南端泊地物語―草創の軌跡― (夕月 日暮)
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序章
第一条「一人で出来ないことは協力して事に当たれ」


 いつの時代も、人は海に対して悩みを抱えていた。

 天候。波の具合。現在位置。飢え。海賊。他国の艦隊。

 あるとき、そこに深海棲艦と呼ばれる存在が加わった。

 それらは海上における全人類の敵だった。船も飛行機も根こそぎ落とす。様々な攻撃を跳ね除け、どこにでも現れ、僅かな期間で海上から人間を駆逐した。

 それに対抗すべく現れたのが艦娘と呼ばれる存在である。彼女たちは海上における人類の守護者だった。

 深海棲艦を倒す力と意志を持った可憐な戦士たち。そんな彼女たちを指揮する者は提督と呼ばれ、各地に拠点を築き深海棲艦に対抗する構えを取っていた。

 

 

 

 これは、ある拠点の最初の一年間の物語であり――ある男の一年間の物語である。

 

 

 

 警報が機内に響き渡り、まどろみの中から引きずり出された。

 連日の残業続きで疲れていたせいで意識が落ちていた。どうやらその間に、予想通りのことが起きたらしい。

 

『繰り返します。近くに深海棲艦と思しき反応がありました。機長の判断により当機はコースを変更し……』

 

 切迫した様子のアナウンスだ。機内の人々はざわついている。皆不安なのだろう。

 だいたい嫌な予感はしていたのだ。このご時世に――海と空を失ったこんなときに海外出張など。

 

「おい、あれ!」

 

 誰かが叫んだ。前の席の人らしかった。腰を少し浮かせて窓の方を見ている。私もつられて窓の外に視線を向けた。

 そこには、どこか生物的な印象の小型飛行機のようなものが飛んでいた。この飛行機と並行で飛んでいるようだ。まるで玩具のような大きさだが、しっかりと飛行機についてきている。

 

「深海棲艦じゃないの、あれ!」

 

 女性の叫びが聞こえた。それと同時に――小型飛行機がこちらを向いた。

 そこから、何かが放たれる。機内が一斉にパニック状態になった。あれはなんだ。ロケットか。攻撃をされたのか。

 答えに行きつく間もなく――視界が真っ白になった。

 

 

 

 関節部が痛い。痛いということは生きているということか。

 ゆらゆらと揺れているような気がする。地震の揺れではない。もっと穏やかな揺れ方だ。

 まぶたを少しずつ開けると、白い雲が見えた。天に昇っていく階段のような雲だ。

 痛みのあまり呻き声をあげると、何やら高めの声が聞こえてきた。

 上体をどうにかして起こすと、ここが小舟の上ということ、同じ船に褐色の少年少女が乗っていることが分かった。

 

「――」

「――?」

 

 二人は気づかわしげに何かを尋ねているようだったが、生憎こちらは二人が何を言っているのか分からない。

 どうしたものかと困りながら笑みを浮かべると、少年の方が唐突に「ジャパニーズ?」と尋ねてきた。

 

「イエス」

 

 そう答えると二人は少しの驚きと好奇心を表情に浮かべた。

 

「……日本人。この言葉、日本語か?」

「あ、ああ。日本語だね」

「良かった、通じた。――――」

 

 後半は別の言葉で何か言ったようだった。二人は日本人には見えない。東南アジア諸国の人だろう。

 

「すまないが、私はなぜこの船にいるのだろう。君たちが助けてくれたのかい?」

「うん。釣りをしていたらおじさんが流れてきたんだ」

 

 少年が得意げな調子で説明してくれた。

 

「そうか、ありがとう。私は伊勢新八郎という。日本人だ」

「僕はナギ。こっちは妹のナミ。そこの島で暮らしてる。爺さんが日本贔屓だったから結構話せるんだ」

 

 ナギの説明に合わせてナミがぺこりとおじぎをする。ナギが指差した方を見ると、さほど離れていないところに島があった。

 

「おじさんは怪我してるみたいだけど、どうしたんだい?」

「……飛行機に乗っていたんだけどね。どうも深海棲艦に落とされてしまったらしい」

「深海棲艦! 僕もそれ知ってるよ。あいつらのせいで皆大変なんだ」

「大変? ここで何か――」

 

 と、喉から出かかった質問を飲み込んだ。島の反対側――外洋の方から、黒い何かが迫ってきているのが見えたからだ。

 

「ナギ。深海棲艦はこの辺りにも出るのかい?」

「うん、そのせいで僕らは海に出られないんだ。ただでさえ今年は食べるものも少ないのに……」

 

 後半は正直あまり頭に入らなかった。深海棲艦はここでも出る。なら、あの黒いのは、もしかして。

 

「海に出られないっていうのは、危ないから出るなってことかな」

 

 言いながら、船のオールらしきものを見つけて強引に漕ぎ出す。そこでナギたちも異変に気付いたらしい。

 

「おじさん、あれ!」

「分かってる。逃げるよ。逃げ切れるか分からないけど、じっとしているんだ」

 

 怪我のせいか起きて間もないからか、身体が十分に動いてくれない。小舟の進みは遅い。このままだとあいつに追いつかれる。

 必死にオールを漕いでいると肘に何かが当たった。小型の金属。何か筒のようなものがついていた。少し砲身のようにも見える。

 

「ナギ、これは武器か何かかい!?」

「知らないよ、おじさんがしがみついてたから一緒に引き上げたんだ!」

「私が!?」

 

 こんなものを持っていた覚えはない。飛行機の乗客の荷物か何かだったのだろうか。

 オールとその謎の物体を交互に見る。どれくらい悩んだろう。永遠のようにも感じたが、実際はほんの数秒だったかもしれない。

 逃げ切れない。そう思った。だったら徹底抗戦してやる。半ばやけだった。

 その物体を抱えて海に飛び込む。それは意外と軽く、沈むようなこともなかった。

 

「おじさん!?」

「早く逃げなさい!」

 

 小舟を叩いて逃げるように促す。

 金属がこすれるような嫌な音が聞こえた。叫びだ。これはあの黒いやつの叫び声だ。

 もうこの距離なら見間違えようがない。あれは深海棲艦だ。

 だとしたら勝ち目はない。深海棲艦には艦娘以外の攻撃がほとんど通じないらしい。怪我をしていて運動神経にも自信がない、そんな素人がどこまでやれるのかは分からない。ただ、諦めて三人揃ってやられてしまうよりは、ここで時間稼ぎにチャレンジする方がまだいくらか成果は出せそうだった。

 目の前に迫る。不気味な双眸と剝き出しの歯、そこから見える砲身。深海棲艦は――ただの無力な凡人にとっては死の象徴だ。

 トリガーはないのか。どう使えばいいのか。焦って謎の物体を調べるも、よく分からない。時間がない。奴はもうすぐそこだ。

 

「おじさん!」

 

 子どもたちの悲痛な叫びが聞こえた。砲身がこちらに向けられる。深海棲艦が大きく口を開いた。

 

 ……駄目か。

 

 身体の芯が急速に冷え込むような感覚。せっかく助かったのに、これで終わりなのか。俺の人生、何か意味があったのだろうか。

 そのとき――再び視界が白に染まった。

 手にしていた物体から不思議な熱を感じた。それは一瞬のことで、すぐに何の感覚もなくなった。

 ない。手にしていた物体はどこかに消え失せていた。

 その代わり――砲声が轟いた。

 深海棲艦によるものではない。その砲声は、深海棲艦を打ち砕くものだ。

 気づけば、目の前には一人の少女が立っていた。海の上に二本の足で立ち、不思議な武装を――あの謎の物体を想起させる武装を身にまとった少女だ。

 彼女はこちらに背を向け、深海棲艦に向かって手にした武装を向けている。

 深海棲艦はのたうち回っていた。先ほど聞こえた砲声はこの少女によるもので、深海棲艦に痛手を与えたらしい。

 もう一度、砲声が響き渡る。今度は何かが深海棲艦に直撃するのは見えた。深海棲艦の表面に亀裂が走る。そのまま奴は、断末魔の雄叫びをあげながら沈んでいった。

 少女は周囲を注意深く観察した後で、ようやくこちらを振り返った。

 勝気そうな眼差しと少し薄い色の長髪が特徴的な子だ。だが、一番目を引くのはやはり海上に立っていることだろう。

 

「あんた、大丈夫?」

「……ああ。どうにか」

 

 怪我をしてる状態で無理に動いたからか、あちこち痛む。しかし生きている。なら大丈夫と言っていいだろう。

 

「そっちの二人は?」

「だ、大丈夫!」

 

 見ると、ナギとナミの小舟はまださほど遠くに行っていなかった。二人とも無事なようだ。

 

「もう深海棲艦はいなさそうかな」

「ええ。さっきのはたまたま近くに来ていたはぐれものみたいね。私でも倒せるくらいの奴で良かったわ」

 

 少女の手を借りて小舟の上に戻る。身体が重い。スーツもびしょ濡れだ。

 改めて少女に向かって頭を下げる。

 

「ありがとう、助かったよ」

「お姉さん、すごいな! 深海棲艦をやっつけるなんて大人でもできないよ!」

 

 ナギとナミが憧憬の眼差しを少女に注ぐ。それが照れくさかったのか、少女は少し視線を逸らしながら言った。

 

「当然よ。だって私はそのための存在なんだから」

「……それじゃあ君は」

 

 実際にお目にかかるのは初めてだったが、伝え聞いていた特徴と一致する。

「ええ、私は艦娘。――吹雪型五番艦の叢雲よ」

 

 

 

 ナギとナミに連れられて、二人が暮らしているという集落にやって来た。

 先ほどまでは寒かったのだが、陸に上がると思いのほか暑い。正確な場所は分からないが、ここは東南アジアの辺りだろうか。

 村は静かだった。どういう反応をされるだろうと若干警戒していたのだが、何の反応もないというのは気にかかる。

 

「……ナミ。村はいつもこんな感じなのかい?」

「うん。皆ずっと元気ないんだ。今年はご飯が少ないから……」

 

 そういえば、二人もどちらかというと痩せているように見えた。

 

「あまり食べ物が収穫できなかったのかな」

「お母さんはそう言ってた。皆、お腹空かせてるんだ」

 

 そこまで言って、ナミは小声で付け足した。

 

「ナギと私が海に出てたのは、魚が欲しかったからなの。お母さん、最近調子が悪いから……」

「そういえば海に出るのは禁止されてるんだったね」

「うん……。村長さんには怒られると思う」

 

 今向かっているのはその村長の家だった。集落の中心部に他より大きな家があった。おそらくあそこだろう。

 

 ……この状況だとあまり歓迎されそうな気はしないな。

 

 説明してくる、と村長の家に入っていったナギたちを見送り、叢雲と二人で外に待たされる。

 叢雲は自己紹介以降あまり口を開かなかった。こちらもあれこれと尋ねるようなことはしていない。少なくとも彼女は敵ではないようだし、どちらかというと現状を把握する方が重要事項だ。

 ふと見やると、叢雲は痛ましげな表情で村を眺めていた。視線の先を追うと、やせ細った人々が働いているのが見えた。こちらを意識する余裕もないのか、皆フラフラになりながらも一生懸命農作業や家畜の世話に勤しんでいる。

 

 ……こういう表情も浮かべるんだな。

 

 艦娘がどういう存在かよく分からないが、感性は普通の人間に近しいのかもしれない。深海棲艦に唯一対抗し得る存在ということで超常的なものを想像していたが、そういった先入観は捨てた方が良さそうだった。

 

「なに?」

 

 こちらの視線に気づくと叢雲はきつめの口調で問いかけてきた。

 

 ……こちらに対して友好的かは微妙なところだなあ。

 

 そんなことを考えていると、家の扉が開いてナミが手招きしてきた。

 家の中に入ると、外の熱気が少しだけ薄らいだ気がした。ナギとナミの他に一人の老人がいる。

 

「――」

 

 老人が何か言葉を発した。ただ現地の言葉らしく、何を言っているのかよく分からない。海外出張すると聞いてから急いで英語の復習をするくらいの頭の出来だ。正直日本語以外あまり自信はない。

 

「えっと、僕を助けてくれたことについてお礼を言ってます」

 

 ナギが通訳してくれた。少し涙目だ。海に出たことについてこってり絞られたのかもしれない。

 その後、ナギを通して伝えられた村長の言葉は意外なものだった。

 村のはずれに使われていない小屋があるから、しばらくはそこを寝床にしていい。食事も少しでいいなら提供する。そういう申し出だった。

 正直どちらもありがたい話だったが、それだけの余裕はないのではないか。

 

「……それで、私は何をすれば?」

 

 当然何か代価を期待してのことだろう。そう思って尋ねたところ、村長は小さく頷いて言葉を発した。

 この島は今年凶作で、食べ物が極端に少なくなっている。そういうことはこれまでも何度かあって、島の外から食料を買い付けることでどうにかしていた。ただ今は深海棲艦のせいで島の外に出られない。

 

「つまり、島の外と連絡を取れるよう周囲の深海棲艦をどうにかしろ、ということですか」

 

 村長は大きく頷いた。

 困って叢雲に視線を向ける。

 

「深海棲艦を倒せって話なら、命令してくれればいつでも出撃するわよ」

 

 それが当然だと言わんばかりの調子だった。

 

「……少し考えさせてください」

 

 村長からの申し出については保留することにして、一旦その場を後にした。空き小屋は好きにしていいと言われたので、そこまでナギたちに案内してもらうことになった。

 道すがら村の様子を改めて見る。皆疲れ果てている。そしてやつれていた。

 ナギたちは何も言わなかったが、彼らの母親も同じような状態なのだろう。

 小屋まで案内してくれた二人に礼を言って別れた。

 中は思っていたよりも整っていた。長年使われていなかった、というわけではないようだ。

 

「叢雲。今後のことについて少し相談させてほしい」

「いいわよ。見たところあんた何も分かってないようだし」

「うん、まあ恥ずかしながらその通りだ。艦娘についても深海棲艦についても、ニュースで得た知識程度しか持ってない。君のことを教えてくれると助かる。それから今後の方針を決めていこう」

「……変に見栄を張らないのは美徳かもしれないわね。なんていうか、頼りない感じもするけど」

「はは、今のところ頼りになる要素はなにもないだろうね。ここがどこかも分からない。荷物もほとんど持ってない。運動神経だっていいわけじゃないし、頭もそこまで良くはない。けど、現状を嘆いても仕方ない。どうにかしないと」

「そうね。まず最初に言っておいた方が良さそうなのは――あんたが『提督』になったってことね」

 

 提督。聞いたことはある。軍人の役職だったか。ただ、叢雲の言っている『提督』は少し違う意味合いのようだ。

 

「その『提督』というのはなんだい?」

「艦娘を率いて深海棲艦と戦う者のことよ。提督がいないと艦娘は受肉もできないし全力で戦うこともできない」

「……それが私だと?」

「自覚はないみたいね。さっきなったばかりだから仕方ないのかもしれないけど。――艦娘って艤装と呼ばれる兵装に軍艦の御魂の分霊を宿らせた存在なのよ。そこで艤装と分霊を結び付けて受肉させる力を持つ者が提督になれる。あんたも意識的か無意識にかは知らないけど、それをやったのよ。私がここにいるのがその証拠だわ」

 

 艤装というのはあの謎の物体のことだろう。他に思い当たる節がない。叢雲が身に着けている兵装とどことなく似ている。

 

「私が君を呼び出したことになるんだな。実感はないけど、今は君の言葉を素直に信じることにするよ。……けど、呼び出したからと言って君が私に従う道理はないよな。さっきは私の命令があれば戦うと言っていたが――不服はないのか?」

「頼りなさそうなのはとっても不満だけど、他は別に。艦娘っていうのは提督に従って深海棲艦と戦うのが本分だから、そうしろと言われたら拒む理由はないわね」

「……そこがどうにも納得しかねるんだけどね。普通、頼りない相手の指揮に従って命賭けた戦いをするなんて嫌なはずだ」

「妙なところにこだわるわねえ」

 

 叢雲は少し呆れたように言った。

 

「私自身は深海棲艦と戦えない。身体を張るのは君になる。それなのに私が一人で戦うかどうか決めるというのは……なんというか、フェアではない気がするんだ。元々私と君が軍人で上下関係にあるなら別だろうけど、私は軍人じゃない。今のところはただの漂流者だからね」

「だから相談して決めたい、ということ?」

「そういうことになる」

 

 艦娘についてはまだ知らないことも多いが――意思の疎通が取れて人の姿をしている子を、こっちの都合で戦わせるというのは気が進まない。良心の呵責によるものではなく、単に臆病なだけなのだろうけど。

 

「まあいいけど。……で、あんたはどうしたいのよ」

「――私は」

 

 沈思する。この子を戦わせるのに気が引ける。なら何もしないのか。この村の現状を見ると、それもそれで気が引ける。なら自分で戦ってみるか。否、それはただの蛮勇だ。

 言葉に詰まっていると、叢雲がすっと立ち上がった。煮え切らないこちらに痺れを切らしたのかと思ったが、そういうわけでもなさそうだった。彼女は表情を強張らせてある方向に視線を向けている。

 

「……深海棲艦がまた出たみたい。今度は複数いるわ」

「深海棲艦が? あいつらは何をしている?」

「――何かを追いかけてるのかもしれない。私たちは深海棲艦の大まかな気配はある程度離れていても分かるけど、それ以外はあまり検知できないのよ。……けど、こいつらは何かを追っているような動きのような」

「行こう」

 

 こちらも腰を上げた。

 

「ここにいても仕方ない。今はそこに行こう」

 

 どうするかは、行きながら考えるしかなさそうだった。

 

 

 

 気配を頼りに駆けていく。

 自然に囲まれた道なき道をかき分けて進んでいくと、島のはずれに出た。そこからは近海が一望できる。

 

「あれね」

 

 ナギたちの乗っていた小舟よりも大きな船が、深海棲艦に襲われている。

 

「襲っているのは二体。どっちも駆逐艦みたいだし、立ち回り次第では勝てるかもしれないわ」

「叢雲。正直私は彼我の戦力差を把握できてない。その言葉は信じていいのか?」

 

 新八郎はすっかり息が上がっていた。怪我と疲労で相当参っているはずなのだが、意外にも弱音は吐かなかった。

 

「……当たり前でしょ。自分を信じられないなら私を信じなさい。私はあんたの艦娘なんだから、あんたの期待は裏切らないわ」

 

 船に乗っている何人かの男たちは必死に抵抗していたが、あの分だとそう長くは持たなさそうだ。

 新八郎はまだ少し躊躇いがあるようだったが、意を決したように表情を引き締めた。

 

「分かった。叢雲、あの深海棲艦を倒して――あの人たちを助けて欲しい」

「了解!」

 

 海に向かって跳躍する。かなりの高さだったが、艦娘である自分にとっては大したことではない。

 海面に着地すると、すぐに主機を稼働させる。異常は見受けられない。

 幸い敵の駆逐艦たちは船の方に意識を集中させているようだ。

 気づかれる前に奇襲を仕掛ける。数の不利を覆すにはそれしかない。

 敵の視界に入らないよう、少し迂回しながら距離を詰める。動く敵相手に砲撃を喰らわせるにはある程度近づかなければならない。戦艦のような長距離砲撃能力を持たない駆逐艦は、まず敵に肉薄する必要があった。

 先ほど顕現したばかりなので実戦経験はさほどないが――本霊である軍艦の御魂から戦闘の記憶は得ていた。どうすればいいのかという知識はある。

 あと少し、というところで敵の一体がこちらに気づいた。撃ちたくなる衝動に駆られたが、そこをぐっと堪えた。ここに味方はいない。失敗は許されないのだ。

 もう一体はまだこちらを向いていない。

 距離は詰めた。主砲を構える。

 

 ……こっちだ!

 

 まだ気づいていない方の駆逐艦相手に一撃をお見舞いする。横合いからまともに一撃を喰らった敵の駆逐艦はそれで沈んだ。

 が、先にこちらに気づいた方が砲撃を仕掛けてきた。

 

「計算済みよ……!」

 

 身体を大きく屈めながら推進方向を転換する。姿勢は崩れたが、かろうじて敵の攻撃は避けた。

 

「……叢雲ーッ!」

 

 新八郎の叫びが聞こえる。心配性な彼からしたら、今の攻防は冷や汗ものだったに違いない。

 

 ……大丈夫って言ったでしょうに。

 

 呆れると同時に少し笑ってしまった。

 敵はまだ健在だが――不思議と負ける気はしなかった。

 第二撃を放とうとする敵に向けて、主砲を構える。

 

「邪魔よっ!」

 

 砲声が一つ、響き渡った。

 

 

 

 襲われていた船を曳航して浜辺に戻ると、不安そうな顔が出迎えてくれた。

 

「だ、大丈夫……か?」

「なに、見てなかったの? 私の勝ちだったじゃない」

「それはそうなんだが……」

「何か不満なの?」

「いや、うん。……不満はない。無事に戻ってくれてなによりだ」

 

 こちらの様子を見て問題なさそうだと判断したのだろう。不安そうな表情にようやく安堵の色が見えた。

 船に乗っていた男たちも安全を確認しながら降りてきた。

 

『いやあ、助かったよ。お嬢さん艦娘ってやつだろう? こんなところにいるとは思わなかった。おかげで命拾いした』

 

 島の人たちと違って、こちらは英語だった。

 

『無事で良かった。貴方たちは?』

『俺たちはホニアラから来たんだ』

『ホニアラ……どこかで聞いたような』

 

 新八郎が首をかしげている。

 

「確か――ソロモン諸島の首都よ」

『ソロモン。そう、ソロモン』

 

 ソロモンという言葉に反応して男たちが頷く。

 

『少し前に大規模な戦いがあって、この辺りの深海棲艦も減ってきたと聞いて、国内の島の現状調査をしていたんだ』

『ここは……ショートランド島だな』

 

 船の奥から一人の老人が出てきた。老人が顔を出すと男たちは一斉に姿勢を正した。どうやらこの老人が船乗りたちのリーダーを務めているらしい。

 

『艦娘のお嬢さん、それにそこのお人。貴方たちが助けてくれたと理解しているが、合っているかな』

『助けたのは彼女です。私は何も』

『……なるほど。ではお嬢さん、ありがとう』

 

 風格のある老人に頭を下げられると、なんだか反応に困った。

 

『いいですよ。それに助けるよう指示をしたのはそっちの人ですから』

 

 と、新八郎を指し示した。彼は困ったような表情を浮かべている。

 

『私はウィリアムという。……艦娘の力、見事だったよ。君たちはなぜここに?』

『深海棲艦に襲われて、ここに流されまして』

『そうか。日本あたりの艦娘が来てくれているなら護衛を頼もうと思ったのだが、そういうわけではないのだね』

『期待させて申し訳ないですが……』

『こちらが勝手にした期待だ。気にしないで欲しい』

 

 ウィリアム老人は穏やかな笑みを浮かべた。

 

『ショートランド島の調査をするから我々はしばらくこの島に滞在する。君たちもその様子ではしばらくここにいるのだろう? 何かあったときはよろしく頼む』

 

 手を差し出され、新八郎は何とも言い難い表情で握手を交わしていた。

 彼が何かに迷っているのは、見て取れた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 村に戻り、小屋に入ってからもずっと考え続けた。

 自分は結局何もできなかった。戦ったのは叢雲だ。後方で応援していただけの自分が決めてしまってもいいのか。ずっとそのことが引っかかっている。

 叢雲は、こちらが言えば深海棲艦と戦ってくれるだろう。だが今日の戦いだってかなりギリギリの勝利に見えた。こんなことを何度も続けていかなければならないのか。

 だが、島の状況やウィリアム老人たちのことを考えると、戦わないというのもそれはそれで酷いことのように思えてくる。皆が深海棲艦の被害を受けている。それに対抗する力を持っているのは叢雲だけで――彼女は自分の指示に従うと言っているのだ。

 思考は堂々巡り。酷い疲労感にもかかわらず全然寝付けず、外の空気を吸おうと小屋から出た。

 知らない土地。知らない人々。何も持たない自分。星は煌々と輝いているが、自分はくすんでいるに違いない。

 

「はあ……」

「辛気臭いわね」

 

 声がした。小屋の窓から叢雲が顔を出している。

 

「すまない、起こしたか?」

「起きてたわよ」

「そうか」

「……私は――吹雪型五番艦・叢雲という艦は、ある後悔を残して沈んでいったわ」

 

 叢雲は真剣な眼差しをしていた。大事な話なのだろう。正面から彼女に向き合う。

 

「後悔?」

「あんたは知らないだろうけど……叢雲は、ある戦いで姉妹艦を助けに向かったの。でも、助けに行く途中でやられてしまって、結局別の姉妹艦に看取られる形で艦としての生涯を終えたわ」

「……」

「誰も助けられないまま、何事も成せぬまま沈む。それが、かつて叢雲という艦が残した後悔よ」

 

 叢雲が何を言いたいのか、なんとなく分かった。

 

「……戦おうか」

 

 まだ迷いが晴れたわけではない。だが、叢雲もこちらと同じ思いを持っていると考えたら――少しだけ気が楽になった。

 

「このままじゃ私も日本に帰れないし、ここの人たちも困ったままだ。やれることがあるならやりたい。私には戦う力はないが、何をすればいいのかも今は分からないが、やれることがあるなら頑張りたい。……付き合ってくれるかい?」

 

 ウィリアム老人がしたように手を差し出す。叢雲はその手を力強く握り締めた。

 

「悪くない顔もできるじゃない。ええ、付き合ってあげるわ。ま、せいぜい頑張りなさい」

 

 叢雲と交わした握手は力強過ぎて正直少し痛かったが――彼女に「悪くない」と言われたのは、悪くない気分だった。

 

 

 

 二〇一三年八月。後にショートランド泊地と呼ばれる拠点が発足した。

 何も持たない提督と、駆逐艦娘が一人ずつ。

 小さな、とても小さな一歩目だった。



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第二条「結果を出すために必要なことはすべて評価せよ」

 ナギたちの村から離れた海辺近くの平野。

 そこに新しく建てられた小屋があった。見るからに急ごしらえといった感じで、ところどころに隙間もある。

 入り込んでくる隙間風を肌で感じながら、九名の艦娘と向き合う。

 

「これからソロモン諸島の首都ホニアラに戻るウィリアムさんたちに同行し、護衛を務める」

 

 昨日皆で話し合った方針を確認する。

 ホニアラまで行けば日本国大使館がある。そこでなら日本と連絡も取れるだろう。自分の現状を国許の家族や友人に伝えておきたい。

 

「いくつか島を経由し、休憩しながら片道二日で向かうことになる。用事を済ませたらまたここに戻ってくるつもりだ」

 

 ずっとホニアラにいた方が楽に過ごせそうだが、この島の人々には今日までいろいろと世話になった。その恩がある以上、食糧難に苦しんでいる彼らを見捨てることはできない。

 

「大淀、明石、間宮はここに残って島の人たちのサポートを頼む」

「承知いたしました。提督もお気をつけて」

 

 本来は彼女も軽巡洋艦として深海棲艦に対する戦力にもなり得るのだが、今は艤装を持っていないため戦う力がない。その代わり、右も左も分からない自分の補佐役として動いてもらっている。

 

「提督、艤装の建造と兵装の開発も進めちゃっていいですか?」

「ああ。資材と相談しながら進めてほしい」

 

 明石、それに間宮も大淀と同様に艤装を持っていない。彼女たちは叢雲の艤装を介して仮契約という形で受肉している。本来の力は発揮できていないが、明石は開発・建造で、間宮は食料方面でそれぞれ皆をサポートしていた。

 

「護衛任務に向かうのは叢雲、漣、曙、白雪、那珂、夕張だ。くれぐれも無理はしないように」

 

 叢雲以外はこの一週間で四苦八苦しながら新たに呼び出した艦娘たちだ。

 

「那珂ちゃん、旗艦を任されたからには活躍しちゃうよっ!」

「おっと、これは漣も負けてられませんな」

「置いていかれないように頑張りますよっ」

 

 那珂、漣、夕張が景気のいい声を張り上げる。契約を交わしてからまだ数日しか経っていないが、この元気の良さには随分と助けられている。

 

「叢雲と白雪は落ち着いているな」

「そういうキャラじゃないのよ、私たちは」

「その、もう少し盛り上げた方が良ければ盛り上げますが……」

「いや、別に駄目だって意味で言ったんじゃないんだ。誤解させたならすまない」

 

 まだ出会って数日しか経っていないため、今一つ誰にどう接するべきなのかが分からない。その最たる例が残りの一人だ。

 

「曙はどうだ?」

「は?」

「……い、いや。もうすぐ出ることになるけど大丈夫?」

「なに、あたしが大丈夫じゃなさそうに見えるわけ?」

「……大丈夫そうだね。うん、よろしく頼む」

 

 他のメンバーと慣れ合わず、一人でいることが多いのが曙だった。叢雲も少しきついところはあるが、曙はそれだけではなく他者と関わること自体を嫌っているような節がある。

 別に自分も人付き合いがいい方ではないから無理に皆と仲良くしろと言うつもりはないが、これから護衛任務をするにあたって一人だけコミュニケーションが取れないというのはあまり良い状態ではない。

 

 ……と言っても、どうすればいいのかさっぱり分からないのが正直なところだけど。

 

 クラス替えして間もない頃とかはこんな感じだったろうか。もう遠い記憶と化した学生時代のことを思い返してしまう。

 コンコンと扉を叩く音が聞こえた。「どうぞ」と返すとウィリアムさんたちが姿を見せる。

 

『そちらの準備は整ったかな?』

『ええ。行きますか』

『ああ。行こう』

 

 我が艦隊の初出撃だった。

 

 

 

 ウィリアムさんたちが乗ってきた船が、波をかき分けて大海原を駆けていく。

 その周囲には、船を守るために叢雲たちが展開していた。時折休憩を挟みながら、油断なく周囲を警戒している。

 普段の様子からは想像しにくかったが、那珂は旗艦として他のメンバーに的確な指示を出していた。彼女と夕張は叢雲たち駆逐艦よりも一回り大きな軽巡洋艦という艦船らしい。かつては軽巡洋艦を旗艦に据えた駆逐艦たちの部隊を水雷戦隊と呼んでいたという。そういうこともあって、那珂たち軽巡洋艦は指揮官に向いているようだ。

 

「提督、お疲れ様です」

 

 休憩時間に入った夕張が船上にやって来た。彼女も那珂と同じ軽巡洋艦だが、少し特殊な立ち位置の艦だったと聞いている。

 

「お疲れ様。皆に比べれば私は疲れてるなんて言えないさ」

「そうですか? ずっと船上をグルグル回って私たちの様子見てたじゃないですか」

「そうだっけ」

「自覚なしですか」

 

 言われてみれば足が結構痛い。どれくらい歩き回っていたのだろう。

 

「提督も少し休みましょう。休息しないと、いざってとき何もできませんよ」

 

 休息しても何もできなさそうな気がしたが、それは言わないでおくことにした。さすがに惨めな気がする。

 夕張と並んで甲板に腰を下ろす。はい、と彼女が差し出したのはカンパンだった。ありがたく頂戴する。

 

「潮風が気持ちいいですね。自力で海の上に立ってるとそう感じる余裕もないですけど」

「やっぱり、ああしてるのは大変なのかい?」

「大変というかある程度の集中力を要するというか。例えとして適切かは分かりませんけど、ずっと自転車乗ってるような感じだと思います。自転車乗ったことないですけど」

「ああ、でもなんとなく分かった気がするよ」

 

 夕張は話が上手い。他の艦娘とも良く喋っているところを見かける。那珂とは違う意味で艦隊の潤滑油になっているような印象を受けた。

 

「……なあ、夕張。この際だから少し相談したいんだけど、いいかな」

「どうしました?」

「曙のことだ。あの子はいつも一人でいるように見える。まるで他の人を避けているみたいだ。あれはどうしてか分かるかい?」

「そういえば提督は、私たちのオリジナル……艦船のことを知らないんでしたね」

「ああ。その艦船時代のことが関係してるのか?」

「本当のところは本人にしか分からないでしょうから、あくまで推測になりますが……やっぱり引きずってるところはあると思いますよ。私もまったくないとは言わないですし」

「艦船時代の記憶というのは、辛いものか?」

「どうでしょうね。基本的に戦争の記憶だから良い思い出とは言いにくいところもあります。でも戦いを誇りとする子もいるから、皆が皆辛いと思っているとは限りません」

「捉え方次第ということか。戦争を知らない世代の私がみだりに踏み入っていいところではなさそうだ」

 

 後世の人間としては、あの戦争の話を聞くたびに「悲惨」「無謀」という言葉が脳裏に浮かんでしまう。だが艦娘たる彼女たちは当事者で、自分とは違う視点であの戦争のことを捉えているのだろう。安易に口を出すべきところではない。

 

「……けど、曙ちゃんに関しては多分辛かったんだと思います。私も伝聞によるところが大きいですけど、あの子は働きの割に結果に恵まれなかったそうです。そのせいで心無い言葉をぶつけられることもあったみたいで」

「それはキツイな。そういうことが積み重なるといろいろ嫌になる」

 

 確かに結果は大事だが、どうしたって上手くいかないときというものはある。そういうとき、いたずらに上手くできなかった相手を責め立ててしまうと萎縮したりやる気を削いでしまうことになる。そんなことでは、それこそ結果に繋げられなくなる。

 

「ありがとう、おかげで少し分かったような気がする。曙のことについては私の方でも少し考えてみよう」

「お願いします。私にできることがあれば言ってくださいね、お手伝いします」

 

 夕張の元を辞してウィリアムさんたちのところに向かう。ホニアラに着いた後のことを少し話しておきたかった。

 

 

 

 予想に反して、ホニアラまでは何事もなく到着した。

 警戒していた深海棲艦はついぞ現れなかった。おかげで叢雲たちは皆怪我一つしていない。

 

「それでは、我々は雇い主のところに向かう。世話になったな」

 

 そう言ってウィリアムさんたちは去っていった。同行するかと誘われたが、こちらは現状行方不明になっている日本人の漂流者だ。正規の入国審査もしていない。まずは日本国大使館の元に向かって今後の身の振り方について相談するのが筋だろう。

 ウィリアムさんたちに教えてもらった情報を頼りに大使館に到着すると、受付の人が怪しげにこちらを見てきた。

 

「……ええと。すみません、実は――」

 

 経緯をどう説明するか迷ったが、嘘を言っても仕方ないのですべて正直に話すことにした。

 受付の人は最初胡散臭いものを見るような眼差しを向けてきたが、話を進めていくうちに戸惑いが表情に出てきた。

 

「私では判断が難しいところですね。責任者をお呼びしますので少々お待ちください」

 

 やがて、大使らしき人が出てきて応接間に通された。

 

「事情は聞かせていただきました。この度は災難でしたね」

 

 その人は長崎さんといって、ソロモンの駐在大使だという。

 

「先日の事故は生存者ゼロと言われていました。貴方だけでも無事でいてくれて良かった」

「今って本国と連絡は取れるんでしょうか。往来はなかなか難しいと思いますが」

「国際電話は今も有効ですので連絡は可能です。ただ――」

 

 そのとき、長崎さんの言葉に被さるような形で電話が鳴った。

 長崎さんは電話が鳴ることが分かっていたようで、落ち着いた様子で受話器を取った。

 

「――伊勢さん。貴方に替わって欲しいそうです」

「どなたですか?」

「海上幕僚長です」

「……はあ」

 

 なんだか偉そうな肩書だが、正直どういう立場の人だかよく分からない。

 とりあえず失礼のないようにしておけばいいだろうと、軽い気持ちで受話器を取った。

 

「もしもし、お電話替わりました。伊勢新八郎と申します」

『海上幕僚長の水元だ。伊勢新八郎君、君が提督になったというのは本当かね』

 

 突然の質問にどう答えるべきか少し迷う。

 

「……ええ。今のところ九名の艦娘と契約を結んでいます」

『名前を挙げてみたまえ』

「叢雲、大淀、明石、間宮、漣、曙、那珂、白雪、夕張です」

『スラスラと出てきたな。そして今挙げた名前はいずれも呼び出すことのできる艦娘だ。……大淀、明石、間宮を呼び出したのは他の艦娘の助言によるものか?』

「はい」

『どうやら本当のようだな。では単刀直入に聞くが君はこれからも提督でやっていくつもりはあるかね』

 

 こちらにゆっくりと考える暇をくれないタイプの人らしかった。こういう人との会話はちょっと苦手だ。

 

「……事故の後、ショートランド島に流れ着きました。そこの人には命を救われましたし、今日に至るまでいろいろとお世話になっています。彼らは今食糧難に陥っていて深海棲艦のせいで輸送もままなりません。その現状はどうにかしたいと思っています」

『その後のことは?』

「それは……まだ決めかねているのが正直なところです」

『早めに決めてくれ。先ほどソロモン政府から内々で依頼があった。君が本当に提督ならばソロモン諸島に常駐させてほしいと』

 

 話が早く進み過ぎている。ウィリアムさん経由でこちらのことをソロモン政府が知ったのだろうか。

 深海棲艦のせいで海路と空路が封じられている現状は、ソロモン諸島のような群島で構成されている国家にとって致命的だ。対抗し得る戦力――艦娘は是非とも欲しいところなのだろう。それは分かる。分かるが――。

 

「即答は難しいです。考えてはみますが猶予をいただきたい」

『そうだな、さすがにこの場で決めるというのも酷だろう。だが考えてみてくれ』

「……ちなみに、もし常駐を断った場合私たちはどうなります?」

『どうにかして本国に帰還させる。その後については君や君の艦娘の意見を尊重しよう』

 

 さすがに、その言葉を素直に受け取るほど自分は素直ではない。

 提督というのは偶発的になるものらしい。つまり訓練してなれるものではないのだ。そんな提督がいなければ艦娘を戦力として使うことはできない。深海棲艦に対する有効戦力が現状艦娘だけということを考えると、本国に戻っても自由の身になれる気はしない。

 その後少し言葉を交わして電話は終わった。なんだかどっと疲れた気がする。

 

「とても圧倒されるような感じがしました。海上幕僚長ってどういう役職なんでしたっけ……」

「海上自衛官の最高位ですよ」

 

 うへえ、と内心溜息をつく。今の自分はそんな相手から電話がかかってくるような状況なのだ。

 目立たずひっそりと平穏に暮らしていければそれでいいというのが自分の望みだったのに。これではまるっきり逆だ。

 先行きに暗澹たるものを感じながら、長崎さんと今後のことについての話を続けた。

 

 

 

 仮眠を終えて甲板に出ると、ちょうど休憩中の曙と目が合った。

 

「お疲れ様。何か異変はなかったかい?」

「別に」

 

 極めて素っ気ない対応だった。くじけてしまいそうになるが、ぐっと踏みとどまる。

 

「そうそう、さっきクッキーもらったんだ。曙も食べるかい?」

「……いらない」

「そうか」

 

 仕方なく曙の隣に立ってクッキーをかじる。

 今は夜。月明りと波の音だけが存在する世界だ。

 

「曙はこれからどうしていくべきだと思う?」

「なによ、急に」

「皆に聞いてるんだ。これからどうしていくべきか迷っててね。他の皆の意見も聞きたいな、と」

「……どうでもいいんじゃない。ここにいようと本国に帰ろうと、大して変わらないわよ」

 

 そう言って、ぷい、と視線を逸らす。

 

「まあ、そうだろうねえ。私はできることなら適当に楽な仕事をして適当に暮らしていきたかったんだが」

「それは残念だったわね。どういう選択をしようと、そういう生活はもう無理よ」

「だろうねえ。だから今人生プランについて改めて検討しているんだけど、どうするかなあ」

「……あんたって、切り替えが良いのか悪いのかはっきりしないわね」

「そうかな。切り替え悪い方だと思うけど」

 

 過去のことは結構引きずるし、即断即決とかは苦手中の苦手だ。

 

「艦娘を指揮する力を手に入れたんだったら、もっと調子に乗るとか、そんなの御免だっていじけるとかしそうなものだけど」

「調子に乗る度に痛い目見てきたからなあ。いじけるのも意味ないし。良し悪しとか望む望まないとか関係なく『そうなってしまう』ってことは誰にだってあるだろう。そうなってしまったって事実は変えようがないし、ならそれに対してどうするかを考えていくしかないんだ」

 

 曙は少し意外そうな表情を浮かべていた。

 

「どうかしたかい?」

「別に」

 

 そのことについて尋ねると、途端にいつもの表情に戻ってしまった。

 

「あんたって、仕事で失敗したこととか結構あるの?」

「そりゃ、いっぱいあるよ。納品後にミスに気づいたり、メンテナンス中に手順ミスが発覚したり、顧客が後から無茶ばかり言ってきて慌てて対応したら要望と違うって言われることもあったっけ。全然、上手くなんてやれてない」

 

 思い出したら頭が痛くなってきた。どれも辛い思い出だ。糧にはなってるのだろうが、極力振り返りたくはない。

 

「社内でもいろんな人のサポートさせられてね。でもサポートだからあまり評価の対象にはならないんだ。なかなか悲しいもんだね、半分近く自分がやったはずなのに、その仕事で評価されてるの他人だけなんだ。……まあ、要領が悪かったんだろうとは思うけど」

「情けないわね。それで提督としてやっていけるの?」

「大いに不安があるのは確かだ。だからいろいろと助けてほしい」

 

 強がっても仕方ないので素直にお願いする。

 

「……ふん」

 

 曙は特に答えず背を向けて去ってしまった。

 夜風がなんとも身に染みる。若い子との会話に難渋するとは、俺も本格的にオジサンになってしまったようだ。

 

 

 

 もうすぐショートランド島に到着するだろうという時間になって、叢雲が甲板に上がってきた。

 

「島に戻ったらホニアラでもらった食料を配って回るんだったわね」

「ああ。焼け石に水だろうけど、ないよりはいい。分配についてはこっちで決めない方がいいだろうね」

 

 長崎大使と話を進めていく中で、ショートランド島の食糧難についての話題が出た。

 ショートランドに限らず今年はソロモン諸島全体が凶作で、あちこちの島で食料が不足しているのだという。

 幸いホニアラにはある程度の貯えがあったので、いくらか分けてもらうことにした。他の島の分についても一応尋ねてみたが、そちらは別途輸送を考えているとのことだ。物資を大量に積んだ船が深海棲艦に沈められたら損失が大きいので、輸送は小分けにしているらしい。

 

「食料や物資の問題は常に起こり得る。今回だけ輸送できればそれでいいというものではない。安全に輸送するための環境を維持しないと意味がない」

「あら、分かってるじゃない」

「いや、実際は大淀からの受け売りだけどね。かつての戦争のときはそうしたシーレーンの維持に随分と苦戦したらしいけど」

「そうね。私も詳しくは知らないけど、戦争が進むにつれてシーレーンが維持できなくなって輸送が過酷なものになっていったらしいわ。それで失われたものも沢山ある」

「……」

「どうしたの?」

「普通に会話が続くことに有難味を感じていた」

「はあ? ……大丈夫?」

「大丈夫だと思いたい」

 

 そのとき、叢雲の表情が瞬時に険しいものへと変わった。彼女のこういう表情を見るのは二度目だ。

 

「深海棲艦か」

「ええ。近くにいるはず」

「今、哨戒に出てるのは誰だ?」

「曙よ」

 

 現在、叢雲たちは船の周囲に留まって護衛を務める者、そこから少し離れて哨戒を行う者、休憩する者でローテーションを組んでいる。今船の周囲には那珂、夕張、白雪、漣の姿があった。

 

「曙一人か」

「ええ」

「休憩中のところ悪いが叢雲は曙の様子を見てきてくれ。もう一人誰か連れていってくれ」

「敵を見つけたらどうする?」

「敵の数が二体までならその場で撃退。それ以上いるならこっちに誘引だ。数に劣る状態で戦うのは良くない」

「了解――!」

 

 叢雲が艤装を展開しながら船上から飛び降りる。

 自分が戦うわけでもないのに、身体が震えた。

 

 

 

 相方に漣を選んだのは、曙と姉妹艦だからだ。

 撤退する際に曙にごねられたら困る。そういうときに説得してもらおうという考えだ。

 

「叢雲ちゃん、ご主人様とは何話してたんですー?」

「今後の方針について……だと思うんだけど、なんか途中で脱線した感じがするわ。会話が続くことがありがたいとか」

「あー。多分それ、その前に曙ちゃんと話してたからだと思いますな」

「ああ……」

 

 曙相手では確かに会話は続かないだろう。自分もあまり長時間話せそうな気がしない。なんというか避けられている感じがする。

 

「姉妹艦としてフォローしとくと、悪い子じゃないんですよ」

「それは分かってるわ。あの子も……多分何かを引きずってるんでしょ」

 

 言ってしまえば、艦娘は皆一度死んでいる。それも、多くの者は無念を残したまま。曙はそれが色濃く出ているタイプだが、他の子も大なり小なり似たような側面はある。漣の一見ふざけているような口調も、彼女が引きずっている何かに影響しているのだろう。

 

「一応私も広い括りでは姉みたいなものになるわけだし、もう少し話せたらとは思うんだけど」

「お姉様?」

「……なんだろう。漣にそう呼ばれるのはなんか嫌だわ」

「ショック!」

 

 そんなふざけたやり取りはすぐに終わった。砲撃音が聞こえたのだ。

 

「もう始まってるみたいね」

「行きますか!」

 

 音のした方に向かうと曙が五体の深海棲艦に追われているのが見えた。

 敵は二体が軽巡クラス、三体が駆逐クラスだ。曙一人は勿論こちらの二人を加えても少々厳しい。

 

「まずは曙のフォローよ。その後敵を船まで引きつけて、那珂たちと合流して一気に叩くわ!」

「異論なし!」

 

 主機を全力で稼働させ、曙たちのところに突っ込みながら主砲を構える。

 

「てーっ!」

 

 掛け声に合わせて漣との一斉砲撃を行う。曙の側に迫っていた軽巡クラスに直撃したが、倒すには至らなかった。だが、その隙を突いて曙はこちらに合流する。

 

「大丈夫?」

「……少しやられたわ。けど、まだやれる」

「よし、それじゃ船まで戻るわよ」

「戻る? それじゃ船が危ないじゃない!」

 

 敵から距離を取りながら曙が反論する。

 

「あいつの指示よ。私たちだけじゃあいつら倒せないでしょ。那珂たちと合流しないと」

「だったら向こうが来ればいいじゃない!」

「護衛役が皆離れたらそれこそ船危ないでしょ」

「っ……それは、そうだけど!」

 

 何か言いたそうにしながらも、曙は視線を逸らしてしまう。

 いつもはこちらも無理に踏み込まず、ここで会話が終わる。しかし今は戦闘中だ。

 

「言いたいことがあるならはっきり言う!」

 

 突然怒鳴られて曙は目をぱちくりとさせた。

 

「今は戦闘中で、あんたは戦闘方針について異論を唱えようとした! だったらはっきり言いなさい! 言わずにやられて後悔したいわけ!?」

「そ、そんなわけないでしょうが! あたしはただ、あいつが戦闘に巻き込まれないかって思っただけで……」

 

 それを聞いて、確信した。

 やっぱり曙は悪い子なんかじゃない。ただ人を避けて、素直に思いを伝えられないだけだ。

 

「だったら曙、敵を引き付け終わったらあんたは船の……提督の護衛に専念しなさい。あんたが守るの。それなら文句ないでしょ」

「あ、あたしが!?」

「ほら、行くわよ」

 

 敵が態勢を整えて再び速度を上げてきた。こっちも追いつかれないよう逃げる。

 ただ逃げるだけだと怪しまれそうなので時折撃ち返す。当たらないかと期待したりするが、そうそう上手く当たることはなかった。自分の練度不足を痛感する。

 程なくして船が見えた。船上で身を乗り出して心配そうな顔をしているのが約一名。大人しく引っ込んでいた方が安全なのになぜそうしないのか。

 

「ったく、世話の焼けるのばっかり! ほら曙、後は護衛!」

「わ、分かったわよ!」

 

 下がる曙と入れ替わるように那珂、夕張、白雪が出てきた。

 普段見せる明るいキャラとは打って変わって、戦場の那珂は凛々しい顔つきになっていた。

 

「お疲れ様、叢雲ちゃん、漣ちゃん。まだやれるね?」

「当然」

「イエス、マム!」

「ならやるよ。夕張ちゃん、白雪ちゃん、囲んで撃とう」

 

 那珂がさっと手を挙げて二人に指示を出す。夕張と白雪もそれに応えてすぐに動いた。

 こちらめがけてまっすぐ突っ込んでくる深海棲艦たちは、やや密集しつつあった。

 それを囲むように夕張、白雪、そして私と漣が動く。深海棲艦もこちらの狙いに気づいたのだろう。正面の那珂に向かって勢いよく突っ込んでいく。

 

「――狙いよし、撃ち方はじめ!」

 

 そこに横合いから白雪が主砲を撃ち込んだ。容赦ない連撃に深海棲艦の足が止まる。

 

「……止まっちゃっていいのかな?」

 

 那珂が不敵な笑みを浮かべる。

 深海棲艦たちの何体かは白雪の攻撃に耐えながら主砲を那珂に向けた。

 そのとき、深海棲艦たちのいたポイントで大きな音とともに飛沫が上がった。

 魚雷だ。白雪が敵を止めた隙に、他の全員が魚雷を一斉に撃ち込んだのだ。

 それがすべて直撃し、密集状態だった深海棲艦たちはまとめて沈んでいく。

 

「いえいっ、那珂ちゃんたち大勝利ー!」

 

 那珂の勝利の掛け声が、大海原に響き渡るのだった。

 

 

 

 無事ショートランド島に帰り着くと、大淀たちやナギ・ナミが出迎えてくれた。

 

「おじさん、おかえり!」

「おかえりなさい」

「ああ、ただいま」

 

 二人の頭を撫でながら積荷のことを伝える。

 

「本当? それじゃ村に帰ってどうするか決めないと!」

 

 そう言って二人は駆けていってしまった。

 

「それじゃ積荷は二人が戻ってくるまでこのままにしておくか。となると――ああ、さっきの戦闘についてまとめておこう」

 

 船の前で皆が整列する。ただ、曙だけ何か気まずそうに視線を逸らしていた。戦闘が終わってからずっとこんな感じだ。

 

「ええと、MVPを決めればいいんだっけ」

「はい。それから良かった点と悪かった点をまとめてください。その積み重ねが、艦隊を少しずつ強くしていくことになります」

 

 大淀のアドバイスに頷いて、六人の姿を見る。

 これまでは評価される立場の人間だったから、こうして誰かを評価するというのも妙な感じがした。だが自分以外に彼女たちの働きを評価できる人間はいない。なら思ったようにやるしかないだろう。

 

「それじゃあ……MVPは曙かな」

「え?」

 

 曙がさも意外そうな声を上げた。一方他の皆はある程度予想できていたのか、さほど動じているようには見受けられない。

 

「な、なんであたしなのよ。一体も倒せてないし、指揮執ったのは叢雲とか那珂ちゃんだし、敵足止めしたのだって白雪じゃない」

「哨戒中に敵を発見したこと、そこで敵の攻撃に耐えながら叢雲たちと合流し、敵を誘引したこと。そして他の五人が敵を倒すまでの間に船の護衛を務めあげたこと。……この三点で評価したんだけど、何かおかしいかな」

「いいんじゃない?」

「那珂ちゃんもそれでいいと思うよ」

 

 叢雲と那珂が同意する。夕張たちにも視線を向けたが、全員が頷いてくれた。

 

「他の人はどう思うか分からないけど、私は敵を倒すことだけが評価すべきポイントではないと思っている。他の仲間のサポート、護衛、作戦立案……結果を出すために必要なことすべてを評価対象にしたい。例えば、敵を倒さず目的を達成できるような作戦を立案したら、これはもうとても大きな成果だと評価するよ」

 

 そこまで言っても曙はまだ戸惑っているようだった。夕張の話からすると、こういう風に評価されるのに慣れていないのかもしれない。

 少し大袈裟かとも思うが、曙の正面に立って頭をわしゃわしゃと撫でてみる。

 

「今回は助かった。これからもいろいろと助けてくれると嬉しい」

「……ふ、ふん! 仕方ないわね、これからも助けてあげるわよ。私に十分感謝しなさい、このクソ提督!」

 

 こちらの手を跳ね除けて、曙は逃げるように駆けていった。

 

「……クソ提督って」

「ご主人様、あれは曙ちゃんなりの照れ隠しです」

「そもそもいきなり頭撫でるとか何? クソ提督って言われても仕方ないわね」

「む、叢雲ちゃん……」

 

 いろいろと心に突き刺さるものがあった。やはり若い子とのコミュニケーションは難しい。

 

「大丈夫ですよ」

 

 と、夕張がこちらの肩を叩いてきた。

 

「提督はいい提督になりますよ。そして、この艦隊もきっといい艦隊になります」

「だといいけどな……」

 

 先行きはまだまだ不安だ。

 だが、それでもやっていくしかない。足を止めていられる状況ではないのだから。



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第三条「失敗や喪失を恐れるなら無理をするな」

 ホニアラから持ち帰った物資で島の状況は改善した――と言いたいところだが、事態はそう甘くなかった。

 あれからまた数日が経過している。ホニアラから運び込んだ食料はとっくに尽きていた。

 

「うちの母さんも、最近辛そうにしてるんだ」

 

 村々との連絡役が板についてきたナギも、ここ数日でめっきり元気がなくなっていた。一緒にいるナミも痩せてきている。

 かく言うこちらもあまり健康的な状態とは言えない。朝からどうにも調子が悪い。

 

「大淀、うちも人員が増えてきたことだし、まずシーレーンの確保を最優先で進めていきたい。それもなるべく早く」

「了解です。……実はそれに関して一つご報告したいことがあるのですが」

 

 そういえば先ほど哨戒から戻った曙たちから報告を受けていた。何かあったのだろうか。

 

「すまない、ナギ、ナミ。これから内々の話がある」

「分かった。……頑張ってね、おじさん」

 

 気力の感じられない声を残してナギは出ていった。

 この小屋に残っているのは執務を手伝ってくれている叢雲と大淀だけだ。

 

「曙たちが先ほど哨戒中に大型の深海棲艦を発見したそうです。おそらくは戦艦クラスかと」

「戦艦……駆逐艦や軽巡洋艦よりもずっと大型の艦だな」

 

 現在、うちの艦隊には軽巡洋艦より大きな艦はいない。ホニアラ出発前から比べると新たに如月・長月・吹雪・朧・響・電・初春・天龍・龍田・木曾の建造――契約に成功した。しかし彼女たちはいずれも駆逐艦もしくは軽巡洋艦だ。

 

「率直に聞きたいが、現有戦力で戦艦クラスの深海棲艦を相手に戦うことはできるか?」

「難しいわね」

 

 叢雲が答えた。この手のことは実際に前線に出ている叢雲の方が詳しい。

 

「少なくとも日中正面からの艦隊戦じゃ太刀打ちはできない。魚雷を直撃させればなんとかなるかもしれないけど、確実に当てるためにはかなり接近する必要があるわ。けど、戦艦の主砲は駆逐艦や軽巡洋艦と比べてとても長い。敵の砲撃の雨をかいくぐって至近距離から魚雷を放って離脱する。……経験を積んだならまた話は違うと思うけど、今の私たちじゃ相応のリスクを伴うわね」

「……奇襲を仕掛けるなら?」

「海上で奇襲を仕掛けるなら闇夜に乗じてやるしかないから時間が限られるけど……そうね。その場合日中よりはリスクは幾分下げられると思う」

「幾分かは、というくらいか。やっぱりリスクは避けられないんだな」

「できるなら相手にしないのが一番だけど……それが難しい状況だったりするの?」

 

 叢雲の問いに大淀が頷いた。ホニアラでもらってきた地図を広げて戦艦の出現ポイントを指し示す。

 そこは、ソロモン諸島とパプアニューギニア、オーストラリアの海を結ぶ要所だ。

 

「……ウィリアムさんや長崎さんは近隣諸国との輸送ルートが強力な深海棲艦のせいで確立できないと言っていた。もしかしてその戦艦クラスの深海棲艦がそうなのか?」

「おそらくは。少なくともここに陣取られていては他国とのやり取りに支障が出ます」

「どうにかするしかないか。……ただ、不安は残るな。戦艦クラスの艤装建造は?」

「正直、今の設備だと軽巡洋艦以上の建造は難しいかと思います」

「対等の条件で臨みたかったが、それは無理か。こっちにはあまり時間もない。現有戦力でどうにかそいつを倒すしかないな」

 

 危険な賭けだが、待っていても状況は好転しそうにない。打って出るしかなさそうだ。

 

「……大丈夫? なんだかアンタ顔が青くなってるわよ。戦艦クラスの敵についてはこっちでやっておくから、休んでた方がいいんじゃない?」

「問題ないよ。それに提督が近くにいた方が艦娘は力を発揮できるんだろう? 勝率を下げるような真似はしたくない。今回も同行させてもらう」

 

 奇襲を仕掛けるならメンバーは厳選した方が良さそうだ。どういう構成にするか決めなければならない。

 一人一人の顔を思い出しながら、叢雲、大淀と戦艦対策についての検討を続けた。

 

 

 

 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 周囲を確認する。ここは執務用の小屋の中だ。叢雲たちとの話し合いが終わって、一息つこうとしたところで意識をなくしたんだったか。

 ひどく頭が痛い。身体も重い。戦艦クラスを倒したら一休みさせてもらおうか。

 そんなことを考えながら身体を起こすと、毛布がかけてあったのに気付いた。

 

「おはようございます、提督。随分お疲れみたいですね」

 

 暗がりから声がした。

 

「……夕張か?」

「ええ。私も少しお休みしてました」

「すまない、起こしてしまったかな」

「いえ、大丈夫ですよ。……叢雲ちゃんから聞きましたけど、本当に行くんですか?」

「ああ。今度は――今度もかな。とにかく、次の戦いは失敗が許されない。そのくせリスクは高い。だから勝率を上げるためにできることは全部やっておきたいんだ」

「……この島の状況、どんどん悪くなってますもんね。亡くなった方も何人かいるそうです」

 

 月明りで、夕張の痛ましげな表情が見えた。

 

「けど、提督もあまり無理はしないでくださいね。貴方に何かあったら……それこそすべてが終わってしまうんですから」

「分かってる。無茶はしないさ」

 

 とは言ったが、多少の無理はせざるを得ない。今はそういう状況だ。

 

「……提督は、なんでこの島の人たちのためにそこまで頑張るんですか?」

「どうしたんだ、急に」

「いえ。提督はこの島の人じゃないし、恩があるからと言ってそこまで無理をするものなのかな――と」

「うーん……だって、無理をするしかないじゃないか。私たち以外に現状をどうにかできる人がいないんだから」

「そういうものなんですかね?」

「そういうものだと思うよ。少なくとも私は、自分以外にやる人がいないなら自分がやるしかない、と思うのは普通のことだと考えているけど」

 

 そうしないと――世の中上手く回らないではないか。

 夕張は肩をすくめてみせた。

 

「それって、貧乏くじ引く生き方だと思いますよ。……でも、そういう提督だからこそいい艦隊を作れそうだなって気もします」

「ありがとう。素直に受け取っておくよ。……今日はもう遅い。明日は作戦決行だ。夕張も早く休むといい」

「そうですね。それじゃ提督、おやすみなさい」

 

 夕張は艦娘たちが寝泊まりしている小屋の方に向かって去っていった。

 

「貧乏くじ引く生き方か……」

 

 まあ、その通りかもしれない。だがそれで何もせず事態が悪化するようなら、貧乏くじ引いてでも改善した方が良いではないか。

 今回もそうだ。この場で深海棲艦と戦えるのは彼女たちと自分だけだ。なら、やるしかない。

 上手くいく。そう信じて挑むしかない。

 

 

 

 翌日、執務用の小屋に現在この艦隊に属している艦娘が勢揃いした。

 戦艦クラスの敵を発見したこと、この敵を倒さなければシーレーンの確保が難しいことを簡単に説明する。

 

「今回は正面からぶつかり合うのはなしだ。夜襲を仕掛ける。敵に気づかれないよう接近して魚雷を叩きこむ。奇襲を仕掛ける形になるから人数は六名に抑える。基礎訓練が出来ていることも必須条件だ。……以上の点を考慮してメンバーを選んだ。大淀」

 

 はい、と応えた大淀がメンバーの名前を読み上げる。

 

「旗艦は夕張。その他は叢雲、電、響、如月、五月雨。以上が奇襲部隊になります」

「この他に奇襲部隊のフォローを行う支援部隊にも参加してもらう。支援部隊は私と共に指揮用の船に乗って、事前の索敵等で働いてもらうことになる。こちらは那珂を旗艦とし、曙、漣、白雪の四名体制とする」

 

 本当は軽巡洋艦である天龍・龍田・木曾も組み込みたいところだったが、三人は昨日着任したばかりで基礎訓練ができていない。今回のようなリスクの高い作戦に参加させるのは良くないと判断した。

 夕張と叢雲以外の奇襲部隊のメンバーはホニアラ市から戻ってすぐに契約したから、天龍たちよりも幾分かは訓練ができている。曙たちを出そうかとも思ったが、前線よりも後詰の方に経験者を配置した方が手堅い備えになるということで、この形に落ち着いた。

 

「天龍たちは留守を頼む。留守といってもやることは山積みだ。ここはまだまだ何もかもが足りていない。その不足分を皆が埋めてくれることを期待しているよ」

「……前線に出せって言いたいところだけど、そんな死にそうな顔じゃ文句は言えないな。分かった、留守は任せておきな」

 

 そんなに顔色が悪いのだろうか。確かに気分は相変わらず優れないが――。

 

「今回の作戦が成功すれば近隣諸国からの輸送も現実的なものになる。海上の輸送路を確保できればこの苦しい状況も変えられるはずだ。皆、頑張ろう」

「応ッ!」

 

 景気のいい声が室内に響き渡る。

 今回も上手くいって欲しい。そう切に願うばかりだった。

 

 

 

 ホニアラでソロモン政府から譲り受けた指揮官用の船に乗り込み、曙たちが戦艦クラスの敵を見つけたポイントに移動を開始する。船の周りには那珂たち後詰部隊が展開していた。敵艦隊が見えるまで奇襲部隊は休ませることにしている。

 

「如月、少しいいかな」

「あら司令官。どうしたの?」

 

 如月は風に当たっているようだった。特に緊張している様子は見受けられない。

 

「その様子なら大丈夫そうだな」

「もしかして緊張してないか様子を見に来てくれたの? だったら大丈夫よ。相手を甘く見ているつもりはないけど、必要以上に緊張しても良い結果は出せないもの」

「そう思っていても緊張してしまうものだろう。私も実のところ戦艦クラスの深海棲艦ははじめて見る。不安で身体が震えるのが正直なところだ」

「司令官の場合体調のせいもあると思うけど」

 

 こちらの額に手を当ててくる。如月の手はとても冷たかった。

 

「……凄い熱よ。周囲への気遣いはいいけど、少し休んだ方がいいんじゃない?」

「この一件が片付いたら休ませてもらうよ。残念だけど今は休んでいる余裕がない」

「司令官、焦る気持ちは分かるけどあまり急ぎ過ぎるのも良くないわよ」

「ああ、ありがとう」

 

 分かっている。確かに今、自分は少し焦っている。

 ナギ・ナミがやつれていく姿を見ていると、早く解決しなければという衝動に駆られる。飢えで苦しむ人々の姿というのは、身近で見てみると想像以上に辛かった。

 ソロモン諸島の状況は日本政府も知っているはずだから、待っていればそのうち自分などより優秀な提督が派遣されてきてパパッと事態を解決してくれるかもしれない。だが、それまでに何人が飢えで死ぬのか。

 

「……すまないな、如月たちもまだ着任してから日が浅いのに、過酷なことを頼んでしまった」

「それは構わないわ。私たちは戦うために生まれ、死んで、そして再び戦うために戻って来たんだもの」

 

 こうして話してみて、時々疑問に思うことがある。

 艦娘たちは何のために戦っているのか。

 自分と同じように現状をどうにかしたいと思っているからか。それとも提督の指示に従って戦わねばという義務感からか。

 分かったようでいて、未だ全然分からないことだらけだ。ただ、それでも信頼できる相手であることに違いはない。

 

「司令官、大丈夫?」

「あ、ああ。すまないが、少し休みを取らせてもらうよ」

「そうした方がいいわね。おやすみなさい、司令官」

「ああ、おやすみ」

 

 如月に別れを告げて船内へと戻る。

 ときどき吐き気がする。生まれてこの方乗り物酔いはしたことがないから、おそらく体調によるものだろう。

 戦闘になったときに寝込んでいるような無様だけは晒さないようにしたいところだった。

 

 

 

 叢雲が船室に飛び込んできたのは日が沈みかけた時間だった。

 

「深海棲艦が出たわ」

「戦艦クラスが来たのか?」

「いえ、軽巡クラスを旗艦とする水雷戦隊編成よ。今那珂たちが迎撃してる」

「分かった、私も行こう」

 

 まだ調子は戻っていなかったが、皆が命を賭けて戦っているのに一人休んでいることはできない。

 甲板に出たときには、既に戦闘は半ば終わっていた。

 敵は軽巡洋艦と駆逐艦が一体ずつ残っているだけ。それに対しこちらは全員少し手傷を負っているだけだ。

 

「一斉砲撃、いっくよー!」

 

 那珂の号令に合わせて曙たちが敵めがけて主砲を構える。

 

「てーっ!」

 

 主砲が轟音と共に放たれ、敵に直撃する。

 やった……と誰もが思った瞬間、異変は起きた。

 那珂がいたポイントで爆発が生じたのだ。

 

「魚雷!」

 

 白雪が爆破の原因を特定し、那珂の元に駆け付ける。曙と漣は残敵がいないか警戒を強めていた。

 幸い那珂は無事だった。ただ艤装が大きく損傷している。

 

「……ごめん、提督。那珂ちゃん、これじゃちょっと戦えないかも……」

 

 甲板に上がってきた那珂は申し訳なさそうに詫びた。

 

「分かった、那珂は船に戻ってくれ。悪いが夕張、代わりを頼めるか」

「はい、お任せください!」

 

 艤装を展開して夕張が海上に降りる。他に指揮を執れる艦がいないので、このまま出ずっぱりということになる。

 

「……じき日が沈む。戦艦クラスを発見したというポイントも近い。ここからは索敵重視で動いていこう」

「私も偵察機使えたら良かったんですけどね。まあ自力でも探し出してみるけど!」

 

 夕張が腕をまくってみせた。任せろと言いたいらしい。

 

「司令官さん。引き返した方がいいということはないのですか……?」

 

 そのとき、電が控えめな声で意見具申をした。大人しめの子だからこういうとき意見が出てくるとは思わなかった。もしかすると芯の部分は強い子なのかもしれない。

 

「確かに電の言うことも一理あるわね。やる気になってる夕張には悪いけど、やっぱり先制攻撃を仕掛けるなら偵察機がないと厳しくなるわ。元々那珂たちは敵を発見するところまでやって、そこから私たちが出る予定だったんだし」

 

 電の意見に叢雲も頷く。

 確かに二人の意見ももっともだ。余裕があれば出直したい。

 一旦引くか。それとも勝負に打って出るか。全員の視線がこちらに向けられる。

 

「…………警戒を厳にして索敵を続けよう。残念だがショートランドはもう余裕がない。できるなら、今回で決着をつけたいんだ」

 

 口にしてから、これで本当に良かったのかという迷いが去来する。

 だが、他の皆はこちらの意見に対して異を唱えなかった。島の状況は皆も把握している。最善手ではないがやるしかない、という認識を持っているのだろう。

 

「電」

「は、はい」

「今みたいな意見具申はこれからもして欲しい。今回は案を容れられないが、意見をもらえたこと自体は嬉しく思っているよ」

「――はいなのです!」

 

 電が敬礼をする。その表情には微かな喜びの色が見えたような気がした。

 重要な戦いの前に意気消沈しないか心配だったが、この分だと大丈夫そうだ。

 

「……どこにいる、戦艦」

 

 日が沈む。海が深い闇へと染まっていく。

 まるで、地獄への入り口のようだ。

 

 

 

 

「――今、何か動かなかった?」

 

 那珂を船室で休ませてからどれくらい経過しただろう。

 すっかり日は落ちて、海を照らすのは頼りなさげな月だけだ。

 そんな中、夕張が何かを見つけたらしい。

 夕張が指し示す方に視線を向ける。確かにそちらで何か動いているのが見えた。

 

「……人のようにも見えるが、こんな夜間に海の上を歩く人間はいないよな。艦娘という線は?」

「いえ、あれは……多分深海棲艦です。ここからだと感知しにくいですが、深海棲艦の気配が僅かにあります」

「人型の深海棲艦は基本的に大物と見ていいわ」

 

 隣に来た叢雲が補足する。既に艤装を展開していた。いつでも海に出られる状態だ。

 今まで見てきた深海棲艦は人とは言い難い姿形をしていたが、戦艦ともなると少し話が違ってくるらしい。

 

「よし、ではあちらにいる深海戦艦を目標とする。夕張、やれるか」

「任せてください、提督。島の皆を助けるためにも頑張りますよ!」

 

 重たそうな艤装を展開させて張り切りながら夕張が拳を突き出してきた。

 距離があるのでぶつけることはできないが、こちらもそれに合わせて拳を突き出す。

 その間に如月、電、響、五月雨がやって来た。出撃準備はこれで完了だ。

 

「夜間の奇襲による超短期決戦だ。長期戦はするな、無理そうならすぐに引き上げろ」

 

 作戦の趣旨を徹底させる。皆、神妙な面持ちで頷いた。

 

「よし、それでは――」

 

 作戦開始だ――そう言おうとしたとき、異変は起きた。

 轟音と共に、船が大きく揺れたのだ。見ると、すぐ側で大きな飛沫が上がっている。

 

「砲撃よ!」

 

 叢雲が叫びながら海に飛び込んだ。如月たちもその後に続く。

 

「まずい、向こうもこっちに気づいてたんだ……! 先制攻撃を仕掛けるつもりが、やられた!」

 

 夕張の状況説明で、フリーズしかかっていた脳が再活動を始める。

 

「て、撤退だ! 真正面からじゃ勝ち目はない!」

「逆です!」

 

 夕張が血相を変えて叫んだ。

 

「すぐにあいつを倒さないと逃げ切れません。奇襲は失敗しましたけど、戦艦の砲撃だって夜間じゃ簡単には当たらないです! 命令してください、行けと!」

「っ……」

 

 そんなことを――急に言われても。

 即断即決は、苦手なのに。

 もう一度大きな音が響き渡り、誰かの悲鳴が聞こえた。暗いせいで状況が正確に把握できない。

 

「どうした、大丈夫か!」

「だ、大丈夫です……」

 

 夕張が返答した。暗闇でよく見えないが、ダメージを負ったのかもしれない。

 

「それより提督、早く! 迷えばその分、不利に……な、なりますっ」

「だ、だけどな……」

「あいつを倒して皆を助けるんでしょう!?」

 

 夕張の檄に返す言葉がなくなった。

 引くことができないなら、迷わず突き進むしかない。本当にそうなのかという疑念が背中にへばりついたままだったが――。

 

「分かった、夕張隊は直ちに敵艦隊を撃破しろ! 曙たちはこの船の守備を!」

「了解!」

 

 頼もしい声が漆黒の海に響き渡った。

 

 

 

 嫌な感覚が胸の奥に詰まっている。

 夜ということもあって敵艦の姿が正確に見えない。加えて先手を取られたことでこちらには動揺が走っている。

 

「みんな、行くよ……!」

 

 夕張の声に従って進んでいく。

 しかし、奇襲に失敗したこの状況で、どうやって戦艦を倒せばいいのか。

 

「至近距離からの雷撃しかない」

 

 こちらの考えを読んだのかのように夕張が言った。

 

「けど、どうやってそこまで近づく?」

 

 再び近くで着弾する音が聞こえた。敵の攻撃精度は少しずつ上がってきている。それだけ近づいてきているということだ。

 

「敵は戦艦クラス一体だけじゃないわよ。さっきちらっと見た感じだと随伴艦も何体かいる」

「私が囮になって敵を引き寄せる。そこをみんなの雷撃で一気に仕留めて」

 

 迷いのない指示だった。

 

「雷撃だったら夕張もできるじゃない。それにあんたさっき砲撃喰らってたでしょ。囮は私に任せなさい」

 

 ダメージを負った状態で戦艦の一撃をもらえば無事では済まない。そんな危険なことをさせるわけにはいかなかった。

 

「……砲撃喰らったおかげで実は魚雷発射管がやられちゃったのよね。主砲はあんまり強力なものじゃないし。だから今の私は囮くらいしかできることがないの」

 

 悔しそうな声だった。その言葉に嘘偽りはないのだろう。

 

「言っておくけど、下がるつもりはないわよ。駆逐艦五人だけで倒せる相手だなんて思わない方がいいわ」

「別に相手を甘く見ているつもりはないけど……」

「なら――あとはお願いね」

 

 夕張の主機が悲鳴のような音をあげる。我はここにあり、と言わんばかりだ。

 敵の砲撃が激しさを増した。最初はすぐ近くに水柱が立った。しかしそれもやがて離れていく。囮となった夕張を負っていたのだ。

 

「叢雲ちゃん……」

 

 五月雨が不安そうにこちらの腕を掴んできた。

 

「分かってる。追うわよ、絶対に失敗できないんだから」

 

 さすがに夜の暗さにも慣れてきた。敵の姿も大分はっきりと見えるようになってきている。

 戦艦クラスの人型が一体。他は軽巡クラスや駆逐クラスだ。

 

「響、どう思う?」

「魚雷は全部戦艦に使おう。他は至近距離からの主砲で片付ける」

「完全に懐に飛び込むわけね。リスキーだけど今はそれが最善か」

 

 他の皆からの意見はなかった。響の案でいくことにする。

 夕張を追ううちに固まり始めた深海棲艦たちに迫る。肉薄する。

 早く仕留めなければという焦りと、確実に仕留めるために慎重になれという理性がぶつかり合う。

 怖い。仕留めきれなかったらどうなる。そのことを考えると、どうしようもない恐怖がわき上がってくる。

 それをなけなしの理性で押さえつけた。

 最初に私たちの接近に気づいたのは、他の誰でもなく――標的の戦艦だった。

 思わぬ方向からの敵襲にかすかな驚愕の色が見える。巨大な砲身がこちらに向けられた。

 

 ……撃つ!?

 

 一瞬の迷いの後に、妙な空白感があった。撃つならこのタイミングだと直感が告げているような気がした。

 

「――沈みなさい!」

 

 艤装から魚雷を射出する。敵はすぐそこで――直撃するのもすぐだった。

 鼓膜を震わせる大きな音が夜の海に広がる。

 理性で動くことができたのは、そこまでだった。

 

 

 

 静かになった。

 夜の海を騒がせていた轟音が聞こえなくなった。

 

「……どうなったのかしら」

 

 曙の不安そうな声だけが聞こえる。

 こちらとしては待つしかない。

 どれくらいの間そうしていただろう。

 かすかな駆動音が近づいてくる。やがて、叢雲たちの姿が見えてきた。

 全員一目で満身創痍と分かる状態だった。かなり激しい戦いだったのだろう。

 

「――お疲れ様。早く船に上がって休むといい」

 

 そう声をかけたが、叢雲たちは誰一人として上がってこなかった。

 皆、うつむいている。

 

「……」

 

 そのときになって、ようやく異変に気付いた。

 一人いない。

 戻って来たのは、五人だけだった。

 

「……夕張は?」

 

 声がかすれた。

 叢雲はいる。如月もいる。電も五月雨も響もいる。

 夕張が――いない。

 

「夕張は、どうした?」

 

 重ねて尋ねると、如月がこちらに向けて何かを掲げた。

 夕張がしていた緑のリボンだった。

 

「……夕張さんは、もう戻ってきません」

「なぜだ」

「沈んだからです。敵と戦って……最後まで戦い抜いて、私たちの目の前で沈んでいったからです」

 

 沈んだ。夕張は、もう戻ってこない。

 これが深海棲艦との戦争だというなら――そうなることもありえるのか。

 

『提督はいい提督になりますよ。そして、この艦隊もきっといい艦隊になります』

 

 そう言っていた彼女は、もういないのか。

 

『それって、貧乏くじ引く生き方だと思いますよ』

 

 そんなことを言っていたくせに、自分の方が貧乏くじを引いているではないか。

 

『……でも、そういう提督だからこそいい艦隊を作れそうだなって気もします』

 

 そう思うなら、最後まで見届けるのが筋だろう。

 いろいろな思いが胸の内にわき上がっては消えていく。

 これは――駄目だ。

 

「……分かった。今は皆休んでくれ。作戦は終わりだ。帰投する」

 

 短くそう告げて、皆から視線を外した。

 今は上手く向き合えそうにない。

 あれほど渇望していた勝利を得たというのに、この感覚はなんだ。

 よく、分からなくなった。

 

 

 

 それから程なく、近隣諸国とソロモン諸島を繋ぐシーレーンは復旧した。

 ソロモン政府からの要請によりオーストラリアやパプアニューギニア、そして日本から支援物資が届き――ようやくショートランド島を含むソロモン諸島の食糧難は解決の兆しを見せつつあった。

 ナギやナミをはじめとする島の人々も少しずつ調子を戻しつつあるようだった。ずっと臥せっていた二人の母親も、最近は起き上がって仕事を再開し始めたという。

 島の人々からは会うたびに御礼を言われる。ホニアラからも一度お偉方が来て感謝状を置いていった。

 助けられたのだ。自分を助けてくれたこの島の人々を。

 為すべきことを為し遂げたのだ。

 それでも――本当にこれで良かったのかという思いは、まったく晴れなかった。



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第四条「過ちをなかったことにしてはいけない」

 戦艦との戦闘で負った傷が癒えてから数日。

 この拠点では、以前と変わらない日常が流れていた。少なくとも――表面上は。

 新八郎は淡々とやるべきことをこなしている様子だった。ソロモン政府への応対、シーレーン維持のための体制立案等、やることは山積みのようだった。

 艦娘たちは戦力増強に努めていた。明石は日本政府から派遣された協力者と共に工廠の拡張に勤しんでいる。間宮も小さな食堂を建ててもらってからはそちらで食品管理の体制作りに勤しんでいるようだった。

 特殊な力を持たない艦娘たちは、島の近海で訓練をしたり哨戒任務をしたりしている。

 少々拠点がグレードアップしたことを除けば、やっていることは今までと同じだ。

 一点違うことがあるとすれば――新八郎と艦娘たちの距離感が変わったということだろう。

 あの出来事があってから、艦娘側には新八郎へ不信感を抱く者が増えた。

 一人の仲間が沈んだ。

 あの作戦は新八郎の焦りが見え隠れしていた。彼女が沈んだのはその焦りによるものではないのか。そもそも新八郎は元々民間の出で、軍人ではない。人を指揮するような立場になったこともなかったらしい。そんな人間を提督として認めて問題ないのか――そんな疑念を抱く者がいた。

 一方、あの出来事の後もすました顔で日々の業務をこなしている新八郎の情に不安を抱く者もいた。表面上は優しそうに見えるが、本当は仲間の死にも心を動かさない冷血漢なのではないか、と。

 そういう艦娘側の心情の変化を察しているのかいないのか、新八郎はひたすら自分の仕事をこなし続けていた。

 

「……このままじゃこの拠点は駄目になるかもしれないわね」

 

 訓練の後、曙と並びながら呟く。

 

「なんでそれをあたしに言うのよ」

「曙はあいつのことまだ信じてそうだと思ったから」

「……そういう叢雲はどうなのよ」

「正直、よく分からない。あいつのこと分かってたつもりでいたけど、全然分かってないんじゃないかって思うようになったわ」

「最古参のあんたがそうなら、あたしにだってよく分からないわよ」

 

 曙が深くため息をついた。

 

「叢雲、一度あいつにぶつかってきてよ」

「ぶつかるって……文句言いに行けってこと? 現状ちゃんと理解してるのかって」

「まあ、そういう方法でもいいけど」

 

 曙の言葉はなんだか力がなかった。彼女もまだ先日の出来事を引きずっているのかもしれない。

 私たち艦娘は実際の艦艇だった頃に沈められた者が多い。だから戦って沈むということへの覚悟はあった。そのつもりだった。

 しかし、実際に仲間が沈んでいくのを見るとその覚悟にひびが入ってしまう。

 陸に上がって艦娘用の小屋に向かう。小屋の前では響と五月雨が立ち話をしていた。

 

「どう? 二人の様子は」

 

 声をかけると、二人は困ったような表情を浮かべた。

 あの出来事以来、如月と電はふさぎ込むようになった。

 電は彼女を助けられなかったことに対する強い後悔が、如月はその前後の新八郎の振る舞いに対する不信感が原因のようだった。

 響と五月雨もあの場にいたからショックを受けはしただろうが、如月たちほど表には出ていなかった。

 

「相変わらずだよ。訓練にも身が入ってない。……私も人のことは言えないけどね」

「さっき司令官が一度顔を見せに来たの」

 

 五月雨が意外なことを言った。新八郎の方からこの小屋に来るのは珍しい。

 

「やっぱり如月と電のことが気になってたみたい。けど、二人ともほとんど話ができなかったみたいで……」

「すぐに引き上げていったよ。けど……司令官、なんだか本当にいつも通りだった」

 

 響が肩をすくめる。

 

「あんまり考えたくないけど、あの作戦のことを本当に気にしてないんじゃないかって気もしてくる。信じたいけどどこから信じていけばいいのか分からない」

「こうして二人の様子を見に来てくれたから、きっと思うところはあると思う……けど」

 

 五月雨が擁護する。しかしその言葉にも力がない。

 信じるに足る根拠が見えないのだ。

 考えてみれば、自分たちと新八郎はまだ一月にも満たない付き合いなのだ。彼のことをどこまで信じていいか迷ってしまうのも当然だろう。

 

 ……やっぱりこのままじゃ駄目ね。

 

 一度しっかりと話しておく必要がありそうだった。

 

 

 

 昼間は忙しそうだから夕方になってから執務室に行こう。

 そう思っていたのだが、疲れのせいかいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 壁にかけられた時計は二十時を指し示していた。

 

「……まだ仕事してるのかしら、あいつ」

 

 艦娘用の小屋から出て執務室のある小屋を目指す。

 灯りはない。扉を何度かノックしても反応はなかった。

 鍵なんて上等なものはないので、そのままそっと開けてみた。

 

「いない……」

 

 寝てるのかと思ったが、姿が見えない。

 こんな時間にどこへ行っているのだろう。

 艦娘は、深海棲艦の気配を感知できるのと同程度に提督の気配も感知できる。

 おぼろげながら気配は感じられるので、そう遠くには行っていないはずだが。

 仕方ないので周囲を散策してみる。

 艦娘用の小屋、できたての食堂、工事中の工廠――。

 少しずつ発展の兆しを見せつつある拠点の中に、新八郎の姿はなかった。

 

 ……ナギたちの村にでも行ったのかしら。こんな遅くに?

 

 そんなことを考えつつ周囲に視線を走らせていると、少し離れたところにある岬で何かが動くのが見えた。

 もしやと思いそちらに足を運ぶ。近づくにつれて動いた何かの姿が見えてきた。

 新八郎だ。

 何か大きなものを岬の先端に運んでいる。

 それは――石のようだった。

 相当な大きさで、新八郎は何度も足を止めながら少しずつそれを運んでいた。

 やがて岬の先にそれを置くと、そのまま座り込んで動かなくなってしまう。

 五分。

 十分。

 三十分。

 いつまで経っても動く気配がない。まるで事切れてしまったかのようだ。

 

「……あんた、こんなところで何してるのよ」

 

 意を決して声をかける。

 新八郎は動かなかった。ぴくりとも反応しない。

 

「聞いてる?」

「――ああ、叢雲か」

 

 ひどくしわがれた声だ。

 日中の『普段通り』の声とはまるで違う。この世に未練を残して化けて出た幽鬼が発しそうな声だった。

 

「すまない……聞こえてなかった。どうかしたのか?」

「どうかした、っていうか……」

 

 言葉に詰まる。何をどう言えばいいのか分からなくなってしまった。

 だって――分かってしまったのだ。

 新八郎の前にある石は墓石だ。彼女の墓石だ。

 それを前にしてじっとしている新八郎の後ろ姿は――とても悲しげに映る。

 彼も、傷ついているのだ。

 

「……それ、夕張の?」

「ああ。如月から預かったリボンをな。それくらいしか、残らなかったから」

 

 夕張の最期は壮絶なものだった。艤装は原型をとどめておらず、それでもなお敵を引き付けんと足掻きに足掻き続けた。

 彼女の奮闘がなければ、自分たちもやられていただろう。

 

「叢雲。沈んだ艦娘はどうなるんだ?」

 

 どういう意図の問いかけなのかは分からなかった。だからストレートに答える。

 

「定められた手続き通りに艤装を解体した場合、艦娘は艦艇の御魂の元に還るかそのまま受肉して普通の人間として生きるかを選ぶことができる。けど、戦いで艤装が損壊して沈んだ場合は違う。その魂はどこにも還らず消えていく」

 

 中には深海に引きずり込まれて深海棲艦になるなんて説もあるが、今はそんな不確かなことは言わない方が良さそうだった。

 

「どこにも還らず消えていく、か」

 

 こちらの言ったことを反芻して、新八郎はまた動かなくなってしまった。

 

「……あんた、大丈夫? もう戻った方がいいんじゃない?」

「もう少しだけ、ここにいさせてくれないか」

「朝までそうしているつもりじゃないでしょうね」

「――」

 

 何か言い返してくるかと思ったが、予想に反して言葉は返ってこなかった。

 その代わり、新八郎の状態がぐらりと揺れて、横向きに倒れた。

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

 慌てて駆け寄り、倒れた新八郎を抱え起こす。

 新八郎の身体は怖いくらいに熱かった。少し触っただけで異常と分かるくらいの高熱だ。

 

「あんた、こんな状態でずっと働いてたってわけ……!?」

 

 思い返せば、あの作戦のときも新八郎は調子を崩していた。あれからずっとこんな状態で働いていたのか。

 

「この大噓つき……!」

 

 新八郎を背負いながら叢雲は毒づいた。

 なんであんな平気そうな顔をしたんだ。いろいろな意味で平気ではなかったくせに。

 なんでこうなるまで気づけなかったんだ。こんなに酷い状態だったのに。

 こちらの不平にも新八郎は答えない。全身の力が抜け落ちているようだった。

 

「アンタまでいなくなるとか、絶対許さないわよ。気をしっかり持ちなさい!」

 

 聞こえていないと分かりつつ、声をかけ続ける。

 その日の夜は、眠ることができなかった。

 

 

 

 島の医者に診てもらってから数日。

 新八郎の容体は少しずつ回復しつつあった。

 診断結果は過労である。命を落とす一歩手前だと言われるような有様だった。

 おかげで、新八郎がこなしていた仕事は私と大淀が担当せざるを得なくなった。

 

「あいつが目を覚ましたら私たちは恨み言を言っても許されると思うのよ」

 

 そう言うと大淀は困ったような表情で笑みを浮かべた。

 

「正直、私は少しホッとしました。提督があまりにも動じてなくてどうしようかと思いましたが――いえ、決して提督が倒れたことを良いと思っているわけではないのだけど」

 

 大淀の言わんとしていることもなんとなく分かる。

 新八郎は頼りなくて情けない――けど信用はできる人だった。

 それがあの出来事以降、一切の動揺を見せず淡々と仕事をこなすようになって、まるで別人のようになってしまった。そのことで不安を抱いていた者は、大淀以外にもいただろう。

 

「多分、あいつは自分が動揺したら駄目なんだと思ってたんでしょうね。そうでもなければあの振る舞いに理由がつかないもの。本当馬鹿なんだから」

「でも、提督なりにいろいろと考えられていたんだと思いますよ。あまり責めては可哀想です」

「弱りきってる本人相手には言わないわよ。しっかり回復したらガツンと言ってやりたいけど」

「またそんなことを言って」

 

 そんな調子で仕事をしていると、扉を叩く音がした。

 入ってきたのは木曾たちだ。

 

「おかえり。哨戒任務お疲れ様」

「ああ。そのことなんだが……少し気になるものを見てな」

「気になるもの?」

「深海棲艦の艦載機らしきものだ」

「……詳しく聞かせて」

 

 木曾の報告だと、水雷戦隊での哨戒任務中、遠方に艦載機の集団が飛んでいるのを見たというのだ。

 幸い先日の戦闘で切り開いた輸送路からは少し離れた位置だが、これは放置しておけない問題だ。

 

「近くに空母クラスがいるってことよね」

「そうなる。うちは先日着任したばかりの千歳を除いて空母がいない。水上機母艦である千歳だけじゃ相手するのは難しいだろう」

「それ以前に千歳はまだ基礎訓練が終わってないわ。戦場に出すにはあと数日訓練を受けないと駄目。……それでも空母の相手は厳しいわね」

 

 戦艦も強敵ではあるのだが、水上戦力という点では駆逐艦や軽巡洋艦と同質だ。魚雷を上手く当てれば勝てる見込みはある。

 しかし空母はまったく違う性質の戦力である。空からの波状攻撃は、戦艦の強烈な主砲よりも恐ろしい。こちらも航空戦力を揃えないと厳しい戦いになる。

 

「とは言え提督がこの調子だからな……航空戦力の増強はすぐには難しいか」

 

 艤装を建造するだけなら明石の力でどうにかなるが、その艤装に分霊を降ろして受肉・契約を行うためには提督の力がいる。結構な体力を消耗するので、今の新八郎にさせることはできない。

 

「……確か予報ではもうすぐ天候が荒れるって話だったわよね」

「ああ。それに乗じて討つか?」

「それくらいしかできないでしょ。放置してたらこの拠点が直接狙われるかもしれないし、早々に叩いておかないと」

 

 雨天なら敵空母の艦載機も発艦しにくくなるだろうし、発艦したとしても視界不良で攻撃が当たりにくくなる。

 こちらも相応の問題を抱えることになるが、現有戦力で空母の相手をするならこれが一番ましな手だ。

 

「叢雲さん、本当に行かれるのですか」

 

 大淀が心配そうな眼差しを向けてきた。

 

「……大丈夫よ。きちんと帰ってくるわ」

 

 半ば強がりだが――それぐらいのことしか言えなかった。

 

 

 

 誰かが呼ぶ声が聞こえた。

 何と言っていたのかはよく分からなかったが、呼びかけてくる声の主が自分を必要としているのは分かった。

 必要とされているなら行こう。だが、どこへ行けばいい?

 行き先が分からず立ち尽くす。どこかへ行かねばという焦りが胸の内を焦がしていく。

 そこで目が覚めた。

 記憶がはっきりしない。

 見えるのは小屋の天井。聞こえてくるのは大淀の声だった。

 

「――叢雲さん、聞こえますか。返事を――」

 

 大淀の声からは切迫した様子が感じ取れた。

 しばらく大淀は呼びかけ続けていたが、やがてため息をつきながら先日手に入れたばかりの通信機を置いた。

 

「どうかしたのか」

 

 声をかけると、大淀はびっくりしたような表情でこちらを見た。

 

「て、提督。目が覚めたのですか」

「ああ。今の通信は?」

 

 話を逸らされそうな予感がしたので先手を打つ。今の様子はただ事ではない。

 大淀は若干ためらいながらも状況を説明してくれた。

 空母クラスの深海棲艦が出現したということ。それを倒すため叢雲や木曾たちが出撃したこと。

 そして、叢雲たちからの定期連絡が途絶えたこと。

 

「……最後に定期連絡があったのは?」

「三十分前です」

「叢雲たちが向かったのはどのポイントだ?」

「それは……」

「教えろ。私も行く」

 

 まだ身体は重かったがどうにか起きて、地図を広げる。聞くまでもなかった。その地図にメモがされている。

 すぐに出ようとしたが、大淀はこちらの腕を掴んで止めてきた。

 

「駄目です。提督はまだ病み上がりですし安静にしてないと。それに空母が相手では、提督が直接狙われる危険性がこれまで以上に高くなります。航空戦力に乏しい現状、提督自身が行かれるのは自殺行為でしかありません!」

「……確かに大淀の言うことには一理ある。だが今天候は大荒れだ。敵の攻撃が当たる可能性だって低くなってるだろう。叢雲たちが全力で戦えるよう近くまで行かないと――」

 

 艦娘は契約した提督が近くにいないと全力で戦えない。今頃叢雲たちは、全力も出せずに難敵に挑んでいるということになる。

 小屋の外に出る。既に大雨だ。目を開いているのも辛い有り様である。

 どうにか泊めていた指揮官用の船に乗り込もうとしたところで、大淀が再び止めてきた。

 

「やはり駄目です。今のままじゃ死にに行くようなものですよ、提督!」

「死にたくはないな。……けど、誰かが死ぬのはもっと嫌だ」

 

 頭を振る。どうしても脳裏に彼女のことが浮かんでしまう。こうして浮かび上がる人を、もう増やしたくなかった。

 船に乗り込んで出発しようとしたとき、肩を力強く掴まれた。

 天龍だった。後ろには龍田や他のメンバーの姿もある。

 

「なにしてんだよ提督」

「天龍……」

「一人で突っ込むつもりだったのか? もう少し冷静になれよ。あんた一人で行ったらすぐやられて終わりだぞ」

 

 それは当たり前のことだった。護衛もなしに一人で行けばいい的だろう。

 そんな当たり前のことすら、考えられなくなっていた。

 

「……すまない」

 

 頭を下げる。

 

「それで行くのか? 行かないのか?」

「行きたい……と考えている」

「それは、なんでかしら」

 

 龍田の問いかけに反射的に答えかけて――少し堪えた。

 冷静になれよと言われたばかりだ。

 ただ、冷静になって考えてみても、よく分からなかった。

 出会って一ヵ月も経っていない相手のために、なぜそこまでしようとするのか。

 

「……正直、自分でもよく分からない。ただ、もう後悔はしたくないんだ。ここで行かないと――どんな結果であれ俺は後悔する」

「そう」

 

 龍田は頷いた。

 

「あなたは後悔したのね」

「……私も、その気持ちは分かるのです」

 

 おずおずと進み出てきたのは電だった。まともに顔を見るのはあの作戦以来かもしれない。

 

「だから、司令官さん。電も連れていって欲しいのです。もう仲間を守れないままでいるのは嫌なのです」

 

 電の眼差しには強い決意の色が見えた。

 彼女も、あの作戦を後悔しているのだろう。

 

「私も行くわ」

 

 如月が進み出てきた。

 

「正直、まだ司令官のことをどこまで信じていいか分からない。だから一緒に行って確かめたいの。これから一緒に歩いていける人なのかどうかを」

 

 電と如月の願いを退けるのは難しそうだった。危ないから駄目だとは口が裂けても言えない。危険だと分かっていて行こうとしているのは他の誰でもない自分なのだから。

 

「ったく、世話の焼ける奴らだな。なあ龍田」

「そうねえ。でも仕方ないから私たちも行きましょうか」

「……え?」

「何を呆けた顔してんだよ提督。空母相手にするのに提督と駆逐二人だけで送り出せるわけないだろ」

 

 天龍が如月と電の肩をがっしりと掴んだ。

 一方、龍田はどこから取り出したのかレインコートをこちらにかけてくれた。

 

「駄目ですよ提督。病み上がりなのに豪雨の中そんな恰好じゃ。きちんと雨具を用意してくださいね」

「あ、ああ……。いや、ありがたいが、いいのか?」

 

 これは自分の我儘だ。なるべく人を巻き込みたくないと思っていたのだが――。

 

「いいんだよ。俺も後悔したくないしな」

「私は天龍ちゃんが行くなら御供するだけよ」

「――なら私も連れていってください」

 

 そこで手を挙げたのは千歳だった。

 

「航空戦力としては心許ないかもしれませんが、先行した皆の捜索にはお役に立てると思います」

「オーケー、いいんじゃないか。なあ提督」

 

 確かに千歳の申し出はとてもありがたい。天龍や龍田は偵察機を使えないので、捜索に不安を覚えていたところだ。

 

「……大淀」

「もう止めませんよ。止められなさそうですし」

 

 大淀は怒っているようだった。こちらが我儘を通す形になったのだから当然だろう。

 

「――必ず皆で帰ってきてください。そうしたら許してあげます」

「厳しい条件出されちゃったわね。大丈夫かしら、提督?」

 

 龍田の問いに頷いてみせる。

 

「そのために行くんだ」

 

 嵐の中、船を出す。

 後悔しないために、この荒波を越えていく。

 

 

 

 荒天の影響で大淀との通信が繋がらなくなってからどれくらい経っただろう。

 波も高く、普通に航行しているだけでもかなりの疲労が溜まっていく。

 それは木曾たちも同じのようだった。

 

「早いところ空母を倒して帰りたいもんだな」

「……敵影らしきもの、確認しました!」

 

 先頭の五月雨の報告に、全員が戦闘態勢を整える。

 波の向こうに複数の影が見える。

 

「空母が二体、重巡が二体、軽巡と駆逐が一体ずつってところか……。一体を中心に輪形陣組んでるな。多分真ん中の奴が旗艦だ」

「どうする? まず旗艦から叩く?」

「いや、この状況下なら空母もすぐには艦載機を発艦させられないだろう。先に護衛を蹴散らす。至近距離ならこっちのもんだ」

 

 木曾の指示に全員が頷き、全速力で接近する。相手は輪形陣で四方を警戒している。バレずに近づくのは無理だ。一気に接近するしかない。

 重巡洋艦がこちらに気づいた。こちらに向けて砲撃を放ってくる。後列にいた漣が一撃をもらってしまった。

 安否を気遣っている余裕はない。一気に迫る。

 

「オラアッ!」

 

 木曾が重巡洋艦目掛けてほぼゼロ距離の射撃を放った。頭部に直撃を受けた重巡洋艦はたちまち沈んでいく。

 しかし、その頃には他の敵艦も戦闘態勢を整えていた。

 

「ハッ……俺に勝負を挑む馬鹿はどいつだ?」

 

 木曾はすかさず魚雷発射管からありったけの魚雷を放った。

 こちらも支援のために砲撃を間断なく行う。敵の動きを封じ込めて、魚雷から逃げられないようにする。

 狙い通り軽巡と駆逐が倒れる。残りは重巡一体と空母二体だ。

 ここで、思わぬことが起きた。

 荒れに荒れたこの天候の中で、敵空母が艦載機を発艦させたのだ。

 

「ちっ、飛ばしたか……!」

 

 木曾が舌打ちするのとほぼ同時に、発艦した敵艦載機が上空から爆撃を仕掛けてきた。

 うち一つが響に直撃する。

 

「こいつは、きついな……!」

「無理するな! 下がれ!」

 

 木曾の指示に従って響が後方に退く。

 

「駄目、効かない!」

 

 五月雨が空母目掛けて主砲を撃ち続けるが、決定打は与えられていなかった。

 十分な改修がされていない駆逐艦の主砲では空母にダメージを与えられない。

 敵空母たちはそうしている間にも距離を取り始めた。波が激しいこの状況、距離を開けられてしまえば魚雷の命中率は一気に下がってしまう。

 

「逃がすか……!」

 

 後を追おうとする木曾だったが、その前に残った重巡が立ちはだかる。

 命中精度こそ高くないが、敵艦載機の爆撃も続いていた。

 

 ……この状況はまずい!

 

 身動きが取れない上に有効打が失われつつある。唯一の対抗手段である魚雷も、これ以上距離を離されたら使い物にならない。

 漣と響が倒れ、木曾は動きを止められている。こちらで動けるのは私と五月雨、それに曙だけだ。

 

「木曾!」

「分かってる、行け!」

「五月雨、曙! 突っ込むわよ!」

 

 二人に声をかけ、一か八かの突撃を敢行する。

 そうしようとした矢先、頭上に何かが落ちてくるのが見えた。

 敵の爆撃機が落とした爆弾だ。それがまっすぐ自分のところに落ちてくる。

 

「叢雲――!」

 

 誰かが叫ぶ声が聞こえた。

 恐怖はない。ただ、もし自分が沈んだらあいつはまた墓を作るのだろうかと、そんなことを考えた。

 だが、爆弾はこちらに落ちてくる前に空中で爆散した。

 

「させねえよ!」

「機銃いっぱい持ってきて正解だったわね」

 

 機銃満載の天龍と龍田がそこに立っていた。突如現れた二人に思わず足を止めてしまう。

 

「な、なんで二人が……?」

「お前らを沈めさせたくないって我儘言うやつがいたからな」

「その付き添いよ」

 

 視線を巡らせると、いつの間に来ていたのか、見覚えのある船があった。

 そこに、蒼白い顔をした男が立っている。

 

「……あの馬鹿、なんで来てるのよ」

「ははっ、文句言ってる割には嬉しそうな顔だな」

「んなわけないでしょ」

 

 全力で否定する。来られても迷惑なだけだ。後で絶対説教してやる。

 

「悪い、助かった」

 

 重巡洋艦に足止めをくらっていた木曾も合流した。

 木曾の隣には如月と電の姿がある。二人はこちらを見て頷いてみせた。

 

「それじゃ最後までやっときますか。敵艦載機は俺と龍田で牽制するから、空母はお前らで沈めてこい」

「ああ。頼んだぜ天龍、龍田」

 

 木曾に率いられて、逃走しつつあった空母たちの後を追う。

 今は――もう負ける気がしなかった。

 

 

 

 帰り道は散々だった。

 叢雲をはじめとして皆から説教をくらうはめになったのだ。

 自分のしたことを考えると致し方ないとも思うのだが、もう少しお手柔らかにお願いしたいところである。

 

「半病人相手に厳しくないか……?」

「半病人ならなんでおとなしく寝てないのよ」

「返す言葉もございません」

 

 ショートランドに戻る頃には、正座のし過ぎで足が痺れて立てなくなる有り様だった。

 

「おかえりなさい、提督」

 

 出迎えた大淀の視線もそこはかとなく厳しいものに見える。

 ただ、どんな形だろうと全員無事に帰ってこられた。それだけで十分な戦果だ。

 そこに明石が何かを抱えて駆け寄って来た。

 

「提督、少しお見せしたいものが」

 

 そう言って彼女が取り出したのは、どこかで見覚えのある艤装だった。

 

「……明石。これは」

「ええ。夕張の艤装です。間違いありません」

 

 艤装は狙った通りのものが建造できるわけではない。最終的にどういう艤装が仕上がるのかは作る側でも読めないという厄介な代物である。

 明石も狙って作ったわけではないのだろう。だからこそ、何か運命めいたものを感じる。

 

「夕張の艤装……」

「……提督。酷なことを言うようですがその艤装で新たな契約を結んでも……」

「前の夕張とは違うということか。そうだろうな。以前の夕張は――私のせいで消えてしまったのだから」

 

 だが、それでも。

 

「形は違えど夕張とまた出会えるのは嬉しく思うよ。……今度はもう、沈めさせない。夕張だけじゃない。誰も、沈ませない」

 

 新たな夕張の艤装を前に誓いを立てる。

 

「俺はこれからも戦うよ。もう誰も沈められたりしないような穏やかな海を作るために……微力ながら、力を尽くしていきたい」

 

 あんな悲しい思いをするのはもう嫌だから。

 この子たちには、大切な仲間には元気で生きていて欲しいから。

 甘っちょろいと言われそうだが、今の自分にとってはこれが『戦う理由』だった。

 

「いいんじゃない?」

 

 叢雲がいう。

 

「そうね。私も一緒にやるわ、司令官」

 

 如月が頷く。

 

「電も、できることをしたいのです」

 

 電が同意した。

 先のことは分からない。困難な道のりではあるのだろう。自分はまだまだ提督として頼りないに違いない。

 だが。

 

『提督はいい提督になりますよ。そして、この艦隊もきっといい艦隊になります』

 

 そう言ってくれた子のことを、俺は忘れない。

 その言葉を本当にするためにも戦い続ける。そう――誓った。



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第一章「決戦!鉄底海峡を抜けて!」(第六戦隊編)
第五条「不安なときに相談できる相手を持て」


 哨戒中に奇襲を受けた。

 

「敵艦隊の構成を確認。正規空母が一体、戦艦が一体、重巡が二体、駆逐が二体です!」

 

 偵察機を出していた青葉が報告した。

 

「ここは撤退に専念しマース! 皆さん、ついて来てくださいネー!」

 

 報告を聞くや否や、旗艦の金剛は即座に撤退を決定した。

 こちらには空母がいない。おまけに先ほどまで別の深海棲艦と戦って中破に追い込まれたメンバーもいる。

 

「金剛、殿は私が引き受けるわ」

「いやいや、殿は私が務めるネ。叢雲は先頭で撤退の指揮をお願いしマース!」

 

 反論をする前に金剛は下がって敵艦との撃ち合いを始めてしまった。

 口調のせいで変わり者に見えるが、金剛はあれでいて仲間思いだ。それだけに危険を買って出ようとするところもある。

 

「いくら戦艦だからって一人じゃ危ないでしょうが……! 青葉、あとはお願い!」

「え!? は、はい。分かりました!」

 

 他のメンバーを青葉に任せて金剛の元に駆け付ける。敵艦載機が金剛を狙おうとしていたので機銃で牽制した。

 

「叢雲、なんで戻って来たデース!?」

「全員で生きて帰るためよ!」

「オー……そう言われるともう何も言えないネ。それなら生きて帰るために全力でやりまショー!」

 

 ありったけの残弾を惜しみなく撃ちながらじりじりと後退していく。一気に離脱したいところだが、生憎相手はなかなか隙を見せてくれなかった。

 少しずつ弾数が心許なくなっていく。

 

「弾切れたら後は全力で逃げるわよ。変なこと考えないでね!」

「分かってマース! 提督にまた会うまでは死ねないデース!」

 

 そう言った矢先に、戦艦の主砲がすぐ近くに落ちた。直撃こそしなかったものの、着弾の勢いに押されて転倒しそうになる。

 体勢を崩したこちらに向けて、敵が主砲を構えた。

 

「……っ!」

 

 駄目か――。

 覚悟を決めたそのとき、横合いから敵に襲い掛かる艦載機が現れた。あれは深海棲艦のものではない。艦娘が扱うものだ。

 その艦載機の集団は敵の艦載機を次から次へと落としていく。うちにはない艦載機だが、相当な格闘性能だった。

 敵艦隊に襲い掛かったのは艦載機だけではない。大型艦のものと思しき砲撃が敵艦隊を炎で染め上げていく。あっという間の出来事だった。

 

「オー、なんだか凄いデース……」

 

 突然の助っ人に金剛もそんな感想しか出てこないようだった。

 遠方から指揮官のものと思しき船と艦娘たちが近づいてくる。

 

「ショートランドの方々ですね。お怪我はありませんか」

 

 声をかけてきたのは黒髪を腰まで伸ばした駆逐艦の少女――朝潮だった。

 うちにも朝潮はいるが、少し雰囲気が異なる。うちの朝潮よりも少し大人びているような気がした。

 

「ありがとうございマース、助かったヨ!」

「お役に立てて何よりです」

 

 金剛、そしてこちらとも握手を交わしながら朝潮は安堵の表情を浮かべた。

 

「やあやあ朝潮君、そろそろ僕も話をしていいだろうか」

 

 船から一人の男が顔を出した。

 新八郎よりも少し年配だろうか。長身で細目なのが特徴的な男だった。

 

「こちらはうちの――トラック泊地の司令官です」

「はじめまして、ショートランドの金剛君、叢雲君。私は毛利仁兵衛。君たちはこれから帰投するところかな」

 

 初対面だが相手はこちらを知っているようだった。もしかすると向こうにも金剛・叢雲がいるのかもしれない。同一個体がいるというのは理解しているが、いざ想像すると何とも不思議な感じがする。

 

「そうね。先に帰らせた皆も心配してるでしょうし、そろそろ戻ろうかと思ってるわ」

「そっかそっか。それなら一緒に行こう。良ければ船の上で休んでいくといい」

 

 仁兵衛は屈託のない笑みを浮かべてサムズアップを決めた。

 どことなく軽そうな雰囲気のある男だが、悪人ではなさそうだ。

 

「……って、一緒に?」

「ああ――ちょっと君たちの司令官に用事があってね。なに、喧嘩を売りに来たわけじゃないからそこは安心してくれたまえ」

 

 そこはかとなく安心できなさそうな言葉だった。

 

 

 

 

「――深海棲艦の軍勢、ですか」

 

 隙間風が吹かなくなった司令部室で、予期せぬ来訪者――毛利仁兵衛と向き合う。

 彼の用件というのは、深海棲艦の動きに対する警告だった。

 

「先日うちの泊地の東方沖で深海棲艦の群れが南下していったそうだ。この辺りで何か異変が起きてないかと思ってね」

「今のところそういった報告は出てないですが……いや、そう言われると最近哨戒任務で深海棲艦に出くわすケースが増えている気もしますね」

 

 以前よりも怪我をして帰ってくる子が増えた。会敵するケースが増えているということだろう。

 まともな入渠施設が出来てまだそんなに経っていないが、拡張も考えた方がいいかもしれない。

 

「伊勢君……あー、名前でいいかな。うちの伊勢の顔が脳裏に浮かんでね」

「ええ、お好きなように」

 

 うちの子たちからも名字で呼ばれることはない。特に呼ばれ方にこだわりはないので好きにさせている。

 

「では新八郎君。……いや、なんかむず痒いな」

「呼び捨てで構いませんよ」

「そうか。では新八郎と呼ばせてもらおう。いいか新八郎。実は今回のように深海棲艦の軍勢が動いたことが、過去に二回ある。そのとき連中は拠点を構えて人間に対し攻勢をかけようとしてきた。普段のように適当な場所に現れて暴れまわるのとは違う。何者かに率いられて事を起こそうとしたのだ。僕も一回目のときについては聞き知っているだけだがね」

「……それは、かなりまずいのでは」

 

 かなり危険な状況ではないか。打てる手があるなら早急に手を打っておかねばならないのではないだろうか。

 

「だから早めに状況を確認しておきたい。場合によっては本土に連絡して救援を要請する必要が出てくるかもしれないからね」

「少し哨戒の範囲を広げましょうか。今はホニアラの辺りまで定期的に回っていますが」

「そうしてほしい。杞憂ならいいんだが、おそらく今回も十中八九何かが起こる。戦いというのは事前の準備でほぼ決まるものだからね。打てる手は打てるうちに、だ」

 

 そう言いながら仁兵衛は小型ラジオのようなものを差し出した。

 

「これは?」

「横須賀の明石が開発したという提督専用の通信機だ。ネットワークや電波ではなく提督としての力――霊力なんて呼ぶ者が多いそうだが――とにかくそれを使った独自の方法で通信が可能な代物らしい。胡散臭いが試したところきちんと動いた。何かあればこれを使って連絡を取り合おう」

「分かりました」

 

 ありがたく受け取る。簡単なマニュアルもついていた。

 

「先ほどの警告もあるが、それを渡すのが一番の目的だった。大本営はこれから各拠点で連携して動いていきたいと考えているようだからな。連絡手段は最重要事項というわけだ」

「情報伝達に時差があると思うように連携できないケースもあるでしょうしね。ここはまだネットワークも繋がりませんし、通信機も何かあると途切れるような始末なので」

「ネットワークはな……。うちも欲しいのだが。海底ケーブルを敷く計画は出ているそうだが、深海棲艦の妨害もあって遅々として進まないらしい。潜水艦の艦娘がもっと揃えばいいのだが」

 

 潜水艦の艦娘はまだ契約できた例がほとんどないらしい。うちも先日伊168と契約したが、それ以外の潜水艦の子はまだいない。

 

「さて、長話をしても仕方ないので僕はこれで失礼するよ。何かあればすぐに連絡をくれ。これでも一応南方海域全域の各拠点のとりまとめ役なのでね、困ったことがあれば相談に乗るよ」

 

 そう言って仁兵衛は去っていった。

 

「まるで嵐のような御方でしたね」

 

 側に控えていた大淀がぽつりと感想を述べた。

 

「だが経験豊富そうだった。自信に満ち溢れている感じがしたし、なんだか切れ者のようだ。困ったときは頼らせてもらおう」

 

 それよりも今は優先すべきことがある。

 

「大淀。さっき話についてだが、皆の哨戒スケジュールを少し組みなおそう」

「そうですね。遠距離まで哨戒するなら休憩ポイントも増やしましょう。ローテーションも考え直した方が良いですね」

「あとは訓練時間をもう少し増やそう。哨戒中何かあっても対処できるようになってもらいたい」

 

 本当は少しずつ成長していってもらおうと考えていたが、先ほどの話を聞く限りあまり悠長なことは言ってられなさそうだった。無理のない範囲ギリギリの訓練をしてもらうことになるだろう。

 

「後で皆に恨まれそうだ……」

「大丈夫ですよ。提督の真意は伝わってますから」

「提督ー!」

 

 そこに、書類を抱えた艦娘が入って来た。

 ――夕張だ。

 彼女は書類を机の上にどさっと置くと「ふぅー」と一息つく。

 

「頼まれていたこの泊地の兵装の一覧表です。あと改造計画書もまた何人分かまとめてきました」

「ありがとう。最近明石の顔を見てないけど大丈夫そうかい?」

「大分忙しいみたいですね。食事は基本作業しながらになってます」

「今度まとまった休みを取らせた方がいいな。彼女に倒れられたらうちは大変だ」

「その情報、伝えておきますね。それでは!」

 

 夕張は元気よく敬礼し、颯爽と去っていった。

 

「……真意か」

 

 別段深い考えがあるわけではない。自分の中にあるのは極めてシンプルなものだ。

 

 ……もう誰も沈ませない。

 

 その決意は、あの日からまったく変わっていなかった。

 

 

 

 入渠施設を訪れると、部屋着の吹雪と青葉が談笑していた。

 

「おや叢雲さん。無事に戻られたようでなによりです」

 

 青葉はこちらに気づくと立ち上がって礼をした。

 

「そっちも無事みたいでなによりだわ。青葉、皆を連れて帰ってくれてありがとう」

「いえいえ。青葉にできることはこれくらいなので」

 

 困ったような笑みを浮かべて、青葉は「それでは」と去っていった。

 

「吹雪は結構修理に時間かかりそうかしら」

「うん。思ったより損傷が激しくて。しばらくここで缶詰かなあ」

 

 艤装は艦の御魂の分霊を宿す依代で、艦娘にとってのコアとも言える。勝手気ままに離れることはできないので、艤装の修理中艦娘はここで待機することになる。

 

「……何かあった?」

 

 こちらの様子から何かに感づいたらしい。吹雪が表情を改めて尋ねてきた。

 

「深海棲艦が群れをなしてこっちの海域に押し寄せてくるんじゃないかって、トラックの提督が伝えに来たみたいよ」

「ここ何日かは深海棲艦と遭遇することが多かったけど、それと関係してるのかな」

「かもしれない。当面うちは哨戒範囲を広げるみたいよ。うちはまだ練度不足が目立つからいろいろと不安だわ」

「叢雲ちゃんがそういう弱音口にするのは珍しいね」

「そうかしら? そうかも。……トラックの練度の高さを見せられたかもしれないわね」

 

 金剛と自分を襲った深海棲艦は、自分たちが万全の状態だったとしてもかなり苦戦を強いられていたはずだ。それをトラックの艦娘たちはいともたやすく撃破してみせた。自分たちとの実力差を見せつけられたような気分だ。何も言っていなかったが、おそらく金剛も似たような思いをしたに違いない。

 

「私たちもここ最近でそれなりに成長はできたと思うんだけどね……。艤装の本格的な改造もしたし」

「そういうところから更に一歩進んだ先のところにいるって感じだったわ、トラックの艦娘たちは。今後戦いはもっと激しくなっていくかもしれないし……私たちも更に成長しないと」

 

 かつての戦いで自分は何もできずに沈んでいった。

 もう、同じことの繰り返しは嫌だ。

 

「――やる気があるのはいいけど、一人で無理するようなことはしちゃ駄目だよ?」

 

 吹雪がこちらの目を覗き込んできた。

 

「今、そういう感じがしたから」

「……大丈夫よ。吹雪こそ気をつけなさいよ、私なんかよりよっぽど無茶するんだから」

 

 さっきの戦いだってそうだ。危うく被弾しかけた自分をかばって中破したのだから。

 

「あ、あはは。善処します」

 

 それは善処しないやつではないか。

 そう思ったが、言ってもあまり意味はなさそうなので口にはしなかった。

 

 

 

 毛利仁兵衛の警告から数日。

 叢雲は哨戒任務で再び海上に出ていた。

 天候はお世辞にもいいとは言えない。一雨来そうな空模様だった。

 

「そろそろ休憩にしましょうか。まだホニアラまでは少しかかりますし」

 

 艦隊の旗艦である霧島が休憩を提案した。誰からも異論は出ない。皆休みたかったのだろう。

 ショートランドからホニアラまではそれなりに距離がある。頑張れば一気に行くことも可能だが、途中で会敵する可能性を考えるとあまり無理に進撃するのは得策ではない。

 道中の島に上がって腕を伸ばす。艤装は自分の一部ではあるが、出しっぱなしだとさすがに疲れる。

 

「お疲れ様」

 

 古鷹が水筒を差し出してくる。

 

「ありがと。古鷹もお疲れ様」

 

 ありがたく受け取ると古鷹はにっこりと笑った。

 古鷹は金剛や霧島と同時期に着任した艦娘だ。重巡洋艦のはしりとも言える存在である。

 

「ここに来るまで二回。やっぱり深海棲艦の数は増えてるみたいだね」

「前はホニアラまで行くのも楽だったけど、最近はそういうわけにもいかないわね。また海上輸送路を失うようなことにならないといいんだけど」

「どの島もそれに備えて備蓄を進めてるみたいだよ。提督がソロモン政府に打診したみたい」

「そういうところは気が回るわね、あいつ」

 

 実際、こういう群島国家は深海棲艦に攻め込まれると簡単に分断されてしまい様々な問題が出てくる。

 それに対する備えはできるだけしておくべきだった。

 

「そういえば叢雲ちゃん、前の哨戒任務では青葉と一緒だったんだよね。何か変わったところはなかった?」

「青葉? どうかしたの?」

「ううん。ただ、なんていうか――着任してからきちんと話せてないんだ。ずっと」

 

 意外だった。

 古鷹と青葉は艦だった頃から同じ戦隊に属していたし、古鷹と青葉は艦型でも共通点が多く半ば姉妹のような間柄である。

 しかし、考えてみれば古鷹と青葉が二人でいるところは見たことがなかった。

 

「……古鷹の方から避けてるってわけではないのよね。そういうこと聞いてくるってことは」

「うん。最初の挨拶はしたし何度か声をかけてみたんだけど……当たり障りのない話だけして、すぐにどこかに行っちゃうんだ」

「……もしかすると昔のことを気にしてるのかもしれないわね」

 

 青葉はかつての戦争で長年にわたって戦い続けた経歴の持ち主である。ただ英雄的な存在というわけではなく、経歴の中にはいくつかの失敗談もある。

 中でも有名なのはサボ島の海戦の出来事だろう。青葉はそこで手痛いミスをしてしまい、それが原因で吹雪や古鷹が沈んでいた。青葉が彼女たちに負い目を感じていたとしても不思議ではない。

 

「サボ島……今は名前変わったらしいけど、あの戦いの場所はすぐそこだし、青葉が強く意識するようになっても不思議じゃないわ。吹雪に対しても少し気を使ってる感じがするし、思うところはあるんじゃない?」

「だとしても、ずっとこんな感じなのは嫌だな……」

 

 古鷹の気持ちも分かる。しかし青葉の気持ちも分からなくはない。今無理に距離を詰めようとするのは却って逆効果な気がした。

 そのとき、少し離れたところに座っていた赤城が急に立ち上がった。

 

「――遠方に船影あり。深海棲艦に追われているようです!」

 

 赤城は先ほど偵察機を出していた。その偵察機が見つけたのだろう。

 

「総員、休憩は終わりです。ただちにその船の救援に向かいます」

 

 霧島が全員に告げる。反論する者はいなかった。

 

 

 

 休憩ポイントから再び海に出て程なく、その追われている船が視界に入った。

 

「あれ、ウィリアムさんの船ね」

 

 見覚えがある。船の上にも何人かの船乗りの姿があった。名前までは憶えていないが、どこかで見た気がする。

 

「また単独でこの辺りの島を回ってるのかしら。危ないから控えるってこの前言ってた気がするんだけど」

 

 霧島がぼやく。ちなみに、どうしてもという場合はショートランドまで護衛依頼を出す手筈になっていたはずだ。

 

「……少し、海の色がおかしいですね」

 

 古鷹がぽつりと口にした言葉に、全員が海を見下ろした。確かにほんの少し赤みを帯びているような色合いだ。どことなく不気味な印象を受ける。

 

「敵艦隊には空母がいないようですね。私たちの手持ちの艦攻・艦爆隊で先制攻撃を仕掛けます」

「お願いします」

 

 赤城の提案に霧島が応じる。

 今艦隊にいる空母は赤城と飛鷹の二人だ。空母の艦娘はそれぞれ艦載機を自らの兵装に合わせて変形させる力を持っている。赤城は弓矢に、飛鷹は巻物に変えていた。戦闘時はそれを本来の姿に戻して使用する。

 赤城が放った矢と、飛鷹が広げた巻物から飛び出た霊体がそれぞれ艦載機に変化し空に飛び立っていく。オカルトじみた光景ではあるが、人間からするとそもそも艦娘という存在自体がオカルトのようなものだろうし、あまりそこは気にしないようにしている。

 ウィリアムたちを襲っていた深海棲艦たちもすぐに艦載機とこちらに気づいたらしい。艦載機の急襲に耐えながら、こちらに砲撃を仕掛けてきた。

 

「赤城、飛鷹の両名は下がってください。古鷹、叢雲、夕立は私とともに突貫、敵を一気に蹴散らします!」

 

 言うや否や霧島が早速突っ込んでいく。後に続くのは先日第二改造を終えた夕立だ。

 艤装と艦の御魂の分霊が馴染んでくると、本来の艦としての性能を十分に発揮できるよう改造を行うことができるようになる。そこから更に艦娘の個性を引き出すため行うのが第二改造だ。艦種や艦型の性質よりも、その艦のユニークな特性を引き出す改造という位置づけになる。

 夕立の場合は火力に特化した改造を施されている。駆逐艦でありながら大型艦をも食いかねない火力を有するようになっていた。

 

「蹴散らすっぽーい!」

 

 勢いよく敵陣の中に突っ込み、場をかき乱すように暴れ回る。

 確かに強力なのだが、見ていてハラハラする戦い方でもあった。

 

「また夕立は……。古鷹、私たちは突撃組のサポートに回るわよ」

「その方が良いみたいだね!」

 

 先陣を切った霧島や夕立を狙う敵を、自分と古鷹が積極的に落としていく。霧島や夕立を守ることができれば、後は二人が敵を殲滅してくれるだろう、という戦い方だ。その期待に応えるかのように霧島と夕立は残っていた敵艦を残さず撃破していく。

 程なく戦いは終わった。トラックの艦娘たちほどではないが、自分たちも先手を取ればそれなりにやれそうな気がしてくる。

 

「今回もいっぱい敵を倒せたっぽい! どうどう?」

 

 夕立がこちらに感想を求めてきたので軽く小突いた。

 

「もうちょっと回り見て戦いなさい。フォロー大変なんだから」

「そこは叢雲たちにお任せっぽい!」

 

 満面の笑みでそう言われると、こちらとしてもそれ以上は何も言えなかった。

 

『すまないな、また助けられた』

 

 船の上からウィリアムが礼を述べた。

 

『ウィリアムさん、どうかしたんですか。単独で海に出るなんて……』

 

 霧島が小言を口にしようとしたが、ウィリアムはそれを手で制した。

 

『危険だということは分かっているが、至急新八郎に知らせねばならんことができた。今ホニアラは外部との通信もできなくなっているから、直接こうして出てくるしかなかったのだ』

『……通信できない?』

『近くに深海棲艦たちが集結して、基地らしきものを作ろうとしている』

「――!」

 

 ウィリアムの報告に全員の表情が強張る。

 

『同時期に電話もネットワークも使えなくなった。おかげで他国に救援を求めることも難しい有り様でな。一番近くにいるショートランドの新八郎にまず状況を知らせに行こうとしていたのだ』

 

 ホニアラには定期的に訪れて状況確認をするようにしていた。普段ウィリアムたちの護衛任務はそのタイミングで受けている。それを待てないくらいの緊急事態だった、ということなのだろう。

 

『ホニアラの現状は?』

『ソロモン政府の指示で住民はシェルターに避難し始めている。深海棲艦も今のところ市街は攻撃してきていないから被害は出ていないが、皆不安がっている。深海棲艦に占領されるのではないかとな』

 

 これまでも深海棲艦は陸上の一部を占拠して基地化したことがあった。基本は海上のモンスターだが、街を占拠するという可能性も十分にあり得る話だ。

 

「……本艦隊はホニアラまでの哨戒を中断、ウィリアムさんたちの護衛をしつつこのままショートランドに引き返します」

 

 霧島が告げる。確かに今はそうした方が良さそうだった。

 

「あの」

 

 と、そこで古鷹が手を挙げる。

 

「敵戦力がどのくらいか把握しておいた方が良いんじゃないでしょうか」

「……それもそうね。けど、護衛のことを考えるとあまり戦力分散させるわけにもいかないし……」

 

 霧島が眉根を寄せた。

 

「私一人で大丈夫ですよ。あまり大勢でいても目立ちますから」

 

 古鷹が進言したが、霧島は頭を振った。

 

「駄目よ、一人じゃ何かあったときに助かる見込みがほとんどなくなるわ」

「なら私がご一緒しましょう」

 

 と、そこで赤城が手を挙げた。

 

「偵察のことを考えると私が行くのが一番良いでしょう。古鷹さんには護衛として来ていただければ」

 

 赤城の案に霧島は少し沈思していたが、やがて頷いた。

 

「必ず無事に戻ってきてください」

「もちろんです」

「了解です」

 

 赤城と古鷹がそれぞれ頷く。

 海の赤みが、ほんの少し濃くなったような気がした。

 

 

 

 

『状況は分かった。しかし敵さんも手が早いな』

 

 通信機の向こう側にいる仁兵衛は半ば感心したかのように言った。

 霧島やウィリアムさんたちの報告を受け、自分たちだけで対処できるかどうか分からなかったので、仁兵衛に相談を持ち掛けたのである。

 

「今うちの子たちが敵戦力の偵察をしています。ただ、それを待ってから動いて間に合うのかという懸念があったので、まずは情報共有をと思い連絡しました」

『そうだな、こちらも早め早めに動いていこう。本土の連中には僕からも連絡しておく。横須賀や呉からも艦隊を派遣してもらうよう働きかけてみよう』

 

 横須賀や呉には、もっとも早い時期に作られた対深海棲艦用の拠点がある。その拠点は鎮守府と呼ばれており、こことは比べ物にならないくらいの人員や施設が揃っているという。そこの艦娘たちも精強と聞いていた。

 

「助かります。こちらはひとまず無理な会敵を避け、敵戦力の把握と人命救助を最優先として動いていくつもりです」

『ああ。是非そうしてくれ。中途半端に攻めかけて敵を刺激したらどうなるか分からないからな』

 

 一通り情報共有を済ませて、仁兵衛との通信を切る。

 

「……そういうわけだ。敵を見かけても不必要な戦いは避けてくれ。戦力を揃えてから一気に攻める。今はその準備期間だ。いたずらに戦力を減らさないことが肝要だ。他の皆にもそう伝えておいて欲しい」

「了解です、司令」

 

 霧島たちが礼をして執務室から去っていく。

 

『申し訳ありません、ウィリアムさん。この件は解決に少し時間がかかりそうです』

 

 同席していたウィリアムさんに英語で謝罪の言葉を伝える。

 

『いや、こちらもすぐに解決できるとは考えていない。早いに越したことはないが、ソロモン政府が求めているのは確実な解決だ。新八郎、毎回無理を言ってすまないがよろしく頼む』

 

 ウィリアムさんはこちらの肩を叩いて、部屋から出ていった。おそらく自分たちの船に戻ったのだろう。

 

「……胃が痛くなるな。これまでの戦いは部隊同士の衝突レベルだったが、今度のはもっと大規模な戦いになる。俺にどれくらいのことができるんだか」

「ぼやいてても仕方ないでしょ」

 

 残っていた叢雲がぴしゃりとこちらの甘えを封じた。

 

「別に無理をする必要はないわよ。不安があるなら他の提督の力を借りればいいんだし。アンタはこれまでと同じようにできることをしてれば十分」

「そう言ってもらえると少し肩が軽くなった気がする」

 

 いずれにしても気を引き締めてかからなければならない。

 一歩選択を間違えると取り返しのつかないことになりかねない状況だ。

 

 

 

 翌日、海図を広げて敵戦力のことを考えていると、ドアを勢いよく開けて吹雪が飛び込んできた。

 

「し、司令!」

「どうした、吹雪」

 

 吹雪の様子は尋常ではなかった。顔が真っ青になっている。

 

「さっき、赤城さんと古鷹さんが……」

「戻ったのか?」

「は、はい。戻ったのは戻ったんですけど……」

 

 何かあったのだろう。すぐに立ち上がって吹雪の背中を軽く叩いた。

 

「少し落ち着きなさい。……よし、これから二人のところに行こう。吹雪も一緒に来てくれ。行きながら話を聞かせてくれないか」

「わ、分かりました」

 

 こちらです、と吹雪が先導する。

 

 ……何があったんだ。

 

 嫌な予感がする。自然、二人の元に向かう足は速くなった。



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第六条「決断したことは成否を語らず行動で示せ」

 聞いただけで急いでいることが分かるような足音が、部屋の前で止まった。

 しばらくしてから遠慮がちに扉が開かれる。

 

「……あ、司令官」

「青葉か。古鷹たちなら大丈夫だ、命に別状はないぞ」

 

 そう告げると、青葉は安堵の息を漏らした。

 

「今はこの中の治療室で二人とも休んでいる。艤装は修理したが、古鷹も赤城もしばらくは安静にさせておくつもりだ」

 

 艦娘の負ったダメージは艤装の状況とリンクしている。艤装が大きく破損すると艦娘の怪我も治りにくく、修復すると人間とは段違いの速さで治っていく。ただ、何もかも回復するというわけではない。疲労は溜まっていくのだ。

 

「司令官。二人になにがあったんですか?」

「気になるか。……そうだな、別段隠しておくようなことでもないし話しておこう」

 

 古鷹たちは霧島たちと別れてから、ホニアラを超えて更に東部へと向かったらしい。

 そこには多くの深海棲艦の姿があり、地上には指揮官と思しき白い深海棲艦の姿があったという。

 その深海棲艦の周囲には無数の艦載機と、建設中の基地らしきものがあった。

 

「赤城曰く、あれは飛行場基地を作っている可能性が高い、とのことだ。正確な敵戦力を調べようと偵察を粘ったが、その結果敵に見つかって逃走を余儀なくされた。何度か危うい場面もあったが、日が落ちて敵の目が効きにくくなったこと、古鷹が赤城を懸命に庇ったことでどうにか泊地まで帰還できたようだ」

 

 道中のことを語る赤城は時折悔しそうな表情を浮かべていた。

 夜になると空母は基本的に戦うことができない。灯りのない夜間に艦載機を扱うのは至難の業だからだ。深海棲艦はどういう理屈か夜間でも艦載機を飛ばしてくる個体もいるらしいが、艦娘でそういうことができる子はいない。

 だから夜は古鷹に守られっ放しだったという。古鷹は限界ギリギリまで敵の攻撃から赤城を守り抜き、やがて戦う力を失った。一歩間違えば沈んでもおかしくない有り様だったらしい。そこからは赤城が古鷹に肩を貸して、どうにかこうにか帰り着いた、とのことだった。

 

「古鷹は変わりませんね」

 

 青葉はどことなく悲しそうだった。

 

「……古鷹との付き合いは長いんだったか?」

 

 彼女たちの前身――オリジナルとも言うべき艦の経歴にあまり詳しくなかった。

 提督という立場上知っておかなければとは思うのだが、日々の業務に追われてなかなか全員の経歴は確認できていない。

 

「ほとんど姉みたいなものです。従姉と言った方が感覚的には近いのかもしれません。私と衣笠は青葉型重巡洋艦。古鷹と加古は古鷹型重巡洋艦。青葉型は、古鷹型の改良版のようなものなので」

「ということは結構一緒に行動することも多かったのか」

「はい。第五戦隊や第六戦隊として一緒に活動していました」

 

 であれば付き合いは長かったのだろう。心配してここに駆けこんでくるのも頷ける。

 

「古鷹は、かつて私を庇って沈んだんです。元々は私が敵を味方と誤認して狙われたせいだったんですが……。ヘマをした私が生き残ることになってしまったんです」

「……その場にいたわけではないからあまり踏み込んだことは言いたくないが、自分が生き残ったことを過ちのように語るのは感心しないな」

 

 少なくとも、それは古鷹の行動を否定することになる。

 味方を庇って沈むという行為も肯定したくはないが、誰かの命懸けの行動を簡単に否定するのもまた何か違う気がした。

 

「すみません。でも、私はもう古鷹にそういう行動をして欲しくないんです」

「その気持ちは分かる。古鷹が目を覚ましたら、そのことを伝えてやればいい」

「……司令官」

 

 青葉は表情を引き締めてこちらをまっすぐに見てきた。

 

「古鷹は今回十分な働きをしました。少し休ませておくべきです」

「ああ、そうだな」

「古鷹はそれでもきっと無理をしようとします。そのときは止めてください。彼女の分は青葉が頑張りますので」

「……いや、そういう気遣いはいい。青葉にも無理をさせるつもりはないよ」

 

 誰かに無理をさせれば、そこにひずみが生じる。

 無理をさせないような艦隊運営を心掛ける。それは大前提だった。

 

「司令官ならそうおっしゃると思いました。ですが大きな作戦のときはそうも言ってられないときが来ると思います。誰かが無理をしなければならないときが、否応なしに訪れる。戦いとはそういうものです。そういうとき、無理の利く者がいるということを覚えておいてください」

 

 青葉の言葉には不思議な説得力があった。

 自分はなんだかんだで素人だ。戦いの経験なんてない。そういう点においては彼女たちの方がずっと上だ。

 

「……分かった。頭の片隅には留めておくよ。ただ決して自ら無理をしにいくような真似はしないように」

「了解しました」

 

 一礼して青葉は出ていった。

 途中で話を逸らされたが、そこに切り込んで良いのかどうかの判断はつかなかった。

 そういう点で、自分は提督としてもまだまだだと感じる。

 ため息をついて腰を上げたとき、かすかに奥の方で誰かが動いた。

 

「提督」

 

 古鷹の声だった。

 こちらとの間を仕切っていたカーテンを開けると、古鷹は上半身を起こしていた。

 

「起きていたのか」

「はい。青葉は……もう行ってしまったんですね」

 

 古鷹の顔色はお世辞にもいいとは言えなかった。無理せず横になるよう促すと、大人しく指示に従った。

 

「すみません、ご迷惑をおかけしたみたいで……」

「迷惑だなんてとんでもない。古鷹と赤城が持ち帰ってくれた情報は今後の指針を決めるうえで大いに役立つ。むしろ感謝しているよ」

 

 それは偽りのない本心だった。

 

「……青葉とは上手くいっていないのか?」

 

 先ほどの青葉の様子が気になったので、失礼を承知で聞いてみた。

 

「ほとんど話ができていません。薄々そうではないかと思ってましたが……やっぱり、かつて私が沈んだときのことを気に病んでいるみたいですね」

 

 青葉の方が古鷹を避けているのだろう。

 自分の気持ちを直接伝えようとしなかったのがその証拠だ。

 

「提督。青葉はああ言ってましたが……あまり無理をさせないでください。あの調子だと、今度は青葉が誰かを庇って沈んでしまいかねません。もし人手が必要なら私がその分頑張りますので」

「……青葉にも言ったが、私は基本的に誰かに無理をさせるつもりはないよ」

「提督がそう思ってくださっても、無理をせざるを得ない状況も出てくると思うんです」

「それはそうかもしれないが……」

 

 困ったものだ。

 なんだかんだで二人は似た者同士である。だからこそ、上手く嚙み合っていない。

 

「それぞれの意見は頭の片隅に置いておくことにしよう。軽視するわけではないが、編成はいろいろな要素を加味して何人かのメンバーと相談しながら決めている。必ずしも二人の要望通りになるとは限らない。その点は理解しておいてほしい」

「分かりました」

 

 古鷹は素直に頷いた。

 

「あまり強く言っても提督を困らせてしまうだけですね。すみません」

「なに、意見や要望自体はむしろ言って欲しいところだ。何分こちらは素人だからね。多くの意見を聞かせてほしい」

 

 あまり長居をしても悪い。

 そろそろ失礼しようと腰を上げると、古鷹が不安そうな視線をこちらに向けていた。

 

「……青葉のことで何かまだ不安が?」

「いえ、それもあるんですけど……。提督、少し顔色が」

 

 言われて自分の顔に手を当ててみる。特に冷たかったり熱かったりはしない。

 

「ありがとう。気を付けておくよ」

 

 特に変な感じはしなかったが、古鷹の言葉を否定するのも悪い気がしたので、無難な回答をしておいた。

 

 

 

 執務室に、泊地の主要メンバーが集まっている。

 初期艦の叢雲、戦艦たちのリーダー格である金剛、空母の代表として加賀、巡洋艦からは球磨と妙高。

 そして、全体のとりまとめ役として新八郎と大淀。

 日々増え続ける新メンバーのこともあって明確な組織体系が整っているわけではないが、現状の各艦種の代表格はこのような顔ぶれとなっていた。空母に関しては赤城が普段は代表格なのだが、今は療養中ということもあって加賀が代役を務めている。

 

「赤城と古鷹が持ち帰った情報を整理してみた。敵戦力は現在も増え続けていると仮定した方が良いと思い、報告時の三割増しくらいで見ている」

 

 地図上に深海棲艦の駒が並べられている。それを見て一同は揃って唸った。

 

「当泊地の戦力だけでこれをどうにかするのは不可能ではないでしょうか」

 

 妙高の言葉に全員が頷いた。単純に数だけで見てもうちの二~三倍はいる。この数から逃げ延びてきただけ赤城と古鷹は良くやった方だ。

 

「二人が確認したのは敵基地とその付近までだ。東側には更なる敵戦力がいる可能性もある」

「悩ましいところですね。航空基地が本格的に完成してしまうと余計手を出し難くなりますが、迂闊に手を出せばこちらが返り討ちにあうのは必須です」

 

 加賀が険しい表情で言った。

 

「増援のアテはあるクマ?」

「この情報は既にトラックに共有済みだ。トラックの毛利提督は日本からの増援も引っ張り出すよう交渉しているとのことだが、本国からの増援は急いでも一週間くらいはかかるだろう」

「その間に基地が完成したらより苦戦するのは必須デース……」

「ああ。だから牽制を仕掛けたい」

 

 大淀と相談した結果、ただ座して待つよりも行動を起こした方が良いという結論に至った。

 

「牽制?」

「積極的に仕掛けるのは危険だから、上手く敵を釣り出して叩く。それを何度か繰り返す。敵を基地建設に集中させないようにするのが目的だ。倒すことが目的ではない」

 

 一応念を押しておく。無理をするなということだ。

 

「敵の警戒網にギリギリ引っかかるポイントまで行って、今回の赤城たちと同様敵に狙われ始めたらすぐに退却する。それでも敵が追って来るなら迎撃部隊で迎え撃つ。これが基本戦略だ。現場指揮官には難しい注文になると思うが、どうだろう」

 

 深追いは駄目だし、早く撤退しすぎても駄目。敵にこちらの狙いを悟られないように振る舞わなければならない。現場にとってはやりにくい注文だろう。

 

「この先余計厳しくなるなら、やるしかないクマ」

「同感です。今後はそういう戦い方も必要になるでしょうし、ここで経験を積んでおくのは悪い話ではありません」

 

 球磨と妙高の意見に他のメンバーも頷いた。

 

「分かった。ではこの基本戦略で編成を検討したい。まずは――」

 

 釣り出すための部隊と迎撃部隊をいくつか編成し、交代で仕掛けられるようにしておく。不測の事態に備えて予備隊も考えておく必要があった。作戦期間中は普段行っている哨戒任務に人を割けなくなるが、その点については近場のブイン基地に協力してもらう手筈になっている。

 ブイン基地はこちらより少し後に創設された拠点だ。今回の大規模作戦ではこちらのフォローに徹することになっている。

 

「次の部隊編成ですが、青葉・衣笠・長良・吹雪・飛鷹・隼鷹を考えています」

 

 部隊の編成案について妙高が口にした。

 

「……すまない、妙高。青葉は外してくれないか」

 

 普段こちらが部隊編成に口を出すことがほとんどないからか、妙高は少し意外そうな表情になった。

 

「理由をお聞きしても?」

「古鷹の怪我でやる気を出している。やる気があるのはいいんだが、あり過ぎるように見えた。こういう作戦で無茶をしないかという懸念がある」

「なるほど……」

「加古の名前がまだ挙がっていなかったが、加古はどうだ?」

「艤装が本調子ではないようですが、釣り出し部隊としては問題ないかと思います。では青葉のところは加古に変えておきます」

 

 妙高が編成表を書き替えた。

 

「古鷹と赤城についても今回の編成にはなるべく加えたくない。二人にはしっかりと休養してもらって、本格的な攻勢作戦を開始するときに戦力になってもらいたいと思う」

「……了解しました。それでもおそらく問題はないかと思います。ただ戦況次第では二人にも出てもらわないといけなくなるかもしれません」

「妙高、すまないな。他の皆も無理なら無理と言ってほしい」

「現状ならおそらく問題ないでしょう」

 

 加賀が言った。

 

「ただ、戦いでは何が起こるか分かりません。こちらにも怪我人が大勢出たら、戦力を温存しておけなくなる可能性もあります」

「分かった。状況が変わったらすぐに報告してくれ。もし報告している余裕もないようなら現場の裁量に任せる。責任はすべてこちらで取るから気兼ねなくやってくれ」

 

 情けない話だが、今の自分にあれこれと報告をあげてもらっても適切な判断をすぐに下せる自信はない。それで時間を無為に費やすくらいなら、皆を信じて任せた方がまだマシだと思えた。

 

 

 

 ショートランドと敵拠点の中間地点に急造の拠点を設置した。

 釣り出し部隊と迎撃部隊が毎回ショートランドまで戻るのはあまりに効率が悪いからだ。

 もっともここには入渠施設等はないので、怪我人は逐次ショートランドまで戻す手筈になっている。

 作戦を開始してから二日が経過していた。この中間拠点で指揮を執る金剛はせわしなく動いている。

 

「ヘイ叢雲、待ってたヨー!」

 

 そんな金剛から呼び出しを受けたのは、日も大分暮れた頃だった。

 

「敵戦力がどの程度減っているか確認したいデース」

 

 金剛はそう言って地図上の敵戦力を表す駒を指した。

 

「こちらは誘き寄せられた敵を何度か叩いてるけど、どれくらい効果が出てるか正直あまり見えてないネー」

「あまり効果が出てないようなら別の手を考えないといけないってことね」

「そういうことデース。確かにこの作戦は敵にとってはノーサンキューだけど、それが本気のノーなのかを見極める必要があるネ。あくまで直感だけど、あんまり動じてる感じがしないヨ」

 

 確かに、この二日間の動きからそういう印象はあった。

 敵はそこまで必死にこちらに食らいついてくる感じではない。そのおかげでこちらも大きな怪我人は出ていないが、敵に揺さぶりをかけるという目的が達成できていない場合、戦力を整えた敵が一気にこちらへと攻め寄せてくる恐れもある。

 

「この作戦、新八郎には?」

「さっき思いついたばかりなので言ってないネ。それに言っても反対されそうデース」

「確かに。なら事後承諾ってことにする?」

「提督には悪いけどそうしマース」

 

 新八郎は少しずつ提督として慣れてきてはいるが、慎重すぎるきらいがあった。

 あの件がトラウマになっているのだろう。余裕があるときはそれでも良いが、今回のような場合はそれが裏目に出ることもある。

 幸い現場で判断して動いていいとは言われているから、命令違反という形にはならない。

 

「提督が私たちを大事に思ってくれるのはとても嬉しいデース。けど、私たちは戦いに身を投じているわけだから、いつもそのスタンスが通じるわけではないネー……」

「分かってるわよ。あいつも言えば納得はするでしょ」

「嫌われないことを祈りたいデース」

 

 困ったように笑いながら金剛が言った。

 

「で、私を呼びだしたってことは私にその確認をして来いってこと?」

「私はここを動けまセン。あまり深入りせず状況を見極めて進退を決められるほど経験のあるメンバーも限られてきマース」

「高評価でちょっと照れ臭いわね。その期待に応えられるよう頑張ってみるわ」

「こちらからは榛名をつけマース。あと数人、待機中のメンバーから選んで連れていってくだサーイ」

 

 金剛の脇に控えていた榛名に視線を向けると、やや緊張した面持ちで頭を下げてきた。

 彼女は金剛四姉妹の一人だ。泊地に着任したのは姉妹の中でもっとも遅く、実戦経験も他の三人と比べるとやや心許ない。少しでも戦いに慣れさせておきたいという金剛の思惑もあるのだろう。

「分かったわ。メンバーを見繕ったらすぐに行く。榛名、よろしくね」

「はい、よろしくお願いします!」

 

 

 

 今後の作戦方針にかかわる偵察である以上、出発は早い方が良い。

 榛名を連れて金剛のテントを後にしてから、すぐに手が空いてそうなメンバーを集めた。

 

「まったく、いきなり何なのよ……」

 

 不服そうなのは最近第二改造を終えた重雷装巡洋艦の大井だ。姉妹艦の北上も一緒である。

 

「いきなりで悪いわね。これから先もっときつい作戦にするかどうかが決まる偵察だから、少しでも頼れる戦力が欲しかったのよ」

「そう言われると悪い気はしないねー、大井っち」

「……それは、そうですけど」

 

 大井は少々扱いが難しく、北上もマイペースで考えが読み取りにくいところはあったが、どちらも戦力としては一線級だった。大量の魚雷がもたらす破壊力は、まともに当たりさえすれば戦艦の砲撃をも凌駕する。

 

「戦力といえば、夕立さんは連れて来なくて良かったんですか?」

 

 そう尋ねてきたのは雪風だった。

 

「夕立は純粋な戦力としては申し分ないけど、敵を見るとガンガン突っ込んでいくから偵察向きじゃないでしょ」

 

 戦闘要員は北上・大井・雪風・榛名で十分だろう。あくまで偵察が任務なのだから。

 

「偵察って意味では衣笠が一番重要だからね」

「はーい、衣笠さんにお任せ!」

 

 衣笠が腕をまくってみせた。

 今回は夜間偵察ということもあって空母は連れてきていない。衣笠も昼間ほど上手く偵察はできないだろうが、いざ敵に襲われても自力で戦える分空母よりも安全と言える。

 

「――前方に敵影あり」

 

 中間拠点を出てしばらくした頃、衣笠が静かに言った。

 

「どんな様子?」

「大きい。大きな深海棲艦が周囲に囲まれてる。これは……拠点かな」

「拠点?」

「そこまで本格的なものじゃないけど、ちょうど私たちが今使ってるような中間拠点みたいな感じ。そこに大型の深海棲艦と、その護衛らしい艦隊がいる」

「……もしかして泊地棲鬼って個体かしら」

 

 これまでに何度か姿を見せたことのある大型の深海棲艦。通常の深海棲艦と違って基本的に移動はしないが、代わりに他の深海棲艦たちの拠点としての役割を担うという。

 

「本格的でないにしても、前衛拠点をそのままにしてたら敵戦力の漸減には支障が出ますね」

 

 雪風の言う通りだった。

 

「衣笠、敵戦力はどの程度? こちらの面子でこのまま叩けそう?」

「伏兵がいなければどうにか。伏兵についてはいないと思うけど……この暗さだと正直ちょっと自信はないかな」

 

 夜の海は吸い込まれそうな暗さだ。確かにこれでは正確な索敵は難しい。

 一度状況を金剛に連絡しておこうかと思ったが、通信が上手く繋がらなかった。

 

「――短期決戦で行くわ。初回でありったけの砲弾・魚雷をぶち込む。それで仕留められなかったらさっさと撤退する」

「それだと仕留めきれなかったときに敵が警戒強めて余計やり難くならない?」

 

 大井が当然の懸念を口にした。

 

「正直それが不安ではあるけど、ここで何もせず撤退したらあの拠点がより堅固なものになる恐れもある。だからこれは一つの賭けになるわね。だから反対意見があるなら言って」

 

 全員を見渡すが、反対意見はなかった。

 

「ま、私たちが仕留めれば良い話だよね」

 

 北上はいつも自然体だった。気負わないその様子に、全員の緊張感が良い意味でほぐれる。

 

「それじゃ総員戦闘準備。榛名は遠距離からタイミングを見計らって思い切りぶち込んで。私と雪風、それに衣笠は敵の雑魚を散らすわよ。北上と大井は泊地棲鬼と思しき個体を集中攻撃。異論は?」

「ない」

 

 全員が口を揃えて言った。

「それじゃ――戦闘開始よ!」

 

 

 

 こちらの強襲は完全に想定外だったらしい。敵の狼狽する様子が見て取れた。

 泊地棲鬼以外は軽巡・駆逐クラスだけだ。これなら十分に仕留めきれる。

 

「雪風!」

「はい!」

 

 こちらの呼びかけに応じて雪風が主砲を敵艦に向けて放つ。驚くべきことに一撃で砲撃は敵に命中した。敵艦が炎に包まれて沈み始める。

 他の敵は気を持ち直したのか、こちらへの攻撃を仕掛けてくる。攻撃の手が北上・大井に向かわないよう意識を引き付ける必要があった。

 

「こっちよ!」

 

 威嚇目的で主砲を撃ち放つ。雪風のそれとは違い命中はしなかったが、気を引くことには成功したらしい。こっちに砲撃が雨あられのように降り注いできた。

 

「衣笠、雪風!」

 

 こちらが指示を出すまでもなく二人は雑魚散らしに専念していた。しかし夜間ということもあって思うように砲撃が当たらないらしい。砲撃の勢いはなかなか止みそうになかった。

 そのとき、ぞくりと背筋が震えるような感覚を覚えた。

 直感的に主機をフル稼働させてその場から離れる。それとほぼ同時に間近で大きな飛沫が飛んだ。海が隆起する。何か大きな砲弾が近くに落ちたのだ。

 視線を感じて首を動かす。少し離れたところにいた泊地棲鬼が、真っ赤な眼をこちらに向けていた。

 

 ……ハッ、上等。

 

 北上たちが気づかれなければ勝機はある。それまではせいぜい逃げ回ってやる。

 そう思った矢先――身体に大きな衝撃が走った。

 腕が、足が痛む。一瞬頭が真っ白になりかけたが、どうにか踏み止まった。

 一発もらってしまったらしい。主機が大きく破損していた。

 意識を泊地棲鬼に向けていたせいで、足元をすくわれたらしい。

 

『叢雲さん、大丈夫ですか!?』

 

 少し離れたところにいた榛名が無線経由で声をかけてきた。砲撃が直撃する様子が見えたのかもしれない。

 

「気にしなくていいわ。それより敵に集中しなさい。そうしないと私みたいにドジ踏むわよ……!」

『は、はい。榛名、集中します!』

 

 強気に言って無線を切る。

 しかし、状況はなかなか酷いものだった。逃げ回ってやるなどと言っている余裕はない。敵の砲撃が当たらないよう祈りながら距離を取るしかなかった。

 

「……やっぱり、まだ力不足ってことかしらね」

 

 先日のトラック泊地の面々の戦いぶりを思い返す。そして今も戦い続けている仲間たちの姿を思い浮かべる。

 

「これじゃ、新八郎に偉そうなこと言えないわ……」

 

 幸い、敵の砲撃の勢いは少しずつ弱まってきていた。衣笠と雪風がやられたような感じはしない。二人は順調のようだった。

 やがて、遠くから大きな振動と爆発音が聞こえてきた。どうやら北上たちが泊地棲鬼に一撃を入れたらしい。

 

「……どう?」

 

 無線で大井に確認を取る。

 

『手応えはあったわ。雑魚も衣笠と雪風がほとんど散らしたみたい』

「了解。それじゃさっさと撤退しましょう」

『合流できそう? もしきついなら回収しに行くけど』

「心配いらないわ。榛名のところで合流するわよ」

 

 大井の気遣いに対しても強気で返す。

 通信を切った状態で自分の状態を確認する。自然とため息がこぼれた。

 

「はぁー……しんどいわね」

 

 誰も聞いていないからこそ、口にできる言葉だった。

 

 

 

 敵戦力の漸減作戦は順調。犠牲者はゼロ。ただ、叢雲が大破してしまった。

 完璧な戦果とは言い難いが、うちの戦力としては上々の出来だろう。

 叢雲は護衛と共にこちらに帰還していた。今は入渠施設で安静にしている。

 

 ……しかし、叢雲が欠けた穴をどうするか。

 

 泊地のメンバーは半数近くが中間拠点に出払っている状態だ。ここを空にするわけにもいかないので、取れる選択肢はどうしても限られてくる。

 

「提督」

 

 どうするか考えあぐねていると、大淀が声をかけてきた。

 

「どうした?」

「その、青葉さんが……」

 

 それだけでおおよそのことは分かった。

 叢雲が戻って来たことは既に泊地に知れ渡っている。交代要員として自分を出させて欲しいと頼みに来たのだろう。

 実際、青葉は戦力としては十分頼りになる。メンタル面に不安がなければ最初から出していただろう。

 

「大淀。どう思う?」

「……青葉さんのやる気がプラスに働けば期待以上の成果に繋がるのではないかと思います」

「プラスにいくかマイナスにいくかは現時点では何とも言えないか。戦力としてはこちらに残っているメンバーの中でも上位に食い込むが……」

 

 胃がキリキリと音を立てているようだ。

 安全策を取るなら青葉の嘆願を却下すればいい。しかしそれには青葉を納得させられるだけの理由がいる。一歩間違えば青葉との信頼関係に傷がつく恐れもあった。

 

「……あまり待たせても悪い。話だけでも聞こう。通してくれ」

 

 今日は、苦しい夜になりそうだった。



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第七条「恐れと失敗を知ったならそこから更に進め」

 大海原に艦隊が展開している。見る者を圧倒するその威容に、新八郎の口から感嘆の息が零れた。

 

 ……これが味方で良かった。

 

 正直なところ、今のうちの艦隊ではまったく歯が立たないだろう。

 横須賀鎮守府とトラック泊地の艦隊である。

 トラックの仁兵衛が要請していた本国からの援軍だった。

 浜辺で出迎えのために立っていると、小舟が二つ近づいて来た。

 一つは仁兵衛たちの船だ。相変わらずの細目でにこやかに笑いながらこちらへと手を振ってくる。

 もう一つの小舟に乗っているのは、肩幅の広いがっしりとした体格の男性だった。年の頃は自分や仁兵衛よりも一回り上のように見える。会うのは初めてだが、既に何度か話をしたことはあった。

 男は小舟から砂浜に降り立つと、意外に人懐っこい笑みを浮かべて手を差し出してきた。こちらがそれに応じて握手を交わすと、低くて渋味のある声で、

 

「三浦剛臣だ。改めてよろしく頼む」

 

 と名乗った。

 横須賀鎮守府の提督であり――最高の提督と評される英傑だ。

 彼自身提督として本格的に横須賀鎮守府で活動を始めたのは半年程前からだというが、彼と彼の率いる横須賀鎮守府の艦娘たちは国民たちからの人気も高く政府からの信頼も厚いと聞いている。現状日本が保有する対深海棲艦の切り札とも言える軍勢の指揮官というわけだ。

 

「伊勢新八郎です」

「こうして会えて嬉しく思う。微力ながら我々も深海棲艦との戦いに協力させてほしい」

「願ってもないです。私たちだけでは到底太刀打ちできない相手なので」

「挨拶は澄んだかい?」

 

 少し離れたところから仁兵衛が声をかけてきた。

 

「時間が惜しい。こうしている間にも深海棲艦は勢力を拡張しているかもしれないんだ。早速会議を始めよう」

「毛利の言う通りだ。新八郎、執務室で良いか?」

「ええ。今ご案内します」

 

 三浦の側には吹雪が、仁兵衛の側には朝潮がついていた。どちらも彼らの初期艦なのだという。

 二人とも落ち着いていてただ者ではなさそうな雰囲気をまとっている。特に吹雪は所作に隙がない。素人目でも分かる凄味が感じられた。

 執務室に着くと早速会議が始まった。

 

「現状当泊地の三分の二がこことホニアラの中間地点に位置するこの島で敵勢力の漸減を目的とする作戦を行っています。これについては比較的順調に進んでおり、今は少し手を止めて様子見をしている状態です」

「良い判断だと思う。調子に乗り過ぎて手を出し続けると敵が本腰を入れてこちらに迫ってくるかもしれないからな」

 

 三浦の分析に仁兵衛が頷く。向こうで指揮を任せている金剛もまったく同じことを言っていた。優秀な指揮官は見解も似るのだろうか。

 

「彼我の戦力差はこちらがかろうじて上回る程度か。無理に攻めかけるのは愚策だな」

「特に敵さんは航空戦力が充実してる。こっちはその点少々心許ない。本拠地から連れ出せる航空戦力にはどうしても限りがあるからね」

 

 仁兵衛が肩をすくめる。

 航空戦力――主に空母たちは艦載機を用いて広い範囲での活動をカバーすることができる。それ故に本拠地に置いて敵の襲来への備えとしておくのが有効だった。だから逆に遠征要員にするのは大きなリスクを伴う。

 今回派遣されてきた横須賀・トラックの戦力も戦艦・重巡洋艦・軽巡洋艦・駆逐艦が中心だ。

 

「この規模の航空戦力相手に航空戦力をぶつけるなら本国の空母をほぼ総動員しないと無理だ。それは毛利も承知しているだろう」

「ああ。ただ新八郎にはきちんと説明してなかったろう。補足したんだよ」

「すみません、助かります。状況については承知いたしました。しかしそれではどうするので?」

「新八郎だったらどうする? まずは君の見解を聞きたい」

 

 仁兵衛に問われて、少し考える。

 

「……夜襲ですかね」

 

 航空戦力の不利を補いつつ敵に効果的な打撃を与える方法は、それくらいしか思い浮かばなかった。

 

「ただ、夜襲は攻める側にとっても難しい。加えて深海棲艦は昼ほどではないにしても艦載機を夜間も飛ばしてきます」

「そこは艦娘を信じるしかないな。昼に突っ込むよりはずっとマシだろう。……朝潮、どうだ?」

「問題ないかと。無論戦いに絶対はありませんが、私たちならやれると考えています」

「吹雪はどうだ?」

「司令官の作戦を信じていますので、私たちはそれに応えるだけです」

 

 吹雪も朝潮も特に気負っている様子はない。慢心しているというわけでもなさそうだ。

 

「そういうわけだ、新八郎」

「分かりました。……大淀、うちはどうだろう」

「できないと答える子は、いないと思います」

 

 確かにそうだ。その言葉をどう受け取るかはこちらの問題なのだろう。信じたいが、どうしても不安は残る。

 

「……まあこの話はここまでにしておこう。夜襲が良いというのは僕と三浦も同じ見解だ。当然敵も警戒しているだろうから、飛行場を叩きやすいよう敵の布陣を崩す必要があるけどね」

「加えて敵飛行場への追い打ちも行う。かつての戦争では敵の被害状況を見誤って戦略的失敗をしてしまったからな。同じ轍を踏むわけにはいかない。追撃部隊は空母たちに任せよう。夜襲が成功したら艦爆隊で敵基地にとどめを刺す」

 

 かつての失敗というのは、ヘンダーソン飛行場への夜間射撃のことだろう。かつて戦艦金剛・榛名を中心にヘンダーソン飛行場への夜間射撃を行い相当な打撃を与えた作戦のことだ。この作戦は、結局敵の被害状況がこちらの想定よりも少なかったため飛行場の機能を停止させられず、戦略的な観点では失敗に終わったと言える。そんな風に勝ったと油断して足元をすくわれるのは御免だった。

 その後も作戦会議は続いたが、正直なところ仁兵衛と三浦のやり取りについていくのが精一杯だった。言われれば二人の打ち出す作戦の意味合いは理解できるが、自分から意見を言えるほどの知見はない。

 

「――では、この方針でいこう」

 

 三浦がそう言って会議を締めたとき、既に陽は落ちていた。

 

「俺は母艦に戻って半日休むよ。さすがにうちの子たちも皆急行軍で疲れているのでな。少し休ませたい」

「僕も戻らせてもらうよ。頭使ったから甘いもの補充したいなあ」

「……司令官。糖分を控えるよう先生に注意されてましたよね」

「朝潮君、あまり我慢しすぎると却って良くないのだ。週に一回くらいなら――」

 

 そんなやり取りをしながら仁兵衛とトラックの朝潮は出ていった。

 

「あの、伊勢提督」

 

 と、それまで三浦の脇に控えていた横須賀の吹雪が声をかけてきた。

 

「そちらの初期艦は駆逐艦叢雲と伺いました。今日は姿が見えませんでしたが、どうかされたのでしょうか」

「ああ、先日ちょっと怪我をしてね。大事を取って休ませてるんだ。多分入渠施設にいるだろうから良ければ会っていくと良い」

「ありがとうございます」

 

 礼儀正しく頭を下げて退室する。一挙一動がしっかりしていた。

 

「……なんというか、立ち振る舞いの中から自然と練度の高さが感じ取れる子ですね」

「自慢の初期艦だよ。最初に会ったのがあの子で良かった。今もいろいろと助けられている」

 

 三浦の雰囲気は先ほどまでよりも少し柔らかくなっていた。こちらが素なのかもしれない。

 

「しかしこうして初めて会ってみて思ったが、大分苦労しているようだな」

「はは、そうですね。元々ただのサラリーマンでしたので。軍艦の知識もないし戦術・戦略にも疎いので常に四苦八苦しています」

「それもあるが、艦娘への霊力供給が追い付いていないようにも見える。髪、白いのがちらほらと見えるぞ」

 

 三浦が自分の髪の毛をつまんで見せた。

 

「霊力……なんだか未だにピンときませんが、艦娘の力の源なんですよね」

「艤装という依代に艦の御魂の分霊を宿したのが艦娘だが……その存在をこの世界に繋ぎ止めているのは契約を結んだ提督の霊力だ。提督が近くにいればいるほど艦娘が大きな力を振るえるのも、ダイレクトに霊力を得られるからだと言われている。……当然多くの艦娘と契約するなら霊力の消耗は激しくなるが」

「どうも少ないみたいですね。私の霊力は」

 

 と言って、艦娘の数を減らして負担を減らすという案は採りたくない。戦力は今でも足りていないくらいだ。それに一旦契約した艦娘をこちらの都合だけで一方的に切るのは道義的にもどうかと思う。

 霊力というのは気力や生命力にも繋がるらしく、あまり消耗が激しいと体調不良や身体の異変が起きやすくなると言われている。髪が徐々に白くなるという事例もあるそうだ。

 

「霊力については拠点に社を置くことで改善するという報告が研究部門からあがっている。進展があれば連絡しよう。それまではあまり無理をしないようにして欲しい。せっかく得た同志だ、倒れて欲しくない」

 

 そう言って三浦は改めて手を差し出してきた。

 

「今日話してみて新八郎が信用できる相手だと分かった。改めて、仲間としてよろしくお願いしたい」

「……光栄です。よろしくお願いします、三浦さん」

 

 がっしりと握手を交わす。先ほどと違って三浦の力がやたらとこもっていた。

 

「剛臣で良い。こちらだけ名前で呼んでいるというのも妙な具合だ」

「では剛臣と。……大人になってから知己を得た人を名前呼びというのは、どうも慣れませんね」

 

 そう言うと、剛臣は「そうだな」と言っておかしそうに笑うのだった。

 

 

 

 入渠施設の外にあるベンチに腰を掛けて海を眺めていた。

 いつもは静かで月明りが見えるだけ。そんな海に、いくつもの船影が並んでいた。

 あの中にはきっと多くの艦娘たちがいるのだろう。自分たちよりもずっと強い艦娘たちが。

 波の音に混じって、かすかに足音が聞こえた。

 視線を向けると、そこには吹雪の姿があった。ただ、いつも見慣れている吹雪とは少し雰囲気が違う。

 

「こんばんは、あなたがここの叢雲ちゃん?」

「……ええ。そういうあなたは横須賀かトラックの吹雪かしら」

「うん。横須賀の吹雪だよ、よろしくね」

 

 そう言って手を差し出してくる。あまりそういう気分ではなかったが、無視するのも悪いと思ったので握手を交わしておいた。

 隣に座った吹雪はこちらの顔を少し見て、

 

「大丈夫? あまり顔色良くないみたいだけど」

 

 と心配そうに声をかけてきた。

 

「平気よ。艤装はとっくに修理したし、怪我も回復してる。うちの提督が心配性で休まされてるだけ」

「そっか。それなら良かった」

 

 吹雪は安堵の笑みを漏らした。細かな所作は違うが、うちの吹雪と似ているところも多々あるようだ。

 

「作戦会議は済んだのよね。少し休んでから出発?」

「うん。……少し怖いけど、頑張らないとね」

 

 意外な言葉だった。横須賀の艦隊は極めて高い練度を誇る艦娘たちで構成されていると聞いている。特に吹雪はその中の最古参ということもあって、最高の駆逐艦とまで言われている。

 

「話に聞いていた感じだと、怖いもの知らずだと思ってたわ」

「そんなことないよ。戦うときはいつも怖いし、失敗するかもしれないって怯えてる。……ただ、それ以上に戦わないこと、何もしないで諦めることの方が怖いだけ」

 

 そう言って吹雪は頬をかいた。

 

「……私はこの前の戦いで何もできなかった。作戦は成功したけど、正直悔しくて惨めな気持ちになったわ。挽回の機会もまだないし何でここにいるんだろうって思うばかりよ」

「分かる。分かるよ……。そういうときって何も手がつかなくなっちゃうよね」

 

 そういう経験があるのか、吹雪は力強く頷いてみせた。

 

「民間の人を勇気づけるためか私も司令官も過大に喧伝されてるけど、まだ戦い始めて半年しか経ってない。失敗だっていっぱいするし納得できないこともいっぱいある。今度の戦いも、昔沈んだあの島の近くだから……どうしても怖い気持ちはあるよ」

「それでも戦うのね」

「司令官や皆のことを信じてるし、信じてもらってるから。怖くてそれだけあれば――踏ん張れるから」

 

 気負いなくそう言ってのける吹雪は、やはり最高の駆逐艦なのだという気がした。

 恐れを知らぬ者でも、失敗を知らぬ者でもない。恐れながらそれに打ち克ち、失敗を乗り越えていける者。それが『最高』と呼ばれる者なのではないか。

 敵わないなと思った。だが悔しくはなかった。いつかこうなれるだろうかという漠然とした思いが湧き上がってくる。

 憧れ、というやつなのかもしれない。

 

「……大丈夫よ。何かあれば私も助けに行くから。今度は、きちんと」

 

 こちらがそう言うと、吹雪は少し照れたように笑った。

 

「実は、うちの叢雲ちゃんからも同じこと言われたんだ。ちょっと不思議な感じだけど……うん、ありがとう」

 

 どこの叢雲も考えることは同じらしい。

 吹雪と同様――昔のことが心のしこりになっているのだ。

 

「気持ちはありがたく受け取っておくね。けど、私には私の叢雲ちゃんたちがいてくれるから。あなたはあなたの吹雪たちを助けてあげて欲しいかな」

「そうね。うちの吹雪はまだまだ危なっかしいし、よく見てないと」

 

 心の中に溜まっていた淀みが流れていくような感じがした。

 吹雪が母艦に戻っていってからしばらくすると、頼りなさげな男がやって来た。

 

「どうやら調子は戻ったみたいだな」

「……なんでそんなこと分かるのよ」

「なんとなく。明日は叢雲にも出てもらいたいんだが、いけそうか?」

 

 それに対し、迷わず答える。

「――当たり前じゃない」

 

 

 

 翌朝、留守を大淀に任せてショートランドを発った。

 左右には横須賀とトラックの大艦隊がいる。こちらは増援部隊だけだが、なんとなく格差を感じてしまった。そもそも母艦の大きさが全然違う。こちらは母艦というか、少し大きいだけの船だ。艦という感じすらしない。

 

「なんとか儲けて本格的な母艦を買った方が良いかな……」

「私はこの船好きですよ」

 

 話しかけてきたのは古鷹だった。すっかり怪我も治ったようである。

 

「好きか嫌いかで言えば私も好きだけどね。思い入れもあるし。……ただ、ちょっと不便じゃないか? 大人数で遠征に出向くときとか、乗り切らなくなるんじゃないかな」

「私たちは自力で航海できますし、無理に乗船する必要はないですよ」

 

 それはそうなのだが、できるだけ移動で疲れて欲しくはない。

 とは言え大型の艦なら操艦技術を持ったスタッフが必要になる。立派な母艦を持つまでの道程は遠そうだった。

 

「青葉は、大丈夫でしょうか」

 

 古鷹が不安そうに言った。

 

「……青葉を中継基地に送ってからすぐに漸減作戦は一時停止させたから、今は問題ないだろう。この先が正直心配だけどね。やる気全開で行ったのに即刻作戦中断じゃフラストレーション溜まってるだろうから」

 

 別に青葉が原因で停止させたわけではないのだが、青葉からするとこちらが意地悪したように見えても不思議ではないだろう。

 向こうに着いたら何か言われそうだと思うと、少し胃の辺りが痛い。

 

「中継基地の皆と合流したらいよいよ攻勢に出るんですよね」

「ああ。総動員で事に当たる。編成は出発前に伝えた通りだ」

 

 古鷹は叢雲や金剛たちと組んで飛行場を直接叩く部隊である。青葉や衣笠たちは敵戦力を迎撃する部隊に回していた。

 

「……あの、提督」

「やめといた方がいい」

「まだ何も言ってません」

「なんとなく分かる。青葉と同じ部隊に入れて欲しい、もしくは青葉を後方に下げて欲しい。そんなところだろう?」

 

 古鷹は口をつぐんだ。

 

「同じ部隊に入ってもらっても、正直今の二人じゃ連携に不安が残る。後方に下げるなんてことしたら青葉はそのことをずっと気にするだろうし。下手すると今後戦う意欲を失くしてしまうかもしれない」

「……そうですね。分かってはいます」

 

 それでも言わずにはいられないのだろう。そういう気持ちは分からなくもない。

 

「一度ぶつかってみた方が良いかもね」

「え?」

「古鷹が青葉のことを大事に想ってるのは私にも十分伝わってきた。その想いを本人にぶつけてみた方が良いかもしれない」

「……でも、どういう風にすればいいのか」

「考えがまとまらないなら、そのまま勢いでぶつかってみるのも一つの手だ。あれこれ悩んでいたことが、いざやってみたらすんなり解決した――なんてよくある話だし」

 

 無論いつもそれで解決するとは限らないが、自分の経験ではそれなりに上手くいくことが多かった。

 

「もし古鷹がそうしたいっていうなら、この戦いが終わった後でそういう場を設けられるように便宜を図ろう。青葉に逃げられたら困るだろうからね」

「……その、ありがとうございます」

 

 古鷹がほんの少し嬉しそうな表情を浮かべた。

 そのとき、船室から加古が出てきた。普段からマイペースな古鷹の姉妹艦だが、今は少し顔を強張らせている。

 

「提督、古鷹。金剛から通信があった。ちょっとまずいことになってるみたいだ」

「すぐ行く」

 

 船室に入り通信機に向かい合う。

 

「新八郎だ。金剛、状況報告を頼む」

『提督! スミマセン、私の判断ミスデース……』

 

 青葉が行方不明になったという。

 漸減作戦は一時停止したものの、敵情視察は欠かさず行っておく必要があると判断した金剛は、定期的に偵察隊を出していた。漸減作戦とは異なり敵を釣り出す必要はないから、あまり深入りはしないよう言ってあったという。

 ところが、青葉たちの部隊が偵察に出た際、敵からの奇襲を受けてしまったのだという。

 

『青葉は他の皆サンを守って一人その場に残ったそうデス。青葉以外の皆サンは無事帰投したのデスガ……』

 

 帰投したメンバーの証言によると、青葉隊は決して深入りしたわけではないという。金剛の指示は守っていたが、敵がこちらの予想外の動きを取ったということらしかった。金剛が言った『判断ミス』はこのことだろう。

 

「敵の動きを完璧に読むなんて古今東西どんな名将にだって不可能だ。これは判断ミスとは言えない。これを気に病んで本当の判断ミスをするなよ、金剛」

『了解デース……』

「作戦決行が近い。そちらの人員も含めて作戦を決めている。青葉の捜索に関してはこちらの判断を待つように」

 

 そう言って通信を切った。側で聞いていた古鷹の顔色はすっかり青ざめている。加古や叢雲もいた。どちらも表情が硬い。

 

「どうするの、捜索は」

 

 叢雲が口火を切った。曖昧なままにはしておけない。

 

「……今出すのは難しいと考えている」

「提督、私だけでも行かせてください。私だけなら作戦に大きな影響は出ないと思います」

 

 古鷹が前に出て言った。

 

「古鷹、それは駄目だ」

 

 こちらが口を開く前に加古が止めた。

 

「古鷹一人で捜索って、それで敵に襲われたらどうするんだよ。ミイラ取りがミイラになるぞ」

「……そういうことだ。捜索を出すなら一部隊……六名単位で動かさないと危ない。青葉がいるのは深海棲艦の軍勢がいるであろう海域だからね」

「けど……!」

 

 食い下がろうとする古鷹を手で制して、仁兵衛からもらった提督間で使うあの通信機を取り出した。

 

「こちら伊勢新八郎。申し訳ないがこちらの艦隊で少し問題が発生した」

『こちら三浦剛臣。問題とは?』

「中継基地にいた部隊のメンバーが敵の奇襲を受けて消息不明になった。できればこちらの艦隊の一部隊を捜索隊として出したい」

『こちら毛利仁兵衛。僕としては賛成しかねる。消息不明になったメンバーの不足だけでも痛いのに、捜索隊まで出すとなるとその分の戦力も減ることになる』

 

 仁兵衛の言うことはもっともだった。正直こちらも仁兵衛の立場だったら同じことを言うだろう。

 半ば無理な願いであることは承知していた。ただ、何もせず青葉を見捨てるようなことはしたくなかったのだ。

 

『……三浦だ。捜索部隊は一隊か。約二部隊の穴ができるということになるという理解で合っているか』

「合っている」

『承知した。その穴は我々横須賀鎮守府の艦隊で埋めよう。万一に備えての予備メンバーも連れてきている。どうだ毛利、それなら問題はないだろう』

 

 剛臣からの意外な提案に、仁兵衛だけではなくこちらまで息を吞んでしまった。

 

『……なんだそれ。予備戦力なんて聞いてないぞ。あるなら最初から言ってくれないと困る』

『もしものときの備えとして考えていた。最初から作戦に組み込むつもりの戦力ではなかったんだ。気を悪くしたならすまない』

『いや、別にいい。戦力面での不足が補えるなら僕としても反対はしない』

「二人ともすまない、感謝する。いつかこの御礼はさせて欲しい」

 

 通信を切る。

 思わぬ形で無茶が通ってしまった。横須賀にはしばらく足を向けて寝られそうにない。

 

「急ぎで捜索隊を編成しよう」

「私、参加します」

 

 古鷹が前のめりになって言ってきた。

 

「……加古、叢雲。古鷹と一緒に青葉捜索を頼んでいいか?」

「いいぜー」

「このメンバーなら後は中継拠点にいる衣笠と吹雪も連れていきましょうか」

 

 叢雲が、少し意地の悪そうな表情で言った。

 

 

 

 退こうと思えば退けたのかもしれない。

 ただ、そうする気にはどうしてもなれなかった。

 かつて、多くの仲間を失った。

 戦っているのだ。敵を倒すこともあれば、仲間を失うこともある。それは覚悟していたつもりだった。

 ただ、そのときの自分の行動に悔いる点が多々あった。こうしていれば、ああしていればと思うことが多かった。

 じっとしていると後悔に押し潰されそうだったが、幸いあのときの戦いではじっとしている余裕なんてなかった。戦いに次ぐ戦い。死にかけてはどうにか生き延びて戦場に舞い戻る日々。そんな自分のことを『ソロモンの狼』などと呼ぶ者もいた。

 己の行動を省みる時間もなく戦いに明け暮れたせいか、過ちを何度となく繰り返した。そうして、最期の時を迎えた。

 今は考える時間が多い。

 提督は軍人出身ではないからか、極力無理をしようとせず必要以上に艦娘へ仕事を振らない方針を採っている。

 それは、自分にとって酷なことだった。

 やることがなければ、かつてのことを振り返ってしまう。己のミスを思い出してしまう。仲間たちを助けられなかったときのことを脳裏に思い浮かべてしまう。

 かつてのように、我武者羅に戦い続けるだけの方が良かった。

 

 ……本当に?

 

 自問自答しながら目を開ける。周囲は暗い。身体は痛い。手にはざらついた岩の感触。

 ここは、咄嗟に逃げ込んだ島の浅瀬だ。周囲に敵影はない。今のところはどうにか無事と言えそうだった。

 ただ、艤装は大破している。偵察機も飛ばせそうになかった。

 

「……まるで、昔みたいだなあ」

 

 周囲には誰もいない。

 沈んだのではなく逃げ延びたのだという点が救いだった。

 とは言え、いつまでもこの場で休んでいるわけにはいかない。艤装の状態からすると自力で戻るのは難しそうだが、最低限ここがどこなのかは把握しておいた方が良いだろう。

 痛みに耐えながら岩を渡り歩き、島に上陸する。遠くの方で何かが飛ぶような音が聞こえた。もしかすると敵の飛行場基地が近いのかもしれない。

 見晴らしのいい場所を求めて歩き回り、やがて小高い丘の上に辿り着いた。

 

「……これは」

 

 大分離れてはいるが、同じ島に巨大な滑走路が見えた。一つではない。二つでもない。全部で三つの滑走路が完成している。

 古鷹と赤城が見たという飛行場基地だろう。滑走路上には多くの艦載機が並んでいるように見えた。

 近くにはホニアラ市も見える。すぐ側にできた深海棲艦の基地に怯えるかのように静まり返っていた。

 

「この状況、皆に連絡しないと」

 

 通信機を取り出そうとしたが、見当たらなかった。戦闘中に落としてしまったらしい。

 

「……この期に及んでまたミスですか」

 

 自嘲するように呟く。

 思わず泣いてしまいそうになったが――次いで見えたものが涙を引っ込めた。

 飛行場基地よりも更に向こう。島の東側に――大規模な艦隊が見えた。



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第八条「挑戦と成長は生ける者にのみ許される」

 中間拠点を発ち、いよいよ敵の飛行場基地が近づいてきた。

 本格的な攻勢作戦が開始されようとしている。そんな中艦隊から離れるというのは若干後ろ髪を引かれる思いもあった。

 行方知れずとなった仲間を探したいというのは、結局のところ自分のわがままだ。それを聞き入れてくれた提督たちには感謝と申し訳なさを感じる。

 

「大丈夫?」

 

 並走する叢雲の気遣いに対し、古鷹は首肯した。

 

「この前大破してから、ずっと考えてたんだ。青葉に会ったらなんて声をかけようかって」

 

 明確な言葉を届けないと、青葉はまた逃げてしまう。

 それでは今までと何も変わらない。それはもう嫌だった。

 

「私、自分の判断が間違っていたとは思わないんだ。あのときは青葉を守るべきだと思ったし、それが果たせたことについては後悔してない。ただ――青葉を一人にしちゃったことについては、後悔してる」

 

 沈みたくなかったというほどの後悔はなかった。

 仲間を守ることができた。自分の役割を果たすことができた。そういう意味では満足のいく最期だった。

 後悔したのは、艦娘として新たな命を得て、青葉のその後を知ってからだ。

 自己満足だったのではないか。本当の意味で青葉を守れたと言えるのか。

 そんな自問自答を繰り返してきた。青葉から避けられるたびに罪悪感が募っていった。

 それでも、あのときは青葉を守るべきだったという考えは変わらなかった。

 

「……私は、強くなりたい」

 

 悩みに悩んで考え付いたのは、シンプルな答えだった。

 

「仲間を守って、自分も沈まない。それだけの強さが欲しい。ううん、強くなるって――決めたんだ」

「それって理想論じゃない?」

「うん。でも、目標なんて最初はそんなものだと思う。理想論だからって目指しちゃいけない理由にはならないよ」

「……そう返せるなら大丈夫そうね」

 

 叢雲が笑った。今の挑発するような言葉はわざと言ったものらしい。

 

「けど、強くなるって言っても一人じゃできることに限度があるわ。突っ走って無理しないでよ」

「うん。提督にも注意されたしね」

 

 出発前、提督は何度も「一人で動くな」「互いに支え合え」と繰り返していた。

 振り返る。そこには加古が、衣笠が、吹雪がいた。

 

「――行こう」

 

 夜のアイアンボトムサウンドを駆けていく。数多の艦の墓場とも言える忌まわしき地だが、今は不思議と怖くなかった。

 

 

 

 通信機からは切羽詰まった声が聞こえてくる。

 情報共有のために横須賀・トラック・ショートランドの各艦隊で通信チャンネルを共有しているのだが、そのせいかひっきりなしに状況報告が飛び込んでくる。室内に用意した海図の駒を動かす手が止まらなかった。

 夜戦ということもあって敵味方ともに視界が悪く、奇襲を受けて撤退を余儀なくされる艦娘も何人も出ている。

 

 ……大丈夫なのか。

 

 駒の配置を見ながらも、胸中には絶えず不安があった。

 今のところ作戦は想定通り進んでいる。しかし通信機から聞こえてくる砲撃音や艦娘たちの悲鳴を聞いていると、本当にそうなのかという疑念が浮かんでくる。

 だが、これが戦というものなのだろう。

 自分は戦に関して素人だった。できることは限られている。その一つが、弱音を吐かないことだ。

 

「……榛名、状況は?」

『こちら榛名っ、現在本艦隊に大きな被害はありません! 飛行場基地も――そこを守る深海棲艦の姿も視認できる距離です!』

 

 今回、金剛と榛名には飛行場基地破壊のための強襲部隊を任せていた。かつての戦争で同じ場所を砲撃したこともあり、地形に明るいという理由からだった。横須賀とトラックの金剛・榛名もそれぞれ強襲部隊を率いている。

 

「横須賀・トラックの部隊は?」

『どちらも視認できる距離にいます。……凄いです。何度か敵に襲われましたが、鎧袖一触という感じで……』

「感心するのは後にしよう。彼らは経験を積んでいる分我々より凄くて当たり前なんだから」

『は、はい。すみません……』

 

 榛名は素直なところが美点だが、着任してまだ日が浅いからか今一つ自信を持てずにいるようだった。

 

「榛名」

『はい』

「私も横須賀・トラックのメンバーは皆凄いと思う。だからこそ、一緒に追いつけるよう頑張っていこう」

『……はい!』

 

 そこで榛名との通信を切る。

 少し怪我人の状況が気になったので船室から甲板に出た。

 甲板は大破して撤退してきた艦娘たちでいっぱいだった。明石や夕張たちが駆けずり回って応急手当をしている。

 

「どうしたんだよ、提督」

 

 腕に包帯を巻きつけた重巡洋艦・摩耶が声をかけてきた。

 

「摩耶、大丈夫か?」

「なんとかな……。艤装も修復材で突貫修理してる。もしかしたらまだ戦線復帰できるかもしれない」

「無理をするな。摩耶は十分戦ったろう」

 

 そう言うと、摩耶は「ハッ」と笑った。

 

「甘いぜ提督。十分戦ったって台詞は作戦を完遂するまで言うべきじゃない。……無理をさせて艦娘を沈める奴は馬鹿だが、過保護になって作戦を完遂できない奴は阿呆だと思うぜ?」

「……なかなか手厳しいな。私は馬鹿だった。そして馬鹿にされるのを恐れて阿呆になったということか」

「そう言われたくないならシャキッとするんだよ」

「……摩耶の言う通りよ。こういうとき指揮官は右往左往するもんじゃないわ。もっとドンと構えてなさい」

 

 近くで話を聞いていたのか、軽巡洋艦・五十鈴が言った。

 

「見なさい、皆アンタの姿を見て不安がってるじゃない」

 

 五十鈴に言われて周囲を見渡す。確かに皆何事かという視線を向けてきていた。

 

「姿を見せるなら何か景気のいいことでもやらないと」

「……そうだな、すまない」

 

 一旦姿を見せた以上、このまま引っ込んでは余計不安にさせてしまうことになる。

 あまりこういうのは得意ではないが、やるしかなさそうだった。

 

「――皆、今のところ作戦は順調だ! 金剛・榛名の強襲部隊も間もなく飛行場基地に到達する! 勝利は近いぞ!」

 

 おお……というざわめきが甲板中に広がっていく。

 その様子を確認してから、摩耶と五十鈴に頭を下げて船室に戻った。似合わないことをしたせいかどっと疲れた気がする。

 

「……提督?」

 

 大淀が不安そうにこちらを覗き込んできた。

 

「大丈夫ですか。大分顔色が悪いようですが」

「問題ないよ。慣れないかっこつけをしたせいでちょっと……」

 

 言いかけて、膝から力が抜けていくのを感じた。危うく倒れそうになる。

 

「……すまない。ちょっと調子が悪くなったみたいだ」

 

 風邪とは少し違う感じがする。この激戦で霊力供給が追い付かなくなっているのだろうか。

 どうにか椅子まで戻って腰を下ろす。少しだけ楽になった気がした。

 

「大丈夫だ。作戦はまだ続いている。皆が頑張っている中で、一人倒れてなどいられないさ」

 

 どうにか笑ってみせる。大淀はまだ不安そうな表情を浮かべていたが、それ以上は何も言ってこなかった。

 

 

 

 先日の戦いでは何もできなかった。

 衣笠や大井たちは気にするなと言ってくれたが、それでも役に立てなかったという事実はずっと心に残り続けている。

 今度の戦いでは絶対に成果を出して見せる。そう息巻いていたが、今はただ周囲に圧倒されてばかりだった。

 旗艦である金剛をはじめとするショートランドの仲間たちもそうだが、横須賀・トラックの艦娘たちの戦い方は凄まじかった。

 挙動一つ一つが洗練されている。そして自分の行動に迷いがない。

 そんな周囲を見て、劣等感が募っていった。

 提督の言葉のおかげで、かろうじて潰されずに済んだ。

 

「榛名、もう大丈夫デスカー?」

 

 振り返らず、金剛が言った。

 

「……はい。大丈夫です。榛名は、今自分にできることを精一杯やります」

「それでこそマイシスターデース! 敵も出てきたし、一発お見舞いするネ!」

 

 金剛の言葉通り、飛行場の周囲から多数の深海棲艦がこちらに向かってきていた。これまでも大分多くの深海棲艦を相手にしてきたはずだが、まだ相当な数が残っているらしい。

 

「恐れることはありまセーン! 私の見立てではあれで最後ネ! そしたら一気に飛行場姫を叩くヨ!」

 

 飛行場姫。それは飛行場の中心部に座している新型の深海棲艦のことだ。積極的に動く様子はないが、真っ赤な双眸は絶えずこちらにじっと向けられている。

 だが、今見るべきはそちらではない。まずは眼前に展開する敵たちだ。

 

『トラック・ショートランドの皆サーン、用意は良いデスカー?』

 

 先頭に立つ横須賀の金剛から通信が入った。

 

『こちらトラック、問題ないデース!』

「ショートランドも問題ないネー!」

『では、一斉に行くヨー!』

 

 横須賀・トラックの艦娘にも、ショートランドの仲間たちにも自分はまだ及ばないかもしれない。

 だが、そんな凄い艦娘たちは皆味方なのだ。悔しい思いもあるが――同時に頼もしくもある。

 

『てーッ!』

 

 横須賀の金剛の掛け声と同時に、各拠点の艦娘たちによる一斉砲撃が放たれた。

 各地の砲撃音をかき消すような、戦場一帯に轟くような凄まじい轟音が響き渡る。

 まだ遠い。敵を十分に倒しきれたとは思えない。より距離を詰めて第二撃を入れる必要がある。

 

『前進!』

 

 横須賀の金剛の指示に従って、前線部隊は一斉に進んでいく。敵に近づけば自分たちが撃たれる可能性も増えていく。だがそのことを恐れる者はいなかった。

 

 

 

 敵の放った砲弾がすぐ側で飛沫を上げた。

 少しずつ距離を詰められている。避けながら逃げるこちらと攻めながら追ってくる敵とでは、どうしても速度に差が出る。

 青葉はホニアラ市から借り受けた小型ボートで西に向かっていた。艤装は既に大破しているから、まともな攻撃手段はない。自力航行もできない有り様だった。

 大人しくホニアラで待機していれば良かったのかもしれない。だが、そうも言ってられない状況だった。

 東に大軍勢が控えている。

 味方の視線はおそらくホニアラ市の側の飛行場に集中している。現に先ほどからそちらで激戦が繰り広げられているようだった。

 周囲にも警戒はしているだろうが、それでは足りなかった。おそらく敵の本丸は東側のあの軍勢だ。飛行場ではない。東への対策に本腰を入れないと、横合いから強襲を受けてこちらの軍勢が壊滅する恐れがある。

 一刻も早くこのことを指揮官に伝えなければならない。

 だが、適当な艦娘を捕まえて状況を説明していられるような状態ではなかった。どこも凄まじい激戦が繰り広げられている。下手に近づけば沈んで終わりだ。

 そのため激戦区を避けながら指揮官を探そうとしたのだが――途中で深海棲艦の部隊に捕捉されてしまった。

 必死に逃げ回っていたが、一向に撒ける気配がない。戦場を避けるようにして動いていたせいで周囲には他の艦娘の姿も見えなかった。

 

「これは、もう駄目かなー……!」

 

 間近に着弾し、ボートが大きく揺れ動いた。もう余裕がない。

 

 ……せめて、東に警戒するようにという情報を誰かに伝えないと。

 

 ボートに積んである通信機。先ほど試したときは繋がらなかったが、今はどうだろうか。

 手を伸ばしたとき、ボートが弾け飛んだ。

 

「ぐっ……!?」

 

 身体が吹き飛び、海面に叩きつけられる。

 どうにかボートの破片にしがみついたとき、周囲はすっかり深海棲艦に囲まれていた。

 多数の砲口がこちらに向けられている。

 

「……青葉、しぶといのが取り柄だったんだけどなあ」

 

 さすがにこれは詰みだ。

 結局のところ――あの戦いでも、今回も、自分は役に立てなかった。

 生きるか死ぬかの違いがあるだけで、為すべきことを為せなかったという点では変わらない。

 そんなことはないと言ってくれる人もいるかもしれない。だが、自分ではそう思えなかった。

 後悔だらけだが――その後悔を拭い去る術がないなら、ここで沈んでしまった方が楽かもしれない。

 そんなことを思いながら、目をつむる。

 砲撃音がした。

 ――痛みはなかった。

 目を開ける。

 深海棲艦が、倒れていた。

 

「青葉ァーッ!」

 

 誰かが叫んでいる。

 目を、閉じた。

 また、砲撃音が聞こえた。

 静かにして欲しい。もう嫌だった。生き抜くことに疲れたのだ。

 あのとき、ようやく終われると思ったのに、またこんな形で呼びだされて、いい迷惑だった。

 何度も何度も砲撃音が響く。だが、それもやがて静かになった。

 力が抜けていく。ボートの破片から身体がずり落ちて、海中に引きずり込まれていく。

 全身が沈む――その直前に、引っ張り上げられた。

 

「青葉!」

 

 こちらを抱きかかえ、頬を何度も叩いてくる。やめて欲しい。眠らせて欲しい。

 

「……やめてくださいよ」

 

 嫌々ながら目を開ける。そこには、古鷹の顔があった。

 

「もう、休ませてください。青葉は、疲れたんです」

「……休ませない」

 

 力強く抱き締めながら、古鷹が言った。

 

「こんな形では休ませない。だってこんなの、嫌だよ。誰かがいなくなるのも、誰かが残されるのも、もう私は嫌だ」

「……我儘ですねえ、古鷹は」

「我儘だよ。我儘にもなるよ。ずっと我慢してたんだから……!」

 

 そういえば、古鷹と言葉を交わすのは随分と久しぶりかもしれない。

 昔は、あんなに一緒にいたのに。

 遠い記憶を遡る。あの頃は衣笠もいて、加古もいた。

 視界が少しずつはっきりしてくる。見ると、すぐ側には衣笠や加古の姿があった。吹雪や叢雲もいる。

 

「……これは、夢か何かでしょうか」

「現実だよ」

 

 衣笠が笑った。

 

「だとしたら、司令官も人が悪い」

「苦情なら直接戻って言いな」

 

 加古が意地の悪そうな表情で言った。

 どうやら、彼女たちは誰一人として自分を休ませるつもりはないらしい。

 

「青葉」

「……なんですか、古鷹」

「私はもう沈んだりしないよ。だから、青葉も沈まないで。生きることを諦めないで」

「――まったく、誰に言ってるんですか」

 

 皆がここにいるというのに、自分一人が沈んでしまっては、また一人ぼっちではないか。

 

「そのしぶとさでソロモンの狼とまで言われた青葉が、そう簡単に沈むわけないでしょう。そっちこそ、勝手に沈んだら許しませんよ」

「うん。沈まない。強くなるよ。沈まないくらいに」

「約束ですよ」

 

 古鷹が頷いたのが分かった。

「……皆さん、重要な話があります。司令官とすぐ話できますか?」

 

 

 

 青葉からもたらされた情報は作戦の前提を覆すものだった。

 見えざる敵への警戒は当然していたが、さすがに敵飛行場が本隊ではないとまでは思っていなかった。

 

『飛行場姫との戦闘は現在も継続中だ。本隊であろうとなかろうとあそこは潰しておかなければならない』

 

 話を聞いた剛臣は最初にそう告げた。

 

『周辺の敵戦力は徐々に片付きつつある。そちらからメンバーを回そう』

 

 仁兵衛が即座に断じた。確かに今打てる手はそれくらいしかない。

 

「しかし、数の上では圧倒的に不利だ。勝算はあるのか……?」

『まともに正面からぶつかっても勝ち目はないな。だが頭を叩くことならできる。まずはそこからだ』

 

 青葉から聞いた限りだと、敵は鶴翼の陣を敷いている。

 

『鶴翼ってことはこっちを囲むのが狙いだろう。迂闊に中央突破しようとしたら包囲殲滅される恐れがある』

『……ならもっと翼を広げるか』

 

 剛臣の案は、敵の陣を薄く広く伸ばしてしまおうというものだった。翼を広げてしまえば包囲されるまでの時間が長くなる。その分中央突破の成功率も上がる。

 

『まずは左翼を横合いから崩そう。左翼が崩れ始めたら今度は右翼だ。右翼への攻撃とほぼ同時に中央突破組を突入させる。三浦、新八郎。異論はあるか?』

『ない』

「ああ、ない」

 

 ないというか、他にどうすればいいか分からないのが正直なところだった。

 

『改めて戦力を整えている暇はない。近場にいる艦娘に直接行ってもらうことになる』

 

 そうなると、うちから出るのは叢雲や古鷹たちになりそうだった。

 

 

 

 青葉は護衛に吹雪を付けて帰還せよ。叢雲たちは他の部隊と協力して敵本隊を叩け。

 それが新八郎から出た新たな指令だった。

 

「大分無茶な注文ね」

『すまない。矛盾してるようだが無理はしないでくれ。帰ってきたら俺の奢りで皆にご馳走しよう』

「言質取ったわよ。言っとくけど安物だったら承知しないから」

 

 通信を切る。

 

「……すみません。後はお願いします」

 

 青葉が申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「何言ってんの。青葉の情報がなかったらこっちが奇襲受けて壊滅してたかもしれないんだから、もうMVPものの働きをしたようなものよ。後は任せてゆっくり休みなさい。吹雪、青葉を頼んだわよ」

「うん、任せて!」

 

 自力航行できない青葉を抱えて、吹雪が去っていく。

 それを見届けてから、戦場に向かって発進する。

 しばらく移動すると、早速敵の大部隊が見えてきた。既に左翼側からの攻撃は始まっているようだった。

 先手を打たれたことで敵には若干動揺が見えた。数は多いが、付け入る隙はありそうだ。

 

「この位置だと私たちは中央突破組に参加した方が良さそうね」

「うげっ、マジかよ……」

 

 加古が呻く。一番危険な役割だ。嫌になるのも頷ける。

 

「あれ、叢雲たち合流したっぽい?」

 

 様子を窺っていると、夕立・大井・北上がやって来た。

 

「その様子だと青葉は見つけられたみたいだねー」

「ええ、心配かけたわね」

 

 一点突破が目的というこの状況、爆発的な攻撃力を持つ三人の合流は心強かった。

 

「あなたも調子戻ったみたいね」

 

 大井がこちらをじっと見ながら言った。

 

「そうね。あのときは役に立てなくて悪かったわ」

「別に悪いとは思ってないわよ。あなたが敵を引き付けたから私たちが敵を倒せた。そういう意味ではむしろ役に立ってたわね」

 

 素っ気なく言って大井は先に行ってしまった。

 

「大井っちなりに励まそうとしたんだと思うよ」

 

 北上が笑った。

 大井は一見するときつい印象のある艦娘だが、実際のところ気配り上手な面もある。

 

「分かってる。それより頼むわよ。今回も頼りにさせてもらうから」

「了解。んじゃ指揮は任せるねー」

 

 そう言って北上も先に言ってしまう。指揮系統をどうするか話し合おうと思っていたのだが、どうも暗黙的に自分が指揮官ということになっているらしかった。

 

「普通こういうのって大型艦の役割なんじゃないの?」

「それは艦の頃の話だし、いいんじゃない?」

「衣笠さんとしても異論はないかな」

「叢雲ちゃん、お願いね」

「夕立は敵を倒せればそれでいいっぽい」

 

 どうやら他の選択肢はないようだった。

 

「――叢雲、敵さんの右翼が動いたみたいだよ」

 

 衣笠が告げる。鷹が翼を広げてこちらを威嚇しているようだった。

 今、敵の意識は左翼から右翼に移りかけているところだろう。両方同時に攻めかかった場合は別方向からの伏兵に警戒していたかもしれない。だが時間が空いたことで、敵は右翼こそがこちらの本命だと思っているかもしれない。

 

 ……というか、思ってくれてないと困る。

 

 右翼の攻め方は苛烈だった。また、ちょうどいいタイミングで左翼の攻め手も勢いを強めている。右翼の応援にはいかせまいという気概がここからも感じ取れる攻め方だった。

 上手い攻め方だ。今のショートランドの艦隊ではこういう戦い方はできないだろう。

 

『こちら横須賀の吹雪、中央突破組に要請します』

『こちらトラックの朝潮、同じく中央突破組に要請します』

 

 通信機から二人の声が同時に聞こえた。左右の攻め手の指揮官はあの二人らしい。

 要請の内容は言われずとも分かっている。

 叢雲は手を挙げた。仲間たちに見えるように、先頭に立つ。

 

『進撃を!』

『進撃を!』

「――進撃!」

 

 三者の声が重なった。

 

 

 

 敵・味方ともに被害は甚大だった。

 飛行場姫を守っていた敵部隊はほぼ壊滅している。それで片が付くと思ったのが甘かった。

 敵艦隊が減るや否や、飛行場姫の周囲に新たな敵が現れた。宙に浮かぶ円形の深海棲艦である。横須賀やトラックの艦娘たちはそいつを知っているらしく「護衛要塞」と呼んでいた。その名の通りこちらの砲撃から飛行場姫を庇い続けている。

 

「あれでは飛行場姫を狙えないデース……!」

 

 金剛が苛立ちを見せた。

 既に戦闘を開始してから大分経過している。作戦を開始したのが深夜に入りつつある頃だったので、そろそろ夜明けが近いのかもしれない。夜が明ければ制空権を奪われ、こちらが一気に殲滅されてしまう。

 

『先に護衛要塞を潰しマス!』

 

 横須賀の金剛の言葉に異論を挟む者はいなかった。要塞を無視して飛行場姫を狙っても邪魔されてしまう。

 だが、その護衛要塞は宙を自在に動き回るため照準を定めにくい。

 確実に撃ち落とそうと近づいたトラックの榛名は、二体倒した時点で至近距離から飛行場姫の砲撃を受けて大破した。

 

「……金剛お姉様。時間がありません。榛名は接近戦をすべきだと思います」

「――それしかないデスカ」

 

 金剛が懐から時計を取り出した。もうすぐ夜が明ける。東からは別の軍勢も迫っているという。一旦撤退して立て直しを図る、というのも難しい状況だ。

 

「こちらショートランドの金剛、意見具申しマース」

 

 ショートランドとトラックの残存部隊が接近して護衛要塞を叩く。横須賀の艦隊は隙を見て一斉に飛行場姫を狙う。作戦としては至ってシンプルなものだった。

 この作戦は横須賀の艦隊にすべてがかかっている。もし彼女たちが飛行場姫を仕留め損ねたらこの場にいる全員が沈みかねない。

 

『随分とヘヴィな提案デスネー……』

「難しいデスカ?」

『ズルい質問デスネー。金剛型一番艦の金剛が、そう言われて無理と答えるかどうか、貴方なら分かっているはずデース』

「頼みましたヨ? 私たちもここで沈むのは御免デス」

 

 そう言って金剛は通信を切った。

 

「さーて、皆さん。行くも地獄退くも地獄、だったら笑って行きまショウ! オーケー?」

「オーケー!」

 

 その場に残っていたショートランド艦隊のメンバーが一斉に吠える。

 金剛は満足そうに頷くと、高く掲げた腕を振り下ろした。

「進撃デース!」

 

 

 

 脇目も振らず、がむしゃらに前へと進む。

 阻もうとする敵すら無視した。倒すべき相手は限られている。余計な弾を使う余裕はない。

 追撃される可能性はあった。それでもなお突き進むしかなかった。幸い今のところ脱落者は出ていない。ただ、無傷な者もいなかった。

 

 ……分かる。何かがいる。

 

 禍々しい気配がした。有象無象の深海棲艦とは格が違う。先日相対した泊地棲鬼をも超えるような何者かがいる。

 徐々に登りつつある陽の光の中に、その姿はあった。

 巨大で、まるでそれ自体が生きているかのような艤装。それを背負った女が一人。

 深海棲艦は強力な個体になればなるほど人型に近づいていくという説がある。その女は、艤装と額から生えている角さえなければ人間そのものに見えた。

 その周囲には、二体の姫クラスらしき深海棲艦と、三体の宙に浮かぶ深海棲艦がいた。

 

「……悪い冗談ね」

 

 勝てない。

 その言葉が喉まで出かかった。

 だが、それは口にしてはならない言葉だ。

 

「皆、あれよ」

 

 強引に唇を吊り上げて笑ってみせる。

 

「あの馬鹿でかいのを倒せば良し。至ってシンプルだわ」

「それじゃ、やっちゃいますか」

 

 この期に及んでもペースを崩さない北上が、本当に頼もしかった。

 

「古鷹、加古、衣笠は先行して旗艦から他の奴を引き離して! 北上と大井は三人の援護をしつつ隙を見てあの黒いのに残りの魚雷を全部叩きつける!」

 

 指示を出すと全員が一斉に頷いた。迷っている余裕はない。

 

「叢雲、夕立は?」

 

 真っ赤な双眸をこちらに向けて、夕立が尋ねてきた。

 

「決まってるじゃない――好きに暴れるのよ」

「了解っぽい!」

 

 夕立が満面の笑みを浮かべて突撃を開始した。仲間に見せる人懐っこい笑みではない。敵を狩るときの猟犬を思わせる笑みだ。

 急襲する夕立目掛けて敵の部隊が一斉に砲撃を放った。だが、当たらない。着弾点よりも先に夕立が進んでいるからだ。あまりに迷いのない突撃が、敵の予測を上回っている。

 

「素敵なパーティを――しましょ!」

 

 夕立はそのまま一直線に黒い深海棲艦に主砲を向けた。駆逐艦のものとしては規格外の火力を誇る一撃は、宙に浮かぶ要塞によって阻まれる。

 だが、それによって敵の陣形が乱れた。

 そこにすかさず古鷹・加古・衣笠が追撃を仕掛ける。三人の集中砲火を浴びて、姫クラスの深海棲艦が倒れた。

 だが、敵もやられてばかりではなかった。姫クラスが倒れたとほぼ同時に、黒い深海棲艦ともう一体の姫クラスの深海棲艦が加古に集中砲火を浴びせる。

 直撃する。加古の身体が宙に飛んだ。

 

「加古!」

 

 古鷹が叫ぶ。その隙を突いて黒い深海棲艦はそちらに接近し、艤装から生えている巨大な腕を振るった。

 

「っぁ……!」

 

 古鷹がこちらに文字通り飛んできた。衝撃が走る。どうにか受け止めることができたが、全身が痺れた。

 

「あいつ、速いわね」

 

 図体がでかいからと言って油断していた。旗艦だろうから自ら攻めてくることはあるまい、という思いもあった。

 だが、奴は違う。凄まじい火力で積極的に攻めてくる。

 夜明けの海に黒い深海棲艦の咆哮が響き渡る。

 

「……私が引き付ける。他の奴はいい。まずはあいつを倒さないと」

 

 古鷹に耳打ちする。

 火力不足の自分は囮になるのが一番良いだろう。そう思っての判断だった。

 

「そこの黒いの! 私が旗艦よ! 落とせるものなら落としてみなさい!」

 

 その場にいた全員の視線がこちらに向けられる。

 黒い深海棲艦が、雄叫びを上げながらこちらに向かって突っ込んできた。

 主砲で応戦するが、まったく歯が立たない。当たらないなら自分の不甲斐なさを笑えるが、当たって弾かれるという有様だった。これでは笑いようもない。

 巨大な砲口から放たれる砲弾が次々と海を揺らす。これまでの姫クラスや戦艦クラスをも凌駕する威力だ。

 命名するなら戦艦棲姫といったところか。

 戦艦棲姫の意識がこちらに向いている間に衣笠・北上・大井が攻撃を繰り返す。さすがに駆逐艦の砲撃と違い敵も無傷ではいないようだったが、決定打は与えられずにいた。

 圧倒的な火力と、驚異的な装甲。

 これまで戦ってきた深海棲艦の中でも、ダントツの化け物だった。

 頭上から嫌な音が聞こえてきた。深海棲艦の艦載機だ。残っていた姫クラスが放ったものらしい。

 戦艦棲姫の攻撃を避けるだけでも精一杯だった。艦載機まで出てこられたらどうしようもない。

 上空からの爆撃を受けて、とうとう叢雲の足が止まった。更にそこへ戦艦棲姫の一撃が飛んでくる。意識が飛びそうになるような衝撃と痛みが全身を襲った。景色がぐるぐると回る。自分が今どういう状態なのかすら分からない。

 

「叢雲ちゃん――!」

 

 古鷹の悲痛な叫びが聞こえた。同時に身体が海面に激突する。

 

「させないわよ……!」

 

 大井の叫びと、轟音が聞こえた。遅れて、戦艦棲姫のものと思しき苦悶の声が聞こえる。

 ようやく視界が定まってきた。

 見えたのは、艤装が半壊した戦艦棲姫の姿だった。

 やったか、と思ったのはほんの数秒のことだった。戦艦棲姫の前に、北上と大井が倒れている。どちらも大破していた。

 少し離れたところでは、衣笠と夕立も動きを止めていた。他の敵は大半倒したようだが、もう動ける者は残っていない。

 戦艦棲姫は半壊状態だが、まだ戦う力は残っているように見えた。少なくとも、ここにいる者を全員沈めることはできるだろう。

 思わぬ痛手を負った怒りからか、戦艦棲姫は表情を歪ませながら砲口を北上たちに向けた。

 

「やめ――」

 

 やめろと叫ぼうとした。無駄だと分かっていても、声が出た。

 だが、その声は砲声によってかき消された。

 

「――させません」

 

 砲声の後に聞こえたのは、凛とした声だった。

 北上たちは沈んでいない。戦艦棲姫の主砲が、破損していた。

 声の主を見る。

 初めて見る艦娘だった。ショートランドの艦娘ではない。

 

「……皆さん、後は私に――戦艦大和にお任せください」

 

 戦艦棲姫に匹敵するような物々しい艤装を展開させ、大和は主砲を戦艦棲姫に向けた。

 見ると、側には他にも長門型や扶桑型、伊勢型の姿がある。そのすべての砲口が戦艦棲姫を捉えていた。

 

「――参ります」

 

 それが、この戦いの終局を告げる宣言だった。

 

 

 

 甲板に立ち尽くす青葉の後ろ姿を見つけた。

 

「青葉、休んでいなくていいのかい?」

「司令官」

 

 頭上を数多の艦載機が飛んでいく。

 夜は明けていた。まだ敵の残存部隊は残っている。あの艦載機たちはそれらを掃討するためのものだ。

 まだ戦は終わっていないが、大勢は決した。

 東に控えていた軍勢はトップを失って潰走したという。飛行場姫も横須賀の金剛たちの砲撃で無力化できたとの報告があった。

 怪我をしていない者はいないというような有様だったが――どうにか勝てたのだ。

 

「私にとって、この戦いはまだ終わってないです」

「そうか。奇遇だな、私もそう思っていたところだ」

 

 水平線の彼方に視線を向ける。

 

「……司令官こそ休んでなくていいんですか? 今にも倒れそうな顔色してますけど」

「命を賭けて戦った仲間の出迎えくらいはしておきたい」

「そうですか。なら止めません」

 

 割と青葉はあっさり引き下がった。

 その表情は、どこかさっぱりしているように見える。

 

「古鷹とは、話せたか?」

「ええ。でも、まだ十分ではありません」

「……これから話せばいいさ。十分と言えるくらい」

 

 遠くに人影が見えた。

 

「司令官」

「ん?」

「ありがとうございます」

 

 青葉が頭を下げた。下げる直前、その目に涙が浮かんでいるようにも見えたが――それは見なかったことにした。

 人影がこちらに向かって手を振っている。

 青葉と二人、手を振り返した。



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第二章「迎撃!霧の艦隊」(長門・武蔵編)
第九条「己が納得できないことはするものではない」


 二〇一三年、一二月二四日。

 その日はクリスマス・イブということもあって、東京は大いに賑わっていた。

 家族と共に過ごす者。恋人と共に過ごす者。友人たちと共に過ごす者。一人きりで過ごす者。いつもと変わらず働き続ける者。

 様々な人々が、夜の東京で思い思いの時間を過ごしていた。

 東京湾の海上に浮かぶ船にも、そうした人々が乗っている。

 

「……ねえ、あれなに?」

 

 誰かが沖合の方を指して言った。

 ところどころ照らし出される夜の海の中に、何か大きなものが見え隠れしている。

 

「うーん、なんだろう。船かな? 生き物にしては大きいし」

 

 聞かれた者は目を凝らしてみたが、よく分からないようだった。先ほどから周囲一帯が深い霧に覆われている。そのせいで遠方があまりはっきり見えなかった。

 

「気にするほどのことじゃないさ。それよりこの後だけど――」

 

 その言葉は最後まで続かなかった。

 突然夜空が光り――その直後、彼らが乗っていた船が大きく揺れて傾いたからだ。

 

「な、なに!?」

「うわあ!?」

 

 傾いたまま揺れ続ける船上で、乗客たちはパニックになった。

 

「なんだ、トラブルか!?」

「どうなってるんだ!」

 

 ざわめく船上にあって、誰かが呟いた。

 

「……撃たれた」

「はあ!?」

「撃たれた。見えたんだよ、あっちからなんかビームみたいなのが! この船の下の方に当たったんだ!」

「適当なこと言ってんじゃねえ!」

「嘘じゃねえよ、ほ、ほら――!」

 

 そう言って指差された方に、乗客たちの視線が向けられる。

 霧に覆われた海。その中で、不気味な輝きを放つ何かがあった。

 その光はまるで巨大な目のようで、船をじっと見つめているように見えた。

 その『視線』で、乗客たちの恐怖が加速していく。

 

「ひぃっ、また撃ってくる!」

「に、逃げろ――ッ!」

 

 一人が海に飛び込むと、もう収拾はつかない。

 我先にと飛び込む者が、尻込みする者を巻き込んで次々と海に飛び込んでいく。船員の静止など耳に入らないようだった。

 そんな人間たちの様子をじっと観察するように――霧の中に潜む何者かは、じっと佇んでいた。

 

 

 

 クリスマス・イブ。仕事が一区切りした頃合いを見計らって、工廠に足を運んだ。

 少し前までは明石の個人工房と言った方が良さそうな小規模な工廠だったが、今足を運んでいるのは一から建て直した工場とも言える大きさの工廠である。秋の飛行場の件のあと、本土から「ショートランド泊地の設備も拡充すべきだ」として資金が贈られてきた。それを使って建て直すことにしたのだ。今はまだ工廠としての完成までは漕ぎつけていないが、建物自体はもう出来ている。

 

「あ、提督」

 

 明石がこちらに気づいて会釈する。工廠のために新たに雇い入れたスタッフの人と打ち合わせ中のようだった。

 

「二人ならあっちですよ」

「ありがとう。お疲れ様」

 

 明石に指し示された部屋に入る。

 

「提督、お疲れ様です」

 

 そこにいたのは夕張と古鷹だった。二人の後ろにはプレゼント箱が山積みになっている。いずれも本土から取り寄せたものだ。

 

「他の皆には気づかれてなさそうかな」

「はい、大丈夫だと思います」

「すまないな、道楽に付き合わせてしまった」

「いえ、素敵な計画だと思います」

 

 古鷹の言葉に夕張もうんうんと頷く。

 このプレゼントは島の子どもたちや駆逐艦の子たちへの贈り物だった。サンタからの贈り物というやつだ。

 ちなみに軽巡以上の子たちにも贈ろうかと思ったのだが、予算――というか私のポケットマネーが足りなかった。

 さすがに一人でこの計画をこなすのは無理があったので、古鷹や夕張、明石、そしてここにはいないが大淀にも手伝ってもらった。あとはこのプレゼントを皆が寝静まった頃に配るだけだ。

 

「問題は皆にバレずに配れるかどうかだな……。夜間の任務も多いから駆逐艦の子たちも割と平気で夜更かしするし」

 

 そのとき、ポケットに入れていた通信機が鳴った。仁兵衛からもらった、提督同士でしか使用できないというあの通信機だ。

 

「はい、こちら伊勢新八郎」

『三浦だ。あまり時間がないので手短に済ませたい。――今、時間はいいか?』

「問題ない」

 

 何かあったのだろう。通信機越しに聞こえる剛臣の声から、切迫した様子が窺える。

 

『東京まで援軍を出して欲しい。可能なら新八郎にも直接来てもらいたい』

「……東京に何かあったのか?」

 

 東京には家族が暮らしている。何かあったとすれば他人事では済まない。

 

『東京湾に正体不明の艦が現れて、民間船を何隻か沈めた。どうにかその敵艦は退けたんだが、どうも同種の敵は他にもいるらしいんだ。深海棲艦とも違う。そいつらは霧の艦隊と言うらしい』

「霧の艦隊……? そう名乗ったのか」

『奴ら自身は名乗っていないが、情報提供者がいた。そこから得た情報だ。彼女たちがいなければ奴らを撃退することはできなかっただろう』

 

 剛臣が率いているのは最強とうたわれる艦娘たちだ。彼女たちの力をもってしても撃退困難ということは、それだけ強大な敵ということなのだろう。そんな敵がまだ他にもいるという。かつてない緊急事態と考えるべきだった。

 山積みになったプレゼントを見ながら頭を振る。残念だがこれを配っている場合ではなさそうだった。

 

「事情は分かった。これから援軍用の艦隊を編成して向かうことにする」

『恩に着る。何かあれば都度連絡を入れる』

 

 剛臣との通信が切れた。

 こちらの会話を聞いていたのだろう。夕張と古鷹も険しい表情を浮かべていた。

「本土で緊急事態だ。深海棲艦以上の難敵が現れたらしい。これからすぐに援軍を編成する。……残念だけど、これはまた折を見て配ることにしよう」

 

 

 

 執務室に戻り、放送機器を使って主要メンバーを呼び出した。

 大淀、叢雲たちが顔を出す中で、金剛だけがなかなか来ない。

 

「大淀。金剛は不在だったかな?」

「いえ、泊地内にいたはずです」

「さっき演習場にいたわよ。武蔵・長門と一緒だったみたいだけど」

 

 叢雲が補足してくれた。

 金剛は戦艦組をよくまとめてくれている。援軍メンバーを決めるためには彼女の意見が欲しい。

 

「直接呼びに行く。叢雲、一緒に来てくれ」

「了解」

 

 叢雲と二人で足早に演習場へと向かう。

 

「……しかし武蔵と長門か。何か嫌な予感がする組み合わせだな」

「あんまり良さそうな雰囲気ではなかったわね」

「やっぱりか」

 

 胃が痛くなる。

 武蔵と長門はどちらも戦艦の艦娘だ。砲撃戦においては最高クラスの性能を有していると言ってもいい。

 ただ、二人の間には一つ大きな問題があった。

 演習場に着くと、そこには今にも砲撃戦を始めようとしている武蔵と長門の姿があった。

 

「その勝負、待て!」

 

 咄嗟に叫ぶ。

 二人は険しい表情を浮かべたままだったが、少しずつ主砲を降ろしていった。

 

「テ、提督ゥー!」

 

 金剛が困り切った表情で駆け寄ってくる。

 

「金剛。これはどういう状況だ?」

「武蔵と長門の決闘みたいデース……。ジャッジを頼まれて動けませんデシタ……」

「なるほど」

 

 武蔵と長門を見る。二人が身にまとっている雰囲気は戦場にいるときと同じものだ。演習場で放つような気配ではない。

 

「二人とも、演習の許可を出した覚えはないぞ」

「すまんな提督。長門がどうしてもというから断りきれなかった。なに、怪我をさせるつもりはなかったよ」

 

 武蔵の挑発するような物言いに長門の眉が吊り上がる。だが反論する言葉は出てこなかった。

 

「……とにかく、艦娘としての力はむやみやたらに行使するものじゃない。どうしても勝負をしたいなら正規の手続きを踏んで、誰にも文句を言わせないような状況を整えてからやるんだ。今日この場で戦うことは認めない。異論は?」

「ないよ」

 

 武蔵は肩をすくめて、そのまま演習場を去ってしまった。

 

「長門は?」

「……ああ。私もない。すまなかったな、提督」

 

 ちっともすまないと思ってなさそうな恐ろし気な表情を浮かべながら、長門も出て行ってしまう。

 

「まだ尾を引いてるのかしらね。あの二人」

 

 叢雲が溜息まじりで言った。

 武蔵は秋の飛行場騒動のとき、戦艦棲姫と名付けられた黒い深海棲艦が落とした艤装を依代にした艦娘だ。あの騒動の直後に契約を交わし、以降着実に研鑽を積んで、今や泊地の切り札と呼べるほどの力を身に着けている。

 長門がこの泊地に着任したのは、武蔵が既に泊地の最高戦力の一角になってからだった。

 当初、長門はやる気に満ちていた。かつての日本の連合艦隊旗艦を務め、国民から愛されたヒーロー・戦艦長門として、この艦隊を勝利に導こうと約束してくれたのだ。

 だが、教導係として武蔵をつけてから少しずつ様子が変わってしまった。

 伝え聞いた話では、武蔵は最初に演習で長門の実力を確認すると言って、完膚なきまでに叩きのめしてしまったらしい。

 武蔵は長門に現在の自分の実力を把握してもらいたかったようなのだが、その目的は完全に失敗したようで、以降長門は武蔵への対抗心を燃やすようになり、武蔵を超えるための修行と称して泊地の様々な艦娘に勝負を挑むようになった。

 

「長門の対抗心も困りものデスガ、武蔵もフォローが全然足りてないデース……。私も何度か仲裁を試みましたが、どっちも全然譲る気がありまセーン。揃ってベリーベリー頑固デース!」

 

 金剛も散々苦労しているのか、話しているうちにプンプンと怒り始めた。

 

「似た者同士なんだろう、二人とも。上手く噛み合うようになれば良いんだが」

 

 とは言えどうすればいいのかは皆目見当もつかない。

 

「そういえば提督、さっきの呼び出しは何デスカ?」

 

 忘れていた。

 執務室に向かいながら金剛に事情を説明する。

 

「敵が未知数かつ極めて強力ということなら、私と比叡の出番ネー!」

 

 話を聞いて金剛は即座に候補を上げた。金剛たち姉妹は武蔵や長門、それに陸奥と比べると単純な砲撃能力では劣るが、その分航行速度が高く艦娘としての練度も上回っていた。加えて金剛と比叡は第二改造も終えており、艤装の基本性能の底上げもされている。

 戦艦組の中の安定した戦力という意味では、確かにこの二人だろう。

 だが、さっきの演習場の件を見てから、自分の中では少し違う考えが浮かんでいた。

 

「金剛。武蔵と長門を連れていくと言ったらどう思う?」

「……今回の作戦で確実な勝利を求めるなら、私は反対デス」

 

 淡々とした言葉だった。

 

「ただ、今後のあの二人のことを考えるなら悪い考えではないと思いマス。この泊地の中でああだこうだとやってるよりも、あの二人には外の世界を見せてあげた方が良いかもしれないデース」

 

 外の世界を見せた方が良い。それはまさしく自分の考えと同じだった。

 それで具体的にどうなるかはさっぱり分からない。ただ、泊地にいても状況がなかなか変わりそうにないのは確かだった。ならば新しい刺激を与えてみるのも一つの手だろうと思ったのだ。

 

「何かあったときのために陸奥も連れていきたい。すまないが今回金剛たちには留守を頼みたい。引き受けてもらえるだろうか」

「ノー・プロブレムネー! 家を守るのも良妻賢母の務めだヨー!」

 

 金剛にはいつも助けられてばかりだ。

 いつかこの借りを返さなければと、そう心に誓う。

 

 

 

 ショートランドを離れて北に向かう。考えてみれば、ソロモン諸島を離れるのは随分と久々だ。

 母艦は初期の頃に使っていた小型の船ではなく、ソロモン政府から提供された新たな大型艦だ。さすがに長距離後悔するのにあの小型船では問題がある。

 スタッフとしてウィリアムさんたちにも乗ってもらっていた。

 なるべく時間を節約したいので、東京まではトラック泊地を経由して北上するルートで向かうことになる。

 

「司令官」

 

 甲板で北方を見ていると、下から声をかけられた。

 潜水艦の艦娘である伊168だ。通称イムヤ。うちの潜水艦組の中では最古参で、潜水艦組のとりまとめ役をしてもらっている。

 

「おおイムヤか。どうだ?」

「今のところ特に問題なし。このままトラックまで何事もなくいけたらいいね」

「そうだな。何事もなく平穏無事に。それ以上に望むことはない」

「……司令官ってたまにおじさん臭くなるよね」

「悲しいが実際オッサンだから」

「見た目はそうでもなさそうだけどなあ」

 

 伊168はそのまま海面から顔をこちらに向けながら言葉を続けた。

 

「ねえ司令官。今回はなんで私たちが選ばれたの?」

 

 今回の援軍部隊には潜水艦組も組み込んでいた。

 

「すごい強敵なんでしょ、その『霧』って。正直私たちじゃあんまり役に立たないと思うな」

「そうやって卑下する言い方をするもんじゃない。強敵の相手をするからこそ伊168たちの力は必須になるんだぞ」

「そうなの?」

「ああ。具体的なことは他の艦隊と協議して決めることになるけど、私は伊168たちに偵察を頼みたいと考えている。詳細が分からない強敵を相手にするなら、まず情報を集めないと話にならないからね」

 

 これまで何度か剛臣から連絡があったが、霧の艦隊は水上戦において艦娘を圧倒する性能を有しているらしい。海を割るようなビーム砲のようなものすら撃ってくるという。

 

「偵察機含め水上からの接近は極めて危険だ。そこで伊168たち潜水艦組の力を借りたいというわけさ」

「そんな無茶苦茶な相手だとさすがにイムヤたちも怖いんだけど」

「不安なら私も同行しよう。皆に危険を押し付けるのも悪いからね」

「いやいやいや、司令官何言ってんの」

 

 伊168に呆れ顔で注意された。

 普通指揮官は艦に乗り込んで戦うわけだし、そこまでおかしな提案ではないと思うのだが、皆からは毎度反対されてしまう。

 

「ま、怖いからって放っておくわけにもいかないし……偵察が必要なのは分かるよ。私たちがやらないといけないことなら、きちんとやるわ。潜水艦魂に賭けてね。それに運が良ければ強敵相手にだって一発お見舞いできるかもしれないし」

 

 潜水艦は当然潜航能力が最大の特徴だが、搭載している魚雷を上手く生かせば大物を仕留めることも可能だ。実際伊168はかつての戦で敵の大型艦を仕留めたこともあるらしい。

 

「期待しているよ、海のスナイパー」

 

 それは世辞ではなく本心だった。

 

 

 

 母艦の室内で本を読んでいると、ドアがノックされた。

 

「叢雲。少しいいだろうか」

「長門? ええ、どうぞ」

「失礼する」

 

 そう言って長門は遠慮がちに入ってきた。

 

「すまないな、休憩中だったか?」

「構わないわよ。本読んでただけだし。それで、どうかしたの?」

「……うむ。もし知っているなら教えて欲しいのだが、提督はなぜ今回私をこの艦隊に入れたのだろうか」

 

 神妙な顔をしているかと思ったら、そんなことを悩んでいたのか。

 

「本人の口から直接聞いた方がいいと思うけど」

「それはそうなのだが……。先日のことがあるだろう。もしかすると提督はまだお怒りなのではないかと思ってな」

 

 あのとき怒っていたのはどちらかというと長門や武蔵の方だったと思うが、それは言わないでおくことにした。

 

「あいつは滅多なことじゃ怒らないわよ。説教はすぐしてくるけど」

「そうなのか。……考えてみれば、私は提督のことをほとんど知らないな」

 

 そう言って長門は自嘲した。だがそれは仕方ないと思う。長門が着任したのはほんの少し前のことなのだ。

 

「良かったらあいつの話でもする? さして面白くもないと思うけど、これから戦場に行くってときに自分の指揮官がどういう人なのか全然分からないというのも不安でしょうし」

「……そうだな。そうしてもらえると助かる」

 

 長門が僅かに躊躇いを見せたのは、どういう心情によるものか。

 想像することはできそうだったが――やめておいた。

 着任した頃から今日に至るまでの新八郎の話を、長門は生真面目な顔でじっと聞いていた。最近泊地で問題児扱いされえているとは思えないほどの素直さだ。

 

「ありがとう。参考になった」

 

 すべてを話し終えると、律儀に頭を下げて礼を言ってきた。

 

「あえて聞くけど、武蔵からはそういう話は全然聞いてないの?」

「武蔵から? ああ、聞いてないな。何も」

 

 武蔵の名前を出すと、長門の態度は目に見えて硬化した。

 

「そんなに嫌? 武蔵のこと」

「直球だな。……実力は認めているよ。あいつは強い。だがそりは合わないな」

 

 武蔵のことは自分もよく知っている。やや取っつきにくい印象はあるし、ぶっきらぼうで言葉足らずなところはあるが、根は真っ直ぐだ。そういう点は長門にも似ている気がした。

 

「最初の演習で盛大に負けたって聞いたけど、そのせい?」

「否定はしない。あれは今思い返しても相当に腹が立つ。こちらの力不足を痛感させるような戦い方だった。それで武蔵への対抗心ができたというのは事実だよ」

「……あなたが武蔵を嫌だと思ってる理由、他にもありそうね」

 

 長門の口振りからすると、ただ負けた悔しさだけで嫌っているというわけではなさそうだった。

 

「――演習の後に少し話をしたんだ。今はまだ弱いが、これから研鑽を積んで皆のために強くなりたいと。今度こそ皆のために戦う力を手に入れたいと。そうしたら……武蔵は吐き捨てるようにそれを否定してきたよ」

 

 強さというのは己のためのものだ。

 戦う理由を誰かに求めるのは言い訳でしかない。

 誰かのために、なんていう奴にはろくな奴がいない。

 そんなのは自己満足だ。愚か者のすることだ。

 それに――価値などありはしないのだ。

 武蔵は、そう言って長門のことを否定したのだという。

 

「あいつにはあいつなりの考えがあるのかもしれない。だが私にはどうしてもそれが正しいとは思えんのだ。誰かのためでなく自分のためだけに戦う。そのために強さを得る。それこそ独り善がりで傲慢で――無意味だと思う」

 

 どちらにも言い分はあるのだろう。

 こういうことに『本当に正しいこと』はないのかもしれない。

 ただ、長門と武蔵はそういうところで互いに譲れぬものを持っている。

 

「私はまだ弱い。そんな私が何を言ったところであいつの胸には響かないだろう。だから私は強くならねばならない。強くなってあいつの強さを乗り越えて――自分の強さの証明をしたいんだ」

「……その心意気は立派なものだと思うけど、方法は少し考えなさい。皆あなたの演習に巻き込まれて嫌がってるわよ」

「なに、そうなのか?」

 

 気づいていなかったらしい。

 新八郎のところに多数の苦情が届いているということを伝えると、長門は見るからに落ち込んでしまった。

 

「そうか。私は気づかぬ間に皆に迷惑をかけてしまっていたのだな……」

 

 見ているこちらが気の毒に思うくらい意気消沈している。

 

「……私で良ければ、時間あるときは付き合うわよ。演習」

「ほ、本当か!?」

 

 ぱっと顔を上げて救世主を見るような眼差しをこちらに向けてくる。

 なんだかまずいことを言ったような気もするが、今更「やっぱなしで」とは言い難い。

 

「……まあ、時間のあるときだけね」

 

 一応、念押ししておいた。

 

 

 

 甲板を歩いていると、艤装の手入れをしている武蔵の姿が見えた。

 かなり集中しているようで、こちらには気づいていないようだった。

 せっかくなのでどんな風に艤装の手入れをするのか観察することにした。

 じっと見ていること数分間。一段落したらしく、武蔵が大きく息を吐いた。

 

「武蔵」

「……ん、提督か」

「かなり集中していたみたいだな」

「なんだ、見ていたのか。趣味が悪いな」

「気分を悪くしたならすまない。しかし、艤装の手入れも大変なんだな」

「ある意味我々の本体だから丁寧に扱わねばならんしな。それに手入れを怠って戦場で無様を晒すような真似はしたくない」

 

 武蔵は強烈な自立心を持った艦娘だった。基本的に自分のことはすべて自分でやる。人に頼ることをしないし、人のせいにすることもない。人に何かをしてもらうときはそれを『借り』と考え、必ず何か対価を払う。

 そのかわり他者の甘えも許さない。そんなところがある艦娘だった。

 

「大がかりな戦いに参加するのは私も今回が初めてだからな。念には念をというわけだ」

 

 飛行場の一件から大きな戦いは起きていない。小規模な戦いは何度かあったし、武蔵はそこで実戦経験も積んでいる。それでも大規模作戦を前にすると緊張するものらしい。

 

「今度の敵について何か続報はあったか?」

「いや、何もない。情報提供者からどれだけの情報を得られるのか、そもそもその情報提供者がどれくらい信頼できるのか……」

「不安要素だらけだな。まあ、戦というものはそういうものだが」

「そういう割り切り方ができればいいんだけどな。私は小心者だから常に不安に感じてしまう」

「上に立つ者はそれくらいでいい。指揮官の勇猛さというのは蛮勇に転じることも少なくないからな。決めるべきときに決められる者であれば不満はない」

「心掛けるようにしておこう」

 

 艤装をしまった武蔵と連れ立って食堂まで歩く。

 最初の頃は武人然とした佇まいに気圧されそうになったが、最近は慣れたからかあまり圧される感じはしなくなった。

 武蔵は意外と知識欲が旺盛で、いろいろな話を聞いてくる。彼女の艦歴は決して長いものではない。だからか意外と知らないことが多いようだった。

 

「提督。一つ前々から気になっていた点があるのだが聞いても良いだろうか」

「私に関することかな。応えられる範囲でなら答えるけど」

「……提督は、なぜ戦うことにしたのだ?」

 

 カレーをごくりと飲み込み、武蔵の質問の意味を考える。

 

「提督になった理由、ということかな」

「提督というのはなろうと思ってなるものではないだろう。提督になった理由ではなく――なぜ提督として戦い続けようと思ったのかというのが気になってな」

 

 武蔵は思案顔だった。

 何か悩んでいるのかもしれない。もしかすると、長門に関することだろうか。

 

「うーん。そうだな。端的に言ってしまうと……嫌だったからかな」

「嫌?」

「ああ。正直なところ私個人としては平々凡々な人生が理想なんだが……実際に提督としての力を手に入れて、周囲に深海棲艦のことで困ってる人がいて、一緒に戦う仲間がいる。そんな状況で戦うことをやめるのは嫌だった」

「……皆のために戦っている、ということか?」

 

 武蔵の声には若干の棘があった。

 

「別段そんな立派なものではないよ。周囲の仲間や困った人を放っておきたくないっていうのは結局自分のエゴだからね。結果として周囲の皆を助けられればそれは嬉しいけど……それは戦う理由じゃない。さっきも言ったように、嫌な思いをしたくないから戦っているというのが正直なところだ」

「そうか」

 

 武蔵は安堵したような表情を浮かべていた。

 

「……誰かのために戦う、というのが嫌なのか?」

「ああ、そういうことを言う奴は認めたくない。戦う理由を人に求めるのは逃げだ。誰かのために命を投げ出すなど愚か者のすることだ。少なくとも私はそう考えている」

「なるほど」

 

 武蔵に語ったことは本心だが、自分としては『誰かのために戦う』という人も否定する気はなかった。

 戦う理由は人それぞれでいい。大事なのは自分がそれに納得できているかどうかだ。

 だが、武蔵がそういう人を認められないのにも理由があるはずだった。

 

「武蔵」

「ん?」

「トラックや東京にはいろいろな人がいる。私だけでなく、そういう人たちの話も聞いてみるといい。私の言葉は別に正解でも何でもないからね」

 

 こちらの意図がどれくらい通じたかは分からないが、武蔵は「ああ」と頷いた。

 もうすぐトラック泊地に到着する。不安要素はいろいろあるが、いつも通りやれることをやっていくだけだと言い聞かせた。



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第十条「任せることにも責任は伴う」

 戦うことを恐れたことはなかった。

 敵を倒すことは必要なことだと信じていた。いつか敵によって沈められることもあるだろうとも思っていた。それも別段構わなかった。戦いとはそういうものだと割り切っていたからだ。

 ただ、自分の戦いが無意味であることだけは恐ろしかった。何の意味もなく倒し倒される――そんな馬鹿なことはない。

 肉食獣は生きるために他の動物を倒す。

 では、自分たちは何のために相手を倒すのか。

 乗艦する人間たちに問いかけたかったが、あの頃自分にはそうする術がなかった。

 だから、信じるしかなかった。

 自分と仲間たちの戦いが――決して無意味なんかじゃないということを。

 

 

 

 白昼夢のようだった。

 甲板の上でぼーっと立ったまま、どこかの誰かの記憶を垣間見ていたような気がする。

 

「どうかした?」

 

 隣にいた叢雲が気遣うような声をかけてきた。

 

「……いや、ちょっと呆けてただけだ」

「疲れてるんじゃない? 少し休んでたら?」

「大丈夫だよ。それにほら、もう見えてきたみたいだ」

 

 前方に島影が見えてきた。トラック諸島だ。

 今回はここを経由して横須賀に向かう手筈になっている。ショートランドだけでなく、他の南方拠点の艦隊も一旦ここに集結することになっていた。

 

 

 

「やあショートランドの皆、ようこそトラック泊地へ」

 

 出迎えに来たのか、埠頭まで仁兵衛が顔を出した。

 

「お邪魔するよ仁兵衛。他の皆さんもお元気そうで」

 

 仁兵衛の周囲には、秘書艦の朝潮をはじめとして大淀や金剛たちの姿があった。うちの朝潮・大淀・金剛とはよく似ているが細かいところが異なっている。ベースとなる艦の御魂は共通しているが、受肉する際に依代や契約者たる提督の影響を受けてそれぞれ個性が出るようになっているのではないか、という説があるらしい。

 そんな中、うちにはいない艦娘の姿が目に留まった。視線が合ったことに気づいた彼女は、丁寧にお辞儀をしてくる。こちらも頭を下げた。

 

 ……彼女が大和型戦艦一番艦、大和か。

 

 軍艦についての知識がまるでなかった頃から名前は知っていた。戦後に生きる日本人にとっては、日本の戦艦の代表格である。

 大和の依代である艤装は、かつて大規模戦闘で深海棲艦が落とした分があるだけらしい。当時存在すらしていなかったうちには回ってくるはずもなく、契約しようにもできないという状況が続いている。

 ふと視線を感じた。

 どうやら長門と武蔵も大和の方を見ていたらしい。二人ともそれぞれ思うところがありそうな顔をしている。

 

「お疲れのところ申し訳ないが簡単に状況説明をしておきたい。ブリーフィングルームへ来てもらえるかな」

 

 仁兵衛の提案に頷く。こちらとしても遊びに来たわけではない。のんびり歓談している場合ではなかった。

 先導する仁兵衛たちの後についていく。

 トラック泊地はかつての戦で南方の重要拠点として扱われていたらしい。今も本土はここを重要視しているようで、同じ『泊地』でもショートランドとは大分趣が違う。設備がとても充実していた。

 艦娘たちの私生活を行うために複数の寮が建てられている。工廠も先日改修を終えたばかりのショートランドの工廠と同程度のものがあった。他にも複数の演習場や司令部棟など様々な建物があるらしかった。

 うちはというと艦娘たちは大部屋で寝泊まりしている。いくつか部屋は分かれているが、寮といえるほどきちんとした建物にはなっていない。司令部棟と呼べるようなものもなかった。執務室は前より多少綺麗になったが、相変わらず小屋である。

 

「なんだ新八郎、そんな妬ましそうにうちの施設を見て」

「……別に羨ましいわけじゃないぞ」

「なんだ、羨ましいのか。はっはっは」

 

 笑って流す仁兵衛。

 

「……みっともないからあんまりキョロキョロしないでよ」

「はい、すみません」

 

 叢雲に窘められて大人しく視線を前方に集中させる。叢雲は怒らせると怖い。

 やがて辿り着いたブリーフィングルームで、仁兵衛は簡単な状況説明をしてくれた。

 霧の艦隊と呼ばれる者たちが、今度は小笠原諸島沖に出現した。そのためトラック泊地に集結した南方拠点の艦隊は東京まで行かず直接小笠原諸島を目指すように――というのが大本営から出た指令らしい。

 

「現在三浦たちも南下中らしい。本土のゴタゴタ具合からすれば割と早く動いたなという感じだね」

「そんなにゴタゴタしてるのか」

「少数とは言え民間に被害が出たから、マスコミが勢いづいて政府批判中」

 

 それはそうだろうなと思う。

 東京にいる自分の身内は無事だったが、もし被害者になっていたら剛臣たちを非難せずにはいられなかったかもしれない。

 とはいえそれで動きが鈍って新たな被害が出たら意味がない。人々を守る立場というのは、立ち振る舞いも難しいものだ。

 

「まだリンガの艦隊が来てないし、彼らが到着したら即出発――というのも体力的にきついだろう。出発は早くて半日後ということで大本営と調整済みだ。しばらくは休んでくれ」

「ありがたい。少し調子が悪いみたいでな」

「新八郎は健康でいるときの方が少ないな。ちょっと身体鍛えた方がいいんじゃないか」

 

 仁兵衛が軽口を叩く。会議はこれで終わりということなのだろう。場の空気が少し柔らかくなった気がする。

 

「そういえばショートランドの叢雲君、先日送った本はどうだった?」

「なかなか面白かったわ。参考になりそうな話もいくつかあったし」

「ほう、叢雲は読書も嗜むのか。どういう本なんだ?」

 

 叢雲と仁兵衛の会話に興味を抱いたのか、長門が尋ねてきた。

 

「退役した海軍指揮官の戦術論をまとめたものよ」

「戦術論か。……それはどちらかというと提督が読んだ方が良いのではないか?」

 

 長門の言葉がぐさりと刺さる。

 

「……いや、私もそうは思っているんだけどね」

「僕と叢雲君が止めたのさ。新八郎はそういうことには向いていない」

 

 仁兵衛が助け船を出してくれた。正直あまり嬉しい言葉ではないが。

 

「新八郎は何に対しても慎重居士で決断が遅い。十の時間をかけて十の成果を出すタイプね。けど戦場では即断即決が求められる。状況はすぐ変わってしまうから、一の時間で一の成果を出す判断ができないと話にならない。だから、新八郎が戦術を学んだとしても深海棲艦との戦いでは全然役に立たないと思ったのよ」

「むしろ半端に知識を身につけて変に自分の意見を言い出したら周りの足を引っ張りかねないからねえ」

 

 二人揃って言いたい放題である。少しはマイルドにものを言うことを覚えて欲しい。

 

「おっと、気を悪くしないでくれ。あくまで戦術家には向いてないと思ってるだけだ。そういう風に新八郎に足りない部分は周囲が補ってあげればいい。周囲を上手く活用する力は、新八郎に十分備わっている」

「あれか。私は劉邦とか西郷従道みたいなのを目指せばいいのか」

「僕は、新八郎の本質は吉田松陰だと思っているがね」

 

 劉邦や西郷は部下の力を上手く活用するタイプの人間だった。

 一方、仁兵衛が語った吉田松陰というのは指揮官というよりは教育者としてのイメージが強い人だ。彼の教え子は歴史上に名を遺した者が多いが、松陰自身は生来純真過ぎたこともあって長く生きられなかった。

 そういう人に例えられるのは嬉しいようなやめてほしいような複雑な心境である。

 

「伊勢提督も歴史がお好きなんですね」

 

 私と仁兵衛の会話を聞いて、トラックの大和がクスクスと笑っていた。

 

「新八郎は手広く浅くといった感じかな。歴史そのものというか、歴史の中で生きた人間たちが好きなタイプだろう?」

「歴史というのは人間ドラマの蓄積物だと思っているからね」

 

 ちなみに仁兵衛は興味の持ったことを集中的に調べるタイプで――なおかつ本業は歴史作家である。

 元々民間の人間だという話は聞いていたが、作家だと知ったのは少し前のことだ。しかも作家としてのペンネームは私も知っているくらいの――著作物も何冊か持っているくらいの――ビッグネームである。

 仁兵衛は戦史ものを描きたいがために世界各地の戦略・戦術を独学で学んだそうで、それが指揮官としての能力に生かされている。民間出身であるにも関わらず南方拠点のとりまとめ役を任されているのは、その能力が机上のものではないと大本営が認めたからなのだろう。

 そういう経歴だけに、自衛隊出身の提督とは反りが合わないところもあるようだが――それは私がどうこう言う話ではあるまい。

 

「……しかし、叢雲は大変ではないのか? 通常の訓練に加えて戦術も学ばなければならないのは」

「そうでもないわよ。結構面白いし。なんだったら長門も勉強してみる?」

「今は己の練度を高めることに専念したいが……それが一段落したら学んでみるのも悪くはないかもしれない」

 

 長門は個の強さに執着しているのかと思っていたが、他の分野にも興味があるようだった。

 トップの私が指揮能力をろくに持たないので、戦略・戦術面に強いメンバーが増えるのはありがたかった。現状うちでそういうことを任せられるのは叢雲や金剛くらいだから、どうしても彼女たちに負担が集中してしまう。

 

 ……もし私に何かあっても、あの泊地が機能し続けられるような状態にするのが理想的ではあるが。

 

 泊地自体がまだまだ発展途上ということを考えると――道のりは険しそうだった。

 

 

 

 ある人物を探して、トラック泊地内を歩き回る。

 その人物は思ったよりも早く見つけることができた。

 

「大和さん」

 

 先ほどブリーフィングルームを出ていった彼女は、一人ベンチで休憩していた。

 

「あら、ショートランドの叢雲さん。どうかされたんですか?」

「以前助けてもらったときの御礼をまだしてなかったから」

 

 秋のアイアンボトムサウンドで、戦艦棲姫に追い詰められたときのことだ。

 あのときトラックと横須賀の大和たちが来てくれなければ、自分は沈んでいたかもしれない。

 

「気になさらないでください。私たちは命令に従っただけですから」

「それでも助けられたことに変わりはないわ。もし今回の戦いで私に何かできることがあったら言ってちょうだい」

「ありがとうございます。戦場では何が起きるか分かりませんし、何かあったときは頼みにさせてもらいますね」

 

 大和の言葉に頷く。

 所属こそ違うが、共に戦う仲間だ。信頼関係を築いて助け合わなければいけない。

 

「そちらの泊地にはまだ『大和』はいないんでしたっけ」

「ええ。今うちにいる大和型は武蔵だけよ」

 

 大和の艤装を建造するための研究はほぼ完了しているという話も聞くが、まだ詳しいことは分かっていない。

 もし大和も着任してくれるなら、どれほど心強いことか。

 

「……そういえば、トラックにも武蔵はいるのよね」

「ええ。不器用なところもありますが、優しい子ですよ。私のことをお姉ちゃんと呼んでくれないのは良くないと思いますけど」

 

 冗談めかして大和が笑った。

 大和は楽しそうに武蔵の話をしてくれた。着任してから今日に至るまでの様々な話を。

 話の断片から察するに、トラックの武蔵は長門とも仲良くやれているらしい。

 

「うちは長門さんたちの方がずっと先輩でしたから、私も武蔵も相当しごかれたんですよ。最初は嫌になったりすることもありましたけど――長門さんに悪意がないことは分かっていましたし、私たちが敵にやられて沈むようなことがないよう鍛えてくれてるんだって分かりましたので。訓練で初めて勝ったときにかけてもらった言葉は、今でもはっきりと覚えています」

 

 羨ましい話だった。うちの長門と武蔵に聞かせてやりたいくらいだ。

 思い切って、大和にうちの長門たちが抱えている問題について打ち明けてみる。

 

「……そうですか。そんなことに」

 

 こちらの話を聞いて、大和は表情を曇らせた。

 

「長門さんが武蔵さんに負けて悔しがっている――という話ならもう少し簡単なのですが。互いの考え方の問題になると難しいです。考え方というのは突き詰めてしまうと正解なんてありませんから。どちらかが正しくてどちらかが間違っている――ということはないんです」

 

 それはその通りだと思う。

 他者のために戦うことを良しとする長門も、己のために戦うことを良しとする武蔵も、どちらも間違いではないのだ。ただ、そういう考え方があるというだけの話である。

 

「……もしかすると、武蔵さんが『他者のために戦う』ということを嫌う理由は私にあるのかもしれません」

「大和さんに?」

「厳密には――私の大元となった、オリジナルの戦艦大和に、ですね」

 

 戦艦大和の最期は有名だった。坊ノ岬沖海戦。海上特攻。

 坊ノ岬沖海戦に至るまでには様々な人間の思惑があったのだろうが、後世の評価はお世辞にも高いとは言えない。当時からして作戦に対して批判があったくらいだ。あの戦いに意味はあったのか、無用な犠牲を払ったのではないか――という声も多い。

 

「うちの武蔵は、戦艦大和の最期を承服しかねると言って怒っていました」

「その気持ちは少し分かる気がするわ」

 

 自分の姉妹艦が無謀な作戦でいたずらに命を落としていた。現世で新たな生を受けたとき、その情報を得て最初に抱いたのは憤りだった。

 戦いを恐れていたわけではない。ただ、自分たちが命を賭して戦ったことには意味があって欲しかった。無意味な戦いで命を落としたのでは――何のために生まれて、何のために戦ってきたか分からないではないか。

 

「私自身もあの作戦には思うところがないわけではありませんが……自分のことですから、ある程度は割り切れているんです。ただ、武蔵からすると自分のことではないからこそ、逆に割り切れないみたいで」

 

 他人の都合に振り回されて、意味があるかどうか分からない戦いに駆り出されて沈んでいった。そういう身内がいたなら――確かに『誰かのために戦う』という行動理念を忌避するようになっても仕方がないのかもしれない。

 もっとも、そういう思いが根底にあるのだとしたら――。

 

「武蔵は、そういう目にあって欲しくないからこそ、人の行動理念にケチをつけてるって可能性もあるのかしら」

「きっとそうだと思います。そちらの武蔵さんも、うちの武蔵と同じで……優しくて不器用なんじゃないでしょうか」

 

 大和はそう言って、少し寂しそうな表情を浮かべた。

 

 

 

 南方艦隊が集結し、急ぎ北上することになった。

 霧の艦隊は今のところ小笠原諸島近辺に現れただけで、島々に何かしようとする素振りはないという。

 

「だからと言って悠長に構えてもいられない。それに相手の正確な戦力も不明なままだ。本格的な戦いになる前に一度偵察をしておきたい」

 

 母艦の司令室に集まったメンバーに方針を伝える。

 

「ってことは、私たちの出番ね」

「ああ。イムヤ、危険な任務だがよろしく頼む」

「了解、任せておいて!」

「他のメンバーは待機だ。だがいつでも出撃できるよう準備はしておいてほしい」

 

 特に質問も出なかったので、そのまま解散ということになった。

 私は伊168の後についていく。出立する彼女たちを見送るためだ。

 甲板には既に他の潜水艦娘たち――伊58、伊19、伊8の姿があった。

 

「あ、てーとく! 見送り?」

「そんなところだ。ゴーヤ、無理はしないようにな。イクは突っ走らないように。ハチ、イムヤのサポートを頼む」

「大丈夫だよぉ!」

「倒せそうだったら積極的に倒していくのね!」

「大丈夫です、提督。きちんと二人は抑えますから」

 

 伊8の言葉が頼もしい。

 伊58と伊19も優秀な艦娘ではあるのだが、割と好戦的な部分があるので、こういう偵察任務のときは些か不安が残る。

 四人を見送って司令室に戻る途中、艦橋の端に腰かけている武蔵の姿が目に入った。その視線の先には、陸奥と歓談している長門の姿があった。

 

「どうかしたのか、そんなところで」

「提督か」

 

 武蔵はどことなくばつの悪そうな表情を浮かべている。

 

「……今更だが一つ聞いてもいいか?」

「ん、なんだい?」

「なぜ今回の援軍に長門を入れたんだ? まだあいつは未熟だ。未知の脅威たる霧の相手をするには不安要素が大きい」

 

 それはもっともな指摘だった。

 周囲に誰もいないことを確かめてから、武蔵の疑問に答える。

 

「正直なところ、今回長門を出撃させるつもりはない」

「ならば、なぜ連れてきた?」

「先々のことを見越してだよ。今すぐ戦力になるわけではないが、長門は何といっても戦前の日本海軍の象徴とも言える存在だ。いずれはうちの艦隊の中核を担うようになって欲しい。そのためには泊地以外の世界を知ってもらいたかった」

 

 多くのことを見聞きして、多くのことを経験して、それに挫折して、再び立ち上がって――それを繰り返しながら、皆の支柱となり得る存在になってもらいたい。

 

「期待されているのだな、長門は」

「他人事のように言うねえ。私は武蔵にも同等の期待をしているんだが」

「……私は、そういうことには向いておらんよ」

「そうは思わないけどな。他の誰かのように――とは言わない。ただ武蔵は武蔵なりのやり方で皆の支えになってくれればと思う」

 

 だからこそ、今回連れてきたのだ。

 

「長門は叢雲に触発されたのか、トラック泊地で各地の艦娘の話を聞いて回っていたそうだよ。普段どういう形で艦隊に貢献しているのか。戦うことだけがすべてではないと気付いたようだ」

「……私はトラックの武蔵と、少し話をしていた」

「何か、得るものはあったかな」

「まだよく分からんよ。戦って皆を勝利に導く。それがすべてだと思っていた。他のことは他の者に任せておけば良いと思っていたからな。ただ、それでは駄目だという気もする」

「……自分で任せると決めて任せたならそれでいい。ただ、何も考えず任せてしまうのは駄目だ。それで任せた相手が取り返しのつかない間違いを犯してしまったら、悔やんでも悔やみきれないからね。少なくとも今の武蔵は自分で考えて行動することができる。だったら――考えることをやめるのは駄目だ」

 

 言われて、武蔵は神妙な顔で頷いた。

 

「同じ武蔵でも、向こうの武蔵はいろいろと考えているのだという印象を受けた。人それぞれ、いろいろな考え方があるのだということもな」

「トラックに到着する前に言っていた『戦う理由』の件かい?」

「……」

 

 武蔵は曖昧に応じて、視線を再び長門に向ける。心なしか以前よりもその眼差しは柔らかくなっているように見えた。

 

 

 

 小笠原諸島が近づくにつれて、海を覆っている雰囲気が少しずつ変わっていくのが分かった。

 水上を移動する他の艦娘と違って、潜水艦娘は海中を移動することが多いからか海中の気配に対して敏感である。いかに見つからず敵を発見するかが潜水艦娘としての腕の見せどころだった。

 遠方に艦影が見える。艦娘や深海棲艦のものとは違う。実際の艦艇と同等の大きさだ。ただ、曇天模様の中、自分の存在を誇示するように全身から不気味な光を放っている。

 その周囲には、見慣れた姿もあった。

 深海棲艦だ。

 東京湾に霧が現れたときも深海棲艦たちは姿を見せていたらしい。霧と深海棲艦は協力関係にあるとみなされていた。

 

「イムヤ、どうするでち?」

「もう少し近づいてみよう。ただし攻撃は合図するまで厳禁だよ」

 

 深海棲艦はともかく、霧の艦隊はこちらの攻撃がまともに通らないと聞いている。横須賀の艦隊は特殊な攻撃でどうにか敵を撃退したらしいが、自分たちにそれはできない。

 ただ、伊168は撤退直前に一発撃っておくつもりでいた。敵の攻撃を誘発するための一撃だ。敵がどういう攻撃をするのか一度は見ておきたい。

 近づくにつれて霧の艦隊がまとっている雰囲気の異質さが浮き彫りになっていく。

 そこにあるのに、本当は存在していないかのような奇妙な印象を受ける。

 視線を艦橋に向ける。そこには、黒いコートで全身を覆っている金髪の少女の姿があった。

 

 ……艦娘?

 

 少し違うような気もする。アレはもっと別のものだ。根拠はないがそんな確信がある。

 その金髪の少女が――こちらを見た。

 ぞくりと全身が震えた。気のせいなどではない。見つかった。

 

「皆、急速潜航! 次いで一気に離脱するよ!」

「イ、イムヤ。ど、どうしたのね?」

「見つかったのよ! 急いで!」

 

 海中に潜り込み、全速力でその場を離れる。速度を出すなら潜らない方が良いのだが――水上に身を出していては即座にやられるという予感があった。

 海が揺れる。まるで地震が起きているような感じだ。

 思うように進めない。激流に飲み込まれそうだ。

 

「皆、飲み込まれたら終わりよ! 踏ん張って!」

「分かってる……! けど、きつい……!」

 

 伊8が苦しそうに応える。これまで深海棲艦とは何度も戦ったが、こんな経験を味わったことはなかった。

 不意に、先ほどまでのものよりも一際強い予感がした。

 

「皆、浮上して! 早く!」

「ふ、浮上!?」

「言ってること無茶苦茶なのね!」

「浮上したらやられるんじゃ……」

「いいから、早く!」

 

 急ぎ浮上し――そこで伊168は、海が割れるのを見た。

 霧の艦艇は、その全身が砲塔であるかのように変形していた。

 その先は、自分たちが少し前までいた場所だ。そこに何らかの力場が生じている。

 

「……少し遅れていたら、あの力場の中に閉じ込められてたかもしれない」

「閉じ込められてたら……ああ、いや、言わなくていいや。砲塔が向けられてる時点で察しはつく」

 

 捕捉した敵を力場でロックオンして砲撃を放つ――そういう類の兵装だろう。

 敵を見失ったことに気づいたのか、霧はそのまま艦を元の形に戻した。どれくらいの威力なのか見ておきたい気もしたが、推測が当たっているなら犠牲なしで見るのは難しいだろう。

 

「それじゃ逃げるよ――イムヤ?」

 

 伊8の言葉に、伊168は頷かなかった。

 

「あ、やばい。イムヤやる気になってるのね」

「ええ……よりによってこのタイミングで?」

「――そうね。撤退するのは大前提だけど、その前にやっぱり一撃お見舞いしておかないと気が済まなくなったわ」

 

 敵の威容を見せつけられてそのまま逃げ帰ったのでは、艦娘としての矜持にかかわる。

 艦娘侮るべからず。その記憶を刻み付けてやらなければ気が済まない。

 

「普段臆病なくせに、追い詰められると俄然やる気出すのがイムヤの怖いところでち」

 

 呆れたように言う伊58に、伊168は不敵な笑みを返した。

 

「怖いなら帰ってもいいけど?」

「……冗談言わないでよね。元々ゴーヤはやる気満々でち」

「ああ、これもう止められない流れじゃない」

 

 伊8が頭を抱える。

 

「仕方ない、さっさとぶちかまして逃げるわよ」

「はっちゃんのそういう切り替えの早いところ、イクは結構好きなのね」

「言ってなさい。イムヤ、どうすんの?」

「敵はまだ警戒してるだろうし、さっきの反応からすると半端な隠れ方じゃすぐに見つかって終わる」

 

 つまり。

「……やるなら、予想外のところからの速攻ね」

 

 

 

 敵の姿が見えなくなった。

 一瞬検知したあの姿は――艦娘と呼ばれる者たちのようだった。

 海中に潜っていたことを考えると、おそらく潜水艦なのだろう。

 艦娘は人間と同程度の大きさというのが最大の特徴だ。端的に言ってしまえば、小さくて捕捉しにくい。

 

『逃げられたようだな、ハルナ』

 

 同型艦であるキリシマが声をかけてきた。

 

「どうだろう。まだ逃げたかどうかは分からない」

『逃げたに決まっている。彼我の戦力差は十分理解したはずだ』

 

 確かに、単純な戦力としては相当な開きがある。普通ならもう逃げ出しているところだろう。

 逃げたという確証を得られなかったので警戒し続けていたが――そろそろ解いても良いかもしれない。

 そう思った矢先、センサーに反応があった。魚雷だ。

 

「……まだ逃げていなかったみたいだ」

『こちらでも検知した。これは……!』

 

 魚雷は真下から垂直に放たれていた。

 真っ直ぐに突き上げられた魚雷は、自分やキリシマの身体を掠めて外れた。

 否。外れたのではなく――その先にいた深海棲艦の集団に直撃した。

 次々と魚雷に被弾して沈んでいく深海棲艦たちが、海を揺り動かす。

 

『ハルナ、連中の場所は――』

「深海棲艦が邪魔で精度が落ちている。上手く拾えないかもしれない」

 

 結局、仕掛けてきた艦娘たちを捕捉することはできなかった。

 逃げたと思っていた敵に引っぱたかれて、今度こそまんまと逃げられた、ということになる。

 

『くそっ、やってくれるじゃないか……!』

 

 言葉とは裏腹に、キリシマの言葉は嬉しそうだった。

 

「……艦娘か」

 

 東京湾でも霧の艦隊を退けたという――かつての軍艦の魂を宿して戦う少女たち。

 かつての軍艦の形を模している自分たちとは対極の存在とも言える。

 

「興味深い」

 

 おそらく艦娘たちはまたやって来るだろう。

 少しだけ、それが待ち遠しかった。



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第十一条「相手には相手の考えがあることを忘れるな」

 

「つまり……敵に見つかり、喧嘩を売って帰ってきたと」

 

 こちらの重苦しい言葉に、伊168たちが目を逸らす。

 偵察から戻ってきた彼女たちの報告は、吉とすべきか凶とすべきか迷うところだった。

 

「まあ、こちらが弱腰でないと見て、相手が慎重に動くようになる可能性もあるか」

「そ、そうよ。それを見越しての対応だったんだから!」

「ただ、敵の警戒は強まっただろうね」

「……」

 

 四人が揃って項垂れる。

 横にいた叢雲が脇腹を小突いてきた。もうそろそろ勘弁してやれ、ということらしい。

 

「この状況は一長一短とも言える。なら長じているところを活かすよう作戦を立てればいい。そういう意味では『よくやってくれた』と言いたい。けど、あまり無茶をして心配をかけさせないでくれ。……それじゃ、今日は解散だ」

 

 申し訳なさそうに頭を下げながら退室する伊168たちを見送る。あの様子だと、あとで少しフォローしておいた方が良いかもしれない。

 今後の方針を仁兵衛に相談しようとしたところ、ちょうど向こうから連絡が入った。

 

『あと三十分で三浦たちと合流する。各艦隊の主要メンバーは三浦のところの母艦――三笠に集合しろ、とのことだ』

 

 情報を整理しつつ出かける準備をしていたら三十分はあっという間だった。

 叢雲一人を伴って三笠――かつての戦艦の名を有する横須賀艦隊の母艦――に移動する。

 乗艦したこちらを出迎えたのは、剛臣と二人の少女だった。青白い色の髪を腰元まで伸ばした小柄な少女と、白衣を身にまとった眼鏡の少女。二人が持つ雰囲気は、どことなく常人のそれとは違っているように見えた。

 

「彼女たちが協力者ってやつか?」

 

 一緒に移動してきた仁兵衛が剛臣に尋ねた。

 

「そうだ。イオナ、ヒュウガという」

「人間でも艦娘でもなさそうだね。向こうの……霧の事情に通じているってことは、彼女たちも霧ってことかな」

「そうだ」

 

 仁兵衛の推測を剛臣が肯定すると、場の空気が若干強張ったような気がした。

 皆、その可能性については考えていたのだろう。驚いている様子の者はいない。

 

「霧って一括りにされて警戒されるのは心外ですけどね。貴方たち人間だって別に一枚岩じゃないでしょうに」

 

 そこでヒュウガと呼ばれた眼鏡の少女が口を開いた。

 

「気を悪くしないでくれ、ヒュウガ君。ここに集まった皆はまだ君たちのことをよく知らない。まずは説明をお願いできるかな」

「分かったわ」

 

 コホンと咳ばらいをして、ヒュウガが提督一同に霧についての説明を始める。

 

「さっき三浦提督が言ったように私とこちらのイオナ姉様は霧の一員よ。と言っても、人類と交戦状態にある一派とは別の一派。同じように扱わないように」

「では、君たちの目的は?」

 

 仁兵衛の問いを受けて、ヒュウガは傍らのイオナに視線を向けた。

 イオナが一歩前に出る。どうやら主導権を握っているのはヒュウガではなくイオナの方らしい。

 

「私たちの目的はこの状況の収束。具体的にいうと、私たち自身を含めた霧の――この海からの撤退」

「撤退?」

「私たちはアドミラリティ・コードの命を元に活動方針を決定する。しかし今回はアドミラリティ・コードの命もないまま突然起動してしまった。これは本来あり得ないこと」

「アドミラリティ・コードというのは彼女たち霧にとって絶対たるものらしい。詳しいことは彼女たち自身もよく分かっていないそうだが、艦娘にとっての提督のようなものだそうだ」

 

 三浦が補足する。

 つまり、今の霧は提督もいないのに勝手に受肉してしまった艦娘のようなものか。

 

「私やイオナ姉様はまた眠りにつこうとしたんだけど、一部の霧はなぜかこの状況がお気に召さなかったみたいで、深海棲艦と組んで人類に喧嘩を売り始めたのよね。霧に対して通常兵器は効かないし、このまま放っておいたらバランスが悪いから、やむなくそちらに協力することにしたってわけ」

 

 イオナやヒュウガの事情は分かった。

 それだけで信頼できるかどうかと言われたら正直かなり微妙なところだが――横須賀の艦隊と協力して霧を迎撃したという実績も込みで考えるなら信じられそうだった。

 

「霧に通常兵器が効かないという点について詳しく聞きたいな」

 

 仁兵衛が矢継ぎ早に質問を続ける。イオナたちが信用できるかどうかではなく、どうやって敵の霧を倒すか、ということに集中しているようだった。

 

「霧の艦隊は、物理的なエネルギーを蓄積して放出・吸収する特殊な装甲を持っている。当然蓄積量に限度はあるけど、人類の通常兵器でそこまでのダメージを与えるのは現実的じゃない。その前に沈められる」

 

 イオナが丁寧に解説してくれた。内容はこちらにも理解できるものだったが――聞くだけで頭が痛くなるような話である。そんな無茶苦茶な防御をどうやって突破しろというのだ。

 

「あー、若干絶望してるみたいだけど問題ないわよ。艦娘の装備でも突破できるよう細工できるから」

 

 ヒュウガがあっさりと言った。思わず剛臣の方を見ると、力強く頷いてくれた。どうやらこの点については実証済みらしい。

 

「ただ、攻撃についてはともかく防御についてはフォローできないからそこはなんとかしてもらうしかないわ」

「んー、なるほど。……新八郎、その辺りはどう思う?」

 

 突然仁兵衛が話を振って来た。おそらく伊168たちの戦闘報告を受けてのコメントが欲しいのだろう。

 

「うちの子たちは直接敵の攻撃を見たわけじゃないから正確なことは分からないが……どうやら標的を捕捉して放つタイプの砲撃があるらしい。霧の艦隊自身が砲塔のように変形したと言っていた。砲撃準備の段階で海を割っていたとも聞いている。幸いうちの子たちは捕捉される前に避けられたが――もし捕捉されて撃たれていたら無事ではなかったろう」

「おそらくそれは超重力砲ね。だとしたらその推測は正しい。超重力砲の直撃を受けたら霧の艦隊も無事では済まない。必殺の兵器だと思っていた方が無難よ」

 

 ヒュウガのコメントに肝が冷えるような感じがした。

 伊168たちが無事戻ってきて良かったと思うのと同時に――そんな威力の兵装を持つ相手にこれからまた挑むことへ恐怖を覚える。

 

「相手に捕捉されなければ良いのよね。だったら勝ち目は十分にあるわ」

 

 傍らの叢雲が淡々と言った。こちらの不安を感じ取って励ましてくれたのかもしれない。

 

「ご明察。超重力砲は捕捉されなければ特に問題じゃない。それに捕捉されても実際に撃たれるまでは若干のタイムラグがあるし、その間割と隙だらけになるのよ。だから多対一の状況に持ち込めばそこまで脅威ではないわ」

「他の兵装について注意すべきものはあるかな」

「いずれも直撃すればかなりの被害が出るでしょうけど、艦娘なら耐えられると思うわよ。火力に関しては貴方たちが秋に遭遇したとかいう戦艦棲姫と同等だし」

「……あれと同等か」

 

 仁兵衛が若干苦い顔つきになる。データ上は耐えられるかもしれないが、一発でも直撃したら戦力外だろう。

 

「勝ち目があるなら挑まぬわけにはいくまい」

 

 剛臣が言うと、ヒュウガは大きく頷いた。

 

「確かに相手は強大かもしれない。けどこっちは数で勝ってる。戦略というものも立てられる。十分勝機はあるわ」

「……私たち霧は戦略・戦術について十分な学習ができていない。その点では人類側にアドバンテージがある」

 

 イオナとヒュウガの言葉で、提督たちの表情から恐れがなくなっていった。いずれも今日まで艦娘たちと共に戦い続けてきたのだ。ここで尻尾を巻いて逃げ出すような者はいないのだろう。

 

「――作戦を思いついたが、立案しても良いかな」

 

 仁兵衛が挙手をした。反対する者がいないことを確認してから、仁兵衛は前に出てホワイトボードに敵艦隊を書き込んでいく。

 

「偵察部隊からの報告だと、連中は霧の戦艦二隻に重巡一隻を中心に構成されている。他は全部深海棲艦だ。幸い空母の数は少ないようだから、最初に空母部隊による先制攻撃で深海棲艦を蹴散らす。その後に二艦隊が正面から霧に対して挑む」

「……正面から?」

 

 剛臣が疑問を口にする。真っ向勝負はかなりリスキーではないか。

 

「この正面突破部隊の仕事は残った深海棲艦の撃破と囮だ。霧の連中に本命だと思わせて、超重力砲を撃つよう誘い出す。そうすれば隙だらけになるという認識でいいんだね、ヒュウガ君」

「ええ。演算能力の大半を『撃つ』ことに持っていかれる。その間に横合いや背後から急襲を受ければひとたまりもないわ」

 

 仁兵衛は頷くと、霧の艦隊の横合いに矢印を追記した。

 

「囮部隊が敵を引き付けたら一気に叩く。敵に気づかれないよう超長距離からの攻撃が必要になる。囮部隊も奇襲部隊も今回は大型艦を中心に構成した方が良いだろうね」

 

 一通り作戦の流れを説明し、仁兵衛は周囲を見回した。

 

「――異論は?」

「……それでいこう」

 

 剛臣が頷くと、他の提督たちもそれに続いた。こちらとしても異論はない。

 

「それで、囮部隊はどうする。うちから出すか?」

「華の横須賀艦隊なら囮としてはうってつけだが、今回は奇襲側に回ってくれ。一度霧と相対した経験で敵を一気呵成に仕留めて欲しい」

「心得た。では他のところから出してもらう必要があるが――」

 

 剛臣が提督一同を見るが、立候補する者はいなかった。自分たちの艦隊をみすみす危険な目に合わせたい者はいないだろう。

 

「ま、言い出しっぺだし一艦隊分はこっちから出すよ。けど戦艦級の霧が二隻だから、もう一艦隊は欲しいところだ」

 

 仁兵衛の言うことはもっともだが、それでも名乗りを上げる声はなかった。

 自分としても危険なことはさせたくない。仁兵衛には悪いが、ここは沈黙に徹することにしよう――。

 

「……」

 

 仁兵衛がやけにこちらを注視してくる。あれは期待の眼差しなのだろうか。やめてくれ。こちらはそんな重荷を背負えるほど大層な艦隊ではない。

 

「……新八郎。君のところは長門、陸奥、武蔵を連れて来ていたよな。主力艦隊ここにあり、と言わんばかりの面子だと思う」

「そ、そうだな」

「よし、それなら決まりだ」

「……」

 

 待て。こちらは一言もやるとは言っていない。

 

「ふむ。こうも期待されているのでは応えるしかないのではないか、提督」

「長門。今は黙ってなさい」

「なぜだ」

「……いや、もういい」

 

 ちらりと武蔵を見る。こういう形で囮を引き受けるのは一番嫌がりそうな気がしたからだ。

 

「囮か。正直あまり良い気分ではないな」

 

 こちらの視線に気づいたのか、武蔵はふんと鼻を鳴らした。

 

「だが正面から挑むというのは別に嫌いではない。……毛利仁兵衛。霧の艦隊、別に我々が倒してしまっても構わんのだろう?」

 

 武蔵の挑発的な笑みを受けて、仁兵衛は「もちろん」と返した。

 

「……胃が痛い」

「胃薬常備した方が良いかもね」

 

 叢雲がやや同情するように言った。

 

 

 

 作戦会議が終わってからすぐに出撃準備が始まった。

 囮部隊のメンバーに割り当てられた一室に集まったのは、トラックの大和・扶桑・山城・北上・大井・木曾、そしてショートランドの武蔵・長門・陸奥・古鷹・妙高・加賀である。

 

「私は今回出撃しなくていいのかしら?」

 

 新八郎に確認すると、彼は少し困ったような表情を浮かべた。

 

「……もしかして怒ってる?」

「いえ、ただ疑問に思っただけよ」

 

 外されるほどの失態をした覚えはない。ならどういう理由で外されたのか、知っておきたかった。

 

「今回は敵の目を引き付けるような大型艦、あるいは攻撃的な編成にする必要があった。その点駆逐艦は火力に乏しい」

 

 存外ずばっと言う男だった。

 言っていることはもっともなので何も言い返せない。

 

「……それじゃ、今回は後方支援かしらね」

「いや、叢雲は俺と一緒に作戦指揮をしてもらいたい」

「作戦指揮?」

「ああ。前線指揮官としての経験は十分積んでいるけど、後方からの指揮はしたことがないだろう? 叢雲には高い指揮官適性があると見ているから、いろいろな立場でそういう経験を積んでほしいと思っている」

 

 そう言われると悪い気はしない。仁兵衛から書物を借りていろいろ勉強しているのだ。その成果をここで見せようではないか。

 

「よろしくね、叢雲ちゃん」

 

 艤装の手入れをしながら古鷹が笑いかけてきた。

 心なしか視線が生暖かい気もするが、きっと気のせいだろう。

 

「提督。ちょっといいか」

 

 と、そこで武蔵がやって来た。少し込み入った話になりそうな気配を感じたので、少し距離を取る。

 周囲の様子を見ると、艤装を前にして微動だにしていない艦娘の姿が目に入った。

 

「長門」

 

 声をかけると、長門は若干強張った表情をこちらに向けてきた。

 緊張していることが丸分かりである。

 だが、考えてみれば本格的な実戦は今回が初めてだったはずだ。緊張するのも無理はない。

 

「準備はもうできてる? しっかりと準備しておかないと危ないわよ」

「ああ、それは分かっている。だが、どうにも落ち着かなくてな……。準備に集中できない。これではいかんと分かっているが」

「仕方ないわね。今回私は留守番だし、少し手伝ってあげるわ」

 

 戦艦の艤装でも簡単な整備くらいならできる。チェックポイントを一つ一つ見ながら長門の緊張をほぐそうと口を動かした。

 

「武蔵はああ言ってたけど、今回私たちの役割はあくまで囮よ。敵を倒そうとする振りは必要だけど、いざとなったら自分の身を守ることを最優先にしなさい」

「ああ。そこまで自分の力を過信しているわけではない。だが、逆に最初から守勢一辺倒の考え方で囮になるのかどうかが不安でな。消極的な姿勢だと敵に悟られたら、作戦に感づかれてしまうかもしれない」

「そういうのは他の連中に任せればいいのよ。艦隊の中で一人か二人くらい士気が上がりきらないのがいても、そこまで不自然じゃないもの」

「そういうものか」

「そういうものよ」

 

 長門の身体から少し力が抜けたように見えた。作戦についてあれこれと考え過ぎていたせいで力んでいたのかもしれない。そういうところは新八郎っぽいと思う。

 

「――いらぬことを心配するな。お前はお前自身のことだけ考えていればいい」

 

 いつから話を聞いていたのか、武蔵がこちらを見下ろしていた。

 長門と武蔵の視線がぶつかり合う。傍から見ていると冷や冷やする光景だった。

 

「作戦について思うところがあるなら提督に進言すればいい。進言しないなら提督を信じて戦えばいい。どっちつかずで一人うだうだ悩んで艤装の手入れも怠るのは職務放棄と変わらんぞ」

「……言われずとも分かっている」

「ならしっかりと準備しておけ。不測の事態についてのフォローはしてやるが、職務放棄のフォローはしてやらんからな」

 

 それだけ言って武蔵は去っていった。

 長門は釈然としない顔だ。

 しかし、これは――。

 

「今のって、もしかして武蔵なりの励ましだったのかしら」

「……かもしれん」

 

 長門は憮然とした面持ちでいた。

 

「言っていることは分かるけど、もう少し言い方というものがある――って顔してるわよ」

「……」

 

 長門はむすっとしたまま再び手入れを再開した。

 いろいろと思うところはあるようだったが、もう緊張はしてなさそうに見える。

 

 

 

 

「武蔵さん」

 

 三笠から出撃する直前に、トラックの大和が声をかけてきた。

 

「大和か。今回の作戦、よろしく頼む」

「こちらこそ。ふふ、本当はうちの武蔵も参加したがっていたんですよ」

「護衛艦隊に回されたのだったか。そちらも大事な役目だと思うがな」

「本格的な大規模作戦に参加する機会を逃した、と愚痴っていました」

 

 なるほど、自分が同じ立場であればやはり愚痴っていたかもしれない。

 細かいところで差異はあるものの、やはり根っこのところでは似てしまうものらしい。

 

「……大和。出撃前に一つ聞いてもいいだろうか」

「作戦行動についてですか?」

「いや、個人的な話だ」

「答えられる範囲でよければ」

「……大和は、今、何のために戦っている?」

 

 ここ最近、何度か繰り返した問いかけだった。

 答えは多種多様だった。認め難い回答もあれば、なるほどと思う回答もあった。

 大和はどうだろうかと様子を窺うと――なぜか大和は若干照れるような素振りを見せた。

 

「なぜ顔を赤くしている?」

「……笑わないでくださいね?」

「うん?」

 

 大和は周囲に人がいないかどうか確認し、

 

「私が戦っているのは、提督のためなんです」

 

 と小声で言った。

 他人のために戦う。そういう意味では長門寄りの回答だった。

 ただ、ちょっと雰囲気が異なる気がする。

 

「……もしかすると大和よ。お前、提督に惚れ込んでいるのか」

「武蔵さん、そういうことは言わぬが華ですよ」

 

 たしなめられてしまった。

 しかし、意外な反応だった。うちの泊地ではあまりその手の話題を聞かない。金剛のあれはそういうカテゴリのものと考えるべきか悩ましいところだが。

 

「そうか、惚れ込んだ男のために戦うか。私には正直よく分からない感覚だが、不思議と良い理由のように思える」

「昔はお国のために戦うことが正しいことだと、そう思っていたんですけどね」

 

 昔というのは艦艇時代の話だろう。あの頃は自分もそう思っていた。

 艦娘という、人と同じように物事を考える身になるまでは、それが正しいのだと信じていた。実際、艦艇としての在り様はそれで正しかったのだろう。

 だが我々は変わってしまった。今の我々は艦艇ではない。艦娘だ。人とも違うが――ただの艦でもない。

 立場が変われば、何が正しいかも変わる。

 

「武蔵さんは何のために戦っているんですか?」

「私か。私は、自分のために戦っている」

「自分の?」

「戦艦の艦娘として生まれたのであれば、その力を存分に振るってみたい。だから戦う。それだけだ」

「……それだけですか?」

 

 大和はこちらの回答に不服があるようだった。

 

「それだけでは駄目か」

「そういう思いは私にもあります。これは艦娘としての性なのだと思います。だから駄目だとは思いません」

 

 やんわりと、上手く逃げられたような気がした。

 お前の回答は間違いとは思わないが――何かが欠けていると、そう言われたような。

 

『武蔵、聞こえるか』

 

 通信機から提督の声が聞こえた。

 

「ああ、問題ない。準備もできている」

 

 隣の大和と視線を交わす。向こうにも提督からの通信が入ったらしい。

 

『出撃の時間だ。私からの命令は二つ。任務の完遂のために尽力すること、そして生還すること。これを遵守してくれ』

「了解」

 

 思考を切り替えていく。あれこれと考えるのは一旦やめておこう。

 今は、戦いそのものに集中するときだ。

 

 

 

 頭上を飛んで行った艦載機たちが、前方に群がる深海棲艦たちを蹴散らしていく。

 戦艦の時代を――大艦巨砲主義を終わらせた頼もしき仲間たちの快進撃を見ると、若干複雑な気分になる。

 

「空を制することで戦いは有利に進められるけど、それに見惚れていては思わぬ方向からの奇襲にやられてしまうわ」

 

 こちらの様子がおかしいと思ったらしい。たしなめるように加賀が言ってきた。

 

「大丈夫だ、警戒は忘れていない」

「そう」

 

 加賀は頷くと、自身の艦載機を発射した。前方にいる敵艦隊に向けての先制攻撃だ。

 前方の艦隊の中心には、戦艦と思しき大きな船影があった。

 報告にあった霧の戦艦――ハルナとキリシマだろう。妙な光を発している点を除けば、かつての金剛型の姿にそっくりだった。

 加賀の弓から放たれた数十機の艦載機は、その周囲に群がる深海棲艦たちを蹴散らしていく。

 

「私たちも続きます。トラック・ショートランド泊地の戦艦は前へ!」

 

 トラックの大和の号令に従って、武蔵・陸奥・扶桑・山城が前に出る。私もそれに続いて先頭に並び立った。

 

「まずは長門型のお二人から、撃ち方はじめ!」

「照準良し。……長門、行けるわね?」

 

 陸奥の問いに頷く。砲撃訓練はこれまで散々やって来た。実戦と訓練の違いについても、武蔵や叢雲から散々叩き込まれている。

 

「撃てっ!」

 

 第一撃が火を噴いた。轟音と共に放たれた長門型二人分の主砲は、霧の戦艦には当たらず、その随伴艦に直撃する。

 

 ……当たっただけ儲けものだ。

 

 この一撃目の主目的は観測にある。

 次の――大和型二人が確実な一撃を入れるための観測だ。

 

「……修正良し」

 

 こちらの砲撃を見て、武蔵が射線を修正する。大和も同様に主砲の角度を調整していた。

 

「照準良し。主砲、斉射!」

「てーッ!」

 

 先ほどの砲撃を上回る衝撃が走った。

 音だけではない。周囲の海を揺り動かすほどの一撃が、大和型の二人から放たれたのだ。

 二人の46cm砲から放たれた砲弾は、二隻の霧のうち一隻に直撃する。

 船体が大きく揺れ動く。手傷は負わせられたように思う。

 

「ここからが本番だ……。敵も動くぞ」

 

 武蔵の言葉に応じるかのように、霧の二隻が大きく形を変えようとしていた。船体が大きく裂けていく。まるで怪物が獲物を喰らわんとしているかのようだ。

 周囲の空気が変わる。なんとなく――というレベルではない。

 

「海が……割れるぞ……!」

 

 超重力砲というやつだ。まるでモーセの行進のように海が真っ二つに割れる。

 霧からこちらに向けて――道が伸びてきた。

 

「部隊展開! 裂け目から離れろ!」

 

 武蔵の号令で舞台のメンバーが大きく広がる。

 海の裂け目に飲み込まれないよう必死に逃げる。だが、戦艦ゆえの重さからか思うように速度が出ない。

 

「長門!」

 

 こちらに手を伸ばそうとする陸奥に、さっさと逃げろとジェスチャーを送る。

 私は――もう間に合わない。

 視線を巡らすと、武蔵と目が合った。何か叫んでいる。よく聞こえない。

 海の裂け目に落ちる寸前のところで、見えない何かに全身が覆われた。

 

『長門!』

 

 通信機越しに提督と叢雲の声が聞こえた。

 身体が宙に持ち上げられる。まるで狙いを外さないよう位置を調整しているかのようだ。

 抵抗しようとするが、身体が思うように動かない。艤装も悲鳴を上げている。

 

「ぐっ、この……!」

『大和、武蔵、陸奥は敵の真正面を狙え! 超重力の発射口だ! そこが敵の防御がもっとも脆い!』

『長門はとにかく足掻いて! 超重力砲は標的を正確にロックしないと撃てないらしいわ!』

 

 毛利仁兵衛と叢雲の声が聞こえた。言われなくても足掻いている。足掻いているが――思うようにならない。

 

『長門、足掻くのをやめるな』

 

 諦めかけたそのとき、提督の声が聞こえた。

 

『武蔵、敵を倒してもいいかと豪語したな。なら――頼んだぞ』

 

 半ば挑発するかのような物言いに、武蔵が鼻を鳴らして笑う声が聞こえた。

 

 

 

 珍しく提督が挑むような言葉を投げてきた。それだけ焦っていて、その焦りを見せまいとしているのだろう。

 超重力砲とやらにロックされて、長門は宙で足掻き続けていた。そのおかげか敵はまだ超重力砲を発射するに至っていない。

 

「第二撃は一度で決めるぞ」

 

 並び立った大和と陸奥に宣言する。二人とも無理とは言わない。やらねば長門がやられてしまう。

 二隻の霧が大きく口を開いている。その口に主砲をぶち込んでやればいい。

 見ると、霧の左右に展開した部隊も攻撃を始めているようだった。多方面からの攻撃に混乱しているのか、霧の戦艦二隻の動きが鈍くなっている。しかし敵の防御が硬く、決定打を入れられずにいるようだった。

 古鷹たち巡洋艦は既に真正面からの突撃を敢行している。こちらの主砲で仕留めきれなかったら、後は彼女たちに任せればいい。ただし、それまで長門が無事でいられるという保証はない。

 

「武蔵さん、焦らないでくださいね」

「……ハッ、緊張しているように見えるか、私が」

「ええ。大丈夫、私たちなら長門さんを助けられます」

 

 長門はどうでもいい。敵を倒せればそれでいいのだ。

 そう言おうとしたが、なぜか声にならなかった。

 

「照準良し」

 

 代わりに出たのは号令だった。

 陸奥が、大和がこちらに続いて主砲を霧の戦艦に向ける。

 一個の巨大な砲塔と化した敵艦に、エネルギーが充満していく様が見える。もう、時間がない。

 

「我々の主砲は伊達ではない。……撃てーッ!」

 

 海を割った怪物の口目掛けて、超弩級戦艦の砲撃が叩き込まれる。

 巨大な爆発と共に、霧の戦艦が炎上していく。

 

「やったか……!」

 

 思わず声が出る。

 だが、それは気の緩みから生じたものだった。

 確かに霧の戦艦は炎と共に海へと沈みつつある。

 だが、それは一隻だけだった。

 もう一隻は――健在だ。

 超重力砲のロックも解除されていない。

 

「な……」

 

 巨大な光が怪物の口から溢れ出そうになるのを見た。

 

「長門――!」

 

 海上を、青い光が貫いた。



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第十二条「理解せずとも並び立つことはできる」

 戦艦長門はこの国の誇りである――。

 昔、まだこの海を巡って人間同士が争っていた頃に言われていたことだ。

 その言葉を重荷だと感じたことはない。ただ、その期待に応えたかった。

 だが、時代は海の上から空の上へと移っていった。

 戦う機会はほとんどなく、後方で仲間たちが沈んでいくのを黙って見ていることしかできなかった。

 何のための誇りか。

 何のための武装か。

 守るべきものを守れず、なぜ自分はここにいたのか。

 自分がいた意味はあったのだろうか。

 遠い異国の地で最期を迎えたときも、その答えは得られなかった。

 

 

 

 最初にかすかな光を感じて、次第にそれが眩しく思えてきた。

 少しずつ眼を開くと、そこには見覚えのある男の姿があった。

 

「……提督」

「起きたか。おはよう、長門」

 

 身体のあちこちが痛む。どうやら自分はベッドに寝かされているらしい。提督から水を受け取って喉を潤す。

 

「調子はどうだ」

「全身あちこち痛むが、意識はハッキリとしている。私はどのくらい意識を失っていたんだ?」

「およそ一週間だ。……挨拶追加しておこうか。あけましておめでとう」

「あ、ああ」

 

 霧の艦隊の出現を聞かされて泊地を出たのがクリスマス前後だから、もう年は明けている。

 しかし、こういう状況で年始の挨拶をするとは。提督はときどきとぼけた言動を取る。

 

「……それで、提督。あの作戦はどうなった?」

「戦艦ハルナとキリシマは無事撃退できたよ」

「撃退された」

 

 そのとき、提督とは別の声が聞こえた。

 隣のベッドを見ると、金色の髪の少女が横になっていた。

 

「……君は?」

「その子が戦艦ハルナだよ。横にいるクマのぬいぐるみの中にキリシマもいる」

「余計なことを言うんじゃない、人間」

 

 ハルナの側に置かれていたクマのぬいぐるみが突然立ち上がって提督に文句を言い始めた。

 突然のことに頭が混乱する。戦っていたはずの相手がなぜここにいるのか。しかも一人はクマになっている。

 

「あの戦いでハルナは大破、キリシマは船体を失うほどのダメージを受けた。長門のおかげでこちらの策がすべてハマったからだ」

「完膚なきまでに嵌められた」

 

 ハルナの言葉には悔しそうな響きが含まれている。

 

「一気に大人数で攻め込まれたから、私たちはまず主力を潰そうとした。反撃によりキリシマがまず戦闘不能になったが――」

「ハルナの超重力砲で主力部隊を壊滅させられるはずだった。お前だけじゃない。あの場にいた奴らは全員仕留められると踏んでいたんだ。あそこに伊401が潜んでいなければな」

 

 そう。

 出撃前、側面からの挟撃で仕留めきれなかった場合に備えて、毛利仁兵衛は超重力砲を無効化するためのジョーカーを隠していた。それが霧の一員イオナ率いる潜水艦部隊である。

 超重力砲を発射する寸前、イオナや伊168たち潜水艦はヒュウガ特製の『霧にも効く魚雷』をハルナの砲身目掛けてぶち込んだ。それによってハルナは船体の維持が困難になるほどの打撃を受けたが――超重力砲はそれより僅かに早く発射されてしまった。

 

「それを喰らって私は今日まで眠っていたというわけか」

「直撃だったらもっと酷いことになっていたはずだ。イオナやイムヤたちの攻撃で射線が僅かに狂ったのが幸いしたらしい」

「そうか。では後で礼を言っておかねばならないな」

 

 横を見ると、ハルナがじっとこちらを見ていた。

 

「……それで、彼女たちはなぜここに?」

「イオナが彼女たちを回収してきたんだ。コンゴウと合流されたら厄介だから捕まえておくって」

「コンゴウ……まだ霧の戦艦はいるのだな」

「残りはコンゴウ・マヤの二人らしい。金剛・榛名・霧島と来たから比叡もいるんじゃないかと警戒してたんだが、どうも今回は目覚めていないそうだ」

「コンゴウは強い。霧の艦隊の旗艦を務めている」

 

 ハルナが淡々と言った。

 

「だが、私はお前たち艦娘の強さも知った。どちらが勝つのか――興味がある」

「ハルナの悪い癖が出たか……」

 

 クマのぬいぐるみが頭を抱えていた。どうやらこれがキリシマらしいが、どうにも信じられない。

 

「霧の艦隊は船体含めてナノマテリアルというもので構成されているそうなんだが、キリシマは大和と武蔵の直撃弾をもろに喰らって形状維持が困難になるくらい消耗したらしくてな。クマのぬいぐるみの中にコアを入れてどうにか急場を凌いでいるそうだ」

「だから余計なことを言うんじゃないと言っているだろう、この人間め」

 

 ブンブンと腕を振り回して抗議の意を示すキリシマだったが、見た目のせいかとても愛らしい動きに見えてしまう。

 

「現在、艦娘たちはコンゴウ打倒のために出撃している。私もその様子を見に行きたい。お前たちの艦隊に敵対しないと約束する。いや、むしろ協力してもいい」

 

 ハルナが驚くべき提案をした。もっとも提督に驚いた様子は見受けられない。ただげんなりとした表情を浮かべていた。

 

「何度も言うがそれは許可できない。君が約束を守る保証はないし、土壇場で敵に回られたらこちらにとっては厄介だ。ほとんど力を失っているとしてもだ」

「そもそも人間に協力するなど正気か、ハルナ。伊401みたいにバグでも起こしたか?」

 

 提督とキリシマに要望を否定されて、ハルナは眉根を寄せた。助けを求めるかのようにこちらを見てくる。

 

「……そもそも、なぜ今回霧の一部は人類に対して敵対行動を取ったんだ?」

 

 イオナやヒュウガのように人類側につく霧もいる。つまり今回の行動は彼女たちそれぞれの思惑によっているはずだ。

 本来霧はアドミラリティ・コードと呼ばれる絶対的命令権によって動くらしいが、今回アドミラリティ・コードはないという。

 

「私やキリシマに私的な目的はない。ただコンゴウが語った言葉に納得したから従っていただけだ」

「では、コンゴウの語った言葉というのはなんだ?」

「人類は信じるに値しない。奴らに従わされている艦娘の在り方も間違っている――と」

 

 信じるに値しない。そう言われて、不意にかつての戦争のときのことを思い出した。

 人間をどこまで信じていいのか――そう思わされるような出来事は、いくつもあった。

 

「コンゴウはなぜ人類を信じられないと言ったんだ? その言葉に納得したからには、君たちもその理由を知っているんだよな」

 

 提督が手で口元を覆いながら尋ねた。目が据わっている。

 

「……」

 

 ハルナはちらりとキリシマを見た。

 言っていいものかどうか迷っているのだろう。

 キリシマは「好きにしろ」と言いたげに手をひらひらと振るだけだった。

 

「この言葉を信じるかどうかはお前に任せる。……コンゴウが目覚めたのはこの国の沖合にある地図にも載っていない島だった。そこは、艦娘を作り出すための実験場だったらしい」

「……実験場?」

「人間を艦娘に作り替える実験場――と言った方が正確かもしれない」

 

 場を沈黙が支配した。

 

「艦娘というのは艤装に対して艦の御魂を降ろし、提督が御魂と契約することで受肉して生まれるものだと認識している」

「私もその辺りは詳しくない。ただコンゴウから共有された映像・音声情報には、実験体として扱われている少女たちの姿・声があった。あれが改竄されたものだとは思えない」

「……」

 

 提督は目を閉じて、険しい表情のまま考え込んでいた。

 

「国としては深海棲艦への対抗戦力になり得る艦娘は少しでも多く補充したいところだろう。それには提督という存在が不可欠だ。しかし提督というのはなろうと思ってなれるものではない。誰が提督になるのかは完全に運だ。提督が増やせなければ、艦娘の数も頭打ちになる」

 

 語り聞かせるというよりは、自分の考えをまとめるために口にしているような感じだった。

 

「……そういう事情を鑑みるなら、国が別の方法で戦力を増強しようとアプローチするのは当然と言えば当然か。人工的に艦娘を作り出す。あるいは提督を作り出す。そういうプロジェクトは――あってもおかしくない」

 

 しばらく沈思した後、提督はハルナを見据えて頷いた。

 

「証拠はないが否定するだけの根拠もない。今は暫定的に君の言葉を信じるとしよう。それから君の要望についてだが、他の提督にも口添えをしておく。さすがに私の一存でどうこうするわけにもいかないからね」

 

 そう言って、提督は部屋から出て行った。おそらく他の提督とハルナの扱いを協議しに行ったのだろう。

 

「……霧のハルナ。君はこちらに協力してもいいと言った。それはつまり、先ほどの話が事実だと思ったうえで――やはり人類は信じてもいいと判断したのか?」

「その質問に回答するのは難しい。ただ、戦ってみてお前たち艦娘のことは認めざるを得ないと思った。その艦娘が信じる人間は信じても良いかもしれない。そう思うようになった」

 

 ハルナの回答は腑に落ちるものだった。

 これまでは国のためにこの身を挺して戦うのが自分の役目だと思っていた。しかし先ほどの話を聞くと、このまま国を妄信していいのか分からなくなる。

 だが、あのとき――超重力砲の脅威に晒された自分に対し「足掻くのをやめるな」と言ってくれた提督のことは信じてみたい。

 ハルナの出撃許可を取り付けて提督が戻ってきたのは、それから一時間後のことだった。

 

 

 

 前線での戦いは膠着状態に陥っていた。

 ハルナ・キリシマを退けた艦隊は、中部太平洋に展開した霧のコンゴウ率いる大艦隊と相対することになった。

 敵の霧も残すはコンゴウと先の戦いで仕留め損ねたマヤのみ。三浦剛臣や毛利仁兵衛は早晩片が付くと見ていたが、コンゴウの戦術眼が思っていた以上に優れていたことで長期戦の様相を呈してきた。

 ハルナたちと異なりコンゴウは己が率いる艦隊の戦力を決して過大評価せず、慎重な戦いぶりを見せた。加えて彼女は勝つための戦い方を取らず負けない戦い方を取った。

 少しでも敗色が見えたら艦隊を後方に下げる。それを追って来る者がいれば周囲の艦隊で集中攻撃を仕掛ける。

 コンゴウの艦隊は自らこちらに押し寄せてくるような真似はしなかった。そのため全体の陣容が崩れず、艦娘たちも突破口を見出せずにいる。

 こちらの艦隊は遠くから来ている者も多い。そろそろ燃料や弾薬が足りなくなってくる頃合いだ。

 

「このまま攻めきれず撤退……ということになったら私たちの負けだね」

 

 古鷹の言葉に妙高たちが頷く。被害はこちらもさほど出ていないが、ペースは完全に向こうが握っていた。

 

「強行突破しようとしても、待ち受けているのは霧の艦隊二隻。マヤについてはこれまでの戦闘データからどうにかなる相手だと見て良いですが……コンゴウは何とも言えませんね」

「同じ金剛型でもハルナたちとはいろいろと違ってるらしいわ」

 

 伊168をはじめとする潜水艦娘たちも会話に加わっていた。状況を打破しようと何度も威力偵察を行っているが、未だに敵陣営の穴は見つけられていない。

 

「武蔵さんはどう思う?」

 

 古鷹に問われて、頭を振った。

 

「正直なところ私に打開策は思い浮かばない。上に期待するしかないな」

 

 情けない回答だったが、実際のところ何も浮かばないのだから仕方がない。

 どうも、ハルナ・キリシマとの戦いから調子が優れなかった。体調は問題ない。艤装も特に異常はない。それでも自分の戦い方は精彩を欠いていた。

 

『お待たせ。良い知らせと悪い知らせ、それから何とも言えない知らせがあるわ』

 

 通信機から叢雲の声が聞こえた。

 声の様子からするとあちらも疲労が溜まっているようだ。前線にいるときとは別の苦労があるのだろう。

 

「悪い知らせからお願い」

『分かったわ、古鷹。悪い知らせはこちらの備蓄が残り三日分程度ってこと。戻るときに必要な分も考えると、この海域で使える分はもうほとんど残ってないわ』

 

 もう後がない。ということは次が最後の戦いということだろう。

 

『良い知らせは、これまでの戦闘から敵戦力の分析が済んで――こっちの現有戦力全部を活用すればどうにか決着をつけられる見込みが立ったってことね』

「ほう」

 

 それは吉報だった。

 ここ数日の戦いは、もしかすると敵戦力分析のために行われていたのかもしれない。振り返ってみると、どうにも覇気が感じられない指示が多かったように思う。勝つための戦でなかったならそれも納得のいく話だった。

 

『本当はもう少し早い段階で分析できたら良かったんだけど……敵の立ち回りが上手くて、精度が目標値まで届かなかったのよ』

 

 敵の分析も戦いの一つということだろう。叢雲の疲れはそのせいかもしれない。

 

「こちらに連絡してきたということは、もう作戦も決まっているということか?」

『そうよ、武蔵。と言っても作戦と呼ぶのもおこがましいようなやり方だけど』

 

 提督たちが決めた作戦の概略を聞かされて、思わず顔をしかめてしまった。私以外のメンバーも皆似たような表情である。

 正面からの総攻め。それが今回の作戦の基本骨子だった。

 コンゴウは手堅い布陣を敷いている反面、個々の戦闘では釣りを好む傾向にある。戦力を逐次投入していくやり方では敵にペースを握られてしまうのがオチだ、ということだ。

 当然、総攻めを仕掛けた後の展開によって攻め方は変えていく、とのことだった。

 本当にそれで大丈夫か若干不安は残るが、他に妙案が浮かぶわけでもない。この作戦でいくしかなさそうだった。

 

「……それで、最後のは?」

 

 伊168が叢雲に尋ねた。

 確か、何とも言えないような知らせ、とか言っていたはずだ。

 

『あー。それなんだけど』

 

 叢雲から伝えられたその知らせは――良いとも悪いとも言えないものだった。

 

 

 

 

「長門」

 

 出撃準備をしていると、提督が顔を見せに来た。

 

「鬱陶しいかもしれないが重ねて聞くぞ。……本当に出るのか」

 

 心配性な提督だった。こちらはもう十分休んでいる。艤装も修理されていたようだし、戦線に出ることに問題はない。問題があるとすれば私自身の練度不足くらいだろう。

 

「足手まといだと言うなら大人しく控えているさ。だが、今は戦力の選り好みをしている余裕もないだろう?」

「……まあ、そうだな」

 

 提督は苦い顔つきで頷いた。

 

「すまないな。私は無力で、いつも皆に無理をさせてしまっているような気がする」

「あまり過度に自分を卑下しないでくれないか、提督。確かに貴方は指揮官としてはどうにも頼りないし至らない点もあるが……それでも出来ることはすべてやってくれている。その姿勢はとても尊いものだと私は思うよ」

 

 それはお世辞でも何でもない。まだ提督との付き合いは短いが、この人が物事に対して誠実に向き合う人だということはよく分かった。

 

「だから、私はそれに応えたいと思う。そういう意味で、私は我が提督が貴方であることに感謝をしたい」

「……」

 

 提督はそれでもまだ苦い顔のままだ。

 

「長門。先ほどハルナが言っていた件だが……あれはしばらく口外しないでくれ」

 

 艦娘を作り出すための実験場があるという件のことだろう。言われなくとも、証拠を掴むまで迂闊にそんな話はできない。

 

「元より口外するつもりはないが、提督はどうするつもりだ?」

「さっき仁兵衛に相談してみた。彼もそのことは初耳だったようだが、思い当たる節はあるそうだ。その辺りから少し探りを入れてみるとのことだった」

「毛利仁兵衛か。中央からは信頼されているようだが、信用できるのか?」

「信頼されていても信用はされてないと思うよ。私も彼も所詮は外様だ。そういう意味で、今回の件に関しては信用できる」

 

 三浦剛臣たち内地の拠点の提督は皆海上自衛隊出身――つまり国家サイドの人間だ。我が提督や毛利仁兵衛は民間サイドである。両者の間には、もしかすると大きな溝があるのかもしれない。

 

「この件について今はここまでだ。うちの泊地では私と長門しか知らない。叢雲にも言っていない。あの場に居合わせていなければ君にも言わなかっただろう。それくらいデリケートな話題だということは覚えておいてくれ」

「承知した」

 

 こちらが頷くと、提督の表情は少し柔らかいものになった。

 

「すまないな。決戦を前にして、こんな話をしてしまって」

「仕方あるまい。そういうところも、こうして改めて謝罪するようなところも、貴方らしいと私は思うよ」

 

 提督と拳を打ち付け合う。

 

「それじゃあ、行ってくる」

「ああ。……あ、長門」

 

 最後に、と付け加えて提督は笑いながら言った。

「武蔵だがな――」

 

 

 

 ラバウル艦隊、第一陣突破。

 リンガ艦隊、第二陣と交戦開始。

 ブイン艦隊、押され気味。タウイタウイ艦隊を救援に向かわせる――。

 次々と通信機から戦況報告が届く。

 こちらは現在第一陣と突破し、第二陣を蹴散らしているところだった。

 拠点別に艦隊を編成しての一斉攻撃。敵の層が厚い中央付近は横須賀艦隊を中心とする精鋭部隊が担当し、経験の浅い艦隊は両脇付近を担当する。ショートランドは左翼中央を任されていた。

 戦闘経験豊富な古鷹と妙高が司令塔になり、伊168たち潜水艦娘が遊撃部隊として活躍していた。敵の目がそちらに集中しないよう私と加賀が暴れ回る。今のところこのスタンスで上手くいっている。

 コンゴウ旗下に組み込まれた深海棲艦に大物はいない。コンゴウが慎重な姿勢を示したのはこういうところにも理由がありそうだった。

 

『突出し過ぎないよう敵を蹴散らしたら左右の状況を確認して。もし遅れ気味の艦隊がいるなら手を貸すように』

 

 叢雲の指示も少しずつ様になってきているような気がする。

 最初はどうなることかと不安だったが、思いの外この作戦は有効だったのかもしれない。少なくとも戦いの流れは今こちらが握っているという実感があった。

 

『敵第三陣接近中。あとは第四陣を超えればコンゴウよ』

「了解!」

 

 砲撃音が海を騒がせる。艦載機が空を埋め尽くす。

 これだけの戦力を前にしては、霧であっても勝機は薄いだろう。

 そのとき、通信機越しに警報が聞こえてきた。これは司令部室のものだろう。

 

『コンゴウおよびマヤ、多数の浸食魚雷を発射! 超重力砲ほどじゃないけど当たればやばいわ、避けなさい!』

「無茶を言いますね……!」

 

 珍しく妙高が愚痴を言った。

 それも仕方ない。浸食魚雷とやらは驚くべき数でこちら目掛けて飛んできたのだ。海中の魚雷を避けるのも楽ではないが、アレはまた訳が違う。

 運よく私はどうにか避けられたが、古鷹・妙高・加賀には直撃してしまった。いずれも大破とまではいかないものの、無視できないダメージを負っている。

 

『状況報告を』

「武蔵だ。私と潜水艦たちは無傷で済んだが他の皆は中破。まだ戦闘は継続可能だが戦力は半減している」

 

 叢雲が息を呑む音が聞こえた。

 

『……他の艦隊も似たような被害状況ね。ここからは艦隊を左翼・中央・右翼に分けるわ』

 

 浸食魚雷による被害は当然想定していたのだろう。叢雲の声に動揺は見られなかった。

 

 

 

 実際に動揺がなかったわけではない。

 ただ、三浦剛臣や毛利仁兵衛が予めこの展開を予期していただけだ。自分だけでは気が動転していただろう。

 三つに分かれた艦隊はそれぞれ仁兵衛の指揮に従ってコンゴウ旗下の艦隊を撃破していく。隣を見ると仁兵衛は脂汗を流しながら獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「コンゴウか。一度直接会って話してみたいところだ。いろいろと有意義な話が出来そうな気がするよ」

 

 あれは好敵手と相対している戦士と同じ顔だ。きっと彼とコンゴウの間では現在進行形で読み合いが行われているのだろう。

 有意義な話とやらは戦略・戦術に関することだろうか。それなら自分も参加してみたい。ついていけるかどうかは不明だし、そんな日が来るかどうかも分からなかったが。

 

「敵艦隊、九十パーセント撃破。残りは右翼のマヤと中央のコンゴウ艦隊だけです!」

 

 オペレーターの言葉通り、コンソールに映し出されたマップにコンゴウ旗下の艦隊はほとんど表示されていなかった。

 

「……油断するなよ」

 

 側に立つ新八郎が険しい表情で言った。

「数の上ではこちらが有利だが……こっちは連戦で疲弊しきっている」

 

 

 

 どれくらい戦っただろう。そろそろ疲労もピークに達しようとしていた。

 共に戦っていた仲間たちも大半は後退していた。自分の側に残っているのは伊168と伊58だけだった。

 

「大丈夫か、イムヤ・ゴーヤ」

「なんとか……」

「これくらいなら平気でち……」

 

 二人とも気丈に振る舞っているが疲れが隠せていない。

 ただ、二人のガッツには目を見張るものがあった。これまで潜水艦は偵察と奇襲くらいしかできないものだと思っていたが、それは偏見だったようだ。いざ大戦を経験してみると見えてこなかったものが見えてくる。

 視線の先にはコンゴウの艦影が見える。ただ、向いている先はこちらではない。トラックの大和が率いる中央艦隊だ。

 あちらも疲労はピークに達しているだろう。この状況でコンゴウを相手にするのは相当難儀なはずだ。

 側にはイオナも控えているそうだが、到底楽観できる状況ではなかった。

 助けなければ。

 そう思ったが、弾薬はとうに尽きている。イムヤたちも魚雷は撃ち尽くしていた。

 ただ見ていることしかできないのか。自分には何もできないのか――。

 誰かのために戦うということが許せなかった。その理想を抱いて沈んでいった艦を知ってしまったからだ。それによって失われたものを知ってしまったからだ。

 国名を冠しながらも人々に知られぬまま、勝ち目のない戦いに駆り出された姉。

 国の誇りとうたわれながら、最後まで戦う機会をほとんど得ず、遠き異国の海に消えた先達。

 どちらも自分にとっては憧れの艦だった。

 しかし、どちらも戦艦としての本分を全うすることなく――人間たちの都合でその艦歴を閉ざすことになった。

 彼女たちは何のために作り出され、そして消えていったのか。

 その在り様は――あまりに無残ではないか。

 物言わぬ艦艇ならその在り様しかなかった。しかし今は違う。今の自分たちには意思がある。他人の都合で戦わされるだけの存在ではない。

 そう思っていたのに。

 結局、自分にできることに変わりはないのか。

 上の指示に従って敵を倒すことしかできないのか。助けたいと思った相手を助けることはできないのか。

 脳裏に、先日の長門の姿が浮かび上がる。あのときも結局自分は長門を助けることはできなかった。

 そのことを責める者はいなかった。役割は全うしたのだから、と。

 コンゴウがその船体を変形させる。海が割れる。超重力砲だ。

 その狙いは――真っ直ぐ大和たちに向けられている。

 

「大和……!」

 

 この声は届いていないだろう。だが、口に出さずにはいられなかった。

 

「誰でもいい……! 大和を、あいつらを助けてやってくれ……!」

 

 みっともない。

 情けない。

 そう思ったが、言葉が止まらなかった。

 

「――ならば、助けるしかないな」

 

 声がした。

 そういえば、まだ姿を見ていなかった。

 叢雲から、来ると聞かされていたはずなのに。

 全然来る気配がないから、とっくに撤退したものと思っていた。

 振り返る。そこには見知った長門の姿があった。

 

「お前……!」

 

 長門の砲身は通常のものと異なっていた。表面がナノマテリアルらしきもので覆われており、通常の主砲よりもかなり大きくなっている。その傍らにはあのハルナと呼ばれる少女が立っていた。

 

「船体維持は私も困難。本来は自分の身を守るくらいしかできないが――艦娘の力を借りるならこれくらいのことはできる」

「重力砲――発射!」

 

 ハルナの力を借りたのか、長門の主砲から青き光が放たれた。超重力砲と比べると見劣りするが、その直撃を受けてコンゴウの船体が大きく揺らぐ。

 その隙を大和たちが見逃すはずもなかった。急速浮上したイオナと共に波状攻撃を繰り広げる。

 

「私は、誰かのために戦うということが間違いだとは思っていない」

 

 眼前の最終決戦を眺めながら、隣に来た長門が言った。

 

「その行き着く先が無残なものであったとしても――この在り方は変えられそうにない。良い悪いではない。これはもう性分だ」

「私は、やはりその考え方は嫌いだ。……だが、否定はしない。多分、そういう在り方だったからこそ――大和や長門は皆の憧れだった。だからこそ、私は……」

 

 その先は言うのをやめておいた。言ったところで意味はない。

 

「……すまなかったな。私はもうお前を否定しないよ、長門」

「私もすまなかった。今思えばむきになっていたよ」

 

 気恥ずかしいから絶対口にはしないが――きっと、互いに相手のことを思うが故の衝突だったのだろう。

 

「今後も私とお前の考えは相容れないのかもしれない。だが、それでも共に戦うことはできる。共に並び立つことはできる。何のために戦うのかは別でも、目指しているものは同じはずだからだ」

 

 長門が手を差し出してきた。

 こういう恥ずかしいことを平気でやる辺りは、やはり好きになれそうにない。

 

「握手など後にしろ。戦いは終わってないんだ」

 

 とは言え、コンゴウの戦闘能力はほぼ失われつつあった。実質、戦いはほとんど終わろうとしている。

 

「まったく……泊地に戻ったら鍛え直してやる。覚悟しておけ」

「お手柔らかに頼む」

 

 長門の物言いにはどことなく余裕が感じられる。どうせ提督が余計なことを――長門の無事を確認したときの私の反応辺りをべらべらと話したのだろう。帰投したらあいつにも一言言わねば気が済まない。

 

『作戦終了。コンゴウ艦隊の全滅を確認したわ。お疲れ様』

 

 叢雲の言葉を受けて、長門が改めて手を差し出してきた。

 仕方がないので、力強く握り返した。

 まったく――憎たらしい憧れの存在である。



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第三章「提督と艦娘」(瑞鳳編)
第十三条「規則正しい生活を心掛けよ」


 かつて、自分たちがまだ艦艇だった頃。

 自分には様々な人が乗り込んでいた。

 お調子者もいれば厳しい者もいた。

 優しい人もいれば怒りっぽい人もいた。

 人と接することが苦手な人もいれば社交性のある人もいた。

 人間とはかくも個性豊かなものかと、その多様性に驚いた覚えがある。

 ただ、彼らの大多数に共通していることがあった。

 家族を想う心。

 妻子を想う者。両親を想う者。兄弟のことを想う者。これから家族になるであろう人のことを想う者。

 そういう人間の在り様を見ていると――何か、温かなものを感じた。

 

 

 

 自分にも姉妹艦と呼ばれる存在はいる。

 しかし、それは人間の『家族』と同じなのかよく分からなかった。

 よく分からないまま、憧れた。

 

「はじめまして。私が君たちの提督だ」

 

 不安と期待が半々の初対面。自分を率いる人は穏やかな表情を浮かべて言った。

 

「と言っても私はそう大したことはできない。だから君たちも私にただ従うだけじゃなくて自分で考えて自分で動けるようになってほしい。もちろん私も私にできることであれば協力する。互いに助け合っていけるような関係になれればと考えている」

 

 それは、人間でいうところの家族みたいなものなのか。

 思わず口から零れ出た問いかけに、その人は笑って応えた。

「ああ――家族と言えば家族かもしれないな。私のことは冴えない父か兄だとでも思ってくれ」

 

 

 

 霧の艦隊との戦いからしばらく経った。

 各地での小競り合いは続いているが、大きな動きはない。平和とは言えないが――特に問題なく日々が過ぎている。

 泊地の設備を拡充するには良い機会だったと言える。資金はないので日本およびソロモン政府から借りる形になってしまったが、ここ一ヵ月で泊地は大分拠点らしさを増した。

 艦娘たちの居住区も多少改善できたし、訓練場や司令部の改築も済んだ。提督から艦娘に霊力を供給するための補助施設として、艦の御魂を祀る神社も造営した。元々私は霊力が少なかったようで、所属する艦娘が増えるたびに体調を崩しがちだったが、この神社のおかげもあって大分心身ともに楽になったような気がする。

 そう、思っていたのだが――。

 

「すっかり顔馴染みねえ、提督」

 

 医者として当泊地に来てもらった道代先生が呆れたように言った。

 言われた男――私はというと、咳き込みながらベッドの上で愛想笑いを浮かべるしかない。

 久々に体調を崩してしまった。泊地の拡充が一段落ついて気が緩んでしまったのかもしれない。

 

「言っておくけど、神社ができたからって提督が健康体になったわけじゃないわよ。これまで散々無理をしてきて大分消耗している。霊力の不足がどのくらい身体に悪影響を及ぼすのかは分からないけど、きっとこのままじゃ戦死するより先に病死するわよ」

「肝に銘じておきます」

「だったらベッドの上でまで執務するのはよしなさい」

 

 道代先生はこちらの手から書類を奪うと、脇で控えていた古鷹に手渡した。

 

「古鷹、この人が執務室戻ってきても絶対追い返すよう司令部のメンバーに厳命しておいて。ドクターストップよ。いい?」

「はい、分かりました」

「……いやだな、先生。私は別段ワーカーホリックじゃありませんよ。体調崩してたら休みますって」

 

 そう言うと、道代先生はなかなか自供しない容疑者を前にした刑事のような表情を浮かべた。

 古鷹は古鷹で肯定とも否定とも取れる表情を浮かべている。

 そのとき、提督間専用の通信機が鳴った。相手はトラック泊地の毛利仁兵衛のようだ。

 

「失礼」

 

 二人に会釈して保健室を出る。周囲に誰もいないことを確認してから通話モードに切り替えた。

 

「仁兵衛、どうかしたか?」

『ああ。霧の艦隊のメンバー、覚えてるだろう』

 

 イオナ、ヒュウガ、タカオ、ハルナ、キリシマ、マヤ、コンゴウ。敵味方という立場の違いはあったが、どの子も個性的で強力な戦士たちだった。

 

「当然だ。今は日本政府の監視下で生活しているんだろう?」

『いや、どうやら今朝方脱走したそうだ。今、大本営は大慌てさ』

 

 仁兵衛は若干皮肉げに言った。彼は大本営に雇われる形でトラック泊地の提督になっているが――上層部のことはあまり快く思っていない節がある。下手すればこの脱走劇に一枚噛んでいるのではなかろうか。

 

「……逃走したってことは、大本営と彼女たちの間で何かが決裂したってことか」

『例の件だろう。……新八郎、これからそっちに行っていいか。会わせたい子がいる』

「別に構わないが」

『悪いな。明日には着く』

 

 そう言って仁兵衛は通信を切った。

 例の件というのは――人工的に艦娘を作り出そうという研究のことだろう。あれから特に続報は聞いていないが、仁兵衛は何かを掴んだのかもしれなかった。

 

「あれ、提督」

 

 そのとき、不意に後ろから声をかけられた。

 慌てて振り返ると、そこには瑞鳳の姿があった。祥鳳型二番艦――軽空母の艦娘だ。

 

「こんなところでどうしたの? あ、もしかして何か密談とか……?」

 

 じーっとこちらに疑いの眼差しを向けてくる。どうやら話は聞かれていなかったらしい。

 

「トラック泊地の仁兵衛からだよ、明日遊びに来るってさ。瑞鳳はどうしたんだ、こんなところで」

「提督が倒れたって聞いたからお見舞いに来たのよ」

「それはすまないな」

 

 瑞鳳は着任した頃からいろいろと世話を焼いてくれる子だった。出来の悪い身としては助けられてばかりである。

 

「……そうだ、瑞鳳。いつも世話になってるし何か今度御礼でもさせてくれないか」

「御礼?」

 

 瑞鳳は「うーん」と唸りながら首を捻る。急に言われても思い浮かぶわけはないか。

 

「あ、それじゃあねえ」

 

 瑞鳳はにこやかな表情をこちらに向けて、無邪気な要望を言ってきた。

「提督の身体が良くなったら、どこかに遊びに行きたいな」

 

 

 

 なぜか執務室の空気が悪い。

 せっかく新築して前より綺麗な部屋になったはずなのだが――この重々しさはなんだ。

 叢雲はどことなく機嫌が悪そうだし、古鷹も何やらよそよそしい。大淀は若干呆れたような感じで接してくる。

 皆どうしたんだと聞きたいところだが、聞いたら余計事態が悪化しそうな気がした。

 

「新八郎、これ演習リスト」

「提督。こちらソロモン政府とショートランドからの依頼書と清算書になります」

 

 叢雲と古鷹が書類をどっさりと机に置く。気のせいかいつもより多いような気がした。

 

「……そういえば提督、今度瑞鳳さんと遊びに行かれるそうですね」

 

 大淀が書類に目を向けたまま話を振ってきた。

 

「ああ。今日はこれから仁兵衛たちが来るから、明日辺りにしようかと思ってる」

「僕知ってる、それデートだよね」

「ナギ、デートってなに?」

「えーと、恋人同士が出かけることだって聞いた気がする」

「わあ、おじさんと瑞鳳さん恋人なの?」

 

 机の両脇から身を乗り出して無垢な眼差しを向けてくるのはナギとナミだった。以前私を助けてくれたこの島の子どもたちだ。日本語を話せるということで、今も通訳としてときどき助けてもらっている。

 

「……誤解を解いておこう。これはデートではない。ただのお出かけだ」

「えー、そうなの?」

「つまんなーい」

「そう思ってるのはアンタだけだったりして」

 

 叢雲が意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「別に『デートではないよな』と確認は取らなかったが……デートという単語は全然出なかったぞ」

 

 もう少し若ければ自分もそれなりに期待したかもしれないが、とうに春が過ぎ去ったオッサンである。そんな展開はあるまい。

 

「そもそも行くのは瑞鳳とだけじゃない。祥鳳も一緒だ」

「あ、そうなんですか?」

「後で瑞鳳から『祥鳳も一緒でいい?』と聞かれたんだ。特に支障ないのでOKを出した」

「なんだ、そういうことか」

 

 叢雲が肩を竦めた。

 執務室の空気が少し緩やかになる――ところで、ドタバタと大きな音を立てて飛び込んでくる者がいた。

 

「ヘーイ、て・い・と・くゥー!」

 

 改めて確認するまでもない。金剛だ。彼女は頬を膨らませて不満を全力でアピールしながら机をバンと叩いた。

 

「聞きましたヨ、日頃の御礼に瑞鳳たちとピックニックデートデスカ!?」

「いやデートではない……顔、顔近い!」

 

 おでこがぶつかりそうな距離感だ。金剛のこういう距離の詰め方には未だ慣れない。

 

「オー、ソーリィ。でも瑞鳳だけズルイデース……。私もいつも頑張ってマース。ご褒美欲しいネー!」

 

 ゆっさゆっさと身体を前後に揺さぶられる。

 

「分かった、分かったから離してくれ。今度遊びに連れていくなり食事おごるなりするから」

「……一応フォローしておきますが提督、そんな調子で安請け合いしてると身が持ちませんよ」

 

 大淀の的確な指摘に少し頭が痛くなった。

 

「言っとくけど私は特にそういうのいいわよ」

「わ、私も結構ですので……」

 

 叢雲と古鷹からありがたい申し出があった。しかしそういうことを言われると急に物凄い罪悪感が募ってくる。この二人には特にいろいろと世話になっているのだ。

 

「叢雲と古鷹への御礼は私の方で何か考えておくよ」

「……あんた、そのうち本当に身を亡ぼすわよ」

 

 そこに、扉をノックする音が聞こえてきた。もっとも、扉は先ほど金剛が飛び込んできたときに開いたままだ。開きっぱなしの扉をノックしたのは、噂をすればなんとやらというか、瑞鳳だった。

 

「あ、あのぅ。毛利さんが来たから案内してきたんだけど」

「やあ、なかなか楽しそうにしているようだな」

 

 ひょっこりと仁兵衛が顔を見せた。側にはトラックの朝潮もいる。

 そしてもう一人、初めて見る少女がいた。

 

「……その子が会わせたいって言ってた子かな」

「ああ」

 

 仁兵衛に連れられて少女が部屋の中に入ってくる。

 年齢は叢雲たちと同じくらいだろうか。まだ幼さが残る顔立ちだ。ただ、身にまとっている雰囲気は子どものそれではない。

 研ぎ澄まされた刃物のような怖さがある。

 ナギやナミは少し怯えたように私の後ろに引っ込んでしまった。他の艦娘たちもどこか警戒するような眼差しを向けている。

 ――この雰囲気は良くない。

 席を立って、少女の前まで進み、腰を下ろして目線を合わせた。

 

「はじめまして。私は伊勢新八郎という。君はなんていうのかな」

「……」

 

 少女は答えない。もしかして言葉が通じないのではないか――そう思った矢先、仁兵衛が助け舟をよこした。

 

「その子には、名前はないんだ」

「……名前がない?」

 

 仁兵衛は執務室に集まったメンバーを見渡して、少し考えるような仕草をしてから口を開いた。

 

「この子はいろいろあって記憶が壊れている。自分の名前を思い出すことができないそうだ」

 

 その説明を聞いて、この少女がどういう存在なのか、おおよその検討がついた。

 

「……すまない、皆は少し席を外してくれないか」

 

 その言葉に従って、部屋の中にいた皆が外に出て行く。

 ただ、叢雲だけは動かなかった。

 

「叢雲」

「私は残るわよ。それともアンタたち、私がいたらまずいことをするつもりなの?」

 

 そう言われると返す言葉に困る。仁兵衛を見ると「任せる」といった感じのポーズを取っていた。

 

「……叢雲は長門を呼んできてくれ。話はその後で始めよう」

「長門を?」

「長門もこの件について少し関わっているからね。今は演習中だと思うが、急用だと言うことで呼んできてほしい」

「分かったわ」

 

 そう言って叢雲も出て行く。

 

「……艦娘を作り出そうという研究に関する話か?」

「あれ、叢雲君が帰って来るのを待つんじゃないのか」

「そんなわけあるか。差し障りのあることは今のうちに話す」

 

 この件はとてもデリケートな話だ。艦娘には――特に駆逐艦や潜水艦のような子たちには聞かせたくない。

 

「霧の艦隊はコンゴウが把握していた艦娘量産計画の実験場の一つを潰そうとしたらしい。ただ、コンゴウに把握されてるってことは向こうも分かってたんだろうな。実験場はとうに放棄されていた。残されていたのは艦娘化に失敗した被験者たちだけだった。この子はその中でたった一人の生き残りだ」

「……ってことは、他の子は」

「実験の後遺症が酷くて、もう駄目だったらしい。この子は他の子よりも適合率がそこそこ高くて、手遅れになる前に霧の艦隊の処置を受けたからギリギリ助かったんだそうだ。……で、一緒には連れていけないからってうちまで届けに来たってわけだ」

 

 再び少女と正面から向き合う。

 どこか危うげな雰囲気は実験の影響によるものだろうか。まだこの子のことはほとんど分からない。

 ただ、大人として何か言葉をかけなければならないと思った。

 

「……大変だったね」

「――」

「けど、もう大丈夫だ」

 

 そう言って力強くその手を握り締める。

 

「もう、大丈夫だから」

 

 少女が、僅かに頷いたような気がした。

 

 

 

 長門を連れて叢雲が戻ってきたところで、話を再開させた。

 

「……今新八郎には話していたんだが、この子は戦災孤児でね。いろいろ理由があって本土で生活させるのは難しい。もしよければこちらの泊地で引き取ってもらえないかと思ってる」

「ん、トラックじゃないのか」

「ああ。実はこの子は提督としての素質を持ち合わせていてね。もし彼女に異存がなければ将来新八郎の補佐役が務まるんじゃないかと思っている」

 

 その話は初耳だった。

 確かに霊力不足の私にとっては助かる話ではあるが、肝心のこの子の意思はどうなのだろう。

 少女の様子を窺うが、どういう意見を持っているのかはさっぱり分からなかった。人形のように微動だにしない。

 

「……この子自身に判断を求めるのは少し難しいのではないか、提督」

 

 おおよその事情を察したのか、長門がそれとなくフォローしてきた。

 

「詳しくは分からないがこの子は大分酷い目にあってきたようだ。いきなり自分で今後のことを考えろというのも酷だと思う」

「うーん……確かに、子どもを良い方向に導くというのは大人の役割だけど……提督候補として扱うっていうのは気が引けるな」

 

 普通の生き方はできなくなる。九死に一生を得たこの子から平穏な未来を奪うというのは、どうにも抵抗があった。

 

「何も必ず提督にしろと言ってるわけじゃないさ。しばらくここで生活しながら、最終的にこの子自身がどうしたいかを選べるようになればそれでいいと思わないか」

「それなら、まあ」

 

 念のため少女にも改めて確認してみたが、僅かに頷くのみだった。拒否されてはいないようだが、今後どうやって向き合っていけばいいか迷う。

 

「よし、話は無事にまとまったようだな。それじゃ僕はまだやらなきゃいけないことがあるから失礼するよ」

「……あまり深入りするなよ」

 

 立ち去ろうとする仁兵衛の背に言葉を投げかける。

 

「例の件。良いか悪いかで言えば私は間違いなく悪いことだと思う。しかし必要かと聞かれれば必要だとも思う」

「それについては同感だ。別に僕も正義漢というわけじゃない。ただ、知らないでいるのは嫌な性質でね」

 

 仁兵衛は笑みを消して言った。

 

「何か分かったら教えるよ。僕はどうも考えが先走ってしまうことがあるからね。相談には乗って欲しい」

 

 そう言い残して仁兵衛は去っていった。

 

「例の件、ねえ」

「今のは私と仁兵衛の個人的な課題の話だ。一通り解決したら叢雲にも説明するよ」

「……まあ、いいけど」

 

 こちらが話すつもりがないと察したのだろう。叢雲はそれ以上追及してこなかった。

 

「さて、しかしどうしようか。名前が分からないままだと生活するうえで困るよな」

「うむ。そうだな……萩というのはどうだろう」

「それ萩市から取ったろう。そのまんま過ぎる」

「なら周防」

「お隣さんから取るのも駄目。というか国名だと艦名であるかもしれない。被ったらどうする」

「被ってる張本人が言うと説得力あるわね」

 

 叢雲のツッコミはスルーした。

 

「……ちょっと考えさせてほしい。名前というのは大事だから」

 

 さっと考えて決めるというわけにはいかない。名前は一生ついて回るものだ。

 少女は納得したのかどうか、微かに頷いただけだった。

 

 

 

 提督が女の子を引き取った、という噂はすぐに泊地中に広まった。

 毛利提督が連れてきたあの女の子らしい。少し尖った雰囲気ではあったが、どこか寂しげな子でもあった。

 どんな様子かと気になって執務室を訪ねてみたが、その女の子はいなかった。部屋の割り当てが決まっていないので、とりあえず提督の部屋に案内しているらしい。

 

「瑞鳳は今日非番だったな。申し訳ないが少し様子を見ておいてくれないか?」

 

 提督に頼まれては断れない。助け合うのが私たちの仲だ。

 それに、提督の私室というのも興味があった。提督は執務室にいることの方が多いからあまり物は置いてないのかもしれないが、プライベートをどんな風に過ごしているのかは気になる。

 そんな調子で浮かれながら提督の部屋を訪れると、あの女の子は窓際の椅子に座って何かの本を読んでいた。

 

「あ、あのぅ」

「――」

 

 刺すような視線が向けられたが、それは一瞬のことだった。

 毛利提督を案内するとき一度顔を合わせていたからだろう。女の子はすぐに警戒を解いたようだった。

 

「……なに」

 

 小さな声で、来訪の目的を尋ねられた。

 澄んでいてとても綺麗な声だ。

 

「えっと、私瑞鳳っていうんだ。ここで一緒に提督を待っててもいいかな?」

「……この部屋は私の部屋じゃない。あの人がいいって言ったなら、いいと思う」

「そ、それじゃ待ってるね」

 

 距離感が掴みにくいが、拒絶されているというわけではないようだった。

 彼女が手にしている本は、どうやら戦略論に関するものらしかった。

 

「その本、内容分かるの?」

「難しい」

「だよね」

「でも、なんとなくなら」

「分かるんだ」

 

 見た目は駆逐艦の子とそう大差なさそうに見える。人間で言うならまだ子どもだろう。それでこんな難しそうな本の内容が分かるものなのだろうか。

 提督の私室は押入れと本棚、机と椅子があるだけだった。興味本位で押入れの中を覗き込んでみたが、布団しか入っていない。

 本棚には軍艦に関する本やかつての戦争に関する本が多く見受けられた。また、政治学や経済学、経営学にマネジメント論に分類されるものも揃っている。下の方には趣味なのだろうか、歴史小説が数多く取り揃えられていた。

 

「提督、本好きなのかな……」

 

 他に趣味嗜好に関するものが見当たらない以上、そう考えるのが自然だろう。

 確かに、外で何かやっているより部屋で静かに読書している姿の方が想像しやすい。

 女の子に倣って適当に本を手にしてみた。専門書はちょっとついていけそうにないので、歴史小説である。

 数十分ほど頑張って読んでみたが、どうにもついていけない。知らない言葉が多くてちっとものめり込めなかった。

 女の子は相変わらず淡々と本を読んでいた。

 

「……ねえ。貴方はなんていう名前なの?」

「……私、まだ名前ない」

 

 どうやら訳ありの子らしい。あまり踏み込んだ質問はしない方が良いかもしれない。

 

「本、好きなの?」

「……他にすること、ないから」

 

 確かにこの部屋だと他にできることはなさそうだった。

 

「じゃあ、少し外を見て回らない? ここで暮らすならいろいろ知っておいた方が良いところいっぱいあるわよ」

「でも、ここで待ってろって」

「大丈夫大丈夫」

 

 手を差し伸べられて、女の子は少し戸惑っているようだった。

 

「提督はそれくらいじゃ怒らないよ。優しい人だから」

「……うん、それなら」

 

 おずおずとこちらの手を掴んでくれた。

 その手を引っ張って泊地のあちこちに出かけた。

 工廠で明石さんたちに挨拶をした。

 間宮さんのところでアイスをご馳走になった。

 演習場で武蔵さんや長門さんの訓練風景を見せてもらった。

 広場でお茶をしていた金剛さんたちに今度の外出のことをいろいろと聞かれた。

 道代先生のところで、少し女の子のメディカルチェックを行った。

 非番の駆逐艦の子たちと一緒にだるまさんがころんだを遊んだ。

 そうこうしているうちに日が暮れた。女の子は終始あまり表情を変えなかったが――不思議と喜怒哀楽の見分けはつくようになってきた気がする。

 

「ここはいろいろな人がいる」

 

 提督の私室に戻ってきて、女の子が今日の感想を告げた。

 言葉としては短いが、彼女が少し興奮しているのが分かる。刺激的な出会いも多かったのだろう。

 

「そうねえ。皆個性的でしょ。それをまとめてるのが提督なのよ」

「……正直、そんなに凄そうな人には見えない」

 

 女の子がぼそっと言った。確かにカリスマ性があるわけではないし、実力で皆を引っ張っていく感じでもない。

 だが、提督でなければ今の泊地はできていなかったとも思う。

 

「うちの提督は、凄くないからいいのよ」

「……凄くないのに?」

「そうそう。貴方も提督と一緒に過ごしてればそのうち分かると思うよ」

 

 そんな話をしていると、疲れ切った顔で提督が戻ってきた。

 

「ただいま……。すまないな、瑞鳳」

「いいのよぅ。それより提督晩御飯食べた?」

「いや、まだだ。これから作ろうかと……」

「なら私が作ってあげる」

 

 腕をまくってアピールする。提督は「うーん」と少し考えてから、

 

「なら一緒に作ろう。飯まで完全に世話になるのも気が引けるし、申し出を断るのも失礼な気がする」

 

 と、いかにも提督らしい案を出してきた。

 

「あ、そうそう。名前、考えてきたんだ」

 

 提督はポケットからメモ用紙を取り出して、私と女の子に見せてくれた。

 

「私がこんな不健康だから、せめて健康でいて欲しいと思って『康』。そこから女の子らしい感じになるよう『奈』をつけてみた。康奈。どうだろうか」

 

 女の子はしばらく用紙を見ていたが――やがて小さく頷いた。

 

「……ありがとう、新八郎」

「お? おお……。いやいや、どういたしまして」

 

 御礼を言われたのが余程嬉しかったのか、提督は少し締まりのない顔で頭を掻いていた。

 

「良かったね、康奈ちゃん」

「……うん」

 

 三人連れだって夕食を作りに共有の台所へと向かう。

 なんだか、こうしていると本当に家族のようで。

 そう思うと、なぜだか少し泣けてくるような気がした。



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第十四条「人に怒りを向けられたらまず省みよ」

 家族というのは何か――そう聞かれて答えられる者はいるのだろうか。

 ドラマや小説では素晴らしいものとして描かれることも多いが、実際はそんなに良いものではない。

 今日世界のどこかでは身内に殺される誰かがいることだろう。

 ずっと肉親同士でいがみ合っている家もあることだろう。

 距離が近しいだけに、仲がこじれたら他の誰よりも忌まわしい相手になり得る。家族と言うのはそういう可能性も秘めていた。

 一方で、助けてほしいとき最初に声を届けられる相手でもある。

 では、家族というのはそういった距離感の近しさで表せるものなのだろうか。

 それもまた――何か違う気がする。

 何かが、足りない。

 

 

 

 島の中を、瑞鳳・祥鳳と並んで歩く。

 普段休みのときは室内にいることが多いせいか、一時間もしないうちに息が上がってきた。

 

「すみません、提督。せっかくお休みのところを瑞鳳が無理言ってしまったようで……」

「むっ、別に私から無理言ったわけじゃないわよぅ。ね、提督」

「ああ、私の方から日頃の礼にと言ったんだ。……なに、息が上がるのは早いかもしれんがこうなってからが粘り強いぞ私は。なにせ万年体調不良だからな。息が上がっているのがスタンダードなんだ」

 

 当たり前だが強がりである。正直かなりしんどい。

 

「……少し休みましょうか」

 

 森の中の少し開けた場所で腰を落ち着ける。

 足を止めた途端一気に疲れが出てきた。まだ調子が完全に戻ったわけではないようだ。

 

「だ、大丈夫提督? なんだったら、ここからは私がおぶって行く?」

「……いや、それは勘弁してくれ」

 

 身体能力は艦娘の方が圧倒的に上だが、それでも女の子に背負われていくというのは抵抗を覚える。男のつまらないプライドなのかもしれないが、そのプライドはまだ捨てたくない。

 疲労回復用にと持ってきていた塩飴を口に入れる。祥鳳と瑞鳳にもそれぞれ一個ずつお裾分けした。

 

「これ、ちょっと普通の飴とは感じが違いますね」

「塩分補給で熱中症対策とかに有効なんだ。海上移動は暑いし汗かくことも多いだろうから、移動中に携帯すると役に立つかもしれない」

 

 艦娘は怪我に強いが、病への抵抗力は人間とそう変わらない。艤装さえ残っていれば手足が千切れかけても元通りになるらしいが、流行り病には普通にかかったりするそうだ。健康対策は心掛けておいた方が良いだろう。

 

「そういえば提督、康奈ちゃんは今日連れて来なくて良かったの?」

「今日は二人と出かけるって約束だったからな。あの子は今日叢雲が見てくれている。大丈夫だよ」

 

 引き取ることになったからには信頼関係を築いていかねばならないが、それは急いで築くものではない。

 人と人の関係と言うのは少しずつ、時間をかけて構築していくものだ。性急に築き上げた仲というのはどこかで綻びが生じる。

 

「実は出かける前、何かお土産を持って帰ると約束してね。何か面白そうなものがあれば持ち帰りたいところだ」

「それなら大丈夫よ。今日の目的地は綺麗なお花がいっぱいあるから」

「花か……」

 

 そういうのを喜ぶ子だろうか。

 

「けど、びっくりしたわ。瑞鳳が急に花畑に行きたいって言うんだもの」

「ナギたちに教えてもらっただけで、私も実際行くのは今日が初めてなんだ。それなら、せっかくだし提督や祥鳳と一緒に行きたいなって」

 

 瑞鳳の無邪気な言葉に祥鳳は照れているようだった。

 

「二人はやっぱり仲が良いんだな」

「それはもう、姉妹艦だし」

「姉妹艦と言っても、私たちはちょっとややこしいんですけどね」

 

 祥鳳と瑞鳳は元々給油艦として建造される予定だったが、当時のいろいろな事情も相まって計画が変更され、潜水母艦・空母へと改装されることになった。給油艦として先に完成したのは祥鳳だが、空母として完成したのは瑞鳳が先だったという。

 

「……二人ってどっちが姉なんだ?」

「一応、今の大本営は私を姉ということにしているようです」

「昔は千歳・千代田たちとも姉妹として扱われてたっけ。あともう一人、まだ艦娘にはなってないけど妹が一人いたのよ」

「千歳たちもか。不思議な繋がりだな」

 

 姉妹艦か。人間の兄弟とは少し違う関係性だ。

 両親が同じというわけではない。生まれたところが同じとも限らない。

 しかし、姉妹艦同士の間には確かに何かしらの結びつきがあるように思う。金剛姉妹や扶桑姉妹、瑞鶴や翔鶴を見ているとそれはよく分かる。

 

「提督は誰か兄弟とかいたりしないの?」

「私か。大分年は離れているけど、妹と弟が一人ずついるよ」

「おぉ、やっぱり可愛い?」

「んー……どうだろう。年の近い兄弟と比べると喧嘩は全然しなかったけど。半分子どもみたいなもんだったしなあ。それに二人とも今は大学生だし、可愛いっていうような年でもない」

「そういうものなんだ」

「下の兄弟が無条件で可愛いわけじゃないぞ。それは幻想だ。仲の悪い兄弟もいっぱいいるだろうし」

 

 言われて、瑞鳳は少し表情を暗くした。

 

「そ、そっか。それじゃ私と祥鳳もあんまり仲が良いと変なのかな……」

「――いやいや、それは極端過ぎるだろう。そういう兄弟もいるというだけだ。親兄弟親戚の関係性はケースバイケースだし、こうでなければならない、なんてものはない」

「……そうなの? 家族は助け合うものじゃないの?」

 

 何か、まずい話題に足を踏み込んだのかもしれない。

 瑞鳳の表情は――ひどく不安げだ。

 

「そういう家族もいるな」

 

 できるだけ刺激しないよう、言葉を濁した。

 ただ、瑞鳳はそれで安心したらしい。ほっとした様子で頷いた。

 

「そう。そう……よね」

「瑞鳳?」

「なんでもないよ、祥鳳」

「なら、いいんだけど……」

 

 祥鳳から見ても、今の瑞鳳の様子は奇異に映ったのだろう。腑に落ちないような、心配そうな表情を浮かべていた。

 

 

 

 目的の花畑にはなかなか到着しなかった。

 どうやら道に迷ってしまったらしい。

 

「ど、どうしよう提督……」

「慌てても仕方がない。周囲を敵に囲まれているわけでもないし、印でもつけながら周囲を散策していこうか」

 

 森の中で三人迷子になりながら、のんびりと歩いて回った。

 風で木の葉がざわめく。木漏れ日を浴びながらの散策は、少し不思議な感覚だった。

 どれくらい歩いただろうか。

 開けた場所に出た。人の気配はないが、半ば朽ちかけた建物が見える。

 

「なんだろう、これ」

「誰もいないようだし、少しお邪魔してみようか」

 

 扉は開けっ放しになっていた。中を覗き込むと、広々とした部屋に黒板らしきものがあった。両脇には本棚や物入と思しきものも見受けられる。

 

「……これは、教室かな」

 

 更に覗き込もうとすると、何やら怒声が聞こえてきた。

 

「――!」

 

 建物の裏手から島の人と思われる老人が、抗議の言葉らしきものを叫びながらこちらに向かってやって来た。

 びっくりしているこちらに向かって、老人は杖を突きつけてくる。

 ナギやナミから少し言葉は教わったが、早口で怒鳴りたてられると何を言っているのかさっぱり聞き取れない。

 

「ちょっと、なんなんですか!」

 

 見かねて瑞鳳が私と老人の間に入る。老人はギロリと瑞鳳と祥鳳を見て「……カンムス」と面白くなさそうに呟いた。

 言葉が通じていないということを察したのだろう。老人は嫌悪感を前面に出しながら、さっさと失せろ、といったようなジェスチャーをした。

 

「いや、すみませんでした。お邪魔しました」

 

 通じるかどうか分からないが、頭を下げてそのまま足早に退散する。幸い老人は追ってこなかった。

 

「もう、なんなのあのお爺さん!」

 

 突如向けられた敵意に対して、瑞鳳は怒りをあらわにしていた。

 対照的に祥鳳は悲し気な表情を浮かべている。

 

「私たち、何かまずいことをしてしまったんでしょうか」

「多分あの場所はあのお爺さんにとって大事な場所だったんだろう。見知らぬ連中がいきなり土足で踏み込んだとあれば、怒るのも無理はない」

「だからっていきなり提督を突っつくことないと思う。それにあの人私たちが艦娘って気づいてから余計嫌そうな顔してたし!」

「それも仕方ないんじゃないかな」

「なんで? 私たち島の人たちのためにいろいろ仕事してるのに!」

 

 瑞鳳は不服そうだった。その気持ちも分かるが、どう説明したものだろうか。

 

「言ってしまえば艦娘と提督――私たち泊地は軍事組織だ。規模は小さいし、相手は深海棲艦限定だけどね。それでも、軍事組織というのは平穏にその土地で暮らしたい人からすると、部外者だし、邪魔者だし、厄介者なんだ。あのお爺さんに限らず、どこにだってそういう人はいる。それはおかしいことじゃない」

「……なんで、厄介者なの? 私たち悪いことなんてしてないのに」

「例えば、戦闘に巻き込まれる可能性があるからという理由がある。軍事組織さえいなければこの土地が争いに巻き込まれることはない。あいつらがいるからここが戦争に巻き込まれるんだ――とね」

「それっておかしくない? 深海棲艦は私たちがいようといまいと人間を襲うわよ」

「うん、それも間違いじゃない。ただ、深海棲艦と戦うにしてもここに居座らなくてもいいだろう、よそに行けよ――って思う人はいるものなんだ」

「……提督は、どっちの味方なのよぅ」

 

 納得がいかず瑞鳳は不貞腐れてしまったようだった。

 

「もちろん私は泊地の皆の味方だ。それに、ナギたちの村の人みたいに協力的な人たちもいる。瑞鳳たちが島の人たちに迷惑をかけず頑張り続けていれば、そのうちさっきのお爺さんだって認めてくれるかもしれない」

「とてもそうは思えないけど……。それに、私たちのこと嫌いな人のことなんか助けたくない」

 

 よほどショックだったのだろう。瑞鳳はすっかりへそを曲げてしまった。

 

「瑞鳳、駄目よ。そんなことを言っては提督にもご迷惑がかかるわ」

「……分かってるけど」

 

 瑞鳳の不満は正当なものだ。それだけにこういう問題をどう説明すれば良いか悩んでしまう。

 あえて言わなかったが、艦娘が人間に避けられたり嫌われたりするケースは他でもそれなりにある。

 艦娘は元々の身体能力からして人間より遥かに優れているし、殺傷能力のある武器も使う。可愛らしい隣人というには、少々恐ろしい存在だ。

 軍と現地の人の間だけでなく――人間と艦娘の間にも、決して小さくない溝がある。

 私は瑞鳳や祥鳳が、日々周囲の人々のために頑張り続けていることを知っている。それだけに、こういう問題をどう伝えればいいかが分からない。

 

「難しいものだな……」

 

 小さく口から零れ落ちた言葉は、木々のざわめきによってかき消された。

 

 

 

 結局、あの日は花畑に到着することなく、微妙な雰囲気を残したまま泊地に戻ってきた。

 せっかくの外出だったのに、瑞鳳と祥鳳には申し訳ない結果になった。

 

「そこは確かに何かフォローしてあげるべきだったと思うわね」

 

 相談を聞いてくれた道代先生の言葉には返す言葉もない。ただ、ああいうときどうフォローを入れれば良いのか分からないのだ。

 

「けど、民間人と軍人――人間と艦娘の間にある壁の話っていうのは、確かに簡単に説明がつくものではないわね。当人同士が言葉一つで納得してくれるなら、世界平和は一日で実現できるわ」

「そうですね。ただ、今後も深海棲艦との戦いは続きます。その中で民間人との交流は欠かせない。軍人というのは民間人あってのものだからです。……守る側と守られる側という単純な話ではない。こちらだって支えられている。そう考えると、この問題は放置して良いものではないように思うんです」

「ま、瑞鳳に限らず人間相手に複雑な感情持ってる子は多いからね」

 

 道代先生には艦娘のカウンセリングもお願いしている。人間との接し方に悩む子は、やはりそれなりにいるらしい。

 

「そういえば、これは興味本位なんだけど――提督は、どうして艦娘を信じようと思ったの?」

「特別な理由とかはないですよ。信じる必要があったから信じた。そうしているうちに本当の意味で信じられるようになってきた。強いて理由を挙げるなら、信じながら彼女たちを見続けてきたから、ですかね」

 

 戦う姿を、苦悩する姿を、傷つく姿を、楽しむ姿を――沢山見てきた。

 

「見聞きするというのはとても大事なことよ。相手を知ることは信頼への第一歩。相手のことを見て、相手の言葉に耳を傾ける。それを怠っていてはいつまでも信じ合うことはできない」

「私の場合、そうでもしないとどうにもならない状況だったからそうすることができた、というのが大きいかもしれないです」

 

 そうでもなければ、艦娘が目の前に現れたからと言って積極的にコミュニケーションを取ろうとは思わなかったはずだ。

 

「艦娘と人間とでコミュニケーションを取れる機会が設けられればいいんですが……」

「親睦会でも開いてみる? けど、そういうのって積み重ねが大事だと思うわよ。一回や二回で互いの理解が深まるかは微妙な気がするけれど」

「まあ、そうですよね」

「それに、今のまま無理に交流を図ろうとしても上手くいくかどうかは怪しいでしょう。あの子たち、戦い以外のことに関してはまだまだ子どもだから」

「うう……」

 

 道代先生の手厳しいコメントが突き刺さる。正論だし実際その通りだとは思うのだが。

 

「まずは泊地の人たちとか、ナギやナミみたいにここを訪れる人たちとの交流からですかね。艦娘に対して理解がある、もしくは好意的である人たちがほとんどですし」

「それが妥当なところでしょうね。現状だと特に用がなければ話すこともない――って子たちがほとんどだと思うけど」

「きっかけは必要ですね。それについては、少し考えていることがありますが」

「へえ?」

「もしかすると道代先生にも協力をお願いすることになるかもしれません」

「別に構わないわよ。それに見合う給料をいただけるなら」

「……善処します」

 

 資金繰りを頑張らねばなるまい。大淀にまた苦労をかけることになりそうだが――それでも、この計画は実現させたかった。

 

 

 

 最近、何か新八郎の様子がおかしかった。

 仕事は普段通りこなしているのだが、ときどき大淀や長門たちと小声で話し込んでいたりすることがある。

 先日康奈が来たときのこともそうだが、どうも振る舞いが怪しかった。

 

「……と、私は思ってるんだけど」

「うーん、私も少しおかしいなと思うことはあるけど」

 

 古鷹が困ったような笑みを浮かべながら言った。

 

「でも叢雲ちゃん、提督が私たちに言わないならそれにはちゃんと理由があるんじゃないかな?」

「それはそう思うけど、その理由が何なのかが気になるのよね。つまらないことで蚊帳の外にされるのは面白くないもの」

 

 輸送船から降ろされる積荷のリストをチェックしながら、どこかよそよそしい態度の新八郎の顔を思い出してしまう。

 

「……あら?」

 

 リストの中に『取扱注意』『貴重品』と書かれたものがあった。作業員の人を呼んでそれを持ってきてもらう。

 他の荷物と違って小さい箱だった。手のひらに収まるくらいの小ささである。

 

「これ、何かしら」

「受取人は提督になってるね」

「差出人は……大本営名義になってるわね」

 

 普通、重要な荷物がある場合は事前に新八郎から積荷チェック担当者に一言あるはずだった。しかし今回は特に何も聞かされていない。

 

「一応中身確認しておきましょうか」

「いいのかな……」

「大本営から送られてきたってことは別にプライベートなものじゃないでしょ。もしかしたら最近様子がおかしいのと何か関係があるかもしれないし」

 

 古鷹と二人、その小さな箱を開けてみる。

 中に入っていたのは――指輪だった。

 作りはとても簡素なものだ。宝石がついているわけでもない。ただ、その指輪からは何か妙なものを感じる。

 

「あ、説明書かな」

 

 古鷹が箱から紙片を取り出した。

 

『こちらはケッコンカッコカリに必要な指輪です。量産化に着手できるようになりましたので、一つ進呈させていただきます。貴方がもっとも信頼する艦娘に渡してあげてください。式の方法については別途連絡させていただきます』

 

 古鷹が内容を読み上げていく。

 

「……ケッコンカッコカリ?」

「それって……結婚ってこと?」

「じゃあ、これは結婚指輪……!?」

 

 なんだか、この小さな箱の簡素な指輪の重みが急に増したような気がした。

 

「ちょ、ちょっと待って古鷹。読み間違いじゃないの?」

「ま、間違えてないよ……! ほら、ここに!」

 

 古鷹に紙片を見せてもらう。何度も見直したが、確かに古鷹の読み方に間違いはなかった。

 二人で、まじまじと指輪を見つめる。

 

「大本営も何考えてるのかしら……。結婚て。いつから仲人事業を始めたのよ」

「そ、そうだよね。おかしいよね、こんなの」

「……まあ、妙な話だとは思うけど」

 

 紙片を箱に戻して蓋をする。

 

「もしかすると最近のあいつの妙な挙動はこれのせいかもしれないわね……。だとすれば、これを渡せば謎も解消されるかも」

「え、渡すの……?」

 

 古鷹が妙なことを言い出した。

 

「新八郎宛ての荷物なんだし、渡すのが当然でしょ」

「それはその、そうなんだけど……」

 

 古鷹には抵抗があるようだった。これを手にした後の新八郎の振る舞いが気になるのだろう。

 新八郎が誰にこれを渡すのか。気にならないと言えば嘘になる。しかし、気にしたところで仕方がないではないか。

 

「いいじゃない、古鷹なら可能性あるでしょ」

「それなら叢雲ちゃんだって……」

「私はそういう対象としては見られてないわよ。それに信頼って面でも最近の扱いじゃね……」

 

 肩を竦めて、残りの作業を再開する。

 荷下ろしが一段落ついてから、古鷹と一緒に執務室まで報告に行く。

 

「……ん?」

 

 部屋の前に、中を覗き込んでいる瑞鳳がいた。

 

「なにしてんの、瑞鳳」

「ひゃっ、む、叢雲ちゃんに古鷹!?」

 

 見るからに不審な感じがした。普通に中に入ればいいのに、何をしているのか。

 

「……もしかして、この前のことで提督に何か?」

 

 古鷹の言葉に、瑞鳳は気まずそうな表情で頷いた。

 そういえば、先日の外出はあまり良い感じにならなかったと聞いた。目的地には辿り着けず、現地の人ともトラブルになってしまったとのことだった。

 

「あのときは私のせいで空気悪くなっちゃったから、謝ろうと思って来たんだけど……。中にいるの大淀だけだし、どうしようかって思ってたの」

「中に入って大淀に新八郎がどこ行ったか聞けばいいだけでしょ」

「あっ、ちょっ」

 

 制止しようとする瑞鳳を振り切って執務室に入る。

 大淀はジト目で瑞鳳を見てため息をついた。

 

「さっきからなんですか瑞鳳さんは……」

「ば、バレてた……!?」

「中からは丸見えよ、あの位置じゃ」

 

 話が散らかりそうだったので、手短に荷下ろしの報告と瑞鳳の事情を説明する。

 

「なるほど。それでしたら行き違いになってしまいましたね。提督は少し前にウィリアムさんたちとホニアラへ出発されました」

「あら、外出?」

「ホニアラってことは今日は戻ってこないか……」

 

 瑞鳳はがっくりと肩を落としていた。

 

「それじゃどうしようかしら、この指輪」

「指輪?」

 

 大淀や瑞鳳にも先ほどの指輪と説明書らしき紙片を見せる。

 

「……これ、もしかすると艦娘の能力を引き出すとかいうやつかもしれないですね」

 

 大淀が訝しげに指輪を眺めながら言った。

 

「能力を?」

「以前大本営の活動報告でそういう研究をしているというのを見た覚えがあります。ケッコンカッコカリなどという名称だったかどうかはうろ覚えですが、大本営がいきなり提督の仲人を買って出るというのもおかしい話ですし」

 

 確かに大淀の言う通りだ。もしこれが能力を引き出すためのものだとしたら、人騒がせな名前をつけたものだと思う。

 

「まあ追って大本営から詳細な連絡があるでしょうから、提督の机にでも入れておけば良いのではないでしょうか」

「そうね」

 

 執務室にある机の引き出しに放り込んでおく。

 心なしか入れるときまで視線を感じたような気がしたが、気にしないでおくことにした。

 

 

 

 康奈が口を利いてくれなくなった。

 先日土産を持ち帰り損ねたことで機嫌を損ねてしまったらしい。全面的にこちらが悪いので謝り倒しているが、なかなか機嫌を直してくれなかった。今は長門と話をしているようだ。

 

「提督もすっかり形なしだねー」

 

 居場所をなくして甲板で彼方を見ていると、海上の北上からお声がかかった。見ると大井も一緒のようだった。

 

「私が悪いからどうしようもない。こういうときは下手に小細工をせず、誠意を見せ続けるしかないな」

「あら、分かってるんですね」

「分かっているとも。昔もあった。妹も弟もこうなると長かった。……大人というのは長く生きてる分若者より自分たちの方が正しいと思い込んでいることが多いが、決してそうとは限らない。大人が間違っていて子どもが正しいということもある。今回だってそういうパターンだよ」

 

 はあ、とため息をつく。

 

「そういえば結局あの子は提督の養子ってことになるの?」

「いや、まだ法的には何もしてないよ。あの子の境遇を考えると養子縁組できるかどうかも怪しいしな……」

 

 今回ホニアラに康奈を連れていくのは、駐在大使の長崎さんにその辺りのことを相談するためでもある。康奈たちを研究していたのがどの系列の組織なのかは分からないが、軍事関係とは直接関りがないであろう長崎さんはおそらくノータッチだ。戦災孤児ということでゴリ押しすればまず問題はないだろう。

 

「何か特別な事情を抱えてるんですか。過去の記憶がないというのは聞きましたけど」

「そんなところだ。いろいろと辛い目に遭ってきた子らしい」

「……そうですか」

 

 大井はそれ以上特に何も聞いてこなかったが、きっと康奈のことを多少なりとも気にかけてくれるだろう、という感じがした。

 北上はそんな大井のことをぼーっと見ているだけで、今一つ考えが読めないが。

 

「――提督」

 

 そこに加賀が姿を見せた。あまり表情を動かすことのない加賀だが、もう半年以上の付き合いにもなるからか、彼女が焦っていることはすぐに分かった。

 

「どうかしたのか、加賀」

「前方に敵艦隊。……一体、初めて見るタイプの個体がいる」

「どんな?」

「小柄……けど、大きな尾があったわ。艦種は正直まだ何とも」

「分かった。総員、戦闘配置に。現場指揮は長門に任せる。補佐は加賀だ」

 

 それだけ指示を出すと、護衛として同行していた艦隊のメンバーは次々と艤装を展開させて配置につく。

 

「では提督、少し出てくるぞ」

「ああ。任せた、長門」

 

 北上たちを引き連れて長門が出撃していく。長門は今や練度も武蔵に勝るとも劣らない程になっており、名実ともにうちの艦隊の中心になりつつあった。

 

「……何か始まるの?」

 

 長門がいなくなって不安に思ったのか、康奈がやって来た。

 

「深海棲艦が出たんだ。けど大丈夫。皆優秀だからね。すぐに倒して戻ってくる」

 

 康奈と二人、敵艦隊に向かっていく艦隊のメンバーを見送る。

 遠方の空模様が、少し怪しくなってきていた。



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第十五条「正しい行いは誰かが認めて正しくなる」

「……皆さん、落ち着かない様子ですね」

 

 大淀が、執務室で黙々と書類を片付けながらぽつりと言った。

 その言葉に手が止まる。古鷹・瑞鳳も動きを止めていた。

 

「提督がホニアラに向かわれるのは、そう珍しいことでもないじゃないですか」

「そ、それはそうなんだけど……。この前のこと、できれば早くきちんと謝っておきたいなって」

 

 瑞鳳が気まずそうに視線を逸らしながら言った。心に引っかかっていることがあると、それを置いておくことができない。そういうところは瑞鳳の長所でもあり短所でもあった。

 

「私は最近の新八郎の動きにいろいろと引っかかる点があったからよ。最近は裏でコソコソ何かやってるみたいじゃない。今回もその一環なのかと思って気になってるだけよ」

「提督は最近に限らず結構いろいろと動いてますよ」

「それは分かってるけど」

 

 フン、と鼻を鳴らす。

 自分の知らないところで動かれるのがなんとなく気に入らない。もう叢雲は頼りにならない、などと考えているのだろうか。

 本人がいれば直接苦情を申し立てたいところだが、いないとそれもできない。なぜこうも間が悪いのか。

 

「……私は、少し連絡が遅いなと思って」

 

 古鷹が新八郎の机を見ながら言った。

 ホニアラへの航路は安全になったわけではない。深海棲艦から制海権は取り戻したが、時折こちらの隙を突いて深海棲艦が入り込んでくることもある。だからこそ定期的な哨戒任務を行っているわけだし、護衛任務もひっきりなしに飛び込んでくるのだ。

 だから、新八郎はホニアラに着いたらこちらに連絡を入れるようにしていた。無線通信ではさすがに遠すぎるので、市の大使館から電話が来るようになっている。

 予定通りならとっくに到着しているはずだったが、今回はまだ連絡が来ていなかった。

 

「何かトラブルがあったのかもしれないわね。でも長門や北上たちが護衛でついていったらしいし、多分問題ないわよ」

 

 戦力としてはこの泊地随一の戦闘集団だ。通常の護衛任務として考えるなら過剰戦力と言ってもいい。何かトラブルがあったとしても、新八郎たちの身に害が及ぶようなことはまずないだろう。

 

「……別に長門さんたちのことを信じないわけじゃないけど、ほら、以前みたいに姫クラスの深海棲艦が出てきたらと思うと」

 

 古鷹の懸念も分からなくはなかった。

 深海棲艦の中には単独で異常な強さを誇る存在もいる。確かにそういう相手が出てきたら、長門たちでも撤退に追い込まれることはあるかもしれない。

 

「可能性としてはゼロじゃないけど、そこを気にしてたら身動き取れなくなるわよ。私たちにできることはないんだし、信じて連絡が来るのを待ってればいいんじゃない」

「叢雲ちゃん、やっぱりちょっと機嫌悪い……?」

「瑞鳳。機嫌悪い相手に機嫌悪いねとは言わない方がいいわよ」

「あ、うん。ごめんなさい」

 

 瑞鳳がやや怯えたような動きで引き下がっていく。それはそれでショックだった。

 結局、その日は一日、連絡がないままだった。

 

 

 

 連絡が来たのは――その翌日だった。

 執務室に入ると、受話器を手に顔を青くしている古鷹がいた。

 

「……叢雲ちゃん」

「新八郎から?」

「ううん、長門さんから。その、提督が……」

「替わって」

 

 古鷹の様子から、何かあったことは容易に察することができた。半ば奪うように受話器を取る。

 

「長門、私よ。何があったの?」

『叢雲か。……すまん、私の落ち度だ』

「謝罪はいいから、何があったかを説明して」

 

 つい声に苛立ちが出てしまう。自制しようとしたが、それを上回る胸騒ぎがした。

 

『ホニアラに到着する少し前に深海棲艦の集団と遭遇した。……そいつらのうち一体に、提督たちが乗っていた船を襲われた』

「……怪我人は?」

『――ウィリアムさんや康奈たちは皆軽傷だ。無傷ではないが、さほど問題はない。……ただ、提督は怪我が他の人より酷い。まだ集中治療室に入ったまま出てきていない』

 

 心臓を鷲掴みされたような感覚に襲われた。

 脳裏に嫌な――とても嫌な光景が浮かんでしまう。

 

「なんで……なんで、あんたたちがいながらそんなことになってんのよ……ッ!」

 

 悲鳴のような声が出た。

 

「あんたたち護衛役でしょうが! なのになんで、アイツがやられてるのよ! 何のための護衛よ!」

『……すまない。返す言葉もない』

「――」

 

 長門の悔しそうな言葉で、我に返る。

 相手の立場になって考えてみろ――それは新八郎が時折言い聞かせるように口にしていた言葉だった。

 今、一番苦しい思いをしているのは長門たちだろう。彼女たちが手を抜いたとは思えない。運が悪かったか、それだけ敵が桁外れの力を持っていたか。長門たちが駄目だったなら、自分がその場にいても結果は変わらなかったに違いない。

 

「……ごめん。言い過ぎた。長門たちは、大丈夫?」

『艤装はかなり損傷してしまったが、皆健在だ。しばらくはこちらで待機する。……提督のことについて、また何かあれば連絡を入れるよ』

「ありがとう。……無理はしないで」

 

 受話器を置く。

 落ち着きを取り戻したような言葉を口にしていたが、ちっとも落ち着けてないことは自覚していた。

 視界が動かせない。受話器を置いた手が硬直していた。カチカチとうるさい。何かと思ったが、自分が歯を鳴らしている音だった。

 

「提督、どうかしたの……?」

 

 瑞鳳の声がした。いつの間にか執務室に来ていたらしい。

 説明しようとしたが、声が思うように出てこなかった。

 

「……ホニアラに行く途中で襲撃に遭ったみたい。それで、大怪我をしたって」

 

 こちらの様子を察したのか、古鷹が代わりに説明してくれた。

 

「大怪我って……」

「詳しいことはまだ分からないけど……」

 

 どうにか顔を上げる。声を震わせながらも説明する古鷹と、目に見えて動揺する瑞鳳の姿が見えた。

 

「わ、私……ホニアラに行く!」

 

 古鷹からの話を聞き終えて、瑞鳳が意を決したように言った。

 

「提督は私のことを家族のようなものだって言ってくれたもん……! 家族が大変な目に遭ってるなら駆け付けるものよ!」

 

 そう言い残して瑞鳳は脇目も振らず駆け出して行った。

 艦隊の一員としては褒められた行動ではないが、その真っ直ぐなところは羨ましい。

 

「……古鷹。貴方は瑞鳳についていってあげて」

「叢雲ちゃん……」

「長門たちが後れを取るような相手がいる。金剛・比叡・赤城も連れていって。守りは武蔵や蒼龍・飛龍がいれば大丈夫だから」

「――うん。分かった」

 

 首肯して古鷹も駆けていく。

 皆、新八郎のところに向かっていった。

 

「……なんで、私も行くと言えなかったんだろう」

 

 一人執務室に取り残されて――そんな自問自答を繰り返した。

 

 

 

 ホニアラに到着した私たちを出迎えてくれたのは、包帯で右腕を吊っていた長門さんだった。

 

「連絡は受けている。すまないな」

「長門さんたちも……」

 

 艦娘は人間よりも身体的な傷の治りは早い。それでもまだこれだけの怪我を負っているということは、よほど凄惨な戦いだったのだろう。

 

「まずは病院に案内しよう。さっき泊地にも連絡したが……提督は一命を取り留めた。しばらくは絶対安静だが」

「無事だったんだ。良かった……」

「……」

 

 長門さんが少しだけこちらを向いて何かを口にしかけたが、結局何も言わず歩みを再開させた。

 少し、嫌な予感がする。

 長門さんは人に余計な不安を感じさせる振る舞いをする人じゃない。提督に何もなかったなら、言葉を止めるようなことはしないはずだ。

 病院に着き、真っ直ぐに病室へと向かう。

 

「ここだ」

 

 長門さんに促されて扉を開けようとするが、その手が動かない。開けるのが怖かった。

 

「瑞鳳、もし怖いなら私が開けるネ」

「金剛さん……。ううん、大丈夫」

 

 迷いを振り切るように頭を振って、扉を開ける。

 提督は、ベッドで横になっていた。

すぐ側には生気を失った表情の康奈ちゃんがいる。ずっと眠っていなかったのか、目の周りにクマができていた。

 

「……提督」

 

 静かに寝息を立てている。顔のところどころに怪我の痕が残っていたが、そこまで酷いようには見えない。

 杞憂だったのかもしれない。そう思って長門さんを見ると、沈痛そうな表情で頭を振った。

 

「左手と右足の傷が酷くて――もう使い物にならないそうだ」

 

 言われて、思わずベッドのシーツをまくり上げる。

 提督の左腕の肘から先と右足首が――どこにもなかった。

 

「襲撃以降、一度も意識が戻っていない。医者もいつ目覚めるかは分からないと言っていた」

 

 他もよく見るとあちこち傷だらけだった。治療してこれなら、最初はどれほど酷かったのだろう。

 痛々しい提督の姿を見ていると、次第に怒りが湧き上がってきた。

 戦いに身を置く以上こういうことになる可能性はあった。提督だってその覚悟はしていたかもしれない。それでも、身内のこんな姿を見せられては、憤りを感じずにはいられない。

 

「長門さん、提督をこんな目に遭わせたのは……誰?」

「……それは別室で話そう。北上たちもそちらに待機している」

 

 頷いて、提督にシーツをかけ直す。

 

「大丈夫。絶対提督の仇は取るから」

 

 答えはない。

 もし提督が起きていたら『そんなことはやめろ』と止めたかもしれない。

 それでも、この衝動は抑えられそうになかった。

 

 

 

 病院内で艦娘たちに割り当てられた大部屋に集まる。

 北上たちは既に傷も癒えているようだった。ホニアラにも万一に備えて入渠施設を用意してあったので、そこで艤装を修理できていたのが良かったのかもしれない。艤装が修理できなければ艦娘の傷はなかなか治らないのである。

 

「私たちが遭遇した新型の深海棲艦だが、倒し切れてはいない。まだ生存している」

「あいついろいろと無茶苦茶だったからねえ。提督たちが襲われて慌てて戻って迎撃したけど、結局逃げられちゃったんだ」

 

 北上が両手を上げてため息をついた。

 

「見た目はそこまで大きくない。駆逐艦と同程度だ。しかしあれは断じて駆逐艦ではない」

「……夕立みたいに、駆逐艦としては桁外れの戦闘力を持ってるってこと?」

「いや、戦闘力が極めて高いのはその通りだが……もっと根本的なところで違う。重雷装巡洋艦の如く多数の魚雷を放ってくるし、艦載機で奇襲を仕掛けてくる。駆逐艦並の機動性を誇るうえに、戦艦並の大型主砲を操る。航空重雷装高速戦艦とでも言いたくなるような存在だ」

 

 話を聞いているとまるで冗談のような存在に思える。ただ、それが冗談でないことは長門さんたちの顔を見れば一目瞭然だった。

 

「新型ということで慎重にいこうとしたのが間違いだった。最初に魚雷の先制攻撃を受けて北上と大井が潰され、私が主砲で迎え撃とうとするも決定打を与えられなかった。加賀が航空戦を挑もうとした矢先に艦載機で提督たちの船を急襲して――そこからは乱戦になってしまった。終始相手にペースを握られてしまったと言ってもいい」

「できることの幅が広い――というだけではないわ。それを次々と間髪入れず繰り出してくる手数の多さこそが、あの個体最大の脅威と言えるわね」

 

 加賀さんが長門さんの説明を捕捉する。聞けば聞くほど相手が規格外の存在としか思えない。

 

「となると、もし対応するならこちらもその敵に集中して速攻を仕掛けるしかないですか?」

「その通りだ古鷹。あいつは長く戦場に残しておいて良いタイプではない。見た目通りなら耐久・装甲に関してはそこまで規格外ではないように思う。さっさと沈めるのが正解だろう」

 

 そこで長門さんは周囲を見渡した。

 

「……さて。提督がああいう状態だ。今は我々自身で判断するしかあるまい。――あの敵をどうするかだ」

「放置するという選択肢はないデショウネー。話を聞く限り私たちのホームで知らんぷりしていい相手ではナッシングヨ」

 

 金剛さんの言葉に反対する者はいなかった。今後ソロモン近海の制海権を安定させるためには、どうあっても倒すべき敵だ。

 

「私はすぐにでも倒しにいきたい。提督があんな目に遭わされてるんだもの。許してはおけない」

「瑞鳳、気持ちは分かる。悔しいのは同じだ。しかし感情に引きずられては勝機を逃す可能性もあるぞ」

「……分かってます」

 

 分かってはいるが、こういうのは理屈ではない。

 

「必勝の策を考えてから臨まなければならないということですね。そういう意味では、私はここにいる戦力だけで討伐するのは些か確実性に欠けると思っています」

 

 赤城さんが部屋を見渡しながら言った。

 

「長門さんたちは十全の状態とは言い難い。今日こちらに来た私たちはほとんど戦闘していないのでその点は問題ありませんが、長門さんたちが仕留めそこなった相手を確実に仕留めるというなら、もう一部隊は欲しいところですね」

 

 赤城さんは戦線に出れば積極的な姿勢で敵を次々と沈めるアタッカーだけど、戦闘前は思いの外慎重な姿勢を見せることが多い。命令があれば状況を問わず出撃するけど戦闘中は慎重な加賀さんとは対照的だった。

 

「相手も長門たちと戦って手負いなのでショウ? 私は現在の戦力でも十分仕留めきれると見ていマス」

「金剛は相変わらず積極的ですね」

「赤城は勝負に確実性を求めすぎるきらいがありマス。ある程度の勝機が見えたなら打って出ることも必要ネ」

 

 赤城さんと金剛さんの視線がぶつかり合う。仲が悪いわけではないけど、どちらもこと作戦に関しては自分の主張を簡単には譲らないところがあった。普段は提督が最終的にとりまとめて落ち着くところだけど、今ここに提督はいない。

 

「どちらの考え方も間違いではない。……ここは多数決で決めることにしたいと思うが、どうだろう」

 

 このまま平行線になることを恐れたのだろう。長門さんが状況を動かすための案を提示した。

 長門さんがそのまま取り仕切っても良さそうな気がしたけど、指揮系統が曖昧なので自分が仕切っていいか不安に思ったのかもしれない。少なくとも長門さんは本調子じゃないから、出撃する艦隊の旗艦にはなれそうになかった。

 私は早く討伐すべきだと思ったから、金剛さんの案に賛同した。他に賛同したのは比叡さんだ。古鷹は赤城さんの慎重論に賛成していた。

 長門さんたちの方も、僅差で金剛さんの案に賛同する人の方が多かった。

 

「……では、出撃する方向で考えよう。旗艦は金剛でいいか?」

「言い出しっぺですから責任は取らないとデスネ。引き受けましょう」

「異論ありません。出撃すると決まった以上は私も全力を尽くしましょう」

 

 赤城さんが率先して頷いた。後腐れのない対応というか、こういうところは凄いなと思ってしまう。

 

「すまないがこちらのメンバーはまだ本調子には程遠い。すぐに出るのであれば出撃は難しい。……利根は軽傷で済んでいるが」

「吾輩か。別に構わぬぞ」

 

 部屋の片隅で利根が気怠そうに手をひらひらと振った。

 重巡洋艦の中でも古鷹に次ぐ練度を誇る持ち主――ではあるのだけど、戦闘時以外はいつもやる気なさそうにぼーっとしていることが多い問題児でもあった。

 

「戦い以外は何もする気は起きんが、戦いなら吾輩も多少は役に立つであろうよ。傷も大したことはないし、戦闘に支障はない」

「……戦闘に関して利根の才覚には目を見張るものがありマース。その働きには期待してますヨ」

 

 金剛さんの言葉に、利根は少し陰のある笑みで応じた。

 

「では出撃メンバーは金剛・比叡・古鷹・利根・瑞鳳――それに私ということでよろしいですね」

「そうだな。さっきも言ったように奴相手に普通の戦い方はしないことだ。速攻で叩き潰す。そういう意味では超長距離から先手を仕掛けられる瑞鳳と赤城がもっとも重要な役回りといえる」

「敵は艦載機を操るけれど、その数はそこまで多くはない。敵から制空権をもぎ取ったら、一気呵成に畳みかけることもできると思うわ」

「ありがとう、加賀さん。参考にさせてもらいます」

「加賀さんの無念は私と瑞鳳で晴らしておきましょう。なに、御礼は間宮パフェ一つで良いですよ」

 

 赤城さんの軽口で加賀さんがクスリと笑う。

 おかげで、場の雰囲気が少し柔らかくなった気がした。

 

 

 

 

「お待ちください」

 

 病院を出ようとしたところで、私たちを呼び止める声がした。

 駐在大使の長崎さんが病院の駐車場から姿を見せた。大使館から急行してきた、という感じだ。

 

「……出撃されるおつもりですか?」

「そうですけど……」

「それは、なりません」

 

 長崎さんは厳しい顔つきで大きく頭を振った。

 

「まだ新八郎さんは意識を戻されていないのでしょう? 彼の判断なしで貴方たちの出撃を認めることはできません」

「……なぜですか?」

「ソロモン政府と日本政府が艦娘の指揮権を認めているのは伊勢新八郎であって、貴方たちではないということです」

 

 妙な雲行きになってきた。長崎さんはこれまで比較的好意的な姿勢を取ってくれていた人だけど、今日はいつもと雰囲気が少し違っている。

 

「艦娘は人間よりも遥かに高い力を持っている。それ故にその力は慎重に扱わねばなりません。役所仕事だと言い切ってしまえばそれまでですが――それを遵守せず例外を認めてしまうと様々な問題が起こり得ます」

「艦娘が独自の判断で動くようになれば、周囲へいたずらに警戒心を抱かせることになってしまう――ということデスカ?」

 

 金剛さんが一歩前に出た。この手のやり取りは一番慣れているからだろうか。

 

「別段艦娘に限ったことではありませんがね。力ある者が他の指示ではなく自分の判断で動くことを認めてしまうと、どうしてもそれを悪用する者が出てくる。無論作戦行動中に自身の判断で動かねばならないことはありますが、今の貴方たちは新八郎さんから指示を受けて作戦行動を取っている……というわけでもないですよね」

「……そうデスネ。長門たちが受けた命令は提督たちの護衛。私たちは――」

「先ほどショートランドから連絡がありました。新八郎さんが意識を失う前に応援を要請していた、と」

 

 それは初耳だった。私が勝手に飛び出したのを叢雲ちゃんたちが黙認してくれたものだと思っていたけれど。

 もしかすると――私たちの行動が問題にならないよう、泊地の方で手回しをしてくれたのかもしれない。

 

「ただ、例の新個体を改めて討伐しろという話は私のところまで来ていません。新八郎さんは戦闘中に意識を失われたそうですから、そもそもそんな指示は出しようがないと思いますが」

「……」

「貴方たちは今誰の指揮下にもない。誰の命令もない。そんな状態で武力を振るうことを認めるわけにはいかないのです」

「それでは例の新型はこのまま野放しにしておくってことデスカ? それは正しいことだとは思えまセン」

 

 話を聞く限りでは危険極まりない個体だ。それを速やかに討伐しなければならないというのは間違っていない。

 

 ……私みたいに提督の仇討だって言ってたら絶対止められたんだろうな。

 

 泊地にフォローしてもらったこともそうだけど、なんだか自分の未熟っぷりを突かれているような感じがする。

 

「金剛さんの仰ることは分かります。新八郎さんも意識が戻れば同様の対応を取ろうとされるでしょう。それは正しい判断だと私も思います。……しかし正しい行いをするためにもルールがある。今は、その条件が整っていないのです」

「……長崎サンもなかなか頑固デスネー……」

「私個人としては、貴方たちの立場を悪くしたくないのですよ。もし貴方たちの独断専行を問題視する者がいれば、新八郎さんの責任も追及するでしょうし、艦娘の扱いについても口を出してくるかもしれません」

 

 長崎さんは意地悪をしようとしているわけではないようだった。

 それは分かる。分かるけど――。

 

「――お取込み中すまんが」

 

 そこに、提督たちと一緒に行動していたウィリアムさんが姿を見せた。ソロモン諸島の人で、若い頃から船乗りとして名を馳せていたというお爺さんだ。

 

「さっき新八郎が少しだけ意識を戻した。……責任取るから好きにしろ、だと」

「提督が!?」

 

 思わず声を上げてしまう。

 

「……ウィリアムさん、それは本当ですか?」

「嘘言ってどうなる」

 

 ウィリアムさんと長崎さんの視線がぶつかり合う。

 しばらくの沈黙の後――先に折れたのは、長崎さんの方だった。

 

「もう一度起こして確認する……というのができればいいのですが。仕方ないですね」

 

 長崎さんは観念したような表情を浮かべてこちらを見た。

 

「……必ずお戻りください。新八郎さんも、意識が戻ったときに貴方たちが沈んだという報告など聞きたくはないでしょうから」

「――はい。必ず」

 

 全員揃って頷き、海に向かって歩みを再開させる。

 また提督と言葉を交わすために、必ず戻ってこようと心に誓いながら。

 

 

 

 瑞鳳たちが去っていくのを見送りながら、長崎がため息をついた。

 

「……いざとなれば責任取ってくださいよ、ウィリアムさん」

「分かっとるよ。というか、その口振りだと気づいとったのか」

「新八郎さんの意識が本当に戻ったとして、彼は現状を把握してすぐに結論を出すタイプじゃないでしょう。考え込んでいる間にまた意識を失ってしまうのではないかと思ったのです。それ以前にタイミングが良過ぎると思ったわけですが」

「なに、新八郎には責任がいかんように調整するさ。最悪私が皆を騙ったことにすれば良い」

「……なぜ、そこまでして彼女たちを行かせたので?」

「ソロモンの人間としては、あんな怪物をこの海にのさばらせておくのは怖くて仕方がない。できれば早々に退治して欲しい。そう思っただけだ」

 

 若い者が正しいことをしようとしているなら、それを助けてやるのが大人の役割だ。

 そう思っての行動だったが、ウィリアムは決してそれを口にしなかった。

 

 

 

 

「――叢雲さん、本当に良かったんですか? 命令の偽造になりますけど」

「いいのよ。本来なら独断専行をした瑞鳳を止めるか罰するかすべきなんでしょうけど……それはできなかったし。なら、とことんカバーしてあげた方がいいと思ったのよ」

 

 大淀の問いに答えながら書類作業を進める。瑞鳳たちが先ほど出撃したという連絡を長門から受けた。半ば予想はしていた。自分だったらどうしていただろう。そんなことを思いながら、日本政府やソロモン政府への報告用の資料を作成する。

 誰かがこういうことをしなければならない。ずっと執務室で、新八郎の側で仕事を手伝ってきた自分が一番適している。だから自分はこうしているのが一番良い筈だ。

 

「大淀」

「はい」

「私は――何か間違ってるかしら」

「いえ、間違ってはいないと思います。きっと提督なら叢雲さんと同じように動いたはずです」

「……そうよね」

「ですが、今の貴方は正しいことをできているという顔をしていませんね」

 

 言われて、自分の顔に触れてみる。それで何が分かるというわけでもなかったが、心なしかいつもより乾いている気がした。

 

「命令の偽造をしたことや、瑞鳳さんたちのフォローをするのが正しくないとは思いません。ただ、今の叢雲さんは自分が正しいと信じられていない顔をしている。そう思ったのです」

「……」

 

 返す言葉もなかった。まず、自分で自分のことを信じられていなかった。

 いつもならこんな不安は抱かなかった。あまり認めたくはないが、新八郎の不在が気を弱くさせているのかもしれない。

 

「提督に対して思うところがあるなら、叢雲さんの方からもっと踏み込んでいってもいいと思いますよ。戻られたら、思うところを全部ぶつけてみてはいかがでしょう」

「……そうね。それも悪くないかもしれない」

 

 早く帰ってこないだろうか。

 柄にもなく、そんなことを思ってしまった。



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第十六条「伝えたいことは口に出さねば伝わらない」

「――目標個体、発見」

 

 偵察機を飛ばしていた赤城さんが、例の新型を見つけたらしい。

 

「北西、ここから五分程の距離にいますね。周囲に他の深海棲艦は見当たりません」

「思ったより近くにいましたね」

「もしかするとあちらもやり返そうとしているのかもしれません。長門たちのことを探しているのかも」

「だとすれば――」

「尚更放置しておくわけにはいかないデース」

 

 好都合だ、と言いかけたところで金剛さんが先に声を上げた。

 

「敵意剥き出しの危険な深海棲艦を放置しておけば被害は拡大するばかり。ここで確実に仕留めマス」

 

 金剛さんの言う通りだった。

 私たちは今、提督の仇討のためにここにいるわけではない。危険な深海棲艦を討つために来たのだ。

 

「他に深海棲艦がいないのは好機ですね。もしかすると敵は指揮官タイプの個体ではないのかもしれません」

「潜水艦が潜んでいるという可能性は?」

「周囲の状況を慎重に窺ってますが、まずないと見て良いでしょう。僚艦のことを意識しているような動きには見えません」

 

 そこで、ようやくこちらの偵察機も奴を捉えた。

 人型。付属している大きな尾。何かを追い求めるかのような血走った眼。そして大きく吊り上がった口元。

 奴は、笑っている。笑いながら獲物を追い求めて、無茶苦茶な軌道で海上を移動していた。

 おぞましい。あれは普通の深海棲艦とはまた違う。そう直感が告げていた。

 

「赤城、瑞鳳。艦攻隊を出してくだサーイ。奇襲が成功したタイミングで、私と比叡が長距離砲撃を敢行するネ。そしたら後は古鷹と利根が接近戦に持ち込みマス。私たちはそのサポートに回る。これが作戦の概要デース」

「心得ました。……瑞鳳、行けますね?」

「当然です」

 

 手にした矢に力を込めて、本来在るべき形へと変換する。それが空母たる艦娘に備わった艦載機制御能力だ。

 

「発艦!」

 

 赤城さんと呼吸を合わせて矢を放つ。力を帯びて解き放たれた矢は、大空で元の形――艦載機へと姿を変える。

 偵察機から得られる視界・位置情報を艦攻隊に連結させる。

 細かい操縦は艦載機に乗っている妖精さん――艦娘と似たような霊的存在と言われている――に任せている。私たち空母は発艦と着艦、そして艦載機が活動するために必要な情報連結等のサポートが主な役割だ。簡単そうに思われがちだけど、艦隊行動を取りながら司令塔としての役割もこなさなければならないのはかなり神経を使う。

 敵がこちらの艦載機に気づいたようだ。黒い合羽の内側から何機かの艦載機が飛び出してくる。深海棲艦が持つ、少々グロテスクな印象のある艦載機だ。

 重力を無視したような不規則な動きでこちらの艦載機群に突っ込んでくる。

 

「敵は一体のみ。制空権の確保よりダメージを与えることを優先しましょう」

「了解!」

 

 敵艦載機の攻撃で艦攻隊が何機か落とされた。落とされた艦載機と妖精さんは後で回収・復活させられるから今は意識から外しておく。意識は敵に集中させた。

 敵が吠える。笑いながら、巨大な尾を振り回して歓喜の雄叫びを上げる。

 狂戦士。そんな言葉が脳裏をよぎった。

 こいつが。

 こいつが、提督をあんな目に遭わせたのだ。

 

「……沈めえぇっ!」

 

 こちらの敵意を艦載機に伝達させ、必ず敵を落とせと厳命する。

 その意思が反映された艦攻隊は一つの生き物の如き統制された動きで敵に向かっていき――。

 

「っ!?」

 

 敵は、尾を艦攻隊に向けた。その尾にはよく見ると口がついており――それが大きく開いた。

 それが主砲だと、出撃前に長門さんたちが言っていたことを今更思い出す。

 開かれた怪物の口から放たれた砲撃の嵐が、こちらの艦攻隊を次々と撃ち落としている。対空砲でもないのに、でたらめな対空性能だった。

 

「……っ。こちらの艦攻隊、ほとんど落とされました……!」

「こちらも二割程度落とされました。……駄目ですね、いくつかは当たりましたが直撃したという感じではありません」

 

 悔しさに歯噛みしている余裕はなかった。もう偵察機に頼る必要はない。肉眼でも見えるくらい奴は接近していた。

 

「面目ありませんが、艦載機が落とされ接近されると我々は出来ることが限られます。金剛、後は任せても?」

「任されたデース。ですが余力があるなら敵の牽制や奇襲はお願いしマース!」

「できる範囲でよろしければ」

 

 赤城さんはそう言いながらこちらの手を取った。

 奴も私たちを肉眼で発見したらしい。こちらに向かって真っすぐに突っ込んできた。

 私たち空母は、できるだけ距離を取っておいた方が良い。

 

「さて、比叡。まずは私たちでぶちかましマース! 大丈夫デスカー?」

「はいっ! この比叡、やる気は十分です!」

 

 金剛さんが手を振り上げると、比叡さんがそれに応じて主砲を放つ。

 二人の呼吸はぴったりで、狙いも正確だった。

 しかし、普通なら直撃していたであろうその砲撃を、敵は海上で側転しながら避けてみせた。

 

「シット! 敵が避ける先を見越して時間差で攻撃すべきだったネ!」

「大丈夫です。次は当てます!」

 

 比叡さんの力強い言葉に応じるかのように、古鷹さんたちが飛び出した。

 

「敵の動きは私たちが抑えます! 金剛さん・比叡さんは砲撃に集中を!」

「面倒じゃが……吾輩は戦うこと以外能がないからのう。やってやるとするか――」

 

 意気軒昂とした古鷹に対し、利根は相変わらず気怠そうな態度だった。しかし、これでいて戦闘中の動きは苛烈で成果も出す。こと戦闘においてはうちの重巡の中でもトップクラスの二人だった。

 正面から向かう古鷹に、敵が哄笑しながら飛び掛かる。

 

「くっ……!」

 

 古鷹が両腕でのしかかってくる敵を抑える。そんな古鷹の顔目掛けて、尾の主砲が突き付けられた。

 

「戦場においては常に周囲へ意識を向けんとなあ」

 

 それを隙と見たのか、脇から利根が主砲を敵に直撃させた。戦艦の主砲ほどの威力はないけど、古鷹に突き付けられていた尾を弾き飛ばすくらいの効果はあった。

 狩りを邪魔された、という認識なのか。敵は初めて苛立ちの表情を見せた。

 古鷹の身体を掴んで、利根に向かって投げつける。本体は駆逐艦くらいの大きさだけど、凄まじい膂力だ。

 

「すまんが避けるぞ」

 

 利根は古鷹を受け止めずに避け、そのまま敵に向かっていった。主砲・副砲を織り交ぜながら敵と交戦状態に入る。

 

「古鷹! くっ、利根……!」

 

 利根を非難するような声をあげる比叡さんを、金剛さんが手で制した。

 

「古鷹なら大丈夫デス。それに敵の足を止めるという意味では利根の行動も間違ってません。……それより集中するネ」

 

 金剛さんはこういうとき感情的にならず効率第一で動く。普段と違って、少し怖い。

 しかし、敵が激しく動き回っているせいか金剛さんたちは十分に狙いを定められずにいるようだった。

 利根と復帰した古鷹が二人がかりで敵の動きを抑えようとしているけど、敵は二人を上回る機動力でこちらを翻弄していた。

 

「……赤城さん。私、出ます。この子たちを」

 

 矢を差し出して告げると、赤城さんはこちらをまっすぐに見つめてきた。

 

「どういうつもりですか? 艦載機のない空母など囮にしかなりませんよ」

「その囮になるんです。囮に専念するなら艦載機はあっても仕方がありません。赤城さんに託します」

「……そこまでせずとも、古鷹と利根に任せてはいいのではないですか」

 

 確かにそうかもしれない。二人は防戦一方だけど、どうにか相手と渡り合っている。けど、それがいつまで持つかは分からない。

 

「ここで残っていても私にできることはほとんどありません。正直、赤城さんのように冷静でもないし……多分、役に立てない。けどこのままここで見ているだけなのは嫌なんです。……私にとっては、提督だけでなく同じ艦隊の皆も家族のようなものだから」

 

 家族の危難を前にして、指をくわえて見ているだけなんて耐えられない。

 

「家族のために命懸けで戦った人たちを私は見てきました。……その姿が、その在り様が尊いものだと感じた。そして今、私はあの人たちと同じように人の姿を得て、共に戦う家族を得た。だから……行きたいんです。行かせてください」

 

 赤城さんは珍しく――少し苦しそうな表情を浮かべた。

 

「貴方の意思は分かりました。艦艇だった頃に見た人の姿への憧憬は、私にも理解できます。……預かりましょう」

 

 こちらが差し出した矢を受け取って、赤城さんは目を伏せた。

 

「ただ、私からは上手く言えませんが……おそらく提督が先程の言葉を聞いていたら、きっと何かを言ったと思います」

「私も、そんな気はします」

 

 頷き、赤城さんや金剛さんたちに目礼して前線に向かう。

 提督ならどんな言葉をかけてくれただろうかと、そんなことを考えながら。

 

 

 

 近づけば近づくほど圧が強まるのを感じた。

 この敵からは、普通の深海棲艦にはない禍々しいオーラのようなものを感じる。

 こんなのと二人で接近戦を続けている古鷹と利根に感心してしまった。自分なら一分と持たない。

 持たないだろうが――勝つためには囮の役割を果たさなければならない。

 

「こっちよ、この化け物!」

 

 叫びながら敵の背後に近づき、護身用に持っていた副砲を放つ。

 古鷹たちに気を取られていたからだろう。その砲撃は敵の背中に直撃した。

 

「……ア?」

 

 敵が振り返り、こちらに真っ赤な眼を向けてくる。

 怖い。恐怖で塗り潰されそうだった。だけど、ここで恐怖に屈するわけにはいかない。

 

「こっちだって言ってるのよ……!」

 

 副砲を撃ちながら進路を金剛さんたちの方に向ける。少しでも近づけさせた方が命中精度は上がるに違いない。

 

「……ア、アアアアァッ!」

 

 雄叫びをあげながら敵がこちらに突っ込んできた。速い。速力は向こうの方が上だ。

 捕まるわけにはいかない。できるだけ距離を離そうと懸命に主機を動かす。

 

「瑞鳳!」

 

 こちらの逃走をサポートするため古鷹が敵に砲撃を撃つ。しかしそれはあの巨大な尾によって防がれてしまっていた。

 よほど先ほどの不意打ちがお気に召さなかったのか、敵の意識はこちらに集中しているようだった。自分を追っている古鷹や利根のことは完全に無視している。

 あと少しで追いつかれる。

 脳裏に『死』という言葉が浮かんだその瞬間、こちらの身体を掠めるような形で二つの砲撃が通り抜けていき――敵に直撃した。

 金剛さんたちの主砲だ。間近で見たから分かる。完璧に入った。

 敵の身体に大きな亀裂が走った。致命傷だ。こちらに伸ばしかけていた腕が崩れ落ちる。脇腹も大きく抉れていた。

 しかし、それでも敵の闘争本能は収まっていなかった。動きを止めたこちらの身体に――巨大な尾が噛みついて来た。

 

「ぐっ、うぅっ……!?」

「離しなさい!」

「往生際の悪い……!」

 

 古鷹と利根が敵に向かって砲撃を繰り返す。敵の身体が少しずつ崩れていく。

 しかし、敵はこちらの身体を噛み砕くことしか考えていないようだった。深手を負いながらも凄惨な笑みを浮かべている。獲物を捉えて狩ることができれば満足だ、と言わんばかりに

 牙が身体に食い込んでくる。痛い。砲撃戦で受ける痛みとは全然違う痛みだった。貫かれる痛みと、押し潰される痛みが同時に襲い掛かってくる。

 

「痛い……、い、痛いよ……!」

 

 振りほどくことはできない。力は相手の方が上だった。

 全身の骨がバキバキに折れたような気がした。

 もう、自分は助からないのかもしれない。そんな思いが去来する。

 けれど。

 かつて自分が尊いと感じた人々も――戻ってこないことがほとんどだった。

 それに憧れを感じたのなら、ああなりたいと感じたなら、この結末は必然なのかもしれない。

 

『瑞鳳』

 

 幻聴か、提督の声が聞こえてきたような気がした。

 

『……は私のことを家族と……てくれたな。そして、……のために戦うことを……ものだと語った』

 

 雑音交じりで聞き取りにくい。

 どうせ幻聴なら、もっとクリアに聞こえても良いだろうに。

 

『だが、家族の在り様は決まっているわけではない。……は、……にそんなものを求めない』

 

 その声は、何かを懸命に伝えようとしているようだった。

 

『――私が家族に求めるのは、生きて共に明日を迎えて欲しい、ということだ』

 

 その瞬間、それが幻聴などではなく、本物の提督の声だと分かった。

 通信機から聞こえてきている。聞き慣れた提督の声だ。

 

「て、いとく……」

『皆、生きることを諦めるな。皆、生かすことを諦めるな。私は――俺は、皆と一緒に明日を迎えたい』

「……く、うううぅっ!」

 

 ずるい。

 そんなことを言われたら、この痛みを忘れて諦めようとしていたのに――諦められなくなる。

 痛い。抗おうとすればするほど身体に突き立った牙が肉を抉る。

 それでも、私を家族と言ってくれた提督の願いは叶えたかった。

 

「……やれやれ。提督の我儘に付き合うのも面倒ですが、貴方がそこまでやる気を見せるなら応えなければなりませんね」

 

 赤城さんの声に呼応するかのように、艦載機群が上空から魚雷を落としてきた。

 多数の雷撃を喰らい、敵の身体がどんどん崩れていく。こちらの身体を締め付けている顎の力も弱まってきた。

 

「瑞鳳!」

 

 飛び込んできた古鷹が尾の口をこじ開け、私を抱きかかえてくれた。

 

「ご、めん……」

「いいよ。私も――皆と一緒に明日を迎えたいって思うから」

 

 離脱する古鷹に抱えられながら、あの敵が海の中へと崩れ落ちていく様を見た。

 一歩間違えば、自分も道連れにされていた。それでも良いと思っていたはずなのに――今はそのことが怖い。

 

「提督は、不思議な人だね」

「え?」

「……提督のせいで、私、死ぬのが怖くなった気がする」

 

 嗚呼――と古鷹が困ったように笑うのが見えた。

 意識が落ちていく。しかし、不思議と恐怖はない。

 また目覚められるという確信があったからだ。

 

 

 

 白い天井が見えた。

 頭がぼんやりとしている。ただ、身体のあちこちが痛い。

 

「瑞鳳、起きた?」

 

 康奈ちゃんの声が聞こえる。視線を動かすと、こちらの様子を窺っている康奈ちゃんの顔が見えた。

 他にも古鷹や赤城さんたちの姿があった。皆無事に帰投できたらしい。

 

「ここはホニアラ市の病院ですよ。犠牲者ゼロで全員戻っています」

「そうですか。あの、赤城さん。あのときは助けてくれてありがとうございました」

「貴方のやる気と、預かっていた艦載機の妖精さんたちの要望に応えただけです。瑞鳳は随分と好かれているようですね」

「……いえ。私一人じゃ、多分諦めてたと思います。提督の言葉が届いたから、まだ生きなきゃって思って」

「だそうですよ、提督」

 

 赤城さんの視線の先には提督の姿があった。

 

「そうか。それなら私も奮起した甲斐があったな」

 

 提督は上半身を起こして、こちらに温かな眼差しを向けてきた。

 なんだか、妙に照れ臭く感じる。

 

「あの、提督。戦いの途中で提督の声が聞こえたんだけど……」

「目が覚めて康奈に状況を尋ねたんだ。そうしたら皆奴との戦いに出たというじゃないか。何ができるわけでもないが、何もせずベッドで寝たまま待つのも性に合わない。長門たちは残っているというから、通信機を借りてどうにか状況把握に努めようとしたんだ」

「それで、瑞鳳さんがピンチになったから口を出さずにはいられなかった、とのことです。阿呆ですねえ。大怪我して意識が戻ったばかりだというのに。長門曰く『半ば錯乱しているように見えた』そうですよ」

 

 クスクスと赤城さんがおかしそうに笑う。提督はばつが悪そうに咳払いをして視線を逸らした。

 

「でも、私嬉しかった。提督の言葉がなかったら、多分ここには戻ってこれなかった気がするから」

「そうですね。そこは認めましょう。……提督、貴方は何だかんだで私たちにとっての精神的支柱なのです。瑞鳳だけではない。ここにいる者、いない者の多くが大なり小なり貴方を必要としている。だからこそ、もう少し自分の身は大事にしていただきたい。貴方はときどき無茶をする」

 

 赤城さんの言葉は、この場にいる全員の総意のようなものだった。誰一人異論を挟まず、提督に視線を向ける。

 

「……分かった。無茶はしないよう努力しよう」

 

 半ば観念したかのような言い方だった。

 

「ねえ、提督」

「うん?」

「私は、家族のために命懸けで戦う人の姿に憧れてたんだ。家族はそう在るべきだと思ってた。でも、提督の言葉を聞いて死ぬのが怖くなった。それに、今回提督が大怪我して……もう、提督には命懸けで戦うようなことをして欲しくないと思ったの。……私は、間違ってたのかな」

 

 自分が今まで良しと思っていたことは、幻だったのではないか。そんな不安から出た言葉だった。

 

「……瑞鳳が見てきた人々と私とでは、生きた時代も環境も異なる。当然、価値観も違うだろう。そういう人たちのことをとやかく語ることはできない。ただ――瑞鳳はその人たちの家族のことは、見てなかったんじゃないかな」

「私が見てきた人たちの、家族?」

「軍艦に乗るのは普通軍人だけだろうからね。命懸けで戦う者たちしか乗らない。……そういった人たちを送り出さねばならない家族のことを見る機会は、ほとんどなかったんじゃないかな」

 

 言われてみれば、そうかもしれない。

 

「これは推測だけど……きっとそうした人たちの家族も、死んでほしくない、また明日を共に迎えたい、そんな願いを持っていたんじゃないかと思うよ」

 

 提督が皆と共に迎える明日を望んだように。

 私が、提督に命懸けの戦いをして欲しくないと願うように。

 

「瑞鳳の見たものは、それはそれで本当のものなんだろう。決して間違いなんかじゃないと思う。ただ、家族との関係は――人と人との関係は一方面だけ見れば分かるというものではない。瑞鳳は、別の方面を見つけた。そういうことなんだろう」

「……そっか」

 

 会うことのなかったあの人たちの家族のことを想う。

 浮かぶのは、泊地の皆の顔ばかりだった。

 

 

 

 予定を大幅に早めて退院したのはそれから数日後のことだった。

 本当はもっと身体を休ませながらリハビリをしなければならないのだが、長期間泊地を空けておくのはまずいということで、長崎さんたちにも口添えしてもらったのだ。

 

「早速無茶をして」

 

 瑞鳳や古鷹には咎められたが、泊地に戻ったらきちんと静養するということでどうにか納得してもらった。

 ホニアラにいては泊地運営に支障が出る、というのは本当だからだ。

 幸い帰路は何事もなかった。今後近海の哨戒は厳とする必要があるだろうが、例の新型の個体――大本営はレ級と名付けたらしい――は今のところ他に出没していないようだ。

 

「……あれ。あんなところに建物あったっけ」

 

 泊地の間近まで来たところで、瑞鳳が見慣れない建物に気づいたようだった。

 建築自体はホニアラに向かう少し前から始めていたのだが、なるべく目立たないように進めていたので気づかなかったのだろう。

 戻ってから告知する予定だったし、もう言っても良いだろう。

 

「あれは学校だ。と言っても、当面は教室一つ分だけだが」

「学校?」

「戦闘に必要な知識は訓練で学んでますけど……」

 

 瑞鳳と古鷹は戸惑っていた。なぜいきなり泊地に学校ができたのか分からないのだろう。

 

「あの学校は、戦いに必要なことを学ぶための場ではない。あそこは――艦娘が人として生きていくために必要なことを学ぶ場だ」

「人として、ですか」

「そうだ、古鷹。艦娘は兵器としての力も持っているが、人としての姿も持っている。戦う力だけじゃない。人として生きていく方法も学ばなければならない。私はそう考えている」

 

 艦娘は、深海棲艦と戦うために現れたのかもしれない。しかし、深海棲艦と戦うだけのために生きているわけではない。少なくとも私はそう思いたかった。

 

「教員は道代先生や神社の京極さん、棟梁の丹羽さんたちにも手伝ってもらうことになってる。任務や皆の私生活にはなるべく負担をかけないようにやっていくつもりだ。……康奈も、そこでいろいろ学ぶといい」

「私も?」

 

 甲板で周囲を警戒していた康奈が目を丸くした。

 

「人間として生きるために必要なことを学ぶ場だ。康奈くらいの年齢ならまだまだ学ぶべきことは多いだろう」

 

 結局――康奈とは養子縁組をしなかった。普通養子縁組ならできそうだったのだが、正式に家に迎え入れることになるなら実家に連絡しないと後々揉める可能性がある。

 長崎さんと相談した結果、当座は未成年後見人となって泊地で共同生活を送ることになった。戸籍不詳であることから手続きがいろいろと厄介そうだったが、そこは長崎さんがいろいろとフォローしてくれるらしい。

 正式に親になったわけではないが、年長者としてはこの子のこともきちんと導いていかねばならない。

 

「学校は……楽しいのかな」

「良い出会いがあるかどうかだな。なに、きっと大丈夫だろう」

 

 話しているうちに船が泊地に到着した。

 叢雲や大淀、大和や武蔵たちが出迎えに来てくれている。

 松葉杖を使ってゆっくりと船から降りる。足首がないからだろう、随分と歩きにくくなってしまった。

 

「ただいま」

 

 叢雲たちに帰還の言葉を告げる。

 大和や武蔵たちは笑顔だったが、叢雲はどこか不機嫌そうな顔をしていた。

 

「……叢雲?」

 

 叢雲はつかつかとこちらに近づいてくると、じっとこちらの身体を――欠けた腕と足を見つめてきた。

 

「……肩」

「え?」

「肩、貸してあげるわ」

 

 ほら、とこちらに背中を向けてくる。

 

「いや、大丈夫だ。一人で歩けるよう慣れないといけないし――」

「いいから。貸すって言ってるのよ」

 

 有無を言わさない感じで、こちらの腕の下に身体を潜り込ませてきた。

 

「あんたはいつもそう。自分でできないことはともかく、できることは絶対人に頼ろうとしない。……たまには頼りなさいよ」

 

 叢雲の顔は見えなかったが、その声は少し震えているような気がした。

 

「……分かった。それじゃ少し肩を借りようかな」

 

 私が不在の間、学校の建設の件も含めて叢雲は泊地の運営に尽力してくれていた。

 いつも助けられてばかりで申し訳ないと思っていたのだが――どうやら、そう思っていたのはこちらだけだったらしい。

 助けられておきながら、この小さな肩に遠慮をして、どこかで距離を置いてしまっていた。そんなこちらの態度が、叢雲を傷つけてしまっていたのかもしれない。

 

「で、どうするの? 自室に行くか、道代先生のところに行くか」

「……いや、遠回りしていこう。執務室に少し寄りたい」

 

 ゆっくりと、一歩ずつ歩いていく。歩き慣れた道でも、とても長く感じた。

 だが、不思議と辛くはない。

 執務室に辿り着き、自分の席に座って一息つく。久しぶりだからか、帰ってきたという感じがして落ち着いた。

 書類はどんなものかと思っていたが、全然溜まっていなかった。叢雲や大淀がきっちりと仕事をこなしてくれたのだろう。

 

「いろいろと面倒をかけてしまったみたいだな」

「別にいいわよ。あんただけのためじゃないし」

「それでも、礼を言わせてほしい。ありがとう」

 

 引き出しの中を確認する。

 報告にあったものが入っていた。

 

「叢雲」

「なに?」

「これからも、いろいろと助けてもらうことになると思う。だからというわけじゃないが、これを受け取ってくれ」

 

 差し出された小箱を見て、叢雲が動きを止めた。

 

「……ちょっと。性質の悪い冗談はやめてくれない? これ――ケッコンカッコカリとかいうやつの指輪じゃない」

「そうだな」

「そうだな――って、あんた本気?」

 

 叢雲の表情には戸惑いが浮かんでいた。周囲の皆の視線もこちらに集まっている。

 

「私は皆に順位をつけるつもりはない。皆のことを信頼している。だが、この指輪を最初に渡すなら、それは最初から今日までずっと一緒にやって来た叢雲だと決めていた」

「……これは、信頼の証ってこと?」

 

 叢雲の言葉と周囲の視線から、皆が考えていることが分かった。

 

「……ケッコンカッコカリという名前は、元々とある提督が艦娘に想いを伝えるためのきっかけ作りのために、あるお節介が命名したものらしい。しかし私は最初からこの指輪が艦娘の能力向上のための装備だと聞かされていたからな。そういうものだとは考えられなかった。能力向上のために結婚するというのは、何か違う気がするからね」

「……」

「だが、この指輪は提督と艦娘の魂を結び付ける鎹の役割を果たすものでもある。結婚ならぬ結魂というわけだ。……自らの魂を託す相手だ。いい加減な考えで選んでいるつもりはないよ」

 

 こちらから言えることはそれだけだった。

 叢雲はじっと小箱を見つめている。

 皆の視線が、そこに集中していた。

 

「……あー、良かった」

 

 長い沈黙の後――叢雲が吐き出すように言った。

 

「あんたがそういう趣味嗜好の持ち主だったらどうしようかと思ったわ。康奈の後見人として大丈夫かって不安になったわよ」

 

 言いながら、さっと小箱を手に取った。

 

「信頼の証として。……悪くないわ。新八郎、これ、ありがたく受け取るわね」

「ああ。ありがとう」

「返せって言われても返さないわよ」

「言うわけないだろう」

「絶対、返さないからね」

 

 相好を崩しながら、叢雲は受け取った小箱を両手でがっちりと掴んでいた。

 もしかすると不誠実な、言い訳じみた対応になってしまったかもしれない。それでも、ずっと一緒にやって来た相棒のこんな表情が見れたのであれば――良かったということにしておきたい。

 今は、そう思う。



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第四章「索敵機、発艦始め!」(利根・ビスマルク編)
第十七条「語りかけるなら相手を見て語りかけよ」


 どれだけ美辞麗句を並べようと。

 どんな大義を掲げようと。

 どれほどの栄誉に包まれようと。

 やっているのは、殺し合いだ。

 否。殺し合いならばまだ対等なだけましかもしれない。

 時には、一方的な殺戮さえ平気で起こり得る。

 それが――戦争というものだ。

 

 

 

 ひどく、嫌な夢を見た。

 身に降り注ぐ錆のような臭い。聞こえてくるのは嘆きの声。

 泣きながら命を落とす者がいた。

 嘆きながら命を奪う者がいた。

 そんな――辛く苦しい夢だ。

 

「……今のは、誰かの夢か」

 

 時折、艦娘の夢を見ることがある。彼女たちがまだ艦艇だった頃の夢だ。

 これまでも何度か見てきたので、なんとなく自分の夢と艦娘の夢の違いが分かるようになってきた。

 しかし、酷く不快な夢だった。まだあの臭いが鼻腔に残っている気がする。

 夜風にあたろうと、杖を頼りにゆっくりと歩いていく。

 右足首のない生活には慣れない。そう簡単に慣れるものでもないだろうし、愚痴を言ったところで仕方ないから、これはそういうものだと割り切っている。大本営が近々義足を用意してくれると言うが、フィットするのかどうか等の懸念はあった。

 ただ、ゆっくりと歩くようになったからか、今までより周囲がよく見えるようになった気はする。おかげで、これまで見落としていたことに気づくことが増えた。

 例えば――建物の外に設置されていた椅子に腰を下ろしている艦娘の姿とか。

 

「……利根?」

 

 小柄な重巡洋艦の艦娘に声をかけるが、反応はない。

 寝ているのかと思い様子を窺う。寝ているなら何か毛布でもかけておいた方が良いと思ったのだ。

 

「何か用か」

 

 利根は起きていた。その双眸は眠たそうに――気怠そうに半ば閉ざされていたが、意識はしっかりとしているようだった。

 

「用がないなら去ね。吾輩はお主と話したい気分ではない」

 

 普段から愛想がいいとは言い難い利根だったが、今日は一段と機嫌が悪そうだった。

 どうも他の拠点の利根とうちの利根は、大分性格が違っているらしい。いつも気怠そうにしており、人と接することを嫌う。戦いおいては優秀なのだが、普段は大艇一人でいるか、姉妹艦の筑摩と二人でいることが多かった。

 

「……そこで寝るなら、何かをかけて寝た方が良い」

 

 それだけ言ってその場を去ることにした。無理なコミュニケーションは逆効果にしかならない。

 だが。

 

「お主から嫌な臭いを感じる」

 

 こちらの背中に向けて、利根が苛立ち混じりの声を投げかけてきた。

 

「血の臭いが――死の臭いがする。およそお主に似つかわしくない臭いだ。……何か不愉快な夢でも見たか」

「……まあ、そんなところだ」

「ならばそれは、きっと吾輩の夢だ」

 

 振り返る。

 利根はこちらを見ていなかった。

 彼方に広がる夜の海へ――どこか羨むような眼差しを向けていた。

 

 

 

 学び舎に顔を出すと、何人かの艦娘たちが集まって何かをしていた。

 中心にいるのは由良だ。その周りには夕張や古鷹たちもいる。

 

「おはよう。皆どうしたんだ?」

「提督さん、おはよう。今、皆でタロット占いをしていたの」

 

 由良の席にはカードが並べられていた。タロット占いと言うからにはトランプではなくタロットカードなのだろう。

 

「由良はタロットを嗜んでいるのか」

「本を読みながら少しずつ勉強しているところなの。ね、提督さんもやってみない?」

「いや……私はやめておくよ。信じないわけではないが、占いに関するちょっとしたジンクスがあってね」

 

 昔から占いをしてもあまり良い目を見たことがない。

 占いの結果自体は特に偏ったりしないのだが、結果に関係なく占いをすると大なり小なり不幸に見舞われることが多い。

 

「そっか、残念」

「ちなみに皆はどんな結果になったんだ?」

「私は女教皇でしたよ」

 

 夕張が手を挙げた。

 

「確か知性とか聡明とか、そういう感じの意味合いでしたね」

 

 タロットカードは確かカードによっていくつかの意味を持っているはずだった。夕張が引いたカードの意味はお気に召すものだったのだろう。非常に上機嫌である。

 

「私は女帝でした。豊穣とか愛情、という意味を持っているらしいです」

「そうか、古鷹らしい意味合いだな」

「そ、そうですかね?」

 

 古鷹もご機嫌のようだ。尻尾があれば嬉しそうに振ってそうな感じがする。

 

「それじゃ――次は私が引いてみようかしら」

 

 不意に、新しい声が聞こえてきた。

 教室の入り口のところに、長いブロンドの髪をたなびかせた女性が立っている。

 

「ビスマルク、おはよう。君も授業を受けに?」

「グーテンモーゲン。レーベとマックスの話を聞いて、少し興味が出たものだから」

 

 彼女の名前はビスマルク。かの鉄血宰相ビスマルクの名を冠する――ドイツの艦娘だ。

 先日のレ級騒動に前後して、日本政府はドイツと艦娘技術の交換を行った。その一環として、日本に建造方法が伝えられた艦娘が三人いる。それが駆逐艦レーベレヒト・マース、マックス・シュルツ、そして彼女――戦艦ビスマルクである。

 艦艇の御魂はドイツに座しているが、建造自体はこちらで行っているので、ある意味ハーフのようなものだった。そのおかげか彼女たちは最初から日本語をマスターしている。どうコミュニケーションを取ればいいか不安だったのだが、それは杞憂だった。

 

「それより面白そうなことをしているわね。占星術というものかしら」

「ええ、ビスマルクさんもどう?」

「是非とも」

 

 ビスマルクは無造作に一枚引いてみせた。

 そこには、女性が獅子の口を押えている絵が描かれている。

 

「『力』のカードですね。強固な意志や実行力、知恵、勇気を表すようですよ」

「悪くないわね。私にピッタリじゃない」

 

 自信たっぷりなビスマルクに、皆が温かな視線を向ける。

 実際ビスマルクのポテンシャルは大したものだと、武蔵や長門も認めていた。ただ、今のところ着任から日が経っていないのでどうしても経験は不足している。

 それでも彼女は終始自信たっぷりな態度を崩さず、ポジティブに艦隊へ溶け込みつつあった。教導艦として榛名をつけたのが良かったのかもしれない。榛名は個々の戦闘力だけでなくチームワークも重視する性格だ。人付き合いを大事にする榛名のそういう面が、ビスマルクにも良い影響を与えているのではないだろうか。

 

「な、なに? このなんかこそばゆい感じの空気は……」

「今は気にしなくていい。さて、それじゃそろそろ授業を始めようか」

「な、何よアトミラール。貴方何か誤魔化しているわね!」

 

 ビスマルクの言葉をスルーしながら教壇に向かおうとしたとき、ふと足元に一枚カードが落ちているのに気付いた。

 

「由良、落ちてたぞ」

「あれ、いつの間に……。ごめんなさい、拾ってくれてありがとう」

 

 裏返しになっていたカードをそのまま渡す。

 受け取ったとき――由良の表情が、一瞬強張っていたような気がした。

 

 

 

 剛臣から久々に通信が入ったのは、三月の終わり頃だった。

 

「大本営からの出動命令?」

『そうだ。全拠点から戦力を結集しての作戦が発令される。……大怪我をしたばかりの新八郎には申し訳ないが』

「剛臣が謝ることじゃないだろう。しかし要請ではなく命令か」

 

 国内に置かれている拠点は海上自衛隊直轄の組織が運営しているが、ここみたいに国外に置いている拠点は表向き民間企業という体を取っている。バックには海上自衛隊や拠点を置いている国家がついているため、基本は自衛隊や国家の要請に従って動いていくことになる。

 ただ、今回は要請ではなく命令である。こちらに拒否権を与えない、ということだろう。

 理屈の上ではこちらが海上自衛隊の命令を受ける必要はないのだが、実際のところ逆らえば組織の維持ができない。そういう事情を踏まえて大本営は命令を出したものと思われる。

 

「元々さして役に立つ身ではなかったし、参加する分には問題ないよ。それで作戦概要は?」

『今回は二方面作戦になる。本命は北太平洋にあるピーコック島の制圧だ。大本営はこちら側の戦力が整ってきたことを踏まえて、北太平洋の制海権を確保したいと考えているらしい。同島の制圧はそのための第一手というわけだ』

「北太平洋……。制海権を維持するのはかなり骨が折れそうだな」

 

 拠点にできる場所が限られている上に範囲が広い。深海棲艦は海洋生物だろうから拠点の場所にも困らないだろう。

 

「……それで、もう一方面は?」

『ああ、インドネシア政府から救援要請があってな。どうもあちらで深海棲艦が大量に発生しているらしい。リンガ・タウイタウイ・パラオ・ブルネイが対応する手筈になっているが、敵戦力がどの程度が測りきれていない状況だ。難しいところだとは思うが、応援を頼みたい』

 

 インドネシア・北太平洋両方に艦隊を出さなければならない、ということか。

 当然このソロモン海を守る分の戦力も残しておかなければならないし、なかなか厳しい注文だった。

 

「こちらで派遣させる艦隊編成について検討してみる。編成が決まったら改めて連絡させてほしい。明日中くらいで良いか?」

『ああ。すまないが、よろしく頼む』

 

 心苦しそうに言いながら剛臣は通信を切った。なんとなく、通信機越しに頭を下げられていたのではないかという気がする。

 

「それでどうするの?」

 

 尋ねてきたのは、話をずっと横で聞いていた叢雲だった。

 

「先日のレ級の件があるから、ここにも四割くらいの戦力は残しておきたい。優先度の低い依頼は待ってもらう必要がある旨を連絡しないとな……。インドネシアと北太平洋にはそれぞれ三割程の戦力を向かわせようかと思っている」

「各方面の指揮官は?」

「北太平洋側には私が行こうと思っている。康奈を他の提督にも会わせておきたい」

 

 まだそうと決まったわけではないが、康奈が提督としての道を選ぶなら他の提督の助けが必要になる。私の身に何があるか分からない以上、できることは早めに済ませておくべきだった。

 

「叢雲、インドネシア側の指揮は任せたいが良いだろうか」

「私でいいの? 金剛や赤城じゃなくて」

「ああ。向こうの詳しい戦況は行ってみないと分からないから、どんな状況でも対応できそうな、バランス感覚が優れていて全体をまとめられるタイプの指揮官がいい。この泊地の皆も叢雲なら異論はないだろうし」

 

 金剛や赤城はスタンスがハッキリしている指揮官だ。状況にマッチした戦場では最高の指揮を執ってくれるだろうが、マッチしなかったときが少し怖い。

 

「分かったわ。……今回は別行動ってことね」

 

 そういえば、これまでの戦いで叢雲と分かれて行動するということはほとんどなかった。

 もしかすると叢雲は、そのことに不安を抱いているのかもしれない。

 

「なに、必要だったらいつでも指輪の力で連絡を取ればいいさ」

 

 提督と艦娘の間には、契約を交わした時点で霊力の道ができる。その道を更に強固なものとし、得られる霊力を蓄積しておくのが指輪の効力だった。蓄積した霊力によって艦娘の潜在能力を引き上げたり、強固になった道を通して念話をすることが可能になる。

 

「あの念話って距離離れてもできるのかしらね。それにやると少し頭痛くなるんだけど……」

 

 叢雲は首飾りにつけた指輪を摘まみ上げた。

 

「無理にしろというわけじゃない。必要になったり、不安になったりしたときに連絡をくれればいい。別行動だからと言って、一人で気負う必要はない。私が言いたいのはそういうことだ」

「あら、優しいこと言うじゃない」

 

 叢雲がクスクスと笑う。

 

「その言葉に甘えさせてもらうわ。けど、今の言葉はアンタにも言えるわよ。何かあったらいつでも連絡しなさいな」

「優しいことを言うんだな」

 

 先ほどのお返しとばかりに言い返す。しかし、叢雲にはさっぱり効いていないようだった。

「何言ってるの。私は最初から優しかったじゃない」

 

 

 

 インドネシア方面に向かう途中の休憩ポイントで、物憂げな表情を浮かべて横になっている利根を見かけた。

 周囲に他の艦娘の姿は見受けられない。現在、巡洋艦以上の艦娘は艦種ごとに分かれて、偵察機を使った新戦術の訓練を行っているはずだった。

 

「利根、貴方訓練は?」

「もう終わった」

 

 嘘だろう――とは思わなかった。

 新戦術というのは、偵察機の妖精と艦娘のリンクを強化し短い時間で弾着観測射撃を行う、というものだった。

 リンクを強化した偵察機の制御、観測結果を元に隙の生じぬ二回目の砲撃を実施することが課題になるが、兵装改良に携わった明石は「慣れるまではかなり大変」と言っていた。

 ただ、利根なら難なく弾着観測射撃をやってのけても不思議ではない。こと戦闘において利根は天才だった。他の艦娘とは違う特別なセンスを持っていると言ってもいい。

 もっとも、その反動なのか、戦闘以外はすべてにおいて駄目だった。本人のやる気がないのだ。戦うこと以外は何もしないと決めているかのような振る舞いをする。何度注意されても、利根が改めることはなかった。

 

「……今日の訓練は集団で行うものだったはずだけど」

「別に一人抜けるくらい構わんじゃろう。吾輩はできておる。あれ以上付き合うことに意味を見出せん」

「貴方一人ができたところで戦局への影響は微々たるものよ。集団としてまとまった動きができなければ意味がない」

「できぬというのは吾輩の責任ではない。……別段あやつらとて阿呆ではない。もうしばし訓練すればできるようになる」

 

 何を言ってもこんな調子だった。

 腕は立つし理屈もそれなりに使いこなす。皆との協調を諭そうとしてもまったく聞き入れてくれない。

 これ以上付き合っても時間の無駄かもしれない。そう思って立ち去ろうとしたとき、別方向から戦艦組がやって来た。中心にいるのはビスマルクである。

 

「そっちも訓練終わり? 随分と早いみたいだけど」

 

 声をかけると、ビスマルクたちはにこやかな笑みで応じてきた。

 

「割と簡単にできたのよ。さすが私といったところかしら」

「相変わらず自信満々ね……」

「でも実際、ビスマルクさんがいたからこそ早く終えられたんですよ」

 

 ビスマルクをフォローするように言葉を添えたのは榛名だった。

 最初の頃は何かにつけて自信のなさが見え隠れしていた榛名だったが、最近は随分と落ち着いてきて、周囲のことにも目を向けられるようになっている。

 

「弾着観測のコツを最初に掴んだのはビスマルクさんだったんです。それで、どういう風にやればいいのか皆で共有して――」

 

 そういえば、ビスマルクについても独特のセンスがあるという報告を受けていた。練度はまだ他の戦艦と比べると低めだが、それでも光るものを感じさせる、というものだ。

 

「ま、まあ私は説明上手くできなかったけど……。そこは榛名のおかげね。その点は感謝しているわ」

「いえいえ、榛名もお役に立てて嬉しいです」

 

 戦艦組は連携も含めて上手くやれているようだった。ビスマルクという新しい要素が良い意味で刺激になっているのだろう。

 

「ところで、叢雲と……利根……だったかしら。二人はここで何を?」

 

 ビスマルクの疑問にどう答えようか、少し迷った。

 

「吾輩がサボっておったのを叢雲が注意しておっただけよ」

 

 意外にも、利根が自ら説明した。

 ビスマルクの表情が少し硬くなる。

 

「サボりは感心しないわね。私たちが臨むのは命懸けの戦場よ。そこで足手まといがいたら他の皆の命まで脅かされるじゃない」

「……足手まといにはならぬよ。吾輩とてやるべきことはやっておる。他の者に付き合うのが面倒なだけじゃ」

 

 心なしか、利根の双眸が鋭さを増したような気がした。

 ビスマルクも利根に対して険しい眼差しを向けている。

 

「……日本は和を尊ぶというけれど、貴方みたいな艦娘もいるのね?」

「なんじゃ、喧嘩でも売っておるのか」

「どうかしら。けど、貴方みたいなタイプをあまり好ましいとは思わないわね」

 

 二人の間の空気が剣呑なものになっていく。今にも艤装を出して撃ち合いそうな気配だ。

 

「二人とも、そこまでよ」

「そうです。これから戦場に向かおうというときに内輪揉めは避けるべきです」

 

 私と榛名の制止を受けて、二人は互いに視線を逸らした。

 

「訓練課程が終わったなら戦艦組は休憩に入ってちょうだい。出発は予定通り明日の早朝になると思うから」

「分かりました。それでは行きましょう、ビスマルクさん」

「……ええ。悪かったわね、叢雲、榛名」

 

 ビスマルクはまだ消化不良のようだったが、榛名に押されるようにしてその場を後にした。他の戦艦組も会釈をして去っていく。

 

「珍しいわね、利根が誰かに絡むなんて」

「別段絡んだつもりはない。お主の口からはあの状況を説明し難かろうと思い代弁しただけじゃ」

 

 本当にそうだろうか。

 これまでの利根なら無視していたような気がする。

 

「もういいじゃろ、早く去ね。……吾輩のことなど放っておけば良い」

 

 ごろりと寝返りを打ってこちらに背を向ける。

 

「……利根。言っておくけど、貴方はうちにとっては貴重な戦力よ。だからこそ放ってはおかないわ。面倒臭いだろうけど」

 

 それだけは言っておきたかった。偽善でも何でもなく、指揮官として利根を遊ばせておくことはできない。

 

「本当に――面倒なことじゃな」

 

 聞こえてきたのは、心底嫌そうな響きの伴う言葉だった。

 

 

 

 インドネシアも大小様々な島がある。今、そうした島々の多くは深海棲艦によって占拠されているらしい。

 電撃的な侵攻だったと聞く。人も大勢やられたらしい。生き残った人々は安全地帯に避難したが、幸い深海棲艦による追撃はなかったそうだ。

 湾岸エリアの多くが敵の手に落ちているため、陸地に拠点を設けることが難しくなっている。補給等も困難なので、本作戦はできるだけ短期で片付ける必要があった。

 

「……まあ、作戦のことは上に任せておけば良いか」

「駄目ですよ姉さん、そんなことを言っていては」

 

 独り言に釘を刺してきたのは姉妹艦である筑摩だった。

 

「筑摩か。いつからいた?」

「さあ、いつからでしょう」

 

 筑摩は吾輩と違って人当りも良く、周囲の信頼も勝ち得ているようだった。そのせいか、周囲と吾輩の橋渡し役を自負しているようなところもある。時折それが鬱陶しく感じることもあるが、さすがに姉妹艦である筑摩には強いことを言えずにいた。

 

「何か用か」

「用がなくてはいてはいけませんか?」

「そうは言っておらん」

 

 他人の行動に興味はなかった。こちらに干渉してこなければどこで何をしようと別に何も感じない。

 

「……やはり利根姉さんは遠くを見ているのですね」

「は?」

「こちらを、見ようとしていません」

「……」

 

 筑摩が何を言わんとしているか、なんとなく分かった。会話に付き合えば古傷を抉られる。そんな予感がして、口を閉ざした。

 

「青葉さんも気にされているようでした。利根姉さんが抱えているものについて――」

「それ以上は言うな、筑摩」

 

 思わず筑摩の胸倉を掴み上げてしまった。しかし筑摩は怯んでいない。怯んでいるのはこちらの方だ。

 何を言うべきか迷っていたとき――不意に側で何か物音がした。

 ここは倉庫。近くにあるのは食料や医療品が入った箱だけだ。

 

「……何者か潜んでおるのか?」

 

 筑摩から手を離し、周囲の様子を窺う。今までそういう事例はなかったはずだが――深海棲艦側の工作員が忍び込んでいるような場合、即刻始末する必要があった。

 

「筑摩は反対側から迂回するのじゃ。吾輩はこちらから行く」

「……はい」

 

 薄暗い倉庫の中を警戒しながら進んでいく。

 海上での戦闘とは勝手が違う。艤装を出してドンパチやるわけにはいかないので、慎重に動く必要があった。

 一歩ずつ床板を軋ませながら進む。

 

「……む」

 

 荷物の陰に、人がいた。

 二人いる。まだ幼さの残る男の子と女の子だ。

 衰弱しているのか、ぐったりと倒れていた。

 

「あら」

 

 筑摩が二人を覗き込んで声を上げた。

 

「ナギ君とナミちゃんですね」

「……ああ、どこかで見たことがあると思ったら」

 

 ショートランド島の住民で、うちの提督の命の恩人らしい。日本語と現地の言葉が分かるということで、日常的に泊地へ出入りして手伝いをしていると聞いている。吾輩は何度か姿を見たことがあるだけだが。

 

「なぜこんなところにおるんじゃ……」

「さあ。それより早く外に出してあげましょう。かなり弱っているようですし、きちんとしたところで休ませてあげないと」

 

 面倒だったが、このまま放置して死なれても目覚めが悪い。

 

「……仕方ないか」

 

 二人を背負って、休憩室まで運んでやることになった。

 

 

 

 作戦の打ち合わせに出ていた叢雲が休憩室に飛び込んできたのは、二人を運んでから数時間経った後のことだった。

 その頃には二人の意識も戻っており、大分調子も良くなっていたようだった。狭く薄暗い場所で長時間じっとしていたせいで気分が悪くなっていたらしい。加えて空腹状態に陥っていた。先ほど食事を与えたときはガツガツと美味そうに食べていた。あれならまず問題はないだろう。

 二人は飛び込んできた叢雲の顔を見て、少しぎょっとした表情を浮かべていた。

 

「あ、あの。叢雲姉ちゃん……」

「――なんで、ここに、いるのかしら?」

 

 叢雲は笑いながら噛み締めるよう言葉を紡いだ。ただし、目だけは据わっている。

 明らかに激怒していた。

 

「……ナギ、素直に言って謝ろうよ」

「う、うん。……その、たまにオジサンたちが出かけるの見て、島の外がどうなってるか気になって、つい」

「つい?」

「……こっそり船に入っちゃったんだ」

「ごめんなさい」

 

 二人揃って叢雲に頭を下げる。

 その頭に向かって叢雲は拳骨を振り下ろした。

 

「……ここは今危険な場所よ。命懸けで戦わないといけない場所。興味本位で来ていい場所ではないわ。だからこそ二人には来てほしくなかった。本来、アンタたちが来ていい場所じゃないの」

 

 痛そうに頭を抱える二人に、叢雲は諭すように言った。

 

「二人が死んだらアンタたちのお母さんはどうするの? お母さんを悲しませたくないなら、こういう勝手なことをしては駄目よ」

「……はい」

 

 叱責を受けて二人はすっかり萎れてしまった。元々悪いことをしているという自覚もあったのだろう。だからこそずっと倉庫で隠れていたのだ。

 

「しかし叢雲さん、二人はどうしましょうか。今から二人だけをショートランドまで送り返すのは難しいでしょうし」

「そうね、筑摩。かと言って周囲の陸地は深海棲艦の手に落ちているから、手近なところに預けておくわけにもいかない。……ここに置いておくしかないんじゃないかしら」

 

 二人の頭をさすりながら叢雲がため息をついた。

 そんな叢雲の視線が、部屋の片隅にいた吾輩の方に向けられる。

 

「……なんじゃ?」

「利根。貴方に二人の護衛を任せるわ」

「はあ?」

 

 思わず間抜けな声を上げてしまった。

 

「突然じゃな、叢雲よ。なぜ吾輩がそんなことをせねばならぬ。言っておくが戦うこと以外で吾輩が役に立つと思うなよ」

「護衛だって戦いじゃない。それに今の貴方は艦隊行動を乱す一因になりかねない。作戦に参加させるより護衛を任せた方が適してると思ったのよ」

「ぐっ……」

 

 そう言われては反論できない。ただ嫌だと駄々をこねても叢雲は承服しないだろう。

 いつの間にか、ナギとナミも涙目のままこちらをじっと見ていた。

 

「言っておくけど、二人に何かあったら私たちはショートランドの人たちからの信頼をなくして拠点も失う可能性がある。二人の護衛は決して楽な任務ではないわよ」

「分かっておる。そこまで理屈で念押しせずともな。……その二人に何かあれば、まずお主に殺されそうじゃ」

 

 ひどく面倒だったが、この任務は断れなさそうだった。

 戦うことが――敵を屠ることだけが今の自分の生き甲斐だと思っていたのに。

 ひどく、憂鬱な気分だった。



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第十八条「先のことは分からなくとも考えよ」

 艦内の慌ただしい気配が伝わってくる。

 深海棲艦掃討作戦の準備に奔走しているのだろう。この個室の中にいても、何かを確認し合う艦娘たちの大声が聞こえてくる。

 戦いが始まる直前の、若干ピリピリした空気。

 しかし、この部屋はそんな空気から隔絶されていた。

 中にいるのは吾輩とまだ幼さの残る兄妹だけだった。密航者たるこの二人の面倒を叢雲から押し付けられたのである。筑摩は手伝いを申し出てきたが、あやつは作戦に参加しなければならない身なので、結局吾輩一人で見ることになった。

 密航者とは言え、我らが提督の命の恩人であり、ショートランド島の住民と我々の懸け橋になっている子どもたちでもある。無下に扱うわけにはいかないし、何かあれば大問題に発展する可能性もある。とんだ爆弾を押し付けられたものだ。

 その爆弾二人は、部屋の外の喧騒が気になるのか、やけにそわそわしていた。様子を見に行きたいが、密航していた件について叢雲から鉄拳制裁を喰らったばかりなので自重している――といったところだろう。

 

「利根さん、もうすぐ戦いが始まるの?」

「……」

 

 いちいち答えずともそんなことは分かるだろう。そう思って無視した。

 

「利根さん」

「利根さーん」

「利・根・さーん!」

「……」

 

 二人揃って代わる代わる名前を呼んでくる。正直鬱陶しい。

 

「うるさいぞ童ども。戦いが始まるかどうかなど見てれば分かるわ。いちいち聞くでないわ」

「えー、利根さん意地悪だ」

「意地悪!」

「……」

 

 殴りたい衝動を必死に抑える。相手は子どもだ。子ども相手に本気で怒るなど燃料の浪費である。

 

「言っておくが、吾輩は密航者二人に親切にしてやるつもりは毛頭ない。命令ゆえ仕方なく面倒を見ているだけじゃ。くれぐれも余計なことをするでないぞ」

「むぅ」

 

 二人が押し黙る。一応、自分たちが悪いことをしているという自覚はあるようだ。

 そうして、今度は一目で分かるくらいの落ち込みっぷりを見せてきた。揃って俯いたままじっと動かない。

 別段仲良くするつもりはないが、これはこれで空気がどんよりして居心地が悪い。

 

「……今後勝手な行動をされないよう一応確認しておくが、お主らはなぜ潜り込んでおったのじゃ」

「それは、島の外がどうなってるのか気になって……」

「なぜ気になった」

 

 先ほど叢雲は追及しなかったが、この二人は単なる好奇心で大それたことをするタイプには見えなかった。子どもゆえ軽率な判断をしてしまう部分はあるようだが、本質的には悪童ではない。未知への好奇心もあったかもしれないが、それを後押しする別の理由があるように思う。

 

「……島の大人たちの中には、今も泊地の皆を良く思わない人がいるんだ」

「オジサンたちがいるときはニコニコしてるのに、いなくなった途端悪口言う人もいるの」

「皆が皆そういうわけじゃないけど……。なんか悔しくて」

「私たちは、泊地の皆が一生懸命やって島のことを助けてくれたのを知ってるから」

「だから、実際この目で皆が戦ってるところを見て、島の人たちに伝えようと思ったんだ」

 

 子どもなりの義侠心ということだろう。

 吾輩はあまり気にしたことはなかったが、島の住民が我らをどう見ているかというのはある程度察しはついていた。

 一部こちらに親しい者たちを除けば、皆我らを厄介者扱いしているのだろう。

 軍事拠点はいつそこが戦地になってもおかしくない。その争いに巻き込まれることを恐れるのは――普通のことだと思う。

 ないと困る。されど近くにはいて欲しくない。そう思うのが普通のことなのだ。そういう意味では、この二人は我らの方に寄り過ぎているとも言える。

 

「お主らの義侠心に水を差すようで悪いが、おそらく吾輩たちが戦っているところを伝えても、何も変わらぬであろう」

「……そうかな?」

「ああ。ここでの戦いはショートランド島の者たちには関わりのないことだし――」

 

 それに。

 誰かを助けるためと言おうが、国のためと言おうが、結局のところ。

 

「――やっていることは、所詮ただの殺し合いじゃからのう」

 

 それが悪いことだなどと青臭いことを言うつもりはない。

 ただ、子どもの口から他人に語って聞かせるような事柄ではなかった。

 

 

 

 周囲の視線がこちらに集まっている。

 先日のレ級騒動の際に受けた負傷は、やはり目立ってしまうようだった。

 横須賀艦隊の母艦である三笠の艦内で、ゆっくりと歩きながら会議室に向かう。護衛役として側に控えている長門と加賀もやや居心地悪そうにしていた。

 

「新八郎」

 

 会議室まで半ばというところで三浦剛臣が姿を見せた。

 

「顔を合わせるのは霧の艦隊のとき以来か」

 

 剛臣は肩を貸そうかと言ってくれたが、その申し出は丁寧に辞退した。別に剛臣がどうという話ではなく、自分にできることで他人に頼りたくない性分なのだ。叢雲に以前それを問題点として突かれたことがあるが、齢三十を過ぎるとなかなか性分は直せない。

 

「……その子が康奈君か?」

 

 こちらの背中に半ば隠れるようにしている康奈に、剛臣は手を振りながら笑いかけた。

 

「はい、康奈と言います」

 

 康奈は軽く会釈しただけで、剛臣の前には出ようとしなかった。

 どうもこの子は警戒心が強いところがあるようで、初対面の相手にはいつもこんな調子になる。

 康奈のことは、艦娘人造計画の被験者だったというところを除き、事前に剛臣に伝えていた。

 

「提督としての素質があるということだったが」

「私はそう見ているんだが」

 

 提督としての素質を持つ者は、他の人と霊力の波長が少し違っている。以前その説明を受けたときは何のことだと思ったが、ある程度艦娘と一緒に過ごして霊力の扱いに慣れてくると、その意味合いがなんとなく理解できるようになった。

 もっとも、それはなんとなく分かるという程度の話に過ぎない。康奈からは他と違うものを感じるが、例えばナギやナミからも微弱ながら似たような波長を感じることがあった。

 

「確かに、俺もこの子からは何かを感じる。……ふむ、会議まではまだ時間もあるし、ここは専門家に見てもらわないか?」

「専門家?」

「ああ。海自の人ではないが霊力の扱いに長けている人がいる。俺もお世話になっている人だ。ちょうど乗艦されていてな。信頼のおける人物だ」

 

 剛臣がそういうなら見てもらうのも良いかもしれない。海自の人間でないなら、康奈の素性について突っ込んでくる可能性も低そうだ。

 案内されて艦内の中心部に進んでいく。大分警備も厳重になっているように見受けられた。

 

「もしかしてその人って、かなり凄い人だったりするのか?」

「俺個人としては様々な点で尊敬しているし、幕僚長を始めとする海自の要職についている者も一目置いているな。あの人がいなければ、我々と艦娘が手を携えて深海棲艦に立ち向かうこともできなかったかもしれない」

 

 話を聞いているうちに、剛臣の提案に乗ったことを後悔し始めていた。以前水元幕僚長と話したときの印象のせいかもしれないが、お偉方というものに苦手意識ができてしまっている。

 剛臣が足を止め、正面の扉をノックする。

 

「三浦です。今、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「構わないよ」

 

 中から聞こえてきたのは、年季を感じさせる女性の声だった。

 

「失礼します」

 

 剛臣が扉を開けて入っていく。こちらもその後に続いた。

 賓客用の部屋かと思っていたが、中は質素な作りだった。さほど広いわけでもなく、豪華な装飾があるわけでもない。

 そんな部屋の片隅に、椅子へ腰掛けた老年の女性がいた。涼し気な色合いの着物を自然と着こなす、どこか上品さを感じさせる女性である。

 

「おや、客人かい」

「はい。こちらは伊勢新八郎。ご存知かもしれませんが、俺と同じ提督です。……新八郎、こちらは北川富士子さんだ」

「はじめまして、伊勢新八郎です」

「はじめまして。あたしはしがない霊能力者とで言っておこうかね。堅苦しいのは苦手だから、気軽に富士とでも呼んでおくれ」

 

 身なりは上品だったが、言葉遣いはさばさばとしていた。それでもどことなく気品を感じさせる。

 

「しがない霊能力者とはご謙遜を。貴方は――」

「他人の経歴をペラペラと吹聴するんじゃないよ」

「おっと、失礼しました」

 

 剛臣と富士さんはそれなりに親しい間柄のようだった。

 

「それよりどうしたんだい、随分と来客が多いじゃないか。そっちの長門と加賀は新八郎のところの子かね。……その子は?」

「……康奈と言います」

 

 意外にも、康奈は前に出て丁寧にお辞儀をした。私や剛臣のときとは随分な差である。些かショックだった。

 富士さんは康奈をじっと見て、少し顔をしかめた。

 

「ちょっと、手を出してもらっていいかい?」

 

 言われるがまま、康奈は富士さんに手を差し出した。その手を富士さんは両手で包み込む。

 ゆっくりと、そこから淡い光が生じた。その光が霊力によるものだというのはなんとなく分かるが、富士さんが何をしているのかはよく分からなかった。

 

「……なるほど。お嬢ちゃんは随分な目に遭ってきたようだね」

 

 富士さんは康奈から何かを読み取っているのか、痛ましげな表情を浮かべていた。

 やがて光が収まると、富士さんは康奈の手を離してこちらに視線を向けた。

 

「一応聞いておくけど、これはアンタたちがやったわけじゃないだろうね」

「……これ、というのは?」

 

 何も知らないからか、剛臣は戸惑っている。

 富士さんはこちらに険しい視線を送ってきた。

 どう反応すべきか僅かに迷ったが――素直に頭を振ることにした。この反応からして、富士さんは艦娘人造計画に加担している人ではないだろう。ならば正直に回答するのが良い。

 

「お富士さん、その子は提督になり得る素質があるようなんです。ただ我々の判断だけでは少々心許ないので、お富士さんに見ていただけないかと……」

「なるほど。あたしの見立てじゃ、確かにこの子は素質ありだよ。単純な霊力値なら剛臣と同格だ。国内最高レベルと言っていい」

 

 恐ろしいくらいの高評価だった。ついでに言うと、剛臣がそんなに凄かったというのも意外である。最高の提督という称号は伊達ではないということか。

 

「だけど、これは元々の素質じゃないね。いろいろなものを無茶苦茶に弄って強引に増強されたものだ。これは推測だけど、お嬢ちゃんはそうされる前のこととか全然覚えてないんじゃないかい」

 

 富士さんに尋ねられて、康奈は躊躇いがちに頷いた。

「この子は好き好んでこの素質を得たわけじゃない。……そういう経緯を考えると、この子を提督にするのは反対だね」

 

 

 

 重巡クラスが率いる深海棲艦の大軍が広がっている。

 霧の艦隊やレ級のように強力な個体はいないようだが、それでも敵の数は脅威だった。

 

「どれだけ強い英雄・豪傑でも、百人の雑兵相手には勝てない。だから数というのはそれだけで怖いものです」

 

 前方の敵軍を望遠鏡で観測しながら青葉がそんなことを言った。

 

「数という点ではこちらも負けてはいないわよ。ま、私なら百人の雑兵相手でも勝ってみせるけど!」

「ビスマルクさん、油断してると足元をすくわれますよ」

 

 自信満々のビスマルクの横には、それを窘める榛名の姿もあった。

 

「そもそも私たちは基本待機してないと駄目だからね。勝手に出撃したら始末書よ」

「大丈夫よ叢雲!」

 

 何がどう大丈夫なのか問い質したい気もしたが、それよりも戦況の確認に集中しなければならない。

 今、私たち南方拠点の艦娘たちの軍勢は約半数の戦力を以てサメワニ沖の深海棲艦と相対している。

 ショートランド泊地の艦隊は増援部隊という位置づけのため数が多くない。そのため中央や両端といった激戦区ではなく、それらの合間を受け持っていた。合間と言っても重要性が低いわけではない。他のポイントが崩された場合は戦局を維持するために死に物狂いで踏み止まらねばならない。窮地の味方がいれば救援部隊を手配する必要もあった。

 現在前線で戦っているのは、那珂や曙たちの水雷戦隊だ。近頃は大型艦に主力の座を譲る形になっていたが、日々の任務の中で練度向上に励んでいたらしく、かなりの暴れっぷりを見せつけている。特に那珂は第二改装も済ませているので、水雷屋としても前線指揮官としても頼りになった。

 

「今のところは順調ね」

 

 ビスマルクがやや含みのある言い方をした。

 

「何か気がかりでも?」

「敵の攻め寄せ方が消極的な気もするわ。かと言って積極的に退こうとする気配もない」

 

 それは先ほどから私も感じていた。こちらを罠に嵌めようとする素振りも見せないが、勇猛果敢に押し寄せてくるわけでもない。何か動き方が中途半端なのだ。

 

「持久戦狙いかもしれませんね」

 

 青葉がぼそりと呟いた。

 

「拠点は手放したくない。と言って現時点で妙手があるわけでもない。ただ、耐えて待てば状況は変わる。そういう動き方のように見受けられます」

 

 彼女は艦艇時代様々な戦いを見聞きしていたからか、観察眼に長けているところがあった。かつてサボ島で戦況を正確に判断できなかったことが、彼女に観察眼を磨かせたバネになっているのかもしれない。

 

「増援ですかね」

「そうね、榛名。……待機中の部隊の一部を周辺哨戒に回しましょうか。敵の後詰や別動隊がいたら大問題だし」

「それなら私が何人か連れて行ってくるわ。ここは当面状況動きそうにないもの」

 

 ビスマルクの申し出を容れるかどうか思案する。彼女はまだ練度に不安があるから、主力艦隊に組み込むのは不安があった。一方で状況を判断する能力はそれなりに備わっている。自分の実力に対して妙な自信を持っている点だけが些か気がかりだったが。

 

「……榛名も一緒に行ってちょうだい。この敵艦隊がアテにする別部隊がいるとしたら、強力な力を持つ個体の可能性もある。単独で高い生存能力を持つ艦隊で行ってきて」

「では、誰か代わりにここへ来させますか?」

「今はいいわ。いざとなれば私と青葉でなんとかする」

「さらっと無茶言わないでくださいよ」

「なるべく温存しておきたいのよ」

 

 戦力はなるべく取っておかないと、もし第二戦があった場合苦しいことになる。

 そしておそらく――第二戦は行われることになる。

 

「ビスマルク、榛名、頼んだわよ。どの戦いでもそうだけど、今は情報が必要になるわ」

 

 敵の目的がまだ見えてこない。単純に各地を占拠することが目的なのか、それとも別の狙いがあるのか。

 嫌な予感が晴れない。もう一歩調査をしておきたかった。

 

「了解。私に任せておきなさい!」

 

 意気揚々と出ていくビスマルクたちを見送る。同じく見送る青葉はどこか不安そうな様子だった。

 

「ビスマルクたちのことが心配?」

「はい。ビスマルクさんのあの自信が強がりでなければ良いんですが――」

 

 確かに、あの根拠のない自信は一種の強がりのようにも思える。

 雑兵百人でも勝つとは言ったが――数の力の恐ろしさを、彼女は艦艇時代の経験でよく知っているはずだった。

 

「榛名もつけたし、大丈夫だと思いたいところね」

 

 まったく、この艦隊は不安要素が多過ぎる。

 だが、任された以上はしっかりとやらねばなるまい。

 頬を両手で叩き、気合を入れ直しながら敵影を睨み据える。

 戦いは、まだ始まったばかりだ。

 

 

 

 少し落ち着きつつあった艦内がまだ騒がしくなった。

 どうやら戦いに出ていた一部の艦隊が戻ってきたらしい。

 もっとも吾輩には関係ない――そう思っていた矢先、いきなり個室の扉が勢いよく開かれた。

 

「誰か手の空いてる人はいないかし――ら」

 

 開けたのはこの前絡んできた金髪の外人だった。向こうも部屋にいるのが吾輩だと気付いたらしい。言葉の途中で固まっていた。

 

「……生憎と吾輩は暇ではない」

「そう」

 

 相手は――確かビスマルクとかいう名前だったか――見るからに機嫌悪そうな顔つきになった。

 

「増援が必要か」

「違うわよ。敵の動きを掴むために調査隊を出すの」

 

 こちらの形勢が不利になったわけでないなら、護衛に支障はなさそうだった。

 

「敵情視察なら筑摩を連れていくと良い。あやつは吾輩と違って協調性もあるし索敵能力も高い」

 

 すぐさま扉を閉めようとしたビスマルクに、一応アドバイスを送っておいた。

 ビスマルクは手を止めて、少し意外そうにこちらを見た。

 

「敵に不意打ちを喰らったりすれば、この童どもを守るのが困難になる。そうならぬよう助言しただけじゃ。さっさと去ね」

 

 しっしと手を振ると、ビスマルクは再び嫌そうな表情を浮かべた。

 

「一応、御礼は言っておくわ」

 

 それだけ言って扉を閉める。

 一部始終を見ていたナギとナミは、揃って不安げにこちらを見てきた。

 

「ええい、怯えるでない。今のところは大丈夫じゃ」

「……う、うん」

「大丈夫だよね」

 

 無論、いつどこから奇襲を受けるかは分からない。他の者の邪魔にならぬよう偵察機をこの船の周囲に飛ばしているが、一人でカバーできる範囲は限られている。死角から一気に攻め寄せられる可能性もなくはないのだ。

 待ちの戦は神経が磨り減る。

 前線で戦っている方がずっと気楽で良かった。生きるも死ぬもすべて自分と敵だけの話だからだ。自己責任ですべて片付けられる。

 戦場にいる敵でも味方でもない者ほど、扱いが厄介なものはなかった。

 味方なら放っておけばいい。敵なら倒せばいい。

 では、どちらでもない者は――どうすればいいのか。

 

 

 

 

「伊勢新八郎」

 

 北太平洋攻略のための会議の後、自分たちの艦に戻ろうとしたところで声をかけられた。

 通路の物陰から顔を出したのは富士さんだ。

 

「この後少し良いかい」

「え、はあ」

「返事はしっかりとすべきだよ」

「……はい、大丈夫です」

 

 まるで母に叱られているような気分だった。

 

「悪いがお嬢ちゃんは先に戻っていてくれないかい」

 

 後ろに控えていた康奈に富士さんは優しげな声をかけた。

 何人もの人に挨拶をして疲れていたのだろう。康奈は素直に頷いた。

 

「……加賀、康奈を連れて戻ってくれないか」

「構いません。長門、提督をよろしくお願い」

「ああ、任された」

 

 康奈の手を引いて去っていく加賀を見送ってから、三人連れだって富士さんの部屋に移動する。

 富士さんは、長門の同席については何も言わなかった。

 

「さっきは時間がなくて話を中断してしまったけど、新八郎。あんたはあの子をどうするつもりだい?」

「……できれば、あの子自身で先を決めて欲しいと思っています」

「なら、なぜ自分のところで預かった? 提督に仕立て上げようという腹積もりがあったんじゃないかい」

「失礼ながら」

 

 長門が口を挟んできた。

 

「我らの提督は、そのような人ではない」

「……随分と信頼しているんだね」

 

 富士さんは長門を見て、僅かに口元を緩めた。

 

「過程はどうあれ、あの子に提督としての素質が宿っているのは事実です。ならそれも選択肢の一つとして提示しておかないと、彼女自身に選ばせることにならない。何も教えず隠し続けることがあの子のためになるとは思えないんです」

「なるほど」

 

 富士さんは、こちらの考えについて肯定も否定もしなかった。

 

「新八郎。あんたも少し手を出してくれないか」

「構いませんが」

 

 右手を差し出す。改めて見ると、提督になる前と比べて随分細くなった。

 康奈のときと同様、富士さんはこちらの手を包み込んだ。そこからほんのりと光が生じる。

 

「……なんだか、康奈のときと比べて光が小さいような」

「そうだね」

 

 富士さんはそう言ってすぐに手を離した。

 なんというか、康奈のときと違って随分と盛り上がりに欠ける感じがする。

 

「あんたの霊力がそれだけ少ないってことだよ」

 

 厳しい一言が胸に突き刺さる。他の提督と比べて不足している気はしていたが、こうもきっぱりと言われたのは初めてだ。

 

「ちなみに、どれくらい?」

「一般人がFランクならあんたはEランクだ。あのお嬢ちゃんや剛臣はAランクだね」

 

 二人とは天と地ほどの差があるようだ。

 

「……しかし、実際に確認してみて確信したよ。新八郎。あんたは――このままだと危険だ」

 

 鋭い眼光がこちらの目をまっすぐに射抜いてきた。

 

「……危険?」

「自覚はないのかもしれないけど、あんたはこれまでかなり無理を重ねてきている。真っ白になった髪。平均と比べても痩せ気味の不健康そうな身体。……元からそうだったわけじゃないんだろう?」

 

 確かに、ショートランドに流れ着いたあの日から比べると、見た目はかなり変わっていた。黒髪は真っ白になり、肌も青白さを増した。体重はきちんと計っていないが、昔と比べるとそれなりに減ったように思う。

 

「あんたは割と頻繁に限界以上の霊力を使い続けてきたはずだ。そして、その影響で霊力の源とも言える部分が欠損している」

「欠損していると、どうなるんですか? それを治すことは難しいのでしょうか」

「……治すなら療養しないと駄目だね。提督を続けながらでは無理だ。誰かにあんたの艦娘を託して、一時的にしろ引退でもしないと治療はできない」

「それは難しいです。私はうちの子たちを託せるような相手を知らない」

 

 剛臣や仁兵衛なら信用できそうだが、彼らは既に自分の艦隊を持っている。うちの子たちを受け入れることはできないはずだ。

 

「……あのお嬢ちゃんに託すというのは?」

「それはもっと駄目です。私は艦娘たちにとっての提督ですが、あの子の保護者でもある。あの子の進む道を勝手に決めるような真似はしたくないし――覚悟のできていない者にうちの艦娘たちを託すことはできない」

「……そうかい」

 

 富士さんは静かに目を伏せた。

 静寂が訪れる。

 こちらは、じっと富士さんの言葉を待ち続けた。

 時計の音が大きく感じる――そう思ったとき、富士さんが目を開いた。

 

「だけどそれなら――このまま提督を続けるというなら――あんたは命を落とすことになる」

 

 その回答を、予想していなかったわけではなかった。

 ただ、そこまで酷いことにはなるまいと甘く見ていたのも確かだった。

 元々身体が丈夫な方ではなかったが、提督になってから体調を崩す頻度が一気に増えた。

 何か無理をしているという自覚もあった。

 それでも、なんとかなる、命までは落とすまいと思って続けてきた。

 

「霊力は命そのものだ。それを生み出す源が欠損している。放っておけば――確実に死ぬことになるよ」

 

 こちらの希望的観測を断ち切るように、富士さんは言葉を重ねてきた。

 

「……急に言われても、何と返せばいいのか」

「だろうね。あたしは別にあんたの回答を求めちゃいない。ただ、言っておかないといけないと思ったから言っただけさ」

 

 左胸に手を当ててみる。

 まだ、心臓は動いていた。

「どういう選択をするにしても、あんたは覚悟を決める必要がある。……あんたの命が尽きるまで、あたしの見立てではまだ数ヵ月の猶予がある。それまでに――覚悟を決めることだ」



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第十九条「命の使いどころなど考えるものではない」

 富士さんの部屋からの帰り道。

 少し歩き疲れたので休憩しようと、通路上にあった椅子に腰を下ろした。

 長門は先程から難しい顔で押し黙っている。

 

「どうした長門、そんな険しい顔をして」

「いや、どうしたと言われても……。提督は、普段とあまり変わらないな」

 

 呆れ半分感心半分といった感じの表情を向けられる。

 普段と変わらないように見えるなら、私も大概嘘つきになったものだと思う。

 

「提督は……もしかしてもう腹を括っているのか。康奈に全てを託すのか、自分の命を投げ打ってでも提督であり続けるのか」

「いや。それは決めてない。というか決めるつもりはない。決めるのはそこじゃないよ、長門」

「……どういうことだ?」

「命を投げ打って提督を続けたとして、私が死んだらどうなる。皆が消えるか、康奈にすべてを押し付けるか。深海棲艦の残存戦力がどの程度か分からない以上、艦娘の数を減らすことはできない。つまり――結局康奈にすべて押し付けることになる」

 

 長門が「そうか」と頷いた。先ほど長門があげた選択肢は、選ぶまでもないものなのだ。

 

「すまない、少し動揺していたようだ。……しかしそうなると、選ぶべきは……」

「康奈なら今うちの泊地にいる全艦娘を問題なく扱える。私は無理をしないとカバーしきれない。……私が提督を続けるなら、私の霊力でカバーしきれる範囲まで艦娘との契約を切る必要がある」

 

 艦娘を減らすのか、康奈にすべてを託すのか。選ばなければならないのはその二択だ。

 

「……提督はどちらを選ぶつもりだ?」

「個人としての感情を排するなら、康奈にすべて託すのが最良の選択肢だと思う」

 

 現有戦力を無理なく運用できる体制に移行するわけだから、戦略的には改善の一手になる。

 

「ただ、個人的感情込みで考えるなら……それは避けたいと思っている」

 

 周囲の都合で研究の被験者にされ、過去を奪われた康奈に、提督として生きることを強要することになる。それは大人のやるべきことではない。

 

「提督として生きることが悪いことだとは思わない。私は提督になっていろいろなものを得た。皆と会えた。それは得難きものだと感じている。しかし、同時に大勢の命を背負うことになる。大きな責任を負うことになる。あの子はまだ子どもだ。叢雲たちと同じくらい、せいぜい中学生か高校生程度の子どもだ。そんな子どもが背負うには重過ぎる」

 

 今でも、時折夢に見る。

 自分の過ちによって命を落とした一人の艦娘のことを。

 たった一つ救えなかった命でも、これだけ重い。命を背負うというのは生半可なことではないのだ。

 

「ただ、背負っているという意味では、艦娘との契約を切るというのも耐え難いものではある。艦の御魂の元に還るか人間として生きるかの選択肢は提示できるが――それでも皆の期待を裏切ることになってしまう。これまで皆と積み上げてきたものが崩れてしまう。それも、私には耐え難い」

 

 酷い二択もあったものだ。どちらを選ぶのも辛い。

 だからこそ、富士さんは覚悟を決めろと言ったのだろう。

 

「……あの御婦人は、どうお考えなのだろうな。康奈のことを大分気にかけていたようだったが」

「康奈の境遇に同情はしてるんだろう。ただ、現状を鑑みると康奈に提督の役割を押し付けるのも一つの手だと考えている。そんなところじゃないかな。ただ、私があまりに康奈のことを軽視してるようだったら、このままだと死ぬってことは教えてくれなかったような気がする」

 

 あえて康奈の扱いについていろいろ尋ねてきた以上、そこには何かしらの意図があったはずだ。

 その後の話の内容からすると、こちらを試していたと考えるのが妥当なところだろう。

 

「なんにしても安心したぞ提督。平静でいるように見えたから、貴方が自分の命を軽視しているのではないかと危惧していたんだ」

「何を馬鹿な。私だって命は惜しい。無駄に散るのは本望ではないよ」

 

 肩を竦めて見せると、長門は安堵したような笑みを浮かべた。

 命は一つしかない掛け替えのないものだ。そう易々と使っていいものではない。

 もし使いどきがあるとするなら――他に手段が残されていないときだけだろう。

 

 

 

 

「敵影発見しました。南東の方角。六体編成の艦隊が五つ程です」

 

 偵察機を出していた筑摩が、淀みのない口調で報告した。

 双眼鏡を手に南東を見る。確かに敵影が見えた。それなりに数を揃えているらしい。

 こちらは偵察用の部隊と言うことで、榛名・筑摩・島風・雪風・龍驤――そして私ビスマルクの六人しかいない。迎え撃つには少々心許なかった。

 

「読み通り敵は増援を当てにしていたようですね」

「ええ。けど、あれが増援のすべてだとは思えないわ」

 

 確かにそこそこの数ではあるが、こちらの軍勢に対して逆転を狙えるような規模ではない。

 おそらく更に増援が控えているか、別方面から他の増援が向かっているかのどちらかだろう。

 

「榛名としては、ここで一度報告に戻るべきだと思いますが……どうでしょうか」

 

 部隊の面々に榛名が問う。彼女は自らの意思と判断で皆を引っ張っていくタイプではなく、皆の意見を汲み上げながら一歩ずつ進んでいくタイプの指揮官だった。

 

「私はもっと先まで偵察に行くべきだと思うわ。あの規模ならどこかに根拠地を築いている可能性が高い」

 

 深海棲艦がどこから来ているのか――というのは未だはっきりとしていない。ただ、一定以上の規模でまとまって動く場合、どこかしらに拠点を築いて行動することが多い。そういうときリーダーシップを発揮する個体を鬼クラスや姫クラスと呼ぶ。

 今回も、どこかにそういった指揮官クラスがいるような気がする。もしいるなら指揮官の所在を突き止めない限り、こちらは防戦一方になってしまう。

 こちらの説明を受けて榛名は迷っているようだった。

 

「確かにビスマルクさんの仰ることも分かります。ただ、敵の増援が他の方面からも出ている場合、早急にそのことを伝えないとこちらが大打撃を受ける可能性もあると思うんです」

「それも分かるわ。けど、私はこちらの現有戦力ならどうにか凌ぎきれるんじゃないかと思ってる」

「榛名もそこは信じたいところですが……」

 

 榛名が危惧しているのは、別方面からの増援部隊がいるのか、いるとしたらどの程度の規模なのかが不明瞭だという点だろう。

 そこは私たちだけで調べるのは不可能だし、ある程度割り切るしかないと思うが――。

 

「どちらもやるというのはいかがでしょう」

 

 膠着状態に陥りそうなところで、筑摩が折衷案を出してきた。

 

「本件の一次報告も必要ですが、敵根拠地の確認も重要性において同等ではないかと思います。なら、両方やりませんか」

「戦力分散のリスクがありますが……」

「私たちが来た道はまだ敵が展開してなさそうでしたし、榛名さんと島風ちゃん・雪風ちゃんならそこまで危険性はなさそうです。私たちの方は多少危険だとは思いますが」

「うちは別に構わんで」

 

 龍驤が即座に答えた。軽空母の艦娘の中では小柄で子どもっぽい印象だが、その実艦載機の扱いに関する腕前や戦略眼においては赤城や加賀と並ぶものを持っている。

 

「私も構わないわ。榛名、私は筑摩の提案に賛成よ」

「……分かりました。あまり長考している余裕もありませんね。ここは二手に分かれましょう。ビスマルクさん、筑摩さん、龍驤さん……必ず生きて情報を持ち帰ってください」

 

 一度決断すると榛名は迷いがなくなる。すぐに島風たちを連れて母艦へと撤退していった。

 

「さっきは助かったわ。話が平行線にならなくて済んだ」

「私は私の意見を言ったまでですよ」

 

 筑摩は柔らかな笑みで応じた。

 

「……こう言ってはなんだけど、貴方は利根と随分感じが違うのね」

「姉妹だからって似るとは限りませんよ。というより、そっくりな姉妹艦というのもあまり見かけない気がします」

 

 確かに、泊地の姉妹艦で似ていると言えそうな組み合わせはなかなか出てこない。

 私にも姉妹艦はいたが、艦娘としてはまだ会ったことがなかった。やはり自分とはあまり似ていないのだろうか。

 

「私たち艦娘は、かつて艦だった頃の経験と艦娘になってからの経験の両方を抱えています。人によっては艦だった頃のことをあまり覚えてないこともあるようですが……利根姉さんは、ある出来事を鮮明に覚えているようで。きっと、ああいう風になったのはそのせいだと思うんです」

「ある出来事?」

「利根姉さんにとっても、当時の人たちにとっても忌まわしい出来事だったと思います。……すみません、それが何かは私から語るべきことではないと思うので、これ以上は」

 

 筑摩はそこでやんわりと話を終えた。

 単に不真面目で和を乱すだけの艦娘だと思っていたが、よく考えてみると私は利根のことをそこまで知っているわけではない。

 彼女には彼女なりの来歴があって、その結果現在の彼女が構成されるようになったということなのだろうか。

 波に揺られながら、かつての戦いのことを思い返す。

 英国戦艦からもぎ取った勝利。そこから仕掛けられた復讐戦。

 数の暴力に押され、結局自分は沈むことになった。そのことに対する悔しさはあるが、同時に見事だとも思った。

 一つの目的のために皆が一丸となって攻め寄せてくる。それはまるで巨大な一つの生き物を相手にしているかのようだった。

 個の力を凌駕する数の力。その経験が今の自分を形作っているのかもしれなかった。

 

 

 

 いくつかの島で小休止を挟みながら南東へと進み続ける。

 途中、何度か深海棲艦の軍勢を見かけた。少しずつだが数が増えてきているような気がする。それは敵の根拠地に近づいていることの証左ではないだろうか。

 

「んー、なんかヤバイ感じするなあ」

 

 偵察機・彩雲を出していた龍驤がそう呟いたのは、オーストラリアに近づきつつあるときだった。

 オーストラリアは本作戦の大分前から大多数の湾岸線を放棄していた。守らなければならない範囲が広過ぎて手が回らないからだ。現在向かっているのも、そういった放棄された箇所の一つである。

 

「敵部隊の数が明らかにこれまでより多いで。それに何か見たことない奴がおる」

「新型の姫クラスかしら」

「かもな。だとしたら……ビスマルク、あんたの予想通りってことになる」

 

 敵はやはり根拠地を構えていた、ということだろう。ここを拠点に東南アジアの制海権を握ろうというのが狙いなのかもしれない。

 

「……それじゃ撤退しましょうか。場所が分かったならここに長居する必要は――」

「ビスマルクさん、龍驤さん。敵艦隊がいくつかこちらに向かっています!」

 

 筑摩が緊迫した声を上げた。

 

「動きからしてこちらは既に捕捉されていると見るべきでしょう」

「なら、尚更長居は無用ね。全速力で逃げるわよ」

「異論なしや。とっととずらかるで!」

 

 海路をUターンし、主機を稼働させる。こちらは三人しかいないのだ。戦ったところでひとたまりもない。

 耳障りな音が聞こえる。撤退するこちらを追って、深海棲艦側が艦載機を飛ばしてきたのだ。どことなく生物的な形状をした艦載機がこちらに向かって大量に飛んでくる。

 

「どうする、うちが足止めするか!?」

「ここで対抗しても数で押し切られるわ。まだこちらの艦載機は取っておいて!」

「けど、そうなるとある程度のダメージは覚悟せんと……!」

 

 敵艦載機から魚雷が放たれる。海面に落ちた魚雷は真っ直ぐこちら目掛けて突き進んできた。

 

「左!」

 

 魚雷の軌道が見えたおかげで、どうにか回避できた。しかし何度も仕掛けられてはこちらの足が鈍る。

 

「迷ってる余裕はないわ。とにかく逃げるのよ!」

 

 方針がぶれては致命的なことになりかねない。

 今はただ――生きて帰ることだけを考える。

 

 

 

 大規模な海戦というのは時間がかかる。

 長時間の緊迫感に勝てなかったのだろう。ナギとナミはすやすやと寝息を立てていた。

 

「まったく、呑気なものよ」

 

 二人の寝顔を見ているうちに浮かび上がってきた安心感を、そう言うことで打ち消した。

 まだここは戦場の只中である。吾輩はそこでお荷物を二つも背負わされているのだ。気を緩めることはできない。

 戦場において、敵でも味方でもない第三者は厄介なものだった。特に戦えない第三者というのは扱いに困る。

 

「まったく……こんなのは吾輩の得意とすることではない。叢雲も将としてはまだまだじゃな」

 

 あえて文句を口にするのは心が萎えかけている証拠だった。それを自覚しているからこそ、脇腹の辺りがムズムズするような苛立ちを感じている。

 ナギとナミは、最初こそ愛想のないこちらに少し遠慮していたが、時間が経つにつれて慣れてきたのか、よく話しかけてくるようになった。黙っているのが退屈だったということもあるのだろうが、こちらがどれだけ素っ気ない対応をしてもめげない。

 次第にこちらも素っ気ない対応をするのに疲れてきて、適当に相槌を打つようになった。

 子どもというのは不思議なものだ。大人だったら引いてしまうような場面でも構わず踏み込んでくる。そして疲れ知らずだ。

 ふと、まだ手に紐を握っていることを思い出した。先ほどまで二人にあやとりを教えてやっていたのだ。二人が次々と話を続けるのに参って、興味を逸らしてやろうと始めたものだ。

 適当にやっただけのあやとりだったが、二人は真剣な顔でまじまじと見つめていた。

 

「……やれやれじゃ」

 

 ポケットに紐をねじ込みながら意識を外の偵察機に繋げる。

 

「――!」

 

 遠方に黒々としたものが見えた。先ほどまではなかった。

 あれは、敵影だ。しかも相当の数に見える。小粒な影が多い。おそらくは艦載機の群れだろう。

 舌打ちして部屋を飛び出し、母艦の司令室に向かって駆け出す。

 扉を乱打すると、中から明石が出てきた。

 

「あれ、利根さん。どうしたんですか」

「敵艦載機の集団がこちらに迫っておる。早く手を打たねばまずいことになるぞ!」

「えっ、本当ですか!?」

 

 明石は慌てて部屋に飛び込み、部屋に備え付けられたレーダーをチェックし始めた。

 

「……来ました。確かに反応が出始めてます!」

 

 レーダーの範囲よりもこちらの索敵範囲の方が広かったようだ。次々と敵影の数が増えていく。

 

「母艦に戦力はどの程度残っておる」

「先ほど前線から戻ってきた子たちがいますけど、艤装の状態が万全ではありません。この数を迎え撃つのは正直厳しいです」

「ならさっさと母艦ごと逃げるしかあるまい」

「に、逃げるって言ったってどこに……!? この周辺の陸地で安全な場所はよく分かってませんし、そもそもこの船そんなに足速くないんですよ!」

 

 明石はパニック気味になりながらも船を動かし始めていた。考えながら動くタイプなのだろう。

 

「他の艦隊の母艦と合流すれば戦力も多少ましになるであろう。それでも駄目なら――」

 

 そのとき、船が大きく揺れた。動き始めたから揺れた――というわけではない。もっと嫌な揺れ方だ。

 揺れは一度では済まなかった。二度、三度。これは揺れというより衝撃だ。

 

「敵の艦攻の魚雷でも喰らったというところか。……この母艦は放棄して各自で散るしかないかもしれん」

「この船ソロモン政府からレンタルしたものなのに……。後で文句言われそう」

「そんなことを言っとる場合か。……明石、この船に民間人は?」

「今回は私たち艦娘と――ナギ君にナミちゃんだけです」

 

 ならばあれこれと気を回す必要はなさそうだった。艦娘なら自分の身は自分で守れば良い。

 

「そうか。ならさっさとお主らは逃げよ」

「利根さんは逃げないんですか?」

「たわけ、逃げるに決まっておるわ! ナギとナミを連れてな」

 

 明石はどこかほっとしたように胸を撫で下ろしていた。

 

「一人で大丈夫ですか?」

「余計な気遣いは要らぬ。一人の方がやりやすいわ。お主らは己の身の安全だけ考えておれ。特にお主など戦う力をほとんど持っていないのだからな」

「返す言葉もありません。……それでは私は他の子たちの様子を見に行ってきます。二人のこと、お願いしますね」

 

 そう言って明石は駆け去っていった。これまであまり話したことはなかったが、意外とタフな性格をしているようだ。

 

「さて、吾輩も呑気してる場合ではないな」

 

 荷物を――決して手放してはならない荷物を二つ抱えて、ここから逃げおおせなければならない。

 はっきり言って至難の業だ。だが、戦いに関してはやるべきことを必ずやると決めている。

 護衛ありの撤退戦。

 腕の振るいどころである。

 

 

 

 度重なる敵の襲撃にこちらは疲弊していった。

 やはり、数の差というのは如何ともし難い。敵が艦載機中心で攻めかかってきたのも良くなかった。私はあまり対空戦が得意ではないのだ。

 

「……筑摩。龍驤。この状況で最悪なことはなんだと思う?」

「なんや急に。……まあ、うちらが全滅して終わりというのが最悪やろな」

「ええ。最善は言うまでもなく全員生還。だけど、この状況だとそれも難しい気がしてきたわ」

「誰か一人が残って敵を引き付けますか」

 

 こちらの意を汲んだ筑摩が言葉を続けた。

 

「そうね。だから私が残るわ。この中じゃ一番足が遅いし、対空能力もない。けどしぶとさには多少の自信がある」

 

 無論、敵の追撃部隊を一人でどうにかできるとは思っていない。十中八九無事では済まないだろう。かつての経験から、それは十分に理解していた。

 だが、このまま全員で逃げようとしても限界が来る。ならばこの場に留まって、また数の力に抗ってみるのも良いかもしれない。そういう欲求が湧き上がってきた。

 筑摩と龍驤は険しい顔をしてこちらを見てきた。二人とも心情としては反対なのだろうが、他に良い方法が浮かばないからか、反対意見は口にしなかった。

 

「ここが私の命の使いどころってことみたいね。……ま、この私がそう簡単にやられるはずはないけど」

 

 そう言って身を翻し、こちらに迫っていた敵の艦載機に向き合う。

 

「ドイツ海軍が誇ったビスマルクとは私のことよ! この私が相手をしてあげるのだから感謝しなさい!」

 

 艤装に標準搭載された機銃を艦載機群に向けて撃ち込む。

 無論、こんなものは大して効かないだろう。それでも、敵の注意を引きつけられればそれでよかった。

 突然反撃してきたこちらに対し、敵は僅かに戸惑いを見せたようだった。そこに全力で攻撃を仕掛ける。敵の意識が筑摩たちに向かえばおしまいだった。

 

「……なら、こいつはどう!?」

 

 遠方に見える艦載機たちの母艦――空母ヲ級目掛けて、主砲を構える。かなり距離はあるが、十分狙える位置だった。

 

「Feuer!」

 

 轟音と共に放たれた一撃は、寸分違わずヲ級に命中した。

 敵の動揺が更に広がる。しかし、今度の動揺は先程のものとは性質が異なる。どうするか、という動揺ではない。予想外の出来事にただうろたえているという感じがした。

 その隙に偵察機を飛ばし、弾着観測射撃の準備を整える。

 

「こんなものかしら。それなら私一人で貴方たちを壊滅してあげるわよ!」

 

 主砲の装填を進めながら敵部隊への距離を詰める。そんなこちらの動きを見て、ようやく敵はこちらに狙いを定めたようだった。

 敵艦載機が殺到してくる。こちらの対空能力がさほど高くないと見たのかもしれない。次々と艦爆隊によって爆弾が投下される。

 どうにか避け続けようとするが、戦艦は駆逐艦ほど小回りが効かない。一つ、二つと命中し、ダメージが蓄積されていく。

 こちらも対空戦は諦めて、敵空母を少しでも減らそうと砲撃に集中した。

 空母たちを次々と沈めていくが――さすがに数が違い過ぎる。すぐに、こちらの限界が先に来た。

 爆弾が主砲に命中し、砲撃が不可能になる。

 こうなると、後は少しでも粘りながら逃げ回るしかない。

 

「……参ったわね。結局、今回もこうなるわけか」

 

 だが悔いはない。今回はただやられるわけではなかった。筑摩と龍驤を逃がすことができた。そういう意味では既に勝利しているようなものだ。

 真上を見る。大きな爆弾が落ちてくるのが見えた。

 

 ……ああ、ここまでか。

 

 あれは避けられそうにない。

 この艦隊は居心地も良かったし、もっといたかったが――ままならないものだ。

 

「――勝手はさせません!」

 

 そのとき、聞き覚えのある声がして、爆弾が空中で大爆発を起こすのが見えた。

 誰かが爆弾に砲撃を叩きこんだのだ。

 声のした方を見る。そこには、撤退したはずの榛名と雪風、そして筑摩たちの姿があった。

 

「ビスマルクさん、今です。逃げますよ!」

 

 榛名がこちらにやって来て、私の身体を抱きかかえた。突然のことに、何とコメントすればいいか分からなくなる。

 

「対空戦はうちと雪風に任しとき!」

「任されました! しっかりお守りします!」

 

 入れ替わるように龍驤と雪風が前に出て応戦を始める。

 

「……な、なんで?」

「報告には島風ちゃんに行ってもらいました。『私一人の方が速いし、あっちについていった方が良いよ』って。通信しようとしたんですが、ジャミングされていたみたいで連絡がつかず……」

 

 そう言いながら、榛名は私の額にデコピンをしてきた。

 

「駄目ですよ、ビスマルクさん。命を粗末にしては。命は一つしかないんですから。本当にどうしようもないくらい追い詰められたとき以外は、投げ出してはいけません」

「……結構、追い詰められてたのよ」

「そうかもしれませんけど、それでも駄目です」

 

 榛名の言葉は、理屈ではないようだった。こうなると抵抗しても仕方がない。

 龍驤と雪風の奮戦のおかげか、敵はこちらを追うのを諦めたようだった。

 

「敵根拠地のことは早めに伝えた方が良いと思いますが、まずはどこかで休憩しましょう。このまま戻ろうとしても体力が持ちませんし」

 

 筑摩の提案で、近くに見えた小島に上がることになった。

 敵地に近いということもあって多少の不安はあったが、強行軍を続けるだけの余力は残っていなかった。

 浜辺に上陸し、艤装を外して一息つく。

 

「榛名、ありがとう」

 

 状況が落ち着いたので、改めて礼を言っておいた。

 

「あのままだと私はまだ沈んでいた。それでもいいかと思ってしまったけど――こうして助かってまた会えたことを嬉しく思うわ」

「私もです。島風ちゃんの提案のおかげですね」

「ええ。後で会ったら島風にもお礼を言っておくことにするわ」

 

 礼を言ったことでスッキリしたからか、急に眠気が襲ってきた。

 

「悪いけど、少し休ませてもらうわね」

「ええ。……実は榛名たちも強行軍を続けてきたので少々ヘトヘトで。皆、少し休みましょうか」

「異議なしです」

「うちも賛成や」

「私は多少余力があるので、見張りをしておきますね」

 

 浜辺に横たわり夜空を見上げる。

 静かな空というのも悪くはない。仲間と一緒に見上げる空なら尚更だ。

 そんなことを思いながら、意識が沈んでいくのを感じた。

 

 

 

 

「……そう。増援部隊は一通り掃討できたのね」

 

 通信機越しの報告を受けて、傍に立つ島風を見た。

 

「助かったわ。島風の報告が遅れていたら、こちらの被害はもっと増えていたかもしれない」

「でしょー? でも、母艦の方は大丈夫なの、叢雲」

「船自体は駄目だったみたいだけど、乗ってた子たちは退避して他の艦隊と合流したみたいね。……ただ、利根たちだけ連絡がつかないのが気がかりだけど」

 

 明石の話ではナギやナミを連れて逃げたそうなので、ジャミングが効いていた間に通信機の有効範囲外に逃げたのかもしれない。

 

「こちらは一段落つきましたけど、これからどうしましょうか」

 

 青葉の問いかけに考えを巡らせる。休みを挟みたいところだが、ここで動いておかないと状況を変えられずまた後手に回ることになりそうだった。

 

「……部隊の再編を急ぎましょう。それと並行で榛名や利根たちの捜索を。何か情報を掴んでるかもしれないわ」

 

 これだけの軍勢なら必ず敵も拠点を構えているはずだ。

 そこを叩いて――この戦いを終わらせる。



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第二十条「大事なのは行いではなくそこで得たものである」

 まどろみから覚めると、筑摩が一人遠くを見ていた。

 まだ陽は昇っていない。辺りは薄暗かった。

 

「……あら、ビスマルクさん。お目覚めですか」

「ええ。筑摩も少し休んだら? 見張りなら私が交代するわよ」

 

 海は静かだった。波の音だけが聞こえてくる。

 筑摩はこちらの言葉が聞こえているのかいないのか、じっと彼方に目を向けていた。

 

「どうかした?」

「……いえ。そうですね、見張りの交代、お願いできますか」

 

 言いながら、筑摩は艤装を身に着けていく。どう見ても休もうとしている様子ではない。

 

「どこか行くの?」

「はい。ちょっと利根姉さんを迎えに」

「利根? 近くまで来ているの?」

 

 筑摩は偵察機を持っていなかった。おそらく見張りのために飛ばしているのだろう。

 その偵察機が利根を見つけたのかもしれないが――なぜこんなところに利根が来ているのかという疑問が残る。

 こちらを探しに来たという可能性もなくはないが、利根は確かショートランド島の子どもたちを任されていたはずだ。

 

「……」

 

 筑摩は表情を硬くしたまま答えない。何か嫌な予感がした。

 

「……分かったわ。けど一人で行くのは危険よ。私も同行するわ」

「ですが、それでは見張りが……」

「見張りなら誰か起こして頼めばいいじゃない。こういう状況なんだから」

「もう起きとるで」

 

 暗がりの中、龍驤がむっくりと身体を起こした。

 

「榛名と雪風は全速力でこっち追いかけてきたみたいだし、まだ疲れとると思う。見張りはうちがやっとくから、二人は利根を探しに行ってきたらええ」

 

 龍驤も疲労は溜まっているはずだが、その気配はおくびにも出さなかった。

 

「すみません、龍驤さん。それではビスマルクさん、一緒に来ていただけますか」

「ええ」

 

 手早く準備を済ませる。先の戦いで艤装はそれなりの損傷を被ったが、まだ自力航行や戦闘は可能だった。

 榛名たちを起こさないよう静かに島を離れる。

 

「けど、利根はなぜこんなところに……?」

「……おそらく、母艦に何かあったのだと思います。敵の増援部隊の襲撃を受けて逃げてきた、というところではないでしょうか」

 

 筑摩の言葉で不安が募る。

 島風は間に合わなかったのだろうか。

 他の皆は無事なのか。

 ここでうろたえたところで仕方ないというのは分かっているが、それでも心中ざわつくのは抑えられなかった。

 筑摩の先導に従ってしばらく夜の海を進む。やがて筑摩のものと思しき偵察機の音が聞こえてきた。

 

「もう近いのかしら」

「ええ。そろそろ視認できる距離になります」

 

 筑摩の言葉通り、前方にぼんやりと人影らしきものが見えた。おそらく利根だろう。

 いろいろとあったが、何だかんだで無事だと分かるとほっとする。

 しかし、その安堵は近づくにつれて少しずつ打ち消されていった。

 徐々にはっきりとしてきた利根の姿は、決して無事とは言い難いものだった。

 衣服はあちこちズタズタになっており、そこかしこに流血の痕が残っている。

 艤装は酷くボロボロで、海の上で立っているのは不思議なくらいの損傷を受けていた。

 

「利根姉さん……!」

 

 溜まりかねたのか、筑摩が速度を上げた。こちらもその後に続く。

 利根はじっと何かを抱きかかえたまま俯いていた。

 それはがあのとき部屋にいた子どもたちだと分かるのに時間を要したのは――それだけ利根が二人をがっちりと抱きかかえていたからだ。

 

「利根!」

 

 駆け寄って呼びかけてみるが、三人とも反応しなかった。

 

「利根姉さん」

 

 筑摩は呼びかけながら利根の腕に手を添える。

 少しずつその腕を解きながら、子どもたちの身体を受け取っていた。

 

「……大丈夫。二人とも無事です」

 

 筑摩から二人を受け取る。あちこちに血の跡があるが、子どもたち自身の傷らしきものは見当たらなかった。呼吸もしている。脈拍も安定している。今はただ眠っているだけのようだ。

 おそらく利根は、二人を守るために死に物狂いで戦ったのだろう。そうでなければこの状況は説明がつかなかった。

 

「利根姉さんも、息はあります」

 

 筑摩がゆっくりと利根の身体を抱きかかえる。

 小柄な身体だ。二人の子どもを守るには小さ過ぎる。

 それでも、利根は守り切った。

 

「……急いで島に戻って手当てしましょう」

「はい。……絶対、利根姉さんを助けてみせます」

 

 同感だった。

 あれだけ嫌な奴だと思っていたのに――今は不思議と敬意を表したくなっている。

 

 

 

 提督と仁兵衛が難しい顔をして何か話し合っている。

 作戦のことか、それとも今後のことか。

 北太平洋戦線は、ピーコック島に出現した離島棲鬼の存在によって膠着状態に陥りつつあった。

 これまで発見報告のなかった新種の個体である。

 以前ソロモン海に出現した飛行場姫と同様、陸地に拠点を設けて指揮を執るタイプの個体らしかった。

 敵戦力がどの程度か正確に掴めていないということもあり、各拠点の提督は皆慎重論に寄りつつあった。

 元々この作戦に乗り気でなかった者が多かった、というのも影響しているらしい。大本営は攻略を急げと言っているようだったが、主に横須賀の三浦剛臣とトラックの毛利仁兵衛が突っぱねているらしい。二人は比較的やる気を持っている方だったが、それでも現状の士気を鑑みて、急ぐのは無理だと判断しているようだった。

 

「……長門」

 

 腕をくいと引っ張られる。振り返ると、そこには康奈と加賀がいた。

 

「どうした、二人とも」

「いえ……康奈が落ち着かないというものだから」

 

 加賀はどうも康奈に弱いところがあるようだった。

 康奈は物静かだが意外と強情で、こうと言ったら引かないところがある。それに加賀は押し切られてしまうのだろう。後輩の空母には先達として厳しい一面を見せる加賀だが、本質的には優しい性格の持ち主だ。

 

「先生は?」

 

 康奈が先生と呼んでいるのは提督のことだ。当初は名前で呼んでいたが、保護者を名前で呼び捨てにするのはいかがなものかということで、別の呼び名を検討した結果、これに落ち着いた。提督もときどき学校で艦娘や康奈に教鞭を取っているから、そこから取ってきた呼び方なのかもしれない。

 

「まだ話し込んでいるようだ。今は邪魔しない方が良いだろう」

 

 仁兵衛と話し込む提督の表情は険しいものだった。今後のことを話しているのかもしれない。だとすれば、まだ康奈には聞かれたくないだろう。

 康奈は提督たちの様子を見て、残念そうに溜息をついた。

 

「どうした、提督に何か用でもあったのか?」

「用……と言えば用なのかもしれないけど」

 

 康奈は提督からこちらに視線を切り替えてきた。この子の眼差しは不思議と力強さを感じさせる。急に視線を向けられると少したじろいでしまう。

 

「どうした?」

「長門。先生は……私に提督になって欲しいと思ってるのかな」

 

 答え難いことを直球で聞いてくるものだ。加賀が困った表情を浮かべている。どうやら同じ質問を喰らったらしい。

 

「……なぜ、そんなことを?」

「ここに来て、いろいろな人に引き合わされた。もし君が提督になるなら助けになってくれるって。けど、そういうことを言いながら先生は一度も提督になれって言わない。先生が何を考えているのかが――分からない」

 

 分からないのは怖い、と康奈は不安を吐露した。

 頼れる者が他にないからだろう。この子にとっては提督や泊地が拠り所になっている。

 しかし、そんな相手の考えが分からないというのは――確かに怖いものなのかもしれない。

 提督はそういうところで鈍いから、康奈の心情は伝わっていないのかもしれない。折を見て言っておいた方が良さそうだった。

 ただ、今問題なのは目の前にいる康奈だ。

 

「……これはあくまで私個人の印象だが、提督が康奈に望んでいるのはそういうことではないのではないかな」

「でも、先生は私に提督になる資質があるから引き取ったんでしょう?」

「それは建前だ。いや、建前ではないかもしれないが――所詮きっかけの一つに過ぎないと思う。提督は康奈にこう言っていないか。君には君が望む道を選んでほしいと」

「……それは、言われているけど」

「康奈に何かやりたいことができたら、そのときはその道を行けばいい。それが提督の本当の願いだと思う。……もしかするとそういうことを言ってられない状況になるかもしれないが、提督の本心はそこにあるだろうと私は思う」

「私にもやりたいことはある。けど、それを言ったら先生は笑って取り合ってくれなかった」

 

 康奈が頭を振りながら不満げに言った。

 

「……やりたいことがあるのか。それは?」

「先生を助けたい」

 

 曇りのない真っ直ぐな瞳だ。その言葉には余計なものが感じられない。

 きっと、本心からそう思っているのだろう。

 

「……それは立派な心掛けだと思うが、引き取ってもらった恩返しとかではないだろうな。そういう理由だとしたら、提督は絶対に断ると思う」

「恩義とか、そういうのはよく分からないけど。先生はいつも大変そうにしているから、どうにかしてあげたい。そう思うのは――そんなにおかしいことかな」

 

 おかしいことではない。

 むしろ、真っ当過ぎるほどに真っ当だ。

 

「……けど、あの人はそういう理由で差し伸べられた手は取らないでしょう」

 

 加賀がぼそりと言った。

 

「なんで?」

 

 康奈が不思議そうに尋ねる。

 加賀の言わんとしていることは分かる。おそらく康奈には――言ってもまだ分からないだろう。

 

「康奈。大人というのは――子どもの前では格好をつけたがるものだ」

「……?」

 

 案の定、康奈は怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「大変そうだから助けたい。そう言われても、大丈夫だと言ってしまいたくなるものなのよ」

 

 加賀がフォローしてくれた。彼女も提督の心情は理解しているのだろう。

 

「……大丈夫じゃなくても、それでも格好をつけたくなるの?」

「ああ。むしろ、大丈夫じゃないときほど無理して格好をつけたくなる」

 

 提督を見た。

 髪の毛は真っ白になり、四肢も一部を失い、身体は痩せ細っている。

 ただ巻き込まれただけなのに、文句も言わず、弱音も吐かず、今日まで無理を通してきた。

 

「……そういう見栄や意地があるからこそ、提督はここまで来られた。並大抵ではないよ、あの人の格好つけは」

 

 提督がこちらに気づいたらしく、笑って手を振ってきた。

 いろいろと苦悩を抱えているはずなのだが――それを一切感じさせない振る舞いだった。

 

 

 

 赤い泥溜まりの中に浸かっていた。

 身体が重い。泥の中に沈んでいくような感覚がする。

 鼻腔に刺さる臭いがした。この赤いのは血だ。血の中に自分はいる。

 抜け出そうともがくが、動けば動くほど落ちていく感じがした。

 次第に全身が泥の中に埋もれていき、まともに呼吸ができなくなっていく。

 苦しい。

 辛い。

 こんなところからはさっさと出たい。

 しかし、足元から誰かが囁く。

 

「出られると思っておるのか?」

 

 そこには、血塗れになった忌まわしい自分の姿があった。

 

「抗う力を失くした者どもを手にかけた。そのときからお主はこの泥の中の住民よ」

「……違う。あれはそういう命令が出ていたから、それに従ったまでじゃ」

「捕虜を上陸させよとの通達も出ておったろうが」

「それが有効な命令であるという保証はなかった。より有効と思われる命令に従っただけじゃ」

「救える手もあったが、お主は保身のためにその手を伸ばさなかった。何がより有効な命令に従った、じゃ。後々命令違反で罰される可能性が低い方を選んだだけではないか」

「違う、違う、違う! 己の保身だけであんなことをするものか。吾輩は、あんな――」

「――哀れよな」

 

 足首を掴んでいた自分の姿が崩れていく。

 誰のものとも分からぬ顔になっていく。それが、あのときの人々の顔に見えてきた。

 

「お主のことではない。こんなお主のせいで命を落とした――あの者どもが、我々が、嗚呼、哀れで哀れで哀れで――」

 

 ごぼごぼと口元から血を噴きこぼしながら、その何かは嘆きの言葉を紡いでいく。

 

「嗚呼――本当、もうどうしていいか分からなくなる」

 

 その瞬間、目の前が真っ暗になった。

 

「……大丈夫ですか、利根姉さん」

 

 気づいたときには、筑摩がこちらを覗き込んでいた。

 身体のあちこちが痛い。相変わらず血の臭いが漂っているが、泥の中ではないようだった。

 

「夢か」

「かなり、うなされていましたよ」

「左様か」

 

 それ以上は言葉が出てこなかった。

 こうした夢を見るのは初めてではない。艦娘として生を受けてから、何度もこの悪夢の中に落ちている。

 だが、何度経験しても慣れるようなものではない。この悪夢から覚めた後は酷い脱力感に襲われる。全身が重くなり、何もしたくなくなる。会話すら億劫だった。

 

「……筑摩」

 

 ただ、今はそれでも一つだけ確認しておきたいことがあった。

 

「二人なら無事ですよ。ほら、そこに」

 

 筑摩が指し示した方に顔を向けると、呑気な顔をして眠りこけている小憎らしい顔が二つあった。

 

「怪我もしていません。利根姉さんも起きたことだし、もうすぐ目を覚ますと思いますよ」

「……左様か」

 

 今度こそ、身体中の力が抜けた。

 ここがどこかは知らないが、もう当面は動きたくない。

 目を閉じて心身を休ませる。眠っているのか起きているのか曖昧な感覚のまま、そうやってしばらく過ごしていた。

 再び目を開けると、筑摩は姿を消していた。隣で寝ていたはずのナギとナミもいない。

 ただ、金髪の戦艦娘の姿があった。

 

「気がついたみたいね」

「……筑摩たちは?」

「向こうで本隊と連絡を取っているところよ。ナギたちは榛名たちと一緒に食べられそうなものがないか探しに行ってるわ」

「そうか」

 

 ゆっくりと上体を起こす。まだあちこち痛むが、動くことはできそうだった。

 

「悪かったわ」

 

 ビスマルクが突然謝罪の言葉を口にした。

 いきなりのことで、どう反応すればいいか分からない。

 

「貴方のことを誤解していたみたい。子どもたちのためにあそこまで尽力できる艦娘だとは思っていなかった」

「……自己中心的で協調性のない艦娘だと思っておったか。だとすれば、別段間違いではない」

 

 ナギたちを守るために奮闘したのは、あれも一種の戦いだと思ったからだ。

 戦うこと以外に能がない。それが今の自分のすべてである。

 

「間違いではないかもしれないけど、最初からそうだったとは思わない。……何かあったのよね」

「……」

 

 黙ってやり過ごそうと思ったが、ビスマルクはじっとこちらを睨み据えていた。

 誤魔化すのは許さない、と言われているような感じがする。

 

「かつて、ビハール号事件と呼ばれる事件があった。大戦が始まる前に沈んでいたお主が知っているかは分からぬがな」

「大戦中に起きた出来事ということかしら」

「そうじゃ。当時吾輩は筑摩や青葉たちと共にサ号作戦と呼ばれる通商破壊作戦に従事しておった。……この通商破壊作戦は、人的資源の漸減も目的に含まれておってな」

 

 ビスマルクの表情が微かに曇った。通商破壊作戦にて人的資源を殲滅すべし。その方針は当時の海軍上層部が出したものだが、方針決定にあたってビスマルクの母国が与えた影響は大きい。ビスマルク自身が何かしたというわけではないが――あの事件と完全に無関係というわけでもない。もしかすると、ビスマルクはそのことを察したのかもしれなかった。

 

「捕虜は皆殺しにしろ……ということ?」

「吾輩はビハール号という英国商船を撃沈し、生存者を捕虜として収容した。……吾輩に乗っていた者たちも、吾輩が属していた戦隊の者たちも、その大半は殺したくなどなかったというのが本心だったろうよ。実際、捕虜をどうにか生かしておけないかと尽力していた者もおった。じゃが、上手くいかなかった」

 

 それは、深夜の甲板上で行われた。

 遺体は海中に投棄されたが――あのとき流れた血は、軍艦利根に染みついたまま離れなかった。

 誰かの血が染みついた軍艦というのは珍しくない。それが戦場を駆る艦の宿命だ。

 しかし、あれは一方的な行為だった。

 戦いというものは、どういう状況であれ、互いにやるかやられるかという点では公平である。軍艦として生まれた以上、それを否定するつもりはない。しかし、あの出来事は断じて戦いというものではなかった。大局的な戦いの一部ではあったかもしれないが――あれを肯定することはできない。

 

「……艦娘として生まれてからも、あの事件のことを思い出す。どうすれば良かったのか自問し続けたが、結局分からずじまいであった。だから吾輩は考えるのを止めた。戦うことだけを考えるようにした。他のことはすべて余計なものだと思って、切り捨てることにしたのじゃ」

 

 それが、協調性がなく、戦うことしか能がない艦娘の成り立ちである。

 

「これで分かったろう。吾輩はろくでもない過去を引きずってる根性なしよ。お主が気にかけるような艦娘ではない」

「そうかしら。確かに貴方の過去は他人に誇れるようなものではないかもしれない。けど、それはあくまで過去よ。今の貴方の在り様まで否定するものではないと思うけれど」

 

 ビスマルクは笑った。初めて見る、少し優しそうな笑みだった。

 その視線を追うと、こちらに駆け寄ってくるナギとナミの姿があった。

 

「――利根さん!」

 

 二人揃って飛び込んでくる。危うく受け止め損ねて倒れるところだった。

 

「良かった、目を覚ましたんだ!」

「私たちのせいで利根さんが死んじゃったんじゃないかって……」

 

 ナミは少し涙ぐんでいた。どうやら心配させてしまったらしい。

 

「……安心するが良い。吾輩は生きておる」

「だから言ったじゃん、大丈夫だって。ナミは心配性だな」

 

 ナギが声を震わせながら強がりを言った。

 

「利根。少なくとも、今の貴方はこの二人の命を救ったわ。それで貴方の過去が消えるわけではないけど――私は、それだけで十分貴方を仲間として認められる」

 

 なぜだろう。

 これまでは、誰とも関わり合いたくないと思っていたからか、その手の言葉は鬱陶しいとしか思えなかった。

 しかし、今は不思議と悪い気がしない。

 ナギたちと接しているうちに、自分の中の何かが変えられたのだろうか。

 

「……ふん。単純な奴じゃな」

「貴方は難しく考え過ぎなのよ。子どものために命を張れる人に、悪い人はいないわ」

「命を張るなどと、そんな大層なことをしたつもりはない」

 

 ナミの頭を撫でてやる。

 そう。これはそんな大層なことではない。

「子どもの前で、格好をつけたくなった。――それだけのことじゃ」

 

 

 

 叢雲から指輪を通して報告があった。

 

『ええ。ナギとナミは無事よ。利根が頑張ってくれたみたい。その利根も無事。榛名たちと合流していたところを発見したわ』

「そうか。それは良かった。……本当に、良かった」

 

 前回の報告では、母艦が襲撃を受けて利根たちが行方不明になった、というところまでしか分かっていなかった。

 ナギたちは私にとって恩人でもある。もし何かあったらと思うと気が気ではなかった。

 榛名たちの報告により、インドネシア方面の戦線も敵根拠地を発見したらしい。これから各拠点の部隊と合同で攻めかかるとのことだった。

 

『そっちはどう?』

「仁兵衛の立案した作戦が順調に進んでる。うちからは大和や武蔵たちも出ているが、特に大きな被害はない。もうじき決着になりそうだ」

 

 仁兵衛は、この状態でピーコック島の離島棲鬼に直接挑むのは得策ではないとして、周囲の敵戦力の漸減から取り掛かった。それによってピーコック島は孤立する形となった。その後のこちらの襲撃で離島棲鬼も弱体化しつつある。

 

「大本営としてはこのまま余勢を駆ってMI/AL方面まで手中に収めたいようだったけど、それは一旦見送りになりそうだ。厭戦気分が蔓延している」

 

 正直なところ、私も早くショートランドに戻りたかった。この遠征の意義が今一つ見えてこないからだ。

 今、北太平洋の制海権を獲得する意味はあるのか。意味があったとして、果たして維持できるのか。そういう疑問が頭から離れないのだ。

 

『こっちも決着までさほどかからないと思う。敵戦力は大分減らせたし、他に増援が控えている様子もないもの』

「油断はしないようにな。……ああ、それと利根に言伝を頼む」

 

 勝利に貢献したわけではないが、利根は大きな仕事を果たしてくれた。

 だから、何かを伝えておきたかったのだ。

 

『……分かった、そう言えばいいのね』

「よろしく頼む。……またショートランドで」

 

 そこで念話を打ち切った。微かに霊力のパスが残っていて、妙な名残惜しさを感じさせる。

 

「インドネシア戦線も片が付きそうか」

 

 隣で戦況を確認していた仁兵衛が、顔をこちらに向けてきた。

 

「さっき相談を受けた件だが、僕なりに少し考えてみた。新八郎は、やはり一度康奈君と話をしてみるべきだと思う。格好をつけるのはそろそろ止めて、素直に現状を伝えてみることだ」

「……それしかないか、やっぱり」

「艦娘の数を減らすという選択肢はない。ソロモン海の制海権維持のためには多くの艦娘が必要。そう考えたからこそ、新八郎も新たに契約を結び続けてきたんだろう。だったらある程度康奈君の力を借りるしかないと思う。というか、僕は最初からそのつもりであの子を君に預けたわけだしな」

 

 仁兵衛の言葉は付け入る隙がない。感情を排して考えるなら、やはり康奈にすべてを託すべきなのだろうか。

 

「……全部をあの子に押しつけたくないと言うなら、両統体制でも築けばいいんじゃないか」

「両統体制?」

「新八郎と康奈君の二人が、提督としてショートランド泊地の指揮を執るんだ。大本営はもしかしたら反対するかもしれないが、新八郎は康奈君の後見人でもあるんだ。別段おかしなことではない」

「確かに、すべてをあの子に押しつけるよりはマシだろうが……」

 

 それでも、何か妥協したみたいで。

 言い訳をしながら子どもに重荷を背負わせるようなことになりそうで――嫌な気分だった。

 

「新八郎」

「ん?」

「僕は、お前に提督を続けて欲しいと思っている。ずっと無理をし続けてきたお前にこんなことを言うのは残酷かもしれないが、どんな形でもいいから残っていて欲しい。自覚はないだろうけど――新八郎には霊力などよりもっと大事な資質が備わっているからな」

「買い被りだろう、それは」

「お前自身はそう受け取っておくくらいで丁度いい」

 

 仁兵衛はおかしそうな笑みを浮かべた。

 

「お前に潰れられても、ショートランドに潰れられても困る。そういう意味では両統体制案が僕にとって一番都合がいい。……考えておいてくれないか」

「……分かった。検討はしてみる」

 

 一人で考え続けるのは、もう限界なのかもしれない。

 母艦に戻ったら、一度康奈に話をしてみよう。他の皆も交えて――今後のことを決めていかねばならない。

 

 

 

 敵の新型――港湾棲姫と名付けられた個体との戦いは順調に進んでいた。

 もっとも、先の戦いで艤装にダメージを負った自分たちは戦線に出られず、待機を命じられている。

 戦況はこちらが圧倒的に有利だった。敵は戦力の大部分を先日の攻勢で使い切ってしまったらしい。

 こちらも相応の被害は受けたが、残った戦力の差は大きかった。

 

「あら、利根。こっちに来てたのね」

 

 どこからか戻ってきた叢雲が珍しそうに言った。

 ここはリンガの母艦の司令室である。一応ナギたち用に部屋を割り当ててもらったのだが、部屋にこもっているとナギたちが落ち着かないようだったので、司令室まで出てきたのだ。

 周囲にはショートランドやリンガの艦娘たちが大勢いる。以前はこういう集団の中にいると居心地の悪さを感じたものだが、今は若干それが薄らいでいた。

 

「提督と話しておったのか」

「ええ。なんで分かるの?」

「どことなく機嫌が良さそうじゃったからな」

「……そんなことないけど?」

 

 叢雲は若干気恥ずかしそうに目を逸らす。

 

「そうそう。あいつから利根に伝言を預かってるわよ」

「提督から?」

「ええ。――『二人を助けてくれてありがとう。利根がいてくれて良かった。これからもよろしく頼む』って」

 

 生真面目な顔で語る提督の姿が脳裏に浮かぶ。

 

「……そうか。吾輩がいてくれて良かった、か」

 

 噛み締めるようにその言葉を口にする。

 なら、自分はまだここにいるとしよう。

 過去を吹っ切れたわけではない。きちんと向き合えているわけでもない。

 それでも、居場所があるなら――ここで踏み止まれる。

 

「叢雲」

「ん?」

「今までいろいろと、すまんな」

 

 今はそう口にするのが精一杯だったが、少しずつ変わっていきたいという願いは確かにある。

 いつか、格好つけではなく本当に格好いい大人に――己の行いを誇れるような艦娘になるために。

 新しい一歩を踏み出そうと、密かに誓った。



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最終章「AL作戦/MI作戦」
第二十一条(1)「言葉に意味を与えられる者になれ」


 浜辺に小さな人影が見えた。

 このまま海の中に消えてしまうのではないか――そんな風に思えてしまうほど、小さくて儚げな影だ。

 

「新八郎」

 

 声をかけると、その人影はこちらに顔を向けた。

 

「叢雲か。どうしたんだ、こんな夜更けに」

「それはこっちの台詞よ。一人でこんなところに来て」

 

 新八郎は、春先から更に痩せ細っていた。

 体力も落ちて、杖をついて歩くことも難しくなっている。そのため最近は車椅子で生活するようになっていた。

 普段は康奈が側についているのだが、今はいなかった。おそらく康奈が寝ている隙にこっそりと出てきたのだろう。

 

「今までのことを振り返りながら、いろいろと書いていた。部屋でやっても良かったんだが、ものを書く音というのは意外と静かな場所ではうるさく感じる。康奈を起こしてしまっては悪いからね」

 

 新八郎の膝の上には大量の文字が書き連ねられたノートがあった。

 

「見ていい?」

「ああ、いいよ」

 

 ノートには、この泊地が発足してから今日に至るまでの出来事と、所属する艦娘一人一人のことが記載されていた。

 

「記録を残しておこうと思ったんだ」

「記録?」

「ああ。くだらないことかもしれないが――いつかこの泊地がなくなったとしても、ここに皆がいたということを、忘れて欲しくないと思ってね。感傷と言えば感傷だが」

 

 艦娘については、プライベートに抵触しない範囲でこれまでの事績と人柄について記載されていた。新八郎はデスクワークが多く、比較的接する機会の少ない艦娘もいたはずだが、そういった子たちについてもよくまとめられている。

 

「ま、後は康奈の参考になれば……という意図もある」

「直接アンタが教えてあげればいいじゃない」

「聞かれれば答えるが、いつでも答えられるわけではないからなあ」

 

 新八郎は、春先の作戦の後で康奈と何度も話し合い、提督としての権限を一部譲渡することにしたらしい。

 ただ、譲渡自体はまだ行われていない。提督権限の譲渡はされる側に多大な負担がかかるので、なるべく負荷をかけずに譲渡できるよう霊力の制御方法を学習しているのだそうだ。

 そのために何度か本土からお富士さんというお婆さんが訪れている。お富士さんは霊力の制御に長けているそうで、新八郎や康奈の健康状態もチェックしてくれているようだった。

 そのお富士さん曰く、このままだと新八郎は九月頃に危険な状態になるらしい。新八郎の霊力でカバーしきれないくらいの艦娘と契約しているせいで、新八郎の霊魂が壊れてしまっているからだそうだ。最近ますます痩せているのもそのせいだという。

 

「……康奈は良いって言ってるんだし、早めに譲渡した方が良いんじゃないの。お富士さんも時間がないって言ってたし」

「まあ、そうかもしれないんだがな。もう少しでこうコツが掴めそうな気がするんだ」

「同じセリフを一週間前にも聞いた気がするんだけど」

「そうだっけ?」

 

 まいったな、と新八郎は困ったように笑う。

 そんな新八郎が今にも消えてなくなりそうで、こちらとしては落ち着かないものがあった。

 

「AL/MI作戦が無事終わったら、その頃には譲渡するよ」

 

 新八郎が口にしたのは、春先に行われた大規模作戦の続きとなる作戦のことだ。

 北太平洋の制海権を確保するため、AL方面とMI方面を同時に攻略する。かつてない規模の艦娘を投入する最大規模の作戦になるそうだ。大本営はこの作戦にかなり本腰を入れているらしい。

 もしかすると、新八郎が康奈に権限を譲渡しないのはこの作戦のせいなのかもしれなかった。

 大規模作戦を前に提督が替わるとなると、どうしても影響が出てしまう。新八郎はその点を懸念しているのかもしれない。

 

「次の作戦は、どうにも嫌な感じがする」

「嫌な感じ?」

「元々俺はこの戦いにあまり乗り気じゃないからそう映ってしまうのかもしれないけど……」

 

 新八郎の一人称が『俺』になった。建前ではなく本音を話そうとしているのだろう。

 

「大本営は北太平洋になぜこうも執着しようとしているのか。深海棲艦に立ち向かえる力を保持していることを利用して、何か他の国に対して優位に立とうとしているんじゃないか、という感じがする。国としてそういう欲を持つこと自体は否定しないが――欲に目がくらむと人間はどうしても物事を見落としがちになる」

「何か、大本営が失念してるってこと?」

「戦力の投入の仕方が過剰に感じるんだ。敵勢力を叩き潰すのに十分な戦力を向けるのは良いんだが……それで守りが疎かになるのはどうにも良くないと思う。深海棲艦がその隙を突いて本土を急襲したらどうするつもりなんだろうか」

「……乾坤一擲の大勝負のつもりなのかもしれないわね」

「そうする必要性が見えてくるなら俺もとやかく言わないさ。……ただ、今回はそこまでやるような作戦に思えない。北太平洋なんて確保したところで維持できると思えないんだよ」

 

 新八郎の言うことはもっともだった。おそらく他の提督の中にも同様の懸念を抱いているものはいるはずだ。大本営は、そういった意見を黙殺するつもりなのだろうか。

 

「そもそもの話、俺たちは深海棲艦についてよく分かっていない。敵の目的も分からず思考も読めないまま、こんな大博打に出るというのは――些か楽観的過ぎる気がする」

 

 新八郎の目が鋭くなった。視線の先には静かな夜の海が広がっている。新八郎には、その光景がどう映っているのだろうか。

 

「……けど、もう決まっちゃったんでしょ。それなら、できる範囲でやるしかないんじゃない?」

「そうだな。俺単独で臨む最後の作戦だ、あまりぐちぐち言わずにやれることを頑張っていくしかない」

 

 康奈に提督権限を譲渡した後、新八郎はしばらく治療に入る。その後十分に治療ができたら再び提督に戻ることになっていた。二人の提督で泊地を切り盛りする形になる。

 

「そうだ、叢雲」

「なに?」

「この作戦が終わって康奈に提督権限を譲渡したら、俺はしばらくここを離れることになる。その前にせっかくだから祭りをしたいと思うんだが、どうだろう」

「祭り?」

「もうじき一年になるからな。一周年記念の祭りだよ」

 

 ああ、と思い至る。

 この泊地が発足したのは昨年の八月の終わり頃だ。もうすぐ一年になるのか――と今更気づく。

 

「いいんじゃない? けどうちにそんな余裕あるの? 大淀がまた泣くわよ」

「お金をかけずともやりようはある。ま、その辺のことは任せてくれ」

 

 新八郎がいたずらっぽく笑った。

 

「そこまで言うなら反対はしないけど。……じゃ、約束ね」

「ああ。約束だ」

 

 二人で指切りをする。

 二〇一四年七月末。

 そのときは、もうすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 泊地の司令室に主だった艦娘たちが勢揃いした。

 集まった者たちの表情には緊張が見え隠れしていた。今度の作戦はかつてない規模のものになるからだ。

 それに、作戦の舞台となる場所が問題だった。AL/MI方面。そこはかつて南雲機動部隊が――私や赤城さんたちがいた部隊が一戦で壊滅した地でもある。

 赤城さんや蒼龍・飛龍たちもいつも以上にピリピリしている。私自身も例外ではない。どこか心が落ち着かない。

 

「……加賀さん、大丈夫?」

 

 側にいた鳳翔さんが心配そうにこちらを覗き込んできた。よほど酷い顔をしていたのだろうか。

 

「大丈夫です。ご心配おかけしてすみません」

「いえ、いいのよ。ただ、あんまり力み過ぎないようにね」

 

 鳳翔さんに言われて、少し楽になったような気がした。すべての空母の母とも称される彼女は、艤装の性能によらない不思議な力を持っているような気がする。一緒にいると心が安らぐのだ。

 そのとき、車椅子に乗った提督が司令室にやって来た。車椅子を押しているのは康奈だ。二人は後見人と被後見人だが、実際の関係は師匠と弟子のようにも見える。

 

「皆集まっているかな」

 

 提督に言われて周囲を見る。この泊地にいる部隊指揮権を持つ艦娘の大半が揃っていた。一部遠征に出ている軽巡洋艦が不在というくらいだ。

 

「それではAL/MI方面作戦についての編成発表を行う。もし異論があれば遠慮せず言ってくれ」

 

 提督が手にした用紙を見ながら次々と艦娘の名前を読み上げていく。

 AL方面の総指揮官は那智。副官として龍驤がこれを補佐する。その下に扶桑型や伊勢型といった航空戦艦がつき、実戦部隊を牽引する。その下には重巡洋艦や駆逐艦たちがつく。

 一方、MI方面は空母主体の編成が発表された。主要メンバーは赤城さん、私、蒼龍、飛龍、榛名、霧島。この下に水雷戦隊を中心とした護衛部隊が多数つく、という編成内容だった。

 主要メンバーの人選は、以前から私たち自身が提督に希望していたものだ。皆、かつてMI海域で苦汁をなめさせられている。あのときの雪辱を晴らしたいという思いは共通のようだった。

 

「MI方面の総指揮は赤城に任せたい。副官は少し迷ったが……今回は加賀に任せようと思う」

「私、ですか?」

「赤城は一旦戦場に出るとなかなか引かなくなるからな。そういうとき赤城を抑えられるような副官でないと不安だ」

「おや提督、まるでそれでは私が猪突猛進みたいではないですか」

「猪突猛進とは言わんが危ういと思うことはある。お前は場合によっては自分の命を捨ててでも勝利を取ろうとするきらいがある」

 

 即座に返されて、赤城さんも「むう」と押し黙った。

 蒼龍たちや榛名では赤城さんを止めきれないだろうし、霧島はむしろ赤城さんと似た性質の持ち主だ。いざというとき赤城さんを抑える、という理由なら確かに私が適任なのかもしれない。

 

「ま、私も副官が加賀さんという点には異論ありません。他の点についても特に問題はないと思います」

「……そうですね。私としても異論ありません。こちらの要望を聞き入れてくださってありがとうございます」

 

 他の意見もなく、AL/MI作戦の編成はこれで決定となった。司令室にいなかったメンバーへの通達をこれから行い、明朝ここを出立することになる。

 会議の後、どことなく気分が落ち着かなくて、人気を避けるように泊地のはずれの方に足を向けた。

 かつて、赤城さんや私が所属した第一航空戦隊、蒼龍たちが所属した第二航空戦隊は各国から恐れられた最強の機動部隊だった。

 それがたった一度の戦いで壊滅状態に追いやられたのがMI海域で行われた海戦である。

 敵戦力と比較してみても、十分勝ち目のある戦いだった。まずかったのは戦い方だった。どれだけ強かろうと、一手間違えれば簡単に沈んでしまう。それが海の戦だった。

 あの戦いによって日本が受けたダメージは計り知れない。あの戦いで日本の敗北が決定したという意見もあるくらいだ。

 今回の相手は深海棲艦だし、こちらの戦力も以前とは違っている。それでもあの苦い敗北が頭からどうしても消えない。リベンジしたいという思いに偽りはないが、あの海域へ向かうことの恐れも生じている。

 

「こんなところにいたのか」

 

 一人物思いに耽っていると、不意に声をかけられた。

 顔を上げると、そこには提督と康奈の姿があった。

 

「どうかされたのですか」

「今度の作戦が皆にとってどういう意味合いを持っているかは私も知っているからね。出立前に個別に声をかけておこうかと」

 

 今回、提督はどちらの作戦にも参加しない。体調不良が主な理由だ。AL方面は呉の提督が、MI方面は横須賀の三浦提督が全体の総指揮を執ることになっている。

 だから、今のうちにやれることをしておこうと考えているのかもしれない。

 

「私なら大丈夫です」

「そうは見えないが」

 

 こちらの強がりを提督はきっぱりと否定した。

 

「何か困っていることがあれば遠慮なく言って欲しい。無論、どうしても言いたくないというなら無理強いする気はないが」

「……言って解決することだとは思えませんが」

「言うことで楽になることもある」

 

 提督はじっとこちらを見たまま、私の言葉を待っているようだった。

 

「先ほど提督は、赤城さんを『場合によっては勝利のために命を捨てようとするところがある』と評していましたね」

「ああ」

「私も時折そう思うことがあるのです。そして、そんな赤城さんを止められる自信が私にはありません」

 

 赤城さんは常に勝つために最善を尽くそうとしているようなところがある。戦いに臨む以上それは当然だが、赤城さんの場合は些かその傾向が強過ぎる気がした。

 

「提督は赤城さんを抑えることを私に期待されているようですが、私自身それができるかどうか分かりません。何かあったとき赤城さんが無茶をしないよう止めたいとは思っているのですが……。どうしても不安が消えないのです」

「ふむ」

 

 提督は目を閉じて何か考えているようだった。

 

「……不安や緊張というものは嫌な隣人に似ている。消そうとしても消えるものではない。上手く付き合っていくしかないな」

「付き合っていく……ですか」

「見てみぬ振りをしろということではないよ。不安が生じるということには必ず理由がある。そこから目を背けてはいけない。……加賀は赤城を止められる自信がないというが、ではなぜ加賀が止められないくらい赤城は勝ちに固執するのだろう。そこが分かれば不安も多少は和らぐかもしれない。一度、赤城と話をしてみると良いんじゃないかな」

 

 赤城さんが勝利にこだわる理由。推測はできるが、そのことについて話したことは一度もなかった。

 このまま一人で不安を抱え続けるよりは、赤城さんと一度言葉を交わしておくべきかもしれない。

 

「……そうですね。折を見て、声をかけてみようと思います」

「それがいい」

 

 提督はそう言うと、ポケットの中から小さな箱を取り出した。

 

「これも渡しておこう」

 

 箱を開けてみると、中に入っていたのは簡素な作りの指輪だった。以前叢雲がもらっていたものと同じだ。あれから古鷹や北上・大井、潜水艦の子たちも受け取ったと聞いている。

 

「赤城さんではなく私で良いのですか?」

「ああ。この指輪が十分な効力を発揮できるだけの練度になっているのは加賀だけだし、今回の作戦に関しては加賀と連絡を取り合った方がスムーズに話が進められると思う」

 

 指輪を送るという行為には相応の意味があると思うのだが、この人はあくまでこの指輪を道具として見ているようだった。それによって艦娘間で変にギスギスした雰囲気にならないのは良いのだが。

 

「……提督は、きっと行き遅れますね」

「いきなりどうした」

「いえ、なんとなくそう思っただけです」

「行き遅れは嫌だな。私も人並みに結婚願望はあるんだが」

 

 提督は、なぜ突然言われたのかまるで分かってないようだった。首を傾げながら「うーん?」などと唸っている。後ろに控えている康奈も半ば呆れ顔だった。

 

「……この戦いから戻ってきたら、提督に一度女心というものを伝授してあげます」

「え、いや、それは別に……」

「でなければ行き遅れます」

「……分かった。ではよろしく頼む」

 

 提督は不承不承頷くと、すぐに表情を改めた。

 

「必ず皆で戻って来い、加賀。私が望むのは勝利などではない。皆の成長と生還だ」

「ええ、必ず戻ります。提督がここで待っている限り」

「待っているさ。待つことくらいしかできないからな」

 

 提督が笑った。その顔を忘れないようにしようと心に決める。

 きっと、あの海域での戦いは熾烈を極める。追い詰められそうになったとき、この人の顔を思い出せば――勇気が湧いてくるような気がした。

 

 

 

 ショートランドからの出立は特にトラブルもなく済んだ。

 浜辺で見送る提督や叢雲たちに別れを告げてから海路を北上し、トラック泊地で他の艦隊と合流、そこから更に北東へと向かう。

 春先に攻略したピーコック島は、トラック泊地の艦娘たちが守っていた。今回はそこを拠点に北の海域を攻略する。AL方面に向かう龍驤たちとは既に分かれていた。

 赤城さんとはまだ話せていなかった。あの後話そうと赤城さんを探したのだが、見つけられないまま出立の時間を迎えてしまったのである。そこからはずっと作戦行動中ということで、個人的な会話ができる雰囲気ではなかった。

 どこの拠点も考えることは皆同じなのか、今回の作戦でMI方面に向かうメンバーに赤城・加賀・蒼龍・飛龍を入れている艦隊が多かった。どの私たちも、やはりMI方面で起きたあの戦いに対する思いは同じらしい。

 ただ、艦隊全体がそんな調子なので、雰囲気は出立前よりも更にピリピリしたものになっている。

 斥候の報告によれば、この先には敵の大軍が待ち構えているらしい。敵にとってもこの辺りの海域は重要な拠点のようだった。

 

「――先行していた横須賀の赤城隊から連絡がありました。敵艦隊との交戦を開始。相手には見慣れぬ新型の深海棲艦が含まれているとのことです」

 

 指揮官にのみ渡された通信機を手にしながら、赤城さんが戦況を報告した。

 

「新型……また鬼クラスもしくは姫クラスでしょうか」

「暫定的に大本営はこの個体を中間棲姫と名付けたそうです。飛行場姫や港湾棲鬼と同じタイプの陸上型みたいですね。相当タフな相手で横須賀の艦隊も攻めあぐねているようです。私たちも行きましょう」

 

 赤城さんは普段よりも厳しい表情をしているが、指揮は普段と変わりないように思えた。

 進んでいくにつれて、空が赤くなっていくような気がした。不気味な空模様だ。見ていると不安が募ってくる。

 

「加賀さん」

「……何でしょう」

「大丈夫ですよ」

 

 赤城さんは前を向いたまま、こちらを振り返ることなく続けた。

 

「私たちはあのときの失敗を知っている。あのときと同じくらいの力を持っている。味方はあのときよりずっと多い。これだけの条件が揃っているのですから――今度は勝てます」

「……赤城さんは強いですね。私には、そうやって言い切ることはできません」

「そうですか? 私とて今回の戦いには不安を抱いているのですけど」

 

 とてもそうは見えなかった。普段通りの凛とした立ち振る舞いに、勝利を確信したかのような言葉。とても不安があるとは思えなかった。

 

「もしそう見えないのでしたら、それは加賀さんたちのおかげですよ」

「私たちの……ですか?」

「出立前に提督から言われました。これから向かう戦場がどんなところだろうと、お前の側にはいつもと変わらない仲間がいる。そのことを忘れるな、と。加賀さんたちがいなければ、私はもっとうろたえていたと思いますよ」

 

 そういえば提督は皆に声をかけていると言っていた。赤城さんや他の皆のところも回っていたのだろう。

 

「私たちのところにも来ましたよ。帰ったら祭りやるから絶対帰って来いって」

「ご馳走用意するって約束も取り付けてます」

 

 飛龍が得意げに報告してきた。資金面で余裕はなかったはずだが、どうするつもりなのだろう。戦場の真っ只中だというのに、そんなことを考えてしまう。

 

「提督は不思議な人ですね」

 

 赤城さんが感慨深そうに言った。

 

「最初はどうしようもないくらい頼りない人だと思っていました。実際、今も軍事組織の指揮官としては全然頼りになりません。ですが、私はなぜかあの人が提督として不適格だと思えないのです」

「なんとなく分かります。あの人の言葉には妙な力強さがある。それは人間にとっては何でもないものなのかもしれないけど――私たちにとっては得難いものなのでしょう」

 

 話しているうちに、敵艦隊が見えてきた。交戦中の味方艦隊の姿もある。

 中心部には、これまで見たことのない深海棲艦の姿があった。あれが先程話に出てきた中間棲姫なのだろう。

 

「……お喋りはここまでです。各員、戦闘準備!」

「――了解!」

 

 赤城さんの声に応じるように、神通や長良たちが率いる護衛艦隊が前に出た。それに続く形で榛名・霧島の両名が私たちの前方に移動する。

 

「まずは敵航空戦力を削ぎます。南雲機動部隊、艦戦隊を前へ!」

 

 南雲機動部隊。それはかつての私たちの部隊名だ。

 随分と時間がかかってしまったが――私たちはようやくこの海に戻ってきた。今度は、勝って、生きて帰る。

 

「加賀、了解」

「蒼龍、了解っ!」

「飛龍――了解!」

 

 一航戦、二航戦自慢の艦戦隊が矢として空に放たれる。空中で戦闘機に姿を変えた艦戦隊は、そのままMI海域の制空権を奪取すべく敵艦載機へと攻撃を開始した。

 

「球磨隊、長良隊は苦戦している味方艦隊を積極的に救援してください。私たちの護衛は神通隊にお任せします。榛名、霧島は球磨隊と長良隊の支援砲撃に専念を」

「了解!」

 

 赤城さんの指揮の下、それぞれが乱れなく動く。第二改装を終えている者も少しずつ増えてきて、皆頼もしくなっている。

 

「……赤城さん、蒼龍たちの艦戦隊を下げて艦攻隊に切り替えませんか。制空権確保なら私たちだけでどうにかなりそうです」

「いいですね。二人は第二改装済みですし、その力を見せてもらいましょうか」

「なんかプレッシャー感じるなあ」

 

 こちらの会話を聞きつけて蒼龍が苦笑いを浮かべた。

 

「できますか?」

「やれと言われたらやりますけど。ね、飛龍」

「勿論。赤城さん、私たち二航戦にお任せください」

 

 二人は艦戦隊を回収し、艦攻隊に切り替えて中間棲姫目掛けて放った。

 一直線に向かう二人の艦攻隊の前に敵艦載機が立ちはだかるが、それはすべて赤城さんと私の艦戦隊で蹴散らす。

 艦攻隊による集中攻撃が中間棲姫を襲う。他の艦隊の艦攻隊もこれに合流し、雨あられのような攻撃を浴びせかけた。

 中間棲姫はしばらく耐えていたが、やがて撤退を開始した。他の深海棲艦たちもそれに合わせて引いていく。

 

「追いますか?」

「それはさすがに独断では決められないですね」

 

 赤城さんが通信機を使って他の艦隊と連絡を取る。

 初戦はこちらの大勝と言えた。先行していた横須賀艦隊は多少の被害を負ったようだが、深海棲艦にはそれ以上の打撃を与えられたはずだ。

 

「……他の艦隊の間でも意見が割れましたが、まずはMI島に向かうことを優先することになりました。中間棲姫がどこに引いたかは分かりませんが、この辺りの重要拠点はMI島くらいですし、もしかするとそこで鉢合わせになるかもしれません」

「分かりました。油断せずに行きましょう」

 

 勝ちを収めたとは言え、ここは敵地だ。いつどこで急襲されるか分からない。

 

「――赤城さん。新手が現れました!」

 

 と、そのタイミングで護衛艦隊に属していた筑摩が声を張り上げた。

 筑摩は戦闘に参加せず索敵を継続していた。そこで何かを見つけたのかもしれない。

 

「これは……また新型のようです。多数の艦載機が周囲にいることから、おそらく空母の深海棲艦と思われます。ヲ級やヌ級を引き連れていることから鬼もしくは姫クラスである可能性が高いかと」

「……連戦ですか。とは言えやるしかないですね」

 

 赤城さんは通信機で急ぎ他の艦隊に連絡をしていた。

 

「蒼龍、飛龍。私たちは先に艦戦隊を出しておきましょう。空母相手ならまず相手の航空戦力を潰しておかないと」

「了解。妖精さんたちには無理させちゃうけど……生きるための努力を怠るなって提督にも言われてるしね」

「祭りでは妖精さんたちにもたらふくご馳走食べさせてあげないとね」

 

 三人で艦戦隊を再び空に放つ。

 MI海域の戦いは、まだ始まったばかりだった。

 

 

 

 

「……今頃赤城たちはMI海域で作戦行動中か」

 

 ソロモン海域の端で、天龍が北を眺めながら呟いた。

 民間船の護衛任務の帰り道のことだ。AL/MI作戦のことは聞いていたが、私たちは護衛任務の真っ最中だったので作戦参加メンバーからは外されることになった。

 

「参加したかったの?」

「そりゃな。俺だって大きな作戦に参加して活躍してみたい」

「護衛任務だって大事なことよ。これで得られる報酬がないと泊地が立ち行かないんだから」

「分かってるって曙。こういうことの積み重ねが大事だってことは、よーく分かってる。ただ、それとこれとは別というか……」

 

 と、そこで天龍は言葉を止めた。

 

「おい、なんだありゃ」

 

 天龍が指し示した方を見る。

 遥か彼方、見えるか見えないかギリギリのところに――無数の影のようなものが見えた。



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第二十一条(2)「己が行動に誇りを持てる者になれ」

 護衛任務に出ていた天龍たちが不審な影を報告してきたのが数時間前。

 何か分かり次第追って連絡するとのことだったが、一向に続報が入ってこなかった。

 

「叢雲、確かあの近くには千歳たちがいたはずだな。彼女たちに天龍隊の様子を見てもらうようにしよう」

 

 新八郎も嫌な予感がしていたのだろうか。こちらが話を振ると、すぐにそう言って千歳たちに連絡を取っていた。

 千歳たちの任務は、偵察機を使ったソロモン海域の哨戒任務だ。普段は多くの空母たちがローテーションを組んで担当しているのだが、今は半数以上がAL/MI作戦で不在なので、残った空母たちは皆外に出て各自哨戒任務にあたっている。

 千歳からの続報が入ったのは、それから一時間後のことだった。

 

『天龍隊と合流しました。……ただ、半数以上が大破しています』

「無事なのは?」

『五月雨ちゃんが』

『て、提督……』

 

 通信機越しに五月雨の声が聞こえた。どこか怯えたような声音だ。

 

「五月雨か。まずは無事で何よりだ。何があったか教えてもらえるかな」

 

 艦娘が大破状態になっているということは、おそらく天龍隊は深海棲艦と遭遇したのだろう。

 もしあのレ級のような相手が再び現れたのだとしたら、天龍隊の惨状にも納得がいく。レ級を相手取るなら戦艦・空母が必要不可欠だ。水雷戦隊だけでは厳しい。

 しかし、続く五月雨の言葉はこちらの予想とは少し違うものだった。

 

『あれは、軍勢でした』

「軍勢?」

『はい。一部隊とかそういう規模じゃありませんでした。……こうして逃げられたのが信じられないくらいです』

「……発見してからどうしたんだ?」

『天龍さんはすぐに相手の数が多いことに気づいたみたいで、偵察だけして早く逃げる、と言ってました。けど相手に気づかれて。追いかけてきた深海棲艦を何体か倒しましたけど、それが限界でした』

 

 追撃を振り切って命からがら逃げ延びてきたところを千歳に拾われた、ということらしい。

 天龍の判断でギリギリのところを潜り抜けた形になる。少しでも欲を出せば、今頃天龍隊は壊滅していたかもしれない。

 

「五月雨、ありがとう。……千歳、天龍隊は自力で泊地まで戻れそうか?」

『ううん……ちょっと厳しいと思います。艤装の修理はできませんが、ここからならホニアラ市が近いですし、そこで少し休ませるのが良いのではないかと』

「分かった。すまないが千歳は五月雨たちを手伝ってホニアラに向かってくれ。それと、並行で周辺海域の偵察を頼む」

『大丈夫です、もう始めてますので』

「助かる。万一敵を見つけたら報告することと生き延びることを最優先にして欲しい」

 

 そう言って新八郎は通信を切った。

 

「ホニアラで大丈夫なの? いつぞやの飛行場姫みたいに、あの辺りを狙ってくる可能性もあるんじゃない?」

「その可能性もなくはないが、今は何より休ませることが重要だ。千歳からの続報次第ではこっちに戻ってもらうことになるかもしれないが」

 

 新八郎はいつになく難しい顔をしていた。

 

「私は他の哨戒任務担当者全員に警戒するよう連絡を入れておく。叢雲は泊地内に残ってる艦娘全員に有事に備えるよう通達しておいてくれないか」

「分かった。今後のことも考えると古鷹や長門たちをここに呼んでおいた方が良いかしら」

「頼む。今は大淀や明石もAL/MI作戦で不在だ。泊地の頭脳はもう少し増やしておきたい」

 

 新八郎は自分で何かを考えだすタイプではない。何が起こるか分からないこの状況、物事を考えられる人材を集めておいた方が良さそうだった。

 

 

 

 急襲を仕掛けてきた鬼・姫クラスと思しき空母型深海棲艦は、小一時間戦い続けた後に撤退していった。

 沈められた艦娘はいないが、向こうも多少の手傷を負っただけだ。痛み分けといったところだろう。

 連合艦隊も相応の痛手を負ったので、一旦後方に下がることになった。

 うちの艦隊では蒼龍が酷い損傷を受けたので、後方の母艦に下がって修理に専念することになった。横須賀艦隊の三笠のような本土の拠点の母艦には、各拠点にあるものと同じような入渠施設が入っている。言ってしまえば海上移動が可能な拠点なのだ。

 

「すぐに戻ってきますね。その間は持ちこたえてください!」

 

 大淀に支えられながら三笠に移乗する蒼龍は、元気そうにそう言い残していった。本当はそんな余裕もないはずなのに。

 

「今回の敵は手強いですね」

 

 小休止中、赤城さんが珍しいことを口にした。

 

「あの個体――空母棲鬼と名付けられたあの個体は、これ以上戦えば自分も無事では済まない、という絶妙なタイミングで撤退を決め込んだように見えました」

「引き際を弁えている相手ほど厄介なものはない、ということですか」

「ええ。これまでも深海棲艦に対して知性を感じたことはありますが、今回は今までで一番強く感じています。相手をただの怪物か何かだと思っていては、足元をすくわれるかもしれませんね」

「……」

 

 ふと、赤城さんと二人きりになっていることに気づいた。

 

「赤城さん、一つ質問しても良いかしら」

「良いですよ。私に答えられることであれば」

 

 赤城さんは普段と変わらない様子だった。

 戦場で普段通りというのは――超然としているとも取れる。

 

「赤城さんは、戦うことで何を求めようとしているの?」

「……なかなか難しい質問ですね。勝利――という回答ではご満足いただけませんか」

「ええ。艦娘として、軍艦の魂を持つ者として勝利を求めるのは当然のこと。それは大前提に過ぎません。ただ、赤城さんはときどき勝利のためなら手段を選ばないようなところがあるように思います。その理由を、今のうちに聞いておきたいんです」

 

 赤城さんは表情を変えぬままじっとこちらを見据えてきた。

 

「加賀さんからすると、私はそのように映るのですね。いえ、きっと加賀さんだけではない。他の皆からも同じように見えているのでしょう。私自身はあまりその自覚はありませんでしたが」

「気分を害してしまったのなら謝ります。けど、戦っている赤城さんを見ると不安になるんです。どこかに行ってしまうのではないかという気がして。特に――今回はあの戦いに似ているから」

 

 そのとき、また警報音が鳴り響いた。先ほどから不定期に続いているこの音は、敵の襲撃を知らせるものだ。

 

「本格的な攻勢ではないと思います。おそらく我々を疲弊させるための襲撃でしょうね」

「そう断定してしまうのも危険ではないでしょうか」

「この軍全体がそう思うようになっていれば危険だと思いますが、割と皆律儀に警戒しているようですし大丈夫でしょう。私は一度休んでおこうと思います。皆が疲弊しきった頃、動けるようにしておかないとまずいですからね」

「赤城さん。先ほどの話は――」

「……私も、そのような自覚はなかったのです。ですから今すぐ加賀さんの求めているような回答は出せそうにありません。少し、考えさせてください」

 

 それでは、と赤城さんは自室に戻っていった。

 逃げられた。ただ、赤城さんも答えるのに苦慮しているような気もした。今は――待つべきなのだろうか。

 そんな風に悩んでいるところで、こちらの船に近づいてくる小型のモーターボートに気づいた。乗っているのはトラック泊地の毛利提督と、その秘書艦である朝潮だ。

 

「やあ、ショートランドの加賀さん。そちらの赤城さんはいるかな」

「先ほどお休みになりました。皆が頑張ってる今のうちに休んでおくそうです」

「……なるほど」

 

 毛利提督は面白そうな表情で頷いた。

 

「結構結構。加賀さんもそんなところに突っ立ってないで休んでおいてくれ。ここからは交代制で行きたい。今から二時間はうちとリンガので迎撃対応するから他は休んでてくれ、と言って回ってたんだ。敵の誘いに乗って疲弊するのも馬鹿らしい」

 

 毛利提督は横須賀の三浦提督とMI方面の作戦指揮を執る立場にあった。この方針も三浦提督と相談して決めたことなのだろう。

 

「やはり、この襲撃は敵がそういう狙いで行っているものなのでしょうか」

「十中八九な。深海棲艦てのは何を考えてるか分からないし正体もまるで不明だけど、頭がそれなりに切れる個体がいるのは間違いない。実際去年の秋も今年の春も先手を取られてるし、その後の戦いでも敵は戦略的・戦術的な動きをしっかりと取っている。獣の群れとは違うさ。いや、獣も馬鹿にしたものではないが、質の問題だな」

「質……ですか」

「ああ。深海棲艦は人間に近しい思考形態――知性と言うべきかな――を持ってる。証拠はないけどね」

 

 こちらを疲れさせるために細かい襲撃を繰り返す、というのは明らかに人間の戦いの仕方だ。人間に近しい考え方をする、というのも別段驚くべきことではないのかもしれない。しかし、なんとなく受け入れがたいものもあった。

 

「深海棲艦の中には艦娘を凌駕する力を持つ個体もいます。そんな相手がこちらと同等かそれ以上の知性を持っているというのは、正直ぞっとします」

「だからこそこちらも頭を使わないといけない。……さて、それでは僕は次のところに向かうとするよ」

「……僭越かもしれませんが毛利提督、ご自身で向かわれるのは危険では?」

 

 敵の襲撃が行われている中、指揮権を持つ者がこんな風に出歩くものではない。言外にそういうニュアンスを込めて言うと、毛利提督の隣にいたトラックの朝潮が渋い顔つきで頷いていた。

 そんな秘書艦に気づいているのかいないのか、毛利提督は笑みをたたえたまま答えた。

 

「今回は様々な拠点から部隊が集まっている。連合艦隊などと言っちゃいるが、要するにこれまで以上の寄せ集め部隊だ。指揮権を持っている提督も僕や三浦含め数人しかいない。そんな状態でまとまった行動を取るためには、こうして直接対面で話をしてみるのが大事だと思うのだ」

 

 そういうものだろうか。艦娘になってから指揮官という立場に身を置いたことがないので、その辺りのことはよく分からなかった。

 

「新八郎から預かってる大事な部隊だ。一人も欠けさせない。そういう心積もりでやっていくから、まあよろしく頼むよ」

 

 ではしっかり休んでくれ――そう言い残して毛利提督は去っていった。

 襲撃に対する緊張も和らいだし、赤城さんたちの言う通り今は少し休んでおいた方が良いかもしれない。

 警報音も――いつのまにか止まっていた。

 

 

 

 千歳から続報が届いたのは、先の連絡から更に数時間後のことだった。

 

『ソロモン政府と大使館には連絡を入れておきました。今のところホニアラ周辺では異常はありません。敵影も発見できていない状況です』

 

 それが千歳の報告のすべてだった。

 他の空母たちからの連絡でも、天龍隊が遭遇した深海棲艦の軍勢は発見できていない。

 

「この辺りを通過してどこかへ去った……ということでしょうか」

 

 古鷹が海図を見ながら眉をひそめた。

 

「五月雨と千歳の報告を合わせてみると、天龍隊が敵と遭遇したのはソロモン海域の東部の外れ。ホニアラ近辺で見当たらなかったということは北上したか南下したかのどちらかだろうが……」

「北東にずっと行けばMI島に行き着くな」

 

 新八郎が険しい顔つきで言った。

 

「赤城や加賀にはもう連絡したの?」

「いや、大規模作戦ということで向こうも大変な状況だろうから、もう少し確証を得られるまでは伝えない方が良いと思う。剛臣と仁兵衛には後で言っておくつもりだが」

「南の方はタスマニアやニュージーランドか。あの辺りに拠点でも作るつもりかな」

「……どうでしょう。私はその可能性は低い気がします」

 

 古鷹が新八郎の推測に頭を振った。

 

「これまで深海棲艦は私たちに先手を打って拠点を作るケースが多かったです。占拠地からの報告でも、最初は少数で土地を占拠し、そこから少しずつ仲間を呼び寄せることで拠点を大きくする……とありました」

「深海棲艦は艦娘にしか倒せないからな。奴らがそれを自覚してるなら、艦娘のいない土地を占拠するのにいきなり数を揃える必要はないと考えるだろう」

 

 古鷹の言葉に長門が頷く。

 今の会話で、少し気になるところがあった。

 

「……深海棲艦が艦娘以外敵なしだと考えてるなら、数を揃える必要はない……って言ったけど、もしそうなら今の状況はどうなのかしら。五月雨の報告では相当の数を揃えてるらしいし」

「可能性として考えられるのは『既にこの近くに拠点を持っていてそこから出てきた部隊である』というのと……『艦娘との決戦を目的とする部隊である』っていうの……じゃないかな」

 

 古鷹の言葉が尻切れトンボになっていく。言いながら、何か嫌な予感が湧き上がってきたのだろう。

 この場にいる全員が同じような表情を浮かべていた。

 

「敵軍がMI島に向かった場合、赤城や加賀たちが後方を突かれる形になる。……このケースだと今から追いつくのは難しいな。トラック泊地に連絡して状況を確認してもらうよう依頼しておこう」

「それもあるが提督……」

「分かっているよ、長門。――ここやブインが襲撃されるという可能性も、十分考慮しておく必要がある」

 

 もし深海棲艦の軍勢が艦娘との決戦用なのだとすれば――この辺りで艦娘が集まっているのは、こことブイン基地くらいだ。

 

「……AL/MI作戦でかなりの戦力が出払っている。もし今ここを襲撃されたら迎撃できるか不安ね」

「周辺で各任務に携わっているメンバーも出来る限りこちらに戻そう。千歳たちにも戻ってきてもらった方が良いかもしれないな。ただ、天龍隊のように戦闘ができない子たちは、その場で待機してもらってた方が安全だと思う」

「提督、偵察はどうする?」

「ここやブインが狙いなら南だろう。一人か二人くらいは北の偵察もした方が良いと思うが、それ以外の空母は皆南の偵察に集中させたい。敵の規模と位置を知ることが第一だ」

「了解した。私もそれで異論はない。連絡はこちらでしておこう」

 

 早速長門は通信機を手に各地の空母たちへ連絡を取り始めた。早く敵を発見しないと次の手が打てない。そういう意味で偵察は今もっとも重要だった。

 

「古鷹はこの島の集落に偵察機を飛ばすなりして連絡をしておいてくれ。集落ごとに防空壕を設けているはずだ。いざというときすぐ避難できるようにしておく必要がある」

「分かりました」

 

 古鷹は駆け足で外に出て行った。他に偵察機を飛ばせるメンバーのところに行ったのだろう。

 艦娘の足でも、ショートランド島の各集落を回っていたらかなりの時間がかかる。手分けして偵察機で連絡しないと、敵襲に間に合わない可能性があった。

 

「それじゃ、私は他の子たちに状況を説明してくるわ」

「ああ、頼む。……叢雲」

「なに?」

 

 新八郎は、少し溜めてからその言葉を発した。

「――いざというときは、この拠点を放棄して逃げる。その可能性も考えておいてくれ」

 

 

 

 長い夜が明けた。

 あれからも敵の襲撃は四時頃まで断続的に続いていたらしい。ただ、それ以降は静まったそうだ。

 敵の襲撃パターンを三浦提督と毛利提督が分析し、襲ってきた相手を都度壊滅状態に追い込んだらしい。

 

「それでは割に合わないと敵も懲りたのでしょう」

 

 話を聞いた赤城さんは一言そんな感想を口にした。

 昨晩の話の続きをしようかとも思ったが――赤城さんから話してくれるのを待った方が良いと思った。今話を振っても、また同じように逃げられてしまう気がする。

 現在私たちの艦隊はMI島へと迫っている。敵に主導権を握られる前に強襲する、というのが本作戦の主目的らしかった。

 

「春は長逗留になった結果、艦隊の士気が著しく低下していました。おそらく同じ轍を踏むまいという意図があるのだと思います」

「兵は神速を貴ぶとも言いますし、きちんと見込みがある状況で勝負を決めにいくということなら私は良いと思いますよ」

 

 敵戦力の調査・分析は、昨晩から今朝未明にかけて極秘裏に行われていたらしい。うちの筑摩も偵察に一役買ったそうだ。

 

「この地に集結していた深海棲艦の半数近くが、空母棲鬼に率いられてどこかへと出て行きました。行き先は現在も一部の艦娘が追っているところなので、何かあれば続報が来ると思います」

 

 筑摩が補足してくれた。春の大規模作戦の後、第二改装を済ませたことで彼女の索敵能力は大幅に向上した。本作戦でも、艦隊の目として頑張ってくれている。

 その筑摩からの報告によると、昨日襲い掛かってきた中間棲姫と空母棲鬼はMI島を根城にしているとのことだった。二体同時に相手取るのはかなり厳しいが、現在は片方が不在ということになる。

 空母棲鬼側への警戒も怠っていないのであれば大丈夫だとは思うが――若干嫌な予感がする。

 

「見えてきましたね」

 

 赤城さんの言う通り、MI島が見えてきた。島で暮らしていた人々は深海棲艦に追いやられている。今あそこにいるのは深海棲艦たちだけだ。

 一望しただけでも相当数の敵艦隊が確認できる。これで半数というのだから恐ろしい。

 

「では行きましょうか。まずは手筈通りに」

 

 赤城さんの指示に従って艦戦隊を発艦させる。

 中間棲姫は艦載機を操る陸上型深海棲艦と見られていた。昨日は海上に出て来ていたが、今日は島の防衛に専念するつもりなのか、陸上に陣取っているようだった。

 まずは中間棲姫の艦載機を黙らせる必要がある。制空権を確保したら揚陸艦を組み込んだ戦隊が突入し、一気に島を占拠する。それが本作戦の主な流れだ。ただ、戦況というのは流動的だ。場合によっては各艦隊で独自に判断して動いて良いとも言われている。無理に全体をまとめようとするより、こちらの方が良いと判断したのだろう。

 春先に明石から渡された新型・烈風改を解き放つ。これまで最高峰の対空能力を持っていた烈風を改良したものだ。烈風改を中心とした艦戦隊が果敢に敵艦載機に向かっていく。

 

「護衛部隊、前へ」

 

 長良・球磨・神通率いる水雷戦隊が周囲に展開する。水雷戦隊に属する駆逐艦たちは皆高角砲を手にしていた。発艦を終えて無防備になった空母が狙われないよう厳戒態勢に入る。

 敵艦載機と艦戦隊のぶつかり合いが始まった。それとほぼ同時に、敵軍が前進を開始する。

 

「敵は制空権確保を待たずに突っ込んできますか。やる気満々ですね」

 

 赤城さんがどこか感心するかのように言った。

 

「私たちも出ましょうか」

 

 涼しい顔で進言したのは神通だ。普段は大人しいのだが、一旦戦場に出ると赤城さん顔負けの戦いぶりを見せる。

 かつて日本海軍には、華の二水戦と呼ばれる最前線で戦い続ける切り込み部隊が存在した。極めて高い練度と充実した装備で裏打ちされた実力で恐れられた二水戦――神通はその旗艦でもあった。

 見ると、他の拠点の水雷戦隊も次々と前衛に出ている。

 

「そうですね、私が水雷屋でも突っ込んでいたところです。神通隊は敵前衛の殲滅をお願いします。摩耶・鳥海は神通隊に同行してサポートしてください。敵前衛がある程度片付いたら三式弾で中間棲姫に集中攻撃を」

「了解」

 

 神通隊や摩耶・鳥海が頷いて飛び出していく。深海棲艦たちもすぐに気づいたようで、神通たちの元へと群がり始めた。しかし神通隊は苦もなく敵を屠っていく。その様子は、見ているこちらが怖くなるくらいだった。

 

「榛名・霧島の両名はもう少し待機してください。こちらに近づく敵が現れたときだけ撃破してくれれば結構です」

「私たちが前に出るのは中間棲姫の周囲が片付いてからですね」

「最大威力の砲撃を雑魚相手に向けるのは勿体ないですから」

 

 霧島の言葉に赤城さんが頷いた。

 こちらの艦戦隊のサポートもあってか、敵の空母や重巡部隊が次々と蹴散らされていく。

 やがて島の奥から戦艦部隊が姿を現した。おそらくあれが中間棲姫率いる深海棲艦最後の部隊だろう。

 

「さすがに戦艦部隊相手では水雷戦隊だけだと厳しいのではないかしら」

「そうですね、加賀さん。……では、我々が援護しましょう。敵の艦載機も大分落としましたし、一部を艦攻隊に切り替えて神通隊をフォローします。榛名・霧島両名は前に出てください。戦艦部隊は良いので中間棲姫を」

 

 榛名は凛とした表情で、霧島は不敵な笑みを浮かべて頷いた。

 

「あきつ丸さん。そちらの準備は良いですか?」

「準備万端、抜かりはないのであります」

 

 あきつ丸が答えた。陸軍出身の艦から生まれた艦娘という異色の経歴の持ち主で、今のところ存在が確認されている日本の艦娘の中では唯一の揚陸艦である。今回のMI島攻略に必要だろうということで提督が艦隊に加えたのだ。

 

「では球磨隊、あきつ丸さんを伴って上陸準備を。道はこちらで切り開きます」

 

 赤城さんが指示を出している間に、艦戦隊を艦攻隊に切り替えて再び放つ。こちらの攻勢に耐えていた敵陣営が一気に崩れるのが見て分かった。

 胸中に不安が湧き上がる。このまま本当にいけるのだろうか。

 側にいた筑摩に視線を送る。

 

「大丈夫です。空母棲鬼追跡部隊からの連絡はありません。私も周囲を警戒していますが、今のところ不審な点はありませんね」

 

 彼女はこちらの意図を察したのか、すぐに答えてくれた。

 中間棲姫目掛けて戦艦たちの砲撃が始まる。今度は逃げられないよう周囲をすっかり囲んだうえでの攻勢だ。

 あちらも今度は逃げられないと覚悟を決めているらしい。四方に向かって砲撃を放ちつつ、更なる艦載機を空に放った。

 これだけの大軍勢から攻撃を受けても尚足掻くその姿は――どこか美しく映った。

 

 

 

 南方に出向いた瑞鳳から、敵艦隊発見の報告が届いた。

 敵軍は五つの艦隊で構成されている。その中にはあの戦艦棲姫の姿もあったという。加えて今まで見たことのない新型の鬼・姫クラスらしき個体も確認したらしい。

 

『戦艦棲姫は二体いたわ。あいつら、やっぱりうちの泊地を目指してるみたい。かなり迂回して来てるみたいだけど――それでもあと半日程度で着くと思う』

「報告ありがとう。瑞鳳、すまないが引き続き奴らに張り付いていてくれないか。危険だと思ったらすぐに逃げてくれ」

『了解。何かあればまた連絡するね』

 

 新八郎はそこで通信を切った。

 司令室には古鷹や長門だけでなく、陸奥・大和・武蔵・北上・大井といったメンバーも集まっている。皆、一様に緊迫した面持ちだった。

 

「先生……」

 

 新八郎の後ろに控えていた康奈も、珍しく不安そうな表情を浮かべていた。今は危急の事態だと理解しているのだろう。

 

「そう不安にするものじゃないよ、康奈。上が不安そうな顔をすると皆にそれが映る。苦しいときこそ余裕をもって振る舞う提督の仕事だ。……五十鈴や摩耶からの受け売りだけどね」

 

 そういう新八郎も表情は硬かったが、怯えているような感じはしなかった。あれは、この事態をどう切り抜けるべきか考えている顔だ。

 

「優先順位をはっきりさせておこうと思う」

 

 皆を前にして新八郎が告げた。

 

「最優先は島の人たちの安全だ。元々この泊地はそのために創設された。そこは絶対に揺らいではいけない。次いで我々が生き延びること。生きてさえいれば再起は可能だ。これも最優先とほぼ同じ優先度と考えておいてくれ。敵の迎撃はその次だな」

 

 一同反応は様々だったが、異論を口にする者はいなかった。こういうことに関して、新八郎は頑固なところがあった。異論を挟んだところで絶対に折れないだろう。

 

「では、各自に問いたい。瑞鳳からの報告を受けて、現在この泊地に残っている戦力で敵艦隊を迎撃し、島の人々の安全を確保できるだろうか」

「難しいな」

 

 武蔵が即座に答えた。

 

「敵には相応に航空戦力がいるようだが、うちは偵察に出ている大鳳や軽空母たちがいるくらいだ。敵がこちらを無視して艦載機を島に送ってきた場合、そのすべてを迎撃できるとは思えない」

「敵艦隊自体を叩くことは?」

 

 新八郎の問いに、武蔵は鼻を鳴らした。

 

「航空戦力の不利はあるが、ここには長門型と大和型が揃っているのだぞ。火力に関しては北上と大井もいる。叩けというなら叩いてみせるさ。そうだろう?」

 

 武蔵は一同を見渡す。司令室に集まった皆は迷いなく頷いた。

 

「分かった。では泊地の残存戦力を二つに分けようと思う」

「二つ?」

「敵の迎撃を担当する部隊と、島の人々を助ける部隊だ。……利根!」

「なんじゃ」

 

 新八郎に呼ばれて、部屋の片隅でじっと話を聞いていた利根がこちらを見た。彼女は本来AL/MI作戦に参加する予定だったのだが、嫌な予感がすると言ってここに残留していたのである。

 

「利根の戦闘に関するセンスを頼りたい。利根が中心になって、敵戦力を打倒するための策を練ってくれ」

「……どれくらいの人数まで使えるのじゃ」

「正直、島の人たちを助けるのは、全員で取り掛かっても難しいと見ている」

「つまり、敵戦力の打倒は必要最小限で――ということか。贅沢な注文じゃな」

 

 利根が溜息をついた。確かに無茶な注文だ。

 

「じゃが、やってみようではないか。やる前から無理と言うのは吾輩の矜持が許さぬ」

 

 ニヤリと笑う利根に、一同が笑って同意する。

 純粋な戦力差でいえばこちらが不利だ。しかし、誰一人として諦めていない。

 

「無理だと思ったら言ってくれ。さっきも言ったように、敵の迎撃よりも生き延びることが重要だ。いざとなれば島の人たちを逃した後で我々も逃げれば良い。逃げて生きることは恥ではない。そんなことで――私たちが培ってきた誇りは損なわれないはずだ」

 

 ゆっくりと、新八郎は車椅子から立ち上がった。

 

「最後にまた皆で集まって笑い合う。それがこちらの勝利条件だ。――さあ、やれることをやろう」

 

 そう告げる新八郎の顔は、この一年ずっと見続けてきたものだった。

 今回もなんとかなる。そう思わせてくれる――そんな顔だった。



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第二十一条(3)「誰かを救い誰かに救われる者になれ」

 中間棲姫が絶叫しながら艦載機を射出した。

 戦いは結末に近づこうとしている。

 周囲の随伴艦は軒並み沈み、残った者たちも勝機が薄いと見たのか散り始める有り様だった。

 

「――引導を渡しに行きましょう」

 

 赤城さんはそう呟いて更に前面に出ようとした。

 

「待って、赤城さん。空母である私たちがあまり前に出る必要は……」

「あれは、かつての私たちです」

 

 最後の気力を振り絞りながら足掻く中間棲姫を見据えて、赤城さんはそう言った。

 

「勝ち目がないと頭では理解しながらも、最後まで徹底的に戦い続ける。……だからこそ、あの敵には我々が引導を渡さねばなりません」

 

 その言い方は、どこか熱に浮かされている風にも感じられた。

 止めなければ。そう思ったが、こちらが手を伸ばすよりも早く赤城さんは主機を稼働させて前進していった。

 

「赤城さんはきっと、あのときのことを引きずっているんじゃないでしょうか」

 

 飛龍は、赤城さんの背中を痛ましげに見ていた。

 

「私はある意味暴れるだけ暴れて全力出しきったんで、悔いはないです。でも赤城さんは違うんじゃないですかね。責任感の強いところがありますし……あのとき負けたのは自分が至らなかったからだ、と考えても不思議ではないと思います」

「だから、今度こそ勝つのだと……?」

「自分たちは勝てるのだと、その実感が欲しいのかもしれませんね。ほら、赤城さんてかなり負けず嫌いなところありますし」

 

 飛龍はそう言ってこちらの背中をポンと叩いた。

 

「行きましょう、加賀さん。今の赤城さんを一人にしちゃ駄目だってことは私にも分かります。きっと蒼龍がここにいても同じことを言っていたでしょうし」

「……ええ」

「――緊急連絡です!」

 

 出発しようとしたまさにそのとき、筑摩が鋭く声を張り上げた。

 

「島を離れていた空母棲鬼が他の地域の深海棲艦たちを糾合し、MI島を包囲するような形で戻りつつあるとのこと!」

「くっ……このタイミングで!?」

 

 中間棲姫はもうじき倒せるだろう。しかし、現在前線に出ている艦娘は皆疲労を重ねていた。今の状態で増援として駆けつけてくる空母棲鬼相手にどこまで戦えるかは怪しかった。

 

「既に三浦提督と毛利提督は事態を把握されています。現在撤退も込みで急ぎ方針を検討――」

 

 そこで筑摩は言葉を止めて、遥か東方の空に視線を移した。

 遠方から無数の黒い艦載機が迫ってくる。まだ遠く羽虫のようにしか見えないが、それらはこちらに敵意を持って急速に近づきつつあった。

 

「空母棲鬼のアウトレンジ攻撃ね。こちらに考える時間を与えないつもりなのでしょう」

 

 各所に連絡が行き渡ったからか、どの艦隊も中間棲姫への攻撃が弱まっている。

 それを好機と見たのか、中間棲姫の艦載機が攻勢を強めてきた。その猛攻に押されて何人かの艦娘が大破に追い込まれる。

 

「――飛龍、私たち空母は空母棲鬼のアウトレンジ攻撃を迎え撃ちます。榛名、霧島。二人は砲撃戦で早急に中間棲姫にトドメを」

「分かりました!」

 

 先行してしまった赤城さんに代わり皆に指示を出すと、威勢の良い声が返ってきた。

 私の指示を聞いてもらえるか不安だったが、杞憂だったらしい。

 

「筑摩は引き続き戦況の把握に努めて。何かあればすぐ私に報告を」

「了解しました。……赤城さんはこのままで良いですか?」

 

 筑摩であれば偵察機を使って赤城さんの居場所を突き止められるだろう。連れ戻した方が良いか、少し迷った。

 だが、今筑摩には戦況把握に集中してもらった方が良い。赤城さんは――きっと自分の身くらいなら守れるはずだ。

 

「構いません。筑摩、休みなしで申し訳ないけどお願いします」

「これが私の役目ですので」

 

 気丈に返事をする筑摩だったが、その表情には疲労が見え隠れしていた。直接前面に出て戦うわけではないが、戦況を把握するために四六時中意識を研ぎ澄まさなければならないのは、相当の負担になるはずだ。

 

 ……焦ってはいけない。そう分かっていても短期決戦を望んでしまうわね。

 

 ふと、提督と話をしたいと思ってしまった。それどころではないのだが、彼の声を聞けば――何かが思いつくような気がしたのだ。

 ショートランド島を離れる前にもらった指輪を握り締める。

 微かな間、様々な思いが去来した。

 

「……いえ。まだね。連絡するなら戦勝報告が良いわ」

 

 彼に余計な心配をかけてはいけない。そう思って、指輪をポケットにしまい込んだ。

 

 

 

 利根が立案し、私や長門たちが調整することで迎撃プランは完成した。

 

「迎撃部隊は比叡・古鷹・妙高・羽黒・千歳・千代田。これを第一陣とし、第二陣には利根・北上・大井・大和・武蔵・長門・陸奥・大鳳がつく。第一陣は基本的に先陣切って敵の陣形を崩すことを優先、第二陣は圧倒的な火力で敵の親玉――空母の新型を叩く。他のメンバーは島の人たちの安全確保を最優先にして動く」

 

 私の――叢雲の名が出撃部隊に入っていないのは残念だが、敵には大型艦が多く駆逐艦では火力不足になってしまう。だから仕方ないのだと自分に言い聞かせた。

 

「名前だけ並べると壮観ではあるが、敵の布陣からするとこれでも勝てるかは怪しいところじゃ。五月雨の報告通りなら伏兵の存在も考慮せねばならん」

 

 こちらが補足したのはあくまで五つの艦隊だが、五月雨は敵を軍勢と評していた。その点が気になって連絡を取ったところ、実際にはもっと多くの深海棲艦がいたとの報告があった。

 もしかするとブインや更に西方に向かったのかもしれない。だが、どこかでこちらを待ち受けている可能性も十分あった。

 

「叢雲、お主らも島の者どもを逃がし終えたら、なるべく早く救援に来てくれ」

 

 利根が誰かの助けを当てにするのは珍しい気がした。それだけこの戦いが過酷なものになると見ているのだろう。

 

「私たちが出撃したら、提督と康奈ちゃんも早く逃げてくださいね。この泊地も安全とは言えませんから」

「伊東さんや道代先生たちには例のシェルターに逃げるよう言っておきましたから」

 

 古鷹や夕張の言葉に、新八郎は笑って頷いた。

 

「分かっているよ。今回は皆と一緒に前に出て戦おうとは言わないさ。さすがに死んでしまう」

「そういえば、最近はすっかり大人しくなったけど、最初の頃は何かと前線に出ようとしてたわね」

 

 泊地が出来て間もない頃のことを思い返し、そんな軽口が出てしまった。

 新八郎はばつの悪そうな顔で頭を掻く。

 

「提督が側にいた方が艦娘に霊力が行き渡りやすくなるから全力が出せる――そういう理由があったからだ。好き好んで無茶をしたわけではないぞ」

「なんだ、そんな頃があったのか」

 

 長門が意外そうに言った。そういえば長門は比較的着任が遅かった。彼女が来た頃には、新八郎も多少無茶を控えるようになっていたはずだ。

 

「今はもう皆十分に強くなった。私が前に出ると気を使わせてしまうし、却って良くない結果になるだろう。だからもう無茶はしないさ」

「そうだな。いくら全力を出せると言っても、提督がすぐ側にいたのではやり難くて仕方がない。自分の心臓を敵前に晒しているようなものだからな」

 

 武蔵の言葉に周囲一同が頷く。新八郎はますます困ったような表情を浮かべた。

 

「あまり提督を苛めない方が良いんじゃない?」

「後でご馳走いただく約束してるのに、拗ねられて反故にされても困りますし」

 

 北上と大井までもが、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。

 

「分かった。分かってるって。もう無茶はしない。さっさと安全なところにちゃんと逃げるから」

 

 たまりかねた新八郎は降参のポーズを取った。だが、すぐに手を下げて、皆に真剣な眼差しを送る。

 

「だから――皆も無理はするな。必ず生きて戻れ」

 

 皆が、その言葉に頷いた。

 

 

 

 中間棲姫の粘り強さは尋常ではなかった。

 大破状態まで追い込まれているのに、残された力を振り絞って苛烈な攻撃を続けてくる。

 一人、また一人とこちらの艦娘が大破させられていく。空母棲鬼率いる部隊が迫りつつある今、ここで時間をかけるわけにはいかなかった。

 

『赤城君、戻るんだ』

 

 通信機越しに三浦提督の切迫した声が聞こえてきた。どうやらこちらが最前線に飛び出していることに気づいたらしい。

 

「大丈夫ですよ、一気に片を付けるだけですから」

 

 これまで温存していた艦攻隊を解き放っていく。自分の持てる力をすべて中間棲姫にぶつけるつもりだった。

 自分に向けられた殺意に気づいたらしく、中間棲姫が血走った眼でこちらを見た。咆哮をあげながらこちらに砲撃を放ってくる。それらを紙一重で避けながら、次々と艦攻隊を発艦させていった。

 だが、攻撃に意識を集中させているせいか避けきれなくなってくる。最初はかする程度だったが、次第に身体は傷だらけになっていった。

 最後の艦攻隊を出して、意識を中間棲姫に向けて集中させる。

 

「貴方の奮闘には敬意を表しますが――これ以上付き合ってあげる義理はありません」

 

 艦攻隊から放たれる攻撃が次々と中間棲姫に炸裂する。今度こそ、彼の敵は断末魔の悲鳴をあげながら倒れていった。

 

『赤城君、すぐに退避しろ!』

 

 そのとき、三浦提督が焦ったような声をあげた。

 空を見上げると、何機かの敵艦載機がこちらに向けて爆弾を落とそうとしていた。

 中間棲姫のものだろうか。あるいは空母棲鬼のものだろうか――。

 そんなことを考えたのは、おそらく一瞬にも満たない間のことだろう。

 そうして、私の意識は激しい衝撃と共に断絶した。

 

 

 

 赤城さんとの通信が途絶えたとの報告が、筑摩経由で三浦提督から入った。

 最前線で中間棲姫にとどめをさしたところで、空母棲鬼たちの艦載機による急襲を受けたらしい。

 その後辺り一帯は混戦状態になっており、大量の艦載機がぶつかり合う修羅場と化した。水上にいる艦娘たちは対空射撃を試みたり早々に撤退したりしているそうだが、赤城さんの現状は不明なままだった。

 探しに行きたい衝動に駆られるが、ここで私まで持ち場を離れてはうちの艦隊がバラバラになってしまう。

 どうすれば良いか、思考がまとまらない。

 

「――提督」

 

 思わず、指輪を握り締めて彼方にいる提督に念話をかけていた。

 

『……どうしたんだ、加賀。何かあったのか』

 

 提督はすぐに応じてくれた。いつも通りの声だ。この声を聞くと、少し気分が落ち着く。

 手短に状況を説明すると、提督は落ち着いた声で尋ねてきた。

 

『加賀、そこに榛名と霧島は?』

「二人とも側にいます」

『分かった。だったら指揮は二人に任せて赤城を探しに行くといい。ただし、今は榛名が指揮を執るように。耐えきって攻勢に転じるときは霧島に代われ。その条件付きなら、二人は十分指揮を執れる』

「……しかし、良いのでしょうか。私までここを離れて」

『迷いを持ったままでは十分に戦えないだろう。こう言ってはなんだが、加賀はあまりそういうところは切り替えが上手くない』

 

 手厳しい言葉だが、反論はできなかった。今もこうして気もそぞろになっている。

 悪いと思いつつ榛名たちに相談すると、二人は快諾してくれた。

 

「榛名で良ければ、この場は引き受けましょう」

「司令からまだ半人前扱いされている気がするのが引っかかるけれど、この場を任されることには異論ないわ。早く赤城を」

 

 力強く胸を叩く二人に頭を下げて、赤城さんが向かったと思われる方へと進んでいく。

 

「……すみません、提督。こんなことで連絡をしてしまい」

『こういうときだからこそ、だろう。また何かあれば気軽に連絡してくれ』

「ありがとうございます、提督」

『そのかわり、必ず皆で戻って来るんだ。頼んだよ、加賀』

「ええ。心配無用よ」

 

 つい強気の言葉が口から出た。先ほどまではうろたえていたというのに。

 そんなこちらの様子がおかしかったのか、提督も少し笑っているような感じがした。

 

 

 

 出撃する古鷹や利根たち、島の人々の救援に向かう叢雲たちを見送ると、先生は手短に身の回りの持ち物をまとめていった。

 一刻も早く逃げた方が良いのでは――そう思ったが、残しておきたい資料があるのだと言って先生は聞かなかった。

 

「よし、これでいい。すまないね、康奈。私たちも逃げるとしよう」

 

 先生は普段使う車椅子ではなく、明石特製の電動車椅子に乗っていた。いざとなれば軽自動車並の速度で走ることができるという優れものだ。

 泊地から出ると、既に正面海域の空では小競り合いが始まっていた。千歳・千代田のものと思われる艦載機が、敵の艦載機と激しい空中戦を繰り広げている。古鷹たち水上艦も、じきに敵艦隊とぶつかり合うことになる。

 そのことを先生に告げると、先生は感心したように「よく見えるなあ」と頷いた。

 私は元々艦娘になるための実験をいくつか受けていたからか、身体能力が常人よりも高いらしい。視力もその一つだった。

 

「皆が頑張ってくれているうちに私たちも逃げよう。先生に何かあったら一大事だよ」

「そうだな。……ああ、だが康奈。いざとなれば君は自分の命を最優先で考えるんだ。そこは間違えてはいけないよ。これからのことを思えば、この泊地に必要なのはむしろ君の方だ」

「提督は先生だよ。馬鹿なことを言ってないで、早く逃げよう」

「おっと、そうだね」

 

 二人で急ぎシェルターに向かう。

 シェルターと言ってはいるものの、実際は簡素な防空壕だ。しっかりとしたシェルターを作る余裕などこの泊地にはない。

 

「……!」

 

 だが、その途中で嫌な音が聞こえてきた。

 正面海域からではない。その逆――島の裏手、北の方からだ。

 

「先生、何かが来る!」

 

 空を見上げると、そこに大量の艦載機が現れた。

 艦娘のものではない。生物じみたグロテスクな形状――あれは深海棲艦のものだ。

 

「北の方にも兵力を回していたか」

「そんなことを言ってる場合じゃないよ! 早く逃げないと……!」

 

 現れた艦載機は、皆爆弾らしきものを積んでいた。

 それが、次々と投下される。

 ――空爆だ。

 周囲一帯が爆音と衝撃に包まれる。すぐ側で一際強い衝撃が走った。激しい熱風を浴びせかけられる。

 生きた心地がしなかったが――衝撃が収まっても特に痛みは感じなかったし、意識は明瞭だった。どうやら助かったらしい。

 

「先生、大丈夫!?」

「ああ。おかげさまで何ともない」

 

 敵艦載機は空爆用の部隊だったらしい。一通り爆撃を終えて、撤退したようだった。

 

「早く逃げよう。また第二陣が来るかもしれない」

「皆には?」

「叢雲と古鷹には簡単に連絡を入れておいた。こちらは無事だということ、空爆隊はどうしようもないから、今はまず自分の任務に集中するようにということをね」

 

 確かに、うちの残存戦力はすべて出払っている。これ以上の余力はない。

 空爆により立ち込めていた煙が晴れる。私たちの泊地が、あちこち破壊され、燃えていた。

 

「行こう」

 

 先生はその光景を見ると、すぐさまそう言った。

 

「泊地はまた建て直せばいい」

「……分かった。そうだね、先生」

 

 ここに来て半年になるかならないかの私でも結構なショックだった。先生はもっとショックを受けていてもおかしくない。だが、先生はいつも通りだった。

 しかし、避難しようとしていたシェルターの入り口は、先ほどの空爆で完全に埋められていた。

 周囲には何人かの遺体もある。おそらく逃げようとしていたところで空爆にあったのだろう。皆、つい先日まで普通に話したりしていた相手だった。さすがにこの光景には、先生も言葉を詰まらせていた。

 

「……誰か、無事な人はいますか!」

 

 先生が声を張り上げると、塞がれたシェルターの内側から何人かの声が聞こえてきた。どうやら既に逃げ延びていた人もいるようだった。保健室の道代先生、工廠の伊東さんの声も聞こえた。

 先生はしばらく入り口を塞いでいる土砂を眺めていたが、小さく頭を振るとこちらを見た。

 

「近くの村に行こう。そっちの避難場所がまだ無事だと良いんだが」

「……」

「康奈」

 

 こちらが呆けていたからだろう。先生は少し厳しめの口調で呼びかけてきた。

 

「どういう状況であれ、できることはできるしできないことはできない。……大事なのはできることを諦めないことだ。私の言いたいことは分かるね?」

「……う、うん」

「なら良い。――行こう」

 

 先生は躊躇なくその場を後にした。

 ここで犠牲になった人にしてあげられることはない。そう言われたような気がした。

 

 

 

 敵の重巡部隊の射程圏内に入る。互いに射程は同程度。つまりそれは――砲撃戦の始まりを意味していた。

 

「妙高、羽黒、斉射!」

「了解!」

 

 こちらの声に応じて妙高と羽黒が一斉に敵艦隊目掛けて砲撃を放つ。同時に放たれた砲弾は、敵の重巡洋艦三体に直撃した。

 先手はこちらが取った。だが敵兵力はこちらよりも多い。常に主導権を握っていないと勝ち目はなかった。

 

「古鷹、やっぱりこっちはきつい……!」

 

 偵察任務からそのまま合流してきた千代田が、悲鳴に近い声を上げていた。

 

「敵艦載機の数が多いし、見慣れない新型も混じってるみたいで、どうにか制空権を完全に奪われないようにするのがやっと! 完全には防ぎきれないから、空の警戒も怠らないで!」

「分かった。千歳と千代田は現状維持に専念して!」

 

 制空権を奪取できないのは痛かったが、贅沢を言っていられる状況ではなかった。

 泊地が空爆を受けた。慎重に長期戦を挑んでいるような時間はない。

 焦ってはいけないが――私たちの最大の目的は、皆で生き延びることだ。

 眼前の敵を少しでも早く倒して、提督たちを助けに行かなければならない。

 

「比叡さん、私たち重巡で敵に接近します! 後方からの支援お願いします!」

「了解です! 金剛お姉様の分まで、この比叡、気合たっぷり入れていきますよ!」

 

 両手の拳を握り締めて比叡さんが力強く応じてくれた。

 妙高と羽黒も覚悟を決めた顔をしている。

 

「AL作戦に向かった那智や足柄に笑われないよう、戦い抜いてみせましょう」

「わ、私も……皆を助けるためなら、頑張れます!」

 

 二人の言葉を受けて、私自身の覚悟も定まる。

 沈まない。沈ませない。皆で生きる。あの日――そう誓ったのだ。

 

「皆で――生きるんだ!」

 

 迎撃態勢を整えようとする敵艦隊めがけて、突撃を開始した。

 

 

 

 

「古鷹め、やる気を出しているな」

 

 前進する第一陣の奮闘ぶりを目の当たりにして、長門が思わず感嘆の言葉を口にした。

 

「見ていて少々危うくなる奮闘ぶりではあるがな。我々も――」

「ならぬ。この先にあの戦艦棲姫が二体も控えておるのじゃ。お主らは力を温存しておけ」

 

 好戦的な長門と武蔵が前に出ていきそうだったので、釘を刺しておく。

 

「古鷹たちなら大丈夫じゃ。何が蛮勇で何が勇敢であるかは分かっておろう」

「ほう。……昔に比べると利根も随分と他者を信じるようになったな」

 

 武蔵がからかうように言ってきた。

 

「尖り具合で言えばお主も大概であったろうが」

「違いない。お互いすっかり丸くなったということか」

「一緒にするな。吾輩は必要以上に誰かと絡むつもりはない。今は必要だからこうしてここにいるだけじゃ」

「十分丸くなっていると思うぞ」

 

 武蔵の物言いに、思わず鼻を鳴らす。

 

「無駄口叩くな。早々にケリをつけて提督のところに向かうぞ。吾輩たちの敵は正面だけではないのだからな」

 

 後背からの空爆。完全にしてやられたと思った。

 攻撃は一度だけでは済まないだろう。いつまでも正面の敵にかかずらっている場合ではない。

 ここに金剛やビスマルクがいてくれれば、と思う。二人はAL作戦に参加していて不在だが――もしいてくれれば、その機動力と戦闘力で北側を任せられただろう。

 

「……いや、ないものねだりをしても仕方があるまい。吾輩たちは、今いる戦力でここを凌がねば」

「問題ないさ」

 

 長門がこちらの肩を叩いて言った。

 

「私たちなら、大丈夫だ」

 

 根拠などない。そのはずなのに、長門の言葉には不思議な説得力があった。

 

 

 

 空爆の影響で各地の木々がなぎ倒され、普段使っている道の多くが使えなくなっていた。

 そうして何度か回り道をして近場の村へ辿り着いた頃――二度目の空爆が行われた。

 幸い今回も難を逃れたが、眼前で村が壊される様を見ると、気持ちが不安定になりそうだった。

 

「……村の人たちは皆避難したみたいだな」

 

 村の様子を見てみたが、遺体らしい遺体は見当たらなかった。人影一つ見当たらない。

 ほっとしているのか、もぬけの殻となった村に寂しさを覚えているのか、段々とよく分からなくなってきた。

 

「避難場所はこの近くだったはずだ。大まかな場所は覚えている。そこに向かおう」

 

 そのとき、遠くから何かが近づいてくるような音がした。

 深海棲艦の艦載機の音に聞こえる。空爆のときほど多くはなさそうだが、どこか近くにいるのかもしれない。

 

「先生、気を付けて移動しよう。敵が近くにいるかもしれない」

「分かった。異変があればすぐに教えてくれ」

 

 なるべく物音を立てないよう、先生の車椅子はこちらで押すことにした。

 周囲を警戒しながら村の中央から離れていく。緊張感で神経が張り裂けそうだった。

 物陰に隠れたとき、上空に深海棲艦の艦載機がその姿を現した。間一髪だった。後少し遅ければ発見されていたかもしれない。

 爆弾搭載型ではない。ただ、機銃を多めに積んでいるようだった。

 

「……空爆は十分と見て、直接生き残った人を掃討しに来たのかもしれない」

「可能性はあるな。……発見されるとまずい。慎重に行こう」

 

 艦娘なら渡り合える相手だが、こちらは先生も私もただの人間だ。向こうからすれば格好の的である。

 艦載機が離れていくのを見届けて、再び移動を再開する。

 

「……こちらは駄目だな」

 

 村の避難場所の近くまで移動したところで、先生が無念そうに口にした。

 避難場所の入り口付近の木々がなぎ倒されて、まともに進める状態ではなくなっていた。先生を背負って無理矢理通ることはできそうだったが、近くには深海棲艦の艦載機が飛んでいるようだった。敵前に姿を晒せば、二人ともまず助からない。

 

「また少し移動することになるが、ナギたちの村に行こう」

「……先生。いっそ、ここでじっとしていた方が良くない?」

「上策ではないと思う。敵艦載機は獲物を探しているようだった。敵の目が届かない場所に行かないと、いずれ追い詰められる」

 

 先生の言葉を裏付けるかのように、周囲を飛んでいる深海棲艦の艦載機が機銃を周囲一帯に撃ち始めた。隠れている者を炙り出そうとしているかのような動きだ。

 ナギたちの村を目指して道なき道を駆けていく。どこまで逃げれば良いのか、終わりがまったく見えない逃避行だった。

 

「すまないな」

 

 不意に、先生が謝罪の言葉を口にした。

 

「私が君を引き取らなければ、こんなことに巻き込まずに済んだかもしれない」

「……それ以上言ったら、先生が相手でも怒る。確かに今は怖いけど――私はこの泊地で過ごしたことを後悔はしてない」

「そうか」

 

 先生はそれきり、何も言わなくなった。

 余計な謝罪だったと、後悔したのかもしれない。

 

「……先生。もうすぐナギたちの村だよ」

 

 沈黙が若干気まずくなり、そんなことを言ってみる。

 そのとき――上空から何かが急接近する音が聞こえた。

 ぱっと空を見上げると、機銃をこちらに向けた敵の艦載機がこちらめがけて急降下してくるのが見えた。

 

「――横に逃げるぞ!」

 

 先生が叫ぶ。

 敵の機銃が放たれる音が聞こえるのと同時に――私と先生は、道の外れにあった草叢に飛び込んだ。

 ふわりと、身体が宙に浮く。

 草叢の向こうは――小川へと続く小さな崖になっていた。



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第二十一条(4)「今日の自分より一歩進んだ明日の自分になれ」

 あのとき負けていなければどうなっていただろう。

 手持ち無沙汰になると、ついそんなことを考えてしまう。

 あの戦いの結果、日本の立場が一気に苦しくなったことは疑いようがない。

 仮にあのとき勝っていれば、その後の戦いは随分と違ったものになっただろう。あの敗北がすべてを駄目にしてしまった。そんな気がしてしまう。だからか、あの戦争で自分たちより後に亡くなった人々の死の責任は、私にあるのではないかとさえ思えた。

 だから、勝ちたかった。

 何が何でも勝利を掴む。それがきっと皆のためになると信じていた。

 

「……う」

 

 意識が現実へと引き戻されていく。

 最初に感じたのは痛みだった。全身あちこちが痛む。

 それは生きている証拠だ、と自分に言い聞かせて立ち上がろうとした。

 しかし、身体に力が入らない。ぐらりと身体が後ろに倒れそうになる。

 そこを、誰かが抱き留めてくれた。

 

「……すみませんね、加賀さん」

 

 見なくとも気配で分かる。支えてくれているのは加賀さんだった。

 

「やっと見つけました。心配しましたよ、赤城さん」

「ええ、ええ。今回はさすがの私も無茶をしたと反省していますよ。……それで、戦況は?」

 

 加賀さんが呆れたような溜息をついた。

 

「貴方の反省の定義を一度確認したいのですが……。うちの艦隊は現在榛名・霧島両名に任せています。私も赤城さんの捜索に集中していたので実情は把握できていませんが、敵艦載機の攻撃は乗り切ったと言って良さそうです」

 

 言われてみれば、この辺りの空は静けさを取り戻していた。少し離れたところでは空中戦が継続しているようだが、徐々にこちらが押しつつあるようだった。

 三浦提督に状況を窺おうと思ったが、通信機がなかった。先ほど攻撃を喰らったときにどこかへやってしまったらしい。

 

「加賀さん」

「駄目です」

 

 こちらの言わんとすることを察したのか、加賀さんはきっぱりと頭を振った。

 

「一旦戻りましょう。その後でなら、お付き合いします」

「……分かりました」

 

 二人で肩を並べて皆のところへと戻る。

 帰路、先ほど頭に浮かんだことを思い返した。

 

「加賀さん、なぜ私が勝利にこだわるのかという質問をしていましたよね」

「ええ」

「先ほど沈みかけて――あのときのような状況に立ち返ったことで、その理由が分かったような……思い出せたような気がします」

 

 かつてこの島で敗北し、国を劣勢に立たせてしまったこと。

 その後失われた命に対する責任を感じていること。

 それを、包み隠さず加賀さんに伝えた。

 

「赤城さん、それは傲慢な考え方です」

 

 加賀さんは少し迷った末に、そのように返してきた。

 

「あの戦いで負けた責任は赤城さんだけのものではないわ。まして、その後の戦いのことまで私たちが口にするのは、劣勢の中でも諦めず戦った人たちへの侮辱になる」

「……ええ。頭ではそう理解しているつもりです」

 

 それでも、思わずにはいられない。あのとき勝利できていれば――と。

 

「私もあの場にいた一人だから、その気持ちは分かるわ。後悔はある。申し訳なさもある。そこから反省すべき点もあると思う。けれど、反省した結果が『何が何でも勝つ』ということなら、私はそれを否定するわ、赤城さん」

 

 こちらを見て、加賀さんはきっぱりとそう言い切った。

 

 

 

 目覚めたとき、身体の半分以上は川に浸かっていた。

 深海棲艦の艦載機に襲われて、咄嗟に道の外れに飛び込み――その先の川へと落下したのだ。

 自分の状況を思い返しながら、周囲の様子を確認する。

 深海棲艦の艦載機は見当たらない。こちらを始末したと思って去ったのか、あるいはこちらが川に流され遠くに来たのか。

 見ると、先生もこちらと同じように川辺に引っかかるような形で倒れていた。

 

「先生、大丈夫?」

「……ああ。どうにか生きているみたいだ」

 

 ただ、先生の車椅子は駄目になっているようだった。川に落ちてしまったからか、上手い具合に動いてくれない。

 不幸中の幸いか、車椅子についている籠の中身は無事だった。泊地から持ち出した資料の入ったケースに、先生の義足もある。車椅子に比べると移動は遅くなるが、ないよりは良いと先生は義足を取り付けにかかった。

 

「康奈、その怪我は大丈夫か」

 

 言われて、自分があちこちに切り傷を負っていることに気づいた。それに、身体を捻ろうとすると一部が妙に痛む。どうやら敵艦載機の機銃が少し当たっていたらしい。

 

「……少し痛みますが大丈夫です。少なくとも、今のところは」

「ナギたちの村にも医者がいたはずだ。早く向かおう」

 

 義足と杖を頼りに先生が立ち上がる。しかし、すぐにその身体は崩れ落ちてしまった。

 

「せ、先生?」

「……ううむ。困ったな」

 

 先生の表情はいつも以上に蒼白かった。呼吸も少し乱れている。

 嫌な予感がして、先生の背中に回り込んだ。見ると、何ヵ所か血が滲み出ている箇所がある。先生も撃たれたのだ。

 

「……私が背負っていきます。先生は無理しないでください」

 

 そう言って先生を背負う。重みでこちらの傷も痛んだが、今はそんなことに悲鳴を上げている場合ではない。

 ゆっくりと少しずつ進んでいく。とりあえず身を隠せる場所に行かなければ。この川辺は、空から丸見えだ。

 そのとき、再び深海棲艦の艦載機が近づいてくる音が聞こえた。

 慌てて周囲に身を隠せる場所がないか探すと、人ひとりが隠れられる程度の木陰があった。先生と二人で隠れられるかは不安だったが、今はそこしか身を潜められる場所がない。迷っている暇はなかった。

 二人で物陰に隠れながら、敵の艦載機を注視する。

 川辺に残した先生の車椅子に気づいたのか、敵艦載機は注意深くその辺りをうろうろし始めた。

 こちらに気づかないよう一心に祈る。その祈りが届いたのか、やがてその艦載機は遠くへと飛び去っていった。

 

「今のうちに」

 

 再び先生を背負う。だが、傷の痛みが先程よりも悪化していた。思いがけない激痛に、先生の身体を落としてしまいそうになる。

 

「……少しここで休もう。今無理に動くのは危険だ」

「けど……」

「リスクがないわけではない。ただ、今二人でよたよたと逃げるよりはマシだと思う」

 

 先生は苦しそうだったが、物腰はいつもと変わらなかった。取り乱している様子は見受けられない。

 

「……分かった」

 

 今は、先生の判断を信じるしかなかった。

 

 

 

 敵の前線は大分崩せてきたように思う。

 その証拠に、後衛にいた戦艦棲姫たちが少しずつ前に出て来ていた。

 射程圏内に入るかどうか、ギリギリの距離に迫りつつある。

 

「……っ」

 

 かつて、昨年の秋にあれと対峙したが――あのときは成す術もなく倒されてしまった。

 圧倒的な力を誇る敵が今度は二体いる。その恐ろしさに、思わず身体が竦みそうになった。

 

「よくやってくれた、古鷹」

 

 そのとき、力強い声が聞こえた。

 こちらの肩に手を置いて、凛々しい表情を見せたのは長門だった。そのすぐ側には、陸奥・大和・武蔵が揃っている。

 

「おかげでこちらは準備万端だ。奴らの相手は私たちに任せてもらおう」

「どちらが強き戦艦か、勝負といこうではないか」

 

 拳を鳴らしながら武蔵が好戦的な笑みを浮かべる。陸奥や大和も気合十分のようだった。

 

「古鷹、お主はまだいけそうか」

 

 長門たちとは反対の方から、利根が顔を覗かせた。

 

「敵は戦艦どもだけではない。後方にいるあの空母の新型――鬼か姫であろう。あちらは我らで叩く。いけるか」

「……うん。まだ、やれるよ!」

「では、面倒をかけるが付き合ってくれ」

 

 戦艦棲姫がこちらめがけて突撃を開始した。この海原を震撼させるような砲撃が、あのときの倍の数飛んでくる。

 恐怖で身体が止まりそうだったが――泊地で過ごした日々のことを考えると、それが抑えられた。

 かつては物言わぬ艦でしかなかった自分たちが、人の身体と心を得た。

 思わぬ形で別れを告げることになった仲間と、再び出会い、共に笑い合えるようになった。

 自分たちを人として見てくれる、良き人がいた。

 この戦いは、そんな居場所を守るための戦いだ。そう思うと――どんな恐怖にでも打ち勝てる気がした。

 

「私たちが背負ってるのは、私たちの居場所だ……! 私たちが守る! それは、絶対に絶対なんだから……っ!」

 

 覚悟を新たに、一歩を踏み出す。

 それは、自分たちの居場所に帰るための前進だった。

 

 

 

 身を潜めてからどれくらい経っただろう。

 空爆は収まったが、敵艦載機は相変わらず上空を飛び交っている。

 時間が経過して傷の具合が悪化しているのか、少しずつ気分が悪くなってきた。

 

「……大丈夫か、康奈」

「うん。先生こそ」

「私は、いつも調子が悪い。調子が悪いのが普通だから――問題ないさ」

 

 それが強がりであることは分かっているが、私にはどうしようもなかった。

 周囲の様子を窺っていると、見覚えのある人影が見えた。

 

「あ、康奈さん……!」

 

 周囲を警戒しながらこちらに近づいてきたのは、私たちが行こうとしていた村の住人――ナギだった。

 いつも妹のナミと一緒に泊地の手伝いをしてくれている、馴染みの子だ。

 こちらに駆け寄ってきたナギは、私と先生の状態を見て顔を真っ青にした。

 

「二人ともひどい怪我だ。大丈夫……!?」

「大丈夫。……それよりナギ、なんでこんなときに出歩いているの。ナミは?」

「ナミは避難場所に置いてきたよ。さすがに危ないから」

「だったら、なんで貴方は……」

「うちの避難場所に転がり込んできた人が、おじさんたちを見たって言ってたんだ。それで不安になって……」

 

 ナギはそう言って俯いてしまった。

 困った。そんなことを言われては、強く叱ることができない。

 

「……ナギ」

 

 それまで黙っていた先生が、ナギの頭に手を置いた。

 

「ありがとう。本当は叱らなくちゃいけないんだが……今回は、正直なところ君の勇気に感謝したい」

「……おじさん?」

 

 先生の様子に違和感を覚えたのか、ナギが訝しげに顔を上げた。

 普段、先生はこんなことを言わない。危険なことをしてはいけないと、きちんと叱るはずだった。

 

「私は、何も諦めたわけではない。ただ、状況は決して良くない。打てる手は打っておきたいと思っていたんだが、私と康奈だけではできることに限界があった。……だが、こうしてここにナギが来てくれた。これで一つ保険が打てる」

 

 先生は、申し訳なさそうな表情でこちらを見た。

 

「今後のことを、考えていた。この状況を切り抜けて、泊地の未来を繋いでいくための方策だ。私は阿呆だから、他に手は思い浮かばなかった」

「……先生、何を?」

「すまないな……。康奈、君は良いと言ってくれていたが――やはり謝らせてくれ。私は今から君にとても酷いことをする。もう、後戻りはできない。こんなタイミングですることになるとは思わなかったが、念のためだ。念のため、今しておいた方が良い」

 

 そう言って、ナギの頭に置いていた手を私の額に向けた。

 先生の手が微かな光を放つ。それはきっと、とても大切な――かけがえのないものだ。

 光が先生の手から、私の方に移ってくる。その瞬間、膨大な量の何かが私の中に入り込んできた。

 駆逐艦・叢雲。

 軽巡洋艦・夕張。

 重巡洋艦・古鷹。

 戦艦・長門。

 軽空母・瑞鳳。

 航空巡洋艦・利根。

 正規空母・加賀。

 他にも数多の艦娘の情報が――私の脳内に叩きつけられていく。

 

「せ、先生……これは……」

「――提督権限の委譲は完了した。今から提督は君だ、康奈。君が生き延びることが最優先事項になる」

 

 意識が朦朧とする。先生から渡されたものの重みに耐えかねているのだ。

 

「……生きなさい、康奈」

 

 そこまで聞いたところで、私の意識は闇に落ちた。

 最後に見えた先生は――いつもと変わらず、どこか頼りなさそうで、とても優しい表情をしていた。

 

 

 

 目の前で康奈さんが倒れた。

 何が起きたのかサッパリ分からない。おじさんが額に手を当てて、そこが光ったと思ったら突然倒れたのだ。

 

「お、おじさん。康奈さん大丈夫なの……?」

「ああ。心配ない。精神的な負荷で倒れただけだ。傷への影響はないはずだ」

 

 おじさんは倒れた康奈さんを抱きかかえながら、こちらに真剣な眼差しを向けてきた。

 

「ナギ、一つ無茶を頼みたい。康奈を背負って君たちの村の避難場所まで逃げてくれないか」

「……」

 

 それがとても大きな頼み事だということは分かった。

 今はあちこちで深海棲艦の艦載機が飛び回っている。人一人を背負ってそれを掻い潜らなければならないのは、相当難しい話だ。

 それでも、おじさんはやってくれと頼んできた。普段無茶を言わないおじさんがそんな頼みをしてくるということは――是が非でも成し遂げなければならないことなのだろう。

 だが。

 

「おじさんは、どうするの?」

 

 おじさんも怪我をしているし、片足は義足だ。とても歩き回れるようには見えない。

 

「私は、休みながら避難場所に向かうよ」

「そんな、無茶だよ……!」

 

 康奈さんを連れて逃げるこっちより、もっと無茶だ。避難場所に着く前に深海棲艦にやられてしまう。

 

「そうなる可能性もあるな。だから、念のため提督権限を康奈に委譲したんだ。少しでも泊地存続の可能性を高くしておくために」

「……おじさん、死ぬつもりなの?」

 

 不安からか、そんな言葉が口から出た。

 昔死んだ父さんが最後に見せた顔が、不意に脳裏に浮かんだ。おじさんの顔が、そのときの父さんと同じものに見えたのだ。

 おじさんは苦笑いしながら頭を振った。

 

「座して死ぬ気は毛頭ない。ギリギリまで生きることを諦めるつもりはないさ。ただ、どう頑張っても死ぬときは死ぬ。そういう可能性を考慮した、というだけの話だ」

「難しいことはよく分かんないよ。でも、おじさん、死ぬつもりじゃないんだよね」

「ああ。後から向かう。だから頼む、この子を――俺たちの泊地の希望を繋いで欲しい」

 

 そう言って、おじさんは倒れた康奈さんをこちらに渡してきた。

 背負ってみる。こんなことを言ったら怒られそうだけど――ナミに比べたら重い。けど、頑張れば走れなくはない。

 

「プレッシャーをかけておいてなんだが、焦らないでくれ。敵に見つからなければ、ゆっくりでいいんだ。少しずつ、一歩ずつ進んでいけば、それでいい」

「……分かった」

 

 周囲を見渡す。今は艦載機の気配もなかった。

 

「おじさん」

「うん。また会おう」

 

 こちらが望む言葉が分かっていたかのように――おじさんは笑って手を振った。

 それに背を向けて、何かを断ち切るように走り出す。

 振り返ったら、泣いてしまいそうな気がした。

 

 

 

 赤城さんと揃って戻ったが、残っていたのは筑摩だけだった。

 攻勢に転じることになったので、指揮を霧島に委譲して全員空母棲鬼打倒に向かったらしい。

 

「ですが、空母棲鬼はこちらの攻勢にも動じず互角の戦いを繰り広げているようです。……形態を変えて、攻撃の苛烈さは増す一方とのことでした。三浦提督たちは暫定的に形態を変化させた空母棲鬼を姫クラスと認定したそうです」

「空母棲鬼改め空母棲姫ということね」

 

 こちらが優勢に立ったかと思ったが、状況はそこまで甘くないようだった。

 急ぎ補給と修繕を済ませて出撃準備を整える。

 赤城さんも、損傷は大きいものの応急処置でどうにか出られるようにはなった。

 

「……赤城さん」

「なんでしょう」

「やはり、出るのですか」

「ええ。こればかりは性分です。一航戦赤城として、戦場を前に一人休息することはできません」

 

 赤城さんの頑固さには困ったものだった。

 こういうところは、提督に少し似ている気がする。

 

「先ほどの話、少し補足しておきます」

 

 決戦を前に、僚艦相手にしこりを残しておきたくなかった。

 

「勝利を望む気持ちは分かります。あの戦いへの後悔があることも分かります。けど、私が抱いている後悔は赤城さんのものとは少し違います」

「……どう違うのですか?」

「私が一番強く後悔しているのは、あの戦いで沈んでしまったことです」

 

 勝てなくとも、生き延びてさえいれば状況は変わっていたはずだ。

 後の子たちにばかり苦労をかけることもなかった。辛く苦しい戦いを強いられている子たちと、共に戦うことができた。

 

「勝てないことへの悔しさもありますが、あそこで沈んでしまったことに比べれば、大したことではありません。本当はもっと生きて戦い続けたかった。五航戦の子たちや雲龍型にばかり辛い思いをさせることになってしまった。私の一番の後悔はそこにある」

 

 今年の春先、かつてない強敵を相手に苦戦する赤城さんや瑞鳳たちに向かって提督は言った。

 生きることを諦めるな、と。

 共に明日を迎えよう――と。

 

「今も私たちには、共に戦ってくれる仲間たちがいる。私は、目先の勝利のために犠牲になるようなやり方を採るくらいなら、勝てずとも皆と生き延びてリベンジを果たす方が良い。……赤城さんは、どうなのかしら」

 

 赤城さんはしばし呆けていたが、やがておかしそうに笑ってみせた。

 

「ずるいですね、加賀さん。そんな風に言われて、前者だと答えられるわけないでしょう。……ええ、今度こそ本当に反省するしかないようです。確かにあの戦いで一番反省すべきところは、負けたことではなく、沈んでしまったことにあるでしょうね」

 

 そんな赤城さんに向かって、手を差し伸べた。

 

「一緒に来てくれますか。私は臆病なところがあるから、貴方の勇敢さが欲しい」

「いいですとも。ただし、私は勇猛すぎるきらいがありますから、いざというときは止めてください」

 

 二人、短く握手を交わす。

 ショートランド島を出る前からずっと抱えていた心のもやが、ようやく晴れたような気がした。

 

「行きましょう。空を我々のものにするために」

「ええ。頼みにしていますよ」

 

 筑摩の偵察機に誘導されながら、前線に向かっていく。

 これは――生きて帰るための前進だった。

 

 

 

 艦隊全員が満身創痍になりつつあった。

 だが、それは敵も同じだった。別方面に向かった部隊はいるようだが、こちらに展開しているのは千歳の報告通り五艦隊だけだったようだ。

 それも残すところあと一体――戦艦棲姫だけとなっている。

 相対するのは長門たち戦艦四人。いずれも中破以上のダメージを負っているが、戦意はいずれも衰えていなかった。

 

「長門……」

「心配無用だ、古鷹。……いつぞやの霧の艦隊に比べれば、この程度の困難は大したことではない」

 

 長門が、主砲を戦艦棲姫の一体に突き付ける。

 相手の戦艦棲姫も、長門や陸奥に向けて砲身をまっすぐに向けていた。

 一瞬の静寂の後、先に動いたのは戦艦棲姫だった。

 主砲を撃つと見せかけて、長門たちめがけて突撃する。巨大な艤装に見合わぬ速度で急接近する戦艦棲姫に、長門たちは一斉掃射で迎え撃った。しかし、中破した状態での砲撃では威力が足りなかったのか、戦艦棲姫の装甲を貫くには至らなかった。

 そのまま長門たちの懐に飛び込んだ戦艦棲姫は、剛腕のような艤装を振り回して長門と陸奥の身体を殴り飛ばす。更に、迎撃しようとした利根に至近距離から砲撃を放った。

 

「ぐっ……!」

 

 間一髪で避けた利根だったが、その隙に敵の接近を許してしまった。

 

「――――ッ!」

 

 吠え猛る艤装の一撃で、利根も海面に叩きつけられる。

 だが。

 

「まだ、だよ……っ!」

 

 敵の目が長門や利根たちに向いている隙を突いて、戦艦棲姫に肉薄する。

 至近距離で、目に仕込んだ探照灯の光を思い切り戦艦棲姫にぶつけた。その衝撃で、戦艦棲姫が悶えながら目を抑える。

 相手の視界が封じられている今が――千載一遇の好機だった。

 

「――武蔵っ!」

「応ともっ!」

 

 外すまいと、武蔵が戦艦棲姫の真正面に迫る。

 

「大和!」

「ええ!」

 

 側面から大和が、正面から武蔵が戦艦棲姫めがけて同時に主砲を放つ。

 動けない戦艦棲姫にそれを避ける術はなく――主砲はその身体へと吸い込まれていく。

 大和型二人の主砲は、さすがに耐えきれなかったらしい。戦艦棲姫は、苦悶の声を上げながら海の底へと沈んでいった。

 ――――。

 ――。

 激闘が終わり、全員が死んだように動きを止めた。

 

「……どうにか、片付いたみたいだね」

 

 大破した北上が、呼吸を整えながら呟いた。

 

「いや、まだ終わりではない」

 

 よろよろと態勢を整えながら、利根が口元の血を拭う。

 

「あくまで正面の敵が片付いただけじゃ。動ける者も動けない者も、早々に戻るぞ」

「うへー、スパルター」

「なら、ここに残るか?」

「……いや、帰るよ。だってあたしらの帰る場所、あそこだし」

 

 北上の言葉に、皆が頷いた。

 ショートランド島を振り返る。

 あちこちから煙が立ち込めていた。何度か敵の襲撃があったようだ。きっと酷い状態になっているのだろう。

 

「……急ぎ戻ろう。これからだ、大変なのは」

 

 長門がこちらの背中を叩きながら言った。

 そうだ。これで終わりではない。

 私たちは――まだまだこれからだ。

 

 

 

 空母棲姫との戦いは長引いていたが――私たちの合流によって形勢が変わった。

 私たちの艦戦隊が加わったことで、拮抗状態になっていた制空権争いの主導権を奪うことができたのだ。

 そこからは早かった。上空を気にしなくて良くなった戦艦・重巡・水雷戦隊が敵めがけて突撃を敢行し、一気に敵陣形を突き崩したのである。

 

「……不思議なくらい、あっさりと勝ててしまった気がします」

「いやいや、大変だったのですよ。赤城さんと加賀さんが美味しいとこ持っていっただけです」

 

 ずっと第一線で頑張っていた飛龍が不服そうに頬を膨らませた。

 その隣には、修復を済ませて戦線に復帰していた蒼龍の姿もあった。

 

「二人とも、なんだか表情変わりましたね」

「そうかしら」

「ええ。……この戦いに、勝てたからでしょうか」

 

 蒼龍は、残敵掃討に移る味方の背中をどこか眩しそうに見ていた。

 

「……さて、どうかしら。ねえ加賀さん」

 

 赤城さんが少し意地悪そうな笑みを浮かべてこちらを見た。

 二航戦の前でも先ほどのような話をしろということだろうか。さすがにそれは――恥ずかしい。

 

「……一番嬉しいのは、皆で無事に帰られそうだということですね」

 

 今は、そう言うのが精一杯だった。

 蒼龍と飛龍は不思議そうにこちらを見ていた。いつか、二人にも折を見て話しておくべきかもしれない。

 

「あ、そうだ。帰ったらご馳走!」

 

 飛龍が思い出したかのように手を打った。

 

「加賀さん、提督と念話できるんですよね。だったら戦勝報告しておいてくださいよ。帰る頃にはご馳走いっぱい用意しておいて欲しいなあ!」

「……こういうときでも飛龍は相変わらずね。でも、戦勝報告は……しておいても良いかもしれません」

 

 指輪を握り締めて、何度かやったときと同じように、提督に向かって念話を試みる。

 だが、今回は何も感じなかった。念話をするときは繋がった感触があるのだが、今回はそれがない。

 

「……おかしいわね」

「繋がらないんですか?」

「ええ。……もしかしたらお休みなのかもしれないわ」

 

 また後でかけてみればいい。

 今は――皆で迎えた勝利の一時の中にいたかった。

 

 

 

 どれくらい、この場に留まっていただろう。

 ナギは、康奈を連れて避難場所まで逃げ延びただろうか。

 迎撃に出た利根たちは無事だろうか。

 AL作戦に向かった那智たちは、MI作戦の加賀たちはどうだろう。

 加賀から連絡があったが、赤城はきちんと見つけられたのだろうか。

 叢雲たちは、島の人たちをきちんと逃すことができただろうか。

 いつまでも、ここでじっとしていても仕方がない。全身が痛む中、一歩ずつ進むことにした。

 

 ……やれやれ。なんだか、上手くいかないことばかりだったな。

 

 こんな傷だらけになって一人異国の島を歩くことになるとは、一年前は想像もしていなかった。

 嫌なことばかりの人生だった。

 遊びたい盛りの頃、弟と妹が生まれた。両親は共働きだったから、自分が面倒を見なければならなかった。

 弟や妹が物心つく頃、両親が事故に遭った。父は亡くなり、母は事故で障害が残った。家族の面倒を、自分が見なければならなくなった。

 自分が何をやりたいのか、考える時間もないまま大人になった。

 生活のために仕事に就いた。楽しくなんてなかった。怒られるばかりの日々だった。稼いだ金は、家族のために使った。

 そんな生活を過ごしていたところ、出張に行かされ、事故に遭った。

 そうして――叢雲と出会った。

 もっと自由に生きたかった。青春らしい青春を謳歌したかった。自分のやりたいことを探したかった。こんな風に戦いの中に身を置きたくなんてなかった。

 それでも――嫌なことから逃げて、もっと嫌な思いをするよりはマシだった。

 家族の面倒なんて見たくなかったが、家族が不幸になるのを見ているよりは良かった。

 仕事をするのも好きではなかったが、誰かの役に立っていると実感できたときだけは嬉しかった。

 戦いに身を投じるのも嫌だったが――それで救われる人がいるなら、いいと思った。

 

『それって、貧乏くじ引く生き方だと思いますよ』

 

 そうかもしれない。

 

『……でも、そういう提督だからこそいい艦隊を作れそうだなって気もします』

 

 作れただろうか。

 そう言ってくれた子のことを思い出して、また一歩を踏み出す。

 彼女が進みたくても進めなかった一歩だ。

 どれだけ状況が悪かろうと、生きているならまだ進むべきだ。

 いつか静かな海を作ってみせようと、あのとき誓ったのだから。

 皆で共に明日を迎えようと、そう願ったのだから。

 春先の大規模作戦が終わった頃、由良にタロット占いをしてもらったときのことを思い出す。

 作戦前に占いをしていたときから由良の様子がおかしかったので、一応見てもらったのだ。

 引いたのは『死』のカードだった。由良が言うには、作戦前私が偶然拾ったのもこのカードで、そのことがずっと気にかかっていたという。

 だから、私は言った。

 

『アルカナは人間の人生の流れを表しているものだと聞いたことがある。愚者から始まり、世界で終わる。死というのは道半ばに置かれたカードだ。つまり、これは何もかもが終わりになってしまうような、そういう死を意味するものではない』

 

 なぜ、今その話を思い出したのだろう。

 死を身近に感じているからか。それに対して挫けまいとしているからか。

 傷のせいで体力がいつも以上に減りやすい。すぐに息が上がって、足が止まりそうになる。

 これでは駄目だ。急いで移動しないと――。

 

「……」

 

 そう思っていた矢先、影が差したような気がして、空を見上げる。

 そこには、どこか生物的な印象の小型飛行機のようなものが飛んでいた。

 一年前の今も、こんな光景を見たような気がする。思えば、あれがすべての始まりだったか。

 銃口がこちらに向けられる。

 身体はとうに限界を迎えていた。

 動きたくとも、もう動けない。

 だが、それでも一歩前に出た。

 後ろに下がって終わるのは、嫌だった。

 そのとき――砲声が轟いた。

 気づけば、目の前には一人の少女が立っていた。この一年間、ずっと側にいてくれた少女だ。

 敵の艦載機が、物言わぬ躯となって地に落ちる。

 

「――あんた、大丈夫?」

 

 彼女は、あのときと同じように振り返った。

 

「……ああ。どうにか」

 

 思わず――笑みが浮かんだ。

 

 

 

 背負った新八郎の身体は、不思議なくらい軽かった。

 周囲を警戒しながら、少しずつ歩いていく。

 

「よく、俺の居場所が分かったな」

「居場所が分かったのは、偶然よ。何か胸騒ぎがして、急いで泊地戻って、あんたたちの姿がなかったから……あちこち探し回ってたのよ」

「そうか。すまんな……」

 

 謝らなくていい。こんなのは、いつものことではないか。

 

「……提督権限、手放したのね」

 

 新八郎からは、提督としての気配がなくなっていた。

 おそらく、康奈に移したのだろう。今の彼は――もう提督ではないのだ。

 

「……念のためな」

「康奈は?」

「ナギに頼んで、避難場所まで送ってもらった。叢雲たちに異常がないなら……無事なんだろうな」

「そうね。きっと、無事でいると思う」

「島の人たちは、大丈夫かな」

「救援は一通り済んだわ。今、そっちを担当していた艦娘は皆で北側の敵への対処に当たってる」

「そうか」

 

 新八郎が安堵したのが、気配で伝わってきた。

 

「南方に行った古鷹たちも、じきに戻ると思うわ」

「……ああ、そうだな」

「AL/MI作戦に行ってる金剛や赤城、加賀たちも……きっと無事に戻ってくる」

「…………そう、だな。きっと、無事に戻ってくる」

 

 新八郎の声が、次第にか細くなっていく。

 

「……叢雲」

「なに?」

「康奈たちのことを――泊地のことを頼む」

「……何を今更。頼まれなくたって、しっかり見ておいてあげるわよ。あんたと私で作り上げた場所だもの。あんたが後継者として選んだ子だもの」

 

 それを聞いて、背中で新八郎が穏やかな声を上げた。

 

「――良かった。……なあ、叢雲。この一年間は……楽しかったな……」

「……ええ。あなたと出会えて、良かった」

 

 不意に、背中から重みが消えたような気がした。

 何か――とても大切な何かがなくなってしまったような、そんな感覚が全身を包み込む。

 

「……そっか、疲れちゃったのね」

 

 一歩、また一歩前に進んでいく。

 

「あんたは、頑張り過ぎなくらい頑張ったもの。……今はゆっくり休みなさい」

 

 私たちには、まだやらなければならないことが沢山ある。

 だから、まだ休むことはできない。

 

「……いつか、また会いましょう。新八郎」

 

 夏の空を見上げる。

 立ち止まってはいけない。

 生きている限り、歩み続けなければならない。

 私たちの物語は――まだ続いていくのだから。



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エピローグ
エピローグ「二〇一四年・秋」


 二〇一四年、夏。

 大本営は北太平洋の制海権を確保するため大兵力をAL/MI方面に向かわせた。

 同地で深海棲艦の大軍を打ち破り、目的だった制海権の確保を達成したが――その隙を突かれて、各地の拠点が襲撃された。

 襲撃されたのは、艦娘が所属している鎮守府や泊地・基地ばかりだったという。

 この襲撃により提督やスタッフ、民間人にまで犠牲が出ることになり、AL/MI作戦についての批判が強くなった。

 結果、AL/MI作戦を推し進めた水元幕僚長は、責任を取る形で退任することになる。

 その影響で、海上自衛隊を中心とした対深海棲艦機構は再編されることになった。

 

 

 

 二〇一四年、秋。

 

「どうにもきな臭い話だね」

 

 都内の一角にある喫茶店で、毛利仁兵衛は鋭い眼光をテレビに向けていた。

 先のAL/MI作戦の是非を問う、という番組をやっている。そこでは様々な立場の人間が激論を交わしていた。

 

「……MI島、近々放棄するんだって聞いたぞ」

「事実だ」

 

 仁兵衛の正面に座る剛臣が、険しい顔で頷いた。

 

「組織再編に伴いMI島の必要性を改めて検討した結果、維持するコストの大きさの割に得られるものが少ないということで、来月には正式に撤退することになっている」

「そんなの、子供でも分かりそうなことだろう。水元のオッサンは個人的に好きなタイプではなかったが、そんなことが分からないような無能ではなかった。だいたい作戦に参加した僕らもMI島への出入りは禁止されていた。……腑に落ちない点が多過ぎる」

「毛利。お前は俺から何かを聞き出したいんだろうが――正直言って、俺も立場はお前と同じだ」

 

 仁兵衛の鋭い視線を受けて、剛臣は率直に実情を切り出した。

 

「おそらく他の海自出身の提督も同じだよ。大本営は用心深い。教える必要がないと判断したことは、俺たちにだって全然教えてくれないんだ」

「……なら、ショートランドの康奈の本当の境遇についても知らないのか?」

「以前お富士さんに引き合わせたとき、彼女が何かをされた子だということは聞かされた。だがそれ以上のことは知らない。……その口振りだと、大本営が関わっているのか」

「僕や新八郎は、その可能性が高いと見ていた」

 

 剛臣の様子から、本当に何も知らなさそうだと判断したのか、仁兵衛は肩の力を少し抜いた。

 

「……ショートランド泊地は、これからどうしていくのだろうな」

 

 新八郎の名前が出たことで、剛臣の思考はショートランドのことへと移ったらしい。

 

「どうしていくもないだろう。後任は決まったんだし、大本営もそこは認めた。艦娘たちも健在なんだし――今まで通りやっていくだけだろうさ」

「……冷たい物言いに聞こえるな。毛利は新八郎と特に親しくしていたではないか。心配ではないのか」

 

 非難めいた剛臣に、仁兵衛は「分かってないな」と頭を振る。

 

「よく知ってるから分かるんだよ。あそこの艦娘はそんなにヤワじゃない。生きているなら――今まで通り進んでいくさ。少しずつ成長しながらな。……心配なのはどちらかというと後任の方だが、そっちもどうにかするだろう」

 

 彼は最後まで指揮官ではなかったが、得難き指導者だった。

 あの泊地には――そんな彼が育てた子たちがいるのだから。

 

 

 

 静かに扉が開かれると、中から正装になった康奈が姿を見せた。

 彼女は若干戸惑いながら「変じゃないかな」と尋ねてくる。

 

「大丈夫よ、提督」

 

 とてもよく似合っている。変なところなどなかった。

 

「もっと堂々としなさいな。今日は正式に提督としての着任の挨拶をするんだから」

「叢雲。私に、務まるかな」

「それは分からないわね」

 

 少し意地悪を言うと、康奈は「むう……」と困ったような顔になった。

 

「あんたが大丈夫かどうかはこれからのあんた次第よ。けど、一つだけ言える。……あんたが提督として歩み続けるなら、私たちはあんたの支えになるわ。ね、皆」

 

 その場にいた皆に確認を取る。

 大淀、古鷹、長門、瑞鳳、加賀――康奈の門出に駆け付けた皆は、迷いなく頷いた。

 外で待っている他の皆も、きっと同じように頷いてくれると思う。

 

「……ありがとう」

 

 康奈は頭を下げて、感謝の言葉を口にした。

 次に顔を上げたとき、彼女の表情から不安は消えていた。

 

「行こう。皆を待たせたら悪い」

 

 先頭に立って歩き出す康奈の後に、皆がそれぞれ続く。

 この泊地は、まだ歩みを止めていない。

 私たちはまだ生きている。生きているなら、今日より良い明日を迎えられるよう、新しい一歩ずつ進んでいくだけだった。

 

 

 

 建て直された司令部棟の入り口に掲げられた二十一カ条を見上げる。彼が、私たちに宛てて残したメッセージだ。

 その末尾には、こう記されていた。

 

 

 

 第二十一条:

 言葉に意味を与えられる者になりなさい。他人の言葉を口にしているだけでは、その言葉に意味はありません。

 己が行動に誇りを持てる者になりなさい。胸を張って生きられれば、きっといろいろなことに気づけるでしょう。

 誰かを救い誰かに救われる者になりなさい。共に助け合い、笑い合える人を作れば、その分だけ貴方の人生は彩られるでしょう。

 そうして、一歩ずつ進んでいきなさい。今日の自分より良い自分が、明日待っています。迎えに行ってあげてください。



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エピローグ・RE「かの提督のエピローグ」

 それは夢か現か。

 彼は、一人水の中でたゆたっていた。

 

 ここがどこかも分からない。

 自分が誰かも分からない。

 何もかもが、朧気だ。

 

 ただ、聴こえてくる。

 静かで優しげな歌声だ。

 

 穏やかな揺らぎの中、身体に染みわたるようなメロディにすべてを委ね、彼は静かに微笑んだ。

 

「――貴方の旅路は、満足のいくものでしたか」

 

 歌声は依然として続いていたが、それとまったく同じ声が語りかけてきた。

 

「貴方は、すべてをやり遂げましたか」

 

 その問いかけに対する回答を、彼は持っていない。

 今の彼は何者でもない。まっさらな状態で、ここにいる。

 

「分からない」

 

 彼は、正直に答えた。

 言葉として、音に乗ったかどうかは分からない。

 ただ、相手には届いているだろうという確信はあった。

 

「分からない以上、やり遂げたと言うことは――できない」

 

 告げるのと同時に、歌が止んだ。

 

「ならば、貴方は未だ旅人のままです」

「私は、旅をしていたのか」

「貴方は、大海原を往く者でした」

 

 海。

 その言葉を聞いて、無性に懐かしさを覚えた。

 

 そこで、まだ何かをやらねばならないような気がする。

 

 誰にも告げていない。

 既にいなくなってしまった誰かに向けた――自分だけの誓いがあった。

 

「海は、静かか」

「いいえ。この星の大海原は、未だ深く暗い騒擾の中にあります」

 

 ならば、まだやらねばならない。

 まだ、往かねばならない。

 

「貴方は、既に多くのものを失っています。ここからの道は、今までとはまったく異なるものになるかもしれません」

「構わない」

「更に多くのものを失うかもしれません」

「構わない」

 

 この身も魂もあちこち壊れているが、向かおうという意思はまだある。

 なら、どうにかなるだろう。

 

「まだ終わっていないなら、進むだけだ」

 

 彼は、ゆっくりと起き上がろうとした。

 しかし、ピクリとも身体が動かない。

 

「今は、もうしばらくお休みなさい」

 

 たしなめるような、気遣うような言い方だった。

 

「貴方の行く道は過酷なものとなりましょう。だからこそ、この言葉を送らせてください。貴方の行く道に幸あれ、と」

 

 意識が再び遠のいていく。

 名も知らぬ誰かの言葉に甘えて、彼はもう少し休むことにした。

 

 意識が沈んでいく。

 再び目覚めるまでの、ささやかな眠りだ。

 

「――貴方たちに、幸あれ」

 

 二つの杯の狭間で眠りにつく彼に、祈りの声が贈られた。

 

 

 

 ショートランド泊地の埠頭に立ち、叢雲は一人潮風に当たっていた。

 

 あれからどれだけ経っただろう。

 泊地は少しずつ復興しつつある。

 

 深海棲艦との戦いは変わらず続き、皆、忙しい日々を過ごしていた。

 特に、新八郎と共に泊地運営の中心にいた叢雲の忙しさは群を抜いている。

 ただ、そういう忙しさに救われている部分もあった。

 

 今みたいに忙しさが途絶えてしまえば――否応なく、ここにいない人のことを思い出してしまう。

 

 元々別れ自体は決まっていた。ただ、再会が約束された別れになるはずだった。

 

 今もその思いは変わらない。

 いつか訪れる再会を信じて、今を懸命に生きている。

 だが、四六時中そうやって張り詰めていられるものでもない。

 

「……そもそも、あれ、私が一方的に言っただけだしね……」

 

 寄せては返す波の音だけが聞こえる。

 静かだ。静かな海だ。

 

 じっと波を見つめていると、一際強い風が吹いた。

 

 思わず目を閉じようとした瞬間、ほんの僅かな刹那の合間、叢雲は波の中に人の姿を見た気がした。

 

『叢雲』

 

 再び目を開けたとき、人の姿はもはやどこにも残っていなかった。

 ただ、彼から贈られた指輪が、心なしか暖かくなっているような気がした。

 

「いつか、また会おう」

 

 咄嗟に振り返る。

 そこには誰もいなかった。

 しかし、直前まで誰かがいたような気配を、叢雲は確かに感じていた。

 

「……言ったわね」

 

 ここにはいない誰かに、叢雲は笑みを向けた。

 

「約束したわよ。いつか必ず、また会うんだから。……嘘ついたら、タダじゃ済まさないんだからね」

 

 波の音は変わらず続く。

 ただ、その音は少しだけ優しいものになっていた。



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あとがき
あとがき


●はじめに

 拙作「南端泊地物語」を最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。

 そうでない方はご注意ください。このあとがきには「南端泊地物語」の本編に関する内容が含まれております。

 

●「南端泊地物語」で何を描きたかったのか

 本作のコンセプトは、思い描いていた自分の泊地のルーツを描くことにありました。

 艦隊これくしょんというゲームは設定が希薄で、プレイヤーによって想像する余地が多分にある作品だと思います。

 私自身、数年間ゲームを続けていく中で、自身の泊地についていろいろと想像が膨らむようになりました。それを形にしようと最初に手を付けたのが「S泊地の日常風景」という短編連作のシリーズです。

 思い描いていた設定を背景に置きながら何気ない日常を描く、というのが「S泊地の日常風景」のコンセプトでした。

 この日常ものを書き連ねていくうちに泊地の設定が徐々に固まっていくようになり、一度泊地の始まりを書いておきたいという欲求が出てきました。「南端泊地物語」を書き始めた理由はそのようなものになります。

 

●伊勢新八郎という主人公について

 あまり主人公らしくない主人公です。こういうタイプは書いたことがなかったので、個人的には苦戦させられました。

 艦隊これくしょんという題材を扱うなら、前面に出すのはやはり艦娘が良い。しかし泊地全体のことを描くなら提督の存在も欠かすことはできない――そういった理由から「前面に出ない主人公」という位置づけになりました。

 序盤は前に出ることもそれなりにありましたが、アイアンボトムサウンド以降は裏方に回って艦娘たちを支えるポジションに落ち着きました。全体を通しての主人公ではありますが、ヒーローではなくメンターに近い立ち位置になります。

 

 うちの泊地は不定期(だいたい大規模イベントごと)に提督が交代していく――というイメージがあったので、2014夏で彼が泊地を去ることは最初から決めていました。一人の主人公で長く続けるとどこかでマンネリ化しそうだという不安もありましたし、一年間を約二十四話で書くなら話数としてもちょうどいいだろうと思ったのです。実際書き終えてみて、ここで区切っておいて良かったと感じています。

 

 彼のキャラクターについては、「S泊地の日常風景」での泊地の様子を前提に考えていきました。うちの泊地の艦娘は自主的に考えて動く傾向が強いので、彼女たちの上に立つ提督は「俺についてこい」というタイプより「皆で考えよう」というタイプにした方がしっくりくる。自分で率先して指揮を執るタイプでないなら「指揮を執れない」とした方が良いのではないか――という具合です。

 艦娘たちからは比較的好意的に見られており、作中では善性がよく表れていますが、非人道的かもしれない人体実験を必要悪と割り切って許容するような一面もあり、純粋な善人というわけではありません。基本的には相手の意見・考えを否定せず、自分はこうで相手はこう、妥協点はどこにあるか、というのを模索し続けるような人物像にしています。

 およそ現代っぽくない名前ですが、これは早雲庵宗瑞こと伊勢新九郎から名前を拝借しているためです。これは早雲好きの私が艦これを始めるときにつけた提督名で、それをそのまま作品でも使っている形になります。

 なお、新八郎以外の登場人物の名前も元ネタはありますが、いずれも名前を拝借しているだけで、人物像等まで元ネタに寄せているというケースはほぼありません。

 

●序章(第一条~第四条)について

 泊地創建時のお話です。

 なぜ泊地ができたのか、なぜ提督はそこで戦うことにしたのか、いかにして提督と艦娘が出会ったのか、というのがメインになる話です。

 私自身「何か流行ってるみたいだしやってみよう」と何気なく艦これを始めたので、事前知識等は一切なく、何の気なしに初期艦の叢雲を選び、艦を揃えながら通常海域を突破していくことだけを考えていました。

 その途中、システムについてよく理解しないままプレイしていたこともあって、ある出来事が起きました。それがどういう出来事だったのかは本編で触れている通りですが、あの辺りから「よく分からないままプレイするのはいかんのではないか」と感じるようになったので、これを作中では「提督が戦う理由を見出した」という風に表しました。

 この辺りで出てくるメンバーは実際にプレイしていたとき揃っていたメンバーになっています。漣や曙はNewソートすると叢雲の次に出てくる最古参のメンバーで、現在も主に遠征面で頑張ってくれています。曙は史実を知ってから見方が変わった子の一人だったので、一話使ってその辺りのことを書けて、個人的には満足しています。

 

●第一章(第五条~第八条)について

 2013秋イベントを描いたお話です。

 私は嫌いな艦娘がおらず皆育てる派なのですが、特にお気に入りの艦娘が何人かいまして、その一人が古鷹になります。

 この頃はスクリーンショットや記録も取っていないのでややうろ覚えなのですが、私自身が2013秋イベントに参加した際、古鷹には大分助けてもらった覚えがあります。それ以降重巡筆頭として優先的に育ててきたので、本作執筆当初から彼女の話をここでやっておきたいと考えていました。

 

 古鷹というとやはり第六戦隊の存在が欠かせませんし、2013秋イベントの元ネタのこともあって、青葉を中心とする話を作ることにしました。青葉は二次創作界隈だと比較的ネタ要素強めで描かれることが多いですが、本作では彼女の戦歴等を踏まえて「普段は明るく振る舞っているが、サバイバーズ・ギルトを抱えている」というキャラクターにしています。昔のことを覚えているなら、青葉や雪風等長く戦った子たちはいろいろなものを抱えていると思ったので。

 艦隊これくしょんの世界観は、軍艦――艦娘にとっての「やり直しの物語」を可能にする下地があるので、それを活かしたいと考えて第一章を書いた覚えがあります。

 

●第二章(第九条~第十二条)について

 2013冬イベントを描いたお話です。

 蒼き鋼のアルペジオも絡めた話になるので、個人的には一番書くのに苦労しました。二重の二次創作と言いますか、いろいろと意識したり考えたりしないといけないことが多かったので。なお、本作のイオナたちは原作版ともアニメ版とも違うパラレルワールドの存在として扱っています。アドミラリティ・コードからの命令がなく、千早群像とも出会っていない――そういう世界のイオナたちだと捉えていただければと思います。

 

 第二章では長門と武蔵の対立・対比がメインになっています。長門と武蔵は「国民に知られたヒーロー長門」「極秘裏に建造された秘密兵器の一角武蔵」という点をはじめとして、対比できる点がいくつもあると感じたので、そこから今回の話を構築しました。

 二人がこの話で主張したことはどちらも間違ってはいないので、どのように落とすかが悩みどころでした。書き終えた今も「もっと良い落としどころがあったのではないか」と心残りになっていたりします。

 

 ちなみに書いていて楽しかったのは潜水艦たちのシーンでした。活躍させたり話の中心に据えたりしにくい子たちですが、皆うちの泊地には欠かせない子たちです。

 

●他所の鎮守府・泊地・基地等について

 大規模イベントについて描く際は、複数の拠点で協力し合うようにしよう、というのは当初から決めていました。

 他所の拠点の提督や艦娘を出すことで話の幅を広げることができますし、ショートランド以外が舞台のイベントに参加する理由が作りやすくなるためです。あとはシンプルに「強大な敵に人類サイドが結束して立ち向かう」というのが王道で格好良いから、というのもありますね。

 ただ、数を増やし過ぎるとまとまらなくなるので、本作では横須賀鎮守府とトラック泊地の提督・艦娘のみ出しています。

 

 横須賀鎮守府は最初に創設された拠点ということもあり、そこの提督は万能型の能力・実直な人柄を持つ人物として描こうと決めていました。深海棲艦との戦いが後世語られるようなことがあれば、そこに名前が載るような英雄タイプの人物というイメージです。

 ただそれだけだと現実感がなくなるので、実際に付き合ってみると人間らしい一面も持ち合わせている、という風に描きました。

 

 トラック泊地の提督は横須賀鎮守府の提督との対比で「切れ者だが若干癖がある」というキャラクターにしました。横須賀提督同様比較的癖のない新八郎と絡むことが多いので、会話が平坦にならないようにしたかった、という狙いがあります。

 大本営と近しい横須賀提督に比べると大本営に対しては懐疑的な面もあり、それが話を動かすきっかけになることもありました。書いていて楽しいキャラクターでしたが、如何せん私が切れ者ではないので、切れ者っぽく描けたかどうかという不安はあります。

 

●第三章(第十三条~第十六条)について

 ケッコンカッコカリが実装された時期の話を書こうと思い立ち、そこから提督と艦娘の関係性について一度描いておこうとしたのがこのお話になります。時期的に近かったのでスパイスとして5-5要素も入れることにしました。

 全体の中では新八郎退場に向けての準備が始まった話でもあります。

 

 提督と艦娘の関係はそれこそ十人十色ですが、うちの場合前述の通り新八郎がいずれいなくなることは決めていたので、その点を踏まえて後味悪くならないような関係性にしようと心掛けながら書いています。瑞鳳を話の中心に据えたのは、お気に入りの艦娘の一人だったことと、他の話で軽空母を取り上げる機会がなさそうだったことが理由になっています。

 

 最初に指輪を渡す相手については実際のゲームプレイに合わせました。他にもお気に入りの艦娘は何人かいましたが、これまで付き合ってきた時間のことを考えると他の選択肢はちょっと思い浮かびませんでしたね。

 

●第四章(第十七条~第二十条)について

 2014春イベントを描いたお話です。ただイベント要素は控えめになっています。

 利根とビスマルクが話の中心になっています。利根については本作で取り上げたいと執筆当初から考えていました。史実でのある出来事をクローズアップして書いているため、それに合わせてゲームとは若干異なるキャラクター像になっています。どこまで許容されるか戦々恐々としながら書いていましたが、いかがだったでしょうか。

 

 ビスマルクもお気に入りのキャラの一人です。利根をかなりの問題児として描いたので、その比較対象として割と良い子なビスマルクになりました。ビスマルク関連はまだまだ書きたいことがあるので、もし機会があればまた話の軸に据えることがあるかもしれません。

 

 今回は史実要素を若干取り入れた話の構成にしましたが、歴史を取り上げるときはどのように描くかでいつも迷います。特に近代以降は肯定的意見と否定的意見に割れるような事柄も多いので、なるべく偏らない書き方にできたら、と考えてはいるのですが。

 この話で取り上げた利根にまつわるある事件についても、単純に誰が悪い・間違っているというような話ではないので、その辺りの描写は少し気を付けたつもりです。

 

●最終章(第二十一条)について

 2014夏イベントを描いたお話です。ただし、尺の都合でAL作戦に関しては全カットとなりました。もしかしたら別の機会に描くことがあるかもしれません。

 

 MI作戦(E3~E5)とE6を並行で描く構成にしたのは、MI作戦参加組も最終話まできっちり描きたかったからです。前半をMI作戦に割いて後半E6にする構成だと、MI作戦参加組が最後スルーされるような形になってしまうので、それはバランスが悪いなと。

 遠く離れた地での話なので、MI作戦とE6の話は直接絡むことがありませんでしたが、そこは各節の話の流れで繋がっているように見せかけるよう意識しました。上手く出来ているかどうかは分かりませんが……。

 

 新八郎が退場するくだりはもっと悲劇的にする考えもありましたが、それはここまで読んでくれた方に対してどうなのだろう、ということで比較的前向きな雰囲気で締めくくるようにしました。

 エピローグまでの間にいろいろなことがあったはずですが、その辺りは描いてしまうと一気に話が暗くなりそうなので、この先も話として描くことはないと思います。

 新しい一歩を踏み出していく――という形で終わりを迎えられたので、個人的には良い終わり方にできたかなと考えています。

 

●最後に

「南端泊地物語」本編はこれで一区切りとなりましたが、今後も「S泊地の日常風景」は続けていきたいと考えていますし、番外編等他の話を書きたくなることもあるかもしれません。もしまたどこかで拙作を見かける機会がありましたら、お手すきの際に覗いていただけると嬉しく思います。



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番外編
秋の夜長に盃を


時期は第八話(第八条)後。

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筆者もお酒はさほど得意ではありませんが、普段とは違う一面が見れる飲み会の雰囲気は割と好きです。勿論飲む相手次第というところはありますが。


 深海棲艦の飛行場を鎮圧してから数日。

 日本やソロモンの政府も交えた今後の対策についてのやり取りが一段落つき、ようやく日常に戻ってきた。

 とは言えそれで暇になるかというとそういうわけでもない。

 ショートランドや近隣の島から護衛をはじめとする依頼が次々と舞い込んでくる。群島国家であるソロモン諸島では海路を使った交流が盛んなのだが、今のご時世海路を利用するためには艦娘の護衛が半ば必須で、艦娘を抱えているこの泊地は護衛依頼に事欠かないというわけだ。

 実際に任務に就くのは艦娘たちだが、依頼人との交渉をしたり無理のないローテを考えたりするのは自分の仕事だ。艦隊育成も考えないといけないし物資・備品の管理にも気を配らないといけない。

 

「……休みたい」

「おじさん、お疲れ?」

 

 机からひょっこりと頭を出してきたのはナミだった。隣にはナギもいる。

 ショートランドにある集落の子だが、祖父が日本贔屓だったとかで日本語を扱える。島の人たちとの交流に一役買ってくれている子たちだ。

 

「なんか眠そう」

「ご飯食べてる?」

「食べてるよ。……あれ、食べたよな?」

 

 最後に食事をとったのがいつだったか思い出せない。記憶を手繰ろうとするが、どうにも何かを食べた記憶というものは出てこなかった。

 

「良かったら今度お母さんにご飯作ってもらう?」

「いや、それは悪いよ。うん、間宮さんのところで食べるかな。……ただ、まだ少し片付けておきたい書類が残ってるから、それが終わってからだね」

「そっか。兄さん、おじさん忙しそうだしまた今度にしよ」

「そうだな」

 

 特に依頼を持ってきたという感じでもないし、遊びたかったのかもしれない。

 

「叢雲」

 

 部屋の片隅で事務仕事に専念していた叢雲に声をかける。

 

「後は私がやっておくよ。せっかくだからナギたちと遊んできなさい」

「え、いいわよ私は別に」

 

 叢雲をじっと見つめる。ナギたちも彼女をじっと見つめていた。

 

「……了解。それじゃ先に上がらせてもらうわ。ほら二人とも、行くわよ」

「わーい」

 

 子どもたちは嬉しそうに叢雲と一緒に出ていった。

 叢雲は吹雪たちの妹分だが、面倒見の良さからお姉さん気質を持っているように見える。ナギたちとたまに遊んでいる姿を見かけることもあった。

 

「さて、残りの仕事を片付けないとな……」

 

 いつもなら大淀が手伝ってくれるところなのだが、今日は非番で不在だ。前線に出ることはないものの、彼女や明石・間宮さんはいつも忙しい。だから定期的に休ませるようにしていた。

 

「自分で自分の首絞めてる気がするなー。俺も休みたい……」

 

 愚痴っていても状況は好転しない。覚悟を決めて、作業に集中することにした。

 

 

 

 ようやく今日の分の仕事が終わった。

 既に日は沈んでいる。腹の虫が絶賛大合唱中だった。

 

「さーて、間宮間宮っと。間宮だけがオアシスだ」

 

 だが、足を運んでみるとオアシスの営業時間は終わっていた。

 

「嘘だろ、そんなのって、そんなのって……」

 

 がっくりと膝をつく。

 間宮さんに頼み込めば夜食を作ってくれそうな気はしたが、仕事が終わった後に発生する予期せぬ追加作業というのがどれだけ苦痛かはよく分かっている。頼むのはよしておこうと心に誓った。

 しかし、腹の虫は静かにならない。

 

「自炊するしかないか」

 

 料理は特別得意というわけではないが、簡単なものならある程度は作れる。

 何を作ろうかと思索にふけりながら歩いていると、泊地から少し離れたところの岩場に人影が見えた。

 

「……あれは、古鷹たちか」

 

 六戦隊のメンバーが集まっている。

 向こうもこっちに気づいたらしい。大きく手を振っていた。

 振り返すと、衣笠がこっちに駆け寄って来た。

 

「提督、今暇してる?」

「暇じゃない。腹の虫と命懸けの戦いをしているところだ。早く部屋に戻って自炊しないと死ぬ」

 

 半ば本気で言うと、衣笠は呆れたような憐れんだような、なんとも微妙な表情を浮かべていた。

 

「不健康過ぎるでしょ。ご飯全然食べてないの?」

「記憶にございません」

「あんたはどっかの政治家か」

 

 衣笠のツッコミに何か反応しようとしたが、その前に腹の虫が鳴った。

 

「……ま、ちょうどいいや。今六戦隊の懇親会やってるんだ。提督も参加しない?」

「六戦隊の懇親会なら私は邪魔だろう」

「何言ってんの。青葉と古鷹が和解するきっかけ作った功労者でしょうが。邪魔者扱いする子なんていないいない」

「そうか?」

「そうそう。それに美味しいご飯もあるよ?」

「よし参加しよう」

「現金だなあ」

 

 何と言われようと知ったことか。空腹以上の難敵はいないのだ。

 

 

 

 衣笠に引っ張られていくと、他の三人は既にそこそこ飲んでいるようだった。

 岩場の陰にシートを敷いて月見酒というわけだ。なかなかに洒落ている。

 

「あ、提督! 来ていただけたんですね」

 

 古鷹が笑顔で出迎えてくれた。

 

「腹が減ってしまってな……」

 

 正直に言うと、青葉が手にしていた弁当箱をこちらに寄せた。

 

「どうぞどうぞ。古鷹特性のサラダの盛り合わせですよ」

 

 緑の野菜を中心としたサラダと、海の幸をふんだんに盛り付けたシーフードサラダである。

 そして加古からは一升瓶を差し出された。

 

「ほら提督、飲みな飲みな」

 

 加古は他の三人と比べて相当飲んでいるようだった。漂う酒の匂いが他と比べてかなりきつい。

 

「大丈夫なのか、加古。そんな飲んで」

「あたしゃ酔い潰れるけど翌日には持ち越さないんだ」

「……翌日の大分遅い時間まで寝てること多いけどね」

 

 古鷹がぽつりと捕捉する。

 

「それより提督は飲めるの? あんまり聞いたことなかったけど」

「下戸ってわけでもないけど、そこまで強くもないな。ただ飲み会自体は結構好きだね」

 

 余っていたコップに注いでもらいながら、これまで参加した飲み会を思い返す。

 乾杯、と杯を打ちつけた。

 

「私たちはずっとこっちにいるので今の日本の飲み会がどういうものかあまりよく分からないですね。どうなんです?」

「多分青葉たちが実艦だった頃とそう変わらないと思うぞ。最近はあんまり若い人がお酒飲まなくなったとは言われてるけど」

「お酒の味を知らないなんて気の毒だねえ」

 

 加古がぐびぐびと飲み干しながら言った。こやつ飲み過ぎではなかろうか。

 古鷹に「大丈夫なのか?」という視線を送るが、返ってきたのは諦めが見え隠れするような曖昧な笑みだった。明日のシフトに加古を入れていたかどうかが気になってくる。もし入っていたら後で外しておいた方が良さそうだ。

 自分もちょびちょびと飲む。疲労と空腹のおかげか、久々に飲むからかとても美味い。そして酔いがすぐに回りそうになる。

 

「お、提督顔真っ赤だ。ちょっと可愛い」

「いい年したオッサン捕まえて可愛いはよせ、衣笠。これは仕方ないんだよ」

「そういえば司令官って年いくつでしたっけ」

「ん? えーと……」

 

 正確な年を言おうとしたが、妙に頭がもやもやして言葉が出てこない。

 

「……あれ。いくつだっけ」

「司令官、さすがにボケるほどの年ではないと思ってますよ」

「いや、なんか頭に出て来なくて……。三十路は過ぎてる。うん。四十はまだ」

「なら言うほどオッサンじゃないですよ」

「そうかなあ。三十過ぎればオッサンじゃない?」

 

 昔は高校生ですら大人に思えた。子どもの頃やったゲームでは二十代半ばを過ぎたキャラはオッサン呼ばわりされていた気がする。

 

「でも三十くらいならアレですね」

 

 青葉が少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「司令官司令官、ズバリ聞きますけどこの艦隊で好きな子とかって誰かいたりするんですか?」

「へ?」

 

 思わぬ質問だった。きょとんとしていると、いつの間にか加古に酒を注がれていた。注がれたものは飲まねばならない。ぐい、と飲み干しながら、青葉の質問の意味を考える。

 

「好きな子って、好きか嫌いかでいえば皆好きだぞ」

「そういうんじゃないですよ。ほらほら、誰か意中の人とかいないんですか?」

「青葉、やめとこうよ。そういう質問は……」

「でも古鷹も気になりません?」

「え? えーと……」

「衣笠さんは気になるなー!」

「あたしもー!」

 

 衣笠と加古が瓶を掲げながら叫んだ。古鷹も顔を赤くしている。全員相当酔いが回っているらしい。

 

「意中の人って言われてもなあ。俺からすると皆子ども……とまではいかないまでも、年の離れた妹くらいに見えるからなあ」

「んじゃ質問変えましょう。この艦隊の中で休日誰か一人と過ごすなら誰と過ごします?」

「一人と?」

 

 急に振られても困る。

 どちらかというと休日は一人で読書でもしながらゴロゴロしていたいのが本音なのだが、さすがにそれを口にしたら大ブーイングだろう。いかにアホでもそれくらいは察しがつく。

 

「んー……一人、一人か……」

 

 できれば静かにまったり過ごしたい。

 こちらに向けられた顔を眺めて、うん、と頷いた。

 

「古鷹かな」

「わ、私ですか!?」

 

 そんなに騒がしくなさそうだし、一緒にいて落ち着けそうだ。

 そう口にしようとしたが、古鷹が妙にそわそわしていてなんだか口を挟みにくい。

 

「結構意外な名前が出ましたね。私は叢雲ちゃんかと思ってたんですが」

「叢雲?」

 

 考えてみれば、叢雲という選択肢もありといえばありだ。余計なこと言わないし、一緒にいるのが半ば当たり前になってきている感があるので二人で過ごすのも気楽そうな感じがする。当たり前過ぎて頭からすっぽりと抜け落ちていた。

 

「どうせだったら今度古鷹と一緒にどこか遊びに行ってきたらどうですか?」

「んー、遠出は正直ちょっと疲れるな……。できればのんびり過ごしたい」

「提督って、本質的には引きこもりタイプだよね」

「否定はしないぞ、衣笠。俺は省エネ志向なんだ」

 

 いいじゃないかインドア派でも。この泊地ではそんなこと言ってられないのが辛いところだが。

 さっきから古鷹がひょいひょいとこちらに弁当箱を寄せてくるので、箸がよく進む。

 

「うん、美味い」

「そ、そうですか? えへへ……。まだまだありますからね! どんどん食べてください!」

 

 古鷹はハイテンションになっているようだった。酔うとこんな感じになるのは意外な発見である。

 

「ほれほれ飲みな飲みな~」

 

 加古は加古で次々とコップに酒を注ぎ続けてくる。そろそろ止めて欲しいのだが、すっかり出来上がっている加古に言って通じるかどうか少し不安だった。

 

「司令官司令官、他にもいろいろ聞きたいことがあるんですが……」

「あいよー、なんだいなんだい、言っちゃいけないこと以外なら言っちゃうよー」

 

 身体が熱い。

 段々物が考えられなくなっていく。

 空っぽだったお腹が急速に満たされたせいで眠気が出てきたのだろうか。

 そんなことを考えながら、意識は少しずつ薄れていった。

 

 

 

 頭が物凄く痛い。

 どうやら昨晩飲み過ぎてしまったらしい。気づいたら自室に戻っていたが、どうやって戻ったのかさっぱり覚えていなかった。

 

「……酒に飲んでも飲まれるな、というのが信条だったのに」

 

 はあ、とため息をついているところに叢雲が顔を出した。

 

「おはよ……って、酒臭っ!?」

 

 即座に鼻をつまみながら抗議の眼差しをこちらに向けてくる。

 

「新八郎。あんた、昨日飲んだでしょ」

「……うん。まあ、そのようだ」

「歯を磨いてきなさい。臭いから。早く」

「はい、すみません」

 

 親に叱られるような気分で執務室を後にする。

 共用の洗面所に行くと、そこでは青い顔の青葉と衣笠がいた。

 

「……お、おはようございます司令官」

「そっちも……調子悪そうだね」

「まあな……二人もか」

 

 不健康そうな顔の三人。

 そこに、寝ぼけまなこの加古とそれを引っ張る古鷹が通りかかった。

 

「ほら加古、今日は演習だよ。しっかりしないと!」

「んー、眠いぃ」

 

 二人はこちらには気づかなかったようで、そのまま通り過ぎていく。

 

「あの二人は、強いんだな……」

「古鷹はそもそもあんまり飲んでなかったですけどね」

 

 大分顔を赤くしていたから飲んでいたように見えたのだが、そうでもないのだろうか。

 

「今後あの二人と飲むときはいろいろと気を付けるようにしよう……」

 

 うぷ、と胃からこみ上げてくるものを抑えながらそう心に誓うのだった。



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冬の聖夜に祝福を

本編の第十二話(条)まで読んでいるとよりお楽しみいただけるかもしれません。

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クリスマスということなので、久々の南端泊地物語を。


 

「提督、どうされたんですか?」

 

 執務室で視線をカレンダーに向けていると、今日の秘書艦を務めている古鷹に声をかけられた。

 真面目で気立ても良く、細かいところにも気を利かせてくれる重巡洋艦の艦娘だ。私の意識が執務以外のことに向けられていると気づいたのだろう。

 

「いや、もうすぐクリスマスだなと思って」

「クリスマス……ですか」

 

 古鷹はカレンダーを見て、少しぼんやりとした様子で頷いた。

 

「古鷹たちにはあまり馴染みがなかったかな」

「いえ。私たちが艦艇だった頃にはもう普及していましたよ。戦時中もクリスマスを祝っている方はいました。まあ、見ているだけでしたけど……」

 

 クリスマスの歴史は意外と古いらしい。明治維新で西洋文化が大々的に導入され始めたのだから、大正・昭和前期にはもう十分普及していたとしても不思議ではないか。

 

「提督はクリスマスに何かされるんですか?」

「今までは身内にプレゼントを贈るくらいだったな。ケーキと、少しけち臭いプレゼント。あまり受けは良くなかった」

 

 弟も妹も贅沢を口にする方ではなかったから、表立って文句は言わなかったし、お礼も言ってくれたが、どこか物足りなさそうにしていた。とは言え、こちらとしてもあまり豪勢なプレゼントを用意してやれるほどの余裕はなかったのだ。仕方がない。

 社会人になってからはそれなりのものをプレゼントできるようになったが、今度は「あまり無理をするな」と遠慮されるようになってしまった。大きくなったなという喜びと、ほんの少しの寂しさを感じたことを覚えている。

 

「そうだ、泊地の皆にもクリスマスプレゼントを用意しよう。任務の関係もあるから皆で集まって大々的なパーティとかは無理だけど……プレゼントを配るくらいならいいだろう」

「えっ、いいですよ。悪いです」

 

 古鷹は慌てて手を振り遠慮の意を示してみせた。

 

「遠慮するな。普段皆にはいろいろと助けてもらってるんだ。感謝の気持ちを示させて欲しい」

「感謝だなんて。私たちは艦娘――軍艦です。深海棲艦の脅威から人々を守る。そのためにこうしてここにいるんです。だから、私たちはやるべきことをやってるだけですから」

 

 古鷹のその言葉に、ほんの少し引っかかるものがあった。

 確かに、艦娘の役目は深海棲艦と戦うことにあるのだろう。人間を守ることにあるのだろう。

 だが――それだけか。

 

「古鷹たちは艦娘――つまり人でもある。昔とは違う。戦うのが役目だとして、それがやるべきことだとして、やるべきことをやり続けるということは決して当たり前なんかじゃない。それができない人間だって沢山いる。命懸けで困難なことをやり続けるのは――とても立派なことだ。そこを卑下するのは、私は良くないと思う」

 

 こちらが不意に怒ったからか、古鷹は戸惑いの表情を見せた。

 自分の何がいけなかったのか必死に考えている――そんな顔だ。

 

「……すまない。別に君に落ち度があるという話ではないんだ。ただ、もっと自分たちの行いに誇りを持って欲しい。艦娘として生きるということは、半ば人として生きるということだからね。人は、やるべきことをやったなら、それを誇りに思うものだから」

 

 そう言って、古鷹の側に立って頭をポンポンと撫でた。

 弟や妹を怒らせたり泣かせたりしたときによく使った手だが――幸い、古鷹にも効いたようだ。動揺はもう見えない。

 

「感覚としてはまだ分からないところもありますが……提督の仰りたいことは、なんとなく分かったような気もします」

「うん。いきなり全部理解して欲しいなんてのは我儘だしな。少しずつ互いのことを知って、少しずつ歩み寄っていければいい」

 

 私も、艦娘と出会ってからまだ半年も経っていない。こちらも彼女たちのことを理解する努力を怠るべきではないだろう。

 

「……それで、話を戻すけど。クリスマスプレゼントの件、どうだろう。私は皆に感謝してるし、その行いに何らかの形で報いたいと思ってるんだ。駄目かな」

「いえ、いいと思います。駆逐艦の子たちは喜ぶと思いますし」

「そうか。……ふと思ったんだが、古鷹はサンタを知っているかい?」

「ええ。……多分、駆逐艦の子たちは正体までは知らないと思いますけど」

「古鷹は知っているのか」

「艦娘として生を受けるときに、ある程度の知識は入って来るんです。個人差や艦種差などがあって、だいたい見た目相応の知識量が得られるみたいですけど。多分軽巡以上なら皆知ってると思います」

 

 それなら軽巡以上の子には普通にプレゼントを渡した方が良さそうだ。

 駆逐艦の子たちは――どうするか。普通に渡すという手もあるが、サンタからのプレゼントということにして、夢を見させてあげるという手もある。もしサンタのことを信じている子がいるなら、その方が嬉しいだろう。

 

「……きちんと計画を練った方が良いかもしれない」

「ご協力しますよ、提督」

 

 クスクスと笑いながら古鷹が言った。

 どうやら――またしても助けられることになりそうである。

 

 

 

 

「それで工廠をプレゼント置き場にしたい、と」

 

 やれやれ……と言いたげに溜息をついたのは工作艦の艦娘である明石だ。泊地創建時からいる最古参の一人で、艦娘たちの装備の整備・改良・管理の責任者でもある。

 

「執務室には大量にものを置けないし、すぐに叢雲とかにばれてしまう。その点工廠ならいろいろものが置いてあるから隠し場所にも向いてると思うんだが、どうだろう」

「今工廠は立て直しの真っ最中で、作業できるエリアも限られてるんですよ。そのエリアを更に狭めろと」

 

 明石の言う通り、今工廠は工事の真っ只中だ。元々は小さな建物でどうにかやっていたのだが、泊地の規模も大きくなりつつあるということで、本格的なものを用意する必要があると判断し、建て直すことにしたのである。

 ただ、立て直しの最中でも明石の仕事がなくなるわけではない。彼女は今、工事中の工廠の一角でどうにかこうにか作業をする日々を送っている。

 そんな彼女に対しエリアを貸してくれというのは無体かもしれない。しかし工廠以外に適当な場所が思いつかなかったのだ。

 

「後生だ。今度必ず何か礼をするから」

 

 両手を合わせながら頭を下げる。

 

「別にいいんじゃないか。心掛けは立派なもんだと思うぞ」

 

 助け舟を出してくれたのは、先日泊地のスタッフとして入ってくれた伊東信二郎さんだった。彼には工廠の管理者になってもらう予定である。

 

「艦娘に報いようなんて人情に篤いじゃないか。提督なんていうから、俺はもっときつくておっかない男だと思ってたぜ」

「ご期待に沿えず申し訳ない……。私は基本こんな感じの男です」

「いやいや、良い意味で期待を裏切られたよ。どうだ明石。多少は空けられそうなスペースあったろう」

「……むう。分かりました。仕方ないですね」

 

 はあ、と項垂れる明石。なんというか悪いことをしてしまった気がする。

 

「その代わり、一回私の言うことを何でも聞いてもらいますよ」

「え?」

 

 そこまでは言っていない。

 なんでも、と言われると何やら不穏なものを感じる。何かとんでもない要求をされるのではないか。

 

「不服ですか?」

「いや全然」

 

 唇を尖らせる明石に、思わず首を振った。

 

「では、よろしくお願いしますね」

「あ、ああ。……ありがとう」

 

 若干恐ろしい予感を覚えつつ、自分には、その場を後にすることしかできなかった。

 

 

 

 

「で、そこまで計画進めておいて何を買うか決められてないと」

 

 説明を一通り終えると、夕張は呆れ顔を浮かべた。

 

「駆逐艦の子たちってどういうものをあげれば喜ぶか、改めて考えるとよく分からなくてな……」

 

 考えてみれば、弟や妹にプレゼントをあげるときは予算や時間の都合もあって選択の余地がほとんどなかった。だからあまり悩むことがなかったのだ。

 今は違う。立場上それなりの予算は用意できた。時間もまだ多少はある。しかし、駆逐艦の子たちが何を好むのか全然分からないのだ。

 

「好みは個人差がある、ということは分かる。ただ不公平感は出したくないし個別に注文すると時間がかかるから、できるだけプレゼントは統一させたいと考えているんだが……」

「面倒臭い条件入れてきますね……」

「自覚はしている」

 

 こんな条件で相談されても――というところだろう。

 

「ずばり決めて欲しいなんて無茶を言うつもりはない。ただ、何か手掛かりがないかと」

「そう言われても。うーん、私ならゲーム機とか欲しいって答えるところですけど」

「予算上きつい」

「ですよね……」

 

 二人して並んでうんうん唸る。しかし状況は一向に好転しない。

 

「そもそも、提督はどうしてプレゼントなんて贈ろうと思ったんです?」

「日頃の感謝にと思ったんだが……」

「だったら――それが一番伝わるようなものがいいんじゃないですか。皆が欲しそうなものをあげるんじゃなくて、ありがとう、ってメッセージを伝えられるような」

 

 夕張が指を立てて、そんなことを言った。

 なんだか一瞬――別の子のことを思い出しそうになって。

 どうにか、踏み止まった。

 

「……ああ。そうか。そうだな。欲しがりそうなものをあげたいなら、きちんと皆に話を聞けばいい話だ。今回はそういうつもりのプレゼントじゃないからな」

「おっ。何かいいものを思いついたって顔してますね、提督」

「おかげさまで。……また助けられたな」

 

 きょとんとした表情の夕張に手を振りながら、その場を立ち去る。

 早めに準備を進めよう。感謝を形にするには――少しばかりの時間が必要だ。

 せっかくだし、ナギやナミたち島の子たちの分も用意しようか。

 思いは巡る。誰かを祝福できる聖夜というのは――きっと、楽しいものになるだろう。

 

 

 

 泊地に戻ってから、初めて執務室に入る。

 クリスマスの日に急遽新たな作戦が発動し、聖夜を祝う暇もなく泊地を離れ、ようやく戻ってくる頃には年が明けていた。

 

 ……結局、プレゼントを配ることはできなかったなあ。

 

 執務室のカレンダーをめくろうとして、二十四日の赤丸に気が付いた。

 

「……その。残念でしたね、提督」

 

 励ますように古鷹が声をかけてきた。

 

「ああ。……あのプレゼント、どうしようかなあ」

 

 そんな風に返した矢先、執務室の扉が勢いよく開かれた。

 

「提督っ! これなに!?」

 

 キラキラした目で飛び込んできたその子が持っていたのは、とても見覚えのあるもので。

 

「なんかサンタからのメッセージってあったよ! サンタってあのサンタ!? どう思う!?」

 

 とても嬉しそうに質問を浴びせかけてくるその子を見て――少しばかり遅いクリスマスの到来を感じた。

 大事なのは祝う気持ちだ。少しばかり日付がずれたって構うまい。そんな風に思うのだった。



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春の学び舎に式典を

四月になりましたね。新しい門出を迎える皆さんが、良い一年を過ごせますよう。


 四月になろうとしていた。

 季節は巡る。夏にここへ来て、秋が過ぎ、冬が過ぎ、春が来た。

 あっという間に、移り変わっていく。

 

「入学式の準備、しないとな」

 

 執務室での仕事が一段落つき、明日のことを考えた。

 泊地では、ここで暮らす艦娘や島の子どもたち向けの学び舎を準備していた。

 まだ教室一つ分の小さな学び舎ではあるが、明日、そこがとうとう開く。

 

「入学式? やるの?」

 

 きょとんとした顔で尋ねてきたのは、泊地の初期艦である叢雲だった。

 

「ああ。やるつもりだったが」

「別にいいんじゃない? 本格的な学校ってわけでもあるまいし」

「そういうわけにはいかん。規模の問題ではないぞ。こういうのは、やっておくべきだ」

「……まあ、あんたがやるっていうならそれでいいと思うけど」

 

 叢雲はあまり乗り気ではなさそうだったが、それ以上反論してくることはなかった。

 近頃、互いに引き時というものを弁えてきたような気がする。これ以上言い合っても相手が引かないと分かれば、さっさと会話を切り上げる。そういうことが多くなってきたように思えた。

 

「――新八郎。入学式って?」

 

 そう尋ねてきたのは、先日泊地で引き取った康奈という少女だった。

 身寄りがないこと、提督としての適性があることから引き取ったのだが、過去のことを記憶が欠損しているらしく、ところどころ一般常識が抜け落ちているようなところがある。

 今も、軽巡洋艦の大淀に、いろいろとレクチャーを受けているところだったようだ。

 

「……康奈さん。目上の人を呼び捨てで呼ぶのは駄目ですよ」

「でも、新八郎は別にいいって」

「提督」

 

 大淀にジト目で睨まれた。

 どういう呼び名がしっくり来るのか分からないのだから仕方ない。

 さん付けだとなんだか遠慮されている気がするし、かと言ってお父さんと呼ばれるのは年齢的に抵抗がある。

 

「呼び名の件はひとまず置いておくとして、だ。入学式というのは、学校に新しく生徒が入るときに行う式典だな」

「式典――」

「そうだ。入学する子たちに周囲の人間がエールを送る日でもある。こういう式典は、参加者の大半が煩わしいと思うものかもしれないが――何年も後になって、学校でのことを思い出すときに必要になるものだ。私はそう思っている」

 

 その場にいた全員が「ほほー」という顔をしていた。

 考えてみれば、ここにいるメンバーで学校に通っていたのは私だけだ。

 話だけ聞いても、実感が湧かないのかもしれない。

 

「提督の入学式では、どんなことが行われたんですか?」

 

 重巡洋艦の古鷹が興味津々な様子で尋ねてきた。彼女も叢雲や大淀と同様、執務の手伝いをしてくれていたのだ。

 普段からいろいろと気遣ってくれる優しい子ではあるのだが――この質問は非常に困るものだ。

 なにせ、全然覚えていないのである。

 

 これが友人相手の会話なら「いやー、忘れてしまったよ」で済ますのだが、散々入学式が大事だと語った直後なだけに、そういう返しはできない。

 

「……えーと。まず入学生が全員集まって、校長先生の――学校でかなりえらーい人の挨拶があった……ような気がする」

「気がする?」

「いや、あった。あったぞ、間違いない」

 

 叢雲の疑わしげな眼差しから顔を背けつつ、何度も頷いてみせた。

 

「あと、歌を歌った。国歌だったか、校歌だったか。あと自治体とかの代表者の挨拶もあったような、なかったような」

「新八郎。アンタ、あんまり覚えてないんじゃないの」

「……まあ、そうなるな」

 

 叢雲の追求から逃げられないと判断し、即座に白旗を上げる。こういう潔さも時には大事だと、声を大にして言いたい。

 

「だが大事なのは中身ではない。入学したということを入学生の皆が自覚できるような思い出を作ること! それに尽きる!」

「……たまに思うんだけど、新八郎って考え方が妙に古臭いというか堅いところない?」

「そうか? そんなことはないと思うが……」

 

 そう思って周囲の反応を窺ってみたが、意外なことに叢雲に反論する者は誰一人としていなかった。

 大淀は「うんうん」と頷いているし、古鷹も困ったような笑みを浮かべるばかり。

 

 もしかして、私は艦娘たちから口うるさい頑固親父と見られているのだろうか。

 助けを求めるように康奈へと視線を向けたが、こちらの意図を理解できないのか、きょとんと首を傾げてみせた。

 

「康奈さん。提督はどういう人だと思いますか?」

 

 大淀がストレートな質問を繰り出した。

 

「優しいと思う」

「……おおっ」

「でも、怒ると怖い。すごく頑固」

「……ぐうっ」

 

 ぐさりと見えない何かが胸に突き刺さる。

 どうやら、自分のイメージというものについて、真剣に振り返る必要がありそうだった。

 

 

 

「……話は分かりましたが、なぜ私のところに来たのですか」

 

 胡乱げにこちらを見てくる加賀の視線がちょっと痛い。

 

「赤城が言っていた。『加賀さんはあれでいて可愛いところがある』と。赤城にそう言わしめた加賀なら、何かヒントを持っていないかと思ったんだ」

「成程。今の発言からすると、提督は普段私のことを怒ると怖くて頑固な奴だと思っている、ということでよろしいですか」

「……いや、そんなことないぞ? うん。本当に」

 

 実のところそういうイメージもなくはない。ただ、それが加賀のすべてだとは思っていない。

 分かりやすい言葉で説明できるような単純な人など、滅多にいない。

 

 加賀は「まあ良いです」と言って嘆息した。

 

「ところで提督。その場にいた子たちの中で、あなたのことを嫌いだと言った人はいますか」

「いや、さすがにそんなことは言われていない」

「では、嫌われていると思いますか」

「……うーん、嫌われてはいない、と思いたいが、そこまで自信があるかと言われると」

 

 自分ではあまりそのように思ったことはないのだが、どうも昔から「お前は人の心の機微に疎い」と言われることが多かった。

 だからか、人にどう思われているのか、という点についてはとにかく自信がない。

 

「嫌われていないと思うなら、良いではないですか。自信がなくとも、今は大丈夫だと思っておけば良いのです。嫌いだと面と向かって言われたら、また改めて自分の行いを振り返れば良い。そう思うけれど」

「うーん、まあ、それはそうなんだが」

 

 そういう割り切りが大事だというのは分かる。

 ただ、私は頑固親父というイメージを払拭したいのである。

 

「それは無理ね」

 

 自分の希望を口にした途端、加賀はそれを一蹴した。

 

「……一応聞いておきたいんだが、加賀から見た私はどういうイメージだろうか」

「言って良いの?」

「すまん、やはり止めてくれ。聞くのが怖い」

 

 口を開きかけた加賀を制止する。

 これ以上心にぐさりと来るのは勘弁願いたい。

 

「……提督」

「ん?」

「お互い、自分の希望通りのイメージで見てもらうのは難しいかもしれないわね」

「そうだな」

「でも、そういう頑固なところがなければ提督は今この場にいなかったとも思うわ。そう考えると、頑固というのも誉め言葉の一種に聞こえてこない?」

 

 もしかすると、加賀なりに励ましてくれているのかもしれない。

 落ち着いた物腰の加賀の言葉だけに、一瞬そうかもしれない、と思いそうになる。

 

 ただ、やはりそれではいけない気がする。

 

「結果的にそれがプラスになっている面があったとしても、やはりそれをただ放置しておくのは良くない。直せるなら直したい。私の在り様のせいで周囲に迷惑をかけてしまうようなことは避けたいんだ」

 

 それを聞いて、加賀は再び大きな溜息をついた。

 

「……本当、頑固な人ですね」

 

 小声でそう呟いた加賀が、ほんの僅かな間、笑みを浮かべていたように見えた。

 気のせいだったのかもしれない。まばたきをしてもう一度見ると、普段通りの表情の加賀がいた。

 

 

 

「そもそも私は提督がそこまで頑固だとは思わないが」

 

 波止場の一角で汗を拭きながら、長門がそう言った。

 先程まで訓練をしていたのだという。前にもまして熱心に打ち込むようになったようだが、以前のような焦燥感はもう見えない。

 

「それは、単純に長門さんが提督以上に頑固だからじゃ……」

 

 長門と一緒に訓練していたという瑞鳳が、ぼそっとツッコミを入れる。

 確かに長門は武人肌で非常に頑固一徹なイメージがある。

 ただ、本人はそういう自覚がないらしい。

 

「実は陸奥にも同じことを言われた。いや、陸奥だけではない。金剛や赤城、加賀にも言われたのだ。なぜだろう……」

「なぜもなにもないのでは」

「?」

 

 全然分かっていないようだった。

 ただ、長門はこれでいいような気もする。そういう骨太で実直な在り様は、多くの艦娘の支柱になり得るものだ。

 

「瑞鳳はどうだろう。私はやはり頑固だろうか」

「えっ、そうねえ。……うーん、そうかも」

 

 若干躊躇いながらも肯定する。

 瑞鳳は裏表があまりない素直な性格の子だ。その言葉に偽りはないと見て良い。

 

「そうか。やはりそうなのか」

 

 なんだか頑固と言われるのにも慣れてきて、段々辛く感じなくなってきた。

 

「こうなると、さすがに自分の意見を引っ込めた方が良いのではないかという気もしてくるな」

「自分の意見?」

「ああ。明日、簡単なものだが入学式をやろうとしていたんだ。だが、それを無理に押し通すのは良くないことなのかもしれない、という気がしてきた」

 

 叢雲たちとの話のあらましを二人に説明する。

 話を聞き終えた長門は、別にそこまで気にする必要はなかろう、と言った。

 

「入学式をやること、直接反対されたわけではないんだろう。ならば、別にいいのではないか」

「いや、遠慮してるのかもしれないだろう。上司と部下という関係だし、直接だと言い難いことだってあるかもしれない」

「それは、ないんじゃないかなあ」

 

 こちらの懸念を払拭するように、瑞鳳が笑った。

 見る者の不安を吹き飛ばすような、屈託のない笑顔だ。

 

「遠慮するような相手に、貴方は頑固な性格だ――なんて言わないでしょ?」

 

 

 

 その後、新八郎が何を思ったのか知る者はいない。

 確かなのは、翌日、入学式が予定通り行われたということと、新八郎の挨拶がかなり長く不評だったということのみである。

 

 ただ不思議なことに、翌年以降も新しいメンバーを対象に入学式は行われることになった。

 散々不評だった新八郎の挨拶も、その年ごとにアレンジされつつ、ずっと残っていった。

 

 あるとき、それを奇妙に思った誰かが、泊地司令部の艦娘に尋ねてみた。

 なぜ毎年きっちり入学式をやるのか。あの冗長な挨拶はどうにかならないのか、と。

 

 すると、以下のような答えが返ってきたという。

 

「こういうのはキッチリやるべきだって、皆にエールを送りたがった頑固親父が言ってたのよ」



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夏の海に思い出を(前編)

今回は一話に収まりませんでした……。


「では、今日の授業はこれまで」

 

 授業の終了を告げると、教室は少しずつ賑やかになっていった。

 ここは、ショートランド泊地の片隅にある学び舎だ。

 艦娘たち、それに島の子どもたちに勉強を教える場所である。

 

 教員は私を含む泊地のスタッフたちなので、教えられることには偏りがあった。

 しかし、こういう学べる場所というのは子どもたちにとって有意義なようで、今のところ割と好評である。

 

「提督」

「ん、何か質問かな」

 

 声をかけてきたのは曙だった。

 泊地においては最古参組の一人である。

 最初の頃はなかなか気を許してくれず、どう接していいか分からなかったが、今はこうして普通に話せるようになった。

 

「質問ってわけじゃないけど、明日暇?」

「明日……ああ、特に用事はなかったと思うけど」

 

 曙の側には、漣たちを始めとする艦娘たちが集まっている。

 予定が空いていることを告げると、皆の表情がぱっと明るくなった。

 

「ご主人様、七夕やりましょうよ七夕!」

「七夕? ああ、そういえばそんな季節か」

 

 ずっとショートランドにいると日本の風物詩を忘れそうになる。

 カレンダーを見ると、既に七月に入っていた。

 

「ちょうど竹も伸びてきたし、そろそろ切るかーって相談してたら曙ちゃんが提案してきまして」

「竹も大分余ってたし、ただ売り払って資金の足しにする以外に何か使い道はないかって思っただけよ」

「うん。良いアイディアだ、曙」

「……どうも」

 

 曙は褒められて照れ臭かったのか、短くそう告げると足早に去ってしまった。

 

「相変わらず素直じゃありませんなあ」

「そうかな。大分話しやすくなったと思うけど」

「ご主人は甘々ですねえ」

「漣ほどではないさ。ほら、追いかけていってあげなさい」

「はいはーい」

 

 漣は軽い調子で応じると、曙が去って行った方向に駆け出していく。

 あれでいて存外真面目で誠実な子だ。曙を放っておくことはあるまい。

 

「アトミラール」

 

 と、今度はビスマルクが声をかけてきた。

 彼女も授業に参加していた艦娘の一人だ。春に着任し、今ではすっかりここに馴染んでいるドイツ戦艦の艦娘である。

 

「今の話、よく分からないままなんとなく聞いていたのだけど、タナバタって何かしら」

「七月七日に行う祭事だよ。短冊と呼ばれる短めの紙片に願い事を書いて飾るんだ」

「不思議な風習ね。なぜそんなことを?」

「んー、そうだなあ。……五月雨、解説よろしく」

「えっ? さ、五月雨ですか?」

 

 急に話を振られた五月雨は驚いた表情を浮かべたが、すぐにやる気になったのか顔を引き締めて織姫と彦星の伝承をビスマルクに説明し始めた。

 

 互いに想い合っていた織姫と彦星は、天帝の許しを得て結ばれた。

 しかし、結ばれたことで二人は自らの仕事を疎かにするようになり、それに怒った天帝は二人を別れさせた。

 二人はそれぞれ再び仕事をするようになったが、織姫の悲しそうな様子を見た天帝は、一年に一度、七月七日だけ彦星と会うことを許した――というものだ。

 

「――なので、七月七日は織姫と彦星の『互いに会いたい』という願いが叶うことから、願掛けをするようになった……んだと思います」

「ふうん。織姫も彦星も真面目に働き続けてればそんなことにならなかったのにね」

「そんな身も蓋もない」

 

 勤勉なビスマルクらしい感想だった。

 確かに改めて伝説を振り返ってみると

 

「でも、それくらい好きになれる相手がいるって素敵なことですよね」

「あら、五月雨はそういう人いるの?」

「えっ、えっと、それは……まだそういうのはよく分からないです」

 

 ビスマルクの問いに、五月雨は気恥ずかしそうに手を振りながら頭を振った。

 

「慌てることはない。そのうち分かるときも来るだろう。ただ、恋は盲目と言うからな。ろくでなしに引っかからないよう、良い男を見極める目は鍛えておくと良い」

「い、良い男ですか……」

「そこで『例えば私のような男だ』って言えばいいのに」

「ビスマルク。私も笑えるジョークと笑えないジョークの区別はつくつもりだ」

 

 そう返すと、ビスマルクは肩をすくめてみせた。

 ゲルマンジョークはよく分からないが、そんな失笑を買うこと間違いなしの冗談を言っても恥をかくだけである。

 

「でも面白そうね。私もせっかくだから一筆したためてみようかしら」

「ああ、そうするといい」

「……」

「……」

「――ちなみに私の願いは、母国の艦娘がもっとたくさんここに着任することよ!」

「そうか」

「そうか、ではないわアトミラール。こういうときは『ところでビスマルク、君の願い事とはなんだい?』と聞くべきところよ。でないと会話が弾まないじゃない。貴方が聞いてこないから私の方から話を振ってあげたのよ」

「おおそうなのかすまなかったな」

 

 聞いて欲しかったんだな、と内心思いつつ、適当に相槌を打っておく。

 ビスマルクは真面目で勤勉なのが良いところだが、ときどきこうやってグイグイと来ることがあった。

 

「そういえば提督は、短冊にお願いごとって書いてました?」

 

 五月雨が興味津々といった様子で尋ねてきた。

 願い事――もう長いこと書いた覚えがない。

 

 正直まるで夢のないことを書いていた気がするのだが、何かを期待するような眼差しを向けてくる五月雨やビスマルク相手に、そんな回答をするのも気が引けた。

 

「……家族と世界が平和でありますように?」

「なんで最後疑問形なのアトミラール」

「と、とっても素朴で素敵なお願い事だと思います!」

 

 なぜだろう。真顔のビスマルクのツッコミより、一生懸命フォローしようとしている感じが見える五月雨の様子の方が心に刺さる。

 何か、答えを間違えたような気がした。

 

 

 

 七夕の日。

 午前中は曇っていたが、夕方になる頃には無事天の川が見えそうな空模様となっていた。

 

「提督、仕事終わった?」

 

 執務室で雑務を片付けていると、曙たちが揃ってやって来た。

 

「すまない、まだ少し残っているんだ」

「いいですよ、先生。私たちで片付けておきますから」

 

 曙たちに待ってもらおうとしたところ、一緒に執務を片付けていた康奈が少し不器用そうな笑みを浮かべて言った。

 この子は天涯孤独の身の上だったが、提督としての素質があるため候補生という形でここに置いている。私にとっては、半分子どものような子だった。昔風に言うなら猶子といったところか。

 少し前までは呼び捨てでこちらのことを読んでいたのだが、学び舎を開いてから次第に口調を改め、私のことを『先生』と呼ぶようになった。

 

「こうして先生の仕事を覚えるのも私の役目の一つですから」

「いや、しかしな」

「提督。せっかく康奈さんが気を遣ってるんですから素直に行ってきてください」

 

 クスクス笑いながら言ってきたのは大淀だ。

 最近彼女はどうも康奈の味方をすることが多くなってきた。

 おかげで、二人には太刀打ちできないと感じることが多い。

 

「曙、先生をよろしくね」

「ありがと。それじゃ行くわよ提督」

「分かった分かった、慌てなさんな」

 

 曙や漣たちに囲まれる形で執務室を出る。

 

 外に出ると、ソロモン海が夕焼け色に染まっている風景が視界に飛び込んできた。

 ここに来てもうすぐ一年になる。何度もこういう光景は目にしたが、やはりいつ見ても美しい。

 

「ほら、こっちですよご主人!」

「いっぱい飾った。作業量なら誰にも負けてない……多分」

「皆で、私たちだけじゃなく泊地の皆で、いっぱい書いたんですよ」

 

 先導する漣に、どこか得意げな朧。

 はにかみながら説明してくれる潮。

 いつもと変わらない――そんな七駆の姿がそこにあった。

 

 七駆の皆の言う通り、泊地のあちこちに短冊がついた笹が飾られていた。

 どことなく、泊地の中だけ日本になったみたいな錯覚を覚える。

 

 一つ一つ、飾られた短冊に書かれた願いを確かめていく。

 

 仲間の無事を願う子。

 より活躍できるよう願う子。

 深海棲艦の被害が減るよう願う子。

 戦いの終わりを願う子。

 皆の健康を願う子。

 

 多くの願いが、泊地を彩っていた。

 

 その中で、七駆の短冊を見つけた。

 

「見ていいのかな?」

「どうぞどうぞー。いいよね、曙ちゃん?」

「……好きにすれば」

 

 なぜか曙に確認を取る漣。

 その意味は、願い事を見てすぐに理解できた。

 

『提督が早く戻ってきますように――七駆一同』

 

 私が座る車椅子が、少し震えたような気がした。

 車椅子を押してくれていた曙が震えているのかもしれない。

 

 私は元々そこまで優れていた提督ではなかった。

 無理に無理を重ね、どうにか誤魔化しながら今日まで提督をやって来たが、限界は間近に迫っている。

 このままだと命を落としかねない。そう警告を受けた私は、後事を康奈に託し、長期療養に入ることになっていた。

 

「提督は……いつか戻ってきますよね?」

 

 潮が不安そうに尋ねてきた。

 他の三人も、何も聞いてこないが、同じような不安を抱えているようだった。

 

 正直なところ分からない。

 治るようなものなのかどうかも曖昧だ。

 だが――そんな不安をこの子たちには持って欲しくなかった。

 

「戻ってくるとも」

「……本当?」

「本当だ、朧。この泊地は私にとってもはや第二の故郷だよ。故郷に帰るのは、当たり前のことだ」

「ですよね。ご主人ならそう言うと思ってました!」

 

 漣が相変わらずのテンションでこっちの手を掴んでブンブンと振り回す。

 しかし、いつもより力が強い。どこか動きもギクシャクしていた。

 よく見ると、漣は微妙にこちらから視線を逸らしている。

 やはり、どこか不安なのだろう。

 

「提督」

「なんだ、曙」

「戻ってこなかったら、皆悲しむんだからね」

「そう言ってもらえると、提督冥利に尽きるというものだな」

「……帰ってこなかったら、またクソ提督って呼ぶからね」

「大丈夫だ。帰って来るよ。時間はかかるかもしれないし、もしかすると提督としては帰ってこれないかもしれない。けど、どんな形であれ、どれだけ時間がかかろうと、いつかは絶対に帰ってくる。それは、絶対に絶対だ」

 

 片方だけ残された手の小指を立てて、七駆の皆と指切りを交わす。

 

 この願い事は、天帝に叶えてもらうわけにはいかない。

 自力で叶えなければならない願いだ。

 そう強く心に刻み付けた。



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夏の海に思い出を(後編)

 しばらくして、七駆の皆は六駆と交替した。

 

「ずっと漣たちでご主人様を独占するのも悪いですからね」

 

 悪戯っぽくそう言って笑う漣はどこか寂しそうだった。

 他の三人も、どこか普段と違って見える。

 曙はそっぽを向いて顔を見せてくれなかったが、なんとなく、どういう顔をしているかは予想がつく。

 

 この一年で、多少なりともこの子たちにとって良い提督でいられただろうか。

 そう悩むことも多々あったが――それなりに良い関係を築けたような気もする。

 

「司令官、どこか嬉しそうな顔してるわね?」

「ん、そうかい?」

「そうよ。暁にはお見通しなんだから。……そう、提督は今日美味しいデザートを食べて上機嫌なのに違いないわ!」

「はっはっは」

「暁。司令官のこの笑い方は外れみたいだよ」

「えーっ!」

 

 そうなの司令官、と暁に詰め寄られる。

 どうにか回答をはぐらかそうと悪戦苦闘していると、雷が暁の首根っこを掴んだ。

 

「はいはい、そこまで。司令官も困ってるじゃない」

「むう。暁のレディっぷりを見せてあげようと思ったのに」

「見せ方をもうちょっと考えた方が良いんじゃない?」

 

 雷が窘めるような口調で暁をこちらから引き剥がした。

 

 六駆の四人――特に響と電の二人とは長い付き合いになる。

 七駆ほどではないが、この泊地では古参の方だ。

 

「でも司令官さん、本当に優しい顔をしてるのです」

「普段とそんな違うかな」

「いつもは少し厳めしい表情をしてるからね。怒ってるわけじゃないって分かってるから、怖くはないけど」

 

 響に言われて、思わず自分の顔を触ってみてしまった。

 

「人相については、戻ってくるまでに改善できないか試みてみよう」

「今のままで良いのですよ、司令官さんは」

 

 電が宥めるようにフォローしてきた。

 

「自然体のままの方が私も良いと思うよ。どちらかというと最初の頃は表情作ってて、それが逆に怖かった」

「そうなのか? 全然自覚してなかったが……」

「余裕が出来て自然体でいられるようになった。そういうことじゃないかな」

「ああ――確かに、最初の頃は余裕なかったからな」

 

 企業に勤める平凡なサラリーマンが、突如提督になり、この島の窮状を見かねて泊地を立ち上げた。

 最初は本土との連絡も取れず、周囲に味方の拠点もなく、まさに孤立無援だった。

 艦娘のこともほとんど知らなかったから、当初は「信じるしかない」と割り切ろうとして接していたところがある。

 そういう状況が、ぎこちない表情を作り出していたのかもしれない。

 

 あの頃と比べると、自分は多くのものを失い、そして多くのものを得た。

 失ったものは戻ってこないが、それでもあの頃よりも自然体でいられるなら――きっと得難いものを得られたのだろう。

 

「司令官さん?」

「ああ、すまないな。少し……彼女のことを思い出していた」

「……そうですか」

 

 周囲の空気が若干しんみりしたものになる。

 最初の頃、この泊地が右往左往しつつ窮状を脱しようとしていた頃、一人の艦娘が海に沈んだ。

 その出来事は、当時泊地にいたメンバーの中に、消せない傷として刻まれている。

 

「あの、司令官さん」

 

 電が、突然意を決したように正面からこちらを見据えてきた。

 

「会ってもらいたい子がいるのです」

「……誰だい?」

 

 問いかけつつ、それが誰かは、なんとなく想像はついていた。

 あの出来事で、特に深い傷を負ったであろう子が一人いる。

 彼女とは、今もあまり話すことができていない。

 

 電は若干躊躇いながらも、その名前を口にした。

 

 ------

 

「なかなか利根の短冊、見つからないわね」

「いい加減諦めんか、このバカマルクめ」

「ふっ、これしきのことで諦めるほど軟弱ではないわ。プロイセン魂を舐めてもらっては困るわね!」

 

 新八郎が六駆と短冊を見て回っている頃、他の艦娘たちも思い思いに泊地内を散策していた。

 利根はこうした催しに興味はなかったのだが、筑摩に嵌められる形で短冊を書くことになり、それを知ったビスマルクによって半ば強制的に連れ出されていた。

 

「まったく、最近はどうにも調子が狂う」

「あら、どこか悪いのかしら?」

「主に筑摩とおぬしのせいじゃ。あと提督と叢雲」

「……?」

「本気で分かっておらんようじゃな……」

 

 利根は頭を掻きながら溜息をついた。

 ショートランドの利根は、群れることを好まず、他の艦娘と距離を取る姿勢を貫いていた。

 そのスタンスが仲間内からも問題視され、孤立を深めていたのだが、今年の春の海戦以降どうにも風向きが変わってきた。

 

「最近は子どもたちにもよく声をかけられてるそうじゃない。良いことだわ」

「うっさいわ。吾輩は子どもなぞ苦手なのじゃ。面倒臭いことこの上ない」

 

 利根の悪態に、ビスマルクは肩を竦めてみせる。

 素直じゃないわね――と言いたげだった。

 

「あら?」

 

 と、そこでビスマルクが足を止める。

 彼女の視線の先には、浜辺近くで一人海を眺めている小柄な艦娘がいた。

 

「如月じゃない。一人でいるのは珍しいわね」

「あら……ビスマルクさん。それに利根さんも」

 

 如月は声をかけられて、初めて二人に気づいたらしい。

 どこか、ぼーっとしているようにも見えた。

 

「睦月たちとは一緒じゃないの?」

「睦月ちゃんたちは、司令官に挨拶してくるって……」

「ふうん? 如月は行かなかったのね。アトミラールのこと苦手だった?」

「苦手……ではないんですけど。ちょっと、顔を合わせにくくて」

 

 何かをはぐらかすような言い方をする如月に、ビスマルクは首を傾げた。

 

「あやつは、もうすぐここからいなくなる」

 

 ビスマルクの後ろから、利根が釘をさすように言った。

 

「顔を合わせにくくとも、話したいことがあるなら今のうちに話しておいた方が良い。あやつがここに戻って来るのかも、そのときまでにお前が無事でいられるかも分からんのだからな」

「……そう、ですね」

 

 如月の表情が曇る。

 利根の言葉で傷ついたわけではない。傷口に触れられたが故の曇りだった。

 

「少し――考えてみます。ありがとうございました」

 

 如月は二人に頭を下げて、何処かへと去っていく。

 その後ろ姿を見送りながら、ビスマルクは利根を肘で小突いた。

 

「もうちょっとソフトな言い回しはなかったの?」

「知らんな。吾輩は、そういう優しさは知らん」

 

 利根は、わざとらしいくらい大きな溜息をついた。

 

「けど、放ってはおかなかったわけね」

「何が言いたい」

「それを口にするのは、この国の言葉でいうところの『野暮』というものだわ」

 

 ふふん、となぜか勝ち誇ったような顔をするビスマルクに対して、利根は心底嫌そうに表情を歪ませるのだった。

 

 

 

 考えてみると言ったものの、如月はまだ新八郎に顔を合わせる決心ができていなかった。

 

 あのとき、彼女は如月の眼前で沈んだ。

 

 艦艇だった頃、如月は仲間が沈むのを目の当たりにして、その後すぐに自身も沈むという末路を辿っている。

 だから、目の前で再び仲間が沈んで動揺した。

 何かに心の拠り所を求めようとしてしまった。

 

 しかし、提督――新八郎はその後も何事もなかったかのように振る舞った。

 その姿勢に如月は失望した。この人は信頼するに値しないと、そう判断した。

 

 実際は違った。

 彼は彼で傷ついていた。しかし、泊地を取り巻く状況が嘆くことを許さなかった。だから平静を装っていた。

 傷つきながらも、彼はやるべきことをやり続けた。

 如月が新八郎の本心を知ったのは、彼が無理を重ねて倒れた後だった。

 

 新八郎の本音を知って、彼に対する不信感は消えた。

 ただ、彼が傷つきながら奮闘していたときに自分が取った言動を省みると――彼に合わせる顔がなかった。

 

 作戦上必要なことは話す。しかし、それ以外に交わした言葉はない。

 何を話して良いのか、分からなかった。

 

「なんだ、如月じゃねーか。湿っぽい顔してどうしたよ」

「あらあら、美人さんが台無しだわ~」

 

 顔を上げると、そこには天龍と龍田がいた。

 二人の周囲には他にも何人かの艦娘がいる。皆、心配そうに如月のことを見ていた。

 

「ごめんなさい、少し考え事をしていて……」

「なんだ、何か悩み事か? それなら一人で考えるより、誰かに話してみた方が良いかもしれないぜ」

「そうねえ。提督にでも相談してみたら良いんじゃないかしら」

「提督は説教臭いところがあるから駄目だろ。それくらいならオレたちが相談に乗るぞ」

「……ごめんなさい。ちょっと、話し難いことで」

 

 天龍たちの気遣いはありがたかったが、如月には、これが話してどうにかなるようなものとは思えなかった。

 

「なんだ、それなら仕方ねーか」

「そうね、無理強いは駄目よ天龍ちゃん。……あ、そうそう如月ちゃん。睦月ちゃんがさっき貴方のことを探してたわよ」

「睦月ちゃんが……?」

「ええ、なんだかとっても困ってるようだったわ。泊地の離れの方――あっちの方に行ったみたいだけど」

 

 龍田が指し示した方には、大きな岬がある。

 

「何しに行ったのかしら……」

「行ってみた方が良いんじゃない?」

「そうですね。ちょっと様子を見てきます」

 

 そう言って、如月は薄暗い空の下で駆け出した。

 

 その場に残った天龍は、隣の龍田に呆れ顔を向ける。

 

「お前、さらっと嘘つくのな……」

「あら、嘘なんて人聞きが悪いわ~。私、別に嘘は言ってないわよ?」

「騙してるって意味で言ったんだよ。……ま、いいけどな」

 

 如月の背中を見送りながら、天龍と龍田は互いに笑い合うのだった。

 

 

 

 そこには、確かに睦月がいた。

 しかし、一人ではない。睦月は、新八郎の車椅子を押しながら歩いていた。

 

 声をかけるべきか、如月は躊躇った。

 しかし、そうして迷っているうちに睦月が振り返り、如月に気づく。

 

「あ、如月ちゃん!」

「……睦月ちゃん。何か、私を探してるって聞いたけど」

「そうなんだよ。暁ちゃんたちからバトンタッチする形で提督を預かったのは良いものの、ちょっと別の用事を思い出して困っていたところだったんだ」

 

 ということで、と睦月は車椅子を指し示した。

 

「ちょっと用事を済ませてくるから、その間提督をよろしく頼むにゃしぃ!」

「ええっ……!?」

 

 如月が反論する間もなく、睦月は凄まじい速さで去ってしまった。

 あとに残されたのは、呆然とそれを見送るしかなかった新八郎と如月だけである。

 

「……」

「……」

 

 互いに押し黙る。

 特に仲が悪いわけではなかったが、何を話せば良いかまったく分からなかった。

 

「……如月」

 

 先に声を出したのは新八郎の方だった。

 

「今更な話ではあるが、一つ謝らせてくれないか」

「司令官が?」

「ああ。なんというか、すまなかった。あのとき――彼女が沈んでから、ずっと私は如月の期待に応えることができなかった」

 

 ずっとすまないと思っていた――新八郎は申し訳なさそうにそう告げた。

 

「それは、司令官のせいじゃないわ。あのときは、仕方なかったのよ」

 

 新八郎の言葉を受けて、ようやく如月の中でも何かが氷解した。

 ずっと喉元で止まっていた言葉が、口から零れ落ちる。

 

「司令官は悪くない。むしろ、謝らなきゃいけないのは私の方よ。……やるべきこともやらず、不貞腐れて皆を困らせてしまった。司令官のことも、余計に傷つけてしまった。艦娘失格よ……」

「良いんだ」

 

 新八郎は諭すように言った。

 

「如月も、皆も、今は艦じゃなくて艦娘なんだ。人と同じ感情を持っている。感情を持っていれば、合理的ではいられないときもある。不条理な振る舞いをしてしまうこともある。私も、如月も同じだ。だから、それはそれで良いんだ」

 

 如月の頬を涙が伝っていく。

 そんな彼女の頭を撫でながら、新八郎は優しく言った。

 

「……感情を持つって、難しいわ」

「要らないと、そう思うかい?」

「……ううん。難しいものだけど――あって良かったとも思う」

「そうか」

 

 如月の答えに、新八郎は心底安堵したように息を吐いた。

 

「それは、良かった。――本当に、良かった」

 

 

 

 そろそろ様子を見に行こうか。

 そう思って新八郎と如月のところに向かった睦月や六駆、天龍たちの耳に、どこか寂しげな――それでいて優しい音色が聞こえてきた。

 

「これ、何の音にゃしぃ?」

「……多分、司令官の笛じゃないかな。以前片手で器用に吹いてるのを見たことがある」

 

 響は足を止めてそう言った。

 他の皆も同様に立ち止まって、その場で笛の音に耳を傾ける。

 

 

 

 一方、別の場所で笛の音を聞きながら、ビスマルクは一枚の短冊を手に取っていた。

 

「分かったわ、これでしょう利根!」

「……違うのう。残念だったな」

 

 ビスマルクが指し示した短冊を見て、利根は頭を振った。

 

「本当かしら。これ名前書いてないし、願い事の中身も貴方っぽいじゃない」

「違うもんは違うわ。……それを書いた奴は知っておるから、断言できるわ」

「ぐぬぬ……なら、また別の場所を探すわ!」

「まだ諦めんのかおぬしは……」

 

 先を行くビスマルク。

 その後をついて行こうとした利根は、ちらりとビスマルクが示していた短冊を見た。

 

『一度で良いから、きちんとお話がしたい』

 

 やれやれじゃ、と溜息をついて、利根はビスマルクを追いかける。

 

 

 

 それぞれの想いを乗せて、七夕の夜は過ぎていく。

 その晩、ショートランド島の空は満天の星空に覆われていた。



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一緒にお昼はいかがでしょう

本作品は拙作「南端泊地物語―草創の軌跡―」の番外編です。
※ただし内容は本編とあまり関係ありません。


「提督、そろそろ少し休憩にしませんか?」

 

 古鷹の穏やかな声が耳に入ってきた。

 時計を見ると、針は午後二時過ぎを指し示している。

 

 きりの良いところまでやろうと奮起していたが、いつまで経ってもそのきりの良いところが訪れない。

 多少すっきりしないところはあるが、これ以上遅くなると昼食を取るには遅くなってしまう。

 

「すまない、もしかして付き合わせてしまう形になったか」

「いえ、お気になさらず。私もきりの良いところまで進めておきたかったので」

 

 古鷹はそう言うが、自分に合わせて昼休みを先延ばしにしていたのは明白だった。

 先に休んでお昼を取ってくれても構わなかったのだが、考えてみれば、古鷹はそういうところで遠慮してしまうところがあった。こちらが気を払うべきところだったのだろう。

 

「では昼休みに入るとしようか。間宮に行こうと思うが、どうだ?」

「あ、それでしたら提督。実は――」

 

 古鷹は少し慌てた様子で自分の鞄から弁当箱を取り出した。

 シンプルだが柔らかい印象を与えるデザインの包みに覆われている。

 ただ、その弁当箱は二つあった。

 

「実は、今日加古の分も作ろうとしたんですけど、少し作り過ぎてしまって!」

「おお」

「……その。どうでしょう……いりませんか……?」

 

 自信なさげに弁当箱を抱えながら問いかけてくる。

 ここでいらないと言うのは古鷹にも食材にも悪い。

 若干気恥ずかしいようなくすぐったいような感じもするが、それは断る理由にならないだろう。

 

「私でよければいただこう」

「あ、ありがとうございます!」

「いやいや、むしろ礼を言うのはこちらの方だ。ありがとう、御馳走になる」

 

 ガクガクと首肯してこちらに弁当箱を差し出す古鷹の頭をポンポンと叩く。

 

 そんな冷血漢に思われていたのだろうか。

 だとすると、今後艦娘と接する際の立ち振る舞いについて再考する必要があるかもしれない。

 

「そうだ。普段は執務室で缶詰になることが多いし、せっかくだから外で食べようか」

「そ、外ですか……?」

「駄目か? たまにはそういうのも風情があって良いと思うんだが」

「いえ、駄目ではないんですけど、他の皆に見られるというのは少し落ち着かないというか……」

 

 顔を赤らめてもじもじと両手の指を忙しなく動かす。

 

 弁当の見栄えに自信がないのだろうか。

 少し気になったが、ここで開いて確認するのはいくらなんでも失礼というものだろう。

 

「とは言えここで食べる気分でもないしな……。なら私の部屋にでも行くか」

「てて、提督のお部屋ですか!?」

「いや、嫌なら別に構わないが……。以前古鷹が私の部屋の本を気にしてたみたいだから、ついでに見るかと思っただけでな」

「それは、その……気になりますが、さすがに悪いです」

 

 遠慮しなくても良いと思うのだが、こうなると古鷹はなかなか引かない。

 やむを得ない。いつも通りという形になってしまうが、ここでそのまま食べるとするか。

 

 そう口にしようとしたとき、古鷹がややテンパった様子で身を乗り出してきた。

 

「私の部屋は、どうでしょう!」

「……古鷹の部屋?」

「はい!」

 

 妙に力の入った様子に、何とも逆らい難いものを感じる。

 さすがに女子の部屋にお邪魔するのは気が引けるが、断ったら古鷹を落ち込ませてしまいそうな気もした。

 

「古鷹が構わないなら、お邪魔するとしようか」

「はい、構いません」

 

 古鷹はパァッと表情を明るくした。

 妙なことになったが、この表情を見れたのであれば、上々と言って良いだろう。

 

 

 

 なぜこんな提案をしたのか、少し前の自分を問い詰めたい気持ちでいっぱいだった。

 

 自室の前まで提督を連れて来て、いざ扉を開けようというところになって、ようやく我に返ったのだ。

 返らなければよかったのに、と後悔する。

 

 そもそも、提督が悪い。

 急に外で食べたいなどと思い付きを口にして、挙句の果てに自分の部屋に行こうなどと、デリカシーがなさすぎる。

 

 確かに興味はある。

 本だけではない。

 部屋で提督がどんな風に過ごしているか、いろいろと聞いてみたいところではある。

 

 しかし、部屋に行くというのは心の準備が必要なものだ。

 急に「来るか」と言われて行けるはずがないではないか。

 

 ……って、それ全部ブーメランだよ私……!

 

 提督の方は特にあれこれ意識している様子もなく、普通にここまでついてきた。

 正直、もっとあれこれ反応してくれても良いではないかと思わなくもない。

 こちらのことをどう想っているのだろうか。

 

「古鷹?」

「――ハ、はい?」

「いや、開けないのか?」

 

 ドアノブに手をかけて硬直していたので、さすがに提督も妙に思ったのだろう。

 こちらを気遣うような表情を浮かべて、

 

「やはり急にお邪魔するのは良くなかったんじゃないか。あれだったら私は戻るが」

「いえ、大丈夫です。大丈夫ですが、万一散らかっていたら申し訳ないので、少し様子を見てきますね!」

「あ、ああ。終わったら呼んでくれ」

「了解です!」

 

 さっと一礼して部屋に飛び込むと、勢いよくドアを閉めて中の様子を確認する。

 特に目立って散らかっている様子は見受けられない。

 加古の生活エリアも朝点検したからきちんと片付いていた。

 

「……ふうっ」

 

 一通り部屋の状態をチェックして、何度か深呼吸をして気を落ち着かせる。

 普段通りに振る舞えば問題はないのだ。

 単純に、提督とお昼を一緒にするだけなのだから。

 

「お待たせしました。どうぞ」

 

 扉を開けて外にいる提督を呼び込もうとする。

 しかし、そこにいたのは提督だけではなかった。

 

「あ、どもどもー!」

 

 気さくな様子で挨拶してきたのは、古鷹の戦友でもある重巡洋艦の艦娘・青葉だった。

 

「……あ、青葉? えっと、どうしてここに?」

「いやー、機関紙のネタ探しに泊地をぶらついてたら、艦娘寮に珍しい姿があったので取材をと」

「なぜか最初は無断で侵入した狼藉犯扱いされてな……」

「やだなあ、冗談ですよ冗談」

 

 青葉は屈託なく笑いながら提督の背中をバシバシと叩く。

 心なしか、前よりも二人の距離感が近くなっているような気がした。

 

「……えっと、そうだ。良かったら青葉も一緒にどうかな、お昼」

「んー。いや、それは遠慮しておきます。この青葉、空気の読める女と自任しておりますので!」

 

 そう言って青葉は提督から離れると、こちらに寄ってきて、

 

「それじゃ、頑張ってくださいね」

 

 と耳打ちした。

 カァッと顔が赤くなるのが分かる。

 

「あ、青葉!」

「あははは。後で話聞かせてくださいね~!」

 

 青葉は軽やかな足取りで去っていく。

 その後ろ姿を見送りながら、提督は「なんだったんだアイツは」と溜息をついた。

 

「……ん、どうした古鷹」

「いえ。なんでもないです」

 

 今日はいろいろとペースを乱されてばかりいる気がする。

 そのせいか、提督への返事も少し素っ気ないものになってしまった。

 

「……よし、古鷹。やっぱり場所を変えよう」

「え?」

 

 ここまで来てどこへ行こうと言うのだろう。

 そんなこちらの疑問には答えず、提督は「ほら行くぞ」と足早に歩き出してしまった。

 

 やがて辿り着いたのは、いつもの執務室だった。

 ただ、司令官は室内に入るとすぐに梯子を下ろして、そこから上り始めていく。

 

「ほら、古鷹も」

「は、はい」

 

 促されて梯子を登りきると、強い潮風が正面から吹き付けてきた。

 

 一足先に上った提督は、屋根に腰かけてこちらに手を伸ばしてくれた。

 その手を取って身を出す。

 

「わっ――」

 

 泊地正面の海が視界に飛び込んでくる。

 執務室には仕事でよく出入りしていたが、屋根の上に来るのは初めてだった。

 

「ここなら他の皆に見られることもないし、殆どいつもと同じ場所だが、気分転換にはなる」

「……提督はよくこちらに来られるんですか?」

「ときどきな。この場所は暑いから、ときどき風を浴びたくなる。そういうとき、ここは最適だ」

 

 言いながら、提督は渡した弁当箱を開けた。

 おにぎり、唐揚げ、ブロッコリー、プチトマト、きんぴらごぼう。

 改めて見ると面白味のない内容だと思ったが、提督は嬉しそうに顔をほころばせていた。

 

「誰かの作った弁当を食べるのは、久しぶりかもしれないな――」

「そうなんですか?」

 

 考えてみれば、提督がここに来るまでどんな生活を送っていたのか、聞いたことはなかった。

 あまり、自分のことは語らない人だ。だからこそ知りたいという想いもあるが、迂闊に踏み込んで嫌われないかという恐れもある。

 

「……うん、ありがたくいただくとするよ」

「ふふ。ええ、どうぞ」

 

 潮風のおかげで気持ちが落ち着いたからか、今度は普段通りに受け答えすることができた。

 

 波と風、そしてときどき聞こえる他の艦娘の声を聞きながら、箸を進め、他愛ない言葉を交わし合う。

 随分と回り道をしてしまった気もするが――辿り着いた場所は、悪くないものだった。



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できぬ覚悟、する覚悟

 着任して間もなく、気づいたことがある。

 自分はどうやら――少し他の艦娘と違う立ち位置にいるらしい。

 

 

 

 意識がはっきりとしてくる前から、工廠の機械が発するにおいが脳に届いていた。

 いつもの環境の中に身を置いている。そう感じながらも、どこかに違和感を覚えた。

 

「あれ、寝落ちしちゃってたか……」

 

 工廠の片隅にあるデスクに突っ伏していたらしい。

 おかげで背中と腰と肩が痛い。ついでにいうと、目の前にある設計図が少し汚れていた。

 

 時計を見ると、既に日付が変わっていた。

 近頃、この工廠ではドイツの艤装に関する開発作業が進んでいる。

 設計図は伊8たちが持ち帰っていたが、それを実際に扱えるようにするためにはいろいろと手間がかかるのである。

 

「明石――はいないか。おやっさんも帰っちゃったかな」

 

 工廠の中は静かで、夕張がいる辺りを除けば消灯状態。

 おそらく、残っているのは夕張だけなのだろう。

 

「私も一旦帰ろうかしら。明日は非番だし……」

 

 戸締りをしてから工廠を後にする。

 天に陽はなく、ただ無数の小さな星が輝くばかりであった。

 

「非番……非番かあ」

 

 明日どうやって過ごそうかと考えてみたが、妙案は浮かばない。

 部屋に娯楽設備はない。寮のリビングにいけばテレビはあるが、僻地であるこの泊地では地上波も何もあったものではない。

 どこからかビデオなり円盤なりを入手する必要があり、正直言って面倒だった。

 

 かと言って、こういうとき一緒に過ごせるような特別親しい相手というのもいない。

 

「……そう、いないのよねえ」

 

 泊地には多くの艦娘がいる。

 人間のスタッフもいる。

 特に仲が悪いわけではないし、嫌いというような相手はいないのだが、どこか壁を感じてしまうところがあった。

 

 普段話していても、共に戦場に出たとしても、どこか相手が引いているのを感じる。

 全員が全員そうではない。しかし、決して少なくない数の艦娘が自分に妙な態度を取っている気がする。

 

 何度かそういう振る舞いについてそれとなく話を引き出そうとしてみた。だが、上手くいった試しがない。

 自覚がないだけで、自分の振る舞いに問題があるのではないか。

 そんな風に思い悩むこともあるが、未だに正解は見つからない。

 

「あら、貴方は確か――ユバリ!」

 

 そんなことを考えながら歩いていると、不意に呼び止められた。

 若干名前を間違えているが、それは相手の出自を考えれば仕方のないことだろう。

 

「ビスマルク、こんばんは。あと私の名前はユ・ウ・バ・リよ」

「失礼。どうやら間違えてしまったようね」

 

 間違えたという割には申し訳なさそうな素振りが見えないが、それは文化の違いというやつなのかもしれない。

 彼女はここ最近になって着任したドイツの艦娘である。何度か顔を合わせたことはあるが、対面で話したことはあまりなかった。

 

「ところで夕張! 私の艤装改造計画の進捗はどんなものかしら?」

「あー、そこ聞く? 聞きます? いろいろ口から出ると思うけど、それでも聞く?」

「……今のでおおよそは察したわ」

「貴方の聡明っぷりに感謝するわね」

 

 寝落ちするくらい忙しくなっている一因に、改造計画も含まれている。

 進捗どうだと聞かれても、ビスマルクに説明できるほど整理できていない。

 今無理に話そうとしても、仕事の愚痴にしかならないだろう。

 

「けど、もう第二改装か……。羨ましいわね」

「そのうち夕張にも来るんじゃないの?」

「どうかしらねー。私、実験艦だからか戦力としては中途半端だし……万一来たとしても、多分そんな活躍する場に出ることもなさそうだし。重要な局面では、留守役かサポート役ばっかりだしね」

「そうなの?」

「うん。多分、私の出番は、この先もないわよ」

 

 夕張は噛み締めるように言う。

 人によっては「危険な目に合わずに済んでラッキー」というかもしれない。

 しかし、夕張には艦娘としての矜持があった。

 

「本当は出たいって顔してるように見えるわよ」

「まあ、そりゃ艦娘としてはね……」

 

 ビスマルクに図星を指され、夕張は諦観まじりの笑みを浮かべる。

 

「なら、提督に直談判しに行けば良いじゃない」

「直談判――えぇっ!?」

 

 夕張が反応するより早く、ビスマルクはその腕を掴んで力強く歩き出した。

 

「ちょ、ちょっと待って! 今もう零時過ぎてるわよ!? せめて日中とかにしといた方が――」

「日中だと提督も忙しいじゃない。ならこの時間帯の方が都合良いわよ!」

「え、えーっ!?」

 

 戦艦であるビスマルクと軽巡である夕張では、力の差は歴然としている。

 夕張はなすすべもなく、引きずられる形で提督の私室へと行くハメになった。

 

 

 

「なるほど。来訪の理由は分かった」

 

 幸いというべきか、提督・伊勢新八郎はまだ起きていた。

 読書の最中だったらしい。部屋着として愛用している甚兵衛姿で、片方だけになった腕で単行本を持っていた。

 

 元々は一般の勤め人だったが、僅かながら提督としての資質があったことから艦娘と出会い、南方の地で提督をすることになった人である。指揮官としてはお世辞にも頼りがいがあるとは言えなかったが、泊地の皆からは慕われているようだった。

 

 ようだった、という言い方になるのは、夕張自身はそこまで提督と親しくしていないからである。

 

「話は分かったようね。なら提督、これからは夕張のこともちゃんと出撃させなさい!」

 

 一方、ビスマルクは提督相手にガンガン詰め寄っている。

 ビスマルクが誰に対しても距離感が近しいだけなのかもしれない。

 しかし、提督の方もどことなく夕張相手よりは気楽そうに振る舞っているように見えた。

 

「落ち着こうか、ビスマルク。別に私は夕張を冷遇しているというわけじゃないぞ」

「じゃあ何、彼女が戦力にならないっていうの?」

「そういうわけじゃない。彼女は多くの兵装を詰める分、他の軽巡にはない強みもある。頼もしいと思ってるよ」

 

 夕張としても、特別冷遇されているという印象は持っていなかった。

 否。冷遇というよりは、むしろ――。

 

「じゃあなんで出撃させないのよ」

「いや、それは……」

 

 ビスマルクに迫られ、提督は言葉を詰まらせた。

 

「……そろそろ白状した方が良いんじゃないの?」

 

 夕張やビスマルクたちの後ろから声がした。

 振り返ると、開けっ放しだった扉のところに叢雲が立っている。

 

「大声で誰か騒いでると思って様子見に来たのよ」

 

 遅れてノックをしつつ、叢雲は諭すような口ぶりで続けた。

 

「新八郎。言い難いのは分かるけど、いつまでも誤魔化し続けるわけにはいかないでしょ」

「……」

「なんだったら私が代わりに言うわよ」

「それはちょっと勘弁して欲しい」

 

 観念したように降参のポーズを取ると、提督は静かに話し始めた。

 

 

 

 かつて、この泊地には艦娘・夕張がいた。

 今いる夕張ではない。先代の夕張である。

 

 この泊地は、創設時から深刻な問題を抱えていた。

 本国と連絡が取れず、近隣の島々は食糧難に見舞われている。

 両者を解決するためには海路が必要不可欠だったが――深海棲艦がその前に立ちはだかった。

 

 飢饉のせいで時間の猶予はない。

 強引にでも深海棲艦を倒し、道を切り開く必要があった。

 

 そんな状況下で、初代・夕張は深海棲艦と死闘を繰り広げ、暗い海の底へと沈んでいった。

 泊地における最初の――そして唯一の戦死である。

 

 

 

「情けない話だが、言ってしまえばトラウマということになる」

 

 提督は力なく口元で笑ってみせた。もっとも、目元は笑っていない。どこか、泣きたそうな顔に見えた。

 

「……提督。言ってはなんですが、私たち艦娘は戦うためにここにいます」

「ああ。理解しているよ」

「私たちが沈むのが嫌だというのでは、困ります」

「……ああ。それも、理解している。理解して、覚悟しているつもりだ」

 

 夕張の言葉に、提督は静かに頷いてみせた。

 

「だが、どうしてもな。夕張、君については――まだ覚悟が定まらない」

「それは……」

 

 夕張の口から非難の言葉が出そうになったとき、机の上に置かれていた通信機が音を立てた。

 すぐさま提督は通信機を手にする。こんな時間の連絡であれば、ろくなことではあるまい。

 

 はたして、事情を聞き終えた提督は顔を青ざめさせた。

 

「新八郎?」

「船団警護に行っていた天龍たちが、深海棲艦と遭遇した。敵の中には戦艦級もいる」

 

 天龍たちの部隊は、任務が比較的近場で済むということもあって軽装備だった。

 この辺りは深海棲艦の勢力が大分削がれていたのでそれで良いと判断したのだが、今回はその判断が裏目に出た。

 

「天龍たちはそんなに遠くではなかったわよね。だったら、すぐ救援に向かうわ」

「当然、私も同行するわよ」

 

 叢雲とビスマルクが名乗りをあげる。

 無論、夕張も気持ちは同じだった。

 

 行って良いか。その思いを込めて、夕張は提督を真っ直ぐに見据える。

 提督の表情には迷いが見えた。だが、この状況においてはやむを得ないと判断したのだろう。

 

「私の方でも動けそうなメンバーを探して増援に出させる。三人は先行して天龍たちと合流してくれ。天龍たちには逃げに徹するよう指示を出しておく」

「――了解!」

 

 

 

 ごめんねと、叢雲が謝った。

 

「え、なにが?」

「あいつの代わりよ。……なんだかんだ、全然覚悟出来てなかったみたいだし。それで夕張には随分と気を揉ませたと思ってね。だから、代わりに謝っておくわ」

 

 叢雲は伊勢新八郎と最初に出会った艦娘であり、泊地のすべてを知っていると言っても過言ではなかった。

 最初から、すべての事情を把握していたのだろう。

 

「ううん。少し、気が楽になったわ」

「そう?」

「ええ。自分だけが贔屓されてるんじゃないか、でもその心当たりも全然ないし――って不安だったのよね」

 

 どこか、箱入り娘を扱うような、そういう空気感が提督の周囲には漂っていた。

 その正体が分かった今となっては、いろいろと納得できる。

 

「私は少し見損なったわ。他の艦娘が沈む覚悟はできていて、夕張についてはその覚悟ができてないって……見方によっては随分と酷い話に見えるもの」

 

 ビスマルクが口元を尖らせる。

 しかし、夕張は頭を振って否定する。

 

「多分、あれは口だけよ」

「そうなの?」

「覚悟をしたいとは思ってるんだと思う。でも、天龍たちから連絡受けたときのあの顔見るとね」

 

 天龍たちの危機を聞いて、提督はこの世の終わりのような――何かに救いを求めるような表情を浮かべた。

 ほんの一瞬のことだから、ビスマルクは見落としたのかもしれない。だが、夕張は確かにその顔を見た。

 

 おそらく提督は、夕張に限らず、泊地の誰かが沈むことへの覚悟ができていない。

 覚悟しているとすれば、それはまったく別のことに対する覚悟だろう。

 

「提督が覚悟しているとすれば、それは――」

「それは?」

「……」

 

 ビスマルクの問いかけに、夕張は笑みだけで応えた。

 それはきっと、余人が軽々しく口にして良いものではない。そんな気がしたからだ。

 

「……覚悟ができていよううといまいと、あいつは戦場に艦娘を送り出す。少なくとも、そこからは逃げないわ」

 

 叢雲が、どこか憐れむように補足した。

 

「だから、二人も覚悟を決めてちょうだい。決して沈まないと。あいつのところに帰るんだと」

 

 夕張とビスマルクは、互いに顔を見合わせ、深く頷いた。

 

 これからも、夕張たちはこうして出撃していくのだろう。

 その度に、戦う者だけでなく送り出す者も、身を切るような痛みを味わうことになるのだろう。

 

「提督が逃げないなら――私たちも、逃げないようにしないとね」

 

 

 

 皆、傷だらけだった。

 傷だらけになりながらも、全員で泊地へと戻ってきた。

 

 埠頭には提督の姿が見える。

 もしかすると、ずっとそこで待っていたのかもしれない。

 

 近づくにつれて、安堵の笑みが見えてくる。

 

 これが見られるなら、絶対沈むなという無理難題をこなすのも悪くはない。

 そう思いながら、彼女は大きく手を振った。

 

 

 

 今になって気づいたことがある。

 自分はどうやら――ようやく他の艦娘と同じ場所に立てたらしい。



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