昨日の京は今日の恋 (紅山車)
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【あらすじ】かつて精鋭部隊・コマンドーの隊長として名を馳せたジョン・メイトリックスは、現在は軍を退役し一児の父として愛娘・ジェニーと山荘での静かな生活を送っていた。そんなある日、二人が暮らす山荘をメイトリックスのかつての上司カービー将軍が訪れる。


「納得いかん」

 

 

 

「どうしたの京ちゃん。とうとう頭がばかになったの?」

「咲みたいなポンコツだけにゃ言われたくねえよ」

「そんな時はタコスを食えば万事解決だじぇ!ということで、作って来い京太郎」

「お前がタコス食いたいだけだろうが」

「でもっすよ、京さん。いきなりそんなこと言い出すと、頭がおかしくなったと思われても仕方がないっすよ?」

「いや……だってさー……愚痴りたくもなるだろ、この状況じゃあ」

「麻雀打てずに雑用ばっかしてる、ってこと?」

「それについては文句ねえよ。この中で一番弱い俺が雑用するのは、当然のことだしな」

「? そんじゃあさー、なにがそんなに不満なの?」

「なにがってお前、穏乃よ。わからないか?」

「もー。キョータロー、簡潔に言ってよー」

「須賀くん。なにか不満があるのなら、言ったほうがいいと思いますよ?」

「せやで。はっきりせんなー、自分」

「……それじゃ、はっきり言わせてもらうぞ」

 

 

 

「なぁっんで俺は!両手足縛られて!こんなとこに座らされてんだよ!」

 

 須賀京太郎、花の16歳。

 ただいま、両手両足を荒縄で縛られて。

 とある合宿所の、とある一部屋。

 その真中に鎮座しているのであった。

 

「ま、まあ落ち着きなさいよ、ね?」

 阿知賀の新子憧が、宥めるように言う。

「俺だって落ち着けたら落ち着きたいよ、今すぐに部屋に戻って寛ぎたいよ」

 実際、先ほどまでそうしていたのだ。

 全国大会を終え、部の代替えも終わり、新生清澄麻雀部が始動する大切な時期。

 新部長となった染谷まこ先輩は、けれどそんなデリケートなときに、こんなことをぶちあげたのだ。

 

 

 

『他校との大規模な合同合宿に参加するぞ』

 

 

 

 曰く、全国大会が終わって直後の今こそ、実戦勘が失われやすいのだという。大きな山を越えひと安心した時にこそ、実戦を積み、常に闘いに臨めるようにしておくべきだと。

 それに――と、まこ先輩は続けた。

『京太郎よ。これは、わしからお前への罪滅ぼしのようなもんじゃ』

 雑用などにかかりきりで、ろくに牌を触れなかった――そんな京太郎に、少しでも実戦を積ませるため。この合宿への参加を決意したのだという。

 

 ただしこれは試練でもある。

 聞くところによれば、結構な強豪校がその合宿に参加するそうである。気を抜けば、まこ先輩にはもちろん参加校の人にも迷惑がかかる。

 自分を磨き。

 相手を敬い。

 互いに高め合う。

 それには、充分に足る実力をつけなければならない。

 これが終われば新人戦がある。

 この合宿で、なにかを。

 咲や、優希や、和や、まこ先輩や、久先輩にあって、俺にないものを見つけるのだ。

 行きを含めてたった二泊三日の行程でも、得るものは必ずある。

 なんとしても。

 そう決意して参加した合宿――の、はず、であった。

 

 

 

「それがご覧の有様だよ!」

 

「京さん。泣きながら叫ばないでくださいっす」

「泣かいでか!叫ばいでか!」

 

 実際のところ。

 合宿なんてのは嘘っぱちで、大会を通じて全国の高校と仲良くなった前部長が「みんなで温泉でも行きましょうよ」と冗談混じりで話したところ、みなノリノリでトントン拍子でことは進んだという。

 だが、曲者の久先輩のことだ。普通に伝えては面白くない、と「合同合宿」ともっともらしい言い訳を添えて伝えたのだろう。道理で、既に引退したはずの3年生たちも旅館に来ているはずだ。

 ただの慰安旅行。

 そんなことは露知らず、「強くなるぞ」と勇み足で温泉旅館にやってきた、その結果がこれである。

 泣きたくもなるさ。

 

「そもそもだ」

 特に疑問に思っている点がこれである。

「俺、なんで縛られてんの?」

 部屋でくつろいでいるところに入った、咲からの一通のメール。

 

『今すぐ部屋に来て』

 

 またなんか忘れもんでもしたか? と思いながら、女子部屋の襖をノック。

 けれど返答はなし。

 仕方がないから入るぞ、と一声かけて襖を開いたら。

 

「縛られたんだが」

「大丈夫大丈夫、よくある」

「よくあってたまるか!」 

 慰めにもなってない慰めであった。

「いや、だって」

 新子憧がそう言うと、二条泉の方をちらりと見やる。

「まぁ、なー。うん」

 二条泉がそう言うと、東横桃子の方を気まずそうに見やる。

「そうっすよねぇ」

 東横桃子がそう言うと、大星淡が欠伸を漏らす。

「そりゃそうだよねー」

 大星淡がそう言うと、高鴨穏乃は頭を傾げる。

「私はよくわかんないんだけど、こうした方が互いのためだって皆が言うから」

 高鴨穏乃がそう言うと。

 宮永咲と、片岡優希と、原村和――清澄での同級生三人が、一斉に口を開いた。

 

 

 

「「「こうしないと、襲われるかもしれないから」」」

 

 

 

 須賀京太郎、花の16歳。花がなくとも、16歳。

 恥の多い生涯を送って来ました――というわけでは、ない。

 品行方正な優等生、というわけでもなかったけれど、少なくとも人に恥じるような悪いことはやっていない。

 はずである。

 ……身に覚えのないことを知らず知らずのうちにしでかしている可能性は、あるかもしれないけれど。

 それでも。

 雑用として必死になって、清澄の全国制覇に貢献したつもりではあったのだ――その自覚もあった。

 その末路が、襲われるかもしれないと縛られる、正に野獣扱いである。

 どこぞの柱の一族よろしく「HEEEEYYYY あァァァんまりだァァアァ」と嘆きたくもなる。

 

 ――しかし。

 しかし、だ。よく考えてみろ。

 女ばかりの慰安旅行に、一人だけ男。

 いくら東京の会場で全員と顔を合わせ、面識があるとはいえ、そう思われるのも不思議ではない――いや、これが普通の反応なのか。

 ……色々と納得はいかないが、女子たちに不安を抱かせてしまっていることは事実である。

 

「わかったよ」

 

 観念して、京太郎は言った。

 

「この合宿――いや、旅行だったっけ。その間、女子の部屋には近付かない。これでいいだろ?」

「違うよ、京ちゃん」

「?」

 咲の、今までにないレベルで確固たる意志を持った言葉に驚く。

「そうだじぇ。そんな口約束、いつ破られるかわかったもんじゃないじぇ」

「口約束ってお前……そうするしかないだろ」

 じゃあどうすればいいというのか。というか、こんなに信頼なかったのか? 俺って。

「そこで、皆さんと話し合って決めました」

「和……?」

 なぜか頬を薄紅に染めて、和は言った。

「決めたって何を」

 未だに要領を得ない。なんだ、一体なにを考えているんだ?

 

「早い話が、京さん」

 桃子はしかし、そんな京太郎に構わず言葉を進める。

 

「この旅行中、須賀の動向を逐一見張るために、ね」

 憧がどこか言い出しにくそうに頬を掻く。

 

「キョータローを、この部屋に置いておこう、ってことだよ!」

 淡が、名探偵のようにビシッと指さす。

 

 

 

「………………ん?」

 要するに。

 京太郎が旅行中いつ獣になって女子を襲うか知れない→なら目に届くところに置いておこう→それじゃあ女子の部屋に置いておこう!

 と、まぁ、そういうことらしい。

 

「本末転倒じゃねえか!」

「まぁ、そういうことになったらしいから!」

「他人事かよ! んでそのドヤ顔をやめろ淡」

「とりあえずお茶入れろ犬!」

「タコスてめー自分で入れろ! というか縄解け!」

「京太郎元気だね! なんか良い事でもあったの?」

「これが元気に見えてるんなら眼科行って来たほうがいいぞ穏乃」

 駄目だこの馬鹿三姉妹、早く何とかしないと――!

 

「ほら、暴れないの」

「え?」

 見ると、憧が後ろ手に縛られた縄をゆっくり解いていた。

「解いていいのか?」

「襲う気があるの?」

 いや、無いけど。天地神明に誓って無いと言い切れるけど。

「ならいいじゃない。そもそも、縛ったのは優希と淡の悪ふざけなんだから」

「お前ら後で覚えとけよ」

 ひと睨みすると、タコスと高校百年生は「いやーねえ奥さん、あれが野獣の視線ってやつだじぇ」「本当にね! いつ襲われるかと思うと気が気じゃないよ!」とか言い合ってる。馬鹿同士気が合うらしい。

「まあ、気を悪くしないで欲しいっす。京さん」

「モモまで俺が見境無く女子を襲う野獣だって思ってんのかよ」

「そう言う訳じゃないっすよ。むしろ逆っす」

 ……逆?

「東横さん」

「っと、口が滑ったっす」

 和に窘められ、慌てて口を覆う。何が何やら。

「まあとりあえず、女所帯だと色々と手が足りてへんねん。だから手を貸してくれんか、っちゅーことや」

「手を貸すのはやぶさかじゃないけどな……そうならそうと言ってくれりゃいいのに」

「まあ、京太郎も男やしな! それなりに警戒するのは当然のことよ」

「ひでぇ話だ」

 思わず愚痴る。

「まあけど、それでいいんならわかったよ。なるべく一人にならないようにする」

「そーそー。理解の速い男は好きやで」

 

「二条さん!」

 

 急に甲高い声が響く。

「って、なんだよ咲。いきなり大声挙げるなって」

 見ると、咲が何やら怒った顔で仁王立ちしていた。

「あ、う、うん。ごめんね京ちゃん」

「たく。って、泉?」

 泉の方を見ると、ニヤニヤしながら咲の方を見ていた。

「んーにゃ、なんでもない。ごめんなー、咲ちゃん?」

 泉はぽんぽんと咲の頭を撫でると、京太郎の方を向き直した。

「そんじゃ、京太郎。短い間やけど、よろしく」

「あぁ、うん」

 言い残すと、泉はどこかに行ってしまった。

「……むー……」

 頭を撫でられた咲は、憮然たる面持ちで去っていく泉を眺めていた。

「……まぁ、なにがあったかは聞かないけどな。こんな機会滅多にないんだから、仲良くしろよ?」

「んぅ」

 長年の癖の如く、咲の頭を撫でる。咲は納得いっていない表情を浮かべているが、「京ちゃんがそう言うんなら……」と小さく言葉を紡ぐ。

「そか。んじゃ、俺ちょっと部屋戻るわ」

「え、え? なんで?」

 頭から手を離すと、おたおたと焦り出す。こういうところは、ある意味俺よりも犬っぽいんだよなあ。こいつ。

「財布やら携帯やら、全部部屋に置いてきちまったから。それにそろそろ……」

「犬ー! タコスはまだかー!」

「……ほらな、騒ぎ出した」

 優希に今持ってきてやるから待ってろ、というと「40秒で支度するんだじぇ!」と帰ってくる。無茶を言うな。

「ま、そういうことだ。すぐ戻ってくるから、そこで待ってろ」

「だ、駄目だよ京ちゃん一人になっちゃ!」

 ……こいつは、そこまで俺のことが信用ならんかね。

「誰も襲わねーっつの。お前は、長年俺と一緒にいながらまだ俺のことが信用できねーのか?」

「そ、そんなことないよ。京ちゃんのことは信用してる」

 けど。と、咲は続けた。

 

 

 

「他の子が、信用出来ないんだもん」

 

 

 

 そりゃどういう意味だ? と尋ねようとした時。

 

「あーっ! キョータローがサキーいじめてるー!」

 

 馬鹿2号が、こんな大声を挙げた。

 

「もー、ダメだよキョータロー! さっきのこともう忘れたのー?」

「ただ咲と話してただけだろ?」

「だーかーら。女の子と二人っきりになるのは禁止だって言ってるじゃーん」

 間延びした話し方。妙なあだ名。なのに自信たっぷりな、この顔。傍から見れば、とても『常勝白糸台の大将』には見えない。

「淡、お前も近くにいたろ?」

「ダメ! 私が近くに居たんなら、私も構わなきゃダメ!」

「なんだそりゃ」

 寂しくて死んじゃう、みたいなキャラでもないだろうに。

「ねー、サキー? そうだよねー?」

「あ、えと、うん、そう、だね?」

「ね~! サキーったら、話がわかるねーっ」

「???」

 

 あー。なんか、『教室でギャルに話し掛けられた時の地味な子』を地で行くリアクションだ。見ててもやもやする。

 

 

 

「京さん。部屋、戻るんじゃないんすか?」

 と、背後からボソッと話し掛けられる。

「おぉ、モモか。いやな、戻ろうにも戻れない状況に陥っててなあ」

 東横桃子。鶴賀学園で副将を務める、『常識では考えられないくらい』影の薄い女子である。

「気にせず行っちゃえばいいじゃないっすか。部屋って、すぐそこっすよね?」

「行ったら行ったで、また騒ぎ出すから面倒なんだよ。誰かに付き添い頼むかな……」

「そんなことっすか。なんなら、私が付いてってあげるっす」

 ドンと胸を叩き、自信満々で言う。

「お、サンキュ。あと一人に付いてきてもらうか」

 

 

「いいじゃないんすか? 私一人だけでも」

 

 

「あのな、モモ。俺はさっき、手足縛られてまで『二人きりにならない』って取り決めを飲んだんだぞ?」

「私は」

 そんな、影薄い系女子な桃子であるが――それは、一段と意思のこもった声であった。

「京さんを、信頼してるっすよ」

「………………」

 まあ、桃子がこれだけ言うんだから……大丈夫、かな。

 こっちにも、襲う気なんてさらさら無いわけだし。間違いなんて起こりようもないだろう。

「……そこまで言うなら、いいや。その代わり、問い詰められたらちゃんと弁明してくれよ?」

「もちろんっすよ。そんじゃ、パパっと取りに行くっす」

 なぜか満面の笑みで部屋の襖を開ける桃子。何がそんなに楽しいんだか。

 

 

「二人きりで」

 

 

 

 見事なおもちが、襖の先にはあった。

「どこへ行こうというのですか? 須賀君」

 

 

 

「いや、な? 和。財布と携帯を取りに、部屋まで行こうと」

「それなら、隣の東横さんは何故?」

 桃子は、バツが悪そうに和から目を逸らす。

「……別に。京さんが一人で部屋に戻るのが、寂しそうに見えたから付き添いを申し出たまでっす」

 嘘つけ、今までに無いくらい積極的だったくせに――と言おうとする前に、和が口を開く。

「それなら、私も付いて行きます。これで東横さんが襲われる心配はありませんから――異論は」

 和はゆっくりと、京太郎の方に顔を向ける。顔は笑っているが、目は視線だけで虫くらいなら殺せそうな、鋭いものであった。

「ありませんね?」

 ……なんだろう。特にやましいことなどしていないのに、冷や汗が出てきたぞ。

「俺は無いぞ。むしろ、わざわざ付いてきてもらって、申し訳ないくらいだ」

「……私もないっす」

 桃子は仏頂面で、あからさまに不満な態度を示していた。

「それじゃ、行きましょうか」

 言うと和は、部屋の場所を把握しているかのような足取りでさっさと歩いて行ってしまう。ロビーに全体図があったから、きっとその辺を覚えているんだろう。麻雀のみならず日常でも、その記憶力の良さは遺憾なく発揮されているらしい。

「……そういえば、おっぱいさんには私のステルスが効かなかったっすね……」

「おお、そう言えばそうだったな」

 県大会の情景が思い起こされる。今から思い出すと遠く昔のことだったように思えるが――それだけ濃密な時間を過ごしてきたのだろう。

「あの時の勝負は凄かったなあ。俺もいつか、あんな風に打てるように……って、モモ?」

「……まだっす。まだ機はあるはずっす……」

「?」

 なにやらぶつぶつ言ってる桃子。と、和が「何をしているんですか。早く行きましょう」と振り向いて声を掛けてきた。

「……なんか、変な感じだな」

 言いようのない違和感を抱えつつ、京太郎は桃子にひと声かけて、足を早めるのであった。

 

 

 

「京ちゃんは」

 人を襲ったりなんかしない。

 

「そんなことは」

 この場にいる誰もがわかっています。

 

「だって」

 犬の、そういうところに。

 

「惚れちゃった人ばっかりだもの」

 何よりも自分以外を優先する、須賀のことが。

 

「京太郎のこと、好きな人ばっかやもんな」

 でも、だからこそ。

 

「他の人に抜け駆けされる訳にはいかない」

 キョータローを、獲られる訳には。

 

「だから、私たちは対策を立てたっす」

 京さんと二人きりにならない。

 

「京太郎と二人っきりになっちゃったら」

 私、自分を抑えられないかもだ。

 

 

 

 だからこそ。

『須賀京太郎が』『誰かに』『襲われないように』『二人以上で』『見張る』。

『見張らなければ』『奪われる』。

 すくみすくまれ、にらみ合いの状況を――作り出すのだ。

 その中で。その上で。

 

「京ちゃんを」

「須賀君を」

「犬を」

「須賀を」

「京太郎を」

「キョータローを」

「京さんを」

「京太郎を」

 

 

 

 私のものに、するんだ――。

 

 

 

 慰安旅行一日目、時刻は午後五時四十一分。

 

 

 賽は投げられた。



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2

きっと阿知賀においてある自販機は「あったか~い」と「あったかくな~い」だと思う。


「そういえば」

 団欒の場で、思い出したように竹井久は言った。

「あっちの方は大丈夫かしらね」

「あっちの方とは、一体どっちの方じゃ」

「ほら。咲やら和やらのいる、一年部屋の方よ」

「あぁ……」

 合点がいったように、染谷まこが顎を擦る。

「京太郎のことか」

「というと、あの金髪の……」

 本を読んでいた弘世菫が顔を上げる。

「そう。まぁ、彼のことだから、寝込みを襲うなんてことはしないと思うわ」

「……私も彼を信用はしているが。しかし、やはりどうかと思うぞ? 女ばかりの合宿に……」

「違う、菫。『旅行』」

 傍らの宮永照は、そう言って菫の言葉を遮るとまた手元のチョコクッキーを齧り始める。

「……私はそう聞いて来たんだがな。まぁ、そこは別にいいさ」

「さっき散々ぶつくさ言ってましたもんね、弘世先輩」

 苦笑いを浮かべながら、亦野誠子は言う。

「そのくせ、温泉一回入ったら『ま、まぁ今回のは大目に見てやるとしよう』だなんて、現金なんだから」

「……よぉーし、亦野。いい機会だ、今からここでお前一人合宿だ」

「あごめんなさい許してくださ」

 あちらで悲鳴が聞こえたようであったが、そんなことはお構いなしに話は進んでいく。

「須賀君は心配してないのよ。あぁ見えて、信頼の置ける人だし」

 ただねえ、と一つ溜息をついてから。

「……彼のあの体質には、まったく困ったもんだわ」

 曰く、困っていたところを助けられ。

 曰く、苦しんでいたところを説得され。

 曰く、思い悩んでいたところを励まされ。

 曰く――それらが原因で好きになって。

「あのフラグ乱立っぷりは、正直もうどうしようもないわね。須賀君が何人もいるのかって思ったぐらいだもの」

「冗談に聞こえんぞ、それは……」

 呆れたように、まこは言う。

「でも京太郎君は、東京で私が落し物をした時も拾ってくれたし。悪い人ではないのです!」

「うん、まぁ悪い奴では無いわな。別に、私は迷子になってなんかないけどな。ないけどな!」

 そう。松実玄と清水谷竜華が言うように、彼は悪人ではない。どころか超がつくほどの善人である(お人好し、ともいう)。

 問題なのは、その心配りが度を越していることであって。

「はぁ、京太郎君……。そんなにおもちが好きなら、私のおもちを堪能してくれてもいいのですよ……?」

「っべ、別にあいつの膝枕が気持ちよかったとかちゃうわ! でも、ま、まぁ、もう一回ぐらいはされてやっても……ええ、かな……」

「……うん。まあ、そうよね」

 そして、例に漏れず気にかけられた女の子が、京太郎のことを好きになってしまうことであって。

「でもまあ、いいじゃないか。須賀がいくらプレイボーイでキザなヤングだったとしても、自分から手を出すようなことはしないんだろ?」

 ワハハといつも通り笑い飛ばす蒲原智美の意見は確かに一理ある。

 しかし、久の心配事はそこではなかった。

「でもまぁ、なんだ。モモの方から手を出す可能性は、なくもないぞ」

「ワハハ、ゆみちん。流石にそんなことは」

 加治木ゆみの一言に蒲原は、暫し考えを逡巡させた後。

「あるなー……」

「だってあいつ……この間部室覗いたら、一人で窓の外眺めながら『はぁ……京さん……逢いたいっす……』とか呟いてたんだぞ……」

 気恥ずかしくて部室に入れなかった、とは加治木の談である。

 ともかく。

 心配なのは須賀京太郎の動向ではない。須賀京太郎の貞操なのである。

「……まあ、なるようになるんやないですか?」

 千里山の頭脳、船久保浩子は言う。

「確かに複数の女性を誑かすのは良くない、でも最終的に一人を選べばそれでええわけやないですか。花の高校生やし、部活に響かない程度なら恋愛くらいは自由にさせてやってもええんとちゃいますのん」

「お、おう……フナQ、なんか大人やなあ」

 江口セーラが感心したように船久保を見る。

「ふふん、そうでしょう? もっと褒めてもええんですよ?」

「さては大人の階段を既に登った後か! さすがやわー、フナQは経験済み! 凄い! 尊敬する! 抱いて!」

「先輩ちょぉーっとあっちでお着替えしましょーか? 浴衣なんかよりも可愛らしいフリフリ満点のお・よ・う・ふ・く・に♪」

「あちょ悪かったってごめん許してくださいなんでもしま」

 あちらで野太い声が響いたが気にしない。

「仲が良くて良いことね」

「あれがか……」

 えげつないことをサラリと言う前部長に軽く引きつつ、おや、とまこは気付く。

「そういえば、宥さんはまだ上がって来とらんのか?」

「そうだよー。普段っから長風呂なんだけど、やっぱり温泉って響きには勝てなかったみたいですのだ」

 今頃はお猿さんと一緒にあったか~いしてるんじゃない? とあっけらかんと言い放つ玄。

「しかし、このままじゃと一年が入ってきてしまわんか……?」

 時計を見る。夕食を食べ、すぐに二・三年組は温泉へと向かったため、まだ八時を少し回ったところであった。後輩たちが自分たちを先に入れてくれる配慮をしてくれたためであるが、時間からするとそろそろ浴場へ向かっていてもいい頃合である。

「とはいえ、五校合わせて二十五人が一斉に入っちゃったら、寛げるものも寛げないしね」

「そこに文句はないんじゃが……」

「……そういえば」

 渋谷尭深が湯呑みから口を離す。

「ここの温泉って、男湯は存在するんですか?」

「んーん。混浴風呂だけ」

 京太郎にその旨を伝えるといささか興奮した様子であったが、勿論それを許すべくもなく。

「覗いたらコークスクリューシュートね、って言ったらすごすごと引き下がってくれたわ」

「なんじゃその技は……」

「あーっと! てるくんとすみれくんのがったいこうげきだぁーっ! 的な?」

 想像するだけでもおぞましい。

「それからバツとして旅行期間中ロッカーに閉じ込める、とも」

「それはあんたの」

 言い掛けて、ハッとする。

「なぁ、それって」

 園城寺怜も気付いたらしく。

「もし『女子よりも先に京太郎が』お風呂に入ることになってたら、マズいんとちゃうの?」

 そう。

 咲ら一年女子が先に入るのであれば、宥と鉢合わせても何ら問題はない。

 だが、もし須賀が先に入ることになっていたなら――。

「………………あったかいどころでは済まないなー、ワハハ……」

 智美の乾いた笑い声が響く。

 そんな中で、事情を飲み込めていない妹尾佳織と宮永照は、小動物のように菓子を齧っていた。

「……おいしいですか?」

「美味しい」

 マイペースに菓子を食べさせあう二人の姿に、一同は軽くため息を吐くのであった。

 

 

 

『後から入ってきて覗く危険があるから、京ちゃんは先にお風呂に入って』

 

 人権というものは、この合宿においては存在しないらしい。

「んなこと言われても、覗かねーっつの……」

「どうだか。混浴だって聞いた時のあんたの顔、緩んでたくせに」

 憧がそう言って京太郎を睨む。

「そ、それは否定できねーけど。だって、混浴だぞ? 男のロマンだぞ?」

「お生憎と、私は女なの」

「お猿さんいるかなー」

 後ろから、穏乃がひょこひょこと軽い足取りで着いて来る。

 例によってこの二人は、咲に言われて見張りとして着いて来ている。京太郎が風呂から上がるまで脱衣所の前で待機し、部屋に戻るまで着いてくるという徹底ぶりだ。有り難くて涙が出てきそうである。

「いるかねぇ。まあ山の中だし、運が良ければひょっこり出てくるかもなー、って」

 ふと、穏乃の持っている物に目が行く。配膳で使われるようなお盆と、お猪口であった。

「えへへぇ、温泉で一度やってみたかったんだー。ゆったり浸かりながら、こうクイッと」

「……一応聞いておくけど、何飲むつもりだ」

「え? オレンジジュースだけど」

「……穏乃はブレねえなぁ」

 温くなって絶対おいしくねぇぞ、それ。

「ブレないって何が?」

「お前はお前のままで居てくれってこったよ」

 そう言い穏乃の頭を撫でる。首を傾げながらも大人しく撫でられる様は、さながら小動物のようだった。

「ほらっ! 着いたわよ! 後がつかえてるんだから、さっさと入りなさいよね!」

 と、憧の声が廊下に響く。なるほど混浴と言っていたとおり、男湯と女湯を隔てる暖簾などは一切ない。ただ味気なく浴場と書かれた札が、入り口上に掛けられているのみであった。

「お、おう。……どうかしたか? 具合でも悪かったり……」

「なんでもないっ」

 がるる、という擬音が似合いそうな勢いで顔を突き出してくる。憧これ絶対怒ってるよね。略してあこってるよね。

「わ、悪かった。んじゃ、なるべく早く上がるから」

 そう言ってそそくさと脱衣所に入る。触らぬ憧にたたりなし、だ。

 

 

 

 京太郎を見送った後。

 新子憧は、膝を抱えて座り混んでいた。

「…………はぁっ……」

 まただ。

 また、やってしまった。

 いつもこうである――京太郎はこちらを心配してくれて、ああいうことを言ってくれているのに。

 私ときたら、素直にその優しさを受け止められず、つい怒鳴ってしまったり、無視してしまったり。

「……京太郎……」

 ぽつりと呟き、思い返す。さっき怒った振りをして、顔を近づけたことを。

 あのまま私が、もう十センチ前に出れば。

 私は前に、進めたのだろうか。

「憧?」

 顔を上げる。穏乃が、心配そうな顔で私を見ていた。

「本当に大丈夫? 具合、悪いの?」

「……んーん。何でもないの、しず」

 そう言っても、穏乃は視線を外さない。

「本当に?」

「…………うん。本当に」

 それを聞いて漸く、穏乃はにかっと笑った。

「良かったー。せっかくの旅行だもんねー」

 そのままくるくると回ったり、飛んだり跳ねたりする穏乃。

「あ。でも、京太郎には謝らなきゃだよ? 怒鳴っちゃったんだからー」

 少しドキッとする。

 穏乃が須賀京太郎の名前を口に出したことに。

「……う、うん、そうするわ」

 

「ん。それじゃ、行こっか?」

 

 行く?

「……ん? え、行くって、どこに?」

「え? 謝りに」

「誰に?」

「京太郎に」

「………………今から?」

「そだよー」

「………………ん?」

 目が点になる。

 なんだ。しずは今、なんて言った?

「お邪魔しまーす」

 唖然とする間にも、穏乃はずんずんと脱衣所へと足を踏み入れていく。

「ちょ、ちょぉぉぉぉぉぉぉっ!? しず、しずっ、ストップ!」

「ふぇ? なんで?」

 肩を掴んで引き戻すも、穏乃はなぜ止められたのか理解できないようであった。

「なんでじゃないでしょ!? きょ、京太郎が戻ってくるまで待って、それから謝ったらいいじゃないの!」

 手をわちゃわちゃさせながら、必死に穏乃に理解させようとする。

「それに、ほら、待ってないと、ね、皆で約束したじゃない」

「嫌だ」

 

 それは。

 今まで聞いたことのないような、声色だった。

「だって、私。もう、我慢できないんだもん」

「しず、なにを、言って」

「憧も、そうなんでしょ? 私と、一緒なんでしょ?」

 問いかけるような視線。

 先程の『本当に大丈夫?』と聞いてきた時とは、真逆の質の。

 いや。そうではなく。

 穏乃は、最初から、こうするつもりだったのだ。

「ね、憧」

 穏乃は――しずは――私は――どうするべきなの?

「私達って親友だよね」

 穏乃の手には。

 オレンジジュースなどではなく。

 日本酒と書かれたラベルの貼られた、瓶が握られていた。

「それじゃ、行こっか? 謝りに」

「あ――」

 私は、頷くことも出来ずに。

 ただ、穏乃の後を着いて行くことしか、出来なかった。

 

「お猿さん、いるかなあ――」

 

 

 

 危機的状況を回避するということが、長生きする秘訣であると京太郎は考える。

 危険を恐れ、閉じこもっていては、その場は生き長らえるかもしれない。が、やがてどうしようもない時が訪れ、結果的に早死にする。

 一方で、危険を省みず挑戦する心を持っていれば、たとえどんな危機が訪れようと、乗り越えようとする気概が持てて生き残れる。

 挑戦こそが人生である。そう、須賀京太郎は、心の決めて生きてきた。

 でも。

「あったかい……京くん……」

 こういった状況に陥った時、諸君はどうするだろうか。

『美人で非常にすばらなおもちをおもちのお姉さんが全裸で抱きついてきて離れない』。

 今流行りのラノベのタイトルか、なんて突っ込みが入りそうであるが一旦捨て置く。

「あ、あの、宥さん?」

「なぁに、京くん……?」

 とろん、とした目でこちらを見てくる――阿知賀の三年、松実宥。

「あ、その、このままだと、お風呂に入れないなぁー、って、ね?」

「あ……そ、そっか、ごめんね……」

 言うと意外とすんなり離れ、湯船へ戻ってくれた。残念なようで、しかしよくぞ持った俺の理性とも思うようで、でもやっぱり残念である。

「え、っと、それで宥さん? すみませんでした、まだ入ってるって気付かなくて」

 湯船に背を向け、シャワーで頭から水を被る。今はただ、のぼせた訳ではないのに茹だった頭を冷やしたかった。

「うん、ごめんね……温泉、あったかくて、つい……長風呂、しちゃった」

「あぁいやいいんですよ仕方ないですもんねあったかいなら」

 わっしわっしと頭を洗う。そのまま豪快に頭を流す。

「いやーそれにしてもここのお風呂すごい広いですよね俺ビックリしちゃいました」

「うん……空気も、おいしいし……いいところ、だと思う、よ……?」

 がっしゅがっしゅと身体をタオルで擦る。いやー気持ちいいなーやっぱり温泉はいいなー早く上がらなきゃ。

「それじゃ俺上がりますんでゆっくり浸かってくださ」

 むにゅ、と。

 柔らかいものが、背中に当たる感触がした。

「京、くん」

 耳元で――名前を、囁かれる。

「一緒に、浸かろ? きっと、あったかい、から――」

 そう言われて断れるほど。

 須賀京太郎は、男を捨てては居なかった。

 

「よ、よろこんで――」

「ぁぅ」

 

「て、え、宥さん?」

 こちら側に身体を倒れこませてきたので、とっさに受け止める。見ると、宥の顔は真っ赤になっていた。

「ちょっ、え、だ、大丈夫ですか!? 宥さん、宥さん!?」

「……ふにゅ……」

「あー、駄目だこりゃ……」

 どうやら完全にのぼせているようである。

「なるべく、見ないように……見るな、俺ー……見たらロッカーだぞー……」

 危なっかしい手つきで宥を寝かせ、上からバスタオルを掛ける。宥はまだのぼせているようで、眼の焦点が定まっていなかった。

「……外の憧と穏乃に言って誰か呼んできてもらうか」

 問題は、この状況をどう説明するかということであったが、今はとにかく宥さんを落ち着いたところに運んで休ませねば。

 その後は俺がどんな罰でも受けてやる――。

 

 

 

「あっ……」

「えっ……」

「…………え」

 

 

 

 脱衣所へと向かう扉を開けた先には。

 なぜか、服を脱いでいる憧と穏乃の姿があった。

 

「い、いやあああああああっ!?」

「す、すまん!」

 反射的にドアを閉める。というかあいつら、俺が入ってるってのになんで自分たちも入ろうとしてんだ!?

「もう、信じらんない! なんでこっちが入る前に出て来るの!? バカ! 変態!」

 酷い言われようである。いやでも待て俺悪くないだろ今の。というか早いとこ宥さんがのぼせたことを伝えなければマズい。

「おい、憧! 穏乃! 聞いてくれ!」

「んもー、憧が早いとこ覚悟決めないからー」

「だだだだだって、しょうがないでしょ……」

「あー、もうそのままでいいから俺の話聞いてくれってー!」

 

 

 

「あ、あったかくない……」



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