カンピオーネ~天下一の傾奇者~ (カラミナト)
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『傾奇者』聖誕

自分なりに納得のいく慶次が生まれたと思います。

前回の慶次を読んでくれた人も今から読む人もこの自己満足な作品を読んでいただければ幸いです。



インドのとある街の郊外の静かな森の中。

つい先ほどまで森を照らしていた陽の光はすでに地平線へと消えており、今は空に雲一つない満月の光が煌々と静かに森の中へと差し込んでいる。

 

その木々の間から月光注ぐ静かな森の中に一ヶ所だけ木の葉が舞い、枝木が折れ、木々の幹が抉れるといったような唯一穏やかではない場所が存在している。

そこには、一人の人影が見受けられた。いや、人といえるのだろうか。その者の顔は嘴のある鳥のような顔立ちで、背には赤と金の美しく大きな翼を持ち、変わった着物を着つつも金などの装飾で艶やかに彩られた古風ないで立ちをしている。

しかし、かの異常の者の身体は今にも消えゆくかの如く存在そのものが薄くなっていっている。それでもこの後に起こるであろう神殺しの聖誕祭を前にして好機をたぎらせながらかの者の太陽の如き輝きを放つ金の双眼は目の前に倒れ伏す者を見据えている。

 

「フフフ、まさかな。まさかこのような小僧にこの我がやられるとはな。」

 

かの者の視線の先には所々が火傷で焼けただれておりさらには黒く炭化してボロボロになった右腕を抱えて倒れている12,13歳程のまだ子供といっていいほどの少年がいた。

少年は、黒髪黒目のアジア人特有の顔立ちをしており、その身体の大部分は今すぐに死んでもおかしくないほどの火傷を負ってもなお意識は微かの残りつつも朦朧としているようである。

こうして重症の状態でありながらもいまだ槍を離さないその様は少年がどれほどの気力の持ち主であるかを示している。

 

「神たるこの我をいや、大いなる神々をも越えようこの我を弑して見せるとは・・・面白きものを見せてもらった。」

 

かの者は先程の目の前の少年との闘争を思い出し再び笑みをこぼす。

魔術の、武術の心得さえもないはずの幼い少年が智慧と自身の体を使いこなす才能と何よりも少年自身のその気力の凄まじさによってついには神たる自身を殺め、世界中の神話体系でも見ることの少ない神殺しという偉業を成し遂げたのだ。今、少年の身体へと流れゆく自身の神力とこの神力がすべて注ぎ込むことで終了する儀式、そして二度目の生誕を迎える少年の今後の事を思えば笑わずにはいられなかった。

 

「ふふっ。ガルダ様ったら、人の子に負けたというのになんて清々しくていらっしゃるの。さすがは”竜蛇を喰らう者”と呼ばれるだけはありますね。」

 

突如として響いてくる女性の声。その先にはいつの間にそこにいたのやら幼い女性が立っていた。

 

「やはり来たかパンドラ。災厄を振りまく魔女よ。貴様が現れたということは例の儀式とやらが行われるというのだな。」

 

ガルダ。

主にアジア圏において名を変えつつもその知名度は高く、その影響はアジア圏のみならず西洋ヨーロッパにも広範囲にいや、世界中の神話体系や宗教的観点において影響を及ぼす鳥顔の神である。

その起源は、インド神話に炎のように光り輝き熱を発する神鳥として登場する。そして、この世界でも知られるインド神話においてその成り行きと強靭な身体を以て”不死の象徴”と言われ、また、其の出生と生き様から”竜蛇を喰らう者”としてその名を記している。

また、世界中にはこのガルダを起源とし、中国では鳳凰、西洋ではフェニックス、エジプトではベンヌ、そして日本では天狗や仏教において迦楼羅天といったように多岐にわたり知られている。

 

「ええ、あたしは神と人のいるところに顕現する者。そして、ガルダ様のおっしゃる通り災厄を振りまく者。けれどその災厄の中にある一掴みの希望を与える者でもあるのですよ。」

 

そして、パンドラはガルダから新しく自身の息子となる少年へと慈悲と期待を含む視線を向ける。

 

「あなたがあたしの七人目の息子ね。随分と若いのに神殺しの偉業を成し遂げるなんて将来有望ね。いや、神殺しという偉業を為すのに年齢なんて特に関係ないわね。ガルダ様の神力がしっかりと流れていってるわ。ふふ。苦しい?でも我慢しなさい、その苦痛はあなたを人を超越する最強の高みへと誘うための代償よ。甘んじて受けるといいわ。」

 

ガルダとの戦いで消えゆく少年の意識へとパンドラの甘く可憐な声が波紋のように薄く広がり響いてゆく。

 

「さあガルダ様、祝福と憎悪をこの子に与えて頂戴!若くして偉業を成し遂げ地上に君臨する魔王として災厄の人生を征く運命を得たこの子に、聖なる言霊を捧げて頂戴!」

「ああ、いいだろう!小僧!神殺しとして災厄の運命を得たお前に祝福を与えてやろう!”竜蛇を喰らう者”たるこの我の権能を簒奪し、我と同じく生まれ持って英雄たりうる素質を持つ者よ。騒乱の人生を進み己が道を征き自らを磨き、再びオレと相見えるそのときまで己が魂をオレと並び立つほどまで鍛え続けよ!」

 

既にこの世から消えゆく身であったガルダは少年に対する祝福の言霊を言い終えると同じく少年へと流れていっていた神力も完全に消えてしまい言霊を響き渡らせながら消えていった。

さて、これであたしの役目も終わりだと現世を離れようかとしたその時、いつの間にか『洞穴』がいや、内部に完全なる闇を持つ『洞穴』に見える穴がそこに存在しており、『洞穴』の引力によって空気が轟々と音を立てて風となって『洞穴』めがけて吹き込んでいた。

ふいにパンドラが空を見上げるとそこに広がっていたのは雲一つない星空のもと静かに輝く満月だった。

 

「なるほど。これはあの娘の権能ね。全く、儀式が行われたことで反応したということもあるのでしょうけどついさっき神殺しの偉業を為したばかりだというのにもう波乱が待ち受けているとはね。」

 

『洞穴』の引力は非常に強い力をもってして少年を引き込もうとしている中で少年と同じく小柄なパンドラは全く動じておらず、さらには『洞穴』へと巻き込まれようとしている少年を助けようとする素振りすら一切見せておらず微笑すら浮かべている。

 

そしてついにーーー

 

「あなたはエピメテウスとあたしの子、神殺しの魔王となったのよ。例えどんな時代どんな場所へと飛ばされようともあなたならばどうにかなるでしょう。

・・・頑張りなさい。」

 

ーーー少年は闇を湛えた『洞穴』へと吸い込まれた。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

時は戦国乱世の時代。

足利尊氏から始まった足利氏による室町幕府は応仁の乱以降段々と幕府の秩序が乱れていき人心は幕府から離れていった。そして、各地の守護大名は戦国大名化し日本中で戦がない日がないほどに荒れていき、更には守護大名ですら配下の国人に弑される下剋上が起こっている。

 

そして今、弘治元年(1555年)。

下剋上で身を為した斎藤道三とその子義龍により治められている美濃国は西方の田舎に一つの人影が見受けられる。

射干玉の腰まである髪を持ち、本人は無意識にもかかわらず妖艶な雰囲気を放つ二十代ほどの容姿の女性である。もっと着飾ればいいものの彼女が身に着けている着物は白の長着に黒の袴といった非常にシンプルないで立ちである。

 

何も持っていないことから決して旅人などではない。そして、怖いほどに真剣な顔で何かを探しているようなことからこの近くの村に住むものでもないだろう。

 

彼女はある人物を探しに来たのだ。ちょっと特殊な知人から聞いたことが真実であればこの日の本一の大事となるであろう者を。

 

そして、歩くことしばらく。彼女は漸く見つけた。

 

その者はただの子供だった。

しかし、おかしな格好をしていた。

その服は最近やってきた南蛮の者が身に着けているものだろうかと思うほどに風変わりなボロボロの異国風の服。

そして、それ以上におかしいのがその服が焼かれてボロボロになっているにも拘らずこの子供の身には何一つ傷がなかったことだ。

 

彼女は、この子供をいや、この者が内包するものを見て彼が自身の探し人であること確信する。

そして、彼女はその時知人の言葉を思い出していた。

 

『美濃国に羅刹王が現れた。』

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

菊地慶次にとっては小学六年のゴールデンウィークに大学の講師であり世界を飛び回る父親が行こうとしていたインドに偶にはと一緒に旅をしようとしただけだった。しかし、その旅行は慶次自身の人生を大きく変えるものとなってしまった。

決してまだ12歳なのに一人でインドを冒険しようだとか面白いそうな事を話してたから知らない人達についていこうだとか神様とやらを見てみたいだとか思ったわけではない。絶対に。・・・おそらく。

 

とまあ、このように慶次は幼い頃から普通ではなかった。まるで子供の体に大人の魂が入っているのではないだろうかと周りから思われてしまうほどには普通ではなかった。小学生にして英語も特に問題なく話せるなどと知的なところがあったり知らない人の後を追うなどと小学生の常識というものが通用しない。大人っぽいかと思えば今回の旅行のように思い立てば即行動したり、興味のあることに関しては常識など知ったものかと度を越えて他の子供たちのそれ以上に好奇心というものは非常に強い。

 

こうして大人と子供の良いところのそれぞれが桁外れな代物であり、それらが上手く合わさった非常識の塊が菊地慶次という少年なのである。

 

しかし今、その非常識の塊たる彼にとっても度を越えて非常識であると言える事態が何度も続いているのである。魔術師なるものの存在に加え、まつろわぬ神やカンピオーネという存在、そしてタイムスリップ。

流石の彼も先程までインドの森の中にいたはずが目を覚ますと故郷日本の原風景たる月光差し込む和風の家屋が目の前に広がっているとなると混乱するのは当たり前だろう。

 

ゴールデンウィークにどうせならと父親のいるインドへと母親の許しを得て一人で向かった。そこで出会った魔術師を名乗る男性に出会い、興味を持ち魔術、まつろわぬ神、カンピオーネなるものについてを知った。

そして、菊地慶次は『神』に出逢った。

 

まつろわぬガルダと対峙し、戦い、そして勝利した。

 

その後のことはよくは覚えていない。確かなのはガルダとある女性が話していたこと。

 

『”竜蛇を喰らう者”たるこの我の権能を簒奪し、我と同じく生まれ持って英雄たりうる素質を持つ者よ。騒乱の人生を進み己が道を征き自らを磨き、再びオレと相見えるそのときまで己が魂をオレと並び立つほどまで鍛え続けよ!』

 

意識を手放そうとしていたころに言われた言葉だったために慶次はよく覚えていないがなんとなく心に残る言葉であった。

若き人の子に殺されこの世を去ろうとしていた彼は最後まで英雄的であった。

 

さて、意識を手放すとあるように慶次は神と戦い最後には相討つ程には激戦を繰り広げたのだ。つまり、意識を手放した時点で慶次は瀕死の状態であったはずである。かの神鳥の神炎にこの身を焼かれたのだから。

 

しかし、今慶次は古めかしい和風の家で布団に寝かされている。瀕死だったはずが生きているのである。右腕を布団から出してみれば少しでも動かせばボロボロと崩れてしまいそうだった右腕が何事もなかったようにきれいに元通りになっている。

さらに、身を起こし何故か身に着けていた和服をはだけさせてひどいやけどを負っていたはずの自分の身体を見てみても右腕と同じく何事もなかったかのように傷一つ見当たらない。

 

しばらく寝起きで回らない頭を働かせて考えていたが障子の向こうからの一声で考えを止める。

 

「起きたみたいだね。一晩かけて君を背負ってここまで運んであげたんだ。少しくらい感謝してよね。」

 

障子の向こう縁側のある廊下からやってきたのは腰まである黒髪をなびかせ、白の着物に黒の袴をはいた女性だった。どこか女性らしくない飄々と浮世離れした印象を受けた。

 

「あなたは誰なんだ。それにここは・・・確かインドの森の中にいたはずなんだが。それに・・・」

 

「はいはい。私が知っていることならばちゃんと話すからとりあえず落ち着いて。順番に話していこう。

じゃあ、取り敢えず自己紹介からね。私は前田桔梗。」

 

いろいろとありすぎていて混乱していた慶次は自分の身体を見ながら話そうとしたところで彼女、桔梗に話を挟まれた。

桔梗の言うことも道理だと一先ず深呼吸して落ち着かせ、自分に問いかけるようにして見ている桔梗に答えた。

 

「俺は菊池慶次だ。次に、ここは何処なんだ。もしかして日本・・・なのか。」

 

そうだ、さっきまで父親と一緒にインドにいたはずだ。しかし、周りを見渡してみるとそれが今は障子や床の間などの日本家屋の特徴が見受けられ、家電製品も電球もないところからまるでものすごい田舎の日本にいるかのようだった。

 

「そう。さっきまで君がいたところは何処なのかは私には分からないがここは日本だ。美濃国のはずれの山地伊吹山麓にある私の草庵だ。」

 

“みののくに”が何処なのか伊吹山というのが何処にあるのかは知らないがとりあえずここは日本であるということは理解した。でも、どうしても納得は出来なかった。さっきまで自分がいたのはインドであり別の国だ。いつの間に海を渡り長距離を移動してきたのかそのことについて聞こうとしたが口を開くが早いか真剣な顔をした桔梗が話し出した。

 

「君は非常識というものをその身で体験したはずだ。いつの間にか長距離を移動していようが海を渡っていようがささないな事。違うかな。」

 

まるで心を読んだかのようなそれを聞いて思い出した。

魔術師、炎、神、ガルダ、少女。

インドを探索している短期間の間に体験した不可思議な事柄についてを思い出した。

 

ーそうだ。俺は神などという非日常の化身と対峙したんだ。今更、いつの間にか日本に帰っていようがおかしなことではない。

 

そこまで考えてはたと気付いた。

 

「どうして、桔梗は俺のことを知っているんだ。」

 

「いや、君のことをすべて知っているわけではない。君のことは今教えてくれた名前と他はただ一つの事しか知らない。」

 

桔梗に問うて帰ってきた答えはいかにも意味深な答えだった。

ただ一つの事とは何なのか。慶次はそれを桔梗に尋ねた。

 

「君が人の身で神を弑した存在。羅刹王であるということだ。」

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「・・・羅刹王。カンピオーネ、ラークシャサ、エピメテウスの落とし子・・・神殺し。」

 

慶次はインドで会った魔術師を名乗る者の話していたことについてを思い出した。あの頃はオカルトには興味がなかったために何を言っているんだと思っていたが今ならば、神と相対した今ならば理解できる。

 

ーあの魔術師が言っていたことは本当だったのだ。そして、俺はあの神をガルダを弑した。ならば俺は・・・

 

「そう。神殺し。まあ、そのことについて知っているのか。ならば話は早い。私は知人からこの国にそれも近くで羅刹王が現れたことを知った。そして、その場所に行ってみると君がいたってわけだ。」

 

桔梗の言う知人が誰なのかは知らない。しかし、

 

「その・・・羅刹王、神殺しっていうのは何なんだ。」

 

「あれ、君は呪術師の家系の者ではなかったのかな。」

 

「呪術師・・・いや、それが、神殺しやら魔術師やらってのはつい最近聞いたんだ。あいつに、ガルダに会う前に。」

 

呪術師。また慶次の知らない言葉が出てきた。そう、まだ慶次はつい最近非日常の世界を知ってしまったただの普通の日本の小学生なのだ。

一応、インドで会った魔術師には魔術やら神やらカンピオーネやらを少し聞いたことがあったが半信半疑でまともに聞いていたわけではなく、現在の彼は非日常の世界の単語を知り、非日常を体験しただけの子供なのだ。羅刹王とやらになったことは記憶から理解はしても納得したわけではなく、魔術だの呪術だの言われてもど素人の彼にはまったくもって理解できないのだ。

 

「そうか。ほとんど何も知らないと。

ふむ、そうだな。ならばまず神殺しについてを教えようか。神殺しというのは・・・」

 

桔梗は何も知らない慶次に懇切丁寧に教えてくれた。

神越し、この国でいう羅刹王とは。呪術というのは。呪術師というのは。などというように今まで自分が知らなかった世界についてを知るというのは好奇心の旺盛な彼にとっては非常に興味深かった。

多くを知った。今までは知らなくてよかったことを。そして、これ以降は知らなければならないことを。

そして、理解した。今、自分がこの国においてどのような位置に身を置くかを。

 

「この国において呪術師というのは主に帝に仕える政治に関わる公家とは違い呪術の方面に特化した四家を中心とした呪術師と日ノ本中に散らばって存在する民間の呪術師が存在している。この二つの違いは例を挙げるなら京を中心とした儀礼的な呪術を専門とした組織と一部の素波のように実践的な呪術を専門とした組織といった方が分かりやすいかな。」

 

「その四家というのは何だ。」

 

公家の存在については知っており、何かおかしいことには気付き始めたが取り敢えず知らない単語についてを聞いた。

 

「四家というのは清秋院・九法塚・連城・沙耶宮という帝に古くから仕える四つの名家のことだ。

そして、この国の呪術師はこの四家を中心とした名家とその分家がほとんど。その他の民間の呪術師はその分家のはぐれ者達みたいなもので一部を除いて圧倒的に権力は弱く数も少ない。」

 

「ならば桔梗はその二つの内のどちらなんだ。」

 

「私は面倒な家を出てきたただのはぐれ者。帝に仕えているわけでもなんでもないから一応、民間の呪術師ってことになるのかな。」

 

さっき桔梗は所謂民間の呪術師は呪術の名家やその分家を出たはぐれ者だといった。つまり、桔梗もその例にもれずどこぞの名家の出身なのだろう。

しかし、彼女自身が詳しく話そうとはしないので聞こうとは思わない。

 

「まあ、今までは主にこの国の呪術の世界についてを詳しく話してきたわけだけど、この国において政治でもそして呪術でも頂点に立つ者は帝だけれども羅刹王である君が現れたことでこの国の均衡はどうなるのかが分からなくなると思う。

なにしろ君はこの日の本において始めて現れた羅刹王なのだから。」

 

一応、この国の呪術師は中華や天竺など異国にて羅刹王つまり神殺しが存在していることを知ってはいるのだけれどね。

と桔梗は言い残した。

 

「・・・つまり、どういうことだ。」

 

「つまり、君の存在は帝にそして京の呪術師たちには知られない方がいいってことだ。

異国では神殺しを中心とした呪術師の組織を形成しているみたいだけれどこの国の呪術社会は昔から帝を中心に成されているのだから。」

 

なるほどと思った。

いままでは呪術の方面でも帝を上に置けば成り立っていたものの突如羅刹王という特殊な存在が現れてしまうと呪術社会が混乱してしまいかねない。なんといっても一流の呪術師が何人、軍隊が現れようが神を弑し神の権能を簒奪した羅刹王を止めることなどできないのだから。

しばらく自分の存在は公に晒すことが出来ないのだと理解できた。

しかし、だからといって一生知られないなどということはないだろう。

 

「まあ、一生京のそして国の呪術師からバレずに済むなんてことはないだろうけどね。」

 

と、先程考えていたことを桔梗が言う。

 

「その時は好きに生きていけばいい。君の進む道を阻むことが出来る者なんて同じ神殺しか神にしかできない音だからね。

それまでは、そう。ここにいても構わないよ。」

 

桔梗は真剣な顔を真っすぐに慶次に向けてまるで帰る家のない子供に対して言うように優しくそう言った。

それで理解した。

いや、いままで無意識にその現実から目をそらしていたのだ。

古風な日本家屋、照明のない木の天井、その代わりにある火の灯っていない行燈、一切の電気製品のない和室。

 

「今は、今の年は何だ。」

 

「弘治元年。」

 

「桶狭間の戦いは知ってるかな。」

 

「知らない。」

 

「・・・今、京の都を治めているのは誰。」

 

「三好長慶。」

 

「・・・」

 

なんとも無機質な問答だった。

でも、理解した。

自分が所謂戦国時代にタイムスリップしてしまったということを。

インドから日本への空間のみならず時間さえも越えて移動してしまったのだ。つまりは、平成の時代にある自分の家へは帰れないのだ。

 

そういうことを未だ子供ながらに理解した。

 

「なんとも、子供にしては賢いというか子供らしくないというか・・・

まあ、神殺しの偉業を為す者というのはやはり根本的に違うのだろうな。」

 

慶次の困ったような焦ったようなよく分からない顔から落ち着いた雰囲気に変わったところでそれを察した桔梗は慶次に話しかけた。

 

「いつから気付いていたんだ。」

 

「まあ、君の服装を見た時からかな。その時はなんとなくだったけれど君がこの部屋を見て不思議そうな顔をしていたからそこでもしかしてってね。」

 

なんとも勘のいい人だとそう思った。

 

「寂しくはないのかな。」

 

「寂しい、か。うん・・・」

 

桔梗は寂しいかと家族に会えない、戻れないと思うと寂しいかとそう問いかけてきた。

でも、

 

「どちらかというと歴史をあまり知らない俺だけど過去の世界を知ることが出来るという好奇心の方がでかいかな。」

 

それを聞いた桔梗はなんとも呆れたという顔をした。

 

「羅刹王は普通の人間はなれないのだろうけどなんとも・・・

普通そのくらいの年頃だと親に会いたいと思うものだと思うのだが。」

 

「まあ、そうじゃない子供もいないことはないんじゃないのか。」

 

「ハァ、まあいいか。

さて、私の話が終わったところで君と話したがっている者がもう一人いるんだがそこに行ってもらう。」

 

「もう一人って、俺がここに現れることを桔梗に教えた人か。何処にいるんだ。」

 

「そう。物分かりが早いってのはいいね。

でも彼は人じゃないんだ。それに場所もこの世界にはない。」

 

桔梗のその言い回しはなんとも嫌な予感を感じさせた。羅刹王に皆同じく備わる高い直観力が働いたおかげなのだがまだ羅刹王になりたての彼にはよく分からなかった。

そして、どういうことなのかと問いただそうとした時、ふいにカクリと軽い揺れを感じた何だと思って下を見ると暗闇が広がっていて自身の足が徐々に飲まれていっていたのである。

 

「おや、もうお呼びとは。やっぱりせっかちだね。」

 

「ど、どういうことだ!」

 

「今から君が行くところは幽世というところだ。ああ、その場所については彼に詳しく聞いてくれ。じゃあ、行ってらっしゃい。

そうそう、君に会いたがっている私の知人というのは

 

酒吞童子

 

だ。」

 

桔梗のその言葉を聞き終わると同時に慶次の視界が暗くなっていった。

 

 

 

目の前がいきなり真っ暗になってすぐに眼が覚めるとかと目の前に大きな社のような屋敷が建っていた。

竜宮城を海底のきらびやかな社だというのならばここはまさに森のいや、山頂に聳える武骨な社である。

門は人が通るには大きすぎる。それもそうだろう。ここに住まうものは鬼なのだから。

 

酒吞童子

 

さっき桔梗はそう言っていた。それが事実ならば今から会うのは平安期にその名を轟かせた鬼の大将だ。

 

魔術、呪術というものを知り、神に出会いそして時空を超えて戦国時代へとタイムスリップした。さらには今から日本の妖怪を代表する鬼の大将酒吞童子に会う予定なのだ。

オカルト要素満載で普通の人ならばもう勘弁してくれと精神が持たないだろう。

しかし、慶次は違った。

摩訶不思議な世界に出会い、神殺しとなり今後は深くこのような世界に関わっていくことになるだろう。それがなんとも楽しみであった。

 

慶次は、今までと同じように自身の好奇心を満たすために行動を起こすのみである。



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一章 水神、そして天空神
一話


幽世。

欧州では”アストラル界”、中国では”幽冥界”、ギリシアでは”イデアの世界”。そして、神々からは”生と不死の境界”などというように呼ばれている。

日本は大江山、そしてそこの主と関わりの深い伊吹山の主に二つに入り口を持つ鬼の大将のために存在する山頂の龍宮御殿。

万民がイメージするであろう赤と白とそして金の装飾で彩られた煌びやか海底の竜宮城とは違いこの龍宮御殿はその名の通り煌びやかだが、それはゴツゴツとした岩山の山頂の広い大地にの上に広がっている。木々の緑と天上の青、そして御殿の白と黒で彩られた武骨ながら綺麗で多彩な色で彩られている。

 

今、この山の龍宮御殿の中、広すぎる中庭には刃と刃の合わさる金属音、衝撃と振動と砂埃、それに周囲の熱気と物理的な熱気に包まれていた。

この広大な中庭を囲むのは異形の者ばかり。それらは日本において鬼と呼ばれるものである。皆頭に立派な角を持っている者の、角を一本持っている者日本持っている者、はたまた三本、四本持っている者が存在する。そして、多種多様な角の形、大きさ。多種多様な肌色。多種多様な背格好。多種多様な衣服というように様々な鬼たちが数百、数千と存在している。

 

そして、彼らの注目する中庭の中央部には二つの影があった。一つは通常の人間の大きさだがもう片方はその二、三倍は縦に横に大きかった。

一方は、人間でもう一方は左右と額に三本の角があることから鬼であることが分かる。

 

着流し姿の人間はその身に朱と金の炎を纏い、大きな朱色に金の装飾のされた素槍を持っている。

一方のもろ肌を出した袴姿の鬼はその身の丈に合う大太刀を持っている。

両者はそれぞれの得物を構え相対している。彼らの周りの床は既に谷のように深く抉られたり、十数メートルのクレーターがいくつもあったりと散々な有様である。

 

「はあああっ!」

 

中段で槍の穂先を下の方に向けた左前半身の構え。

その構えから素早く穂先を相手に向け投擲する。朱色の長槍は赤く輝く炎に包まれて真っすぐに鬼へと向かっていく。その槍はまるでロケットのように炎を後ろへと噴き出し推進力を得て猛スピードで突き進んでいく。

 

普通ならば武器を手離すなどという愚行は犯すべきでない。武器を手離すということはつまり自殺行為だ。しかし、武器を手離すことによって相手の意表を突き、その一瞬を見逃さず必殺の一撃を放つなどといったように攻めに繋がる行動であれば別だ。

 

そして、彼は次の行動を起こしていた。

羅刹王故の莫大な呪力を使った”猿飛”で人間離れした跳躍力と身軽さを得た彼はその身のこなしと高速で鬼の死角となる後方へと移動する。以前には何も持っていなかったその手に先程投擲したばかりの朱色の長槍と同じ槍が彼の手に宿る赤く輝く炎が鬼の後方に現れたときにはそれを象って出現し始めていた。

 

鬼の前方には猛スピードで迫る赤く輝く炎の槍が迫ってきており、後方にはいつもの中段の構えをした青年が下から上に背中から鬼の心臓目掛けて突きを放っていた。

まさに、前門の寅後門の狼。鬼の得物は大太刀ただ一つのみで神速に至らんとするそれらの攻撃は防げてもどちらか一方だけだろう。

絶対絶命の窮地に陥ったと思われたが鬼の顔に焦りの色は見られない。

 

前方後門と鬼を挟み込むように放たれた攻撃はしかし防がれた。

 

鬼は左足を引き大太刀を円を描くようにしたから上へと振り上げ左切り上げで槍の突きを横から下方に弾いて防いだ。

 

その数瞬後に鬼の後方から大きな爆発音が轟いた。

圧縮され、穂先の一点に集中された炎の槍が鬼を覆うほどに大きく厚い鉄の楯に阻まれて爆発を起こしたのである。

こちらは青年が放った槍の突きとは違い完全に熱と衝撃を防ぎきれずに少なからず鬼の背中に傷を負わせた。

 

しかし、鬼は受けた傷の痛みを顔に出さずに槍を弾いたことにより重心を崩してしまった青年に対し、大太刀の返す刃で袈裟斬りに叩き付けた。

 

槍の穂先を下に向けたままで防御が間に合わないと理解した青年は大太刀と自身の間に炎を集め、圧縮し、強固な炎の楯を造り上げた。

 

その炎の楯は鬼の怪力で叩き下ろされた大太刀を防ぎ、すぐ後に崩れてしまうもののその間に槍を引き鬼と距離を取った。

 

そして、その後も素早さに分のある青年が鬼の周囲を動き回り、炎で、鉄で、槍で、大太刀で、攻撃し、防御しを繰り返していった。

時には両者共に炎を、鉄を操り刀に、槍に、短刀にと獲物を変幻自在に変えていき、更には体術まで使い相手に手傷を負わせようと多種多様な方法で攻防を繰り返していく。

 

青年の長槍と鬼の大太刀の奏でる度重なる剣戟の音が炎の熱風そして時折響く爆発音の中に響き渡る。

 

青年の動きは鬼を翻弄するかのような素早い動きからの素早い槍の突きの攻撃からなり、鬼は逆にその巨体を生かした大迫力の力攻めかと思われるが青年の動きに合わせるかのような小刻みな動きの中十数合の打ち合いの後に大きな一撃を与えるというような戦闘をしている。

 

そして今、十数合の槍と大太刀の打ち合いの後に青年がわずかながらに隙を見せた。

鬼はこの隙を逃すまいと素早く大太刀を大上段に構え一歩踏み出し上から叩くように袈裟懸けの力技の斬撃を放つ。

青年は鬼の大太刀受けざるを得ない態勢故に自身の朱色の長槍を大太刀と自分の間に持ってきて鬼の怪力と大太刀の大質量からなる振り下ろしを防ぐために長槍を炎で強化し、更に自身の身に纏う炎を両腕に集中させて朱色の籠手を形作る。

これは鬼が力技を放つときかつ態勢から避けることが出来ないときに青年が行ってきた鍛錬の時の対処方法である。今日だけでも十回に届かん位には行ってきた。

だからこそ防ぎきれる。

そう思い、鬼の大質量の袈裟懸けに備える。

 

青年のその小さな心の隙をこそ最も鬼が望んでいたこととは知らずに。

 

青年が考えていた長槍の柄と大太刀の刃が重なる大きな音と衝撃は現れなかった。

代わりの響いたのは刃が風切る音と床を大きく踏みしめて鳴るダンッという音だった。

 

そして、その後見えたのは右脇腹を深く切り刻まれ出血する青年の姿だった。

 

「クッ、そうか態と同じような行動を繰り返していたのか。自分の後の行動を制限して読み取らせ隙を作ると・・・

さすがだな。」

 

「フハハ、本物の殺し合いならばまだしもただの鍛練では貴様のような若造に勝ちを譲るわけにはいかぬでな。」

 

そう言った鬼の手にあるものは先程まで持っていた大太刀とは違い長さが短い太刀だった。

鬼の鉄を操る権能によって自身の得物である大太刀を太刀へと変化させ、得物の長さを短くすることによって態と青年の槍に当たらぬように空ぶらせたのだ。

そして、太刀の勢いを殺し、大きく一歩を踏みこみ、返す刃で青年の胴を真っ二つにせん勢いで青年の右から横に太刀を薙いだのだ。

 

しかし、青年は意表を突かれてものの鬼のこの左薙ぎの攻撃に対し対処して見せた。

青年は自身の長槍を持つ左手を離し、離した反動でそのまま右を前に出すように半身にして後ろに下がったのだ。確かに右脇腹に傷を負ったものの死を免れたのだ。

 

青年は槍から手を離し、体を身軽にして、バック転で鬼から距離を稼いだ。その後すぐに自らの炎をもってして未だにダラダラと血を垂れ流す右脇腹を焼いて傷を塞ぎこれ以上の大量出血を防いだ。

その間、青年は顔を微かに歪ませるだけでその眼は真っすぐに鬼を見据えていた。

 

「まだ続けるというのか」

 

「もちろん」

 

青年の負った脇腹の深い傷は普通の人ならば致命傷といってもなんらおかしくはないのだが、羅刹王の治癒力故かそれとも両者の考えが外れているためかどちらかそれとも両方なのかは分からないが、とにかくこの程度は両者にとって殺し合いでもなんでもなく日常的に行うただの鍛練なのだ。

 

青年の答えに対し鬼は口元を大きく歪ませそれに答えた。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

この龍宮御殿のある幽世は比較的自由に霊視が出来る便利な場所ではあるが、人が住むような場所ではないため長居しすぎると人としての肉体を失う危険性がある。

それなのにこの青年は何故このような場所に普通にいることが出来るのか。

 

それは、彼が神殺しだからである。

 

彼の名前は前田慶次。

この日ノ本で唯一の羅刹王であり、この長い歴史をもつ日ノ本において史上始めて現れた羅刹王でもある。

 

彼には450年程後の平成の世の日本から神の権能によって時空を越えてタイムスリップしてきたという秘密をもつ。

そして、この戦国時代に辿り着いて三年間拾ってくれた前田桔梗を呪術の学問の師と仰ぎ、そして親子のように過ごしてきた。

 

そして、この時代に飛ばされて二番目にあったのが先程までの鍛練相手となっていた酒呑童子である。

 

桔梗と話し終えた慶次はせっかちな酒呑童子によってすぐさま慶次のいる伊吹山の入り口から酒呑童子の拠点であり、配下の大小様々な鬼が多くいる御殿へと連れ込まれた。

そこでは無理矢理連れ込んだ割には特にこれといった用事もなく桔梗に話した自身の話を特にガルダとの対戦の様子などを聞いただけで酒呑童子の用事は終わった。

 

ただ単に暇だっただけなのである。

 

慶次はこの時無理矢理連れ込まれ、更には話を聞く以外に大した用事もなかった酒呑童子に怒りを覚えてもののこの後にどうせだから実力を見せてくれと言った戦闘狂とも言える酒呑童子の案に乗って手合わせをすることになった。

 

その手合わせから始まって暫くはこの伊吹山で大人しくすることになるだろうしガルダから簒奪した権能を使いこなすにもちょうどいいということで日々第三者から見ると殺し合いにしか見えない鍛練を始めることになったのである。

 

ここで先程の鍛練からも分かるように両者の権能は非常に似通っている。

慶次の権能“迦楼羅炎”は攻防ともにバランスの良い権能で身に纏う炎を攻撃には槍や刀といった武器に変え、防御には楯をといったように炎を物質化する権能である。

 

ガルダは母を解放するために天上へ向かったときに風神ヴァーユが軍勢を整えるものの、多くの神々を打ち倒し、神々の王インドラの最強の武器ヴァジュラの攻撃を受けるも倒れることはなかった。

 

このことからガルダは高い攻撃力を持ち、強靭な身体による防御力も持つ非常に攻防バランスのとれた神なのである。

 

そして、酒呑童子だが、かの者は鉄を操るという力を持っている。

これは、酒呑童子が大江山の古代の山師を指していることからくる。

山師というのは当時の鉱山技師のことであり、この山師たちは大江山の豊富な鉱山資源、技術で多くの富を得ていた。そのため、これに目を付けた都の勢力がこれを襲い、富を収奪し、大江山を支配下においた。

この時のことを都の者たちが自身を正当化しようと山師たちを鬼つまり民の敵にした鬼退治の説話が作られた。

 

このことから山師(鉱山技師)である酒呑童子は鉄を操り、刀や槍といった武器を造る、さらには楯などといった防具も造ることができる力を持つ。

 

同じ炎や鉄といったものを操り、武器を防具を造り、攻防ともに活用する力を持つからこそ最初は武器を扱う技術や権能を使いこなすことに関して一日の長である酒呑童子が鍛練において優勢であったが、天性の槍術と身のこなしの上手さから今では勝敗は僅差で決まる。

 

同じような権能を持つからこそ、この日々の鍛練は慶次の槍術の才を伸ばし権能の掌握を早めたのである。

今では権能を完全に掌握したわけではないが得意な槍を含め武器も炎も自在に操れるようになった。

 

「全くもって貴様のその朱槍は面倒だ。鉄ではない故儂の権能が及ばぬ。」

 

酒呑童子の権能は当時の鉱山技師である大江山の山師のことを指していることから鉄を操るというものである。

しかし、酒呑童子の権能はそれに留まらずその先がある。それは、鉄の武器を無効化することが出来るというものである。

酒呑童子のその身体は鉄の攻撃受け付けない。鉄を操り、鉄と親しみ、鉄も味方とすることはあれど鉄がその身を傷つけることなぞはないのだ。

故に一部を除いて酒呑童子の身体はその身で刀などといった鉄の武器で受けるとその武器を無効化、ドロドロに溶かし使い物にならなく出来るのだ。

 

しかし、源頼光と四天王に寝首をかかれ、首を切り裂かれたという伝承上唯一の欠点として酒呑童子の首だけは鉄の刃を通すのだ。

 

このような特性により酒呑童子を相手取るものは苦戦を強いられるのだが、前田慶次だけは違った。

慶次の権能である迦楼羅炎は炎を物質化して得意の槍や刀などといった武器を造り出すことができるのだ。このような点から慶次の持つ朱色の長槍は鉄ではなく炎として見なされるため酒呑童子の不死身の身体を貫き得るのだ。

 

更に、ガルダは“竜蛇を喰らう者“として知られているため慶次の権能である迦楼羅炎は竜蛇に類する者であればその者に優位に働く。

そのため、八岐大蛇の子であるという伝承があり、鉄の武器を無効化するという蛇の不死的属性を持つ酒呑童子に対して慶次の迦楼羅炎で象られた朱色の長槍は有利なのである。

 

「権能の性質では俺の迦楼羅炎の方が勝っているはずなのだがな。

そろそろ一勝をもぎ取るとしようか。」

 

「フン、同じような権能を持つ以上長き時を生きた儂の方に一日の長がある。

技術で劣る貴様に負けようはずがない。」

 

そう。酒呑童子の言うとおり、同じような権能を持つ者との鍛練で慶次の権能の掌握は進んでいるものの、長い時をかけて磨き上げられた酒呑童子の技術に優らないがために慶次は三年たった今でも酒呑童子相手に一勝もしていないのである。

 

「しかし、羅刹王というものは常に上位の者を倒す権能の簒奪者だ。

今日死んだとしても文句は言うなよ。」

 

酒呑童子はそう大口を叩いた慶次に対して凶悪な笑みを向ける。

 

「ほう。そうまで言うとはなんぞ手があるというのか。良かろう。儂の期待を裏切るでないぞ!」

 

そう言って酒呑童子は太刀を再び変化させた大太刀を正眼に構える。

対する慶次は身に纏った炎を今日の鍛練で何度も行ってきた籠手の形成を全身で行い、赤と金の装飾で彩られた当世具足で身を包む。

 

「なるほど。鎧で身を包み防御力を底上げしたか。

なれど、その程度の防御力なぞ儂の怪力で打ち砕いてくれるわ!」

 

慶次が年齢為したことを読みその先の捨て身の突貫という行動さえも酒呑童子は読みきった。

 

しかし、行動を読まれた慶次は動揺も何も顔色さえも変えずに穂先を下に向けた中段で朱色の長槍を構え、酒呑童子を真っ直ぐに見据える。

 

そして、酒呑童子の読み通り慶次は炎の鎧を頼みとして突貫してきた。

 

素早さの勝る慶次を警戒し、酒呑童子はそのまま正眼に構えたままである。

 

「はああああ!」

 

慶次は声を上げ槍をただ真っ直ぐに突いてきた。

それに対する酒呑童子も突きを避けて槍を反らし、慶次の胴を薙ごうと動き出した。

 

酒呑童子の動きを読みつつも慶次はそれでも突貫する。

慶次の動きに疑念を抱くも酒呑童子は突き出された槍の左を大太刀で添えて右に反らそうとする。

 

慶次の槍は酒呑童子の横を通る。

酒呑童子の大太刀は既に右薙ぎに払われようとしている。

 

そして、

酒呑童子の大太刀は鬼の怪力をもって慶次の炎の鎧を破らんとそれにぶち当たり、

 

なんの抵抗もなく、まるで空気の塊を切り裂くようにして、

 

慶次の左を通り抜けた。

 

「なっ!!」

 

慶次は大太刀の軌道を描くように腹部から真っ二つに裂かれていた。

しかし、その断面からはメラメラと炎が燃え盛っており、腹部に空いた空間を埋め尽くしていき、そして、繋がった。

 

赤と金の仰々しい炎の鎧は酒吞童子の攻撃を真っ向から受けて隙を見出すためのカモフラージュただの張りぼてだったのである。

慶次はもちろんこの酒呑童子の動揺による隙を見逃すはずがなく槍を左から切り上げた。

 

酒呑童子は大太刀を振り下ろした時の反動を利用して左へと避けるも慶次の槍は酒呑童子の右腕に届く。

 

大太刀を持った酒呑童子の右腕が飛ぶ。

 

慶次の槍は酒呑童子の急所となる首へと突き込まれ、寸でのところで止まった。

 

「・・・殺らぬのか。」

 

「これで詰み。俺の勝ちだ。それ以上のもんは要らねぇよ。」

 

決着が着いた。

慶次の初勝利だった。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「何故最後までやらなかった。」

 

二度目の質問だ。しかし、問いのニュアンスは違う。

 

「これはただの鍛錬だ。確かに殺されても文句は言えないような本気のぶつかり合いだが相手を殺す必要はない。

いつも俺を相手取ってそれでも俺を殺さなかったあんたと同じことをしたまでよ。

文句を言われる筋合いはねえ。」

 

酒吞童子はまだじっと見てくる。その先を促すように。

 

「ただ、あんたが現世でまつろわぬ神として殺り合うってんなら俺は本気で殺す。」

 

沈黙が続いた。

先程までこの中庭の周りでやんややんやと騒ぎ立てていた鬼どもはここにはいない。

酒吞童子と二人きりだ。

 

「なんであんたはこの幽世にいるんだ。いや、野暮な質問だったな。」

 

ふいに思い浮かんだ質問はいままでで一度も考えたこともなかった所謂酒吞童子の存在そのもの、核心を突くような質問だった。

恐らく酒吞童子に初めてこの鍛錬で勝って気が緩んでいるのだろう。

 

「まあ、簡単に言うと疲れたからというのが理由だろうな。」

 

「・・・そうか。」

 

疲れたから。

その答えに関してあまり理解できなかったがそれ以上聞くことはやめた。

 

「あんたみたいな奴は他にもいるのか。」

 

「儂のように幽世に隠れ住んで居る者か。」

 

「そうだ。」

 

まつろわぬ神が現世にではなく幽世に隠れ住んでいる。

その事実は羅刹王である慶次にとっては興味深いことであった。

その神が現世にひとたび現れればかの神と自分は対峙することになるだろう。故に少しでも情報が欲しかった。

まあ、酒吞童子のようにもう現世にて暴れようとは思っていないのであれば何の問題もないのだが。

 

「そうだな。名前までは知らぬが京の都には呪術師に干渉しておる者が一柱、それに大和の何処ぞにもう一柱おることは知っておるがそれ以上は知らぬな。

まあ、貴様に関わりがあるとしたら京の一柱であろう。京の呪術師に合えば自ずとかの神も関わってくるであろうな。」

 

京の裏に潜むまつろわぬ神。

そして、大和つまり平成の世の奈良にいるまつろわぬ神。

今後、関わってくるかもしれない二柱の神の事を考える。

 

「それはそうと。貴様、最後のあれはなんだ。」

 

思考中酒吞童子が言葉を挟んできた。

最後のあれ。つまり、身体が炎のようになり大太刀を避けた時のことであろう。

確かに今まであのような技を見せたことなどなかった。それに酒吞童子はあの権能のせいで初めて慶次に負けたようなものなのだ。

気になるのも当たり前だろう。

しかし、

 

「いや、分からない。」

 

「は?」

 

「あれは、何というか・・・今ならば出来そうだと思って勢いでやったんだ。

あれをもう一度やれと言われても・・・」

 

「やり方が分からぬ故出来ぬ、と。」

 

頷いて答えて見せた。

あの身体を炎と化する権能。それこそが迦楼羅炎の真の権能なのだろう。しかし、やり方が分からないのだ。忘れたではなく、分からないのだ。

それに、一つ不思議な点がある。

 

「あんたにもらった脇腹の一発なんだがそれが完全に癒えている。

ガルダは、迦楼羅天は不死身の神だ。恐らくはこのことに何らかの関係があるのだと思う。

しかし、今のところはさっぱりだ。」

 

今日の鍛錬は初めて酒吞童子に勝ったものの疑問が一つ増えた。



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二話

永禄元年(1558年)

 

戦国乱世のこの時代、帝の住まう京の都でさえも応仁の乱以後は管理するための金子もなく、修理をしてもその甲斐なく戦火に焼かれるために寂れ続けているというのにこの街は活気で溢れかえっている。

 

近江国は淡海の海(琵琶湖)の東岸にある六角氏の居城たる観音寺城の城下町。

さわやかで暖かい春の陽気をはらんだ風から梅雨も間近であると感じさせる湿気のある風へと変わり始める皐月も末のころ。

目の前には水運の盛んな淡海の海が広がっており、近くには美濃から京に至る東山道と伊賀へと至る八風街道があり、京に近いこともあってか物の動きも人の動きも盛んな大都市である。

 

六角氏前当主の六角定頼による楽市令によって城下町の石寺においては商人が自由に商いが出来るために商業が盛んな街として知られて十年が経とうとしているこの街は昨今の南蛮人の来日によって出回り始めた南蛮渡来の珍妙な品々なども堺や京の都ほどではないものの立ち並んでいる。

 

そんな城下町に一人、周りとは違い明らかに浮いている者がいる。

 

その青年は袴も穿かず、白地に金縁赤色の龍炎文様が各所にあしらわれた長着を着て、組紐状の黒と銀の帯を腰にグルグルと巻きそこには黒漆の拵えの打刀が差されており、肩には袖や襟が赤や金で彩られた黒地の胴服を羽織っている。

青年の黒髪は頭頂付近で赤の組紐で簡単に結わえられて背中まで伸びている。

 

その様は所謂、傾奇者。

 

傾奇者とは異様な姿をしており、徒党を組んで無銭飲食、金品強奪などの乱暴狼藉を働くために庶民からはよく思われていない場合が多い。

 

しかし、彼は違った。

彼はその持ち前の強運で博打において逆にこの周辺の博徒どもを干上がらせ、その金で時折気前よく庶民に金を配り、更には猛る博徒どもを返り討ちにするほどに腕っぷしは強い。

 

傾奇者でありながらも、彼は違うのだと。彼に好印象を抱く庶民も堅気でないものもその青年の事を皆、そう呼ぶ

 

天下一の傾奇者、前田慶次と。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

まさしく神のいたずらかそれとも同類の神殺しの権能によってかは分からないが戦国時代に流れ着いてから三年が経った。

最初のころは桔梗の言う通り京の都の呪術師たちに自分の存在が知られるということは混乱を起こすだけであるということは理解できていたので伊吹山山麓の草庵に桔梗とともに隠れ住んでいた。

幽世にいる酒吞童子とは鍛錬をしたりとなかなかに面白い生活が出来ていたので不満は一切感じなかった。しかし、鬼の伝説の残る伊吹山のしかも東山道のある南ではなくて北方の山奥にある草庵には、神仏やあやかしものの存在を信じる時代であり、さらに桔梗が草庵周辺に人払いの結界を張っていたこともあって人が近づくはずもなく慶次は一年もの間桔梗以外の人間とは一切会うこともなかった。

 

流石に戦国時代という450年も昔の日本にいるのだ。人に会うこともなくただひっそりと山奥に過ごすなんてことは我慢ならなかったので一人で勝手に東山道を西へ京の方へと旅に出た。

 

この時代に流れ着いた当初に決めた、しばらく人目を避けて隠れ住むという決心は一年ももたなかった。

 

まあ、数か月を過ごしてきて慶次の性格というものを知った桔梗はこの行動を予測して、黙認したのだが。

 

というわけで、突発的な考えで始まった一人旅は予想外に早く終わった。

美濃国と近江国の間にある伊吹山の南にある東山道を進んでいくと京に辿り着くが、その前に近江の名家近江源氏嫡流六角氏の領地である南近江をそして、南近江でも有名な六角氏の居城観音寺城には羅刹王である慶次では徒歩でも二日、いや一日半もかからずに辿り着く。

 

今いるここ観音寺城城下町は近江国有数の商業都市であり、戦国時代のされど強大な六角氏の管理下にある街並み、近江国の産物の他に露店に並ぶ京の都経由の日ノ本中の産物の数々、唐物や南蛮渡来の珍しい名産品の数々に京に近いことか日ノ本中の諸々の情報などといった興味の種は事欠かないのだ。

 

だから、近いこともあって伊吹山の草庵から観音寺城城下へと月に何度も訪れている。さらに、城下町で一人ここに泊まるための行きつけの宿があったりするために最近ではこの城下町はこの日ノ本における第二の棲み処のようになっている。

 

いい稼ぎ場である賭場もあって銭もあることだしこの城下町ではずいぶんと遊び人として名が知られてきたようだ。何故か動きにくいからと袴を穿いていないためか、少し着物が目立つためか傾奇者だのなんだのと騒がれてはいるようだが。

平成の世だと着流しで羽織を羽織るなんてのは普通なのだが。

まあ、呪術師に目を付けられていないんだ。それで十分だろう。

 

いつもならば一度桔梗の草庵の方に帰ると酒吞童子との鍛錬も行うので鍛錬の日々で傷ついた身体を癒すために随分と日を開けて城下町の方へと向かうのだが、酒吞童子に初勝利を収めた今回ばかりは権能のおかげか完全に体が癒えていたのでいつもよりも早く城下町へと訪れていた。

 

「慶さん、今回は随分と早くにこの街に来たね。

どうだ。いい酒入ってるよ。」

 

この城下町には何度も訪れているのでこの街には随分と知っている顔が多い。傾奇者だのなんだの言われているせいか常連の店以外の露天商なども一方的にこちらのことを知っているようだが。

 

今回は特に用事もないためいつものように露店に出された商品を冷やかし、この城下町に集まっている面白そうな最新の情報を仕入れる程度だ。とはいえ何泊かしていくことになるだろうがこれはいつものことだ。

しかし、この城下町でも唯一の主に堺の方に繋がりを持つ、唐物や南蛮渡来のものまで扱っている比較的大きな店「八幡屋」の店先に並ぶものはいつもよりも南蛮渡来の商品の品揃えが多くなっていた。

この店には南蛮人がインドや東南アジアから持ち込んだ香辛料などが少量だが取引されている。ほかの品目と比べて取引する量は微々たるものだが、主に九州で取引されている南蛮渡来のものがこの近江国にあるだけすごいというものだ。

さすがは畿内に名をはせる六角家のお膝元といったところだろうか。

その南蛮渡来のものが品数も量も随分と増えている。

 

「前田殿、いい時に来ましたね。つい二日ほど前に堺から南蛮物が来たんですよ。

しかも今回は堺の方に南蛮船が来てそこでそのまま取引がなされたらしいですよ。」

 

よく珍しいものが並ぶこの店の番頭には特に香辛料などで世話になっている。堺の店から暖簾分けを許されて畿内でも有数の大名である六角氏のお膝元に店を構えている。

 

しかし、何ともいい話を聞いた。

まさか俺が酒吞童子に初勝利を収めてすぐにこんなサプライズが用意されているとは。

 

思わず口元が緩んでしまった。

これはしばらく草庵へは帰らないだろうな。

 

「前田殿、どうです今回は香辛料もこんなに」

 

「そんなことより堺の南蛮船について教えてくれ。」

 

「そんなことって・・・せっかく前田殿のために・・・」

 

商売をしようと番頭が話しかけてきたところを言い終わる前に今最も興味の引かれることについて聞いた。

何か番頭はブツブツといっていたがそんなことは構わない。

 

南蛮船だ。珍しい異国の人たちと南蛮物を運ぶ異国の船が畿内の堺に訪れているというのだ。

きっと異国の海を越える船は目の前の淡海乃海に浮かぶどの船よりも大きく異様なのだろう。

考えただけでも心が躍る。

 

今までは都に近い堺になぞ行くと呪術師連中に目を付けられるやもしれないとこの伊吹山の草庵にもほど近い城下町でも十分だと行こうとはあまり考えたことはなかったものの今回ばかりは違う。

普通は西海道(九州)の肥前平戸や豊後府内などに直に交易する港は西側諸国の場所ばかりで堺には南蛮物が流れてきこそすれ南蛮船が直に交易をするなどといったことは宣教師フランシスコ=ザビエルが来日して以降もそう何度もないことなのだ。

少なくとも慶次がこの時代に流れ着いてから三年間は一度もそのような話は聞いたこともなかった。

 

「はあ、分かりました。もしかして・・・って言うまでもなく行くつもりのようですね。

南蛮船が堺に来たのは一週間ほど前のことです。それで、今回は普通とは違って南蛮人は一年間いるつもりだとか、天竺の人もいるだのとか面白い噂があるみたいです。」

 

「そうか、一年か。それに本当に天竺の者が来たとなれば僧の者どもが騒ぎそうな事だな。」

 

「まあ、どちらも噂ですからね。一年じゃなくてひと月の間違いかもしれませんよ。それにそもそも天竺の者なんて来ていないなんてことも。」

 

「しかし、火のないところに煙は立たぬといいからな。少しは期待しておこう。」

 

南蛮船に南蛮人、それに天竺の者に彼らの滞在期間は長いと来た。

これはこの三年間で極上の情報だ。これは行かないと後で後悔しそうだな。

 

「ところで堺のお前の旦那の店では南蛮物を扱っているなら南蛮人どもとも何か繋がりがあるんじゃないのか。

どうせだ。この店の常連だってことでどうにか南蛮人とそれに天竺の者に会えるようにしてくれないか。」

 

「興味本位でちょっと見に行きだけかと思ったら、彼らに直に会うつもりですか!」

 

「そりゃそうだろ。どうせ堺に行くんだ。南蛮人というのはどんな奴らなのかこの目で見なきゃ後で後悔するだろうからな。」

 

慶次は何を当たり前なことをと言わんばかりの顔に快活な笑みを浮かべながら番頭に向かって言った。

 

「まあ、それでこそ天下一の傾奇者、前田慶次でしょうね。いいでしょう。堺の旦那に僕からの紹介状を書いておきましょう。

それで、何時ここを発つつもりなんですか。」

 

「今日だ。善は急げというからな。」

 

「きょっ!・・・はあ、分かりました。今から書くので待っててください。・・・全く旅の準備もせずに今からとは、これだから前田殿面白い。」

 

今日出発するといった慶次に対して驚きの表情を見せた番頭は慶次に紹介状を書くために店の奥へと向かっていった。番頭が奥へ行きながら最後に言った言葉は声が小さく遠くにいたために慶次には聞こえなかった。

 

「はい、これが紹介状です。これは僕が南蛮物の商売で世話になっている「魚屋」の千宗易殿への紹介状です。

基本僕は宗易殿に南蛮物を卸してもらってるんです。

堺の町の会合衆でもあるのでどうにか渡りを付けてもらえるかもしれません。」

 

そう間を置くでもなく戻ってきた番頭は一枚の書状と逆の手には手のひら大の麻の袋と竹の皮で包まれてものを持ってきた。

 

千宗易。何故か聞いたことのあるような名前だったのでもしかしたら歴史に名を刻む人物なのかもしれない。

 

その名を聞いて、慶次は自分のことを差し置いてそう思った。

 

「それとこれを。いつも八幡屋を贔屓にしてくださっている前田殿に少しですが干し飯と鮒ずしです。旅の途中で食べてください。」

 

そう言って番頭はさっとその二つを渡してくれた。

 

「何から何まで世話になるな。それではまたな。」

 

どうせまた今度香辛料を買いに来るのだ紹介状に干し飯と鮒ずしの礼を簡単に言ってそのままその店「八幡屋」を離れた。

 

どうせいつも突然いなくなってふらりと城下町へといったと思えばまたいつの間にか伊吹山の草庵に帰っているんだ。今回も京の都を経由はするけれどもちょっと堺の方まで行って帰ってくるのだ。

そのために態々草庵まで帰って桔梗に話す必要はないだろう。

どうせまた昔のこの城下町に行って帰った時みたいに黙認するだろうし、何よりも羅刹王の身の安全を心配する必要はないのだ。

 

そう考えながら慶次は賭場で稼いだ銭と二枚の紹介状、善意でもらった干し飯と鮒ずしを持って城下町を通る東山道を南西は京の都の方向に進む。

途中まではいつも通り装飾品や食べ物などを進める声が聞こえたものの城下町のはずれに近づいたころになって一人の男性が慶次に気が付いてどこに行くんだと問い掛けた。

 

「ちょっと堺まで南蛮船を見に行ってくる。だから、しばらくは戻らないだろうな。」

 

なんてことない風に答えを返した慶次に対して周囲の人々は、驚いたり、呆れたり、はたまた困惑したりと様々な反応を示した。

それを面白がって眺めながら城下町の南西の東海道に出た。

慶次はこの真っすぐに淡海乃海に沿うようにして伸びる道を京へそして堺へ向けて進む。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

東山道は律令時代には畿内と近江国(滋賀)から北は室町時代では陸奥国(青森)まである東山道諸国の国府を結ぶ幹線道路としてあった。

そして、この時代においても東山道を含む七道は主要な道路として使用はされているものの整備がなされていたりなされていなかったりとまさしく大名でさえも貧富の差がある戦国乱世のこの時代を現すかのような有様である。

 

それに東山道は京の都ではなく近江国を起点として東山道諸国に伸びる道であり、慶次は近江国の草津を経由するように山城国京の都へと向かった。

 

応仁の乱によって戦火に焼かれた京の都は半世紀近くもの時を経て復興を成し遂げている。京の都は足利の室町幕府が出来て以降は足利将軍家によって都の治安が守られているはずなのだが、応仁の乱以降足利将軍家は衰退の一途を辿っている。

今現在、畿内は三好長慶の手で平定され、足利義輝が将軍として在るも将軍を傀儡として利用とした三好長慶を嫌って京の都を離れており京の都に将軍はいない。

京の都は畿内を含め三好長慶によって支配されており、つい昨年には後奈良天皇崩御という変事が起こるなどと不安定な状態にある。

 

そんな不安定な状態にある京の都に今慶次はいるわけなのだが、人生初めての戦国時代の京の都にいるというのにやはりその好奇心は堺の南蛮船に向かっていた。

確かに、日本の中心地であるここ京も興味がないわけではないのだが、好奇心は堺の方に向いており、更には、自身がもしも羅刹王であることがこの京の都の呪術師連中にばれてしまったら面倒なことになるのは確定である。

それに、もしもばれてしまったらこのまま真っすぐに堺へと行けるのかという不安があった。

 

そのため、態々桔梗に習った簡単な隠密系の呪術で自身の羅刹王特有の神気を帯びた莫大な呪力をうまく隠している。

 

慶次はそのままこの京の都の内裏のある上京と下京のうち下京の宿に一泊した後に次の日には京の南西にある桂川へ向かい、桂川、そして宇治川、木津川も合流した淀川沿いに川を下り、畿内の摂津国、河内国、和泉国の境界にある堺へと向かった。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

慶次は確かに京の呪術師に羅刹王であることがばれないように武器を扱うなどといったことよりは得意ではないものの呪術師に見られても違和感なく普通の民間の呪術師なのだろうと思われるくらいの呪術を使用した。

 

仮にも人には及ばないところにいる呪術師の王なのだ。慶次の使用した呪術の完成度は非常に高いものだった。

しかし、京の都に羅刹王である前田慶次が入ったということはとあるものにばれていた。

 

酒吞童子のいっていた京を中心に活動する幽世にいるもとまつろわぬ神だ。

 

そのまつろわぬ神は知っていた。

三年前に羅刹王つまりは慶次が美濃国に出現したことを。

 

そして知った。

この自身の行動範囲内である京に羅刹王が侵入したことを。

 

 

 

日ノ本一の商業都市である堺を起点にして日ノ本の羅刹王は畿内中の呪術師をそして異国の魔術師でさえもまつろわぬ神でさえも巻き込んで他の神殺しの例に漏れずトラブルメーカーとしての資質を公に露わにする。



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三話

堺の町は五畿七道の中で京の都のある山城国を含む畿内に位置する国のうち摂津国、河内国、和泉国の三ヵ国の境界に位置する自治都市である。

 

慶次は淀川に沿って摂津国へと辿り着いたわけだが、堺はその淀川の河口付近に位置する石山本願寺のある難波、住吉神社の位置するところよりも南にある。

 

堺の町は他とは違い商人たちの自治で成り立っている自治都市で、周りを堀で巡らしており、外敵からの攻撃に備えた防衛都市、要塞都市のような姿をしている。

 

ポルトガルの宣教師であるフランシスコ=ザビエルが来日して以降この商業都市には南蛮渡来の物産が立ち並び、そこらにいる堺の民たちとは違い異なる服装、異なる容姿をした少数の南蛮人が闊歩し、更には南蛮人たちの宗教のために建てられた異国南蛮風の南蛮寺が存在したりと堀で隔てられた向こう側はまるで異世界のようである。

そして、海を見れば大小様々な船が大阪湾に所狭しと並んおり、水運で大きな富を上げてきた淡海乃海の姿を観音寺城城下町から何度も見ている慶次でも圧倒される。

更に、一際大きく他の船とは異なる様相をしたキャラック船が停船している。

 

そんな商業の場として栄えている堺の町の商売をする者たちの喧騒が聞こえる中とある店と店の間の人が一人通れるほどの狭い小道に顔を突き合わせている二つの人影があった。

一方は男性の老人で、もう一方は二十代くらいの青年だった。

両人ともに黒髪に浅黒い褐色の肌を持っており、半身は裸で下半身は白のドウティを身に纏っている。

ここまでは同じような容姿だが、眼の色が老人の方は透き通るような碧眼で青年の方は茶色である。更に老人の方は特別に首飾りや腕輪のような様々な装身具を身に着けていた。

青年も身に着けてはいる者の老人と比べると微々たるものだ。

彼らの近くには日ノ本の袴とは違うズボンに異様な形をした襟にマント、それに帽子というこの日ノ本の衣服とは明らかに異なる異国風の衣服を着た南蛮人が二人いる。

 

普通ならば多くの人が往来するこの通りのすぐ近くで小道にひっそりと隠れるように話をしていたならばその異様な容姿と雰囲気から周りの者の目を集めるはずであるが、通りを行く者たちはちらりと見てもそこには特に注目されるべきものはないとばかりに素通りしていく。

 

見る者が見れば分かるであろう。

彼らが人々の目にその姿が止まらない程度の簡単な人払いの呪術を使用していることを。

とはいえ、呪術を操る者はアジア風のいで立ちをした二人であり、西洋の南蛮人はその限りではなくただの通訳である。

 

「分かっておるな。神具をあの者どもよりも先に見つけ出すのだ。」

 

「はい、老師様。いくらラークシャサといえども此度の件は我らバラモン教徒が授かった天啓なれば神具を見つけ出すは我らの役目。そして・・・」

 

「そうじゃ。我らがかのお方に神具をお届けするのだ。されどこれだけは覚えておえ。

確かに此度の件は我らの役目。しかし、あの者どもの力を借りねば取り戻せぬというならば仕方がない。」

 

「ッ!しかし!・・・それでは神具は・・・。」

 

先程までぼそぼそと通訳の者たちでさえも聞こえないくらいの声で話していた二人だったが、老人の言葉を聞いた青年が驚いてつい大きな声を上げてしまった。

さすがに声が大きすぎたと二人を振り向いた通訳たちを見て再び声を落として話し出す。

 

「その時は命を賭してでも我らが直にかの神にお届けするのだ。よいな。」

 

二人が真剣な顔で目を合わせて大きくしっかりと頷きあう。

 

「とはいえこれも全て神具が見つからぬでは意味がない。故にまずは神具を見つけ出すことからじゃ。

この地の呪術師にいぶかしまれずに話を聞くのが最も良いことなのじゃが・・・

まあ、まずはこの地の者に聞くとしよう。」

 

そう言って老師と呼ばれた者は一人の通訳とともにこの小道を離れていった。

この簡単な人払いの術は特定の範囲のみに働く結界であるため、その範囲外へと出た二人は先程までとは違い周囲の注目を集めた。

 

青年はそれを見てさあ行こうかとしたところである一人の人物と目線が合った。

そう。簡単な呪術とはいえ結界を通してこちらをしっかと見ているのだ。その彼は更にこちらに近づいてくるではないか。

 

呪力の及ぶものでこのような簡単な呪術だと呪術師であれば無効化することが出来る。

つまり、彼は呪術師なのだ。

 

これはちょうどよいと青年も彼のもとへと通訳を連れて歩きだした。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

近江国観音寺城の城下町から一週間ほどの時間をかけてようやくこの堺に辿り着いた。

目の前が海に面しており周囲を水堀で囲まれたこの堺の町はまるで海に浮かぶ離れ小島のようである。

 

それに目の前に浮かぶ大小様々な多くの船は壮観である。それにあの一際大きく異様な姿をして船。

 

堺の町に入ると今まで見てきたどの町とも違うその有り様は一週間かけて歩いて来るほどの価値があるものだったと体感させてくれる。

 

観音寺城の城下町とは比べほどにならないほどの店の種類の数と量、それに見たこともない煙管や銃、南蛮の衣服といった南蛮物。それになんといっても異様な姿をした南蛮人や他とは異なる南蛮風の建物。

 

見るものすべてに興味がそそられる。

 

「八幡屋」の番頭に勧められた「魚屋」の千宗易という人物に会いに行って実際に話をし、それに天竺の者についても聞いてみたいものだが、やはりこの他とは違った堺の町並みというのは旺盛な好奇心をここまでかといわんばかりに刺激してくる。

そのまま、田舎から来たお上りさんといった風に周りに見られていることに気付きながらもそれでもまだ堺の町を散策していると非常に興味深いものを発見した。

 

上半身裸で足まで届く腰布だけをまいて少しの装飾品を身に着けた異国人の青年と今まで見てきたいかにもな南蛮人が一緒になっている。

 

慶次にはその青年の姿に見覚えがあった。

あれは平成の日本にいたころ、東南アジアやインドなどの南アジアの僧侶などが身に着けていたものと似ている気がする。

そう。インドだ。

慶次が探していた天竺の者というのは、天竺というのは平成の世でいうところのインドを指すのだ。

 

南蛮人とともに天竺の者もやってきたという噂を城下町の番頭に聞いた。

それは、本当のことだったのだ。

 

見ればどうやら向こうもこちらを見ている。

これはちょうどよいと。思ったよりも早く話を聞けそうだと彼らのもとへと向かった。

 

奇しくもこの時今初めて顔を合わせたばかりの両者はともに自分たちの目的のために相手に対話を持ちかけようとしていたのである。

 

「Quero ouvir falar de um pouco mais.」

 

「少し話が聞きたい。といってます。」

 

インド人であろう青年が何語かわからないが異国語で話しかけてきた。それに続いて、南蛮人がなまりはあれど上手な日本語で話しかけてきた。

南蛮人はインド人の青年の通訳のようだ。

 

「構わない。ちょうど俺も異国の者と話をしてみたかったのでな。」

 

話し終えた後、先程青年が口にしたような異国語で南蛮人が青年に対して話しかける。

同じように通訳をしているようだ。

それを聞いた青年は少し驚きそして呆れたように言った。

 

「É um bom cara.(変なヤツだな。)」

 

「まあ、何とでも言ってくれても構わないさ。」

 

何とも失礼だが、まあ、そんなことは気にするようなことではない。

 

このまま二人は南蛮人の通訳を挟んで話し始めた。

 

「まずは自己紹介から。私はアシシュという。ムガル帝国から来た。」

 

「ムガル帝国?何処だ、そこは。」

 

そんな国なぞ聞いたことのなかった慶次は尋ね返した。平成の世でも聞いたこのないような国名だった。

その後アシシュは地面に何か絵を描き始めた。少し歪ではあるが簡単な世界地図を描いているようだ。そして、彼は自分で描いた世界地図のうちある一点を指した。

インドだった。

 

「なるほど。天竺か。」

 

「”テンジク”?」

 

「そう。唐やこの国では昔からそのように呼ばれているんだ。

そうか、やはり天竺の者だったか。

失礼。俺は前田慶次だ。慶次と呼んでくれ。」

 

簡単に前置きが終わると本題に入った。アシシュはただ異国の者と話したかっただけの毛時とは違ってちゃんとした用があって話しかけてきたのだ。

話をするにあたって人の往来の真ん中にいたために場所を変えようといって先程アシシュがいた場所へと向かう。

 

その場所はアシシュの師である老師が簡単な人払いの結界があったのだがそれはとっくに消えていた。

 

呪術師ならばある程度のそれこそ低位の呪術に抵抗する体質がある。とはいえ、慶次に関しては魔術自体を受け付けないという神殺しならではの特性とさらに高い直観力をも持っているためアシシュの呪術が慶次には効かなかったのだが。

 

「さて、ここから本題だ。

“円環”で思い付く伝承や逸話のある道具を知らないだろうか?」

 

「・・・どういうことだ。」

 

アシシュのその言い方に違和感を感じた。まるで何かを隠すような。そう、まるでこちらには知られたくないことを聞いているのだといったような感じだった。

 

アシシュは最初の一言で不信感を持たれるという大失態を犯してしまい、さすがに呪術師相手に聞くというのは危険すぎただろうかと思いつつも、慶次が羅刹王とは知らずに疑念を拭い去ろうと手を尽くした。

 

「私たちは自国の歴史を調べる学者だ。そこで、ここにおられるようなポルトガル人の方にお願いしてこの日ノ本までやってきたのだ。

この日ノ本に大昔に我らの国から流れてきた物があるというんだ。

私たちはそれを探している。」

 

「なるほど”国学者”というやつか。」

 

羅刹王の単純な思考は態々日本までやってきた異国の歴史学者に向いたようだ。

国学者などという江戸時代に入ってから出てくる学問のことを説明するために少々時間がかかったが。

 

「それでその学者さんは大昔の秘宝ってやつを調べに来たらしいが、こういっちゃ悪いが無理だと思うぞ。

そういうものは大体大切に保管されてて庶民もだが南蛮人ともなれば見せてくれるはずがない。

それとも、それを盗むために態々海を越えてこの地まで来たのか?」

 

アシシュはいきなり核心を突かれてしまった。

そう。彼らは盗む気なのだ。

この国のどこかに安置されているであろう神具の類を。

それを欲する彼らの主のもとへと届けるために。

 

神具。

それは神の武器、あるいは天上の叡智や聖なる呪術の法則を刻み付けた魔導書のようなもので、取り扱いが非常に難しくとも学術や資料、儀式的にも高い価値のある代物だ。

それは国にあっては基本遺跡や地下など前人未到の地にあるようなもの以外は大切に保管されている場合が多い。

 

ただでさえその国において最も重要なものと見てもいいような代物なのだ。もちろんそう簡単に手に入れられるなどとは考えてはいない。

ただでさえいまだにその神具の在り処さえ分かっていないのだ。

 

「いえ、違います。

私たちは調べるために来たんです。それが無理なら書物で我慢します。」

 

「・・・まあ、いいか。それで学者さんたちは何を調べに来たんだって?」

 

「言い伝えでは円環状のものと言われています。それは、天空の、日月の象徴、であるのだとか。」

 

「俺が知っているのは陰陽の太極図だな。」

 

どうせだから協力してもいいかと思いアシシュの問いに答えて陰陽の太極図を地面に描く。

太極図についてはよくは知らないが確かその図は白と黒の異なる色の勾玉が二つ重なって円を描いたもので、陰は月を、陽は太陽を表したものであったはずだ。

 

それをその図を示しながら慶次は自分が知っていることだけを教えていく。

 

「俺が知っているのはこれくらいだな。あとは自分で調べるなり他の人に教えてもらうなりすればいい。」

 

「ええ、ありがとうございました。」

 

そう言ってアシシュは通訳の南蛮人を連れて去っていった。

 

 

「・・・まさか、本当に天竺の者に会えるとは思わなかったが異国の呪術師に会えるとも思わなかったな。」

 

慶次は相手が呪術師であると知っていながら会話をしていた。

それはただ、異国人を、異国の呪術師を知りたいがためただそれだけである。

 

異国のそれも少しでも呪術に触れることが出来た慶次は遠目から見ても分かるほどに何とも嬉しそうな顔で再び町の店や露天などを見ながらその途中で道筋を教えてもらい千宗易に会いに「魚屋」へと向かうのだった。

 

先程会った南蛮人と共に船にのってやって来た天竺の者についての詳しい情報を得るために。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

堺は自治都市である。武力でではないものの力で押さえ込むことの難しい都市としてこの小さな町の存在は非常に大きいのだ。

この堺は、会合衆という堺の有力商人で構成された自治の指導的役割を果たす評定組織によって成り立っている。更にこの会合衆は数は36人おり、その中でもとりわけ有力な10人の納屋衆によって構成されている。

つまり、この小さくも大きな堺の町は10人の上役と26人の中間管理職のような感じで成立しているのである。

 

そして、今目の前にある「魚屋」。

ここの旦那は千宗易という納屋衆に名を連ねるれっきとした堺の商人なのだ。

しかも、千宗易。彼は後の千利休。

茶道で有名な織田信長や豊臣秀吉何かとも親しくなる予定の人物である。

 

まあ、それはそれとして今回は最近来た南蛮人と渡りを付けてくれるかもしれない「魚屋」の旦那千宗易に会いに来たのだ。

 

この「魚屋」は堺有数の大商人の店であるにも関わらず間口は確かに城下町の「八幡屋」に比べて大きいものの予想よりは大きくなかった。さらに、店先に出ている商品の品数は豊富なのだろうが量はそんなに多くはなかった。

 

恐らくは店の奥のここからでは見えない場所かどこかの倉庫に商品の数々は保管されているのかもしれない。

「魚屋」は納屋(倉庫業)なのだ。

 

「何か御用でもおありでしょうか。」

 

店に並ぶ品々を見たり、考え事などをしていたところこの店の番頭らしき人物が尋ねてきた。

 

何やら困った客を見つけて対応に困っていますといった風な顔をしている。

 

ああ、やはりこの着流し姿はおかしいのか。

動きやすいから袴を着ていないだけなんだけどな。

 

「ここの千宗易殿に用があって来た。

一応、知り合いの商人から紹介状を貰ってきている。」

 

そう言って懐に入れてあった一枚の書状を番頭に渡す。

彼は意外そうな顔をして差し出された書状を受け取り、失礼しますと言って足早に奥の方へとさがっていった。

 

そして、しばらくして番頭はゆったりと落ち着いた色の羽織を着た壮年の男性を連れて戻ってきた。

恐らく彼が千宗易なのだろう。

 

「あんさんが傾奇者ですか。確かに、その奇抜な服装はなかなか見ることのない着こなし方ですな。」

 

「そうみたいだな。」

 

書状にそう書いってあったかはたまたそこにいる番頭がいったのかは分からないがどうやら傾奇者というのは自分名称として確立しつつあるようだ。

 

「観音寺城のあやつからの書状は読ませてもらいました。しかし、その話はお聞きできまへんな。」

 

独特の訛りのある話し方でこちらの話を拒否してきた。

 

「理由は?」

 

「うちの取引相手としかも南蛮の商人の方とただ異国の話を聞いてみたいという理由だけでは許可できまへん。」

 

そうか。やはりそう簡単にはいかないか。

しかし、天竺の者を連れてきた南蛮人には彼らのことについて詳しく聞きたいのだ。

一体どうすれば会えるだろうか。

 

いや、この手を使えばもしや・・・

 

「ならばその南蛮人に言ってくれないか。」

 

不適な笑みを浮かべて千宗易に言った。

 

「この国の王がエピメテウスの落とし子が話を聞きたがっていると。内密にな。」

 

天竺から態態やってきたアシシュは呪術師だった。そして、今回南蛮船が堺までやってきたのが呪術に関係しているというのならばもしかしたら南蛮人の中にも呪術師やそれに関わりのある者たちがいるかもしれない。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

今、南蛮船の中にいる。

千宗易に会ったのは前日の夕方近くだった。そして今はその次の日の昼だ。

何故こんな急展開になったのか。

それは、単純に南蛮船内に呪術に関わりのあるものがいたためだ。

それも全員。そう乗組員全員が関係者だった。

 

神殺しという呪術師の王が自分達に会いたがっているということをなにも知らない「魚屋」の丁稚が南蛮人たちに伝え終えたあとは大騒ぎだった。

 

まず最初に宿を未だとっていないということを知った船長は堺の中でも高額の上等な宿を手配して「魚屋」の丁稚を通して慶次に対して今夜はそこに泊まってほしいということを伝えた。

 

これには千宗易は非常に驚いていた。

まるで庶民である商人が帝や親王、天上人である公家に対して行うような対応の仕方だ。

 

問いただしたいみたいだったが、あまり深入りするような事柄でないと商人の勘が働いたのかこれ以上執拗に聞くことはなかった。

 

さて、随分と上等な宿で目を覚ました今日。

昨日の時点で、昼に一緒にランチをとりながらはなしをすることになった。

恐らくは昨夜はディナーは準備が間に合わなかったために次点の翌日の昼食の時間ということになったのだろう。

 

今、場所は南蛮船の内部の手狭だが応接間にてこのランチをキャラック船の船長と共に食べている。

 

この時代に流れ着いて今まで見てきた食べることのできなかった油で揚げられた魚や香辛料のきいた野菜や肉などの食材の数々、そして南蛮人の主食であるパン。

 

どれもこれも食べたことのある料理のどれかに近い食べ物であったので違和感なく食べることができた。

 

「お味の方はいかがでしたか。」

 

「ああ、大満足だ。」

 

それは良かったと船長はポルトガル語で返す。

つい先程、船長との挨拶で気付いたのだが、羅刹王は異国語を随分と早く理解することが出来るらしい。

ポルトガル語を話すアシシュと通訳を置いてとは言え長いこと会話をしたためだろう。

お陰で今、普通にポルトガル語を理解し、そして話すことが出来る。

 

「さて、俺が聞きたいのはあんたがムガル帝国とやらから連れてきた者たちのことだ。

彼らは何をしに来た。そして、何故この船の乗組員は呪術を知るものしかいないんだ。」

 

今回の天竺の者たちの行動の核心をつくような質問だった。

しかし、

 

「申し訳ありません。私は今回のことについて特に何も聞かされていないのです。

この船の船長には呪術を知るものだからと選ばれただけでラークシャサからは六人のムガル帝国人を日ノ本の堺まで送ればよいとだけ言われたのです。」

 

「ん?ラークシャサってのは何なんだ。」

 

「前田様のような神殺しの偉業を成し遂げたお方のことです。」

 

つまり、天竺には同類が存在し、今回の神具を求める騒動の根本にその神殺しがいるということなのだろう。

 

「私が小耳にはさんだ程度であれば、その六人はこの国の神具を主の元へと持って帰るのだとか。

どうもラークシャサは神具を集めるのが趣味だそうで。」

 

言い話が聞けた。

要するに、天竺のラークシャサが六人に命じて神具を持って帰ってくるように言ったのだろう。

 

「なるほど。よく分かった。」

 

「最後に一つ。

俺が神殺しであるということは誰にも話すな。と、これは最初に「魚屋」の聞いたはずだ。

特にこの日ノ本のそして天竺ムガル帝国の者には決して話すな。」

 

ばれると後々面倒になるため釘を刺しておいた。

その後も色々と話を聞いた。

今回の南蛮船の堺への停戦は南蛮人つまりポルトガル人が中国大陸のマカオを手に入れたため、日本と中国との間で中継貿易が出来るようになったためでもあるという。

 

堺での当初の目標は達成したものの慶次の興味の種はまだ尽きない。



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四話

南蛮船内でのランチを終えた慶次は船長が前日に用意してくれた宿へと戻っていく。

一等上等なこの宿だが、非常に高級な布団はないものの蒸し風呂ではあるが風呂はあるのだ。

そんな宿の宿泊費はこの堺の町にいる間は船長が払ってくれるというのだ。

 

今回の南蛮人との話は非常に興味深いものであった。特に神殺しについては。

インド天竺に神殺しがいて今回日本であるであろう神具を得ようとしている。まさか、この南蛮船が異国の神殺しと関係があるとは思わなかった。

南蛮人の故郷である西洋での神殺しの扱い方がこの日ノ本とは違い随分と単純かつ極端に呪術師の王として畏怖されているのであろうことが自身に対する態度で違うことが分かった。

海を越えれば同じ神殺しであってもいろいろと違うのだ。

 

そういうことを考えていると天竺の神殺し、ラークシャサとやらに会ってみたくなってきた。

 

しかし、今回の一件に絡んでいるのは遠い異国ににいる神殺しだけではないようだ。

 

船長は言っていた。

”ムガル帝国人の一人が神託を受けたと言っていたのを聞いた。”と。

 

つまりはもしかするとまつろわぬ神でさえも関わってきているのだろう。

 

面白くなってきた。

 

普通の呪術師であればまつろわぬ神も神殺しも関わる神具に関係する騒動など見て見ぬふりをして関わり合いになりたくもないことであろうが慶次はこれに好奇心を大いに刺激された。

 

関わらないなんていうことははありえないと。

 

慶次は南蛮物や唐物の並ぶ店をゆっくりと見ながら宿へと向かう。

しかし、前日から借りている宿の前に一人の女性がいた。

 

その女性は巫女だった。

白衣に緋袴、それに千早を纏った何とも上品な巫女装束。

年のころは慶次よりも二つ、三つほど上だろう彼女は冷たさを感じる雰囲気を纏っている可愛いというよりも美しいと称し得る容姿をしており、射干玉の腰まで届く髪は丈長で結われている。

腰にある佩刀は太刀ではない。もっと古めかしいそれは蕨手刀だろうか。三尺ないくらいの長さだ。

 

この俗な空気をはらんだ堺の町に入り込んだ澄んだ清らかな空気を身に纏う彼女ははやはり慶次よりも視線を集めていた。

誰かを待っていた風な彼女は真っすぐに慶次を見て歩み寄る。

神聖な雰囲気を放つ巫女と異様な雰囲気を放つ傾奇者は否応なく周りの視線を集めた。

 

「お待ちしておりました、羅刹の君よ。私は京の媛巫女近衛篠と申します。」

 

目の前の巫女は京の媛巫女と名乗った。

媛巫女とは日ノ本の女呪術師の中でも特に高位の巫女のことだ。

ということは、前回京を訪れた時に羅刹王であることがばれてしまったのであろうか。

なんとも迂闊なことをした。こんな事だったら京の都を避けて堺に行くべきであった。

 

この後はこの堺の町にいる天竺の者たちの動向が気になるのだ。

邪魔されるわけにはいかない。

 

「何を言っているのか。」

 

「今回は京の一媛巫女としてではなくあるお方の巫女として参りました。

あなた様が羅刹の君であることは京の都には知られていません。

ここでは人目が多ございます。場所を移しましょう。」

 

そう言って巫女は歩き出した。その方向は堺の町を出る方向だ。堺の町の外で話そうというのか。

とはいえ彼女は京の都の呪術師には慶次が羅刹王であることは知られていないと言った。

ならば、独断で自身の存在を知り、手の者を差し向けるあるお方とやらに興味が湧いた。

それに、彼女がそのお方とやらの巫女であるというのならばその者はまつろわぬ神であるかもしれない。

 

慶次はそのまま先を行く篠を追って堺の町を出ることとなった。

 

場所は変わって人の多い堺の町とは真逆の人がまばらに見えるのみの田植えを終えたばかりの田畑の広がっている。

堺の町からさほど離れていないにも関わらず堺にある大量の物の流れる街道を外れたこの場所は広い大地に田畑のが広がり農民が作業をしている。

 

頭上には天気の変わりやすい春から雨の多く降る梅雨へと移り変わることを示すかのように先程までは晴れていた空には今にも振りだしそうな黒い不気味な雲がある。

 

「さて、こんな人のいないような所まで連れてきて篠さんは俺を誰に会わせたいって言うんだ。」

 

篠は慶次を誰かに会わせるためにここまで連れてきたが、その目的の人物らしきものは見当たらない。

 

「それは、すぐにわかります。」

 

ふいに慶次の並外れた直感力がささやき頭上を見上げる。

そこには先程も見た黒雲があったがそこには猛々しい嵐を思わせる神気が感じられた。

 

そして、足元が不安定になったように感じ、下を見なくてもこの後何が起こるのかは一度経験していたので達観した様子で、そして、目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

暗闇から目を開けるとそこは山の中だった。

知り合いであり、三年もの間共に鍛練を行った酒呑童子の住み処である御殿のある緑少なき峻険な岩山とは異なり、この場所は緑が深く直ぐ近くには音をたてて流れる流れの早い川がある。

 

渓流のあるこの山には雨と風が降り、強い風と雨が慶次の身体を叩き体温を奪っていく。

 

今にも雨がというより嵐が来そうな程に雲行きが怪しかったがまさかここまで天気が悪いとは思わなかった。

 

ここはある神の住まう幽世だ。

どうやら神その者によってこの地に無理やり連れ込まれたようだ。

まるで酒呑童子にされたあのときのように。

 

先程の神気といい、この風雨といいおそらくは嵐が神格化された神なのだろうと考えてみる。

 

その荒々しさは見過ごせるものではなかったが話を聞きたいだけというのはまあ、信じてみる価値はある。

酒呑童子もそうだったからだ。

 

ただこのままここに居座っているのは落ち着かなかったので何となくで移動する。

慶次は無意識に微かに神気の感じられる渓流に沿って上流へと向かっていく。

 

しばらく渓流を上流の方向に向かって行くと小さな掘っ立て小屋がそこにはあった。

さすがにここまで近づけば荒々しい神気がそこから発されていることが分かる。

中に入ればその神気で敵の存在を確認した羅刹王である慶次の身体は素早く戦闘態勢へと移行していく。

 

「おう、いきなり呼び出しちまって悪かったな。

前田慶次、だっけか。」

 

そこにいたのは身の丈六尺はあろう偉丈夫だった。

その者は粗末な衣と(はかま)を身に纏い、古めかしい囲炉裏の傍に座っていた。

その者から漏れ出る荒々しい神気は堺の町のはざれで感じた神気のそれであり、目の前の神が慶次に会いたがっている者だということなのだろう。

 

何故か俺の名前を知っているのかは分からないが、まずは、

 

「お前は何者なんだ。」

 

「殺る気があるのはいいが、まあ、まずは座れや。」

 

その神が座るように促すのは囲炉裏の傍、神の対面の場所である。

慶次はその神に促されるままに神の対面に座る。

 

「さて、まずは自己紹介からいこうか。

オレの名は速須佐之男命だ。スサノオでいいぜ。」

 

その神、速須佐之男命は慶次に誇るように自身の名を言った。

 

 

速須佐之男命。

 

日本神話最大の軍神として知られるも、かの神は元々は暴風・嵐を司る出雲の土地神であり、砂鉄の産地で崇拝されていた。。鋼を鍛え剣を作り出すときに必要な炎は強風にあおられるとその炎はさらに大きく激しくなる。そのため、速須佐之男命は鋼に縁のある神である。

速須佐之男命は日本神話における太陽神である姉の天照大神を天岩戸に追いやるといった逸話から「太陽を隠す」というトリックスターとしての性質を持つ。

更に、速須佐之男命に関して最も有名なのが日本神話においても有名な「八岐大蛇退治」の伝説である。

八岐大蛇の生贄にされようとした櫛名田比売を救うために八塩折之酒を用いた後に単身八岐大蛇に挑みかかり十拳剣にて退治した。

その際に尾を切り裂き、天叢雲劍を得た。

この英雄が強力な怪物と戦い女性を助け出すという八岐大蛇退治の伝承はペルセウス・アンドロメダ型の神話であるため、速須佐之男命は《鋼》の属性を持つ征服神としての性質を持つ。

速須佐之男命はこの日本神話における軍神としての知名度が高いが、他にも神仏習合により牛頭天王とともに京では祇園信仰、尾張では津島信仰。そして、源頼朝を中心とする坂東武者による氷川信仰などといったように速須佐之男命はこの日ノ本では広く、深く人々の信仰をを集めている。

 

 

そんなこの日ノ本において絶大なる知名度を誇るこのスサノオに対してしかし慶次はなんてことは無いとでもいうようにスサノオと対する。

その様は、何時でも相手取ってやるとでもいうかのような雰囲気を纏っていた。

 

「それで、お前は何のために態々こんなところまで俺を呼んだのか。」

 

「なんだ。やけに手厳しいじゃねえか。」

 

「話は聞こう。しかし、そのように荒々しい神気を垂れ流す貴様に対して警戒を解くことなどできはしない。」

 

「なるほどな。まあ、こればかりは大目に見てくれ。軍神、暴風神たるオレのの性分ってやつだ。

それで、何のためにお前をここに呼んだのか、だな。」

 

頷きはしない。ただスサノオに対し話の続きを促す。

 

「この目でみておきたかったのよ。史上初の日ノ本の羅刹王ってやつをな。」

 

まるで酒吞童子の時と同じ理由だ。

羅刹王に、時空を超えてきた人間に興味を持った。だから、無理やりにでも自分の領域に引きずり込んで目的を果たす。

 

「まあ、お前と一緒だな。

興味があったんだろ南蛮人にだから話してみたくなったと。」

 

「貴様と一緒にするな。俺は貴様のように無理矢理会おうなどとは考えていない。」

 

「お前だって同じようなもんだろ。神殺しという名前の圧力で面会を更には宿代でさえもぎ取ったのだからな。」

 

気にするな。自分の好きなようにすればいい。異国の神殺しだって大体そんなもんだ。

 

そう加えて言ったスサノオの言葉を聞き、それは事実でもあるのが簡単に聞き流しつつ話を続ける。

 

「まあ、オレの用事はこんなものだな。

後は、そうだな。大和の水神が異国から信者を呼んで何やら企んでやがるから一応忠告しておこう。

今はオレと同じく幽世に隠れてやがるが一旦まつろわぬ神として顕現したら畿内全域大嵐だ。」

 

奈良の水神とは前に酒吞童子が言っていた幽世に隠れ住む神のことだろう。

それに、異国からの信者というのはムガル帝国から来たアシシュたちであろう。

やはりまつろわぬ神も関わってくるというのか。

 

「貴様は手を貸さないのか。これは防げる天災なのだろう。」

 

「大和の水神が暴れそうだってのはもうすでに篠を通して京の呪術師連中どもに話してある。あとはお前らが好きにすればいい。分からないことがあれば篠に聞きな。

これでもオレは暇じゃあないんでな。」

 

そう言ってスサノオが手のひらを翻すような動作をしようとする前に気になっていた事を聞いた。

 

「近衛篠とは何ものなんだ。」

 

ただの媛巫女ではない。

最初に会った時から気になっていた。苗字からして普通ではないが、唯一スサノオと関わりのある人物であるらしいことは篠とスサノオからの話を聞いていて思ったことだ。

 

それに、あの異様な雰囲気を放っていた刀は。

 

「ああ、あいつは五摂家の近衛の娘で唯一このオレの神力を天叢雲劍を通してその身に宿す”神がかり”の術を使うことが出来る媛巫女だ。」

 

なるほど。篠が佩いていたのは天叢雲劍だったのか道理で異様な雰囲気をを放っていたのものだ。確かに、今に思い返してみればあの感じはスサノオの神力と似た雰囲気だった。

 

「そういうわけだ。それじゃあ、頑張んな。」

 

ちょうど近衛篠のことについて考えがまとまったところでスサノオは手のひらを翻した。

そして、今座っているところがちょうど先解のように暗くなっており、視界が真っ暗になった。

 

「お疲れ様でございます。」

 

視界が戻ると目の前には篠がいた。

 

「・・・スサノオは自分が俺に会いたかったからスサノオとの繋ぎ役である篠を俺に会わせたと言ったが、本当はお前が俺に会うためだったのではないか?」

 

最後の話を聞いて疑問をいだいた。

 

まつろわぬ神が関わる事件なんてものは大概人の手には負えないものばかりだ。

ゆえに、幽世に住まう日本神話最大の軍神という特大のネームバリューを持つスサノオに助けを請うたのだ。

 

この一件を収めるための案はないか、と。

 

スサノオの巫女である篠を通してスサノオに問うた。

そして、その答えが日本で唯一まつろわぬ神に相対することの出来る羅刹王たる慶次だったのだろう。

 

「その通りです。ですが、御老公も羅刹の君に興味を抱いていました。」

 

「まあ、そうみたいだな。

・・・その羅刹の君というのはやめてくれ。いつ他の呪術師に聞かれるか分からない。」

 

「では、慶次殿と。」

 

まあ、呼び方は五摂家の姫に様付けで呼ばれるよりはましだろう。

それよりも、御老公というのはスサノオのことなのだろうか。

どうやらスサノオはこの日ノ本の呪術界において相談役のような役回りとして随分と昔から関わりあってきたらしい。

 

「それで、御老公からお聞きになられたと思います大和の水神の件ですが・・・」

 

「ああ、元からこの件には首を突っ込むつもりだったんだ。それに、異国の呪術師とこの国の呪術師の問題ならばいざ知らず、まつろわぬ神に異国の神殺しもとなれば別だ。

出来れば京の呪術師とは関わりたくないのだがな。」

 

京の呪術師には羅刹王であることはばれたくはないのだが、まつろわぬ神が大和に顕現するとなればそうも言っていられない。放置すれば畿内に天災が降りかかるのみならず羅刹王の気配を感じて向こうからやって来かねないのだ。

今回の旅行の対価だとでも思えばいい。

 

俺は昨日アシシュからそして南蛮船の船長から聞いた話を篠に話す。

 

「なるほど、異国の呪術師に異国の神殺しですか。

何とも複雑なものですね。」

 

「全くだ。神殺しが関わっている以上何が起こるか分からない。

まあ、俺もその神殺しなのだがな。」

 

「それに、天竺の呪術師全員の意思が統一されているのかさえ不明です。

天竺の呪術師たちの目的はその神具なのでしょう。しかし、天竺の神殺しの意向が神具の収集であれば神に神具を捧げる者と神殺しに神具を捧げる者とで別れる可能性があるのではないかと。」

 

確かに、その可能性はあり得る。

全くもって混沌とした状況だ。

 

「それで天竺の呪術師が探している神具は何処にあるんだ。」

 

そもそもアシシュが言っていたような神具事態が聞いたことがないのだが、もしかしたら長いことこの国の呪術師の中心として在り続けた京の都の呪術師ならば知っているかもしれないと思って聞いた。

 

「おそらくは”八尺瓊勾玉”なのではないかと。」

 

「は?」

 

八尺瓊勾玉。

流石にそのことくらいは知っている。

三種の神器の一つだ。

今、篠が腰に佩いている天叢雲剣、八咫鏡に八尺瓊勾玉の三つのことを三種の神器といって支配者の証として歴代の天皇が継承してきたものだ。

そして、八尺瓊勾玉とは天照大神が天岩戸の隠れた際に玉祖命が作られ、八咫鏡と共に榊の木に掛けられたと言われている。

 

しかし、八尺瓊勾玉は伝承では勾玉であり曲玉、つまり決して円環状の神器ではないはずだ。

 

「いえ、確かに勾玉と銘打たれていますが本当は円環状、というよりも円盤に小さな穴が開いたものなのです。

この八尺瓊勾玉は現在帝が継承されておられます。玉というのは唐の国でも天子つまり”支配者”の証とされていますから。

他の所謂三種の神器はもう知っているようですが私がこの天叢雲剣を所持しており、八咫鏡においてはまつろわぬ天照大神降臨などという大事が起きないように伊勢神宮にて管理されています。」

 

八尺瓊勾玉とは、八尺(当時の長さで180cm)の円周の長さで、赤色(瓊=丹)の瑪瑙でできた曲玉なのだと言われている。

そして、勾玉は縄文時代の頃に出てきた装身具である。

この頃の硬玉(翡翠)装身具の起源は唐国の長江文明の一つ良渚文化における玉璧というものである。

この玉璧は同じ玉器の玉琮と共に神権の象徴として祭祀で中心的な役割を担ってきた。

そんな玉璧は日月の象徴として祭祀で使用されてきた。

 

アシシュが言っていた”日月の象徴”であるという神具に重なる。

 

更に、この玉璧は横に長い楕円や長方形の形に穴が開いた硬玉製大珠へと変わり、そして勾玉となった。

 

勾玉はCの字型またはコの字型のように湾曲したで玉に尾が出たような形をしている。

この勾玉において玉の部分は太陽を、尾の部分は月を表しているのだという。

 

「つまり、アシシャの言っていた特徴がぴったり重なるというわけだ。」

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

「つまり、その”八尺瓊勾玉”が我らが探している神具であると?」

 

「はい。伝承とはその形がことなるもののその可能性が高いかと。」

 

アシシュは慶次と会話した後にすぐに太極図を調べたが、明の国の学問であるということが分かった。

しかし、調べているのは決して明の国の神具ではない。この国の神具であるとかの神はおっしゃったのだという。

ならば、明の国のことではない。この日ノ本の国のことを調べなければならないのだ。

 

そこでアシシュは思い出した。

 

あの時慶次はこの太極図のことを色違いの”勾玉”なるものを重ねたような形をしているのだと。

”勾玉”とは何なのか。

 

これを知るには随分と時間がかかった。

 

この時代考古学などという学問は日本には存在しない。そのため、歴史として神話という者の存在は書物で知られるものの奈良時代頃には廃れてしまったためによく知られてはいない。

 

アシシュは運がよかったのだ。

普通は人の目を避けて人里離れたようなところに住むような桔梗のような京の都の呪術師ではない庶民の呪術師がこの堺の町にいたのである。

人間離れした非常識の固まりである慶次ではない。この日ノ本の国でも特に俗な堺の町に身を置き、この乱れた世界で古代、神話のことなどを調べる物好きな呪術師だった。

 

勾玉というものは遠い昔古代の時代に祭祀の道具としても使われた装身具である。

その独特な形は太陽と月を表しているのだとか。

 

そして、”八尺瓊勾玉”という三種の神器というものに名を連ねるれっきとしたこの国の神具として広くその名が知られているということだった。

また、その神具”八尺瓊勾玉”は”支配者”の証、天子の証としてこの国の王たる”帝”という存在が所持していることを知った。

 

「・・・なるほどの。我らが探す神具とはそれである可能性が非常に高いの。

伝承にて伝わる形が我らの探すそれとは異なるものの、神具とは神代のものゆえそれもあり得よう。

しかし、その”八尺瓊勾玉”がこの国の王であるを示すものであるというのならば、それを手に入れることは容易ではないな。」

 

老師の言う通り、その神具を手に入れるのは非常に難しい。

この国で最も硬度の高い呪術防壁を潜り抜け目的のものを見つけ出す。

そんなことは容易ではない。

 

「・・・仕方ない。あの者たちを頼るほか手はないようだ。ラークシャサの部下であり、かの王より力を借り受けていると聞く。」

 

ラークシャサより力を借り受けているとなればその力は神の権能には劣るものの、この国でも一流の呪術師どもを相手取って神具を手に入れることはできるだろう。

 

「しかし、よくやった。神具を特定したること見事。されどその神具がある場所が悪かっただけじゃ。」

 

そうだ。今回は、彼らの力を借りるのはしょうがない。元よりラークシャサの力を借り受けた彼らなしでは達成しえないであろうことは分かっていた。

 

勝負の場は、この日ノ本の国は京の都。そこで必ず我らが神具を手に入れる。

 

そこでふいに一人の人物を思い出す。

 

ーいや、大丈夫だ。彼はこの堺の町の離れに住んでいるというあの呪術師と同じく運よく会えただけのそこらの呪術師と同じだ。

 

アシシュはこの堺の町であった前田慶次といった青年を思い出しながら京の都の神具を思う。



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五話

水無月に入り雨が降ることも多くなったこの国の都、京は先日降った雨が平成の時代のようなアスファルトで舗装されず土が野ざらしになった道を濡らし、泥となって道行く者たちの足を取る。

暦の上では夏のころである故か強い太陽の日差しが地面に降り注ぎ、濡れた地面が蒸発し、この国の夏らしい高温多湿な蒸し暑い空気が熱のこもりやすいこの京の盆地を包み込む。

 

慶次は、堺にて用を済ませてから再びこの京の都へと今度は巫女装束の近衛篠を連れ立ってやってきた。

先日来た時とは大違いのこの蒸し暑い空気を肌で感じ不快感を感じながら京の大路を進んでいく。

 

前回は堺へと急ぐために明るい昼のうちには見られなかったその京の町の活気はこの戦国乱世の時代をしてさすがは都と言わしめるもので、堺の町とはまた違った雰囲気をもって栄えている。

 

「さすがだな。」

 

これが、何度も戦火に焼かれても立ち直ってきたこの日ノ本の都の姿なのだ。そう思うと、素直な気持ちが言葉となって出た。

 

「慶次殿は京に来るのは初めてではないですよね。」

 

「前回は早く堺に行こうと京の都では一泊した後朝には堺へと向かったからな。」

 

今回はこの都で存分に楽しめるだろう。

神殺しやまつろわぬ神の戦いの舞台になり、戦火に焼かれなければだが。

 

「ふむ。やはり来たな。」

 

ふいに掛けられた声は聞き覚えのある女性の声だった。

いや、三年間も彼女と過ごしてきたのだ。忘れるはずがない。

 

「なんで、京にいるんだ。桔梗。」

 

声をかけられた方向を見るとそこにいるのは伊吹山に隠れ住んでいるはずの桔梗だった。

いつも通り、飾り気のない白衣に黒の袴といった格好をしている。

彼女自身の容姿は非常に整っており、更に均整の取れた身体は彼女の美しさに磨きをかけているものの、言葉通り着飾らない彼女にはその服装はなんとももったいない。

 

とはいえ、慶次にとっては見慣れた姿であり、特に深くは考えていないのだが。

 

素材はピカ一の三人組。

一人は、公家の娘である故の気品の良さを醸し出しす巫女装束の女性。もう一人は、その素材の美しさゆえに白と黒に地味な恰好の目立つ女性。そして唯一の男性は巷で聞く所謂傾奇者といった風の様相の者。

 

この国の都であり、つまりはこの時代における文化の先進の地である京の都においても彼らの異様な様相とその雰囲気は都の者たちの目を引き付けてやまないものであった。

 

「まつろわぬ神が現れかねないほどの緊急事態と聞いて私の父がこの都に呼び出してな。

全くもって面倒だ。

まあ、慶次が関わるというのならば私は必要ないようだがな。」

 

そう言って桔梗は何処かへと去ろうとした。

 

「お待ち下さい。

あなたは前田家の桔梗殿ですね。」

 

「おや、誰かと思えばあなたは噂の近衛の媛巫女様ですか。そんなお方が私に何か用で?」

 

どうやら篠は随分と名の知れた媛巫女のようだ。それに、篠の話し方から読み取るにどうやら桔梗もそれなりに知られた呪術師のようだ。

 

まあ、幽世に住まう酒呑童子と知り合いであるという時点でただの呪術師などではないだろうが。

 

「今回の一件はそう簡単にはいかないでしょう。だから・・・」

 

「だから、この庶民の呪術師に働かせるつもりかな?

姫様はしっているんじゃないかな。ここにいる慶次のことを。」

 

羅刹王である慶次がいるんだ。ならば庶民の呪術師である自分がこの件に関わる義務はない。

そういうことなのだろう。

 

それでも渋る篠を見ていてついに桔梗は折れた。

 

「分かった。ならば取り敢えず前田家までは行こう。」

 

久しぶりの帰郷だからいいか。やはり面倒だ。出来るだけ早く帰ろう。

などと言いつつも桔梗を先頭にして三人は京の都を進んでいった。

 

とはいえ、気負うということを知らない慶次がそこらにある露天を見たり、小腹が空いたからと食べ歩きをしたり、更には遠慮を知らず賭場で大勝ちをして一騒動起こしたりと慶次は京の都を満喫し、桔梗はそれを見て他人事のように楽しんで、篠は早く行こうと急かすのだった。

 

やっとのことで桔梗の生家である京の前田邸に着いたのは日も暮れる前、空が赤く染まりゆくなかのことだった。

慶次と篠が京に着いたのが午前の内だと考えると随分と道草を食ったものだ。

しかし、慶次にとっては遊んで過ごし、金を博打でぶん取る生活はいつもの日常のようなものなのだからと、今にも神具が天竺の呪術師によられようとしているにも関わらず慶次には随分と余裕があった。

 

もしかしたら、この都をまつろわぬ神との戦闘による戦火に巻き込まれた際のことを考えての行動とも考えられなくもないが。

 

桔梗の生家である前田邸は京の都の上京に位置しており、寝殿造りとまではいかないものの恐らくは書院造りであろう随分と立派な建物がそこには建っていた。

 

「さあ、着いたよ。ここが私の生家だ。」

 

桔梗が先に門より入るとそこにはこの前田家に仕える女中がおり、桔梗の久しぶりの帰郷を喜び、見知らぬ男性を見て訝しみ、その男性の隣に控える巫女装束の女性の姿に困惑しと大忙しだった。

 

ある女中が簡単に挨拶を済ませそそくさと急ぐようにして屋敷へと向かっていった後は一人の女中の案内で屋敷のとある一部屋へと案内された。

 

「初めて自己紹介を受けたときはどこぞの名家の娘だということは分かっていたが、こんな風にして見せつけられると本当にお公家の姫様だったんだな。と、実感させられる。」

 

「そんな大層なことはないよ。前田家の位も呪術を認められただけの半家でそこの近衛の姫様の五摂家とは大違いの下の家格なんだ。」

 

公家の中でも家格は下だとは言うがこの屋敷を見るとそんな感じはしない。

慶次にとって平成の世でもこれほどまでの豪邸は見たことがないのだ。

確か、戦国時代というと公家は貧乏だと聞いたことがあったのだが、もしかしてこれが貧乏だとでもいうのか?

 

ならば、公家でも家格が上の五摂家はどれ程の豪邸に居を構えており、どれ程の裕福なのだろうかなどと思っていたが、慶次のその考えは間違いだ。

 

この時代、戦国乱世を生き抜くために大名たちは国人も含め自身の領地を拡げるために近くの領地を得るために幾度も近隣の領主たちを相手に戦を繰り返していた。

その近隣の領地の中には寺社の領地もあったし、そして、公家たちの荘園などもあった。

 

本来、足利幕府は足利尊氏が帝の名を借りて全国を統一せしめた。そのため、幕府は京の都の帝と公家たちを守るためという大義をもって足利家は将軍としてあり続けられたのだ。

つまり、この足利幕府があるうちは公家の領地も守られていたのだが、応仁の乱以降急速に権力は衰退していったのだ。

 

足利幕府は鎌倉幕府とは異なり守りにくい京の都に本拠を置くことで足利家は将軍を輩出する名家としてあれたものの、それが故に足利幕府は力を失い、公家もましてや帝の禁裏御領でさえも失われていったのだ。

 

故に現在京の公家は貧乏である。

しかし、何故前田家はそれほどに廃れていないのか。それは、前田家が荘園領地をあてにしない呪術師としての職で成り立っているからである。

 

出されたお茶を飲んでしばらくすると、遠くから足音がかすかに聞こえてきた。

その後、襖の向こうに人影が見えたかと思うと襖が開き、その人物が現れた。

その初老の域に入った白の紋様の入った狩衣に黒の指貫を着た落ち着いた雰囲気の男性であった。

その男性はなりよりもまず最初に篠に挨拶をした。

 

「お久しぶりでございます、篠姫様。此度はどのようなご用でしょうか。」

 

「お久しぶりです、利保殿。此度は桔梗殿の里帰りに付き合っただけにございます。」

 

「桔梗の、ですか。しかし、何故態態そのような・・・。

桔梗、お主が全て説明いたせ。その青年をたのこと含めてな。」

 

久しぶりにあった自身の娘にようやく話しかけたかと思うと随分と強気な言い方だった。

 

「京に戻ってこいと言ったのは父上だろう。それに、この子は私の養子みたいなものだ。

名前は前田慶次。この日ノ本初の羅刹王だ。」

 

まさか言うとは思わなかった。

確かに今まで育ててくれたようなものだし年齢的にも親子のような関係をもっていたのは事実だ。

しかし、桔梗が自分のことを養子だと言うとは思わなかった。

 

それに、慶次が羅刹王であるという事実をいきなりぶちまけるとは少しも思っていなかった。

慶次が羅刹王であるということは秘密にするというのがセオリーのはずだが・・・

 

まあ、桔梗が話すというのならば全然構わないのだ。話した相手は彼女の父親のようだし。

それに、話すべき時というものがある。

桔梗にとってそれが今だったのだろう。

 

何しろ桔梗は今回の一件をトンズラしようとしているのだ。慶次に全て任せてしまおうということなのだろう。

 

「養子?それに、羅刹王だと?!」

 

確かに久しぶりに帰って来た自分の娘にいきなり養子ができていたり、その義息が羅刹王つまり、存在だけでもこの日ノ本の呪術的中心でる京の都が混乱しかねない神殺しだというのだ。

それは、困惑もしよう。

しかし、すぐに落ち着きを取り戻し聞いた情報を整理しだろうというところで彼は桔梗に話の続きを促した。

 

「それで、どういうことだ。」

 

これに対して桔梗は慶次に視線を送るのみだった。

自分で説明しろということだろう。

何時ものことだが何とも面倒臭がりだ。

 

「俺は旧姓菊池、前田慶次という。

三年前から桔梗には世話になっている。」

 

「私は藤原北家利仁流嫡流前田家当主利保という。」

 

随分と仰々しい名乗りだったが自己紹介も終わったところで本題に入る。

 

「俺はまつろわぬガルダを弑し、神か同類の権能で時空を超えて三年前にこの時代へとやってきた羅刹王だ。」

 

慶次はすべてを話した。

篠もいたことだしこれはちょうどいいと桔梗に初めて会った時に話したことを、羅刹王になったこともだが、異なる時代からやってきたことも、そしてこの三年間を伊吹山の桔梗の草庵で過ごしてきたということを二人に話した。

 

「お前たちのことはよくわかった。

今をもって慶次殿を桔梗の養子として前田家当主としてこの私が直々に認めよう。」

 

これは慶次が前田家に認められたということだ。この国の呪術界に混乱をもたらしかねない羅刹王である慶次をである。

確かに他国の呪術界においては神殺しというのは貴重な存在であり血筋を見ても王族同然の扱いを受けているというのだ。

しかし、それは他国の事。

千年以上もの時をこの国は呪術においても政治においても帝を中心に動いてきたのだ。それがいきなり呪術の王ともいえる羅刹王が誕生したと知れたらその存在は邪魔なもののとされるであろう。しかし、物理的に排除はできないだろう。

 

慶次は自身の存在がばれるとそのような微妙な位置に立たされることになる可能性が非常に高い。

その存在を前田利保は認めたのである。

死なばもろともとでもいうように。

それを理解できるからこそ慶次は礼を言った。

 

「さて、利保殿が呪術師として一流の実力を持つ桔梗殿をお呼びになられた理由である今回の一件ですが、慶次殿は協力してくださることになりました。

つきましては桔梗殿にもお願いしたいのですが・・・」

 

「さっきも言ったけど今回の一件は慶次がいるだけで十分。だから私は帰らせてもらうよ。」

 

「しかし、今回の相手方の狙いは皇家の神宝である八尺瓊勾玉。

内裏に入れない慶次殿では敵方にかの神宝を盗まれかねません。ですから、」

 

「慶次が内裏に入れるようにしたらいいじゃないか。」

 

篠の必死の願いを卒なく返す桔梗。

そして、

 

「八尺瓊勾玉ですと!?

それはどういうことですか!」

 

未だに詳しくは知らない利保が大声を上げる。

一応、桔梗にも話してはいないのだが特に驚いた様子を見せない。

まあ、本人は既にこの件に関わるつもりはないようだから何が盗まれようが興味はないといった様子だった。

 

「桔梗。お前ならば神宝を内裏の中に入り守ることも許されよう。だから、今からでも・・・」

 

「だから今から帝のもとへと行って許可をもらおうって?それこそ慶次が行けばいい。」

 

「慶次殿は無理だ。ぽっと出の者では内裏に入ることさえ許されまい。いくら慶次殿が羅刹王であるとはいえどもそれは宮中が混乱する今は言うべきではない。」

 

「はあ、これだから都は嫌なんだ。堅苦しくて仕方がない。

慶次も無理に協力する必要はないよ。」

 

そう言って桔梗はこの前田邸を去っていった。

 

「・・・申し訳ありません篠姫様。」

 

「いいえ、確かに帝に仕えると明確に示したわけではない桔梗殿です。無理強いするべきではないでしょう。

それに、慶次殿がいればもしまつろわぬ神が降臨しようともそれを抑えるだけの力を持つお方ですから。」

 

「・・・本当に申し訳ない。」

 

ひと段落ついたことで利保にも慶次と篠の考えた推測を話すこととなった。

天竺の呪術師がかの国の神殺しの命によりやってきて八尺瓊勾玉を盗むだろうこと。

天竺の呪術師には神殺しに従うものと八尺瓊勾玉の存在を伝え、恐らくは自らの力を得ようとしている神を信奉する狂信者がいるであろうこと。

そのため、いつ仲間割れが起きたとしてもおかしくないこと。

そして、最悪の場合はまつろわぬ神が顕現するであろうこと。

 

「なればどうにかして慶次殿には内裏内の警備にあたってものですな。」

 

「そうですね。慶次殿は実力を買われ桔梗殿の養子となり、御老公のお目にかかった人物であるとそう説明すれば大丈夫かもしれません。」

 

そのまま篠と利保の会話がその中心である慶次を置き去りにして進んだ。

そして、いつの間にか今回の一件におて慶次を内裏にて神宝を守護するという重要な役割を任せようということになっていた。

まあ、お偉方が慶次を内裏内に入れることを良しとすればではあるが。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

京の都の下京においてもはずれのほうにあるもう随分と寂れてしまったもののそれなりに広い敷地を持つ廃寺。

そこに六人の異国人の姿があった。

 

彼らはムガル帝国、この国で言うところの天竺から来た呪術師である。

事の始まりはムガル帝国の中でも西のはずれにあるとある神を信奉する集団の中において神託が下りたことから始まる。

 

その神託はまさしく彼らの信奉する神々の中でも主神級の神からのものだった。

この同じ信仰を持つ者たちの集まりである村は大騒ぎだった。何といっても彼らの神が自分たちを頼っているというのだ。

 

その神は水神にまで零落してしまいその状態でその水神が信仰されている東の小さな島国で顕現し、現在はメーノーグにてその力を取り戻すその時まではと隠れ住んでいるのだという。

もちろん彼らはかの神の頼りを無駄にしようとは思わなかった。

だから、その村のうち数人が海の向こうへと向かうために行動を起こした。

不安はあった。

海を越えて生きていられるのかは分からない。神の欲する神具を見知らぬ国にて探し出せるものか分からない。

そして、そもそも海を越えることのできる船を手配できるのかが分からなかった。

 

船が用意できなければこの国から出て目的の島国にまで行くことすらできない。

そんな時にかの王はその者たちに船を与えたのだ。

 

そう。このムガル帝国にいる神殺しラークシャサが自らの部下をよこし、更には西欧まで轟くその神殺しの畏怖をもってして異国の丈夫な南蛮船を手配してくれたのだ。

これは運がよかった。

まさかかの王が船を手配してくれるとは思わなかった。

 

しかし、それはただの王の気まぐれの善意などではなかった。

ラークシャサは欲しかったのだ。

神託を受けた者たちが知ったという遠く海の向こうの異国の神具を欲したのだ。

 

故に村の者たちは神具のことをよく知る二人に絞られ、そこに四人の精鋭のラークシャサの部下を交えて異国の神具を王のもとへと届ける民として国を出ることを余儀なくされた。

 

そして、村人の二人は異国の”堺”という港町に辿り着いて、そのうちの一人が前田慶次なる者と出会い、この国の呪術師の出会い、自分たちの探す神具の存在を知った。

そして、その神具が二人の手によって手に入れることのできないものであることを理解させられた。

 

今二人は神具の存在するこの国の都”京”に神具を盗むためにラークシャサの部下たちと共に潜んでいた。

 

「ここの呪術師を使い神具の在り処を聞き出した。場所は内裏内部、帝の住まう御殿の剣璽の間というところらしい。」

 

ラークシャサより今回の件を任されているサルマンが言う。

しかし、何とも不用心だ。

”八尺瓊勾玉”というものはこの国においては神宝のような扱いをされ、それは代々帝に継承され常に帝の寝所近くの”剣璽の間”という場所に安置されているのだという。

 

帝という存在はこの国において神のような存在として崇められている。そして、神仏を深く信じるこの国において帝のものを盗むなどということは神の怒りにふれ死を招くであろうというように思われているためかそのように堂々としており、普通ならば国の上層数人しか知らないはずの事柄を何百人という呪術師が知っているというのは不用心が過ぎる。

 

「この内裏にはこの国の一流の呪術師によって結界が張られ、そして一部の高位の呪術師によって帝の身辺と神具を守っているのだという。」

 

ここまでは予想通りだ。

この国の神具を学術的にも儀礼的にも何をおいても貴重な神具を盗み出そうというのだ。

その周囲が厳重で非常に守りが堅い。

しかし、これほどに守りが堅いとは思いもしなかった。どうやらこの国の高位の”媛巫女”なる者が霊視によってか我々のことを予知していたらしい。

 

「予想していたよりも守りは堅いかもしれん。しかし、我らにはラジェンドラ様から預かりし神の権能の一端を扱うことのできる我らだけの神具ともいえる強力な武器を持っている。

臆することなどない。」

 

ラジェンドラ。

それは我らムガル帝国にいる神殺しラークシャサの名だ。

 

サルマンは数は4つと少ないもののそのラークシャサの権能によって作り出された一度きりのしかし人の身で使える神具を持っているのだ。

その神具があればこの国最高峰の結界と呪術師たちの目を盗んで”八尺瓊勾玉”を盗み出すことは不可能ではないだろう。

 

今回の件は、神託を受けたて内容を知る我ら二人は神具の捜索を、そして、ラークシャサの部下は神具を持ち帰るつまり盗み出す。といったように役割がなっていた。

 

このままだと神具はラークシャサの部下の手によって盗み出されその神具はラークシャサの手に渡るであろう。

 

二人はあきらめてなどいない。

ラークシャサの部下のと共に行動することになろうともその時を逃さない。

 

神具を奪い、かの神へと届けることのできるその時を。



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六話

現在、帝の住まう内裏は南北朝時代つまりは14世紀の半ば頃から北朝側の代理として定着し、明徳3年(1392年)の南北朝の合一以降はそこが正式に皇居となって今に至る。

この場所は元は平安の世に内裏が火災で焼失するなどといった臨時の際に設けられた里内裏の一つである土御門東洞院殿の地であった。

 

この地に移された内裏はしかし応仁の乱の際の戦火に公家の屋敷のある上京ごと燃やされてしまっており、現在ある内裏はその後の復興によって再び建設されたものである。

 

このように、帝の住まう都は大和の都から京の都へ。京の都においても平安京の内裏から里内裏である土御門東洞院殿跡地へところころと変わっていっており、最近でも戦火に焼かれた内裏は様相を変えて生まれ変わった。

元々帝の日常の住まいとして建てられていた清涼殿から独立して新たに御常御殿という帝の日常の住まいが建てられた。つまり、帝の寝所が西方にあった清涼殿から東方にある御常御殿へと移されたわけで、同じく剣璽の間もそこの安置されていた八尺瓊勾玉と一緒に御常御殿の剣璽の間へと移されたのである。

 

この国の天孫の系譜に連なる王である帝の住まう内裏は現在、スサノオが篠を通して言ったことと、つい先ほどこの京へと戻ってきた篠の情報により天竺の呪術師の狙いが八尺瓊勾玉であり、さらにそれが奪われるとこの京の都にほど近い大和にてまつろわぬ神が顕現しかねないということにより、非常に厳重なそれもいくらラークシャサの精鋭の部下だろうと十人足らずで突破する音など不可能な強力な結界が張られている。

 

この結界はスサノオから篠を通して話を聞かされたひと月ほど前の長期間の間にしっかりと練られた結界である。さらに、つい最近だが一流の呪術師たちによる強化もされているのだ。

更に、もしこの結界を乗り越えたのだとしても日ノ本中のというよりこの国の中心地にいる帝に仕える一流の呪術師たちが勢ぞろいして警備を行っている。

今のこの内裏に最近盛況で知られる三好軍に何万もの兵で攻められようともこの内裏に入ることさえままならず、それに加え防御することもできずに一流の呪術師たちの呪術によって軍は蹂躙されるであろう。

 

しかし、彼らは、天竺の呪術師たちは最悪の場合一国家の宮廷に忍び込むことを考えて準備がなされていたのだ。

つまり、今の日ノ本の国の完全防御というこの状況は望むところであった。

 

されど、真っ向から向かっていくのではない。

忍び込むのだ。

結界を破ってしまえば気付かれるであろう。

ならば、気付かれぬように最短距離で向かってしまえばいい。

 

彼らはラークシャサより四人それぞれにかの王の権能で作り出された魔具を渡されていたのだ。

 

その名も”闇の外套”。

その名の通り闇色の外套である。

何とも簡単な名前、そしてなんとも単純な色と様相の外套ではあるが、その効果は極度に隠密専門の魔具なのだ。

その効果は単純にそれを着た者を闇に同化させる、というものだ。

 

極端に言ってしまえばその者を人という物質から闇という非物質的な存在へと変換させる神の権能と言えるものだ。

とはいえ、外套に付与されたラークシャサのわずかな呪力と人の身という限度のある呪力では、その外套の周囲を闇と化す程度でしかも短時間での使用しかできないし、使用後の疲労感は並のものではない。

それに、その身を闇と化すことは出来るということから日の出ている昼間では隠密になど使用できる代物ではない。

 

しかし、それでも夜間にその身を外套でグルリと巻けば周囲からその者は一切見えなくなる。さらに、闇であるため対物の結界障壁は効きはしないし、対呪術の結界障壁であってもこの技は呪術というよりは権能であって多少の抵抗はあれども障壁にはなりえない。

これだけの能力があり、目的地を調べてさえいれば短時間で目標を達成することが出来るだろう。

 

作戦は執行する者が二人で結界突破後は一気に清涼殿へと向かい神具を奪取し、対呪術の結界が破られたと相手が気付く前に内裏から離脱する。

 

これで、今回の神具奪取作戦は成功したも同然だった。

 

されど、念には念をと考え残りのサルマンを含めた二人は今回の作戦において捜索の任に当たっていたバラモン教徒の二人と共に残ることとなった。

もしも清涼殿含め西側から八尺瓊勾玉は見つからなかったら赤色、帝の寝屋すらも見つからなかったら白色の狼煙を上げるように言ってる。

 

もし赤なら二人は撤退し、残りの四人も即時撤退。そして、白の狼煙が上がったら一人がサルマンではないもう一人が帝の寝屋を捜索し、神具を奪取する。

 

これならば、短時間のみの行動という制限でもどうにか全員戻れるだろう。

 

しかし、”闇の外套”の持つ全員が捜索に当たらないのには理由がある。

 

今回の神具奪取の作戦には不安な点が多くある。

主に、一つが異国でこの作戦を行うこと。

これは、いくらラークシャサより権能で生み出された魔具を持っていようとも不安に思うなというのには無理があった。

 

そしてもう一つがここにいるバラモン教徒の二人だ。

今回の神具奪還の作戦が執行されようとしたのもラークシャサが熱狂的なごく一部のバラモン教徒の村に降りた神託の噂を聞き、神具の収集が趣味であるかの王がその噂に興味を持ったことに始まる。

それによって、神託を受けたそのバラモン教徒にとってこの国へと渡るための船を手に入れることはできたがその国へと向かう理由は彼らが信奉する神に八尺瓊勾玉を納め奉ることであって決して自分勝手なラークシャサに神具を届けるためではないのだ。

それを理解して態々彼らに神具を捜索する役を与えることで緩衝材として、そして、ラークシャサは態々権能まで使って自身の部下たちを強化したのだろう。

 

しかし、個人の強化をしてくださるよりも人数を増やして欲しかったと、サルマンは思う。

 

何か内裏にて不測の事態が起こった際にこちらのバラモン教の狂信者二人に対する防御能力が薄くなってしまうのだ。

 

しかし、事態はサルマンの願う通りにはいかない。

 

天竺の呪術師たちの隊長格ともいえるサルマンは平安の時代から内裏内部のその様相が変わっていないことは調べがついていた。故に、帝の住まう御殿は清涼殿であったし、そこに剣璽の間があり八尺瓊勾玉があるはずだった。

しかし、西の方にある清涼殿には帝の寝屋は存在せず、つまり剣璽の間もそこにある八尺瓊勾玉もありはしなかった。

 

計画が狂った。

ここ清涼殿に帝の寝屋はあるはずだったのだ。しかし、見つけられない。

 

二人は手分けをして隠密に長けた“闇の外套”を存分に活用して内裏西の建物群を調べあげる。

 

しかし、帝の寝屋と八尺瓊勾玉もそこにはなかった。

 

時間切れだ。

二人は白色の狼煙を上げて先程から騒がしくなってきた内裏内から急いで離脱することとなった。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

ラークシャサの部下のうちの二人が内裏内での八尺瓊勾玉の捜索を始めて随分と経った。

 

もしかしたら不測の事態が起こったのかもしれない。内裏内は結界を突破されたことに気が付いたのか随分と騒がしい。

 

ラークシャサの部下である今回の件を任されたサルマンは随分と用心深い。神託を受けし我らバラモン教徒が八尺瓊勾玉を奪い、それをもってかの神のもとへと向かうにはラークシャサのもとへと神具を届けるために来たかの王の部下四人を相手に老師と二人で神具を奪う必要がある。

 

しかし、サルマンは我らを見張るために二人を残しあとの二人で内裏内での神具の捜索を行うという案を出した。

 

普通ならば一国の宮廷に忍び込んでその国の秘宝ともいえるものを奪い取ろうというのだ、念には念を入れて四人全員で一緒に捜索に当たった方がいいだろう。

それでもサルマンはこの国でも一流の呪術師連中相手に神具事態を見つけ奪い取ることよりも仲間割れによってラークシャサに神具を届けられなくなるという心配をした。

 

既に八尺瓊勾玉の所在にあたりを付けている以上はラークシャサの権能によって強化された彼らにとってこの国の王の秘宝を奪い取ることなど造作もないと予想したのだろう。

 

これにはやられた。

このままでは計算高いサルマンたちの手に八尺瓊勾玉が渡り我らの望みを叶えることはできないだろう。

もしも、この国の呪術師たちの攻勢が強かった場合に八尺瓊勾玉の奪取が出来なくなった時のことも考えている。

 

しかし、サルマンは帝の寝屋の場所が違っていることを知らなかった。

 

内裏の方に白い煙が立ち上った。

緊急時のための灯りの照らされた内裏内に分かりやすく白い狼煙が。

 

白い狼煙の意味は、

帝の寝屋も八尺瓊勾玉さえも西方にはなかった。

そう言う意味だ。

 

「ど、どういうことだ。帝の寝屋は内裏西方の清涼殿ではなかったのか!」

 

サルマンが叫ぶ。

今回の神具奪取の作戦は失敗か。それとも、

 

「・・・仕方ない。

急いで内裏東方の特に警備の堅い屋敷に行って帝の寝屋を探し出せ。出来ると思えば神具を取ってきてすぐにここへ戻ってこい。

それが出来ないならば今日は退散する。

取り敢えずは帝の寝屋だけでも探り出せ。」

 

サルマンは残る自身の部下にそう言った。

言われた部下はすぐに”闇の外套”を纏ってこちらからは見えなくなった。

 

・・・これは、我らに与えられた最大の機会だ。

もしも、これで新たに神具の捜索に向かった彼が神具を奪取しここまで戻ってきたならばそれは我らにとって最高の機会となる。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

サルマンの部下が簡素な桐箱をもってサルマンとバラモン教狂信者である老師ラシャーンとアシシュの元へと戻ってくる。

どうやら神具の奪取に成功したようだ。

 

随分と速かったのは内裏内に何者かが侵入したことが分かったためにすぐさま帝の寝屋である御常御殿へと一流の呪術師が集まり帝の警護を行っていたためだ。

そのため、サルマンの部下は人の移動とその警護する人数からすぐに帝の寝屋を探り当てた。

後は集まった彼ら一流の呪術師連中の目を盗んで御常御殿へと入ることだが、これはラークシャサの権能で作り出された”闇の外套”によってなんなく成功した。

この警護に回った呪術師の中に神殺しの権能でさえも見透かす眼を持つものと、強力な第六感を持つものが存在しえなかったからだ。

 

故に、その後も簡単だった。

遂にはただならぬ存在感を放つもしかし簡素な桐箱に収められていた神具”八尺瓊勾玉”を発見した。

近くには帝と思われる他のものとは異なる衣装を身に着けた壮年の男性が控えていたが、”闇の外套”に身を包む天竺の呪術師を見つけること能わずみすみす桐箱ごと八尺瓊勾玉を奪われたのだ。

 

「それが神具”八尺瓊勾玉”か。よくやった。」

 

ラークシャサの求める神具を手に入れたというのにサルマンの表情は硬かった。

サルマンの素直に喜べる状況になかったからだ。

 

最初に神具の捜索に当たっていた二人はいまだに戻ってはいない。

それに、サルマンの消費呪力は一切ないものの現在ここにいるのは八尺瓊勾玉を狙うバラモン教の通常状態の二人とサルマンと消耗したサルマンの部下の四人のみだった。

 

老師とアシシュが動き出したと同時にサルマンはサンスクリット語による護身の術をサルマンとその部下二人を覆うように老師とアシシュの間に守護障壁を出現させた。

そのすぐ後に、その障壁はカン、カンという鈍い音を立てる。

老師の投げた小型の投擲武器チャクラムがサルマンの守護障壁に当たった音だ。

 

サルマンがバラモン教徒二人に振り向き言葉を発そうとした時、肉を貫く嫌な音を聞き自身の部下の方を振り向くと心臓を一突きで貫かれたサルマンの部下がそこにいた。

 

「なっ!」

 

サルマンはいつの間にか隣まで来てあっという間に自身の部下を心臓の一突きで仕留めた右手にジャマダハルをはめたアシシュを警戒してすぐさまアシシュとの間にも守護障壁を張る。

 

しかし、アシシュはサルマンの部下が死んだことで転がり落ちた八尺瓊勾玉の入った桐箱を中身をしっかりと確認して、それを持ってその場を離れ老師の元へと戻った。

 

サルマンは失敗した。

遠距離からの攻撃を仕掛けてくる老師に対してサルマンが警戒しているうちに近接戦の得意なアシシュがすでに”闇の外套”を使用して弱っていたサルマンの部下を一息で殺して彼が持っていた八尺瓊勾玉を、二人が欲していた神具を奪い取ったのだ。

これで一対二。

数の不利がある。

しかし、

 

「やはり、隙を見せれば神具を奪いに来たか。しかし、こちらにはラークシャサより賜りし”闇の外套”がある。数の不利のみでは俺には敵うまい。」

 

サルマンには彼らの持たない魔具を持っている時点で一歩リードしているのだ。

故にこそサルマンは部下に再度の神具の捜索を許した。

本当ならば最初の神具捜索に当たった二人が呪力がないとしてもいたならば大丈夫だろうと考えていた。

数の利と力の利。二つをもってして事に当たれば大丈夫だと考えていただけに現在一人のみで対処しなければならないのは少しきついがそれでも自身には力の利があるとサルマンは考えていた。

 

「アシシュよ、行け。」

 

アシシュが反論しようとするも老師はアシシュが反論するを良しとはしなかった。

 

「お主も分かっていよう。ワシにはあれがあることを。」

 

それを聞いたアシシュは頷き、動き出した。

 

”闇の外套”を纏ったサルマンはアシシュを逃がすまいとしてその身を闇に同化して素早く後ろを取ろうとした。

限定的とはいえ闇と化したサルマンを止めることなど老師にはできようはずもなかった。

 

しかし、サルマンは次の瞬間に強烈な痛みを感じる。

それに怯み、更にこの”闇の外套”を透過してサルマンの身にダメージを負わせたということ自体に非常に大きな驚きを隠せないでいた。

痛みの衝撃を受けた元である老師のほうを見れば先程まで持っていなかったはずの強力な神力を放つ金色に輝くヴァジュラを持っていた。

 

「なるほど。そんなものを隠し持っていたとは。

・・・これはそう簡単にはいきそうにないな。」

 

老師は神具を持っていた。

それもこの”闇の外套”を透過してサルマン自身にダメージを与えるほどの神具を。

恐らくは大地母神系統の”闇”の権能が天空の征服神に連なる雷系統の神具におし負けたためであろう。

これはサルマンにとっては非常に不利だ。

 

しかし、不利なのは老師も同じだ。

先程の一撃の身でヴァジュラを持つ左手が焼かれている。

神具はやはり人の手に負えるものでゃないのだ。

 

それでも、やはりサルマンが不利なのは変わらないであろう。

後は、サルマンに分がある戦闘経験のみで勝負するしかない。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

天竺の呪術師とこの国の神宝”八尺瓊勾玉”、そしてまつろわぬ神の関わるこの一件に慶次は関わることが出来なかった。

 

理由は簡単。

見知らぬ庶民が内裏内に入ること能わず。

 

桔梗の言っていた通り慶次はそのただの庶民であるという理由で内裏での警護を任されることはなかった。

 

慶次と篠が京の都に着いてから翌日の今日、今回の件を担当する京の都の呪術に関しての中心である清秋院、沙耶宮、九法塚、連城の四家と、今回は皇室の神宝“八尺瓊勾玉”が関わって来るということで今代の関白である近衛前嗣公も加わっての対談が行われた。

 

近衛篠が前田慶次を伴って京へと帰って来てから天竺の呪術師たちが“八尺瓊勾玉”を狙っているということが知れたのである。

さらに、此度の御老公のまつろわぬ神の話と天竺の呪術師たちに関わりがあるということもあって一度話をする必要があったのだ。

 

それ故そこには、政治的兼ね合いもあったために篠の兄でもある前嗣公も話に加わったのである。

 

さて、そこでは新たに一流の呪術師を加えて内裏内にて帝の警護と“八尺瓊勾玉”の守護を強化する必要があるという話となった。

 

そこで、その話し合いに参加していた篠は半家だが一流の呪術師である前田桔梗の養子である前田慶次に内裏内での警護を出来るようにして欲しいということになった。

篠に伴って控えていた前田利保は慶次の強さをそして、前田家の養子であることを証明した。

 

それに加えて篠は慶次が御老公が目をかけるほどの実力者であることを伝えた。

 

しかし、それでも出自の明らかでない慶次を内裏い入れることは敵わなかった。

 

この身分制度の明らかな時代、公家は前田家の養子であろうとも帝に仕えると証明したわけでもない無位無冠の慶次をいくら御老公が認めた有力な呪術師とは言え内裏に入れることは許されなかったのだ。

 

しかし、それほどの実力者であるというのならばと内裏の外での警護とならばとそれは許されたのだが。

 

慶次が篠から内裏に入ることを許されなかったと聞いた慶次は日も暮れた今、警護をするでもなく先行きを知るために京の前田邸にいた。

 

内裏に入れなかった慶次はしかし、この状況を望んでいたのかもしれない。

 

慶次自身が積極的に天竺の呪術師たちを邪魔する事となればそれでこの件は片付いたであろう。

しかし、慶次が深く関われなくなった今、慶次は先がわからなくなった。

 

ムガル帝国から来た呪術師たちは八尺瓊勾玉を奪えるだろうか。奪ったとして仲間割れは起きないだろうか。全ての始まりであるまつろわぬ神は顕現するだろうか。

 

慶次は興味のあること面白いことを求め続ける快楽主義者だ。

それも人の営みによって産み出されたものは非常に興味深いものであることを知っている。

 

今回のこともそうだ。

 

天竺の呪術師たちが、日ノ本の呪術師たちが、まつろわぬ神が産み出す結果を楽しみにしている。

 

天竺の呪術師たちが“八尺瓊勾玉”を得られなくてもそれでいい。まつろわぬ神が顕現することになってもそれでいい。

 

慶次自身が関わらなければいいのだ。

その結果を知れたならば、その結果としてまつろわぬ神が顕現してもその代償として喜んで民の代表としてまつろわぬ神と対峙しよう。

 

慶次が布団に横になって寝ていた時、急に慶次が目を覚ました。

それと同時に耳をすませば大雨が降っているのが分かる。

まるで滝が上から降ってくるかのようなものすごい水量の雨で叩きつけられることで屋根のある上からの音が凄まじい。

 

それと同時にこの部屋の近くの廊下からバタバタと大きな足音を立ててやってくるものがいる。

その者はすぐに慶次の寝ていた部屋の襖を開けて入ってきた。

あけ放たれた廊下には篠が千早も着た巫女装束に腰に佩かれた天叢雲剣という完全武装でそこに立っていた。

慶次が内裏に入れないということなり、彼女は不測の事態に備えて羅刹王である慶次の近くにいることを選んだのだ。

 

「慶次殿。異国の呪術師が内裏に侵入し、更には呪術師の警備を搔い潜って八尺瓊勾玉でさえも奪われました!」

 

いつもの篠らしくなく彼女は非常に困った顔をしていた。

 

なるほど。彼らは厳重な警備を掻い潜って神具を奪取せしめたか。

 

「先に内裏に侵入した二人は既に消耗している状態で捕えました。そして、今八尺瓊勾玉を持った者が一人大和へ向かっていると。」

 

そうか。そのまま異国へと帰らなかったとなると仲間割れが起きて神託を受けた者たちが神具を奪い取ったか。

面白くなってきた。

 

それに、

 

「それに、大和の方角にまつろわぬ神が顕現しました!」

 

そう。さっきから慶次の身はそのまつろわぬ神の権顕現によって心は高ぶり、目も冴えて、今調子がいいのがその身で感じ取ることが出来る。

 

「場所は?」

 

「向かってくる神具の存在をまつろわぬ神が・・・え?」

 

篠はようやく気付いた。

慶次は笑っていた。

まるで無垢な少年が今から開ける宝箱の中身を想像する時のように。

 

「だからまつろわぬ神が顕現した場所は何処だと聞いている。すでに分かっているのではないか?」

 

恐らくはこの状況を望んでいたのだ。

まつろわぬ神が顕現するというこの状況を。

だからこの件に積極的に関わろうとして、警護などには消極的だったのだ。

 

「・・・慶次殿は、最初からこの状況を望んで。」

 

だから聞いた。慶次の、羅刹王を知るために

 

「いや、俺は彼らが行きつく結果を知りたかったのだ。その結果が俺にとって最も面白い結果となったというだけだ。」

 

その時篠は羅刹王という存在を知った。

確かに神を殺しただけの存在ではない。元から神を殺すだけの要素はあったのだ。

 

彼は、人並み外れた尋常でないほどに大きな好奇心の塊であった。

 

「それで、場所は?」

 

「・・・橿原の都の東、宇太水分神社です。」

 

慶次は篠を伴ってすぐさま馬に乗って京の都より南、大和へと向かった。



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七話

宇太水分神社。

大和国北東部に位置する宇陀にある崇神天皇の時代に水分神を祀った神社である。

宇陀地域にはほかに芳野川に沿って三つの神社がある。

上流域にある「上社」が惣社水分神社、中流域にある「中社」が宇太水分神社上宮、下流域にある「下社」が宇太水分神社下宮。

 

草木も眠る丑三つ時。

人の一人も見当たらない中社にドウティに似た白の腰布に金や宝石で彩られた服飾品を身に纏う青い肌の男がそこに立っていた。

この男は水神としてこの東の島国にある社でも祀られているものの、古くは天竺にて多くの信仰を集めた主神級の神であった。

そんな神が数百年ほど前にこの地に時と場所が移ろいゆく中で多くの力を失って一柱の水神としてこの地にてこの男としてまつろわぬ神となって顕現したのである

しかし、この水神はすぐに幽世に隠棲し、力を蓄え、ついには水神が昔信仰された場所で未だに信仰していた信者を利用して力を取り戻す鍵となる神具をこの地まで持ってこさせようとして、今その神具はこの地へと近づきつつあった。

 

それを感じ取った水神は今まで隠棲していた幽世から出て数百年ぶりにまつろわぬ水神として水神が多く信仰されるこの地にて顕現し、周囲に己の存在を知らしめた。

 

この大和は、そして畿内は大きな雨雲に覆われ、突如大雨が降り始めたのである。

このままだとせいびされていない川は洪水し、その川の水が畿内の人々の日々の生活とそして命でさえも簡単に流してしまうだろう。

 

「これは・・・なるほどこの国の神殺しの方が早いか・・・」

 

そのような細事には目も向けず水神は北の方を恨めし気に睨む。

 

この水神にとって目障りな存在がいる。

神殺しだ。

人の身で神を弑しせしめた者のことだが、昔信仰されていた今は天竺というところにある国には神殺しがいることは知っていた。そして、その神殺しが自身の低俗な欲求のためだけに水神の力を取り戻す要となる神具を奪おうと企てたのだ。

それによって、事実水神の望みが叶うことがなくなるかと思われた。

 

されど水神の信者はうまくやってくれた。不利な状況から神具を持ってここまでやってこようとしているのだ。

 

しかし、それよりも移動速度の速いこの国の神殺しの方が早くここに辿り着きそうなのだ。

まさか、この国に神殺しが出現するとは思いもしなかった。

しばらくの間、幽世に隠棲して天竺ばかりに注視していたためにその存在に気付くのが遅くなった。

気付けばこの国にやってきた信者の近くにいた。

 

神殺しとまつろわぬ神との間に交渉などというものは存在しない。本能的に会えば両者は闘うのだ。

 

故に水神は恨んだ。

この無力な水神として神殺しと対峙しなければならないという現実を。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

雨が降りしきる中、慶次は雨に濡れて権能をもて作り出した朱色の長槍を右手に馬を駆けていた。

慶次は宇陀水分神社へと向かうまでの間に馬上でそこに祀られている神のことを聞いていた。

 

本当はただの呪術師など邪魔になるだけだと言ったのだが、自分は“神がかり”の術を使える媛巫女なんだと聞かなかったのでどうせだからと奈良の水神について少しでも知っていることを聞き出そうとしたのだ。

 

「大和の宇陀にある宇太水分神社は祈雨の神や田の神として知られている水神である天水分神、国水分神が祀られています。

恐らくは、その水神がまつろわぬ神として顕現したのかもしれませんがその神に太陽や月、天空にまつわる説話はありません。」

 

それもそうだろう。

水神というのは大地母神の系譜に連なる者が多く自身が龍であったり神獣が蛇であるなど竜蛇にまつわる説話や満ち欠けの有様から同じような蛇の不死性や四季があることによる不死性などといった点から月にまつわるは多くとも決して天空や太陽に関しても近しい関係を持つものなどないに等しいのだ。

 

あらゆる神話体系において大地の女神は天空、太陽の男神によって討ち滅ぼされる対象として対称的にみられることが多いためである。

 

「仕方ない。それは本人に聞けばいいかな。」

 

知っていれば有利に事が進むであろうと思って篠に聞いたのだがまつろわぬ水神の正体が分からないのならそれはそれでいいと慶次は思っていた。

 

宇陀に近づくほどに身体の調子が良くなっていく。寝起きのだるさなんてものは一切ない。身体が戦闘態勢に入っているのだ。

慶次にとってこの感覚は酒吞童子に会った時以来だ。

 

まつろわぬ水神は近い。

 

宇陀の芳野川に沿って上流へと向かっていくとそこに立っていた。

アシシュが身に着けていたようなそれに似た異国風の服装をしていた。黒髪に透き通るような青の瞳を持っている。

これはこの国の神ではない。

唐国由来かそれよりももっと先の西の国天竺由来の神か。

 

「よくぞ来た、この国の神殺しよ。

私の名は水天。数百年ほど昔にこの地にまつろわぬ水天として顕現したものだ。

その方の名を聞こう。」

 

「俺の名は前田慶次。日ノ本の国初の羅刹王だ。」

 

水天。

水の神であり、竜蛇を支配するともされる仏教において天部に含まれる八方の護法善神である八方天に天地と日月の四天を加えた十二天のうちの一柱である。

この日ノ本の国においては神仏習合の時代に「水」の字のつながりで天水分神、国水分神の水神と習合した。この水分神と同じように水神、祈雨の神、田の神そして安産・子育ての神として信仰されている。

しかし、この神の本当の姿は仏教の神などではない。他の十二天の例に漏れずその起源は天竺インドにある。

 

その神の名は

 

「・・・ヴァルナか。」

 

まつろわぬ水天いや、ヴァルナは顔を顰める。

慶次は知っていた。普通ならばこの時代この国のものでは知らないことを。

それは何故か。

慶次が時空を超えてこの時代の日本にやってきた人物だったからだ。

 

「何故、その方は私の名を知る。この国には伝わらぬ神の名のはずだが。」

 

「時空を超えてやってきた神殺しだからかな。

全く親父から聞かされていたうんちくがここでに役に立つとは・・・」

 

このヴァルナという神は古代インドに伝わる最高神であり、西はローマのミトラス、ユダヤ教ではメタトロン、東は仏教で弥勒菩薩などといったように世界各地で信仰される契約の神ミトラと並ぶ神である。

古代のインドにおいてミトラと共に天空神、始原神として信仰されていた。また、ミトラが契約を結び、ヴァルナが悪人や罪人を取り締まる司法神としても共に信仰されていた。

 

ヴァルナの両目は太陽と月であり、全てを見通し悪人を縄索で縛り、罪人に罰を与え、ヴァルナの吐く息は風となった。

厳しい面だけでなく天空神として雨を降らせ豊穣をもたらす優しい神の一面も見られていた。

 

しかし、ヴァルナは西のペルシアのゾロアスター教で最高神のアフラ・マズダーとして信仰されるのみでただ零落していった。

最初に始原神、天空神としての信仰をヒンドゥー教の三大神であるブラフマーに奪われたのだ。

厳しいバラモン教から庶民に広く慕われるヒンドゥー教へと移ろう中で主役をはっていた神々は脇役へと移ろっていったのだ。それは、最高神であったヴァルナも例外ではなかった。

 

ヴァルナは力をどんどんと失い、次は司法神としての力を仏教では閻魔として信仰されるヤマに奪われ、残された風神としての一面も失いただの水神として信仰されるようになったのだ。

 

しかし、何故太陽神として広く慕われるミトラとは違いヴァルナはこんなにも零落したのか。

恐らくは、ヴァルナの持つ力が強大だったのだ。契約の神として人々の傍にいるミトラとは違い、悪人や罪人を縛るヴァルナはその強大な力に火神アグニと雷神インドラの力をももってして人々に恐れられたのだ。

 

ゆえに、ヴァルナはどんどんと力を失い水神となり、仏教では水天として崇められるようになったのだ。

 

「なるほど、私の真の名を知るか神殺しよ。

その方は随分と私の信者に手助けをしてしたようだが、水天としてではなくヴァルナとして相手をしよう。それまではここにやってくる神具を待とうではないか。」

 

「何を言っている。その者が俺よりも来るのが遅かったのが悪い。これが現実、これが結果というものだ。

既にお前のその無駄な自己顕示欲のせいで人が死にかねないのだ。

俺はここでお前を水天として倒す。」

 

慶次は馬から降り、篠から離れ、炎を纏う朱色の長槍を穂先を地面に向けた中段の構えで水天を見据える。

 

「そうよな。神殺しと神の間に言葉は不要。あとは、戦うのみか。」

 

慶次はその言葉を聞き終えるや否や真っすぐに突貫していく。

水天は自身の左にある川を見るだけで構えもしない。

 

「しかし、忘れてはいないかな。ここには水があることを。五行において水剋火、川の近くにいる水神に対して真っ向から向かってくるなど無謀なことよ。」

 

水天が川の水を操りその大質量の水で慶次を押し戻そうとする。

しかし、慶次には効かなかった。迦楼羅炎を全身に纏い水を蒸発させて変わらぬ速さで迫ってくる。

そして、そのまま水天に突きを放つ。

慶次の槍は水天の圧縮された水の壁によって受け止められた。

 

「この炎は竜蛇を喰らうガルダの炎。つまり、竜蛇にゆかりのあるお前には効果があるだろう。

神と神殺しの戦いにそのような些末事は関係ない。」

 

慶次は槍を引き戻し自らも一旦下がってから言った。

取り敢えずの小手調べだ。

水天の操るただの水では慶次の迦楼羅炎を止めることは出来ない。

 

「なるほど。あの不死身のガルダをよく弑しせしめたものだ。」

 

最初に水天が動いた。

雨が降りしきり、更に先程の大質量の川の水がそのまま辺りに広がることでこの辺りは慶次の草履を履く足では水につかるほどに地面が広範囲で水たまりとなっている。

水天はその水を操り拳大の太さの先の尖った鋭利な鞭のようなものを作り出し、無数のそれが慶次に襲い掛かる。

 

あるものは鞭として打ち据えるためにしなり、あるものは突き刺すために一直線に向かい、あるものはその場に固定するために身体に絡み付こうと慶次に襲い掛かる。

慶次は全方位から向かってくるそれを払い、切り裂き、防ぎといたように槍を回転させるようにしてそのすべてに対応する。

 

ここまでならば慶次は水天の圧倒的な大物量の攻撃に対してかすり傷一つ負うことなくその天才的な槍さばきと人間離れした動体視力で防ぐことが出来ていた。

しかし、鞭のようなそれらを防いでいるときに偶に見せる隙に的確に水天が今までの攻撃とは違い明らかに多量な呪力の籠っている水でできた長槍が向かってくるとそれを対応せざるを得なくさせられることで慶次は傷を負い始めた。

 

同じような攻撃が幾度も幾度も繰り返されるという慶次にとっては非常につまらない戦闘になってこのまま槍を振るいちまちまとした攻撃を防ぐだけというのにさすがに飽きた慶次は自身の頭上に完全に物質化されてはいない炎の槍を作り出し、自身の周囲へと打ち出し槍の形に圧縮された炎を開放し、それを爆破させた。

 

その爆炎は慶次の周囲の水たまりと雨さえも焼滅させた。

 

「小手調べと言えども限度があるだろう。時間稼ぎのためのような小賢しい真似はするな。神という神殺しである俺よりも上位にいるお前がするような戦い方ではないだろう。」

 

「結局は殺すのだ。相手を殺すためになにをしてもいい、それが神殺しではないのか。」

 

「俺にとっての戦いというものは華があってこそだと思っている。爆発しかり、未知の武器しかり、達人同士のしのぎあいしかり。

俺は魅力のある戦いが好きだ。人の死に際には華があってこそだ。」

 

華のある戦いをする。そして、本能的に自分の戦いをする

それが、神殺し前田慶次の戦い方だった。

 

それに対して水天は冷静だった。

神と神殺しでは簒奪した権能さえ持てどもやはり人であるため神の方が上位である。神殺しとは常にジャイアントキリングを求められているのだ。

 

それゆえ、水天の方が優位のはずなのだが相手が悪かった。

”竜蛇を喰らう者”であるガルダを弑し、権能を得た慶次は大地母神ではないものの竜蛇の性質を持ち、さらに征服されるものとしての性質を持つためガルダの権能を操る慶次とは相性が悪いのだ。

だから、時間を稼げる攻撃をした、罠を仕掛けた。

しかし、さすがは神殺しである。時間稼ぎの攻撃は簡単に破られた。しかし、罠をも軽々と焼滅させられた。態々破られやすい呪力を込めた水の槍を投擲したというのにその呪力を込めた水はあっさりと蒸発させられた。

 

「輝ける焔は疾き風も迅き雷をも退ける守護とならん。猛き焔は大地を焼き祓う浄化の焔とならん。」

 

慶次は全身に纏った炎を集中させて赤と金に輝くまさに戦いに華を求める慶次らしい炎の鎧へと変えて防御力を高める。

それはまるで二度と先程のような時間稼ぎの攻撃はさせないとでもいうかのようだった。

更に慶次は”猿飛”の術も使用する。

 

「気に食わぬな。」

 

気に食わない。

神殺しが、神殺しの権能が、戦い方が気に食わない。

 

自らは一度竜蛇として《鋼》の征服神に不意打ちによって討ち滅ぼされたということから騙し討ちなどといった卑怯な真似でそのものが死ぬことがあるということを知っている。

 

この神殺しは気に食わない。

 

「気に食わなくても構わない。俺は自分の戦い方をするまでだ。自分のためにも、相手のためにも。」

 

慶次は独特の中段の構えから槍を素早く右手のみで支えそのまま投擲した。その槍は纏う炎の勢いで加速し、穂先を真っすぐに水天に向かっていく。

水天は向かってくる炎を纏う槍と自身の間に呪力を込めた水の壁を作り上げた。

 

慶次は水天が防御の動作を行うのを見て莫大な量の呪力を足に込めて人間離れした速度で水天に迫る。水天には自らが作り上げた水の壁と慶次の投げた炎の槍が邪魔になって慶次の動きが分かりにくくなっており、慶次はその瞬間を狙ったのだ。

 

しかして、慶次は狙い違わず水天の後方の死角に入る。

 

そして、すでに作り出していた変わらぬ炎の槍を持って上段から水天に振り下ろした。

 

槍は水の盾で防がれた。

 

読まれていたか。

 

「私は水神なれば水を操ることに長けていることはもちろんだが、水をもって相手の動きを読むことは容易い。」

 

水天は水たまりとなった地面を走ってきた慶次の動きをとらえていたのだ。

慶次自身の動きを目で見ることは出来なくとも水天の水の上を走ってくる慶次の位置を知ることならば出来たのだ。そして、慶次のいる方向に盾を作り出すことで槍の振り下ろしを防いだのだ。

 

慶次は素早くこの場を離れようとする。

この水の上はつまり水天のフィールドであるということだ。

 

「逃がしはしない。」

 

この広大な水たまりは一足で抜け出せるほどに狭くはない。水天は側を離れた慶次が水の上に降り立つ瞬間を狙って素早く慶次を蔓のような水で足を絡め捕り、そして全身を巻き付けて拘束した。

その後すぐに水天は辺りの水をすべて使って慶次を包み込んだ。その慶次を包み込んだ水球は慶次と槍を包み込んでも余りあるほどに大きかった。

 

慶次はすぐに槍を振るいこの水球から脱出しようと試みたものの、この水球の水は重かった。まるで衝撃を与えた片栗粉を溶かした水のように重く硬かった。腕が全く動かないのだ。

 

「無駄だ。その水球は拘束するためのものだ。そう易々とは抜け出せまい。

これで終わりだ。」

 

水天は慶次と同じように水を槍と化し、その穂先を慶次に向ける。

水天は慶次の入った水球に突貫する。水天が突き込んだ水の槍はしかし慶次には届かなかった。

 

「何!?」

 

水天が作り出した拘束するための水球は確かに内側からは身体を動かせず、槍を動かせず、更には槍を通してガルダの炎をすら出すことは叶わなかった。

だから、慶次は外からこの水球に干渉することにした。

 

慶次は迦楼羅炎を水球の外で炎を生み出しそれを槍の形の象らせる。生み出された槍の形をした炎は水球のそばに浮遊し、それは水天へと向かっていくのではなくその場で爆発した。

素早さを重視して十分に炎を槍の形に集中することは出来なかったがその神殺しの権能で生み出された複数の炎の槍は爆炎と共に衝撃波を作り上げた。

 

その衝撃波は水球を破壊し、その爆炎は水球の水を蒸発させた。

 

慶次自身も水球内で弱まった衝撃波と炎の鎧により弱められた爆炎を受けて少なからぬ傷を負ったが水球を脱した。

手加減をしたもののそれでも周囲には半径2,3メートルの浅いクレーターを作り出した。

 

水天は慶次の自らが傷を負おうとも構わないとでもいうかのような有様に動揺を示した。

慶次はそんな水天の動揺を逃すはずもなくすぐさま傷を負った身体に鞭打って行動を起こした。

 

慶次は先程と同じように高速で正面に移動した。

周囲に水はない。さっきの爆炎と衝撃波で周囲一帯の水は蒸発し、吹き飛んだ。

水天が気付くもののもう遅い。

周囲に水がない以上動きを鈍くすることも出来ないし、防御をしようにも先程よりも水を生み出すというモーションが余分に必要になる。

 

慶次は左に腰だめに構えた槍を左から横一線に切り裂いた。

 

水天の作り出した盾に対して慶次は槍の刃に炎を集中させて、刃の一部分だけを爆発させて水の盾を蒸発、爆散させた。

 

槍の穂は水天の腹を抉り血に濡れた。

 

「グ、クッ・・・」

 

「クソ。手加減を間違えたか。

しかし、水球を脱することは出来た。」

 

正気の沙汰ではなかった。

いや、神を殺した時点で正気の沙汰ではないが。

 

水天は切り裂かれた腹をかばうように水たまりのある後方へと下がった。

 

慶次はその行動を許さず追撃を駆けようとするも突然後方から攻撃を仕掛けられて断念せざるを得なかった。

攻撃を察知した慶次は投げられた複数のチャクラムを横によける。

 

そして、攻撃された方向を見ると闇という名のカーテンからひっそり出てくるようにとそこに姿を現したのは、

 

アシシュだった。



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八話

まつろわぬ水神戦 ラストは長めです。


この宇太水分神社に向かう途中に慶次に無理矢理ついてきた篠は自分もまつろわぬ神との戦闘に加わろうと考えていた。しかし、慶次はそれを許さなかった。

一対一の戦闘を邪魔してほしくないからではない。

 

神具を持った天竺の呪術師がまだこの場に来ていないのだ。

 

作戦というものが完全には出来ていないであろうと考えたからだ。

まつろわぬ神に神具を届けようと考えている方にはラークシャサの部下の隙をみて神具を奪い素早くまつろわぬ神のいるところまで向かわなければならないのだ。

しかし、部下四人は何時隙を見せるかなどというのは分からない。

 

故にまつろわぬ神に神具を届けようとしている方はその神のいる宇太水分神社までの移動手段を手配していないのではと考えた。

 

そして、実際にまつろわぬ神のところまで辿り着いたとき、天竺の呪術師はまだ来ていなかった。

 

そこで、馬上で話をしていたように篠はまつろわぬ神ではなくいつか来るであろう神具を持った天竺の呪術師を相手取るために慶次とまつろわぬ水天が戦っているところより京のある北の方向で警戒していた。

 

篠は戦いを見ながらも天竺の呪術師が来るのを警戒していた。

しかし、篠は失敗してしまった。

 

天竺の呪術師はいつの間にかそこにいた。

そして、慶次が水天に追撃を駆けようとしているのを邪魔した。

 

篠は慶次が満足に戦える環境を作ることさえできなかった。

 

天竺の呪術師がこの場に侵入したのを察知出来なかった己を叱咤し、すでに水天を正面に見据えることで慶次に警戒されなくなった呪術師に向かって神具というよりもスサノオの従属神である天叢雲劍を抜き払い突貫する。

天竺の呪術師は右手に握りこまれた短剣のようなものを構え、篠の突貫に備えた。

 

刃と刃の合わさる金属音が辺りに響く。

 

さすがに片手では豪刀の天叢雲劍を受けきれなかったのか呪術師は右手の短刀の部分と手首の金属の部分も使って天叢雲劍を右に受け流した。

 

彼の左手には赤色の神具がある。

 

篠は五摂家近衛家の姫であるので父親から皇室の神宝八尺瓊勾玉の存在を知っていた。

しかし、実物を見たことは一度もなかった。

 

それもそのはずだ。

帝でさえその八尺瓊勾玉を継承するときにしか一生に一度ほどしか見ることはないのだ。

況してやただの五摂家の姫ごときであれば言うまでもない。

 

篠が始めて見るその神具は、赤かった。

 

八尺瓊勾玉。まさにその通りの外観をしていた。曲玉の部分以外は。

 

その形は円環というよりも円盤に丸く小さな穴を開けたような形をしており、その大きさは直径が子供の頭ほどもある彼のように抱き抱えるようにして持たなければならないくらいに非常に大きい。そして、色は丹、赤色で、炎が圧縮されて鉱物の中には抑えられているかのように不思議な赤色が揺らめいている。

 

その神具の姿は絵にして表すならば円に点を描くようなものだ。

 

円に点。

これは古代の太陽のシンボルだ。

古代エジプトにおいてそれは太陽神ラーや太陽神そのものを表す象形文字として扱われた。

そして、中国では太陽や日を意味する初期の感じであり、今日の“日”の起源となっている。

 

八尺瓊勾玉は赤瑪瑙でできており、まさに太陽の不死性を表すかのようにこの神具は壊すことのできない不滅不朽の性質を持っている。

 

「篠、任せる。」

 

水天に集中している慶次が篠に対して言葉を発する。

篠は慶次には見えないだろうが頷いて答えた。

 

「Quem é esse cara?(あいつは何者なんだ?)」

 

「・・・」

 

呪術師がチラリと慶次の方を見て異国語をしゃべるが篠には何を言っているのか分からない。

 

「・・・Eu entendo.Você não sabe línguas estrangeiras.(・・・そうか。異国語は分からないよな。)」

 

呪術師は悲しげにそう呟いた。

篠は異国語は分からないがこの呪術師が何を言っていたのかは予想がつく。

 

恐らくは慶次殿のことを聞いたのだろう。堺で慶次殿が会った天竺の呪術師はこの者か?

 

篠は疑念を抱いたがどうせ異国語は分からないので何もしゃべることはなかった。

それ以降、呪術師も一言もしゃべることはなかった。

 

会話を終えた後は先に呪術師が水天の方に向かうようにして動き出した。

篠はかれがその左手に持つ神具をまつろわぬ水天に渡さぬように阻止しなければならないのだ。

 

二度目の刃と刃の合わさる金属音が響き、武器において不利な呪術師がまたも同じようにして短剣で天叢雲劍を受け流す。

それを三度、四度と繰り返す。

 

そのうち、隙を作り出した呪術師が篠の懐へと潜り込む。

彼の右手に握り込まれた短剣は近接の格闘に向いている。

 

拳を握り込んで殴るようにして突きだすだけで殴打の威力をそのまま短剣の一突きとして利用できるこの武器は非常に有用である。

 

難点は唯一近接、格闘戦にのみ有用であることであろうか。

 

篠はその突き出された武器を天叢雲劍の柄で弾く。

 

すぐに篠が態勢を戻したと見ると呪術師は素早く斜め後ろへと下がった。

 

篠は彼の動きをこの時異国の武術によるものかと思ったがそれは違った。

 

単純にそうしたほうが水天に近くなるからだ。

 

下がった彼はすぐにフードも被り、全身をその身に纏う外套で覆い、呪力を使い闇に溶け込むようにその場から消えていった。

 

篠はまたしても失敗したのだった。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

一度下がった水天は周囲の水を利用して水の盾を入念に作っていた。

高速で移動する慶次に対応するためか最初のような壁ではなく宙に浮遊する水の盾である。

その神力の込められた盾は一種の神具のようである。

 

水天の周囲には水たまりがあり、無用心には近づけない。

更に水天の正面に浮遊する水の盾も勢いのみで突破出来るほどに生易しいものではない。

 

「猛火の焔は敵を貫く矛とならん。」

 

それに対して慶次は聖句を呟く。

左手にある朱色の長槍と同じ槍を右手にも作り出す。

 

慶次はその多量の呪力の込められた炎の槍を水の盾目掛けて投擲し、それは爆炎と衝撃波を辺りに振り撒きながら爆発した。

 

慶次の最大威力とも言える爆炎の攻撃である。

 

その爆炎はと衝撃波は水天の周囲の地面を焦がし、半径10メートルはあろうクレーターをも作り出しており、周囲の半径十メートル圏内にある木々はなぎ倒されるか、枝葉を焼かれて禿げていた。

 

それでもなお水天の水の盾は微動だ、さらに水天が慶次の高速移動を警戒して巡らせた水たまりもそこに蒸発することもなくあった。

 

「矛盾の勝負は神殺しの矛よりも神の盾の方が強かったか。」

 

慶次の炎の槍はしかし、水天の水の盾を破ることは敵わなかった。

しけし、これは前哨戦だ。

 

本番はこれからだ。

 

慶次は聖句を紡ぎ炎の槍を作り出す。

その両手には二つの槍がある。

 

さっきと同じだ。

 

水天には慶次がまた同じことをするつもりなのかと。先ほどの一当てでその炎の槍ではこの水の盾を破壊することは敵わなかったはずだと疑問に思った。

 

しかし、水天は全力を込めて正面にある水の盾を強化する。今さっき作り上げた盾よりも強く。

 

水天が慶次の攻撃に備えた後、慶次は先ほどと同じように炎の槍を投擲した。

 

その炎の槍は先ほどと同じように表面を抉ることは出来ても強化された水の盾を半壊させることはできなかった。

 

しかし、その炎の槍の爆発のすぐ後にもう一度同じような爆発が起こった。

 

その爆発は強化された水の盾を破壊し、その盾を通して水天に爆炎と衝撃波を叩きつけた。

 

水天は自身の水の盾が破られたことを理解しながら爆炎に焼かれながら後方へと衝撃波で吹き飛ばされた。

 

慶次は炎の槍を投擲した後にさらにもう一度その炎の槍の後ろに隠れるようにして炎の槍を投擲したのだ。

 

慶次は炎の槍を二本使用することで強化された水の盾ですらも透過して水天にダメージを与えたのだ。

 

「猛火の焔は敵を貫く矛とならん!」

 

隙を与えた慶次は再び聖句を紡ぎ作り上げた炎の槍を中段に構え、突きを放つために正面に突貫した。

 

水の盾を破られた以上慶次はその高速の移動で突貫して来るであろう。

それを理解していた水天は天から降る雨と地面を濡らす水をかき集めて水天の周囲をグルリと回るようにして円錐状の地面から生えた大きな刺を外からやって来る慶次に向けて張り巡らせた。

 

その地面から生えた水の刺があるのを理解しながらも慶次は突貫する

 

自身の身を省みずに。

 

これで終わりにするために。

 

アシシュが神具を持ってきた以上速く終わらせた方がいい。

 

慶次に向けられた刺は胸や腹を貫くようしてそこにある。慶次は急所を避けるために上に跳んだ。

前方へと進むエネルギーはそのままに進む慶次に対して水の刺は足を抉るものの慶次は気にせずに進む。

 

「グ、クッ、ゥオオォォッ!」

 

慶次の炎の槍は水天の腹部を焼きながら貫いた。

 

「ウグッ!」

 

煙をあげる炎の槍を素早く引き抜き下から上へと槍を払い、水天の左腕を飛ばした。

 

慶次は払った勢いで一歩下がりすぐに回転を加えながら水天の首を跳ねるために槍を弧を描くようにして遠心力をもってして振るった。

 

「ハアァァァァッ!」

 

その振るった槍はしかし水天の首を跳ねることはなかった。

 

慶次の炎を纏った槍は慶次に背を向けたアシシュの身体を左から両断していた。

即死だ。

アシシュは血を蒸発させながら逝った。

 

突然に現れたアシシュの伸ばされた左手には恐らくは八尺瓊勾玉なのだろう赤色の穴の空いた円盤が握り込まれていた。

 

その八尺瓊勾玉は、今、金色の輝きを放ちながら水天へと吸い込まれていった。

 

アシシュは身を呈してまつろわぬ神へ神具を届けるという目的を為したのだ。

 

「フフフ、よくやった我が信者よ。数百年の時をかけてようやく力を取り戻した。」

 

水天がいや、ヴァルナが目を開けるとそこにあった水のように透き通るような青の瞳は太陽や月の輝きを終わらせた思わせるような金色の瞳へと変わっていた。

 

「・・・完全には力を取り戻したわけではないのか。

しかし、これで十分だ。この瞳こそが私が天空神であるという証である!」

 

先ほどまでな冷徹な水天は少しでもヴァルナへと近づいたためか随分と調子がいいようだ。

 

「残念だったな。お前は私を殺すことができなかった。

私はヴァルナとして力を取り戻した。

これが現実、これが結果だ。」

 

ヴァルナは前に言った慶次の言葉を繰り返した。

 

「そうだな。アシシュの行動の終末だ。

心してヴァルナ、貴様にかかろうではないか!」

 

慶次は大声で言う。

自分でも分かるのだ。気持ちが高ぶっていることが。

 

本気とまではいかないようだが先程の水天よりも強化されたヴァルナとの戦いに心が躍る。

 

ヴァルナの身体の傷が治っていく。

ヴァルナは太陽にまつわる説話を持つ神であり、竜蛇にまつわる説話をも持つ神でもある。純粋な太陽神や大地母神とは異なり絶大な不死性は持たぬ者のその頑強さ、回復力はその他の神々とは異なり高い性能を持つ。

故にヴァルナとしてのこの神はその回復力によって今までの傷を癒しているのだ。

唯一跳ね飛ばされた左腕のみはそのままだが。

 

何の前触れもなく慶次に地面から先の尖った水の鞭が襲い掛かる。

水天が最初に時間稼ぎのために慶次へと向けた攻撃と同様だ。

 

しかし、その速さと強さは前の比ではない。

慶次の反応速度を超えて襲ってきた水の鞭は慶次の炎の槍のによる防御を無視するかのように慶次に襲い掛かり、炎の鎧でさえも貫き慶次の身を貫き、打つ。

 

たまらず慶次はその水の鞭を槍に纏う炎で薙ぎ払おうとするもののその水の鞭の頑強さは慶次の思う通りにはさせてくれない。

慶次は怪我を負いながらもどうにかその鞭の速度に慣れて防御も追いついてきたころにそれはやって来た。

 

「ッツ!鋼をも溶かす焔は敵の刃から身を守る盾とならんッ!」

 

慶次は水の鞭をさばきながらも炎を頭上に集中させる。

その聖句を紡ぐと慶次の頭上に炎を纏った大きな盾が現れた。

その盾が慶次によって作り上げられるとすぐに鉄の嵐でもやって来たかとでも思うような轟音が頭上から響く。

 

頭上に集中した慶次の隙をつくようにして迫る地面の水の鞭を慶次は炎の槍を振るい防ぐ。

 

「ほう。さすがだな。素早く察知し“雨”を防ぐか。」

 

慶次の頭上から降ってきたのは雨だ。

しかし、天から降る針として重力によって最強の凶器となった雨が慶次の頭上の炎の盾を叩きつけているのだ。

 

その盾から聞こえてくる轟音が慶次を今にも盾を破壊されるのではないかと不安にさせる。

 

ヴァルナとして力を取り戻した水天は水の支配力が桁違いだった。

天空神であるヴァルナは雨を完全に自身の支配下においたのだ。

 

慶次は宙空に短刀を複数作り出し周囲にばらまいた。その短刀は爆発し、爆炎と衝撃波となって周囲の水を蒸発し、弾き飛ばした。

 

取り敢えず、慶次の周囲には水たまりはない。それに、頭上から響いていた“雨”が降る音も今は止み、普通の雨音となった。

 

しかし、気を許すことなどできない。

頭上からはいつ“雨”が降りだすかが分からない。それに、慶次の周囲2,3メートルの水は消し飛んだもののその周りにはまだ水たまりがある。

いつ後ろから水の攻撃がやって来るかも分からない。

 

「輝ける焔は疾き風も迅き雷をも退ける守護とならん。猛き焔は大地を焼き祓う浄化の焔とならん。」

 

ボロボロになった炎の鎧を呪力を込めて強化する。

 

今、慶次の体力も呪力も少なくなってきた。先の水の鞭の攻撃で血も失った。

それに対してヴァルナは呪力は分からないが体力に関しては動き回っている慶次よりかはあるだろう。

 

それに、怪我を負わせたはずだがその怪我はすでに回復している。

 

圧倒的に不利だった。

 

ヴァルナとして力を取り戻した瞬間に一気に形勢が傾いた。

 

ヴァルナの金色の瞳も気になる。

太陽の眼という伝承から邪視の一種であろうか。

 

「どうした。先ほどは威勢のいいことを言っていたがもう終わりか、神殺しよ。」

 

「言ったはずだ。戦いとは華がなければならないと。

例え俺が死ぬるとも戦場に華を咲かせて散る!

 

それに、戦いはまだこれからだろう。」

 

慶次は槍を構えヴァルナに向かって身体に水の鞭を受けようとも真っ向から突貫する。

頭上には炎の盾を連れて、足元は炎の盾を足場として正面まで移動する。

 

そこから慶次は炎の鎧のその圧縮された炎を解放して、推進力を得てヴァルナの死角へと回る。

 

慶次は今までよ中で最高速度で炎の槍をヴァルナへと突き出す。

 

しかし、その槍は空を切った。

 

慶次は右脇腹に一抱えほどもある円錐状の地面から生えた棘に抉られていた。

その身体に刺さった棘を炎の槍で切り裂く。

切り裂かれた先の棘はドロリと溶けて慶次の大量の血を含んで地面に落ちた

 

「この眼を取り戻した私は全てを見通す。

太陽の眼を持つ私に死角など存在しない。」

 

斜め後方からヴァルナの声が聞こえる。

 

「そして、この月の眼は時間を歪める。

神速に達する私の動きを攻撃を読むことはできはしない。

・・・はずなのだが、よくぞ寸でのところで気付いたものだ。

勘のみで神速に至った攻撃を避けようとするなど、やはり神殺しは侮れぬ。」

 

慶次は理解した。

ヴァルナは太陽の眼とやら死角からの攻撃を見切り、月の眼の能力で時間を歪め神速の攻撃を放ったのだ。

 

神速というものは桔梗から少し聞いたことがあった。

神速とは物理的な速度を上昇されることではなく、移動時間を短縮させるという時間を歪めることによって成せる権能である。

 

神速を持つ相手を相手取るには自身も神速を使うか、神速を見切るだけの技量をもつか、相手の神速を封じる権能を持っていればよい。

 

しかし、それさえなければ神速を持つものは無敵である。

 

慶次は神速に対応するだけの力を持ってはいなかった。

 

「なるほど、神速か。神速というものは無敵ではないのか?俺はわずかとはいえかわせたのだ。」

 

「それはお前が神速を見切るだけの技量を得るだけの器量をもっているということだろう。

しかし、神殺しよ。お前はここで終わりだ。」

 

ヴァルナはそう言って周囲に稲妻を纏った剣を顕現させた。その全てが神具に匹敵する代物だ。

 

「これは雷神インドラの雷で作りし剣だ。

アグニの権能を使うことは敵わなかったがこれで十分だ。

この私の神速にインドラの雷、避けれるものならば避けてみよ。」

 

慶次は思い出す。

ヴァルナとは悪人や罪人を取り締まるものであり、火神アグニと雷神インドラを伴ってその者らに罰を与える厳しい神としての一面を持つ。

 

これは後にヴァルナの成果がインドラやアグニに奪われることにも繋がるのだが、今重要なのはヴァルナがインドラとアグニを使い悪人や罪人をを取り締まったということだ。

ヴァルナはアグニのそれは無理でもインドラの権能を限定的に使用できるのだろう。

 

神速のインドラの剣が慶次に迫る。

 

「輝ける焔は疾き風も迅き雷をも退ける守護とならん。猛き焔は大地を焼き祓う浄化の焔とならん!」

 

炎の鎧を再び強化する。

 

インドラの剣が慶次の炎の鎧に当たる。

しかし、削るのみで大打撃を与えることはない。

 

慶次が弑し、権能を簒奪せしめたガルダは小人の種族ヴァーラキリヤであるインドラよりも100倍強くなるようにと願われて生まれたためにインドラの雷はガルダの炎に阻まれるのである。

 

しかし、だからといって全く安心できない。

 

インドラの剣が見えないのだ。

何かが動いているのは分かる。しかし、それ以上ではない。

 

「ぅグッ!・・・グァァッ!」

 

インドラの剣に紛れてヴァルナの水の刃が炎の鎧を抉る。そして、水の刃で抉られた場所を狙ってインドラの剣が生身の身体を貫く。

雷撃が全身を貫いた。

 

これでは大量のインドラの剣も警戒しなければいけない。

しかし、見て警戒することなどできない。

 

慶次を不安が襲う。

見ることができない。何もできないのだ。

 

どうにか神殺しの人間離れした直感力で急所をどうにか避けていく。

 

何撃とヴァルナの水の刃とインドラの剣の攻撃は続いた。

慶次は無防備にも受け続けるしかなかった。

しかし、ヴァルナも少し焦りを感じていた。

 

慶次を切り裂く刃の深さは段々と浅くなってきたのだ。

心眼を得ようとしている。

 

そう感づいたヴァルナはこれで最後だとばかりに大量の水の刃を見舞った。

 

それが、慶次を貫き切り裂くことはなかった。

 

それ以後は神速のインドラの剣を水の刃をなんなく受け流し、弾いていく。

 

慶次はこの戦いの中、満身創痍になりながらも心眼を開眼したのだ。

 

「これは・・・観自在とはこのことか。

まあ、何度も見ていたら嫌でも慣れるだろうな。」

 

世の日々鍛練する武術家が聞けばどう思うだろうか。

慶次はその天才的な槍術によってまつろわぬ神と戦い一戦のみで心眼を得たのだ。

 

ヴァルナは同じように神速の水の刃とインドラの剣を使って攻撃を仕掛け続けた。

しかし、観自在の心眼を得た慶次には相手にはならなかった。

神速だからといって槍術の天才である慶次には物量の攻撃はなんの意味もなかった。

 

唯一、ヴァルナの千里眼や周囲を俯瞰視することのできる太陽の眼によって神速にも至らんとする慶次の槍術をどうにかかわすことができていた。

 

しかし、太陽と蛇の不死性の性質を僅かながらももつヴァルナに対して炎の槍で傷付けた怪我は焼け石に水ですぐに回復させられた。

 

「神殺しには驚かされる。まさか、この一戦で心眼を得るとはな。」

 

「神殺しという存在はまつろわぬ神との戦いで権能を業を昇華させる。

そういう存在なのではないか。」

 

慶次はこの一戦で成長した。

武術の業を磨き、心眼を得た。

そして、権能の業を磨き、真の権能を理解した。

 

「これで終わりだ。」

 

神速の剣撃を受け続けて満身創痍の慶次はそう言って独特の中段の構えで槍を構えた。

それに対してヴァルナは地面に円錐状の棘を生やし、防御柵とし、周囲に水の刀を周囲に複数作り出した。

 

「熱き焔は強靭なる鋼を溶かし刃となって転生せん!」

 

慶次の炎の鎧がメラリと燃えて解放された。

槍を突きのみを考えた中段の構えでヴァルナに向かって突貫する。

その身にはメラリと炎を纏うのみだ。

 

ヴァルナは待つ。

目の前の棘状の防御柵を避けようとするとどうしても隙がうまれるはずだ。

 

そこを狙う。

 

慶次は槍の穂先を前に出して真っ正面から向かってくる。

 

そして、そのまま刺状の防御柵に突っ込み、

 

その身を棘状の防御柵に貫かれながらも突貫してきた。

 

「なっ!」

 

驚いたのは自身の身を呈して突貫してきたからではない。

慶次は防御柵で怪我を負うことなく向かってきたのだ。

 

そして、そのまま慶次は炎の槍をヴァルナに突き出した。

 

「ハアァァァァッ!」

 

突き出された炎の槍を腹部へと刺して押し出し、自身は離れる。

 

「グッ!・・・み、見事なり、神殺しよ。」

 

そして、炎の槍の圧縮された炎を解放してヴァルナの言葉を書き消すようにして腹部で爆発させた。

 

慶次は遂に権能を掌握したのだ。

 

このガルダの真の権能はその身を炎と化して怪我を回復させることである。

 

慶次は刺に突撃する前に身体を炎化させて透過して退けた。

そして、そのまま慶次は今までの怪我を回復させながら動揺するヴァルナへと攻撃を繰り出したである。

 

爆心地には直径数十メートルのクレーターがあり、その爆発の威力をありありと見せつけてくる。

 

その中央にはまつろわぬヴァルナではなく不滅不朽の赤色の神具、八尺瓊勾玉があるのみだ。

 

今の慶次に特に怪我は見当たらない。

 

しかし、体力も呪力も尽き果てた慶次は爆発の衝撃波に吹き飛ばされてそのまま倒れ、身体にずしりとした新たな権能を得た感覚を覚えながら気を失った。



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九話

大和国北東部を中心に近江、伊勢を含め畿内全域に降りかかった天災級の豪雨は三刻とかからずに止んだ。そのため、心配された豪雨による洪水などの水害はそう表立って聞こえることがなかった。

畿内全域の米の収穫率に関しても特に減少することもなく今年度はこの豪雨が原因で不作となることはないだろう。

 

異常なほどの豪雨の前後に人々の暮らしにさほどの変化はない。

すごい雨だったなどとは言われるであろうがそれ以上ではない。

 

しかし、京の都では表立ってではないが裏では大きな変化があった。

 

この日ノ本の国に羅刹王が現れたのだということが知られることとなった。

 

羅刹王の名前は前田慶次。

呪術師として名の知られた半家である藤原北家利仁流嫡流前田家の都でも有名な放蕩娘ともいうのだろうか、その現当主の娘の養子なのだという。

彼自身も主な活動場所である近江国の六角氏の本拠地である観音寺城の城下町では傾奇者として住人に名が知られているのだという。

 

前田慶次は羅刹王としても日ノ本の中心である京の都に名を轟かせたがその奇抜な恰好と遊び人の気質と豪運の持ち主故に京では住人の者たちにすぐに顔を覚えられ、博徒どもに目を付けられとその傾奇者として一面も日ノ本のの中心で名を轟かせ、商人の都である堺でも同じように名を知られているのだという。

 

内裏を含め京を震撼させた今回の神具盗難騒動は御老公の巫女である媛巫女近衛篠の言葉から始まり、南蛮船、天竺の呪術師、まつろわぬ神、それに羅刹王も関わる大騒動へと発展していった。

 

近衛篠の言葉で内裏の警護が強化されてすぐに天竺の呪術師により神具が奪われたものの、侵入した三人のうち二人を捕縛し、のちにこの者らは打ち首となった。

 

件の奪われた神具、日ノ本の神宝である八尺瓊勾玉は大和国の宇陀にまつろわぬ水神が顕現する一因となった。

 

しかし、まつろわぬ神は羅刹王である前田慶次によって討伐されることとなった。

 

そして、奪われた八尺瓊勾玉も羅刹王である前田慶次の手によって帝の手に戻ることとなる。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

宇太水分神社上宮付近での戦いの後、まつろわぬヴァルナとの戦いによって非常に消耗して倒れた慶次をまつろわぬ神が顕現したこの地に急ぎ駆け付けた京の呪術師たちの衆目を浴びることなった。

その際に、顕現したはずのまつろわぬ神が存在しないこと、息絶えてそこらに転がった天竺の呪術師のこと、辺りに広がる戦闘の爪跡。

そして、一際大きな戦闘の爪跡である半径十数メートルほどもある巨大なクレーターに、そのクレーターの中にある奪われたはずの八尺瓊勾玉。

 

これらのことからここで何があったのかというように今回の呪術師たちの隊長格の者が媛巫女である篠に尋ねたところ篠が慶次は羅刹王であるということをばらしたのだ。

 

慶次が羅刹王であることは京の都の者たちに知られるところとなったのだが、元々慶次はまつろわぬ神との戦闘に備えて宇太水分神社へ向かう途中馬上で篠にばれてしまってもいいとは言っていた。

 

大体いつかは知られることでありそれを理解もしていた。それがこの国で初めてまつろわぬ神と戦うことで公になることも理解していた。

そりゃあ、まつろわぬ神と神殺しが暴れたらいやでも知られることとなるだろう。

 

それで、篠は慶次が眠っているなか慶次が羅刹王であることを伝えた。

 

その後はその呪術師連中によって慶次とそして件の八尺瓊勾玉も京の都に運ばれることで今回の神具盗難騒動は幕を下ろした。

 

京の都の前田邸に運ばれた慶次はその日の昼過ぎには目を覚ました。

元々、ヴァルナとの戦闘の傷はガルダの真の権能である炎化による回復で完全に完治していた。

流石は神殺しとでもいうのだろうか。当初、戦闘後に倒れる慶次が衣服はともかく無傷であることを見た呪術師連中には非常に驚かれた。

 

この権能は瀕死に近い大怪我を負うことによってその日に一度きりだけ使える切り札ともいえるものだ。

完全に怪我を回復させて、さらにその副作用として身体を一時的に非物質である炎と化して物理攻撃を無効化することのできる権能である。

 

しかし、この権能には弱点がある。

この権能では失った体力と呪力までは回復させることはできないのだ。

そのため、慶次は倒れ眠っていたのだが、それでもたかだか半日ほどで起きる慶次には篠も含め京の呪術師たちを驚かせるに余りあるものであった。

 

無事に八尺瓊勾玉を取り戻して今回の神具盗難騒動は幕を下ろしたわけだが、今度は羅刹王前田慶次の存在が京の呪術師連中を騒がした。

 

羅刹王の存在は呪術師の上に立つ帝の存在を脅かしかねない危険な存在である。

呪術師の王としての一面も持つ帝を排斥し、羅刹王自身が京の呪術師の王として立つかもしれない。京の呪術師ではなく他の庶民の呪術師をまとめ京の帝と呪術師連中を脅かす組織を作り上げるかもしれない。

 

考えると切りがないほどに羅刹王が害となりうる可能性が出てくる。

それほどにこの日ノ本の国にとって羅刹王とは厄介な存在なのだ。

 

それ故に帝の下で呪術師連中をまとめる呪術の名家四家が直接羅刹王に会うこととなった。

 

羅刹王の望みは何なのかを知るために。

 

四家の当主四人と羅刹王前田慶次とそれに伴う近衛篠の会談は慶次が目を覚ました翌日に京の清秋院邸にて行われた。

 

その会談で今回の主目的ということで慶次は四人に自身の望みは何なのかと問われた。

 

慶次は理解していた。

自身が帝を害するような存在なのか否かを聞かれているのだと。

 

元より慶次は帝に害するつもりはない。京の呪術師連中に影響を及ぼそうだなどということも考えてはいない。

 

今までのように伊吹山の桔梗の草庵に住み、時々観音寺城の城下町へ、果ては今回のように堺や京にまで繰り出して遊ぶ。

それができれば良いのだ。

 

京の呪術師連中の頂点に立とうだとかそこらの庶民の呪術師をまとめあげて組織を作ろうだなんてことは一切考えていない。

 

呪術師の王というよりは、傾奇者 前田慶次。

 

そういう存在としてこの時を生きていくのが面白おかしい人生を送れるはずだ。

 

それが、これまでの三年間とそして今回の京や堺での出来事を鑑みて考え出した慶次自身のこの国での立ち位置というものだった。

 

慶次は話した。

故に、お前らの懸念するようなことはないのだと。

 

四家の者たちは言った。

共に帝に前田家の者として仕えないか、と。

 

慶次は言った。

一人の前田慶次として自由に生きたいのだ。

この京で帝の下で働いて過ごすことはない、と。

 

慶次は望みを話した、意思を示した。

 

この後四家の当主と慶次は今後のことについて話し合った。

 

慶次は堂上家半家前田家の養子として、そして羅刹王前田慶次の昇殿を許すために今回の件の恩賞としても従五位下に叙爵されることとなった。

 

慶次は奇しくも所謂貴族と言われる内位の位階を得る運びとなった。しかし、普通の無位無冠の者ならば得るはずの官職までは貰うことはなかった。

これは慶次の望みである帝の下で働くつもりはないという望みを反映した形となった。

 

そして、今回の叙爵を含め恩賞を受けるためにも慶次はこの会談の後に参内することとなった。

 

慶次はこの四家との会談からしばらくして行われることとなった帝への謁見は武家の大名が帝と謁見するために用いられる小御所にて行われた。

 

慶次は半家前田家の養子として浅緋の袍の衣冠という正装で参内した。

 

おそらくは自身の傾奇者という風評故か正装姿で礼儀をもって参内した慶次はその時周囲の者たちに驚かれたようだが。

 

慶次は紫宸殿の奥にある小御所にて昨年帝となった後に正親町天皇と呼ばれる今上天皇と謁見した。

 

そこで慶次は八尺瓊勾玉の入った桐箱を帝に奉じた。前田慶次が神宝を取り戻し帝へお返しする。京の呪術師連中は形を求めたのだ。

慶次は八尺瓊勾玉を奪還した礼として従五位下へと叙爵され、さらに今回のまつろわぬ神の討伐の恩賞として天盃と御剣を賜ることとなった。

 

これは、帝が羅刹王である慶次よりも上位にあるということを公に示したという証となる。

 

御剣は御物である太刀で銘は三条。つまり、三日月宗近の作刀者である三条宗近の作品である。

この太刀は梨子地菊桐紋蒔絵革包太刀。

その拵えには梨子地でその上に天皇家の家紋である桐紋が蒔絵によって施されており、柄は黒で赤色の革で巻かれた芸術品でもある。

 

この太刀には他にも意味が込められており、天皇家の家紋である菊紋と桐紋を下賜することを示している。

 

この一連の件によって慶次は天皇家や京の呪術師に所縁のある一呪術師としての立ち位置を得た。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

京の都にある近衛邸。

篠の実家でもあるこの近衛邸で現在慶次は今代の関白であり、篠の兄でもある近衛前嗣に会っていた。

近衛前嗣は関白を辞した父稙家に代わり藤原北家嫡流の近衛家の当主として在る。

四年前に二十歳にも達さずに関白となった俊英である。

 

「此度の件、それに先日のことも併せて礼を言う。帝は大層お喜びであられたぞ。」

 

「八尺瓊勾玉の件というよりも謁見の件であろうか。」

 

「そうじゃ。帝は羅刹王のことを聞いて以来大変気にかけておられてのう。」

 

今回の帝謁見の件は京の呪術師連中にとっては非常に神経質な問題であったようだ。

権威で言えば明らかに帝の方が優位であるものの、力で神を弑した羅刹王を帝の下に抑え込むなどということは無理であることを天災たるまつろわぬ神の存在を知る呪術師たちは理解していた。

 

しかし、慶次にとってこの時代は平成の世とは違い身分の違いの明らかな戦国時代である。

表立って帝に楯突こうなどということは考えられようことではない。

故に帝に謁見した際に自分が下であると身分を明らかにし、帝に楯突こうなどとは考えていないと示すことは当たり前であった。

 

そもそも、羅刹王という存在ゆえに畏れられるというのはつまらない。前田慶次という名で相手を畏れさせることの方が面白い。

 

「この世の流れに従うは寛容。

己の道を行くが面白きとは言えこの世に道がなくば意味がない。

この日ノ本を千年以上もの時を支えてきた天皇家には畏敬の念があるのみ。ただ、この京の都はこの慶次にとっては狭すぎる故仕官はお断り申した。」

 

「なるほどの。その方にとってこの都は狭いとな・・・

それは構わぬ。なれど一大事あれば力を貸してもらいたいのじゃ。

天の災いより我らを助けてもらいたい。」

 

「天災たるまつろわぬ神は只人では相手にはならぬ。

そのまつろわぬ神と対峙するのが羅刹王の役目。故に、存分に力をお貸しいたそう。」

 

前嗣公はゆっくりと慶次の言葉をかみしめるようにして頷いた。

 

「我らは羅刹王であるその方を頼りに頼りにしておる。今、その方の佩刀しておる太刀はその証じゃ。」

 

「・・・というと?」

 

「その三条宗近作の太刀は御物の中でも名刀中の名刀。その太刀に描かれておる天皇家の桐紋がその証よ。

天皇家が家紋の菊紋、桐紋を下賜いたすのは足利尊氏など例は数少ない。公に出来ぬ故帝はその方に太刀として下賜なされたがそれほどにこの件は特殊なのじゃ。

・・・その方、まことこのことには気が付かなかったと?」

 

「なるほど。この太刀にはそのような意味が。」

 

今、慶次が帯の代わりとして使用している組紐に巻き付けられるようにして慶次の腰に佩かれている太刀「三条」についての説明を前嗣に聞くこととなった。

 

その菊紋と桐紋は前田慶次と帝や京の呪術師を繋ぐ証なのだと。

 

「その方は政にはとんと疎いようじゃのう。まあ、力を持つその方が政に興味がないのはよいことよの。」

 

慶次は近衛前嗣との話のなかで自分がこの国の中止である京の都において大きな存在なのだということを嫌でも理解させられる。

 

「さて、その方はこれからどうするつもりなのじゃ?」

 

急に前嗣公の話の調子が上がる。重々しい話はこれで終いということなのだろう。

 

「取り敢えずは本拠たる観音寺へ戻る予定です。それからはしばらく観音寺、京を拠点に畿内を回ってみようかと。」

 

今回の堺、京への旅路で慶次は自身にとって代わり映えのない毎日というものの居心地の悪いものであるということが分かった。元々、幽世での鍛錬の日々が嫌で一年足らずで伊吹山の草庵を出た慶次だ。

今回の堺行きもそういう感情があって行動を起こしたのだろうと慶次は思った。

 

変化のない日々を嫌うのは慶次の性分なのだ。

 

「そうじゃのう、その方はそういう者なのであろうの。旅をすると申すか・・・

どうじゃ、旅の供この篠を連れてはゆかぬか?」

 

「篠を・・・」

 

「そうじゃ。これは篠の願いでもある。」

 

篠自身の願いである。

それを聞いて慶次は前嗣公の斜め後ろに控えている篠を問い掛けるように見据えた。

 

「此度のまつろわぬ水天の一件、私は神がかりの術を使える身なれど慶次様の役に立つどころか足を引っ張ってしまいました。そのような至らぬ私ですが上位の媛巫女としても、政の面でも、そして自身のためにも慶次様にお供したいのです。

神仏と対するときは自分の身は自分で守ります。」

 

「篠よ、俺について来たいと思う理由は何だ。」

 

篠は慶次の視線の意味に気付きそれに答えた。名前に様を付けるというのは慶次を目上の存在として見ているから。けれども、慶次が羅刹王だからという理由でないのはその言葉と眼から感じられる覚悟から分かる。

それに対して慶次は篠に聞く。他の意志の含まれる近衛篠でも媛巫女の篠でもないただの篠として聞く。

 

「此度の件で分かった弱い私自身を見つめ直すため。

常識に捕らわれずこの乱世の波よりもなお厳しい荒波に飲まれようとする慶次様の近くにいたいからでございます。」

 

「そうか。ただ一人の旅というものもつまらん。どうせだ、一緒に行くとしようか。」

 

篠の覚悟に対してさわやかな笑顔で答えた慶次は篠に向かって頷く。

篠はそれに対して顔をほころばせた。嬉しそうにする妹の姿に頷きつつ前嗣公は言った。

 

「それではその方らに馬などの旅支度をさせるとしようかの。」

 

「いや、その儀は無用。」

 

前嗣公にとっても今回の篠の願いは願ったり叶ったりであった。帝に頭を下げた慶次ではあるがそれでもやはり現れればその国に大きな影響を与える羅刹王だ。

近衛家としても慶次との縁が欲しかったのだ。これで篠が慶次と結ばれれば万々歳。先に思いをはせながら二人に言ったが慶次に断られた。

 

「糧がなく、寝床もないなどということは避けたいが何があるのか分からないのが旅というもの。最初から準備の整った完璧な旅ほどつまらないものはないというもの。

故に我らは徒で畿内を回ります。」

 

慶次はそのまま前嗣公に頭を下げて去っていった。それに篠もついていく。

この慶次の無礼に対して前嗣公は慶次のあまりの清々しさに怒りを覚えることはなかった。

 

慶次は篠を伴って近衛邸を出た。

 

ヴァルナの権能を得ることで金色に変わってしまった自身の両目を東の伊吹山のある方へと向ける。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

商人の町、堺。

その商業都市に面する大阪湾に浮かび、行き交う数多の船の中、一際大きく他とは違う異様な様が目を引く南蛮船。

 

その中でこの南蛮船の船長と一人の隻腕の男性が話をしていた。

 

隻腕の男性は自国のラークシャサよりこの日ノ本の国の神具を奪い取ってくるようにと命を受けたサルマンである。

 

サルマンは狂信的なバラモン教徒である老師ラシャーンとの戦闘で片腕を失いつつも勝利をおさめ、彼の持っていた神具を奪い取ったのだ。

 

そして、予期しない神具獲得の後に老師の言葉によって一人まつろわぬ神のもとへと八尺瓊勾玉を持って向かったアシシュを追って宇太水分神社へと向かった。

 

そして、サルマンはそこでまつろわぬ神と戦うこの国の羅刹王を見た。

 

その後は、まつろわぬ神も討伐され、すぐにこの国の精鋭の呪術師も現れて、サルマン自身は満身創痍だったためそのまま回収される神具を諦めてこの南蛮船に戻ってきたのだった。

 

「・・・船長、お前はこの国の神殺しのことを知っていたのか。」

 

知っていたのか。知っているのならば何故教えなかったと、船長を責めるようにして問い詰めた。

 

「かの神殺しから口止めされたからですよ。

私たちはかの者たちに逆らうことはできないのです。

例えば、ムガル帝国のあなたたちの王ラジェンドラ卿に船を出すように命じられた私のように」

 

知っていた。

神殺しというものたちの存在の理不尽さを。

だから、船長がそう言うことも理解はしていた。

 

今回の王より命じられた神具の奪取は失敗した。

大失敗だ。

部下を全て失ったのだから。

 

しかし、思わぬ物を手に入れることができた。

老師ラシャーンご持っていた神具だ。

 

「・・・取り敢えずは手に入れることができたこの神具をラジェンドラ様にお届けする他あるまい。」

 

そして、報告するのだ。

今回の神具奪取を失敗してしまったことを。

バラモン教徒が逆らったことを。

部下を全て失ってしまったことを。

異国にてまつろわぬ神が顕現したことを。

 

そして、

東の島国、日ノ本の国にラジェンドラ様と同じ神殺しが存在したことを。

 

サルマンを乗せた南蛮船は堺の町への滞在を終えてムガル帝国へと向かって行った。

 

サルマンがムガル帝国の神殺し ラジェンドラへと報告をするのはしばらくあとのことである。

 




~一章 完結~


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