエルの断末魔の様なものが聞こえたが、気にせずレミリアは話を続けた。

 

「今回の異変はその紅い雲を消すのが人側の目的。色々省いて言ってしまえば、首謀者である私が博麗の巫女に倒されれば諸々解決というわけだ」

「それだけ、なんですか?」

「うむ。間違っても君が恐れている事態にはならないよ。このレミリア・スカーレットの名に誓おう」

「…………よ、良かったぁ……!!」

 

 棍を持つ手をダラりと下げ、心の底からの安堵に大きく息を吐き出す。

 

 やはり紫は悪い妖怪ではなかったのだ。

 水蛭子にとって、それが何より嬉しかった。

 

「今日はそのミーティングをしようと思っていたんだ。話に聞いていた博麗の片割れという君にも興味があったから、ついでに参加してもらおうかと思って八雲紫に頼んでおいたんだが……」

 

 レミリアはまるで道端の犬のフンを見るかのような視線を、椅子替わりにしている紫に向けた。

 

 明らかな失望の眼差しにちょっぴり焦りを感じた紫が腕をじたばたを動かしながら抗議する。

 

「な、なによその目は!! ちょっとしたサプライズじゃないの!」

「人格を疑うよ」

「お、おほほ、褒め言葉ね……」

「紫様はあんまり他人と交流しないので、こういう時の限度が分からないのだと思います」

「藍まで……!?」

 

 半笑いで会話に参加してきた藍に、紫が愕然とした視線を向ける。

 

 それを見て水蛭子はいい気味だと内心ほくそ笑む。

 

「紫さん紫さん」

「な、なぁに水蛭子?」

 

 小走りで紫の元まで駆け寄った水蛭子は、まるで聖母の様に穏やかな笑みを浮かべ、言った。

 

 

「私紫さんのこと、嫌いになっちゃいました」

「いやぁああああッッ!!!!」

 

 

 まるでこの世の終わりが来たかのような叫びが、部屋内に響き渡った。

 半ば冗談で放たれた水蛭子の言葉は、存外紫には効果的だったらしい。

 

 




水蛭子は基本的に人にも妖怪にも公平な態度を取ります。
本心でも人と妖怪は対等であるべきだという考えを持っている為、仲の良い妖怪の知り合いも何人か居ます。

他の人間はやはり妖怪を恐れたり、蔑んだりする人も居ます。(善良な妖怪だと分かれば気にしなくなる人が大多数ではありますが)
彼ら、彼女らは、水蛭子の事を信用の出来る人間だと判断していますが、妖怪と積極的に仲良くする様はあまり理解されていません。

ちなみに霊夢は自分に害が無ければ特に気にしません。(そもそも他人への興味が少ない)
魔理沙は友好的な者や、自分にとって有益な者とは仲良くしたいと思っています。


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第十話 博麗の巫女は動かない

 

「さて、もう一度ここに居る皆に言う。このレミリア・スカーレットが幻想郷の異変を再来させ、博麗の巫女がそれを食い止める。ちゃっちゃと初めてちゃっちゃと終わらせて、皆で宴会でも開こうじゃないか」

 

 レミリアのやっつけ気味な言葉に、部屋にいる全員が苦笑する。

 物凄い(いさぎよ)さだ。

 

「それに際して、紅魔館以外の協力者が居てくれた方が助かる。どうだろう?」

 

 そう言って水蛭子の顔を見るレミリア。

 穏やかな表情だが眼差しは真剣そのもの。

 水蛭子は真面目な表情をする様に努めながら、頷いた。

 

「妖怪の皆を守れるのなら、是非」

「よし、それでは大まかな段取りを話そう」

「おねがいします」

「うむ。……ん、そう言えばアイツの存在を忘れていたな」

 

 突然何かを思い出したレミリアが傍らにいたメイド服の少女に何か囁く。

 

 少女が小さく頷き、ゆっくりと歩き始めたと思うと。

 その姿が、忽然と掻き消えた。

 

「……えっ?」

 

 素直な驚きの声を洩らした水蛭子に、レミリアは優雅にティーカップを傾けてから話し始める。

 

「言い忘れていたが、あの子は十六夜咲夜。人間だが、少々異質な部分がある。特殊な容姿と能力、言っては悪いが排他的な性格。それらが原因で人の社会に溶け込めず、この紅魔館に転がり込んで来たんだよ」

「は、はぁ」

 

 結構重めな話に水蛭子が曖昧な相槌を打つ。

 

 妖怪特有の雰囲気が無かったので不思議に思っていた水蛭子だったが、なるほど人間だったのかと納得した。

 しかし、自分と同年代に見えるけど見覚えが無い。

 元々どこの人里に住んでいたんだろうか、と内心首を傾げた。

 

「彼女は何をしに?」

 

 紫が扇を弄りつつ言う。

 

「うちにはもう一人、それなりの力を持った魔女が居る。ソイツを呼びに行かせた」

「あぁ、そういえば居ましたわね」

 

 納得したように紫が頷いた。

 

「直ぐに戻ってくるだろう。暫らくの間、ご歓談を」

 

 そう言ってレミリアは意外と大きな口にクッキーを一つ放り込み、小さく咀嚼した。

 水蛭子達の前にも紅茶とクッキーが出されているが、水蛭子はまだ少し居心地が悪さを感じて手をつけれていない。

 

 ふと横を見てみると、橙がクッキーの乗った皿へ熱い視線を送っていた。

 

 水蛭子がレミリアに声をかける。

 

「あの、このクッキー、私も頂いていいですか?」

「ん? ……あぁ、すまない。遠慮せず食べたら良いよ」

「ありがとうございます!」

 

 笑みを浮かべながら言うレミリアに礼して、水蛭子がクッキーを一つ摘んだ。

 そして傍らの橙へ声をかける。

 

「橙ちゃんも一緒に食べよう?」

「!」

 

 ピョコンと耳を立て、目を輝かせる橙に、思わず頬が緩む。

 橙が正面に座っている藍に視線をやると、藍は微笑ましそうに頷いた。

 

「うん、食べてもいいよ。ただし、お礼を忘れずにね」

 

 藍の言葉に橙がコクコクと頷き、レミリアへ丁寧なお辞儀をする。

 レミリアは右手を軽く挙げてニコリと微笑んだ。

 

「ありがとうございます。レミリア様」

「うん。君も遠慮せずに食べると良いよ。咲夜の作ったクッキーはかなり美味いから」

「すみません、頂きます」

 

 そう言って藍もクッキーを手に取った。

 

「八雲紫。貴様も食べ……あぁ、うん、おかわりもあるが……」

「いひゃだくわ(頂くわ)」

 

 レミリアが声をかける前に、紫の前の皿の上には既に何も無くなっていた。

 変わりに頬をパンパンに膨らませ、モッサモッサと口を動かしている紫がそこ居た。

 

「…………紫さん……」

 

 水蛭子は物凄く残念なものを見るような目で紫を見た。

 

 

 

 水蛭子が二枚目のクッキーを食べた所で、先ほど消えた咲夜が戻ってきた。

 突然消えたり現れるので、水蛭子は心臓がちょっと痛かった。

 

「『読書中だからパス』との事でした」

「この上なく予想通りだな。ご苦労だった」

 

 咲夜の言葉に半笑いで答え、レミリアが椅子から腰を上げた。

 

「さて、無駄な時間をとらせてしまったな。それでは会議を始めよう」

「え、あの……読書中だからパスって?」

「アイツは滅法な本好きだからな。……ああそうだ、今度彼女の図書館を観てみると良い。あれはちょっと壮観だぞ」

 

 図書館の話に興味を持ちつつも、だからってサボるか普通?と水蛭子は戸惑う。

 それを察して、レミリアが付け加える。

 

「魔法使いは特定の物事に縛られることを極度に嫌うから、基本的に自由人なんだよ。……最も奴は、本に縛られてるみたいだがな。まぁ後で私から話しておくから、安心してくれ」

「はぁ……」

 

 レミリアのフォローに一応納得した水蛭子が頷く。

 それを見て、レミリアはようやく本題に入った。

 

「では大まかな段取りを説明しよう。今回の異変は先程述べた通り、紅い雲が空を覆うというもの。口実として、『日光が苦手であるヴァンパイアが昼間でも自由に幻想郷を闊歩する為』というのを考えている。対処の為に赴いた博麗の巫女を紅魔館門前にて、美鈴、お前に迎撃してもらう」

「わかりました」

 

 真剣な表情で頷く美鈴に、水蛭子は再度気が引き締めさせた。

 

「この際、あんまり直ぐにやられても味気が無いので、適当に善戦するように。そして必ず負けろ」

「は、はい」

 

 なんとも言えなそうな表情で美鈴が頷いた。

 必ず負けると指示されるのは、少し不本意のようだ。

 

「その次は図書館にてパチェ……パチュリー・ノーレッジという魔女がバリケードになる」

 

 レミリアは言い直したが、パチュリーと呼ばれた人物のあだ名がパチェなんだろうなと水蛭子は考えた。

 可愛らしい響きの名前だなと、水蛭子はまだ見ぬ魔法使いを想像して微笑んだ。

 

「コイツにも適当に負けてもらう予定だ。そして次の廊下では咲夜に迎撃をしてもらおう」

「仰せのままに」

「あぁ、能力の行使は程々にしておく様に」

「承知しております」

 

 畏まった所作で頭を下げる咲夜に、レミリアが満足そうに頷く。

 そしてそのままの表情でこの部屋を見渡し、少し間を開けてから口を開く。

 

「咲夜の次は、私。場所は謁見の間の予定だが、その日の気分で変える可能性がある」

 

 なんか自分だけアバウトだなと少し笑ってしまう水蛭子。

 今回の異変は形だけの物の様だし、そんなにこだわる必要が無いのかなと一人納得した。

 そしてはたと気付く。

 

 ……あれ、私の出番は?

 

「あのー、私は何をすれば?」

「うん。八雲紫と異変の顛末を観ててくれ。ソイツの家で中継を映すらしいから」

「えっ」

 

 中継ってなんだ。

 もしかして観ているだけなのか?

 

 気合いを入れていた水蛭子は明確な肩透かしを食らって叫んだ。

 

「そ、そんな!!」

「いやそう言われてもだな。君にはこの異変の後、我々のフォローをして欲しかっただけで、戦力としては数えてなかったんだよ」

「そうだったんですか!?」

「ああ。そもそも君に役を与えてしまったら友人の敵役になる訳だし、君も望ましくないだろう?」

「そんなことないですよ!! 」

「えぇ?」

 

 何故か断言した水蛭子に、分かりやすく困惑するレミリア。

 

 そんなのお構い無しに、水蛭子は一人頭の中でぽやぽやと妄想を繰り広げていた。

 

 

『ひる、こ……?』

『あら霊夢、遅かったわね』

『まさか……嘘よ、まさか水蛭子が?』

『そう、この異変の黒幕は、私なの』

『そんな……!! なんで!? なんでよ水蛭子!!』

 

 こんな感じの演出を組んで狼狽した霊夢が見たい!!

 

『私は目覚めてしまったの、闇の力にね。この力があれば、博麗の名なんてもう要らない! この力があれば! 私はこの世界の全てを支配することが出来るのよ!!』

『やめて水蛭子!! まだ引き返せるわ! 正気に戻って! 元の優しい水蛭子に戻ってよ!!』

『私は正気よ! さぁ、幻想郷の守護者、博麗の巫女! 大いなる闇の炎に抱かれて、安らかに眠るといいわ!!』

『っ! ……やるしか、ないのね……!!』

 

 決意の光を瞳に宿らせる霊夢と、偉そうに腕を組みつつ不敵に嗤う水蛭子。

 勝負の行方は如何に!!

 

 

「ふふふ……」

「水蛭子〜? どうしたの変な笑い方して」

「ハッ!?」

 

 妄想が極まってきた所に紫の声がかかり意識を戻す。

 隠していたお茶目な部分が出てきてしまったと冷や汗を拭った。

 

 そしてレミリアに向き直り、真顔で一言。

 

「やっぱり大丈夫です」

「そ、そうか」

 

 若干引かれてる雰囲気が凄い。

 そんなに気持ち悪い笑い方してたかなと、水蛭子は不安になった。

 

 真面目な顔に戻ったレミリアがコッコッとテーブルを指で叩く。

 全員の目線が彼女に集まった。

 

「では、最後に注意事項を言っておこう」

 

 これは主に紅魔館のメンバーに向けての言葉だが……、と前置きしながらレミリアは言葉を続ける。

 

 

「今回の異変の黒幕はあくまで私だ。八雲紫ではない。誰にどう問われようと、八雲紫の名をその口から発声するな」

 

 

 酷く重圧的な声だった。

 ギラリと鈍い輝きを湛えた紅色の瞳が、美鈴と咲夜を順に貫く。

 美鈴と、今まで無表情だった咲夜はそれを崩し、困惑した面持ちで頷いた。

 

 水蛭子は何故紫の名を口にしてはいけないのかと不思議に思ったが、必要な事なのだろうと無言を貫いた。

 

「部下に注意してくれるのは助かりますけど、そんな怖い顔をしたら二人共ビックリしちゃうわ。もっと気楽にしましょう?」

「万が一という事もある。念には念を、押しておかないとな」

 

 少し困った顔で言った紫にそう返すと、レミリアは息をつきながら椅子に座り直した。

 

「これでお終いだ。八雲紫、八雲藍、橙、八十禍津水蛭子、今日は来てくれてありがとう」

「いえいえ、こちらこそ。お互い自己紹介が出来て、有意義な時間でしたわ」

 

 レミリアの締めの言葉に返しながら、いつの間にか皿に盛り直されていたクッキーを紫が齧った。

 

「それと、紅魔館の者達には今日明日と休暇を与える。異変の決行は明後日だから、適当に英気を養っておけ」

「え!? あ、……はい!」

「ありがとうございます」

 

 レミリアの言葉に美鈴は一瞬顔を驚愕に染めたが、直ぐに真剣な顔に戻した。

 それでも口角がピクピクと動いているので、休暇を貰ったのが結構嬉しいらしい。

 

 対して咲夜は無表情のまま深々と礼をしていた。 

 

「よーし、それじゃあこれで解散ね。ありがとう水蛭子」

「いえいえ」

 

 ウインクしながらお礼を言った紫に水蛭子は笑顔で返す。

 

「……紫様。こういう事があるんだったら事前に言ってくれないと困ります。レミリア様と顔を合わせるの本当に久々でしたから、どう接したら良いか困っちゃったじゃないですか」

「あはは、そうですね。私も色々とビックリしちゃいました」

「な、なによ二人して……」

 

 水蛭子と藍のやり取りに、時折見せる大人っぽさが嘘の様に口を尖らせる紫。

 

 それを見て藍はニコリと微笑みながら言葉を返す。

 

「あら、二人だけじゃないですよ。困ったよね、橙?」

 

 藍の言葉に少しのためらいも無く頷く橙。

 そんな橙に紫は情けない声を出した。

 

「え〜橙までぇ……?」

「むしろ擁護のしようがないですよ」

 

 藍のごもっともな言葉に、水蛭子と橙の「うんうん」という頷きが綺麗にシンクロした。

 

「わ、わかったわよ……今度からは前もって話すわ……」

「よろしい」

 

 小さくなる紫に満足そうに頷きながら、藍が橙の手を取る。

 

「じゃあ、帰ろうか」

「あ、すみません。私まだちょっとここに居ていいですか? 美鈴さんと少し話したくて」

「構わないけど、レミリアは大丈夫?」

 

 小さく手を挙げた水蛭子に頷いた紫が、館の主人であるレミリアへ視線を送る。

 

「私も構わないよ。そうだ、折角だから美鈴が手入れしている庭園を見ていくと良い。中々素晴らしいぞ」

「あぁ、良いですね! 私も外の方に見せる機会なんて無かったですし、是非」

 

 レミリアの提案に美鈴が嬉々とした様子で頷いた。

 

「わぁ、ありがとうございます!!」

 

 水蛭子は屈託の無い笑顔でお礼を言った。

 

 

 

 

 暗い部屋の中を心許ない蝋燭の火が照らす。

 ゆらゆらと揺れ動くソレと共に、襖に映った人影もユラユラ揺れる。

 

 白装束を来た少女は部屋の中央に座し、ぬらりと左腕を動かす。

 少女の眼前、畳の上にはとある烏天狗から無理矢理寄越された「文々。新聞」が何枚か重ねて敷かれ、さらにその上には習字用の下敷きが敷かれている。

 下敷きの上には長方形の白紙が置かれており、少女は左手に持った筆をその紙に滑らせていた。

 

「……」

 

 少女は黙々とその作業を繰り返していき、八十枚目の紙に文字を書き終えると筆を下す。

 ふぅとため息を吐いた後、眉間に皺を寄せてガシガシと乱暴に髪を掻いた。

 

「……っあー、もう。やってらんないわ」

 

 白装束の少女……博麗霊夢は機嫌が悪そうに言葉を吐き捨てる。

 あまり単純な作業が得意ではない彼女には、『霊力を篭めた符』を何十枚も書写していくことが酷くストレスだった。

 

「なんか……ポンとやってピッとしたら勝手に符が出来上がるカラクリとか無いのかしら」

 

 カラクリと言えば河童か。

 

 一瞬そんな考えが思考を過ぎったが、関わると面倒臭そうだったのでデフォルメされたカッパ達をさっさと頭の隅に追いやった。

 

「ま、人間楽しても良いこと無いか」

 

 そう言うと霊夢は、んんー!と大きく背伸びをして薄い座布団から腰を上げた。

 締め切っていた縁側への障子をカラカラと開きつつ、顔を出しているであろう月に向かって視線を仰ぐ。

 

「さて、お酒でも飲んで寝ようか……な……?」

 

 予想通り、月はあった。

 今宵は十六夜。

 少し削れた丸い月はとても眩しい。

 

 ……のだが、何か違和感がある。

 何時もの月と何かが違う。

 

「んん?」

 

 腕を組み、首を傾げる霊夢。

 何処が違うのやらと、少し思考を巡らせる。

 

 そしてその瞬間気付いた。

 

「……なんか、赤い?」

 

 月が、真っ赤に染まっていた。

 

 というより、空全体を薄らと赤い雲が覆っているらしい。

 ふと手元を見てみると、赤い月光によって血濡れた様に真っ赤になっているではないか。

 うぇ……と顔を顰めつつ、霊夢は再度赤い月を睨みつけた。

 

「何これ、何処の馬鹿の仕業よ気色悪い」

 

 吐き捨てる様に言うと、霊夢は部屋内に戻り障子をピシャリと閉じた。

 その顔は酷く不機嫌なものだった。

 

「はー、今日は水蛭子も来なかったし、ホント散々な日ね……」

 

 布団を押し入れから出し、いそいそと就寝の準備を始める霊夢。

 眼前で起きていた明らかな異変に関してはノータッチの様だ。

 

 布団を敷き終わり、掛け布団の下に潜り込む。

 意識をさっさと闇の中へ放棄し、直ぐにスヤスヤと寝息をたて始めた。

 

 博麗の巫女は寝付きが良いのだ。

 

 

「おーす、邪魔するぜー」

「……」

 

 

 唐突に、閉めた障子がバッチコーン!と無遠慮に開かれる。

 声の主は布団に覆われた霊夢を見て首を傾げた。

 

「あれっ、なんだ寝てたのか?」

「これから寝ようと思ってたのよ」

 

 不思議そうな顔をする魔理沙に、起き上がった霊夢が不機嫌前回な表情で返す。

 そんな霊夢の言葉に、魔理沙は驚愕の表情を浮かべた。

 

「これから!? お前外見てねぇのかよ!」

「空が真っ赤になってたわね。それがなに?」

 

 無愛想な態度をとる霊夢に魔理沙は顔を赤くさせ、ワナワナと身体を震えさせながらビシッと霊夢の顔へ指をさした。

 

「お前……ッ! 仮にも博麗の巫女だろうが! こんなあからさまな異変見過ごすなんて……馬鹿かよ!?」

 

 叫ぶ様に訴える魔理沙の顔を見つつ、霊夢はガシガシと髪を掻いて面倒臭そうな声色で返す。

 

「……眠いんだから仕方ないでしょ」

「絶対馬鹿だろお前!!」

「人を馬鹿呼ばわりして、アンタ失礼よ」

「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いんだよ!」

 

 マイペース過ぎる霊夢に魔理沙の怒声が大きなものになっていく。

 霊夢は煩わしげに耳を塞ぎつつ、魔理沙の方から顔を背け横になってしまった。

 

「……おい、霊夢?」

「……zzz」

「ーーッ!!」

 

 特大の怒号が、夜の博麗神社に響き渡った。

 

 




水蛭子の苗字について

苗字の八十禍津は、古事記に登場する八十禍津日の神と大禍津日の神が由来です。
この二柱は、伊邪那岐の命が亡くなった伊邪那美の命に会いに黄泉の国に行き、伊邪那美に追われて逃げ帰り、その身体を清めた際に黄泉の国の穢れから生まれました。

禍津神は悪神として名高いですが、地域によっては良い神様として祀ってあるところもあります。
悪霊や悪神というのは、手厚く祀ると守護神として人間を護ってくださるからだそうです。

悪にも善にもなる。
八十禍津という苗字には、そんな曖昧な存在であるという意味を込めています。


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紅魔郷編
第十一話 いと、冥き妖怪


いと、くらきようかい


 

 

 紅い薄雲の張った空を飛び、二人の少女は異変解決に赴く。

 

「めちゃくちゃ眠いわ……」

 

 魔理沙の怒声によって強制的に起こされた霊夢は寝惚けた表情で言う。

 

 巫女服本体から独立した独特な袖で寝ぼけ眼を擦りつつ、ふわぁと大きな欠伸をした。

 そんな彼女を魔理沙はジトッとした目で見る。

 

「お前さぁ、仮にも博麗の巫女なんだからシャンとしろよ」

「別に空が赤くなったからって害があるわけでも無し……」

「いやあるだろ。こんな空じゃお前ん家の薄い布団ですら乾かないぜ」

「我慢すれば良いでしょ。最近の人間には根性が足りてないわ」

「そういう問題じゃないだろ……」

 

 魔理沙は霊夢に聞こえるくらいの大きな溜め息を吐いた。

 当の霊夢は気しない様子で髪をかき上げ、気持ち良さげに目を細め、ふぅと軽く一息をつく。

 

「こんな空でも、夜風は気持ちいいわね」

「のんきかよ」

 

 緊張感の欠片もない霊夢に、魔理沙は思わず苦笑してしまう。

 幼馴染みである水蛭子と一緒にいる時は、背伸びをしてしっかり者気取ってる霊夢なのだが、その性分は基本的にマイペースなのだ。

 

「……でもアレだな。異変が起きてるんだから、てっきり妖怪たちも活発になってるかと思ったけど、逆にいつもより気配が少ない気がするぜ」

「そうね、楽で良いじゃない」

「全くだ。拍子抜けではあるがな」

 

 軽く笑い合うと、二人は暫くの間赤い空の夜間飛行を楽しんだ。

 

 

 ぼちぼち霊夢の眠気が覚めて来た頃。

 

 パッと、月明かりが消えた。

 

 突如として視界を暗闇に支配された二人は、それでも落ち着いた様子で辺りを見回す。

 

「なんだなんだ、月が雲に隠れたか?」

「こんなに暗いんじゃ異変解決も難しいわね。日を改めましょ」

「帰らせないぜ。……そもそも帰れるかどうかも怪しい所だけどな」

「じゃあ今日は野宿ね」

「お前バカだろ」

 

 一寸先どころか、自分の手ですら輪郭を確かめるのがやっとだ。

 魔理沙は怪訝な顔で思考を深める。

 

 幾ら夜中であっても新月の夜以外でこれ程の暗闇は生まれない。加えて、今宵は十六夜の筈である。

 

 ならば何が原因で?

 

 表情を引き締め、魔理沙は周囲への警戒を強めた。

 

「明らかに妖怪の仕業だな」

「頼んだわ」

「……お前、史上最高に博麗の巫女に向いてないぜ」

「あっはは! 史上最高に同感ね」

 

 珍しく霊夢が声を上げて笑った。

 

 軽口を叩きつつも、お互いに背を合わせる。

 忙しなく視線を動かす魔理沙とは対照的に、霊夢は何をするわけでもなくその場に漂っているだけである。

 

「ちっ、気配の誤魔化し方が上手い。思ったより高位な妖怪みたいだな」

「そう? 雑魚のうちでしょ」

「マジかよ……」

 

 明らかに敵陣の最中であるのにも関わらず、余裕を崩さない霊夢の声を聞き、魔理沙は驚きで絶句した。

 

 おそらくこれから対峙する妖怪は、そこらの妖怪とは一線を画す存在だろう。

 それを霊夢は涼しい顔で「雑魚」と言い退ける。

 

 本当にそうなのであれば……いや、実際にそうなのだろう。

 やはり人間という枠の中において、博麗の巫女は規格外の存在だ。

 

 ゴクリと、魔理沙は生唾を飲んだ。

 

 

 そして唐突に、魔理沙の頬を何か生ぬるいモノが撫でた。

 ベロンッ、と。

 

「ぎゃあッ!?」

 

 突然声を上げた魔理沙に、霊夢が鬱陶しそうな視線を向ける。

 

「何よいきなり」

「なんかが頬っぺに……うわなんかベトベトしてる!」

「キチンとお風呂で汗を流してないからでしょ。……あんた最後にお風呂に入ったのいつ? 臭うわよ」

「今日神社に来る前に入ったわ!!」

 

 袖でゴシゴシと頬の粘膜を拭う魔理沙はこめかみに青筋を浮かべながら怒声を飛ばす。

 言動は少々荒くとも、彼女の心はとても繊細な乙女なので、霊夢のあんまりな言い草に少し傷付く。

 

 しかし臭ってみると、……確かにクサい。

 加えて、割と嗅ぎ覚えのある臭いだ。

 

 魔理沙は脳みそから該当するニオイの情報を引っ張り出し、そして思い出す。

 

「ああそうか、唾液だ。犬の」

 

 犬に顔を舐められた時に襲ってくる臭いと似ている。

 まぁ犬に限らずだが、動物的な臭さだ。

 しかし。

 

「私はどっちかって言うと猫派ね」

「誰もそんな話してないし。……ってかマジでクサい! 何なんだよホントに!!」

 

 ……しかし、この臭いは犬のソレよりも酷い臭いだ。

 例えるなら、それに生物の死体の腐乱臭を足した、まるで人喰いの獣を彷彿とさせるような。

 

 瞬間、魔理沙の耳元で誰かが不服そうに囁いた。

 

 

「失礼だなぁ。臭くないよ」

 

 

 モワッと、生暖かい湿気が魔理沙の横面を襲う。

 

 ゾワゾワッ!!と魔理沙の背筋を猛烈な寒気が襲い、全身の毛を逆立て、両の眼をあらん限りに見開いた。

 

「うわぁぁぁぁッ!!!! ーーッ! ーーッ!!」

 

 魔理沙はその場から文字通り飛んで逃げると、バタバタと悶え声にならない声をあげた。

 

 あまりの嫌悪感から目から涙が溢れ出し、口から出る声もとても情けないものになってしまう。

 

「うぇぇ……! なんだよぉ、もーーーッ!!」

「そんなに驚かれるとちょっと嬉しいな」

 

 先程と同じ、幼い女の子の声が照れくさそうに言った。

 

 魔理沙が声のした方を向くと、そこには女の子が一人、フワフワと浮遊していた。

 

 背は魔理沙と同じくらい。

 金髪のショートボブに赤いリボン。

 リボンと同色の赤い瞳は爛々と輝き、声に合った幼い印象を受ける。

 服は真っ黒だが、明るい髪色とやけに穏やかな表情からそこまで暗い印象は受けない。

 

 魔理沙は少女を睨みつけて大きな声を上げる。

 

「誰だお前!!」

「あー、そう言えばご飯の後に口を(ゆす)ぐの忘れてたなぁ」

 

 あちゃーと可愛らしく舌を出す少女に、魔理沙は苛立ちを隠そうともせず再度怒号を飛ばす。

 

「誰だって聞いてるだろ! 答えろ!」

「人にモノを訪ねる時はまず自分からって、おかーさんに教えて貰わなかった?」

「……ぅ、貰ったな」

 

 金髪の少女の言葉に素直に納得し、魔理沙はいそいそと思考を落ち着かせる。

 

 周囲を見てみると、自身を包んでいた暗闇はいつの間にか消え失せていた。

 しかし、相変わらず空は赤いままだ。

 

 霊夢が自分の方へ飛んでくるのを確認すると、魔理沙は安堵感から溜め息を一つ吐いた。

 

 魔理沙の隣に来た霊夢は訝しげに口を開く。

 

「何よ、アイツ」

「知らん。……いや? やっぱり見覚えはあるな。いつもその辺をふらふらしてる野良妖怪だ。確か名前は……ルーミアとか言ったかな」

 

 魔理沙の言葉に「ふーん」と興味無さげに相づちを打ち、霊夢は左手に持ったお祓い棒で自身の肩をトントンと軽く打った。

 

「まぁ、なんでも良いからやっちゃいましょう」

「だな」

 

 割と血も涙も無い霊夢の言葉に、魔理沙は間髪入れず同意し、それぞれが自身の得物を構える。

 

 霊夢も魔理沙も、元よりこの少女に興味など無いのだ。

 その様子を見ながら、金髪の少女はグリンと首を傾げた。

 

「んー、食べていいのかなぁ。でも、食べちゃダメだったら怒られるしなぁ。怒られるのは嫌だなぁ」

 

 右手の人差し指を軽く咥えながら、少女は何やら物騒な事を呟く。

 

「(とは言ったが、やっぱこういう妖怪の相手をするの、何時になっても慣れないな……)」

 

 苦虫を噛み潰した様な顔をする魔理沙は、内心そんな事を考える。

 

 異形の妖怪相手ならば気概無しに攻撃出来るのだが、幻想郷の妖怪は目の前の少女しかり、可愛らしいのが多過ぎる。

 生き物は訳あってその姿をしているとはよく言ったもので、比較的可愛いもの好きな魔理沙には効果的面である。

 

 最も、妖怪を生物に部類して良いのかは定かではないが。

 

「あ、そうだ。本人に聞いたら分かるよね」

「悪いけど、私は食べちゃダメな人間だぜ」

「うー、そっかー……」

 

 間髪入れず答えた魔理沙に、金髪の少女は残念そうに顔を俯かせた。

 

 しかしそれも一瞬のことで、再度顔を上げた彼女は目を輝かせながら霊夢を見た。

 

「じゃああなたは? あなたは食べても良い人類?」

「さぁ? 知らないけど、多分良いんじゃない?」

 

 横髪を弄りつつ、どうでも良さげに言った霊夢の言葉に、金髪の少女は目の輝きを一層強めた。

 

 

「じゃあ、いただきまーす」

 

 

 ガパッと大きな口を開けた少女は、グワリと大振りな動きで霊夢に飛びかかった。

 

 霊夢は涼しい顔をしてそれを避け、少女の背中に向かって符を二枚、ヒョイヒョイっと投擲する。

 

「ほぎゃーーッ!?」

 

 符が生きた様な動きをして少女の背中にベッタリと張り付くと、少女は女の子が(おおよ)そ出してはいけない声を出してビリビリと身体を震わせた。

 

 少女は目に涙を浮かばせながら振り返り、批難めいた表情で霊夢を睨みつけた。

 

「た、食べても良いって言ったじゃない。嘘つき~!」

「別に、食べて欲しいとは言ってないし」

「そんなの屁理屈だ、卑怯だぞー」

「人間って罪な生き物よね」

「いや、それはあなたが捻くれるだけだと思うけど……」

 

 あしらうように言う霊夢に、金髪の少女は何とも言えない感じで苦笑を浮かべる。

 

「あらよく知ってるじゃない」

 

 言いながら、霊夢が素早い動作でなにかを投擲した。

 

 プスリと、軽い音が鳴る。

 

「ぎゃああ!!」

 

 少女が叫び声を上げながら、器用に宙を転がりまわる。

 暫くそうした後、少女は眉間に刺さった針を乱暴に引き抜き、半ギレ気味に腕を振るわせ地上へ投げ捨てた。

 

 ──その際、遠い所から間抜けた悲鳴が聞こえたが、この場の三人がそれを気に留めることは無かった。

 

「怒るよ?」

「最初からそうさせるつもりなんだけど、アンタ随分と大らかね」

「だって、人に怒っても仕方ないもん。あなた牛に唾吐かれて怒る?」

「怒る」

 

 間髪入れず答えた霊夢に、少女は「えっ」と驚きの声をあげつつ固まった。

 

 そして、ため息を吐き、やれやれと首を振る。

 

「……人って、やっぱり憐れな種族ね」

「そんなに褒められると照れるわ」

「褒めてねーし」

 

 全くの真顔で符を構えた霊夢に、金髪の少女も真顔で返した。

 

 

 

 

 昔ながらのブラウン管テレビに映し出される光景を、少女と女性が観ていた。

 一人は噛り付くような前傾姿勢で、もう一人は煎餅をボリボリと咀嚼しつつのんびりと。

 

「なんか想定してない展開になりましたね。なんですかこの女の子」

「ルーミアね。……あ〜、美味し」

「いや名前とかじゃなくて、何故ここに居るのかって言う……っていうか紫さんすっごいのんびりしてますね」

 

 茶を飲み惚けた顔をする紫に、水蛭子は呆れ混じりの苦笑をする。

 

「まぁ今回私たちの出番は無いからね」

「なんか仲間外れにされてる感じがして嫌ですね」

「何言ってるのよ。貴女も黒幕勢の一人なんだから、もっとドッシリ構えてなさいドッシリと」

「く、黒幕……ですか。ふふ……黒幕かぁ」

「あれ? 水蛭子? おーい、水蛭子ちゃーん?」

 

 突然恍惚な表情を浮かべ出した水蛭子に、今度は紫が苦笑した。

 

 水蛭子は案外妄想が好きな少女らしく、そしてその内容は年相応のモノ。

 可愛らしいものだわ、と紫は表情を微笑に変えながら煎餅を食べる。

 

 テレビに視点を戻すと、霊夢と金髪の少女ことルーミアが戦闘を開始していた。

 魔理沙は少し離れたところで傍観しているようだ。

 

『取り合えず、食うからね?』

『出来るもんならご自由に』

 

 ルーミアの言葉を霊夢が鼻で笑って受け流す。

 

 その瞬間、ルーミアが霊夢の懐に瞬時に接近し、胸を穿つように貫手を振るう。

 

 霊夢はそれを裏拳気味に払い、体制を崩したルーミアの脇腹に符の束を叩きつけ、振り落とされた踵がルーミアを地上へ吹っ飛ばした。

 

『あ゛あ゛ッ!!』

 

 ルーミアは短い悲鳴を上げ、先ほどよりも大きく身体を痙攣させ、勢いのままに落ちていく。

 錐揉みに落下していくルーミアを眺めながら、霊夢はつまらなさそうに欠伸を一つした。

 

『さ、行きましょ』

『……おう』

 

「いやー、圧倒的ね」

「まぁ霊夢ですからね」

 

 案の定な結果に紫と水蛭子感心した声を出した。

 当代の博麗の巫女の実力は人妖共にお墨付きである。

 

 戦いを終えた霊夢と魔理沙が移動を再開したのを確認すると、水蛭子も皿に盛られた煎餅に手を伸ばした。

 

 その時、部屋の襖がスーッと開く。

 

「……こんな夜中にそんなもの食べて」

「ら、藍さん。あ、あはは……」

 

 入室してきた藍が煎餅を食べていた紫と水蛭子を見て呆れた顔をする。

 水蛭子は誤魔化すように空笑いをした。

 

「後でちゃんと歯磨きしなさいよ?」

「はーいお母さん」

「はは、大きな娘を持ったものね」

「それで? なにか報告があるんじゃないの、藍」

「あ、はい。それが……」

 

 子どものような返事をする水蛭子に思わず苦笑する藍だが、紫の言葉に反応して表情を真面目なものに戻した。

 

「紅魔館側が監視を霊夢達につけていたそうなんですが、どうやら今しがたその監視が倒されてしまったみたいなんです」

「監視って、どんなの」

「下級の悪魔らしいです。一応、人の容貌はしているらしいですが」

「へー。で、それがどうかしたのかしら?」

 

 たいして大きな反応もせずにブラウン管テレビをボーッと眺める紫に、藍は苦笑いをしつつ返す。

 

「曰く、頭数が足りなくなってしまったらしくて」

「下級悪魔の代わりなんてテキトーに用意できるんじゃなくって?」

「私もそう思ったんですけど……」

「どうしたのよ? ……あ、なるほど」

 

 言い淀む藍に紫は不思議そうな顔をしたが、次の瞬間にはニヤリと表情を緩ませた。

 

「水蛭子をご所望ってわけね?」

「えっ?」

「みたいです」

 

 自身に関係の無い話だと高を括り、邪魔をしないよう黙ってテレビを観ていた水蛭子だったが、紫の唐突の発言にすっとんきょうな声を上げて視線をやった。

 苦々しく頷く藍を見て、水蛭子の思考はますますこんがらがってくる。

 

「それって、どういう」

「レミリアったら、そういうことなら最初から言ってくれれば良かったのに」

「あくまで致し方無い事だというのを主張したいようですね」

「なるほどね」

 

 半笑いでそう言った紫はどこからか取り出した扇で口元を覆うように隠し、水蛭子の方へ悪戯的な視線を向けた。

 

「というわけよ水蛭子」

「どういうわけですか?」

「出陣」

「え」

 

 その瞬間、水蛭子の身体が重力に囚われた。

 畳の底に空いた穴に落ちたのだ。

 

 唐突過ぎる出来事に水蛭子は表情を固めたまま落下し続け、そしてハッと取り戻した意識で状況の把握を始めた。

 

「な、なんなのよ一体!?」

 

 髪や衣類が巻き上がるのを気にしながら、周囲を見る。

 見覚えのある「手」や「目」が景色として下から上へ高速で流れていた。

 

 これは。

 

「紫さんだな……ッ!」

 

 出陣。とだけ言われて何をすればいいんだ。

 水蛭子のこめかみにピキと血管が張った。元博麗候補は少しばかり怒りっぽいのだ。

 

 しかし行き場の無い怒りにう〜と呻く事しか出来ない。

 

「もうちょっと、あの人に対しての態度変えよう」

 

 水蛭子は心底不機嫌そうに呟いた。

 

 



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第十二話 混沌を司る魔法使い

こんとんをつかさどるまほうつかい


 その空間は闇に包まれていた。

 

 暗く、暗く。

 太陽の光も、炎の光も、電気の光も何も無い。

 

 ただただ、暗闇が支配する部屋で、のらりと誰かが呟く。

 

 

「……来たわね」

 

 

 闇が小さなオレンジ色の光に薄くかき消され、そこに一人の女性の姿が浮かび上がる。

 その背景には巨大な本棚が群れを成す様に並んでいて、無数とも言える数の本が部屋を埋め尽くしていた。

 床も、天井すらも、巨大な部屋の全てが本棚と化している。

 

 そして。

 

 紫色の髪。

 紫色の瞳。

 紫色の服。

 

 紫一色の出で立ちをした女性は、自身の胴ほどもある巨大な書物を抱えていた。

 少女はボーッと前方の本棚を眺めながら、口を開く。

 

「八十禍津水蛭子だったかしら。……不吉な名前」

 

 つまらなそうな表情で呟いた少女の頭上に、にゅいんと穴が開いた。

 穴の向こうには無数の目と手が蠢いている。

 

 それを見て、少女は少しだけ不機嫌そうに口を動かした。

 

「趣味の悪い力ね」

「うわあぁぁっとぉ!? ……何処ここ貸本家さん?」

 

 穴の中から落下するように飛び出してきたのは八十禍津水蛭子その人だった。

 空中で急停止することで床の本棚への衝突を防いだ水蛭子は、困惑の表情で周囲を見渡す。

 そして紫色をした女性を見つけると、不思議そうに首を傾げた。

 

「……誰?」

「パチュリー・ノーレッジ。そう言う貴女は八十禍津水蛭子ね」

 

 自身の名前を知られていた事と、女性の名前に聞き覚えがあったことに驚きながら水蛭子は返す。

 

「貴女が、パチュリーさん?」

「ええ。レミィから聞いたの?」

「レミィ……あ、レミリアさんか。そうです」

 

 名前だけ知っていたパチュリーを案の定格上だと察すると、水蛭子の表情は若干固いものになる。

 

 そんな水蛭子を見ながら、パチュリーは肩を竦めつつ言葉を並べた。

 

「貴女には欠員になった小悪魔の代わりとして来てもらったんだけど。状況の把握は出来てる?」

「な、なんとなく」

「……まぁ貴女はあくまで助っ人だし、あんまり気負って貰わなくていいわ」

 

 パチュリーがそう言うのと同時に、水蛭子の隣に小さな洋風のテーブルが出現した。

 テーブルの上にはソーサーに乗った紅茶の入りティーカップと、お揃いのプレートに盛られた数枚のクッキーがあった。

 

「えっと、これって」

「博麗の巫女が来るまでまだ時間があるから、お茶でも飲んでリラックスすれば良いわ」

「あ、ありがとうございます」

 

 と言いつつ、気まずさから手を付けようとしない水蛭子と、自身の分の紅茶を飲み始めるパチュリー。

 

 先程まで抱いていた大きな本は、パチュリーを起点に回りをゆっくりと旋回しており、その本を紫色の眼が無感情に眺めていた。

 濡れた桃色の唇が小さく動く。

 

「貴女には興味があるの」

「私に、ですか?」

 

 特に前置きも無しに言ったパチュリーの言葉に、水蛭子は首を傾げた。

 パチュリーは頷きもせず、淡々と話を続ける。

 

「博麗の巫女は本来、八雲紫と同様に唯一無二の存在。でも博麗の巫女の候補だという貴女はソレに成り得た可能性があった」

「はぁ、そうなりますかね」

「ありえないわ」

「えっ?」

 

 小難しそうな話を鼓膜に貫通させていると、突然の断言が飛んできた。

 思わず聞き返す声が裏返ってしまう。

 

 パチュリーの表情はどこまでも無のままで、そんな彼女に水蛭子は言いようのないプレッシャーを感じた。

 

「博麗の巫女は、博麗大結界の均衡を保つ存在。あの八雲紫とも並ぶことが出来る存在が、何体も? ありえないわ。考えただけでゾッとする」

「えっと、ちょっと、何を言ってるかわからないんですけど」

 

 唐突に、そして行雲(こううん)の如く留まることを知らなそうな言葉の羅列に、水蛭子の思考は段々と混沌としたものになっていく。

 理解が追い付かない水蛭子を気にすることなく、パチュリーの舌はつらつらと回る、回る。

 

「貴女は一体何? 本当に博麗の巫女に『候補』なんてものが存在するの? 博麗の巫女と、選ばれなかった貴女との違いって?」

「えっとー……そのぉ……」

「博麗の巫女って、一体なんなの?」

 

 正義の味方だ。

 水蛭子はそう思った。

 

 しかし、それが口外に出ることは叶わない。

 そういう話では無いということを察していたから。

 

 饒舌が止まり、大図書館を静寂が支配する。

 気まずさを紛らわそうと、水蛭子は傍らのティーカップに手を伸ばした。

 

「い、いただきます」

「どうぞ」

「……あ、美味しい」

「咲夜が喜ぶでしょうね」

 

 パチュリーは軽く微笑むと、同じようにティーカップを傾けた。

 そしてポツリと、思い出したように言う。

 

「貴女。魔法使いになってみない?」

「は?」

 

 は、話の脈絡が掴めない……!

 水蛭子はまた頭が痛くなりそうなのを察し、口を引き攣らせた。

 

「貴女、伸びしろがあるわ。人の器に収まっておける程、貴女という存在は矮小じゃない。別に魔法使いじゃなくても、そうね……例えば」

 

 そう言葉を紡ぎながら、パチュリーは水蛭子から見て右を指さした。

 その先には勿論巨大な本棚が鎮座しており―――

 

「道具を用いなくとも神秘を錬成する錬金術師とか便利ね」

 

 ぼうと、その本棚の中央に収まっていた一冊が儚い光を宿した。

 水蛭子が反応を返す前に、紫色の女性は間髪入れず言葉を放つ。

 

「博麗を追い求めるのだったら」

 

 指先を、今度は左へ。

 そちらの方も、あるのは本棚のみである。

 

「無限の命を繰り返す陰陽師だったり」

 

 また、ぼうと。

 棚の中の一冊が光を宿す。

 

 何が起こっているのか理解が出来ない水蛭子は焦り、一度落ち着かせようとパチュリーへ声を掛ける。

 

「あ、あの……!」

「あとこれなんか良いんじゃない? 私は昔、成ろうとしてなれなかったけど」

 

 水蛭子の言葉に構うこと無く、今度は前方をさした。

 当惑の表情を浮かべる水蛭子をあざ笑うように、その顔に向かって。

 

「神」

 

 パチュリーが短く呟くと、水蛭子の背後から強い輝きが放たれた。

 

 それによりおぼろげだったパチュリーの姿がハッキリしたものになる。

 異様なまでに白い肌は、もはや病的までに見えた。

 

 しかし同時に霞み始めていた視界に双眸を(しばたた)かせる。

 パチュリーの表情をもっとよく見ようと目を凝らすが、水蛭子の目にはもう元のおぼろげな姿の女性しか映らなかった。

 

 パチュリーは確かな感情を乗せ、言葉を紡いでいく。

 

「貴女は有象無象ではない。何かを求め、それを得ることを約束された存在なの。何を求めるかは、決めるのは貴女次第だけれど……。やっぱり私は、神様が素敵だと思うわ。シンプルだし、何より知的だと思わない?」

「……神様」

 

 最後に浮かべたパチュリーの優しげな微笑を見ながら、水蛭子は何となしに言葉を返す。

 

 謎の眠気に支配され、自分がどういう状況に陥っているのかも把握出来なくなっていた水蛭子は、理解できる言葉をとりあえずオウム返しすることで、なんとか意識を保とうとしていた。

 

「貴女が鬼になっても、悪魔になっても、畜生になったとしても、この幻想郷は何も変わらない。それでも何者にもなれる可能性を秘めた貴女は」

 

 一度言葉を区切ると、水蛭子の瞳を覗き込む様に顔を近づけてから、言った。

 

「何を、追い求めるのかしら?」

「───人間じゃ、ダメなんですか?」

「……何?」

 

 意外な即答に、パチュリーは一瞬言葉を詰まらせた。

 生きた軌跡をあらゆるモノの探求に埋めてきた彼女にとって、その言葉は全く予期しないものであったのだ。

 

 近付けていた身体を、一歩、二歩と後退させ、呆然とした様子で呟く。

 

「人のままで、良いってこと?」

 

 一瞬考え込んだパチュリーだったが、次の瞬間には何かに納得した様に頷いた。

 

「そう、今はそれで良いのかもしれないわね」

 

 水蛭子の視界に居たパチュリーの影像が、ぶわりと大きくぼやけた。

 

 頭の中に、溶けるように言葉が染み込んで来る。

 

『でもいつか、自覚しなければならない時が来るわ』

 

 それだけ残すと、パチュリーは霧散するようにその場から姿を消した。

 彼女の周囲を回っていた本も同様に。

 

 巨大な書庫を、耳が痛くなる程の静寂が包む。

 

 水蛭子はただ茫然と、紫の魔女が居た空間を眺めて───

 

 

 

 

 ハッと気を取り戻すと、いつの間にかパチュリーは居なくなっていた。

 一体、いつから気を失っていたのだろうか。

 

 手に持ったティーカップの中の紅茶はすっかり冷めてしまっており、それなりの時が経ってしまった事が分かる。

 それと同時に飛んでいた意識の中よく零さなかったなと水蛭子は自分を小さく褒めた。

 

「んん、頭がボーッとするわね」

 

 パチュリーと何か話した気がするが、水蛭子は何を話していたのかが思い出せない。

 

 博麗が唯一の存在だとかという最初の辺りは辛うじて覚えているが、その後の記憶はサッパリだった。

 

「よく、分からなかったなぁ……」

 

 取りあえず、目を覚ますために冷めた紅茶を一気に飲み干す。

 冷めても美味しい紅茶にふぅと息をつき、そっとソーサーの上にカップを戻す。

 

 そしてはたと気付く。

 自分は何をすれば良いのだろうか。

 

 小悪魔の代わりだと言われたが、具体的に何をすれば良いのかという指示はされなかった。

 水蛭子は断片的な情報から自身の役割を推測しようとする。

 

「悪魔……悪魔……うーん、もしかして私が悪魔っぽいって事?」

 

 もしかして自分が小悪魔的魅力を持っているとか、そういった意味なのか?

 あーはん?それなら自信あるわね。と何か調子に乗り始めた水蛭子の背後から声がかかった。

 

「どこをどう見ても悪魔には見えませんが」

「うわぉーッ!? び、ビックリしたー!!」

 

 突然の声に思わずその場から飛び退いた水蛭子が振り向くと、そこにはポットを持った咲夜が居た。

 

 バクバクと鼓動する心臓を抑えながらも、相手が咲夜である事を確認した水蛭子は安堵のため息を吐いた。

 

「紅茶、もう一杯いかがですか?」

「あ、どうもすみません。いただきます」

 

 相変わらずの無表情で咲夜がティーカップに紅茶を注ぐ。

 紅茶の豊かな甘い香りに水蛭子は嬉しげに微笑んだ。

 

「ありがとうございます」

「いえ、それよりも悪魔とは?」

 

 水蛭子が言ったお礼に謙虚に目伏せをしながら、咲夜が訪ねてきた。

 本人は意図してないが、ちょっぴり上目遣いになっているのが水蛭子的にポイントが高い。

 

 しかし咲夜の方から会話を仕掛けてくる意外だ。

 主人であるレミリア曰く「排他的な性格」との事だったが、思いのほか気さくそうである。

 

「私は小悪魔の代わりに呼ばれたって聞いたので、パチュリーさんに」

「あぁ、そういうことですか」

 

 合点がいった様に頷く咲夜に、水蛭子は首を傾けながら質問した。

 

「そういうことって、どういうことです?」

「パチュリー様の(しもべ)に悪魔が居るんです。ソレも今回の異変のメンバーに加わっていたのですが、どうやら博麗の巫女を監視している際にやられてしまったのだとか」

「やられたって、誰に?」

「顔面に大きな針が刺さっていたそうですけど、加害者に関しての報告は無いです」

「針? ……あっ」

 

 咲夜が説明してくれた情報を聞き、先ほど八雲邸のブラウン管テレビで観ていた光景を思い出す。

 

 確か金髪の少女(ルーミア)が、自身の額に突き刺さった針を引き抜いて、どこかにぶん投げてた筈だ。

 そういえばあの後、マヌケな感じの悲鳴が聞こえた気がする。

 

 あの悲鳴の主がその悪魔だったのだろうか。

 

「何か?」

「心当たりが、あるような」

「そうなのですか? まぁ、死んではいない様ですし、気にしなくても大丈夫ですよ」

「それなら良かったです」

 

 その小悪魔が死んでないことを知ると、水蛭子は胸を撫で下ろした。

 

「さて、世間話はこのくらいで。パチュリー様から貴女に伝言を預かっています」

「パチュリーさんから?」

 

 疑問符を浮かべてみる水蛭子であったが、恐らく自分の役割に関しての事だろうなと予想していた。

 

「『小悪魔の代わりに博麗の巫女を迎撃して、負けなさい』とのことです」

「わーい、みんなとおそろいだ」

 

 いや、わーいではない。

 まさかとは思っていた水蛭子ではあったが、本当に霊夢と戦うなんて事になるとは。

 妄想の範疇ならばすっごく素敵な展開(水蛭子的に)ではあるのだが、実際問題言い訳はどうしようとか物凄く悩む要素があるのだ。

 

 それに。

 

「あの、今武器とか持ってないんですけど」

「ご心配なく。八雲紫様から預かっております」

 

 文字通りの相棒が手元に無い事に不安を覚えた水蛭子であったが、咲夜から差し出された棍を見て眉を寄せる。

 

「……家に置いてきた筈なんだけどな」

 

 受け取った堅木の長棍を見ながら、不機嫌そうに口を尖らせる。

 この棍は水蛭子が博麗の巫女候補だった時、同じく自警団に所属していた母親から継いだ家宝である。

 神力と霊力が込められた逸品で、普段は家の神棚に供納めてあるのだが。

 今ここにこれがあると言う事はつまり、八雲紫が人ん家で空き巣を働いたということだ。

 

 水蛭子は今の唇の同じ尖った口調で言う。

 

「あの人への対応を本格的に考える必要があるわね」

「……では、博麗の巫女が到着するまでの間、適当にお寛ぎください。ご用件がある時は手を三回叩いてくだされば参上します」

「え、なにそれカッコいい」

「失礼します」

 

 頭を垂れるのと同時に、咲夜がパッと消えた。

 どういう原理で現れたり消えたりしてるのだろうと、水蛭子は咲夜の居た場所を不思議そうに眺めていた。

 

 

 

 

「くしゅんっ!!」

「わっ、大丈夫ですか紫様? 今晩は少し冷えますもんね……何か羽織るものを持ってきます」

「ありがとう藍。……あ、そうだ、この前人里でキツネ揚げ買ってきたから食べていいわよ」

「え、あ、え、ホントですか?」

「冷蔵庫の一番上の段に入れてるから、ついでに取ってきたら良いわ」

「ふ、へへ……あ、直ぐに上着お持ちしますので、お待ちを!!」

「ふふ」

 

 爆速で走っていった可愛い従者に、紫が微笑んだ。

 

 

 

 

 霧の湖上空にて、再び霊夢と魔理沙の進行を妨げる影が現れた。

 少女は青い髪と瞳をしていて、青い服を纏い、青い氷の欠片を散りばめたような、恐らく翼的な物を背後に漂わせている。

 

 食欲減退色の擬人化のような彼女は太々しく腕を組み、若干上空の方から文字通り見下す様にして二人を見ていた。

 

「なんだぁおまえらー」

「そりゃこっちのセリフよ」

「妖精か」

 

 また面倒くさそうなヤツが出てきたな。と疲れた目をする霊夢。

 魔理沙は特に表情を変えず目の前の少女の種族を言い当てた。

 

 霊夢としては、多分異変には関与してないであろうこの妖精に構っている暇は正直無い。

 なので無視してさっさと元凶の所へ急ぎたいが、追いかけられても鬱陶しい。

 やっぱりボコるしかないか、と博麗の巫女は非慈愛的な考えの元に結論付ける。

 

 とは言え彼女も鬼ではないので、まずは優しく対話する事を試みた。

 

「アンタ邪魔だからどっか行きなさい」

「邪魔って……なんだよぉ、この先に用事でもあんの?」

 

 超不躾な言葉使いの霊夢に、少女は眉間を寄せつつ問いかける。

 魔理沙は苦笑をしつつその光景を眺めていた。

 

「この気色悪い雲を張った元凶をぶちのめしに行くのよ。分かったら退きなさい」

「んー、なんだか急いでるみたいだし退いてあげるけど……言い方ってもんがさぁ」

「妖精に諭されるって酷いぞ霊夢」

「うっさい」

 

 茶化す魔理沙にぶっきらぼうに言うと、霊夢は飛んでいってしまった。

 それを微妙な顔で見送った後、青い妖精はサッと魔理沙の方へ顔を向けた。

 

「アンタ保護者? 道徳心を教えるの忘れちゃってたの?」

「霊夢はああいう奴なんだよ。っていうか私のどこら辺を見たらアイツの保護者に見えるんだ。背丈だってあっちのが上じゃないか」

「背丈?  大ちゃんはあたいよりちっちゃいけど、あたいより全然賢いぞ」

「あー、妖精ってそういうとこ偉いな。まぁアイツとはただの友達だよ」

「ふーん……」

 

 少女は少しの間魔理沙を眺めると、何かを閃いたのか手をぽんと打つ。

 

 魔理沙はその様子に怪訝な表情で首を傾げた。

 

「なんだよ」

「アンタ達この変な雲のゲンキョーを倒しに行くって言ってたわね」

「まぁな」

「じゃああたいもアンタに着いてく! ずっとこのままだったら大ちゃんや皆が困るから」

「はぁ? なんで得体の知れないヤツと一緒に行かなくちゃいけないんだよ」

「あたいチルノっていうんだ、名前。これで得体が知れたわね!」

「うーん、名前を知ってもなぁ」

 

 ポリポリと頬を掻き、眉を寄せ考え込む魔理沙。

 

 ちなみに言うと、彼女は可愛いもの好きである。

 このチルノという妖精も可愛らしい容姿をしているので、極端に好きか嫌いかで言えば好きである。

 

 ……うん、別にいっか

 

 単純明快な魔理沙の脳みそ会議は、およそ0.5秒もしない間に終了し、コクリと首を縦に振った。

 

「ま、良いか。ただし自分の身は自分で守れよな」

「あたいサイッキョーだから! だいじょーぶだいじょーぶ」

 

 自信満々に薄い胸を叩くチルノに魔理沙は微妙な表情をしながら後頭部を掻いた。

 

 既に霊夢の姿は見えなくなっていたが、魔理沙とチルノは急ぐことなく異変の元凶の元に向かった。

 

 





 チルノの性格が少し大人っぽいかなと思いましたが、これがこの物語のチルノということで一つ。



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第十三話 お茶目で瀟洒なメイド長

おちゃめでしょうしゃなめいどちょう


 

 ぱんぱんぱんと、三度手を叩く。

 すると……。

 

「何か御用ですか?」

 

 あら不思議!

 何も無い空間からクールでとても可愛らしいメイドさんの登場!!

 

「わぁ! 本当に出たー!!」

 

 自分が魔法を使ったみたいだと思わず感激の声を出す水蛭子。

 何もやる事が無くて暇つぶしがてらやってみたのだが、本当に来てくれたのが結構嬉しい。

 

「は?」

「ッスー……」

 

 目が、据わってらっしゃる。

 咲夜の放ったたった一文字が、水蛭子の浮かれていた気分を一瞬で冷やした。

 

 忙しい所を呼び出されて、あんなテンションで迎えられたのだから、咲夜からすればそれは不快である。

 

 一人で寂しくて、気を紛らわすおふざけのつもりだったんですごめんなさいホント。

 水蛭子の内心には謝罪の言葉が浮かんでくるが、しかし。

 

 せっかく来てくれたのだから、交流を深めない手はない!!

 

 ちょっぴり怖い顔をしている咲夜に、水蛭子はなるべくの笑顔を浮かべて話しかけた。

 

「おっ、お話しましょう咲夜さん!!」

「……用件はそれですか?」

「それ以外に何があるって言うんですか。こんな所で一人、霊夢達が来るまで待っていろと?」

 

 怪訝な表情の咲夜に、水蛭子は当然でしょ!と笑みを深めて見せる。

 咲夜はそのままの顔で吐き捨てる様に言った。

 

「本でも読んでれば良いじゃないですか」

「勝手に他人のを読むなんて非常識極まりない!!」

「本の管理をしているパチュリー様がここに居ることを許可しているのですから、特に問題は無いかと」

「……あー」

 

 確かに一理あるなと水蛭子は納得する。

 しかし、今は読書よりお話しがしたい。

 

「でも、やっぱりお話ししましょうよ」

「……わかりました。何について話しましょう」

「あれ? 意外にスムーズだったわね」

 

 近くにあった椅子を引き、スッと腰を落とす咲夜。

 もっと鬱陶しがられるかと思っていた水蛭子であったが、嫌そうな顔せずアッサリお話し体制に入った咲夜にニコニコ顔で話し始めた。

 

「じゃあ、咲夜さんに質問です!!」

「はい」

「咲夜さんって元々何処の人里に居たの?」

 

 前から気になっていた事について尋ねる。

 人の居住地区は幾つかの里に分かれているが、水蛭子の住んでいる里には咲夜の様な子どもは居なかった筈だ。

 恐らく他の里から紅魔館に来たのだろうと水蛭子は推測していた。

 

 その問いに咲夜は少しだけ黙り、瞬きをパチパチと二度繰り返してからゆっくりと口を開いた。

 

「私は……もう人間であることを捨てた身です」

「え?」

 

 咲夜の言葉に首を傾げる。

 人間を捨てたとはどういう事だろう?

 

 確かに彼女は表情が基本的に変わらないので、人間味が薄い印象を受けていた水蛭子ではあるが。だからと言って妖怪的な雰囲気は感じられない。

 

 思わぬ謎掛けに、水蛭子は思考を凝らす。

 

「お嬢様に出会ったあの瞬間から、私は人でも妖でも無く、ただのお嬢様のメイド、十六夜咲夜としての生を受けました」

「はぁ」

「……早い話、昔の事は教えたくありません。別の話をしましょう」

「あ、はい」

 

 単純な拒絶だった。

 

 咲夜にとって昔話はタブーの様だ。

 聞かれたくないことの一つや二つあるわよね、と納得した水蛭子が他に何か話題は無いかと考える。

 

 あ、そうだ。

 

「じゃあ、咲夜さんのあの消えたり現れたりするやつ。あれってどういう原理なの?」

「それは単純に、私自身が音よりも光よりも速い次元で動いてるだけです。移動中は私自身と私に触れている物体は無質量になるので、移動した空間が吹っ飛ぶなんて事は起きませんが」

「はは、ちょっと何言ってるか分かんないです」

 

 一ミリも理解出来ない説明に水蛭子は笑うしかなかった。

 里に居ると気が付かないが、ここは異常が平常の幻想郷であり、人間の常識は通用しない。

 

 この位は普通なのか?と水蛭子が内心首を傾げる。

 

「私にとっては普通ですよ」

「えっ……口に出てましたか?」

「はい?」

 

 焦る水蛭子を見て不思議そうな顔をする咲夜。

 どうやら考えていることを読まれたわけでは無さそうだった。

 

「あなたが変な顔をしていたので、一応と思いまして。人の思考までは読めませんよ」

「で、ですよね」

 

 表情を崩し少しだけ笑った咲夜に、水蛭子は恥ずかしそうに笑う。

 

 

「あなたも、普通の人間では無いんでしょう?」

「え?」

 

 

 咲夜の純粋な問いかけに、水蛭子は考える。

 

 確かに言われてみれば、水蛭子も博麗の巫女候補だった人間だ。

 妖怪を倒す事も出来るし、空を飛ぶことも出来る。

 普通の人間に出来ない事が、水蛭子には出来る。

 

 咲夜の能力を可笑しい様に言ったが、自分もそれほど大差無いのではないのか。

 

 そこまで考え、もしかして自分は咲夜に失礼な事を言ってしまったのではないか、と水蛭子は急に不安になった。

 

「そう、ですね」

「……いやあの、責めている訳ではありませんよ?」

 

 急にテンションを下げた水蛭子を見て咲夜がフォローに入ってくれる。

 

 責めていないというアピールの為か、物凄く優しげな目で見られてる事に異様な罪悪感を覚える。

 

 自分が勝手に落ち込んでいるだけなのでそんなに気を使わないで欲しい。

 

「分かってます。咲夜さんへの配慮の無さに、自分で呆れてるんです……」

「配慮の無さ……? 私は特に気分を害したりしていませんが……」

 

 少し心配そうな表情でいる咲夜に、水蛭子の汚れた心がバシバシと虐げられる。

 

「(うう、やめて……! 最初に出会った時の能面さながらのポーカーフェイスは何処に行ったの!!)」

 

 普通に表情を変化させ始めた咲夜に嬉しく思いながらも、それが自分に気を使っているからだと思うと非常に悩ましい。

 

 水蛭子がうんうんと唸っていると、咲夜が何か思いついた様に両手を合わせた。

 

 

「あ、そうだ。クッキーがまだ残ってるんですが、良ければ食べますか? 少し冷めちゃってると思うんですけど、余ってしまうと勿体無いので……」

 

 

 気が付けば、咲夜がクッキーの入ったバスケットを両手で持っている。

 

 そして謎の上目遣いが水蛭子の双眸を貫いた。

 

 

「ウッ!!」

 

 

 グッと己の心臓を抑え、思わずその場に崩れ落ちる。

 心配そうな視線の上目遣いも然ることながら、問題はその手中の物だ。

 

 冷めちゃってるかも、とか言っていたクッキーは湯気もんもんで明らかに焼きたてである。

 しかもそれを入れているバスケットの受け布がピンク地に白の水玉模様と来たらもう。

 

 最初のクールな印象から一変して咲夜の事がもう滅茶苦茶可愛く見えてきた。

 いや勿論元から可愛くはあるのだが。

 

 水蛭子は女の子の可愛らしい仕草にセラピー作用を感じる体質ではあるが、これは過剰摂取過ぎる。

 

「ウウ…!! ぉぉぉお構いなく……ッ!!」

「どうしたんですか急に」

 

 突然挙動不審になりだした水蛭子に、最初の方に見せた怪訝な表情に戻る咲夜。

 

 丁度良く中和してくれたな……。

 水蛭子は心の中で安堵のため息をついた。

 

「……あ、そうだ。先日から言い忘れてたんですけど、紅茶もクッキーも凄く美味しいです。ありがとうございます!」

「そ、そうですか。いえ、こちらこそ、……ありがとうございます」

「(なんだその嬉しそうな顔は!!!!!!)」

 

 落ち着きかけていた水蛭子の感受性が再び崩壊する。

 

 冷静な返答を取り繕うとして少し頬を赤らめている咲夜は、今の水蛭子にはクリティカルヒットであった。

 

 ちゃんと口の端っこが上がっており、確かな歓喜を胸に抱いてるのが見て取れる。

 

 駄目だ、意識し出したらキリがない。

 

「(落ち着け。落ち着くのよ私……)」

 

 コンニャクの様な精神力を律しようと水蛭子は深呼吸した。

 

「えっと……紅茶、淹れますね」

 

 染めた頬の朱色を残しながら、咲夜が紅茶を淹れようとポットを傾ける。

 

 しかしそれを水蛭子は許さない。

 

 これ以上優しくされたら自分の身が持たん。

 

 制止の意味を込めてブンブンと手を振り、高速で舌を回転させた。

 

「あー! いいですいいです!! 大丈夫なんで!! 今思ったんですけど私みたいな人間に咲夜さんの紅茶を飲む資格なんか無いです!! 勿体無いです!!」

 

 水蛭子の迫真の制止に、咲夜が長い睫毛を下に向けさせながらちょっぴり悲しそうな声を出す。

 

「……そうですよね、私の腕なんてまだまだ未熟。客人に出せるようなモノではありませんでした。それを他でもない、客人の貴女に言わせてしまうなんて……メイド、失格ですね……」

「違う違う違う違う!!!!!!!」

 

 何勘違いしてんだこのフリフリときめき娘は!

 水蛭子が咲夜の言葉を全力で否定する。

 

 謙虚の塊の様なこの少女に、水蛭子は「それもまた美徳だよッ!!」と心の中で叫んだ。

 

「何が、違うのですか?」

「全部!! さっきのは撤回します! 飲めるものなら毎日でもあなたの紅茶が飲みたいです! 是非とも一杯、いや一滴でも大丈夫です! 咲夜さんの淹れた紅茶を私に恵んでください!!」

 

「わあ! それ程までに私の淹れた紅茶を! 咲夜、とっても嬉しいです!!」

「アッ!」

 

 満開の桜が今この場に咲いた。

 彼女の満面の笑顔と言う名の桜が、ね。

 

 水蛭子はその美しさに思わずほろりときてしまった。

 のだが。

 

 

「……このぐらいでよろしいですか?」

「え」

 

 

 突然終わりを告げた甘い笑顔の代わりに、氷の様に冷たい声が水蛭子の鼓膜を貫く。

 

 溢れかけていた涙を拭い、咲夜の顔を見ると、そこには心無しか元のより冷たいポーカーフェイスがあった。

 

 そのままの顔で咲夜が言う。

 

「情緒が不安定過ぎませんか」

「……はい……すみません…………」

 

 急に雰囲気が天国からお通夜である。

 完全に萎縮した水蛭子が床に納められた本の群れを見ながら小さく頷く。

 

「ちょっとノってみたら何処までも駆け上がって行きますね貴女のテンションは。淑女なのですから、流石に自重された方が宜しいかと」

「はい、全くもってその通りでございます」

 

 ドの付く正論に返す言葉も無い。

 気分的には土下座の一つや二つ出来る。

 

 しかしそれはそれでドン引きされそうなので、水蛭子は代わりに深い深いお辞儀をして謝罪の念を咲夜に送った。

 

 

 しかし、直角を超えたお辞儀に、咲夜は何も言わなかった。

 

 流石に呆れられてしまったのか、と床の本の背表紙を眺めながら水蛭子が不安になっていると、前方から紅茶を淹れる音が聞こえて来た。

 

 水蛭子はそっと顔を上げた。

 

 

 そこあったのは、なんとお茶会の会場。

 

 先程まで無かった白の塗装を施された洋風テーブルには淡い水色のクロスが敷かれ、その上には少し豪奢なプレートに乗せられた様々な種類のクッキーと、湯気立つ二つのティーセットが。

 テーブルの中央には赤と桃色の薔薇の束が入った花瓶が置かれており、場の華やかをより一層高めている。

 

 なんという早業……!

 目の前の光景に呆然としている水蛭子に、咲夜が椅子を一つ引き、声をかけた。

 

「どうぞ」

「あ……ど、どうも……」

 

 会釈をして椅子に座る。

 対面に座った咲夜が「どうぞお飲み下さい」とティーセットを手で指す。

 それに従い、紅茶に手を伸ばした水蛭子が、「あれ?」と動きを止めた。

 

 何故なら、ティーカップに入っているのは紅茶というには色が濃過ぎたから。

 

 少なくともさっきまで水蛭子が飲んでいた紅茶とは別物だ。

 頭の上に疑問符を浮かべながら、水蛭子が咲夜へ問いかけた。

 

「あの、これは……?」

「戦いの前ですから、紅茶ではなく甘いココアを用意してみました。砂糖をたっぷり入れてあるので、きっと気分も落ち着きますよ」

「さ、」

 

 咲夜さーーーーん!!!!

 

 

 

 

 霊夢は魔理沙達に先行して紅魔館へ到着していた。

 

「門番、か」

 

 紅魔館は高い塀で囲われている為、屋内に入るには正面の大きな門を通らなければならない。

 本来であれば、現状空を飛んでいる霊夢はそれらを無視する事も出来る。

 

 しかし、霊夢は門前にある一つの影を確認すると、ため息を一つ吐いてストンと地面へ降り立った。

 

 

「……来ましたか」

 

 

 霊夢の気配を察して陰が組んでいた腕をゆっくりと解く。

 

 艶やかな紅の髪に、着古された翠の旗袍から伸びた長い四肢。

 閉じた二つの瞼からは、確かな視線を感じた。

 

 周囲に緊張の糸が張り巡らせているその妖怪を見て、霊夢は瞼の下をピクリと動かし目を細めた。

 

 

 妖怪──紅美鈴は、紅魔館における元メイド長であり、現門番である。

 紅魔館の主、レミリア・スカーレットが直に握り締めている従者の内の一人だ。

 彼女にとってレミリアからの命令は絶対であり、その身が朽ちようとも抗うことは出来ない。

 

 故に、美鈴は思考する。

 

(『負けなさい』……か)

 

 レミリアの非情とまでも言える命令に、その日から数日経った今でも悩んでいた。

 既に頭では理解している。

 

 だが心が、理解してくれないのである。

 

 己の力を全て出し切って敗れたのなら、構わない。

 しかし手を抜いた上、相手に勝利を譲るなどということを紅美鈴に宿った武人の心は肯定しない。

 

 鍛えてきた彼女の鉄の如き信念が、絶対である主人の命令をも弾いてしまっているのだ。

 

「……ぁー」

 

 困った。

 理由が、今この瞬間まで見つからない。

 

 良いアイデアが思いつきそうなのだが、思いつけない。

 歯痒い思いに美鈴は眉をギューッと寄せた。

 

「んんー……」

「何よ、一人で唸って。気色悪いわね」

 

 霊夢は訝しげな表情をしながらお祓い棒を手の内で弄る。

 無視して行くのも忍びなかったので止まったが、もう放っておいて行ってしまおうかと思い始めた時。

 

「あっ!」

「あ?」

 

 美鈴が飛び出させた声に、霊夢は眉を寄せながら首を軽く傾げた。

 

「そうだそうだ! この手があった!!」

「どの手よ……」

 

 不機嫌そうな声色で言う霊夢と対照的に、美鈴はニコニコとした笑顔を浮かべる。

 未だに閉じられた瞼をそのままに、唇だけがゆったりと動いた。

 

「いやー、我ながら名案だわ」

 

 長い睫毛が一瞬のしなりを見せ、その刹那極彩色の瞳が姿を現す。

 美鈴は目の前の霊夢を見て、何度か確認するかの様に瞬きすると、「あっ」と声を洩らしてから言葉を紡いだ。

 

「忘れ……いや、考え事してました!」

「今忘れてたって言いかけたなアンタ」

「そそそそんなことないですよ」

 

 頭が痛くなってきた霊夢を余所に、美鈴は穏やかな表情のまま拳と掌を合わせ、軽いお辞儀をした。

 

「申し遅れました。わたくし、紅に美しい鈴と書いて、紅美鈴と申します」

「え? なに? 本みりん?」

「それでもいいですよ」

「いいんかい」

 

 わざとらしく聞き返した霊夢にニコリと微笑みながら頷く美鈴。

 振り回された分、少々からかってやろうと思っていた霊夢だったが、どうやら相手の方が幾分上手らしい。

 

 軽い舌打ちしたのちに、霊夢はお祓い棒を薙ぐように前方へ構えた。

 

「……まぁどうでもいいわ。さっさとかかって来なさい」

「 おや、博麗の巫女はとても優しい心の持ち主だと聞いてましたけど、随分素っ気ないんですね」

 

 鋭い目をした霊夢を見て美鈴は意外そうに目を丸める。

 

 その言葉に霊夢は訝しげに眉をひそめた。

 

「誰がそんなデタラメ言ってたのよ。それが本当だとしても、博麗の巫女(わたし)がアンタら妖怪に優しくするとでも思ったの?」

「んー、人妖分け隔てなく接するお方とも聞いてたんですけどね」

 

 うげぇと表情を歪めた霊夢が心底迷惑そうに言葉を吐き出す。

 

「だから、誰がそんな事言ってんのよ。風評被害もいいとこだわ」

「本人は貴女の幼馴染と言ってましたよ」

 

「は?」

 

 美鈴の言葉に、霊夢の思考が停止した。

 

 幼馴染?

 自分の?

 博麗霊夢にとって、幼馴染と言える者はそんなに何人も居ない。

 というより、(ただ)一人である。

 

 

「八十禍津の水蛭子さんって知りません? 彼女、貴方のこと一番仲の良い親友だと仰ってましたよ」

 

 

 微笑みながら放たれた美鈴の言葉に、霊夢は全身が締め付けられる様な感覚に陥った。

 

 目を限界まで見開き、わなわなと唇を震わせる。

 

「なん、……で」

「なんでって、そりゃ……あれ? もしかしてコレって言っちゃいけないことでした?」

 

 疑問符を浮かべた美鈴を、霊夢はただ呆然と見ていた。

 

 




咲夜さんの能力の質量が云々というのは東方公式書籍「東方茨歌仙」参照です。
他にも幻想郷には人喰い妖怪の為の人間牧場があるとか。
茨歌仙は結構「え、そうだったの!?」みたいな情報がポッと出てくるから面白いですね。



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第十四話 魔女は神になれるか?

 

 本だ。

 本、だらけだ。

 本しかない。

 

 無限にも続いてるかのように列を成す巨大な本棚の群れ。

 それに加えて、壁や床、天井すらもが本で埋め尽くされている。

 本地獄と呼称しても問題ないであろう程の量の本が、この広大な部屋を埋め尽くしていた。

 

 

 魔理沙は目の前に広がっている光景に、呆然と立ち尽くす。頬が赤らんでいるのから察するに、その感情は興奮だった。

 一緒に着いてきたチルノも最初は物珍しそうにしていたが、魔理沙があまりに長い間固まっているので、つまらなさそうに本を積み上げて遊んでいた。

 

「私は、夢を見ているのか?」

「あたい多分違うと思う」

 

 やっと声を捻り出した魔理沙に、チルノが唇を尖らせながら答える。

 彼女は固まる魔理沙に何度か話しかけたのだが、それを悉く無視をされ、少し不機嫌になっていた。

 

「本が、こんなに……ッ!!」

「こんなの焚き火の燃料にしか使えないよ」

「はぁ!? お前なんてこと言うんだ!!」

「だって字ぃ読めないし! 魔理沙も無視するんだもん!! あたい本嫌い!!」

「な、なな……っ」

 

 あまりの物言いのチルノに、魔理沙は口をパクパクとさせて再度驚きに顔を染める。

 

 魔理沙は大の本好きである。

 然るに、本を嫌いと言う者は驚愕の対象に値する。

 それも、自分のせいっていうのが効いた。

 

 魔理沙は慌てて辺りを見回し、挿し絵が多そうな本を何冊か本棚から抜き取ってチルノの前に積み上げた。

 

「ご、ごめんって! ほら、お姉さんが絵本読んでやる! お願いだから本の事を嫌いにならないでくれぇぇ!!」

「ホントに?!」

 

 割りと全力で懇願した魔理沙に、チルノは先程の発言が嘘であったかの様に大きな目を輝かせ、分かりやすい歓喜の色を顔に浮かばせた。

 まるで、幼児園児の様なチルノの笑顔を見て、魔理沙は一瞬呆気にとられながらも自身も表情を綻ばせる。

 そして本の床に腰を落とし、自身の膝を叩いて口を開いた。

 

「よーし、ほれ、ここに座りな」

「わーい!」

 

 胡座をかいた魔理沙の懐に入り込み、チルノがウキウキした様子で腕を上下させる。

 やっぱり可愛いなぁとニコニコしつつ、魔理沙は絵本を開く。

 

 その時、魔理沙の耳元で誰かが囁いた。

 

 

「盗っ人か。それともここは今日から保育所にでもなったのかしら?」

「ーーーッ!!」

 

 

 チルノを脇に抱え、魔理沙は一瞬でその場から距離を取る。

 そして素早く振り返り、先程まで自分たちの居た場所を凝視した。

 

 しかし、そこには積み上げられた絵本の山があるだけで、誰も居ない。

 魔理沙はこめかみからじわりと汗が垂れるのを感じながら、緊張気味に呟く。

 

「……誰も、居ない?」

「居るわ」

「うわぁぁぁ!!」

 

 先程の声と同じ声が、今度は背後から聞こえた。

 叫び声を上げつつ振り返ると、そこには『紫』が居た。

 

 紫の髪。

 紫の服。

 紫の瞳。

 

 完全なる無表情でそこに佇んでいた少女は、自身の胴ほどもある大きな本を抱えていた。

 よく見てみると、その本も黒いようでちょっと紫がかっている。

 

 紫の少女パチュリー・ノーレッジは表情を崩すことなく、しかし口調は意外そうに喋りはじめた。

 

「ふーん? 博麗の巫女が来ると思ったんだけど、貴女は……ただの人間ね」

「……へっ、そうだよ。霊夢が居なくたって、お前らなんざ私一人でどうとでもなる」

「あんなビビッといて良く言うわ」

「うぐっ!」

 

 痛いところを突かれ、魔理沙が表情を歪ませた。

 小脇に抱えられたままのチルノが、パチュリーと魔理沙の顔を交互にみる。

 

「はっはーん! アタイ判っちゃった!! アンタが赤い雲のゲンキョーね!!」

 

 チルノは顔を綻ばせ、嬉しそうな大声を出しながらビシィッとパチュリーを指差した。

 その突然の指摘にパチュリーは「え」と軽い驚きの声を発してから、「違う違う」と右手を左右に振る。

 

「確かに私も片棒担がされてるけど、黒幕は私じゃないわ。あんな雲があっても私に何もメリット無いし」

「くっそー、惜しかったわね」

 

 何処らへんが惜しいのかは分からないが、悔しそうに手を握りしめるチルノに「ないない」としつこく腕を振るパチュリー。

 そんな光景に魔理沙は頭の後ろで手を組みながらニヒルに笑い口を開いた。

 

「ま、黒幕じゃなくたって大して変わりゃしないぜ。敵っぽいヤツは全員ぶっ飛ばせば良いんだからな」

「うーわ野蛮だわー」

 

 担いだ箒を頭の上でグルリと回し、持ち手の先端を正面に構えた魔理沙は悪戯的に口を歪ませる。

 それを見てパチュリーは真顔を保ったまま、声色だけをドン引きさせて呟いた。

 

「まぁ、何処からでも掛かって来なさいな。多分貴女じゃ、私に勝つのなんて到底不可能だと思うけど」

「やってみなきゃ、分かんねぇだろ?」

 

 瞬間、バチリと二人の視線が弾け合う。

 

 相変わらず魔理沙の脇に挟まれてるチルノは、先程と同じ様に二人の顔を交互に見、そしてパチクリと瞬きを二回する。

 

 それが合図だったかのように、魔理沙が動いた。

 

「喰らえ!!」

 

 白の奔流。

 

 魔理沙が何処からか取り出したマホガニー製の杖(タクト)を揮うと魔法で象られた無数の弾丸が出現し、ガトリング砲の要領でパチュリーの元へ殺到する。

 亜音速のそれを正面に出した掌で受け止めつつパチュリーはゆったりとした『詠唱』を始めた。

 それはたった四口。

 

「『水流』」

 

 虚空から出現した水の流れが、まるで生き物の様にパチュリーの周囲を一周し、そして彼女の正面の空間にドロドロと積み重なっていく。

 粘性を持っているようにも見えるそれは、パチュリーの背丈の二倍ほどになると膨張を止めた。

 

「おいおい、イキナリ防御かよ。妖怪が聞いて呆れるぜ」

 

 魔理沙の魔弾がスライムのような水の壁に着弾すると、少しめり込んだだけで弾けて無くなってしまう。

 面白くなさそうに表情を顰める魔理沙に、パチュリーは真顔のまま肩を竦める。

 

「恐いわ〜。いきなり弾丸の雨を降らせるなんて異常よ。普通の人間なら五センチ刻みのミンチになっちゃってるわね」

「人にはやらないから気にすんなって」

「そうじゃないと困るわ」

 

 楽しそうに笑う魔理沙にパチュリーは変わらない真顔で返す。

 ここで、宙へ放られていたチルノがドチャッと顔面から着地した。

 

「まだまだ行くぜ」

「……」

 

 呻くチルノを無視して、魔理沙がタクトを振るう。

 すると空中にストックされていた魔弾は先程と動きを変え、パチュリーの周囲を蠅の如くビュンビュンと飛び回り始めた。

 

 飛び交うソレをパチュリーは何もせずにボーッと眺めている。

 

「ほい」

 

 スナップを効かせて素早くタクトを翻らせると、宙の魔弾が一度停止し、その弾頭を一斉にパチュリーの方へ向けた。

 

「そらっ」

 

 袈裟斬りの要領でタクトを振り下ろすと、全方位、回避不可能である筈の魔弾が次々と射出されていく。

 しかし、弾丸はパチュリーやスライムの元へ到達する前に勢いを無くし、ポトポトと床に落ちてしまった。

 

 それらをぐるりと一瞥すると、パチュリーは魔理沙へ視線を向け彼女を諭す様にゆったりとした口調で言葉を発する。

 

「やっぱり、貴女じゃ無理よ。あまりにも魔法というものを理解できていない」

「まだ判断するには早いだろうがって」

 

 憐れむような目をして見下した態度をとるパチュリーに、魔理沙は青筋を浮かべて声色を尖らせる。

 

 人間でありながら魔法を扱う魔理沙には彼女なりのプライドがある。魔弾やレーザー等の単純な魔術を好み、属性魔法は不粋であると肯定しない。

 「接近戦は苦手」と自称する魔理沙だったが、実を言うと対魔法使いの戦闘履歴も殆ど無く、ましてや媒体を用いなくとも魔法を行使することが出来るパチュリーの様な魔法使いとは、敵対したこともない。

 

 自身の力が寸分も通用していない。

 こんな事は、初めてだった。

 

「ッ!!」

 

 何故だか無性に、腹が立つ。

 脳を直接掻き毟られている様な感覚が魔理沙に襲い掛かった。

 

 ムカつく ムカつく ムカつく

 

 魔理沙の思考が、グチャグチャに掻き乱される。

 もはや彼女は冷静な判断をすることが出来ずにいた。

 

「くそっ!!」

 

 握りしめていたタクトを床に叩きつけ、床が本で構成されている事も最早思考の範疇に入っていない魔理沙は、力任せな地団駄を踏んだ。

 

「あ゛ーーーッ!!!!」

 

 痒い 痒い 痒い

 それを治めようと、グチャグチャに頭を掻き乱す。

 

 まるで、何かに頭が蝕まれている様だ。

 ボーッとする思考と霞む視界に、なんとなくの違和感を覚えた魔理沙は、呼吸を荒くしながらパチュリーを睨みつけた。

 

 

「てめぇ。アタシに何しやがった……ッ!」

「あら、気付けたのね。思ってたよりやるじゃない」

 

 

 驚愕の声を上げたパチュリーは胴に抱いていた本を手放した。

 本は床につく前に宙に浮かび、パチュリーの背後に落ち着くとそのまま動きを止める。

 

「人間は、精神干渉に弱いの。受け付けてしまったらそれでお終い。効かない人間は割りといるけれど、貴女みたいに受け付けて、途中で目覚める人間はそうは居ないわ。スゴいわね」

「うるせえ、調子乗ってんじゃねぇぞ」

 

 疼きが治まってきた魔理沙は遠めに落ちたタクトを拾うためにジリと横に進み始める。歩を進めながら、頻りに瞬きをさせてボヤけていたピントを元に戻す。

 クリアになってきた視界の先に立つパチュリーは一切の挙動を見せずに、ただ移動する魔理沙をジッと見ている。

 

「……はー」

 

 タクトを拾い上げ、さてと思考を落ち着かせる。

 

 魔法を扱う時は魔力を扱う媒体が必要となる。オーソドックスな所を言えば魔理沙が愛用するタクトが主流だ。

 そういった媒体をプラスアルファとして土や水等を指定した場合、属性魔法と呼ばれる域に到達する。

 

 しかし、コイツが今した事は?

 精神干渉なんて、宗教や性魔術の類でしか見られない、魔法とも呼べない不安定な代物の筈だ。それをあれ程迅速かつカンタンに、完全に自由に、そして相手に気付かれることなく扱うなんて。

 人間は勿論、今まで出会ったどの魔法使いも到底及ばない。

 

 コイツは、正真正銘の化け物だ。

 

 自分の得意とする魔法は目の前のコイツには通用しない事は分かった。今の自分がどうやっても敵わないことも。

 

「魔理沙」

「ああ、チルノ。そう言えば居たな」

「そう言えばってなんだよー!」

 

 立ち尽くす魔理沙の隣に飛んできたチルノが降り立つ。

 すっかり存在を忘れていた魔理沙は、驚いた表情でチルノを見た。そんな魔理沙の言葉にチルノは不機嫌そうに本の床を強く踏む。

 

 しかしチルノは直ぐに表情を真剣なモノに変え、口を開いた。

 

「魔理沙、あたいも戦うよ」

「はぁ?」

 

 確かにこの魔法使いには勝てない。

 だから魔理沙の魂胆としては、大将の霊夢が来るまでどうにか粘り、そんで代わりにやっちゃってもらおうと思っていた。

 しかし目の前の妖精は明らかに雑魚のポジションであるにも関わらず、大ボスと戦おうとしている。

 妖精は基本的に頭ん中フワフワのノーテンキばっかりだ。

 加えて妖精という存在自体が妖怪と概念の中間に位置し、例え命を落としてしまっても時間を置けば何食わぬ顔で『復活』する。

 故の命知らず。

 人とは感覚が違い過ぎる。

 

「……ハンッ、止めとけ止めとけ。どーせ痛い目みるだけだぜ」

 

 魔理沙はそんなチルノを鼻で笑うと、無理無理と手を振った。

 

「そんなこと無い! あたい、サイキョーだもん!!」

「はーん、最強ね」

「うん! あたいと魔理沙が手を組めば、誰にも負けないって!!」

 

 魔理沙はチルノを見た。

 

 目が輝いている。

 彼女は、自分がどれ程の弱者であるのかを理解していないのだ。

 だからこそ、これほどまでに純粋な瞳をしていられる。

 

 人間である以上、どうやっても考えることが出来ない程の無垢が、そこにあった。

 

 魔理沙は苦笑混じりに口を開く。

 

 

「……そうだな。イッパツやってみるか」

 

 

 その言葉を聞くと、チルノは明るい笑顔で頷いた。

 それを見て、魔理沙もニヒルに笑う。

 

 パチュリーが真顔のまま、口を開く。

 

「さっさと、終わりにしましょう。貴女達も帰って寝たい時間帯でしょうし」

「ハッ、生憎私は勉強家でな。アンタ相手に自分が何を出来るか、た~っぷり実験させてもらうぜ!!」

「魔法使いって食べる事も寝る事もしなくていいんだってね? 喜びなさい! このサイキョーたるあたいが、直々にコールドスリープさせてあげるから!! 何年ぶりのオヤスミかしら!?」

 

 魔理沙がスッ飛んできた箒を片手で掴み、そのまま図書館の空中に飛んだ。チルノがそれに続き飛行する。

 

 パチュリーはそれを見て首を傾げつつ、二人を指差し『詠唱』した。

 

「『拘束』」

 

 ジャリッと音を立てて虚空から射出された二本の鎖が二人を追従する様に飛んだ。

 魔理沙とチルノはそれを巧みに躱し、パチュリーの方へ身を翻してそれぞれが仕掛ける。

 

「はぁ!」

「うらーッ!!」

 

 魔理沙がタクトを振ると彼女の周囲から魔弾が出現し、それがパチュリーの元に次々と放たれていく。

 先程の弾丸の様な魔弾とは違い、今度は単純な丸型。テニスボール大の魔力の塊がパチュリーを襲う。

 

 チルノが両手をパチュリーの方へ突き出すと、同時に彼女の周辺に細やかな氷の粒の群れが舞い始める。チルノを発生源とした所謂霰が、まるで意思を持っているかの様にパチュリーの元へ殺到した。

 

 パチュリーは右腕を振り払う事でそれらを吹っ飛ばし無力化すると、ポツリポツリと言葉を紡いでいく。

 

「『加速』『変則』」

 

 パチュリーの言葉に従い、魔理沙とチルノを追っていた鎖がその速度を上げガクンと明後日の方向へ軌道を変え、そして闇に支配された部屋の奥へと飛んでいってしまった。

 

「何やってんだアイツ」

「プークスクスッ! あの魔法使いオツムがちょっとアレみたいね! こりゃラクショーだわ!」

 

 訝しげな表情の魔理沙と、対象的にニヤケ顔のチルノ。

 それぞれがそれぞれの反応をし、それからパチュリーを見下ろした。

 

 二人を見上げるパチュリーは、真顔のままだ。

 それを見て更に眉間に皺を寄せた魔理沙が、遠くから聞こえた空気の裂ける音に気が付いた。

 

「……っ!? 避けろチルノ!!」

「え? ウボァッ」

 

 瞬間、チルノの身体がくの字に曲がって吹っ飛ぶ。

 

 バチンッと破裂音にも近い荒っぽい音を立たせてチルノの身体に巻き付いた鎖が、ギチギチと嫌な音を響かせてチルノの肌に食い込んでいく。

 寸前で回避した魔理沙はその様子に冷や汗を垂らすが、直ぐに行動に移った。

 

「大丈夫かチルノ!」

「無理無理無理無理!! あ゛い゛だだだだだーーーッ!!!!」

 

 なんちゅう加減の無さだ。

 

 チルノの顔が赤くなり、そして青ざめ、現在は土色になっている。

 それ程鎖の束縛がキツいモノであることを察し、魔理沙は酷く焦った様子でチルノに巻き付く鎖を掴む。

 

「くっそ、どうなってんだコレ!! 全然取れねぇ!!」

「……ぁ、まりさ、あたいもうだめ」

「耐えろチルノ! 今私が助けてやるからな!」

 

 思いつく限りの魔法を鎖に打ち込む。

 しかし鎖は全く壊れる様子が無く、遂にチルノの口から泡がブクブクと溢れ始めた。

 

「ヤバいヤバいヤバいヤバい!!」

「諦めなさいな。どうせ妖精の命なんてあって無いようなモノなんだから」

「うるっせぇんだよさっきから!! イチイチ癪に障る言い方しやがって!!」

 

 パチュリーの冷淡な言葉に意識をやったその時。

 

 

 ぴちゅーん

 

 

 と、音が鳴った。

 魔理沙が振り返ると、そこにはもう誰も居ない。

 

「……ぁ」

 

 使命を失い落下する鎖を眺めながら、魔理沙は呆然と目を見開いた。

 

 

 

 



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第十五話 幻想を追い求める少女

 

 

 目の前の魔法使いに抱く激情は、憎悪。

 自身に覆い被さる感情は、後悔。

 

 ギリギリと歯切りを立て、握り締めた手の内から鮮血がボタリボタリと流れ落ちる。

 踏み舐った鎖は粉々に砕け、ただの金属の欠片と化していた。

 

「殺すことは無かっただろ」

 

 ポツリと、しかしハッキリとした口調で魔理沙が言った。

 何の感情も篭ってないかのように、単調なものだ。

 

 だが、彼女の身体は震えていた。

 

 チルノとはそれ程親しい仲ではなかった。それでも、彼女の純粋な感情や表情、言葉を、心地良く思っていたのだ。

 少しの間ではあったが、魔理沙は彼女に確かな信頼を芽生えさせていた。

 

 魔理沙にとって、親しい知り合いが亡くなったのは初めての経験だった。十年と数年。

 彼女が生きてきた短い時間で、そう言った経験が無かったのは奇跡だった。

 

 死を、目の当たりにしたのは、初めてだった。

 

「なんでだ」

 

 俯かせていた顔を上げ、紫の魔法使いを睨みつける。

 

「なんで殺した」

 

 魔理沙は溢れる涙を拭うこともせず、ただただ平坦で、感情の篭っていない言葉を、パチュリーへ投げ掛ける。

 

 パチュリーは無表情で、簡潔に一言発する。

 

 

「貴女も、死んでいたわ」

 

 

 ゾクリと、全身の毛が逆立った様な錯覚に陥った。

 

 それまで抱いていた怒りも、悲しみも、全てが吹き飛ばされた。

 魔理沙は一瞬にして戦意を喪失させ、一歩ニ歩と後退る。

 

「なん……だと……」

「貴女は運が良かったのよ。貴女もあの鎖に捕まっていれば死んでいたわ。最も、実体を持っている分、もっと残酷な壊れ方が待っていたでしょうけどね」

 

 膝が、指先が、唇が、震える。

 今度は、怒りでも、悲しみでも無く。

 目の前の化け物に対しての、純粋な恐怖で。

 

「ふざ……ふざけんな」

「全身の骨が複雑に砕けて身体を廻る流血が一気に止まれば、どんな感覚に陥るか知ってる?

 何も感じないのよ。特に、痛みに慣れていない貴女の様な小童はね。

 脳が認知しようとしないの。

 それに伴う痛みも感じることが出来ないの。

 だから、苦しいなんて思わなかったでしょうね。

 ただただ、感覚を失った身体に戸惑いながら、貴女は墜ちるの。

 それから上手くいけば首の骨が折れるわね。

 でも安心して。最早それすらも大した痛みに感じないでしょうから。

 もし仮に痛くなったら、沢山叫んで? そうすれば私が脳のシナプスを書き換えて痛みを遮断してあげる。

 あ、そうそう、貴女オチ癖って知ってる? 首を絞められた時に自身の血流をある程度操る事によって、脳へ送る血中酸素を極端に少なくするの。そうすれば苦しまずに、直ぐに気を失えるってわけ。

 死ぬのも同じよ。受け入れれば、直ぐだわ」

 

 そこでパチュリーは穏やかな微笑を浮かべて。

 

「受け入れなさい、有象無象の人間よ。貴女はここに来るべきでは無かった。貴女という存在は、ここで終わるの」

「ーーーッ!!」

 

 反転し、逃げようとして、転ける。

 ゴチンッと、アゴを強く打った魔理沙の視界はチカチカと明暗を繰り返し、彼女の思考をますます焦らせた。

 

「逃げなくても良いわ。苦しいのはほんの一瞬よ」

「ひっ……!」

 

 乾燥した喉は悲鳴すらまともに上げられない。

 クラクラとした思考のまま、がむしゃらに後ろへ後ろへと這っていく。

 

 パチュリーの歩幅は今のところ狭い。立って、走って逃げれば容易に距離を取れるだろう。

 しかし、今の魔理沙にはそういった当たり前の判断もすることが出来なかった。

 

「た、たすけ……」

「うーん、そうねぇ。ついさっきウチの門番が博麗の巫女と戦闘を始めたって伝令があったし、助けてもらうってのは望み薄じゃないかしら?」

 

 非情なパチュリーの言葉に、魔理沙の感情は絶望へと染まっていく。唯一の助けの綱が途切れたのだ。

 もはや絶対絶命。物語であれば、ここでヒーローが登場して、目の前の悪党を懲らしめるのだろう。

 

 魔理沙は半ば諦める。

 そんな都合の良い事、ある訳が無い。

 あるとしたら……。

 

 そう、先代の博麗の巫女が現役だったならば、自分は助かっていただろう。

 しかし、あの人はもう居ない。

 あの人が正義の味方であった時代は終わったのだ。

 

 ここで、終わりなんだ。

 

 魔理沙の頬につうと涙が流れ、そしてポツリと床に収められている本に落ちた。

 

 

 同時に、声が聞こえた。

 魔理沙でもパチュリーのものでもない声が。

 

 

「殺すのは規約違反です。パチュリーさん」

「ぇ……?」

 

 

 背後から聞こえた声に流れていた涙が止まる。

 

 振り返った魔理沙の視界に、先代の博麗の巫女とよく似た灰色がかりの黒髪が宙を流れた。

 

 身の丈より長い棍を肩に担ぎ、淡い水色とうぐいす色の着流しを身に纏った少女は、図書館の闇から悠然と姿を現す。

 

 彼女は腰を抜かしている魔理沙を見ると優しげに、そして悪戯的に笑った。

 

 鯉の様にパクパクと口を開け閉めさせている魔理沙が、こんがらがった思考をどうにか整えようとして、失敗する。

 

 何故?

 

 何故彼女が、ここに居る?

 

 

「超絶可愛い正義の味方、八十禍津水蛭子ちゃんただいま参上仕ったわ。えーと三日ぶりかしら、元気してた魔理沙?」

「……ひる、こ?」

 

 

 山吹色の双眸を煌めかせながら、八十禍津水蛭子はバッチーンとあざとめのウィンクを飛ばした。

 

 

 

 

「あ、あのー?」

「……」

「あの、博麗の巫女さーん?」

 

 霊夢はかつて無い程の焦燥に駆られていた。

 目の前で困った顔をしながらこちらに話しかけている妖怪が、自分の幼馴染と話したと言ったからだ。

 

 まだ、知っている妖怪なら良い。

 しかしコイツは異変首謀者の手下で、良い奴な訳がない。

 一応一度見た妖怪はある程度記憶している脳内妖怪図鑑には該当しない妖怪で、素性も全く分からないのだ。

 しかも何か変な格好をしてるし。

 

 水蛭子をここ三日ほど見なかった理由もこれか。

 

「んん?」

 

 変な格好と言えば、霊夢は美鈴の着ている服装を見て妙な引っ掛かりを感じていた。

 真っ赤な髪。緑の変な服と帽子。高めの身長。

 

 ふむと、少し考える。

 

 確か、霧の湖で人里の子どもを助けた妖怪がそんな特徴だった気がする。

 数日前の事だし、そこまで興味も無かったので良くは覚えていないが、確かにそんな感じだった筈だ。

 

「……ねぇアンタ。ちょっと前に人間の子どもを妖怪から助けなかった?」

「え、助けましたけど……はは、水蛭子さんと同じ事を聞くんですね」

「気安く水蛭子の名前を口にしないでくれる? あの子が穢れちゃうでしょうが」

「えぇ……?」

 

 過剰な返答に美鈴は思わず口の端を引き攣らせる。

 水蛭子から聞いていた人物像と本物が違い過ぎて若干引くレベルだ。

 あの少女には一体何か見えていたんだろうか。

 

「ということは。水蛭子は霧の湖でアンタを無事に見つけた訳ね」

「どっちかって言うと私が彼女を見つけたんですけどね」

「うるっさいわねそんな事誰も聞いてないでしょうがぶっ飛ばすわよ」

「怖ッ、え、えぇー!? 滅茶苦茶気性荒いじゃないですか!! 全然聞いてたのと違うんですけどー!!」

 

 霊夢からの視線を避ける様に後退した美鈴がひぇぇと情けない声をあげる。

 ちょっとヤンチャな高校生に絡まれる中学生の様相に似ているかもしれない。

 

 そんな美鈴に霊夢は表情を少し緩ませた。

 

「で、アンタさ」

「あ、はい。なんでしょう」

 

 霊夢は気の抜けた表情のまま問いかける。

 

「水蛭子をどこにやったの?」

「……なに?」

 

 質問の意味が理解出来なかった美鈴は聞き返す。

 美鈴は例の会議があった日から水蛭子には会っていない。

 何処にやったと言われても普通に知らなかった。

 

「ええっと、何処にやったとは?」

「しらばっくれるんじゃないわよ。水蛭子とはここ三日くらい会えてないの。里の人達に聞いても知らないの一点張りだし、残る可能性としてはアンタらくらいしかないじゃない」

「うーん、そんな事言われましても……彼女を館に置いててもメリットとか無いですし……」

「じゃあアンタ個人が水蛭子を監禁しているんでしょ! 見るからに変態的な格好してるし、絶対そうだわ!」

「変態的!? し、失礼な! この格好の何処が変態か!! そういう貴女だって脇ガッバーって開いた変態ファッションしてるじゃないですか!!」

 

 ふわっふわの推理なのに怒涛の勢いで攻め立ててくる霊夢のお口に、ちょっとキレながら反論する美鈴。

 彼女の主張の方が明らかに正論であり、パワーがあるのだが、トランス状態に陥っている霊夢には全然意味を為していない。

 

 寧ろ意見を突っぱねられるのが嫌いな霊夢はあぁん?とガン飛ばしながら肩で風を斬って美鈴へ近付いていく。

 そして少し身長が高い美鈴を見上げるようにしてその顔を睨み付けると、ピタリと動きを止めた。

 

「な、なんですか」

「……どうやら嘘はついてないみたいね」

「へ?」

 

 いきなり落ち着き出した霊夢に困惑しつつ、美鈴は小首を傾げた。

 コイツ気が触れているんじゃないかと彼女の気を探ってみるが、どうやら単にものすごくマイペースなだけらしい。

 

「なんか戦う気も失せちゃった。今回は特別に見逃してあげるわ」

 

 美鈴に向かってじゃあねと右手を軽く振ると、霊夢は門をピョーンと飛び越え、紅魔館へ軽々と侵入していった。

 

 その後ろ姿を呆然と見ながら、美鈴はゴクリと生唾を呑み込み冷や汗を垂らしながら口を開いた。

 

「博麗の巫女……なんて恐ろしいヤツだ……」

 

 自分も相当にマイペースだと自負していた美鈴が、初めてその分野で負けを認めた瞬間であった。

 

 

 

 

 身体全体に安堵が染み渡っていくその感覚に、恐怖の元凶であるパチュリーがまだそこに居るにも関わらず、硬直していた筋肉が緩んでしまう。

 

 しかし、水蛭子が来たところで状況は変わっていない。

 この魔女の圧倒的な力には、水蛭子では敵わないと目に見えている。

 

 だが、しかし。

 自分のピンチに颯爽と現れ、冷血な魔法使いに向かって歩いていく少女の後ろ姿に魔理沙は。

 

 確かに、先代巫女の面影を見た。

 

 

「水蛭子、ダメじゃない。博麗の巫女が来るまで奥の方で待ってないと」

「いやぁ、そのつもりだったんですけど、こっちの方からなんか鎖が飛んできたんで何があったのかなーって思いまして」

 

 

 水蛭子は笑顔のままそう言ってから首を鳴らす。

 よく見るとその笑顔は歪なモノであり、普段の穏やかなソレとは凡そ違っている。

 それに違和感を感じたパチュリーは、眉を顰め彼女の名前を呼んだ。

 

 

「……水蛭子?」

「妖怪は人間を、人間は妖怪を悪戯に殺めてはいけない。それが、幻想郷の賢者と博麗の巫女が築いたこの地の秩序なんです」

 

 

 細めていた目を開くと極限まで小さくなった真っ黒な瞳孔が露になる。

 その瞳に浮かぶ感情は、怒りだった。

 

 困った様に微笑んだパチュリーが、諭すような口調で水蛭子を窘めた。

 

 

「何を言ってるのよ。この人間を殺そうとした事がそんなに嫌だったの? 大丈夫、冗談よ。私も百余年は生きているんだから、善悪の分別くらいは出来ているつもりだわ」

「嘘ですね」

 

 

 冷え切った声で水蛭子が言った。

 開かれた双眸は瞬きをすることも無く、ただただ紫色の魔法使いを視界に収め続ける。

 

 

「小さな頃からずっと、妖怪は信用はしちゃいけないって母から教わってきました。私はそんな考え方に疑問を持ちながら、人と妖怪、分け隔てなく仲良くする様に努力してきました」

「仲良くできてるじゃない。妖怪の友人も居て、八雲紫とも気軽に話せる仲なんでしょう? 貴女は立派に自分の考えを貫けているわ」

「でも」

 

 

 食い気味に水蛭子が口を開いた。

 

 

「……でも、母は正しかったんです」

 

 

 そう言った水蛭子は、真顔に哀しみを孕ませた。

 

 

「小さな頃、仲良くしてくれる妖怪の女性が居ました。美人で気立てが良くて、妖怪だからと里の人に白い目で見られても気にしていない様に振る舞って、何時も笑顔で。そんな彼女の人柄に惹かれる人も多くて、子どももつくれないのに彼女へ求婚する人間の男性も居ました」

「へぇ、随分と人の社会に溶け込めていたのね。人と妖怪の楽園とは良く言ったものだわ」

 

 

 関心したように頷くパチュリーの言葉に反応せず、水蛭子はそのまま話を続ける。

 

 

「ある日、ご飯を作ってあげると言われて彼女のお家にお邪魔したんです。そしたら、背後からいきなり首を絞められたんです」

「へえ」

「その時母が助けに来てくれて事なきを得ましたが、それから私は母に言われた通り、妖怪を信用するのを止めました。同時に、もっと強くならなければいけないと思い、母や自警団の人達に棒術の指南を受けました。

 それから、博麗の巫女に選ばれなかった私は自警団に入り、毎日の様に人里の周辺をパトロールしました。人が襲われていれば助け、明らかに害のある妖怪は退治しました。

 当時親しくしてくれる妖怪は何人か居ました。しかし、その内の半分以上は私を食べようとしてきたので、殺しました」

 

 

 パチュリーから視線を外し、床にヘタったまま黙っていた魔理沙を見る。

 先程浮かべていた恐怖の表情を消し、真剣な顔をしてこちらを見ていた魔理沙を見て、水蛭子は少しだけ微笑んだ。

 

 

「人間は、妖怪達にとって格下の存在なんですよね」

「まぁ、一部例外は居るけれど、基本的にはそうね」

「何時でも殺せるって、そう思っているんですよね」

「出来るか出来ないかと言われれば出来るけど」

「それじゃあ」

 

 

 一度呼吸を置き、再度口を開く。

 

 

「それじゃあ、楽園とは言えないんです。幻想郷とは言えないんです。人と妖怪が手を取り合って、共に生きていくから、理想郷と言えるんです」

「博麗の巫女が居れば不可能ではない筈よ?」

「違う!!!!」

 

 

 パチュリーの言葉を、激しく否定する。

 

 

「博麗の巫女が居なくても、それが当たり前の世界を創らなくてはいけないんです! 人も妖怪もおんなじ立場で、どちらもが心の根底から人妖が平等であると思わないと、結局は何も変わらないんです! 命を、軽視してはいけないんです! それじゃあ、紫さんが目指している幻想郷は何時まで経っても完成しないんです!!」

「……」

 

 

 怒号にも近しいそれが、パチュリーの鼓膜を叩く。

 水蛭子の心の底からの叫びに、魔理沙は両眼から込み上げてくる熱いものを感じた。

 

 水蛭子が棍を構え、鋭い眼光でパチュリーを射抜く。

 

 

「私は、本当の幻想郷を創りたくて、この刃を手に取りました」

「随分と、大層な幻想(ゆめものがたり)ね」

 

 

 強い意志を持った瞳に、クツクツと込み上げる笑いを抑えつつパチュリーが言った。

 

 

「分かったわ。じゃあ、貴女が私に勝てたら、考えを改めてあげる」

「ありがとうございます」

 

 

 頭を下げる水蛭子に、パチュリーはその代わり、と言葉を紡いだ。

 

 

「私が勝ったら、貴女、私の眷属になってもらうわね」

「は、はぁ!? なんだよそれ!!」

「……分かりました」

「おい水蛭子!」

 

 

 抗議の声を上げた魔理沙を制し、水蛭子は深く頷いた。

 それを見て満足そうに微笑むと、パチュリーは背後に浮かんでいた巨大な本を手元へと移動させ、開いた。

 

 本の中からボウッと紫色の光が迸り、部屋中を紫の閃光が駆け抜けていく。パチュリーの周囲に幾つもの本が飛来し、それらを中心にたくさんの魔法陣が宙に浮かび上がった。

 パチュリーは両手を掲げて目を細めると、不敵に口端をニヤけさせつつ口を開いた。

 

 

 

「さぁ、何処からでも掛かってらっしゃい」

「全身全霊で、行かせてもらいますッ!!」

 

 

 

 沢山の魔法陣が一際強烈な光を放つ。

 それを合図に、水蛭子が一歩、踏みしめた。

 

 




水蛭子の名前について。

水蛭子とは。
古事記において伊邪那岐の命と伊邪那美の命の間に生まれた最初の神。
しかし未熟児であった為に、葦で造られた船に乗せられ海へ流された。
二柱の子として認められなかった、不遇な存在である。
蛭子神や蛭子命として祀っている神社は多い。

物語を紡がせて貰っている私が、古事記の冒頭を読んでいた時に出会いました。
どうしてもこの水蛭子という存在を主人公として、物語を紡いであげたいと思い、そうして書き始めたのがこの「博麗になれなかった少女」です。

なれたかもしれない存在になれなかった。
そういった悲しみを重ね、この子を水蛭子と名付けました。


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第十六話 「バカ水蛭子」

 

 

 膨大な数の書物を保管している紅魔館図書庫。

 初めは紅魔館というチンケな館の小さな書庫だった。

 

 それを世界中から秘蔵中の秘蔵とも言える魔導書や悪魔書、妖魔本等を掻き集めてここまでの規模の大図書館に創り上げたのは、パチュリーだ。

 

 言わば、これまでの生涯の収束が此処にはある。

 

 自分の人生を賭して創ったこの場所の床に、他でもない自分自身が這いつくばる(・ ・ ・ ・ ・ ・)なんて、パチュリーはまるで予想していなかった。

 

 

 ───パチュリー・ノーレッジは、負けたのだ。

 

 

「はぁ、はぁ……ッ!!」

「…………」

 

 

 前方から荒い呼吸が聞こえる。

 幻想を追い求めて自身に向かってきたこの少女は満身創痍の様子で、しかし膝を着く事はせず立っていた。

 

 妖怪が倒れ、人間が立っている。

 本来なら、有り得ない光景だ。

 

「私の、勝ちです……っ!!」

「……そうね」

 

 心底辛そうではあるが、嬉しげに言った水蛭子に、パチュリーは身体を仰向けにさせながら適当に返した。

 

「約束……守ってくださいね……!」

「ええ、約束だもの。魔女のする契約は絶対だわ」

 

 宙を浮かぶ魔導書達をボーッと眺めながら返す。

 

 何故だろうか。

 今まで感じた事の無いくらい、穏やかな気分だ。

 なんとなく頬の辺りを触ってみると、己の口角が上がっている事に気が付く。

 

 負けたのに、笑っていた。

 

「……あーあ、負けちゃったか……残念ね」

「あはは……パチュリーさんでも、残念って思うんですね……」

「ええ、本当に残念だわ」

 

 

 息も絶え絶えにも関わらず、わざとらしく落胆してみせた自分を気遣うように反応を見せてくれる。

 本当に、優しい少女だ。

 勝ち負けには興味が無かったが、彼女を眷属に出来なかったのが至極残念である。

 

 もうしばらくこのゆったりとした時間を過ごしていたいが、何時までも人間の魔法使い……魔理沙が蚊帳の外であるのは可哀想だ。

 気怠い身体を起こし、宙に舞う魔導書達に元の収納場所に戻る様指示する。

 

 次々と本棚に戻っていく魔導書達を物珍しげに眺める水蛭子に、穏やかな口調で話しかける。

 

「さぁ、博麗の巫女が来るわ。貴女は魔理沙を連れて奥の方に行きなさい」

「……あっ! そ、そう言えば今異変の真っ最中か……! ごめんなさい直ぐ戻ります〜!!」

 

 パチュリーの言葉に焦り始めキョロキョロと周囲を見渡す水蛭子。

 そして呆然とした様子の魔理沙を確認すると、それを肩に担ぎ上げてスタコラと小走りで部屋の奥へと向かった。

 

 

「……ありがとうございました」

 

 

 戻る途中で振り返り、呟く様にそう言った。

 そして言葉を返す前に、彼女は暗闇の中へと姿を溶かした。

 

 水蛭子を見送り、少し沈黙した後、肩を竦めて首を振る。

 

「気付かれてたか。やっぱり」

 

 他人とのコミュニケーションを疎かにしていたせいか、どうも自分は誤魔化すという事が下手らしい。

 そうでなくとも、彼女くらいであればこちらが力を抜いていたことなんて容易に理解できたのかもしれない。

 

「……人間と妖怪が手を取り合う理想郷……か」

 

 甘い考え、と言ってしまえばそれまでの事だ。

 

 

「でも、嫌いじゃないわ」

 

 

 魔法使いは魔法(メルヘン)を追い求める存在。

 人と妖怪が仲良く平等に過ごすなんておとぎ話の様な幻想(ゆめものがたり)を追い求めるのも、悪くない。

 

 これから彼女は沢山の壁にぶつかるだろう。

 その度に彼女は傷付き、崩れ去る固定観念に戸惑っていくのだろう。

 

 挫折し、立ち上がることを止めてしまう時も来るかもしれない。

 

 そんな時、私が彼女を支えよう。

 妖怪(わたし)が、人間(かのじょ)を助けよう。

 人と妖怪が共に支え合う幻想を、私が叶えよう。

 

 そう、魔女との契約は絶対だ。

 

 

「……もう私達、離れる事は出来ないわ。八十禍津水蛭子」

 

 

 その胸に秘めた幻想。

 たとえこの身が滅びようとも、私が叶えよう。

 

 

 

 

「……しんどい」

 

 赤いカーペットが延々と続く廊下を、霊夢はかれこれ小一時間は飛行していた。

 流石の霊夢も表情をゲッソリとさせて弱音を吐く。

 

「もー、何なのよこの屋敷は……」

 

 己の勘でここまで来たのは良いが、玄関からここまで、扉という扉が全く見当たらない。

 赤いカーペット、大きめの窓、たまに花瓶や絵画といったアクセントはあるが、しかしほぼ同じ光景がずーっと続いている為、霊夢はいい加減飽きてきていた。

 

 そのまま飛行を続けていると、やっと今までに無かったモノが霊夢の視界に飛び込む。

 

「やっとか……!」

 

 扉だ。

 

 霊夢は感激にも近い感情を顔全面で表現し、飛行の勢いそのままにその扉を蹴破った。

 

 ガゴンッという破壊音と共に扉は金具から吹っ飛び、一メートル程飛んだ後、木製的な音を立てて床へ倒れる。

 

 その扉を踏みつけながら、霊夢が室内を睨むように見渡した。

 

 本と暗闇に支配された室内で、紫色をした少女が一人、椅子に座ってティーカップを傾けていた。

 紫色の少女……パチュリーは、霊夢の方へチラリと視線だけを投げると、意外そうに言葉を発した。

 

「随分と粗暴な巫女さんだこと」

「……ふん、生憎バカ妖怪の屋敷を大事にしてあげる程親切じゃないの」

 

 パチュリーの言葉に鼻を鳴らして腕を組む霊夢。

 どうやら予想外の遠路は霊夢を相当不機嫌にさせていたらしく、その表情は凡そ少女がしていい様なものでない輩的なモノだった。

 

 そんな霊夢にパチュリーはちょっと笑いながら。

 

「ごめんなさい。ちょっとヤボ用があったから廊下を長くしてもらったの」

「 ……はーん、大層な超能力をお持ちで。ソイツが今回の異変の黒幕かしら」

 

 確信めいた顔をする霊夢にパチュリーは真顔で口をすぼめる。

 

「ブッブー。ただの使用人よ」

「ただの使用人に空間弄りなんて出来るか!!」

「空間弄りというか、正しくは次元操作なんだけど」

「どっちでもいいわ!!」

 

 真顔で指摘を飛ばすパチュリーを無視し、霊夢は懐から数枚の符を取り出して構えた。

 よいしょとパチュリーも立ち上がり左手を上げると、何処からか飛来した本がその手にストンと収まる。

 

 手にした黒い表紙の分厚い本を開いたパチュリーが「そういえば」と呟いた。

 

「今日は火曜日ね」

「は?」

「火属性が一番強くなる曜日」

「日によって変わるわけ?」

「別に。なんとなくそんな感じがするだけよ」

 

 霊夢がなんじゃそりゃ、と何とも言えない表情になっていると、突然パチュリーの周囲に……ぼうぼうと燃え盛る火焔の塊が出現した。

 動作という動作が無かった為、霊夢は驚愕から目を見開く。

 

「うわ」

「なによ」

「……本が燃えちゃうけど?」

「燃えないわ」

「いや燃えるでしょ」

「燃えない。ここの本達はそういう風に出来てるから」

 

 淡泊にパチュリーが言うと、巨大な炎が風に吹かれたようにゆらりと動き始める。

 霊夢は迫る炎に一歩後退ったが、数秒もしない間に目を細めて冷静な思考を取り戻す。

 

 そう。

 たかだか、炎だ。

 

「ふっ」

 

 軽く息を吐き出すと共に、構えていた符を前方へ投擲する。

 符は意思があるかの様に宙を動き、そこに壁があるかのように平面的に展開する。

 それを基礎に、冷色系の薄い膜で構成された障壁が張り巡らされた。

 

 轟々と燃える炎が障壁を殴り、そして霧散する。

 

「あぁ、結界」

 

 消え去った炎と霊夢を守る半透明な壁を見て、パチュリーは目をぱちくりと瞬かせてから合点のいったように頷いた。

 

「博麗の巫女の得意分野ですものね」

「……随分勉強してるみたいね」

「勉強はしてないわ。ただ、前にも一度経験しただけ」

 

 懐かしげに虚空を見るパチュリーに霊夢が目を細めた。

 

 経験、とは一体なんなのか。

 この魔法使いは以前にも博麗の巫女と対峙した事があるのか。

 

 いくつかの疑問が霊夢の脳内に錯綜するが、今は関係の無い話だと思考を中断させた。

 

「じゃあ、目ェひん剥いてよーく見てなさい。私の結界は、先代のとは一味違うわよ」

「あらそう。それは楽しみだわ」

 

 再び符を持って構えた霊夢にパチュリーが楽しそうに笑うと、彼女の持った本の頁が風に吹かれたように捲れる。

 

「私に見せて頂戴。どんな本にも記されていない、神降ろしの極地を」

 

 ピタと、あるページを開いた所で黒い魔導書は止まる。

 

 同時に、大きな魔法陣がパチュリーの背後に一つ、滲むように現れ、紫色に妖しく輝いた。

 

「未知を直に経験する事が、私大好きなの」

 

 輝きを増していくその光に呼応して、ドロリとした瘴気が空間を蝕んでいく。

 

 霊夢は肌を撫でる不快感に表情を歪めつつ、素早く符を投擲した。

 前面のみ展開されていた結界が、追加された札によって継ぎ足されるように全面へと張り巡らされていく。

 結界の『点』を増やし、結界を完全な円状に構成し直したのだ。

 

 全方面を結界に守られた霊夢は絶たれた瘴気に一先ず安堵の溜め息を吐いてから、パチュリーを気だるげに睨みつけた。

 

「それは完全に防げてるの? それとも減殺してるだけかしら?」

「……ふぅ」

 

 コテンと首を傾げたパチュリーを無視し、霊夢は眉間をグリグリと揉む。

 

「悪いけど、アンタのお勉強に付き合ってる暇は無いの。だから……」

「無愛想ね……ッ!?」

 

 ゴリッと、石灰石同士を押し付けた様な鈍い音が図書館に鳴り響いた。

 同時に、パチュリーの背後で光っていた魔法陣が砕けるように消滅する。

 

「う……ッ!? ……ぐぅぅッ!!」

「昔話ならまた今度聞いてあげるわ。おばあさん」

 

 パチュリーの背中には、先程まで霊夢が携えていたお祓い棒が深々と突き立てられている。

 信じられないものを見るような表情で霊夢を見たパチュリーの顔には、凡そ余裕というものが見えなかった。

 彼女は自身の背に刺さったナニかを取ろうと手を伸ばすが、届きそうで届かない。

 

 わなわなと唇を震わせ、パチュリーは明らかな恐怖を孕んだ声色で吐き出した。

 

「なに……これ……ッ!?」

「お祓い棒よ。お祓い(・ ・ ・)棒」

「ぐっ」

 

 結界を解き、早歩きでパチュリーに近寄った霊夢が、パチュリーの背中に突き刺さったお祓い棒をズルリと引き抜く。

 刺さっていた柄の方には、何故か血液が付着していない。

 

「多分、暫くはしんどいでしょ。魔法使いは不健康妖怪の筆頭なんだから、暖かい布団で安静にしていることね」

「……ふ、ふふ……なるほど……ね」

 

 脱力したパチュリーがその場に倒れ伏す。

 

 それを一瞥する事もせず、博麗の巫女はブーツの踵を軽快に鳴らして闇の中へと溶けていった。

 

「やっ……ぱり……」

 

 歪んだ顔を無理やり微笑ませ、パチュリーは虚空を眺めながら声を捻り出す。

 

「貴女は、人間じゃない……」

 

 そう言って、紫の魔女はこと切れた様に気絶した。

 

 

 

 

 魔理沙は未だに、自身の目の前で起こった数分前の光景を信じることが出来なかった。

 

 自警団の一団員であり、人里に住む人間。

 元気で明るく自信家だが、本人の中にある一線を超えると途端にナーバスになるとても人間らしい女の子。

 それが、里の人間達から聞いた八十禍津水蛭子の評判である。魔理沙自身も実際に彼女と触れ合ってみて、評判に相違ないと感じていた。

 

 しかし、しかし。

 彼女は妖怪を打倒した。

 

 『人間』が、妖怪を倒したのだ。

 

 有り得ない事だった。

 

 魔理沙が今まで体験してきた事象の中で、一番の衝撃であった。

 

 タダの人間は妖怪には勝てない。

 だから、博麗の巫女が妖怪を退治する。

 

 そうやって、幻想郷は凹凸の均一な歯車を恙無く動かして来たのだ。

 

「どうしたの、魔理沙。まだ気分が悪い?」

「な、なんでもないぜ……」

 

 目の前で優しく笑う少女は、均一な歯車に生じた一本の長い凸。言わば異端子。

 

 魔理沙自身が憧れ、自身を魔道に落としてまで追い求めていたイレギュラーの力。魔法使いの弟子になった魔理沙が手に入れることの出来なかったその力を、水蛭子は人知れずその身に宿していたのだ。

 

「もう、何よ? さっきからジロジロ見て」

「……」

 

 能ある鷹は爪を隠す。

 

 彼女ほどその言葉を体現した存在が、他に居ただろうか。思わず、ゴクリと喉が鳴る。

 尊敬、憧れ、興味、数々の感情が魔理沙の頭の中を過ぎって行く。

 

 そして最後に残ったのは、畏怖。

 

「な、なぁ水蛭子」

「なに?」

 

 その山吹色の目。

 お前は一体、何を考えているんだ?

 

 本当に、お前は、人間なのか?

 

「お前は……本当に……ッ」

 

 言葉が引き攣る。

 緊張から、喉が思う様に広がらない。

 

 水蛭子が心配そうな表情を浮かべながら、魔理沙の背中を優しく撫でた。

 

「ちょっと、ホントに大丈夫? 汗、凄いわよ?」

「……」

 

 言われてから気付く。まるで激しい運動した後の様な大量の汗が自身の肌に纏わりついていた。

 同時に小刻みな震えが全身に生じ、綺麗に生え揃った歯がカチカチと音を鳴らし始める。

 

「パチュリーさんが怖かった? ……今は私がついてるから、安心して?」

「……ぁ、ぅ」

 

 何かを言おうとして口を開き、そしてすぐに閉じる。

 口を開く勇気が出なかった。

 

 赤子をあやす母親の様に、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる水蛭子。あまりにも無邪気なその顔を見て、心が徐々に落ち着きを取り戻してくる。

 ……あまりにも優しい目の前の少女を、魔理沙は拒絶することが出来なかった。

 

「ぅ……くぅぅ……ッ!!」

「怖かったね。大丈夫だよ。……私が貴女を守るから」

 

 魔理沙の背を、水蛭子はポン、ポンと優しく叩く。

 緊張から解き放たれた魔理沙は、その優しさに縋り付く様に、水蛭子を抱きしめた。

 

「私が、守るから……」

 

 嗚咽を吐き出す魔理沙を抱き返しながら、水蛭子は夢想する。

 

 恐怖も、悲しみも、怒りも、全てが消え去った理想郷を。

 誰もが笑って、幸せに暮らせる夢のような世界を。

 

 

「……私がいる限り、誰も殺させないから」

 

 

 水蛭子は胸に抱いた魔理沙が苦しくない程度の力で、彼女を強く抱きしめた。

 

 

 

 

「……アイツが好きそうな場所ね」

 

 蝋燭やランタンのにぶい光で照らされた図書館を進みながら、意識半分に霊夢が呟く。

 アイツとは、霧の湖に妖精と一緒に放置してきた親友、霧雨魔理沙の事だ。無類の本好きである彼女がこの本の山を見れば、一体どれ程眩しい笑顔を見せてくれるのだろう。

 白い歯を覗かせてニカリと笑う魔理沙を思い浮かべて、霊夢は少しだけ微笑んだ。

 

 暫く無言のまま進み、少し開けた場所へと出る。

 

 木製の洋風な机と椅子。机の上に置かれた空のティーセット。

 そして本の床に仰向けで倒れている、白黒の少女を視界に捉えると、霊夢はピタリと動きを止めた。

 

「魔理沙……?」

 

 何故か自分より早くここに着いていた親友に小首を傾げながら、霊夢はピクリとも動かない金髪の少女へと歩み寄る。

 

「……おーい」

 

 お祓い棒で彼女の右肩をチョンと突く。身じろぎもしない。もう一度首を傾げてから膝を屈ませ、グイグイと身体を揺すってやる。

 

「ちょっと、魔理沙。起きなさい」

 

 動かない。もう一度、首を傾げる。

 

「起きなさいって」

 

 今度はもう少し強く揺さぶってみるが、やはり魔理沙は動かない。

 

「……」

「魔理沙は起きないわよ」

 

 無言で魔理沙を揺さぶる霊夢に暗闇から声がかかった。

 霊夢がゆっくりとそちらへ振り返る。

 コツコツとブーツの底を鳴らしながら現れたのは、随分と見知った顔だった。

 

 

「はぁい霊夢。随分遅かったわね」

「……ひるこ?」

 

 

 肩まで伸びた灰色がかった黒髪に、ほんのりと小麦色をした肌。翠と白藍の生地で仕立てられた着流しに同色のウェストポーチ。軽快な音を立てる厚底のブーツは今日は茶色できめているらしい。

 

「魔理沙、さっきまでは起きてたんだけどね」

「なんで、どうして……水蛭子が……?」

「……えっ」

 

 困惑しながら霊夢が尋ねると、水蛭子は素っ頓狂な声を上げた。

 どうして、と言われたら、ちょっと水蛭子的には返答に困るからだ。

 そんな様子の水蛭子ににじり寄りながら、霊夢は次々と言葉を紡いでいく。

 

「最近来てくれなかったのは此処に居たから?」

「いや、別にそういうわけじゃ」

「誰に命令されてこんな所に居るの?」

「誰……ん、ん〜?」

「何もされなかった? 怪我してない?」

「ちょ、ちょっと落ち着いて霊夢! 誰にも何もされてないし、怪我もしてないから!!」

「本当に? でもちょっと窶れてない? 疲れた目をしてるわよ? ご飯食べてる? ちゃんと寝れてる?」

「いやお母さんかアンタは! 大丈夫! 大丈夫だから! ごめんごめん最近会いに行けなかったのは謝るから許して!!」

 

 遂には身体を引っ付け、上目遣いで責めてくる霊夢に変な感情を抱き始めた水蛭子は、苦笑いをしながらも嬉しげな声色で謝罪の言葉を口にする。

 数日ぶりに霊夢と会えた事が、水蛭子はとても嬉しかった。

 

 霊夢は心配の表情のまま、水蛭子の胸元にギュッとしがみついた。

 

「……えっと、霊夢?」

「良かった。無事で」

 

 困惑気味の水蛭子に、霊夢は安堵混じりの柔らかい口調で言った。

 霊夢が怒ってないことにホッと胸を撫で下ろした水蛭子は、同時に彼女に心配をかけていたという罪悪感から眉を下げる。

 

「ごめんね。心配かけちゃったんだ」

「ううん、私が勝手に不安に思っただけなの。水蛭子のお母さんも、里の人達も、水蛭子なら大丈夫だって言ってた」

「霊夢は、寂しかった?」

「うん」

「そっかー」

 

 小動物の様に引っ付く霊夢を軽く抱きしめながら、水蛭子は本で埋め尽くされた天井を仰ぎ見た。

 

「ホントにごめん。次からはちゃんと言うから」

「バカ水蛭子」

「ふふ、バカと来ましたか……」

 

 霊夢の口から初めて聞いた気がする自分への直接的な罵倒に、また一つ彼女の心の内を知れた気がして水蛭子は嬉しげに頬を緩ませた。

 

 

 




一応言っておくと、霊夢と水蛭子はそういう関係にはなりません


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第十七話 どちらでもない少女たち

 

 

『……バーカ』

『そうだね。バカだったね』

 

 古ぼけたブラウン管テレビに抱き合う霊夢と水蛭子が映し出されている。

 のんびりとしたそのやり取りを紫と藍が並んで観ていた。

 穏やかな顔でテレビを眺めながら、時折藍がふふっと控えめな笑い声を洩らす。

 

「……当たり前ですけど、闘いませんね」

「良いのよ、別に。闘わせるのが本当の目的じゃないでしょうし」

 

 映像を観ながら楽しげに微笑む藍が言った言葉に、紫は視線をテレビに固定させたまま煎餅をバリッと噛りつつ淡泊に返す。

 あまり関心の無さげな紫にイタズラっぽく笑いながら藍が尋ねる。

 

「もう、水蛭子に嫉妬はしないんですか?」

「ずーーーっとしてるわよ」

 

 半ば睨むようにテレビを眺める紫に、おやと藍は目を開いた。

 

「あの子には、もう心を許しているものかと」

「あのねぇ、藍」

「むぐぅ」

 

 紫は自分を横顔を見ていた藍の鼻先を人差し指でムニと押し上げ、諭すような口調で話し始めた。

 

「心を許していても、譲れないものはあるわ」

「でもあの気持ち悪い程の霊夢愛も、最近は鳴りを潜めてたじゃないですか」

「あなた今気持ち悪いって言った?」

「……や、言ってないです」

「……」

 

 ムスッとした顔で従者を睨みつけ、暫くしてから視線をテレビへと戻す。それから少し間を開けてから、紫は口を開いた。

 

「霊夢が幸せで居てくれたら、それで良いのよ」

「霊夢の気持ちが優先ということですか」

「そうね。……人間は妖怪に比べて心が強いと言われているけれど、それでも一人では生きていけないのよ。お互いを支え合える唯一無二のパートナーが必要なの。それは親であったり、伴侶であったり、友人であったり」

 

 ポツポツと、呟く様に言葉を紡ぎながらジッとテレビを眺める紫に、藍も釣られて視線をそちらへやる。

 仲睦まじい様子の二人の少女が、楽しげに会話をしている。

 その光景に表情を柔らかくさせながら、紫は言葉を続けた。

 

「博麗の巫女は、言わば幻想郷のバランサー。人間の味方でも、妖怪の味方でも無い。一番安定した存在であり、一番不安定な存在でもある」

「んーでも、霊夢は人間ですよね? 妖怪の味方でないのは分かりますが、人間の味方でも無いとは?」

「ねぇ、藍。普通の人間が、妖怪を殺せると思う?」

「え」

 

 無感情な瞳を向けられ、藍は言葉を詰まらせた。

 それを見て紫は微笑むわけでもなく、表情を顰めるでもなく、ただただ真顔で語っていく。

 

「妖怪を殺した時、人は人では無くなる。昇華とも退化とも取れる形で、人間ではない別のナニかに変わるのよ」

「ですが、外界でも妖怪退治を生業としている人間達はいたではありませんか。彼らは人間ではないと?」

「妖怪を殺せるなら、人間も簡単に殺せるでしょう? 強過ぎる力を持った人間は有象無象の人々からすれば憧れではあったでしょうけど、畏怖の対象でもあった。同族だとも思われていなかったでしょうね」

「……霊夢が、人里の人々から恐れられていると言いたいのですか?」

「皆、心のどこかではそう思ってる」

 

 厳しい眼差しで藍が紫を睨む。

 紫の従者であり、紫の事を心から信頼している彼女は、凡そ大妖怪とは思えない程に優しかった。

 一端の獣が力を持って妖怪へと至り、力に溺れた結果人間達を狂わせ、傾国の大妖怪と謳われた彼女であるから、こう思うのだ。

 

 同族に忌み嫌われる事の、なんと悲しい事かと。

 結局はハッピーエンドが一番良いのであると。

 

「そんな風に、言わないであげてください」

 

 八雲藍は、博麗霊夢という少女の事をそれ程良くは知らない。

 しかし、藍は知っている。

 

 里で迷子になっていた子どもの手を取り、一緒に親を探してあげた事。

 自警団の人間に囲まれ、殺されそうになっていた非力な妖怪の少女を助けてあげた事。

 命を奪った妖怪の亡骸を丁寧に弔い、手を合わせている事。

 

 我儘な妖怪の賢者のボードゲームの相手を嫌そうにしながらも付き合ってあげている事。

 九つの尻尾を持つ妖怪を人里の人間に紹介した時に、「結構フワフワで気持ちいいのよ」と笑いながらフォローしてくれた事。

 ハンバーグの形を整える事に苦戦していた言葉も喋れない化け猫の少女に、優しく手解きをしていた事。

 

 全部、全部、知っているのだ。

 

 博麗霊夢という他者に冷たい態度を取る少女が、誰よりも他者を思いやることが出来る少女であると言うことを。

 

「霊夢は、あんなに良い子じゃないですか」

 

 あれ程優しい少女が同族に嫌悪されるなんて、可哀想過ぎる。

 

 彼女は幸せにならなければならない。

 不幸になってはいけない。

 

 自分を家族として迎え入れてくれた時の様に、霊夢の事も暖かく見守ってあげてください 。

 博麗の巫女が人々に恐れられているというのなら、せめて貴女は霊夢にとって一番の味方で居てあげて。

 

「(貴女は、貴女だけは

 そんな悲しいこと、言ってあげないで)」

 

 藍の心からの思いを無視する様に、紫は淡々と言葉を紡いでいく。

 

「憧れと畏怖は表裏一体。少し天秤が傾けば、憧れも畏怖へと変化する。そんな曖昧な感情を抱く有象無象が、霊夢の本当の味方になり得る筈が無いわ」

「なら私達が、その本当の味方になってあげれば……」

「いいえ、博麗の巫女は妖怪を打倒する存在。人も妖も、彼女のパートナーには成り得ない」

「でも紫様は! 霊夢を愛しているのでしょう!? あの子を実の娘の様に可愛がって来たじゃないですか……!!」

 

 藍の七尾がざわざわと逆立つ。

 昂ぶる感情を金色の艶毛が波打たせる事で表し、見開いた双眼の瞳孔は極限まで小さくなる。

 

 本来主人へ向ける事が許されない感情を、藍は今抱いていた。

 

 今、藍は紫を見損ないかけている。

 

 

「……私じゃダメなの」

 

 

 しかし、次に放たれた言葉に、フッと、全身の力が抜ける。

 起き上がっていた尻尾は弱々しく畳に落ち、瞬きさせた目は落ち着きを取り戻す。

 

 主人の雰囲気が酷く弱々しくなったからだ。

 

 相変わらずどういった感情を抱いているのか察せない真顔のまま、紫は言葉を紡ぐ。

 

「私だって、霊夢を守ってあげたいわ」

「紫様……」

「でも、あの子が博麗の巫女である限り、私はあの子の本当の味方になってあげることは出来ない」

 

 紫色の瞳から、ひとすじの雫が流れた。

 

 賢者は悲しみに顔を歪ませる事もなく、ただただ感情を消した表情のまま、泣いていた。

 

 その姿に藍は一瞬茫然としてから、主人の唇が小刻みに震えていることに気付く。

 

 本当は、悲しいのだ。

 

 霊夢の本当の味方になれないことに、誰よりも強い悲壮の感情を抱いている。

 弱い自分を従者には見せまいと、必死に感情を圧し殺していたのだ。

 

 藍は、そっと紫の頬を撫で、流れていた涙を優しく掬い、戸惑った様子で口を開く。

 

 

「紫様。泣かないで」

 

「私ではあの子を本当の意味で守ってあげられないの」

 

「ごめんなさい紫様。ごめんなさい」

 

「あの子を幸せにしてあげられるのは、水蛭子だけなの」

 

「藍が、藍が悪い子でした……だから紫様……っ」

 

「私、霊夢のこと大好き。娘が居たら、きっとこんな感じなんだろうなって毎日思うわ。……ふふ、反抗期の娘って、人に聞いてたよりずっと可愛い」

 

「ッ……泣かないで……!!」

 

 

 大粒の涙がぼろぼろと流れ落ち、紫色のドレスを濡らしていく。

 藍は懐から取り出したハンカチで何度も何度もそれを拭うが、ハンカチは水気を増すばかりで、一向に紫の涙が止まる気配は無かった。

 

 藍は強い後悔の念に苛まれていた。

 何百年という時間を共にしてきた紫を、何故疑ったりしたのだろうかと。

 

 濡れたハンカチで白い肌を拭うたび、藍の瞳からもぽろぽろと涙が込み上げて、止まらない。

 

 

「この異変が終わったら、あの子達のこと目一杯褒めてあげないとね」

 

「はい……」

 

「宴会を開いて、美味しい料理を沢山用意して、幻想郷中の知り合いを呼んであげて、皆で夜が明けるまでお酒を呑んで……」

 

「はい、はい……!」

 

「……博麗の巫女として生きていくことが辛くないように、寂しくないように、せめてもの、ご褒美」

 

「……ッ!」

 

 

 こちらを見て微笑んだ紫に、藍は更に込み上げてきた涙を必死に抑え込もうとしたが、出来なかった。

 

 自分より彼女が抱いている悲しみの方がずっと大きい筈なのに、その微笑みはあまりにも優しげで。

 妖怪の賢者というには、あまりにも慈愛に満ちていたものだったから。

 

 涙腺が決壊し、藍の両目からぐしゃりと大量の涙が溢れ出す。

 自分も泣いているというのに、懸命に自分の頰を暖かいハンカチで拭ってくれている従者の髪を、紫は手櫛を通しながら優しく撫でた。

 

 

「……それに私には、こんなに優しい従者が居るもの」

 

 

 霊夢まで貰ってしまったら、きっと罰が当たっちゃうわ。

 

 

 

 

「そう言えばパチュリーさんは?」

 

 疲れて眠っている魔理沙の頭を撫でながら、水蛭子が霊夢に尋ねた。

 その質問に小首を傾げながら霊夢は口を開く。

 

「誰?」

「紫の服を着た魔法使いの人。来る途中に居たと思うんだけど」

「あぁさっきの。適当にしばいて、おしまい」

 

 え、と水蛭子が声を漏らす。「おしまい」という言葉から、もしかすると霊夢がパチュリーを退治しきってしまったのではないかと考え、表情を強張らせた。

 

 そんな水蛭子を見て、霊夢が苦笑混じりに口を開く。

 

「そんな顔しないで。気絶させただけよ」

「そ、そう。……良かった」

 

 胸を撫で下ろした水蛭子に、霊夢が目を細める。

 

「水蛭子」

「ん、なに?」

 

 心の底から安堵に気の抜けた表情をする水蛭子を見て、霊夢が首を横に振った。

 

「……ううん、何でもない」

「えー? 何よ、気になるじゃない」

「さ、早く親玉ぶっ飛ばして、暖かいお布団で寝ーようっと」

「あ、ちょっと霊夢! 」

 

 グーッと思い切りのある背伸びをしながら歩き始めた霊夢を、水蛭子が呼び止める。

 霊夢はくるりと振り返り、水蛭子と、彼女に撫でられる魔理沙を見ながら優しげに微笑んだ。

 

「ソイツの面倒、見といて」

「え、でも」

「起きた時に誰も居なかったら、流石の魔理沙も不安になるでしょ。任せたわ」

「……うん、わかった。気を付けてね、霊夢」

「ん」

 

 軽く手を挙げ、霊夢は再び歩き始める。

 水蛭子はその後ろ姿を、少し寂しげな表情をしながら見送った。

 

 

 

 

 謁見の間に続く廊下にて、一人のメイドが困った顔で腕を組んでいた。

 彼女の名前は十六夜咲夜。この紅魔館におけるメイド長である。

 

「……私達、これからどうなるのかしら」

 

 幻想郷に侵入してから今までの間、紅魔館という存在は虚無同然だった。

 殆どの人妖は咲夜を含めた紅魔館に住む面々を知らない。

 

 しかし、この茶番の異変は言わば「紅魔館を知らしめる異変」である。

 つまり前と後では幻想郷内での身の振り方が180°変わってくるのだ。

 食事情は八雲紫からの配給で賄っていたが、外界との交流が可能になるとなると、流石に今までのおんぶに抱っこでは格好がつかない。

 館の従者長でもある彼女にとって、それは如何ともし難いことだ。

 

 しかし、それには人里との交流が必要不可欠である。

 

「人……か」

 

 朧げになった記憶達を撫でていると、自分の異能や性格が原因で周囲から虐げられるまでは行かずとも、畏怖の念に染まった視線を受けていた「人間時代」を思い出す。

 

 蒸気の熱が肌を焼く工場での単純作業を繰り返し、決まった食事を摂取し、自由な時間はボーッとして過ごす退屈な日々だったが、それが当然の日々であった為、心に闇を宿すこともなかった。

 

 軟膏を塗らなければ掌の皮膚はカリカリになって剥がれ落ちてしまうような環境で、立ち作業と腕の運動を何年も、延々としてきた。

 疲れはあったが、仕事を熟すことが生きている意味だと解釈すれば、幾らでも働くことが出来た。

 とはいえ、肉体的にも精神的にも疲弊していたから、辛くなかったと言えば嘘をつくことになる。

 

 最も、彼女自身がそれを辛いことと思いたくなかった。

 

 空を見上げればトンビがいる。

 路地を歩けば野犬が眠っている。

 電気を点ければ羽虫が寄ってくる。

 彼らの方が、よっぽど辛い思いをしていると考えていたからだ。

 彼らに比べれば、自分は毎日仕事を与えられているから食いっぱぐれる心配は無い。

 餓死することも、命がけの狩りをする必要だって無いのだ。

 それを考えれば、自分がどれだけ幸せであるか。

 彼らに比べれば、自分がどれだけちっぽけな存在か。

 

 咲夜はそんな自分が、そんな人間がつまらない存在だと思わずにいられなかった。

 人間は、本当に存在する意味があるのだろうかと、考えずにはいられなかった。

 

 この幻想郷に来るまでは、毎日そんな疑問に苛まれていた。

 の、だが

 

「……案外、面白いのよね」

 

 小窓から紅く輝く幻想郷の大地を眺めながら、以前この地で出会った人間達を思い出し、咲夜は柔らかく微笑む。

 

「人って、歯車というより、一枚の板を支える無数の棒の内の一本なのよね」

 

 幻想郷で、彼女は一つ学んだことがある。

 

「歯車は一つ欠けるとナニかが狂っちゃうけど、実際は別に一本くらい抜けたって、何の支障もありゃしないんだから」

 

 人とは、動物の様にただ本能で生きる存在ではない。

 

「偶に気を抜いて、小粋なジョークの一つでも主人にかましてあげるくらいが、丁度良い」

 

 互いを支え合い、互いの時を共有して、互いの価値観を押し付け合い、限りある人生を非、効率的に、くだらなく生きる。

 それが、人という生き物の正しい有り方なのだ。と

 

 

「……ねぇ、貴女も、そう思いませんか?」

 

 

 豊かな自然から目を逸らし、自分の目の前に着地した紅白の少女に視線を移しながら、咲夜は問いかけるように呟いた。

 

 

「あ? なんて?」

「いえ、良い天気ですね、と」

「……何処が?」

 

 

 咲夜の言葉に、霊夢は渋い顔をして窓の外の風景に視線を映しながら、凡そ不満げな声色で返した。

 そんな霊夢の反応は気にしない様子で、咲夜がスカートの裾をチョイと摘んで礼をする。

 

「私、この紅魔館でメイド長を務めさせていただいています、十六夜咲夜と申します。以後、お見知りおきを」

「お見知りおきするかはどうでもいいとして、メイドってことは戦わないのね。ぶっ飛ばさないであげるから、アンタらの大将の所に連れてってくれない?」

「嫌です」

「あぁん?」

 

 表情筋をピクリとも動かさずに言った咲夜に霊夢の眉間に皺が寄る。

 

「主人の危機を許すとでも?」

「アンタ自分の立場分かってる? 悪いけど私、そこまで気が長い方じゃないのよ」

「どうぞ、煮るなり焼くなりご自由に。……出来れば、ですけど」

「あっそならもう良いわ」

 

 霊夢がお祓い棒を構えたと同時に、咲夜が姿を消した。

 

 そして次の瞬間には、手に持った銀のテーブルナイフで霊夢の首へ突き刺す。

 サクリと軽い音が響き、お祓い棒が宙を舞う。

 

 しかし。

 

「水蛭子はアンタらの事気に入ってるみたいだから、殺すのは無しにしてあげる」

「なっ!」

 

 符を添わせた人差し指と中指で挟み込まれたナイフを見て、咲夜は驚愕で目を見開く。

 その目を霊夢の鋭い眼光が貫いた。

 

 刃の切っ先が少しだけ貫通した符には「大入」という文字が赤い輝きを湛えている。

 

「でもね、あの子は愛玩動物にはならないわよ」

「……ふっ!!」

 

 ナイフを適当に投げ捨て、続いて繰り出された短剣の刺突を、霊夢は符を這わせた右の掌で容易く掴んだ。

 

「また……っ!?」

「あの子は、強い。本気を出せば、多分私と同じくらいね」

 

 たらりと一筋の汗を垂らして、咲夜は再び姿を消す。

 

 しかし、次に彼女が姿を表す前に、霊夢が空中にあったお祓い棒を掴み取り横に凪ぐ。

 

 その一閃が、投擲された2本のクナイを叩き落とした。

 

「ええっ!?」

「こんな館じゃ、とても飼いきれないわ」

「どういう、反射神経してるのよ……」

 

 咲夜が呆れた様にため息を吐いた、その瞬間。

 一瞬で背後に回った霊夢が腕を捻り上げ、咲夜が苦悶の声をあげる。

 

「まぁでも、アンタみたいなのは幻想郷(ここ)でもあんまり居ないから、あの子も喜んでるんでしょうね」

「……アナタって、本当に人間?」

「良く言われるけど、一応人間、よ」

「う、ぐ……!」

 

 言葉と共に繰り出された拳を鳩尾に沈められ、前のめりに倒れた咲夜の身体を、霊夢が抱えて受け止めた。

 

「……ふ、さっき水蛭子から匂ったのと同じ。甘くて、いい香りね」

 

 気を失った咲夜からフワリと香った匂いに、納得した様子で霊夢が頷いた。

 

 そして小脇に担いだ咲夜を窓際の壁まで運び、優しく降ろす。

 

 咲夜の顔を覗き込み、霊夢はフッと軽く笑った。

 

 

「私も今度、アンタの作ったクッキー食べさせてね」

 

 

 そう言うと、霊夢はふわりと浮き上がり、進んでいた一本道を再び飛んで行く。

 

 その表情はどこか嬉しそうであった。

 

 





 水蛭子が団子を爆食いするのも笑いながら見ていた霊夢ですが、普通に甘いものは好きです。
 女の子ですから。



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第十八話 表裏一体

ひょうりいったい


 

「咲夜ー?」

 

 豪奢な椅子に腰を掛けたレミリア・スカーレットが虚空へと呼びかける。

 普段であれば間髪入れずに返事が返ってくる筈なのだが、その少女は既に気を失っていた。

 

 レミリアの声が宙へと溶けていく。

 

「……想定していたより、随分と早いな」

 

 顎を撫でながら感心した声色で言ったレミリアは、突いていた頬杖を解き、背凭れから身体を持たげる。

 そして畳まれていたコウモリの様な羽をグイーッと伸ばすと、その紅の双眸を妖しく歪ませた。

 

「もう一杯だけ、欲しかったんだけど」

 

 愉しそうな声色でレミリアが言うと、彼女が座る椅子から伸びた紅いカーペット。

 その向こう側にある大きな扉が、金属の擦れる音を響かせながら開く。

 扉の向こうから現れた紅白の少女を確認すると、レミリアは一層笑みを深め、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

「やぁ、博麗の巫女。よく来たね」

「アンタがこの異変の黒幕?」

「む……まぁ待ちなさい。紅茶でも淹れよう」

 

 

 真顔のまま問いかけた霊夢にレミリアは一瞬苦笑を浮かべながらも優しく微笑むと、傍らにあったテーブルに置かれていたティーポットを手に取った。

 同じくテーブルに置かれていたティーカップに紅茶を淹れる。

 

 そして二つのカップを両手に持つと、コツコツとヒールの踵を鳴らしながら霊夢の方へ歩み寄っていく。

 

「さ、飲みなさい。あぁ、ミルクは要るかな?」

「……悪いけど、呑気にお茶会を開いてる暇は無いの」

「おやそうなのか? ……ふーむ、それでは折角淹れた紅茶が勿体無いなぁ」

「アンタが二つとも飲めばいいでしょ」

「一つのカップを空にする間に、もう一つが冷めてしまう。それも、至極勿体無い」

「じゃあ冷めない間に二つとも飲めば?」

「あ、それは名案だ」

 

 ニコリと微笑んだレミリアに不機嫌そうに顔を顰める霊夢。

 そんな霊夢を見て、レミリアは更に笑みを深めた。

 

「でも、美しくないなぁ。私が欲しいのは名案では無く、此方がアッと驚く様な妙案であって……」

「……めんどくさ」

「め、めんどくさ!?」

 

 そっぽを向いた霊夢にレミリアは呆然と口を開いた。

 暫く霊夢を見てから、開けていた口を窄めて思いっきり吹き出す。

 

「ぶっ! あっはっは! 面倒臭いと来たか!」

 

 急に大声で笑い始めたレミリアを見て、霊夢は不快感を漂わせる表情を露わにし、靴先を大理石で出来た床へカツカツと叩きつける。

 

「あのね、私アンタの世間話を聞きに来てるわけじゃないのよ。暇じゃないの」

 

 あからさまに不機嫌な様子の霊夢に、レミリアは笑いを抑えながら霊夢の方へ縦にした平手を向ける。

 

「ふふ……いや、すまない。気分を害したのなら謝るよ」

「謝らなくても良いわよ」

「……ん?」

 

 目の前の少女が相変わらずの不機嫌顔のまま一歩前進して来たのを見て、思わずレミリアもカップを両手に持ったまま一歩後退する。

 

「……どうしたのかな?」

「謝らなくたって良いわ。その代わり……」

 

 腕の一本位は、貰っていくつもりだから。

 

 空気が、唸る。

 

 

「むぅ!?」

「へぇ、避けるんだ」

 

 

 燕返しの要領で下から薙がれたお祓い棒を半身に避けたレミリアが、驚愕の表情を浮かべながら霊夢の瞳を見る。

 

 一瞬の驚きの後、レミリアは楽しげに口を歪めた。

 

「幼くとも、博麗の巫女という訳か!」

「腐っても大妖怪って訳ね」

 

 お祓い棒で肩を叩く霊夢を見ながら、レミリアは両手に持ったカップから溢れそうになっていた紅茶をゴクリゴクリと二口で呑み込んだ。

 空のカップが宙を舞ったのを合図に、双方が大きく後ろへ跳躍し、ギラリと光る二つの瞳が暴力的に衝突する。

 

 

「良かろう!」

「良いわ 」

 

 

 紅い月光を横顔に受けた吸血鬼は凶暴に嗤い、紅い闇夜に蝕まれた人間は冷徹に微笑む。

 斯くして、二人の『紅魔』が邂逅する。

 

 

「こんなにも月が紅いんだ」

「こんなにも月が赤いんだから」

 

 

 夜の帝王は巨大な翼を広げ、ガラスを介して降り注ぐ紅い月光を背に纏いながら。

 無欠の人間は、渦巻く闇と眩い紅月の光を瞳に宿らせながら。

 

 

「楽しい殺し合いにしようじゃあないか!!」

「精々永いこと、苦しんで頂戴」

 

 

 永劫にも続きそうな夜を予期して、眼を細めた。

 

 

 

 

「……あ゛〜」

 

 ブンブンと首を振るいながら、チルノは起き上がる。

 

 "一回休み"となった彼女は霧の湖の畔で目を覚ました。

 チルノは酷く不機嫌な表情で周囲を見渡すと、すくと立ち上がる。

 

「チクショ〜、あのヘンテコ帽子よくもやったわね〜!」

 

 彼女は地団駄を踏んだ後、飛翔し、移動を開始した。

 

 そして深い霧を抜け、湖から少し離れた空中で一度止まると、眼下に広がる森を見回す。

 それから一つのギャップ(森の中にある開けた場所)を見つけると、そこへ降り立つ。

 

 降りた所には朽ちた大木が横たわっており、チルノはその大木の洞を覗き見た。

 

「大ちゃん! おーきーて!」

「……むにゃ……むにゃ、もう食べられないよぉ」

「な、なんてテンケー的な寝言……もう! いいからおきてー!」

「……あ〜、といぷーどるだぁ」

「もぉぉぉ!!」

 

 鮮やかな緑髪に蒼を基調とした服を見に纏った少女は、洞の中で小動物の様に身体を丸めて眠っていた。

 

 呼び掛けに応じてくれない彼女にチルノはまた地団駄を踏む。

 

「……ぅむう? ……誰ぇ? チルノちゃん……?」

「あ! 起きた!」

 

 チルノの騒がしさに少女は目を擦りながら起床して、シパシパと目を瞬かせた。

 

「ねぇねぇ大ちゃん! ちょっと手伝って!」

「あ〜やっぱりチルノちゃんだぁ……!」

「わぷ」

 

 緑髪の少女、チルノが大ちゃんと呼ぶ彼女は、目の前に居るのがチルノだと確認すると勢いよく彼女に抱き着いた。

 

「も〜……」

「えへへ……ひんやりしてきもち〜」

「はやく起きてよ〜」

 

 少し疲れた様な顔をして大ちゃんに抱き着かれているチルノは、しかし彼女を押し戻す事もせず、抱き着く彼女の背中をポンポンと優しく叩いた。

 

「んふふ〜……チルノちゃん、いいにおいがする〜」

「良い匂い?」

 

 そう言われて自身の腕をすんすんと嗅いでみるが、特段強い匂いは感じられない。

 チルノは首を傾げながら大ちゃんへ問いかける。

 

「どんな匂い?」

「あまいにおい〜……お菓子みたいな〜」

「んん〜?」

 

 まるで心当たりが無いそれにチルノはもう一度首を傾けた。

 が、ふと先程までいた本まみれの場所を思い出す。

 

「そーいえば何か、甘い匂いがしたような」

「どこ〜? 私そこに行きたい!」

「え、あ、うん」

 

 まさか自分が思っていた所に相手から行きたいと申し出られるとは思っていなかったチルノは、少し戸惑いを見せてから頷いた。

 

「やった〜!」

「……まぁ、いっか」

 

 まさかボコボコにしたい奴が居るから一緒に来て欲しいとは言えず、チルノは気まずさを感じながら頬を掻いた。

 

 

 

 

 一方水蛭子は、本の床に正座をしながらその太ももに魔理沙の頭を乗せて、読書に勤しんでいた。

 

「ふーん、"妖怪"の魔法使いって人間でもなれるんだ。もしかして元人間って妖怪も結構居るのかしら」

 

 独り言を呟きながら自身の太ももに乗せた魔理沙の顔を見ると、水蛭子は少しの間黙り込んでしまう。

 

「もしかして、人間と妖怪って近い存在なの……?」

「ふふ、そうね……」

「あ」

 

 声のした方を見ると、先程まで気を失っていた紫の魔女が身体を起こしている所だった。

 水蛭子は腰のポーチを魔理沙の頭の下に入れてから、彼女の方へ近付いてその背中を支えた。

 

「大丈夫ですか? どこか痛みますか?」

「ええ、大丈夫……少し、頭がボーッとするけど」

「まだ無理しないでくださいね」

「……そうね、もう少し、横になってるわ……」

 

 そう言って再び身体を倒そうとするパチュリーの背を水蛭子がゆっくりと支えながら倒す。

 横になったパチュリーは優しげな笑みを浮かべた。

 

「ありがとう」

「いえいえ!」

 

 そんなパチュリーに水蛭子も笑顔で返す。

 その笑顔を数秒眺めた後、パチュリーは天井へ視線を向けた。

 

「……さっきの話だけど」

「さっきの話?」

「人間と妖怪が一緒って話」

「あ、ああ! さっきの話ですね!」

「……ふふ、そう。さっきの話」

 

 独り言の内容をすっかり忘れていた水蛭子は合点がいったように頷くと、パチュリーの言葉の続きを促した。

 

「貴女の言う通り、人間と妖怪って、とっても近しい存在なの」

「えっと、私適当に言っちゃったんですけど、近しいって具体的に……?」

 

 水蛭子が首を傾げると、パチュリーは視線を右上方へやり、胸の上で祈るように組んだ手の、右人差し指をトントンと動かしてから言葉を紡いだ。

 

「そうねぇ……まず、さっき貴女が言った通り、人間から妖怪としての魔法使いに成った者は何人も居るわ。霊や鬼、それに神様だってそう。元々人間だった妖怪はそれほど珍しいものじゃない」

「えっと、神様も妖怪って言っていいんでしょうか?」

「人外の存在っていう意味ではどっちも同じよ」

「ああ、まあ言われてみれば」

 

 ある程度の信心がある水蛭子は神様を妖怪として捉える見方に抵抗があったが、パチュリーの言葉に苦笑しつつも頷く。

 それから視線を水蛭子に戻したパチュリーが言葉を続ける。

 

「そもそも、まるっきり別の存在であるのなら、人間が妖怪になる事自体有り得ないことだと思わない?」

「……というと?」

「貴女の推測通り、人間と妖怪という二つの存在は、本質的に見るとそれほど変わりは無いってことよ。クラスが違うってだけで」

「はぁ……その、クラスって?」

「あー、日本的に言ったら格、かしら。まぁ、妖怪を超えてる人間が現にここにいるわけなんだけど……」

「あ、はは」

 

 何かを含んだ様な笑みを浮かべて此方を見るパチュリーに、水蛭子は空笑いする。

 そんな水蛭子を見て笑みを砕けたものに変えたパチュリーは、穏やかな口調で言った。

 

「……これでも褒めてるつもりなのよ?」

「え」

 

 皮肉を言われたと思った水蛭子はポカンと口を開けて間抜けな顔をした。

 それを見てパチュリーは一層微笑んだ。

 

「あんまり自覚が無いようだから言っておくけど、貴女結構凄いのよ? 単純な力もそうだけど、胸の中にある魂が特に」

「たましい?」

「貴女って魅力的なの」

「……ええっと、それはどういう……?」

 

 まさか自分は告られてるのか?と憶測を立てた水蛭子は、恐る恐る聞き返す。

 

「美味しそうなのよ。凄く」

「あー……っと、ご、ごめんなさい。私そっちの気は無くて……」

「そういう意味じゃなくて、本当の意味で美味しそうって事。私は食欲無いから大丈夫だけど、人食を好む妖怪からしたら垂涎モノよね」

「……え?」

 

 まさかの返答にパチクリと瞬きしてから、水蛭子は首を傾げる。

 

「まぁレミィや美鈴は特段好んで人を食べる訳じゃないから、ああいうタイプの妖怪からすると貴女は……なんて言うのかしら、人として好き? みたいな感じなんじゃない?」

「いや、それは嬉しいんですけど……」

 

 美味しそうとは一体……?

 タラりと冷や汗を流した水蛭子が何とも言えない顔になったのを見て、パチュリーは首を傾げた。

 

「貴女今まで妖怪に食べられそうになったことが何度もあるんでしょう?」

「まぁ……」

「態々知り合いになった振りをされたりしたんでしょう?」

「そうですね」

「普通、そこまでして人間を食べたいとは思わないわよ」

「……そうなんですか?」

 

 全く聞き覚えのない情報に今度は水蛭子が首を傾げる。

 

「貴女大好物は?」

「……お肉ですかね」

「畜産農家でも無いのに、牛が食べたいからって牛を育る?」

「しませんけど……」

「普通はお店である程度加工された物を買うでしょ」

「そ、そうですね……」

「妖怪も一緒よ。ある程度の知性を持った妖怪は、わざわざ人間を襲って食べたりしないわ」

「……ということは」

 

 嫌な憶測が頭に浮かび、水蛭子の額に再び汗が垂れた。

 

「あの人達が襲ってきたのは……私のせい?」

「元々人喰い妖怪ではあったんでしょうけど、それくらいの魅力が貴女にもあったと言うことかしらね」

「……そんなぁ 」

 

 受け入れ難い事実に、水蛭子は情けない声を出して膝をつく。

 

 そして泣きそうな声で話し出した。

 

「私……人を襲う妖怪は、皆愚かな存在だって思ってました」

「違わないでしょ」

「違います! ……本当に愚かだったのは……私だったんだ。あの人達の思いや言葉も聞かずに……殺そうとして来たから悪だと決めつけて、殺しちゃった……」

「……」

 

 パチュリーは身体を起こし、立ち上がる。

 そして呆然と床を見る水蛭子の顔を覗き見た。

 山吹色の瞳は辺りの蝋燭やランプの光を反射して、潤々とした輝きを放っている。

 

「泣いてるの?」

 

 パチュリーは優しげに微笑みながら、問いかける。

 

「可笑しいと思ってたのよ……! 瑞希も、蘭も、人を襲おうとするような子じゃなかったもの……」

「水蛭子」

「私が、私が悪かったんだ……全部、私が!!」

「ちょっと、落ち着きなさいな」

 

 ヒステリックになりかけていた水蛭子を、パチュリーが優しく抱き締める。

 

「パチュリーさぁん……! わたし、わたし……!!」

「よーし、よし」

 

 胸の中でわんわんと泣きぐしゃる水蛭子の髪を、ゆっくりと撫でる。

 これといって効果的と言える言葉が見つからないので、ただ優しく撫でるだけ。

 

(……ホント、人間っぽい子ね)

 

 少し落ち着いてきた水蛭子を見ながら、パチュリーはそんな感想を抱く。

 

 百年生きた魔法使いを打倒した人物とは凡そ思えない。

 

(妖怪を殺せるのは、妖怪と神と、妖怪に限りなく近い人間だけ。……でもこの子の魂は酷く純粋で、それでいて強大だ。あまりにも"人間"過ぎる魂なのに何故、あそこまでの力を持っている? やっぱり、この子は……)

 

「あ、あの、ごめんなさい。取り乱しちゃって」

「……良いのよ、気にしないで」

 

 落ち着きを取り戻した水蛭子が声を掛けて来たことにより、パチュリーは思考を中断する。

 そしていつも通りの澄ました表情で返すと、抱擁をゆっくりと解いた。

 

「……パチュリーさん?」

「なに?」

「いえ、何か考えているようだったので」

「そう見えた?」

「は、はい」

「……ええ、少し、ね」

 

 控えめに頷く水蛭子を見て、パチュリーはまた考えに耽った。

 

 





水蛭子が殺めてしまった瑞希と蘭は、人喰い妖怪でした。
水蛭子と出会う前から人を食べていましたが、水蛭子の人柄には友達として惹かれていました。

しかし精神が弱い妖怪である故に本能を抑え込めず、水蛭子を襲ってしまいました。



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第十九話 スカーレット・デビル

 

 レミリアが腕を振るうと同時に周囲の空気が圧縮され、唸り、霊夢の元へと殺到する。

 

 霊夢はそれを肘を打ち付ける様にして受け流すと、懐から素早く"陰陽玉"を二つ取り出して後ろへ放り投げる。

 彼女の拳程の大きさであるソレは、ふわりと宙を泳ぎ、それぞれが両肩の付近で停止する。

 玉を見ながらレミリアは軽く瞬きをさせる。

 

「その球、見たことがあるな」

「……あっそ」

 

 顎に手を当てて言ったレミリアの言葉に霊夢が無愛想に返すと、陰陽玉は徐々に回転をし始めた。

 レミリアは愉しげに笑う。

 

「これから君がどんな攻撃を仕掛けてくるのかも、全部分かるよ」

「はん、精々避け続けてみなさい」

「任せたまえ。これでも弾幕ごっこは得意なんだ」

 

 高速に回転する陰陽玉から、大量の輝く霊符が出現し飛び出した。

 

 レミリアは空気に翼を打ち付けながら身体をうねらせて次々と霊符を躱していく。

 翼の羽ばたきから発生する風力は強く、かなり距離のある場所に立っていた霊夢の身動きを鈍くさせる程の物である。

 霊夢は目を細めてレミリアを捕捉し続けるが、短い瞬きをした間に彼女の姿が掻き消えた事でその表情は驚愕に変わった。

 

「ふふ、ガラ空きだ、ぞっ!!」

「っぐ!?」

 

 目で追う暇もなく正面に現れたレミリアが、霊夢の顔面目掛けて拳を振るう。

 風を超圧縮させる程の怪力を有しているそれが直撃すれば、どうなるかは自明の理だ。

 霊夢はそれを、首をずらすことで紙一重で避けた。

 

 そしてレミリアの足の爪先を厚底のヒールで強く踏みつけ。

 

「接近戦が……脳筋妖怪だけの専売特許だと思うなよッ!!」

「おぉ……ぐぅ……ッ!!」

 

 空気が震えさせる程の怒号。

 繰り出された霊夢の頭突きが、レミリアの顔面へと炸裂する。

 めきり、と骨の鳴る音が不気味に響き、レミリアは上体を仰け反らせた。

 

 しかしレミリアは、倒れる前にもう片方の足で踏みとどまると、頭をもたげて目の前の巫女を睨む。

 

 レミリアの視界に映ったのは、迫る白赤の球体。

 

「ッラァ!」

「がっ」

 

 空中を浮いていた陰陽玉を握り締め、そのまま打ち込まれた霊夢の左拳が、レミリアの右頬を捉えた。

 そしてそのまま拳を振り抜き、再び仰け反ったレミリアの頭、そのコメカミに続け様の肘打ちを滅り込ませた。

 

「……ッ!!」

「う、おおおおぉぉぉぉッ!!!!」

「ぁ゛っ……ぐ…… !!」

 

 仰け反りながらも不敵に笑うレミリアの眉間に、霊夢渾身の右拳が打ち落とされる。

 

 紅色のカーペットに勢い良く叩き付けられた幼女の身体は、バウンドする暇も無く追撃を喰らう。

 鳩尾への、全体重の掛かった右膝の一撃。

 

 霊夢のニードロップにレミリアの肺の中の空気は一瞬にして無くなる。

 

「かはっ……!!」

「……ウ、ルァッ!!!!」

 

 そして霊夢の拳と、落ちてくる二つの陰陽玉。

 併せて三つの鉄槌が、流星群の様にレミリアに降り注ぐ。

 

 拳は鼻っ面に。

 二つの陰陽玉はそれぞれ右と左、両腕の付け根に。

 鼻骨がミシッと音を立て、肩からはゴキリと鈍い音が鳴り響いた。

 

 紅色の双眸が見開かれ、凶暴なまでに鋭く生え揃った牙歯をギチギチと食い縛らせ痛みに耐える。

 

 しかし夜の帝王は悲鳴は上げない。

 その代わりに狂気を感じさせる笑顔を顔に貼り付け、口を開いた。

 

「く、はは……参ったな。思っていたより、やるじゃないか……」

「この程度で私とやり合おうと思ったの? 見くびられた物ね」

 

 肩を軽く上下させながら言う霊夢に、レミリアは堪えるようにして嗤った。

 

「……博麗とは、斯くも強大か」

「アンタが、弱いだけよ」

「ははっ、違いない」

 

 愉快で堪らないといった様子で嗤う。

 

「なぁ、巫女。もう少しだけ、付き合ってくれ」

「こっちは早く寝たいんだけど」

「ふふ、我儘な巫女だなぁ」

 

 即答する霊夢の言葉にニィと笑って、レミリアは全身の力を一気に抜いた。

 そのダラりと項垂れた身体から、色が、無くなっていく。

 

「……何?」

 

 軽く目を見開かせ驚愕した様子の霊夢を傍目に、レミリアの身体は服を残して灰色一色になり、はらはらと散っていく。

 静寂が空間を支配する。

 

 

 

 

 場所は変わって、紅魔館の門前。

 

 うーん、とチルノが顎を撫でた。

 チルノは妖精ではあるが、その中でも力はほぼ最上位に位置する。

 従って、知能もそこらの妖精とは一線を画したものであり、人間のそれと殆ど変わりは無い。

 

「あの鎖は、どうにかしないとダメそうね……」

 

 先程「一回休み」にされた、紫色の魔法使いの魔法。

 追尾性のある鎖は、一度締めつけられると抜け出すのは殆ど不可能に近いだろう。

 

 チルノは考える。

 あの大いなる魔女から魔理沙を救うには、どうすれば良いか。

 

「チルノちゃん? どうしたの?」

「ん、いや、ちょっとね」

 

 ひょこりとチルノの顔を覗き込む緑色の髪をした妖精、チルノに大ちゃんと呼ばれていた彼女は、不思議そうに首を傾げる。

 普段見ていた氷の妖精と、今目の前で物思いに耽っている彼女では、雰囲気が大分違ったからだ。

 

「ね、ね、あの甘い匂いってこのお家の何処で付いたの?」

「……何処だったかなぁ」

 

 煮詰まっていた頭を少し冷やそうと、大ちゃんから振られた話題に思考を移すチルノ。

 甘い匂いは確か、あの図書室で嗅いだ筈だ。

 

「この屋敷の中に本が沢山あるところがあって、多分そこで匂ったかな」

「じゃあそこに行こう! 案内してチルノちゃん!」

「え〜、ちょっと待って……って大ちゃん!?」

 

 まだ対処策を思いついていないにも関わらず、大ちゃんは一足先に門を文字通り飛び越えて行ってしまった。

 慌てたチルノがその後を追い、門の前は静寂に包まれた。

 

 

 

 

 姿を消してしまったレミリアに戸惑いながら、霊夢は周囲を見渡す。

 居ない。

 何処にも姿が見えない。

 

「……せこい技を使うわね」

 

 軽く舌打ちをしながら、どうにか気配を探る。

 

 気配は、感じるのだ。

 それも1箇所だけでは無く数箇所に。

 

 しかしどういう事か、それらの気配から発せられる妖力は酷く小さな物であった。

 凡そ先程まで戦っていた大妖怪のソレとは全く異なる物。

 

 けれども気配の質は、どれも同じ。

 つまり。

 

「……これは、分裂?」

「ご明察」

「ッ!」

 

 霊夢の耳元で、レミリアが笑いを呑み込む様にして囁く。

 身体を前方へ跳ねさせ、振り向く。

 先程まで自分が居た場所にはレミリアが居た。

 しかし、姿は今までのままでも妖力は小さいままだ。

 

 酷く弱々しい気配、妖力。

 レミリアは言葉を紡ぐ。

 

「紅い悪魔。夜の帝王。かつて万物が私をそう呼んだ」

「へー。今は見る影も無いようだけど?」

「ふふ、手厳しいな。君は」

 

 鈍く、不気味な眼光が、霊夢の双眸を貫く。

 一瞬、ほんの一瞬だけ、霊夢の体が震えた。

 

「その由縁を、今から見せようじゃあないか」

 

 玉座の後ろにあった、天井に届かんばりに巨大な大窓がガシャンと崩壊した。

 大窓を背にしていた霊夢は、音だけでそれを確認すると、手に持ったお祓い棒を僅かに握り締める。

 

「昼が人間達の世界、陽の世界だとしたら。夜とは、即ち陰の世界。妖怪が跋扈する魑魅魍魎の世界」

 

 折り畳んでいた背の翼を、大きく開かせる。

 蝙蝠のものに良く似たそれは、レミリアの小さな身体を何倍にも大きく見せた。

 同時に、ポツリ、ポツリと、室内の所々にあった朧気な気配達が具現化していく。

 

「私達ヴァンパイアという種族は、陽を浴びると身体が溶けて無くなってしまう。雨の日であると、例え夜であっても出歩けない。十字架を見せられると激しい頭痛に襲われ、大蒜の匂いを嗅ぐだけで意識がもうろうとする。それだから、大きな弱点を持った妖怪として他の妖怪や人間共には嘲られてきた」

 

 蝙蝠が、部屋の中に点々と出現する。

 天井やあらゆる家具に逆さになって吊り下がっていく蝙蝠達は、みるみる内に部屋の中を埋め尽くし。

 やがて霊夢の視界の全てが真っ黒に染まってしまった。

 その中で唯一見えるのは、怪しい輝きを放つ二つの紅の眼。

 

「だが、私達と一度でも対峙した人間は、二度と私達を侮る様な口を聞かなくなる。何故だと思う?」

「……さあね」

 

 暗闇の向こうから聞こえたレミリアの問いに、霊夢の額に冷や汗がたらりと垂れた。

 

 レミリアが、背中に背負った翼を大きく羽ばたかせる。

 それに呼応して、部屋を埋め尽くしていた蝙蝠達が一斉に覚醒する。

 何千、何万とも感じられる無数の紅い瞳が、霊夢を見る。

 まるで、全身を無数の針で串刺しにされているような感覚だった。

 

 そして、夜の帝王は言葉は紡がれる。

 

 

「口を開く事が出来なくなるからさ。永遠にね」

 

 

 轟音にも近い風圧の嵐が鼓膜を強く叩く。

 顔を顰めさせ、堪らず一歩後退した霊夢に、レミリアは一際力強く翼を羽ばたかせ、身体を宙へと運んだ。

 

「まぁ、実際の所、君をどうこうしようとは思っていない。安心してくれ」

 

 そういうと、レミリアは一瞬で霊夢の目の前へと移動し、その身体を正面から乱暴に抱き締めた。

 

「なっ!?」

「ふふっ、改めて、楽しい夜にしようじゃないか」

 

 全ての蝙蝠が羽ばたく。

 

 それは嵐に見舞われた川の濁流の様にうねりを上げ、レミリアと霊夢を呑み込んだ。

 蝙蝠の奔流はそのまま崩れた窓枠の向こう側へと飛び出し、そして二人を宙へ放り出す。

 

 依然として霊夢はレミリアの腕の中に抱かれていた。

 拘束を解こうと藻掻く霊夢の視界に、紅い月が顔を覗かせる。

 

 その時霊夢は、その呆れるほど巨大でまるで血のように真っ赤な瞳に、自分が睨みつけられている様な錯覚を憶えた。

 

「ふぅ……やっぱり月の紅い夜は心地好い。君もそう思うだろう?」

「……趣味、悪いわね……ッ!」

 

 レミリアの胸に抱かれた霊夢は苦悶な表情を浮かべながらも紅い瞳を睨みつける。

 

「この美しさが分からないなんて、勿体無い」

「生憎私は、ナチュラリストなの……よッ!!」

「おおっと」

 

 渾身の力を込めた霊夢の頭突きを、レミリアは身体を仰け反らせることで躱した。

 その隙を突いて霊夢はレミリアの拘束から無理矢理逃げる。

 

「自然が好きなら月も好きだろう?」

「そのままの月ならね。妖怪の手が加わった月なんて、見るに堪えないわ」

「ふーむ……そういうものか」

 

 吐き捨てるように言った霊夢に、レミリアは不満そうな表情を浮かべながら顎を触った。

 

「まぁ、人の感性はそれぞれだものな。仕方ないか」

「アンタが、狂ってるだけよ」

 

 眉を寄せながら言った霊夢の言葉にレミリアがふふと淑女的に笑う。

 

「狂ってる……か。確かに、そうかもしれないな」

 

 一瞬、何かに想いを馳せる様に優しげな表情をしたレミリアだったが、その顔は直ぐに挑発的な笑みに変わる。

 

「しかし君もまた人間としては狂ってると思うがね。狂ったもの同士仲良くしようじゃあないか」

「嫌に決まってんでしょう……がッ!!」

「おっと」

 

 霊夢の両肩付近に浮遊している陰陽玉が先程の様に回転し始めると、その中から飛び出した赤白い光のつぶてがレミリアへと殺到する。

 それを羽を羽ばたかせる事で危なげなく回避したレミリアは、ニヤリと笑って右の掌を霊夢の方へ突き出し、楽しげな声色をあげた。

 

「ははは、よし! 第2ラウンド開始といこうか!!」

「……っとに、面倒な奴ね」

 

 禍々しい赤黒いオーラがレミリアの突き出した掌へと収束し、徐々に形を成していく。

 

 そして出来上がったのは、長い槍の様なもの。

 

 その赤黒い槍を片手で回し、そしてまた掴む。

 

「……あまり出来は良くないが、まぁ良いか」

「何余裕ぶってんの、よ!!」

 

 己の手の中にある槍を見ながら不満げな顔をするレミリアに、霊夢が2つの陰陽玉と共に距離を詰め、両手の指の間に挟んでいた計6本の針を投擲する。

 それをレミリアは一薙ぎする事で打ち払い、接近してきた霊夢の顔面を左手で鷲掴みにした。

 

「ぐ、ぁ……っ!」

「余裕ぶってなどいないさ。これでも実戦は本当に久しぶりでね。大分、心臓が唸っている」 

 

 顔を掴む手を剥がそうと暴れる霊夢だが、レミリアの左手はビクともしない。

 いつの間にか、レミリアの左手はその幼子の姿から逸した凶暴なものへと変異していた。

 

 正しく紅の悪魔の様な、紅く、枯れ木のような腕。

 

「さて、博麗の巫女。君は人間としてはとてつもなく強いな。君を越える人間は居ないと言っても過言じゃあないだろう」

 

 紅の眼を三日月の様に弓形に歪ませる。

 

「しかし、大妖怪とサシで渡り合えるかと言ったら、少し難しい所だな」

「は、な……せぇ!!」

 

 レミリアの異形の手を引き剥がそうと爪を立て、針で刺しまくるが、全く意味を成してない。

 寧ろ一層笑みを深めるレミリアに、霊夢は本格的な焦りを感じ始めていた。

 

「そう言えば、君には博麗の巫女の座を競った好敵手がいるらしいな。名前は確か八十禍津水蛭子、だったね」

「っ! アンタ達、どうして水蛭子を巻き込んだのよ……!」

 

 先程再開した幼なじみの名を口にしたレミリアに、霊夢が問う。

 レミリアは一切考える事無く、簡潔に返した。

 

「運命が見えたからだ。君と彼女が幻想郷を変える運命がな」

「私と水蛭子が幻想郷を……?」

「最も、私が巻き込まなくても彼女は君と共にこの異変を止めに来たさ」

「だから、わざわざあの子を巻き込んだ理由を教えなさいよ」

 

 指の隙間から睨む霊夢に、今度は少し考える。

 

 それから異形の手の拘束を緩め、霊夢を軽く投げ飛ばした。

 

「……あまり言いたくないので今度で良いか?」

「はぁ?」

「こう見えても立派な乙女でね。言うのが恥ずかしい事の一つや二つあるよ」

「どの口が言ってんのよこの化け物」

 

 はにかむレミリアに霊夢は痛む顔面を抑えながらも呆れた顔をした。

 

「この話は一度終わろう。君は私を倒しに来たのだろう?」

「……正直ちょっとやる気が削がれたけど、アンタとだべっててもこの悪趣味な雲は消えないだろうしね」

「ふふ、ホントに君とは趣味が合わないな」

「だからアンタがズレてるんだって」

 

 レミリアが槍を構え直し、霊夢は符の束を懐から取り出した。

 

 接近戦では少し分が悪いと考えた霊夢が、符を投擲して自身の周囲に結界を張り巡らせる。

 

 円状のそれは中の霊夢が移動すると同時に動き、外を衛星の様に周回している陰陽玉も同じように追尾する。

 

 そして陰陽玉から発射された弾幕が遠距離のレミリアを攻撃し始めた。

 

「む、結構姑息な手を」

 

 宙を踊り舞う様に弾丸の嵐を躱していくレミリアが、意外そうに呟いた。

 

「アンタと真正面からやり合ってたら命が何個あっても足りなそうだからね」

「嬉しい事を言ってくれるが、君の専売特許は近接戦闘ではなかったのか?」

 

 霊夢が「え?」と声を洩らした。

 

「遠距離戦はもっと得意だって言うの忘れてたっけ?」

「……それは、聞いてないぞ」

 

 神妙な顔をするレミリアに、霊夢がニヤリと笑う。

 

 博麗の巫女は、まだ本領を発揮していない。

 

 

 

 

「うわぁぁぁ!?」

「何よ、まるで化け物を見るかの様な反応して」

「化け物だろうが!!」

 

 目を覚ました魔理沙の視界に飛び込んできたのは、紫色の悪魔パチュリーが優雅にティーカップを傾けている姿だった。

 突然の大声にパチュリーは不服そうな顔で返すが、魔理沙に即答され少し笑ってしまう。

 

 寝起き早々腰を抜かすというレアな体験をした魔理沙が周囲を見渡す。

 どうやら場所は変わらず図書館らしい。

 

「おはよう魔理沙。何か飲む? 紅茶とココアがあるわよ。水蛭子ちゃん的にオススメなのはココアかな」

「いやいやいや……さっきまで殺しあってた奴と良く茶が飲めるな……!」

「まぁまぁ細かい事は気にしない気にしない」

「全く細かくねぇよ!!」

 

 超のんきな事を言っている水蛭子に噛み付く魔理沙を、今度はパチュリーが「落ち着きなさい」と諭す。

 

「昨日の敵は今日の友というじゃない」

「許容出来る範囲を超えてんだよお前は! 何だそのドヤ顔腹立つな!!」

「カルシウム不足みたいね……えーと、確か向こうに魔法素材用に取っておいた妖怪の骨が……」

「取りに行かんでいい取りに行かんでいい! 骨は食べないんだよ人間は!!」

 

 座っていた椅子から立ち上がろうとしたパチュリーを止めてから、魔理沙は盛大にため息を吐く。

 今日負った精神的ダメージが限界突破しそうで頭がズキズキと痛み出した。

 

 そんな魔理沙の苦悩を知ってか知らずか、いい笑顔の水蛭子がココアの入ったマグカップを差し出す。

 カップからは湯気が立ち上っており、入れたてだということが見て取れた。

 

 魔理沙は一瞬躊躇したが、甘い物を摂取しないとストレスでハゲ出しそうだなとマグカップを受け取り、一口飲んだ。

 

「……めっちゃ美味い」

「落ち着く味だよね〜」

「お前はちょっとリラックスし過ぎな気がするけどな」

 

 魔理沙のジト目での指摘に水蛭子は「そうかな?」と不思議そうな顔で疑問符を浮かべた。

 

「和んでるところ悪いんだけど」

 

 開いていた本をパタンと閉じたパチュリーが、間に入るように二人に話し掛ける。 

 

「霊夢とレミリアが闘い始めたみたい。手助けに行かなくて良いのかしら?」

「あ、そうですね……! 魔理沙も起きたし……私、行ってきます!」

 

 パチュリーの言葉に頷き、近くの本棚に立てかけてあった長棍を手に持ち浮遊した水蛭子が、「魔理沙はゆっくり休んでて!」と言って早々と飛んでいってしまった。

 

 闇に消えていく水蛭子を眺めながら、パチュリーが問いかける。

 

「貴女はどうするの?」

「……私が行っても、どうせ足でまといになるだろうな」

「あら、そう」

 

 俯いた魔理沙につまらなさそうに言うと、パチュリーは閉じていた本を開いて再び読み始める。

 

「所詮はただの人間ね」

「ああ、そうだよ。だけどな」

 

 素直な肯定が返ってきた事を意外に思い、パチュリーが立ち尽くす魔理沙の方を見る。

 

 魔法を使う程度の力を持った少女は、俯かせていた顔を上げ挑発的に笑い、そして吐き捨てる様に言った。

 

「お前と同じ部屋に居るくらいなら、アイツらの手助けに行った方が数倍マシだぜ!」

「……」

 

 固まったパチュリーに対して『アッカンベー』をした魔理沙が、自身の箒を握り締めて走り出す。

 浮遊を始めた箒に跳躍して跨り、先程の水蛭子よりもずっと速い速度ですっ飛んで行くと、魔理沙の姿は一瞬で見えなくなってしまった。

 

「……なるほど、ただの人間も少しは面白いじゃない」

 

 パチュリーは図書館を支配する闇を見ながら、自身が気付かないうちに浮かべていた深い笑みに気付いて、更に微笑む。

 

 魔理沙の飛行速度は、パチュリーがかつて見た先代の博麗の巫女をも越えていた。

 

 

 





 二年ぶりの更新です。

 当時読んでいてくれた方々はもうここには居ないかもしれませんが、続きを細々と書いていこうと思います。
 私自身、水蛭子と霊夢の物語を見届けたいから。

 新たに読んでくれた方や、もし仮に再びこの物語のページを開いてくれた方が居たのなら。
 本当に本当にありがとうございます。

 どうか私と一緒に、少女達の物語を見守ってくださると嬉しいです。
 よろしくお願いします。

追記, 名前変えました。


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第二十話 神の槍

 

 

「な、んだこの弾幕は……!」

 

 迫り来る霊符と光のつぶてをなんとか躱していくレミリアが悪態を吐く。

 飛んでもない量の弾幕であるにも関わらず、その幾つかは飛び回るレミリアを追尾してくるからだ。

 それに加えてある程度レミリアが移動する場所を予測して撃ってくるから、タチが悪い。

 

 運命を操る能力を持つレミリアであっても、戦闘時に相手がどのような行動をしてくるかをその都度視るのは難しい。

 自身が最も得意とする近接戦闘に持ち込もうとしても、弾幕の質量が多過ぎて近付く事が出来ない。

 

 ……となると。

 

 

「捨て身でその首、貰おうか」

 

 

 レミリアの頭に浮かんだのは神風特攻。

 

 被弾したとしても相手を捕らえることが出来ればこちらのモノという考えのもと、蒼銀の髪をたなびかせた吸血鬼は弾幕の中へと突っ込む。

 

 霊力を纏った弾丸達は突き進むレミリアの身体を容赦無く傷付ける。

 しかし紅い双眸は依然として笑っていた。

 

 弾丸の嵐を抜け、トップスピードを維持したレミリアが槍を突き出す。

 

「チッ、予想はしてたけど本当に脳筋妖怪ね……!」

「お褒めに預かり光栄だよ!!」

 

 どす黒い槍が霊夢を護る結界に勢い良く衝突し、それでも砕けない青く透明な壁は激しい波紋を脈打つ。

 

 先代の代では鬼の大親分の一撃にすら耐え得たというその超強力なバリアに、レミリアの槍が徐々にくい込む。

 

 小さな図体に見合わぬ膂力に、霊夢は「マジ……?」と軽く洩らし、引き攣った笑いを浮かべた。

 

「何食ったらそんな力付くわけ……?」

「パンとワイン」

「神の肉と神の血? 吸血鬼って種族はキリストが嫌いなんじゃなかった?」

「それは誤解だ。嫌いなのは十字架だけさ。……それと吸血鬼という呼び方はよしてくれ、直接的過ぎてあまり好きじゃないんだ」

「あ、っそ!!」

 

 槍が結界を穿った瞬間、霊夢は反対方向の結界だけを解いてその場から離脱する。

 

 半球状に残った結界を貫いた槍と距離を取っていく霊夢を交互に見て、感心の笑みを浮かべながら槍を抜こうとしたレミリアが、ガッと停止する。

 

 見ると、容易に抜けると思っていた槍の切っ先には何重にも符が貼りまくられていた。

 

「悪霊退散の符よ。今アンタはその槍持ってるだけで力が抜けてくわ」

「小細工が上手いな、当代の博麗は」

「それはアンタが手加減されてただけよ。私と先代を比べてるつもりならね」

「ふはっ、抜かせ小娘! 私の力はまだまだこんなものではないぞ!!」

 

 裂けているのではないかという程に大きな口を歪ませたレミリアが、槍を手放し、心底面白そうに笑い。

 

 そして唱える。

 

「来い、神の采配よ」

 

 言葉を紡いだ瞬間、レミリアの巨大化していた片腕に雷のような鮮烈な閃光が纏わりついた。

 

 光はまるでとぐろを巻いた蛇の様にうねり、ギャリギャリと破壊的な音を立ててその腕を延長するように伸びていく。

 

 レミリアの身長をゆうに越して、倍以上の長さまで伸びた光は、その先端のみをブクリと膨張させて動きを止めた。

 

 桃色の光を乱反射し輝くその物体は何処か玩具めいたシンプルさがある形状をしているものの、一瞥して槍であることは分かった。

 腕と一体化したそれを、レミリアが大きく横一線に薙ぎ言葉を連ねる。

 

 

「これぞ神槍。銘は、『スピア・ザ・グングニル』」

 

 

 バヂリと雷の様に弾けた光が、レミリアの凶悪な笑みを不気味に照らした。

 

 

 

 

「〜♪ 〜♪」

「……」

 

 やたらと長い廊下をご機嫌に鼻歌を口ずさみながら、緑髪の妖精が飛んでいく。

 その後ろをついて行くチルノは、胸に抱いていた罪悪感を大きくしていた。

 

 こんなにご機嫌な友人を、先程自分を『一回休み』にした妖怪と対面させようとしているのだから、そう思うのも無理はない。

 しかし「良い匂いがするから」で着いてくる彼女も彼女であるのだが、チルノの心は悶々としていた。

 

 そんな氷の妖精の葛藤を無視するように、先程恐るべき魔法使いと交戦した図書館の入口が姿を現した。

 しかし。

 

「あれ、壊れてる」

 

 先程暴力的な巫女の強烈な飛び蹴りによって憂さ晴らし気味に吹っ飛ばされた扉がそこにあった。

 

 さっき見た時はこうはなってなかった為、チルノは訝しげな顔をした。

 それでも、まだあの魔法使いと戦っているかもしれない魔理沙の事を思い出し、一歩踏み出した。

 

 

「チルノちゃん、こっちこっち〜」

 

 

 決意を込めた一歩が間延びした呼び声に止められる。

 振り返って見てみると、大ちゃんが嬉しそうな顔で廊下の奥の方を指さしていた。

 

 チルノは首を傾げながら大ちゃんへ言う。

 

「え、でもさっきあたいが言ったのはここだよ?」

「こっちからの方が良い匂いするもん」

「あっ! ……もう! 待ってよ大ちゃ〜ん!」

 

 匂いに釣られて飛んでいってしまった大ちゃんと図書館の入口を交互に見て、一瞬の逡巡の後。

 呆れ顔をしたチルノは大ちゃんを追いかけて廊下の奥へと飛んだ。

 

 

 再び長い廊下を飛んでいた二人が、前方に現れた人影を見て停止する。

 

 先程の魔法使いかと身構えたチルノをよそに、大ちゃんが警戒心ゼロでふよふよと人影に向かう。

 チルノが慌てて制止しようとするが、人影をもう一度見て開きかけていた口を閉じた。

 

 壁にもたれていた人影は、どうやら眠っているようだった。

 規則正しいリズムで寝息を立てる少女……十六夜咲夜はやたら穏やかな顔をしていて。

 毒素を抜かれたチルノはフッと肩の力を抜いた。

 

 咲夜に近付いた大ちゃんが、クンクンと動物のように彼女の匂いを嗅ぎ、にへらと笑う。

 

「チルノちゃん。この人とっても甘い匂いがする」

「え? ……確かにするけど」

 

 寝息を立てる咲夜をスンスンと軽く匂いながら、なぜこの少女はこんな所で寝ているのだろうとチルノは頭の上に疑問符を浮かべた。

 

 ヒソヒソと話す妖精達の声に、閉じていた瞼がピクリと動く。

 

 

「ん……」

「あ、起きた」

「大丈夫ですか〜?」

 

 

 眉を寄せながらゆっくりと目を開いた咲夜は、自身を覗き込む二人の女の子を見てピシリと固まった。

 

「……」

「あれ? もしかして目を開けたまま寝てるのかな?」

「いや多分目を覚ましていきなりあたい達が居たからビックリしたんじゃないの?」

「あ〜なるほど〜」

 

 笑顔で頷く大ちゃんと呆れ顔のチルノを交互に見て、咲夜はもう少しだけ沈黙を続けた後、口を開いた。

 

「貴女達……妖精? どうしてこんな所に……」

「チルノちゃんがね、良い匂いがする場所があるから行こうって」

「かなり違うけど……まぁそんなところね!」

「ちょっと、何言ってるか分からないけど」

 

 まだ若干の戸惑いを残しつつも立ち上がると、咲夜は腰に下げていた懐中時計で時間を確認する。

 半刻程寝ていたみたいだ。

 

「……結構寝てたわね」

「なんで寝てたの〜?」

「確かに良い子は寝る時間だけど、廊下で寝るなんてあんたよっぽどのんびり屋なのね」

「……」

 

 握っていた懐中時計を更に強く握ろうとして、思いとどまる。

 完璧で瀟洒なメイドはこの程度で機嫌を悪くしたりしない。絶対にしないのだ。

 

 ポーカーフェイスを保った咲夜が二人を放って歩き出す。

 自分の役割はもう終わったが、自分の主人がどういう状況にあるのかを確認したい。

 

 確か謁見の間に居ると言っていたなと思い起こしていると、ふよふよと咲夜の歩く両隣に妖精が飛んできた。

 少し鬱陶そうにしながら咲夜が言う。

 

「ちょっと、着いて来なくて良いわよ」

「ねーねー、お姉さんお菓子持ってるでしょ?」

「お菓子? ……良く分かったわね」

「大ちゃんはすっごく鼻が良いんだよ」

「へえ」

 

 咲夜は昔餌付けしていた路地裏の野良犬を思い出しながら、小さな紙袋をポケットから取り出した。

 

「……」

 

 紙袋の中身はクッキーだ。

 咲夜は普段、主人や他の住人の前でおやつを食べる事は無いが、実は隠れて余ったクッキーを食べている。

 これもそういった経緯でポケットに忍ばせていたのだが、そう言えば食べるのを忘れていた。

 

 焼き上げてから時間が経っているので、少し湿気ているかもしれない。

 

「冷めてるから美味しくないかもしれないけど、食べる?」

「「食べる!!」」

 

 間髪入れずに声をあげた妖精達に少し驚きながら、袋の中に手を入れた。

 手を出した二人の手のひらに、クッキーを二枚ずつ置く。

 

「あれ、あんたの分は?」

「私は良いわよ、いつも食べてるから」

 

 また新しいのを焼いた時に味見するし、と考えながら他意の無いよう言うと、チルノは少し不思議そうな顔をして。

 

「なんで? あんたも食べなよ。ほら」

「私のもあげる〜」

「え」

 

 妖精たちから受け取った二枚のクッキーを見ながら、「本当に大丈夫だから」と口を開きかけて、噤んだ。

 

 以前美鈴にしてもらった、「やり方を変えるだけで良いんですよ」というアドバイス。それが脳裏によぎったからだ。

 

 普段妖精メイド達におやつをあげる時も、咲夜は一緒に食べることはない。

 たまに一緒に食べようと誘ってくる妖精メイドもいるが、咲夜はそれをいつも断っていた。

 

(……変わるってこういう事? 美鈴)

 

 

「……ありがとう」

 

 

 そう言って、咲夜はちょっぴり、不自然かもしれない笑顔を浮かべた。

 

 それでも妖精達はいい笑顔で頷き。

 

「どういたしまして!」

「皆で食べる方が美味しいもんね〜」

「皆で、食べる方が」

 

 大ちゃんの何気無く言った言葉が、咲夜には酷く新鮮で。

 

 一口齧ったクッキーは冷めているにも関わらず、何故かいつもより美味しく感じた。

 

 

 

 

 今全力で霊夢を助けに行ってるけど、これ良いんだろうか。

 

 え、霊夢の迎撃は? とか言われないかしら。

 まるっきり逆の事してるもんね……。

 

 あぁそうだ。霊夢がレミリアさんに勝てそうだったら、ラスボスみたいな感じで登場してやろうかな。

 

 ……いや、でもそれやったら何も知らない霊夢に気が狂ったと思われる可能性もあるな……。

 さっき普通に話した後だから余計に不自然よね。

 

 ああもう、どうすればいいの!!

 

「ど、どうしたんだ水蛭子。そんなに霊夢が心配なのか?」

「エッ、いや、そ、そうね! あの子昔から結構無茶してたし、すごい心配なのよね!」

 

 思わず頭を掻き乱してたらちょっと引き気味な顔をした魔理沙に心配されてしまった。

 霊夢と闘うかどうかで迷ってるのとは言えないから、適当に誤魔化す。

 

 ……まてよ、さっき「細かい事は気にしない」とか魔理沙に言ったけど、確かに殺されそうになってた彼女の前でパチュリーさんと普通に話したりするのエグい程不自然だな!!

 

 う〜どうしよう頭の中がてんやわんやだ……。

 

 いや、兎にも角にも、まず霊夢の身の心配をしよう。

 幾らこの異変が解決される事前提のものだったとしても、霊夢に大きな怪我なんかがあったら大変だもの。

 

 そんな感じで色々考えていると、私の隣を箒に乗って並走している魔理沙がなんだか微笑ましそうな笑みを浮かべこちらを見ていた。

 生暖かい目にちょっと戸惑いながら、魔理沙へ尋ねる。

 

「な、なに?」

「いや、霊夢のヤツ、愛されてるな〜と思って」

「え、まぁ昔からの親友だからね」

「またまた、私の前では気にしないでくれていいぜ。恋の形は人それぞれだからな」

「んんんん?」

 

 待て待て待て。

 悩みの種がまた増えようとしてるぞ!!!!

 

「魔理沙? 貴女少し勘違いしてるようだけど、私と霊夢はそういう仲じゃ……」

「お! 水蛭子、その話は後だ。霊夢と敵の親玉が居るのってあそこじゃないか?」

「……うん、扉も開いてるし、多分そうだと思うけど」

 

 館の中でも一際大きな扉を見つけ声をあげた魔理沙に肯定を返したが、この話は先に決着付けておきたい。

 

 というか藍さんにも同じようなこと言われたけど、私と霊夢って傍から見るとそう見えちゃうの……?

 いや別に嫌というわけではないけど、私の恋愛対象は男性だし、勘違いされたままだと物凄く困る。

 

 霊夢の方も、昔恋バナとかした時は男の人のタイプとか言ってたし……。

 

「あのね魔理沙、私も霊夢も恋愛対象は男の人で──」

「あれ、中に誰も居ないぞ」

「聞いてー?」

 

 扉の正面に立った魔理沙の後ろから部屋の中を覗くと、確かに誰も居ない。

 ただ戦闘の跡なのか、床に敷かれた赤いカーペットはちらほら破け、装飾が傾いている。

 戦闘というよりは台風が去った後の様な風景がそこにはあった。

 

 確かに弁解をしている場合ではなさそうだ。

 

「大窓が割れてる。外に出たみたいだな」

「私達も行きましょう」

 

 身体を浮かせ、魔理沙が指さした大窓に向かって飛ぶ。

 窓の向こうには丁度赤く染まった月があって、何ともいえない迫力と、妖しい魅力がある。

 こんな時じゃなかったら月見酒でもしたいなと思う絶景であるが。

 

 

 ──その月と交わる様に、何か赤と白の物体が上空から落ちてきた。

 

 

 一瞬、脳が理解してくれなかった。

 

 宙を流れる黒濡れの細い糸達。

 赤い月光を反射し、鈍く輝く白い肌。

 

 私はそれを、見たことがある。

 

 内に秘めた燃えるような情熱を表現した赤と、小春の太陽のように全てを柔らかく照らす優しさを表現した白。

 歴代全ての彼女たちがその身に纏い命を燃やした、気高き紅白を。

 

 

 

「霊夢ーーーーーッ!!!!」

 

 

 

 気付いた時には、全力で空を駆けていた。

 

 彼女を落とした相手が上空にいる筈だったが、そんなの関係無い。

 例え私が攻撃を食らって腕や足が吹っ飛んだとしても、構いはしなかった。

 

 ただ、助ける。

 幻想郷を護る為に独りで戦う彼女を、私が護るんだ。

 

 

「う、おおぉぉぉぉッ!!!!」

 

 

 落ちる霊夢を追いかけて、飛行の速度を更に上げる。

 まだだ、もっと速く!!

 

 ここで彼女の手を取れなかったら、私は一生自分を怨むぞ!!

 頼む、水蛭子、お願いだ。頼む!!

 

 

「と、ど……けえぇぇぇぇぇぇッ!!!!」

 

 

 迫る庭園。

 

 美しく咲き誇る花々がまるで地獄へ誘う亡者達の手のように思える。

 

 生者の手は、私の手は。

 

 中指の爪が霊夢の皮膚を少し削っただけで。

 宙を、滑った。

 

 

「あ……」

 

 

 全てが終わりを告げる喪失感の中、それでも何度も、何度も手を伸ばし、掴みかけて。

 届かない。

 

 届かない。

 

 脳裏を走馬灯が走る。

 

 

 八雲紫に手を引かれていた幼い少女。

 

 一緒に博麗の巫女になる為に頑張ろうねと手を差し出した私に、少しだけ驚いたような顔をしてから、恥ずかしそうに握り返してきた、私よりちょっぴり小さな手。

 一緒に甘味屋に赴いた時、なんと食べるのが初めてだったという団子を食べて、その瞬間に見せたとびきりの笑顔。

 

 自分の力を過信して妖怪に挑んだ結果、殺されかけていた私を助けてくれ、泣きながら怒ってきた時のあの顔。

 

 博麗の巫女に選ばれた霊夢に、悔しさのあまり「大嫌い」だと言ってしまった私を、ただ見つめているだけだった黒曜石のような揺れる瞳。

 

 数年越しの仲直りを経て、一緒に里へ出かけた日の夕暮れ。「幸せ」だと言ったアンタの笑顔が目を背けたくなるくらいに綺麗で。

 

 二度と、離れたくないって心の底から思ったの。

 

 

「折角……折角取り戻せたのに……!!」

 

 

 涙で霞む視界、地面はもうすぐそこ。

 このまま突っ込めば私も霊夢も死んでしまうだろう。

 

 ……救えないなら、いっそ私も一緒に──

 

 

「諦めんなァ!! バカヤロォォォォッ!!!!」

 

 

 怒号と共に、骨が折れるんじゃないかと思うくらい強烈な衝撃が身体を叩いた。

 輝く金色の川がブワッと視界に広がり、身体が重力から急激に引き剥がされていくのを感じる。

 

 首を何とか動かし隣を見ると、癖のある金髪越しに見慣れた黒髪と大きな赤いリボンを見て、引っ込んでいた涙が再び込み上げてきた。

 しかし。

 

 

「おい泣くのは後にしてくれよ! 両手が塞がっちまってるからこのまま体勢を立て直すのはちと無理だ! 一旦着地するから水蛭子も浮いて減速させてくれ!!」

「わ、分かった!!」

 

 

 余裕のない早口での言葉に頷いて、二人の身体にしがみつきながら徐々に身体を浮かせていく。

 

 下を見ると思ったより地面スレスレを飛んでいて肝が冷えたが、どうやら助かったようだ。

 

 花の生えていない綺麗に狩り揃えれた芝生の上に三人転がるように着地(墜落という方が正しいかもしれない)して、身体中の痛みを我慢しながら立ち上がる。

 

 

「いてて……た、助かったわ魔理沙……」

「礼には及ばないぜ……と、言いたいところだけど……今度団子でも奢って欲しいな……」

 

 

 心底くたびれた様子の魔理沙に苦笑しながら頷いて、ハッとする。

 

 霊夢は、霊夢は無事だろうか。

 魔理沙の隣で依然として動かない霊夢に近寄って、呼吸を確認する。

 そして静かな呼吸と共に、小さく上下する胸を見た瞬間、全身の力が一気に抜けた。

 

 

「良かったぁ、生きてる……!!」

「のんきな顔して寝てるなぁ……人の気も知らないで」

 

 

 大きなため息を吐いた魔理沙がそう言いながら空を見上げて、そして固まる。

 

 それを見て私も思い出した。

 霊夢を殺しかけた相手が居るという事を。

 

 ゆっくりと魔理沙の見上げる方に視線を移すと、彼女は月光を全身に浴びて宙に佇んでいた。

 

 異形な姿になった左腕と、それと一体化した様な鮮やかなピンク色の槍。

 

 

「……八十禍津水蛭子。何故貴様がここに居る?」

 

 

 訝しげに眉を顰めたレミリア・スカーレットは、紅い双眸で私を睨んだ。

 

 

 

 




 
 かなり寒くなってきましたね。
 私の住んでいる場所は朝1℃とかなので出社する前に凍てついた車と格闘するのがすごい大変です。

 皆様方、風邪など引きませんようご自愛ください。
 それでは。
 


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第二十一話 貴き大幣

たっときおおぬさ


 

「何故って、貴女が私を呼んだんじゃないんですか?」

「……なに?」

 

 水蛭子は困惑していた。

 

 自分をこの館に呼んだと思ってきたレミリアが、訝しげな様子で眉間に皺を寄せている。

 嘘偽りの無いその表情。もしシラを切るつもりで装っているのだとしたら、彼女はかなりの役者だ。

 苦虫を噛み潰したような顔で呟かれたレミリアの次の言葉に、水蛭子が首を傾げる。

 

「もしや、パチェか? アイツめ……最近顔を見せないと思ったら勝手な事を」

「パチュリーさん?」

 

 パチェとは、先程まで水蛭子と共に居たパチュリー・ノーレッジの事だろう。

 しかし水蛭子の中の疑問は更に増える。彼女が自分を呼んだ? 一体何故?

 そう考えている内に、レミリアは短い沈黙を破る。

 

 槍を持った異形の腕が仰々しく上げられ、思い出したように貼り付けられた挑発的な笑みに、水蛭子の思考はバラりと散らばった。

 

「……そうだ、異変の真っ最中だったな。折角だ、お前達も軽く揉んでやろう」

「な、なに? ホントにどうなってるのこれ」

「考え事してる暇は無いみたいだぜ! 来るぞ!!」

「ッ!」

 

 カタパルトから射出された戦闘機の如く、猛スピードで飛来するレミリアに先に反応したのは魔理沙だった。

 彼女は素早い動作で霊夢を抱え、浮かせた箒に跨り急離脱し、首だけで振り返る。

 そして此方に向かって来ていない吸血鬼を見ると、空中で動きを止め、その場に佇んだままの少女に向かって叫ぶ。

 

「水蛭子!!」

 

 反応が遅れた為、レミリアの突貫を躱すのが困難だと判断した水蛭子は、長棍を前方に構えて迎撃体勢を取る。

 そして宙に浮かぶ魔理沙へ向かって大きく声を掛けた。

 

「魔理沙はそのまま霊夢を安全な所まで連れて行って! 大丈夫、少しの間なら戦えると思うから!」

「……おう! 直ぐに戻る!!」

 

 博麗の巫女を打倒した存在に立ち向かう少女に、一瞬の戸惑いの表情をみせた魔理沙だったが、逡巡の思考の後に頷き、全速力で庭園の上空を駆けた。

 

 急速に遠くなっていく魔理沙の姿を視界の隅で確認しながら、水蛭子が棍を握る力を強める。

 

 少しの時をかけて、両者の獲物が交わった。

 

 水蛭子を穿つ為に突き出された桃色の槍が、横から叩きつけられた長棍の側面をガリガリと滑る。

 それが己の手へと到達してしまう前に、水蛭子が長棍を大きく跳ねさせ、そのまま何も無い空間へ槍を受け流した。

 勢いそのままに芝生を抉った槍と共に、ガクンとバランスを崩したレミリアが、そのままの体勢で水蛭子を見た。

 

「ほう、私の攻撃をいなすか」

「……レミリアさん。どういうことですか? この異変は形だけのものじゃなかったんですか?」

 

 感心交じりの楽観的な声に、今度は水蛭子が眉間に皺を寄せながら、非難めいた声色で言った。

 愉しげに双眸を曲げたレミリアは深く頷き、言葉を返す。

 

「その通り。この異変では誰も死なないし、あと数刻で無事解決するだろうな」

「でもさっき霊夢は死にかけたんですよ!? 言っている事とやっている事が違うじゃないですか!!」

「まあ……さっきのは事故だ。博麗の巫女が思ったより強かった。手加減が出来ない程にな」

「な……ふ、ざけるなぁッ!!!!」

 

 怒号を上げた水蛭子が繰り出した横一閃の鋭い薙ぎを、レミリアの槍が易々と受け止める。

 鍔迫り合いを挟さみ、水気を帯びた山吹色の瞳が、紅の双眸を貫いた。

 

 震える声を隠すことなく、水蛭子が叫ぶ。

 

「本当に死んじゃったら、どうするんですか!?」

「それこそ事故だろう。そもそもあれしきの事で死んでしまうのなら博麗の巫女失格じゃないのか?」

「この……! 知ったような口を利くなッ!!」

「おっと……! う、ぐっ!!」

 

 長棍に掛かっていた力が唐突に無くなった為、レミリアが再びバランスを崩した。

 ガラ空きになったその鳩尾に、ウェストポーチから取り出された符の束が、掌底と共に叩きつけられる。

 

 衝撃と共に前傾姿勢になったレミリアの顎を、長棍の先端がガキンとかち上げ、幼女の身体が大きく仰け反った。

 そして無防備になった喉の急所に、捻りの加わった渾身の突きが炸裂する。

 

「ガッ!?」

「霊夢は先代にも負けない、物凄く立派な博麗の巫女です! 今日あの子に会ったばかりの貴女に、何が分かるんですか!!」

 

 冷静さを保とうとしながらも、幼なじみを貶された事に対しての怒りをフツフツと増加させ、水蛭子が叫ぶ。

 対して、大きくのけ反り、倒れかけた身体をそのままの状態で固定したレミリアは、くつくつと堪えるように笑い始めた。

 

 ぬらりと上体を起こし、幼い形のままの片手で自身の顔を覆い、弧を描いた大きな口を小さく動かす。

 

「ふ、はは。……そうかそうか、博麗の巫女が特別な訳ではなく、博麗の巫女候補になった者が、皆そうなのか」

「何を言って……」

 

 自分の言葉に対しての返答ではなく、明らかな自己完結の形を取っているレミリアの言葉。

 水蛭子は訝しげに目を細め棍を構え直し。

 

 

「君にも、手加減するのは難しそうだ」

 

 

 愉しげな声が鼓膜を撫でるのと同時、その身体が突然上空へ吹っ飛んだ。

 

「う、わ……っ!?」

「そら、気を抜いていると君も博麗の巫女の二の舞いになるぞ」

 

 きりもみに回転しながら上昇を続ける自身の身体を、自発的に浮かせる事で制御しようとした水蛭子であったが。

 

 視線をレミリアに戻しかけた所で、再び強い衝撃を体に受ける。

 

「っ!!」

「寸前で止めるか。やはり動体視力も人間離れしている。まるで博麗の巫女そのものだな」

「く、そ!!」

 

 幼い拳を突き出したレミリアの姿を見ながら、悪態をつき素早く距離を取る。

 どうにか棍と肘で衝撃を受け止められたが、ビリビリと震える己の腕に、水蛭子は小さな恐怖を感じた。

 

 恐らく先程の衝撃はただのストレートパンチ。そちらの手でこれ程の威力なのだ。もう片方の、異様に筋肉の隆起した腕で同じ事をされたら、果たして耐えられるのか。

 イメージをした瞬間、全身から冷や汗がぶわりと溢れた。

 自分の情けなさと無力感に、白い歯がギリと音を立てる。

 

 八十禍津水蛭子は、目の前のこの幼きヴァンパイアに勝てない。

 理解してしまえば、恐怖も倍増してしまう。

 

 怯える頭を、震える身体を、水蛭子は深い深呼吸を繰り返す事でどうにか抑えようとして。

 

 閉じた瞼の裏に、幼馴染の笑顔が映った。

 

 

「(……霊夢)」

 

 

 博麗の巫女は、たった一人で幻想郷を守ってきた。

 そんな彼女を自分は守りたい。

 

 本当の幻想郷を共に創っていく親友を、守りたい。

 

 たとえこの手足がもがれ、命を落としてしまう事になったとしても、それが彼女を救う代償であるのならば。

 

 何も、怖くなんかない。

 

 

「はあぁぁぁっ!!」

「真正面から来るか。流石にそれは喰らわんよ」

 

 

 突き出された棍の先端を、小さな手が鷲掴む。

 しかしそれを予期していた水蛭子は、ウェストポーチの中から素早く封魔針を取り出し、間髪入れずにレミリアの手に突き立てようとして。

 レミリアが棍ごと水蛭子をブン投げた。

 

 眉を寄せながらレミリアが言う。

 

「むぅ。戦闘スタイルも似ているな君達は」

「さっきのは、元々私が考案した秘技です」

「針で手を刺すのがか? 秘技というには少し地味だが」

「他にもあります、よ!!」

 

 両手の指に挟んだ計六本の針をレミリアに向かって投擲した水蛭子が、更に上空へ飛んだ。

 

 殺到する針を、レミリアは翼を羽ばたかせて発生させた風で吹き飛ばす。

 

 一瞬視界から外れてしまった水蛭子を追い、上空を見上げたレミリアに視界に映ったのは、突き出された長棍と、目と鼻の先まで突撃してきていた水蛭子の姿。

 

 

「何をしている?」

 

 

 わざわざ上空へ離脱したにも関わらず、何の策も講じられていない行動に、怪訝な表情をするレミリア。

 しかし次の瞬間、それは驚愕に変わる。

 

 先程までは棒同然の見た目をしていた六角形の長棍に、何か尻尾の様なものが付いていた。

 

 白い正方形の、布か紙のようなものが鎖の様に連なっている様なそのフォルムは。

 

 

「大幣(おおぬさ)、だと!?」

「正解です!!」

 

 

 巨大なお祓い棒を象った棍と、槍との衝突が空気を揺らした。

 

 目も眩む程の鮮烈な火花が両者の視界を染め上げ。

 それでも、怯むこと無く水蛭子は体を動かす。

 

 跳ね上げた棍に、僅かに体勢を崩したレミリアの胴体目掛け、四本の針を投擲。

 そして間髪入れずに体をぐわりと捻じ曲げ、レミリアの脳天目掛け大きくぶん回した棍が勢い良く叩きつけられる。

 

 レミリアは針をそのまま受け、それに構う事なく棍の一撃を槍で受け止めた。

 鳴り響く暴力的な音に、ニヤリと薄桃の唇を歪め、レミリアは楽しげに言葉を放つ。

 

「困ったな。本当に、手加減出来ないじゃないか!!」

 

 声と共に、棍ごと水蛭子を振り払い、腹と胸に刺さった針を小さな手で抜き取って放り投げる。

 だくだくとドス黒い血液が流れ出るが、気にした様子も無く、レミリアは槍を正面に構えた。

 

「くふ……さあ、博麗の片割れの力を私に見せてくれ! 貴様も手加減してくれるなよ!!」

「……ええ、手加減、無しです」

 

 見開かれた山吹色の瞳と、愉しげに歪んだ紅の双眸が、互いを貫いた。

 

 

 

 

「結局私の出番、無かったです」

「無傷だったなら良いじゃない。私なんて二度もボコボコにされたわ」

 

 半笑いで放たれたパチュリーの言葉に、不服そうに口を尖らせていた美鈴は驚きで目を丸くした。

 

「パチュリーさんが? 手加減してたんですか?」

「どちらかと言うと日の相性が悪かったわね。火曜日はあまり好きじゃないのよ、火は魔女の天敵だから」

「……それって魔女狩りですか? 魔法ってそんな何世紀も前の出来事も作用するものなんです?」

「別に、されないけど」

「じゃあ単に苦手なだけじゃないですか、火属性の魔法が」

「ええい、うるさいうるさい」

 

 ぼふぼふと弱い力でお腹を殴ってくる魔女に苦笑いしながら、美鈴が空を見上げる。

 自身の主人であるレミリア・スカーレットと、対峙する八十禍津水蛭子。

 何やら話しているみたいだが、門前までは聞こえて来ない。

 

「……おや。あの子は確か、霧雨魔理沙でしたっけ」

「アイツには勝ったわ」

「いや魔法使い歴百余年の人が普通の人間相手に何ドヤ顔で言ってるんですか」

「ええい、うるさいうるさい」

「わはは」

 

 非力なパンチを再びお腹で受け止めつつ、美鈴は空を駆けていく霧雨魔理沙と、その脇に担がれた博麗の巫女を目で追う。

 

「一応、助けた方が良さそうですね」

「そうね。フォローしておかないと後々誤解を招きそうだし」

 

 そう言って、傍観していた二人は飛んで行った魔理沙の後を追って空を飛んだ。

 

 

 

 

 庭園を過ぎ、館の塀の外に降り立った魔理沙は、抱えていた霊夢をゆっくりと芝生の上に寝かせた。

 

「……呼吸は安定してるな。気絶しているだけか?」

 

 霊夢の身体を観察しながら、目立った外傷が無いことに首を傾げる魔理沙。

 もしレミリアに敗れ、撃墜されたのだとしたら、大きな傷の一つや二つくらいはあると思っていたのだ。

 服を捲って注意深く調べてみても、やはり意識を失ったことに直結している様な傷等は無かった。

 

「まぁこれはこれで一安心だけどさ。……おーい、霊夢。霊夢起きろ〜」

 

 今度はゆさゆさと身体を揺さぶり、霊夢が目覚めるか確かめてみる。

 初めは揺さぶりもかける声も小さく。それから徐々にどちらも大きくしていく。

 しかし。

 

「霊夢ー!! 起きろー!! ……起きないな」

 

 身動ぎ一つしない霊夢に、困った顔をする魔理沙。

 その背後で、小さい物音がした。

 懐から瞬時に取り出したタクトを振り向きざまに構え、魔理沙は険しい顔をして声を張り上げた。

 

「誰だ!!」

「あ、いや、怪しい者じゃありませんよ」

「私は怪しい者カウントされそうだけどね」

「……良く分かってるな。お前ら追っ手か?」

「違うわよ」

 

 そこに居たのは二人の妖怪。

 先程まで一緒に居た魔法使いパチュリーと、見た事のない妖怪が一人。

 

 魔理沙は構えを解かずに問いかける。

 

「じゃあ何しに来やがった。アタシは今忙しいんだよ」

「博麗の巫女が気を失っている理由が分からなくて困ってるんでしょう?」

「なっ……なんで分かったんだ?」

 

 間髪の無いパチュリーの返答に眉を寄せながら、魔理沙が再度問いかけた。

 

「博麗の巫女が起きたら教えてあげるわ。美鈴、手伝って」

「分かりました」

「お、おい! 霊夢に触るんじゃ」

「ちょっと静かにしてなさい」

「ッ!!」

 

 パチュリーが霊夢の身体に手を添えながら、魔理沙の顔に向けて片手で一文字を書いた。

 すると魔理沙の話しかけていた口が勝手に閉まり、驚きで目を白黒させた彼女が自身の唇に手を添える。

 

「沈黙の魔法よ。アナタにはまだ解けないでしょうし、黙って見てなさい」

「手荒ですみません。でも彼女に害を加えるつもりは一切ありませんから、心配しないでください」

「む、ぐ……ッ!!」

 

 どうにか口を開けようと手で唇を引っ張る魔理沙だが、密着した口からは小さく空気が漏れるだけで喋る事が出来ない。

 それならばと、パチュリーに組みかかろうとして踏み出した片足が、勢い良く掬われた。

 

「ぐっ!」

「大丈夫ですから。信じてください……と言っても、初対面の妖怪を信用なんて出来ませんよね」

 

 自分を抱きとめた赤髪の女性の笑顔に戸惑いながらも、直ぐに起き上がろうとした魔理沙だったが。

 

「……分かりました」

「むー! むー!」

 

 抱きとめられた体勢のまま、両足も抱き上げられ、お姫様抱っこをされている形になってしまった魔理沙が藻掻くが、異様に力強い美鈴の拘束を抜け出すことは出来ない。

 それでも、霊夢に危害を加えられる事恐れた魔理沙は美鈴の腕の中で暴れる。

 が、案外直ぐにその拘束は解かれた。

 

 魔理沙を霊夢のすぐ隣に降ろした美鈴が、パチュリーに言う。

 

「パチュリーさん。この魔法解いてあげてください」

「えー? 折角掛けたのに……?」

「今度、お茶の相手しますから」

「……まあ、良いけど」

 

 笑顔で両手を合わせる美鈴から軽く視線を逸らしながら、パチュリーが魔理沙へ向けて、先程とは反対方から一文字を書く。

 

「むぐっ……はぁ……っ!」

「喋れるわよ」

「て、テメェふざけやがって……! 」

「まあまあ、落ち着いてください。良いですか、えーと、魔理沙さん?」

 

 パチュリーに詰め寄った魔理沙を両手で制し、美鈴は話し始める。

 

「私達は博麗の巫女に危害を加えません。寧ろその逆です。彼女の治療をしに来ました」

「なんだと?」

「彼女は今、特殊な魔法にかかっている状態で、解呪しないといつまでも寝たきりの状態のままです。私とパチュリーさんならこの魔法を解くことが出来るんですよ」

「信用出来るわけないだろ!!」

 

 丁寧な口調で説明する美鈴に怒号を飛ばす魔理沙。

 それに苦笑いしながら美鈴は頷く。

 

「ですよね……ん? 魔理沙さん、その肘は?」

「ん? ……ああ、さっき落ちた時に擦りむいたんだろ。それよりお前ら」

「少し、ジッとしてくださいね」

「……な、なんだよ」

 

 話を遮る様に身体を寄せてきた美鈴に、戸惑いながら魔理沙が身を引く。

 しかし怪我をしている腕の手首を掴まれ、ぐいと寄せられた。

 

「お、おい」

「大丈夫です」

 

 美鈴は、拘束している手と別の方の手のひらを、軽く血を流している魔理沙の肘を覆うように翳した。

 するとぽわりと淡い光が美鈴の手のひらから溢れ、じんわりと微かなぬくもりが魔理沙の肘を包んでいく。

 

 数秒の後、翳していた手を退けると、肘からの出血は止まり、傷口も塞がっていた。

 

「な……」

「アナタやパチュリーさんの使う魔法とは、少し違う力なんですけど。このくらいの傷なら直ぐに治せるんです。便利でしょう?」

「……す、すげえ」

 

 優しい笑顔を浮かべる美鈴と傷口の塞がった腕を交互に見ながら、魔理沙は感嘆の声を上げた。

 

 

 



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第二十二話 封魔陣

 
非常に遅くなった投稿と、いつもより少し短い話になってしまった事を、心より謝罪いたします。

そして、再びこの物語の頁を開いてくれた貴方に、心からの感謝を。


 

 

「……ッ」

 

 覚醒の瞬間に飛び起きた霊夢が、素早く周囲を見た。

 間近に座り込んでいた美鈴とパチュリーの二人は無視し、その隣で驚きの表情のまま固まっていた魔理沙を視界に収める。

 

「そ、そんな唐突に起きるんだな……ビックリしたぜ……。体は大丈夫なのか?」

「モーマンタイ。それより、吸血鬼は?」

 

 数秒前まで意識を失っていたとは思えない程、澄ました顔で霊夢は問いかけた。

 そんな彼女に苦笑しながら、魔理沙は夜空に浮かぶ二つの人影を指差す。

 

 遠い人影はかなり小さく見えたが、その片割れがレミリアであることは大きな翼のシルエットで把握出来た。

 

「……誰か、戦ってるの?」

 

 霊夢は目を細め、レミリアの影と攻防をしている、もう片方の人影を見る。

 

 

「ああ、今水蛭子がくい止めてくれてる」

「水蛭子が!?」

 

 

 不意の大声に、魔理沙はビクッと肩を浮かせた。

 態度を豹変させた霊夢に驚きながら、魔理沙は詰め寄ってくるその肩を両手で抑える。

 

「お、おいおい落ち着け!」

「落ち着けるわけないでしょ!? なんで水蛭子がアレと戦ってるのよ!!」

 

 荒々しい声に戸惑いながらも、魔理沙が霊夢を押し返す。

 たたらを踏む霊夢に、だから落ち着け、と魔理沙が肩を軽く叩いた。

 

「今の所、戦いは拮抗してるみたいだ。私が今から加勢に行ってくるから、霊夢はまだ休んで……」

「そんな悠長な事を言ってる暇ないでしょ!!」

「あたっ! ……えぇ?」

 

 魔理沙の手を払い退けると、霊夢は軽い助走を付け、一瞬の迷いも無く宙を飛んだ。

 

「お、おぉーいッ!?」

 

 瞬く間に小さくなっていく霊夢の姿。

 それに魔理沙は一瞬呆れた顔をしたが、自身も箒を魔法で引き寄せて掴むと、それに即座に跨った。

 

 そして地面を蹴ろうとして小さく屈んだ魔理沙だったが、何かを思い出して体勢をつんのめらせた。

 

「っとと! えーと、鬼畜魔女と……美鈴だっけ? お前らの目的は良く分からんが、助かった! 礼はまたするぜ!!」

「……もしかして鬼畜魔女って私の事?」

「お気になさらず。気を付けてくださいね」

 

 失礼な物言いにパチュリーは僅かに眉を寄せ、元気なお礼の言葉に美鈴はニコリと微笑んで手を振った。

 

「おう! じゃあな!!」

 

 白い歯を見せてサムズアップした魔理沙が、今度こそ地を蹴り、空へと浮かぶ。

 そして霊夢よりも数段上の速度で飛び、その姿は一瞬で小さくなってしまった。

 

 夜を駆ける二つの影を眺めながら、美鈴が微笑む。

 

「良い子達ですね」

「……そう? 博麗の巫女はともかく、あのなんちゃって魔法少女とは相容れなさそうだわ」

「ふふ、そんな事言って。久しぶりにちょっとたのしそ

うですよ」

 

 そう言って美鈴が、僅かに上がっていたパチュリーの口角をぷにぷにと指先でつついた。

 自身が無意識に笑っていた事に気が付いたパチュリーは、顔を仏頂面に戻し、憮然と返す。

 

「……目が腐ってきたようね、美鈴。良く効く薬を用意しといてあげるわ」

「素直じゃないなぁ」

 

 不機嫌そうに口をへの字にしたパチュリーに苦笑しながら、美鈴は再び空を飛んでいく二人の後ろ姿を見る。

 

 

「……咲夜さんも、あの中に入れますかね」

 

 

 その願うような呟きは、紫の魔女の鼓膜を微かに撫で、夜風に溶けた。

 

 

 

 

 水蛭子の操る大幣(おおぬさ)が、流水の如く宙をうねる。

 

 レミリアが攻撃の合間に隙を見つけては、薙ぎと突きを組み合わせた連撃を叩き込み、着実に打撃を与えていた。

 

 カウンター気味に繰り出された槍による刺突を、身を捻ることで紙一重に避けた水蛭子が、心の中で確信する。

 

「(いける……っ!!)」

 

 幾度の打ち合いを経て、水蛭子は一つ理解した。

 

 凶悪なパワーで繰り出されるレミリアの連撃。それは一撃一撃が重く、掠るだけでも皮膚が切れる程の威力を持っている。

 しかし、その攻撃の殆どは単調で大振り。素早さはあるが隙が大きい。

 普段から妖怪と戦っている水蛭子は、それを十分に見切れていた。

 

 打って変わってレミリアは、水蛭子に対して一度も攻撃を与えられていない。

 戦いは奇跡的に、水蛭子の優勢に進んでいた。

 

 そんな中、異形化した右腕で棍を受け止めたレミリアが笑う。

 

「このまま、勝てそうだと思っている顔だな」

「まさか。一撃でもまともに受ければ大怪我なのに、そんな余裕持てませんよ」

「……ふふ、謙遜するな八十禍津水蛭子。貴様は強いぞ」

 

 レミリアが桃色の槍を横一線に大振りに薙いだ。

 水蛭子はそれを身体を捻らせて回避し、そのままの体勢でレミリアの体を蹴り飛ばす。

 

 そして仰け反ったレミリアに、流れるような動作でポーチから取り出した六本の封魔針を投擲した。

 

「チクチクと鬱陶し……なにっ」

 

 体勢を立て直したレミリアが針を躱そうとして、体を硬直させた。

 六本の封魔針と共に、大幣を携えた水蛭子がこちらに突撃してきている。

 

 一瞬の思考の後、レミリアは体の全面を翼で覆い、守りを固めた。

 

 しかし、翼の合間から自身の下方を通り過ぎていった水蛭子を視認し、瞼を引き攣らせる。

 

「むぅ、小賢しいな」

「お褒めいただき、どうもっ!!」

 

 裏拳気味に振るった翼の風圧で、針を吹き飛ばすレミリア。

 そのスカートから伸びた両足の素肌に、水蛭子の放った符が張り付いた。

 

 その『悪霊退散の符』は、霊だけでなく妖怪にも効果が発揮され、その力を著しく減衰させる事ができる。

 相手の妖怪と、貼る枚数によってその効力は変わってくるが、地肌に二枚張り付けば大体の妖怪は動くのも難しくなる。

 それが例え、大妖怪であっても例外は無い筈。

 なのだが。

 

「ふむ、なるほど。枚数で効力が変わるようだな。巫女の時はかなり力が抜けてしまったが……」

「えっと、大妖怪を封印する時に用いられるのと、同じ御札なんですけど……?」

 

 鈍い動きではあるが、小さな手で摘まれた符はバリッと容易に剥がされ、宙に投げ捨てられてしまった。

 大妖怪と対峙したのは初めてだった水蛭子だが、やはりそこらの妖怪との格の違いに戦慄する。 

 

 ……しかし、それでも。

 博麗の巫女である霊夢を、容易に打倒出来る程かと問われれば、その答えは否だった。

 もっと何か、決定的な敗因がある筈。

 

 霊夢が、博麗の巫女が、もう負けない為にも。水蛭子はそれを突き止めなければならなかった。

 

「せぃッ!!」

「む」

 

 急接近から、敢えて大振りの中段打ち。

 眉を上げながらも、レミリアは案の定防御の体勢を取る。

 その槍に棍が衝突する寸前に、水蛭子は棍の軌道を変え僅かに手前に引き戻した。

 

 棍の先端がレミリアを前方に捉える。

 防御を透かされたレミリアが、目を見開かせる。

 

「フェ、イント……ッ!」

 

 槍を構え直そうとしたレミリアだが、それよりも速く、捻りの加わった全力の中段突きが放たれる。

 棍の先端は狙い違うこと無く、レミリアの胴を強く抉った。

 ゴリッと嫌な音が響く。

 

「ぐ……っ!!」

「まだっ!!」

 

 僅かに生まれた硬直の隙に、続けて繰り出す渾身の下段払い。

 常人ならばまず骨が砕けるであろうその一撃を、幼い少女の膝にモロに叩き込んだ。

 歯を食いしばったレミリアが、思わず膝を曲げる。

 

 

「でりゃあぁっ!!」

 

 

 空気を蹴り、その場でバウンドするように飛んだ水蛭子は、体を横に捻らせ回転し、その勢いを乗せた棍をレミリアの首に打ち込んだ。

 

 

「ぐ、おぉ……ッ!!」

 

 

 メキリと、骨の軋む感触が棍を伝って届く。

 確かな手応えと、何とも言えない不快感に、水蛭子は一瞬眉を寄せた。

 しかし、小さなその躊躇をかなぐり捨て、腰のポーチに手を突っ込む。

 そして符の束を取り出し、そのまま腕をしならせた。

 

 

「まだ、だぁぁぁッ!!」

「う、が……!!」

 

 

 追い打ちに横っ腹に叩き込まれた霊符に、レミリアの身体が今までに無いほど大きく痙攣する。

 

 『悪霊退散』の御札とは違う、特別な五枚の霊符。

 青い文字で「封魔」と書かれたその符を右手で押さえ、水蛭子は左腕と右脚を絡めさせる事でレミリアの全身を完全に拘束する。

 

 青白い光を放ち始めた霊符の束を更に押し付けながら、水蛭子が口を開く。

 

(先代に教えて貰った唯一の技。これで、貴方が倒れてくれれば!!)

 

 

「もう誰も、傷つかなくて済むの……!」

「……」

 

 

 平和を願う少女の、心の底からの言葉。

 

 紅の悪魔はそれを、ただ黙って聞いていた。

 

 藻掻いていた体を止め、自身を抱き締める少女の焦げ茶色の髪を見る。

 

 レミリアの中で止まっていた筈の、ひとつの運命。

 何故かそれが、動き出す予感がした。

 

 

 

 

 夢符『封魔陣』

 

 

 

 霊符から放たれた、一際強く、蒼白い光が全てを染める。

 

 その光の奔流の中で、レミリア・スカーレットは。

 

 静かに涙を流していた。

 

 

 

 

 微かに白くなってきた外の風景を少しの間眺めてから、八雲紫はテレビに視線を戻した。

 

 先程まで、自分の膝の上で眠ってしまっていた従者は、朝食の準備を初めている。

 目が覚めた時に見せたあの照れっぷりと言ったら、思い出すだけでも笑いが込み上げてくる。

 

 そんな穏やかな気持ちの中、妖怪の賢者はテレビに映る一人の少女を見る。

 

 死闘を繰り広げた相手が落下していくのを、必死な形相で追い掛ける、人間の少女を。

 

 

「……何処までも、人間らしいわね。貴方は」

 

 

 あるいは微笑ましいものを見るかのように、あるいは困った子を見るかのように。

 

 あるいは、悲しいものを見るかのように、八雲紫は笑う。

 

 

「貴方に、幻想郷の祝福がありますように」

 

 

 そう言いながら、紫は湯気立つ湯呑みを傾けた。

 

 

 

 

 爆発的に迸った蒼白い光に、霊夢と魔理沙は目を瞑った。

 少しして薄目を開いた霊夢は光が焼き付いた視界の中、酷く見覚えのあるその光の奔流に思考を巡らせていた。

 

「あれは……」

 

 博麗の巫女にしか作れない、特殊な霊符をトリガーに放つ事が出来る(ボム)、『封魔陣』。

 その特性故に、博麗の巫女だけが使う事が出来る技の一つであり、勿論霊夢も同じものを使う事が出来る。

 

 しかし今それを発動したのは、博麗の巫女である自分では無く、幼少期を共にした幼馴染の少女。

 何故彼女がその技を使えるのか、誰に教わったのか、戸惑いながらも霊夢は、左手に携えたお祓い棒を握り直した。

 

「あの光、水蛭子か……?」

「そうでしょうね」

 

 驚いた顔のままこちらを見る魔理沙に、霊夢が頷く。

 

「……あのさ、水蛭子ってもしかして、めちゃくちゃ強いの?」

「もしかしなくても、幻想郷の人間の中じゃ、ほぼ最強クラスよ、水蛭子は」

 

 ポカンと口を開いた魔理沙を後目に、収まってきた光の奔流を確認した霊夢が宙を蹴って飛行を再開する。

 それに続いて、慌てたように魔理沙が箒を前進させた。

 

 光は徐々に小さくなっていき、やがて完全に収まった。

 

 まばたきをして目を慣れさせる二人の視界に映ったのは。

 

 

 落下していく小さな身体の悪魔と、それを追い掛けるように飛ぶ人間の少女だった。

 

 




 お久しぶりです。
 ちょっと、先日頂いた感想コメントを見て、帰ってきました。

 ありがとうございます。
 


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第二十三話 唸れ博麗ブロー

すみません。
前話に引き続き、今回も文字数がいつもより少なめです。


 

 

 落ちていくレミリアさんを全速力で追い掛ける。

 

 彼女は妖怪だから、このまま地面と衝突したとしても大怪我をするくらいで、命を落とすような事にはならないだろう。

 

 だけど、それじゃあ。

 紅魔館の皆が、きっと。いや、絶対に悲しむ。

 

 

「全員が、笑い合える最後じゃないと、意味が無いのよ……!!」

 

 

 霊夢を助けようとした時と違って、今回はレミリアさんとの距離は短い。

 助けられないどおりは無い。

 徐々に近付くその小さな体を掴もうとして、手が虚空を何度も切る。

 

 焦るな。

 もっと近づくんだ……!!

 

 もう少し、もう少し!!

 

 

「とど、け……ッ!!」

 

 

 がむしゃらに伸ばした手が、柔らかく小さな手を、掴んだ。

 掴んだ!!

 

「よしっ!」

 

 彼女をグイッと引き寄せ、抱き込むようにして体を支える。

 

 まだ地面との距離には余裕がある。

 これならさっきみたいに墜落まがいな事にはならないだろう。

 

 ゆっくりと重力から離れ、完全に滞空する事に成功して、ようやく安堵の息を一つ吐けた。

 

 

「……君は、優しいな」

 

 

 胸の中のレミリアさんが、呟くような声量で言う。

 

 地面へゆっくりと降下しながら、レミリアさんの顔を覗き込むと、彼女は柔らかな、何処か満ち足りた風の笑みを浮かべていた。

 

 もう敵意が見受けられない彼女に、一抹の不安を抱きながら私は尋ねる。

 

「えっと、私達の勝ち、で良いんですよね……?」

「まぁ、そういう事になるな」

 

 レミリアさんがそう言って可笑しそうに笑う。

 

 そして少し間を開けてから、彼女が思い出したように切り出した。

 

「そう言えば、君は今回の異変に関与した件について、博麗の巫女と人間の魔法少女にはどう説明するつもりなんだ?」

「えっ」

 

 不思議そうな顔の彼女に言われてから、思い出す。

 

 そう言えば私、数日里にも神社にも顔を出してなくて、半分行方不明扱いになってたんだ。

 それでいきなり異変の最中に登場して、パチュリーさんとレミリアさんと戦って……。霊夢と魔理沙からしたら訳わかんないわよね。

 

 でも異変が起こる事を事前に知っていたなんて、言えないし……。

 

「ど、どどどうしましょうレミリアさん……っ! な、何か上手い言い訳は! 無いですか……!?」

「考えてなかったの?」

「だ、だっていきなり紫さんに送られたんですよ!? 直ぐに言い訳を考えろって方が無茶じゃないですか!」

 

 ああ、思い出したらまた腹が立ってきた……!

 本当にあの人は、何の説明も無しにいきなり私をスキマの空間に放り込んで!!

 

 霊夢だったら絶対に殴ってる!!

 私は霊夢より一つお姉さんだから我慢できてるけど!!

 

 フツフツと湧き上がる怒りを必死に抑えていると、レミリアさんが少し呆れたような顔をして言った。

 

「まぁ、今回はうちのパチェも一枚噛んでいる様だったし、こちらの非も大いにあると思う。口裏を合わせるのは手伝うよ」

「ほ、ホントですか!!」

「ああ。……そうだなぁ、私たちが出会った訳なんかは取り繕わなくても良いだろう。美鈴がさん異変に関わっていたという事実は秘密にしておいてくれれば、こちらとしては問題無い」

 

 あごを軽く撫でるレミリアさんの言葉に頷きながら、もう一つの不安に関して問いかける。

 

「私がここに居た理由は、どうしましょう……?」

「君も二人と同じで、異変を止めるために来たということにすれば良い。それで取り敢えずは誤魔化せるだろう」

「おお……頭の回転速いですね……! 天才ですか!?」

「ふふふ、もっと褒めたまえ」

 

 そんな感じで話しているうちに、芝生に足が着く。

 抱き込んでいたレミリアさんを降ろしたのと同時に、聴き馴染みのある声が聞こえてきた。

 

 

「水蛭子!!」

「無事か!?」

 

 

 霊夢と魔理沙だ。

 二人は少し離れた地面に降り立つと、魔理沙は小走りで、霊夢は何故か猛ダッシュでこちらに向かってきた。

 良かった、二人とも目立った怪我も無いみたいだし、元気そうだ。

 

 

「ひぃるぅこぉぉーーー!!!!」

 

 

 ……ちょっと、霊夢は元気過ぎるみたい、だけど?

 

 ま、まぁ無事だったのは本当に良かった。

 私は安堵の息を吐きながら、霊夢を抱き締めようと手を広げる。

 

 さぁ霊夢、水蛭子お姉ちゃんの胸に飛び込んでらっしゃーい!!

 

 

「霊夢〜! 無事だったのね……」

「こんのぉぉぉぉッ! 水蛭子から、離れろッ!!」

「ぐっふぉっ!!」

 

「……えぇ」

 

 

 私の横を物凄い速度で通り抜けた霊夢が繰り出した、強烈なボディーブローによってレミリアさんが盛大に吹っ飛んだ。

 ゴロゴロゴロゴロ!!とこれまた物凄い勢いで地面を転がっていくレミリアさんは、赤レンガで作られた花壇に衝突して漸く止まった。

 

 頭が下で脚が上に投げ出されたえらい姿勢で目を回す彼女を見て、こめかみの辺りからぶわりと大粒の冷や汗が溢れた。

 

 

 

 

 水蛭子が吹っ飛んだレミリアに慌てて駆け寄るのを見ながら、魔理沙が霊夢を諭す。

 

「い、いきなり殴るなよ……もう敵意は無さそうだぜ?」

「そう見せかけてるだけかもしれないじゃない」

 

 己の拳を撫でながら歩みを進め、仰向けに倒れているレミリアの足元に霊夢が立つ。

 自身を見下す霊夢に、腹を押さえながら上体を起こしたレミリアが口を開いた。

 

「ふ、ふふ……中々効いたよ……うん……」

「だだだ大丈夫ですか、レミリアさん……! ちょっと霊夢、いきなり殴るなんて酷いじゃない!!」

「いや、ソイツ今回の異変の元凶だから。普通もっとボコボコにして市中引き回しの刑に処すぐらいしないと駄目だから」

「幼なじみが原始人みたいな事言ってる……」

 

 真顔でバイオレンスな事を口走る幼なじみに戦慄している水蛭子の言葉に、魔理沙がちょっと笑う。

 

「まぁとにかく、これで異変は一件落着って事だよな?」

「コイツがもう悪さしないって、あの性の悪いお月様に誓うんならね」

 

 微かに白んできた夜空の赤い月を見ながら、霊夢はレミリアの首元にお祓い棒の先端を突きつける。

 その行為に水蛭子が苦言を呈そうと口を開きかけたが、その前にレミリアが言葉を発する。

 

「分かった、もう悪さはしない。……とは言っても、私だって良かれと思ったやったんだよ? 赤い空と紅い月は、中々乙な物だっただろう?」

「さっきも言ったけど、私はナチュラリストなのよ。妖怪の手が入った月なんて、美しいともなんとも思わないわ」

「ずっとあんな雲があると、洗濯物も渇かないしな。生乾きの服を着続けるのは拷問に近いぜ」

 

 茶化すように言った魔理沙の言葉にレミリアは笑った。

 

「洗濯物! はははっそれは盲点だった! 確かにそれは困る。いつも従者に頼りっぱなしだから、気が付かなったよ」

「その従者に怒られる前に退治されて良かったじゃない」

「……怒られる?」

 

 霊夢の皮肉タップリの言葉に、レミリアがポカンと口を開く。

 彼女は従者……咲夜に怒られる事なんて、露ほども気にしていなかったからだ。

 その様な事態を全く予想していなかったと言っても良い。

 

 だからレミリアは、霊夢の言葉に呆気をとられ、尚且つその後に噴き出した。

 皮肉が効かなかった事に霊夢は口をへの字にした仏頂面になったが、レミリアは構わず続ける。

 

「あはは、ふふ……なるほど、身勝手な事をしたら怒られるか……それも盲点だったよ。長年決まった人物としか交流していないと、そんな事も忘れそうになってしまう」

 

 咲夜に後で謝っておくか、とレミリアが呟いた瞬間。

 

 その背後の空間に、突然裂け目が現れた。

 

 まるで現実でコマ落ちが起こってしまったかのように。ここに居る全員が瞬きをしたその瞬間、そこに『スキマ』は佇んでいた。

 

 振り返ろうとしたレミリアの首を、スキマから伸びた手が鷲掴む。

 

 

「ぐ……っ」

「和やかな雰囲気の中、突然ごめんなさいね」

 

 

 その場に居る霊夢以外の全員が、突然の出来事に戸惑い。

 そして、スキマの向こうから声に、水蛭子は目を軽く見開いた。

 

 スキマから、ゆっくりと、声の主が這い出でるように全身を露わにしていく。

 

 鮮やかな紫のドレス。絹のような金色の髪。それを少しだけ隠している、純白のナイトキャップ。

 えも言えない美しさと、不気味さを感じさせる胡散臭い笑みを浮かべた、幻想郷の王。

 

 

「八雲、紫……ッ!!」

「はぁいレミリア、お久しぶりね」

 

 

 柔らかな声色で、しかしスミレ色の瞳を少しだけくすませて、八雲紫は笑みを深めた。

 

 

 

 

 咲夜はチルノと大ちゃん、二人の妖精を連れ、赤いカーペットが続く廊下を小走りで進んでいた。

 三人でクッキーを仲良く食べて、ちょっぴり心に温かいものを感じていた咲夜だったが、そう言えばまだ異変は終わっていないと思い出し歩みを再開したのだ。

 

 とはいえ。

 

 ほんの少しのタイムロスがあったものの、まぁあの主人の事だからそんなに酷い状況にはなって無いはずだと。

 

 咲夜はほんの少し、事を楽観視していた。

 

 玄関を押し開け、そこに居るであろう主人と、その他諸々へ視線を向けて。

 

 

「え」

 

 

 そして、体を硬直させる事になる。

 

 首を掴まれ、宙に浮くレミリア。

 そしてその愚行を行っている、八雲紫。

 

 逡巡の後、咲夜は時を止めた。

 

 

「……あら?」

 

 

 八雲紫が何かを感じて、振り返った。

 

 そこに居たのは銀のブロードソードを横に振りかぶった、一人のメイド。

 

 紫はその攻撃をレミリアを拘束している方とは別の掌で受け止めようとして、咄嗟に手を上げた。

 

 

「駄目ッ!!」

 

 

 しかし剣は、紫の手を切り裂く前に、巨大なお祓い棒によって遮られる。

 攻撃を防いだ人物を見て、咲夜が目を細めた。

 

「……水蛭子、さん」

「ご、ごめんね咲夜さん。貴方が怒るのは分かるけど、落ち着いて」

「主人をそんな姿にしておいて、落ち着けですって?」

 

 剣に込めた力はそのままに、チラとレミリアの方を見る。

 確かに本気で首を締めているわけでは無さそうだが、それでも自分の主人に、一方的に危害を加えている事は事実。

 沸き上がる感情を抑えようともせず、咲夜はギチリと歯を食いしばった。

 

 そんな彼女の怒りを正面から受け、なんとも言えない気持ちになりながらも、水蛭子は剣を宙へ受け流した。

 

「……紫さん」

「なぁに水蛭子」

 

 未だ戦闘態勢の咲夜から視線を外す事無く、水蛭子は紫に問いかける。

 

「レミリアさんを、離して下さい」

「どうして?」

「っ! 折角一件落着しかけていたのに、紫さんが来たせいでこんな事になってるんですよ!? 人間が妖怪を倒して、それで異変は終わりのはずでしょう!?」

「ええ、そうね。本来なら。……けれど」

 

 笑みを少しだけ薄めて、紫は言う。

 

 

「霊夢を殺しかけた存在を、妖怪の賢者の一人として、私は放っておく事が出来ないの」

「それ、は……」

 

 

 博麗を殺しかけたということは、その者は『幻想郷の均衡』を崩す存在に他ならないということ。

 故に、この地に存在する事を許してはいけない。

 

 水蛭子もそれを理解していた為に、言葉を詰まらせ。

 それでも何か言わなければと口を開こうとした、その時。

 

 フワリとその場に、もう一つの『紫』が降り立った。

 

 

「待ちなさい。八雲紫」

「……あら、誰かと思ったら引きこもりの魔女さんじゃない」

「誰が引きこもりよ」

 

 

 怒りを滲ませた声とは裏腹に、無表情のパチュリーが紫の戯言を流す。

 彼女の近くに浮遊する数冊の魔導書は、主人の心に呼応するように、表紙に描かれた魔法陣を紫色に光らせている。

 

 紫は明らかな戦闘態勢に入っているパチュリーに意識を向けていて、気が付かなかった。

 

 自分の背後に迫っていた、紅髪の妖怪に。

 

 




 皆さん感想、しおり、お気に入り登録ありがとうございます。
 これからも精一杯、少女達の物語を紡いでいきますので、どうぞよろしくお願いします。
 それではまた


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第二十四話 情緒不安定妖怪×2

 
投稿が遅れてしまいすみませんでした。
例の如く短いです。
 


 

 気付いた時にはもう既に首に掛けられていた腕。

 咄嗟に両手を滑り込ませようと、紫がレミリアの拘束を解いた。

 しかし時すでに遅く、紅の髪が宙を舞うのと同時、彼女の腕が紫を完全に捕縛した。

 

 ぎりぎりと締め上げてくる腕を両手で掴むが、力が強過ぎて引き離すことがままならない。

 喉に空気が通らず、大動脈も完全に閉じている。

 

 紅美鈴。

 気を操る能力を持つ彼女が気配を溶かせば、この幻想郷に存在する殆どの者たちが盲目になる。

 それに寸前ではあるが気付くことが出来たのは、八雲紫だから。

 例え彼女の主人であるレミリアであっても溶けた気配に気付くことはほぼ不可能なのだ。

 

 もし紫と同じく彼女を認識出来るとしたら、それは紫と同等の力を持つことが許された人間、「博麗の巫女」のみ。

 

「八雲紫さん、あまり御館様におイタをなさらぬよう」

 

 美鈴の口調は普段と変わりのない穏やかなものだった。

 しかし紫の浮かべる苦悶の表情から、その拘束が有り得ないほどの怪力によるものなのだと容易に想像が付く。

 

「よくやったわ美鈴。その性悪妖怪をそのまま放さないでね」

 

 二人の元に輝く魔導書を従えたパチュリーが近づき、銀の剣を携えた咲夜も歩を進める。

 

「けほっけほ……サプライズが過ぎるな、八雲紫。ちょっとびっくりしちゃったじゃないか」

 

 更に、締められていた首を撫でながら立ち上がったレミリアが、眼前の紫の顔を見上げた。

 四方を囲まれた紫は、それでも胡散臭い笑みを浮かべて。

 

「ふ、ふ……貴方の従者も中々サプライズがお上手な様、ね。私と気が合いそうだわ……ぐっ!!」

 

 その飄々とした言葉に、首を絞める腕の血管がびきりと浮きだつ。

 頭部への血流が止まり、紫の顔が青ざめ、瞼がふわふわと降り始めた。

 そのまま首の骨をおってしまおうと、美鈴がさらに腕に力を籠めようとした、その時。

 

 

「だから、落ち着けぇぇーーーーッッ!!!!」

「ぅえっ!?」

 

 

 唐突に鼓膜を叩いた怒号。

 その場の全員が思わず目を丸め、動きを止めた。

 拘束は弱まり、魔導書から溢れていた光は止まり、構えられていた剣がゆっくりと下ろされる。

 

 全ての視線が、一人の少女に集まった。

 

 

「……嫌ですよ私、こんなの。折角誰も、大きな怪我なく異変が終わったのに」

 

 

 ポツリ、ポツリと、呟くような水蛭子の声が、静寂するこの空間を切り刻んでいく様に響く。

 顔を俯かせた彼女の表情は誰も見えない。

 しかし彼女が抱いている悲しみは、その場の全員が感じ取っていた。

 

 少しの静寂の後。

 水蛭子の肩を小さく叩いた霊夢が前に出る。

 

 

「この異変では人里に大した被害は無かった。幻想郷の均衡を脅かすものでも無い。水蛭子の言う通り、双方共に大きな怪我も無し、黒幕も白旗を上げた」

 

 

 水蛭子が俯かせていた顔を上げ、潤んだ目を霊夢に向けた。

 そんな彼女を見て、霊夢は軽く笑い。

 

 

「よって、博麗の巫女の名の下に、この異変の全てが一件落着した事を『確定』する。私もさっき一発、気持ちいいのをお見舞いしてやったし、それでコイツらの悪さも不問。……これ以上暴れるっていう迷惑な輩がいるんなら、全員まとめて永久に封印するわ」

 

 

 有無を言わさない霊夢の言葉に、全員が固まる。

 

 そして少しの沈黙の後、魔理沙が噴き出した。

 

 それに釣られるように、レミリアも堪える笑いを漏らし始める。

 

「くくく……うん、私は元よりそれで良いよ。これ以上争おうなんて一片たりとも考えちゃいない」

「し、しかしお嬢様……」

「良いのよ咲夜。パチェと美鈴も」

 

 拘束を解かれ、先程までの自分と同じように首を気にする紫を見ながら、レミリアはもう一度笑う。

 

「すまなかったな八雲紫、八十禍津水蛭子。それに博麗……霊夢も。少々、興が乗り過ぎた」

「……霊夢が言うのなら、この場は一旦許しますわ」

「わ、私も問題無しです! 何事も無く終わりましょう! ね!!!!」

「まぁ、雲張った程度で退治するって、正直アホらしいし」

 

 不承不承といった風の紫と、必死に謝罪を受け入れる水蛭子。そして手の内のお祓い棒を弄びながら霊夢が適当に返し、それぞれがレミリアの謝罪を受け入れた。

 しかし、レミリアが口を開く前に、「けれど、」と紫が付け足す。

 

「二度は無い。もう一度霊夢の命を脅かしたら、貴方達全員タダじゃおかないから、そのつもりで」

「……ああ、十二分に承知したとも」

 

 神妙な顔で頷くレミリアを紫は不機嫌そうな顔で見つめて、溜め息を吐いた。

 

 そして少し間を開けて。

 

 

「……さて! じゃあ私達はここでお(いとま)させてもらいますわ!」

「「「は?」」」

 

 

 非常に唐突に切り出した紫に、その場の全員が戸惑いを見せた。

 

 先ほどまであった険悪なムードを一切感じさせない程の明るい笑みを浮かべ、紫は紅魔館の面々に背を向けて再びスキマを開く。

 そしてさっさとスキマの中へ入った彼女は、顔と手だけをひょっこりと出し水蛭子と霊夢と魔理沙に向けて手招きをした。

 

 なんだコイツはと言わんばかりに訝しげな表情で霊夢が言う。

 

「もしかして、私()はお暇って、私達も一緒に行くってこと?」

「もちろん」

「……」

 

 満面の笑みで頷く紫に、霊夢が疲れた顔をして水蛭子と魔理沙の方を見る。

 そんな彼女に水蛭子は苦笑しながら、魔理沙は「まぁ良いんじゃないか」と言いながら頷いた。

 

 二人の肯定を受け、溜め息を吐きながら霊夢が向き直る。

 

「なんていうかアンタってホント、真正の馬鹿よね」

「あら、お褒めに預かり光栄ですわ」

「うるさい。さっさと行け」

「いたっ! ちょ、蹴るのは無しじゃない!?」

 

 紫の顔を足蹴にし、お行儀悪くスキマに押しやりながら、霊夢が紅魔館の面々に顔を向ける。

 

「アンタ達。今度悪さしたら問答無用で退治するから、顔を洗って待ってなさい」

「その言い方は私達が悪さする事確定してないか?」

「当たり前でしょ。妖怪を信用するほど、私は優しくないから。……じゃ」

 

 軽く手を上げて言い、霊夢がスキマに入る。

 魔理沙も「じゃあな」と手を振りながらそれに続いた。

 

 そして一人残った水蛭子もスキマに近付いたが、少し寂しそうな顔をしてレミリア達を振り返った。

 

 

「……あの、またお邪魔しても良いですか?」

「え? ……あ、ああ勿論。いつでも歓迎しよう」

 

 

 水蛭子のなんとも言えない表情に苦笑しながらレミリアが頷くと、他の面々も口を開いた。

 

「貴方とは話したいことが沢山あるから、寧ろ来て欲しいまであるわ」

「来られて困ることも無いですしね~」

「お嬢様が歓迎するんだったら、私も歓迎します」

 

 真顔で「なんなら明日でも来ていいわよ」と繋げるパチュリーに、ニコニコと相変わらず柔らかい笑みを浮かべた美鈴。

 こちらも真顔ではあるが、よーくみると若干口角が上がっている咲夜。

 それぞれの反応を見て、水蛭子が嬉しげに笑った。

 

「やった! じゃあまた色々落ち着いたら、お邪魔させてもらいますね! それではまた!」

「ああ、またね」

 

 微笑みながら手を振るレミリア達を見ながら、水蛭子もスキマの向こうへと進んでいく。

 そして中で待っていた三人に微笑んで。

 

 

「待たせてごめんなさい。じゃあ、帰りましょうか」

 

 

 無事に異変が終息した事と、再び紅魔館に受け入れてもらえる事に安堵の気持ちで一杯になった水蛭子が、軽い足取りで歩き出す。

 

 

 

 彼女達は知る由もなかった。

 紅の悪魔の異変が、まだ終結していない事を。

 後に再び訪れるその異変が、壮絶なものになる事を。

 

 それを知っていたのは、運命を観ることが出来るレミリア・スカーレットと、館の地下の封印が弱まっている事を感じていたパチュリー・ノーレッジの二人だけだった。

 

 

 

 

 

 

 その幼女は地下にある密室の中で、一人虚空を眺めていた。

 その瞳に映るのは、一面古血で固められたように赤黒い色をしたレンガの壁。

 

 もう何百年、こうして同じ風景ばかりを見ているのか。

 幼女は己の背中から伸びる翼を見る。

 彼女が姉と呼んでいる吸血鬼と同じように、艶やかで頑強だった筈の背翼は痩せこけ、翼膜の代わりにシャラリと音を立てる幾つもの宝石が、その翼から垂れ下がっている。

 

 満月の夜空を家族で散歩したあの頃は、もう戻ってこないのだと。

 元の種族からかけ離れてしまった自身の翼を眺めながら、幼女は憂鬱げに溜め息を吐く。

 

 寂しい。

 

 姉と最後に言葉を交わした日、己の異様さを知った幼女は自らをこの部屋に閉じ込めた。

 その時から、この場に侵入出来るのは彼女自身が許した従者のみ。

 何人目か忘れてしまったが、今の担当は確か、人間の少女だった筈だ。

 名は、十六夜咲夜。

 

 咲夜は一見すると冷たい雰囲気を纏った少女だが、話してみると意外に聴き上手だ。

 話のレパートリーも多いし、手品や能力も面白い。

 歴代の従者の中でも、咲夜は幼女のお気に入りだった。

 

 今日も、階段を降りる音が聞こえてくる。

 小気味の良い、低めのヒールが鳴らす音だ。

 

 今日はどんな話しをしようか。

 幼女は小さく心を踊らせながら、扉をノックする音に笑顔で返事を返した。

 

 

 

 

 

 

 眼の群れの視線に刺され、漂う老若男女様々な手を躱しながらスキマの中を進み、十数分程度経った時。

 鼻歌を口遊みながら先頭歩いていた紫が足を止めた。

 

「着いた?」

 

 何処まで行っても変わらない景色に飽きてきていた霊夢が口を開く。

 その言葉に紫は頷き、自身の正面の空間を裂いた。

 

 現世へのスキマの両端をどこからとも無く現れたリボンが結ぶ。

 紫は行きつけの居酒屋の暖簾をくぐるようにスキマを通り、三人の少女達もそれに続く。

 

 そこは、霊夢と水蛭子にとっては見覚えのある日本家屋の玄関だった。

 八雲一家が暮らす『迷い家』。

 初めて訪問した魔理沙だけは若干の戸惑いを見せていたが、当然のように靴を脱ぎ揃える三人を見て自身もそれに倣う。

 

 玄関から少し歩き、左手にある襖を開けると、そこには大きめの木のローテーブルと、六つの座布団があった。

 先日、八雲一家と霊夢、水蛭子が食事をした居間だ。

 

 テーブルの上には既に湯気立つご飯と味噌汁、それと付け合せのほうれん草のおひたしが席の数用意されていた。

 紫はそそくさと、向かって右の一番奥の席に腰を下ろし、置かれていた湯呑みを手に取って傾けた。

 

「は〜、美味い!」

「……適当に座るわね」

 

 マイペースな紫に少し呆れた顔をしながら、霊夢がその向かいの座布団に腰を下ろす。

 水蛭子がその隣に座ろうと歩を進めようとして。

 

「おや、お帰りなさい紫様。早かったですね」

「ただいま藍」

 

 そこに現れたのは割烹着を着た藍だった。

 手に持つお盆には焼かれた秋刀魚が乗っかっている。

 

 八雲藍という妖怪を知らない人間か妖怪が見たら、彼女のその姿は正しく主婦。

 実は博麗大結界の管理を担っている存在だと言うことは予想だにしないだろう。

 

 そんな彼女に水蛭子は頭を下げて挨拶をした。

 

「藍さん。おはようございます」

「おはよう水蛭子」

「お盆、持ちますよ」

「助かるよ」

 

 水蛭子が各席に秋刀魚の乗った皿を配っている間、霊夢と魔理沙も藍へ挨拶した。

 霊夢は相変わらず簡潔に、魔理沙は何度か人里で見たことのある彼女に対して、フレンドリーに。

 

 その挨拶に笑顔で頷いた藍は、手前の方に座っていた霊夢の頭を優しく撫でる。

 

「え? ……な、何?」

「ふふ、いや皆お疲れ様、と思って」

「何よそれ」

 

 戸惑いながらも、藍の愛情すら感じてしまう手を受け入れる霊夢。

 普段紫に対しては尖った態度を取る霊夢だが、その従者である藍にはそうした態度は取らない。

 もし紫に同じ事をされたら振り払うかぶん殴るの二択である。

 

「あはは、良かったね霊夢」

「別に良くないわよ」

 

 あまり見ない光景に笑ってしまった水蛭子が言うと、霊夢は少しぶっきらぼうに返した。

 紫と魔理沙もニマニマとした顔でそれを見守っていたが、何も言うことは無かった。

 

 と、そこで水蛭子が、秋刀魚が一皿足りないことに気付く。

 

「あの、藍さん秋刀魚が……」

 

 一皿だけ台所に置いてきたのだろうかと、水蛭子が藍へ視線を移そうとして。

 その前に、襖の隙間からこちらを覗く一人の女の子を見つけた。

 

「あ! 橙ちゃーん!!」

「(ビクッ)」

「あ、あ……ごめんね、いきなり大声出して」

 

 自身の声に驚いた橙に眉を下げながら水蛭子が謝罪する。

 そんな彼女に対し、ふるふると顔を横に振りながら橙が居間へ入った。

 

「ふふ、知らない人が居たから緊張してるんだよね」

「(コクコク)」

「あ、私か?」

 

 藍の言葉に小さく頷く橙を見て、魔理沙は自身を指差して言った。

 

「私の名前は霧雨魔理沙だ。お嬢ちゃんの名前は?」

 

 快活な笑みを浮かべる魔理沙に、橙はあわあわと戸惑った様子で藍の顔を見上げた。

 苦笑しながら、藍が口を開く。

 

「この子の名前は橙。まだ言葉が喋られないんだ」

「そうなのか? ま、宜しくな!」

 

 差し出された手を、橙が恐る恐るといった様子で握り返す。

 その手は優しく上下に振られた後、直ぐに解放された。

 

「それでその秋刀魚は?」

「ああ、そうだ。さぁ持って行ってあげて」

「(コクコク)」

 

 小さな手が器用に持っていた秋刀魚を乗せた皿を見て、魔理沙が問いかけると。

 藍は頷きながら橙へそう促した。

 

 橙が慎重な足取りで皿を運び、紫の前にそれを置いた。

 

「ありがとう橙」

 

 優しく微笑みながら、紫が橙の頭を撫でた。

 それに気持ち良さげに目を細めた橙の尻尾が、ふりふりと左右に揺れる。

 

 その光景を見てその場の全員がほんわかとした気持ちになっていると、撫でるのを止めた紫が小さく手を叩いた。

 

「さ、朝食にしましょうか」

 

 ニコリと笑う紫の言葉に、それぞれが席に座る。

 そして手を合わせた紫を見て、皆も手を合わせた。

 

「頂きます」

 

 




 
水蛭子の能力は、『共感させる程度の能力』。
 


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紅霧宴会編
第二十五話 ひと段落


 
 投稿が遅くなり申し訳ありません。

 今回はいつも通りの文字数ですので、お楽しみいただければ幸いです。
 
 今回から一応新章になります。
 


 

 紫さんに流されるまま八雲邸で朝食を頂いた後。

 

 異変解決で夜通し起き続けていた事と、空きっ腹が満たされた至福感に眠気の限界を迎えた私達は、そのまま八雲邸で一晩泊まった。

 お日様の匂いがするフカフカの布団が気持ち良過ぎたのもあり、横になった瞬間に私達は意識を手放した。

 

「ん……ふわぁ……」

 

 (まぶた)の向こうの光を感じ、目を開く。

 (ふすま)の隙間から差し込んだ太陽の光が私の瞳孔を直撃する。

 目が眩み、何度か(まばた)きをして視界の安定を取り戻すと、まだ少し気怠い体をよいしょと起こす。

 

 右隣を見ると、魔理沙はまだ小さないびきをかいて寝ていた。

 左隣に寝ていたはずの霊夢は既に起床していたらしく、丁寧に(しわ)を伸ばし畳まれた布団がそこにあった。

 魔理沙を起こさないように立ち上がり、静かに布団を畳んで客間から出る。

 

 橙色の日差しが眩しい。

 

 日が傾いているという事は、時刻は夕暮れなのだろう。

 昼頃に起きるつもりだったのだけど、結構寝てしまったな。それだけ疲れていたという事だろう。

 

 朝食を摂った居間に向かい、戸を開ける。

 

「あら、おはよう水蛭子」

「おはよう霊夢。……あれ、紫さん達は?」

 

 居間に居たのは霊夢一人だけで、紫さん達がいなかった。

 霊夢に彼女たちの行方を問いかける。

 

「何か準備する事があるからって、三人とも出かけたわよ」

「準備する事……?」

 

 とは、なんだろう?

 異変は解決した筈だし。

 

 もしかして、また何か新しい事件でも起きたのだろうか。

 と思ったけど、橙ちゃんも着いて行ってるのならそういうのじゃないのだろうな。

 そう考えていると、霊夢が言った。

 

「橙も一緒に行ったから、面倒事って訳じゃなさそうだけどね」

「……ふふ、だよね」

 

 私が思った事を霊夢がまるっとそのまま言ったので、なんだか気分が良くなる。

 うーん、流石長年離れてても幼馴染み。一心同体とは正にこの事なのだろう。

 

 我ながら少し気持ち悪い思考だけど、気にしない。

 

 そんな感じでニコニコと頬を緩ませていると、唐突に私のお腹が「ぐぅ」と鳴った。

 

「…………」

 

 顔に熱が集まっていくのを感じる。

 

 別に知らない関係じゃないんだから、恥ずかしがる事じゃないんだろうけど。

 ……いや、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい。

 両の頬をさすって何とか熱を散らそうとしていると、微笑ましそうな笑みを浮かべた霊夢が言った。

 

「ふふ、朝ご飯にする?」

「そ、そうしようかな! 霊夢はもう食べたの……」

 

 言いかけて、はて、と思う。

 “朝”ご飯とな……?

 

「え、朝ご飯? …お夕飯じゃなくて……?」

「朝ご飯ね。紛れもなく」

 

 苦笑混じりにそう言った霊夢。

 私はダッシュで縁側へ続く襖を開けた。

 

 オレンジ色に輝く“朝日”。

 ……だと思っていたのはどうやら、夕日ではなく朝日だったらしい。

 

 という事は、だ。

 私は“昨日の朝”から、“今日の朝”まで寝続けていたと言うことだ。

 

 他人の家で、丸一日。

 ……ふふ、なるほど、しっかり休んだ筈なのに、やけに気怠い感じがしたのは寝過ぎによる疲れだったのね。

 私ったらもう。うっかりうっかり。

 …………寝過ぎだろ!!

 

「ど、どうしよう! 私、紫さん達にすごい迷惑を……!!」

 

 申し訳なさからくる動揺で震えた声が出た。

 そんな私を見て霊夢が可笑しそうに笑う。

 

「私も起きたのはさっきだし、気にしなくて良いんじゃない?」

「あ、そうなの?」

「……実を言うと、ここ最近まともに寝れてなかったし。…………誰かさんが突然居なくなっちゃったから」

「うっ……」

 

 ジトッとした視線を向けられ、思わず唸る。

 そう言えば私、紅魔館に初めてお邪魔した日から異変が起こるまでの数日、この八雲邸に居たのだ。

 

 霊夢に知らせることも無く。

 

 しまったな、と改めて思う。

 だって、もし霊夢が連絡も無しに行方を眩ませちゃったら、多分めちゃくちゃ焦る。

 方々駆け回って彼女を探しまくるだろう。

 

 目の前の幼馴染みは、それを実際にされたのだ。

 ……私だったら再開時にギャン泣きして思いっきり抱きしめてる所だろう。

 図書館で「バカ水蛭子」と言われたのも納得である。

 

「……あのー、もしかして霊夢さん。怒ってますか?」

「別に……怒ってないけど……。ただ連絡の一つくらいはしてくれても良かったんじゃないかなぁとか、思ったり思わなかったり」

「めちゃくちゃ不機嫌そう!!」

 

 尖らせた唇がやけに可愛らしいが、それは置いといて。

 ど、どうしよう。

 

 そりゃ怒るわよね……私も同じ事されたら多分怒るもの。

 何か……機嫌を直してくれそうな事とか……私に何か出来るだろうか……。

 甘味屋(かんみや)? 甘味屋か??

 それともまた天ぷら作ってあげようか?

 

 いや、駄目だダメだ。私だったら機嫌直すかもだけど、そんな単純なのは私だけ……。

 

 

「えっと……えぇっと……」

「……また遊びに来てくれるなら、許す、けど」

「え?」

 

 

 抱えていた頭を上げて、霊夢を見る。

 

 そっぽを向いたその横顔の、若干赤らんだ頬。

 束ねた髪をくりくりと弄る、その仕草がやたら愛らしい。

 

 ええ……めっちゃ可愛いやん……

 

「行く行く!! めっちゃ行く!! 何なら永遠に行く!!」

「え、永遠……!? いや別にそこまでしなくても、いいんだけど……」

「じゃあ死ぬまで通い続ける」

「あんま変わってないからそれ!!」

 

 心無しか、さっきよりも赤みを増した頬を見せながら突っ込む霊夢に、余計に頬が緩む。

 よぉしよーし!お姉ちゃんが頭撫でてあげようね〜!!

 

「よしよし、霊夢は可愛いなぁ〜……」

「や、止めてったら……もう」

 

 恥ずかしそうに言う霊夢だが、少し身を(よじ)らせる程度で大した抵抗はしてこない。

 ふはは、もっと撫でろということだな。

 

 お望み通り、存分に撫でくりまわして進ぜよう……!!

 でも髪がボサボサにならないように、優しくね。

 なでこなでこ

 

 

 

◆閑話休題◆

 

 

 

「 じゃあ紫さん達が出かけたのって、ついさっき?」

 

 若干両手首が痛くなってきた程度で撫でるのを止めた私は、霊夢に問いかける。

 

「うん、帰ってくるのは昼前って言ってたわ」

 

 ちらと空を見る。

 朝日は少し高い所まで上がっているけど、お昼までにはまだ時間がある。

 それまでゆっくりしていてとの事なので、お言葉に甘えてしまおうかな。

 

「じゃあ朝ご飯温めてくるね」

「ありがとう」

 

 台所に向かう霊夢にお礼を言って、それからまた空を見上げた。

 

 一面の(あお)に、薄雲がかかる事で綺麗な水色になった空。

 先程よりも薄くなったオレンジ色の朝日に、目が焼かれる様だけど、それでも。

 自分達が守る事が出来たその空を、柄にも無いけど、眺めていたかった。

 

 

 

 ……眺め、ながら今回の異変をふと振り返る。

 いや私、マジで意味分かんない挙動してたな〜。

 

 最初は傍観者(ぼうかんしゃ)、次に霊夢達の敵役として呼ばれて(これが本当に分からない。欠員が出たとの事だったけど、私が出る必要って果たしてあったのか?)、逆にレミリアさんを倒しちゃった。

 結局何がしたかったの?と聞かれると、もう流れに乗っただけとしか言いようがない。

 

 紫さん曰く、妖怪の存在を消さない様にする為には異変を起こす事は必要不可欠で、この幻想郷が人と妖怪の楽園で在り続ける為には、これからも異変を起こしていかないといけない。

 それでもそれを霊夢と魔理沙に話すのは、紫さん的によろしくないらしい。

 

 だから結局私は、異変に巻き込まれただけ、というスタンスで居るしかないのだけど。

 ……やっぱり少しだけ、二人に罪悪感を抱いてしまう。

 

 これからも彼女達には、仕組まれた異変を解決してもらうのだろう。

 その都度、私は知らぬど存ぜぬを貫かなければならない。

 

 わー、どうしよう。物凄く面倒臭いかもしれない。

 

「……ああ、なんか、今更胃が痛くなってきた……」

「あれ、水蛭子お腹痛いの? 雑炊(ぞうすい)にしようか?」

 

 おっとっと……。

 いつの間にか台所から戻ってきていた霊夢が、心配そうな表情で私の顔を覗いてきた。

 

 急いで笑顔を取り(つくろ)い、誤魔化す。

 

「えっ、いや、な、なんでもない! なんでもないよ! ……う、うわ〜相変わらず美味しそうだな〜藍さんが作ったご飯は」

「……? 変な水蛭子」

 

 霊夢は首を傾げながら、私の朝食を乗せたお盆をテーブルに置き、元々あった湯呑みにお茶を入れて飲んだ。

 私の分も入れてくれたので、お礼を言ってから湯呑みを傾ける。

 

 少しぬるめのお茶が、長い眠りで乾いていた喉をじんわりと潤していく。

 そうして一息ついてから、手を合わせる。

 

「いただきます」

 

 片手に取った白ご飯を箸で(すく)い、口に運ぶ。

 美味しい。

 

 ……うん、気分が落ち込んでたけど、それはきっとお腹が空いていたからだ。

 沢山食べて、早く元気を出そう。

 霊夢に変な心配されてもやだもんね。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ふわぁ……」

 

 我ながら盛大なあくびをしながら襖を開ける。

 居間に居たのは座布団を枕代わりにして寝転んでいる霊夢と、朝食を食べている水蛭子の二人だった。

 

 どうやら八雲一家は既に出かけた後らしいな。

 

「あ、おはよう魔理沙」

「おはよう水蛭子」

「おはよう。アンタいびき凄かったわよ。化け物みたいな音量だったわ」

「化け物みたいな嘘をつくんじゃない」

 

 ほんわかとした笑顔を浮かべる水蛭子と、真顔で嘘をほざく霊夢に朝の挨拶をしながら、適当な座布団を足で寄せて腰を落とす。

 下品だよと唇を尖らせた水蛭子に「まぁまぁ」と掌を向け、もう片方の手で湯呑みにお茶を注ぐ。

 初めに沸かしてから随分経っているのか、立ち上る湯気はほとんど無いが、口にしてみるとまだ微妙にぬるい。丁度好みの温度だ。

 

 半分程飲んで湯呑みを置き、さてと口上を洩らす。

 

「今日の宴会は誰を呼ぶんだ?」

「……宴会?」

 

 私の問いに霊夢が訝しげな顔で返す。

 水蛭子の方を見てみると、こっちもポカンとした表情で固まっていた。

 

 なんだ、八雲紫の奴言ってないのか。

 

「聞いてないのか? 今日の夕方から博麗神社で異変解決を祝した宴会をするって」

「はぁ? なにそれ聞いてないわよ!」

「お、おお……宴会場の持ち主に許可無しだったとは、大分ぶっ飛んでんな……」

 

 結構な剣幕で声を荒らげる霊夢に、思わず体を()け反らせながら頷く。

 前々から八雲紫に対して霊夢が吐く苦評苦言を聞かされてきたが、確かに昨日の夜(正確には未明)もいきなり現れて相手の大将の首を絞めるわ、唐突に「帰りましょう」と言って自宅まで連れてくるわ、なんだかよく分からない奴だ。

 

 八雲紫について、ただ凄い妖怪ということだけは知っていたが、実際にその振る舞いを体験してみると、その、やっぱり色んな意味で凄い。

 

 思わず洩れた苦笑混じりに、八雲紫から聞いた「宴会」の詳細を二人に伝える。

 

「ま、まぁさっきも言ったけど、今日の夕方から博麗神社で宴会をするらしいぜ」

「なんで?」

「いやだから異変の解決を祝してだな」

「面倒臭いじゃない!」

「わ、私に言われてもなぁ……」

 

 突っぱねる態度の霊夢に困っていると、不思議そうな顔をした水蛭子が質問をしてくる。

 

「それっていつ聞いたの? 魔理沙もさっきまで寝てたわよね?」

「ああ、私は昨日の昼下がりに一度起きたからな。晩飯時に聞いたんだ」

「え!? 起きれたんだ!!」

「なんだその滅茶苦茶意外なものを見たかの様な反応は」

 

 目を見開き大げさなリアクションをした水蛭子をジトッと睨んでやると、「はっ」とした後に「えへへ」と誤魔化しの笑みを浮かべた。まあ可愛いから許してやろう。

 さて、霊夢の方を見ると、こちらはこちらで眉間を抑え(うつむ)いている。

 

「なんだよ」

「いや……私と水蛭子が起きれなかったのに、アンタが起きてた事が、屈辱(くつじょく)的でね……」

「失礼な事言わないと死ぬ病気にでも掛かってんのか??」

 

 まじめな顔をして神妙な感じに言ってるのが腹立つな……!!

 私そんなお前に反感買うような事した?

 

「冗談よ、冗談。うちで宴会が行われるって事実を受け止めきれてないだけだから」

「本当かよ……いい加減にしないと泣くぞ?」

「わ、悪かったって。もう言わない」

「そうしてほしいぜ」

 

 少し反省した様子の霊夢に満足して頷き、再び私は「さて」と切り出した。

 

「それで宴会を開くとして、誰か招待したい人は居るか?」

「あんまりパッとは思い浮かばないわね」

「あっ、慧音先生とか?」

 

 慧音先生。上白沢慧音の事か。

 

「あー寺子屋の先生か。いいんじゃないか?」

 

 上白沢慧音は、人里にある寺子屋で先生をしている女性だ。

 私も寺子屋に通ってた時期があったから、面識はあるにはある。

 でも当時の私はあまり喋るタイプじゃなかったから、話した回数と言えば数える程度だった筈だ。

 しかし面倒見が良くて優しい人だという事は知っている。……加えて少し頭が固いけど、それが上白沢慧音という人物である。

 私も久々に話してみたいし、ナイスチョイスだぜ水蛭子。

 

 そんな感じで頷いていると。

 

「……くらいかな」

「一人!?」

「だって、多分妖怪の人達も来るんでしょ? 里の皆を連れてきても怖がっちゃうと思うわ」

「ああ、なるほどな」

 

 水蛭子の交友関係の狭さにびっくりしたが、理由を聞いて納得した。

 

 妖怪の中には人に害を成すものも確かに存在しているが、昨今の幻想郷には人に友好的な妖怪で溢れている。

 魔法の森で暮らす私が、今の今まで無事で居られるのはそのお陰でもあるのだろう。

 なんなら道端で元気に挨拶してきて、山菜や獣の肉をくれる奴も居るくらいだ。

 

 しかし里から出ない人間にとって、妖怪とは弾が入っているのか分からない拳銃のようなもの。

 弾の装填されていない拳銃はほぼ無害だが、それをパッと見で判断できる人間は存在しない。

 考えてみれば、友好的な妖怪の中にも、腕の一振で人を物言わぬ肉塊に変えてしまえる力を持っている者も居る。

 妖怪を怖がらない人間の方が、イカれてるのだ。

 

「まぁ、八雲紫も参加者は適当に呼んでおくって言ってたし、寂しい宴にはならないと思うぜ」

「それなら良かった」

「にしても唐突ね……」

「紫曰く、サプライズらしいぜ」

「この段階でバラされてるのって、サプライズとしてどうなの?」

「この段階自体がサプライズなんだぜ」

「……あ、そう」

 

 疲れた顔をした霊夢が再びゴロンと横になった。

 もうどうにでもなれといった顔をしている。

 私も異変の直後で、正直微妙な心持ちだが、折角の宴なら楽しまなきゃ損ってもんだぞ。

 

 ……あ、そうそう。大事な事を伝えるのを忘れてた。

 

「そういえば、酒も飯もあっちで用意してくれるらしいぜ。私らはお客さんのつもりで居れば良いそうだ」

「え、そうなの?」

「アンタそれを早く言いなさいよ。タダ酒とタダ飯食べられるなんて最高じゃない」

「……ああ、お前の中ではそういう問題だったのね」

 

 心持ちとかじゃなかったんだ。

 こっちは異変で精神的にボコボコにされたから、心労が溜まってるってのによ。

 

 ……待てよ。あの魔女は来たりしないよな?

 

 脳裏に浮かんだパチュリー(鬼畜魔女)の姿に、身震いする。

 水蛭子のおかげで初見時の恐怖感は拭われたが、それでも一度殺されかけた相手なのだ。平気な顔で会えなんて事は絶対に無理。

 

 どうか、あの冷血パジャマヤローだけは来ませんように……!!

 

 私は人生で数えるほどしか頼ったことのない神様とやらに、爪の跡が残るほど強く手を合わせて祈った。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 紫は帰ってくると、早々に「さ! 皆で神社に行くわよ!」と意気揚々に言い放った。

 もはや“唐突”の妖怪と言われても頷けるレベルだ。

 

 例によって紫の“スキマ”の空間を通り、神社に出ると。

 

「うーわ」

 

 万年閑古鳥が鳴いている博麗神社なのに、今日はガラリと雰囲気が変わっている。

 まだ宴会は開かれていないというのに、十人近い人影が庭先に居た。

 

「わぁ、人がいっぱい……! 凄いね霊夢!」

 

 隣に立っていた水蛭子が、非常に感激した様子で言うけれど、私は正直そんなテンションにはなれない。

 何故なら。

 

「……コイツらが全員妖怪じゃなかったら、私もそれなりに喜んでいたと思うんだけどね」

「え? でも霊夢の知り合いも結構いるでしょ」

「ううん……大体が友人とか、そういうのとはかけ離れてるのよ」

 

 見覚えのある妖怪も、確かに居る。

 

 事あるごとに取材とさせてくれと言って強引に絡んでくる烏天狗に、道端で草むらから飛び出してきてくる(本人は驚かせているつもりらしい)唐笠お化け、普段はひまわり畑のど真ん中にある家から出てこない花妖怪に、たまに顔を合わせる程度だけど友好的に接してくる河童など。

 唐笠お化けと河童、あと天狗もまぁ良いとして……。

 

「ちょっと紫」

「なぁに?」

「アレ。アイツは呼ばない方が良かったでしょ」

「幽香のこと?」

 

 紫が視線を向けた方向には、縁側に座って優雅に湯呑を傾けている花妖怪が居る。

 ソイツは鮮やかな緑色をした癖のある髪に、真っ赤な瞳が目に残る奴で、白いシャツの上に赤いチェック柄のベストを重ね、同柄のロングスカートを着用している。

 トレードマークの日傘は隣に立てかけており、なんとなく彼女の相棒といった雰囲気を醸し出していた。

 

 まぁコイツの容姿はどうでも良いんだけど、兎に角この妖怪風見幽香(かざみゆうか)は、里の人間をミジンコ程度にしか思っていない。

 鬼と渡り合える程の力を持っているのに加えて、元人食い妖怪であった事もあり人間への友愛など皆無。先代巫女とはそれなりに親しい様だけど、本来なら自分の住処で一生惰眠を貪っていて欲しい妖怪なのだ。

 

 ここに居るという事は、紫が彼女を招待したという事だ。その行為は里の人間を危険にさらす可能性もある。

 何をやっているんだと睨む。しかし紫は、私の視線を受けても真顔のままで。

 

「だって、彼女が暴れても貴女が退治してくれるでしょう?」

「な……」

 

 なんだその無責任な言いぐさは。と言いかけ、口を噤む。

 

 何故なら、紫が浮かべた笑みが、ムカつくほど自然だったから。

 私があの(・・)風見幽香を打倒できると、本気で信じているのだ。

 

 その笑顔に私はなんだか無性に、腹が立ったが。

 ……まぁ、悪い気はしなかった。

 

「───アイツを退治した後は、連帯責任でアンタも封印するからね」

「えっ」

「当たり前でしょ、アンタが連れてきたんだから」

「ここは信頼してくれてるんだなって感動する場面じゃないの……!?」

 

 私の言葉に、紫は分かりやすく予想外といった顔をしている。

 そんなに驚くことかと、いつものように呆れの溜め息を吐いた。

 

 さ、こんなアホ妖怪は放っておいて、先程から庭まで漂ってきている料理の良い匂いが気になる。

 

 しょぼくれる紫を藍が慰めているのを横目に見ながら、私は水蛭子と魔理沙を連れて台所に向けて歩き始めた。

 

 

「……ふふ」

「何よ」

 

 

 隣で小さく笑った水蛭子に問いかける。

 すると彼女は優しく微笑み。

 

「口の端っこ、ちょっと上がってるよ?」

「……」

 

 グニッと自分の口角を両手で揉む。

 そう言われてみれば、そんな気がする、かな。

 

「気のせいでしょ」

「あはは、そういう事にしといてあげますか」

「ぷぷ、あんまり言ったら霊夢ちゃんが泣いちゃいそうだもんな」

「アンタは黙っててね~」

「いだだだだだっ!! お前私への扱い全然変わってねーじゃねーか!!」

 

 喚く魔理沙の顔面を鷲掴みながら、私たちは改めて台所へと向かった。

 

 

 




 
 霊夢は先代巫女に育てられていましたが、紫もよく様子を見に来ていたので、立ち位置的には親戚の叔母さん的なポジションになります。

 気恥ずかしさがあり、普段は素っ気ない態度をとりますが、霊夢は紫のことが普通に好きです。
 


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第二十六話 宴会前の祝い酒

 
 毎度遅れてしまい本当に申し訳ありません。
 お待たせしてしまった割に、今回のお話は死ぬほど進展がありません。
 加えて後一話分は間話的な物が続くと思われます。

 読んでくださる皆々様には、ご迷惑おかけしてばかりで大変恐縮ではございますが、もう少しお付き合いしてくださると幸いです。

 それでは本編をどうぞ
 


 

 台所に入ると、そこには二つの人影があった。

 いや見覚えがある、というには最後に出会ったのが最近過ぎるか。

 

 この幻想郷ではあまり見ないメイド服を着た銀髪の少女と、こちらも普段見かける事のない緑の中華装束を纏った赤髪の女性。

 今回の異変の元凶である"紅魔館"の住人が、何故かそれぞれ包丁とお玉を持っており、料理の真っ最中といった感じでそこに居た。

 

 頭が痛くなってくるのを我慢しながら、二人に問いかける。

 

「……なんでアンタらがここに居るわけ?」

「お嬢様に命じられたからです」

 

 無表情で端的に言う少女と、それに苦笑する赤髪の女性。

 何故お嬢様がそういう命令をするのかと新たな疑問が生まれた所で、隣に立っていた水蛭子が嬉しそうな声を上げた。

 

「わぁ! 咲夜さんに美鈴さん! こんにちは!!」

「……ふふ、こんにちは、水蛭子さん」

「こんにちは。お邪魔してます」

 

 無表情だった少女、咲夜は水蛭子の言葉にわずかに微笑み、赤髪の女性、美鈴は丁寧なお辞儀をする。

 ニコニコと笑顔を浮かべた水蛭子が、私がしたのと同じ内容の質問を二人にした。

 

「どうしたんですか、今日は?」

「異変解決を祝した宴会が執り行われるとの事でしたので、お嬢様が迷惑かけた分私達二人と妖精メイドを動員させると八雲紫に話したそうです」

「そういう訳で、お料理や配膳なんかは我々紅魔館の者がしますので、皆さんはゆっくりなさってくださいね」

「えっそんな悪いですよ」

「いやいや水蛭子。いやいやいや」

 

 さも当たり前の事かの様に話をしている三人だけど、少し待ってほしい。

 

 今回の異変の原因がコイツら"紅魔館"で、宴会の料理をするのがコイツら????

 

「毒でも盛られたらどうするのよ。もしそれが人里に話が伝わって神社の評判が下がりでもしたら、ただでさえ少ない参拝客が更に減るじゃない!!」

「最終的に心配なのソコなのか? というか妖怪だらけの宴会を開く時点で、なんで妖怪退治するとこが妖怪集めてんだってなるだろ」

「……八方塞がりってわけ……!?」

「ははーん、さては霊夢お前バカだな? いだだだいだいッ!!!!」

 

 ちょっとうるさい魔理沙の頭を拳骨で挟んでいると、心外だといった様子で咲夜が口を開いた。

 

「そんなお嬢様の顔に泥を塗るような真似を私たちがする筈ないでしょう」

「そのお嬢様がそう命令してたら最悪だって言ってんの」

「……なるほど意外と頭が回るわね貴方。流石は幻想郷を守護する博麗の巫女といった所かしら」

「……アンタこそなかなか人を見る目があるわね。まぁ紫に毒見させたら良いし、今日は一日頼んだわ」

「単純すぎるだろ! コイツらダブルでバカだぞ水蛭子!! いひゃいいひゃい!!!!」

 

 もう一声うるさい魔理沙の頬を、私と咲夜が両方から抓って伸ばす。

 どうやらコイツとはなかなか気が合うらしい。

 

「咲夜、だっけ?」

「はい」

「水蛭子から聞いたんだけど、アンタが淹れる紅茶とクッキーって美味しいらしいじゃない」

「いえ、恐縮です」

 

 謙遜しているが、微かに口の端が上がっているのが分かる。

 なるほど、水蛭子が好きそうな子だ。

 

「今日は宴会だけど、また日を改めてお茶会でもどう? 水蛭子も喜ぶと思うんだけど」

「うん! それ良い! ……どうですか咲夜さん!?」

「え、っと……はい、私が相手で宜しければ、是非」

 

 私の提案に嬉しげに頷く水蛭子。

 そんな私達に咲夜はちょっぴり恥ずかしそうに言い淀んだ後、隣で微笑む美鈴をチラリと見てからコクリと頷いた。

 

「やったー! 私お団子用意しますね! 人里の物凄く美味しいの!!」

「なら、普通のお茶も用意しましょうか。紫に頼んで外の世界から取り寄せてもらって」

 

 新たな来客と談笑をしている紫を、戸の間から見ながらそう言うと、咲夜が申し訳なさそうな声を出す。

 

「あ、あの……お構いなく……」

「ままま、咲夜さん。折角のお誘いなんですからご好意に甘えましょう!」

「でも美鈴」

「皆さん、うちの咲夜さんはちょっぴり世間知らずな所があるから、色々困らせちゃう事もあるかもしれないけど、物凄く良い子だから仲良くしてあげてくださいね」

「美鈴……????」

 

 ニコニコとした顔で話す美鈴に、私は何となく、母親面している時の紫を思い出す。

 困惑している咲夜を見るに、美鈴のこういうタイプの言動は初めての出来事の様だ。

 

 思いがけないといった様子の咲夜だが、美鈴は彼女の事を娘の様な存在だと思っているのだろう。

 

「ふふふ、安心してください美鈴さん。咲夜さんが優しくて可愛くてなんでも出来て素敵の塊みたいな女の子だって事は、霊夢にも魔理沙にも既に話してますから!」

「何やってるんですか?」

 

 胸を張って言う水蛭子に冷や汗を流す咲夜を見ながら、私と魔理沙が深く頷く。

 

「うん。めっちゃ長々と語られたわよ」

「アンタが如何に素晴らしい人間なのかはよく知ってるぜ。これから宜しくな」

「あ、よろしくお願いします。……いや本当に何やってるんですか????」

 

 表情の起伏が少ない咲夜だが、今現在物凄くテンパってるのは声色で分かる。

 正直言うと彼女には少し冷たい印象を持っていたけど、水蛭子から聞いた話と目の前の少女の様子からすると、どうやらそういう訳でも無いらしい。

 

 仲良くやれそうだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 なんやかんやあって咲夜と美鈴の人となりが分かったので、私は一人宴会場の方に戻ってきた。

 水蛭子と魔理沙はまだ話し足りないと残ったので、別行動だ。

 

 宴会場をグルリと見渡すと、先程より少し人の数が増えている。

 その中でも、茣蓙の上に敷かれた座布団に腰を落ち着かせて話し込む紫と、桃色の髪をした女性が視界に目立った。

 あれは確か、冥界の亡霊『西行寺幽々子』だ。

 今回の宴会の為にわざわざ冥界から出てきたらしい。ご苦労な事だ。

 

「あら霊夢。もう紅魔館の子達とのお話は済んだの?」

「アンタって、普通コイツは呼んじゃダメでしょってヤツばっか呼ぶわね」

「も〜霊夢ったら。昨日の敵は今日の友というじゃない」

 

 あははと陽気な笑みを浮かべながら手を振る紫から視線を外し、隣に座っている幽々子を見る。

 

「久しぶり〜霊夢。少し見ない間に随分大きくなっちゃったわね〜」

「アンタは少しも変わらない気がするわ」

「昔と変わらず綺麗で若々しいって? もう霊夢ったらお世辞も上手になっちゃって」

「言ってない言ってない」

 

 のほほんと微笑む幽々子に、手を横に振る。

 相変わらずお花畑みたいな脳みそをしてるなこの亡霊。

 この二人は友人同士らしいが、類は友を呼ぶとはこの事というか。

 どちらもそれなりに力のある妖怪であるにも関わらず、どちらもそれなりにポヤポヤしている。

 

 そんな二人を内心苦笑いしながら見ていると、幽々子が「あ、そうだ」と手を叩く。

 

「霊夢はまだうちの庭師に会ったこと無かったわよね。紹介したいけど……今お料理を取ってきてもらってるの」

「入れ違いだったのね。……ところで冥界に庭師なんて必要なの?」

 

 冥界に行った事無いけど、死後の世界というのだから何となく殺風景な感じがする。

 手入れする草花なんてあるのだろうか。

 

「勿論よ。白玉楼のお庭を見たら、きっと驚くわよ? 私の形に剪定されたヒバを見たら感嘆のため息間違いなし!」

 

 ニコニコと笑いながら言う幽々子の言葉から、彼女を象った木を想像してみる。

 ……なんか、これじゃない感があるわね。

 そういうのって鳥とか馬とか、動物の形をしてるもんなんじゃないの?

 

「木の剪定って普通、動物の形とかのイメージあるけど」

「ね、あの子が嬉しそうに見せてきたのを見た時は思わず笑っちゃったわ」

「結構リアルに作られてるわよね。あの子から幽々子への愛情を感じるわ」

「でしょ〜? でも最近、ちょっと小言が増えてきたのよね……」

「分かるわ〜! ウチの藍も細かいことを良く気にしてね……」

 

 アンタらみたいなのが主人だったら至極当然の事だと思う。

 という言葉は胸のうちに仕舞っておくとしよう。

 

 そんな感じで、あんまりやらない愛想笑いをしながら、ふと視線を動かす。

 水蛭子と魔理沙が台所から戻ってきたようだ。

 しかし隣には見覚えの無い、緑の服が特徴的な少女を一人伴っている。

 

 誰なのだろう。

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 どうも、魂魄妖夢です。

 今日は異変解決を祝した宴会が開かれるとの事で、幽々子様に伴い博麗神社に来ています。

 

 この神社には初めて顔を出しますが、あの博麗の巫女が住んでいる神社にしては、思ったより質素というか。

 ボロいとかでは無いのだけど、これは格式高い神社だと言われて「ああ、なるほど」とはならないですね……。

 一体どんな神様を祀ってるのかしら。

 

 ……え? なんですか幽々子様?

 お腹が空いたから料理を貰ってきて? ……いや、まだ宴会始まってないんですけど。

 ……あぁ、はい。はい分かりました。じゃあちょっと待ってくださいよ。

 

 我儘な主人のお願いを受け、台所に向かう。

 途中紅白のおめでたい服を着た女の子とすれ違ったけど、相手は此方に視線を向けないまま歩き去って行く。

 もしかして、あれが博麗の巫女なのだろうか? 思ったより若いんだなぁ。

 

 台所に入ると、四人の女の子達が楽しげに談笑していた。

 むむ、話しかけづらい雰囲気だ。

 しかし早く料理を持って行かないと幽々子様がグズりだすからなぁ。

 それは困るので、思い切って声をかける。

 

 

「あの〜、すみません」

「はい?」

「あ。アナタは……」

 

 

 此方を見た四人のうち、一人は知った顔だった。

 私が人里に買い物しに来た時、大体の確率で話しかけてくる少女。

 彼女のことは水蛭子という名前しか知らないけど、あの八雲紫と親しい仲であるという事が分かっている。

 本人曰く“ 人里の普通の人間”らしいけど、八雲紫とちゃんとした面識があるということ自体、普通では無いっていうね。

 

 ……ああ、そういえば幽々子様に彼女を事を詳しく聞こうとしたんだけど、隠していたぼた餅を食べられたショックで忘れてたんだ。

 あの人マジでいい加減にして欲しい。

 

「あっ! 貴方は若白髪……じゃなくて、えっと」

「妖夢と申します。先日はどうも、水蛭子さん」

 

 今めちゃくちゃ失礼な事を言われた気がするけど、ぼた餅を食べられたショックと比べたら軽いものだ。

 ……いや? 全然軽くないな? 若白髪は普通に悪口だよな??

 

「妖夢さんっていうんですね! それで、今日はどうしたんですか?」

「えっと……うちの主人が、何か料理を食べたいらしいんですけど」

「え。ご主人……ですか」

 

 ポカンとした表情をされる。

 ああ、流石に駄目ですよね、宴会も始まってないのに料理をよこせだなんて。

 でもなぁ、あの人食べ物の事となると本当にうるさいからなぁ。

 

「失礼は承知の上です。もう、生野菜とかでも良いので、お恵みくださると……」

「いえ、それは大丈夫だと思うんですけど。……妖夢さんってご結婚されてたんですね」

「はい?」

 

 水蛭子さんの思わぬ発言に、今度は此方がポカンとする番になった。

 旦那さん? 私の? なんで??

 

「人は見かけによらないの極みみたいな奴だな」

「旦那さんの為にお料理を……では何か精の付く物を……あ、こちらの鰻はどうですか?」

「甲斐甲斐しいですねぇ」

 

 他の三人もそれぞれ反応を見せるが、どれもこれもなんか可笑しい。

 何故私が既婚者の設定になってるの????

 

 ……もしかして、“うちの主人”って言い方が不味かったのか……?

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 いやー、まさか妖夢さんに旦那さんが居るとは。

 意外と言ったら失礼だけど、外見年齢は私と同じくらいだから、結構びっくりしてしまった。

 

 何かを言おうとしていた妖夢さんだったけど、魔理沙と咲夜さんと美鈴さんの勢いに流されてついぞ諦めた様に肩を落としていたが、何か伝えたい事があったのかな。

 

 それにしても。

 ……結婚かあ、私や霊夢もいつかするのかな。

 博麗の巫女は男運が悪いって聞くし、もし霊夢に彼氏が出来たら、私がちゃんと見てあげないと。

 変な男だったらぶっ飛ばしてやらなきゃ。

 

 ……あれ? 待てよ、この思考はちょっと重い……?

 霊夢が良いと思う相手だったら良い人に違いないし、まぁ、そんなに気にしなくても平気だよね。

 

「どうしたの水蛭子?」

「え? あ、ああ……私と霊夢も、いつか結婚するのかなって」

「……はい?」

 

 考え込んでいた私に、不思議そうな顔で聞いてきた霊夢にさらりと答える。

 すると、霊夢が物凄く変な顔をして固まってしまった。

 どうしたのだろう。

 

「おお……!? 来たか? 遂に来たかお前ら……!!」

「え……何が……?」

 

 今度は私が首を傾げていると、茣蓙の上に胡座をかいていた魔理沙が興奮気味に口を開いた。

 それに続くように、紫さんは複雑そうな面持ちを扇子で隠し、その隣に座っていた桃色の髪をした女性が微笑ましそうに笑う。

 何かを言い出すタイミングを伺っていた様子の妖夢さんも「女の子同士で……!?」とか言って驚いた顔をしているけど、何の事がさっぱり分からない。

 

「えっと……私が結婚の話をするの、そんなに変だった?」

「変じゃない変じゃない!! アタシは全然OKだと思うぜ!!」

 

 ちょっと興奮し過ぎな気のする魔理沙が、グッと親指を立てて頷く。

 そんなに滅茶苦茶肯定されたら逆に戸惑う……。

 

「私としては、もうちょっと……ゆっくりとしたペースでも大丈夫だと思うけど」

「もう紫ったら。二人がそうしたいって言うならアナタが支えてあげないと」

 

 紫さんが忙しない様子で、私と霊夢の顔を交互に見ながら言うと、桃色の女性が困った様な笑みを浮かべて紫さんの肩を軽く叩いた。

 なんだかよく分からない反応が続く中、妖夢さんの方をチラリと見ると。

 

「えっと、おめでとうございます?」

 

 だから、何が……?

 

 

 

 

 美鈴と二人で鰻の蒲焼きを持っていくと、宴会場の真ん中の方が、おかしな状況になっていた。

 

 博麗の巫女と水蛭子さんが隣同士で座らされて、白黒の魔法使いが嬉しそうな顔してそれぞれの持つお猪口に日本酒を注いでいた。

 なんだか目出度そうな雰囲気だけど、当の水蛭子さんは物凄く戸惑った表情をしており、博麗の巫女の方は頭の上に大量の?が浮かんでいるのが遠目からでも分かる。

 

 なに、この……何?

 

 鰻を乗せた皿を片手に、美鈴に視線を移す。

 彼女もどういう状況かよく分かってないらしく、私の視線に首を左右に振った。

 

 ……取り敢えず、冷めないうちに鰻、持っていこうかしら。

 

 

「これ、どういう状況なの?」

「ああ、咲夜さん。それがですね……」

 

 

 集団に歩み寄り、お皿を中心に置きながら蚊帳の外といった感じの妖夢さんに問いかける。

 妖夢さんもなんだかよく分かってないらしいが、要点を掻い摘んで話してくれる。

 

・難しい顔をして考え込んでいた水蛭子さんからの「私と霊夢もいつか結婚するのかな」発言。

・そして浮き足立った魔法使いが場を囃し立てる。

・将来の夫婦に祝い酒を注がれる←今ココ! といった感じらしい。

 

 え、あの二人そういう仲だったの?

 確かに仲良さげだったけど、どちらかというと信じ合える親友同士といった感じだった。

 当の本人達も、なんでこうなっているのか分からないといった感じだし。

 恐らく、完全に周囲面々による勘違いだろう。

 

 私は苦笑しながら妖夢さんに話しかける。

 

「大変ですね。妖夢さんも旦那さんの所に行きたいでしょうに」

「あ、いやっ。その事なんですけど……主人というのは私が仕えているそこの西行寺幽々子様の事でして……私自身はまだ結婚とかはしてないんです……」

「ですよね」

「ですよね?」

 

 驚愕の表情を浮かべる妖夢さんに、申し訳ない気持ちを抱きながら言葉を返す。

 

「ええ、その。私その場の雰囲気に流されやすいみたいで……つい乗ってしまいました。ノリに」

「ノリに……!?」

「咲夜さんにかかれば乗りこなせないノリなんてありませんからね!」

「ちょっともう美鈴ったら。やめてよ」

「(何言ってんだこの人達……?)」

 

 疲れた表情をする妖夢さんを尻目に、美鈴の変な弄りを受け流しつつ。

 状況への理解が追いついた私は、飲め呑めと二人に促す魔理沙さんに近づいて話しかけた。

 

「私も一杯、注がせてもらっても?」

「おー勿論だぜ」

 

 酒瓶を受け取り、未だに困惑した様子の二人へ静かに歩み寄る。

 そして一言声を掛け、酒瓶を傾ける。

 但し、このお酒は冷やかしの物ではない。

 

「……お二人共、この度はお疲れ様でした」

「あ、咲夜さん。えっと……ありがとうございます?」

 

 私の単純な労いの言葉に、水蛭子さんは肩透かしを受けた顔で会釈をした。

 霊夢さんも意識を取り戻した様に視線を此方に向けた。

 

 そんな二人に小さな苦笑を漏らしつつ、私は言葉を続ける。

 

「お嬢様も、満足そうにしておられました。今朝も笑顔で「二人によろしく」と。……あ、不快な気持ちにさせてしまいましたか?」

 

 お嬢様の言伝を伝えてから、しまったと思う。

 

 そういえば、と言うと耳触りが悪い気もするが、この二人はお嬢様と戦い、尚且つ博麗の巫女である霊夢さんに関してはお嬢様に敗れている。(お嬢様曰く“反則”を使ったらしい)

 そして高所からの自由落下。水蛭子さんと魔理沙さんが助けなければ死んでいたかもしれないと聞いていた。

 

 なのでお嬢様が満足そうだの笑顔だのという言葉は、彼女たちに琴線に触れてしまうのではないかと思ったのだけれど……。

 

「全然不快だなんて! もう過ぎた事ですから」

「うん。負けたのは私が弱かったからだし」

「あ、その事なんですが、お嬢様曰く「あれは反則」だったと」

「それでも、よ」

 

 私の言葉に被せる様に、強い口調で霊夢さんが言う。

 

「その気になれば、いつでも打倒出来る存在。そんなんじゃ博麗の巫女の名が廃るわ」

 

 そして、彼女はニヤリと白い歯を見せて笑った。

 

「アイツに伝えておいて。「次は完膚無いまでに叩きのめす」ってね」

「わ、私もまた勝ちますから……ね!」

「……ふふ、承りました」

 

 思わず笑みが零れる。

 その言葉をお嬢様に伝えたらきっと喜ばれるだろう。

 

 

 ……まぁ、今現在二人の後ろに立ってるんだけれど。

 

 

 




 
 ちなみに、水蛭子と霊夢が本気でデキてると思っているのは魔理沙だけだったりします。
 紫は「そういう未来が来てもまぁ受け入れるけど、今直ぐでは無いかな」といった感じ。
 


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第二十七話 溶ける氷、尽きる業火

 前半、タグの『独自解釈』要素が強めです。
 ご了承ください。


 

 時は少し遡り、紅霧異変解決の当日。

 時刻は昼下がり。

 紅魔館内部にある図書庫では、小さなお茶会が開かれていた。

 

 いつもならばこの時間帯、ベッドの中で深い寝息を立てている筈のレミリア・スカーレット。

 しかし今日は、えっちらおっちらと目蓋を開いて閉じてを繰り返しながらも、彼女はどうにか意識を保たせていた。

 

 湯気立つ血のような紅色をした紅茶を、時折眠気覚ましに傾けながら。レミリアは親友であるパチュリーと談笑に花を咲かせていた。

 

 その会話の内容は、博麗の巫女である霊夢や、幻想郷の賢者の紫について、ではない。

 

 話題の主役になっていたのは、本来ならば特筆する肩書きの無い人里の少女、八十禍津水蛭子についてだった。

 

 仄かに暖かなクッキーを口に運びながら、レミリアは尋ねる。

 

「それでパチェ。彼女を今回の異変に介入させた理由を聞かせて頂戴?」

「別に、ただ興味があっただけよ。博麗の巫女になれる可能性があった、だなんて言う変な存在にね」

 

 素っ気なく返すパチュリーに、苦笑しながらレミリアが頷いた。

 

 彼女は普段の仰々しいモノと異なる、少女の様な口調で話を進める。

 

「なるほどね、良い話は聞けたかしら」

「ええ、それはもう。……沢山ね」

 

 そう答えながら浮かべたパチュリーの笑顔は、姿相応の、柔らかく優しげな少女の様な笑み。

 久しく見ていなかった親友の表情を見て、レミリアは重かった瞼を大きく開かせる。

 

「驚いた・・・・・・アンタのそんな顔、久々に見たわ」

 

 小さな嫉妬心の様なモノが、レミリアの胸の内に泳ぐ。

 それに気付かないまま、あるいは気付かない振りをしながら、パチュリーは小さく笑った。

 

「そう? こっちこそ、貴女があんなに楽しそうにしてる所を見たのは半世紀ぶりよ」

「 それは言い過ぎ。前に異変を起こした時も、中々心が震えたわ」

「あら、そう」

 

 それは、スカーレット家がまだ、夜の帝王の一族と畏れられていた時代。

 

 人妖の隔たりなど関係無く、理性を持った有象無象達が彼女達の前に平伏した時代。

 強大な妖怪や同族との、血を血で洗い流す程の闘争に肩までドップリと浸かり、闘いこそが最高の娯楽だと、笑って、笑って、笑い続けた日々。

 

 しかし、そんな狂気の時代はいつまでも続かなかった。

 争いに疲れた妖怪や、彼女達以外の吸血鬼は、スカーレット家全員が狂乱の吸血鬼である、と蔑称を投げつけ、物陰で息を潜める様に生き始めた。

 

 戦いが無い生活。

 刺激が無く、生きた心地すらしなかった。

 

 そんな時、レミリアと既知の仲であったパチュリーが彼女を誘った。

 

『強大な魑魅魍魎が跋扈する世界に、私と飛び込んでみない?』と。

 

 それからレミリア達が紅魔館を幻想郷に転移させる為に費やした年月。

 そして先代博麗と八雲紫によって、この地に館ごと封印されていた期間を加味すると、パチュリーの言う通り半世紀程度の年月は経っているだろう。

 

 しかしレミリアは、此度の「紅霧異変」より昔に起こした異変、自分達が封印された原因である「吸血鬼異変」での戦いを脳裏に蘇らせていた。

 

 先代博麗の巫女。

 当代の霊夢が巫女を継承すると同時に姿を晦ました彼女は、レミリアにとっては因縁の相手と言える存在であった。

 

 迫る紅白の陰陽玉。宙を流れる純白の大幣。

 自身の紅い双眸を貫く、タイガーアイの様な濃い橙色をした眼。

 かつて外の世界で、夜の帝王と呼ばれたレミリア・スカーレットが、完膚無きまでに叩きのめされた、あの紅月の夜。

 

 幻想郷中の全ての存在が命を削り合い、命を燃やした、狂乱の夜。

 

「・・・・・・あれ程に甘美な夜は、もう二度と訪れないんでしょうね」

「争いがそんなに良い物だとは思わないけど。でも、あれ程大規模な魔法を使える機会が後にも先にもあれきりだと思うと、やるせない気分になるわね」

 

 レミリアの残念そうな声に肩を竦めつつ、淡白な口調でパチュリーが答える。

 

 外界から幻想郷への転移、加えて幻想郷の一角を虚無に押しのけ、紅魔館を顕現させる術式。

 どちらを取っても多大なる犠牲と代償の上に成り立った大魔法は、この幻想郷において二度と発現する事は無い。

 

 その理由は、犠牲となる生命の絶対数が幻想郷の総人口などでは全然足りないから。代償にしなければならない術士自らが差し出せる力や、臓器も、殆ど残っていないから。

 

 極みの魔法使いパチュリー・ノーレッジは、自らが生きてきた四百余年のうちに集めた全ての魔導具、古に愛した一人の人間の遺体、自身の練り上げた魔力を押し込めた全ての賢者の石、彼女の内にあった人の形の名残である生きた臓器、その全てを魔法の媒体に用いる事によって、この幻想郷に降り立ったのだ。

 

「……総ては、神になる為。だったんだけどね」

「ははっ、神になろうとして幻想郷に来たのに、こっちの方がその条件が厳しいって言うんだから、現実は残酷よね」

「本当よ。なのにあんな人間の女の子がその素質を持ってるって言うんだから。興味を持たずになんか居られないでしょう?」

「……ふむ?」

 

 火水木金土日月を操る能力。

 即ち全ての属性魔法を極めた(本人の好みもあって得意不得意はあるが)彼女は、更にその向こう側。

 

 神代の存在となる事を望んだ。

 

 そんな彼女にとって、人とも妖怪とも、精霊とも神とも違う『博麗の巫女』という存在は、あり大抵に言ってしまえば「マジで意味不明」で。

 そしてその博麗の巫女になれたかもしれないという水蛭子を気になって呼び出してみれば、更に驚くべきことに。

 

 彼女の身体には、人間が生来体内に巡らせている『霊力』の他に、神が神たる所以である『神力』を、僅かであるが宿っていたのだ。

 

 たとえどれだけ熱心な信仰者であっても、その信仰の末に得られるのは、あくまで信仰対象である神から借りた神力のみ。

 イメージで言ってしまうと、神力を纏っているだけの状態。

 

 しかし水蛭子の神力はそうではない。

 纏っているのでは無く、自身の中で生まれた、完全に完璧な、純粋無垢の神力。

 本来ならば与えられる筈の神力を、彼女は与える側に立っている。

 

 人は、そのような存在を古来よりこう言う。

 

 現世に存在する人間の神、『現人神』と。

 

 

「これはほぼ確信だけれど、八雲紫は八十禍津水蛭子を博麗の巫女に選ばなかったんじゃない。選べなかったのよ」

「……どういうこと?」

「巫女とは神を奉る役職で、奉られる側のあの子はそもそも巫女にはなれない、ってこと」

 

 

 いつになく真面目な表情をしているパチュリーの言葉に、パチクリと瞬きをしたレミリア。

 カップの中に残る紅茶の、最後の一口をゴクリと飲み干してから、口を開く。

 

「つまり、あの子は神様ってこと? 人間じゃなくて?」

「正確に言えば神に成りかけている人間といった所かしら」

「成りかけている……だけどパチェ、じゃあなんで八雲紫は水蛭子を博麗の巫女の候補に選んだの? 初めから巫女になれないなら、候補としておく意味が無いと思うんだけど」

「成りかけ、というのがミソだと思うわ。多分あの子は元々普通の人間で、後天的に神としての力を宿したのよ。だから初めのうちは本当に博麗の候補だったんでしょうね」

 

 パチュリーの言葉にレミリアは「なるほど」と頷く。

 そして視線を天井の本棚に移し、小さく笑った。

 

「ふふ、どおりで私のグングニルが博麗霊夢に通用して、八十禍津水蛭子には通用しない訳だわ」

「……はぁ、折角私が、北米神話本来の術式を弄って、『保有者が勝つ』ってシンプルで使い易い術式に変えてあげたっていうのにね……」

「な、何その溜め息!? 神に勝てない程度の能力しか付与出来ないお前の実力の無さによるものでしょうが!!」

 

 なんだか嫌味っぽいパチュリーの言葉に、レミリアが思わず噛み付いてしまう。

 しかしどうやらその返しが少々プツリと来たらしく、紫色の魔法使いは目を細めながら、平坦だった声色を怒りの孕んだ低いモノに変えた。

 

「道具に左右されてる様じゃ、グングニルと貴方、どっちが主人が分かりゃしないわね」

「はぁ!? うーわそれ一番言っちゃいけない事だから!!」

 

 幻想郷に来てこのかた、負け戦ばかりのレミリア。

 そこに投げ付けられたパチュリーの一言は、吸血鬼の弱点である山査子(サンザシ)で作られた杭よろしく、レミリアの心臓をふかーく抉った。

 

 今はもう見る影が薄いが、それでも彼女は夜の帝王と呼ばれた吸血鬼。

 それなりの自尊心は持っている。

 それを親友であるパチュリーに直で抉られるというのは、中々に来るものがある様で。

 

 ピクピクと痙攣するこめかみ、ワナワナと震える拳。

 それをどうにか抑えながら、レミリアは拙い笑顔をパチュリーへ向けた。

 

「パチェ。私達って長い付き合いだけど、どうやら根本的な所で反りが合わないみたいね」

「あら、今更気が付いたの? だから最近距離を置いてたのだけれど……、この屋敷の主様は随分と察しの悪い様で」

「はー!! そういうこと言っちゃう!! 言っちゃうんだ!! 無い!! 無いわーーーー!!」

 

 もうどうにでもなれーーー!! とちゃぶ台返しの要領で、空のカップとクッキーを置いていたテーブルを吹っ飛ばし、レミリアはパチュリーを追いかけ始めた。

 

 それが物凄い形相なもんだから、パチュリーも割と焦りながら身体を浮かべて逃走を開始する。

 

 がたーん! ばたーん! どかーん! と漫画の様に豪快な効果音が、普段は静かな図書館に響き渡った。

 

 

「…………」

 

 

 宙を舞った筈のカップとクッキーを両手に持ちながら、咲夜は無言で主人とその親友が去っていった方角を眺めていた。

 床に完全に倒れる前に置き直したテーブルにカップとクッキーを静かに置いて、彼女は呆れの溜め息を一つ、小さく吐く。

 

「本当に、仲のよろしいこと」

 

 親友の前だけで見せる、少女の様な主人の言動。

 咲夜にとってそれは微笑ましくもあり、羨ましくも思う。

 

 羨ましいと言っても、主人の素の顔を知っているパチュリーに対してでは無く、二人の気心知れた関係に対しての事だった。

 

 同僚であり友人である紅美鈴は、同時に母親の様な存在でもあって、あんな風に遠慮無しに物事を言い合える関係では無い。

 勿論普段から相談に乗ってもらったり、小さな愚痴を聞いてもらったりしているが、それとはまた、少し違う事だと咲夜は思っていた。

 

「……私も、あんな友達が出来たらな」

 

 微かな声で呟いた彼女の脳裏に浮かんだのは、自分の淹れた紅茶に、焼いたクッキーの味を褒めてくれ。

 かつて人間から「化け物だ」と罵られた自分に、人として、対等な態度で接してくれた少女。

 

 咲夜がこれまで歩んできた冷たい人生の中で、出会う事のなかった存在。

 

 そんな少女の朗らかな笑顔を思い浮かべ、咲夜は小さく微笑んだ。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 宴会当日こと。

 魔理沙が霊夢と水蛭子の関係を盛大に勘違いしまくっている時刻より、少しだけ時を遡る。

 

 

「う〜ん……」

 

 

 レミリア・スカーレットは腕組みをしながら悩ましげな声を出していた。

 それは何故かと言うと、一重に彼女が立っている場所に由来している。

 

 隣の従者に差させたお気に入りの洋傘の影の下、その幼い二足が踏み締めているのは、博麗神社の境内であった。

 博麗神社は言わずもがな、博麗霊夢の勤務先兼お家である。

 

 そして博麗霊夢とは、先日レミリアが殺しかけた少女である。

 

 つまり、つまりだ。

 五世紀と余年の時を生きてきたヴァンパイアの少女は、今物凄く。

 

「(……物凄く、博麗霊夢と会い難い!!)」

 

 うつむかせていた顔を勢い良く上げて、博麗神社の社を見る。

 質素な神社ではあるが、良く手入れされている。

 社宅から伸びる垂木には蜘蛛の巣一つ無く、庭には殆ど落ち葉も落ちていない。

 霊夢が意外にマメな性格であると言う事が良く分かる。

 

 そんな感じで感心の色を顔に表したと思えば、レミリアは再びうつむいてしまう。

 

「……あの、お嬢様? まだ宴会場に向かわれないんですか?」

 

 いつも通りのポーカーフェイスに、少々のゲンナリ風味を混ぜて、隣の咲夜が問いかける。

 かれこれ十分くらい、こうして唸りまくっているレミリアに彼女はそろそろ限界を迎えていた。

 

「いや……なんと言うか、合わせる顔が無いと言うか」

「え、今更そんな事言ってるんですか? もう神社来ちゃってますけど?」

「そう。来ちゃってるんだよな〜……なんで来ちゃったのかな〜……」

 

 珍しく情けない声を出しながら、とうとうその場にしゃがみ込んでしまったレミリアを見て、咲夜が思わず口を抑えた。

 初めて見た主人のこんな姿を見て、彼女は思う。

 

「(どうしよう……ちょっと、おもしろい……)」

 

 ふふ、という小さな笑いを口の中で転がし、いつもより一層小さく感じる主人の背中を咲夜が撫でた。

 

「お嬢様、招待をくれたのは八雲紫の方ですよ? そこまで気を負う事は無いと思いますよ」

「そうなんだけど……でもあの巫女と顔を合わせるのが気まずくて」

「いやいや。霊夢さんも許してくれましたし、水蛭子さんもまた紅魔館に来たいと言ってくれたじゃないですか。何を怖がる必要があるんですか?」

 

 レミリアの心境にあまり共感出来ないと言った風の咲夜は、小さく首を傾けながら問いかける。

 

「……うん、まぁ分かった。咲夜は……そうだな、美鈴が来たら予定通り食事の準備をしなさい。私はその辺で日向ぼっこでもしてるから」

「承知しました(日向ぼっこ……?)」

 

 気恥しさ混じりに飛ばされたレミリアの言葉に、咲夜は思った。ヴァンパイアであるお嬢様が日向ぼっこをしたら自殺行為では?と。

 ご主人様的には華麗なヴァンパイアジョーク(照れ隠し添え)を披露したつもりなのだが、従者的には非常に反応に困る言葉遊びだった様だ。

 

 それでも彼女は従者としての役目を全うするべく、暫く後に大量の荷物を抱えて石階段を上っていた美鈴と共に、博麗神社の台所へと向かうのであった。

 

 その背中に「私は博麗の二人組に直接会うか分からないから、一応よろしく言っておいて」と声を掛け、それに頷いた二人の従者を見送ると、レミリアは肩に掛けるように差した傘をクルリと回す。

 

 

「……さて、折角の機会だから、紅葉でも楽しもうかしら」

 

 

 翼を一度だけ羽ばたかせるだけで、小さな体は空を舞った。

 それにより発生した風に、境内の庭にいる何人かは此方に視線を向けたが、しかし直ぐに興味を失い視線を外す。

 

 物珍しい筈の妖怪であるヴァンパイアに興味を持たないとは、流石魑魅魍魎のデパート『幻想郷』。

 ……それとも自身の力が、一瞥すれば意識から外れる程に弱まってしまっているのか。

 

 レミリアは自虐的な悲しい笑いを零し、神社の屋根にトンと着地した。

 瓦の安定具合を足で確かめた後、ゆっくりと腰を下ろす。

 

「うん。良い景色だ」

 

 この日本という国には四季が存在するが、レミリアはこの秋という季節が一番のお気に入りだった。

 自然豊かな山々を鮮やかな紅葉が彩る様は目に楽しく、空を漂う何処と無く香ばしい空気も彼女の好みだった。

 

 闘争を求めてこの地に降り立ったにも関わらず、長い間謹慎生活を余儀なくされてしまったレミリアだが、それでも。

 

 

「……この景色を見られるというだけで、この郷に来た甲斐があったものだと言うと。またパチェに呆れられるかな」

 

 

 すっかり全盛期の牙が抜け、妖怪としての力も落ち、かつてあったカリスマが薄く薄くなってしまった彼女は、それでも笑っていた。

 寂しさや、悲しさを孕ませたものであったが、しかし慈しみすら感じる程、優しく穏やかに。

 

 秋らしい落ち着いた陽射しを落とす、己の宿敵である筈の太陽を見ても。

 ただただ、夜の帝王は笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから暫くの間、幻想郷の秋を眺めていた彼女の視界に、見知った面々が集まって来ているのを確認して。

 

 割と可憐な性格をしていたヴァンパイアの少女が勇気を振り絞って突撃していくのは、また別のお話。

 

 

 




 
 宴会の話が予想したより長引いてしまったので、この数話を『紅霧宴会編』に変更させていただきます。
 なお、次のお話で宴会編は最終話になります。
 


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第二十八話 ここからは私の物語

 

 これといった合図も無く、宴会は始まった。

 

 いや、強いて言えば、霊夢と水蛭子の周りで騒ぎ始めた者たちの空気に当てられ、皆各々に世間話や、持参した酒を飲み比べたりし始めたのが原因なのだろう。

 台所から漂い始めた料理の匂いに、宴会場に居る者たちの心が浮き足立っていたのも要因の一つかもしれない。

 

 集まった者たちの顔は様々で、楽しげに談笑する者も居るし、中央で繰り広げられているバカ騒ぎを肴に盃を傾ける者も居る。

 何故かメイド服を着て、妖精メイド達に指示を飛ばしつつ酒と料理を運び飛ぶ氷精と大妖精も居るし、それらの魑魅魍魎の数にあんぐりと口を開けている半獣の教師も居た。

 まだ真昼間だが、この場は既に百鬼夜行の様相を呈していた。

 

 もう何の為に集まったのか良く分からない感じになってしまっている宴会場だが、笑顔が絶える瞬間は一度も無い。

 

 それは幻想郷という狭い世界故に、各々顔見知りが多いからか、それとも中央で楽しげに笑う少女に『共感』しているからかは定かでは無いが、とにかく皆それなり以上には楽しげであった。

 

 

 そんな和やかな宴会の中、いつの間にか中央の騒ぎから離れていた二人の妖怪が居た。

 

 一人はちょっぴり不満そうに。

 そしてもう一人は他の皆と同じく楽しげな顔をして、鰻の蒲焼きを三匹くらい、塊のままがっつりイッてた。

 

 

「は〜あ……始まりの言葉も無く騒ぎ出しちゃって。……全く、これじゃ今日の主役が誰か、皆に伝わらないじゃない」

「ひゃいひょーふよひゅひゃり。あふぇばぁけひゅやきゅのまわふぃがさふぁいでぅんだひゃら、ふぁれごぁふぉのふぇんふぁふぃのひゅひゃひゅひゃふぁふぃへーほひへひょ(大丈夫よ紫。あれだけ主役の周りが騒いでるんだから、誰か宴会の主役かは自明の理でしょ)」

「うん、マジでなんて????」

 

 

 「せめてお口の中の物を完全に飲み込んでから話して??」と続けた紫に幽々子は頷き、三回くらい咀嚼した後それを腹に落とし込んだ。

 とんでもない食べ方をする友人に紫は心配そうな顔で尋ねた。

 

「それ、小骨で内臓ズタズタになってない? 友達が骨を喉に刺して死亡だなんて思い出、私要らないんだけど」

「大丈夫大丈夫〜。私イガ栗くらいなら問題無く飲み干せるから」

「ああ、イガ栗がいけるくらいなら鰻の小骨程度安心ね。ってなるかーい!!!!」

 

 安堵のため息を吐いた直後、盛大にツッコんだ紫に幽々子が思い切り笑いを噴き出した。

 そのまま「あはは!」と笑い転げる友人を何処と無く白い目で見ながら、紫は手に持っていたお猪口に日本酒の瓶を傾けた。

 

 とくとくと注がれる透明な液体が、お猪口の中で微かに泡立つ。

 

「あ、紫。私も()いで?」

「はいはい」

 

 笑いを堪えながら幽々子の突き出したお猪口に、呆れた顔をしながら紫が日本酒を注いだ。

 

「幽々子、貴方って意外に常識人な所もあるけど、そんなのを軽く吹っ飛ばしちゃうくらいにはぶっ飛んでるわよね」

「えっと、なんか飛び過ぎて良く分からないけど、私、常識って人に押し付ける物であって自分を形作るのに絶対必要な要素だとは思ってないから……」

「なんだか深いこと言おうとしてるけど、それって結局人に厳しくて自分に甘いって事じゃないの?」

「いやいや、人にも甘いし自分にも甘いわよ。私マリトッツォ系女子だから。ほぼ生クリームだから」

 

 満面の笑みでちょっと何言ってるか分からない事を宣う幽々子に、紫があれれ?と首を傾けた。

 この前従者に関して相談に乗ってくれて、自分の背中をビシッと押してくれた彼女は一体何処に……?

 

 因みにこの亡霊姫にとって、今のぽっわぽわのおつむをしている時も、たまにしっかり者をしてる時も、どちらも普通に彼女である。

 ただテンションの上がり幅が常軌を逸しているだけなのだ。

 

 まあそれは八雲紫という情緒不安定妖怪にもバッチリ当て嵌る事なのだが。

 

 それから、仲良く同タイミングでお猪口を傾けた二人が、同時にふぅと小さな吐息を吐き、小さく笑いあった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「……チルノ?」

 

 

 魔理沙がすぅと息を飲み、持っていた小さめの盃を落とした。

 タイミング良く空になっていたそれは、カサと乾いた音を立て、茣蓙の上に落ち着く。

 

 彼女の視線の先には、目の前で『一回休み』になった氷の妖精が、慌ただしい様子で料理を運んでいた。

 何故かメイド服を纏ったその氷精を、魔理沙は暫くの間ぼぅと見つめる。

 なんというか、目の前で失われた彼女が元気な様子で飛び回っているのが、魔理沙には何処か現実味に欠ける風景に見えたのだ。

 

 あの日、冷酷非情の魔女に砕かれた体は、一見すると傷の一つも確認できない。

 もしかすると、あの時の出来事は全部夢で、あの魔女に抱いた恐怖が見せた幻覚だったのではなかったのかと、自分で自分を疑い始める。

 

 しかし。

 

 あの時抱いた怒りは、悲しみは、心を裂くような痛みは、確かに本物だった。

 

「…………」

 

 ゆっくりと立ち上がった魔理沙が、少しばかりふらつく足取りでチルノに近付いて行く。

 

 一歩一歩、現実を踏み締める様に。

 

 料理を乗せた大皿を、数人で談笑しているグループの所に置いたチルノが振り返り、パチリと目が合った。

 

 

「あっ! まり……」

「……チルノ」

 

 

 チルノが言葉を発し切る前に、魔理沙は彼女をギュッと抱き締めた。

 強く。しかし決して彼女が苦しくない程度の力で。

 

 氷精故か、少しばかり低い体温と、心臓のトクトクという鼓動を肌で感じて、魔理沙はもう一度彼女の声を呼んだ。

 

「チルノ」

「魔理沙……? どうしたの?」

 

 自分を抱きしめる魔理沙に、チルノは困惑の声を出した。

 何故自分が抱きしめられているのか、チルノには理解出来なかったからだ。

 

 戸惑う彼女に、魔理沙は言った。

 

「ごめん」

「え?」

「あの時助けられなくて、ごめん。アタシがもっと強くて、アイツの魔法を無効化できる力があったら、お前は死ななくて済んだ。痛い思いもさせずに、済んだのに……」

 

 涙声で告げる魔理沙に、それでもチルノは不思議そうな声色で返す。

 

「なんで魔理沙が謝るの? アタイが負けたのはアタイが弱かったからで、魔理沙のせいじゃないよ」

「でも」

「ていうか、謝らなきゃいけないのはアタイの方だよ」

 

 思い出した様に苦い顔をしたチルノに、魔理沙が首を傾ける。

 チルノが自分に謝らなきゃいけない事なんてあっただろうか?

 

「アタイね、あれから湖で起きて、直ぐに魔理沙を助けに行ったんだけど。結局一緒に連れてきた友達に着いていって、魔理沙の事見捨てちゃったから……だから、私の方こそ、ごめんなさい」

「そうだったのか? ……それこそ謝ることなんて無いぜ。元々あの異変は、私たちだけで対処しようとしてたんだ。それに付き合ってくれたお前に文句なんか言わないし、言えないよ」

 

 自分より幾分か背の低いチルノの頭を、ポンポンと撫でた魔理沙は抱擁を解く。

 改めて見るチルノの幼い顔は、魔力の鎖に縛られた時に見せた苦悶の表情とはかけ離れていて、ようやく、一つ安堵のため息を吐けた。

 

 そんな魔理沙の顔を、チルノも見返し、そして小さく笑う。

 

「あはは、魔理沙、泣いてるじゃん」

「な、泣いてねぇよ!! これは……心の汗か、雨が降って来たか……。とにかく、泣いてねぇ」

 

 気恥しさを感じて、大きな帽子のつばをぐっと下げ、顔を隠すようにした魔理沙に、チルノが更に笑った。

 

 そして話題を逸らす様に魔理沙が改めた口調で話し始めた。

 

「と、ところで、なんでそんな服着てるんだ?」

「あ、これ? 可愛いでしょ。アタイこれから、偶に咲夜のオシゴトを手伝うって約束したんだ。今日はその初日!」

「咲夜って、あの屋敷のメイドか?」

「そうだよ! また後で魔理沙にも紹介してあげるね!」

 

 満面の笑みを浮かべるチルノを見ながら、魔理沙は首を傾ける。

 一体どういう繋がりで彼女と咲夜が知り合いになって、しかも仕事を手伝うだなんて事になったんだ?

 

 ……そもそも、咲夜が働いている場所があの鬼畜魔女の住まいだということを、彼女は分かっているのだろうか?

 酷く心配になった魔理沙が至極真面目な表情でチルノに言う。

 

「チルノ。あそこの手伝いってお前……ヤバい仕事の片棒担がされてるんじゃあ無いだろうな。仕事したいんなら私が紹介してやれるぜ? 金が必要なら、ある程度なら貸せるし……とにかくやるなら堅気の仕事をしよう。あの屋敷の連中は気の良い奴も居るが、あの鬼畜魔女が住んでる所だし裏でどれだけ黒い事してるか分からねぇからな」

「おいおい、人の家と親友に対して随分な良い様だなー」

 

 少し遠い所からレミリアが抗議の声を飛ばすが、魔理沙は気にした様子も無くチルノの肩に手を乗せた。

 

「そうだ。氷を作れるなら氷室(冷温貯蔵庫のこと)の氷を提供してやれば良い。里の商人なら喉から手が出る程羨ましい能力だぜそれは」

「えっと……」

 

 迫真の提案をしてくる魔理沙に、チルノは困惑した様子だった。

 そんな時、先程レミリアが声を掛けてきたのとは別の方向から声が飛んでくる。

 

 声の主は、台所にチルノが戻ってくるのが遅くて様子を見に来た咲夜だった。

 

「ちょっとごめんなさい魔理沙さ……いや魔理沙。その子は私がお願いして働いてもらってるの。だから引き抜かれたら困るわ」

 

 魔理沙さん、と呼びそうになった咲夜だったが、先程台所で「魔理沙って呼び捨ててくれて構わないぜ」と言われたのを思い出して、言い改める。

 そんな彼女は少しだけ困った表情をして魔理沙を見つめていた。

 

「咲夜……。仕事って何をやらせているんだ? 悪いがチルノとは知らない仲じゃない。変な事やらせるんだったら無理矢理にでも辞めさせるぜ」

「誤解があるようだけど、見てわかるとおりチルノと大ちゃんには純粋にメイドの仕事を手伝って貰ってるだけだわ。掃除洗濯料理配給、それとうちに居る妖精メイド達とのコミュニケーションの潤滑化とアドバイスをしてもらってるの」

 

 異変解決の昼下がり。

 魔女とヴァンパイアが、まだ穏やかなお茶会を楽しんでいる時間帯の事。

 ひょんな事で知り合った二人の妖精と一人の人間は、フィーリングが合ったのもあって結構仲良くなっていた。

 

 それこそ、「妖精メイドとの接し方が分からない。同じ妖精として何かコツとか分からないだろうか」と割とガチな相談を零してしまう程には。

 

 その解決案としてチルノと大ちゃんが、咲夜と妖精メイド達の間に立って働きながらその都度アドバイスをするという提案をしてきたのだ。

 咲夜としても願ったり叶ったりの事だったので、その日のうちにレミリアに二つ返事の許可を貰い、今日を迎えたと言う事だ。

 

 と、いうことを魔理沙に理解してもらうべく、咲夜は暫くの間、懇切丁寧に説明を行なった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 幽々子と妖夢が住む冥界には、かの地の天を穿かんばかりに巨大な妖怪桜『西行妖』が聳え立っている。

 

 そしてその大桜を暮らしの端々で見上げる度、冥界の亡霊姫、西行寺幽々子は考えていた。

 

 

 あの下に埋まっている死体が、「誰」なのか。

 

 

 地獄の閻魔から冥界の管理を命じられてから、白玉楼での時を過ごす事、幾星霜。

 何度も気になったことはあった。

 もちろんその度調べようとした事もある。

 

 桜の下を暴こうとした事も、ある。

 

 しかしその度幽々子の前には、友人である八雲紫と、歴代の博麗が立ち塞がった。

 片や幽々子自身を守る為。片や幻想郷の平穏を守る為。

 いくら冥界の主である幽々子であっても、この二つの強大な存在に対してはついぞ適うことは無かった。

 

 そんなこんなで、桜の下の死体が誰なのかを知る事がどれほど困難であるか、幽々子自身が一番理解しているのだが。

 そろそろ諦めてしまおうかと、ぼちぼち割り切ってしまってもいるだが。

 

 しかし。

 

 

「あと……あと、もう1回くらい、挑戦しても良いわよね?」

 

 

 我ながら、子どもの様な駄々をこねていると思う。

 

 だから、これで無理なら諦めよう。

 どうせ一度死んでいる身だ。

 何かに縋り付く事も半永久的に出来てしまう。

 たった一つの事にそこまで執着するのも、結構馬鹿らしく感じる。

 

 ……そうだ、馬鹿らしい。

 

 幽々子は半人半霊の従者を思い浮かべながら、自らにそう言い聞かせた。

 

 

 

 宴会のさ中、幽々子は紫に対してこう言う。

 

「ところで紫。春になったら冥界の方でも宴会を開こうと思ってるの」

「へぇ、良いじゃない。善良な亡霊の方々にもたまにはそういう娯楽が無いといけないものね」

「そうそう」

 

 にこやかに頷く幽々子に、紫は続ける。

 

「そうだ。外の世界から老舗の名店のお菓子、持ってきてあげるわ。とびきり美味しいやつ」

「ほんと? 嬉しいわ〜。美味しいお菓子があれば、眺める桜もいっそう美しく見えるというものね」

 

 ウキウキした表情を見せる幽々子を暫く無言で見つめながら、紫が一つの疑問を抱く。

 

 

「……待って幽々子、その桜って、普通の……?」

「あるでしょう、桜。私もまだ満開のものは見たことが無い、いっとう大きいのが」

 

 

 妖しい笑みを浮かべた友人に、紫は息を呑んだ。

 もう燃え尽きたと思っていた彼女の探索的欲求が、未だ燃え続けていた事に。

 

「幽々子貴方、まだ諦めてなかったの……?」

「これで最後にするから、我儘聞いてよ。いつも相談乗ってあげてるんだから、ね?」

 

 可愛らしく首を傾けた彼女の言葉に、バツが悪そうにして紫が呟く。

 

「それを言われると、痛いわね……」

「ふふ、それにどうせ貴方とあの子達が止めてくれるんでしょう? 最近庭師の方が本業になってきちゃってる妖夢にも良い刺激になると思うの」

 

 それらしい“言い訳”を口にする幽々子は、意外とそれらが効果的である様に感じて。

 しかし、紡がれる幽々子のうすっぺらな言葉に、紫はついぞ首を縦に振らなかった。

 

 

「……ううん、やっぱり駄目。あの桜が満開になってしまえば、やっと安定してきたこの地の平穏は一瞬で崩れ去ってしまう」

「此度の異変は貴方の主導でしょう? 言ってる事とやってる事が裏腹じゃない」

 

 

 揶揄うような幽々子に、スミレ色の双眸がすぅと細まる。

 

「私が起こす異変は、最悪私一人で収拾が付けられるものに限るわ。スカーレットを五十年近く封印してたのだって、あれを弱らせる他の目的なんて無い」

「ふーん。……本当に駄目?」

「駄目よ。絶対にダメ」

 

 確固たる意志を見せた紫に、幽々子は「そっかぁ〜」と朗らかに笑った。

 そして少しの間を鈴のような笑い声で満たした後。

 

 

 

「────じゃあ、ここから先は私の物語よ。貴方の幻想郷なんて、知ったことじゃあ無いわ」

 

 

 

 冷たい、冷たい笑顔。

 まるで、彼女に一度訪れた筈の死が舞い戻って来たのかと錯覚する程に、固く、氷の様な笑み。

 

 一度だって見た事の無かった友人の殺気に、思わず紫の喉がひくりと鳴る。

 

 遠くから聞こえる魔理沙の「なんだそういう事だったのか〜」という安堵の声と、なんとか説得を成功させる事の出来た咲夜の安堵の溜め息。

 なんだか良く分からないけど仲直り出来た様で良かったと笑う、その他の面々の平和の声が。

 

 何故だか、二人の鼓膜を強く撫でた。

 

 

 かくして、異変は産声を上げる。

 幻想郷中の「春」を奪い去り、凍てさせる異変が。

 

 

 




 
 一方その頃、主人の野望など全く知る由もない妖夢は、美鈴特製の中華まんを口いっぱいに頬張りながら満面の笑みを浮かべていた。

 と、言うところで、長々と続いてしまった紅魔郷編は一旦おしまいです。

 次のお話から、『妖々夢編』開始します。

 もう一つ、いつも感想、評価、お気に入り登録、しおり等してくれまして本当にありがとうございます!
 物凄く励みになります!!

 これからも少女達の物語を、私と一緒に見守ってくださると幸いです。
 よろしくお願いします。




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妖々夢編
第二十九話 雪女は熱く嗤う


 

 紅霧異変から幾らかの月日が過ぎ、季節は春を迎えようとしていた。

 麗らかな陽気が幻想郷の大地を照らし、冬明けが訪れることを皆が感じて、待ち望んだ。

 

 ──しかしそれから、ひと月経ったにも関わらず、幻想郷に積もる雪は一向に溶ける兆しを見せなかった。

 太陽はすっかりなりを潜め、薄雲が空を覆い、ほろほろと降り注ぐ粉雪は真冬のそれと変わりない。

 

 

「……いや、なんで!?」

 

 

 博麗神社の居住スペースに置かれたコタツに、肩までとっぷり潜っていた水蛭子は、カッと目を見開かせて半ば叫ぶように言った。

 それに対し、コタツの対面に座って煎餅をぼりぼりと食べる霊夢が、のんびりとした様子で返す。

 

「今年は冬が開けるのが遅いわね」

「いや! 遅いとかのレベルじゃないから! もう皐月だよ!? なのにこの積雪量は可笑しいでしょ!!」

「きっと春告精がサボってるのよ。全くダラしないったら」

「サボってるのは春告精じゃなくて貴方! 明らかに異変でしょこれは!!」

 

 今節何度目かになる幼馴染からの非難の声に、霊夢が耳を塞ぎながら炬燵に潜る。

 今日も今日とてまぁ寒い。いつから幻想郷は極寒の大地になったのだろうか。

 のほほんとそんな事を考えながら、炬燵の温かさに霊夢がウトウトしていると。

 

 ピシャーン!!と唐突に縁側の障子が開いた。

 ヒュウと凍てた冷気が部屋に流れ込み、それを顔面にモロに食らった霊夢がギュッと目を瞑る。

 

 

「あ゛ー!! めちゃくちゃ寒い!!」

「あ、魔理沙おはよう」

「おう、おはよう水蛭子。……って違う!! なに二人とも仲良く温まってんだよ!!」

 

 

 今日も今日とて元気な白黒コーデの魔法使い魔理沙は、迫真の顔で叫んだ。

 それも仕方の無い事と言うか、彼女がこうして抗議しに来るのは今節三度目である。

 

 そんな魔理沙に、霊夢はまた来たかとシカトを決め込み、水蛭子は気まずそうに苦笑いをしていた。

 

 さて、抗議とは勿論、明らかな異変が起きているのにも関わらず、素知らぬ顔してコタツムリと化している博麗の巫女に対してであり。

 加えて言うと、なんだかんだ言って霊夢と一緒に温まっちゃってる水蛭子へのものも混ざっている。

 

 先程と打って変わってゆっくりと障子を閉めた魔理沙が、細めた目を二人に向けながら言う。

「こう冬が続いちゃ気が滅入っちまう。なのにお前らときたら原因究明もせず毎日毎日コタツ三昧! 二人とも怠け者過ぎ!! 博麗失格だぜ!!」

「わー、どっちも正解だわー。返す言葉もない」

 

 お次はミカンをもしゃもしゃ食べながら、霊夢が分かりやすい棒読みで返した。

 

 しかし、水蛭子にとって魔理沙の言葉は結構心にズドンと来たらしく、コタツで蕩けていた目を見開かせる。

 彼女の心の中には「まぁ冬が続いても人が死ぬわけでもなし」という、何処か事態を楽観視している節があったのだ。

 それを博麗失格だという魔理沙の一言で正気を取り戻した水蛭子は、一気に炬燵から体を出してその場に立ち上がった。

 

 厳密には、というよりそもそも博麗ではない水蛭子だが、博麗の巫女の存在意義を危ぶむ魔理沙の一言は、元博麗候補であったことプラス博麗を神聖視している彼女にとって非常に効果的面であったようだ。

 

「そう、そうだわ! 魔理沙の言う通りよ。毎朝「今日こそは」とか思っといて結局殆ど何もしてないのよ私たち!!」

「あ〜あ……水蛭子がとうとう本気モードになっちゃった……」

 

 嘆くような口調で言う霊夢に、魔理沙がツッコむ。

 

「いやお前も本気モードになるんだよ! 博麗の巫女としてのプライドは無いのか!!」

「皆無ね。そんなのは先代と共にどっか行っちゃったから」

「〜〜ッ!!」

 

 自堕落モード全開の霊夢の言葉を聞いた魔理沙の怒号が、神社の境内に響き渡った。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 「色々準備することがあるから、ちょっと暇潰してて」という霊夢を神社において、水蛭子と魔理沙は里の大通りまで来ていた。

 準備の内容は恐らく霊符や針を清める等の事であるが、大体同じ道具を使って戦う水蛭子は常日頃からそれらの準備を怠ったことは無いため、魔理沙を連れてこうして里まで時間つぶしに来ていた。

 

 雪が溶けないと言っても、極端な寒波が関係している為か振る雪の量はそれほど多いものでは無く、里の通りも普段通りに歩ける程度には雪が退けられていた。

 毎日雪掻きをしてくれる里の人々に感謝しながら、二人は大通りを歩く。

 

「しかし、時間を潰すにしても、何もやることが無いぜ」

「そうねぇ。団子屋にはこの前も行ったし……他の自警団員と被っちゃうけど、警らがてら里の様子でも見て回りましょうか」

 

 水蛭子の提案に魔理沙が「そうするか」と頷き、二人のパトロールが始まった。

 

 とはいえ、冬の寒い時期には妖怪たちも割と鳴りを潜めており、騒ぎという騒ぎもそこまで起きないのだが、どうぜ時間つぶしだと気楽に通りの店を見て回る。

 

 八百屋の主人から人参を丸ごと二本投げ渡された時は二人とも驚いたが、どうやら雪に埋まった野菜は糖度が上がり甘くなるらしく、生で齧ってもかなり美味しかった。

 そうしてカリカリとげっ歯類よろしく人参を食べながら里を歩いていると、二人の前に見覚えのある人物が姿を現した。

 

「あら、水蛭子と魔理沙。……何それ、にん……じん?」

「よお咲夜。買い出しか? ご苦労さん」

「おはよう咲夜! そう人参、咲夜も食べる?」

 

 買い物かごを手に提げた十六夜咲夜が、怪訝な目で二人が手に持つ人参を見る。

 見るからに生のそれに齧った跡が残っているのが、彼女にとっては異様な光景だった。

 

「それ生よね? 日本って根菜も生で食べる習慣があるの……?」

 

 名前は日本的な咲夜であるが、少し彫りの深い綺麗な顔立ちからも見て取れる通り、彼女は純粋な外国人である。

 魚の生食は以前住んでいた国でもあったが、それでも取り敢えず一通りの物は生でもいっちゃう日本の生食愛好文化には少し抵抗があった彼女は、目の前で生の人参を食べる二人の少女をありえないようなものを見る目で見ていた。

 

 しかし流石に普段から生根菜を齧ってる訳ではないので、その辺を弁明してから水蛭子が手折った人参を咲夜に手渡す。

 若干の躊躇の後、咲夜が人参を口に含み、齧った。

 

「……え、甘い!」

「でしょ! 美味しいよね〜」

 

 目を丸くして驚く咲夜に、水蛭子がニコリと笑う。

 感心した様子で人参をもう一口、先程よりも大きな口で食べ、咲夜もほわりと微笑んだ。

 

 

 それから少しの雑談をした後、咲夜がそういえばと話を切り出した。

 

「この冬、なんか長くない? 日差しも少なくて洗濯物が乾かないのよね」

「うっ」

 

 痛いところを突かれたと水蛭子が表情を崩したところに、魔理沙が追い打ちを掛けるように笑う。

 

「明らかな異変だよな。んで、それを解決する筈の博麗の巫女がサボってるんだぜ」

「あぁ……まぁ、霊夢だものね」

 

 霊夢と知り合ってまだ間もない咲夜だが、それでも彼女の気質はなんとなく察していたらしい。

 苦笑を浮かべた後、水蛭子に視線を移す。

 

「でも水蛭子がいつも傍に居るのに、促したりしないの?」

「言ってものらりくらりと躱されちゃうの……でも今から三人で調査しに行くことになったから、洗濯物に関しては安心出来ると思うわよ」

「あらそうだったの。助かるわ」

 

 笑顔で言った咲夜は「さて」と手に提げていた袋を持ち直してから手を挙げた。

 

「じゃあ頑張ってね。本当は私も一緒に行けたら良いんだけど、買い出しの途中だから」

「気にしないで! また今度お茶でもしましょうね」

「ええ」

 

 水蛭子の言葉に短く返すと、咲夜は去っていった。

 その後ろ姿を見ながら、魔理沙が感慨深い様子で言う。

 

「にしても、アイツだいぶ丸くなったよな」

「そうね」

 

 元々可愛かったのに磨きがかかったわと続けそうになって、水蛭子は慌てて口をつぐむ。

 自分と霊夢の関係に多大な勘違いをしていた彼女の前でこんな事を言うと、また同じ轍を踏むことになるかもしれない。

 危ないところだった……と密かに冷や汗を流しながら、水蛭子は言葉を続けた。

 

「お嫁さんにしたいくらいだわ」

「えっ」

「……あっ」

 

 ついというかなんと言うか、本音が出てしまった。

 とはいえ水蛭子の恋愛対象は男性であるし、冗談交じりのそれではあるのだが、ぐりんと物凄い勢いで首だけをこちらに向けた魔理沙に頭を抱えた。

 

(ななな何を言っとるんだ私はーッ!!)

 

 馬鹿一点絞り過ぎる。

 

 己のことをそう評価した水蛭子が、慌てて言い繕おうとするが、やけに生暖かい眼差しをこちらに向けていた魔理沙に思わず言い淀んでしまった。

 

 そしてこの冷春の間、水蛭子は後悔し続ける事になる。

 自分のお口のどうしようもない緩さに。

 

「そうか……お前は霊夢一筋だと思ってたけど……」

「だからそれは勘違いだって────」

 

 勘違いの継続が判明したことにより乱れた水蛭子の思考の隙を縫うように、魔理沙は満面の笑顔でサムズアップを浮かべて。

 

 

「まぁ、恋愛の仕方は人それぞれだと言ったのは私だもんな! 応援してるぜ!!」

「う……ぁ……」

 

 

 圧倒的、無邪気。

 

 もう本当に純粋な気持ちで、的外れ過ぎる事を宣っている魔理沙に、水蛭子の喉がひくりと鳴った。

 出かけた言葉も引っ込み、もはや若干恐怖を感じているまである。

 

 一体どれだけの恋愛物語を読めば、ここまでの恋愛脳が出来上がるのか。

 或いはそういうものを読んだことが無さ過ぎて、このような突拍子の無い発想が出てきているのか。

 

 いや別に霊夢とそういう関係になるのが絶対的、生理的に無理というわけでもないのだが、残念ながら双方共に恋愛対象は男性である。

 然るに魔理沙の思い込みは完全に的外れであるし、今後それが実現することは無いだろう。

 

 しかし何度言ってもそれが伝わらない。

 

 霧雨魔理沙は、頭のてっぺんから足の先っぽに至る程までに生粋の、恋色の魔法使いだった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 準備を終えた霊夢が二人と合流した時、片方は非常に楽しげで、もう片方は非常にげんなりとした様子だった。

 

 げんなりした方の少女、水蛭子からヒソヒソ声で聞いた話から、浮き足立った様子の魔理沙が未だに自分達の関係を勘違いしていることを知って、呆れを通り越してもはや笑いすらでてきた霊夢だったが、訂正するのも面倒くさいと言って目下の問題は無視することにした。

 それよりも、早く異変を解決されて暖かいコタツに凄みたいと彼女は思っていたのだ。

 珍しく急かせかとした霊夢のやる気を削いでもなんだし、と水蛭子も諦めたらしい。

 

 元気いっぱいに出発の合図をした魔理沙を先頭に、三人の少女は空を飛ぶ。

 

 

 

 とりあえず、雪が激しい方に行けば何か分かるだろうという割とフワフワな推理をした魔理沙の後を暫く飛んでいると、確かにチラホラと降るくらいだった雪の勢いが強くなってきていた。

 

「……さむ」

「確かに寒さが増してきたね……ん、あはは、霊夢ったら頬っぺ真っ赤!」

「ホントだ。赤ちゃんみたいだな」

「うっさい……」

 

 元から口数の少なめな霊夢は、寒さに己の身体を抱えるようにして更に無口になっており、首元に巻いた赤い布地に白い模様が施されたマフラーで口元を隠している。

 それを見て笑っている水蛭子も、裏起毛の黒革の手袋を履いた両手をスリスリと擦り合わせて僅かな暖をとろうとしていた。

 

 しかし先程恋エネルギーがフル充電された恋色の魔法使いはもうニッコニコ。

 寒さなど、心ポカポカの今の彼女にとって意を介さなかった。

 

 

 そして、三者三様に空を飛ぶ彼女達の前に『冬』が現れた。

 

 

「あら、こんな天気の良い日に人間なんて珍しいわね。遭難者? ……あれ、でも人間って空飛ぶっけ?」

 

 

 不思議そうな顔で三人に話しかけてきた女性は、薄水色の髪を軽くかき上げて微笑んだ。

 

 薄い生地で出来た青色の上衣とロングスカートが雪風に吹かれてユラユラと揺れ、首元に巻かれた細めの白いマフラーも同様に空を泳いでいる。

 アメジストの如く紫色の瞳は穏やかに笑い、フワリとしたショートボブの髪とゆるりとしたターバンの様な帽子が何処と無く、降り積もった新雪を彷彿とさせた。

 

 ぽわぽわとした優しげな雰囲気に、顔に湛えた微笑みがやけに呑気に見えるが、こんな所(それも空中)に居るという事は彼女も妖怪なのだろう。

 

 そんな彼女が開幕発した言葉に、相も変わらず不機嫌そうな霊夢が返す。

 

「天気が、良い……?」

「ええ、だってこんなに長くて、寒い冬なのよ? ホント、ここ最近の天候は最高だわ」

 

 何を言っとるんだコイツは。

 

 女性を訝しげな目で睨んだ霊夢が眉を寄せた。

 厚着の少女達とは対象的に薄着の彼女は、寒さに堪える様子が微塵も感じ取れない。

 寧ろこの寒さがこの上なく心地好いといった口調であった。

 

 彼女の登場と伴って心無しか勢いを増した寒さに、口元のマフラーを目元まで上げた霊夢の横。水蛭子と魔理沙が顔を合わせた。

 この寒波が最高だという程に、冬が好きな妖怪。それも冷気を操れる能力を持った妖怪である。

 この終わりの見えない冬に関係していないと考える方が妙というものだ。

 

「あの、もしかして貴方、この長い冬の原因を知ってます?」

「……え? いやぁ、心当たりが無いわね」

 

 目を泳がせた女性が言ったのと同時に、吹雪の勢いが増した。

 何かを誤魔化したいのか口笛を吹いている様だが、風を切る音で一切合切音色が聴こえない。

 

 そんなあからさまな様子の女性に、魔理沙が半笑いの大声で断言する。

 

「流石に無理があるだろ! 絶対お前が黒幕だぜ!!」

「い、言いがかりよ〜。そもそも冬を長引かせるなんて能力、むしろ私が欲しいくらいだもの」

 

 困った様な顔で笑う女性を見て、水蛭子が頷いた後に考える。

 実を言うと、水蛭子は目の前の彼女の特徴に聞き覚えがあったのだ。

 

 毎年訪れる幻想郷の冬。

 その寒さと積雪に多くの人や妖怪が住処に籠るのだが、当然猟師や自警団員等の人間達は里の外に出なければならない日がある。

 そんな時、出くわしてしまう可能性のあるのが彼女だ。

 

 名前は確か、レティ・ホワイトロック。

 所謂雪女に分類される妖怪で、遭遇した人間曰く、出会い頭に凍えさせられ、その場から動けなってしまうらしい。

 ただ、それだけ聞くと出会っただけで絶体絶命の恐怖の妖怪の様に感じてしまうが、意外とそんな事は無いらしく。

 

 彼女は雪の上にぶっ倒れた人間を尻目に、唐突にカマクラを作り始めるのだという。

 そして出来たカマクラの中に人間を放り込むと、鼻歌を歌いながら何処かへ去っていく。

 しかも道中別の人間を見つけたらそれを教えて助けに行かせるという謎ムーブをするというのが、なんとも妖怪らしさに溢れてる。

 多分本人は遊び感覚で人間を凍えさせているのだろう。

 

 要するに。遭遇しても死ぬ確率は高くないが、死ぬほど危ない目には会うので絶対会いたくない妖怪。それがレティ・ホワイトロックなのだ。

 故に人里内では冬の間の要注意指定をされている妖怪だった。

 

 しかし絶対の悪では無い。

 水蛭子は少しの希望を持って、レティに問いかける。

 

「私達は、この長過ぎる冬を終わらせたいと思っています。原因に何か心当たりがあれば、どんなに些細なことでも良いので教えてもらいたいんです」

「……ふうん、なるほどね」

 

 妖しい笑みを浮かべた妖怪が、今度は水蛭子へ問いかける。

 

「冬は私で、私は冬。仮に心当たりがあったとして、寒さを愛し寒さに愛されている私がそれを教えると思う?」

「考えづらいですが……それでも教えてもらいます。この寒さが長引けば沢山の人が困りますし、薪が無くなれば最悪死人が出ます」

「人の生き死に妖怪の私が関心を持つ通りがあって?」

 

 可笑しそうにころころと笑ったレティを琥珀色の瞳で見つめながら、水蛭子は平坦な口調で言葉を紡いだ。

 

 

「では、無理やり吐かせます。人里の代表として、私はこの歪な春を終わらせなければいけないんです」

 

 

 八十禍津水蛭子は、心の底からは妖怪を信じていない。

 妖怪から人に対する悪意など、元より承知の上だ。

 

 だから、人に仇をなす妖怪は全て打倒する。

 

 レティは目の前の少女の瞳を見て、かつて幻想郷を守護した博麗の巫女を思い出す。

 水蛭子のものよりも少しだけ濃い橙色の、タイガーアイを彷彿とさせる猛々しい双眸。

 

 

「……そう、貴方はアイツの……」

 

 

 呟くように言ったレティは、微笑むのではなく嗤った。

 珍しいものを見るように、滑稽なものを見るかのように。

 

 レティ・ホワイトロックは久しく覚えがなかった感情に胸を踊らせた。

 

 この冷たい空に、闘争の熱風が巻き起こる。

 

 




 
お待たせしてしまって大変申し訳ありません。
今回から新章「妖々夢編」開幕します。

それからまた名前を変えました。あたりめが好きなんです


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第三十話 かりそめの笑顔

熱風が吹くと言ったが、あれは嘘だ。


 

「ちょっと待って」

 

 水蛭子とレティが臨戦態勢に入るのを見て、マフラーを下げた霊夢が口を挟んだ。

 その顔は非常に不機嫌なものであり、今の状態を受け入れることをあからさま拒否しているように見える。

 

「水蛭子が戦う必要は無いわ。そんな奴私一人で倒せるから」

「え? でも霊夢」

「でもじゃない」

 

 お祓い棒を肩にかけた霊夢に、水蛭子が困惑した様子で口を開いたが、ピシャリと放たれた霊夢の言葉に口を閉じた。

 霊夢の言葉には控えめの怒気が含まれており、そのことが水蛭子をますます混乱させる。

 

「私はね、水蛭子。前の異変の時にアンタが一人であの吸血鬼と戦っていたのを見て心臓が止まりそうになるくらいに心配したの」

「え、そ、そうだったの?」

 

 ぱちくりと瞬きする水蛭子に「当たり前でしょ」と返し、霊夢が言葉を続ける。

 

「アンタが強いのは知ってるし、あの吸血鬼との戦いに勝てたのが運が良かっただけだなんて言わない。でも負ける可能性だって十分にあったし、何ならアイツの攻撃を一度でもまともに食らったら命を落とす可能性だってあったわ」

「それは……確かにそうだけど」

「私は水蛭子を死なせたくないし、本当なら怪我の一つだってさせたくない。どんなに可能性が低くても、アンタって存在が消えるかもしれないことは絶対にさせない。やらせないわ」

「霊、夢……?」

 

 黒曜石の瞳が、琥珀の瞳を覗き込むように見る。

 ま黒い瞳孔には、彼女の強い信念と、覚悟が垣間見えた。

 

 霊夢の言いようのない圧に気圧され、水蛭子が空中で一歩引く。

 

「この異様な春を静観していた私が言っても説得力が無いかもしれないけど、本来異変を解決するのは博麗の巫女である私一人で十分なの。だからアンタと魔理沙は私の後ろでただ見てるだけで良い。戦わなくても良いの」

「で、でもそれじゃあ私たちが着いてきた意味が」

 

 眉を下げた水蛭子の言葉に同調して、それまで話を聞いているだけだった魔理沙が口を開いた。

 

「そうだぜ霊夢。美味しいとこだけ独り占めしようたってそうはいかな……」

「美味しいとこ? 独り占め? じゃあ魔理沙、アンタはあの雪女とサシで戦って、絶対に勝てるわけ?」

「いや、それは分からないけど……それでも一人より三人で戦った方が確実だろ!」

 

 言い淀むように言葉を連ねる魔理沙に、霊夢は真顔で即答した。

 

 

「私一人でも、確実なのよ」

 

 

 唸る吹雪の中、ハッキリ聞こえる程に強い口調だった。

 そしてそれが過信から来るものでも慢心から来るものでも無いことを、水蛭子も魔理沙も知っていた。

 

 普段の無気力な態度から忘れがちだが、博麗霊夢は幻想郷を一人で調律出来る唯一無二の存在、博麗の巫女なのだ。

 

 強靭な肉体と驚異的な身体能力もさることながら、博麗の巫女を象徴とするお祓い棒や陰陽玉を初めた、霊符や封魔針などの妖怪退治の道具を駆使して戦う天才的な戦闘センスと、人の身に『神』を降ろすという反則的な能力。

 そして妖怪との戦いで敗北を喫した回数は、紅霧異変でのレミリアとの一戦一度きり。

 それまでは彼女はただの一度も負けた事がなく、更に言うと苦戦を強いられた事だって一度たりとも無かった。

 

 その事実が証明するのは、彼女が紛れもない『強者』であるということ。

 それこそ『神』と呼ばれる存在だけが、彼女の喉元に刃を突きつける事が出来るのだ。

 

 博麗霊夢は『妖怪退治』において、勝利を約束された存在だった。

 

 

「じゃ、ちょっと待ってて。直ぐに終わらせるから」

 

 

 やけに軽い口調でそう言って、レティの元へ飛んで行った彼女を、水蛭子も魔理沙も止めなかった。

 

 止められなかった。

 

 その背中から伝わる強い拒絶が、彼女達に痛いほど伝わったから。

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 あの子は、きっとあのまま遠くに行ってしまう。

 

 霊夢の背中を見つめながら、水蛭子は不思議な確信を抱いた。

 

 

「……やだ」

 

 

 そう小さく口にした彼女の脳裏に、唐突に湧き上がる昔の記憶。

 

 

 八十禍津水蛭子には、幼い頃の記憶が無かった。

 

 

 大多数の人間は産まれてから三歳程度までの間の記憶を忘れてしまう。それを幼児健忘症と言うのだが、水蛭子に関しては本来おぼろげに覚えている筈の三歳から八歳までの記憶が無かった。

 嬉しかったことも悲しかったことも、友達との記憶も両親との記憶さえも。一切合切の思い出が、水蛭子の頭の中には存在していないのだ。

 

 そんな彼女の最初の記憶は、九歳になったばかりの春。

 博麗の巫女の候補として、先代の巫女に師事し始めた頃のものだ。

 ふと気付いた時にはもうその状況になっており、水蛭子自身それを少し不思議に思っていたが、他の人よりも幼少期の記憶が残りづらかったのだろうと一人納得していた。

 

 水蛭子がそう考えた理由の一つが、記憶の欠如に反比例する形で自身が持っていた理性と常識だ。

 自我を持ったその瞬間から、彼女は自分の名前が八十禍津水蛭子であるということが分かっていたし、自分が師事している女性が博麗の巫女であることも分かっていた。

 自宅も知っていて、母親のことも、父親が既に亡くなっていることも知っていた。

 体の動かし方、人とのコミュニケーションの仕方も把握しており、意識を獲得したその瞬間から彼女は、人間として何不自由無く、自立した一人の少女だった。

 

 彼女はそれを当たり前の事だと受け入れた上で。

 

 

 そして、誰よりも孤独だった。

 

 

 師匠と仰いだ先代の事も、毎日いってらっしゃいとおかえりを伝えてくれる母親も、水蛭子が何処にいても突然姿を現し自身を品定めするように見下ろすスキマ妖怪も。

 周囲の人々の誰一人、水蛭子は知っている筈なのに。

 全く、知らなかったのだ。

 

────

 

 凍てつく吹雪と霰を武器に、レティが霊夢に対して攻撃を始める。

 先程まで寒さに震えていた筈の博麗の巫女は、何も感じていないような真顔で、己の左右に浮いている陰陽玉から弾幕を飛ばし迎撃を開始した。

 

────

 

 目の前で起きている光景を見ながら、水蛭子はただ思い返した。

 

 私の虚ろな人生を変えたのは、今目の前で戦っている紅白の少女なのだ。

 

 八雲紫に手を引かれて、洗濯物を干していた水蛭子の前に現れた博麗霊夢。

 紫に自己紹介を促されたにも関わらず、つまらなさそうな表情で口を閉じていた少女。

 そんな霊夢を、水蛭子は不愛想な子だなと印象を抱きながらも、その顔に笑顔を張り付けて。

 

「新しい博麗の巫女候補の子よね? 一緒に博麗になるために頑張ろうね」

 

 と、手を差し伸べた。

 

 そんな水蛭子に、霊夢は少し驚いた顔をしてから、おずおずとその手を握り返した。

 その自分より小さな手は、僅かにではあるが震えていた。

 それがどういった感情から来るものか水蛭子には良く分からなかったが、ただ一つだけ確実に理解できた事があった。

 

 彼女は、私と同じだ。孤独なのだと。

 

 その瞬間、水蛭子の世界は目の前の少女一色になった。

 

 もう一人ぼっちじゃない。

 自分は、もう孤独じゃないのだと、水蛭子の胸が一杯になった。

 

 いつの間にか霊夢の細い体を抱きしめていた水蛭子は、霊夢にだけ聞こえる小さな声で言った。

 

 

「もう大丈夫だよ。私が、貴方を守るから」

 

 

 自我を持ってから、初めて出来た友達。姉妹。

 この日、水蛭子にとって霊夢は、この世界の誰よりも大切な人間となったのだ。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 博麗霊夢にとって、八十禍津水蛭子という少女は誰よりも大切な存在だ。

 

 両親も既に死んでいて、頼れる親類も居なかった私は文字通り天涯孤独だった。

 里外れのあばら家で一人で細々と暮らしていたそんな私の前に、八雲紫が現れた。

 

「アナタ、博麗の巫女になる気はない? 衣食住は保証するわよ」

 

 初対面にも関わらず、開口一番にそう告げた紫に、私は少しだけ考えてから頷いた。

 春が訪れようとしていた季節、冬ごもりの間に備蓄していた食料も尽き欠けていて、生活に限界が来ていた私に、衣食住を提供してくれるという彼女の言葉はまさしく救いの言葉だった。

 

 紫が妖怪であるという事はなんとなく分かっていたが、もし紫の言葉が丸きり嘘で、彼女が私を食べるというのなら、それでも良かった。

 生きていても、良いことなど何も無いというのは分かり切っていたから。

 

 それから数日後、私は流されるままに紫に手を引かれ、初めて博麗神社に訪れた。

 

 そこで、私は出会った。

 灰色だった私の人生を、鮮やかに染め上げる一人の少女に。

 

 洗濯物を干していた少女に自己紹介をするよう紫に言われたが、気恥ずかしさで黙りこくってしまう。

 そんな私に少女は朗らかな笑みを浮かべて言った。

 

「新しい博麗の巫女候補の子よね? 一緒に博麗になるために頑張ろうね」

 

 差し出された手。

 私より少し大きなその手を、私は少し躊躇してから握り返した。

 

 暖かい。

 

 冷たい空気に吹かれて冷たくなっていた私の手に、じんわりと少女の体温が染み渡る。

 久々に感じた人のぬくもりに、握手をしていた手が小さく震えた。

 

 トクリと、凍てついていた心臓が鼓動を打つ。

 ふっと顔を上げると、彼女の優しい笑顔が何故か亡くなった両親の笑顔と重なった。

 

 ……もう、一人じゃないんだ。

 

 じわりと眼に熱いものが込み上げてくるのを感じた時、トンと打つ様な小さな衝撃が全身に加わる。

 気が付けば私は抱きしめられていた。

 柔らかい感触が全身を包み、彼女の暖かな体温が伝わってきた。

 

 

「もう大丈夫だよ。私が、貴方を守るから」

 

 

 呟くような声量で言った少女の言葉に、何故だか心が揺れる。

 初対面でお互いどんな人間なのか分からない筈なのに、彼女の言葉からは確固たる意志を感じた。

 まるで孤独から解放された私の心境を見透かされている様だった。

 

 喉の奥が小さく震え、堪えていた涙が目から零れ落ちる。

 涙を流したのなんて、一体何時ぶりだろうか。

 

 自分を抱きしめている彼女には見えていないその涙を、手の平で拭って小さく鼻を啜った。

 その音が聞こえたようで、少女が「風邪ひいてるの?」と問いかけてきたので、「……そう、でももう治っているから、気にしないで」と嘘をつく。

 折角知り合えたばかりの彼女を心配させたくなかったから。

 

 なんとか涙を収めて、彼女の抱擁から離れる。

 多分、泣いていたのは気づかれていない筈だ。

 

 依然微笑みを絶やさずに私を見つめる少女に、私は言った。

 

 

「ありがとう」

 

 

 短い感謝の言葉に、水蛭子は嬉しそうに笑みを深めて頷いた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 守ると、そう誓ったのだ。

 彼女の震える手を握った、その時に。

 

 だというのに、何故私は彼女を一人で行かせた?

 彼女が拒否したからか?邪魔者が居ないほうが結果的に彼女が安全だからか?

 

 ……違う。

 

 そんなの全部言い訳に過ぎない。

 そもそもの話、先の異変で無敗の博麗の巫女は敗北したではないか。

 彼女は圧倒的強者ではあるが、無敵では無いのだ。

 

 私は彼女が弱者だから守らなければいけないと感じたのか?

 強くなった今の霊夢なら守らなくてもいいのか?

 

「違う、違う、違う……!」

 

 私は守らなきゃいけないんだ。そこに理屈なんて存在しない。

 彼女が拒否しても、鬱陶しいと思われても、私はあの子を守らなきゃいけないんだ。

 

 ……じゃなければ私は、自分がなんで生きているのか、分からなくなってしまう。

 

「霊夢……!!」

 

 戦う彼女の元へ加勢に行こうと顔を上げた私の目に映ったのは。

 

 

「いいぃ痛い痛い!! あ~……分かった分かった降参よ! 知ってる事教えるから、もうその弾幕止めて~!!」

「ああ? 何日和ったこと言ってんのよ! アンタが売った喧嘩でしょ!」

「格下に厳しい!!」

 

 

 両手を挙げて降参の意を表しているレティ・ホワイトロックと、そんな彼女を追い打ちするように恫喝をする幼馴染の姿だった。

 ボロボロになっているレティさんが霊夢の言葉に悲鳴を上げている姿は見ていてもの凄く可哀そうになる。

 

 あの、たまに輩みたいになる癖止めさせないとな……。

 

 なんか目の前の光景を見ていたら、ウジウジと自分が考えていた事が急に馬鹿らしくなってきた。

 あの人が降参って言ってるんだからもう加勢する意味なんて無いし。

 というかまだ十分も経ってないのに戦闘終了って早すぎる。

 分かっていた筈だが、彼女と私とでは格が違いすぎるのだろう。

 

 本当に自分は必要ないんだ。

 自分と霊夢とはあくまで友人であって、背中を預けられる戦友ではないのだ。

 

 そうだよね。

 そもそも私は人里に住む普通の人間で、霊夢は里の人間を守る博麗の巫女。

 私は守ってばかりの霊夢を守ってあげたいと思っていたけれど、そんなの彼女にとっては余計なお世話なんだろうな。

 

「……霊夢お疲れ様! 流石博麗の巫女ね!」

「ん、ありがと水蛭子」

 

 胸が締め付けられる思いを押し込め、無理やり笑顔を作る。

 

 大丈夫きっとバレない。

 私の笑顔は一度だって、作り物だとバレたことはないから。

 

 

 




 
謹んで新春をお祝い申し上げます。
旧年中は皆々様には大変お世話になり、誠にありがとうございました。
本年も不肖わたくし、更なる文章構成力の向上と皆様に少しでも面白いと思って頂ける事を目標に、精一杯物語を紡がせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
重ねて、本年も皆様がご健勝でご多幸でありますように、心からお祈り申し上げます。

それではまた!
 


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第三十一話 つかの間の回春

序盤に妖夢の刀に関してのお話がありますが、かなり独自解釈を織り込んでます。
その辺りをご了承の上お読みくださると幸いでございます。


 

 地上に降りた四人は、吹き荒れる飄風を少しばかり凌げる森の中に居た。

 

 魔理沙の熱の魔法で雪が溶かされた草地、その地べたに正座しているレティはあからさまに気だるそうな表情を浮かべて三人の人間を見上げていた。

 ふてぶてしい態度のレティに目を細めながら、霊夢が尋問を開始する。

 

「……で? アンタは何を知っているわけ?」

「私も、よく知ってるわけじゃないんだけど……ひと月前くらいからかな、風上の方から花びらみたいなものが飛んでくるようになったの」

 

 ひと月前から。風上から花びら。

 レティの言葉を頭に入れながら、水蛭子が問いかける。

 

「花びら、ですか」

「そう、桜の花びら」

「……桜なんてこの雪の中咲いているんですか?」

「咲いてないわよ。常緑樹以外は葉っぱすらつけてないんだから」

 

 鼻を鳴らしたレティに頷きながら、再び水蛭子が問う。

 

「ですよね……。じゃあなんでそんな物が?」

「花びらって言っても、あれは本物の桜じゃない。もっと概念的というか、春そのものというか……」

「何それ。いい加減な事言ってると退治するわよ」

「ちょっと霊夢」

 

 概念的。春そのもの。

 曖昧な言葉を並べるレティに、霊夢が乱暴な言葉を投げかける。

 そんな彼女を、眉を寄せた水蛭子が諫めた。

 

 二人のやり取りに構う事なく、早く話を終わらせたいと言わんばかりに雪女は話を進める。

 

「とにかく、その春が最近空を舞っていて、それを集めてる半人半霊の女の子が居るわ。多分その子が、この春雪に関係してるんじゃないかしらね」

「半人半霊……もしかして、妖夢の事か?」

「今幻想郷に居て現世をうろついてる半人半霊の一族はアイツくらいだから、そうなんでしょうね」

 

 半人半霊という特徴的な種族名を聞き、呟くようにいった魔理沙に、霊夢が頷いた。

 半人半霊の一族が少ないというのは冬眠に入る前の紫に聞いた話だったので、レティの言う少女というのは冥界に住まう半人半霊、魂魄妖夢で間違いないだろうと霊夢は小さく確信を持つ。

 

 水蛭子は唇に人差し指を当て、不思議そうに言う。

 

「でも妖夢は花弁を集めてどうするつもりなのかしら。……あっ、もしかして花びらを集めたら春が戻ってくるとか?」

「散った春を再構築しようとしてるってことか。でもそれなら私達を頼ってくれれば良いのにな」

 

 水蛭子の推測になるほどと魔理沙が頷く。

 魂魄妖夢というある程度の良心を持った少女は、この凍てつく春を終わらせようとしているのだと。

 

 しかし、そんな二人の言葉を否定するように、霊夢が平坦な口調で言った。

 

 

「……案外、春を奪ってるのは妖夢の方かもしれないわよ」

「え?」

 

 

 自分が考えもしなかった事を言う霊夢に、水蛭子は弾ける様に視線を移した。

 小さな動揺を瞳に浮かべた少女に、霊夢は続ける。

 

「アイツが住んでいる冥界は現世と隔離された亡者達の世界。紫の能力無しじゃ現世との行き来は不可能に近いわ」

「じゃあ紫さんの力でこっちに来てるんじゃないの?」

「いや、紫は寒くなると冬眠するわ。その間、家から出ることは絶対無い。にも関わらず妖夢がこの辺りで活動してるって事は、何か他の手段を使ってこっちに来てるって事。……もしかしたら、あの世とこの世の境界に穴が空いているって可能性があるわ」

「境界に、穴? もし仮にそうだとしたら、結界の専門家である博麗の巫女に知らせに来ないのは可笑しい……わよね」

 

 霊夢の説明を聞いて、妖夢の存在に不可解な点を見出した水蛭子が目を細める。

 

「ええ、もしかしたら妖夢自身が境界を『斬った』のかもしれない」

「境界を、斬る?」

 

 随分と突拍子の無いことを聞いて、水蛭子が細めていた目を今度は丸くした。

 境界を切るなどという芸当が八雲紫以外に出来るとは考えづらかったからだ。

 加えて言うと、水蛭子には妖夢がそんなことを出来る存在には見えなかった。

 

「妖夢が背中に背負ってるあの馬鹿長い刀。紫曰く、あれは幻想郷に存在している刀の中でも三本の指に入る程の大業物で、普通の刀じゃ考え付かないような力が秘めているらしいわ。込められている妖力も霊力も、鞘に隠れて分かりづらかったけど常軌を逸するものだった。あれなら境界を断ち切ることも可能かもしれないわ」

「はー、あの刀そんな凄いものだったのか」

「(ぜ、全然分からなかった……)」

 

 感心したように頷く魔理沙の横で、水蛭子が小さく俯く。

 

 自分が全く気付けなかった事に、ことも無さげに気付いていた霊夢。

 やはり自分と霊夢では、戦う力も考える力にも埋めることが出来ない程の差がある。

 先程ものの数分でレティを打倒した霊夢。それを見て思い知った己の未熟さを再確認してしまった水蛭子は、また一つ気分を落ち込ませていた。

 

 そんな水蛭子の胸の内に気付けないまま、霊夢は言葉を紡いでいく。

 

「件の『春』ってのは風上から飛んで来てるって言ったわね」

「ええ」

「なら取り敢えずその春とやらを私達も集めながら、風上に向かいましょう」

「分かったぜ!」

 

 元気に返事をした魔理沙を見て小さく頷きながら、霊夢が地を蹴り空を飛ぶ。

 踝ほどに生えていた枯れ草が雪解けの露を散らして揺れるのを、水蛭子はぼやっとした目で見ていた。

 

 霊夢に続いて箒に跨った魔理沙が、そんな虚ろな様子の水蛭子に声をかける。

 

「水蛭子? どうしたんだ、行くぜ?」

「……」

「……水蛭子。おーい!」

「えっ? ……あ、ごめんなさい。考え事、してて……」

「おいおい大丈夫か? 寒さで風邪引き始めたりしてないよな」

 

 魔理沙の呼び掛けに気が付いた水蛭子が曖昧な笑顔を浮かべると、魔理沙は心配そうな顔をしながら彼女に近付いた。

 霊夢も様子の可笑しい水蛭子に気付き、再び彼女の近くに降り立つ。

 

 そんな二人に焦りと戸惑いを感じた水蛭子は、両手を振りながらいつも通りの笑顔をふりまいた。

 

「だ、大丈夫大丈夫! ホントに、ちょっとした考えごとしてただけだよ。心配しないで!」

「そうか? なら、良いんだけど」

「水蛭子、何かあるんだったら遠慮せずに言って。さっきはああ言ったけど、戦闘以外のことは私からっきしだから、意見があるならなるべく沢山欲しいのよ」

 

 戦闘以外のことはからっきし?面白い冗談だ。

 霊夢は戦いも、着眼点の広さも自分よりある。

 

 それ、嫌味?

 

「……ッ!」

 

 ほろりと脳内に浮かんだ言葉を、ぶんぶんと頭を振ることで霧散させる。

 何を考えてるんだ自分は。

 彼女が嫌味など言うはず無いじゃないか。

 

 また一つ自己嫌悪が増えた水蛭子は、変わらない笑顔で口を開く。

 

「ううん。本当に、大丈夫だから」

「……そう」

 

 琥珀色の眼を見ながら少し考えて、霊夢が頷いた。

 

 きっと、嘘なのだろう。

 本当は何か思うことがあって、それを言えずにいるのが、霊夢には手に取るように分かった。

 

 だって、彼女の今の笑みには陰があるから。

 

 霊夢は、彼女がたまに浮かべる偽りの笑顔の存在を知っていた。

 自分以外の人や妖怪ならまず気付けないだろうと思える程に、完璧なペルソナ。

 

 それが偽物だということは分かりきった上で、しかし霊夢は頷いた。

 何ゆえの嘘なのかは、そのうち分かる。

 

 博麗霊夢が八十禍津水蛭子の偽りの笑顔に騙されたことなんて、一度も無いのだから。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 今日も魔法の森には雪が降る。

 あからさまにファンタジーな縮尺の可笑しい植物群や、色とりどりなキノコ達はすっかり雪による厚化粧が施されており、パッと見たくらいではそれが何なのか判断できない程だった。

 本来皐月になれば大方雪は溶け、朧げな春が姿を現す筈であるが、その兆しは一向に感じさせない降雪量。

 

 暖かな室内とは明らかに対象的な窓の外の景色を眺めながら、魔法使いのアリス・マーガトロイドは憂鬱げなため息を一つ吐いた。

 

 

「……はぁ、これじゃあ人形の素材も、魔法の媒体も調達しに行けないわね」

 

 

 家に置く物をなるべく少なくする事を心がけているアリスは、それが裏目に出たことを嘆いていた。

 彼女が作る人形の素材も、魔法使いとして魔法の研究に用いらなければならない媒体となる素材も、長過ぎる冬故に底が尽きかけていた。

 例年ならば既に冬は終わっていて、それらの調達は容易に出来ていたのだ。

 

 しかし何とも遺憾な事に、人形の素材を森の近くに売りに来る行商人はこの雪で来ず、魔法の媒体となるあれこれは分厚い雪の下。

 少しの間なら在庫ももっただろうが、そろそろ限界だ。

 

「仕方ない、せめて布や綿は里まで行って買わないと。じゃなきゃ虚無過ぎるわ」

 

 椅子から立ち上がり、いそいそと外出の準備を進める彼女の元に、櫛や鏡を持った小さな人形たちがふわふわと飛んで近付いてきた。

 アリスは人形から櫛を受け取ると、持たせたままの鏡を見ながらふわりとした金色の髪を融く。

 それからフリルの付いたカチューシャを髪に通して、久方振りに玄関の扉を開いた。

 

 そして。

 

 

「うわさっっっっむ!!」

 

 

 一瞬で扉を閉じた。

 

 すたたと暖炉に駆け寄り、まだ燻っている小さな火に手を翳す。

 

「寒過ぎる……なんなら先月より寒いんじゃないの……?」

 

 ぶつくさと言いながら二体の人形を操り、本棚から一冊の本を持ってこさせる。

 

「えっと、冷気遮断の魔法はと……」

 

 それを開いてぱららとページを捲って行き、目当ての頁で指を止めた。

 文字列を流すように読んでから、よしと頷いた彼女が何かを手繰り寄せるように手を動かす。

 すると、何処からともなく七体の人形がふよふよと飛んできた。

 

「上海と蓬莱はお留守番しててね」

 

 先程本を持ってこさせた二体の人形をソファに座らせて、新しく現れた七体の人形に順番に手を置いていく。

 すると手が置かれた人形達から小さく発光し始めた。

 魔法付与の反応である。

 

「フランス、オルレアン、オランダ、ロシア、ロンドン、チベット、京。……全員動作に問題は無し」

 

 満足そうに頷いたアリスが立ち上がると、七体の人形たちが彼女の周りを囲むように浮かんだ。

 アリスは再び玄関まで歩みを進めると、人形たちも彼女を追従する形で飛行する。

 

 扉のノブを捻り、外へ出る。

 

「……冷気遮断シールドの付与も完璧ね」

 

 ニコリと微笑んだアリスが雪の積もった地面を軽く蹴り、その体を宙に浮かせる。

 飛行を開始した彼女は、「人里って大体こっちの方角だっけ」と呟きながら空を飛んでいき、吹雪に向かって風上に消えた。

 

 ……ちなみに彼女はかなりの方向音痴である。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 風上に向かって暫く空を飛んでいた三人の目の前に、ひらりはらりと一葉の桜の花びらが舞った。

 花びらは僅かに光っており、普通の桜ではないと一目で分かる。

 宙を踊るように舞う花びらを、魔理沙が二度三度と手を伸ばして掴み取った。

 

「っと、よし。……これがあの雪女が言ってた『春』ってやつか?」

「暖かい光……綺麗ね。確かに普通の花びらじゃなそう」

 

 魔理沙の手の中にあるほわりと光る花弁を、水蛭子が物珍しそうな目で見つめる一方、その横で霊夢が目を細めて睨みつけるような視線を花びらに送っていた。

 

「……妖力とも霊力とも言えないけど、何かしらの力が溢れてる。なるほど、確かに『春』そのものって訳ね。……ん?」

 

 花弁の観察を終えて顔を上げた霊夢の視界に、何かが写った。

 白いカーテンで覆われたようだった真っ白の風景の中に、何か、小さな人影らしき物が浮かんでいたのだ。

 

 先程の雪女に続き、また悪徳妖怪が出たかと霊夢がお祓い棒を構えた。

 

 が、次の瞬間にはその先端が降ろされる。

 近付いてきたシルエットに、見覚えがあったからだ。

 

 

「……橙?」

「えっ」

 

 

 武器を構えた霊夢を見て自身も長棍を抜いた水蛭子だったが、珍しく困惑した顔の霊夢が呟くように言った言葉を聞いて、目を見開かせた。

 

 吹雪の向こう、よたよたと近付いてくる小柄な影。

 冬の間あまり姿を見なかった、その幼子の様な姿をした妖怪の少女を、この場の三人は皆知っていた。

 

 何故こんな吹雪の中、外に出ているのかは定かでは無いが、眼前に漂う少女は確かに橙だ。

 

「橙ちゃん!」

「!!」

 

 心配から必要以上に大きくなってしまった水蛭子の呼び掛けに、へたり込んでいた橙の耳がピンと立ち上がっる。

 

「どどど、どうしたのこんな吹雪の中! 危ないじゃない!!」

 

 わたわたと不安定な飛行で橙の元まですっ飛んで行った水蛭子が、橙の両肩に手を置いた。

 

「……!」

 

 吹雪の向こうから現れた水蛭子に、橙の目が輝く。

 それから直ぐ、彼女は何かを伝えようとして宙で手を動かした。

 

 しかし水蛭子にはそれが何を伝えようとしているのか分からず、戸惑いの顔で首を傾げることになる。

 それでもなんとか彼女の意図を理解しようとして、質問する。

 

「一人? 紫さんと藍さんは居ないの?」

 

 肯定。

 頷く橙を見て次の質問をする。

 

「もしかして迷子になったの?」

 

 肯定。

 その小さな身体の焦燥具合から、かなりの時間さ迷っていたのが見て取れる。

 小刻みに震える体を撫でる橙は見ていてとても可哀想だ。

 水蛭子は彼女が少しでも暖をとれるようにその体を抱きしめた。

 

 同じように橙の体を温めようと、魔理沙が手に持ったタクトから小さな太陽のような物を作り出した。

 かなりの光量のそれに薄目を開けながら、抱き合う二人の傍にそれを寄せる。

 小さいが確かに暖かな陽気を放つ太陽は、魔理沙の熱魔法によって構築されており、これまでの道中三人が休憩を挟んだ際にも活躍したものである。

 そんなありがたい魔法の太陽に温められて、橙の震えていた体も段々と落ち着きを取り戻してきた。

 

 そして四人は、前の休憩からそれなりに時間が経っていた為、橙から事情を確認するのを兼ねて再度の休憩に入るために地上に降り立つ。

 

 丁度降りた所にあった岩に霊夢と水蛭子と橙が腰を掛け、魔理沙は魔力太陽を掃除機の要領で使って周辺の雪を溶かしていく。

 魔理沙に感謝の言葉をかけてから水蛭子は質問を再開した。

 

「迷子って、紫さんか藍さんと逸れちゃったって事?」

 

 否定。

 どうやら彼女は初めから一人で外に出たらしい。

 

「なんで? まさかまた紫に変なこと言われて、今度はあんたの方が家出しちゃったとか?」

 

 霊夢の問いかけに、再び首を横に振って否定する。

 自発的に一人で外に出てきたようだ。

 

「理由は……なんなんだろう」

「ここ最近雪が積もり通しだし、家に引き籠るのに飽きたんじゃないのか? やっぱ子どもは外で遊びたくなるもんだろ」

 

 考え込む水蛭子の横から、魔力の太陽を引っ込めた魔理沙が言った。

 なるほどと思い橙に視線を向けるが、これも首を横に振る。

 それを見て橙以外の三人は各々視線を落とし、橙が一人で外出をした理由を考え込み始めた。

 

 そんな彼女たちを見て、迷惑をかけてしまっているなと少しだけ落ち込んだ表情をした橙。

 彼女のぺたりと折りたたんでいた耳が、ふと遠くから聞こえた声を拾い、ピンと立ち上がった。

 

「ん、どうした……」

 

 顔を上げた橙を見て視線をそちらに向けた魔理沙だったが、その言葉を言い終える前に口が閉じられた。

 

 何故ならば。

 

 

 

「ちぇえええええええん!!!!!!」

 

 

 

 空の向こうから勢いよく飛来してきた何者かが、怒号にも似た呼び声を上げながらこちらに突っ込んで来たからだ。

 あまりに唐突な登場に、三人は一瞬彼女が誰なのかの認識が遅れる。

 

 しかし見覚えがあるというにはあまりに交流のある女性に、水蛭子が声を漏らした。

 

「あ、藍さん……?」

 

 地面と衝突するように着地した八雲藍は、そのままの勢いで岩に座っていた橙を抱きしめた。

 蒼い衣から伸びた金色の九本の尻尾は、重力など関係ないと言わんばかりに真っ直ぐと伸びている。

 

 

「橙……橙……! 心配したんだぞ……!」

「……えっと」

 

 

 今までに見たことが無いほど感情的な様子の藍に、水蛭子が戸惑いの表情を浮かべながら頬をかいた。

 保護者が来てくれたのは良かったが、いきなりすっ飛んできていきなり泣き出されても、事情を良く知らない水蛭子には何が何だか分からなかったのだ。

 

 他の二人も水蛭子と同様の顔をしながら、一度離れた橙と藍の方へ近づく。

 

「どうやら、親には無断の外出だったみたいね」

 

 神妙な顔で言った霊夢に頷きながら、魔理沙が顎に手を添える。

 

「橙のヤツも満更でもなさそうだし、嫌気がさしての家出では無いみたいだな。……うーむ、余計にどういう事なのか分からなくなってきたぜ……」

「何にせよ安心したけど、暫くは声をかけない方が良さそうね」

 

 微笑んで言った水蛭子に、霊夢と魔理沙は苦笑を零しながら頷いた。

 

 目の前の親子さながらの二人が抱き合う光景は、この凍てついた春を気持ち程度暖かく感じさせる程には落ち着く光景だった。

 

 




 この物語の藍さんはマジでオカンです。


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第三十二話 マジカル☆さくやちゃんスター

遅くなって申し訳ありません。
今回は咲夜の過去について触れますが、完全にオリジナルなのでご了承ください。


 

 時は少し遡り、紅魔館の門前。

 

「異変の調査、ですか?」

 

 淡く積もっていた帽子の雪を払い、美鈴は聞き返した。

 

「ええ、多分今頃三人でそうしてる最中だと思うの」

 

 そう言って長い睫毛を垂れさせた咲夜が可愛らしくて、美鈴はほわりと笑みを浮かべた。

 

「心配ですか?」

「……うん」

 

 自らの問に正直に答えた咲夜に笑みを深めながら、美鈴は言った。

 

「はは、大丈夫ですよ。水蛭子さんと魔理沙さんは私とパチュリー様が色々教えましたし、霊夢さんに関しては元から無秩序に強いですから。心配しなくとも」

「それは、分かってるけど」

 

 それでも、心配なのだ。

 咲夜の顔からはそんな感情がわかり易く伝わってくる。

 

 少し前までの彼女なら決して見せなかったであろう表情に美鈴は、自然と上げた手をホワイトブリムを通した銀髪に乗せて、優しくそれを撫でた。

 

「ちょっと美鈴……!」

 

 たまにしてくる唐突なスキンシップ。咲夜は気恥しさから口を尖らせる。

 そんな彼女にお構いなしに、ニコニコと丸い笑顔を絶やさない美鈴が一つの提案をした。

 

「そんなに心配なら、私からお嬢様に進言してみましょうか? 咲夜さんも異変の調査に向かわせてあげてくださいって」

「え、でも」

 

 一瞬、咲夜の目が煌めいた。

 人里で水蛭子と魔理沙に背を向けた後、「私も三人と一緒に行きたかったな」と思うくらいには彼女は内心落ち込んでいたのだ。

 

 しかし、自分は紅魔館のメイド長である。

 最近良く動くようになってきた妖精メイド達だが、副メイド長的な役割のチルノと大妖精(大ちゃん)は長引く冬にテンションを昂らせて一週間前くらいから長めの休暇に入っている。

 そんな時に自分が抜けてしまえば屋敷がてんやわんやになることは必死である。

 

 だから彼女は調査に参加するのを諦めていた。

 

「お屋敷の事が心配ですか? 無問題(モーマンタイ)です!」

 

 しかし、そんな咲夜の考えを一蹴するように、美鈴が親指を立てた拳をズイッと咲夜に寄せた。

 

「妖精メイド達も自分で考えて色々出来るようになってきましたし、そもそも前メイド長の私が居るんですからね! 何も心配する必要はありません!」

「でも門番の仕事は」

「大丈夫です! 正直門の前に居なくても侵入者が来たら気で察知出来るんで!!」

 

 紅美鈴は操気の達人、ならぬ達妖である。

 確かに彼女の能力を持ってすれば、侵入者の察知及び探知は遠隔からであろうともお手の物だろう。

 

 そこまで考えて、咲夜は「おや?」と一つの疑問を持ってしまう。

 確かにその素晴らしい能力は感心に値するものであるが、それならば……。

 

 

「え、ならなんで門番なんてしてるの?」

「いやあ、メイド長の後任が生まれたし、暫く楽させてもらっちゃおうかな~なんて……なんて、思ってませんよ!? 」

「いや、誤魔化せないわよ。全部言っちゃってるから」

 

 

 ハッと今自分が口走った内容を顧みて、痛恨のミスを犯した事に気づいた美鈴が誤魔化すように言葉を続けたが、時すでに遅し。

 

 咲夜のジト〜とした視線に刺され、美鈴は己の迂闊さからか気温の寒さからか、整った鼻をひんと鳴らした。

 

 

 閑話休題

 

 

 さてもさても、と咲夜の冷たい視線から逃れるように自らの主の元に向かった美鈴。

 彼女の進言を聞いた幼きヴァンパイアは、割りとあっさりと。

 

 

「なるほど。別に良いわよ」

 

 

 そう二つ返事で頷いた。

 御館様ならそう答えるだろうと予想していた美鈴が、しかし安堵の表情を浮かべてガッツポーズをとる。

 

 その様子に微笑みながら、レミリアは虚空へ呼びかけた。

 

「咲夜、来なさい」

「はい、お嬢様」

 

 主からの招集を受け、即座にレミリアの座る椅子の斜め後ろに咲夜が現れる。

 

「私の前へ。あぁ立ったままで良いわよ」

 

 言う通りに主の前に移動し、美鈴の隣に立った咲夜を、レミリアは少しの間ジッと眺めた。

 その間咲夜と美鈴は無言のままその場に佇む。

 

 それから数秒の間の後、レミリアが口を開いた。

 

「博麗の二人組、及び霧雨魔理沙との同行を許可するわ。この焚き物と洗濯物に優しくない異変を終わらせる調査に尽力しなさい」

「承知しました」

「ただ」

 

 頭を垂れた咲夜が、ピクリと動く。

 何か規制的な条件を課せられるのかと、一抹の不安が彼女の胸を泳ぐ。

 しかし、そんな心配を無視するように、レミリアは苦笑して。

 

「長旅にその格好はちょっと寒そうね」

「は、防寒の類は余念が無いように……」

「そうじゃなくて。美鈴、アレらを咲夜に与えるわ。パチェの所に行って用意なさい」

「分かりました!」

 

 レミリアの命令に早足で謁見の間を出て行った美鈴を見送りながら、咲夜が小首を傾げた。

 

「アレら、とは?」

「ふ、見てからのお楽しみって所ね」

 

 レミリアは子どもにプレゼントを用意した親のような優しげな笑みを浮かべて、玉座から立ち上がった。

 

「私たちも行くわよ」

「はい」

 

 

 

 

 

 

 大図書館へ向かう道すがら、レミリアは後ろに付き従う咲夜に声をかける。

 

「最近、あの子達とどんな感じなの? 仲良く出来てる?」

「え……その、はい。自信は無いですが、恐らく」

 

 普段されないタイプの問に、一瞬言葉が詰まった咲夜だったが、素直に肯定する。

 その顔は少しだけ気恥しそうで、年相応の女の子という感じだった。

 

 前を歩くレミリアは振り替えずとも、声の形だけでそれが分かった。

 少し前までの咲夜に比べて、今の彼女は素直で、丸い性格になったように思う。

 それがレミリアにとって非常に嬉しくて、何より彼女に与えたいものだったのだ。

 

 声を弾ませて、更に問かける。

 

「あの子達と居て、楽しい?」

「……はい。とても、楽しいです」

「そっか」

 

 今度は惑いの無い返答。

 それを聞いてレミリアはますます口角を上げた。

 

 何処か満たされた胸の内、半分だけ顔を振り返らせる。

 

「私ね、先の異変の時、八十禍津水蛭子の運命を覗き見て驚いたの」

「彼女という存在の不思議さに、ですか?」

「それもあるわ。だけどそれより、なにより」

 

 言いかけて、レミリアが立ち止まる。

 そしてゆっくり振り返った彼女の顔を、薄雲に隠れた太陽がおぼろげに照らした。

 

 あ、と咲夜が声を洩らした。

 ヴァンパイアは陽の光に溶かされる。

 しかし直射日光では無い。だから大丈夫なのだと安堵の吐息を零して、それから気付く。

 

「あの子たちと一緒に、貴方が」

 

 主人であるレミリア・スカーレットの、優しく、慈愛に満ちた美しい笑顔に。

 

 

「貴方が笑っていたの。とびきり可愛らしい、普通の女の子って感じの笑顔で」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「(普通の女の子の、笑顔)」

 

 

 先の異変以来、確かに咲夜は良く笑うようになっていた。

 それは彼女自身も自覚しているところだ。

 

 

「(……ふふ。昔の自分が見たら、どう思うかな)」

 

 

 昔、咲夜はあまり笑わなかった。

 

 否、笑う必要がなかったと言うべきだろう。

 

 

 彼女は外の世界で、十二歳まで学校に通っていた。

 優れた知性に抜群の身体能力、ついでに浮世離れした見目麗しさから一時期学校一の才女ともてはやされていたが、自身が優れている故に他者への関心が薄く。加えて、幼い頃に両親に先立たれ愛の無い環境で育った為か、周りからの好意を受け入れることが出来なかった。

 その為、最初は彼女に好意的に接してた生徒たちも愛想を尽かし、優秀な彼女を見る目は羨望から嫉妬に変わっていく。

 

 周りに避けられ、自身も周りを避け、孤独となった咲夜。

 そんな折、彼女に追い打ちをかけるように、ある朝育ての親である伯母が蒸発した。叔母はギャンブル癖にアルコール依存を患っており、方々から借金をしていたのだ。恐らく夜逃げしたのだろうと近所の者たちは言っていたが、方々から恨みを買っていた彼女が果たして無事に逃げ延びれたのかは定かではない。

 

 ともかく、住んでいた家も差し押さえられ、他に頼れる親類も居なかった咲夜は路頭に迷うことになる。

 

 そんな咲夜を拾ってくれたのが、彼女が紅魔館に来る以前に働いていた工場の責任者の男だった。

 

「飯は用意してやれないが、住む場所くらいは与えてやる。その代わりこの工場で働け」

 

 そんな彼の言葉に流されるまま、咲夜はその工場で働き始めた。

 

 常に工場内を漂う熱気に肌を焼かれながら、ただひたすらにその日課せられたノルマを達成するために機械のパーツを組み上げていく作業。

 あまりやりがいのある仕事とは言えず、給料も最低のもので、その日食べていくのがやっとという暮らし。

 

 来る日も来る日も同じ仕事を繰り返していた彼女は、相変わらず、工場内のコミュニティにも馴染めずにいた。

 

 咲夜が他人に話しかけるのは仕事の間だけであり、それも必要最低限のものである。

 彼女が好意をもって話しかける相手と言えば。広場に生えている木々や草花、路地裏で寝転がっている犬や猫くらいのものだった。

 

 他人との交流というものは、本来家庭や学校の友人との関わりの中で自然と覚えていくものだ。

 しかし、過去に咲夜にはそれが出来なかった。

 

 彼女自身がその必要性を感じていなかったという方が正しいのかもしれない。

 

 

 そうして虚無の日々を過ごしていた彼女に、ある日突然転機が訪れる。

 

 たまの休日、特にやることも無い咲夜はいつものように路地裏で野良犬の頭を撫でていた。

 そんな彼女の体を唐突に影が覆う。

 影の主は、どこか安心する穏やかな声色で咲夜に話しかけた。

 

 

「犬、好きなの?」

「……誰?」

 

 

 振り返ると、そこには咲夜の知らない人物が立っていた。

 緑色の旗装に身に纏った、長く鮮やかな紅色の髪が印象的な長身の女性。

 

 彼女は自身の事を紅美鈴と名乗った。

 

 美鈴は膝を折って咲夜の前に屈み、極彩色の瞳で碧眼を覗き込んだ。

 

「……お前、窶れてるね。ご飯はちゃんと食べてるのか?」

「毎日最低限は、食べてるわ」

 

 素っ気なく返す咲夜に美鈴は苦笑しながら問いかける。

 

「お腹何分目くらい?」

「……三、くらい?」

「さん!? ……お前、修行中の仙人か何かなの?」

 

 首を傾げながら言った咲夜に悲鳴を上げた美鈴が、急いで背負っていたカバンから紙袋を一つ取り出した。

 それを押し付けられるようにして受け取った咲夜が、ぱちくりと戸惑いの瞬きをしながら中に手を入れる。中に入っていたのは幾つかのスコーンで、まだ出来て間がないのか僅かに湯気が立ち上っていた。

 

「これ……?」

 

 不思議そうな顔でこちらを見る咲夜に、美鈴は少し怒ったような声色で返す。

 

「小腹が減ってたからさっきそこのお店で買ったのよ。でも貴方が全部食べなさい」

「いいの?」

「逆に食べてくれないと困るわ」

 

 知り合ったばかりの人物から食べ物を恵まれることに、何か裏があるんじゃないかと不安を抱いた咲夜だったが、目の前の人物の極彩色の瞳からは悪意というものを感じられなかった。

 おずおずとスコーンを口元に運び、小さく「……ありがとう」と呟き、それを頬張った。

 

 無言でスコーンを食べる咲夜をしばらく眺めてから、美鈴は「あ、そういえば」と何かを思い出しカバンの中を覗き込む。

 

「確かちょっと前に作ったものが……。あったあった」

 

 彼女がカバンから追加で取り出したのは、黄金色をしたペースト状の何かが入った瓶。

 その大きめの蓋をガパリと開けて、咲夜に差し出した。

 

「これ、故郷の果物で作ったジャム。良ければそれに付けて食べてみて」

 

 マンゴーに砂糖とお酒を加えて煮詰めたものだよという美鈴の言葉に興味を惹かれ、添えられたスプーンでジャムを掬い、スコーンに塗り付ける。

 馴染みのない香りだが、強く甘いそれに喉を鳴らし、咲夜は大きな口を開けスコーンを迎え入れた。

 

 咀嚼の回数を経る度に、彼女の無機物のようだった表情が徐々に柔らかく変化していった。

 

 

「……おいしい」

 

 

 ぽつりと、しかし確かな感情を持った言葉が咲夜の口から零れる。

 それから、久しく口にしていなかった美味しいという言葉と、気持ちに、咲夜は自分自身で驚いた。

 

 そして次に続く美鈴の言葉が、彼女を更に驚かせる。

 

 

「良かった。やっと笑ってくれたね」

「え?」

 

 

 笑った?自分が?

 美鈴の笑顔を見ながら、自身の頬を触る。

 

 確かに、僅かに口角が上がっている。

 美味しいという感情を久しぶりに感じたからだろうか?

 

 美味しいという幸福感が、確かにこの胸に今溢れている。こんなものを感じる心がまだ残っていたなんて。

 咲夜にとってそれは驚愕に値するものであった。

 

「笑ったのなんて、久しぶり」

「そうなの?」

「うん」

 

 美鈴の問いかけに、今度は少し寂しげな笑みを浮かべた咲夜。

 そんな彼女に、美鈴は穏やかな笑顔を浮かべて。

 

「じゃあ、これからはもっと沢山笑えるよ」

「え?」

 

 どういうことだろう。

 そう不思議そうに首を傾げる咲夜。

 

 美鈴は鞄を背負いなおし、咲夜に手を差し伸べた。

 

 

「一緒においで」

 

 

 その言葉に、すぐ反応することが出来なかった。

 他者とこんなに触れ合ったのも久しぶりだったのに、あまつさえ「一緒においで」などと言われてしまえば、咄嗟にどう答えれば良いのか判断しかねたのだ。

 

 そもそも、一緒においでとはどういうことか。

 いきなり現れた癖に、彼女はどういった思考回路をしているんだ?

 

 沢山の疑問が咲夜の頭の中で浮かんでは消えていく。

 とにかく、聞くが早し。

 咲夜は美鈴へと問いかける。

 

「それって、どういうこと?」

「言葉通りの意味だよ。ここから出て、私と共に行こう」

「……何処に、行くの? 行ってどうするの?」

「私が暮らすお屋敷へ。君は今日からそこで暮らすんだ」

「え?」

 

 益々意味が分からなくなってきた。

 彼女が暮らす屋敷に私が住む?それも今日から?

 

 突然すぎてとても受け入れられる話ではない。

 咲夜は困惑する感情に任せ、言葉を続けた。

 

「そこで暮らすって……そんな急に」

「うん、吃驚するのは分かるよ。でもこれは決まったことなんだ」

「でも社長の許可も無しに、仕事は辞められないし……」

「あぁ……ふふ、それは大丈夫」

 

 美鈴はその名を表すような美しい笑みを浮かべ、鈴のように綺麗な声で笑った。

 

 

「そちらの社長に話はもう通してるから、気にしないで。アナタは今日から私たちの家族だよ」

 

 

 そう言って、彼女は咲夜の頭を優しくなでる。

 ぽかんとした顔で美鈴の顔を見上げた。

 

 全然、意味が分からない。

 社長からそんなこと聞いてなかったし、何より自分の身を引き取って目の前の彼女に何のメリットがあるのか。

 

「……」

 

 いや、しかし、と咲夜は考える。

 

 逆に考えると、自分に何かデメリットがあるか?

 このまま生きていても、何も良いことが無いのは目に見えている。

 もし仮に美鈴が良い人のフリをした悪党だとして、自分の体やら臓器やらを売り飛ばして金銭に変えようと画策していたとしても、なんのことはない。

 

 自分は既に、誰からも望まれない人間だ。

 両親は死に、友人も居ないし、頼れる人脈も存在しない。

 

 そんな自分が死んだとしても、誰も悲しまない。

 

 どうせ今まで、流されるがままに生きてきた身だ。

 目の前の女性に付いていった先が泥船だろうが、今までの人生と大して何も変わらないだろう。

 

 まあ、いいか。

 困惑していた頭がすぅとクリアになっていく。

 別に、どうなったって良いじゃないか。

 

 私はただ、流されるがまま生きる。

 

 

「分かった。よろしく」

 

 

 今度は咲夜の方から手を差し出し、美鈴がそれを笑顔で取る。

 

 しかし、その瞬間彼女は不服そうに口を尖らせた。

 

「あ、私のこと信用してないな? 気の流れで分かる」

「何それ」

「アナタが内心どう思ってるのかは、大体お見通しってことだよ」

「……嘘っぽい」

「う、嘘じゃないわ! ……まあ、そのうち分かってもらえるか」

 

 自分の能力をジトッとした目をして疑う咲夜に思わず大声を上げてしまった美鈴が、少しの間を置いて気を取り戻す。

 そしてクルリと踵を返すと、そのまま歩き始めた。

 

 逡巡の後、咲夜も一歩踏み出す。

 

 彼女に着いて行った先に、何が待っているのかは分からない。

 だけど、それでも、咲夜はほんの少しの希望を持って歩き始めた。

 

 

「ねぇ、もうお腹いっぱいだから、後は食べて」

「ん? ・・・・・・全然減ってないじゃない!! 子どもが遠慮するんじゃありません!」

「いや、本当にもう食べれない」

「・・・・・・私の生きる目標が一つ増えた。アナタにはいつか、私が作った満漢全席食べさせる」

「何それ?」

「おっきなテーブルに引くほど料理乗っけた中華最大最高のフルコース」

「馬鹿なの?」

「いーや、絶対完食させるから。今日の晩御飯から早速美鈴式胃袋拡張トレーニング始めるから!」

 

 

 騒がしく、冷たく、二人の女性がイギリスの工業地を歩く。

 

 なお、冷たい方の少女がこの後屋敷の主人と邂逅し、「子どもがそんな悲しい顔で笑うんじゃありません!」と見目幼い彼女から渾身のデコピンを喰らい、性にあわず床に転げ回って痛がりまくるのは、また別のお話。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 マグナム弾でぶち抜かれたのかと錯覚する程の強烈なデコピンを思い出し、咲夜が額をさすさすと摩っていると、目の前を歩いていたレミリアが歩みを止めた。

 

 昔の事を回想している内に、大図書館に着いたらしい。

 

「パチェー、入るわよー」

 

 間延びした声をかけながら、図書館の扉を開けて中に入っていくレミリアに続き、咲夜も扉をくぐる。

 

 いつもと変わらず、世界一の規模と言っても差し支えない程に立派な図書館だ。

 

 ふいに、視線の先にあった本棚の一箇所が空洞になっている事に気が付く。

 確か先日、白黒のゴスロリドレスを着た魔法少女が盗みに入っていたが、その時持っていかれた本が収められていた場所だろう。

 

 大きなとんがりボウシをはためかせ、高笑いをして去っていった嵐のような少女を思い出し、咲夜は思わず噴き出してしまった。

 

「・・・・・・失礼しました。少し、思い出し笑いを」

「はは、以前はそんなのしなかったのにね」

「申し訳ありません」

「いや、寧ろそれで良いわ。出会った時はあんな寂しい笑顔を浮かべてたアナタだけど、あの子達と出会ってから良い方向に柔らかくなったわねぇ」

 

 頭を下げた咲夜に笑いかけたレミリアが、再び歩みを止める。

 彼女の目の前には、既に到着していた美鈴とテーブルで優雅にティーカップを傾けるパチュリーが居た。

 

「パチェ、美鈴。例のものを咲夜に」

「かしこまりました~!」

 

 レミリアの言葉にウキウキとした様子で咲夜の元に駆け寄る美鈴。

 彼女が咲夜に差し出したのは、赤い布を折り畳んだ物だった。

 

「これは?」

「パチュリー様が魔法で作り上げた糸を、お嬢様の血液を混ぜた紅い染料で染めて、それを私がたくさんの愛情を込めて編んだ、この世に二つとない紅魔館印のマフラーです!」

「・・・・・・え?」

 

 美鈴の言葉に、思わず呆けた顔になる咲夜。

 

 いや、マフラーをくれるのは物凄く嬉しいのである。

 パチュリーが魔法で作った糸と、美鈴が愛情を込めて編んでくれた。うん、最高だ。

 

 だがしかし。この鮮やかな真紅の中に、自分の主人の血液が混入しているのは何故なのだ。

 

 全身を覆うように湧き出た冷や汗を感じながら、咲夜はレミリアの方を振り向く。

 

「・・・・・・あれ、何その顔? 嬉しくない?」

「いえ、物凄く嬉しいのですが。・・・・・・その、何故お嬢様の血液を?」

「ああそこ? それは──」

 

「吸血鬼の血が魔法付与(エンチャント)の素材にお誂え向きだからよ」

 

 レミリアの言葉に割って入る様に、皿の上に盛られたクッキーを一枚摘んだパチュリーが答えた。

 

「レミィは純血の吸血鬼だから、その血は魔力順応度が極めて高い。それを贅沢に練りこんだそのマフラーは装着者にあらゆる恩恵をもたらすわ。視力、聴力、総合的な身体能力の上昇を初めとして、戦いに入ると任意でゾーン状態になれる上に身体のリミッター解除も思うがままの狂戦士(バーサーカー)モードの搭載。魔力で構成されたもの限定だけど簡易(インスタント)眷属の使役、etc。……あ、勿論防寒シールドも常時発動してるから、それを巻いてる限り寒さで凍えるなんてことは無いわよ」

 

 息継ぎ無しでそう言い切ったパチュリーが、手に持つクッキーを小さな口で齧った。

 

「……そんな大層な物を私が頂いてよろしいのですか?」

「勿論。アナタの為に作ったんだからね」

「はぁ」

 

 大層な物と言ったが、今パチュリーに説明された能力の羅列が突飛過ぎていまいち実感が無い。

 だがしかし。

 

「……いえ、ありがとうございます。とても嬉しいです」

 

 マフラーを広げ、ゆっくりとした動作で首に巻く。

 高級店で買った物のように肌触りが良く、とても暖かい。パチュリーの魔法付与も凄いが、美鈴の編み物スキルもなかなかのものである。

 

 自分の為に、皆が作ってくれたマフラー。

 それがどんなにぶっ飛んだ性能の魔法具だったとしても、貰って嬉しくないわけがない。

 

 綻んだ笑顔を浮かべる咲夜に、レミリアが満足げに頷いた。

 

 

「喜んでくれて良かったわ。でも、贈り物はもう一つあるの」

「え、まだあるんですか?」

「むしろこっちが本命ですよ」

 

 

 小首を傾げた咲夜に、美鈴が満面の笑みを浮かべながら両手を上げる。

 

 いつの間にかその手に持っていたソレ(・・)は、一目見て何と呼称していいのか分からない二つの真球状の物体だった。

 スミレ色の球に真っ白な星のマークが施されており、大きさからも比較して博麗の巫女が保有している「陰陽玉」に何処か似ている。

 

「これは?」

「そのマフラーが盾だとしたら、その玉は矛ね。博麗の陰陽玉を参考にして作ったオプションアイテムよ」

「あの陰陽玉を参考に、ですか」

 

 美鈴から受け取った球体を顔の高さまで持ち上げ、それを覗き込む。

 球体はわずかに透明性を持ち、向かいに立つ美鈴の胸元がおぼろげに透けて見えた。

 

「使い方は?」

「既に使用者はアナタに設定しているわ。感覚のリンクも今済ませたから、試しに「浮け」って念じてみて」

 

 パチュリーの言葉に頷き、言われた通り頭の中で球体を浮かばせるように念じる。

 すると手に持っていた球体はスゥっと浮かび上がり、少しの上昇の後、空中で止まった。

 

「面白いですね」

「その玉の能力としては、魔力弾の射出、それとアナタが四次元に仕舞ってる刃物を射出出来るように設定してあるわ。戦闘時は補助攻撃装置として使いなさい」

「分かりました」

 

 普段は暗器や剣を用いた白兵戦が主な戦闘スタイルである咲夜だが、これで遠距離の敵を攻撃することも容易になる。

 マフラーほどの物ではなさそうだが、戦闘の幅が広がるのは素直に嬉しい。

 

 しかし、先ほど美鈴はこちらが本命と言っていた。

 それは一体何故なのだろう。

 

「美鈴、この玉が本命というのはどういう?」

「ふっふっふ。本命とは能力のことではありません」

「? じゃあ、なんなの?」

 

 不思議そうに宙に浮かぶ二つの玉を眺める咲夜。

 そんな彼女に、楽しげな笑みを浮かべた美鈴が口を開く。

 

 

「霊夢さんのは陰陽玉という名前がついてるのに、咲夜さんのはただの玉、では折角の魔法具が味気ないでしょう?」

「……なるほど?」

 

 

 わかるような、わからないような。

 正直、名前なんてどうでも良いというのが咲夜の本音だった。

 

 しかし目の前の三人はそうでもないようで。

 

「私は「魔動式衛星」というのがシンプルで良いと思ったの」

「私は「シャイニング咲夜スター」が美しさと咲夜の可愛らしさを表現出来てて素敵だと思ったんだけど」

「うんうん。お二人ともグッドなネーミングだと思いますよ」

 

 少し不服そうな二人の間で、ニコニコと頷く美鈴。

 

「でもどちらも譲れないというので、私が折衷案を出したんですよ。そしたら二人ともそれなら良いと仰って!」

「……どんなの?」

 

 嫌な予感がしてきた咲夜が、微妙な顔で、一応美鈴に問いかけてみた。

 

 すると、彼女はとても良い笑顔で一言。

 

 

「マジカル☆さくやちゃんスターです!!」

 

 

 




 
とくにないですさんの「華扇の部屋」大好き!
 


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第三十三話 サイキョーの氷精は遊びたりない

遅くなり申し訳ございません。
咲夜さん出撃します。


 

「すまない。見苦しいところを見せてしまったね」

 

 しばらくして落ち着きを取り戻した藍が、わざとらしい咳払いで取り繕った。

 真面目な顔をしようとしているようだが、淡く赤らんだその頬は可愛らしく、威厳的なものは微塵も感じることが出来ない。

 

 水蛭子たちはそんな藍に苦笑を隠せなかった。

 

「事情を聞いても良いですか?」

 

 優しい笑みを浮かべながら、水蛭子が尋ねる。

 

「実は、今朝起きると橙が家から居なくなっていてね。方々探し回っていたんだ」

「橙ちゃんはなんで外に?」

「おそらくだけど……」

 

 水蛭子の問いかけに、隣に座る橙の頭を撫でながら藍が答えた。

 

「紫様が毎年冬眠していることは知っているかな。その間は外にも出ないし、殆ど寝室からも出てこないんだ。今年は冬が長引いていることもあってずっとその状態でね」

 

 小さく俯く橙。

 

「でも、春を終わらせれば紫様も元気になる。そう思ったから外に出たんだろう?」

 

 その言葉に橙は小さく頷いた。

 なるほど、と彼女の言いたいことを理解することが出来なかった三人が三者三様に反応を示す。

 霊夢は殊勝な心構えの橙に感心の意を、水蛭子は健気な彼女にホッコリとした顔を。

 

 そして魔理沙は「つまり霊夢がもっと早くに異変解決に乗り出してたら、橙がこんなに凍えまくることも無かったってことだな」と神妙な顔で言った。

 

 水蛭子は罪悪感で物凄く胃が痛くなった。

 

 

 

 場所は変わり八雲家の住宅、迷い家。

 藍が用意した温かいお茶を飲み、三人はホッと息をつく。

 

 さて、と紫だけが居ない居間で、水蛭子が話を切り出した。

 

「藍さんはこの異変の原因を知っているんですか?」

「うん。凡その見当はついてる」

「聞かせてください」

 

 水蛭子の真剣な瞳を少しの間見つめてから、藍はゆっくりと話し始めた。

 

 

「貴方達は『西行妖(さいぎょうあやかし)』を知ってる?」

「さいぎょう、あやかし、ですか?」

「冥界に咲いている滅茶苦茶デカい妖怪桜のことよね。直接見たことは無いけど、紫から聞いた事があるわ」

 

 

 霊夢の言葉に頷いて、藍は続ける。

 

「かの妖怪桜は、長きに渡って満開(・・)の姿を見せていない」

「……それって枯れてるんじゃないのか?」

「いいや、あの桜は生きている。満開にならないのは、昔一人の人間がその命と引き換えに封印を施したからだよ」

「命と引き換えに封印? なんでまた」

「アレが満開になったら、その瞬間内包している濃密な死の妖力が爆発的に拡散するから。そうなれば、幻想郷に住まうあらゆる生命はその妖力に蝕まれて、多くの者が死に至るだろう」

 

 荒唐無稽とも感じられる話に、水蛭子と魔理沙の全身の毛穴がゾクリと鳥肌立つ。

 命と引き換えに封印された妖怪桜、西行妖。

 聞いた事の無かった存在に水蛭子が深い関心を持ったのと同時、しかしと小首を傾げる。

 

「でも、その桜と今回の異変にはどのような関係性が?」

「魔理沙が持ってる花びらを見せてごらん」

「ん? ……ああ、これか?」

 促され、魔理沙が先程拾った桜の花びら、のようなものを机の上に置いた。

 淡く暖かな光を放つ花びらは、静かにそこに佇む。

 

「もう察してると思うけど、それは()。普通なら具現化することがない、概念そのものなんだけど。今年はちょっと事情が違うんだ」

 

 藍が花びらを拾い上げ、顔の高さまで上げる。

 

「春を殺している奴が居る」

「春を、殺す……?」

「訪れようとしていた春が、ある者の力によって死に、今ではその殆どが冥界へと集められた。命を奪われた春は西行妖(さいぎょうあやかし)へと吸い寄せられる」

「それってつまり、西行妖に春を与えて、満開にさせようとしている奴が居るってこと?」

「その通りだよ、霊夢。そしてこの花びらは春そのものでもあり、春の死体(・・・・)なんだ」

 

 春の死体。

 言い得て妙であるその言葉に、水蛭子はおよそ現実感を持てなかった。

 

 突飛な話に頭を悩ませながら、彼女は問いかける。

 

「西行妖を満開にさせようとしている、その人物は?」

 

 水蛭子の問いかけに、一拍置いて藍が答えた。

 

 

「西行寺幽々子。冥界を管理する亡霊の姫だよ」

 

 

 それを聞いて、西行妖という言葉に何処か聞き覚えがあった水蛭子が、ハッと思い出す。

 紅霧異変が終結した後に開かれた宴会のことを。

 

 あの日、八雲紫の隣にずっと座って、のほほんと微笑んでいた一人の亡霊。

 西行寺幽々子。それが彼女の名前だった。

 

 でも、まさか。

 自分も少しだけ話したが、柔らかくご機嫌な口調を崩さない彼女の事を、水蛭子はとても悪人とは思えなかった。

 

 それから水蛭子は、幽々子の隣に座っていた紫が、紅霧異変の少し前に話していたことを思い出す。

 

 

『今まで異変を起こしてきたのって、大体私なのよね』

 

 

 もしかして、今回の異変も彼女が関係している?

 もしそうならこれ以上無いくらいに信じたくない事実であった。人々に実害が出なかった前の異変ならばまだしも、今回の異変が完全に成されると大勢の人間が死ぬ。

 

 そこまで考えて、水蛭子は机を強く叩いて立ち上がった。

 

 

「藍さん! 今すぐ紫さんに会わせてください!!」

「え? 別に構わないけど……多分寝ぼけてて会話にならないと思うよ?」

 

 突然雰囲気が変わった水蛭子に、藍は目を丸くしながら随分のんきにそう言った。

 

 

 

 ピシャーンッ!!という襖の開いた音で眠りの世界から戻って来た八雲紫は、体を横たわらせた状態のままゆっくりと視線だけをそちらへやった。

 

「……あら、水蛭子じゃない。どうしたの、そんな険しい顔して」

「お休みの所すみません。どうしても聞きたいことがあります」

「まぁまぁ、落ち着きなさいな。折角の可愛い顔が台無しよ?」

 

 苦笑しながら体を起こした紫は、水蛭子の後ろで「そんな勢いで襖開けないで……?」と困惑した顔をしている藍に「お茶をお願い」とだけ言って、目の前の少女に視線を戻した。

 その顔は変わらず険しく、それに紫はいつか見たような表情だなと微笑んだ。

 

「聞きたいことって?」

「今回の異変についてです。藍さんから聞きました、元凶が西行寺幽々子さんだということを」

「ああ、うん。そうよ。それが?」

「知ってたんですよね? 長い冬が訪れることも、彼女が元凶だってことも、事前に」

 

 ああ、と。

 紫が生返事のようなモノを返した、その瞬間。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「……ッ!!」

 

 

 水蛭子の視界が暗転した。

 否、暗転したのではなく、見覚えのある空間に彼女自身が『落とされた』のだ。

 

 何処までも続く、真っ黒な背景。

 こちらを凝視する無数の眼と、空を掴み続ける夥しい腕。

 

 紫だけが開ける『スキマ』の、その先。

 現世と繋がり、同時に隔絶されてもいる異次元の中。

 

 無重力の中に居るように逆さまになって宙を泳ぐ紫が、扇子で口元を隠しながら水蛭子を見下ろしている。

 

 

「水蛭子。貴方やっぱり危なっかしいわね」

「いきなり、なんのつもりですか?」

 

 

 疑念を強まらせた水蛭子の視線が紫へと刺さる。

 そんな彼女に紫は、「やれやれ」と首を左右に振った。

 

「私が異変に関わっていることは、絶対に内緒だって、あの時レミリアが言ってたのを聞いてなかったの?」

「え……?」

「先の異変の黒幕は彼女。手引きをしたのは確かに私だけど、表向きにはシロなのよ。何が言いたいか分かる?」

 

 妖しい光を放つアメジストの双眸に足を竦ませながら、水蛭子は無言で首を左右に振った。

 

「ふふ、正直な子。まぁでも、強く言っておかなかった私の方にも非はあるか」

 

 微笑を浮かべながら、賢者は言葉を紡ぐ。

 

 

「私が異変の黒幕だということを霊夢や魔理沙……つまり、純粋な『人間側』に知られたら物凄ーく困るのよ。人間が思う妖怪への恐怖(・・・・・・)、それを向ける対象が私に一極集中になっちゃうから。そうなっちゃうと元々忘れっぽい(・・・・・)人間達は、私以外の妖怪の存在を認知しなくなる。外の人間達みたいにね? 即ち、妖怪という存在そのものがこの世から消えることになるの。そんな事態にならないように、長い間それぞれの異変の黒幕を分散させていたんだけど。……それとも、何? 妖怪をこの世から消したくなっちゃった? 人と妖怪が分け隔てなく暮らす幻想郷を創りたいと言っていた、貴方が」

 

 

 静かな口調だった。しかし、水蛭子に対して初めて直に向けられた、明白な怒りの感情を孕ませた紫の言葉。

 本来一人から他者へと感情を伝える際、二人間(ににんかん)にある共通認識の齟齬などのフィルターを介す。よって百パーセント本物(・・)の感情が伝わることはあり得ない。

 

 だがしかし、今の紫の言葉は違った。

 威圧などという言葉すら生ぬるいかった。

 

 まるで、自分と相手との感情の『境界』が断ち切られてしまったように、紫からの怒りの感情が何のフィルターも介さずに水蛭子の脳を、心を悲惨なまでにボコボコに殴り抜いていく。

 それと相反するように穏やかで、それでいてこちらを串刺しにするようなアメジストの瞳に睨まれた水蛭子の全身からは脂汗を流れ始めた。

 

 何か言葉を発しようとしたが、喉に何かがつっかかっている様に、思うように言葉が出せない。

 

「……ぁ、あ」

 

 先程まで胸に渦巻いていた怒りなどとうに忘れていた。

 

 それを上書きする形で水蛭子の中に存在しているのは、ただ一つ、『怖い』という感情だけ。

 弾かれる様に視線を落とすと、無数に浮かぶ瞳の内の一つと目が合った。

 無感情で不気味な瞳だった。それでも、今の水蛭子にとってはこちらの方が可愛いらしく感じる。

 

 水蛭子は忘れていた。

 

 八雲紫という妖怪は、本来こういう存在なのだ。

 幻想郷の王であり、絶対の強者。

 そんな妖怪に、ただの人間が対等に肩を並べるなどと、至極烏滸がましい。

 

 それを理解し直す事で、体の震えをなんとか抑えた水蛭子が、怯えながらも頭を上げた。

 

「 」

 

 そこにあったのは、間近に迫って来ていた紫の整った顔。

 痙攣した喉から音の無い悲鳴が漏れる。

 後退った瞬間、足を縺れさせた水蛭子は勢い良く尻もちをついた。

 

 宙からぶら下がる様に佇んでいる紫は、その様子をしばらく真顔で見つめ。

 水蛭子に聞こえない程の小さなため息を一つ吐いた。

 

 水蛭子の前に降り立ち、膝を折って腰を下ろした紫。

 能力の行使(・・・・・)を止めた彼女は、まるで母親が悪戯をした我が子を叱る時のような厳しい口調で言葉を紡ぐ。

 

「皆の前で「元凶が誰だか知っているか」なんて。そういうヘタな事を喋られると、お互いの幻想(ゆめものがたり)にとって良くないのよ」

「ッ! ごめん、なさい……」

 

 小さく鼻を啜り、泣きそうな声で、水蛭子は心からの謝罪を述べた。

 

「……ううん、こちらこそごめんなさい。普段からもっと深く話し合っておくべきだったわね」

 

 幼い子どものようにシュンとした様子の水蛭子に毒気が抜かれた紫は、声を柔らかくして彼女の頭を優しく梳った。

 サラサラとしたダークブラウンの幾本もの髪束が紫の手のひらをゆっくりと流れていく。

 

「……よし、それじゃあお説教はこのくらいにしておきましょう!」

 

 霊夢と似た髪質だな。

 そんなことを考えながらも、紫は改まった口調で目の前の水蛭子に語りかける。

 

「水蛭子。貴方にお願いがあるの」

「お願い……ですか?」

「ええ、とても大切なお願いなの」

 

 惚けた瞬きをした水蛭子に、紫は真剣な眼差しを向ける。

 それを見て水蛭子は目端に残っていた涙を拭い、表情を今一度引き締めた。

 

 

 

 

 吹雪の中を一人のメイドが飛んでいる。

 

 赤いマフラーを首元に巻いたメイド、咲夜は、エメラルドのような碧眼をキョロキョロと忙しなく動かして霊夢、水蛭子、魔理沙の三人を探していた。

 

『ここ一カ月の天候を観測していたの。風向きが不自然な程に一定で、尚且つ風上の方角の空はずっと分厚い曇天模様。恐らく今回の異変の元凶はそちらの方角に居ると見て間違いないと思う』

 

 出立の直前、パチュリーから聞かされた情報を元に吹雪の中へと突っ込んできた咲夜。

 しかし白一色の世界で視覚が狂い、彼女はただ風の向きを頼りに空を飛び続けている。

 

「……見事な程に銀世界ね。同じような景色ばっかり」

 

 頭に手を当てた咲夜が呆れたような声色でぼやいた。

 せめて何か、三人の足取りが分かる手掛かりでもあれば良いのだが。

 このままでは三人を追いかけているのか、追い越してしまっているのかも判断しかねる状況だった。

 

 悩ましそうに腕を組んだ咲夜。

 そんな彼女の視界の中。白一色だった地上の景色に、不自然な、茶色い一角が飛び込んできた。

 

「あれは」

 

 目を凝らして見ると、それは葉の付いていない木々と、枯れた草花のようだった。

 陽気に晒され雪が融けたことにより姿を現したのだろう。

 

 しかし、それらのすぐ隣には樹氷の群れが相変わらず存在していて、何故かその一角の雪だけが融け落ちてしまっている。

 それは明らかに人為的、あるいは妖為的に作られた景色だった。

 

 雪が融けた一角、その中央に咲夜は降り立った。

 

「焚火の跡に、それにこれは……殆ど消えかかっているけど、熱魔法の残滓ね」

 

 炭化した枯れ枝が塊で在るのは焚火をした痕跡、そして周囲を漂うのは熱魔法を行使した際その場に残る魔力の残滓。

 一時期パチュリーから魔法のことを齧っていた咲夜は、顎に手を当て考え込み始める。

 

「熱魔法で辺りを除雪して、焚火をくべて暖を取ったのね。妖怪がやったにしては魔法の使い方も焚火のやり方も丁寧だし、十中八九あの三人が休憩していた痕跡か」

 

 焚火の跡に手をかざすが、それは既に冷え切っていた。

 どうやら彼女たちがここで休息を取ってからかなりの時間が経っているらしい。

 しかし熱魔法の残滓は完全に消えていないことから、咲夜は三人がまだそれほど遠くには行っていないと見当付けた。

 

「よし、まだ全然追いつける。先を急がないと……」

 

 ようやく手掛かりが掴めたことに顔を綻ばせながら、飛行を再開しようと一歩踏み出した咲夜。

 空に浮かぼうと足に軽く力を入れたその時、意識の外から声が掛かった。

 

 

「あれ、咲夜じゃん! こんなところで何してんの?」

 

 

 聞き覚えのある声。振り返ると、そこに居たのは随分と知った顔だった。

 

 昨年の秋、紅霧異変の直ぐ後から咲夜の同僚となった、氷の妖精の少女。

 自称『サイキョー』の氷精、チルノである。

 

「あら、チルノじゃない。久しぶりね、休暇は楽しめてる?」

「うん! さっきまで皆と雪弾幕合戦してたんだ!」

「雪弾幕……」

 

 氷精のチルノのことだ、雪『弾幕』という名の通り、人間の子ども達が行うそれとは一線を画した、正しく合戦さながらの勝負が繰り広げられていたのだろう。

 

 観戦するのはちょっと楽しそうだな。

 頭の中で雪弾幕合戦の光景を思い浮かべた咲夜は、吞気にそんなことを考えていた。

 

「で、咲夜はなんでこんなとこにいるの? お屋敷の仕事は?」

「お嬢様に許可を貰って、私も少しお休みをね。異変解決の手掛かりを探してる最中なの」

「あー……なるほど」

 

 異変解決という言葉を聞いて、チルノが僅かに眉を寄せた。

 どうやら自分の言った事が気に入らないらしい。

 咲夜は苦笑しながら口を開く。

 

「チルノ、貴方が不満に感じるのは分かるけど、あんまり冬が長引いちゃうとお仕事にも影響が出るわ。紅魔館のメイド長として、私はこの異変を止めないといけないのよ」

「それは分かるけどさぁ……」

 

 氷精であるチルノからすれば、この長い冬は非常に心地良いものだ。

 彼女からすれば、いつまでもこんな気候が続けば良いと願ってやまない程なのに、目の前で困ったような笑みを浮かべている咲夜はそれを止めようとしている。

 

 見ず知らずの人間に同じことを言われれば、まず間違いなくソイツをアイスキャンディーよろしくカチンコチンにしてやったところだが。

 しかし、咲夜は仲の良い友達で、根が良いチルノにはそんなことは勿論出来なかった。

 

 だがそれでも、不満なものは不満なのだ。

 

「咲夜ぁ、アタイまだまだ遊び足りないよ。もうちょっとだけでも待てないの?」

「だーめ。洗濯物はまともに乾かないし、暖炉にくべる薪も少なくなってきたの。私はともかく、お嬢様にとって迷惑になるようなことは従者である私が収めないと」

「真面目だよ~! 咲夜の心も遊びが足りないよ~! 一緒に雪弾幕合戦やったり雪だるま作ったりしようよ~!!」

 

 そう言って地団駄を踏むチルノを見て、咲夜は深く考え込むように腕を組んだ。

 まだまだ冬を満喫したいというチルノの心境は理解できるが、実際問題このまま冬が長引けば屋敷にも人里にも大きな実害が出てしまう。それは紅魔館のメイドとしても、一応一人の人間としても見過ごせないことなのである。

 

 両者ともに、譲る気は無い。

 そう考え至った咲夜は、チルノに対して一つの提案をした。

 

「このまま押し問答を続けてもしょうがないわね。それじゃあチルノ、こうしない?」

「なに?」

「今からお互い無害の弾幕を打ち合う戦い……そうね、言うならば『弾幕ごっこ』をしましょう。もしチルノが勝ったら、私はこの異変の解決に加担するのを見送るわ」

「じゃあ咲夜が勝ったら?」

「勿論、問答無用でこの長い冬を終わらせるわ」

「ええ~?」

 

 お互いフェアな勝負をして話の決着をつけようという咲夜の提案に、それでもチルノは眉を八の字に寄せて不満の声を上げた。

 本来なら咲夜は、彼女を無視して異変解決に向かっても良いのだ。しかしそれをしないのは、純粋な優しさから来るものと、今後チルノとの関係が悪化して業務への支障が出る可能性を考えてのことである。勝負事の是非によるものであれば、後腐れるものも最低限で済むことだろう。

 であるからして、チルノにはこの勝負を受けてもらわなくては困るのだ。

 

 仕方ない、と小さくため息を吐いて、咲夜は薄い挑発を孕ませた笑みを浮かべた。

 

「チルノ。貴方って最強なのよね?」

「当たり前じゃん」

 

 なに可笑しなこと言ってんだと言わんばかりに怪訝な表情を浮かべたチルノに、咲夜は更に笑みを濃くした。

 

「なら貴方が勝つのは決定事項のようなものでしょう。勝負を拒む理由も無い筈じゃない?」

「それはまあ、そうだけど」

「……あ、もしかして。負けるのが怖い、とか?」

「……は?」

 

 嘲りの口調でそう言った咲夜に、チルノのこめかみにピキリと血管が浮かび上がった。

 それと同時、チルノの周囲の瓢風が流れを変え、急速に彼女の元に収束していく。

 

 掛かった。

 

 思惑を無事叶えた咲夜がニコリと微笑んで、仕舞っていたマジカル☆さくやちゃんスター(本人的には不承不承満載のネーミング)を二つ取り出し、後方へ軽く放り投げる。

 暫く宙を漂った菫色の球体は咲夜から少し離れた位置の空中でピタリと止まり、以降彼女の体の動きに追従するように制動され始めた。

 

 ふと、咲夜が一つのことに気付く。

 

「……ん、心無しか肌寒い様な」

 

 パチュリーによって施された防寒シールドが発動しているにも関わらず、咲夜は今『肌寒い』と感じたのだ。

 どういうことだ?咲夜は改めてチルノの顔を仰ぎ見た。

 

 そんな咲夜を見下ろすチルノの周りには、様々な形状の巨大な雪の結晶が無数に展開されていた。それらは咲夜を睨むようにその身を宙に鎮座させており、言いようの知れない威圧感を印象付けられる。

 

 

「友達のよしみだから話し合いでカイケツしてあげようとしてたんだけど……でも、もういいわ。アンタはあたいがぶっ凍らす!!」

「もしかして、思ったより怒ってる……?」

 

 

 たらりと一筋の汗が、咲夜の横顔を伝った。

 

 





見て頂きありがとうございます。

一話を投稿した当初から水蛭子の事は娘のように好きなんですけど。
なんか最近、それ以上に好きなんですよね……。
他の登場人物達もすんごい好きで……。

細々と続けて来てますけど、私ってこの物語のことが改めて好きなんだなって、最近思っております。

毎度ナメクジのような筆の遅さですが、私の大好きな少女達の物語を共に見守ってくだされば幸いでございます。
それと次のお話はもう少し早く書き上げたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。


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第三十四話 人形遣い

 

 迷い家で休息を挟んだ三人は、八雲家の面々に礼を言って再び探索を開始した。

 出立時、藍は彼女たちが向かうべきは風向きの方角、そこに冥界への入り口があると言った。

 

 つまり「とりあえず雪が多くなる方角に行けば」という当初からの魔理沙の主張は正しかったということである。

 藍の言葉を聞いた魔理沙はドヤ顔で二人の顔を見たが、霊夢はフル無視、水蛭子は曖昧な笑みを浮かべて「流石魔理沙ね」と褒めたくらいで、その後直ぐに探索が再開された。

 

 吹雪は更に勢いを強める。まだ我慢できる程度ではあるが、視界一面が色一色なのは精神的な圧迫感が与えられ、それぞれの士気を僅からながらに低下させていた。

 それでもこの先に存在する冥界へ向かわなければ、この異変は解決しないという事実は依然変わりなく、それだけが彼女たちの背中を強く押し進めていた。

 

 時折雪の粒に混じって流れてくる桜の花びらを拾っていきながら、三人はただ空を飛ぶ。

 

 そんなこんなで吹雪の中を進んでいる間に、辺りには夜の帳が落ち始めて来ていた。

 

「……だー! クソ! 視界が悪い!!」

 

 雪と夜、ダブルで視界不良に陥った魔理沙が鬱陶しげにそう言って、タクトを振るって例の小太陽を作り出した。

 外の世界の人工太陽照明灯のように、その光は三人の周囲を照らしていく。

 機嫌が悪そうな魔理沙に苦笑しながら、水蛭子は礼を言う。

 

「ありがとう魔理沙」

「ああ。……それにしても、本当にこの先に冥界へ続く穴なんて物があるのか? かなり長い時間進んでるけど、それらしいのは見えてこないぜ」

「藍がそう言ったんだから間違いないわよ。アイツ一応、幻想郷の結界の管理もしてるから」

「なら良いんだけどよ……そろそろ何か無いと、流石の私も気分が萎えてきたぜ」

 

 同感ね。そう呟くように言った霊夢の視界に、キラリと何かが光った。

 花びらが発する朧気な物ではなく、魔理沙の小太陽のように誰かが作りだしたのであろう、ハッキリとした強い光だ。

 

「妖怪か?」

「かもね」

「今度は話して分かる人だと良いんだけど……」

 

 不安げな顔で水蛭子が背中に携えた長棍を引き抜き正面に構える。

 魔理沙もタクトを取り出し、霊夢は二人の前に体を出すことで現れる敵に備えた。

 

 光はフラフラと動き、徐々に此方に近づいてくる。

 腰を落としてそれを鋭く睨む霊夢。

 

 そうして、雪と闇の向こうから現れたのは。

 

 

「……あら。見覚えのある子達ね」

 

 

 まるで人形のような少女だった。

 

 肩まである波打った金髪。鮮やかな蒼色の瞳はまるでサファイアのようである。

 この気温であるにも関わらず、フリルの着いた青の洋服から伸びる袖は短かく、それでいて腰から下を包むスカートは、その足に履いている茶色のブーツの大部分を隠してしまう程に長い。

 肩から羽織った大きなケープと頭の赤いヘアバンドは服と同様にフリルが施されており、彼女の真顔とは相反して少女チックで、非常に可愛らしいものだった。

 

 そしてその周囲を取り囲むように存在しているのは、多国籍的な多種多様の容姿をした可愛らしい人形達。

 

 ジッとこちらを見つめる少女。

 彼女を見て、水蛭子と魔理沙は「あ」と小さく声を上げた。

 

 

「アリスさんだ! うわー久しぶりに見たー!!」

「なんだ人形遣いか。警戒して損したぜ」

「何、二人とも知り合いなの?」

 

 

 嬉しげに笑みを溢した水蛭子と、ため息を吐いた魔理沙。

 そんな彼女たちに、霊夢は視線を動かすことなく問いかける。

 

「人形遣いのアリス・マーガトロイドさん! たまに里にやってきて、人形劇を披露してくれる魔法使いの人よ。私ファンなんだぁ」

「アタシとは違って生粋の、妖怪としての魔法使いだよ」

「失礼ね、私だって元人間よ。血が滲むような努力の末にこうなっちゃったんだから仕方ないでしょ」

 

 真顔のままであるが、不満そうな声色でそう言うアリス。

 彼女は先行させていたランタンを持った人形を後ろに下げて、三人により近づこうとした。

 

 しかし、それを霊夢が体を前に出すことで止める。

 

「霊夢?」

「アリスって言ったわね。アンタはなんでこんな所いるわけ? それもこんな時間に」

 

 霊夢の挙動を不思議そうに見つめる水蛭子を庇うように、霊夢はアリスを睨みつけた。

 怪しい、と。言葉を発さずとも察することが出来るくらいに訝しげな表情。

 

 ガンを飛ばしてくる彼女をアリスは暫く眺めてから、口を開く。

 

 

「……里に買い出しに行こうと思って外に出たら、迷っちゃった」

「は?」

 

 

 相変わらず無表情から飛び出してきた言葉は、やけに茶目っ気たっぷりだった。

 警戒心満載だった霊夢も、思わず目を丸くする。

 

「おいおい、お前んちから里は真逆の方角だぜ?」

「本当に? ……やっぱりずっと家に引き籠ってたら土地勘が狂うわね」

「いやそういう問題じゃないだろ! 方向音痴にも程があるぞ!」

 

 神妙な雰囲気で腕を組むアリスに魔理沙が突っ込んだ。

 そもそも彼女は、森の奥にある自宅よりも山奥の方向を進んできているのだ。道を間違えたとか、そういう次元の話ではない。

 記憶喪失にでもならない限りはそんな間違いは普通犯さないだろう。

 

 霊夢に続き懐疑心が募ってきた魔理沙。

 しかしそんな彼女の心情を全く察した様子も無く、アリスは言葉を続ける。

 

「人形の内部構造を作る材料が足りなくなっちゃって、いつも使ってた羅針盤を分解して代用したのよ。まぁそんなの無くても適当に行けば里に着くでしょって思ってたんだけど。ふふふ、まさか真逆の方角だとはね。その可能性は露ほども考えてなかったわ」

「馬鹿だ! あらゆる意味で正真正銘の馬鹿だ!!」

「ちょっと、魔理沙……ふっ……失礼、だよ……」

 

 ビシィ!とアリスを指差して高らかに叫んだ魔理沙を窘めようとした水蛭子だったが、顔を俯かせた彼女の肩は小さく震えている。

 真顔で意味の分からないこと宣うアリスに笑いのツボが突かれたらしい。

 

 

「そんなに馬鹿馬鹿言わないでも……?」

 

 

 不満そうな声を出すアリスが、ふと顔を霊夢の方に向けた。

 それから視線がガチリと固まり、アリスはジッと霊夢を凝視し始める。

 

「……何よ」

 

 赤い髪留めで纏められた横髪を人差し指でくりくり弄っていた霊夢がアリスの視線に気が付き、仏頂面で返した。

 それから少しの間を置いて、アリスは問いかける。

 

「見覚えがあると思ったら、貴方……もしかして博麗の巫女?」

「だったら何よ。疚しいことがあるんだったら退治してあげるけど?」

 

 あいも変わらず物騒なボキャブラリーで返答する霊夢にアリスは肩を竦めた。

 

「それはご遠慮願いたいわね。ただ、有名な貴方とこうして話すのは光栄だなと思って」

「……あっそ、私はアンタなんかには一片たりとも興味ないけど」

「つれないわねえ、この子達をどうやって動かしてるのかとか気にならない? 里の人達には良く質問されるんだけど」

 

 アリスがそう言うと、周囲に浮かぶ人形達が彼女の前に整列し、同時に可愛らしく礼をした。

 水蛭子はそれを見て「かわいい~!」と満面の笑みを浮かべ、可愛いものが好きな魔理沙は「……抱っこしていいか?」と言ってからロロコ風のフリルドレスを着た人形、フランス人形を抱き上げた。

 

 アリスは返事を待つこと無く人形を抱っこし始めた魔理沙を見て、特に文句を言いたげな様子も無く視線を霊夢に戻した。

 当の霊夢は人形を愛でる二人を優しい眼差しで眺めている。

 

「私には真似出来そうにないから、あんまり気にならないかな」

「……あらそう」

 

 和らいだ口調でそう言った霊夢を見て、アリスは意外そうに瞬きをした。

 

「なるほど、身内には優しいタイプか」

「ん、なんて?」

「いえ、なんでもないわ」

 

 呟きに反応した霊夢にそう返したアリスは、少し考える素振りをしてから言葉を続けた。

 

「……ふふ、本当は博麗の巫女の霊術に興味があったんだけど、気が変わったわ。またの機会にさせてもらうわね」

「何よ、やっぱり戦う気があったんじゃない」

 

 再び仏頂面に戻った霊夢に、アリスが楽しそうに微笑んだ。

 それから彼女は「そういえば」と何かを思い出す。

 

「貴方達の方はどうしてこんな所に居るの? 迷子にでもなった?」

「そんな訳ないじゃない。アンタじゃないんだから」

「私たちはこの異変を解決しに来たんです」

「この雪を止めるってこと? それは大いに助かるわね。魔法素材の買い出しもそうだけど、最近は劇の披露も出来てないからこの子達もつまらなさそうだし」

 

 人形達がわざとらしく項垂れ、あからさまに「おもしろくねー」といった感じのポーズを取った。

 やけに人間臭いその動作に三人が苦笑する。

 

 それから魔理沙が何かを思いついたのか、ぽんと手を打った。

 

「そうだ。お前も着いてくるか? 人手は多い方が助かるぜ」

「うーーん……別に行っても良いけど……。私が行っても意味ある? 博霊の巫女に加えて二人居るんなら、それ以上は過剰戦力じゃないかしら」

「そうね。さっきも言ったけど、異変の解決は本来私一人で充分。これ以上人手が増えても動きづらいだけだわ」

 

 アリスと霊夢の言葉に、魔理沙は「そうか……」と少し残念そうに口を尖らせた。

 先程アリスのことを妖怪の魔法使いであることを強調して言った魔理沙だったが、その実、元は人間の身でありながら妖怪としての魔法使いに昇華した彼女に尊敬の念を抱いていた。

 一緒に居てくれれば心強い存在であったが、それが叶わないのなら、仕方ない。

 

 しかし、そんなふうに肩を落とす魔理沙の、その胸元に抱かれているフランス人形を指さしながら、アリスはこう切り出した。

 

「……代わりと言ってはなんだけれど。良ければその子、貸しましょうか?」

「え? い、良いのか……!?」

 

 一瞬、魔理沙の瞳がキラリと輝いた。

 しかし、その申し出にどういった意図があるのか分からず首を捻る。

 

「いやでも、なんで?」

「お守りみたいなモノよ。貴方達の旅の無事を祈る為のね」

 

 優しい声でそう言ったアリスは、そのまま続ける。

 

「ああそれと、その子は手から離しても勝手に着いて来てくるから探索の邪魔にはならないと思うわ。それに防寒シールドの魔法式を組み込んであるから、追従させている間は寒さがかなり緩和されるわよ」

「へぇ、そりゃ便利だな」

 

 魔理沙は人形の説明に感心した声を出し「少しの間よろしくな」とフランス人形の頭を撫でた。

 それからアリスは京人形を霊夢に、オルレアン人形を水蛭子に渡して言った。

 

「他の二人にも、一人づつ人形を貸すわ。この寒さじゃまともな休息も取れないでしょうから」

「わ~助かります!ありがとうアリスさん!」

「……ありがと」

 

 里で行われた人形劇では少し遠目で鑑賞していたそれを間近にして、水蛭子は満面の笑みを浮かべる。

 霊夢は京人形の脇を抱えて、その顔をジッ見つめながら感謝の言葉を述べた。

 

 それぞれの反応を見た後、アリスは残った四体の人形に再び自身を取り囲ませ。

 

「それじゃあ私は帰るわね。お夕飯、まだ食べてないし」

「そうか。気を付けて帰れよ」

「雪が収まったら、また劇をしに里に来てくださいね!おもてなしするので」

「また迷子になるんじゃないわよ」

 

 三者三様の言葉に頷いて、アリスは人形たちと共に優雅に去っていった。

 

 

 ……風上の方に。

 

 

「おおーい!!だからそっちは違うって言ってんだろ!!」

 

 魔理沙の怒号にも似た叫び声が、すっかり夜の帳が落ちた銀世界に響き渡った。

 

 

 

 

 吹きすさぶ強風。一粒づつが非常に頑強な氷の飛礫。

 首元に巻いたマフラーが無ければ、とうに身体が動かなくなっているであろうと感じる程に周囲の空気は凍てている。

 空気中の水分も凍っているのか、咲夜を襲う瓢風は背景の銀世界と同じく白い。

 

「これは、凄まじい魔力ね……」

「なんで凍らないの? 普通の人間なら今頃カッチカチの氷像になってるのに」

 

 両手を顔の前で交差させて強風を耐える咲夜を見て、チルノが不思議そうに首を傾げた。

 チルノが知っている情報では、十六夜咲夜という少女は身体・思考共に常人に比べてずば抜けた能力を持っている少し変わった人間だ。

 勿論幻想郷に住む普通の人間達とは一線を画した力を持っており、それなりの妖怪となら対等に戦える実力を持っているだろう。

 

「(それだけ(・・・・)、のハズだよな?)」

 

 どれだけ優秀であっても、所詮彼女は少し変わっているだけ(・・・・・・・・・・)の人間であるし、現在の状況を耐え忍ぶ要素はどこにも無い筈だ。

 それなのに何故、彼女は氷漬けになっていない?

 

「……ま、いっか! 素直に凍っとけば良かったって後悔するほどジューリンしてやるわ!!」

 

 チルノは細かい事を考えることが嫌いだった。今の攻撃で参らないなら、もっともっと強い攻撃でぶっ飛ばす。

 それが彼女の戦いにおけるポリシーである。

 

 声高々に宣言した彼女は、両手を掲げ、その手の内に凍てつく魔力をどんどん圧縮させ始めた。

 瞬く間に小さな竜巻になった魔力の渦。ごうごうと唸るそれを、チルノは身体を海老反りにさせた後、力の限りに放りなげた。

 

 

「くらえーッ!!」

 

 

 彼女の手を離れた竜巻が咲夜目掛けて一直線に飛んだ。

 そしてその間にも、竜巻は周囲の冷気を絡め取ってゆき、その中心気圧を上昇させていく。

 風の渦から溢れる様に射出される氷の弾幕が、周囲にやたらめったらに拡散されるが、かなりの隙間があるのでそこは驚異にはならなかった。

 

 眼前に近づいてくる竜巻。それを受け止めるのはどうあがいても人間の柔肌である。当たればタダでは済まないであろうそれを、咲夜は冷静な顔で眺めながらも猛烈な速度で脳を回転させる。

 

「(普通に動くだけじゃ確実に一撃貰う。能力を使ってチルノの背後を取って反撃するのが安牌)」

 

 そう判断した咲夜の体が、チルノの視界から唐突に消え失せる。まるで現実でコマ落ちが起こってしまった様だった。

 

「……へ?」

 

 何の前触れも無く姿を消した咲夜に、チルノが呆けた声を出す。

 竜巻はそのまま飛んでいき、先程咲夜が居た場所の空気を削ると、地表に向かって飛んでいった。分厚い積雪を蹴散らし、爆発にも似た衝撃で地面を揺らしてから、竜巻はそのまま消えてしまう。

 

 何が起こったのか理解が追いつかないチルノ。その背後に居るのは。

 

 

「眠ってしまいそうな程に遅い攻撃ね」

「うっ、わ」

 

 

 背後から声をかけられたチルノが、体制を崩しながら振り向いた。

 咄嗟に練り上げた魔力で出来た氷を飛ばすが、その先には既に誰も居ない。

 

「な、何で?」

「チルノ、貴女思ったより魔力操作が上手いわね。私ビックリしちゃった。……けど、それだけね(・・・・・)

 

 耳元で囁かれたチルノの身体が、ピシリと固まる。

 先程心の中で咲夜に対して思ったことを、そっくりそのまま言い返された。

 

 瞬きもせずにチルノはギリッと歯を食いしばる。

 まただ。また、負ける。

 それも、因縁を付けられ、それを買ったのにも関わらず。

 

 冷たく自分を見下ろす紫色の魔女と、自分の為に涙を流してくれた魔理沙の顔が脳裏に過る。

 ……同じじゃないか、あの時と。

 

 

「く、そ!」

 

 

 チルノの頭の中が、いつになく激しく回る。

 しかし、咲夜の力の正体が何か、今の彼女には判断する材料も、地頭の力も及ばない。

 

 そうこうしている間に、咲夜はゆっくりとした動作でMS(マジカル☆咲夜ちゃんスター)を取り出し、球体の表面にある☆のマークをチルノに向けた。

 

「降参する?」

「するわけ、ないだろ!!」

 

 咲夜の美しい微笑がチルノのカンを刺激する。

 怒鳴るように言い返した彼女はその場から大きく飛び退き、再び手の中に魔力を集中させ始めた。

 

 

「アタイはもう、負けないって決めたんだよーーーー!!!!」

 

 

 展開された巨大な雪の結晶から、先程までとは比べ物にならない程の弾幕が飛び出した。

 

 



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第三十五話 幻想の騒霊は忘れていない

 

 あらぬ方向に進んでいくアリスを必死に引き止め、懇切丁寧に帰り道を教えた水蛭子と魔理沙。

 それでも何度か初動の方向を間違えるもんだから、最後には呆れた顔をした霊夢さえも加勢に入った。

 あれ、コイツもう連れて行った方が安全じゃない?と三人が話し合い始めた頃、ようやくアリスは風上へと進み始めたのだった。

 

 無事に正解の方角に去っていった彼女を見送りながら、げっそりとした表情で魔理沙が一言。

 

 

「……なあ、今度アイツに絶対分解できない方位磁針をやろう。こんなことはもう二度とごめんだぜ」

「そうね。最後らへんはちょっと、イライラしてきちゃったし……」

「水蛭子が我慢出来ないって相当ね」

 

 

 普段あまり見ることの無い、座った目を細めている水蛭子に霊夢が苦笑した。

 

 さて、とかなり時間を使ってしまった彼女たちは休息もそこそこに再び進み始める。

 既に辺りは真っ暗で、自然の明かりは白銀を掻き分けるように差し込んでくる月光だけだ。

 疲弊もそれなりに蓄積している筈だが、アリスから貸してもらった人形のお陰で寒さによる疲れは無くなっている。

 

 そうして一刻ほど、流れてくる春を手繰りながら進み続け。

 

 遂に、彼女たちは行き着いた。

 

 

「……本当に、穴が空いてる」

 

 

 灰色の世界に現れたのは、真一文字に切り開かれた巨大な『刀傷』。

 その隙間からは、盛大に咲き誇る桜の群れが見えた。

 

「どうやらあっちは、万引きした『春』でお花見シーズン真っ只中みたいね」

「ズルい……私達もお花見したいのに……」

 

 水蛭子が口を尖らせながら羨ましげに言った。

 

 初めて見る冥界は、彼女を含め他二人が想像していたより、遥かに華やかだった。

 それもその筈で、冥界は元来より四季折々の花が年中咲き乱れる優美な空間である。

 しかしそれでも、等に花見時を終えている筈の皐月という季節に桜が満開になっているのは、一重にそれが春の『亡霊』だからということに他ならない。

 

 それを再確認した三人は、この裂け目の向こうに異変の元凶が居ることを確信する。

 

 

「行こう」

 

 

 水蛭子が裂け目の向こうへ進もうとした、その時。

 

 

 ♪~、♪~、、

 

 

 なにかの弦楽器を弾く音色が響いた。

 

「え」

 

 その音の流れはとても清らかな印象を持たせるもので、いよいよ黒幕と相まみえるつもりであった彼女たちの心を異様なまでに落ち着かせる。

 三人が裂け目から視線を外し、音を奏でる主を探そうと首を動かすが、降雪を木霊する音色の元を探すことは直ぐには出来ない。

 

 少しして、もう一つ別の種類の音が聞こえてくる。

 

 

 ♪♪、♪♪♪~

 

 

 次は管楽器。恐らくはトランペットの音色だった。

 激しくも、時折さざなみのように静かなリズムを奏でるそれは、先程まで落ち着いていた三人の心に熱い何かを吹き込んでいく。

 

 

 ♪、♪、♪♪、♪

 

 

 二つの音色に翻弄される彼女たちに最後に送られたのは、鍵盤楽器の音律。

 その音色の緻密な諧音は、弦楽器と管楽器が奏でる曲に溶けるように交じり、鬱と騒が入り乱れていたそれを『幻想』へと変えていく。

 

 最後の音色によって完成された音楽が、それまで乱されていた三人の心に平穏をもたらした。

 

 

「……素敵な曲」

 

 

 お互いの存在をぶつけ合うような全く別の音同士が、鍵盤の音色によって調律された音楽。

 

 それはまるで人と妖怪、そしてその二つの均衡を保つ存在がいることで成り立っている、この幻想郷自体を如実に表現しているようだった。

 

 故に水蛭子は、この曲に心を奪われる。

 彼女の中の琴線が、揺れる、揺れる。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 チルノが繰り出す怒涛の弾幕を、咲夜は時折能力を発動させながら危なげなく躱していく。

 それなりに長い間続いた氷の奔流の勢いが弱まった事を確認しながら、咲夜は一息ついた。

 

「そろそろスタミナ切れみたいね」

 

 呟くように言ったのと同時、弾幕の雨がピタリと止んだ。

 宙を舞う弾幕の残滓が風に流され、ブリザードさながらであった空には元の落ち着いた粉雪が落ちてくる。

 

 それまで弾幕に隠され姿を視認できなかったチルノの姿を、咲夜が視界に捉えた。

 

「……なんで、当たらないの?」

 

 息を荒くしたチルノが、悔しそうに目を細める。

 

 咲夜は相変わらず余裕の有り余った表情のまま口を開いた。

 

「本当に相手に弾を当てたいのなら、そんな出鱈目に乱射してるだけじゃ効果が薄いわよ」

「なんだと~……?」

「自分の弾幕で相手が見えなくなってちゃ世話ないわよ。ちゃんと相手いる場所を確認しながら、次に標的がどう動くかを常に予測しながら弾を展開させていかないと」

 

 上から目線な咲夜のアドバイスにチルノは咄嗟に何か言い返そうとしたが、咲夜の言葉の内容を聞いて口を噤む。

 

 そういえば、自分が先程まで展開していた弾幕は勢いばかりを重視して、相手がどこに居るのかというのは感覚に任せきっていた。

 

「なるほど、よく相手を見て攻撃する……」

「そういうこと。こんな風にね」

「え……ぶぅっ!?」

 

 思考に集中するチルノに、咲夜がMSSの☆マークを向け、それと同時に一切の躊躇無く一発の魔力弾を放った。

 

 意識外からの攻撃はチルノの顔面を的確に打ち抜き、その幼い体を勢いよく真っ縦に回転させた。

 二周程した後、力が抜けたチルノの身体は空気の抵抗を受けながらきりもみに落下していく。

 

 それをした張本人である咲夜は、ひどく吃驚した顔で墜落していくチルノを眺めながら──

 

 

「ご、ごめんなさい……チルノ。思ったより、威力が強かったわ……」

 

 

 想定より幾分か強かった魔力弾の威力に焦りながら、脳内に浮かんだパチュリーの真顔を睨みつけた。

 MSSは自分の思考とリンクしていると説明されたので、「威力弱めで」と考えながら射出した咲夜だったが、どうやらこの辺の調整はあまり自由が効かないらしい。

 

 やだなー、やだなー!!

 変な名前付いてるのにこの辺の自由効かないのヤダなー!!

 

 と、ひとしきりパチュリーへの怨念を飛ばした後、咲夜はようやく正常な思考を取り戻した。

 

「……はぁ。まあ、やってしまったものは仕方ないわよね……」

 

 思いがけずノックアウトしてしまったチルノが地上に墜落し、ぼふん!と雪けむりが舞ったのを視認する。

 恐らく厚い雪がクッションになるため致命傷には至らないだろう。

 妖精であるチルノは、体の頑丈さもそれなり以上ではある。少なくとも『一回休み』になっていないと信じたい。

 

 割りと大きめの罪悪感を感じながら、咲夜は移動を再開する。

 

 結構時間を食ってしまった。先を急がなければいけない。

 

 

「……待っててね、皆」

 

 

 この先に待ち受けているのは一ヶ月もの間春を奪い続け、更に天候を大雪のまま維持し続けている存在である。

 その元凶は言うまでもなくかなりの力を有した大妖怪の筈だ。

 

 今回の探索で三人がそこまでたどり着いてしまったのなら、果たして彼女たちだけでそれを打倒出来るのか。

 

 博麗の巫女はほぼ一人で幻想郷の均衡を維持できる存在ではあるが、以前自分の主人であるレミリアには一度敗北している。

 レミリア自身は「あれは反則だった」と言っていたが、今回の敵がその反則を使ってこないとは限らない。

 

 だから彼女たちが元凶に辿り着く前に、必ず追いつく。

 

 

「私が絶対に、守るから」

 

 

 ギュッと、腰から下げた銀の懐中時計を握りしめ、咲夜はその碧眼で吹雪の向こうを睨みつけた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

 霧の湖のほとりに、ひっそりと佇む廃洋館がある。

 

 そこにはとある三姉妹の幽霊が住んでいると言われていた。

 曖昧な言い方をするのは、館内でその姿をしっかり確認したものが誰も居ないからである。

 

 しかし時折その館から様々な楽器の音色が微かに聞こえてくるという噂があった。

 それは館に住む三人の幽霊達が奏でる音色だと言われているが、館の中に入るとその旋律はピタリと止んでしまう為、真実は定かではなかった。

 

 それでも、霧の湖の近くでその音色を何度か聴いたことがある水蛭子は感じた。

 今しがた聴いた音楽は、以前聴いたそれに似ていると。

 

 それから、廃洋館に住まう三姉妹が人里の人々にこう呼ばれていたことも思い出す。

 幻想の幽霊楽団。そしてもう一つ。

 

 

「もしかして、プリズムリバー三姉妹……?」

 

 

 水蛭子が呟いた瞬間、奏でられていた音楽が急に転調する。

 

 まるで正解とでも言いたげな明るい曲調と共に、声が聞こえてきた。

 

 

「ぴんぽんぴんぽ~ん! 正解でーす!!」

「私達の名前を知ってる人間が、まだ居るんだ」

「ん~? なんか見覚えあると思ったら、たまにウチに不法侵入してくる女の子じゃん」

 

 

 水蛭子達三人の前に現れたのは、同じく三人組の少女だった。

 それぞれ赤、白、黒の同デザインの洋服を身に纏った彼女たちの周囲には、三つの楽器が浮遊している。

 それらは水蛭子が三姉妹と呼んだ彼女達の手から離れているにも関わらず、しかし一流のアーティストが如き音色をひとりでに奏でていた。

 

 水蛭子は赤い服の少女が面白そうに言った言葉に反応して眉を潜める。

 

「不法侵入……って、あの廃洋館のことですか?」

「はい、ようかん……? し、失礼ね! あんなのでも私達のお家なのに!」

「え、あ……! ご、ごめんなさい! そうですよね!」

 

 失礼なことを言ってしまったと頭を下げた水蛭子をかばうように、黒い服の少女が自虐的な笑みを浮かべて口を開く。

 

「しょうがないわよリリカ。実際、ボロ屋敷だし」

「もー! 自分たちの家なんだからそんな言い方しないでよルナサ!!」

「ま、年季入ってるのは事実だからね~。そんなに気にしなくても良いわよ人間さん」

「メルランまで……はぁ、もう良いわよ」

 

 項垂れる少女を見て罪悪感を懐きながらも、今分かった彼女たちの名前を水蛭子は頭の中で反芻する。

 

 音楽をバックに話す三人の少女達。赤い服を着ているのはリリカ、黒い服を着ているのはルナサ、白い服はメルランという名前らしい。

 

 しかし、あの洋館に住んでいる幽霊の正体が、こんなに見目麗しい三姉妹だとは。

 可愛い女の子で癒やし成分を接種することでお馴染みの水蛭子は、柔らかい微笑を浮かべながら三姉妹に語りかける。

 

「本当にすみませんでした。……それで、私たちはこの異変を解決するために来たんですけど、貴女達は?」

「異変を解決? もしかして貴女、博麗の巫女ってやつ?」

「いやいや! 博麗の巫女はあっちの霊夢です。私と、こっちの魔理沙は……付き添いみたいなものですかね」

「ふーん」

 

 話を聞きながら、リリアはちらりと霊夢に視線をやった。

 そしてふっと鼻でひとつ笑うと、言葉を続ける。

 

「ホントだ。妖怪退治のエキスパートってだけあって、元気そうな子だわ」

「え?」

 

 リリカの言葉に水蛭子が振り返ると、そこにはお祓い棒と霊符を構え、鋭い眼光でプリズムリバー三姉妹を睨む霊夢の姿があった。

 驚いた水蛭子はあせあせとしながら声を上げる。

 

「霊夢!? そんな、いきなり敵意むき出しにしなくてもいいじゃない、まだ悪い人たちって決まったわけじゃ」

「いや、水蛭子。そりゃ違うな」

 

 隣を見ると、獲物であるタクトこと構えていないものの、明らかに警戒した様子の魔理沙が居た。

 彼女は水蛭子に三姉妹から視線を移して、言葉を続ける。

 

「アリスは面識があったし、人となりも知ってたから気にしなかったけど、コイツらのことは何も知らない。それに、今まさに元凶と相まみえようとしていたアタシ達の元に現れたんだから、警戒しない方が無理ってもんだぜ」

「魔理沙の言う通り。水蛭子、アンタ少しのんき過ぎるわ」

「で、でも……」

 

 二人の言葉に水蛭子は何か返そうとしたが、思い浮かばず言い淀む。

 それから、ああ、二人の言う通りだなと考えて、また表情に暗いものを落とした。

 

 やり取りを眺めていたメルランが口を開く。

 

「誤解しないで? 私達はこの先に用があるけど、異変に関わるつもりは無いわよ」

「そう。冥界で宴会をするからって、余興の演奏隊として呼ばれただけ」

 

 メルランの言葉に頷きながら、ルナサがそう続けた。

 しかし見ず知らずの妖怪の言葉を信じられないのか、霊夢と魔理沙は警戒を解く様子は毛頭無さそうだ。

 

「宴会? まさか本当に花見をしようってわけ?」

「相当パッパラパーな春泥棒だな」

 

 先程冗談のつもりでシーズン真っ只中と言った霊夢であったが、どうやら冥界では本当に宴会が開催されようとしているらしい。

 かなり倫理観に欠けたそれに、魔理沙は苦虫を噛み潰したような顔をして異変を起こした存在を小さく罵った。

 

 しかし水蛭子は気分を悪くした様子も無く、ただ目の前の彼女たちが悪人ではないということを改めて知って一人安堵していた。

 

「なら貴女達は、私達がこの先に行くことを阻止しようというわけじゃないんですね?」

「まあね。今からアンタ達が冥界でドンパチしようっていうんなら、私ら暫くすっ込んでるし」

「あはは……なるべく、話し合いで解決したいですけどね」

 

 水蛭子の確認にリリカが無関心な顔で返した。

 それにもう一度安堵した水蛭子は、嬉しげな笑みを浮かべて霊夢と魔理沙を見る。

 

 

「ね、ね? やっぱり悪い人たちじゃなかったわ!」

「あのねぇ……」

 

 

 相変わらずのんきな水蛭子に霊夢は呆れたため息を吐いたが、小さくはしゃぐ水蛭子をみて毒素が抜かれたのか、仕方無いわねといった様子で苦笑した。

 

 別に邪魔しようって気が無いのなら退治する必要も無いか。

 そう考え至った霊夢と、同じ表情をした魔理沙が同時に警戒の姿勢を解く。

 

 水蛭子は更に笑みを深め、三姉妹の方へ向き直った。

 

「それじゃあ、私たちは行きますので」

「ええ、終わった頃合にまた顔を出すわ」

 

 リリカの返答に頷くと、水蛭子は「よーし!」と小さく伸びをして気合いを入れ、桜の咲き乱れる冥界に視線を向ける。

 

 彼女がチラリと寄越したアイコンタクトに、霊夢と魔理沙は小さく頷くことで返して、三人は冥界への裂け目の前に並び立つ。

 

 この先に、異変の元凶が居る。

 その人物は恐らく冥界の主である西行寺幽々子であり、その従者である妖夢も立ち塞がることだろう。

 水蛭子にとってはやりづらい相手ではあるが、彼女は元博麗候補である。

 

 幻想郷の均衡を乱す者を、放っておける道理は無い。

 

 三人は同時に空を進み始め、裂け目の向こうへ姿を遠のかせていった。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 三人が裂け目の向こうへ去った後、リリカは真顔のままジッとそちらを見ていた。

 そして、ポツリと。呟く。

 

 

「あれが、あの八十禍津……か」

 

 

 その声色は平坦なものであったが、しかし微かに、彼女が内心に抱く『恐れ』を感じさせるものであった。

 

 リリカは、彼女のことを知っている。

 大いなる災いの神であった彼女の事を。

 

 忘れ去られた者共が集うこの幻想郷で、更に誰にも覚えられていない、いと冥き者を。

 

 八十禍津と、水蛭子。

 自らを災いと不幸と名乗る彼女の事を、幻想郷の全ての人間と魑魅魍魎の記憶の奥で黒く塗り潰された存在を、リリカは覚えていた。

 

 

「どうか、貴方は何も思い出さないで。どうか、今の貴方のままで。いつまでも」

 

 

「リリカ? どうしたの?」

「……ううん、なんでもない」

 

 

 ルナサと話していたメルランが、裂け目を見つめる妹に気付き、声をかけた。

 リリカはそれに、微笑みながら返す。

 

 その笑みは、まるで。

 この幻想郷の平和を噛み締めるような、そんな笑顔だった。

 

 




 
毎度の事ながら、投稿が遅くなってしまい申し訳ありません。
もう完全な言い訳なんですが、CoCTRPGのPLやらGMやらしてたら時間を取れず、遅くなってしまいました……。
次のお話も頑張って書かせていただきますので、待っていてくださると幸いです。

それでは、また次回お会いしましょう。
 


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第三十六話 瞑目の春

お久しぶりです。
お待たせしてしまい大変ご迷惑をお掛けしました。

この頁を開いてくれた貴方に、最大の感謝を。

物語の続きを御覧ください。


 冥い空だった。

 それは現在の時刻が夜だからとか、そういった理由では無いのだろう。

 月とも、太陽ともとれる煌々と輝く天体のような何が、咲き乱れる桜の海を優しく照らしている。

 明るいのに、空は暗い。

 不思議な感覚だった。

 

 冥界に降り立った水蛭子は、霞むほどに長く続く石畳の上を歩きながら、そんな空を眺めていた。

 

 朧げに光を宿らせた桜の花びらの群れが、まるで生きているかのように、海を泳ぐ魚たちのように、自在な動きで暗い空を舞っていた。

 

「……不思議な所」

 

 普段の幻想郷ではまず見ない光景に、水蛭子はほぅと感動のため息を口の端から漏らす。

 温暖な気候は、先程まで飛んでいた吹雪の中とは全く異なっており、まるで本物の春がこの世界に居座っているかのような、そんな感覚だった。

 

 フランス人形を胸に抱き抱えた魔理沙が、初めて目にした冥界の光景を眺めながら楽しげに笑う。

 

「なんだ、死者が来る場所だっていうからどんなおどろおどろしい世界なんだと思ったら、結構良いところじゃないか」

「これが現世から奪った春じゃなかったら、のんびりお花見でもしたいんだけどね」

「まったくだわ」

 

 お祓い棒を手の内で回す霊夢が水蛭子の言葉に頷く。

しかしその顔はわかりやすいしかめっ面で、魔理沙と対象的にこの光景を素直に受け入れることが出来ないといった様子だった。

 先の紅霧異変の際、空に浮かんでいた紅い月と同じように、彼女にとって目の前の風景は『妖怪に造られた自然』であるのだろう。

 

 一陣の風に吹かれ舞踊る桜の花弁を、霊夢は冷たい眼差しでぼぅっと眺める。

その目に宿る感情は、汚された春への憐憫のみだ。

 

「水蛭子、魔理沙。いつまでも見蕩れてる訳にはいかないわ。この景色を──いや、こんな瞑目した春じゃなく『生きている春』を、今度は現世で見るのよ。私たちはその為にここに来たんだから」

 

 能面のごとし表情で紡がれた霊夢の言葉に、少々浮かれ気分だった他の二人は細かく瞬きする。

 その後水蛭子は力強く、魔理沙は口角を上げてそれぞれ頷いた。

 

 

 

 

 少し時を遡り、場所は白玉楼の縁側。

 そこから臨む庭には様々な形に剪定された庭木が立ち並んでいて、それぞれ馬や鳥などの動物を象った物、鏡餅やおでん串などの食べ物を象った物。

 そしてその中でも異様なまでに精巧に剪定されている、女性の……自身の形をしたニオイヒバを眺めながら、白玉楼の主である西行寺幽々子は、一言。

 

「いや~、何度見てもぶっ飛んだ造形してるわね~あの木」

「い、言い方……頑張って剪定したんですよ……」

「だって毎日見てるのに毎日新鮮なんだもの。妖夢貴方、使用人より庭師の方が向いてるんじゃない?」

「元々庭師でもあるんですけど!?」

 

 驚愕の表情で叫ぶ妖夢に「冗談よ冗談」と微笑みながら、幽々子は手に乗せた湯呑を傾ける。

 

「……あの、幽々子様。結局教えてくれなかったですけど」

「ん~?」

「私が集めた春の欠片。あれを与えることで西行妖はああやって蕾を付けましたけど……」

 

 妖夢が見上げた先には、天を貫かんばかりに聳え立つ大桜・西行妖が無数の蕾を付けた状態でそこにあった。

 彼女がこの屋敷に住み始めて此の方、死に木と思い違えるくらいに葉も花もつけなかった妖怪桜が、今目の前で咲き誇ろうとしている。

 それは妖夢の心中に感動にも近しいものを抱かせたが、しかし。

 

「……あれを本当に、満開にしても良いんでしょうか」

「私が良いと言ってるのよ」

「しかし────」

 

 

「……妖夢」

 

 

 妖夢の言葉を遮り、俯かせていた顔がゆらりと前を向き。

 桃色の瞳と従者の瞳、お互いの視線が手の平を合わせるようにのっぺりと重なり合う。

 

 刹那、妖夢はぶるりと身震いをした。

 

 今まで、どんな時であろうとも、その柔らかい暖かさを絶やさなかった主人の瞳。それがまるで、氷の様に冷たいものだったから。

 冥界の亡霊姫という二つ名に相応しい、まるで死人同然の凍て切った眼差しが、しかし妖夢の目にはこの上なく恐ろしいものに映ったのだ。

 

妖夢が彼女に仕え始めてから、かなりの時を共に過ごしてきた。

だけれど、こんな目をする主人を妖夢は一度だって見たことがなかった無かった。

 

 この時初めて、半人半霊の少女は自身の主人に対して、純粋な恐怖の感情を抱いたのだ。

 

 

「私が良いと言っているの。貴方は何も聞かず、ただ私の言葉に従いなさい。だって貴方は、私の従者でしょう?」

「……はい。分かり、ました……」

 

 

 気付かない間に何歩も後退りをしていたことを自覚し、額からたらりと流れる冷え切った汗を袖で強く拭う。

 ぎこちなく緩慢な動きで頷きを返した彼女は、酷く揺れる心を落ち着かせようとして何度も深い呼吸を繰り返したが、しかしそれは叶わない。

 

 目の前の女性が本当に自分の主人なのかという疑問を覚えると同時、妖夢は思い出す。

 西行寺幽々子という亡霊は、死者が集うこの冥界の支配者だということを。

 全ての生きとし生けるものを、暗く冷たい死へと誘える力を持った超常の大妖怪であるということを。

 

 これが、本来の主人の姿。

 

 そう考えた妖夢の双眸に滲んだ涙が零れ落ちる前に、彼女は幽々子から顔を背けた。

 

「……引き続き、春を集めてきます」

「ええ、お願いね」

 

 主人の言葉に無言の肯定を返し、妖夢は白玉楼を後にする。

 冥界への侵入者から春を奪い取る為に。

 

 例えその先にあるのが悲劇だとしても。彼女は構わなかった。

 自分は主の後を着いていくだけでいいのだ。ただ、愚直に。

 

 

◆◆◆

 

 

 石畳の道に沿って飛行する三人は、進むにつれて強まる瘴気を肌で感じていた。

 ピリとした空気は嫌でも彼女達の神経を摩耗してゆき、段々と鋭利なものにしていく。

 

 この先に待つのは紛うことなき化け物。

 それこそ、看過してしまえば幻想郷など容易く滅ぼしてしまうほどの存在がこの奥に居る。

 

 怖いと、魔理沙はただ純粋にそう思った。

 先の異変でパチュリー・ノーレッジから感じた死の恐怖。それと同等の、精神への圧迫感を絶え間なく感じながら、しかしその心は屈しない。

 それは一重に、あの日の自分の不甲斐なさへの怒り。その心に据えられた純粋な正義の倫理観からだ。

 

 もう誰も自分の目の前で死なせたくない。

 もし仮に眼前の脅威を自分たちが食い止めることが出来なければ、幻想郷に住まう全ての人々は物言わぬ肉塊へと化してしまう。

 

 それだけは絶対にさせるわけにはいかない。

 私達が幻想郷を守るのだと、魔理沙は決意を新たにした。

 

 その時。

 

 眼前、自分たちの数歩先に立っていた一人の少女に気が付いた。

 

 

「……妖夢?」

「え、あれ。いつの間にそこに?」

 

 

 瞑目の剣士は、ただそこに佇んでいた。

 異様な程の長さの刀、腰に携えた脇差し、真剣であるその二つの重量はかなりのものである筈なのに。

 それを全く感じさせないピンと伸びた背筋は彼女の武人としての体幹が非常に優れていることを伺わせる。

 

 彼女の身を覆う薄い翠色の光。それが周囲を舞う花弁群を侵食するように、ポツポツと桜色の粒が消えていった。

 緑の息吹が宙を流れ始める。

 

「本当に、妖夢なの?」

 

 普段里で見かける彼女は喜怒哀楽が豊かな可愛らしい少女だった筈だ。

 しかし、目の前の少女が放つ尋常ならざる覇気。それは水蛭子と魔理沙の全身を総毛立たせるには十分だった。

 

「御三方、遠路遥々ようこそおいでくださいました」

 

 水蛭子の問いかけを無視し、妖夢は淡々とした口調で形だけの歓迎の言葉を三人へと送る。

 

「この先白玉楼では現在宴会準備の真っ只中です。つきましては、後日送付する招待状をお持ちになって再度お見えになっていただけると────」

「あー、ごめん。アホらしくて聞いてられないわ」

「ち、ちょっと霊夢」

 

 仏頂面で妖夢の言葉を中断させた霊夢に、水蛭子がその肩を掴む。

 しかしそれを意に介さず、霊夢は言葉を続けた。

 

「こんなとこで宴会?まさかこの嘘っぱちの春を肴にして酒を呑めって?────論外だわ」

「……引き返す気は無いと?」

「はっ、当たり前でしょ」

 

 浮かべられた嘲笑に、妖夢の眉がピクリと僅かに動く。

 それからすぅと短く息を吸ってから、彼女は口を開いた。

 

「分かりました。では、強制的に外界へ連行させていただきます。貴方達が集めた春を頂いた上でね。……少々手荒になってしまうかもしれませんが、どうかご容赦ください」

 

 水蛭子と魔理沙が瞬きをした時には、彼女の両の手が既に背の大太刀を掴んでいた。

 滑らかな動作で、しかし寸分の震えすら無く引き抜かれたその刀身が、姿を現す。

 緑と桃色の花弁の光が柾目肌の刀身に反射し、キラリと鋭く光輝いた。

 

 

「我こそは白玉楼の庭師兼使用人、魂魄妖夢」

「知ってるわよ」

「……そしてこの妖怪が鍛えた楼観剣に、斬れぬものなど存在しない!」

 

 

 瞬発。霊夢を目標に緑の閃光が一直線に走る。

 横一線。刀の先端からやや下、物打と言われる刀身の部位が霊夢の本胴へと吸い込まれる。

 

 しかし躱される。

 その場で伏せる様に身を縮ませた霊夢の上を妖夢の刀が空凪ぐ。

 それに即座に反応した妖夢が返し刀で再び霊夢を狙うが、しかし。

 

 霊夢の攻撃の方が早い。

 

「フッ!!」

 

 しゃがんだと同時に霊夢は左踵を妖夢へ繰り出していた。

 躰道において卍蹴りと呼ばれるその一撃は的確に彼女の鳩尾を抉る。

 人の形をしている存在ならば確実に幾つかの臓器が破裂する筈の打撃を喰らった妖夢は。

 

 その場から大きく飛び退き、目を細め腹を擦るだけに留まっていた。

 

「……?」

「なるほど、私の太刀を躱しますか」

 

 感心を口付さみつつ、再び太刀を正面に構える。

 右足を前に出した右上段の構えだ。

 

 そして妖夢が足に力を込めたその時、水蛭子が棍の石突を正面に構えて立ちはだかった。

 

 

「ちょ、ちょっとまってよ妖夢!!」

「……なんでしょう水蛭子さん」

 

 

 水蛭子の呼びかけに妖夢の足に込められていた力が一旦抜けた。

 どうやら話を聞いてくれそうな彼女に、水蛭子は少しだけホッとしてから言葉を続けた。

 

「私達はただ、この冬を終わらせたくてここに来たの。原因が何かをきちんと知って、それを止めなくちゃいけない。それを知ってるんなら教えて欲しいし、出来れば……その、刀をしまってくれないかなって」

「貴方達がもうこれ以上先に進まず、直ぐに引き返すと約束してくれればそうしましょう」

 

 妖夢の眼差しは依然冷たく、それは今まで見たものとは全く異なった表情で。

 どんなことがあってもこの先には進ませないという、確固たる意思を感じさせた。

 

 話し合いで戦うことを避けれればベストだったけれど。

 

「えっと……ごめん。出来ない。もしこれ以上異変を見過ごしちゃったら、里の皆……ううん、幻想郷の皆に危険が及んじゃうから」

「なんですって……?」

 

 水蛭子の言葉に、妖夢の表情が初めて崩れた。

 

 丸くした目、瞳は僅かに揺れている。

 それを見て魔理沙が不思議そうな顔をして彼女に訪ねた。

 

「もしかして妖夢。お前まさか分かってないのか?」

「何を、ですか?」

「おいおい、マジかよ……」

 

 少しだけ震えた声の返答に、魔理沙は空を見上げて片手で顔を覆った。

 妖夢の戦闘の意思が窄んたことで、霊夢は肩を竦めてから問いかける。

 

「アンタ達は幻想郷中から盗んだ春で西行妖を満開にさせようとしてる。この認識は合ってる?」

「はい、そうです」

「じゃあその化物桜が満開になった時、その魔力で幻想郷に住んでいる沢山の人妖が死んでしまうということは?」

「な、なんですか、それ? 私はただ皆でお花見をするために西行妖を満開にさせたいという幽々子様の……頼みを聞いて」

「じゃあアンタは騙されてるわ」

 

 目を細めながら、霊夢は言葉を紡ぐ。

 

「西行妖が満開になったら、その一緒に花見をするって奴らも皆死ぬ。目の前の私達も、多分そうなるわ」

「な、何……それ……? わ、私はそんなの、聞いてない!それに、幽々子様がそんなことを望む筈無いじゃないですか!!」

「幽々子の奴が何を思ってるのかは知らない。だけど桜が咲いた場合、常人なら即死する程の魔力が幻想郷中に溢れるということは確かよ」

 

 信頼する主人が行おうとしている凶行を聞き、それを受け入れることが出来ない妖夢の浅葱色の瞳が揺れ動く。

 彼女が幽々子から聞いたのは、西行妖を満開にさせて皆と一緒にお花見をしたいという、ただそれだけのことだった。

 

 白玉楼からかなり離れたここからでも薄っすらとその姿を確認することが出来るほどの巨大な桜だ。

 それが満開になった暁には、それはそれは壮観な風景を生み出すことだろう。

 幽々子様はただ、善意で。それをなそうとしているのだと。

 妖夢はそう思っていた。

 

 

「……嘘」

 

 

 否。

 妖夢は気付いていたのだ。

 

 幻想郷から春を奪い、長い冬に苦しめられている人々も、その春を吸い取っていきどんどんと妖力を増していく西行妖も。

 幽々子が日常の端々で見せる影のある表情を見ても。

 

 全部、全部。見て見ぬふりをして。

 

 ただ主人の命令を全うしなければと、幼い頃に行方不明になった祖父の背中に縋りついて。

 

 

「そんな筈、無い。幽々子様が……そんな恐ろしいことを、考える訳が」

 

 

 顔を俯かせる妖夢に、水蛭子が再び声をかける。

 

 

「幽々子さんがもう何度も同じことを繰り返しているということを知っても、そう言えるの?」

「……え?」

 

 

 視線を上げた妖夢にゆっくりと近づきながら。

 水蛭子は八雲紫から聞かされた話を頭に思い浮かべていた。

 

 

 ◆ ◆ ◆ 

 

 

 

「先代博霊の巫女の時代、それ以前。西行寺幽々子はかなり……幻想郷にとって不利益な存在だったの」

 

 

 数刻前。スキマの空間に落とされた水蛭子は、紫からこんな言葉を受けた。

 しかし、先の宴会で見た幽々子が幻想郷にとって不利益な存在と思えるような印象を抱かなかった水蛭子は、首を傾げながら言葉を返した。

 

「そう、なんですか? 宴会の時に会った時は、とてもそんな風には見えませんでしたけど」

「でしょうね。今の幽々子はかなり温和になった……いや、この言い方はちょっと違うわね」

 

 手に持った優美な扇を弄びながら、紫は言葉を訂正する。

 

「性格は今も昔も変わらないわ。生前から、あの子はずっと優しい女の子のまま。だけれど、それ以上に好奇心の強い子だった」

「生前の幽々子さんをご存知なんですか?」

「ええ。貴方達が思っているより、私と幽々子の関係はずっと長いのよ?」

 

 柔らかな笑みを浮かべた紫だったが、その笑顔は直ぐに憂いを孕んだものに変える。

 

「最も、幽々子には生前の記憶は残ってないんだけどね」

「それは……何故?」

「藍から西行妖については聞いたわね?」

「はい」

「あれを封印した人間についても?」

「はい。自分の命と引き換えに、西行妖を封印したと」

 

 水蛭子の真剣な眼差しを少しの間見つめ返し。

 逡巡の後、紫は言葉を続ける。

 

「あの子は覚えていないけど、その人間というのが西行寺幽々子なの」

「え、でもそれじゃあ自分で施した封印を、自分で解こうとしてるってことですか?」

「自覚は多分(・・)無いでしょうけど、そういうことになるわね」

「なんで、教えてあげないんですか? 西行妖が開花すると皆に危険が及ぶってことも」

「……それを説明する為に、一度話を戻すわね」

 

︎ 水蛭子が直ぐに頷くと、紫は微笑を浮かべながら言葉を続ける。

 

「生前の幽々子は今と似た能力……『死霊を操る能力』を持っていたわ。それは一人の人間が持つにはあまりに強大で、あまりに煩わしい力だった。そんな彼女の父親は、幽々子が4歳の頃に出家した歌人なのだけれど、彼は晩年、自身の死期を悟ってある桜の木のもとで永遠の眠りについた。その桜が────」

「西行妖」

「そう。父親が入滅の場に選んだ桜のもとで、彼を尊ぶ人々が後を追うようにして命をうずめて行ったわ。次第に大勢の人間の魂を糧に成長していった桜は、観る物を更に魅了する程に見事な花を咲かせるようになり、それと同等に危険な存在になっていった。それを知った幽々子は西行妖を封印しなければならないと思い立ったの」

「お父様が生み出した妖怪桜だからと、そう思ったんですかね……」

「かもしれないわね。今となっては真意は分からないけれど」

 

 遠い目をして虚空を眺めていた紫だったが、直ぐに意識を戻して水蛭子へと視線を向ける。

 

「でも、その時既に大妖怪クラスの力を持っていた西行妖を止めることが出来る存在は、あまり多くは無かったの。恐らく土御門家(外の世界の陰陽師達のこと)が総力を尽くせば封印は成功したかもしれないけれど、幽々子はそれを良しとしなかった。その末に出る犠牲はかなりの数に上がると予想するのは容易いことだったから」

「それで一人で西行妖を封印したんですか? 自分の命と引き換えにしてまで?」

「やっぱり父親にも原因の一端があったも同然だったから、負い目は持っていたのかもね。独断で封印を決行した幽々子には以前から持っていた『死霊を操る能力』に加えて『死を誘う能力』も発現していたわ。それらの力を用いて、彼女は自ら人柱となり、西行妖を封印するに至った」

 

 長い説明の後、息を整えるようにして目を瞑った紫は、ゆっくりと瞼を開ける。

 

「それが、西行寺幽々子という少女の生き様よ」

「……この言い方が正しいのか分からないですけど。可哀想、ですね」

「そうね、私もそう思うわ。行き過ぎた力、慈悲の無い運命、たった一人の女の子が背負うには、それはあまりに残酷過ぎた」

「紫さん、教えてください。西行妖の下に眠っている遺体が、幽々子さん自身のものだと教えない、その理由を」

 

 真剣な眼差しでこちらを見つめる水蛭子に、紫は少しの間を持たせてから、言った。

 

 

「───彼女という存在が、あの世からもこの世からも消えてなくなるからよ」

 

 

 

 

 



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