東方偏執狂~ブタオの幻想入り~ (ファンネル)
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第一章 幻想入り
第一話 「自殺なんて勿体ない。死ぬくらいなら幻想郷へ来ませんか?」


 

 とある一軒家の一室。

 ブタオこと武田 雄は絶望していた。

 

「ぶふぅ。こ、これでこんな糞みたいな世界からおさらばでごじゃる」

 

 武田 雄 年齢35歳 独身 職歴及び異性との交際歴なし。典型的な引きこもり。高血圧、高血糖、高コレステロールの三高メタボ。

 

 彼はドアノブに紐を括りつけ、自分の首に巻き付け、壁に寄り掛かるように座りこんでいた。そして体の重心を徐々に下へと持っていく。首に巻き付けられた紐の圧迫が次第に強くなりはじめる。

 苦しい。けど、コレが一番苦しくない自殺の方法――。

 ネットにそう書いてあったのだ。

 大げさに体ごと首を吊る事は無い。尻を付けた状態でも十分に首つりは可能だと。

 頭に血が上らなくなり、ボーとした状態で死ぬ事が出来るのだと。

 確かにその通りだ。意識が朦朧としてきた。

 徐々に消えつつあるブタオの意識は、過去の走馬灯を映し出させていた。

 思えば、碌な人生ではなかったと――。

 やはり現世なんぞに何の未練も無い。

 

 彼の生きようとする意志はそこで途絶え、彼は意識を手放した。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 何とも言えぬ浮遊感がブタオの体を支配していた。

 地に立っている様な感覚ではない。まるで宙に浮いている様な――。

 静かに目を開けると、そこは先ほどまで居た自分の部屋ではない。

 そこは不思議な空間であった。真っ暗な空間にもかかわらず、はっきりと光を認識できるような――。境界がはっきりとしていない空間だった。

 

「こ、ここは……あの世とやらでおじゃるか?」

 

 疑問をはっきりと言葉を口から出す事が出来た。

 ブタオは自分の体に目をやると、そこにはきちんと自分の体があった。不思議と死んだ感じがしない事に違和感を感じる。

 一体、何がどうなっているのか。自分はもう死んでしまったんだろうか。

 混乱している最中、ブタオの目の前に傘を持った金髪ロングの美しい女性と、何本も尻尾の生えたこれまた綺麗な女性が現れた。

 

「こんにちは」

 

 女性はブタオに声をかける。

 ブタオはその女性の姿を見て、目を奪われた。

 

(な、何と見目麗しいおにゃのこでござるか!?)

 

 こんなに綺麗な女性に声をかけられた事なんて生まれて一度もなかった。やはり自分は死んでしまったのだろうか?

 

「こ、こんにちわでおじゃる……」

 

 震える声でブタオは挨拶を返した。女性は頬笑みを向けながらブタオに言った。

 

「私の名前は八雲紫。こちらは藍と申します。貴方の名前を教えていただけないかしら」

「わ、吾輩の名前でおじゃるか? ……ぶ、ブタオと呼ばれておりますでおじゃる」

「ブタオ?」

「本名は……武田 雄という名前でおじゃる。しかし恥ずかしい事ながら吾輩は、いつもブタオと呼ばれていたでおじゃる。本名よりも……。こっちの名前の方が呼ばれ慣れて居るでおじゃる」

「ああなるほど。武田 雄。確かに読み方を変えればブタオになるわね。随分と侮蔑の込められた名前ですこと」

「し、仕方ないでおじゃる。こんな体型でおじゃから……」

「……」

 

 ブタオは紫の顔を直視できなかった。

 彼女も自分を見て、何とふさわしい名前なのかと、侮蔑の視線を向けてくるのではないかと恐れた。

 見目麗しい女性に蔑まれるのはちょっと嬉しいが、侮蔑対象が自分の気にしているものなら単純に傷つく。

 しかし、ブタオの思惑とは裏腹に紫の表情は変わらない。

 ブタオに対して優しい笑顔を向けてくれるのだ。

 

「貴方は、自分が何をしていたか覚えていらっしゃるかしら?」

「何をしていたかでおじゃるか? 吾輩は……」

 

 覚えている。ブタオは覚えている。死のうとした事を。

 こんな糞みたいな世界からおさらばしたかった。

 思えば碌な人生ではなかったとブタオは思う。

 小学校、中学校とイジメられてばかりだった。ブタオという名前が定着したのもこの頃だ。良い所の高校に入って、いじめっ子達とおさらばしようと勉強もしたが受験は失敗。結局地元の高校に通う事になって……。いじめていた連中と同じ高校になってしまったのだ。

 高校生の時のいじめは鮮烈を極めていた。

 好きの反対は無関心なんて言葉があるが、やはり好きの反対は嫌悪だと思う。

 だって、無関心でいて貰いたいのにみんなしてバカにして……。

積極的に関わってくる。

トイレの中に閉じ込められた。机の中にネズミの死骸を入れられた。ノートを破り捨てられたり靴やカバンが無くなるなんてしょっちゅうだ。

 高校二年生に上がる頃には完全な人間不信に陥っていた。結局出席日数が足りなくなって留年し自主退学した。

 両親は、そんな自分を見て酷く落胆した。

 親の汚物を見るかのような目に耐えられなくなって、一日中部屋の中にいた。 

 両親との仲は決して良いものではなかったが、幸運だったのは親は自分を追い出すことなく、食事と寝床を与え続けてくれた事だ。

 定期的にある程度のお金も渡してくれた。そのお金でマンガを買ったりゲームを買ったりしてますます人と接しなくなった。

 こんな生活が続くわけがないと頭で分かっていても何も出来なくて……。

 そして、その終わりは突然やってきた。

 両親が他界したのだ。

 事故だったと聞いている。ブタオの状況を考慮してか、葬儀関係は全て両親の親戚がやってくれた。

 しかしそれだけだ。親戚たちもブタオにはあまり近づきたくは無かったのだろう。葬儀や遺産の手続きが終わればもうブタオの前には現れなかった。

 自分を養ってくれる両親はもういない。

 今更働く事も出来やしない。年齢云々の前に人とまともに話す事が出来ないのだから。

 そして死のうと思った。

 こんな糞の様な世界よりは少しはマシな世界に行けると信じて……。

 

「覚えてるでおじゃる。吾輩は、死のうとしたのでおじゃる……」

「理由を聞いてもよろしいかしら」

「理由でおじゃるか……」

 

 ブタオは紫に理由を離した。

 人との会話が下手なブタオは、呂律の回らない口調で紫に伝えた。紫は嫌な顔一つせずにブタオの話を聞いていた。

 紫が嫌な顔一つしない為か、ブタオは自分でも意外だと思えるほど饒舌だった。

 誰かと話す事がこんなにも楽しいものなのか、とブタオは思った。

 

「そう。貴方は随分と苦労なさったようですわね」

「わ、吾輩が……く、苦労している? 吾輩をバカにしたりしないでおじゃるか!?」

「ええ。貴方は随分と巡りの悪い星の下で生まれたようですわね。貴方の今までの生には同情すべき点が多々あります。辛かったでしょうに……」

「う、嬉しいでござる。そんな風に言ってくれる人は初めてでおじゃる」

 

 彼の心は悦びに満ちていた。

 ここが天国だった。

 イメージしていた天国とはかけ離れているけど、こんなにも美しい人に話が出来たのだから。きっと彼女は天女様に違いない。ブタオはそう思っていた。

 ある程度落ち着きを取り戻した時に紫はブタオに尋ねた。

 

「さて、武田さん……少しお話、よろしいかしら」

「は、話でおじゃるか? もちろん良いでおじゃる。でも――」

「どうかされて?」

「わ、吾輩の事はその……ブタオと呼んでくださらぬか?」

「ぶ、ブタオ? でもその名前は侮蔑の――」

「良いのでおじゃる。武田 雄という立派な名前は吾輩には似合わぬでござる。武田は戦国時代に活躍した武将、信玄公と同じ性でござる。それほどの大人物と同じ性を持つなど片腹痛いでおじゃる。それに――」

「それに?」

「わ、吾輩も先ほど気付いてしまったのでござるが、ゆ、紫殿のような見目麗しい女性に、その……『ブタ』と呼ばれると、何かこう込み上げてくるものがあって……その……」

「……」

「や、やはり吾輩は気持ちが悪いでござるか?」

「……そんな事はありませんわ。呼び慣れた名前の方が落ち着くという気持ちは、私にも分かります」

「ぶひぃ」

 

 ブタオは目の前の女性が天使か何かに見えた。

 

「それではブタオさん。用件に入らせていただきますわ」

「はい、でござる」

「貴方が先述したとおり、貴方は自殺を図りました。しかし貴方はまだ死んではいません」

「こ、ここはあの世とやらではなかったでおじゃるか!?」

「ええ。ここは私が作りだした『隙間』と言う名の空間。貴方が死ぬ寸前にここへ引き入れました」

「なにゆえ……」

 

 紫は、屈託のない笑顔を向けて言う。

 

「ブタオさん。自殺なんて勿体ないですわ。死ぬくらいなら――『幻想郷』に来ませんか?」

 

 





 新作です。
 完結目指してがんばっていきます。


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第二話「吾輩、決めたでござる!」

 

「げ、幻想郷……?」

 

 聞き慣れない単語にブタオは戸惑った。

 紫はブタオの心情を解してか、笑顔のまま説明を始める。

 

「そう。幻想郷とは忘れられたり、存在を否定された者たちが集まる世界。人と妖怪が共存する理想郷。現代風に言うのならファンタジーの世界ですわ」

「ファンタジーの世界でござるか? いきなりメルヘンな話になったでおじゃるな」

「現代社会を生きてきた貴方からすれば確かにメルヘンな話に思えるでしょう。しかし幻想郷は存在するのです。そしてその世界は、科学やテクノロジーではなく、魔法や神力と言った力が支配する世界」

「ますますメルヘンな世界でござるが……今の吾輩の状況を鑑みるに、決して世迷言とは思えぬでござるな」

 

 ブタオは自分の周りを見渡して呟いた。そして目の前にる女性もまた、人間とは違う何かである事を本能的に理解した。

 

「幻想郷なる世界がある事は分かったでござる。しかし吾輩をそこへ迎え入れようとする真意のほどは?」

 

 理由を尋ねると、紫は妖艶な笑みを浮かべながらブタオに面した。

 あまりにも妖しい色気に、ブタオは身ぶるいした。

 

「貴方には、幻想郷の『糧』になっていただきたいのです」

「か、糧でござるか?」

 

 寒気がより一層強くなってきた。

 震えが止まらない。

 

「ええ。幻想郷は我々妖怪が支配する世界ですわ。私は幻想郷の管理者として、人と妖怪の共存できる理想郷を維持する義務があります。しかし妖怪は人を喰らう存在。妖怪が幻想郷の人間を襲い続ければ、人と妖怪との共存はとても難しくなりますわ。――ここまで言えば分かりますか? 幻想郷には、『妖怪の食糧となってくれる人間』が必要不可欠なのです」

 

 先ほどの身ぶるいの正体が分かった。

 目の前の女性は、自分を人間としては見ていない。まるで家畜のブタを見るかのような……。

 優しい声をかけ、愛情を注ぎながら屠殺する人間の様な。とても冷たい目だった。

 しかし――

 この震えは、決して恐怖から来るものではない。

 実に奇妙な事だとブタオは思う。

 なぜ自分はこうも――興奮しているのかと。

 

(な、なぜでござるか? なぜ吾輩はこんなにも興奮しているのでござるか? )

 

 目の前の女性は、自殺するくらいなら、妖怪の餌になってくれと言っている。死ねと言われているにも関わらず、ブタオは確かに興奮を覚えていた。下腹部に奇妙な熱がともる。

 

「り、理解出来るでござる。し、しかしまだ疑問が残るでござる。なぜ吾輩なのでござるか? 誇らしい事ではないでござるが、自殺志願者は他にも幾らでも……。それとも自殺志願者は皆一同に集めているのでござるか?」

 

 自殺者志願者は他にもいるはずなのに、なんで自分なのか。率直な疑問だったが、紫は笑みを絶やさず機械的に説明する。

 

「いいえ。声をかける者には選別を行っていますわ。他の自殺者では駄目なのです。貴方の様な……。そう、貴方の様な、死ぬ事を望み、且つ行方が分からなくなっても誰も探そうとしない孤独な方でなくてはいけないのです」

「……」

「家族や恋人、友人などの繋がりのある者でしたら、いきなり行方が分からなくなったらその人たちが心配します。その点、貴方は人との繋がりと呼べる縁は一切持ち合わせていない。行方不明になっても誰も探そうとしない。『神隠し』の対象者としてこれほど的確な人はそうはいませんわ」

「ッ……」

 

(彼女は天女ではなく、死神の使いでござったか……。それにしてもなぜでござる? なぜ吾輩は、こんなにも気分が高揚しているのでござる? 吾輩は侮蔑されているのでござるぞ?)

 

 ブタオは自身の内にある――そこに確実にある『愉悦』の感情に戸惑っていた。

 バカにされているのに。

 死ねと言われているのに。

 それでも、悦びを感じずにはいられない。

 美人にブタと呼ばれる背徳的な悦びとは少し違う。もっと違う何か――。充実感にも似た感情が、ブタオの全身を駆け巡っていた。

 

「それで――どうかしら。ただ死ぬなんて余りにも勿体ないわ。貴方のその命、他者の為に使ってみてはいかがかしら?」

「わ、吾輩が、その……断ったら? どうなるのでござるか?」

「これと言って何もありません。私たちは貴方の意志を尊重いたしますわ。有無も言わさず幻想郷へ送ったりは致しません。――もし、断った場合はただ元に戻るだけですわ。ここでの会話は全て記憶から消えて、首を吊っている状態に戻るだけ」

「断れば……元の場所に戻って死ぬだけでござるか?」

「ええ。貴方が他の者の為に死ぬなんて御免だ、と申したとしても構いませんわ。むしろ顔も知らぬ者たちの為に命を差し出せと言っている我々の方が、常識から逸脱しているのですから」

 

 断ればただ戻るだけ。

 首を吊ったあの状態に。

 断ったら、あの時の自殺の続きが再開するだけ。

 

「ゆ、紫殿……一つ尋ねたい事があるでござる」

「何かしら。何でも聞いてくださいな」

「その……紫殿は、その……吾輩の事を必要としているのでござるか?」

「……?」

 

 紫はブタオの質問の意図を読み取れずにいた。

 何と答えてやるべきか……。ほんの僅かな間だが、紫は頭の中の計算を止めた。命を差し出して貰う相手に対し、損得を計算に入れて答えるのはあまりにも失礼な事だと紫は判断した。

 そして、口にする。嘘偽りない言葉を……。

 

「ええ。私は……。いいえ。私たちは貴方を必要としているわ」

「ッ!?」

 

 紫の『必要としている』と言う言葉を聞いた瞬間、ブタオの胸に痛みが込み上げてきた。

 痛い。凄く痛い。しかし決して苦しい痛みではない。むしろ――

 いつの間にかブタオの両目に涙が浮かびあがっていた。

 

「ぶ、ぶふぅ……ぶ、ぶひぃ……ほごぉ……」

「ど、どうしたの? いきなり泣いて……」

 

 ブタオの豹変に、紫は唖然とした。

 最初から失礼な事しか言っていなかったが、それでもブタオは平静に聞いていた。

 良い歳をした中年デブの醜男が子供の様に泣きじゃくる。その様相は余りにも見苦しいものがあるが、紫は子供をあやす様にブタオを宥めた。

 

「す、すまんで、ござる! でも、な、涙が……涙が止まらないのでござる!」

「貴方がどうして泣いているかは分かりませんが……。膝をお貸しします。しばらくこうしてるといいですわ。落ち着きますから」

 

 跪いて泣きじゃくるブタオに、紫は膝を貸し与えた。

 ブタオは紫の膝の上で泣いた。

 涙と鼻水が紫の衣服にこびり付くが、紫は嫌な顔一つせずに、ブタオの頭を撫でてあやしていた。

 しばらく泣き続け――

 不思議な感覚だった。泣いている時の情けなさ。膝を貸してもらった時の気恥ずかしさ。そして泣き終わった後の解放感。一度に無数の感情が放出された感覚だった。

 ブタオは落ち着きを取り戻していた。

 

「す、すまんでござる。情けない所を見せてしまったばかりか、紫殿の服も汚してしまって……」

「気にしてませんわ。落ち着いた様でなによりです」

「ぶひぃ」

 

 紫の笑顔に、ブタオは顔が熱くなるのを感じた。 

 泣いている時とは違った気恥ずかしさがある。

 

「それにしても、どうして泣いてしまったの?」

 

 紫は疑問を口にすると、ブタオは恥ずかしそうに答えた。

 

「恥ずかしい事でござるが、吾輩……誰かに必要とされた事がなかったのでござる」

「必要とされなかった?」

「吾輩、幼い時からいつも苛められ、ずっと引きこもりをしていたでござる。誰からも必要とされず……きっと両親も吾輩の事をずっと邪魔な存在だと思っていたに違いないでござる。紫殿が、吾輩の事を必要と言ってくれた時は、本当に嬉しかったのでござる。余りにも嬉しくて……泣いてしまったでござる」

 

 ブタオはようやく気付けた。

 死ねと言われているのにも関わらず、どうしてこんなにも気分が高揚しているのか。

 なぜこんなにも悦びを感じているのか。

 誰かに必要とされたから。

 他人を不快にしかしてこなかった自分が。ただ消費するだけの自分が。ただウンコを製造する事しか出来なかった自分が。

 必要とされている。

 貴方が良いと。そう言って……。

 紫には分からないだろう。もしかしたらブタオ自身分かっていないのかもしれない。

 誰かに必要とされる。その事実がどれだけ報われるのか。どれだけ救いになるのか。

 

 

「決めたでござる! 紫殿! 吾輩、幻想郷へ行くでござる!」

 

 

 



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第三話 違和感

「紫殿! 吾輩、幻想郷へ行くでござる!」

 

 ブタオは袖で涙の跡を拭き取って、声高らかに宣言した。

 提案したはずの紫は呆気に取られていた。少し表情が硬くなっているのを察してか、ブタオは尋ねた。

 

「どうしたのでおじゃるか紫殿。吾輩、決めたでござるぞ? 幻想郷に行くのを」

「え? あ、申し訳ありませんわ。ただ意外に思えまして……」

「意外に、でござるか?」

「はい。先ほども申しました通り、私どもの願いは常軌を逸したものですわ。名前も知らない、ましてや貴方の住んでいた所と違う世界の為に命を差し出してほしいと言っているのですから。正直、ふざけるなと罵倒されるのを覚悟していたのですが……」

 

 正論だった。

 如何に捨てる予定の命とは言え、捨て方くらいは自分で決めさせてほしいものである。それに『誰かのために』と耳障りの良い言葉を使っているが、それはブタオの見知らぬ者だけではなく世界すら違うのだから。

 どんな善人であれ、ふざけるなと言うのがたぶん普通なのだろう。

 しかしブタオは紫の疑問に笑顔で答えた。

 

「吾輩も先ほどと同じ事を言うでござる。吾輩は誰にも必要とされなかった。でも、吾輩が死ぬ事で誰かが救われるのなら……。これほど嬉しい事は無いでござる。この命、好きに使ってくれて結構でござるぞ!」

「ブタオさん。貴方の誠意とても嬉しく思います。しかし、それでも改めて確認させてください。貴方は我々の為にその命を幻想郷へ捧げていただけるのですね?」

「無論でござる」

「幻想郷は魑魅魍魎が跋扈する世界。そして文化形態や科学技術の発達も、おおよそ明治時代程度のものでしかありません。現代で生きてきた貴方にとっては、まさに異世界と言っても差し支えない場所ですわ。それでも貴方は来ていただけるのですか?」

「無論!」

「このまま断れば楽に死ねますわよ? 化物に生きたまま喰われる。それは想像を絶する激痛をもたらします。それでも……」

「痛いのは嫌でござるが、それでも吾輩は決めたでござる! この命は幻想郷の為……いや、紫殿の為に捧げたいでござる!」

 

 自分を必要と言ってくれた人の為に。

 自分の心を救ってくれた人の為に。

 他意はなかった。下心も在りはしない。そこにあったのはただの感謝と報いたいと言う気持ちのみだった。

 決意の言葉。実際に口にしてみると決意がより堅固なものになる。人みしりで決意など口にした事がなかった自分が随分と饒舌に――。

 と、ブタオが自身の放った言葉をふと思い返した時だ。

 

(あれ? 吾輩、実はとんでもない事を言ったのではござらんか?)

 

 命を差し出すことではない。その命を特定の人のために――。しかも女性の紫に対して捧げると口にした。

 これではまるで愛の告白ではないか。

 

(い、いかんでござる! 吾輩の様なキモオタが紫殿の様な見目麗しい女性に対して、あのような……あまりにも不敬ッ! 気を悪くさせてしまったでござらんか?)

 

 しかしブタオの心情とは裏腹に、紫は嫌悪を露わにするどころか、その頬には赤みが帯びており、明らかな動揺を見せていた。

 その様相は、先ほどの妖艶な色気を醸し出していた女性ではなく――。まるで恋を覚えた少女の様なものであった。

 

「ぶ、ブタオさん……」

「は、はいでござる!」

「先ほどの、その……。私の、ためにですか?」

「う……。す、すまなないでござる! 気持ちの悪い事を言ってしまったでござる! 気を悪くさせて申し訳ないでござる!」

「そんな、気持ち悪いだなんて……。とても嬉しかったですわ、ブタオさん」

 

 紫は顔を赤く染めたまま、笑顔で答えてくれた。

 その様子に、ブタオもまた顔を真っ赤に染まった。余りにも可愛らしいその様子に、恋に似た感情がブタオの全身を駆け巡った。

 

「ブタオさん。貴方を幻想郷へと招待いたしますわ。でもブタオさん――」

「なんでござるか?」

「先ほど私は、『幻想郷の糧になってほしい』と申しましたが、無理に妖怪に喰われる事はありませんわ。幻想郷を見て、もしも死ぬ事が惜しくなったのなら、そのまま生きてくださっても構いません」

「そ、そうなのでござるか?」

 

 別に無理に死ぬことはない。生きたいなら生きていても良いという紫の言葉は、殉死の決意をしたばかりのブタオにとって、肩すかしする言葉だった。

 糧になって欲しい、という台詞とは真逆な台詞に対し、紫は事情を説明した。

 

「ええ。幻想郷で生き、そこで骨を埋めるのも、ある意味においては幻想郷の糧になるとも言えますから。貴方が将来、幻想郷で伴侶となる存在を見つけ、子をなすことがあれば幻想郷の人口は増えますわ。人を食糧とする妖怪にとって、人間が増えることは喜ばしいことです。それに――」

「それに?」

「貴方にしてみれば一生に一度あるかないかの異世界召喚。異世界を見ないまますぐに死んでしまっては勿体ないわ。その上で、生きるか死ぬかを選んでみてはどうかしら」

「確かにでござる。死ぬにしても異世界を堪能せずに死ぬなんて勿体ないでござる。まるで小説の主人公になった様な気分でござる!」

「貴方の国で流行しているライトノベルと言う物ですわね?」

「なんと!? 紫殿もラノベの御存じなのでござるか!?」

「ええ。少々嗜んでいますのよ。異世界に召喚された者が立身出世を果たす。王道ですわね」

「そうでござる! 王道でござる! その者も大概は吾輩の様な底辺の者で――」

 

 紫とブタオのラノベ談義はしばらく続いた。ブタオにとっては綺麗な女性と自分の趣味について語り合える幸福な時間ではあったが、宴もたけなわなわけで、とうとう幻想郷へと送られる時が来た。

 

「さて、これから貴方を幻想郷へと送りますわ。それに伴い、ブタオさん。私からのサービスですわ」

「サービスでござるか?」

「ええ。異世界召喚にはチート能力は付きものでしょう? 幻想郷に住む者はみな固有の能力を持っているんですの。貴方にも能力を差し上げようと思いまして」

「なんと! 吾輩にチート能力をッ!?」

「どんな能力が欲しいですか? さすがに私の力の範疇を超えるような強すぎる力は無理ですが」

「むむむ。悩むでござる」

 

 ブタオは腕を組んで悩んだ。

 過去に様々なラノベを読み漁り、自分が考えた最強の能力をいくつも編み出したものだ。

 悩むブタオではあったが、ふと身も蓋も無い事を考えてしまった。

 そんな力を手に入れてどうするのか、と。

 話を聞く限り、幻想郷は殺し合いを禁じ、弾幕勝負なる遊びで決着を付ける平和な世界。

 そんな世界で最強の能力を手に入れて何か意味があるのか? と。

 

「紫殿」

「決まったのかしら?」

「うむ。決まったでござる。とても抽象的なものなのでござるが吾輩……『皆に愛される』ような能力が欲しいでござる」

「『皆に愛される』能力ですか? それはまたなぜ? ラノベにある様な『闇の炎を操る程度の能力』とか『時空間を操れる程度の能力』とか。色々とあると思ったのですが……」

「そんな能力を持っていても吾輩には宝の持ち腐れでござる。吾輩、争い事は苦手でござるし……。強力な力を手にしてもそれを生かせるような頭も持ち合わせておらんでござる」

「それではなぜ、そのような能力を?」

「紫殿と話しているこの時は、吾輩の人生の中でも至高のものでござった。人と話す事がこんなにも楽しいものとは知らなかったでござる。吾輩は他の人達とも話をしてみたいでござる。だから――」

「『皆に愛される』能力が欲しい、と言うわけですわね」

「そうでござる。――何か良い案はないでござるか? 恥ずかしながら吾輩、人に好かれる様な能力とはどのようなものなのか、具体的なイメージが湧かないでござる。どんな能力ならば人に好かれるでござろうか?」

「それでしたら抽象的なままでよろしいと思いますわよ。――『皆に愛される程度の能力』。それが今から貴方が持つ能力の名前ですわ」

 

 紫は右手をかざし、小さく呟いた。

 途端、ブタオの体が光に包まれる。

その光は数瞬で消え、体も特に変わった様子は無かったが、何かが注ぎ込まれたと言う実感だけは残った。

 

「終わりましたわ。これで貴方も立派な能力持ち。『皆に愛される程度の能力』を手にしました」

「特段変わった様子は無いでござるが……。発動条件はなんでござるか?」

「そんなものはありませんわ。貴方の能力は能動的に発動させるものではなく、常時的に発動しているもの。実感は湧かないとは思いますが、これで貴方は誰からも愛される人になりました」

「そ、そうなのでござるか?」

 

 いまいち実感の湧かないブタオだが、紫の笑顔の前に照れてしまい、まぁいっかとひとまず置いた。

 

「それでは貴方を幻想郷へと送ります。ひとまず、人が多く住む『人里』へ貴方を送りましょう。そこに住む『上白沢 慧音』と言う人物を尋ねてください。事情を説明すれば最低限の衣食住は提供してくれると思いますわ」

「それはありがたいでござる! まずは拠点が必要でござるからな」

 

 紫が手をかざすと、目の前には人が通れるだけの『門』が開いた。

 

「この先が幻想郷になります。貴方が生きるにせよ死ぬにせよ――良き幻想郷ライフを過ごせる事を祈っておりますわ」

「この先が幻想郷でござるか。――紫殿」

「なんですか?」

「ま、また、その……会えるでござるか?」

「ええ。貴方が生きていたらきっとまた……」

「それが聞けて良かったでござる。では、行ってくるでござる」

 

 ブタオは門を潜り、幻想入りを果たした。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「気持ちの悪い男でしたね」

 

 ブタオが居なくなった隙間の空間で、藍は紫に対して言った。

 紫は返答しなかったが、藍は言葉を続ける。

 

「本当にブタみたいでしたね。聞きましたか? 所々に『ぶひぃ』とか言って。――なんでしょうかね、あのしゃべり方。『ござる』って。本当に気持ち悪い。キャラ作りですかね? 何かの創作物に触発されたのですかね? 聞いていて滑稽で不愉快でしたよ」

「……」

「しかも自分の事を『ブタオ』と呼んでほしい? 綺麗な女性にブタ呼ばわりされて嬉しい? はッ! とんだ変態ですね。背筋に鳥肌が立ちましたよ。本物のブタ対して失礼というものです」

「……」

「醜い嗚咽を聞かせられただけでなく、紫様のお召し物を汚すなんて……。帰ったらすぐに着替えを用意いたします。不快とは御思いでしょうが、しばらくお待ちください」

「……」

「それにしても紫様。今回は、少々サービスが過ぎるのではないでしょうか? 甘ったれで他人を不快にし、社会に何の利ももたらさない――あんな生きていてもどうしようもない人間に能力を与えるなど――」

「……」

「その上、幻想郷で生きても良いなんて……。紫様が慈悲深いのは良く分かりますが、奴の経歴を聞いても同情する点など微塵も在りはしません。ただの甘ったれです。――あの男が幻想郷で生きていてもきっと何の利益にもなりません。あのような者が番を見つけられる訳もありません。種を残す事も出来ず、糞をする以外に何の生産性もなく――。そんな男が紫様の作った美しい幻想郷に住むなんて……。ぞっとしませんね。死んで妖怪の餌になってくれる事が彼にとっても我々にとっても――」

 

 そこまで言いかけて、藍はそれ以上言葉が続かなかった。自らの意志ではない。物理的に藍はしゃべれなくなっていた。

 なぜなら、彼女の口には、彼女が――紫が普段から手にしている傘の先が押し込まれていたのだから。

 

「ごぼッ!? ごぇッ……!」

 

 口蓋垂に傘の先端が当たり、激しい激痛と吐き気が藍を襲った。物理的に口の中に異物を押し込まれ、まともな呼吸も出来ない。

 

「ぼぇッ! おぇッ!」

 

 喉を刺激する異物を吐き出そうと、藍の喉は小さな痙攣を何度も起こし、呼吸困難のためか顔色が蒼白になってきた。

 蒼白になり、涙すら浮かべている藍をよそに、紫は平然だった。平然と無表情のまま、藍の口に傘の先を押しこんでいる。

 

「ねぇ藍」

 

 紫が口を開いた。しかしその口調は余りにも静かで、酷く冷たいものだった。

 

「ブタオさんがなんですって?」

「むぐぅッ!? お、おぇッ!」

 

 紫の手に力が籠る。先の尖った傘の先端は藍の喉元を超え、胃に通ずる食道に達していた。

 

「気持ちが悪い? 滑稽で不愉快? 生きていてもどうしようもない? 死んでくれた方が助かる? 貴方は何を言っているの? どうしてそんな事を言うの?」

「か、かほぉ……お、おぇ……」

「彼は幻想郷の為にその命を差し出してくれたのよ? 誰とも知らず、世界すら違う私たちのために命を差し出してくれたのよ? そんな彼に対してなに? 『気持ちが悪い』ですって? よくもまぁそんな無礼な言葉が出せたものね」

「ぉ……ぉ……」

 

 藍の体から力が抜けていく。目からは涙が。鼻からは鼻水が。口からは大量の唾液が。藍の顔の穴と言う穴から体液が流れ出た。

 失神する寸前になって紫はようやく藍の口から傘を抜き出した。

 

「げ、げほぉッ! げほごほッ!」

 

 むせ返る藍をよそに、紫は藍の唾液の付いた傘を、事もあろうか藍の衣服に擦りつけて拭いていた。

 紫は藍の目の前に立ち、そして跪いて嗚咽を出している藍の髪の毛を引っ張り上げ、無理やりに視線を合わせた。

 

「次に同じ事を言ってみなさい。その首ねじ切って、豚の餌にしてやる」

「ひぃッ!?」

 

 情けない声が出た。

 自分は、主である紫と長い時間を共に過ごしてきた。互いに強い信頼関係を築き上げていたとすら自負している。口には出さずとも何を考えているのか分かる程の強い信頼関係を。

 だからこそ藍には嫌と言うほど理解できた。

 

 彼女は本気だと。

 

 次にブタオを侮辱する言葉を口にした瞬間、一切の躊躇いを見せる事も無く、本気で自分を殺す気だと。

 

 いつの間にか、生温かな感触が自身の下半身を濡らしていた。

 余りの痴態に、藍の顔は真っ赤に染まる。

 情けなさと恐怖感。二つの感情が入り乱れ、藍のコンピューターのごとき思考回路はショート寸前であった。

 

 紫は藍の濡れた下半身に目を落とすと、紫は苦笑した。

 

「あらあら。藍ったら、子供みたいにオネショなんてしちゃって。うふふ」

「え? は、え……?」

 

 その口調はとても優しげだった。

 いつもの、優しく慈悲深く包容力を持った紫の言葉だった。

 先ほどの殺意を露わにした冷たい表情はどこにもなく――。いつもの優しい顔に戻っていた。

 

「藍。二度と彼に対して失礼な事を言ってはいけないわよ。彼は幻想郷の糧になると言ってくれた人なんだから」

「え、は、はい……。申し訳ありませんでした」

「うふふ。よろしい。――さぁ、私たちも帰りましょうか」

 

(な、なんだ……この違和感は……?)

 

 藍は、先ほどの紫の言動や態度に対して違和感を感じていた。

 確かに非は自分にある。

 幻想郷のために命を投げ出そうとしてくれた御仁に対しての無礼極まる言動の数々。

 幻想郷を愛する紫が激昂するのは理解できる。

 

 しかしそれでも――。

 

(紫様は、あんなにも感情の起伏の激しい御方だったか?)

 

 長い間、紫の式神として傍にいた。時には自身の非で御叱りを受けた事も多々ある。体罰もあった。

 しかし――

 

 本気で殺意を向けられた事は一度たりとも無かった。

 

 どうして今回に限り、あれほどまでに激昂したのか。

 怒りの理由に対して矛盾はない。無いのだが……。藍は紫に対する違和感を拭えずにいた。

 

 




 


 能力持ちとなったブタオ。
 彼の幻想郷ライフはどのようなものなのか。

 第一章 幻想入りはこれにて終了。
 次からは第二章、幻想郷ライフです。ここまで読んでくださって感謝です。


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第二章 人里にて
第四話 「幻想郷にようこそ」


「おお! ここが幻想郷でござるか!?」

 

 ブタオは人里のど真ん中で佇んでおり、周りの景観を見渡しながら感嘆の声を上げていた。

 過去に教科書の中で見た、江戸時代の町並みのようではないか。

 町並みばかりじゃない。行き来する町の人達もそうだ。みんな簡素な和服を着ている。ブタオは、ここは本当に現代ではないのだと改めて実感した。

 大きく深呼吸してみると、現代の空気とは違った味がする。とても澄んでいるのだ。

 

「空気も随分と澄んでいるでござる。現代はとても汚れていたのでござるな」

 

 ブタオが、田舎から都会に出てきた子供の様にはしゃぎ、キョロキョロと落ち着きも無く辺りを見渡していると、ある事に気が付いた。周りの者が一堂にブタオの事を見ているのだ。

 

(うッ……。皆、吾輩の事を見てコソコソ話しているでござる)

 

 古い着物姿がデフォの幻想郷にあって、ブタオの現代的な格好は余りにも目立っていた。しかもキョロキョロと落ち着きも無い様子も合わさって完全な不審者である。

 ブタオは、コソコソと陰口を叩かれている事でトラウマが刺激されたようだ。

 あては無いが、とりあえずここから早く立ち去ろうと足早に離れようとした時だ。

 

「おい! そこのお前! 待て」

 

 自分を呼びとめる者の声がする。ブタオは振り返ると、そこには青い帽子と胸元を大きく開けた上下が一体となっている青色の服を着た女性が立っていた。

 

「ぶ、ぶひぃッ!? な、なんでござるか!?」

「『何か』とはこっちの台詞だ。あまりにも挙動不審過ぎるから声をかけた。お前は誰だ? この辺りじゃ見かけないが……。それにその格好、外来の者か?」

 

 女性はおもむろに近付き、品定めするかのようにブタオの事をジロジロと観察していた。

 しかしその仕草は、身長差のあるためか、睨まれていると言うよりは、下から上目づかいをされているかのように錯覚させる。

 

(ひ、ひぃッ! ち、近いでござる! それにこのおにゃのこ、すごくオッパイが大きいでござる! はぅッ! あ、甘い香りが――ぶふおぉぉッ!)

 

 元々、胸元の開けた格好のためか、上からの視線だと非常に目のやり場に困る。

 視線をそらすブタオではあったが、女性はあからさまに視線をそらしたブタオにカチンと来たようで、よりブタオの顔に近付いて言った。

 

「こら。人と話すときは、きちんと相手の目を見て話せ。あからさまに視線をそらすなど失礼だぞ」

(さ、さっきよりも近い……ッ! ち、違うでござるッ! 別に無礼を働きたかったわけでは……ッ!)

 

 元々、コミュ症に近い人身知りのブタオが、自身の想いを口に出すことなど出来るはずも無く、混乱の極みにあったブタオは、自分でも良く分からないまま言った。

 

「わ、吾輩は、ブタオと申す者でござる」

「ブタオ? 君の名前か?」

「そうでござる。吾輩、紫殿に幻想郷へ招待されたでござる」

「紫……。八雲紫の事か?」

「う、うむ……」

 

 ジト目でブタオを見ていた女性は、ようやくブタオの体から離れ、ブタオはほっとする半面、少し惜しい気分になっていた。

 

「八雲の者が関わっているのか。と言うと、やはりお前は外来人か。幻想入りしたのか?」

「外来人?」

「なんだ。八雲紫から聞いていなかったのか? この幻想郷では、現代から来たものを『外来人』と呼称しているのだ」

「そうなのでござるか」

「なるほど。外来人ならば幻想郷の風景は珍しいものか。――自己紹介がまだだったな。私の名前は慧音。上白沢慧音と言う。この人里で教鞭をとっている者だ」

「学校の先生でござったか」

 

(こんな若そうなのに先生とは……。こんな美しい先生がいたら、子供たちも勉強に身が入らぬのではなかろうか)

 

 そんな事を目の前に居る慧音を見て率直に思った。

 しかしそんな下世話な思考もすぐに払拭される。なぜなら上白沢慧音と言う名前には聞き覚えがあったからだ。

 

「そう言えば、紫殿が言っていたでござる。人里に着いたら慧音殿を頼れと。この幻想郷での生活に付いて色々と教えてくれると言っていたでござる。貴官のことでござったか」

「ん? ああ、まぁな。私は人里までやってこれた外来人の保護も行っているからな。――どれ、立ち話もなんだ。付いてきてくれないか、色々と君の話を聞きたい」

「了解でござる」

 

 慧音はブタオを連れて、一軒家の中へと招待した。

 

「ここは私の住まいだ。何もない所ではあるが、楽にしてくれ」

「お邪魔します、でござる」

 

 何もないと言っているが、中へ入ってみると大量の書物が山の様に積み重なっている。

 慧音は、ブタオを家の中へ上げると手慣れた手つきでお茶の用意をし始めた。少し待っていてくれと言う慧音を外に、ブタオは慧音がお茶を入れている間、物珍しそうに辺りを見渡していた。

 コンクリートや鉄筋等は一切使用していない、完全な木造仕立ての一軒家。現代の建築技術とは一線を画した造りに、ブタオはとても興奮した。

 

「そんなに珍しいか? 幻想郷の住居は」

 

 慧音がお茶を淹れながら尋ねた。

 

「とても興味深いでござる。吾輩が住んでいた家とは全く違う、趣のある家でござる」

「はは。素直にボロいと言っても良いのだぞ。事実だしな」

「そんな事思ってないでござる! 本当に良い家だと思ったでござる!」

「そうか。ありがとう」

 

 他愛もない会話ではあったが、慧音の子供を見る様な温かな笑顔に、ブタオは少し恥ずかしくなってしまった。

 慧音は、茶の入った湯呑をブタオに差し出た。お互いに一口すすり、ほっと一息ついた所で慧音はブタオに問いただした。

 

「さて、色々と聞かせてもらえるな。幻想入りした理由とか」

「分かったでござる。説明するでござる」

 

 ブタオは事の経緯を説明した。

 現代で自殺を図ろうとした事。八雲紫に死ぬくらいなら幻想郷へ来ないかと誘われた事。妖怪の食糧となってもらえないかと言われた事等。

 ブタオが饒舌に話をしているうちに、いつの間にか慧音は口が開きっぱなしになっていた。時々、眉間に皺を寄せたり、こめかみを押さえたりもした。

 

「なんともまぁ……」

 

 呆れた。

 それが慧音のブタオに対する初見であった。

 

「君はその……それでいいのか?」

 

 慧音も思う所がなかったわけではない。幻想郷の維持には、ブタオの様な妖怪の食糧となってくれる存在が必要不可欠である事を。可能な限り内側の人間を守るために外の世界の人間を犠牲にするというこのサイクルに対する意義を。仕方がない事と割り切ってはいたが、何も思わなかったわけではないのだ。

 にもかかわらず、目の前のブタオと言う男はどうだ。

 彼の表情は実に爽やかなものであった。

 慧音はその立場上、幾人も幻想入りをした人間を見てきたが、そのほとんどは生きる気力を失った抜け殻の様な存在であった。彼らも紫に諭されたのだろうが、半場“どうでもいい”と言うやけくそに近い感情であったに違いない。

 しかし、ブタオは違う。

 

「良いのでござる。吾輩は紫殿によって救われたのでござる。元より価値のないこの命。紫殿の理想の一助になるのならば、吾輩は本望でござる」

「まるで洗脳だな。ただ同情されただけでそうも盲信出来るものなのか? 八雲紫にとってお前は数ある餌の一つに過ぎないのだぞ。ただ利用されているだけだと思わなかったのか?」

 

 慧音の厳しい正論に、ブタオは自身でも驚くほどに冷静だった。

 

「……慧音殿は正道を歩むものなのでござるな」

「正道?」

「そうでござる。正しい光の道を歩む者でござる。誰からも愛されず必要とされず。自分から変わろうとする気概も無く。ただ喰って寝て、目に見えない不安感を抱きながら無為に時間を浪費し、勝手に絶望しながら自殺を望む様な――。吾輩の様な日陰者の気持ちは決して理解できぬでござる」

「……」

「紫殿に出会い、吾輩は救われたでござる。何も持ちえない吾輩を必要と言ってくださったのでござる。紫殿の思惑がどうであれ、その言葉で吾輩が報われた事に違いは無く――吾輩は、吾輩を救ってくれた紫殿に報いたいでござる」

 

 ブタオは、やはり驚いていた。こんなにも自分は自分の意思を話せるものであったかと。

 本当に不思議なものだ。かつては人と対面すること自体に強い忌避感を感じていたと言うのに。『人間死ぬ気になれば何でもできる』と言う言葉があるが、この言葉は事実なのかもしれない。死という最も忌避すべき事象に向かい合える事が出来れば、その他は全てが小事に思えてくる。

 

「そうか。お前がそう言うのならばこれ以上は私から言う事は何もない」

 

 ブタオの信念を聞いてか、慧音はそれ以上は何も言わなかった。

 互いに少し温くなったお茶を飲み干す。微妙に気まずい空気が辺りに漂ったためか、慧音は建設的な会話に切り替えた。

 

「それで、お前はこれからどうするんだ?」

 

 これからの予定に付いて慧音が尋ねたところ、ブタオは目を子供の様に目を輝かせて言った。

 

「とりあえずは、この幻想郷と言う世界を観光したいでござる」

「か、観光?」

「そうでござる。吾輩にしてみれば、この幻想郷は夢にまで見た異世界。いろんな所を見てみたいでござる。――最後の思い出作りでござる」

「最後の思い出?」

「吾輩は当初の目的の通り、妖怪の贄となるつもりでござる」

「……八雲紫は無理に死ぬ事は無いと――命が惜しくなったらこの幻想郷で生きても良いと言ったのではないか?」

「確かに紫殿はそう言ったでござる。しかし、死ぬ以外に紫殿に報いる方法が見つからないのでござる。紫殿は、吾輩が将来的に伴侶を見つけて子を成せば嬉しいと言ってくださったのでござるが……。吾輩の伴侶となってくれる女性など居るとは思えぬでござるし」

「これはまた……。ブタオ、歳は幾つだ?」

「歳でござるか? 今年で三十五になったでござる」

 

(まだ、子供じゃないか。私の何分の一も生きていない……。容姿もそこまでブサイクなものか? 肉つきの良い体をしていると思うが……)

 

 蛇足ではあるが、二人の会話には微妙な食い違いがあった。

 ブタオは、慧音が半分妖怪の血が流れている半妖である事を知らないため、慧音の事を若くて美人のオッパイが大きい女教師程度にしか思っていなかったし、慧音もまた妖怪のいない現代で三十台と言う年齢とブタオの容姿の価値観に付いて気付いていない。世界が違えば価値観も違うと言う当たり前の事をこの時の二人は把握していなかった。

 

「妖怪の食糧になる。これに変更は無いでござる。無いでござるのだが……」

「何か気になる事でもあるのか?」

「そうでござる。吾輩、紫殿に救われ、人と関わる悦びを知ってしまったためか、少し欲張りになってしまったみたいでござる。価値無き命には違いないでござるが、決して無駄にはしたくないのでござる。吾輩のこの命は、吾輩を必要とする者に捧げたいのでござる」

「必要としてくれる者……か。と言うと、君は家畜の様にただ消費される様な存在にはなりたくないと言う事か」

「そうでござる。ただ喰われるだけでなく、その者に――ほんの僅かな間だけでも良いのでござる。『貴方が居て良かった』と、そう思われたまま喰われたいのでござる。――やはり、欲張りでござるかな?」

「……」

 

 幸せそうに。はにかんで言うブタオに対し、慧音が抱いたのは哀れみの感情であった。

 こいつは、今までどんな人生を歩んできたのか。

 本来『死』と言うのは究極の不幸であるはずなのだ。にも拘わらず、それに救いを求めている。この二律背反な思想はまるで――

 

(まるで、彼女の様な……)

 

 不老不死の能力を持ち、死にたくても死ねず――ブタオの様に『死』に対して救いを求めている親友の姿が、一瞬だけ脳裏に浮かんだ。

 

「――君のその在り方は、決して欲張りなんかじゃない。自分の最後を自分で決めたいという想いは、人として当たり前の事だ」

「そう言ってもらえると嬉しいでござる」

「なるほどな。自分の命を差し出すにふさわしい相手を探すための観光か。――良き出会いがあると良いな」

「ぶひぃ」

 

 慧音は身を乗り出し、ブタオの横に座った。そしてブタオの手を取って言ったのだ。

 

「これも何かの縁だろう。私に出来る事があれば何でも言ってくれ」

「ぶひぃッ!? け、慧音殿!?」

 

 突然、慧音に手を握られた事にブタオは驚愕した。今まで女性に触れられたことなど在りはしなかった。

 温かく柔らかな感触。ブタオのすぐ横に座っているから彼女の芳香が感じられる。何と心地よい事か。女性の手の温もりと言う物がこれほど心地よいものとは知りも得なかった。

 とても心地よい感触である。出来る事ならばずっと感じていたいものではあるが、生憎とブタオは女性経験が皆無であり、この時は恥じらいの感情が上回っていたようだ。

 

「け、慧音殿……。吾輩、恥ずかしいでござる」

「ん? ああ、すまない。突然手を握るなんてどうかしていたな。嫌だったか?」

「そそそそんな事は無いでござる! と、とても温かくて、良い匂いで……ッ! 慧音殿の様なきれいな女性に握られて、すごく嬉しかったでござる!」

「ふふ。なんだ突然に。私を口説いているのか?」

「ちちち、ちがッ……ぶふぅッ!」

「嬉しいよ。私も綺麗と言ってもらえたのは初めてだ」

 

 顔を真っ赤に染めながら狼狽するブタオに対し、慧音は笑いながらブタオをからかっていた。

 しかし、きれいと言われたのが思いのほか嬉しかったのか、彼女もブタオほどではないにしろ、ほんのりと顔を紅潮させていた。

 何とも良い感じの空気ではあるが、女性経験皆無のブタオにとっては、この空気は居心地が悪い事この上なく、すぐさま話題を変えた。

 

「そ、そうだ慧音殿。吾輩、慧音殿にお願いがるのでござった!」

「お願い? なんだ?」

「幻想郷を観光するにあたって、しばらくはこの人里を拠点としようと思っているのでござるが、生憎と寝泊まり出来る場所が分からず……。宿を紹介してもらえないでござらんか?」

「ああ。なるほどな」

 

 上手い具合に話題が逸れたかとブタオは思ったが――。ブタオの思惑とは裏腹に、慧音は何を思ったのか、突然とんでもない事を言いだした。

 

「ならば暫くの間、この家に住むと良い」

「ぶひぃ……? 今、何と言ったでござるか?」

「暫くここに住んで良いと言ったのだ。家賃いらず、食事も付いているぞ」

「いやいやいやいや――。ここは慧音殿の家でござろう!? 吾輩に住めというのは……。はっ!? もしや慧音殿は所帯持ちでござるか?」

「いや。独身で一人暮らしだが?」

「ますます駄目でござろうッ! 吾輩は男でござるぞッ! 慧音殿の様な妙齢な女性が、男を連れ込むなどッ! 警戒心が無さ過ぎるでござるッ! もっと自分の身を大切にするでござる!」

「大丈夫だ。空き部屋はあるし。それともなんだ? お前は私の事を襲うつもりなのか?」

「そんな事しないでござるッ! 吾輩とて腐っても大和男子ッ! 女子を無理やり手篭めにしようなどと――! 襲う襲わないの問題ではないでござる! 吾輩はモラルの話をしているのでござる!」

 

 ギャーギャーと興奮気味に騒ぐブタオを前に、慧音は冷静な物言いで言った。

 

「まあ、少しは落ち着いたらどうだ? 私も現実的に考えて、お前の事を誘っているのだが?」

「現実的、でござるか?」

「ああ。だってお前――お金持っているのか?」

「あ……」

 

 ここにきて、ブタオの熱は一気に冷めた。

 金がない。現実にして何と切実な問題か。金の無い状態で宿を紹介してくれと言った自分が余りにも恥ずかしい。

 

「も、持っていないでござる……」

「だろうな。外来人と言うのは大概は身一つで幻想入りするものだからな。それでどうだ? 暫くの間、私と一緒に住まないか?」

「け、慧音殿はそれで良いのでござるか? 吾輩、男で、その上お金も持ってないでござるぞ?」

「さっきも言ったがこれも何かの縁だ。気まぐれだと思ってくれても構わない。それに……いや、何でもない。どうだろうか?」

「そ、そう言う事でござったら……よ、よろしくお願いしますでござる」

「ああ。よろしく。そして改めて――幻想郷へようこそ。ブタオ」

 

 慧音は右手を差し出し、ブタオに握手を求めた。

 ブタオは慧音の右手を握りしめ、ひとえに慧音の優しさに心を強く打たれていた。

 

「それではブタオ。私は夕食の買い物に出かけてくる。本当だったら人里をお前に案内してやりたいのだが、今日はもう遅い。案内は明日で良いか?」

「もちろんでござる。慧音殿の予定に合わせるでござるぞ」

「そうか。それじゃ行ってくる。暫く留守を頼むぞ。今日は軽いお祝いだな」

「分かったでござる。――あ、ところで慧音殿」

「ん? どうした?」

「先ほどは何を言いかけたのでござるか? 吾輩を泊めてくれた理由に」

「……何でもないさ。何を言いかけようとしたのか、自分でも忘れてしまった」

「そうでござるか。いや、吾輩も経験あるでござる。直前まで言おうとしていた事が突然頭から抜け落ちてしまう事が。ぶふふ」

「ふふ。それじゃ留守を頼むぞ」

 

 慧音はブタオに見送られながら、玄関の引き戸を閉じた。

 慧音はしばらく玄関前で佇み、物思いにふけっていた。

 自分が言いかけた事。

 ブタオに尋ねられた時にとっさに誤魔化したが、あの時、自分はこう言おうとしたのだ。

 

「ブタオ。私は――お前の事が知りたい」

 

 





まだ狂気の部分に入れない。
 次回こそ……


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第五話 「……食べたい」

 

「わ、吾輩! いま猛烈に感動しているでござる! 親以外の女性の手料理など、生まれて初めてでござる」

「大げさな奴だな。こんなの大した事ないだろうに」

 

 この夜は、ブタオにとって人生最良の夜であったに違いない。慧音の様な美しい女性に食事を作ってもらっただけでなく、共に食卓を囲み舌包みをうちながら楽しい会話が出来ているのだから。

 舌包みの最中、慧音はブタオに何杯かの酒を勧めてきた。ブタオは結構イケる口であり、勧められた事もあってつい調子に乗ってしまった。そして案の定酔い潰れてしまう事になる。

 

「ぶ、ぶふぅ……も、もう飲め、んでござる……」

「結構イケる口だな。しかしもう限界か?」

「げ、限界でござる……。目が回るでござる……」

「それはいかんな。――どれ、部屋まで案内しよう。今日はもう遅いから、そのままおやすみ」

「きょ、今日は、何から何までありがとうでござる……。慧音殿には、感謝しても……しきれんでござる」

 

 自殺から始まり、紫に出会い幻想入りに至るまでの間、まだ一日しか経過していない。何と濃い一日であっただろうか。自分でも気付かず、ブタオの体は相当疲れていたようであり、酔っていた事も相まって布団に潜った瞬間にその意識を手放した。

 

「ぶほおおぉッ! ぶおおぉッ!」

 

 部屋を響かせるほどの大きないびきを出すブタオを見て、慧音は完全にブタオが眠った事を確認した。

 しかしそのまま部屋から出ていくこと無く、慧音はブタオのすぐ横で彼を見下ろしながら佇んでいる。

 

 ジーっと。見下ろしている。

 

 その顔は、すやすやと気持ちよさそうに眠っている子供を愛しむかのような優しいものでは決してなく――。

 

 罠にかかった獲物を値踏みしている狩人の様な――。

 

 部屋の中はブタオのいびきしか聞こえない真っ暗な空間。その中で慧音はそっと呟いた。

 

「……なぜだ?」

 

 それは言葉の返ってくる事のない自問自答。

 

「なぜ私は――『嘘』をついた?」

 

 慧音は思い返していた。ブタオに背信した事を。

 ブタオに金がない事を理由に同棲を勧めた。しかし現実は違う。

 

“ブタオは、金が無くとも生活できたのだ”

 

 人里には、幻想入りした外来人の為の宿舎が存在している。そこは基本無料で使用でき、幻想入りした外来人の殆どは、その施設で暮らしている。

考えてもみれば当たり前の事だ。幻想入りする人間は決してブタオだけではないのだから。たとえ金を持っていたとしても、彼ら外来人の寝泊まり出来る施設が無くては、保護なんぞ出来るはずもない。

 慧音は、ブタオにその宿舎を教えるだけで良かったのだ。

 

 しかし、慧音は嘘をついた。

 

 金がないからどこにも寝泊まり出来ない、と。

 

「どうして、私は……」

 

 慧音は己の内にある感情に戸惑っていた。 

ブタオを哀れと思ったのは間違いない。彼の為に出来うる限りの援助をしようと思ったのも本心だ。

 しかし恋仲でもない――今日会ったばかりの男に同棲を勧めるなんて普通はあり得るのだろうか? 自分は女でブタオは男である。明らかに普通から逸脱している。ブタオの言った通り、モラルが欠如している。

 

(分からない。どうして私はあんな事言ったのか。でも……)

 

 真っ暗な部屋も次第に目が慣れてくる。

 慧音はブタオの顔のすぐ横に座り、ブタオの顔にそっと手を置いた。

 

「ぶ?」

「――ッ!?」

 

 リズムに乗っていたブタオのいびきが止まり、慧音は、一瞬ブタオを起こしたかとたじろいだが、ブタオは再びいびきをかき始めた。

 

「だ、大丈夫か……お、起きてないよな……?」

 

 ブタオが起きていない事を確認し、ほっと慧音は胸を撫で下ろした。

 驚いたためか心臓が大きく脈打っている。気持ちを落ち着かせようと、深く呼吸するが一向に収まらない。むしろ不思議と気分が高揚してくるかのような。

 いつの間にか呼吸は荒く大きくなっていた。

 駄目だ。

 落ち着かない。落ち着けない。

 

(なんだこれは……。夜更けに男の部屋で何を――これでは夜這いではないか。私はこんなにもはしたない女だったのか? なぜ、なぜ私は……)

 

 こんなにドキドキしているのか。

 自分は半妖である。人間とは比べ物にならぬほどの長い寿命を持っている。人里の守護者としてずっと人間を守り続けてきた。寺子屋の教師も兼任し、数多の生徒を育て上げ、立派な大人に成長させてきた。人里の中には、一族三代揃って生徒となり、そして卒業した家もある。

 人間が好きだ。人間を愛している。

 しかしその感情は、恋愛と言う感情とはほど遠く、慈愛に近いものであったはずなのに。

 でもこの感情は――。

 

「ブタオ……」

 

 慧音は再び、ブタオの額に手で触れた。今度は慎重に花を愛でるかのように。

 今度はブタオは反応しない。眠り続けている。

 

(はぁはぁ……。ブタオ、ブタオ……ッ!)

 

 慧音は吐息がかかるほど顔をブタオに近づけた。ブタオの寝息が慧音の鼻をくすぐる。

 酒混じりの吐息。微かな男性の持つ汗臭さ。ブタオの匂いに満たされ、慧音は自らの高鳴りを隠せない。いつの間にか慧音は、顔を紅潮させ淫靡な笑顔を浮かべている。

 こらえ切れず、慧音は舌を出した。ネットリと滴るその舌でブタオの頬をなぞった。ほのかな塩気に慧音のタガは外れた。

 

 

(ブタオッ! 私はお前を知りたい。どうしてこんなにも私を狂わせる!? お前は一体なんだ? 彼を知りたい……知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい食べたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい食べたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい食べたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい)

 

 

「ブタオ。お前の歴史が見たい……」

 

 慧音は自らの能力を発動させた。

 『歴史を喰う程度の能力』 それが慧音の能力。

 “食べる”と言う行為の前提として、慧音はその歴史を知る事が出来る。有り体に言えば、他人の過去を見る事が出来る。

 慧音は、この能力を人間を守るためにのみ使ってきた。一つ使い道を誤れば、この能力は他人の過去や記憶を閲覧する事ができ、それを喰う事でそんな過去など無かった事に出来る。記憶操作どころの話ではない。過去と言う歴史そのものを改竄する危険な能力。今までとして、緊急的な場面以外で使用した事は無い。まして自分の知識欲を満たすために許可なく、その者の過去の歴史を覗き見るなど、あまりにも無体と言うもの。

 

 危険な能力であるが故、自らを自制してきた。

 だが己を律し続けた堅子な理性はもうどこにもない。

 

「――見える。これが、ブタオの歴史……」

 

 慧音の脳髄に、ブタオの過去の歴史が流れていく。

それは走馬灯に近い速度であった。ブタオの三十数年間と言う過去の歴史が、慧音の全身に流れ込む。まるでブタオと一つになったかのような感覚に慧音は酔いしれていた。

 

 ブタオの過去――。

 

 それは何と哀れなものか。誰からも愛されず必要とされず。何のために生きているのか意義すら見つけられず。物語の世界に没頭し、夢想にふける事が苦しみから逃れられる唯一の手段。

 卑屈で甘ったれで――何て絶望的なものか。

 ブタオはこんなにも絶望していたのか。こんなにも自分が嫌いだったのか。八雲紫の言葉でこんなにも救われたのか。

 

「すごい……これが、これがブタオの歴史。何と酷いものか。何と哀れなものか。そして――」

 

 何と美味そうな。

 

 憐憫と絶望のスパイスに彩られたブタオの歴史。一体、どんな味がするのだろうか。

 

(はぁッはぁッ! 知りたいッ! どんな味がするんだろうッ!? いや、待てッ……歴史を食べてしまえば、その過去は無かった事になるのだぞ! 駄目だッ!駄目だ駄目だ駄目だッ! 記憶の改竄なんてッ過去の改竄なんてッ! 私にそんな権利は無いッ! でも、知りたい……食べたいッ! ちょっとだけでも)

 

 慧音の欲望は、今にもはち切れんばかりに膨張していたが、最後の一線だけは踏みとどまっていた。

 人の歴史を喰う事は、ブタオから過去を奪う事。

 過去が未来を作り出すと言う言葉がある。その過去を奪うと言う事は、ブタオの積み重ねてきた人生そのものを奪うと言う事と同義だ。

 

(わ、私は何を考えているんだ!? ブタオの歴史を勝手に見ただけでなく、それを食べたいなどと……) 

 

 理知的に倫理感を元として慧音は踏みとどまっていた。しかしその彼女の倫理観はあらぬ方向へと彼女の意志を引っ張っていく。

 

(そ、そうだ! ブタオは、こんなにも悩み苦しんでいるんだ。こんな残酷な過去はむしろ消してやった方が……。そうだ。これはブタオの為だ。こんな歴史はブタオには必要ない。必要無い必要無い必要無い。だから……ちょっとだけ……彼を助けるために!)

 

 ブタオを助ける為に。そう自分に言い聞かせ――

 

 

 慧音はブタオの歴史を喰った。

 

 

「――ッ!?」

 

 人の歴史とはどんな味なのか。そもそも味などあるモノなのか。大抵の人はそう思う事だろう。

 しかし慧音には分かる。人の歴史の味が。

 そしてブタオの歴史の味は――この上なく美味であった。

 

(な、なんだこれはッ! う、美味いッ美味すぎるッ!? こんな歴史は今まで食べた事がない! こ、コレが……ブタオの歴史か!?)

 

 ブタオが学校で苛められた歴史。長い間、苛めが続いていたようで、その味はとても熟成されたものだった。

 高校受験に失敗して落ち込んでいた時の歴史は、驚くような味だった。たぶん本人もこの時は驚いたのだろう。

 滑り止めの高校で不登校となり中退した時の歴史は、深みがあってまろやかな味わいだ。

 

 慧音は、ブタオの苦しんだ時の歴史を喰った。

 喰って喰って喰って喰って――その表情は恍惚としたものへと変わっていった。

 

(こ、これはブタオの両親が死んだ時の歴史か。そうだな。この親どもはブタオを導きもせず、ずっと放置していたクズ親だ。こんな親の記憶もいらないよな。うん、喰った方が良い)

 

 これはブタオを助ける為。再度自分に言い聞かせて歴史を貪る。

 そして満足いくまで、ブタオの歴史を喰った慧音は、荒い息遣いをして、顔を真っ赤に紅潮させていた。ほんのりと汗を湿らせ、妖艶な表情をして悦に浸っていた。

 

「ブタオ……」

 

 すぐ横には寝息を立てているブタオの姿がある。

 慧音はブタオの額に、口づけをした。その後、ブタオが起きないように小さく、それでいて耳元で囁いた。

 

「こんな気持ちになったのは生まれて初めてだ。お前のせいだぞ。責任を取れ」

 

 自身の内にある、ブタオに対する感情。慧音はこの感情が分かってしまった。これは女が男にする恋慕の情。

 自分はブタオに恋をしている。

 きっかけは分かららない。だが最早きっかけ等何の意味も持たない。ブタオを愛してしまっていると言う結果が既に出てしまっているのだから。

 

「ブタオ。私はお前を愛している。お前は、私のモノだ」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「ぶっふぅ~ッ! 爽やかな朝でござる!」

 

 実に清々しい朝であった。起きた時の気だるさがまるでない。まるで体に取り憑いていたものが抜け落ちたかのよう。生まれ変わった様な気分であった。

 

「ブタオ。起きた様だな。入っても良いかな?」

 

 襖の奥から慧音の声が聞こえてくる。ブタオは慧音を部屋に向かい入れた。

 

「おはようでござる慧音殿」

「おはよう。朝食を用意した。準備が出来たら居間に来てくれ」

「おお! ありがとうでござる。すぐに準備するでござる」

 

 朝起きて、綺麗な女性とあいさつを交わすだけでなく、朝食まで用意されている。これはまるで夢にまで見た夫婦生活のようだ、とブタオは頬を緩ませながら上機嫌で準備を進めた。

 準備するブタオを後に、慧音は居間へと向かおうとするが、何かを思い出したかのようにブタオに問いただした。

 

「あ、そうだ。ブタオ。突然の質問で悪いのだが――」

「ん? なんでござるか?」

「君の両親の名前を教えてくれないか? 昨日の話の続きで気になってな」

「昨日でござるか? いや、しかしそんな話等したでござるか? 吾輩には“両親なんていない”でござるぞ?」

「おや。私の勘違いだったようだな。すまないな、忘れてくれ」

 

 慧音は満足げにブタオの部屋を後にした。

 突然の質問の意図が良く分からず、ブタオは首をかしげた。

 

「変な慧音殿でござる。吾輩には親は居ないのに――ん? あれ? そう言えば――」

 

「吾輩、親がいないのにどうやって生まれたでござるか?」

 

 




 

 ブタオさんの歴史は喰われ、記憶の欠落が発生しました。
 これもブタオさんを救うためだからしょうがないですよね(ゲス顔)

 上白沢慧音の能力について、かなりの独自設定があります。
 二次創作だからしょうがない。うん。
 
 次回もよろしくお願いします。


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第六話「これからどうしよう……」

 人里を出れば、人喰い妖怪が出ると言われる森が広大に広がっている。そしてその森を抜けると、氷の妖精が住み着いていると言われる湖がある。その湖をさらに奥へ進むと吸血鬼の住む館――『紅魔館』がある。

 深夜のとある時間。この紅魔館で大規模な爆発が発生した。

 城壁が大きな音を立てて崩れ、中から一つの影が月明かりの空に飛び出した。その影の主は泣きべそをかきながら、崩れ落ちた紅魔館に向かって叫んだ。

 

「お姉さまのバカああぁッ! 二度と紅魔館に戻ってやるもんですかッ! ふんッだ!」

 

 少女は踵を返して、紅魔館を後にした。後ろから何やら叫び声が聞こえてくるが、少女は気にせずにそのまま飛び去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブタオが幻想郷へ来てから二週間が経過していた。

 当初こそ、現代との生活の違いに戸惑っていたブタオではあったが、慧音の援助もあって幻想郷の生活に慣れ始めていた。

 ブタオは幻想郷の地理や歴史。妖怪に関する事を慧音から教わりながら生活していた。

 傍から見れば何とも羨ましい生活である。しかしブタオは、この生活に小さな不満を抱えていた。

 生活そのものに対する不満ではない。美人の女教師に幻想郷の地理やルールを教えてもらいながら、同棲をしているこの現状は、男どもが嫉妬する様なうらやまけしからん状況に違いない。それなのにこの生活を不満などと言ったら、男どもに囲まれて足蹴にされてしまうだろう。そしてその事に文句を言う事もきっと出来やしない。

 では何が不満かと言うと――

 

「け、慧音殿」

「うん? どうしたブタオ。夕飯の事か? もう少しだけ待っていてくれ。もうすぐ出来上がるから」

「い、いやそうではないのでござる……」

 

 時間は夕飯時の夜。慧音は台所で夕飯の準備に取り掛かっていた。ブタオはその様子を見ている。

 

「今日はな、新鮮な川魚が手に入ったんだ。照り焼きにしようかと思うんだがどうだろう?」

「お、美味しそうでござるな。――けど、慧音殿。吾輩、慧音殿に話が……」

「話? 何かな?」

「その……吾輩そろそろ、この家を出ようかと……」

 

 ダンッ!

 

「ぶひッ!?」

 

 ブタオが言葉を紡ぐ瞬間、調理中の慧音の所から、包丁を叩きつけた音が響き、思わずブタオは言葉を止めてしまった。

 慧音は笑みを浮かべながら言う。

 

「おっとすまない。驚かしてしまったな。魚を捌くのは結構難しいものだな。――で、何の話かな?」

「い、いや。何でも無いでござる。手を止めさせてすまんでござる」

「そうか。――もう少しで出来るからな。楽しみにしててくれ」

「は、はいでござる……」

 

 鼻歌を歌いながら、ご機嫌に調理を続ける慧音。ブタオはそんな慧音を見ながら、結局大切な話が出来なかった事を悔やんでいた。

 ブタオの持つ小さな不満。

 それは、この幻想郷に来てからこの二週間、人里から一切出ていないと言うこと。

 何かと言えば、危険だから外に出るのは駄目だと言って、中々許可が貰えない。

 尤も、ブタオには外に出るのに慧音の許可が必要なわけでもないのだが、出て行こうとしたら思いもよらない剣幕で怒鳴られた経緯があり、それ以来少し慧音に対して及び腰になってしまっている。

 繰り返すようではあるが、生活そのものには不満は無い。むしろ傍から見れば幸せに見えるのかもしれない。

 だが幸福には対価が必要であり、ブタオもまたその事を理解している。働いているわけでもなく、ただ喰って寝ているだけ。慧音におんぶ抱っこの今のこの生活は、ブタオにとって後ろめたいものであり、それが二週間も続くとなるといよいよもって苦痛に感じてきた。せっかく幻想郷へ来て、生まれ変わったかのような気持ちになったのに、これでは何も変わっていない。

 

「ブタオ~。ご飯出来たぞ。さぁ、一緒に食べよう」

「ありがとうでござる。凄く美味しそうでござるな」

 

 上機嫌な慧音を見て、ブタオは思う。どうして、彼女はこんなにも優しいのだろうか、と。

 慧音が元々お人好しの善人である事は、初めにあった時から理解はしていた。しかし――

 

(慧音殿は、吾輩を重荷と思わぬのでござろうか?)

 

 何もしない、ただ食い扶持が増えるだけのお荷物をどうしてこんなにも手厚く長く居させてくれるのだろうか。

 慧音の優しさを嬉しく思う反面、その優しさに対して何の恩も返せない事に対して、ブタオは歯噛みする想いだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 その夜、慧音はブタオの枕元に立っていた。ブタオは慧音の気配に気付かない。いびきをかいて気持ちよさそうに眠っている。

 

「ブタオ。今日も一緒に寝ような」

 

 慧音は寝ているブタオに優しく微笑みかけ、彼の布団の中に入り込んだ。

 ここ数日の慧音の秘め事。ブタオも知らない慧音の秘密。

 慧音はここ数日間の間、ブタオの寝室に入り込んでは布団の中に潜りこんで同衾していた。ブタオはこの事を知らない。いつブタオが起きてばれてしまうのだろうかと内心ドキドキしながら、彼女はブタオの太い体に腕を絡ませて抱きしめた。ブタオの太い腕が胸に密着する。時折下腹部に掌が触れた時などは電流が流れるような感覚を覚える。

 

 何て破廉恥な。

 

 そんな背徳的な感情を持ちつつも、その感情に愉悦を感じている。

 ブタオがこの事を知ったらどんな顔をするだろうか? きっとすごくうろたえるに違いない。そしてそんな未来を想像すれば背筋が震えるほどの快感がある。

 今日も慧音はブタオの歴史を覗く。芳しいブタオの歴史の芳香に思わず垂涎してしまう。

 

(ブタオ。ああブタオ。お前はもう! こんな味を知ってしまったら私はもう戻れないじゃないか。ああブタオッ! 離さない、絶対に! ブタオ愛している、大好きだぞブタオ!)

 

 ブタオへの想いを感じながら、慧音は今日もブタオの歴史を喰らう。

 食べて食べて食べて食べて――

 食べ続ける。

 そして喰い続けながら、慧音はブタオの数ある歴史の一つを見て思うのだった。

 その歴史は、つい最近のものであった。八雲紫との会合――彼女との出会いの過去の歴史。その歴史を見て慧音は思う。

 

(……くそ。どうして八雲紫なのだ。私はこんなにもお前の事を想っているのにッ)

 

 紫との出会いの歴史は、ブタオの歴史の中で最も光り輝いていた。

 慧音はその歴史を喰った。これでブタオの記憶の中からは八雲紫の記憶が無くなる

 

 はずだった。

 

 無くならないのだ。歴史が。

 食べても食べても食べても食べても――決して無くならない。今もなお輝いて、ブタオの中で強く存在している。

 ブタオの両親との歴史を片っ端から喰ったら、ブタオの記憶からは両親の存在など最初から無かった事になった。歴史を喰えば、その過去も無かった事になり記憶から消去されるはずなのに、八雲紫との記憶だけは無くならない。

 所詮は能力の一つ。歴史を喰う能力と謳っているものの、無かった事になるだけで厳密に完全に無くなるわけでもない。しかし両親の記憶は簡単に消えたと言うのに、紫の記憶だけは残っている。それはブタオの紫に対する想いがそれだけ強いと言う事に他ならない。

 ブタオの懸想に、慧音は言いようのない嫉妬の念を感じずには居られなかった。

 

(くそっ八雲紫め。私のブタオの心を奪うとはッ。しかし――)

 

 しかし皮肉な事か。憎しみすら感じるブタオの八雲紫との歴史は、数ある歴史の中で一番美味しいのだ。

 慧音は、歴史を食べ続ける。いずれブタオの中から八雲紫との会合の歴史が消え去り、ブタオが妖怪に喰われる目的を忘れてくれる事を信じて。

 満腹になり恍惚とした表情を浮かべながら慧音はブタオの頬に口づけをして小さく呟いた。

 

「ブタオ。お前を絶対に妖怪の餌になんかさせやしない。ずっと私のそばに……。お前が居ないと私はきっと駄目になる……。ブタオ、愛している」

 

 慧音は余韻に浸りながら、ブタオの体を抱きしめて目を閉じた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 ここ最近、朝に強くなったとブタオは感じていた。起きた時の倦怠感がまるでなく、むしろ爽やかな気分すら感じられるようになった。

 着替えを済ませ居間へと向かうと、テーブルの上には朝食の準備が既に整われており、その横に手紙が置かれていた。内容としては、

 

『仕事で早く出る。朝食を用意したから食べてくれ。昼ごろに天気が崩れそうだから、外に出るときは傘を持って外出する事。夜には帰る』

 

という置き手紙であった。

 

「慧音殿は仕事でござるか……」

 

 用意された朝食をモソモソと食べ、食後の茶を入れてほっと一息ついた。優雅な一時とも言えるが、ブタオは退屈な事この上なかった。何をするわけでもなく、慧音の帰りを待つだけの日々。昔は一人でいる事に安心感を感じていたと言うのに、今は人との関わり合いが欲しいと思っている。

 

「さすがにずっと家の中に居るのは不健康でござる。少し散歩するでござる」

 

 何か目的があるわけでもないが、ブタオは人里へ行こうと傘を持って家を出た。慧音が予想した通り、確かに崩れそうな天気模様である。

 当初こそもの珍しかった情景ではあるが、二週間も経過するとさすがに慣れてくるわけで、ブタオはどこへ向かおうと思いながら人里を散策していた。

 そして散策中に、ブタオは一件の甘見処を見つけた。

 

「そう言えば、ここの店は少し気になっていたのでござる。慧音殿からお小遣いをもらっている事だし……。入ってみるでござる」

 

 もしも持ち帰りが可能だったら慧音にお土産を買っていこうと思いながらブタオは席に着いた。

 従業員の女性が注文を聞いてくる。ブタオは注文した団子が来るまでの間、茶をすすりながらのんびりとしていた。そしてのんびりとしていると、向かえの席の客の話し声が聞こえてきた。

 

「ねぇ奥さん。最近の慧音先生の事知ってます?」

 

(むむ? 慧音殿の事でござるか?)

 

 迎えの席に座っているのは、いかにも他人の噂や情事が好きそうな奥様方であった。 会話の話題に慧音の名前が出てきた事もあり、ブタオの関心は奥様方の席に向かった。奥様方はブタオの視線に気付かずに会話を続けていた。

 

「ええ。存じてますわよ。何でも『男』が出来たという噂が……」

「既に同棲しているらしいわよ」

「あらやだ。先生ったら大胆!」

 

 おほほ。と上品に笑う奥様方を外にブタオは件の『男』と言うのは自分ではないかと思った。同棲している男は自分だけだし、状況的に自分以外にあり得ない。

 

(なんと……。吾輩、慧音殿のカレシとして噂されているでござる。勘違いとはいえ、何ともこそばゆいものでござるな)

 

 単にお金がなくて保護されているだけなのだが、己が慧音の様な美人の彼氏として噂されているのは悪い気はしない。

 慧音と己の事をどういう風に思っているのか気になったブタオは、ますます奥様方の会話に耳を傾けるのであった。しかし後にブタオは耳を傾けるべきじゃなかったと後悔する事になる。

 

「でも最近の慧音先生、あまり良い噂を聞かないわね。やはりその『男』が原因かしら」

「奥様もやはりそう思います?」

「そりゃ……ねぇ?」

 

(何やら不穏な会話でござる。慧音殿の悪い噂? 吾輩の事でござるか?)

 

「うちの子の話なんですが、寺子屋での慧音先生……最近ずっと自習が多くなったみたいで。自習中はずっと上の空。そんな事が連日続いているとか。まともに授業してくれないと言っていたわ」

「私の旦那も慧音先生の事言っていたわ。――私の旦那は稗田家の使用人として働いているのですが、慧音先生……稗田家から相当なおかんむりを貰ったそうですわ」

「あらまぁ。慧音先生が怒られるなんて。で、一体何をしてしまったの?」

「なんでも歴史の編纂が期日に間に合わなかったからとか」

「珍しいわね。あの真面目な慧音先生が……。疲れているのかしら? 今までそんな事無かったのでしょう?」

「ええ。それで皆がこう噂するんですの。慧音先生の様子がおかしくなっているのは、その『男』のせいだって。色恋にうつつを抜かすのは結構ですが、公私を分けて欲しいものですわね」

「その件の『男』に関しても、あまり良い噂は聞かないわね。働きもせず、慧音先生の家にずっと居座って……」

「『引きこもり』と言うものですわね。ああ嫌だ嫌だ」

 

(――ッ!)

 

「慧音先生の好意に甘えているだけなんて、恥ずかしいとは思わないのかしらねぇ」

 

 奥様方の話に集中していたためか、気付かないうちに注文の団子が置かれていた。ブタオは団子を口にかきこみ、お茶で無理やり喉に流した。味わうなんて余裕はどこにもない。すぐに食べて会計を済まし、そそくさと逃げ出す様に店を出た。

 

(し、知らなかったでござる! 吾輩の事で慧音殿に大きな迷惑をかけていたとは……ッ!)

 

 自分の事を馬鹿にされたからではない。引きこもりと言う単語にトラウマが想起したわけでもない。むしろショックだったのは、自分のせいで慧音に迷惑をかけていたと言う事実。

 確かに思い返してみれば、慧音は朝から晩まで仕事に行っているし、夜は家事で自分の世話をしてくれている。休日らしい休日も無く疲れないはずがない。

 

(慧音殿……。吾輩はさっさとあの家を出れば良かったのでござる! 慧音殿の厚意に甘えてズルズルと居続けてッ! 吾輩なんて……ッ すまんでござる慧音殿ッ!)

 

 目に涙を浮かべながら当ても無く歩を勧めるブタオ。いつの間にかその足は人里の出口へと。気が付いたら目の前には人喰い妖怪が跋扈しているという森が広がっていた。 慧音に入ってはいけないと何度も忠告された森。ブツブツ自己嫌悪している内に入り込んでしまっていた。

 

(ここは慧音殿が決して入るなと言っていた森……。どうしようでござる。今更、慧音殿の家に戻りづらいでござるし、いっその事……)

 

「やはり、一丁前に死に方を選ぼうとした吾輩は欲張りなのでござろうか?」

 

 元々は、妖怪の食糧として幻想郷にやってきて、自分を必要に思ってくれる者に命を差し出したいと思っていたはずだった。なのに恩人である慧音の厚意に甘え、現代に居た時と全く同じ生活をしている。命を差し出す相手を選びたいと思うのはやはり欲張りで、自分にそんな資格や価値なんてないのではないか――と、この時のブタオはとてもネガティブになっていた。いっその事、森の中に入って、適当な妖怪に喰われて居なくなった方が、慧音の負担も軽くなるのではないかとすら思っていた。

 そんなネガティブな感情に支配されていると、急に天気が崩れ雨が降り出した。

 

「そう言えば、昼過ぎに天気が崩れると言っていたでござるな」

 

 持っていた傘をさし、徐々に強くなる雨足に対し、ブタオは今のこの雨が自分の心情を露わしているみたいだと詩的な事を思っていた。

 

「これからどうしようでござる……」

 

 ふとそんな事を呟いた時だった。

 

「きゃあああぁぁぁッッ アツ…アッツウイゥゥ!!!」

 

 すぐ近くで女の子の悲鳴が聞こえてきた。

 

「な、なんでござるかッ!?」

 

 思わず体をビクっと強張らせ、悲鳴のあった方を向くと、木の下で赤色の服を着た金髪の少女が泣きながら叫んでいる。

 

「うわああぁぁんッ! だ、誰かた、助け……溶けるッ! あっづいッ!」

 

 まるで雨から身を守ろうとするその様子に、ブタオは首をかしげながら少女に近付いた。

 

「だ、大丈夫でござるか?」

「ふえ?」

 

 ブタオは無意識的に傘を少女へ差し出した。雨が体にかからなくなり、少女は恐る恐るとブタオと対面する。

 

 少女――フランドール・スカーレットの出会いであった。

 

 



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第七話 「……暖かい」

「だ、大丈夫でござるか?」

「ふえ?」

 

 傘を差し出すブタオと雨から助けてもらったフランドール。互いに何事かと現状を把握できずにいた。

 ブタオにしてみれば、突然少女が悲鳴を上げて泣き叫んでいるし、フランドールはどうして妖怪の自分を人間が助けてくれるのかと不思議に思った。

 暫くの間、二人は見つめ合い続けたが、フランが小さく礼を言った。

 

「あ、ありがとう……」

「あ……えと……どういたしましてでござる」

「……」

「……」

 

 また始まった無言の見つめ合い。 さすがにこの沈黙の空気は居心地が悪いと思ったのか、ブタオは恐る恐る尋ねてみた。

 

「その……一体どうしたのでござる? 何があったのでござるか?」

「えと……私、雨に弱くて……。木の下に避難してたんだけど、水しぶきが激しくて……」

「雨に弱い?」

 

 一体どういう事かと頭をかしげていると、ふと少女の背中から枝の様な何かが生えているのが目に映った。何かのアクセサリーかとも思ったがこんなアクセサリーあるのだろうか? と、この時ブタオは間抜けにもそんな事を考えていた。

 

「私、吸血鬼だから……。雨に打たれると火傷しちゃうの」

「ぶひ? 吸血鬼?」

「う、うん。吸血鬼――あ」

 

 無意識的に理由を話してしまったが、ここでフランは大きく後悔した。思わず、あッと声に出してしまうほどに。

 

(うわ、どうしようッ! なんで私、自分が吸血鬼だって言ったしッ!? や、やだ……もしも今この人に離れられたら……)

 

 吸血には人間の血肉を貪り、生き血をすする典型的な人喰い妖怪の一種。人にとっては天敵に等しい存在。そんな存在に誰が近寄りたがろうか。尻尾を巻いて逃げるが普通である。

 今ブタオに逃げられたら、確実に雨に打たれる。もしくはこの状況が利用されて、弱っている所を嬲られるかもしれない。フランの頭におぞましい可能性がグルグルと回っていた。

 

 しかしどうした事か――

 

 吸血鬼だと知っても目の前の男は、逃げない。それどころか、

 

「きゅ、吸血鬼!? 真に吸血鬼なのでござるか!?」

「はえ? えと、う、うん……」

「凄いでござる! 吾輩、この幻想郷に来て初めて妖怪に出会ったでござる! しかも吸血鬼とはッ! 感激でござるッ!?」

「え? え? え?」

 

 燦々と目を輝かせ、子供の様なはしゃぎ様である。その様子は決して吸血に怖れを抱く様なモノではなく、あこがれの存在に出会ったミーハーなファンの様。

 そんなブタオの様子に、フランはたじろいだ。

 

(え? 何この人。私吸血鬼なのに、なんで怯えないの? 怖くないの?)

 

 たじろぐフランに気付いたのか、ブタオははっと正気に戻った。今のこの状況――客観的に見て、巨漢の自分が小さな女の子に迫っているようにしか見えない。ブタオは少し焦りながら弁解した。

 

「す、すまんでござる! 吾輩、吸血鬼に出会うのは初めてで……そのつい歓喜してしまって……。驚かせるつもりはなかったのでござる。本当でござるぞ」

「え、あ、うん……」

「吸血鬼でござるか。と言うとその背中に付いているのは本物の羽でござるか? 随分変わった形をしているでござるが」

「ほ、本物だよ?」

「あ、自己紹介がまだだってござるな! 吾輩、ブタオと申す者でござる。良ければ、名前を聞かせていただけぬでござるか?」

「――フラン。フランドール・スカーレット……です。はい」

「フランドール……。フラン殿と呼んでも構わぬでござるか?」

「う、うん」

 

 少しは落ち着いた様子ではあったが、それでも興奮を隠し切れていない様で、やはり子供の様にはしゃいでいる。あれこれ質問をするブタオに、フランは恐る恐る聞いてみた。

 

「ね、ねえ。私の事、怖くないの?」

「怖い? 怖いとは一体どういう事でござるか?」

「だって、私吸血鬼で……人の血を吸うんだよ? 人を襲うんだよ?」

 

 フラン自身、どうしてこんな事を確認するのか分からないまま問うた。吸血鬼の恐ろしさを確認させて、もしもブタオが恐怖しここから居なくなったら自分は本当に融けてしまうと言うのに。しかしブタオは首をかしげながら答えた。

 

「だって吸血鬼ですぞ? 吸血鬼と言えばファンタジーの王道。数々の創作物で主役かそれに準ずる立場に必ずなる存在。吾輩からすれば恐怖の対象と言うよりは、信仰の対象でござる」

「信仰って……私たちは人を襲うんだよ? 人間を餌扱いしてるのに……」

「吸血鬼が人を襲うのはあくまでも食事目的でござろう? そういう存在なのだから仕方がないと思うのでござるが……。むしろ生物全体からみれば、吾輩たち人間の方がよっぽど他の生き物の命を貪っていると思うのでござる」

「あ、あはは……」

 

 フランは引きつった顔をして、乾いた笑いをする。

 目の前に居るこの男は、今まで出会ってきた人間達とは違う。根本的に何かが違う。説明できないけど決定的に違う。

 たぶん理屈ではないのだろう。ゆえに理屈でものを言っても無意味なのだろうと、フランは考えるのを止めた。目の前の男が他の人間と違う。その事実だけ把握できていれば良かった。

 

「おじ様って変わった人ね。普通なら吸血鬼って聞けば、みんなウサギさんの様に逃げるのに。うふふ」

 

 今度は自然に笑えた。不思議と今のこの状況が愉快に思えてくる。激しい雨に打たれかけていると言うのに。

 

「ねぇおじ様。おじ様ってもしかして外の人?」

「外来人と言う奴でござるな。そうでござるよ」

「やっぱり。他の人達とは違うなって思った。――ねぇおじ様。雨が上がるまで一緒に居てくれない? 私、吸血鬼だからさ、雨とか流水が駄目なの」

「勿論良いでござるぞ」

「やった。ねぇおじ様、暇つぶしにさ、外の世界の話とかしてよ。外の世界の物語とか。吸血鬼も出てくるんでしょ?」

「勿論でござる! 吾輩に語らせたら一晩では終わらぬでござるぞ。そうでござるな、吾輩の国にはライトノベルと言う物があって――」

 

 二人は木の下で傘を前に出しながら腰かけ、和気藹々とラノベの話で盛り上がった。ブタオは大好きなラノベを熱く語り、フランはその熱と話に魅入られていた。

 すぐ目の前には雨が迫っていると言うのに、そんな恐怖はどこ吹く風か。二人とも、今この時この瞬間をとても幸福な時間だと感じていた。

 フランは、すぐ隣でラノベなる外の世界の物語を熱く語るブタオを見て、とても温かな気持ちになっていた。

 

(なんでだろう。お外は雨が降っているのに、全然寒くないや。むしろ温かい……)

 

 熱くラノベ語りをしているブタオをちらりと横目で見ると、ちょうどブタオもこちらの方を見ていた。

 

「――ッ!」

 

 その時フランの胸がドキリと大きく高鳴った。とっさに視線を外しブタオから顔をそむけた。

 

(な、何今のッ!? この人と目があったら急に胸が高鳴って……す、凄く顔が熱い)

 

「フラン殿。どうしたのでござるか?」

「ふえ?」

 

 さすがに挙動が不審であったのか、ブタオは何事かと尋ねた。フランはテンパりながらあたふたと答えた。

 

「あ、いやその……ちょ、ちょっと肌寒いかな~なんて。あ、あははは……」

「ふむ確かにでござるな」

 

 フランは、なんとか誤魔化せたかとほっと一息ついた。その横でブタオが羽織っていた肩掛けをフランに渡し、笑顔で言った。

 

「この肩かけを貸すでござるよ。少しはマシになると思うでござる」

「え、だってコレおじ様の……。おじ様は寒くないの?」

「だてにメタボではないでござるぞ。この程度の気温、へっちゃら――ぶひっくしッ!」

「……」

「……」

 

 紳士らしく肩かけを貸そうと思ったが、まるで決まらなかった。間抜けなクシャミで二人の間に僅かな沈黙が流れた。しかしその沈黙はすぐに笑い声に変わった。

 

「ぷ……うふふ。おじ様も寒いんじゃない」

「ぶふぅ。紳士の様に格好良く渡そうと思っていたのに……。情けないでござる」

「紳士ってビジュアルじゃないよね。おじ様には似合わないよ」

「容姿の事は言わんでくだされ。顔は豚でも心は紳士なのでござる」

「うふふ。でも凄く嬉しかったよ。ありがとね、おじ様!」

「ッ!?」

 

 天使の様なフランの笑顔に、ブタオはドギリとしてしまった。しかし胸を高鳴らせたのはほんの一瞬。すぐに彼は冷静になり、念仏を唱えるように頭の中で猛省していた。

 

(か、可愛いでござる! しかしいかんでござるッ吾輩は何をドギマギしているでござるか!? こんな小さく無垢な少女に劣情を催すとはッ! 吾輩は顔は豚でも心は紳士ッ! YESロリータNOタッチッ! でござるッ!)

 

 この間、僅か0,2秒。何とか、ニチャァ…とした笑顔で誤魔化す事が出来た――

 

 はずであった。

 

 ブタオは自身の劣情を理性で抑えられた。そのはずだったのに――

 

「ほらおじ様。こうすれば二人とも温かいよ」

「ふ、フラン殿ッ!?」

 

 フランがブタオの股の間に腰かけ、背中を体に預けてきたのだ。

 フランの柔らかな髪が鼻先をかすめ、甘ったるい香りが鼻孔をくすぐる。さらにそのうなじからは、フランの小さな体からは考えられない様な妖艶な色気があった。

 それはロリコンと呼ばれる人種からすれば、絶命はまぬがれぬ破壊力を秘めていたであろう。しかしそれでもブタオは慈愛に満ちたニチャァ…とした笑顔をしながら言った。

 

「ぶひひ。フラン殿は甘えんぼさんでござるな」

 

 しかし内心はこんな感じであった。

 

(ふおおおぉぉぉッ! はわわわッ! これはヤバいでござるッ! こんな体を、密着させ……ぶひいいぃッ! そ、素数を数えるのでござるッ! 2、3、5、7、11――)

 

 対しフランも、無邪気な子供の様に頬を膨らませ、

 

「もう! 私は立派なレディなんだよ。子供扱いしないで」

 

 と子供らしい小さな癇癪を起して言った。しかし彼女の内心もこんな感じであった。

 

(ひええぇぇッ! あわわわッ! なにこの格好ッ凄く恥ずかしいッ! こんなに体くっつけて……ッ。やだッ絶対にばれる。心臓バクバク言ってるッ! 背中から絶対に気付かれちゃうッ)

 

 顔をブタオから背けているので何とかばれずにいるが、フランの顔は火が付いた様に熱く、また真っ赤に染まっていた。

 二人は暫くの間、黙りこくっていた。互いに冷静さを取り戻すのに暫くの時が必要であったのだろう。雨の音だけが二人の空間を包んでいた。

 

 暫くして――

 

 ようやく、二人とも冷静になっていた。尤も冷静になっただけで体の火照りと羞恥心だけは火鉢の様に熱を灯しているわけではあるが。

 いつの間にか、ラノベ談義は終わっており、二人は身を寄せ合いながら静かに雨が上がるのを待っていた。時計は無く、太陽も今は雨雲に隠れている。おおよその時間も分からない薄暗い空間ではあるが、結構な時が経ったのであろう。雨足がかすかにだが弱まってきたのだ。

 そんな中でフランは思う。

 

(雨が弱くなってきた。――なんでだろう、早く上がってほしいって思っていたのに、今はまだ、もう少しだけ降っていてほしいって思ってる)

 

 ふと頭の中で過った疑問。しかしその答えを既にフランは見出していた。

 

 もう少しだけブタオと一緒に居たい。その答えを。

 

 フランは少し態勢を崩し、よりブタオに寄りかかる様な形で密着した。耳元がブタオの胸元に触れて、彼の心音がはっきりと聞こえてくる。自分と同じくらいドキマギした高鳴りを。

 

「おじ様?」

「ん? どうしたでござるか?」

「おじ様って、凄く温かい……」

「はは。そうでござろう。メタボは脂が乗っているだけに、体温維持だけは秀でているのでござる」

 

 ブタオの声は子供と接するかのような優しい声であった。しかし、その胸の高鳴りからフランはブタオの内心を知る。

 

(おじ様、凄い鼓動……。耳元まで心音の振動が伝わってくる。――なぁんだ。おじ様も私と同じくらいドキドキしてるんだ。ふふ)

 

 恥ずかしいのは自分だけじゃない。ブタオも自分を子供扱いしている節があったが、やっぱりどこかで自分を異性として感じている。

 

 子供ではなく一人の女性として見られている。その事実が――フランにこう言わせた。

 

「ねぇ、おじ様」

「どうしたのでござるか?」

 

「私――おじ様の血を飲みたい」

 

 

 




ここまで読んでくださり誠に感謝です。

フランちゃんに、ブタオの事をなんて呼ばせよう・・・。
この話を書いていて最も悩んだ部分です。

フランちゃんのような妹キャラに『お兄ちゃん』もしくは『お兄様』と呼んでもらうのは、凄く心にくるものがあるのですが、『おじ様』も捨てがたかったのです!

どうしようと悩んだ末に、私はダイス神にすべてを委ねました。

悩んだときは神頼みというのも良いですね。

次話もよろしくお願いします。


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第八話 食レポ

「ねぇおじ様。私、おじ様の血を飲みたい」

「ぶひ?」

 

 フランはブタオと対面し、お互いに視線を合わせた。

 フランのルビーを連想させる深紅の瞳にブタオは意識が吸い込まれそうなほどに見入ってしまっていた。小さな体からは想像の出来ない妖しい色気。目の前に居る少女のそれとは思えないほどの存在感がそこにはあった。吸血鬼の眼には魅了の魔術が込められていると言うのは、どんな創作物でも鉄板の設定ではあるが、今ほどそれが事実であると思い知らされる。

 

「ふふふフラン殿……?」

 

 ブタオは震える声でフランの名を呼ぶ。恐怖からではない。自分が目の前の年端もいかぬ少女に魅了されているという自覚から来る震えであった。

 年端も行かぬ少女に魅了される。そのあまりにも背徳的な懸想に、ブタオは小さな反抗の意を示した。それは『YESロリータNOタッチ』を信条とする紳士の信仰心から来る賜物か、ブタオの手は力なくフランの眼前に置かれていた。まるでこれ以上、あの目を見てはいけないと拒絶するかのように。

 しかしそんな小さな反抗心は、今のフランには全く通用はしなかった。

 

「ねぇ良いでしょ? ちょっとだけ、ちょっとだけで良いの」

 

 フランはブタオの手を軽く払いのけ、もたれかかっている木に手を突き出し壁ドンした。

 もう逃げられない。二人の顔は吐息を肌で感じるほどに近付いていた。震えるブタオに耳元で囁く。

 

「大丈夫だよ。血を飲まれたって死んだりしないから。吸血鬼にもなったりもしない。ただ気持ち良いだけだよ。凄く気持ち良いからさ……。ほんとだよ」

「ふ、フラン殿ッ! そう言うわけでは……」

「ごめんね、でももう無理。自分を止められない……。おじ様の血を飲みたい」

 

 フランはブタオの首元に腕を絡め、抱きしめるかのようにブタオを固定した。少女とは思えない様な怪力にブタオは身動きが取れない。

 フランの口はブタオの首元へと。ブタオの強烈な男の体臭にフランは頭がクラクラするかのような感覚を覚えた。クラクラする頭の中で、フランは思った。

 

(そう言えば、男の人から直に血を吸うのって初めて……。いつも咲夜が加工したものだったし……)

 

 初めての男。緊張と興奮でフランの口も僅かに震えていた。そしてその震える牙をもって、フランはブタオの首筋に噛みついた。

 

「ぶひッ!?」

 

 首筋に感じる痛み。しかし不快な痛みでは決してなく――むしろ快感をもたらす不思議な痛みであった。

 

(ぶひいいぃぃッ! す、吸われている……吾輩、吸われているでござるううぅッ!)

 

 血は人の命そのもの。その血が吸われている。過去にブタオには献血の経験があるが、これは献血の時とは違う。血を吸われると言うよりは、気力や生気と言った『気』が吸われていく様な感覚。手足の力が抜け始め、体が弛緩する。余計な力が抜け、今ブタオを支配しているのは快楽と言う感覚のみ。

 

(き、気持ちよすぎるでござる……。も、もうだめぽ……でござる)

 

 ブタオは快楽の赴くままに、その意識を手放した。

 

 しかし快楽を貪っていたのは、ブタオだけではなかった。当人のフランドールもまたブタオの血に悦を感じていたのだ。

 ブタオの血を啜り喉を通した時、彼女の体には電流が流れたかのような衝撃があった。

 

(な、何これッ! やだ、うそ! お、美味しい……。美味しすぎるよぉッ!)

 

 ブタオの血が口内に入った時。または喉を通った時。まるで細胞の一つ一つに沁み渡る様な言い様のない快感がフランの全身を刺激した。全身にブタオの血が――命が流れる。まるでブタオと快楽を共有しているかのよう。

 フランは姉同様に自分も小食だと思っていたが、これは止まらない。

 

(お、おじ様の血、とても熱い。それに凄くトロトロしてて濃厚で。それでいてのどごしも良くて……口の中がしあわせぇ。こんなの止まんないよぉッ! )

 

 既に意識のないブタオの首元を貪るように飲み続ける。いつの間にか雨は上がっていた。

 

 

 

 

 一体、どれだけの時間が経過した事だろうか。雨は上がり夜空には満点の星と月が辺りを優しく照らしていた。

 フランはブタオに寄り添い、食後の悦に浸っていた。意識のないブタオにフランは言った。

 

「ねぇ、おじ様。起きてる?」

 

 返答はない。だがフランは続ける。

 

「私ね、おじ様に一目惚れしちゃった。ずっと……ずっとずっとおじ様と一緒に居たい」

 

 顔を紅潮させ、意識のないブタオを抱きしめて軽いキスをした。ただそれだけで心が温かくなる。

 

「もう私はおじ様から離れられない……。だからね、一緒に紅魔館に来てくれるよね。うんうん、来て。そして私とずっと一緒に……」

 

 フランはブタオを背負い、月夜の空へと消えていった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 フランがブタオと月夜の空に消えた同時刻。人里にて――。

 人里内に他の家宅とは違う一際大きな屋敷がある。幻想郷の妖怪、怪異を取りまとめた『幻想郷縁起』なる書物の編纂を任された名家。稗田家である。

 この稗田家で、大広間に二人の人間が対面していた。一人は稗田家当主、稗田阿求。そしてもう一人――上白沢慧音である。

 お互いの前にはお茶と菓子が置かれているが、決して談笑と言う雰囲気ではない。阿求は茶をすすり、小さなため息をつきながら言う。

 

「慧音先生。最近、先生の事であまり良い噂を聞きません。寺子屋の事しかり、編纂の期日しかり……。本当にどうされたのですか? 多くの者が心配しています」

「わざわざそんな事を聞くために私を呼んだのか、阿求」

 

 慧音は尻目に不快感を隠さずに言う。

 

「寺子屋についてのカリキュラムは問題ないと自負している。むしろ今までが進みすぎていた。自習が多いのは、生徒たちの自主性に任せ、個人能力を高める為の処置だ。編纂については……これは申し訳ないとしか言えないな。しかし今まで私は原稿を落とした事がなかった、たった一回、期日に間に合わなかっただけで様子がおかしいと思われるのは少し癪だぞ。私にも私の事情と言うものがあるのだ」

 

 慧音の尻目に尻込みせず、阿求は尋ねる。

 

「慧音先生。貴女はこの里の中心人物。貴女あっての人里です。この人里が、紅魔館や妖怪の山、地底などの他勢力と並び、一つの勢力として成しているのは偏に貴方が居るからです。貴女が居るからこの人里は安全でいられる」

「はぁ……。阿求、先にも言ったが私にも私の事情が……」

「存じております。貴女には人里を守る義務はない。貴女の自主的な奉仕に私たちが甘えているだけです。本来ならば人間だけで自警団を組織し、私たちのみで脅威に対処するべきです。しかし私たち人間は脆弱な存在。誰だって脅威には晒されたくはありません。それなのに、貴方はいつも先頭を切って脅威に立ち向かい、私たちを導いてくれる。そんな貴女を人里の者は皆尊敬し、また愛しています」

「それは結構な事だ」

「先生。私たちはみんな貴女の事が好きなんです。だからこそ分かる。今の貴女は間違いなくおかしい。本当にどうしてしまったのですか?」

「……何度も同じ事を言わせるな、阿求。私は何も変わってなどいない。今回はたまたまだ」

 

 二人の会話はどこまで行っても平行線であった。埒が明かない為か、阿求は一呼吸おいて、自分が思っている核心を口にした。

 

 

「慧音先生。先生は最近、一人の外来人の男を保護したとか」

 

 

 ピクリと慧音は眉をひそめる。慧音の静かな迫力に阿求は一筋の汗が額から流れ、喉をごくりと鳴らした。しかし阿求は言葉を続ける。

 

「しかも同棲していると言う話を耳にします。それは事実なのですか?」

「ああ。事実だ。私とその男は一緒に暮らしている」

「なぜ、外来人用の宿舎を紹介しなかったのですか? 確かに貴女は幻想入りした外来人の保護を行っていますが、何も一緒に暮らす事は……」

「互いの利益が一致しただけの話だ。それとも何か? 私がその外来人と一緒に居ると不都合でもあるのか?」

「違います。ただの男女の間柄で、しかも出会ったばかりでいきなり同棲というのは……」

「それこそ余計なお世話だ。私は子供じゃないんだ。私生活まで関与されるいわれはない」

 

 慧音は席を立ち、阿求に言った。

 

「用件はもう終わりか? ならば早く帰りたいんだ。ブタオが腹を空かせているかもしれん。ブタオが私を待っているんだ」

「慧音先生……」

 

 阿求を後にしようと振り向きざまに、阿求は声を荒げて叫んだ。

 

「慧音先生ッ! 先生はその男に何かされたのですか!?」

「なに……?」

 

 聞き捨てならない阿求の台詞に、慧音は足を止めて振り向いた。その表情は普段の優しい慧音のモノでは決してなく、修羅を連想させる憤怒の表情であった。

 今まで見た事も無い慧音の表情に、阿求はたじろいだ。しかし阿求は満身の勇気を振り絞って真実を追求する。

 

「今の先生は、私たちの事を全く見ていない。まるで眼中に無いかのようにッ。先生の視線の先にはいつも他の誰かが居るッ! そのブタオと呼ばれている男なのですか!?」

「……その通りだ。今の私はブタオの事しか考えられない。他の事などまるで手に付かないのだよ。しかしそれでブタオが私に何かしたと言うのは聞き捨てならんな。それではまるでブタオが悪者だ」

「その人の事を悪く言うつもりはありません。慧音先生が、そのブタオと言う男に恋心を抱いているのでしたら、それはむしろ素晴らしい事です。友人として祝福の言葉を贈りたいものです」

「それはどうも」

「しかし貴女のその恋慕の情は度が過ぎている。はっきり言って異常としか言いようがない。私たちと貴女との間には強い絆で結ばれていたはず。その絆は、例え貴女に好きな人が出来たのだとしても決して壊れる事のないものだと信じていました。例え特別な人が出来たのだとしても……貴女は変わらず私たちと接してくれると信じていました。なのに……なのに、貴女は私たちをちっとも見ていない」

「……」

「そのブタオと言う男が来た時から、貴女は変わってしまった。それは恋から来る心情変化じゃない。もっと別の――」

 

 阿求の言葉はそれ以以上は続かなかった。阿求の小さな顔――その口が、慧音の手で強く締め付けられていたのだから。

 稗田家は幻想郷でも屈指の名家である。その当主である阿求に向かっての余りにも無礼な行いに、阿求は茫然と言葉を失っていた。

しかし阿求を黙らせていたのは、何も手で口を締め付けたからではない。

 目の前にいる見た事も無い慧音の表情に言葉が続かないのだ。

 慧音の表情は平静としたものだった。怒っても笑ってもいないひどく静かな顔。しかしその内に激しい憤怒を内抱している事がはっきりと分かる恐ろしい顔であった。

 

「なあ、阿求――」

 

 抑揚のない声で慧音は阿求の耳元で囁く。

 

「もうお前は黙れ」

「――ッ!?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、阿求の顔からは滝の様な汗が流れ出た。ガタガタと体を震わせ、目に涙を浮かべて目の前の恐怖と対峙する。

 慧音は無造作に阿求を放り、きびつを返して吐き捨てるかのように言った。

 

「私とブタオの仲を詮索するな。お前もまだ『稗田阿求』のままでいたいだろう?」

 

 そう言って、慧音は稗田家を後にした。慧音を止めることなく、暫く阿求は茫然としているしかなかった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 稗田家を後にした慧音は憤慨しながら思う。

 

(まったく失礼な奴だ。私が誰を好きになろうと勝手じゃないか。それなのに好きな人の事を考えていただけで異常と言われるとは……)

 

 いかんせん、人里の人間を甘やかせ過ぎたか――。尊敬されるのは素直に嬉しいが、それで私生活までああだこうだと言われるのは非常に不愉快なものがある。

 いっその事、今ある仕事を全て投げ捨てて、ブタオと二人で逃避行するというのも良いかもしれない。その場合は、妹紅と同じく迷いの竹林で一軒家を建てて住み、畑でも耕しながら生活しようかと本気で考えていた。ブタオと一緒ならそこがどれほど過酷な環境であっても、きっと天国に違いない。

 

(しかし随分と遅くなってしまったな。ブタオの奴、腹を空かせて居ないだろうか……)

 

 家に着いたら、ブタオからの『おかえり』の挨拶を聞く事が、慧音の仕事帰りの疲れを癒やしてくれる。

 

(今日は何を作ろうかなぁ。ブタオは何でも美味しいって言ってくれるが、出来れば好きなメシを喰わせてやりたいな)

 

 そんなウキウキ気分で家に到着した時であった。家に明りが付いていない事に気付く。

 

「あれ? ブタオの奴、どうしたのだ? もう寝てしまったのだろうか?」

 

 何か言い様のない胸騒ぎ感じながら慧音は、ブタオの寝室を開ける。しかしそこはもぬけの殻であった。

 慧音の心臓がドクンと跳ね上がる。言い様のない不安感が慧音を襲っていた。

 

「ぶ、ブタオ? どこに居るんだ? 居るんなら返事をしてくれ。私を驚かせようなんて趣味が悪いぞ? ブタオ……?」

 

 震える声でブタオを探す慧音。しかし居間にも寝室にも食糧保管庫にもブタオはいない。

 この家からブタオの気配を感じない。ブタオの匂いを感じない。

 その事実が、慧音の不安を恐怖へと変え――。

 

 慧音は叫んだ。

 

「あ、ああ、あああぁッ! ぶ、ブタオッ! どこだぁッ! ブタオおぉぉッ! 私のブタオが居なくなったぁッッッ! うわあああああああああああああああああああああぁぁッッ!!!」

 

 

 




ブタオさんは紅魔館へ。
人里編はこれにて終了。次は紅魔館編です。

ブタオさんの血……なんか、油多そう。次郎系の野菜増しニンニク油多めのイメージです。がっつりいきたい時は、凄く美味そう。

次回もがんばります。ここまで読んでくださって、誠にありがとうでした。


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第三章 紅魔館にて
第九話 発情


 氷妖精の住む湖――その奥に位置する紅い館、紅魔館。その紅魔館の門前で一人の少女が立っていた。緑色の帽子にチャイナ風のドレスを着た赤毛の少女、紅美鈴である。

 

 満面の星空の下で美鈴は自分の運の悪さを嘆いていた。

 

 本当だったら、もう仕事も終えて自分の部屋でゆっくりと寛いでいるはずだったのだ。しかし、フランドールの家出騒動により、美鈴はフランがいつでも帰ってこられるように門の前で寝ずの番を言い渡されていたのである。

 

「うぅ。少し肌寒いな。さっきまで雨降ってたし……。妹様、早く帰ってこないかなぁ。お腹すいたよぉ」

 

 フランの家出にのっぴきならぬ事情があったならば、美鈴も主君の妹の帰りを待つと言う今の職務にも誇りが持てていただろう。

 しかしフランの家出騒動の原因は実にくだらないものがあった。フランが主君であるレミリアの楽しみに取っておいたプリンを食べてしまった事がこの騒動の発端である。姉の楽しみに取っておいた物とは知らずにプリンを食べてしまったフランは、それなりに自分が悪いと思っていたのだろう。素直に謝り、己の非を認めたのだった。本当ならそれでめでたしとなるはずだったのだが、レミリアの激情は収まらず、ああだこうだとフランに強くあたり、黙って聞いていたフランもとうとう我慢の限界が来て、姉妹喧嘩が始まったのだった。

 ここだけ聞けば喧嘩とは言え、温かくも微笑ましいイメージを持つ事が出来るだろう。

 

 しかし――その喧嘩の当事者が『スカーレット姉妹』である事が大問題であった。

 

 レミリア・スカーレットとフランドール・スカーレット。

 数多の妖怪が跋扈するこの幻想郷に置いても、最高レベルの戦闘力を有する二人の喧嘩。それはある種の頂上決戦に近いものがあった。

 紅魔館の堅固な外壁はまるで角砂糖の様に崩れ去り、見る者を癒やす見事な庭園は荒れ果て、あちこちにクレーターが出来、紅魔館は実に無残な状態となってしまった。

 この姉妹の喧嘩は、フランが紅魔館から家出したことで終息したが、この無残な紅魔館の後始末に、多くの妖精やボブゴブリン達が多大な労力を強いられることとなる。

 美鈴もその内の一人と言うわけである。早く部屋に戻って温かなベットでぬくぬくと惰眠を貪りたいと言うのにこの始末。

 本当に自分は運がない

 美鈴は星空を見上げながらため息をつくのであった。

 

「ん? な、なんだあれ?」

 

 空を見上げていると、何か不思議な丸い物体がフヨフヨと空を飛んでこちらに向かってきている。

 美鈴は目を見張ると、仰天した。

 

「い、妹様ッ!?」

 

 その丸っこい物体はフランだった。正確に言うと丸いのはフランが背負っていた男性であった。

 フランは美鈴の前にゆっくりと着地した。

 

「よっと。――ただいま、美鈴」

 

 家出したフランが見ず知らずの男を連れて帰ってきた。一体全体、何がどうしてこうなったのか。美鈴は目の前の状況を把握できずにいた。

 

「お、おかえりなさいです。あの……妹様? その人は一体……?」

「この人? この人はね、私の大切な人だよ」

「は? え?」

 

 ほんのりと顔を紅く染めて恥じらいを見せながら言うフランに対し美鈴はさらに混乱した。

 何の事かさっぱりな美鈴であったが、フランの背負っていた男――ブタオを見た時、ある事に気付いた。

 

「あれ? 妹様、その人……」

「ん? 駄目だよ美鈴。ブタオおじ様がどんなに素敵でも、私が先に好きになったんだからね。横取りは、めッだよ」

「あ、いえ。そうではなくてですね。――その人、ものすごく弱ってますよ?」

「ふえッ!?」

 

 とっさにブタオの顔を見ると、酷く蒼白していた。美鈴はブタオの気を読むことで、その状態を把握できていた。

 

「出血多量による典型的な貧血ですね。早めに処置しないと危ないですねこれ」

「あわわわッ! どどどどうしようッ!? 美鈴どうしようッ! おじ様が死んじゃうッ!」

 

 慌てふためくフランの前に突如として、一人のメイドが音も無くそして前振りもなく現れた。

 そのメイドは優雅にフランに挨拶をした。

 

「おかえりなさいませ妹様」

「さ、咲夜ッ!」

 

 突然現れたメイドに対し、フランも美鈴も特に驚きはしなかった。むしろよく来てくれたとフランは歓喜した。

 

「咲夜ぁどうしよう。おじ様が……」

 

 咲夜は無表情でブタオを見降ろしていたが、その実美鈴と同様に酷く混乱していた。なんとか無表情をキープ出来たのは、普段の瀟洒な行いの賜物に違いない。

 横目に咲夜は美鈴と目を合わせた。状況を説明しろと言う咲夜からの強い視線を感じた美鈴であったが、自分もなにも知らないのだから説明のしようがない。しかし何も言わないわけにもいかず、美鈴は目の前の状況について知っている事だけを告げた。

 

「えと……この人、弱っているんですよ。出血多量による貧血です」

「出血?」

 

 よく見ると首筋に噛み傷が残っており、そこから出血が見てとれた。この事からフランがこの男から血を吸ったと判断できる。

 依然として状況は呑み込めてはいないが、フランがこの男を助けたがっていると言う事だけは把握できた。

 主君の妹であるフランの願いを把握した咲夜の決断は実に早かった。

 

「かしこまりました妹様。その男性を介護いたします」

「う、うん……。お願い咲夜。おじ様を必ず助けてね」

「勿論でございます。さ、その男性をこちらに」

 

 離れたくないと言う感情を押し切り、フランは未練たらしくブタオを咲夜達に引き渡した。

 一挙手一投足、普段のフランとはあまりにもかけ離れている。これはまるで恋する乙女の様だと、この時二人は思った。

 

「あ、妹様」

「ん?」

 

 目の前の状況につい伝え忘れていた事を思い出し、咲夜はフランを呼びとめた。

 

「レミリアお嬢様からの言伝です。帰ってきたら一度顔を見せろ、と」

「そう。分かった。お姉さまの所に行ってくる。おじ様の事、お願いね」

「かしこまりました」

 

 紅魔館に向けて足を向けるフランであったが、自分も伝え忘れた事があることに気付き、きびつを返して咲夜達に見向いた。

 

「あ、そうだ。――ねぇ二人とも」

「はい? なんでしょうか?」

「おじ様を助ける為だから仕方がないけどさ、私ね本当は誰にもおじ様を触れさせたくないの。だからね、もしもおじ様を誘惑しようなんてしたら――絶対に許さないから」

「ッ!?」

 

 それは普段のフランが内包している狂気とは一線を画す、もっとドス黒い何かであった。

 圧倒的な強者。絶対の支配者たる吸血鬼の見せる本物の殺意。

 その気に当てられ、咲夜と美鈴の二人はとても冷たい汗が流れ出たのを感じた。

 それだけ言うと、フランはまた笑顔に戻り、今度こそ紅魔館へと戻っていった。

 

 その場には咲夜と美鈴。そしてブタオの三人だけが残されていた。

 

「ねぇ美鈴。何があったの?」

 

 咲夜は状況を確認しようと美鈴に尋ねるが、当然美鈴も知らない。

 

「分かりません。妹様がこの人を連れて帰ってきて……。この人、何者でしょうね?」

「分かるわけがないでしょう。――とにかく、妹様に言われたとおり、この人を介護しなくちゃ。美鈴、運んでちょうだい」

「えッ!? わ、私がですか?」

「当たり前でしょう。人間の私にこんな重たそうな人運べるわけないでしょう」

「なんか、怖いな……。妹様も触れさせたくないって言ってたし……」

「ここに放って置くわけにもいかないじゃない。私は部屋の準備をするから、客室までお願いね」

「は、はい……」

 

 そう言い残して、咲夜はふっと消えた。

 取り残された美鈴は、言われたとおりブタオを客室まで運ぼうと彼を背負った。

 ずっしりと感じる重量感。背中にブタオの柔らかな皮下脂肪の感触。はずれくじを引かされたような気がしてまたも自分の不幸を嘆く美鈴であったが、背中越しに漂うムワァっとしたブタオの芳香に一瞬だけクラっときた。

 

(うわッこの人、凄く男臭い。――けどなんでだろう。決して嫌な匂いじゃない。なんかとても安心する様な……おっといけないッいけない!)

 

 自分は何を思ったのかと、ぶんぶん頭を回し美鈴は正気に戻った。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 紅魔館の大広間。そこは中世ヨーロッパの王宮の様な造りになっており、奥には権威をあらわす玉座が置かれている。

 その玉座に座る少女が居る。紅魔館の主、レミリア・スカーレットである。

 妹のフランが帰ってきたと連絡があり、じきにやって来るとの事で、こうしてカリスマらしく玉座でふんぞり返っているわけではあるが、その内心はとても複雑なものであった。

 

(ど、どうしよう……。フランになんて謝ろう……)

 

 当初は、プリンを食べられたことで物凄く腹が立ったものだが、実際にフランは謝ったわけだし、長く駄々をこねていた自分も非があるのではないかとレミリアは反省していた。

 しかし、彼女の高飛車な性格が災いしてか、どうしても素直になれなかった。

 どうしようどうしようと頭を悩ませている内に、フランはいつの間にかやってきてしまっていた。

 

「ふ、フラン?」

「お姉さま。その……た、ただいま」

 

 フランに何を言おうかと悩むよりも早く体と口が出ていた。レミリアはフランの前へと駆けだしーー

 

「このお馬鹿ッ。こんな時間まで居なくなって……お外は雨も降ってたのよッ! 心配かけさせて……」

「ごめんなさいお姉さま。――それと、プリンの件もごめんなさい」

「そんなのどうだっていいのよ。貴女が無事に戻ってきてくれた方が……ってフラン? 貴女……」

 

 妹の体から発せられる人間のオスの匂いと血の香り。そしてほのかに紅潮した顔と少し粗めの息遣いにレミリアはフランを訝かしく思った。

 

「ふ、フラン? 貴女、どうしたの?」

 

 姉の質問に、妹は逆に尋ねた。

 

「ねぇ、お姉さま。私ね……なんかおかしいの」

「フラン?」

「凄くドキドキしててね、疼きが収まらないの。――私、病気になっちゃったのかな……?」

 

 何とも言えぬ色気を醸し出している実の妹に、レミリアは一瞬だけドギリとさせられたが、フランと同じ吸血鬼であるがゆえに、レミリアだけがフランの今の状態に正確に気付いた。

 

「だ、大丈夫よフラン。部屋に行って少し横になっていればすぐに良くなるから……。今日はもう疲れたでしょ? 部屋に行って休みなさい」

「うん……」

 

 レミリアは信じられないものを見るかのように、彼女の背を見送った。そしてフランが部屋から出て行った後、自分が気付いた事が真実なのか、自問自答するかのように呟いた。

 

「嘘でしょ……。あの子――発情している?」

 

 

 




紅魔館編スタート。


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第十話 興味

「発情? あのフランが? それ本当なのレミィ」

「ええ」

 

 レミリアは友人であるパチュリー・ノーレッジとお茶をしていた。彼女達の傍らには咲夜が茶や菓子を振る舞っている。

 レミリアはパチュリーと咲夜の二人に、現在フランが陥っている状況について説明していた。

 

「理由は分かっているわ。フランがあのブタの様な男の血を吸った事が全ての原因よ」

「興味深い話ね。貴方達はいろんな人間の血を吸っているのに、あんなあからさまに発情した様子は今までなかった。あの男には何かあるのかしら?」

 

 興味深そうにレミリアに尋ねるパチュリーに対し、レミリアは少し気恥ずかしそうに答えた。

 

「たぶん……と言うか、間違いなくあの男――『童貞』ね」

「は? 童貞?」

「良く言われているでしょう? 吸血鬼は、処女の血を好むって。男の吸血鬼は処女の血だけど、私達の様な女の吸血鬼はね、『童貞』の血を吸うとその……ちょっと発情しちゃうのよ。破廉恥な話だけど」

「ど、童貞……ねぇ」

 

 何と反応し良いのやら。三人ともほんのりと顔を紅潮させて俯いてしまった。しかしこれでは話が進まないので、こほんと小さく咳払いをしてレミリアは咲夜に尋ねた。

 

「ねぇ咲夜。貴女、フランに殺意を向けられたのよね。あのブタみたいな男を誘惑するなって」

「はい。美鈴の話によると、私が先に好きになった……と発言したそうです」

「そう……」

 

 フランの心情の変化に、三者は共通の答えを見いだしていた。パチュリーが代表するかのように結論を口にした。

 

「それじゃ、フランはその男の血を吸ってしまったせいで、その男に恋をした……と?」

 

 咲夜もその結論に達したようで、何も言わなかった。

 高尚な吸血鬼が家畜であるはずの人間に恋をする。この由々しき事態にどう反応知ればよいのか――咲夜は無表情ながらも頭の中では酷く混乱していた。

 パチュリーも事の重大さを理解してか、結論を口にはしたがそれ以上は続かなかった。別段、パチュリーは人間を見下していたわけではないが、『これはない』と断言できるほどの由々しき事態であった。

 

 二人が、ブタオの処置についてどうしようかと思考を変えようとした時だった。

 

「――違うわ」

 

 レミリアが、パチュリー達の結論を否定した。

 

「違う? 違うって何が?」

 

 パチュリーが聞き返し、レミリアは己の考えを口にした。

 

「フランがあの男の血を吸って発情しているのは本当よ? そしてたぶん、その男に恋をしているのも事実なんだと思う。――違うのはフランが恋に落ちた理由が、血を吸ったからと言う所よ」

「吸血鬼は童貞の血を吸えば発情するんじゃないの?」

「発情と言っても、それは本当に小さな衝動よ? せいぜい体が熱くなったりする程度で、その……我慢できなくなっても自分の手で慰めるだけで充分に処理できる。少なくとも、人の感情を左右するほどの効果はない」

「それってつまり……」

「そうよ。フランは、出会ったばかりの名も知らぬ人間に一目惚れをしたと言う事になる。――ねぇ咲夜? 貴女は『一目惚れ』と言う現象が現実に起きると思う?」

 

 レミリアの問いに咲夜は即答した。

 

「在り得ません。『好意』とは、ある一定以上の期間と相互理解を必要とします。他人を一目見て劣情を催すのは、単なる肉体的な欲求であり、『恋』とは全くの別物であると考えています」

「私もそう思う。幾らフランが『異性』と言う存在を知らなかったとしても、また血の力があったとしても、好意を抱くには余りにも早すぎる。あの子がこの紅魔館から出て行ってから一日しか経っていなかったのよ。たったの一日……。どう思うパチェ」

 

 咲夜の即答とは反対に、パチュリーは思慮深く、言葉を選ぶように慎重に答えた。

 

「何かしらの『能力』が働いている――そう考えるのが妥当じゃないかしら」

 

 レミリアも咲夜もパチュリーの回答に異を唱えない。おそらく二人も同じ事を思っていたのだろう。

 パチュリーはこの時、『男の能力』との断言はなく『何かしらの能力』と答えをぼかした。状況的に、男がフランに何かしたと考えるのが妥当であるはずなのに、敢えてぼかした。

 なぜなら、もしも自分の仮説が真実であり、男の能力がフランの感情を操って無理やり好意を抱かされているのだとしたら、それはすなわち、全てを支配する高等な種族である吸血鬼が、人間に支配されてしまったと言う事になってしまうからだ。

 敢えて『男がフランに何かした』との断言ではなく、『何かしらの能力』と他の要因を思わせる答えを出したのはこの為だった。自分達の君主である吸血鬼が、人間に支配されたかもしれないと言う事実を誤魔化すために。

 そんなパチュリーの意図を咲夜は読み取った。そして読み取ったと同時に、彼女の先ほどまでの瀟洒な余裕のある表情とは打って変わって、刃物を思わせる鋭い表情へと変わった。

『もしもフランに何かしたのならタダではおかない』

 鋼の様な強い意志を持って咲夜は自身に誓ったのだった。そしてそれはパチュリーも同じことだった。もしも友人の妹を洗脳まがいな能力で従わせていたのならただではおかないと。

 優雅で健やかなはずのお茶会は、一瞬にして軍議の様な緊張感を醸し出していた。

 しかし、そんな中でたった一人だけは何も変わらなかった。優雅に紅茶を飲み、お菓子を口に運んでいた。レミリアである。

 

「ちょっと二人とも。殺人鬼の様な怖い顔になっているわよ?」

 

 茶化す様にほくそ笑むレミリアに、パチュリーは怒気を込めながら静かに言った。

 

「貴女は今の状況が分かっているの? もしかしたら貴女の妹があの男に洗脳されているのかも知れないのよ? 貴女は何も思わないの? 誇り高き吸血鬼の貴女が……」

「いま上げている話は全て推測の域を出ていない。全部私たちの想像で、あの男が原因ではないのかもしれない」

「状況的に原因はあの男が何かしたとしか考えられないんだけど?」

 

 レミリアは紅茶を飲み干し、静かに一息ついた。自分の妹が操られているのかもしれないと言うのに、この落ち着き様にパチュリーはイラつきを覚え、咲夜は深く心配した。しかしどこ吹く風か、レミリアの態度は変わらない。それどころか、とんでもない事を口にした。

 

「仮にフランの恋心が、あの男の能力によるものであったとしても、フランが恋をしていると言う事実に変わりはない。あの子が好意を示している限り――私はこの状況を好ましいものと思っている」

「な……」

「ッ……!?」

 

 レミリアの発言に二人は絶句した。

 立場上、咲夜は主人であるレミリアに物申すことなど出来るはずも無く、代わりにパチュリーが講義の言葉を口にした。

 

「レミィ。貴女、本気で言っているの?」

「本気よ。もしかしたらこれはフランにとっては初恋なのかもしれない。大切な妹だもの。あの子の恋路を応援してあげたいと思う」

「それは『恋』なんて優しい言葉じゃない。『洗脳』よ。偽りの感情よ」

「パチェ。貴女は少し悲観過ぎるわ。『偽物』だからなんなの? 始まりが偽りであったとしても、そこから真実の愛が育まれる事だってある。大切なのはきっかけなんかじゃない。今あるこの時を、どう未来へと持っていくかが重要なのよ」

「ッッ……」

 

 パチュリーは、反論の言葉を吐き出したかったが、それを無理やりに呑み込んだ。もう何を言っても無駄なのだろうと、代わりに大きなため息をついた。

 その様子にレミリアは申し訳なさそうに言った。

 

「ごめんなさい。パチェ。そして咲夜も……」

「レミィ?」

「お穣さま?」

 

 どうした事かと頭をかしげる二人に、レミリアは言葉を続けた。

 

「たぶん、貴方達が正しいんだと思う。私は、妹を洗脳したかもしれない男に対して、憤慨すべきなんだと思う。でもね、私は……今のこの状況をとても楽しいと思っているの」

「楽しい?」

「ええ。へりくだるつもりはない。私は誇り高き吸血鬼。全てを支配する絶対の支配者。そしてフランにもその血が流れている。その支配者たる吸血鬼を虜にする力……。是非知りたい。一体、どうしてフランがそこまでの恋心を抱いたのか。一体、フランに何をしたのか、その男は何者なのか――興味が尽きない」

 

 レミリアの危険な思想に、咲夜は立場を超えて主人であるレミリアに反抗した。

 

「お穣さま! それは余りにも危険な考えでございます! もしもあの男が紅魔館にとって害ある存在ならば……」

 

 咲夜の反抗に、レミリアは静かに制した。

 

「ありがとう咲夜。でもね、私は退屈しているの」

「お穣さま……」

「ここの所、異変らしい異変も起きず、平和でのどかで……。それはとても素晴らしい事なんだと思う。だけど私はとても退屈で、何か変化が欲しいのよ」

「……」

「そんな心配な顔をしないで頂戴。大丈夫よ。何かあれば、その男を殺せばオシマイでしょ? 心配ないから」

 

 傲慢にて不遜。そして慢心してこその絶対の支配者。レミリアが慢心する事はいつもの事だが、咲夜は一抹の不安を拭えずにいた。

 そんな咲夜の心情をよそに、レミリアはブタオの容体について尋ねてきた。

 

「そう言えば、例のその男……名前はなんて言ったっけ?」

「確か、ブタオと言うそうです」

「ブタオ……ねぇ。名前は体を表すって良く言うけど、あそこまで似合っているのもそうはないわね。本当にブタみたいで、ふふ……。そいつは今どこに?」

「客室のベッドに寝かせております。今は美鈴にその者の介護を命じておりますわ」

「美鈴に?」

「はい。彼女は気を送ることでその者の快復を早める事が出来ますので。もし何かあっても、彼女なら対処が可能でしょうし」

「そう。それなら美鈴に伝えておいて頂戴。その男が目を覚ましたら私の方にあいさつに来させるようにと」

「かしこまりました」

 

 良い感じに茶も菓子も無くなり、お茶会は終了した。

 咲夜は片づけを開始し、パチュリーは図書館へと戻っていった。レミリアも自室に戻ろうとその場を後にした。

 長い紅魔館の廊下を歩きながら、レミリアはふと妹のフランドールの事が頭に過った。

 人間の男に恋をした愚かな妹。誰にも触れさせたくないと言う独占欲から味方にまで敵意をむき出しにさせるほどの激情。そんなフランを思いながらレミリアはふと呟くのであった。

 

「『恋』か……。誰かを好きになるって、どんな感じなんだろう?」

 

 それは絶対の強者ゆえの宿命か、レミリアは誰かを好きになった事がない。フランもそれは同じはずだった。しかし彼女は恋に落ち、自身の心情の変化に戸惑いを見せていた。

 

 レミリアが、『恋』と言う現象に興味を覚えた瞬間であった。

 

 

 



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第十一話 洗脳

 

「ふぅ。こんなもんかな」

 

 美鈴は、まだ目を覚まさないブタオを看護していた。時折ブタオの体に触れて気を送り込む。そうすることでブタオの体力の快復を促進させていた。

 気を送り込むにあたり、美鈴はブタオの素肌に直接手で触れていたわけだが、ブタオの放つ『男の匂い』に断続的にクラクラとさせられていた。

 顔をほんのりと紅潮させながら美鈴は思う。

 

(この人本当になんだろう……。なんで私、こんなにドキドキしてるんだろうか)

 

 別段、男性の裸体を見た事がないわけではない。妖怪としてそれなりの長い時を生きてきた。子供ではないのだ。今更異性の裸を見ただけで取り乱したりするはずもない。

 しかし美鈴は自身の内にある感情に戸惑っていた。

 ふと美鈴はブタオの頬に触れた。特に意味はない。治療の為ではなく、単に触れてみたくなっただけだ。

 ぷにぷにとだらしのない脂肪を蓄えた柔らかな頬。しかしどうしてこんなに愛おしく思うのだろうか?

 次第に高まる心臓の鼓動。熱を帯びる体。荒い息遣い――。

 美鈴は、ブタオのベッドに腰かけ、静かにブタオと顔を近づけ始めた。自分の髪がブタオにかからないよう掻きあげてじっくりと観察する。ブタオの体から発せられる強い男の匂いに酔いしれる。

 愛嬌はあるのかもしれないが、お世辞にも整った容姿をしているとは思えない。そう自覚しているにもかかわらず、とても目の前の男が愛おしいと感じてしまう。

 美鈴の唇がブタオの唇に近付きつつあった。そしてブタオの口元から漏れる吐息が美鈴の唇に触れたその時であった。

 

 コンコン

 

「――ッ!?」

 

 突然、部屋のドアがノックされた。美鈴は飛び上るほど驚き、ブタオと顔を離した。

 

「美鈴。入るわよ」

 

 咲夜であった。お茶と菓子が乗ったおぼんを持ちながら、室内に入ってきた。

 

「御苦労さま美鈴。どう? その後に何か変化は……って貴女どうしたの?」

「はッ……え……? い、いいえ! な、何でも無いですよッ!あ、あはははッ!」

「……?」

 

 顔を真っ赤に染めて、脂汗をかいている美鈴に対し、咲夜はかなり不審に思った様だった。

 美鈴もさすがにあからさまに怪し過ぎると自覚していたが、余りにも恥ずかしいので目を合わせる事が出来ずにいた。

 

「そう? ――お茶を持ってきたの。少し休憩しましょう」

「あ、はい! うれしいです」

 

 しかし咲夜は、美鈴に特に何も問いたださなかった。それはブタオがまだ眠っていたため油断してしまったのか。もしくは美鈴なら何の心配も無いとの信頼の証か。もしくはその両方か。

 

 咲夜はテーブルに紅茶と菓子を置いて美鈴に振る舞った。そして自分も休憩しようと美鈴の前に座った。

 

「――お嬢様たちは、彼に対して何か言ってましたか?」

「ええ。まぁ……」

 

 お茶をすすりながら、レミリア達の会話を尋ねる美鈴。咲夜はレミリア達の会話を美鈴に伝えた。

 案の定と言うべきか、レミリアの話を聞いた時の美鈴も、咲夜と同じように信じられないと言った表情をした。

 

「マジですか……それ」

「マジよ。妹様の恋心が偽物であっても構わないって……。まぁ、本当に妹様がこの男に洗脳されているかどうかは分からないけど……」

「……」

 

 洗脳に近い何かしらの能力。

 パチュリー達の仮説の話を聞いて、美鈴はブタオを横目に先ほどの自分を思い返していた。何を思ったのか、急に劣情を催し、男に口づけをしようとした自分を。

 

(洗脳に近い能力……。パチュリー様の仮説は正しいのかも知れない。あの時、私は確かに……)

 

 ブタオに触れたいと思った。胸を焼き焦がすかのような情動。しかし性的な欲望とは少し違う。言い様のない暖かみのある感情――。

 

(私は確かに――彼にときめいていた)

 

 口づけしようとした自分を思い返し、美鈴は顔に熱がともるのを感じた。羞恥心で心が落ち着かない。

 

 しかし――

 

 それは決して不快な感情ではなく――。むしろずっと感じていたいと思う心地よいものであった。

 

(どうしよう……。伝えるべきか。しかし……)

 

 美鈴は確信していた。自分はおかしくなっている、と。

 ブタオに触れ、ブタオの匂いを嗅いだ時から、恋に近い感情を抱いてしまっている。出会ってから数時間も経っていない男にときめいている。

 とてもじゃないが普通の状態ではない。洗脳なんて生易しいものではない。もっと強い何かが体と心を支配している。

 実に恐ろしい事だ。しかし何よりも恐ろしいのは、おかしくなっていると自覚していながら、その事に甘酸っぱい心地よさを感じてしまっている事だ。優しく包まれるかのような安心感を感じている事だ。

 不安をまるで感じない。自身の置かれている状況と目の前の眠っている男の危険性を把握しながら、まるで危機感を持てないのだ。

 

 美鈴は思う。もしも、今この場で自分の現状を洗いざらい咲夜に話したらどうなるのだろうか、と。

 

 いつからおかしくなったのかは定かではない。

 ブタオに触れた時か。

 ブタオの匂いを嗅いだ時か。

 はたまたブタオを一目見た時からか――。

 

 何がきっかけとなってこんな感情を持ったのかは分からない。しかし確実に言えるのは、自分の現状を話したら、咲夜は何のためらいも無く目の前で寝ている男を殺してしまうだろう、と言う事だ。

 洗脳に近い力を有するブタオの能力。意識的にか無意識的にかは分からない。しかしどちらにしろ、危険極まりない能力である事に違いはない。

 咲夜はきっと殺す。

 主人であるレミリアに意にそぐわなくてもきっと殺す。

 レミリアはそんな彼女に罰を与えるだろう。命令を聞かないコマ等必要無いとして。

 しかし彼女は傀儡でなく真の忠臣。主人を守るためなら喜んでその身を犠牲にするだろう。

 故に美鈴は話せずにいる。

 目の前の同僚の愚行を阻止せんとするため――

 

 

 違う。

 

 

(――いや違う。咲夜さんの為じゃない。かといってお嬢様の命令の為でもない。話せないのは、話したくないのは……ッ)

 

 咲夜の為。レミリアの命令を遵守する為。

 そんなものは全て建前であった。美鈴が話したくないのは――。

 

(私は、彼を知りたいッ。彼と話をしてみたいッ。好きな食べ物は何か。趣味は。どんなタイプの女の子が好みか……。話してみたい。彼と触れ合いたいッ)

 

 ブタオの為。そして自分の為であった。

 ブタオを失いたくない。まだ言葉を交わした事も無い男に対して、美鈴は確実に恋心を抱いてしまっていた。

 確実におかしくなっていると言う自覚を持ちつつも、美鈴はこの感情を愛おしいと思ってしまっていた。

 ブタオと話をしてみたい。まだ眠っている彼を見ているだけでこんなにも胸がときめいているのだ。実際に会って話をしたら、この激情はどうなるのだろうか?

 

「――そう言えば、美鈴。貴女ずっとこの人と一緒にいたけど大丈夫だった? 何か変な事が起きたりとか……」

 

 目の前で茶をすすりながら尋ねる咲夜に対し、美鈴は――

 

「いいえ。何にもありませんでしたよ」

 

 自分でも驚くほど、静かに嘘をついていた。

 

 

 その後、咲夜は美鈴にブタオが起きたら、レミリアの元へ挨拶に行かせる事を告げて部屋から出て行った。

 客室は再びブタオの美鈴の二人だけの空間になった。

 美鈴はブタオの顔にそっと手で触れた。温かく柔らかな感触に美鈴はブタオを愛しく思った。

 彼を滅茶苦茶にしたい。

 そんな衝動に駆られながらも彼女は自制する。

 

「――私は、この人に魅了されている。これが洗脳されると言う事なのか」

 

 美鈴はそっと呟いた。その呟きは、ブタオか。はたまた自分自身への呟きか。

 

「これが洗脳なのだとしたら、存外に悪くないですよ?」

 

 そのどちらでも無い。彼女の意識は、自分の主――レミリア・スカーレットへと向けられていた。

 

「レミリアお嬢様。この人なら、貴女の退屈をきっと癒やしてくれます。最高ですよ?恋をするという気持ちは。ふ、ふふふ……」

 

 

 

 






ハーレムには協力者が必要不可欠ですよね?(ゲス顔)


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第十二話 告白

「ぶ、ぶひ? あれ? 吾輩……」

 

 ブタオが目を覚ますと、そこは知らない天井だった。目に優しくない真っ赤な部屋。畳仕立ての和風の様相ではない。洋風のお屋敷を連想させる豪華な造りに、ブタオは何があったと自分の記憶を遡っていた。しかし状況を整理する前に、一人の女性が声をかけてきた。

 

「おや? お目覚めの様ですね。おはようございます。御気分はいかがですか?」

「ぶひ?」

 

 女性は赤みのかかった長髪に緑色のチャイナ風のドレスを着た少女であった。

 出会った事のない少女に、ブタオはますます混乱した。

 起き上がろうと体を起こすが力が入らない。バランスを崩し、ベッドから崩れ落ちそうになった。

 

「おっとッ。大丈夫ですか?」

「ぶひッ!?」

 

 とっさの事だったのか、少女はブタオを抱き抱えるかのように受け止めた。その際、ブタオの顔は少女の豊満な胸に包まれ――。

 ラッキースケベであった。

 

「ふおおぉッ! も、申し訳ないでござる! 吾輩、誓ってもわざとでは……ッ!」

「ふふ、お気になさらず。私も気にしてないですから」

 

 うろたえるブタオとは反対に、少女は実に落ち着いた態度であった。

 ブタオをベッドへと戻し、ブタオを優しく諭した。

 

「無理をしないでください。貴方は丸二日間も眠っていたのですから」

「ふ、二日!?」

 

 道理で出足に力が入らないわけであると、納得したブタオ。しかしこの彼女は自己紹介を始めた。

 

「私は紅美鈴と申します。貴方はブタオさん……でよろしかったですよね?」

「そ、そうでござる」

「色々と混乱していると思いますが――。ブタオさん。貴方は意識が無くなる前の出来事を覚えておいでですか?」

「出来事……でござるか? 確か吾輩は……」

 

 記憶を遡るブタオの脳が見せた光景は、雨の滴る薄暗い森の中で一際の輝きを放つ金髪の少女の姿であった。現実離れしたその情景に、ブタオは夢か幻でも見ていたのではないかと思ったが――。

 

 ふと首筋に違和感を感じて、手でさすってみるとチクリと鈍い痛みが走った。

 

(ッ!? これは……)

 

 首筋には小さな傷が出来ていた。ちょうどカサブタが出来ていたのだろう。手で触れたら少し剥がれ落ちた。

 手にこびり付いたカサブタを見て、ブタオは全てを思い出した。

 あの雨の日、木の下で雨宿りしていた事。

 吸血鬼の少女とラノベ談義していた事。

 その少女に押し倒され、血を吸われた事。

 

「アレは……夢ではなかったでござるか?」

 

 ブタオの記憶が戻ったのを察してか、美鈴はブタオに現状の説明を話し始めた。

 

「どうやら記憶が御有りの様ですね。――ここは紅魔館。吸血鬼レミリア・スカーレットの居城です。妹様……いえ、フランドール様のご自宅でもあります」

「紅魔館? 慧音殿から聞いた事があるでござる。吸血鬼の住まう真っ赤な館があると」

「貴方はフランドール様から吸血され、意識を失っていたのです。それでフランドール様が貴方を紅魔館へと連れてきたわけです」

「わ、吾輩を助けてくれたのでござるか?」

「『助けた』と言ってしまえば恩着せがましいですね。此度のこの一件、非は我ら紅魔館の方に在ります。貴方は一方的に吸血されたわけですし、救護するのは当然の義務です」

 

 紳士的な美鈴の態度と説明を聞いてブタオは落ち着いたようだった。

 いきなり訳も分からない場所に居て、目がさめれば目の前に美しい少女が佇んでいる。中々妄想はかどる美味しいシチュエーションではあるが、実際に起きたらこれほど混乱する出来事はそうはあるまい。

 しかし頭は冷静になっても体はそうではないらしい。

 目を覚ましたブタオの体は悲鳴を上げた。実に情けない悲鳴を――

 

 ぐううぅぅぅぅぅぅッッ!!

 

「……」

「……」

 

 腹の虫が泣いたのである。その鳴き声は凄まじく、客室内に響き渡った。

 ブタオと美鈴の二人は、時間が止まったかのように互いに無言のまま見つめ合っていた。しかしその均衡は美鈴の高笑いによって早々に崩れ去った。

 

「ぷ……あ、あはは、凄い音ッあはははッ!」

「は、恥ずかしいでござる。笑わないでほしいでござる!」

 

 美鈴の高笑いに、ブタオは顔を真っ赤にして講義した。美鈴は、ブタオの腹の虫が相当ツボに入ったのか暫く笑い続けていた。ブタオは何ともこそばゆい羞恥を感じながら頬を膨らませていた。

 暫くして美鈴は落ち着いたのか、ブタオに軽く謝った。

 

「いやぁ。すみません。あんな音、聞いた事が無かったものでつい……ぷ、ふふ」

「生理現象なのだから仕方がないでござろう」

「まぁ確かに。眠っていたとはいえ、貴方は二日間何も食べていないわけですから。そりゃお腹も減りますよね。――本当でしたら貴方が目を覚ましたら、レミリア様の元へと連れて行くつもりだったのですが……」

「レミリア? そう言えば先ほどもその名前を……。誰でござるか?」

「レミリア・スカーレット。フランドール様の実姉であり、この紅魔館の主でもいらっしゃる方です。私の御主人様でもありますね」

「なんと!? これほど立派な館の主となると、相当高貴なお方なのでござるな」

「ええ。誇り高き吸血鬼。我々の誇りでもあります。――さすがにあの方の前で、そんな音をされるのは少し……アレですね。レミリア様の元へ行く前に食事にしましょう。何か食べたいものはあります? うちのメイド長の腕は外の世界の料理人にも引けを取りませんよ?」

「好き嫌いは無いでござる。吾輩としては何でも……」

「では消化の良いものをこちらで用意させていただきます。暫くの間、そのまま横になってお休みください」

 

 美鈴はそう言って、ブタオの部屋から出て行った。

 ブタオはしばらく天井を見続けていた。ずっと眠っていたためか眠気は無い。頭もはっきりとしているのに不思議とフランに吸血されたあの出来事が未だに夢だったのではないかと思ってしまう。

 

(そう言えば、フラン殿はどうしたのでござろう? いや、フラン殿の前に慧音殿でござる。二日日間も留守にして……。心配させてしまっているでござろうか?)

 

 体の調子が元に戻ったら、無事を伝えなければと思うブタオであった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 美鈴は咲夜にブタオの目が覚めた事を報告していた。そしてレミリアの元へ行く前に食事を取らせた方が良いと言う美鈴の提案に咲夜は頷いた。

 

「分かったわ。食事に関して何かオーダーはあった?」

「これと言って何も」

「それじゃリゾットでも作ろうかしら?」

「良いですね。咲夜さんの作るリゾットは絶品ですからね。きっと彼も大喜びですよ」

「おだてないの。――それで、あの男と話をして、その……どうだった?」

 

 少し言葉を濁した咲夜の言葉に美鈴は首をかしげながら反芻した。

 

「どうだったとは?」

「彼の印象よ。何か悪意の様なものが見えるとか……。貴方から見てどうだった?」

 

 美鈴は、咲夜の問いに少し考えてから答えた。

 

「これと言って悪意の様なものは見えなかったですね。初見ではありますが、良い人柄の男性であると感じましたが」

「そう……なの?」

「ええ。咲夜さん、少し彼を警戒し過ぎではありませんか? 妹様が洗脳されているかもしれないって話もただの推測ですし……。もしかしたら本当に『一目惚れ』なのかもしれませんよ? 実際に起きる様な現象ではありませんが、絶対に起きないとも証明できませんし。それに妹様は気紛れな方ですし」

「そうは言うけど、用心に越したことはないでしょう」

「そうですね。まぁ私は彼に対してはそこまで悪い印象は持ちませんでした。そんなにも疑わしいなら実際に彼に会うのが一番だと思いますよ?」

「そうね……。分かったわ。食事を運ぶ時にでも、あの男の様子を見るとしましょう」

「それじゃ、後の事はお願いします」

 

 踵を返し、食道から出て行こうとする美鈴に咲夜は呼びとめた。

 

「待って美鈴。どこへ行くの?」

「妹様の所へです。彼が起きた事を報告しに行こうかと思いまして」

「黙っていた方が良いんじゃないの? だって妹様は当事者だし……」

「さすがにそれは駄目ですよ。そんな事しちゃったらキュっとされてしまいます。あの時の妹様の殺気、思い出すだけで背筋が震えます」

「それもそうね。私も妹様の逆鱗には触れたくないし……。美鈴、お願いできる?」

「はい。任せてください」

 

 フランの事は美鈴に任せ、咲夜はブタオの食事の用意を始めた。

 如何に疑わしい人物であるとはいえ、主であるレミリアが正式に招き入れた男である。ブタオへの疑心はひとまず心の隅へ置き、咲夜はVIPばりの御持て成しをしてやろうとメイド魂に火を付けて調理を開始した。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 紅魔館の地下。フランの自室はそこにある。真っ暗な空間を頼りない蝋燭の火が薄暗く照らしている。吸血鬼の彼女にとって、これでも十分に明るいらしい。

 フランの部屋は実に簡素なものであった。ベッドとテーブルが一つずつ置いてあるだけ。他は何もない。何とも色気のない部屋である。

 そんな部屋でフランはベッドに横たわっていた。

 眠っているわけではない。むしろその逆である。体の火照りと疼きが中々収まらず、ベッドの中で悶々としていて中々寝付けずにいた。

 しかしその疼きも二日も経つとようやく収まりだしたようで、フランは大きくため息をついて体の力を抜いた。

 

「ふぅ……。ようやく疼きが収まった……」

 

 天井を見上げて、フランは物思いに耽っていた。ブタオの首筋に噛みつき、その血を獣の様に貪っていた自分を。その時の事を思い出すだけで、羞恥で顔が熱くなる。

 

「ブタオ、大丈夫かな……。そろそろ起きないかなぁ」

 

 本当だったら自分が付きっきりで介護したかった。しかし体の疼きが収まらず、ブタオの顔を見たらまた襲ってしまいそうだったので自粛した。

 ブタオの顔を思い出すだけでフランは心が温かくなっていくのを感じていた。とても温かな、それでいて胸を締め付ける様な痛み。しかし決して悪い感覚などではない。むしろずっと感じていたい感覚。

 

「やっぱ私って、変になってるよね……?」

 

 自問するかのようにフランはふと呟いた。

 彼女も『違和感』に気付いていた。

 何故、一目ぼれに近い形で彼が愛おしいと思うのか。

 雨から助けてくれた事の感謝もあるだろう。一緒に話していて楽しかった事もあるだろう。何より血が美味しかった事もある。

 惚れる要素は幾つもある。きっと血を吸わなくとも、幾度かの逢瀬を繰り返している内に恋心が芽生えていたかもしれない。

 しかしそれでも好意を持つには余りにも早すぎる。血を吸った時の衝動を差し引いても早すぎる。

 それが『違和感』の正体。自分の感情への疑問。

 

 しかし――

 

「まぁ別にいっか」

 

 違和感を持っても、フランにとっては些細な事であった。

 ブタオを愛している。

 その感情に偽りはなく、例えこの感情が作られた偽物の感情であったとしても、彼女にとっては取るに足らない問題であった。

 

 体の疼きも収まり、ブタオの様子でも見に行こうかとベッドから起き上がったその時であった。

 

 コンコン

 

 部屋をノックする音が聞こえてくる。招き入れると美鈴が入ってきた。

 

「失礼します。妹様」

「あら美鈴。どうしたの?」

「先ほど、ブタオさんが目覚めたので、その報告に来ました」

「えッ!? ほんとッ!?」

 

 嬉しさが込み上げてくる。これから会いに行こうとした丁度その時に目が覚めるなんて、運命的なロマンを感じてしまう。

 諸手を上げて喜び、フランは勇んで駆けつけようとした。

 しかしそんなフランを美鈴は呼びとめた。

 

「お待ちください。妹様」

「な、何よぉ。これからおじ様に会いに行くんだから邪魔しないでよ」

 

 駆けつけようとしたのに呼びとめられて、ほんの少しだけ不愉快になったフランに対し、美鈴は静かに伝えた。

 

「実は妹様に話さなければならない事がありまして……」

「話したい事? そんなの後で良いでしょ? そんな事よりもおじ様の所へ――」

 

 

「実は私――ブタオさんに恋をしてしまいました」

 

 

「は?」

 





やっと修羅場が書ける! 楽しみッ!


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第十三話 一挙両得

「実は私――ブタオさんに恋をしてしまいました」

「は?」

 

 少し照れているのか、顔を染めてはにかんだ表情で美鈴は言った。

 こいつは何を言っているのか? 聞き捨てならない台詞を吐いた美鈴に対し、フランは唖然とした。

 

「えと……。ごめん美鈴。何を言ってるのか私分かんないや。もう一度言ってくれる?」

 

 とぼけた表情で再発言を求めるフランに対し、美鈴の態度は変わらない。にこやかに余裕のある表情で同じ台詞を言うのだ。

 

「私、ブタオさんの事が好きになってしまいました。てへへッ」

「……」

 

 とぼけていたフランの表情は実ににこやかなものであった。はにかむ美鈴と合わせて、その場は実に和やかな雰囲気に――

 

 なるはずもない。

 

「ごめんね美鈴。私に喧嘩を売ってるんだって気付いてあげられなくて……」

 

 フランの表情は変わらない。実ににこやかな表情をキープしたまま、その手には彼女の持つ最悪の武器『レーヴァテイン』がしっかりと握られていた。

 

「私さぁ、言ったよね? うん確かに言った。おじ様を先に好きになったのは私だよって。横取りはメッだよって。それなのにどういう事? いくらおじ様が魅力的だからってさぁ……。それは無いんじゃないの?」

「私も、妹様の気持ちを知りながら、大変申し訳ないと思っています。でも仕方ないですよね? 好きになってしまったんですし」

「うんうん。オーケーオーケー。仕方ないね。――で、遺言はそれで良いの? 紅魔館の家族のよしみだよ。痛みを感じることなく、一瞬で蒸発させてあげるから」

 

 吸血鬼の特有の膨大な魔力がフランのレーヴァテインに収束しだした。膨大な魔力を無理やり押し込めるように、全神経を掌へと集中させる。しかしその膨大な魔力をたっ た一つの武具のみに集約させる事は出来ず、魔力は解放を求めて外へ外へと溢れだす。フランのレーヴァテインの中に集約された魔力は一刻も早く窮屈な場所から飛び出さんと、ほとばしる様な光を放して解放された。そしてその姿は全てを薙ぎ払う神剣へと姿を変えた。

 

「さぁ美鈴。貴女を消しさる準備が出来たよ。覚悟は良い?」

「いえ、あの……私、まだ死にたくないんですが」

「私だって美鈴の事殺したくないよ? でもさ、仕方ないじゃない。美鈴ってばさちょっと気が抜けてるけど美人だし、気立ても良いし、他人に気を遣えるし。おまけにスタイルも抜群でさ、何よそのオッパイ。何よその脚線美。髪の毛なんてサラサラだし何か良い匂いするし。髪の毛を掻き上げる仕草なんて同じ女の私から見てもドキドキするほど色っぽいし。――うん。やっぱり駄目。美鈴がその気になったら本当におじ様が籠絡されちゃう。女として、たぶん勝てないと思う。だからさ奪われる前に消さなきゃ。私、何かおかしなこと言ってるかな?」

「いいえ。何もおかしな事などありません。好きな男性が奪われるかもしれないときたら、きっと私も気が気でなくなると思います。――しかし、妹様にそのように思われていたなんて、光栄に思います」

「やっぱ気付いてなかったんだ。自分がモテると気付けない無自覚な美人ってさ、ほんとむかつく存在はよね。――あぁ、いけないイケない。おじ様の事がなくても美鈴に殺意が湧いてきた。私の精神衛生を守るためにやっぱ消さなくちゃ……」

 

 フランはレーヴァテインの矛先を美鈴の顔前へと向けた。並みの妖怪では、その魔力の奔流に触れただけで体が引きちぎられるかもしれない。

 しかし美鈴は動じない。目の前に迫る脅威と確実な殺意を持った化物を相手に動じず、ただ静かに口を開いた。

 

「私を殺そうとする前に話を聞いていただけませんか?」

「この期に及んで言い訳? 駄目だよ、美鈴はドロボウ猫。それで十分――」

「――このままだとブタオさんは死にますよ?」

「ッ!?」

 

 美鈴は言葉を発した途端、台風の様な魔力の奔流は徐々に力を無くし静かになっていく。

 

「……どういう事、美鈴」

 

 しかしただ静かになったわけではない。力そのものは静かに、そして弱くはなったものの、その威は決して衰えてはいない。津波が起きる前の海岸の様な不気味な凄みを残したまま、フランは静かに美鈴に尋ねる。

 

「言葉通りです。近いうちにブタオさんは死にます」

「……だからどうしてって聞いてるのよッ! 早く話しなさい!」

「話をする前に、その殺気と魔力を抑えていただけませんか? 先ほどから強がってはいますが、私もその……先ほどから足の震えが止まらなくて落ち着かないんですよ」

「……」

 

 フランは視線を落とし、美鈴の足元を見ると確かに小刻みに震えていた。よく見るとはにかんだ表情は微妙に引きつってもいる。

 そんな美鈴の様子を見てか、フランは殺気とレーヴァテインをしまい込んだ。そして室内のテーブルの椅子を引き、美鈴を手招きした。

 

「座って美鈴。詳しく聞かせて」

「あ、ありがとうございます」

「勘違いしないでね。ひとまず落ち着いて話を聞こうって気になっただけ。私、美鈴の事まだ許してないから」

「話を聞いていただけるなら、後で如何様にでも」

「ふん!」

 

 美鈴はテーブルに付き、フランと対面するかのように座った。フランはじっと美鈴を睨み続ける。つまらない話をしたらただじゃおかないと言わんばかりの不貞腐れた顔である。美鈴はどう話したらいいものかと言葉を選びながら尋ね始めた。

 

「話をする前にですね妹様。妹様に聞いておかなければならない事があります」

「なに?」

「ブタオさんに対する妹様の感情ですが……『違和感』を感じてはいませんか?」

「『違和感』?」

 

 フランは少し頭を捻ったようだが、すぐに鼻で笑った様な表情で美鈴に言った。

 

「それってさ……私のこの恋心が『作られたかもしれない偽物の感情』って事かな?」

「……気付いていらっしゃったのですか?」

 

 意外そうに美鈴は少し驚いた表情を出した。その事にフランは癪に障ったのか、小馬鹿にする様に言った。

 

「当たり前じゃない。いくらブタオが魅力的でも、こんなに早く好きになるなんて普通はおかしいって思うじゃない」

「それが分かっていて……」

「でもさ、それの何が問題なの? この感情が偽物だとしても、私はブタオおじ様が好き。大好き。造られた感情で偽物なんだとしても、私がおじ様を愛していると言うこの気持ちに嘘はない。ここに確かにあるんだよ? おじ様を思うだけで体が切なくなる。でも心はポカポカして温かな気分になる。これを『洗脳だ』って言うんなら私は喜んで虜になるよ。私っておかしい?」

「別におかしくなどありませんよ。私も同じですから」

「……へ?」

 

 美鈴の告白にフランは間抜けな声を上げた。少し狂気を演出した物言いをしたのに、おかしくないとキッパリと言われて気張っていた力が抜けたようだった。もうフランには先ほど見せた殺気は微塵も残っていない。

 

「妹様がご自身の状態を理解されているのなら話は早いですね。――私も同じなんです。気付いたら一目惚れに近い感情を彼に抱いていました」

「美鈴もなの?」

「私の方が妹様よりも遥かに極端ですね。彼と一夜を共にした妹様と違って、私は言葉を交わした事もない、眠っているだけの男性にときめいてしまったのですから」

「それは凄いね。美鈴ってそんなに節操がなかったっけ?」

「これでも純情のつもりですよ? ――本来なら私はこの気持ちを妹様に言う必要などなかったんです。この感情を自身の内に秘め、逢引しながらゆっくりと彼の好感を上げていく事だって出来たんですよ。これでも顔とスタイルには自信があるので、彼を籠絡する方法はいくつもあります」

「……やっぱ殺した方が良かったかも」

「それは勘弁してください。――とにかく私は、妹様を出し抜く事が出来たにも関わらず、妹様にこの秘め事を話しました。妹様の逆鱗に触れ、自分の身を危うくする危険を冒してまで話しました。それは妹様と正々堂々とブタオさんの取り合いをする宣戦布告でもなければ、妹様の気持ちを知りながら恋をした罪悪感から来る告白でもありません。――話さざるをえなかった。彼を守るために……」

「……」

 

 ここでフランは、ブタオが死ぬと言う美鈴の言葉を思い返していた。確かに美鈴がその気になったら自分等太刀打ちできるはずもない。『女』としての魅力が違いすぎる。きっと本当に自分の知らない所でブタオとボーイミーツガールな展開をしていたのかもしれない。

 にもかかわらず話した。自身の秘めた想いを。

 

「本題を言ってよ。どうしてブタオが死ぬの?」

 

 自分の秘め事を話した。その事実が、ブタオが死ぬかもしれないと言う世迷言を真実味のある話に思わせていた。

 美鈴は静かに息を吐いて言った。

 

「出会って間のない男性を好きになる。私たちは明らかに異常に陥っています。その原因は、間違いなくブタオさんが関係しています」

「……そうだね」

「意識的に行う洗脳的な力か。もしくは彼の意志とは無関係に発動する能力か……。恐らくは後者でしょう。ずっと彼の傍に居ましたが怪しげな動きなどは無かった。また彼に対して悪意の様なものは微塵も感じなかった。これは『能力』と言うよりは「『体質』と言うべきか……。常時的に発動している力なんだと私は推測しています」

「……ブタオの力が体質に近い性質である事は分かったよ。それで私達が洗脳やら魅了やらされていると言うのも分かった。――それで、どうしてそれでブタオが死ぬことになるの?」

「彼に魅了されたのは吸血鬼である妹様。そして単なる妖怪の私。この事から単一的な種族を魅了する限定的な力ではありません。もっと幅広い……たぶん種族なんて関係ないんだと思います。特に吸血鬼は、魅了や洗脳と言った力に対する耐性が他の種族と比べて抜きんでて高い。吸血鬼である妹様が魅了されたと言う事は、他の種族ではその魅了に抵抗すら出来ないと言う事に他なりません。――危険極まりない力です」

「……」

「いずれ、咲夜さんもパチュリー様も……。そしてレミリアお嬢様もブタオさんの虜になるでしょう。――そしてあの人達の性格からして、ただ居るだけで無差別に魅了する危険極まりない存在を野放しにするはずもありません。確実に……確実にブタオさんは殺されます。危険因子として」

 

 死ぬと言うよりは殺されると言った方が正確だと美鈴は付け足した。

 美鈴のこれから起きるかもしれない予測に、フランは疑問を口にする。

 

「危険だから殺されるかもしれない。――うん、その可能性はあるかもね。でもさ、それっておかしくない?」

「何がです?」

「私たちの事よ。私たちはブタオおじ様に魅了され、自分達がおかしくなっている事を自覚している。そしておじ様の危険性もきちんと把握している。でも私たちは、おじ様を殺したいなんてこれっぽっちも思ってない。むしろ一緒に居たいと思ってる。この想いが魅了の副産物なんだとしたらさ、魅了された奴がおじ様を殺そうとするのは無理があるんじゃない?」

「それは私たちだからですよ、妹様」

「私たちだから?」

「私たちは、自分たちの気持ちに正直です。魅了されていると知りながら『それでも良い』と思っているどうしようもない存在です。――でもお嬢様達は違う。彼女たちは大義の為に自分たちの気持ちを押し殺すタイプです。例えどれだけブタオさんを愛したとしても、危険な存在ならば己を気持ちを犠牲にしても確実に殺す。そんな人達です。私たちとは違います」

「……」

 

 身に覚えがありすぎて、フランは何の反論も出来なかった。確かにあの姉ならやりかねない。きっと泣きながら、そして謝りながらブタオを殺すのだろう。そんな叙情的な未来が目に見えてくる。

 咲夜もパチュリーはもっと顕著かもしれない。主人であるレミリアが魅了されていると知ったら、例え自分の想い人であっても気持ちを押し殺してブタオを処理するかもしれない。これまた分かりやすい未来予想である。

 反論の余地はない。ブタオは危険。だから殺されるかもしれないと言う美鈴の危惧は十分に理解できる。

 しかし反論はないとはいえ、フランには考えがあった。ブタオの身を守りつつ、自分もブタオとイチャイチャ出来て、なおかつ誰にもブタオを渡さずに済む夢の様な案が。

 

「うん。確かに美鈴の言う事は尤もだね。お姉さま達が違和感に気付いたらきっとブタオを処理しちゃうかもね。――でもさ、あるんだよねぇ。全部解決する方法がさ……」

「……それは?」

 

 美鈴の疑問に、フランは狂気じみた笑顔をしながら言った。

 

「簡単だよ。おじ様をずっとこの紅魔館に囲んでおくの。誰にも会わせないようにしてさ。それでね、次はこの紅魔館に居る連中を全部殺すの。お姉さまも、パチュリーも咲夜も。そして美鈴。貴女も――」

「……」

「いっその事、妖精メイドやボブゴブリン達もみんな始末しましょう。紅魔館に来ようとする人達もみんな殺そう。この紅魔館に私とブタオおじ様の二人だけにする……。どう? これならおじ様は安全だし、誰も魅了しない。私は思う存分イチャイチャ出来るし、一挙両得ってね」

 

 自分の策に自信があるのか、狂気の中に微かなドヤ顔を含ませながらフランは言った。

 そんなフランに対し、美鈴は冷静に両断した。

 

「現実的ではありませんね」

「え?」

「まず紅魔館の者を全て殺すと言ってますが、それ本当に出来るんですか?」

「なに? 私が情に流されて殺せないって踏んでるわけ? それこそあり得るわけ……」

「いいえ。情の云々よりも、実力的な問題でです。本当に勝てるんですか? あのレミリアお嬢様に。あのレミリアお嬢様ですよ?」

「ぅッ……」

 

 美鈴は大切な事なので二度言った。

 

「妹様とお嬢様は実力が伯仲してますから。奇襲が成功すれば可能性としてはあり得ると思いますが……。本気の対決となるとパチュリー様も咲夜さんもきっとお嬢様に付くでしょうね。この二人を相手取った上で、あのレミリアお嬢様ですよ?」

「ぅぅッ……」

「それにいかんせん、妹様は過去に暴れ過ぎました。この紅魔館での妹様への対策は万全ですよ? 数の利も地の利も不利の状態であのレミリアお嬢様に勝つのはちょっと難しいと思いますが……」

「……」

「それにメイド妖精やホブゴブリン等の使用人も殺して二人でいると言うのも現実的ではありませんね。この紅魔館には結構な来客がありますし、全員始末してしまったらさすがに異常だと気付かれます。もっと沢山の人がやってきますね、それを全部一人で始末なさいますか? それにブタオさんは人間ですよ? 誰がブタオさんの世話をします? 誰がブタオさんの食事の用意をします? ブタオさんが怪我や病気に陥ったらどうします? 全部御一人で対処しますか? 言っておきますけど、人間って一部がおかしいだけで、大半は私たち妖怪と比べてとても脆い生き物ですよ? ちょっとした事でもすぐに体調崩すし体壊しますし……。それじゃイチャイチャしている時間なんてないですね」

「ぅぅぅぅッ!!」

 

 先ほどまでの狂気じみたドヤ顔はどこへ行ってしまったのか。フランは半べそを掻きながら美鈴の話に何一つ反論出来ずにいた。

 美鈴は、もっと駄目だしがあったが、ひとまずそれは置いておき、フランに優しく告げた。

 

「しかしですね、妹様……」

「な、なによぉ。これ以上、まだ何か言う気?」

「いいえ。妹様の言った『ブタオさんを紅魔館で囲む』と言った部分についてですが――これはとても良い案だと思います」

「ふぇ?」

「完全に外部から切り離すのは困難ですが、ある程度まではブタオさんの存在を隠し通せます」

「美鈴、さっき自分で言った事、忘れたの? おじ様はここに居たらお姉さま達を魅了して、そして殺されるかもしれないのよ?」

「その通りです。レミリアお嬢様達がブタオさんに魅了されるのは時間の問題です。そしてその違和感の正体にも確実に気付くと思います。――しかし、方法がないわけではありません」

「方法?」

「ブタオさんを生かし、我々の欲望を満たし、さらにお嬢様達からも命を狙われない――みんなが幸せになる方法です」

「ッ!? それってどんなッ!?」

 

 物語の続きをせがむ子供の様な無邪気さを出すフランに対し、美鈴は母性溢れる笑顔で、えげつない事を言った。

 

「レミリアお嬢様達にブタオさん無しでは生きられないと思うほど、彼に惚れさせてしまえばいいんです」

「……は?」

 

 思いもよらぬ外道的な美鈴の発言にフランは首をかしげる。美鈴はそんなフランに分かりやすく説明した。

 

「えっとですね、お嬢様達がブタオさんに惚れても、自分の気持ちを押し殺して処断しようとするならばですね、彼が居なければ生きていけないくらい惚れこませれば、殺そうって気を無くすんじゃないかなぁって思いまして……」

「その外道的な発言にむしろビックリ。自分の主人を売るとか……。美鈴はそれで良いの?」

「それで良いとは? 仲間を売る事についてですか?」

「ちがうよ。あんな奴らどうだって良いわよ。私が言っているのは、ブタオの事が好きになる女が今以上に増えるって事。美鈴良いの? ブタオが他の女に取られるかもしれないんだよ? 私はイヤだよ。私以外の女とブタオが仲良くしているなんて、考えただけで嫉妬に狂いそう。私はもっとブタオと触れ合いたい。もっとブタオに見てもらいたい。ブタオに一番に愛してほしい……。美鈴はそうは思わないの?」

 

 フランの問いに美鈴は暫く沈黙した。

 誰だって一番になりたい。美鈴の提案はそんな当たり前を真っ向から否定するものだからだ。

 暫くの沈黙ののち、美鈴は言った。

 

「……私も思わないわけではありません。私だってあの人が好き……。まだ名前しか知ってもらってない。もっともっと私を知ってほしい。もっと彼に見てもらいたい。そう思ってます。――しかし私は、自分の気持ちよりも、あの人の身の方が大切だと思っています」

 

 それは美鈴の正直な気持ちであった。

 

「妹様。妹様の気持ちはよく分かります。好きな人に一番に想って欲しい。そう思うのは当たり前な事なんだと思います。でもその気持ちは、好きな人が居る事が前提で……愛する人を失っては何の意味も無くなると思います」

「……」

 

 自分の気持ちよりもブタオの身を心配する美鈴に、フランは何も言えなかった。それは自分の欲望を優先した事に対する羞恥からではない。何も言えなかったのは、美鈴の『本題』について察したからだ。美鈴の目的をなんとなく把握したからだ。

そして少し不満げな顔で尋ねる。

 

「――美鈴。貴女は私に何をしてほしいの? 何をすればいいの?」

 

 と。

 

「妹様?」

「私だって馬鹿じゃないよ。ブタオが危ないからって私に秘め事を告白する理由にならないもん。美鈴は私に何かさせたいんでしょ? だからこうして私に話をしに来た。違う?」

「――ッ」

 

 美鈴はほんの一瞬だけ驚きの表情を見せ、その後すぐににこやかな笑顔に戻った。

 

「妹様。妹様はやはり聡明な方だ。――その通りです。私は妹様にやってほしい事があるのです。その一つが『妥協』です」

「『妥協』?」

「何せ私の案は、ブタオさんが複数の女性に愛される事となってしまいますから。一々嫉妬していたらキリがありません。『レミリア様達がブタオさんを愛してしまうのは仕方がない。』そう妥協して頂きたいのです」

「妥協ねぇ……。本当はしたくないけどさ、おじ様の能力なんでしょ? それじゃ仕方ないかな……。うん。分かった妥協する。お姉さま達がおじ様が好きになっても我慢する。鏖にするって案もさっき駄目だし喰らったばかりだし」

「ありがとうございます! 妹様」

「でもねッ美鈴。――お姉さま達だけだよ? それ以上増えるなんて絶対に許さないからね?」

「無論です。ブタオさんには私たちが居れば良い。それ以上は必要ありません。彼を愛するのは我々紅魔館の者だけで良いんです。ふふ……」

 

 思いのほかフランが聡明だったのか、美鈴は話をするのが楽しくなってきた。感情をさらけ出しながら話す会話がこんなに楽しいものとは、縦社会の組織内では決して味わえない悦びである。

 

「妹様にしてほしい事がもう一つあります。――私と手を組んでいただけませんか?」

「手を組む? 美鈴と?」

「はい。この策では、お嬢様達に、『自分達が洗脳されているかもしれない』と言う疑心を持たせずにブタオさんに惚れさせる必要がありますから。疑心を持たせてしまっては危険度がぐっと上がってしまいます。それを防ぐために、情報の共有と対策を妹様と一緒にやっていきたいんですよ」

 

 手を組むと言う美鈴の提案に、フランはどこか悪い事をしてドキドキと興奮している童子の様な心境に陥っていた。善い事にしろ悪い事にしろ、秘め事の共有と言うのはどうしてこんなにも胸をときめかせるものなのか。

 実に悪意に満ちた笑顔で美鈴の提案に乗っかった。

 

「良いよ美鈴。手を組んであげる。ブタオおじ様の為だもんね。仕方ないね。ふふ」

「妹様……。ありがとうございます」

「でも手を組むのも、おじ様の身が安全になるまでの間だよ? 殺される心配が無くなったら、私はおじ様に猛アタックするから。おじ様の一番は絶対に渡さないんだからね」

「結構ですよ。私は順位なんて興味ありませんから。それに熱狂的で肉体的な恋もよりも、静かで叙情的でロマンチズムな恋愛の方に魅力を感じるタイプなんですよ私は」

「あらやだ、美鈴ったらお子様ね。実際に触れ合った方が気持ち良いに決まってるじゃない。肉体的な快楽に勝るものはないと思うけど?」

「あはは。猿の様にまぐわうだけが愛ではありませんよ? 心が通じ合った時の幸福感。言葉を交わすことなく互いに静かに求め合い……って、大人の恋愛を妹様に語ったところで理解なんて出来ませんよね」

「うふふ。良い性格してるわね美鈴。なんだか凄く貴女を壊したくなってきちゃった」

「ふふ。それは勘弁してください。私の恋はこれから始まるのですから……」

「うふふ……」

「ふはは……」

 

 いつの間にか、二人は笑っていた。静かに。しかし愉快そうに……。

 

「ブタオおじ様を愛する女が増えるのは癪だけど、見方を変えればとても面白そうよね。あのカリスマ(笑)なお姉さまがどんな風におじ様に恋をするんだろう? 想像がつかないわ? く……くひひ……」

「それを言ったら、パチュリー様と咲夜さんもですよ。ふふ。本以外に何の興味も無い紫モヤシと鉄面皮なメイド長がどんな風に恋をするのか……。興味が絶えません。ふふ……ふははは……」

 

 この先どうなるのだろうと、彼女たちは愉悦を感じていた。

 蝋燭の灯だけが照らす薄暗い部屋で、少女二人の声だけが木霊している。

 

 

 




修羅場を書くと言ったな……。あれは嘘だ。
二人は仲良く手を組みました。やっぱ平和が一番ですよね(ゲス顔)

とても楽しく書いてて、気づいたら一万文字超えてました。
たぶん一番話の長い回です。


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第十四話 ハプニング

 紅魔館の廊下では、食欲をそそる様な良い匂いが流れていた。その香りはメイド長である咲夜が引いて歩いているワゴンの上から発せられている。その香りに釣られ、すれ違うメイド妖精たちは皆振り返り、そして何と美味しそうな事かと想いを馳せていた。

 コンコンと咲夜はブタオの部屋をノックした。

 

「失礼いたします。ブタオ様」

 

 咲夜の丁寧な物言いとフリルのついた可愛らしいメイド服にブタオの視線は釘付けにされていた。

 

(め、メイド!? メイドでござるッ! しかもミニスカフリルのッ!)

 

 ブタオの視線に気付いたのか、咲夜は首をどうした事かと首をかしげながら尋ねた。

 

「あの……どうかなさいましたか?」

「ぶひッ!? あ、いやその……。め、メイドさんでござるなぁと思って……」

「? ――はい。私はメイドですが……」

 

 二人の会話には微妙な価値観の食い違いがあるのだが、ブタオはここが現代ではなく異世界に近い場所である事を思い出し、それならメイド位いるかもしれないと結論に至った。

 

 それにしてもこれはどうだ、とブタオは思う。

 

 昨今、ブタオの居た現代ではメイドさんブームは下火になりつつあるが、ブタオは今でも『メイドこそ萌えの集大成』と考えている。

 咲夜の美しく凛々しい容姿と、フリルをふんだんに使用した可愛らしいメイド服の組み合わせは、凛々しさと可愛らしさと言う相反する要素を見事に両立させているではないか。

 

「完璧でござる……」

 

 ブタオは思わず呟いた。

 

「はい? 何かおっしゃいましたか?」

「はッ!? な、何でもないでござる!」

「は、はぁ……。――申し遅れました。私は、この紅魔館でメイド長を務めております十六夜咲夜と申します」

 

 優雅に挨拶をする咲夜にブタオはこれまた心を奪われてしまった。

 そんなブタオの心情を知らず、咲夜は事務的な会話をそつなく続けた。

 

「食事を御持ちしました。お口に合うかどうか分かりませんが、どうかお召し上がりになってください」

 

 銀製の食器から漂う良い匂い。その芳しい香りにブタオの胃は、早く食べたいと訴えるかのようにググゥッと大きな音を出していた。

 瞬間、恥ずかしさが込み上げてきたが、咲夜は美鈴と違って特に反応はせず、優しい笑みを持って返してくれた。

 

「ふふ。さぁ、温かいうちにどうぞ」

「い、戴きますでござる」

 

 一口、咲夜手製のリゾットを口にした瞬間、何とも言えぬ美味が口の中に広がった。

 

「お、美味しい……。物凄く美味しいでござる!」

「お口に合ったようでなによりですわ」

「こんなにも美味しいリゾットは初めて食べたでござる!」

 

 玉ねぎの自然な甘みとコンソメの風味に濃厚なチーズが米と絡み合い、口の中で絶妙なハーモニーを奏でている。ブタオは現代では引きこもっていた故、あまり外食はしなかったが、これは絶対に向こうの世界でも通用する味だと絶賛した。

 それと同時に、ブタオは――

 

(メイド喫茶で咲夜殿の様なメイドと料理を注文したら、一体どれくらいぶんどられるでござろうか……)

 

 なんて、かなり間の抜けた事を思っていた。すぐ隣で佇んでいる咲夜の心情を解せずに。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 バクバクと礼儀も無くブタの様に食事を貪るブタオを見て、咲夜は無表情ながらもブタオに侮蔑の感情を抱いていた。

 

(なんて醜い……。本当にブタみたい。フラン様は本当にこんな醜い男を好きになってしまわれたのか……)

 

 咲夜は人間である。人間である咲夜の価値観からは、ブタオの容姿と佇まいは嫌悪感を感じずにはいられないものであった。

 こんな男に、本当にフランドール・スカーレットは恋をしたのか。

 あり得ない。

 咲夜の価値観からは、誇り高い吸血鬼が、こんなブタの様な男に恋をするなんて決してあってはならないものであった。

 

 だとしたら、この男が本当に何かしたのか。

 

 パチュリーの仮説を思い浮かべながら、咲夜は疑念を募らせる。そして疑念は不信へと変わり――不信は怒りへと変化していく。

 

(この男が……ッ。この男が妹様を……。お嬢様のご家族を……ッ)

 

 瞬間、その部屋の全ての動きが止まった。

 咲夜以外の全ての時間が止まったのだ。

 ブタオもスプーンを口に運ぼうとした状態で止まっている。

 

「……」

 

 咲夜は、止まったブタオをジッと見降ろしていた。

 彼女の手には鋭いナイフが握られており、その刃先をブタオの首筋に当てている。

 

「今、こいつをこの場で殺せば……」

 

 フランは正気に戻るのではなかろうか。

 

 そんな事を思っていた。

 全てを支配する絶対的な強者――吸血鬼。

 その吸血鬼が、家畜も同然な人間に恋をする。あってはならない。絶対にあってはならない事だ。

 咲夜の忠誠心は、その強さゆえに盲信とも言える絶対的な理想を併せ持つ。

 こうあってほしい。こうなって欲しくない。こうならなければならない。

 その理想は自身にのみならず、忠誠の対象者であるレミリア達にも及ぶ。

 もしも、この男を殺して、フランが元に戻るのならば、咲夜は喜んで罰を受けるだろう。それが例え自分の命に関わることであっても。

 ナイフを握る手に力がこもる。ほんの少しこの手を引くだけで、この男は死ぬ。鮮血を噴き出し、どうして自分が死ぬのか分からないまま死んでいく。

 

 しかし――

 

「――ッ! わ、私は……私は何をしているのッ!」

 

 ナイフはブタオの首筋から離れた。咲夜が引っ込めたのだ。

 如何に疑わしい男であれ、如何に許せない者であれ、主であるレミリアが正式に招いたのだ。許せなくとも、どうしてこの男を殺す事が出来る?

 咲夜は揺らいでいる。忠誠と理想の狭間で。

 何が正しい行いなのか分からない。

 この男は本当に危険な男なのかどうかも分からない。

 レミリアやフランの気持ちが分からない。

 何も分からないのだ。

 何も分からない咲夜は――

 

 

 瞬間、時が動き出した。

 ブタオは、まさか時間が止まっている等とは夢にも思わず、バクバクとリゾットを頬張り、そして平らげた。

 

「如何でしたか?」

「いやぁ。凄く美味しかったでござる。これでもかと言うほど堪能したでござる」

「それは良かったですわ」

 

 何も分からない咲夜は、結局のところメイドとしての職務を全うしようと頭を切り替えたのであった。

 なるようにしかならない。全てはレミリアの思い次第である。自分はただそれに従えばよい。

 

 ブタオの平らげた皿を下げようと、咲夜はブタオに近付いた。

 その時、咲夜の鼻孔に何か生臭い匂いが刺激した。

 

「ん?」

 

 クンクンと鼻を利かせると、匂いの発信源はブタオの体からであった。

 ブタオ特有の体臭と汗臭さと、何かネットリとした生臭さが加わり、言い様のない異臭を放っていた。

 その匂いがブタオから発せられると知った瞬間、咲夜はブタオとバッタリと目があった。

 鼻を利かせた咲夜の仕草はブタオにも分かった様で、ブタオはバツが悪そうに尋ねた。

 

「あ……もしかして、その……吾輩、臭うでござるか?」

「ぅ……」

 

 何とも微妙な沈黙が二人の間で流れていた。

 バツが悪そうにしているのはブタオだけではない。むしろ咲夜の方こそバツが悪かった。来賓の前で、あたかも『貴方、臭います』と言わんばかりの仕草を見せてしまったのだから。失礼にも程がある。

 露骨に視線をずらすのもこれまた失礼な行為ではあるが、咲夜はそれでもブタオの目を見れなかった。

 咲夜はなんとか無表情をキープしているが、その目は泳いでおり――。そんな咲夜に助け船を出そうとしたのか、ブタオは自虐的に笑った。

 

「ぶひひ。すまんでござる。吾輩、見ての通り、酷く汗かきで体も臭いのでござる。十六夜殿には不快な思いをさせてしまったでござるな」

「も、申し訳ありません……」

 

 ブタオの気遣いに咲夜は感謝を感じると同時に自分を恥じた。明らかに失礼なのは自分だと言うのに。

 

「十六夜殿。不躾ながら、何か体を拭えるものを戴けぬでござるか? さすがに二日も湯に浸かってない故、ベットリとして気持ち悪いのでござる」

 

 来賓にお願い事をされると安心感を覚えてしまうのはメイドとしての性か。お客様の願いを『余計なお世話』にならない程度に良いものへと昇華させる事に咲夜は悦びを感じる事が出来る生粋のメイドであった。

 

「手ぬぐいはすぐにお持ち出来ますが……。それでしたら一度、湯あみをなさってはいかがでしょうか?」

「湯あみ? 今からでござるか?」

「はい」

「湯あみでござるか。それはとても嬉しいでござるが……。わざわざそんな手間をかけさせるわけにも……」

 

 温水の出るシャワーや湯沸かし器などの便利な文明の利器はこの幻想郷にはない。

 湯を沸かすには、原始的にボイラーに火をくんで温めなければならない。

 それは中々に大変な手間である。慧音の家で実際に体験してブタオにはその大変さを理解できていた。

 

「ご心配には及びませんわ。浴場へとご案内いたします。付いてきてくださいませ」

 

 ブタオの心配をよそに咲夜は心配ないと言わんばかりにブタオを浴場へと案内し始めた。

 思えば初めて部屋から出たものだ。紅魔館の内部は客室と同様に『赤色』を強調した作りになっており、西洋の高貴なお城の様な造りにブタオは興奮を隠せずにいた。

 そんなキョロキョロと落ち着かない様子のブタオに咲夜はほくそ笑んでいた。所属する紅魔館の凄さに驚いている事が、彼女の誇りを刺激していたからだ。

 

「ここが紅魔館の大浴場でございます」

「これは……凄いでござる!」

 

 浴場内は、日本の銭湯の様な造りになっているが、あちこちに施されている西洋風の装飾が、銭湯特有の安っぽさを出していない。それでいて煌びやかながらも決していやらしくないのである。

 これまた感動しているブタオに、咲夜はこれまた誇りが刺激された様で、ほんの少しだが胸をそびやかした。

 

「ふふ。この浴場は、ただの浴場とは違いますわ。吸血鬼であらせられるレミリア様も入れるよう特別な魔法が掛けられておりまして。また魔法によって保温と排水が管理されていて、常に清潔さを保っているのです。何時でも好きな時に入れる当家自慢の浴場ですわ」

「なんと、魔法で管理とは……。外の世界では自動で湯を沸かしてくれる技術があるでござるが、排水も含めた機能は存在しないでござる。魔法とは本当に便利なモノなのでござるな」

 

 褒められると嬉しくなるのは人の性。咲夜もその性に外れず、ブタオの関心にフフンッと鼻が高くなっていた。

 

「洗髪剤と石鹸は備え付けてありますので好きにお使いください。――他、何か必要なものはありますか?」

 

 何か必要なものはないかと尋ねられて、ブタオはふと顎に手をやった。その時にジョリッと音がして――

 

「それじゃ、カミソリもあったら貸していただけぬでござるか? 随分とヒゲが伸びてしまったようでござる」

「かしこまりました」

 

 これからお偉いさんに会いに行くのに、無精ヒゲはさすがに無いなと、引きこもっていたブタオでも分かる礼儀であった。

 

「それではごゆるりと。着替えはカゴの中に入れておきますので。上がりましたら、呼び鈴で私をお呼びくださいね」

「分かったでござる」

 

 カミソリと着替えを受け取り、咲夜が脱衣所から出て行くのを確認するとブタオは全裸になった。

 

「ぶひひ。こんなに広い浴場に吾輩だけ――。あんなに可愛いメイドさんにも世話になって、まるで昔の王侯貴族にでもなった気分でござる」

 

 広い浴場を独り占めするとどうしてこんなに気分が良くなるのか。

 全裸で誰に構う事無くゆったりと足を広げる事が出来るゆえの解放感か――。

 桶を持って、ブタオは全裸のまま堂々と戸を開けた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ブタオが入浴している間に、咲夜はレミリアの私室に向かおうとしていた。

 

「お嬢様に彼が目覚めた事を報告しなきゃ。――でもその前に……」

 

 今はブタオが大浴場を使用している。この紅魔館には男が居らず、女しかいない。もしも誰かが入ったら問題であると思い、誰も入らないように『使用中』の立て札をドアの前に立てかけておいた。

 

「これでよし」

 

 これで誰も入らないだろうと、咲夜はレミリアの私室に向かうのであった。

 

 しかし――

 

 結果論ではあるが、咲夜はこの場から離れるべきではなかったのだ。

 後に彼女は、これでもかと言うほどに、この場から離れた事を後悔する事になる。

 

 レミリアの私室に――

 

 彼女はいなかった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 レミリア・スカーレットの体内時計は不規則である。

 吸血鬼である彼女にとって、朝には日の当らない場所で眠り、夜中に活動するのが当たり前なのだろうが、幻想郷の大部分は人間と同じ、昼に活動して夜に眠る生活サイクルを繰り返している。

 その為か、いつの間にか彼女も朝型の吸血鬼になってしまっていたのである。

 しかし、それでも朝に目を覚ますのは彼女にとって辛いものがあるらしく、レミリアは昼近くまで惰眠を貪っていた。

 そして、つい先ほど目を覚ましたわけである。

 

「う~……。さくやぁ。お茶、入れてぇ~」

 

 寝ぼけた声で従者に声をかけるレミリアであったが、返事がない。本来だったら一秒もしないうちに、熱々の紅茶を持参して目の前に現れるのに。

 もう一度、呼ぼうとすると、何やら香ばしい良い香りがレミリアの鼻孔を刺激した。

 

「クンクン……。この匂い、チーズが焼ける香ばしさに加え、バターとコンソメの風味――。咲夜手製のリゾットだわ」

 

 人間の何百倍もの嗅覚を持つ吸血鬼の鼻は、見事にメニューまで言い当てた。

 なんて胃を刺激する香りであろうか。匂いをかいだだけで、早く喰わせろと言わんばかりにグーグーとレミリアの胃は音を出す。

 

「そっか。もうお昼だし、昼食を作ってるのね」

 

 状況を把握したレミリアは咲夜の邪魔をせず、空腹のまま待とうと、それ以上咲夜を呼ぼうとはしなかった。

 咲夜がお昼を作り終わるまで、まだ時間がありそうだ。

 その間に、ひとっ風呂浴びるのも悪くないなと、この時レミリアは思った。

 

 浴場へ向かうと、そこには『使用中』の立て札が掛けられていた。

 

「あら? 誰が入っているのかしら? まぁいいっか」

 

 大方、美鈴かパチュリーでも入っているのだろうと、レミリアは立て札を無視して浴場室に入った。

 

 彼女に不運があるとするならば、咲夜と行き違いになった事だろう。

 

 誰が入っているのかも知らず、レミリアは脱衣所で服を脱ぎ――。

 相手を驚かせるつもりだったのだろう。戸を開けたと同時に堂々と大きな声を上げた。

 

「だぁれが入っているのかなぁッ!?」

 

 と。

 

「ぶひ?」

 

 しかし、返ってきた声は、なんとも間の抜けた『男』の声で――。

 

 レミリアは直視する。

 丸っこく肥えた肉体に、餅の様にだらしなく膨れた四肢。そして股間にぶら下がる一物を。

 

 ブタオも直視する。

 どんな水滴も弾いてしまいそうなきめ細かく、透き通る様な白い肌。柔らかそうなサラサラの髪。健康的で引き締まった四肢に背中から生える小さな羽根。

 

 この場に咲夜はいないと言うのに、数瞬の間、二人の間の時間が止まった。

 

 しかし――。

 

「ぶひいいいいいいいいいいいぃぃぃッッッッ!!!」

 

「うぎゃああああああああああぁぁぁッテッッ!!!」

 

 その均衡は、二人の絶叫によっていとも容易く崩れ去った。

 




ラッキースケベは、ラブコメの王道中の王道ッ!


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第十五話 採用

 紅魔館の玉座の間。

 レミリアが、自分の権威を誇示したく造らせた大広間である。

 大きな間取りの最奥中央に玉座があるだけのシンプルな造りではあるが、玉座は通常階段を備えた少し高い位置にされており、謁見者を見下ろす様な形になっている。

 なるほど、確かに謁見者からすれば、玉座は見上げる形となり、『権威』と言う概念を言葉に出来ぬとも実感できるのだろう。

 

 レミリアは、玉座に座している。そして傍らには、咲夜を初めとした忠臣たち。

 彼女達の前に、一人の男が跪き頭を垂れている。どうかしなくともブタオである。

 

「……」

「……」

 

 ブタオの姿勢は、それはもう見事なまでの美しい土下座であった。

 彼女たちはそんなブタオを見下ろしている。

 その様子は、さながら『魔女裁判』や『遠山の金さん』を彷彿させる光景であるが、その場の全員が毅然とした態度を取っているわけではない。

 

 レミリアは、顔を真っ赤にしながら、冷静さを取り戻そうと落ち着きがなく。

 咲夜は、顔が真っ青になっており、大量の冷や汗で顔を濡らしている。

 無表情なのはパチュリーだけ。美鈴は笑いを堪えているのか目を逸らしながら肩を震わせているし、フランに至ってはもはや隠そうともせず、腹を抱えながら爆笑していた。

 

 三者三様がそれぞれに別々の感情を露わにし、その場は何ともカオスになっている。

 

「そ、その……いい加減、顔を上げてもらえないかしら?」

 

 レミリアは躊躇いながら、ブタオに即した。しかしブタオは、頭を地べたに付けながらブンブンと首を横に振った。何とも器用な男である。

 

「合わす顔がないとはこの事ッ! 助けて頂いた身でありながら、とんだ不逞を行い――」

「いいからッ! 頭上げろって言ってんのよッ!」

「ぶひッ!?」

 

 レミリアに怒鳴られ、反射的に顔を上げるブタオ。

 眼前には、顔をトマトの様に真っ赤に染め、少し涙目になっている少女。ブタオの胸中は、自分は何と言う不逞を行ったのか、と言う罪悪感と同時に、少女の美しい裸体の映像が鮮明に映し出されていた。

 端正な容姿にカモシカの様な四肢。その美しさはギリシャの彫刻を彷彿させるものであり――。

 いつの間にかブタオは、にへら顔で鼻血を出していた。

 そんなブタオを見て、レミリアは――

 

「わああぁぁッ! なによその鼻血ッ! 今、何を想像したッ言え!」

 

 ブタオを胸倉を掴んでいた。

 

「ぶひいいぃッ! すまんでござる! すまんでござるぅ!」

「やっぱ私の裸を想像してたなあぁッ!」

「おおおお落ち着きくださいッお嬢様! 彼は何も悪くありません!」

 

 咲夜が慌ててレミリアを制した。

 咲夜の言うとおり、今回の件はブタオには何の咎めも無い。と言うよりも、完全な被害者である。

 

「忘れなさいッ! 私も犬に噛まれたと思って忘れるからッ!」

「ぶひいぃッ! わ、分かったでござる! 分かったでござるよぉ!」

 

 結局のところ、誰が悪いかと言えば、レミリアが悪い。

 レミリアは、誰が使用しているのかを確認するべきであった。住み慣れた紅魔館で、わざわざ『使用中』なんて立て札がある時点で、少しは不審に思うべきであったのだ。

 ブタオには、何の罪も無い。咲夜もそれが分かっているから、ブタオの弁護に回っている。

 レミリアも分かってはいるのだろうが、乙女の肌を見られたという恥ずかしさから、とにかくブタオに当たらなければ気が済まなかった。

 レミリアは、ブタオの胸倉を放し、荒い息を整えながら玉座へと戻った。そしてブタオを見下しながら言い放つ。

 

「自己紹介が済んでなかったわね。私がこの紅魔館の主、レミリア・スカーレットよッ!」

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 ふんぞり返りながら、威厳を込めての自己紹介だったのだろうが、あんな醜態を見せた後では、さすがに遅すぎである。

 ブタオも、どう反応して良いか分からず、ただ茫然とするしかなかった。

 他の者たちも同じようで、ただ茫然としており、フランに至っては、指をさしながら高笑いする始末である。

 そんな様子を見た、レミリアが再び癇癪を起こすのは当たり前の事であった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 夕食時となり、ブタオはレミリアに食事に誘われていた。

 場所は、紅魔館の食堂ではなく、レミリアの私室である。ブタオとレミリアはテーブルで向い合って座っている。

 お互いの初の顔合わせが、あんな無様なものであっただけに、落ち着いて話しなど出来るはずもなかったが、ようやくお互いに冷静になれたのか、今度は随分と落ち着いた雰囲気で対面している。

 

「まずは、私の妹を助けてくれた事について感謝を。そして妹の無礼について、謝罪の言葉を述べさせてもらうわ」

「ぶひ……、そんな、吾輩は何も……。それに無礼だなんて」

 

 ブタオからすれば、フランとの会合は心躍る楽しい一時であったに違いないが、そんな心情は、サトリ妖怪で無い限り解する事など出来やしない。客観的に見れば、助けてくれた恩人を吸血して貧血を起こさせ、有無も言わさず紅魔館まで連れてこられたのだから。家族が迷惑をかけたとのレミリアの対応はごく普通のものである。

 

「今夜は、貴方への礼もかねて、ささやかながら食事を用意させるわ。個人的にも、貴方の話を聞きたいし……。今夜は付きあってちょうだい」

 

 何かサインがあったわけでもなく、レミリアの傍らに佇んでいた咲夜は、二人の前に置かれているグラスに酒を注ぎ始める。

 透明な発泡性のある飲み物であった。

 

「これは……?」

「シェリー酒。代表的な食前酒よ。貴方はいける口かしら?」

「アルコールは平気でござる。しかし……何とも、高そうな雰囲気でござるな。こんな形式ばった食事は初めてでござる」

「別にマナーを気にする事はないわ。この宴は、貴方への礼なのだから。遠慮なく食べてちょうだい」

「そう言ってもらえると助かるでござる」

 

 ブタオとレミリアの宴は、最初こそ静かに始まったものだが、酒の力もあってか、徐々に盛り上がりを見せてきた。

 レミリアとの会話は、ブタオにとっては驚きの連続であった。

 レミリア達が幻想郷へとやってきた時の話。

 赤い霧を出して、博麗の巫女たちと弾幕勝負をした時の話。

 従者である咲夜が解決してきた異変など。

 元々ライトノベルの様な、異世界の冒険譚や立身出世の物語が大好物であったブタオにとっては、そのどれもがおとぎ話に出てくるような冒険譚のようであり、年甲斐もなく子供の様に興奮していた。

 そこには、おべっかを使う様な下心などはなく、本心からブタオはレミリア達を尊敬し憧れた。

 そんなブタオを見てか、レミリアの方でも段々と話すのが、楽しくなっていた様で、会話に熱が入ってきた。

 元々レミリアは、傲慢で尊大な吸血鬼である。ブタオの下心のない、本心からの尊敬のまなざしは、彼女にとってとても気持ちの良いものであったに違いない。

 

「――とまぁこんな感じで、うちの咲夜がその異変を解決したってわけ」

「なんと……。本当に凄いでござる! 幻想郷とは、真に魑魅魍魎の跋扈する世界なのでござるな! レミリア殿も咲夜殿も、本当に凄いでござる!」

「むふふふぅ。そうよ私たちは凄いんだから」

 

 何と心地よい賛美の言葉なのだろう。

 こんな気持ちになったのはいつ以来か。話すのが楽しい。酒が入っているせいもあるのだろう。しかし、目の前の子供の様な尊敬のまなざしに、レミリアの胸中に、言い様のない悦びが満ちてゆく。

 

 レミリアは、誇り高き吸血鬼である。

 

 絶対の支配者。圧倒的強者。紅魔館の中で、彼女を尊敬しない者はいない。皆が、彼女に忠誠を尽くしている。

 しかし、それは吸血鬼と言う絶対の存在へ怖れから来る畏敬の念である。

 時折、思う事がある。

 皆は、レミリアと言う一人の妖怪を尊敬しているのか。それとも吸血鬼と言う立場を尊敬しているのか。

 と言う疑問。

 もしも、自分が吸血鬼でなかったら。度々レミリアは思う。

 もしも、自分が吸血鬼でなかったら、どれだけの者が付いてきてくれたのだろうか?

 皆は、吸血鬼と言う立場を敬っているのであって、レミリア個人を敬っているわけではないのだろうか?

 詮無き事ではあるが、思わずにはいられないレミリアだけの悩み。

 誰にも相談した事のない、彼女だけの悩みである。

 

 対し、目の前の男はどうだ?

 

 『吸血鬼』と言う存在そのものに対する尊敬は勿論あるだろう。

 しかし、それと同じくらいにレミリア個人に対する尊敬も、分かりやすいほど見てとれる。

 ブタオの態度は、『自分は本当に尊敬されているのだろうか?』と誰にも打ち明けた事のないレミリアの悩みを払拭するものであり、彼女がブタオとの会話に愉悦を感じる事は当たり前の事であった。

 

「――ねぇ貴方。幻想郷へ来てからまだ日が浅いわよね。こちらでの生活基盤は、もう手にしたのかしら?」

「それは……」

 

 何とも答えにくい質問にブタオはたじろいだ。

 生活そのものに困ってはいないが、現状は慧音のヒモの様なものである。しかもその事に後ろめたさを感じており、これからの事を考えれば生活基盤なんてないに等しい。

 困った表情をしたブタオを見てか、レミリアは、ブタオが幻想郷に来て間も無いことから、まだ自活が出来ていないと踏んだのだろう。

 優しげに頬笑みながらある提案をしたのだった。

 

「ねぇ。もし働く場所がないのなら、うちに……紅魔館に来ない?」

「ぶひ?」

「私の妹が、貴方の事を随分と気に入ったみたいでね。それに使用人の数も増やそうと思っていたの。住み込みになるけど、うちの使用人になってみない?」

 

 レミリアの話は、これからを悩んでいたブタオにとっては願ったり叶ったりの話であった。

 これで慧音に負担をかける事がなくなる。そして今までの恩も返す事が出来る。

 

「ほ、本当でござるか!? 本当に吾輩を……ッ」

「ええ。で、どうなの?」

「嬉しいでござる! この身、粉骨砕身して紅魔館に尽くすでござるッ! よろしくお願いしますでござるッ!」

「ええ。よろしくね」

 

 微笑を浮かべながら、レミリアはブタオに握手を求めた。ブタオは感激しながらその手を握った事は言うまでも無い。

 そしてその脇で、咲夜は何とも微妙な表情をしながら二人の光景を見ていた。

 

 

 




ブタオさんは、紅魔館の使用人になりました。


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第十六話 教育レベル

 

 レミリアとブタオの会食が終わり、ブタオは用意された自室に戻っていった。現在、この部屋に居るのは、レミリアと咲夜の二人だけである。

 咲夜は、いそいそと食器を片づけており、レミリアはその脇で余った酒を楽しんでいる。

 終始、二人の間に会話は無かったが、咲夜が食器をまとめ終わり部屋から出て行こうとしたその時であった。

 

「咲夜。随分と不機嫌そうじゃない?」

「……いえ、そんな事は」

「今、私はとても気分が良いんだ。言いたい事があれば言っても良いのよ?」

 

 咲夜は暫く思案したのち、口を開いた。

 

「では言わせていただきますが、彼を使用人として雇おうとはどういう事でしょうか?」

「あら? 嬉しくないの? 貴方だって、使用人の数を増やしたいって言ってたじゃない」

 

 咲夜の冷淡な言葉に意を介さず、レミリアは上機嫌な表情を崩さない。

 そう言う事ではない。

 そう思ったが、咲夜は口には出さなかった。

 確かに、自分以外の使用人は欲しいとは思っていた。妖精メイドは数こそいれど、正直に言って役に立たない。紅魔館内の雑務はほぼ一人でこなしていると言っても良い。

 しかし、なんで彼なのか?

 フランを誘惑もとい洗脳したかもしれない危険人物を手元に置こうなんてどうかしている。

 

 と、思っていても咲夜は口に出さない。

 レミリアは退屈だと言っていた。ブタオに、何かしらの楽しみを見出したからこそのあの提案だったのだろう。

 主であるレミリアがそう決めたら、使用人である自分が口をはさめる訳もない。

 それに信用が無いわけではない。

 例え、彼が洗脳に近い能力を有していたとしても、たかが人間の能力である。吸血鬼であるレミリアに効果があるとも思えない。気まぐれの多いフランは違うのだと。

 

 故に、彼女はこう言った。

 

「確かに使用人は欲しいです。しかし、あの方に紅魔館の使用人が務まるとは思えませんわ。あのだらしのないお腹。きっとまともな労働もしてこなかったごく潰しに違いありません」

「あははははッ」

 

 危険な人物だからではない。きっと役に立ちそうにないから、使用人には相応しくないと咲夜は言葉を変える。

 そんな咲夜の言葉に、レミリアは上機嫌に大笑いした。

 

「うふふ。確かにアレは働いている男の体じゃないわね」

「笑いごとではありませんわ。役に立ちそうにない人を雇っても、負担が増えるだけなのですが……」

「まぁそう言わない。何事にも『初めて』はある。暫くは、貴方の部下として育ててみたら? 外の世界の教育レベルはとても高いそうだし、もしかしたら使い物になるかもしれないわよ」

「……」

 

 これは、何を言っても無理だなと諦める咲夜であった。

 

「分かりました。しかし、使用人として働かせる以上は、彼の人事に関する権限は全て私が担います。よろしいですね?」

「当然ね。使用人の長は咲夜なんだし。本当に使えなかったら、その辺りは任せるわ」

 

 危険な人物なのかもしれないと言う懸念はひとまず置いておいて、もしも使い物にならなかったらさっさと出て行ってもらおう。

 そう思う咲夜であった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 翌日。鳥の鳴き声を目覚まし代わりにブタオは目を覚ました。

 不思議な気分だと思った。

 軽い緊張の中に微かな興奮が混じっている。まるで小学校を卒業し、中学へ入学する時の様な緊張と未来への不安。子供だけが感じる事の出来る、何ともいえぬ感情。もう三十半ばの自分にもこんな情熱が残っていようとは思わなかった。

 

 ブタオは、クローゼットを開けて中に入っている執事服に目を通す。

 

「ぶひひ。執事……。吾輩が執事でござるかぁ~。あんなにも可愛いご主人様の下で執事。ぶひひひ。まるでラノベみたいでござるッ!」

 

 昨夜の話である。

 就寝前のブタオの部屋に咲夜が訪れ、執事服を渡しに来たのである。

 その執事服は10Lはありそうな大きな布地で作られており、ブタオの体型にぴったりだった。

 その時に咲夜は言った。

 

『早速ですが、ブタオさん。貴方には明日からこの紅魔館の使用人として働いて貰います。一応の立場はフランドール様の付き人と言う形になりますが、いきなり仕事を与えることはできません。しばらくの間は私の下で研修してもらいます。――この服は、貴方の作業服になります。明日の朝、この服を着て食堂に来てください』

 

 と。

 この紅魔館に、ブタオの体型に合う執事服があった事は少し不思議に思ったが、そんなのは今のブタオにとっては些細な事であった。

 働く。

 今まで労働と言う労働をしてこなかった、生粋のニートだった自分が働く。しかもスカウトに近い誘われ方で。

 期待と興奮。そこに小さな不安を胸に、ブタオは用意された執事服に袖を通し、いざ食堂へと向かう。

 紅魔館の長い廊下を歩むと、ある人物とすれ違った。フランドールである。

 

「あッ。おはよう! おじ様!」

「おはようでござる! フラン殿、朝が早いのでござるな」

「うひひ。聞いたよ。おじ様、この紅魔館で働くんだってね。嬉しいな。私、おじ様の事好きだから」

「フラン殿のおかげでござる。しばらくは咲夜殿の下で研修と言う事になるでござるが、粉骨砕身してこの紅魔館に尽くすでござるよ!」

「うん。頑張ってねおじ様。“色々と”」

 

 何か含みのある発言だったが、ブタオは特に何も思わない。素直にフランの激励を嬉しく思うのであった。

 

 フランと別れ、ブタオは咲夜との待ち合わせ場所である食堂へと向かった。そこには既に咲夜が佇んでいる。

 

「おはようでござる! 咲夜殿!」

「あら、おはよう。時間前に来るなんて、その辺りは心得ている様ね」

 

 集合時間の10分前には現れる。働く者として当然の常識である。

 

「それじゃ、早速始めましょうか。まずは朝の仕事から――」

 

 咲夜が先に仕事をして、ブタオがそれに習い反復する。

 百聞は一見に如かず。百見は一触にしかず。何でもかんでも、見たり聞いたりするよりは、。実際にやってみるのが一番早く覚える。

 朝の使用人たちの食事の仕込みに、部屋の清掃。そしてベッドメイキング。シーツの交換からクリーニングに至るまで、この一日で咲夜はあらかた見せた。

 そして、二日目に――

 

「それじゃ、昨日私がやった様にしてみなさい。私は貴方の後ろで監修してますから。出来なかったら見込み無しと言う事で、クビね」

「ぶひッ!?」

 

 と、全部ブタオに丸投げした。

 中々の鬼畜である。現代でも普通は数ヶ月間の研修期間を置くと言うのに。

 尤も、咲夜は分かっていてやっている。分かってて難題を吹っ掛けてくる。

 

 咲夜としては、ブタオを辞めさせたい。

 と言うより――

 

 これ以上、“吸血鬼であるあの二人に近づけさせたくない”。

 

 それが彼女の本心であった。

 

 吸血鬼

 

 誇り高い種族。絶対の支配者。そんな存在が、自分と同じ人間に恋をする。――あってはならない。絶対の存在が下卑た人間に恋心を抱くなんて、絶対にあってはならない。

 咲夜は、歯噛みしながら思いだす。ブタオとレミリアの食事会を。

 あんな笑顔のお嬢様は久しく見ない。

 フランに至ってもそれは同じだ。

 なぜ、自分で無いのか――。なぜ彼女達を笑顔にしたのが自分で無いのか。

 咲夜は、苛立っていた。何とも言えぬムカムカとした気分になる。レミリアやフランと楽しげに話しているブタオをみると心が落ち着かず、ムカムカとしてくるのだ。

 

(ああ。本当にムカムカするわね。お嬢様達とあんなに楽しそうに話して……。あんなブタみたいな男の何が良いのかしら。お嬢様達の気紛れにも困ったものね……)

 

 そんな事を思っても詮無き事である。

 ブタオの無能な仕事っぷりを見れば、レミリア達も目を覚ますだろう。そして幻滅するに違いない。そしたら、後は好きにすればいい。レミリア達の目に触れさせないよう、どこか遠くにでも送ってしまえば良い。

 そんな事を考えていた。

 

 ――しかし、どうした事か。

 

「出来たでござる、咲夜殿ッ! どうでござるか!? 吾輩頑張ったでござる!」

「へ……?」

 

 無能と決めつけていたブタオの仕事ぶり。

 その結果は、まったくの別物であった。

 テーブルや窓の様な見える場所だけではない。カーペットは、色落ちしないように軽く拭き、銀製の取っ手や金属類はダスターを使用して磨き、銅像は真鍮ブラシを使用して、水気をきちんと取ってピカピカに仕上げている。

 咲夜のやった仕事を忠実に再現していた。完全とは言えぬまでも、充分に合格点を与えられる仕事であった。

 自分の仕事ぶりが、どれだけの評価かドギマギしているブタオの心情とは裏腹に、咲夜の心情はこんな感じであった。

 

(ファーッ うっそぉおぉ!? な、なんで!? 明らかに仕事した事も無い様なごく潰しにしか見えないのにッ!?)

 

 咲夜は舐めていた。舐めすぎていた。そして知らなすぎた。

 

 ブタオをではない。現代日本の教育レベルの高さを、だ。

 

 9年間の義務教育。識字、計算、歴史、道徳、外国語にコミュニケーション能力。あらゆる分野をあらゆる社会で生きていく為に行われる、現代日本の教育レベル。

 現代世界に置いてもトップクラスの教育レベルを誇る日本で育ったブタオの基本能力。それは、明治時代程度の制度で止まったままの幻想郷と比べられる訳も無く。高校を中退したとはいえ、幻想郷程度の教育レベルでは、到底成しえない教養をブタオは持っていたのである。

 おまけにブタオは、異世界召喚系のライトノベルの愛読者である。知識の中では、使用人の仕事と言うのがどういうものなのかを既に理解していた。

 尤も幻想郷育ちの彼女にしてみれば、そんな事知る由も無いわけだが。

 

「咲夜殿? ど、どうしたのでござる? もしかして、吾輩の手順に間違いが……」

「い、いいえ。よく出来てたと思うわ。次もよろしく……ね」

「はいッ! でござるッ!」

 

 こんなはずでは――。

 そう思う咲夜であった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 紅魔館の正門に彼女は佇んでいる。紅魔館の門番、紅美鈴である。

 門の壁に背を預けながら、彼女は静かに目を閉じていた。

 紅魔館の住民やここに良く訪れる者にとっては見慣れた光景であろう。

 

 また、仕事中に居眠りなんかして――。

 

 きっとそう思うのだろう。

 しかし、彼女は眠ってはいなかった。目を閉じて入るが、意識ははっきりしており、その意識は紅魔館内へと向けられていた。

 

「意外だなぁ。ブタオさんって、仕事のできる人だったんだ。ますます好きになったかも……」

 

 彼女は、紅魔館内からの音を正確に拾い上げ、何をしているのかを把握していた。ただの妖怪とは言え、人間とは一線を画す聴覚である。

 そんな中、紅魔館から門に近付いてくる足音が一人分。軽快な足取りで近付いてくる。

 

「やっほう美鈴。ちゃんと仕事してる?」

「――妹様。どうしたのですか?」

「暇だからさ。遊びに来ちゃった。さすがにブタオの邪魔になりたくないし」

 

 フランであった。太陽の出てる真昼間に、日傘をさしながら美鈴へと近づく。

 美鈴も、歓迎するかのようにフランに手を振る。

 フランにしてみれば、単なる暇つぶしに美鈴の元へと訪れたのだろう。さすがにブタオが一生懸命に働いている所を邪魔するほど空気を読めなくはない。

 

 二人は軽い談笑を交わしていた。

 尤も、話しの内容が談笑という温かなイメージを持つかどうかは分からないが……。

 

「やっぱ、お姉さまはチョロいわね。自覚はまだないんだろうけど、アレは既にブタオに惹かれてる。美鈴にも見せたかったなぁ。あの女、ブタオと一緒に食事してた時の表情……。うふふ。卑しいメス豚」

「あはは。まぁ予想の範疇ですね。お嬢様は、自分が本当に周りから尊敬されているのか、気にしてたみたいですし……」

「え? そうなの? 初耳なんだけど……」

「直接本人から聞いたわけではありませんが、私もお嬢様との付き合いは結構長いですから。あの方が何を思っているのかは、なんとなく把握出来ます。――嬉しかったでしょうね、お嬢様。ブタオさんの裏表のない羨望の言葉とまなざしを受けて……。そりゃ好感度ダダ上がりってやつです」

「あははッ。くっだらない。お姉さまそんな事で悩んでたんだッ。あははは」

「ふふ。レミリアお嬢様はもう時間の問題ですね。ただ気になる事が一つだけ」

「なに?」

「お嬢さまは、妹様とブタオさんの仲を応援しているそうなんですよ。惹かれてると自覚を持っても、妹様に気を遣って自分の気持ちを押し殺そうとするんじゃないかなぁって」

「ああ。なるほどねぇ。――うん。大丈夫だよ。その辺りは私が何とかするからさ」

「そうですか?」

「まぁ任せてよ。うふふふ」

 

 自分の姉を陥れようとするフランの笑顔が本当に楽しそうだったからか、美鈴もどこかほのぼのとした気分になっていた。

 

「――ところでさ美鈴。お姉さまは、もう堕ちること確定だけどさ……。咲夜とパチュリーはどうするの?」

「――と言うと?」

「パチュリーはブタオに不信感を抱いてるしさ、咲夜に至っては……嫌ってるのかなぁ? あんなに強く当たってさ」

 

 ブタオの能力は人間には通用しないのか?

 フランは、そんな仮説を頭の中で組み立てていたようだが、美鈴はフランに笑顔で答えた。

 

「心配いりませんよ妹様」

「美鈴?」

 

「――賭けても良いです。次に堕ちるのは、咲夜さんです」

 

 

 





 次のターゲットは咲夜さん!

※ブタオさんの執事服(サイズ10L)は、咲夜さんが夜なべして作ってくれました。


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第十七話 笑い声

 

 ブタオは現在、咲夜に紅茶の入れ方のレクチャーを受けていた。

 

「そうそう。沸騰したお湯を空気が入る様に少し高い位置からポットに注ぐの。そうする事で茶葉がジャンピングして、香りが強まるのよ」

「紅茶の淹れ方も随分と奥が深いでござるなぁ」

「お嬢さまは紅茶にはうるさい方よ。淹れ方は完全にマスターするようにしなさい」

「ぶひ。分かったでござる」

 

 咲夜に言われたとおりに実践し、次々に知識と技術を身につけていく。スポンジが水を吸収するがごとく貪欲に身につけていく。

 楽しい。ブタオは楽しんでいた。

 子供の頃の勉学は、誰もが面倒臭がったり、苦痛に感じたりするものだが、大人になると逆に勉強をしたくなるものである。ブタオもその例に漏れず、知識を得ることに充実感と快感を感じていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 時計の鐘が鳴る。時間はもうお昼過ぎだ。

 咲夜は着ていたエプロンを脱ぎだし、ブタオに伝えた。

 

「私は、これから人里まで夕食の材料を買ってきます。夕飯までの間、休憩としますので、好きに過ごしていてください」

「人里に向かわれるのでござるか?」

「ええそうよ」

 

 人里に向かうと言う咲夜の言葉に、ブタオは人里に居る慧音の事を思い出していた。

 忘れていたわけではないが、中々話を切り出す事が出来ずに、随分と伸びてしまったが、これは丁度良いと思い咲夜にお願いをした。

 

「咲夜殿。人里に向かわれるのでしたら、吾輩も一緒に連れて行ってくださらぬか?」

「え? 貴方も?」

「人里には、お世話になった方が居るのでござる。その人に黙ってここにきてしまった故、心配をかけさせているのではないかと……。一言、吾輩は無事で、今は紅魔館にお世話になっている旨を伝えたいのでござる」

「あー。なるほど」

 

 そう言えば、ブタオはフランに拉致同然に連れてこられた身である事を咲夜は思いだす。

 人里で世話になった者にまだ事情を説明していないのは当然か。

 しばらく、咲夜は思案する。そして申し訳なさそうに言った。

 

「貴方を人里に連れていくのは別に良いんだけど、貴方、空を飛べないわよね?」

「む? 空、でござるか? 飛ぶ?」

「そ。空。飛べないわよね?」

「飛ぶとは、その……『飛ぶ』でござるか?」

「ん?」

「ぶひ?」

 

 互いの会話には、絶妙な食い違いがあったが、ブタオが外来人である事を思い出し、咲夜は、幻想郷の住民は空を飛ぶ事が出来る旨を説明した。

 

 

 当然、ブタオは絶句。あたりまえである。

 

 

 あんぐりと大きく口を開けている、ブタオをよそに咲夜は言葉を続ける。

 

「ここから人里までかなりの距離があるわ。歩いて行くとかなり時間がかかるし……。今回は、我慢しておきなさい。近いうち、連れて行ってあげるから」

「ぶぅ。仕方ないでござる。――では、勝手ながら言伝をお願いできないでござるか?」

「その世話になったと言う人ね。――良いわよ。誰かしら?」

 

「――上白沢慧音と言う女性でござる」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 紅魔館の正門前。

 美鈴とフランドールは、姦しく談笑を交わしている。

 そこへ、咲夜が、買い物かごを持って現れた。

 

「おや。咲夜さん、買い物ですか?」

「ええ。――随分と楽しそうね。二人で何の話し?」

「えへへ~。ひ、み、つ!」

「秘密です」

「あらそう」

 

 さして興味が無いのか、咲夜は追及しない。

 しかし、美鈴とフランの二人は、逆に興味深そうに尋ねてくる。

 

「ブタオさんの様子はどうですか? 使い物になりますか?」

「やっぱ気になるのかしら?」

「それは勿論。同僚になるかもしれない人なんですから」

「私も~」

 

 美鈴は同僚。フランは付き人と言う立場で、今後はブタオと接する事になる。

 気になるのは当然かと判断した咲夜は、嘘偽りないブタオの評価を口にした。

 

「まぁ……使えなくはないわね。妖精メイドよりは優秀よ」

「へぇ。そうなんですか? 意外だなぁ」

「ええ。私もそう思うわ。あの男、だらしのないお腹をしているのに、妙に家事が上手くてね。さっき、紅茶の淹れ方も教えたんだけど、これもすぐに覚えて……。次は、調理の技術でも教えようかしら。そうすれば仕込みがもっと楽に――」

 

 咲夜の口調には熱が灯っていた。

 実に、楽しそうにブタオの教育のカリキュラムを口にするのだ。

 そんな咲夜を見て、美鈴は笑顔で言った。

 

「違いますよ? 咲夜さん」

 

「はい?」

 

「私が意外だと言ったのはですね。――『咲夜さんが楽しそうに、ブタオさんの成長を口にしている事』ですよ」

「――ッ」

 

 美鈴の言葉に、咲夜ははっとする。

 

「どうしたんですか? あんなにも嫌悪していたと言うのに……」

 

 ほのぼのとした笑顔をする美鈴の言葉に、確かにその通りだと咲夜は自問する

 あんなにも嫌悪していたと言うのに、なんで自分はこんなに『楽しい』と思っているのか?

 

 自問する咲夜だが、鼻で笑うかのようにすぐに結論に至った。

 

「なんて事ないわ。単純に、もの覚えが良くて素直な奴だから。教えている側としてもやりがいを感じるようになっただけよ」

 

 それだけだ。

 自分の心を再確認するが、本当にそれだけなのだ。

 

「――そうですか。ふふ」

「む……」

 

 なにか、鼻につく美鈴の笑顔と言葉に、咲夜はイラっと来たようだ。

 なにを思っているのか、問い詰めてやろうかと思ったが、近くにフランもいる事なのでやめた。

 買い物の他にもブタオに頼まれた用事もある。さっさと買い物に行こうと、咲夜はきびつを返す。

 

「それじゃ、私はもう行くわよ。買い物以外にも用事が出来た事だしね」

「用事ですか?」

「ええ。彼に伝言を頼まれてるの。人里でお世話になった人に黙って紅魔館で働いているからって」

「――ッ!?」

 

 咲夜の言葉に、美鈴は戦慄した。

 しかし、動揺した表情を瞬時に切り替え、とぼけた声で尋ねる。

 

「……へぇ。ブタオさんの世話になった人ですか。――誰ですか?」

 

「人里じゃ、有名な人よ。――あのワーハクタクの上白沢慧音ですって」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 夕方まで休憩を貰ったブタオであったが、特にすることなく、彼は手持無沙汰であった。

 

「夕方までやる事が無いでござる……」

 

 なにして時間を潰そうかと考えていたところ、先ほどまで講義を受けていた紅茶のポットが目についた。

 

「そうでござる。先ほど咲夜殿に教わった事の復習をするでござる。丁度のども渇いたところでござったし、ちょっと淹れてみるでござる」

 

 ちょうど喉も渇いた事だし、復習も兼ねてお茶を淹れようとブタオは、ポットに手を伸ばす。

 ブクブクと親指ほどの空気が湧くくらい沸騰させたら、空気を含ませるように少し高めの位置から注ぐ。カップはお湯であらかじめ温め、温度が逃げないように。

 カップに紅茶を注ぐと、紅茶特有の香ばしい香りがブタオの鼻孔をくすぐった。

 

「ぶひひ。咲夜殿にはまだ叶わぬでござるが、結構な手前になってきたようでござる。――ぶふぅ。良い香りでござる」

 

 香りを楽しんでいると、食堂に誰かが入ってきてブタオに声をかけた。

 

「――あら? 良い香りね」

「ぶひ? レミリア殿ッ!」

 

 レミリアであった。

 彼女は、ブタオのすぐ横に来て、出来上がった紅茶を鑑賞し始める。

 

「薄すぎず濃すぎず。良い色をしているわ。一人で練習かしら?」

「ぶひ。そうでござる。咲夜殿に夕方まで休憩を貰ったでござるから……」

「へえ。良い心がけね」

 

 そう言って、彼女はテーブルにつく。

 誰かと会う予定なのかと、ブタオは思ったのだが――

 

「何をしてるの? 早くお茶を入れてちょうだい」

「ぶひ? も、もしかして、吾輩の事でござるか?」

「他に誰が居るのよ」

「し、しかし吾輩はまだ見習いの身であるゆえ……。レミリア殿の満足のいくお茶を入れる事が出来るかどうか……」

「構わないわ。私が飲みたいって言ってるんだから、さっさと淹れる」

 

 楽しんでいるのか、レミリアは笑顔で要求するが、ブタオにしてみれば雇い主直々のオーダーである。

 緊張で、手汗が酷いが、なんとか、手順を間違えずに淹れる事が出来た。

 色も綺麗な紅色をしていて、これならいけると、レミリアに差し出した。

 

「ど、どうぞ……でござる」

「ふふ。ありがと」

 

 香りを楽しんだと、火傷しないように僅かに口に含ませる。

 ブタオは、ドキドキと脇でレミリアの評価を気にしていた。

 

「うん。咲夜には及ばないけど、良い出来ね。とても美味しいわ」

「ぶひぃッ!」

 

 思わずガッツポーズをとるブタオ。

 

「ねぇブタオ。貴方、夕方まで暇なのよね?」

「ぶひ? そうでござるが……」

「だったら、私のお茶に付き合いなさいよ。私も暇なの」

「ぶひッ! ぶぅ、しかし……」

 

 一瞬、とても喜んだ表情をしたが、すぐに影を落とし落ち込む表情になるブタオ。

 何とも百面相な表情に、レミリアはどうした事かと思ったが、尋ねる前にブタオが口を開いた。

 

「とても嬉しい申し出なのでござるが、吾輩はすでに紅魔館の使用人ゆえ、主であるレミリア殿と同じ席につくのは……。咲夜殿にも怒られてしまうでござる」

「あら。そんな事?」

 

 咲夜の教育が行き届いている事に関心を覚えつつ、自分の頼みを無下にされた事にレミリアは少し不貞腐れて言った。

 

「主人の私が良いって言ってんだから良いのよ。――私に付き合ってくれるなら、私たちの武勇伝をもっと聞かせてあげるわよ?」

「ぶ、ぶひ? ほんとでござるか!?」

「ええ。あの時、聞かせられなかった話が沢山あるんだから」

「それじゃ、お言葉に甘えるでござる! レミリア殿の話は本当に胸がわくわくするから大好きでござるッ!」

「ふ、ふふんッ! 当然ね。それじゃ今度の話は、終わらない夜の異変の話でも――」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 踵を返し、人里に向けて飛ぼうとした咲夜の袖を、美鈴は思わず掴みとる。

 

「ん? どうしたの美鈴」

「あ、えと……その……」

 

 美鈴はうつむき、顔を伏せている。一体何事かと咲夜は思うが、その実、美鈴は酷く動揺していた。

 額から一筋の汗が流れ、喉が渇き唾液を呑み込む。

 これが精一杯。

 咲夜に異変を感ずかれず、動揺を抑え込むにはこれが精一杯の反射行動であった。

 

「えとですね……。その買い物、私と変わっていただけないかなぁと思いまして」

「美鈴と? なんで?」

「それは、その……」

 

 美鈴は、フランと横目で視線を合わせた。飄々としたいつもの美鈴とは違い、明らかに余裕のない眼にフランも察する。

 助け船を出すかのように、フランは横から口を出した。

 

「あッ! 私も人里に行きたいかなぁ~……なんて」

「え? 妹様も?」

「う、うん……。そうなの」

「なぜ?」

 

 尤もな疑問である。

 フランは、助け船を出しただけで、理由なんてなんも考えてはいない。困ったと思ったが、フランが僅かに時間を稼いでくれた事で、美鈴の方で言い訳が思いついたようだ。とても苦い良いわけではあるが……。

 

「じ、実は、人里で話題になってる甘味屋がありまして、その事で妹様と盛り上がってたんですよ。――ね、妹様」

「う、うん……。行ってみたいなぁなんて話しだったよね! う、うん。そう」

 

 実に苦しい良いわけである。

 とはいえ、咲夜としては疑う理由がない為にすんなりと信じたようだった。しかし、別の意味で呆れたようだった。

 

「貴女たちねぇ。御夕飯の前に間食なんて……」

 

 御夕飯が食べられなくなるでしょう、とそっちの方で呆れていた。

 

「だ、大丈夫ですよ。ほんのちょっと様子を見るだけですから!」

「う、うん! そんなに食べないよ! ちょっと味見をしてくるだけ!」

「う~ん……」

 

 まだ渋る咲夜に美鈴が駄目押しの一言。

 

「そ、それに咲夜さん! ブタオさんを放ったらかしにして良いんですか? 休憩を与えたのは良いと思いますが、この館にまだ慣れてなくて、勝手が良く分からないのではないでしょうか? きっと彼、困ってると思いますよ?」

「そうねぇ」

 

 言われてみればその通りだと思う。ブタオは紅魔館に来て日が浅いのだ。何か問題を起こさないとも限らない。

 

「それじゃ、お願いしようかしら」

「や、やった! ありがとうござます! 咲夜さん」

「はしゃがないの。間食は出来るだけ少なくね。でないと、御夕飯が食べられなくなっちゃうから。――買い物のリストはバッグの中にメモを入れてるから。それじゃ後はお願い」

 

 そう言って、咲夜は紅魔館へと戻っていった。

 残された美鈴とフランの二人は、咲夜の姿が見えなくなるまで佇んでいたわけだが、咲夜の姿が見えなくなると互いに目を合わせて確認を行う。

 

「いやぁ。助かりました、妹様」

「う、うん……。でも、何があったの? どうしてあんな事……」

「それは、人里へ向かいながら話します。まずは行きましょう」

 

 二人は、人里へ向けて紅魔館を後にする。誰も近くに居ない事を確認したのち、美鈴は後悔するかのように歯噛みしながら話し始めた。

 

「――迂闊でした。ブタオさんの魅惑の力を知りながら、私たちの他に誘惑された者がいる可能性をまるで考えていなかった。あの人は、今まで人里で暮らしていたんだ。誰かを既に誘惑していてもおかしくはない」

 

 ブタオが幻想入りしてから、まだ二週間程度である。

 たったの二週間。

 大した事のない日数とは思うが、誰かと関わり合いにならなければ生きられるはずもない期間である。

 

「しかも、よりによってあの慧音さんだなんて……最悪だ」

 

 もしも、ブタオが誘惑したのが、そこいらの村娘であったならば安心できた。

 普通の人間で、人喰いの妖怪の森を抜けて、紅魔館までやってくる事は不可能に近いからだ。

 例え、ブタオが紅魔館に連れられた事を知ったとしても、何もする事は出来ない。仮に博麗の巫女なり、守谷の巫女なりに依頼をしたとしても、知らぬ存ぜぬで通せば良い。

 

 だが、慧音は駄目だ。

 

 彼女なら、人喰い妖怪のでる森なんて、簡単に通れるに決ってる。

 それに彼女は、サトリ妖怪ではないにしろ、過去視に近い能力を持つワーハクタク。『嘘』なんて通用するはずもない。

 

「――どうするの? 美鈴」

 

 心配そうにフランは、美鈴に声をかける。

 少し考え込んだ後に、美鈴は口を開いた。

 

「……まずは様子見です。ブタオさんが紅魔館に居る事を知っているとは思えないですが……。もしも知ってたら、少々面倒臭いです。いざという時は、妹様の御力も借りるかもしれません」

「私の力? どうするの?」

「質問を質問で返しますが、愛する人を拉致同然に連れられたら、妹様はどうします?」

「殺してでも奪い返す」

「ですよね、私も同じです。そしてブタオさんに誘惑されているのなら、たぶん慧音さんも……」

「……もしも、ブタオおじ様を取り返そうとしてるんなら、ひき肉にしてやる」

「油断しないでください。確実性を考えるなら、紅魔館で全員で迎撃するのが良いのでしょうが……。生憎、お嬢さまも咲夜さんも、まだ堕ちてるとは言えない状態です。私たちでなんとかするしかありません」

 

 まずは、確認。

 

 しかる後、慧音がブタオを奪おうと画策しているのならば――。

 

 美鈴とフランの二人は、内よりあふれ出そうな憤怒を抑え込みながら、人里へと向かう。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 一方、紅魔館では――

 

 思わず時間が出来てしまった咲夜。

 せっかく出来た時間だから、ブタオにもう少し業務について教えてあげようと、ブタオの私室を訪れようとしていた。

 

「次は、何を教えてあげようかしら。調理の下ごしらえでも教えようかしら。そうすれば私ももっと楽に……」

 

 咲夜は、気付かない。

 自身の足取りが軽くなっている事を。

 

 咲夜は気付かない。

 今、ブタオと一緒に仕事をしている風景を想像し、その事に楽しさを感じている事を。

 

 自覚のないままに、彼女は紅魔館内を歩む。

 すると、食堂から笑い声が聞こえてくる。

 男と女の声だ。

 二人とも楽しそうに笑い、会話を楽しんでいる。

 

「それでね、私はそいつにこう言ってやったのよッ『あそこに本命が居る。私の目は誤魔化せないわ』ってね」

「す、凄いでござるッ! クール……。実にクールでカッコいいでござるよぉッ! 吾輩も一度でいいから、そんな台詞を言ってみたいでござるぅ」

「ふふん。貴方じゃ無理ね。私の様なカリスマ溢れる存在だからこそ、台詞の一つも映えるのよ」

「ぶひぃ……。ひ、ひどいでござる」

「うふふ。冗談よ。貴方も格好良い台詞を言えるように、男を磨きなさいな」

 

 レミリアとブタオの二人であった。

 二人で、周りの目を気にせずに楽しく談笑している。

 近くに自分が居ても気付かないくらいに集中して――。

 

 その時、咲夜の胸の奥に、ズキンと鈍い痛みが走る。

 

 痛くはないが、酷く不快な感覚。

 

 これ以上、『あの二人を見たくない』

 

 いつの間にか、咲夜は――時を止めていた。

 

 

 

 





次回、咲夜無双!? 咲夜の魅了された訳とはッ! そして、美鈴とフランと慧音の行方はッ!?




なんて、次回予告みたいに言っても、結果は決まってるんですけどね(ゲス顔)

ここまで読んでくれて感謝です。次話もよろしくです。


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第十八話 もう誰もいない

 

 

 

 時が止まった世界では、咲夜のみが動く事が許される。

 人やモノは勿論、中に浮かぶ塵から空気の流れ、そして光の速度さえも、彼女の力の前には決して動く事は叶わない。

 

 そんな世界で、ブタオは何ともブサイクな顔で、レミリアと笑い合っている。

 

 とてもブサイクで――。

 とても幸福そうに。

 

 そんなブタオの顔がとても鼻につく。

 

「ブサイク……。ああ、ほんとにブサイク」

 

 咲夜は、ブタオの頬をつねり始めた。

 元々ブサイクなブタオの顔が余計にブサイクになっていく。

 しばらくの間、咲夜はブタオの頬をプ二プ二と弄んでいた。

 

 プ二プ二プ二プ二と……

 

「彼は、ブサイク……。間違いなく。なのにどうして……?」

 

 咲夜は人間である。人間の価値観から、ブタオは決して整った容姿をしていない。嫌悪すら感じる酷い容姿。

 

 しかし、なぜだ――?

 

 どうしてこんなにも、目の前の男を愛おしく思うのか?

 

 咲夜は自問する。

 レミリア気まぐれで使用人になった男。

 初めのうちは、フランドールを洗脳したのではないかと、疑いをかけていた。

 だが、実際に話してみると、とても小心な男で――。変なところで純粋で、甘ったれのごく潰しかと思えば、教えられた事を良く覚えて――。

 

 少なくとも悪人ではない。

 

 そう、ブタオは悪人ではない。

 

 だから、この感情は決して――。

 

 決して『洗脳』されているわけではない。

 

 虚空の世界で咲夜は呟く。

 

「彼は悪人じゃない。人を操ったり洗脳したり出来る人じゃない。だからこの気持ちは決して洗脳なんかじゃない。私は彼に洗脳なんてされてないッ! だからッ――」

 

 この気持ちは、『偽物』なんかじゃない。

 

 咲夜は、ブタオの顔を包み込むように抱き締めた。

 

 時間が止まっている空間で、『匂い』なんてモノが感じられるかどうかは分からないが、確かに咲夜は感じ取る事が出来た。

 ブタオの匂いを。ブタオの体温を。

 

 心臓が破裂するんじゃないかと思うほど、鼓動が激しく脈打つ。

 

 破廉恥な事この上ない。自分は何をしているのか?

 時間を止めて、男性の体に抱きつくなんて――。

 

 羞恥心から、咲夜はトマトの様に顔を真っ赤に染める。

 しかし、気恥ずかしいと思いつつも、不思議な心地よさと快楽があり、決して悪いものではない。むしろとても気持ちが良くて――。

 

 ブタオの表情は変わらない。子供の様な笑顔のままで止まっている。時間が止まっているのだから当たり前なのだが……。

 しかし、咲夜は八つ当たりせずにはいられなかった。

 

「私がこんな気持ちになってるのに、この人は……」

 

 完全な八つ当たりである。

 

 ブタオが許せない。

 

 自分をこんなにも惑わせるわ、レミリアと楽しそうにお茶をしているわ。

 そして、その笑顔を向けている相手が自分でないわ――。

 

 子供の様に純粋な笑顔。見ている分にはとても心地よいものがあるが、それが自分に向けられたモノでないと思うと腹が立つ。

 

「これは、お仕置きが必要ね……。貴方は私の部下。貴方の決定権は全て私が握ってるんだから……。お嬢様にもそう言われたんだし、貴方は私のモノなのよ」

 

 そう言って、咲夜はブタオの服を剥ぎだした。

 ツルツルのでっぷりと肥え太ったブタオの裸体。

 咲夜は、血圧が急激に上がる様な感覚に襲われた。鼻血が出そうになる。

 

「はぁッはぁッ……。す、凄いお腹――。それに匂いももっと強烈になって……」

 

 ブタオの裸体を前に、ごくりと生唾を飲み込む。

 このまま犯してしまおうかとも思ったが、時間が止まってるからブタオの『息子』も起きていない。『こういう時』は、女は不便だと思う。

 

 咲夜は、ナイフを一本懐から取り出す。

 

「はぁはぁッ……。これは、お仕置き……。そう、貴方は私のモノなのに、他の女に媚びたお仕置きなの。貴方が誰のモノなのか、その身に教えてあげなきゃ……」

 

 そう言って、ナイフを一線――ブタオを腹部に切り込ませる。

 

 しかし、切った部分からは、一切の血が流れ出てこない。

 

 切ったのは皮。とても薄い皮膜に近いもの。

 しかし、その部分は不自然に薄いピンク色に変色している。

 

 恐ろしい技巧である。

 

 咲夜の斬撃は一回では済まない。縦横無尽に、ブタオの体から薄皮を剥いでいく。

 

「うふふ。これで良いわ。これで貴方が誰のモノなのかはっきりする……うふふふ――」

 

 咲夜の切り刻んだ部分。

 

 そこには、薄いピンク色で『咲夜』の文字が――。ブタオの腹部に、薄く刻まれた。

 

 満足したのか、咲夜はほっこりと落ち着いた表情になり、ブタオに衣服を着せはじめた。

 

「ふふ。貴方は私のもの。その名前が消えたら、また付けてあげるからね……」

 

 そう言って、ブタオの頬に軽いキスをした。

 

 全てが元通りになった時、咲夜の止まった世界は動き出す。

 

「――レミリア殿は真に……ぶひぃッ!? さ、咲夜殿? いつの間に……」

「あら咲夜。もう帰ってきたの?」

 

 ブタオは異変に気付かない。レミリアも――。

 この部屋で起きた事は咲夜だけが知っている。

 

「美鈴と妹様が人里へ行きたいと申しておりましたので、二人に変わっていただいたのですわ」

「あらそうなの?」

「はい。それで、楽しそうなところ大変申し訳ないのですが、彼をお借りしてもよろしいですか? 夕食の仕込みを手伝ってもらおうと思いまして」

 

 不満げにしぶるレミリアではあるが、仕事ならば仕方がないと潔く折れる。

 ブタオも名残惜しいが、仕事ならば仕方がないと切り替えた。

 

「それじゃブタオ。この話はまた今度してあげるから」

「ぶひ。楽しみにしてるでござる」

 

 そう言って、レミリアと別れ、彼女の姿が見えなくなるまでブタオは、にへらと弛んだ顔をしながら手を振り続ける。

 そんな、緩み切った顔に活を入れるかのように、咲夜はブタオのケツをつねった。

 

「ぶ、ぶひッ!? い、痛いでござる」

「貴方が弛んだ顔をしているからよ。気持ちを切り替えなさい」

「ぶ、ぶぅ……。すまんでござる」

「よろしい♪」

 

 母性の溢れるような優しい笑みを、この時咲夜は浮かべていた。

 そんな咲夜に、ブタオはドギリッとさせられる。

 今まで見せた事のない、柔らかな笑顔に、ブタオは尋ねてみた。

 

「咲夜殿。何か良い事があったのでござるか?」

「え?」

「いや、その……。なんだかとても嬉しそうと言うか楽しそうと言うか、素晴らしい笑顔でござったので……」

「ああ……。そういうこと」

 

 人差し指を口に添え、悪戯っぽく答えた。

 

 

「ひ、み、つ」

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 ところ変わり、人里の入り口前。

 美鈴とフランの二人は、人里に到着していた。

 その表情は、これから買い物を楽しむと言う優しいものではなく、親の仇を取りに来た様な決死の表情であった。

 すれ違う人里の人間は、みんな二人を一瞥し、慌てて視線を逸らす。

 そんな人里の視線を介せず、二人は慧音の元へ訪れようとしていた。

 

 しかしその途中、珍しい人物に出くわした。

 

「おや? あんたらは紅魔館の……」

 

 腰元までスラリと長い白髪。白シャツに霊札を張りつけた赤いモンペを着た女性。

 

「貴女は、竹林の……。妹紅さん?」

 

 竹林に住む蓬莱人、藤原妹紅である。

 なんとも珍しい人が人里にいると美鈴は思った。

 不老不死の能力をもつ彼女。人との関わりを捨てた世捨て人である彼女が人里にいるのは実に珍しい事である。

 

「珍しいですね。妹紅さんが人里にいるのは」

「そう言うあんたらだって――。買い物?」

「ええ、まぁ。そう言う妹紅さんは?」

 

 聞き返すと、彼女はとても困った様な顔をして口を濁す。

 

「私はその……色々あってさ、ここ数日の間、人里に滞在したんだ。今は慧音のところに厄介になってる……」

「へぇ……。慧音さんのところにですか」

 

 慧音の名前が出てきた瞬間、美鈴とフランの二人は緊張を走らせたが、すぐに平静に戻り情報を集めようと尋ね続ける。

 

「何かあったのですか? なんだか人里も活気が無い様に見受けられます。もしや慧音さんの身に何か……?」

 

 世間話をするかのように軽い口調で尋ねてみる。

 核心部分を突いたせいか、妹紅は少し困ったような表情をしたが、意を決したかのような表情となり美鈴たちに話し始める。

 

「そうだな。立ち話もなんだ。あそこの茶屋で話さないか? 奢るからさ」

「え、良いのですか? それは大変嬉しいですが……」

「良いんだ。私もさ、誰かに愚痴を聞いて貰いたいところだったんだ。私の愚痴に付き合ってくれよ」

 

 愚痴に付き合ってくれ。

 そう言って、妹紅は二人を茶屋に案内する。

 案内された場所は個室だった。茶と軽い甘味を注文し、三人は席につく。

 

「さて、何から話したものかな――」

 

 言葉を選ぶように、妹紅は現状を話し始めた。

 

「今さ、私は慧音の仕事を引き継いでるんだ。里の守護や相談役や、それに寺子屋の仕事とかもさ。これがまた大変な仕事でさ……」

「それはまた……。引き継いだというのは? 慧音さんに何か? もしかして病気?」

「病気……なのかな? うん、病気だなアレは。慧音はおかしくなっちまった」

 

 妹紅は、茶をすすり喉を潤し、大きく息を吐き出した。

 それは、茶を楽しんだ後の悦を含んだため息ではない。仕事疲れから来る重いため息であった。

 

「慧音さ、好きな人が出来たみたいなんだ」

「好きな人……?」

「ああ。『ブタオ』とか言う名前の男らしくてさ。私は会った事無いんだけど、あの様子からすると相当惚れてたんだろうな。同棲してたって話だ」

「……へぇ」

 

 気の高ぶりを沈めるように、美鈴は自身の感情を自制する。

 それはフランも同じではあるが、美鈴ほど上手く感情を抑制する事は出来ないみたく、持っていた茶碗を強く握りひび割れを起こさせていた。

 妹紅はそんな二人の様子に気付かない。

 彼女もまた、追い詰められており、周りの事にそこまで注視出来ない。

 妹紅は、毒を吐き出すかのように愚痴を続ける。

 

「――で、そのブタオって男が突然慧音の元から居なくなったらしくて。――相当ショックだったんだろうな。それから慧音はおかしくなっちまった」

「……それはお気の毒ですね。でもおかしくなったというのは、一体……」

「ああ、それは――」

 

 

 妹紅が言葉を紡ぎだそうとした瞬間――

 

 外から、女性のかん高い悲鳴の声が上がった。

 その悲鳴が、きっかけで人里は騒然と化す。

 

「――ま、まさかッ!?」

 

 何事かと思うと同時に、妹紅は店の外へと慌てて飛び出して行った。

 状況を解せぬままに、二人も妹紅の後を追う。

 

 そこで二人は、信じられないものを目にした。

 

 

「あああああアぁぁッ! ぶ、ブタオォッ! ど、どこにいるんだッ! ブタオォッ!」

 

 

 それは、人里の賢人とまで言われた女性。

 

 

「け、慧音!? なんて格好でッ――。落ち着け、慧音ッ!」

 

 

 男であるならば、すれ違ったら必ず振り向く美貌の持ち主。

 人里の誰からも愛された女神の様な存在。

 そんな彼女が、幽鬼の様に血色の伴ってない顔をしながら。

 髪の毛をボサボサに乱しながら。

 帯のはだけた寝間着姿で。しかも裸足で。

 あられもない姿で人里のど真ん中で狂乱しながら叫んでいる。

 

 

「イヤだ……いやダあああぁぁッ!! ブタオオオォッッ! わ、私を一人にしないでくれぇッ うぎいいいいぃぃッ!!」

 

 

 妹紅は、そんな彼女を抑えつけながら、その場から離れようとする。

 爪を立てられ、引っ掻かれても妹紅は慧音を抑え込む。

 

 

「慧音ッ! いい加減にしろッ!」

 

「うるさういいぁいッ! わた、私のブタオを、返せええぇッ!! お、おおうおぉッッ!!」

 

 

 あまりに信じられない光景に、みながその場所から動けない。誰も口を開く事が出来ない。

 佇んだまま、その様子を眺めておくことしかできない。

 美鈴とフランもそれは同じだった。ただ黙ってその様子を見ていた。 

 

 慧音を押さえつけ、この場から離れようとする妹紅と二人は目が合った。

 『すまない』と言わんばかりの申し訳ない顔で、頭を下げその場から離れていく。

 

 慧音と妹紅の二人が見えなくなるまで、その場所は時間が止まっていた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 美鈴とフランの二人は、人里を出るまで終始黙ったままだった。

 頼まれた買い物を済ませ、二人は紅魔館の帰路についていた。

 

 二人は黙ったまま、紅魔館に向けて飛んでいた。

 

 二人の静寂が続いたのはどこまでだったのか――。

 

 周りに誰もいなくなったころ合いか。美鈴が先に口を開いた。

 

「――妹様。もう、大丈夫です。もう……『堪える必要』はありません」

 

 そう美鈴が言った瞬間、静寂を貫いていたフランの顔が大きく歪みだす。

 

「――く、くひ……くひひひ……」

 

 その表情は、まさに『悪魔の妹』の名にふさわしい禍々しく歪んだものであった。

 

「くひひ、ふ、ふふ、はははは――あああっはっはっはッ!! あははははははッ!!!あああああああッッ」

 

 ずっと、ずっとずっとずっと我慢していた。

 腹がよじれるほどの喜劇を前に、ずっと我慢していた。

 その我慢が限界に達した。もう我慢できない。笑うしかない。

 

 美鈴も、フランの笑いに釣られ、自身の表情を大きく歪ませながら笑った。笑い続けた。

 二人の笑いは、空高くに響き渡ったが、それをとがめる者などいやしない。

 ここは二人だけの空間。二人しかいない空間である。

 ならばどうして我慢できる?

 

「ねぇッ! 見た? 見たッ美鈴!? あの人のあの顔ッ! あはははははッ! もう駄目ッ! お腹痛いッ! あはははははッ!」

 

「ええ、見ましたッ見ましたともッ! ふふッあはははッ! 何も心配なんか無かったんだっ! あの人は、ブタオさんの場所なんて知らなかったんだッ! あははははッ!」

 

 全部自分たちの取り越し苦労。

 それも含めて、全部が全部笑えてくる。

 

「ふふふッ。これでもうブタオおじ様の存在を知る人は居なくなったんだねッ! もうおじ様は、私たちだけのモノ……くひひい」

 

「ええ。私たち紅魔館だけのものです。誰にも渡すものですか……。ふふ、あはははッ」

 

 二人は、終始上機嫌で紅魔館に帰宅する。

 ブタオを狙う者は、もう外部にはいない。

 後はゆっくりと、内部をブタオの色で染め上げていけばいい。

 

 次は誰が堕ちるのか?

 

 そんな事がふと頭に過った時、美鈴の言葉を思い出す。

 

 次に堕ちるのは咲夜であると。

 

「そう言えばさ、咲夜はもう堕ちたのかな?」

「順調ならもう堕ちた頃だと思いますよ?」

「ふふ。さすがおじ様。――でもさ美鈴。なんで咲夜が堕ちるって知ってたの? 咲夜、ブタオおじ様の事、あんなにも毛嫌いしてたのに」

「ああその事ですか。そうですねぇ……。単純に推理を組み立てて言っただけの話です。咲夜さんが不機嫌になってたのはブタオさんが『他の女と一緒にいた時だけ』だったとか、単純に部下として優秀だったから愛着が湧いていたとか。堕ちる契機となる要因は幾つもありました。でも――」

 

「でも? なに?」

 

「ブタオさんの前に『きっかけ』なんて何の意味も持たないと言う事です。咲夜さんが堕ちる理由、それは――『ブタオさんの傍にいた』から。それだけです」

 

「クール……。おじ様、凄くクールッ! ただそこに居るだけで女を堕とすなんて――。クールすぎぃッ!」

 

「ええ。最高にクールな方です。お嬢さまもパチュリー様ももうすぐ……。ふふふ」

 

「美鈴ッ。早く帰ろうッ! おじ様の話をしてたら、急に体が火照って来ちゃった。この火照り、早くおじ様に癒やして貰わなくちゃ」

 

「ええ。私もブタオさんと一緒にお茶とかしたいです。早く帰りましょう。もう私たちの恋路を邪魔する者は居ないのですからッ!」

 

 

 もう、ブタオとの恋路を邪魔する者は居ない。

 後はゆっくりとブタオとの仲を深めていくだけ。

 

 二人は、これからの――。

 

 ブタオとの幸せな未来を思いはせながら、彼の待つ紅魔館へと戻っていった。

 

 

 

 




 

 咲夜さんコンプリート。
 残るはお嬢様とパチュリー様のみ。

 二人をクリアしたら、もう紅魔館組はハッピーエンドですねw(笑)
 愛する人と一緒に暮らせるんですから(ゲス顔)

 慧音さん発狂中(笑)
 慧音さんの仕事は妹紅さんが、引き継ぎ中。何とか人里を維持してます(さすモコ)

 次話もよろしくお願いします。


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第十九話 恋心

 ブタオが、紅魔館の使用人となり幾日の月日が流れていた。

 初めこそ、オタオタと頼りのないブタオであったが、咲夜の指導もあって、今では一人で仕事を任されるようになっていた。

 使用人として働くにあたり、ブタオは咲夜以外の使用人たち。つまり、妖精メイドやホブゴブリンと言った者たちとも交流を深めていく。

 

 彼らの、ブタオに対する感情についてだが、思いのほかに好評であった。

 

 妖精メイドは、妖精と言う概念的な存在から、人間の価値観等理解できるはずも無く、ブタオの性格や容姿について、まったくの抵抗が無かった。

 ホブゴブリンもそれは同様であり、彼が来てからメイド長やフランドールが大人しくなった様な気がして、尊敬の念すら覚えている。

 ブタオは、彼らの後輩にあたるわけだが、先述のとおり尊敬されている為に、『ブタオ様』と呼ばれていた。

 尤も、尊敬から来る“様付け”ではなく、あくまでごっこ遊びのネタの範疇ではあるが。

 

『――ブタオ様ぁ。おはようございますぅ』

『おはようございます。ブタオ様』

『ブタオ様。今日も一日よろしくお願いします』

 

「ぶひぃ。おはようでござる! 今日もよろしくでござる!」

 

 すれ違う妖精メイドやゴブリン達にあいさつされるブタオ。

 その中で、何匹かの妖精たちがブタオの周りに集まりだす。

 

『ねぇ、ブタオ様。またお腹触らせて~』

『あたしもあたしも』

『わたしもぉ~』

 

「ぶひぃ。良いでござるぞッ! どこからでもかかってくるでござる!」

 

『やったぁ!』

『次私! 私もねッ』

『ねえ見て見てッ! 手が背中まで届かない! すっごく太っい』

『すっごーい、ブタオ様、ものすごいデブ~』

 

 何と言うか、相撲部屋にやってきた子供にモテはやされる力士の様な扱いである。

 

 キャッキャと抱きつかれたりしているわけだが、ブタオも膝元しかない妖精に欲情するわけも無く、可愛い小動物がじゃれてきている様な感覚であった。

 とはいえ、今までの人生で、こんなにもモテた事など在りはしない。今が、人生で最大のモテ期に違いない。

 

 そして、そんな風にじゃれていると必ず現れるのが彼女である。

 

「こら貴方達ッ! 何をしているの。仕事場に戻りなさい」

『わーッ。咲夜様だぁ』

『仕事に戻れー』

『キャー』

 

 みんな一同にブタオに手を振って、自分たちの仕事場へと散っていく。

 ブタオも、笑顔で手を振り返す。

 そして、咲夜はそんな緩み切ったブタオに活を入れるように、ブタオの腹をつねった。

 

「なに緩んだ顔になってるの。貴方も仕事に戻りなさい」

「ぶひぃ。すまんでござる……」

 

 御叱りを受けたわけだが、そこまでブタオは気にしても無かった。

 咲夜も本気で怒ってるわけでもなく、年相応の笑顔で叱責していたからだ。

 

 そして、この行いは、ここ数日の間で格式美とも言えるように繰り返して行われていた。

 もはや、みんな分かっててやっているのである。

 

 みんな笑顔で業務に励む。ブタオが来てから、使用人たちの間で笑顔が広がった。

 

 そして、そんな楽しそうに仕事をしているブタオ達を遠目で眺めている視線が一つ。

 

「あいつ、今日も忙しそうね……」

 

 紅魔館の主、レミリア・スカーレットである。

 実につまらなそうな顔で、壁の影からブタオ達を覗いている。

 

 ここ数日、ブタオと全く会話をしていない。

 勿論、あいさつ程度の言葉は交わすが、ゆっくりとお茶を交えながらの談話と言うのを全くしていないのである。

 何かあるたびに、咲夜や美鈴やフランがブタオを連れて行ってしまう。

 

 まだ話してない物語が、他にもたくさんあるのに。

 お話してあげるって約束したのに。

 

 しかも最近、ブタオの周りに人が増えた様な気がする。

 咲夜は、仕事の関係上仕方がないとして、美鈴もフランも、隙を見てはブタオと一緒に楽しくお茶をしている。

 ここ最近では、妖精メイドやホブゴブリン達もみんなブタオに夢中になっていて、イチャイチャと抱きついたりしている。

 妖精たちにとっては、単なるスキンシップの意味合いが強いのだろうが、なにか不愉快なものがある。

 レミリアは、この言い様のないモンモンとした感情を抱いたまま、その場を後にした。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 レミリアが、なんとなく館内を歩いていると、中庭で美鈴とブタオが、楽しく談笑している姿が見える。

 おそらくは、庭園の手入れについて話しているのだろう。

 

 それにしてもどうだ?

 あの美鈴の浮ついた顔は。

 

 ほんのりと顔を赤め、照れ隠ししている事がバレバレである。

 アレではまるで恋する乙女ではないか。

 

「――ッ」

 

 なんでだろうか? 酷く胸が痛む。美鈴と楽しそうに談笑しているブタオを見てると心が痛くなる。

 ブタオは、良く言えば愛想の良い男ではあるが、悪く言えば八方美人だ。

 その尊敬の念を。その笑顔を。誰に構わずにまき散らす。

 そういう性格だと言うのは知っている。それがブタオの性根である事も理解できる。

 

 なのに、とても心がざわつく。落ち着かないのだ。

 ブタオの性根を知っていると言うのに“その笑顔を私以外の人に向けないでほしい”と思っている。

 

 

 一人、悶々と後ろめたい気分になっているレミリアではあったが、そんな事をしているうちにブタオと美鈴の話しも終わった様である。ブタオは、美鈴に手を振って別れる所であった。

 

「あ――ッ」

 

 特に何か用事があったわけではない。

 しかし、声をかけずに居られなかった。

 いや、声をかけたかった。そして声を返してほしかった。

 

 

「ブタ――」

 

 

 しかし、無情にもレミリアの声は――

 

 

「おじ様~ッ。ブタオのおじ様あぁッ!」

「おっとッ。フラン殿」

 

 

 横から割りこんできた無邪気な妹の声によってかき消された。

 

 

「おじ様、お仕事は終わった?」

「はいでござる。たった今終わったばかりでござるぞ」

 

 あろう事か、フランは無邪気にブタオの腕に抱きつき、子供らしい笑顔でブタオになつき――。ブタオも自分にも見せた事のない笑顔でフランに接している。

 

「やったッ。ねぇおじ様。私の部屋でお茶しようよ。私、おじ様の現代のお話、また聞きたいな。『らいとのべる』だっけ? 続きを聞かせてよ」

 

 それが、堪らなく切なくて――。

 

「ぶひひ。フラン殿もすきモノでござるなぁ。良いでござるぞ。吾輩の脳内ハードディスクが火を吹くでござるッ!」

 

 胸の内を締め付ける。

 ズキンズキンと。強く締め付ける。

 

「よく分かんないけど、決まりねッ! それじゃいこ♪」

 

 ブタオは、フランに引っ張られながら、その場から遠ざかっていく。

 

 

「あ。待――」

 

 

 レミリアは、手を伸ばし、ブタオを呼びとめようとするが――。

 

 

 彼女は、フランと目が合った。

 

 

 フランがこちらを振り向いたのだ。でも、彼女は一言も何も言わず――。

 余裕のある悪魔の様な笑顔で。ただこちらを見ていた。

 

 それが、とても恐ろしく。

 彼女は、それ以上何も言えなかった。

 

 フランの表情は変わらず、まるで勝利者の様に、ブタオと去っていく。

 

 レミリアは、ただただ惨めな気分になっていた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 今日も、レミリアは影からブタオを覗いていた。

 今日は、咲夜と一緒になって仕事をしている。

 初めこそ、オロオロしていて頼りがいのない男だったのに、今では咲夜にも頼られる存在になっている。

 咲夜も初めこそ、嫌悪していたと言うのに、今では随分と心を開いた様で――。

 年相応の少女の様に、異性を意識しながらブタオと接している。

 

 咲夜とブタオが楽しそうに話している光景を見てまた――。

 

 ズキンと心が痛む。

 

(ああ、ブタオがあんなに楽しく……。咲夜も。いやだ……。わ、私も、私を見て欲しい……)

 

 私もあの場所へ行きたい。

 咲夜のいるあの場所へ。

 そうすれば、ブタオの笑顔は、自分に向けられる事になる。あの尊敬の籠った眼差しが自分だけのものに――。

 

 ズキンズキンと。

 

 胸の痛みは、強まっていく。

 

 もう見ているだけなんて嫌だ。

 

 レミリアは、手を伸ばし、ブタオに近付こうとするが――

 

 

「な~にしてるのぉ? お姉ぇさま♡」

「――ッ」

 

 

 何の気配も無く、フランが後ろから肩に手を回してきたのだ。

 

 レミリアは、振り向けなかった。

 

 フランの不気味ながらも平淡な声色に、背筋が凍りついたのもある。

 しかし、それ以上に今の顔を見られたくなかった。

 ブタオへの恋慕に近い感情に咲夜への嫉妬。そしてフランへの後ろめたさに加え、自分の気持ちも分からずにいて――。

 もうグチャグチャなのだ。自分がどんな顔をしているかも分からない。

 

 フランは、耳元で囁くようにレミリアに呟いた。

 

「ねぇお姉さま? お姉さまは今、誰を見てたのかな~?」

「だ、誰って……」

「もしかして、ブタオおじ様かな? 随分と熱っぽい視線を送ってたけどさ」

「ち、違……。い、いえ、そうよ。あ、あいつが、きちんと仕事出来てるかどうか、その……。か、確認してたの。一応、私、あいつの雇い主だから……」

「――ふ~ん」

 

 フランの表情は分からない。

 しかし、その声色から、彼女は笑っている様な気がした。

 

「――ねぇお姉さま? 私さ、知ってるんだよ? 昨日、お姉さま、ブタオおじ様の事をずっと見てたよね?」

「そ、そんな事……」

「私と目が合ったのに?」

「あ、あそこに居たのは……ただの偶然で……」

「偶然ね~。――ねぇお姉さま?」

「な、何よ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――いいんだよ? ブタオおじ様のこと好きになって」

 

「ッ!?」

 

 

 耳元で囁かれるフランの甘い言葉と吐息。

 レミリアの全身に、電流が流れる様な衝撃が走る。

 

「な、なななッなに言ってんの!? わわわッ私が、あいつを好きになんか……ひぅッ」

 

 とっさに否定の言葉を紡ぐが、それ以上言葉が続かなかった。

 フランが、温かな吐息をレミリアの首元へ送ったからだ。レミリアの全身に鳥肌が立つ。

 

「ちょ、フラン!? な、何するの! や、やめ……ひゃんッ」

 

 フランの左手が、肩の上から胸部にかけて――。

 そして残った右手は、スカートの中へと侵入する。

 抵抗しようにも上手く力が入らない。フランを振りほどけない。

 

 涙目で訴えかけるレミリアを無視し、フランは彼女の体を弄りながら、熱のこもった声で小さく呟きだした。

 

「――お姉さま。ブタオの血ってさ、凄く美味しいんだよ?」

「え? な、なに……?」

「想像してみてお姉さま。権力をカサにブタオに命令し、その首を差し出させるの。ブタオは純情だからきっと、顔を真っ赤に染めながら涙目で命令に服従すると思う」

「ふ、フラン……ひゃうッ」

「そして無理やりベッドへ押し倒し、その身をブタオに預ける……。小さい体だもんね、きっと全身でブタオを感じる事が出来ると思うよ?」

「――ッ」

「そして、ブタオの白い肌を堪能し、這いずる様に口元を彼の首元へ……」

「はぁ……はぁ……お、お願い……もう……や、やめ……」

 

 言葉とは裏腹に、レミリアの脳内では、フランの言葉通りのシチュエーションが鮮明に映し出されていた。

 

「――ブタオの強烈なオスの匂いに酔いしれながら、彼の白くて柔らかな首筋にその牙を……突きッ立てる」

「ッ――!?」

「プツッと血管を突き破る様は、まるで処女を破瓜させるかのような快感よねぇ?――ん?」

 

 ブルブルとレミリアは震えていた。

 しかし、その表情は恍惚としたものであり――。

 そんな表情をした実の姉を見て、フランもテンションが上がってきた。

 優しく、囁くように。吐息を敏感なところへ送りながら、言葉で責めたてる。陰部に添えている手はただのオマケだ。

 あくまでもメインはイマジネーション。

 想像だけで果てさせる。

 

「ねぇ? もしかしてイった? イっちゃったの? 言葉だけで? 想像だけで? く……くひひ、お姉さまったらいやらしいんだぁ?」

「はぁッはぁッ……ち、ちが……んッ!」

 

 実の姉ながら、なんて強情でプライドが高いものか。

 トロトロの顔で、説得力のかけらも無いが、心だけは一線だけを保っているのだろう。

 

 しかし――

 

 だからこそ効く魔法の言葉がある。一線を越えさせる魔法の言葉。一種の免罪符。

 

 

「――でもさ、“仕方ないよね”“しょうがないよね”」

「ふえ……?」

「美味しい血を飲みたいと思うのは、吸血鬼の本能だもんね? だからさ、お姉さまは『悪くないんだよ』」

 

 仕方がない。

 しょうがない。

 悪くない。

 どんな罪悪も吹き飛ばす免罪符の言葉。

 フランは、攻め立てる。悪くないんだと。仕方のないことなんだと。

 

「お姉さまは“悪くない”。“悪くない”“悪くない”。“しょうがない”んだよ。吸血鬼なんだから。お姉さまが、ブタオの事を好きになっても――ちっとも『悪くない』」

 

 ブタオを愛していると公言しているフランからの言葉。

 その当事者から、悪くないと言われたレミリアの胸中は計り知れない。

 実妹の想い人を好きになるなんて、あまりにも不誠実な事ではないか。

 フランへの義理立てが、レミリアの理性を保っていたのに。

 そのフランから、悪くないなんて言われたらもう……。

 

「ふ、フランは……」

「ん?」

 

 震える声で、レミリアは尋ねる。

 

「フランは、それで良いの? その……わ、私が彼を好きになったら……」

 

 レミリアの問いに、フランは笑って答える。

 

「繰り返して言うけど、それは『仕方がない』ことなの。だから私も『仕方がない』って妥協する。――お姉さまが、それでも不義にこだわるのなら、もういいわ」

「あ……」

 

 フランは、陰部に添えていた手を引っ込め、レミリアから体を放した。

 ようやく、言葉攻めと快楽攻めから解放されたレミリアであったが、どこか惜しい様に声を漏らした。

 

「お姉さま。今夜、私はブタオの血を飲むよ」

「――え」

「さっき口にしたシチュエーションで吸血してみるのも一興ね。ブタオと快楽の底へと一緒に堕ちて……。想像するだけで興奮してくる」

「あ、ふ、フラン……その……」

 

 レミリアの弱々しい呼び止めに、フランはまるで意を返さない。

 吐き捨てるかのようにレミリアに告げる。

 

「それじゃね、お姉さま。今夜私はブタオと一つになる。義理だとか、くっだらない倫理を大事にして一生喪女っててね」

 

 ヒラヒラと手を振りながら去っていくフランを、レミリアはただ黙って見てるしかなかった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 その夜――。

 ブタオは、フランに呼び出されていた。用件は知らされてなかったが、夜に自室に来てほしいとの事であった。

 何の用事だろうかと思いながら、ブタオは――

 

(それにしても、深夜に女の子の部屋に行くなんて、ドキドキしてしまうでござる。ぶひひ。なんだか、やらしい事を考えてしまうでござるな)

 

 なんて、ものすごく気持ちの悪い事を考えていた。

 

 とはいえ、ブタオは真の大和男子であり、YESロリータNOタッチを信条とする紳士である。雇い主のたった一人の家族でもあるし、フランの様な少女に不逞を起こすつもりなど毛ほども思ってない。

 

 それにしても、一体何の用か?

 

 フランの呼び出しについて、考えながら紅魔館の廊下を歩いて行く。

 そして、ふと窓に視線を移すと、夜空には見事な月が浮かんでいるのが見えた。

 

「いやはや。幻想郷の月夜は、まさに幻想的な美しさでござるな。あんなに大きく輝いてる月は初めて視るでござる。――にしても、あの月……妙に赤みかかっている様な」

 

 まぁ何かの影響でそう見えるだけなのだろう、とブタオは特に気にしていなかった。

 そんな事よりも、フランとの約束である。

 歩を進めるブタオではあったが――

 

 

 彼の前に、レミリア・スカーレットは立っていた。

 

 

「おお、レミリア殿、奇遇でござるな」

「……」

「?」

 

 ブタオの言葉に、彼女は一切の反応を見せなかった。ただこちらをじっと見て――。

 その目は猛禽類を彷彿させる鋭いものになっている事を、ブタオは気付かなかった。

 

「ちょっと来て」

 

 レミリアが、ブタオの手を掴み、引っ張っていく。

 

「れ、レミリア殿? あの、吾輩、今フラン殿に呼ばれていて――」

「いいから来るッ! この紅魔館で一番偉いのは私なのッ! 私はフランよりも偉いんだからッ!」

「ぶひぃ!」

 

 フランの名前を出した途端、今まで見せた事のない凄身を発し、ブタオを強く叱りつける。小心者のブタオが、そんな凄身のある声に逆らえるはずも無く、レミリアにそのまま連れて行かれてしまった。

 

「ここは……」

 

 着いたのは、レミリアの私室である。

 一体、どうしてしまったのかと混乱しているブタオではあったが、彼をさらに混乱させる一言をレミリアは言った。

 

「――ブタオ。着ている服を脱ぎなさい」

「ぶひ!?」

 

 突然の訳も分からぬ言葉にうろたえるブタオではあったが、レミリアの活がまた入る。

 

「早く脱ぐッ!」

「ぶ、ぶひぃッ! わ、分かったでござる。分かったでござるから、怒鳴らないで欲しいでござるよぉ……ブヒン」

 

 半べそをかきながら、ブタオは言われたとおりに衣服を脱ぎだす。

 ボロンと、ブタオのだらしのないお腹が露わになる。

 少女の前で裸体を晒す事を恥ずかしがっているのか、ブタオは乳房を隠す様に腕をまわしていた。

 そんな、乙女の様なブタオの仕草に、レミリアの理性にひびが入る。

 

 百キロ近い体重差をものともせず、レミリアはブタオをベッドへ押し倒した。

 

 捕食者を前にする子羊の様に、ブタオは震えていた。

 レミリアは、そんなブタオを見て舌を舐めずり、彼にまたがる様にブタオの上に乗った。

 ブタオの強烈なオスの匂いに酔いしれる。

 しっとりと汗をかいているブタオの裸体は、艶めかしく光沢を帯びて美しさすら見せる。

 

 ゴクリとレミリアは生唾を飲み込み、乳房を隠しているブタオの腕を掴み取って、ブタオの裸体を露わにした。

 先ほどよりも顔がブタオの体に近くなる。ブタオの強烈な匂いに、意識すら飛びそうだ。

 

「ふふふ。ブタオ……可愛いわよ、ブタオ」

「れ、レミリア殿? こ、こんな戯れはやめて欲しいでござる。吾輩、誰にも言わないでござるよ? 誰にも言わないから、もう……」

 

 涙目で弱々しく訴えかけるブタオを前に、レミリアの残っていた理性は、たちどころにリミッターを振り切り――。

 ブタオの耳元で囁くように言った。

 

「駄目♡ 貴方は、これから私に血を吸われるの。て言うか、もう無理。我慢できない……」

 

 這いずる様に、レミリアはブタオの首元へと口元を移し――。

 

 彼の白い軟肌にその牙を――突きたてた。

 

「――ッ!」

「ぶひいいいぃんッ!」

 

 プツッと血管を突き破るこの瞬間が、一番たまらない。

 あまりの快感に、気を抜くと一瞬で果てそうなほどの快楽である。

 

「ぶ、ぶひ……ぶひん……い、痛いでござる……」

 

 興奮のあまり、かなり強めに突き破ったようだ。

 ブタオの顔が苦痛に歪む。

 しかし、それは返ってレミリアの嗜虐心を刺激したようで、彼女は所構わずにブタオの血をすする。

 

「ぶッ ぶヒンッ! ぶひぃッ ぶひッ」

 

 痛みと同時に感じる快楽に、ブタオの体は痙攣していた。

 レミリアは、そんなブタオを見て、悦に入りながら、己も快楽の底へと堕ちていく。

 

(ブタオの血……これがブタオの血。す、凄いッ。こんな濃厚で、トロトロで――。全身にブタオの命が流れる。私は今、ブタオと一つになってる……気持ちい……凄く気持ちイィよ!)

 

 いつの間にかレミリアの衣服もはだけていた。

 自身の体をブタオに擦りつける。まるで獣のマーキングだ。

 

 ブタオはすでに果てていた。

 それでもレミリアは止めない。止まらない。一瞬でも長く、ブタオを感じていたい。ブタオと一つになっていたい。

 彼女の内にある望みは、ただそれだけであった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 一体、どれだけの時間が経ったのか――。

 レミリアもまた、ブタオの上で果てた。

 

「はぁはぁ……」

 

 体が弛緩し、レミリアはブタオにもたれかかる様に倒れる。

 レミリアは、乱れた息を整えながら、全身でブタオを感じ、余韻に浸っていた。

 

 しばらくの静寂。

 

 落ち着いてきたのか、レミリアは体を起こし、ブタオの横に寄り添った。

 ブタオの小さな寝息。子供の様に無垢な寝顔に、レミリアは例えようのない感情を抱いていた。

 

「ブタオ……」

 

 聞こえるはずのないレミリアの呟き。

 

「貴方は本当に何者なの? どうしてこんなに私を狂わすの……?」

 

 それは、ブタオに向けた言葉なのか。

 あるいは自分に向けたモノなのか。

 レミリア自身分からない。

 答えのない問い。そして――余りにも詮なき疑問だ。

 

「もう……いいや。こんなにも気持良いんだもの。貴方が何者であろうと構わない……。もう離れられない」

 

 レミリアは、ブタオの体を抱きしめ、その顔に軽いキスをした。

 ただそれだけの行為に、レミリアは何か温かなものが心に来る気がした。

 とても心地よくて手放したくない感覚。

 

 今まで味わったことのない気持ち。

 

 レミリアは解する。この気持ちが何なのかを。

 

「これが、人を好きになるって事なのね……」

 

 人を好きになると言う気持ち。

 恋。

 単語上の意味しか知らぬ言葉であったが、ようやく理解できた。知識の中じゃない心の中での理解である。

 

「ブタオ。貴方が好き……大好き。絶対に離さない。絶対に……」

 

 レミリアは、ブタオに寄り添い、朝が来るまでブタオをその身で感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔館の大図書館。

 そこで一人の少女が、水晶玉を覗きこんでいる。

 

「レミィ……。貴女も堕ちてしまったのね」

 

 ギリギリと歯ぎしりをしながら、彼女は義憤に駆られていた。

 

「紅魔館は、私が守る――」

 

 

 





何やってんだ、俺……(一回目)

何やってんだ、俺……(二回目)


やべぇよ・・・やべぇよ・・・


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第二十話 密会

 

 パチュリー・ノーレッジは待っていた。

 紅魔館の平和を乱した男を。

 もうすぐ、その男はやってくる。

 来るがいい。決してお前なんぞに、屈する私ではない。

 強い決意を胸に、パチュリーは男を待つ。

 

 そして、大図書館の扉が開かれた。

 

 男は、何喰わぬ顔で近付き、パチュリーの前にやってきて、深くお辞儀をしながら挨拶を交わす。

 緊張しているのか、少し震えているようだ。

 

「は、初めましてでござるッ! きょ、今日からこの図書館に配属となった、ぶ、ブタオと申す者でござる! よろしくでござる!」

 

「……こちらこそ」

 

 パチュリーは、目の前の男を注視する。

 一体、何が目的なのか。どうやって彼女達を懐柔したのか。

 何も分からない。

 この大魔法図書館に来たのも、何か目的があってのことなのか?

 もしも、何か思惑が合ってきたのならば、飛んで火に入る夏の虫と言わざるを得ない。

 

(私は、レミィ達とは違う。私はそう易々と堕ちはしない。逆に貴方の思惑を退け、彼女達を解放してみせる)

 

 その為には、目の前の男を知らなければならない。

 パチュリーに一切の油断はない。

 必ず、友を助けてみせると強い決意を秘めて、ブタオと対峙する。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 事の発端を説明しなければならないだろう。

 尤も、その発端はパチュリーもブタオも知らない。

 二人の知らないところで、事態は動いていた。

 

 レミリアが、ブタオを押し倒したあの日の夜。

 ブタオに寄り添い、その身でブタオを感じながら悦に入っていたレミリアであったが、彼女は突然ベッドから起き上がり、着衣を整え部屋から出て行った。

 部屋から出て、紅魔館の長い廊下に彼女たちは佇んでいた。

 

「フラン……。それに咲夜に美鈴も――」

 

 まるで待ち受けていたかのように、三人はそこに立っていた。

 レミリアと三人は互いに一定の距離を保ったまま対峙している。

 主人と従者の間柄。家族のような絆で結ばれた彼女たちではあったが、レミリアと三人との間にある空間には、チリチリと鋭い殺気が走っていた。

 

 しばらくの静寂。レミリアと三人は互いに見つめ合ったままでいる。

 

 その静寂を先に破ったのはフランドールだった。

 

「――私に何か言う事は?」

 

 フランの問いに、レミリアは視線を外さず、真っ直ぐに直視し、胸をそびやかしながら堂々と答えた。

 

「何もない。私は、ブタオを愛してしまった。今更言い訳などするつもりはない」

「……」

 

 レミリアの発言に、フランの表情が歪む。

 しかし、そこにレミリアへの憤りの感情は含まれてはいなかった。

 むしろその逆。

 フランの顔は、愉悦に歪んでいた。

 

「おめでとう。とうとうお姉さまは自分の『殻』を打ち破ったんだね。そうだよ、それでこそ吸血鬼だよ。それでこそレミリア・スカーレット……。私のお姉さま。くひひ」

 

「……」

 

 茶化す様な、鼻につく笑顔をしているフランと裏腹に、レミリア――そして咲夜と美鈴の表情は変わらない。

 普段と変わらない手つきで、主人であるレミリアを手招きする。

 

「――お嬢さま。こちらへ」

「……」

 

 咲夜の手招きにレミリアは黙ってついて行く。

 その先には、今は誰も使ってない空部屋があり、四人はその空き部屋へと入る。

 全員が入り終わると、咲夜は、指を鳴らした。

 

 その瞬間――

 

 部屋全体が、外から『切り離された』様な、奇妙な違和感を発した。

 尤もみんなその事に気付いていながら、誰も驚きはしなかったが。

 

「この部屋全体を、私の能力で切り離しました。この部屋は、廊下側とは空間も時間の流れも別の世界になっています。ここならば、私たちの会話を誰にも聞かれる事はありません」

 

 部屋は、ベッドとテーブル、そして椅子が四つあるだけの簡素な造りだった。

 四人は、誰に言われるまでもなく卓上につき、お互いに対面した。

 ここにはもう、主人と従者と言う上下関係はない。

 共通の思想と認識を持った、仲間でもあり、また敵でもある。

 最初にレミリアが口を開いた。

 

「――もしかしたらと思ってたけど、やはりフランだけじゃなく、あなた達まで……。一体いつから?」

 

 レミリアの問いに、美鈴と咲夜は答える。

 

「私は、初期の段階から」

「私はつい最近に。――私は秘密にしてたつもりだったんですけどね」

 

 咲夜は、ブタオへの懸想を秘密にしていたのだろうが、人外の嗅覚を舐めていた。

 時を止めた世界で、あんな事やこんな事――獣のマーキングの様に体を擦りつけていたら、匂いが移るにきまっている。

 案の定、咲夜の時を止めた世界での『ピ―』な行いは、いとも容易く美鈴達にばれた。

 後は、なあなあで仲間になってしまったのである。

 

 レミリアは、ああやっぱりと特に驚きもせずに思った。

 道理で熱っぽい視線をちょくちょくブタオに送ってたわけだ。

 ブタオと触れ合うあの快楽を、この二人はずっと前から知っていたと言う事か。

 中々にむかつく事実である。

 

「どうだったお姉ちゃん。ブタオの血……」

 

 悪戯っ子な子供の笑顔で問うフランに対し、レミリアは乙女の様に顔を紅潮させ――。

 

「凄かった。あんなに気持いい吸血は初めて……。アレを知ってしまったらもう、私は戻れない。戻りたくない」

 

 紅潮した表情をしながら答えるレミリア。

 満足する答えを得たのか、フランもご満悦だった。

 それに対し、美鈴は安堵のため息をついた。

 

 もう、レミリアは『こっち側』だ。

 

 ブタオの危険性を知っても、もうブタオには手を出せない――いや、出さない。

 美鈴の安堵の表情を見てか、レミリアも大方の三人の狙いを察する。

 ずっとからかわれ続けた仕返しか、レミリアも悪戯っぽく話す。

 

「美鈴、安心した? 私がブタオに堕とされて」

「……ッ」

 

 僅かに目を見開き、驚きの表情を見せる美鈴。

 咲夜とフランもそれは同様だったようで、三人のそんな表情を見た

 レミリアは、少しは溜飲が下がった様で、胸をそびやかしながら見事なドヤ顔で言い放つ。

 

「あなた達の思惑、分かった気がする。独占欲の強いフランが、私にブタオを好きになっても良いなんて言うはずがないもの。私をブタオに惚れさせる事が目的だったのね」

 

 そしてその理由も察しが付く。

 魅了や洗脳に対し、圧倒的な耐性を持つ吸血鬼。その吸血鬼の耐性すらものともしないブタオの魅力は、使い方次第では恐ろしい事態を巻き起こす。

 尤も、あのブタオに悪意なんて似合わないモノが存在するかどうかは、はなはだ疑問ではあるが――。

 

 しかし、ブタオが危険な存在である事に変わりはない。

 

「あれ程までの誘惑性を持ち合わせていたなんて知らなかった。昨日までの私は、ブタオに惹かれつつあったけど……。その危険性を天秤にかけたら、たぶん私はブタオを殺してた。泣きながら殺してたと思う」

 

 『昨日までの私は』と彼女はそう言った。現在はブタオを殺すなど毛ほども思ってないのだろう。

 まったくもってやられたと思う。

 まさか、人外の自分に『情』を利用した方法で処断の意志を挫けさせるなんて。

 

 腹ただしい気分ではある。

 

 しかし同時に、感謝の気持ちもある。

 人を愛すると言う素晴らしい感情。それを教えてくれたのだから。

 

「――とうとう、この紅魔館でブタオに誘惑されてないのはパチェだけになってしまったわね。ふふ」

 

 どこか愉悦を含んだ笑みを浮かべながらレミリアは言う。

 幻想郷でも最高レベルの戦力を誇る紅魔館が、たった一人の人間に翻弄されているのだ。これを笑わずになんとする。

 しかし、愉悦を感じているレミリアとは裏腹に、他の三人の表情はすぐれない。

 パチュリーの名前を出した時、彼女達の表情に曇りがかかった。

 困ったような表情をしながら、フランはレミリアに言った。

 

「お姉さま、そのパチュリーなんだけど……。どうしよう?」

「?」

 

 質問の意図が読み取れないレミリアは首をかしげる。

 美鈴と咲夜に視線を移すと、彼女達も困ったよな表情をしており、美鈴がその説明をした。

 

「どうやってパチュリー様をブタオさんに惚れさせるか……。あの人、警戒しているのか、一度もブタオさんと接触してないんです。接点のない二人をどう引き合わせようかと……」

「あ~。なるへそ」

 

 ここ数日、パチュリーの姿を見ていない事を思い出す。

 元々引きこもりに近い生活をしているが、ブタオが来てからは、あからさまに図書室から出てこない。

 そして問題は、接点が無い事だけではない。

 

「それにたぶん……パチュリー様、全部知っていると思います。私達がブタオさんに魅了されている事も」

「まぁ、そうよね。私も確実にばれてると思う」

 

 ブタオを吸血する際も、奇妙な視線を感じていた。

 オーガニズムに達した時は、その視線にも興奮を感じてはいたが、アレはどう考えてもパチュリーの遠視である。

 この密会の部屋を外と切り離したのは、三人もその視線に気付いていたからなのだろう。確かにここなら、パチュリーの遠視も及ばない。

 

 接点だけではなく、最初から敵意むき出しでのスタート。

 警戒に留まっていた咲夜とは、難易度が段違いに高い。

 その上、パチュリーは紅魔館の頭脳とも言える存在。こちらの思惑なんて簡単に見破るに決っている。生半可な策では、むしろブタオを危険にさらすことになる。

 

「最初、お姉さま抜きで三人で話し合ってたの。パチュリーをどうするかって。いっその事、亡き者にしようかって案も出たんだけど……」

「やめなさい、恐ろしい」

 

 フランの恐ろしい案を両断。さすがに通るわけがない。

 とはいえ、そんな案が出てしまうくらい、三人は困っているのだろう。

 

「お嬢さま。パチュリー様と一番付き合いのあるのはお嬢さまです。何か、よい方法は……」

 

 困りながら問う咲夜に対し、レミリアは余裕の表情を崩さない。

 

「心配ないわ三人とも。運命はもう決ってる」

 

 

 彼女は笑いながらに断言した。

 

 

 

「――パチュリーも堕ちる。それもほんの一日足らずで」

 

 

 

 





前話での最後は失敗したw
さすがにあからさますぎたと反省(ゲス顔)


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第二十一話 陥落






 

 

 

 ブタオを図書館へ送り込んで翌日。

 レミリアは、普段と変わりなく生活していたが、他の三人――。フラン、咲夜、美鈴は気が気ではなかった。

 レミリアが言った『妙案』とは――

 

 ブタオを図書館へ送る。

 

 ただそれだけであった。他は何もない。

 

 本館と図書館は管轄が違うため、咲夜も美鈴もブタオの側にいられない。フランは使用人ではない為、ブタオのフォローが出来ない。

 つまり、ブタオは明確な敵意を持った者のところへ、単体で裸同然で行ったにも等しい。

 

 自殺行為だ。

 

 三人は、レミリアに対し反対の立場をとるが、レミリアの考えは変わらない。

 彼女は『運命』と言った。

 運命を操る程度の能力を持つレミリア・スカーレットの言葉である。

 十分な信憑性を持ち合わせているが、心配なものは心配だ。

 

 レミリアを抜かす三人は、特に打ち合わせもせずに、自然に図書館の入り口前に集まっていた。

 

「咲夜さん。妹様も……」

「美鈴……。貴女も?」

 

 みんなブタオが心配で堪らなかった。

 一目、様子を見ようと集まったのだった。

 たった一日しか経ってはいないが、どんな様子なのか――。

 

 図書館の扉を開ける。

 

 そこには、三人の目を疑う光景が広がっていた。

 

「ぶひ。そして王はこう言うのでござる。『…そうか、余は…この瞬間のために…生まれてきたのだ…!』と。王はずっと、自分が何のために生まれてきたのかを考えていたでござる。王は最後の最後で、その答えをついに悟ったのでござる!」

 

「……ひぐぅッ! めッメルエム……。悲しい最後ね。でも二人は幸せだったのよね……?」

「悲しい最後ではあったが、二人は納得していたでござる。幸せな最後であったと思いたいでござる……。あのシーンは、何度思い返しても涙腺が崩壊するでござる。ぶふぅ……。吾輩も思い出したら涙が……」

 

 ブタオとパチュリーは、互いに寄り添いながら熱い議論を交わしていた。

 ブタオの話を、パチュリーは魔法を駆使して、何枚もの白紙に書き込んでいた。それはもう凄い早さで。

 

「ねえねえ! 続きッ! 早く続きを話して! 記録するから」

「ぶ、ぶひぃ……ぱ、パチュリー殿ッ。ち、近いでござる。吾輩、恥ずかしいでござるよぉ」

 

 何とも意気揚々な二人。

 特にパチュリーは、ブタオを敵視していたにも関わらず、すっかりと心を開いている様で、ブタオと会話している時だけは、まるで乙女のような優しい表情になっていた。

 

 まぎれも無く、恋する乙女の顔であった。

 

「……え? 何これ」

 

 本棚の影から二人の様子を覗いていたフラン達は、一体何がどうしてこんな事になったのか、把握できずにいた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 ダイジェスト……と言う事になるのだろう。

 あまりにもあっけないパチュリーの陥落。

 そこには、類稀なる陰謀や神算鬼謀があったわけではない。

 ことは非常に単純であったのだ。

 

 二人は、『同類』であった。

 

 似たモノ同士、惹かれあった。ただそれだけなのだ。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 事の経緯を説明しなければならないだろう。

 

 レミリアが、ブタオを襲ったあの日――。

 

 ブタオは、レミリアの寝室で目を覚ました。

 

「ぶひ? ここは……」

 

 前後の記憶があいまいだ。なんで自分は裸なのだ。昨日何が起きたのか頭を整理する。

 そして思い出す。

 

「そ、そうでござるッ! 吾輩は昨日、レミリア殿に……」

 

 辺りを見渡してもレミリアの姿はない。ここには自分ひとりだけだ。

 昨日の情事を思い出してか、ブタオは顔に熱が灯るのを感じた。

 突然襲われたのだ。

 一体、どうしてあんな事になったのか――。混乱するブタオではあったが、一つ確かな事がある。

 

(あの時のレミリア殿……凄く色っぽかったでござるなぁ~。それに凄く気持ちよかったでござる。ぶひひ)

 

 何とも気持ちの悪い顔で、そんな事を思っていた。

 

『痛い、やめてッ』

 

 と、叫んでいたブタオではあったが、そこには確かな快楽もあって、またして欲しいと思ってしまっている。

 

 とんだマゾである。

 

 そんな気持ちの悪い事を思っていると、部屋の扉が開き、レミリアが入ってきた。

 

「あら? 起きたの」

「れ、レミリア殿……ッ」

 

 裸だったため、ブタオはベッドのシーツで自分の裸体を隠す。

 乙女の様な仕草に、レミリアはまたムラムラと来たが、さすがに警戒と不安の表情が見てとれるために、そこは自重した。

 レミリアは、ブタオに近付きベッドに腰掛け笑いかける。

 

「昨夜はごめんなさいね。最近、血を飲んでなかったから、つい我慢できなくて……痛かったかしら?」

「ぶ、ぶひ……少し驚いたでござるが大丈夫でござる」

 

 さすがにまたして欲しいなんて恥かしいことは言えず、ブタオはすぐさまレミリアのベッドから起き上がろうとするが、立ちくらみを起こしたようで少しふらついた。

 レミリアは倒れないように、ブタオを支えた。

 

「……さすがに血を吸いすぎたかしら。だいじょうぶ? ブタオ」

「だ、大丈夫でござるよ。ちょっと油断しただけでござる。気をしっかり持てば十分に仕事出来るでござるよ」

「無茶はいけないわ。今日の仕事は休みなさい。私から咲夜に言っておくから」

「し、しかし、それではサイクルに狂いが……。皆に迷惑をかけてしまうでござる。それにようやく仕事が楽しくなってきたのでござる。出来る事なら、休みたくはないでござるが……」

「……ふ~ん」

 

 なにか思案するかのように、レミリアは視線を落とす。

 

「ちょうど良いのかもしれない」

「ぶひ?」

「ねぇ、ブタオ。仕事を休みたくないと言うのなら、しばらく図書館で働いてみない?」

「図書館、でござるか?」

「ええ。紅魔館の本館と違ってのんびりとしたところよ。貴方にも図書館の仕事を覚えて欲しいし、療養がてらやってみない?」

「仕事を療養がてらとは思いたくないでござるが、ここの図書館は前々から気になっていたのでござる。やってみたいでござる」

 

 オタクのブタオにとって、本物の魔導書なんてあこがれの逸品である。

 

「決まりね。それじゃ、図書館の管理者に話しをつけておくから」

「管理人?」

「あなたは、まだ会ってないわね。――パチュリー・ノーレッジ。私の友人で、紅魔館の誇る一流の魔法使いよ」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 翌日、ブタオは身なりを整え、図書館へと向かった。

 話はすでに通してあるらしく、適当なあいさつを済まて、すぐに研修を行うとの事であった。

 

 紅魔館の大図書館

 

 初めて入ったブタオの目に映ったのは、奥行きが霞んで見えるほどの広い空間と、その空間を埋め尽くすほどの蔵書であった。

 

 圧巻である。

 

 紅魔館の本館も凄いが、ここは別の意味で凄い。

 紅魔館にも慣れたブタオではあったが、新しい職場であったためか初心に戻ったようだった。ひどく緊張している様で、震えた声で目の前の女性に声をかけた。

 

 

「は、初めましてでござる。吾輩、レミリア殿の命令で数日の間ここで働く事となったブタオと申す者でござる! 短い間ではありますが、よろしくお願いしますでござる!」

「……よろしく」

 

 目の前の女性、パチュリー・ノーレッジは無表情のままにブタオにあいさつを交わし、傍に居た小悪魔に全てを任せて、自分は呼んでいた本に再び視線を落とすのであった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 パチュリー・ノーレッジに油断はなかった。

 一挙手一投足。ブタオの挙動を見逃しはしない。目の前であいさつをするブタオに対し、パチュリーは、無表情ながらも強い敵対心を持って接していた。

 

「……あなたの事、レミィから聞いているわ。数日間、この図書館で研修するんですってね」

「そうでござる! よろしくでござる」

「私は、あなたに直接指導したりなんかしないわ。仕事に関しては、全部この子に一任するから」

 

 そう言って、傍らに立っている一人の少女を指した。悪魔っぽい羽と尻尾をはやした赤髪の少女であった。

 

「初めましてブタオさん。数日の間、あなたの指導係になる小悪魔です。みんなからは、『こあ』って呼ばれてるから、こあって呼んでね」

「よろしくでござる、こあ殿」

 

 軽いあいさつを交わし終えたところで、こあとブタオは仕事を始めるのであった

 

「ブタオさん。ここの業務について説明しますね。主な仕事はパチュリー様の読み終えた本を片づけたり整理したりです。片手間に出来る簡単な仕事ですよ。手持無沙汰の時は、図書館内を見て回ったりしてても良いですよ」

「ぶひ!? 本当でござるか!? 吾輩、本物の魔導書とかに興味があるのでござる! 見ても構わぬのでござるか!?」

 

 子供の様にらんらんと目を輝かせるブタオではあったが、こあは笑顔のままに忠告した。

 

「構いませんけど、あまりお勧めはしませんよ? ここの図書館、危険な魔導書とかも多くて。見ただけで発狂したり、魂を抜かれたりする様な危険度の高い魔導書もありますから」

「……やっぱ止めておくでござる」

 

 笑顔でとんでもない事を言うこあであった

 

 簡単な仕事の説明を受けたブタオはその後、『待機』と言う名のヒマに陥り、何とも落ち着かなかった。

 社会人のみんなも経験あると思うが、新人の時ってやる気があり余っているのに出来る事が少なくて、先輩達に『何かお手伝いする事ありませんか?』と尋ねても『大丈夫だよ~』なんて言われて、周りが一生懸命に仕事してるのに何も出来なくて、落ち着かなくて……

 

 あるよね? みんなも。

 

 まさにブタオはこの状態であった。

 

 こあには、『何か用事があったら呼びますから、好きに過ごしていてください』なんて言われてしまい、ほったらかしにされる始末。

 仕方がないから、ブタオは図書館内を散策する事にしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 本棚の影から、ジーっと監視されている事にも気付かずに……

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 本棚の影――。

 ブタオから死角となるこの位置に二人は居た。

 

 こあとパチュリーである

 

「パチュリー様。言われたとおり、彼を単独にしましたが……」

「御苦労さま、こあ」

 

 ジーっと二人はブタオの動向を影から観察していた。

 ブタオが来て以来、紅魔館はおかしくなってしまった。みんな色狂いになってしまった。

 

 ブタオの能力も。また、ブタオの目的も分からない。

 一体、何の目的があって紅魔館を懐柔しようとしているのか。

 幻想郷に対して、何か大きな異変を目論んでいるのではないか?

 

 なんにせよ、紅魔館の住民を狂わせた事実に変わりはない。

 一切の油断も無く、パチュリーはブタオの一挙手一投足に注視する。

 そんなパチュリーを、こあは少し冷めた目で見ていた。

 

「あの……パチュリー様? ちょっと尋ねても良いですか?」

「ん? なによ」

 

 ブタオから視線を外さずに対応するパチュリー。

 

「あの人って、そんなに危険な人なんですか? なんか私にはそうは思えないのですが……」

「……何の根拠があってそんな事を言うのかしら?」

「いや私って下級クラスとはいえ立派な『悪魔』ですから。人の悪意とかそう言ったのが分かると言うか敏感と言うか……。ほんのちょっとの対話でしたけど、あの人からは何の『悪意』も感じませんでしたから」

「……そんなの分からないじゃない」

 

 こあの発言に対し、パチュリーは反論する。

 

「善悪の定義なんて立場によって180度変わるものじゃない? 妖怪にとって人を驚かせたり襲ったりする事は立派な正義だけど、人間からすれば『悪』なことこの上ないじゃない。あの男の目的が分からない以上、悪意が無いからと言って安心するのは早計だわ」

「それは、まぁ……そうでしょうけど。でもそんなに疑ってるんなら、いっその事、拷問にでもかけて吐かせたらどうです? そこまでしなくても催眠術でもかけて心の内を全てさらけ出させるとか」

「考えなくもなかったけど、レミィ達のあいつへの情愛を鑑みると危険すぎるわ。下手に手を出したら私達が殺されるわよ? だからあの男に直接手を出す事も出来ない」

「……それは怖いですね」

 

 故にこうして動向の監視と言う消極的な手しか取れずにいる。

 目的さえはっきりすれば取れる対応もあるのだが。

 

 そんなこんなで本棚の影からジーッとブタオを見つめるパチュリー達。

 二人の視線に気付かないまま、ブタオは図書館内を巡っている。

 果てしなく続く本の道。古風な内装でありながら明るく清潔感が漂っている。ほのかに鼻孔をくすぐる古本の持つカビ臭さも、この空間にマッチしていて決して嫌らしくない。

 そんな空間を見渡し、ブタオは感嘆の声を上げる。

 

「見事な所でござる。蔵書量の圧倒差がありながらも決して窮屈さを感じない……。いつまでもいられてリラックスできる場所でござるな。――ぶひ?」

 

 ふとブタオは足を止めて、目の前にある本棚に注目していた。

 その本棚だけ、他の所とは様相が違っていた。古風な本の多いこの場所にあって、そこだけが凄く浮いているのだ。

 足を止めて、その本棚を注目しているブタオを見て、監視していた二人もどうした事かと首をかしげる。

 

「あれ? あの人、どうしたのでしょうか? あの場所に魅入っちゃってますね」

「あの本棚は……」

 

 パチュリーが何か言いかけようとしたその前に、ブタオの絶叫が図書館をこだました。

 その声にパチュリー達は、ビクっと体を強張らせる。

 

「ぶひいいいぃッ!? し、信じられんでござる……どうして、『コレら』が幻想郷にッ!?」

 

 ワナワナと手にとって震えるブタオ。

その様子を見て、パチュリーが思わず身を乗り出した。『あの本たち』は自分にとってかけがいのない大切な本なのだ。幻想郷にあってはこの上なく希少な――

 

「ちょっとッ! 何をしてるのよッ!」

「ぶひ!?」

 

 パチュリーの怒鳴り声に、ブタオもビクリと強張らせる。

 思わず言い訳じみてしまった。

 

「ぱ。パチュリー殿……も、申し訳なかったでござる! し、仕事中にその……『漫画』を読もうとして……つい懐かしくて」

 

 そう。ブタオの手には、古き良き『日本の漫画』があったのだ。

 世界に誇る日本のサブカルチャーとも言うべき存在。その『漫画』が、この異世界とも言うべき幻想郷にあった事は、ブタオにとっては青天の霹靂であった。

  

 ブタオが魅入っていたその本棚には、日本の漫画が置かれている場所であったのだった。

 本カバーは少し汚れていて、本そのものも少し黄色くなっていて、随分古いものであると言うのが分かる。巻数もまばらで、所々抜けている巻もある。

 パチュリーに注意されて、ブタオは恐る恐ると漫画を元の場所へと置く。

 

「な、懐かしい……?」

 

 ブタオの言葉にパチュリーが反芻する。

 

「ねえちょっとあなた。あなた今、『懐かしい』って言った?」

「ぶひ? そ、そうでござるが……。これなんて、吾輩が小学生の時に読んでいたものでござる」

 

 ブタオが手に取ったのは、80年代の古き良き思い出の漫画たち。辛い時に支えになってくれた思い出の深い……。

 パチュリーは、ゴクリと生唾を飲み干し再度たずねる。

 

「そ、それじゃぁ……これは?」

 

 パチュリーの手に取ったのは、横○光輝の三○志。まず日本にいて知らぬ人の方が少ないだろう。

 

「読んだ事があるでござるが……」

 

 質問の意図が分からず、ブタオは首をかしげながら答える。

 

「それじゃこれは?」

 

 今度はHU○TER×HU○TER。

 この中であっては、比較的新しいものではあるが、勿論知っている。

 

「勿論知っているでござる。と言うか、ここにある漫画は全て読破してるでござるよ?」

 

 全て読破していると言ったブタオに、パチュリーは体が震えた。その様子は決して怒っている様なものではなく、どこか期待に震えている様な――。

 

 

 

 

 

 ――ブタオは知らない。

 

 忘れられた存在が流れ着くこの幻想郷において、現代日本の図書がどれだけの価値があるのかを。

 

 漫画は外の世界のサブカルチャーとも言うべき存在だ。

 人々から忘れられるはずもない存在が幻想郷へ流れ着いたのはただの偶然であろう。それゆえに、幻想郷では漫画の絶対数が少ない。

 流れ着く漫画は、何かのどこかの巻であり、はっきり言ってその一冊だけでは何の物語なのか分かりやしない。

 

 しかし、そこは『知識と日陰の少女』と言われたパチュリー・ノーレッジ。

 

 彼女は、漫画の持つ魔力に心を奪われてしまっていた。

 

 何かの漫画のどこかの巻――。

 起承転結。何がどうしてこうなって、そしてこれからどうしていくのか。

 

 パチュリーは、知りたかった。

 

 たった一冊の本から、様々な夢想に耽り、物語の世界を縦横無尽に広げていったが、それはあくまでも読み手である自分の思い描いた世界。

 作者は、物語の世界をどう紡いでいくのか。

 物語の主人公達の未来は――。

 

 パチュリーは知りたかった。

 

 そして目の前に、その答えを知る者がいる。

 

 とぼけた顔して大切な家族に何かしたかもしれない容疑者。醜く嫌悪を持ってしかるべき相手。

 

 パチュリーの持つ知識欲が――。ブタオへの嫌悪を大きく上回った瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「主人公が最後に死んでしまう物語は、駄作だと思う?」

「そうは思わんでござる。主人公とは物語のメインであるものの、物語の中には主人公以外のキャラもきちんと生きているわけで……。吾輩が駄作だと思う作品は、描写不足によって敵キャラが味方になった時の心情表現がうんぬんかんぬん――」

 

 わいのわいの。

 

 二人の漫画議論は、互いに時間を忘れるほどに熱く、そして楽しいものであった。

 パチュリーのブタオに対する嫌悪はすでになく、同じ趣味を持つ同士として親近感を感じていた。

 

(やだ……凄く楽しい! 同じ趣味を語れる日が来るなんてッ)

 

 ブタオへの懸念なんてどこ吹く風。初めはブタオの人となりを調べる為と自分に言い聞かせてきたが――。パチュリーの心は、ブタオに惹かれつつあった。

 ラノベを熱く語るブタオの横顔のなんと凜々しいやら。

 横顔を覗いて、偶然に目が合った瞬間など、心臓が飛び出るかと思うほどの衝撃だった。

 今も、とてもドギドギしている。

 でもちっとも苦しくなくて、むしろ温かくて――

 

「主人公以外の男とくっつくヒロインって―――」

 

 そんな風にブタオと熱くマンガ談義していると、そんな自分を酷く冷めた視線に気付く。

 

 咲夜と美鈴とフランの三名であった。

 

「あ……」

 

 三人の視線に気付いたパチュリーは、途端にバツが悪くなり、羞恥と焦燥から顔を真っ赤に染めながら冷や汗を流す。

 

「………」

「………」

「………」

 

 そんなパチュリーを見て、三人の視線はますます冷たくなっていく。

 

「あ、あは……あはははは!」

 

 三人を前にパチュリーは笑うしかなかった。

 

 

 

 

 

 




数ヶ月ぶりの投稿です。
PCのない生活してました。
ゆっくりと自分のペースで書いていきます。
これからもヨロです


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第二十二話 紅魔館エピローグ

 

 

 

「みんなに何か言う事は?」

 

 パチュリーは、玉座の間に立たされていた。

 レミリアを中心に、咲夜、美鈴、フランの四人は、パチュリーを取り囲むかのように佇んでいる。

 その様子は、さしもの中世の『魔女裁判』の様である。

 

 四人はパチュリーを冷めた目で見ている。

 パチュリーは、視線を逸らしながら、弱々しく反論する。

 

「い、一応反論するけどね、わ、私は……私はあの男に洗脳されたわけじゃないわよ? あいつがその……私と同じ趣味を持ってたから、『同好の士』って奴よ! だからあの時、仲良く語り合っていたのはそう言うのじゃなくて……」

「………」

「………」

「………」

「………」

 

 パチュリーの告白を聞いた四人に何ら変化はない。変わらずパチュリーを冷めた目で見ている。

 酷く侮蔑の含んだ冷たい視線。

 『養豚場のブタを見るかのような目』なんて生易しい表現ではない。

 そんな目で周囲から見つめられ、パチュリーもとうとう我慢できずに告白した。

 

「わ、悪かったわよ! 本当の事言うわよ! ――あいつに……心惹かれました。良いでしょ!? これで!」

 

 顔を真っ赤に染めながらのパチュリーの告白に、周りの目は少しだけ柔らかくなった様な気がしたが、その表情は侮蔑から愉悦に変わったかのようだった。

 レミリアは、パチュリーの告白に満足したのか、小馬鹿にする様にパチュリーをけなす。

 

「あんなに偉そうに言ってたあなたがねぇ~。まさか一日で陥落する何てねぇ? ちょっとチョロいんじゃない?」

「うぎぎッ!」

 

 反論の余地も無い。パチュリーは歯ぎしりしながら、レミリアの愉悦に歪んだ笑顔を見てるしか出来なかった。

 

 とはいえ、ある程度、イジって満足したのか、今度はちゃんとした顔でパチュリーと対面する。

 

「で、どうだった? ブタオとの初めての接触は」

「……」

 

 自分の感情に主観と客観を交え、極めて公正にパチュリーは話しだす。

 

「……凄かった。私は最初、あいつに対して敵対心を持ってた。みんなの様子がおかしくなっていくのを見て、ブタオが何かしたんじゃないかって……。その敵対心は大きくなっていって……。でも、実際に対話をしてみたら何の力も無いごく普通の人間で……いつの間にか持っていたはずの敵意は霧散して……。あいつに好意に近い感情に変わってしまった。――ハッキリ言って異常としか言えない。なんなのかしら、この感情は……」

 

 自己に起きた事象に対し、分析を進めるパチュリーではあったが、この異常ともいえる事態にパチュリーの顔はとても楽しそうに笑っていた。

 

 とても楽しそうに。

 

 えもいわれぬ高揚感。未知に対する好奇心が、彼女の知識欲を刺激する。

 パチュリー本人はきっと気付いていない。自分が笑っている事に。

 そんなパチュリーを見て、満足したかのようにご満悦なレミリアは、彼女の思考を一時止める。

 

「パチュリー。分析は後にしてちょうだい。ブタオの持つ不思議な力に興味が無いわけじゃないけど……。今はそんな事よりも大切な事があるでしょ?」

「……そうね。確かにそうだわ」

 

 親友のレミリアの意図を察するパチュリー。彼女はほんの少し思案した後に、周りに対して提案する。

 

「ブタオの力が何なのかは、後で調べるとして……。外部にブタオの能力が漏れだしたりしたら大変ね。結界の範囲の拡大と増強……。それに妖精メイド達に緘口令を敷いて、それから……」

 

 パチュリーは、次々にこれから紅魔館が行うべき事を上げ連ねていく。

 ただそこにいるだけで対象者を魅了する、最悪とも言える洗脳能力――。外部にブタオの能力が蔓延したら、とんでもない異変に発展するのは目に見えている。

 

 実際に洗脳された彼女たちだからこそ分かる事がある。

 それは、ブタオに『悪意』が無いと言う事だ。

 

 ブタオには悪意はない。その事実は、ブタオの能力が彼自身の意志で行われているものではないと言う何よりの証拠。

 力の制御の出来てないブタオを外へ連れ出すのは、危険極まりない。

 

 ブタオをこの紅魔館にずっと幽閉する。

 

 そう。これは幻想郷を守るため。幻想郷の平和を守るため――

 

 

 

 なんてのは、ただの大義名分である。

 

 彼女達自身、その事を理解している。

 本当の本当は、そんな綺麗事なんかじゃなくて――。

 

 ブタオと一緒にいたいのだ。

 

 ブタオと一緒にいると落ち着かないのに落ち着く。胸を焼き焦がすような痛みを伴いながら、その情動に快楽を得る。

 おおよそ言葉にできない自分達の感情に彼女達は酔いしれていた。

 

 ブタオと離れたくない。

 ブタオにずっとここにいて欲しい。 

 絶対に他人になんか渡すものか。

 

 ある程度の方針が決まった所で、レミリアは各自に伝える。

 

「――みんな。みんなで一緒にアイツを幸せにしてやりましょう」

 

 ブタオを幸せにしよう。彼女はそう言った。

 レミリアのその言葉を聞いた時、彼女達の心に言いようのない悦びが満ち溢れる。

 彼女達は思う。

 

 ああ、どうしようもなく、私達は“女”だ。

 愛する人の幸せを想うだけで、こんなにも満たされるのだから。

 

「ブタオを幸せにしましょう。そして、私たちもあいつに幸せにして貰いましょう」

 

 自分たちも幸せに――。

 いつに間にか、その場にいた全員が唇を歪ませながら笑っていた。

 これからの事を思うと、どうしても口が緩んでしまう。

 

 ブタオの笑った顔も、困った顔も、恥ずかしがっている顔も、はにかんでいる顔も――

これから全部、自分達に向けられるのだ。

 

 そうとも。この幸せを絶対に逃がしやしない。ブタオを絶対に離さない。この幸せは、自分達だけのモノだ。

 

 レミリア達の想いを知らず、当のブタオは、妖精メイド達と楽しく仕事に励んでいるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大陸風の意匠が伺える赴きある塀に囲まれた広大な屋敷。

 冥界を管理する【西行寺家】が住まう場所――白玉楼はそこにある。

 

 西行寺家の当主である西行寺幽々子は、最近の友人の様子に心配していた。

 いつもソワソワしているし、時折スキマを開いては、どこかを覗き見ている。とても落ち着きが無いのだ。

 以前までの彼女は、静かで落ち着きのある淑女の様な立ち振る舞いであったと言うのに、最近の彼女はまるで未熟な少女のよう。

 そんな友人――八雲紫は、今日もどこかアンニュイな雰囲気を出しながらため息をついていた。

 

「ねぇ紫? 本当に最近どうしたのよ、ため息ばかりついて」

 

 幽々子の問いに、紫はため息交じりに答える。

 

「……ちょっと、気になってる人がいて」

「気になってる人ぉ?」

 

 彼女の態度から、幽々子は何かピンと来たらしく、からかうように紫を囃したてる。

 

「もしかして殿方? 一目惚れでもしたのかしら? きゃーっ紫ったら乙女チックね~!」

 

 幽々子自身、あり得ない話だと思いながら紫をからかった。

 幻想郷の賢者である八雲紫が、まさか恋に悩むなんてあり得るはずがない。

 

 そう、あり得るはずがない。だと言うのに――

 

「ななな何言ってるのよ幽々子! そ、そんなわけ……そんなわけ……」

 

 顔を真っ赤に染めながら反論し、次第に口調が弱々しくなっていく。

 まるで初心な少女の様な反応に、幽々子は目を見開いて驚愕した。

 

「……うそ? 紫?」

「……ッッ」

 

 紫の乙女な態度に幽々子は開いた口が塞がらなかった。

 

「だだだ、誰!? 誰なのよッ!」

 

 とはいえ、幽々子もやはり少女であった。

 人の恋路に関わる事のなんと楽しいやら。幽々子は、たいそう興奮しながら紫に詰め寄った。

 

 その“気になっている人”とやらの名前を出すことが、大層恥ずかしいのか、紫は耳元まで顔を真っ赤に染め上げながら、その者の名前を口にした。

 

「――“ブタオ”って言う人なの」

 

 

 

 

 




紅魔館編、やっと終了!
次回より、白玉楼編を送ります
次回もゆっくりしていってください


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第四章 白玉楼にて
第二十三話 再会


 

「パチュリー。進捗状況はどうかしら?」

 

 レミリアは、魔法陣の中でブツブツと詠唱している友人に声をかける。

 ちょうど、一段落したのか、パチュリーも詠唱を一時中断し、レミリアに面と向かった。

 

「いい感じよ。咲夜の能力も借りて、紅魔館の一部を異界化させる事にも成功したし……。通常の方法では、まず紅魔館内に侵入する事は不可能になったわ」

 

 パチュリーの報告に満足するレミリア。思い返す様に、遠くを見つめ、小さくため息を吐く。

 

「一カ月……か。長かったわね」

「そうね。私たちからすれば一カ月なんて一瞬の時間的感覚でしかなかったのに、こんなにも長く感じるなんて」

 

 パチュリーがブタオの魅了されてから一か月程度が経過した。

 この一が月の間で、紅魔館は外見こそ変わってはいないが、その中身は恐るべき要塞と化していた。

 何重にも重ねたパチュリー手製の結界とトラップ。番犬代わりの使い魔たち。咲夜の能力も使用し、紅魔館の一部を異界化させており、もはや通常の手段で紅魔館内に侵入する事は不可能な状態となっていた。

 

 この一カ月間、彼女達とブタオとの間柄は、なんの進展も見せていなかった。

 紅魔館の強化が済み、ブタオの身の安全が確証されるまで、抜け駆けは禁止であると、紅魔館内で条約の様なものが結ばれていたからだ。

 ブタオともっと触れ合いたい彼女達にとっては、中々に苦しい話ではあったが、何も焦る事はないのだと皆が納得していた。

 

 もはや、ブタオを知る者は、この幻想郷にはいないのだから。

 

 ゆっくりでいい。

 こうして、未来に想いをはせて、ドキドキとしているのも中々乙なものでもある。

 

 そして、とうとう今日を持って、紅魔館の強化は完成する。

 レミリアが、長かったと言ったのはこの事であった。

 

「みんな、一カ月もの間待ち続け、フラストレーションも随分溜まったわね。フランなんて、ブタオの姿を見たら、襲わずにはいられないとか言って、ここ数日自室で自粛している始末だし。ふふ……」

 

 かくいうレミリアも、ブタオと接する時は、理性を保つのに内心必死であった。

 ブタオの仕草。ブタオの匂い。ブタオの白い肌。どれもこれも愛おしい。ブタオの全てが愛おしかった。身ぐるみを剥いでその場で強姦してやろうかと何度思った事か。

 

 パチュリーもレミリアと同じ気持ちであったのか、自虐的に小さく笑う。

 

「でも、それも今日でお終いね。今夜には術式の全てが終わるわ。今夜で全て……ふふ」

 

 今夜で、全てが終わる。

 そうなったら、もう我慢する必要なんてない。ブタオの身も心も思う存分に味わいつくす事が出来る。

 

 ああ、楽しみだ。

 

 酷く口元が歪んでいるレミリアに、パチュリーは横から口出しをする。

 

「ちょっと。私にもきちんとお零れを寄こしなさいよ? 他の子たちだって、今日という日をずっと心待ちにしていたんだから」

「分かってるわよ。――そうね、何だったら今夜みんなでブタオと交わらない? 紅魔館主催の酒池肉林! メインディッシュは当然ブタオッ! ドレッシングに互いの血や汗、精液や膣液を混ぜ合わせ、お互いの肉が溶けあうほどに絡み合わせて――とっても気持ちいと思うわよ? くふふ……」

 

 レミリアの言葉に、ゴクリと生唾を飲むパチュリー。

 さすがは吸血鬼だ。愉悦と快楽を言わせたら右に出る存在はいない。

 そんなレミリアがプロデュースする酒池肉林。楽しくないはずがない。

 

「ブタオと一緒に快楽の底へと堕ちていく……。楽しそうね、他の子もきっと喜ぶと思うわよ。うふふ」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 本日ブタオは休日であった。

 

「ぶひ……ちょっと退屈でござるな」

 

 ふと呟く。

 普段、ブタオは休日は図書館へと行き、パチュリーとラノベやマンガ談義、また創作活動等をしたりして過ごしている。

 しかし、数日の間、パチュリーも他のみんなも随分と忙しそうにしている。

 フランと一緒に過ごそうかと思っても、最近体調が悪いのか、部屋から中々出てこない様子。

 

 何もやる事のないブタオは、無駄に惰眠を貪るくらいしかなかった。

 

 横になりながら、時計の秒針を聞きながら、これまでの紅魔館での日常を思い返す。

 ブタオは、今こそが人生で最も充実かつ幸せな期間であると思っていた。

 可愛いご主人様たちに仕え、美人の先輩たちと一緒に仕事をこなし、休日には図書館にいって漫画談義をして――。

 まるでラノベの主人公そのものではないか。

 

(ぶひぃ……これで顔がイケメンだったら、この中の誰かと恋仲になってたりしたかもしれぬでござるな)

 

 この一カ月の間に、ブタオはそれなりに信頼を得ているという自覚を持っていた。また、決して嫌われているわけでもなく、もしかしたら好意を持たれているのではないかとも思っていた。

 

 

 しかし――自分は醜い“ブタ”だ。

 

 

 己の醜い容姿。この事がブタオの積極性を損なわせていた。

 こんな醜い自分が、誰かと恋仲になれるはずもない。あんなにも可愛らしく美しい少女達と自分とでは釣り合うはずもないではないか。

 嫌悪感を抱かれないだけでも十分すぎるというのに、なんと強欲な事か――

 

「ぶひひ。やっぱ世の中、そうは甘くはないでござるな」

 

 諦めの籠った渇いた笑い。

 そうだとも。自分はこんなにも醜い存在なのだ。そんな自分を一体、誰が愛してくれると言うのか。嫌悪されないだけで充分過ぎるではないか。

 

(ブタの吾輩が一丁前に“恋”なんて……)

 

 嫌な事を思うと気分がすぐに鬱になるのは、ブタオの悪い癖である。

 今の幸せに満足出来ず、さらに大きな幸せを願う事に罪悪感を感じてしまっている。

 達観とも諦めとも言える様な心境に達していたブタオではあったが、ここでふと、“ある人物”が脳裏に浮かんだ。

 

 

 境界のはっきりしない世界で出会った女性。

 ブタオが幻想郷へ来るきっかけを作った人物――八雲 紫である。

 

 

(なぜか、急に紫殿の御尊顔が頭に浮かんだでござる)

 

 思えば、彼女も自分を嫌悪せず、それどころか優しく接してくれた。

 幻想郷の糧となって欲しかったと言う思惑はあったのかもしれないが、それでも自分に気を遣い、同情もしてくれて、心を救ってくれて――。

 

 紫の顔が脳裏に浮かんだ時、ブタオは切ない気持ちになっていた。

 

(紫殿……紫殿ッ あ、会いたいでござる)

 

 会いたい。会って話がしたい。口を聞いてもらいたい

 枕に顔を埋めて、ブタオは悶々と紫を想っていた。彼女を想うだけで、心臓の鼓動が大きくなり、とても落ち着かない。

 想うだけでは満たされなかったのか、ブタオは口に出して彼女の名を呼ぶ。

 

「紫殿……。会いたいでござる」

 

 

 

 その瞬間――

 

 

 

「――ぶひッ!?」

 

 突如として、ブタオの横たわっていたベッドが、生き物の口の様にグパァッと開き、ブタオはその“隙間”へ真っ逆さまに落ちていった。

 

「ぶひいいいぃいいぃぃぃッッッ!!? お、落ち……落ちるでござるううぅッ!」

 

 実際にはもう落ちているわけだが、ブタオが奈落の底へと激突する事はなかった。

 落下の感覚は次第に弱くなり、今度は奇妙な浮遊感がブタオの体を支配する。

 地に足が付いているのか、それとも浮いているのか。ハッキリしない。

 

「こ、これは……ここは?」

 

 ブタオにはその感覚と、“この場所”に覚えがあった。

 忘れるはずがない。

 この明るいのか暗いのか分からない“境界のハッキリとしない世界”は――

 

 

 

 

 

「――こんにちは。ブタオさん」

 

 ふと背後から声をかけられる。

 

 透き通る様な美しい女性の声。

 

 紅魔館と慧音以外に女気のないブタオには、その声の主がハッキリと分かった。

 

 切なくなるほど会いたいと願った女性――。

 

 夢でないかと半信半疑のままに振り向くと、そこには確かに“彼女”がいた。

 

 

「――ゆ、ゆか、り……殿?」

 

「お久しぶりですわね。ブタオさん♪」

 

 




白玉楼編スタートです(ゲス顔)


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第二十四話 それぞれ

 白玉楼の一室。

 そこには、顔を真っ赤に染めながら俯いている八雲紫と、その横で大いにワクワクしている幽々子が居る。

 幽々子は、紫の肩を揺らしながら、子供の様にねだっていた。

 

「ねぇ紫ぃ。そのブタオさんって人のこと、もっと教えなさいよ。どんな人? ねぇどんな人なのよぉ」

「うううるさいわね。別に良いでしょ! 別に……」

「妖夢も気になるわよね~。紫の想い人のこと」

 

 二人の茶菓子の片づけをしている妖夢に幽々子は振った。

 いきなり振られたため、少しキョどりながら、妖夢は答える。

 

「ええと……は、はい。気になります」

「ほら見なさい。妖夢も聞きたいって言ってるわよ?」

 

 女三人そろえば姦しいとはよく言ったものである。

 幽々子のからかいに困った様子の紫を見て、妖夢も内心不憫に思ったものの、実のところ幽々子以上に気にしていた。

 

 幻想郷の賢者。

 八雲紫の二つ名であるが、その名にふさわしい風格と美貌の持ち主。

 幻想郷の誰もが尊敬する、この『大人の女性』に、まだ未熟な少女である妖夢が憧れと僅かな高揚を持ちえるのは無理からぬ事だろう。

 

 そんな女性が、恋にときめいている。気にならないはずがない。

 

 妖夢は、茶碗を片付けながらも、その耳は幽々子たちの方へと傾いていた。

 

「ねぇ紫。そのブタオさんって人、この白玉楼に招待しなさいよ。紫なら一瞬で連れてこれるでしょ?」

 

 紫が教えてくれないものだから連れて来いと提案する幽々子。

 当然、紫は顔を真っ赤にしながら反抗する。

 

「だ、駄目よ! 彼だって忙しいし……。それにアレから結構たったもん。いきなり現れたりなんかしたら驚かれちゃうし……。それにもしも忘れられてたら……」

 

 モジモジと指を絡めながら言い訳する紫に、幽々子のフラストレーションも急激に跳ね上がる。

 乙女な友人をからかうのは楽しいが、モジモジとイジけているだけの光景は、中々にイラっとするものである。

 

「あんもうッ! 気になってるんでしょ!? 毎日スキマから覗くくらいにッ。だったら会っちゃいなさいよ! 時間が経てば経つほど、彼から貴方の記憶が薄れていく事になるのよ? それに他の女とデキちゃったりも……」

「む、うう……」

 

 幽々子の言うとおりである。

 ブタオと出会ったあの日から、彼の事がいつも脳裏に浮かびあがる。

 

 幻想郷の糧となって欲しいと言う願いを快く引き受けた青年。

 彼は言った。『紫殿のためにこの命を捧げたい』と。

 

(私のために……か)

 

 あの時の感情は――。今も言葉に出来ない。

 あの感情は一体何だったのか……。

 顔に熱が灯り、心臓の鼓動が大きくなって……。しかし決して不快な気分ではなかった。

 

 ブタオと別れて幾日の月日がたったある日、スキマから彼の姿を覗くと、なんとあの紅魔館の使用人として働きだしているではないか。

 レミリアが、人間の使用人を雇っている事を少し不思議に思ったが、咲夜の例もあるし、気まぐれの多い彼女の事だ。何か思惑があるとか、そう言うのではなく、単なる気分的なものだろう。

 

 スキマから覗いたブタオは、随分と明るくなった様な気がする。初めて会った時は、影を落とした暗い雰囲気を纏っていたと言うのに。

 

 彼の笑顔を見ていると心が温かくなる様な、不思議といい気分に浸れる。

 

 それから紫のブタオの観察の回数が増え始めた。ブタオの成長を見ていくのは、何とも楽しかった。

 

 しかしだ――

 

 ブタオが、他の女たちと仲よさげにしている風景だけは、気分が悪かった。

 仕事と関係なく、他の女と仲よさげにしている風景は見たくなく、その時だけは紫はスキマを閉じて物思いにふけるのであった。

 

(何だろう……。ブタオさんが、他の女と一緒にいるところを見ると、とても気持ち悪い)

 

 ブタオの観察の回数が増えるにつれ、ブタオが他の女と仲良くしている光景も多くなってきた。

 そのたびに、スキマを閉じては、気になってまた開けて――。閉じてはまた開けるの繰り返し。

 

 紫も幽々子に言われるまでも無く、自分が何かおかしな事になっているのを自覚している。

 この想いを相談すれば、このモヤモヤとした感じが無くなるのではないかと、幽々子にブタオの事を話したものの――。

 

 想い人だと勘違いされる始末である。

 しかも勝手に盛り上げられて……。

 

 そんなのではない。そんなのでは……。

 

 しかし、幽々子の言葉は、紫のモジモジとした心に冷や水をかけた様で、紫もブタオに会ってみようと思い立ったのであった。

 

「そうね……。幽々子の言うとおりね。ちょっと会ってこようかしら? 気になるし……」

「そうよそうよ! 思いたったら即行動よ! さッ。早く連れてきて!」

 

 紫の決断に、子供の様にはしゃぐ幽々子であった。

 苦笑いしながら、紫はスキマを開き、彼女の空間へと姿を消した。

 

 紫は、スキマの空間からブタオを確認する。何とも暇そうにベッドに横たわっている。 

 

(ブタオさん……)

 

 ブタオの顔を見るととても心が穏やかになっていくような気がする。

 悪くない気分だった。この居心地の良さをずっと感じていたいものであった。

 だが、それとは対照的にブタオの様子が、どこかすぐれない。

 体の調子でも悪いのかと思ったが、ブタオの呟きに紫は赤面する。

 

『紫殿……。会いたいでござる』

 

 切なそうに呟くブタオの言葉に、紫はブタオのベッドからスキマを開ける。

 悲鳴を上げながら落ちてくるブタオ。状況が分からず、キョロキョロと辺りを見渡すブタオに紫は優しく声をかける。

 

「お久しぶりですわね。ブタオさん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブタオが八雲紫の隙間に落ちた瞬間、紅魔館の全員に戦慄が走る。

 その異変の重大さに真っ先に気付いたのは、美鈴だった。

 突如として、紅魔館内にあったはずのブタオの気配が途切れたのだ。何の前触れも無く突然に――。

 同時に美鈴は、駆けだしていた。

 

「お、お嬢さまあぁッ レミリアお嬢様ぁッ! ぶ、ブタ――ブタオさんがッ! ブタオさんの気がぁッ!」

 

 美鈴の不吉をはらんだ悲鳴は、ことが何かの冗談ではなく、“ブタオの身に何かが起きた”と言うあってはならない出来事に真実味を持たせていた。

 美鈴は、レミリア達の名前を叫びながら大急ぎで、ブタオの私室へと駆けだす。

 するとそこには既に咲夜が、ブタオの部屋の前で膝を屈しながら茫然としている。

 

「さ、咲夜さんッ!」

 

 美鈴はすぐさま咲夜に駆け寄る。何があったのかと問い詰めても、咲夜はただ茫然と目の前の“空き部屋”を眺めていた。

 

「美鈴ッ! 咲夜!」

 

 遅れて、レミリアとパチュリーの二人が、美鈴達のブタオの部屋へと駆け寄ってきた。

 二人とも、茫然と佇んでいる咲夜達を見て、酷く吐き気を催した。

 レミリアは、声を震わせながら二人に尋ねた。

 

「う、嘘よね? 二人とも……。あ、あはは、冗談きついわよ? わ、私達をお、驚かせようなんて――」

 

 レミリアの言葉に、二人は反応しない。変わらず、目の前の部屋を見て茫然としていた。

 

 あってはならない。

 今、頭によぎっている事が現実にあってはならない。レミリアは、足を震わせながらブタオの部屋へと向かい――。

 二人のあの反応は、私達を驚かそうとしているだけで……。

 そうだとも。あの部屋を覗けば、おどけたブタオの笑顔があって、美鈴も咲夜も引っかかった私達を笑って、みんな笑顔になって――。

 

 だが、そんな未来など在りはしなかった。

 レミリアの眼前にあるのは、変わらずただの“空き部屋”だった。

 

「バカな……そんなはずは――」

 

 パチュリーは、目を見開いたまま、静かに呟く。まるで信じられないものを目にしたかの様に。

 

 みんなが茫然と佇んでいる中、レミリアだけは震える足を運ばせ、ブタオの部屋に入る。

 

「ぶ、ブタオ? かく、かくれんぼのつもり、かしら? 主人を前に失礼よ、で、出てきなさい?」 

 

 既にいなくなったブタオを呼び続けるレミリア。

 その姿が、あまりにも痛々しかったのか、彼女たちの中で比較的にまともだったパチュリーが、レミリアの愚行を諌める。

 

「レ、レミィ……。やめなさい」

「なな何をいってるのパチェ……。ブタオ? お茶を出しなさいよ。めめ命令よ、聞こえてるの? ブタオ……」

 

 瞳孔の定まらない目で、レミリアはブタオを呼び続ける。

 ブタオが居ないと言う事実と、自分たちの主であるレミリアのあられもない行動を見て、忠誠心の最も高かった咲夜は、声を荒げて泣き叫んだ。

 それに釣られて、美鈴も歯ぎしりしながら涙を流す。

 

 パチュリーも心が潰されそうな想いだった。ここで泣き叫べたら、どんなに楽になれるのか。

 しかし、自分までも狂乱するわけにはいかない。

 心を強く持ち、レミリアを強く諌める。

 

「やめなさいレミィッ! あ、あなたがそんなんじゃ……。他の者も動揺するから――。ぶ、ブタオは、もうここにいない」

 

 ブタオがいない。

 パチュリーのその言葉は、僅かばかりのレミリアの希望を打ち壊した。

 

 何かの冗談なんかではなく、ブタオは本当に消えてしまった。

 

 その事実を認識した時、レミリアは口から血がにじみ出るほど歯ぎしりし――

 そして叫んだ。

 

「お、おおおおうおおおおおおおあぁぁぁぁッッ!!!!」

 

 彼女の叫びは、紅魔館内に響き渡った。

 

 

 






ご、ごめんね紅魔館のみんなッ!(ゲス顔)



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第二十五話 招待

 

「お久しぶりですわね。ブタオさん」

「ゆ、ゆか、り殿……?」

 

 ブタオは、夢か幻でも見ているのではないかと思っていた。

 あまりにも現実的でなさすぎる。

 ベッドから訳も分からず落ちた先には、会いたいと願った女性の姿がある。昔の少女漫画でも、そうそうあり得る展開ではない。

 茫然としているブタオに、紫は心配そうに声をかける。

 

「ぶ、ブタオさん? 大丈夫かしら? どこか体を打ったの?」

 

 ここに呼び寄せるのが、少し乱暴だっただろうか?

 少しうろたえながら、紫はブタオへ近付く。

 

「ぶ、ぶひッ!?」

 

 紫の柔らかなブロンドの髪から香る『女性の匂い』にブタオは思わずクラリと来た。

 紫はブタオの体を支えようと、互いに触れ合うほどに接近し――。その瞬間に、二人の視線が合う。

 

「ぶひ……」

「あぅ……」

 

 二人は、視線が合った瞬間に硬直した。

 ほんの数秒足らずの間ではあったが、二人にとっては、その瞬間だけは時間が止まったかのような錯覚を覚えたに違いない。

 我に返ったのもほぼ同時で、互いに後ずさりして見向き合う。

 

「ぶぅ……」

「ぅッ……」

 

 久しぶりの再会だと言うのに、なんてサマにならない……。

 互いに遠慮し合っているのか、中々口を開くきっかけがつかめずに、二人とも俯いてしまっていた。

 

 ブタオが混乱するのは無理からぬが、当人であるはずの紫はその実、ブタオ以上に混乱していた。

 

(あわわわッ! あ、あれ? どうしちゃったの私ッ!? なんでこんなに舞い上がっちゃって――ッ。何か話さなくちゃ、私から――ッ)

 

 グルグルと目を回している紫ではあったが、何かを話さなければと口を開こうとする。

 しかし洒落のきいた言葉が見つからない。

 パクパクと挙動不審な紫を見てか、ブタオの混乱も次第に落ち着きを見せ始めた。

 ブタオは、柔らかな笑みを浮かべながら紫に言う。

 

「ぶひひ。紫殿、お久しぶりでござるな」

 

 芯の通った声。その声色からは、かつての鬱に入り浸っていたブタオの面影など微塵も感じられず、その表情には余裕ともとれる雰囲気を纏っていた。

 唖然と呆ける紫に、ブタオは笑顔で佇んでいる。

 落ち着いているブタオに当てられためか、紫も我に帰り笑顔でブタオと相対した。

 

「ええ。本当に久しぶり……」

 

 今度は、上手く言えた紫。

 二人の間に、若干の沈黙が流れてはいたが、決して苦しくはない間であった。

 

「この場所に来るのはこれで二回目でござるな……。あの時は、たいそう、情けない姿を紫殿に見せてしまったでござる」

「そんな事……。私は気にしてませんわ。――それよりも、本当にお変りになりましたわねブタオさん。あの頃とは雰囲気もまるで違ってて……。頼もしく見えますわよ?」

「ぶひ! 紫殿にそのように言ってもらえるとは、光栄の至りでござる」

 

 軽い世間話ではあったが、ブタオは紫とのこの軽い世間話に心が満たされていた。

 自分は人として、間違いなく成長している。

 その成長をあこがれの女性から認められるというのは、男冥利に尽きると言うものだ。

 

「しかし――。なぜ吾輩を再びここへ? 何か吾輩に用でも……」

 

 当然の疑問である。

 紫はバツが悪そうに、視線を逸らしながら答えた。

 

「その……。私の友達がね、貴方の事を話したら、興味を覚えたみたいで。ぜひ連れて来いと言うものだから……」

 

 嘘はついてない。言葉が足りないだけだ。

 幽々子が気になっていたのは事実だが、自分も気になっていたから会いに来たなんてあまりにも赤面ものの理由ではないか。

 紫は自分に言い訳して言葉を濁す。

 

 しかし、紫の思惑とは裏腹に、ブタオはたいそう喜んだ。

 

「ぶひ!? 吾輩を招待!? 紫殿のところへ!?」

「え、ええ。どうかしら……? その……もし忙しいと言うのなら無理には――」

「そ、そんな事ないでござるよッ! 今日は、吾輩は仕事が休みで……。ぜひ行きたいでござる!」

 

 予想外に喰いつくブタオに、紫は呆気にとられたようだった。

 てっきり、仕事が忙しいとか何とかで断られると思ったのに……。

 招待しておいてなんだが、これではもう断れない。

 幽々子は、ブタオが自分の想い人であると勘違いしている。ここ素直にブタオを連れて行ったら、幽々子がなんて思うやら……。

 

(ここで彼を連れて行ったら、きっと幽々子は大はしゃぎするわよね、きっと……。私が片思いしてるとか何とかテキトーなこと言って……。私達をからかって……)

 

 ブタオを幽々子に紹介したらどうなるか。紫は起きるであろう未来を夢想する。

 きっと幽々子は、思春期の子供の様に、仲良くなった男女を持て囃しからかうのだろう。

 そんな目に見える未来を予想しながら、紫は少し億劫な気分になっていた。

 

 自分とブタオは、そんな仲ではないのだ。ほんの二回、出会っただけ。幽々子の思ってるような関係などではない。

 幽々子のからかいにブタオを巻き込んでしまう。招待しておきながら、迷惑をかけるなんて失礼にも程があるではないか。

 

 しかし――だ。

 

(も、もし……。幽々子のからかいに、ブタオさんが満更でなかったら……)

 

 ブタオが幽々子のからかいに大人な対応が出来ず、顔を紅潮させて照れている未来を紫は想像する。

 

 その途端、自分の顔が“ボン”と音を立てて沸騰した。

 

「あぅ……ッ」

 

 紫は急ぎブタオから顔を背ける。鏡を見なくとも分かる。今、自分は顔が真っ赤だって。

 

 何をバカな事を考えているのか。

 先ほど、自分でもブタオとはそんな関係ではないと確信したではないか。

 

(わ、私は……。何を照れてるの!? これじゃ、本当に幽々子の言うとおりみたいじゃない!)

 

 急にブタオから顔を背けたものだから、ブタオも何事かと首をかしげながら尋ねる。

 

「紫殿? どうかされたのでござる?」

「あ……。な、何でもありませんわ」

 

 不審がるブタオに、紫は声だけは平静さを装い、何でもないと振り向いたまま伝えた。

 とてもじゃないが見せられるような顔じゃない。顔の熱と赤みが引くまでは、もうしばらくかかりそうだ。

 紫は、ブタオと二人っきりのこの空間に落ち着きを見出すことが出来ず、早く連れて行こうかと空間にスキマの穴を展開した。

 

「さ、ブタオさん。この先が私の友人――西行寺幽々子の館“白玉楼”となっていますわ。それでは行きましょうか」

 

 スキマに手招きする紫ではあったが、ブタオは何かを思い出したようで、少し申し訳なさそうに紫に伝える。

 

「あっ紫殿。」

「はい? どうかしまして?」

「吾輩、今日は確かに休日でござるが、外出する旨をレミリア殿に報告したいのでござる。無断外出は、さすがに駄目でござるからな」

「ああ。確かにそうね……」

「申し訳ないでござる紫殿。吾輩を一時紅魔館へ戻していただけませぬか? 一言、レミリア殿に報告したいのでござる」

 

 優しいレミリアの事だ。きっと快く快諾してくれるに違いないとブタオは確信していた。

 しかし、ブタオの思考とは逆の事を紫は思っていた。

 

(う~ん……。あの子がブタオさんの外出を素直に許可するかしら? )

 

 紫は率直に思った。

 気位の高いレミリアが、自分の使用人が他の屋敷に呼ばれて浮かれるなんて、面白く思うだろうか?

 しかも招待したのが自分だ……。

 レミリアとは懇意であるが、幻想郷でも高い地位にいる自分が、ただの人間を招待するなんて、客観的に考えておかしい。何かの思惑があるのかといらぬ嫌疑をかけられるとも限らない。

 真実は、本当に他意のないつまらない理由ではあるが、その事を信じさせるに値する証拠なんてないのだから。

 

 ぶっちゃけ、紫はこう思ったのだ。

 

 面倒臭い事になりそうだな、と。

 

 ブタオから説明させて、もしも断られたら、せっかく乗り気のブタオをがっかりさせてしまう。幽々子にも何を言われるか分かったものではない。

 

 そう思った紫は、少しの茶目気を出してブタオにこう言った。

 

「大丈夫ですわブタオさん。私とレミリアは懇意の仲なの。私からレミリアに連絡しますわ」

「紫殿が? そ、そんな……紫殿の手を煩わせるなんて……。それに事後報告はあまり良いものではないでござる」

「そんな事おっしゃらないで。私もレミリアも、お互いに立場のある者同士で、何か理由がないと滅多な事では会いませんの。ブタオさんを端緒にあの子に久しぶりに会おうと思いまして」

「はあ……。そういうものでござるか」

 

 自分がきっかけとなって、普段会わない友人同士が再会できる一助になれるなら、何も言う事はない。むしろどんどん利用して欲しいとブタオは純粋に思った。

 

 ブタオの純粋さに反して、紫はレミリアにブタオの外出を報告するつもりなどなかった。要はブタオに嘘をついたわけだが、彼女は軽い気持ちであった。

 全部が嘘と言うわけでなく、たまにはレミリアにも会った方がいいとも思っていたし、そもそもレミリアは、面倒臭い奴だが決して狭量ではない。後になって、自分も一緒になって頭を下げれば、事後報告になってもため息をつく程度の呆れで事が済む。

 

 そう思っていた。

 

「さぁブタオさん参りましょう」

 

 紫の手招きに身をゆだね、ブタオはスキマへと入っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 紫がブタオを迎えに行ったほぼ同時刻――

 八雲藍は、幻想郷の結界の巡視を終えて白玉楼に戻ってきた。

 結界は普段通り問題なかったと紫に報告しようと、居間へとやってきたが、そこに紫の姿はなく幽々子がどこか落ち着かない様子でソワソワとしている。

 一体、どうしたのかと思った時、幽々子も藍が帰ってきた事に気付いた。

 

「あら。おかえりなさい藍ちゃん」

「ただいま戻りました。――あの……紫様はどちらに?」

「すれ違いになっちゃったわね。さっき、人を迎えに行ったのよ」

「人を迎えに?」

 

 藍には心覚えなかった。そんなおつかいの用事ならば、式の自分に連絡があっても良かったと思うが――。

 

(紫様自らが迎いに向かわれた? 一体、どんな御仁だろうか?)

 

 紫が自ら出向くと言う事は、かなり位の高い人物なのかと思ったが――。

 

「藍ちゃんは知ってる? “ブタオさん”って人なんだけど」

「――ッ!?」

 

 幽々子が口にする意外な人物に、藍は目を見開き驚きの表情を見せた。

 ブタオ。当然知っている。紫が幻想入りさせた外来人の名前だ。

 同時に、奇妙な不安感が藍を駆け巡る。

 ブタオを幻想郷入りさせたあの時――。ブタオを侮辱し、紫の逆鱗に触れた時の事を藍は思い出していた。

 ブタオに対し、失礼な物言いをした後ろめたさは当然ある。

 しかし、この不安感はブタオへの後ろめたさのソレとは違う。

 論も根拠もなく、言葉にすら出来ないぼんやりとした不安感。

 

「あ、あの――ッ!」

「ん? なぁに藍ちゃん」

 

 藍は幽々子に恐る恐る尋ねる。

 

「紫様は、なんでブタオさんを迎えに――?」

 

 当然の疑問。幻想入りした際に一度会っているとはいえ、紫とブタオの間にそれ以上の接点があろうはずがない。あの場で縁もゆかりも切れたのだ。なのになぜ――。

 藍が不安感を抱いているとも知らず、幽々子は悪戯っ子の様に微笑みながら藍に言った。

 

「いやねぇ藍ちゃん。紫の側にいつもいるのに、彼女の心情の変化に気付かなかったの?」

「ゆ、紫様の?」

 

 心当たりは当然ある。

最近の紫のソワソワとした何か落ち着きのない挙動。何度か理由を問うてみたものの、何でもないとお茶を濁す答えしか返ってこなかった。

 何を悩んでいるのか。自分ではその悩みを解消させる助けにならないのか。

 少し悲しい気持ちにはなったが、答えてくれないのならば仕方がない。紫の心労を少しでも減らそうとこれまで以上に業務に励んできた。

 

 紫の悩みとブタオの関係――。一体、何の関係性があると言うのか。

 

 幽々子は、グルグルと思考の沼に陥り、混乱気味であった藍をさらに混乱させる一言を発した。

 

「紫ったらね、そのブタオさんって人の事が好きになっちゃったみたいなの。きゃーっ紫ったら本当に乙女ね。かわゆい!」

「――ッ!?」

 

 藍のスーパーコンピュータを凌駕するスペックを持った脳漿は、幽々子の一言でオーバーヒートを起こしそうになった。

 

(紫さまが恋? 誰に? あの醜いブタに? 理解不能理解不能理解不能――。エラーエラーエラー……)

 

 直視不動のままに混乱していた藍を外に、幽々子はウキウキと紫の帰りを待っていた。

 

「紫、早く帰ってこないかなぁ」

 

 

 





ら、藍ちゃんは理屈屋だから(震え声)


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第二十六話 自問

 藍が白玉楼に戻ってきてしばらく――。

 居間には、藍と幽々子と妖夢の三人が、紫の帰りを待っていた。

 そして数分後、居間の空間からスキマの穴が展開された。

 紫が戻ってくるのだ。その件の“ブタオ”と言う男性を連れて。

 

 一体、どんな人物なのか。

 幽々子はワクワクしながら。

 妖夢はドキドキとしながら。

 藍はハラハラとしながら。

 三者三様、想い想いに紫を待つ。そしてとうとう対面の時が来た。

 

「さぁ、ブタオさん。足元に気をつけてくださいね」

「ぶひ。すまんでござるな」

 

 紫にエスコートされて、ブタオはスキマから出てきた。

 紫に手を引かれてスキマから現れた男は、贔屓目に見ても容姿の整った人間ではない。醜い容姿にだらしのないお腹。ヒゲや髪の毛はきちんと整えてはいるが、どこか体臭が濃そうで不潔なイメージを持たざるをえない雰囲気を纏っている。

 そんなブタオを見た、紫以外の三人は、これまた三様に各々に反応する。

 幽々子は特に思うところがないようで表情に変化はないが、藍は少し不安そうな様子でブタオ達を見ていた。

 中でも妖夢の落胆は激しく、紫が連れてきたブタオを見て、目を見開きながら驚愕していた。

 

(え……? あの人が紫様の想い人? 嘘……な、なに? “ぶひ”って言った? 気持ち悪い……)

 

 ぐうの音も出ないほど的確な所感ではあるが、失礼極まりない感想である。

 

「おかえりなさい紫。その人が例の“ブタオさん”って方かしら?」

「ええ」

 

 幽々子はブタオの前に対面し、優雅な作法であいさつをする。

 

「初めましてブタオさん。ここ白玉楼の管理人を務めさせていただいております西行寺幽々子と申します。貴方の事は、紫から常々――」

「こ、これはご丁寧にどうもでござる」

 

 幽々子の優雅な立ち振る舞いに、ほんの数瞬だけ視線を釘付けにされたブタオ。その横で紫がどこか面白くなさそうに二人をみている。

 幽々子は、そんな紫を見てはますます愉悦に思ったらしく、上機嫌にブタオを客間の方へと案内した。

 

「さぁブタオさん。立ち話も何ですから、どうぞこちらに。色々と話を聞かせていただけたら嬉しいわ」

「は、はいでござる!」

 

 幽々子の手招きにデレながらついて行くブタオ。その途中、幽々子は妖夢に茶と菓子を持ってくるように命ずる。

 

「妖夢。お茶と菓子の準備を――」

「……」

 

 幽々子の返事に返答の無い妖夢に、幽々子は首をかしげる。

 

「妖夢。聞いてるの?」

「――はッ、も、申し訳ありません。お茶とお菓子ですね。すぐにお持ち致します」

 

 オタオタとしながら、妖夢は台所へと向かった。

 なんとも様子のおかしかった妖夢に幽々子は首をかしげていた。

 

「あの子ったら、どうしたのかしら……?」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 台所で湯を沸かしながら、妖夢はブタオについて考えていた。

 醜い容姿にだらしのないお腹。ブタを連想させる様な気持の悪い口癖。おおよそ紫の様なの美しい女性と釣り合いが取れているとは言い難い。

 

(あ、あの人が紫様の想い人……? そんなぁ……。イメージと全然違う)

 

 紫に大きな憧れを抱いていたからこそ、紫の想い人について、妖夢は少女チックな想いを馳せていた。

 

 一体、どんな殿方なのだろうか?

 

 男性らしく頼もしさと力強さを兼ね備えた方なのか。

 まだ頼りないが若々しく、未来に見通しのある若者なのか。

 紫は長い年月を生きた妖怪だから、高齢な方もあり得る。その場合、自分の祖父みたいにお髭の素敵なナイスミドルだったり――。

 もしくは以外にも、チャラい現代風の男性か。でもそう言う人に限って、心が優しかったりするものだし――。

 

 妖夢は紫が戻ってくるまでの間、ブタオの人物像について色々と夢想していた。

 それは、一種の“憧れ”とも言える様な感情であった。

 紫ほどの女性が好きになった殿方。さぞかし立派な御仁に違いない――。

 

 そう思っていたのに。

 

 スキマから出てきた男は、名前の通り“ブタ”だった。

 外見で人を判断するなんて失礼な事だとは、妖夢とて当然理解している。

しかし、人は想像していたイメージとかけ離れ過ぎていた場合、“憧れ”と言う情景の念は“落胆”に変わる。

 妖夢もその例にもれず、ただただショックだった。

 

(紫様ほどの女性が――。あんな人を……)

 

 “憧れ”を“落胆”に。

 憧れが大きければ大きいほど、落胆の落差も大きくなる。

 そして落胆させた原因となった男。妖夢のブタオに対する感情は、嫌悪から僅かな敵意に変わり――。

 

 あんなの紫様に相応しくない。

 

 そんな事を思った時、やかんが沸騰しピーっと音を出す。

 その音にはっとしたのか、妖夢は首をぶんぶんと横に振り、我にかえった。

 

(わ、私は何を思ってたんだろう? 仮にも御客人に対してあまりにも無礼な……)

 

 早くお茶をお持ちしなければ――。そう思った時に、台所の暖簾から藍がやってきた。

 

「妖夢。何か手伝う事はあるかな?」

「あ、藍さん。いいえ大丈夫ですよ。藍さんもお客様なんですから、幽々子様達と寛いでください」

「あ……。うん。すまない、実はあの場に居づらくてな。手伝いを理由に抜け出してきたんだ」

「居づらい……ですか?」

「ああ。あの“ブタオ”と言う御仁が、どうも私は苦手なんだ……はは」

 

 少し自虐を含んだ笑いをする藍に、妖夢は気になっている事を尋ねた。

 

「あの……」

「ん? どうした妖夢」

「あのブタオさんって方は……その、どんな方なんですか?」

「……気になるのか?」

「それはまぁ……。たぶん幽々子様が紫様をからかっての事なんでしょうが、紫様の想い人とか何とか言ってましたし……」

「……たちの悪い冗談だ」

 

 藍は少し不愉快そうに、幽々子のからかいを非難した。

 同じ従者として、互いの主を尊敬しあっている者として、藍の非難は妖夢にとっては言葉が詰まる程の驚きだった。

 藍の方も少し言い方がきつかったかと、すぐに反省し頭を下げる。

 

「あ、いやすまない。幽々子様は紫様の御親友。私の私情なんて入る余地なんてないのに……。すまないな」

「あ、いえ……」

「――ブタオ氏の事だったな。私も詳しく知っているわけじゃないが、知っている事を教えよう」

 

 藍はブタオについて、自身の知っている事をかいつまんで話した。

 現代社会に絶望し自殺しようとした事。

 自殺するくらいなら幻想郷に来ないかと誘われた事。

 紫に気に入られて、能力持ちになった事。

 ブタオを侮辱した事で、紫の逆鱗に触れた事。

 藍が知っているのは、ここまでだった。幻想郷に来てからのブタオの経歴はまるで知らない。

 

「まぁ私が知ってるのは、こんなところだ。私が彼を苦手としているのも、侮辱してしまったが故に紫様の叱責を受けたからで……。そうだな、私は彼に対し後ろめたいんだな。うん、きっとそうだ」

 

 ブタオを苦手とするのは、侮辱してしまったが故の後ろめたさであると。藍は自分の感情を再確認する。この奇妙な不安感も、その後ろめたさから来る影響なんだと。

 

 ブタオについて軽く説明した藍ではあったが、現在のブタオを知らない彼女は、事実の中に己の主観を混ぜて話したため、やはり少しはブタオを悪く言う形になってしまった。

 藍の主観性は、妖夢のブタオに対する敵意を肯定するものとなり、ブタオへの敵視を益々強める事となる。

 

(やっぱあの人、ただの甘ったれのごく潰しじゃない。それなのに紫様に――)

「妖夢?」

 

 藍は、何やら妖夢が義憤を覚えたような難しい表情をしている事に気付いた。

 きっと自分の説明のせいで、ブタオに対して悪いイメージを持ってしまったのだろうと思い、フォローをするかのように、自分が分かっているブタオの良い所を話し始める。

 

「なぁ妖夢。今の私の説明で、ブタオ氏に良くないイメージを持たせてしまったかもしれない。だがな、ブタオ氏は、臆病なれど心優しい御仁だ。紫様もそのブタオ氏の心の優しさを認めてるが故に彼を気に留めているのかもしれない」

 

 悪意のない心優しい人物である。それは信用できる。

 やはり自分はどうかしている。一体、何をこんなに不安がっているのか。

 

(そうだとも。彼は普通の人間で……。紫様にどうこう出来るはずもない。ブタオ氏の事を気にしてたのは、ただのお戯れ……。そうに違いない)

 

 藍もブタオに対する苦手意識を早く克服し、愛すべき幻想郷の住民として受け入れなければ、と自分に反省した。

 

 しかし、妖夢は藍の話を聞いていたのか聞いていなかったのか、ブツブツと独り言を繰り返していた。

 自問自答していた藍は、そんな妖夢に気づかない。

 

 台所は、自分の心に悩む少女が二人佇んでいた。

 

 

 




 今回ちょっと短め。
 妖夢ちゃん、作者のお気に入りだから期待しててね(ゲス顔)


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第二十七話 自覚

 

 

 

「――そうして、吾輩は現在、紅魔館の従者としてレミリア殿に仕えているのでござる」

「あらあらまあまあ……。良き縁があってよかったわね」

 

 ブタオは、幽々子に幻想郷に来た時から紅魔館の従者になるに至った経緯を話していた。

 のほほんとした雰囲気の幽々子ではあったが、思いのほか聞き上手でありブタオもつい饒舌になっていた。

 

「これもみんな紫殿のおかげでござる。紫殿に出会わなかったら、吾輩は現代で一人さびしく最後を迎えていたでござる」

 

 ブタオは紫の方へ向かい、深々と礼と謝辞を述べる。

 

「紫殿。吾輩、紫殿のおかげで人として成長出来たと思うでござる。本当に……。紫殿には感謝してもしきれぬでござる。本当にありがとうでござる」

「い、いいえそんな……私は幻想郷のために……。礼を言われる様な事ではありませんわ」

 

 紫は恥ずかしいのか、少し顔を赤めながら対応していた。

 

「そして、吾輩……紫殿に一つだけ、背信している事があるのでござる」

「背信? 何をかしら?」

「当初、吾輩は、幻想郷の糧となるべく……吾輩を必要としてくださる御仁にこの身を捧げようとしていたのでござる。しかし……慧音殿や紅魔館の優しい方々に出会い――。吾輩の手のひらはどうもクルクルと簡単に回ってしまうようでござる。今は生きてる事が楽しくて……。これからもいろんな出会いを体験したく、この身を惜しく感じてしまっているのでござる」

 

 ブタオの告白に紫は面食らった様な顔をしたが、すぐににこやかにブタオを諭した。

 

「そんな事……。私は申しましてよ。貴方が伴侶となる女性を見つけ、子を成してくれれば幻想郷にとっても良き事だと。生きる事に幸せを感じているのなら言う事はありませんわ。後は素敵な伴侶を見つけるだけですわね」

「ははは……。吾輩の様な醜いブタを好いてくれる女性がいるのかどうか……」

 

 自虐的に笑うブタオに、紫は少し不貞腐れた。

 

「ブタオさん。御自分をそのように蔑むのはあまり関心しませんわ。今の貴方は、とても素敵な殿方ですわ。これはお世辞でも何でもなくて……。少なくても私はそう思います」

 

 自分の言っている事が恥ずかしいのか、少し照れたように言う紫に、ブタオも恥ずかしさと嬉しさがこみ上がって顔に熱が灯ってしまったようである。

 何ともボーイミーツガールな雰囲気である。

 そんな二人を見て、幽々子は妖しい笑みを浮かべるのであった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 夕刻となり、外はすっかりと暗くなっていた。

 ブタオもそろそろ帰らなければと思ったのだが――。

 

「もう帰ってしまわれるの? まだ宵の口にもなってませんわよ? そんなせっかちにならず、今日はここに泊っていきません?」

 

 幽々子が、名残惜しそうにそう提案してきたのだった。

 それに対しブタオは、失礼にならぬよう丁重にお断りする。

 

「お気持ちは嬉しいでござるが、吾輩、明日は仕事があって――。名残惜しいでござるが帰らなければならないでござる」

「そんなぁ~」

 

 子供の様に不貞腐れる幽々子。しかしすぐに何か思いついたらしく、今度は紫に提案してきた。

 

「ねえ紫。貴方、レミリアにブタオさんの外泊の許可をもらってきなさいよ」

「え? わ、私……?」

「ええ。貴方ならすぐに済むでしょ? 紫だって、ブタオさんともう少し一緒に過ごしたいわよね?」

 

 いきなりの提案に面を喰らうブタオを差し置いて話が進んでいく。

 紫は、少し困った様な顔をしながら、仕方ないと頷いた。

 

「分かったわ……。でも、駄目だって言われたらブタオさんをちゃんと帰しますからね」

「大丈夫よ大丈夫♪」

 

 仕方がないと思いながら、紫は隙間を展開しその中へと入ってしまった。

 その場には、楽しそうな顔をしている幽々子と、あからさまに困った顔をブタオの二人だけが佇んでいた。

 

「あの幽々子殿……? 気持ちは嬉しいのでござるが、その……困るでござる。明日、やらなければならない事もあって……むぐッ」

 

 ブタオがそう言いかけた時、幽々子は人差し指でブタオの口に添えて言葉を紡いだ。

 紫にも勝るとも劣らない美貌の持ち主。大人の雰囲気を全身から出している幽々子の指の何と美しい事か。

 白魚の様な細くて綺麗な手が、汚い自分の口に触れている。

 その事実だけで、ブタオは顔を真っ赤に染め上げ、混乱状態に陥った。

 あたふたと慌てるブタオとは対照的に、幽々子は妖しい色気を醸し出しながら、ブタオの顔に触れるくらい近付き、小さく呟いた。

 

「――ブタオさん。自分で言うのもなんだけど、私も紫も幻想郷ではかなり高い地位にいるの。レミリアも無視できないくらいの。私たちと友好を深める事は、紅魔館にとっても益のある話になると思いますわよ?」

 

 そう言って幽々子はブタオの口から指を離す。

 まだドキドキしている。ブタオは、混乱しながら、幽々子の触れた唇を何度もさすっていた。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 スキマ空間内で、紫は頭を抱えながら悶絶していた。

 

(うわああぁッ! なによ、なによッ何なのよぉ! どうしちゃったの私ぃッ!?)

 

 誰も見てないと言う事で、ゴロゴロと紫はのたうち回っていた。

 心が穏やかじゃない。冷静でいられない。

 ブタオの礼と謝辞を受けてから、心に熱湯をかけられたかのような気分になっている。

 熱い。ひどく体が熱いのだ。

 ブタオが帰ると言いだした時、何か喪失感にも似た悲しい気持ちになった。そして幽々子が泊らないかと言いだした時は、内心で幽々子を褒め称えた。

 

(ブタオさん……)

 

 ブタオを想うと、どこか甘酸っぱい気分になる。心は穏やかにはならないが、決して苦しくなく――。

 心地いい痛みだ。手放したくないと思う痛み。

 

 この気持ちが何なのかは分からない。

 

 これが、『恋』だと言うのなら、自分は大層節操のない女だ。まだ二回しか出会ってないのに。

 

 だがいつも心にブタオが居る。何をするにしても目蓋を閉じればブタオの姿がある。

 

 この気持ちが何なのか分からない。

 

 紫は、特に意識せずスキマを展開した。

 その先は紅魔館ではなく――先ほどまで居た白玉楼だった。

 ブタオの姿を見れば、この混沌とした感情に整理がつくのではないかと思いながら、彼女はブタオを映し出した。

 

 

 しかし、映しだしたその先には――

 

 

 親友である幽々子と口づけしてるのではないかと思わせるほど、顔を近づけていた二人の姿があった。

 

 

「――ッ!」

 

 

 火照った顔に冷や水をかけられた様な衝撃だった。急に温かな感情が冷め始める。ドキドキとしてた心音は変わらないが、嫌な痛みを伴うものへと変わり――重ッ苦しい負の感情が背中を押しつぶそうとしているようだ。

 

(幽々子……? な、なんで? ブタオさん?)

 

 幽々子とブタオが顔を近づけたのは、ほんの数秒足らずだった。

 彼らは、すぐに離れたものの、紫はすぐさまスキマを展開し、白玉楼へ転移した。

 

 スキマが、ブタオ達の前に展開し、中から紫が姿を現した

 

「あら? 紫、早かったわね」

 

 とぼけた風に言う幽々子をそっちのけ、紫はブタオを見る。そこには顔を真っ赤に染めながら名残惜しそうに自分の唇に触れるブタオの姿があった。

 

「ねぇ紫。どうだった? レミリアは許可してくれたの?」

 

 呆けていたブタオも紫の姿に気付き、ブタオと顔が合う。

 その表情は、気恥ずかしさの中に確かな情愛のある表情だった。

 ブタオのそんな表情を見て、紫は歯ぎしりした。

 

「――紫? どうしたの? 駄目だった?」

 

 目の前の親友に対し、何か黒い感情が芽生えてしまう。

 『美しい』と言う概念をそのまま姿にしたような親友の幽々子。その美しい体をこの場で引き裂いてや――――

 

(――ッ! な、なに? 今、私は何を思った!?)

 

 はっと我に返った紫は、目の前でねえねえとせがむ幽々子を見る。

 自分は何を思っていたのか――。何か恐ろしい事を思っていた様な気がする。

 

「紫ってばッ。どうだったのッ?」

「あ、えと……」

 

 自分の気持ちも整理しきれてない紫は、混乱気味に答えた。

 

「だ、大丈夫だったわよッ。うん、おっけーだってッ」

 

 その言葉に幽々子は大層喜んだが、ブタオはどこか複雑な表情だった。

 

「は、ほんとでござるか紫殿。レミリア殿は本当に……」

「え、ええ。その……楽しんで来いって」

 

 明日は、自分が当番だったはずなのに……。でも紫が言うのだからきっと本当なのだろう。

 幽々子の言うとおり、交友を深める事で紅魔館の利益になると考えての事かもしれない。

 

(それなら、今日は楽しむ事にするでござる。――こんな美女たちとお泊まり会……ぶひひ。最高の一夜になりそうでござる)

 

 そう思ったブタオであった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 ブタオのお泊まりが決定したと言う事で、調子に乗った幽々子は急きょ宴会を計画した。

 しかし、何の準備もなく始まった宴会である。いきなり大量の料理が並べられる訳もなく、酒をメインにしながら一品ずつ料理が運び込まれてくる形式となっていた。

 

「ささ、ブタオさん。もう一献」

「おっとと。かたじけないでござる」

 

 幽々子は、御大臣様に酌をするかのような振る舞いでブタオを持て成していた。

 幽々子は思いのほか聞き上手であり、酒の力もあってブタオはかなり調子に乗っていたようだった。饒舌になり、幽々子を楽しませた。

 

 何とも楽しそうな雰囲気ではあるが、そんな二人を不愉快そうな目で見ている二人がいる。

 

 紫と妖夢の二人である。

 

 紫は、チビチビとコップ酒を舐め、ブタオと幽々子の話を尻目に聞いている。

 妖夢は、持ってきた料理をわざとらしく音を立てて乱暴に二人の前に置き、少し飲み過ぎだと幽々子に注意していた。

 幽々子は、聞いてるのか聞いていないのか――。のほほんとした返事しかせず、妖夢はズカズカと台所に戻っていくのであった。

 

「ねぇブタオさん。ブタオさんって紅魔館の使用人で、あの銀髪メイドのお弟子さんなのよね?」

「咲夜殿の事でござるか? 弟子だなんてそんな……。でも、咲夜殿には掃除から炊事まで、使用人として様々な技術を教わったでござるよ」

「あのメイドの作る料理は絶品だと評判で、一度食べてみたいと思っていたの。ブタオさんなら彼女の料理を作れるんじゃないかと思って。何か作ってくださらない?」

「ぶひッ!? わ、吾輩の料理を……でござるか! そんなッ咲夜殿の技巧を真似できるほど、吾輩は――」

「いいじゃない。私もたまには妖夢以外の人の手料理を食べてみたいなぁ――なんて」

 

 いきなり過ぎるオーダーではあるが、自分だけ楽しんで妖夢達だけを働かせる事に忌避感を感じていたブタオは、自分が何か作っている間は、彼女達に休憩をして貰おうかと思い、幽々子の期待に応えた。

 

「分かったでござる。咲夜殿には追い付かないでござるが――。学んだ技術の粋を集め、紅魔の味を堪能していただくでござる!」

「わーッ楽しみッ」

 

 酒の力も入ってか、調子に乗っているブタオであった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 台所では、妖夢と藍が協力し合いながら、料理を作り続けていた。

 手慣れた手つきにリズミカルなまな板を叩く音が響き渡る。何とも楽しそうな音だ。

 しかし、二人の表情はあまり楽しそうなものではない。

 藍はどこか事務的な感情の無い顔で調理を続けていたが、妖夢に至っては明らかに不愉快そうなオーラが体からにじみ出ている。

 

 時折、藍は心配そうに横目に妖夢を見ていた。

 

 原因は分かっている。

 

 あのブタオと言う男だ。

 自分の主が、水商売の女の様に接待する姿は、見ていて気持ちの良いものではないだろう。

 時折、乱暴に包丁をまな板に叩きつける様子を見ては、藍も妖夢が怪我しないかと内心ハラハラとしていた。

 そんな不愉快な気分の中――。

 台所の暖簾から、件の男がやってきた。

 

「藍殿。妖夢殿――」

「ブタオ殿。どうされましたか?」

 

 妖夢は一瞥もせずに、調理を続け、藍がブタオの対応に回った。

 ブタオは、幽々子がブタオの手料理を食べたいと言い出した旨を説明し、その間に二人は休憩に入って欲しいと言った。

 藍は少し申し訳なさそうに

 

「そんな……。御客人であるブタオ殿にそのような事を……」

「良いのでござる。吾輩も、自分だけ楽しんで藍殿や妖夢殿だけに働かせる事に、少し罪悪感を覚えてしまって――。幽々子殿たってのお願いでござる。ここは吾輩の顔を立ててくださらぬか?」

 

 幽々子がやって欲しいと言ったのなら、ブタオに遠慮願う事は返って失礼になると思い、藍は素直にブタオにこの場を任せようとした。

 

「そう言う事でしたら遠慮なく我々は休憩に入らせていただきます。ここにある食材と調味料は好きに使ってくださって構いませんから」

「感謝するでござる」

「いいえ、こちらこそ。――妖夢、聞いての通りだ。ここはブタオ殿に任せて我々は休憩を……。妖夢?」

 

 妖夢は変わらず、こちらを見ない。

 しかしその背中は小刻みに震えており――。

 妖夢は、俯いたままブタオの前へとやってきた。

 一体、何事かとブタオも思った時、妖夢はその表情をブタオに見せた。

 

「よ、妖夢殿……?」

 

 妖夢の表情は、怒りも悲しみも混じってる様な――。今にも泣きそうな切ない表情をしていた。

 妖夢の気迫に当てられ、ブタオは少し気押された。

 

「……ブタオさん」

 

 妖夢の声は震えていた。

 

「わ、私……。貴方のその態度は、どうかと思います――ッ」

「――え?」

 

 ブタオにとっては、心当たりのない叱責である。

 一体、何事かと藍も妖夢を諌めた。

 

「妖夢ッ、いきなりどうした。ブタオ殿に失礼では――」

「藍さんは黙っててくださいッ!」

「――ッ!」

 

 それはヒステリックな声ではなかった。しかし体に響く様な凄身のある声であった。

 不覚にも藍も妖夢の凄身に気押され、言葉を詰まらせてしまった。

 

「妖夢……殿?」

「紫さまだけでは飽き足らず、幽々子さまにまでデレデレと……」

 

 彼女は、溜めこんだ鬱憤を晴らすかのようにブタオに負の言葉を吐き出す。

 

「あのお二方はですね……幻想郷でとても偉い方々なんですッ。や、やんごとない身分の方で――気高くて、綺麗で……とても立派な……」

 

 彼女は、喉の奥に詰まらせていた嗚咽をぶちまけた。

 

「あ、貴方の様な……貴方の様な醜い人が、そんな方々と釣り合うわけないんですッ! あまり調子に乗らないでッ!」

 

「――ッ!」

 

 妖夢の負の感情を乗せた悪態は、その場を凍りつかせた。

 妖夢の見せた事のない憤りの表情に、普段冷静な藍も何が起きたのか理解できずにいた。

 ブタオも、大人しそうな雰囲気を持った少女に、言われもない叱責を受けて体が動かなかった。

 

「妖夢ッ! お、お前……ッ なんて事を――」

 

 我に返った藍は、叱りつけるように妖夢に強く当たる。

しかし妖夢は、まだ言い足りないらしく、負の言葉を吐き出し続ける。

 

「幽々子様達のあの接待は、ただの戯れで……貴方は、ただ遊ばれてるだけなんです! そんな事にも気付けないのですかッ!」

「妖夢ッ!」

 

 今度は藍が、怒気を込めて声を荒げる。

藍の声に、妖夢はビクリと体を強張らせ、目に涙を浮かべながら顔をそむけて俯いた。

 

「ぅ……グス……」

「…………」

「…………」

 

 ぐつぐつと煮物の煮える音だけが、台所に響き渡っている。

 誰もかれもしゃべらない。今、台所の時間は凍りついているようだった。

 小さな嗚咽を出してすすり泣く妖夢。

 妖夢とブタオのそれぞれに何と声をかけていいのか分からず、かといってオロオロと取り乱す事も出来ず、藍はブタオの方を見る。さすがに人の良いブタオも憤りを感じているだろう。そんな事を思いながら――

 

 しかし、どうした事か……。

 

 藍は、ブタオの顔に魅入ってしまっていた。

 

「――妖夢殿」

 

 ブタオの声は、平静で静かなものだった。

 妖夢は、俯いたままブタオの言葉に返事を返す。

 

「何ですか……。自分が遊ばれてるだけだって……幽々子様たちとは釣り合わないって自覚したんですか?」

 

 ここまで来て、まだ憎まれ口を叩く妖夢に、ブタオは変わらず声をかける。

 その声は、変わらず静かで――。優しさを含んでいるものだった。

 妖夢は、顔を上げてブタオと対面する。様々な感情が入り乱れて、涙に濡れた視線をブタオにぶつける。

 

 そして、妖夢も――。

 ブタオの顔を見て、積もり積もった負の感情が――

 

 一気に消えた。

 

 

「――妖夢殿。そんな事は……誰よりも吾輩が一番よく理解しているでござるよ」

 

 

 ブタオの顔は憤りも悲観もなかった。

 酷い侮辱を受けたにも関わらず、ブタオの表情はとても穏やかなものだった。

 そのあまりの穏やかな表情は、この場に似つかわしくなく、藍も妖夢もその表情に魅入ってしまっていた。

 

「妖夢殿、すまなかったでござる……」

「――えッ?」

「吾輩は……妖夢殿の気持ちを慮っていなかったでござる。確かに、あの様な美しい御仁が、吾輩の様な醜男に水商売の女中のように接待する姿は、見ていて気分の良いものではなかったでござろう。妖夢殿のその憤りは……至極まっとうなものでござる」

 

 深々と頭を下げるブタオに、妖夢の憤りで凝り固まった感情は一気に冷め、完全に怒りをぶつける術を失った。

 憤りで埋め尽くされていた感情。その感情が抜けると、その隙間には“後悔”という感情が膿のように溢れだし――。

 

「あ……あ……」

 

 我に返った妖夢は、自分の行いを自覚してしまった。

 自分の主である幽々子が、正式に招待した客人に対しての無礼の数々。

 上りきっていた血の気は一気に下がり、顔が冷たくなっていくのが分かる。でも額からは嫌な汗があふれ出てくる。

 

「あ、わたし……私は……ッ!」

「妖夢ッ!?」

 

 妖夢は藍の停止の声を振り切り、脱兎のごとくその場から走り去った。

 その表情は、恐怖と後悔の念に捕らわれてる事が素人目にも分かるほど青ざめていた。

 

 ブタオは、顔を上げて藍と対峙する。そして少し羨ましそうにブタオは呟いた。

 

「妖夢殿は――。尊敬しているのでござるな、幽々子殿の事を」

「え、ええ。恐らく……幻想郷で一番……」

「そうでござるか……。やはり、吾輩の思慮が足りなかったでござるな。吾輩も、敬愛するレミリア殿が、吾輩の様な醜い者を甲斐甲斐しく接待している姿を想像すると……我慢ならないものがあるでござる」

 

 軽くため息をついて、ブタオは藍に言った。

 

「藍殿……。妖夢殿が気がかりでござる。藍殿は、彼女を追いかけてくだされ。そして少しでも気に病んでいるのなら、気に病む必要は何もないと彼女に伝えて欲しいでござる」

「ブタオ殿。彼女は、貴方に多大な非礼を……」

「非礼ではないでござる。妖夢殿の言っている事は何一つ間違っていない。全てが正論で……。――藍殿、吾輩の顔を見てくだされ」

「――ッ?」

 

 ブタオは、ズイっと藍に顔を近付ける。

 女慣れしておらず、自分の容姿にコンプレックスを抱いているブタオとは考えられない行動である。

 藍はブタオの視線から目が離せなかった。

 ブタオの目は、日本人らしく黒色の瞳をしている。黒く黒く……、とても深い黒色の――。

 

「醜い顔でござろう? まるでブタの様でござろう? 一体誰が……こんな醜い男を好いてくれると言うのでござるか!?」

 

 深淵を連想させるブタオの瞳。

 やけになっているのか、強気のブタオに気押され、藍はいつの間にか壁に追い詰められていた。

 逃げられない。目の前のブタオから――。あの目から――。

 ブタオの顔が近付いてくる。お互いの呼吸を感じられる距離まで。少しお酒臭い。藍はゴクリと生唾を飲み込む。頬に冷たい汗が流れ出る。

 

「――すまなかったでござるな、藍殿」

「あ……」

 

 ブタオは、藍から顔を離し、容姿を隠す様に俯きだす。

 

「吾輩の顔を間近で見て……。藍殿もさぞかし不快でござったろう」

「そ、そんな事は――ッ」

 

 不快――なのだろうか?

 藍は、自分の感情に戸惑っていた。

 心臓がバクバクと大きく脈打っている。ブタオと顔が接近した時の事を思い出すと顔が沸騰したのではないかと思うほど熱くなる。

 不快……ではない。

 少なくとも、今感じているこの感情は、決して悪いものじゃない。

 こそばゆく、言葉に出来ない何かが全身を駆け巡る。

 

「――藍殿。もう行ってくだされ。ここは、吾輩だけで十分でござるから……」

「しかしブタオ殿……」

「少し……一人にさせて欲しいでござる」

 

 それは強い拒絶の言葉だった。

 藍は、それ以上は何も言わなかった。

 しかし、言いたい事はまだ沢山あるのだ。

 藍は、伝えたい事を……。嘘偽りない自分の心をブタオに打ち明けた。

 

「分かりました。私は、妖夢を追いかけましょう。――しかしブタオ殿。これだけは言わせてください」

「……ぶひ?」

「私は……。貴方の事を見そこなっていた。初めて貴方に出会った時、現代での貴方のあり方は、ただの甘ったれで、自分の不幸を何でもかんでも人のせいにする様な、碌でもない人間だと思っていました」

「……慧眼でござるな」

「節穴もいいところでした。――確かに貴方の外見は醜い。それは否定しません。しかし貴方は、それを補って余りある美しい心を持っている。それは間違いなく貴方の美点だ。貴方のその誠実さを――私は尊敬します」

「……」

「言いたい事は言いました。――では、これにて」

 

 藍は、ブタオに背を向けて台所から出て行こうとする。

 暖簾をくぐった辺りで、ブタオは藍に声をかけた。

 

「――藍殿ッ」

「……」

 

 体は止まったが、返事はなく振り向きもしない。

 

 だけど、それで良い。たった一言、言いたいだけなのだから

 

「――ありがとう」

 

 それは小さな呟きだった。聞こえたのかどうか怪しいほどの。

 だけど、藍の耳にはしっかりと伝わったようだった。

 

「――どういたしまして」

 

 その台詞と同時に、藍はブタオの前から姿を消した。

 

 

 しばらく台所の静寂――

 ブタオは一人、佇んでいる。

 

「――さて、幽々子殿達をあんまり待たせるのは悪いでござる。早く作らなければ……」

 

 食材と包丁を手にした途端、ブタオの手に頬から伝わった何かが何かが落ちる。

 

「あ、あれ……? わ、吾輩、お、おかしいでござるな……。たいして動いていないのに、目から汗が、止まらんでござる……」

 

 妖夢に正論を諭されたためか。藍に慰めてもらえたためか。はたまた自分の状況を再確認してしまったためか。

 グチャグチャに入り乱れる感情。

 ブタオは、どうして涙があふれるのか、分からずにいた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 よもや台所で、ブタオ達の悶着があったとも知らず、幽々子と紫は酒を交わしていた。

 主に盛り上がっていたのは、幽々子だけだったが――。

 紫は、終始仏頂面で、コップ酒をあおっていた。かなりの量を飲んでいたらしく、左右に体が揺れるくらい平衡感覚が無くなっている。

 

 そんな仏頂面の紫をからかうように、幽々子は呟く。

 

「面白い方ねブタオさんって。私、気にいっちゃたわ」

 

 幽々子のその言葉に、紫はさらにコップ酒をあおる。そして深い息を吐きながら、幽々子に言った。

 

「ねぇ幽々子……。あなた、少しブタオさんにくっつき過ぎなんじゃない?」

「くっつき過ぎ?」

「そうよ。ブタオさんの腕に体を密着させて……はしたない。あれじゃブタオさんが迷惑に思うわよ……」

「そうかしら?」

「そうよ……きっと」

 

 紫の言葉に反省する様な幽々子ではない。

 

「ブタオさん……やはり殿方ね。彼の腕はとても逞しかったわ」

 

 彼女は盃をあおり、静かに息を吐く。その仕草は同じ女の紫ですら色を覚えるほどの優雅なものであった。

 酒が入っているためか、幽々子は顔を赤らめながら切なそうに言う。

 

「ここは、私と妖夢――女二人しかいないし。殿方の温もりに飢えているのかしら? もっと彼に触れたいわ。そして彼にも……私に触れて欲しい」

「――ッ!?」

 

 切なそうに、顔を赤らめてたそがれる幽々子に、紫の胸中にどす黒い何かが芽生えるのを感じた。

 とても嫌な感じの――。

 

(わ、悪酔いしたかしら……? 何だかとても気持ち悪い……)

 

 酷く落ち着かない。焦燥感にも似た言いようのない感情が、紫の体を支配する。

 紫は一息つけようかなと、席を立とうとしたが――

 

「あ、待って紫」

 

 幽々子が、それを遮る。

 

「ブタオさんの事で、あなたに聞きたい事があるのよ」

「聞きたい事?」

 

 何のことかと腰を戻す紫。また何かはしたない事でも言うのかと思ってはいたが、先ほどまでおちゃらけていた幽々子と打って変わって、彼女は真面目な表情になっていた。

 

「あなたがブタオさんに与えたっていう、【皆に愛される程度の能力】について」

 

 

 

 





今回、ずいぶんと筆が走ったなぁ(遠い目)

白玉楼に楔が撃ち込まれました(ピッコーン)

次回もよろしくです


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第二十八話 余興

 

「ブタオさんの能力?」

「そッ。みんなに愛されるって言うけど、具体的にどんな効果があるわけ?」

 

 一体、何を真面目な顔して言うのか。紫は面倒臭く説明する。

 

「“癒やし系”って呼ばれる人間いるわよね? 近くにいると不思議と落ち着く様な、そんな体質を持った人」

「まぁ、いるわね。そう言う人間」

「具体的にはそんな感じ。相手の緊張やストレスを和らげる“波”と言うか“波長”と言うか……。そういうのを体から発せられるよう彼の境界を弄ったのよ。――で、それがどうかした?」

「……」

 

 幽々子は、訝しく口元に手を添える

 

「……本当にそれだけ?」

「それだけって……それだけよ?」

「相手の感情を操作するほど強い効果があるとかは……」

「あるわけないじゃない。私の能力で創ったオマケの様な能力よ? 効果のほどは、アロマとどっこいどっこいじゃない? その程度の弱い力よ」

 

 首をかしげる紫に、幽々子はますます顔を難しい顔をする。

 

(本当にそれだけなのかしら……?)

 

 嘘や冗談を言っている風のない紫に、幽々子は自分の身に起きている“違和感”について訝しんでいた。

 

(何だろう、この甘酸っぱい気持ち……私は今、ブタオさんに恋をしている?)

 

 実に奇妙な事だ。出会ってまだ数時間。常識から考えて恋に落ちるなんてあり得るはずがない。

 だが、ブタオに対して強力なまでの好意を持ってしまっている。

 色気やフェロモンとか、そう言う生易しい要因ではない。もっと別の――

『私を愛せ』と魂に訴えかける様な、強力な命令が体を支配している様だ。

 

 実に奇妙な事だ。そして実に恐ろしい事だ。

 自らの異変に気付きながら、その事にまるで忌避感がない。恐怖も何もない。あるのは甘酸っぱくて、手放したくない言いようのない温かな気持ち――。

 

(一目ぼれ……あり得ないわよね?)

 

 幽々子は、ブタオに一目惚れでもしてしまったかと考えていた。

 紫に言った通り、自分が男の温もりに飢えているのは事実だし、少ししか話してないが、彼の人となりが良く分かった。

 ブタオは誠実な人間だ。少し自虐的な所はあるが、それは陰惨な過去が起因するもので、今の充実した日常を繰り返していればいずれは治るだろう。

 誠実で面白みのある人間。逢瀬を繰り返せば、あるいは恋に発展するかもしれない。そんな魅力が彼にはある。

 

 だが、一目惚れはない。

 

 いくら男に飢えているからと言って、一目で欲情を催すほど、自分は節操なしじゃない。

 しかし、事実――。自分は欲情している。

 ブタオに愛して欲しいと持っている。ブタオに抱いて欲しいと思っている。

 

(紫は、嘘をついた様子はないし……。いえ、そもそも紫は、自分の変化に気付いているのかしら?)

 

 ブタオへのアプローチに対する、紫の嫉妬の混じった強い視線。

 “アレ”で彼を何も思っていないなんていうのは、少し無理がある。

 もっとも、その事を指摘しようものなら、ムキになって否定するのが目に見えているわけだが……。

 

(これは……確かめる必要があるわね)

 

 自分の身に異変が起きていると自覚しつつ、幽々子は楽しげだった。

 そしてその表情は、何かイタズラを思いついた子供のように笑っていた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「――ひぐ、ぐす……」

 

 草葉の陰で、妖夢はすすり泣いていた。

 自分の勘違いからのブタオへの非礼の数々。

 容姿の醜さと過去の陰惨さから、ブタオは幽々子たちの好意に甘えた思い上がった男――そう思っていた。

 しかし、実際は違っていた。

 思い上がりなんてとんでもない。彼は誠実な人間だった。言われもない侮辱に対し、相手の真意を思い遣る心優しい御仁だった。

 思い上がっていたのは、自分だった。

 ブタオに対する後悔の念と自分の未熟さの嘆き。幽々子の従者としての誇りと節度を自分で穢してしまったことへの自責。

 いろんな感情が入り乱れて、妖夢はただただ涙を止める事が出来なかった。

 

(幽々子様……知ったら、絶対に怒るだろうな。そしてブタオさんに深々と謝罪するんだろうなぁ……。幽々子様にも恥をかかせてしまって……グス)

 

 自分のせいで主が頭を下げる。従者としてこれほど情けない事はない。

 いや、それ以前にブタオに謝罪してない。主の前に自分が謝らなければならないのに――。

 そう思っているのに、何もかもが怖い。ここから動きたくない。

 

 しばらく、ぐずっているとガサガサと誰かが近づいてくる。

 隠れるように妖夢は身を伏せるが、どうやら見つかったらしい。正確にこちらにやってくる。

 

「――ここにいたのか妖夢」

 

 相手方は藍だった。

見つかって、ほっとした様な顔をしながら、彼女は手を差し伸べて言う。

 

「さ、こんな所にいては風邪を引いてしまうぞ。屋敷に戻ろう」

 

 優しげに言う藍だったが、その優しさがかえって妖夢の心をえぐる。

 ブタオや幽々子だけじゃない。本来は客人であるはずの藍にまで迷惑をかけてしまっている。

 その事実を認識してしまい、妖夢はさらに泣きじゃくるのであった。

 

「ひぐぅ、ひっく……うぐ」

「……」

 

 泣きじゃくる妖夢に、藍は優しく笑いながら彼女の隣に座りこむ。

 

「妖夢。ブタオ殿は、お前の事を非礼ではないと言っていたぞ。全部正論だとさ」

「……そ、そんなわけ……ないじゃないですか。あんなに酷い事言って、絶対に……怒ってます……」

「彼は怒ってなどいない。むしろお前の事を心配してたんだぞ? 私に追ってくれと言うくらいに」

「それは……あの人が、お人好しだから……」

「はは。そうだな、ブタオ殿はお人好しだ」

 

 藍は、どこか懐かしそうな表情をしながら妖夢に笑いかける。

 

「妖夢。私はな、今のお前の気持ちが分かるよ」

「え?」

「ブタオ殿の外面だけを見て、その人柄を見抜けずに侮辱した事を後悔しているんだろう? 私も同じだ。私も、初めてブタオ殿に出会った時に彼を侮辱した」

「藍さんも?」

「ああ。本人に直接言ったわけじゃないが、お前よりも過激な事を言ったと思うぞ? それで紫様から御叱りを受けてしまった……。紫様の言うとおりだった。彼は誠実な人間だ。何も知らずに彼を侮辱した事を……私は後悔してる」

 

 藍は顔を俯かせながら告白した。

 その様子に妖夢は藍が心から悔いていると感じ取る。

 

「なぁ妖夢。月並みではあるが、やってしまった事は仕方がないんだ。――今、我々に出来る事は、素直に彼に謝罪し、そして改めて紫様達の御客人として最高のもてなしをする事だ」

 

 藍は再び立ち上がり、妖夢の前に手を差し伸べた。

 

「――妖夢。私も一緒に謝るさ。だから行こう」

「藍さん……」

 

 一人じゃない。

後悔の念を共に背負ってくれる存在に、妖夢は手を差し出し立ち上がった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「お待たせしたでござる! 紅魔流トマトリゾットの完成でござる! トマトの酸味とチーズのまろやかさが卑怯なほど食欲を湧かせるでござる!」

 

 紅魔のイメージカラーとして赤色の料理を出そうと作ってみた。肝心の幽々子と紫の反応ではあるが――

 

「あら美味しそう!」

「これは見事」

 

 中々の高評価。これはブタオも一生懸命作った甲斐があったと言うものである。

 少しはにかんでいるブタオではあったが、その目は少し赤くなっていて、さらには気落ちしている様な雰囲気を持っていた。

 一体どうしたのかと、紫は首をかしげながら尋ねる。

 

「あら……。ブタオさん如何されたの? 目も少し赤くなってて……」

「へ? あ、これはその……。玉ねぎが目にしみてしまっただけでござるよ。何でもないでござる」

「そう……?」

 

 袖で目を擦り、にこやかな笑顔で返すブタオではあったが、少し無理している様な気がする。

 不審に思い、紫はさらに尋ねてみようとしたが――

 

「紫っ! コレ、すっごいわよ! とても美味しい! あなたも食べてみなさいな!」

「え、ええ~?」

 

 幽々子の空気を読まない追い打ちに、タイミングを逃す紫であった。

 

「ここの台所は食材が豊富でござるな。――何かオーダーがあれば、他にも何品か作ってくるでござるよ?」

「え!? 本当!?」

 

 キラキラと目を輝かせる幽々子に対し、ブタオは少し和やかになっていた。

 あんなに嬉しそうに自分の手料理を食べてくれるのだ。ブタオもまんざらではなかっただろう。

 

 ブタオの好意に、幽々子は遠慮なくアレ食べたいコレ食べたいとオーダーを繰り返す。

 あの細い体のどこに収納できるのか分からないが、幽々子の我儘はブタオの心を落ち着かせるよう作用していた。

 

(鬱な気分は、体を動かして忘れるに限るでござる。しかし幽々子殿……少し食べ過ぎでは?)

 

 いかんせん、量が多すぎる。

 一人では手が足りないかもしれないと思った矢先――

 

「――ブタオ殿。我々もお手伝いしますよ」

 

 後ろから藍とその影に隠れている妖夢の二人がやってきた。

 

「藍殿。それに妖夢殿も……」

「……」

 

 まだブタオを直視出来ず、藍の尻尾に隠れて目を背ける妖夢ではあったが、先ほどの青ざめた表情はもうどこにもない。

 ブタオも彼女の表情を見て、ほっと安心した。

 

「よろしいのでござるか?」

「一人では手に余るでしょう。どうか我々をお使いください」

「では……お願いするでござる」

 

 少しはにかんだ様子で、ブタオは二人にお願いした。

 先ほどの悶着から、そんな時間が経過したわけではないが、少なくとも三人の間には嫌な空気は漂っていない。

 三人は、台所へ向かおうと幽々子たちに背を向けるが――

 

「あ、待ってちょうだい」

 

 幽々子から制止の声が発せられる。一体、何かと三人とも振り返る。

 

「妖夢は残ってちょうだい。私と紫の酌をして欲しいの」

 

 徳利を回しながら、妖夢を指名した。

 ブタオ達三人はそれぞれ目を合わせる。

 確かに屋敷の主人と主賓である紫を二人っきりにして、誰も相手をしないと言うのはマズいかもしれない。

 

「妖夢。紫様達の相手を頼む」

「え。でも……」

 

 ちらりとブタオを見るが、ブタオも笑顔で――

 

「ここは吾輩と藍殿だけで大丈夫でござるよ。紫殿達を退屈させてはいかんでござる」

 

 ほっこりとしたブタオの笑顔に、妖夢の先ほどまで持っていた不安は消え、

 

「は、はい! 任せてください」

 

 声に元気が戻った。年相応の若々しい声に。彼女はもう大丈夫。そう思わせるほど頼りがいのあるいい表情だった。

 そう思いながら、ブタオと藍の二人は台所へ戻っていった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 台所で再び、二人っきりとなる。

 何から手をつけようかと、相談し合っている最中、ブタオは藍との先ほどの悶着が脳裏をかすめた。

 

 途端、赤面する。

 

(ぶひぃ……。やけになっていたとはいえ、あの時吾輩……藍殿に壁ドンしたのでござるよな……)

 

 壁ドンなんて、イケメンだけが許された行為だ。

 ふと、藍の顔を覗きこむ。

 紫にも勝るとも劣らない美貌。キツネを彷彿させる耳と尻尾。そして妖しい色気。

 妖怪は、人間を惑わすために美しい容姿をしていると言うのが鉄板の設定ではあるが、その設定は真実なのだと、今ほど思い知らされることはない。

 

「では、私は大根をかつら剥きに……。ブタオ殿? どうかされましたか?」

「ぶひッ!? あ、いや、その……」

 

 すぐさま、藍から目を背けるブタオ。

 一体どうしたのかと思う藍であったが、ブタオの赤面した顔を見て、彼女もブタオに壁ドンされた事を思い出し、ボンと顔が沸騰した。

 そしてすぐさま、藍もブタオから目を背けた。

 

「あう……」

「ぶひぃ……」

 

 何とも甘酸っぱい空間ではあるが、先に拮抗を破ったのはブタオだった。

 

「ら、藍殿……。その、さ、先ほどはその……すまなかったでござる。あの時の吾輩は、どうかしてたでござる。あ、あははは」

「い、いいえ……その……。わ、私は気にしてません。ブタオ殿こそ、お気になさらずに……」

「す、すまぬでござる。藍殿の様な麗しい婦女子に対し……。不快でござったろう」

「い、いいえッ。そんな事は――ッ。ただ、驚いただけで……。あんなふうに殿方に迫られたのは初めてでしたから……」

 

 またも沈黙。

 お互いに、これは埒が明かないと思ったのだろう。

 自然とどちらかともなく同じことを考えた様で――

 

「と、とにかく今は手を動かしましょう」

「そそそそうでござるなッ。紫殿達を待たせては申し訳ないでござる」

 

 と今は目の前の仕事をこなそうと結論を出して、この事は心の片隅に置いておいた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 一人外れて妖夢は幽々子たちの酌をしていた。

 これと言って、何か大変だったわけでもなく、幽々子たちの酒盛りは静かに続いた。

 これなら自分も台所にいって二人の手伝いをした方が良いのではないかと思った。

 

 ブタオの件もある。

 

 まだ、彼にきちんと謝っていないのだから。

 

 そんな心ここにあらずの妖夢をよそに、幽々子が酒のかわりを持てと言わんばかりに、空になった盃を妖夢の前に差し出す。

 

(やっぱ手伝いにいけないよね。幽々子様達の相手をほっぽって……)

 

 ブタオに謝るのは後にしよう。 

 あの時のほっこりとした笑顔を返してくれたブタオだ。きっと恨んでいないのだろうが、ケジメだけはつけなくては。

 

 そう思った矢先、幽々子は話題を妖夢に振り、突然変な事を言い出した。

 

「ねぇ妖夢」

「はい。何でしょうか幽々子様」

「あなた……。“ナデポ”もしくは“ニコポ”って単語を知ってる?」

「な、ナデポ……ですか? 聞いた事ありません」

 

 首をかしげる妖夢に、幽々子は説明を続ける。

 

「外の世界の言葉らしいんだけどね。男性が笑いかけたり頭を撫でたりするだけで、女性が『ポッ』と惚れる現象を指すらしいの。外の世界の創作物ではけっこう使われる趣向らしいわ」

「な、何ですか。そのたちの悪い洗脳能力は……」

 

 素直にそう思った。

 そんな趣向を好むなんて、現代人の闇は深いと、この時妖夢は思った。

 

「それで、その“ナデポ”がどうかしたのですか?」

「いやね、そんな現象が現実に起きるのかなぁって、ちょっと思っただけ♪」

「そんなの起きるわけないじゃないですか。人には“理性”ってものがあるんですよ? その程度で恋に落ちるなんて、そんなこと――」

 

 鼻で笑う妖夢に、幽々子は、そうよねぇと笑って返した。

 

 

 

 

 しばらくして、ブタオと藍が出来上がった料理を運んでやってきた。

 それもこれも見事なもので、幽々子らは勿論のこと、妖夢も感嘆の声を上げる。

 

「す、凄い……。これ、ブタオさん達が?」

「そうでござるよ」

 

 舌鼓を打つ幽々子たちに、ブタオと藍は互いに目を合わせ、それぞれ健闘をたたえ合う。

 妖夢も気にいってくれたのか、ブタオ達の料理を頬張ってくれている。

 

 料理も結構な量が出そろい、これ以上は作る必要が無くなった。

 ブタオも藍も席にお呼ばれして、互いに酒を酌み交わす。

 この場は、皆が笑顔になれる良い宴会場に変わったのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 宴もたけなわ。料理も酒も随分減った。

 ブタオ達は、空になった皿を台所に片付けに行こうと席を立つが――。

 

「あ。ブタオさん、ちょっと――」

「ぶひ?」

 

 幽々子に呼びとめられた。

 藍は、先に行きますと台所へと行く。

 

「なんでござるか幽々子殿」

「いい感じにお酒が回ってきたみたいなの。ここいらでちょっとブタオさんに余興をして貰おうかなって思って」

「よ、余興でござるか?」

 

 これは現代社会で社会人の新人が暑気払いや忘年会等で、酔っ払いの上司や先輩方に一発芸を披露しろと無茶ぶりをされる“アレ”では、とブタオは戦慄した。

 しかし、そう言ったものではないらしい。

 幽々子は、ブタオに一切れの布を手渡した。

 

「これは……布?」

「そ♪ これをこうやって――。はい、目隠し」

 

 ブタオは布で目隠しされた。

 

(一体、なんでござろう……?)

 

 そう思うと幽々子が説明をする。

 

「ブタオさんには、これからあるものに触って貰います。目隠しした状態で、“ソレ”が何なのかを当てて見せてね」

「は、はぁ……分かったでござる」

 

 芸人とかが箱の中に入ってるモノに触れて、それが何のかを当てるゲームと同じかとブタオは思った。

 こう言うゲームでは、カエルとかナメクジだとか、気色悪いモノが多い。芸人は本当に体を張ってるんだなぁと、この時ブタオは思った。

 

 しかし、同時に楽しみではある。一体、何を触らせられるのか。

 

「さ、ブタオさん。手を出して」

「ぶひ。分かったでござる」

 

 幽々子の誘導で、ブタオは“ソレ”に触れる。

 ワシャワシャと。温かくて柔らかな毛並み。何かの動物か。

 

(何かの動物でござるか? しかしとても柔らかな感触でござる。ずっと撫でてたいでござるな)

 

 それに何やら良い匂いがする。何かこう……甘い匂いが。

 ブタオはそれを撫でまわしている内に、何か小さな突起物が手に触れた。

 プ二プ二と不思議な弾力。

 しかし、ブタオはそれに覚えがある。

 と言うか、“自分も持っている”。

 

(ぶひ? こ、これは……まさか……)

 

 その突起物に指をかけた時――

 

『――んッ』

 

 すぐ目の前で、女の子の小さな喘ぎが鳴った。

 

(まままま、まさか――これ……ッ!?)

 

 ブタオが、戦慄した瞬間、彼の目隠しが外された。

 その目の前には――

 

 

 

 同じく目隠しされた妖夢がいた。

 

 

 

 一瞬、時が止まった。

 その手は、彼女の耳元に添えられていた。

 柔らかな弾力のある突起物は、彼女の耳だった。

 目隠しされていた妖夢の顔は、少し赤かった。

 

 ブタオが、茫然とした刹那――

 

 幽々子は、今度は妖夢の目隠しを外した。

 

「――ん」

 

 部屋の光に一瞬だけ目がくらむが、それもすぐに収まり――。

 彼女は、目の前にいる者を見る。

 自分の頭や耳を撫でていた者。ブタオの姿を――。

 

「――え?」

 

 彼女も、一瞬だけ思考が停止し。

 

 二人は目があった。

 

 そして、思考が再稼働した時。

 

 二人は、悲鳴を上げた。

 

「ぶひいいいいぃぃぃッッ!!!」

「あばあああああああああッ!!」

 

 

 

 





妖夢は耳が弱い(確信)


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第二十九話 夜這い

 

 妖夢は、一体なんだろうと首をかしげていた。

 幽々子から渡された目隠しの布切れ。ちょっとしたゲームだと言って、手渡したものだ。

 何の前触れもない提案ではあるが、もう随分と酔っ払っている幽々子だ。支離滅裂な事を言い出しても何の不思議もない。

 少しため息をつきながら、妖夢は幽々子に言われたとおりに目隠しをした。

 

 目が見えないと、他の感覚が敏感になる。

 突然、誰かが自分の頭を撫でてきた。びくりと体を強張らせて驚いた。

 

(え? な、なに? 撫でられてる?)                     

 

 目が見えない故に、妖夢は自分の身に何が起きているのか把握できずにいた。

 誰かに頭を撫でられている。

 

(うわッうわぁッ! な、撫でられてる……ッ! だ、誰……? 見えないから不安だよぉ……)

 

 誰とも知らないものに体を触れられている。本来ならば、それはとても不安で気持ちの悪いものだ。

 しかし、どういうわけか。

 何か、不思議な感覚だ。恐怖を感じない。むしろ安心する様な……。

 

(誰だろう……。紫様? でも大きい手……紫様じゃない。お爺ちゃんみたい)

 

 かつての祖父の温もりを思い出す。

 いつの間にか妖夢は、その頭を撫でる手に身をゆだねていた。もう少し撫でて欲しい。もう少し触れて欲しい。そう思いながら。

 そして、その手は妖夢の耳に触れる。

 

「――んッ」

 

 ビクリと体に電流が走る様な感覚。今の嬌声は、自分が出してしまったのか? 思わず妖夢は赤面する。

 

(うわッみ、耳ッ!? 耳に触れてるッ! や、やだッ声が……出ちゃうッ)

 

 必死に声を堪える。恥ずかしさから顔が熱い。そんな妖夢の気も知らず、その手は妖夢の耳をプ二プ二と弄ぶ。

 

「――んんッ」

 

 敏感な所が弄ばれている。恥ずかしい。太くて固い指が自分の耳に――

 

(――え? 太くて固い指? この指って……)

 

 そう思った途端――。

 妖夢の目隠しが外された。

 部屋の明るさに視界がハッキリしないが、それもすぐに収まり……。

 

 彼女は、目の前の自分の頭や耳を弄っていた者と相対する。

 

 ブタオだった。

 

 妖夢は、固まった。そしてブタオも、目を見開いたまま止まった。

 

 若干の間。情報が波のように脳に行き渡り、二人は悲鳴を上げる。

 

「ぶひいいいいぃぃッ!!」

「あばああああぁぁッ!!」

 

 今まで出した事もないへんてこな悲鳴を妖夢はあげ、思わずブタオを両手でドンと小突いた。

 

「ぶぎッ!」

 

 尻もちをついて、ひっくり返るブタオ。

 妖夢はそのまま、脱兎のごとく部屋から出て行ってしまった。

 

 

「あらあら」

 

 

 幽々子は尻もちをついたブタオに駆けより、体を支えて介抱する。

 

「ブタオさん、大丈夫?」

「ぶ、ぶぅ。何とか……」

「妖夢ったら謝りもせずに……。ごめんなさいね。後できちんと言い聞かせるから」

「妖夢殿は何も悪くないでござるよ。そんな事より――」

 

 妖夢に突き飛ばされた事よりも、どうしてこんな“おふざけ”を言い出したのか。

 ブタオは尻目に幽々子に問い詰める。

 

「幽々子殿。余興とはいえ、これはどういうつもりなのでござる? 年頃の少女に対しあの様な……。アレではただのセクハラではござらんか」

 

 不快さを露わにするブタオに、幽々子は変わらずに飄々とした態度で言う。

 

「ただの実験ですわ」

 

 先ほどのセクハラが何かの実験と幽々子は言う。

 ますます首をかしげるブタオ。

 

「実験? 何の……?」

「ごめんなさい。それはまだ言えないの。本当にそうなのか、私自身確証が持てなくて……。ただの勘違いかもしれないから。でも結果が出たらきちんと説明しますから」

「ぶぅ?」

 

 何か、上手く誤魔化されたような気がするが、さすがに立場の違いからブタオはそれ以上の追及をしなかった。

 

(後で、妖夢殿に謝らなければならぬでござるな……)

 

 なんだか妖夢には謝ってばかりだな、とブタオは逃げ出した妖夢の心配をしながら思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、ブタオは食器の片付けのために台所へ向かい、居間には幽々子と紫の二人が残された。

 紫は、ブタオが居なくなった事もあり、不快感を隠さずに幽々子に問い詰めた。

 

「幽々子。あの余興は何のつもり?」

 

 あらかじめ黙って見てて欲しいと言われ、その通りにはした。しかしあんなセクハラまがいなモノだとは知らなかった。

 当の妖夢は逃げてしまったわけだし、自分がセクハラしたから逃げたのだと思ってるに違いない。ブタオからすれば不愉快な事この上ない話だろう。

 

「さっき、ブタオさんにも同じ事言ったけど、ただの実験よ実験」

「だから、一体何を実験するっていうのよ」

「ブタオさんの能力について」

「は? ブタオさんの能力? ソレ、さっき話したじゃない。ただの癒やし系になる能力だって」

「私はその言葉を信じていない」

 

 普段の幽々子の飄々とした態度とは打って変わって、彼女は真面目だった。

 

「ねぇ紫。お互いに素面じゃないわけだし。腹を割って話をしない?」

「話って……何の話よ」

「ブタオさんについて。――私ね、ブタオさんの事が好きになっちゃった。もちろん恋愛的な意味でね」

「……え?」

 

 突然の幽々子の告白に紫は目が点になる。

 

「え、えええッ!? ちょ、ちょっとっ何言ってんのよ幽々子! 好きって……ええッ!」

「信じられない?」

「え、えと……。信じる信じないと言うかその……。幽々子あんた、かなり酔ってる?」

「酔ってはいるけど、頭は正常よ。自分が何を言ってるのか分かってて言ってる」

「だ、だって……。あんたとブタオさんは今日初めて会ったわけで、そんな好きになるとか……」

「自分でも信じられないと思ってるわ。私は身持ちが固い方だって思ってたし……。でもね、私は気付いてしまったの。彼といると心が温かくなって、それでいて体は切なくなって……。亡霊となった今でも、女としての欲情が残ってるなんて思ってもみなかった。私は、ブタオさんの事を愛してしまってるんだって」

「ななな……」

 

 紅潮した幽々子の告白は、妖怪の賢者とまで呼ばれた紫の脳漿に大きな衝撃を与えた。酔って正常な判断の出来ない頭ではあるが、素面でもきっと正常ではいられないだろう。それほどの衝撃だった。

 目をグルグルと回しながら言葉を失っている紫とは対照的に幽々子は真面目に思案する様な表情をしながら言葉を続ける。

 

「でもね紫。私はこの感情を心地よいものと感じていながら、それに違和感を感じてるの」

「違和感?」

「そうよ。あなたの言うとおり、私とブタオさんは今日初めて出会っただけの間柄よ。恋愛感情が芽生えるなんて普通あり得るかしら?」

「……ブタオさんは素敵な殿方よ?」

「そうね。少ししか話してないけど、彼は誠実で優しい素敵な御仁だって私も思う。――でもそれでもあり得ない。いくらなんでも恋心を抱くには早すぎる」

 

 ここにきて、紫はブタオの能力について問うてきた幽々子の思惑に気付いた。

 【誰からも愛される程度の能力】

 その本質は、相手に自分を愛させる洗脳的な力ではないかと。幽々子が疑っている事に気付く。

 

「――あり得ないわ」

 

 紫は思案しながら呟いた。

 

「彼に異能の力を与えたのは私よ? 彼にそんな力は無い。何度も言うけど、せいぜい相手を穏やかにする程度の……本当にその程度の力なの」

 

 紫の言葉に幽々子は何も言わない。

 幽々子も紫の言葉を疑っているわけではない。しかし、それだけでは自分の身に起きている現象の説明にならない。

 

「ねぇ紫。あなた自身はどうなの?」

「……わたし?」

「ええ。だって、あなた……“ブタオさんの事が好き”よね?」

「え、ええええッ!?」

 

 幽々子の言葉に顔が赤くなる紫。たまらず反論する。

 

「な、なななに言ってんのよッ! そりゃ……人としてはまぁ認める所があるとか、誠実なところが良いとか、尊敬できる点も多々あるとか……」

「ブタオさんの良いところしか言えてないじゃない」

「わ、悪い所も言えるわよ! 彼は八方美人で、誰に構わず優しくて、美人を見たらすぐにデレて……」

「それって悪いって言えるのかしら。――ねえ紫。あなたのその嫉妬混じりの視線に私が気付かないとでも思ってたの?」

「わ、私はそんな目であなたの事――」

「そう言うのはもう良いから。――とにかく、あなたは自分の感情に違和感とかおかしなところとか何も感じてないの? ブタオさんの事、意識してるんでしょ?」

「むぅ……」

 

 幽々子の話は心当たりがある。

 ブタオの事となると平常心ではいられない。いつもブタオの事ばかりを考えている。 ブタオと一緒にいるととても安らぐ。一緒に笑いあっている時などは至福の一時に感じる。

 

 確かにおかしいと思う。違和感だって最初から気付いている。

 

 でもそれは――

 

「――ブタオさんは素敵な殿方よ。とても素敵な……」

「……そうね。あなたの言いたい事は分かるわ。私の今の話は全部推測ですもの。もしかしたら、私たちのこの感情は、本当に一目惚れの類なのかもしれない。――だからこそ、確かめなければならないの」

 

 紫は、先ほどの幽々子の“実験”と言う言葉を思い出す。

 

「……それで妖夢にあんな事を?」

「ええ。あの子は私と違って真面目さんだもの。それに身持ちも誰よりも固いから。あの子がもしもブタオさんに好意に近い感情が芽生えたなら、私の仮説は合ってる証明になるでしょ?」

「……あの子、ブタオさんの事を突き飛ばしたじゃない。それで恋に目覚めるって……」

 

 普通はあり得ない。

 セクハラした相手に恋心を抱くなんて、現代の同人誌でもない展開だ。

 

 

 しかし、もし――。

 

 

 もしも、幽々子の言うとおり妖夢がブタオに恋をしたのなら。

 

 彼の能力は人を穏やかにする様な優しい力ではなく、もっと禍々しい――

 

「明日になれば、何か変わってるかもしれないわね♪」

 

 結果が待ち遠しいのか、幽々子は実に楽しげだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「はぁッ、はぁッ……」

 

 妖夢は寝室に逃げ込み、障子を乱暴に閉じた。

 動悸が大きく脈打ち、呼吸が荒い。体も沸騰したかのように熱くて汗が止まらない。

 

 誰もいない明りもついてない真っ暗な部屋。妖夢の荒い息遣いしか聞こえない。

 

 次第に呼吸の方は落ち着いてきたが、体はまだ熱いままだ。

 いや、先ほどのブタオに触れられた時の事を思い出すと、ますます熱くなる様な気さえする。

 

(わ、私……触られた……触られた触られた触られた触られたッ。ブタオさんにッ。男の人に……ッ)

 

 冥界の管理者。白玉楼の主である幽々子に仕えてから、今までまともに異性と触れ合った事は無かった。まして頭を撫でられたことなど、祖父以外にはいない。

 そんな超が付くほどの箱入り娘である妖夢にとって、ブタオに頭を撫でられた事は、まさに驚天動地と言うほどの衝撃だった。

 

 祖父以外の初めての男――

 

 自分の体にそこまで思い入れがあるわけじゃない。そんな大層な体じゃない。主である幽々子のためならば、どんな辱めにあっても構わないとすら思っていた。

 

 そう思ってたのに……。

 いざ男の人に触れられただけで、こうも動揺するなんて。

 

 しかし――。

 

 決して嫌なものではなかった。

 むしろ心落ち着く様な……祖父の温もりに似た安心感があった。

 

(ブタオさんの手……大きかったなぁ。それに指も太くて逞しくて……)

 

 物思いにふけながら、妖夢はブタオの触れた耳に手を添える。

 頭を撫でられただけじゃない。敏感な所も触られた。そして嬌声も聞かれてしまった。

 

 思い出してまた顔を真っ赤に染める。

 

 胸が息苦しい。ドキドキする。嬉しいのか悔しいのか分からないグチャグチャとした感情。全身を刺激し、耳から首筋のあたりがかっかと火照ってきた。目の奥がおのずと熱くなり、その場に突っ伏したい気持ちになる。

 

 こんな気持ちは初めてだ。

 

 そして、自分をこんな気持ちにさせたのは、ブタオだ

 

「せ、責任……。そうだ、ここ、これはブタオさんのせいなんだから、責任を取って貰わなくちゃ……」

 

 妖夢は誰もいないところで一人呟いていた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 ブタオは客室の一間を借り、就寝に入ろうとしていた。

 この数カ月間の間、紅魔館ではずっとベッドだったから、和室で畳の上の布団と言うのに、ブタオは懐かしく思っていた。

 

「今日は色々あったけど、楽しい一日でござったなぁ。――しかし妖夢殿……」

 

 楽しい一日には違いなかった。会いたいと願った紫には出会ったし、白玉楼と言う見事なお屋敷にご招待され、接待もされたのだから。

 しかし気がかりなのは妖夢の事だ。

 酔った幽々子の余興で、とんだ不逞を行ってしまった。

 謝ろうにも彼女はどこにもいなかった。

 結局見つからず、明日紅魔館に帰る時にでも謝ろうとブタオは部屋の明かりを消して床に就いたのだった。

 

「ぶぅ……。明日には、紅魔館でござるか。なんか一人だけ仕事サボった様な気がしてみんなに悪い気がするでござるなぁ」

 

 紅魔館に行く前に、人里に寄ってもらってお土産でも買って帰ろうかなぁとブタオは思った。

 明日からは、いつも通りの日常が始まる。

 朝早く起きて、朝食の下ごしらえをして。

 昼になったら、シーツや衣服を日の光に当てて乾かして。

 夜になったら、一日の出来事を思い返しながら床につく。

 

 退屈ではあるが、確かな幸福。

 充実と言う言葉は、こう言った退屈な日常の事を指すのかもしれない。

 

 紅魔館に戻ったらまず何をしよう。

 そう思っている内に、ブタオの瞼は徐々に重くなり。彼の意識はまどろみの中、夢うつつになっていく……

 

 

 

 

………………………

 

 

 

………………

 

 

 

………

 

 

 

 

(なんでござろう……体が重いでござる……)

 

 夢うつつの中、ブタオは何やら体が重くなっていく様な気がした。

 元々、重い体ではあるが自重の重さではない。体の上に何か乗っかっている様だ。寝返りも打てない。

 ブタオは、ほっそりと目を開ける。

 当たり前だが暗い部屋だ。寝ぼけているせいか視界がぼやける。

 しかし、それもしばらくすると落ち着くわけで。

 ブタオの視界が暗闇に慣れ、意識もハッキリと戻った時――。

 

 

「あ、起きたのですか?」

 

 

 彼は言葉を失った。寝間着姿の妖夢が自分の腹部に跨っているのだから。

 

「は……へ?」

 

 理解が追い付かない。自分はまだ夢でも見ているのではなかろうか? 

 しかし、あまりにも現実的な感触があり重さがあり――

 

 そして、妖夢の体温と少し荒い吐息を感じる。

 

「妖夢……殿? これは一体――」

「よ、夜這いです……」

 

 ブタオの問いに妖夢は少し恥ずかしげを見せながら答えた。

 ますますブタオは理解が追い付かない。

 

「妖夢殿……。もしかして酔ってるのでござるか?」

「し、失礼なッ。私は正気です素面です」

「では、なぜこのようなハレンチな真似を……。年頃の娘のする行いではないでござるぞッ」

 

 ブタオの声は、騒ぎ立てる様な大きなものではなかったが、芯の通った強い声だった。

 ブタオは怒っていた。

 自分がバカにされているからと言う理由からではない。年頃の娘がやっていい様な悪ふざけではなかったからだ。

 そんなブタオの憤りに、妖夢は――

 

 

 逆切れした。

 

 

「あ、貴方のせいじゃないですかッ!」

「ぶ、ぶひ? わ、吾輩のせい?」

 

 思ってもみなかった反論にブタオは言葉を失う。

 

「わ、私はッ! 初めてだったんですよ、あんなッ――あんな風に頭を撫でられてッ 耳まで触られてッ! 恥ずかしいところだって貴方に見られたんですッ!」

「ぶ、ぶひぃ――お、落ち着くでござる妖夢殿、何をそんなに興奮して……。アレはすまなかったと思ってるでござるが、幽々子殿の悪ふざけで……」

「人のせいにしないでくださいッ! あ、貴方が私に辱めをしたのは事実で……。あ、赤ちゃんが出来たらどうするつもりなんですかぁッ!」

「ぶひッ!? あ、赤ちゃんッ!?」

「そうです! 責任とって下さいッ!」

「ななな何を言ってるんでござるか! 吾輩はまだ童貞で――」

「大体貴方は生意気なんですッ! やんごとない幽々子様達にデレデレと……ッ。そんなにオッパイが好きですかッ! 私みたいにちっちゃいのなんて眼中にないって言うんですかッ!」

 

 もはや支離滅裂である。

 妖夢は寝間着の帯をほどき、その幼いながらも健康的な体を露わにした。

 暗闇の中、小さな月明かりの下で妖夢の裸体はハッキリとブタオの目に映り――。場違いではある。しかしブタオは妖夢の体に目を奪われた。

 妖夢は、自分の半霊でブタオの両手を縛りあげ、お互いの吐息がかかるくらいに顔を近付ける。

 

 動けない。

 

 妖夢の半霊が腕を縛っているのもある。しかし、それ以上に妖夢の美しい裸体に視線が釘付けにされてしまっている。

 

「あ、貴方みたいなだらしのない人……半人前の私くらいで丁度いいんです。――私をこんな気持ちにさせた責任を……取ってください」

 

 妖夢は、顔を真っ赤に染め震えながらブタオの唇に、自身の唇を重ね合わせようと近づき――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そこまでよ」

 

 突然、ブタオの部屋の障子が勢いよく開いた。

 ブタオも妖夢も唖然として見る。そして、その廊下側には――。

 

「ふふ。凄いわぁ。まさかここまでなんて……くふふ」

「妖夢、お前――」

「チッ……」

 

 愉悦の表情を見せている幽々子と、驚きの表情を見せている藍。そして顔を赤く染めながら不愉快そうにしている紫の三人が佇んでいた。

 

「え、え……? 幽々子……さま?」

 

 親にオナニーしているところを見られた学生の様な絶望的な表情をして妖夢は青ざめる。

 

「まさかあんなに身持ちの固い妖夢がねぇ……。このおませさん♪」

 

 茶化す様な幽々子の言葉は、妖夢の耳に入ってない。

 妖夢は半ば涙目になって――

 

「ひ、ひいいいいぃぃッッ!」

 

 深夜の月夜の下。少女の悲鳴が木霊する。

 

 





R18展開になるはずがない(キリッ


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第三十話 僕

 

 

 一同は居間に集まり、妖夢はその真ん中で正座で座らされていた。もちろん服は着ている。

 その肝心の妖夢の様子だが、彼女はブルブルと震えており、顔は真っ赤で目に涙を浮かべている。

 “悲しい”と言う感情よりは、“恥ずかしい”と言う感情が彼女を支配しているようだ。

 そんな妖夢を見て、幽々子は大層ゴキゲンだった。普段の彼女からすれば考えられない様なハレンチな行為を行ったわけなのだから、からかわずにはいられない。

 

「妖夢ったら大胆ね~。まさか順序を飛ばしていきなり夜這いをかけるなんて♪」

「――ッ」

 

 幽々子のからかいにさらに妖夢は涙目になって顔を俯かせるのであった。

 

 そして、そんなゴキゲンな幽々子とは裏腹に、紫は不貞腐れていた。その横で藍は、そんな紫を心配そうに横目で見ている。

 

 そして肝心のブタオではあるが、ブタオは一体何が起きてるのかとまるで状況を把握できずにいた。

 

「あの……一体、何が起きてるのでござる?」

 

 妖夢の夜這いからしておかしい所が多々あり、さすがのブタオに不審に思う。

 ブタオのその問いにブタオ以外の者は皆一同に目を合わせる。その視線から、互いに同じことを考えていると察し、幽々子が代表で語りだした。

 

「――何が起きているのか。……ブタオさん。私たちもソレが分からないのよ」

「ぶひ……? どういう事でござる?」

 

 反芻するブタオに対し、幽々子は今度はフルフルと震えている妖夢に目をやり問いただし始めた。

 

「ねぇ妖夢。貴方、ブタオさんの事、好きになった?」

「――ッ!?」

「ぶひッ!?」

 

 ビクリと体を強張らせる妖夢。元々真っ赤だった顔はさらに真っ赤に。脂汗もにじみ出て、それが涙と交じり、もはや妖夢の顔はグチャグチャになっていた。

 ブタオは、そんな妖夢を見て唖然とする。幽々子は一体、何を言っているのか。

 妖夢には、あれだけ負の言葉をぶつけられ、さらにセクハラまでしてしまい、好かれる部分など微塵もなかったはずだと言うのに。

 

 しかし、どういうわけか、妖夢は幽々子の言葉を否定しないのだ。

 

「妖夢殿……?」

「――ッ」

 

 ブタオは、妖夢の方を見る。妖夢もブタオを見遣り、二人は自然と目が合った。

 もうどう形容していいか分からない妖夢の顔だが、その視線はどこか切なく、されど熱っぽい。

 顔を赤く染め、羞恥から目を背ける妖夢には、鈍感なブタオもまさかと気付く。

 

「妖夢殿……?」

「………」

 

 彼女は変わらずしゃべらない。否定しない。俯くだけだった。

 

「妖夢殿、何か言ってくだされ。これは、何の冗談なのでござるか? それに……あ、あの夜這いも一体、どうしたのでござるか?」

 

 さすがに普通ではないこの状況。ブタオは妖夢を追い詰めるつもりは微塵もなかったが、状況の分からないこの事態に、ブタオは狼狽した。

 妖夢は、そんなブタオの問い詰めに――

 

 またも逆切れした。

 

「ブタオさん、貴方は……ッ。貴方って人は、本当に女心を解さない人ですねッッ!!」

「ぶ、ぶひッ!?」

「好きじゃない人に、誰があんな真似をすると思うんですかッ! 好きですよッ! ええッ好きですともッ! 私はッ貴方の事が好きになっちゃったんですッ! 悪いですかッ!!?」

 

 羞恥を含んだ妖夢の怒鳴り声に、ブタオは茫然とした。

 一体全体、何が起きているのか?

 混乱しているブタオをさらに混乱させたいのか、幽々子が横から口を出す。

 

「ブタオさん。私も貴方の事が好きですわ。もちろん恋愛的な意味でね♪」

「ぶひッ!?」

「ちなみに紫も貴方の事を好いてるみたいよ? 私に嫉妬の視線を送るくらいに」

 

 今まで誰かに好きだと言われた事の無かったブタオ。

 しかしこの状況はあまりにも普通ではない。嬉しさよりも戸惑いと困惑の方が大きく、ただただ言葉が出ない。

 幽々子は、実ににこやかな笑顔で藍を見遣り、その視線に藍はギクリと体を強張らせる。

 

「藍ちゃんの気持ちは分からないけど……。ねぇ藍ちゃん。貴方、ブタオさんの事、好き?」

「ちょッ!? 幽々子様ッ!」

 

 その問いに藍は、顔を真っ赤に染めて視線を俯かせる。その反応に、幽々子はご満悦の様だ。

 

「ねぇ見てブタオさん。あの藍ちゃんの反応を。うふふ。まるで恋する乙女の様ね。あのクールビューティな藍ちゃんが――」

「一体、何がどうなってるのでござる……?」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 幽々子の説明はブタオを驚愕させた。

 ほんの僅かな邂逅で、ここにいる全員がブタオに対して好意に近い感情を抱いてしまっている事。

 一目惚れの様な感覚。明らかな異常。

 その原因はブタオが関係している事は間違いない。それを確かめる為に妖夢をけしかけた事。この事については妖夢も寝耳に水だったわけだが。

 

 しかし理由が分からない。

 

 ブタオが会得した【誰からも愛される程度の能力】が元凶ではないかとも思ったが、送った本人である紫からその可能性は無いと断言されている。

 

「……確かに、幻想郷に来る時に紫殿からそのような能力をいただいた記憶があるでござる」

 

 しかし、意識的に行う様な能力ではない為、今の今までブタオは失念していた。

 

「吾輩はてっきり相手と仲良くなれる様な……。会話が弾むようなそんな力だと」

「その認識で間違っていませんわブタオさん」

 

 紫がブタオの能力について説明する。単に癒やし系になる程度の弱い力であると。

 

「でも、それじゃ私たちの陥っている状況の説明がつかないわよね?」

 

 幽々子がここで茶々を入れる。

 しかしその茶々に誰も何も言わない。彼女の言っている通り、何も分からないのだから。

 

 

 紫たちは、一同にブタオの能力について仮説や推測を立てていく。

 

 ブタオは元々能力持ちで紫と接触、能力を与えられた事で眠っていた力が覚醒、変質したのではないかと言う説。

 守谷の巫女が良い例である。彼女は現代人でありながら能力持ちだったのだから。現代の人間でも能力を持っていても不思議はない。紫と接触した事で覚醒し、力が変質したとしても筋は通る。

 

 もしくは、ブタオの精神的な成長によって能力も一緒に成長したのではないかと言う説。

 異能の力は、精神の強さに依存する。心が成長するにあたり能力も強くなり応用が増えていく。その過程で相手を癒やす力から愛する力に成長したのではないかと言う説。これも考えられる説である。

 

 推測は幾つも立てられる。どの説も可能性としてはあり得る話である。

 

 

 

 しかし今更、原因を究明したところで何の意味があるのか?

 

 

 

 ブタオを除く一同はそれに気付いている。

 

 一番重要なのは、ブタオは他者を魅了する洗脳的な力を有し自分たちはその力の影響下にあると言う点。

 

 原因の究明よりも先に決めなければならない事がある。

 

 これからどうするか、だ。

 

 その事を最初に口にしたのは幽々子だった。

 

「ねぇ? ブタオさんの事だけど……これからどうしようかしら?」

「………」

「………」

「………」

 

 誰もその問いに応えない。視線を逸らすなりブタオを心配そうに見るなり口を開こうとしない。

 幽々子も誰も何も言わないだろうなぁと薄々気付いていた。

 これからどうするか、なんてもう“決っている”のだから。

 しかし、“ソレ”を実行するのはとても苦しい。ゆえに誰も答えない答えたくない。

 

 皆一同に苦虫を潰した様な苦しい顔つきになりブタオは不安げに周りを見渡す。

 

「あ、あの……。吾輩、一体どうなるのでござるか?」

 

 一同が解している中、ブタオだけは自分がどうなるのかを理解できなかった。

 不安げにあたりを見渡すブタオを宥めるかのように、紫は優しげな笑顔で答える。

 

「何も心配いりませんわブタオさん。私たちは、貴方に対してどうこうするつもりなんてありませんわ。――問題なのは、貴方ではなくて私たちの方なの(・・・・・・・・・・・・・・・)

「ぶひ? 紫殿達……? それは一体……」

 

 改めて尋ねるブタオに、紫は何とも答えにくそうな顔をしていた。

 しかしその顔はほんのり赤くなっており、何やら難しい話と言うよりは恥ずかしい話である故に話しづらそうな雰囲気であった。

 幽々子は、そんな恥ずかしそうにしてる紫に変わり代弁する。

 

 

「心地良いのよ。とても……」

 

 

 幽々子は儚げな笑顔で答える。ブタオはその答えに首をかしげるだけだった。

 

「ブタオさん。貴方は洗脳にも似た力があって、私たちはその影響下にいますわ。私たちは貴方の事を愛している。そして貴方に恋をしているというこの想いがとても心地いいの。明らかに異常だと分かってても手放したくないと思うほどに」

「そんな……。わ、吾輩はそんなつもりは……」

「分かってますわブタオさん。貴方に悪意はないって事くらい。でもこの想いはとても強くて……。今はこうして平静を装っているけど、内心は穏やかじゃありませんわ。貴方が好きで……。本当に好き……。滅茶苦茶にしたいくらいに……」

 

 荒い息遣い。幽々子は顔を発情させ、腕を組んで悶える。その目は野獣を彷彿させる様なものであり、ブタオはその恐怖と色気から思わず身震いした。

 幽々子は大きく息を吐いて平静に戻る。そして疑いの目を持って紫に問いただした。

 

「ねぇ紫。貴方、本当にレミリアにブタオさんの外泊許可を取ったの?」

 

 一同の視線が紫に集まる。紫は酷くばつが悪そうに冷や汗を流している。

 

「あ、あの……紫殿? レミリア殿は吾輩に楽しんで来いと言ったのでは……」

「ご、ごめんなさい。実はその……嘘なのよ。許可は貰ってないの」

 

 やっぱりか、と一同は紫に対して呆れる様なため息をつく。

 

「な、なぜその様な嘘を……」

「だ、だって……。貴方が凄く乗り気で、もし断られたらきっとショックを受けると思って……。レミリアには事後報告でも大丈夫かなぁって……。ごめんなさい」

 

 弱々しく言い訳をする紫にブタオはそれ以上問い詰める事が出来なかった。

 あんなにも行きたいとはしゃいだのは自分だ。断られたらきっと残念がる自分を思っての事だったのだろう。

 

「ブタオさん。紫のした事は最低な行為だけど、結果的に貴方は助かったのかもしれませんわ」

「ぶひ?」

 

 思わぬ幽々子の援護射撃にブタオは首をかしげる。

 

「どういう事なのでござるか幽々子殿」

「さっき言った通り、私たちはみんな貴方に誘惑されているわ。私たちよりも長い期間共に過ごしてきたレミリア達が貴方の能力に影響されないはずがありません。たぶんだけど、あの子たちはもう正気じゃないと思いますわ」

「な、何を言うのでござるか! 言うに事欠いて正気ではないなどとッ。いかに幽々子殿とは言え失礼でござるぞ! レミリア殿は、レミリア殿は……吸血鬼で……。誇り高い種族で……」

 

 次第にブタオ口調が弱まる。レミリアの事を思い返し幽々子に激昂したものの、身に覚えのある出来事がいくつも脳裏をかすめたからだ。

 

 あの満月の日の突然の吸血――。

 

 当時はそこまでレミリアとの交流はそれほどでもなかった。

にもかかわらず血走った目で突然襲われ――

 

(ま、まさか本当にレミリア殿……。では他のみんなはッ!? 咲夜殿はッ!? 美鈴殿はッ! フラン殿ッパチュリー殿はッ!?)

 

 興奮気味だったブタオの頭から血の気が失せ始める。

 嫌に冷たい汗が頬を伝う。

 

 まさか、そんなはずは――と。

 

 自分は成長出来たはずだ。肉体的にも精神的にも……。

 

 他人との関わり合いに悦を感じる事が出来るようになって――。

 

 他者とのコミュニケーション能力も上達して――。

 

 多くの人と仲良くなった。

 

 そんなはずは無い! 断じて無い! 今、連想している事が事実であるはずがないッ!

 

 彼女達が――。自分に良くしてくれたのは……。

 

(ち、違う……違うでござる。吾輩は、吾輩はそんなつもりは……ッ)

 

 ブタオはふと備え付けの鏡を見た。

 そこに映るのは酷く醜い容姿をしたブタの姿。

 誰からも愛されず、気味悪がられ接触されず、毎日のようにからかわれ大声で馬鹿にされてきた姿がそこにある。

 

 

 そうだとも。最初から分かっていた事ではないか。

 どうしておかしいと思わなかったのか。優しくされて勘違いしたのか。

 

 

 彼女達が自分に良くしてくれたのは、人としての魅力が増したからなどではなく――

 

 本当の本当は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洗脳されていたからだって(・・・・・・・・・・・・)

 

 

「うぐッ――おぼえええぇおろろろぉッッッ!!」

「ブタオさんッ!?」

 

 ブタオは吐いた。吐しゃ物と一緒に涙と鼻水まで流れ出る。一同はみんな驚愕し、すぐ隣にいた紫がブタオの介抱に回る。衣服に吐しゃ物が跳ね返ろうが構わずブタオの体を支える。

 

「ブタオさん。しっかりッ――」

「ち、違う……。違うでござる」

「え……」

「吾輩は、吾輩はッゲホゴホォッ――はぁッはぁ……そんなつもりで無かったのでござるッ! 吾輩はッ――ごめんなさいッごめんなさいッごめんなさいッごめんなさいッごめんなさいッごめんなさぁいッうげえええぇぇッ」

「ブタオさん……」

 

 紫はブタオの心情を察した。

 酷く残酷で報われない話ではないか。努力し自らの力で勝ち取った信頼の全てがまやかしだったなんて――。

 

 

 

 

 いや、違う。

 

(手にした信頼や愛情が偽物だった事に嘆いているんじゃない。彼は……。彼が本当に嘆いているのは――)

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――。吾輩のような……()みたいな醜いブタを愛させてしまって――。ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 洗脳によって矮小な自分を無理やりに愛させてしまったと言う事実。

 他者に愛を強要させた事への罪悪感がブタオの心を蝕んでいる。

 

(ブタオさん……)

 

 そんな様子のブタオを見て紫は己を恥じた。

 ブタオに誘惑されている心地よさに浸り、この問題を解決する方法を知りながらも手を拱いていた自分を。

 

「ブタオさん。もう大丈夫ですわ。もう大丈夫ですから……」

「ゆ、紫殿……わ、吾輩、()は……」

「大丈夫ですわ。ブタオさん。全部、元に戻して差し上げますから」

 

 涙と鼻水でグチャグチャになった顔を上げ、紫の顔を見る。とても穏やかな表情だった。まるで泣きじゃくる童を宥める母親の様な――。

 

 

「――紫。想像はつくけど敢えて聞くわ。何をするつもり?」

 

 

 尻目の幽々子に紫は凛とした態度で語る。

 

「ブタオさんの持つ洗脳能力の一切を消し去るわ」

「………」

 

 幽々子も予想していた事のようで何も言わない。しかし幽々子の尻目は鋭く、不愉快さを隠しもしない。

 紫は、親友の見せた事のない表情に臆することなく語る。

 

「そんな顔をしたって駄目よ幽々子。ブタオさんに魅了されている今の状況に悦を感じるのは自由だけど、それはブタオさんの心を傷つけてまで得る快楽じゃない。私たちの邪な想いにブタオさんを巻き込んじゃ駄目」

「………」

 

 幽々子の表情は変わらない。だが雰囲気だけは明らかに圧が上がっている。殺気にも似たチリチリとした空気が紫と幽々子の間に漂う。傍にいる従者の妖夢と藍も冷たい汗が流れだし緊張が走る。

 しかし紫はその事を気にも留めず、優しくブタオと接するのであった。

 

「ブタオさん。貴方のその力は危険なものですわ。貴方の意思とは無関係に相手を魅了し洗脳するとても禍々しく歪んだ――これから貴方の内からその力を封じます」

「吾輩の力を……」

「ええ。それで誘惑された者が元に戻るかは分からないけど、大元を断てば時間が経つにつれて影響も薄くなっていくはず……。そうすれば全部元通りですわ」

「元通り……全部?」

「はい」

 

 元通り――

 目の前の女性はそう言った。

 

 元に戻る? 『元に戻る』とは何か? 何を元と言うのか……。

 

 昔の自分を元と言うのか

 あの誰からも愛されず必要とされず、自分を変えようとする気概も湧いてこず、ただ肥え太っていくだけだったあの時に戻るのか?

 

 

 

 

 誰からも愛されなかったあの頃に――

 

 

 

 

「貴方の影響を受けた者が少ない事は不幸中の幸いですわ。――さぁブタオさん。私の手を握ってください」

 

 そう言って紫はブタオに手を差し出す。

 母性に溢れる笑顔で手を差し伸べる紫の姿は――

 

 

 

 精神的に追い詰められたブタオの目には、酷く醜い“ナニカ”に見えた。

 

「――ひぃッ!」

「きゃッ!」

 

 ドンッとブタオは紫を突き飛ばした。

 お互いに信じられないと言った表情をしながら時間が凍る。

 

「ブタオ、さん?」

 

 紫が恐る恐るブタオの名を呼ぶ。

 ブタオは、フルフルと震えながら、今にも消え去りそうな辛い表情をしながら叫んだ。

 

「い、嫌でござる……」

「え?」

「嫌でござるッ! 吾輩は元になんか戻りたくないでござるぅッ!」

「ブタオさん何を言って――あ、貴方のその力は危険なものなの。誰もが貴方を欲するようになって……いつか自身の身を滅ぼす事になるのよ!?」

「いやだ嫌だイヤだッ! 元に戻りたくないッ! 愛に飢えたあの頃に戻りたくないッ!吾輩は愛されたいのでござるッ誰にも愛されないなんて嫌だぁッ!」

「ぶ、ブタオさんッ落ち着いて……ッ」

「紫殿は酷いでござるッ! 人の愛の素晴らしさを知った吾輩から愛を奪おうとしているでござるッ! こんなにも吾輩は愛されてるのに、それを奪おうとしているでござるッ!」

「ブタオさんッその愛は偽物ですわ。ブタオさんならそんな力に頼らなくたっていつか本当の愛を――」

「こんな醜いブタみたいな吾輩をッ誰が愛してくれると言うのでござるかッッ!!」

 

 ブタオはボロボロと大粒の涙を流しながら叫ぶ。自分の内にある今までの感情を吐き出すかのように。

 

「こ、この力があればみんな吾輩を好きになってくれるのでござる……。紫殿だって、吾輩に洗脳されているからそんなに優しいのでござろうッ!」

「違うッ! わ、私は――」

「この力があるからみんな優しくて……この力が無くなってしまったら、みんな吾輩をあの頃のような目で見るに決ってるでござるッあんな目で見られるのはもう嫌でござるッ!」

「ブタオさんッ貴方は変わったはずよ!貴方は成長したのッもう昔の貴方じゃないッ!」

 

 紫はそれ以上は言葉が続かなかった。

 どれだけ言葉を贈ろうとも、今のブタオには届かない。ブタオは今疑心暗鬼の塊になっている。

 心配そうに声をかけるのは洗脳されているからだと。力がなくなったらきっと嫌われると。

 紫自身、ブタオに対する感情が本当に洗脳によるものなのか分からない。

 だが彼は幻想郷に来て確かに変わったのだ。それを間近で見てきた自分にはよく分かるそしてブタオを心配するこの想いも本物だ。ブタオを危険な目に合わせたくない。この想いだけは本物の――

 

 泣きじゃくるブタオを前に、心を鬼にしてブタオの力を封じようと紫は歩み寄る。

 

 

 

 

 

 しかし瞬間――

 

 

 

 

 

「――え?」

 

 目の前にこの場に似つかわしくない“蝶”が視線を横切った。

 途端に紫の手足がマネキンのように動かなくなり、その場に倒れ込む。

 

「――か、かはッ!?」

 

 声が出ない。息もだ。脳に送られる血液が止まったかのように急激に思考能力が低下し目の前が暗くなっていく。

 

(な、何がッ い、息が、でき――)

 

 一体何が起きたのか。

 目の前のブタオも状況が把握できずにただ茫然としている。

 

 薄れゆく意識の中で紫は、その蝶の行き先を見る。その蝶は幽々子の指の上で止まった

 

「ゆ、幽々、子……?」

「酷いわよ紫。ブタオさんはあんなにも嫌がっているのに無理強いするなんて♪」

 

 一体何を言っているのか。

 親友の変わらない笑顔に、紫は言いようのない怖気を感じた。だがもう声が出ない、紫の意識は、そのまま闇の中へと消えていった。

 

 紫が倒れて時間的には一秒も経っていない。

 その間、ブタオを含め妖夢も藍も何が起きたのか把握できずただ唖然としていた。

 その中で藍はいち早く我に返り、自分の主人の名を叫ぶ。

 

「ゆ、紫様っ!」

 

 傍から見ていた藍は全部見ていた。幽々子が死蝶を発言させ、それを紫に送り付けたことを。

 

「幽々子様ッ! 紫様に何を――」

 

 藍は激昂し叫んだ――が、言葉は最後まで続かなかった。

 

 

 『――妖夢』と。

 

 

 ただ一言を幽々子は発した。白玉楼の主である幽々子のその一言は、唖然としている妖夢から迷いを無くさせ――

 

 無意識的にすでに妖夢は藍に斬りかかっていた。

 

「かッはッ――ッ!?」

「ご安心ください藍さん。みねうちです」

 

 だがただの“みねうち”であるはずがない。

 妖怪の鍛えた名刀“桜観剣”。人外に対し圧倒的な攻撃力を誇る刀でのみねうち。

 藍の体に深いダメージが刻まれる。足元がおぼつかず立っていられぬほどに。

 薄れゆく意識の中、目の前で佇んでいる妖夢を見上げその顔を見る。

 妖夢の顔は酷く平静なものだった。同じ従者として交友のあった者を斬りつけておきながらとても平静な――

 

「妖、夢……。お、お前……」

「ごめんなさい藍さん。でも、幽々子様は“コレ”を望んでおられる。そして私も……。ブタオさんへのこの想いを消させるわけにはいかない」

 

 妖夢の言葉を最後まで聞けたかどうかは分からない。藍もまた紫と同様に深い眠りに落ちていった。

 

 僅か数秒の間の出来事――。

 

 いまだにブタオは唖然としており、状況が追い付かない。

 目の前には倒れた紫の姿。生きているのか死んでいるのかも分からない状態で――

 ブタオは思わず紫に手を差し伸べようと腕を伸ばした。だがその前に幽々子はそっと近づいていた。

 

 彼女は終始笑顔で――

 親友を手にかけてなお笑顔だった。

 

「もう大丈夫ですわブタオさん。貴方からその魅力を奪おうとした悪い女は、私たちが黙らせましたわ」

「ゆ、幽々子殿……? ゆ、ゆ紫殿は……」

「心配には及びませんわブタオさん。紫は大妖怪ですもの。この程度で死んじゃったりしませんわ。――尤もちょっとやそっとじゃ目覚めませんけどね♪」

 

 幽々子は小さく指を鳴らすと、屋敷の外から何匹かの人魂がやってきて、倒れた紫と藍の二人を運んで行く。

 ブタオは、その様子を黙って見ている事しかできなかった。

 

 

「――さて、ブタオさんっ♪」

「ぶひッ?」

 

 幽々子はブタオの胸に飛び込み、頬をすりよせて来た。女性の膨らみと香りにブタオは断続的にクラクラさせられる。

 

「ゆ、幽々子殿ッ? い、一体何を……」

「野暮な事は言いっこ無しですわブタオさん。ここには男と女がいて、お互いに意識している。邪魔者もいなくなった。それでは何も起きないはずがありませんわ」

 

 幽々子の甘い香りにブタオは顔が沸騰するほど顔が熱くなった。鏡を見なくたって分かる。自分は顔が真っ赤になってると。

 でもそれは幽々子も同じようで、彼女もまた顔を紅潮させながら迫ってくる。それが一層ブタオの心を誘惑する。

 

 そんな二人を妖夢が指を咥えながら物欲しそうに見ていた。

 自分もして欲しい。そんな想いがダダ漏れだった。

 幽々子は、そんな妖夢を見て笑いながら手招きする。

 

「ふふ。妖夢。貴女もいらっしゃいな」

「ふぇッ? ゆ、幽々子様?」

「一緒にブタオさんに甘えましょう?」

「は、はいッ!」

 

 妖夢は持っていた桜観剣を投げ捨て、ブタオの胸に抱きついた。その顔はとても安心しきっていた。まるで親の胸元で眠りこける童子のように。ブタオの暖かみを全身で妖夢は感じ取っていた。

 

 少女二人が全身を密着させてくる。時折上目遣いされ目が合った時は、恥ずかしさでとても視線を合わせられない。

 

「ブタオさん。ブタオさんも……私達を抱きしめてください。ぎゅーって強く抱きしめて」

「幽々子殿……。し、しかし幽々子殿、貴女方のその想いは……ッ」

 

 少女二人に抱き締められている。本来ならば思い上がる程の幸せに違いない。しかし彼女たちのその想いは本物ではなく、洗脳によって無理やり創られた感情で――。

 その事実が、ブタオの手を幽々子たちに回せていなかった。

 葛藤しているブタオに、幽々子は優しく諭す。

 

「ブタオさん。私たちは今こうして貴方に触れててとても幸せよ? 洗脳されていると分かっていても本当に幸せ……。貴方は幸せじゃない? 気持ち良くないの?」

「いや、とても……嬉しいでござるよ。しかし――」

「ブタオさん。私たちは貴方を愛しているわ。とても深く……。もしも後ろめたさを感じているのなら、貴方も私たちの事を愛して。そして私達を強く抱きしめて。私達を幸せにして……。」

 

 たとえ自然な形でないにしろ、愛される事を互いが望んでいる。

 ああ。本当にどうしようもない。

 彼女達は洗脳されている事に気付いていながらその事に幸せを感じ――また彼女達が洗脳されていると知りながら、彼女たちの想いに嬉しさを感じるなんて。

 

 

 もうどうでもいい。

 

 

 真実の愛なんて分かりやしない。歪んでいても愛は愛だ。ブタオは腕を彼女たちの肩に回し強く抱きしめる。

 

「ブタオさん……」

「幽々子殿、妖夢殿……。わ、吾輩を……愛してくださるでござるか?」

「もちろん。だから貴方も……私達を愛して」

「大好きです。ブタオさん」

 

 熱い視線が三人の間に走る。誰からともなく互いを求め合った時――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が切り離された(・・・・・・・・・)

 

「――ッ!」

「――これはッ!?」

 

 白玉楼が現世からも常世からも――いや、世界そのものから切り離されていた。

 真っ先に異変に気付いた幽々子と妖夢の二人は縁側に出て外を見上げる。月夜の明るい夜だったその空は、見た事もない魔法陣で埋め尽くされていた。

 

「一体、何が起きたのでござる?」

 

 異常に気付けなかったブタオは、二人に尋ねる。

 

 

 瞬間――

 

 

 白玉楼の入り口で大規模な爆発が上がった。地を揺らすほどの大爆発。遠目にも見えるほどの爆炎に幽々子は舌打ちして呟く。

 

「――紫の奴、もうちょっと上手くやりなさいよ」

 

 その呟きの後、白玉楼の卿内で怒号が響き渡った。

 

 

 

『八雲紫ッ! 西行寺幽々子ッ! ブタオを返してもらうぞッ!』

 

 

 

 その声は、ブタオにとっても忘れるはずもない。

 ブタオの主、レミリア・スカーレットの声だった。

 

 

 





・・・紫様しばらく退場です


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第三十一話 返せ

 

 場所は紅魔館。時刻は数時間前に遡る。

 

「この役立たずどもッ!」

 

 柱に縛り付けられ、何重にも重ねられた魔法陣の上で涙目になりながらフランドールは喚いていた。

 ブタオが消えた報告を受けた後、彼女は八つ当たりのように辺り中を破壊し回った。

 妖精メイドもホフゴブリンたちも大慌てだったが、不幸中の幸いと言うべきか、ブタオを守るための結界や罠がフランを抑える役目を果たしたのだ。大した被害もなく、あっという間に鎮圧されこうして柱に縛り付けられてしまった。

 

 フランが居るのは紅魔館のとある一室。そこにはレミリアをはじめ、紅魔の主要人物が鎮座していた。

 喚き散らすフランにレミリアが一括する。

 

「まんまとブタオおじ様を攫われて、よくまぁそんなに冷静でいられるねッ!」

「黙れクソガキ」

 

 レミリアの殺気混じりの鋭い視線はフランを強張らせた。軽いため息をついたのち、レミリアは改めて皆と対面する。

 

「誰がブタオを攫ったか……。検討は付いてるんでしょうねぇパチュリー」

「この要塞化した紅魔館で、美鈴の探知にも私の結界にも干渉せずにブタオだけを連れゆくなんて芸当が出来る奴は一人しかいないでしょう?」

 

 パチュリーの言葉に全員が一人の女性を連想する。スキマ妖怪の八雲紫だ。

 美鈴が口元に手を添え推理するように語る。

 

「動機が分からな――いや、ブタオさんは外来人でした。外来人の幻想入りは彼女の仕業が多い。その時に彼女もすでに……」

 

 美鈴の言葉に、これまた全員がブタオを誘拐した動機を察した。

 あいつも一緒なのかと。それなら道理だ。攫いたくもなるだろう。そして理解する。もうブタオは戻ってこないと。

 

 

 そんな事許せるはずがないだろう。

 

 

 犯人は分かった。場所も検討が付く。だったら取る道は一つだ。レミリアは席を立って皆を促す。

 

「すぐに向かいましょう。早くブタオを取り返さなきゃ」

 

 その言葉に咲夜も美鈴も席を立つ。

 その目は年相応の少女がして良い目ではなかった。人間離れした――いや、妖怪にふさわしい恐ろしい様相をしている。

 しかしパチュリーだけはそのまま座っており、抑揚のない声で他のみんなを止める。

 

「待ってみんな」

 

 全員の視線がパチュリーに集まる。勢いに乗っていたみんなを留めるパチュリーの“待て”は、少女達にイラつきを覚えさせたようだ。

 しかしパチュリーは意に返さずに言葉を続ける。

 

「無策のまま行っても、確実にブタオを取り返せるとは限らないじゃない。相手はあの八雲紫と九尾の式神よ?」

「……」

 

 パチュリーの言葉に、冷静さを失いつつあったレミリア達は正気に戻る。

 その通りだ。相手は幻想郷の賢者――八雲紫なのだから。

 美鈴と咲夜は生唾を飲み込み、相手の悪さを認識する中――傲慢な吸血鬼であるレミリアは実に楽しそうな表情をしながら語りだす。

 

「ハッ! だから何だっていうのよ。だからと言ってこのまま引き下がるわけにはいかないじゃない。ここまで舐めた事されて黙って見てろって?」

「落ち着きなさいレミィ。相手が八雲だけだったら貴方を止めたりしないわ。でも状況によっては西行寺のお姫様も相手取る事になるかもしれない。彼女達は大の仲好しと来てるしね」

「ふん。一度私たちに負けた連中の何を気にしろと言うの。まとめてぶっ飛ばしてやるわよ」

「騒ぎが大きくなってしまえば、博麗の巫女の介入も許してしまう事にもなる」

「……ッ」

 

 八雲と西行寺。幻想郷の中でもトップクラスのネーミングを持つ二人を相手取っても構わないと言い放つレミリアだが、“博麗の巫女”の名前が出てきた瞬間は口ごもる。

 

 博麗の巫女――博麗霊夢。幻想郷の調停者。

 

 個人で世界のバランスを壊してしまえる様な異能者が数多に存在する幻想郷において、異変があったら即時解決にやってくる幻想郷のシステム。

 この幻想郷において彼女に勝てる存在はいない。彼女はこの世界のシステムなのだから。

 

 彼女にブタオの存在を知られるわけにはいかない。

 

 調停者たる彼女はブタオの存在を許さない。

 化物を虜にするブタオの存在を。パワーバランスを崩壊せしめる妖怪たちを虜に出来るブタオを彼女にだけは知られるわけにはいかない。

 忌々しく苦虫を噛み潰したような表情をするレミリアを宥めるようにパチュリーが言う。

 

「レミィ。手段と目的を取り違えちゃ駄目よ。彼女達をぶっ飛ばしたいと言う気持ちは分かるけど、私たちの目的はあくまでもブタオの奪還。まずはブタオを最優先に考えなくちゃ」

 

 要塞化した紅魔館でレミリア達に感ずかれることなくブタオを攫った紫である。

 逃げに入られたらレミリア達に追う手段はない。

 

「レミィ。少し時間をちょうだい。八雲紫のスキマ能力を封じる結界を作って見せるから」

「……分かったわ」

 

 その声はとても平静なものだった。だがレミリアの内にある炎はより熱く静かに燃えていた。

 レミリアが決断したと同時に咲夜と美鈴も、内にある激情の炎を鎮めながら熱を絶やさずに感情を制御した。

 そんな様子の三人を見て、パチュリーは安堵の息を吐いて咲夜と美鈴に命令した。

 

「咲夜、美鈴。あなた達二人は八雲紫の居場所を……しいてはブタオを居場所を探してきなさい。マヨイガか白玉楼のどちらかにいると思うから。――決して見つからないようにね」

「はい。かしこまりました」

「了解です。パチュリー様」

 

 各々がそれぞれの行動に移りだす。

 今、この場にいるのはレミリアと縛られているフランの二人だけだ。

 レミリアはフランの前に立ち語りだす。

 

「フラン。聞いてのとおりよ。準備が出来次第、私たちはブタオを取り戻しに行くわ。――貴方も行きたい?」

「何を当たり前な事を……ッ」

「だったら大人しく待ってなさい。館で暴れるなんてもってのほかよ。――でもその怒りの感情は取っておきなさい。そしてあいつ等にぶつけてやりなさい」

「……」

 

 そして夜が訪れる。吸血鬼の時間だ。

 白玉楼へ続く階段の前でレミリア達は佇んでいる。

 

「お嬢さま。ブタオさんの気はこの先から……。あの人はここにいます」

「言わなくとも分かるわ美鈴。――あいつの匂いがする。あいつはここにいる……ふふふ」

 

 悪者に捕らわれたお姫様を救いに来た様なこのシチュエーションにレミリアは不謹慎ながらも確かな高揚を感じていた。

 それはどうやら他の者たちも同じようで、口の端がつり上がっている。

 

「さぁみんな。捕らわれのお姫様を救いに行きましょう」

 

レミリアの言葉と同時にパチュリーが詠唱を唱え始める。白玉楼の敷地を囲むように結界が展開され始めた。もうこれで誰も来れない、誰も逃げられない。

 

 レミリアは宣戦布告のかわりとして、自身の両の腕から迸る程の強力な魔力をくりだす。掌に収まりきれない魔力は出口を求めて前へ前へと。次第にその魔力は全てを貫く“神槍”へと姿を変化させ――

 

 レミリアは思いっきりその“神槍”を投げた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

『八雲紫ッ! 西行寺幽々子ッ! ブタオを返してもらうぞッ!』

 

 大爆発の後に響く怒号。幽々子は苦虫を潰した様な顔をして舌打ちしながら言った。

 

「紫の奴……。もうちょっとうまくやりなさいよ」

 

 しかし動揺はすぐに収まった様で、幽々子の表情はいつもの余裕のある表情に変わっていた。

 それは妖夢も同じようで、彼女は余裕と言うよりは覚悟を決めた様な表情をしている。

 この場で狼狽しているのはブタオのみだった。

 

「ぶ、ぶひッ!? この声は……レミリア殿ッ!?」

 

 一体何が起きているのか。さっきの爆発は何だったのか。

 狼狽するブタオを幽々子は優しく抱きしめ子供をあやす様に言った。

 

「心配いりませんわブタオさん。許可なく敷地内に入る無法者は私たちがすぐに追いかえして差し上げますから」

「し、しかし――。アレはレミリア殿の声でござる! ら、乱暴はいかんでござるよ!」

「でも、あちらさんはやる気満々ですわよ? 貴方を取り戻そうとしている様ですわ」

「あれは何かの間違いで――と、とにかく話し合うのでござる! わ、吾輩が表にでござるよ。そうすればレミリア殿だって……」

「駄目よブタオさん。私は言いましたわ。彼女達はもう正気じゃないと。もしブタオさんがあいつ等の手に落ちたら何をされるか分かったものではありませんわ」

「し、しかし――」

「貴方も申しましてよ? 生きる喜びを知ってしまったと。そして愛が欲しいのだと。彼女達に貴方が望む愛が理解できるとは到底思えませんわ。貴方の愛を受け入れられるのは私たちだけ……。そうです貴方にはもう私たちしかいませんわ。私たちだけ……」

「ゆ、幽々子殿……」

 

 幽々子は人差し指をブタオの口先に添え、それ以上ブタオに口を開かせなかった。

 そしてバタバタと慌ただしく妖夢が戻ってきた。等身大の刀を背負い、今まさに戦場へ向かわんとする様な佇まいだ。

 幽々子は空気を読んだのか、抱きしめていた腕を離してブタオと距離を置く。

 妖夢はブタオの眼前に立つ。やはり近くで見つめられると恥ずかしいのか、少しモジモジとしながらブタオに言う。

 

「その……ブタオさん。私は貴方がその……す、好きです。貴方をあいつ等なんかに渡したくない……」

「よ、妖夢殿……」

「あ、あはは。洗脳されていると分かっていても、こうして口にするのはやはり恥ずかしいものですね。顔が熱くなってきました……」

 

 そう言って妖夢はブタオの胸に飛び込み、その小さな体で精一杯ブタオを抱きしめた。ブタオも少し驚き体を強張らせる。

 妖夢の表情は先ほどの決死の表情と打って変わり、とても穏やかな年相応の少女の顔になっていた。

 妖夢の抱擁はほんの数秒足らずのものだったが、彼女は満足した様子でブタオに言う。

 

「ブタオさん。貴方をあいつ等なんかに渡さない。――それにブタオさんには責任を取って貰わなくちゃいけないのですから。あ、赤ちゃんが出来てるかもしれませんし……」

 

 言いたい事だけ言って、妖夢は屋敷の外に飛び出して行った。

 依然変わらず固まっているブタオ。幽々子はそっと手を置いてブタオに囁く。

 

「ブタオさん。私も出ますわ。少し危ないですから決して屋敷の外には出ないようお願いいたします」

「ゆ、幽々子殿ッ! 待っ――」

 

 言葉を紡ぐ前に幽々子もまた屋敷の外へと飛んで行った。

 ブタオはただただ茫然と佇んでいる事しか出来なかった。

 

 

 

 




次回、白玉楼編エピローグ


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第三十二話 白玉楼エピローグ

 白玉楼の入り口付近にレミリア達と幽々子たちは対面している。

 互いの間にはチリチリと焼けつく様な殺気が漂い、まさに一触即発の状態であった。

 

「――ブタオはどこ?」

 

 端的にレミリアが問いただす。憤りを隠さないレミリアとは対照的に、幽々子は相手を馬鹿にする様な表情でとぼける。

 

「ブタオ? ふふ、誰かしらその人」

「とぼけるな。お前らの体からブタオの匂いがする。あいつの匂いが……ッ。その汚い体で私たちのブタオに触れたなッ」

「あらまるで犬の様……。天下の吸血鬼様ともあろう御方が、たかが使用人の情事にそこまでお怒りになるなんて、器が小さいと言うかなんというか……」

 

 幽々子の挑発に目尻を吊りあげるレミリア。その横にいるフランも、また他の者たちも歯ぎしりしながら怒りの表情を露わにする。

 

「お姉さま。私、もう限界……。あいつ等を壊したくて堪らない……」

「待ちなさいフラン。――幽々子。あんたはブタオの力を知っているの?」

「ええ。私も彼に誘惑されちゃった。素敵な殿方ね、ブタオさんは……」

 

 幽々子はわざとなのか、少女のように気恥ずかしく答える。

 

「そう……。ならもうお前らは正気じゃないわけか」

「今の貴女に言われたくはないわね、ふふふ」

 

 

 二者の間に走る殺気はまさに爆発寸前である。いつ誰が動いても不思議でないほどに。その中でレミリアは再度尋ねる。

 

「紫はどこにいる? なぜ姿を見せない」

「さぁ? 紫にも用があるの?」

「ブタオを攫った張本人だから。あいつは直にぶん殴ってやらなくちゃ気が済まないのよ」

「あらやだ、物騒ね」

「素直に紫とブタオを差し出すなら、貴女たちに危害を加えたりはしないわ。――これは今の私の最大の善意よ? 言う事を聞かないっていうのなら貴方達もただじゃ済まさないから」

「ジョークは時と場所を選ぶものですわ。人の屋敷に土足で上がり込んだ上、勝手な要求に、“はい分かりました”と素直に応えると本気で思ってるの? オツムの方も見た目同様に幼稚ねレミリア」

「……交渉決裂か」

 

 レミリアの体から膨大な魔力が溢れだす。その横でフランも戦闘モードに変わる。

 明らかに変わった雰囲気。妖夢は刀に手をやり、いつでも迎撃の出来る準備に入った。

 

「紫が姿を現さないのは気になるけど……。幽々子、まさかあんたら二人で私たちを止めようって言うんじゃないでしょうね?」

「そうだと言ったら?」

「舐められたものね。こっちは五人。お前たちは二人……。勝てると思ってるの?」

 

 レミリアの言葉に幽々子は不愉快そうに言い放つ。

 

「舐められてるのは私たちの方よ。ここをどこだと思ってるの? ここは冥界の入り口“白玉楼”。そして私はその管理者――西行寺幽々子よ。ここにいる亡霊たちはみんな私たちの味方……」

 

 何千何万という人魂が幽々子たちの前に顕現する。

 その圧倒的な物量にはレミリア達も目を見開き驚愕する。

 

「地の利も数の利も私たちの方が上よ」

「ふん。有象無象の雑魚が何万匹集まったって……」

「貴方とそこの妹さんには効果は薄いでしょうね。でも他の人達はどうかしら」

「――ッ!?」

 

 気付かれている。

 レミリアは何とかポーカーフェイスを保つ事が出来たようだが、パチュリーと咲夜美鈴の三人は額から冷たい汗が流れ出ていた。

 レミリア達にとっては実に嫌な笑みを浮かべながら幽々子は言った。

 

「この結界……。見事なものね。まさか白玉楼全体を世界から切り離すなんて。紫のスキマ対策のつもり?」

「……」

 

 レミリア達は答えない。しかし時に沈黙は事実を雄弁に語る事がある。

 

「やっぱりそうなのね。まぁ確かにスキマの使えない紫はあんまり強くないけど……。でもこの結界は――術者に相当な負荷がかかってるんじゃない?」

「……」

「世界そのものを切り離す結界。あの魔法使い一人じゃ無理ね。そこのメイドさんの能力も併用して使ってるのかしら? となると、そこの二人は結界維持のためにまともに戦う事は出来ない」

 

(気付かれているか……)

 

 レミリアは苦虫を潰したかのような苦しい顔をしていた。幽々子の推理は見事にあたっている。

 こちらは五人。そうレミリアは言った。

 だがパチュリーと咲夜の二人は結界の維持でまともに動けない。万が一二人の身に何かが起きて結界が崩壊などすれば紫に逃げられてしまう。美鈴は二人の護衛に徹さなければならなかった。

 となるとまともに動けるのは、レミリアとフランドールの二人だけだ。

 

 しかし――

 

「まぁいいさ。気付かれるのは想定内だ。元々私とフランの二人でお前たちをぶっ飛ばす予定だった事だし」

 

 開き直ったレミリアの顔は、少女のものではなく悪魔のそれに似た禍々しいものへと変わっていた。

 そしてフランもまた同じだった。そんな姉妹の表情を見て、幽々子の脇に佇んでいる妖夢はその圧に気押され生唾を飲み込む。

 幽々子はそんな妖夢に優しく諭す。

 

「妖夢。怖気づく必要は無いわ。貴方は強い。自分に自信を持ちなさい」

「幽々子様?」

「それに見方を変えればこの状況はかえって好都合。ブタオさんを惑わす連中全てを始末できるし、この結果内ならどれだけ暴れたって外に露呈する事は無いわ。博麗の介入を気にする事もない。せいぜい利用してやりましょう」

「……はい」

 

 妖夢は肩にかけている刀を抜き出し構える。

 相手は過去に負けた相手。幻想郷でもトップクラスの戦闘力を誇る吸血鬼。

 だが負けはしない。負けられない。負けてしまったら愛する人を失ってしまう。それだけは嫌だ。

 これは弾幕勝負ではない。互いの大切なものを賭けた正真正銘の決闘。

 ならばこそ負けない。“スペルカードルールではないのならば負けはしない”。

 幾万ものあやかしを切り捨ててきた愛刀を手に妖夢は思う。

 

 妖夢が構えに入った瞬間――。

 幽々子の後ろに控えていた何千もの魂魄達がレミリア達を襲いだした。

 

 紅魔館と白玉楼のスペルカードルールを超えた本物の決闘が始まったのだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 近場で大規模な爆発が起きて、建物内を大きく揺らす。

 

「――ぶひぃッ!?」

 

 ブタオは座布団に包まってブルブルと震えていた。

 外がどんな様子なのか。レミリアと幽々子たちは何をしているのか。

 見に行きたくとも体が震えて動けない。爆発と爆風により建物が揺れる事にブタオは強い恐怖を感じていた。

 

(ど、どうしてこんな事になったのでござるか……)

 

 怖いと思うと同時に、どうしてこんな事になったのか。ブタオの思考はそれだけに埋め尽くされていた。

 

 どうして。どうして。どうして。どうして。

 

 異性を強制的に愛させる洗脳能力があって、レミリア達も幽々子たちも洗脳されて自分に恋をして――。

 それで奪われまいと自分を巡って争っている。

 

「こ、こんなはずではなかったでござる。こんなの吾輩は望んでない……ッ。わ、吾輩はただ……」

 

 誰かに愛されたかっただけだ。

 

 新天地で素敵な出会いをして、相手が人を喰わねば生きられない人外の存在であったならば喜んでこの身を差し出すつもりだった。

 だけど慧音と出会い、レミリア達と出会い――。死にたいと思っていた感情はいつの間にか欠落していて……。

 慧音もレミリア達もみんな優しかった。醜い容姿なんて気にも留めず、普通の人間として扱ってくれた。

 今の自分ならきっと誰かに愛して貰える。生きる希望と自信が芽生えたと言うのに……。

 

 

 彼女達が優しかったのは洗脳されていたからだったなんて、あんまりな話じゃないか。

 

 

 優しくされて勘違いした。あんなにも美しい少女たちが醜い自分に優しくするはずがないじゃないか。

 そして洗脳された少女たちは、自分を巡って争っている。

 

あの美しい少女たちが洗脳され、こんなにも醜い男を巡って争って――。

 

「うッ……おぇ……」

 

 吐き気を催す嫌な感じだ。みんなに愛されたいと願ったがこんなんじゃない。もっと甘酸っぱくて切なくて――そんな恋を。

 少なくとも感情を強制する様なものではない。断じて洗脳なんかであってはならない。

 

 しかし――

 

 この力があるからみんなが優しい。みんなが愛してくれる。決して否定できない事実。

 酷い嫌悪と罪悪を感じながらももう手放せない力。もう昔の自分には戻りたくはない。誰からも愛されず大声で馬鹿にされてきた昔に戻りたくない。

 

「わ、吾輩はどうすればいいのでござる……?」

 

 その呟きに答えてくれる者はいない。

 だがブタオの頭には一人の女性の姿が浮かび上がった。

 洗脳されていると分かっていながらも自分に気を遣い、そしてこの力を封じようとした女性――八雲紫だった。

 なんとも自分勝手で都合のいい話ではないか。彼女を拒否し突き飛ばしておきながら彼女に救いを求めている。

 

「ゆ、紫殿……紫殿なら……」

 

 変わらずこの力を手放したくはない。偽物の想いであっても、この力のおかげで彼女達は自分を愛してくれているのだから。

 だけど、自分を巡って彼女達が争うのは嫌だ。あんなに激しく争うほど自分は価値のある人間じゃない。

 何もかもが突然過ぎたのだ。落ち着ける時間が必要なのだ。この騒動、紫ならば止められるかもしれない。

 

「紫殿。紫殿はどこに――」

 

 幽々子が人魂を使って屋敷のどこかに運び込んだ。ブタオは震える足を何とか立ちあがらせ、小さな勇気を振る絞って紫を探そうと部屋を出る。

 

 そして障子を開けた瞬間――。

 

「ぶひいいいぃッ!? な、なんでござるかッこれはッ!?」

 

 ――戦争。

 率直に思った感想がこれだった。

 奥で鳴り響く爆発の轟音。吹きすさぶ様な爆風を伴いながら大きな火柱が立ちこめ、白玉楼の何万もの人魂が、その炎にめがけて向かっていく。

 レミリア達の姿は見えない。かなり離れた場所で戦っているのだろう。しかしそれでこの規模である。和の雰囲気が美しかった白玉楼の景色はもはやどこにもない。

 

「れ、レミリア殿達が戦っているのでござるか? あそこでッ?」 

 

 彼女達は人間ではなく、正真正銘の化物であると理解していた。しかし彼女たちの美しい容姿と年相応の可愛い性格に、ここまで本気で恐ろしい存在だとは思ってもみなかった。

 映画の様な迫力あるシーンに怯えながらも奇妙な興奮を覚えたブタオは、はっと我に返り紫が運ばれた部屋を探そうと動き出す。

 

「紫殿ッ。ど、どこでござるか――」

 

 白玉楼の屋敷は紅魔館と同様にかなりの面積を誇る。しかも屋敷の見取りが分からないから手さぐりに探す他なかった。

 あちこち探すが、紫の姿はない。

 探すのに夢中になっていたためか、ブタオは外の様子に全く注意を払っていなかった。

 ブタオが次の部屋を探そうと廊下に出ようとしたその瞬間――

 

「ぶひ?」

 

 一閃の赤い閃光が屋敷ごとブタオの体を貫いた。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 かん高い金属音を鳴らしながら幾度の剣戟が交差する。

 フランと妖夢は互いに得物を持って競い合っていた。

 

「――ッ! な、何なのよその刀ッ! なんで壊れないのよッ!」

「ふん。幾千ものアヤカシを斬り伏せた桜観剣。たかが一人の妖怪の力で易々折れるわけないでしょうッ!」

 

 妖夢の剣撃にフランのレーヴァテインが斬り返す。両者は以外にも互角の戦いを繰り広げていた。

 妖夢とフランでは、スペック差に吸血鬼であるフランが圧倒的なアドバンテージを持ってはいるが、四方からやってくる人魂の対処に手を焼いている。

 多数対少数。剣士である妖夢にとっては少し気持ちの良いものではないが我儘を言っている場合ではない。負けたらブタオが奪われる。手段など選んでいられるものか。

 ただ目の前の敵を倒す。

 単純かつ明確な意思を持った妖夢はとても強かった。

 

「私は負けない! 負けられないッ! 私のお腹には、ブタオさんの赤ちゃんがいるかもしれないんだから! 絶対に負けないッ!」

「な、なんにいいいぃぃッ!? あ、あああ赤ちゃんッ!?」

「そうですよ。赤ちゃんです。私はブタオさんに“あんなこと”や“こんなこと”口では言えない恥ずかしい目に合わされたんですから。あの人には責任を取って貰わなくちゃいけないんです! 邪魔しないで!」

「お、おおおおうおおぉッ! ここここのドロボウ猫ッ! 体でおじ様をたぶらかして……。絶対に許さないこのクソビッチッ」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 互角の戦いを繰り広げていたのは彼女たちだけではなかった。幽々子とレミリアもまた拮抗した戦いを繰り広げていた。

 いや、少し焦り気味のレミリアに対し余裕顔の幽々子の方が客観的には有利に見えたかもしれない。

 

「ほらほら。どうしたの? ボーっとしてると亡霊と蝶があの三人を襲いだすわよ」

「――ちぃッ」

 

 幽々子は幾万もの人魂に加え、同じだけの数の死蝶を召喚しレミリア達に襲いかかっていた。

 まさに数の暴力。その圧倒的な手数にレミリアはイラつきと狼狽を覚えていた。 

 幽々子の繰り出す亡霊と死蝶は、数こそ多いが一つ一つは大したことは無い。レミリアのグングニルならば一瞬で掃討出来る。

 しかし、それは亡霊と死蝶の全てがレミリアに向かっている場合の話だ。

 幽々子はあからさまに動けないパチュリーと咲夜の二人を狙っていた。美鈴が何とか二人を守ってはいるが、さすがの彼女もこの数は相手にできない。

 

 そう。レミリアはまともに相手などされていなかった。幽々子はレミリアを適当にいなし、狙いをパチュリー達に絞っている。その事がレミリアを大きく苦しませ苛立たせていた。

 

「この卑怯者ッ! 動けない奴らを狙って……ッ! 正々堂々と戦いなさいよッ!」

「無法者に合わせる礼儀など持ち合わせておりませんわ。ほら、あの子たちも苦しそうよ? 結界が解けたら紫も自由に動ける。そうすればブタオさんの行方も消えちゃうわね?」

「くッ!」

 

 悔しがるレミリアとは対照的に幽々子は余裕の表情だ。

 しかし内心、幽々子は誰よりも焦っていた。

 紫の能力を封じる為のパチュリーの結界。だが彼女達が最も警戒している紫はもういない。この手で暗い闇の底へと落としてやったのだから。

 

 知られるわけにはいかない。すでに紫がいない事を。

 

 レミリアだけでも厄介だと言うのに、その従者たちまでもが戦いに加わったら勝ち目がない。

 故にレミリア外の三人を執拗に狙い、レミリアの注意を逸らし、少しずつ攻撃を加えていく。

 常人が触れれば命を奪われる“死の概念”そのものであり、あの紫を卒倒させた幽々子の死蝶。

 直接触れなくとも、近づくだけで体力は奪われる。

 徐々にレミリアたちの体力は落ちていく。彼女達が落ちるその瞬間まで、幽々子は緊張をとぎらせることなく、機械的に目的にそって動いていた。

 

(もう少し。もう少しであいつ等は落ちる。そうすれば私たちの勝ち……)

 

 

 

 

 しかし、幽々子の勝利を徹底させたこの戦術が、追い詰められつつあるレミリアに短絡的な思考を呼び起こしてしまった。

 

 

 

 

「美鈴ッ! 二人を何が何でも守りなさいッ! すぐにこいつをぶちのめしてやるからッ!」

 

 短期決戦。

 美鈴たちの体力がなくなる前に、目の前の死蝶と亡霊を薙ぎ払い、一気に幽々子を追いこもうとレミリアは強大な魔力を手のひらに収束させる。

 

「――なッ!?」

 

 その魔力量は、対峙していた幽々子を唖然とさせるほどのものであり、そんな力が解放されれば白玉楼は微塵に吹き飛んでしまう。

 幽々子は、慌てて叫んだ。

 

「ま、待ちなさいレミリアッ! 分かってるのッ!? ここにはブタオさんが居るのよッ! ここでそんな力を解放すれば、白玉楼は――ッ!」

「やかましいッ! 隠れてる紫ごと吹き飛ばしてやるッ!」

 

 激昂した様子でレミリアは叫ぶが、彼女は冷静だった。

 白玉楼を吹き飛ばすほどの力を込めて幽々子にぶつける。その余波で屋敷内にいるであろうブタオもただでは済まない事くらい彼女も理解している。

 

 だがレミリアは八雲紫が健在であると思い込んでいる。

 

 レミリアは知らない。白玉楼での紫と幽々子のいざこざを。紫がすでに幽々子の手に落ちている事を。

 

 故に彼女はこう思ってしまった。

 

 

 ブタオなら紫が守るだろう(・・・・・・・・・・・・)、と。

 

 

「ま、待ってッレミリアッ! あそこには――ッ」

 

 幽々子の叫びもむなしく、レミリアは全てを打ち抜く“神槍”を投げ出した。

 

 

「“神槍”――グングニルッ!」

 

 

 解き放たれた“神槍”は白玉楼を埋め尽くしていた亡霊と死蝶を薙ぎ払い――

 その予波はブタオのいる屋敷を爆散させた。

 

「あ、あ、あああああああぁぁッッ!!?」

「――ッ!?」

 

 終始、余裕の表情を浮かべていた幽々子は血の気の失せた真っ青な顔で叫んだ。

 そのあまりにも甲高いヒステリックな叫びに、レミリア達も。その横で戦っていた妖夢やフランも手を止め、驚愕の目で幽々子を見る。

 戦いに集中していた妖夢も事態を呑み込んだ。彼女の目に映るのは跡かたもなく破壊された白玉楼のお屋敷の光景。ブタオのいる屋敷の――。

 途端に、言い様のない恐怖感が彼女の胸中を貫いた。

 

「う、うわああああぁぁッ! ぶ、ブタオさん! ブタオさあぁんッ!!」

 

 持っていた桜観剣を投げ捨て、絶望的な表情をしながら妖夢は屋敷に駆けだした。いきなり逃亡されたフランも呆気に取られて茫然と佇んでいる。

 しかし妖夢の不吉をはらんだ叫びは、フランにも“思いたくもない事態”を連想させた。

 

「ま、まさか……。おじ様?」

 

 ふとブタオの名を呟く。フランは恐る恐るとレミリアの方を見た。

 レミリア達は蒼白し微かに震えている。目は見開き額からは大量の汗が流れ出ていた。

 

「そ、そんな……。なんで? あ、あああそこには紫がいるはずでしょう? なんであんなに壊れて……」

 

 レミリアは震えていた。今にも泣きそうな表情をしながら震えていた。

 

 あってはならない。今思っている事が現実であってはならない。そんなはずない。

 

 どれだけ否定しても、彼女の視線の奥には、自身が破壊した白玉楼の屋敷の姿がある。

 そして微かに香る生臭い鉄の匂い。彼女はこの匂いを嗅いだ事がある。満月の日のあの素晴らしい夜の時に――。

 

「ね、ねぇ? お姉さま? コレ……血の匂いだよね? この匂いさ、私……知ってるよ?」

 

 フランもまた震えながら絶望した表情になった。血の気は失せ、色白の肌は蒼白となり、額からは嫌な汗が流れ出る。

 レミリアの絶望した表情は、結界を維持していたパチュリー達にも伝染した。

 パチュリーも咲夜も美鈴も。顔面が蒼白となっていた。

 そしていつの間にか結界は消えていた。

 

 レミリア達は幽々子たちの後を追った。彼女達は破壊された屋敷の前で泣きながら叫んでいた。

 

「いやああああぁッ! ぶ、ブタオさん! うわああああぁぁんッ!!」

「嫌だ嫌だああぁッ! ブタオさんお願いします! 目を開けてくださいッ! ブタオさんッ!!」

 

 彼女たちの前で横たわっていたのは、狂おしいほど愛した男の姿。

 

 

 

 

 その彼の体は――『右半分が無くなっていた』

 

 

 

 黒い血とがドクドクとブタオの体から流れ出る。腸がうどんの様にずるりと流れ出る。

 パチュリーはめまいを覚えその場にへたれこみ、咲夜も立っていられずにその場で膝をつく。美鈴は信じられないと震えた表情で佇んでいる。

 

「ぶ、ブタオ……?」

 

 レミリアは半分だけになったブタオに声をかける。

 返事は返ってこない。目をつむったままブタオは何も答えない。

 

「わ、私……私のせいじゃ……。あ、ああ――」

 

 フルフルと首を振りながら目の前の現実を否定するレミリア。だが現実に目の前にブタオはいて――

 

「ああああぁぁぁぁッッ!! ああああぁぁぁッ!!」

 

 彼女は生まれて初めて悲鳴を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後――

 

「――号外~! 号外だよおぉッ! うっひゃひゃっほおおぃッ! 大スクープの号外だよおぉッ!」

 

 カラス天狗の射命丸文は興奮気味に嬉しそうに新聞を幻想郷中にばらまいていた。

 いままで取材してきた中でも最大の特ダネに彼女のブン屋魂は燃え上がり、即日に原稿を書き纏め新聞を発行した。

 彼女の新聞はいつも胡散臭いゴシップ記事だったが、内容が内容だけに新聞を手にした読者たちは皆興味深そうに彼女の記事を読みだす。

 

 彼女の新聞を読んだ読者たちは、それぞれ各自に反応を示す。

 

 

 

 

 ――永遠亭では。

 

「し、師匠! た、大変……大変ですッ!」

「なにが大変なの優曇華。少しは落ち着きなさい」

「お、驚かないで聞いてください! あの……あの紅魔館の吸血鬼と白玉楼のお姫様が本気でヤり合ったって……。弾幕勝負じゃないですよ? スペルカードルールに則らない本気の殺し合いをですって!」

「……ふ~ん」

「あれ? 師匠、驚かないのですか?」

「驚いてるわよ? でもだから何だって話。私たちには関係のない話じゃない」

「そ、それはそうですけど……。でもその動機が一人の男性を巡っての痴情のもつれだとかなんとか……。ねぇ師匠。この話ってもしかして例の患者さんの事じゃ……」

「レミリア達が凄い剣幕で連れてきたあの男性の事? ――優曇華。間違ってもその話は姫様にしちゃ駄目よ。あの患者は絶対安静なんだから。姫様に話したらきっと興味を覚えられるから」

「は、はい」

 

 

 

 

 

 ――守谷神社では。

 

「なぁ早苗、見なよ。射命丸の書いたこの記事を」

「はい? ――え、ええ? あの吸血鬼と亡霊のお姫様が殺し合い? しかも一人の男性を巡って? 何と言うか恐れ知らずなゴシップ記事ですね」 

「そうだな。普段だったら気にもしない内容だけど……」

「はい? 何か気になる所でも?」

「二人を魅了する男性が実際にいるとしてだ。一体、どんな御仁なのかなと思っただけさ」

「きっと相当なイケメンなんでしょうね。何せあの二人が奪い合うほどなのですから」

「もしくは洗脳に似た凶悪な力を持っていたりして……」

「あのお二方が洗脳? ははっまっさかぁ」

「ふふ。冗談だよ。でももしも、彼女達みたいな化物を洗脳出来る存在がいたとしたらだ。私たちの信仰の上昇に利用出来たりしないかな?」

「……恐ろしい事考えないでくださいね神奈子様」

 

 

 

 

 

 ――人里では

 

「たっだいま~。――ん? 慧音どうしたんだ? 新聞なんか見て」

「……」

「ん? ああ、その記事か。はは。凄い内容だよな。あの二人が痴情のもつれで争うとか。確かその間男の名前は……」

「……ケタ」

「でも嬉しいよ。慧音が他の事に興味を覚えてくれるようになって――って何か言ったか、慧音」

「見つけた……ブタオ……」

 

 

 

 

 

 ――命蓮寺では。

 

「大変です聖ッ! 新聞を読みましたか!?」

「ええ。吸血鬼と亡霊の姫君の決闘の事よね? 一人の殿方を巡って争うなど愚の極みです」

「真偽は不明ですが、内容が内容だけに信徒たちの間でも不安が広がっております。彼らの力は幻想郷のパワーバランスを崩しかねないほど強大ですから……。如何しましょう?」

「真偽の定かでない情報に惑わされてはいけないと。仏の教えに乞えばおのずと不安は消え去ると。優しく諭してあげなさい」

「は、はい!」

 

 

 

 

 

 

 ――地霊殿では。

 

「お姉ちゃん、地上に遊びに行ってくるね」

「……早めに帰ってきなさいね」

 

 地底までは新聞が届かなかったから、特に変わりなかった。

 

 

 

 

 

 

 ――その他、落ちていた新聞を拾った一匹の妖怪は。

 

「なんだこの内容。ははっ。完全にガセだな……。いや――もしもガセでなかったら、この幻想郷をひっくり返すことが出来るかも……ふふ」

 

 

 

 

 

 

 

――そして博麗神社では。

 

「お~い。霊夢ぅッ! 見たかよこの記事……って、どこかに行くのか?」

「あ、魔理沙。――ええ。今回の件でレミリアと幽々子たちに話を伺いにね。あいつ等、幻想郷のルールを破ったわけだし、それなりの制裁をね」

「動機は痴情のもつれとか書いてあるぜ。本当かなぁ」

「……それも確かめるわよ」

 

 

 

 

 各々の思惑が交差する。

 

 

 

 

 




ようやく白玉楼編終了しました。長かった・・・
これでようやく次にいける

ブタオさんは、体半分無くなっちゃいました。
でも大丈夫ですよね。幻想郷にはあの天才がいるんですから(ゲス顔)


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