フロンティアを駆け抜けて (じゅぺっと)
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新たな原石

ここはホウエン地方の送り火山の頂上。ゴーストタイプのポケモン達がふわふわと浮かんでいて、うっすらと霧がかかるその場所で。その地に似合わぬ溌剌はつらつとした声をあげる一人の少女がいた。

 

「……勝った!ジャックさんに勝ったわ、私!ねえお父様お母様、私、やったよ!」

 

 赤と青のオッドアイに、ふわふわした茶髪の少女は自らの相棒のポケモンを抱きしめる。それに対面するジャックと呼ばれた男の子は頬を掻く。

 

「うーん、君が15歳になるまでは負けるつもりなかったんだけどなあ。さすが、チャンピオンの娘だね」

 

 少女の後ろには、二人の男女がいる。彼らがこの少女の父と母であり、父はこの地方のチャンピオンであった。母親はこのおくりび山の巫女であり、日光が苦手なのか日傘を差している。

 

「ああ、すごいぞジェム。今までよく頑張ったな」

「本当だよ。毎日毎日負け続けたのは伊達じゃなかったね」

「もう!お母様のいじわる!」

 

 ぷくり、と頬を膨らませる少女――ジェム。でもすぐに笑顔を浮かべて、自らの父に問うた。

 

「ねえお父様、これだけの実力があればいいでしょう?私もお父様とお母さまの若いときみたいに、旅がしたいの!」

 

 そう、ジェムの目的は一人で旅をすることだった。自分の目でいろんなものを見て、見分を広めたい。素敵な人たちに出会いたい。そして、父親と母親がそうであったように自分の運命の人を見つけたい。しかし、父親は首を横に振った。

 

「駄目だ。どんなに実力があろうと、一人旅は15歳までは我慢。そう言っただろう?」

「えー……」

 

 しょぼん、とジェムは項垂れる。父親は優しいが、一度言ったことは決して曲げない人だ。なので半ばそう答えることも予想していたが、残念なものは残念なのである。ちなみにジェムは今13歳だ。

 

「その代わり、だ。ジェムには是非行ってほしい場所があるんだ。話を聞いてくれるか?」

「行ってほしい場所?おつかい……じゃないわよね」

 

 父親は一通の手紙を取り出す。そこには大きくこう書かれていた。

 

「バトルフロンティアへの招待状……?フロンティアってなあに、お母様?」

「色んな意味があるけど。ここでは最先端の、という意味だと思うよ」

 

 基本的に自分の知らない知識に関しては母親に聞くジェム。

 

「そう。今度ルネシティの近くの島で、いろんな新しいポケモンバトルの試験を行う施設がプレオープンすることになったんだ。ジェムにはそこに行って、テスターの一人になってほしい」

「テスターって……何すればいいの?」

「簡単なことだ。ジェムの思うまま、バトルを楽しんで来ればいい」

 

 父親は、人を安心させる優しい笑みを浮かべてそう言った。

 

「それなら出来るわ!ねね、いつから始まるの?」

「3日後だな。明日にでも出れば間に合うだろう。そこまでの道は……ジャックさんに案内してもらいなさい」

「ま、ホウエンの地理なら僕は知り尽くしてるからね。安心して任せてよ」

「お願いします。じゃあ、行ってくれるな?」

「任せて!さすがお父様。15歳になる前にこんな経験をさせてくれるなんて……偏屈のお母さまが惚れただけのことはあるわ!」

「やれやれ、誰が偏屈だい。ご飯抜くよ?」

「やめて!」

 

 母親が呆れながら冗談めかして言う。ジェムも笑ってそう言った。

 

「それじゃあポケモンバトルで疲れただろうし、今日は家でもう休もう」

 

 父親がそう提案するが、ジェムはむしろ元気さを増したようだった。

 

「こうしちゃいられないわ!私、ちょっと下まで走ってくる!お母様、夕飯は麻婆豆腐でよろしくね!」

「はいはい。お腹をすかしておいで」

 

 言うなりジェムはおくりび山の麓の方へ走り出す。残された父親と母親はそれを見守りつつ、母親が父親に肩を寄せる。差している日傘が、相合傘のようだ。

 

「さすがあなたの娘だね。元気がいいったらありゃしないよ」

「でも、母さんの娘だ。俺と違って、ちゃんと一人でも考えて行動してる。……あの子なら安心だ」

 

 ジェムの姿はすぐに見えなくなった。ジャックと呼ばれている男の子は、二人を見てため息をつく。

 

「あれから20年たったけど、君たちは相変わらずの仲だねえ。嫉妬しちゃうよ」

「お蔭さまでね」

「ジャックさん、今まで娘に付き合ってくれてありがとうございました」

 

 父親がジャックに深々と礼をする。礼儀正しくなっちゃってまー、と呟いた。ジャックは見た目は子供だが、とある事情によるすごく長生きで、もう3000歳になるらしい。

 

「……あの子も旅立ちの時、か。君たちから生まれた宝石がどんな活躍を見せるのか、この目で見届けさせてもらうよ」

 

 そう意味深に語る。そして夜。お腹を空かして帰ってきたジェムと父と母が家族の団欒を過ごして、翌朝――

 

 

「それじゃあ行ってきますお父様、お母様!」

「ああ、気を付けていくんだぞ」

「お父さんの顔に恥じない戦いをしてくるんだよ?」

「うん!それじゃあいこっ、ジャックさん」

「はいはい、僕の準備は出来てるよ」

「それじゃあ出てきて――ラティ!」

「きゅううん!」

 

 ジェムは自分の相棒――ラティアスを呼び出す。ジャックもラティオスを呼び出し、その背に乗った。

 

「私、もっともっと強くなって――お父様みたいな皆に尊敬されるトレーナーになるんだから!楽しみに待っててね!」

 

 そう父と母と、何より自分自身に言い聞かせながら、少女は旅立つ。行く先はポケモンバトルの最前線。その地を踏みしめ、駆け抜けるために――

 

 

 

 

 そしてバトルフロンティアのグランドオープン前日。件のバトルフロンティアでは、一人の男性が立派な椅子に肩肘をついて座っていた。紅い長髪に、翡翠色の気の強い瞳。年齢は30を過ぎているが、その体からあふれるエネルギッシュさは20代前半のそれと比べても遜色ない。

 

「……長かった。いよいよ俺の計画が発動する」

 

 その男性は椅子を揺らした後、ぐるりと椅子を回転させて、自分の妻、そして集めた部下を見る。その場に集められた6人を見渡して、赤い長髪の男性は強い言葉で命じた。

 

「いいか、俺がお前達に求めるのは――perfectだ!ここに来る奴らに、そして俺自身に――perfectな日々を、気分を与えろ!」

 

 パーフェクトというと完璧なという意味合いが強いが。ここでは充実した、という意味も含んで使っている。このフロンティアのキャッチコピーは『perfectな日々を貴方に』である。

 

「さあ、持ち場につけ!最終調整を怠るんじゃねえぞ!」

 

 男性がそういうと、妻を除いた5人がそれぞれの場所に戻っていく。男性の妻は彼の後ろに行くと、その頭にもたれかかるようにして囁いた。

 

「ねえエメ君……あの子も参加させてよかったの?いくら実力があるといっても、まだ10歳じゃ……」

「関係ねえ。俺の息子たるもの。これくらいのことは突破してもらわなきゃ困る。後エメ君言うな」

「もう、いくつになっても傲慢なんだから……とはいえ、私も楽しみなんですけどね。フロンティアブレーンとして、あの子と本気で戦えるのが」

「へっ、結局お前もそうなんじゃねえか」

「ええ。それでは私も行ってまいります、あ・な・た」

 

 男性の妻は首筋にキスをして去っていく。残された男性は、パソコンの画面を見てこう呟いた。

 

「……さて、目下楽しみなのは俺の息子と……あいつの、娘」

 

 そこに映っているのは他ならぬジェムの姿だった。そこには彼女のフルネームが載っている。

 

「ジェム・クオール、か……」

 

 




新しい連載を始めました。幽雅に舞え!から二十年後の作品という体ですが、この作品から読んでも問題ないように書いてあるつもりです。


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集いしチャレンジャー

「まったくこいつら……しつこいわね。ラティ、サイコキネシス!」

「ははっ、こっちもサイコキネシスだ!」

「カポエラー、トリプルキック!」

「ラティ、避けて!」

 

 

 バトルフロンティアに到着したジェム。まずそこにある施設の特殊な外観に驚き、あたりを探索するのもつかの間。ひょんなことから自分と同じくプレオープンにやってきた挑戦者たちとバトルする羽目になってしまった。そのわけは、30分ほど前に遡る――

 

「それじゃあ見送りもしたし僕はいくね。開始は明日だから、今日は見物でもしつつゆっくりするといいよ」

「はーい、ジャックさん」

 

 一緒にここまで来たジャックはラティオスに乗るとさっさとどこかに飛んで行ってしまった。ジェムも大人しくこれから巡る施設を見て回ろうとする。

 

「すごい……空を飛んでいるときも思ったけど、大きいわね。地上から見るとてっぺんが見えないわ」

 

 島の中央には、巨大な塔とでも言うべき建物がありその一番上は目視できなかった。その他にもまるで野球場のような円形のドームに、ポケモンコンテストの会場のような煌びやかな建物、巨大なサイコロのような、白い正六面体の建物。そして中の様子を映し出すために設置された無数のモニター。面白そうなものばかりでこれから始まるバトルに期待を膨らませるジェム。だったのだが。

 

「おいガキ!もういっぺん言ってみやがれ!」

「そこまで言うなら俺らとバトルしろや!」

「……」

 

 怒鳴り声が聞こえてそちらを見てみれば二人の男が、ジェムよりもさらに年下であろう少年に突っかかっている。帽子とフードを深くかぶった少年は怯えていて、おどおどしているように見えた。そう判断したジェムは、一も二もなく彼らの間に割って入る。

 

「ちょっとあんたたち!こんな小さい子に二人がかりで大人げないわよ!」

 

 父親譲りの正義感でそう叫ぶと、二人の男の矛先はジェムへと移り、ドスの効いた声を荒げる。

 

「ああん!なんだこのメスガキ!」

「邪魔するとてめえもいてまうぞコラァ!」

「誰がメスガキよ!私にはジェム・クオールっていうお父様とお母様に貰った立派な名前があるわ!」

 

 それに一歩も引かずに対峙するジェム。フルネーム――つまりチャンピオンである父の名字を出せば相手は引くのではという打算もあった。ここに来ている以上は、それなりにトレーナーとしての事情にも興味を持っているだろうから。だがそれは逆効果だった。

 

「クオールだと……チャンピオンのガキか?」

「だったら丁度いい!このフロンティアで活躍すればポケモントレーナーとして名を上げられると思って来たが……チャンピオンの娘を完膚なきまでに叩き潰せばさらに名が上がるぜ!」

「おお!そうだな兄弟!となりゃいくぜフーディン!」

「出てこいや、エビワラー!」

 

「やる気ね……いいわ、フロンティアに挑む前の肩慣らしよ。出ておいで、ラティ!そっちの子はさっさと逃げなさい!」

「……」

 

 少年は相変わらずきょろきょろおどおどしている。こうなっては仕方ない。一人で二人を相手にするしかないだろう。こうしてジェムのバトルフロンティアは施設に挑む前から波乱の幕開けとなったのだ。

 

「さあ、さっきまでの勢いはどうした!?スリーパー、思念の頭突きだ!」

「見たことねえポケモンを連れてるようだが、大したことねえな!サワムラ―、メガトンキック!」

「もう三体も倒されてるくせによく言うわよ!ラティ、自己再生!」

 

 頭突きと蹴りを受け止めながら、ラティアスは超能力で自分の傷を癒す。既にフーディンとカポエラー、それにエビワラーをラティアス一体で倒しているのだが、男2人は怯むことなく攻撃してくる。自己再生で回復できるとはいえ、ラティアスも消耗していた。相手の手持ちが六対ずつだとしたら、さすがに倒しきる前にラティアスの方が限界が来るだろう。

 

「こうなったらしょうがない……『アレ』を使うよラティ!」

「きゅううん!!」

「その神々しきは聖なる光!今、藍と紅混じりあいて、幻惑の霧となって!」

 

 ラティアスの体が光輝き、目の前に赤と青のグラデーションによる光の珠が発生する。それを打ち出し、サワムラ―に命中させると光の珠は炸裂して、周り全てを覆う虹の濃霧となった。男2人がジェムと少年の姿を見失う。

 

「ほら、逃げるよ!」

「えっ」

 

 ジェムは少年の手を取り、一目散に走りだす。あんな連中相手に逃げるのは癪だが、ラティアスを傷つけられるのはもっと嫌だった。

 

 後ろ二人で自分たちを追いかけようとして衝突でもしたのか男2人の悲鳴が聞こえたが、そんなことはジェムにとってはどうでもいいことだった――

 

 

「はあはあ……どうやら、撒いたみたいね」

「……」

 

 手を取って走ったせいか、割とすぐに息が上がったジェムだったが、幸いにして二人は追いかけてこなかった。ジェムの速さに付き合わされた少年も肩で息をしている。

 

「それであなたは、どうしてあの男達と揉めてたの?」

「……それは」

 

 少年はもごもごと口ごもる。言いにくいことなのかな、と思ったジェムは少年に目線を合わせて話題を変えた。

 

「それじゃあいいわ。どうしてあそこに一人でいたの?お父さんかお母さんは一緒じゃないの?」

「パパとママは……ここにいるけど、来ない」

「?」

 

 よくわからない返事だった。判断に迷っていると、少年はため息をついた。

 

「……っていうかなんなの、君。あんなの相手にしなければどうせ何もされずにすんだのに下手に刺激しちゃって……馬鹿みたい」

「……え?」

 

 今この少年は何と言っただろうか。ジェムの聞き間違いでなければ、おどおどしながらジェムを馬鹿にしたように聞こえたのだが。

 

「挙句の果てにぼくまで走らせるし……余計なお世話だよ。こんなことなら、最初から黙らせておけばよかった」

「なっ……!あんた、言っていいことと悪いことってもんが」

 

 ジェムの怒りを含んだ声にも気にせず、少年はとどめの言葉を放つ。

 

 

「しかも何あの台詞。……恥ずかしい」

 

 

 ジェムの堪忍袋の緒が切れる。多分あの男二人にも同じような調子で馬鹿にしたのだろう、こんなことなら助けるんじゃなかったと思いつつ、そして。パチン!!と少年の頬を平手で打つ。

 

「助けた礼を言えとは言わないわ!でも、あれはお父様が私にくれた言葉なの、馬鹿にしないで!!」

「……!!」

 

 平手打ちをされた少年は、びっくりしたように目を見開いた。そしてその瞳にじわりと涙が浮かぶ。

 

「ぶった……ママにも叩かれたことないのに」

 

 少年はフードの裏側からモンスターボールを取り出す。そしてそれを開くと、中から現れたのはメタグロス。4本の鉄足が大地を踏みしめ、強面がジェムを睨む。

 

「何がお父様だ。パパなんて、自分の考えを子供に押し付けるだけじゃないか。馬鹿みたい。……お返ししろ、メタグロス」

「……ラティ、来るよ!」

 

 目深にかぶったフードから覗く少年の瞳は、本気だった。咄嗟に対応するジェム。

 

「メタグロス、高速移動」

「ラティ、影分身!」

 

 メタグロスが電磁力を利用して体を浮かせ、目にも留まらぬ速さで動く。ラティアスが分身して惑わそうとしたが、少年の瞳はラティアスを最初から見ていない。ジェムの体を見つめていた。

 

「……『お返しする』っていったよね」

「!!」

 

 ぞっとした。その瞳に、言葉に自分の対応は間違っていたことを確信した。少年は自分にポケモンバトルを仕掛けてきたのではない。彼は――

 

「やれ、メタグロス。バレットパンチ」

 

 鋼の拳が――鍛えているとはいえポケモンに比べればあまりに小さなジェムの矮躯を、高速で殴った。

 

「あがっ……」

 

 どさり、とジェムの体が少年の目の前で崩れ落ちる。階段から転げ落ちた時のような、身じろぐどころか悲鳴すら上げられないほどの痛み。それを与えたことに少年は初めて笑顔を浮かべ、そしてジェムの髪を掴んで意外なほどの腕力で持ち上げた。

 

「はい、お返しだよ。文句は言いっこなしだからね」

 

 バチン、と。少年は虫の体を引きちぎるような笑顔を浮かべて平手でジェムの頬を叩く。顔にジンジンとした痛みが響くが、文句を言う余裕などあるわけがない。鋼の体を持つポケモンに殴られたのだから。

 

「きゅ……きゅううん!!」

「うるさいよ。やれ、メタグロス」

 

 ラティアスが主を傷つけられたことに怒りの声をあげる。サイコキネシスを放とうとしたが、その前にメタグロスがラティアスの背後をとってコメットパンチで殴り倒した。

 

「きゅうう……」

「ら、てぃ…」

 

 ポケモンバトルではないとはいえ、自分たちを圧倒する少年に、ラティは歯噛みし、涙を零す。自分たちは良かれと思って助けてあげたのに、何故こんな目に合わなくてはいけないのか。――そして、状況は更に動いた。

 

 突如として設置されていた無数のモニターにスイッチが入る。そこに映し出されたのは、全て同じ映像だった。紅い長髪に緑の瞳の男が、堂々とした態度で立っている。

 

 

「いようおはよう、この島に集まった挑戦者ども。まずは俺様の招待を受け入れ来てくれたことに礼を言ってやるぜ」

「……!」

 

 その放送が始まった瞬間。少年の瞳が鋭くなる。

 

「プレオープンだが、思ったより早く準備が終わってな。――今この瞬間よりこの島はバトルフロンティアと化す!!」

 

 どわっ、と町中のどよめく声が聞こえた。それはそうだ。この島に集まったのはすべてバトルフロンティアに挑戦にしに来たものばかりだからだ。

 

「それと、ここで一つイベントの開催をお知らせするぜ。一遍しか見せねえし言わねえからよーく見ろよ?」

 

 画面が切り替わる。新しく映ったのは他ならぬジェムと少年の顔写真だった。何故自分たちの写真が、と驚くジェムと少年。

 

 

「内容は簡単だ。こいつらを倒して、何処かの施設に連れてくりゃあいい。それが出来た暁には――一人、10万円くれてやるよ。そして二人とも倒せば50万だ.。いわばハンティングゲームだな」

 

 

 とんでもない内容だった。これではジェムたちの気の休まるときなどない。

 

「おっと、こいつらが誰かって?教えてやるよ、女の方はあのチャンピオンの娘、ジェム・クオール。そして男の方は――俺様の息子、ダイバ・シュルテンだ。つまりこの地方の王者二人の子供ってわけだ。倒しがいがあるだろ?よーく覚えときな」

「……」

「……!!」

 

 再び画面が紅い長髪の男に切り替わる。それを苦々しげに見る少年、ダイバ。気を失ってしまいそうなのを必死に堪える少女、ジェム。

 

「これで告知は終わりだ。健闘を祈る。――尤も、祈ってるだけだけどな」

 

 言うだけ言って、モニターは静かになった。

 

「……パパのバカ。鬼。悪魔。……いくよ、メタグロス。出てきて、サーナイト」

 

 ダイバは吐き捨てるように言うと、もうジェムに対する興味を失くしたようで、どこかへ歩き出す。新たにサーナイトを出したのは、自分の身を守るためだろう。

 

 残されたジェムも、気を失うわけにはいかなかった。ここで倒れたら、お金目的の連中に気を失った状態で施設を連れ回されかねない。

 

「そんなの……いや。ルリ、出てきて」

 

 必死に腰のボールに手をやって、マリルリを出す。特性『力持ち』を有している彼女は、ジェムとラティアスを担いだ。

 

「一旦、何処かに隠れましょう……お願いね」

 

 そう言うと、ジェムは気を失った。そうして、ジェムのバトルフロンティアはただの挑戦者ではなく。狙われる獲物としての幕をあけたのだった――。

 

 

 

 

 

「いったたた……」

 

 

 ジェムが痛みをこらえながら体を起こすと、そこは施設と施設の間の狭い空間だった。どうやらルリは上手く自分を隠してくれたらしい。開始早々、どこの誰とも知らない相手に連れ

 

回されずに済んでほっとする。

 

「でも……どうしよう、ラティも怪我しちゃったし、これじゃフロンティアどころじゃないかも……」

 

 弱音が零れる。いやそれは弱音と呼んでいいのかどうか。島中に人間に狙われるというのは13歳の少女には――大抵の人間はそうだろうが――未知の状況である。

これからどうすればいいのか悩んだそんな時。ポケベルから着信が届く。相手は、母親のルビーだった。

 

「ジェム、今話しても大丈夫かい?」

「お母様……うん、大丈夫」

 

 ルビーの声は、娘を心配する母のそれだった。

 

「今、こっちにバトルフロンティアの様子がジャックさんから伝わってきたよ。町中のトレーナーに狙われてるって……声も辛そうだし、もう怪我でもさせられたの?」

「ううん、違うの。実は……」

 

 ジェムはルビーに事のいきさつを話す。絡まれている少年を助けたら逆にけなされて喧嘩になって、ポケモンに殴られたこと。その少年はこのフロンティアの主催者の息子であることを。するとルビーは、大きくため息をついた。

 

「……親が親なら子も子か。ジェム――一旦うちに、帰ってきてくれないかな?」

「えっ?」

「ジェムにとっていい経験になればと思って行くことには反対しなかったけど……今のフロンティアはあなたにとって危険すぎる。こんな狂ったゲームに付き合う必要は皆無だよ」

 

 ルビーは基本的に娘の自主性を重んじていたが、危険が及びそうなことにはかなり心配性な部分もあった。それがわかっているからこそ、心配をかけまいとジェムは笑う。

 

「大丈夫よお母様。もうぴんぴんしてるし、せっかく楽しそうなところに来たのに帰るなんて出来ないわ!これくらいへっちゃらよ。お父様とお母さまの娘だもの。お父様は昔自分の憧れの人に裏切られても頑張ったし、お母様だって昔はお爺様やお婆様にいじめられても、頑張ってきたんでしょう?だから私だって――」

「ジェム」

 

 だが、母親の耳はごまかせない。空元気で言っていることも、本当は弱音を吐きたい気持ちも、覚り妖怪のように伝わっている。

 

「……昔から言っているだろう?ジェムは私やお父さんの娘であるよりも前に、ジェムという一人の女の子なんだよ。無理はしちゃいけないし……しないでほしい。あなたに何かあったら、悲しいじゃすまないんだ」

 

 母親の言葉は真剣で、電話越しにも赤い瞳がまっすぐ自分を見つめているような気がした。

 

「それにね、ジェム。トレーナーという物は基本的に無教養で無鉄砲なんだ。……施設での公平なバトルならいいけど、人目につかない場所で負けたりしたら何をされるかわからない。言いたいこと、わかるよね」

「……!」

 

 察して、ジェムは戦慄する。今まさに自分がいるのがそういう場所だ。見つからなかったからよかったものの、場合によってはどうなっていたか。

 

「だからジェム。家に帰っておいで。お父さんもお爺様もお婆様も、誰もジェムを責めたりなんてしない。……やっぱり、まだ遠くに行くには早かったんだよ」

 

 その言葉に、ジェムは甘えたくなる。そうだ、この状況から逃げ出したところで家族は誰も怒ったりしないだろう。母親は抱きしめて、怪我の手当てもしてくれるだろう。しかし、ジェムはここで退きたくはなかった。

 

「お母様、心配かけてごめんね。でも……私はやっぱり、挑戦してみたいの。今の自分の実力を試してみたい。危ないと思ったら素直に帰るから……それじゃ、ダメ?」

 

 ここでどうしても駄目だ、と言われたらジェムは言うことを聞くつもりだ。ジェムは聞かん坊ではないし、母親の言うことがわからない子でもない。娘の言葉に対しルビーは……深くため息をついた。

 

「まったく、しょうのない子だ。……約束だよ」

「……!うんっ、ありがとうお母様!」

「3回だ。3回野良試合で負けたらすぐに帰ってくること。人目のつかないところにはいかないこと。毎日夜には一度電話をして無事を知らせること。いいね」

「わかったわ!」

 

 ルビーの声はなおも心配そうだったが、それでも娘の意思を尊重してくれた。そのことに感謝する。

 

「ジェムの強さは私も知っているしね。娘の我儘を聞いてあげるさ。……女の子なんだからもっと私に似てくれたらよかったんだけどねぇ」

「ふふっ、お母様に似たら偏屈さんになっちゃうわ」

「こら。怒るよ」

「冗談よ、冗談。お母様、愛してるわ!」

「私もだよ。……それじゃあ、頑張ってね」

 

 通話を切る。体の痛みは残っていないわけではないが、心は随分とすっきりした。

 

「まずはラティを回復させてあげて……それから挑戦しに行きましょう!行くよミラ、クー!」

 

 ラティアス、マリルリを引っ込めてヤミラミ、クチートを出す。狭い空間から飛び出せば、すぐさま飢えたトレーナー達が自分に挑んできた。単純に金目当てのもの、チャンピオンの娘と聞いてその実力を確かめようとするもの、様々な相手に対してジェムは応戦しつつ、一番近い施設に向かう。

 

「お父様とお母様から受け継いだ力、見せてあげるわ!さあ……行くわよ!」

 

 ジェムが入ったのは、まるで巨大なサイコロのような正六面体の建物だった。ジェムの挑戦が、今始まる。

 

 

 

 

 一方。通話を切ったルビーは、今は遠く離れた娘の言葉を感慨深く呟いた。

 

「愛してる、か……私は自分の子供を確かに愛せたの、かな」

 

 正直のところ、ずっと不安だったのだ。ルビーは昔は愛という物を知らなかったし、子供が実は嫌いなところがあった。だから自分が子供を持ってその子を愛せるのか。自分の父や母がそうだったように虐待同然のことをしてしまわないかと。

 

「生まれてきてくれてありがとう、ジェム。あなたは私の……宝物だよ」

 

 でもルビーは夫のサファイアに愛を教えてもらって、子供にもそれを伝えることが出来た。それを教えてくれた娘に感謝しながら、家庭を支える母として家事に戻るのだった――。

 



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ダイスロール・バトル

自分にバトルを挑む相手を振り切り、施設内に駆け込むジェム。さっそく挑戦したい旨を話すと、受付のお姉さんがポケモンを回復させたうえで二つのサイコロを渡してくれた。何の変哲もない6面ダイスに見える。

 

「これは……?」

「ここの施設名はバトルダイス!挑戦者の運と駆け引きを試す場所でございます。ルールをご説明しますね!」

 

お姉さんの説明によるとルールはシングルバトル。挑戦者はバトルの前に六面ダイスを二つ振る。その際に出た目のどちらかが使用できるポケモンの数になり(3が出たら3対3のシングルバトル、6が出たら6対6のシングルバトル)、もう片方の出目が回復できるポケモンの数になる(1が出れば手持ちのうち一匹しか回復させることは出来ない。6が出れば全員回復させられる)。なお回復はバトルの『後』に行われる。

重要なのは、どちらがバトルするポケモンの数で、どちらが回復する数なのかは挑戦者が選択することが出来る点。。つまり、3と4が出れば3対3のバトルで4匹回復させるか4対4のバトルで3匹回復させるかを選ぶことが出来る。

 

ポケモンバトルの性質上、数が少ないほど相性の差が露骨に出て運の勝負になりやすいが数が多ければ多いほど傷つくポケモンの数も増え一長一短である。具体的には1と6が出た場合、挑戦者は6体全て回復できる代わりに一対一のリスクを抱えるか、6対6とはいえ後で一匹しか回復させられないかのリスクを背負うことになる。そのあたりの駆け引きが鍵となるらしい。

 

「うん、分かった。やってみるわね!」

「はい、頑張ってください!」

 

あどけないジェムの返事に、受付のお姉さんがにこりと微笑み、道を開ける。そこを進むと、白塗りの正方形で構成された部屋についた。まるでサイコロの中にいるみたい。とジェムは思った。バトルフィールドの片方につくとジェムの傍にお椀をひっくり返したような物体が現れる。

 

「そこにダイスを入れ、ひっくり返してください。バトルが終わるごとに一回振ってもらいます」

 

変わった振り方ね、と思いながらジェムは従う。バックギャモンや丁半などでされる振り方なのだが、ジェムにはその知識はなかった。

 

「出目は……2と4!」

「では、2対2のバトルにするか、4対4のバトルにするかを選んでください」

 

ジェムは考える。単純に考えれば2対2を選択すればバトルのあと手持ち全てを回復できるはずだ。

 

「私は2を選ぶわ!」

「了解しました。では……バトル、スタートです!」

「えっ?相手は?」

 

まだここにはジェムしかいない。対戦相手の姿を探してきょろきょろと周りを見回すと、バトルフィールドの対面にいきなり人が出現した。スーツに七三分けの会社員風の男だ。

 

「うわっ!びっくりした!」

「ふふ、バトルフロンティアにおいては対戦相手は基本的にヴァーチャルトレーナーとヴァーチャルポケモンが務めます。ヴァーチャルと言っても、質量を持った立体映像ですので本物と変わらないバトルが出来るとお約束します」

「すごい仕組みね……まあ、普通にバトルが出来るなら文句はないわ!」

 

ヴァーチャルトレーナーがバッティングセンターのピッチャーのような定められたモーションでモンスターボールを投げる。そしてこう言った。

 

「私の 業績に 失敗はない お前を 倒して 昇進確定だ!」

「ヴァーチャルに昇進があるのかしらないけどそうはいかないわ!まず最初は……やっぱりあなたね。出ておいで、ラティ!」

「ひゅああん!」

 

ジェムは回復したラティアスをボールから出す。ヴァーチャルの会社員はマッスグマを繰り出した。

 

「マッスグマ 頭突き」

「ラティ、影分身!」

 

まっすぐ突っ込んでくるのを分身しつつ横に移動してラティアスが躱し、急ブレーキをかけるマッスグマの背後を取る。すかさずジェムが指示を出した。

 

「竜の波動よ!」

 

ラティアスの口から銀色の光が噴出し、振り返ろうとしたマッスグマに直撃する。マッスグマは倒れた。すると、その姿が消滅する。一瞬驚いたが、バーチャル故の処理だろう。会社員が再び一定のモーションでボールを投げる。出てくるのはマルノームだ。

 

「ヘドロ爆弾!」

「サイコキネシスで捻じ曲げて!」

 

大口を開けて放たれる毒の爆弾を、サイコキネシスで当たらない場所へと方向を捻じ曲げる。床に着弾すると溶けるような音がしたが、実際には抉れたりはしなかった。

 

「もう一度サイコキネシス!」

 

強烈な念力がマルノームの体を持ち上げて、床に叩きつける。効果抜群の一撃を受けてマルノームも一撃で倒れた。ぐっと拳を握りしめるジェム。

 

「馬鹿な …… 私は もう 終わりだ」

「やったわ、ラティ!」

「ひゅうん!」

 

頑張ったラティアスを抱きしめてやると、ラティアスも喜んで頬ずりした。

 

「早速だけどわかったわ。この施設のやり方が!数の少ない方を選択して戦い続ければ、バトルの後で全てのポケモンを回復させられる!」

「……。回復の処理を行います。ボールにポケモンを戻し、次のダイスを振ってください」

 

一瞬沈黙があったが気づかないジェム。言われた通りにボールにラティアスを戻すとボールが光った。回復が終わったらしい。ダイスを振ると、次の目は――6と3。

 

「3!」

「了解しました」

 

作戦通りに3を選択するジェム。ヴァーチャルのトレーナーが現れた。今度はパラソルを持ったお姉さんだ。

 

「心の 涙に 濡れないように パラソルを してるの」

「お母様と違って詩的ね……今度はこの子よ!出ておいで、キュキュ!」

「コーン!!」

 

キュキュというニックネームをつけられたキュウコンをボールから出す。次のバトルが始まり、ジェムは最初は問題なく勝利していった。

 

だが、ジェムの作戦には穴があり、この施設はそんなに簡単ではないことを彼女は痛感することになる――

 

 

「1を選ぶわ」

「了解しました」

 

これで13戦目。少しずつ相手のポケモンが強くなっていることを感じつつも、作戦は曲げないジェムは1と4で1を選ぶ。

 

「将来は トレーナーから お金を 絞り取る 仕事に 就きたいです」

「嫌な子だわ……出てきて、ルリ」

 

塾帰りっぽい男の子相手に眉を顰めつつ、マリルリを繰り出す。そして相手が出してきたのは――ドククラゲだ。80本もの触手が蠢く姿を見て、ジェムはしまった、と思う。

 

「……!ルリ、注意して!」

 

マリルリのタイプは水とフェアリー、そしてドククラゲのタイプは水と毒。水同士はお互いに効果が薄く、毒とフェアリーでは毒が有利。水とフェアリーの物理技を軸にしているマリルリと、触手で近づくもの絡めとるドククラゲは極めて相性が悪かった。そして1対1である以上、ポケモンの交換は出来ない。

 

「ドククラゲ 溶解液」

「確実に行くわよ、アクアリング!」

 

触手から放たれた液体を、水のリングで弾き飛ばす。さらにこのリングは少しずつだがマリルリの体力を回復することが出来るのだ。

 

「触手に捕まらないように注意しながらアクアテール!」

「ドククラゲ 絞り取る」

 

水のリングが触手を弾き、マリルリも必死のフットワークで触手を避けていく。そして水の尾が強くドククラゲの体を打とうとするが――

 

「ドククラゲ バリアー」

「逃げて、ルリ!」

 

その一撃は透明な壁に弾かれる。すぐさま逃げるように指示したが、接近した状態からは逃げられない。触手にマリルリが捕まってしまう。

 

「ドククラゲ しぼりとる」

「ルリ、アクアジェット!」

 

アクアジェットで触手から逃れようとするが、何十本もの触手からは逃げられない。体を締め上げられマリルリの体力がどんどん削られていく。

 

「こうなったら……馬鹿力よ!」

 

マリルリが限界を超えた力でもがく。使用した後攻撃力と防御が下がってしまう代償があるためあまり使いたくはなかったが仕方がない。なんとか自力で脱出した。しかし今度は、触手の包囲網がマリルリの行く手を塞いでいる。

 

「ドククラゲ ヘドロ爆弾」

「……ハイドロポンプ!」

 

怒涛の水が正面から来る毒を弾く。だがヘドロ爆弾は80本の触手から、つまりは全方位から飛んできていた。ハイドロポンプでは一方向にしか対処できずほとんどの毒をその身に被る。マリルリが悲鳴を上げて倒れた。

 

「ルリ!!」

「君のような カモネギが 一番 相手に しやすいんだよね」

 

マリルリは戦闘不能になった。つまり、ジェムの負けだ。敗北感に包まれ、ボールにマリルリを戻した後、体から力が抜けてぺたりと座り込んでしまう。

 

「負けた……私、お父さんの娘なのに……もう負けちゃった……」

 

膝にぽたぽたと涙が落ちる。ジェムはとても負けず嫌いであった。おくりび山でジャックに負けた時も、毎回悔しさに駆られていた。特にジェムは自分をチャンピオンの娘としての自立心や責任感のようなものをとても強く抱えている。バーチャル相手に負けてしまったことは、彼女の誇りをとても傷つけた。

 

「うぅ……ぐす……私、もっと考えれば良かった……ごめんね、ルリ」

 

泣きながらボールの中のマリルリに謝る。少女は悔しさに拳を震わせと自分のポケモンと父への罪悪感に涙を零しながらも『次』を考えていた。その精神がジェムを強くさせる。彼女が13歳にしてここまでの実力を付けたのは、決してチャンピオンの娘というだけではない。

 

受付のお姉さんに退出を促され、ジェムは敗北を噛みしめる。次はきっと勝つと心に刻みながら――

 

 

 

「これで止めよ!ルリ、アクアテール!」

「リル!」

 

マリルリの水玉の尻尾が水を纏って巨大化し、相手のワカシャモを押しつぶす。泣きながら対策を考え、時間を置いて再挑戦したジェムは順調にバトルダイスを勝ち進んでいた。バトル終了とともにダイスを振り、出たのは1と4。

 

「……4を選ぶわ!」

「了解しました」

 

先ほどの敗戦で学んだこと。それは1や2のような数字を選ぶとポケモン同士の相性が出やすく、安定した勝利は難しい。よって極力そのような数字は避け、3対3以上のバトルに持ち込むのを基本とした。アイドル風のバーチャルが現れる。

 

「私の ファンへの サービス たっぷりと 味わってください」

「あなたのファンになった覚えはないわ。いくよ、ラティ!」

「ひゅああん!」

 

だが大きい方の数字を選択することはすなわちバトルの後に回復できるポケモンが少なくなることと同義。そのあたりのバランスが難しかったが、ジェムは対策も考えていた。

 

「アーボック 噛み砕く」

「下がって自己再生!」

 

開始早々にラティアスと相手のポケモンに距離を取らせ、回復技を命じる。実はさっきの勝負でラティアスはダメージを受けたのだが回復はさせず、代わりに他のポケモンを回復させていた。理由は今のように、ラティアスは自力で回復する技を使うことが出来るからだ。

 

「アーボック 蛇睨み」

「サイコシフトよ!」

 

アーボックがラティアスをお腹の模様で睨みつけると、ラティアスは恐怖心から体の動きが鈍くなる――が、それをサイコシフトで逆に相手を麻痺状態にしてしまう。回復技だけならマリルリはアクアリングを使えるし、ジェムの手持ちには他にも回復技を使える手持ちがいるのだが、状態異常さえも自己解決出来る点でラティアスは優れていた。

 

「サイコキネシス!」

「ひゅうん!」

 

相手の動きが鈍くなったところをサイコキネシスで持ち上げ、バトルステージの壁に叩きつける。毒タイプに対しサイコキネシスは効果抜群で、一撃で倒せるかに思えた。

 

「ウタンの実 使用 アーボック ゲップ」

「もう一度サイコキネシスよ!」

 

だがバトルフロンティアは一筋縄ではいかない。勝ち進むごとに道具を持つポケモンが増え、その効果を活かしたバトルを展開してくるようになる。ウタンの実とはエスパータイプの攻撃力を下げる木の実で、ゲップは木の実を使用した時のみ使用できる毒タイプの強力な技だ。木の実を食べたアーボックの口から毒の気体が吐き出され、ラティアスの周りに漂う。もう一度サイコキネシスで床に叩きつけるとアーボックは倒れたが、ラティアスは苦しそうだ。アイドルは次にオクタンを繰り出す。

 

「ラティ、下がって!出てきて、ルリ!」

「オクタン 冷凍ビーム」

 

オクタンがドラゴンタイプ相手に有利な冷凍ビームを放つ前に、ジェムはポケモンを交代する。水タイプ相手ならば水タイプを持ちつつフェアリーの技で攻撃できるマリルリが有利と判断したのだ。

 

「ルリ、じゃれつく!」

「オクタン 十万ボルト」

「!!」

 

予想外の技に驚くジェム。水タイプのポケモンが電気タイプの技を使うのは珍しい。近づこうとしたマリルリが強力な電流をまともに受ける。

 

「……頑張って、ルリ!」

「リル!」

 

それでも足を止めず、オクタンの懐に潜り込んでじゃれつくマリルリ。じゃれつく、という愛らしい技名とは裏腹に威力は高く、オクタンとともに床を転がりながら、その体を殴打していく。

 

「オクタン 十万ボルト」

「アクアジェットで吹っ飛ばして!」

 

オクタンがその口に電気をためる間に、先手を取って動く。水を尻尾から噴出して勢いをつけて殴りかかる。オクタンの体が吹き飛ばされ、戦闘不能になった。ヴァーチャルのオクタンの体が消失し次のポケモン、チリーンが現れる。風鈴のような体からリン、と涼やかな音が鳴った。

 

「エスパータイプが相手なら……出てきて、ミラ!」

「チリーン サイコキネシス」

 

マリルリを戻し、出てくるのはヤミラミだ。チリーンの念力は悪タイプのヤミラミには通用しない。しかもヤミラミもまたラティアスと同じく自己再生の使えるポケモンであり、この施設には向いているといえた。

 

「ミラ、爪とぎよ!」

「チリーン 交代」

 

ヤミラミに対し有効な技がないのか、アイドルはチリーンをすぐに引っ込めた。意味のない技を延々と打ち続けたりしないあたり、ヴァーチャルの頭脳も悪くないことが伺える。代わりに出てきたのは、ウインディだ。

 

「ウインディ フレアドライブ」

「ここは負けられない……ミラ、見切りからのシャドークロー!」

 

ウインディの体が燃え上がり火車の如く突進してくるのを、わずかな動きで見切って躱す。そして背後を取り、鋭く研ぎ澄ました爪を振るわせた。ウインディの毛並みに傷がつく。

 

「ウインディ 逆鱗」

「……自己再生でやり過ごして、ミラ!」

 

傷つけられたウインディが激怒し、無茶苦茶に暴れまわる。その動きに蹂躙されつつも、自らの体を回復させることで瀕死を免れる。そして、逆鱗の代償が訪れウインディの体がふらふらとおぼつかなくなり始めた。その隙を突こうとするジェム。

 

「今よ!だましうち!」

「キーの実 使用 ウインディ フレアドライブ」

 

ウインディが木のみを齧ると、混乱が治り再び体が燃え上がる。その体が動き出す前に鋭い爪で体を切り裂くが、倒しきれずにフレアドライブに吹き飛ばされる。ヤミラミがふらふらと立ち上がり、ウインディは――攻撃の反動で体力がつき倒れる。最後のチリーンが出てくるが、悪・ゴーストのヤミラミの前にエスパーとノーマル技しか覚えていないチリーンになすすべはなくそのまま決着をつけた。

 

「……勝った!」

「なんで 私に 気持ちよく 歌わせて くれないの ……」

 

バーチャルのこころなしか悲しそうな音声がすると、受付のお姉さんのアナウンスが聞こえる。

 

「それでは1匹回復させるポケモンを選んでください」

「……私はルリを回復させるわ」

「了解しました」

 

マリルリの入ったボールが光り、回復処理が終わる。するとお姉さんは事務的な声にわずかに喜色を混ぜてこう言った。

 

「おめでとうございます!次はフロンティアブレーンとのバトルになります。ダイスの準備はいいですか?」

「フロンティアブレーン……!ここまで来たんだもの、絶対倒してみせる!」

 

フロンティアブレーンとはそれぞれの施設にいるトップの様な存在であり、彼らを倒すことでその施設を制覇したと認められる。その戦いまでたどり着けたことにまずは喜び、勝って兜の緒を締めた。そして運命のダイスロール。出た目は――

 

「3と5……悩ましいわね」

 

普通のバトルならいい目であり、3を選べば大抵の相性問題は何とかなるうえにバトルの後5体を回復出来る。だが相手はフロンティアブレーンであり、今までとは格の違う相手だろう。ならば。

 

「私は5を選ぶわ!」

「了解しました。では……フロンティアブレーンの、おな~り~!!」

 

堅い木を打ち鳴らすような音が部屋中に響き渡り、ジェムの対面の壁だと思っていた部分が襖のように開く。その向こうにもまた襖のような扉があり、それがどんどん開いていった。

 

その奥から現れたのは――白塗りの顔に目や口に赤いメイクをしている、服は赤と青の二色で構成されたど派手な着物を着た2m近くある初老の大男だった。ジェムに芸能の知識があれば歌舞伎を思い浮かべたかもしれない。

 

初老の大男はずんずんこちらに歩いてくると、小柄なジェムを見下ろして楽しそうに笑った。

 

「ほう、儂のところに始めてたどり着いたのはこんなちまい嬢ちゃんかい。山椒は小粒でもぴりりと辛いってぇところか?」

「……ちまくて悪かったわね」

 

体が小さいのはジェムの中では少しコンプレックスである。ムッとするジェムに、大男はまたも豪快に笑った。

 

「ははははは!悪い悪い、てっきり荒くれ物ばかりが挑戦しに来ると思ってたんでな。……んじゃ、さっそくやるか?」

「ええ、そうしましょう。……絶対に勝つんだから」

「おいおい、あんまり気負わねぇでくれよ?このバトルフロンティアはあくまで遊びさ」

 

そう言うと大男は腰の瓢箪を口を当てて中の液体を飲み始めた。中に入っているのは酒だろう。

 

「……あなたにとっては遊びかもしれないけど、私は負けるつもりはないわ。お父様の娘として恥ずかしくないバトルをしなきゃいけないもの」

「お父様……?ん~?」

 

大男はジェムをまじまじと見つめる。そしてジェムのオッドアイに、納得したようにポンと手を打った。

 

「おおそうか、おめえあのチャンピオンの娘さんかい。そうか……もうそんだけ時が経ったんだな。儂も年を取るはずだ」

「お父様を知ってるの?」

 

いや、知る知らないで言えばトレーナーがチャンピオンである父を知らないはずはないが。大男の言い方はもっと直接的な知り合いであるように聞こえた。

 

「ああ、多分お前さんが生まれる前の話だが昔チャンピオンロードで戦ったことがあってな。……いやあ昔から強かったぜ。そして楽しかった。あいつのバトルはよ。……こいつはますます楽しくなってきたな。あいつの娘がどんなもんか……俺の名はゴコウ・カモン。バトルダイスのフロンティアブレーンとして……いざ、勝負!」

「その期待、応えてみせるわ。……いくよ、みんな!」

 

二人はお互いにボールを取り、バーチャルではない本物のポケモンを呼び出す。

 

「出てこい、松に鶴!」

「来て、キュキュ!」

 

松に鶴というニックネームのつけられたドダイトスとキュキュと名付けられたキュウコンが場に出、戦いの火花を散らす――



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試される運と実力

「松に鶴、地震!」

「キュキュ、鬼火!」

 

 

ドダイトスが床を揺らす前に、キュウコンの尾から揺らめいた炎が火傷を負わせる。火傷の効果で攻撃力が半減した地震の衝撃は、キュウコンを倒すには至らなかった。

 

「さすが、若ぇのに状態異常を使いこなすじゃあねえか」

「これはお母様仕込み……一気に行くよ、九本の尾で火炎放射!」

「受け止めろ、松に鶴!」

 

キュウコンの全ての尾から放たれる炎を、回避せずその巨体で受け止めるドダイトス。効果抜群の一撃だが、燃え尽きることなくずっしりと立っている。そして、相手はただ無抵抗なわけではない。

 

「早速だが、飛ばしていくぜ!松に鶴、ハードプラントォ!!」

「キュキュ、影分身!」

 

ドダイトスの体の周りから無数かつ極太の蔦が蔓延る。それは見る見るうちに部屋中を埋め尽くし、キュウコンの回避する隙を許さずその体を床に縛りつけた。強力な締め付けに、キュウコンの苦しむ声が響いた。

 

「キュキュ、火炎放射で焼き尽くして!」

「ふ……出来るかな?」

 

キュウコンの尾から炎が燃え、蔦に炎が燃え移るが――焼き切れない。それほどに蔦の生命力が高く、また強靭なのだ。

 

「さあ行くぜ?松に鶴、地震!」

「キュキュ!」

 

床に縛られて動けないところに、ドダイトスの地震の衝撃が直撃する。耐え切れずに、キュウコンはそのまま目を閉じてしまった。

 

「ごめんね、キュキュ……いくよ、ペタペタ!」

「ケタケタケタ!!」

 

ジェムは新たに繰り出すのはジュペッタだ。笑い声をあげながらぬいぐるみの体が震える。

 

「ペタペタ、シャドークロー!」

「松に鶴の大技はハードプラントだけじゃねえぜ?リーフストームだ!」

 

ジュペッタが近づいてドダイトスの体を切り裂く。苦しそうなうめき声をあげたが倒れるには至らずリーフストームの木枯らしによる奔流とでも言うべき爆風がジュペッタを吹き飛ばしてしまう。なんと――たったの一撃で、ジュペッタは戦闘不能になった。

 

「そんな……たったの一撃で」

「これで儂が一歩リードってところだな。戻れ、松に鶴!そしてこいこい、芒に月!」

「ルナトーンが相手なら……出番よ、ルリ!」

 

ゴコウは体力も削れ、鬼火とリーフストームの効果で攻撃も特攻も大幅に下がったドダイトスを下げ、新たにルナトーンを繰り出す。ジェムはマリルリを出した。

 

「一気に行くよ、アクアジェット!」

 

マリルリが尾から水を噴射させて一気にルナトーンに近づいて殴る。ルナトーンが何か反撃する前に、さらなる指示を出す。

 

「続けてアクアテール!」

 

さらに玉のような尾に大量の水を纏わりつかせ、巨大な水風船のようになったそれを叩きつける。マリルリの特性『力持ち』と強力な水技のコンボを決めた。

 

「焦るなよ嬢ちゃん。勝負はまだ始まったばかりだぜ?」

 

それだけの攻撃を受けてなおゴコウの声に焦りはなく、そして。

 

「ルナトーンが……倒れてない?」

「おうよ、俺の芒に月は防御と特防を徹底的に鍛えててな。それに――嬢ちゃんが攻撃している間に、こっちはコスモパワーでさらに守りを固めていたのよ」

 

巨大な水の塊をぶつけられてなお、ルナトーンは表情を変えず浮かんでいた。弱点を突いても倒せない事実にジェムの中に焦りが募る。

 

「……だったら倒れるまで攻撃するまでよ!ルリ、連続でアクアジェット!」

「更にコスモパワーだ!」

 

マリルリが尾の噴射を利用して俊敏に動き、縦横無尽に殴りつける。だが神秘のパワーで守りを固めるルナトーンには大きなダメージにはならず、むしろ岩を殴るマリルリの手が痛んでいく。その様子をゴコウは瓢箪から盃に酒を注ぎそれを飲みながら見ていた。

 

「さあ、そろそろ本番といくか」

「……!ルリ、一旦下がって!」

 

盃から口を離したゴコウが口の端を吊り上げる。警戒したジェムは一旦ルナトーンから距離を取らせた。ゴコウが掌を合わせてパン!と小気味よい音をたてる。

 

「勝負と人生は時の運。運は味方することもあれば敵になる時もあり。その時々の運をいかに楽しみ、活かすかが勝負と人生を楽しむコツさ」

「……そんなことないと思うわ。人生のことはわからないけど、勝負は実力で決まるものよ」

「ははは、若え嬢ちゃんにはまだわかんねえかもな。だが嬢ちゃんの親父さんがチャンピオンになれたのだって、いろんな幸運に恵まれたおかげだと俺は思うがね。……いくぜ芒に月、サイコウェーブだ!!」

「ルリ、アクアリング!」

 

ルナトーンの体の周りが強力な念力で歪む。そこから放たれた念動力の『波』がマリルリを襲った。ジェムは無理に避けさせようとはせず、確実に回復させる戦術を取る。あれだけの防御力を持ちながら攻撃まで強力だとはさすがに考えづらかった。

 

「ルッ……!」

「ルリ!?」

 

だが、ルナトーンの一撃は予想を裏切りマリルリの体を壁際まで吹き飛ばす。回復が追い付かないほどのダメージを受けたことに驚きを隠せない。

 

「サイコウェーブはな。ルナトーンの攻撃力や嬢ちゃんのポケモンの防御力に関係ねえダメージを与えるのよ」

「ということは……ナイトヘッドと同じ固定ダメージを与える技?」

「半分正解だ。だがこの技のダメージは固定じゃなく『運』で決まる。今のはマックスパワーの9割ってところだな。さあ……次はどうなるかな。もう一発だ!」

「アクアジェットで逃げて、ルリ!」

「悪いが読めてるぜ!」

 

水の噴射で回避しようとするマリルリの動きを技『未来予知』で知っていたルナトーンは逃げようとした先に念力を放つ。再びマリルリの体が念力に吹き飛ばされ――マリルリは倒れた。

 

「う……」

「今度は7割か。……とはいえ、十分だったみてえだな」

 

これで3匹め。相手も2体目を繰り出してはいるが、1匹目も倒せたとは言い難い。実力の差を感じ、青ざめるジェム。それでも彼女は、諦めない。

 

「出てきて、クー!噛み砕くよ!」

 

呼び出すのはクチート。黒い大角を振りかざし、ルナトーンに齧り付いた。ルナトーンの瞳がジロリとクチートを睨み、三度サイコウェーブを放つ――。

 

「……きたきたきたぜ!これがサイコウェーブのマックスパワーよ!!」

「!!」

 

ルナトーンの周りに一際強い念動力の波動が発生する。ジェムにもはっきりと感じられるほどのそれは、タイプの相性もクチートの防御力も何も関係なしにクチートを蹂躙し、一撃のもとに沈めた。

 

「クーまで……一発で……」

「どうやら運は儂に味方してるみたいだな。さあ嬢ちゃん、最後のポケモンを出すかい?」

 

ゴコウの言い方は、ここで降参してもいいと言っているみたいだった。これ以上やっても勝負は見えていると言いたげだった。それを感じて、ジェムはそのオッドアイの瞳から涙を零し、雫が落ちる。

 

「嫌だ……私は……負けたくない。私はお父様の娘だから……負けちゃダメなの!!出てきて、ラティ!!」

 

悔しい。勝ちたい。一矢報いるだけでは満足できない飽くなき勝利への執念が今、ジェムとラティアスを更なる力へと導く。

 

 

「シンカして、ラティ!その宝石の如く美しき二色の眼で、今勝利を私の手に!!」

「ひゅううん!!」

 

 

ラティアスの体が光に包まれる。光が霧のように散った後現れたのは、赤い体を紫に染め、赤い瞳の片方を蒼く変化させたラティアスの新たな姿だった。

 

「ほうこいつは……メガシンカか。それも伝説の」

「ラティ、竜の波動!!」

 

メガラティアスが翼と口から竜の力を込めた波動を打ちだす。その一撃はコスモパワーで守りが強化されたルナトーンをも吹き飛ばし、戦闘不能にした。

 

「おもしろくなってきたな。さあ……こいこい、桐に鳳凰!」

 

ゴコウが繰り出すのはウルガモス。虫タイプを持つ相手はラティアスにとって相性はよくないが――。

 

「火炎放射だ!」

「ラティ、幻惑の霧で包み込んで!」

「ひゅうん!」

 

メガラティアスがオーロラを固めたような虹色の球体を放つ。それがウルガモスに着弾するとフィールド全体を包み込む大きな霧となった。ラティアスのみが使える技、ミストボールだ。ウルガモスはラティアスの姿を見失い、火炎放射を外す。

 

「なるほど、良い技だ……だがこいつならどうだ!?桐に鳳凰、虫のさざめき!」

「ミストボールの効果はただ霧で包むだけじゃないわ。この攻撃を受けた相手の特攻を下げられる!」

 

全方位に放たれた虫特有の音波は、霧を浸透していくごとに威力が下がる。ラティアスに届いたのは小さな羽音程度だった。

 

「いくよラティ、波乗り!」

「ほう……!桐に鳳凰、熱風!」

 

バトルフィールドに念動力で疑似的に再現した大波が発生し、ラティアスがそれに乗る。ウルガモスが炎の羽根で爆風を巻き起こして対抗するが、ミストボールの効果で威力を弱められ、怒涛がウルガモスを飲み込んだ。

 

「やるな、嬢ちゃん。大したもんだ」

「はあ、はあ……まだまだよ。このまま一気に勝つ!ラティ、自己再生!」

 

メガシンカを使ったことで体力を使ったのか、肩で息をしているジェムにゴコウは素直な賞賛をおくる。はっきり言って、ルナトーンで決めれると思っていたのがウルガモスまで倒されている。

 

 

「だが……こいつはどうかな。さあこいこい俺の切り札、小野道風!!」

「ケロ!!」

 

 

昔の歌人の名をつけられたニョロトノが姿を現す。どうやらこのポケモンがゴコウの最も信頼する手持ちらしい。その姿からは普通のニョロトノとは違い、威風堂々としていて正に王者の風格が感じられた。それを現すように、室内だというのにぽつぽつと雨が降り始める。

 

「これは……?」

「これが俺の小野道風の特性『雨降らし』よ。嬢ちゃんもこいつで涙を洗い流したらどうだ?なんてな」

 

冗談めかしたその言葉からは、ジェムと違って余裕を感じた。自分が負けるはずがないという強者の余裕だ。

 

「ラティ、もう一回ミストボール!」

「小野道風、バブル光線だ!」

 

メガラティアスの霧の球体が弾ける前に、泡の光線が包み込んで封じ込める。ミストボールは本来の効力を発揮できずに終わった。

 

「ミストボールが……だったら、サイコキネシスよ!」

「こっちもサイコキネシスだ!」

 

お互いの念動力がぶつかり合い、打ち消し合う。ゴコウはにやりと笑った。

 

(勝つことだけを考えるなら滅びの歌で相討ちに持ち込めば俺のポケモンはまだ一体残ってるからそれで終わりだが……この嬢ちゃんにはもっと楽しむことを教えなきゃな)

 

彼の目には目の前の少女は勝つことに――もっと厳密に言うなら、勝者であることに執着しているように見えた。そういうトレーナーは一定数いるし別にゴコウはその考え方を否定するつもりはないが、この少女は自分のためではなく父のためにそれを選んでいるように見えた。それは彼女のためにならないし、何より親本人だって望んでいないだろうと考える。

 

「さあ嬢ちゃん、次は何を見せてくれるんだ?」

「影分身!」

 

ラティアスの体が分身していく。超能力によってつくられた幻影は、本物と見分けがつかないが。

 

「そうくるか……なら見せてやるぜ、小野道風の本気!さあ大声でこいこいだ!」

「コゲコゲ!!」

 

ニョロトノが使うのは技『輪唱』とハイパーボイスの合わせ技。フィールド全体を包む大声に分身など関係なくダメージを受ける。

 

「こいこい!!」

「ゲロゲロ!!」

「ラティ、竜の波動!」

 

竜の力を持つ銀色の波動がニョロトノを打つが、構わずニョロトノとゴコウは大声を上げ続ける。どんどん声量が大きくなり、受けるダメージが増えていく。

 

「ラティ、自己さい――」

「こいこい!!!」

「ゲコゲコ!!!」

 

ついにはジェムの指示がかき消され、部屋中を反響する音波がラティアスを全方位から叩き、苦しめる。

 

 

「―――……」

「こいこーい!!!!」

「げろげーろ!!!!」

 

 

指示を受けることのできないラティアスに抵抗のすべはなく。最大級の音波が放たれ、それをまともに受けて地に堕ちる。メガシンカが解け、その体がぐったりと動かなくなった。ジェムもメガシンカによる同調で体力を使い果たしたことと敗北した虚無感から、ぺたり、と膝をつく。

 

 

「負け……た……」

 

 

瞳が潤み、雨に交じってもはっきりとわかるほどの大粒の涙が頬を濡らす。

 

「ごめんなさいお父様……私……また負けちゃった……」

 

ゴコウは言った。最初に言ったが俺の元に最初にたどり着いただけでも大したもんだ。親父さんも誇りに思うはずだ、と。だがジェムには聞こえていなかった。もし聞こえていたとしても、ジェムの求めるのは完璧な父の娘として同じように立派に活躍することだ。ジェムは父親に強すぎる憧れとその娘であるという持たなくてもいい責任感を持つがゆえに、負ける自分が許せなかった。

 

「う……ううう、う……」

 

少女の嗚咽が響き続ける。それは先の大声とは違う、静かでも聞く人の心を痛める悲哀と悔しさに満ちていた。それが最初のフロンティアブレーンとの戦いの結末だった。

 

「もっと……もっともっと、強くならなきゃ……誰にも二度と負けないくらい……強く!!」



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北風と太陽

「いや……もうやめて!私……ちゃんと言うこと聞くから……」

「本当……?」

 

 

バトルダイスの出口で、ジェムは再び会った少年――ダイバに泣きながら許しを乞っていた。彼女の手持ちはすでに全員戦闘不能になり、目の前で相棒のラティアスがメガメタグロスの4つの拳に殴られ続けている。既に瀕死になっているにも関わらず、メガメタグロスは甚振るのをやめない。どうしてこうなってしまったのか。それはジェムがブレーンのゴコウに敗北してバトルダイスを出た直後のことだった――

 

 

 

 

施設の外に出ると、自分をメタグロスで殴った少年、ダイバが待ち構えていた。彼は相変わらず帽子を目深に被ってジェムの目を見ずにこう言う。

 

「考えたんだけど……君、僕の代わりに挑んでくるのを追い返してくれない?雑魚でも群がられると面倒くさいからさ」

「……なんで私がそんなことしなきゃいけないの」

 

敗北し、まだ顔の赤いジェムは憮然としてそう返事をした。今自分たちはこの島に集まったトレーナーから狙われる立場であり、ジェムも挑んでくる相手を退けている。お互い難儀な立場ではあるが、だからと言って自分をポケモンで殴り飛ばすような奴に協力するほどジェムは聖女ではない。

 

「……さっきのバトル見てたよ。随分な負け方だったね。あの程度の実力じゃ、パパの集めたブレーン達には勝てっこないよ」

 

バトルフロンティアでの勝負は町のいたるところに設置されたモニターで観戦出来るようになっている。ましてやブレーンとのバトルとなれば放映はされるだろう。事実かもしれないが、言い方にむっとするジェム。

 

「だから……言うこと聞いてくれたら、僕がアドバイスしてあげてもいいよ」

 

静かだが傲慢な物言い。自分の方が上だと確信している態度に、ジェムは反論する。

 

「じゃああなたは私より――ブレーンより強いの?」

「……はいこれ。ファクトリーシンボル」

 

ダイバは無言で、ポケットに入れた歯車を象ったバッジを見せる。それはブレーンに勝った証であるフロンティアシンボルだった。ダイバがすでに施設の一つをクリアした証だ。

 

「ブレーンには僕のパパやママもいるから、全員より強いとは言えないけど……少なくとも君よりは強いよ。なんなら、バトルで証明しようか。それで僕が勝ったら、言うことを聞いてもらう。もし君が勝てたら、もう関わらないよ」

「本当に……『ポケモンバトル』で勝負するんでしょうね?」

「あれはいきなり引っ叩く君が悪いんだよ……?」

 

メタグロスで殴ったことに悪びれもしないダイバ。そして彼は傍に控えさせていたサーナイトを前に出す。

 

「わかった、勝負しましょう。……絶対負けないんだから。出てきて、クー」

「さっき負けたばかりでよく言うよ……」

 

二人のバトルが始まる。だがその内容は酷いものだった。強力なポケモンとメガシンカを使いこなすダイバに、ジェムはほとんど手も足もでない。ラティアスのミストボールさえも、メタグロスの特性『クリアボディ』の前には無力で、あっさりと組み伏せられ甚振られていた。

 

ダイバは膝をつき泣きながら許しを乞うジェムを帽子の陰から見下す。

 

「……何がお父様の娘だ。何が絶対負けないだ」

 

そして彼女を心を嬲るように言った。

 

 

「君、ポケモンバトルの才能ないよ」

「――――!!」

 

 

その言葉に、ジェムが何も言い返せずに泣き崩れる。周囲のトレーナー達に哀れむような眼を向けられているのがとてつもなく惨めに感じた。

 

(私は、お父様の娘に相応しい、皆に尊敬されるトレーナーでなきゃいけないのに……)

 

ジェムの心が真っ黒になって、瞳の輝きがくすんでいく。自分の弱さと情けなさに絶望しかけた、その時だった。

 

 

「そこの少年、女の子をいじめるのは感心しませんよ?」

 

 

二人の間に割って入ったのは肩までかかる黒髪の一部だけを赤と白で染めた三十歳前後、長身痩躯の男性だった。となりにはイカをひっくり返したようなポケモン、カラマネロを連れている。

 

「何君、邪魔なんだけど……」

「邪魔にし来たからね。少年も女の子と『ポケモンバトル』をすると約束したのでしょう?今少年がやっているのはバトルではなく暴力です。それはいけません」

「うるさいよ……メタグロス、バレットパンチ」

 

露骨に不機嫌さを現し攻撃を命じるダイバ。だがメタグロスは動かない。

 

「私は争いを望みません。――というわけで、君たちのポケモンには催眠術をかけさせてもらいました。カラマネロの催眠術はポケモンの中でもトップクラス。一度かかればなかなか起きませんよ」

「……」

 

気づけばダイバの隣のサーナイトまでが眠ってしまっている。ボールに戻して、新たにガルーラを呼び出すが、相手はただ者ではないと判断しこれ以上攻撃はしなかった。

 

「さ、お嬢さん。こんな暴力的な子の言うことを聞くことはありません。ひとまず、ポケモンをボールに戻してあげましょう?」

 

男性がジェムに呼びかける。ジェムは無言でラティアスをボールに戻した。蹲っているジェムに男性は手を差し伸べる。

 

「私の名前はアマノ。さあ、まずはポケモンを回復させないといけませんね。――全てのポケモンが戦闘不能とあっては一人では危険でしょう。ついてきてください」

 

ジェムはその手を取り、立ちあがる。何故だかこの男――アマノの言うことは、すっと心の奥に入ってきて、警戒する気が起きなかった。ダイバがジェムを冷たく吹き付ける北風なら、アマノは温かく心を照らす太陽のようだった。

 

(この人を見るとなんだか心が、ぽかぽかする……)

 

普通に考えて出会ったばかりの男にそのような気持ちを抱くのは不自然なことだったが、ジェムは沈んだ心を癒してくれるなら何でもいいと思った。アマノは、まだ歩調がおぼつかないジェムに合わせ、ゆっくりと歩いてくれている。その心遣いもまた、怖いくらい気持ちがよかった。

 

「……もう少しで手に入ったのに。目障りなんだよ……メガガルーラ、岩雪崩」

 

残されたダイバは、忌々しげにアマノを見る。追いかけたかったが、ポケモンが眠ったのを好機とトレーナー達がバトルを仕掛けてくるのでそうはいかなかった。それらを岩石の奔流で怯ませていきながら、遠ざかる二人を見ていた――

 

 

 

 

「なるほど……チャンピオンの娘らしくありたいのに上手くいかない、ですか」

 

ジェムはアマノの使っている部屋まで通され、ポケモンを回復してもらい落ち着いた後、ソファに座らされて彼に今の自分の状況と不甲斐なさを偽りなく話していた。彼になら、何でも話せるような気がしてしまう。部屋に入ることにも、何ら抵抗感はなかった。だがそれを疑問に思うことが出来ない。

 

「あの少年はあなたに才能がないなんて言いましたが、私はそんなことはないと思いますよ。ブレーンとのバトル、そしてメガシンカは素晴らしかった」

「でも私……負けちゃった」

 

あくまで自分の敗北が許せないジェム。傲岸な心の壁を優しく溶かすように、アマノは言う。

 

「いいじゃありませんか、負けても」

「え……?」

「あなたはまだ若い。確かにあなたの父親は今は無敗の絶対王者かもしれませんが、果たして昔からそうだったのでしょうか?私はそうは思いませんね」

「……でも」

「あなたには父親と同じ人々を魅せる実力がある。それは間違いないですよ。ただ――あなたは、張り詰め過ぎているのではないでしょうか?」

 

アマノの黒い瞳はジェムのオッドアイを見つめてゆっくりと語る。

 

「あなたはまだまだ不完全で歪な原石。これから研磨されてゆけば美しい輝きを得るでしょう……ですが常に自分に負荷をかけ続けていれば、宝石として完成する前に壊れてしまいます。今のあなたは壊れかかっているんですよ。少し休んで、他の事を考えた方がいい」

「……はい」

 

普段のジェムならそんなことはないと一蹴しただろう。チャンピオンの娘として自分を磨かなければいけないのだと。だがアマノの言う通り、今のジェムの心は限界に近かった。

 

「でも私……どうしたら」

 

だがジェムは今までずっとポケモンバトルに明け暮れてきた。それに疑問を持つことはなかったし、それを楽しんでいた。だから、他の事と言われても困ってしまう。教えを乞うジェムに、アマノはジェムの顔に手を伸ばして、唇の横をくいっと吊り上げた。

 

 

「簡単だよ。どこにでもいる女らしく――家族のこともポケモンのことも忘れて、誰かに身を委ねればいい」

「え……?」

 

 

優しいアマノの言葉に、優しさ以外の異物が混じる。それは白雪姫に渡されたリンゴのように、体に入れてしまえば二度と戻れなくなる毒だった。いや、その毒は気づいていなかっただけで既にジェムの体を回っていた。疑問の声をあげるが、否定することが出来ない。

 

「私が君の凝り固まった心を溶かして、私が女の子の幸せを教えてあげよう。――何も不安に思うことはない」

 

アマノのカラマネロが瞳を光らせる。するとジェムの頭がぼうっとしてくる。今ジェムの心の中に浮かんでいるのはアマノの言葉と……普段はバトルの闘争心へと昇華されている、少女としての欲求。

 

「さあ――繰り返せ。私の、アマノの言葉に不安を覚える必要はない」

「この人の言葉に、不安を覚える必要はない……」

「私の言葉に身を委ねていれば幸せだ」

「この人の言葉に身を委ねるのが、幸せ……」

「そう、お前は私の言うことを聞くのが幸せ――だからお前は、私に全てを委ねる」

「私は、この人に全てを委ねる……」

 

アマノの言葉がすべて正しいと錯覚してしまう。完全に今のジェムは、アマノとカラマネロの催眠術にかけられていた。

 

「く、くくくく……チャンピオンの血を引くものといえど、所詮は小娘か」

「……」

 

もはやアマノの声に、態度に先ほどまでの優しさはない。野心と征服欲に燃える一人の男がそこにいた。彼はジェムを餌を見る蛇のような眼でねめつける。

 

「お前には望んだとおり『チャンピオンの娘』として、私の計画の役に立ってもらう……だがその前に、少し味見をするとするか。立て、ジェム」

「……はい」

 

アマノはソファに座るジェムを立ち上がらせ、その顎をくい、と持ち上げる。まるで良いワインでも扱うような『物』に対する態度だが、ジェムは陶酔した表情でアマノを見つめている。若い女が自分を熱い目で見ていることはアマノの欲望を大いに満足させた。

 

「では、いつものように……頂こう」

 

ジェムの細い体に手を回して抱きしめる。ジェムの体は無抵抗にアマノに身を預けながらぼんやりとした頭でこんなことを考えていた。

 

 

(はじめてなのに、いいのかな……でも、しあわせ……たたかってつらいおもいをするより、ずっと……)

 

 

ジェムの唇が奪われようとしたその時。部屋の外で、凄まじい破壊音が鳴り響く――



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所有権争い

 

 

 

 

 部屋のドアが破壊され轟音が鳴り響く。アマノが忌々しげに振り返ると、そこにはダイバがメタグロスを連れて立っていた。薄っぺらな笑顔を取りつくろってアマノが口を開く。

 

「何の用ですか、少年?せめて人の部屋にはいるときはドアを開けて入るという最低限のマナーは守っていただきたいですね」

 

ジェムはまだ催眠術の効果が解けておらず、ぼんやりしたままだ。それだけカラマネロとアマノのかけた催眠術は深い。ダイバはそれを見て小さく舌打ちした。

 

「手間かけさせるな……その子、返してもらうよ」

「残念ですがこの子はあなたのものではありません。既にこの子は、私といることを望んでいます」

 

平然とのたまうアマノに対してダイバは吐き捨てる。

 

「ほざきなよ、このロリコン催眠術師」

「……」

 

アマノの顔に青筋が浮かんだ。険悪な空気が流れる。

 

「いきなり入ってきたあげくその態度……真に勝手で浅薄ですね。少年相手にやるのは趣味ではありませんが、少し教育をしてあげましょう。ジェムも手伝ってください」

「……出てきて、ラティ」

「メタグロス、バレットパンチ」

「カラマネロ、リフレクター」

 

ジェムが何かする前にまたしてもメタグロスで殴り飛ばそうとするダイバ。それを読んでリフレクターで攻撃を防ぐアマノ。催眠術をかける過程でジェムがダイバに何をされたかは聞いている。よって彼の行動を予想するのは人の心理を操ることに長けたアマノには容易いことだった。

 

「また暴力に走りますか。いけませんね。女の子の身体というのはもっと大切に扱わねば」

「関係ないよ。……僕の言うことを聞くって約束したのに勝手にあんたに着いていく方が悪いんだ。僕は悪くない」

「無理やり約束させた、でしょう?」

「それはあんたもだろ……メタグロス、メガシンカしてコメットパンチ」

 

メタグロスが光輝き、その体が浮き上がる。地につけていた鉄腕を振り上げ。4本の腕全てが一回り大きくなったメタグロスの本気の姿。それがジャブの様な一撃ではなく、鉄腕を思い切り振りかぶり、彗星の如く勢いのある拳を放つ。この威力の前にさっきジェムは手も足も出なかった。マリルリの特性『力持ち』もクチートの特性『威嚇』も無力だった。

 

「カラマネロ、リフレクター」

「ラティ、竜の波動」

 

カラマネロが障壁を発生させるが、メタグロスの鉄拳はそれを打ち破る。だがそこへさらに竜の波動が相殺しにきて、威力を弱められた。

 

「さあ行きますよ。カラマネロ、催眠術!」

「出番だよミロカロス、神秘の守り」

「……!」

 

 相手を眠りに誘う術をかけようとしたところに、美しい虹色の鱗を持つポケモンが現れて不可思議なベールが彼らを包む。すると術の効果は無効化され、ダイバもメタグロスも眠りには落ちなかった。

 

「ワンパターンなんだよ……同じ手が何度も通用すると思った?」

「ふん……なら容赦はしません。出てきなさい、ランクルス!」

 

 白い赤子を緑色のスライムで包んだようなポケモン、ランクルスが現れる。アマノは早速指示を出した。

 

「ジェム、ランクルス。サイコキネシス!」

「……サイコキネシス」

 

 二人が同じ指示を出すと、ランクルスがラティアスの脳波を乗っ取り、二体分の威力を合わせた強力な念動力の塊を作る。そしてそれを無色透明の圧力として、神秘のベールを作る厄介なミロカロスにぶつけようとした。

 

「メタグロス、光の壁。ミロカロス……ドラゴンテール」

「カラマネロ、リフレクター!」

 

 お互いが攻撃を防ぐ障壁を出現させ、それぞれの技を防ぐ。ダイバが帽子の下でにやりと笑った。

 

「うっ……」

「ジェム!?」

 

 ドラゴンテールはただの攻撃技ではない。その衝撃はダメージにならずとも相手を物理的に吹き飛ばす効果がある。ジェムの体が衝撃で吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。ジェムは小さく呻いて気を失った。それを見て、アマノは舌打ちする。

 

「ちっ……受け身の一つも取れんのか」

「この子はお上品すぎるんだよ……で、どうするの?まだやる……?」

「親子そろって忌々しい……まあいい、ここは一度退こう。少々見くびっていたというところか」

 

 そう言うとアマノは紫色のボール……マスターボールを取り出す。そこから現れたのはポケモンではなく。空中に空いた『黒い穴』だった。それを見た瞬間、ダイバの意識が途切れた――

 

 

 

 

 

「……逃げられたか」

 

 ダイバが意識を取り戻し時計を見ると、5分が立っていた。アマノとカラマネロ、ランクルスの姿は消えている。どういうからくりか知らないが、逃げたらしい。壁にはジェムがもたれかかるようにして眠っていた。近づき、その顔をしばし眺める。さっきまで戦っていたというのにあどけなく、自分の状況への危機感のない寝顔だった。それを見てダイバは無性に腹が立った。自分の寝顔は母親にアルバムで見せられたことがあるが、こんなに安らかな表情ではなかったし。自分にこんな間抜けな顔で寝られるとは思えなかった。

 

「……起きてよ」

「……」

 

 ダイバが呼びかけるが、ジェムはすやすやと眠っている。腹が立つので、思いっきり両方の平手で頬を叩いてやることにした。パチン、と気味の良い音が鳴る。

 

「あ、あれ、私……」

 

 ジェムはようやく目を覚まして、周りを見回す。そして自分の状況を思い出したのか、怯えるように自分の肩を抱いた。当然だ。見ず知らずに男に騙され、催眠術にかけられ、キスまでされそうになったのだから。

 

「……助けてくれたの?」

「そうだよ、君には僕の言うことを聞くって約束してもらったからね」

 

 当然の権利のように言うダイバ。ジェムとしては本意ではないが……助けてもらったのも、約束してしまったのも事実だと考えた。

 

「わかった。でも、私や私のポケモンに変なことはしないでね。……そしたら許さないから」

 

 アマノよりマシだろうが、ダイバも大概危険な男だ。そう念は押しておく。ダイバは頷いた。

 

「君が僕に逆らわなければ、何も酷いことなんてしないよ。僕はパパとは違うんだから……」

 

 ダイバは父が嫌いだった。傲慢で、人の意思など何とも思っていなくて、息子や妻のことなど自分のビジネスの道具としか見ていないと思っている。

 世界の誰より父を愛しているジェムとしてはその言い方に賛同は出来なかったが、実際自分の息子を容赦なくハンティングゲームの獲物にしているのを見ているが故に口は出せなかった。

 

「じゃあその……これから、よろしくね」

「……?」

 

 手を差し出すジェムに首を傾げるダイバ。こう言うしぐさは年相応に見える。ジェムが恥ずかしそうに言った。

 

「……これからはあなたが言った通り、私があなたに挑んできた分まで相手にするんでしょう?だったら一緒に行動しなきゃダメじゃない。だから、よろしく」

「何それ、子供みたい」

「あなたも私もまだ子供でしょ。私、ここに来るまでは大分大人に近づけたって思ってたけど……全然そんなことなかった」

 

 父親にもここに来ることを認められ、恩師との勝負にも勝って。もしかしたらフロンティアでも順調に勝てるかもと思っていた。でも蓋を開けてみればどうか。自分はバーチャルに負け、ブレーンに負け、自分より年下の子に手も足も出ず、あまつさえ敗戦の心の隙を突かれて妖しい男に体を明け渡してしまいそうになっていた。トレーナーとして、人として、なんと弱いことだろう。お父様が旅に出してくれなかったのも納得だ、と思った。

 

「だから、これも修行だと思ってあなたに付き合うことにする。それでいいわよね」

「君に否定する権利はないんだけどね……まあいいよ」

 

 ダイバもおずおずと手を差し出し、二人は握手を交わす。お互いすぐパッと離してしまうのは、致し方ないことだろう。手を離した後、ダイバは昏い笑みを心の中で浮かべていた。

 

(同じ偉い人の子供なのに……こいつは父親に愛されてるんだ。それが当然だと思って、心の底から尊敬してるんだ。そんなの許さない。壊して、堕として、僕と同じにしてやる)

 

 それがダイバがジェムに執着する理由だった。バトルでは自分の方が強くとも、心のありようとしてジェムはダイバの遥か高みで眩しく光っている。その光が疎ましく、そして穢したいと思ったのだ。

 

(少し思ってたのとは違うけど……私はここからもう一度自分を鍛え直してみせる。そしてお父様に誇ってもらえる私になるんだから)

 

こうして二人は真逆のことを考えながら協力してこのフロンティアに立ち向かうことになる。そう、ここからが物語の本当の始まり――

 

 

 

 

 

 

 

「……ふん、さすがに奴の息子か。くそっ、思い出すだけでも胸糞悪い」

 

 施設の裏でタバコを吸いながらアマノは吐き捨てる。彼は今ダイバの父親――エメラルドについて思い出していた。彼に対しては怒りと憎しみしか覚えない。

 

「だが、それもここまで。雌伏の時は終わりだ。俺はこの力で、バトルフロンティアを――支配する」

 

 マスターボールを見つめてにやりと笑う。そこにはこの島一つを余裕で支配しうるほどの力が眠っていた。

 

 

「それまで首を洗って待っているがいい……く、くくくく。ははははは!!」

 

 

 アマノは哄笑する。水面下でもまた、この島への脅威は動き始めていた。

 

 

 

 

 

 



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逆鱗

ダイバとの約束で行動を共にすることにしたジェムは、自分たちを狙い寄せ来る敵を破りながら2人で次の施設へと向かう。さっそく受付のお姉さんに説明をお願いすると、次のように話してくれた。

 

 

「こちらの施設はバトルクォーターです!その名の通り、挑戦者の皆様には15秒の高速バトルを体験していただきます」

「15秒……?」

「はい。この施設のルールは3対3のシングルバトルですが、特徴として15秒ごとにバトルの判定が行われます!判定の基準は3つ。一つはいかに相手を攻撃したかの『心』、そしていかに相手の弱点を突いたかの『技』、どれだけ多くの体力が残っているかの『体』。この3つによって決定されます!」

「判定で勝つとどうなるの?」

「勝った方がそのまま残り、負けたほうはいかに体力が残っていたとしてもそのバトルでは戦闘不能として扱います。短い時間の中でいかに攻めたてるかが勝負のカギとなります!」

「つまり、スピードと攻撃力が高いポケモンで挑むのがほぼ前提。守ったり相手を妨害している暇があったら攻撃したほうがいい……パパたちの考えそうなルールだ」

 

 ダイバがため息をつく。ジェムにとってもこれはかなり厄介なルールだ。ジェムの戦術は能力変化で確実に有利にしていきバトルの主導権を握るものだが、一回のバトルにつき15秒しかないのでは準備を整えている間に勝負が終わってしまう。

 二人して難しい顔をされると受付のお姉さんも対処に困るのか、さっさと通してしまおうとする。

 

「ささ、お二人ともそう悩まずにまずは体験してみてください!きっとご満足いただけると思います!」

 

 そうして二人は挑むポケモンを選出する。ジェムはひとまず自身の手持ちの中で攻撃と素早さに優れたポケモン、キュウコン・ラティアス・マリルリを選んだ。ダイバもポケモンを選び終えると、受付のお姉さんが中へと案内する。

 

「あ、15秒しかないのとポケモンを判定する関係上、バトル中の交代は禁止されているのであしからず!」

「わかったわ。……気合入れていかなきゃ」

 

 短いバトルの連続は、集中力を使うことだろう。ダイバはいつも通り帽子を目深に被っていて何を考えているのかわからない。

 二人はまるで卓球の大会のような、いくつものバトルフィールドが横にずらっと並んでいる広い空間へと案内された。それぞれバトルフィールドに立つと、向かいにバーチャルが現れる。

 

「……君が何で勝てないのか、この施設で教えてあげる」

 

 バトルが始まる直前、ダイバが意味深に言った。上からの物言いにむっとするが、事実勝てていないのだから反論できない。

 

「うほっ いいポケモン バトル やらないか」

「私は 優しい チャンピオンに なるのだ!」

 

 ジェムの相手は山男。ダイバの相手は幼稚園児のバーチャルだ。山男はライボルトを。幼稚園児はホルードを繰り出した。

 

「頼んだわ、キュキュ!」

「……出てこい、ガブリアス」

 

 バトル開始を告げる鐘が鳴る。どうやらどのバトルも一斉に時間を図るようだ。ダイバとジェム、そしてバーチャルが動き出す。

 

「キュキュ、連続で火炎放射!」

「ライボルト 十万ボルト」

 

キュウコンが9つの尾から9条の火を放つ。ライボルトの電撃が相殺していくが、6条までしか打ち消せず残りが体を撃った。

 

「一発は小さくてもいいわ。とにかく火炎放射よ!」

「ライボルト 充電」

 

 

 攻撃が通用したと判断したジェムは更に火球を連発させる。無抵抗のライボルトの体力を着々と削っていくが、10秒たったところで反撃が来た。

 

「ライボルト 雷」

「っ、上!?」

 

 文字通りの雷が電気をためていた分強力になって天井から落ち、キュウコンの体に直撃する。キュウコンは悲鳴を上げて倒れてしまった。

 

「頑張って、キュキュ!」

「きゅ……」

 

 なんとか立ち上がるが、満身創痍なのは明らかだった。向こうのライボルトは火炎放射を受け続けたとはいえ充電で特防をあげていたためまだ少しは余裕があるように見えた。

 

「それでは判定に移ります」

 

もう15秒が立ち、判定が始まる。結果が電光掲示板に表示された。

 

「キュウコン対ライボルト、『心』はキュウコン。『技』は引き分け。『体』はライボルト……よって結果引き分け」

 

 引き分けの場合はお互いに戦闘不能になったものとして扱う。ライボルトの姿が消え、ジェムもキュウコンをボールに戻した。この時、ジェムは内心でほっとしていた。もしここでキュキュが勝っていれば体力の尽きかけた状態で連戦することになる。それで手痛いダメージを受けて苦しむのをジェムは恐れていた。

理由は単純で、先のダイバとの戦いで自分のポケモン達を散々痛めつけられたからだ。

「出てきて、ラティ!」

 

 続けて出すのはジェムの一番の相棒、ラティアスだ。バーチャルはエルフーンを呼び出した。

 

「フェアリータイプ……なら、サイコキネシス!」

「エルフーン ムーンフォース」

 

 強力な念力を相手にぶつける。エルフーンの綿毛がくしゃくしゃになったが、あまり大きなダメージではなさそうだった。対して天井からの月の光を具現化したような光線は、タイプの相性も合わさって強烈にラティアスを撃つ。ジェムの中で、メタグロスに痛めつけられた時の記憶がフラッシュバックする。

 

「あ……ラティ、自己再生!」

「エルフーン ムーンフォース」

 

 自分の相棒が傷つくことに怯え、回復させるジェム。バーチャルは淡々と攻撃を命じ、回復が追い付かない速度でダメージを与えていく。そして15秒が経過した。

 

「『心』『技』『体』、全てエルフーンの勝ち……戻って、ラティ」

 

 結果は当然、バーチャルの勝ち。ジェムはラティアスを戻し、最後のポケモンマリルリを繰り出す。だが相性の関係から半ば勝負は見えていた。15秒のカウントが始まる。

 

「……ルリ、じゃれつく」

「エルフーン コットンガード」

 

 マリルリがとびかかるより先にエルフーンの特性『悪戯心』によってエルフーンの体をすごい勢いで綿が覆っていく。マリルリが攻撃した時にはもこもこの綿が攻撃の威力を吸収し、ほとんどダメージにならなかった。

 

「ルリ、アクアジェットで逃げて!」

「エルフーン ギガドレイン」

 

 水の噴射で距離を取らせようとする。だが直線的な攻撃ではなく、直接生気を吸い取る技から逃れる術はない。マリルリの体力が大幅に吸い取られる。

 

「エルフーン ギガド――」

「待って!もう……降参する」

 

 どうせこの勝負は勝てない。なら自分のポケモンが傷つけられる前に……とジェムは手をあげてサレンダーした。バーチャルの攻撃が止まる。

 

「ルリ……ラティ、キュキュ。ごめんね」

 

 泣きながら、ジェムは自分のポケモンに謝った。バトルに負けたことは勿論、ポケモントレーナーとしての自分が折れかかっていることがたまらなく悔しかった。

 

「……もう負けたの?」

 

 自分のバトルを終えたダイバが遠慮なしに声をかけてくる。彼の場には最初に出したガブリアスが健在だった。ダイバとの実力差を感じながらジェムは答えることが出来ない。ダイバはこれ見よがしにため息をついて言う。

 

「……はあ。ブレーンに挑戦しようと思ってたけど、一週で終わりにするよ。――だから、僕のバトルを見てて」

「……?」

「言ったよね、君が勝てないのには理由があるって」

 

 それだけ言って、ダイバは次のバトルを始める。出すのは再びガブリアスで、相手はモジャンボだ。

 

「ガブリアス、剣の舞」

「モジャンボ パワーウィップ」

「いきなり補助技を……」

 

 相手は体中の草の鞭で叩きつけてくるが、ガブリアスは構うことなく特殊な舞を踊って、己の攻撃力を大幅に上げる。その行動をジェムは不思議に思った。攻撃すれば攻撃するほど有利な施設だと言っていたのはダイバ自身だからだ。

 

「モジャンボ パワーウィップ」

「逆鱗」

 

 次の鞭が飛んでくる前に、ガブリアスは音速にも等しい速度でモジャンボに接近すると、先ほど受けた攻撃の鬱憤を晴らすようにその鋭い刃物のような腕で鞭を無茶苦茶に引き裂いていく。剣の舞の効果と合わせて凄まじい威力となった攻撃は、一撃でモジャンボを戦闘不能にした。

 続いてバーチャルはスピアーを繰り出すが、同じことだった。スピア―が動く前に竜の逆鱗が一撃で敵を戦闘不能にする。

 

「これじゃあ……ルールなんて関係ないじゃない」

 

 ダイバの戦い方は、施設のルールなど見ていなかった。15秒で判定が行われるのなら、15秒以内に敵を倒してしまえばいいという意思がはっきり表れている。だが次にバーチャルが繰り出したのは、奇しくもジェムを倒したエルフーンだった。

 

「エルフーン コットンガード」

「……」

 

 ガブリアスの逆鱗は続くが、フェアリータイプにドラゴンの技は通用しない。その間にエルフーンは綿毛をもこもこと膨らませ、物理攻撃に対する壁を作る。

 

「逆鱗の効果が終了したガブリアスは混乱する……ここからどうするの?」

「ガブリアス、炎の牙」

「エルフーン ムーンフォース」

 

ダイバは構わず攻撃するが、混乱した状態ではうまく攻撃を当てられない。相手の月光の光線が当たり、ガブリアスを戦闘不能にした。

 

「出てこい、そしてシンカしろ……メガガルーラ」

 

 次にダイバが呼び出したのは――親と子供で一体として扱われるポケモン、ガルーラだ。メガシンカを遂げたことで子供が袋から出てきて、確かな戦力となる。

 

「それでも、あの防御力は……」

「関係ないよ。綿毛と一緒に凍り付け……冷凍ビーム」

「エルフーン ギガドレイン」

 

 相手がガルーラから生気を吸い取るが、ガルーラの耐久力はかなり高い。親と子供、二本の冷凍光線がエルフーンに飛んで行き――その綿毛をカチコチに氷漬けにした。エルフーンは凍ってしまって動けない。

 

「このまま冷凍ビーム。これで終わりだ」

 

 次の一撃――いや、親子の二撃でエルフーンは倒れた。ダイバの勝利だ。

 

「わかった?これが僕と君との実力の差……そして、バトルに対する違いだよ」

「違い……?」

 

 実力の差はそもそも自分のポケモンを痛めつけられた時にわかっている。だがバトルに対する違いとはどういう意味か。それをダイバはこう語った。

 

「君はこの施設、攻撃すればするほど有利だと思って補助技をロクに使わず戦ったよね。……それが甘い」

「……」

「本当に自分の実力に自信を持っているなら、そんな小細工はせずに『自分の』バトルを貫いたはずだよ。……君のバトルは、『お父様』とやらの影を追っているだけで実戦経験のなさが露骨に現れた、哀れなほど薄っぺらなものだ」

「そんなことない、私毎日ジャックさんと戦って……」

「ずっと同じ人、同じポケモンと戦ってたんでしょ?一応ポケモンの知識はあるみたいだけど、相手に対する対応力がまるでない……」

 

 反論しようとするジェムを、一言で切り捨てるダイバ。その言葉はジェムの胸に刺さった。自分のバトルを、今までの経験をばっさり否定されたからだ。

 

「何もかも浅いんだ……君は。ポケモンバトルの実力も、信念も」

「……」

 

 ジェムは静かに涙を零した。もうここに来てから何度目の涙かわからないくらいだった。とっくに心は打ちのめされているのに、悲しさは止まってくれない。

 

「また泣く。……まあ好きにすればいいけど、ちゃんとバトルは見ててよね」

 

 自分のバトルを見ることを強調し、ダイバはバトルに戻る。そこからの展開はほとんど同じだった。初手に剣の舞を積み、逆鱗や地震で相手を一撃で沈めていく。混乱や相性などで仕留めきれなかった分は、メガガルーラの連続攻撃で相手に反撃を許さず潰していく。

 それはほとんど流れ作業に近かった。彼は全てのポケモンを知り尽くしているように、機械的に処理をしていく。その動きはジェムの心に密かにこの人にはとても敵わない、傷つけられたくないという気持ちを植え付けていく。何より、自分のポケモンを傷つけられた時のことを思い起こさせる。

 

「……はい、おしまい。一旦戻るよ、ジェム」

 

 勝負を終え、ダイバはジェムに手を伸ばす。ジェムはその手を取る気にはなれなかった。施設から出るダイバに無言でついていくジェムに、ダイバはフードの下でほくそ笑む。

 

「じゃあ、外では僕の代わりに戦ってもらうからね。約束通り――」

「……もう。やだ」

「……へえ?なんで?」

 

 ジェムはポツリと否定する。その声は震えていた。ブレーンに負けて、ポケモンを痛めつけられて、心を支配されかけて、施設のバーチャルに一回戦で負けて、自分のバトルを否定されて……また痛めつけられたことを思い出させられて。ジェムの心はぼろぼろだった、すっかり歪んでいた。それをダイバは、笑いをこらえながら問いただす。

 

「私なんかより、あなたの方がずっと強いじゃない……その辺の相手なんて、私がポケモンを戦わせなくてもあなたは簡単に蹴散らせるでしょう?」

「……まあね」

「だったら!だったら……貴方が私の代わりに戦ってよ……もう……傷つけられるの、いや……」

 

 簡単に認めるダイバに、約束を反故にする行為だとわかっていてもジェムはそう言わずにはいられなかった。ダイバはにやりと笑みを浮かべて言う。

 

「……いいけど、じゃあその代わり何かしてもらわないと割に合わないよね?それでも――」

「いい。いいから……もう、私を戦わせようとしないで」

 

 正直、出来ることなら今すぐ母のいるおくりび山に帰りたかった。だけどこんなみっともない姿を尊敬する母に見せたくないという思いもあった。だからジェムは、ダイバに庇護を乞う。乞ってしまう。

 

「わかった、それじゃあ……」

 

 この時ダイバにはジェムを自分のものに出来たという確信があった。だが――

 

 

「見つけたぞ、ジェム・クオール!!」

 

 

金髪を腰まで伸ばし、紺色のスーツとマントを着たいかにもドラゴン使いですといった感じの18歳くらいの少女がずんずんと大股でジェムに歩み寄ってきた。彼女は自分のモンスターボールを突き付け、堂々と宣言する。

 

「私の名前はドラコ・ヴァンダー。四天王の娘であり、次のポケモンリーグでチャンピオンとなるものだ。さあ私とバトルしろ!!」

「……いや、私は」

「問答無用!出てこいオノノクス!!」

 

 金髪の少女はジェムの心境などどうでもいいと言わんばかりに己のポケモンを出す。ダイバが不機嫌そうに割って入った。

 

「待った。今この子は戦える状態じゃないんだ。代わりに僕が――」

「お前のことなど知らん、引っ込んでいろ!私はチャンピオンの娘に用があるんだ!!」

「……」

「チャンピオンの、娘」

 

 その言葉は、ほんのわずかに残っていたジェムの心の支え。だけどポケモンを傷つけられたくないという葛藤から、すぐに応えることが出来ず俯いて、そう答えることしか出来ない。。

 

「どうした?さっさとポケモンを出せ!それとも……怖いのか?」

「……そうよ」

「はっ!チャンピオンの娘であることを誇りにしていると聞いて来たが、とんだ腑抜けだったか。これではチャンピオンの実力もたかが知れるな!!」

「……!」

 

 挑発なのか本心なのか、ジェムでなく父親を貶すドラコを、ジェムは二色の眼でキッと睨む。

 

「……お父様を、馬鹿にしないで」

「ふざけるな、戦う意思さえ持てないような者をこの地に送り出す時点で貴様の父親は愚か者だ!!」

「……ジェム、こんな奴に構うことなんてないよ。ここは僕に任せて……」

「……私がやる」

 

 その瞳は、怒りに燃えていた。ジェム自身を馬鹿にされただけなら、心の折れたジェムはそれを受け入れただろう。だが尊敬し、愛する父親を馬鹿にされては、己を奮い立たせずにはいられなかった。

 

「ふん、やっとやる気になったか。行くぞオノノクス!!」

「お父様を馬鹿にした言葉……取り消してもらう!出てきて、ラティ!メガシンカ!」

 

 二人の少女は、己のドラゴンをぶつけ合う。そしてジェムの怒りは、新たな力を覚醒させようとしていた――



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怒りの眼

「ラティ、竜の波動!」

「オノノクス、地震だ!!」

 

 メガシンカしたラティアスが一回り大きくなった銀色の波動を放つ。オノノクスは大地を揺らすと、自分の前の地面を大きく隆起させ壁にした。波動がぶつかり大地が砕けるが、オノノクスにダメージはない。

 

「地震をそんな風に使うなんて……」

「ふん、驚くのはまだ早い!オノノクス、もう一度地震だ!!」

「ラティ、上に逃げて!」

「甘い!!」

 

 オノノクスが勢いよく四股を踏むと、ラティアスの真下から岩が高速で噴き出す。地面の揺れのベクトルを調整し、大地に眠る岩を跳ね飛ばしたのだ。不意の一撃に岩を避けられず、ラティアスに命中する。

 

「オノノクスの特性は『型破り』。この特性によって私のオノノクスは相手の特性によって技を無効にされない!!」

「だったら……ラティ、影分身!」

「ドラゴンクロ―だ、オノノクス!!」

 

 相手が爪を振るう前に、光の屈折率を変えて自分の分身を数多作り出すメガラティアス。それに惑わされてオノノクスは攻撃を外した。

 

「回避率をあげるか……ならば仕方ない。オノノクス、ハサミギロチン!!」

「ッ!逃げて、ラティ!」

 

 オノノクスの顎の横についた刃が、丸鋸のように振るわれる。それはジェムとラティアスに強烈な『死』のイメージをもたらした。直観的にラティアスを下がらせる。

 

――その刃は確実に一瞬前までメガラティアスがいた場所を切断した。もし下がっていなければ、ラティアスの体は引き裂かれていただろう。

 

「回避、命中率の変化を無視できるとはいえ、やはり簡単には当たらんな。だが次は――」

「……ハサミギロチンはノーマルタイプの技。なら……出てきて、ペタペタ!」

 

 メガラティアスを下げ、ジュペッタを繰り出すジェム。

 

「一撃必殺を恐れたか。オノノクス、ドラゴンクロ―!!」

「ペタペタ、鬼火!」

 

 オノノクスが近づいてくるのに対しカウンターの要領で鬼火を当てる。だが、オノノクスの猛攻は止まらない。両腕の爪でジュペッタの体を引き裂きにかかる。

 

「そのままやってしまえ!!」

「ペタペタ、こっちもシャドークローで対抗よ!」

 

 竜の爪を自身の漆黒の爪で受け止めるジュペッタに、一定のステップを踏みながら攻撃するオノノクス。その動きは次の技へと繋がっていた。

 

「オノノクス、竜の舞からドラゴンクロ―だ!!」

「ゴーストダイブで逃げて!」

 

 攻撃力と素早さを上げる舞を踊り、更に攻撃しようとする。それをジュペッタは影に隠れることで回避した。攻撃を躱されたドラコが舌打ちする。

 

「さっきからこそこそと姑息に逃げ回ってばかり……お前、私を舐めているのか!!」

「……そんなつもりじゃない、私はただ……自分のポケモンを傷つけたくないだけ」

「……やはり所詮は臆病者か。ならば容赦なく叩き潰してやる!!オノノクス、剣の舞!!」

「ペタペタ、出てきて!」

 

 ジュペッタが影から這い出て攻撃を仕掛ける。オノノクスはそれに反撃せず受け止め、攻撃力を大きく上昇させる舞を踊った。そして。

 

 

「この技を受け果てるがいい!激震のダブルクライシス!!」

 

 

 オノノクスが地震で地面を大きく揺らす。ジュペッタの体勢を崩したところに顎についた刃を二連続で振るう『ダブルチョップ』がジュペッタの体を紙屑のように引き裂いた。

 

「ペタペタ、下がって……」

「さあ、次のポケモンを出すがいい。それとも……ギブアップするか?臆病者」

 

 ドラコの目が身長差も相まって小動物を見る巨竜のようにジェムを見下す。その目に怯みながらも、ジェムはまだ諦めることを――父の名誉に泥を塗ることをよしとは出来なかった。

 

「……行くよ、ミラ!」

「ヤミラミ……やはりハサミギロチンを恐れているのか」

 

 図星だった。だがここで折れるわけにはいかない。壊れかけた矜持を胸に、ジェムは戦う。

 

「だがそんな小さなヤミラミ如き、一撃で沈めてくれる!オノノクス、ドラゴンクロ―!!」

「ミラ、見切り!」

 

 大きく振るわれる爪を見切って躱す。懐に潜り込んだこの隙を好機と、ジェムは指示を出す。

 

「ミラ、『おしおき』よ!」

「!!」

 

 相手の能力値が上がれば上がるほど威力が増す一撃を、オノノクスの胴にぶち当てる。オノノクスの体が勢いよく吹き飛び、地面に倒れた。

 

「……小さいからって甘く見ないで」

「このまま全タテしてやろうと思ったが……こうでなくてはつまらん。出てこいカイリュー!!」

 

 オノノクスに代わり現れたのは寸胴な巨体を持つ竜、カイリューだ。やはりドラゴン使いなのね、とジェムは思う。

 

「ミラ、爪とぎ!」

「カイリュー、電磁波!!そして天空へ舞い上がれ!!」

 

 カイリューの尾から見えない電気が放たれ、ヤミラミの体を痺れさせる。ドラコはすぅ、と息を吸い込み勢いよく喝を入れるように発声した。カイリューの体が姿すら見えなくなるほどの遥か天空へと飛翔し、空に暴風が吹き荒れ始める。

 

 

「食らえ!旋風のメテオダイブバースト!!」

 

 

 カイリューのが大きく羽を震わせるとその巨体が風を纏い、一つの流星となってヤミラミに突撃する――!

 

「ミラ、見切り!」

「その程度で私の必殺技を止められるものか!!」

 

 ヤミラミが突っ込んでくるカイリューの動きを見切ろうとする。だが、麻痺した体で逃れるのには相手の攻撃はあまりに速かった。フロンティア中に響くのではないかというほどの衝撃がヤミラミの体を押しつぶした。

 

「……ゆっくり休んで、ミラ。出てきてラティ!」

「最初のラティアスか……いくぞ、電磁波!!」

「させない、サイコシフト!」

「なにっ!?」

 

 カイリューが電磁波でラティアスの体を痺れさせようとするが、その前に特殊な念力で電気を跳ね返し、逆にカイリューの体を痺れさせる。ドラコが歯噛みした。

 

「状態異常を跳ね返したか……なら攻め倒すまで、ドラゴンダイブ!!」

「竜の波動よ!」

 

 カイリューが再び天空へ舞い上がろうとするが、速度が乗る前のカイリューのスピードは麻痺していることもありそう速くはない。振り切られる前に銀色の波動がカイリューの体を撃つ。同じドラゴンタイプ同士、弱点を突く一撃は大きなダメージを与えるかに思われたが。

 

「……特性『マルチスケイル』の効果で、ダメージを受けていないとき相手から受けるダメージは半減される」

「ラティ、自己再生で次に備えて」

「影分身にサイコシフト、そして自己再生か。……随分と臆病なことだ。戻れカイリュー。そして出てこいチルタリス」

 

 もこもことした綿のような羽毛に包まれた蒼い竜、チルタリスが現れる。普通のチルタリスは一見鳥のようにも見える愛くるしさがあるが、ドラコの従えるそれは目つきも鋭く正しく竜の威圧感を放っている。

 

「……自分のポケモンが傷つかないようにするのが悪いことなの?」

「はき違えるな。お前の戦術はそんな大層なものではない。ただ敗北と、自分の傷を抉ることに怯えているだけだ。……その程度の敵に私は負けん!チルタリス、ゴッドバード!!」

「私は、そんなつもりじゃ……ラティ、影分身!」

「無駄だ、この瞬間パワフルハーブの効力が発揮される!!」

 

 その言葉通り、チルタリスは一切のノーモーションから神速を得てメガラティアスが何かする前に体を突っ込ませた。先のカイリューとは違う初動の速さに意表を突かれる。

 

「く……ラティ、竜の波動!」

「チルタリス、チャームボイス!!」

 

 チルタリスに体を抑え込まれながらもメガラティアスは竜の力を込めた波動を放つ。相手は相討ち上等と言わんばかりに特殊な音波を放って攻撃してきた。波動と音波がお互いに直撃し、メガラティアスは倒れる。チルタリスも大きなダメージを受けたが、ばたばたと羽毛の羽根を広げて戦意を見せた。

倒れたラティアスに駆け寄り、膝をついて体をさする。その様をドラコは蔑むように見下している。

 

「ラティ!しっかりして……お願い……」

「そいつにもう立ち上がる力はない。泣き言を言っていないで次を出せ」

「私は……私は……」

「ふん、戦意を喪失したか?ならば臆病者らしくこの地から消え去り、二度とバトルの表舞台に立つな。そして……私が貴様ら親子に引導を渡してやる。貴様の親は戦う意思すらないものを平然とこの地に送り出す下郎だとな!!」

 

 ドラコは本気でジェムに、否チャンピオンに失望している。……その態度が、ジェムには許せなかった。

 

「私のことをどう思おうと好きにすればいい……でも、お父様を……悪く言うな!!」

「くだらん。事実を言って何が悪い」

「許さない……絶対に許さないんだから!」

 

 ジェムの片方の赤い瞳が、熱を持ったように爛々と輝く。その時だった。ジェムの手持ちの一つが輝き、光に包まれる。怒りに燃えるまま、ジェムはそのポケモンを出した。

 

「出てきて、クー!」

 

 クチートの大角が、メガシンカしたことにより二つに分かれる。より大きく、禍々しく歪んだ角が開き、相手を威嚇した。

 

「二体目のメガシンカか。いいだろう。全て叩き潰してやる!!」

「これ以上好き勝手言わせない……行くよ、噛み砕く!」

「コットンガードで受け止めろ!」

 

 挑みかかるクチートにチルタリスは自身の羽毛を膨らませ衝撃を吸収する壁を作る。かぶりつくメガクチートの両顎に――霜が降りた。一気に冷え、極寒の冷気が柔らかい羽毛を凍り付かせ、粉々に粉砕した。そしてもう片方の顎が、チルタリスの蒼い体に食らいつく。チルタリスは大きく悲鳴を上げて倒れた。

 

「氷の牙か……下がれチルタリス」

 

 倒れたチルタリスをボールに戻し、次のポケモンを出す。出てきたのは、緑色の体に妖精のような羽を生やした竜、フライゴンだ。

 

「噛み砕く!」

「易々と近づけると思うな、地震だフライゴン!!」

 

 フライゴンが大きく地面を揺らし、メガクチートの足が止まる。だが、両顎には膨大な冷気が溜まっていく。それを光線のように打ち出した。直接攻撃を警戒していたフライゴンには、避けきれない。

 

「なっ……冷凍ビームだと?」

「許さない……あなたのポケモンは、全てこの子が噛み砕く!!」

 

 羽が凍り付き、地面に降りたフライゴンをクチートの両顎で噛みつく。その力はすさまじく、フライゴンの巨体を回転させて捻りつぶした。フライゴンが動かなくなってなお、ジェムとメガクチートは相手を傷つけようとしている。紅い瞳が完全に怒りに支配されていた。

 

(こいつ、さっきまでの怯えたバトルとはまるで別人だ)

 

 そう確信し、ドラコは初めてこの戦いで笑みを浮かべた。

 

「だが……そうでなくてはつまらない。私も本気でやってやる。出てこい、リザードン!!」

 

 言わずと知れた赤き翼竜、リザードンを繰り出す。さらに、その体を蒼い光が包む。

 

 

「誇り高き竜よ。蒼き血統を受け継ぐ翼翻し。栄光の道を突き進め!!メガシンカ、Xチェンジ!!飛翔せよメガリザードン!!」

 

 

 リザードンの体が蒼と黒を基調とした色に染まり、口からも蒼い炎が漏れている。その威容を見てもジェムは全くひるむ様子を見せない。

 

「まずは挨拶代りだ。火炎放射を受け取れ!!」

「アイアンヘッド!」

 

 メガリザードンが蒼い炎を吐く。一直線に飛んでくるそれを、メガクチートは二つの顎を大きく振るってはじき飛ばした。

 

「続いて煉獄!!」

「ミストフィールドよ!」

 

 更なる業火を放つメガリザードンに対し、クチートは妖精の霧を漂わせて炎を軽減する。『煉獄』には命中した相手を強制的に火傷にする効果があるが、発動しない。

 

「面白い……ならば私とリザードンの必殺技で決着をつけてやる!!」

「……クー、鉄壁!!」

 

 メガリザードンの体全体が蒼い焔に包まれる。メガクチートがいつでも大顎を振るえるように警戒しつつ守りを固めた。

 

 

「気高き竜の牙にかかって最期を遂げられる事、光栄に思うがいい。蒼炎のアブソリュートドライブ!!」

「クー、『じゃれつく』!」

 

 

 フレアドライブとドラゴンクロ―を組み合わせた猛火の爪と、怒りに燃える黒き大顎が正面から激突する。相性は炎と鋼、ドラゴン、フェアリーで実質互角。数秒に渡る拮抗の末――お互いの体が吹き飛んだ。

 

「クー!」

「リザードン!!」

 

 お互いがよろけながら立ち上がる。先に相手に挑みかかったのは、ジェムのメガクチートだ。

 

「火炎放射だ!!」

「突っ込んで、クー!」

 

 メガリザードンが吐く炎の中に躊躇なく潜り込み、ミストフィールドと自身の大顎で守りながら肉薄し、噛みつく!

 

「……戻れ、リザードン」

 

 大顎に噛みつかれ、リザードンは戦闘不能になった。ドラコがふう、と息をつく。満身創痍ながらも今だ戦意を見せるメガクチートを見て、呟いた。

 

「……いいだろう、撤回してやる」

「え……?」

 

 ドラコの身体から戦意が消え、ジェムに近づいてくる。自らの右腕をジェムに差し出した。無警戒な態度に怒りから我に帰るジェム。

 

「お前とお前の父親への非礼は詫びよう。私の竜たちと互角に戦った実力、認めてやる。さすが王者の娘だとな」

「……本当に?」

「ああ、今回は負けを認めてやる。この私が認めるんだ。誇りに思うがいい」

「でも、私我を忘れてて」

「知ったことか。この地では、いやポケモンバトルでは戦いの結果だけが全てだ」

「……ありがとう」

 

 ジェムはおずおずと手を伸ばす。ドラコはその腕を半ば強引に握り、握手を交わした。ただし、とドラコは挑戦的な笑みを浮かべて。

 

 

「私が認めた以上、許可なく無様な戦いをすることは許さん。だから――怯むな!!誰が相手でも、どんな状況でもだ!!」

 

 

 ぽかんとするジェム。しかしすぐ後にこれはドラコなりの叱咤激励だと気づいた。ジェムは笑顔で礼を言う。なんだか久しぶりに笑えた気がした。

 

「ありがとう。でももう少し、優しい言い方をしてくれてもいいと思うわ」

「ふん、くだらん。上っ面の優しさに何の意味がある」

 

 バッサリとした物言いだが、そこに棘はなかった。

 

「では私はポケモンを回復させてくる。……また戦う時を楽しみにしているぞ。ジェム・クオール」

 

 ドラコはボーマンダを出し、その場から飛び去る。ジェムはそれを見届けていると、何もしていないのに疲れた様子でダイバが話しかけてくる。

 

「……終わった?」

「ええ、それと……やっぱり約束は守るわ。ちゃんと私、戦う」

「……はあ。わかったよ」

「……?なんで残念そうなの?」

「なんでもないよ」

 

 ため息をつくダイバに首を傾げる。ダイバとしてはむしろ心が折れていた都合が良かったので、落胆していた。それには気づかず、ジェムは砕けかけた心を持ちなおし、次のバトルへと向かう――宝石は削られ研磨されて輝きを増すように、その瞳には活力が宿っていた。



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快進撃

「止めよクー!オーダイルに雷の牙!」

 

ドラゴン使い・ドラコと実力を認め合い喝を入れられたジェムは再びバトルクォーターに挑んだジェムは、新たに得たクチートの力で順調に勝ち進んでいた。

相手に相性のいい技を叩きこむことが重要なこの施設では新たに覚えた雷、氷、炎の牙は使いやすく、遠距離から攻めてくる相手には十万ボルトや冷凍ビーム、火炎放射を放つことも出来る。威力が足りないと感じた時はメガシンカによって強力な一撃を叩きこむことも可能だからだ。

 

「よしっ……これで20連勝!」

「……」

 

 その様子を、ダイバは応援席で黙ってみている。彼は既に7連勝したにもかかわらず、自分はいいと言ってジェムだけに挑戦させていた。その理由を、彼は話そうとしない。

 

「おめでとうございます!次はいよいよフロンティアブレーンの登場でございます。準備の方はよろしいですか!?」

「ついにブレーンが……!」

 

 ジェムは頷く。すると突然、会場の照明が消え天井にプラネタリウムのような淡い藍色が浮かび上がった。そして天井の頂点に移るのは星ではなく――三日月を模した光。突如として現れた人工的でありながら幻想的な光景にジェムが見とれていると、その間にジェムの反対側のステージに一人の女性が立っていた。

 

「あれ、この人……ネフィリム?」

 

 ジェムはこの女性を知っていた。テレビドラマで良く見る顔が、今自分の目の前で薄紫のドレスを纏って優しげに微笑んでいる。そう、この人はホウエンでは知らぬものはほぼいないものはないと言えるほどの女優である。

 

「その通り!私こそがホウエンの大女優にして、この施設のブレーン。ネフィリム・シュルテンですよ。可愛い挑戦者さん」

「……シュルテン?ってことはもしかして」

 

 見覚え、聞き覚えのある名字にジェムは首を傾げる。ネフィリムは誇らしげに頷いた。

 

「そう、あなたは知っていますよね。ダイ君のこと。私があの子の母親です。よろしくお願いしますね」

「……ママ。余計なことは」

 

 観客席から口を挟むダイバ。彼は自分の母親相手にも帽子を目深に被って、目を合わせようとしない。その態度にネフィリムは頬を膨らませた。

 

「もう、ママはダイ君が一番に挑戦しに来てくれると思って待ってたのに……なんでそこにいるの?」

「……うるさいな。さっさとその子とバトルしてよ」

「相変わらず恥ずかしがりやなんだから……この子とはお友達?」

 

 ネフィリムがそう聞くとダイバは短くこう答えた。

 

 

「奴隷」

 

 

 言うことを聞くという関係ではあるがあんまりな言い方にジェムはむっとする。というか母親にそんなこと言っていいのかと思う。ネフィリムは顔に手を当てて、瞳を潤ませた。

 

「ちょっと、誰が奴隷――」

「ああ……さすがはパパの息子だわ。もう自分で人を従えることが出来るようになるなんて……」

「えっ」

「……はあ」

 

 涙を零し、本気で感激しているらしいネフィリム。彼女はジェムの方に向き直った。ダイバがため息をつく。

 

「ジェムちゃん……だったわね。幸せでしょう?この子に従うことが出来て」

「……なんでそうなるんですか」

「だってダイ君は、あの人の息子ですもの。あの人のいうことが聞けることはとっても幸せなことなのよ。きっとダイ君にも同じ才能があるわ」

「同じ才能があるとは、限らないと思います」

「そう……あなたがまだその幸せを実感できていないとしても、いずれわかるわ。この子とあの人に使われることが、どんなに幸せなことか」

「……なんなの、この人」

 

 ジェムは狂気じみた理屈と信条に困惑した。目の前の女性は、自分の息子が他人を奴隷扱いしていることを叱るどころか、喜んで涙さえ流している。おまけに言うことを聞くのが幸せだと、確かめるのではなく決めつけている。

 

「そうとわかればより気合を入れなきゃね。ダイ君がどんな娘を従えているのか、確かめさせてもらうわ」

「言いたいことは色々あるけど……ひとまず、バトルが先ね」

 

 ネフィリムがボールを取り出したのを見て、ジェムも構える。

 

「出てきなさい。三日月の下で舞い踊る美しき獣、レパルダス!」

「出てきて、クー!」

 

 ネフィリムはレパルダスを、ジェムはクチートを繰り出した。クチートが大顎を開けてレパルダスを威嚇する。レパルダスがわずかに怯んだ様子を見せる。

 

「漆黒の牙怒りと共に振るわせ、全ての敵を噛み砕いて!」

 

 15秒のカウントが始まると同時に、クチートをメガシンカさせる。その体が光に包まれ、戻ったときにはクチートの大顎が二つになり体が一回り大きくなっていた。

 

「クー、じゃれつく!」

「初手からメガシンカですか……ならばレパルダス、ねこだまし!」

 

 両者が近づき、メガクチートが大顎を振るう前にしなやかな動きでレパルダスがメガクチートの正面に回り込み、目の前で両前足を打ち鳴らす。大きな音にメガクチートの頭が真っ白になり、怯んだ。

 

「続けて『ねこのて』です!」

「クー、気を付けて!」

「遅いですよ!」

 

 技『ねこのて』は仲間の技を何か一つ使うことのできる技。故にほぼどんな技でも使うことでが出来、まだ相手の手持ちがわからない以上読むことが出来ない。警戒しようとするが、それよりも早くレパルダスは動いた。

 

「ニャアアオオオオオオオオ!!」

 

 レパルダスが距離を取り、大音量の叫びをあげる。その声は破壊の音波となってメガクチートの体を打った。鋼タイプのメガクチートには大したダメージはないが、これで一方的に二回ダメージを受けたことになる。この施設がいかに相手を攻撃したかを重視する以上、不利と言わざるを得ない。

 

「クー、右で火炎放射、左で十万ボルト!」

「避けなさい、レパルダス!」

 

 メガクチートの右顎に炎が、左顎に電気が蓄えられ放たれる。レパルダスはしゃなり、と音もたてずに避けた。だが二つの角から角度をつけて放たれた攻撃は交差し――爆発を起こす。レパルダスがそれに巻き込まれて吹き飛ばされた。

 

「やりますね……ではもう一度『ねこのて』です!」

 

 今度はレパルダスは思い切り助走を付けたかと思うと、一気にとびかかりメガクチートの反応を許さずにその前足で蹴り飛ばした。

レパルダスの特性は変化技を素早く放てる『悪戯心』であり、技『ねこのて』は仲間の技を扱える変化技である。つまりレパルダスは仲間の攻撃技を誰よりも早く扱えるのだ。それが速度の秘密だった。

 

 

「さあ下がりなさいレパルダス、多少のダメージは負いましたが後は逃げていれば私の勝ち……」

「……捕まえたわ」

「!」

 

 飛び退ろうとしたレパルダスの足に、クチートの大顎が食らいついていた。

 

「今よクー!じゃれつく!!」

 

 片方の顎が体を挟み、もう片方の顎で思い切りレパルダスの体を打ちつける。吹き飛ばされて衝撃を殺すことすら敵わず、暴力的な一撃にレパルダスは戦闘不能になった。

 

「あの攻撃を見切るとは、やりますね」

「『悪戯心』の戦術なら、お父様の得意技だもの」

「……ああ、そういえばあなたはチャンピオンの娘でしたか、なるほど」

 

ジェムの父親、サファイアのエースは特性『悪戯心』のメガジュペッタである。父親のバトルを誰よりも見ているジェムは当然その性質についても知っていた。『ねこのて』との複合は初めて見たが、二回も見れば見切れないことはない。

 

「では二体目……出てきなさい、三日月の下で歌う愛らしき獣!ニンフィア!」

「ニンフィア……なら、アイアンヘッド!」

 

 15秒のカウントが始まる。ニンフィアのタイプはフェアリー。メガクチートは鋼タイプを持つため弱点をつける分有利のはず。そう判断してメガクチートを突っ込ませるジェム。

 

「簡単には近づけさせませんよ!ニンフィア、ハイパーボイス!」

「フィアアアアアッ!!」

 

 ニンフィアが高い声で叫ぶと、部屋全体がビリビリと震える。激しい音波の攻撃を受けたメガクチートの足が止まる。だが音はいつまでも続くわけではない。声が止んだ隙を見計らってメガクチートは接近し、二つの大顎を噛みつくのではなく直接ぶつける!

 

「一発で決めるわ!」

「ニンフィア!」

 

 ニンフィアの体が鋼鉄に吹き飛ばされる。弱点を突いたうえにメガクチートの特性は『力持ち』だ。その怪力の前でひとたまりもないと思われたが。

 

「電光石火!」

「なっ……!?」

 

 ニンフィアは起き上がり、目にも留まらぬ速さで突撃してメガクチートの体を吹き飛ばす。華奢な身体からは想像できないほどの力だった。

 

「まさか――」

「気づいたようですね。残念ですが私は攻撃を受ける直前、スキルスワップを発動していました」

 

 『スキルスワップ』。自分と相手の特性を入れ替える特殊な技で、使い方次第で様々な戦術を可能にする技。ネフィリムはそれでメガクチートから攻撃力を奪い、逆にニンフィアの攻撃力を倍増した。メガクチートが、自身の両顎を重そうに引きずっている。これでは物理攻撃は難しいだろう。

 

「……でも弱点を突いた攻撃はそう何発も耐えられないはず!クー、ラスターカノン!」

「本当に多彩な技を使いますね……電光石火で避けなさい!」

 

 メガクチートの顎から銀色の光弾が二つ放たれるのをニンフィアがスピードで躱しつつクチートの体を蹴り飛ばす。特性を失い、自身の体を動かすことさえままらないメガクチートに、ニンフィアの体は捉えられない。

ニンフィアもメガクチートの鋼の体には決定打を与えられず、そのまま15秒が過ぎた。

 

「クチート対ニンフィア、『心』は引き分け。『技』はクチート。『体』はニンフィア……よって結果、引き分け!」

「お疲れ様クー。よく頑張ったわ」

「勝ち切れませんでしたか。戻りなさいニンフィア」

 

 判定が下される。攻撃回数もほぼ互角で体力はクチートの方が少ないが。とにかく弱点をつける技を連続で出したことが評価されたらしい。ジェムとネフィリム。お互いがポケモンを戻す。

 

「よし、このまま決めるわよ!出てきてルリ!」

「追い詰められましたね……ですが負けませんよ!さあ出てきなさい、三日月の下で舞うしなやかなる野獣……ミミロップ!」

 

 ジェムはマリルリを、ネフィリムはミミロップを出す。奇しくもお互い兎のような姿をしたポケモンだ。

 

「ふむ……またフェアリータイプ、かつ特性『力持ち』のポケモンですか。小さくても侮れない。まさにあなた自身の様ですね」

「小さいって言わないで!ルリ、アクアテール!」

 

 気にしていることを突かれちょっと顔を赤くしつつジェムは指示を出す。飛び跳ねたマリルリの水玉の尾が水で一気に膨らみ、それを叩きつけようとする。

 

「遅いですね、ねこだまし!」

 

 だが尾を振りかぶる前にミミロップも跳躍し、マリルリの前で掌を合わせ大きな音をたてる。その音に驚いてマリルリの尾にためた水ははじけ飛んでしまい、フィールドを濡らす。

 

「だったらアクアジェット!」

「受け止めなさい、ミミロップ!」

 

 今度は尾から水流を放ち、一気にミミロップに肉薄する。それをミミロップは自身の膝でいともたやすく受け止めた。

 

「ルリの攻撃を簡単に……」

「さあいきますよ、おんがえし!」

 

 接近した状態から、ミミロップはその両耳でマリルリを殴り飛ばす。『おんがえし』はポケモンのトレーナーに対する忠誠度が高いほど威力を発揮できる技で、今のは間違いなく最高ランクの威力だった。

 

「もう一度アクアジェット、今度は後ろから回り込んで!」

「そう上手くいきますかね?」

 

 マリルリが再び尾から水を放ち、旋回してミミロップの背後を取ろうとする、が――マリルリは身体を曲がり切れず、あらぬ方向に突っ込んでしまった。普段ならこんなことはありえない。

 

「ルリ、どうしたの!?」

「どうしたの!?と聞かれれば答えてあげるが世の情け。私のミミロップは先ほどねこだましと同時に『仲間づくり』を使っていました」

「……仲間づくり?」

「この技の効果は特性を入れ替えるのではなく、相手の特性を自分と同じにする……この効果により、マリルリの特性は『力持ち』から『不器用』に変わりました。ここまで言えばわかりますね?」

「そういうこと……」

 

 マリルリは特性『力持ち』を奪われたから攻撃を簡単に受け止められた。そして、『不器用』になったことで自分の技をうまくコントロールできなかったというわけだ。

 

「そして見せてあげましょう、本当の私のエースの姿を……ミミロップ、メガシンカです!」

 

 ネフィリムの首にかかるエメラルドが輝き、ミミロップの体が緑色の光に包まれる。より筋肉を発達させた美しい肢体を持つ姿のメガミミロップの登場だ。

 

「これで止めです、とびひざ蹴り!」

「避けて、ルリ!」

 

 ミミロップが助走をつけ膝を突き立てて突っ込んでくるのを、マリルリは避けられなかった。そのまま壁に叩きつけられ、戦闘不能になる。

 

「……お疲れ様、ルリ」

「さて、これでお互い残り一体ですね」

「頼んだわ、ラティ!」

「ひゅううん!」

 

 ジェムの相棒、ラティアスが姿を現す。見たことのないポケモンにネフィリムは目を瞬かせた。

 

「珍しいポケモンを連れていますね……そんな子を従えるとは、さすがダイ君です」

「……ママ、こっちみないで自分のバトルに集中して」

 

 自分の息子に向けた視線から逃げるように頭を振るダイバ。それもそうですね、とネフィリムは視線を戻し、再びカウントが始まる。

 

「ラティ、サイコキネシス!」

「させません、影分身!」

 

 ラティアスの目が光り、メガミミロップの体を念力が捉える前に影分身で姿を眩ます。複数体に増えるメガミミロップを見て、ジェムはラティアスに目くばせした。

 

「……アレでいくよ、ラティ」

「ひゅううん!」

 

 ラティアスが自分だけに扱える技、ミストボールを放つ。それはメガミミロップの体を狙わず、すぐに霧散してフィールドを覆う霧になった。

 

「姿を隠して攻撃を避けるつもりでしょうが……その程度でミミロップの目からは逃れられませんよ!おんがえしです!」

 

 ミミロップの目は霧の中を飛ぶラティアスの体をしっかりと捉えていた。ミミロップが跳躍し、しなやかな動きでラティアスの体を狙おうとする――しかし、どんな動きも、いくら分身を作り出しても、実体がある以上フィールドを包む霧を乱さずに通り抜けることは出来ない。

 

「それはどうかしら!ラティ!」

「!」

 

 ラティアスの目が光る。すると空気中の霧が一気にミミロップの周りに凝縮し、その体躯全体を包む水球となった。動きと呼吸を奪われ、もがくミミロップ。空中で動きを止められ、しかも水の中では動きようがない。

 

「……やられましたね」

「これが私達の……新しい技よ!ミスティック・リウム!」

 

 念力が水を圧縮し、ミミロップの体を握りつぶす。水でくぐもったミミロップの悲鳴が響き、勝負がついた――

 

 

「……さすがダイ君が目を付けただけのことはありますね。あなたの勝ちです」

 

 

 ミミロップをボールに戻し、ネフィリムがジェムに微笑んだ。勝利したジェムはしばらく無言だったが、ラティアスが近づいてくるとぎゅっとその体を抱きしめた。

 

「ありがとう、ラティ、皆……私達、勝ったよ!!」

「ひゅうん!」

 

 ラティアスも嬉しそうにジェムに頬ずりをする。ここに来て初めて、ジェムは勝利の充実感を噛みしめることが出来た。ただの子供の様にはしゃぐ様を、ネフィリムは微笑ましそうに見ている。

 

「うちのダイ君もそれくらい素直に笑ってくれればいいんですけど……はい、これが私に勝った証、タクティクスシンボルです」

「ありがとうございます!」

 

 『Ⅳ』の形を模した薄紫色のシンボルを手渡される。それを笑顔で受け取って握りしめた後バトル前のダイバへの態度のことを思い出す。

 

「そうだ、あの――」

「……ダイ君と仲良くしてあげてくださいね。私達ではあの子を笑顔に出来なかったから……あなたに、託します」

 

 言いかけたところで、ネフィリムはジェムにそっと耳打ちした。その言い方は勝負する前のそれとは違って、純粋にダイバのことを想い、ジェムに対等な立場としていてほしいと思っているようにジェムには聞こえた。

 

「何話してるの……?」

「なんでもありませんよダイ君。あなたが挑戦してくれるのを待ってますからね」

「……」

 

 頷くジェムの様子に違和感を覚えたのかダイバが口を挟む。するとネフィリムははぐらかした。……何か直接言えない理由があるのかも、とジェムは思う。

 

「さて、傷ついたポケモン達を回復させましょうか……クレセリア!」

「えっ?」

 

 ネフィリムが天井の三日月を見上げると、そこには見たこともないポケモンがいた。月光を思わせる光が優しくジェムとネフィリムのポケモンを包み回復させていく。

 

「綺麗……」

「普通の挑戦者には見せるつもりはないんですけど……あなたたちは特別ですから」

 

 3人はしばらくクレセリアの『月の光』を眺める。ダイバは相変わらず表情を見せない。ジェムは少しでもネフィリムの気持ちが彼に伝わっていればいい、と思った。



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それぞれの夜

 

 

 

 

 始めてフロンティアブレーンに勝利したジェム。ポケモンは回復してもらったが大分連戦して疲れも溜まっているということで今日は部屋に戻って休むことにした。いつほかのトレーナーが襲ってくるかわからない以上寝食をダイバと共にすることになるわけだ。フロンティアにはたくさんのトレーナーが集まる以上、宿泊施設が用意されているので、そこに泊まろうとジェムは提案する。

 

「いや……その必要はないよ。僕はパパとママから部屋をもらってるから。ついてきて」

 

 ダイバはそう言うと、ジェムを案内し一つのホテルへと向かう。いくつか用意された宿泊施設の中でもひときわ高級そうなところで、日の暮れたフロンティアに上品な明かりをともしていた。

その中に入り、ダイバはフロントの人といくつか会話を交わす。その間ジェムはテレビの中でしか見たことのない特別な雰囲気をきょろきょろと見渡している。建物そのものもそうだが、中にいる人もエリートトレーナーやジェントルマンなど、なんとなく気品のある挙措の人間が多い……気がした。

 

「ほら、カードキー貰ったから行くよ。……あと、あんまりきょろきょろしてると変に思われるからやめて」

「え!?う、うん。わかったわ」

 

 特に笑われたりはしていないが、そういう物なのかなとジェムは思う。ともかくエレベーターに乗り、自分たちの拠点となる部屋のドアを開ける。

 

「わあ……広い」

「……こんなもんじゃないの?」

 

 花の模様で彩られた大きなソファに、3人くらいで寝ても大丈夫そうなベッドが二つ。テーブルにはおいしそうなお菓子が置かれ、ガラス張りの向こうにはお風呂まで用意されていた。俗に言うスイートルームというやつである。

 

「まるで一つの家みたいね、すごい」

「……君って本当にチャンピオンの娘?一緒にこういう所に来たりしないの?」

 

 呆れるような、冷めた反応のダイバ。ジェムの親であるチャンピオンはその地位故結構なお金を持っていると思うのだが、ジェムの反応はかなり庶民的だ。

 

「うーん、お父様もお母様もあんまりこういう、高級そうなところ?って好きじゃないみたいなの。お仕事でパーティーなんかに出ると落ち着かないって苦笑いしてるわ」

「……ふーん。うちのパパとママとは大違いだ」

「でしょうね……ふあ」

 

 ダイバの両親が派手好みっぽいのは今日会ったネフィリムのことや、この島そのものを作ったエメラルドのことを考えれば容易に想像がつく。頷きながらソファに座ると、その柔らかさと一日中バトルしていた疲れで一気に眠気が襲ってきた。

 

「寝ちゃわないうちに先にお風呂に入ってもいい?疲れた……」

「……今日一日で随分とメガシンカを使ったからね。そうしたら」

 

 メガシンカはポケモンとトレーナーの絆の力――つまりはトレーナーの精神力を消費して発動する。それを一戦あたり2分もかからないあの施設で行い続けたのだ。並のトレーナーなら疲労で倒れてもおかしくないところだ。

目をこすりながらジェムは脱衣所へ。そしておもむろに服を脱ぎ風呂へと入っていった。

 

 体を洗い、シャワーで流した後浴槽に浸かる。手でお湯を掬いながら考えるのはまず今日のバトルのこと。

 

「ここに来てからいきなり色々あったけど……最後に少しだけ、お父様に近づけたかな」

 

 いろんな人とバトルして負けてしまいには操られて心が折れかけて、それでもあのドラゴン使いの少女のおかげでようやく掴んだ一つ目のシンボル。それを思い返す。

 

「今日あったこと、全部話したらお母様心配するよね」

 

 特に謎の男に操られかけたことを言ったら大層不安に思われるだろう。このことは伏せておこうと心に決める。両親のことに思いを馳せたあと、ダイバの母親であるネフィリムに言われたことを思い出した。ダイバと、仲良くしてあげてほしいと。

 

(凄く無茶苦茶する子だし、凄く暗そうだからあまりしゃべる気にならなかったけど……少し、話でもしてみようかな)

 

 今日自分の心を一度折った原因の半分くらいは彼のせいである。そんな子に自分から関わるなどやめておいた方がいいのではないか。

 

「でも私は……お父様の娘だもの」

 

 自分の父親は他人に対して頑なでひねくれていた少女の心を少しずつ開き、自分の命を絶とうとしていた一人の少年をバトルで笑顔にすることで留めたという。ならきっと、ダイバの心をネフィリムの代わりに開くことが自分のなすべきことなのではないか。ジェムはそう思った。

 

 

 

「ふう、気持ちよかった~」

 

 お風呂から上がったジェムはパジャマに着替えて脱衣所から出る。ダイバの様子を見ると、彼はベッドの上で何やら携帯ゲームを遊んでいるようだった。ジェムが隣に座ってのぞき込むと、それはポケモンバトルのシュミレーションゲームらしい。

 

「へえ……ゲームするのね。面白い?」

「……別に。ただ、これもバトルの練習にはなるからね」

 

 そう言いながら彼は画面の中の自分のポケモン――ガブリアスとガルーラ、そしてゲンガーで相手を次々と倒していく。ジェムはあまり電源ゲームをしたことがないが彼の正確無比な動きは施設で見せたバトルと同じで相手に一切の容赦なく、効率的に倒している印象を受けた。

本人の言う通り、楽しんでプレイしているようには見えない。

 

「ガブリアスとガルーラは見たけど、ゲンガーって持ってたっけ?」

「……まあね。今日は使ってないけど」

「そうなんだ。今度見てみたいわ」

 

 なんて他愛のない話を少しした後、ジェムは意を決して聞く。

 

「ねえ。せっかく同じ部屋で過ごすんだし、少しお話ししない?」

「……話?」

 

 怪訝そうな顔をするダイバ。フードから覗く目は冷たく、一瞬彼とバトルした時のことを思い出しすくみそうになるがこらえる。

 

「そう。私、あなたがどうしてそんなに強くなったのか……あなたの話、聞いてみたいな」

「……聞いても、つまらないよ」

「そんなことないわ。あなたのお父様もお母様も、その、変わった人なんだし、興味があるの」

「いやだ、教えない」

 

 ジェムが聞いてみたが、ダイバは珍しくぴしゃりと断った。その言葉には、はっきりとした拒絶が見て取れた。

 

「思い出したくないの?」

「っ……そんなこと」

「やっぱり、そうなんだ」

 

 彼は図星を差されたように顔を背ける。その仕草は年相応の子供の様で、ほんの少し微笑ましく……そして、痛ましかった。ジェムにとっては父と母との思い出は全て宝物のような記憶だ。思い出したくない記憶というものがどんなものか、想像も出来ない。

 

「ねえ……あなたはお父様やお母様に、抱きしめられたことある?」

「は?……ないよ、そんなの」

「私のお母様とお父様はね。昔から、私が良いことをした時、悪いことをして叱った後……よくぎゅって、抱きしめてくれたの」

「……だからなに?」

「そうされると、なんだか大切にしてもらえてる気がして、とっても嬉しくなるのよ。……こんなふうに」 

 

 ジェムは隣にいるダイバの自分より小さな体をぎゅっと抱きしめる。お風呂あがりの体のぬくもりが、服越しにダイバに伝わった。

 

「あったかくて、気持ちいいでしょう?この温かさを、少なくともあなたのお母様はちゃんと伝えたかった。そう思うの」

「……何を勝手なこと言ってるのさ。僕のママはパパの従順な道具だ。パパが僕にかける期待を叶えるために僕に構ってるだけ……それだけだよ。君がどんな風に育ったか知らないけれど、君の勝手なイメージを押し付けないでくれない?」

「ううん。間違いないわ。だって、あなたのお母様は、私、に…………」

「……?」

 

 ジェムの言葉は途切れる。ダイバが首を傾げてジェムの顔を覗き込むと、彼女はすやすやと寝息を立てていた。お風呂に入る前から相当眠たそうにしていたとはいえ、こんなタイミングで眠らないでほしいとダイバは思う。蹴り飛ばしてやろうかと思った。

 

「まあ起きて話を続きをされてもうっとおしいし……いいか。ほんと、弱いくせに無防備だよね」

 

 ダイバはため息をつく。今抱きしめたまま眠ってしまうこともそうだし、脱衣所の部分はガラス張りになっているので彼女が服を脱いでいるところは普通に見えていたわけだが、彼女は眠気のせいだろうか気にするそぶりを見せなかった。

 

「あんな油断した姿を見せて、僕のこと……何とも思ってないのかな?」

 

 あれだけ容赦なく彼女のポケモンを痛めつけて自分には敵わないと思わせたはずだったのに。あのドラゴン使いの女のせいで調子が狂ってしまった。

 

「別にあの子のことなんてどうでもいい。だけど僕はパパの息子だ。だから……」

 

 母親を、自分を。そして無数の人々を従え頂点に君臨する父親。ジェムを支配しようとしたのは、彼のようになりたいという心の表れだった。それは自覚できる。

 

「……またそのうち、教えこんであげないとね」

 

 だけど、ダイバ自身が自分の意思でジェム自身への興味を持っていることは、まだわかっていない。ひっついたジェムを適当に寝かせたあと、彼も風呂場へと向かうのだった。一方その頃、件のドラゴン使いは――

 

 

 

 ジェムと戦ったドラゴン使い――ドラコ・ソフィアは特訓のため外に出たところを二体のゲッコウガに襲撃された。数多くのトレーナーが集うこの場所、それにゲッコウガ二体の統制のとれた動きからどこかにトレーナーが隠れていて指示を出しているのかは明白だったが、姿が見えない。こうしてドラコが吠える間にも、ゲッコウガ達は拳に冷気を纏って殴りかかりに来る。冷凍パンチだ。

 

「カイリュー、雷パンチ!メガリザードン、ドラゴンクロ―!」

 

 それを自分のドラゴンで迎撃するドラコ。雷を纏った掌底と二つの牙にゲッコウガの体が引き裂かれる。すると、ゲッコウガの体が影となって掻き消えた。影分身だ。もう一時間以上、影分身が突っ込んできては迎撃してを繰り返している。

 

「こそこそと……勝負するなら正々堂々と出てこい!!」

 

 言葉に答えるように再び二体のゲッコウガが出てくる。だがこれもまた分身だろう。辟易しながらも、そうである確証がない以上手は緩められない。

 

(だがおかしい。既にチルタリスとフライゴンに探させている。なのになぜ一向に見つからない!?)

 

 姿の見えない、手ごたえのない敵と戦い続けるのは普通の戦闘以上に消耗する。疲弊しているのを自覚し、焦りが募る。そしてまたゲッコウガの冷凍パンチが襲ってくる。

 

「何度も何度も……馬鹿の一つ覚えか!!破壊光線!」

 

 カイリューの破壊光線で二体とも薙ぎ払う。そう、この一時間相手は影分身に冷凍パンチを撃たせて来るだけ。それも途中からは全く同じタイミング、同じ動きで攻撃を仕掛けてきていた。

 

(ええい、一体……何が起こっている!私は、何と戦っているんだ?)

 

 ドラコの意識は、摩耗していく。それでも敵の攻撃は止まらず、何度も、何度も――

 

 

 

「やれやれ、やっと大人しくなりましたか。ご苦労、ゲッコウガ」

 

 数時間後、ドラコは路地で放心したように立ち尽くしていた。ドラゴンたちも、もう存在しない敵に対して自身の拳と爪を振るい続けている。

それに嗤いながら近づく一人の男がいた。ドラコとジェムの戦いを見て正面からの戦いを挑むのは不利だと判断した男は、まず影分身で何度か攻撃をしかけた後……ドラコに相手に瞳に同じ映像をループさせ続ける催眠術をかけた。ドラコの精神が擦り切れるまで。

 

「さて、ではこの子には……あの子の前に私の傀儡になってもらうか。もう一仕事頼むぞ、カラマネロ」

「う、ぐ……」

 

 カラマネロが改めてドラコに改めて催眠術をかける。今度は映像ではなく、自分たちに服従を強制する……洗脳の術を。ドラコがうめき声をあげるが、もはや抵抗のすべはない。

だが、そんな男に声をかける一人の少女がいた。

 

 

「……相変わらず、趣味が悪いのですね。アマノ」

 

 

 男――アマノやドラコよりは背の低い、薄いピンク色の髪をツインテールにした少女が、アマノに苦笑する。茶色のぼろぼろマントを被った彼女にアマノも振り返り、にやりと笑みを浮かべた。

 

「やっと来たか。ずいぶん時間がかかったな」

「まあその代り上手くやってきましたよ。……チャンピオンはしばらくここには来れません」

「ご苦労。……もう一つ頼まれてくれるか?」

「なんです?」

 

 アマノは少女に一枚の写真を渡す。そこにはドラコとバトルするジェムの姿が写っていた。

 

「この子はチャンピオンの娘だ。……今日は俺がこいつを手に入れるはずだったんだが、失敗してしまってな。俺が再び近づけば、警戒されるだろう」

「今みたいに影分身と催眠術でやっちゃえばいいんじゃないです?」

「無理だ。こいつは今あの野郎の息子と共に行動している。この術は一人にしかかけられない」

「まさに目の上のたん瘤ですね。……いいですよ、私がやります。なかなか私好みの子ですし」

 

 少女は写真を見て笑った。写真の中のジェムを見るその瞳は、彼女を人間として見ていないのがアマノにはわかった。まるで、美しい美術品を見るような眼だ。

 

「……趣味の悪さは俺に似たんじゃないか?」

「中年のロリコン趣味と一緒にされたくはないのです。それではわたしはこれで」

 

 ドラコのことなど眼もくれず、夜のバトルフロンティアを歩いていく。残されたアマノはため息をついた。催眠術をかけ終わり、崩れ落ちたドラコを見て満足げな笑みを浮かべる。そうして、それぞれの夜は更けていく――。



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初めてのファン?

 

 

 

 ジェムの朝は早い。自然に彼女が目を覚ますと時計は朝6時半を示していた。ダイバはまだ眠っているようだ。自分の家のそれよりもふかふかのベッドから出る。

 

「おはよう、ラティ」

 

 ボールの中でまだ寝ているラティアスに声をかける。起こすことはしない。自分のポケナビを見るとそこには、大量の着信履歴が残っていた。ジェムの母親からだ。

 

「あ……そうだ。夜に電話するって約束してたんだ……」

 

 電話をかけてこないジェムを思ってのことだろう。母親はジェムのことになると心配性なところがあるため、不安にさせてしまったはずだ。すぐにメールを打ち、自分の無事を知らせる。

 

「後で電話してごめんなさいって言わないと」

 

 そう言いながら服を着替えて、モンスターボールを腰につける。朝起きたら目を覚ますために軽く散歩をするのが日課になっていた。ホテルから出て、ゆっくりとバトルフロンティアの町を歩く。さすがにこの時間は人通りもほぼなく、ジェムにバトルを挑んでくる者はいなかった。

 

「今日はどの施設に挑戦しようかな?」

 

 近くには天まで伸びる塔や、ピラミッドのような形をした施設がある。それらでのバトルに思いを馳せながら歩いていると、前の方から歩いて来た女の子に声をかけられた。

 

「あの……あなた、ジェム・クオールさんなのです?」

「うん、そうよ。……私とバトルするの?」

 

 声をかけてきた少女はジェムより少し背が高く、ピンク色の長いくせっけを無理やりツインテールにしている。ドラコの立派なマントとは違った、ぼろきれのような茶色い布を纏っていて服装はよくわからない。少女は警戒するジェムに対して慌てて手を前に出して振った。。

 

「いえいえ、とんでもないのですよ。……昨日のあなたのポケモンバトル、見させてもらいました。素晴らしかったのです」

「え?その……ありがとう」

 

 施設内のポケモンバトルの様子がいたるところで映し出されているのは知っているが、見知らぬ人にバトルを褒められれば面喰いながらも照れてしまう。

 

「一日で二人ものブレーンに挑戦し、一人には勝利。……わたし、あなたのファンになっちゃったのです」

「ファ……ファン。ありがとう……」

 

 むず痒い言葉だ。だけどチャンピオンの父を持つジェムにとっては、父のように誰かに憧れられることに憧れていた部分もある。照れくささに顔を赤らめるジェム。

 

「よければゆっくり、お話しさせていただきたいのですよ。構いませんか?」

「うん。いいわよ。ファンは大切にしないといけないってお父様も言ってたし」

「ふふ、ありがとうございますですよ」

 

 ジェムの返事を聞いた少女は、瞳孔を見せない細い目で柔らかく微笑んだ。丁度近くにベンチがあったので、2人で並んでそこに座る。

 

「申しおくれましたね。まずは自己紹介をさせてもらうのです。私の名前はアルカ・ロイドというのですよ」

「アルカさん……か。あなたもポケモントレーナーなの?ここにはやっぱり挑戦しに?」

「トレーナーではありますけど、挑戦はしないつもりなのです。あなたのようなきれ……強い人を見るためにやってきたので」

 

 何か言いかけるアルカ。ジェムは首を傾げた。ごまかすようにアルカはマントの下から水筒を取り出す。

 

「そうだ。わたし、ポケモンと一緒にお茶を作るのが趣味なのです。良かったら飲んでもらえませんか?」

「ポケモンのお茶?面白そう!」

「手前味噌ですが、お茶には自信があるのですよ~」

 

 そう言ってアルカはコップにお茶を注ぎ、そして安全を証明するように自らも直接飲んで見せる。お茶の見た目は濃い緑色をしていた。受け取ったジェムは、疑うことなく口をつける。

 

「……おいしい!こんなにおいしいお茶、始めて飲んだかも」

「それは良かったのです」

 

 お茶の味は濃い色からは予想できないほどすっきりした甘さと苦みがあった。ジェムは苦いのは苦手だったが、こんな苦みなら美味しいと思えた。

 

「ねえねえ、あなたはどんなポケモンを持ってるの?」

「そうですね、実際にお見せしましょうか。出てきてくださいですよ、ティオ、ペンテス」

 

 アルカはボールを二つ取り出し、ポケモンを出す。マスキッパとウツボットだ。

 

「こっちのマスキッパがティオ、ウツボットがペンテスなのですよ。ほら二人とも、ご挨拶なのです」

「ウツ……」

「キパー?」

 

 ウツボットの方は大人しそうで、静かに身をかがめた。マスキッパは命令をあまり理解していないのか、間の抜けたような声で頭を下げる勢いでそのままアルカに頭で噛みつこうとした。突然のことに驚くジェム。アルカは平然と、噛みつきを手で払う。

 

「もう、出てくるたびに噛みついたらダメって言ってるのですよ」

「び、びっくりした……」

「ごめんなさい、こういう子で。でも可愛いし、お茶も作れるのですよ?」

「そうなんだ……あ、なんだかいい香り」

 

 ジェムの鼻孔を甘い香りがくすぐる。アルカはウツボットの頭の葉を撫でた。

 

「甘い香りはペンテスの力なのです。さて、そろそろあなたのお話を聞かせてほしいですよ」

「えっと、何を話せばいいかな……」

 

 初めての経験に戸惑うジェム。昨日のバトルを見ていたなら手持ちのポケモンについては知っているだろう。そんなジェムに、アルカは自分から質問する。

 

「そうですね、あなたは聞けばチャンピオンの娘だとか。やっぱりバトルは、彼に教えてもらったんですか?」

「うーん……直接お父様に教わったことはあんまりないかな。忙しい人だから」

 

 答えるジェムの声は、憧れと寂しさが混ざっていた。チャンピオンの仕事は何も挑戦者を待つだけではない。何かポケモンによる事件があれば解決に当たるし興行として町に出向くこともある。それはホウエンだけでなく、別の地方に行くこともあり一か月以上家に帰ってこないことも珍しくない。

 

「でもね、お父様のことはお母様やジャックさん……私のバトルの師匠が教えてくれるし、たまに帰ってきたときは一杯遊んだり相手をしてくれるから淋しくないわ。本当よ?」

「……そうですか。羨ましいのです」

「羨ましい……?」

「わたし、お父さんとお母さんの顔を知らないのです。どういう人だったのかもわかりません。物心ついた時には、一人でしたから」

 

 アルカは淡々と言う。羨ましいと言っているものの、特段の感情はこもっていないように聞こえた。何も知らない分、気持ちの込めようがないのかもしれない。ジェムはそれを悲しいことだと思った。ダイバとは違った意味で、彼女は親子の愛情を知らないのだから。

 

「おっと、余計なことを話してしまいました。チャンピオンは今ので優しそうな人ってわかりましたけど、お母さんはどんな人なのです?」

「お母様はお父様と違ってちょっと偏屈なの。落ち込みやすくて不器用で心配性なところがあるけど……でも、優しいお母様よ」

「仲が良いんですね」

「あの……あなたには、誰か家族の様な人はいないの?」

 

 聞くべきかは躊躇われるところでもあったがやはり気になってしまった。アルカはため息をつく。やはり聞くべきではなかったかと思ったが、割とすらすらと答えた。

 

「一応、拾ってくれた人はいるのですよ。そのことには感謝してますけど、これがまあ困った人でして」

「そ、そうなんだ……でも、嫌いじゃないんだよね?」

 

 アルカの言い方は辟易こそすれ、愛想を尽かしているように聞こえなかった。アルカも肯定する

 

「まあそうですね。恩義はありますし、協力はしてあげてもいいと思っています。ところでジェムさん。もう一つ質問してもいいですか?」

「どうしたの改まって。もちろんいいわよ?」

「そうですか……では」

 

 アルカはジェムを細めた目で見つめる。そして一言、蠱惑的に呟いた。

 

 

「身体が痺れませんか?」

 

 

 ジェムは一瞬、質問の意味がわからなかった。アルカは立ち上がり、ジェムの正面で前かがみになって鼻先が触れるほど近づける。驚いてジェムが身を避けようとすると――その体が、動かない。蛇に睨まれた蛙のように。そして持っていた水筒のコップを取り落してしまう。

 

「あ、あれ……」

「ちゃんと効いているみたいですね。良かったのです」

 

 恍惚としたアルカの吐息がジェムにかかる。さっき飲んだお茶の香りを強くしたような、甘ったるい匂い。それを嗅ぐと意識がぼんやりとする。

 

「そのお茶にはわたしのポケモンのしびれごなとねむりごなが入っています。一口でも口をつければ、このようになるのですよ。私以外はね」

「なん、で?」

 

 ジェムの頭に浮かんだのはこんなものを飲まされた怒りではなく、疑問だった。それを聞いたアルカは心底愉快そうな、愛おしそうな笑みを浮かべた。ただしその愛は、今までジェムが受けたことのあるものとは明確に違っていた。それは例えるなら、小さな雄の蜘蛛を見る雌の蜘蛛のようだった。

 

「昨日あんな目に合ったのにまだ気づかないのですか?鈍いですねえ……でも、そんなところも可愛いです」

「……!」

 

 そこまで言われて、ジェムはある可能性、いや真実に気がつく。だけど体が、口が、麻酔でも受けたように動かない。まだ起きてから30分もたっていないのに、徹夜した時のように瞼が重かった。

 

「まあそろそろ喋れないでしょうし、続きはもっと落ち着いて話せるところにしましょうか。でないと、アマノもうるさいですしね」

「……」

 

 アルカが彼の名を呟いた時、既にジェムの意識は闇に堕ちていた。マスキッパの蔦がやんわりとジェムの体に巻き付き抱える。ついでに腰につけているモンスターボールを一つだけ残して取っておいた。

 

「さあ、もう一度来てもらいましょう。わたし達の住処へ。だけど安心してください。わたしがいる以上、あなたをあの男の趣味には付き合わせないのです」

 

 意味深に呟いて、アルカは自分とアマノの隠れ家まで戻っていった。

 

 

 

 

「……あれ、いない」

 

 ダイバの朝はジェムに比べると遅い。彼が目を覚ました時、時計は朝8時を示していた。そして隣のベッドにジェムがいない。ベッドに触ると、そこに熱は残っていなかった。つまり、ベッドから出てそれなりに時間は立っていることになる。なのに戻ってきていないのは不自然だと思った。

 

「……面倒くさいな」

 

 勝手な行動をするジェムにため息をつく。それでも放っておけないのはやはり執着からか。ダイバはのそのそとパジャマから着替え、そして外へ出ていった。彼女を探すために。



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たとえ毒だとしても

 ジェムが目を覚ますと、ベッドに横たえられていた。もう日は登り切ったのか、日差しが部屋を照らしている。

 

(あれ、私……?)

 

 散歩に出たつもりだったけど、寝てしまったのだろうか。記憶をたどり、思い出す。そうだ、自分は確かに部屋を出た。そして自分のファンだと名乗る少女に出会い……

 

(あの子は、どこに?)

 

 そもそもいったいここはどこなのか、自分にあのお茶を飲ませた彼女は今何をしているのか。『眠り粉』と『痺れ粉』の効果は大分薄れたのか、少し頭に寝起き特有の痺れはあるものの、体を動かすには問題はない。

 

「あら、お目覚めですか」

 

 それと同時に、ジェムのファンを名乗った少女――アルカが話しかけてきた。体を起こしたジェムの真正面、椅子に。背後には、マスキッパとウツボットがアルカを守るように立っている。

 

「……ここはどこ?あなたたちは、私をどうするつもりなの?」

 

 自分の意識が落ちる直前、彼女は自分をアマノの関係者だと言った。故にジェムは、あなたたちと呼ぶ。それを聞いて、アルカはため息をついた。

 

「無粋ですねえ、今のあなたにはもっと気にすることがあると思うのですよ」

 

 アルカはジェムの体を穴のあくほど凝視する。そして頬に手を当て、顔を赤らめた。恍惚としているといってもいいだろう。

 

「ああ……やっぱりかわいいのですよ。昨日徹夜して見繕った甲斐がありました」

「……?」

 

 ジェムは自分の体を見る。それはいつものパーカーではなく、人形が着ているような綺麗なゴシックロリータの服だった。サイズもぴったり合わせられている。こんな事態でなければ鏡の前でゆっくり眺めて、着せてくれたことにお礼も言うかもしれないが、生憎そういう状況ではない。むしろ不気味さしか感じない。

 

「これ、あなたが着せたの……?」

「はい。ついでにすべすべお肌も堪能させていただいたのです」

 

 アルカはジェムと同じ女性である。だがアルカの邪な視線にジェムは身震いした。思わず自分の肩を抱く。

 

「あら、ドン引きされてしまったのです。……まあそれはそれとして、あなたはどうしたいですか?」

「……このまま何もせず返してくれたら、嬉しいけど」

「お断りするのです」

 

わざわざ拉致した以上、当然の返答だろう。ジェムは腰につけているモンスターボールに手をかけようとして……自分がボールを一個しか持っていないことに気付いた。

 

「あなた、私のポケモン達は!?」

「それならここですよ」

 

 アルカは背後に控えるウツボットの頭の葉を見せる。そこには5つのモンスターボールが乗せられていた。ジェムの眉根が釣り上がる。あれは間違いなく自分のものだ。

 

「……返して」

「返しますよ?あなたがわたしの言うことを聞いてくれると約束すればですが。もし断れば……わかりますよねぇ?」

 

 アルカはウツボットの体を指さした。ウツボットの体の中は溶解液で出来ている。頭の葉からボールを落とせば溶解液の中に落ち、ボールは溶ける――中のポケモンも一緒に。それを想像してしまい、怖気が走る。ジェムの様子を見て、アルカは満足げに微笑んだ。

 

「安心してください、今のは冗談なのですよ。そのつもりなら、わざわざ一個だけ残すなんて真似はしません」

「だったら、なんで」

「私達はあなたのチャンピオンの娘としての地位と、バトルの実力を買っているのです。……あなたのポケモンを殺してしまったら、意味がないでしょう?」

 

 それにあなたとは仲良くしたいですからね。などといけしゃあしゃあと言う。だから、と続けて。

 

「バトルしましょう。わたしが勝ったらあなたはわたしに協力する。あなたが勝ったら、ここから出ていって構いませんし、もう二度とこんなことはしないと約束するのです」

「本当に?」

「疑うのなら、わたしをその子で殴り飛ばして出ていけばいいと思うのですよ」

 

 ジェムに残されたたった一個のモンスターボール。その中にいるのはマリルリだった。

 

「……もし私が負けても協力しないって言ったらどうするの?」

「おや、あなたは約束を反故にするような人なんですか?まあ、それならそれで構いません。むしろ……」

 

 アルカの目つきが鋭くなる。鼠を捕えた、もがくのを抑えつけて楽しむ猫のような目をしている。

 

「どうしても役に立ってくれないというのなら、あなたは計画には要りません。もっと強力な毒につけて、死してなお朽ちることのない人形として、私のコレクションに加えてあげます。むしろ私個人としてはそうしたいのですがね」

「……!!」

 

 冗談には聞こえなかったし、何よりその言葉には慣れがあった。人間を毒殺して、収集する。ジェムの理解を優に超えたことを、自分とそこまで年が離れていないであろう目の前の少女は平然と行う。そんな人物と相対していることに恐怖感を覚えざるを得ない。

 

「ルリで、あなたに勝てっていうのね」

「ええ、そういうことですよ?何しろあなたはチャンピオンの愛娘。一方わたしは親の顔すら知らない一般トレーナー。それくらいのハンデはないと勝負になりません」

 

 ただでさえ1対2。マリルリのタイプは水・フェアリー。そして相手は草タイプに、ウツボットに至っては毒タイプまで備える。水は草に弱く、フェアリーは毒に弱い。相性は最悪だ。親のことを引き合いに出したのは、羨望か、嫉妬か。

 

(……それでも私は、怯まない)

 

 昨日の自分なら怯え、彼女の言うことに恭順にしていたかもしれない。だけど、今は自分の仲間を傷つけるもの、自分の力を悪用しようとするものに抗う覚悟がある。故に、彼女は決意する。

 

 

「そのバトル……受けて立つわ。勝つよ、ルリ!」

 

 

 残されたたった一つのモンスターボールから。マリルリを呼び出す。出てきたマリルリは自分の仲間たちが敵の手に渡っている状況を理解して、アルカ達を睨んだ。

 

「ああ……楽しみですよ。わたしに負けたあなたがどんな顔をするのか。ご両親のことを随分誇りに思っているみたいですから……自分が過ちを犯すことにさぞ罪悪感を覚えるのでしょうねえ」

「……私は負けない」

「でもその良心も、両親への思いも……すべてわたしの毒で、情で塗りつぶして、わたしのことしか考えられないように塗り替えてあげるのです。さあ、始めましょうか!」

 

 自分には与えられなかった愛情を力で消し去り、我がものにしようとするアルカと、そんな思いを知ってか知らずか恐れてなお臆さず立ち向かうジェム。

 

「『蔓の鞭』!」

「ルリ、まだ仕掛けないで『アクアジェット』!」

 

 マスキッパとウツボットの蔦がしなる。それをマリルリは水の噴射で右へ、左へ、反復横飛びのようなフットワークで躱していく。

 

(まずは、様子を見る……仕掛けるのは、それから!)

 

 ジェムはアルカを睨みつける。伺うのは、相手のポケモンだけではない。アルカの意思だ。

 

「そのままずっと逃げ続けるつもりです?いつまで続きますかね」

「そんな鞭なんかに、ルリは捕まらないわ!」

「……そう思うならどうぞ。ペンテス、ティオ、そのまま攻撃です!」

 

 やはりアルカはマリルリへの攻撃を続行させる……そのことを確認し、ジェムは指示を出した。

 

「今だよ!マスキッパに『じゃれつく』!」

「リル!」

 

 一気に直進して躱し、懐に飛び込むマリルリ。両腕が、子供が駄々をこねるようにマスキッパの蔓をすり抜けて体をぽかぽかと叩く。愛らしい見た目とは裏腹にその一発一発の力はすさまじいフェアリータイプならではの攻撃を放つ。

 

「どう!この一撃で――」

「いやぁ見事なのです。さすがチャンピオンの娘、私の二体をかいくぐったうえでの素晴らしい攻撃。だけど」

 

 マスキッパの体が仰け反るが、マリルリの身体もそれに引っ張られる。叩かれながらもマスキッパは蔓でマリルリの体を絡め取っていたのだ。マリルリの体を叩く力が弱まっていく。マリルリを抱きしめ、『ギガドレイン』で体力を吸い取っているのだ。

 

「あなたのマリルリが私の草ポケモンを倒すには、特性を生かした一撃しかない……故に、読めていました。後は肉を切らせて骨を断つだけ……まあ、そのダメージも回復出来るのですけどね」

 

 動けないマリルリを、ウツボットも自身の蔦で絡めとって力を吸い取っていく。数秒で、マリルリの体はハエトリソウに捕まった虫のように萎れて、動かなくなった。

 

「あっけなかったですね。さあ……約束です。私の言うこと、聞いてくれますよね?」

 

 ジェムがバトルに負ければ、アルカの言うことを聞く約束。それを突き付けられて――ジェムの表情は、揺るがない。

 

「まだ勝負はついてないわ」

「自分のポケモンが殺されなければわかりませんか?」

 

 その声には冗談の色は含まれておらず、少し失望の感情が混じっている。ジェムがポケモンを見殺しにする性質だとは思っていないからだろう。そして負けを認めないならマリルリ一匹くらい殺すことは厭わない、そう言っている。

 

「違うよ。ルリ、思いっきり『アクアテール』!!」

「ッ!?」

 

 蒼い兎が、勢い良く跳ねた。二体に縛り上げられているところからではなく、アルカの真横から。思わずアルカがその場から飛び退くが、狙いはそちらではない。目の前の獲物を縛り上げていると勘違いしているマスキッパに巨大な水の塊が落ちる。

 

「キパァァァァ!?」

(いつの間にわたしのポケモンから逃れて!?この部屋に隠れるほどのスペースはない。一体いつからそこに……!)

「ウツボットに、『滝登り』!!」

 

 床に叩きつけられるマスキッパに驚く間に、マリルリはウツボットの下から潜り込み、尾から思い切り地面に水を噴射することで強烈なアッパーを見舞う。ウツボットと、彼女の頭に乗っていたボールが吹き飛んで、ジェムの方に転がってくる。すぐさま掻き集めるように拾い、安堵の笑みを浮かべるジェム。

 

「皆、お帰り!」

「やられましたね。しかし……」

 

歯噛みするアルカだがどこか困惑した表情を見せている。今の一連の流れには、解せない部分があった。

 

「何故私を狙わなかったのです?どうやって姿を消していたかはわかりませんが、マリルリは確かに私の横にいた。その力で私を殴り飛ばすなり、近づいてポケモンを返さなかったら殺すと脅せば良かったのでは?」

「……そうしようかとも思ったよ。だけど」

 

 ジェムはまっすぐアルカを見据える宝石のような瞳は、アルカのことを敵とわかっていても、嫌悪してはいない。

 

「ルリが攻撃を避ける間、あなたは私を攻撃しようとはしなかったよね。言うことを聞かせたいだけなら、私を狙うそぶりを見せてルリの行動をけん制したほうが確実だったはずだよ。でもあなたはそうしなかった。だから私も、あなたのことは狙わない」

「……変な人ですね。負けたらあなたは悪人の片棒を担がされるんですよ?」

 

 ジェムの真意を伺うアルカ。アルカがジェムの立場なら、相手にどんなことをしてでもここから逃げ出そうとするだろう。

 

「そうかもしれないけど……私、あなたが本当に悪い人なのかなって思うの」

「意味がわからないのです」

 

 ジェムから遠ざかると共に明確な拒絶。それに構わず、ジェムはこう続けた。

 

「そもそも悪い人なら。自分たちの目的のためにあのアマノという人にもう一度私をおかしくさせればバトルすらしなくてもいいよね。だから」

 

 希望的観測であるとしても、さっきアルカが自分を玩具の人形を見るような目を向けていたとしても。ジェムは少女と少年を救った人の娘としてこう言いたかった。

 

 

「あなたは本当はこんなことなんてしたくないはず……違う?」

 

 

 アルカは黙った。自分の手を、ポケモン達を見つめてジェムを見ないようにする。自分には、彼女は眩しすぎる。

 

「アマノっていう人だって、あなたを拾って育ててくれたんだから本当に悪い人じゃないはず。だからもう、こんなことやめよう?私も一緒に、説得するから……」

 

 ジェムはアルカに歩み寄り手を伸ばす。それは恐らく過去に罪を犯し続けたであろう少女への救いの手。

アルカは、その手を見て、笑って、手を伸ばして。否、指を差して。

 

「――『蔓の鞭』」

 

 平手打ちのような音が響いた。マスキッパの蔓が、ジェムの伸ばした手を叩いた音だった。それははっきりと、アルカにの拒絶と、憤りを現していた。

 

「あなたに何がわかるんですか。ぬくぬくと両親の元で光を浴びて、綺麗に育てられたあなたに何が!」

 

 笑みが、激昂に切り替わる。ジェムと会話していると、今までは何とも思わなかった自分の過去が惨めに思えて仕方なかった。

 

「周りにある食べものはナゾノクサの葉っぱやマダツボミの根のような毒草しかない状況に立たされたことはあるのです?物乞いをするたびに変態に髪をベタベタ触られる辱めを受けたことは?やっと現れた自分を保護してくれた人が、都合のいい操り人形が欲しかっただけだった時の絶望を感じたことは?そんなこと、どうせ想像したこともないくせに勝手なことを言わないでほしいです!」

「……ッ」

 

 叩かれて真っ赤になる手を抑えながらも、ジェムはアルカから目を反らさない。確かにジェムはそんな状況見たことも聞いたこと考えたこともない。だけど、彼女を切って捨てたくはない。アルカの過去の片鱗を聞いて、強くそう思った。

 

「もういいです。あなたは私達の駒、それが終われば物言わぬ人形でいいのです!やりなさい、『パワーウィップ』!」

「ルリ、避けて!」

 

 マスキッパとウツボットが、今までより遥かに強く鞭を振るう。躱したマリルリのいた場所に振り下ろされた鞭が床をひび割れさせた。

 

「そんなの、わからないけど……でも、あなただってやりたくてやったわけじゃ」

「余計なことは言わなくていいです!ペンテス、『リーフブレード』!ティオ『怒りの粉』!」

 

 ウツボットの刃と化した葉がマリルリに迫るが、今度は水の噴射で躱す。アルカの攻撃は単調且つポケモンのレベルで言えばジェムの方が勝っているので、避けるのは難しくなかった。――が、マスキッパが部屋中にまき散らした花粉は避けようがない。マリルリもジェムも、花粉を吸いこんでしまう。

 

「こほっ……ルリ、大丈夫?」

「――――リルゥ!!」

「ルリ!まだだよ!」

 

 マリルリが、ジェムの指示なしにマスキッパに突撃する。だがそれは、『パワーウィップ』や『リーフブレード』を避けたマリルリではない。カメレオンのように自分の色を溶け込ませていたもう一匹のマリルリが姿を現し、粉を巻くマスキッパに一撃を叩きこむ。

 

「はっ、なるほど……『みがわり』で自分が存在するように見せかけ、本体は『ほごしょく』で周りに溶け込んで隙が出来たら攻撃ですか。大した戦略なのです――だけどもうタネは割れました!」

 

 瞬時にマリルリに蔓が絡みついていく。今度は『ギガドレイン』程度の攻撃で済ますつもりはない。

 

「自分のポケモンが息絶える絶望を味わいなさい!ペンテス、『リーフストーム』!!」

 

 ウツボットの最大火力、蔓が超高速の螺旋を描いて、マスキッパごとマリルリに襲い掛かる。味方をも巻き込む一撃を、避けられる道理はない。二体とも吹き飛ばされ、地面を転がる。マリルリの使った身代わりも消え、アルカは相手の戦闘不能を確信した。

 

「今度こそ決着ですね……約束を聞いてもらうのは勿論ですが。その前にあなたが二度とあんなことを言えないように、苦しみと、辱めを与えてあげるのです」

「……まだだよ」

「しつこいですよ。まさかポケモンを取り返したからその子たちで戦うとでも?」

 

 今のジェムにはマリルリのほかに5体の仲間がいる。彼女たちを出せば、バトルを続けることは可能だろう。だが約束を反故にさせるつもりはない。他のポケモンを出すそぶりをした瞬間、アルカはジェムの体をウツボットの蔓で締め上げ、気絶させるつもりでいた。骨の二、三本は折れるだろうが、それも報いだろうと。

 

「まだルリは倒れてない。――そうだよね?」

「なっ……!?」

「ルリ、『ハイドロポンプ』!」

 

 マリルリは、立っていた。ウツボットの後ろに、ダメージを受けずに立っていた。予想外の状況に反応が遅れたウツボットに、口からの流水でアルカから離れたところに吹き飛ばす。さっき吹き飛ばされたマスキッパと合わせて、アルカの傍から二匹は離れた。

 

「私はルリが『怒りの粉』を受けた瞬間、もう一度『身代わり』を使うように指示したんだよ。“まだ”って言ったら直接攻撃はせず身代わりを張るようにね」

「……!ですが、これで使った身代わりの回数は3回。もう体力の限界は近づいているはずです」

 

 周到かつ意表を突く戦略に驚くが『身代わり』はノーコストで使える技ではない。使えば己の体力を消費する。最初に不意をついた時と、もう一度避け始めた時。そして『怒りの粉』を受けた時で3回だ。もう使うことは出来ないはずだ。

 

「そうだね。もう『身代わり』は使わない。今ので決めれたら……って思ったけど、あなたのポケモン、あなたのために頑張ろうとしてるみたい」

「まだそんな甘いことを……」

 

 ウツボットも、マスキッパも、まだ少しだが体力に余裕はある。戦意も失ってはいない。相手がこれ以上躱す手段がないのなら勝てる。そう思った。

 

(だけど今……使えない、ではなく使わない、と言った?)

 

 アルカのひっかかりは、現実となる。マリルリの体が、ゴムで吊った水風船のように音をたてはじめる。

 

「だから、あまり使いたくなかったけどこれで決めるよ。――ルリのフルパワーで!!」

「まさか……『腹太鼓』!?」

 

 その正体は、マリルリが自分で自分の体を叩く音だった。それは、ポケモンの能力を上げる技の中でもトップクラスの効果とリスクを持った技だ。体力を半分失うことで、最大限の攻撃力を得る。

 

「どこにそんな体力が……」

「『アクアリング』。ここまでいえばわかるよね?」

「その技まで使っていましたか。どこまでも慎重なことです」

 

 攻撃を躱している間も、話している間も、少しずつマリルリは体力を回復していた。故に『腹太鼓』を使うことが出来たのだ。

 

「行くよルリ!『ばかぢから』!」

「『パワーウィップ』なのです!」

 

 攻撃力を最大まで上げた腕力が、ウツボットに襲い掛かる。蔓がマリルリの体を縛り上げようとしたが、まるで紙鎖でも千切るように引き裂き、ウツボットの体を掴んで――植物の根から引き抜くように持ち上げ、地面に叩きつけた。それだけの動作で、床が陥没した。

 

「ペンテス!」

「大丈夫、ただ戦闘不能になってるだけ。次はマスキッパに『アクアテール』!」

「……!」

 

 マリルリが飛び上がり、尾に水が溜まって膨らんでいく。その規模は、最初の二倍以上になっていた。

 

(これが、この子の本気――!?)

 

 為すすべもなくマスキッパは潰され、戦闘不能になる。両方とも、アルカからポケモンが離れていなければアルカを巻き込んでいたであろう範囲の攻撃だ。ジェムはアルカを傷つけないために『ハイドロポンプ』を出した。

 

「これで私の勝ちだよね。今はこのまま帰るけど……また今度、お話ししたいな」

 

 ジェム声は自分の危機を脱したというのに寂しげだった。自分の言葉でアルカの心を救えなかったことを、怒らせてしまったことを悲しんでいるからだ。

 

「嘘だったのかもしれないけど、初めてのファンって言ってくれて嬉しかった。女の子の友達が出来るのも初めてだって思ってたの。今はダメでも……友達に、なりたい」

 

 アルカは直観する。ジェムは偽らざる本心で言っていると。それがわかってなお、信じられなくて。彼女を傷つけようと、利用しようとする自分が惨めに思えて。

 

「だめです。帰しません。友達になんてなりません。あなたはわたしのお人形であればいいんです」

 

 ぴしゃりとした宣言。自分から約束を持ちだしておいてそれを否定するなど、外道の行いだとわかっている。でもムキになる自分を止められない。ジェムを、自分の手から離したくない。自分の腰につけた濃紫のモンスターボールを取り出す。

 

「わたしの本気を見せてあげるのです……ティオ、テンペス。『ヘドロ爆弾』!」

「まさか、まだ……!?」

「いいえ、この子たちはもう戦えないのですよ。ですが毒を吐き出すことだけは出来ます」

 

 戦闘不能になった二体のポケモンが、その口から穢れた毒を吐き出し、アルカのモンスターボールに集まる。まるで今の自分自身の様だとアルカは心の中で自嘲し、叫ぶ。

 

 

「粘りと香りで虫を喰らう二輪の恐ろしき花よ!今その毒を混じり合わせ、新たな劇薬を生み出すのです!さあ出てきなさい――ホグウィード!!」

 

 

 ホグウィード、と呼ばれたものがモンスターボールから這い出る。その瞬間凄まじい臭気が部屋中を包んだ。出てくる瞬間に猛毒を浴びたそれは、濃紫のヘドロ状の物体で。明確な意思を持っていた。全身がヘドロにしか見えないのに、その中にある二つの目がはっきりとジェムを睨んだのがわかった。

 

「ベトベトン……!」

「あなたのマリルリの攻撃力は凄いですが、二体の毒で強化したこの子に触ればどんなポケモンも腐り落ちるのです!」

 

 フェアリータイプ且つ物理攻撃を主体とするマリルリにとっては、相性が悪いを通り越した天敵。ジェムの表情が蒼白になり、うっすら涙が浮かぶ。アルカはそれを絶望と取ったが。

 

「……ごめんなさい」

「今更謝れば、見逃されると思うのですか?」

「そうじゃないの。私、本当にあなたに悪いことしちゃったんだなって」

「いきなり何を……」

「だって、あなたは約束を守ってくれてた。私が余計なことを言わなかったら、こんなに怒らなかったし、約束も守ってくれたよね」

「うるさいです」

「ごめん、でも――もう一言だけ、言わせて」

 

 拒絶するアルカ。でもどうしても、ジェムはアルカを放っておけなかった。会って一日もない、まして自分を騙した相手にこう思えるのかは、わからない。

 

(お父様、お母様。良くないことだとわかっていてこんなことを言う私を、許してくれますか?)

 

 瞳を閉じて、深呼吸。数秒の後開いた瞳は。誰かを助けたい気持ちと、自分の身が苦境に置かれることを厭わない気持ちが半分ずつになっていた。

 

「私、あなたに協力する。協力するから……そばにいて、ここを一緒に回って。最初は駒でもいい。私と友達に――」

「――ッ」

 

 ジェムの告白に、アルカが息を呑む。まさか自分から降参してくるとは思わなかったのだろう。答えはすぐには帰ってこない。答えあぐね、固まるアルカ。

それ故に――突如天井をぶち抜いて落ちてくる“鋼”に、反応が遅れた。

 

 

「ぶっぱなしちゃえ、レジスチル!!『ラスターカノン』!」

 

 

 アルカとジェムが上を見上げた時には、もう鈍色の光弾が打ち出されていた。それはベトベトンの猛毒の体など全く意に介さず、その軟体を叩き潰し、ヘドロが飛散する。ジェムの方にも飛んできたが、全て“鋼”そのものというべきポケモンが受け止めた。さっきまで強くジェムを睨んでいたそれから、意識と呼ぶべきものが消えたのがわかった。一瞬、一撃の出来事だった。

 

「まさか、ダイバ……!?」

「この声は……!」

 

 アルカに心当たりがなく、ジェムのよく知っている声。それは、あの暗くて傲慢な少年の声ではなく。快活なのに、重みのある仙人のような少年の声。

 

「だめだよ、ジェム。こんな奴らに一瞬でも心を許そうと考えちゃダメ。まあ、その話は後でするとして――君、まだやる?」

 

 背丈で言えば少女のジェムやアルカより小さい子供の姿。だがアルカは一目で彼がただ者ではないことを感じ取った。ふぅ、と息をつきベトベトン他二体をボールに戻す。

 

「ここは退かせてもらうのです。正直調子が狂って仕方なかったところですから」

「賢明な判断だね。今のところは捕まえるほどのことはしてないし、行っていいよ。僕はこの子に話がある」

「……少しは常識ってものを教えておいてくれると助かるのです」

 

 そう言うとアルカは、ボールからクロバットを呼び出し壊れた天井から飛び去っていった。ジェムとは、意図的に目線を合わせず何も言わなかった。

それを呆気にとられて見ていた後、ジェムは少年の名を呼ぶ。

 

「ジャック、さん。助けに、来てくれたの?」

「そんなところだね」

 

 ジャックはジェムの師匠であり、昔から面倒を見てくれた人だ。その人がジェムを助けに来てくれたのは嬉しい。でも素直に喜べなかったのは、アルカとちゃんと話せずに終わってしまったからだ。その様子を見て、ジャックは深くため息をついた。

 

「はあ……あのねジェム。君、今自分がどんな無茶をしたかわかってる?」

「わかってる、つもり……」

 

 自分からあの二人に協力を申し出るなど、危険な行為であることはわかっている。だがジャックが言いたいのはそういうことではなかった。

 

「あのアルカっていう子は、確かにそんなに悪い子じゃないかもしれない。でも、もう一人の方は本当に危険なのはわかっているだろう?」

「でも、あの子を説得して、2人で話せば――」

「そうなる前に、君がもう一人の方に催眠術をかけられておしまいだよ。何せ彼らの言うことを聞くこと自体は自分から了承してるんだ。あっという間に操り人形になるだろうね。そうなったらあのアルカって子も救われないよ」

 

 突き刺すようなジャックの言葉。う……と言葉に詰まるジェム。

 

「まったく、君は考えてるようで考えなしなんだから……なまじ母親の頭の良さと危うさを持ち合わせてるだけに不安になるよ。その癖父親のお人よしは完全に遺伝してるし」

「……ごめんなさい」

 

 考えが足りなかったことを認め、謝るジェム。やれやれとジャックは好々爺のような笑みを浮かべて、ジェムの頭を撫でた。

 

「でも、そんなところも君の美徳だ。今度からは間違ってもあの人たちの言うことを聞いちゃダメだよ?自分で会いに行こうともしちゃダメ。会ったときも、出来るだけ警戒すること」

「……うん、約束する」

「いい子だ」

 

 アルカへの思いはあるが、迂闊な接触は逆効果だと今教えられたばかりでは頷くほかなかった。うんうんと頷くジャック。すると、ジェムを守った鋼のポケモンが低い金属音を響かせた。

 

「はいはい、そろそろ戻らないと緑眼の子が怒ってしまうね」

「緑眼の子……?それに、そのポケモンは?」

 

 聞き慣れない単語に、図鑑でも見たことのないポケモン。ジェムが疑問符を浮かべると、ジャックは説明してくれた。

 

「ああ、このバトルフロンティアの支配者のことだよ。今僕はここのブレーンの一人をやってるからね。この子は僕が使うポケモンの一体」

「え!?」

 

 初耳だった。ここにいるのは、てっきり自分をフロンティアに送ったついでに滞在しているものとばかり思っていたのだ。ジャックは鋼のポケモンを指さす。そして告げた。

 

「名前はレジスチル。伝説のポケモンで――20年前、君の父親がやっとの思いで倒したポケモンさ」

「お父様が……!」

「だから、期待してるよ。彼の生み出した宝石は、この伝説にどう挑むのかってね」

 

 ジャックの体が、淡い青色に包まれてふわりと浮き上がる。何らかのエスパーポケモンの力を使っているのだろう。

 

「僕は『バトルピラミッド』の天辺にいる。待っているよ――」

 

 そう言い残し、ジャックは『テレポート』で消えた。恐らくはバトルピラミッドに戻ったのだろう。ジェムの行き先も決まった。

 

「まずはダイバに連絡して……それから、バトルピラミッド!」



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挑戦!バトルピラミッド

「まったく……勝手に散歩して捕まるなんて」

「今度から気を付けるから、ね?」

 

 連絡を取り、バトルピラミッドで落ち合ったジェムとダイバ。電話中も実際にあってからも、ぶつぶつと文句を言うダイバにジェムが謝り、宥めていた。ひとしきり文句と不満を吐いた後、ダイバはジェムに言う。

 

「で……行くんだね?バトルピラミッド」

「うん。私にバトルを教えてくれた人が待ってるの」

「君にバトルを……ね。パパが選ぶんだから腕は確かなんだろうけど」

 

 ダイバはジェムのバトルの実力を現状そこまで認めていない。それがはっきり伝わる言い方だった。歯がゆさはあるけれど、今の自分ではダイバには勝てない。

 

(だけど、私はもっと強くなる。強くなって、ダイバと……アルカさんを)

 

 どうしたいのか、は自分でもまだよくわからない。でも、二人は今のままでは悲しい。自分が両親から与えられたような優しさと情を、二人にも分けてあげたいと想った。

 

「……まあ確かに、この施設は確かに僕より君の方が向いてるかもしれない」

「どういうこと?」

 

 ダイバが入口を見て、ジェムもつられてそちらを見る。入口の向こうは、闇が広がっていた。

 

「……この施設は、一番下から頂上を目指していくわけだけど、上がる方法はバトルじゃない。迷路を探索して次の層にいく階段を探せばいい」

「ああ、あなたはあんまり動くの好きじゃなさそうだもんね」

 

 つまり、トレーナーが動く必要があるということだ。それではダイバは嫌がるだろう――と思ったが、ダイバは不愉快そうに首を振った。

 

「それもあるけど、違う。この施設は単なる迷宮攻略じゃない。『野生のポケモン』が出るんだ。出てくるポケモンは層によって違うけれど、共通してるのは……単純に攻撃してくるんじゃなく、状態異常の類を使うポケモンが多いこと」

「状態異常?……あっ」

 

 ダイバの言わんとすることを察する。彼の戦術を支えるのは能力強化から繰り出す圧倒的な攻撃力だが、回復や防御の技を使っているところはほとんど見ない。野生のポケモンにいちいち状態異常を仕掛けられたのでは、分が悪い。

 

「バトルが終わった後の回復はないの?」

「……ほかの施設みたいな定期的な回復はない。代わりにあちこち回復アイテムが落ちてるから、それを拾って回復することになる。……とはいえ、他の参加者もいる以上、そこまで期待は出来ないね」

「そっか……だから自分で回復できる技が多い私の方がいいんだ」

「他にもいろいろルールがあるんだけど……あそこに書いてあるから」

 

 古代の壁画のような茶色い色彩の看板にバトルピラミッドの特殊なルールが書いてある。今説明された部分を除き要点をまとめるとこうだ。

 

1.最下層から頂上を目指し、頂上のフロンティアブレーンを倒せばクリア。挑戦時にはきずぐすり等の道具は全て没収、こちらで用意したバッグとライトを渡す。

2.6体のポケモンで挑む。階層ごとにそのうちの3体を選択して次の層を探し、層が上がるごとにポケモンを一匹交換する権利が与えられる。しなくてもいいが、だからといって次の層で二体を交換することは出来ない。その階層で選んだ3体のポケモンが全て戦闘不能になると失格。最下層からやり直し。

3.他のトレーナーと会ったときは、バトルしなければならない。この時ルールは1対1であり、どちらかのポケモンが倒れればバトルは終了。ただしあくまで失格条件は全てのポケモンが戦闘不能になったときである。また、勝利したトレーナーは敗北したトレーナーから道具を一つ貰うことが出来る。

4.同じトレーナーとは、どちらかが再挑戦するまでバトルすることはない。これは3.のルールによってどちらかが失格になるまでバトルするのを防ぐためである。

5.他のトレーナーと同行してはならない。バトル以外で5分以上同じトレーナーと歩いていると、失格となる。

6.バトルピラミッド内では『野生のポケモン』が出現する。逃げても倒してもいいが、倒すと手持ちのライトが明るくなる仕組みである。これによって見渡しが良くなり、次の層への階段が探しやすくなるほか色々と有利になる。

7.バトルピラミッド内に落ちている道具は自由に使ってよい。ただし失格及びクリアの際は返却すること。

 

 

8.バトルピラミッド内はライトを使わないと先が見えない暗闇だが、主催者側はセンサー等で全ての階層及び参加者の状況を把握している。

 

 

 特別なルールが多く、一個ずつ飲み込んでいくジェムだったが、最後のルールがやたらでかでかと強調されているのが気になった。

 

「8番のルールって、なんでこんなに大きく書いてあるんだろ?」

「不正と犯罪を防ぐために決まってるでしょ……」

 

 呆れ、面倒くさそうなダイバの言葉。御曹司として、強く自分の身を守れるように厳しく育てられた彼からすれば、何でチャンピオンの娘であるはずのジェムからこういう言葉が出るのか本当にわからない。あまつさえ、純粋な目で例えば?などと聞いてくるものだから性質が悪いと思う。

 

「あのね……例えばトレーナーとのバトルに勝てば一つ道具を奪えるってあるけど、勝者の側なら別に一つじゃなくて無理やり全部奪って有利になることだってできるってわからない?」

「あ、そっか。だから誰かが見張ってるんだ……」

 

 素直に感心した様子のジェム。呑気すぎる態度に腹が立つので、更にダイバはこう言った。

 

「これが不正。で、犯罪の方だけど……恐らくこのルールだと最初のライトはほとんど使い物にならない。そんな暗闇の中、君のような何の力もない女の子が後ろから思い切り殴り掛かられたらどうなるか考えてごらんよ」

「流石に抵抗できないと思うけど。それで道具を奪われちゃうってこと?」

 

 棘のある言い方を感じ取り、さっきの発言から推測して慎重に答えを言うジェム。またダイバはわざとらしく大きくため息をついて。

 

「0点。それじゃ結局不正でしょ。……殺人や淫行に遭うかもって、想像できない?」

「さっ……!?」

 

 本気で驚き、目をぱちくりさせるジェムを見て少しだけすっきりしたダイバは、それを悟られないように帽子を被り直す。

 

「まだわかってないようなら言うけど、今このバトルフロンティアには様々な場所からトレーナーが集められている。……つまり、どんな人間がいても不思議じゃないってことだよ。あの催眠術師みたいなロリコンが他にいないとも限らない。そういう人間から君みたいな呑気で世間知らずを守るためにこういうルールが必要なの」

「……そっか。ありがとう、心配してくれるんだね」

「は?」

 

 ジェムは今の言葉を警戒心が薄く世間知らずな自分への純粋な忠告と取ったのでお礼を言ったのだが、ダイバの神経を逆なでするだけであった。ジェムを突きさすような怒りが混じる。

 

「と、とにかく行ってくるね。あなたはどうするの?」

「……僕は適当にここで待ってるよ、また君が勝手に攫われないとも限らないし」

「さっきの今だし、大丈夫だよ」

「二日連続で攫われる人の台詞じゃないね。とにかく作戦を教えるから、言う通りにして」

 

 ダイバは勿論元々は自分で攻略するつもりでいた。なので攻略法も考えており、ジェムでは不安があるが自分より適しているのも事実。作戦通りにすれば、頂上までたどり着くことはたやすいだろう。

 

「気持ちは嬉しいけど、自分で考えて言っちゃ、ダメ?私の師匠の施設だし、自分の力でクリアしたいの」

「攻略できなかったらめそめそ泣く癖に?」

「……もう泣かないわ」

「言うこと聞かなきゃ、また殴るよって言っても……?」

 

 ダイバがジェムを睨む。10歳の子供とは思えないような厳しさと覇気、それに子供の残虐性が混じった顔。ジェムを震えさせ、心を折りかけた瞳。

 

「今の私じゃあなたには勝てない。でも……少しだけ、近づけてると思う。だから、信じて?」

「……ふん、つまらない」

 

 もうさっさと入ってきてと言われて、ジェムダイバから離れる。ダイバはジェムが自分の支配から逃れていることに苛立ちと、自覚できないほどの小さな安堵を覚える。ジェムは、ダイバとまずは対等になりたいと思って行動する。そのためにも、ここで結果を出そうと思った。

手持ちの道具をすべて渡し、ライトとバッグを貰う。思ったよりバッグは小さく入る荷物には限度がありそうだった。受付のお姉さんはジェムに吸盤状のチップを渡す。これを3匹の手持ちにつけることで、使用可能な3体を区別するらしい。そして階段を上がった際に使用ポケモンの交換が出来るとのことだ。

ジェムがポケモンを選び終わると入り口の一つへと案内される。参加者が固まらないように入口もたくさん用意しているようだ。

 

「それじゃあ、行くよ皆!」

 

 手持ちボールの中の6体に元気よく声をかける。それぞれの反応が帰ってきたのを確認してから。ジェムは暗闇、バトルピラミッドの中へと足を踏み入れた――

 

 

 

(本当に、ほとんど先が見えない……)

 

 入ってすぐにライトを付けたが、照らせるのはせいぜい1mほど先、しかも光源は細く左右の視界はほとんど利かなかった。正面が開けているようなので、とりあえず壁に突きあたるまで前に進む。5分ほど歩くと、壁――いや、壁画が見えた。上の方からライトで照らして文字を読んでみる。

 

「墓荒らしへ警告する。ここは王の住まう場所。お前たちごときが足を踏み入れていい場所ではない。これ以上立ち入るというのなら、番人が襲い掛かり墓荒らし共で殺し合うことになるだろう。入りたければ、慎重に仲間を選べ……?」

 

 墓荒らしとは挑戦者、王というのはジャック……ブレーンのことだろう。ほかに何か書いていないかと照らしてみると、その少し下に一文が書いてあった。

 

「この層の番人は動きを奪う。体は痺れ、上への侵入を拒むだろう……麻痺状態にしてくるってことかな?」

 

 ダイバも層によって性質は違うが状態異常を操る野生ポケモンが多く出現すると言っていた。おおよその見当をつけておく。どのみちこの階層では使うポケモンはすでに決まっている。

 

「進めるのは、右と左かぁ」

 

 左右を照らすと、両方とも道が続いていた。ここが最初の分かれ道。とはいえここで考えても仕方ない。右の道を、他のトレーナーと出くわさないように慎重にすすむ。

 

(お化け屋敷を歩くときって、こんな気分なのかしら)

 

 ジェムはゴースト使いの父を持ち、おくりび山で育ったため、そもそもお化けを怖がるという感覚はない。だがこういう暗闇をか細い光に頼って歩くのはなかなかスリルがあった。

少し道に沿って歩くと、光が突然何かを照らす。何かが近づいてくる気配がなかった。これは――

 

「ヴァーチャルポケモン……!これが『野生のポケモン』ってことね。いくよラティ!」

「きゅうん!」

 

 ボールから相棒を呼び出す。バーチャルポケモンはどうやらサマヨールの様だ。まっすぐ突き出された灰色の両手が、闇の中から覗いでいる。全体図は見えないが、ゴーストポケモンなら見間違えることはない、

 

「いくよラティ、『サイコキネシス』!」

 

 ラティアスの瞳が輝き、強力な念力がサマヨールにぶつかる。サマヨールの瞳が不快そうに歪んだが、倒れるまではいかない。灰色の両手が一瞬光を放つと、ラティアスの体が震えた。

 

「やっぱり麻痺……今度は竜の波動!」

「きゅっ……う!」

 

 銀色の波動が、銃弾のように回転しながら飛んでいく。動きの遅いサマヨールは回避することもなく吹っ飛ばされ、地面に倒れた。するとその体がふっと消える。ヴァーチャルポケモンのHPが切れたということだろう。

だが、ポケモンが倒れても麻痺は残る。麻痺によって行動が遅くなり、また身動きが封じられれば次第に追い詰められていくだろう。

 

「ラティ、『リフレッシュ』だよ!」

 

 ラティアスの体が淡い光に包まれ、痺れが解けてゆく。ラティアスは自分の身を守る技が多く、また攻撃力も決して低くはない。この施設にはうってつけだ。

 

「とりあえず、最初は道具を集めたほうがいいよね……」

 

 回復手段があるとはいえ、それらの技も無限に使えるわけではない。やはり回復する道具は集めるに越したことはないだろう。そう思い、足元に気を付けながら歩き出す。野生のポケモンを倒したことで少し明かりの範囲が増し、進みやすくなった。

 

「あ、見つけた!」

 

 数十歩進むと、傷薬が落ちていた。拾って確かめてみると、『すごいきずぐすり』と書かれている。触った感触は、固いのにどこか弾力がある。ひとまずバッグにしまうと、突然光が飛んできて目が眩んだ。

 

「げっ……」

「他のトレーナー?」

 

 自分もライトで照らすと、朧げにだが相手の姿が見えた。ジェムよりいくらか年上の少年で、自分を見て困った顔をしている。格好は動きやすそうな薄手の赤い服で、頭に白いバンダナを巻いているのが特徴らしい特徴だ。お互いのライトが照らし合うと、明かりの色が黄色から赤色に変わった。これがバトルをしろという合図なのだろう。

 

「こんな所でバトルなんかしたくないんだが、仕方ないな。ほら始めるぞ」

「そういうルールだもんね。勝負は一対一……行くよルリ!」

「出てこい、ノクタス!」

 

 出会ってすぐにバトルを始めなければ失格になるルール上、のんびり話すことは出来ない。ノクタスとマリルリでは、お互いに効果抜群の技を決めることが出来る。ライトで照らしてみるとノクタスは少しふらついていた。麻痺か、ダメージを既に受けているのだろう。なら先手必勝だ。

 

「ルリ、『アクアジェット]!」

「ノクタス、『ニードルアーム』!」

 

 この暗闇では大きく動いて撹乱するのは逆効果。マリルリが一直線に突き進むと、ノクタスは大きく腕を振り上げて棘だらけの腕で殴りかかる。だがその動きは遅く、マリルリは最小限に横に躱してタックルを決める。

 

「そのまま『じゃれつく』よ!」

「防げノクタス!」

 

 両腕を振り回して攻撃するマリルリに対して、ノクタスが棘のついた腕でガードする。殴りつけるたびにノクタスの体が後ろに下がっていく。それを見てジェムは指示を出した。

 

「いったん引いて、ルリ!」

「子供みたいに殴り続けちゃくれないか。意外と冷静だな」

 

 だが、ダメージを受けているのはマリルリの方だった。ノクタスはただ防いでいたのではなく『ニードルガード』を使って棘だらけの蔓で身を守っていた。単に攻撃を防ぐだけでなく、触れた相手を傷つけることを目的とした技だ。ゴムまりのように体を弾ませて後ろに下がるマリルリ。

 

「『ハイドロポンプ』!」

「そんな大技を使っていいのか?」

 

 マリルリの尾から、大量の水が噴射される。向こうのトレーナーは――何もしない。黙って攻撃を受け止めた。案山子のように微動だにしない。効果がいまひとつ、という程度ではない。完全に無効化されていた。

 

「悪いが俺のノクタスの特性は『貯水』だ。水タイプの攻撃は効かない。大事な技を無駄にしたな」

「……そうかも」

 

 相手の男はにやりと笑う。いくら水タイプの技が効果がないとはいえ、ハイドロポンプの勢いを受けて動かないのは不自然だ。ジェムがライトでノクタスの足元を照らすと、足から伸びた蔓が地面に絡みついている。地面からエネルギーを吸い取って回復する『根を張る』だ。

 

「でもその技を使ったら、自分からは動けなくなるはず。どうやって攻めるの?」

「必要ないな。攻めてこなければいけないのはそっちだ。トレーナーとのバトルはどちらかの体力がなくなるまで終わらない。そして俺のノクタスはこの場にいるだけで回復する。遠距離の水技は効かない。近づいて来ればニードルガードでそっちがダメージを受ける。ま、相性が悪かったな」

 

 少年はもう勝負は決まったとばかり壁にもたれかかる。そうしている間にも、ノクタスは体力を回復していく。

 

「攻める気は。ないのね?」

「この施設はいかに技と体力を温存するかが鍵だ。体力がなくなるまで終わらないと言ったが、降参してもいいんだぞ?その場合、マリルリは瀕死を回復する道具を消費しなければ使えなくなるし、道具も頂くけどな」

「そう、わかったわ」

 

 ジェムは少し考える。少年は、諦めるかあがくか考えているのだと思った。口には出さないが、根を張るで単に体力を回復すると見せかけ、さらに『せいちょう』も使っていた。ピラミッド内は日が差さないので効果は薄いが、もしマリルリが想定外の技を覚えていたとしても、上昇した攻撃力で対処できる。

 

「ルリ、ごめんね」

 

 諦めの混じった声。降参する気になったか、と少年はジェムの方を見た。だが違った。ジェムの目は、暗がりでもわかるほどはっきりと勝利の意思を宿している。

 

「『腹太鼓』よ!」

「リルリルリルッ!!」

「なっ!!」

 

 電々太鼓を叩くような弾んだ音が響く。可愛らしい音とは裏腹に、マリルリの力が一瞬にして限界値まで上がっていく。己の体力と引き換えに。その速度は、日の差さない状況の『せいちょう』で追いつけるものでは到底なかった。

 

「それじゃあ行くよ!」

「く、『ニードルガード』!」

 

 マリルリの接近に、幾重にも蔓の壁を作るノクタス。びっしりと棘の生えたそれは下手な有刺鉄線の強度を超えている。だが。

 

「ルリ、『馬鹿力』!」

 

 壁の前で渾身の力を込めて、両足を蹴って飛び小さな腕から右ストレートを放つ。まるで濡れたティッシュを千切るように壁が破れ、一気にノクタスの正面に立った。ジェムとマリルリの瞳が鋭くなる。

 

「これで決めるよ!ルリ、『じゃれつく』!」

「ま、待て!参った!参ったぁ!!」

 

 マリルリの拳がノクタスを殴りつける直前で、少年はボールにノクタスを戻した。降参ということらしい。それをぽかんと見つめるジェム。

 

「ノクタスを殺されるかと思ったぞ」

「そんな、大げさだよ」

「いや、目がマジだった……」

 

 少年には、さっきのジェムの攻撃宣言は自分が降参していなければノクタスが戦闘不能を通り越して再起不能になるのではないかとすら思えた。それほどまでに、ジェムの目は真剣だった。

 

「とにかく、俺の負けだ。……好きな道具、持っていけ」

「うん、じゃあもらうね」

 

 鞄を受け取り、荷物を物色する。最下層なので大したものは入っていないだろうと思ったら、結構な量が入っていた。一つの技を使いやすくするピーピーリカバーや瀕死を回復させる元気のかけらがある。

 

「ルリ、どれにするのがいいかな?結構体力使っちゃったし」

「……ほら、これを持っていけ」

 

 マリルリと目を合わせて話していると袋に入った砂らしきものを手渡される。ジェムが受け取り首を傾げると、少年は聖なる灰だと言った。瀕死の手持ちを全て回復させられるかなり貴重な道具である。

 

「どうして、私に?すごい道具なら自分で持っておいた方がいいんじゃ」

「勝ったやつがいい道具を持っていくのは当然の権利だ。それと……体力と技の使い過ぎには気を付けたほうがいいぜ。……俺みたいなその辺のトレーナーあいてにリスクのある技なんて使うもんじゃない」

 

 ジェムは素早い移動のためにアクアジェットを使わせていた。そしてさっきの腹太鼓。自分よりはるかに実力はあるが、このペースでは今勝つことが出来てもあっという間に技を使い果たしてしまい、頂上までたどり着くことは難しそうに見えた。

 

「ありがとう、優しい人なのね」

「気にするな。あまり話し過ぎても失格になる。……もう行け」

「わかった。あなたも頑張って。私もね、昨日は最初のバトルに負けちゃったり、とっても強い人に手も足も出なかったりして、自分がとっても弱いし情けなく思えた。だけど怯まなければ、きっと前に進めるよ」

「そうか。じゃあな」

 

 少年は踵を返した。自分よりもはるか格上の猛者が集うバトルフロンティアで、少年はもう諦めかけていた。だから一番いい道具も渡してしまった。あの少女が自分の心情を見透かしたのかどうかはわからない。だけどジェムの今の言葉で、もう少しだけ挑戦してみようと思った。

 

「体力と技を使いすぎないように……か。『腹太鼓』は結構ルリが疲れちゃうもんね。『身代わり』くらいなら気軽に使えるんだけど」

「ルリルリィ!」

「ありがとう。でも、私もあなたたちに頼るだけじゃいけないから、ね」

 

 頑張りをアピールしてくれているのだろう、ぐっと小さな腕で力こぶを作るマリルリ。その腕にはどんなポケモンにも負けないほどの力が秘められている。マリルリの頭を撫でながら、ジェムはトレーナーとして、どうすべきかを考えながら歩き始めるのだった。 



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死なばもろとも!暗闇のバトル

「よし……なんとか4階まで来たね」

 

 回復系の技を駆使し、アドバイス通り余計な攻撃はせず最小限の消費で進む。アイテムもだいぶ集まり、鞄は大分膨らんでいた。

一階の麻痺の次は毒、その次は火傷状態にしてくることを示唆する文章が階段を上がったところに書かれていたので、毒を無効にするクチート、火傷をしないキュウコンを加えることで対処できた。

 

「さて、次の階層は何かな?」

 

 階段を上がり、近くの壁をライトで照らす。何回か野生のポケモンを倒したことで、大分ライトの明かりは大きくなっていた。そのため、苦労することもなく壁画を見つける。

 

「ここまで来たからには容赦は無用、倒された者の怨念が貴様らを襲う……か」

 

 やはりはっきりとは書かれていないが怨念、と聞いて思い浮かぶのは『怨み』や文字通り『怨念』といった技の使用を制限する技だ。そして容赦は無用と書かれているからには、よりポケモンは手ごわくなっていることも考えられる。

 

「だとすると、ここは最初のメンバーでいくしかないわね。よろしくね、ミラ」

 

 キュウコンからヤミラミにチェンジ。先の技を使うのは主にゴーストタイプ。明確な防御手段はないものの、悪タイプを持つヤミラミならば有利に進めるだろうという考えだ。

明かりも大きくなり、暗闇にも慣れてきたためほとんど普段と変わらない足取りで歩くジェム。その前に、突然首吊り死体のようにがっくりと項垂れた姿のジュペッタが現れた。

 

「野生のポケモンね……いくよ、ミラ!」

 

 ヤミラミを繰り出すと、ジュペッタは首を持ちあげてケタケタと笑った。ジェムやその父親が持つジュペッタとはずいぶん雰囲気が違うが、そもそも本来こういうポケモンである。チャックの口を開き、漆黒の球体『シャドーボール』が吐き出された。

 

「受け止めて、『しっぺ返し』!」

 

 ジェムは敢えて避けさせない。漆黒の珠がヤミラミに当たると、その痛みを返すようにヤミラミの黒い爪が伸びる。ジェムの照らすライトをも塗りつぶす闇の斬撃が、敵のジュペッタを切り裂いた。『しっぺ返し』は相手の技を受けてから使うと威力の上がる技で、ゴーストタイプには効果が抜群だ。ジュペッタの体が崩れ落ちていく――が。

それと同時にヤミラミが体から力を奪われたように膝をつくのを見て、慌ててジェムは駆け寄った。

 

「ミラ!?」

 

『シャドーボール』のダメージが大きかったとは思えない。別の原因がある。そしてヤミラミの身体は傷つけられてはいないということは、答えは実質一つしかない。

 

「『道ずれ』も使ってくるんだ……ごめんね、すぐに回復してあげるから――」

 

 回復する道具は一杯集めたので余裕がある。ひとまず元気のかけらをヤミラミに使おうとしたところ、突然の強い光が前後からジェムを照らした。暗闇に慣れたところへの強烈な光に目が眩み、顔を覆うジェム。目がちかちかして、周りが良く見えない。

 

「おいおい兄弟、今度の獲物はあの時のガキだぜ」

「ちょうどいいなオイ。あの時の鬱憤晴らそうぜ兄者」

 

 ぎゃはは、と低俗な声をあげる男達。前後、結構な距離から話しかけて来ているのに二人の息はぴったりで、まるで隣同士で話しているかのように聞こえてくる。その声は、何処か聞き覚えがあった。だが思い出せない。

 

「あなたたち、誰……?」

「はっ、誰ときやがったかぁ。そっちから突っかかって来たくせによぉ」

「ダイバとかいうガキを庇って俺たちに歯向かったこと、忘れたたぁ言わせねえぜ」

 

 声に怒りと、見下した感情が混じる。昨日はダイバやアマノのことが頭を占めていて記憶の片隅に追いやられてしまったが、そもそもダイバと出会ったのは彼がこいつらに絡まれていたのところを自分が助けようとしたからだ。

 

「今からたっぷり思い出させてやるよ、さあバトルだぁ!」

「兄者の超能力と俺の格闘術で地獄に落ちろや!」

 

 前の兄者と呼ばれた太った男がフーディンを、もう一人の後方にいる痩せた筋肉質の男がカポエラーを繰り出す。まだ視界は戻らないが、ジェムもマリルリを前に出す。少し体力は減っているが、まだまだバトルする元気はある。

 

「二人で勇んでるところ悪いけど、この施設のバトルは一対一なんでしょう?どっちからやるの」

 

 そう言うと、男達二人は爆笑した。完全にジェムを馬鹿にしている。

 

「はあ?勿論一対一だぜぇ、俺とお前で一対一、そしてお前と兄弟で一対一に決まってんだろぉ!?」

「てめえが今手持ちを一体失ったのは知ってる。ここに上がってきた奴は全員道ずれの洗礼を受けるからな……つまり、俺と兄者とのバトルに負ければお前はここで終わりなんだよ、わかったぁ~?」

「そう……ちょっと納得いかないけど、ルール違反じゃないのね。わかった」

 

 ラティアスを後ろに出す。ジェムは視界が効かない、そしてそれはジェムのポケモン達も同じだった。出てきた瞬間に男二人は強烈なライトを浴びせて、暗がりに慣れた目を焼く。うっとおしそうに目を反らす二体の声が聞こえた。挟み撃ちにして他の挑戦者を狙うような発言といい随分と卑怯な人たちだ。

 

「なんかすでに弱ってるみてえだが、楽しいハンティングゲームの始まりだぜぇ?フーディン、『シャドーボール』!」

「カポエラー、『高速スピン』だ!」

「ルリ、『アクアテール』!ラティ、『竜の波動』!」

 

 ライトによって際立った闇が密集するかのように放たれる漆黒の弾丸に、独楽のような高速回転による突撃。ジェムも反撃する。目が見えなくとも、タイミングを合わせれば相殺くらいは出来るだろうからだ。

マリルリがフーディンの飛んでくる弾のタイミングに合わせて尾を振る。ラティアスの銀の波動が高速回転するカポエラーを狙う。

 

「ルッ……!」

「きゅう……!」

 

 だが、ジェムの耳に聞こえたのは自分の仲間のうめき声だった。なにせ相手はこの状況を作り出した相手。その程度の策は通じない。ジェムは片手で目を隠し光に眩まないようにして目を開ける。マリルリは、斜め後ろに吹き飛ばされていた。ラティアスは高速回転する蹴りを受け、一旦上に上昇して退避している。ライトは今はポケモン達を照らしていた。

 

「ははっ、一思いにはやらねぇ、じわじわといかせてもらうぜぇ?『シャドーボール』!」

「空に飛べば逃げられると思うなよ?『真空波』!」

「落ち着いていくよ!ルリ、『アクアリング』。ラティ、カポエラーに直接『サイコキネシス』!」

 

 マリルリの体の周りを水の輪が覆う。漆黒の弾丸は、マリルリの頭上から落ちてきて、リングと相殺して消えた。やっぱり、とジェムは思う。ジェムの読み通りならば、さっきのアクアテールはタイミングは合っていたはずだ。だがシャドーボールは命中した。ならば、外れたのは攻撃してくる方向だ。さっきのシャドーボールも、フーディンは自分の正面からではなく斜めから撃っていたのだ。

カポエラーの真空波は放たれてからでは避けられないがその威力は低い。そう読んで、攻撃を防ぐのではなく反撃する。だがラティアスがサイコキネシスを撃とうとしたとき、相手は二人ともラティアスを照らした。それはラティアスの視界を逆に奪うと同時に、高速回転するカポエラーの体を暗闇に隠す。ジェムも自分のライトでカポエラーを捕捉しようとするが、独楽のような独特の回転からなる普通の二足歩行とは一線を画す動きは、人間の手と目では捉えられない。サイコキネシスの念動力は、対象を見失って不発になった。

 

 

「無駄なんだよなぁ。てめえみたいなガキに俺たち兄弟のポケモンや技は捕えられねぇ!『シャドーボール』が正面から来るわけじゃねえことは読めたみたいだが、俺のフーディンはどこからでもあの技を撃てる。この意味がわかるかぁ?」

「この暗い空間を利用して……」

 

 シャドーボールは影だ。闇の中で一つの影を探すのは、豪雨の中狙った雨粒を探しわけるようなものである。どこから飛んでくるかわからない攻撃に、予測不可能な独楽の動き。確かに強力だ。

 

「あなたたちは、なんでこんなバトルをするの?それだけの戦略があるなら、一人でだって施設の攻略だって狙えると思うわ」

「施設の攻略ぅ?くだらねえなぁ、俺たち兄弟はそんなことのために来たんじゃねえ」

「このフロンティアにはがっかりだぜ。強いトレーナーが集まるっつうからお前みたいなポケモンが強いだけで調子に乗ってるクソガキトレーナーを叩き潰せるって思ったのによぉ。何がバーチャルやブレーンだ、馬鹿にしやがって」

「でもこの施設はマシだよなぁ?ここなら有利なフィールドで、存分に他のトレーナーをぶっ潰せるんだからよぉ」

「この前のノクタスのガキとか、最初は余裕ぶっこいてたのによ。だんだんすかした面がこの暗闇でもわかるくらい歪んでいくのはたまらねえ快感だったよな、兄者!」

 

 ギャハハハ、と二人の男は笑った。ノクタスのガキ、とは一回で自分が戦った子だろう。この二人の戦術はよく考えられている。ここから先には進むことはせず、他の挑戦者を待ち伏せして倒し続けてきた二人。勝てなかったのも仕方ないかもしれない。

 

「ポケモンバトルってのはぁ、地の利、道具、技ぁ!全てを使いこなす賢い奴が勝つんだよ。てめえらみたいな、親に貰ったポケモンが強いだけのガキに勝ち目はねぇ!『シャドーボール』!」

「そろそろ本気で行くぜ、『真空波』!」

「『アクアリング』に『守る』!」

 

 先ほどと同じ技の応酬。だが結果は違った。漆黒の弾丸はアクアリングを破壊してマリルリを横殴りに弾き飛ばす。ラティアスの念動力による守りは気合の刃を一発弾いたが、時間差で飛んでくるもう二つの攻撃を避けることは出来ず、ラティアスをよろめかせた。相手の二体とも、まだ全力ではなかったのだ。

 

「……くだらない」

「くだらなかったらどうだっつんだぁ?俺のフーディンの技も、カポエラの本体も見えねえんだろぉ?」

「あなたたちは強いよ。だけど、臆病なだけでちっとも怖くない!」

「はあ~?今更強がったところでどうにかなる状況ってわかんねえのかよ」

 

 男が息巻くが、はっきりわかった。こんなものダイバの逆らう相手への怒りに比べれば、ドラコの真剣勝負への気合に比べれば、なんら恐れるほどのものではない。ただの脅しと、暗闇の恐怖を利用しているだけだ

 

「宣言するわ。あなたたちはこの暗闇で負ける!」

「ほざくんじゃねぇ!これで止めだ『シャドーボール』!

「舐めやがって、バトルが終わったらここから出た後よく吠えるだけの負け犬として晒し上げてやる!『真空波』だ!」

「ラティ、『波乗り』!ルリ『ハイドロポンプ』!」

 

 3発の真空波がラティアスの体を叩くが、そもそもカポエラーは特殊攻撃は強くない。時間差による攻撃は見事だが、結局のところダメージは高くない。そしてフーディンの攻撃は、思ったより溜めに時間がかかる。マリルリのアクアリングが相手の攻撃に間に合っているのがその証拠だ。

ラティアスの発生させた大波と、マリルリの大量の水がそう広くない廊下の中で疑似的な洪水を起こした。とはいえ、この暗闇の中では相手は直接狙えない。男達の膝まで水かさが増えたが、直接的なダメージ足りえない。

フーディンのシャドーボールが、水にドボンと落ちる音がした。水嵩でマリルリの体は隠れているが、あのポケモンの速度ではどこから来るかわからないあの技は防げない。片方はこれで終わりだ。

 

「わからないかしら?あなたたちがこの闇を利用したように、私のポケモン達もこの水を利用できるのよ」

「所詮ガキの浅知恵だな。確かに今は水がうぜえが、今こうしている間にも水は排水されてる。すぐ元に戻って……」

「それで十分よ!ルリ、『滝登り』!」

「何ぃ!?」

 

 水かさはみるみるうちに減っていく。マリルリの倒れた体が見えてもいい浅さになっても、その体はなかった。いや、いつの間にかフーディンの足元へ潜水している。まさに鯉の滝登りのような勢いで、顎を捕えるアッパーを放った。フーディンの体が浮かび上がり、脳を揺さぶられたため強力な超能力も使えない。

 

「ルリ!『グー』、で攻撃!」

「ルリルリ、ルッー!!」

 

 マリルリが、地面に着地した後、本来の倍以上膨らんだ右拳を後ろに下げる。誰でも知っている手遊びのようなその仕草の中に、爆発的な威力が秘められていることを太った男は悟った。

 

「ちっ、フーディン『サイドチェンジ』!」

「なっ、おい待て兄者、それは……!!」

 

 フーディンに指示を出すと、瞬時にカポエラーとフーディンの位置が入れ替わった。刹那、マリルリの拳がカポエラーを殴りつける。本来はダブルバトル等で仲間との位置を入れ替える技だ。それを自分が攻撃を回避するために使ったのだろう。仲間のポケモンを犠牲にして。

 

「兄者……!俺のカポエラーを盾にしやがったな!?」

「悪いかよ。自分のポケモンがロクに戦えない状態になったことにも気づかない屑、盾にしてもらえるだけ感謝してほしいもんだなぁ?」

「どういうことだよ!?」

 

 カポエラーの使い手である痩せた男は気づかなかったようだが、カポエラーは半ば溺れかかっていた。カポエラーは回転するとき逆立ちの体勢を取っている。つまり、頭は下にあるということだ。ならば男たちの膝までつかる程度の水かさでも口や鼻は覆われてしまう。高速回転という、激しい運動をしているならなおさら、暗闇の中でいきなり降って湧いた波を飲み込み、まともに呼吸などできなかっただろう。

 

「あなたたちは、闇に慣れ過ぎた。私達にもあなたのポケモンは見得なかったけど、あなたにも見えてないんじゃ勝ち目はないわ」

「く、くそがっ……!大体なんだよ今の一撃は、俺のカポエラーが一撃で……」

「それには後で答えるとして……この場合、あなたのフーディンはラティとルリ、どっちで倒せばいいのかしら?入れ替わっちゃったけど」

 

 その言い方は、倒そうと思えばどちらでも倒せるとはっきり言っていた。この戦いも主催者側は把握しているのだろう。すぐにアナウンスが入る。マイクを軽く手で叩く音の後響いたのはジャックの声だった。

 

「あーあー、本日は晴天なり。本当ならルール違反して他人とのポケモンを入れ替えた時点でルール違反でフーディンは失格なんだけど、今回は状況が状況だし二人がかりで挑みかかろうとする姑息な戦術に免じてチャンスをあげるよ。ジェム・クオールはラティアスでフーディンと戦うこと」

 

 呑気で朗らかな子供の声。だがそれは、男にとっては死神の死刑宣告にも聞こえた。チャンスというのは建前で、本来の施設の目的から外れた自分たちへの制裁にしか思えない。

 

「さて……それじゃあ、続きやろっか。ラティ、『ミストボール』!」

 

 想定外の状況に反応が遅れる男をしり目に、ジェムは幻惑の霧を放つ。フーディンに当たる前に霧散し、ライトの明かりすら通さない霧となった。

 

「くそぉ……畜生がぁ!調子に乗ってんじゃねえぞガキ!捻り潰してやる、『サイコキネシス』だぁ!!」

 

 だが、フーディンは動けない。さっきのラティアスと同じだ。霧で見えない相手を、念動力でとらえることは出来ない。まさに五里霧中だ。そしてその霧は、徐々にフーディンの体に集まって結露となり、滴る水となり――ついに体全体を覆う水球となる。超能力で常にピンと立ったフーディンの髭が水に萎れて、溺れていく。

 

 

「これで終わりよ、『ミスティック・リウム』!!」

 

 

 念動力が水を圧縮して、深海数百メートルの圧力がフーディンを襲った。水が弾けたときには、戦闘不能になってスプーンを手放すフーディン。

 

「認めねえ……認めねえぞこんなの!もう一度俺とバトルだぁ!」

 

 倒れたフーディンをボールに戻すこともしないまま、太った男は激昂してゴチルゼルを出す。ジャックがアナウンスで失格になるよ?と言ったが、男は無視した。

 

「もとよりこんなクソ施設のルールなんか知るかよ……兄弟、てめえも次のポケモンを出しやがれ!」

「待てよ、ちょっといいか?確かこの施設、出会ったトレーナーはバトルしなきゃいけねえんだよな?」

 

 気がつけば、カポエラー使いの男はジェムを通り過ぎ、フーディン使いの男に近づいていた。

 

「だから知るかっつってんだろ!!てめえ、誰に口きいてやがるんだぁ!?」

「ああいや、あんたに聞いたんじゃねえ」

 

 痩せた男は暗闇の天を見上げた。ジャックは愉悦を湛えた声で、こう言った。

 

「ああ、その通りだね。バトルピラミッドの主催者としてバトルを命じるよ?」

 

 言葉の意味は明白だ。痩せた男は自分のカポエラーを身代わりにされたことに怒っていた。だから、太った男にバトルをしかけ、ジャックはそれを認めた。

 

「兄弟てめぇ……俺に逆らう気か?」

「俺のポケモンを盾にするような兄貴なんて知らねぇな……!」

 

 痩せた男はエビワラーを繰り出す。完全に怒り狂った太った男の声がしたが、ジェムはもう聞いていなかった。二人は放っておいて、距離を取った後ポケモン達を道具で回復させる。

 

「勝った方には敗者の道具を一つ貰う権利があるけど、いいのかい?」

「あんな人たちの道具なんていらない。馬鹿な男の人に関わっちゃダメってお母様も言ってたわ」

 

 ジャックの声が聞こえたが、ジェムは冷たくそう言った。あの男達には、ダイバやアルカのような同情の余地など欠片もなかった。そんな相手に優しくできるほど博愛主義者でもないのだ。

 

「そうかい。じゃあ待ってるね。僕の可愛い教え子よ」

 

 そう言ってアナウンスは切れる。後半完全に私用で私と話してたけど大丈夫かなあとちょっと思ったが、まあジャックさんだし上手く言い訳するのだろう。

 

「悪戯してお母様に怒られそうになっても、上手くかわしてきた人だし……それよりも、よく頑張ったわルリ、ラティ」

 

 二人を片方ずつの腕でぎゅっと抱きしめる。ラティアスの必殺技ももう十分完成していたし、ルリの新しい技もイメージ通りに仕上がってきていた。

防御力が決して低くないカポエラーを一撃で倒した技の正体は、腕一本に範囲を集約させた技、腹太鼓だったのだ。

 

 腹太鼓は体力の大幅な犠牲と引き換えに爆発的な攻撃力を得る技。それ故に、本来出せる相手は限られるし、今回のようにいつ相手が仕掛けてくるかわからない闇の中では使った瞬間に技を受けて倒される危険性を孕んでいる。そこでジェムは、腹太鼓の効果を受ける範囲を限定させることによって体力の消耗を抑える工夫をしたのだ。

ポケモンにもよるが、マリルリの場合は筋力に水の圧力を上乗せすることで攻撃力を上げている。それを全身ではなく腕一本に抑えることで、体力の消耗を極力失くすことに成功した。

 

「じゃんけん、昔はよくやったもんね」

「ルリィ♪」

 

 それを相手に悟られないために、技の『じゃれつく』と合わせる意味も含めてじゃんけんの掛け声で指示を出す。グーで直接拳に力を込めて攻撃。パーとチョキは決まっていないが、そのうち考えるつもりだ。ジェムは手遊びが好きだったが、母親はあまり詳しくない上に不器用だったので、よくポケモン達とやっていたのがヒントになった。

 

「ここから先にいるのは、多分あの二人を倒せるようなトレーナーだよね……気を引き締めなきゃ」

 

 ジェムは歩き出す。ここからは溜めた道具をいかに消費しないかの勝負になるだろう。万全の体制を整えて、ジェムは次の階を目指す――。

 



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いざ、王の間へ

あの後、トレーナーとは中々遭遇しなくなり、またピラミッドの構造上、上るごとに一階あたりの面積も少なくなったことで、上へあがるペースは予想よりも早くなっていた。7階から8階へは十歩ほど歩くだけで次の階段を見つけることが出来たほどだ。

浮遊するポケモンに逃げ場を奪うポケモン、氷漬けにしてくるポケモンや会った瞬間大爆発を仕掛けてくるなど多彩なポケモンがいたが、階段を上ったところのアドバイスを慎重に読めば対処できた。とはいえ8階分の迷路と階段を上って、体力のあるジェムといえどもさすがに疲れてきた。クチートやラティアスのメガシンカを使うペースも徐々に増えてきたのも理由の一つだろう。

 

「後一階……最後は何が出てくるのかな?」

 

 石板をライトで照らす。文字のあるところをわざわざ探さなくても大きくなった明かりが全体を照らした。

 

「王の御前には、天地鳴動の力を持つ怪物こそが相応しい、か」

 

 恐らくは、戦術の傾向云々よりも直接強いポケモン達が出てくると見ていいのだろう。バーチャルで再現できるのだろうかという疑問はあるが、ホウエンに限らず様々な伝説のポケモンを統べるジャックが協力しているのだ。そうだとしても不思議ではない。

 

「なら……ラティ、ルリ、クーで行くよ!」

 

 クチートを手持ちに加え、歩き出す。これが今の自分のベストメンバーだ。そして出てきたのは――鋭く尖った黄金の羽が纏う紫電に猛禽の眼光。見慣れたはずのバーチャルはまるで本物のポケモンのようにジェムたちにプレッシャーを放つ。まごうことなき伝説のポケモン、サンダーだ。

 

「バーチャルポケモンも手加減なしってことね……ラティ、お願い!」

「ひゅうん!」

 

 ボールからラティアスを出して、先制で竜の波動を放つ。終盤にもなってくると、どの技をあとどれくらい使えるかはポケモン自身がわかっている。故に、重要でない局面なら下手な指示は出さないほうがいい。

螺旋を描いて飛ぶ波動をサンダーが睨んだかと思うと、その巨体をきりもみ回転させて躱した。技の『見切り』を使ったのだとジェムは察する。避けて体を回転させたまま、サンダーはすかさず翼に溜めた紫電を大放出してきた。

 

「ラティ、『守る』!」

 

 ラティアスの周りを念動力が包んで、飛来する電気のダメージを無効化する。だが部屋全体に放たれた電撃はこの階全体をしばらく光に包んだ。すかさず周りを確認する。他に進める道は今はないようだ。

 

「特性のプレッシャーに『見切り』、まともに相手にするのは難しそうね。なら『ミストボール』!」

 

 ラティアスの口から虹色の球体が放たれ。サンダーの眼前で霧散する。突然閉ざされた視界にサンダーは後ろに下がった。バチバチと、放出した電気を再び纏う音がする。『充電』だ。

霧が維持されている間にジェムはポケモンを交代し、さらにシンカさせる。

 

「クー、翼に『冷凍ビーム』よ!」

 

 メガシンカによって一回り大きくなったクチートがシンカの象徴である二口から二本の冷凍ビームを放つ。霧の中であっても、サンダーの巨体のシルエットは浮かび上がっている。正確にサンダーの両翼に直撃した光線は、翼を凍り付かせ地に落した。地響きの音がすると同時に、クチートは前へ飛び出す。飛行タイプのサンダーに氷の技は効果抜群とはいえ、『充電』によって特殊防御の上昇したサンダーが二発で倒せるとは思えない。

翼を凍らされたサンダーは口から『電磁砲』を放つが、霧に阻まれて姿の見えないクチートに命中させることなど出来はしない。

 

「『じゃれつく』で止め!」

 

 二口がジャックナイフのように振り回され、大槌のようにサンダーの体を上からたたく。凄まじい叫び声が響いたかと思うと、サンダーの体はすっと消滅した。どうやら倒せたようだ。

 

「倒せたけど、結構技使っちゃったね……」

 

 特性『プレッシャー』により技を放つのにより力を入れなければならない。特別な技ゆえに連発できない『ミストボール』やそもそもメガシンカしなければタイプ一致以外の遠距離技が使えないクチートの『冷凍ビーム』は後一発が関の山かもしれない。

最終層は、今までのような迷路ではなかった。曲がり角は基本的に一本道である。自分とポケモンの足音以外何もしないことが、ここにいるトレーナーは自分一人だと教えてくれた。

何本目かの曲がり角を曲がる直前、冷凍庫を開けた時の数倍の冷気が襲ってくる。反射的に後ろに下がって、角の向こうを覗いてみると、すぐ近くにまたしても伝説の鳥ポケモン、フリーザーが翼を広げていた。明らかにジェムを待ち構えている。

 

「ルリ、お願いね」

「ルリィ!」

 

 マリルリの体力を確認して、2人で前に出る。対面すると今まで動き回って熱くなっていた体が急激に冷えていくのを感じた。長期戦では自分の体力も持っていかれそうだ。

 

「いつも通りいくよ、『アクアジェット』!」

 

 フリーザーの口に一際強い冷気が溜まっていくのを理解したうえで、マリルリは尻尾から水を噴射する。『冷凍ビーム』を受けながらも、水タイプであり、また分厚い脂肪を持つマリルリには効果は薄い。勢いのまま一気にフリーザーの正面へととびかかる。

 

「せーの、ジャンケン、『グー』!!」

 

 バトルピラミッドを回りながら鍛えた、『腹太鼓』を応用して拳一本に攻撃力を集約させた『じゃれつく』が伝説のポケモンを地面に叩き落とす。空中で宙返りした時には、マリルリの尻尾は何倍にも膨らみだしていた。『アクアテール』で一気に終わらせるつもりなのだろう。

巨大な水球は極度の冷気によって凍り付きまるで巨大な鉄球のようになり、本来飛行タイプにとっては受けないであろう頭上からの一撃を浴びせる。ガラスが割れるような破砕音が響き、攻撃を終えたマリルリは後ろに飛びのいて、ジェムの元に戻ってきた。

 

「ご苦労様、ルリ。良い動きだったわ」

 

 自分のポケモンを褒め。体が冷たくなっていることは理解した上で抱きしめようとする。だがそれは油断だった。ジェムが触れようとした瞬間、マリルリの水風船のような体が凍り付いていく。

 

「え……まさか、まだ!?」

 

 こんなことが出来るのは、当然フリーザーしかいない。伝説のポケモンといえど、マリルリの強化された攻撃を受けて倒れない道理はないはずだ。だがその理由は、再び翼を広げたフリーザーを見てはっきりする。

フリーザーの周囲には、大粒の氷塊が散らばっていた。そしてさっきのアクアテールは、ガラスが割れるような音がしていた。それをジェムはアクアテールが凍り付いた故だと思っていたが、それだけではなかった。音の正体はフリーザー自身が作り出した氷の『リフレクター』が破壊される音だったのだ。『リフレクター』によって『アクアテール』の威力は殺され、とどめはさせなかった。

そしてマリルリを凍り付かせたのは『フリーズドライ』。本来氷タイプの技は水タイプには効果が薄いが、この技は水を凍らせるための技ゆえ、逆に抜群の威力になる。

 

「ごめん、ルリ。後で治してあげるね……」

 

 氷漬けにされてしまったマリルリをボールに戻す。すぐにでも道具の氷直しを使ってあげたいが、今はフリーザーを倒さなければいけない。ドラゴンタイプのあるラティアスは出したくない以上、出すポケモンは決まる。

 

「もう一度お願い、クー!『ラスターカノン』!」

 

 クチートをボールから出し、大口から鈍色の光弾を発射させる。フリーザーも『冷凍ビーム』を吐き出し相殺した。相手の方が威力が高く、勢いに押されて前へ進めないクチート。

その隙にフリーザーはゆっくりと上昇する。そして――単なるプレッシャーとは違う、殺意のような眼でクチートを見つめた。行動の意図はジェムにはわからない。だが二人は尋常でない雰囲気を感じ取り、咄嗟に再びのメガシンカをさせる。

 

「『十万ボルト』ッ!!」

 

 メガシンカした状態でなければ使えない遠距離の雷撃。速攻性のある一撃はフリーザーが次の行動を起こす前に体を焼き、今度こそ倒した。ヴァーチャルで出来たフリーザーの体が消えていく。

 

「危なかった、ね……」

 

 クチートのメガシンカを解く。ジェムは知らないが、もし今ので倒せていなければ『心の眼』によって回避不可能となった一撃必殺の技『絶対零度』が飛んできていた。それを回避できたのは、ジェムの才能だろう。

ともあれクチートをボールに戻し、マリルリに氷治しで氷を溶かす。体の霜が落ち、目をぱちくりさせて意識を戻したマリルリを抱きしめてジェムはようやく安堵する。ジェムの体が、膝から崩れ落ちてへたりこんだ。

 

「あれ……おかしい、な」

 

 体に力を入れることが出来ない。今までの疲労に、急速な体温の低下。そして予想外の仲間の危機とメガシンカによる体力の消費。考えてみれば当たり前だ。

あまりよくない状況だが、もう冷気は消えた。バトルピラミッドには時間制限や立ち止まることを禁止するルールはないし、ここならトレーナーがやってきてバトルを仕掛けて来ることもない。少しここで休んだ方がいいだろうと前向きにとらえるジェム。

マリルリ自身を回復させる意味でも、『アクアリング』を使ってもらう。自己回復の技と解釈されやすい技だが、水のリングの中に入ってさえいれば他者も恩恵は受けられる。

 

「昔はよく、こうしてもらってたっけ。懐かしいね」

 

 まだジェムがポケモンを使役出来ないくらい幼かったころ。ポケモン達とおくりび山で遊びまわって足が棒のようになってしまった時は、こうしてくっついて元気にしてもらったり、おんぶして運んでもらう時もあった。

そんな話をすると、マリルリはジェムの頭を軽く触った。撫でようとしてくれたのだろうか。それとも、あのころに比べて大きくなったねと言いたいのかもしれない。

 

「ふふ、ありがと。頼りにしてるわ。勿論、みんなのことだよ」

 

 マリルリだけでなく、今はモンスターボールの中にいる他の手持ち達とも話す。仲間になった時期はそれぞれ違うけれど。物心つく前からこのポケモン達と過ごしてきたジェムにとってはみんな大事な友達で、兄や姉のような存在で、頼れる相棒だ。

5分か10分ほど手持ち達とお喋りしたあと、ジェムは立ち上がる。疲労感が取れたわけではないが、もう体はしっかり動く。これで十分だ。マリルリはちょっと心配そうに見つめてきたが、両手で拳を作って胸の前に当てる。

 

「大丈夫。もうすぐジャックさんが本気で戦ってくれるんだもの。あの人退屈なのが苦手だからあんまり待たせちゃいけないわ」

 

 手持ちのみんなが頷いた。仲間とのもう一つの共通点は、みんなこのピラミッドを支配するジャックと何度も戦ってきたことだった。誰よりも老いているけど子供っぽいあの人は、きっと自分たちをうずうずして待ってくれているだろう。

ジェムたちはジャックとおくりび山で毎日のようにバトルをしたが旅に出る直前の一度しか勝てなかったし、一度も本気で勝負してくれたこともない。「手加減してあげるから、全力でかかっておいで!」というのが彼の口癖だった。

 

「それじゃ、行くよ皆!お父様みたいに、ジャックさんをびっくりさせて楽しませてあげるんだ!」

 

 気合を入れて、歩き出す。ぐるぐる曲がる道を歩いていくと、最後の階段が見えた。だが焦って走り出すことはしない。ここで素通りさせてくれるほどバトルフロンティアは甘くない。フリーザーの時とは逆、突然むせ返るような暑さが空間を支配した。言わずと知れた火の鳥、ファイヤーの登場だ。

 

「だけど読めてたわ。ラティ、『波乗り』!」

 

 サンダーフリーザーと来れば、最後に出てくるであろうポケモンが何かは予想がつく。今度は先手を取ってラティアスが発生させた大波が、出現した直後のファイヤーを打ち付ける。一瞬体の炎が鎮火したが、無論一撃で倒せる相手ではない。

だが、既に詰めの準備は出来た。ファイヤーが再び己の炎を燃え上がらせたときには、ラティアスは下がり、マリルリが波に乗っている。

 

「せーの、ジャンケン『パー』!」

 

 マリルリが掌を開いて相撲のツッパリのようにファイヤーの体を押す。特性『力持ち』と技『腹太鼓』によって強化されるのは筋力に留まらない。その手の平から、『ハイドロポンプ』すら凌駕するエネルギーを持った『アクアジェット』が噴射され、ファイヤーの体を吹き飛ばし階段に打ち付けた。フリーザーの時のような防御すら許さない、まさに波状攻撃というにふさわしいものだ。

普段は後ろに噴射して素早い動きをするために使う『アクアジェット』を強化した勢いで大技に匹敵する威力を持たせることに成功して、ジェムは誇らしい気分になった。

 

「決まったね、ラティ、ルリ!」

 

 ファイヤーの体が消えるのを確認した後、ジェムと二体でハイタッチ。伝説の鳥ポケモン3体を倒し、ありったけの道具で回復させたあといよいよ師匠でありブレーンのジャックの元へ、階段を上る。

手持ちのライトによる人工的な明かりが消え、温度のある自然な日の光が差し込んできた。やっと最上階まで来たんだ、という実感がわいてくる。

登り切ると、今までとは打って変わった、古びた石造りの一本道が続いていた。この奥にジャックはいるはずだ。仲間と共に一歩ずつ進むと、段々楽しそうな声が聞こえてきた。彼のものだ。

 

 歩き終わった一本道の奥は、王者の空間。床も壁も調度品も何もかも、黄金に輝いている。部屋の四隅には、王冠や金剛石、宝剣などが雑多に置かれていた。ただ、彼の見据える正面に置かれた大きなディスプレイだけが、空間の中で異彩を放つ。その画面は今も動いていて、デフォルメされたニャースとピカチュウが足をぐるぐる回して家の中での追いかけっこに興じている。

ピカチュウが廊下を曲がった後に近くのアイロンを角に置くと、全力疾走するニャースは思いっきり頭を打ち付けて顔がまっ平らになった。痛みに悶絶するニャースをよそに、ピカチュウはアイロンをつけた後今度はニャースの足に置いて、自分の電気でアイロンの仕事をさせた。突然の高熱に飛び上がって悲鳴を上げた後、真っ赤になった足をふーふーするニャース。ジャックは手を叩いて大笑いだ。

 

「楽しそうね、ジャックさん」

 

 部屋に入ったジェムは、声をかける。ジャックは振り向いて、画面には一切の未練を持たずに電源を切った。自動的に雰囲気を乱すディスプレイは収納され、部屋は王と王の財宝が眠る部屋と化した。

 

「ずっと待ってるのは暇だって言ったら、緑眼の子が用意してくれたんだ。あの子も気が利くようになったね」

 

 緑眼の子とはダイバの父親、エメラルドのことだ。フロンティアの主催者であり、ホウエン地方全体に名が轟く彼もジャックにとっては子供扱いである。さっきまでアニメを見て笑っていたのと同一人物とは思えないが、そういう老人と子供の両方の性質を持つ人である。

しかしジェムとしては、自分が挑戦しに来たのに反対方向を向きアニメを楽しんでいたのはなんとなく釈然としない。ちょっぴり拗ねたように言ってみる。

 

「邪魔しちゃったわね。アニメが終わるまで、待ってた方がよかったかしら?」

「まさか。所詮はヒマつぶしだよ。挑戦者が――ましてや僕の弟子がここまでやってきたんだ。もう待ち切れないくらいだったよ」

 

 ジャックの表情が変わる。いつでも楽しそうな表情をしているジャックだが、それは半ば演技であることをジェムは知っている。彼の退屈を本当の意味で癒せるのは、ポケモンバトルだけ。

 

「ジェム。君にはおくりび山でポケモンバトルの基本を教えた。あの時既に、君はトレーナーとしても十分な実力を持っていたさ。だけど、強者の集まるこの地では通用しないことも多かっただろう?」

「……そうね。もう大変な目に合ったわ。ジャックさんがいなかったら危なかったし、私って弱いなあって思ったよ」

 

 ブレーンや主催者は勿論、寡黙で容赦を知らない少年。自分の地位を利用するため他人を意のままに操ろうとする男。弱者を許さない誇り高きドラゴン使いの女性に、生きた人間である自分を、人形のように愛でようとする少女。皆が基本的なことしか知らない自分が弱弱しく思えるほど己の信念、己のポケモンバトルを持っていた。

 

「だけど、それでへこたれるほど君の受け継いだ遺伝子は弱くない。ここまで来たことがそれを証明しているしね」

「うん、いっぱい考えて……今は少しずつ、お父様に近づけてる気がする」

 

 お父様、か。そうジャックは小さく呟いた。ジェムには、聞こえていない。

 

「今はまだそれでもいいのかもしれないね。少なくとも、彼に救われた僕が否定することじゃない。さあ、それじゃあ見せてもらうよ。ポケモンだけじゃない、君の進化と真価を」

「本気、出してくれるのよね?」

「当然だよ、やっとこの時が来たんだ。君のお父さんが約束を守れているかどうか、確かめなきゃね」

 

 ジャックは間違いなくワクワクしている。そしてどこか、期待外れになることを恐れているような気がした。ジェムの父親とジャックがどんな約束を交わしたのかは知らない。だけど、失望させるわけにはいかない。

 

「なら絶対に、負けられない……!」

「良い目をしているね。師匠として、ブレーンとして、いざ勝負!幾重もの層を突破し、王の座を手に入れんとする力強くも美しく輝く二色の眼持つ者よ!ピラミッドのキングは一人、この僕だ!!」

 

 ジャックはたまに、ジェムやその両親のことを目の色で呼ぶ。ほとんどの場合、それは真剣な時だ。ブレーンとしての口上も合わせて、勝負の開始を宣言する。

 

「行くよ、ルリ!」

「現れろ、王潤す清水運びし水の君!スイクン!」



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約束の証明

「行くよ、ルリ!」

「現れろ、王潤す清水運びし水の君!スイクン!」

 

 ボールから出ると同時に、北風が吹いた。やはりというべきか、ジャックの先鋒を務めるのは伝説のポケモンだ。蒼と白によって作られた体のラインは、美しさを超えて神々しくすらある。

 

 

 

 

「まずは無難に行こうか、『オーロラビーム』!」

「ルリ、『アクアジェット』!」

 

まずは小手調べ、というふうでスイクンの周囲の空気が歪み、極冷の風となってマリルリに吹きつけるのを、尾から飛び出る水流によって横っ飛びに躱すマリルリ。

 

「だったら『かぜおこし』だ!」

「一気に突っ込んで!」

 

 スイクンの象徴たる冷たい北風が広範囲に吹き付ける。ジェムはわずかに身震いしたが、分厚い脂肪を持つマリルリなら大したダメージはない。再び瞬発力のある動きでスイクンの横に潜り込む。

 

「へえ……伝説相手に強く出たね」

「悪いけど、ジャックさんでも臆さないわ!ルリ、ジャンケン『グー』!」

 

 緩急の激しい動きに、スイクンの体が一瞬強張る。その隙を見逃さず、『腹太鼓』の攻撃力増強を腕一本に集約した拳で腹の部分に強烈な一撃を加える。スイクンの体が大きく吹き飛んだ。だがジェムは油断しない。

 

(まだ全然本気じゃない、今のは打たせてくれただけ)

 

 技自体もその威力も、伝説の本気とは思えなかった。事実一撃を受けたはずのスイクンは、体の周りの風を操りふわりと着地し、毅然とした目つきは鋭さを増す。

 

「さすが君らしい、可愛らしい攻撃だね」

「褒めてるのかしら?だけど威力は可愛くないわよ!一気に畳みかけて!」

 

 マリルリが吹き飛んだ方向にジェット噴射で近づく――その勢いが、急激に弱くなった。部屋の中に、体の芯から冷えるような冷たい強風が吹き始める。それはマリルリの行く手を阻む逆風となり、スイクンにとっての追い風となった。

アクアジェットの噴射は一瞬だ。風の勢いに負け、ゴロンゴロンと丸い体を転がすマリルリ。スイクンの『追い風』だ。

 

「なら、可愛いだけじゃなくなった弟子にはそれなりの対応をしないとね。北風の象徴たるスイクンの力、見せてあげるよ」

「っ……来るよルリ!」

 

 スイクンが、加速する風に乗って跳ぶ。マリルリはまた横に飛ぶが、スイクンは流れるように追随し、狙いを定める。その口に、青い光が迸る。

 

「『冷凍ビーム』!」

「『身代わり』で逃げて!」

 

 風に邪魔され、身動きを制限されるマリルリは咄嗟に水の分身を作って後ろに下がる。それに冷気の光線が直撃し、一瞬で凍り付いた後粉砕された。

 

「判断も速くなったね。男子三日会わざれば括目して見よとはよく言ったもんだよ」

「私は女よ?」

「冗談冗談」

 

 けらけらと愉快そうに笑うジャック。それを見ていると、おくりび山で毎日相手をしてもらった時を思い出す。ずっと勝てなくて、時には負けて悔しくて泣いたりして。彼はそれを慰めて。その後父親の代わりに笑わせてくれた。この笑顔をくれたのは君のお父さんなんだよといつも言っていた。ジェムが父を強く尊敬しているのは、彼のおかげでもある。

 

「……ルリ、間合いを詰めて!いつでもアレが撃てるようにしててね!」

「確かにさっきの技はなかなかだったけど、出来るかな?」

 

 激しい水の噴射と、冷たい風の流れ。緩急の強い動きを繰り返すマリルリに最初こそ出遅れたが、伝説の威光を持つスイクンは徐々に対応し、拳の間合いに入らせない。そして時折放たれる極寒の光線が、マリルリの体力を削っていく。

マリルリの体が徐々に凍っていき、動きが鈍くなり、間合いから遠ざかる悪循環だ。

 

「それじゃあとどめかな!『冷凍ビーム』!」

「今よルリ!ジャンケン……!」

「そこからじゃ届かないよ?」

 

 マリルリとスイクンの間合いは、およそ4mまで開いていた。マリルリの拳では到底届かない。それでもマリルリはジェムの指示に従い、腕に力を籠める。口に冷気を込めたスイクンが、蒼い光線を放ちまっすぐにマリルリを狙う。力を溜め、太くなった光線は避けられる速さではない。

ジェムはその状況で――確かに、笑った。

 

「『パー』!!」

「ルリー!!」

 

 マリルリが掌にして突き出し、ハイドロポンプと同等の勢いで『アクアジェット』が噴き出す。それは蒼い光線にあたって凍り付き、なおも放たれる水は光線を凍りながら食い尽くすようにスイクンの元へ伸びた。凍った『アクアジェット』がスイクンの顔を直撃する。実質巨大な氷柱が爆発的な速度で突っ込んできたようなものだ。追い風など関係なく壁まで突き飛ばし、スイクンの体が倒れる。

 

「へえ……すごいね。まさか『アクアジェット』があそこまでの威力を持つなんて。『貯水』の特性を持つスイクンでも、凍った水は吸収できない……よく考えたね」

「知らない水ポケモンがいたら水技は全く効かないかもしれないことは頭に入れておきなさいって、ジャックさんに教えてもらったもの」

「よくできました。80点をあげよう。――でも油断するのはまだはやい!」

 

 スイクンにはもう立ち上がるほどの力は残っていない。だが、防御に優れるが故に戦闘不能にはなっていなかった。蒼い目が輝き、『神通力』が発動する。その技は念動力によってマリルリの体を穿ち、水風船を割ったように破裂した。

もちろんジャックにもスイクンにもマリルリを殺すつもりなどない。予想外の光景に、一瞬動きが止まる。

 

「……まさか」

「油断したのはそっちよ!私達の全力、見せてあげる!」

 

 破裂した水は、マリルリの『身代わり』だった。気づかぬ間に、スイクンの体を打ちつけた氷柱は上に傾いて斜めになっていた。それは、『アクアジェット』で上に飛びあがったマリルリが凍った氷柱を持ちあげたせいだった。

体に似合わぬ尋常ではない怪力は。氷柱を完全に持ち上げ、再びスイクンを撃つ巨大な氷のバットにする!

 

「な……逃げろスイクン!」

「どこにいても同じよ!いっけえ、逆転満塁ホームラン!」

 

 ジェムが拳を突き出すと、マリルリは氷柱をフルスイング。フィールドを根こそぎ吹っ飛ばすような動きはスイクンを芯で捉えて、天井まで叩きつけた。落ちてスイクンに、完全に力は残されていない。

 

「……お疲れ様、スイクン」

「ルリ、ありがとう。後で元気にするからね」

 

 ジャックはスイクンが地面に叩きつけられる前にボールに戻し、ジェムもマリルリをボールに戻した。身代わりの使用に消耗が少ない二回のジャンケン、そして最後の一撃はさすがのマリルリといえども通常の力では不可能。調整なしの、全力の『腹太鼓』を使ったためもう体力は残っていない。

 

「スイクンの反撃を予測して身代わりを作っておいたとはね……」

「何が起こるかわからないのがポケモンバトル。強烈な一撃の後も油断は禁物……でしょ?それに、私達がジャックさん相手に油断なんて出来るわけないじゃない。いったい今まで何度負けたかわからないんだから」

「ふふ、楽しいね。さすが僕の弟子だ。やっぱりバトルっていうのはこうでなくっちゃ!!」

 

 ジャックが二つめのモンスターボールを取り出す。ジェムも二体目のクチートを出した。

 

「それじゃあお待ちかね、かつて君のお父さんを苦しめた伝説のポケモンの登場だ!現れ出ちゃえ、全てを弾き返す鋼のヒトガタ――レジスチル!!」

 

 鉛色の丸みを帯びたボディに、表面の点字。いかなる感情も伺えない面持ちが、異常なプレッシャーを放っている。

 

(このポケモンが、昔お父様と戦った……)

 

 話はジェムの母親やジャックから聞いている。まだ旅の途中、圧倒的な力を前に父親が屈しかけた伝説のポケモン。場に出たクチートが『威嚇』をするが、全く意に介した様子を見せない。

 

「あの時は技を出せなくなるまで戦う消耗戦だったけど、君はどうするのかな?君の答えを見せておくれ」

「……私達は正面突破で行くわ!クー、メガシンカ!漆黒を靡かせ、仇なすものをを噛み砕いて!」

 

 ジェムが拳を天につき上げ、クチートの体が桃色の光に包まれる。一つの後ろ顎が枝分かれし、ツインテールのような二口になる。それを持ちあげ、クチートがあざとく笑顔を浮かべた。

 

「さてさて、続いて『力持ち』のポケモンか。ならレジスチル、『呪い』だ!」

「クー、『噛み砕く』!」

 

 レジスチルの体を赤いオーラが覆っていく。ゴーストタイプの『呪い』は相手を呪う黒い呪詛だが、それ以外のポケモンが使った場合は素早さと引き換えに力を上げる赤い呪詛となる。

畏れずメガクチートがレジスチルに挑みかかり、その二つの牙で鋼に噛みついた。鋼と鋼がぶつかり、砕ける音がする。

 

 だがそれは、レジスチルの体が砕けた音ではなかった。クチートの顔が苦痛に歪み、一歩下がる。ジャックには、クチートの二つの顎の歯が砕けているのが見えた。ジェムにも、レジスチルの体が凹みすらしていないのを見て理解する。

 

「あははっ、その程度の攻撃力じゃ僕のレジスチルは倒せないよ!」

「なんて固い身体……!」

「今度はこっちから行くよ、『チャージビーム』!」

 

 レジスチルが両手を重ねて突き出すと、そこから一本の電撃が放たれる。威力も攻撃範囲も大したことはなく、クチートは二つの顎を重ねて防いだ。電流が体に流れるが、痛手ではない。

 

「また最初は手加減した攻撃?」

「いいや、ここからは本気の本気だよ。『チャージビーム』で攻撃した時、自分の体内にも電気を溜めることで自分の特攻を上げることが出来る……さあもう一回だ!」

 

 再び掌から放たれた一条の電撃は、さっきよりわずかだが太く速くなっていた。クチートが弾くが、体に流れる電流で動きがわずかに鈍る。

 

「だったら攻撃力が上がりきる前に攻めるわ!クー『火炎放射』!!」

 

 クチートは、二つの顎を開く。二口に炎が溜まっていき、放たれるのは強烈な炎。メガシンカして顎が増えたことによって、『炎の牙』を遠距離技に昇華させる奥義。

レジスチルはまた電撃を出すが、その威力では相殺しきれず、鋼の体が炎に包まれる。表情はやはり一切伺えないが、鋼タイプに炎技は効くはずだ。

 

「お見事、単に攻撃力が上がっただけじゃなく、苦手な遠距離戦も対応できるようになったんだね。――でもまだ甘い!『アームハンマー』だ!」

「っ、『アームハンマー』!?」

 

 クチートとレジスチルの距離は離れている。『噛み砕く』や『火炎放射』を避けるそぶりを見せなかったことから、レジスチルの移動速度は遅いはずだ。ならば直接攻撃技の『アームハンマー』は当てられないはず……だが、ジェムとクチートは警戒する。

レジスチルは炎に包まれる腕を一度両方後ろに下げ、反動をつけるように前に伸ばす。そう――本当に、その腕がゴムのように勢い良く伸びた。さながら『炎のパンチ』と化した拳が、金属を加工するプレス機のようにクチートを襲い、後ろへ吹き飛ばす。

 

「クー!!」

「確かに鋼には炎がよく効く。だけどレジスチルの防御力はおいそれとは突破できない。下手な攻撃は全て跳ね返すよ!」

「だけどクーはまだ戦えるわ。それに『アームハンマー』は強力だけど使った後は動きが鈍るはず……」

「それでも問題ないさ。僕のレジスチルは攻撃も防御も無敵なんだから。今度は『メタルクロー』!」

「クー、ここは耐えて……!」

 

 レジスチルは、伸ばしたままの腕の先端を鋭くしてクチートの顎ではなく身体を狙う。炎の爪を必死にクチートは捌くが、それでも熱された切っ先はクチートの顎、身を守る盾であり矛を削っていく。

10秒、15秒、20秒。今だ身体そのものを焼かれ続けているのに、レジスチルの攻め手は緩まらない。それどころか、『メタルクロー』の攻撃すればするほど研ぎ澄まされる力で与えるダメージは多くなっている。

 

「……それにお礼を言わなくちゃね。君たちの火炎放射のおかげで本来以上の攻撃が出来るよ」

「どういうこと?」

「ふふ、対戦相手に聞くとは素直だね。それも君の美徳だけど……金属っていうのは熱せられると柔らかくなる。まあレジスチルは元々最も硬く最も柔らかい金属で出来たポケモンではあるんだけど、ね」

「自分の弱点ですら、攻撃のための力に変える。これがジャックさんの本気……!」

 

 レジスチルの特性は『クリアボディ』であり相手による能力の減少を受け付けず、自分の『呪い』に『チャージビーム』、『メタルクロー』で自分の能力を徹底的に上昇させる。元々高い能力を持つがゆえに、速攻で沈めることも極めて難しい。

 

(だけど、弱点はある。それは『呪い』や『アームハンマー』は己の速度を下げること。そしてもう一つ)

 

 ジェムの予想では、その弱点はもうすぐ露呈するはずだ。だからこそここまで攻撃せずに耐えることに集中していた。凌ぎつつも諦めない様子のジェムに対し、ジャックは静かに言う。

 

「ああ。残念だけど、レジスチルは炎に焼かれる直前に『ドわすれ』を使ったみたいだね。『チャージビーム』を一時的に使用する選択肢から消すことで、守りを固めたんだ。……もしかして、特防を上げる手段はないと思ったかな?」

「……!!」

 

 ジェムの表情が険しくなる。レジスチルは特防を大きく上げる技も備えていた。しかも『火炎放射』を受ける前に使われていたのなら、ほとんどダメージはないに等しいだろう。クチートは遠距離攻撃が本分ではないからだ。

 

「手を緩めることに期待して守りに入ったのは失敗だったね。攻撃力がもう4段階、防御が1段階、特攻と特防が2段階……ここまで上がった時点で、もうレジスチルには手が付けられないよ。残念だけど、このまま押し切らせてもらうね」

 

 ジャックの顔が、翳った。その表情は儚くも久遠の時を光る月明りのように淋しげだった。勝利を確信し、これ以上の盛り上がりは望めないからだろう。

そんなジャックを見るのは辛い。彼はジェムにとって兄であり友であり師匠であり、両親にとって大事な人だ。

 

「果たしてそうかしら?」

「えっ?」

 

 だからジェムは啖呵を切った。ジャックに心の底から笑ってほしいから。ジェムの父親がそうであったように、笑わせてあげたいから。

 

「まだまだ、お楽しみはこれからよ!クー、ありったけの力で『冷凍ビーム』!!」

 

 クチートが両顎から一気に冷気を放つ。さっきのスイクンのそれに比べれば弱いが、今までずっと耐えながら力を溜めていた分、持続時間は長い。レジスチルを包む炎は鎮火し、冷えていく。

 

「炎を消せば、クチートに大ダメージは与えられないと思ったかな?姑息な手を使うね」

 

 冷気の放出が止まり、クチートが揃えて前に突き出していた顎が両房に別れる。確かにクチートに与えられるダメージは減るかもしれないが、度重なる『メタルクロー』によって攻撃力は相当上昇している。

 

「ふふ……自分のポケモンを良く見てみなさい!」

 

 自信満々のジェム。ジャックはレジスチルの体を注視したが、鋼の体は周りが凍り付いているものの大きなダメージを受けたとは思えない。『ドわすれ』によって上がった防御能力は、『冷凍ビーム』にも有効だ。

 

「金属は熱くなると柔らかくなる。だったら冷やせば固くなるのよね?もうその腕は自由に操れない!クー、『噛み砕く』!」

「しまった……!」

 

 レジスチルの金属は無限に存在するわけではない。伸ばせば、腕は細くなる。クチートの両顎が、レジスチルの細腕を噛み砕き、先の両爪がゴトリと音を立てて落ちた。いくら能力が上がっていても、細い棒の中間を万力以上の力で潰されればひとたまりもない。

 

「まさか最初から、これを狙って……?」

「確信はなかったけどね。上手く凍らせられれば勝ち目があるかなってくらいだったんだけど、流石ジャックさん。いいことを教えてくれたわ!」

「まったく、君ってやつは……」

「どんなに能力が高くても、技が出せなくなれば勝ち……これがお父様とジャックさんに倣って見つけた私の答えよ!クー、『十万ボルト』!」

 

 再びクチートが顎を揃え、今度は大きな電撃を放ち続ける。一発は大したダメージにはならないが、両腕を失ったレジスチルはただの的だ。時間をかけても倒せるのであれば問題はない。

ジェムの父親は、『影分身』や『怨み』を駆使してレジスチルを行動不能に追い込み、ジェムは腕を破壊することで実質行動の選択肢を奪った。

 

「すごいね、君は。僕の予想なんて、いつの間にか駆け抜けて追い越してしまう」

「まだ勝負は終わってないわ。まだまだ追いつけてすらない。だからもっと楽しみましょう!」

「――もちろんそのつもりだし、レジスチルの技は腕だけじゃない!『ラスターカノン』!」

「こっちも『ラスターカノン』!」

 

 お互いの鈍色の光弾がぶつかり合い、相殺する。直観的にお互いのポケモンは前に出ていた。傷ついた両顎を振るうクチートと、両腕を失い身一つで突進するレジスチル。

鋼タイプ同士、最後に繰り出す技は一緒だった。

 

 

「「『アイアンヘッド』!!」」

 

 

 顎と頭がぶつかり合い、硬いものが砕ける音がした。急激な温度変化に晒され、本来の硬度を維持できなくなったレジスチルの点で出来た顔のような部分が砕け落ちる音だった。

 

「……お見事」

 

 仰向けになって倒れたレジスチルを見て、ジャックは満ち足りた笑顔を浮かべた。20年前の約束は、守られていることを実感できたからだ。そして、自分の感情も自覚した。

 

「君は、自分の父親の言葉が正しいことを証明した。ついこの間、僕と彼がした約束を聞くかい?」

「……うん。聞きたい」

 

 ジャックのついこの間は昨日の事であったり50年前のことであったりするが、今言っているのはジェムが生まれる前、まだジェムの父親が旅をしていたころの話だ。ジェムもそれを察し、今まで語られなかった事実を聞こうとする。

 

「僕は伝説のゲンシカイキによって大体3000年前から生きているっていうのは知ってるよね。君には言わないようにしてたけど、これだけ生きてるともうこの世の全てが退屈になってくるんだ。今までに見た者の繰り返し、同じ過ちを繰り返す人たち。それだけ固い絆で結ばれても、先にいなくなってしまう友人たち……ずっとそばにいてくれるのは、伝説のポケモンだけ。僕はこの世の全てに絶望していたんだ」

「私にはわからないけど……ジャックさんがたまに辛そうなのは、知ってたよ」

「察しのいい子だね。だから僕は、20年前にこの世界をゲンシカイキの力で滅ぼそうとした。そうすれば誰かが、いや君の父親が黙っていない。彼なら僕の中にあるゲンシカイキを壊してくれる。それで僕は、永遠の眠りにつくことが出来る。そのはずだった」

 

 まだ20年も生きていないジェムには到底理解できない感情。自分の尊敬する人がかつて世界を滅ぼそうとしたことを聞かされて、胸が苦しくなる。

 

「お父様は、どうしたの?」

「うん。そのことを彼に言ったら、自分で死のうとしちゃだめだって言ったんだよ。僕の気持ちなんてわからないのに。……いや、僕がポケモンバトルが好きなことだけは、わかってたからかな。だから彼はこう言った」

 

 ジャックは胸に手を当て、歴史を紐解く吟遊詩人のように昔の言葉を詠みあげる。

 

「俺が、誰もが楽しいポケモンバトルを出来るようにこの世界を変えていく!人を笑顔にするチャンピオンになって!誰かを笑顔にしてみせる!そして俺に憧れてくれた誰かがまたチャンピオンにでも何でもなって、志を受け継いでくれればいいんだ!」

「それが、お父様の言葉……」

「……ってね。彼は事実としてチャンピオンになり、今もまだ防衛している。彼に憧れる人は多く、だからこそ様々なバトルを楽しむ最先端の遊技場、バトルフロンティアが誕生した。そして彼の遺伝子と志を受け継ぐ君は、こうして僕の伝説を次々に打倒している。」

「そうだったんだ。やっぱり、お父様は凄いね」

「君もだよ。勿論君を育てたお母さんもだ。……さて、勝負に戻ろうか。約束の証明は済んだ。勝っても負けても、一生忘れないバトルになる。……最高の気分だよ」

「私が勝つわ。こんな話を聞いて、負けられるわけがないもの」

 

 ジャックはモンスターボールを二つ取り出した。中からは岩のヒトガタと氷のヒトガタが現れた。バトルは3対3。後使えるのは一体だけ。しかしジェムは疑問を感じなかった。

 

「今から見せるポケモンこそ、僕が持つ最強の伝説。――さあ行くよ!レジアイス、レジスチル、レジロック!」

 

 ジャックの体が、青、赤、緑の三色の光を放つ。彼は瞳を閉じて、ジェムの聞いたことのない呪文を唱えだした。ジェムはそれを、固唾を飲んで見ている。

 

●● ●○ ●● ○○ ○● ○● ○● ○○ ○○ ●○ ○○ ○●

●○ ●○ ●○ ○● ●○ ○○ ●○ ●● ○● ○● ○● ○●

○○ ○○ ○○ ●● ●○ ○○ ●● ○○ ○○ ○● ●● ●○

 

 

 レジアイスの身体が、氷が解けるように蒼色の光に交じって消える。

 

○○ ●○ ●○ ●● ●● ●● ●○ ●○ ●○ ○○ ○○ ○● ●● ○● ○○

○○ ●○ ○● ●○ ○● ○○ ●● ○● ●○ ○● ○● ●● ○○ ○● ○○

●● ○● ●○ ○○ ●○ ○● ○● ●○ ○● ●● ○○ ○● ○● ●○ ●●

 

 倒れたレジスチルが、溶かした金属が流し込まれるように赤い光となって消える。

 

○○ ●● ●○ ●○ ●○ ●○ ●● ●○ ○○ ●○ ○○ ●● ●○ ○● ○○

○○ ●● ●○ ●● ○○ ○● ●○ ●● ○● ○○ ○● ●● ●○ ○● ○○

●● ○○ ○● ○● ○● ○● ●○ ○● ○○ ○● ●● ○● ○● ●○ ●●

 

 

 残ったレジロックは、大岩が気の遠くなる時間を重ねて苔むすように、緑の光となって消える。だが3体はいなくなったわけではない。ジャックの後ろで光になったまま、伝説の存在感を放っている。

 

●● ○○ ○● ●○ ●○ ●○ ○○ ●● ●○ ○● ●● ○● ●○ ●○ ●● ○○ ●○ ●○ ●○ ●○ ●● ○○ ●○ ●○ ○● ●○ ●○ ●○ ○○ ●○ ●● ○● ○○

●● ○● ●○ ●● ○○ ○● ○● ●● ●○ ●● ○● ●● ○○ ●● ●● ○● ○○ ○● ○● ○○ ○● ○● ○○ ○● ●● ●● ○○ ○● ○● ●● ●● ○● ●●

●○ ●● ●○ ●○ ○● ○○ ○○ ●○ ●● ●○ ●○ ●○ ●○ ○○ ●○ ○● ○○ ○○ ●○ ●○ ○● ○○ ○● ●○ ●○ ●○ ○● ○○ ●○ ●● ○● ●○ ●○

 

 伝説を取り込んだ3色の光が、混じりあっていく。ジャックが唱えるのはこの3体が生まれた時に使われていた点によって表現される古代語。唱えるべき呪文は、あと一つだけ両手を合わせて、詠唱を完了する。

 

○● ○○ ○○ ○● ○○ ○● ○● ○○ ●○ ○○ ○○

○○ ●● ○● ●○ ●● ○○ ●● ●● ○○ ○● ●●

●● ○○ ○○ ○● ○○ ○○ ○● ○○ ○● ●● ●○

 

 3体の伝説は、融合して一体の無垢なる巨人となった。7,8mほどの体が、ジェムとクチートを見下ろす。

 

「現れろ!森羅万象を宿す巨人――レジギガス!」

「こんなポケモンがいるなんて……」

「この子はかつて世界の大陸を飲み込む洪水が起こったとき、大陸を持ちあげて人々を救ったと言われるポケモン。今はさすがにそこまでの大きさはないけれどね。さあ行くよ!」

「『噛み砕く』で迎え撃って!」

 

 レジギガスが寸胴な体に似合わぬ速度で巨腕をまっすぐ伸ばし、クチートの体全体を掴む。それを狙ってクチートの二つの顎が掌に噛みついた。

 

「残念だけど、インド象にコラッタが噛みついたくらいにしかならないよ!『にぎりつぶす』!!」

 

 レジギガスがクチートの体を持ちあげ、リンゴを潰すように力を込めた。腕の中から、クチートの凄まじい悲鳴が聞こえる。何せこの巨体だ。完全に隠れて見えない分、普通に攻撃されるよりずっと不安になった。

 

「クー!」

「大丈夫、絵面は酷いけど命に別状はないよ。『にぎりつぶす』はレジギガスだけの技。相手の体力が多いほど本気で攻撃し、逆に体力がなくなるほど威力は低くなる。戦闘不能になっても、死ぬことはありえない」

 

 レジギガスは害意がないことを示すように腕をジェムの目の前にゆっくり動かし、その手を開いて気絶したクチートをそっとジェムの隣に降ろす。ボールに戻すジェムを見て、伸ばした腕を元に戻した。点で出来た顔からはやはり全く表情がわからないが、その仕草は一個の生命に対する確かな慈しみを感じる。さっきの大陸を持ちあげ人を救った逸話といい、優しいポケモンなのだろう。

 

「さて、お互い残り一体。やっぱり最後はあの子かな?」

「クー、お疲れ様……うん、ラティで行くわ。そして……メガシンカも開放する!」

 

 ボールからラティアスが現れ、すぐさま光に包まれて赤色の体に青が加わり紫色の鋭いボディラインとなった。

 

「メガシンカで真価を発揮する伝説と、融合によってその威容を現す伝説……さあ、決着をつけよう!『にぎりつぶす』!」

「ラティ、『影分身』!」

 

 レジギガスが再び手を伸ばす前に、ラティアスは光の屈折を操って自分の姿を増やす。自身が高速でレジギガスの周りを飛び回ることもあり、向こうの手は空を切る。

 

「『竜の波動』で攻撃よ!」

 

 ラティアスがレジギガスの背後に回り、銀色の波動を放つ。そのまま直撃したが、レジギガスは倒れるどころか、よろめく様子すらない。そこにいたのか、と言わんばかりに振り向いて手を伸ばす。

ラティアスは避ける。躱すのは難しくないが、『にぎりつぶす』を受ければ確実に致命傷だ。

 

「今度は『サイコキネシス』!」

 

 エスパータイプの中でも強力なはずのラティアスの念力は、まるで幼子が親を引っ張ろうとしてるように無力で、微動だにしない。ジャックも特に指示をしないということは、本当に効いていないのだろう。

 

「レジギガスはレジスチル同様の性質を持ってる。あんまりのんびりはしていられないよ?」

「また能力を上げる技を……?」

「いいや、特性『スロースタート』さ。レジギガスは召喚されてから5分間はその本領を発揮できない。攻撃力もスピードも今は半分程度なんだ」

「これで、半分!?」

 

 ラティアスの移動速度にはかなり劣るとはいえ、決して動きは遅くない。威力は既に絶大といえるほどなのに、また全力を出しきれてはいないのか。

 

「だったら『冷凍ビーム』よ!足と肩、緑色の部分を狙って!!」

「ひゅううん!!」

 

 メガラティアスが口から幾条もの蒼い光線を放つ。緑色の部分は恐らくは植物だ。ならば草タイプの可能性はそれなりにあると見て、その部分を凍らせていく。

 

「残念、もう一つ教えてあげるよ。レジギガスは伝説の中では珍しいノーマルタイプ!特別な属性を持たないが故に、明確な弱点は存在しない!」

「特に有効なのは格闘技だけ……」

 

 とはいえ、規格外の巨体に例えば『クロスチョップ』などをしても蠅が止まった程度にしか感じられないだろう。そもそもラティアスは格闘技は使えないので詮無きことではあるが。

 

「このまま五分まで待っててもいいけど、それじゃあまた対策されちゃうかな!レジギガス、『炎のパンチ』!」

 

 レジギガスの腕が燃えていく。それだけで、ストーブに直に当たるような熱気が部屋を包んだ。まだレジギガスはラティアスの影分身を見切ってはいない。振り上げた拳は、本体ではなく分身を殴って空を切ったが異変が起こる。ラティアスの分身が、みるみるうちに形が歪んでいくのだ。

 ラティアスの分身は光の屈折を利用するもの。突然発生した高熱は砂漠で蜃気楼が起こるように、空気を歪ませ、淀ませる。『冷凍ビーム』の氷もあっさりと解けた。

 

「炎そのものの攻撃じゃないのに、ここまで……」

「もうこれで分身は出来ない。今度はこっちが対策させてもらうよ」

 

 また『冷凍ビーム』を使えば空気は冷やせるかもしれないが、そうすればまた『炎のパンチ』で鼬ごっこが続くだけだ。一瞬で氷は解ける。タイプ一致の念力もドラゴン技も効かない。

 

「……『ミストボール』!」

「来たね、ラティアスだけの得意技が」

 

 ラティアスが虹色の球体を作り出し、レジギガスに放つ。当たる直前で霧散し、視界と技の威力を奪う魔法の霧になる。これなら炎のパンチでも溶かすことは出来ない。もともと気化しているのだから当然だ。

ラティアスとジェムにはここから派生して相手の体を水で包んで動きと呼吸を奪い、最後に念力で押しつぶす必殺技がある。だがさすがにレジギガスほどの巨体は包めないし、そもそも息をしているのかもよくわからない。自分を姿を隠すので精いっぱい」

 

「せっかくの専用技も、通用しないかな?」

「……それでも、負けないわ」

「期待してるよ。だけど容赦はしない!レジギガス、『見破る』!」

「ラティ、逃げて!」

 

 レジギガスの腹、左右対称になった3対の目のような部分が光を放つ。その目には、はっきりと霧の中のラティアスの姿が写った。だが警戒し距離を取るラティアスをすぐに攻撃はしない。今の速度では居場所はわかっても逃げられる。

 

「レジギガスの『スロースタート』が切れるまで後30秒……本気の速度で、狙いを定めたレジギガスが攻撃する。それでチェックメイト!」

「くっ……」

 

 本来の速度に戻ったとしても、ラティアスの移動速度に及ぶわけではない。だがジェムとラティアスはそのことはわからない。最大速度の広範囲攻撃を浴びせれば、少なからず硬直するだろう。避けられない。

だけど、ジャックの中に失望や退屈はなかった。まだジェムは13歳。それでスイクンとレジスチルに打ち勝ったのだ。十分褒めたたえるに値する。将来に期待が持てる。

 

(そして、実はあと30秒ではなく15秒、『スロースタート』の影響時間は4分45秒……ジェムはいい子だ。故にこそ隙がある。相手の言うことをなんでもかんでも信じちゃいけないって教えてあげないとね) 

 

 老爺のような、いたずらっ子のような表情を浮かべるジャック。ジェムは必死に考えを巡らせているだろう。あと10秒まで迫ったとき、行動を起こした。

 

「ラティ、時間ぎりぎりまでレジギガスの足を『冷凍ビーム』で凍り付かせて!」

「足元を凍らせれば、動けなくなるっていう作戦か……悪くないね。だけど『炎のパンチ』!」

 

 ラティアスの氷を、レジギガスはだらりと下げた腕を燃やして溶かしていく。それでもラティアスは一心不乱に冷気を放ち続ける。凍って解けて、その繰り返し。動きを封じるには至らない。そしてジャックの仕掛けた罠が発動する。

 

「15,14,13,12,……なぁーんちゃって、0だ!『ギガインパクト』!!」

「えっ……ラティ!」

 

 ラティアスもジェムも、ジャックの言葉を信じたが故完全に虚を突かれた。冷気を放つのは止めたが、動き出しは確実に遅くなった。

一方、ジャックのレジギガスは力を開放するときをずっと待っていた。完全に力を開放したレジギガスは並の速攻型のポケモンを優に超え、音速に近い速度さえ出せる。かつて大陸を動かしたとさえ言わしめた剛腕の動きは、振りかぶっただけで衝撃波を発生させ、部屋全体をびりびりと振るわせた。

3対の瞳も完全にラティアスを捕えている。後はただ単純に拳を振るだけでラティアスは蚊トンボのように撃墜される。

 

 

 直後、バトルピラミッド全てが震撼するほどの衝撃が発生した。

 

 

「……そんな」

 

 

 驚愕の表情を浮かべ、倒れたポケモンを見やるのは――

 

 

「どうして、レジギガスが倒れたんだ!?」

 

 

 レジギガスの体は、殴りかかろうとした瞬間にバランスを崩して転んだ。右腕に溜まっていた超莫大なエネルギーが暴発し、他ならぬレジギガス自身に大ダメージを与える。ラティアスも衝撃波の影響は受けたが、大したダメージにはなっていない。

 

「今よラティ!ありったけの力で『竜の波動』!!」

「ひゅううううううん!!」

 

 残り全てのエネルギーを使い、銀色の波動がレジギガスの右腕を狙う。『ギガインパクト』のエネルギーが暴走して壊れかかった腕は、罅だらけのガラスを小突いたようにばらばらになった。レジギガスが咆哮し、起き上がろうとした動きが止まる。戦闘不能だ。

 

「レジギガスが、負けた……」

「勝った……やったよラティ、みんな!」

 

 レジギガスの体が光になって消え元のレジアイスレジスチルレジロックに戻る。その3体もうつ伏せに倒れ、力を無くしていた。メガシンカを解いたラティアスを、バトルを終えた常として抱きしめる。

ジャックは3体をボールに戻しつつ、ジェムに歩み寄り、手を伸ばした。

 

「まずはバトルピラミッド攻略おめでとう。そしてありがとう。一生忘れないバトルが出来たよ」

「こちらこそありがとう。昔からジャックさんが色々教えてくれたおかげよ」

 

 ジェムは当然師匠の手を取り、固い握手を交わす。するとジャックの手の中には何か小さな硬いものがあった。ジャックは目くばせして、ジェムにそれを渡す。

 

「ピラミッドキングに勝利した証だよ。これを君に渡せて良かった」

「……うん、大切にするわ」

 

 受け取ったシンボルを眺めた後、パーカーの中の内ポケットにしまう。

 

「そろそろ聞いてもいいかな。レジギガスをどうやって倒したのか。あの冷凍ビームはダメージにも足止めにもなっていなかったはずだけど」

 

 倒れた直後に動いたことからして、ジェムは確信をもって何かを仕掛けたはずだ。ジャックがジェムのオッドアイを見つめる。

 

「レジギガスが倒れたのは……ジャックさんが『炎のパンチ』を使ったからだよ」

「どういうことかな?」

「氷の上は滑りやすいっていうけど、カチンコチンの氷は滑らない。あれは氷が少し溶けて水があるから滑るって知ってる?」

「……へえ、むしろよく知ってるね」

「これでも勉強はしてるもの」

 

 レジギガスの炎によって、氷は溶けていく。そのたびにまた凍らせる。結果、氷が少しだけ溶けた状態になる。

 

「そして極め付けは、ジャックさんのレジギガスは一気に最大速度で決着をつけるつもりだったということ。思いっきりパンチをしようとしたら、足だって踏ん張らないといけないわよね。だから地面を踏む力は強くなる。強い力で踏まれれば、氷は溶けるし余計滑りやすくなる」

「そこまで考えてあの技を……」

「ねえジャックさん、私はお父様に近づけたかしら?」

 

 バトルに勝って嬉しそうに言うジェム。その思いは純粋で尊いものだが、少し物悲しくもある。だけど、それを否定する権利は自分にはないとジャックは考えていた。

 

「そうだね、本当に強くなったし、賢くなった。まさにあの二人の意思を継ぐ存在だよ」

「えへへ……」

 

 ジェムにとってはそれが最大の賛辞だ。緩んだ年相応の笑顔を見て、若いなあと思うジャック。

 

「だけどジャックさん、一人忘れてるわ。本気のジャックさんと勝負してみて分かった。私はお父様とお母様と……ジャックさんの強さも、貰って生きたい。3人とも私の尊敬する家族だもん」

「……」

 

 ジャックはぽかんとした表情を浮かべた。3000年の時を経て、なお幼子の姿である自分に家族などできるわけがないと思っていたから。

 

「そっか。そっか。あはは、年を取るといらない心配ばかりしていけないなあ。あははははははっ!!」

「もう、何言ってるのジャックさんったら。それじゃあ……今は帰るけど、これからもいろいろ教えてね?」

 

 哄笑するジャックは、ジェムが今まで見てきたどの時よりもうれしそうだったけど、瞳が緩んで涙が溜まっているのも気が付いた。そのうえでジェムは笑って手を離した。きっと、触れられたくはない涙だろうから。

 

「もちろんだよ。僕の弟子であり妹で大切な孫娘だものね。君はこれからもいろんな人と戦って、勝ったり負けたり、時にはきついことだって直面するだろう。でも君ならどんな苦難だって乗り越えられるよ。そう確信できた」

「うん、皆がいるもの!それじゃあ……またね!」

 

 ジェムは振り返り、部屋から出ていく。そしてラティアスに乗ってポケモンセンターへと戻っていった。ひとまずの休息と、次に進む準備をするために。

 

 

「そっか、家族か……幸せだなあ、バトル以外で生きてる気持ちになったのなんて、いつ以来だろう……ありがとう、本当にありがとう」

 

 

 ジェムが去った後、ジャックは天気雨のような笑顔で涙を零していた。ジェムは初めて誰かを、ポケモンバトルで心からの笑顔を与え、救うことが出来たのだった。

 

 



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死霊の誘い

 

 

 

 

 今更語るまでもないことだが、ジェムはお化けや霊が好きだ。尊敬する父親が使うのは全てゴーストタイプのポケモンであり、テレビでその幽雅さはずっと見ていた。

家では、賢く優しいけれど不器用な母をヨノワールが支えていたし、外に出ればカゲボウズやヨマワルがジェムと遊んでくれた。たまにジャックの友達らしいフーパに悪戯されたりもした。

おくりび山というホウエン最大の墓地がある場所で育ったジェムにとっては、心霊現象は恐れるものではなくワクワクするものだった。

 

「はあ、はあ、はあ……!」

 

 時間は夜。ジェムは夜の中を走っていた。月明かりは、雲に隠れては少し覗いてを繰り返している。彼女の時折後ろを振り返る表情は、恐怖で青ざめていた。その隣には、ラティアスや自分のポケモン達はいない。ボールはあるが、中から出せないのだ。

 

「……来ないで、喋らないで!」

 

 月明かりが差し、ジェムを負う人影の姿が映る。それは父と母、ジャックに似ていた。だが似ているだけの無残な屍が、手を伸ばして追ってくる。至らない娘への、罵詈雑言を吐きながら。

 

『僕に一度勝ったからって得意になって、馬鹿みたい。君のポケモンなんて所詮七光りのもらい物じゃないか』

『ジェム、お前はここに来てから何回負けた?お前のような娘など、ここに送り出すべきじゃなかったな』

『……お前がいなければ、ボクはあの人の傍にずっといられたんだ。お前がいたから、ボクはずっと苦しかった、幸せを奪われた。お前なんて、産まなきゃよかった』

 

「いや、いやあああああああ!!」

 

 その声を聞かないように叫びながら、行く当てもなく逃げる。死霊の誘いが、始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 時間をさかのぼることしばらく。バトルピラミッドを出てポケモンセンターにつくと、もう日が傾いていた。ポケモンは回復してもらったがジェムも仲間もさんざん歩き回って疲れは溜まっている。シンボルも取れたことだし今日はもう休んだ方がいいだろうと判断した。

回復したポケモンを渡される時、ジョーイさんはボールと、緑を基調に一部金色のラインが入った小型のケースを持ってくる。

 

「お待たせしました!お預かりしたポケモンはみんな元気になりましたよ!……それと、こちらをどうぞ!」

「ありがとう……?」

 

 ケースを受け取り、開いてみる。下の部分には8つの窪みがあり、上画面は小さなスクリーンになっていた。電源ボタンを入れるとシンボルをセットしてくださいとの表示が出る。

 

「これを入れればいいのかしら?」

「はい、まずは一個お願いします!」

 

 ジェムはⅣの文字を象るタクティクスシンボルを嵌めてみる。すると、スクリーンに電源が入り地図が表示された。一つの島全体がうつっている。

 

「こちらは、ブレーンに勝利した証を収める『フロンティアパス』でございます。開くと下部分がシンボル収納。そして上画面がこの島の地図を表示できます」

「シンボルをちゃんと飾れるのは嬉しいわね。地図は普通の紙でいいと思うけど」

 

 あまり機械になじみがないため、アナログですむことならアナログでいいと思う性質である。するとジョーイさんはにっこり微笑んだ。

 

「では、もう一つのシンボルをどうぞ」

「……うん」

 

 砂色の三角形を象るピラミッドシンボルをそれぞれの窪みに収める。表示された地図の一カ所に紅い点がついた。首を傾げるジェム。

 

「この点は、お客様のフロンティアパスが島のどの位置にあるか……ひいてはお客様がどこにいるかがわかります。それにですね、少し触ってもいいですか?」

 

 ジェムが頷くと、ジョーイさんはスクリーンの紅い点をタッチした。するとその部分が拡大され、主要な建物の位置と名前が表示される。もう一度タッチすると、このポケモンセンターや近くの建物がはっきり表示された。

 

「このように、操作一つで全体図から拡大図まで、必要に応じた範囲を見ることが出来ます!さらにシンボルがセットされるごとに昨日は追加されていきますので、また獲得したらセットしてみてくださいね」

「これはちょっと便利かも……わかったわ、ありがとうジョーイさん!」

「どういたしまして。それと、もう一つだけ、お伝えしておきたいことがあるのです」

 

 ジョーイさんの目が少し真剣になる。ジェムは勿論大人しく耳を傾けた。顔を近づけ、小声で話すジョーイさん。

 

「実は、フロンティアのシンボルを勝ち取ったものからそれを奪うもの……『闇のシンボルハンター』がこの島に潜んでいるそうなんです。既に被害者も出ているとか。それも窃盗ではなく、バトルによって堂々と奪うそうなのです。なんでも夜に勝利に浮かれて歩くトレーナーを狙うそうなんです」

「ずるいわね……シンボルが欲しいならちゃんと施設に挑戦すればいいのに、悪いことを考える人はいるものね」

「仰る通りでございます。そういうわけで夜出歩くのは危険だと思われるので、くれぐれも安全にはお気をつけを」

「教えてくれてありがとう、ジョーイさん」

 

頭を下げてお礼を言った後、離れる。ポケモンセンターの回復待ちでたくさんの人がいるなか、室内にも拘らず帽子とフードを厚くかぶって携帯ゲームの世界に入り込んでいるダイバに声をかけた。

 

「お待たせ、終わったわ」

「……ん、それちょっと見せて」

 

 ダイバはジェムが今貰ったフロンティアパスを指さす。何の疑問も持たずに渡すと、ダイバも同じものを取り出した。

 

「あれ、あなたも持ってたの?」

「シンボルを一個でも取った人は本当ならポケモンセンターですぐ渡されるよ……昨日はホテルにすぐ行ったから君には渡されなかったけど」

「そうなんだ。ところで何するの?」

 

 ダイバはすぐには答えず、両方のパスを開いて電源をつける。そして自分のパスをジェムのパスに向かい合わせて待つこと数秒。ダイバのパスから『ジェム・クオールの位置情報を登録しました』と声が出る。

 

「はい、返す」

「えっと、何したの?」

「……はあ。君がどこにいるのかすぐにわかるようにしたんだよ」

 

 ダイバは呆れているが、ジェムはまだよくわからない。飲み込めていないジェムに、ダイバは仕方なくという体で自分のパス画面を見せる。そこにはジェムと同じ地図、同じ個所に緑と赤の点が表示されていた。

 

「このパスは衛星によって上空からどのパスがどこにあるのかを監視している。今僕と君のパスが交信したことで、僕のパスには君のパスの位置も表示される様になった。……わかった?」

「……なんとなく。じゃあ私からもあなたの居場所がわかるようになったのかしら」

 

 自分のパスをもう一度見るジェム。しかし、表示される点は自分の赤一個だ。

 

「無理だよ。この機能はシンボルが3つ以上ないと使えない。それと、もし他人にパスを見せるように言われても断るように。……僕だけがわかっていればいいんだ」

「えー……まあいいわ。明日にでももう一つとって、あなたのこともわかるようにするんだから。あ、そういえばあなたはどこの施設のシンボルを取ったの?」

「ファクトリー、ダイス、パレスの3つ」

「ゴコウさんに勝ったのね……」

 

 ラティアスをメガシンカさせても勝てなかった、勝負師の老人。苦い思い出の相手を、ダイバはこう語った。

 

「所詮運任せ。いつまでも最高潮にはならない。じっと待ってれば、そう難しい相手でもないよ」

「簡単に言うわね……でも私も今度は絶対勝つわ!」

「ふん、また調子に乗り始めたんじゃないの?」

「そういうんじゃないわ。負けられない理由が増えたの」

「……へえ。それって何さ」

 

 ダイバの帽子の内にある緑の目が、ジェムを見つめる。一瞬、メタグロスに手も足も出なかったときの恐怖が蘇るが、目は逸らさない。

 

「ピラミッドキングのブレーンは私の師匠だって話はしたわよね。私のポケモンバトルを導いてくれたのはお父様だけじゃない。あの人のためにも、私は負けないって決めたの」

「……ハイハイ、立派なことだね」

 

 そういうと、ダイバは目をそらしてしまった。今度はジェムが目線を合わせる。

 

「あなたには、そういう人はいないの?この人のために負けたくないって思える人」

「いるわけない。……僕は、僕のために戦う。パパやママ、グランパのために戦うなんてあり得ない」

 

 尖った鋼を突き刺すような、冷たい声だった。グランパ、とはだれのことなのかジェムは気になったが、今聞いても答えてはくれないだろう。目深に帽子を被り直したダイバを見て、仕方なく話題を変える。

 

「それと、『闇のシンボルハンター』の話は聞いた?もう取られた人もいるみたいだし、気を付けないと……」

「くだらないね。あんな子供だまし真に受けるわけないだろ」

「え、嘘なの?」

 

 ジョーイさんがあんな嘘をつく理由が思い浮かばないジェム。ダイバがぼそりと聞いた。

 

「……ジェム。このフロンティアが始まったのはいつ」

「二日前ね」

「……シンボルを取った人ってどれくらいいると思う」

「私とあなたと、あと数人?」

「まだ始まったばかりの状態で、そんな存在が広まるのはおかしい。シンボルの強奪なんてこの施設の目的上最大のタブーと言ってもいいにも拘わらず、特に対処しないばかりか平然と情報を流す。しかも『闇のシンボルハンター』なんてネーミング、普通に考えて犯罪者につけない」

「まあそうかも……じゃあなんであんな嘘を?」

「多分嘘……ではないね」

「???」

 

 完全に理解が追い付かず、頭の中にハテナマークが旋回する。それを察したダイバは、大きなため息をついた。

 

「……はあ。結論だけ言うと君みたいな子供は夜道に気を付けましょうってことだよ。お化けを使って子供に言うことを聞かせようってことさ」

 

 これで理解できるわけがないのだが、もうダイバは説明する気を無くしたようだ。ポケモンセンターの出口へ向かう。さっぱりわからないので後で自分で考えることにして、ジェムも後を追った。

ジェムが自分なりに解釈をするより早く――それは、起こった。

 

「お父様……?」

 

 先に気付いたのはジェムだった。日が沈んだフロンティアとはいえ、まだ通行人はいる。その中で、はっきりこちらを見る3つの人影がいた。

人影は、まるで自分を呪いにかけようとするような眼をしていた。まるで生まれたてのゴーストポケモンのように、怨嗟をまき散らしている。輪郭さえ朧なのにジェムの大切な人たちと同じ姿だと理解できた。

偉大な父と、優しい母と、愉快な師匠が、深い不快感を持って自分を見ている。狼狽えだしたジェムを、ダイバは不審の目で見た。自分が全く眼中に入っていないことに謎の苛立ちを覚える。

 

「……ちょっと。いきなり挙動不審になるのやめてくれないかな」

「え、うん。あれ……」

 

 ジェムが人影を示そうと指を伸ばしたその瞬間、耳元で囁き声がした。

 

 

『――出来損ないが』

 

 

 よく知る父親の、全く聞いたことがない声だった。ジェムを凄まじい怖気が襲い、顔面蒼白になる。追い打ちを浴びせるように、母親と師匠の言葉が続く。

 

 

『――あの人はいつだって私を元気にしてくれたのに、お前はどうして気苦労ばかりかけさせるんだい』

 

 

『――僕の300分の1しか生きていないのに、随分偉そうになったね』

 

 

 肩耳から、脳髄を貫くような痛みを伴う声だった。ジェムが愛されたい相手からの、突然の怨嗟に耐えられようはずもない。錯乱同然で、耳を塞いで人影から、声から逃げ出す。

 

「ひっ……!!」

「……サーナイト」

 

 ジェムの見ていたほうをダイバも見たが、特に不思議なものはない。いつも通りの敗者たちが歩いている光景だ。

ならばポケモンによる幻覚あたりだろう。とにかくジェムがまた勝手に動かれると面倒なのは間違いなかった。モンスターボールからサーナイトを出し、子猫の首根っこを掴んで持ちあげるがごとく念力を使わせようとしたが。

だが、モンスターボールからサーナイトは出てこなかった。ボールの中を見るが、サーナイトも困惑しており出てくることを拒否しているわけではないようだった。何度かスイッチを押すが、何の変化もない。

 

「ジャミング……?」

 

 単なる故障とは到底思えない。状況が出来過ぎだ。モンスターボールも立派な電子機器である以上、遠隔で何かしらの妨害は可能であることは知っていたし、故にこそ彼は基本外では一体は護衛のポケモンを出しておく。だがポケモンセンターを出た直後という隙を狙われた。

ジェムの足は速く、思考を巡らせる間に大分遠くに行ってしまった。自力で走って追いつくのは難しい。故に慌てて動かない。周囲を警戒する。すると異常は自分にも現れた。

 

 

『――お前が犯罪者と独裁者の子か』

 

 

 誰のものとも知らぬ、物心ついた時から聞き飽きた声だった。いつの間にか、自分に向かって幾人もの朧な人影が歩いてきている。

 

 

『――ロクに目線も合わせられぬ。いったいどういう教育をされているのか』

 

 

『――どうせ世間体と金のために作られた子供だろう、相手にするだけ無駄だ』

 

 

 虫の羽音のような、耳障りな声。ダイバは狼狽えることなく、人影を見ている。ジェムもこんな声を聞いたのだろうか。

 

(……だとしたら、とんだ弱虫だ)

 

 幼い頃から両親とともに出席させられた社交界。

母親は自分が生まれる前に、大都市を崩壊させようとしたことがあると聞いている。そしてお縄にかかった母親を父親が金で無理やり釈放させた後のうのうと芸能界に返り咲いたらしい。

父親も20歳になるころには自分の会社を持ち、優秀な人間や取引先には十二分な報酬を渡すが、使えないと判断した相手や意に反する存在は容赦なく切り捨て、潰してきた人だ。

 

 世間一般からは絶大な存在意義を持つがゆえに、敵も多い。そしてそのことを二人とも意に介さず何を言われようとも堪えない。常に派手で人目を引く両親の陰で物言わぬ幼子は、出席者にとって優秀で傲慢な二人への恨み言のはけ口だった。

昔一度そのことを母親に伝えたことがあるが、勝手に言わせておけばいいんですよ、と笑ってのたまったことははっきり覚えている。だから今更、特別思うところなどない。結局僕の気持ちなんて誰も考えてないんだと再認識するだけだ。

それはそれとして、あの人影に触れるとどうなるかわからない以上は無視するわけにもいかない。ポケモンセンターに逃げ込んで助けを求めることは不可能ではないが、得策ではないと踏んでいた。

 

(どうせこれも、パパが仕組んだくだらないイベントなんだ)

 

 ジェムに説明が面倒なので言わなかったのは、先の『闇のシンボルハンター』とやらは予期せぬアクシデントではなく、フロンティアが意図的に発生させているシンボル獲得者への試練だということだ。

よってポケモンセンターは実質的に役に立たない。ジェムを追いかけたいところではあるが、人影はジェムの走り去った方から向かってきている。

 

「……何がフロンティアだ。馬鹿馬鹿しいね」

 

 人影たちに踵を返し、曲がり角を利用して身を隠しながら走る。ダイバは昔からポケモンバトルの英才教育を受けている。それは単にポケモンを操り、ポケモンを知ることに留まらない。身体能力は元より、小回りを効かせて相手から逃げることも出来る故に10歳の少年とは思えない身軽さと機転だ。だが5分ほど走っても振り切れなかった。人影は、夜の月のようにいくら走っても一定の距離を保ってついてくるようだった。

ならば、とダイバはフロンティアパスを開きジェムの居場所を確認した。

 

(……どこまで走ったんだよ)

 

 ジェムは、もうフロンティアの大分端の方にいた。多分何も考えずにまっすぐ全力疾走したのだろう。人影に捕まらないようにしつつ、そちらに向かうほかない。

 

 

(僕が最短で全てのシンボルを集めるために、ジェムにはシンボルを保持してもらわないといけない……とはいえ、ここまで手がかかるなんて)

 

 

 ダイバの目的は、ただジェムを支配することだけではない。支配するメリットがなければ、あんな見たことないほどお節介で世間知らずな弱虫と関わろうなどと思わない。目を付けたのは、相手がチャンピオンの娘で持ってるポケモンが強かったから、それだけだ。

 

 

(……それだけだ。だから、せいぜい僕が行くまで無事でいてよ?)

 

 

 モンスターボールを弄りながらフロンティアパスが示す先へ向かう。ジェムを支配しようとしたそもそもの理由を思い出しながら。 



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約束の証明

「行くよ、ルリ!」

「現れろ、王潤す清水運びし水の君!スイクン!」

 

 ボールから出ると同時に、北風が吹いた。やはりというべきか、ジャックの先鋒を務めるのは伝説のポケモンだ。蒼と白によって作られた体のラインは、美しさを超えて神々しくすらある。

 

 

 

 

「まずは無難に行こうか、『オーロラビーム』!」

「ルリ、『アクアジェット』!」

 

まずは小手調べ、というふうでスイクンの周囲の空気が歪み、極冷の風となってマリルリに吹きつけるのを、尾から飛び出る水流によって横っ飛びに躱すマリルリ。

 

「だったら『かぜおこし』だ!」

「一気に突っ込んで!」

 

 スイクンの象徴たる冷たい北風が広範囲に吹き付ける。ジェムはわずかに身震いしたが、分厚い脂肪を持つマリルリなら大したダメージはない。再び瞬発力のある動きでスイクンの横に潜り込む。

 

「へえ……伝説相手に強く出たね」

「悪いけど、ジャックさんでも臆さないわ!ルリ、ジャンケン『グー』!」

 

 緩急の激しい動きに、スイクンの体が一瞬強張る。その隙を見逃さず、『腹太鼓』の攻撃力増強を腕一本に集約した拳で腹の部分に強烈な一撃を加える。スイクンの体が大きく吹き飛んだ。だがジェムは油断しない。

 

(まだ全然本気じゃない、今のは打たせてくれただけ)

 

 技自体もその威力も、伝説の本気とは思えなかった。事実一撃を受けたはずのスイクンは、体の周りの風を操りふわりと着地し、毅然とした目つきは鋭さを増す。

 

「さすが君らしい、可愛らしい攻撃だね」

「褒めてるのかしら?だけど威力は可愛くないわよ!一気に畳みかけて!」

 

 マリルリが吹き飛んだ方向にジェット噴射で近づく――その勢いが、急激に弱くなった。部屋の中に、体の芯から冷えるような冷たい強風が吹き始める。それはマリルリの行く手を阻む逆風となり、スイクンにとっての追い風となった。

アクアジェットの噴射は一瞬だ。風の勢いに負け、ゴロンゴロンと丸い体を転がすマリルリ。スイクンの『追い風』だ。

 

「なら、可愛いだけじゃなくなった弟子にはそれなりの対応をしないとね。北風の象徴たるスイクンの力、見せてあげるよ」

「っ……来るよルリ!」

 

 スイクンが、加速する風に乗って跳ぶ。マリルリはまた横に飛ぶが、スイクンは流れるように追随し、狙いを定める。その口に、青い光が迸る。

 

「『冷凍ビーム』!」

「『身代わり』で逃げて!」

 

 風に邪魔され、身動きを制限されるマリルリは咄嗟に水の分身を作って後ろに下がる。それに冷気の光線が直撃し、一瞬で凍り付いた後粉砕された。

 

「判断も速くなったね。男子三日会わざれば括目して見よとはよく言ったもんだよ」

「私は女よ?」

「冗談冗談」

 

 けらけらと愉快そうに笑うジャック。それを見ていると、おくりび山で毎日相手をしてもらった時を思い出す。ずっと勝てなくて、時には負けて悔しくて泣いたりして。彼はそれを慰めて。その後父親の代わりに笑わせてくれた。この笑顔をくれたのは君のお父さんなんだよといつも言っていた。ジェムが父を強く尊敬しているのは、彼のおかげでもある。

 

「……ルリ、間合いを詰めて!いつでもアレが撃てるようにしててね!」

「確かにさっきの技はなかなかだったけど、出来るかな?」

 

 激しい水の噴射と、冷たい風の流れ。緩急の強い動きを繰り返すマリルリに最初こそ出遅れたが、伝説の威光を持つスイクンは徐々に対応し、拳の間合いに入らせない。そして時折放たれる極寒の光線が、マリルリの体力を削っていく。

マリルリの体が徐々に凍っていき、動きが鈍くなり、間合いから遠ざかる悪循環だ。

 

「それじゃあとどめかな!『冷凍ビーム』!」

「今よルリ!ジャンケン……!」

「そこからじゃ届かないよ?」

 

 マリルリとスイクンの間合いは、およそ4mまで開いていた。マリルリの拳では到底届かない。それでもマリルリはジェムの指示に従い、腕に力を籠める。口に冷気を込めたスイクンが、蒼い光線を放ちまっすぐにマリルリを狙う。力を溜め、太くなった光線は避けられる速さではない。

ジェムはその状況で――確かに、笑った。

 

「『パー』!!」

「ルリー!!」

 

 マリルリが掌にして突き出し、ハイドロポンプと同等の勢いで『アクアジェット』が噴き出す。それは蒼い光線にあたって凍り付き、なおも放たれる水は光線を凍りながら食い尽くすようにスイクンの元へ伸びた。凍った『アクアジェット』がスイクンの顔を直撃する。実質巨大な氷柱が爆発的な速度で突っ込んできたようなものだ。追い風など関係なく壁まで突き飛ばし、スイクンの体が倒れる。

 

「へえ……すごいね。まさか『アクアジェット』があそこまでの威力を持つなんて。『貯水』の特性を持つスイクンでも、凍った水は吸収できない……よく考えたね」

「知らない水ポケモンがいたら水技は全く効かないかもしれないことは頭に入れておきなさいって、ジャックさんに教えてもらったもの」

「よくできました。80点をあげよう。――でも油断するのはまだはやい!」

 

 スイクンにはもう立ち上がるほどの力は残っていない。だが、防御に優れるが故に戦闘不能にはなっていなかった。蒼い目が輝き、『神通力』が発動する。その技は念動力によってマリルリの体を穿ち、水風船を割ったように破裂した。

もちろんジャックにもスイクンにもマリルリを殺すつもりなどない。予想外の光景に、一瞬動きが止まる。

 

「……まさか」

「油断したのはそっちよ!私達の全力、見せてあげる!」

 

 破裂した水は、マリルリの『身代わり』だった。気づかぬ間に、スイクンの体を打ちつけた氷柱は上に傾いて斜めになっていた。それは、『アクアジェット』で上に飛びあがったマリルリが凍った氷柱を持ちあげたせいだった。

体に似合わぬ尋常ではない怪力は。氷柱を完全に持ち上げ、再びスイクンを撃つ巨大な氷のバットにする!

 

「な……逃げろスイクン!」

「どこにいても同じよ!いっけえ、逆転満塁ホームラン!」

 

 ジェムが拳を突き出すと、マリルリは氷柱をフルスイング。フィールドを根こそぎ吹っ飛ばすような動きはスイクンを芯で捉えて、天井まで叩きつけた。落ちてスイクンに、完全に力は残されていない。

 

「……お疲れ様、スイクン」

「ルリ、ありがとう。後で元気にするからね」

 

 ジャックはスイクンが地面に叩きつけられる前にボールに戻し、ジェムもマリルリをボールに戻した。身代わりの使用に消耗が少ない二回のジャンケン、そして最後の一撃はさすがのマリルリといえども通常の力では不可能。調整なしの、全力の『腹太鼓』を使ったためもう体力は残っていない。

 

「スイクンの反撃を予測して身代わりを作っておいたとはね……」

「何が起こるかわからないのがポケモンバトル。強烈な一撃の後も油断は禁物……でしょ?それに、私達がジャックさん相手に油断なんて出来るわけないじゃない。いったい今まで何度負けたかわからないんだから」

「ふふ、楽しいね。さすが僕の弟子だ。やっぱりバトルっていうのはこうでなくっちゃ!!」

 

 ジャックが二つめのモンスターボールを取り出す。ジェムも二体目のクチートを出した。

 

「それじゃあお待ちかね、かつて君のお父さんを苦しめた伝説のポケモンの登場だ!現れ出ちゃえ、全てを弾き返す鋼のヒトガタ――レジスチル!!」

 

 鉛色の丸みを帯びたボディに、表面の点字。いかなる感情も伺えない面持ちが、異常なプレッシャーを放っている。

 

(このポケモンが、昔お父様と戦った……)

 

 話はジェムの母親やジャックから聞いている。まだ旅の途中、圧倒的な力を前に父親が屈しかけた伝説のポケモン。場に出たクチートが『威嚇』をするが、全く意に介した様子を見せない。

 

「あの時は技を出せなくなるまで戦う消耗戦だったけど、君はどうするのかな?君の答えを見せておくれ」

「……私達は正面突破で行くわ!クー、メガシンカ!漆黒を靡かせ、仇なすものをを噛み砕いて!」

 

 ジェムが拳を天につき上げ、クチートの体が桃色の光に包まれる。一つの後ろ顎が枝分かれし、ツインテールのような二口になる。それを持ちあげ、クチートがあざとく笑顔を浮かべた。

 

「さてさて、続いて『力持ち』のポケモンか。ならレジスチル、『呪い』だ!」

「クー、『噛み砕く』!」

 

 レジスチルの体を赤いオーラが覆っていく。ゴーストタイプの『呪い』は相手を呪う黒い呪詛だが、それ以外のポケモンが使った場合は素早さと引き換えに力を上げる赤い呪詛となる。

畏れずメガクチートがレジスチルに挑みかかり、その二つの牙で鋼に噛みついた。鋼と鋼がぶつかり、砕ける音がする。

 

 だがそれは、レジスチルの体が砕けた音ではなかった。クチートの顔が苦痛に歪み、一歩下がる。ジャックには、クチートの二つの顎の歯が砕けているのが見えた。ジェムにも、レジスチルの体が凹みすらしていないのを見て理解する。

 

「あははっ、その程度の攻撃力じゃ僕のレジスチルは倒せないよ!」

「なんて固い身体……!」

「今度はこっちから行くよ、『チャージビーム』!」

 

 レジスチルが両手を重ねて突き出すと、そこから一本の電撃が放たれる。威力も攻撃範囲も大したことはなく、クチートは二つの顎を重ねて防いだ。電流が体に流れるが、痛手ではない。

 

「また最初は手加減した攻撃?」

「いいや、ここからは本気の本気だよ。『チャージビーム』で攻撃した時、自分の体内にも電気を溜めることで自分の特攻を上げることが出来る……さあもう一回だ!」

 

 再び掌から放たれた一条の電撃は、さっきよりわずかだが太く速くなっていた。クチートが弾くが、体に流れる電流で動きがわずかに鈍る。

 

「だったら攻撃力が上がりきる前に攻めるわ!クー『火炎放射』!!」

 

 クチートは、二つの顎を開く。二口に炎が溜まっていき、放たれるのは強烈な炎。メガシンカして顎が増えたことによって、『炎の牙』を遠距離技に昇華させる奥義。

レジスチルはまた電撃を出すが、その威力では相殺しきれず、鋼の体が炎に包まれる。表情はやはり一切伺えないが、鋼タイプに炎技は効くはずだ。

 

「お見事、単に攻撃力が上がっただけじゃなく、苦手な遠距離戦も対応できるようになったんだね。――でもまだ甘い!『アームハンマー』だ!」

「っ、『アームハンマー』!?」

 

 クチートとレジスチルの距離は離れている。『噛み砕く』や『火炎放射』を避けるそぶりを見せなかったことから、レジスチルの移動速度は遅いはずだ。ならば直接攻撃技の『アームハンマー』は当てられないはず……だが、ジェムとクチートは警戒する。

レジスチルは炎に包まれる腕を一度両方後ろに下げ、反動をつけるように前に伸ばす。そう――本当に、その腕がゴムのように勢い良く伸びた。さながら『炎のパンチ』と化した拳が、金属を加工するプレス機のようにクチートを襲い、後ろへ吹き飛ばす。

 

「クー!!」

「確かに鋼には炎がよく効く。だけどレジスチルの防御力はおいそれとは突破できない。下手な攻撃は全て跳ね返すよ!」

「だけどクーはまだ戦えるわ。それに『アームハンマー』は強力だけど使った後は動きが鈍るはず……」

「それでも問題ないさ。僕のレジスチルは攻撃も防御も無敵なんだから。今度は『メタルクロー』!」

「クー、ここは耐えて……!」

 

 レジスチルは、伸ばしたままの腕の先端を鋭くしてクチートの顎ではなく身体を狙う。炎の爪を必死にクチートは捌くが、それでも熱された切っ先はクチートの顎、身を守る盾であり矛を削っていく。

10秒、15秒、20秒。今だ身体そのものを焼かれ続けているのに、レジスチルの攻め手は緩まらない。それどころか、『メタルクロー』の攻撃すればするほど研ぎ澄まされる力で与えるダメージは多くなっている。

 

「……それにお礼を言わなくちゃね。君たちの火炎放射のおかげで本来以上の攻撃が出来るよ」

「どういうこと?」

「ふふ、対戦相手に聞くとは素直だね。それも君の美徳だけど……金属っていうのは熱せられると柔らかくなる。まあレジスチルは元々最も硬く最も柔らかい金属で出来たポケモンではあるんだけど、ね」

「自分の弱点ですら、攻撃のための力に変える。これがジャックさんの本気……!」

 

 レジスチルの特性は『クリアボディ』であり相手による能力の減少を受け付けず、自分の『呪い』に『チャージビーム』、『メタルクロー』で自分の能力を徹底的に上昇させる。元々高い能力を持つがゆえに、速攻で沈めることも極めて難しい。

 

(だけど、弱点はある。それは『呪い』や『アームハンマー』は己の速度を下げること。そしてもう一つ)

 

 ジェムの予想では、その弱点はもうすぐ露呈するはずだ。だからこそここまで攻撃せずに耐えることに集中していた。凌ぎつつも諦めない様子のジェムに対し、ジャックは静かに言う。

 

「ああ。残念だけど、レジスチルは炎に焼かれる直前に『ドわすれ』を使ったみたいだね。『チャージビーム』を一時的に使用する選択肢から消すことで、守りを固めたんだ。……もしかして、特防を上げる手段はないと思ったかな?」

「……!!」

 

 ジェムの表情が険しくなる。レジスチルは特防を大きく上げる技も備えていた。しかも『火炎放射』を受ける前に使われていたのなら、ほとんどダメージはないに等しいだろう。クチートは遠距離攻撃が本分ではないからだ。

 

「手を緩めることに期待して守りに入ったのは失敗だったね。攻撃力がもう4段階、防御が1段階、特攻と特防が2段階……ここまで上がった時点で、もうレジスチルには手が付けられないよ。残念だけど、このまま押し切らせてもらうね」

 

 ジャックの顔が、翳った。その表情は儚くも久遠の時を光る月明りのように淋しげだった。勝利を確信し、これ以上の盛り上がりは望めないからだろう。

そんなジャックを見るのは辛い。彼はジェムにとって兄であり友であり師匠であり、両親にとって大事な人だ。

 

「果たしてそうかしら?」

「えっ?」

 

 だからジェムは啖呵を切った。ジャックに心の底から笑ってほしいから。ジェムの父親がそうであったように、笑わせてあげたいから。

 

「まだまだ、お楽しみはこれからよ!クー、ありったけの力で『冷凍ビーム』!!」

 

 クチートが両顎から一気に冷気を放つ。さっきのスイクンのそれに比べれば弱いが、今までずっと耐えながら力を溜めていた分、持続時間は長い。レジスチルを包む炎は鎮火し、冷えていく。

 

「炎を消せば、クチートに大ダメージは与えられないと思ったかな?姑息な手を使うね」

 

 冷気の放出が止まり、クチートが揃えて前に突き出していた顎が両房に別れる。確かにクチートに与えられるダメージは減るかもしれないが、度重なる『メタルクロー』によって攻撃力は相当上昇している。

 

「ふふ……自分のポケモンを良く見てみなさい!」

 

 自信満々のジェム。ジャックはレジスチルの体を注視したが、鋼の体は周りが凍り付いているものの大きなダメージを受けたとは思えない。『ドわすれ』によって上がった防御能力は、『冷凍ビーム』にも有効だ。

 

「金属は熱くなると柔らかくなる。だったら冷やせば固くなるのよね?もうその腕は自由に操れない!クー、『噛み砕く』!」

「しまった……!」

 

 レジスチルの金属は無限に存在するわけではない。伸ばせば、腕は細くなる。クチートの両顎が、レジスチルの細腕を噛み砕き、先の両爪がゴトリと音を立てて落ちた。いくら能力が上がっていても、細い棒の中間を万力以上の力で潰されればひとたまりもない。

 

「まさか最初から、これを狙って……?」

「確信はなかったけどね。上手く凍らせられれば勝ち目があるかなってくらいだったんだけど、流石ジャックさん。いいことを教えてくれたわ!」

「まったく、君ってやつは……」

「どんなに能力が高くても、技が出せなくなれば勝ち……これがお父様とジャックさんに倣って見つけた私の答えよ!クー、『十万ボルト』!」

 

 再びクチートが顎を揃え、今度は大きな電撃を放ち続ける。一発は大したダメージにはならないが、両腕を失ったレジスチルはただの的だ。時間をかけても倒せるのであれば問題はない。

ジェムの父親は、『影分身』や『怨み』を駆使してレジスチルを行動不能に追い込み、ジェムは腕を破壊することで実質行動の選択肢を奪った。

 

「すごいね、君は。僕の予想なんて、いつの間にか駆け抜けて追い越してしまう」

「まだ勝負は終わってないわ。まだまだ追いつけてすらない。だからもっと楽しみましょう!」

「――もちろんそのつもりだし、レジスチルの技は腕だけじゃない!『ラスターカノン』!」

「こっちも『ラスターカノン』!」

 

 お互いの鈍色の光弾がぶつかり合い、相殺する。直観的にお互いのポケモンは前に出ていた。傷ついた両顎を振るうクチートと、両腕を失い身一つで突進するレジスチル。

鋼タイプ同士、最後に繰り出す技は一緒だった。

 

 

「「『アイアンヘッド』!!」」

 

 

 顎と頭がぶつかり合い、硬いものが砕ける音がした。急激な温度変化に晒され、本来の硬度を維持できなくなったレジスチルの点で出来た顔のような部分が砕け落ちる音だった。

 

「……お見事」

 

 仰向けになって倒れたレジスチルを見て、ジャックは満ち足りた笑顔を浮かべた。20年前の約束は、守られていることを実感できたからだ。そして、自分の感情も自覚した。

 

「君は、自分の父親の言葉が正しいことを証明した。ついこの間、僕と彼がした約束を聞くかい?」

「……うん。聞きたい」

 

 ジャックのついこの間は昨日の事であったり50年前のことであったりするが、今言っているのはジェムが生まれる前、まだジェムの父親が旅をしていたころの話だ。ジェムもそれを察し、今まで語られなかった事実を聞こうとする。

 

「僕は伝説のゲンシカイキによって大体3000年前から生きているっていうのは知ってるよね。君には言わないようにしてたけど、これだけ生きてるともうこの世の全てが退屈になってくるんだ。今までに見た者の繰り返し、同じ過ちを繰り返す人たち。それだけ固い絆で結ばれても、先にいなくなってしまう友人たち……ずっとそばにいてくれるのは、伝説のポケモンだけ。僕はこの世の全てに絶望していたんだ」

「私にはわからないけど……ジャックさんがたまに辛そうなのは、知ってたよ」

「察しのいい子だね。だから僕は、20年前にこの世界をゲンシカイキの力で滅ぼそうとした。そうすれば誰かが、いや君の父親が黙っていない。彼なら僕の中にあるゲンシカイキを壊してくれる。それで僕は、永遠の眠りにつくことが出来る。そのはずだった」

 

 まだ20年も生きていないジェムには到底理解できない感情。自分の尊敬する人がかつて世界を滅ぼそうとしたことを聞かされて、胸が苦しくなる。

 

「お父様は、どうしたの?」

「うん。そのことを彼に言ったら、自分で死のうとしちゃだめだって言ったんだよ。僕の気持ちなんてわからないのに。……いや、僕がポケモンバトルが好きなことだけは、わかってたからかな。だから彼はこう言った」

 

 ジャックは胸に手を当て、歴史を紐解く吟遊詩人のように昔の言葉を詠みあげる。

 

「俺が、誰もが楽しいポケモンバトルを出来るようにこの世界を変えていく!人を笑顔にするチャンピオンになって!誰かを笑顔にしてみせる!そして俺に憧れてくれた誰かがまたチャンピオンにでも何でもなって、志を受け継いでくれればいいんだ!」

「それが、お父様の言葉……」

「……ってね。彼は事実としてチャンピオンになり、今もまだ防衛している。彼に憧れる人は多く、だからこそ様々なバトルを楽しむ最先端の遊技場、バトルフロンティアが誕生した。そして彼の遺伝子と志を受け継ぐ君は、こうして僕の伝説を次々に打倒している。」

「そうだったんだ。やっぱり、お父様は凄いね」

「君もだよ。勿論君を育てたお母さんもだ。……さて、勝負に戻ろうか。約束の証明は済んだ。勝っても負けても、一生忘れないバトルになる。……最高の気分だよ」

「私が勝つわ。こんな話を聞いて、負けられるわけがないもの」

 

 ジャックはモンスターボールを二つ取り出した。中からは岩のヒトガタと氷のヒトガタが現れた。バトルは3対3。後使えるのは一体だけ。しかしジェムは疑問を感じなかった。

 

「今から見せるポケモンこそ、僕が持つ最強の伝説。――さあ行くよ!レジアイス、レジスチル、レジロック!」

 

 ジャックの体が、青、赤、緑の三色の光を放つ。彼は瞳を閉じて、ジェムの聞いたことのない呪文を唱えだした。ジェムはそれを、固唾を飲んで見ている。

 

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 レジアイスの身体が、氷が解けるように蒼色の光に交じって消える。

 

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 倒れたレジスチルが、溶かした金属が流し込まれるように赤い光となって消える。

 

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 残ったレジロックは、大岩が気の遠くなる時間を重ねて苔むすように、緑の光となって消える。だが3体はいなくなったわけではない。ジャックの後ろで光になったまま、伝説の存在感を放っている。

 

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 伝説を取り込んだ3色の光が、混じりあっていく。ジャックが唱えるのはこの3体が生まれた時に使われていた点によって表現される古代語。唱えるべき呪文は、あと一つだけ両手を合わせて、詠唱を完了する。

 

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 3体の伝説は、融合して一体の無垢なる巨人となった。7,8mほどの体が、ジェムとクチートを見下ろす。

 

「現れろ!森羅万象を宿す巨人――レジギガス!」

「こんなポケモンがいるなんて……」

「この子はかつて世界の大陸を飲み込む洪水が起こったとき、大陸を持ちあげて人々を救ったと言われるポケモン。今はさすがにそこまでの大きさはないけれどね。さあ行くよ!」

「『噛み砕く』で迎え撃って!」

 

 レジギガスが寸胴な体に似合わぬ速度で巨腕をまっすぐ伸ばし、クチートの体全体を掴む。それを狙ってクチートの二つの顎が掌に噛みついた。

 

「残念だけど、インド象にコラッタが噛みついたくらいにしかならないよ!『にぎりつぶす』!!」

 

 レジギガスがクチートの体を持ちあげ、リンゴを潰すように力を込めた。腕の中から、クチートの凄まじい悲鳴が聞こえる。何せこの巨体だ。完全に隠れて見えない分、普通に攻撃されるよりずっと不安になった。

 

「クー!」

「大丈夫、絵面は酷いけど命に別状はないよ。『にぎりつぶす』はレジギガスだけの技。相手の体力が多いほど本気で攻撃し、逆に体力がなくなるほど威力は低くなる。戦闘不能になっても、死ぬことはありえない」

 

 レジギガスは害意がないことを示すように腕をジェムの目の前にゆっくり動かし、その手を開いて気絶したクチートをそっとジェムの隣に降ろす。ボールに戻すジェムを見て、伸ばした腕を元に戻した。点で出来た顔からはやはり全く表情がわからないが、その仕草は一個の生命に対する確かな慈しみを感じる。さっきの大陸を持ちあげ人を救った逸話といい、優しいポケモンなのだろう。

 

「さて、お互い残り一体。やっぱり最後はあの子かな?」

「クー、お疲れ様……うん、ラティで行くわ。そして……メガシンカも開放する!」

 

 ボールからラティアスが現れ、すぐさま光に包まれて赤色の体に青が加わり紫色の鋭いボディラインとなった。

 

「メガシンカで真価を発揮する伝説と、融合によってその威容を現す伝説……さあ、決着をつけよう!『にぎりつぶす』!」

「ラティ、『影分身』!」

 

 レジギガスが再び手を伸ばす前に、ラティアスは光の屈折を操って自分の姿を増やす。自身が高速でレジギガスの周りを飛び回ることもあり、向こうの手は空を切る。

 

「『竜の波動』で攻撃よ!」

 

 ラティアスがレジギガスの背後に回り、銀色の波動を放つ。そのまま直撃したが、レジギガスは倒れるどころか、よろめく様子すらない。そこにいたのか、と言わんばかりに振り向いて手を伸ばす。

ラティアスは避ける。躱すのは難しくないが、『にぎりつぶす』を受ければ確実に致命傷だ。

 

「今度は『サイコキネシス』!」

 

 エスパータイプの中でも強力なはずのラティアスの念力は、まるで幼子が親を引っ張ろうとしてるように無力で、微動だにしない。ジャックも特に指示をしないということは、本当に効いていないのだろう。

 

「レジギガスはレジスチル同様の性質を持ってる。あんまりのんびりはしていられないよ?」

「また能力を上げる技を……?」

「いいや、特性『スロースタート』さ。レジギガスは召喚されてから5分間はその本領を発揮できない。攻撃力もスピードも今は半分程度なんだ」

「これで、半分!?」

 

 ラティアスの移動速度にはかなり劣るとはいえ、決して動きは遅くない。威力は既に絶大といえるほどなのに、また全力を出しきれてはいないのか。

 

「だったら『冷凍ビーム』よ!足と肩、緑色の部分を狙って!!」

「ひゅううん!!」

 

 メガラティアスが口から幾条もの蒼い光線を放つ。緑色の部分は恐らくは植物だ。ならば草タイプの可能性はそれなりにあると見て、その部分を凍らせていく。

 

「残念、もう一つ教えてあげるよ。レジギガスは伝説の中では珍しいノーマルタイプ!特別な属性を持たないが故に、明確な弱点は存在しない!」

「特に有効なのは格闘技だけ……」

 

 とはいえ、規格外の巨体に例えば『クロスチョップ』などをしても蠅が止まった程度にしか感じられないだろう。そもそもラティアスは格闘技は使えないので詮無きことではあるが。

 

「このまま五分まで待っててもいいけど、それじゃあまた対策されちゃうかな!レジギガス、『炎のパンチ』!」

 

 レジギガスの腕が燃えていく。それだけで、ストーブに直に当たるような熱気が部屋を包んだ。まだレジギガスはラティアスの影分身を見切ってはいない。振り上げた拳は、本体ではなく分身を殴って空を切ったが異変が起こる。ラティアスの分身が、みるみるうちに形が歪んでいくのだ。

 ラティアスの分身は光の屈折を利用するもの。突然発生した高熱は砂漠で蜃気楼が起こるように、空気を歪ませ、淀ませる。『冷凍ビーム』の氷もあっさりと解けた。

 

「炎そのものの攻撃じゃないのに、ここまで……」

「もうこれで分身は出来ない。今度はこっちが対策させてもらうよ」

 

 また『冷凍ビーム』を使えば空気は冷やせるかもしれないが、そうすればまた『炎のパンチ』で鼬ごっこが続くだけだ。一瞬で氷は解ける。タイプ一致の念力もドラゴン技も効かない。

 

「……『ミストボール』!」

「来たね、ラティアスだけの得意技が」

 

 ラティアスが虹色の球体を作り出し、レジギガスに放つ。当たる直前で霧散し、視界と技の威力を奪う魔法の霧になる。これなら炎のパンチでも溶かすことは出来ない。もともと気化しているのだから当然だ。

ラティアスとジェムにはここから派生して相手の体を水で包んで動きと呼吸を奪い、最後に念力で押しつぶす必殺技がある。だがさすがにレジギガスほどの巨体は包めないし、そもそも息をしているのかもよくわからない。自分を姿を隠すので精いっぱい」

 

「せっかくの専用技も、通用しないかな?」

「……それでも、負けないわ」

「期待してるよ。だけど容赦はしない!レジギガス、『見破る』!」

「ラティ、逃げて!」

 

 レジギガスの腹、左右対称になった3対の目のような部分が光を放つ。その目には、はっきりと霧の中のラティアスの姿が写った。だが警戒し距離を取るラティアスをすぐに攻撃はしない。今の速度では居場所はわかっても逃げられる。

 

「レジギガスの『スロースタート』が切れるまで後30秒……本気の速度で、狙いを定めたレジギガスが攻撃する。それでチェックメイト!」

「くっ……」

 

 本来の速度に戻ったとしても、ラティアスの移動速度に及ぶわけではない。だがジェムとラティアスはそのことはわからない。最大速度の広範囲攻撃を浴びせれば、少なからず硬直するだろう。避けられない。

だけど、ジャックの中に失望や退屈はなかった。まだジェムは13歳。それでスイクンとレジスチルに打ち勝ったのだ。十分褒めたたえるに値する。将来に期待が持てる。

 

(そして、実はあと30秒ではなく15秒、『スロースタート』の影響時間は4分45秒……ジェムはいい子だ。故にこそ隙がある。相手の言うことをなんでもかんでも信じちゃいけないって教えてあげないとね) 

 

 老爺のような、いたずらっ子のような表情を浮かべるジャック。ジェムは必死に考えを巡らせているだろう。あと10秒まで迫ったとき、行動を起こした。

 

「ラティ、時間ぎりぎりまでレジギガスの足を『冷凍ビーム』で凍り付かせて!」

「足元を凍らせれば、動けなくなるっていう作戦か……悪くないね。だけど『炎のパンチ』!」

 

 ラティアスの氷を、レジギガスはだらりと下げた腕を燃やして溶かしていく。それでもラティアスは一心不乱に冷気を放ち続ける。凍って解けて、その繰り返し。動きを封じるには至らない。そしてジャックの仕掛けた罠が発動する。

 

「15,14,13,12,……なぁーんちゃって、0だ!『ギガインパクト』!!」

「えっ……ラティ!」

 

 ラティアスもジェムも、ジャックの言葉を信じたが故完全に虚を突かれた。冷気を放つのは止めたが、動き出しは確実に遅くなった。

一方、ジャックのレジギガスは力を開放するときをずっと待っていた。完全に力を開放したレジギガスは並の速攻型のポケモンを優に超え、音速に近い速度さえ出せる。かつて大陸を動かしたとさえ言わしめた剛腕の動きは、振りかぶっただけで衝撃波を発生させ、部屋全体をびりびりと振るわせた。

3対の瞳も完全にラティアスを捕えている。後はただ単純に拳を振るだけでラティアスは蚊トンボのように撃墜される。

 

 

 直後、バトルピラミッド全てが震撼するほどの衝撃が発生した。

 

 

「……そんな」

 

 

 驚愕の表情を浮かべ、倒れたポケモンを見やるのは――

 

 

「どうして、レジギガスが倒れたんだ!?」

 

 

 レジギガスの体は、殴りかかろうとした瞬間にバランスを崩して転んだ。右腕に溜まっていた超莫大なエネルギーが暴発し、他ならぬレジギガス自身に大ダメージを与える。ラティアスも衝撃波の影響は受けたが、大したダメージにはなっていない。

 

「今よラティ!ありったけの力で『竜の波動』!!」

「ひゅううううううん!!」

 

 残り全てのエネルギーを使い、銀色の波動がレジギガスの右腕を狙う。『ギガインパクト』のエネルギーが暴走して壊れかかった腕は、罅だらけのガラスを小突いたようにばらばらになった。レジギガスが咆哮し、起き上がろうとした動きが止まる。戦闘不能だ。

 

「レジギガスが、負けた……」

「勝った……やったよラティ、みんな!」

 

 レジギガスの体が光になって消え元のレジアイスレジスチルレジロックに戻る。その3体もうつ伏せに倒れ、力を無くしていた。メガシンカを解いたラティアスを、バトルを終えた常として抱きしめる。

ジャックは3体をボールに戻しつつ、ジェムに歩み寄り、手を伸ばした。

 

「まずはバトルピラミッド攻略おめでとう。そしてありがとう。一生忘れないバトルが出来たよ」

「こちらこそありがとう。昔からジャックさんが色々教えてくれたおかげよ」

 

 ジェムは当然師匠の手を取り、固い握手を交わす。するとジャックの手の中には何か小さな硬いものがあった。ジャックは目くばせして、ジェムにそれを渡す。

 

「ピラミッドキングに勝利した証だよ。これを君に渡せて良かった」

「……うん、大切にするわ」

 

 受け取ったシンボルを眺めた後、パーカーの中の内ポケットにしまう。

 

「そろそろ聞いてもいいかな。レジギガスをどうやって倒したのか。あの冷凍ビームはダメージにも足止めにもなっていなかったはずだけど」

 

 倒れた直後に動いたことからして、ジェムは確信をもって何かを仕掛けたはずだ。ジャックがジェムのオッドアイを見つめる。

 

「レジギガスが倒れたのは……ジャックさんが『炎のパンチ』を使ったからだよ」

「どういうことかな?」

「氷の上は滑りやすいっていうけど、カチンコチンの氷は滑らない。あれは氷が少し溶けて水があるから滑るって知ってる?」

「……へえ、むしろよく知ってるね」

「これでも勉強はしてるもの」

 

 レジギガスの炎によって、氷は溶けていく。そのたびにまた凍らせる。結果、氷が少しだけ溶けた状態になる。

 

「そして極め付けは、ジャックさんのレジギガスは一気に最大速度で決着をつけるつもりだったということ。思いっきりパンチをしようとしたら、足だって踏ん張らないといけないわよね。だから地面を踏む力は強くなる。強い力で踏まれれば、氷は溶けるし余計滑りやすくなる」

「そこまで考えてあの技を……」

「ねえジャックさん、私はお父様に近づけたかしら?」

 

 バトルに勝って嬉しそうに言うジェム。その思いは純粋で尊いものだが、少し物悲しくもある。だけど、それを否定する権利は自分にはないとジャックは考えていた。

 

「そうだね、本当に強くなったし、賢くなった。まさにあの二人の意思を継ぐ存在だよ」

「えへへ……」

 

 ジェムにとってはそれが最大の賛辞だ。緩んだ年相応の笑顔を見て、若いなあと思うジャック。

 

「だけどジャックさん、一人忘れてるわ。本気のジャックさんと勝負してみて分かった。私はお父様とお母様と……ジャックさんの強さも、貰って生きたい。3人とも私の尊敬する家族だもん」

「……」

 

 ジャックはぽかんとした表情を浮かべた。3000年の時を経て、なお幼子の姿である自分に家族などできるわけがないと思っていたから。

 

「そっか。そっか。あはは、年を取るといらない心配ばかりしていけないなあ。あははははははっ!!」

「もう、何言ってるのジャックさんったら。それじゃあ……今は帰るけど、これからもいろいろ教えてね?」

 

 哄笑するジャックは、ジェムが今まで見てきたどの時よりもうれしそうだったけど、瞳が緩んで涙が溜まっているのも気が付いた。そのうえでジェムは笑って手を離した。きっと、触れられたくはない涙だろうから。

 

「もちろんだよ。僕の弟子であり妹で大切な孫娘だものね。君はこれからもいろんな人と戦って、勝ったり負けたり、時にはきついことだって直面するだろう。でも君ならどんな苦難だって乗り越えられるよ。そう確信できた」

「うん、皆がいるもの!それじゃあ……またね!」

 

 ジェムは振り返り、部屋から出ていく。そしてラティアスに乗ってポケモンセンターへと戻っていった。ひとまずの休息と、次に進む準備をするために。

 

 

「そっか、家族か……幸せだなあ、バトル以外で生きてる気持ちになったのなんて、いつ以来だろう……ありがとう、本当にありがとう」

 

 

 ジェムが去った後、ジャックは天気雨のような笑顔で涙を零していた。ジェムは初めて誰かを、ポケモンバトルで心からの笑顔を与え、救うことが出来たのだった。



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死霊の誘い

今更語るまでもないことだが、ジェムはお化けや霊が好きだ。尊敬する父親が使うのは全てゴーストタイプのポケモンであり、テレビでその幽雅さはずっと見ていた。

家では、賢く優しいけれど不器用な母をヨノワールが支えていたし、外に出ればカゲボウズやヨマワルがジェムと遊んでくれた。たまにジャックの友達らしいフーパに悪戯されたりもした。

おくりび山というホウエン最大の墓地がある場所で育ったジェムにとっては、心霊現象は恐れるものではなくワクワクするものだった。

 

「はあ、はあ、はあ……!」

 

 時間は夜。ジェムは夜の中を走っていた。月明かりは、雲に隠れては少し覗いてを繰り返している。彼女の時折後ろを振り返る表情は、恐怖で青ざめていた。その隣には、ラティアスや自分のポケモン達はいない。ボールはあるが、中から出せないのだ。

 

「……来ないで、喋らないで!」

 

 月明かりが差し、ジェムを負う人影の姿が映る。それは父と母、ジャックに似ていた。だが似ているだけの無残な屍が、手を伸ばして追ってくる。至らない娘への、罵詈雑言を吐きながら。

 

『僕に一度勝ったからって得意になって、馬鹿みたい。君のポケモンなんて所詮七光りのもらい物じゃないか』

『ジェム、お前はここに来てから何回負けた?お前のような娘など、ここに送り出すべきじゃなかったな』

『……お前がいなければ、ボクはあの人の傍にずっといられたんだ。お前がいたから、ボクはずっと苦しかった、幸せを奪われた。お前なんて、産まなきゃよかった』

 

「いや、いやあああああああ!!」

 

 その声を聞かないように叫びながら、行く当てもなく逃げる。死霊の誘いが、始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 時間をさかのぼることしばらく。バトルピラミッドを出てポケモンセンターにつくと、もう日が傾いていた。ポケモンは回復してもらったがジェムも仲間もさんざん歩き回って疲れは溜まっている。シンボルも取れたことだし今日はもう休んだ方がいいだろうと判断した。

回復したポケモンを渡される時、ジョーイさんはボールと、緑を基調に一部金色のラインが入った小型のケースを持ってくる。

 

「お待たせしました!お預かりしたポケモンはみんな元気になりましたよ!……それと、こちらをどうぞ!」

「ありがとう……?」

 

 ケースを受け取り、開いてみる。下の部分には8つの窪みがあり、上画面は小さなスクリーンになっていた。電源ボタンを入れるとシンボルをセットしてくださいとの表示が出る。

 

「これを入れればいいのかしら?」

「はい、まずは一個お願いします!」

 

 ジェムはⅣの文字を象るタクティクスシンボルを嵌めてみる。すると、スクリーンに電源が入り地図が表示された。一つの島全体がうつっている。

 

「こちらは、ブレーンに勝利した証を収める『フロンティアパス』でございます。開くと下部分がシンボル収納。そして上画面がこの島の地図を表示できます」

「シンボルをちゃんと飾れるのは嬉しいわね。地図は普通の紙でいいと思うけど」

 

 あまり機械になじみがないため、アナログですむことならアナログでいいと思う性質である。するとジョーイさんはにっこり微笑んだ。

 

「では、もう一つのシンボルをどうぞ」

「……うん」

 

 砂色の三角形を象るピラミッドシンボルをそれぞれの窪みに収める。表示された地図の一カ所に紅い点がついた。首を傾げるジェム。

 

「この点は、お客様のフロンティアパスが島のどの位置にあるか……ひいてはお客様がどこにいるかがわかります。それにですね、少し触ってもいいですか?」

 

 ジェムが頷くと、ジョーイさんはスクリーンの紅い点をタッチした。するとその部分が拡大され、主要な建物の位置と名前が表示される。もう一度タッチすると、このポケモンセンターや近くの建物がはっきり表示された。

 

「このように、操作一つで全体図から拡大図まで、必要に応じた範囲を見ることが出来ます!さらにシンボルがセットされるごとに昨日は追加されていきますので、また獲得したらセットしてみてくださいね」

「これはちょっと便利かも……わかったわ、ありがとうジョーイさん!」

「どういたしまして。それと、もう一つだけ、お伝えしておきたいことがあるのです」

 

 ジョーイさんの目が少し真剣になる。ジェムは勿論大人しく耳を傾けた。顔を近づけ、小声で話すジョーイさん。

 

「実は、フロンティアのシンボルを勝ち取ったものからそれを奪うもの……『闇のシンボルハンター』がこの島に潜んでいるそうなんです。既に被害者も出ているとか。それも窃盗ではなく、バトルによって堂々と奪うそうなのです。なんでも夜に勝利に浮かれて歩くトレーナーを狙うそうなんです」

「ずるいわね……シンボルが欲しいならちゃんと施設に挑戦すればいいのに、悪いことを考える人はいるものね」

「仰る通りでございます。そういうわけで夜出歩くのは危険だと思われるので、くれぐれも安全にはお気をつけを」

「教えてくれてありがとう、ジョーイさん」

 

頭を下げてお礼を言った後、離れる。ポケモンセンターの回復待ちでたくさんの人がいるなか、室内にも拘らず帽子とフードを厚くかぶって携帯ゲームの世界に入り込んでいるダイバに声をかけた。

 

「お待たせ、終わったわ」

「……ん、それちょっと見せて」

 

 ダイバはジェムが今貰ったフロンティアパスを指さす。何の疑問も持たずに渡すと、ダイバも同じものを取り出した。

 

「あれ、あなたも持ってたの?」

「シンボルを一個でも取った人は本当ならポケモンセンターですぐ渡されるよ……昨日はホテルにすぐ行ったから君には渡されなかったけど」

「そうなんだ。ところで何するの?」

 

 ダイバはすぐには答えず、両方のパスを開いて電源をつける。そして自分のパスをジェムのパスに向かい合わせて待つこと数秒。ダイバのパスから『ジェム・クオールの位置情報を登録しました』と声が出る。

 

「はい、返す」

「えっと、何したの?」

「……はあ。君がどこにいるのかすぐにわかるようにしたんだよ」

 

 ダイバは呆れているが、ジェムはまだよくわからない。飲み込めていないジェムに、ダイバは仕方なくという体で自分のパス画面を見せる。そこにはジェムと同じ地図、同じ個所に緑と赤の点が表示されていた。

 

「このパスは衛星によって上空からどのパスがどこにあるのかを監視している。今僕と君のパスが交信したことで、僕のパスには君のパスの位置も表示される様になった。……わかった?」

「……なんとなく。じゃあ私からもあなたの居場所がわかるようになったのかしら」

 

 自分のパスをもう一度見るジェム。しかし、表示される点は自分の赤一個だ。

 

「無理だよ。この機能はシンボルが3つ以上ないと使えない。それと、もし他人にパスを見せるように言われても断るように。……僕だけがわかっていればいいんだ」

「えー……まあいいわ。明日にでももう一つとって、あなたのこともわかるようにするんだから。あ、そういえばあなたはどこの施設のシンボルを取ったの?」

「ファクトリー、ダイス、パレスの3つ」

「ゴコウさんに勝ったのね……」

 

 ラティアスをメガシンカさせても勝てなかった、勝負師の老人。苦い思い出の相手を、ダイバはこう語った。

 

「所詮運任せ。いつまでも最高潮にはならない。じっと待ってれば、そう難しい相手でもないよ」

「簡単に言うわね……でも私も今度は絶対勝つわ!」

「ふん、また調子に乗り始めたんじゃないの?」

「そういうんじゃないわ。負けられない理由が増えたの」

「……へえ。それって何さ」

 

 ダイバの帽子の内にある緑の目が、ジェムを見つめる。一瞬、メタグロスに手も足も出なかったときの恐怖が蘇るが、目は逸らさない。

 

「ピラミッドキングのブレーンは私の師匠だって話はしたわよね。私のポケモンバトルを導いてくれたのはお父様だけじゃない。あの人のためにも、私は負けないって決めたの」

「……ハイハイ、立派なことだね」

 

 そういうと、ダイバは目をそらしてしまった。今度はジェムが目線を合わせる。

 

「あなたには、そういう人はいないの?この人のために負けたくないって思える人」

「いるわけない。……僕は、僕のために戦う。パパやママ、グランパのために戦うなんてあり得ない」

 

 尖った鋼を突き刺すような、冷たい声だった。グランパ、とはだれのことなのかジェムは気になったが、今聞いても答えてはくれないだろう。目深に帽子を被り直したダイバを見て、仕方なく話題を変える。

 

「それと、『闇のシンボルハンター』の話は聞いた?もう取られた人もいるみたいだし、気を付けないと……」

「くだらないね。あんな子供だまし真に受けるわけないだろ」

「え、嘘なの?」

 

 ジョーイさんがあんな嘘をつく理由が思い浮かばないジェム。ダイバがぼそりと聞いた。

 

「……ジェム。このフロンティアが始まったのはいつ」

「二日前ね」

「……シンボルを取った人ってどれくらいいると思う」

「私とあなたと、あと数人?」

「まだ始まったばかりの状態で、そんな存在が広まるのはおかしい。シンボルの強奪なんてこの施設の目的上最大のタブーと言ってもいいにも拘わらず、特に対処しないばかりか平然と情報を流す。しかも『闇のシンボルハンター』なんてネーミング、普通に考えて犯罪者につけない」

「まあそうかも……じゃあなんであんな嘘を?」

「多分嘘……ではないね」

「???」

 

 完全に理解が追い付かず、頭の中にハテナマークが旋回する。それを察したダイバは、大きなため息をついた。

 

「……はあ。結論だけ言うと君みたいな子供は夜道に気を付けましょうってことだよ。お化けを使って子供に言うことを聞かせようってことさ」

 

 これで理解できるわけがないのだが、もうダイバは説明する気を無くしたようだ。ポケモンセンターの出口へ向かう。さっぱりわからないので後で自分で考えることにして、ジェムも後を追った。

ジェムが自分なりに解釈をするより早く――それは、起こった。

 

「お父様……?」

 

 先に気付いたのはジェムだった。日が沈んだフロンティアとはいえ、まだ通行人はいる。その中で、はっきりこちらを見る3つの人影がいた。

人影は、まるで自分を呪いにかけようとするような眼をしていた。まるで生まれたてのゴーストポケモンのように、怨嗟をまき散らしている。輪郭さえ朧なのにジェムの大切な人たちと同じ姿だと理解できた。

偉大な父と、優しい母と、愉快な師匠が、深い不快感を持って自分を見ている。狼狽えだしたジェムを、ダイバは不審の目で見た。自分が全く眼中に入っていないことに謎の苛立ちを覚える。

 

「……ちょっと。いきなり挙動不審になるのやめてくれないかな」

「え、うん。あれ……」

 

 ジェムが人影を示そうと指を伸ばしたその瞬間、耳元で囁き声がした。

 

 

『――出来損ないが』

 

 

 よく知る父親の、全く聞いたことがない声だった。ジェムを凄まじい怖気が襲い、顔面蒼白になる。追い打ちを浴びせるように、母親と師匠の言葉が続く。

 

 

『――あの人はいつだって私を元気にしてくれたのに、お前はどうして気苦労ばかりかけさせるんだい』

 

 

『――僕の300分の1しか生きていないのに、随分偉そうになったね』

 

 

 肩耳から、脳髄を貫くような痛みを伴う声だった。ジェムが愛されたい相手からの、突然の怨嗟に耐えられようはずもない。錯乱同然で、耳を塞いで人影から、声から逃げ出す。

 

「ひっ……!!」

「……サーナイト」

 

 ジェムの見ていたほうをダイバも見たが、特に不思議なものはない。いつも通りの敗者たちが歩いている光景だ。

ならばポケモンによる幻覚あたりだろう。とにかくジェムがまた勝手に動かれると面倒なのは間違いなかった。モンスターボールからサーナイトを出し、子猫の首根っこを掴んで持ちあげるがごとく念力を使わせようとしたが。

だが、モンスターボールからサーナイトは出てこなかった。ボールの中を見るが、サーナイトも困惑しており出てくることを拒否しているわけではないようだった。何度かスイッチを押すが、何の変化もない。

 

「ジャミング……?」

 

 単なる故障とは到底思えない。状況が出来過ぎだ。モンスターボールも立派な電子機器である以上、遠隔で何かしらの妨害は可能であることは知っていたし、故にこそ彼は基本外では一体は護衛のポケモンを出しておく。だがポケモンセンターを出た直後という隙を狙われた。

ジェムの足は速く、思考を巡らせる間に大分遠くに行ってしまった。自力で走って追いつくのは難しい。故に慌てて動かない。周囲を警戒する。すると異常は自分にも現れた。

 

 

『――お前が犯罪者と独裁者の子か』

 

 

 誰のものとも知らぬ、物心ついた時から聞き飽きた声だった。いつの間にか、自分に向かって幾人もの朧な人影が歩いてきている。

 

 

『――ロクに目線も合わせられぬ。いったいどういう教育をされているのか』

 

 

『――どうせ世間体と金のために作られた子供だろう、相手にするだけ無駄だ』

 

 

 虫の羽音のような、耳障りな声。ダイバは狼狽えることなく、人影を見ている。ジェムもこんな声を聞いたのだろうか。

 

(……だとしたら、とんだ弱虫だ)

 

 幼い頃から両親とともに出席させられた社交界。

母親は自分が生まれる前に、大都市を崩壊させようとしたことがあると聞いている。そしてお縄にかかった母親を父親が金で無理やり釈放させた後のうのうと芸能界に返り咲いたらしい。

父親も20歳になるころには自分の会社を持ち、優秀な人間や取引先には十二分な報酬を渡すが、使えないと判断した相手や意に反する存在は容赦なく切り捨て、潰してきた人だ。

 

 世間一般からは絶大な存在意義を持つがゆえに、敵も多い。そしてそのことを二人とも意に介さず何を言われようとも堪えない。常に派手で人目を引く両親の陰で物言わぬ幼子は、出席者にとって優秀で傲慢な二人への恨み言のはけ口だった。

昔一度そのことを母親に伝えたことがあるが、勝手に言わせておけばいいんですよ、と笑ってのたまったことははっきり覚えている。だから今更、特別思うところなどない。結局僕の気持ちなんて誰も考えてないんだと再認識するだけだ。

それはそれとして、あの人影に触れるとどうなるかわからない以上は無視するわけにもいかない。ポケモンセンターに逃げ込んで助けを求めることは不可能ではないが、得策ではないと踏んでいた。

 

(どうせこれも、パパが仕組んだくだらないイベントなんだ)

 

 ジェムに説明が面倒なので言わなかったのは、先の『闇のシンボルハンター』とやらは予期せぬアクシデントではなく、フロンティアが意図的に発生させているシンボル獲得者への試練だということだ。

よってポケモンセンターは実質的に役に立たない。ジェムを追いかけたいところではあるが、人影はジェムの走り去った方から向かってきている。

 

「……何がフロンティアだ。馬鹿馬鹿しいね」

 

 人影たちに踵を返し、曲がり角を利用して身を隠しながら走る。ダイバは昔からポケモンバトルの英才教育を受けている。それは単にポケモンを操り、ポケモンを知ることに留まらない。身体能力は元より、小回りを効かせて相手から逃げることも出来る故に10歳の少年とは思えない身軽さと機転だ。だが5分ほど走っても振り切れなかった。人影は、夜の月のようにいくら走っても一定の距離を保ってついてくるようだった。

ならば、とダイバはフロンティアパスを開きジェムの居場所を確認した。

 

(……どこまで走ったんだよ)

 

 ジェムは、もうフロンティアの大分端の方にいた。多分何も考えずにまっすぐ全力疾走したのだろう。人影に捕まらないようにしつつ、そちらに向かうほかない。

 

 

(僕が最短で全てのシンボルを集めるために、ジェムにはシンボルを保持してもらわないといけない……とはいえ、ここまで手がかかるなんて)

 

 

 ダイバの目的は、ただジェムを支配することだけではない。支配するメリットがなければ、あんな見たことないほどお節介で世間知らずな弱虫と関わろうなどと思わない。目を付けたのは、相手がチャンピオンの娘で持ってるポケモンが強かったから、それだけだ。

 

 

(……それだけだ。だから、せいぜい僕が行くまで無事でいてよ?)

 

 

 モンスターボールを弄りながらフロンティアパスが示す先へ向かう。ジェムを支配しようとしたそもそもの理由を思い出しながら。 



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闇のシンボルハンター

モンスターボールが開かないことにも途中で気づき、逃げ惑うように走り続けたジェムはいつの間にか島の南端まで来ていた。行き止まり、万事休すと思ったその時。突然耳元での囁き声が消え、後ろを振り向くと自分を追う人影は消えていた。

別のところから来てはいないか、そもそもここはどこかと周りを確認する。

 

「お墓……?」

 

 たくさんの墓石に、ゴーストタイプの気配がたくさん。自分の家の近くにある見慣れた光景。だが知らない土地、人のいない暗闇、そして何よりさっきまでの状況がジェムに恐怖心を植え付ける。

墓石には怨念が籠り、枯れ木には執念が宿り、この墓地というフィールドが闇そのもの。そんな印象を受ける。

 

「と、とにかくあの子のところに戻ろう」

 

 フロンティアパスを開き、ずいぶん遠くまで来てしまったと認識する。ダイバの位置が確認できないのがもどかしい。来た道を戻ろうとすると、帰り道が無数の枯れ木で防がれていた。訝しげに見つめると、それはオーロットだった。樹木の中から瞳で見つめられ、慌てて飛びのく。

仕方なく別の帰り道を探そうとすると、突然墓石からけたたましい笑い声が響いた。思わず悲鳴をあげるジェム。笑い声の方を見ると、デスカーンがジェムをいくつもの腕で指さししていた。それに反応したのか、複数のゲンガーが寄ってきてジェムを『くろいまなざし』で見つめる。走り続けて火照ったジェムの体が一気に体温を奪われ冷えてゆき、歯の根が合わなくなる。足も震えて、逃げ出すことが出来ない。

 

そうなんしたとき いのちをうばいに くらやみから あらわれることが あるという――昔母親に見せてもらった絵本が現実となって襲い来るようだった。だけど、初めての恐怖心が心を埋め尽くして何をすればいいのかもわからない。

 

 (お願い、助けて……!)

 

 ゲンガーが自分に手を伸ばしてくるのを見て、腰のモンスターボールをがむしゃらに触る。何回押しても出てこないことはわかっていても、藁をもすがる気持ちで。そして――ボールは、開いた。

 

「ペタペタ、ミラ……」

 

 真っ先に出てきたのは、ジュペッタとヤミラミだった。二体同時に『シャドークロー』を使い、寄ってきたゲンガーを切り裂く。ゲンガーの姿が闇に溶け――離れたところで再び、出現した。

ヤミラミは周囲を警戒しつつ、近づく敵に漆黒の爪を振るっている。ジュペッタが自分に近寄り、ジェムをぬいぐるみのような腕で抱きしめた。ジェムの瞳から、涙が零れる。

 

「怖かったよぉ……」

 

 大好きな人の幻影から怨み事を聞かされる。それはまだ十年ほどしか生きていない子供には耐えがたい痛みだった。普段どれだけチャンピオンの娘として振る舞っていても、まだまだ脆い部分はある。

そんな彼女をジュペッタは父の代わりをするようにハグをして。自分の能力、人のマイナス感情を吸収する力を使ってジェムの心を落ち着かせる。そして、彼女の腰のモンスターボールを示した。

中には、支えてあげるべき少女が泣いているのをもどかしそうに見る仲間たちがいる。ジェムは全てのモンスターボールのスイッチを開き、頼れる仲間たちを呼び出した。

 

「……ありがとう、みんな」

 

 まだ涙声ではあるが、恐怖心は消えていた。ずっと自分を支えてくれた友達が傍にいるなら、暗闇もゴーストポケモンも怖くない。

 

「さあ、今度はこっちの番だよ!」

 

 ジュペッタとヤミラミが同時に黒い爪を振るってゲンガーを切り裂き続ける。マリルリとクチートがデスカーンにじゃれついて、その体を金色の折り紙で遊ぶように折り曲げる。ラティアスが、強力な念力でオーロットと枯れ木を捻じ曲げ、キュウコンの炎がまとめて焼き尽くした。

倒れた相手のゴーストポケモンの怨念に引き寄せられるように、次のポケモンが寄ってくるが、澱みなく倒していくジェムたち。

5分ほど戦って、ようやくポケモン達は寄ってこなくなった。

 

「終わったね……みんな疲れてたのにごめんね」

 

 バトルピラミッドの疲労は残っているからもう休もうと思ったのに、結局戦わせてしまった。労いつつも謝るジェムに、仲間たちはみんな交代交代にジェムを撫でたり、抱きしめたりする。

しばらく触れ合った後、ジェムはボールに戻そうとするが、皆首を振った。まだ危ないからみんなで帰ろうと言ってくれているようだった。

 

「……じゃあ、あの子には悪いけどのんびり歩いて帰りましょう」

 

 強がる弱い自分を、認めて傍にいてくれることに感謝して。今度こそ来た道を戻ろうとした、その時だった。

 

 

『そんな自分の手持ちに甘えっきりで、俺の娘であることを誇るのか?』

 

 

 肩が震えた。よく知る父と同じ声で、でも絶対に口にしない言葉だった。周囲を見渡すが、さっきの人影はない。

 

「さっきから……誰がこんなことをしているの!ミラ、『見破る』!」

 

 ヤミラミが、瞳を凝らして敵を探知する。ジェムが大声で叫ぶが、返事はない。代わりに、また呪文のような囁き声が耳元で響く。

 

『私達が与えたポケモンなのに、我がもの顔で指示を出すじゃないか。どうせ私のことも、偏屈な女だと見下しているんだろう?』

 

 母親の、たまに他人と会話するときに口に出す卑屈な言葉。でもジェムに向けられたことはなかった。

 

「そんなことない!さっきから、私の大事な人達を騙って……姿を見せなさい!」

 

 きっぱりと宣言した時、ヤミラミが敵の位置を見破った。瞳が光り、宝石のような輝く岩が飛んでいく。すると、突然現れた漆黒の球体が相殺した。言わずとしれた『シャドーボール』だ。

ぶつかり合った煙の向こうから、初めて聞く男の声がする。

 

「ほお……まったくの考えなしでもなかったか。さすがあの女の娘……とでも言っておいてやるよ」

 

 人影が歪んで、正体を現す。魔女の帽子をイメージさせるゴーストポケモン、ムウマージだった。その囁き声は、相手に呪いを与える。ジェムが受けたのは間違いなくそれだ。大方相手のもっとも聞きたくない言葉が聞こえるようにしていたのだろう。そしてその後ろには、黒いコートと帽子を被った金髪の男がいた。こんなに夜も暗いのに、瞳がはっきり自分に敵意を向けているのがわかる。

そしてその言葉に、ジェムは少なからず違和感を覚えた。

 

「お母様を、知ってるの?」

 

 ジェムのことをチャンピオンの娘と呼ぶ人は珍しくない。お墓参りにおくりび山を訪れる人々は大体そう呼ぶ。

母親もおくりび山の巫女という立場であり、一応おくりび山の代表者ではあるのだが。母親のあまり人と関わりたがらない性格と、時の流れ、グラードンとカイオーガの管理はジャックがしていることによってそもそも巫女という職業が無用になっていた。ジェムが生まれて数年後には、ジェムには巫女を継がせることはしないと話し合いで決めたらしい。

そうした背景があり、他人が母親のことを口に出すのはかなり珍しい。警戒するジェムに対して、金髪の男は鼻で笑った。

 

「はっ、知ってるさ。お前よりずっとな」

「……あなた、何者なの」

 

 十年以上一緒にいた立場として、自分より知っていると言われるのは気分がよくない。問いかけに、相手はこう答える。

 

「何者ねえ……名乗るなら『闇のシンボルハンター』だ。くだらねえ通り名だがな」

「あなたが……!それじゃあ、あの人影もさっきのゴーストポケモンもそのために」

「そういうこった。腰抜け相手ならわざわざバトルしなくてもビビッて渡してくれるからな……最前線の施設もちょろいもんだぜ」

 

 闇のシンボルハンターは、掌を前に突き出し開く。その手の上には、奪ったであろうシンボルがいくつもあった。

 

「あんな人影で驚かせて、必死に勝ち取ったシンボルを奪って……そんなことして、いいと思ってるの?」

「知ったことじゃねえな。どうせてめえも、俺にシンボルを取られて泣きながら家に帰るんだからよ」

「そんなことさせない。捕まえて、警察の人に引き渡してあげるんだから」

「はっ、さっきまであんなにビビってたくせに強気だねぇ。臆病で弱いくせに他人には強がる……ろくでもないところばかりあの女に似たもんだ」

「お母様は弱くなんかない!馬鹿にしないで」

 

 やはりジェムの母親を知っている口ぶりだ。そして見下していることも見て取れた。自分の愛する家族を馬鹿にされて平気でいられるジェムではない。

 

「随分と大事に想ってるみたいだが、果たしてあの女はてめえを大事に想ってるのかね?」

「……そうに決まってるわ、いい加減ふざけないで!!」

 

 はっきりとした怒声。幼いながらに覇気のあるそれは、空気を震わせ闇のシンボルハンターを名乗る男を一瞬黙らせた。

 

「わかったよ。俺もお喋りするためにここに呼んだわけじゃねえ……てめえの持つシンボルは根こそぎ頂く」

 

 ムウマージの周りに、枯れた枝葉が集まっていく。戦闘態勢に入ったのが伝わってきた。

 

「いいわ。私が負けたら全部あげる。ただし私が勝ったら……今まで奪ったシンボルは全部返してもらう。それとお母さまの何を知ってるかも話してもらうわ!」

「やなこった」

「なっ……!」

 

 勝負を仕掛けておきながら、こちらの要求は拒否された顔が赤くなるジェム。闇のシンボルハンターは当然のように言った。

 

「なんでお前のシンボル二つに俺が今まで集めたシンボルを全部返す必要があるんだ?母親のことは話してやってもいいが、それを受ける義理はねえ。ま、負けたらシンボルを渡すだけじゃなく、あの女みたいにもう金輪際バトルはしませんっていうなら考えないでも――」

「……その約束なら、いいのね?」

 

 闇のシンボルハンターの言葉が止まり、正気を疑うような眼でジェムを見た。なんで見ず知らずの他人のために自分の今後まで賭ける必要があるのか。

 

「人の努力の結晶を奪って、聞きたくもない嘘っぱちの声を聴かせるあなたを!大事な人への想いを踏みにじるあなたのことは、絶対に許せない!」

 

 ラティアスが、自分の仲間たちがジェムを近づいてオッドアイを見つめた。両親が自慢できるようなポケモントレーナーになることをジェムが強く願っていることを何よりもよく知っているからだ。今のジェムは熱くなりすぎて、取り返しのつかないことをしようとしているのではないかと。

それに対して、ジェムは優しい目をして仲間たちに言った。

 

「……大丈夫よ、負けたってあなたたちとお別れしなきゃいけないわけじゃない。昔みたいに友達としていられる。バトルしてなくたってお母様も一緒にいるポケモンも幸せだし、それに……あなたたちがいてくれれば、こんな卑怯者に負けるはずがないもの」

 

 強がりだ。勝てる保証がないことなど、今までの敗戦でよくわかっているはずだ。それでも絶対にこの男の行動を許してはいけないと、ジェムは言っている。なら、その思いに従おうと、ポケモン達は頷いた。

むしろ闇のシンボルハンターの方が面喰っていたが、すぐに敵意に満ちた表情に戻る。

 

「じゃあさくっと頂くか。後悔しても知らねえぜ?ルールは6対6のフルバトル。勝負の形式は……『一度に、何体ポケモンを出してもいい』だ」

「……!」

 

 これはかなり異色のルールだ。基本的にはシングルダブルトリプルと、相手と自分の一度に出せるポケモンの数は同じと決まっているのがセオリー。だがこのルールなら極端な話、6体いっぺんに相手を攻撃することもできる。というより、基本それが最善と言っていい。

闇のシンボルハンターは、ボールから新たにサマヨールを繰り出した。他には出さない。

 

「俺はまずはこのムウマージとサマヨールで行く。……覚悟は出来たか?」

「いいわ。何のつもりか知らないけど、私達全員で一気に終わらせてあげる!」

 

 ジェムはすでに6体を場に出している。相手は2体。彼我の戦力差は言うまでもない。自分の仲間たちに目くばせと、ボールを持った腕を振って意思を伝えるジェム。

仲間たちは臨戦態勢に入る。その様子を見て、相手は笑った。

 

「ククク……確かにな。貴様の親譲りのポケモンは強力だ。一気に終わるだろうよ」

「だったら、降参したら。みんな、いっけえ!」

 

 ジェムが真意をつかみ切れず、それでも後手に回るまいと仲間を相手に接近させる。虚勢を嘲笑うように闇のシンボルハンターが動いた。

 

 

「ただしこのバトルにはおっそろしい罠が秘められていてなぁ……勝負は貴様らの滅びによって終わるんだよ!『黒い眼差し』、『滅びの歌』!!」

 

 

 サマヨールの一つ目が千ほどに分裂したような錯覚を受け、周囲を不思議なプレッシャーが覆う。ムウマージが不吉極まる不協和音を奏で、周り一体を死の歌が響く。

『滅びの歌』は自他問わず聞いた全てのポケモン時間経過とともに問答無用で葬り去る恐ろしい技。滅びの運命から逃れるためにはボールに戻る必要がある。だが『黒い眼差し』は相手に逃げることを許さない。

つまり、6体のポケモンを出しているジェムは例え一切のダメージを追わなくても時間が経てば全員が戦闘不能になり、敗北する。何も知らず6体で向かって来た相手を実質瞬殺する、闇のシンボルハンターの脅威の戦術――!

 

「――教えてやるよ、俺のムウマージの『滅びの歌』で死滅する時間は30秒……その間に決めることは不可能、つまり貴様の負けだ!」

 

 このルールでは6体同時に出すことも出来れば1体だけ出すこともできる。一体ずつ『守る』等の技でしのぎながら黒い眼差しを使っていけば、余裕で10分は持つ。

 

「ははははは!人生最後のポケモンバトル、随分儚い終わりだったな。残り30秒でせいぜい親への言い訳を考えるか?それとも、自棄になって戦うか?」

「……いいえ、そのどちらでもないわ」

 

 ジェムの傍に控え、『滅びの歌』による音符の呪詛が纏わりつく6体のうち5体、ジュペッタを残してその姿が解けて消えていく。闇のシンボルハンターとその手持ちの2体が周りを見渡した。

 

「どこに消えた……いや、どのみちこの呪歌から逃れる術はねえ。関係ねえか」

「それはどうかしら?勝負は始まったばかりよ」

「何っ?」

 

 ジェムは自信満々に自分のモンスターボール5つを見せる。闇に目が慣れきっているシンボルハンターにはその中にポケモン達が入っているのが見えた。

 

「どういうことだ、『黒い眼差し』は発動している。まさか『綺麗な抜け殻』でも持たせてやがったか?」

 

 『綺麗な抜け殻』とはたとえどんな状態になってもバトルから逃げることが出来るようになる道具だ。貴重品でありジェムは所持していない。理由は、もっと簡単だった。

 

「私は、ゴーストタイプのエキスパートの娘よ。あなたがこのバトル方法を提案してきた瞬間から!あなたみたいな卑怯者は『滅びの歌』で一撃必殺を狙ってくることくらい読めてたわ!ペタペタ、『ゴーストダイブ』!」

 

 突撃していたのはジュペッタだけ。後の5体はジュペッタが作り出した『影分身』であり。その影を纏って、サマヨールに強力なタックルを見舞った。どっしりとした体が、数メートル地面を削って後ろに下がる。

 

「まさかてめえ、最初から……!」

「当然、そもそも黒い眼差しを使われる前にボールに戻してたわ。それでも私に勝てるって思うのなら……やってみればいい!」

 

 闇のシンボルハンターが、悪鬼のような獰猛な笑みを浮かべる。潰しがいのある敵と戦う喜びが現れていた。

 

 

「てめえもその程度の一撃でサマヨールを倒せたと思うんじゃねえぞ……これからもっと悍ましい、闇そのもののバトルを見せてやるぜ!」

 

 



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5VS6!ZワザVSメガシンカ(1)

夜中のバトルフロンティアで、挑戦者が獲得したフロンティアシンボルを狙うシンボルハンターに仕掛けられた賭けたバトル。自分の知らない両親の秘密を知っているらしいシンボルハンターにジェムは負けたらもうポケモンバトルはしないという条件で自分が勝ったら両親について知っていることを話し、今まで奪ったシンボルも返してもらうと約束する。

 バトルのルールは6VS6、そして『一度に何度でもポケモンを出していい』というもの。ジェムはシンボルハンターの戦略をゴースト使いのエキスパートである父の誇りにかけて見破った。驚く相手の隙を突いてジェムのジュペッタがサマヨールを大きく吹き飛ばし――

 

「サマヨール、『重力』だ!」

「ペタペタ!」

 

 サマヨールが両手から力を放ち、ジュペッタの動きを制限しようとする。だがその前にジュペッタが伸ばした影がサマヨールの腕を貫いた。

 

「具体的な指示なしでの『影打ち』……さすがにあのサファイアの娘だけあって基本は抑えてやがるか」

「そういうことよ、あなたもゴースト使いみたいだけど、こんな卑怯なことをする人には絶対負けない……!」

 

 シンボルハンターがサマヨールをボールに戻す。睨みつけるジェムをまるで子犬に吠えられたような眼で見下すと、次のポケモンを出した。

 

「現れろ、古の王者を守る剣……ギルガルド!」

 

 正面に大楯を構えた体は剣そのもののようなポケモン、ギルガルドが『滅びの歌』を詠唱していたムウマージを守るように立ちはだかる。ジェムもジュペッタが『滅びの歌』の影響で倒れる前に引っ込めた。

 

「次はこの二体で行く。そっちは何匹でも出していいんだぜ?」

「なら、私も二体で行くわ! 出てきてキュキュ、ミラ!」

 

 出すのはキュウコンとヤミラミだ。ヤミラミはジェムの正面で守るように爪を構え、キュウコンはシンボルハンターに向かって尻尾を逆立て、珍しく吠えるように鳴いた。

 

「キュキュも、お母様を馬鹿にされて許せないよね……頑張ろうね!」

「はっ、懐かしい奴が出てきたじゃねえか。俺の事はまだ恨んでるのか?まあキュウコンだし当たり前か」

「キュキュ、お母様と一緒にいた時にこの人と会ったことがあるの?」

 

 キュウコンは頷く。このキュウコンは元々ジェムの母親の手持ちだった。母親も相当ポケモンバトルが強かったらしいのだが、ジェムが生まれるより前にポケモンバトルはやらなくなったと聞いているし、バトルしているのも見たことがない。

 自分の手持ちがはっきり示すのなら、目の前の男が両親について知っていることは事実なのだろう。

 

「恨みがあるって、あなたはお母様とキュキュに何をしたの」

「そいつはお前がこのバトルに勝てたら教えてやるよ、万に一つもあり得ないがな!」

「そんなことない……行くよキュキュ、『火炎放射』!ミラはキュキュのサポートに回って!」

 

 キュウコンが金色の尾の一本一本から炎を放つ。合計9つの火柱が相手の二体に迫るが、シンボルハンターはやれやれと首を振った。

 

「お前の技は20年経ったのに進歩なしかよ?ムウマージ、『マジカルフレイム』!」

 

 ムウマージの眼前から鬼火とは違う規則的に揺らめく炎が湧き出る。だがその炎の規模はキュウコンのそれよりは随分と少ない。

 

「その程度じゃキュキュの怒りは止められないわ! いっけえ!」

「止めるんじゃねえ……操るんだよ。『マジカルフレイム』の効果を見せてやれ!」

 

 ムウマージの小さな炎が、キュウコンの火炎とぶつかり――相殺するのではなく、中に浸食して。キュウコンの出したはずの炎がまるでムウマージのものになったように相手の身体の周りに渦巻く。

 

「キュキュの炎が……! ならミラ、『パワージェム』!」

「こっちも『パワージェム』だ!」

 

 ヤミラミとムウマージの眼前から輝く石のような光が飛んでいく。やはりヤミラミの方が一つ一つが大きく、威力は高く見える。なのに、同じようにぶつかり合った途端ムウマージの意思によって操られ、滞空する。

 

「ムウマージは様々な呪詛を操る亡霊の魔術師。全ての特殊攻撃はいくらでも手玉にとれるんだよ。さあ、貴様ら自身の攻撃を食らうがいい!!」

 

 ムウマージが眼を妖しく光らせると、滞空させたキュウコンの炎とヤミラミの石を一斉にこちらに飛ばしてきた。

 

「ミラ、『守る』!!」

 

 ヤミラミがキュウコンの前にすかさず立ちはだかり、パワージェムを巨大化させたような光石のバリアで防ぐ。自分たち二体分の攻撃を受けてバリアが砕け散ったが、ダメージはない。

 

「これで終わりと思うなよ?ギルガルド、『シャドークロー』!」

「しまった、ミラもう一度……!」

 

 すかさずギルガルドが剣の身体を振りかざして、その陰影さえ刃と変えてキュウコンの体を狙う。盾を砕かれた直後では対応出来ず、影の刃が深々とキュウコンを切り裂き、一刀で地に伏せさせる。仰け反ることもなく、前のめりにキュウコンの体が倒れていく。ジェムは駆け寄ってすぐに傷を見た。すぐにこれ以上は戦わせられないと判断する。

 

「ごめんねキュキュ、すぐにボールに……」

「珍しく息巻いたと思ったら一撃で終わりかよ。『影分身』くらいの罠は張ってあるかと思ったがその程度か?お前、あいつといた時の方が強かったんじゃ――」

「――――きゅううん!!」

 

 バカにしたようなシンボルハンターに向かって吠えると同時に、尻尾ではなく口から直接炎を吐く。剣を振り切ったばかりのギルガルドが盾を構えるよりもムウマージの呪詛で炎が操られるよりも早く、その刀身を紅蓮の炎が焼き尽くした。ギルガルドが派手な音を立てて地面に盾を落とし、動かなくなる。キュウコンも無理やり炎を吐いたことで、傷口が少し焼けて余計にひどくなった。

 

「何ッ……!? ちっ、足掻きやがって」

 

 舌打ちするシンボルハンターに対し、キュウコンをボールに戻してやりながら、ジェムはキュウコンの声、内に込められた感情を理解する。普段の甘えん坊ともいえる態度からは予想もつかないほど激しい、憎悪と言ってもいい怒り。

 

「キュキュ、本当にお母様のことが大好きなんだよ。私の手持ちになってからもよくお母様に甘えてたし、お母様も私がやきもち焼いちゃうくらい大事にしてたし、笑いかけてた。そのキュキュが、こんな無茶してまであなたに怒るなんて……許せない。話次第じゃお母様にも謝ってもらうからね」

「そいつは無理な相談だな。それによ……今やきもち焼くくらいっつたけどな」

 

 ジェムの怒りなどやはり全く届いていない。むしろ別の部分に対して勝手にこう言った。

 

「そりゃ単純に、あの女にしてみりゃお前なんかよりそのキュウコンの方がずっと大事だってだけなんじゃねぇか?」

「……勝手なこと言わないで」

 

 不信や動揺を狙っているのではなく単純に思ったことを言っただけであろう、しかしあまりにも心無い言葉だった。

 

「勝手なことだって思うならそんなに声を荒げる必要なんてねぇだろ。心当たりがあるんじゃねえのか?」

「黙ってて!」

 

 ジェムの声が震えた。否定できないその言葉は肯定と同じだ。

 ジェムの母親は、ジェムにとっては少し気難しいところもあるけど優しく見守ってくれる人だった。だけど、キュウコンや父親に時たま見せるような心からの笑顔をジェムに向けてくれた記憶は……ない。笑う時は小さく、何かためらいがちであることをジェムはいつしか感じていたのだ。それを否定したくて、言い聞かせるように呟く。

 

「お母様は、私のこと大好きって言ってくれたもん……危ない目に合った時は、心配だってしてくれるんだから……」

「ま、お前はチャンピオン様とあの女を繋ぐ唯一の存在だからな。お前がいなくなりゃチャンピオン様が自分の家に帰ってきてくれる保証がなくなっちまうし、心配はするんだろうよ」

「黙っててって言ってるでしょ!!」

 

 ジェムの瞳に涙が浮かび、一気に心臓の鼓動が鳴り響いて息を荒げる。墓場中に声が響き、墓場のズバットたちが音に反応してきいきいと飛び回る。

 

「はあ、はあ……絶対、許さない。行くよルリ!」

「おお、怖い怖い。じゃあ俺もそろそろ本気を出すとするか」

 

 ボールからマリルリを出す。するとシンボルハンターは即座にムウマージを引っ込めた。そして取り出すボールはやはり二つ。

 

 

「現れろ! 魂喰らいし怨砂の城、シロデスナ! 航悔を鎮める錨、ダダリン!!」

 

 

 シンボルハンターの出した二体は、ジェムが本やテレビの中でしか見たことのないポケモンだった。まるで海辺に作った砂の城のような姿に、もう片方は船にくっついている舵と錨が、海藻によってくっついたような姿。見た目だけでは、ゴーストタイプではないようにも見える。だが砂の城の奥から覗く全てを取り込もうとする瞳が、舵輪にくっついてぐるぐると歪に回るコンパスの不気味さが、彼らは紛れもなくゴーストタイプであると告げている。

 

「行くよ! ルリ、『アクアジェット』! ミラ、『影分身』!」

「ルリ……」

「大丈夫、私は本で見たことあるからその子たちの事は知ってる。早く攻撃して!」

「……リル!!」

 

 知らない相手を警戒していたマリルリは躊躇したが、ジェムの表情と怒気を感じて尻尾から水を噴射することで突撃する。そこへヤミラミの影分身が加わり、2体に分身したマリルリが相手二体を狙った。向こうは顔に当たる部分がわかりづらいせいか、単に鈍重なのか動く様子すらない。本体のマリルリはシロデスナの背後に回ると、小さな拳に大きな力を籠める。

 

「一気に決めるよ! ジャンケン、『グー』!」

「おっと、『鉄壁』だ!」

 

 マリルリと一緒に編み出した手遊びの掛け声に合わせて繰り出される小規模の『腹太鼓』による強力な一撃を、シロデスナは体の城壁に当たる部分の大半をマリルリの方に固めた。拳が振りぬかれ、砂が飛び散った。だが、すぐに砂はシロデスナの元へ寄せ集められていく。

 

「でもその子は地面タイプ、そう何回もルリの攻撃は防げない! 『アクアテール』!」

「ククク……博識だな。じゃあこれも知ってるか?シロデスナの特性の効果は既に発動している」

 

 水によって大きく膨れ上がった尾をぶつけるマリルリに対し、シロデスナがもう一度城壁を固める。だがさっき散らせたばかりでは集められる砂は少ない。小さくなった城壁を尻尾でが叩きつける……しかし破壊できなかった。逆にマリルリの体の方が弾き返される。

 

「シロデスナの特性は『水固め』。こいつが水タイプの技を受けた時、防御力を大幅に上昇させる」

「くっ……だったらルリ、『ハイドロポンプ』!!」

「かかったな。やれダダリン!」

「ミラ、『シャドークロー』で逸らして!」

 

 マリルリがぷくりと体を膨らませて大量の水を放とうとする溜めに出来た隙に、ダダリンの錨の部分がまっすぐ伸びていく。その錨をヤミラミが漆黒の爪で横から切り裂こうとした。勢いこそ止まらなかったが錨の軽く傷がつき、狙っていた方向が逸れた。

 

「これで邪魔はさせないわ」

「果たしてそうかなぁ!?」

 

 錨の狙いは逸れ、マリルリの真横を通過する。だがそこからぐるりと回転すると錨に着いた海藻と鎖が、ぐるぐるとマリルリに巻き付いた。大量の水が放たれるが、錨によって分散させられほとんどシロデスナには届かない。

 

「しまった……ルリ逃げて!」

「無駄だ、ダダリンの『アンカーショット』からは逃げられない。続けろ、『ギガドレイン』だ!」

 

 ダダリンがマリルリの体を締め付け、更にシロデスナと共に体力を吸い取っていく。マリルリがもがくが、鋼の拘束から抜け出す術はない。数秒後、ジャラジャラという音と共にだダリンの鎖が拘束を解いて舵輪と合体した時には――マリルリは水風船のような体がすっかりしぼみ、倒れ伏していた。そこで初めて、ジェムは自分の過ちに気付いた。ルリは警戒すべきだと言ったのに、それを無視した自分のせいだ。

 

「あ……」

「ハッハッハ!ゴーストポケモンのことなら知ってるとか息巻いて焦って突撃させたあげく無駄に瀕死にさせたか」

「……戻って、ルリ」

 

 悔しくて仕方ないけれども、言われたことは事実だ。後悔に苛まれながらも、マリルリをボールに戻す。

 

「ま、それも当然だよな。お前はあいつから本当の愛情なんざ貰っていない。錯覚しているだけの偽りの心しか受け取ってないやつに、自分の手持ちを本当に気遣うなんてできるわけねぇか……クククク、ハハハハハハ!!」

 

 男は目元を抑えて哄笑する。フードが外れて金色の髪が露出したのも気づかずに、ジェムと、その母親のことを嘲笑する。何が彼をそこまでさせているのかはわからない。わかりたくもない。ただ、ジェムの心を真っ赤な怒りが支配した。

 

「嘘よ……あなたの言うことは! 嘘をつくなあああああああああ!!」

 

 ボールを叩きつけるようにして手持ちのクチートを出す。出てきた瞬間に後ろの顎が、そしてヤミラミの瞳の宝石が輝き始める。二体が光に包まれ――ひび割れるようにして光が消えていくと、そこには顎を二つにしたメガクチートと、宝石を盾のように構えるメガヤミラミがいた。

 

「この光……二体同時のメガシンカか。まさにお前の偉大な父親の象徴だ」

「お父様のことまで馬鹿にする気!?」

「いいや、あいつのことは認めてるさ。俺なりにな」

 

 その言葉と共に、シンボルハンターの体が黒く染まり始める。いや、闇が覆い始めていく。

 

「だが、お前のメガシンカ如きじゃ俺の闇は覆せねえ。この地方のチャンピオンでさえ扱えないゴーストの真の悍ましさを見せてやる! この俺のゼンリョク……Z技をな!」

 

 闇がシンボルハンターの体を覆いつくし、中からどす黒い光が放たれる。それはシロデスナとダダリンに向かって飛んでいき、特殊な力を纏わせた。ジェムにはそうとしか表現できない、見たことのない力だった。

 

 

「光輝なる者さえ夢幻の闇へ誘う反骨の掌! 今顕現しろ!」

 

 

 ダダリンとシロデスナの二体を中心に、おどろおどろしい闇の波動が地面を伝っていく。メガクチートとメガヤミラミを取り囲むように、何本もの黒い腕が手招くようにしなり震えながら地面から生えた。まるでその腕たちはメガシンカの光を夢幻の闇に誘うように――ジェムもろとも、上から地面へと覆いかぶさるように叩きつけていく。

 

「あなたなんかに負けるもんか……クー、ミラ!! ――――!!」

 

 ジェムの声は二体に伝わり、二体はジェムとお互いを守るように技を出す。叩きつけた腕の闇が広がり、あたりを光なき闇が覆いつくした――。



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5VS6!ZワザVSメガシンカ(2)

「あ、れ……?私……」

 

 漆黒の腕に包まれ、しばらく何も見えなくなっていたジェムが目を覚ますと、いつの間にか見慣れたおくりび山にいた。自分の傍にいたポケモン達も、あのシンボルハンターもいない。

 

「なんで?私、確かにさっきまでポケモンバトルを……してた、よね?」

 

 あれ、そうだったっけ?とジェムは思う。まるで夢から覚めた時のように、さっきまではっきりしていたはずの記憶がぼやけて、曖昧になっていく。シンボルハンター、というのがどういう存在だったかも思い出せない。自分はバトルフロンティアにいて、誰かと戦っていたことははっきりしているのだが。

 

「うーん……大事なことのはずだったのに、なんではっきりしてないんだろ」

 

 周りを見渡してみる。霧がうっすらと周りを覆っていて、草花が静かに咲いている。草むらにはカゲボウズやロコンの姿が見えた。自分のよく知るおくりび山の景色だ。変わったことと言えば、自分が何か魔法陣のようなものの中心に座っていることと、体がおくりび山の天辺から一番下まで往復した後のように疲れていることか。

 ぐったりした体を起こそうとすると、何やらひどく険しい顔をした大人たちがやって来た。

 

――貴様、この程度の術をまた失敗したのか!?

 

 

――本気でやりなさい!!

 

 二人の大人は、口々に激しい叱責をジェムに浴びせる。何のことかわからず、また他人に激しく責められたこともないジェムはただ戸惑いの表情で大人たちを見ることしかできない。

 

「え?お爺様に、お婆様……?」

 

 そのうち二人の顔は、少し自分の祖父母に似ていた。尤もジェムの知るそれよりは一回り若かったが。ぽかんとしているジェムに苛立ったのかその二人は魔法陣の中に入ると、ジェムの腕を無理やりつかんで思い切り引っ張った。ジェムは思わず抗議する。

 

「い、痛い!何するの!」

 

――出来損ないのくせに、親に向かって偉そうな口を利くな!

 

――意識を乗っ取られた影響がまだ残ってるのかい?どこまでも愚図な娘だね!教育しなきゃいけない私たちの身にもなってほしいよ!

 

 祖父に似た男は、無理やりジェムを魔法陣から引きはがし一旦腕を引きずるのをやめる。ジェムは思わず疑問を口にした。してしまった。

 

「な、なんでこんなことするの……?」

 

 困惑の表情を浮かべるジェムを見て、憤怒の表情を浮かべる男は、ジェムを掴む腕を離し、座り込むジェムの体を蹴り飛ばした。

 

「あぐっ……!やあああああ!!」

 

 仰け反って悲鳴を上げ、涙を流すジェム。だがそれに反響するように何度も何度も足蹴にする。周りの大人たちは止めるそぶりすらなく、むしろジェムをゴミを見るような眼で見ていた。声を上げることすら出来なくなると、ようやく留飲が下がったのか足を止める。

 

――なんでこんなことをするかだと?忘れたなら教えてやる。お前をおくりび山の後継者にしなければならないからだ。俺とて、わざわざこんなことはしたくない。

 

 それを聞いて、ジェムはこの男の人も本当は暴力なんて振るいたくないけど無理やりやらされているのかと思った。全身の痛みのせいでそれを口にすることは出来なかったが。だが、それは根本から誤っている。

 

――そうよ、本当なら誰があなたみたいな能無しをわざわざ育てようなんて思うもんですか。シリアがいてくれればあなたなんて跡継ぎさえ産んでくれればいいだけの道具だったのに……

 

 二人はジェムの事を娘だと言う。だがそこには温かさなど微塵もなかった。ただ、後継者にするために育てているだけ。本当はそのつもりさえなかったと本人の前で平然と口にしている。

 

「わ、私……あなたたちの娘じゃない。私のお父様とお母様は、こんなこと言わない……」

 

 震える声で否定する。こんな人たちが自分の両親だなんて、認められない。これではあまりにもひどすぎる。また蹴り飛ばされると思っても、口にせずにはいられなかった。それを聞いた二人は舌打ちして、男の方がまた無理やり腕を掴んでジェムの体を引きずった。ジェムの服が土で汚れていくことも、なんら気にしていない。ジェムの住んでいたはずの家の中に入り、部屋の一つへ連れていく。

 

――もういい。意識がはっきりするまでここにいろ。自分が俺たちにふざけた口を利いたことを理解するまで飯は抜きだ。

 

――明日もう一度この術を試すからね。今度失敗したら承知しないよ!

 

 そう言ってジェムを放り出し、耳をつんざくような音で襖を閉める。一人きりになったジェムは、しばらくあまりの理不尽に涙を零すことしか出来ない。

 

「なんで……?なんであんなひどいことが、自分の子供に出来るの……?」

 

 怖かった。あんな悪意と侮蔑を誰かに向けられるなんて初めてだった。ダイバでも、何か言えばとりあえず手は止めてくれた。譲歩してくれた。だがあの二人にはその素振りすらなかった。確かにジェムの事を娘だと認識していたのに。それが信じられなかった。

 

「ここ、本当におくりび山なのかな……それに、なんであの人たちは私のことを娘だと思ったんだろ」

 

 暫く恐怖感が収まるまで泣き続けた後、自分の状況を確かめるためジェムは部屋の中を見渡す。時計がないためどれくらい泣いていたかはわからない。部屋は数ヶ月は掃除をしていないように汚く、周りにはお菓子の袋が散乱していた。ぬいぐるみや遊び道具は全くなく、布団は敷きっぱなしで萎れている。家の外観は自分の知るものと同じだったし、この部屋もジェムの記憶では自分の部屋だし広さは同じだが、明らかに様相が違っている。

 

「やっぱり、私の知ってる場所じゃないのかな……?」

 

 だけど、確かに二人はここをおくりび山だと言っていた。ジェムは後継者だとも。山の景色も家も一緒というのはさすがに別の場所とは考えにくい。頭を悩ませていると、突然眩暈がして、一瞬意識が途切れる。目を開けると、ジェムは同じ部屋でおかしの袋を抱えて座っていた。襖が大きな音を立てて開かれる。ジェムはまたさっきの二人が自分を怒鳴りに来たのかと思った。

 

――くそがっ!!なんで俺がこんなことしなきゃなんねーんだ!!なんでてめえはぬくぬくと菓子食ってんだよ!おかしいだろうが!!ああ!?

 

 だが、現れたのは大人ではなくジェムより少し年上の少年だった。真っ黒な髪に、鋭い夜叉のような眼。それが自分を憎悪の目で見ている。少年はジェムの髪を無理やりつかむと、わざと引っ張るように持ち上げる。

 

「ぐ……」

 

 はっきり抵抗することも出来ず、無理やり正面に向かい合わされる。少年はジェムに向かってはっきりこう言った。

 

――俺はこんなところで一生を終えるつもりはねえ……ここの管理はルビー、テメエがやってろ。

 

「え……?」

 

――はっ、自分には関係ありませんってか。でもスペアはスペアらしく、俺の代用品として生きてりゃいいんだよ。じゃあな!!

 

 少年は、ジェムの事をはっきりルビー、つまりジェムの母親の名前で呼んだ。ジェムの体を突き飛ばし、少年は部屋から出ていく。しばらくぽかんとしていたが、何となく自分の状態がわかってきた。

 

「これってもしかして……お母様が、子供の時の記憶?」

 

 ジェムの母親であるルビーはおくりび山の後継者で、優れた才能のある兄がいなくなってしまったので自分が継ぐことになった聞いている。昔は両親に『意地悪』されていたこともあると。それはこの状況と一致する。二人の大人も、あの少年も、たまたまその時だけあんな態度を取っていたとは思えない。ずっとこんな日々を母親は過ごしていたのだろうかと思うと、すごく胸が苦しい気持ちになった。

 

「でも、じゃあお母様は毎日毎日こんな目にあってたの?」

 

 自分がそんな日々を過ごしていたらと思うだけで恐ろしかった。考えたくもない想像に支配されていると、また視界と景色が歪んでいく。

 

 

「……あれ、外に、いる?」

 

 一瞬意識が消え、目を覚ますと家の玄関にいた。ドアを開けているのでおくりび山の景色が見える。でも見え方に違和感があった。いつもより目線が高くなったせいだと気づくのに、数秒かかった。それを意識すると、突然お腹が痛くなったのとは違う吐き気に襲われる。

 

(う……なに、これ)

 

 やはりジェムの感じたことのない苦しみだ。それにさっきと違って今度は声に出ることはなかった。勝手に口元を抑える自分を、一人の青年が心配そうに声をかける。

 

――大丈夫か、ルビー?やっぱり家の中に戻ったほうがいいんじゃないか。

 

 それは、ジェムの父親の声だった。傍によって体を支え、優しくルビーを労わる態度は紛れもなく本物だと確信する。すると、ジェムの体が勝手に言葉を発した。

 

――いいんだ、不安になったときは、ここに来ると少しマシになるからね。

 

 自分の口から出た声は、やはりというべきか母親のルビーで間違いない。さっきはルビーの子供の時の記憶だったが、今は20くらいの大人になっているようだ。

 

――やっぱり、怖いか?

 

 ジェムの父親であるサファイアは、ルビーの背をさすりながら聞く。するとルビーは、自分のお腹に手をあてて自嘲した。

 

――情けないよね。ボク……いや、私が自分で決めて臨んだことなのにこの子が生まれた後のことが怖くて、仕方ないよ。

 

 サファイアもルビーのお腹の方を見る。ジェムがそちらに意識をやると、ルビーのお腹は少し膨らんでいるのがわかった。

 

(ということは、まだ私がお母様のお腹の中にいた時の記憶?)

 

 ジェムは一人っ子なのでそういうことになる。そうなると気になるのは、母親がジェムが生まれた後のことが怖いと言っていることだ。

 

――私は、サファイア君……いや、あなたにこの場所で好きだと言ってもらえてから、ようやく愛情っていうモノを信じることが出来た。私があなたを好きな気持ちも本物だって誓える。でも、自分の子供のことはどう思うのか、わからないんだ。気持ち悪くなるたびに、本当は私も両親と同じように、この子を疎んじているんじゃないかって思ってしまうんだよ。

 

 ルビーは自分のお腹を、そこにいる自分の子供を思いつめた瞳で見つめる。そこには、ジェムの無条件に信じていた愛情は感じられず、ただ戸惑いだけがあった。

 

――大丈夫だ。ルビーは少し不安になってるだけで、疎んじてなんかいない。

 

――そうなのかな。私はあなたみたいに両親に愛されて育ったわけじゃない。私は結局、自分を愛してくれるあなたの事しか好きになれない出来損ないかもしれない。今お腹にいる子の事なんて、これっぽっちも好きじゃないんじゃないかな?

 

 ジェムの、ルビーの瞳が潤んで視界が滲む。俯いて肩を震わせる。

 

(お母様は……私のこと、怖がってた?好きじゃ、なかった?)

 

 お前は母親に愛されてなんかいない。それ言われた記憶が蘇る。誰に言われたかは思い出せないが、それはただ聞いただけの時よりもずっと信ぴょう性を持って胸に突き刺さる。

 

――――。

 

――――。

 

 両親の声が聞こえなくなる。サファイアは、必死にルビーを励ましているようだった。ルビーは少しだけ笑ったが、やはり明るいものではなかった。信じていたものを覆されていくことに淀んだ感情がジェムの心を覆っていく。するとまた、視界が歪んで意識が消えた。

 

 

 

 

「……」

 

 意識が戻り、目に映ったのはやはりおくりび山の景色だった。ジェムは何か自分の立っていた足場が崩れていくような感覚に襲われながら、周りを見る。視線の先には、フロンティアに行くよりもっと前、手持ちももらっていないころの小さな自分と、師匠であり兄であり友人であるジャックがいた。ジェム自身が覚えているように、いつも通りジャックに遊んでもらっているようだ。自分の体が勝手に洗濯物を干すために動いているが、間違いなくそれはこの時のルビーがそうしているからだろう。

 

――あのね、今日はおとうさまがぼうえいせんをやってるところをテレビで見たの!

 

 幼い自分が、無邪気に父親のことをジャックに語る。ジェムの普段の楽しみはジャックに遊んでもらうことやルビーにたまに本を読んでもらうことなど色々あったが、一番は父親でありチャンピオンのバトルを見ることだった。それを見ると、ジェムは数日はずっと笑っているくらい楽しくなれた。

 

――ジェムは相変わらず彼が大好きだねえ。

 

――うん!わたしもおとうさまみたいにみんなを笑顔にするポケモンバトルが出来るようになりたい!

 

――僕も、それを楽しみにしてるよ。じゃあ今日は何しよっか?

 

――アルプス一万尺がいい!

 

 ジェムは元気よく掛け声を出し、ジャックと手遊びをする。時折父親のバトルの話を交え、ジャックもサファイアの昔話をする。それを自分は、いやルビーは寂しそうな目で見ている。

 

――私は、あんな風にあの子と遊んであげることが出来ない。

 

 びくりとした。この時自分はもう生まれているはずなのに、ジェムが聞いたことのないほど冷たくて悲しい声だった。

 

――あの人のようにポケモンバトルで楽しませてあげることも、ジャックのように色んな遊びを教えて一緒に笑ってあげることも、私には出来ない。毎日なんとか家事をこなして、寝る前に少し話をしたり本を読んであげるくらいしか出来ない。

 

 その声はとても苦しんでいた。ジェムの事で、苦しんでいた。ジェムが、ルビーを苦しめていた。

 

――お父様は、やっぱりすごいね!子供の時からお母様やいろんな人を助けて、笑わせてあげてたんだ!

 

 視線の先の小さなジェムは、無邪気に、残酷にサファイアだけを褒め称える。勿論ジェムは母親のルビーの事も大好きだ。でも、父親のような尊敬の対象とはまた違った。どちらかといえば、父親が助けた人間の一人であり、むしろ強い人ではないと思っていた。大きくなったら自分も母親を助けてあげたいと、無自覚に見下げていたとも言えるのかもしれない。

 

――ねえ、サファイア君。やっぱり、ボクは間違っていたのかな。親が子に向けるべき優しさも、子供の遊びの楽しさもわからないボクは、こんなもの求めるべきじゃなかったのかな?

 

 視界が滲む。ルビーは泣いているようだった。視線の遠く先にいるジェムは、気づきもせずに父親のことを話している。

 

――あの子の笑顔が、苦しい。あの子に、どんな顔を向ければいいのかが、いまだにわからない。あの子を産まないほうが……ボクは、幸せだったかもしれない。

 

(――――――!!)

 

 決定的な一言だった。さっき男や少年に蹴られたり突き飛ばされた時とは比べ物にならないほどの、鈍器で頭を何度も殴られたような強烈な眩暈と苦痛が襲った。自分の心が、ルビーの身体から離れていくのを感じる。

 

(そう、なんだ……お母さま、私のことなんて……)

 

 胸が張り裂けそうだったけど、夢の中をふわふわ浮いているようなジェムの意識は泣くことが出来なかった。ただひたすら、自分の信じていたものが木っ端微塵に砕けたことだけを考えていた。どう考えても、自分が見てきた母親の顔と今見た母親の一連の記憶からは一つの結論しか浮かばなかった。

 

(好きじゃ、なかった。お母様は、私なんていないほうがよかったんだ)

 

 意識は薄れ、再び目の前が真っ暗になる。ジェムの意識は、現実に引き戻されていった。

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 ジェムの意識が、現実に帰る。夜の墓場、視線の席にいるフードを被ったシンボルハンターを見て、自分が何をしていたか思い出した。闇に覆われ、体を黒く染められながらもメガヤミラミとメガクチートは自分を守っていてくれた。

 

「ようやくお目覚めか。真実を知った感想はどうだよ?」

「……」

 

 シンボルハンターはジェムを嘲笑うように言葉を放つ。あの技に取り込まれる前の自分なら食って掛かり、許せないと思って戦ったはずだ。だけど、ジェムは動けない。彼は嘘なんてついていなかった。騙されていたのは……いや、勝手にジェムが勘違いしていただけだったのだ。どう接していいかわからず本心を隠していた母親の態度を、勝手に愛されていると思い込んでいただけだった。ダイバにあなただってお母様に愛されているなんて言ったことも、ただ妄想を押し付けているにすぎなかった。

 

「打ちのめされたかよ。だったらもう降参するか?続けるってんなら容赦はしねえ。だがそんな状態で俺と戦ったところでお前の負けだ。せめて自分のポケモンが傷つく前に諦めるのが優しさってやつじゃねえのか?」

「あなたの言うことは、間違ってなかった……でも、私はポケモンバトルをやめたりなんてできない。お父様みたいに……」

「お父様がそんなに偉いかよ。自分の妻と娘がこんな歪な関係だって知っててもみんなを笑顔にするっていう仕事を優先するチャンピオン様がよぉ!」

「……ッ!!」

 

 否定したかった。自分の父親まで否定されたらもうジェムを支えるものはなくなってしまうから。でもできなかった。だってさっき見た記憶の中の父親は、少なくともルビーの苦悩を知っていたのだから。そしてチャンピオンとしての仕事を全うし続けたことは、ジェム自身がはっきり覚えているのだから。

 

「お前の父親はバトルを見に来た客みんなを笑顔にした。お前の母親に愛情を与え、お前の師匠の絶望を抑えた。……でもな、それですべてが解決したわけじゃねえんだよ。お前が両親に見てた進化の光なんて虚構なんだよ、全貌の闇の前にはな!」

「う……うう…………」

 

 ジェムは戦うとも降参するとも言えず、ただ泣きじゃくる。何か言いたいのに頭が真っ白になって、嗚咽が引きづって、何も言葉を発することが出来ない。今見た映像なんてあなたが作った嘘っぱちだって叫びたかった。でも、墓場まで追いかけられた時の声なんて比べ物にならないほど、一連の記憶には真実味があって、自分の知らない母親の感情が伝わってきて。あの胸の痛みが嘘だなんて言えなかった。

 

「……んで?てめえはやってきたと思ったら背後霊みたいに見てるだけかよ?」

 

 泣きじゃくるジェムの方を見たまま、シンボルハンターは舌打ちした。蹲って泣きじゃくるジェムの後ろには、いつの間にか一人の子供が立っていた。涙でほとんど機能しない目で後ろを見ると、そこにはぼんやりと白い塊があった。

 

「君は相変わらず言い方はあれだけど……いずれは知らなきゃいけないことだったからね。それは、僕が助けるべきことじゃない」

「チッ、相変わらず弟子にも残酷なのは変わらねえな」

 

 後ろの声の主は、ジェムの師匠であるジャックに他ならなかった。ジェムの両親を知っている彼でさえ、ジェムの感じたものを嘘だとは言わなかった。そのことがまたショックで、ジェムは声を上げて泣いた。どれくらいたてばこの気持ちが収まるのかもわからなかった。

 

「……そのままでいいから、落ち着いて聞いて」

 

 ジャックは昔のように、優しい声でジェムに語り掛ける。無理に泣き止ませようとはしない。ジェムも涙を流しながら、意識だけを向ける。

 

「彼の言う通り、今まで君はあの二人に夢を見ていた。僕は直接確認してはいないけど、君の見たものは事実で間違いないと思う」

 

 ジャックの言葉は、ジェムに受け入れてもらおうとしているのが感じ取れた。残酷で、厳しい優しさだった。

 

「君は自分の父親の力は無限で、全てを幸せに出来ると思っていたよね。でもそれは夢幻に過ぎない。20年頂点を守るリーグチャンピオンだって、人間である以上その力は幽玄で有限なんだ」

 

 そっと、ジャックはジェムの肩に手を置いた。ジェムの肩が怯えて跳ねる。

 

「君自身だってそうだよ。ジェムは自分の事を偉大なチャンピオンの娘だから、それに負けない凄いことが出来る、出来なきゃいけないって思ってた。だから必要以上に父親の事だけ見てた。でも、そんな風に気負わなくたって、ジェムは自分のしたいことをしてよかったんだよ」

 

 これらの言葉は、他ならぬジェムの父親に命を拾われたジャックには言う権利のなかったこと。誰かがジェムの抱いている幻想を壊してくれなければ、ジェムの心には響かなかったことだ。

 

「だけ、ど、私……どうす、ればいいの……?」

 

 ジェムはすすり泣きながら、ジャックに聞いた。ジェムが今まで頑張ってきたのは全部父親に近づくためだから、それを否定されてしまえばフロンティアにいる理由さえなくなってしまう。

 

「残念だけど……それは僕には答えられない。僕だって、昔唯一の生きる理由であるバトルが楽しめなくなって自殺しようとした人間だからね」

 

 突き放したとも言えるような答え。ジャックはすぐに続ける。

 

「君の父親は僕の自殺を止めた。僕に生きていてほしいし、楽しいこともあるはずだってね。事実彼とのバトルや彼のバトルを見るのは楽しかった。でもそれは、あくまで理由をなんとか思い出させてくれただけだった」

 

 シンボルハンターが言った、全てを解決したわけではないという言葉を肯定するジャック。肩を震わせて怯えるジェムに、ジャックは穏やかに言う。

 

「だけどね、ジェム。僕は君の言葉でようやく本当に救われた気がしたんだよ」

「え……?」

 

 ジェムが顔を上げる。ジャックは優しい顔……まるで泣き虫な妹を見つめる兄のような顔でジェムを見ていた。

 

「バトルピラミッドで僕と戦った後、ジェムは僕のことを家族だと言ってくれた。それを聞いて、僕はもう3000年前に失った家族に抱いていた気持ちを君たちに見れるようになったんだ。ポケモンバトル以外で生きていたいって思う理由を作ったのは間違いなく君なんだよ。君は父親を超える行いを僕にしてくれたんだ」

 

 ジャックは彼の着ている白い服の布で、ジェムの涙を拭いていく。突き付けられた事実とジャックの父親を超えたという言葉にとめどなく涙はあふれ出たけど、構わず涙を拭ってくれた。

 

「最後にもう一つ。君が見たルビーの想いは確かに本物だけど……彼女は、あの嘘吐きが言うような人じゃないと思うよ?」

 

 ジャックはそこで、シンボルハンターを見た。ジャックが話している間ずっと黙っていた彼は、舌打ちして口を開く。

 

「……何を言うかと思えば。お前も俺の力は知ってるはずだぜ。そこのガキに見せたことは紛れもない真実だ」

「見せたものは……ね。でも人間の心は夢のように単純じゃない。さあ、ジェムはどう思う。結局のところ、親が子供のことを愛していたかどうかなんて子供が決めることだからね。幸いあの嘘吐きは君が結論を出すまで手を出すつもりはないようだし、ゆっくり考えていいんだよ?」

 

 何故か、あれだけ激しく厳しく言葉と真実をぶつけてきたシンボルハンターはジェムが記憶を見ている間、いや見た後泣きじゃくる間もこちらを攻撃しなかった。

 

「……うん、わかった。考えて、みる」

 

 ジャックの言葉で少しだけ冷静になれたジェムは、瞳を閉じて、考える。母親が自分をどう思っているのかを。そして、自分がどうしたいのかを――

 

 

 

 

 

 



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5VS6!ZワザVSメガシンカ(3)

涙を止めたジェムは瞳を閉じて黙考する。自分が母親にどう思われていたのかを。でも、いくら考えても幼いジェムには、母親の言葉から答えは出せない。今までずっと夢を見ていた相手の真意など、わかろうはずもない。それでも、考え続けて。

 

「……決めたよ」

 

 ジェムは自らのオッドアイを開く。その瞳は絶望に染まっていない。ただ輝かしいだけの幻想を見てもいない。その瞳はメガシンカしたクチートとヤミラミ、そして自分の手持ちポケモンに向けられていた。

 

「私には、お母様やお父様が本当はどんな気持ちで私を見てたのかはわからない。きっとさっき見た記憶以外にもいっぱい悩んだことがあって、それはまだ私には理解できないことも、たくさんあるんだと思う」

 

 自分が母親のお腹の中にいた時のあの気持ち悪さも、母親の苦しみを知ってなおみんなを笑顔にすることを優先する父親の気持ちも、わからない。

 

「それでも、お母様もお父様も自分の大事なポケモンを私に渡してくれた。渡されたポケモン達は、私のこといつもそばで大事にしてくれた。それは誰がなんと言おうと本当のこと、だから私はこんなに優しい仲間たちを渡してくれたお母様とお父様を信じる! 二人の心がわからなくても、この子たちとの絆を信じる!」

 

 ジェムの宣言する。これが自分の答えだと。

 

「まだこれから何を目標にすればいいかはわからない。でも私はこの子たちと一緒にバトルはしていたい。だから私は……あなたを倒すわ、シンボルハンター!本当の勝負はここからよ!」

「ジェム……」

「ジャックさんはここで見ててね。私だけで……いえ、私のポケモン達で勝つわ!」

 

 ジャックは安心したような表情を浮かべる。シンボルハンターはしばらく唖然としたように黙っていた。しかし数秒後、墓場中に響く声で笑い始める。

 

「ク、クククク……ハッハッハ! 流石に驚いたよ。だがそうでなきゃ俺も、ぶっ潰しがいがねぇ!!」

「行くよクー、ミラ! 私たちの絆を見せてあげよう!」

 

 メガクチートとメガヤミラミを信頼の目で見る。体はところどころが黒く染まっていたが、それでもまた戦えると二体とも元気よく頷いてくれた。メガシンカの力は失われていない。

 

「ほう、だがそいつらは俺のZ技を受けて既にボロボロ。どこまでやれるか見せてもらおうか! やれダダリン、『アンカーショット』!」

「クー、『噛み砕く』!」

 

 ダダリンが体ごと回転した後、ジャラジャラと音をたてて錨を飛ばしてくる。それをメガクチートは二つの大顎で真正面から受け止めた。お互いの力は拮抗しているが、体の小さなクチートの方が押されていく。

 

「残念だったな、ご自慢のメガシンカもダダリンの鋼は砕けないようだぜ?」

「みたいね。でもその必要はないわ」

「何?」

 

 シンボルハンターはそこでメガヤミラミの目が光り輝いているのがわかった。それは攻撃や防御ではない。相手の正体を『見破る』技だ。

 

「クー、『炎の牙』よ!」

「ちっ、一旦下がれダダリン! シロデスナ、『大地の力』だ!」

「させないわ。例え噛み砕けなくても、クーの大顎は食らいついたら離さない! ミラ、『守る』よ!」

 

 シロデスナが地面を通して怨念をぶつけようとするが、ヤミラミの作り出した宝石のような壁に阻まれる。その間にメガクチートの大顎が炎に包まれ、ダダリンの錨――いや、それに絡みつく藻屑に燃え広がっていく。ダダリンはメガクチートから離れられず、錨にくっついていた舵輪が力を失って地面に落ちた。

 

「ダダリンの本体が藻屑であることを見抜きやがったか……」

「ミラのおかげで分かったわ。そっちのシロデスナの弱点もね! クー、『冷凍ビーム』!」

「くだらねえハッタリだな。シロデスナ、『鉄壁』!」

 

 クチートの大顎から今度は冷気の光線が放たれる。地面タイプのダダリンにとって確かに冷凍ビームは弱点だ。だがメガシンカしたとはいえクチートの遠距離攻撃など大したことはない。シロデスナは自身の砂の城壁で防ぐ。砂は凍り付いていくが、大した問題ではない。シロデスナの本体は……

 

「ミラ、『シャドークロー』!」

 

 メガヤミラミの爪が影によって伸びていく。それはシロデスナを守る城壁ではなくその手前で地面に突き刺さり――砂の城の真下へ突き刺さった。

 

「そうだジェム。シロデスナの本体は城じゃない。その下に集まっている怨念こそが正体なんだ」

「止めよ、『みだれひっかき』!」

 

 そのまま、両手の爪で何度も何度も城の真下を、まるで砂の城にトンネルでも作るかのように掘り進めていく。そのたびに、地面の下から怨嗟の声が響く。本来なら自らの砂でそれも防げただろうが、砂は今冷凍ビームによって硬化させられて使えない。

 

「馬鹿な……こうもあっさり俺のモンスターが!?いくらヤミラミの『見破る』があるとはいえ、ついさっきはこいつらの特性さえ知らなかったお前に、こんなことが……」

 

 シロデスナも戦闘不能にされ、シンボルハンターは二体をボールに戻しながらも、驚きを隠せないようだった。ジェム自身、この経験で様々なことが思考を駆け巡っているのに、すごく冷静に相手を見れていることが不思議だった。

 

「さあ、残りはムウマージと後一匹よ。どんなポケモンにももう惑わされないわ」

 

 しっかりと相手を見据えるジェムのオッドアイが、シンボルハンターを射抜く。一瞬だが、ジェムとシンボルハンターの視線が交差した。口の端と眉が釣り上がるのがジェムにもわかった。

 

「惑わす?もうそんなもん必要ねえ、圧倒的な実力ってやつを見せてやる! 出てこいムウマージ! そして――現れろ、全てを引き裂く戦慄のヒトガタ!」

「その台詞は!」

 

 シンボルハンターから放たれた口上も、出てきたポケモンもジェムが一番よく知るポケモンだった。ゴースト使いである父親が最も信頼し、またジェム自身も手持ちとして渡されたぬいぐるみのようなポケモン。それは濃紫色の光に包まれ、布地のような部分が裂け、そこから鋭く、地の色で真っ赤に染まった爪が露見する。墓場中に響く笑い声は、嫌が応にも不吉なイメージを沸かせる。

 

「これが俺の本当のエース……メガジュペッタだ!」

「お父様と、同じ……でも、いいえだからこそ乗り越えてみせる!」

 

 メガジュペッタの特性は変化技を相手より早く出せる『悪戯心』。ムウマージは相手の特殊攻撃を操る力がある。ジェムはすぐに指示を出した。

 

「二体同時に『シャドーボール』!」

「クー、相手に『じゃれつく』!ミラはクーが近づけるように守ってあげて!」

「妨害しにくい直接攻撃を狙いつつ、しっかり防御も固める。いい判断だ」

 

 メガクチートが二つの大顎を揺らしメガジュペッタに向かって走っていく。その体をメガヤミラミは自身の大楯を輝かせることで宝石のような障壁を発してメガクチートの体を守り、漆黒の球体を弾き飛ばす。ジャックはその判断を褒めた。だがシンボルハンターの余裕は崩れない。

 

「悪くはねえよ。見違えるような素晴らしい判断だ……だが! しかし! その程度で俺のメガジュペッタを倒せると思うんじゃねえぞ!メガジュペッタ、『怨念』だ!」

「ここで『怨念』!?」

 

 メガジュペッタの特性により、メガクチートの大顎が届く前にその効果は発揮される。だが『怨念』は出した自分が戦闘不能になることで相手の技を使用不可能にする技。メガクチートの『じゃれつく』によって戦闘不能になれば効果は発揮できる。とはいえもう後がない局面で、自らのエースをそんな使い捨てにするとは思えない。そしてジェムの懸念通り、予想外の効果がジェム達を襲った。

 

「ク、チ……」

 

 不吉で不気味に見えるメガジュペッタにも構わずじゃれつこうとしていたメガクチートの体が螺子――いや、呪いの釘に貫かれる。メガクチートを守るべく輝きの障壁を展開していたメガヤミラミの大楯にも釘は突き刺さり一気に光が消える。ただの一発で、二体の力が無力化されていた。

 

「クー、下がって! ミラ、『影分身』でサポートを!」

「無駄だ、俺のメガジュペッタの『怨念』はこのバトル中戦闘不能になった俺のポケモンの数だけ、技を使用した相手ポケモンの技を全て使用不能にする。『マジカルフレイム』に『シャドークロー』だ!」

 

 シンボルハンターの言葉通り、二体は動くことすらできない。大きすぎる隙を魔の炎が大顎を焼き尽くし、闇の斬撃が大盾を切り裂いた。為すすべもなく、二体は倒される。

 

「ありがとう。凄く頑張ってくれたよ……あとは、この子たちに任せて」

 

 ジェムは二体に感謝を告げ、ボールに戻す。条件はこれで2対2で互角。だが相手のメガジュペッタの能力は凄まじい。あれだけ鍛えられているジュペッタのレベル分こちらの技を出す力を削り取られるなら、一度受けただけで無抵抗に倒されるしかないのと同じことだ。

 

「これでお前の残りはジュペッタと後一匹か……さあ、最後の二匹を出すんだな」

 

 シンボルハンターが勝負を急がせるように言う。だがジェムは思考停止で二体を出すことはしなかった。一度技を出すだけで行動不能にされるのなら、どうすればいいのか。

 

(……わからない。こんな反則的な技初めて見た。でも)

 

 ジェム一人ではどうしようもなくとも、自分の仲間たちを信じられる。ジェムはボールの中のジュペッタとラティアスを見た。

 

(ペタペタ、あなたの力であっちより早くメガジュペッタの技を無力化できる?)

 

 ジェムのジュペッタは少し考えて首を振る。それはそうだ。あのメガジュペッタは相手の技を封じるために鍛え上げられて来たことは明白だ。向こうの土俵で戦って勝つのは無理だろう。

 

(だったら、無力化されないようにする?でも、どうすれば……)

 

 すると、倒れたポケモン達の入っているボールがかたかた揺れた。何かを必死に、ジェムとジュペッタに伝えようとしているようだった。温かい鼓動は、仲間を想う気持ちだとわかった。その想いを受け取ったジェムのジュペッタが、大きく頷く。

 

(……うんわかった。任せるね。ラティ、辛い思いをさせることになりそうだけどいい?)

 

 ボールの中のラティアスは、ジェムの気持ちを感じてにっこり笑う。ラティアスはいつもジェムをすぐ近くで見ていてくれた。今思えば夢しか見ていなかった自分が取り返しのつかない所に落ちてしまわないように、守っていてくれたのだと思う。

 

「フッ……黙りこくってどうした。さすがに俺のメガジュペッタには手も足も出ねえってか?」

「……ううん、見えたわ。あなたのエースを倒す方法が! 行くよラティ!」

「ひゅううん!」

 

 ジェムはラティアスだけをボールから出す。ジュペッタは、まだ出さない。

 

「一体だけで勝つ気か?だがラティアスの技はほぼ特殊攻撃。メガジュペッタどころか、ムウマージの敵じゃねえな」

「……嘘吐きね」

「何?」

 

 ジェムはシンボルハンターの言葉を即座に断じた。これは賭けだ。ジェムが相手のムウマージの力を読み違えていたのなら、確実に負ける。

 

 

「ラティ、『ミストボール』!」

「浅知恵だな、ラティアスだけしか使えない技なら操れないとでも思ったか! ムウマージ、『サイコキネシス』!」

 

 ラティアスが放つ虹色の珠を、ムウマージは己の念動力で支配しようとする。だがその直前に虹色の珠は弾けて消え、墓場一帯を覆いつくすほどの幻惑の霧となった。ムウマージには、霧を操ることが出来ない。メガジュペッタは『怨念』でラティアスの技を封じ込めようとするが、霧が姿を見失わせている。

 

「姑息な真似を……『妖しい風』だ!」

「今よラティ! 『ミスティック・リウム』!」

 

 シンボルハンターの操るメガジュペッタが触れると魂を吹き飛ばされそうに感じるような風を放ち、霧を吹き飛ばそうとする。程なくして霧は消滅していったが、そこでシンボルハンターには驚くべきものが見えた。

 

「あなたのムウマージは特殊攻撃なら何でも操れるわけじゃない」

 

 それは、ラティアスの作り出した水球に閉じ込められもがき苦しむ己のムウマージの姿だった。ただの水ではないのかゴーストタイプであるムウマージが呪文を唱えることも出来ず苦しんでいる。

 

「ムウマージは『火炎放射』や『パワージェム』は操ったけど、ルリを見た途端引っ込めていった。ルリだって『ハイドロポンプ』みたいな特殊攻撃は使うのに。あなたのムウマージは水技は使えないし操れないから。それに、ダダリンが倒れた後クーが冷凍ビームを使った時だって、本当に特殊攻撃全てを操れるのなら即座に出して操ることが出来たはずよ。なのにあなたは黙ってみていることしかしなかった。理由は、氷技も操れなかったからでしょ?多分ムウマージが覚えているタイプ以外の技は操れない。それがばれたくなかったから……違う?」

 

 ムウマージががくりと水球の中で力尽きる。その事実がジェムの読みが当たっていたことを示していた。

 

「大した名推理だ。だがまだ俺の優位に変わりはねえ!ジュペッタ、『怨念』だ!」

「----!!」

「きゅうああん!」

 

 メガジュペッタが腕を振るうと、投げた様子もないのに呪詛が絡みついた螺子のようになった棒がラティアスに突き刺さった。戦闘不能になった味方の数だけ相手の技を使用不可能にする怨念により、ラティアスの力が失われる。

 

「お前のエースも、儚い抵抗だったな! やれジュペッタ!」

 

シンボルハンターのメガジュペッタが影のように姿が滲み、一瞬消えたかと思うとラティアスに死角からの突進を見舞う。ゴーストタイプの強力な攻撃技『ゴーストダイブ』だ。エスパータイプであり技を使えないラティアスは、一撃で倒されてしまう。

 

「……ごめんね、ラティ。でもこれで勝ちに繋ぐから」

 

 こうなることは、ジェムにはわかっていた。賭けが成功してもラティアスに出来るのはムウマージを倒すところまで。その後は何もできずにメガジュペッタに倒されてしまうと。ラティアスが受け入れてくれなければ、この局面にはならなかった。ラティアスの想いをジュペッタと一緒に受け取って、最後の一匹ジュペッタを出す。

 

「これでお互いの残りは、ジュペッタ一匹だけ……でも」

「まだ俺のジュペッタの怨念は2発残っている、つまり確実にお前の最後の一匹は行動不能に出来るってわけだ」

 

 さすがのジャックも不安そうにジェムを見る。ジェムは勿論強い。真実を知ってある意味見違えたともいえる。だけどシンボルハンターのメガジュペッタには相手の技をすべて使用不可能にする反則的な力と、純粋な練度の高さがある。

 

「まさかお前のジュペッタで俺に勝てる気か?そのジュペッタこそお前の父親への盲目的な憧れの象徴。自分と相性がいいかより、父親に近づきたいからってだけの理由で連れてたんじゃねえのか?」

 

 ジェムは、それを否定できない。自分は父親のようになりたくでゴーストポケモンを使っていた。勿論ジャックとの修行で大事に育ててきたつもりはあるが、バトルフロンティアで活躍した回数は少ない。メガシンカも、今までさせられなかった。

 

「うん……だけど、今は違う!この子が、私たちの……お父様とお母様からもらった絆を証明する。いくよペタペタ!」

 

 ジェムのジュペッタの体が薄紫の光に包まれ、体が開いて爪が出る。その爪はネイルアートでもしているような艶めいて、不気味ではあるがどこかまっとうなぬいぐるみめいた可愛さがあった。響く笑い声にも、愛らしさがある。

 

「お互いにメガジュペッタ……!」

 

 ジャックが固唾を飲んで見守る。メガシンカを果たしてなお彼我の力量差は埋められないはずだ。シンボルハンターも、そう確信しているようだった。

 

「だがお前のジュペッタは既にバトル開始直後に技を使っている……これで終わりだ、『怨念』!」

「ペタペタ、私たちの絆を見せるよ! 『おんねん』!」

「ここでお前も怨念だと!?」

 

 お互いの『おんねん』が力を発揮する。だがシンボルハンターのそれと違ってジェムのメガジュペッタが使える『おんねん』は通常の自身が倒されたときに効果を発揮するもののはずだ。お互い最後の一匹で使ったところで、正真正銘何の意味もないはずだ。今見ただけで、シンボルハンターの特殊な『怨念』が真似できるはずもない。結果は――

 

「ふん……当然だな」

 

 シンボルハンターはジェムの行動に一瞬驚いたものの、やはり結果は予想通りだ。ジェムのメガジュペッタの身体には深々と呪詛の釘が突き刺さっている。これでもうジェムは何もできない。あとは適当な技でゲームセットだ。

 

「終わりだジュペッタ、とどめを――」

「ペタペタ、『シャドークロー』!」

「この期に及んで『わるあがき』か……」

 

 ジェムのメガジュペッタが腕を振るう。だがもうどんな技を命じようと力を発揮するはずがない。全ての技を無力化したのだから。その、はずなのに。

 

「ば、馬鹿な!?」

 

 ジェムのメガジュペッタから伸びた影の爪は、確かにシンボルハンターのメガジュペッタの体を切り裂いた。あり得ない光景に、思考停止しそうになる。

 

「私の……私たちの『おんねん』は相手を恨んだりしない! 私たちは仲間を信じる。仲間を託してくれた人に感謝する気持ちを忘れない! それが私たちの『恩念』よ!!」 

「ふざけるな……そんなまやかしの言葉で、俺の最強の技を打ち破れるはずがない!!ジュペッタ、最後の『怨念』だ!」

 

そんな言葉遊びで突破できるほどシンボルハンターのメガジュペッタは弱くない。逆に言えばジェムの言う『恩念』にはそれだけの力が込められているはずだ。

 

「僕も聞きたいな。ジェムは『恩念』の言葉にどんな力を込めたんだい?」

「『恩念』の効果は……このバトルで戦闘不能になった自分のポケモンの数だけ、状態異常、ステータスダウン、そして技を打つ力の減少させる効果を無効に出来る!このバトルで戦闘不能になったのはペタペタ以外の5体。よって5回分、相手の妨害は受け付けないわ!」

「こんな、ことが……!」

 

 シンボルハンターのメガジュペッタによる不可避の呪詛の釘が、ヤミラミの瞳のような輝きの障壁によって弾き飛ばされる。

 

 

「私たちの仲間を想う気持ちは、誰であっても、どんな技でも無力化出来ないわ! ペタペタ、『シャドークロー』!」

 

 

 シンボルハンターのジュペッタも応戦し、お互いの影の斬撃が鍔迫り合いのように切り結ぶ。一度体を切り裂かれてなお、シンボルハンターのメガジュペッタはジェムのメガジュペッタと互角の力を持っていた。

 

「お前の言う効果なら、直接的な攻撃までは打ち消せないはずだ!俺のメガジュペッタなら正面からねじ伏せるぐらい、どうとでも……」

「そうはさせない! ペタペタ、『影分身』!」

 

 ジェムのメガジュペッタが、2体分身する。影でありながら、それは青色に桃色になっていた。まるでマリルリにクチートの力が宿っているように。

 

「『恩念』のもう一つの効果! それは、倒れた仲間の力を分身に乗せ更に攻撃が出来ることよ!」

 

 青のジュペッタが、巨大な水風船のような影をぶつけ、桃のジュペッタが幼子のようにじゃれつく。そして本体は影に紛れて突進を浴びせる。

 

「く……メガジュペッタ、『鬼火』だ!」

 

 特性『悪戯心』による最速の鬼火。これが当たれば攻撃力は大幅に下がるだろう。しかしそれが苦し紛れの抵抗に過ぎないことは、わかっていた。

 

「終わりにするよペタペタ! これが私たちの仲間への想い……『ミラージュダイブ』!!」

 

 その炎はジェムのメガジュペッタの周りに渦巻く幻惑の霧が消してしまう。3体分の突撃を受けて――シンボルハンターのエースは、戦闘不能になった。倒した後もしばらくジェムは、気を抜かない。シンボルハンターがジュペッタをボールにしまい、両手を上げたところで、ようやくジェムは気を抜いて座り込んだ。

 

「………………勝った、よね?」

 

 少し離れていたジャックが、ジェムに駆け寄る。そしてポンポンと肩を叩いた。

 

「そうだよ、ジェム。……疑いようもなく、君の勝ちだ」

 

 戦いを終えたジェムのジュペッタが、ジェムに抱き付く。ジェムもぬいぐるみを抱えるようにしっかりと触れてあげた。勿論、一緒に倒れた仲間の入っているモンスターボールも。

 

「……チッ、負けたか。約束通り集めたシンボルはくれてやる。じゃあな」

 

 暫く黙っていたシンボルハンターは、座り込むジェムに近寄るといくつかのシンボルを投げてよこした。凄く不機嫌なのを隠そうともせず立ち去ろうとするので、慌ててジェムは止めた。

 

「待って!」

「なんだよ、本気でお前の母親に謝らせるつもりか?」

「そうじゃないの……あなたがお母様の本当のこと教えてくれたこと、ありがとうって」

 

 最初口で聞いた時は、ひどい嘘を言ってるんだと思った。でもそれは本当かもしれなくて。少なくともここで彼に会わなければ自分はずっと両親に幻想を抱き続けたままだった。

 

「……知らない方がお前は幸せだったんじゃねえのか?」

「かもしれないけど……でもそれじゃ、お母様を不幸にしてた。だから、ありがとう。それと、あなたはもしかして……」

 

 シンボルハンターの言いぶりでは母親をよく知っているようだった。そしてここまで卓抜したゴーストポケモンの使い手。ジェムが両親から聞いた話では、それに当てはまるような人物は一人しかいない。

 

「人違いだな。お前の両親が知るあいつはもう敗れた世界の住人になった……こんなポケモンバトルの最前線にいるわけがねえ」

「そう、なんだ。違う人、なんだね」

 

 その答えはもうほとんど肯定しているような気がしたけど。でも認めたくないということだろうから。それ以上言わなかった。ジャックもただ会話を聞いている。

 

「最後に一つだけ……あなたは、私を負けさせたかったの?それともこうなってほしかったの?」

 

 シンボルハンターを名乗る男の行動は、単にジェムを苦しめて勝ちたいだけにしては違和感がある。ジェムが記憶を見て苦しんでいる間や、絶望した時に追い打ちをかけなかったことだ。

 

「それをてめえに教える義理はねえよ。ただ俺に勝った以上は、ここから勝ち続けろ。じゃあな」

「わかったわ……ありがとう、大事なことを教えてくれて。お母様とお父様にも、伝えておくから」

「勝手にしろ」

 

 素っ気なくそれだけ言って、シンボルハンターの姿が黒く染まっていく。闇の中に消えていく。――すると、墓場だったはずの周り一体の景色も変わっていった。墓石がたちどころに並んで、ズバットの声が響いていたこの場所が、綺麗な夜の庭園へと。わざわざ戦うために風景を幻で作っていたのだろう。

 

「……不思議な人。あの人に……お父様は、憧れてたのかな」

「君のお父さんとお母さんが複雑な思いを抱えているように、あの子も色々やりきれないものがあるってことだよ……これから、少しずつ分かっていけばいい」

「うん、そうする」

 

 ジャックの言葉に頷いて、ジェムは立ち上がる。へとへとだけど、頑張ったポケモン達を回復させてあげないといけない。

 

「そうだ、すっかり忘れるところだったけど、君に会いに来たのは用事があるからなんだよね。……これも、運命なのかな」

 

 ふと思い出したようにジャックが言う。ジェムは首を傾げた。運命とはどういうことだろう。

 

「このフロンティアはポケモンバトルの最前線。しかし、この地方の頂点なしに最前線としてのブランドを確立することは出来ないーとかあの緑眼の子は言ってね。……チャンピオンが、ついさっきここに着いたんだ」

「お父様が……」

 

 今日ここに来るまでのジェムなら手放しに喜んで、今すぐ話をしたがっただろう。でも今は、現実を知って一言では言い表せない気持ちが去来している。お母様が苦しんでいるのにチャンピオンとしての務めを優先したことを……怒っている、自分がいた。

 

「いい機会だし、ゆっくり話してみればいいと思うよ。今まで君は良い子すぎたんだ。少しくらい文句を言ったってあのチャンピオンなら許してくれるさ」

「そう、かな?」

 

 今までジェムは父親に反抗したことは記憶する限り一切ない。だから少し怖いけど、でもジャックの言う通り向き合ってみたかった。

 

「うん……そうしてみる」

 

 気持ちを落ち着けて、言いたいことを考えながら歩き始める。その時――遠くから、建物に思い切り鋼の車で突っ込んだような、凄まじい衝撃音がした。

 

 



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幽玄なるチャンピオン

 

 

 

 

 

 シンボルハンターとの戦いを終え、ジャックと共に父親のところへ行こうとしたジェムはダンプカーが建物に突っ込んだような破壊音を聞く。音はかなり遠くからだったが、はっきりと聞こえた。

 

「きゃっ!?」

「すごい音だね。誰かがポケモンバトルでもしてるせいかな?」

 

 ここは最前線のバトル施設。その可能性は高そうだった。ジェムたちに関係あるとも限らないので、放置しても構わないことは構わないが。

 

「何か嫌な予感がする……ジャックさん、行ってみてもいい?……お父様がこの音を聞いたら、駆け付けそうだし」

「それは大いにありそうだね。じゃあスイクン、頼むよ!」

 

 ジャックはモンスターボールからスイクンを出す。バトルピラミッドでジェムが戦ったポケモンだ。スイクンはジェムを一瞥すると、静かに頭を垂れた。

 

「うん、乗っていいよって」

「ありがとう、スイクン」

 

 ジェムはスイクンにお礼を言って、ジャックが乗った後自分もそっと背に乗ってみる。すごくひんやりしているのに、座っていても体が冷えない。スイクンが地面を蹴って走り出すと、なんだか自分が北風になったような気がした。ホウエンの夜風が、心地よく疲れた体を吹き抜けていく。

 

「気持ちいい……」

「あはは、でしょ? 乗り心地は抜群なんだけど、心が綺麗な人間しか乗せてくれないからジェムが乗れるのも今の内だけかもしれないね」

「……そうかも」

 

 ジャックの軽口を、ジェムは怒ったり笑ったりせずに受け止めた。今の自分は、大好きだった両親に疑問と怒りを抱えている。二人と話しをしてみて、その結果自分がどう思うのかはわからない。あれだけ大好きで尊敬していた父親を嫌いになってしまうのかもしれないと考えると、とてもこの先心が綺麗でいられるなんて思わなかった。

 

「ジェムももう13歳になったんだ。そろそろ反抗期を迎えていい時期だから遠慮なくあの笑顔お化けに文句を言っていいんだよ?」

「え、笑顔お化け……」

 

 ジャックがジェムの父親を冗談でも悪く言うなんて滅多にないことだ。でもジェムが父親を大好きだったから今までは目の前では言わなかっただけなのかも、なんて思ってしまう。

 

「それぐらいの勢いでってことさ。皆を笑顔にするチャンピオンなんて言っておいてお母様一人も笑顔に出来ないお父様は嘘つきだ!! ぐらい今の君には言う資格がある」

「……」

 

 ジェムは黙った。確かに自分が知ったことから考えれば、ジェムの父親は自分の妻であるルビーの苦しみを解消することは出来ず、それでもなおチャンピオンとしての責務、ひいては観客が笑顔になれるポケモンバトルを優先していたことになる。でも、本当にそうなのだろうか。

 

「ごめんごめん。励ますつもりが困らせちゃったね。とにかく、ジェムは自分のやりたいことをすればいいってことだよ」

「ううん、ありがとうジャックさん」

 

 その父親がこの島にいるのにただ悩んでいても仕方ない。会って話を聞いてから考えればいい。自分を元気づけようとしてくれる師匠にお礼を言い、ジェムは前を見据える。すると、ジェムがシンボルを獲得した施設であるバトルクォーターの壁が、大きくえぐれているのが見えた。恐らくさっきの衝撃音の正体だろう。予想を裏付けるように、トレーナーの声とポケモンの動き回る音が夜に響く。

 

「……メタグロス、『バレットパンチ』!」

 

 それは、ジェムが聞いたことのない声だった。メタグロスは命令に従い相手のポケモンに目にも留まらぬ鋼の拳を叩きこむ。ジェムが相手のポケモンの姿を確認する前に、その体は千切れ闇に溶けてしまった。だがメタグロスは勝利を喜ばない。すかさず周囲を警戒する。

 

「スイクン、ここで止まって」

 

 ジャックが指示を出し、スイクンが向こうからは見えづらい場所に止まる。ジェムはスイクンから降りて、戦っているのが誰か確認しようと少し前かがみに覗き込んだ。そこには、予想外の光景が広がっていた。

 

「素晴らしいスピードとパワーだ。もしかしたらもう私より上かもしれないな」

「……『思念の頭突き』!」

 

 戦っているのはメガジュペッタとメタグロスだ。メタグロスが額の十字に念力を纏わせメガジュペッタに突撃する。だがメガジュペッタはまるで闘牛士のように自分の黒い布地のような体をひらりと動かし、最小の動きで躱してしまう。そもそも攻撃が当たらない所に誘導されているかのようだった。外されたメタグロスの頭突きは地面にぶつかり、コンクリートが悲鳴を上げる。

 お互い非常にレベルの高い技を繰り出しているのが一目でわかる激戦。だがジェムが驚いたのはそこではない。戦っているトレーナーは、知っている人たちだったからだ。

 

「ダイバ君に、お父様……それに、アルカも!?」

「しっ、声が大きい。もう少し様子を見よう」

 

 思わず飛び出しそうになったジェムの首根っこをジャックが止める。ダイバがメタグロスに攻撃を指示し、ジェムの父親は何も指示していないがメガジュペッタはひらりひらり、手でつかめない夜桜のように幽玄で優雅に攻撃をかわす。それをアルカはウツボットを傍らに控えながらも遠巻きに見ている状態だった。

 

「さて、どうしたものかな。私としては君たちの争いを止めに来たわけだから。女の子の方はもうやる気はないようだし君も止めてくれると助かる。君のメタグロスの強力な攻撃をいつまでも躱し続けられる自信もないしな」

「ぬけぬけと喋るな。……『爪とぎ』と『コメットパンチ』」

 

 そう、メタグロスを操るトレーナーは間違いなくダイバだ。思い返してみれば最初に聞こえた声も彼のものだった。でもジェムにはまるで別人のように聞こえた。今のダイバはジェムの前でバトルしていた時より、ずっと真剣で敵意に満ちていたから。

 地面に体をぶつけながらも、その摩擦を利用してメタグロスは鉄爪を研ぎ澄ましてから腕を振り上げ、メガジュペッタに叩きつけようとする。だがそれもやはり虚しく空を切った。が、それだけでは終わらない。

 

「やれ、メタグロス。『バレットパンチ』」

「くっ……!?」

「お父様、逃げてッ!!」

 

 ダイバの声の調子から咄嗟に気付いたジェムが、思わず叫び声を上げる。ジェムの父親もその意図に気付いて咄嗟に躱そうとする。メタグロスの腕は一見体とつながっているようだが実際には電磁力によって動かしているので、体から分離することもできる。それを利用してメタグロスは高速の拳を放った。狙う先はメガジュペッタではなく、敵意をさらけ出すように向けるチャンピオンへと。ジェム自身その身に浴びた拳の威力は大の大人であろうと耐えられるものではない。回避に優れたポケモンならともかく、あくまで人間であるトレーナーに避けられるはずもない。間に合うわけがないなんてわかっていても、ジェムは父親に向かって駆け寄ろうとする。しかし当然、それよりずっと早く鉄の拳はチャンピオンの体を打ち抜いた。

 

「お父、様?」

 

 目の前で父親の体が拳に襲われるのを見たジェムが茫然自失の呟きをする。ジェムの父親は、拳が当たると同時に消えてしまった。数日前自分が受けた痛み、ここに来る前に聞こえた激突音が例えようもない不安となってジェムを襲い、あたりを見渡す。姿がどこにも見えない。声も聞こえない。ダイバとアルカも、消えたチャンピオンに目を見張る。

 

 

 

――――パチンッ!!

 

 

 

 突然響いたのは、メガジュペッタが鋭く爪を鳴らした音だった。その場すべての人間の視線がメガジュペッタに注がれる。逆に言えば、この数秒間は誰もメガジュペッタの事を見ていなかった。それはダイバとメタグロスにとって致命的な隙だった。いつの間にか、としか形容できないほど自然なほど、メタグロスの手足4つは呪いの釘を刺されて磔になっている。メタグロスは必死にもがいているが、動けない。

 

「たった数日前に会ったのに随分に久しぶりに見えるな、ジェム。まずはシンボル獲得おめでとう」

 

 相手のポケモンの動きを封じた状態でチャンピオンが行ったのは、ジェムの両肩に背中から大きな手を置いて、自分の娘に褒め言葉をかけることだった。ついさっき鉄腕の暴力にさらされたことなど微塵も感じさせず、まるで串刺しの箱から脱出する魔術師のように悠々と。いや幽々とメタグロスの拳を躱していた。

 

「お父様……」

 

 ここに来てから父親にかけてほしかった言葉が聞けたのに、ジェムは笑うことが出来なかった。どんな顔をすればいいのかわからなかった。それを察したのか、チャンピオンも後でゆっくり話そう、とだけ言ってダイバに向き直る。

 

「僕はお前を超える……倒す……お前を、引きずりおろさなきゃいけないんだ……!」

 

 怒りに煮えた言葉はチャンピオンに、向けられていたが、彼の緑色の瞳は間違いなくジェムを見ていた。いつもは目深に被った帽子のせいで見ることのできないダイバの瞳が、自分の目と交差したのがジェムにだけはわかった。ダイバはメタグロスの方へ腕を伸ばし、腕にはめたキーストーンの力を使う。

 

「メタグロス、いつまでそうしているつもりだ。本気を出せ。……真の力であのチャンピオンを叩き潰すんだ」

「グォ……」

 

 メタグロスは主であるダイバに何かを訴えているようだ。機械の駆動音のような声はジェムには意図はわからない。だがチャンピオンには理解できたようで、まるで家族に向けるような優しい言葉をかけた。

 

「お前も本当に強くなったな。その子についているということは、あいつも自分の子供に信頼できる仲間を託した。そういうことだろう?」

「グォオ。ゴ」

「遠慮はいらない。お前がその子に従うと決めたのなら、彼の命令に躊躇する必要などない。……それに、私もお前の本気を見てみたい」

 

 メタグロスは少し沈黙した。スーパーコンピュータより優れるその頭脳がフル回転する。キーストーンとメタグロスの体が高圧の電流と共に輝き、鉄足を縛る釘が焼き切れていく。

 

 

「どういうつもりか知らないけど、僕の本当の力を見せてやる……パラレルライン、オーバーリミット! テトラシンクロ、レベルマックス! メガシンカよ、電脳の限界を解き放ち究極の合理へ突き進め!!」

 

 

 この島のどこかからロケットでも打ち上げるような射出音がして、一体のメタングと二体のダンバルがメタグロスに向かって飛来する。優れた電脳による並列思考は、本来別の頭脳であるメタグロスとメタング、ダンバルを合体させた。完全に体は浮き上がり、さらに大きくなった鉄腕がまるで砲台のように4つ前に突き出される。ダイバを守るためにいつもそばにいたメタグロスは、冷徹に勝利を目指すメガメタグロスへと姿を変貌させていた。

 

「ほう……これが成長したお前の姿か」

「お父様は、ダイバ君のメタグロスを知ってるの?」

「ああ。私が旅に出たばかりで、あのメタグロスがまだダンバルだったころ。手持ちに連れていたポケモンだからな」

 

 ジェムは父親がゴーストタイプ以外のポケモンを連れていた話など聞いたこともなかった。それがどうしてダイバの手に渡ったのかは気になるが、これ以上聞いている余裕はなさそうだった。

 

「……その余裕もここまでだ。『バレットパンチ』!」

 

 メガメタグロスの4つの拳が流星群のように一斉にメガジュペッタやチャンピオンの元へ飛んでくる。メガジュペッタが躱してもそのままチャンピオンやジェムを狙えるように計算された拳の軌道には、一切の加減がない。以前受けた鉄の拳の痛みを思い出してジェムは強張る。

 

「ジュペッタ、『ゴーストダイブ』だ」

 

 メガジュペッタは、自身を覆う黒い布と同じ見た目の黒マントをばさりと広げ――ジェムとチャンピオンを覆った。ジェムの視界が真っ暗になる。それでも父親とそのエースであるメガジュペッタが守っていてくれることに、不安はなかった。事実、凄まじい勢いで飛来する鉄の拳がジェムを襲うことはなく。自分の体が、エレベーターに乗っているときのように移動している感触がする。

 

「あれ?ここは……」

 

 ジェムの視界が開けると、さっきの場所とは少し離れた街灯の下であり、アルカのすぐそばに移動していた。メガジュペッタの『ゴーストダイブ』でジェムとチャンピオンを影を伝って移動させたらしい。アルカがいきなり隣に現れたジェムとチャンピオンにぎょっとする。

 

「……何故こっちに来たのです」

「メガメタグロスは勝利の為なら手段を選ばない。君を狙うことで私の隙を作ろうとするかもしれないからね。あらかじめ守りやすい場所に移動させてもらったよ」

「わたしはあなたに守られる覚えはありません」

「そうもいかない。バトルを見る皆を笑顔にするのがチャンピオンの役目だ。君が傷つくことがあってはいけないからね」

 

 皆を笑顔にすると誓ってチャンピオンになった彼が、今でも実現し続けている信念。ジェムが憧れ続けた理想。それを聞いたアルカは、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「そんなまやかしの笑顔なんかのために……あの人は……!」

「あの人……? アマノさんのこと?」

「あなたには話してないのです!」

 

 ぴしゃりと否定されてしまう。ジェムがアルカに捕まって話を聞いた時、アルカには身寄りがなく、アマノが彼女を拾ったと言っていた。そしてアルカはアマノに良い感情を持っているようには見えなかったが、今の言葉には決して他人事ではない怒りと、怨みが籠っていた。それを聞いたチャンピオンは視線を落とし、声をかける。

 

「怨みたいのならそうすればいい。それでも、私は皆に笑顔になってほしい」

 

 酷く冷たい言葉に聞こえた。ジェムの父親は自分を恨む相手を否定しない代わりに、事情を聞くつもりもまったく無いようだった。

 

「お父様! アルカさんには事情があるの、だから……」

「何もわかってないお前は黙ってろです!」

「……僕を無視してそっちだけで話をするな! メタグロス、『地震』!!」

 

 ジェムが思わず父親にアルカの事情を訴えようとしたが、アルカとダイバそれぞれの叫びにかき消される。メガメタグロスが4つの腕を杭のように地面に突き刺し、念力を腕から地面に伝えることで地震を引き起こそうとしたとき――急に、メガメタグロスの動きがブレーカーが落ちた機械のように停止した。

 

「……ちっ」

 

 ダイバが小さく舌打ちして、空を見上げる。ジェムも釣られてそちらを目をやると、安楽椅子が宙に浮いていてそこに白髪の老人が座っているという奇妙な光景が見えた。その老人はやたら間延びした声でダイバに語り掛けた。

 

「そぉーこまでにしておきなさい。施設の外であぁーまり派手に戦われては我が孫といえど見過ごせまぁーせんからねえ」

 

現れた博士は手に持った赤いスイッチをあからさまにダイバに見せる。それでメタグロスの行動を停止させたようだった。

 

「……施設の外でバトルしちゃいけないルールはない」

「お前は限度というものを知りまぁ―せんからねえ。メガシンカしたそれで地震など起こせばどぉーうなるか想像がつくでしょう?」

「……」

「そぉーれに、我が義理の息子もお前にはぁーなしがあると言っていましたからねえ。すぐにバトルタワーへ向かうのぉーです」

「わかったよ……」

 

 自分より年下とは思えないほど重々しいため息をつくダイバ。完全に動かなくなったメガメタグロスをボールに戻し、ジェムやチャンピオンに何の説明もなく踵を返してしまう。

 

「待って!どうしてあなたは、お父様と戦ってたの?」

 

 ジェムがここに来た時の状況の理由を聞く。ダイバは振り向くことなく言った。

 

「チャンピオン、僕はお前を超える。シンボルを7個集めて、正式な場所でお前を……完膚なきまでに倒してみせる」

 

 それは返事ではなく、チャンピオンに対する挑戦だった。そのままダイバはバトルタワーの方向へ去っていく。ジェムの事は、完全に無視していた。

 

「わたしも帰るのです。……ここにいると、甘ったれた発言に苛々させられるので」

 

 アルカもウツボットを隣に連れたまま、去っていってしまう。甘ったれた、のところで睨まれたので、ジェムには何も言えない。ジェムの父親も、特に何も言わなかった。

 

「あれ……そういえば、ジャックさんは?」

 

 途中からいつの間にかいなくなっていた自分の師匠を探す。自分の知らない態度を取られたり無視されたり睨まれたりして少なから傷つき、安心できる人に声をかけてほしくなったのだ。だが見つからないし声をかけてもくれなかった。

 

「見つからないな。あの人は昔から神出鬼没だから、探しても仕方ない。……ティヴィル博士は何かご存知ですか?」

「彼ならさっき私のラボに来たとぉーころですからねえ。我が孫を止めるために私を呼ぶあぁーたり相変わらず人を利用するのが上手いことです」

「そうですか……ともかく、止めてくれて助かりました。さすがあなたの孫であり彼の息子というべきか、手ごわい相手でしたので」

「彼は我々が手塩にかぁーけて育てた将来最強のトレーナーですからねえ。計算ではあぁーなたに勝てる可能性も既に存在はします」

「それは私も、気が抜けませんね。エメラルドからは、ヴァーチャルと戦わせ続けたと聞きましたが……」

 

 博士と呼ばれた老人の言い方はなんだかダイバを物扱いしているようにも聞こえた。でも、父親がすらすらと会話をしてしまうのでやはり口を挟む隙がない。それからもいくつか言葉を交わしていたが、ヴァーチャルポケモンのシステムとか、メガシンカのシンクロレベルがなんとかとか、よくわからない内容だ。

 

「……では、娘の話も聞きたいですので、私たちも失礼します。行こうか、ジェム」

「は、はい……お父様」

「あぁ、そぉーいえばその子がお前の娘ですか。我が孫が話していたよりは、随分大人しそうに見えまぁーすねえ」

「え……ダイバ君が、私のことを?」

「おぉーっと、これ以上話すと我が孫に怒られてしまいまぁーすねえ。老いぼぉーれが口を滑らせる前に退散するとしましょう」

 

 わざと話を切り、老人は椅子に座ってまま空を飛んでいった。そして、ジェムと父親だけが残される。

 

「さて、予想よりずいぶん慌ただしい再会になってしまった。まずは落ち着いて話せるところに行こうか、ジェム」

「うん、あのね……私、お父様に聞きたいことが出来たの」

「……そうか、わかった」

 

 彼はジェムの頭に手を乗せ、優しく撫でた。昔から家に帰ってきた時には必ずしてくれた仕草は、やはりジェムを安心させるものだった。昨日までの自分なら、さっきまでの不安などすべて吹き飛んでしまったかもしれない。だけど――

 

「おっと、どうやら事態は片付いたみたいだね。ついでに僕も一緒に行っていいかな?」

「ジャックさん! うん、お願い……」

「お願いします。その方がジェムも、安心して話が出来そうだ」

 

 スイクンに乗って戻って来たジャックにジェムは駆け寄る。それが今のジェムの心境を何より現していた。



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子供たちの決意

 ジェム、それにサファイアとジャックはジェムが昨日泊まったホテル、そのスイートルームという部屋に移動した。フロンティアのオーナーがチャンピオンであるサファイアのために用意した部屋らしい。煌びやかに輝くシャンデリアに、ジェムの家族全員で寝れそうなベッドが二つ。テーブルには高級そうなお茶菓子がたくさん置かれていた。

 

「すごい……昨日ダイバ君と泊まった部屋よりももっと綺麗。天井の明かりもシャンデラみたいになってる……」

「確かに似てるね。っていうかシャンデラがそういう明かりの形を真似したのが始まりなんだけど」

「そうなの?」

「ゴーストポケモンみたいな本来決まった姿を持たないポケモンは文明の発達や人間の思想の変化とともに姿を変えた子もいるんだよ。ミミッキュとかわかりやすいかな?」

 

 地面まで沈んでしまいそうなほど柔らかなベッドの上に座ってシャンデリアの造形に見とれるジェムに、ジャックが3000年生きているが故の知識を披露する。ジェムが感心していると、ドアの外でホテルのボーイさんと話していたサファイアが中に戻ってくる。

 

「ジェムのポケモンは今日一日ゆっくり休ませて、明日には元気になっているそうだ。ジェム、昨日はあの子と一緒の部屋で寝ていたのか?」

 

 サファイアの深い蒼の瞳がじっとジェムを見つめる。真剣な声に、思わずジェムが背筋を伸ばす。

 

「う、うん。私とダイバ君を倒したら賞金が出るって話になってからダイバ君とは一緒に行動することになって……それで、寝る場所も一緒の方がいいって、ダイバ君が」

「おっ、父親らしくもう年頃の娘がどこの馬の骨ともしれん男と一つ屋根の下で寝るとはけしからんとかそういうやつかな?」

「ひ、一つ屋根の下って……」

 

 サファイアをからかうようなジャックの言葉。思わずジェムが顔を赤らめるが、サファイアは取り乱すことも、ジェムを怒ることもしなかった。

 

「そんなことはない。むしろジェムはまだ一人では危ないところもあるからな。さっき手合わせした彼と一緒なら安全だ」

「にしし……言われちゃったよジェム?」

「ううん、本当にそうだったから、いいの。ダイバ君やジャックさんに助けられてなかった私……どうなってたかわからないから」

 

 ダイバのせいで危ない目にあったり痛い思いをしたところもあるが、それ以上に彼がいなければシンボルを獲得するどころか、打ちのめされたまま立ち直る余裕すらなかっただろう。そして、アマノやアルカの操り人形にされていたはずだ。

 

「そうか。じゃあまずは聞かせてくれないか? ここに来てからのジェムが何をして、どんなことを感じたか」

「うん……あのねお父様。夜になったらお母様に今日あったことを連絡するって約束したから、お母様に電話しながらでもいい?」

「もちろん構わない。ルビーに無事合流したことも伝えたいしな」

 

 サファイアが頷き、どうせなら私のパソコンでお互いの顔を見ながらにしようと言いながらノートパソコンを開く。サファイアが別の地方に出ていて当分帰ってこれないときは、ジェムも母親のルビーと一緒に通話したことがあるので知っている。いつも連絡が来るとジェムが飛びついて操作して、3人で喋るのがなかなか父親が帰ってこない時の楽しみだった。

 連絡を入れるとほどなくしてルビーが顔を見せた。いつもとあまり変わらない静かな表情を、ジェムは緊張しながら見つめる。

 

「こんばんは。聞こえているか、ルビー? さっきジェムとジャックさんに合流できた」

「……」

「お、お母様……?」

 

 サファイアとジェムが話しかけてもルビーは反応しない。少し困り顔で自分たちを見ている。それだけで、ジェムは自分のせいではないかと無性に不安になってしまった。だがルビーが指一本でパソコンを何度か触ると、ほっとした表情になる。

 

「えっと、これで……聞こえてるかな?」

「ああ、聞こえているぞ」

「まったくもー、古代人の僕より機械音痴なのはどうかと思うよ?」

 

 そういえば母親はパソコンをいじるのが苦手だったと思いだす。いつもはジェムが通話ボタンを押しているから、あまり自分で触ったことがなく操作に戸惑ってしまったのだろう。

 

「良かった……昨日直接連絡が取れなかったら心配したんだよ、ジェム」

「お母様……!」

 

 その言葉が、一番最初に自分を心配してくれたことがジェムには何より嬉しかった。もし自分よりサファイアと話すことを優先されたら、やっぱり母親は自分の事が嫌いだったんじゃないかと思ってしまうだろうから。そしてその安心が、シンボルハンターと戦った時に理解させられた自分の傲慢さが、ジェムに涙を零れさせた。事情を知らないルビーはわずかに驚いた顔をした。

 

「あのねお母様、私、あの……本当に、ごめんなさい」

「どうしたんだい、ジェム。心配はしたけどメールは送ってくれたし、そんなに謝らなくても……」

「違うの、そのこともだけど……お母様に、謝らないといけないの」

 

 この部屋に来るまでになんというべきかいろいろ考えていたはずなのに、父親にあったときと同様やっぱり頭が真っ白になってしまって、全然上手く言えなかった。ルビーも困った顔を出なんといえばいいのかわからないようで、黙っている。ジャックがやれやれと息をついて、ジェムの肩をおもむろに叩く。

 

「落ち着いて、ジェム。まずはフロンティアで何があったか、それをちゃんと話してからにしよう?そうしないと君のお父さんも話に入れないしね?」

「う、うん……わかったわ、ジャックさん」

 

 ねっ!とウインクするジャック。ジェムよりもその両親よりもずっと長生きなのに、その挙動はまるで末っ子のようにも見えてしまうから不思議なものだ。いつもの彼にサポートしてもらって、ジェムは今までのことを話し始める。

 

「私ね……ここに来たときは毎日ジャックさんと稽古してたし、お父様の娘だし、ブレーンになんか負けないって思ってた。でもね、全然そんなことなかった。ブレーンの人にも負けたし、バーチャル相手に一回戦で負けたりして、すっごく悔しかった」

 

 その悔しさも、自分の力を過信していたがゆえのものだった。バトルダイスのブレーンの人の言葉にも応えず、みっともないことをしてしまったと思う。バトルダイスへの挑戦やゴコウとの戦い、そこで言われたことをまずは話す。

 

「ダイバ君にも全然敵わなくて、優しいふりをした男の人に騙されそうになって。もう少しで悪い人になるところだった」

 

 チャンピオンの娘、という立場に目を付けて自分を利用しようとしていた男の事を話す。ただ輝かしいだけだと思っていた自分の立場を、悪く使おうとする人がいるなんてあの時まで考えもしていなかった。アマノという男に慰められてなんとなくついて行ってしまったことや、その時ダイバに助けられたことを伝える。

 

「お父様を悪く言われて何も考えずに怒ったり、あなたのファンだって言われて浮かれて、また騙されたり。私、一人じゃ何もできなかった。早く旅に出たいなんてずっと言ってたけど……今の私じゃとても無理だったんだって、わかったの」

 

 ダイバに助けてもらった後も、自分は弱いと思った、でもそのあともチャンピオンに敵意を向けるドラコのこともただ否定しただけでちっともその意味を理解しようとしなかった。アルカの心の苦しみの理由を考えずただ助けたいがために無茶をした。自分と同年代の女の子と会った時の気持ちを言葉にした。ダイバやドラコ、アルカに比べて自分がいかに甘えた子供だったかようやくわかり始めた気がした。

 

「でもね、そんな私だけど、ラティやみんなが支えてくれたから……ネフィリムさんや、ジャックさんに勝ってシンボルは取れたんだよ」

 

 自分のフロンティアパスにはめられた二つのシンボルを両親に見せる。ジェムの話をずっと真剣に聞いていた二人は、小さくだが笑顔を浮かべて頷いてくれた。ジャックもいやーまさか負けるとは思わなかったなー、なんて照れ臭そうに言った。

 

「だからね、お父様お母様。私のことを大切に思ってくれるポケモンをくれてありがとう。すごくありがとう。それでね、二人に聞きたいことがあるの」

 

 まずは両親とポケモンに出来るだけの感謝を込めて頭を下げる。そしてあのシンボルハンターに教えられた両親の過去の一部。一度はジェムを絶望させた予想だにしなかった過去。ジェムはシンボルハンターと名乗る男との戦いについて話していく。

 

「今日の夜、戦ったその人はお父様と、それにお母様の事をよく知ってる人みたいだったの。お前の母親はお前の事なんか好きじゃないって何回も何回も言われた」

 

 両親の顔が険しくなる。ジェムは一瞬それは図星だからではないかと考えてしまう。でもジャックと話して、自分は両親の与えてくれたポケモンを信じると決めたから、その恐怖を振り切って話を続ける。

 

「私は勿論信じなかったけど、その人はゴーストポケモンの力で私に昔の記憶を見せてきたの。……お母様の、昔の記憶だよ」

「ジェム……!!」

 

 両親の、とりわけ母親の顔がひどく強張った。ひた隠しにしようとしていたことを知られたことに何を感じているのかは、画面越しではわからない。いや、子供の自分には例え母親が目の前にいたとしても推し量ることは出来ないのだろう。

 

「お母様が子供の時にどんな生活をしてたとか、私が生まれる前に気分が悪くなってたこととか……私、見て感じちゃったの」

「違うんだよジェム、それは……!」

「違わないよ、ジャックさんもそうだって言ったし……あの時感じたお母様の心は、嘘なんかじゃないってわたしも思うもの」

 

 ルビーはジェムの言葉を必死に否定しようとした。だがそれをジェムは受け入れなかった。母親が自分に対してそういう感情を持っていたことはもう認めた。その上でだ。

 

「お母様は、ずっとずっと苦しかったんだよね? お母様が私くらいの時はずっとお爺様とお婆様、それにお兄様にひどいことをされてて。だから自分の子供にもそうしちゃうんじゃないかって。嫌いになるんじゃないかって。私のためにご飯を作ってくれたりお洗濯したり、ポケモンバトルはしてなくても、お母様はずっと戦ってたんだよね? それなのに私……あんなに頑張ってたお母様のこと、ちっともわかってなかった! お母様の事も大好きだったのに、お父様のことばっかりすごいって言ってた! お母様が私のこと本当はどう思ってるかなんて、考えたこともなかった! だから……本当に、ごめんなさい……」

 

 早口で一気にまくしたて、最後の方はやっぱり泣きながらジェムは謝った。今度はジャックは何も口を挟まなかったし、サファイアも黙っていた。画面の向こうのルビーはしばらく困り顔でジェムを見ていたがふっとため息をついた。母親の紅い瞳にもうっすら涙は浮かんでいたけど、その調子はおくりび山でジェムが見てきた、いつも母親が自分に向けてくれていたものだった。

 

「……はあ。娘にこんな心配をかけるなんて、やっぱり私はダメな母親だったね」

「そんなことないよっ! お母様はすごいよ……私より、ずっとずっと……」

 

 ダメな母親、という言葉を即座に否定しようとするジェム。ルビーはゆっくりと首を振る。

 

「いいや、ジェムはすごい子だよ。……正直、私の過去を見たって聞いた時は私のことが嫌いになるんだろうなって思った。あんな風に言われたい放題で何一つ期待に応えられず、ジェムが生まれてからも心のどこかで疎んじてるような女だからね。でもジェムは私を心配してくれているだろう? ……それだけで、私は今まで頑張ったすべてが報われたよ。あの人は昔から嘘が達者だからいろいろ言ったと思うけど……それでもジェムは、私のことを好きだと言ってくれる優しくて強い子に育った。母親として、それ以上嬉しいことなんてないよ」

「ほん、とう……?」

 

 そこでルビーは、ジェムに微笑んだ。それは今までジェムには向けられず、かつてのルビーの手持ちであるキュウコンやサファイアに向けられていた笑顔だった。

 

「本当だよ。信じられないかもしれないけど……これからゆっくり、今まで話せなかった色んなことを話そう」

「うん……わかった。楽しみにしてるね」

 

 だから、ジェムもそれを理解して涙を止めた。まだまだこれから話す時間はいくらでもある。涙を拭って、娘と母は盲信でも背信でもなく、ごくごく自然な表情で向かい合うことが出来た。

 

「それでね、お父様……お父様には、聞かなきゃいけないことがあるの」

「……言ってみるといい」

 

 ずっと静かに聞いていた父親の方をジェムは向く。ホウエン地方のポケモントレーナーの頂点に立ち続けた、ジェムが憧れて全肯定していた父親に生じた疑問を、ぶつけなければならない。生唾を飲み込み、聞く。

 

「お父様……お母様があんなに苦しんでたことを知ってたなら、もっとそばにいてあげることは出来なかったの? もっとたくさん家にいて、支えてあげることは出来なかったの?」

 

 勿論チャンピオンとしての仕事があるのはわかっている。ホウエン全土をあちこち移動してバトルを見せたり、他の地方の四天王やチャンピオンと戦ったりしてみんなを笑顔にする行いは憧れてきたとおり偉大だ。でも、だからといって。自分の大事な人が苦しんでいることを知っていたにしては、サファイアが父親として家にいる時間はごく短いものだった。

 

「……言い訳はしない。私には、あれ以上ルビーのために時間を割いてやることは出来なかった。みんなを笑顔にするチャンピオンであるために」

「つっ……!」

 

 ここに来る前のダイバやアルカに対してのような、ある種の突き放すような言葉だった。テレビでお客さんを楽しませているときのサファイアとは明らかに違う言葉だった。

 

「どうして? お父様にとってお母様はすごく大事な人だよね? お母様があんなに苦しんでたのに、お父様はみんなを笑顔にしてたって言えるの?」

「ジェム……それは」

「いいんだ、ルビー。そうだ、私はジェムの知る通りルビーの傍にいてやれる時間は少なく、ルビーの苦しみをすべてなくせないことはジェムが生まれるころにはわかっていた。それでも私は、みんなを笑顔にすることを優先した」

 

 ルビーが何かジェムに説明しようとしたが、サファイア自らが制止して説明した。だが、それはジェムとって十分な説明ではなかった。父親が掲げ続けたみんなを笑顔に、という言葉が凄く遠くの空虚な言葉にさえ聞こえた。ここでジェムは、物心ついてから初めて父親にはっきり怒りを覚えた。

 

「じゃあ……じゃあお父様の言う『みんな』って誰? 『みんな』の中にお母様は入ってないの!?」

「……そうだとも言えるし、そうでないとも言える」

「それじゃわかんないよ……!」

 

 ジェムは自分の父親を睨もうとした。でも父親の魂を吸い込んでしまいそうほど青い瞳と目が合うと、どこか落ち着かされてしまう。ジュペッタが感情を喰うように、怒りが奪われてしまう。

 

「私の言う『みんな』とは……私のポケモンバトルを見る人たちのことだ。観客席のお客さんや、ジェムのようにテレビで見る人たちのことだ。

 

昔旅立つとき、チャンピオンになるとき、私は誓った。ポケモンバトルでみんなを笑顔にしてみせると。作り物や八百長ではない、本物のエンターテイメントを作り上げて見せると。だがそのためには弛まぬ研鑽が、幽かずつでも確実な進化がなくてはならない。だから私は仕事以外でも、自分と自分のポケモン達を鍛え続けなければならなかった。だから、ルビーの傍にいてやれる時間はあれが限界だった」

 

 チャンピオンの座を狙うトレーナー達の強さはジェム自身が思い知った。それを退け、チャンピオンであり続けるための努力は並大抵ではない。ましてはそれを見る人を笑顔にすることを考えるなら、ただ勝つだけではだめだ。幽玄で、優雅な勝利を求めるには、圧倒的な力が必要なのはわかる。

 

「だからお父様は……お母様のことは自分の夢を叶える邪魔にならない範囲でしか傍にいてあげなかったし、関係ないアルカさんのことは気にかけなかったってこと……?」

「……そうなる。ジェムとルビーの関係がどこか歪なことにも気づいていたが……それはジャックさんに取り持ってもらうよう託すことしか私には出来なかった」

 

 静かな声は、あらゆる意味で嘘偽りがなかった。サファイアは心の底からルビーとジェムを大事に想っているし、大事な人のためにしっかりと手を打っている。でもそれは、どこまでも自分の理想に支障をきたさない範囲でだ。

 どこまでも優しくて、どこまでも理想を実現して、どこまでも正直な一人の男を……やっぱりジェムは、嫌いにはなれなかった。むしろより一層そのすごさを理解する。ルビーが一旦代わりに弁解しようとしたことから納得はしているであろうことはわかる。チャンピオンの凄さを噛みしめて、そのためには仕方なかったと考えて。ジェムは自分の正直な気持ちを言った。

 

 

「――――お父様のバカッ!!」

 

 

 やっていることはすごいし自分たちへの優しさもある。でも一人の娘として自分と母親への行いを納得できるかどうかはまた別の話だ。さすがに予想外だったのか、サファイアの眉が少し動いた。ルビーが思わず仲裁しようとする。

 

「ジェム、私は納得してるんだよ?仕事にまで迷惑をかけるわけにはいかないし、私は私の仕事をしてみせるって約束したから彼もそうして――」

「そうだとしても! お母様が苦しんで悲しい思いをしてるのに仕方ないなんて言ってお仕事ばっかりするお父様なんて『みんな』が笑顔になってても『私が』許せないのっ!!」

「ジェ、ジェム……」

 

 今まで見たことのない剣幕で怒る娘にルビーは何と言っていいかわからないようだった。納得済みの事とはいえ、やはり自分と娘よりも理想を優先していたことへ何の不満もないなんてわけもなく、強く否定も出来なかったのだろう。

 

「……そう思われても仕方ないことをしてきたのはわかっている。だから――」

「わかってないよ、お父様に今の私の気持ちなんてっ! たまに帰ってきた時も女の子の遊びはわかんないからってお話はしてくれてもあんまり遊んでくれなかったじゃない! お母様と話してるときも自分からはほとんどポケモンバトルの話しかしないし!」

「む……」

 

 初めて、淀みなく静かに返事をしていたサファイアが言葉に詰まった。ちょっとだけジェムの胸がすっとする。心からあふれる感情の波を、父親の後を歩くのではなく自分の為の力に変えて言い放つ。

 

 

「私、今までずっとお父様みたいな立派なポケモントレーナーになりたいって思ってたけど……憧れるのは、もうやめる! まだどうすればいいかわからないけど……私は私のやりたいことを見つけて、私のポケモン達とその道に進んでみせるから!」

 

 

 思いきり指さして荒く息をつき宣言する。勢い任せではあるけど、これではっきり覚悟は決まった。ジャックはその様子を見て大笑いした。

 

「あははははははっ!! もう13歳、反抗期を迎えてもいいころだとは言ったけどここまで言うとは思わなかったよ! それでどうする? ジェム、このままお父様と同じ部屋で寝るかい?」

 

 完全に面白がってわざと煽る言い方をするジャック。ジェムもそれは薄々感じながらも、ここまではっきり言っておいて今から隣のベッドで寝ますというのは嫌だった。通話中のノートパソコンを画面は開いたまま持ち上げる。

 

「……昨日泊まった部屋は今日も使えるはずだから、私はそっちで寝るわ! お父様、このパソコン借りるからね、今日はいっぱいお母様と話して色んなことを教えてもらうんだから!」

「……そうだね。私も、ジェムの考えていることを聞きたいな」

 

 頬を膨らませて怒るジェムに折れたような苦笑を浮かべるルビー。自分の荷物とノートパソコンを持ってジェムはそのまま部屋を出ていってしまった。部屋の中にはサファイアとジャックの男2人が残される。

 

「……ジャックさん、ここに来てからあなたはジェムに何を言ったんですか?」

「別にぃ~? ただ今までいい子過ぎたからもうちょっと自分の本心に正直に、わがままを言っていいんだよとは言ったね。……20年前の君みたいにさ」

 

 もう10年は見ることのなかった呆気にとられたサファイアをにやにやと笑いながらジャックは言う。そこに込められたのはたった20年で大きく変わってしまう人間への、皮肉があった。

 

「なるほど……ありがとうございます」

「……全く、そこでお礼が出てくるあたりは変わったというべきか変わっていないというべきか」

「私は私の理想を追求するがゆえに、あの子の私への幻想を守らなければいけなかった。でもそれをあなたと……おそらくは、かつて私が憧れた人が壊してくれたのでしょう?」

「まーね。今から女二人は色々君の愚痴とか言うだろうけど、僕らはどうする?」

 

 と言いながらジャックはモンスターボールを器用にお手玉し始める。その中にはスイクンにレジスチル、はたまたジェムのラティアスと対を為すラティオスがいることをサファイアは知っていた。

 

「……私のポケモンも先ほどの戦いでは少し未練が残るようで。久々にお相手願えますか?ピラミッドキング」

 

 サファイアもモンスターボールを取り出す。その表情は穏やかだが、幽かに笑っていた。さっき娘にバカと言われたばかりなのに、挑まれたバトルを楽しもうとしている。

 

「ホント、根本的にバトル大好きなところは変わってないよね。そうでないと面白くないけどさ――いくよ!」

 

 もう何度目になるかわからないサファイアとジャックの勝負が始まり、自分とダイバの部屋に移動したジェムは母親のルビーと今まで話せなかったことやフロンティアで経験したもっと細かいことについて話す。ジェムたち家族の夜は、そうして更けていく。

 

 

 

 

 

――一方、バトルタワー最上部。父親から話があると言われてエレベーターでそこに向かったダイバは、既に集合している父と母、それに祖父を見てため息をついた。安っぽいSFの宇宙船のように壁中がコンピュータによる何らかの情報が表示されている部屋の中心に大きな黒い椅子があり、真っ赤な長髪に男性用の中国服で身を包んだ父親が肘をついて座っている。その傍らには椅子に座るのではなくもたれかかるようにして母親が寄り添っていた。綺麗な肌、色あせない紫の髪、外見的にも胸元の開いたドレスのような服装からも年齢を感じさせない。その二人の更に後ろで、浮遊するソファに座った白衣に白髪、手にした小型端末を弄る祖父が控えている。相変わらずこの部屋で会うとどこの悪の組織かと思ってしまう。まあ母親と祖父は元々悪の組織に属していたらしいが。

 

「……パパ、話って何」

 

 あまりダイバは両親と話すのが好きではない。さっさと要件を聞いて寝たかったので単刀直入に聞く。

 

「何、大したことじゃねえさ。お前はこのフロンティアの大事なテスターだからな。いくつか感想を聞いときたくてな」

 

フロンティアはまだ一般公開されていない。今はまだバーチャルポケモンや、フロンティアの設備に欠陥がないかどうかのテスト期間中であり、ジェムが特別に呼ばれたのもそういう背景がある。ダイバも同じだが、彼の場合は更に特別な事情があった。

 

「バーチャルのポケモン達は僕が最終調整したのと同じ強さで機能してる。グランパの作ったポケモンがおかしくなるわけない」

「とぉーぜんですね。私が発明し、我が孫と何年も調整し続けた技術の結晶に狂いなぁーどあり得ません」

 

 グランパ、のところでダイバはティヴィルを見る。ダイバはティヴィルの事を昔からそう呼んでいた。フロンティアの中心となるバーチャルポケモンシステムはティヴィルの作ったものであり、ダイバはそれ相手に物心ついた時にはメタグロスやサーナイトと戦っていた。最初はほとんど見ているだけだったが段々と指示を出し、一緒に戦い、今ではメガシンカを使いこなすまでに操ることが出来るようになった。その過程でバーチャルポケモンもまた、本物のポケモンと遜色ない戦いができるほどに進化していったのだ。

 

「そうか。ならブレーンにたどり着く奴すらなかなかいないのも納得ってところだな」

「ふん……あの程度のポケモンを倒せないやつらばっかり集めてよかったの?」

 

 バーチャルポケモンは機械で出現させているがゆえに、ティヴィルの意思で強さをコントロールすることが出来る。今のフロンティアではバーチャルポケモンのレベルは最大値の半分である50に統一していた。そしてその程度なら、ダイバはバーチャルポケモンなど赤子の手をひねる様に倒せる。だからこそ、それを倒せず苦戦するジェムやその他のトレーナーには少なからず失望させられていた。

 

「構わねえよ。難攻不落であってこそ挑戦しにやってくるもんさ、トレーナーって連中はな」

 

 人差し指で自分のこめかみをトントンと叩いて見せるダイバの父親。表情には絶対の自信が浮かんでいる。その理由を傍らの母親が解説する。

 

「テスターとして一部のトレーナーを完全無料で招待し、難易度と攻略性の高さを示すことで一般公開でたくさんのトレーナーに来ていただく……という戦略ですね。ダイ君があっさり倒せてしまうのはずっと昔から戦ってきたのと何よりダイ君が優秀だからですよ?」

 

 聞き飽きた褒め言葉だ、とダイバは思う。さっきチャンピオンの力量の一部を垣間見た今、そんな言葉に何の意味も感じられない。

 

「さて、今お前の持っているシンボルは3つか……明日には揃えられるか?」

「いくらなんでも早いよ。パパの追加したルールのせいで余力は残さなきゃいけないし、ジェムと一緒に行動してるから」

 

 エメラルドが余興と称して開幕と同時に告げたルールのせいで、島を歩くときはいつバトルを挑まれてもいいようにしなければならない。施設の攻略にはダイバといえど何度も戦わなければいけないので当然時間はかかる。加えてあの危なっかしいジェムと一緒に行動する関係上、自分の施設攻略に専念するわけにもいかない。ダイバの考えでは、7つすべてを集めるにはあと一週間ははかかる想定だった。

 

「そう、ジェムだ。あいつの娘も2個シンボルは獲得してるはずだ」

「ピラミッドとクォーターのを持ってる。……だから?」

 

 意図を図りかね、刺々しく言うダイバ。ジェムがダイバより早くシンボルを集めればあいつに構う必要はないと言いたいのだろうか。だがそんなことはあり得ないと思っている。ジェムは、自分よりはるかに弱いから。

 

「なんだ、あいつと組んで7つのシンボルを集めるために一緒にいるんじゃねえのか?」

「ふふ……あなた、ダイ君はあの子と一緒にいたいから連れてるんですよ」

「組んで7つ……? チャンピオンへの挑戦権は7つのシンボルを集めた一人に与えられるんじゃなかったの?」

「なんだ、ここまで言ってわからねえか? 思ったより疲れてるみたいだな」

 

 母親の言葉は無視して気になることだけ聞く。するとダイバの父親はやれやれとため息をついた。その言葉の裏には、いつもの状態なら自分の息子であれば確実に気づくという確信がある。父親はいつもそうだ。

 

「あなた、ダイ君はまだ10歳なんだからちゃんとわかりやすく言ってあげましょう?」

「しょうがねえ。まず今日お前達を襲ったシンボルハンターは犯罪者ではなく俺たちが用意した仕掛け人だ」

「……知ってる。あんな子供だましに騙されるほど僕は馬鹿じゃない」

「なんだよ、わかってるじゃねえか。ならもう少し考えてみろよ。俺がただ子供だましのためにわざわざあんなゲストを用意すると思ったか?」

「……はあ」

 

 ダイバはシンボルハンターが誰かまでは知らない。だが父親の言い方からしてかなりの有名人なのだろう。帽子を目深に被り直して、父親が提示した問題を考える。

 

(せっかく獲得したシンボルを奪われるのは、本来なら挑戦者にとっては不利益でしかない。わざわざ挑戦者が減るようなことを、パパはしない)

 

 まずそれが前提だ。ダイバの父親はさっきバーチャルのレベルの話にもあがったようにフロンティアのオーナーとしてできるだけ儲かるように手を打っている。利益を失うだけのメリットのないことはしない。

 

(逆に言えば、シンボルハンターを用意したのはその存在によって参加者にメリットが生まれるということ。 それってなんだ?)

 

 参加者、ひいてはこのフロンティアを運営する上でのメリットがあのシンボルハンターにはあることになる。ならばそれは何か。

 

(シンボルを奪う存在をオーナーであるパパが用意する。それはつまり、運営側がシンボルを奪う存在を認めたことになる……そうか)

 

「……繋がった」

「おぉー? もう察しましたか。さすが我が孫ですねぇー?」

「さすがダイ君ですね。さあ、パパに言ってみてください?」

 

 母親と祖父はダイバの答えが間違っていると全く思っていない。それもいつもの事だった。ダイバと話す時、父親は何かしら問題を与えてそれをダイバに解かせようとする。そしてそれにダイバは答えてきたからだ。

 

「バトルフロンティアでは、シンボルを持っている相手にバトルで勝つことでその相手が所有するシンボルを奪ってもいいルールが存在する……だよね」

 

 答えを聞いた父親は満足そうに目を細める。それはまるで人間を見下ろす巨竜のようだった。少なくともダイバには、そう見えた。

 

「正確にアンティルール、両者がシンボルを持っていることで成立するルールだがな。まあ本質は見抜いてるし正解ってことにしてやるよ。流石俺の息子だとな」

 

 父親が細かい条件を説明する。シンボルを持っている者だけに与えられる他の挑戦者からシンボルを奪うことのできるルールで、何個ずつ賭けるかは両者の合意が必要だが、挑戦された側には拒否権はなく挑戦が発生した時点で最低一個ずつは賭けなければいけない。ただしどんなルールでバトルをするかは挑戦を受けた側に決定権があり、望むならポケモンセンターで回復してから戦うことが出来るということだった。後半のルールは施設を出てすぐの疲れ切った相手を狙うことは出来ないようにするという配慮である。

 

「せっかくトレーナーがたくさん集まるのに、みんな施設に挑戦するだけでお互いにバトルしねえんじゃつまらねえだろ? だからこのルールを用意したんだ」

「じゃあ、明日にでも揃うっていうのは……」

「ああ、あいつの娘と合わせて7つそろったらそいつから奪え。お前の方が強いってルールに則って証明しろ」

 

 完全に命令だった。それをダイバが聞くと疑っておらず、ジェムとダイバの関係がどうなるかについても特に考慮していないようだった。そんな父親の言葉に、ダイバは――

 

「……わかった。僕の方が強いなんてもうわかってるけど」

 

 拒否することなく、従った。もともとジェムと一緒に行動したのなんて自分にとって利用できると思ったからに過ぎない。むしろ今の指示ではっきりとジェムを連れていた意味ができる。父親が母親をお金を稼ぐために利用したように、自分にも同じことが出来るはずだと。

 

「ふふ……ダイ君は本当に賢いいい子ですね」

「当然だな。だが二つ忘れるなよ? まずあいつの娘は、この二日で見違えるほど強くなってる。もはやお前が蹂躙したときの甘ったれただけの子供じゃねえ」

 

 人差し指を立てて父親が言う。その言葉をダイバはただの脅しだと思った。さっき会った時のジェムは相変わらず父親のことを盲信しているとしか思わなかったからだ。むしろ気になるのは、もう一つの方だ。それはこのフロンティアに挑戦するときにわかっていたこと。

 

「そして何より。7つすべてを集めるには、当然タワータイクーンからのシンボルを獲得しなきゃいけねえ。つまり……この俺様にポケモンバトルで勝たなきゃいけねえてことだ。お前とあいつの娘のどちらかがな」

「……わかってる」

 

 バトルクォーターを母親のネフィリムが務めているように、このバトルタワーのブレーンはオーナーである父親――エメラルドだ。彼のポケモンバトルの強さは……ダイバでも、勝てる自信があるとは言えない。

 

「話は以上だ。もう自分の部屋に戻っていいぜ」

「……わかった。グランパ、今からファクトリーに入ってもいい?」

 

 話は終わり、ダイバは深いため息をついた後踵を返す。そして自分の祖父に尋ねた。祖父もその意味を察して頷く。

 

「勿論、許可しまぁーしょう。我が孫が義理の息子に打ち勝とうとするのに協力を惜しむわけにはいきまぁーせんからねえ」

「……ジェムなんかがパパに勝てっこない。明日、僕がパパを倒す。そしてジェムからシンボルを奪って、あのチャンピオンを超えてみせる」

 

 ダイバはそのためにわざわざこんな茶番劇のような施設に挑戦することにしたのだ。ホウエンの社会を操る圧倒的強者の父親にバトルで勝ち、ポケモンバトルの王者であるチャンピオンにも勝つために。その為の対策を、今夜改めて練る。

 祖父と連れだって部屋を出ていくダイバを見送り、父親であるエメラルドは小さく笑った。

 

「くっくっ……あいつも自分の意思ってやつが出てきたな。まだまだ俺の指示は必要だが」

「そうですね、あの子が自分から同年代の子と一緒に行動しようとしたのなんて、初めてですもの……それもあなたのようにしっかり利用しようとしている」

「ああ、それであいつらが競い合い、どちらかがいち早く7つのシンボルを集めてくれれば好都合だ。フロンティアの最終計画を実行するうえでも……な」

 

 まるでゲームマスターがプレイヤーキャラクターの動きを見守るような言葉だった。フロンティアという盤上で、挑戦者の動きをエメラルドは観察し、支配している。そうして、ダイバたちの家族の夜が更けていく。

 

 

 

 

 

――一方フロンティアのとあるホテルの一室。ダイバを動けなくするために戦っていたら現れたチャンピオンとジェムに邪魔されたアルカは自分とアマノの隠れ家であるそこに戻っていた。このフロンティアに来る前に自分の毒ポケモンでトウカシティに毒ガスをまき散らす事件を起こすことでチャンピオンをそちらに釘付けにする手はずだったのだが、どういうわけかチャンピオンは平然とここにやってきていた。部屋の中にいる黒髪を一部だけ赤く染めた長身痩躯の男に、苛々を隠さずに話しかける。

 

「どういうことですかアマノ? チャンピオンはホウエンで何か大規模な事件が発生すれば解決に動くのではなかったのです?」

 

 アルカはそう聞かされていたからこそ、吸い込んだら数日は寝込み激しい頭痛がするが、アルコールのような時間経過とともに体の機能によって自然に分解される命に危険のない毒をわざわざ作って自分のウツボットやマスキッパとばらまいてきたのだ。なのにこれでは骨折り損であるばかりか無駄にトウカシティの人々を苦しめてしまったことになる。

 

「……このフロンティアのオーナーの仕業だ。あいつが今チャンピオンを確実に招待するために自分の会社で解決を請け負いやがった。無償でだぞ? 全く信じられん」

 

 が、苛々しているのはアマノも同じだったらしい。それは予想に反してチャンピオンがここに来たからでもあるし、別の理由もある。今この部屋にいるアルカより少し年上の少女のせいだ。美しい金髪に、紺色の派手なマントがついた燕尾服を着る彼女は手持ちであるチルタリスの羽毛を丁寧に掃除してやりながら派手に笑う。

 

「ふはははは! 私を洗脳するのも失敗する、チャンピオンは平然とここにやってくる、貴様の作戦は穴だらけだなアマノ!」

「うるさいぞドラコ! 私の操り人形の分際で……」

 

 服装から見たままのドラゴン使いであるドラコは、昨日アマノの策略にはまり服従の催眠術をかけられた。普通ならそこでドラコはアマノの忠実な操り人形になるはずだったのだが、ドラコは異常なまでのドラゴン使いとしてのプライドの高さと精神力で催眠術にかかりながらもほぼ自我を保っている。おかげでうるさくて仕方ない。

 

「はっ、操り人形だと? 今私がここにいてやっているのはそうすればチャンピオンと戦えるかもしれないというメリットを感じているからこそだ。アルカには同情してしまうな。こんな軟弱な男に従うしか生きる道がなかったとはとんだ不運だ」

「貴様……ええい、『黙れ』!!」

「……」

 

 アマノが命令するとドラコは肩を竦めて黙り、大人しくチルタリスのブラッシングに戻った。催眠術によって絶対服従ではあるので命令は効く。ただし直接命じたことでなければ平然と逆らうとんだじゃじゃ馬だった。アルカはため息をつく。

 

「……あなたにも同情される謂れなんてないのです。こんな男の悪事に協力するしかないなんて不運なのは事実ですがね」

「ちっ……」

 

 アマノは舌打ちしてアルカを見た。アルカは行き場を亡くしたところをアマノに命を拾われた身であり、また当時のアルカが生き残るためなら手段を選べない子供であったために恩をあだで返されないためにアルカにも絶対服従の催眠術はかけられている。当時の自分の精神状態が原因でもあるからそのことについて一概にアマノが悪いと言うつもりはないが、命令に逆らえないというのはいい気分ではない。

 

「ともかくだ。想定外の事態はあったが、結果的にお前のおかげで計画は遂行できた」

「バーチャルシステムを管理するバトルファクトリーへのハッキングは成功したということですか」

「ああ。……明日が、決行日だ」

 

 

 アマノがこのフロンティアの支配者に取って代わるための計画。必要な布石は今日で撒かれた。アルカがダイバに攻撃を仕掛けたのはバトルファクトリーのブレーンが彼の保護者を担っているからであり、その人物の注意を少しでも引きつけることでバーチャルシステムへの侵入をするためだった。

 

「現オーナーからフロンティアを奪い返し、あの男とチャンピオンの計画を一掃する……この時を、どれだけ待ち望んだことか!」

 

 突然感極まって叫ぶアマノにアルカとドラコが眉を顰める。正直アルカにはアマノの目的に興味がない。

 

「はいはい、男の人って馬鹿ですよねー。そんな大きなことしなくても自分のご飯があって寝るところが確保できればいいと思うのですよ」

 

 その言葉はアマノのことだけではなく、フロンティアのオーナーやチャンピオンにも向けられていた。アマノによればこのフロンティアにはただのバトル施設以上の存在理由があるらしく、アマノはそれを阻止したいらしい。物心ついてからただ自分が生きることを考えるしかなかったアルカにはスケールが大きすぎて理解不能なのだった。

 

「それは小さすぎるぞアルカ! 誰であってもただ衣食住を確保する以上の生活を望み己を高めるべきだ。アマノが身の丈に合わないことをしようとしているのはそうだが、お前はそんな小さな女じゃないと私は認めているつもりだ!」

 

 ドラコの中で『黙れ』という命令の期間が終わったのか、またしゃべり始める。アマノもドラコが喋るたびに黙れと命じていてはきりがないのかもう一度命令はしなかった。

 

「……どーも、ありがとうございますですよ。それじゃあ明日頑張りましょうか、3人で」

 

 心底どうでもよさそうに褒め言葉を受け取りながらも、アルカは自分がしっかりしなければと思う。アマノは自分から見てもホウエンの経済を牛耳るような相手に歯向かえるほど大きな人間だとは思えない。既に計画の歯車は狂い始めている。それでもアマノにはなし得たいことがあり、アルカはそれに協力するのだから。ポケモンバトルは好きではないが、それを邪魔するのなら誰であっても倒さねばならない。

 

(そう、例え私に初めて心からの笑顔を向けてくれたあの子であっても……です)

 

 自分たちの計画が作動すればジェムは止めに来るだろう。アルカの事など何もわかっていないのに助けようとした愚かで優しいあの子を思い出すと、切なさと苛立ちが同居した不思議な気持ちに包まれる。騒がしい二人と計画を確認しながら、夜は更けていき――次の日が、やってくる。

 

 



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賽は投げられた!

 それぞれの夜が明け、次の朝。ジェムが目を覚ますと、いつの間にかベッドで寝ていたようだ。ジェムの母親、ルビーは夫がチャンピオンとしての務めを果たしながら自分を支えてくれたこと、彼は彼の苦悩を抱えているのにそれをあまり見せようとはしなかったことを話してくれた。今まで自分に遠慮していたであろう母親の本音を聞くのは楽しくて、ついつい時間を忘れてお喋りしてしまったのだ。

 ノートパソコンを畳んでから、昨日はお風呂に入れなかったのでシャワーを浴びるために着替えを持って小さな脱衣所へ行く。着替えは自分が今までに来たことのないもので、ルビーが自分のために選んでくれたらしく、昨日の夜この部屋に届けられたのだった。本当はジェムがフロンティアに行く日に用意したかったらしいが、ルビーが自分の元を離れてしまうことへの躊躇いからすぐに渡せず、フロンティアに着いてからようやく受け入れることができたらいい。

 

「お母様……私のために、色々無理してくれてたんだ」

 

 昨日着たまま寝てしまった服を脱ぎ、風呂場へと入る。シャワーの蛇口をひねり、程よい熱さのお湯が出るようになってから髪を濡らしながら会話の内容を思い出す。母親は昔両親にご飯をロクに作ってもらえず、お菓子ばかり与えられて育てられていたこと、そのせいで普通のご飯を食べるのが嫌いだったこと。それをジェムの父親であるサファイアが改めてくれたことや、昔は一人称が『ボク』であると教えてくれた。そういうわけだから家事全般は苦手で自分で料理なんて作れなかったのにジェムの為に必死で覚えたり、娘が真似するといけないからと一人称を『私』に改めたらしい。また、ジェムがシンボルハンターに過去の記憶を見せられた時に感じた気持ち悪さは、子供がお腹の中にいるときは誰でもそうなるものなのだと言われた。それは少し安心できたけど、数ヶ月はあの気持ち悪さが続くと思うとジェムは正直怖い。とても耐えられないだろう。

 

「お母様はジェムがしたいことのために明るく頑張ってくれるのが一番幸せだって言ってくれた……お母様とお母様が託してくれたポケモンのためにも、自分を大事にしないといけなかったんだよね……」

 

 今までのジェムは、誰かのために自分に辛い思いをさせることを平気でやっていた。でも、ジェムが傷ついてボロボロになったら、例え私やサファイアのために頑張ってくれたとしても悲しいと。バトルフロンティアについて最初に会話した時も同じことを言われたが、今ならその言葉を本当の意味で受け止めることが出来る。母親があんな辛いを思いをして自分を育ててくれたのを否定するようなことはもうしたくない。

 

「うん、やっぱりお母様と色々お話ししてよかった。ダイバ君やアルカさんにどうお話しすればいいかも相談できたし」

 

 ジェムもフロンティアでどんな人に会って、ダイバやアルカ、ドラコについてどう思っているなどを話した。ドラコとはお互いに実力を認め合って仲良くなれそうだが、ダイバやアルカとは昨日の夜のこともあって接し方に悩んでいた。特にダイバは男の子だし大体一緒に行動しているのでどうすればいいか相談したのだ。母親もあまりサファイア以外の男の人と一緒に行動したことはないらしく、女の子としてどうすべきかみたいな話はされたがどう仲良くなればいいかはわからないらしい。それでも、彼女の経験から来る言葉のおかげで少し迷いは晴れた。

 

「『その子たちは昔の私……ボクがそうだったように、心に傷を負ってるんだと思う。でも、ジェムが心から仲良くしたいと思って接すれば少しずつ変わっていけるはず』……きっとそうだよね、お母様」

 

 思いを固めながら体の汗をさっぱりと流して、ジェムは風呂場から出る。そういえばダイバは昨日この部屋に戻ってこなかったようだった。体を拭いて替えの下着を身に着けたところで、強い喉の渇きを感じた。思えば昨日ずっと喋っていて、そのままお風呂に入って汗を流したのだから当然ではある。

 

(確か、冷蔵庫にジュースがあったよね)

 

 そこそこいいホテルだからこそなのだが、この部屋には小さな冷蔵庫が備え付けられている。そこには何本かのドリンクが入っているのをジェムは知っていた。熱気の籠る脱衣所から出て、冷たいジュースを取りに行こうとして――

 

「あ」

「……朝からお風呂?」

 

 そこには、いつの間にか部屋に戻って来たダイバがいた。ジェムの格好を一瞥したが特に気にせず、冷蔵庫から瓶ジュースを取り出して飲み始める。数秒硬直した後ジェムは飛びのくようにして脱衣所に戻った。ダイバは挙動不審なジェムに呆れた声を出す。

 

「……何してるの?」

「な、なんでもないわ!」

 

 ダイバが部屋に戻ってきていなかったので完全に油断していたジェムは恥ずかしくて洗面台のコップを使い水をがぶ飲みする。冷水で頭を冷やしひとまず喉の渇きを癒してから服をちゃんと着て、とりあえず脱衣所から部屋の中に戻った。

 

「えっと……いきなり出てきてごめんね、びっくりしたよね」

「いや、別に……」

「でもほら、ちゃんとお洋服着てなかったし……」

 

 全く気にしていないダイバになんとなくもやもやして食い下がるように言うジェムだが、ダイバは帽子の鍔を抑えながら被せるように呟く。

 

「お風呂あがりの格好なんてどうでもいいよ。そんなことより、今日も二人でシンボルを集めなきゃいけないんだ。早く挑戦しに行こう」

「えっ……? う、うん。ちょっと待ってね!」

 

 どうでもいいと言われたこと以上に、ダイバがジェムがシンボルを集めることについて口に出したことが驚きだった。今まではジェムと一緒に行動するうえでこちらの都合に付き合ってくれていただけで、ジェムのシンボル集め自体に何の興味もなさそうだったからだ。ジェムは慌てて部屋の隅にある大きめの鏡の前で自分の見出しなみを整える。昨日までの濃い青色のパーカーに赤いミニスカートとは違う、淡い水色を基調とした半袖のトップスに小さめの赤いネクタイをつけ、小豆色のショートパンツに身を包み、髪には小さな雫を象ったヘアピンをつけている。母親が用意した新しい服は今まで着ていた服よりも少しぴったりとしていて、なんだか背筋が伸びるような思いがした。これを用意してくれたことに思いをはせていると、ダイバが少し苛立った声を出す。

 

「……まだ?」

「ううん、もう大丈夫! じゃあ朝ごはん食べにいこっか」

 

 モンスターボールはポケモンセンターに預けてある。朝食がてらそこに行こうと当然のように提案したが、ダイバは首を振った。

 

「いらない。さっさと施設に挑戦しに行く」

「えっ……? 朝ごはんはちゃんと食べないと力が出ないよ?」

「うるさいよ、君は僕より弱いんだから大人しく言うことを聞いて」

 

 何か、すごく不吉な焦りを伴った声だった。妙に態度の変わったダイバに、ジェムは昨日の夜ダイバがどうしていたかを考えて問いかける。

 

「昨日、あなたのお父様に何か言われたの?」

「……関係ない」

「関係ない……? そうだとしても、朝ごはんまで要らないなんて言うなんておかしいよ。腹が減ってはバトルは出来ぬっていうし……ね、ちゃんとご飯は食べよう?」

「なんで僕が君のいうことを聞かなきゃいけないのさ」

「いうこと聞くって約束したし、無理にとは言わないけど……ダイバ君は私より強いんだからお腹が減ってるせいで負けたりしたらもったいないでしょ?」

「……はあ、わかったよ」

 

 何が関係ないのか、をダイバは言わなかった。ジェムには関係ないと言っているようでもあり、ダイバの父親に言われたことなど関係ないと言っているようでもある。正論だと判断したのかしぶしぶ納得したダイバは、それでもジェムより先に部屋を出てしまう。やはり何か焦っているようだった。慌ててついていくジェム。そのまま二人で近くにあるポケモンセンターのフードコートまで歩いていった。

 

「……いただきます」

「いただきます!」

 

 ジェムはジャムトーストにスクランブルエッグとベーコンサラダに牛乳、ダイバは目玉焼きに味噌汁、白米のお椀にお茶だった。しかしただのお茶だと思ったら中に平たい黒い物体が何枚か沈んでいる。

 

「変わったお茶ね。何が入ってるの?」

「……昆布」

「昆布? あの海の?」

「……そうだよ、梅こぶ茶」

 

 昨日までならどうせ聞いても答えてくれないと思ってしまっていたけど、ジェムは臆さず色々聞いてみようと決める。面倒くさそうにしつつダイバは答えた。梅と昆布のお茶らしいが、味が想像できなかったジェムは自分も注文してみる。すぐに用意されたそれを少し飲んで見ると、今まで味わったことのない酸味と渋みが口の中に広がった。思わず吹き出してしまいそうになったけど、何とか飲み込む。

 

「しゅ、すっぱっ……」

「馬鹿じゃないの?」

「ば、馬鹿じゃないわ! ちょっとびっくりしただけよ!」

 

 ダイバは目玉焼きをご飯の上に乗せて、黄身を潰して半熟のそれをご飯にかき混ぜ、醤油をかけて食べ始める。時折平然と梅こぶ茶を飲みながらだ。ダイバはこの味にすっかり慣れているようだった。ジェムは一旦牛乳を飲んで口の中をリセットさせた後、昨日のことについて話す。

 

「私はね、昨日お母様がどんな思いで私を育ててくれたのかとか、お父様がチャンピオンのお仕事を続けるためにどんなことをしてるのかとか色々お話ししたんだけど……ダイバ君は、何を話してたの?」

 

 直接焦っている理由を聞いても答えてくれないので、まずそこから聞いてみる。話の内容から彼の焦りの内容を察せるかもしれないからだ。

 

「別に……フロンティアのバーチャルシステムがちゃんと機能してるかどうか聞かれただけ」

「それだけ? 本当に?」

 

 ダイバの父親はフロンティアのオーナーなのだから、ダイバに聞かなくてもそんなことはわかりそうなものだった。何か隠しているんじゃないかと訝しむジェムの目線から顔を反らすように帽子の鍔を抑えてダイバは言う。

 

「……このフロンティアのバーチャルシステムを鍛えたのは僕とグランパなんだよ。だからパパより僕の方が詳しいんだ。それだけ」

「グランパ? えっと……」

「祖父。昨日椅子に乗って空を飛んでたあの人」

「お爺様と一緒に……そっか、だからあんなにバーチャルもダイバ君も強いんだね。自分のお父様より詳しいことがあるなんてすごいわ!」

 

 ジェムも二回ほど負けたバーチャルを作ったという言葉をジェムは素直に受け止めてそう褒める。ジェムが自分でも驚くほど、昨日までの自分がダイバより弱いことへの怯えはなくなっていた。自分の未熟さと弱さを、恐れずに受け止めることが出来たからだろう。

 

「何、急に。僕がおかしくなったんじゃなくて君が変になったんじゃないの?」

「ふふ、そうなのかも。でも、じゃあダイバ君はお父様に頼りにされてるのね」

「……は?」

「だってそうでしょ? わざわざダイバ君を呼んでまで聞くってことは、ちゃんと確認して安心したかったってことだと思うし」

「……」

 

 何気なく、ジェムは思ったことを言っただけだった。それにダイバは何かはっとしたように顔を上げて黙考する。

 

「まさか。パパが僕を頼るなんてあり得ない。……そう、あり得ないよ」

「そんな風に決めつけちゃダメだよ! ダイバ君はすごくバトルが強くて私よりもいろんなことを知ってるんだから!」

「そうだとしても、結果が出せなきゃ意味なんてない……だから僕はシンボルを7つ集めて、チャンピオンに勝たなきゃいけないんだ」

 

 シンボルを7つ、のところでダイバはジェムを一瞬睨んだ。それは昨日ダイバがチャンピオンに向けていたのと同じ目で、ジェムの事を眼中にいれていなかったはずだった。まるで尖った鋼のような危なさのある目だったけど、それでも目を合わせてくれたダイバにジェムは語り掛ける。

 

「……あのねダイバ君。私も、今お父様に勝ちたいって思ってるの」

「知ってるよ。あんな風になりたいって何回も聞いた」

「違うの。昨日まではそう思ってたけど、今はお父様と同じになりたいんじゃなくて、私の気持ちをぶつけたいの」

「自分の気持ち……?」

「うん、昨日初めてお父様のやってることを許せないって思った。悪いことなんてしてないし優しいお父様だけど、どうしても納得できないことがあったの。今はまだそれがなんなのかはっきりわからないけど……このフロンティアでシンボルを7つ集めて挑戦出来たら、その時はお父様に憧れてただけの私じゃない、自分の力で戦いたいなって」

 

 ダイバとジェムが最初に会った時は、父親を真似た口上を馬鹿にされただけで怒るほどジェムはチャンピオンに心酔していた。ひな鳥のように、親の後を追っていた。ダイバはジェムをそういう人だと思っていたから、今の言葉に目を丸くした。でもダイバにも自分の目的がある。目を伏せて、呟いた。

 

「ふん……無理だよ。7つのシンボルを集めるのは僕なんだから」

「そうかもしれないわ。でも、私だって負けないからね!」

「……勝手にすれば」

「うん! そうするわ!」

 

 なんだか話したいこととは違う方向にいってしまったけどそれでも言うべきことは言えた気がして、満足して朝食を食べる。結局梅こぶ茶は残してしまったがもともと頼んだものは完食した。自分の仲間たちが入ったボールを受け取る。自分のポケモン達は、昨日色んな辛いことがあったことでジェムが落ち込んでいないか心配してくれていたようだった。そんな優しいみんなに、ジェムは心からの笑顔で話しかける。 

 

「大丈夫! 私ね、今すっごく元気だよ、みんなと勝ちたくって仕方ないくらい! だから……今日も一緒に頑張ろうね、みんな!」

 

 そういうと、ボールの中のみんなの表情が明るくなり、ラティアスに至っては勝手に出てきてジェムの周りをくるくる回った。その頭を撫でてやりながら、ジェムは告げる。今日の挑戦する場所を。

 

「ラティ、みんな……今日はね、最初にここにきて負けちゃったあのサイコロの施設に挑戦しようと思ってるの。あのブレーンのお爺さんともう一度勝負して、言葉をぶつけて……今の私たちで、勝ってみせたいから」

 

 バトルダイスのブレーン、ゴコウ。彼はジェムの父親を知り、またそれに憧れるジェムに対して何度かバトル以外での言葉をかけていた。でもその時のジェムは父親に追いつきたい一心で、耳を傾けていなかった。だから、もう一度勝負をしに行くのだ。ジェムの仲間たちは、それぞれの声で快く返事をしてくれた。

 

「バトルダイスに挑戦するの……? 僕、もうそれは持ってるんだけど」

「え、それがどうかしたの?」

 

 ダイバがバトルダイスのシンボルを持っていることで何か困ることがあるとはジェムには思えない。ダイバは何かしまったという顔をして、取り繕うように言った。

 

「……じゃあ僕はバトルドームに行くから。そっちが終わったら勝っても負けてもまたここに来ること」

「わかったわ、もちろん勝ってくるから!」

「……どっちでもいいよ。じゃあね」

 

 ダイバは踵を返してバトルドームへと歩いていった。ホテルでジェムがシンボルを取ることも大事そうにしていたのはなんだったんだろう?と思いつつも、それはこれからゆっくり話し合っていけばいい。ジェムも初めての敗北の場所となったバトルダイスへ再び足を踏み入れ、説明を改めて受けて新たな挑戦を始める。二つのサイコロを握り、バトルフィールドの片方につくとジェムの傍にお椀をひっくり返したような物体が現れる。たった二日前の事なのに懐かしく感じながら、サイコロを振った。

 

「最初だし気合入れていくよ! ダイスロール!」

 

 サイコロの眼は3と6を出した。この前挑戦した時の作戦でいけばここは2体で戦って後で6匹全員を回復出来るようにした方が安全だ。逆にすれば6体で戦ってみんながダメージを負っても、3匹しか回復出来ないからだ。

 

「でも私は……6を選ぶ!」

「了解しました。では……バトル、スタートです!」

「ポケモンは しょせん人間 ではない 絆など 幻想にすぎないのです」

 

 受付の人の掛け声とともに研究員らしきヴァーチャルトレーナーが現れる。決められた言葉を言っているだけなのはわかっているけど、ジェムははっきり否定した。

 

「私は、お父様とお母様、ジャックさんがくれたこの子たちの事を信じて戦うわ!いくよ、キュキュ!」

 

 キュウコンを出し、相手のバーチャルポケモンと戦う。このバトルダイスはサイコロの出目によって使用できるポケモンと回復できるポケモンの数が変わる運と駆け引きの勝負。今回ジェムは敢えて出目の大きい方を選び、戦いながらジェムは自分のポケモン達と自分の答えを探していくことにした。負けを恐れ、今この場を勝つことに拘らずその先の答えを求めて――

 

 



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白熱する駆け引き

 再び挑んだバトルダイスでの勝負。自分を支えてくれるポケモン達を信じ抜くと決めたジェムは、改めてそれぞれの特性を生かすための戦い方を編み出しながらバトルを進めた。自分のポケモン達はラティアスとマリルリ以外両親に貰ったポケモンだ。ルビーから過去の話を聞けたことで、昔はみんながどんなバトルをしていたのかを聞くことも出来た。気持ちも新たに、戦術を練り続けるジェムの勢いは止まらず――気づけば、ブレーンの一歩手前まで来ていた。

 

「よし……皆、いい感じだよ!」

「次は21戦目です。このままブレーンに挑戦しますか?」

「ええ、そうさせてもらうわ。ダイスロール!」

 

 最初の勢いから衰えることなく、ダイスを振る。出目は5と6だった。ここまで来ればどちらでも大差はない。しかし――

 

「私はあの時と同じ……5を選ぶわ」

「了解しました。では……フロンティアブレーンの、おな~り~!!」

 

 最初に会った時と同じ、堅い木を打ち鳴らすような音が部屋中に響き渡りジェムの対面の壁だと思っていた部分が襖のように開く。その向こうにもまた襖のような扉があり、それがどんどん開いていった。

 その奥から現れたのは――白塗りの顔に目や口に赤いメイクをしている、服は赤と青の二色で構成されたど派手な着物を着た2m近くある初老の大男、ゴコウだ。ゴコウはずんずんこちらに歩いてくると、ジェムを見下ろして楽しそうに笑った。ジェムはそれを、少しの緊張を持って見つめる。勝たなければいけないのではない。ただ、ここで今日の練習の成果を試し、自分たちの実力を示したいのだ。

 

「よう、また会ったな嬢ちゃん。噂は聞いてるぜ? あのピラミッドキングとクォーターアイドルを倒したんだってな!」

「うん……この子たちのおかげでね。今日は、ゴコウさんにも勝ってみせるわ」

「チャンピオンの娘だから、かい?」

「ううん、違うわ。あのね……」

 

 拒絶とは違う、静かな否定。ジェムが今の自分の気持ちを何とか言葉で表現しようとすると、ゴコウはジェムの顔よりも大きな手のひらを前に突き出して止めた。

 

「みなまで言うない。儂にはわかるさ。この前はほんのちまい子供だったが、今の嬢ちゃんはれっきとした一人のトレーナーってな。トレーナー同士なら、自分の気持ちはポケモンバトルで語るもんだろ?」

「ポケモンバトルで……わかった、やってみるわ」

 

 最初に会った時はトレーナとして認められていなかったらしい。でもそれに気づかなかったのは、ジェムがゴコウの事を父親に近づくために乗り越える壁としてか見ていなかったからなのだろうし、今は少しだけ成長したのだから気にしない。ただ、自分と仲間たちのバトルをするだけだ。

 

「今度は小手調べじゃねえ、本気の勝負が出来そうだな……さあ、こいこいチャレンジャー! ポケモンバトルは運と駆け引き、それを体現した儂の花札ポケモン達に勝てるかどうか、見せてみやがれぃ!!」

 

 ゴコウが懐から五つの厚めな札を取り出し、大見得を切る歌舞伎役者のように腕を突き出してジェムに見せつけるように札を出す。その札には一枚一枚、雅に描かれた植物とポケモンがいるのが見えた。ただの札ではなく、モンスターボールを改造して作ったゴコウ専用の特注品だ。その中にはゴコウの信頼する手持ちが入っている。

 

「うん、ちゃんと駆け引きしてみせる! さあ行くよキュキュ、あの時の私たちとはちょっとだけ違うってこと……見せてあげよう!」

「ほう、あの時と同じポケモンかい。なら儂も選ぶのはこいつだ、一枚目は松に鶴!」

 

 ドダイトスと数匹の鳥ポケモンが描かれた札から、まるで屏風から虎を出す逸話のように本物のドダイトスが出てくる。ゴコウのドダイトスはあの時ジェムの手持ち二体を倒したあげく一旦手持ちに戻り、倒すことは叶わなかった。バトルフィールド全体を衝撃で襲う『地震』に加え、火炎放射でも焼き尽くせないほどの蔦を操る『ハードプラント』に木々を巻き込んだ嵐を発生させる『リーフストーム』などいくつもの大技を操る強敵だ。一発一発がそのまま相手を戦闘不能にするパワーを持っている。だからこそジェムは最初にキュウコンを選んだ。

 

「まずは『鬼火』!」

 

 キュウコンが得意技の尾から揺らめく炎で火傷を負わせようとする。前回もまず火傷を負わせることで攻撃力を下げた。今回でもそれは有効なはずだ。

 

「おっと、すまねえが今度は通せねえな。松に鶴、『神秘の守り』だ! この技により儂のポケモンはしばらく状態異常にならねえぜ!」

「いいえ押し通すわ。キュキュ、お願い!」

 

 ドダイトスは足に力を籠め、フィールド全体に自分の力を浸透させる。そして近づいてきた『鬼火』に反応するように地面から若木が生えていき、ドダイトスを炎から守る壁となる……はずだった。しかし鬼火がぶつかる直前、若木が突然根元から燃え上がり焼け落ちる。ドダイトスが火傷になり、攻撃力が半減した。

 

「こりゃあ一体?」

「あなたが『神秘の守り』を使うのと同時にキュキュが『封印』を使ったの。『封印』の効果によって、相手はキュキュが覚えているのと同じ技を使うことが出来ない! だからあなたの『神秘の守り』は無効になったわ!」

「なるほどなあ。早速駆け引きしてくれるじゃねえか」

「キュキュが素早く反応してくれたおかげよ。ありがとう、キュキュ」

 

 キュウコンが褒められ嬉しそうに鳴く。しかしドダイトスからは目を逸らさない。まだ作戦の最初が成功しただけだ。

 

「だが、松に鶴のパワーは半分になったとしても軟じゃねえぜ? 『地震』だ!」

「キュキュ、『電光石火』!」

 

 ドダイトスが大地を揺らし、フィールド全体に衝撃を発生させる。キュウコンは一気にジャンプして、ドダイトスの真上まで飛びあがった。いかに広範囲な攻撃と言えど、地震は宙に浮いている相手には当たらない。

 

「新技いくよ!『ニトロチャージ』!」

「なら松に鶴、『殻にこもる』だ!」

 

 キュウコンが尻尾に炎を集め、尻尾同士をぶつけることで敢えて爆発を起こし真上から加速して突撃する。今までキュウコンは前の持ち主である母親のスタイルに合わせてか天r自分から動かなかった。ドダイトスは自分の大きな殻に体を引っ込めて受け止める。キュウコンがドダイトスの木々が生い茂る背中にぶつかった。木々が生い茂る殻の硬さは予想以上だったのか、キュウコンが額を尻尾で抑える。

 

「コォン……」

「いい動きだ嬢ちゃん、だが松に鶴の真上を取ったのは失敗だったな! その背中こそ一番硬く、そして緑のパワーが集まるところよ! 松に鶴、『リーフストーム』だ!」

 

 ドダイトスの背中の木々がざわめき始め、正にキュウコンの乗る背中から烈風を巻き起こし始める。だがジェムは慌てない。

 

「キュキュ、殻の中に『火炎放射』!!」

「果たして間に合うかなあ!?」

 

 キュウコンが得意技の九の尾からなる炎を直接ドダイトスに注ぎこもうとする。しかし既に烈風は嵐となり始め、キュウコンの体を吹き飛ばそうとするが――

 

「『ニトロチャージ』には攻撃のほかに追加の効果がある。キュキュのスピードはいつもより上がってるわ! エンジン全開よ、キュキュ!」

「コーーーーン!!」

 

 吹き飛ばされるより早く炎を溜めたキュウコンがドダイトスを直火焼きにして、殻全体が炎に包まれる。キュウコンも真上に吹き飛ばされ、天井に叩きつけられはしたが、タッチの差で先にダメージを与えたことで戦闘不能になるまでのダメージは受けなかった。

 

「ちょっとだけ違う、か……いやはや、変わるもんだ」

 

 ドダイトスを札型のモンスターボールに戻しながら、ゴコウがしみじみと言う。二日前に戦った時は、ジェムは使える戦略をただぶつけていただけだった。だが今は敢えてドダイトスの背中を取ることで大技に誘導し、火炎放射を近距離で叩きこむ隙を作ったのだ。ゴコウはそれを認めたうえで、腰につけた瓢箪を手に取り、口をつける。

 

「前も飲んでたけど、何を飲んでるの?」

「ああ、酒だよ。嬢ちゃんも飲むかい?」

「だ、ダメよそんなの!」

 

 冗談めかしてゴコウが盃を突き出す。ジェムは慌てて首と手を振った。お酒は二十歳になってからである。初々しい反応にカッカッカとゴコウが笑う。

 

「嬢ちゃんに話してもわかんねえだろうが、儂は楽しいバトル中に飲む酒が一番美味いと思っててなあ。合間合間に、こうして飲んで気合を入れるのさ」

「うーん、お父様もお母様もジャックさんも飲まないからわかんない……」

「へえ、あの坊は嬢ちゃんの前では飲んでなかったのかい」

「え、ジャックさんお酒飲むの……?」

 

 本気で意外そうに言うゴコウ。しかしジェムは彼がお酒を飲んでいるところなど見たこともなかったし話に聞いたこともなかった。首を傾げるジェム。

 

「ブレーン同士で集まって会食した時呑み比べたら大した酒豪だったし美味い酒について語り合ったんだが……まあ、嬢ちゃんが真似しないように気ぃ遣ってたんだろうな。いい師匠を持ったじゃねえか」

「そっか……ええ、ジャックさんは私の尊敬する師匠で、家族よ」

 

 ジャックは年齢は大人どころではないが見た目は小さな子供だ。彼がお酒を飲んでいたら私も飲みたいと言い出してしまったかもしれない。幼い自分のためにジャックさんにも苦労をかけていたんだなと改めて思う。

 

「おっと、話が逸れちまった。まあとにかく、ポケモンバトルはそれぞれ楽しんでなんぼってことよ! 儂はそのために酒を飲み、札の仲間を使う。嬢ちゃんはどうするか見せてくれい! 行くぜ二枚目、芒に月!」

 

 細長い芒が生えた風景に三日月が映える絵札から、ルナトーンが飛び出てくる。強固な防御力に加えて運次第で威力の変わるサイコウェーブに以前ジェムはぎりぎりまで追い詰められてしまった。

 

「キュキュ、いったん戻って! 頼んだわ、ルリ!」

 

 ジェムはキュウコンをボールに戻し、マリルリを呼ぶ。出てきたマリルリは鞠のようにポンポンと転がり弾んでからしっかり足で立った。耳をピンと立て、力こぶを作ってやる気をアピールする。

 

「芒に月にマリルリをぶつけてくるたぁ……さっきのキュウコンと同じく、期待していいんだな?」

「ええ、応えられるかどうかわからないけど、これが私の作戦よ」

 

 二日前の戦いでルナトーンとマリルリはぶつかり合い、そしてルナトーンの守りを崩せずマリルリが倒れた。それでもぶつけてきたということは今度はそうならないつもりがあるということに他ならない。

 

「ルリ、『アクアジェット』!」

「芒に月、『コスモパワー』!」

 

 マリルリが尻尾から水を噴出させ、一気にルナトーンの眼前に躍り出る。ルナトーンは動じずに瞳を閉じ、エネルギーを溜めて防御を固めた。

 

「さあ、この守りを崩せるか!?」

「勿論そのつもりよ! ジャンケン……『グー』!!」

 

 マリルリがルナトーンの前で拳を固め、その一点のみに『腹太鼓』のパワーを込める。放たれた掌底が三日月の体を捉え、一気に壁まで吹き飛ばした。ゴコウが思わず目を見張る。

 

「ははあ、手遊びの溜めを攻撃力アップに利用するたあ良い発想だ。嬢ちゃんもバトルの遊び心ってやつがわかったみてえだな!」

「うん、ここに来たときはお父様の娘として勝たなきゃ勝たなきゃ……って思ってたけど。ちょっとずつそんな私を大事に想ってくれる仲間がいるって思いだせたから」

「そうだ、それがトレーナーとしてポケモンバトルで語るってことだ! ほんのちょっとのやり取りでも、さっきの一撃が嬢ちゃんがこのバトルフロンティアで何を感じたのかがビリビリ伝わってくるぜ! 芒に月、『サイコウェーブ』!」

「避けて、ルリ!」

 

 壁際からルナトーンが不思議な念波を出す。まっすぐではなく不規則に曲がりくねって飛んでくるそれからマリルリは逃げようとしたが、直前で不意に軌道を変えた念波にぶつかってしまった。

 

「リル……」

「おおよそ6割ってとこか。悪くねえ威力だ」

「やっぱり強い……でもルリもパワーアップしてるわ! もう一度『アクアジェット』!」

「同じ手は食わねえぜ、『ロックカット』だ!」

 

 再び距離をつめようとするマリルリに対して、ルナトーンは体の表面を破壊して、より細い三日月になる。そして体を投げられたブーメランのように横に回転させながらフィールドを飛行し、距離を離していく。追いつくことのできないマリルリを見て、ゴコウは愉快そうに笑う。

 

「防御力を上げ、更に素早さも上げて徹底的に攻撃を防いで『サイコウェーブ』の運に託す。これが芒に月の本気の戦略ってやつよ!」

「速い……なら、『ハイドロポンプ』!」

「悪ぃが芒に月にはお見通しだぜ?」

 

 マリルリがルナトーンの移動する先を予想して尻尾から大量の水を放つ。しかしルナトーンはあらかじめそれがわかっていたかのように停止した。何もないところを水が飛んでいく。水が壁に当たって弾けフィールドの地面全体を濡らしてからようやく、止まっていたルナトーンが動く。

 

「さあいくぜ、二回目の『サイコウェーブ』!」

「さっきよりも大きい……ルリ、『身代わり』!」

 

 ルナトーンが眼を見開き、さっきよりもさらに巨大な念波を飛ばす。直接避けるのは難しいと判断して、マリルリは水で出来た自分の分身を作る。しかしそれすらも予見していたように念波は身代わりを避け、本体に直撃した。マリルリの体が跳ね飛ばされ、何度もバウンドする。ようやく止まって何とか起き上がろうとしたが、叶わず倒れてしまった。

 

「どうよ、これが芒に月のマックスパワーだ!」

「ありがとう、ルリ。今の攻撃……ただの『サイコウェーブ』じゃない。『未来予知』も使ってたよね」

「気づいたか。拳を受ける直前に使ってな。もうマリルリの行動は芒に月にはわかってたってわけさ。ここでマックスパワーが出るとは儂も運がいいな」

「運がいい、ね。確かにゴコウさんのルナトーンはこの前の時もずっと強い念波を出してた……なら私も運を引き寄せてみせるわ! ミラ、『シャドークロー』!」

 

 ジェムは次にヤミラミを繰り出し、影で出来た爪による攻撃を命じる。『未来予知』は発動してからずっと未来が見えるわけではない。時間は限定されているし、発動してからのタイムラグもあることをジェムは知っている。だから速攻で仕掛けることにした。鋭利な闇がルナトーンを切り裂く。だが細い三日月は翳っても砕けることはなかった。

 

「いい判断だ、だが忘れるねぃ。芒に月の防御力は健在だぜ! さあこいこい、『サイコウェーブ』だ!」

「ミラ、『守る』!」

 

 やや小さめの念波が飛んでいくのを、ヤミラミは宝石のような輝く盾を出して凌ぐ。すかさずその守りを『パワージェム』に変換して放つする変則攻撃。だがそれをルナトーンは最初からわかっていたかのように避けた。

 

「やっぱり、また『未来予知』が……ミラ、『シャドーボール』!」

「残念だが、ガードしてる間に芒に月には勝利の未来が見えちまったみたいだぜ?」

 

 ヤミラミが何発も漆黒の弾を飛ばすが、ルナトーンは瞳を閉じたままヤミラミを見もせずにそれらを避けていく。そして東の方から大きく弧を描いて天井近くで止まり、目を見開いた。

 

「さあ、ここでまた大博打だ! 嬢ちゃんのヤミラミのガードをかいくぐって決められるかどうか……まず一発目、こいこい!」

 

 宙から放たれた念波は、マリルリを倒した時とほぼ変わらない大きさだった。恐らく8割以上のパワーはあるだろう。

 

「……ミラ、『守る』よ!」

 

 少しジェムは考え、それでも宝玉のバリアーで念波による攻撃を防ぐ。『守る』は連続で使うことは難しい技だ。次もまた同等以上の攻撃が来たら、『守る』では防げない。

 

「防いだか。だが次はねえぜ?二発目、こいこーい!!」 

 

 再び『サイコウェーブ』が放たれる。そして運が完全にゴコウを味方しているかのように、今度はさっきよりも大きなほぼ最大威力だった。念波がうねり、捩れ、予測不可能な軌道で飛んでいく。

 

「すまねえな嬢ちゃん、どうやら今回も儂の運が勝ったようだぜ!」

「いいえ、これを待っていたわ! ミラ、インチキお月様に向かって『お仕置き』よ!!」

 

 ヤミラミの瞳が輝き、ルナトーンの見開いた目を睨みつける。何かやましいことでもあるかのようにルナトーンが目を逸らすと、不規則ながらヤミラミに向かって飛んでいたはずの念波が ぐるりと回転し――放った主であるはずのルナトーンの方に直撃した。宙に浮く三日月が砕け、地面に落下する。

 

「まさか跳ね返しちまうとは……それに、インチキたぁどういうこったい嬢ちゃん? 根拠のないいちゃもんは真剣勝負じゃご法度だぜ?」

 

 ゴコウがルナトーンを札に戻しながらジェムを見る。さっきまでとは違いインチキ呼ばわりされたことに怒っているような、まるで般若のお面でも被っているような顔をしていた。しかしジェムは怯まず、自分の推理したゴコウの戦略を述べる。

 

「ルナトーンが『未来予知』で見ているのは私たちの動きだけじゃなかったんでしょ? むしろ自分の『サイコウェーブ』をいつ使えば威力が高く使えるかを知るのが本当の狙い。ゴコウさんのルナトーンがいつも高い攻撃力で『サイコウェーブ』を撃てていたのは、そういうことよね」

「ぐっ……否定できるわけじゃねえが、ただ本当にわしらの運がいいだけって可能性もあるはずだぜ? 嬢ちゃんよ、あんたの言う通りだっていう根拠がどこにある?」

 

 あくまで認めるつもりはないらしいゴコウ。ならばとジェムは根拠を述べる。

 

「根拠ならあるわ。ルリの時はハイドロポンプを外して隙があったのにその時は何もせず止まってただけだった。『未来予知』で身代わりを避けて攻撃してたけど、あの隙に攻撃していればその必要すらなかったはずよ」

「ぐぬぬっ……そ、それはだな……」

 

 ゴコウの顔が年老いた姥面のような困り顔になる。自分の推測が間違っていないと確信したジェムは、人差し指を突き付けて宣言した。

 

 

「ミラの時もシャドーボールを避けるだけなら天井まで行かなくていいのにわざわざ弧を描いて、時間をかけて移動した。それはルナトーン自身がサイコウェーブを打つべきタイミングを知ってたからに間違いないわ! あなたたちは二連続で『サイコウェーブ』を撃っても両方強いパワーになる瞬間を待ってたのよ!」

「ぬおおおおおおおお!!」

 

 

 ゴコウの巨体が後ずさり、獅子舞のように顔が真っ赤になって大きく口をあける。しばらく口をパクパクさせ何か反論しようとしたようだが、思いつかなかったようだ。破顔し、手で頭を掻く。

 

「くっ……芒に月の『未来予知』と『サイコウェーブ』のコンボを見抜いたトレーナーは9人目だぜ……」

「あ、結構いるのね……」

「長生きして色んなやつと戦ってるとそれなりにな。とはいえ、十分誇っていいぜ。見抜いた奴は何人かいても、それを利用して反撃したのは嬢ちゃんが初めてだからよ!」

 

 そう、ジェムはゴコウの運を操るトリックを察したうえでそれを利用した。『お仕置き』は相手のパワーが上がっていればいるほど威力が上がる技。『コスモパワー』と『ロックカット』の併用でもともと威力は上がっていたが、ルナトーンが意図的に『サイコウェーブ』の力を強くしたことでさらに威力を増すことが出来たのだった。一撃目で『守る』を使ったのは、ゴコウ側も最初は防がれると踏んで二発目の方に最大威力を持ってくると読み切ったからである。

 

「どう、私たち……運と駆け引きのバトル、出来てるかな?」

 

 しかしそれだけのことを成し遂げたジェムは、ちょっと不安そうにゴコウを見あげた。ただ勝つのではなく、施設の求めるものをクリアしたうえで勝ちたいという意思と、自分の未熟さを痛感したが故の謙虚さが感じられた。ゴコウは酒をぐいと飲みほし、大笑いする。

 

「カッカッカ!! 十分、いや十二分に出来とるともさ! これだけ楽しいバトルはなかなかねえ……そしてまだ儂の花札は3枚も残ってる、最高だ!」

「そうよね、まだまだこれから……」

「その通りよ、本当の勝負はこれからだぜ! カモン3枚目、桐に鳳凰!」

「ミラ、このままお願い!」

 

 大きな葉っぱと紫の花の上に太陽のように力強いウルガモスの描かれた札から、本物のウルガモスが出てくる。その特徴は、炎と虫技による強烈な特殊攻撃。

 

「ど派手に『蝶の舞』といきたいところだがまた『お仕置き』されちゃあたまらねえからな、『熱風』だ!」

「ミラ、『守る』!」

 

 ウルガモスが6枚の羽根が羽搏き、鱗粉を撒き散らしながら風を起こす。ヤミラミはバリアーを張って防いだが、バトルフィールド一面は鱗粉が落ちると同時に火の海に包まれてしまった。ヤミラミは移動することも出来なくなる。

 

「月の守りの次は太陽の圧倒的パワーを見せてやるぜ、ついてこれるかな嬢ちゃん!」

「ええ、この勝負……私たちのために、勝ってみせる!」



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絆が繋ぐ勝利

 バトルダイスブレーンのゴコウと挑戦者のジェムの5対5による戦い。ゴコウの残りはあと3匹でジェムの残りは1体はダメージを受けているものの残りは4匹。ジェムが一歩リードしている。

 

「桐に鳳凰、『虫のさざめき』!」

「ミラ、『メタルバースト』!」

 

 花札の一枚、桐に鳳凰の名を関するウルガモスが羽搏いて強烈な音波を発する。ミラと名をつけられたヤミラミは体の周りに光る結晶の壁を作って防ぎ、はじき返した。しかし反射した音は、ウルガモスには届かない。

 

「だが『虫のさざめき』は音を一点に集中させてダメージを与える技。むやみに跳ね返してもダメージにはならねえ!」

「わかってる。ここから反撃よ! ミラ、『シャドークロー』!」

「させねえぜ、『炎の渦』だ!」

 

 ヤミラミが腕から影の爪を伸ばしてウルガモスを狙う。対してウルガモスは地面に落ちた燃える鱗粉を風で操り、ヤミラミの周りを炎の渦で包むことで影そのものを消し去った。

 

「これじゃ攻撃が出来ない……」

「だが今の嬢ちゃんたちならなんとか出来ちまうだろうな。だからこそ一気に決めるぜ桐に鳳凰! 儂らのゼンリョクってやつでな!」

「ゼンリョク……まさか!」

 

 シンボルハンターがジェムに過去の記憶を見せるために放った技の前にも聞こえたゼンリョクという言葉。ゴコウは瓢箪の真ん中の細い部分にはめられたリングの力を使い、Z技を開放する。

 

「いよっ~!! あ、これが儂と桐に鳳凰が解き放つゼンリョクのZ技……『ダイナミックフルフレイム』だ!!」

「ミラ、『守る』!」

「すまねえな嬢ちゃん、Z技はいかなる手段でも回避することが出来ず、また防ぐことも不可能だぜ!」

 

 ゴコウが燃え立つ炎を現すように腕を上下し、最後に右腕を突き出して大見得を切る。するとウルガモスの周囲に真っ赤なエネルギーが溜まり、ウルガモスの体の直径ほどもある火の玉がヤミラミを襲う。ヤミラミは宝石のような障壁を出して防ごうとするが――着弾とともに爆発した炎が、障壁ごとヤミラミを吹き飛ばす。

 

「ミラ、お疲れ様……しっかり休んでてね」

「これでまた互角の勝負だな。さあ次はどうするかい?」

 

 ボールにヤミラミを戻し、少しジェムは考える。フィールド全体を炎で包むウルガモスに鋼タイプのクーやさっきの様に影そのものを消せるペタペタは相性が良くない。それにキュキュはまだ温存しておきたかった。

 

「となると……ここはお願い、ラティ!」

「ひゅううん!!」

「ほう、やっぱりあの時のドラゴンが出てきたか」

「ええ、ここは確実にとらせてもらうわ! 『波乗り』よ!」

「そうはいかねえな、『熱風』だ!」

 

 ラティアスが大量の水を発生させ、火の海となったバトルフィールドとウルガモスの炎の鱗粉を覆っていく。相殺され、炎をぶつかった水が霧となって立ち上る。

 

「おっと視界が……いや、これはあの時のか?」

「その通りだけど、それだけじゃないわ。あの時は使えなかった技……いくよラティ、『ミスティック・リウム』!」

 

 ラティアスの水によって発生した霧が、念力によって集まりウルガモスの体全体を覆う水球となる。水の中に閉じ込めて身動きを封じ、押しつぶすジェムとラティアスだけの必殺技。

 

「自分だけのオリジナル技を見つけてきたか。だが太陽の化身である桐に鳳凰を倒すにゃ水が少ねぇぜ! 『フレアドライブ』!」

 

 ウルガモスが水球の中から炎を発し、今度はウルガモス自身が火の玉となって水球を打ち破る。その勢いのまま、霧の向こうにいるラティアスに突進した。霧に覆われていれど、その輪郭ははっきりと見えている。ラティアスの輪郭とウルガモスの体が激突し――水風船を割ったような、水の弾ける音がした。

 

「ラティはね、『水遊び』が好きなの。暑い夏になるとルリとプールを作ってくれて、何度も水のかけっこをして遊んだわ」

 

 ラティアスの念力で霧が晴れていく。本物のラティアスは光を屈折させて姿を隠していた。そしてウルガモスがラティアスだと思って攻撃したものは――

 

「水で作った、分身ってわけかい……! いやはや、嬢ちゃんらしい華やかな遊びじゃねえか」

「ええ、ついでに熱かったし私もちょっと水を被ったわ」

 

 そういうジェムの髪や体は、ラティアスの水でかなり濡れていた。けれどジェムの表情に曇りはなく、むしろ冷たさを楽しむように笑っている。『波乗り』の際に自分の周りにも水を溜めていたのだろう。霧を発生させると同時に水の分身を作り、居場所を誤認させるとともにウルガモスに『水遊び』の効果を適用させたのだ。ウルガモスの炎の鱗粉は濡れ、体の炎が消える。

 

「これで止めよ、『竜の波動』!」

「ひゅあうん!!」

 

 ラティアスの瞳が光り、赤色の波動がまっすぐウルガモスを直撃する。炎を失った太陽になすすべはなく、地面に倒れ伏した。

 

「これで4体目……だがこっからは前の嬢ちゃんが越えられなかった領域よ! さあ越えられるもんなら越えてみな。カモン4枚目、小野道風!」

「げろぉ」

「ここは一旦ラティは戻って、お願いクー!」

 

 和傘を差した歌人の傍らに描かれた蛙たちの絵札から出てくるのは、ジェムに直接敗北を与えたニョロトノだった。ラティアスをメガシンカさせたのに、それでも勝てなかったときの悔しさをジェムは恐らく一生忘れることはないだろう。殿様のような威厳を持って現れたニョロトノが、天井に雲を出し雨を降らす。ニョロトノの『ハイパーボイス』はラティアスでも防ぎきれない。ならばここは下手にぶつけず、鋼タイプのクーで戦うべきだと考えるジェム。

 

「さて、嬢ちゃんがそう来るなら儂らもここで奥の手を出すしかねえな」

「奥の手……さっきのZ技のほかにもまだ?」

「おうよ、あれはやろうと思えば誰にでも出来る技さ。多少条件はあるけどな。だが今から出す技は間違いなく儂らの花札ポケモンにしか出来ねえ!」

「……ここはメガシンカでいくよ、クー!」

「クチッ!」

 

 ジェムとクチートの思いが共鳴し、相手を威嚇したクチートの顎がツインテールのように二つにわかれメガクチートとなる。どんな技が来てもいいようにゴコウとニョロトノを見つめる。ニョロトノは頭に載せている持ち物、『おうじゃのしるし』を手に取り、それをおもむろに飲み込んだ。予想外の行動にジェムが呆気にとられる。

 

「えっ、食べちゃった?」

「ああ、これでいい!この技は松に鶴、芒に月、桐に鳳凰がバトルに参加した時のみ、小野道風が使用することが出来る! いくぜ小野道風、『雨死降』!!」

「げろげーろ……げろろ~ん」

 

 ニョロトノが鳴くとと同時に、その口から真っ黒な音符がいくつも飛んでいく。だがクチートではなく天井の雲へ吸い込まれていき――降る雨が、不気味なくらい真っ黒になった。雨に打たれるクーは痛くはなさそうだが、明らかにただの雨ではない。

 

「何か嫌な予感がする……クー、一気に『噛み砕く』!!」

「おっと、なら『飛び跳ねる』だ!」

 

 メガクチートが大顎を開けてニョロトノにかぶりつこうとするが、その前にゆったりと大きく跳ねて距離を取られてしまう。

 

「なら『冷凍ビーム』で動きを封じるのよ!」

「ク……」

 

 命じられた通り、遠くのニョロトノに対して遠くで二つの口を開けて冷気を溜める。しかしそれが放たれる直前――すべての力を失ったようにメガクチートは倒れてしまった。ジェムは訳が分からず茫然としてしまう。

 

「クー!? どうしたの……」

 

 この雨のせいか、とジェムは思った、だが雨はそこまで激しくはないし、ジェム自身も受けているが痛みもない。ゴコウが笑って説明する。

 

「カッカッカ! 教えてやるよ嬢ちゃん、これが『雨死降』の力さ。ニョロトノの降らせた雨を浴びたポケモンは一定時間ごとに大体3割くらいの確率で無条件に瀕死となる! いわば『滅びの歌』の応用だな。どんな高い防御力も技による防御でもこの雨は防げねえぜ!」

「そんなっ……!!」

 

 ピクリとも動けないメガクチートをボールに戻しながらも、ジェムは焦る。何せ雨だ。『守る』でも防げる時間には限界があるし、フィールド全体に降り注ぐ以上影分身だろうと霧による目くらましだろうと雨粒から身を隠し続けることは出来ない。ジェムは必死に思考を巡らせる。

 

(雨に当たっちゃダメなら、キュキュの『日本晴れ』で雨を止めてみる……?)

 

 雨さえやめばこの恐ろしい効果を消すことが出来る。一瞬キュキュのボールに手が伸びたが、すんでのところで踏みとどまった。

 

(でも、あのニョロトノが『雨乞い』も覚えてたら多分どうしようもない……)

 

 他の手持ち3匹がバトルに出ていないと使えない誓約のある技だ。そこまで苦労して使う技が『日本晴れ』の一発で攻略できるなんて甘い戦略はゴコウは取らないだろう。お互いに転向を変更し合ったあげく、そのうちわずかずつでも浴びた雨に倒されてしまうはずだ。

 

(何かある? もっと確実な方法……雨を受けても、瀕死にならないようにする作戦は……)

 

 ラティのサイコキネシスで雨粒を受けないようにコーティングする方法も考えたが、自分の体全体にサイコキネシスを使いながらあのニョロトノを倒すのは不可能だろう。この前はこの技を出させるまでもなく『ハイパーボイス』に敗れてしまったのだから。

 ジェムはニョロトノの様子を観察する。ニョロトノ自身も当然真っ黒な雨を浴びているわけだが、まさしく蛙の面に水といった様子で苦しむ様子はまったくない、むしろ舌を出して雨を舐めていたりする。

 

(当たり前だけど、ゴコウさんのニョロトノは『雨死降』の効果を受けないんだよね……そっか!!)

 

 一瞬の閃き、それを活かすために自分の仲間たちに出来ることを考えて、結論を出す。

 

「行くよラティ! もう一度『水遊び』!」

「ここで『水遊び』だとぉ?」

 

 ラティアスが自分の身体にもう一度自分の水を浴びせる。しかし『水遊び』は本来炎タイプによるダメージを減少させる技だ。ニョロトノは炎技は使えないし、そもそも『雨死降』の効果にはほとんど関係がない。せいぜい少しの間だけ呪いの雨が直接体に当たるのを防ぐ程度だろう。

 

「何のつもりだい嬢ちゃん? 遊び心は大事だと言ったが、この状況でそれはちとおふざけが過ぎるぜ」

 

 こうしている間にも、ラティアスの体に死の雨は降り注いでいる。このままではいずれメガクチートの二の舞だ。

 

「勿論勝つための作戦よ! これが本当の狙い……ラティ、『ミラータイプ』!」

「くっ、そういうことか!」

 

 ラティアスの瞳がニョロトノを射抜く。ニョロトノの持つ性質を、ラティアスの体が鏡のようにそっくり写し取る。『水遊び』によって呪いの雨を受けずに済む数秒の間に、エスパー・ドラゴンタイプのラティアスが、純粋な水タイプへと変化する。

 

「良かった……その反応だと、これで合ってたみたいね。ニョロトノが平気でいられるのは、『雨死降』の技の効果を水タイプは受けないからか、もしくはニョロトノだけは受けないのかはわからなかったから正直ギャンブルだったんだけど……」

 

 たじろいだゴコウを見て、ジェムは心の底化からほっとする。もし後者だった場合、今の行動は完全に無駄だったからだ。それならまだキュウコンの『日本晴れ』に託したほうがましだっただろう。だけど結果としてジェムは賭けに勝った。水タイプになったラティアスは、『雨死降』の効果を受けない。

 

「ク……カッーカッカッカ!! そうか、ギャンブルか! 嬢ちゃんもなかなかいける口だな! このバトルが終わったら嬢ちゃんにも花札を教えてやろうか?」

「教えてくれるのは嬉しいけど、お金を賭けるギャンブルは良くないってお母様が言ってたわ。だからごめんなさい」

「そうだな、今はそういう時代だ。ならなおさらこの勝負を楽しむしかねえな! 小野道風、『ハイパーボイス』!」

「ラティ、あなたと私の一番の力を見せてあげましょう! メガシンカ!!」

 

 ラティアスの紅い体が蒼い光に包まれ、紫色の身体となってパワーアップする。だがそれだけではゴコウによる『ハイパーボイス』には及ばない。一撃で決着をつけることが出来なければ、ジェムの指示さえ声にかき消されてせっかくつかんだ勝機も水泡に帰する。

 

(必ずこのチャンスをつかんでみせる……私を支えてくれる、みんなのために!!)

 

 ニョロトノの防御力は高い。『竜の波動』や『サイコキネシス』では倒しきれない。ジェムは、更なる運に賭ける。

 

「ラティ、あなたの強さを信じるわ! 『サイコウェーブ』!」

「ひゅううううん!!」

 

 この戦いでも苦しめられた、運によって威力が変化する技を放つ。ジェムとラティアスには当然運を操作するようなことは出来ないので、純粋な運頼みだ。そしてルナトーンのそれをもはるかに超える念波が発生し、ニョロトノの口へとぶつかった。

 

「げろおおおおおおおおおお~……」

 

 鳴き続けようとする口がふさがれ、体がひっくり返る。手足をぴくぴくさせるニョロトノは、確実に戦闘不能になっていた。黒い雨が止み、雲も消えていく。

 

「やった……あのニョロトノを倒せたよ、ラティ!!」

 

 ジェムは嬉しくて飛び上がりたいくらいだった。それが、少なくとも二日前の自分を超えた証明になると思うから。

 

「ふ……本当に見事だぜ嬢ちゃん。だがまだ終わってねえってわかってるよな?」

「……うん」

 

 ニョロトノを花札型のモンスターボールに戻したゴコウの表情は、今までよりも真剣だった。それは残り一体になって本当に追い詰められたからか。それともジェムが本気を出すに値したからなのかわからない。でも、強さを認めてくれている気がした。

 

 

「花札ってのは札を集めて役をそろえる勝負。俺の花札ポケモン達もそれに応じる技を持ってるが『雨死降』はその中でも二番目に強い役だ。そして──今から揃うのが、正真正銘最強最大の役よ! これが儂のリーサルウェポン……5枚目、桜に幕!!」

 

 

 最後の絵札に映るのは、紅白の幕飾りを背に上品に立つ着物姿の女の人……ではなくそれに似たポケモンだった。飛び出てきた桜色のポケモンは、振袖のような鎌をちらりと見せて、まるで口元を隠して笑う女の人のような仕草を取る。はなかまポケモンのラランテスだ。

 

「草タイプだよね……なら任せたよ、キュキュ!」

 

 ジェムはラティアスを下げ、炎タイプのキュウコンに変える。ラティアスがキュウコンの入ったボールに自分の額をこつんとぶつけ、自分のボールに戻っていった。多少ダメージを負いながらもまだまだ余力のあるキュウコンが、一鳴きとともに姿を見せる。

 

「しゃらんらー、らんら?」

 

 しかしゴコウの最後のポケモン、ラランテスはバトル中だというのにゴコウをちらりと振り向いた。炎タイプであるキュウコンへの恐れなど微塵もないように見える。見返り美人、という言葉がジェムの頭の中に浮かんだ。

 

「おおそうよ、あのお前とほとんど背の変わらない嬢ちゃんがお前をバトルに呼び出したんだ」

「しゃららん」

 

 ゴコウが真剣ながらも、大事な娘を扱うような優しさのある声で言う。それを聞くと、ラランテスはジェムとキュウコンに丁寧に頭を下げてお辞儀をした。

 

「あっ、えっと、よろしくね!」

 

 ついジェムも釣られて頭を下げてしまう。そうしないと失礼だと思ってしまうような、不思議なポケモンだった。

 

「桜に幕の挨拶も済んだところで、さっそく決めさせてもらうぜ……『五光』をな!」

「ゴコウさんの名前と同じ技ってこと……? 来るよキュキュ!」

「『五光』は松に鶴、芒に月、桐に鳳凰に! 小野道風がバトルに参加した時のみ、桜に幕が使用することが出来る技! 見せてやれ桜に幕!」

「しゃらんら~!!」

 

 ラランテスが打って変わって素早い動きで体を捻る。そして捩れたゴムが戻るように更に素早くきりきりと舞って体が回転すると――目にも留まらぬ速さで、5条の『ソーラーブレード』が飛んできた。スピードを鍛えたはずのキュウコンが、逃げるための反応すらできずに体を突き刺され吹き飛ばされる。

 

「キュキュ!!」

「体を大きく捻り、戻る勢いすら利用して『ソーラーブレード』を連発する桜に幕の、いや儂ら花札ポケモン達の必殺技……炎タイプだからってダメージを既に受けてるのに耐えられるようなもんじゃねえぞ?」

 

 ジェムが思わずキュウコンの体に触る。尻尾と体を貫かれ、少なくない血が滲んでいた。ドダイトスとの戦闘で受けたダメージも合わせれば確実にもう戦わせられない。でも、キュウコンの眼はまだ諦めていない。

 

「ごめんね、後ちょっとだけ頑張って……『鬼火』!」

「無駄だぜ、『花吹雪』!」

 

 キュウコンが9つのうち4つの尾から攻撃力を下げる炎を放つ。しかしそれが届くよりも早くラランテスの出した花びらの幕がキュウコンの体を叩き、今度こそ倒れさせた。ジェムはすぐにボールに戻してやる。コントロールする主を失った『鬼火』はふわふわとその場に滞空した。それを見てゴコウは少し苦言を呈する。

 

「勝ちてぇのはわかるが、無茶させるのは感心しないぜ」

「ううん、ラティが交代する前『願い事』を使ってくれたからさっきの技を受ける前に体力は回復してた……だからぎりぎりだけどまだ頑張れたの」

「そうか、なら心置きなく最後の一匹同士勝負ができるな」

 

 そう、お互いに最後の1匹、ジェムはメガラティアス、ゴコウはラランテス。一見そう思える。

 

「違うわゴコウさん。最後の一匹なんかじゃない……これは、私たちの総力戦よ。ゴコウさんの花札ポケモンが皆の力を合わせて『雨死降』や『五光』を使ってるみたいに……私も、私の仲間たちみんなと一緒に戦う! そのために、お願いラティ!」

「ひゅうううん!」

 

 三度ラティアスがフィールドに現れる。ここまで戦えたのも、ジェムの仲間たちみんなが勝利への想いを繋いでくれたおかげだ。その証が、今フィールドに操る主がいなくなったのにまだ残っている鬼火に現れている。このフィールドに残る炎こそが、ジェムが母親から教わったキュウコンの本当の力、昔まだポケモンバトルをしていたころ、サファイアをサポートするために編み出した仲間を強くする炎。

 

「感じる……感じるよ。みんなの優しい思念と、お母様が教えてくれた私への苦しい気持ちが……今私とラティの心に響いてる。それぞれ想いは違っても、今一つになってる」

 

 ジェムの雫を象った髪飾りが光り、重なり合う想いと絆がメガラティアスとシンクロする。キュウコンの残した鬼火が火の輪となって広がり、メガラティアスがその中を通り飛翔する。メガラティアスの紫色の体が、メガシンカを維持したまま本来の紅色よりも激しい紅蓮になる。

 

「なるほどな、それが嬢ちゃんの答えか……なら儂ら全員と嬢ちゃん全員の力、どっちが上かはっきりさせようぜ! 最後の最後のとっておきを見せてやる!!」

「しゃらんら~!!」

 

 ラランテスの体が一際多めに周り、光り輝く。草タイプのZ技の力も合わせて放つ『五光』は更に回転を加えたことで5条の『ソーラーブレード』がさらに大きくなって飛んでいく。一方メガラティアスは4つの火の輪を抜け、燃え盛る心を現すように真っ赤に染まった『思念の頭突き』を放つ。

 

 

「いっけえラティ! 『灼熱のベステイドバット』!!」

「桜に幕、『五光』!!」

 

 

 お互いの仲間全員の力が籠った一撃がぶつかり合う。光の剣が一つずつメガラティアスの体を削っていくが、勢いは徐々にメガラティアスが押していき──ついに、最後の光の剣をラティアスの思念が砕いてラランテスの元へと突き進んだ。

 

「しゃらぁ、ん……」

 

 炎タイプの強烈な一撃に、ラランテスがふらふらとよろめき、後ろに倒れる。しかしそれを、ゴコウがしっかりと受け止めた。ラランテスの体は焼けていてそれに触れるゴコウもかなり熱いはずなのだが、辛そうな顔を見せない。

 

「よくやった桜に幕、お前らのおかげでいいバトルが出来たぜ……」

「しゃらんらー……」

 

 ゴコウが花札にラランテスを戻す。ジェムには戻る直前のラランテスの声は、とても嬉しそうに聞こえた。試合終了の音声が流れ、ジェムの勝利を告げる。

 

「勝った……やった、私たち……やったよ! ラティ、みんな!」

 

 少しの間だけジェムはぽかんとしていたが、勝利を実感すると比喩ではなく飛び上がって喜び、近くにきたラティアスを抱きしめようとする。ラティアスは慌ててメガシンカを解き、まだ熱気でホカホカの身体で喜ぶジェムと勝利を分かち合う。もちろん、ボールの中のみんなと一緒に。

 

「ははっ、いい喜びっぷりだぜ。負けたほうも気持ちがすっとすらあ……ほらよ、これがバトルダイスのラックシンボルだ!」

 

 ゴコウがジェムの元に歩み寄り、大きな手のひらにはすごく小さく見えるサイコロの6の目を象ったシンボルを渡す。でもジェムがそれを手に取ってみると、とても大きく価値あるものに見えた。

 

「ありがとうゴコウさん。あのね……私、このバトルフロンティアに来てから勝って一番嬉しいかもしれない。誰かのためじゃなくて、自分と自分のためを思ってくれる人のために勝つって……こんなに気持ちよかったのね」

 

 自分の胸のうちをありのまま言葉にしてみる。父親のために勝とうとしていた時はある意味勝つのは当たり前、そうでなければいけないものだった。だけど今は誰かに縛られず、純粋に勝利を喜べる。それが嬉しかった。

 

「そうよ、勝負ってのはそうでなきゃいけねえ。前に戦った時はそこが不安だったんだが……今の嬢ちゃんなら何の心配もねえ。勝ったり負けたりしながら、いくらでも前に進めらあ!」

「そうかな……ありがとうゴコウさん、またいつかバトルしましょうね。」

「おお、その時また語ってくれよ、嬢ちゃんの成長を期待してるぜ!」

「うん! その時もまたポケモンバトルで……ね!」

 

 トレーナー同士ならバトルで語ればいい。それで想いは伝えられる。そのことを学び、ジェムはバトルダイスを後にする。ダイバと合流し、次へ挑戦するために──

 

 



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ホウエンの怪物

 バトルダイスでの激闘を終え、ジェムはダイバとの約束通りポケモンセンターへと戻ろうとする。しかし受付のお姉さんがラティアスの『水遊び』でびしょ濡れでは女の子としてあんまりだということで出る前にジェムを控室に移動させてドライヤーで髪を乾かしてくれた。ついでに洋服も脱水してもらう。新調した服は水で透けるような生地ではなく、またラティアスの発生させる水はほぼ純水であるためべたつきもしなかった。軽く湿っぽくはあるが、濡れているというほどではなくなる。

 お姉さんにお礼を言って、ジェムはポケモンセンターへと向かう。ダイバは傍にサーナイトを控えながらポケモンセンターに設置されている大画面のモニターを見ていた。

 

「お待たせ! あのね……」

「あのブレーンに勝ったんでしょ。知ってる」

 

 自分の口で報告しようとするジェムの言葉を遮り、モニターを指さしてダイバが言う。そこには施設でのバトルの様子が映し出されている。ジェムがゴコウとバトルしていたのを見ていたのだろう。

 

「うん。ゴコウさんすっごく強かったけどなんとかね。ダイバ君はどうだった?」

「……ん」

 

 ダイバは自分のフロンティアパスをジェムに見せる。そこには4つ目のシンボルが加わっていた。

 

「そっか、おめでとう! じゃあ次はどこに行こうかな」

「…………そのことで、提案があるんだけど」

 

 珍しくダイバが、一呼吸おいて躊躇いがちに言う。今まではどんなことも言うことを聞く約束だからと平然と言ってきたのに。

 

「次はバトルタワーに挑戦したい。僕も君もバトルタワーのシンボルは持ってないから……二人で同時に挑戦したいんだ。バトルタワーには、マルチバトルのルールがあるから」

「えっ……本当に?」

 

 ジェムは正直少し信じられなかった。ダイバの口から自分とダブルバトルをしたいなんて言葉が出てくるとは思わなかった。

 

「……駄目とは言わせないよ。君は僕より弱くて言うことを聞かなきゃいけないんだから――」

「勿論そんなこと言わないわ! 私とっても嬉しいよ、ダイバ君がそんな風に言ってくれて。一緒に頑張ろうね!」

「……わかった」

 

 ダイバは何か気まずそうに目を逸らしたが、ともあれダイバの方から歩み寄ってくれたような気がしてジェムは嬉しかった。最初会った時は理不尽で怖くて仕方なかったけど、ダイバの母親のネフィリムに会って、自分の母親のルビーと話して、少しずつ近づいていければと思えるようになったから。

  

「でも、聞いてもいい? ダイバ君は私のこと弱いって言ってるし、ちょっと悔しいけど私もそう思ってるけど……どうして一緒に挑戦したいと思ったの?」

「それはちゃんと説明する。まずバトルタワーのブレーン……僕のパパがどんなバトルをするかについてから」

 

 ジェムからすれば当然の疑問だ。ダイバが帽子を被り直し、呟くように答える。ジェムは言葉を聞き漏らすまいと近くに寄った。今から挑戦する相手の事は知っておいて損はないし、ダイバが自分の父親をどんな風に話すのかも興味がある。

 

「まず大前提として……僕のパパは、絶対に攻撃技しか使わない。『影分身』や『剣の舞』みたいな能力変化も、『電磁波』や『鬼火』みたいな妨害も一切しない。ただひたすら攻めるだけ」

「ええっ!? それって、あんまりポケモンバトルは強くないって事?」

 

 ポケモンバトルは攻撃だけでも、補助だけでも、妨害だけでも勝てないというのが常識だ。チャンピオンであるジェムの父親はいくつもの技を複雑に絡み合わせて使用するし、それでなくてもただひたすら攻撃し続けるなんてのはポケモンバトルの初心者がやることだからだ。しかしダイバは首を振る。

 

「……パパには必要ないんだよ。ただ攻撃し続けるだけで、どんな敵も倒せる。ホウエンの怪物に、ポケモンバトルの常識は通用しない」

「ホウエンの怪物?」

「パパが世間から呼ばれてるあだ名。パパのパパも結構大きな会社を動かしてたらしいけど、パパはそれよりもさらに大きな会社を作って今ホウエンの経済のほとんどを牛耳ってる。それはただ経営が上手なんじゃなくて……邪魔するやつがいたら、全部自分とポケモンの力で叩き潰せるから。それこそ、こんな島を一から作れるくらい」

 

 無人島を丸ごと買い取り、設備を整え、ヴァーチャルポケモンシステムを開発させたとダイバは説明する。それにどれだけのお金がかかるのかはジェムの想像出来る範囲を優に超える。そしてその過程で邪魔になった存在は、全て排除してきたのだろう。

 

「私たちをいきなりハンティングゲームの獲物にしたことといい、とんでもない人なのね……」

「あれくらい日常茶飯事だよ。それにこれは本当かどうか知らないけど……君のパパにも負けたことがないってパパとママは言ってるし、それを信じてる人は少なからずいる」

「私のお父様にも?」

 

 さすがにそれはない、と思いたかったが少なくともダイバが嘘をついているとは思えないし、今はジェムも自分の父親が絶対に無敵だとは思っていない。大事なルビーや自分の事をある程度放置してでも己の研鑽に当て続けていたことを知っている。

 

「だから……普通にポケモンバトルをしたらまず勝てない。君も、僕も」

「……!! じゃあ、どうするの?」

 

 ジェムには勝てない、というだけならショックではあるけど驚きはなかった。しかしダイバは自分でも勝てないと言い切った。思わず尋ねる。

 

「ブレーンを務める以上は、ルールに則って勝負をしないといけない。バトルタワーは才能を試す場所だからポケモンバトルのルールは普通だけど……マルチバトルなら付けいる隙はある」

「どんなルールなの?」

「マルチバトルは、二人のトレーナーが二匹ずつのポケモンで挑んでダブルバトルをする。それでブレーンの元にたどり着いた場合、ブレーン側もパパ一人じゃなくてもう一人と二体ずつを使ってバトルすることになる。……その場合は、ママがパパのパートナーとなってバトルすることになる」

「ネフィリムさんが来るってことね」

 

 ネフィリムはバトルクォーターのブレーンであり、ダイバの母親。ジェムが初めて勝利することのできたブレーンであり、大好きな人に利用されるのが幸せというちょっと変わった価値観のある人だったけど……それでもダイバの大事に想っている人だった。

 

「そう。ママ相手なら君でも勝てるのはわかってる。だからブレーンとのバトルが始まったらまず二人で集中してママから倒す。パパは守ることなんてしないから、邪魔はしてこない。それで四対二になったところを、二人がかりで倒す……これしかない」

 

 ダイバの作戦は一見尤もだ。ジェムはネフィリムに勝利しているし、あれからまたジェムは強くなっている。そしてダイバはジェムより強いのだから、二人がかりで集中攻撃して数の有利を取り、それから自分たちより強いエメラルドを倒すのは理屈の上では正しい。

 

「……それで上手くいくかな?」

「は?」

 

 でも、ジェムの胸に抱かれたのは疑問だった。昨日の夜父親に対して思ったのと似たような感覚。頭では正しいと思っていても、心で納得できない何か。

 

「あのね、私たちが集中攻撃でネフィリムさんを狙ったとしても簡単には倒せないんじゃないかなって、そんな気がするの」

「自信がないの? ……それとも、僕にはママを倒せないって?」

 

 怒気の籠った言葉。ダイバには自分が母親よりポケモンバトルが強いという絶対の自信があるのだろう。それを否定するつもりはない、しかし。

 

「そんなことないよ、ダイバ君の方が強いと思う。でも、ダイバ君を育てたのはネフィリムさんでしょ? だったらダイバ君のことはよくわかってるはずだし、簡単には倒されてくれないんじゃないかって……あのね、私のお母様もポケモンバトルはもうしてないけど、それでもすごく強い人で――」

「くだらない。ママは僕の事なんてわかってないよ。……そもそも、育ててくれた覚えもない」

 

 ジェムの言葉を叩き潰すような強い語気の後、ダイバはため息をついて呟く。

 

「……記憶があるときには、もう僕のママは僕の傍にいることより仕事を優先してた。たまに帰ってきた時も、グランパの開発したバーチャルポケモンとのバトルデータを見て褒めるだけ。そんなの……育てられたとは言えないでしょ」

「それは……」

「君が両親に好かれてるのはよくわかったよ。でも、僕にそれを押し付けるな。これは命令」

「待って、違うわ! 私が言いたかったのはそういうことじゃなくて」

「興味ない。今君とマルチバトルに挑む話をしてるのだって、単にママに勝ったトレーナーで言うことを聞いてくれるからってだけなんだよ。……調子に乗らないでくれる?」

 

 ダイバがサーナイトに目くばせする。するとサーナイトが小さな念力を発してダイバに耳を寄せていたジェムを軽く突き飛ばした。ジェムが思わずしりもちをつく。その体勢で顔を上げると帽子に隠れるダイバの顔が見えた。それはジェムには物凄く怒っているように思える。

 

「きゃっ……ごめんね。また勝手なこと言っちゃったよね」

 

 今はただ、それだけを。でもジェムは諦めるつもりはなかった。確かにジェムにはダイバが両親からどういうふうに扱われていたかはまだまだほとんどわかっていない。でも昨日学んだ、間違いないと思えることが一つだけあるから。

 

「君は僕の作戦の通りに動いてくれればいい。特別な期待もしない。昨日、作戦は考えてきたから今からそれを伝える。……サーナイト」

 

 サーナイトの目が再び輝く。するとダイバの考えたマルチバトルで使用するポケモンや技の連携。恐らくダイバの両親が使用するであろうポケモンの組み合わせを何パターンにもわけたそれぞれへの対応戦術がテレパシーとしてジェムの頭の中に入ってきた。ダイバが口頭でいちいち伝えるよりこちらの方が早いと判断しての事だろう。それらの情報が伝えられた後、言葉ではない意志がジェムの脳内に響いた。

 

「えっ?」

 

 一瞬、誰かに話しかけられたのかとジェムが周りを見る。しかし誰もジェムに話しかけてはいなかった。

 

「……サーナイト、何か余計なこと言った?」

 

 じろり、とダイバが自分のサーナイトを見る。サーナイトは静かに首を振った。ジェムはそれで、ようやく誰の言葉か理解する。

 

「ねえダイバ君、サーナイトって……もしかしてネフィリムさんにもらったの?」

「……そうだよ、それが。テレパシーで何て言われたの」

 

 ダイバにはテレパシーの内容は聞こえていなかったらしい。それでもテレパシーを使ったと分かるのはやはり一緒に居た時間の長さか。一瞬ジェムは躊躇った後、笑顔を作ってこう言った。

 

「主の役に立つために作戦通りお願いします、って。なんだかネフィリムさんみたいな言い方だなーって思ったから聞いたの」

「ふん……やっぱりママの考えることなんて結局そういうことなんだよ。挑戦中も複雑な指示が必要な時はサーナイトに伝えてもらうから、ちゃんとやってね」

 

 ダイバの母親を軽んじる言葉にジェムの胸がズキリと痛む。サーナイトを恐る恐る見たが、サーナイトは小さく微笑んだ。テレパシーは飛んでこなかったけど、お礼を言われている……のかもしれない。

 

(本当は突き飛ばしてごめんなさい、主を許してくれてありがとうございます……ってサーナイトは言ってくれた。ネフィリムさんがダイバ君に渡したサーナイトは、ダイバ君を大事に想ってる……きっとそうだよね)

 

 サーナイトの立場のために咄嗟に嘘をついてしまったが、自分たちを心配する言葉をかけてくれた。これから一緒にバトルをすれば、バトルを通しながらダイバにそれを伝えられるかもしれない。その希望を持って、ジェムは立ち上がる。

 

「それじゃあ行くよ。パパに勝つために……バトルタワーへ」

 

 自分の両親に挑みに行くとは思えないほど重苦しく、母親の方は眼中にも入っていない。それが昨日までの自分とシンクロして見えながら、ジェムはダイバとバトルタワーへ向かう。受付をすると、マルチバトルに挑む人は少なくないと言われた。現在唯一トレーナーがタッグを組んでバトルが行えるルールだからだそうだ。ジェムはダイバの指示通りのポケモンを二匹指定する。キュウコンとラティアスだ。

 

「今までパパに勝った人はおろかブレーンの元までたどり着けた人はいない……それだけ、トレーナー同士でタッグを組むのは難しい。相手はバーチャルだから連携は完璧なのもある」

 

 トレーナー側はお互いの意思疎通が出来なければ動きはバラバラになる、しかしバーチャルポケモンは同じコンピュータが動かしている以上、統率は乱れない。だから普通の施設よりも難易度は遥かに高いということだ。ダイバがサーナイトを使って指示を送ると決めたのは、ジェムとダイバのチームワーク……というより、ジェムがダイバにとって都合よく動くようにするためだろう。

 マルチバトル専用のバトルフィールドにジェムとダイバは立つ。試合開始のブザーが鳴ると、バーチャルトレーナーも二人現れた。アスリートとバックパッカーのようだ。

 

「ポケモンバトルでも 俺様が 一番だ!」

「あんたと バトルするの こいつと 首を長くして 待ってたよ!」

「どうせコンピュータが指示を出すのに下らない……さっさと片付けるよ、ガルーラ」

「うん、頑張ろうね! いくよキュキュ!」

 

 出てきたヴァーチャルポケモンはピカチュウとナッシー、そしてジェムはキュウコンを、ダイバはガルーラを繰り出す。ダイバは早速作戦通りメガシンカの力を開放する。ガルーラのお腹の中の子供が飛び出て、二匹で戦うメガガルーラになった。

 

「まず僕がいく。メガガルーラ、『岩雪崩』」

 

 ダイバが先制し、母親のガルーラが宙に大量の岩を出現させて相手へ雪崩させる。更に子供のガルーラが真似をして小規模の石礫を起こして、何度も投げつけた。ナッシーの体が何度も岩にぶつかり、怯む。

 

「ピカチュウ 『電磁波』」

「キュキュ、『神秘の守り』!」

 

 落石を凌ぎ麻痺させる電気をメガガルーラに向けて放つのを、キュウコンが尻尾から発生させた妖しい力で弾き飛ばした。

 

「……『グロウパンチ』」

「えっと、じゃあ『影分身』よキュキュ!」

 

 近寄って来たピカチュウにガルーラ親子が殴り掛かる。それをキュウコンがガルーラたちの分身を作って、ピカチュウを取り囲むように出した。ピカチュウが逃げ場を失い。二発の拳がクリーンヒットする。ナッシーが『タネ爆弾』を使用したが、それは本体ではなく分身に当たった。

 

「決めろ、『炎のパンチ』」

 

 『グロウパンチ』の効果で二回分攻撃力が上がったガルーラ親子が今度は二発の燃えるパンチを撃ちだし、ナッシーの体を焼いて倒す。これがダイバの考えた基本戦略だ。メガガルーラの特性による二回攻撃で技の効果を利用しつつ攻め、メガガルーラを狙う攻撃や妨害をジェムが守る。そして『グロウパンチ』により能力の上昇したガルーラたちで相手を制圧していく。

 

「もう二体倒しちゃった。さすがね!」

「すぐに次が来る。気を抜かず、出しゃばらずに作戦を続けてくれればいい……」

 

 バーチャルトレーナーが二体目のポケモンを出そうと振りかぶる。そこで異変は起こった。ジェムとダイバのいる部屋の電気が突然消える。まだ昼間なため真っ暗にはならないが、それでも部屋の中はかなり薄暗くなった。

 

「な、なに……!?」

「……停電?」

 

 ボールを投げようとしたバーチャルトレーナーの姿も消滅し、バトルフィールドが静寂に包まれる。キュウコンが不安がるジェムの傍に近寄り、そっと9本の尻尾で包んだ。キュウコンの体を抱きしめながら、ジェムは言う。

 

「電気の使い過ぎでブレーカーが落ちたのかな……?」

「……あり得ないよ。普通の家じゃあるまいし。とにかく、しばらくしたら非常電源が作動するからここで待とう」

 

 とはいえダイバにも原因がわからないらしく、待つしかないようだった。しかし事態はそれだけではとどまらず――ジェムたちがいるよりもはるか上の方でガラスを破壊するような鋭い音と、バトルタワー全体に衝撃が走った。それとほぼ同時に非常電源が作動し、部屋の明かりは戻る。しかしバーチャルは消えたままだ。

 

「こ、今度は……?」

「……ヴァーチャルシステムが停止してる。この部屋だけじゃない。サーバー全体が落ちてる」

 

 ダイバはこのバトルフィールドの隅にある端末を操作する。対戦が終わるごとに手持ちを回復したり次のヴァーチャルを呼び出す機械だ。ポケモンを回復することは出来るようだが、ヴァーチャルポケモンを呼び出す機能が停止していた。ダイバはため息をついた。

 

「……仕方ない。一旦出直そう。今はパパも最上階にいるし、そのうち復旧するはずだから」

「ダイバ君のお父様が一番上に……じゃあ、さっきの大きな音ってダイバ君のお父様に何かあったんじゃ!?」

「かもね……」

 

 それだけ言うとダイバはさっさと部屋を出ていこうとする。ジェムは慌てて止めた。さっきの音はかなり高くから聞こえた。最上階かどうかはわからないが、ダイバの父親の傍で何かがあったのではないかと考えるのが自然だった。

 

「待って! ……ダイバ君は、心配じゃないの?」

「さっきも言ったけど、パパは邪魔するやつがいたら全員叩き潰す。だから僕らが心配することじゃない」

 

 ダイバは本気で言っていた。それだけ自分の父親を信頼、あるいは畏れているのだろう。仮に昨日までのジェムがチャンピオンである父親が危ないと聞かされたら、自分もお父様なら大丈夫だと何の疑いもなく言ったかもしれない。

 

「ううん、心配することだよ。勿論私にはダイバ君のお父様がどれだけすごい人かまだわかってないけど……ホウエンの怪物なんて呼ばれてたって、本当に何でもできるわけじゃないよ。本当に何でもできちゃうなら、私たちが挑戦したって絶対勝てないでしょ?」

「……」

 

 ダイバが黙る。これで父親なら問題ないと言ってしまうのは、自分がここに挑戦する理由を否定するのと同じだからだ。

 

「万が一にでも何かあったら、ダイバ君はお父様に勝つチャンスがなくなっちゃうんだよ。……それが嫌だから、ダイバ君は弱い私と一緒にバトルしてまで勝ちに来たんだよね?」

 

 ダイバにまだジェムは弱いと思われている。それを利用してでもジェムはダイバに父親を案じてほしかった。今までの自分のように、ただ盲信するだけの子供でいてほしくはなかったからだ。ここまで行ったとき、再びバトルタワー全体に激震が走った。

 

 

「………………そうだね。わざわざ君の手を使ってまで勝ちに来たのにその前にパパに倒れられたら困る」

 

 

 沈黙の後、ダイバは部屋から出ようとした足を止め、上を仰ぎ見る。素直じゃない言葉だったけど、それでも上にいく気にはなってくれたようだ。メタグロスをボールから出してその上に乗り、『電磁浮遊』で音もなくすっと移動し始める。このバトルフィールドの先、上の階へと。

 

「うん、絶対二人であなたのお父様とお母様に勝とうね! そのためにも……行くよラティ!!」

 

 ジェムもボールからラティアスを出し、その背中に乗って一緒に上へと昇る。時折激しい衝撃音に包まれるバトルタワーで何が起こっているかを確かめるために、ダイバにも彼なりの家族への答えを見つけてもらうために――

 

 

 

 



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重なり合う咆哮

 時折バトルタワーに響く振動に上の様子を案じながらも、ジェムとダイバは己の相棒に乗って上を目指す。バトルタワーの階段は螺旋状になっていて、一回上がるごとにバトルフィールドが存在した。本来ならばこれらの部屋でバトルをして一階ずつ上に昇っていくはずだったのだろう。しかしヴァーチャルシステムが停止している以上、ジェムたちが戦うべき相手はいなくなってしまっている。

 

「ダイバ君のお父様は、このまま昇っていった場所にいるの?」

「最上階のバトルフィールド、その奥の部屋にいる。本当なら挑戦者がやってきた時に部屋からフィールドに出てくるはず……」

「そっか……ヴァーチャルが止まって逆に良かったかもしれないね。挑戦しに来たはずだったけど、いちいち戦ってたら時間がかかりすぎちゃうし」

 

 また一際大きな振動が起こる。もう10分近く昇っているがまだまだ音が遠い。スペースの広くない螺旋階段を昇る以上スピードが出せないのは当然だが、それにしても高い塔だ。ラティアスの背中に乗るジェムの気持ちが少し焦る。また階段を上がり、次の部屋を駆け抜けようとする。しかし、そこには一人の女性が待ち構えていた。

 

「貴様ら、そこで止まるがいい! これ以上近づけば命の保証はせんぞ!」

 

 臨戦態勢のフライゴンとチルタリスを控え、次の階への進行を阻むように立っているのはジェムが一度戦ったことのある少女、ドラコ・ヴァンダー。長く伸ばした金髪にドラゴン使いの証である燕尾服にマントを着ていてもわかる体のライン。顔に施した青い三角模様のペイントに耳に、穴をあけてつけているイヤリングはジェムにとってはすごく大人に見える人でフロンティアの相手に打ちのめされるジェムを叱咤し、厳しくも相手に怯まぬ心を与えてくれた強い人だ。

 

「ドラコさん? なんでここに……」

 

 予想外の人物に立ち止まりポケモンに乗ったままジェムは聞く。ドラコは施された頬をわずかに緩め、わざとらしく髪を腕ですっと梳いてから言う。

 

「はっ、愚問だな。それを言うなら何故お前達はヴァーチャルシステムが止まったバトルタワーを昇っている?」

「何故って……挑戦しようとしたらいきなりヴァーチャルが止まっちゃったから気になって……」

「いいよジェム、付き合わなくて。……ヴァーチャルシステムが止まったのに君が関わってるんだろ」

 

 事情を説明しようとするジェムの言葉を遮り、ダイバが断言する。ジェムは驚いたが、ドラコは否定せずにやりと口の端を歪める。

 

「フッ……察しがいいな。貴様の言う通り、最上階の壁を『破壊光線』で突き破ったのはこの私だ」

「ドラコさんが!?」

「……上では何をやってるの?」

「倒れ逝く貴様らに教えてやる理由はない。だが敢えて言おう……このバトルフロンティアを破壊する計画とだけな。やれフライゴン、『大地の力』!」

 

 ドラコのフライゴンがジェムとダイバの足元からマグマのようなどろどろしたエネルギーを噴出させる。ラティアスとメタグロスは旋回して逃げたため当たることはなかったが、もし当たればその上のジェムとダイバはただでは済まなかっただろう。

 

「フロンティアを破壊するなんて、馬鹿げてる……やるよジェム。こいつをさっさと倒してパパのところへ行こう」

「それしかないのかもしれないけど……お願い、教えてドラコさん! あなたはなんでこんなことをしてるの!?」

 

 会ったのは一度だけ。でもこの前バトルした時のドラコは、むやみやたらと何かを壊したがる性格には思えなかった。もしそうであれば、あの時心の弱ったジェムは叩き潰されていただろうから。あの時ジェムの力を認めてくれた厳しさの中にある優しさを、ジェムは否定したくない。ジェムは必死に訴える。

 

「甘い……甘いぞジェム! 私の心を知りたければ、私のドラゴン達に打ち勝ってみせろ! ヴァーチャルシステムは停止したが、貴様らはマルチバトルの挑戦中……そしてまだ塔を昇り続けている。よってルールはこうだ。貴様らは二体ずつ、そして私は四体のポケモンを使用してのマルチバトル! 万が一にでも私に勝利した暁にはここを通し、上で何が起こっているのか明かそう。だが貴様らが負ければ大人しく塔を降りてもらう!」

 

 ドラコはどうあっても答えるつもりはないらしい。そしてバトルのルールを告げた。しかしダイバは、自分の手持ちのボールを一気に取り出す。

 

「そっちの指定したルールに付き合うつもりなんてない。6体がかりで一気に踏みつぶして――」

「馬鹿め……貴様らは挑戦中の身であると言っただろうが。一人のトレーナーが出せるのは一匹だけ、そして挑戦する際に指定した二匹しかバトルに参加することは出来ん」

 

 ダイバが一斉にモンスターボールを開こうとする。しかし一匹も出てこない。ジェムも試しに自分のモンスターボールを開こうとしてみたが、何も反応しなかった。どうやらマルチバトルに挑戦するときに指定したポケモン以外は出せなくなっているらしい。バトルピラミッドにも同様の措置がなされていたので、ドラコが何かしたのではなくもともとそうなっているのだろう。

 

「挑戦者の不正を防ぐためのシステムだが、思わぬところで役にたったな。尤もそれはこちらも四体しか出せないということでもあるが、何の問題もない。私が負けることなどあり得ん」

「ちっ……」

「……やろうダイバ君。絶対ポケモンバトルで勝って、あなたのお父様のところに行こう! キュキュ、お願い!」

 

 ジェムは一旦ラティアスから降りてボールに戻してからキュウコンを出す。それはドラコのバトルの条件を呑むと同時に、ダイバのもともとの作戦通り戦うという意思表示でもあった。ジェムはダイバを見つめた。

 

「……足引っ張らないでね? いくよガルーラ、メガシンカ」

 

 苛立ちを隠そうともしない声で、ダイバもメタグロスを戻しガルーラを出す。そしてすぐさまメガシンカの力を使い、子供が袋から飛び出た。

 

 

「ドラコさんには本当に感謝してる……だからこそ、勝って話は聞かせてもらうよ!」

「フライゴンなんて雑魚モンスター使い、一瞬で捻り潰してやる……」

「我らがフロンティアを破壊するために邪魔はさせん! さあ、血塗られたショーの始まりだ!」

 

 

 フライゴンとチルタリスが翼を広げる。キュウコンとメガガルーラもフィールドに並び立ち、バトルタワーの形式に則ったバトルが始まる。ドラコはジェムの瞳を見て宣言した。

 

「教えてやろうジェム・クオール。この前戦った時の私はまるで本気ではなかったということを! メガチルタリスの大いなる雲に導かれし翼を見るがいい!」

 

 ドラコの耳につけた牙のようなイヤリングが輝き、彼女が腕を天に掲げる。呼応するようにチルタリスの体が白く輝き始め、体がもこもこと膨らんでいった。体を雲のような羽毛で覆ったメガチルタリスへと進化する。二日前のジェムとの戦いで見せなかった力だ。メガチルタリスによる、天使のラッパのような力強い歌声がフィールドに響き渡る。

 

「先にフライゴンから狙うよ。ガルーラ、『グロウパンチ』」

「キュキュ、『火炎放射』!」

「フライゴン、『爆音波』!」

「フリャアアアアア!!」

 

 ガルーラ親子が拳で殴りかかり、キュウコンが尾から九本の炎を出してフライゴンを攻撃する。フライゴンは自身の羽根を虫のように素早く羽搏かせ、バトルフィールドそのものをびりびりと震わせる。ジェムは思わず耳を塞ぐ。そして放った音波は拳で触れたガルーラ親子と、キュウコンの炎を吹き飛ばした。

 

「すごい音……!」

「どうだ、ダイバとやらはフライゴンを見下しているようだが……貴様のガブリアスにこのような芸当は出来まい!」

「だから何さ。味方を巻き込まないと強い攻撃が出来ないなんてただ弱さを証明してるだけだよ、こんなの」

 

 『爆音波』は凄まじい威力で全体を攻撃する反面、ダブルバトルでは味方も巻き込む技だ。事実メガチルタリスの歌声はあの瞬間は掻き消されていた。それにしても、ダイバはやたらとフライゴンを馬鹿にしているように聞こえる。

 

「ダイバ君ってフライゴンが嫌いなの?」

「……違う。ただバトルでは明らかにガブリアスの下位互換なのにわざわざ使うトレーナーの気が知れないだけ」

 

 ダイバはホウエンでは珍しいガブリアスを持っており、時折メガシンカさせて敵を一掃しているのを見ている。ゲームしているのを見せてもらった時も強いと言われるポケモンばかり使っていたし、能力値の低いポケモンを使う意味がないと思っているのかも、とジェムは思った。

 

「ふっ……実力は高いと聞いていたが貴様も尻が青いな。ポケモンバトルはそこまで単純ではない」

 

 一方、自分の手持ちを馬鹿にされ使う気が知れないと言われたドラコは意外と冷静だった。貴様も、ということは過去にも何度か言われたことがあるのかもしれない。

 

「さあ、龍の咆哮に震撼するがいい! メガチルタリスよ、『ハイパーボイス』だ!!」

「ピュウアアアアアアアアアア!!」

「……! キュキュ、ガルーラの傍にいって『炎の渦』!!」

 

 メガチルタリスが息を吸い込んで天使のラッパを思わせる強烈な音を発しようとしたとき、ジェムの脳内にテレパシーが届く。すぐさまジェムはその通りに指示を出し、キュウコンに自身とガルーラを取り囲むように炎の渦を発生させた。大きな渦が音波によって吹き荒らされるが、その分ダメージは軽減される。

 

「これぞ我がドラゴン達の重なり合う咆哮!お互いの力を主張し合い、お互いがお互いの上をゆこうとする竜の意思だ!」

「御託はいいよ。メガガルーラ、『冷凍ビーム』」

「氷タイプの技なら突破できるとでも思ったか?」

 

 再びフライゴンが『爆音波』を放つ。ガルーラ親子の放った氷の光線は二つとも音に弾かれフライゴンの体に届かない。だがダイバはその間にジェムに指示を出す。ジェムがキュウコンをボールに戻す。

 

「うん、ドラコさんは両方とも特殊攻撃……ならここはラティ、頼んだわ! メガシンカも使うよ!」

「ひゅうううん!!」

 

 ジェムのつけている雫の髪飾りが輝き、ラティアスの体が紫色を基調とした飛行機のような姿となる。メガシンカポケモンが二体相手になってもドラコは余裕を崩さない。

 

「目には目を、竜には竜を……一見悪くないセンスだ。だがメガチルタリスの前にそれは過ちでしかないことを教えてやろう。『ハイパーボイス』だ!」

「ラティ、『ミストボール』! この技は相手の特殊攻撃力をダウンさせるよ!」

 

 メガチルタリスの激しい歌声を、メガラティアスは発生させた霧で包み込んでいく。すると音の力は少しずつ弱まり、ガルーラ親子へのダメージを弱めた。だがラティアスには『ハイパーボイス』は強く響きよろめく。

 

「だがメガシンカしたチルタリスの特性は『フェアリースキン』、よってこの歌声はフェアリータイプの技と化している。知らなかったか?」

「知ってる。でもメガラティアスの特殊耐久力は高い。このまま何発も打ち続ければ、ラティアスと引き換えに君のドラゴンは無力化出来る」

 

 そう言う間にもガルーラ親子はフライゴンに『グロウパンチ』を仕掛ける。霧の中からの突撃に反応が遅れ、フライゴンの体に拳が当たる。ガルーラ親子の攻撃力がさらに上昇する。

 

「なるほど、自分が勝つためならジェムがどうなろうと構わないという作戦か……さすが、ホウエンの怪物の息子と言っておこう」

 

 霧によって表情は見えないが、声は賞賛というよりも皮肉に聞こえた。続く言葉が、ジェムに向けられる。

 

「それで? 貴様はそれで構わないのかジェム。王者の娘であることを誇りとしていたお前が、こんな使い捨ての駒のような扱いで」

「今の私は、お父様の娘として勝負してるわけじゃない。それに私はラティ、仲間たちと……ダイバ君を信じてる。簡単にやられたりしないわ。ラティ、『ミストボール』!」

 

 ラティアスがさらに幻惑の霧を発生させ、特殊攻撃による威力を削っていく。その隙に、ガルーラ親子がまたしてもフライゴンに突撃していく。

 

「とどめをさせ……『冷凍パンチ』」

 

 『グロウパンチ』によって力を溜めた拳にドラゴンと地面タイプの弱点である氷を纏わせ、フライゴンの顔と腹を捉えようとする。ジェムのラティアスが相手の攻撃力を下げ、ダイバのガルーラが攻撃力を上げて多彩な技で制圧する作戦通りの動き。しかし、ドラコは焦るでも認めるでもなく激昂した。

 

「ぬるい……ぬるいぬるい、ぬるすぎるっ!! ヴァーチャル相手ならともかく、その程度の戦略がこの私に通用すると思っているのか! フライゴン、『ドラゴンテールッ』!!」

 

 フライゴンが、拳を食らうよりも先に己の尻尾を振り回す。それは親ではなく子供の方に当たると――親もろとも、ガルーラをダイバのボールに戻させた。

 

「ガルーラが勝手にボールへ!?」

「『ドラゴンテール』は竜の威厳により相手のポケモンの防衛本能を無理やり引きずり出すことで技を受けたポケモンを強制的にボールに戻し、別のポケモンを出させる! さあ、メタグロスを出すがいい!」

「ちっ……うっとおしいな」

 

 ダイバが渋々メタグロスを出す。四つの足で地面を踏みしめ、紅い瞳が霧の向こうの敵を見据えた。

 

「無理やりボールに戻されたら、能力をあげても元に戻っちゃう……!」

「どうだジェム、貴様が頼りにしていた攻撃力は失われたぞ。それでもこの子供の言いなりに動くか? 私にはこいつはお前をサポートに回らせる価値があるほど強いとは思わんが……さあ、時は満ちた! 聞かせてやろう、重なり合う竜の咆哮を!」

 

 霧の向こうからでも、フライゴンとメガチルタリスが一気に空気を震わせ、吸い込んでいるのが感じ取れる。そこでサーナイトからテレパシーが来た。もう一度『ミストボール』を使って威力を下げろと。二匹同時に強力な攻撃をしようとしているのを防ぐのは間違いではない。しかし……

 

(でも、本当にそれでいいの? ダイバ君の言うことを聞いているだけで……ドラコさんに勝って上にいける?)

 

 ドラコはシンボルハンターやゴコウの様に待ってはくれない。判断は一瞬だった。ジェムが指示を出した後自分の耳を塞ぐ。二体同時の破壊的な音の衝撃が発生し、バトルタワーそのものが震撼する。『ミストボール』の霧による威力の減衰をものともしていない。ジェムの頭も揺れ、数秒の間頭の中が真っ白になった。

 

「……ラティ?」

 

 音が止んだ後、自分の相棒に恐る恐る声をかける。フライゴンの『爆音波』の威力は勿論、メガチルタリスによるフェアリータイプの『ハイパーボイス』はラティアスの弱点だ。それがあの破壊力で放たれたとなればダメージは少なくないはずだ。前のバトルと違って能力上昇に頼らず、純粋な力でここまでの威力を出すドラコの本気を思い知る。

 

「ひゅううあん!!」

 

 でも、メガラティアスは倒れていなかった。ジェムの傍を飛翔し、元気をアピールする。見たところメタグロスもダメージは受けたがまだ大丈夫そうだ。だがダイバは更に苛々した様子でジェムを睨む。

 

「……なんで命令に逆らったの? サーナイトは『自己再生』を使えなんていってない。『ミストボール』を使えって言ったはずだけど」

「ごめんなさい。でもドラコさんはメガチルタリスもダイバ君が馬鹿にしてるフライゴンもすっごく強くて、ダイバ君一人じゃ勝てないかもって思ったから……ダイバ君のメタグロスは鋼タイプだから『爆音波』も『ハイパーボイス』も耐えられるはずだし、ラティが倒れないようにした方がいいって思ったの! だから、一緒に力を合わせて戦いましょう?」

 

 ジェムはきちんと謝って自分の考えを話し、そのうえで協力しようとする。

 

「……結局、君も僕一人じゃ何もできないって言いたいんだ。もういいよ、勝手にすれば。……僕一人でこいつに勝つから」

「一人なんかじゃないよ! 私のことが信用できなくたって、ダイバ君にもメタグロスやガルーラみたいな仲間が――」

「……うるさいっ! メタグロス、『コメットパンチ』!!」

 

 しかしダイバはジェムから目を逸らし、震える声で言った。泣く寸前の子供みたいに聞こえたが表情はわからない。メタグロスの鉄塊の拳が流星のように放たれる。一瞬ジェムは自分に向けられるのではと思ったが、霧の向こうの相手を狙ったようだ。

 

「ほう、だがジェムの『ミストボール』によって私のポケモンは霧に隠れている。それで当たるか?」

「僕のメタグロスを馬鹿にするなっ! あんな大きな音を出したら姿は見えなくても音の反射と響く位置から音源の場所くらい特定できるっ!!」

 

 ジェムの父親と戦っていた時よりも激しい、かんしゃくを起こした子供のような激昂。その言葉通り、メタグロスの拳はメガチルタリスを上から打ち抜いた。地面に叩き落としさらにバウンドし、竜の悲鳴が聞こえる。

 

「まず一匹、厄介なメガシンカは消えた……! こんな邪魔な霧、なんてことない……!」

「フ……ハハハハハハッ!! 滑稽とはまさにこのことだな。この霧はお前の指示で出させたのではなかったのか? それを邪魔呼ばわりするとは……ならば、邪魔な霧は消してやろう!」

「えっ!?」

 

 平然と霧を消すと言ったドラコに驚く。ラティアスの『ミストボール』による霧は確かに音による攻撃の威力を下げていた。それを消せるならなぜ今まで放置していたのか。

 

「フライゴン、『霧払い』だ!」

「フリャア!」

 

 フライゴンが今度は音を出すためではなく、空気の流れを操るために羽搏く。それによってラティアスの発生させた霧は吹き飛び、フィールドの端で雫となった。特殊攻撃力を下げる効果が失われる。

 

「だったら、なんで今まで……それに、チルタリスが!?」

「完全に『コメットパンチ』は入ったはず……!」

 

 霧が晴れた先で、メガチルタリスは地面に降りていたもののしっかりと立っていた。雲のような羽を広げ、闘志を見せる。

 

「当然、『コメットパンチ』を当てて来ることは読んでいた。そして狙うならば今までの意表をつき、かつ鋼タイプであることを利用しフェアリータイプのメガチルタリスを狙うこともな。だから攻撃が当たる前に『コットンガード』で守りを固め、地面に叩きつけられた後『羽休め』を使っただけの事だ。今まで霧を放置していたのは、姿が隠れることは音で攻撃する我が竜には然したる問題ではなかっただけのことだ」

 

 メガチルタリスはほぼ全身が羽毛に覆われている。それを守りに使うことで大幅にダメージを減らし、回復させたということだった。渾身の一撃をあっさりと凌がれ、ダイバが呻く。

 

「ダイバよ、お前の指示通りあのタイミングで『ミストボール』を重ねていればラティアスは倒れ、挙句に霧は消滅していた……貴様は確かに強い。戦術も理には叶っている。ヴァーチャル相手なら百回やって百回勝てるのだろうが……実際の対戦相手と仲間を無視したバトルでは所詮トレーナーとして三流のそしりを免れないと知れ!!」

「……!!」

 

 ダイバの肩が跳ねる。今まで静かにでも何かしら言い返したダイバが初めて何も言えなかった。

 

「僕は負けない……負けられない……ジェムにも君にもパパにもチャンピオンにも、どんな手を使ってでも、勝つ」

 

 メタグロスが思考をフル回転させて体が輝きを放つ。バトルタワーの階下から二体のダンバルと一体のメタングが飛んできて、メタグロスの手足となって合体した。手段を選ばず冷徹に勝利を目指すメガメタグロスへと変わる。そこまでして勝とうする姿勢は……すごく痛々しくて、フロンティアの来たばかりでゴコウやダイバに負けて泣きじゃくっていた自分とすごく良く似ているとジェムは確信する。

 

「ふん、メガメタグロスか……だが、今のお前には過ぎた力だ。我が竜の前にひれ伏させてやろう」

「……ドラコさん、ちょっと黙ってて」

「ん……?」

 

 そこでジェムは意を決して口を割り込んだ。霧の晴れた視界で、ドラコをオッドアイが射抜く。ドラコはにやりと笑みを浮かべて黙った。

 

「ダイバ君、さっきは本当にごめんね。別にダイバ君のことを馬鹿にしたり弱いなんて言うつもりなんて全然ないよ。今でも私よりずっと強いと思ってる」

「……」

「大丈夫、ダイバ君ならドラコさんにだってダイバ君のお父様にだって勝てるよ。でもその為に……私たちに、サポートさせてくれないかしら?」

「………………勝手にすれば」

「うん、ありがとう!」

 

 ダイバは相変わらずジェムの方を見ない。帽子もフードも腕で抑え、顔を隠している。それでもジェムはダイバに笑いかけた。見てくれなくても、心を伝えられるように。

 

(ダイバ君は今お父様が危ないかもしれなかったり、強い敵と会って、心が少し弱ってる……ここに来たばかりの私みたいに。だったら、私が色んな人にそうしてもらったみたいに今度は私が、ダイバ君を助けてみせる!!)

 

 作戦通りに言うことを聞くのではなく、ダイバの仲間として自分の意思で支える。それを決意し、強大なドラゴンに立ち向かう――



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ぶつかり合う竜

 バトルタワーでジェムたちの行方を阻むドラコとのマルチバトル。心の焦りと相手を見下したことから追い詰められるダイバを支えると決意したジェムに、ドラコはつまらなさそうな目を向ける。

 

「ふん、あくまでサポートに回る気か。そんな消極的な姿勢で私のドラゴンに勝てるとでも? やれフライゴン、メガチルタリス!」

「ラティ、『ミストボール』!」

 

 ラティアスが何度目かの幻惑の霧を出し、二体のドラゴンが織りなす爆音によるダメージを軽減させる。とはいえ、あと何発ももつものではない。

 

「また姑息な危機回避を……吹き飛ばせフライゴン!」

「その前に決めるよラティ! 『ミスティック・リウム』!」

 

 フライゴンはもう一度『霧払い』を使う前にラティアスが自分で霧を集め、メガチルタリスを覆う水球を作る。雲のような羽毛ごと水で包み、溺れさせようとする。

 

「これがラティだけの必殺技よ! これであなたのチルタリスは息を吸い込めない!」

「少しは面白い戦略だ、流石だと言いたいが……ドラゴンはドラゴンであるがゆえにそう簡単に溺れなどしない。メガチルタリス、『ゴッドバード』の構えを取れ!」

「……ダイバ君!!」

 

 チルタリスは息を止め、その体を蒼く光らせ超高速の突進を行う準備をする。以前受けたそれはメガラティアスさえも瀕死にするほどの威力だ。水球を突き破るくらいはわけないだろう。だからジェムはダイバに呼びかける。

 

「……『コメットパンチ』」

「無駄だ、『コットンガード』の効果を忘れたか?」

 

 ダイバが震える声で指示を出す。メガメタグロスは鉄の拳を振りかぶり、彗星のように放つ。今もまだメガチルタリスの全身を覆う羽毛は健在だ。でも──

 

「それは羽がふわふわだったらの話でしょ?」

「なに?」

 

 拳が水球を突き破ってメガチルタリスの体を真芯で捉える。その羽毛はメガラティアスが作り出した水球によって濡れ、本来の柔らかさを失っていた。よって衝撃は素通りし、メガチルタリスを水球から突き飛ばして壁まで殴りつけた。ぴぃ、と一言呻き倒れる。

 

「よし! 今度こそメガチルタリスを倒したよ!」

「やってくれたな……だがこれで我が竜の咆哮を絶てたと思わんことだ。来いボーマンダ!」

「ボアアアアアアア!!」

 

 ドラコが次に出したのは青い体に真っ赤な翼が映えるドラゴン、ボーマンダだ。登場して即座に耳をつんざく咆哮で威嚇する。

 

「……『高速移動』」

 

 それを無視してダイバのメガメタグロスは電磁力による音のないスムーズな移動で、ボーマンダの背後へと回る。そのまま『思念の頭突き』で思考回路がスパークするほどの念力を発生させてボーマンダに突っ込んだ。ボーマンダが吹き飛ぶ。だが倒れることはなく墜落しかけた体勢から持ち直し、飛翔した。

 

「いけフライゴン、『虫のさざめき』でラティアスを攻撃しろ!」

「ラティ、『自己再生』!」

 

 エスパータイプであるラティアスの苦手な虫タイプによる攻撃を、己の体を回復させることでやりすごす。よって大したダメージにはならなかったが、ドラコにとってもそれは本命ではなかったようだ。ドラコのもう片方のイヤリングとボーマンダの体が輝く。ドラコが天に両腕を掲げ叫んだ。

 

「渇望の翼、今ここに真紅となる! 蒼天を統べる覇者の一喝に震えるがいい! やれメガボーマンダ、『捨て身タックル』!!」

「……『コメットパンチ』」

 

 翼が鋭く、まるで血に染まったような翼のメガボーマンダが、メガメタグロスの拳と正面衝突する。それだけで轟音が響き、ジェムは自分のポケモン達ではまだ到達できない威力だと理解して固唾を飲んだ。

 

「メガシンカ同士のぶつかり合い……」

「だがボーマンダの『威嚇』の特性によりメガメタグロスの攻撃力は落ちている!」

 

 拮抗の末、メガボーマンダが拳を吹き飛ばしメガメタグロス本体に全体重を乗せた一撃を見舞う。ジェムは初めてあのメタグロスが大きなダメージを負うところを見た。四つの拳と本体がばらばらに吹き飛んだ。

 

「ダイバ君、大丈夫!? 今助けるよ!」

「……いらない、この程度の一撃で僕のメガメタグロスはやられたりなんかしない」

 

 強がるダイバの声に応えるように、四つの腕がメガメタグロスに集合する。とはいえ、体は削れ低空飛行で反撃の機会を伺うさまは追い詰められていると言っているようなものだ。『ハイパーボイス』などによるダメージも蓄積している。

 

「フライゴン、このままメガラティアスを攻め続けろ!」

「……お願いラティ、『癒しの波動』でメガメタグロスを助けてあげて!」

「ひゅあああん!」

 

 再び虫タイプの力を持つ音波が飛んでくるが、メガラティアスは躊躇うことなく回復効果のある波動をメガメタグロスに分け与えた。鋼の体が竜と交感し、その傷を癒す。当然、メガラティアスは『虫のさざめき』によるダメージをそのまま受けた。

 

「ありがとうラティ……ちょっと休んでて。行くよキュキュ!」

「わが身を挺して仲間のポケモンを守り、そのうえで交代か……ジェム、お前ダイバに惚れでもしているのか? 何故こいつのためにそこまでする?」

 

 ダメージの大きいメガラティアスをボールに戻してキュウコンを出す。その様子を見ながらドラコは心底不思議そうに言った。ジェムは少し考えを整理してから答える。ダイバも答えが気になったのか、少しの間攻撃の手を止めた。

 

「違うよ。ダイバ君とは三日前会ったばかりだし最初いきなりメタグロスで殴ってきたし……まあそれは私もダイバ君のほっぺ叩いたからお互い様だけど。話しかけても目を合わせてくれないしその癖すぐ私達を弱いっていうし、冷たいし……好きになるどころかまだ友達にもなってないよ」

「本人を目の前に随分はっきり言ったものだな」

 

 ドラコが苦笑する。ダイバの反応はやはりフードと帽子に隠れてわからない。

 

「でもここに来てから色んな人と勝負して、わかったの。私もダイバ君も……すごくて強いお父様とお母様は実はわからないことだらけで、それと向き合わなきゃいけなくて……ダイバ君は、そのことについてフロンティアに来るまでは何も考えずに親を信じてた私なんかよりもずっとずっと苦しんでたんだって。だから私はダイバ君と一緒に、自分の答えを見つけたい。その為にダイバ君を信じて、支えるって決めたの!!」

 

 最初は迷いながら、しかしその意志は段々と強くはっきりと言葉になる。それを聞いてドラコは大きく笑った。馬鹿にするのではなく、心底愉快そうに。

 

「フ……フハハハハハハハ!! 面白い、貴様は面白いぞジェム・クオール! その献身の正体はあくまで自分の答えを探すことか! 何度も何度もお父様とばかり言っていた小娘が随分利己的で狡猾な女になったものだ!」

「り、りこてきでこうかつ……?」

「今の言葉、あいつにも聞かせてやりたいところだが……残念ながら貴様らの敗北が決まっているのが悲しいな」

「あいつって誰の事かわからないけど、まだ決まってないわ!」

「すぐに決めてやろう、『爆音波』に『ハイパーボイス』だ!!」

 

 フライゴンの羽搏きと、メガボーマンダの咆哮がフィールドを埋め尽くす。メガボーマンダの叫びは音の震えを通り越してもはや空気の流れ、風を作っているようだった。ノーマルタイプの技を飛行タイプに変換して威力を上げる『スカイスキン』による特性の効果だ。

 

「キュキュ、『守る』!」

 

 それをキュウコンは自分の周りにだけ分厚い炎の壁を展開して凌ぐ。

 

「メタグロスの方は守らなくていいのか?」

「さっき『癒しの波動』で回復したからきっと大丈夫って信じるわ!」

「……当然でしょ。メタグロス、『冷凍パンチ』」

 

 メガメタグロスが衝撃を耐えきった後、自身の拳を電気で冷却しまるで氷のようになった鉄塊でメガボーマンダに殴りかかる。

 

「これが通れば一気に大ダメージよ!」

「通さん、フライゴン『竜の息吹』! メガボーマンダ、『捨て身タックル』!!」

「キュキュ、『神秘の守り』よ!」

 

 『竜の息吹』は攻撃技であるが威力は高くない。本当の狙いはメガメタグロスを麻痺させることだと看破して状態異常から守る技を使うジェムとキュウコン。それによりフライゴンの息吹をものともせず、再びメガシンカした二匹がぶつかり合う。拮抗し──殴り勝ったのは、ダイバのメガメタグロスだった。真紅の翼が凍り付き地面に落ちる。

 

「何!?攻撃力は落ちていたはずだが……」

「僕のメガメタグロスはただ攻撃を受けるだけなんてしない。そっちが吼えてる間『爪とぎ』で攻撃力と命中力をあげておいた……さあ、後二匹だよ。ジェム」

「……! うん、もう一息だから頑張ろうダイバ君!」

 

 さっきの自分の気持ちをどう聞いていたのかはわからないけど、ダイバは一言自分に声をかけてくれた。それがうれしくて、ジェムはこぶしを握り締める。ジェムたちのポケモンは全員少なくないダメージを受けているがまだ四匹とも戦える。一方ドラコの手持ちは後二体。綺麗な金髪をさっと腕で梳いてそのままモンスターボールを手に取る。

 

「なるほど、追い詰められたか……ならば出てこいリザードン!」

 

 ボーマンダをボールに戻し、最後に繰り出すのは炎を尻尾に灯す恐らくは世界でもっとも有名な炎タイプのポケモン、リザードンだ。口からも炎を噴出しながら現れる。

 

「リザードンはドラコンタイプじゃない……でも」

「そう、メガシンカだ! だがただのメガシンカではない、我ら全員が生み出す最強の竜を見せてやろう!」

 

 ドラコの両耳のイヤリングが輝く。フィールドのフライゴンが、ボールの中の倒れたチルタリスとボーマンダが竜の咆哮を重ね合わせ、リザードンの身体と心を震わせる。ドラコは両腕を天に掲げ、竜と共に叫んだ。

 

 

「紅蓮の蜥蜴よ、火口を切り裂く咆哮とX(クロス)して新たな竜となり噴出せよ! 現れろ、メガリザードンX!!」

 

 

 咆哮が響き合い、負けじと放つリザードンの叫びが炎となって地面に落ちる。それが炎の柱となってリザードンを包み、更なる炎の熱を上げた。リザードンの体の表面が焦げて黒く染まり、漏れる炎がさらに温度を上げて蒼くなる。地面に降りたち、踏みしめた場所も焼け焦げていく。

 

「いけメガリザードンよ、あの鋼を焼き尽くせ!」

「キュキュ、メガメタグロスを庇ってあげて!」

 

 メガリザードンXの蒼い炎がメガメタグロスを狙う。それをキュウコンが割って入り代わりに受けた。当然ただの捨て身ではない。キュウコンにぶつかった炎が美しい尻尾に吸い込まれていく。

 

「キュキュの特性は『もらい火』。どんなに強い炎でも自分の力に変えるわ!」

「……メタグロス、『思念の頭突き』」

「いい判断だ。だがこちらもただの炎ではないぞ? 弾け飛べ爆炎!」

 

 キュウコンが庇ってくれた隙を活かし己の念力で攻撃を仕掛けようとするメガメタグロスだが、キュウコンに当たったはずの炎は周囲に炸裂してメガメタグロスにも焼け広がった。『弾ける炎』の技による効果だ。

 

「ごめんダイバ君、防ぎきれなかった……」

「そこまで期待してない。……行くよメガガルーラ」

 

 素っ気なく答え、メガメタグロスは一旦ボールに戻すダイバ。炎タイプによる攻撃が強力なリザードン相手に鋼タイプでは分が悪いと踏んだのだろう。親子二体で戦うメガガルーラを場に出す。

 

「メガガルーラ、『岩雪崩』」

「フライゴン『日本晴れ』! そして岩を溶かし尽くせメガリザードンよ!」

 

 メガガルーラがバトルフィールドを砕いて岩を作り、二体で相手に投げつける。その間にフライゴンは自分で作った火球をフィールドの天井に飛ばし、疑似的な太陽を作り出した。炎技の威力がさらに上がり、メガリザードンが自身の炎で岩をドロドロに溶かしてしまう。岩が液状化したマグマとなって地面に落ちた。

 

「なんて熱さ……!」

「貴様の攻撃、利用させてもらおう。フライゴン、『大地の力』だ!」

「キュキュ、『守る』!」

「そしてメガリザードン、『ドラゴンクロ―』!!」

 

 発生したマグマをもエネルギーに変え、フライゴンがキュウコンの足元の地面を炸裂させる。キュウコンはそれを念力で止めて防いだ。だがそれはガルーラをサポートする余裕がない状況を作るための布石。メガリザードンが大地を蹴り、メガガルーラの前に躍り出て鋭い爪を子供の方に容赦なく振るう。子供は竜の瞳に前に震えあがったが――母親の方が身を挺して庇い、蒼く燃える爪に体を切り裂かれ倒れた。

 

「……まったく。子供を庇うより暇があるならそのまま攻撃したほうがいいっていつも言ってるのに」

 

 ボールに戻すダイバは不満そうだった。確かに子供を放置していればメガリザードンに反撃できたかもしれない。だがそれはあまりに酷だろうしお母さんのガルーラもやりたくないはずだ。

 

「そんな、それじゃ子供のガルーラが大怪我しちゃうよ?」

「僕のママなら構わずそうしてるはず。まあ……ママがおかしいのはわかってるし子供を守る強さがメガガルーラの利点だから別にいいけど」

 

 ジェムが苦言を呈すると、ダイバは怒っているわけではないようで意外とあっさり認めた。メガガルーラが強いのは子供がパワーアップしているのが主な理由ではなく母親の愛情こそが強さだと言われているのを聞いたことがある。ダイバの声はなんとなく、昔の自分が母親がキュウコンを大事にしているのを見た時の反応に似ている。なので思わず言ってしまった。

 

「……ヤキモチ?」

「コメットパンチで殴るよ?」

 

 即座に否定されたあげく脅されたので黙るジェム。本当はダイバのお母さんだってダイバを守りたいはずだと言いたかったけど、聞いてはくれなさそうだった。

 

「我が切札メガリザードンXを前にして漫才とは余裕だな貴様ら。さあメタグロスを出すがいい、同じく焼き尽くしてくれよう」

「……言ってろ」

 

 ダイバがメガメタグロスを出す。炎タイプが弱点であり体力にも余裕がない今の状態では一発が致命傷だろう。『弾ける炎』の存在がジェムがサポートしてもダメージを回避させない。

 

「だったら……一気に勝負をかけるしかないよね! キュキュ、ラティ、あの必殺技で行くよ!」

「コォン!!」

 

 キュウコンが尻尾から炎の輪をいくつも出し、メガラティアスと交代する。そして炎の輪をメガラティアスがくぐりながら飛翔し、紫色の身体と黄色の瞳が赤く染まる。

 

「これが私達の絆の結晶、『灼熱のベステイドバット』よ!!」

「ふん! 最早懐かしくも感じられるネーミングだ……ならばメガリザードンXの『フレアドライブ』を受けるがいい!」

 

 この前戦った時は『蒼炎のアブソリュートドライブ』というフレアドライブとドラゴンクロ―を組み合わせたオリジナル技を使用していたが今度はそのままの技で来た。そして今回の方が本気であるということはどういうことか──それを考える前にそれぞれ赤と青の炎に染まった両者が激突した。お互いの頭でぶつかり合い、力比べが起こる。

 

「竜の咆哮が重なり合って生まれた我がメガリザードンと貴様の仲間との絆の共鳴が生み出すメガラティアス……一見互角に思えるが、貴様はドラゴン使いとしてはまだ甘いっ!!」

「くっ……! ラティ!」

 

 勝負を分けたのは二人のドラゴン使いとしての練度。メガリザードンXの蒼い炎がメガラティアスの紅い炎を覆いつくし、押しのけて吹き飛ばした。ラティアスが飛翔する力を失い、地面に横たわる。メガリザードンXもダメージを受けたが、まだまだ立つ余裕があった。

 

「さあもうそいつは戦えまい、大人しくキュウコンを出すがいい」

「ううん、飛べなくても、まだラティは戦える……いいえ、戦うのを助けることは出来るわ! ラティ、『ミラータイプ』!」

「『ミラータイプ』だと?」

 

 ドラコが訝しむ。『ミラータイプ』は相手のタイプと自分のタイプを同じにする技。ドラゴンタイプ同士のリザードンとラティアスではほとんど意味はない。そもそもラティアスはもう戦えるほどの力はないのだ。

 

「ええ、ただし私がコピーする相手は……ダイバ君のメガメタグロス!」

「……え?」

「何だと!?」

「ひゅうあああああん!」

 

 ラティアスがメガリザードンのタイプをコピーし、メガメタグロスに炎とドラゴンタイプを与えた。ドラコだけではなくダイバも驚く。ジェムはダイバの方を向いて言った。

 

「ダイバ君……今のバトルでわかったよ、ダイバ君とメタグロスには私とラティみたいなすごく深い絆があるってこと」

「……それで?」

「メタグロスのパンチは最初はすごく痛くて突然降ってくる隕石みたいに怖かった……最初戦ったときなんて、『高速移動』と『爪とぎ』を何回か使って殴るだけで私のポケモンを全員倒しちゃったよね」

 

 ひたすら能力を上げて殴り続けられるだけで勝負がついたあの惨敗を思い出す。今でも身が震えそうになるほどの強さを、今度は味方として支えようと思えるくらい、ジェムは今までの自分を乗り越えていた。あのメタグロスはかつて父親の持っていたポケモンだったと分かったのもある。そしてこのバトルでも、ダイバにとってメタグロスは自分の手足にも等しく思っていることは伝わってきた。

 

「あの鋼の隕石を、今度はダイバ君とメタグロスの絆の力で竜の星屑に変えてみて欲しいの。……ここまで言えばダイバ君ならわかるよね?」

「……そんなの、クイズにもなってないよ」

 

 ダイバはジェムの言葉の意味を理解する。ほんの少しだけ、口の端が曲がったことは自覚していない。

 

「貴様ら、まさか……! 鋼とエスパータイプであるメタグロスにドラゴン技最強の奥義を使わせようというのか!?」

「ドラコさんならやっぱりわかっちゃうよね。でも、その通りよ!」

「これが僕とメガメタグロスに出せる最高のパワー……やれメタグロス!!」

 

 メガメタグロスの拳がコピーした炎の力によって分解され、八つのダンバルに近い形となる。それがフィールドの天井へと昇り、まるで無数に降り注ぐ流星群のように一気に降り注いだ。それはトレーナーと完全に信頼で結ばれたドラゴンタイプのポケモンのみが使える技、『流星群』によく似ている。

 

「笑わせてくれる……付け焼刃の竜の力に私が負けることなどあり得ん! 『爆音波』に『弾ける炎』だ!!」

「ただの『流星群』なんかに頼らない。僕の邪魔をする奴は全員殴り倒す……」

「これが今の私たちに出来る絆の技……『メテオスウォームパンチ』!!」

 

 フライゴンとメガリザードンXがそれぞれの得意技を使う。音が拳を逸らし、炎が鋼を焼き尽くす。だが降り注ぐ拳が全く止まらない。弾かれればまた天に昇り、溶かされればまた形を取り直して降り注ぐ。怒涛の流星群となった拳はフライゴンとメガリザードンの体を打ち据え、殴り──二体纏めて、地面に倒れさせた。二体のドラゴンをドラコがボールに戻す。これで四体が倒れ、ルールに則ればもう出せるポケモンはいない。ジェムが固唾を飲む。

 

「私の、負けか……いいだろう、貴様らを二人とも強者と認めてやる」

「やった……勝ったわ! これで上に進めるねダイバ君!」

「……元々、負けるつもりなんてなかったし」

 

 ドラコが敗北を認める。ジェムとダイバ、二人の勝利だ。全身で喜美を露わにするジェムに対し、さっさと部屋の回復装置を使ってポケモンを回復させるダイバ。でも声はバトルを始めた時よりだいぶ柔らかかった。ジェムもそちらに行き、ラティアスとキュウコンを回復させる。

 

「ダイバ君……私の気持ちに応えてくれてありがとう。すごく嬉しかったよ」

 

 ジェムが目を逸らされないようダイバの正面に回って言う。ダイバはしばらく無言でそれを見つめていたが、おもむろに手をジェムの方に伸ばした。握手してくれるのかなとジェムが期待して自分も手を出した瞬間――ダイバの掌がジェムの頬を叩く。

 

「いたっ!? 何するの!」

「僕は命令通りにしろって言ったのに命令を無視した。バトルで勝ったとはいえ、約束を破ったのは許さない。後……最初あったときに殴られたお返し」

 

 そしてすぐにダイバは帽子を深く被って無理やり目線を合わせなくした。さっき最初にほっぺを叩いた事をまだ根に持っていたのか、とジェムは思う。だけどその後、蚊の鳴くような小さな声で呟く。

 

「だからその……あの時、メタグロスで殴って、ごめん」

「へ……?」

 

 つまり、今殴ったのは本当はダイバが怒っているからではなく。戦いの途中でジェムがダイバに殴られた事に対して自分も叩いたと言ったことを帳消しにして謝りたかったから?

 

「ねえ、それってどういう意味――」

「……それ以上聞かないで、これは命令」

「もう……わかった、じゃあやめとくね」

 

 言いたくないらしいダイバに対してジェムは軽くフード越しに頭を撫でる。自分から言うつもりがないなら、好きに解釈しておこうと思った。

 

「じゃあドラコさん、約束通り教えてもらうわ。上で何があったの?」

「……」

 

 ポケモンを回復し終わりドラコの方を見るジェム。しかしドラコは喋らない。ただジェムとダイバを見ている。

 

「……やっぱり最初から教えるつもりなんてなかったんだよ。さっさと上に行って確かめよう」

「ふふ……約束は守る。ただ貴様らの様子が微笑ましかったので見ていただけだ」

「……殴っていいかな」

「駄目よ!?」

 

 ダイバがムッとした顔でドラコを睨み、慌ててジェムが止める。戦えるポケモンがいないはずなのにドラコは全くもって余裕のままだった。その態度はバトル中の険のあるそれと違って大分穏やかで、少しネフィリムさんに似ているとジェムは思った。

 

「といっても大した情報は明かせんがな。まず第一に余計なことは喋るなという命令がかかっている」

「……命令?」

 

 ドラコには似合わない言葉だ。他人の命令で動くようにははっきり言って見えないしかかっているという言葉も変だ。

 

「……あのアマノとか言う催眠術師?」

「さすがに頭は回るな。肯定は出来んが否定もすまい」

「あの人……ドラコさんにまで!」

 

 見当を付けたダイバの言葉を事実上認めるドラコ。ジェムの心を弄ぼうとした男の事はジェムもまったく許していない。ドラコにまでひどいことをしたのかと憤る。

 

「落ち着け、私は貴様ほど心が弱くないのでな。命令には逆らえんが自分の心は失っていない。あくまでバトルフロンティアを破壊する計画に乗ったのはチャンピオンと戦える可能性があるからだ。フロンティアのオーナーには私も少しばかり怨みがあるしな」

「……ふーん」

「ふーんで済ませていいの?」

「パパの事恨んでる人なんていくらでもいるし……それはジェムもわかるでしょ」

「まあ……なんとなくわかるけど」

 

 自分の父親を恨んでいるといわれたダイバはどうでもよさそうだった。というより反応が慣れている。ジェムも自分にされた事を思えば理解できてしまう。

 

「とにかく……じゃああの人がこのフロンティアを破壊しようとしているってことでいいのね?」

「あの人とやらがだれの事か知らんがそういうことだろうな」

 

 どうやらドラコにはアマノの名前を出したり犯人はアマノだということは出来ないらしい。しかし遠回しに肯定してくるのはドラコ自身にはっきり意思があるからだろう。

 

「だが私にとって重要なのはそこではない。もう一人協力者がいる」

「まさか……アルカさん!?」

 

 ドラコが笑った。それが答えだった。ジェムにファンだといって近づいて毒薬を盛り、自分たちの仲間に加えようとした。狡猾で毒の扱いに長けたあの少女がこの上にいると告げられる。

 

「私に勝った実力を免じてジェム、お前に頼もう。……あいつを、助けてやれ。あいつはこんな大それたことに携わる気などなかった。やつもまた、命令によって協力させられているのだ。奴は恐らくこの上で待っているはずだ」

「うん……今度はちゃんと、アルカさんと向き合うわ」

 

 あの時は、自分の言葉を勝手に押し付けるだけでちゃんと彼女の気持ちを考えていなかった。だから昨日の夜あったときも、大分邪険にされてしまったし仕方ないことだと思う。

 

「なら、バトルそのものは楽そうだね……昨日勝負を仕掛けてきたけど、全然大したことなかったし」

 

 ダイバは昨日アルカと会っていた。ジェムが到着した時にはチャンピオンが割って入っていたが、その前に戦いを挑まれていたのだろう。

 

「……ふん、成長しないやつだ。あの女を見くびらん方がいいぞ。お前達が思っているよりもはるかに、あいつは恐ろしい」

「どういうこと?」

 

 ジェムはアルカを大したことないなんて思っていない。それでもドラコの言い方は気になった。ドラコの性格から他人を恐れるような言動は早々でないだろうからだ。

 

「頼むついでに教えてやろう。出会ったらあいつが何を言おうと信用するな。油断するな。昨日まではあいつはお前達を仲間に引き入れるために動いていた。毒で支配することでな。だが計画が実行に移された以上もうその必要はない」

「支配する必要がない……」

 

 確かにジェムがあったときはあくまでも仲間に引き入れてしまうことが目的の様だった。ダイバも否定しないということは似たようなことを言われたのだろう。

 

「だから、お前達が上に行こうとすればあらゆる手を尽くして本気で止めに来るだろう。だがそれはあいつの本意ではない。あいつは……お前に対していろいろ言っていたが、それでもお前が本心から笑いかけてくれたことは喜んでいた。ただそれ以上に戸惑ったのだ。……私に言えるのはこれだけだ」

「アルカさんが……ありがとうドラコさん、いろいろ教えてくれて。絶対、アルカさんを助けてあなたにかかってる術も解いてみせるからね!」

 

 恐らくアルカについて具体的に言及することも禁止されているのだろう。ドラコは安心したような笑顔を浮かべてそれきり口を閉ざした。ドラコの頼みを叶えるためにも、あの時の自分の間違いでアルカを苦しめてしまったことを謝るためにも、ジェムは上に行ってアルカと戦うことを決意する。

 

「いつの間にか……塔の振動が止まってる。早く行こう」

 

 ダイバがメタグロスに乗りながら言う。ドラゴン達による凄まじい咆哮でバトル中はわからなかったが、そういえば勝負が終わってからも一回もタワーはゆれていない。何かしらの動きが止まったようだった。それが何を意味するかはわからないが、急ぐべきだろう。ジェムもラティアスに乗りながら上に昇る。初めて自分のファンだと言ってくれた人を助けるために。



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甘美なる毒、閉じた心の殻

 それぞれの相棒に乗って静かになった塔を昇っていると、階段の上から少しずつ甘い匂いが漂ってきた。更に昇っていくごとに、匂いは強くなっていく。

 

「いい香り……?」

「なんだこれ、ハーブティーでも煮詰めたような匂いだけど……」

「あっ……! ラティ、『神秘の守り』!」

 

 ダイバの言葉にハッとして、ジェムは慌ててラティアスに状態異常を防ぐ技を使ってもらう。ジェムとラティアスの周りを体に悪いモノを払うオーラがまとい、香りを防いだ。そのままラティアスがダイバの乗るメタグロスに近づき、メタグロスとダイバもオーラの中に入れる。

 

「いきなり何……?」

「思い出したの。この香り、最初に私がアルカさんに会った時に飲まされたお茶の香りにそっくり。吸い込んだら体が痺れちゃうかも!」

 

 あの時何も警戒せずお茶を飲んだジェムは体が麻痺して、意識を失ってしまった。この香りも吸い込み続けていれば何かしら悪い影響が出るのかもしれないと話す。

 

「あのドラゴン使いが手段を選ばないって言ったのはこういうことか……卑怯な奴」

「でもドラコさんはアルカさんはやりたくてやってるわけじゃないって教えてくれた。全部あのアマノって人が悪いんだよ!」

 

 自分やドラコを催眠術で支配下に置こうとした悪い男の人。ジェムの母親にその時のことを話したら本気で不愉快そうな顔をして、二度とそんな悪い男に騙されちゃいけないよと言われたのをはっきり胸に刻んでいる。そしてアルカもまた、彼の被害者なのだ。

 

「なら気を付けたほうがいいね。……ジェムは甘いからすぐ嘘に騙されるし」

「う、嘘つくかもってわかってたら気を付けるわ!」

 

 かなり痛いところを突かれたが、それでもアルカが何を言おうと信じるなと警告された以上、同じ過ちを繰り返すつもりはない。その上でジェムはアルカを助けたい。しかし自分は嫌われているし自分の考えを押し付ければあの時の二の舞を踏むだけだ。警戒しつつどうするべきか考えていると、次の部屋が見えてくる。――そこで、ジェムはいかに自分がアルカの事を理解できておらず、考えが甘かったかを思い知らされる。

 

「……ジェム!」

「えっ……? わっ!」

 

 屋の奥から伸びてきた蔦が直接ラティアスとメタグロスの上にいるジェムとダイバを貫こうとする。『甘い香り』に気を取られ回避率の下がったラティアスがぎりぎりで急旋回して避け、考え事をしていたジェムは危うく振り落とされそうになった。ラティアスが慌ててバランスを取り、それが隙となる。棘のついた蔦がうねって再びジェムを狙い、その腕にぐるりと巻き付いた。

 

「餌がかかりましたね。……『絞り取る』」

 

 緑色の蔦が淡く発色する。するとジェムの腕に巻き付いた蔦が回転し、激痛を与えた。腕を締め上げるだけでなく体の血を抜き取られるかのような痛い身に思わず悲鳴をあげる。

 

「あぐっ……きゃあああああっ!!」

「『バレットパンチ』!」

 

 もがくが蔦はびくりとも離れず、食虫植物のようにジェムの身体にあるエネルギーを奪い去っていく。ダイバが指示を出し、高速の拳が無理やり蔦を引きちぎった。ジェムに巻き付く蔦の光が消える。それでも残る痛みはひどく、ラティアスが急いで『癒しの波動』を使いジェムの傷を癒していく。傷を治してもらったジェムはそっと腕に巻き付いた蔦を剥がす。それでもまだ、痛みで力が抜けて腕がだらんと下がり、肌を浅く切り裂いた分の血が手のひらを濡らした。上の階へつながる出口にぶら下がったウツボットがジェムたちに向けて蔦を放ったと分かる。

 

「うう……入ってきてすぐ、狙うなんて」

「ふふふ……いい気味です。ペンテスの蔦は痛むでしょう? その苦痛に歪む顔を見れないのが残念なのですよ」

 

 声の主は桃色の長いくせっけを無理やり二つにまとめ、ぼろきれのような布で体を隠した少女、アルカ……のはずなのだが、彼女の姿は見えない。その声は半径一メートルほどのドームのような水色の殻の中から聞こえた。ついている棘がわずかに動いているのを見ると、これもポケモンだろう。

 

「あの殻は?」

「ドヒドイデ。ヒトデナシポケモン……今みたいな卑怯な手を使う人にはお似合いのポケモンだよ」

「またそんなこと言う……アルカさん、そこにいるの!?」

 

 ジェムが呼びかける。アルカの背格好はジェムより少し大きい140㎝ほどだ。あの殻の中に入ることは可能だが身をかがめるなりする必要がある。そこまでして中に入る理由がジェムにはわからなかった。

 

「当然なのです。バトルする前に『サイコキネシス』で捻り殺されては堪りませんからね」

「私たちは、そんなことしないわ」

 

 殻の中から聞こえる声に驚く。サイコキネシスで人間に直接攻撃するなどとんでもないことだ。今まで考えたこともなかったことを、アルカは平然と、それが当たり前だと言わんばかりに口にする。昨夜と同じ、ジェムに対する嫌悪と怒りを隠さない声に今与えられた痛みも相まってジェムは怖気づきそうになるが、ドラコの怯むな、あいつの言葉は本気であっても本意ではないという言葉を支えに必死で話しかける。

 

「信用できません。……どのみち、あなた達が倒れるまでここから出る気はありませんから」

「倒れるまで? 死ぬまでの間違いじゃないの」

「ちょっとダイバ君、何を根拠に……」

「殺されるのを警戒するのは、殺す気があるからだよ。……さっきのでわかるでしょ」

 

 途中で割って入るダイバがジェムの腕を指さす。メタグロスが蔦を千切ってくれなかったらどうなっていたのだろう、あまり想像したくない。でも事実から目を逸らすことはしたくなかった。それがアルカの本気だからこそ、ジェムは真剣に向き合いたい。

 

「アルカさんは……私たちを殺すつもりなの?」

「この場で命までは取りませんよ。殺したら利用価値がなくなりますからね。生きたまま動けなくしてフロンティアのオーナーとチャンピオンに突き付ける必要があるですから。……ま、それが終われば知りませんけど」  

「本気で、言ってるのよね」

「当然なのです、何故わたしがそれを躊躇う必要があるのです? 相変わらず甘えたことばかり言いますね」

 

 アルカからすればそジェムが自分の身を差し出してでも助けようとしたときの拒絶が、ジェムへの印象の全てなのかもしれない。最初にファンだと言ってきたこと自体、ジェムを油断させるための甘言に過ぎなかったかもしれなかった。ジェムは言い返すことが出来ない。

 

「随分とジェムを気にしてるみたいだけど、僕はジェムやお前の出してる匂いみたいに甘くないよ。……『コメットパンチ』」

 

 ダイバはメタグロスに乗ったまま指示を出す。降りれば即座に蔦で狙われると判断してだろう。メタグロスは鉄の拳を電磁力で操り、彗星のように上からドヒドイデに向かって振り下ろした。

 

「……いや、別に気にしてませんから。プランチ、『トーチカ』」

 

 殻の周囲が濃紫色のバリアーに包まれる。彗星の拳を弾き飛ばし、殻には傷一つつかなかった。プランチ、というのがドヒドイデのニックネームらしい。

 

「ジェム、絶対にラティアスから降りないで。ラティアスもジェムが毒になったり直接攻撃されたときに守れるように注意しておいて、勝手に危ないことしだしたらそれこそサイコキネシスで縛るくらいでいい。……こいつは、僕が倒す。メタグロスは鋼タイプだから、毒の心配はしなくていい」

「……うん、ありがとう。でもダイバ君が危なくなったら絶対助けるからね?」

「……ひゅうあん」

 

 ダイバは小さく頷く。ジェムはアルカに騙されるし勝手に危なっかしいことをするとは思われているらしく無理やり縛れと言われるのは少し納得いかないけれど。ドラコとのバトルを通じてダイバにも心境の変化があったのだろう。幾分かジェムに対する態度は柔らかくなっていた。ラティアスもさっきのジェムの悲鳴を聞いたせいもあり、頷いた。

 

「ふん、賢い判断ですよ。とはいえ所詮あなたもジェムと同じ温室で育ってきた子供に過ぎません。そんな人たちに、わたしは負けませんから」

「言ってなよ、正々堂々戦ったら勝てないだけの癖に」

「アルカさん、私はあなたに伝えたいことがたくさんあるの。だから殺されるかもって理由でそこから出てきてくれないなら、無理やりにでもその心の殻をこじ開けてみせる!」

「本当に五月蠅いですね……その心と体、私の毒で虫食みつくしてやるから覚悟するのです!」

 

 ここもバトルタワーのフィールドである以上ルールは同じ。ダイバとジェム両方に憎悪と怒りを向けるアルカとのマルチバトルが始まる。だがアルカは容赦なくジェムとダイバを直接狙ってくる以上こちらは手持ちから降りることが出来ず、もしラティアスやメタグロスが倒されれば絶体絶命になり得る。ある意味ドラコ相手よりも厳しい勝負だ。

 

「ペンテス、『パワーウィップ』です」

「ラティ、守って! 『サイコキネシス』よ!」

 

 ウツボットがいくつもの蔦に力を込めてしならせ、ジェムに直接襲い掛かる。『クリアボディ』により能力の下がらないダイバのメタグロスと違い、ラティアスの体は『甘い香り』の効果を受けているため直接躱しきろうとすれば先ほどの二の舞。対応するラティアスの瞳が光り、襲い来る蔦を念動力で操ってこちらが動かして相手が攻撃できないように蔦を蝶結びにした。更にウツボット本体に括り付け、まるでウツボットの頭にリボンでもつけたようになる。

 

「これで動きは封じられた。……ウツボットに『思念の頭突き』」

 

 ダイバは二つの腕に一時的に乗り、メタグロスの残った本体が頭の思考回路をフル回転させることによって生まれた念力の籠った頭突きを放つ。体を自分の蔦で縛られたウツボットは避けることが出来ない、が。

 

「その程度……ペンテス、『蓄える』!」

 

 ウツボットが自身を縛る蝶結びの蔦を無理やり口の中に入れ、蔦を溶かしていく。それによって得られたエネルギーがウツボットの体を覆い、『思念の頭突き』によるダメージを軽減した。蔦の先端が溶けたことで、再び自由に動くようになる。

 

「自分の体の一部を食べるなんて……」

「生き延びるために必要なら当然ですよ。そして、あなたたちも最期はこうなるのです。ペンテス、『パワーウィップ』!」

「ラティ、もう一度お願い!」

「させませんよ、プランチ、『ミサイル針』です」

 

 しなる蔦が全てダイバを狙う。ラティアスがもう一度操ろうとしたがドヒドイデの殻が毒のしみ込んだ針を飛ばしてくる。ラティアスは慌てて横へ避けたが、続けて何発も放たれる針を避けるので精いっぱいで蔦をコントロールすることが出来ない。

 

「ダイバ君!」

「……メタグロス、『高速移動』!」

「はっ、あなたが振り落とされるのがオチなのです!」

 

 今ダイバはメタグロスの腕に乗っている。ダイバはまるでスケートボードにでも乗るような体勢を取ると、一気に腕が加速した普通ならばダイバの身体だけが取り残されてしまいそうなものだがダイバは腕の上でバランスを取り、追いすがるウツボットの蔦を上下左右、フィールド内を駆け巡るように躱していく。まるでメタグロスの腕とダイバの足が一体化していると思えるほどの同調した動きだった。

 

「メタグロス、『コメットパンチ』!」

 

 メタグロスの腕がダイバを追いかけるのに夢中になっていたウツボットの体を殴る。蔦ごと吹き飛ばすどころかあまりの衝撃に蔦を根元から引きちぎり、戦闘不能にした。腕の一本に乗ったままダイバがジェムの横まで来る。

 

「すごい、まるでダイバ君が自分でメタグロスの腕を操ってるみたい……!」

「メタグロスは僕の手足と同じなんだから、当然だよ。……こんな時のために靴には鉄を仕込んでるし」

「電磁力によって靴とメタグロスの体をくっつけたというわけですか……金持ちらしいやり方ですね、反吐が出るのです」

 

 アルカの声に強い苛立ちが混じる。一瞬ドヒドイデの殻が開いたかと思うとそこからモンスターボールが転がり出てきた。中から黒の体にピンク色の燃えるような模様が体についたポケモン、エンニュートが出てくる。

 

「ですが、教えてあげますよ。優秀で強くて恵まれたあなた達も、結局は醜く本能のままに動くしかない生き物だということを……やりなさいリジア!」

「どくどく~!!」

「ラティ、もう一度『神秘の守り』!!」

「メタグロス、一旦こっちへ」

 

 エンニュートが口からピンク色の霧の様な毒をばら撒く。あまりの色の濃さに周囲が見えなくなるほどだった。メガメタグロスが不意打ちに備えダイバとジェム、ラティアスを守る盾となるように位置を取る。ジェムは念のため毒を防ぐ守りを重ね、その効果を確かに発揮する。それでも、刺激的ですらある甘い香りがジェムの鼻をくすぐり、体の中に入っていく。

 

「これで毒は防げるはず……なのに、この香り……怖い」

「怖い……?ただ甘ったるいだけでしょ」

「……無駄ですよ、『神秘の守り』はあくまで人やポケモンに害を与える異常を防ぐもの。リジアの毒はとーっても気持ちよくなれて傷つきもしませんから……さあ、お前も私の様に醜く心を蝕まれてしまうのです! ふふふ、あはははははは!!」

 

 濛々と立ち込めるむせ返るほど濃いガスの中に、アルカの声が響く。そこに込められた恐ろしく甘い毒が、二人に襲い掛かる──

 



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融解する鋼の心

 アルカとのマルチバトル。先制してウツボットは倒したもののアルカはジェムとダイバを直接攻撃する姿勢を崩さない。アルカの指示でエンニュートがまき散らしたピンク色の霧と共に立ち込め、甘い刺激臭がダイバの鼻を刺す。しかし特に体に異常はなかった。だがアルカの哄笑は何か嫌な予感をさせる。ダイバは隣のジェムに呼びかけた。

 

「ジェム、何か変化はない……?」

「大丈夫、私は元気。心配してくれるダイバ君は優しいね……大好きだよ?」

「は?」

 

 ジェムの方を見ると、顔が異常に赤らんでいて肩も上下している。熱を出す毒か、と思ったがジェムは平気だと言うし『神秘の守り』は確かに聞いている。ダイバの困惑などお構いなしにジェムは、ダイバの方に突然飛びついてきた。

 

「うわっ!? 何やってるのさ、今どういう状況かわかって――」

「うん……私がダイバ君を守ってあげるよ? それで一緒にアルカさんを、やっつけよう?」

「なっ……!」

 

 ダイバはぞっとした。ドラコに対して自分の事は好きじゃないけど似た境遇の苦しみを抱える人として協力したいと言い、ついさっきまでアルカと真剣に伝えたいことがあると言っていたのは何だったのかと思えるくらいその顔は緩みきっていて、アルカに背を向けダイバの事しか見ていなかった。いくらメタグロスの腕の上と言えど二人で乗るのはバランスが悪い。少しぐらつく。そして支えを欲しがるようにジェムがさらにダイバを抱きしめる。体全体も熱を帯びていて、吐く息が湯気のように熱くなっていた。明らかにエンニュートの毒のせいだ。ダイバはアルカを睨みつける。

 

「……おい、ジェムに何した」

「何だと思います? といってもお子様にはわかりませんよねえ。『メロメロ』の毒ですよ。吸い込んだ人は異性を見るとその人が好きでたまらなくなるのです。個人差はありますが……ま、もともと父親への幻想に溺れるジェムにはよく効いているみたいですね」

「ううん、お父様の事は嫌いじゃないけど……今は、ダイバ君の方がもーっと好きよ?」

 

 ジェムはダイバの身体を包み込むように抱きしめ、額をくっつける。ダイバは対抗しようとしたが、10歳のダイバと13歳のジェムではさすがに厳しい。ジェムは遠慮なく抱きしめているのに対しダイバは今の状況に戸惑っているのもある。

 

「ふふふ、良かったじゃないですか。そんなに好かれて、昨日の夜会ったときはジェムに手を出したことを怒ってましたよね? 僕の物に手を出すなって。今なら正真正銘あなたのものですよ? 尤も、わたしに負けるまでのほんの少しの間ですが」

 

 昨夜突然勝負を挑まれた時にダイバは勝手にジェムを奪おうとしたアルカを加減なしに攻撃した。その時はてんで大したことはなくて、でも攻めきれずにいるうちにチャンピオンが割って入ってきたのだった。

 

「ふざけるな、こんな無理やりな方法で好かれて嬉しい奴なんていない……」

 

 言った後、思い出す。どの口が言うのかと。最初ジェムが自分の弱さに打ちのめされているのを見てこのままいけば自分を頼るようになり、チャンピオンの娘より上に立てるとほくそ笑んだのはどこの誰だ。ほんのついさっきまでの自分は、同じようなことをしていたのではなかったか。

 

「心当たりがあるようですね。男なんてどんな手段でも女が手に入ればいい醜い生き物なのですよ。ましてやあの支配者の息子ならなおさらそうでしょうね……」

 

 だけど、その言葉はすごく勘に触った。確かにダイバは父親に近づこうとしていたし似たことをしようとしていた。だけど、ドラコと戦った時のジェムの言葉で芽生えたある感情。あの時はただ何となくメタグロスで殴ったことを謝っただけだけど。今父親と同じだという言葉をぶつけられてはっきりと自覚した。

 

「……違う。僕はパパとは違う。僕も無理やりな方法でジェムを従わせようとした。ついさっきまで利用しようとしてた。でもそれは楽しくなんてなかった! ジェムがさっき僕と一緒に自分の答えを見つけたいって言ってくれた方がずっと嬉しかったんだ! 僕は……パパとは違う!」

 

 ただチャンピオンの娘より上に立とうとしていた時も。自分の方が強いと主張していた時も、アンティルールでジェムからシンボルを奪うと決めた時も。今日バトルタワーに挑むときに自分の言うことを聞くように命じた時も、どこか心の底からそれを肯定できない自分がいた。やり場のない不満を抱えていた。それがジェムのドラコと戦った時の言葉で、驚くほどすっと消えた。ただ好きだから怖いからとかで従わせるよりも、ずっと気持ちが良かった。

 

「ホント子供ですね。自分にとって都合のいいことを言われたら簡単に流れて他人をムキになって否定して……」

「なんとでも言いなよ。親の顔も知らない君には僕の心はわからない。僕もお前の心なんかに興味ない。叩き潰して、ジェムを元に戻してもらう」

 

 軽蔑するようなアルカの言葉を一蹴する。自分はジェムのようにお人よしじゃない。ジェムみたいになりたいとも思わない。ただ、自分の目的のためにもジェムを元に戻ってもらう。ジェムがそのうえでアルカを助けたいというのなら付き合う。それでいいはずだ。

 

「それは出来ませんね。あなたもジェムも物言わぬ人形になるのですから……リジア、『弾ける炎』!」

「ラティ、『サイコキネシス』」

「ひゅうあん……」

 

 ジェムはアルカやラティアスに振り向きもせずに、指示を出す。ラティアスは悲しそうだったがそれでも主を守るため念力で炎を弾き飛ばした。が、炎は炸裂しわずかな余波がメタグロスとダイバに覆いかぶさるジェムの背中に当たる。

 

「あつっ……!! ダイバ君に、当たってないよね?」

「もういい、早く離れて。このままじゃ危ない」

「大丈夫だよ。ダイバ君が怪我しなかったらこのままで……ダイバ君を守れるなら私はちょっとくらい怪我しても幸せだよ?」

「良くない。僕はジェムを一方的に利用なんかしたくない。ジェムにママみたいな誰かに利用されるだけの行為が好意だなんて言ってほしくない。ラティアス、ジェムを引きはがせ。メタグロスは『バレットパンチ』で攻撃!」

「グオォ!」

 

 メタグロスがダイバが乗っている腕以外の三本で高速の拳をエンニュートとドヒドイデに浴びせる。エンニュートはその素早さで躱し、ドヒドイデは殻を硬くして防がれたが攻撃に転じるほどの余裕は与えない。

 

「ラティ、ダメだよ。ダイバ君と一緒にいさせて?」

「……ひゅうあん!」

「あっ……」

 

 ラティアスは相反する指令に少し迷ったようだが、それでもジェムの異常な状態を思ってダイバの指示に従った。念力がジェムをダイバから無理やり離し、ジェムをラティアスの背中に乗せて動けなくする。ポケモンの念力にジェムが抗えるはずもなく、無理やりラティアスの背中に乗せられたジェムは瞳を潤ませ真っ赤になった顔でダイバを見る。でもそれは、ダイバにとって母親を思い起こさせる嫌なものでしかない。

 

「なんで……? ダイバ君は私のこと、嫌い?」

「……嫌いだよ。何も知ろうとせず、弱いくせにチャンピオンと同じことをしようとしてたジェムも、アルカやラティアスを無視して僕しか見てないジェムも。何の根拠もなく誰もが両親に愛されてるなんて妄想を押し付けられるのも自分を無視して尽くされるのもうっとおしくて苛々する」

「そんな私は、とっても好きなのに……ひどいよ……」

 

 だから、はっきり否定した。ジェムは泣き出したが、そんなことはどうでもいい。ダイバは今のジェムの言葉に何の価値も感じない。

 

「……メタグロス、『地震』!」

「プランチ『ワイドガード』なのです!」

 

 メタグロスが本体と腕を一気に下降させ、巨大な槌のように床を叩く。メタグロスの体が埋まるほどの力に凄まじい衝撃が発生して相手を襲う。だがドヒドイデも地面に棘を打ち出して衝撃を与え、相手の放つ衝撃を相殺した。致命的なダメージはない。

 

「弱点を突こうとしたのでしょうが、無駄な事なのです。わたし達は徹底して自分を守り、毒で相手の体も心も蝕む……理想や目標なんて生きるのに邪魔なものを持ってるお高くとまった人たちなんて全部喰らい尽してやるのです!」

「……君の理念なんて、僕が知ったことか。 やれメタグロス」

「はっ、何度やっても同じことですよ」

 

 メタグロスの攻撃力は高い。ポケモンとしての自力で言えばそもそもトレーナーとしてではなく生きるためにポケモンを使って来たアルカの手持ちとは格が違う。だが仲間のラティアスは『甘い香り』によって反応速度を失い、『神秘の守り』を維持しつつジェムを守るので精いっぱい。そのトレーナーであるジェムは今まともに指示が出せず戦えない以上、メタグロス一匹では守りに徹するアルカのポケモンを倒すことは出来ない。メガシンカをすれば話は別かもしれないが、それをすれば能力を下げられない特性である『クリアボディ』を失い、それすれば数多の毒がメタグロスにも襲い掛かる。

 

 

「それはどうかな……僕はジェムみたいに殻をこじ開けるなんて面倒なことはしない。邪魔するやつはこの拳で、殴り倒す! 『バレットパンチ』!」

 

 

 ドヒドイデの中に隠れるアルカには今の光景を見ることが出来ない。だが鋼の拳が進む音はアルカよりも下、床の中から聞こえた。いくらドヒドイデの防御力が高くとも、下はがら空きだった。三本の拳がドヒドイデのドームの下から床を突き破り、中のアルカとドヒドイデをアッパーで打ち上げる!

 

「なっ……! ああああああああっ……あ……ぐ……」

 

 容赦なく鋼の拳に晒され、アルカは芋虫の様にのたうち回るしかない。ただの人間が、メタグロスの拳を食らって平然としていられるわけがない。痛みで頭が真っ白になって、呼吸をしているのか息を止めているのかもわからない。それでもダイバを睨みつけ、必死に口を動かす。

 

「正気、ですか……わたしがもし死んだら、ジェムを戻せないかもしれないのに……」

「心配いらないよ。メタグロスは人が死なない加減を覚えてる。僕の代わりに、ぎりぎりの手加減はしてくれる」

 

 だからこそ、ジェムを殴ったときも意識を失いはしたが骨折などの後に響く事態にはならなかった。逆に言えば、だからこそダイバは他人に容赦なく拳をぶつける。人が死なず、それでいて最大限のダメージを与える緻密すぎる拳を。それはある意味、殺意よりも恐ろしいのかもしれない。コンピュータゲームで敵を殺しても大部分の人間は良心が痛まないことのと同じ、覚悟のない暴力。その意志を感じ取ったアルカは、震える足で立ち上がる。ドラコのドラゴン使いとしての立派なマントとは違う、襤褸切れを集めたようなローブを翻し、ダイバの目線よりも上から言葉をぶつける。

 

「ふざけないでください……馬鹿にしないでください……わたしが……わたしがどんな気持ちで生きるために他人を傷つけたと……」

「だから、知らないって……大体、平気で僕らを攻撃しといて何言ってるの?」

 

 ジェムの腕に蔦を巻き付けて生気を奪った時も、エンニュートの毒でジェムをおかしくしたときも、『弾ける炎』でこちらを狙った来た時も罪悪感のようなものは一切感じ取れなかった。それで今更どんな気持ちと言われてもダイバは何も思わない。それでも構わず、アルカは独白を始める。

 

「わたしは物心ついた時には親もご飯を用意してくれる人も眠る場所もなくて……タマタマの中身を啜り、サニーゴの体を岩で砕いて飲み込んでなんとかお腹を満たして。少し大きくなってからは自分を辱める相手に嫌々媚びを売ってその日のご飯をもらい、同情してくる人がいれば甘さにつけ込んで金品を奪ってでも生きて。今自分を保護してくれた人が計画に必要な駒を揃えたかっただけで自分に容赦なく毒の力を振るわせる小悪党だったからこんな娯楽施設の破壊なんて何の興味もない事のために色んな人を傷つけて……それがどれだけ苦しかったと思ってるんですか! 誰も私を愛してくれなかったから、死にたくないからわたしは仕方なくこんなことを……! わたしだって、本当はこんなことしたくないです……!」

 

 アルカは涙ながらに訴える。それは涙ぐましい話だ。自分が生きるためには誰かを傷つけなければいけなかった。たとえそれが自分を哀れむ人であっても、気が変わらないうちにありったけのお金を奪わなければ生きていけないと思うほどアルカの心は傷ついていて誰も癒してはくれなかったのだと。

 

「でも、邪魔するなら関係ない。懺悔がしたいならジェムを元に戻して――」

「……最初会ったときにジェムは言ってくれたのです。わたしと、本当の友達になりたいって、アルカさんは本当はこんなことしたくないんだって。わたし、嬉しかったです……欲情でも同情でもない、女の子としてのわたしを見てくれて。……でもわたしには、あの人の命令がかかっているから。フロンティアの破壊に支障をきたす行動は禁止されていて……だから、ジェムの言葉を否定して。五月蠅いって耳をふさぐことしか出来ませんでした。私の意思でジェムを戻してあげるのは、無理です。あなたがリジアを倒さない限り、元には戻りません。……あなたの手で、ジェムを元に戻してあげてください」

 

 エンニュートとドヒドイデは、話している間攻撃しては来なかった。エンニュートが攻撃を受け入れるように両手を広げる。アルカもジェムに影響を受けていたという言葉に、それでも無理やりいうことを聞かされたと涙ながらに発する真に迫った様子に一瞬ダイバの思考がそちらへ向かう。……アルカという敵を倒すことから、淀む。ダイバはいまだにラティアスの上で泣き続けるジェムをちらりと見た後、メタグロスに命じる。

 

「……なら、この一撃でこんな茶番劇終わらせる! メタグロス、エンニュートに『思念の頭突き』!」

「グゴオオオォ!!」

 

 メタグロスの頭脳に念力が集まり、敵を砕く思念となる。抵抗しないエンニュートにまっすぐ突っ込み、エンニュートの細い体がくの字になって吹き飛んだ。仰向けに倒れ、意識を失う。アルカがボールに戻すと同時に、泣いていたジェムがはっと顔を上げる。顔はまだ赤かったが、彼女のオッドアイはダイバだけではなくラティアスや相手のアルカを見ていた。

 

「あれ? 私……なんで、泣いてるの?」

「元に戻った? ……ちょっと毒にやられてただけだよ。でももう、向こうに戦う気はなくなったみたいだし大丈夫……」

 

 ダイバがジェムの方を見て安堵の域を漏らす。それは、アルカ相手に絶対にしてはいけない油断だった。アルカの口元が、狂気的な弧を描く。

 

「くふっ……ふふふふふふふ。あははははははははははははっ!! 甘すぎなんですよ、どいつもこいつも! あなた達はもう終わりです!」

「なっ!?」

「えっ……!?」

 

 ダイバとジェムはあり得ないモノを見た。喉が壊れそうな声で笑うアルカではなく、メタグロスの体が濃紫色に染まっていき、ダイバの乗る腕も同様の色になっていくところだった。メタグロスは鋼タイプ。通常では毒タイプの技は一切受け付けず、毒状態にもならないはずだ。だがアルカが同情を誘う演技をしている間エンニュートはラティアスを『挑発』して『神秘の守り』を使えなくしていた。そしてエンニュートの特性は『腐食』。鋼タイプであろうと毒に染めることが出来る。アルカは口先で時間を稼ぎ、油断を誘い、エンニュートがメタグロスにやられながらも『どくどく』を使うほどの隙を作ったのだ。

 

「どんなに偉そうにしてても、恵まれてても、理想があっても、所詮人間なんて簡単に騙されるんですよ……さて、そこに乗っていていいんですか?」

「ちっ……!!」

 

 ダイバの足元に電気ショックでも流れたような痛みが走り慌てて飛び降りる。鉄の靴を履いていたとはいえ鋼を腐らせる毒には何の防御にもならない。着地したが足の踏ん張りがきかず、膝をついた。毒に侵されたのを、感じ取る。

 

「プランチ、『棘キャノン』です!」

「グオオッ!!」

「メタグロス……!」

 

 ドヒドイデの大きな棘がダイバに飛んでくる。メタグロスが咄嗟に庇うが、その鉄面皮の表面が砕けた。メタグロスの防御力を、綻ばせる。

 

「さらにプランチの特性は『ひとでなし』……アナフィラキシーショックのように、既に毒状態の相手を攻撃した時、ダメージを倍にします。ドヒドイデの攻撃力は低いですが、毒に犯されるあなたにはこれで十分なのです! 全く、面白いくらい真に受けてくれましたよねえ、わたしの気持ちなんてわからないくせに!!」

「全部……嘘だったのか」

「当然じゃないですか。ジェムの言葉が嬉しい? 女の子としてのわたしを見てくれた? そんな心、もうとっくの昔に消えましたよ。わたしは自分に同情する心を食い荒らす醜い女……ましてやジェムの言葉なんて、ただ子供に理想論を押し付けられて苛立つだけなのです!!」

 

 こうしている間にも毒は回り、座っていることさえ出来なくなって倒れる。床はやたらと冷たく感じられた。自分の体が震えているのを、ダイバは感じる。

 

「ラティ、『癒しの波動』でメタグロスとダイバ君を治してあげて!」

「ひゅうあん……!?」

 

 ラティアスが銀色の優しい波動で仲間を回復しようとする。だが何も起こらなかった。気づかぬうちにかけられた『挑発』がラティアスから攻撃以外の選択肢を奪っている。

 

「これであなたたちは回復も防御も出来ません! さあ出てきなさい、寄り付く者を鬼の心で欺く醜い巨大花……スタペシア!!」

「ラァ~!!」

 

 ボールから出てくるのは、ジェムが今まで見てきたどんなポケモンよりも巨大な赤い花。まるできのこのように細い体の上に、人が何人も乗れそうなほどの花が咲いている。それは異常な刺激臭を放ち、花粉をばら撒き始める。花粉が眼に見え、砂嵐かと思うほどだった。『神秘の守り』を失ったジェムとダイバ、ラティアスがそれを吸い込み毒や麻痺、眠気に襲われる。様々な妨害に耐え飛行していたラティアスが、ついに地面に落ちる。

 

「そん、な……私が足を引っ張っちゃった、せいで……」

「ふふふ……その通りなのですよ。あなたがわたしをただの敵だと思っていれば、この男もわたしの言葉に騙されなかったでしょう。ドラコと戦った時もあなたが何か言ったことでこの男に影響を与えたようですが……そのおかげで、わたしと話をしてくれましたよ。まるで蝶を追いかける子供みたいに! 全部ジェム、あなたが招いた結果なんです! あなたの言葉は、人を苦しめるだけなんですよ!」

「私の、せい……私が助けたいなんて言ったから……?」

 

 生気を搾り取られ、メロメロの効果で心を操作され、更に毒花粉を受けたことでさすがに精神が摩耗しているのか、自分を責めるジェムにすかさずアルカがバトルを始めた時のような苛立ちをぶつける。そこにダイバと喋っていた時のような心の揺れはほとんどなかった。やっぱり全部、演技だったのだ。ダイバはそう感じ、毒に侵され紫色になった唇を思い切り噛み、血を流すほどの痛みを与えることで意識を保ち喋る。

 

「……だ、まれ」

「何か言いましたか、既に風前の灯火の癖に」

「ダイバ君、わたし……あんなこと言っておいて、ひどいこと……」

 

 ジェムは責任感が強い。『メロメロ』のせいとはいえドラコとの約束をいきなり破るようなことを言ったことを悔いているのだろう。ダイバも思うところはあるが、でも今はその問答をしているときではない。

 

「僕はあの時……あの時だけは、君の言葉を信じてもいいと思った。だから……『アレ』を使えメタグロス」

「あれ……?」

「ラティアス……僕とジェムを、フィールドの端へ」

「ひゅああん……!」

 

 ラティアスが自分の体は横たえたまま、『サイコキネシス』で二人をフィールドの端へと連れていく。アルカはそれを見て嘲笑した。

 

「ふん……その程度距離を取ればスタペシアの花粉から逃れられると?」

「逃れるんじゃない……倒すんだよ。僕のメタグロスで」

 

 メタグロスが体と腕を合体させ、宙に浮かぶ。しかし毒で紫色に染まり、執拗に『棘キャノン』を受けた体はところどころ砕けていた。次に一回でも攻撃をするか受けるかすれば、毒が回り切って倒れてしまうだろう。

 

「はっ……既にあなたもメタグロスも毒に侵され、ドヒドイデの『ひとでなし』によって体もボロボロ。くたばり損ないに、何ができるっていうんですか!!」

「そう、だからこそ余力は残さなくていい……全てのエネルギーを、開放する! 『大爆発』だ!!」

 

 紫色になったメタグロスの体が、超高熱で真っ赤に染まる。限界を超えたエネルギーはメタグロスの体内に収まらず、体から光が漏れていく。アルカが慌てて、止めようとした。

 

「な…!?そんなことをすれば、メタグロスだけでなくラティアスもただでは済みませんよ!!」

「ジェム……ごめん」

「ううん、いいの。ただ、後でラティとメタグロスに……無茶させてごめんなさいを、二人でしましょう」

「ひゅうあん……」

 

 ダイバがジェムに一言謝り、ジェムはあっさりと受け入れた。ラティアスも頷いた。それは醜い愛欲や善意という名の哀れみ、目的のための利用しか受けてこなかったアルカとその周囲の人間には絶対にあり得ない信頼関係だった。

 

「嘘です……何故ですか! ジェムは親に貰ったポケモンを傷つけられるのを嫌がってたじゃないですか! あなたはジェムの事を何もわかってないやつだって言ってたじゃないですか! それなのになんで……なんでなんですかあああああああ!!」

「グオオオオオオオオオオッ!!」

 

 メタグロスが吼え、フィールドのほとんどを埋め尽くす大爆発が発生した。アルカとそのポケモン達は吹き飛ばされ、壁際に叩きつけられて意識を失う。撒き散らかされた花粉は全て焼けて燃えカスとなり毒性を失った。ラティアスもジェムたちの方に飛ばされ意識を失っており、爆心地のメタグロスは真っ黒な灰のように微動だにしなくなったが、ともかくこれでダイバとジェムの勝ちだ。とはいえ、既に体に入り込んだ毒はどうにもならない。今にも意識は途切れそうだ。

 

「どうしよう……これじゃ、進めない」

「ガルーラ……僕らを、回復装置へ」

「ルラッ!!」

 

ダイバが力を振り絞りボールからガルーラを出す。ガルーラは急いでジェムとダイバを小脇に抱え、ポケモンを回復させる装置まで運んだ。

 

「ジェム……ラティアスをすぐ回復させて、それで『癒しの波動』と……『リフ、レッシュ』を……」

「ダイバ君!?」

「ガル、ルー!」

 

 ダイバは震える声で指示を出し、遂に意識を失った。ジェムが一瞬蒼白になるが、ガルーラがちゃんと息はしている事を確認して力強く励ました。さすが子供を守るお母さん、とジェムは思う。

 

「ラティ……いろいろひどいことして、ごめんね。すぐ治してあげるから……」

「ひゅう、あん」

 

 大爆発もそうだが、ジェムは毒に侵された時ラティアスを無視して戦おうとした。それを謝り、回復装置に当てる。気の遠くなるような十秒後、元気になったラティアスがジェムとダイバの体を癒す波動を当て、体をひとまず元気にした。倦怠感はあるが、それでも十分だ。

 

「ありがとうラティ。今日落ち着いたら……いっぱい、ラティの好きなご飯を食べましょうね」

「ひゅああん!」

 

 ラティアスがジェムの周りをぐるぐる嬉しそうに回る。ダイバのメタグロスもボールを借りて元に戻して、彼の代わりに回復装置に入れてあげた。まだ意識は戻らないが、ラティアスのおかげで表情は落ち着いたし大丈夫だろう。問題は――

 

「ラティ……お願い、アルカさんを『癒しの波動』で回復させてあげて」

「ひゅううん……?」

 

 次の階の入り口付近に横たわるアルカ。ボロボロのマントは完全に焼けちぎれ、下に着ている丈の短いワンピースも灰で黒ずんでいた。無理やりまとめていたピンクの髪も、髪留めがちぎれてくせっけの長髪が腰まで流れている。ダイバが目を覚ますのを待つ必要があるとはいえ、ただ上に行って事態を解決するためならアルカは放置しておいた方がいいに決まっている。バトルタワーのルールのおかげでアルカはもうポケモンを出すことは出来ないが、それでも口先でダイバを騙した以上何をしてくるかわからない。ラティアスが心配そうに首を振る。

 

「大丈夫、私はもうあの時みたいに無茶なんてしないわ。少しでも危なくなったらラティに助けてもらうし、『神秘の守り』もかけてもらう。……駄目かしら?」

 

 ラティアスの首元を抱きしめ、ジェムが頼む。ラティアスの黄色い瞳とオッドアイが見つめ合い、お互いの心を交わした。そしてラティアスは、『神秘の守り』を使いアルカを銀色の波動で包む。

 

「ありがとう、ラティ。……私って、甘いのかな?」

「ひゅうん」

 

 にっこりと頷かれた。でも、それがだめだとはラティアスは言わなかった。ジェムはそのことに感謝しながらも、アルカにかけるべき言葉を考える。そして、さっきラティアスにしたように、アルカの自分とほとんど変わらない大きさの体を起こし、目を覚ますまで見守った――



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謙虚な厳しさ、傲慢な優しさ

 毒の花を操るアルカの周りには、物心ついた時から人が群がった。無垢な心に美しい髪色を持つ少女に惹かれる卑俗な男共。幼くして強力な毒を持つポケモンを自在に操る力を見せ者にするサーカス団。行く当てのない自分を仲間にしようとした子供達。

 

――――桜のような美しい髪色の娘だ。躾けて傍においておけばいい飾りになる。

 

 そもそもの始まりは幼い頃野草や魚を取ってただ食べて生きていたとき年老いた男に拾われたことだった。老人は自分にご飯をくれる代わりに色々好きなように髪を触ってきた。招いた客人に自由に触らせもした。一緒について回るうちにお金の使い方や世の中のことがわかったし、ご飯さえもらえるならそれでもよかった。でもそのうち飽きて殺されそうになったから、その前に殺して家にあるお金をもらった。その時は、ただの正当防衛だったはずだ。

 

――――レディースエーンドジェントルメーン! 今宵お見せしますは他者の命を糧に呪い花を咲かせる恐ろしい魔女!

 

 てもらったお金が無くなると今度はポケモンと一緒に危険なショーをするサーカス団に拾われた。死体を食って咲く桜のような髪の色と、人間やポケモンの命を搾り取って花を咲せるアルカのポケモン達はそれなりに目を引いたしお客さんも笑っていた。ただ、自分が食べるためでもないのに罪のないポケモンや人の命を吸い取るのはなんとなく嫌な気持ちになったし、そのうちお客さんが飽き始めると追い出されそうになったので。夜の間に団長を殺してショーの稼ぎを持って逃げた。サーカス団のショーで人の命を吸い取ることに慣れてしまったのが致命的だったのかもしれない。

 

――――なあ……行くところがないならお前、俺たちの隠れ家に来ないか? みんな歓迎するぜ。

 

 そしてしばらく放浪していると自分と年の離れていない少年達に声をかけられた。また髪に触りたい人かと思ったので触らせてあげる代わりにご飯をもらおうとしたら、顔を赤くしてそんなのいいと言われ、少年の友達のグループに入れてもらった。生きることに必死だったアルカには遊ぶことの楽しさはいまいちよくわからなかったけど。親の名前も声も知らない自分に、いつかきっと親に会えると励ましてくれた。その時は、初めて人間の仲間が出来たような気がした。

 でも、それはあっけなく崩壊した。別の少年グループとの喧嘩になった時、アルカは咄嗟にウツボットで相手を絞め殺してしまった。一瞬で少年たちにとってアルカは狂った化け物になり、当然のように石を投げられて追い出そうとしたから。アルカは訳も分からず涙を流しながらみんな殺してしまった。

 

「……おなか、すいたのです」

 

 子供たちが帰って来なければ当然親はすぐに探す。アルカがやったことはすぐに知られ、警察に追われた。死にたくない。生きていて楽しいことなんてないけどただ死にたくない。それだけ考えて生きてきた。でももう、疲れてしまった。お腹が空いてもう動けない。動きたいとも思わなかった。草むらの影で横たわり、このまま眠ってしまおうかと考える。自分の毒草ポケモン達も既に瀕死になっている。

 

「お父さんとお母さん……やっぱり、きてくれませんでしたね」

 

 名前も声も知らない親でもきっとアルカの事を待ってるはずという少年の言葉を思い出す。特に両親の存在に希望を見出していたわけでもないのだけれど。意識が薄れていく中で、そんなことをアルカは考えて。誰にも愛されることなく、愛されていたとしても自ら喰らい尽して台無しにするだけの人生を終える。……はずだった。

 

 

「おい……おい、生きているか!? 頼む……こんなところで死んでくれるな!」

 

 

 ひどく必死な男の声だった。アルカは自分にそれが向けられているとわからなかった。ただ自分の肩を掴んで無理やり強請る男に、ぼんやりと声をかける。

 

「お父さん……?」

「生きていたか……! これで駒の一つは手に入った。ひとまずここを離れなければ……!」

 

 男は、自分の質問に答えてはくれなかった。ただ逆立ちしたイカのようなポケモンが自分に催眠術をかけ、意識はそこで落ちる。そして目が覚めると、声をかけてきた男の家の中にいた。

 

「目が覚めたか? 飯は用意した。だがひとまず……『待て』」

 

 アルカはソファに寝かされており、傍のテーブルには温かいシチューが置かれていた。空腹は酷くて体は重いままだったが、食事を前にすぐに手を伸ばそうとする。しかしただの一言命じられた瞬間。アルカの手がぴたりと止まった。自分の意志ではない。自分を拾う相手の言うことは基本的に聞くが、それでも飢え死にするかしないかの瀬戸際で食事を前に大人しくできるような聞き分けのいい人間ではなかった。自分に命令をした男の方を見る。

 

「問題なく効いているようだな。ならば『食ってもいい』」

 

 その一言で弾かれるように体が動き、がむしゃらにシチューを頬張る。熱々のジャガイモが舌に張り付いて火傷をしたがそんなことどうだってよかった。ただ空腹を満たせることに安心する。シチューが空になると、特に何も言わず男はお代わりを持ってきた。それが何回か続いてアルカがスプーンを止めると、男がまた声をかけてくる。

 

「さて、ようやく落ち着いて話が出来るか。お前がアルカ・ロイドだな?」

 

 アルカはこくりと頷いた。それが最初に拾った老人のつけた名前だった。植物が持っている毒の名前をそのまま取ったらしいことは聞いていた。

 

「最初に言っておくが、お前には既に私の催眠術がかかっている。私の言うことには絶対に逆らえないと思え。『お前やお前の持つポケモンは絶対に私を傷つけられない』」

「……わたしのこと、知ってるのです?」

 

 自分で助けておいてこの警戒の仕方は不自然だ。素直に疑問を口にする。

 

「むしろ、お前はお前自身の事をどれだけ知っている? さっき父親について口にしていたが、お前は自分の父親が何者か知っているのか?」

「知りません。何も。あなたは?」

 

 アルカには両親の記憶は一切ない。その言葉に嘘はないと判断したのか、目の前の男は少し考えた後、口を開いた。

 

「直接会ったことはないが、どういう人物かは知っている。……ただし交換条件だ。このことを話す代わりに、お前には私の計画に協力してもらう」

「わかりました」

 

 アルカは考えることなく答えた。基本的に自分を拾った相手に逆らうことなどしないからだ。それをするときは、殺してしまう時だけ。むしろ男の方が息を呑む。

 

「いいだろう。お前の父親は……世界各地の悪の組織に協力するフリーの傭兵だ。極めて強大な毒虫達を自在に操り、組織に仇名すものを殺し尽くしたという。自ら毒を振りまき、不快なさざめきをまき散らす危険極まる男だったそうだ」

「悪の組織……だった」

 

 自分の父親が悪人だったらしいことに特別恐怖感や忌避感はなかった。自分ももう何人殺したかわからないし、その時も悲しかっただけだ。悪いことだ、と思える教育は受けていない。

 

「その男は20年以上前にとある悪の総統と戦って死んだとも言われているが……実は生き延びていて、悪の組織の女と子供を作ったという噂があった。そしてそれがお前だと、私は思っている。お前の連れている虫を食らう花たちとお前の人生がその根拠だ」 

「この子たちが……」

 

 自分のまとう襤褸切れの中に隠しているボールの中の毒草たちを見る。男の手によって回復させられたのか、元気を取り戻していた。本来草タイプが苦手なはずの虫ポケモンを食らい尽すこの子たちが、自分が寄り付くものをすべて殺してしまう性質が父親を繋げているといるのかもしれないという。

 

「お前が親の顔を知らず、私はそれ以降あの男が動いているという話は聞いたことはない。恐らくは、もう母親ともども生きてはいないのだろう。……私が知っているのはここまでだ」

「そうなのですか。ありがとうございます」

 

 アルカはぺこりとお辞儀をする。両親の素性にも恐らくは既に生きていないであろうことにも特別な感慨はなかった。ただなんとなく、自分がどうして今まであんなことをしてきたのかの理由がわかって安心していた。

 

「それで、わたしは何をすればいいですか?」

 

 淡泊に、アルカは尋ねる。男は自分の計画に協力しろと言った。アルカの力とそうした素性を知ったうえで何が目的なのか、どちらかと言えばそちらに興味があった。男はあっさりと受け止めたアルカに驚いたのか、少しばかり言葉に詰まったようだった。

 

「……やはり特別な人間は私とは違うということか。まあいいだろう。私の名前はアマノ・サグメ。そして計画とは――」

 

 今完成間近のバトルフロンティアというポケモンバトルを利用した娯楽施設。それをアマノという男は破壊したいらしい。理由は口にしなかったがその意志は強く、また自分一人では無謀であることを理解した上でアルカや、そこに訪れるであろう特別な人間を利用するつもりの様だった。アマノは人前では穏やかな優しい男を気取るものの。ふとした弾みに汚い言葉が漏れたり計画もかなり運頼みなところがあったりしてアルカから見ても不安になるような人間だった。自分も計画の駒として使う以上必要なことは厳しく教えられたし、時折催眠術で人を思いのままに支配して喜んでいるのも、最初に自分を拾った老人を思い起こさせて好きにはなれなかった。催眠術による支配の効果がなければ、とっくに殺して飛び出していたかもしれない。でも一緒に過ごしていて、ふとした疑問が浮かび聞いたのだ。

 

「アマノは……どうして、私の心を支配しないのです?」

 

 アマノのカラマネロが使える催眠術には二種類ある。一つはアルカにかけている命令に従わせるだけの術。もう一つは心を支配して相手が自発的に服従するようになる術だ。アルカの危険性を知っているのなら、完全にアマノの事を好きになるように術をかけておいた方がいいはずだ。なのにアマノはそれをしない。アルカが毒を吐いたり皮肉を言うのに文句を言いながらも、心は自由にさせている。それに対し、アマノは答える。

 

「――他――――――――――――――――お前―――――――」

 

 言葉は、ここで薄れて聞こえなくなっていく。答えは聞こえなかったのに、アルカは自分の瞳から涙を流していた。ぽたりぽたりと、雫が頬に落ちていく。これは自分の記憶。物心ついてから自分がどんな人生を過ごしたのかが走馬灯。死んだのかとも思ったが、無情にも意識は覚醒していく。

 

 

 

 

 

 

 

(ああ……夢でしたか。思い返しても、気分のよくないものですね)

 

 アルカの意識が現実に戻る。アマノの計画に加担し、邪魔をしに来るチャンピオンの娘とフロンティアのオーナーの息子を毒で侵すため待ち構えた。自分が生来貰っている毒草を操る技術にアマノに教えられた毒ポケモンを使った戦術は確かに二人を追い詰めたが、メタグロスの大爆発の前に吹き飛ばされたのだ。体の芯にダメージが残り、瞼を開くのも億劫だった。

 

(アマノ……やっぱりあなたは愚かですよ。わたしなんかを、計画の駒にするなんて)

 

 アマノの催眠術により裏切ることはなかった。けれどもやはり自分が生き残れればそれでいいだけの醜い女に巨大施設の破壊計画なんて相応しくなかったのだ。夢と同じように、しかし今度こそ自分のポケモン達とともに眠ってしまおうかと思う。しかし、もう夢は覚めたはずなのに雫がアルカの頬にぽたりぽたりと落ちる。もう泣く理由などないはずなのに。瞼を閉じたまま体の意識を外に向けると、動かせない体を誰かがぎゅっと抱きしめているのがわかる。そのぬくもりはアルカに名前も声も知らない誰かを思い起こさせた。

 

「お母さん……?」

「良かった……! 生きてて、くれたのね……!」

 

 ひどく真剣な女の声だった。アルカはその言葉が向けられているとわかった。ただ体を抱きしめて声をかける女の事を思い出し、ぼんやりと声をかける。

 

「……どういうつもりでそうしているのかは知りませんが、痛いですよ。本当に人の気持ちを考えない子供ですね」

 

 瞳を開ける。幼い少女が、自分に対して泣いていた。彼女はチャンピオンの娘。両親に愛されて育ち、食べる物にも住む場所にも何不自由なく育った自分とは対極の存在。相手がどういう人生を歩んで来たかなど知ろうともしないくせに性善説を押し付ける、迷惑だけど優しい子供。

 

「あっ、ごめんなさい……ラティが火傷は治してくれたけど、すごくつらそうな顔してたから心配で……」

 

 自分を抱きしめる腕を離し、そっと床に降ろす。その所作は傷ついた自分に対してできるだけ気遣おうとしているのがわかる。

 

「……で? 私に何か聞きたいことでも?」

「うん……聞きたいことは色々あるし、言いたいこともあるわ」

 

 しかしアルカは冷たく、敵意を緩めずに返す。向こうが性懲りもなく同情しようというのなら、その隙を突くまで。バトルタワーのシステムによりもうポケモンを出すことは出来ないが、まだ撒ける毒はある。アルカはそっと腕を襤褸切れの下、腰につけている小さな注射器を手に取ろうとした。その中にはこのフロンティアに来る前にトウカシティでばら撒いてきたのと同じ、吸い込んだとたんに激しい頭痛や吐き気に襲われる毒が入っている。傍に控えるラティアスが『神秘の守り』を使っているようだがこれは注射器で直接血管に打ち込めばもだえ苦しませることが出来るはずだ。

 

(……ない? 爆発の衝撃で吹き飛んでしまいましたか)

 

 だが、服の下に隠しているはずのそれはなくなっていた。メタグロスの『大爆発』によって壁まで吹き飛ばされたのだからその時に無くしても不自然ではない。しかし、そうではなかった。ジェムが彼女の後ろに置いておいたアルカの注射器を見せてくる。そのことに少なからず驚きを隠せないアルカ。

 

「な……どうして、あなたが?」

「気を失ってる間に、アルカさんが持ってる危なそうなものは一旦取っておいたの。アルカさんは……本気で私を止めようとしてるから」

 

 ジェムの後ろに目をやると、他にもモンスターボールや毒ガス入りの小さなスプレーなどが置かれていた。アルカの持っていた危険物は全て奪われたようだった。普通の人間が相手ならむしろそれくらいの警戒は当然としか思わなかっただろう。しかしジェムはこの前アルカを助けるために自分が毒に支配されることさえ厭わなかった。それでアルカが救われると本気で信じていたはずだ。仕方なく、アルカはため息をついた。

 

「これじゃ何も出来ませんね。降参です」

「……嘘吐きね。ダイバ君の時みたいに、何とかして騙そうって考えてるでしょ?あのね、アルカさんの夢……私も見ちゃったの。あなたがどんな風に生きてきたのか、少しだけわかっちゃった」

「……ッ!」

 

 悲しそうにため息をついた後、ジェムは断言した。彼女の言う通り、アルカは諦めたふりをして、上に行ったときアマノに有利になるように嘘の情報をばら撒くか、同情を引く言葉で先に行かせないようにするつもりだった。それはあっさりと看破され、醜い過去を覗き見られ。表情が憎々しげに歪む。

 

「じゃあなんであなたはわたしを抱きしめてるんですか? 嘘吐きで、平気で他人を毒で苦しめ殺す女を、あなたみたいな人がどうして心配するっていうのです!? あなたの善意なんて不愉快なだけです、離れてください!!」

「……いやよ。私が心配する理由は、私があなたを心配したいから。ただそれだけ。私がチャンピオンの娘だとか、あなたがどんな思いで生きてきたかは、関係ないわ」  

 

 強い言葉をぶつけても、ジェムは苦しそうな顔をするものの怯まなかった。無理やり離れようかとも思ったが、鋼の拳に打ち据えられ、爆発に巻き込まれたダメージは大きく動けず。アルカはこの前とは打って変わった態度を取るジェムに困惑を隠せない。

 

「迷惑だって言われるとしても、あなたに謝りたかったの。……あの時は、私が間違ってた。私は……自分の力であなたを助けられるって思い上がってた。一人じゃ自分の事も守れないし、お父様やお母様の事を何も知らなかったのに……皆誰かに愛されてるはず、悪いことなんてしたくないはずって決めつけてた。だから、本当にごめんなさい」

 

 ジェムはアルカの瞳を見つめる。くすんだ自分の赤目とは違う宝石のような赤と青のオッドアイは今も綺麗に輝いていた。その後ジェムは頭を下げる。アルカから見ればその姿は隙だらけだ。毒の注射器が奪われていなければこの隙に死力を振り絞ってでも刺し殺してやるのに、と思う。

 

「謝られたところで、何の慰めにもなりませんよ。多少考えを改めようが、あなたの自己満足であることに変わりないのです!」

「……そうね」

 

 顔を上げたジェムはアルカに対して手を伸ばす。あの時はその手をアルカが叩いた。そして今度は。ジェムが、アルカの頬を叩いた。突然の事にアルカの思考が止まって、茫然とジェムを見る。

 

「……ッ!!」

「アルカさんは私のことが嫌いなのも、私のせいで傷ついたのもわかってる。でも私だってあなたのせいで変な薬を飲まされて身体が痺れたり蔦で締め上げられたり、花粉の毒で辛い目にあったのよ? あなただけ被害者っていうのはおかしいわ。私に初めてのファンだって嘘をついたこと、私達を傷つけたこと……責任、取ってもらうからね?」

 

 本気ではなくて、子供同士のじゃれ合いのような軽くはたいたような一発だった。そしてその後、ジェムは昔一緒にいた子供たちがお互いに向けていたような柔らかい笑みを浮かべる。ジェムに叩かれたこと、そして責任という言葉。その二つが、アルカの脳内をぐるぐる回る。

 

「わたしに……何をしろって言うんですか?」

「私はね、本当はこのフロンティアに挑戦するんじゃなくて、一人で旅がしたかったの。ホウエンを回って、ジムバッジを集めて。最後にリーグに挑戦する旅ね」

 

 唐突にジェムは自分の事を話し始める。いきなり話を変えられて、どう返せばいいかわからない。

 

「このフロンティアを攻略したらもう一度お父様に旅をさせてって頼むつもりだった。でも、今は違うの。私一人じゃ旅なんて無理だってわかったし……それに、私はあなたと旅がしてみたいなって思うの。ダイバ君やドラコさんも一緒にね。アルカさんは色んなところを見てきたんでしょう? 私はずっとおくりび山にいて世の中の事を知らないから、あなたがいてくれたらすごく頼りになるわ」

「……嫌ですよ。そんなの。あなた達と旅なんて」

「でもダメ。私にも悪いところはあったけどあなたの方から近づいてきて傷つけようとしたんだから……でないと、私はあなたを許せないわ。アルカさんが私の言い分を自己満足だって聞き入れてくれないなら、私もアルカさんが嫌がっても一緒に来てもらう」

 

 なんて無茶苦茶な言い分だろう、とアルカは思った。嫌われているのがわかっているのに、傷つけられたのに。その償いが一緒に旅をすることだなんて。

 

「……わたしの夢を見てたんですよね? これからも一緒にいれば、いつかわたしはあなたを食べてしまいますよ」

「させないわ。もしアルカさんが私を食べようとしても何度でも止めてみせる。それに私はあなたを可哀想だなんて思わない。あなたが恥ずかしいと思うこともさせない。私はアルカさんを傷つけたし、アルカさんも私を傷つけた。だから私達は……ファンでも喋らない人形でもなく、友達同士になれるはずよ。それに、今考えてみてもやっぱりアルカさんは誰かを傷つけるのが好きなわけじゃないと思ってるわ」

「……何故ですか?」

「前言ったこともそうだし、さっき戦った時だって、蔦を腕に巻き付けたなら相手の体力が減るごとに威力が下がる『絞り取る』じゃなくて『パワーウィップ』で直接腕の骨を折ったりすればたぶん痛くて何もできなかったと思うし、、ラフレシアの花粉ももっと強い毒を使おうと思えば使えたんじゃないかって。……違うかしら?」

 

 ジェムの声は以前の何の根拠もない盲信とは違う、自分が間違っていることを考えたものだった。何があったか知らないが、随分な変わりようだと思う。それでもアルカは、呆れたように言った。

 

「何も変わってないですね。やっぱりあなたは、わたしの気持ちなんてわかってないのです。……そんな簡単に、骨を折るなんて言葉が使えるんですから」

 

 どうせジェムには骨折した経験などないのだろう。あっけらかんと言う態度には実感がこもっていない。けどそれ以上反論の余地はなかった。友達になれないと決めつけることは友達のいないアルカにはわからない。ジェムが自分への償いとしてそれを望むのなら、傷つけた側であるアルカに拒否権がないのもある種当然の話だ。ジェムの傲慢な優しさを、受け入れるしかない。アルカはジェムが自分に対して知ったふうな口を利いて、自分勝手な理想論を押し付けるのではないかと警戒していたからこそ必死に反発しようとしていた。けどそれは独り相撲だったのだ。ジェムはアルカとは全く違う人生を歩んできたことを理解し、違う人間だと分かったうえで共に友であることを望んだのだから。

 

「そうね、わかってないわ。だからこれからいっぱい時間をかけて……わかりあって生きましょう。お互いにね」

 

 ジェムはアルカからそっと離れて、立ちあがる。どれくらい気を失っていたのかはわからないが、状況は徐々に差し迫っているはずだ。体を横たえ、鉛のように動かない体で、アルカは小さく笑みを浮かべた。

 

「……アマノを、止めてあげてください。あの人は、こんな大きなことが出来る人じゃないんです。色々都合のいい偶然が積み重なってここまで来ただけ。だからあなたの手で……あの人の幻想を打ち砕いてあげてください」

「うん、でも私一人じゃなくて……仲間たちみんなの手で、止めてみせるわ。勿論アルカさん、あなたの言葉も使ってね」

「……勝手にすればいいのです」

 

 この計画は、アルカがジェムやダイバを毒で捕まえることが前提だ。今アマノがヴァーチャルシステムを乗っ取りに成功していたところで、じきにチャンピオンやオーナーの用意したセキリュティが止めにくる。その時に人質として二人を使うはずだったが、それは叶わない以上時間の問題だ。事が大きくなる前に、幼い子供程度に計画を止められた哀れな男として終わらせてほしいと願う。だがこの胸中もジェムは理解していないのだろう。まだ眠っているダイバをラティアスの背に乗せ、自分も背中に乗った後もう一度アルカを見た。

 

「それじゃあ行ってくるわね。終わったら、一緒に塔を降りましょう」

「わかりました。最後に一つ……ずっと食べるものがないとお腹がすくので、たまにはあなたをつまみ食いしてもいいですか? 殺したり人形にしたりはしませんから」

「うーん……意味がよくわからないけど痛かったり苦しくないならいいわよ?」

 

 ジェムは小首をかしげ、本当に理解していない風で安請け合いした。その様はさっきお互いに傷つけあったのだから友達とか言っていたのと同じ人とは思えないくらい無垢な子供で、なんだか可笑しかった。その気持ちを、素直に声に出すことが出来た。

 

「……ふふっ、これじゃわかりあうなんて夢のまた夢ですね、じゃあせいぜい頑張るのです」

「うん、頑張るわ! お願いラティ!」

 

 自分の相棒に声をかけ、ジェムたちはバトルタワーを昇っていく。もうアマノ側に手駒はない。後は彼さえ倒せばこの事件は終わるはずだ。その後の事は、ジェムの采配に任せるしかない。そう思いアルカは一度意識を手放して――もう一度、これからもずっとジェムの傍にいる償いを果たすために。安らかに眠った。



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揺れ動く支配者

 (アルカさん……きついこと言っちゃったけど、納得してくれたかな)

 

 ジェムは先ほど言葉を交わした自分と同年代の、しかしあまりにもかけ離れた人生を送って来た少女の事を考えていた。アルカにかけるべき言葉を必死に考え、彼女の過去を覗き見た上での結論は彼女に自分たちにしたことを償ってもらう形で一緒に過ごすことだった。

 

(私達を傷つけるのが好きじゃなかったのは本当、でも誰か人形にしたり殺すことを平気で出来ちゃうのも本当……だから、あのままじゃよくないって思った)

 

 事実、抵抗感を無くしてしまうだけの行為をしなければ生きていけない過去を持っていた。でもそれは、これから変わっていかなければいけないことだ。当たり前のように人を傷つけていれば、ずっとあのような人生を歩むしかなくなってしまう。嘘だと知っていても、初めてのファンだと言ってくれた人にそんな生き方をしてほしくなかった。だから。

 

(もっと仲良くなれたら嘘をついたことも……謝りたいな)

 

 ジェムはアルカに対してかわいそうだなどと思わないと言った。でもあれは嘘だ。彼女の過去を覗き見て、なんて不幸な人生だろう。なんて苦しかっただろうと思って涙を流してしまった。でも、そういう同情は彼女にとってジェムに毒牙を向ける十分な理由になってしまうから。気持ちを押し殺して、まず理由はどんなものであっても友達になってもらおうとしたのだった。

 

(その為にも、アマノさんは倒さなきゃいけない。お父様や他の偉い人達じゃなくて……私達が止めちゃえば、罪も大きくならなくて済むはず)

 

 フロンティアのバーチャルシステムを乗っ取ることがどれくらいの悪いことなのかジェムにはあまりよくわからない。それでも自分たちが子供だからこそ、止める意味があるはずだ。

 

「ダイバ君……頼りにしてるからね」

 

 ラティアスに乗り、自分の前でまだ眠っているダイバを両腕でホールドしながらジェムは呟く。ジェムの小さな体でしっかり支えられる彼は、まだ自分よりもいくつか小さい男の子で。でも自分よりもずっと真剣に戦い続けて、ただ憧れていただけの自分と違って親を超える方法を考えている彼は少し乱暴でそっけないけれど強い子供だと思う。

 

「ん……」

「……大丈夫? まだ苦しくない?」

「問題ないよ。……上手くやったんだね」

 

 ジェムの声に応えるようにダイバは目を覚まし、周りを見回す。上へ向かうラティアスの背に乗せられていること、ジェムが自分を後ろから抱きしめていることからアルカとの決着を無事に終えたことを察したようだった。

 

「ううん、まだまだこれからよ。アマノさんを倒して、アルカさんと色んなことをお話しして……少しずつ、仲良くなっていけたらなって」

「……ジェムって変わってるよね。普通なら僕やあの女みたいなのは仲よくしようとせず無理にでも避けるんだけど」

「そうなの? まあいろいろ痛い目にはあったけど……うーん、今まであんまり同じくらいの年の子と会ったことがないからわからないわ」

「ふーん……ご愁傷様」

 

 ジェムはバトルフロンティアに来るまではずっとおくりび山にいた。おくりび山は基本的に墓場だ。子供が来る場所ではないので、ジェムには今まで友達と言える相手はジャックとポケモン達しかいなかったのだった。それを言うとダイバはなんだか小ばかにしたように言う。

 

「むむ。ならダイバ君はもっと私に優しくしてくれてもいいのよ?」

「……僕より弱い奴になんで優しくしなきゃいけないのさ」

「もう……意地悪なんだから」

 

 彼は全然変わらない言葉で呟くけれど。その声は以前よりもずっと柔らかくなった気がする。だからジェムも、素直に口を尖らせることが出来た。

 

「そんなことより、もう少しで最上階……この先に、パパとあの男がいるはず」

「どんな状況になってたとしても絶対にアマノさんを止めて、バトルフロンティアをもとに戻そうね!」

「うん、そのためにも……もう一度、作戦について話しておきたい」

 

 ジェムは頷いた。最初の予定ではダイバの両親と戦う予定だったしその二人に勝つための作戦を話してきたが、現在の状況は違う。上を昇っている間ずっと考えていたであろう作戦を、ダイバはジェムに伝えた。

 

「アマノの手持ちが明確じゃない以上、想定外の事態も多いと思う。だからその時は……」

 

 ダイバはそこでジェムの方に振り向いた。ダイバの深緑の眼が、ジェムのオッドアイと見つめ合う。何かを確認しているような彼に、口は挟まず真剣に見返した。

 

「……お互いの判断で、連携していこう。足は引っ張らないでね?」

「うん、わかったわ!!」

 

 その言葉が、拙いけれども信頼の証。最上階が今どうなっているのかは不明だ。今ならきっと大丈夫だとジェムは信じる。ドラコとアルカ、二人の強敵を退けその過程でジェムとダイバは一方的に命令するだけではない。お互いの目的のために支え合う関係になれたからだ。ドラコが侵入するために撃ち破ったであろう壁のある階を越え最上階、ダイバの父親がいるはずの部屋へと踏み込む。まるでSF映画の中に入ったような、部屋中に色んなグラフや数字が刻一刻と変化するディスプレイに、何がどんな機能なのかわからないほどのたくさんの装置。機械によって蒼と黒で埋め尽くされた部屋は、プラネタリウムさえイメージさせた。

 

「……宇宙船みたいな部屋」

「ほとんどはフェイクだけどね。パパは――」

 

 部屋の中はもぬけの殻だった。しかしダイバは気を緩めずに周りを見渡す。アマノやその手先がどこに隠れているかもわからない。しかし警戒を嘲笑うかのように。誇り高く、高慢で、不敵な男の声が部屋中に響いた。

 

「――――ようやく来やがったか。ったくよぉ……待ちくたびれたぜ」

「この声……!」

「パパ……どこにいるの」

 

 ジェムも一度聞いたことのある、ダイバの父親の声。ジェムの父親とは逆の感情がむき出しになった声は、バトルタワーに異常が起こったことを全く問題にしていない。

 

「上だよ、せっかく自分のガキが挑戦しに来たってんだ。本気で受け止めてやるのが親心ってもんだろ。部屋の中央に乗ってみな。すぐに案内してやるぜ」

「ここが最上階じゃなかったのね……ダイバ君、行く?」

「待って。アマノは? 催眠術師と毒女がここに来たんじゃなかったの?」

 

 ラティアスから飛び降り、すぐにメタグロスを出してダイバは問う。あっさりついていきそうになったジェムはやっぱり自分はまだまだだなあと自戒した。

 

「なんだよ。俺様があんな小物にやられるとか本気で思ってるのか? とっくにブッ飛ばして縛り上げてやったよ」

「……パパが今操られてないって証拠は?」

「疑り深い奴だな。まあそれでこそだが……仮に俺様が今操られてるとしたら、そもそもお前らはここに来れねえよ。今入った部屋の扉だって、俺様の意思一つでロックがかけられる。なんでわざわざ邪魔者を招き入れなきゃいけねえんだ?」

「それは……」

 

 ジェムには理由が思い浮かばない。確かに乗っ取られているなら直接戦わなくてもジェムたちに邪魔をさせない方法はいくらでもありそうなものだ。しかしダイバは帽子を目深に被って考え始めた。少しでもダイバの考える時間を作る意味でもジェムも思いついたことを聞いてみることにする。しかしまず初対面である以上自己紹介だ。

 

「始めまして、私ジェム・クオールって言います! ダイバ君のお父様ですよね?」

「この局面で自己紹介とは律儀な奴だな。そう、俺様こそこの天空を切り裂くバトルタワーのブレーン、ホウエンの怪物と呼ばれるエメラルド様だ!」

 

 ダイバの父親、エメラルドの過剰とすら思えるほど自信に満ち溢れた言葉。ホウエンチャンピオンという立場にありながら丁寧で静かな立ち振る舞いをするジェムの父親とは全く違う。

 

「それで、質問があるんですけど……そこにネフィリムさんはいるんですか? 私達が挑戦するならあなたとネフィリムさんが相手になってくれる……のですよね?」

 

 ジェムは今まであまり敬語を使ったことがない。それは今までの人生で敬語を使う相手がいなかったからかもしれないし、チャンピオンの娘だから無意識的に自分が偉いと思っていたのかもしれない。既に面識のあるゴコウさんには普通に喋ってしまっていたけど、これからは知らない大人相手にはちゃんと丁寧に喋ろうと意識する。そしたらなんだかアルカみたいな喋り方になってしまった。

 

「あいつならいるぜ? みんなでお前らの挑戦を待ってんだ。あまり焦らすなよ」

「えっと……ならネフィリムさんともお話しさせてもらえませんか?」

「ハッ。疑ってるのか知らんが、言いたいことがあるなら直接面と向かって言いやがれ」

 

 言っていることはわかるのだが、とにかく上に誘導したいらしい。姿の見えない支配者と襲撃者、不透明な状況に不安を覚えるジェム。

 

「……行こう。上に誰がいるとしても……勝つ」

「そうね……私達二人で力を合わせれば絶対負けないわ!」

 

 ダイバは顔を上げ、ジェムを見ながら力強く言う。二人で部屋の中央に向かい、ジェムもラティアスから降りるとダイバに手を差し出した。ダイバも一瞬躊躇ったものの、その手を握る。

 

「やっとその気になりやがったか。それじゃあ……覚悟を決めろよ?」

 

 エメラルドの声と共に、ジェムとダイバ、ラティアスとメタグロスが乗っている部分の床が淡く光り、上昇していく。

 

「――――――――」

 

 ダイバはそっとジェムに耳打ちした。ジェムはにっこり微笑んで頷く。

 

(大丈夫、私は……お父様やお母様がくれたポケモンに、ダイバ君たちの事を信じる)

 

 昇っていくと、風が吹き始めた。いや、室内から外に出始めたことで風が感じられるようになったのだ。完全に登りきるとそこは平たく広い屋上だった。床に目立った装飾はないが自分の目線と平行線の場所に白い雲が浮かんでいるほどの高さが生み出す光景は荘厳ですらある。気温は低く、薄着のジェムは寒さに身震いした。

 

「ママ!」

「ネフィリムさん……!?」

 

 叫んだのはダイバだった。自分たちを迎えるように立っているのはエメラルドと、アマノ。そしてアマノの後ろには、ドレス姿のまま意識を失うダイバの母親、ネフィリムの姿があった。アマノの手持ちであるカラマネロに頭の触手で捕らえられている。ジェムもそちらを見て驚く。アマノは驚く二人を見て、苛立ちと嘲笑の混じった言葉を放つ。

 

「ふん……まんまと罠に嵌まってくれたな。これで貴様らも私の手駒となる」

「パパとママに何をした……!」

「見ての通りだが? ネフィリムを催眠術にかけ、それをもってエメラルドを脅した。逆らえばこいつの命はないとな。その隙を突いて、エメラルドも催眠術にかけてやっただけの事だ。そうとも知らずにここに誘い込まれた以上、お前達は終わっている。」

「アルカさんや私、ドラコさんだけじゃなくてネフィリムさんまで……どこまでひどいことをするの! そんな人は男の人として最低だってお母様も言ってたし、私だって許さないわ!!」

「え……?」

 

 テレビで見るような、人質を取って脅す作戦。非道を重ねるアマノにジェムは怒ったが、ダイバは怒りではなく本気で意外そうな声を漏らした。

 

「……パパ、今の話は本当なの?」

「おいおい、そこを疑うか? まさか俺様が自分の妻を人質に取られて平然としてる男だって言いたいのか?」

「いや、だって――」

「大体、仮に嘘ならなんでこの野郎が支配者気取ってんだ? 理由もなしに俺様がこんな奴の言うこと聞いて何になる?」

「……それは」

 

 ダイバは言い返せない。エメラルドのプライドの高さと自分の利益を求める性質はよく知っているからだ。自分が誰かに命令されることを良しとする人ではもちろんないし、バーチャルシステムを停止され、アマノに支配される状態が長続きすればフロンティアの最先端のポケモンバトル施設としてのイメージを大きく損なう。このフロンティアを設立するのにかかった金額は莫大というほかなく、オープンしたばかりで乗っ取られたことが知れれば確実に頓挫、引いては凄まじい損失になる。でも、ところどころに違和感を感じざるを得なかった。

 

「アマノさん! あなたはどうしてこんなことをするの! バトルタワーを乗っ取ってこのフロンティアを破壊する……そんなことして、誰が喜ぶっていうの!!」

「誰が喜ぶかだと? くだらん! そもそもこの場所はポケモンの力を研究し、より引き出すための軍事施設だった。だがある時を境に徐々にパトロンが減り研究の金がなくなったところにエメラルドに融資の話を持ちかけられ……金を貸すと同時に、今まで他のところにした借金をうちで一つにまとめてやるとな。私はここの職員だった。交渉を成立させて一年も経たないうちに、あのチャンピオンがここをバトルのための娯楽施設にしたいと言い出した!」

「このバトルフロンティアは……お父様が?」

「当然全員で反対した……誰かの笑顔などと言う曖昧なもののために我らの研究を止められる謂れなどないと……それを、この男は!!」

 

 アマノはエメラルドを睨んだ。エメラルドは肩をすくめた後、笑いながら言う。その様は全く悪びれておらず、またこの状況に対する危機感はやはり感じられない。ドラコと同じく、催眠術にかけられたとしても自我を失うわけではないのだろう。

 

「ああ、チャンピオンとはガキの頃から付き合いがあるからな。……だったら貸した金今すぐ利子つけて返せっつったんだよ。五億ほどな。それが出来なきゃ無理やり潰すってな」

「もともと金に困っていた私達にはどうすることも出来なかった……我々の研究成果はあっさりと吸収され、ヴァーチャルシステムというお遊びの道具に成り代わった……だから私はこの屈辱を晴らすと誓ったのだ! 貴様ら全員を私の手駒にすれば、チャンピオンだろうと恐れるに足らん! 私がこのフロンティアを支配し、破壊して元の研究施設へと書き換える! エメラルドの事業も計画も木っ端みじんに破壊して、私と同じ絶望を与えてやるのだ!」

「大人の話はわからないけど……そういうのは、逆恨みっていうんじゃないの!」

「何もわかっていない小娘が知った口を利くなあ!! 私も乗っ取られた当初は仕方ないと思っていた……金を困って借りたのはこちらの方だと……だが真実は違った!」

 

 激昂し、涙さえ流すアマノ。エメラルドがそれを一笑に付して言う。

 

「何小娘相手にマジになってんだよ中年。……まあわかりやすく言ってやると、そもそも俺様がこいつの研究施設に金を貸す奴らを脅したんだよ。チャンピオン様は軍事施設とか、ポケモン使って血みどろの戦いをするのはお嫌いだからな」

「え、えっと……」

 

 ジェムは突然話された社会の話についていけない。まずパトロンと融資が何かわからなかった。ダイバはわかっているようで口を挟む。

 

「……だからわざとお金に困らせて、そこに自分でお金を貸して自分の言うことを聞かざるを得ない状況を作った?」

「そういうことだな。……そこへあいつがバトルフロンティアの話を持ちかけてきた。様々なポケモンバトルを演出できる巨大テーマパークを作りたいってな。それを知ってこいつはっこんな復讐を企みやがったのさ」

「何もかも貴様らの手のひらの上だった……だからこそ、私は貴様らとその子供を操る! それが報いだ! アルカが貴様らを捕らえ損なったのは誤算だが……お前達をここへ誘導してくれた以上あいつの役割はこれで十分!」

「アルカさんが……誘導?」

「そうだ! アルカはお前に私を止めろと頼んだが……それこそがあいつの最後の罠。お前達をここまで誘導するために、あえて納得したフリをしただけだ!」

 

 ジェムはその可能性を否定できない。アルカが何を考えて話していたかは、あまりにも違う人生を送ったジェムには想像がつかない。だけど今の言葉は見過ごせない。

 

「……あなたなんかが、決めつけないで」

「何?」

「アルカさんは私達をここにおびき出したかっただけかもしれない。でも私と一緒に旅をするっていう言葉に納得してくれたかもしれない! もっと別の事を考えてたかもしれないのに……勝手なことを言わないで!」

 

 ジェムにとっては、研究施設やらお金の話よりもそちらの方がよっぽど重要だった。最後に自分に笑いかけてくれたアルカの気持ちを、この男に代弁なんてして欲しくないと思った。

 

「ふん……お前と言葉を交わすことに興味などない。さあ、自分と友の子供を叩き潰せエメラルド!!」

「ああわかってるよ。ただし……あんまり足は引っ張るなよ?」

「誰に向かって言っている!! 貴様は既に私の操り人形に過ぎないのを忘れたか!」

 

 アマノとエメラルドがにらみ合う。だが既に激情を露わにするアマノに対し、フロンティアのバーチャルシステムを乗っ取られ自身も操られているはずのエメラルドは不遜な笑顔を全く崩さない。ダイバがエメラルドに必死で訴える。

 

「パパ……! 本当に、パパはこの人に操られてるの? これも……フロンティアの参加者を盛り上げるためのイベントなんじゃないの?」

 

 実際にアマノが自分の母親を捕らえ、このフロンティアを支配している状況に不安を隠せないでいるようだった。それも当然だろう。ここに挑む前のダイバは、まともに戦ったら誰も勝てないと言い切るほど父親の力を信じていたのだから。エメラルドはバツが悪そうに頭を掻く。そしてその後拳を握り高慢に言ってのけた。

 

「ったく、何そこらのガキみたいな顔してんだ……お前は俺の息子じゃねーか。これくらいでビビッてないで現実を受け入れろよ」

「そうだけど、僕はパパと同じじゃない!」

「だとしても、お前はジェムよりもチャンピオンよりも強くなって上に立ちたいんだろ? だったらそのために邪魔するやつは問答無用で叩き潰してみやがれ。それがこの俺様であってもな!!」

「……!」

 

 アマノのカラマネロが気絶したネフィリムを放り捨て、ジェムとダイバの前に立ちはだかる。エメラルドも不敵に笑いながら躊躇なくマスターボールを取り出した。中かで出てくるのは、宇宙から降って来たような小さな隕石。

 

「岩タイプのポケモン……?」

「いや違う、これってまさか……!」

 

 岩が、まるで顕微鏡で見る細菌のように小さな糸を生やし変異していく。ごつごつした表面が滑らかに、色は赤と緑に変質し。ヒトガタを思わせるフォルムでありながら体の先は極小のゲノムを思わせるポケモンが登場した。

 

「気持ち、悪い……あのポケモン、知ってるの?」

「デオキシス……宇宙のウイルスが変化を起こして生まれたと言われてるエスパータイプのポケモンだよ」

「あれがデオキシス……!」

 

 自分の師匠であり、様々な伝説のポケモンを操るジャックから聞いたことがある名前だった。このホウエンにおける最強格の伝説はレックウザだが、それと同等の力を持つものがもう一匹存在すると。それがデオキシスだった。 

 

「さて、最終確認と行くか。あくまでこの野郎の掌握してるのはバーチャルシステムだけ……ネフィリムを眠らせてその立場を乗っ取ったと言え、バトルタワーのルールは無視できねえ。俺とこいつで二体ずつ、お前とジェムで二体ずつ……本来のマルチバトルと同じルールだ。俺たちが勝てばめでたくバトルフロンティアはアマノの物。お前らもこいつに操られるってわけだ」

「何がめでたくだ。どこまでも癇に障る……! いいか、バトル中は絶対に私の指示に従え!」

「当然だろ、俺様が自分の意志で本気を出したら今のこいつらに勝てっこねえ。せめてテメエ程度のお荷物がいねえとハンデにならねえからな」

「き、貴様……!」

「そしてお前らが勝てば俺様は元通り、タワーのシンボルもくれてやるよ。さて、説明はこんなもんか」

 

 子供たちの動揺も、アマノの憤慨も意に介さずエメラルドはルールを説明する。どんな事情があろうと、やはり最後はポケモンバトルで勝つしかない。

 

「ジェム……やっぱりパパは、アマノに操られていると思う。違和感はあるけど……根本的に、パパが操られてないのにここまで大人しくしている理由がないんだ」

「で、でも……すっごく余裕があるしアマノさんに対しても普通にしゃべってるわよ?」

「それはあのドラゴン使いもそうだった以上、根拠にはならない。バーチャルシステムの停止はバトルフロンティアの昨日の根本を否定する……だから、パパがアマノに操られないならそれだけは戻さないとダメなんだ。でもここに来るまで一回もバーチャルポケモンは出てこなかった……それがパパが操られている証拠だよ」

 

 ダイバは真剣だった。確かにバーチャルが使えなくなればバトルタワーだけではなく全ての施設への挑戦が不可能になってしまう。それではここにいる意味がないのはジェムにもわかる。

 

「わかった。私よりもずっとダイバ君の方がエメラルドさんの事をわかってるもんね……なら、私はそれを信じるわ! お願いラティ!」

「ひゅうあん!」

「……もう、僕はパパの真似をしたいとは思わない。でも僕は勝ちたい……パパやお前がどんな計画を企んでいて、それを踏みにじることになったとしても……僕は、勝つ!」

「グオオオオオオォ!!」

 

 ラティアスとメタグロスがメガシンカの光に包まれる。ジェムとダイバは己の相棒に、雫の髪飾りと腕のメガストーンを通してありったけの力を与える。

 

「パラレルライン、オーバーリミット! テトラシンクロ、レベルマックス! メガシンカよ、電脳の限界を解き放ち究極の合理へ突き進め!!」

「ドラコさんにアルカさん、そしてダイバ君や私を支えてくれたそれぞれの想いに応えるために、負けられない! ラティ、力を貸して!!」

 

 ラティアスの体が一回り大きく、更に防御に優れたメガシンカを、メタグロスの体にダンバルとメタングが合体し、腕が大きくなり攻撃に優れたメガシンカを遂げる。

 

「さあ……こんな野郎にいちいち指示されて苛々してんだ。せめて楽しませてくれよ?」

「ホウエンの怪物を支配した以上、私は負けない……こんな子供たちに負けることなど、あってはならないのだ! 既に支配者は逆転している!」

 

 エメラルドのデオキシスが念力を使い、腕の螺旋がぐるぐると回転を始める。アマノのカラマネロも瞳を光らせ、いつでも催眠術がかけられる状態となった。フロンティアの象徴であるバトルタワーにて、このフロンティアの存続とジェムとダイバの行く道を決定する最終決戦が始まる。



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天上のポートフォリオ

 フィールドは遥か天空、本来なら見上げるだけの雲が平行線に存在し温暖な気候が特徴だというのに空気は鋭く冷たく肌を刺す。そんな場所で、ジェムとダイバが相手にするのはフロンティアのオーナーと、それを乗っ取ったであろう支配者。

 戦いの火ぶたを切って落としたのは、現在の支配者でありフロンティアの破壊を目論む首謀者のアマノだった。カラマネロの瞳が、薄紫色に光る。

 

「さあ……覚めぬ夢に堕ちるがいい! 『催眠術』!」

「メタグロス、『コメットパンチ』」

 

 ダイバはそれに構わずメガメタグロスの拳を放つ。催眠術の光がメタグロスの瞳に入るが影響はなく、そのまま拳が打ち抜こうとして、見えない壁に弾かれた。

 

「『神秘の守り』か……!」

「『リフレクター』……それくらいは準備してたか」

 

 アマノと戦うことを予想としていたジェムたちはバトルの前に不意に催眠術を食らわないように、アマノはメタグロスの不意のバレットパンチを警戒して壁を張っていた。お互いに事前に策を練っていたことを確認する。問題は、フロンティアのオーナーでありダイバの父であるエメラルドだ。伝説のポケモン、デオキシスが胸の結晶体から強い光を放ち始める。

 

「さあ、やれエメラルド! 私の操るお前の力で、格の違いを思い知らせてやれ!」

「……デオキシス、『サイコブースト』!」

「ラティお願い! 『ミストボール』!」

 

 開始早々、デオキシスの胸の周りに集まったエネルギーが極光のレーザーとなってメガシンカしたラティアスを襲う。ラティアスは得意技の夢幻の霧を放ち、可能な限り威力を削ろうとするが――霧などものともせずにレーザーはラティアスに直撃し、その体をフィールドの外、足場のないところまで吹き飛ばした。

 

「ラティ、大丈夫!?」

「……ひゅうあん!!」

 

 メガラティアスは旋回してフィールドに舞い戻る。紫色の体は健在で、ダメージは少なかった。しかしジェムはラティアスでなくキュウコンだったらこのまま落ちてしまったであろうことを一瞬想像して身震いしてしまう。それをアマノは見抜いたのだろう、見下し嘲りを込めて聞いてくる。

 

「ふん……この程度で慄いたか? アルカを負かした時はよもやと思ったが」

「そうだけど……でも負けないわ。アルカさんのためにも、あなたを止めてみせる!」

「貴様こそあの娘の何がわかるというのだ……ふん、くだらん守りだ」

 

 震えた声で言うジェムに対してアマノが周囲の雲を見る。真っ白だった雲は、ラティアスの『ミストボール』の影響を受けて虹色に変わっていた。雲の成分はほとんどが水滴、霧を操るラティアスには強力な力の源になる。ダメージが少なかったのは、雲の水分を利用して『ミストボール』の効果を上げていたからだ。こうして話している間にもラティアスは空気中の水分を操り、まるでチルタリスのように雲を体に纏っている。

 

「あなたの攻撃は、私達で受けきってみせる!そうすれば……」

「エメラルドは攻撃しか能がない以上、ダイバが私を倒せる……か。見くびるなよ小僧ども!」

 

 アマノはダイバとメガシンカしたメタグロスを見る。デオキシスのレーザー発射に合わせてメガメタグロスはカラマネロに殴りかかっていた。カラマネロは『リフレクター』で応戦しているようだが、『瓦割り』を交えた四つの拳をすべて受けきるには壁が足りていない。

 

「エメラルド、望み通り攻めたててやれ!」

「……デオキシス、『サイコブースト』」

「ラティ、『影分身』!」

 

 デオキシスが二度目のレーザーをメガラティアスに放つ。それなりに威力が下がっているとはいえ当たれば脅威となる一撃。しかしそれは空を切った。雲を纏って見えなくなったメガラティアスは、自分の体を光の屈折によって隠すことでダミーの雲にレーザーを向けさせたのだ。

 

「威力は下がってる……! このままいけるよラティ!」

「『サイコブースト』は強力な威力を引き換えに使った後特攻が下がる技……お前の『ミストボール』も合わせりゃもうほとんどなけなしの火力。とはいえエメラルドは攻撃するしかないわけだが……」

 

 それがダイバから聞いたエメラルドの特徴だ。いついかなる時も徹底して攻め続けるが故に、最初は能力を下げることに集中すればひとまず戦えると。しかし守りに徹していたカラマネロが突然デオキシスに飛んでいき、頭の触手と遺伝子のような緑と赤の体が絡み合う。

 

「その程度の策で私を止められると思うな! カラマネロ、『ひっくり返す』!」

「……ッ、まずい! ジェム、守りを――」

「ラティ、私達を守って!!」

「もう遅い! やれぇ!」

 

 『ひっくり返す』は一体の能力変化を不思議な力で反転させる技だ。デオキシスの特殊攻撃力は自身の『サイコブースト』とメガラティアスの『ミストボール』によって大幅に減少している。それが反転し、ラティアスの集めた雲のエネルギーが全てデオキシスに吸収されていく。旨の水晶体に、最初の何倍ものエネルギーが膨れ上がり、フィールドの全てを薙ぎ払うように体を振り回し広範囲を焼くレーザーとなって発射された。

 

「ひゅうああああああん!!」

 

 メガラティアスが『サイコキネシス』でジェムとダイバの前に念力の壁を作る。レーザーはメガメタグロスを吹き飛ばし、更に念力の壁を直撃してメガラティアスの体を焼いた。念力の壁は壊されはしたものの、中のジェムとダイバを直接焼くことはしなかった。しかしそのエネルギーはまだ体の軽い子供を吹き飛ばすには十分で。

 ダイバのように重い靴を履いているわけではないジェムの体が、風に吹かれた花びらのように吹き飛んだ。最初のラティアスと同じように足場のないところまで、正真正銘の空中に浮く。

 

 

「あっ――――――」

 

 

 悲鳴を上げることも出来なかった。観覧車の一番上から放り出されたような自分を支えるものが何もない恐怖。落下し始める身体、フロンティア全体が見渡せてしまうほどの高さから落ちるジェムの脳内は、アルカの毒を受けた時よりもずっと鮮明に【死】のイメージを焼き付ける。

 

「い、や――」

「メタグロスッ!!」

「グオオオオオオオオオッ!!」

 

 メガラティアスは一番最後に吹き飛ばされて助けられない。窮地を救ったのはメガメタグロスの拳だった。残り三つの腕でがむしゃらにカラマネロとデオキシスを殴りながら、残りの一本を『念力』と合わせて落下するジェムを下から支える。そのまま腕に乗せてフィールドの中まで戻し、ダイバのすぐ隣まで移動させる。ダイバがジェムを受け止め、力強く声をかけた。

 

「……ジェム、落ち着いて!」

「……ダイバ、君」

 

 ジェムの歯の根はあっていなかった。体もまるで雪山に遭難したかのように震え、顔は真っ蒼になっている。当然だ。まだ幼い子供が、高所からの落下という明確な死を突き付けられたのだから。同じ体験をさせられたらダイバだって平静ではいられないだろう。

 

「パパ! なんでここまで……アマノだってジェムを殺す気はないんだろ! チャンピオンの娘をパパが死なせたらどうなるかなんて、パパが一番よくわかってるはず!」

 

 ジェムを落ち着かせようと強く抱きしめながらダイバは叫ぶ。エメラルドがチャンピオンと友人関係だからとかそんなことではない。バトルフロンティアという施設内でのバトルである以上、オーナーであるエメラルドには参加者の命を守る義務があるのだ。ましてやこの地方のチャンピオンの娘を自分で殺してしまったら、施設としての信頼を失うどころの話では済まないはずなのに。やはりエメラルドの表情は不敵な笑顔のままだ。むしろアマノの方が焦っている始末だ。

 

「そ……そうだ、倒せとは言ったが殺せとまでは言ってない! ここで娘を殺してしまえば、チャンピオンを止める手立てがなくなってしまう!」

「へっ、心配いらねーよ。なんてったってそいつとコンビを組んでるのは俺の息子なんだからな! お前なら助ける、お前なら俺とこの野郎とコンビくらいなら倒せるって信じてるからこそ俺様もこの状況で本気が出せるってわけだ」

 

 親指を立てた拳を突き出して、何の迷いもなく言い切る。その言葉はどこまでも自分と、そして息子であるダイバへの圧倒的な自信に満ちていた。

 

「ち……バトル中は勝手な真似をするなと命じたはずだ! とにかく『相手を殺しかねんことはするな』!」

「ったく、これだから凡人は……命の危険のないクライマックスなんて、何の緊迫感もありゃしねえじゃねえか」

 

 アマノがエメラルドに命令する。文句を言いつつも拒否しないあたり、本当に命令は有効なのだろう。ならばやはり今のエメラルドはアマノに操られているはずだ。しかし二人の言動からはやはり違和感を拭いされないでいると、ジェムがダイバの体に寄りかかりながらも立ち上がる。まだ体は震えて、表情は今まで見たことがないほど苦しみに歪んでいた。

 

「はあ……はあ……!」

「ジェム、無理はしないで……僕一人でも、倒してみせる」

「ううん、それは……違うよ」

 

 荒く吐き出される白い息、真っ青な顔で無理やり笑顔を作って、ジェムはダイバに必死に訴える。

 

「ダイバ君は、一人じゃないよ……私も……ラティにキュキュも……それに、メタグロスやガルーラがいる。私もちょっと怖かったくらいで……こんな悪い人に、負けられないよ。だから……一緒に、ね?」

「……わかった。でもせめてここにいて」

「うん……お願い」

 

 ダイバがジェムに肩を貸す。ジェムの足はまだ小鹿のように震えている。でもそれをダイバは馬鹿にせず出来るだけしっかりと支えた。メガメタグロスの猛攻に対してひたすらリフレクターで守りを固めるカラマネロと体を平たく分厚くして守りに入っているデオキシスを見る。デオキシスは状況に合わせて攻撃にも防御にもスピードにも能力を特化させられるポケモン。だが半面攻撃態勢の際の防御力は極端に低いため、ひたすら『バレットパンチ』を使い続ければあの『サイコブースト』は打てない。

 

「いつまでも攻め続けられると思うな! カラマネロ、『馬鹿力』!」

 

 カラマネロがデオキシスの体に隠れて力を溜め、本来以上の力でメタグロスに突進する。素早い分威力の乗っていない拳を弾き飛ばし、メタグロス本体を弾き飛ばした。その隙を突き、デオキシスが攻撃態勢に入る。

 

「さて、次でお前のメタグロスに止めを刺してやろう! 終わらせてやれ!」

「確かにもう一発喰らえば僕のメタグロスでも耐えられない……でも、僕達のメタグロスなら話は違う。『コメットパンチ』だ!」

「なら見せてみな、『サイコブースト』だ!」

 

 デオキシスの胸に四度目の極光が溜まっていく。それに対してメガメタグロスは主と仲間を信じ全力で四つの拳を振り上げ、ひとまとめにした巨大な隕石のような一撃を放つ。そこへデオキシスのレーザーが直撃する直前――ジェムが指示を出した。

 

「ラ、ティ……『ミラータイプ』!」

「ひゅうああん!」

「ここで『ミラータイプ』だと!?」

 

 アマノが驚く。ラティアスの瞳がカラマネロを移し黒く光った。その瞳でメタグロスに思念を飛ばし、メタグロスの体も黒に染まる。

 

「これでメタグロスは悪タイプになった。エスパータイプの『サイコブースト』はダメージを与えられない!」

「グゴオオオオオオォ!!」

 

 メガメタグロスの拳がレーザーを真ん中から突っ切り、攻撃態勢のデオキシスに直撃して胸の水晶を粉砕する。腕の螺旋が狂ったようにひしゃげていき、赤と緑が混じりあってどろどろになった。床の汚れのようになったデオキシスをエメラルドはボールに戻す。

 

「ち……カラマネロのタイプを利用するとは小癪な真似を……!」

「やるじゃねえか。お前達が出会って三日……ようやくいいコンビになったってわけだ」

「……」

 

 時折放たれるエメラルドの言葉には含みがあるように感じたが、その内容はわからない。それを考えるよりも大事なことがある。

 

「ラティ、『ミスティック・リウム』!!」

「しまった……!」

 

 メガラティアスが再び雲の水分を集め、カラマネロの体を水球で取り込む。イカのような体をしているがカラマネロは水タイプではない。その体が溺れ、念力で圧縮されてダメージを受ける。序盤からメタグロスからの執拗な攻撃を受けていたカラマネロの体が倒れ、どさりと地面に落ちた。

 

「これでそっちは残り一体ずつ……このまま決めるよ」

 

 ダイバが一旦手持ちを倒された二人を睨む。ジェムが吹き飛ばされたのは焦ったが、ともかく順調に勝利へ向かっているはず。追い詰められたアマノが、顔を真っ赤にしてエメラルドに叫んだ。

 

「馬鹿な……私の計画が、こんな子供に追い詰められるなど……エメラルド、貴様本気でやっているのだろうな!?」

「おいおい、お前が催眠術であいつらを本気で倒せって命令したんだろ? お前は自分の唯一の武器である催眠術さえ自信が持てないっていうのか? ……そんなんで、俺とあいつの子供が倒せるとか思ってんのかよ」

「く……!」

「そもそもお前は自分の能力がたかがしれてるから蠱毒の娘を引き入れ、ドラゴン使いの女を操ってこのフロンティアを破壊しようとしてるんだろ? そいつらはもうこの二人が倒したんだ。残ったお前の力で倒せるって思う方が図々しいんじゃねえか、なあ?」

「だ、まれ」

「パパ……?」

 

 操られているはずのエメラルドが、アマノをはっきり侮辱している。ポケモンバトルの最中ゆえ黙らせることは出来ないのであろうアマノの顔が醜く怒気に歪んでいく。

 

「チャンピオンとオーナー、そしてその子供。更には蠱毒と四天王の娘……全員が特別な立場と力を持ってる。お前はそれらの力を従わせることで頂点に立とうとしたんだろうが、所詮凡人にはここまでが限界――」

「黙れええええええええええええええええ!!」

 

 アマノが恥も外聞もなく叫び、マスターボールを開く。そこに現れたのは漆黒の穴。悪夢を具現化するように穴から這い出るモノクロのポケモンは、ダークライ。

 

「私は確かに何の特別な力もなかった人間だ……だからと言ってただ人を笑わせるために私の研究者として成果も……誇りも……全て奪った貴様らを許してなるものかあ! 私はどんな手を使ってでも貴様らに私と同じ絶望を味あわせてやる……これがそのための力だ! ダークライ、この場にいるものすべてに悪夢を見せろ!」

 

 自分の仕事場と誇りを奪われたがゆえの復讐。それがアマノの全てだった。本人のいう所によればポケモンの力を無理やり引き出して武器にするようなものらしい。ジェムはそれは良くないことだと思う。ポケモンや人を傷つける仕事が正しいとは思えない。でもそれを否定していいのかはわからない。だがエメラルドは、当然のように一笑に付した。

 

「笑わせてくれるじゃねえか、ポケモンの力を戦争に使うための研究者が誇りなんてな。……ま、それじゃあクライマックスと行くか! 出てこい、俺様の最強の僕……レックウザ!」

 

 エメラルドが指を大きく鳴らす。すると今ジェムたちがいる場所よりさらに高みから、緑色の龍が下りてきた。とぐろを巻いたようなその姿は、荒々しくも神々しい。ダークライも本来レックウザに引けを取らないほど強力な伝説ポケモンでありアマノはそれを操っているはずなのに……ジェムには、アマノの存在はとても小さく憐れに見えた。

 

「……終わりにしよう、ダイバ君。私達の手で」

「させん……そんなことは断じて認めない! 認めて、たまるかあ!! ダークライ、『ダークホール』!!」

 

 ダークライの両腕から黒い渦が発生し、メガラティアスとメガメタグロスの眼前にも同じものが出てきて夢の世界へ誘い込む。ラティアスとメタグロスの瞳が閉じ、動きが止まった。

 

「これで終わりだ……あとはレックウザが貴様らを蹂躙するだけ! さあ、やれエメラルド――」

 

 焦りに震えながらも必死に勝ち誇るアマノ。しかしエメラルドは肩を竦めた。アマノが振り向き、天を見るとレックウザまでもが眠っていた。これでは当然攻撃が出来ない。

 

「な……何!? どういう、ことだ……」

「……『サイコシフト』を使ったのよ。眠っていても使えて、眠り状態を相手に移すことが出来るわ」

 

 見ればダークライでさえも『サイコシフト』の効果を受けて眠らされていた。メガラティアスとメガメタグロスは目を覚ましている。必殺の催眠術を逆用され、二体とも眠り状態にされ、アマノは後ずさる。

 

「聞いてくれないかもしれないけど……アルカさんは、あなたにこんな危ない真似なんてして欲しくないって言ってたわ」

「やめろ……やめろ! 何故だ、ここに至るまでの計画は万全だった。ダークライの入手もアルカを味方につけたのも、バーチャルの欠陥情報を入手するのも、驚くほどスムーズに運んでいたはずだ! それなのに、ここにきてなぜこんな……!」

「その問題は、僕達がけじめをつける……だからもう、これで終わりだ!」

 

 ダイバは何らかの確信を持った言葉とともに、メガメタグロスに命じる。ジェムもメガラティアスに、フロンティアの破壊という遠大な計画を試みた男への最後の一撃を与えた。

 

「『コメットパンチ』!」

「『竜の波動』よ!」

 

 銀色の渦巻く波動と、鋼の拳がダークライを直撃し、後ろのアマノごと吹き飛ばす。アマノの体が倒れ、まるでこれまで倒してきたヴァーチャルポケモンのようにダークライの体は溶けていった。アマノは魂が抜けたように項垂れる。

 

「終わった……私には……やはり、無理だったのか……」

「良かった、これで……終わったんだよね」

 

 これでひとまずフロンティアの危機は去ったのだ。自分に言い聞かせるようにジェムは呟く。失意にくれるアマノを見てジェムの胸は正直痛む。勿論アマノにはひどいことをされたしそれを許してなどいない。それでも支配したはずのエメラルドに散々馬鹿にされ、小さな子供に計画を潰され絶望する彼の姿はとても見ていて気持ちのいいものではなかった。一言で言うなら可哀想だった。でもそう思えるのは、ジェムが特別な環境に置かれて純粋に育ったからに他ならないだろう。

 

 

「いーや、まだ終わってなんかねえぜ。本当の勝負は……ここからだろ!!」

 

 

 ……そう、ジェムだからこそということに、まだ気づいていなかった。眠らされているネフィリムをいつの間にか抱きかかえ、今までよりもさらに気力に満ちた口調でエメラルドは宣言する。眠りから覚めたレックウザの体が、メガシンカの光に包まれていく。

 

「……ジェム、まだ気を抜かないで」

 

 ダイバも、注意深くエメラルドを見ながらジェムに囁く。ジェムにはその理由がわからなかった。

 

「忘れちまったのか? お前達がこの塔を昇ってきたのはあくまでシンボルを獲得するためだろ。だったら俺様の切り札を倒さないとバトルタワーを攻略したなんて言えねえよな! このバトルフロンティアの支配者はあくまでこの俺、ホウエンの空を切り裂くエメラルド・シュルテンなんだからよ!!」

 

 レックウザの体がさらに巨大化し、顎が髭というには鋭すぎるほどの突起が出来が金のラインが体のあちこちに走る。メガレックウザへと姿を変えた相棒を背に、エメラルドが怪物のような、人間の枠を超えてしまった笑顔を浮かべる。発生した乱気流がジェムやダイバ、アマノの体を吹き付けた。ジェムとダイバはお互いを支え合っているが、もはやすべてのよりどころを無くしたアマノに暴風を防ぐ術はなく――

 

「う……うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁ――――――……!!」

 

 あっさりと。つい先刻まで曲がりなりにも支配者として敵になっていたのが全て嘘だったようにあっさりと、まるで枯草を吹き飛ばすようにフィールドの外まで放り出して。誰にも助けられることなく、落ちていった。ジェムがその様から目を逸らすよりも早く、視界から消え悲鳴も聞こえなくなった。

 

「ひ、ひどい……!」

 

 自分が宙に浮いた時の感覚がフラッシュバックし、また青ざめるジェム。あそこから落ちて生きていられるわけがない。アマノが悪いことをしたのはわかっている。それでもあそこまで当然のようにしてしまうのかわからなかった。混乱の極みのようなジェムに対しダイバは平然と……いや、努めて平静を装っている風に言った。

 

「大丈夫……僕の考えが間違ってなければ、アマノは死なないはず」

「え……本当、に?」

「……多分。理由は説明できないけど……今は僕を信じて、一緒にパパを倒すのに協力してほしい」

 

 ダイバと目を合わせ、彼の深緑色の瞳を見つめる。ジェムを安心させるために嘘をついているわけではないはず。そう信じる。

 

「わかった。後でちゃんと聞かせてくれるよね?」

「……うん」

 

 ダイバは目を逸らした。ならこの頷きは嘘かもしれない。でもそれは逆に、考えがあることは間違いないのだろう。

 

「フロンティアの象徴であるバトルタワーに君臨するメガレックウザ、そしてそれを倒すお前らこそ俺様が天上に描いたポートフォリオ……期待を裏切るんじゃねえぞ?」

「ポートフォリオ……?」

「パパみたいなお金持ちがいくつかに分けてる資産の全てのこと。このバトルフロンティアやパパの力の象徴であるメガレックウザは確かにパパが持つ資産の集合体。だけど、もう一つの意味は……」

 

 ダイバはそこで口をつぐんだ。やはり詳しいことは言いたくないらしい。でも構わない。それはもう、意地悪や拒絶ではないと知っているから。

 

(アマノさんの計画は止まった。そしてきっとアマノさんは死んでない、アルカさんとアマノさんはまた会えるはず! なら私はダイバ君と一緒に……勝ってみせるわ!!)

 

 状況は激変し、新たなステージへと突入していく――



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怪物との決着

「――きりゅりりゅりしぃぃ!」

 

 メガレックウザの十メートルはあろうかという巨躯が、尖った口元から放つ咆哮が夕日に染まり始める空を切り裂く。ジェムは図鑑やテレビでレックウザの姿は見たことがあるしダイバからエメラルドが所有しているという話は聞いていた。アマノが吹き飛ばされたショックから意識を戻して実際に向き合うとなると、それでも――。

 

「こんなポケモンがいるなんて……」

 

 ジャックのレジギガス以上の存在感。そしてこのレックウザにはあの巨人のような相手への優しさは微塵も感じられなかった。乱気流を巻き起こし、空を裂き、ジェムとダイバへ吼えるその様はドラコの竜たちとは違い、耳を塞いで気を逸らすことさえ許さない。元々その強さを知っているダイバが、冷静に声をかける。

 

「ジェム、一旦ラティアスは戻して。……作戦通り行こう」

「うん、ありがとうラティ、出てきてキュキュ!」

 

 ジェムはキュウコンを出す。出てきたキュウコンはメガレックウザに対し怯まず尾を逆立て、いつものように座ったポーズではなく4つの足でしっかりと立った。しかしその足はわずかに震えている。恐怖を隠すため、ジェムを守るために必死になってくれているのを感じる。ダイバが支えてくれていなければ、ジェムは身体が竦んで動けなかったかもしれなかった。

 

「さて、まずはその二匹からぶっ倒していいんだな?」

「……やらせない。この時のために、昨日一日……いや、ずっと考えてきたんだ」

「そうかよ……じゃあ俺様を楽しませて見せろ! 『神速』!」

 

 エメラルドが言い終えた刹那、メガレックウザの尾が動いた。ジェムの目にもダイバの目にも留まらぬ速さで、長い尻尾がキュウコンに叩きつけられる。それを理解したのは、銅鑼を叩いたような音と地面の砕ける衝撃を感じた後だった。素早さに優れたキュウコンでさえ、反応できない。

 

「キュキュ!!」

「『電光石火』や『ニトロチャージ』を使う暇もなかったな。さて……」

「……終わりじゃない」

 

 メガレックウザとキュウコンの間には、メガメタグロスの四つの腕が入り込んで盾になっていた。ダイバとメガメタグロスは初手での『神速』を読んでいた。防御力の低いキュウコンを狙うことも。故に事前にキュウコンを守ることが出来ていたのだ。

 

「今だジェム!」

「キュキュ、『鬼火』よ!」

「コーン!」

 

 そして返す刀で、守られていたキュウコンが揺らめく炎を間近からメガレックウザにぶつける。いくら相手が巨大なドラゴンといえど、キュウコンの神通力が籠った炎は確実に火傷の状態異常を浴びせる。

 

「おまけにメタグロスには『高速移動』と『鉄壁』の重ね掛け……なるほどなあ」

「状態異常に能力変化。メタグロスだって元々十分伝説級の力を持ってる……これなら僕のメタグロスの方が勝る! 『コメットパンチ』だ!」

「グオオオオオォ!!」

 

 メガメタグロスの四つの拳がばらばらに巨竜の体に殴りかかる。メガレックウザも体を振り回してはじき落とすが、自在に宙を舞う腕は弾かれてもまた向かっていく。

 

「キュキュ、『影分身』で腕をたくさん増やして!」

 

 キュウコンが尾から炎を出し、周囲の空気熱を操作してメガメタグロスの腕の分身を作り出す。四つの腕が十六に、十六の腕が六十四に。幾重もの虚像の腕によってメガレックウザは本物を叩き落とすことさえままならない。尾を、胴を、顔を、首を。何度も何度も殴り続けてダメージを与えようとする。

 

 

「――きりゅりりゅりしぃぃしゅぅぅうううううう!!」

 

 

 伝説の巨竜が叫ぶ。だがそれは痛みに悶絶する声でも強敵に対し己を鼓舞する声でもなかった。まるで顔の周りを飛び続ける小さな虫に苛々したような声。エメラルドが呆れたように頭を掻く。

 

「ったくよぉ……伝説級だとか、腕を増やすだとか……スケールが小さい、小さすぎるぜ! そんなもん、俺様とレックウザにとってはバチュルやアブリーの体当たりレベルだってことを教えてやる。『噛み砕く』だ!」

 

 鋭い顎に隠れた大口が開き、体をぐるりと回して首元を殴ろうとした本物の腕の一本を――アルミ缶を潰すようにあっさり噛み砕いた。ダイバが、驚きの声を上げる。

 

「なっ……!?」

「グゴオオオッ!!」

 

 メガメタグロスも苦しそうな声を出す。いくら電磁力によって体から離れて動かせるとしても、紛れもなく自分の身体の一部なのだから当然だ。

 

「確かにメタグロスのスペックは伝説のポケモン並だ。だが伝説にもランクってやつがある。ラティアスやレジギガスは準伝説……メタグロスはそれと同等。だが俺様のレックウザは真の伝説! そして真の伝説ポケモンの中でメガシンカを操れるのはこいつだけ……つまりホウエン、いや全世界で最強のポケモンだ。いくら攻撃力を下げて防御を固めたところで、種族としての圧倒的な力の差は埋められねえんだよ!」

「ジャックさんのレジギガスよりも力が上……!?」

 

 自分の師匠であるジャックの本気の戦いを思い出す。クチートを一撃で握りつぶし、ラティアスのどんな攻撃も受け付けず相手の力を利用してやっと倒せた、一体のポケモンとしてはジェムの知る最強の存在ですら、格が違うという事実に畏怖を持って相手を見上げてしまう。メガレックウザは鋼の拳を咀嚼した後破片をまずそうに吐き出した。隕石を食らうとされるレックウザでもさすがに鋼のポケモンを飲み込む気にはならなかったらしい。破片が落ち、ダイバとジェムの目の前まで転がってきた。腕一本で自分たちを乗せて運ぶほどの大きさだった腕が、自分の指先でつまめる程度まで砕かれて、ダイバが青ざめがならも指示を出そうとする。

 

「……ジェム、もう一度『影分身』で腕を」

「無駄だっつってんだろ?」

 

 メガレックウザが再び吼えると、乱気流がまた吹き荒れる。熱を利用して生み出された分身は空気をかき乱されてぐちゃぐちゃに霧散した。三つに減った腕の一本を、レックウザが今度は尾で思い切り叩き切る。腕が真っ二つに切断されてフィールドに落ちた。

 

「ッ……キュキュ、『火炎放射』!」

「はっ、いいのか? 攻撃してくるってんなら……俺様のレックウザは降りかかる『火の粉』は払い落すぜ。『神速』だ!」

 

 キュウコンが九の尾からありったけの炎を放つ。長さ何メートルにも及ぶ大火などものともせず、メタグロスの腕による防御がなくなった身体を緑色の尾で弾き飛ばした。何の容赦もなくフィールドの外、支えるものがない天空へと放り出す。

 

「ラティ、キュキュを助けてっ!!」

「ひゅううううあん!!」

 

 ジェムが咄嗟にメガラティアスを呼び出し、彼女はまっすぐキュウコンの下に飛んでいってその体を乗せフィールドに舞い戻る。ジェムはなりふり構わずキュウコンの体を抱きしめた。いつもは優しい温もりのある柔らかい毛並みが、冷たい大気に晒され空から落されかけ氷タイプの技を受けたわけでもないのにガチガチに凍り付いていた。

 

「わかるよ、すっごく怖かったよね……死んじゃうって思ったよね……」

「こん……」

 

 メガラティアスも、キュウコンの傍で『癒しの波動』を使う。とりあえず体の傷は癒えていくが、それでも今の一撃を受けたキュウコンをあのレックウザに立ち向かわせることはジェムには出来ない。しかしすぐボールに戻すのも嫌だった。ジェム自身が空へ放り出された後、ダイバが支えてくれなければきっと怖くて立つことも出来なかったから。なのでジェムはエメラルドに対し提案する。

 

「エメラルドさん、もうキュキュは戦闘不能扱いでいいし、もうバトルに参加させないから……このまま、出しておいてもいいですか?」

「構わねえぜ。戦うポケモンへのメンタルケアってやつもトレーナーのフロンティアオーナーとして蔑ろには出来ねえしな」

「……ありがとうございます」

 

 あっさりと認めるエメラルドに一応礼を言い、ジェムはメガレックウザへ視線を戻しながらもキュウコンをしっかりと抱きしめる。いつもは自分が怖かったり寂しくなったときに抱きしめていた体を、今は自分が温める。メガラティアスはそんな主と仲間のポケモンを守るようにメガレックウザと向き合った。メタグロスは必死に戦っていたがまた一つ、そして最後に残った腕も破壊されてフィールドに散らばっていた。ダイバがまるで自分の足もなくなったように膝をつく。

 

「勝て、ない……レックウザを倒す手段は、もうない……」

 

 絶望に染まった声。残ったのは本体の頭だけ。『思念の頭突き』など可能な攻撃手段はあるが頭一つで突っ込んでも玉砕するのは明白だ。ガルーラではそもそも攻撃を当てることすらままならない。ジェムを連れてきたのはあくまでメタグロスのサポートの為だ。メガラティアスの攻撃性能は低くないし防御力もあるが、ドラゴンタイプのメガレックウザ相手では分が悪すぎる。そんなダイバの様子に、エメラルドは失望したような声を出した。

 

「……がっかりだぜ。俺様を倒すためにどんな攻撃方法を考えてきたかと思えば仲間の鬼火に頼り、防御と回避を上げて徹底的に保身に回るだけの臆病なバトルをするなんてな」

「臆病、じゃない。僕は、勝つために……パパに勝つ方法をずっと考えて」

「勝つためだ? ちげえよ。今のお前は負けることから逃げようとしてるだけだ。そんなんじゃあの小物には勝てても俺様やチャンピオンには……いや、隣の女にだって勝てっこねえぜ! 今のお前は俺やネフィリムが与えたポケモンが強いってだけで、お前自身はただ根暗な割に我儘なだけのガキだ!!」

「う……う……」

 

 エメラルドがジェムを指さす。その言葉には自分の子供への容赦は一切ない。ダイバの表情は見えなかったが、蹲る彼の床にぽたぽたと雫が落ちたのをジェムは見逃さなかった。だからジェムは、自分の相棒に指示を出す。ダイバの体が念力で、ジェムとキュウコンの傍まで移動させられる。そしてキュウコンと巻き込むように抱き寄せた。ダイバはそのことに反応も出来ず、泣いている。

 

「……それは、違うわ」

「……?」

「確かにダイバ君でもエメラルドさんには勝てないかもしれないし、私でも勝てない。でも……ダイバ君は一人じゃないでしょう?」

「はっ、二人で力を合わせれば1+1は4にも10にもなる……ってやつか?」

 

 エメラルドが小ばかにしたように言う。よく言われる話だしダブルバトルではそれが肝となるのは事実。でもジェムの言いたいことはそうではない。頭だけになってもレックウザと対峙するメタグロス、テレパシーで意思を伝えるサーナイトにボールの中で子供と一緒に待機するガルーラ。バトルには出られなくてもダイバを見守る残りのポケモン達。

 

「1+1なんかじゃない。メタグロスの腕はなくなっちゃったけど……まだ、ダイバ君のメタグロスは諦めてないよね。ガルーラだって、サーナイトだって……ダイバ君の手持ちのみんなは、まだダイバ君ならきっと勝てるって信じてるのが私にも伝わってくるもん」

「でもそれは……パパとママが、僕を守るように言ったから」

「最初はそうだったと思う。でもダイバ君も少しずつ成長して……今では自分の意志で指示を出してるじゃない。それにダイバ君の仲間たちは従ってくれる。ならもう――」

 

 ダイバの震える声をジェムはやんわり否定する。父親と同じように振る舞えると夢見て、無茶をするジェムを仲間たちが力になってくれた。ジェムとダイバは育った環境も何もかも違う。だけど、ポケモントレーナーとしての自分の仲間たちとの絆は同じように存在しているはずだ。

 

「その仲間たちがお父様とお母様に貰ったものだとしても、関係ないわ。だって今はもう『ダイバ君の手持ち』……そうでしょ?」

 

 ジェムがシンボルハンターとの戦いで母親に愛されていないという言葉を突き付けられた時、立ち上がることが出来た一番の理由は泣きじゃくる自分を心配してくれるポケモン達がいたからだ。ずっと一緒に過ごした仲間たちはいつもいつでも、本気で自分を支えてくれると信頼できる。

 

「私はまだダイバ君に会ったばかりだから勝手なことも的外れなことも言っちゃうけれど……ダイバ君の仲間なら、今のダイバ君がどうするべきか相談できるはずよ。ね?」

 

 ジェムはダイバの肩を支えてあの時のジャックがそうしてくれたように優しく言った。彼と同じく、どうするかはダイバとその仲間に委ねる。ダイバは頷いて、メタグロス、それに手持ちの仲間たちを見た。口は開いていないが、テレパシーで何かを伝えあっているのだろう。ジェムには内容がわからないが、そのことに不安はない。エメラルドは一連のやり取りを見やり、面白そうに口の端を歪めた。

 

「なるほどな、いい判断だ。私たちはもう仲間だとか諦めなければ勝機はあるとかそんな言葉よりも、ずっと説得力があるぜ。……だが、俺はあのシンボルハンターみたく気が長くねえぜ?」

「――きりゅりりゅう」

 

 メガレックウザが天空で欠伸でもするように鳴いた後ジェムたちを見る。伝説の中の伝説である巨竜には人間同士のやり取りなど興味を持つに値しないのかもしれない。

 

「……勿論、攻撃してくるなら受けて立ちます。ダイバ君が勝つ方法を思いつけるなら、勝てなくても耐えてみせる……のです」

「ひゅうあん!」

 

 メガラティアスとメガレックウザが向かい合う。伝説のポケモンでありメガシンカ同士、しかし伝説としての格は向こうの方が遥かに上。一対一では勝利は望めないことはジェムたちもわかっている。

 

「そうかよ、なら……伝説としての格の差を思い知りな! 『神速』!」

「『リフレクター』!」

 

 メガレックウザの尾がしなり、音速を超えてメガラティアスを狙う。横合いから叩きつけられた一撃は守りの壁を粉々にして、メガラティアスの体を木の葉のように吹き飛ばした。

 

「ほう……随分軽く飛んだな」

「ラティ、いけるよね?」

「ひゅうん!」

 

 小さな飛行機のようなメガラティアスの体は撃墜されない。『リフレクター』で一瞬でも体に当たるまでの時間を稼ぎ、攻撃を受けながらも自ら念力で飛ばされることで受けるダメージを大幅に軽減したのだ。元のフィールドに戻りながらも、『自己再生』による回復を忘れない。

 

「だったらこれはどうだ? 『噛み砕く』だ。首から上噛みちぎられても知らねえぜ?」

「そんなことさせない! 『竜の波動』よ!」

 

 メガレックウザが大口を開けて突っ込んでくる。『神速』ほどではないにせよ動きは速く回避は不可能。しかし向こうから近づいたのを利用して銀色の波動を放つ。狙いは瞳、相手の視界を潰す攻撃にレックウザは思わず仰け反った。

 

「――きりゅりりゅりしぃぃ!」

「まるで一寸法師だな。ちょっとちくっと来たらしい……今までで一番まともなダメージじゃねえか」

 

 そういうエメラルドには気迫に満ちた笑みが浮かんでいる。もう十五分はその腕にネフィリムを支えているのに、重そうにするそぶりすらない。

 

「だが攻撃するんだったら……これくらいはやってみやがれ! 『龍星群』だ!!」

「上に攻撃を!?」

「これがオゾン層に住むレックウザだからこそ扱える、他のドラゴンとは一線を画す究極の技だ……受け取れぇ!」

 

 メガレックウザが口から金色の光を空、いやオゾンを突き抜けた宇宙まで放つ。遥か上で二つ目の太陽のようにフィールドを照らした。そして――光は分裂していくつもの黄金の龍の形を取り、一体一体が元々のレックウザほどの大きさを持ってフィールドへ降り注いでくる。メガラティアスだけではなく、ダイバと話しているメガメタグロスの本体も狙って。

 

「……ラティ、『光の壁』! 最後まで諦めないで……何度でも!」

 

 巨大すぎる攻撃に対し必死に守ろうとするメガラティアスとジェム。だが空中に張ったいくつもの壁は止めるどころか勢いを落とすことさえ全くできない。何度張り直しても、紙切れのように破られていく。いくらラティアスの防御力が高くてもドラゴンタイプ最強の攻撃、しかも格上の伝説相手の技を耐えきれるとは思えなかった。迫りくる黄金の龍はジェムにそう思わせるのに十分すぎた。ジェムの頭が真っ白になる直前。

 

「ジェム、ラティアス……今から僕達がやることを信じて、受け止めてくれる?」

「当たり前よ!」

「ひゅううん!」

 さっき涙に震えていた時とは違う、いつもの冷静なダイバの声。自分たちが稼げた時間は一分あるかないかだった。それで立ち直るなんてやっぱり私よりもずっと強いな、とこんな時にも思いながら応える。ジェムとラティアスがそれぞれの言葉で応えた瞬間。それを信じて既に動き始めていた頭だけのメタグロスが、『思念の頭突き』を使いながらラティアスの頭にぶつかった。

 

「えっ!?」

「血迷ったか。それとも『龍星群』を食らう前に戦闘不能にすればこれ以上傷つかずにすむって腹か? だがもう手遅れ――なに!?」

 

 エメラルドがいいかけ、そして初めて本気で驚いたような声をあげた。ジェムも驚く。だがそれはメタグロスとラティアスが相討ちになったからではない。メタグロスがメガシンカするときに己の体を変形させるのと同じ光に包まれ、ラティアスの身体と混じりあう。そしてそのまま『龍星群』が直撃した。

 

「……やれるかどうかは賭けだった。でももうこれしかない……そう思った」

 

 いくつもの星がフィールドに落ち、フィールドが焼ける。だがその場の全員の視線はメガラティアスに注がれていた。光が消え、黄金のエネルギーが体を通り抜けたそこには……メタグロスの鋼によって体をコーティングされまるで本物の飛行機のように丸みと硬さを持ったフォルム。胸にメタグロスのXラインを付けた鋼を纏ったメガラティアスがそこにいた。自分の無事を伝えるように彼女は鳴く。

 

「ひゅうううううん!!」

「メタグロスの鋼が、ラティを守ってくれてる……」

「どういうことだ……合体したってのか、ポケモンが」

 

 あり得ない話ではない。ヤドンとシェルダーが合わさってヤドランになるのは有名な話だし、カブルモやチョボマキがお互いに交信し合うことでそれぞれ進化を果たす例もある。何よりメガシンカとは要は己の体を変質させて新たな力を得る能力だ。メガメタグロス自体ダンバルやメタングとメガシンカのエネルギーを使い合体できるから成立する。ならば変改した体をラティアスにフィットさせるのは理論上可能ではあるかもしれない。とはいえそれは机上論だ。実際に全く異なるポケモン同士が突然合体するなど奇跡でも起こらない限り不可能だ。

 

「……『思念の頭突き』で僕とメタグロスの意思をラティアスに全部伝えた。そこでラティアスがほんの少しでも拒否すれば合体は失敗になった。可能性にして……成功する確率は五パーセントにも満たないってメタグロスは言った」

 

 でも、それは成った。ラティアスがダイバ達を、いやラティアスが信じるジェムがダイバ達を信じたことでメガシンカポケモン同士の融合という奇跡をなし得たのだ。

 

「これが僕とメタグロスの……いや、ここにいる全員でたどり着いたメガシンカの答えだ!!」

「すごい……すごいよ! これならきっとメガレックウザにだって勝てる!」

「ハッハッハッハッハ!! こいつは傑作だ、予想以上だ! 面白い、やはりあいつの考えることは笑わせやがる!!」

 

 本気で面白そうに、愉快そうに笑うエメラルド。レックウザも目の前の現象に流石に驚いているのか、咆哮にはわずかに混乱が交っている。

 

「だが! どんな信頼も奇跡も、結局は勝てなきゃ意味がねえ! それがお前達二人のたどり着いたシンカの先だって言うんなら……『画竜点睛』を欠くなんて真似はするんじゃねえぞ!! レックウザ!!」

「――きりゅりりゅりしぃぃしゅぅぅうううううう!!」

 

 メガレックウザ自身が、己の本拠地であるオゾン層へと昇る。その巨躯を動かすエネルギー源はオゾン特有の空気。それを十分に吸い込み、全ての力を込めた大空からの急速降下を行う。

 

「行くよ、ラティ、メタグロス!」

「これが僕達の……最後の一撃! 集う想いが拳と代わり、伝説を超える意思となれ!」

「私達が未来をつかみ取るために誰が相手でも戦い抜くと、お父様達じゃなくこの子達に誓うわ!」

 

 鋼の体を、メガシンカしたラティアスとメタグロスによる思念の力が駆け巡る。アクロバット飛行をする戦闘機のように回転しながらメガレックウザに正面から向かっていく。その想いは赤青緑紫、メタグロスの特徴である巨大な四つの拳を形どりメガラティアスの四方に完成する。ダイバとジェムはこの戦いに勝つために、二人で叫んだ。

 

「『天河絶破拳』――――」

「『タイタニック・フィスト』!!」

 

 作り出した四つの思念の拳が降下するメガレックウザと激突する。ぶつかり合い拮抗したのは数瞬。自身の身体すら超えるサイズの巨大な拳に押され、メガレックウザの体が後退していく。最後にメタグロスを纏ったラティアスがぶつかり――メガレックウザの象徴、鋭い顎を粉砕して上へと駆け抜けていった。

 

 

「……見事だ」

 

 

 上空を見上げていたエメラルドが決着を理解し、真剣な声で言う。メガレックウザは倒れることはなくそのままオゾンの中へ消え、最後の一鳴きを残し遠くに飛んでいった。鋼を纏ったラティアスがジェムたちの元へ帰還し、いつも通り――いや、ジェムとダイバの周りを嬉しそうにくるくると回る。

 

「ありがとうラティ、メタグロス、みんな……!」

「じゃあこれで……」

 

 キュウコンとジェムに包まれたダイバがエメラルドを見る。彼は袖口に持っていた金色のシンボルを掲げ、宣言した。

 

「てめえらの勝ちだ。危機に陥ったバトルタワーを救い、俺様に勝ったその強さ……認めてやるぜ! これがお前達の才能の証、アビリティシンボルだ!」

 

 指ではじいて渡されたシンボルは、メガレックウザを象徴する細長い緑の長方形に金の輪があしらわれている。それが突然バトルタワーを襲った者達に真の支配者。数々の戦いを潜り抜けた二人への最大の賛辞だった。この一戦は、のちに伝説の戦いとしてホウエン中で語られることになる――。

 



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子供たちの夜

 バトルタワーでの戦いを終え、ジェムとダイバは直通のエレベーターに乗って一番下まで降りるようにエメラルドに命じられた。アマノがどうなったのかジェムは問いただそうとしたが、エメラルドは降りればわかると笑って言うだけだった。ダイバも同じ意思らしく、ジェムはダイバを信じて従うのだった。

 エレベーターを使ってもこのバトルタワーは高く一番下までは時間がかかる。ゆっくりと下降していくエレベーターの中で、ジェムは自分のポケモン達に話しかける。

 

「まずはお疲れ様、キュキュにラティ。とっても良く頑張ってくれたわ!」

「こぉん」

「ひゅん!」

 

 戦いが終わり、レックウザが去った後メタグロスと分離したラティアスと、元気を取り戻したキュウコンが仲良く返事をする。このバトルタワーではルール上登録した二体しか出せなかったのですごく負担をかけてしまった。回復はさせたとはいえ疲れは残っているはずだが自分のために笑ってくれる仲間にジェムも微笑む。

 

「それとね、他のみんなもありがとう。皆が私を見守ってくれるから、私頑張れたよ」

 

 帰ってくるそれぞれの返事。今はまだバトルタワーの中だからボールから出せないけれど、ここから出たら思いっきり抱きしめてたり撫でてもらったりしようと決めるジェム。

 

「……」

 

 ジェムがそうしている間、ダイバはなんだか心ここにあらずと言った感じでぼんやりしている。彼が無口なのはいつも通りだが、本当に突っ立っているだけで動かない。仲間たちとのお喋りを終えたジェムは声をかけてみる。

 

「ダイバ君……大丈夫? 疲れた?」

「……」

「ダイバ君!」

「……え、何?」

 

 大声で呼んでようやく気付く。こちらを振り向いたダイバの顔は赤らんでいた。そしてそのことを自覚しているわけでもないようだった。フードで顔を隠そうともしていないからだ。

 

「なんだかぼーっとしてたけど、考え事? アマノさんの事とか?」

「いや……違う、そういうのじゃない。特に何か考えてたわけじゃなくて……さっきのパパとのバトルを思い出してただけ」

「そっか、すごいバトルだったもんね。ポケモン同士が合体できるなんて思ったこともなかったわ」

「それもだけど……よくわからない。ポケモンバトルに勝つことなんて当たり前の事なのに、頭の中をぐるぐる回ってて……」

 

 本気で不思議そうに首を傾げるダイバ。ジェムも少し考えたが、すぐに意味を理解する。

 

「あ、わかったわ。ダイバ君はエメラルドさんに勝てて嬉しかったのね! それはそうよね、あんなすごいお父様に勝てたんだから!」

「嬉しい……僕が、バトルに勝って……?」

「ダイバ君には……あまりよくわからない?」

 

 ダイバは無言で頷く。でも、それは仕方ないかもしれないとジェムは思う。ダイバは強いから。あの時のジェムばかりかブレーンまで平然と倒せる実力があって、昔からバーチャル相手にジェムよりずっと色濃く勝負をし続けた彼にはバトルを楽しいと思うことも勝って嬉しいと思う心も薄れていたのかもしれない。

 

「そっか、じゃあ私にもわからないわ。でも私はきっと自分のお父様に勝てたら……すっごく嬉しいと思う」

 

 でも、それはただの想像だ。実際には全然別の感情ということもあり得る。だから、そうやって曖昧に呟いた。

 

「それとね、このシンボルはダイバ君に渡すわ」

 

 エメラルドから受け取ったシンボルをダイバに手渡す。エメラルドの渡したシンボルは一つだけだ。マルチバトルルールには二人で挑戦するものだが飽くまで登録上は一人であり、ジェムの立ち位置は協力者だからである。その事は納得した上で挑戦していたので渋る理由はない。

 

「ねえ、フロンティアパスって集めたシンボルが多くなると新しく出来るようになることがあるのよね?」

「……そうだよ。見る?」

「うん! 見せて!」

 

 一つ集めるとパスが地図の役目を果たし、二つ集めると自分の現在地がわかる。三つ集めると一度パスを見せあった他人の位置がわかるようになるのは知っていた。四つと五つ目は何なのかは気になるので頷いて見せてもらうジェム。そこには地図に新たな場所が表示されていた。

 

「……温泉マーク?」

「四つ以上集めた人間だけが入れる特別な温泉宿らしいね。まあパパらしい……実力者への特別待遇ってやつかな。他にもゲームコーナーとか、酒場とか……ポケモンバトル以外の娯楽設備もあるみたい」

 

 二人で並んでダイバのフロンティアパスを眺めながら情報を確認する。

 

「そっか、じゃあダイバ君はそこに泊まれるんだね。私も明日新しく取れたら行ってみたいわ」

「……さすがに一人専用ってことはないよ。ブレーンを四つ以上持ってる人間の招待なら五人までは入れる。ジェムも、今日はここに泊まったほうがいい」

「いいの!? ありがとうダイバ君!」

「うわっ……勘違いしないでよ、昨日はチャンピオンが一緒だったからどうでもよかったけど、今日別々にいるとまた何が起こるかわからないだけで」

「五人までならアルカさんやドラコさんも一緒に行っていいわよね? 後はジャックさんはこのこと知ってるのかな……知らなかったら誘ってあげたいけど……ダイバ君は誘いたい人はいる?」

「……はあ、いないよ。人数の範囲で好きにして」

 

 喜びダイバを抱きしめるジェムに呆れたような、ほっとしたようなダイバの声。温泉やゲームコーナーと聞いてテンションの上がったジェムはその理由に気付かない。ダイバはバトルタワーのシンボルをパスに

 

「それじゃあ、五つ目は?」

「五つ目は……これは」

 

 出てきたのはフロンティア全体の地図だ。違うのは今まではジェムと自分の居場所しか表示されていなかったアイコンが他にもいくつも出現したことだ。試しにアイコンの一つをタップしてみると、そのトレーナーの持っているシンボルまでもが表示された。

 

「……なるほどね」

「他の人の居場所とどのシンボルを持っているのかわかるようになった……だけ?」

 

 四つ目が豪華だっただけにちょっと期待外れ気味のジェム、しかしダイバは帽子を目深に被り真剣な表情をした。

 

「どうしたの、ダイバ君?」

「いや、何でもない。僕にとっても重要なことじゃないねこれは」

「そう……だよね、他の人が持ってるシンボルの種類なんてわかっても別にシンボル集めるのに関係ないし……」

「……まあね。それより、もう着くよ」

「お話ししてたらあっという間……アルカさんとアマノさん大丈夫かしら」

 

 エレベーターの下降が止まり、一瞬の浮遊感を残して地上につく。ジェムはすぐにエレベーター、そしてバトルタワーを出る。するとそこには、自分の師と父親がいた。エメラルドと昨日の博士、目を覚ましたネフィリムもいる。

 

「ありがとう、そしておめでとう……ジェム、よくこの戦いを乗り越えてくれた」

「さすが僕の弟子だね、最高の結果を見せてくれたよ!」

「ジャックさん……それに、お父様」

 

 ジャックは自分に駆け寄り、抱きしめてくれた。ジェムも慌てて抱きしめ返す。サファイアは少し離れた場所で拍手を送っている。

 

「改めてよくやった。あいつらを倒し、バトルタワーの危機を解決したことを、俺の息子として誇りに思うぜ、ダイバ!」

「ええ、さすがダイ君の作戦は完璧でした。眠らされていて見れなかったのが残念だけど……」

「お前にとぉーっての目標の一つがついに果たされましたねえ。もっと素直に喜んでもいいのぉーですよ?」

「パパ、ママ……グランパも」

 

 ネフィリムがダイバを抱きしめる。ダイバは困り顔で母親を見た。それはジェムにとって素晴らしい光景だった、自分もダイバも家族や尊敬する人に認められる、ここに来た時、いや今までの人生でずっと求めていたものだった。すごく嬉しいし、頑張ってよかったと思う。まるで自分の夢の中のように幸せだった。サファイアが近づいてきて自分を更に褒める。ジャックも満面の笑みで自分を賞賛する。

 

「オーナーに勝ったってことはメガレックウザに勝ったんだろう? 僕でさえ御することのない最強格の伝説をよく攻略したね。もう僕から教えられることなんてないかな?」

「さすが私と……母さんの娘だ。ポケモン達と心を一つにするという意味では私も負けるかもしれないな」

「うん、ありがとうお父様、ジャックさん。すごく嬉しい!!」

 

 この気持ちは嘘じゃないと言い切れる。。二人は本当に自分を褒めてくれている。でも……何かが、ずれているように感じた。例えるなら覚めたら全てが泡沫に消えそうな虚無感。抱きしめるジャックから離れ、ネフィリムから離れたダイバの背をバンバン叩いて褒めているエメラルドを見る。

 

「でもね……私は今聞きたいことがあるの、エメラルドさんに」

「……あん? 俺に? なんだよ、せっかく家族水入らずで話してんだから素直に勝利の余韻に浸ったらどうだ?」

「いや……僕からもパパに確認したいことがある」

 

 ダイバも叩かれた背中をさすりながらエメラルドを見る。その場の全員の視線が、二人の子供に注がれた。

 

「アマノさんはどうなったの?」

「……アルカとドラコはこの後どうなる?」

「……はっ、自分たちへの褒め言葉よりバトルフロンティアを脅かした罪人が気になるってか? そんなもん俺様の知ったこっちゃねえよ」

「そんな! じゃあ本当にアマノさんは……落ちて死んじゃったの?」

 

 無情なエメラルドの言葉に戦慄するジェム。しかしダイバは周りを確認した後首を振った。

 

「いや……それなら少なくとも大量の血がこの辺にあるはずだ。死体を片付けることくらいなら可能だろうけどこの五分そこらじゃ血は綺麗に出来ないはず。だからあいつはまだ生きてるよ」

「御明察……上を見な」

 

 二人の疑問は別だったが、大体意図は同じだった。エメラルドはもったいつけるように上を指さした。ジェム釣られて見上げると上空には、フライゴンとチルタリスがいた。それはエメラルドの様子に気付いて降りてくる。近づいてくるにつれジェムとダイバにはフライゴンの上に人間が乗っていることに気付く。ぐったりした様子のアマノがフライゴンに乗せられており、アルカとドラコはチルタリスに乗っていた。チルタリスが地面に降り、ドラコは毅然とした態度でジェムの正面に立つ。アルカはまだ眠っているようでチルタリスが羽毛布団のようにその体を包んでいた。

 

「ドラコさん! アマノさんを助けてくれたの?」

「命令されていたわけでもなし助けるつもりなどなかったが……お前達の助力に向かおうとこいつらで上を目指していたらこいつが落ちてきてな。見殺しにするのはいくら何でも目覚めが悪いから拾ってやった。ついでにアルカもな。……ジェム、お前は私の頼みを成し遂げたんだな?」

「うん、危なかったけど何とか止めて……これから仲良くなれればいいなって」

「そうか、ならば礼を言おう。お前がいれば、こいつは……悪夢のような人生から解き放たれるはずだ」

 

 アルカを止めてやってほしいという願いは、ダイバの鉄拳とジェムの優しさで叶えた。とはいえまだ彼女の人やポケモンを平然と殺し、自分を卑しい人間だと卑下する心の毒は消えていない。それを癒すのは時間がかかる、だから一緒にいる必要があった。

 

「ううん、私一人じゃ無理よ。私に頼むならドラコさんも、一緒にいてくれる?」

「そうだな、私は――」

「おおっと、それはお前らに決めさせるわけにはいかねぇな!」

 

 答えるドラコに割り込むエメラルド。彼はフライゴンに落とされ膝をつくアマノの方へ歩き、見下す。

 

「本来ならお前らは三人纏めて犯罪者だ。だが今回の場合こいつの催眠術がある以上話が違ってくる。アマノは有罪確定だがお前ら女二人には事情酌量の余地があるってわけだ。というかドラコの方は状況的に無理やり支配されてたことが明白だから実質議論の余地があるのはアルカだけだな」

「ふん、その為にアマノの証言を信じるのか?」

「催眠術をかけた当の本人だからな。さあ心して答えろよ? 催眠術師、お前はアルカをどこまで支配してた?」

「貴様……!」

 

 天から放り出されしばらくは落ちていたのか、息は荒く遠めから見ても体は震えていた。エメラルドを睨んでいたが、もはや反逆の手段はないと悟ったのか息を吐いて語った。

 

 

「……アルカもドラコ同様催眠術によって強制的に支配していた私の忠実な操り人形だった。この事件にはこいつらの意思ではない。……全て私のせいだ」

 

 

 ジェムははっと息を呑んだ。ジェムはアルカの夢を覗き見ている。その中でのアマノは、アルカに対して催眠術によっていくつか行動に制限は課していたけれども。それでも心を無理やり支配するようなことは――していなかったはずだ。

 

「さぁて、首謀者様はこう言っているがどうなんだジェム・クオール? 直接戦った相手だ。あいつらに自分の意志があったかどうかは一番正直に言えるのはお前のはずだぜ? ダイバはその辺の判断は苦手だろうしな、お前の証言が全てだ」

「……」

 

 少し黙り、ジェムはアマノを見た。自分の心を弄び操ろうとしたひどい男の人。だけどジェムを見るその目は弱く、それでいて無言で何かを懇願するようだった。

 

「うん……ドラコさんもアルカさんもこの人に無理やり言うことを聞かせられてたわ」

「本当か? 嘘だったらお前も罪人扱いになるかもしれないぜ? 悪人を庇った偽証罪ってやつでな」

 

 エメラルドはにやにや笑いながらジェムを見る。なんだかすべてを知っていて反応を楽しんでいるように見えたのは気のせいか否か。それに弾かれるようにジェムは断言した。

 

「絶対間違いないわ! だってアルカさんは言ったもの。『誰も私を愛してくれなかったから、死にたくないからわたしは仕方なくこんなことを……! わたしだって、本当はこんなことしたくないです……!』って! だからアマノさんはアルカさんの事庇ってるわけじゃないしアルカさんはこんなこと絶対したくなかった! 本当よ、そうよねダイバ君!」

「え……ああ、うん。間違いなくそう言ってた」

 

 嘘を嘘で塗り固めるようなジェムの言葉。でもアルカがそう口にしたこと自体は事実だ。でなければ咄嗟にこんなセリフを考えられるほどジェムはアルカを理解できていない。裏の裏は表。アルカの嘘を、ジェムは自分の嘘のために利用した。それがアマノとアルカにとって残酷な言葉だったとしてもだ。アマノは切りつけられたように俯いた後、言葉を零す。

 

「……すまない。私のことはどう思ってくれてもいい。ただ……アルカを頼む」

「あなたの事は許せないけど……でも、いつかアルカさんに会いに来てあげてね」

「ああ……」

 

 アマノはチルタリスの方へよろよろと歩み寄り、羽毛に包まれるアルカの顔を見る。アルカは瞼を濡らしながらもぐっすりと眠っていた。何を思ってそうしているのかは当のアマノ以外には誰にもわからなかった。決して本心を口に出すことは出来ないから。ただ、きっとアルカのためにあんなことを言った……ジェムはそう思うことにした。

 

「なら決まりだな。罪人はアマノの野郎一人だけだ。――連れていけ」

 

 エメラルドが待機させていた警備員らしき男達がアマノに手錠をかけて連れていく。アマノはもう抵抗することなく何処かへ向かっていった。恐らく警察のところへ連行されるのだろう。後は法律による裁きが下されるはずだ、子供のジェムにどうこうできる問題ではない。

 

「……疲れただろうジェム。もう日も暮れるしポケモン達も疲れただろうから休んだ方がいい」

 

 何も口出しせず見ていたサファイアがそう声をかける。ジェムは頷いてからドラコに言う。

 

「ドラコさん、今から私達温泉宿に行くんだけどドラコさんも来てくれるかしら?アルカさんも一緒に……皆で話がしたいから」

「さっきはそこのオーナーに邪魔されたが、異論はない。このフロンティアにいる間は付き合ってやろう。私もお前達に借りがある立場だ」

「……ありがとう」

 

 ドラコはふっと息を吐き、口元可愛いとか美しいよりもカッコいいという言葉が似合う笑みを浮かべる。ジェムはそれを少し羨ましく思いつつもあどけなさのある表情で微笑んだ。

 

「それとね、あと一人までは入っていいらしいから……ジャックさん、良かったら来てくれないかしら?」

「僕かい? いいけど、子供たちの夜に水を差さないかな?」

 

 ジャックがきょとんとした表情で応える。するとダイバがジャックの方に近づいてジェムには聞こえないように呟いた。それを聞いたジャックが、テレビに出てくる妖しい妖怪のようににやりと表情を歪めた。

 

「ダイバ君、どうしたの?」

「もう恥ずかしがり屋だなー。ジェムがフロンティアに来るまではどんなふうに過ごしてたか僕に聞いてみたいんだって! 一応僕も体は男の子だし、君の目線で話してあげることは出来るよ!」

「えっ?」

「おい、ちょっと……」

 

 びっくりしてダイバを見るジェム。ダイバはやや苛立ちを込めてジャックを睨んだ。ドラコが面白がって口を挟む。

 

「なんだ、惚れているのはそっちの方だったか……私の目は曇っていたようだ」

「違う!! 僕が言ったのはそんなことじゃ……」

「じゃあなんて言ったの?」

「……単に、どんな風に育てばそこまで能天気になるのか興味があっただけだよ。それ以上でも以下でもない」

「能天気って……もう」

 

 相変わらず口の悪いダイバに頬を膨らませるジェム。ジャックや大人たちは子供たちの様子を微笑ましそうに見ていた。ジェムにダイバ、ドラコとチルタリスの上で眠っているアルカが四人で同じ方へ歩き始める。

 

「それじゃあ、子供たちの引率は老いぼれに任せて大人の皆さんはそれぞれの仕事に戻った戻った! まだまだバトルフロンティアは始まったばかりなんだからね!」

「ではジャックさん……子供たちをお願いします」

「ま、女三人男一人じゃいづらいわな。任せた」

「ふふ……ダイ君にいろいろ教えてあげてくださいね?」

 

 声変わりしていない少年の声でジャックは大人たちに言い、四人の子供たちの後ろにつく。サファイアにエメラルド、ネフィリムが一礼して去っていく。ジャックの事を知らないドラコが彼を指さす。

 

「おいジェム。こいつは何者だ? 一見お前達よりも年下だが、雰囲気がまるで幾千の時を生きた竜の風格だ」

「えっとね、ジャックさんは私のポケモンバトルのお師匠さんで……すっごく長生きなんだよ」

「長生きとはどれくらいだ?」

「えっと……三千年くらい、なんだよね?」

「うんそうだよー?」

 

 あっけらかんとジャックは言うがスケールが大きすぎてジェムには実感がわかない。可能なのはジャックか同じレベルで生きられるポケモンくらいだろう。ドラコも少しの間無表情になったが、特に取り乱すこともなく頷いた。

 

「そうか、とりあえず把握した」

「……それで納得するの?」

「詳しく聞いたところで理解できる類のものでもなさそうだからな、さて……」

 

 ドラコがチルタリスの上にいるアルカの意外に優しく肩を揺すった。アルカが目を覚ます。無理やり眠りから起こされて周囲を見回し、彼女は呟いた。

 

「アマノは……アマノは、どこに行ったのです……」

「アルカさん、アマノさんは――」

「いい、私が言う。あいつは罪人として捕らえられた。わかっているだろう」

「……」

 

 ドラコが厳しく言った。アルカはチルタリスに包まれたまま悲しげに俯いた。

 

「わたしは……捕らえられなかったのです?」

「それも見ればわかることだ。こいつらが警察の類に見えるか?」

 

 アルカがジェムとダイバ、ジャックを見る。ここにいるのは少なくとも外見は子供だけだ。大人はいない。

 

「じゃあアマノは……本当に、全ての罪を被ったのですね」

「アルカさんは、その……アマノさんの計画が失敗したことを知ってるの?」

「当然だ、私がチルタリスの上に乗せるときに一度起こしたからな、アマノが落ちてきたのもこいつ自身が見ている」

「じゃあそのあとまた寝たの?」

 

 ダイバとジェムがアルカを見る。アルカは沈痛な面持ちで声を出さなかった。代わりにドラコが説明する。

 

「お前達はアマノの取り柄を忘れたのか? ……眠らせたんだよ、アルカが自分も罪を被ると聞かなかったからな」

「……あの人は、言いました」

 

――お前も罪を被るだと? 馬鹿を言うな、これを計画したのは私だ!

 

――自分の意志? お前にそんなものはない、私が催眠術でそう考えるようマインドコントロールしていたにすぎん!

 

――計画への貢献? チャンピオンもその娘の足止めも出来なかった分際で何を言う! お前など何の役にも立たなかった! ドラコもだ! お前達のような役立たずを計画の駒にした私の人選ミスだ!

 

 アルカはドラゴンの上でのアマノとの会話を諳んじる。アルカの意思を軽んじる心無い言葉、彼がバトルタワー頂上でしていたのと変わらない喚き散らすような醜い言葉だった。

 

「だからあの人は全部自分のせいなんだって……降りたらお前は何も言うなって命令して……でもわたしは何とか命令に逆らおうとしたから……」

「あいつは『催眠術』でアルカを眠らせた、というわけだ。心無い言葉で今生の別れを迎え、アルカに恨まれることになったとしてもな」

「……そう、なんだ」

 

 でもそれはきっとアルカのため。少なくともジェムにはそうとしか思えない。

 

「アルカさんは……どう思ってる?」

「やっぱり最後まであの人は……わたしの気持ちなんて考えてくれませんでしたね。自分勝手で無謀で……酷い人です」

 

 アルカは潤んだ瞳から涙を静かに零して言う。罵倒する言葉は、最初にジェムが聞いた時と同じで愛想を尽かしきってはいなかった。寝かされていた体を起こして、涙を拭って誓う。

 

「だから、わたしはあの男を許しません。もしまたのこのことわたしの前に現れたら……その顔引っ叩いて、蔓で締め上げてやります」

「うん……きっと、それでいいと思うよ」

 

 アマノはいつか会いに来ると言っていた。ならばそれは恐らく叶うはずだ。その時もう一度、新しく関係を作ることが出来ればいい。

 

「あのねアルカさん、私達今から温泉宿に行くの、一緒に来て……くれるよね?」

「嫌だと言っても償ってもらうとあなたが言ったのですよ。仕方ないからついていきます」

 

 素直ではないけど、同意の言葉。それを聞いて明るい声を出したのはジャックだった。

 

「よし、それじゃあこれで本当に事件解決だね! 最後まで何が起こるかわかったもんじゃないからひやひやしてたけど、なんだかんだ弟子が無事で終わってよかったよ。もう一度言うけどおめでとう、ジェム」

「あ、さっきはせっかく褒めてくれたのに遮っちゃってごめんなさい……」

「いいんだよ、それが君の美徳だ」

 

 ジェムの頭を撫でるジャック。今度はそれを中断して言いたいことはジェムにはない。他の人が見ている前なので照れくささはあるが、素直に撫でてもらう。

 

「……ふぅん、まるでコンテストの演技でも終えた子供相手への言葉みたいだね」

 

 それにダイバは普段の皮肉とはちょっと違った含みのある言い方をする。ジャックはにっこり笑っただけで何も言わなかった。ジェムは気づかず、顔を綻ばせる。

 

「解決したってことは、これからはアルカさんやドラコさんも一緒にバトルフロンティアを回れるのね!」

「……なんですか、わたし達二人と過ごしたかったんですか?」

「あのね、私今までずっとおくりび山にいて……あそこってお墓参りをするところだから年の近い子ってほとんど来なくて、女の子の友達がいなかったの」

「男の友達は……ああ、そこにいましたね。子供かどうか知りませんが」

「僕は何千年生きようと心は子供だよ?」

「なるほど、お前が浮世離れしているはずだな。……まあ、その辺の話は風呂に入りながらすればいいだろう」

 

 シンボルを四つ以上集めたもののみが入れる宿が見える。あまり大きくはないが、木造でおごそかな建物からはどこか遠くの地方を思い出させる雅さがあった。ダイバが先に中へ入り、一緒に泊まる人間の申請をしてくれる。五分ほど待つと、中に入ってもいいと言われた。まずは温泉で疲れを落とそうということになり、男女別れて温泉に行くことにする。ダイバがジャックにジェムの過去を聞こうとしているらしいので一応釘を刺すジェム。

 

「えっと……じゃあジャックさん、あんまり恥ずかしいことは話しちゃダメよ?」

「合点承知。ついでに覗いたりしないかどうかも見張っとくよ」

「……誰が覗くか」

 

 ダイバがむすっとする。ジェムとしてもダイバに限ってそれはないと思っているので軽く笑ってアルカとドラコに続いて紅い暖簾を潜っていった。 

 

「誰かと一緒にお風呂に入るなんてすっごく久しぶり……お母様あんまり一緒にお風呂入るの好きじゃなかったから」

「私は慣れているぞ。うちには銭湯があるからな」

「わたしは……記憶する限り同性と入るのは初めてですかね多分」

 

 意気揚々と服を脱ぎ始めるジェム、慣れた様子でマントを外し始めるドラコ、何か思い出して自嘲しつつ白いワンピースを脱ぎすぐさまタオルを巻きつけるアルカ。

 

「ドラコさん、私一緒に背中流しっことかしてみたいんだけど、どうすればいいのか教えてもらっていいかしら?」

「任せておけ、ただし加減はせんぞ?」

「背中流すのに加減も何もありますか……まあ、どうでもいいですけど」

 

 タオルを体に撒いて入っていくジェムたち。それからはドラコに正しい体の洗い方を教えてもらったり、アルカがタオルで体を撒いたまま温泉に入ろうとするのを止めたり、水風呂の冷たさを味わったり露天風呂から眺める夜の海を堪能したりした。ドラコはあまりこういう所に慣れていない二人を年長者として見てくれたし、アルカもタオルをはぎ取られた時は傷跡だらけの身体を見られて嫌そうな顔をしたが、なんだかんだ楽しんでくれた……とジェムは思う。

 一方その頃、ダイバとジャックの男二人は――――――

 

 

「いやあ~年を取ればとるほどお湯の温かさってやつは身に染みるね」

「……」

「サウナもあるらしいし、男同士の我慢比べでもしてみるかい? 思わぬ友情が芽生えるかもしれないよ」

「…………」

「女の子たちは楽しくやってるみたいだねえ、僕達も喋らない?」

「………………」

 

 二人で温泉に浸かっているが、喋っているのはジャックだけ、ダイバはじっと何かを考えているようで答えない。隣の浴場からは女性陣の話声が絶え間なく聞こえているのにこちらは会話すら成立しない。さすがに困った顔をするジャック。

 

「……あのー、君が僕に用があるって言ったんだよね?」

「……ああ、うん」

 

 ダイバがジャックの方をようやく見る。お互い背が低いため座っていると顔しか出ない。退屈しのぎに泡が出る場所の上でぶくぶくしているジャックに聞く。

 

「……ねえ、パパから話は聞いてたんだけど君って色んな伝説のポケモンを持ってるんだよね、この地方の伝説に限らず、フーパとかビクティニとかも連れてるって」

「うんそうだよ? あの子はバトル向けじゃないから戦わせないけど、バトルピラミッドに来たら僕の仲間を見せてあげるよ」

「さっき事件が解決したって言ったけど……バーチャルシステムに異常が発生してから僕達がアマノを倒すまでは二時間以上かかってる。その間何してたの?」

「話が飛んだね。何してた……と言われても一応バトルピラミッドのブレーンだし、君のお父さんであるオーナーの指示もないから待機してたよ」

「……じゃあ、僕とジェムが事件に巻き込まれてることは知らなかった?」

 

 ぶくぶくしていたジャックの表情が一瞬固まるが、すぐに首を振った。

 

「一応状況は聞いてたよ。ジェムと君が解決に向かったって。僕も助けに行こうかと思ったけどでもバトルタワー自体の入り口が封鎖されててどうしようもなかったんだ。二人の実力は信用してるから、任せようってことになったんだよ」

「……そう」

「バトルフロンティアは君とジェムのお父さん、二人が作り上げたこれからのバトルを面白くするための総合機関だ。正直それが乗っ取られでもしたら困るから不安だったんだけど……さすが彼らの血を引く子供たちだ。見事だったよ」

 

 ジャックはまたしても褒める。ジェムにしたのと同じように褒めちぎる。ダイバはその賞賛には答えず質問を続ける。

 

「最後にグランパの研究のために聞きたいんだけど……フーパってどんな伝説ポケモンだっけ?」

「ええと……特徴的なのはあらゆるものを空間移動させる能力だね。他の地方にパッと行くのに便利だよ」

「一回会ってみたいんだけど、今ここに呼べる?」

「随分フーパに興味があるんだね。おーい! フーパー出ておいで―!! 出ないと目玉をほじくるよー!?」

 

 ジャックが浴場に響く声で伝説ポケモンを呼ぶ。するとあっさりとジャックの頭上に金色の輪っかが出現し、異次元を通ってフーパが出現した。そのまま落ちて温泉にダイブする。

 

「あ~い」

「どうかな? こんなに小さくても伝説のポケモンらしい力があるでしょ」

「うん……ありがとう、最後にもう一つだけいいかな」

「いいよいいよ、何でも聞いて?」

 

 フーパを自慢げに見せるジャック。その声は玩具を自慢する子供のようだ。でもダイバはジャックを睨んで聞く。

 

 

「その能力、なんでバトルタワーに入るのに使わなかった?」

 

 

 ジャックが、あどけない子供の表情から老獪な仙人のようなダイバの知るどの人間も浮かべたこともない笑顔になる。それが何よりの答えだった。   

 



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少年のラストオーダー

「あれ……もう朝?」

 

 ジェムはベッドの中で目を覚ます。キングサイズのベッドには両隣にドラコとアルカが既に体を起こしている。眠っているジェムを見つめていたようだった。普段なら少し恥ずかしかったかもしれないが寝ぼけなまこではさして感じるものはない。

 

「二人とも、早起きね……」

「せっかく女三人なんだからベッドでお話ししましょうと言った本人が真っ先に寝落ちおったからな」

「わたしも疲れてたのでありがたかったですけどね」

 

 思い出す。お風呂からあがって海の幸満載の晩御飯を食べた後、色々おしゃべりがしたかったので寝室で集まって色々話そうと思ったのだが、ブレーンと戦いバトルタワーを命懸けで昇り、疲れ切った体はお風呂上りも相まってすぐに意識が薄れてしまったのだった。

 

「……ダイバ君ももう起きてるかな?」

「あいつも昨日は早寝だったろうからな。風呂あがりに何かぶつぶつ言っていたがまあ今日にはいつも通りだろう」

 

 てっきり男性陣の方が早くお風呂を出ると思っていたのだが、ジェムたちよりも大分後で彼らは出てきた。ジャックはいつも通りにこにこ笑っていて、ジェムは昔はこんな風だったよという話を軽くドラコとアルカにもしていた。しかしダイバはのぼせたのか赤くなった顔でふらふらと歩き、心配しても「とりあえず今日は寝る」の一点張りだった。

 

「それで、今日はどうするのですジェム。事件は解決して後は平穏無事にシンボル集めですか?」

「うん、そのつもり……アルカさんにも見ててほしいわ。私がバトルしてるところ」

「……どうせやることなんてないのでいいですよ」

 

 寂しそうに言うアルカ。本意でなくともここ数年はアマノの目的のために動いていた。今はジェムが旅立ったときに一緒にいるという償いの約束があるが、バトルフロンティアにいる間はただの付添人だ。

 

「ならまずは朝飯だな。何をするにも腹が減っては戦は出来ん」

「そうね、昨日のご飯すっごく美味しかったから楽しみ!」

 

 ジェムたちは浴衣からそれぞれの服に着替え始める。ジェムは今日は着慣れた青のパーカーに赤いミニスカート、ドラコは今日も紺のマントにスーツ。アルカは白いワンピースをつける。ドラコがアルカをじっと見つめる。

 

「……なんなのです?」

「いや、そういえば昨日からあの襤褸切れを見につけていないなと思っただけだ」

「そんなことですか。……昨日メタグロスの『大爆発』に吹き飛ばされた時に燃えてさすがに着れなくなったんですよ」

 

 ジェムもアルカの服を見る。昨日は注目している余裕なんてなかったが、改めて見ると鮮やかな桜色の髪に白いワンピースはなかなかよく似合っている。気になるのはスカート部分の丈がやたら短いというか明らかに不自然に切り取られていることだった。本来ならひざ下まで余裕であったであろう部分がちょっと歩くだけで太ももくらいなら見えてしまうほどになっている。

 

「そのワンピースって……アマノさんが?」

「買ってきたのはあいつですが、切り取ったのはわたしですよ。……理由、説明しなきゃだめですか?」

「あっ、ううん。言いたくないならいいの」

「大方、その方が男の目を引きやすいと思っての事だろう。……お前自身が生きるために何が必要だったかを考えればな」

 

 ジェムは退こうといたが、ドラコは遠慮なく言った。アルカは反論せず、下を向いて黙る。図星らしい。他人の道場を食らって生きて来たアルカに取ってわざと他人の目を引くことは生きるために必要なことだった。

 

「……アマノもはしたないからやめろとは言ったんですがね。どうにも、短くしていないと……同情を煽るような恰好をしていないと落ち着かなくなってたんですよ、その時には」

「そんな……」

「ジェム、お前はこいつに償いをさせると決めたのだろう? 相手を思いやるのと無意味に遠慮するのは違う。わかりあいたいのなら聞きたいことは聞け」

 

 きっぱりと断言するドラコ。アルカも自分で説明したし、特に難色は示していない。ジェムはそれを確認してゆっくり頷く。

 

「……わかった。アルカさんもそれでいい?」

「拒否はしません。……とにかく、ご飯食べましょう」

「そうだな、ついでだからジェムが挑戦している間私たちで何かまともな服でも買うか」

「うん、それがいいわ! でも私も一緒に見て回りたいな……」

「なら適当にキリのいいところで三人で回ればよかろう。もうフロンティアに危険もないしな」

「ああもう、煮るなり焼くなり好きにしろです」

 

 一応バトルの影響で服に損傷が出ることも考えてか、小さいけれども服屋さんがあるのはジェムも知っている。そんな話をしていると、ノックもなしに部屋のドアが開いた。パーカーのフードと帽子を被ったいつもの姿のダイバが入ってくる。

 

「……ジェム、少し話がある」

「おはようダイバ君! ゆっくり休めた?」

「……うん、そっちも大丈夫そうだね」

 

 ダイバは帽子を目深に被っていて表情はわからない。昨日の朝に比べれば見違えるほどジェムに対する声は優しくなった。彼は続ける。

 

「……ジェム、今日で僕は7つのシンボルをすべて集める」

「そっか……ダイバ君ならきっとできるわ。私も早く追いつけるように頑張るね」

 

 ダイバの持つシンボルは五つ。あと二つでコンプリートだ。彼の持っていないシンボルはジェムがクリアしたバトルピラミッドとバトルクォーター。どちらのブレーンも強敵だったがダイバならきっとできるとジェムは信じられる。しかし、続いてダイバの口から出た言葉は全く違うものだった。

 

「そのためにジェム、君にバトルフロンティアのルールに則ったバトルを申し込む。あらかじめ言うけど……君に拒否権はない」

「えっ……私に!?」

 

 ダイバとの一方的なバトルを思い出す。勿論今ならああはならない自信はあるが、それにしてもなぜ今なのかわからず困惑するジェム。見かねたドラコが割って入った。

 

「拒否権はない、とはずいぶんな言い草だなダイバ。あの戦いを通じてなお自分の方が強い確信でもあるのか?」

「……バトルフロンティアにはシンボルを持つ者同士がお互いのシンボルを賭けて勝負できるシステムがある。挑まれた側にルールを決める権利がある代わりに、拒否することは出来ない」

 

 ダイバがフロンティアパスを見せる。フロンティアパスの取り扱いや施設の決まりごとがずらっと並んだ利用規約画面をスクロールすると、紛れるようにその旨が書かれていた。よほどマメな人間でなければ書いてあることに気づけないだろう。ジェムはそもそも規約を読んだことがない。

 

「僕が勝ったらバトルダイス以外のシンボルは全て貰う。もしジェムが勝ったら……僕もバトルダイス以外のシンボルは全て渡す」

「そんな……じゃあ負けたほうはシンボルが一個だけになっちゃうの?」

 

 ダイバは頷く。ジェムが打ちのめされたり、卑怯な手を使われたり、すごく強いブレーンと戦ってやっとの想いで手に入れたものが、一回の敗北で奪われる。それはとても残酷なルールだ。

 

「ジェムが渡すシンボルは二個でいい、というより本当にあなたは勝ったら五つとも渡すんですか? あなたに不平等に聞こえますけど」

 

 アルカもダイバに問いただす。強引ではあるがバトルのルールはジェムが決めることが出来、且つ勝利した時に得るものもジェムの方が多い。何か裏があるのでは、という疑問は妥当だろう。

 

「約束する。ルール違反なんてパパも許さない。それに僕は……相手が誰であろうと負けたらダメなんだ。パパ相手でも、ジェムにも、あのチャンピオンにも……勝たなきゃダメなんだ」

「だから多少不利な条件であっても問題ない、とでも言うのです?」

「……それ以上は言えない。ジェムが勝ったら教える。……僕がバトルフロンティアについて知ったすべてを」

「全て……?」

 

 ドラコやアルカの問いかけに、意味ありげにだが真剣に返すダイバ。冷静な周りの様子にようやく落ち着き始めたジェムは自分もダイバに聞く。

 

「ダイバ君は……普通に施設に挑戦してシンボルを貰うのは嫌なの? 私からシンボルを奪いたい理由が、ある? ジャックさんに何か言われたの?」

「……」

 

 ジェムは昨日の戦いでやっとダイバと一緒に肩を並べて、お互いのために協力し合える関係に慣れたと思っていた。でもそれも、自分の勝手な思い込みでしかなかったのかと不安になる。ダイバは帽子の鍔に手を当てる。そして何かを考えているようだった。数秒の沈黙の後、答える。

 

「……確かめたいんだ」

「えっ?」

「ジェム、前戦った時……君にポケモンバトルの才能がないって言ったのを覚えてるかな」

「忘れるわけないわ……私のせいで何も出来ずにポケモン達が倒されて、あんなこと言われて……辛かった」

 

 メタグロスに圧倒され、倒れるラティアスに泣きつく自分に言い放った言葉は鉄拳で殴られたように痛かった。ジェムが一番最初に味わった敗北感と無力感は一生忘れないだろう。

 

「昨日バトルタワーに入るまでは君のことをチャンピオンの娘っていう僕よりポケモンバトルに恵まれた立場の癖に才能のない勘違い女だって思ってた。でも今は、ほんの少しだけ違う」

「ほんの少しなんだ……」

 

 ダイバが頷く。らしい物言いだと思いつつも、否定は出来ないジェム。ドラコとアルカは二人の会話を黙ってみていた。

 

「でも昨日一緒に戦って僕は感じたんだ。君は特別な生まれの癖に才能はないし欠点も多いけれど、優しくて、まっすぐで……児童文学の主人公のように力強い。もしかしたらもう僕よりもずっと強いのかもしれないと思う」

 

 ダイバは帽子の鍔を上げ、ジェムをまっすぐ見て言う。ジェムは思いがけない言葉に顔を赤くした。

 

「そんな……ダイバ君が私のことそんな風に言ってくれるなんて、全然思わなかったな、あはは……」

「だからこそ」

 

 ものすごく厳しかったダイバが褒めてくれて嬉しいやら気恥ずかしいやらの気分になるジェムだが、ダイバの方には一切の澱みもなく、むしろバトルで倒すべき敵を見る目をジェムに向ける。

 

 

「君に勝ちたい。あの時とは全く違う強さを手に入れたジェム、ここにいる誰よりも勝ちを望まれている主人公に……僕が勝って、僕の手でチャンピオンに勝ちたい」

 

 

 数々の褒め言葉は、勝てる確信がない強敵相手だからこそ。自分がジェムの事をどう見ているか本心を伝えた上で勝つという決意。ジェムもその態度に気が引き締まる。

 

「これが僕が君にする最後の命令。……ジェム、僕と勝負してくれるよね? 勝ったらシンボルはもらう。僕が負けたらジェムにシンボルを渡す」

 

 命令、と言いつつもお願いする言葉になっているのはやはりジェムに対する心境の変化だろう。ジェムも言葉の代わりに唾を飲み込み、口を開く。

 

「……わかったわ。ダイバ君が私にそこまで言ってくれたんだもの。お互いに真剣に勝負しましょう。今日は……負けないからね!!」

「じゃあ、ご飯が終わって勝負のルールが決まったら僕の部屋に来て。……そうだ、ルールはバトルフロンティアにあるルールの中から決めてね。そういう決まりらしいから」

「うん、そうするね!」

「……じゃあ、僕も朝ごはん食べるから。せいぜいその二人と作戦を考えればいいよ」

 

 ドラコとアルカを指さしダイバは出ていく。素っ気ない言葉の中にも、二人をジェムの仲間として見ているのが伝わってきた。出ていった後、ドラコがジェムの背をバンと叩く。

 

「よく真っ向から受けて立ったジェム! さすがは私が認めた強者だ」

「……ま、勝ちさえすれば一気に全部手に入るんですからいい判断だと思いますよ」

 「……でも、ダイバ君はすっごく強い。ダイバ君は私の方が強いかもって言ってたけど……勝てる自信はない」

 

 正直な感想だった。あの時のように一方的にやられない自信はあっても、勝てるかどうかは全く別の次元だ。昨日は一緒に戦い頼もしい味方になってくれたダイバと、今まで集めたシンボル、つまりはこれまでフロンティアで行ってきた戦いの象徴をかけた真剣勝負をしなければいけないのは、やはり怖い。

 

「だから二人とも……どういうルールで戦うのがいいか、朝ごはん食べながら相談に乗ってくれる?」

「当然だ。ただしこの私が助力する以上は絶対勝てよ」

「……わたしに何が出来るとも思いませんが、いいですよ」

 

 だから、新たな仲間にジェムはお願いする。昨日の戦いを通じて一緒にいることが出来るようになった二人。ダイバだって今はもう一方的にジェムを嫌う敵ではない。新たな仲間たちとの戦いが、始まる。



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シンボルを賭けたバトル!

「ルールは私がここで戦った時と同じ、六対六のフルバトル。ただし一度に出せるポケモンに制限はなく、好きな数を出していい……シンボルハンターさんもバトルフロンティアが用意した人ならこのルールでもいいわよね?」

「……そうだね。問題ないよ」 

 

 ダイバがジェムに勝負を申し込んでから二時間後。ジェム達四人はバトルフロンティアの南端にある庭園に移動していた。ジェムが闇のシンボルハンターと呼ばれる男と戦った場所だ。ダイバも彼がバトルフロンティア側の人間だとはっきり言っているため、この場所であの時のルールで戦うことはシンボルを賭けたバトルの条件に則っている。ジェムとダイバが数十メートル離れた場所で向かい合い、ドラコとアルカは巻き込まれない程度に離れたベンチで並んで見ている。

 

「……ジェム、自分のシンボルを失う覚悟はいい?」

「うん、それとダイバ君に勝つ覚悟も……どっちも出来たわ」

 

 ジェムは自分のシンボルを失うつもりはない、とは言わない。ダイバの実力ももちろんだが、それ以上にこの戦いには厳しいものがあると思っていた。その理由は、ドラコやアルカと相談した時の内容にある。

 

──ジェム、この勝負お前にとって不利な点がバトルの実力云々とは別にもう一つある。

──ポケモンバトルの実力以外のこと?

──そうだ。ジェム、お前はこの勝負絶対に負けてはいけない理由はあるか?

 

 勝負のルールを決めた後にドラコが聞いた。ジェムは色々考えてみるが、特に思いつかない。

 

──ない、わね。勿論今度は勝ちたいけど……負けてもフロンティアに挑戦できなくなるわけじゃないし、ダイバ君もひどいことは言わないと思う。負けたら悔しいけど、あなたたちやお母様だって慰めてくれる。

──そうだな。昨日のバトルタワーならいざ知らず今のお前にとって負けの一つや二つ、致命的なものではない。むしろ今後の糧に出来るだろう。だがダイバは違う。たった一つの敗北が、自身の存在意義を大きく破壊しかねない。

──バトルフロンティアに来たばかりの私と……同じなんだよね。

 

 ドラコと戦った時、不利に陥ったときのダイバの精神的の揺れ方はジェムも痛ましく、自分の事のように思えた。だがその背景は大きく異なるのはジェムも理解している。

 

──そしてあいつは以前のお前と違い、目標が明白でバトルの経験も多い。メタグロスのように、勝利のための最善手を常に考え続けられる。一言で言うなら、勝負事への覚悟が違う。

──じゃあやっぱり……勝つのは難しいかな?

──だがそれでもお前は勝ちたいのだろう?

 

 ジェムは頷く。バトルフロンティアに来たばかりの時は手も足も出なかったダイバに勝ちたい。実力を認めて少しずつ心を開き始めてくれた彼に……本当の意味で肩を並べて歩けると証明したい。

 

──なら、お前が負かしてやれ。覚悟の重みは違えど、あいつも己の力に幻想を抱いていることに変わりない。あいつが実力を認めたお前の力で、ダイバの幻想をぶち壊してやれ。

 

 いくらダイバが強くても、この先一生勝ち続けるなんて不可能だ。二十年間頂点を守り続ける最強のチャンピオンでさえ、その力は幽玄で有限なのだから。そのことを心に刻み、ジェムはダイバに宣言する。

 

 

「ダイバ君は無理に勝たなくたっていい。負けたって、あなたが認めてほしい人達はあなたを見捨てたり失望なんかしないって……私が証明してみせる!! 行くよミラ、ペタペタ!」

「出来る気でいるならやってみなよ。僕はチャンピオンを超える。その為なら君の懐にある努力の結晶を奪ってでも……僕が勝つ!! 出てこいガブリアス!」

 

 

 二人はモンスターボールから自分と共に戦う仲間を出す。ジェムのゴーストタイプ二体に対して、ダイバはガブリアスだけを出す。勝った方がシンボルを全て手に入れる権利を賭けたバトルが、ついに始まる。

 

「蹴散らせガブリアス、『ドラゴンクロ―』!」

「ペタペタ、『鬼火』!」

「……『砂嵐』!」

 

 まっすぐ突撃するガブリアスにジュペッタが火傷を負わせようとする。ガブリアスは一瞬止まって体をぐるりと回転させると地面から大量の砂が巻き上がった嵐となった。そして、ガブリアスの蒼い体が消える。ガブリアスの特性『砂隠れ』により砂嵐による視界の悪さと体そのものに砂を纏うことで身を隠して相手の攻撃を回避したのだ。『鬼火』は砂嵐に紛れて消える。

 

「ガブリアス、このまま一匹仕留めろ」

「させないわ! ミラも『鬼火』!」

「そんなもの……!」

 

 ヤミラミが胸の宝石からジュペッタと同じ炎を出す。ガブリアスは砂に紛れ旋回し、ジュペッタの背後を取った。鎌のような翼が振り上げられる。ジュペッタはそのことに気づいておらず防ぐことが出来ない。だがヤミラミの炎がぐるりと曲がり、ガブリアスへ飛んでいく。振り下ろす腕にカウンターのように当たり、あまりの熱さにガブリアスが退いた。

 

「ミラならダイバ君の攻撃がいくら早くて強くても『見切り』と『見破る』で捌いていける……前みたいなやられ方はしないわ」

「……このルールを選んだのはそのためか」

 

 ダイバの長所はポケモン自体の強さに加え、ジェムの知るだけでも『高速移動』『爪とぎ』『グロウパンチ』『剣の舞』などを積極的に使い能力を強化することで一撃一撃がとにかく早くて重いことだ。一対一で向き合ってはどうしても力の差が出てしまう。故に複数体のポケモンを任意で呼び出せるこのルールを選んだというわけだ。ヤミラミの弱点を突くポケモンが来ても他のポケモンでサポートできる。

 

「だけど火傷くらい大した問題じゃない。ドラゴンタイプ最強格の力を見せてやる……『地震』」

「『見切り』に『ゴーストダイブ』!」

 

 至近距離で大地を揺らして発生する衝撃による攻撃を、ヤミラミは地面の動きを読み、またジュペッタは影に潜ってやり過ごす。揺れが収まった直後、思い切り地面を踏んで隙が出来たガブリアスにジュペッタが影からの鋭い爪による一撃を浴びせた。

 

「ガァアアアア!!」

 

 思うように攻撃できない苛立ちを隠さない声でガブリアスが腕を振り回す。先端がジュペッタを掠め体を弾いたが、火傷による攻撃力の半減と闇雲な一撃ではダメージは少ない。全開のように圧倒するどころか翻弄されていることにダイバは歯噛みする。それに対してジェムが窘めるように言った。

 

「どうしたのダイバ君? 昨日ドラコさんにアルカさんにアマノさん、レックウザを一緒に倒したんだから……威力が高いだけなら何とかできるのは知ってるはず。火傷状態、メガシンカも使ってないガブリアスで倒せると思うなんて、やっぱり私のことまだ弱いと思ってるじゃないの?」

「くっ……砂に隠れて『剣の舞』!」

 

 ダイバはジェムの問いかけを無視して命じる。ガブリアスが一旦退き、砂嵐に隠れて気合を高める舞を踊り始める。それに対しジェムは――かすかに笑った。

 

 

「それを待ってたわ! ミラ、ペタペタ、『よこどり』よ!」

 

 

 ヤミラミがガブリアスの舞を真似して、ジュペッタもそれを真似する。そしてヤミラミが胸の宝石を爪で引っかくことで黒板を削るような音を出してガブリアスの集中をそぎ落とした。

 

「続けて『影打ち』!」

 

 二体が一直線に伸ばす影がガブリアスの体を打ち抜いて吹き飛ばす。本来威力の低い先制技も『剣の舞』の効果を奪ったことで痛烈な連打となって敵を襲う。ドラコが感心したように頷き、アルカは小さく口の端を歪めた。

 

「なるほど。最初にゴーストタイプ二体を出したのはこれが狙いか!」

「攻撃を凌いでトレーナーを挑発し、相手に攻撃力を上げる技を使わせてそれを『よこどり』しましたか。ずる賢いのです」

「十中八九お前の影響があると思うがな……ともあれ、これで状況は大分傾いたぞ」

 

 ガブリアスは攻撃力を上げられなかった上火傷を負ったまま。対するヤミラミとジュペッタは『剣の攻撃力が大幅に上昇している。

 

「……やってくれるね」

「ずるいって思ってもいいわ。こうしてでも、私はダイバ君に勝ちたいんだから」

「……ジェムこそ舐めるな。こんな程度で卑怯と思うほど僕は弱くない。ガブリアス、怒りを解放しろ! メガシンカ!」

「ダブルで『シャドークロー』よ!」

「『逆鱗』で吹き飛ばせ!!」

 

 ヤミラミとジュペッタが影の爪を伸ばして相手を切り裂こうとする。腕をより大きな刃に変質させ体全体を鋭くしたガブリアスは怒りをぶちまけるような咆哮と共に刃を振るった。影の爪を弾き飛ばすが、衝撃で体は押される。なりふり構わず前に進もうとするが刃に変化して速さは失われたのか影に阻まれて進めない。だがダイバに焦りはなく、器用に三つのボールを取り出す。

 

「……今の挑発を後悔するといいよ。出てこいゲンガー。サーナイト。ガルーラ」

「一気に数を増やしてきた……来るのね」

「これが君にもチャンピオンにも出来ない境地。さあ、僕の魂が欲しければ望みを叶える力になれ! 守るのが使命だというなら力を絞り尽くせ!」

 

 ゲンガーとサーナイトの体が光に包まれていく。ゲンガーの下半身が地面ではなく異空間に沈み、腕や体が呪詛で覆われて刺々しくなる。サーナイトは逆に腕に薄いロンググローブを纏い胸には紅いリボンのような器官、足はまるでウェディングドレスのような丸く広がった姿になる。だがまだ終わらない。

 

「ガルーラ、子供の活躍が喜びなら全力で支えてみせろ! メガシンカッ!!」

「合計四体のメガシンカ!?」

 

 袋から出てきて張り切る子供のガルーラを微笑ましいと思う暇もない。砂嵐が時間と共に掻き消え見えたのは、一体でも恐ろしい力を持つポケモン達のシンカした姿。四体ものポケモンがメガシンカの状態で並ぶなど見たことがない。まずポケモンバトルで同時にそれだけ繰り出すことも珍しいが、メガシンカとはトレーナーにも負荷をかけるものなのだ。ジェムは二体同時にメガシンカを使うだけでもかなり疲れる。四体同時などすれば気を失ってしまうかもしれない。ダイバは人生のほとんどをポケモンバトルに費やしてきた基礎体力があるとはいえ流石に堪えるのか、額の汗をぬぐった後うっとおしいとばかりにずっと被っていたパーカーと帽子を外す。ずっと隠れていた赤色の坊ちゃん刈りが、風に吹かれて揺れた。ジェムやドラコ、アルカが少し驚く。

 

「格好悪いから人に見せたくなかったけど……認めるよ、ここまでしないと勝てないって」

「格好悪いわけないわ。それだけ本気で勝負に挑むダイバ君は……とっても素敵よ」

 

 今まで戦ってきた誰にも扱うことのできない力を十分に扱える自信があるのだろう、ダイバの表情には疲労こそあれど不安や弱気の色は全くない。ジェムはそんな彼を、素直に男の子としてかっこいいと思った。ダイバが一瞬黙ったが、すぐに指示を出す。

 

「……もう惑わされない。サーナイト、『ミストフィールド』」

「ペタペタ下がって。キュキュ、苦しいところばかり任せてごめんね?」

 

 サーナイトが両腕を合わせて祈るようなポーズを取ると、胸の紅い器官から力が発生して地面を桃色の不思議な力が包んだ。『逆鱗』を使っていたガブリアスが正気に戻り、本来発生したはずの混乱を防ぐ。その間にジェムはジュペッタとキュウコンを交代する。キュウコンはいつも通り元気に返事をしてくれた。

 

「……行くよ。ガブリアスは『噛み砕く』、ゲンガー、『シャドーボール』」

「ミラ、メガシンカして『守る』! キュキュは『ニトロチャージ』!」

 

 ガブリアスがジェット機のように飛んでくる牙をヤミラミは宝石の大楯で受け止める。ゲンガーの黒い雲丹のように尖った闇の弾丸をキュウコンが尻尾から出す炎で加速して宙へと躱す。上手く避けたがドラコが顔を顰めた。 

 

「サーナイトは『サイコキネシス』、ガルーラは『岩雪崩』!」

「ミスをしたかジェム……?『守る』は連続では使えんしキュウコンは宙に浮いているぞ!」

「ミラ、『メタルバースト』で『岩雪崩』を吹き飛ばして!」

 

 ヤミラミがサイコキネシスに大楯ごと体を吹き飛ばされながらも、一部の念力を使ってガルーラたちが放り投げた岩や礫をガブリアスに降らせ怯ませる。キュウコンも少し巻き込まれてしまったが、礫に掠った程度では怯まず力を溜めている。

 

「キュキュ、九本のフルパワーで後ろのみんなに『炎の渦』よ!」

「サーナイト、『ハイパーボイス』で吹き飛ばせ!」

 

 キュウコンが全ての尾から放つ炎をサーナイトがあらん限りの力を込めた美声で打ち払おうとする。しかし九つ全てを相殺することは出来ず、ゲンガーにサーナイト、ガルーラの周りが炎で包み退路を断つ。

 

「でもこれくらい、メガシンカした僕のポケモン達なら構わず攻撃できる! 続けて攻撃を――」

「出てきてペタペタ! あの人に貰って、ゴコウさんが見せてアルカさんが教えてくれた力……ここで使うよ!」

「まさか……このタイミングでアレを使うのですか」

 

 闇のシンボルハンターに勝利して渡されたシンボルは、ほとんどバトルフロンティアのシンボル……の偽物だった。だが中にたった一つだけ、ポケモンバトルで使えるものが紛れていたのだ。ジェムはそのことを知らなかったが、今朝アルカが持っているのに気づいたのだ。ジェムが腕を顔の前でクロスした後、子供がお化けの真似をするように手をゆらゆらさせて前に突き出す。

 

 

「これが私とペタペタが解き放つゼンリョクのZ技……『夢幻暗夜への誘い』!!」

 

 

 ジュペッタの身体からピンク色の空間をも染め上げる黒が噴出して、地面から三体を閉じ込める炎の渦よりも更に大きく包み込むような暗黒の腕が無数に出現する。逃げ場もなく、炎の渦のせいで何が迫っているかもわからない三匹は反撃の技を出すことも出来ず腕に叩き潰される。アルカが額に手を当てて呆れる。

 

「使ったこともない技を彼との戦いで出すのはリスキーすぎると言ったのに……ほんと、自分勝手な子です」

「だが結果は最高だ。ノーマルタイプのガルーラはともかく、ゴーストタイプのゲンガーやエスパータイプのサーナイトには致命的なダメージを……何!?」

 

 闇に覆われたことで炎も消え、襲われた三匹の様子が視認出来るようになる。だがそこにはドラコの予想した光景はなかった。ガルーラ親子が平然としているのはいい。だがサーナイト色違いになったように体を黒く染めながらも立っており、ゲンガーに至っては消えていた。戦闘不能になって倒れているわけではない。

 

 

「そんな付け焼刃頼りで……ずっと戦い続けてきた僕達は倒せない! ガブリアス、『ドラゴンクロ―』! ゲンガー『シャドーボール』!」

「ミラ、二人を守ってあげて!」

 

 大技を出して隙の出来たジュペッタとキュウコンを狙う強烈な一撃をヤミラミが『守る』で防ごうとする。ガブリアスの刃は宝石で何とか受け止めたが、ゲンガーの棘の塊と化した弾丸に大楯が砕け散って吹き飛ばされた。弱点となる一撃を受けてヤミラミはそのまま倒れてしまった。ジュペッタとキュウコンがその間に何とか飛びのいて距離を取る。

 

「メガゲンガーの体は地面を通して異空間に繋がってる……どんな状況になっても逃げられなくなることはない。サーナイトだって『リフレクター』を使えばダメージは減らせる」

 

 ジェムもメガゲンガーが地面から異空間を通して抜け出てくるのは見えていた。だからこそ二体の攻撃にも対応できたわけだが、表情は苦い。ジェムの作戦では敢えて二体で攻撃をしのぎ、余計にポケモンがダメージを受けないようにしつつ予想外であろうZ技で一気に倒すつもりだった。だが思ったほどの効果を上げられず、守りの要であるヤミラミを倒されてしまったのだから当然だ。

 

「君の機転や発想はすごいし、昨日みたいな特別な状況じゃ助けられた……でも、普通のポケモン勝負ならそういうトリッキーな戦いよりもポケモンの能力の高さに安定した威力と命中率、使い慣れた技の方が確実に強さを発揮できる」

「……」

 

 選び抜かれたポケモンの強さとそれを扱いこなす経験に裏打ちされた、技に特別な個性はなくともひたすらに良手を打ち続けられる安定感。多少の変則ルールならものともしないその強さを改めてジェムは思い知る。

 

「前と違ってこっちのポケモンも何体かは倒されるだろうけど、この勝負……最後は必ず僕が勝つ」

「まだ一体倒されただけ、まだまだ勝負はわからない……ここからよ!」

 

 わずかにジェムの声が強張る。Z技は一回しか使えないしジュペッタはこのバトルメガシンカは使えない。倒れたヤミラミに加えその損失は決して小さくないことはわかっていた。アルカがそのことは説明してくれた上でリスクを理解して使ったのだから、後悔はない。ジェムは弱気を打ち払うように自分を鼓舞する。

 

 

(それでも、負けたくない……お父様みたいに幽雅じゃなくたっていい。どんなに諦めが悪いと思われたって私はダイバ君に勝ちたい!!) 



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スペクタクル・クライシス

 お互いの持つシンボルを賭けたバトル。ジェムはこれまでの勝負で得た技、トレーナーとして学んだ技術を利用してダイバの攻撃をしのいでいくが、先に一体ポケモンを倒したのはダイバの方だった。並び立つメガシンカポケモン達の力を十分に発揮するダイバとの力の差はやはり大きい。

 

「ペタペタとキュキュは一旦下がって……出てきてルリ、クー!」

 

 ジェムは大技を出して消耗したジュペッタとキュウコンを下げ、フェアリータイプを持つ二匹を繰り出す。マリルリがゴムまりのように転がり弾みながら登場し、クチートが大顎を開けて精いっぱい威嚇をした。大鎌を振るう暴竜、刺々しい恨みを放つ亡霊、妖精のように歌う花嫁、親子愛を力に変えたポケモン達を見据えジェムは思う。

 

(ダイバ君の場にはメガシンカしたポケモンが四体。みんな強いしタイプもバラバラで隙もない……だけど欠点はある)

「ガルーラは『ピヨピヨパンチ』、サーナイトは『サイコキネシス』」

「ルリ、クー、ガブリアスの懐に潜り込んで!」

「何……!?」

 

 小さなクチートとマリルリがガブリアスの大きな体の足元へと身を隠す。親子で挑みかかろうとするガルーラや念力を当てようとするサーナイトは手は出せない。

 

「クチートとマリルリはフェアリータイプ、いくらガブリアスが『ドラゴンクロ―』を振るおうとダメージを与えることは出来んしダイバがこれだけポケモンを展開しては『地震』も自殺行為というわけか、だが……」

「小賢しいね……『炎の牙』!」

「ルリ、『アクアジェット』でふっ飛ばして!」

「りるぅ!」

 

 ガブリアスが足元のクチートに食らいつく前に、マリルリが水を噴射してガブリアスの体を自分ごと押し飛ばす。ガブリアスを盾にして奥のサーナイトへと突き進む。

 

「チッ、ガブリアスごと『ハイパーボイス』で吹き飛ばせ!」

「させないわ、『不意打ち』よ!」

「クチートの位置からサーナイトに不意打ちが届くわけな……!?」

 

 ダイバは目を見開く。クチートはマリルリの足をしっかりと腕で掴んで一緒に移動していた。そしてジェムの紅い方の瞳と共に光り、メガシンカを決めている。二つの大顎が、歌声を響かせようと息を吸うサーナイトを横合いから、張り飛ばす。ガブリアスと激突こそしなかったが、ダメージは少なくない。マリルリはガブリアスから離れ一旦周りを警戒したが、隠れ蓑に利用され、あまつさえ自分に止めを刺すより他の警戒を優先したことがガブリアスの逆鱗に触れた。

 

「ガアアアアアアアアアアアアア!!」

「もういい、戻れガブリアス」

「アアアアアアア、ガッ!!」

「……僕の命令が聞けないの?」

「ガアアアアア!!」

 

 ダイバはボールを出し戻そうとしたが、ガブリアスは激しく抗議したようだった。鋭い口を何度も大げさに噛み、腕の鎌が効かなくてもこの牙でマリルリを食いちぎってやると言わんばかりの仕草だった。ダイバがため息をつく。ガブリアスのメガシンカは体の変質によってポケモンに大きな負荷をかけ、ストレスが大きくなる。

 

「ちっ……ゲンガー、サーナイト」

 

 一瞬、ダイバの目が最初にジェムと会ったときのように冷たくなった。その意図を察し、ジェムは思わず声を上げる。

 

「待ってダイバ君、それは流石に……!」

「『サイコキネシス』」

 

 二体の強烈な念力が怒り心頭のガブリアスを襲い、白目をむいてガブリアスは倒れた。やっとおとなしくなった自分のポケモンをダイバは戻す。

 

「言うことを聞かないからって、そこまでしなくても……」

「……どうせ、ガブリアスを倒さず怒らせて隙を作るのが狙いだったんだろ。倒そうと思えば、マリルリの一撃で倒せたはずだ」

「……っ、それは」

 

 図星を突かれて言葉に詰まるジェム。事実マリルリやクチートの攻撃力なら弱点を突いたうえでガブリアスを倒すことは難しくなかった。ジェムの予想では怒りに任せて暴れるガブリアスを影に他の三体を攻撃していくつもりだったのだ。ここまでの戦いで、ガブリアスがかなり怒りっぽいことはわかっていたから。

 

「その手に乗るくらいなら僕は勝利のためにガブリアスを犠牲にする。……勝つためだけに、僕はこいつを育ててきたんだから」

 

 接近戦に強いマリルリとクチート相手では分が悪いと判断したのかガルーラを戻しながらダイバは気迫のこもった声で言う。能力の高さはダイバの持つポケモン全般に言えることだが、ガブリアスは特に強力なタイプに高い機動力と攻撃力、メガシンカという選択肢の存在からポケモンバトルという勝負の中で強力なポケモンとされていることはジェムも何となく知っている。ダイバがドラコのフライゴンを低く見ていたのもそういう背景があったのだろう。

 

「だけど、それじゃガブリアスが……」

「可哀想、なんてつまらないことは言わないでよね。メガシンカするとすぐ熱くなって連携を乱す……そのリスクは僕もガブリアスも理解した上でやってるんだ。君にどうこう言われる筋合いなんてない」

 

 メガシンカとはポケモンとトレーナーとの信頼がなくては不可能だ。よってガブリアスがメガシンカしたこと自体がダイバの言葉が真実である証拠になる。ダイバの勝利への執念を思えば否定するべきではないのかもしれない。それでもジェムは言う。

 

「ダイバ君の考えはわかったわ。でも……本当に強くなるためにはそういう時でもポケモンと協力して戦える方がいいと思う」

「そういうセリフは僕に勝ってから言いなよ。お喋りしている間にもゲンガーとサーナイトのエネルギーは溜まっている……こっちの心配をしたことを後悔しなよ!『シャドーボール』『サイコキネシス』!!」

「……来る!!」

 

 ゲンガーとサーナイトの頭上にはそれぞれ、膨れ上がった濃紫色に淀んだ怨みの力と光り輝く清めあげられた聖なる力が溢れている。それらは球体の形を取ると、同時に放たれた。

 

「ルリ、思いっきり力を溜めて!クー、『バトンタッチ』!」

 

 今までの一撃の倍以上に膨れ上がった怨念と思念の塊がマリルリ達に迫る。対してマリルリは両方の小さな拳をぐっと握り、クチートは黒い大顎の方ではない本物の口でマリルリの耳にキスをした。普段なら微笑ましくも見えるそれにどんな力が込められているかを理解し、アルカが呟く。

 

「クチートのあれは『蓄える』……エネルギーを蓄え纏った防御力をマリルリに移しているというのですか」

「力を溜めていたのはジェム側も同じだったようだが、それだけでは奴らの攻撃を防ぎきれんぞ。どうするつもりだジェム?」

 

 ドラコは期待を込めて膨大なエネルギーを迎え討とうとするマリルリを見る。クチートは上げた能力を全てマリルリに注いでいるから、マリルリがなんとか出来なければ二体そろって瀕死になるのは確実だ。

 

 

「大丈夫よルリ。クーが守ってくれるし、私はあなたの力を信じてる……他のどんなポケモンよりも力を溜めて戦うのが得意なあなたを!『腹太鼓』からのジャンケン……『グー』!!」

「りるうううううう!!」

 

 

 攻撃力マリルリが二つの塊を同時に拳で殴りつける。炸裂する間もなく一瞬にして凍り付いた二つの塊はそのままゲンガーとサーナイトへ跳ね返る。メガシンカの力さえを包み込んだ氷の鉄拳となって二体を襲う。ダイバは鋭く指示を出した。

 

「『サイコキネシス』ではじき返せ……!」

 

 防がれる可能性は考慮していてもそのまま帰ってくるなど予想していなかったサーナイトとゲンガーの反応は遅れ、念力で逸らそうとするがマリルリの力をすべて込めた一撃は重く速く。何よりも力が籠っていた。一切ぶれることなく直撃した氷の拳に吹き飛ばされ、同時に倒れる。マリルリも、クチートに守られていたとはいえ『腹太鼓』の力を限界まで使った反動で倒れる。

 

「くっ……マリルリ相手に僕の二体が……」

「ルリだけじゃないわ。クーがルリを信じて守ってくれたから……」

「そんな単純なことじゃない!!」

 

 苛立ちを込めて呟いたダイバにジェムが答えると、彼は拒絶するように腕を振り、声を上げる。

 

「僕のポケモン達はパパとママが強いポケモンを選りすぐって、個体まで厳選して渡したんだ……まともなポケモンバトルなら世界中で一番強いポケモン達を持ってる僕が負けたら……パパもママも幻滅する。そんなのは嫌だ。だから、絶対に負けるわけにはいかないんだ!」

「そんなこと……」

「君に何がわかるっていうんだ! パパもママも社長や女優としてすごく偉い立場にいて、それと比べられ続けた僕の気持ちが、ずっとおくりび山に引きこもってた君なんかにわかるわけがない!用意された道を歩き続けた君の事は……絶対に倒してみせる!それが僕がパパとママを見返す唯一の方法なんだ!」

「用意された道って……ダイバ君は何を知ってるっていうの? それを教えてくれれば、私だって……!」

「ジェムが知らなくていい、ここまでで築き上げた君の強さを僕が上回って……僕がチャンピオンに挑む!出てこいミロカロス!!」

 

 ダイバが出したポケモンは、今までジェムの見たことのないポケモンだった。滑らかで光沢のある長い体に、赤と青の混じった装飾を施したような姿はこの状況ですら美しいと思える。ミロカロスは憂うような眼をジェムとダイバ交互に向ける。

 

「『波乗り』だ!」

「クー、『蓄える』!」

 

 ミロカロスが大量の水を作り出し、大波を起こしてクチートの体を飲み込む。クチートは力を蓄えて踏ん張り、波を凌ぐ。しかし――波が消えた後にあったのは、ミロカロスが長い体をぐるりと巻き付けクチートを締め上げる、見た目の美しさとは裏腹の光景だった。

 

「クー、『噛み砕く』!」

「無駄だよ、『とぐろを巻く』も合わせた『巻き付く』からは逃げられない! このまま『熱湯』だ!」

「クゥゥゥゥゥ!!」

 

 ミロカロスが口から湯気の立ち昇る水を吐き、逃げられないクチートに浴びせる。無理やり煮え湯を浴びせられ続け、クチートの悲鳴が響き渡る。

 

「クー! ダイバ君、クーはもう戦闘不能扱いでいいから止めて!」

「駄目だ、止めない! ……思い出させてあげるよ、何も出来ずポケモンが傷つき続けるあの時の恐怖を!!」

 

 巻き付いた上で『熱湯』を浴びせ続ける以上、ミロカロスとて火傷を負う。だがミロカロスの特性は『不思議なウロコ』だ。火傷状態になることで防御力が上がるし、それを前提に鍛え続けたダイバのミロカロスは決してクチートを離すことなく巻き付き続ける。最初に戦った時、泣きながらやめるよう訴えるジェムに構わずメタグロスでラティアスを殴り続けたあの時を疑似的に再現しようとする。

 

「お互いのポケモンが半分倒れ、決着が近づいたところでこれか……勝負をかけに来たな」

「ここでジェムの心が折れれば確実に勝てる、ジェムのような優しい子供には有効でしょう。……まあ、非情なことですね」

 

 ドラコとアルカが分析する。ダイバの方も半分が倒されていよいよ余裕がなくなったのだろう、手段を選ばないやり方に出たことにジェムはどう思い、どう心を変化させるのか。その答えは――。

 

「……私は、ダイバ君を信じるよ」

「この期に及んで何を……!」

「出てきてラティ! 『龍の波動』!」

「ひゅうあん!」

 

 ジェムが自分の一番の相棒であるラティアスを出し、銀色の波動を放たせようとする。ドラゴンタイプの技ならミロカロスにダメージを与えつつもフェアリータイプを持つクチートは傷つかないと判断しての事だろう。

 

「ジェムならそう来ると思ったよ。ラティアスに『冷凍ビーム』!」

「!!」

 

 だが、ラティアスよりも早くミロカロスが口から今度は氷の光線を吐いた。この状況でクチートを救い出すにはクチートが無効に出来るドラゴンタイプか毒タイプの技で攻撃するしかない。そしてジェムの手持ちに毒タイプはいない以上、ラティアスを出してくることは計算出来たことだ。故に先んじて冷凍ビームを撃つことが出来る。ジェムの肩がびくりと跳ねた。

 

「さあ、クチートを助けたければ『冷凍ビーム』を受けてでもミロカロスに攻撃してみなよ、でないと……」

「やっぱり、そう来ると思ったわ! クー、お日様に『ソーラービーム』!」

「何……!?」

 

 銀色の波動は蒼い光線と相殺する。ミロカロスには届かない。だがクチートの悲鳴を上げる二つの口から、眩い光が天へと差して――。ミロカロスとクチート両方に太陽の光を濃くしたような光線が降り注いだ。いくら『とぐろを巻く』や『不思議なウロコ』で防御力を上げていようとも、熱湯を自分にも浴びせ続けた上、草タイプの特殊な大技を受ければ耐えきれずミロカロスがばたりと倒れる。クチートも折り重なるようにして気を失った。お互いにポケモンを戻し、ダイバの残りは二体、ジェムの残りは三体。

 

「なんでわかった? 僕らがラティアスを狙ってたって……」

「いくらあの時みたいにしてもダイバ君は意地悪でやってるんじゃない。私に負けるかもって思いながらも勝つためにやってるってわかるから……きっとこうしてくるって思ったの」

「……そう。憎たらしいくらい強くなったね」

「私が勝ったら、本当に憎まれちゃうのかな……もう一度出番よ。キュキュ、ペタペタ」

 

 フロンティアに来たばかりのジェムでは考えつかないどころか苦しむクチートを助けるために慌てて攻撃して罠に嵌まっていただろう。あるいはここに来た時は舞い上がっていただけでもともとそれだけの実力はあったのかもしれない。でも今のジェムがあるのは、今までの出会いとバトルがあったからこそだ。ダイバは噛みしめるように呟き、残された二体――ガルーラとメタグロスを出す。ジェムも残る二体、一度は下げたジュペッタとキュウコンを出す。これでポケモンはすべて出そろった。最後にまだ戦える状態のポケモンが残っていた方が、勝つ。

 

「本来はチャンピオンと戦うまで取っておくつもりだったけど……ここに来るまでの僕の力じゃ勝てなさそうだ」

 

 諦めの言葉ではなく、むしろ冷静さを取り戻し気合を入れ直したような厳かな口調。そして目を見開き、メタグロスの体をメガシンカの光が包み始める。

 

「昨日僕と君が二人で使った力……今僕だけの技として昇華する!……パラレルライン、オーバーリミット! テトラシンクロ、レベルマックス! メガシンカよ、電脳の限界を解き放ち究極の合体で勝利をつかみ取れ!!」

 

 メタグロスの体が輝き、フロンティアの中央からメタングとダンバルが飛来する。それは眩しい光と共に――ガルーラ親子の体を包む鋼の武装となって変形し、まるでガルーラがドサイドンのように大きくなった。子供もお腹の中に隠れ、更にそれを鋼が覆って鉄壁の守りを形成している。

 

「メタグロスと他のポケモンの合体……もう、自分だけで使えるようになったなんて」

「昨日君たちが仲良くおしゃべりしている間に、特訓したんだ……成功したのはガルーラとだけだったけど、今この状況なら十分。『ブレイククロー』!」

「速い……! キュキュ『火炎放射』!」

 

 メタグロスの電磁力を使い、重たそうな体からは想像も出来ない速さで突撃して腕を振るうガルーラにキュウコンが炎を放つ、しかし鋼で覆われた腕は炎をマッチ棒でも払うようにものともせずキュウコンの体を掴み、地面に叩きつける。追撃の『のしかかり』を受けキュウコンは何も出来ず倒されてしまった。

 

「キュキュをこんなにあっさり倒すなんて……!」

「次はジュペッタだ! 『シャドークロー』!」

 

 メガシンカしたメタグロスの特性は『硬いツメ』。よって鋭い一撃を重視しているのだろう。今度は黒く染まったゴーストタイプに有効な爪をジュペッタに向ける。やはりスピードは速く、まるで大型の車が襲ってくるようだった。

 

「ッ、でもペタペタから攻撃したのは失敗よ!ペタペタ『怨念』!!」

「!!」

 

 ジュペッタは無抵抗に切り裂かれ、ただのぬいぐるみのように地面に落ちる。しかし人形の身体から噴き出た怨念ガルーラに襲い掛かる。ガルーラとメタグロスから、技を使う力を奪われその体が機能停止したようにうずくまる。

 

「シンボルハンターさんと同じ『怨念』の効果! ペタペタを倒した相手の技を全て使えなくするわ! これでガルーラもメタグロスももう技は使えない……」

 

 どんな強力なポケモンでも全ての技を封じてしまえばもう『わるあがき』しか出来ない。ジュペッタを犠牲につかみかかった勝利にジェムは安堵しそうになった瞬間――凄まじい悪寒がした。

 

「ラティ、逃げて!!」

「ひゅうあん!!」

 

 ラティアスが咄嗟に身をかわす。すると真下を紅いコアのような物が中心にある鉄球が掠めた。メタグロスの体を構成するダンバルが変形したものだった。それは遠くの壁に当たると爆発し、庭園の一部を破壊する。

 

「ガルーラには『切札』っていう技がある。ガルーラの仕える技が少なくなればなるほど威力がどんどん上がっていくゴーストタイプを倒すための正真正銘の切り札がね」

「でも『怨念』で全ての技を使えなくすれば意味が……」

「勿論それも想定してミロカロスには使えなくなった技を使えるように出来る『ヒメリの実』を持たせ、バトル中に落としておいた。そして『怨念』を受けた直後に拾って食べれば技は使える」

「それがダイバ君が……私のお父様に勝つために考えた作戦なのね」

 

 ジェムの悪寒の正体は、ゴースト使いであるチャンピオンに勝つことにあれほど拘っているダイバが『怨念』に対して無策だろうか?という懸念だった。事実それは当たり、もう少しでもわずかに油断していれば切札が直撃しラティアスは瀕死になっていただろう。地面に落とした木の実を食べるまでのわずかな時間がラティアスに回避する時間を与えたというわけだ。

 

「次は外さない……パパのメタグロスとママのガルーラ、それを統べる僕の力で君に勝つ!もう君の手持ちはラティアス一匹、どうすることも出来ない!」

「ううん……一匹じゃない、私達全員の力でダイバ君に勝つ!その為に必要な条件は……すべて整ったわ!」

 

 ラティアスの紅い体がジュペッタの色に染まるように黒く染まる。まるで昔の魔法使いのように白黒の姿になったラティアスを見てダイバはハッと顔を上げる。

 

「『ミラータイプ』……ジュペッタが倒れる前に使っていたのか!」

「そうよ。そしてペタペタにはゴーストタイプとして、倒れたみんなの力を受け継ぐ必殺の技がある! ペタペタとみんなの『恩念』を受け継いで……これで決めるよ!」

 

 シンボルハンターとの戦いではラティアスが活路を開いてジュペッタが決めた技を、今度がジュペッタがチャンスを作りラティアスが放つ。白黒のラティアスの体が五つに分身して、宝石のような煌めきや水玉模様、光沢のある黒色や燃えるような赤色に染まった色々なラティアスが次々と飛翔し、ガルーラへと突進していく。 

 

 

「君がどれだけの力を積みかさねようと……僕の『切札』が負けるわけないんだ! 全て打ち尽くせ! 今まで勝つために積み重ねた全てを吐き出すんだ!」

「私達みんな……何よりダイバ君のためにも、勝ってラティ!『ミラージュダイブ』!!」

 

 

 ガルーラがその腕、お腹の袋、口からダンバルやメタング、そして通常のメタグロスの胴体のような形をした砲弾を打ち出す。そのたびにガルーラの装甲は剥がれ落ち、普段の姿になっていく。ダンバル、メタングの砲弾が爆発して分身を一匹ずつ、そしてメタグロス型の砲弾で分身二匹を打ち消したが、最後のモノクロになったラティアス本体には届かない。ラティアスの光の力とジュペッタの闇の力が重なった一撃はガルーラと残った装甲を吹き飛ばし、何度も何度も転がりながらも立て直そうとして――

 

 

「負け、た……う、あ……うあああああああああああああああああっ!! ああがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」

 

 

 ダイバが両腕で頭を抱え膝から崩れ落ち、金切り声に近い絶叫を上げる。ガルーラもメタグロスも、立ちあがることが出来なかった。切り札をすべて使い尽し、技も体力もない。自分の敗北が確定し、ポケモンバトルに勝ち続けチャンピオンを超えるという自分の存在意義が崩れ去ったダイバは母親を見失った赤子のように泣き喚く。ジェムはラティアスを褒めてあげる余裕もなくダイバに駆け寄ろうとした。

 

「ダイバ君、落ち着いて――」

「やめろジェム。今お前が慰めてもダイバにとっては惨めさが増すだけだ!ダイバのためにも勝ったというなら、泣き止むまで話しかけるな!」

 

 勝負が終わると同時にこの展開を予測していたのか、いつの間にかジェムのすぐ傍まで来ていたドラコが無理やりジェムを止めた。アルカはベンチに座って耳を塞いでいる。ドラコはダイバの声にかき消されぬよう大声で諭した。

 

「そんな……何かしてあげられないの?」

「お前にはわからんかもしれんが、男にとっては自分を負かした女に慰められるなど傷口に塩を塗られるよりも屈辱的なものだ!わからなくてもいい、今は泣かせてやれ!」

「つっ……!」

「あああああああああああああああああああっ!がああああああぐああああああああああああああっ!!!」

 

 ダイバがおかしくなってしまうのではないかと思えるほどの悲鳴にジェムの身が本能的に竦む。自分が勝ったせいでダイバが壊れてしまったらどうすればいいのかと思うと、ドラコを振り切ってでも駆け寄りたくなった。だがドラコは意地でも話すつもりはないらしく強く腕を掴んでいるし。何よりも彼女は真剣だった。

 

「わかった……でも、泣き止んだらまた一緒にお喋り出来るわよね?」

「……」

 

 ドラコは答えなかった。今までの旅の軌跡をすべてぶつけた勝負の結果はジェムが勝ち、ダイバは負けた。本当にこれがダイバや自分にとって良い結果になるのか、自問自答しながらジェムはダイバが泣き止むまで、凄まじい金切り声を聞き続けていた――。 

 



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全ては皆の笑顔のために

 どれくらいダイバによる絶叫と絶望の混じった泣き声、いや叫び声が続いたのかジェムにはわからない。十分程度の出来事だったかもしれないし、一時間近かったかもしれない。ただはっきりしているのは、子供の涙というのはどれだけ激しくてもスコールのように長くは続かないものだということだ。はいつくばって泣いていた声が唐突に静かになり始め、徐々に嗚咽となり、それも数分もしないうちに止まった。卵の殻を突き破り這い出る雛のようにもぞもぞと、ダイバは立ち上がり泣きはらした目をこする。

 

「……ごめん、取り乱した。僕の負けだ」

 

 帽子とフードを被り直し、ダイバはそうつぶやくとドラコに肩を掴まれたままのジェムに歩み寄る。泣き腫らしたことで感情はフラットになっているのか、歩き方には澱みはなく、フロンティアパスからシンボルを四つ取り出す。ジェムもそんなダイバを見つめて、決着をつけた勝者と敗者が向かい合う。

 

「いいの。私も負けた時すごく悔しかった……辛かったから」

「これを渡せば君はチャンピオンと戦うことになる。……覚悟はいい?」

「うん、あなたに勝ったって事に恥じないように頑張るわ。……じゃあ、貰うね」

 

 自分が今慰めることはダイバにとって酷というドラコの言葉を信じ、ジェムは余計な言葉をかけない。ただその代わり、シンボルを持つダイバの手を取ってまるで健闘をたたえ合う握手のように優しく力を込めた。なかなか手を離さないジェムに、ダイバがいぶかしげな声をかける。

 

「ジェム?」

「……くだらないわがままだと思われるかもしれないけど、これで一勝一敗だから……ううん、これから何度だって、ダイバ君とまたポケモンバトルがしたいの。その気持ちだけは、受け取ってくれる?」

 

 ダイバの顔がぽかんと、年相応の子供らしい不思議そうな表情になる。手を口元にあてて少し目を逸らした後、ため息をついて答えた。

 

「……考えとく。ただもしそうなった時……やっぱり今日で最後にしとけばよかったって思っても知らないからね」

「ありがとう……だから、まだ私と一緒にいてくれるよね?」

「ジェムがそうしてほしいならそうする。ただ……」

「ただ?」

「いや……まずはシンボルが先だ。ジェム、フロンティアパスに全てのシンボルを」

「わかったわ。……じゃあ、やるね」

 

 ジェムはそっとシンボルを取って手を離し、自分のフロンティアパスを取り出す。今ジェムのフロンティアパスには三つ、そしてダイバに貰ったシンボルが四つ。ここに来てから夢見ていたシンボルの制覇を叶えて、ちょっと胸が温かくなった。今の自分には両親から貰って師匠が鍛えてくれたポケモンだけでなく、勝負の日々で一緒にいてくれるようになった仲間がいる。バトルファクトリーのシンボルをはめて、隣にいる人の顔を見る。

 

「本当に勝ちましたか……ま、おめでとうございます。わたしとしても旅に出るのが早くなりそうでいいのです」

「一緒に旅するの、楽しみにしててくれてるの?」

「さあ、よくわかりません。あなたが言う償いをさっさと終わらせたいだけかもしれませんしね」

「それでもいいわ。……自分勝手で迷惑な私の事、見守ってね」

「……いいですよ、その辺は持ちつ持たれつです」

 

 生きるために他人を欺き食らい続けた毒使いの少女。彼女が本心ではジェムの善意や傲慢さをどう思っているのかはわからないし、今でも食らう機会を伺っている部分はあるのだろう。それでも今こうして悪意を向けることなく会話をして、幽かにだけど笑ってくれる。それを確認して、また一つシンボルをはめる。

 

「ふふ……流石私が強者と認めた相手だ。今はお前こそこのフロンティアで一番……もうここまで来たらチャンピオンにも勝ってしまえ」

「私に出来るかな……でも、ドラコさんが言ってくれるとなんだか出来そうな気もするわね」

「当然だ、我が竜たちを退けておいて負ける気でいてもらっては困る」

「じゃあそのために、また色々教えてくれる?」

「当然だろう」

 

 激しく厳しく、竜そのもののような強さで転んだり迷う自分を叱咤激励してくれたドラゴン使いのお姉さん。自分よりずっと大人びていて、ジェムがアルカ、ダイバと接するのを支えてくれる人がすぐそばにいるのはとても心強い。そんな人がまっすぐ自分の強さを認めてくれるのは、とても嬉しい。六つ目のシンボルをはめ、ダイバが声をかけてくる。

 

「……今までの事、悪かった。僕は自分が強くないことを認めたくなくて……チャンピオンの娘である君に言うことを聞かせて強いって思おうとしてた」

「ダイバ君は強いよ……誰が何を言ったって私はそう思う。それにここに来たばかりの私も全然大したことなかったのに自分の事強いって思いこんでた。だからこれからは……お互い対等な、お友達になりましょう」

「友達なんて今までいたことないからよくわからないけど……好きにすれば」

「大丈夫よ、ここに来て初めて出来たんだから!」

「……そう。まあ、だからこそかな」

 

 静かで暗い、だけど自分よりもずっと真剣に親に近づくために勝負を重ねてきた少年。なんとか勝てたけれど、それはダイバに焦りと自分や親に対する幻想があったからこそ。彼はこれからもどんどん強くなるだろうし、その時はもうジェムが追い付けない高みに達するのかもしれない。でも今は自分よりも小さな背中を、命令じゃなく似た境遇の人間としてそっと支えてあげたいと思える。

 

「じゃあこれで……最後のシンボルね」

 

 ジェムが最後の一個、昨日獲得したバトルタワーのシンボルをはめる。するとフロンティアパスがぼうっとブラックライトのような暗い光に溢れ始め、上の画面には『COMPLETE』の文字が黒く浮かび上がる。が、それ以外特に変化はない。

 

「あれ……これだけ?」

「……地味ですね」

「あのオーナーにしては意外だな」

「……」

 

 少し肩透かしを食らったような気分になるジェム。ダイバは何も言わない。だがしばらく画面を見つめていると――画面の英語の文字が輪郭からばらばらになっていく。画面そのものにノイズが走り始め、フロンティアパスを持つジェムの手が痺れる。少し大きい静電気が弾けるとジェムは思わず手を離した。同時に画面から小さなポケモンが飛び出て、凄まじい速度でバトルフロンティアの中心部へ向かっていった。

 

「何今の……?」

「このパスの中に入ってた……ポケモンですかね」

 

 ジェムとアルカが驚く。ドラコが平然と説明した。

 

「はっきりとは見えなかったが、恐らくはロトムだろう。電気製品に入り込み、キンセツシティなどでは人間の生活をサポートする役目を果たしているが……さて」

「……多分、ここからが本番だ」

 

 ダイバがフロンティアの中心部を見る。それにつられてジェムたちも目を向ける。南端の庭園から見えるのは天高くそびえたつバトルタワーだが、その姿が見る見るうちに変わっていく。

 緑色を基調に金色のラインが入ったバトルタワーが、まだお昼前なのに下の方から真っ黒に染まっていく。電気を消したとか空が曇ったとかそういうレベルではなく、一切の光を反射しない純粋な、本当の意味での黒であり闇。まるでフロンティアの象徴を埋め尽くすように天辺まで黒くなったそれは、天まで届く影のようだった。

 

 

「な……なに、これ……」

「また何か、異常が……?」

「いや……おい、パスを見ろジェム」

 

 ジェムは落としてしまったフロンティアパスを拾い上げる。するとノイズの入っていた画面が音を立てて切り替わり、そこにはホウエンチャンピオンであるジェムの父親がいた。画面の中の彼はジェムの瞳を捉えた。ジェムの片方の目と同じ海のような蒼色が、チャンピオンとしての堂々と、そして誘い込むような幽玄さで見つめている。

 

「お父様……」

「まずはフロンティアシンボルを全て集めたことを認めよう。おめでとうジェム。さすが私の娘だ。ルビーもジャックさんも誇りに思うだろう」

「ありがとう……ここまで色々あったけど、やっと最初の夢が叶ったのね」

 

 本当のところ、あまり実感はない。最初は父親の背中を追いかけるためだけに勝負をしていた。父親同様みんなに認められるトレーナーになることこそ目標だったはずだ。でも様々な人々、今隣にいる仲間に関わるうちにそれはジェムにとって少しずつ、求めているものとは違って来たような気がするのだ。昨日の戦いから、もはや最初の目的は頭から抜けてドラコにアルカ、そして今ダイバを助けて支えたくて戦っていて、周りの人間がどう思うかなんてあまり意識しなかった。

 

「最初にシンボルを七つ集めたジェムには私と正式な場所で勝負する権利が与えられる。受ける場合、一週間後の夜八時私と勝負することになるが……受けてくれるか、ジェム」

「うん、あのねお父様。私ダイバ君やアルカさん、ドラコさんや色んな人と勝負して……強くなれたの。だからそれを、お父様にも見てほしい」

「そうか……なら一週間後を楽しみにしている。私は一昨日のあの部屋かバトルタワーにいる。このパスで連絡も出来るからいつでも話したいことや聞きたいことがあれば来るといい」

「わかったわ。今は皆とやりたいことがあるから、またお話ししに行くね」

 

 この前勢いに任せてバカと言ってしまったことや、母親と昔どんな風だったのか聞きたいことはたくさんあるけれど、今は友達になったダイバ達と一緒に時間を過ごしたかった。サファイアもそれを否定せず頷く。

 

「せっかくできた友達だ。大事にするといい。では、また会おう――」

「待て」

 

 サファイアが別れの言葉を告げようとした時、急にダイバが制止した。ジェムが驚いてダイバを見る。短い言葉に込められた意思はすごく剣呑だ。全員の視線がダイバに集まり、彼はゆっくりと口を開く。

 

「……ホウエンチャンピオン、ジェムにまだ言うべきことがあるんじゃないのか」

「……どういう意味か聞こうか」

「とぼけるな。それとも参加者である僕の口から言った方が面白いと思ってるのか」

「ちょ、ちょっとダイバ君。いきなりどうしたの?」

 

 ダイバは何かを隠している風ではあったが、それに関係することなのか。自分に対する敵意とは違う、チャンピオンに対する憤りのようなものがはっきり感じられた。自分が負けたことによる八つ当たりをするともジェムには思えない。ダイバは構わず語り始める。

 

「……昨日のバトルタワー襲撃には違和感があった。ドラコ達がバトルタワーの壁を突き破って中に入ったと聞いた時からだ」

「ほう? 私がか?」

「……ここからでも見えるくらい高いバトルタワーの壁を突き破って侵入し、バーチャルシステムを止める。そんなことをしたら誰の目にもつくはずだ。気づかない方がおかしい」

「それはそうですが……」

「アルカと戦った後僕がしばらく気を失って。目が覚めた時にはそれなりの時間が経ってたにも関わらず状況に変化はなかった。結果的に僕とジェムが止めることに成功したけど……そんなの、常識的に考えてあり得ない。下手をすればフロンティアは乗っ取られ、ジェムと僕は命を落としたかもしれないのに」

「どういうこと……?」

 

 昨日は必死に止めるだけを考えていたから、ジェムは思い出してみてもダイバの言う違和感がわからない。そんなジェムに、ダイバは質問する。

 

「ジェム、君が憧れたチャンピオンの使うポケモンのタイプは?君の尊敬する師匠であるジャックのトレーナーとしての特徴は?」

「お父様がゴーストポケモン使いで、ジャックさんは色んな伝説のポケモンを持ってるけど……」

「もう一度言う。君は昨日アルカやアマノに殺されても不思議じゃなかった。……僕のゲンガーでさえメガシンカすれば異次元を通じて空間を移動できる。伝説のポケモンには時間や空間を超えることのできるポケモンは多い。……ここまで言えばわかるよね」

「……!」

 

 あの時バトルタワーの入り口は封鎖されていた。でもそれはあくまでただの壁だ。どれだけ分厚い壁であろうと、二人にとっては障害になり得ない。ジェムの頭に一つの想像が浮かんでしまう。

 

「じゃあダイバ君は……お父様やジャックさんが私が死ぬかもしれないのをわかってて、ほっといたって言いたいの……?」

「何をバカな……ジェムはあれだけ自分の家族の事を信じていたんですよ? そんなジェムの家族が、わざわざ死の危険を冒させるような真似をするとは思えませんね。考えすぎでは?」

 

 ジェムは信じたくなかったし、アルカも否定した。それではあまりに報われないではない、と。そして、ダイバは首を振った。

 

「半分は正解だけど、そうじゃない。二人は……いや、このフロンティアの中心に関わる人間全員か。そもそもジェムが死ぬなんて思ってなかったんだ」

「は……意味がわかりませんね。わたしやアマノではジェムを殺せるわけがなかったと? アマノの計画はわざわざ自分が出るまでもない程度のものだったと言いたいのですか?」

「そんなのおかしいわ!だって……あの時は、本当に……」

 

 アルカにしてみれば自分たちの行いをコケにされたようにも感じる言い方だ。愚かではあったし実際に止められたわけだが、それでも最初から軽んじられていたというのは納得しがたいし、ジェムにとっても理解できない。ウツボットの蔦に力を搾り取られた時、エンニュートやラフレシアの毒に侵された時、バトルタワーの天辺から地上に突き落とされかかった時。もうだめかと思ったタイミングはいくらでもあったしあの場にいる本気で戦っていたからこそ今傍にいるみんなとの関係があるはずだ。

 

「ジェム。昨日は僕と一緒になんとかしたけど……最初にアルカにさらわれた時は自分一人で何とか出来た? シンボルハンターと戦った時はどうだった」

「えっ?」

 

 唐突に話題を変えられて、ジェムは一瞬戸惑った後思い出す。あの時助けてくれたのは――

 

「ううん、ジャックさんが助けてくれなかったら私はアルカさんと一緒に悪いことをしてたと思うし、お母様にも嫌われてると思ったままだったかも……」

「僕は昨日の夜、このフロンティア中にある監視カメラの映像を調べてその時の様子を見た。ジャックが助けに来たタイミング……いくらなんでもぎりぎりすぎる。まるでジェムが折れる寸前までほっといたみたいだった」

 

 思い返してみれば、ジャックは最初から助けてくれたわけではない。戦いの途中、ジェムが相手の言うことに唆されて堕ちそうになった時にようやく来ていた。バトルフロンティアには至るところにフロンティアの様子を中継しているモニターがあったから、ジャックの持つ伝説のポケモンの力があれば確かにもっと早く助けられたかもしれない。

 

「ジェム、君はバトルピラミッドでジャックの居場所まで行ったんだよね。……その時、ジャックは何を見てた?」

「えっと。あの時は私に背を向けて、大きなプロジェクター……を……」

 

 ジェムはそこで気づいてしまう。ジェムがドアを開けた時には彼は暇だったからと言って自分に背を向けてアニメを見ていた。でももっと前からジェムが挑戦中であることは彼は知っていたし、ピラミッドを昇るジェムと会話もしていた。本当に、暇を持て余して自分に背を向けていたのか?

 本当は、ジェムがどうしているかをあれでずっと監視していたのではないだろうか?

 

「だ……だからなんですか?ジェムの師匠なら教え子を鍛えるために放置してたとか、せいぜいそんなところでしょう。昨日の事とは関係ないのです」

「少し横道にそれたかもしれないけど……僕が言いたいのは、あらかじめジェムが本当に危なくなったときに助けることのできる人間を用意してたってことだよ。そして僕の予想では、昨日はジャックとは違う人間がその役目を持っていたはずなんだ」

「ジャックさん以外の人……それが、お父様だってこと?でもそんなことをするなら……最初から助けてくれた方が危なくなかったんじゃ」

「……違う。チャンピオンじゃない。ジェムは僕やバーチャルに負けた後すごく落ち込んでた。それを見て助けに来てくれた人がいるよね?」

 

 今までの道のりを思い出させるようなダイバの言葉に対しジェムは思考を巡らせる。助けに来た、というには荒っぽかったけど、心当たりはある。しかしそれを口に出す前に、ダイバが話し始めてからずっと黙っていたドラコが竜の息吹を吐くように轟轟と言葉を放った

 

「ふっ……ふはははっ!ダイバ、随分核心に確信があるようだが……所詮貴様はまだ幼い子供だな」

「僕が間違ってるって言いたいの?」

「そうだ、お前の推測など児戯にも等しい!そんなつまらぬ考えなど私が噛み砕いて飲み込んでやろう!」

「ドラコさん……?」

 

 ジェムにとって信じたくない言葉を否定してくれる。それは本来心強いことのはずだ。だが今まで黙っていてこのタイミングで否定する。それはジェムにもわかるくらい不穏で、わざとらしさがあった。

 

「ダイバ、お前の言い分ではジェムが危ない目に遭っても助けられるよう手配していたというのだな?」

「そうだよ……それで?」

「だがジャックがいかに監視し、空間を超える術を持っていようとも昨日のあれは一瞬の遅れが命取りになる状態だ……そんな状況でわざわざ空間なり壁を越えていたらどうなる。ただ離れているだけならともかく、バトルタワーの頂上付近だぞ?」

「壁抜けならもちろん、空間転移といっても、場所が離れていたり正確な場所に出るためには多少に時間はかかる……そういうこと?」

「その通りだ。誰であろうといちいち危なくなったのを見て外から助けに入っていれば、催眠術使いのアマノはいざ知らずアルカの毒が回りきって死んでしまうわ!」

 

 ドラコの反論は一見尤もだ。例えば『ゴーストダイブ』は壁やものを無視して進むことは可能だが、移動するには時間もかかるし影に入った後すぐには出てこれない制約なども多い。超常現象を操るポケモンもそれぞれ何でも自由というわけではない。だがダイバは動じない。そして……ジェムにも、予想がついた。

 

「だからこそ……君はアマノに操られていたんだろ。ドラゴンタイプのポケモンならジェムがバトルタワーから突き落とされても受け止められる。僕やジェムの後をこっそり追っていざという時は即座に割って入れるようにすることも昨日に君には難しくなかったはずだ。落ち込むジェムを叱咤激励し、敵として迎え討ちながらも倒された後は協力する……そういう存在として君は用意されたんだ」

「ドラコが……わざと?」

 

 アルカが信じられないような顔で後ずさる。自分と同じようにアマノに操られ、その上でアルカを案じてジェムに助けるように頼んだと聞いている。それが最初から計画通りの出来事だった?

 

「昨日パパがあっさりアマノを突き落として平然としてたのも、そう言うことだったんだ。誰が突き落とされようと、下には受け止めるための人間を用意していたから落ちたところで構わなかった……そうなんだろ」

「ふん……大した想像力だ。子供の発想とは恐ろしいな。だがそこまで疑うのなら証拠はあるのか?筋は通っていても、確たる根拠もないのに疑うのは感心しないな。アルカやアマノ同様、私は本気でお前達を退けるつもりで戦ったつもりだったが?」

「それは……」

 

 ドラコは、肯定も否定もしなかった。基本的にはっきりものを言うドラコは昨日のあの時も、核心をついた時ははぐらかしていた。口の端が楽しそうに歪んでいるのは、気のせいだと思いたい自分とやっぱりそうなのかと思う自分がいる。ダイバは少し言葉に詰まったようだった。考えとして持っていても、具体的な証拠はないのだろう。だがジェムはこのやり取りで、ドラコが本当に操られていたわけではない根拠に心当たりが出来る。

 

「ねえドラコさん……私の勘違いかもしれないから、聞いてもいい?」

「なんだ?遠慮はいらんぞ」

「今ダイバ君の言ったことが間違いだとしたら……何で最初にあんなことを言ったの?」

「あんなこと、とはなんだ?」

「バトルの前に『さあ、血塗られたショーの始まりだ』って言ってたよね……?本当に私達を倒してフロンティアを破壊しちゃうつもりだったなら……なんで『ショー』なんて言ったの?」

「なっ……!?」

「バトルの最中も私達に油断しないよう言ったりしてたし……ダイバ君の言う通りだったら、つじつまが合うかなって思うんだけど……違う?」

「ぐぬっ……」

 

 ドラコがうなり声を上げる。反論できないらしい。つまりダイバの言うことは正しいことになるが……それならそれで疑問はある。

 

「ダイバ君、仮にそうだとしたら……なんでドラコさんは私のために動く必要があったの?私、フロンティアに来て初めてドラコさんに会ったし……」

「そうです。ドラコがジェムのために犯罪に手を染めるなどメリットがありません。アマノやわたしともども警察に捕まる可能性だってあったんですよ?」

 

 ドラコとはここに来て初めて会ったし、ジェムはずっとおくりび山にいたのだからサファイアと違って一方的に知られている可能性も低い。

 

「いいや……それもなかったと思う。アルカさんはその時眠っていたからわからないだろうけど……パパが連れてきた警察の人は、ドラコの事は最初から操られているだけなのがわかってて捕まえようともしてなかったからね」

「さっきから……そもそも一番根本的な矛盾が消えてないじゃないですか。なんでわざわざぎりぎりまで放置する必要があるんですか?危ない目に遭っていることがわかっているなら最初から助けに入ればいいだけの事です。基本的に任せるけど万が一のために備えておく。遊園地のアトラクションじゃあるまいしそんな中途半端な話ないのです」

「……そう。まさにその通りだったんだよ。スリルがあるけど安全の保障されたアトラクション……ジェムの今までの道は、そうなっていたんだ」

「え……?」

 

 意味が分からなかった。バトルフロンティアは最前線のバトルを楽しむための施設だが、勝ちもあれば負けもある厳しい施設。ジェムはその強さに打ちのめされたし他の参加者はシンボルひとつとるのも苦労しているらしい。

 

「そんな……私、ずっと本気だったんだよ?遊び気分なんかじゃ……!」

「知ってるよ。ジェムはずっと真剣だった。だけど……それは全部、計算されてんたんだ。最初にパパがジェムと僕を対象にゲームを始めた時から全て」

「エメラルドさんが……?」

「アマノの計画だって、元はと言えばパパとチャンピオンが無理やりこの場所を奪ったのが始まりだった。復讐する動機、バーチャルシステムの欠陥……そして立ち向かうためのダークライという伝説の力」

「アマノがダークライを手に入れたことすら計算だったとでも?」

「……僕にはわかる。ダークライが倒された時のあの消え方は……本物のポケモンじゃない。精巧に作ったバーチャルポケモンだったんだよ」

「な……!?」

 

 確かにダークライの消え方は少し変だったし、伝説のポケモンにしてはあっさりと倒せていた。アルカはバーチャルポケモンの事をあまり知らないから反論は出来ないのだろう。ただ、アマノが自信の源にしていた伝説の力が紛いものだったといわれて真っ青になる。 

 

「なら……アマノは最初からずっとオーナーの掌の上で何も知らずに騙されていたといいたいんですか……」

「……そのはず。だけど、それを企んだのは……パパじゃないはずだ。ジェム、君達にとっては多分聞きたくないことだと思うけど……残念だけど、真実はこれしかない」

「それがダイバ君が、私に隠してたこと……なのよね」

 

 ダイバが呼吸を整えて、その口から放つ言葉を。恐らくジェムは一生忘れることはできないだろう。なぜならそれは、ジェムがここまでの流れで予想していたことの更に上をいく内容だったから。

 

 

「フロンティアでの様子はどこでも見られるようモニターやテレビで放送してある。普通にバトルの様子をテレビで流すだけでもバトルフロンティアがどんなところかをPRするには十分だ。だけどそいつは、それだけじゃ面白みに欠けると判断した。『ポケモンバトルで見ている人を笑顔にする』そのためならどんな手段を厭わない……自分の娘がどれだけ傷ついて、悲しんで。でも劇的なタイミングの助けやジェムだけが持ってる強さで最終的には僕に勝ってチャンピオンと戦う権利を手にする一連のストーリー。思い通りの結果で満足したか……!ジェムの父でありポケモンバトルのホウエンチャンピオン、サファイア・クオール!!」

 

 

 その告発は、ジェムが誰より憧れ、尊敬し、崇拝さえしていた父親こそがジェムを今まで危険に追いやってきたと宣言していた。ジェムの頭の中が、拒絶するように真っ白になった。何も考えられない。一時的な悲しみではなく、今までやってきたことをすべて否定されたような、シンボルハンターの時よりもずっと唐突で強烈な事実がジェムの心を破壊する。

 

「うそ……よね」

「……言わない方がジェムにはよかったかもしれない。でも僕に勝ってチャンピオンに挑むからには――」

「お父様、ダイバ君の勘違い……だよね?」

 

 ふらふらと、迷子になった幼子の様な言葉。画面の中の父親に、助けを乞うように聞く。ジェムに暴かれたあとまた黙っていたドラコが、チャンピオンに言う。

 

「どうするつもりだチャンピオン。事ここに及んでそんな画面越しに娘への言葉をかける気か?弁明があるなら、もはやお前が直接打って出るしかないと思うが」

「ドラコッ……!あなた、最初から私達がこうなるとわかっていて……!!」

 

 ドラコの言い方はやはり半ば正解だと認めていた。そのことにアルカが激昂する。アルカからしてみれば、失敗すると分かっている計画に自分から飛び込んできたのだから。飛んで火にいる夏の虫どころか、獅子身中の虫に他ならなかった。その上で、アルカを助けろなどといけしゃあしゃあと言われていたと知って平気でいられるはずもない。

 

「そうだな。今までご苦労だった。さて……」

 

 画面の中の父親も、ドラコに対する労いが含まれていた。直後画面が真っ黒になって、消え、正に空間の移動をしてジェムたちの目の前に――燕尾服を着こなし、蒼い双眸で全ての敵に打ち勝ち観客を魅了するジェムの父、サファイア・クオールが現れた。

 

「お父様……本当に、お父様の計画通りだったの?違うって……言って……」

「訂正すべき事柄はあるが……まずはダイバ・シュルテン。君の頭脳を認めよう」

「おとうさまぁ……」

 

 サファイアは、何を言っていいかもわからず訴えるジェムではなくダイバを見て、ボールを一つ取り出した。普通のモンスターボールによく似た、だけど少し装飾の違うボールは、サファイア本人の手持ちではない。その中に入っていたポケモンを、サファイアは出す。

 

「――――これで。欲しい答えになったか?君の言う通り、このフロンティアでの一連の事件を仕組んだのは私だ。エメラルドにも随分と無理を言った」

「アマノの持っていたダークライ……!」

 

 ドラコにつかみかかっていたアルカが驚いて止まる。サファイアが繰り出し操っているのは、昨日の作戦の鍵である伝説のポケモンに他ならない。それを平然と使役していることが何よりアマノの計画をサファイアが仕組んだことの答えになっていた。全ては、フロンティアでの出来事を盛り上げ、バトルを面白くするためだけに。たくさんの人への見世物にするためだった。

 

「君にも申し訳ないことをした。私達の計算ではアマノ一人ではジェムやダイバ君への脅威にはならない……君のような本気で他人を害することに慣れた人間が必要だった。その為に利用したことを認めよう」

「……ッ、わたしはあなたに謝られるような覚えなどありません!そんなことより……!」

 

 アルカはドラコを払いのけ、ジェムに駆け寄る。そもそもジェムがフロンティアに来た理由は、父親への憧れが理由だった。アルカへ優しくしたことだって大元をただせば父親の様になりたかったというのが始まりにあったこそだ。それすら利用され欺かれ、ジェムは泣き喚くでもなく怒るでもなく、全てを奪われて空っぽになったように膝をついて虚ろになっていた。アルカが思わず抱きしめても、まともに反応しない。

 

「ジェム……今は辛いだろうがお前ならきっと乗り越えられる。一週間だ。一週間でお前なりの答えを出し、私を倒しに来るがいい。ここまでの道のりは私の予想通りなどではない。ダイバ君が先に七つのシンボルを集める可能性、ジェムがしばらく立ち直れなくなる可能性も考慮した上で計画は進んでいた。今この局面があるのは、ジェムの強さがあればこそだ。お前という娘を……本当に、誇りに思っている」

「何をぺらぺらと……あなたはジェムの想いを踏みにじったんですよ!チャンピオンの事なんて興味ない私にも、すごい人で優しい人だって説明して、妬ましくなるくらい憧れてて……なのになんでですか!彼女を見世物にして、アマノのことだって……それじゃあ彼はとんだピエロじゃないですか!」

 

 アルカが怒りのままにウツボットを呼び出し、『パワーウィップ』がサファイアにいきなり襲い掛かる。するとサファイアの影から朽ち木のようなポケモンが現れ、自分の影から黒い鞭を呼び出してウツボットとアルカの体を一瞬にして縛り上げた。

 

「ぐうっ……!この……!」

「ジェムが君を友にすることはいささか予想外だった。ジェムの行いは立派なものだが父親としては君がジェムに与える影響をあまりよしとは出来ない……せめてしばらくは、大人しくしていてもらおうか」

「まさか……」

「オーロット『ギガ……』」

 

 ダイバが勘づく。オーロットは草・ゴーストタイプ。以前アルカがジェムにしたように、影の蔦を巻き付けてアルカからエネルギーを吸い取ろうとしたその時。――、メガシンカした黒い翼竜が、ドラコの後ろからオーロットへの突撃した。

 

「私の役目も終わった。なら好きにさせてもらう。やれリザードン、『蒼炎のアブソリュートドライブ』!!」

「バワアアアアアアアアッ!!」

 

 ジェムと最初に戦った時に使い、昨日は使わなかった自分で名前をつけたドラゴンクロ―とフレアドライブを組み合わせた技が襲い掛かる。当たる寸前にオーロットはサファイアもろとも『ゴーストダイブ』で影に隠れたが、アルカとウツボットを縛り上げる蔦は消えた。しばらくして少し離れたところに影から出現するサファイアとオーロット。

 

「……何の真似か聞いてもいいだろうか」

「勿論、貴様へのバトルの申し込みだ。――さっきジェムとダイバがそうしたように、私とフロンティアのルールに則って勝負をしろ!」

 

 ドラコは自分の持つシンボルを一つ見せる。サファイアは眉を顰めた。サファイアはあくまでシンボルを集めた人間の挑戦を受ける立場であり、施設に挑戦したことは勿論ない。

 

「シンボルを賭けた戦いはお互いにシンボルを持っていなければ成立しない。よってそれを私が受ける義理は……」

「ある。一昨日の夜にお前はフロンティアブレーンと戦い勝利しているとジャックから聞いた。知らぬふりは許さんぞ」

「なるほど、よく調べた……いや、そもそもこの時のためにジャックさんは私に勝負を挑んだと考える方が自然か」

 

 サファイアが観念したように呟く。ドラコは膝をつき、座り込んだまま虚空を見つめるジェムに呼びかける。

 

「ジェム!!確かに私はお前を欺いていた。お前の師匠もな!だが私もあいつもお前のことを見せ者として馬鹿になどしていない!これからやってくる人間どもがどんな目でお前を見ようと恐れるな!!例えお前のここまでの道のりがチャンピオンの掌の上だったとしても、私はお前の強さを認め、アルカはお前の優しさに納得し、ダイバはお前を友と認めた!ジャックはお前の手によって救われたと私に語った。だからこそチャンピオンをも欺いた!そして私が……チャンピオンを倒し、こいつのたくらみなど木っ端みじんに粉砕してくれる!!」

「ドラコ……さん……」

 

 ジェムはドラコの方を見ることが出来ない。彼女のこの言葉さえ、ジェムを奮起させるために欺いているだけかもしれない。そんな風に感じてしまうくらい、ジェムの心はひしゃげてもう元に戻りそうになかった。

 

「さて、言うべきことは言った……後はポケモンバトルで語るのみ!さあ、受けてもらおうかチャンピオン。私が認めた相手の心を弄んだことを懺悔するがいい!」

「……いいだろう。勝負を挑まれたのは私、よってルールを決める権利は私にある」

「だが、失望させてくれるなよ?無敗のチャンピオンともあろうものがこの状況でさっさと終わらせるために一対一などと言えば誰も納得はすまい」

「当然だ。予想外ではあるが、そんな状況でも見ている人間を楽しませてのチャンピオンだ。……そのためなら、何を犠牲にしても構わないと誓ったのだから」

 

 サファイアは少し目を閉じて考える。周りを見ていないのに、その姿には一切の隙がない。ダイバがドラコに言う。

 

「ジェムにも僕にも勝てない君が、チャンピオンに勝てるなんて本当に思ってるの?」

「随分な物言いだな。やって見なければわからん。それに……いつからあれが私の本気だと錯覚していた?私はまだ半分の力も出していない。龍に秘められた力を解き放てば、悪霊を退けるなど実に容易いことだ」

「……何言ってるの?」

 

 唐突にダイバとは違う意味で小難しいことを言い出したドラコに訝しむダイバだが、今は彼女に任せるしかないのも確かだ。

 

「ルールはバトルタワーにおける四体四のダブルバトル……異論はないな?」

 

 サファイアが瞳を開き、ルールを宣言する。ドラコは頷き、リザードンを一度下げボールをもう二つ取り出した。

 

「君の役目は終わった。後は好きにしてくれて構わないといったが……ジェムのためにそこまでしてくれるとは思わなかった。先に礼を言っておこう」

「その余裕もここまでだ人の心を弄ぶ亡霊め。あの時は解放できなかった我が力の全て……耐えられるものなら耐えてみるがいい!出でよ、カイリュー、ボーマンダ!」

 

 ダイバが真実を暴き、アルカは自分よりもジェムのために怒った。その意志を汲み、ドラコが勇んでリザードンとボーマンダ、二体の龍を並べる。ジェムの宝石のような瞳に、もう一度自分や仲間たちを映させるために彼女は王者へと戦いを挑む――。

 

 



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ブレーン達は舞台袖で幕間の余興を見る

「ほお……まさかドラコの野郎が牙を剥くとはな。てっきり毒女があのまま蹂躙されるかと思ったが」

 

 シンボルを七つ集めたことで変化した光の反射しない墨染のバトルタワー。その頂点で、フロンティアオーナーのエメラルドは遥か下の光景を見ていた。地上の様子を肉眼で捉えるなど不可能な高さだが、バトルタワーの光景は全て彼の監視下に置かれている。ジェムとダイバのバトルも、それよりももっと前、開幕からすべての出来事も。ホウエンチャンピオンサファイアの計画に則り、状況をコントロールしつつその光景を放送するために。現在公開されているのはバトルタワー攻略の一部始終までだが、既に十分バトルフロンティアのPRとポケモンバトルドキュメンタリーとしての採算は取れた。椅子に腰かけながら、予想外の展開に慌てることもなく見物している。隣にいるエメラルドの妻でありダイバの母親、ネフィリムが軽く窘めるように声をかけた。

 

「あらエメ君。ドラコちゃんだって十七歳の女の子なんですから野郎はよくありませんよ」

「他人がいる前でエメ君はやめろっつってんだろ。大体お前昨日途中で起きてたくせに寝たふりしやがって……」

 

 昨日アマノに眠らされ、人質にされていたネフィリムだが実はアマノが突き落とされたあたりで意識が戻っていたことにエメラルドは気づいていたのだが、本人に起きるつもりがなさそうだったのでそのまま抱えていたのだった。

 

「だって、エメ君が抱きしめてくれる機会なんてもう何年もなかったんですよ。一応危ない役回りでしたし、それくらいのご褒美はもらったっていいじゃないですか」

「お前な……」

「……おいオーナーのにいちゃんよ。わざわざこんな所に呼んで見せたかったのがコレかよ?」

 

 そのやり取りを適当な壁にもたれて見ているバトルダイスの豪気な花札使い、ゴコウは不服そうに言った。別に目の前でイチャイチャしていることが気に入らないのではない。彼が気にしているのは地上にいるサファイア、そしてジェムの様子だった。

 

「なんだ、せっかく面白いかと思って呼んでやったのに不満があるのか?」

「坊と嬢ちゃんの戦いは痺れたぜ。でも、いやだからこそこれはあんまりなんじゃねえか?」

  

 カメラの一つには、ジェムの表情がアップで映し出されている。怒ることも泣くこともせず、ただ茫然としている。その目は自分の怒りを堪えて抱きしめるアルカを見ていない。このフロンティアの真実に気づき、サファイアの予想を打破するための戦いに敗北してなお、ジェムに真実を教えることで支配を打ち破ろうとしたダイバにもジェムの為に戦いを始めようとするドラコにも向いていない。ずっとあこがれ続け、母親への接し方に納得は出来なくてもそれでも尊敬していた父親であり自分やアルカを騙し一連の事件……いや物語を仕組んだ黒幕をぼんやりと見ていた。ずっと真剣に戦って、やっと手にした栄光が自分の父親によってそうなるように仕向けられていた、いわばレールの上を走っていたにすぎないと言われて傷つかないはずがない。ジェムと直接本気で戦い合ったゴコウの立場だからこそなおそう思う。

 

「文句なら俺の息子とチャンピオンに言いやがれ。あいつらがネタ晴らししなきゃジェムにも心置きなくチャンピオンに戦ってもらってたさ」

「そういうこっちゃねえだろうが! 儂はバトルダイスでの事しか嬢ちゃんに何があったか知らねえがよ……嬢ちゃんはすげえ一生懸命だったんだぜ。それをよ……!」

 

 ゴコウが壁を思い切り殴る。二メートル近い巨漢の拳の音が部屋に響いたがエメラルドは動じない。むしろ一笑に付した。

 

「だから面白いんじゃねえか。ポケモンバトルってのはそういうもんだろ? 競技であっても遊びじゃねえ。人間とポケモンが織りなすドラマってやつだ。それをちょいとコントロールして演出しただけだ。それがジェムにも伝わったのは意外だが……まあさすが俺の息子だな。これはこれで盛り上がったし後で褒めとくか」

「てめぇ……!!」

 

 ゴコウはポケモンバトルでは相手を騙すこともあるしトリックも使う。だがそれはあくまで真剣勝負のためだ。ゴコウの白塗りの顔が赤く染まりに手持ちの花札型のモンスターボールに手をかけようとする。ネフィリムはそれをにこにことに見つめていた。勝負になってもエメラルドが絶対に負けない自信があるからだ。

 

「ちょっとちょっと、すとーっぷ! 気持ちはわかるけど落ち着いてよ、ゴコウおじさん」

 

 ゴコウとエメラルドに文字通り割って入ったのは、フーパによる金色のリング。そこからぬるりとジャックが這い出てきて、フーパと一緒に部屋の中に現れた。ゴコウが少し驚き、エメラルドがため息を吐く。この部屋はエメラルドの許可したものしか入れないのだが、ジャックの操る伝説のポケモンには何ら関係がなかった。

 

「またテメエは勝手に……様子次第じゃまたジェムのところに助けに行く手筈だろうが」

「いいじゃありませんか。これでジェムちゃんと戦ったブレーンは集まったんですしのんびり見届けましょう?」

「そ、僕が出ようかと思ってたけど竜の子が言うべきことは言ってくれたし……ジェムはもう僕がいなくても乗り越えられる。彼女は僕の命を救った恩人の娘で、僕の弟子なんだから。僕達の出番は終わり。後は子供たちに任せておくよ」

 

 ジャックもジェムを騙していた立場の一人だから、こうなることはわかっていた。その上で、彼女の味方であるための布石を打っていた。一昨日サファイアにバトルを挑み、負けることでシンボルを渡しドラコにそれを伝えたのはこのためだ。

 

「ああそうかよ。ったく、賭けは結局あいつの勝ちか」

「ダイバ君も強かったけどね。ただ……いくら覚悟があっても、負けたことのない子っていうのはやっぱり脆いかな」

 

 敗北を知らないということは勝てない相手との戦いも経験がないということだ。ダイバのメガシンカに対抗するために様々な策を練ったジェムに対し、ダイバは相手の策を読み切ろうとはしていても根本的に上から力で叩き潰そうとしていた。その差が勝敗を分けた結果は概ね想定の範囲内だ。エメラルドとしてはダイバが勝つと思っていたが、サファイアは昨日ジェムが勝つだろうと何の不安要素もなさそうに言った。

 

「坊……あんたはあの嬢ちゃんのことが大事なんじゃなかったのかよ」

「勿論だよ。でもね……僕は彼女にチャンピオンの志を継ぐ存在になってほしいんだ。それに、さっき言った通りジェムはまた立ち上がれるって信じてるからね」

 

 ジャックの表情は、まだ十にも満たない子供の姿とは思えないほど老獪で、今この光景すら楽しそうに見ている。信じがたいことだが、自分以外の人間にはこの状況に異存はないらしい。エメラルドの許可なくここから出る術はゴコウにはないし自分と同じブレーン三人を相手にして勝てる自信はさすがになかった。ジェム達を信じるしかない状況に歯噛みするゴコウ。

 

「で? てめえはこの勝負はどっちが勝つと思う? 同じ協力者どうしとして、お前はドラコと一戦交えたんだよな」

 

 エメラルドはゴコウの事をもはや意に介さず聞く。ジャックはそんなエメラルドに嘆息しつつも、画面の中のドラコを見た。

 

「竜の子は強いよ。ホウエンの元四天王を父親に持ち、幼い頃から元四天王の友人であるキンセツジムリーダーの元でジムトレーナーとしての修行に明け暮れた女の子。今は四天王やジムリーダーとは違うドラゴンタイプの使い手として自分のスタイルを確立してる。さっき半分の力も出してないって言うのは誇張だしジェムやダイバ君とやったときも本気ではあったけど……あの子は二人の先を行ってる。僕のレジギガスを正面から堂々と倒しきったからね」

 

 ジェムのラティアスの攻撃をいくら受けてもびくとも揺るがなかったジャックが操る最強の伝説ポケモン。それをドラコは自分の鍛えた竜たちで真っ向から打ち破ったとジャックは可たる。

 

「……でもまあ、やっぱり。今のチャンピオンが負けるトコは想像できないかな。だって彼はもう……」

 

 ジャックは含みのある言葉でホウエンチャンピオンを見る。オーロットとシャンデラを繰り出したチャンピオンの瞳は、全ての光を飲み込む深海のように蒼く暗かった。

 

 

 

 

 

 

 

「やはりシャンデラを出して来たか……ならば戻れリザードン」

 

 シャンデラは炎タイプの攻撃を無効にする『もらい火』の特性を持つポケモン。それを見てドラコは一旦自身の相棒であるメガリザードンXを下げる。

 

「……勇んで挑んだ割には随分慎重な立ち回りだな」

「貴様はさっきのジェムとダイバの戦いを見て何も学ばなかったのか? 勝負とは相手への警戒を怠らなかった方が勝つものだ。……来いカイリュー!」

 

 甲高く、且つ重量感のある鳴き声を響かせてカイリューが宙に浮く。合わせるようにボーマンダが口を大きく開き、力を蓄える。

 

「ボーマンダ、シャンデラに『ハイドロポンプ』!」

 

 高速で放たれた激流がシャンデラに直撃し、紫色に燃える炎を掻き消す。しかしサファイアの表情には一分の曇りもない。すぐさまサファイアの後ろに無傷のシャンデラが現れる。放たれた水は後ろのオーロットに直撃したが、深く根を張るオーロットの体は揺るがず、草タイプゆえにダメージも少なかった。

 

「残念だが既に『影分身』を発動させておいた。そんな単調な攻撃は当たらない」

「単調……? 先んじて分身を作って初手を凌いだだけの使い古した戦術で知った口を利くなよ。カイリュー、『電磁波』だ!」

 

 カイリューが口を開け、弱い電気をまき散らす。だがそれは不可視にして不可避の空間一体を覆う一撃、ドラコ自身の身体にも電気が走り焼けるような感覚が走り、ダイバやアルカ、ジェムがびくりと体を震わせる。サファイアと彼のポケモンも同じように電流を浴びたはずだが彼は微動だにしない。ドラコは続けざまにボーマンダと自身のイヤリングに力を籠め、鮮血のような色に染め上げる。

 

「渇望の翼、今ここに真紅となる! 蒼天を統べる覇者の一喝に震えるがいい! 招来せよ、メガボーマンダ!!」

「メガシンカ……だがあれほどの電気をまき散らした以上君のボーマンダとて影響を受けるはず」

「それが知ったふうな口だと言うんだ! 私達だけの力を見るがいい……メガボーマンダ、『殲滅のロストトルネード』!!」

「ボアアアアアアアア!!」

 

 麻痺の影響など一切なく、『スカイスキン』によって暴風のごとく荒れ狂う『破壊光線』がオーロットへと突き進む。麻痺したことにより動きを封殺されたオーロットに光線が直撃し、その体を地面から引きはがし吹き飛ばす。最初にジェムと戦った時に見せたドラコの竜達だけが使える必殺技を容赦なくたたき込んだ。

 

「なるほど。素晴らしい攻撃だ。ジャックさんも認めただけのことはある」

 

 カイリューは『電磁波』を使うより前に『神秘の守り』で状態異常から自分たちを守っていた。よってドラコのポケモンだけは状態異常にかからずメガシンカによってアップしたスピードと威力のある光線を放ったことを看破し、静かに拍手をした。冷静に相手を讃えるその様はとても紳士的で、穏やかですらある。自分を何よりも敬愛する娘をエンターテイメントの主役に据えるためにわざわざフロンティアを襲うヒールまで用意し、死のぎりぎりまで追い詰めておきながら平然と父親として接していた人物とは思えない。

 

「……二十年だ。貴様がチャンピオンになってからの二十年、観客の笑顔とやらのためにどれだけ他人の気持ちを踏みにじってきた?」

 

 ドラコの予想ではこれが初めてではない。チャンピオンはずっと見ている人の笑顔のためにチャンピオンとしての地位を守り続けた人間。彼がチャンピオンとして行ってきた多くの戦いはドラコ含め、ホウエン中の人間を魅了してきたと言っていい。だからこそジェムはあれほどまでにサファイアを信じていたのだから。だがそれは今のジェムのように、仕立て上げられた人間達の本気を利用したものだった。ダイバが真実を暴かなければ、ジェムもやはり何も知らず苦難の末にシンボルを集めきったフロンティアの主人公としてサファイアに挑んでいたはずだった。

 

「厳密には十五年だ。私は私自身のみで行える戦いに限界を感じた。だから――」

「だから他人を自分のシナリオ通りに動かし、あまつさえ自分の娘を巻き込むことも厭わない……そう言いたいのか貴様は」

「……そうだ。非難したければしてくれて構わない。私はかつて誓ったのだ、八百長ではない、お互いの気持ちをぶつけ合う本当のポケモンバトルでみんなを笑顔にしてみせると」

 

 サファイアの表情には騙した人間の愉悦も、娘に対する罪の意識も感じられない。ただジェムに向ける目線が、ひたむきに彼女を信じていることが伝わってくることにドラコが歯噛みする。何より許しがたいのはサファイアがはぐらかさず答えていることだ。この事は既に一般に知られても構わないと彼は判断している。つまりはサファイアのポケモンバトルを楽しんでいる人々にとってはジェム達のこの状況もあくまで一人の少女が仲間と共に危機を乗り越えるエンターテイメントでしかないのだ。サファイアが狂っているから観客たちが感化されたのか、観客たちが楽しむために誰かが犠牲になるのを厭わないからサファイアが狂うしかなかったのか。ドラコにわかるはずもない。何より――

 

「知らんな。そんなことは『私達』の管轄外だ。やはりジェムを貴様と戦わせるわけにはいかん。『お前達』のくだらん楽しみなど、私のドラゴン達が破壊してやる……さあ、次のポケモンを出してみろチャンピオン!」

 

 どんな信念も覚悟も、ジェムやその仲間たちが付き合う必要など毛頭ないのだ。ドラコは最初はとある人物の頼みで協力していたが、ジェムの未熟ながらも真っすぐな思いを認めた。ドラコの聞いていた計画ではアルカはアマノと一緒に警察に捕まっているはずだったしダイバもジェムに心を開くことはなく倒すべき敵としか見なかったはずだ。だがその予測を超え今三人ともがジェムについている。

 

「なるほど面白い。ならば私は……君達が私に勝つことなど不可能という絶望を与えるだけのことだ。それこそが最後の戦いの前座に相応しいだろう」

 

 

 サファイアは何か語ろうとしたのを切り捨てられたにも関わらず、小さく笑みを浮かべる。ドラコやジェムを嘲笑う悪魔のようにも、誰かを楽しませることに憑りつかれた亡霊のようにも見えた。オーロットを影が吸い込まれるようにボールに戻る。

 

「……先制したみたいですが、ドラコに勝つ見込みはあるんですか、ダイバ」

 

 ジェムを抱きしめるアルカが問う。一昨日の夜ダイバのメタグロスの一撃をあっさり躱し続けたにしては随分大人しい立ち上がりだった。ダイバは苦い顔で応える。

 

「……少なくともあのチャンピオンは自分から急いで攻め込むことはしないし圧勝もしない。観客が飽きないようにぎりぎりの勝負を続けてる。多分今もそうだよ」

「典型的な強者の戦い方ですね。……それでも二十年もゴーストタイプだけで勝ち続けるって、どういう理屈なんですか」

 

 ポケモントレーナーが所有するタイプを絞るのは多数のポケモンを育てやすくし、また理解を深められるメリットがあるが当然対策されやすく弱点もかぶりやすいデメリットも多い。アルカはポケモンバトルという競技については素人だが、それでも手持ちが全て毒タイプで構成されているためその辺は理解している。アルカのように弱者として誰かと狙い撃つ分にはメリットが大きいが、チャンピオンのような対策されるのが当たり前の立場の人間にとってはデメリットが重くのしかかるはずだ。

 

「先制したのはドラコか……俺様もチャンピオンのバトルはもう十年以上まともに見てねえ。今のあいつはそんなえげつねえのかよ?」

「えげつない……と言えばそうだね。素人のお客さんたちにはわからないだろうけど……あれより恐ろしい戦い方は僕も見たことがないかな」

 

 バトルタワーの天辺でエメラルドがジャックに聞いた。ジャックは倒れたオーロットを見ても何も感じておらず番狂わせに期待もしていないようだった。それに対するジャックの答えは、奇しくもダイバのアルカに対する答えと全く同じものだった。

 

 

「「一言で現すなら……死に物狂いの特訓も、綿密に練り上げた対策も等しく無力化する。そんな感じの強さだよ」」

 



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死線幽導

「さて……次は君に頼もうか。ヨノワール」

「オオオオ……」

 

 ジェムの傍にいるダイバとアルカ、バトルタワーで行く末を見ているブレーン達、そしていずれこの戦いを見ることになる無数の観客達のためにサファイアは次のポケモンを出す。二つの拳を構える巨漢のような姿をしたゴーストタイプのポケモンがシャンデラと共に並び立つ。

 

(ふん……やはりそいつが出てくるか)

 

 ドラコもチャンピオンを倒すべき王者として目標にし続けた人間の一人であり、サファイアのポケモンがどういう個性を持つのかは知っている。なので次の一手は予測できた。

 

「ヨノワール、『シャドーパンチ』」

「カイリュー、ボーマンダを守れ!」

 

 ヨノワールが拳を前に突き出すと同時に消える。だが見えないだけで拳は直線状に飛ぶことも知っている。向こうの狙いは『破壊光線』の反動で動けないボーマンダだ。カイリューが間に割って入り攻撃を受け止める――と同時、カイリューの体が凍り付き、巨体が地面に落ちていく。ヨノワールが拳が当たる瞬間に『冷凍パンチ』に切り替えたのだ。

 

「だがよもやその程度で倒せると思うなよ!『地震』だカイリュー!」

 

 カイリューが落下する勢いを利用して地面を揺らし、その衝撃で自身を覆う氷を砕く。『冷凍パンチ』を受けた瞬間から飛ぶのやめ『羽休め』で体力を温存しながら落下し『地震』に繋げサファイアのポケモン二体を攻撃する。特にドラコの操るカイリューの特性は『マルチスケイル』により体力がみなぎる限り受けるダメージを半減し、『羽休め』により生半可なダメージではカイリューの体力を削ぐことはできない。

 

「追撃しろボーマンダ、『ハイパーボイス』!!」

「ボアアアアアアアアアア!!」

 

 空気を切り裂くほどの力を得たボーマンダの『ハイパーボイス』はジェム達との戦いでも見せた通りノーマルタイプを超越し飛行タイプとしての性質を持つ。『地震』のような物理攻撃は見切れても本来無効であるはずの音の攻撃までは防げず、ヨノワールとシャンデラが大きく仰け反った。応戦して相手の二体が氷と炎の同時攻撃を放つが、全てカイリューが受け止め『マルチスケイル』が攻撃を殺しきる。そしてボーマンダが天空から『ハイパーボイス』を放つ。ヨノワールとシャンデラも反撃することでしのいではいるが、音による攻撃は通常の回避ができない。『影分身』や『身代わり』を操り攻撃を回避することに長けたチャンピオンのポケモンには天敵といえる相性だった。ここまでの戦いはドラコが圧倒している。

 

「すごい……こんなに強かったのですか、ドラコは……」

 

 アマノの策に嵌まり単調な攻撃を繰り返していたドラコとはまるで別人のような動きだった。いや、あのときはわざと捕まるためにそんな挙動をしていただけだったのだろう。腕の中のジェムも、戦いを見てぽつりと呟いた。

 

「初めて会ったときも、昨日の勝負も……本当は、私なんて簡単に勝てたのに負けてくれたのかな……」

 

 ジェムにとっては、それが一番苦しいことだろう。自分の心を奮い立たせ、あるいは敵になってしまっても叱咤激励してくれた人が本当は茶番を演じていただけだったと言われたのだから。まんまと騙された側であるアルカには何も言えない。そして数秒の沈黙の間にも、戦況は変化する。

 

 

「――『重力』」

 

 

 ヨノワールが両手を突き出し、放つのは上から押さえつけるのではなくブラックホールのような一点を中心に全てを吸い込む重力。『未来予知』によりボーマンダが『ハイパーボイス』を放つ直前に発動したそれはカイリューとボーマンダを一気に近づけカイリューの鼓膜を破壊した。カイリューが悲鳴を上げ耳を塞ぐ。

 

「ちっ……カイリュー、『羽休め』で回復だ!」

「既に君の声は届かない。シャンデラ、『煉獄』」

「ボーマンダ、カイリューを連れて逃げろ!」

 

 シャンデラの枝分かれした灯火が強くなった次の瞬間、地面から濃紫の火柱が上がる。ボーマンダはその前兆を見た上で回避しようとして一旦後ろに上がるフェイントを入れてから前に出る。枝分かれした腕の炎が一つ、二つ、三つ、四つと灯り、最後の頭の炎が燃えた瞬間、ボーマンダの飛ぶ方向に炎が吹きあがる予兆を感じドラコは反射的に叫ぶ。

 

「止まれボーマンダ!!」

「……本当にそれでいいのか?」

「っ……!!」

 

 ボーマンダはトレーナーの指示を信じ止まる。だがシャンデラの炎はそれを事前に見透かしたようにボーマンダの真下から炎を吹き上げた。ボーマンダが抱えていたカイリューが煉獄に焼かれ、飛ぶ力を失い地面に今度こそ墜落する。

 

(この私やボーマンダがフェイントに騙された? いや……)

 

 ポケモンバトルでのトレーナーの指示やお互いの戦略を読む行為は目で見て判断するだけでなくその前兆や相手の思考を読んで先に手を打たなければ間に合わない。ジェムとダイバもお互いの手を考えた上で指示を出していたのが良い例だ。それを誤れば、このような不利につながる。

 

「どうした? 君から挑んだ戦いだ。この程度で折れてもらってはこちらも困る」

「ふん……そんな気は毛頭ない。チルタリスの大いなる雲に導かれた翼を見るがいい!!」

 

 サファイアの挑発を迎え撃つようにチルタリスをメガシンカさせ、フィールドにメガボーマンダとメガチルタリスを並べる。同時に咆哮しボーマンダは台風のような風切り音を、チルタリスは天使のラッパのような壮麗な歌声を響かせた。飛行及びフェアリータイプとなった『ハイパーボイス』の二重奏が相手を襲う。

 

「二体とも『守る』だ」

 

 サファイアの指示によりヨノワールとシャンデラが自らの影の中に潜み攻撃をやり過ごす。影の中にいる限りはどんな強力な攻撃も受け付けない、サファイアのポケモン特有の鉄壁の守りである。『影分身』を始めとした十重二十重の回避を潜り抜けてもチャンピオンにはこの技がありよほど不意を突かなければ手痛いダメージを与えることはできない。だがドラコは笑った。

 

「ふん……そんなに負けるのが怖いかチャンピオン」

「何……?」

「『影分身』に『身代わり』、果ては『守る』や『ゴーストダイブ』で影の中に隠れて攻撃から逃れる。軽やかで優雅に躱すといえば聞こえはいいが派手な演出を暴かれてしまえばお前の戦いは臆病なものでしかない」

「挑発のつもりかな」

「さあな、だが私はそれを破るためにここへ来た、それだけの話だ。続けろ二体とも!!」

「ボアアアアアアアアア!!」

「ピュウウウウウウウウ!!」

 

 二体の竜が互いを上回ろうとするがごとくさらに強い咆哮を放つ。だがサファイアのポケモンは影に潜んで出てこずダメージはない。やはりチャンピオンは安い挑発になど乗らない。だがいつまでも影に隠れ続けることもしないとドラコは読んでいた。あまり長い膠着状態は観客を飽きさせる。それは観客を楽しませることを生業とするチャンピオンがとても嫌うことだからだ。

 

(恐らく次の一手はシャンデラで何かしら仕掛けた後本命のヨノワールの『冷凍パンチ』……だがチルタリスの『コットンガード』で受け止められる。そしてその隙をボーマンダが切り裂く。他の手だとしても今度は見切ってやる)

 

 ドラコはチルタリスにアイコンタクトを送り、あえて一旦咆哮のための息継ぎをさせる。チルタリスの動きを見逃さず咆哮が途切れる直前にサファイアが口を開いた。

 

「『妖しい光』」

「『神秘の守り』!」

 

 シャンデラが影から抜け出て頭の炎をチカチカと点滅させる。それはドラコの視界をも遮ったが読めていたことだ。間髪入れずに指示を出しチルタリスが神秘のベールで味方を覆い光による混乱を防いだ。そして読み通りヨノワールが拳に氷を纏わせるのに対し続けてチルタリスが自らの羽毛を体に纏い物理攻撃を弾く守りを敷く。こうしている間にもボーマンダの咆哮は相手の体力を削っている。この一撃を受けきればヨノワールとシャンデラは倒れる。

 

 はずだった。

 

「……ドラコ、早く指示を!!」

「何!?」

 

 アルカの焦った声に驚き目を瞬く。するとヨノワールの氷の腕はそもそも放たれておらず攻撃を受けた様子はないのに自分の竜たちが急に力を奪われたように地面に落ちるのが見えた。ドラコが状況を理解する前にヨノワールが拳を構える。拳に黒い怨念が集まり何倍にも巨大化していく。

 

「彼の拳に集まれ、私の前に敗れ去った者達の無念よ――ヨノワール、『栄光の手』」

 

 巨大化した腕に拳が羽毛の守りなどものともせずチルタリスを正面から殴り飛ばす。抵抗できず吹き飛ばされたチルタリスは柔らかさなど無視するように壁に凹みを作り、気絶する。チルタリスを戻しつつ苦々しく呟く。『栄光の手』と呼称された技はつまるところ思い切り怨念を込めた『シャドーパンチ』だ。相手を幻惑するサファイアが締めに使うわかりやすい魅せるための大技である。

 

「……『冷凍パンチ』でも倒せたであろうにわざわざ大技の一つを切るとはな」

「そんなものより種明かしが欲しかったか? 『痛み分け』だ。シャンデラとヨノワールで二体同時にそちらの体力を貰った」

「いつの間にそんな技を……まさか!」

 

 シャンデラもヨノワールも技を使っていたから『痛み分け』を使う余裕はなかったはずだ。だがドラコはシャンデラの『妖しい光』を見て一瞬目が眩んだ。次に目を開けてみた光景はまやかしだったとしたら?

 

「シャンデラのあれは最初からトレーナーを対象にした幻覚か……!!」

「幻覚というより、相手の目に一瞬の映像を焼き付けるだけだがね。君は守りに守りを重ねる行為は臆病だと言った。『痛み分け』も体力を回復させるために使われる技だが……さて、私のこの戦術は臆病かな?」

「くっ……」

 

 恐らく『痛み分け』はドラコの挑発に対し意趣返しとして使ったのだろう。サファイアのやり口は大体そうだ。苦戦を演じ、相手の読みを凌駕した上で逆転する。観客は最終的にチャンピオンが勝つとは思っていても挑戦者の猛攻や鍛え上げた戦術の威力に飲まれもしかしたら挑戦者が勝つのでは、と思わせる。最初の優勢もサファイアにとっては計算通りでしかない。

 

「……貴様のそういう対戦相手を舐めた態度が私は大嫌いだ」

「よく言われるよ。私はただ見ている観客達に笑ってほしいと願ってのことだが」

 

 サファイアは平然と微笑を浮かべて答える。当然ドラコもそれがわかっているから今更激昂などしない。ルールは四対四。チルタリスとカイリューが倒されこれで出すポケモンが最後になる。最後のモンスターボールを掴み、ドラコは目を閉じる。その光景にアルカやダイバ、そしてバトルタワーのエメラルドとジャックがそれぞれの感想を吐く。

 

 

「途中から急にドラコがチャンピオンの行動を見誤るようになったのは……今言ったシャンデラの幻覚のせいなのですか?」

「いや、シャンデラに限ったことじゃない。どのポケモンを出しているときでもチャンピオンは相手の読みや戦略を上回る。チャンピオンの攻撃には観客も対戦相手もみんなが騙される……」

 

 

「ほお……途中はもしや、と思ったがやっぱモノがちげーわ。相手を最初から手のひらで転がすたあ昔の派手さに拘ってた時とは別人だぜ」

「そうだね、今のチャンピオンは勝負の派手さは相手に委ねるようになった。自分が不動のチャンピオンとなった今、彼自身が派手な技で圧倒しても面白くないからって……彼へ挑戦するトレーナーはみんなたくさんの経験を重ねた手練れだ。故に彼は挑戦者を分析して相手の手を読み切ったうえで迎え撃つ。ドラコさんは彼が招いたゲストだし最初から考えなんて筒抜け同然だろうね。戦いの主導権は委譲し相手以上の異常な読みで勝ち切る。それがあの子の今のスタイルだよ」

 

 

 チャンピオンは相手が自分を対策してくるのはわかっているし、立場上チャンピオンに挑む前にそれなりの戦いを積み上げて挑んでくる。特にゴースト使いであり十重二十重の回避手段を持つチャンピオンを倒そうと思えば自ずと手段は限られてくる。それを読み切ってしまうことこそ二十年間チャンピオンの座を守るサファイアの強さ――

 

「……と言われているが。それだけではないのだろう? お前が対戦相手をここまで虚仮に出来る理由は」

「!」

 

 サファイアがわずかに眉を顰めた。ドラコの言葉が強い確信を持っていたからだ。ドラコはその反応に満足したように言葉を続ける。

 

「私自身も戦ってみるまで確信はなかったが、今ようやくわかったぞ。やはり私の感じたものは読み切るとかそんなレベルの話ではない。この私が幻覚程度で『冷凍パンチ』を放たれたと勘違いするはずがないからな」

「……大層な自信だが、現実に騙されているのは君の方だ」

「そうだな、騙されたよ。お前は相手の動きなど読み切ってなどいない」

「何が言いたい」

 

 ドラコはジェムをちらりと見る。やはり涙にぬれているが、それでもドラコの戦いから目を逸らすことなく黙って見ている。ならば自分はこのままいくだけだ。

 

 

「ポケモントレーナーは指示を出すために常に相手の動きから次にどうするかを考える。特にゴーストタイプばかりが相手では目で見るだけでは判断できんからな。わずかな気配や意志から読み取るわけだが――お前のゴーストタイプ達はその幽かな気配を自ら生み出している。相手に『次の一手はこうだ』と偽の誘導をする。そしてチャンピオンに挑めるほどの経験を積んだトレーナーならばその前兆に必ず反応してしまう。理屈ではなく本能的に。トレーナーとして潜り抜けた死線を幽かな気配を出すことでいいように操る……そうだな、『死線幽導』とでも呼んでやるか。これがお前が常に相手を上回った本当のからくりだ」

「……!!」

 

 サファイアの顔に衝撃が走った。それは的外れなどではなく、核心をついていることが誰の目にもわかるものだった。

 

「相手には自分の意志で戦っていると思わせ、その実最初から自分の目論見通り……このフロンティアを裏で操る貴様の性格がよく出た戦い方だ。私もこうしてお前の意志でフロンティアに来ていなければ気づけなかっただろうな」

「……」

 

 サファイアが顔を手で覆う。自分の表情を隠し、しばし沈黙した。誰も口を挟まなかった。自分の戦術の核を見抜かれたことへの驚きと他に何の感情を抱いているのか。誰にもわからない。

 

「ふ……見事だ。認めよう。次からはこれを見抜かれていると承知の上で戦わなければいけないな」

「今負けるとは思わんのか?」

「君が最後に出すポケモンは最初に出したメガリザードンX。君のエースであり強力なポケモンではあるがそれ故に誘導……いや『死線幽導』と呼ぼうか。これはタネがばれたところで防げるものではない。私にはまだ控えるポケモンもいる。負ける要素はないよ」

「……何を勘違いしているんだ?」

 

 ドラコは手にしたボールを見る。そこには自分の相棒が出番を待っている。これが最後に出すポケモン。躊躇いがないと言えば嘘になる。それでもドラコは、己とポケモンを信じる。

 

「私は確かにリザードンで奇襲を仕掛けたが、ポケモンバトルが始まってからは何も技を使わせていない。ただ使う気がないから戻しただけだ。私が最後に出すポケモンは――砂漠の精霊竜、フライゴン!!」

「ふりゃあああああ!!」

 

 緑色の体に、赤い複眼。四枚の羽根を開き出てくるのはホウエンの竜の中でメガシンカを使えず、同タイプのガブリアスと比較され見下されやすい存在であるフライゴン。それを見たダイバが困惑した声を出す。

 

「リザードンを出さないのは確かにルール上問題はない。でも、ここでフライゴンなんて……!」

「……あなた昨日バトルタワーで見下して痛い目見てませんでした?」

「そうじゃない。ドラコのフライゴンは認める。でもフライゴンの『爆音波』はあくまでノーマルタイプでゴーストタイプにはダメージがない。味方をサポートする技はあったけどチャンピオン相手じゃ無謀すぎる……」

 

 バトルタワーでの戦いではあくまでサポートや追撃などに徹していた。隣にいるボーマンダの体力も残り少ない。サポートするフライゴンよりも高い能力を持つメガリザードンを出した方が逆転の目はある、ダイバはそう言いたいのだろう。

 

 

「すぐにわかるさ。ダイバ、そしてジェム……貴様らに精霊竜の奇跡を見せてやろう!!」



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友の奇跡、ジェムの決意

「メガリザードンを出すと思いこまされたのは私の不覚だ。しかしどのみち君に私を倒すことはできないよ」

 

 全員の意表をついて出された最後のポケモンをサファイアは軽んじる事はしない。だが脅威として見ているわけでもない。

 

「フライゴンは特別ゴーストタイプに強いポケモンではないし、ダイバ君の持つガブリアスとは違う利点も存在はするが……それも特段私達の『影分身』『身代わり』『守る』『ゴーストダイブ』等の技に相手の経験や勘から来る予測を外させる『死線幽導』による十重二十重の守りを崩せるものではないはずだ」

「ならば受けてみるがいい……これが我が竜達が貴様を倒す答えだ! ボーマンダ、『ハイパーボイス』!!

「……『守る』だ」

「ボアアアアアアアアア!!」

 

 再び飛行タイプとなったボーマンダの咆哮が襲い掛かる。大見得を切った割にフライゴンは地面に足をつけたまま動く様子はない。ドラコの意図は読めないがひとまず音による攻撃を無効化する為に大地を染める影に身を隠させ――

 

 

「フライゴン、『地割れ』だ!!」

「『地割れ』……だと!?」

 

 

 フライゴンが大地を砂漠のように干上がらせ、一瞬にして『地震』とは比べ物にならないほど深く地面が切り裂かれる。一瞬にして切り裂かれた先は、ヨノワールの影。隠れた巨体を影もろともはるか地の底まで叩き落す。

 

「……ッ、シャンデラ柱の影へ――」

「柱だろう建物だろうと影は大地から離れられない!!続けろフライゴン!!」

「ふりゃあああああ!!」

 

 ボーマンダは咆哮を続けている以上影から出れば大ダメージは避けられない。故に『死線幽導』で偽の気配によるフェイントをかけ別の影に移動しようとするが――

 

「貴様の誘導はあくまで姿が捉えにくく見てから反応するだけでは技が当てられないからこそ起こせるフェイク。だが私のフライゴンは貴様の影だけをこの複眼で見続ける!!」

「……!!」

 

 街灯の影に隠れようとしたところを街灯もろと切り裂きシャンデラの影を地の底に落とし閉じ込める。『地割れ』は受けた相手を一撃で葬る必殺の技。地の底に落されたヨノワールとシャンデラが地面に浮かび上がると、ヨノワールはうつぶせに倒れシャンデラの炎は消えて顔の一部が割れていた。明らかに戦闘不能だった。サファイアが二体をボールに戻す。ダイバがドラコの意図を理解しはっとする。

 

「そうか……ここまで流れ全てがドラコの戦略だったんだ」

「どういうこと……?」

 

 目まぐるしい攻防とドラコの意志にジェムの心も動き始めたのだろう。ダイバに尋ねるジェム。

 

「最初にカイリューが『地震』で攻撃したのはあらかじめ地面を割ることで本来命中させづらい『地割れ』を使いやすくさせるのが狙いだったんだ。ドラコはチャンピオンの戦術の肝が幽かな気配による誘導だと勘づいていた。だからこそメガシンカした二体での『ハイパーボイス』で影に隠れなければ逃げられない攻撃を連発してチャンピオンを逆に誘導した。どんなフェイントも、フィールド全体を襲う音相手には効果がないから」

「影は宙には浮かばず地面に張り付くように出来るもの……本来飛べば簡単に避けられる『地割れ』も影の中にいては逆に逃れようがなくなってしまう……ということですか」

「これが……ドラコさんの本気」

 

 ドラコはダイバの方を見て笑う。それを汲んで、ダイバもため息一つついた後ジェムのために言葉を続ける。

 

「確かにドラコの戦術はすごい。けど、これでジェムや僕たちと戦った時も本気だったって言うのもはっきりした」

「えっ?」

「フライゴンがガブリアスには使えない『地割れ』を扱えるのは僕も知ってる。でもフライゴンが『地割れ』を使えるようになるのは物凄く手間がかかるんだ。その割に欠点も多くて扱いづらい。ドラコもわざわざメガシンカの特性を二つ利用してまで『地割れ』の命中に繋げてる。……つまり、ドラコのこの戦略はあくまで対チャンピオン専用でジェムや僕たちに対して手を抜いてたわけじゃないんだよ」

「そう……なのね」

 

 今のダイバの説明で全てを納得できたわけではないだろう。後で平手打ちの一発くらいは覚悟しておくか、と思いながらドラコはサファイアに視線を戻す。

 

「貴様の残りは一体……さあ、私の竜達の力で引導を渡してやろう。そしてジェム達をこのグランギニョルから開放してもらうぞチャンピオン!」

 

 ほんの数十秒での大逆転。サファイアがボールを一つ掴みそれを見つめる。それは追い詰められたことの焦りか。計画に反旗を翻されたことへの憤りか。あるいは。

 

「ふ……想定以上の結果だ。礼を言おう」

「貴様、まだ言うか」

「誤解しないでほしい。これは私の計画とは関係ない個人的なものだよ。久しぶりに、緊張感のあるポケモンバトルだ」

 

 サファイアは、幽かに笑っている。大人の余裕と、目の前のピンチに心を高ぶらせる少年の心が混ざった不思議な表情だった。チャンピオンとして圧倒的な強さと誰にも気づかれないフェイクを操る彼には骨のある対戦相手など久しぶりなのかもしれない。モンスターボールから出すのは、チャンピオンが絶対の信頼を置く相棒。ダイバやアルカ、ジェムがこのフロンティアで見たポケモンだ。

 

「現れろ、全てを切り裂く戦慄のヒトガタ――メガジュペッタ!」

「特性は脅威だがその前に決める! やれボーマンダ!!」

「ボアアアアアアアアア!!」

「メガジュペッタ、『ゴーストダイブ』だ」

「どこへ逃げても無駄だ!!フライゴン!」

 

 メガジュペッタが影に隠れる。チャンピオンが無策で同じことをするとはドラコも思わない。だがどんな策を取ろうがフライゴンの目は見逃さないという確信があった。事実フライゴンの紅い複眼はジュペッタの隠れる先を見抜き――その影が向かう先は地面でも建物でも柱でもなく。

 

 

 フライゴンやボーマンダよりもはるか高い宙。蒼天に白い影が映り、その中にメガジュペッタが存在しているのが誰の目にもはっきりとわかった。

 

「な……!?」

「『影送り』または『影法師』と呼ばれる現象だよ。影とはどこにでも誰にでもある……そういうものだ。メガジュペッタ、ボーマンダを狙え」

 

 どれだけ素早く地面を割ろうとも、空を奈落の底に落とすことなど出来ない。咆哮の為に息継ぎする瞬間をつき、白い影から飛び出たメガジュペッタが漆黒の爪でボーマンダの体を無尽に切り裂く。メガボーマンダが咆哮ではなく悲鳴を上げ、意識を失い地面に落ちていく。

 

「メガボーマンダさえ倒してしまえば、もはやフライゴンには『地割れ』を使うことさえ出来ない。私の勝ちだ」

「いいや、勝つのは私達だチャンピオン!」

 

 宙にいるボーマンダを切り裂くためにメガジュペッタの体も当然宙に浮いている。雲が出来るほどの空からも地面からもそれなりに離れた位置にいる。今この瞬間だけは、小細工なしの一撃を当てられる。この時の為にずっと隠していた奥の手がフライゴンには存在する。

 

「フライゴン! 『アルティメットフライドラゴンバーン』!!」

「ふりゃあああああああああああああ!!」

 

フライゴンの口からエネルギーの塊が放たれ、四つの竜の形を取って地面から宙から回避の隙間なくメガジュペッタに叩きこまれる。竜のZ技をその身に受け、メガジュペッタの体が破れ悲鳴を上げる。エネルギーが消え、人形の体がフライゴンの正面に落ちた。

 

「勝った……!」

「……見事だ。君はトレーナーとして私との駆け引きに勝った」

 

 サファイアがわずかに無念そうに言う。ドラコの方が上だと。それは勝負の決着を意味していた。

 

「だが、ポケモンバトルの勝敗は別だよ」

 

 起き上がったメガジュペッタが、影の爪で紅い複眼を切り裂いた。フライゴンが激痛に苦しみ、視界を奪われる。眼を壊され、逃げることすらできず虫のように這いずるフライゴンにジュペッタは止めを刺そうとする。

 

「フライゴン……!」

「お父様やめて! もう勝負はついたわ!」

「――『虚栄巨影』」

 

 ジェムの制止を聞かずメガジュペッタが『ナイトヘッド』による自分の巨大な影を作り、伴って肥大化した影の爪でフライゴンの体全体を切り裂いた。フライゴンはそれでも動こうとして足を進めるが――それが逆に自分の発生させた地割れに落ちてしまい姿を消した。ドラコのポケモンは四体とも倒れ、サファイアの勝ちが決定する。

 

「私の策を看破したのは見事だが、ポケモンの強さを見誤ったな。Z技の一発で倒されるほど私のジュペッタは弱くはない。……君の負けだ。役目を終えた君には舞台を降りてもらおう」

「そこまでのまっとうな強さがありながら……何故他人の、娘の努力を嘲笑う真似が出来るのか私には理解できん」

「……全ては見ている皆の笑顔の為だ。メガジュペッタ」

 

 全力を出し切り、満身創痍で息を荒げるドラコにメガジュペッタが『影打ち』を撃とうとする。それは演出上の見せしめであり、ドラコにまた邪魔されては面倒だからだろう。受ければジェムとサファイアが戦うまでの間はまともに動けなくなる程度の怪我を負わせるつもりであろうことは誰の目にも明らかであり。

 

 

「お父様の気持ちは十分わかったわ。だからやめて」

 

 

 ジェムが、アルカの元から起き上がりジュペッタとドラコの間に割り込んで大きく手を広げて庇った。影を出しかけたジュペッタが慌てて止める。ジェムの声は真実を知った時の絶望や失意はない。感情を感じさせないここに来るまでのジェムではありえなかった冷えた声。だが慌てることもなく彼は自分の娘に問う。

 

「なら答えを聞こう。ジェムはこれからどうする。真相を知った以上私と戦うのはやめるか? それとも……私の娘として一週間後の決戦を受けてくれるか?」

「ジェム……」

 

 ドラコ、そしてダイバとアルカがジェムを見る。このフロンティアでの日々はチャンピオンの娘という大きな使命感を背負う小さな少女を中心に回っていた。それを知り、彼女は口を開く。

 

 

「お父様が全部仕組んだって聞いたのはショックだった……でもわかったの。それを望んだいたのはお父様、お客さん……そして誰よりも、私自身だったんだって。私は皆に認められるすごいトレーナーになりたかった。お父様みたいにみんなを楽しませるトレーナーになりたかった。お父様はお仕事、みんなに楽しんでもらうためって言ってたけど……それは私の為で、ジャックさんの為で、お母様の為でもあったんだって」

「……」

 

 ジェムがこのバトルフロンティアに来た元々の理由はそれだ。誰よりも父親の傍にいる立場で、だからこそ近づきたいと願っていた。それを母親が支えてくれて、ジャックが戦い方を教えてくれた。

 

「ジャックさんは楽しい勝負が大好きだし、お母様は私が危ない目にあって取り返しのつかないことになったらどうしようってすごく心配してた。危ない目には合ったけど……お父様やジャックさんが裏で仕組んでなかったら、私は本当に死んじゃったかもしれないってことだよね。そしたらお母様すっごく悲しんだと思うわ」

「……ああ、そうだろうな」

 

 サファイアは眼を閉じた。ピンチを演出しつつもジェムが主人公になるように調整するということは、すなわちジェムを危険に晒しながらも安全に徹底して気を配るということだ。仮にサファイアが何の計画もなくジェムをバトルフロンティアに連れてきていれば、世間や悪意を知らないジェムは誰かにかどわかされていたかもしれない。

 

「だから私には、お父様のやったことを否定する権利なんてない。私がそうしたいってずっと憧れてたことなんだもん。だから私は……お父様とポケモンバトルで勝負する。約束するわ」

 

 それがドラコの反逆を無にする行為だとしても。父親のやったことは、誰よりも自分が求めていたことだからそれを放棄してはいけない。ジェムの誰よりも強い使命感がそうはさせない。

 

「……わかった。ならば一週間後を待っている。……さすが、ジェムは私とルビーの娘だ。ジャックさんの弟子だ」

 

 サファイアが演技ではなく本当に感極まったように呟いた。自分の意志を、理想をジェムが理解してくれたからだろう。真相を知られた時点で、ジェムが自分を許さず戦わない可能性も真剣に考えていたからこそ彼は娘に選択を迫ったのだから。

 

 

「だけど私は、お父様を許さない。私よりずっと頑張って戦ってきたダイバ君の気持ちを利用して、アルカさんを悪者に仕立て上げて、ドラコさんに私達を騙させたこと……今の私は、もうお父様とお母様とジャックさんの為だけに戦えない。今の私にはあなたが認めなくても大切にしたい人達がいる、父様が私のためにダイバ君たちを傷つけたことを正当化するなら……私はお父様の理想に協力するために戦うんじゃない、私の友達のために、あなたと戦うわ!!楽しい勝負なんてしない、私の気持ちを全部ぶつける親子喧嘩にするから!!」

「……!!」

 

 

 その場にいる全員がジェムの言葉に呆気にとられた。あれだけ父を慕っていたジェムが怒りをあらわにして喧嘩をすると宣言した。サファイアでさえ、敢えて黙っているのではなく本当に言葉が見つからないようだった。

 

「クククククク……ハハハハハハッ!! チャンピオン、この言葉も貴様の想像していたか!? こいつは貴様の操る運命の意図も、私の竜が導く方向も無視して戦うつもりらしい! 別に騙していたことへの罪悪感などそうないが……そういうことにしてやろう!」

 

 膝をつき、息を荒げたままドラコが笑った。正直ジェムが父親の理想を受け入れたものだと思っていたがゆえに、本当に痛快だった。

 

「わたしが悪者だなんてはっきり言っていつもの事ですが……まあ、あなたなりに私の気持ちを汲んで怒ってくれたことは認めますよ」

 

 アルカがジェムに歩み寄り、苦笑した。アルカが許せないと思ったところはまた別にあるのだが、それも追々わかりあっていければいいだろう。自然にそう思うことが出来た。

 

「……ジェム」

「ダイバ君……私、勝手なこと言っちゃった?」

 

 ダイバがジェムに近づき囁く。ジェムはちらりと振り向いてダイバの表情を見た。表情はなんだか呆れているように見える。

 

「いや……僕に関しては間違ってないよ。それに……君は、そうあればいいと思う」

「そっか、ありがとう」

 

 それはダイバのついた優しい嘘なのかもしれないけど。嘘なら嘘で構わない。ジェムに対しての想いがあるのは間違いないから。ドラコもアルカもダイバも、ここでの出会いを通して自分と一緒にいてくれる。だからジェムは、父とフロンティアに囚われず自分の道を進む決意が出来る。

 

「とにかく……例え私達の出会いがお父様の掌の上だったとしても、まだわかりあえていないとしても……私はここにいるみんなと一緒にいたいしお父様のしたことを認めない! だから……覚悟してもらうからね、お父様!!」

「そうか……それがお前の選択なのだな、ジェム」

「うん、みんなに言われたけど私はお父様みたいに立派なことが出来る人じゃないみたい……我がままで、傲慢で、利己的で狡猾なんだって」

「それを否定する権利はこの出会いを仕組んだ私にはない……か。ならば覚悟しておこう、お前達との戦いを。一週間後、バトルフロンティアの中央で待つ」

 

 サファイアの姿がジュペッタと共に影の中に消え去る。それをどこに行ったか確かめることもなく、今の自分の仲間へと振り向いて三人を一気に抱きしめた。三人は、拒絶せず腕を回り切れない小さな体を受け止める。

 

「ごめんなさいみんな……後一週間、お父様に、ホウエンチャンピオンに勝つために力を貸してちょうだい!!」

 

 三人がそれぞれ噛み合わない返事をする。だけどこれでいいのだ。残す戦いはあと一つ。ジェムと父であるサファイアの決戦のみ――

 



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蒼との決別

 ジェムがバトルフロンティアの真実を知ってから一週間後。ここはフロンティアの施設の中で一番大きなドーム。整えた茶髪に黒いタキシードのような礼装に身を包んだ男性がバトルフィールドの端に立つのをジェムはモニターで見据えていた。サファイアの計画通り、ジェムたちの戦いに魅せられた人々がジェムとサファイアの親子対決を心待ちにしている。ジェムは仲間たちと共に今日のために特別に設置されたステージの控室で待機していた。

 

「いよいよ……ね」

「……緊張してますか」

「当然よ。本当にお父様と戦うんだもん」

「そうだな。だが悪い緊張ではない。全てはお前に託した。力の限り戦え。お前はもう勝ち負けに囚われる必要などない」

「……ええ、アルカさんのお茶も効いてるし、大丈夫よ」

 

 アルカとドラコがジェムの傍で声をかける。アルカの調合した緊張をほぐすお茶を事前に飲んでいることもあって、ジェムの表情は張りがあるが気負ってはいない。

 

「……私がジェムにこんな形でお茶を作ることになるなんて、わからないものですね」

「ふふっ、最初は体が痺れる毒だったからね。あの時は本当にびっくりしたわ」

「さて……最後に確認するが、体に不調はないな?視界は平気か?」

「うん、ドラコさんありがとう」

 

 ジェムは鏡で自分の姿を確認する。皺ひとつない青のパーカーとアルカとおそろいの花柄のミニスカート。丁寧にそろえた茶髪には母親に貰った雫の髪飾りだ。

 

 

「────さあ!!いよいよこの厳しいバトルフロンティアの施設をすべて制覇したチャンピオンの娘、ジェム・クオールの入場です!!彼女は若干十三歳。反抗期を迎え父親に親子喧嘩を正々堂々挑んだとのこと!!それをチャンピオンとして、父親として絶対王者はどう迎え撃つのか、目が離せません!!」

 

 

 これがジェムの入場の合図だ。ジェムは立ち上がり、ドアに手をかける。これを開ければすぐにバトルフィールド、サファイアの目の前だ。

 

「ダイバ君……私、ダイバ君の分まで戦うから見ててね」

 

 ずっと黙っていた少年、ダイバはそのドアの前に立っている。サファイアの企みがなければ、今こうしてサファイアに挑んでいるのはダイバだっただろう。それでなくとも思うところはあってか、この控室に入ってからは一言も口を開いていなかった。ジェムの言葉に、ようやく彼が口を開く。

 

「君がチャンピオンと戦うことに今更文句なんてない。ただこれだけは覚えていて。僕は君ならチャンピオンに勝てると思って納得したんじゃない。……君の戦いの結果ならどんな形だって納得できる、これからも生きていけるって思ったからここにいるんだ」

「うん……ありがとう。すっごく元気が出たわ」

 

 ダイバはあれからエメラルドやネフィリムと自分の考えを話したらしい。具体的にどんな内容かは頑なに教えてくれないけれど、それでもジェムを、そして自分のことを認めたようにジェムには思えた。その証拠にダイバは拳を握り、ゆっくりとジェムの前に出す。ジェムも驚くことも怯えることもなく拳を握ってこつんとぶつけた。またお互いに子供の、小さな手が触れる。

 

「行ってくるわ。そして……終わったら、約束通り、みんなで旅をしましょうね」

「ああ」

「約束ですからね」

「……うん」

 

 バトルタワーでの戦いを終えた後でした約束を口にする。大事なのは勝敗ではなく父親に、見ている人に自分の想いを伝えることだ。腰につけたモンスターボールには、六匹のポケモンがやる気十分で出番を待っている。ジェムは扉を開き、まっすぐ歩いてバトルフィールドへ立つ。サファイアと向き合った瞬間、歓声がどっと沸きまるで音のシャワーに飲み込まれそうになった。ドラコのハイパーボイスとは違う。皆が口々に騒ぎ自分を好機の目で見る視線を受けることに怯まないと言えば嘘になる。でも、その弱気を跳ね除けるためのおまじないは既に貰っていた。

 

 

「────この可憐な容姿に誰よりもまっすぐ駆け抜ける強さを宿っていると誰が想像しただろうか!! いや、それは彼女の目が証明している!蒼眼のチャンピオンと紅眼の巫女から受け継いだそのオッドアイ……が!?」

 

 

 司会者の実況が止まる。たくさんのカメラが入ってきたジェムの顔をクローズアップで映し出しオッドアイを映し出そうとした。しかし――ジェムの目はオッドアイではなく両目が真っ赤になっている。泣き腫らしたり寝不足のそれではない。カラーコンタクトで片方を赤色にしているのだ。観客がどよめく。

 

「────おおっとこれはどうしたことだー! 彼女の目が真っ赤に!!」

 

 皆の視線が好機ではなく疑問の瞳になる。ジェムの言葉を待つ姿勢になる。それを察して、ジェムは渡されたピンマイクの電源を入れ口を開いた。

 

「……私はお父様が許せない。私達のバトルフロンティアへの挑戦を操って見世物にしたことを。だから……最初は蒼い方の目はくり抜いて捨てようかとも思ったわ。お父様と同じ目なんて、いやだから」

「ジェム……お前」

「勿論、そんなことをしたらお母様が悲しむからやめたけど。女の子は体を大事にしなきゃダメって教わったから」

 

 観客たちの一部が悲鳴を上げる。わずか十三歳の少女が平然と、淡々と自分の目をくり抜こうとしたと口に出したのだから当然だ。冗談や虚勢とは思えないほどジェムは平常心で、自然に喋っていた。事実、もしジェムがシンボルハンターとの戦いで母親から受けた愛を知らなければそうしていただろうとジェムは自分で思っている。父親を許せず、母親の愛を信じられず、絶望して両の目を捨てたかもしれない。 

 

「……それに、今安全なところから見てるお客さんのことも嫌い。このフロンティアで戦って、ポケモンバトルってすっごく痛いし苦しいものだって私は思った。自分の意志でやるならいいけど、苦しんでる人やポケモンを見て笑顔になる人なんて大嫌い」

「ジェム、言い過ぎだ。私の事をどう思おうと構わないがお客さんへの言葉は慎みなさい」

「言ったわよねお父様。……私はお父様と喧嘩をしに来たの。お客さんの事なんて知らない。お父様に憧れるのはもうやめる。私は……私と私の大事な人の為だけに戦う。名前も声も知らないたくさんの人の事なんて知らない!!」

 

 ジェムの言葉に客席が沸騰する。怒声歓声興奮哄笑。でももうジェムには関係ない。実況や観戦なんて、勝手にしていればいい。

 

「司会。バトル開始の宣言をお願いします。ここまで頑なならばもはや私も言葉での説得はすまい。やはり私に出来るのは勝負に勝つことと……ホウエンチャンピオンとして、挑戦者を圧倒することで観客に楽しんでもらうことだけだ」

 

 静かな、しかし内に深海の重たさを秘めた声だった。司会が咳ばらいを一つして宣言する。

 

「ではルールは説明不要、由緒正しき六対六のダブルバトル、もう心行くまで親子喧嘩をやってくれ!!」

 

 巨大モニターがジェムの表情からサファイアとジェムの二人に切り替わる。フロンティアでの全ての戦いを終え――チャンピオンのサファイアが勝負を仕掛けてきた。後は目いっぱい憧れだった人への決着をつけるだけ。ジェムは腰につけた二つのボールを片方ずつの手でつかみ放る。

 

「いくよルリ、ラティ!!」

「りるぅ!」

「ひゅううあん!」

 

 地面をポンポンと弾みながらマリルリが、紅白の身体でフィールドを飛翔するラティアスが登場する。ジェムが特に頼りにしている友達と相棒だ。対するサファイアが右手を開くと手品のようにモンスターボールが二つ現れ、そこから同時に二体のゴーストタイプが現れる。オーロットやシャンデラとは違う、しかしタイプは同じポケモン。

 

「ガラガラ、ジュナイパー。頼んだぞ」

 

 両手に太さの違う骨を持ち、その両端に炎を揺らめかせるガラガラと、フードを被った人間のようにも見える矢の名手ジュナイパーが現れる。揺らめく炎とフードから影が滲み、本体の横に小さな気配を感じ取る。やはりサファイアの隠れた本質である『死線幽導』は加減なく使うつもりだ。だとしても、ジェムは臆するつもりはない。

 

「それでは……バトル開始ィ────!!

「ラティ、『ミストボール』!」

「ジュナイパー、『エナジーボール』」

 

 開幕した瞬間、ラティアスとジュナイパーの放ったエネルギー弾が放たれる。ぶつかり相殺してミストボールが霧となって広がりジェム達を覆った。相手の特殊攻撃の威力を弱め、更に自分たちの姿を隠す幻惑の霧。ガラガラはそれに構わず二つの骨をぐるぐると回し、火車の大輪のような炎で霧を掻き消しながら突っ込んでくる。

 

「ガラガラ、『フレアドライブ』」

「ルリ、『アクアテール』!」

 

 迎え撃つマリルリの体がゴムまりのように弾み飛び上がり勢いのまま尻尾に水を溜めて巨大な水風船を叩きつけた。マリルリとガラガラがお互いに仰け反り、ガラガラがブレイクダンスのようにバック宙返りをして下がり、マリルリが転がりながらジェムの傍へ戻る。

 

「炎技でルリの水技と互角の攻撃力……!」

「ルリに特性の『ちからもち』があるように私のガラガラには『ふといホネ』を持たせている。攻撃力を倍にする手段などいくらでもあるということだ」

「だったらこれはどう! ルリ、ジャンケン……『パー』!」

 

 マリルリが『はらだいこ』によって腕に最大のパワーを溜める。そして物理技でアクアジェットによる水の噴射を直接ガラガラに向けて放った。『ハイドロポンプ』すら凌駕する量と水圧が飛んでいく。

 

「ガラガラ、『守る』」

 

 太い方の骨を前に出し片手で回転させてまるで円形の盾のように防御する。対してまるで気軽に踊っているような所作だが、骨の盾は流れ来る水をあっさりと弾き飛ばした。

 

「そして、ただ強いだけの攻撃などいくらでも受け流せる。では……少しばかりやり過ぎた娘に灸を据えてやろう」

「やり過ぎたのはお父様の方よ……来るよルリ、ラティ!」

「ジュナイパー、『ブレイブバード』。ガラガラ、『シャドーボーン』!」

 

 ジュナイパーが自身の羽に矢をつがえ放つ。撃たれた一本の矢は猛禽の飛翔のように風を切りラティアスの霧を吹き飛ばし、ガラガラが骨の一本を投げ回転するブーメランのように迫る。二つともが、当たればただの物体以上のダメージを受けることを感じさせるものだ。

 

「ラティ、『リフレクター』!」

「ひゅううん!」

 

 ラティアスが自分とマリルリを守る壁を発生させ、矢羽と骨がぶつかる。二つの攻撃を受けて壁は壊れたが、勢いは止まり――骨の影だけが壁をすり抜けマリルリを弾き飛ばした。

 

「りるっ……!」

「ルリ、大丈夫!?」

「るるう!!」

 

マリルリが小さな腕で力こぶを作って元気をアピール。いつもの仕草にほっと息をつきながらジェムは考える。

 

(今の攻撃……お父様のポケモンは影での攻撃が得意なのがわかってたのに受けるまで影に力が籠っているのに気づけなかった)

 

 ジェムも、そしてこれまでサファイアに挑んだ者達もサファイアのゴーストタイプで統一したパーティーの攻撃手段が影であることは知っている。それでもなお燃える骨から感じた威力は本物そのものでそちらに注意を向けさせた。だが本命はそちらではなくその下に映っていた影。目の錯覚や影に隠れることによる認識のしずらさに加えて使用される五感ではなく気配を作り出すことによって生まれるフェイントである『死線幽導』の力を自分で体感しその技術の凄さに震える。

 

「ジュナイパー、『リーフブレード』。ガラガラ、『フレアドライブ』。狙いはマリルリだ」

「……!!」

 

 ジュナイパーの羽根に今度は鋭くとがった枝がつがえられる。同時にガラガラが二つの骨を器用に回しながら突っ込んでくる。ドラコとの戦いの時とは違い、今回のサファイアは積極的に攻めるつもりのようだ。

 

「ルリ、『アクアジェット』!」

 

 ガラガラの骨の間合いに入る前にこちらから素早く懐に潜り込み顔の骨を砕く勢いで殴りつけようとする。だが当たる直前ガラガラの体がすり抜け横に移動した。『影分身』を作って本物は影の中に隠れそれを気づかせないためにわざと派手に骨を回して気づかれないように────

 

「そうしてくるってルリはわかってるわ! ルリ、『じゃれつく』!!」

「るうう!」

「ガラッ……!?」

 

 マリルリがガラガラの体に抱き付いて密着し、そのまま転がりながらぽかぽかと殴る。マリルリを狙い撃ちにしようとしたジュナイパーが溜まらず枝を撃つのを止めた。多少乱戦になったところで正確に打ち抜けるコントロールはあるが、子供のようにじゃれ回っていては次の予測が出来ない。下手に撃てばガラガラに当たる可能性がある。

 

「構わない。ガラガラに当たったとしても大きなダメージにはならない。その為の『リーフブレード』だ」

「ラティ、『冷凍ビーム』!」

 

 ジュナイパーが指示通り撃とうとした瞬間その羽をラティアスが冷気の光線で凍てつかせ止める。ジュナイパーはバックステップをしながら飛びあがり無理やり羽搏くことで氷状態になることを避けた。ガラガラもマリルリを振りほどき距離を取る。

 

「ここから反撃よ! ラティ、ルリに『ミラータイプ』!そして『波乗り』よ!」

「ひゅうん!」

 

 ラティアスの瞳が輝き仲間のマリルリを見る。するとラティアスの紅白の体がマリルリと同じ水玉模様になった。自身が水タイプとなったことでいつもより大きく相手の二体を飲み込む『波乗り』を起こす。ガラガラもジュナイパーも『守る』により自分の影に隠れてやり過ごし波が通り過ぎた後――フィールドにはラティアスだけが残っていた。マリルリもどこかへ消えている。サファイアは一瞬の沈黙の後、ジュナイパーに指示を出した。

 

「……ジュナイパー、ラティアスに『リーフブレード』!」

「やっぱり……お父様はそうするしかないってわかってた! ルリ、『滝登り』!」

 

 マリルリが隠れていたのはラティアスの起こした波によって発生した大量の水の底。ジュナイパーの影の傍までもぐりこみジュナイパーが姿を現した瞬間に真下から鋭いアッパーを浴びせた。不意を突かれたジュナイパーが錯乱したような悲鳴を上げる。

 

「ラティ、『サイコキネシス』で追撃!」

「ガラガラ、『シャドーボーン』でラティアスを狙え」

「今ならガラガラの骨がない……ルリ、『アクアジェット』!!」

「ガラガラ、『はらだいこ』からの『暴れる』で迎えうて!」

「ルリも全力全壊の『はらだいこ』からの『捨て身タックル』よ!!」

 

 数秒間の技の交錯。ラティアスの追撃に骨を投げて牽制しその隙をマリルリが突く。ならばと骨がなくとも攻撃力を最大限にあげたガラガラが己の拳をマリルリの腹に叩きこみ、同じ技で最大の攻撃力を持ったマリルリの拳がガラガラの顔の骨を砕いた。ガラガラとマリルリが互いにフィールドの端まで叩きつけられ、倒れる。息もつかぬほどの攻防に観客が湧きたち生意気な小娘を打ちのめせという声と親心のないチャンピオンをやっつけろという声が二分する。でも、ジェムにはその両方の声に興味がない。実況者が何か言っているが、ジェムには響かない。倒れたマリルリの傍に駆け寄る。

 

「ルリ……ありがとう。ガラガラ、ちゃんと倒せたよ」

「りるぅ……」

「ご苦労ガラガラ。緒戦は上々だ」

 

 起き上がれないマリルリのお腹を優しくさすり、痛くないように抱きしめてあげた後、ジェムはマリルリをボールに戻す。チャンピオンもガラガラをボールに戻す。

 

「わかってた……か。計画通りだというならジェム、何故泣く?」

 

 仕切り直しとなった盤面を前にサファイアがジェムに問う。戦いは始まったばかり、盤面はほぼ互角。なのにジェムの双眸には涙が浮かんでいる。ジェムは戦いを挑む前、どうやって父に打ち勝つかをみんなで考えた時のことを思い出す。

 

 

────ジェム、あのチャンピオンの守りを打ち崩すにはどうすればいいと思う?

────フェイントに引っかからないようによく注意して戦う……かな?

────と、考えるだろうがそれは逆効果だ。『死線幽導』はいわば常人には感じ取れぬ気配を敢えて出すことで効果を発揮する。よく見る。わずかな気配を逃さない。そうした気構えを持っているほどかかりやすくなる。

 

 直接チャンピオンと戦い、あと一歩まで追い詰めたドラコはそう言った。よく見なければ『影分身』や『身代わり』に騙されよく見れば『死線幽導』に騙される。ならどうすればいいのか。

 

────……なら、攻めさせたら。向こうが守りに入ってる限りドラコのようによっぽどの対策をしないと当てられないんだ。ならいっそチャンピオンから攻撃するように仕向けたほうがいい。

────でもお父様は……私の知ってる勝負ではほとんど自分から攻撃しないよ?

────だろうな。絶対王者は自分から攻め急ぐ必要などない。相手の攻めを受け止めながらじっくりと戦うのがベストだ。

 

 ダイバがそう提案する。有効かもしれないが、一時的二ならともかくバトル中ずっと攻め続けさせることをチャンピオンはしない。どうしたものか、と考えているとアルカが口を開いた。

 

────ジェムはチャンピオンの娘なんです。それを利用して、挑発してみせたらどうですか。

────お父様が挑発なんて乗ってくれるかな……

────いや、悪くない考えだアルカ。確かにあのポーカーフェイスはジェムの挑発になど乗るまい。だが……ジェム、あいつにとって一番大事なものはなんだ? お前か?

────ドラコ、それは。

────いいのダイバ君。そうだよね、そうするしかない……アルカさん、なんて言えば効果があるか一緒に考えてくれる?

 

 

 ジェムの父にとって何より大切なのは自分との戦いではない。あくまで見ているお客さんだ。なら戦いの前に奇抜な言動で恐怖と同情を惹き、そのうえでサファイアのエンターテイメントを、ひいてはそれを見て楽しむお客さんを悪く言えばどうなるか。

 

「誰よりもお客さんのことを考えるお父様なら、お客さんが私に怒ってれば代わりに私を攻撃するしかない……お客さんを悪く言うヒールをやっつけなきゃいけない。だから最初から攻撃的だったしルリがどこにいるのかわからなくても待つんじゃなくて攻撃したんでしょう? 私と本気で向き合うより……お客さんのことを優先するって、わかってた」

 

 でも、わかっていたはずのことが辛かった。自分はずっと父親に憧れてこの日を夢にまで見ていたのに。その父親の目には自分が映っていない。彼の目にはお客さんの事しか見えていない。だからジェムは泣く。その涙を、力に変える。

 

「だから勝負する相手の努力を利用して誘導して、まともに向き合うことすら忘れちゃったお父様には絶対……負けたくない!ラティ、メガシンカ!!」

「ひゅううあん!!」

 

 ジェムの涙と雫の髪飾りが輝きラティアスの体が大きく、水玉模様から本来に赤が交ったような紫色になる。そしてジェムは、今から出すポケモンをもう一度見つめる。ボールの中のポケモンはちらりと控室の方を見た。その後ジェムの方を見て頷いてくれる。

 

「では頼むよ、ゴルーグ」

「ゴオオオオオオ……」

 

 人間の二倍の背丈がある土の巨人、ゴルーグがフィールドに現れる。ジェムを見る黄色い瞳がカッと光り、スポットライトのようにジェムを照らした。

 

「さあどのポケモンを出すジェム。キュウコンか?ジュペッタか?それとも……」

「……全部違うわ」

「何?」

「お父様……これが私達の答えだよ! アマノさんとアルカさんの苦しみをお客さんに媒介するために……出てきて、スタペシア!!」

「ラァ~!!」

 

 フィールドに一枚の巨大花が咲く。ジェムがゲットしたのではなくバトルタワーでジェムとダイバを苦しめたアルカのポケモンだ。大きな声で叫びをあげ花の中央から黄色い花粉を鬼のようにばら撒くのはラフレシア。

 

「……あの子から借りたのか」

「私がお父様を受け入れられないのは、アルカさんやドラコさん、ダイバ君が利用されたのが許せないから……だからみんなと一緒に戦いたい」

「……愚かな」

 

 それを見たサファイアの声には、静かだがはっきりとした怒りが滲んだ。ゴルーグと落ち着きを取り戻したジュナイパーが攻撃の態勢を取る。

 

「『ブレイブバード』に『メガトンパンチ』だ」

「ラティ、スタペシアを『守る』!」

 

 矢羽と拳が巨大花を狙い、それをメガシンカしたラティアスの念力がまとめて逸らす。その間にラフレシアは花粉を有毒な物に変えていく。

 

「ラティ、『ミラータイプ』! スペタシア、『毒の粉』よ!」

「ラァ~」

「ゴルーグ、『神秘の守り』」

「ゴッ!」

 

 ラティアスがラフレシアのタイプを吸収し紫色の体が毒々しくなる。ラティアスが巻き込まれないことを確認してからラフレシアは毒花粉を放つがサファイアの手持ちに『影分身』『身代わり』『神秘の守り』『守る』が使えないポケモンはいない。ゴルーグが両腕から力を放つと、味方を状態異常から守るオーラを発生させた。これで『毒の粉』は無効だ。

 

「スタペシア、『花吹雪』!」

「……無駄だ。ジュナイパー、『ブレイヴバード』!」

「また矢を……」

「いいや、違うな」

 

 ラフレシアが花粉を集めて花弁のようなものを作り一斉に相手へばら撒く。対してジュナイパーは矢をつがえるのではなく自身の体を矢として花弁をものともせずまっすぐラフレシアに突っ込んだ。ラフレシアの巨大な花が吹き飛ばされ、更にジュナイパーがきりもみ回転をしながら鋭い羽根でラフレシアの体を傷つけることで一撃で戦闘不能にする。アルカのポケモンはポケモンバトルの為のポケモンではないので無理はさせられない。ジェムは倒れたラフレシアの体を抱きしめる。花粉で服や顔が汚れるが気にしない。毒の影響はアルカが事前にジェムには影響がないように調整している。

 

「スペタシア!ありがとう、よくやったわ」

「よくやった……? ラフレシアは私のポケモンに何のダメージも与えられていない。あの子のポケモンは相手を欺き毒に陥れることは得意としていてもこのようなまっとうなバトルに向いていないことをジェムも知っているはずだ。そもそも――」

「私達の気持ちを知らないくせに知ったふうな口を利かないで! お願いリザードン!!」

「ガアアアアアアア!」

ラフレシアを戻し、ジェムは続けて出すのはオレンジ色の翼竜。ドラコから借り受けたリザードンだ。翼を羽搏かせ、竜の咆哮をあげ、フィールドに声を響かせる。己を体と炎を蒼く染めあげるメガシンカは、使わない。

 

「ドラコのポケモンなら確かに強力ではあるが、それで私に勝てると本当に思っているのか?」

「愚問よ! わからないなら何度でも言ってあげるわ。私達みんなの力で勝つ! リザードン、『火炎放射』!ラティ、『サイコキネシス!』」

 

 ラティアスの念力がジュナイパーの動きを封じ、リザードンがその体を焼き尽くす。ジュナイパーの体が燃え尽きて消滅した。『身代わり』だ。

 

「ゴルーグ、『ヘビーボンバー』」

「ゴオオオオオオ!!」

「ラティ、リザードン逃げて!」

 

 ゴルーグの巨体が飛び上がり、空中で五体を広げて超重量級の落下を行う。誰から見てもわかりやすく脅威である一撃をリザードンとラティアスはその範囲から逃れるようとする。

 

 

「『影縫い』だ」

 

 

 派手な動きのゴルーグに隠れて狙いを定めた本物のジュナイパーが二本の黒い矢をつがえラティアスとリザードンの影を射抜く。その瞬間二体の動きが止まり逃げることが出来なくなった。ゴルーグのプレスに捕まり、二体が押しつぶされ――姿が、朧に消えた。本物のラティアスとリザードンはゴルーグをしっかり回避している。

 

「『影縫い』は確かに二体の動きを封じたはず……まさか」

「お父様が撃ったのはラティが作った偽物の影よ!『影分身』を使えるのはお父様だけじゃないわ。ジュナイパーだけの得意技が『影縫い』ってことだって私知ってるんだから!ラティ、リザードン、『龍の波動』よ!」

 

 地面に落ちたゴルーグの背中を二体の翼竜が赤と紫の波動が焼く。ゴルーグの背中の土が崩れた体が影に滲んでいく。その影には何の力も感じられない。

 

「……油断しちゃダメよ」

「ひゅうん」

「……ガッ」

 

 戦闘不能とは限らない。『死線幽導』によるフェイントは気配で欺く。倒れたふりをして機会を伺っている可能性も高い。ラティアスが素直に頷き、リザードンが誰に向かって言っているとばかりに炎の息を吐いてさらに羽搏く。

 

「さすがにかからないか……『シャドーパンチ』だ」

「リザードン、『エアスラッシュ』!!」

 

 影の中から巨大な拳のロケットパンチが飛んでくるのに対し空気の刃でジュナイパーをけん制しつつ拳を切り刻もうとする。だが相殺しきれず、拳がリザードンの体を殴り飛ばした。ラティアスがフォローに入ろうとするが、ジュナイパーが矢継ぎ早に木の枝を放ち牽制している。

 

「続けて『爆裂パンチ』」

「……ッ、『フレアドライブ』!」

 

 ゴルーグの体が完全に影から出て、砲丸投げのように思い切り振りかぶってからの拳をリザードンが炎を纏って突進して迎え撃つ。しかし力の差は明らかだった。一秒も持たずにリザードンの体が押し負け、吹き飛ばされて地面に落ちる。

 

「リザードン、大丈夫!?」

「ガア……アッ!!」

「いたっ……!」

 

 リザードンの傍に寄って手を伸ばすジェムを、リザードンは払いのけ彼女の小さな体を突き飛ばした。尻もちをつき、声を上げるジェム。

 

「……ラティ、リザードンに『いやしの願い』!」

「……ガアア!」

 

 ラティアスがリザードンを回復させるよりも早く、『爆裂パンチ』により混乱したリザードンがジェムに摂氏何千度かという炎を吐こうとする。ジェムに避けられるはずもなく、回復しようとしたラティアスに止められるはずもない。ジェムが炎に呑まれるのを防いだのは――ゴルーグの巨大な腕だった。リザードンの口を無理やり上から殴り、炎を吐けなくして今度こそ戦闘不能にする。実際に炎は撃たれなかったにも拘らずストーブに当たり続けた時のような鋭い痛みの熱がジェムを襲って飛びのいた。混乱の影響があるとはいえこうなったのはそもそもリザードンはジェムの手持ちではないからだ。少しのずれがトレーナーにも牙を剥く。

 

「危ないところだった……私が止めなければ焼け死んでいたかもしれないんだぞ」

「……」

「仮にリザードンがメガシンカできていれば、そもそもゴルーグとリザードンの勝敗は逆だっただろう。……つい最近出会ったばかりの相手から借りたポケモンで本来の力を引き出せるはずもない。ラフレシアもリザードンも……そんなまやかしの友情に頼るより、ジェムが何年もずっとにいたポケモンで戦った方がずっと強かったはずだ。安全に戦えたはずだ」

 

 サファイアにとって、この状況は想像の外であっても想定していた強さよりはむしろ低いということなのだろう。ラフレシアを出した時の怒りは愚策を取った娘に対する落胆と失望だったのかもしれない。サファイアはバトルの状況が写された電光掲示板を見やり、言う。

 

 

 

「私のポケモンは残り五体。ジェムのポケモンは残り三体。恐らく残りのうち一体はダイバ君のものだろうが、ジェムが使ったのではメガシンカ及び力を引き出すことはできない。ジェム……お前の気持ちは十分に分かった。だが付け焼刃の友情と対策では私を倒すことなど出来はしない。……もう勝負は決まった。負けを認めてくれ」

 

 

 

 無情な宣告だった。勝利宣言に観客は沸き立ち、サファイアの勝利を確信する。ジェムはしりもちをついて座った姿勢のまま仰ぐようにサファイアの顔を見る。その青い双眸がジェムを睨む。そこに籠る強い力にジェムは起き上がることができない。二十年公式無敗のチャンピオン、このフロンティアで起こったすべての出来事を操る支配者、相手の死力を尽くした戦術をすら誘導する技術。そんなイメージがジェムの脳裏に浮かぶ。自分なんかが勝つなんて無理だ、そう思わされる。

 

「ひゅうあん!」

「こぉん!」

「ラティ……キュキュ」

 

 その時、ラティアスとキュウコン、ジェムの手持ちでありこのバトルに挑む相棒たちの声が聞こえた。続けてこのバトルには参加させられないけどジェムと一緒にいてくれるポケモン達、マリルリの声。ジェムがくじけそうになったときにいつも元気をくれる仲間の声。その声に、自分を叱咤して立ち上がる。

 

「……諦めないわ」

「……」

「私は絶対諦めない……最後の最後まで、私のポケモン達と……私に力を貸してくれた人たちのために戦う!愚かでも、危なくても、悪い子になってでも……私は私の大事な人のために戦うって決めたから!!」

 

 ジェムは立ち上がり、キュウコンをボールから出す。憧れだった父親に伝えたい想いは、まだたくさん残っているから。




次の話で完結です。


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最終話、フロンティアを駆け抜けて

(……かなり不利だけど、二人のおかげで準備はできたわ)

 

 ジェムがドラコとアルカからポケモンを借りたのは自分の意志を示すこと意外にもう一つ理由がある。もう少し、もう少しで勝つための布陣が整う。

 

「自分の手持ちであるキュウコンか……だがもう手遅れだ。ゴルーグ『シャドーパンチ』」

「ラティ、『ミストボール』!」

 

 ゴルーグの巨大な拳の影が飛んでくる。『ミラータイプ』でラフレシアのタイプをコピーしたラティアスが放つ霧は毒ガスのように紫色でより深く仲間の姿を隠す。

 

「それで当てられないとでも思うのか?」

 

 だが、影の拳は大きさに任せて振りぬかれキュウコンの額を撃つ。直撃は避けたがそれでも少し体がぐらついた。でも、これで。

 

「…………お父様の方よ」

「ん……?」

 

 ジェムには、今から自分のすることが少し怖い。でも、心の準備はこの一週間でしてきた。自分の大事な人にも、自分が何をするかは伝えたし彼らも反対はしなかった。

 

「手遅れなのは……お父様の方よ! キュキュ、『炎の渦』! お願い、しばらく耐えて!」 

「ジェム……何をするつもりだ! やめろ!」

「コオオン!!」

 

 キュウコンが特大の炎の渦を吐いて相手を妨害する。何かを察したサファイアが猛攻を仕掛けるが、キュウコンは分身や蜃気楼を使い凌いでいく。ジェムはキュウコンを信じ、胸の前で手を合わせ唱える。ジャックに教えてもらった、バトルピラミッドでレジギガスを呼び出すのに使ったものと同種のポケモン同士の力を融合させる古代の呪文。

 

 

 

 

○○ ○○ ●● ○○ ○○ ●● ○● ●○ ●○ ○○ ●○ ●● ○● ●● ○○ ○● ○○

○○ ○● ●○ ○● ○○ ○○ ●○ ●○ ●● ○● ○○ ○● ○○ ○● ●● ○● ○○

●● ○○ ○● ●● ●○ ○● ●○ ○● ○○ ●○ ●● ●○ ○○ ○○ ○○ ●○ ●●

 

 

(げんわくのきりをはなつりゅうよ)

 

○○ ○○ ●● ○○ ●○ ●● ○● ○○ ○● ●● ●○ ●○ ○● ○○ ○○

○○ ○● ●○ ○● ○○ ○○ ●○ ○● ●● ○○ ○○ ○○ ○● ●● ○○

●● ○○ ○● ●● ○● ○● ●○ ○○ ●○ ○● ●● ●○ ●○ ●○ ●●

 

 

 

(げんかくのどくをちらすはなよ!)

 

○○ ●● ○○ ○● ●○ ●○ ●○ ○○ ●● ●○ ○○ ●○ ○○ ●○ ●● ○○ 

○○ ●● ○● ●○ ●● ○○ ○● ○● ●● ○● ○● ●● ○○ ●● ●● ○○  

●● ●○ ●● ●○ ●○ ○● ○○ ○○ ●○ ●● ○○ ○● ●○ ○○ ●○ ●●   

 

(てんのちからでまじわりて)

 

 

○○ ○● ○● ○● ○○ ●● ●○ ○○ ●● ○○ ○● ●● ○○ ●○ ●● ○○ ○○

○○ ●○ ●○ ●● ○● ○● ●● ○● ○● ○● ●● ○○ ○● ○● ●○ ●● ○○

●● ○● ○● ○○ ●○ ●● ○● ○○ ●● ○○ ●○ ○● ●○ ●● ○● ●○ ●●

 

(こころをむしばむどくをまけ!)

 

○○ ○● ○● ○○ ○● ●● ○● ○○ ●○ ●○ ●○ ○○ ●● ●○ ●○ ●○ ●● ○○ ○○ ○○

○○ ●○ ●○ ○○ ●○ ●○ ●● ○● ○● ●● ○● ○● ●● ○● ○● ●○ ●○ ○● ●● ○○

●● ○● ●○ ○● ●● ○● ●● ●● ●○ ●○ ●● ○○ ○● ●○ ○○ ○● ○● ●● ●○ ●●

 

 

(このぽけもんたちまぜたらきけん!)

 

 

唱え終わり、ラティアスと彼女がコピーしたラフレシアの力が交じり合い融け合う。最後に、ラティアスにいつもの言葉で命じる。

 

「ラティ、お客さんのみんなに……『ミストボール』!!」

「ひゅらあん!!」

 

 ポケモンバトルをする際の観客席にはポケモンの技によるダメージを受けないように目に見えないバリアーが張り巡らされている。ポケモンの技で言う『光の壁』や『リフレクター『神秘の守り』のようなものだ。通常のポケモンバトルではそもそも起こりえないことだが、故意に観客を攻撃しようとしても届かないようになっている。――だが、抜け穴はある。ポケモンの戦いは見えるように、風や炎の勢いが伝わる無害にならない範囲の影響は届くように調整されている。

 

(アルカさん……ドラコさん。あなた達のおかげで、私は世界のみんなにだって立ち向かえる)

 

 アルカのラフレシアのまき散らした花粉は、サファイアのポケモンには効かなくてもフィールドに舞う。そしてドラコのリザードンの羽搏きによって客席中に届いている。勿論『毒の粉』のような直接体に害を与えるような毒ならばバリアーに防がれる。粉は届いているがそれ自体には害はない。で、毒タイプになったラティアスが放つ毒ガスのような濃紫の霧。最後の仕上げとしてマイクのスイッチを入れ叫ぶ。

 

「私は……私達を笑いものにしたお客さんたちを許さない! 私達が苦しんでいるのを見て楽しんだお客さんが大嫌い! だから……みんなに、私の受けた苦しみを味わってもらうわ!!」

「ジェム……やめてくれ!」

 

 サファイアがさすがに察したのか今まで聞いたことがないくらい焦った声で叫ぶ。でもその声はジェムを煽る結果にしかならない。自分が苦しんだことを聞いていた時は平然としていたのに、お客さんが危なくなれば焦るなんて、それがお父様の理想だと理解していても、納得など出来るはずがない。

 

「ラティ、『サイコシフトッ』!!」

「ジェム!!」

 

 ラティアスの瞳が光、ラティアスが観客の心に写し移すのは自分とジェムがアルカから受けた毒の痛みの一部。体が痺れ、眠くなり、身体が痛む――ような幻覚。毒ガス状の霧を通した架空の小さな痛みでも、得体のしれない花粉と見るからに有毒そうな霧に包まれた観客たちにとってどんな興奮も楽しみも醒めるような『劇薬』になる。

 

 その結果。

 

 大人も子供も等しく狂ったような悲鳴を上げ。

 

 突如自分たちに押し寄せた対岸の火事が、観客たちに大パニックを巻き起こした。

 

「皆さん、幻覚です! 害はありません! どうか落ち着いて――」

 

 サファイアが叫んだ。他者を魅せ続けた王者の叫び。でもそれは、所詮一人のポケモントレーナーの叫びでもある。対して観客の数は数百数千ではきかない。マイクを使っても声など届かない。不動の王者として、戦いを自分で魅せるのではなく、他人に主導権を明け渡した彼に、自分の言葉で他人を鎮める力などない。観客たちは互いを押し合いへし合い、濃霧で一メートル先も見えない状況で逃げようとする。実際の毒を受けていればそんなに動けないという矛盾にも気づけない。彼らは、大半がポケモンの技を身に受けたことなどないのだから。

 

「ジェム、今すぐ霧を止めるんだ! あの中にはルビーやジャックさんもいるんだぞ!?」

「いないわ。二人には、あらかじめこうするって伝えてるから。別の安全なところにいてくれるようお願いしたの」

「二人が止めなかった……? いや、それはいい。とにかくこれを止めるんだ。さもないと……!」

「さもないと……お父様は私をどうするの?」

 

 ジェムはサファイアがどうしてこんな計画を立てるまでに至ってしまったのかは知らないし今は知りたいとも思わない。でも十年以上の時間をかけて進めてきた計画で、今までにも何度も誰かの戦いを操ってお客さんを楽しませていたことは知っている。だから、その結末が、いや、この勝負もあくまで理想の過程に過ぎないだろう。こんな所でお客さんを失望させるわけにはいかないはずだ。ジェムがこのような手段に出た場合、自分の父親がどうするのか。ジェムは予想していたとしてもこの目で知りたかった。

 

 

「……残念だ」

 

 

 迷いは数秒。サファイアが本来の自分の手持ちとは違う、装飾の違うモンスターボールから出てくるのはダークライ。そのポケモンの得意な技は眠らせるだけでなく相手の特定の思考を埋め込む催眠術。それを出すということは目的は一つしかない。

 

「ダークライ、ジェムを眠らせ……そして私の理想への心酔を植え付けろ」

「やっぱり、お父様はそうするのね」

「私は誓ったんだ……この世が退屈だというジャックさんにポケモンバトルの楽しみを与え続けると、ルビーに絶対に自分の理想を叶えてみせると、そして……たとえ私の憧れたものが偽りだったとしても、だからこそ本物のエンターテイメントを追求すると前のチャンピオンに……私自身に!!」

 

 いつもの大人の落ち着きが消えうせた、理想に燃えた青年の声だった。年を取れば楽しみの形も変わる。自分の成長も難しくなるとジェムも話を聞いている。だからこそ大人になっても人を楽しませ続ける父親を尊敬し憧れた。それを支える母親に夢を見ていた。

 

「お父様、あの時言った通り私にお父様の理想を否定する権利はないわ。でももう、私を巻き込まないで」

「ここまでするつもりはなかった……だが、観客たちにここまで牙を剥いた以上、やはり野放しには出来ない」

「……お父様のバカ」

 

 このフロンティアで父親と初めて会った夜に感情のままに言い放った時とは違う。父親の気持ちもジェムなりに考慮した上でそのうえで頑固な親に呆れたような言葉だった。その後、空を仰ぎ見て叫ぶ。

 

「ジャックさん、お願い!」

「まったく、昔からひやひやさせてくれるねジェムは! 待ちくたびれたよ!」

「ジャックさん……!?」

「それでは皆様ご注目! ダークライ、『ダークホール』!!」

 

 ラティアスが『ミストボール』のよる霧を自分で消滅させ、同時に空に真っ黒に穴が開く。突然霧が晴れ響いた声にみんなの視線が向くと同時に黒い穴が観客全員とついでにバーチャルのダークライの意識を吸い込み――全員が夢の中に落とし、強制的に眠らせる。夢見の良い眠り方ではないが、パニックは収まった。万に届く観客達は、もう誰もサファイアとジェムの事を見ていない。宙から飛び降りて着地したジャックはチャンピオンに向き直って告げた。

 

「安心してよチャンピオン、今の騒ぎはお客さん達の中でダークライが『悪夢』として処理してくれてる。まあ何で意識を失っちゃったのかみたいな疑問に応えたり埋め合わせのバトルを用意する必要はあるだろうけど……とりあえず君の築き上げたものが全部壊れたわけじゃない」

「何故……」

 

 ジャックはサファイアの計画に対する計画に対する協力者だった。ジェムの危険をぎりぎりで救う位置としての役割を全うしてくれていた。その彼が、何より自分の理想を誰より楽しみにしてくれていたはずだったのにどうしてと。

 

「君のポケモンバトルは大好きだよ。その為の手段にも僕がどうこう言えたことじゃないし肯定してる。それでも……愛弟子の頼みだからね。僕みたいな老人のために、子供を縛り付けることは、昔の君が許せないことだったはずだろう?」

「……それは」

「お母様は、昔お爺様とお婆様にやりたくないことを無理やりやらされて苦しい思いをした……それをお父様が救ったんだもんね」

 

 ジェムも小さく笑う。そこに偽りはないしサファイアのルビーに対する愛情が消えているわけではないことは知っているから、その心は消えていないはずだと信じている。

 

「……助かりました。ジャックさんがいなければ私の理想は消滅していた。計画のためにフロンティアを貸してくれたエメラルドにも顔向けが出来ない所でした」

 

 サファイアはそこから話を逸らすようにジャックに礼を言う。ジェムをダークライで支配しようとした以上肯定することは出来ないのだろう。ジャックはそれにそんなことか、と言わんばかりに応える。

 

「もう、今気にすることはそこじゃないでしょ? 大体なんで僕の『ダークホール』が普通に観客に効いたと思ってるのさ」

 

 観客たちを守るバリアーは消えている。でなければ如何に本物のダークライといえども『ダークホール』で観客たちを眠らせることは出来ない。そしてバリアーの設定を消せる人物は、フロンティアオーナーであるエメラルドしかいない。

 

「ダイバ君がね。エメラルドさんに『僕達の計画を伝えて、この事によって出来る損失を補てんするプランを考えて提出して……最後には子供らしく我儘を言ったら頷いてくれた』んだって」

 

 エメラルドは自分たちに害をなす相手を容赦なく潰す人間だとジェムは聞いている。そんな彼に観客をパニック状態にさせるなどと知られれば今日この日が来る前にジェムを叩きのめしに来る可能性もあった。それでもこの計画にはエメラルドの権限が必要だったから、ダイバを信じて提案を通してもらったのだ。

 ジャックはジェムの心に打たれ、エメラルドも自分の息子の我儘も効いてこの計画の黙認及び収拾のための手を事前に打った。ルビーが客席にいないという言葉の通りなら、ルビーがジェムの気持ちとサファイアの理想どちらを取ったかは誰の目にも明白だ。サファイアは瞳を閉じ、呟いた。

 

 

「……負けたのだな、私は。ジェムと……仲間たちの心の強さに」

 

 

 ルビーもジャックもエメラルドもサファイアの計画に協力ないし支えていた。サファイアの理想を全肯定はしていなくとも、異を唱えたことはなかったし今もそうだろう。だが、その上でジェム達の気持ちを優先した。その事実を、サファイアも認めるしかないようだった。でも。

 

「何勘違いしているのお父様? まだ私たちのポケモンバトルは終わってないわ」

「そうだよ。その他大勢のお客さんは見てないけど、僕やルビーにエメラルド、それにジェムと戦ったブレーン達はこの勝負の決着を待ってるんだからね! みんな、出ておいで!」

「お母様、ダイバ君にアルカさんにドラコさん!こっちに来て!!」

 

 ジェムとジャックの呼び声に控室からルビーとジェムがバトルフロンティアで出会った友達がやってくる。そしてサファイアの入ってきた方からゴコウやネフィリム、エメラルドのフロンティアブレーン達が登場する。中でもダイバ、アルカ、ドラコの三人の子供たちはジェムに駆け寄ってそれぞれ口を開く。

 

「ありがとうございます、ジェム。……おかげで、生まれて初めて報われた気がします」

「うん、どういたしまして!」

「よくやった。流石だと言いたいが……まだまだ竜の扱いが甘いな、これからゆっくり私が叩きこんでやろう」

「相変わらず厳しいのね……でも、ずっと信じてくれてありがとう」

「僕のメタグロス、借りといて負けるなんて許さないから」

「わかってるわ。ダイバ君、これからもよろしくね」

 

 なんだか褒めてくれたのはアルカだけだったような気がするけど、でもそれが自分の友達だからいいかなとジェムは思う。向きなおれば、ジェムの父親と母親が会話を終えたようだった。

 

(何を話したのか気になるけど……後でお母様に聞こう)

 

 母親とはいつでも電話で話せる。いつでも自分の話を聞いてくれる。そう信じられるから今は聞かない。

 

「さあお父様……決着をつけましょう!」

「ああ……そうだな。そして私が勝つ」

 

 サファイアの声はもう取り乱してはいない。そして同時に、ジェムが聞き続けた大人の落ち着いた声ではなく、少し年上の少年のような勝負への期待がある。どんなに無理やりであれ、お客さんの目を気にせず戦える状況になったからかもしれないし自分の中での凝り固まった理想を激しく揺さぶられたからかもしれない。まだ幼いジェムにはわからない。今はただ、憧れだったホウエンチャンピオンがやっと自分に向き合ってくれる。それだけでいい。

 

「ジュナイパー、ゴルーグ。ご苦労だった」

 

 パニックが起こり、サファイアが取り乱している間にキュウコンは相手の二体を倒していた。倒れた二体を戻す。

 

「本来の出す予定だったポケモンとは違えどダークライも私がこの手で呼び出したポケモン。だが私の手持ちではないし……ヴァーチャルポケモンでは戦力にならない。だから、私の使うポケモンは後二体だ」

 

 確認ではなく断言。勿論ジェムも否やのあろうはずがない。戦うなら本気のサファイアと戦いたい。これでサファイアの残りポケモンは二体。その二体が何かは、ジェムにはわかっている。

 

「頼むぞヨノワール……そしてメガジュペッタ!!」

 

 強烈な拳と防御力、特性による絶対の先制と影による爪の鋭さを持ったサファイアが特に信頼を置く二体。ジェムにはキュウコンとラティアス、メタグロスの三体がいるとはいえ決して有利とはいえない。

 

「キュキュ、『炎の渦』! ラティ、『龍の波動』!」

「ヨノワール、『栄光の手』!」

 

 キュウコンが再び炎の渦を発生させ、何重もの火の輪を作る。その間を潜り抜けるように放つラティアスの波動は紅く燃えていた。だがヨノワールの二十年間の栄光が詰まった腕はゴルーグのそれよりもさらに大きく、振りぬかれた一撃は波動もろともキュウコンを吹き飛ばす。ジュナイパーとゴルーグ相手に時間を稼いだ時点で大きなダメージを受けていたキュウコンには耐えきれず体が倒れる。もう戦うことは出来ない。

 

「キュキュ……頑張って!! ラティ、『ミラータイプ』よ!」

「コォン!!」

 

 それでも最後に力を振り絞り、九の尾そのものが炎を形どり『煉獄』の炎が輪を作る。その中を、炎タイプに変化したことで赤色に戻ったラティアスが潜り抜け、炎を纏う思念の一撃が繰り出される。それを見て酒を飲みながら観戦していたゴコウが声を上げた。

 

「おおっ、こいつは嬢ちゃんが儂との戦いで魅せた……」

「そうよ、これがラティとキュキュの合体技……『灼熱のベステイドバット』!!」

 

 ヨノワールが続けて巨大化した拳を振るい、燃える闘志を具現化したラティアスと火花を散らす。数瞬の膠着の後、熱い心がヨノワールの黒く塗り固めた栄光を砕き――その本体に向かって真っすぐ突き進み頭突きを叩きこむ。

 

「これであとはメガジュペッタ一体よ! メタグロス、『バレットパンチ』!」

「ジュペッタ、『影打ち』だ!」

 

  ラティアスの攻撃後の隙を尽かせないためにキュウコンを戻しメタグロスの先制パンチを浴びせる。メガジュペッタといえど無視できない鋼の拳を影で弾いている間に、ラティアスの炎が消えジュペッタから一旦距離を取る。ジュペッタも『ゴーストダイブ』でメタグロスの拳から逃れ、体勢を整えた。

 

(多分お父様は……ラティとメタグロスの合体攻撃を誘ってる。あの一撃を受けきるつもりがないなら、ここで逃げずに二体が合体する隙を与えず戦う選択を取るはず)

 

 それが出来ないほどサファイアの切り札は弱くない。それを信じた上で、ジェムは宣言する。

 

「ラティ、メタグロス……それにダイバ君! 力を貸して!!」

「うん……ここまで来たら勝って終わらせないと気が済まない」

「ひゅうあん!」

「ゴオオオオオ!!」

 

 ダイバがジェムに手を伸ばし、ジェムがそれを握って触れ合う。同時にラティアスとメタグロスの『思念の頭突き』が衝突し合い、メタグロスの変形を利用した合体が始まった。一見大きな隙のように見えるが、メガシンカ同士のエネルギーが二体を包んでおりそれがサファイアに手を出させない。メガシンカによるエネルギーの奔流が終わり、現れたのはメタグロスの鋼によって体をコーティングされまるで本物の飛行機のように丸みと硬さを持ったフォルム。胸にメタグロスのXラインを付けた鋼を纏ったメガラティアスの姿だ。エメラルドが舌打ちしながら笑う。

 

「出やがったな、俺のレックウザを倒したあの形態が……」

「容赦はしない!ジュペッタ、『鬼火』だ!!」

 

 ジュペッタの特性により先制して放つ『鬼火』は合体後の一瞬をついて火傷にする炎を浴びせる。ラティアスなら『リフレッシュ』や『サイコシフト』で回復は可能だが、ジェムはそれを切り捨てる。

 

(お父様がそれを計算していないわけない、だからここで勝負に出る!)

 

 その想いは口に出さずともラティアスとメタグロスに伝わっている。握った手から、顔を見なくともダイバも同じ気持ちなのが伝わってくる。超強力な念力による四つの腕が出現し、それぞれがメガジュペッタを打ち抜こうとする。だがジュペッタも自身やサファイア、そしてこの場に在るすべての影を操り無尽の刃を放とうとしているのがはっきりわかった。ジェムの知るジュペッタ最強の攻撃技だ。でもお互い、もう止まらない。

 

 

「ラティ、『天河絶破拳』!!」

「ジュペッタ『残影無尽撃』!!」

 

 四つの思念と無限の影、お互いが交錯する。しかし、無限とは夢幻。幽玄とは有限。実際には限りがあり、ラティアスとメタグロスの拳は全てを打ち砕いてメガジュペッタの体を残った一発の拳が打ち抜き────

 

 

 それを見た全員が決着だと思った瞬間。ジュペッタの体が朧に消えた。

 

 

「終わりだジェム……誰も私の『死線幽導』は見破れない!!」

 

 

 サファイアのジュペッタが放つ最強の大技さえフェイントに使い、本物のジュペッタが合体したラティアスの影から這い出て自分の腕の爪を伸ばして奮う。それはラティアスの鋼の装甲を深々と突き破り、中のラティアスにまで……

 

 

「それはどうかしら!」

「何!?」

「ラティ、『ミストボール』!!」

 

 届かない。攻撃を受ける直前、メタグロスの体はラティアスから剥離し、貫いた影の爪はラティアスを掠っただけだった。戦闘不能を免れたラティアスが霧の弾を放ち、ジュペッタを包み込む。

 

「まずい、脱出しろジュペッタ!」

「させないわ! これで……勝負の勝ちも私達がもらう! 『ミスティック・リウム』!!」

「ひゅうううう、あん!!」

 

 メガシンカしたラティアスの霧は圧縮して水球となり、ジュペッタの体を包み込んで溺れさせる。影の中へ逃れようとも、完全に水の中に閉じ込められてしまっては身動きが取れない。仲間たちのタイプを『ミラータイプ』でコピーし虹色になった水球が弾け──中にいるジュペッタが、ただのぬいぐるみになったように力を失って倒れた。観客も実況も消えたフィールドに、電光掲示板の決着を告げる音だけが響いた。

 

 

「……今まで、よく頑張ったな。ジェム」

 

 

 王者であり父が負けた後最初に言ったのは、悔しさでも王者としての体裁を繕うものでもなく、ただ自分の娘を本心から褒めたたえるものだった。ジェムはラティアスを抱きしめ、ダイバに倒れたメタグロスの入ったボールを返しながら頷く。

 

「うん、お父様……今まで、私の憧れでいてくれてありがとう! 大好きだったわ! お父様の理想は認められないけど……お父様とお母様の娘として生まれてきて、このフロンティアにきてみんなと出会えて……私、本当に良かった!」

 

 アルカとドラコにもラフレシアとリザードンを返して、この場にいる戦った相手全員の顔を見た後、やっぱり我慢できなくてジェムは泣いた。泣いていたけど、しっかり自分の気持ちを口にして、周りに礼を言う。

 

「ああ……そうだな。お前はもう、自分の信じた相手と歩いていける」

「うん……だからお父様! お母様! ジャックさん、ゴコウさんにネフィリムさんにエメラルドさん!!」

 

 勝負が終わった後どうするかは、もうすでにダイバたちと決めた通り。そして、戦った直後とはいえ長居するつもりはなかった。今行かなければ、甘えてしまう気がするから。

 

 

「さようなら……私は、友達と旅に行くから!!」

 

 

 ドラコがリザードンとフライゴン以外の四体の竜を出す。アルカとドラコはそのまますぐに竜に乗った。ダイバもネフィリムの抱擁から離れた後、エメラルドに背中を叩かれ竜の背に乗る。ジェムも竜の背に向かおうとしたとき、母親のルビーがゆっくり歩いてくる。

 

「お母様……」

「ジェム……おめでとう。ジェムは私と違って……自分の力で誰かの支配から抜けられる強い子だよ」

 

 優しいけど、少し自嘲気味な声だった。ジェムが体験したルビーの過去もそうだし、ジェムが苦しんでいるのに直接手を貸せなかったことを悔やんでいるのはジェムにはわかった。

 

「それは違うわお母様。お母様が私を好きでいてくれなかったら……私は、何もできないのに勝手なことばかり言う本当に弱い子だった。お母様……大好きよ。電話、ちゃんとするからね」

「ジェム……私も大好きだよ、ありがとう。いってらっしゃい」

「うん……うん、もうちょっとしたら行くね」

 

 旅に出ても母親とはいつでも話せる。でも触れ合えなくなるのはやっぱり寂しいからその体をぎゅっと抱きしめて、一分か五分かはわからないけどジェムの気が済むまで抱きしめ合った。その間、周りは何も言わない。それが終わった後────ジェム達は、フロンティアを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ジャックとは何も話さなくてよかったの?」

「うん、『僕にしてみればジェムが旅する数年なんて君たちの一日より早い』って」

「不老不死とはいえ小さいくせに上からですね……ちなみに行先って決まってるのですか?」

「あ、そういえば言ってなかったわね。今からドラコさんの故郷に行くの」

「ああ、だから私の竜に身を任せていればいい」

 

 

 ホウエンの夜空は風が温かく気持ちがいい。バトルタワーの時は見る余裕がなかった始めて見る夜景に目を奪われながらも仲間たちと会話する。

 

「……ドラコの故郷ってどこ?」

「千年単位の歴史がある山奥とかですかね……」

「貴様ら私を何だと思っているんだ」

「ドラゴン厨」

「右に同じく」

「振り落とすぞ貴様ら」

「あはは! 私もそんなイメージだったけど……キンセツシティのジムで育ったんだって!」

「都会だ……」

「あそこってドラゴンいましたっけ……?」

「それはついてからドラコさんにゆっくり教えてもらいましょう! ね、みんな!」

 

 ジェム達はお互いのことをまだまだ知らない。ジェム達の付き合いも人生もまだ始まったばかりだ。

 

 

(でもそれは、もう誰かに見世物にされたり、大人の人達に支配されたりなんてしない)

 

(私たちは自分が選んだ友達と一緒に生きて、いつか自分で選んだ道を歩んでいくんだから!)

 

 

 父親の理想を拒否して、自分が何になりたいかは決まっていない。でもそれはこれからゆっくり見つければいいとジェムは思う。困ったときは、今まで助けられた人たちの手をもう一度借りてみよう。少女たちは、時に過去を振り返りながら、誰も知らない未来へと駆け抜けていく。




これで幽雅に舞え!から続くシリーズであるフロンティアを駆け抜けては完結となります。ご愛読してくださった方がいましたら、ありがとうございました。

現在は別のポケモン小説を書いておりますが、こちらに投稿するかは未定です。感想などありましたらまた投稿するかもしれません。



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