ラフィエルドロップハート (黒樹)
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No.1 天使と出会った日

 

 

 

人類の存続。

 

 

 

人間は地球という星に繁栄し、過去から現在に至るまで様々な苦難を乗り越えて生きながらえてきた。他人と交わり、子を成し、子を育み、やがて朽ちる。その人間の子はやがて親と同じように誰かと結ばれて子を作る。

人間達はそうやって生きてきた。人類という種を存続させた。食物連鎖の頂点に立つのは自分達だと主張し我が物顔で生き物を管理してきた。

戦争で争い奪うのも、動物達を狩猟し食べるのも過程は違えど在り方は変わらない。命を奪う行為だ。

笑い。怒り。哀しみ。泣いて。楽しいことも辛いことも抱いて歩いていく。そんな何かを重ねて歩いて、人類のためだとか子供達の未来の為になんて――そんな綺麗事を本気で思える人は本当にいるのだろうか。

 

――人類の存続の意味とは?

――人間は何の為に生まれる?

――何の為に人は生き続けるのか?

 

誰も答えを知らない。たとえ、答えはあっても正解はないのだろう。本は教えてくれない。こんな問題を提起しておきながら納得する答えをくれないのだ。生きる意味を見つけられない人には響かない。問題には共感したが答えには共感できない。

 

人は生きながらに誰かを傷つける。

醜い感情を生み出すことと綺麗な感情は対極であってお互いに揃いあってこそ、感情だと言える。幸福の裏に不幸がない人間なんていない。

 

 

 

――そんな倫理と哲学について長々と考察して人の心に語りかけておきながら心を動かしてくれない本を読みながら、目の前へと視線を移した。

 

 

 

駅のプラットフォーム。白線の内側で電車を待つ人達は友達と会話したり、スマホを操作したり、ゲームをしたり、本を読んだりと様々な時間を過ごしていた。

その中でも人目を引いたのが、そこそこ可愛い私服姿の女子四人組。確か同じ高校同学年の仲の良いグループ。わいわいとはしゃぎながら会話を楽しむ姿は教室と変わらず、やはり別世界だった。人が苦手な俺としてはまぁよくもそんなにテンションアゲアゲで笑いあえるな、なんてどうでもいい感想を述べよう。偶然、普段は使いたくない電車に乗ろうと休日に最寄り駅に来たら四人を見つけただけで何の関わりもなく顔見知り程度だ。

 

天真=ガヴリール=ホワイト。

月乃瀬=ヴィネット=エイプリル。

胡桃沢=サタニキア=マクドウェル。

白羽=ラフィエル=エインズワース。

 

そんな四人は学校でもレベルが高く、告白の的にさえされている。この間もラフィエルがイケメン男子に告白されてこっ酷くふったとか。

サッカー部か野球部か水泳部か……。

ちょうど、四人組の後ろにいるパーカーと同じくらいの背丈で、というか同一人物。俺と彼女達を挟んだ真ん中にそいつは立っていた。

 

『準急電車が参ります。白線の内側にお下がりください』

 

聞き慣れた放送をイヤホンの上から耳にした。電車は間もなく駅を通過するとのことで、少し速度は緩められている。通過するために電車は駅へと入ってきた――瞬間、目の端で何かが前へと歩き出した。

男がラフィエルの背後に立つ。電車は間もなく彼女達の前を通過する。その直前、男が敵意と殺意を剥き出しに笑顔を浮かべていた彼女の背中をドンッと押す。

 

「え……?」

 

白線を飛び越えてラフィエルの体は線路の上へと投げ出された。迫る電車。急激な展開に彼女は呆けた声を出すだけ、仲間達は目の前の光景に呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

「……ほら、人はくだらない」

 

読んでいた本を捨てて、空中に投げ出されたラフィエルを助ける為に走り出す。白線を一秒と過ぎない間に踏み越えて同じ空へと跳んだ。

途中、突き飛ばした男を押し退けて、彼女達の横を駆け抜けた俺は思考だけが加速していた。最善策を導き出す。人は極限状態に陥ると時間が遅く感じられるというが本当だった。それも死を目前にして理解させる時間をくれるのだ。走馬燈っていうのも自分が知っている記憶から幾つか見繕って瞬時に脳内を駆け巡るものだったらしい。

 

「……」

 

空中のラフィエルを捕まえると不思議な顔をされた。嫌なら突き飛ばしてくれて構わない。まぁ、突き飛ばしたら彼女は助かって俺は確実に死ぬんだけど。

でも、あの速度なら……車輪にさえ巻き込まれなければ可能性はある。

驚いているラフィエルを左手で抱きしめて、おそらく空中で衝突するだろう電車に身構える。耳元で鳴るような車輪とレールの摩擦音が甲高く響き残り数センチという距離で右手をクッションに、電車の窓を右足で蹴って、

 

「――かはっ!」

 

電車に突き飛ばされながらも、隣のレールの上へとラフィエルを抱えながら背中から落ちた。

突き飛ばされた衝撃で痛みに呻く暇もなかった。耳元の引っ掻くような音も気にならなかった。

 

あぁ、それより無事かな?

体を張った意味はあったかな?

 

痛みが急激に襲ってくる中、もぞもぞと動く腕の中の少女だけが気がかりだった。何処をぶつけたのか口から血は出るし腕はよく見てみれば三節棍というより四節棍。人間の腕ではない形状で折れ曲がり骨が突き出ている。そんな悲劇の惨状でもとくにグロテスクになった腕を見ていると、自分の顔に影がかかり上を向く。

 

「■■■■」

 

なんて言っているのか聞こえないが、俺は安心させるように薄く笑って無事だった少女に頬を緩ませた。

こんな風に誰かを守る為に体を張るのは案外悪くないものだ。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

見知らぬ場所に立っていた。そう自覚するのはもう何度目だろう。お花畑と川とお花畑。川を挟むようにして広大な大地が広がっている。

 

「椎名、頑張ったね」

 

川の向こうで手を振る両親が優しく笑いかけてくれる。誇り高き息子だと、自慢の息子だと持て囃す。幼い頃に死んだ両親はこっちへとおいでと手招き。

 

さて、どうしようか……。

 

俺には姉がいる。姉のことを残していくのは心残りだが、いつまでも縛っておくことは出来ない。姉が中学生の時に両親が死んで、育ててくれた姉だが……もう俺も姉も楽になってはいいのではないのだろうか。

足は前へと進む。迷うことはない。生きる意味も理由もなければ俺は足手纏い。早々に死んだ方が姉の為なのだと自分勝手ながらに思い、川に踏みいろうとして――

 

「ちょっと何普通に渡ろうしてるんですか!?」

 

いきなり腕を後ろに引かれた。弱い力でも急なことだったから一度はよろめいたものの、なんとか踏ん張ると俺は手を掴んだ人物を知るために――というか声からして知っているような気がしたので振り返ると、そこにはやはり見知れた顔の……。

 

「あぁ、白羽さんこんにちわ。今日は絶好の河渡日和だね」

 

――天使がいた。

白羽=ラフィエル=エインズワース。天使の輪と純白の羽を広げて羽と同じく純白のワンピース姿で必死に俺の腕を掴んでいる彼女は……。

そうか、俺は助けることに失敗したのか。

いや、もしかしたらちょっと好みだという想いから願望によって天使の様相が酷似してしまったのかもしれない。

 

「ここがどこだか知っていますか?」

 

「うん、三途の川って呼ばれるある意味では黄泉への入口とは本では読んだけど……まぁ、ここに来るのも三回目になれば」

 

「まさかの常連客!?」

 

だが、天使に会ったのは初めてだ。

予想以上の出来事に驚愕している天使はこんなケースは初めてらしいので、イレギュラーなのは俺の方なのか。どこかの爺さん婆さんは何度も行ったり来たりしているとは思うが、生き返ったり死んだりしてる武道家ほど常連ではないと言えよう。

 

「――というかそうではなくてですね。黒羽椎名君、あなたが死の淵を彷徨っているのは確かなんですが、まだ生きているんですよ?」

 

「知ってたんだ。俺の名前」

 

意外だった。隣のクラスで接点もないラフィエルが自分の名前を知っている。教室では比較的ぼっちの俺にとっては名前を覚えられることもあるが、悲しいことに友人と言える友人はいない。

基本、群がってくるのは姉目当ての種馬共。女子達も何回か話しかけてきたが自分からは話しかけに行かないので、孤高の狼が教室で孤立したそれだけである。

 

助けた少女が自分の事を知っていた。もう、それだけで心残りはない。あ、一つだけ。

 

「白羽さんは無事だった?」

 

「……はい。軽い検査をしましたが黒羽さんのおかげで少しの打撲で済みましたから。今はあなたが治療を受けている手術室の前で祈りを捧げています」

 

「じゃあ、君は誰なんだ?」

 

彼女はラフィエルであると名乗りながら、現実で生きていると証明はできないものの存在する。

 

「まぁ、いいや、早く天国に連れてってくれ」

 

「嫌です」

 

天使は職務放棄宣言。職務怠慢で訴えたい。

 

「……じゃあ地獄で」

 

悪いことをした覚えはないが。強いて言うなら生きてるのが罪っていうやつなのだろう。元から天国に逝けるなんて思ってもいないが。

ラフィエルは手を離さない。取り繕った微笑みを浮かべてわからない、と聞いてきた。

 

「……なんでそんな死にたがるんですか? 死を選ぶ人も少なくはないですが、あなたは極めて珍しい人です」

 

「自殺志願者とは違うって? そりゃあそうだろうね。俺なんて生まれてこなければ良かったんだから」

 

自殺という道を辿るよりも、何も知らずに生まれず何も持たず最初から無であれば苦しむ必要が無い。もし、自殺志願者が願うのだとしたら、最初からいないこと。或いはその対象に知らしめ戒めるのが目的だろう。

 

「逃げるんですか?」

 

再び、川の向こうへと渡ろうとした俺の背中に問い掛けるラフィエルの声が何を案じてのものなのか。一瞬、戸惑ったものの足は動く。

するりと抜けた手を一度盗み見て、今度は手を握り止められた。柔らかくて温かい女の子の手の感触は、一重に女の子だからだろうか、天使だからだろうか誰かに似ている気がした。

 

「天使の仕事は死人を送ることだろ」

 

「違います。人を幸せに導くことです」

 

教典や神話伝承、或いはそれを元にした小説などにも似たようなことが幾つかあった。少し想像上の天使とは違うが概ね間違っていない。今では目の前にいるのが天使だと普通に信じているし、疑うような疑問はない。

 

「――では、私からも一つだけ」

 

あなたの性格も少しわかった気がしますし。などと、少しだけずっと握っていたいと思えるような手を離されて、

 

「他人を救って死ぬなんて普通気分が悪いですよ。助けられた方は死んだ方の死を背負ってそりゃあもうズルズルと引き摺りますし。あぁ、なんて鬼畜外道でしょう。孅い女の子の人生を戒め縛るなんて。思わず感服してしまいました」

 

人の良心を容赦なく抉ってくる。古傷に辛子と山葵とハバネロを塗り込んでナイフで刺したまま抉られている感覚。

知っていたがこの天使、かなり口が悪い。玩具にされるサタニキアの気持ちが……わからないな。あれ、平然としてるから。

頬に手を当ててほっこりしているラフィエル天使。対して俺は左胸を掴み胸の痛みに膝をつく。

 

「あなたは死なせませんよ。その方がおも――いえ、楽しそうですし」

 

「言ってること変わってないよ」

 

キラキラとしている天使の笑顔に気圧されながら、差し出された手を掴む。未知の存在と触れ合った手にドキドキして世界を見れば――何かが変わったような気がした。

 

 

 

 

 

夜の暗がりと月の光が射し込む病室。見慣れたベッドに純白のシーツ、天井に壁と白で統一された空間はもう見慣れたものだった。

 

「……また、見事に全身傷だらけだな」

 

自分の体を見下ろす。包帯とギプスで固められた腕、胸辺りに巻かれた包帯、足に巻かれた簡素な固定型の包帯など多種多様で、痛々しさはこれまででも一番酷い。

面会時間は既に過ぎているからか姉の姿はないが、取り敢えず電話くらいはしないと、心配しているだろう。ベッドから転がり降りるように足を下ろして常備されているだろう公衆電話目指そうとしたところで、ものの無様にすっ転んでしまった。

 

――ゴンッ!

 

と、頭を打って頭を抱えようとして完全に忘却の彼方へと一瞬にして追いやったもの。

 

――ゴンッ!

 

今度は、ギプスに頭を殴られた。左手だけで頭を抱えて床に転がり回る。痛みに悶絶していると月明かりの影が揺らめき、

 

「〜〜〜ッ!!」

 

「――クスクス♪」

 

何かが笑った。思わず視線を向けると、病室の窓の外に見慣れた姿が浮いていた。頭の上に浮く光輪、純白の羽、純白のワンピースに身を包んだ天使の装い。

あの娘だと、ラフィエルだと気づいて、立ち上がると窓まで足を引きずり鍵を開けた。

 

「本当に天使だったんだ」

 

「普通、ここは驚くとこですよ? まぁ、でも私の目に狂いはなかったです」

 

「それは良かったな」

 

「それでですが、私達お友達になりませんか? 相性はいいと思いますし。黒羽と白羽なんて運命だと思いませんか」

 

何がそれでか不明だが、人間ではないのに人間らしく人外な彼女との会話を楽しんでいる俺としては、関係を持つのは悪くない。

何度目だろう。差し出される綺麗な手に手を重ねてお互いに握り合う。

 

「白羽=ラフィエル=エインズワース。ラフィでいいですよ。私もクロさんと呼びますから」

 

「黒羽椎名だ。よろしく、ラフィエル」

 

午前二時――ぼっち卒業。

拝啓、天国の両親様。天使の友達ができました。

 

 



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No.2 家族

主人公が眠っている間の物語。
時間軸は事故直後――……。


 

 

 

舞天病院。黒羽椎名が運び込まれた手術室の前で祈りを捧げる少女がいた。湿布が一つ頬に貼られたいたいけな風貌の少女、ラフィエルは手を合わせて目を閉じ、主に祈りを捧げると共に殆ど接点のない少年の顔を思い出して――罪悪感と疑問に悩まされている。

巻き込んだ事、助けられた事、死ぬ確率が高かった筈なのに飛び込んできたこと。何故、自分があんな目にあったのか今でもわからない。自分を突き落とした犯人の顔は見ていない上にフードを被っていた。

 

必死に見えるその姿に、連れ添った3人は肩を叩くこともせず、ただラフィエルを見つめていた。

 

「ラフィ……」

 

「やめとけって」

 

主に少年の無事を祈るラフィエルにどう声をかけていいのか、迷っていたヴィーネの肩に手を置いて止めるガヴリールはいつもの興味なさそうな顔で、されど目の前で起きた出来事に不快そうに眉をひそめる。

 

「なんて声を掛けても一緒だよ。声は届いても心には響かない。そりゃあラフィエルだっていつもは巫山戯ているけど、こんなに近い生死の境は初めてなんだ。私達はまだまだ未熟な天使だし」

 

「でも……」

 

「できるとしたら、祈ることくらいだよ」

 

ぼさぼさの髪を掻きながら、はぁーと溜息を吐くガヴリール。そこに今まで雲行きを見守っていたサターニャが口を出す。

 

「じゃあ、皆で祈る?」

 

「悪魔が祈るってどうなのよ……」

 

それ、大丈夫かなぁ。もし悪魔が祈ったせいで死んでしまったのなら、多分自分は立ち直れない。と、ヴィーネは思った。

心配する。心配している。のに……自分の迷いを押し付けるように、ヴィーネはガヴリールを見る。

 

「天使のあんたなら大丈夫でしょ?」

 

「祈ってもいいけど、私まで祈ったらもれなく天使が大量降臨して病院の死に体を片っ端から天国に連れていくことになるけど」

 

「なんでやることが悪魔以上に悪魔じみてるのよ!?」

 

手を合わせかけたガヴリールの手をヴィーネは掴んで止めた。

 

その時、――パッと手術中のランプが消える。

祈りを捧げていたラフィエルも顔を上げて、頭上に浮かぶ赤いランプの消えた扉の先を見つめた。

すぐに扉が開いた。その扉から、1人の医者であろう男性が出てくる。誰も近寄れなかった。聞けなかった。雰囲気に気づいて周りを見回し何かが見つからないことを確認すると、息を吐くように口を開いた。

 

「難しい手術でしたが――無事、成功しました」

 

いの一番にほっと安堵の息を漏らしたのはラフィエルだった。次いで、ヴィーネも嬉しそうに胸を抑える。ガヴリールも少し嬉しそうに壁に凭れ掛かる。サターニャはふふんと笑いながら、緊張に張らせていた頬を緩めた。

 

「まったく人騒がせなやつね。ヴィネットが心配だからついていこうなんて言うから」

 

「だ、だって仕方ないでしょ。黒羽君はクラスメイトだし放っておけなかったんだから。ガヴだって珍しく大人しくついてきたし……」

 

「だって寝覚め悪いじゃん。目の前で勝手に死なれたら、ネトゲも気になってできないじゃん」

 

チラリと、ラフィエルの方を向くガヴリールの視線に何かを察したようにヴィーネも微笑む。

今までとは違う、優しげな表情のラフィエルが見たことのない顔をしていた。被害者であり巻き込んだ本人としては少しだけ憑き物が晴れたような……。

そんな顔にヴィーネは安堵するも、やはり彼のことは気がかりだった。

 

「まだお義姉さんは来ていないようだね」

 

「はい……?」

 

医者の言葉に首を傾けるラフィエル。

気づいたヴィーネが補足する。

 

「黒羽椎名君はお義姉さんがいるらしいの。結構有名なんだけどね。……それで、黒羽君は色々と大丈夫なんですか? 後遺症とか」

 

「あぁ。今回治療したのは肋骨が2本折れていて、肺に刺さってしまった箇所。あとは腕が完全に2箇所ほど折れていて、足も骨に罅が入っていたから……なにせ電車にひかれて生き残っている人間の治療なんて初めてだから……」

 

そこで話すのを止めた医者が、一点に視線を向けた。

 

「じゃ、私は帰ってネトゲするから後はよろ――」

 

踵を返して歩き出そうとするガヴリール。

ドンッ、と何か大きなものにぶつかった。

 

「いっ、……ん? おじさん危ないよ、そんな所に突っ立ってたら」

 

「おっと、ごめん。僕は舞天警察署の赤坂っていうんだ。少しお話いいかな?」

 

邪険に見上げるガヴリールに警察手帳を突きつける刑事はそう名乗った。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

「さて、取り敢えず自己紹介をしておこうか」

 

白い個室に運び込まれた椎名と部屋に押し込まれた女子4人と男刑事1人という異質な空間で事情聴取は始まった。

 

「僕は赤坂奉太郎。舞天警察署で働いている刑事で黒羽椎名君の担当だ。今回の事件も、被害者に椎名君が関わっているから呼び出されたわけだけど」

 

「はい!」

 

担当。という言葉に、サターニャが元気よく手を挙げた。赤坂はどうぞと質問を促す。

 

「担当って秘書的な?」

 

「いやいや、普通は保護監察でしょ」

 

「え、じゃあなに、あいつってそんなヤバイ奴なの?」

 

「うーん……そうは見えないんだけどなぁ」

 

一応、自分で言った手前は擁護する気でフォローするヴィーネもわからず尻すぼみ、赤坂刑事はわたわたと手を横に振る。

 

「違う違う、椎名君はよく犯罪に巻き込まれるから事後処理とか色々あって……というか、君達ってもしかして椎名君のガールフレンド?」

 

的外れな感にラフィエル達は顔を見合わせる。一番に反応したのはヴィーネだ。

 

「ちちち、違います! そんな彼女とかじゃなくて、ただのクラスメイトです!」

 

ぼんっと顔を赤くするあたりこの手の話に弱いのだろう、普段は落ち着いているヴィーネも形無しだ。

 

「右に同じく」

 

ガヴリールは出来るだけ言葉を節約した。

 

「ふんっ、私があいつのガールフレンドですって? そりゃあたまにメロンパンはくれるけどそんな仲じゃないわよ。下僕として認めているわ」

 

どやっと独白するサターニャ。見下した感じに赤坂刑事は苦笑い。

 

「えっ、おまえ餌付けされてたの?」

 

「……意外に優しいのね」

 

どうやら誰も知らなかったらしい。

犬にメロンパンを毎回奪われているサターニャのことを気の毒に思った椎名の行動だが、それはそれとしてラフィエルだけ幾分か元気がない。

いつもなら「サターニャさんは飼い犬だったんですね」ぐらいのことは言いそうなのだが、この異常に気づいたのはガヴリールとヴィーネだけだった。

 

「話を戻そうか。今回の事件について」

 

赤坂刑事自ら話を脱線させたにも関わらず、なかったことにして話を進めようとする。そこにやっと正気を取り戻したのか、ラフィエルはおずおずと手を挙げていた。

 

「あの……犯罪に巻き込まれるって?」

 

「あぁ、実際は違うんだけど。むしろ標的かな。彼のお義姉さんはアイドルでね。過激なファンがナイフで刺したり車で引いたり闇討ちなど……で、彼の存在を良く思わないファンがそういった行動を取るから」

 

「罪もないのに、ですか?」

 

「彼とお義姉さん、マキナさんの生い立ちは特殊でね。彼の父親と彼女の母親が共に連れ子で再婚したんだけど、その両親はマキナさんが中学生の頃に死んでしまったんだ。それからというものマキナさんは弟の彼を支えに強く生きなきゃと頑張って、1人で弟を育て続けたんだ。元から椎名君は手のかからない子供だったらしいから、あとはお金の問題だったんだけど。建てた家も財産もローンとかはなかったから、バイトをすれば難なく暮らせるくらいかな。それに加えて椎名君は姉想いでわがままにゲームとかそういうものも欲しがらなかったし、お義姉さんもあまり美容とか可愛いものとか好きながら手を出さなかったんだけど。いつか彼女がそう告白することが雑誌等であって二種類のファンに分けられたんだ。マキナさんをいいお姉さんだと感じる人と彼女の人生を可哀想だと感じる人のふたつに」

 

――椎名と義姉のマキナの分岐点。

気になることがあったが言葉にならなかったのだろう、上手く伝えられないもどかしさにラフィエルは口を出しかけて止めた。

 

「今のガヴとは大違いね」

 

「私だって昔は慈悲深い天使だったんだけど」

 

「……え?」

 

ヴィーネとガヴリールのじゃれあいにサターニャが意外そうな顔。赤坂刑事は少しだけコーヒーを口に含んで、飲み込むと息を吐いて深呼吸。

 

「街中で事務所の方にスカウトされてね。義姉のマキナさんは迷わず選んだよ、アイドルになる道を。そういうのに興味はなかったらしいんだけど、人気が出れば割はいいから。その時は本当に生きる為に椎名君の為に頑張っていたはずなんだけどね」

 

夢も何も無いアイドルの成り立ちに、ファンなら激高すること間違いなしだ。共感してくれるかもしれないが、多分アイドルを目指す人は黙っちゃいない。

 

「皮肉なもんだよ。守る為にアイドルになったのに、今じゃ椎名君の存在が邪魔だとか自分勝手な理想像を他人に押し付けるファンがいるから。初めにそういう過激な行動をとる人が現れたのは椎名君が中2の頃でマキナさんを付け回していたストーカーが2人のデートを目撃して、怒って椎名君を刺したのが最初。それからというもの事あるごとに写真を撮られてスキャンダルにされそうになって、記者会見で二度と同じことが起きないように弟だと説明したんだけど……近過ぎる関係に一部のファンは納得しなくてさ。一度はアイドルを辞めようとしたけど、ファンは逆ギレさ。脅迫状まで送り付けてきてね。2人とも幸せになるためだったのに……」

 

続けようとした言葉を切る。

 

「――とまぁ、僕が彼の担当になり、相次ぐ犯罪の事後処理をしているわけだけど、今回の件は微妙なんだよなぁ」

 

狙われたのはラフィエルで、助けに入った椎名は無関係であると言いたいが、赤坂刑事は妙に納得のいかない顔で腕を組む。

 

「安心して、犯人は捕まったよ。一応、確認だけどこれを見てくれるかな」

 

難しそうな顔で取り出した写真をラフィエルは覗き込んだ。残りの3人も同様に覗き込む。そこには一人の男子生徒の顔写真があるだけで、その顔に覚えがあったのか反応したのは2人だけだ。

 

「誰よこれ?」

 

「こんなやつ学校にいたっけ?」

 

サターニャとガヴリールは揃って同じようなことを口にする。反応した2人のうち、ヴィーネは完全に忘れている2人を責めるように呆れた声を出す。

 

「クラスメイトの顔も覚えてないの? 同じクラスの長谷川君よ。まぁ、ラフィは知らないかもしれないけど……」

 

と、ヴィーネが視線を向けた先のラフィエルは少し青い顔で写真を見つめていた。

 

「大丈夫、ラフィ?」

 

「……あ、その……」

 

言いにくそうに口を噤み顔を伏せるラフィエルに赤坂刑事は確信を得て、

 

「――そうか。犯行の動機は恋愛絡みでね。君に告白したら手酷くふられたから、二度と誰にも好かれないような姿になればいいと思って今回の事件を起こしたらしい。これは事実かい?」

 

「……はい」

 

実際は、ラフィエルの性格が招いた悲劇で悪気はなかったが、後悔は遅かった。ラフィエルのことをよく知る人間であれば耐えれただろうが、彼女の本質を知らない人間は過ちを犯したのだ。

 

「悪いけど、君からの証言も取りたいから、その時の言葉を思い出せるかな? 友達に聞かれたくないなら場所を変えるけど」

 

小さな手帳を取り出した赤坂刑事はシャーペンをカチカチと鳴らし、書く準備をした。

 

「ごめんなさい。あなたのような平凡で面白みのない人間には興味ないんです。それと気持ち悪いからその舐めまわすような視線やめてもらっていいですか……と、公衆の面前で告白されたのでそう返してしまいました」

 

「うん。ごめん。もう一度言ってくれるかな」

 

最近の高校生は公衆の面前で告白するのが流行っているのか、耳を疑い聞き直す赤坂刑事は自分の手帳を見つめた。

十代の性欲、許してやってくれ――。

懺悔のように吐き出される言葉を聞いて、二言目で聞き間違いでないと悟って止めさせる。女子高生の暗闇を垣間見た気がした。

 

「ラフィエルだって悪気はなかったんだよ。本当に男に興味無いから」

 

すかさずフォローするガヴリール。

 

「まぁ、でも、これで軽い方だから」

 

「……そう。これで軽いんだ」

 

呆気に取られる刑事の顔は固まっていた。

ラフィエルの視線はベッドの上で寝ている椎名の方へと戻ってしまう。その様子を見て、赤坂刑事は慌てたようにされど慌てたような声音を絡ませずにフォローする。

 

「大丈夫だよ。あぁ見えて丈夫だし、義姉を置いて死ぬようなことはしないよ。彼だって君のことは責めたりしないから」

 

「え、すみません、口説いてるんですか?」

 

「えぇー……」

 

「職務中にそうやって女の人を口説くんですね」

 

慰めたはずが、なじられる事に。

ガヴリールまで口を合わせる。ラフィエルの調子が少しだけ戻ったことに口を歪めて、

 

「うわー、警察最低だわー」

 

便乗して目の前の刑事を弄る。

 

「ちょっ、変なこと吹き込まないでね週刊誌とかに!? 絶対に警察はそんなことしないから!」

 

「へー、警察はしないけど自分はすると?」

 

「そんなつもりはありません!」

 

必死な刑事の姿にガヴリールは嬉々として弄りにかかる。が、やはりダメかとラフィエルを見た。波に乗ってこない少女はずっとベッドの上に横たわる椎名の姿を見つめたまま、真面目な顔を逸らさなかった。

 

「――まぁ、一応、椎名君のことも気に食わないって加害者は言っているよ。さて、事情聴取も終了、また面倒なマスコミが群がっているから送るよ」

 

元から椎名を狙う理由もあった、と適度なフォローを入れつつ窓の外を見た。若手刑事には女子高生を慰めるなど荷が重すぎたのだ。

病院の前には、たくさんの報道陣が群がっている。カメラにマイクと記者も何人か。被害者が一応、名がいろんな意味で売れていることもあり、情報が回るのは早かった。

 

「……また、来ますね」

 

ラフィエルは眠っている椎名にそう伝えると、病室から出て行く。

――夜になって病室に忍び込もうと考えていたことは、まだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

ラフィエル達を送り届けた赤坂刑事は病院の駐車場にて、電話を取った。瞬間、画面が変わり電子音が車内に響き渡る。音から察するにマイシスターだと喜ぶも、着信に応じるのは気が引けた。

恐る恐る『受信』を押し、耳に携帯を当てる。

 

「はーい、もしもーし、愛しのお兄ちゃんですよー」

 

「やぁクズ兄上、単刀直入に聞くが今回の件はどういうことかな?」

 

最愛の妹からの罵倒に折れない刑事は笑って流す。

 

「本当に単刀直入だな。もしかして、もう既に知れ渡っちゃってる系?」

 

「おかしな話だな。一番に情報が入るはずの兄上からの一報が無しに弟子の危機を知るとは」

 

「今から知らせようと思ってたんだ」

 

現に携帯を手に取ったのだ。嘘偽りはない。

と、いきなり電話向こうが荒れて喧騒の後に、

 

「――椎名君は無事なの!?」

 

黒羽椎名の義姉、黒羽舞姫菜の声が大音量で響き思わず携帯を離して耳に指を突っ込んだ。

 

「安心して死んでないから。迎えに行くから大人しくしてるように」

 

良かった、と泣きじゃくる涙声が聞こえてしまい赤坂刑事は妹が電話を代わるのを待つ。取り次ぎ、妹はすぐに出てくれたようだ。

 

「それで兄上、今回のことは?」

 

「あー、マキナさんや椎名君とは関係ないね。恋愛絡みの嫌がらせだよ。とある女子高生にふられた男子高生が電車が来た線路の上にその人を突き落とすっていうね、それを助けるために椎名君は飛び込んで怪我したのさ」

 

「まったくそんな事の為に鍛えてやったわけではないのにな。フッ、あの子らしい」

 

「それはそうと1人で家にいるのは危ないからマキナさんは家に泊めてやれ。一週間は帰れないだろうし」

 

「そんなに酷い怪我なのか?」

 

抑えられたトーン。隣にいる舞姫菜を気遣ってのことだろう、妹の厚意に出来るだけ赤坂刑事も合わせる。

 

「電車に引かれたからな。正確には、跳ね飛ばされたと表現した方が正しいが」

 

「……いや、それは生きている方がおかしい」

 

「哺乳類最強の(アイドル)でもそう思うか。鍛えたお前なら電車くらい素手で投げ飛ばすと思ったが無理か」

 

「止まっていたらフレームくらいなら歪ませられるぞ」

 

「これだから嫁の貰い手はいないんだよな。彼氏いない歴と年齢が一緒のアイドルは」

 

「別にあてはあるからいらん!」

 

「おーし、その不届き者の所在を教えろ今すぐに。って、あ……切れちゃったよ」

 

通話終了の通知が表示されているスマホを助手席に投げてエンジンをかける。

 

「本当に理不尽な世の中だ」

 

気だるそうな声が春の空へと消えた。

 




言い訳という名の後書き。
これ元がスクールコメディだから責任を感じるラフィエルの姿が異様に想像しにくい。天使だからそれくらいは持ち合わせているだろう、とは思うけど、若干ヴィーネの方が想像しやすかった。
メロンパンの件はサターニャが可哀想というか、主人公の気まぐれで存在くらいは認知してもらうため。
ガヴリールは優しさが垣間見えるのでさらに親友度を増した状態でお届け。

最後のオリキャラ達は、今後も使いまわすか不明。
こんな人達が周りにいる程度だと思ってください。設定の一部分ですので。



小裏劇場。

警察手帳を突きつけられたガヴリール。
ガヴリール「まずい、天界が戸籍偽造してるのバレた!?」
ヴィーネ「不法入国不法滞在で捕まるわ!」
サターニャ「大悪魔の私は顔パスで十分よ。見てなさい、これが私の偉大さよ」
ラフィエル「では、サターニャさんは戸籍要りませんね」
サターニャの魔界で作成された戸籍情報が世界から消えた。

天使悪魔は戸籍でこんなことしてそう。
天使や悪魔が上ということですね。


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No.3 病棟Phantasm

未だ視点に悩む。


 

 

 

友達――とは、何時からできた言葉なのだろうか。在り方や定義を述べようにも如何せん上手くいかないと本を読みながら椎名は思う。

そもそもの話、読む本も間違えている。

『友達の作り方』『友達との仲良くなる方法百選』『異性との付き合い方』とどれをとっても友達はどういう存在かとは書き記されていない。最後のに至ってはジャンルそのものが違うような気さえしてくるタイトル。その期待を裏切らないかのように内容は男女関係を指し示す恋愛指南書であった。

 

そして、出逢いもまた違う。

昨夜、ラフィエルとの密会、友達になろうという提案に乗りはしたが改めて思えば色々と間違っている。ロマンティックではあった、幻想的ではあった、夢だと思えてしまうほど水泡のように繊細で触れてしまえば消えそうな記憶。

 

結論から言うと、生まれてこの方、1人も友達というカテゴリとして認めたことがないために、友達という存在と付き合い方に苦悩していた。

 

「夢……?」

 

病院の個室で、不確かな記憶に翻弄される。

電車で引かれたから脳がイカレた上に妄想を現実へと反映してしまったのかもしれない。

むしろそれで構わない。昨夜、彼女の手を取ってしまったのは間違いだった。確かに他の人間とは違う何かを感じていたが勘違いだと言い聞かせて、自分とは全く無関係な異性間交友の本を読んでいた時、とある一小節が目に飛び込んでくる。

 

 

 

『運命の出会い』

 

 

 

よく物語などて使われる表現。ドラマティックでロマンティックであらば、それはもう運命だと断定するような文句が叩きつけられている。

小説等で、主人公とヒロインの恋は運命的で暫定的な出会いと時間を重ねて、お互いに惹かれる。

 

創作であるから仕方ないが、現実では考えたくない内容だ。そんな出逢いがあるのなら、世の中に未婚者とか離婚者とか言葉が蔓延る筈もない。

 

と、その頁を閲覧中にノックする音もなくガラリと戸を引く不届き者が現れたのは何の悪戯か。

 

 

 

「邪魔するわ!」

 

 

 

可憐とは程遠い野蛮な台詞が飛び出した。

赤色と異質な気配の、同級生クラスメイトと関係があるように見せかけてほぼ接点無しの顔見知りが、共に。

 

「あの……言いにくいんですけど」

 

「何よ?」

 

「部屋間違えてますよ」

 

「えっ、嘘!?」

 

慌てて「邪魔したわ!」と踵を返したサタニキアもといサターニャを見送って、本を再び読み進める。

開けた引戸に寒さを感じていると、熱暖房のようにメラメラと燃えているサターニャが戻ってきた。

 

「やっぱりあってるじゃない!」

 

「すみません、誰をお探しですか?」

 

「クロハシイナ?ってクラスメイトよ」

 

「表札はお確めですか?」

 

「フッ、生憎読めないわ!」

 

たいして大きくもない胸を張りフンスと言い切るところ開き直っているのか、椎名は一考して最良の選択肢を選出。

 

「神経内科は別棟ですよ」

 

「な、何よそれ?」

 

「えーっと、他におすすめできるのは、脳神経科、脳神経外科、それとこの棟にある小児科ですね」

 

どれも舞天病院に備わる優秀な先生が勤務している。しかしどれも違ったのか、サターニャはあるひとつの言葉に噛み付いた。

 

「小児科に行く年齢じゃないわよ!」

 

「因みに職員御用達の食堂が第三病棟にありますよ」

 

「……もしかしてあんた通い慣れてる?」

 

呆れるようなサターニャの瞳に、椎名はたじろぐことなく本を閉じ、膝の上に置く。

病室の外からは小さな押し殺し笑いが聞こえる。

その少女とは別に、また違う少女の声が、

 

「なんで入らないの? ラフィ」

「おもしろ――いえ、一人で入るのは何か気が引けたので、皆さんを待とうかと」

「あいつは?」

「サターニャさんなら中ですよ」

「し、失礼なことしてないでしょうね……」

 

そんな言葉を言うや否や3人の少女は開いた戸から病室の中へと入る。なり、黒羽椎名の姿を見て絶句した。

 

「す、すみません間違えました!」

 

見蕩れること数秒踵を返す。ヴィーネは一言謝罪してからサターニャの襟首を掴み、退室しようとした。

個室のベッドに座っていたのは顔見知りの男の子ではなく見目麗しい少女。長く綺麗な黒髪をシュシュで一束に纏めた中性的な顔、白い素肌、どれもが男性らしさを潜ませている。

その正体に気づいたのは、まじまじと見つめていたラフィエルだけだ。

 

「ここであってますよ。こんにちわ、クロさん」

 

「元気そうで何よりだよ、ラフィエル」

 

ベッドの上の美少女――ではなく、ベッドの上の美少年は微笑む友人にそう返した。

 

 

 

 

 

「それで、何の用?」

 

個室系病室の中で舞天高校の制服を着た女子4人、水色の患者衣の少年1人、という何故か患者の方が肩身の狭い状況で椎名はぶっきらぼうに問い掛ける。

もちろん、4人の名前は固有名称として知っている。クラス内でわーきゃー騒げば見ていなくとも、声と名前で判別することが出来る。

それ以前に、昨日の今日で来たほぼ接点無しの4人に怪訝な顔でいるのが適切だろうと硬化した態度でいると、椎名は予想だにしない言葉を一人から聞くことになる。

 

「見舞いに来てやったわ! 感謝しなさい」

 

ものすごく偉そうな態度でふんぞり返るサターニャは腕を組みながら壁にもたれ、堂々とした態度を崩さない。その態度を見てヴィーネが矯正するより先に椎名が毒を吐く。

 

「別に要らないんでどうぞお帰りください」

 

「え゛」

 

予想外の返しだったのか、サターニャは目が点になり直立不動で硬直してしまった。

正直言って、見舞いでストレスを増やしに来られると精神的に悪い。見舞われて喜ばない人間、それが黒羽椎名という男だ。例え、綺麗な女の子4人集まろうが静寂を好む人間にとってそれは害悪でしかない。人付き合いも苦手で根っこからぼっちを営む彼にとって、見舞いは最大の攻撃と為りえた。偉そうな態度のサターニャにあまりいい気もしないのもそうだが。

 

「ご、ごめんね、サターニャが何かしたかな?」

 

思い当たる節が多いのか、下手にヴィーネは椎名の顔色を窺う。その視線を避けるように本を読み始める椎名は完全に首を折り下を向いたまま。

 

「別に。俺は群れるのが苦手だし嫌いなの。……なんで君達はこんなところに来たんだ?」

 

不思議で意味不明だ。何故、ラフィエル達が見舞いに来たのか。観察してみたところ怪我をしているようにも、病気にも見えない4人に対して至って正常な判断を下すとすれば何かのついでだと思ったのだが、元気そうに見えるということはあれしかない。

 

「――あ。誰か子持ちししゃも?」

 

「ん?」

 

ストレートに伝えてはいけない。と、配慮したつもりが逆に首を傾げられる。椎名は泣きたくなった。もう不用意な言動は慎むと誓う。

今度は、この空気を塗り替えるようにはっきりと口にする。

 

「誰か妊娠したとか?」

 

「……」

 

無言でお互いに顔を見合わせる4人。互いの現状を確認している今、ラフィエルの頭の頂点の髪の毛がぴこんと揺れて、

 

「……はい」

 

と、言い辛く俯き頷く。

 

「ちょっと、ラフィどういうこと?」

 

真っ先にラフィエルに寄り添うヴィーネ。

対して、話題をふった方の椎名は自分でふっておきながら間の抜けた顔でラフィエルを見つめた。校内で男がいるなんて噂が立つ情報は皆無。

果たして、真相を図りかねているとヴィーネが決定的な詰問をする。

 

「相手は誰?」

 

他校の男子生徒か。校内の男子生徒か。

二択の判明は、生死の境目となる。

特定された男子生徒はそのうち話題の人、時の人となるであろう。

何気に気にしながら読書に勤しむフリをして、チラチラとラフィエルを盗み見るとバッチリ目が会合を果たす。しかし彼女はすぐに逸らして、身を守るように片手で胸を抱くともう片方の手でこちらを指した。

 

「…………」

 

椎名はゆっくりと指先の直線上、自分よりも遥か遠くの窓の外へと視線を移す。

桜が舞う蒼穹が広がっているのみで、階下にも人影は見当たらない。

 

「あららぁ、そういうこと?」

 

むふふ。と、手で口元を隠して和やかに笑うヴィーネの視線は椎名とラフィエルの間を往来。

真相を図っている場合じゃない。真意を図るべきだったと今更ながらに痛感した。

 

「俺にそんな覚えはない」

 

「認めろよ」

 

「往生際が悪いわね」

 

ホームにしてアウェイ。ヴィーネはコイバナに花を咲かせる乙女のような口調で、

 

「いつの間にか名前呼びだしね」

 

とある事実を証拠にせん勢いだ。瞳はキラキラと夢見る少女のように輝いている。

 

「酷い……あの夜のことを忘れたんですか? あんなことまでしておいて」

 

およよと口元に手を当て涙ぐむラフィエル。名女優も裸足で逃げ出す名演技。

――あの夜。とは、十中八九昨夜。あんなこととは、天使の羽に触れたことだろうか。頭の上の光輪に触れたことだろうか。

 

「誤解を生む発言はやめろ」

 

「あんなエッチな触り方……!」

 

優しく触ったに過ぎない。椎名自身そんなつもりは毛頭なかったのだが。

 

「一夜限りだなんて……。私、本気だったんですよ」

 

冷やかな外野の視線がよりいっそう強くなる。

それはまだいい、が、義姉の舞姫菜にだけは訊かれてはいけない。

――世界が傾国を超えて崩壊する。

守りたくもない世界を守るには、謂れのない罪で土下座をするしか選択肢は残されていなかった。

 

 

 

 

 

「あはは……すみません。つい面白くて」

 

弁解も弁明もやっと訊き入れられたのは、ラフィエルが冗談だと言葉にしてからだ。罅の入った足で土下座などと中々ハードな体験を経験した人間は、自分以外にはいないだろうと思う。

ズキズキと痛む足に耐えて椎名はポーカーフェイスを取り繕う。

 

「ほんとにびっくりしたんだから。必死に助けたのってそういうことなのかなって」

 

「まぁ、ほどほどにしろよ」

 

ガヴリールは椎名の肩に手を置いて、さもそういう事実だけはあったかのように忠告。

 

「フッ、やるわね、天使を手懐けるなんて。私も負けてられないわ」

 

「あーもう、それでいいよ……」

 

サターニャだけは理解していなかったようだ。椎名は早々に諦めて楽な姿勢に戻る。

しかし、本音を言えばもう体力はゼロに近い。擦り減らして神経さえ削る所業に精神はズタボロ、ベッドに寝てシーツを被り現実を逃避する。

 

「というか、ほんとに何しに来たの?」

 

病人に対して散々な仕打ち。見舞いだとか言ったが冥土ノ土産を持ってきたオチだろうか。

 

「ラフィ」

 

「……」

 

ヴィーネがラフィエルの背中を押す。ついぞ無言になってしまった彼女は、どうも煮え切らない表情で微笑みを繕っている。ゆっくりと進める足は何かを恐怖しているのか、罪悪感故か――躊躇いのようにも感じられる。

人との関係を絶つ椎名にとって、ネガティブな方に感情を読み取るのは得意だった。

椎名の寝込むベッドの前に進み出たラフィエルは、取り繕う仮面を消して、丁寧に頭を下げて辞儀。

 

「ごめんなさい」

 

「む……?」

 

予想外の状況に、戸惑う椎名。

ラフィエルは丁寧に頭を下げたまま、顔を上げようとしない。

いったい何事か。謝罪される覚えのない椎名に、懺悔するかのように言葉を続ける。

 

「一度も謝っていなかったなと思いまして……別に許して欲しいなんて言いません。だけど、せめて一度だけちゃんと聞いてほしくて」

 

「はぁ……?」

 

「今回、私の不始末によって、クロさんを巻き込んでしまいました。本当にごめんなさい」

 

有無を言わせず謝罪するラフィエルは言い終えても顔を上げない。

赤坂刑事から報告を受けていた椎名はもちろん詳細は既に知っての通り。それ以前に校内での告白事変を知る機会があった故に、ラフィエルの言わんとしていることがわかった。

 

「顔を上げて」

 

「……はい」

 

やっと見れた表情は曇り気味。

椎名は不満げな表情で少女の顔を心の内に刻み込む。

そんな顔じゃない。見たかったのは、守りたかったのは、いつもニコニコと取り繕ったような素顔。

 

「そこは謝罪じゃなくて感謝して欲しかったな。君を助けたのは俺の意思だ。だから、巻き込まれたんじゃなくて首を突っ込んだんだよ」

 

「……そうですね。ありがとうございました」

 

雲が晴れ、笑顔を浮かべるラフィエルの頭にポンと左手を置く。椎名は自然な動作で頭を撫でる。

彼女は驚いたように目を見開いて、その瞳と視線が重なり椎名は気づいて手を離す。

 

「ごめん。癖でつい」

 

「いえ……嫌では、なかったですから」

 

まんざらでもなさそうだ。

 

「ところで、ちゃんとした自己紹介してなかったわよね。今からしない?」

 

頃合を見計らったヴィーネが会話に入り込んでくる。仕方なく、頷く代わりに、

 

「黒羽椎名。独りが好きです。以上。あと、長ったらしい名前言わなくていいから。月乃瀬さんも胡桃沢さんも天真さんも」

 

文句の代わりに遠回しの要求。

人間じゃないだけ、マシだが……。

 

「シーナって呼ぶから、私もヴィーネでいいわ」

 

「私もガヴリールでいいよ」

 

「フッ、次は私の番ね」

 

サターニャだけが、奇妙な立ち方をする。

右手を顔の前に立てて、不敵な笑みを浮かべる。

まさしく、あれは――

 

「私は大悪魔胡桃沢=サタニキア=マクドウェル。地獄を統べる者!!」

 

――ジョジョ立ち。

口上を終えると満足そうに椎名へと手を差し出した。

 

「今日は記念すべき日ね。あなたを私の下僕第一号にしてあげるわ!」

 

「結構です。本来なら精神科を紹介したいけど、ちょうど専門機関があるのでそちらはどうでしょうか。厨二科なら第四病棟にありますので」

 

一筋縄ではいかないわね。と、サターニャは諦めすぐさま引き下がる。

 

「ともかく、友達になったんだから携帯の番号くらい教えてよ。私達も教えるから」

 

突然、携帯電話――スマホ――を取り出したヴィーネ。

自然な動作で取り出されたから、椎名も自然と今日届けられた携帯を取り出して、不意に問い掛ける。

 

「ねぇ、友達ってなに?」

 

これまで友達を認めたことがないために、友達という概念に存在に疎い。友達とはどうあるべきか、どういう存在か、億劫になってしまう。

かつてのヴィーネからすれば、まるで出会った当初のガヴリールと接している気分で、なんとなく思ったことを口にする。

 

「心許せる仲の良い人とか、心置きなく何かを話せる存在とか、そんなとこじゃないかな」

 

「じゃあ――」

 

ひとつだけ言いたいことがある。

4人が首を傾げる中、

 

「間違ってたらごめん」

 

「はい」

 

一応の謝罪をしてから、椎名は口にする。

 

「もしかして、ヴィーネとサターニャって悪魔?」

 

「……っ!」

 

今ならくっきりと見える不穏な気配。教室内でどうも違和感だけが拭えず、ずっと気になっていたことだ。他の人とは違う匂いがした。感覚的に椎名にはそれがわかるのだ。

 

「――見える、悪魔に!?」

 

看破されたヴィーネは嬉々として椎名の手を握る。よほど嬉しかったのか、椎名の唯一自由な左手を両手で包み込み顔は接近する。

――近い近い。女の子なら恥じらいを持ちなさい。

なんて、ある程度ぼっちでも女子耐性のついた椎名には慌てふためくことではなかった。だが、悪魔の物珍しさに観察は忘れない。

 

「フフ……ようやく私の偉大さに気づいたようね」

 

「犬に弄ばれる大悪魔ねぇ?」

 

「あ、あれは手加減してやってるのよ!」

 

そうは見えない。犬相手に涙目のサターニャを何度か見たことがある。

 

「じゃあ、ガヴちゃんは何に見えます?」

 

未だ二択しかない中で、ラフィエルの出した問題に椎名は目を凝らして、

 

「……………………天使?」

 

初期のガヴリールの姿を思い出して、答えを導き出した。ついでにある出来事も思い出す。

 

「もしかしてあのパンツって……瞬間移動とかそういう能力?」

 

「よぉーし! おまえをイイヤツだと思った私が間違いだった、消してやる!!」

 

パンツが高校デビューしたことについてどんな力を使ったのか知りたかったのだが、ガヴリールの取り出したラッパに興味が逸れる。

 

「それは?」

 

「今から嫌でも知ることになるさ……生きていたことに後悔して死ねぇ!」

 

「ちょっとダメですよガヴちゃん。それ吹いたら!」

 

ラッパを吹こうとしたガヴリールを羽交い締めにして、ラフィエルは必死の形相で救援を要請する。

 

「これは『世界の終わりを告げるラッパ』です。一度吹けば、世界は滅びます」

 

「いっそのこと滅ぼせば?」

 

そんなの関係ないと椎名は煽る。そんな投げやりな態度にいいんですかー、とラフィエルは問い掛けるが、何が困るのか。

 

「見てないで止めてください!」

 

「しょうがない」

 

たぶん、おそらく、現在最高位の魔法の言葉を唱えよう。ガヴリールにだけ響く言葉。全ヒキニートに通じる魔法の言葉。

 

「世界が滅んだら、ネトゲできなくなるぞ」

 

「はっ――!?」

 

やっと正気に戻ったガヴリールはラッパをどこにともなく仕舞う。

天使と悪魔と人間と、奇妙で愉快な日常の幕開けを確かに此処に。少しだけ、学校に早く戻りたいと初めて思えた一日だった。




※男の娘という種族ではありません。
シュシュ? 理由は後々。たぶん、そのうち出るさ。
一応、心の蟠りは払拭しておこうの回。
おそらく、次からもっと日常的な話しになると思います。


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No.4 遅刻とグラサン

 

 

 

重度の怪我をして約一週間。体も慣れたものなのか歩けるようになり異常な速度で回復を見せ、漸く病院と名された牢獄から解放されて、退院したかと思えば義姉に心配され今度は家での軟禁。我家は監獄なのかもしれないと言い出したいところだが、そんな愚痴を聞いてくれるのは義姉の親友達のみなので見舞いに来てくれた時にしか会わない。早々に諦め、義姉の手厚い看病を受諾、でもまぁ家というのは退屈しないほど本が蔵書されているから、と理由付ければ悪くない退院だ。

 

家でじっとしているのも飽きた頃、休み続けると単位がヤバイことに気付き、二時間による説得の甲斐あってか今日から登校だけはできるようになった。

 

朝――までは、いつもの一日だ。

部屋に差し込む朝日の中で、薄らと覚醒してきた意識を手探りに、手繰り寄せるように携帯を探して――。

――ふにょん。

と、柔らかな感触が左掌いっぱいに広がる。

メロンサイズのマシュマロ。一言で言えば大きさと弾力はそれくらいだろうか。しかし桃のように繊細なしっとりとした感触。ほんのりとした体温。包み紙のような薄い布の下にそれを感じると、直感でまたかと呆れているのか喜んでいるのかどうしようもない気持ちで目の前の人物に問い掛ける。この柔らかさとあたたかさの持ち主を――

 

「また潜り込んだの? 舞姫菜――」

 

こんな事やるのは義姉しかいない。と、思っていたら予想外の人物が目の前に。

 

「……」

 

天使、ラフィエルの見開いた双眸と視線が交わる。予想外過ぎる人物との遭遇に一瞬心臓が跳ね上がると、表情筋はコンクリートのように固まり引き攣る。ただ、何度かこの経験があるからか心臓の早鐘すらも抑えきれず、上擦った声で漸く口にしたのは、

 

「おはよう、ラフィエル」

 

「おはようございます。クロさん」

 

初めて、友達と交わした挨拶だ。

おててとおっぱいがこんにちわ。

なんて、ボケてる場合でも惚けてる場合でもない。

 

「ラフィエル、いつから?」

 

「昨夜、鍵を開けさせてもらいこっそりと入らせていただきました」

 

「……不法侵入じゃないか!」

 

そうじゃない。期待した返答は、『今朝の何時から部屋に入り同衾したか』なのだ。てっきり義姉が通したのかと思ったのに、想像の斜め上を行く返答に困惑するのも束の間、注意だけは忘れない。

 

「でも、良かったよ。最近は物騒だし女の子一人で深夜の徘徊は危険だから。あと、出来れば、最初から許可を取って欲しかったけど。今度から忍び込むのはやめてくれよ」

 

夜中に娘一人出歩くなど言語道断。義姉にも言いつけていることでほっとしたのも数秒だけ、ストーカー気質な友達に複雑な感情を抱くものの、やはり一番の問題はその許可すら簡単にしてくれるかわからない義姉、舞姫菜の存在にある。

取り敢えず、懸念すべき事態から目を逸らして、思考の整理を実行。軽いパニック状態の脳内を冷却していると、悩ましげにラフィエルが、

 

「その……そろそろ手を離してくださいませんか? 通報しちゃいますよ」

 

と、読み取れない表情で脅迫を。

慌てて左手を離して、ベッドから転げ落ちる。折れて接合した肋骨がまた離れそうになる感覚を味わい、同時にラフィエルの姿を隠していた布団が捲れて、全貌が明らかになった。

 

「……なんでパジャマなんだ?」

 

ネグリジェとかを期待していた訳では無い。裸ワイシャツなる格好でもない。が、侵入した家でパジャマとは、不自然にも程がある。

 

「寝る時はこういう格好なんですよ。ネグリジェの方が良かったですか?」

 

真っ当で尤もなことを仰るが、一応、気になったので訊いておく。

 

「パジャマで来たの?」

 

「いえ、制服で来ましたよ」

 

「どこで着替えたの?」

 

「ここでですよ」

 

さらっと、この部屋を指差した。椎名が転げ落ちた場所、つまるところ椎名の位置を指し示して。

よく見れば、壁には舞天の女子用制服が一式掛けられている。女装癖はない。下着泥棒でもない。なら、あれはやはりラフィエルが着てきたのだろう。

男子生徒なら夢見るような?シチュエーションに溜息を吐いて、また説教を一つ。

 

「あのさ、ラフィエル。男の部屋に無闇に侵入するのをやめようか。あと、着替えは脱衣場でしてくれ。夜這いと勘違いして襲うよ?」

 

怪我人でも狼である。

友達、といえど節度くらいは保つべきだ。

友達でも男は狼。

幼馴染とかそんな関係でも、極論、男は狼。

コレ常識。

 

「……そうですね。軽率でした」

 

「わかればいいよ」

 

ただ、男としては惜しいな――とは言わない。仲が良くなったのか悪いのか、特殊な縁を感じるような気もするが、流石にいきなりこんな発言は失礼だろう。

元より、舞姫菜にも言ったことがない。いや、シスコンでもなければ変態でもないが。言えることがあるとすれば、何かを間違っている。友達は、普通であっても他人の家に侵入はしない。

 

「――それより、なんで来たの?」

 

放棄していた質問へとシフトすると同時に、ベッドの淵へと座り、ラフィエルを見据える。

きょとんと首を傾げて、ラフィエルは面白おかしいものを見たと言わんばかりに、

 

「決まってるじゃないですか。御見舞――」

 

と、当たり前に言い放とうとしたところで、キィっと音を立てて前方の扉が開いた。

白くサラッとした絹のような長髪と、スタイルのいい体躯が可愛らしい私服の上にエプロン姿、

 

「椎名くん、おはよー……ぉ?」

 

一番に懸念すべき存在が部屋の外から、扉を開けて覗き込んだまま硬直。義姉の舞姫菜、彼女は微笑みを一旦どこに追いやったのか失い、引き攣った笑みの後に悲痛に嘆き悲しむ表情で涙をポロリと落とした。

 

「そんな……私の椎名くんが、他の女と大人の階段登っちゃった……」

 

絶望に打ち拉がれたその表情は、哀しみと虚無と喪失を宿す瞳から溢れ出る涙でぐちゃぐちゃだ。

きっと浮気がバレた夫や彼氏とか、姉や母親に内緒で彼女と隠れて会っている時、いきなり見つかった場合の心境はこんなものだろう。

ヤバイ、どうしよう……。

言葉を思いつくより先に、自己防衛機能が作動する。

 

「舞姫菜? ご、誤解だから、友達だよ?」

 

「……じゃあ、なに、この状況!」

 

詰問するような口調は鬼気迫り、間女を見たと言わんばかりのそれ。浮気現場に遭遇した彼女そのものだ。

彼女でもないが、やましいことでもない。

なら、最適解はひとつだけ。

 

「えっと……。御見舞?」

 

我ながら、意味不明である。いったい何処にパジャマで見舞いに来る人がいるのか。

 

「じゃあ……なんでそんな格好なの?」

 

ふるふると震える指で椎名の背後を指差す。そこは突っ込みどころが多過ぎて触れたくなかったが、現実を直視しなければ解決には至らない。

 

「あぁ、これ? これは――」

 

ラフィエルの方を振り向き、絶句。

二の句に繋がらず、暫し神秘と艶美に魅入られて、少女の艶姿に頭は真っ白になった。

シーツを手繰り寄せ、胸の上から押えるように纏ったその少女の姿は、本来ある筈の肩先にはパジャマの布地はなく白い肩が覗き薄水色の紐が下がるだけ、脇や背中は露出気味で……。

 

「…………待て、パジャマはどうした?」

 

爛々と輝く、まるで子供が欲しい玩具に目を奪われたような瞳に、問い掛けた。

決まってラフィエルは演技力を披露し、恥ずかしそうにシーツを掻き抱く。

 

「……私にあんなことしたくせに、忘れたフリだなんて酷いです」

 

「いや、胸に触れたのは謝るから!?」

 

「えっ、と、友達ってそういうこと? そういう関係?」

 

邪推が危険な方向へと進む。

きっと今の義姉に何を言っても訊かないだろう。確実にラフィエルの邪魔が入る。

だから、証拠として――は疑わしいが、ラフィエルに詰め寄りシーツを剥がしにかかった。自由な左手だけで彼女の抑えるシーツを引っ掴みぐいっと引っ張る。何をされるか察したのかラフィエルは必死に抵抗した。

 

「な、何するんですか、警察呼びますよ!?」

 

「俺が呼びたいよ! むしろ不法侵入したお前を突き出したい」

 

「あ、あのね、お姉ちゃんが悪かったから。男の子だしそういう本やDVDがないのは可笑しいなって思ってたの。だから爛れた関係はやめよ? お姉ちゃんなら受け入れてあげるから、だからダメだよっ」

 

ラフィエルのシーツを剥ごうとする男と、愚行を止めようと奮闘する義姉、望まぬサンドウィッチな状況に誤解を解くこともいつの間にか忘れて、

 

「舞姫菜、アイドルのしていい発言じゃないからね!?」

 

冷静になって気づけば、天然ボケアイドルの暴走を止めることに変わっていた。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

「い……行ってきます……」

 

誤解を解く事に一時間。盛大に一限目を遅刻して家を出る。心配性の舞姫菜が車椅子を用意するが、左手だけでは回せない車輪を抗議したところ、ラフィエルの申し出により車椅子を使用することになって……結局、ラフィエルに車椅子を押されながら登校することになった。疲れ切った体が重たいので反論することはなかったが。

 

登校時間がずれたことにより静かな街並みをカラカラと音を立てながら進む。

急に運動量の不足が体にこたえる。足は万全で、降りたいところだが――何故かラフィエルが降ろしてくれない。

 

「一応、訊いておくけど……」

 

「はい、なんでしょう?」

 

お互いに無言だったから耐え切れなくなって、訊けなかった質問をする。

 

「なんであそこで着替えようとした?」

 

「ご家族に挨拶するなら制服でと、気を回したつもりだったのですが……手遅れ――ええ、残念でしたね」

 

「確信犯だな」

 

呆れを通り越して、むしろ怒るべきことではなくなって諦めが早く嘆息する。別に本気で怒っているわけでもなく、ただ彼女の行動に苛立っているだけだ。

何について苛立っているのかは、自分でもわからないが嫌いではない。

 

お互いにまた無言でゆっくりと学校へと向かう。

路地を幾つも抜けて、見慣れた通りをふたりして、商店街を抜けるとまた新しい女の子を――とか呟かれたが、肉屋のおばさんには会釈を返すだけで理解してもらう。あらあらモテるわねーとか、商店街の男連中が血の雨を降らせるから勘弁して欲しい。

きっと今頃、新たな噂が沸き立つのだろう。脳裏にはそんなことを思い浮かべる。同時に死亡フラグも建設中。

その間にも、校門へと辿りついた。

舞天高校――正門。

登校時刻を過ぎた今、閉め切られた鉄柵が行く手を阻む。

 

「車椅子はここまでだね。どうする?」

 

一応、ラフィエルは飛ぶことが出来るから困りはしないが、提案の有無を問う。

果たして、羽を出していいものか――。

誰かに見られれば、大惨事となる。

 

「ラフィエル程度なら俺が抱えて跳べるけど……」

 

「仕方ありません。登りましょう。私が先に行って門を開けてもらいますから、待っていてください」

 

そう言って、鉄柵をよじ登ろうと手を掛けて身体を持ち上げるラフィエル。手は柵の上に、膝を持ち上げる。

その間にも、椎名は周囲を見渡して――尾行しているような輩がいないか警戒をしていた。

怪我をしている絶好の機会に狙う舞姫菜のファンの数は計り知れない。これまでにもう10人はいた。主に椎名を狙う者が大半でそれ自体には異論はない。ただ、舞姫菜が無事であるならば。

――きっとこの話は何時か。

誰かに話すことなんてないのかもしれないが、心の内に留めておこう。

 

故に警戒した尾行はいないようで、営業に出ているのか会社員がこちらを見ている。

正確には、校門の上を――。

思わず振り返って、直視した。

 

 

 

――揺らめくスカートを。

 

 

 

見えそうで見えない、何か。ラフィエルの履いているスカートと太股の間に心臓が跳ね上がり、慌てて焦って触れてしまう。

 

「きゃっ!?」

 

「見えるラフィエル!」

 

隠そうとしてスカートを抑える。驚いたラフィエルがバランスを崩して、体を弓形に反らした。

続いて、倒れ込んでくる体を左手と上半身だけで受け止めて一息、安堵するとキッと睨まれる。笑っているように見えるその笑顔が怖い。

 

「……えっちですねぇ〜。これ、何回目ですか?」

 

「ほんとごめん。でも、見えそうだったから」

 

「だからって、触っちゃいけない時だってあると思うんですが……まぁ、いいです。事故ですし」

 

「君が事故だと言うと、そう訊こえないんだけど」

 

「なんですかぁ〜。クロさん」

 

「いえ、なんでもありません」

 

せっかく不問になったのだから、掘り返すことはないと引き下がり椎名は己の内に思い留める。

きっと嫌われた。なんか、何故か、悲しい気がするがそうでないといいなと願って。

 

 

 

 

 

看守がいない。事実に気づいたのは後のこと、気を取り直して椎名の提案した柵を乗り越える方法によって漸く校内敷地に侵入すると、ラフィエルはニコニコと車椅子を押して催促した。

つまり――椎名に乗れ、と言っているらしい。

拒否したら義姉に告げ口すると言われた。さすが大悪魔を手玉に取る天使である。

 

「そうだ。今日からクロさんのお家でお世話になろうと思うんですが、どうですか?」

 

昇降口、生徒玄関にてラフィエルが思い出したように物申す。別に嫌でもダメな理由もない。ただ、一つを除いて。

 

「うちの義姉に許可を取れるならいいよ」

 

それが最大の難所だ。今朝の悶着から難易度は最大へと上昇している為に成功率は1%にも満たない。

 

「では、成功した暁にはベッド……私が使ってもよろしいですか? さすがに男の人と寝るのは危険なので」

 

「一応、そういう認識はあったんだな……」

 

先程の一件で考えを改めたのか、ラフィエルの物怖じしない提案に頷く。

階段でまた車椅子を降りて、登る。そして教室のある階へと到達するとまた車椅子に揺られて自分の教室へと向かう。

 

教室へと到達した。確か、1限目からグラサンの数学が課目に入っていた気がする。それを肯定するようにグラサンのハードボイルドな声が教室内から響いてくる。

意を決して、鬼門を開く。

すれば当たり前のように視線を独り占めだ。

 

「遅れてすみません」

 

「……。生きていたか」

 

「それ最初にしていい教師の台詞ですかね」

 

もちろん、グラサン教師は嫌味とかで言ったわけじゃない事はこれまでの経緯を得て知っている。戦争に行った兵士が生還したような口振りもご愛嬌。

他愛のないじゃれあい。朝の挨拶を交わして、いきなり車椅子が発進し段差に躓く。

ガッ、と芯に響く音を訊かせて、前に傾いた体は床へと投げ出された。

 

「いってぇ……」

 

「わ、すみません、大丈夫ですか?」

 

慌ててラフィエルが駆け寄ってくる。

まだ、自分の教室へと帰っていなかったらしい。

やっぱり、車椅子に乗るんじゃなかったか。

反応からしてわざとではない。ラフィエルが故意にしたわけではなく、厚意であることはこの反応だけで十分に伝わった。あと左手だけじゃ手動式の車輪を回せないことも忘れていたわけではない。

 

「夫婦漫才はさっさと終わらせてふたりとも席につけ。授業を再開する」

 

「夫婦漫才って……からかうにも程があるでしょ。グラサンを海に沈めますよ」

 

丸頭にグラサン、一見ヤクザのような風貌の教師にこんな軽口を叩けるのは、世界でもサターニャくらいの馬鹿か親しい人間のみ。

何故か生暖かいクラスメイト達の視線を無視して、席へと進み、後列から2番目の窓際――そこが椎名の席――に座ると

隣の席にラフィエルが着席。

 

「……えっ?」

 

椎名の記憶が正しければ隣は男子生徒だったはず。基本、女子生徒と隣接するように配置されている席は、男女比の都合により男子同士の場合もある、椎名の隣はそれに準例して男子生徒だった。

それ以前に何故、ラフィエルが……?

隣のクラスの少女が並んで座ったことに、黙考すること数秒、こちらを見ているグラサン教師と目が合う。

 

「海坊主。席替えした?」

 

椎名だけが呼ぶ、渾名。

海坊主と呼ばれたグラサン――彼、海坊主は顔色一つ変えず告げる。

 

「あぁ、今日からオマエの世話をするらしい。それに付きクラスを異動した。名前は知っているな」

 

「ちょっと待て、有り得ないだろ普通。クラスを異動? そんなの許可されるの?」

 

「問題ない。特例だ。……しかし、授業中のイチャイチャは控えろ。いくら恋仲とはいえ、教室が暑苦しくなる」

 

グラサンの位置を直すと、海坊主は当たり前のように授業へと戻ろうとして――なるほど。椎名には生暖かい視線の正体が何か、理解してしまった。

 

「隣の席のやつは?」

 

「……長谷川なら転校した」

 

名前を訊いて漸く思い出した。

よく思い出せば、隣の席の長谷川は例の長谷川で、ラフィエルを突き落とした犯人だったのだ。隣の席がそいつだったことも椎名は忘れていた。

表向きは転向したことになっているが、真相は明白。それが当たりだというように授業の終了を報せる鐘の音が鳴ると、海坊主はここまでと言ってそれから。

 

「それと、黒羽と白羽は後から職員室に来るように」

 

去り際にその言葉を残して行った。




グラサン教師と海坊主。
結構、好きなキャラです。
海坊主、またの名をファルコン。
今回は若干のラブコメ。
たぶん、グラサンの出番が増えるかも……。
変わらず視点を最後まで迷っていたのでおかしくなっていると思いますが、元からですねごめんなさい。


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No.5 偶像の秘密

 

 

 

舞天の地には女神とさえ崇められるひとつのアイドルグループが誕生した。元はローカルだった筈のアイドル達はその美しさと特技で世界を魅了し、震撼させ人々の気を惹いて、自分の価値を認めさせたのだ。

彼女達の素晴らしさは国境を跨ぎ認めさせ、人知を超えた美しさを持ち、まるで何も寄せ付けない強さを見せながら、人々に親しまれる。

後に、彼女達3人はその名の通りにこう呼ばれた。

 

 

 

――機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)

 

 

 

彼女達はアイドルの頂点に君臨し、その名を轟かせどんな芸能人よりも知名度抜群。彼女達の後を追って、アイドル成らんとする者は後を絶たない。

いったいどんな理由で、少女達にそんな物々しい名前が付けられたのかは、一般には不明であり本当の理由は語られていない。

後日――その名が忌たる象徴となる。

3人の特技は、常人を超越したものだった。

 

 

 

……さて、話は続くが。

舞天高校にはとある伝説とも呼ばれる七不思議が存在している。かの有名なアイドルグループ«機械仕掛けの神»のメンバーのひとりが在籍している、と。

それ目当てで入試を受ける人間も少なからず、ここ舞天高校は彼女達出身の母校として知られていた。

 

そんな一人歩きする噂«エクス»の元に、椎名は向かっていた。

 

舞天高校併設施設――図書館。

そこに件のメンバーのひとり«エクス»がいる。

基本、エクスは姿を隠しかかりきりで図書委員の仕事をこなす。彼女の城、という表現は正しく、彼女こそ図書委員長であり学園の七不思議であり影でもある。

クラスメイトの男子生徒ですら話すことは叶わず、休み時間に話しかけようものなら忽然と姿を消すことから、陽炎のように幻だとも言われている。蜃気楼とも。

掴めない存在。彼女を見つけられるのは学園内にはただひとり、椎名だけだった。

 

校舎とは別に建設された図書館。そこへひとり足を運んだ椎名は図書館内を見回した。蔵書数万を超える大規模図書館、街の図書館の数倍を誇る本の数に圧倒されながら本棚の合間を縫って進む。そうして辿り着いたのは本棚の一角で、椎名は椅子に座りながら本を読んでいる«エクス»を見つけた。

 

「メルエル先輩」

 

「……」

 

七瀬・メルエル・ライブラリー。高等部3年。

彼女«エクス»の真名は本に愛され本に生きる。

読書に没頭しすぎているせいか、気配が溶け込み過ぎて常人では見つけられない迄にある。唯一、見つけられるとすれば«デウス»と«マキナ»と椎名だけ。

仕方なく、椎名は逡巡する。

読書を中断させて話し掛けるべきか、終わるのを待つべきか。本さえ読んでいればどんな悪戯をしても気づかないのがメルエルだ。肩をゆすっても視界を遮っても読み続ける。見えない筈の文字を簡単に見てしまう。真っ暗闇でもそれは変わらない、もうそれは神の領域とさえまことしやかに囁かれている。

 

「メル先輩」

 

「……」

 

肩をちょこっとだけ揺すってみる。

男の子的にはあまり見ない方がいいものが揺れる。即座に揺するのをやめた。

 

「エル先輩」

 

「……」

 

一通り、呼んでみたがやはり本から顔を上げないメルエルは反応を示さない。これは大変入り込んでいらっしゃると評価が下ったところで、椎名はふたつの選択肢が思い浮かぶ。

 

このまま愛狂おしいメルエルの読書する姿をじっと見つめているか。

ちょっと本を覗き込むついでに悪戯をするか。

 

うん。決めた。

それからの行動は早い。

 

「失礼します」

 

断りを囁くように入れてから、折れていない左手をメルエルのお腹に回して片手で持ち上げる。そして浮いた腰と椅子の間に体を滑り込ませる。そのまま自分の膝の間にメルエル着地、最終ポジションが決定した。

 

「それで、何読んでるんですか? メルエル先輩」

 

「……」

 

肩越しにメルエルの手元を覗き込む。椎名は目を細めて一行目、声に出して反芻する。

 

「包帯……お風呂……お世話の仕方……?」

 

それは骨折患者のギプスが外れてしまった場合。また、風呂の入り方等、やけに詳しく記されたガイドブックのようなものだった。介助、介護、何でもできるメルエルは真剣にその項目を読み進めている。

病院に入院している時も、家で安静にしている時も、時間さえ見つければ見舞いに来たメルエル。

あぁ、なるほど、そういうことかと納得。

心の中で深く感謝すると同時に、パタンッと本が閉じた。

 

「ふぅ……。え?」

 

「……あ、メルエル先輩」

 

振り返ったメルエルと目が合う。たいして驚いてない様子で。

急激な接近に直後、長い硬直にメルエルは唖然と状況を整理する。

暫く瞬きを繰り返し、微笑みを椎名に向けた。

 

「元気そうですね。椎名さん」

 

「ええ、おかげさまで。病院にいる間、本を届けてくれてありがとうございました」

 

「いえ、見舞いに行くついででしたから……」

 

入院中、暇潰しとなる本のチョイスをしたのはメルエルであり基本、義姉は役に立っていない。一応、お礼を言うためにこうして会いに来たのだ。

実は、本を読むのに頁が捲れにくいことに気づいたのも、メルエルだけだったりする。

 

「それより、椎名さん。……私は、先輩は要らないと言ったはずですが」

 

「うぅ……すみません。メルエル」

 

「はい」

 

満足したように頷くと、メルエルは椎名の頭を撫で始める。大人の女性の雰囲気からか、まるで漂う何かに当てられて猛獣が調教師に従うように大人しくなる。

だが、まだ不服だったようで――

 

「敬語も不要です」

 

「ごめん」

 

「ふふっ、そちらの方がカッコイイですよ」

 

矯正させられた。

舐められないように口調は厳しくしているつもりだが、どうしてもメルエルの前では丁寧になってしまう椎名にとって苦行にも近い行いだ。

海坊主相手なら、あのノリでもやっていけるのだがなにせ相手が違う。女に弱いという点では自分が海坊主かもしれない。

 

「それで……今日はどうしたんですか?」

 

「あっ。そうだった」

 

本題へと移る。椎名は音楽プレーヤーを取り出すと、イヤホンの片方をメルエルに差し出す。メルエルも即座に顔色を変えて頬を緩めると、受け取って自分の耳につけた。

 

「……」

 

「……」

 

静かに音楽鑑賞を続けるメルエル。背中を椎名に預けてリラックスしたまま、音楽に合わせて体をゆらゆらと揺らす。

元々は小さなプロダクションだった故に、曲は自作するかマイナーで人気の無いグループにお願いするしかなく、暇で姉の役に立とうとした椎名が勤め、そのまま現在まで有名になっても名曲となる曲の多さから作ることをやめていない。

今更だが、椎名は後ろから抱き締めているような体勢が恥ずかしいことに気づいた。握手会にやろうものなら一発で摘み出されるこの行動は、特別な人間でなければ一瞬にして無に還されるだろう。むしろ、ファンに殺されるより先に赤坂刑事に逮捕されてもおかしくない。

 

「……いい曲ですね」

 

「そうですか?」

 

「いいことでもあったんですか?」

 

「……そうですね。面白い人達と会ったって意味ではそうかもしれません」

 

「女……の人、ですか?」

 

一瞬、肌寒さを感じる声音に椎名は身震いする。何故だかメルエルは不機嫌そうに背中を押しつけてくる。沈黙している間に次の詰問が、

 

「――可愛いですか?」

 

「……うーん?」

 

考え込む間も少し、椎名は答えた。

 

「微妙なところです」

 

容姿だけを言うならば、ラフィエルとヴィーネが一番に思いついた。今のやさぐれてるガヴリールも可愛いの部類だろう。サターニャも一応悪くは無い。

しかし、一部性格に難がある天使悪魔ばかりで、性格的に可愛いかと聞かれれば十人十色な反応が返る。

お姉さん的優しさを持つヴィーネは普通に親しまれるとして。ヴィーネの娘のような厨二病全開サターニャ、スケバンギャル一歩手前の不良娘ガヴリール、終いには若干ストーカーでサディスティックなラフィエル、椎名からしたら別にどうってことない。

 

「けど、俺は好きな部類ですよ」

 

「そうですか。……この曲のイメージって、一応聞いてみても?」

 

普段は一発で当ててしまうのに……。

不思議に思いながらも、椎名は答える。

 

「天使と悪魔」

 

「恋愛ソングばかり作るのにいきなりですね」

 

「たまにはこういうのもいいんじゃないですか。恋愛ソングばかりだと地に落ちますよ」

 

「アイドルの方向性としては合ってますもんね……名前が機械仕掛けの神だなんて、恐れ多いですけど。でも唐突にどうしたんですか? いつもならもっと切ない感じのラブソングを作ってくるのに」

 

「根本的な話だけど、恋愛もしたことないような若僧が失恋ソングとか恋愛ソングとか作ってる方がおかしいんだよ」

 

黒羽椎名は恋愛をしたことがない。初恋も何もかもが未経験だ。その上で恋愛小説の知識だけで恋愛ソングを作っているのだから笑える。そしてその曲がメルエルによって詩をつけられて、アイドルソングとなっているのは公には知られていない。

 

「さてと、帰るけどメルエルはどうする?」

 

「じゃあ、私も一緒に」

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

メルエルと椎名、舞天高校を出た2人は並んで帰路を歩く。椎名にとっては尊敬する先輩であり、姉の友人でもある。そういう認識だ。だが、周囲の視線はそんな軽いものではなく、アイドルに対しての憧れや執着などの感情が少なからず刺さる。しかし特別扱いするわけでもなく椎名にとってはやはりひとりの人間でしかない。――前まではそうだった。

 

そんな椎名相手に心の内を伝えようと、メラメラと燃え上がる炎がひとつ。

今日こそは――伝えたい。

隠し事はなくしたい。嘘偽りなく自分を知って欲しい。だから――今日こそは……!

と、意気込むのも通算100回を記録するメルエルはタイミングを窺う。隣を歩きながらチラチラと横顔を盗み見てこれも何度目かの溜息。

臆病で男の人と話すのが億劫なメルエルが唯一大丈夫なのが椎名だ。«デウス»の兄の赤坂刑事にすらまともに顔を合わせることは出来ない。何度か面識はあるというのに。

握手会で泣いてしまって鬱になったのも記憶に新しい。そんな健気な姿が高い評価を得ている。

 

「そうだ。買い物していっていい?」

 

「あっ、はい」

 

よくある大手スーパーの目の前を通りかかり、思い出した様に椎名は足をそちらへと向ける。メルエルは背後にぴったりとくっつく。右手は物を持てる状態ではないため左手で買い物籠を持ち、器用に左手を握ったり離したりして籠が落ちる前に食材を入れて籠を持ち直す。人離れした超人に見慣れたようにメルエルは申し出る。

 

「籠、持ちましょうか?」

「今日、食べていきますか?」

 

見事にお互いの申し出が重なり、ふたりして少し吃驚したら一通り笑い合う。

 

「それなら、私が作ります」

 

「いいですよ。料理くらい片手で十分ですから。それに女の子に持たせるわけにはいきません」

 

互いに返事をしてから、椎名は言った。

 

「客なんですからゆっくりしてください」

 

「私も怪我人に荷物を持たせるわけにはいきません」

 

「そこまでする怪我じゃないので」

 

「怪我人に料理をさせるわけにもいきません」

 

「じゃあ、荷物は俺が持つからメルエルは料理をお願いしてもいいですか」

 

色々と本末転倒な気もするがこのままでは全部言いなりになる気がして、椎名は妥協の道へと進む。メルエルは迷ったが仕方なく了承した。ひとつ負担を減らせただけでも良い結果だと自分に言い聞かせて。

買い物を終えて外に出る。左手に約束通り買い物袋を手にした椎名は夕焼けを見て、目を細めた。

 

「……夕焼けって不思議ですよね」

 

夕日が綺麗ですね。なんて洒落た言葉を放つ代わりに悲しそうな表情を、メルエルは覗き込むように首を傾げる。

 

「どうして……ですか?」

 

「なんていうか、見ていると思い出すんですよね。昔のこととか、……想いとか」

 

「……っ」

 

何も言わない代わりにメルエルは買い物袋を持つ椎名の左手に自分の右手を重ねる。

 

「あの、自分で持ちますんで」

 

「2人で持った方が重くないですよ。ほら」

 

「いや、そういう問題ではなく」

 

あぁ、また言えなかったなぁ。明日こそ。

なんて、思いながらメルエルは何度目かの決心をして、静かに帰路を歩いた。椎名の気を回した話に相槌を打ちながら。

 

 

 

 

 

そんなふたりの帰路を尾行する影がひとつ。

白い髪と赤い大きなリボンを揺らすラフィエルは、電柱の影に隠れて移動する。

椎名の隣にいる誰か。その存在はどこか見覚えがあって、でも記憶は朧げで……とても面白くないようなそんな気がする。だけど気になる。

本来、面白くないものに興味はない彼女だが今回は違った。

 

「あれは……どこで、見たんでしたっけ?」

 

下界。人間界に降りて、日は浅い。

友好関係も旧クラスメイトの顔をいくつか覚えているだけで、隣のクラスなんてほぼ覚えていない。同じ舞天高校の制服を着ているから見覚えがあって面識があったのか、また違う何処かなのか。

 

「……あれ、もしかしてバレてます?」

 

一瞬、椎名と目が合った気がして、急いで電柱の裏に隠れるラフィエル。なんで隠れたのか、別に深い意味はなく、遠くから見ていた方が面白そうだと納得させて、尾行というストーカー行為を続けるのだった。

 

「いえ、あまり面白くないですね……」

 

少女の心は曇。



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No.6 裏表ハート

若干のキャラ崩壊注意。


 

 

 

「実は……相談したいことがあるんです」

 

放課後、ヴィーネの部屋に集まった一同の前で、ラフィエルはいつもののほほんとした表情ではなく、真剣な目で語り掛ける。

部屋主のヴィーネを筆頭に、怠惰な天使ガヴリール、シリアスの破壊者サターニャ、いつになく真面目な顔のラフィエルは彼女の呼び掛けで集まったのだ。

 

「私、ネトゲで忙しいんだけど」

 

不満そうに愚痴るガヴリールだが、親友の事を思って嫌がりながらも来たところ、彼女は彼女で優しさ垣間見える一面が影を隠している。

 

「そう言いながらちゃんと来たよねー、ガヴは」

 

そんな二人の友情とガヴリールの優しさに微笑みを隠しきれないヴィーネが指摘すると、そっぽを向いてガヴリールは頬杖を付く。

 

「まったく、この大悪魔である胡桃沢=サタニキア=マクドウェルを召喚したんだから、しょうもない内容だったら許さないわよ」

 

「あっ、別にサターニャさんの意見には期待してないのでお帰りいただいても結構ですよ」

 

「ちょっ、私だけ辛辣じゃない!?」

 

よほどラフィエルからは期待されていないのか、毒を吐かれたサターニャは帰らない。まぁいいわ。と、行儀良く座り直した。

 

「それで、改まって教室で話せない内容ってなに?」

 

女子会のような、ガールズトークのような匂いに楽しげに話を進めるヴィーネ。イベント大好きな彼女からすれば、こういう風に女子同士の会話をするのも憧れだったのだろう。

教室で話せないかどうかは、もう既にガヴリールが提案していたために、こうして集まったのだ。

親身になって相談に乗ろうとしているヴィーネに対して、少しだけ安堵しながら言葉を紡ぎ出す。ラフィエルは不思議な気持ち半分、恐怖の気持ち半分で、

 

「実は……最近、変なんです」

 

慎重に口をついた言葉は意外でもなんでもなく、なんだそんなことか、とガヴリールは溜息を吐く。

 

「安心しろ。ラフィエルが変なのは元からだ」

 

「そうね。他人の部屋に忍び込んだり、男子生徒の告白を必要以上に毒を盛ったりね」

 

「良かった〜、病気とかじゃなくて」

 

むしろ自覚なかったのか、と呆れ果てる二人を除いてヴィーネだけが安堵でほっと胸を撫で下ろす。

 

「いえ、そういうことではなくてですね。精神的な問題というかなんというか、なんて表現すればいいのか私も迷ってまして……」

 

胸に燻るこの感情は、ラフィエルにとって未経験のものであり興味の対象でもある、しかしそれ以前に色々なことに手がつかずでもう我慢の限界だった。

だから、相談したくなって、皆を集めた。

面白い対象に対して、面白くないと感じるこの感情をどう説明すればいいのか、ありのまま言葉にして。

 

「普段、サターニャさんのような玩具――いえ、興味深い人には意識的に好奇心を向けているのですが、その対象であるはずのクロさんを意識的に見る以外に気がつけば無意識に目で追っていたりするんです」

 

「そ、それで?」

 

心当たりがあるのかヴィーネが続きを促すと、ラフィエルは胸に溜まったもやを吐き出すかのように続けた。

 

「この1ヶ月一緒にいて気づいたんです」

 

「な、何に?」

 

もう気づいているのか。

ヴィーネが身を乗り出して、ラフィエルに迫る。

恋をしたのね。なんて、自分の口からは言えず、ヴィーネはラフィエルが自白するのを待つ。

しかし、ラフィエルの心はより複雑だった。

 

 

 

「……クロさんといると楽しいのに、どうしても胸が痛くなる時があるんです」

 

 

 

好きになった。という言葉が口を突くかと思ったのに肩透かしな答えを聞いて、ゴンと頭を机に打ち付けるヴィーネはそのまま顎をつけながら顔を上げる。

 

「えっと、なんでかな?」

 

「自分でもわからないんですよ」

 

「いいから最近のことを細かく話してみて」

 

「クロさんのお家に住めるよう頼み込んでみたんですが、お姉さんの方がなかなか許してくれなくて、住むようになったらクロさんのベッドを私が使うっという取り決めに対しても彼は反論しなかったので、つい認めてもらうためにお姉さんに彼のベッドを使うことになった代わりに自分が弟さんと寝るチャンスだと提案すると、秒速で首を縦に振ってくれたのですが……自分で勧めておきながら、ちょっと複雑な気持ちだったり」

 

姉の弟と寝たいという願望を、理由ありきにしてあげたわけだが、ラフィエルは気に食わない様子。

 

「彼の交友関係も何故か女の人が多くて……他人の色恋沙汰を見る分にはわくわくしてるんですが、同時に心臓をつかまれたような感覚が」

 

「えっ、あれ? ラフィエルちょっといい?」

 

会話していて、ヴィーネがなにかに気づく。

 

「ごめん。あのね……一緒に住んでいるって聞こえたんだけど」

 

「あっ。はい。そうですがどうしたんですか?」

 

これには流石のガヴリールとサターニャも固まる。

ピシリッ、と硬直して次には思い思いの言葉を吐き出した。

 

「やったな。責任取って貰えば人生後はもう楽だな!」

 

「フッ、て、天使にしてはなかなかやるじゃない。人間の男性を手篭めにするなんて……S級悪魔行為を超える禁忌よ」

 

「ど、とどど同棲!?」

 

それぞれの反応であるが、ヴィーネだけはきゃあきゃあ騒いでもう自分を見失うほどに冷静さをかいている。そんな色々と間違った反応をする3人を見て首を傾げるラフィエル。

 

「どうしたんですか皆さん?」

 

「あ、あなたの悪魔的行為に恐れをなしたんじゃないから勘違いしないでよね。……ねぇ、あんた、参考までに聞くけど変なことしてないでしょうね?」

 

心当たりがあるのか、妙に引く寸前の表情でサターニャが問い掛ける。と、ラフィエルはいつもの笑み。恐る恐る訊ねる。

 

「他人の家に夜中に侵入したり、同じベッドに勝手に入ることよ!」

 

ラフィエルの前科に苦い経験のあるサターニャからすれば同じ目にあってざまぁーみろ、みたいな感じだがもうそんなことはどうでも良かった。

 

「まさか、恩人にそんなことしてるとは思わないけど。さっきの冗談よね? ベッドから怪我人追い出した話」

 

「……あはっ☆」

 

気まずそうに顔を逸らして、舌を出すラフィエルは弁明することもなく受け入れた。

 

「…………」

 

これにはもう3人とも黙り込むしかない。ラフィエルに目が当てられず、目を逸らして虚空を見つめるばかりで、ラフィエルはついに言い訳じみた言葉を吐き出した。

 

「だって仕方ないじゃないですか! 冗談を言ったつもりが本当にソファーで寝ようとするんですもん。呼び止める間もなくお姉さんはクロさんを部屋に連れ込んじゃいますし、今更どうすればいいんですか!?」

 

「お、落ち着いてラフィ。わかったから、その辺は」

 

「……まるで私が悪い人みたいに思われてますよね」

 

「いや、事実でしょ」

 

「とどめを刺さないでサターニャ!?」

 

いったい何の話をしようとして集まったのか、話題が逸れかかっていることを気にしてか、浅く息を吐くとガヴリールは頬杖を突きながら、

 

「それで結局、何がしたいの?」

 

気だるそうな一言。

 

「私もわからないから相談に来たんですよ」

 

「本当にわからない?」

 

「はい」

 

確認するヴィーネは伝えるべきか迷う。

自分で気づくべきじゃないのか。しかし、このまま放っておいていいのか。気づいたら“初恋は終幕を迎えていた”なんて何処かの本で読んだことがある。誰もが後悔の連続で生きていることを知っている。

だけど、もし違うのなら……。

指摘するのはヤボ。

確信が欲しいヴィーネはこんなことを質問する。

 

「例えばだけど、シーナが誰かといるところを見て胸がもやもやすることはない?」

 

「よくわかりましたね。実はそうなんですよ、なんででしょうね?」

 

「相手はどんな人?」

 

「こんな人です」

 

携帯を操作して写真を表示するラフィエル。彼女が持つ携帯の画面には一人の女性が写し出されていた。黒羽椎名と手を繋いで帰るメルエルの写真。画像データは約1ヶ月前、たまたま偶然、帰り道で見つけた2人がスーパーから出てきたところだ。

真っ先に覗き込んだのはヴィーネ。続いてサターニャ。次にのろのろとした動きでガヴリール。

 

「おっ。超レアじゃん」

 

「知ってるの? ガヴ」

 

「天界では見つけたら1年は幸福が訪れるって言われている天使だよ。でも、最近は下界に住んでいるって姉から聞いてたけど、まさかこんなところにいるとは思ってなかったな。天界の書庫の管理責任者もやってる、うちの姉と同じく超エリートだよ」

 

「見たら1年は幸せになれるってそんな大袈裟な」

 

「いや、事実だよ。あの人は対人恐怖症だから人前には滅多に姿を現さないんだ。私と対面した時も姉の後ろに隠れたし。けど、有名な天界の図書管理一族で、良家で古い家柄だから婚約の申し込みのせいか人間界に逃げたって姉が言ってたけど」

 

「逃げるほどの婚約ね……」

 

「確か、両親が引っ込み思案な娘に見合い話を見繕うってありきたりな話だけど。それが嫌で逃げ出したってだけで何の変哲もない面白くもない話だったな」

 

はぁ、と溜息を吐きながらもその目はいまだラフィエルが撮影した写真へと注がれている。

 

「……けど、本当に珍しいな。見つかるだけじゃなく、男と歩いてるなんて」

 

「ガヴは興味なかったの? その先輩?のこと」

 

「んー、まぁその時なんて思ったかは忘れちゃったよ。別にどうでもよくね? 私が口出し出来ることでもないし、したとしたら……あぁ、なるほど」

 

納得がいったと、ガヴリールは脱力する。

 

「どれだけ天使が探しても見つからなかったのは、七瀬先輩の気配を消すスキルだけじゃなくて、姉が絡んでたのか」

 

「ちょっと一人で納得しないでよ。気になるでしょ」

 

「いや、天界では失踪騒ぎだけじゃなくて、誘拐説や悪魔に殺されたとか、そんな噂があってさ。ラグナロク一歩手前までいってたんだよ」

 

「えっと……ラグナロクって?」

 

「最終戦争。まぁ、これも姉がどうにかしたようだけど」

 

「一人の女性の行動で世界が変わっちゃうんだ……」

 

呆れ半分でヴィーネは嘆息する。

話は逸れたが、軌道修正しなければならない。

ラフィエルの敵はお世辞なしで綺麗で、写真だけ見ればとても黒羽椎名と釣り合っているように見えているが、というかむしろ自然体の彼がそこにいるが。

今の問題は、ラフィエルが黒羽椎名に恋をしているかどうかなのだから――。

シチュエーション的に恋をしてもおかしくなくて、二人の出会いは唐突で、どう思ったのかはヴィーネにはわからないから確認する。

 

「シーナを初めて見たのはいつ?」

 

「サターニャさんと出会ったその日、ガヴちゃんとも再会して、教室で妙に髪の長い男の子がいるなとは思ってました。珍しいですから」

 

「まぁ、あの容姿だものね。それで、シーナのことをラフィエルはどう思う?」

 

「どうって、綺麗で普通じゃない、でしょうか」

 

「あ、容姿とかじゃなくて、なんていうかな」

 

聞き方が悪かったのか、思うような答えを得られずヴィーネは質問の内容を変える。普通じゃない。というのは今回は置いておくにしても、重要なのはラフィエルの心がどう傾いているかなのだ。

 

「今回の騒動があったよね。その時、まともに顔を見たし会話もしたでしょ? どうだった?」

 

ちょっと傷口を抉るようで申し訳ないが、直球で聞かなければたぶん気づかないだろうと感じて、そんな質問をしてみた。

ラフィエルはまだ気づいていない。質問の意図に。

それどころか、少し落ち込み気味のラフィエルは罪悪感を思い出して肩を縮める。

 

「助けていただいたことは感謝しているんでしょうか。今でもよくわかりません。でも本当に、あんなことに巻き込んでしまったのは悪かったとは思っています。私が言うのも図々しいですけど」

 

唐突に死の危険が訪れたとして。未だに困惑を隠せないラフィエルは呟いて、身震いするような危険にぞっとする。

もしあのままであれば、自分は死んでいた。けれど、死の実感は別にあって自分が生きていたことに感謝しているのかわからなくなって、頭の中は今でも糸が絡まっているかのように複雑怪奇にぐるぐると渦巻いている。

あの時、死んでしまえば良かったのか。そうすれば傷つけずに済んだのか。自分が生きているのが間違いじゃないのか。椎名の優しい言葉をいくら聞こうとも、やはりそう簡単に拭えることでもなかった。

 

「私が彼の隣にいて、彼の手助けを行うことはやっぱり偽善なんですよね……罪悪感からくる不安と自責に押し潰されないためにしていることで。私は怪我している彼を補助することで自分を納得させていたのかも知れません。でも、それももう終わりですね。怪我はもう治りますし」

 

「ラフィ……」

 

確かに否定できない。ヴィーネは真剣な眼差しのラフィエルを見据える。慈しむ表情で、まだ日常は戻ってきていないことを知った。

でも、本当にそれだけであるのなら、私の勘違いならもうそれでいい。けれど、まだその感情の裏に隠れているかもしれない感情を引っ張り出せていない。

と、ヴィーネは一度、唇を固く引き結んで決意のもと踏み込んでいく。

 

「あのね――」

 

「でも、彼と過ごしてなんとなく思ってしまうんです」

 

踏み込もうとした矢先、ラフィエルが独白する。

思わずヴィーネは口を閉ざした。

少しだけラフィエルの表情に光が戻っている。

 

「優しい人だなって。私にとってはもう、玩具箱では収まりきらないほど大きな存在だって……」

 

その言葉ひとつ。

やっとヴィーネは確信に至る。

ラフィエルは黒羽椎名のことが好きだと。

私、どうしたんでしょうね。と、困ったように笑うラフィエルのいたいけな瞳には椎名の影がチラつくばかりで、心の中のもやもやは肥大していく。

そんな彼女に一番に指摘したのは、意外なことに興味無さそうに構えていたガヴリールだった。

 

「好きになったんだろ。あいつのこと」

 

「好きって、恋愛感情の好きですか?」

 

ないない。と、手を横に振るラフィエルは謙虚に否定して並べ立てる。

 

「確かに人としては好感を持てるかもしれませんがありえないですよ。私は……」

 

「余計なことは考えないで。傷つけたとか釣り合わないとか、そんな言葉で隠すのもダメ。ラフィはシーナとどんな関係でいたいの?」

 

「関係なんて今のままで……」

 

「よくないよ。絶対に後悔する。それに今の関係も終わっちゃうよね。友達って言いながらラフィ自身がそう思ってない」

 

「あ……」

 

「巻き込んだ側と巻き込まれた側。だけじゃない。それだけだと辛いからそれだけで近くにいれるならそれは大したことだけど、ラフィは少しでも好意があったから近くに入れたんじゃない? 罪悪感だけじゃ普通は接し方に戸惑っちゃうよ」

 

問い詰めるヴィーネの言葉にピシリと硬直するラフィエルは不意に思ってしまう。考えてしまう。数分の沈黙。

黒羽椎名とどんな関係で在りたいのか。ファーストコンタクトで抱き締められて、助けられて、腕の中で感じたのは特別な安心感で、一瞬の恐怖を救ってくれたのは紛れもない椎名で、助かる可能性や確率が頭に浮かぶ前に自分はすべてを委ねて、やはり素直に優しい彼の行動は紛れもない事実で、吊橋効果とかあってもそんな人に対して想ったのはこれも揺るぎない本心だ。

 

 

 

「――好きですよ。もし戻れるのなら、彼を傷つける前に戻りたい。たとえ、接点がなくなるとしても」

 

 

 

理解して、口を吐いた言葉と共に涙が一筋流れ、膝の上に落ちる。

ラフィエルは目尻を拭って、ようやく自分が泣いていることに気づいた。

 

「……あ、れ? なんで、泣いているんでしょうね。本当に最近の私はおかしなことばかりですね」

 

「それでいいの。まだ傷つけたことを辛いって言うなら支えてあげる。でも、傷つけたから諦めるって言うのは看過できない。本心も聞けたことだしね」

 

ピロン、と着信音が鳴り。メールの届けを報せた。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

「作戦会議を始めます!」

 

変わらず4人が囲むテーブルの上でメモを取るヴィーネがはっきりと宣言する。

ここに“恋する乙女の会”は設立。ラフィエルの恋を応援する会議が始まった。

 

「最終目的はどうする?」

 

「私が告白してみようと思います」

 

「そんなの男の方から来させなさいよ」

 

「いや、無理だろ。相手は一応、天界一の美女天使と噂されている寡黙系女子の七瀬先輩とかアイドル数人だろ。それ以前にあいつ告白するようなタイプじゃないと思う」

 

意見は様々、ラフィエルは告白してみようと意気込んでいるが勝算は薄い。この1ヶ月、調べたデータによると椎名の交友関係はほぼアイドル限定あって美少女と呼べるような人種ばかりなのだ。

それ以前に、あまりいい印象を与えられていない。最初の出会いは衝撃的だったが、ラフィエルからしたら罪悪感が尾を引いて未だに好感度はほぼ下だと認めている。

何より迷惑をかけてしまったから、ラフィエルにとって怪我をさせたことは自分が控えめに行く理由だった。

 

「まずはアピールよね。ラフィエル、最近はどんなことをしたの?」

 

好感度は大事だ。

何よりまだ椎名にとってラフィエルはどういう存在なのかという確認が取れていない。怪我のこともあれば、これまでの好感度の変化は気になるもので、本人に聞けない分は近くにいるラフィエル当人から聞き出すしかない。

 

「クロさんのお部屋の掃除をしたり、一緒に本を読んだり、ご飯を食べたり、その程度ですよ。不注意でたまに裸を見られたりしますけど……」

 

「は、はは、裸を見せあったり!?」

 

「していないです! 事故ですからっ」

 

若干、寂しそうなサターニャが呟き、この際と携帯を取り出す。顔は赤面だ。

 

「面倒ね。この際、直接聞いた方が早いわ」

 

「待ってくださいサターニャさん!」

 

「何よ?」

 

電話を掛けようとしたサターニャの手が止まる。

ラフィエルは内心ほっとしながら、伸ばしかけた手を止める。実際、自分も気になっているのだ。

 

「その、そういうのはちょっと……」

 

「怖いの? まさか?」

 

普段とは違う、臆病なラフィエルにサターニャは思案して携帯を操作する。

 

「――だから、代わりに聞いてあげるんじゃない」

 

待ったナシのツーコール。発信音が響き、数秒後に時間を待たずして電話の向こうから男の声がした。

 

『はい。黒羽ですけど』

 

「もしもし、あたしよあたし。ところで今、時間空いてる?」

 

『あたしあたし詐欺ですか。どうぞお引き取りください』

 

「画面に名前出てるわよね!? あたしよ、大悪魔胡桃沢=サタニキア=マクドウェルよ!」

 

『知ってる。軽井沢だよね』

 

「胡桃沢よ!」

 

『違った。サタニャン』

 

「どこの妖怪よそれっ!?」

 

そんな軽いノリは置いておいて。ヴィーネとガヴリールの視線が危うい凶器みたいになっているので、サターニャは自粛する。ついでにスピーカーオン。

 

「それより、聞きたいことがあるんだけど」

 

『なに?』

 

一拍、深呼吸をしてから質問を口にする。

 

「あんた、ラフィエルのことをどう思ってるわけ?」

 

『……』

 

流れる沈黙はラフィエルにとって居心地の悪いものだった。話し手も受け手も時間が止まったように動かず声を発さない。

だが、それも数秒のことで、電話向こうの椎名は柔らかい口調で言う。

 

『可愛いよ』

 

たった一言。ラフィエルは赤面する。

それでも電話向こうの彼はやめない。

 

『この際だから言わせてもらうけどさ。ただの平凡なヤツだったなら、助けてお礼を言ってすぐバイバイなんだよ。それなのにラフィエルは違って世話をしたいとか思い詰めてる、そこはいいところだよ。綺麗なところだ。優しいところだよ。でも、同時にそれはダメなところでもあるんだ。思い詰めすぎなんだよ。確かに、種を蒔いたのはラフィエルかもしれないけど、助けたいと思ったのは俺で勝手に助けたのも俺なんだ。だから、そろそろ自分を責めるのもやめてもいいんじゃないかと思う』

 

唐突に紛れもない本心を語り出す椎名。それは、ラフィエルに面と向かって諭しているような口調。

 

「責めてるなんてわかるものなの?」

 

『そりゃあ、世話するとか公言された上にあれだけ離れずにいたらわかる』

 

「へぇー」

 

興味なさそうな返事が電話向こうへと返っていく。

まぁ、そりゃそうか。と思う反面、ヴィーネとガヴリールだけはさして驚いた様子もない。代わりに心の内でやっぱり恋の応援は正解だと思う。

2人して椎名の評価を上げる中、ラフィエルだけは申し訳なさそうで所在無さげに電話を見つめているのみ。

 

『どうせ今頃、怪我が治ったら元に戻るとか焦ってるんだろ。贖罪の方法がなくなったとかさ。俺としてはそんな理由で近くにいて欲しくない。今度は、ちゃんとした自分の意思で自分のいたい場所を決めるべきだよ』

 

「どうやら私の勘違いだったようね」

 

『なにが?』

 

「いや、この機会にあいつにエロいことを強要するなんて展開があるかもしれないじゃない」

 

『それもいいけど、それじゃあ俺は嫌だね。想われているからこそ意味があるんだよ。……あとその、童貞かDQNみたいな発想はやめようか』

 

軽口を叩き合う2人。どうやら現在、息の合っているのはこの2人なのかもしれないとラフィエルが落ち込みかけたところで、椎名は言う。

 

『そうだ。さっき夕御飯どうするかの確認のメールをラフィエルに送ったんだけど、返信なくてさ。もしそっちにいたら伝えといて』

 

「え、ええ、わかったわ」

 

自然な形で椎名の方から電話を切る。サターニャは携帯の画面をスリープ状態にした。

 

――これって絶対に気づいてるよね。

 

可愛い。の一言で赤面したままのラフィエルを視界に入れながら、ヴィーネは携帯を起動して一つのメッセージを送り付けた。

 

 




お姉さんなヴィーネ。テイクアウト。
親友っぽいガヴリール。ドロップアウト。
根拠のない自信は顕在のサターニャ。アウトサイド。
必然的にサターニャは弄りしか入れられない。ガヴリールは親友らしいことをやってのける。ヴィーネはもう理想の優しいお姉ちゃんだよ。
恋をしたら人は変わるって言いますし、キャラ崩壊のことだよね。と、言いたいですけど、作者が困惑するラフィエルさんを見たかっただけですごめんなさい。恋に盲目になるラフィエル見たかっただけです。
ラブコメでもない限り、恋愛系に持ってくるのは難しいと思った吾輩でした。
本当にラフィエルの面影が何処かに……。


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No.7 海へ行こうよ!

前半、ほぼ原作通り。


 

 

 

「海に行きます!」

 

季節は夏の訪れを感じさせる蒸し暑さの中、読書に勤しむ椎名の背中越しに声は聞こえた。

後ろの席にはガヴリール、ヴィーネ、ラフィエルの3人が寄り集まっていつも通りに騒いでいる。提案者のヴィーネは嬉々とした表情で普段の割増楽しそうだ。

 

「行けばいいじゃん」

 

「あんたも来るの」

 

「家でゴロゴロしたい。海に行く必要ないじゃん」

 

「えー、楽しそうじゃない海。人間界に来て初めての長期休暇なんだから。もう夏のしおりは作成済みよ」

 

執拗に行きたがるヴィーネと抵抗するガヴリール。根っこからイベント大好きなヴィーネからすればこっちに来て初めての夏。それなら遊ばない手はない。はしゃぐヴィーネは何やら薄い冊子を持っていた。

それを見てうだうだと文句を言うガヴリールの携帯にピロンと着信音が鳴る。適当に開くと目の前のヴィーネからの着通を報せるアイコン。いったいなんで目の前にいる本人に口答で伝えないのかと訝しむ視線を向ける前に、メッセージの内容にガヴリールは目を通す。

 

『夏の海で好感度上げるわよ。あんたも手伝いなさい。何か驕ってあげるから』

 

しばし沈黙してから、携帯をしまうと溜息を吐きながらも不自然に心変わりをする。

 

「……まぁ、行くだけ行ってやるか」

 

「決まりね」

 

「是非、私もご一緒させてください」

 

「もちろんよ」

 

キャイキャイとはしゃぐ2人が女子高生特有のキラキラを捻出し始め、一層姦しくなる。

そんな2人を眺め見るやる気無さそうなガヴリールとは打って変わって、椎名の視線の先には見るも寂しそうなサターニャがスケジュール帳を開いて、

 

「夏休みって意外と暇ねー。意外にも予定は空いてるし、今しか私を誘うしかないわねー。どこか水のある場所で涼しい場所がいいわねー」

 

なんて、白々しくアピールする。

ヴィーネはさすがに可哀想になってきた。元からあとで誘うつもりだったが……。

 

「失敗だったかな……先にサターニャを誘っておけば良かったかしら」

 

元々、椎名を誘ってラフィエルを誘ってガヴリールを誘えばあとは簡単そうなサターニャのみで、誘えば来ると思っていたがまさかこんなに哀れな姿を晒すとは予想できなかった。

当初の予定では、ガヴリールとラフィエルの同行が決定した時点で椎名を誘うつもりだったのだが、ちょっと要らない横槍に反省しながらサターニャのところへ伝えに行こうとして、ガシッと肩を掴まれる。

 

「私が行ってきます」

 

振り返ればいい笑顔のラフィエル。できればこの行動力を椎名に向けて欲しいものだ。

ヴィーネは内心、そう思いながら複雑な心境。

たったひとつ不安要素があるが……。

ラフィエルの背中を見送った。

 

「サっターニャさんっ♪」

 

「な、何よ?」

 

「実は私達、海に行くんです」

 

「そ、そう、それで?」

 

「それだけです」

 

ヴィーネの予感は的中。ぽかんとした顔のサターニャを置き去りにラフィエルが笑顔で戻ってくる。

空かさず、ヴィーネは携帯でメッセージをラフィエルに送り付けた。

 

『ちょっとあんた鬼なの!? シーナに好かれる気あるのかしらっ!?』

 

『……どうしたらいいかわからなくて。でも、見てくださいオオウケしてます』

 

言われてみて、ようやく気づく。ヴィーネの背後では本を開けながらも肩を小刻みに揺する椎名がいた。どうやら必死に笑いを堪えているようだ、本当にハブっているのなら笑わないが、冗談だと判っているからこうしてこの光景を見ていられる。

もう、本を見ていられはしないが。

ラフィエルに続いてガヴリールが立ち上がる。トントンと歩いて行き、サターニャに向けて親指を立てた。

 

「安心しろ、お前の分も楽しんできてやる!」

 

「とどめさすなっ!!」

 

はぁ、と溜息を吐いてヴィーネはサターニャの元へと赴いた。ヴィーネ自作の“夏のしおり”を手に、まるで魂の抜けた彼女へと差し出す。

 

「ほら、あなたの分」

 

「……わた、しの?」

 

もう涙目で大泣き寸前のサターニャ。ぐしっと涙を拭うと強がってみせる。

 

「まぁ、行ってやってもいいわ。ちょうど暇だしね。仕方なく行ってあげる」

 

「あぁ、そう……」

 

可哀想に見えたのも一瞬だけ、少しイラッとしたのも束の間、それどころではない。

あと1人、誘わなければいけない人間がいるのだ。サターニャの席で話すのも不便で、もう一度ガヴリールの席へと戻る。

本を読む椎名を見つめたままのラフィエルがいて、傍らで眺めているだけがなんとももどかしくて、ついお節介を焼きたくなってしまう。

 

『どうする? 自分で誘う?』

 

『はい。……もし私に何かあった場合は、援護射撃お願いします』

 

『そんな戦争に行くわけじゃないんだから。気楽でいいのよ。いつも通りで。一応、みんなで行くんだから』

 

仰々しい台詞のメッセージが届いて、ヴィーネは心からの笑みを漏らした。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

いつも通りの自分でいいのだと言い聞かせる。いつも通りの自分とは何だったのか模索する。しかし、いつも通りのままでいいのかと不安になる。

いつも通りの自分は誰かに好かれるような性格だったかと聞かれれば、イエスとノーを答える。

表向きは品行方正で優しい微笑みを浮かべた自分がただ時間を流すように生きているだけで、いい子を演じ切って世界に適応しようとしているだけの存在だとして。優秀に欺いた。

裏向き、内面的には、日々楽しいことを探して退屈な日々を終わらせる何かを求めていた。他人を虐めるのが大好きで、蟻のように群がる雄を何匹蹴落としたろうか、考えたこともない。どれもつまらなかったから。あるいは誰も好きになれなかったから。

 

そうして、ようやく見つけた理想の相手は自分と同じだと知るには容易かった。

 

欠陥品。壊れたもの。定石から外れ、理から外れた存在だと表現してみて、言い得て妙。彼は優しかった。

 

そんな彼にラフィエルは恋をして、気づけば日常で一緒にいるのは苦にはならないのにある重要なことに気づいてしまった。

黒羽椎名の顔をまともに見れないのだ。

顔が嫌いだとか、そんな理由ではなく、むしろラフィエル的には好意的な印象の表情は、不意打ちで見るにはあまりにもドキドキとして心臓が破裂しそうなほど早鐘を打ってしまうから。

 

 

 

「クーロさんっ♪」

 

 

 

心の整理を終えたラフィエルは勝負に出る。3人が見守る中、前の席で読書に没頭する椎名に話し掛けると、僅かに本から顔を上げてくれた。

 

「なに?」

 

「クロさんも一緒に行きませんか? 海」

 

「……いや、いいよ。俺は別に」

 

真意を図って、断った椎名はこれで話は終わりだとばかりに読書へと戻る。

素っ気ない態度がいつも通りで悲しい。

なんて、恋心を自覚するまでは思わなかったのに。

 

「楽しいですよ。今なら女子の半裸が合法的に眺められちゃいます」

 

「……それで行くなんて言い出したら変態確定だよね」

 

最善策だった。からかい混じりに誘ったら、余計に冷たく断られて落ち込む。いつも通りの自分を出したつもりが手痛いしっぺ返しをくらってしまった。男の子なら好きだと思ったのだ。

自分でも、やってしまったと思う。心も僅かにすり減らして、少し顔を下げて、反省する。

と、俯いていたら本を閉じて椎名が下から覗き込んで様子を窺ってきた。

ラフィエルは少し驚いて顔を逸らしてしまう。

 

「それに、視線を感じるのは嫌でしょ。たぶん俺はラフィエルが水着姿になったら見ちゃうだろうし」

 

最近、妙に顔を合わせるのを避けられている気がして、椎名はラフィエルの様子を窺う。正直言って、服の上からでも魅力的な女の子に、仮にも友達という関係の彼女にそんな姿をされて見ない男子はいない。

先程、そういうことをラフィエルから誘われた気がするが冗談にしか聞こえなかったため、二度目の確認を取ったところ赤い顔をして俯かれた。

 

「……なんかごめん」

 

「いえ、女の子としては凄く嬉しいですよ。期待に添えるかどうかわかりませんが」

 

「……そう。でも、やっぱり俺は行かない方がいいと思う」

 

「ど、どうしてですか?」

 

あと一押し。たった一押しを押せなくて、ラフィエルは動揺して椎名を見つめる。

 

「俺が行ったら海水浴どころじゃなくなる」

 

「……えっと、それは……」

 

――どうして。

何かしてくるんだろうか。野獣的な本能を剥き出しにして岩場や洞窟に連れ込まれたり、水の中で沢山ボディタッチをされたりとか。

淡い期待と興味が湧き、ラフィエルは続きを聞こうとするも話すことを渋る椎名は深い溜息を吐いて頬杖をつく。

 

「俺が行ったら、確実に海水浴場の男共がアイドル探して百鬼夜行はじめるんだ」

 

「え……?」

 

ちょっと見たいかも。

なんて、思うと同時に妙案が浮かぶ。

ラフィエルはこれまでの椎名を思い返した。伊達に一緒に住んでいるわけではない。彼の性格は少しだけわかっているつもりだ。

 

――そして、最後の賭けは本当に博打だった。

 

「さっきクロさんは言いましたよね。私はあまり人の視線にいいものを感じません。ですから、魔除けなんてしてくれると助かるんです」

 

だから、

 

「――一緒に来てくださいませんか?」

 

嘘半分、本音半分。

優しさをつけ狙ったお願いを、椎名は渋々頷き了承した。

 

 

 

 

 

「じゃあ、メンバーも決まったことだし日程はどうしよっか」

 

予定調和だというかのようにヴィーネが仕切り直した夏の海水浴計画は、椎名を混入して再開する。

予定は目白押しで、夏のしおりには花火大会や多種多様なイベント情報が記載されている。街の総合サイトと言われれば納得する、それ以上に優秀な“夏のしおり”であると椎名は評価した。

 

「混ぜてもらって悪いんだけど、できれば最初の週にしてくれると助かる」

 

「私もそれがいいかなって思ってたの。……もしかして、本当はみんなの水着姿が楽しみだったり?」

 

「いや……予定は開けておかないと、姉さんが本当に落ち込んで一週間は引き篭もるから。相手にしないと泣くし」

 

斯くして、最初の週にスムーズに決まる。

夏休みに入って、土日あたりの週の終わりに。夏休みに入ってギリギリまで期間を伸ばしたみたいだ。

女子達が必死で獲得したダイエット期間、実は隠れた意図はそんなものであり、彼女達にとっては重要だった。

 

「これでもう質問はないわね?」

 

「あっ、待ってくださいヴィーネさん」

 

どうしたら大悪魔になれるかとか、おやつにバナナは入るかとか、謎の質問の後に、ラフィエルが深刻な顔をして提言する。

 

「みなさんのスリーサイズが記載されていません」

 

「……そう。シーナに見られるけど、いいのね?」

 

「ごめんなさい。冗談です」

 

手のひらを返して、ラフィエルはおとなしく引き下がっていく。スリーサイズを知られるのって、やはり恥ずかしい気がしたのだ。

たとえ、好きだとしても。

 

そんな会話を聞いていて、椎名は唐突に口をついて出た言葉は抑えられることなく、この場の全員に思った疑問だった。

 

「そういえばさ、みんな水着とか持ってるの?」

 

「持ってないですね」

 

「私もね。まだ、この辺の事よく知らないし」

 

「フッ、大悪魔たるもの準備は――」

 

「なら、これ」

 

準備は出来ている。と、見栄を張ったのか本当はこういうことに期待していたのか、わからないサターニャを放置して椎名はメモ帳にあることを書いて差し出す。

ある有名な洋服屋の名前。女性専門の、洋服や水着を扱った有名店だ。場所も記載した。

 

「知らないでしょ。この辺の服屋でいいところ。そこなら水着も取り扱ってるよ」

 

説明すると、ラフィエルが口元を抑えて、

 

「……まさか、女装癖が」

 

「ないから。姉さん達に連れ回されるから、知ってるだけだよ」

 

「……じゃあ、クロさんの好みの水着が取り扱っていたりするんですかね?」

 

「回答を拒否します」

 

ちょっとラフィエルに似合いそうな服が取り扱われているとか、そんなことは胸の内に収めておく。冗談はさておき、椎名は話はここまでと打ち切るように、

 

「4人で行ってきなよ」

 

そう勧めて、ラフィエルは首を傾げる。

 

「行かないんですか? クロさん」

 

ものすごく自然に誘った。ラフィエル自身、自分でも気づかないほど自然だった。現に意味などあるわけもなく、一緒に行きたかっただけで、からかっているわけでもない。あるとすれば少し残念そうな彼女の顔が、椎名には少し罪悪感を生むというだけだ。

 

「女子達だけでキャッキャわいわい騒いでくればいいと思うよ。俺は邪魔だろうし。まず、男が行くような場所じゃないから」

 

「またまたー、本当は見たいんじゃないんですか。あっ、実は展示してある服を舐め回すように見るのが趣味とか」

 

「そんな腐った性癖は持ち合わせてない。服に魅力を感じるのは誰かが着ている時だけだよ。誰かが着てなきゃ意味がない」

 

「じゃあ、脱いだものはどうでしょう」

 

「……時と場合によるかも」

 

きっとそれは限定的だ。年中発情期なんて死んでも御免被りたい。

 

「行きましょうよー」

 

「頭の上に胸を乗せるのはやめろ」

 

ラフィエルが構って欲しそうに椎名に抱きつく。ガヴリールほど背が小さいわけではなく、ラフィエルよりも高い為に肩と頭に直接当たるような感じだ。

ふわふわ。ぽにょぽにょ。服越しの感触が妙に生々しく、慣れていなければ今頃は赤面していたかもしれない。

 

そして、一度切りだ。

椎名がラフィエルに注意するのは、たった一回。

もしそれを超えるようなら、放置。

胸を押し付けてこようが何をしようが、男性的には全然良いのでもう何も言わない。

 

そんなラフィエルの感触を嫌がるわけでもなく、首を縦に振らない彼にムッとして、ラフィエルは携帯を取り出してパシャリと一枚写真を撮る。

一応、女の子で、仮にも勇気を出した。それなのに慌てもしない椎名に何を思ったのか、ちょっと不機嫌に先程撮った写真を突きつける。

 

「送っちゃいますよ。お姉さんに」

 

メールに添付した写真。

宛先は、椎名の姉である舞姫菜と表記されている。

 

「ちょっと待て、落ち着け、ラフィエル」

 

「ごー、よーん、さーん……」

 

「行くから送るのはやめて。家族会議になっちゃうからお願いします」

 

「仕方ないですね〜♪」

 

途端、上機嫌になったラフィエル、彼女が携帯を操作するのを見て控えめに、

 

「できれば、消してくれるといいんだけど……」

 

「嫌です♪」

 

拒否したラフィエルは携帯の待受を2人で撮った写真にこっそりと変えた。

――椅子に座った彼の顔はどこか無表情で優しく、自分がその彼に抱きついている写真に。



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No.8 『パステルカラー』

 

 

 

「いらっしゃいませ〜」

 

入口を通ると女性店員の元気な声が出迎えた。その声に慣れないものを覚えながら、やや抵抗のある表情で少女達についていく椎名は思った。

――地獄だな。

本来、女性専門の洋服屋というものは男性とは縁無き未開の地である。もし男がひとりで入ろうものならば即刻お縄につく。もしくは近隣どころかネット上晒されて社会的に死ぬ。

そしてそれが、顔を覚えられたら最後、自分が女性だったのではないかと思いたくなるほど死にたくなってくる。ある一例を除く。

 

 

 

「あっ、いらっしゃい椎名君」

 

 

 

――そして、これが現実である。

椎名の姿を認めた1人の店員が駆け寄ってきた。

ラフィエル、ヴィーネ、ガヴリール、サターニャが首を傾げる中、その店員はドーンと椎名に飛びつく。慣れたような椎名は優しく抱き留めつつ、背中に何故か冷たい視線を感じた。

 

「はいはい、一応、客なんだからもう少し丁寧に扱って欲しいな。……ごめんね皆、これでも一応店員の天音春香さん。今後使う場合は、顔さえ覚えられたらちょくちょくちょっかいかけてくるから気をつけてね」

 

「ひどーい! っていうかあたし店長なんだけど!?」

 

椎名の冗談はさておき。一応、店長としては仕事をこなさなければならない。顧客ゲットの為にも、仕事モード兼じゃれモードに移行して春香はムニっと胸を押し付けながらからかう。

 

「そ・れ・で……この娘っ子達は椎名君の彼女かな?」

 

「だと思うなら、離れて欲しいんですけど」

 

「嫌だよー。こーんなお肌つやつやのぷるぷるで綺麗な椎名君から栄養を摂取しないとやる気でない」

 

「ラフィエルやヴィーネのような可愛くて綺麗な女の子の方がいいと思いますよ。俺は男ですし、いつ狼になってもおかしくないですから」

 

駄々っ子店員・天音春香。今年で二十二歳となる。

一応、舞天の地で成功を収めた素質ある人間である。

 

「天音春香、二十歳。会員番号一番。趣味は椎名君の洋服製作。よろしくね」

 

――二十二歳である。

 

「か、かわっ……あ、こちらこそよろしくお願いします。ラフィエルと申します。ところで、クロさんの洋服製作とは?」

 

「私が取り扱うのは女性用の服なんだけど、特例として椎名君の服は特別に作ってるの。完全オーダーメイドでさらにね、凄いのは、なんと椎名君が自分でデザインしちゃうところなの!」

 

「……デザイン?」

 

しちゃうのか。欲しいな。

と、一瞬思ってラフィエルは思考を現実に戻す。

しかし、留まるところはないのか、春香のトークは激しさを増していく。

 

「世界でたった一つの品物! 二人の共同作業! 私もね椎名君の為に、いや為だけにデザインした服が着てもらえると思うと凄く嬉しくて頑張っちゃうんだけど、それがお世辞なしに受け入れられるともう嬉しくて嬉しくて、もう光栄というか死んでもいいというかこれは神聖なことなんだよっ!!」

 

「はぁ……?」

 

さすがのラフィエルもドン引きだ。

しかし、ちょっと面白いな。退屈しないと思うのも事実、彼女は春香に感じるものがあったらしい。

自分と近い何か、それが何かわからないが。

つまりこういうことだと解釈する。

椎名の服をデザインするのは彼だけではなく、彼女も提案して商品にしているのだ。本来なら、しないはずの完全オーダーメイドは珍しいことであり、相当な額がかさむ。それを彼女は自ら進んでやっている、神聖な行為だと自信満々に胸を張る。

それが、どこか羨ましかった。

 

「まぁ、つまりそういうこと。私は椎名君専属の服屋でもあるんだよ。私達、椎名君のファンにとっては光栄で崇高なことであり、私にとっても意義あるし有意義だしばっち来いって感じで、ね」

 

「ごめんなさい。話が掴めません」

 

「そうだね……。まず、椎名君のファンクラブについて話そうか」

 

「ファンクラブ?」

 

サターニャが驚愕と動揺。

「私に足りなかったのはこれだわ!」と意気込む中、話を聞かない春香は新しい宗教勧誘に専念する。

 

「椎名君の家庭事情は知ってるかな?」

 

こくりと頷く代表のラフィエルの顔と、声に出して「ええまぁ」と肯定したヴィーネを確認してから、若干真剣な仕事モードの顔になる春香。

 

「椎名君の家庭事情は本当に特殊でね。アイドルの姉を持つ椎名君の大変さはよく知ってるよね。それを踏まえた上で話をすると、私達ファンクラブは椎名君を守る為に存在するの」

 

「守る為に……」

 

「そう。既に知っているように椎名君の存在は心良く思われていないの。そう思っているのが世の中の“機械仕掛けの神”のファンでも基本は男性達。そして、そこから派生した私達女性は“機械仕掛けの神”のファンでありながら、椎名君個人のファンであるの」

 

なんか、壮大なスケールの戦争を思い起こさせる対立する形を説明された。以前、赤坂刑事に話された内容と酷似している。

椎名にとっても初耳だが、そこは持ち前のスルースキルを発揮して聞き流す。

 

「そして、そこから色々な派閥に分かれるんだけどまぁそこは置いておくとして、つまるところ椎名君のファンクラブであるんだよ」

 

話も一段落付き、なんとなしに何が光栄なのかわかった気がしたラフィエル。

 

「なるほど、つまり大悪魔な目上の者に献上品を捧げるというわけね」

 

「大悪魔が何かは知らないけどそんな感じだよ。私達にとっては光栄なことなの。ステージ衣装も私と椎名君で作ってるし」

 

ベクトルが違うがサターニャでも理解したようだ。

チンプンカンプンなガヴリールとヴィーネにとっては珍しい体制で、思わず頭に?を浮かべてしまうものの、サターニャのたとえに納得した。

……黒羽椎名の凄さについてはまったくわからないが、そういうものなのだろうと強引に納得して、取り敢えず愛されているのだと解釈した。

 

「それで、椎名君のファンクラブに入る? 入らない? 友達である君達ならそんな必要も無いと思うけど、今なら会員になると椎名君のデザインした服が買え――」

 

「なりますっ!!」

 

春香の言葉被せ気味に、ラフィエルが差し出された手を握り返し、ここに新たな関係が成り立つのだった。

尚、椎名はこの契約に興味はないらしく徹底的に目を逸らして傍観を決め込んでいた。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

年会費・登録費無料の«黒羽椎名ファンクラブ»の会員登録は簡単な心理テストに始まり、滞りなく終了した。

問題は店長自らが出題し、答えを聞き、判断するというカウンセリング形式。

無事、危険思考はないと判断されたラフィエルは自分の身柄の情報と引換に『会員番号P104』を手に入れたわけだが、代償はものすごく大きかった。

名前の登録はもちろん、住所、年齢、性別、経歴、スリーサイズから身長、体重、足のサイズ、太もものサイズ、趣味特技に至るまでの個人情報が搾り取られた。そして其の運用理由は――会員の鉄則7カ条に関係する。

 

⒈黒羽椎名のプライベートを邪魔しない。街中で見掛けても厳則、話しかける事を禁止とする。

⒉黒羽椎名の連絡先の入手は原則禁止とする。

⒊黒羽椎名の知人あるいは友人に危害を加える行為が発覚した場合、即刻会員除名とする。

⒋黒羽椎名の写真、映像は共有することとする。

⒌黒羽椎名に危険が迫っていた場合、避難所として自分の住居を提案する行為は緊急措置として適応される。

⒍黒羽椎名をストーカー及び隠し撮りをしない。異性的アピールも含む。

⒎これらが厳守できなかった場合、登録時全ての情報が黒羽椎名本人に流出することとなる。

 

どこからどう見てもラフィエルには不利な条件だ。

正確には、恋をしてはいけないという風にも捉えられ、今からアピールしよう人間が入るべきものでは無い。

 

「会則すごいな!?」

 

「見方を変えると恋をするなって言ってるようにも聞こえなくはないんだが、どうなんだこれ?」

 

ガヴリールの面倒くさそうな指摘にラフィエルの頭のてっぺんが揺れ動く。

 

「私もそこで迷っちゃったんですがどこにも禁止とは書かれていないんですよね」

 

「暗黙の了解ってやつかもな」

 

それを言われると痛い。

椎名にこの会話を聞かれる方が痛いが、当の本人は春香に唆されて何処かに行ったから、今はいなかった。

 

「実をいうと、椎名君に恋をする子多いから適当に制限するくらいじゃないと犯罪に走る子でちゃうんだよね」

 

「ひゃぁっ!?」

 

いつの間にか会話に入ってきたファンクラブ会長天音春香に驚くラフィエル。すぐさま椎名が周りにいないか確認して、

 

「あっ、大丈夫だよ。椎名君には私が作った椎名君に着て欲しい服を吟味してもらってるから。それよりこれ本当かな?」

 

ひらひらと振られる会員登録書に目を通した。

嘘偽りなく書いたはず……。と、自信はあるがそう聞かれれば見直してしまう。

そして、ついに……春香の言わんとしていることが理解出来てしまった。

 

「そ、それは……」

 

「椎名君の住所とラフィエルちゃんの住所、一致しちゃうんだよね〜。基本的にアイドルの住所とかって公開されないけど、私は椎名君の家に行ったことあるし年賀状だって出してるしね」

 

「……すみません。嘘書きました」

 

「嘘に嘘を塗り固めるのはいけないな〜。実はもう椎名君に確認取っちゃってるから」

 

意地の悪い会長だった。

ぐっ、と呻いてラフィエルはくずおれる。

そこに追い討ちをかけるように追撃が襲う。

 

「あと、ラフィエルちゃん椎名君のこと好きだよね」

 

「えっと……ですね……」

 

「あっ、隠さなくていいよ。そういう子何人も見てるしわかるから」

 

逃げ場のない尋問についにラフィエルは折れた。

ゆっくりと頷けば、あとは開き直るだけだ。

 

「私ってそんなわかりやすいですか……?」

 

そのわかりやすさで椎名に自分の気持ちがバレていたらどうしようと思う。実際には何も出来ない。臆病な自分がいて怖い。知りたくない。けれど、もし知っていて無視されているんだとしたら悲しいと思う。

いや、おそらく知られているんだとしたら――先輩天使と同じ立場なのかもと、思って。喜んでいいのか悲しんでいいのか微妙な表情しかできなかった。

 

「じゃなきゃ、男の人の家に飛び込むなんて普通無理だよ」

 

返ってきたのは正論だった。

私がわかりやすい訳では無いと一瞬安堵したのも束の間、それは安堵していいのかわからなくなる。

曖昧な表情のラフィエルに春香は視線と腰を合わせて、

 

「ひとつ注告。椎名君は自分に向けられた好意に気づいても何もしないよ」

 

アドバイスをした。

これは椎名がラフィエルの気持ちに気づいていても、どうもしないのと同義で、知らんふりをしているのと同じ意味だ。

だから、正直言ってラフィエルがそんなことに悩んでも仕方のないことだった。

 

「興味が無いって意味でもありますよね」

 

「どうかな〜? 少なくともラフィエルちゃんは同じ家に住めるほど気に入られてるってことだよ。椎名君って実は昔は女の子と同じ空間にいるだけで緊張しちゃうような子だったから」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。私なんて最初、避けられまくってたから」

 

段々と気分が良くなってくる。ネガティブな想いがどこか前向きになる。他人の不幸を笑う訳では無いのだが、やはりそう聞くと嬉しかった。

 

「脈ありだと思うよ。少なくともラフィエルちゃんは特別な場所にいる。だから、頑張れ。椎名君だって彼女を作りたくないわけじゃないと思うから」

 

自分が特別だと思われていることが、こんなにも嬉しいなんてラフィエルにとっては新しい経験だ。

 

 

 

 

 

「これなんてどうですか?」

 

気分が昂ったラフィエルは戻ってきた椎名を誘って水着を選ぶ。実際に気になったものを試着して、椎名の反応を窺う。色んなタイプの水着を試してみたが一向に表情が変わらない椎名。だいぶ女性慣れしているのか露出にすら適当な対応だ。

なんか、悔しい。

ラフィエルは「まぁまぁかな」と椎名の感想を聞いて落ち込む。今度は何を着ようかと悩む。

 

「これなんてどうですか?」

 

「マイクロビキニはやめようか。後悔するのはラフィエルだよ」

 

また、しかも決死の覚悟で披露したのに冷た過ぎる反応に私って好かれてないんじゃないかと思う。

胸元がスースーして、足回りも殆ど見えていて、ギリギリを攻めてみればこれだ。布面積は小さいのに体中が熱くてしょうがない。

 

「これ!」

 

「また奇抜なのを選んだな」

 

貝殻なんて誰が買うのか知りたい。

さすがの椎名の姉ですら取らなかった一品だ。

ヴィーネのツッコミがない今、ラフィエルの羞恥心はどんどん上昇していく。

椎名の反応を確認すると、試着室に引っ込む。

あんなに動揺しないなんて……。ラフィエルにとっては死活問題だ。何より乙女の心が傷つく。なら、いっそのこと盛大に驚かしてやろう。

そんな意地を込めて、次の衣装に着替えた。

 

「これなんてどうですか!」

 

カーテンを開いていざ椎名の視線を浴びる。

思った通り、ラフィエルの全容を見た椎名は手に持っていた本を取り落とす。

椎名の視線の先には――下着姿のラフィエルがいたのだから。

 

「……えっと、それ下着……ですよね?」

 

「そこは激しく突っ込んで下さいよ。なんかそんな反応されると恥ずかしいじゃないですか」

 

「無茶言うな!」

 

顔を赤らめて必死に胸元や下半身を隠すラフィエルに椎名も吊られて赤くなる。

 

「いつまで見てるんですか!」

 

「わ、ごめんっ」

 

謝るや否や、カーテンを引いて試着室へと消えて行くラフィエルの背中を見送り、落とした本を回収することで気を紛らわせる。

 

そのカーテン向こう。ラフィエルはぺたりとへたりこみ胸を掻き抱くように掴む。より一層熱を帯びた体が気だるいように感じられる。

 

「わたし、何やってるんでしょうね……」

 

自分から下着姿になるなんて。恥ずかしいことだとわかっていたのに。周りが見えなくなっていたのかもしれない。

今度、どう顔を合わせればいいのだろう。

次に顔を合わせるのが億劫で嫌になる。先の事を無かったことにして、また巫山戯て笑えれば彼もそれに合わせてくれるだろうか。

思い悩んでいると、カーテンの向こうから椎名の声が聞こえた。

 

「ラフィエルはビキニ系の方が似合うと思うけど」

 

「……着て欲しいんですか?」

 

「そういう話じゃなくて。聞き流してくれて構わないけど、ラフィエルはスタイル良いからそういうのが似合いそうって話」

 

「そういう目で見てたんですね」

 

「誤解を招かないように言っておくと、ただ思っただけだからな」

 

「なーんだ♪」

 

残念、と笑を零して最初に数着選んでおいたうちのビキニ系の水着を手に取る。現在着ている下着を脱いで、淡い色合いのそれを着たら、カーテンをゆっくりと開けて律儀に外を向いて座っている椎名が見つかった。

 

「クーロさん♪」

 

「あぁ」

 

気のない返事と共に振り返る椎名。

しかし、首が全部回る前に背中に柔らかい感触と、首に回された腕、体重を受けて停止した。

 

「どうですか?」

 

「水着の感想か? それなら離れてくれないと見えないんだけど。もし今の状況についての感想を求めてるなら耳を塞ぎたくなるくらいの事を言ってやろうか」

 

「ふふっ、言えるんですかぁ〜?」

 

からかうような態度と耳元の声が妙に甘く感じられ、本を閉じる。ラフィエルの後ろから回した腕を捕まえて耳を塞ぐことと、逃げることを封じると、その耳元に直接囁いた。

――顔真っ赤のラフィエルが放心状態でぐったりと椎名の背中に倒れ込むのはこの数秒後。

これを面白半分で撮影したサターニャはファイルを消された挙句、騙し取られるのはまた別の話。




サブタイトルはこのお店の名前です。
……思うんですけど、よく弄りに徹する人って不意打ちや弄りに弱いですよね。
カエルの件とか。カエルの件とか。カエルの件とか。


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No.9 海①

何回かに分けて投稿


 

 

 

曇天が空を灰色に染めた。灰色の雲から流れ落ちる涙が耳朶を打つ。悲しい空模様にラフィエルは溜息を吐く。

海水浴の結構日、電車を降りた一同を待ち構えていたのは非常にも雨。

そんな空を見て、ガヴリールは呟いた。

 

「中止だな。帰ろう」

 

元々、乗り気ではなかったからか諦め早く潔く提案する。それに反発したのはサターニャだ。

 

「待ちなさいよ、この行き場のないイルカを私はどうしたらいいわけ!?」

 

「まず電車の中で膨らましてから持ち歩くなよ。だいぶ奇異の目で見られてたぞ。……雨降ってんのに」

 

ぷかぷかに膨らまされたイルカの浮き袋。それを抱き締めるサターニャに椎名の叱責が飛ぶ。

何にしてもガヴリールには好都合だった。着替える必要も無いし、帰ってネトゲライフ、自由にできるのだから。

ヴィーネとラフィエルにはその限りではなく、本当に残念に思う。

 

「困りましたね〜……」

 

「そんなに楽しみだったのか?」

 

「ええ、水着姿を披露して目を逸らすクロさんの顔を見れなくてとても残念です」

 

「俺が顔を逸らす前提か……」

 

絶対にそんなことは起こらないだろう。男性的には嬉しいイベントなので存分に楽しむことにする。とは、決めていたものの別に中止になってもそれはそれでガヴリールと考えを共有するのも事実、こうなっては帰るしかないと淡白に諦めていたが。

これはこれでもったいない気もするし。

ラフィエルが微妙に本当に残念そうな顔を見せていたのは、関係なく、椎名は決意する。

 

「ちょっとこれ持っててくれないか、ラフィエル」

 

「はぁ……どちらへ?」

 

「ちょっと雨乞いの逆の儀式に」

 

意味のわからない言葉を残して、荷物だけを預けるとプラットフォームを出て改札へと歩く。その後にラフィエル達は続いて改札を出る。屋根の下で椎名は止まると思いきや雨に濡れるのも構わずそのまま屋根の外へ。

傘を用意した方がいいだろうか。心配しているとやがて椎名は駅前で止まると、その手に赤い二叉の槍を出現させた。傘のようにも見えるそれはそう思いたい反面、何やら神聖な気配と禍々しい殺気が満ち溢れ天使と悪魔の背筋を凍らせるには十分だった。

 

「なんかヴィーネの持ってる三又槍に似てないか?」

 

「赤いわね。私のは黒だけど」

 

「実は昔、クロさんが血祭りに上げた人の血で塗られた赤い槍だとか」

 

「カッコイイわね!」

 

「……本当は大悪魔を薙ぎ倒した伝説の槍だったり」

 

「ちょっと怖い事言わないでよ! 海が赤く染まるわよ!」

 

外野の少女達が姦しく騒ぐ。

眺め見る屋根の下。少女達の前で椎名は深呼吸を繰り返すと、不意に予備動作のない助走で加速して……。

ついには、その手の中の槍を空に投擲。

尋常ならぬ速度で赤の閃光は空へ。

奔る。奔る。奔る。ついには雲へと到達し、文字通りに雲を突き抜けて薙ぎ払った。

 

「……シーナを怒らせないようにしましょう」

 

「そ、そうね」

 

雨のち快晴。

曇天は退けられ、太陽が顔を出した。

何気ない顔で椎名が戻ってきて、その手にはあの投げたはずの赤い槍が収まっていた。

 

「うわー、ついに人間を超えちゃいましたね。それなんて槍なんですか?」

 

「ロンギヌスの槍らしい。本当はこんな風に腕輪の形で貰ったんだけど、便利だからピッキングにも使えるし有能かな」

 

そう言って腕輪状になったロンギヌスを指先でくるくると回す。

 

「確かそれって……天使学校で首席だった人しか貰えない神の聖遺物でメルエル先輩がつけてたはずだけど。もしかして、盗んだのか?」

 

「人聞きが悪いなガヴリール君。これは神の加護がありますようにってメルエルから貰ったのだよ」

 

どこかの名探偵を彷彿とさせる物言いにラフィエルは、さすがガヴちゃんと口元を抑えて、ガヴリールと揃って悪戯が成功した子供のように笑う。

 

「やっぱり天使だって知ってたんですね」

 

「まぁな」

 

頷く椎名にガヴリールは疑問に思う。

 

「あれ、先輩って天使だってバラしてねぇの?」

 

「まぁ……」

 

「じゃあ、もうひとつ聞くんだけどさ」

 

不可思議で難解を極める結果論だが。

それがガヴリールにはどうしても理解出来なかった。

 

「ロンギヌスは天使にすら使えない禁呪指定の聖遺物なのに、どうしてお前が使えるんだよ?」

 

「……そりゃあ、さ。鍛えたからじゃ?」

 

ものすごく丁寧な物言いの背景には、真っ黒な椎名の闇が広がっていた。

 

 

 

□■□

 

 

 

ビーチパラソルを砂浜に設置する。

真っ赤なパラソル。鮮血の赤。伝説の槍だったそれは何でもない砂浜で突き刺さる。地を割ることもなく、ただ平凡に運用されていた。

普通の男物の水着とパーカーに身を包んだ椎名は一仕事終えてパラソルの下に滑り込む。

 

「やぁやぁご苦労。随分といいパラソルを見つけてきたじゃないか」

 

「なんだ、一番乗りはガヴリールか」

 

他の皆は。なんて言葉の代わりに小さな皮肉を込めて言ってやると、隣にどかりと座られる。徐ろにノートパソコンを展開してネトゲをし始めた。

 

「私で悪かったな。見る場所もない大海原のような水平線で」

 

「言ってない。需要はあるだろ」

 

椎名はチラリとガヴリールの格好を見た。

うむ、やはり美少女ではあるがどうも体型に恵まれなかったらしい。天の恵みやいかに。

入学当初と同じく、品行方正であれば今頃はラフィエルのように男子が放っておかなかっただろう。その一件で冷めた男子など数知れない。……決して胸のせいではない。

 

「それで、何?」

 

「なんで私が何かある前提なんだよ。海に遊びに来てお前は待ち人でわたしら待ってただろ」

 

「他の皆を待たずにお前だけ来た。事実的にはそれだけで十分だと思うけど」

 

「あー、お前が待ってるのはあいつか。安心しろ、期待以上に可愛いから」

 

「いや、話がある雰囲気で露骨に茶化して逸らされても困るんだけど」

 

実際、椎名にガヴリールからの話がない訳では無い。ポチポチとヒール魔法を連打しながら、息を呑んでしっかりと気だるい感じを残しながら質問する。

 

「ラフィのこと、実際どう思ってる?」

 

「……は?」

 

直球過ぎて間の抜けた声が出た。質問の意味を詮索して、我に返った時には目の前にガヴリールの顔が。ノートパソコンを閉じて真剣な目で見てくるものだから、一瞬目を逸らしてしまった。

 

「唐突だな」

 

「男子の家に一つ屋根の下なんだ、心配して当然だろ」

 

「もっと前にその忠告してくれるかな」

 

「じゃあ、ラフィエルと暮らしてどう思ってる?」

 

「俺だって受け入れはしたけど、そう言われてもな」

 

受け入れただけで理解は別だ。ただ害はなさそうだったし天使だし、ホームステイというか下宿というかそう考えれば自然で不自然ではない。

何よりラフィエルが男ではないから受け入れることになった。他意はない。

 

「そりゃあ黒いけど、優しいし悪い子じゃないっていうのはまぁ……」

 

「黒いって〜、ラフィのどこを見たんだよ。なぁなぁ」

 

「いや、エロい意味じゃないぞ。あと、おまえら聖なる光で見えんだろ」

 

「冗談に決まってんだろ。それに安心しろ、ラフィの身体は新品の下着みたいだから」

 

「例えに気をつけろよ。あと、要らん情報だ」

 

どうだか、とガヴリールがニヤニヤ。

その顔にこいつ苦手だ。と、思う。

椎名はゆっくりと小波を眺めて、突然に背後に何かを感じて振り返る。

そうすれば、着替えを終えたのかヴィーネとサターニャが歩いてきていた。よく見ればその背後に隠れてラフィエルもいる。

 

「お待たせ」

 

「待たせたわね、下僕」

 

ビーチパラソルの手前。

サターニャが良いものあるじゃない、と日陰に入ろうとして、

 

「いだっ!?」

 

バチッと音が鳴った。

咄嗟に半歩引き下がるサターニャ。すごく涙目でパラソルを見つめている。

 

「何なのよこのパラソル! ものすごく痛いんだけど!!」

 

「そうかしら? すごくいいわよ?」

 

続いて影に入ったヴィーネはなんともないようだ。サターニャが苦痛に顔を歪めるのを見て、思わず絶句する。

 

「ど、どうしたのよそれっ!?」

 

「それって……キャアァァァァ!!」

 

自分の腕を見つめて悲鳴を上げるサターニャ。痛みを感じたサターニャの腕は、半分光に飲まれかけていた。消え入りそうに点滅している。

 

「浄化される! 浄化されるっ! 浄化されるぅっ!」

 

「落ち着いてサターニャ。まずは原因を探りましょう」

 

率先して慌てふためくサターニャを宥めるヴィーネが包帯を取り出す。テキパキとした対応をしながら訝しげに真っ赤なパラソルを見上げた。

なんだか、ものすごく神聖なオーラを感じるような、そんな気がしてものは試しと問うてみる。

 

「ねぇ、このパラソルってもしかして……」

 

「ロンギヌスだが?」

 

「ロンギヌスの槍再び!?」

 

なんてものをパラソルに。と突っ込む声に続いて、聞き慣れた声で「さすがクロさんいい趣味してますね」なんて聞こえた気がしたが、どうやらそれは椎名の幻聴とかではなくラフィエルの心の声だ。

聖遺物に浄化されないヴィーネはもう悪魔辞めればいいのに、と口に出すのをはばかられた椎名は大人しくロンギヌスを仕舞った。



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そして、拡散

当初の予定を変更。
モチベーションだだ下がりしてたが急に書きたくなったから更新。



 

 

「……困りましたね」

 

海の中から浜辺を見てラフィエルはぼそりと呟いた。ゆらゆら揺れる波の狭間で、遠巻きに見つめていた椎名の姿を追っていて、そんなラフィエルの元へ茶化しに来たサターニャと暴れて一息着いたこの頃。海水浴客が増えた浜辺には男性客の百鬼夜行があれほど見たいと思っていたのに今は悍ましく感じるほど、大勢の人々。

 

「どうして、私がこんな目に……」

 

日頃の行いが祟ったのだろうか。ラフィエルの胸部を隠していたトップスはいつのまにか流され、半裸のまま海の中へと1人だけ放り出されてしまったのだ。サターニャに助けを求めればよかったが、それはラフィエルのプライドが許さなかった。咄嗟に追い払ってしまっている。

 

浜辺には男性客の百鬼夜行が出来上がっていた。おそらく椎名の言っていた通り、椎名の目撃情報から釣られたアイドル探しの百鬼夜行なのだろう。殆どが私服で、しかし半分以上はもう水着だった。

–––どうしよう。

不安だ。もし、男の人に近づかれたら。下劣な目で舐め回されることになるのだろうか。痴女だと勘違いされて襲われることになるのだろうか。見られることが堪らなく嫌になったのは、初めてだった。

 

「ひ、ひとまず足のつくところで……」

 

溺れて誰かに救助されても人生は終わる。だからと言って岸に近づけば、今度は男性客の警戒をしなければならない。そして何よりも男性客の数が圧倒的に多い。女性客の数なんて一割にも満たなかった。

そんな人混みの中、サターニャ、ガヴリール、ヴィーネを探すのは困難を極める。まして椎名に助けを求めることなど論外、そんなことできるはずもない。

胸が浮かないように抱えて岩場の影へ、頭がいっぱいで注意力の散漫していたラフィエルはその岩場に人がいることなど接近するまで気づきはしなかった。

 

「ねぇ、ちょっと君!」

 

視界の狭まっていたラフィエルに男の声が掛かった。慌てて視線を右往左往させると、3人組の男達が徒党を組み何かを探しているようだった。そんなの答えはわかっている。けれど、その男達は、既に諦めムードだった。

 

「この辺で黒羽椎名、見なかった?」

 

「い、いえ……」

 

何故か咄嗟に嘘をついた。

男達はそれを聞いて、あまり気にしていないようだった。

 

「やっぱデマだったんだって」

 

「そうだよな。さっきまで雨降ってたし」

 

「もういいんじゃね?」

 

男達の方針は決まったようだ。目の前の少女、ラフィエルに向き直る。

 

「では、私はこれで……」

 

「あ、ちょっと待ってよ、君1人?」

 

腕を掴まれた。幸いにも、胸を押さえていない方の腕だった。

 

「と、友達が待っていますので……!」

 

「何人?」

 

この手の輩か。今更だが、そんなことを考える余裕もラフィエルにはない。彼女は素直に、嘘を交えて、あくまで素直に答えてしまう。

 

「……3人です」

 

「じゃあさ、奢ってあげるから今から一緒に遊ばない?」

 

サターニャ、ガヴリール、ヴィーネ。3人だ。それはさほど大した人数でもなかったのか男達には数の差はあまり意味のないものだった。むしろ1人じゃないことが。

 

「結構です」

 

「そんなこと言わずにさぁ、友達と相談して–––」

 

なおもラフィエルの腕を離さない男。最初は穏やかだった焦りが段々と強くなっていく。大きくなっていく。波のせいで鎖骨が見えたり隠れたりと舐め回すような視線も感じた。気づかれるのも、時間の問題だった。

ただ、その一瞬、ガッと男の腕を横から掴む手が伸びた。男とラフィエルの間に気配もなく近寄って割り入った男がいた。パーカーに身を包んだ、男だった。傷だらけの体を持つ、男だった。

 

「おい、人のものに手を出してんじゃねーぞ」

 

「な、なんだよ、連れって男? ……あれ?」

 

割り入った男の顔を見た瞬間、腕を掴んでいた男の動きが硬直する。その間に腕を捻り上げた。もちろん、ラフィエルを傷つけないように一瞬力が緩んだ瞬間を狙って握力で攻撃した後に捩ったのだ。

 

「–––ってぇ! あ、こいつ黒羽椎名じゃん」

 

「つうーことは、彼女さん?」

 

「なんだ、やっぱ来てるし、彼女もいるんじゃねぇか」

 

納得したような、そんな雰囲気に椎名は乗った。

 

「俺は彼女とその友達と海水浴に来てるんだ。姉達は来てねぇよ。ブラコンの舞姫菜なんかに教えたら、絶対についてくるだろ」

 

「そっか。悪かったな」

 

礼儀だけはあったのか一言謝罪して男達は去って行った。もう、この海水浴には興味はないだろう。男達がうろついている海水浴場に、他に女を探すにも競争率が高過ぎるのだ。それどころか見つかる確率も皆無に等しい。

男達が去ったことを確認した後、背後に隠していたラフィエルを一瞥して、パーカーを脱ぐとその勢いのまま風にたなびくパーカーをラフィエルに纏わせた。

 

「……あの、クロさん?」

 

「ずっと見てたよ。どうせトップスが流されたんでしょ。だから、海の中から出ることもできなくて腕で胸押さえてどうにかしようと奔走して。困ったら呼べよ。男がいるって言えば、普通はあいつらも諦めるからさ」

 

椎名の一言、二言、三言、それはラフィエルにとって反則級の威力を秘めていた。

 

「よく、わかりましたね……」

 

「たまにあるから。海水浴でパーカーは外せないんだ」

 

ラフィエルは羽織らされたパーカーに腕を通す。なんだかそれを着ただけでほっとした。でも、それは、椎名が来た時より、ほっとした感じは少なくて、上までチャックを閉めるのも怠惰に余った袖で口元を隠す。

 

「……ずるいです。こんな不意打ち」

 

キュンって。心臓が早鐘を打っていた。涙さえ浮かびそうだった。

 

「何か言ったか?」

 

ぼそりと呟かれたラフィエルの言葉も、彼女がしている表情も、見惚れてしまったがあえて知らないフリをして椎名はラフィエルの手を握った。

俯いていたラフィエルがその様子に気づくこともなかった。

 

「ほら、行くぞ。海水浴どころじゃなくなったからな。みんなを探さなきゃ」

 

あと、少しだけ。2人きりの時間を。

ラフィエルはわざと足を遅らせて、椎名との時間を少しだけ伸ばした。

 

 

 

 

 

その帰りの電車。早めの帰宅。しかし、遊びに遊んで満足気な一同は疲れたのか電車の中で眠りに就く。最初からやる気のなかったダメ天使ガヴリール、元気いっぱいで知らぬところでラフィエルに一矢報いたサターニャも、緊張の糸が切れて安心したのか眠ってしまったラフィエルも暫し夢の中へ。

起きていたのは、学生気分を満喫しながらもみんなの引率をするヴィーネとずっと彼女達を見守っていた、されど比率的には無意識にラフィエルの様子ばかりを追っていた椎名だけ。その椎名の膝には肩を枕にしていた筈が崩れ落ちたラフィエルが眠っていた。

 

「ヴィーネも眠いなら寝ればいいのに。俺が起きてるから」

 

「そういうわけにもいかないよ。1人だけってのはね」

 

親しき仲ならもっと深く説得に掛かるのだが、それを前にヴィーネはからかい気味に口元に手を当てて、

 

「襲われても困るからねー」

 

やっぱり、からかった。

 

「そうだな。ヴィーネが寝たら真っ先におまえを襲ってたかもな」

 

「え、わ、私⁉︎」

 

本音半分、冗談半分の返しにヴィーネはたじろいだ。

 

「ヴィーネって押しに弱そうだし、迫っても流されるんじゃない?」

 

なんでもOKしそう。面倒見が良い、性格が良い、は流されやすいと紙一重だ。

 

「シーナだって押しに弱いじゃない!」

 

現に膝の上のラフィエルを拒否していない。

 

「ちゃんとダメなものは断るよ。それに一度忠告はしたしね」

 

「えー、例えば?」

 

「その人の為にならない事とか、そういうやつ」

 

曖昧な物言いだがヴィーネには伝わったようだ。だけど、誤魔化されたようでやはり釈然としない。

 

「例えば?」

 

「お金の貸し借り。取り敢えず、何も聞かずに貸してくれってやつは信用しないな。性格がわかっていてもそれは人の極一部の部分だし、表と裏はわからないから。ちゃんと本当の事を話した上でしか無理かな。特に殆ど知らん奴とかそのままくたばれって思う」

 

親戚だとか言って、金に寄って来る虫のなんと多いことか。有名になった姉に付き纏う厄介者は数知れず。そんな人生を送っている椎名の生い立ちを知っているヴィーネはなんとも言えなかった。

例え話として、というか良い例として上げると、

 

「ヴィーネとラフィエルなら理由さえ話してくれれば問題はない」

 

ガヴリールとサターニャはアウトだった。

ネット廃人、通販魔とくればそれは自業自得だ。

甘やかすとしても、一回きり。

それで学習しなければ見捨てるつもりだった。

 

「わたしはともかく、どうしてラフィはいいの?」

 

「嘘は吐くし人を騙すけど」

 

「けど?」

 

「………………あれ、なんでいいんだろうな」

 

犯罪擦れ擦れで不法侵入はするわ、思い返して椎名の言葉は止まってしまった。そんな思い出になりかけた記憶も椎名にとっては宝物になりつつあった。

 

「……裏切らないんだ」

 

「あー、なんかわかる」

 

搾り出された答えにヴィーネは共感する。確かに悪い人ではないのだ。ラフィエルは少し意地悪なだけで根本的なところは天使のまま、ある意味生に忠実なところがある。

 

「前から気になってたんだけどシーナって彼女作らないの?」

 

「……立候補しますってやつ?」

 

「違うわよ! 真面目に答えなさい!」

 

いきなりの変化球にヴィーネは戸惑った。

その様子がおかしくて、今の空気なら本気で答えられそうな。

なんというか、ヴィーネは話しやすい相手だった。

すらすらと自分の気持ちが出て来る。

 

「彼女って欲しいからって作るものでもないと思うんだ」

 

「そういう考え方もあるのね」

 

「なんとなくその人といたいって思えるような、ずっとこの先も一緒にいたいって思えるような相手がいたなら、そしたら初めて恋人にしたいって思えるのかな?」

 

椎名にとって恋愛は専門外。恋愛なんて、経験もない。好きという感情を理解はしていない。出した言葉通りなら椎名の気になる相手は複数いることになる。その中で決めるとなると、やはり恋愛というものがわからない、と言わざるを得なかった。

例として上げるなら。

 

「ヴィーネが彼女になったら幸せになれそうだよね」

 

「はぁっ⁉︎」

 

ただ、目の前にいたから例として上げたのだが、いや多少少なからずとも気になる要素はあった椎名の不意打ちにヴィーネは赤面した。こうして面と向かって言われることは経験上なかった。ないのである。皆無だったのだ。

 

「ヴィーネは可愛いし、優しいし、尽くしてくれそうだし」

 

「え、え、えぇ?」

 

「蠱惑魔的なところも魅力的だと思う」

 

「小悪魔、的……」

 

かなり素でヴィーネは聞き間違えた。

がっしりと椎名の肩を掴む。向かい合う姿勢。

キスをしようとしてるカップルに見えなくもない。

ずいっとヴィーネが顔を近づけた瞬間だった。

 

「やっぱり–––」

 

ガンッ。

突如、椎名の顎がアッパーをくらったように仰け反った。

 

「……ふぁ。おはようございます」

 

椎名の頭の位置と入れ替わるようにラフィエルが起き上がる。車窓に頭を打ち付けた彼の膝の上に手をついて雌猫のように妖艶に挨拶をして見せ、僅かにすりすりと頰や体を擦り付ける。たった一瞬の行動に誰も意図的だとは気づかない、だが友達にしては少し近過ぎる距離だ。

 

「〜〜〜ッ。おはよう、ラフィエル」

 

悶絶した後、叱ると思いきや膝の上から退かせることすらしない。右腕は背凭れに掛けるように、左手はラフィエルの腰に掛かるような位置だ。思いっきり腕の体重を掛けているように見える。

ヴィーネはなんとなく察した。

 

「仲良いわね?」

 

にやにやとからかうような微笑みを浮かべる。確かに距離は縮まったが、世間一般で言う恋人のような関係ではない。普段のスキンシップと先の一件でラフィエルの理性が少し外れているだけである。

椎名としては可愛い女の子に言い寄られるとか、スキンシップを仕掛けて来るのは嫌ではない、だから放置しているように見せてこの状況を最大限楽しんでいるだけで、掘り進めても何も出ない。

 

「あ〜、何ですかその目」

 

「なんでもないよー」

 

この日、天使を弄ったヴィーネが一番いきいきしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明けて次の日の朝。

ドタドタと部屋に接近する騒がしい足音で目を覚ました。

意識の覚醒は、バンッと扉を開け放つ音で。

自分の部屋だと認識している間に騒々しくも美しい声が耳を貫いた。

 

「どういうこと椎名くん!」

 

「おはよぅ、舞姫菜」

 

「うん♪ おはよう–––じゃなくて!」

 

姉は何がしたいのか、ぐっと携帯を突きつける。

 

「これどういうこと!」

 

「ん……。あ」

 

舞姫菜の携帯。その画面。には朝からニュースサイトを閲覧していたのかいろんな記事の見出しが所狭しと並べられて、その中に舞姫菜が騒いであるだろう記事を見つけた。

 

「黒羽椎名に彼女見つかる……?」

 

–––違った。これデウス・エクス・マキナ専用の特設サイトだ。

ともあれ、なぜこんな芸能人みたいなツイートだがなんだかわからない個人情報のばらまきをされなくてはいけないのか、そして記事の内容も誤報というサイトにありがちなやつ。

そういえば昨日は引き退らせる為に何か短歌を切ったような……。

原因はおそらくそれだろう。ラフィエルにはあの後、早めに誤解を解くからと謝罪しているので妙な誤解を生むことはないだろうが、昨日から周囲をからかうようにひきりなしにひっついて来る。今も椎名の隣で眠っていた。

 

「……そう。姉さんの方から言っておいてよ。おやすみ」

 

「動画サイトにもアップされてるんだよ!」

 

「きっとこれですね」

 

死角はなかった。昨日も、今日も。

目を覚ましたラフィエルが携帯を操作する。

会話に割り込んで来た、と思えば保存フォルダから動画を再生した。

昨日の、海の一件だった。あの時は椎名も頭がおかしかったんじゃないかと自覚はしている。

 

「今すぐそれを消せぇぇぇ!」

 

「永久保存します」

 

ラフィエルの手から携帯をもぎとりに掛かる。

嫌ですー。セクハラ。変態。等々。

揉み合っている間にもラフィエルは罵詈雑言を浴びせて来る。

誰の目から見てもいちゃついているようにしか見えない。

 

–––プルルルルル。

 

突然、2人の喧嘩を仲裁するように電話が鳴った。

誰の電話かと一旦、一方的な停戦協定を結び、椎名は自分の携帯を手に取る。その間にもラフィエルはパスワードでロックを掛けて椎名には絶対に開けられないように手を打っておく。

電話の相手に意識を向けていた椎名は当然気づかない。

画面を見ると、着信はヴィーネから。通話ボタンを押す。

 

『聞いて聞いて! なんか今月の魔界からの支給額が増えてたの!』

 

「あっ、そう、良かったね」

 

前から相談されていた椎名はそれどころではなく淡白な反応を返した。どうやら電話口のヴィーネはよほど興奮しているようだ。それすら意に介さないらしく、次の話題に移る。

 

『それと……。昨日撮った動画をガヴが拡散させちゃって……ごめんね? 撮ったの私なんだ』

 

–––まさかの身内の犯行だ。

なるほど、これは納得だ。魔界からの支給額が増えたのも。

盗撮。覗き。立派な犯罪だ。

ついでに天使を貶める見事なコンボ。

さぞかしガヴリールは支給額が減ったことだろう。

 

『すぐに消したんだけど……手遅れだったみたい。本当はガヴリールが自分の携帯に保存しようとしていただけなの! わ、悪気は…ないと思う』

 

「引き換えに教えて欲しいんだけど、あの時見てたのは?」

 

『……全員、です』

 

携帯を投げ捨てて椎名は布団に潜った。

 




ラフィエルを弄り、ヴィーネに恋愛ならばからかうスキルを身につけさせ、若干キャラ崩壊起こし始めているような……。
一番女子高生してそうなヴィーネだから仕方ないな、うん。


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