不良少年は譲らない (ポーラテック)
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Rooftops
フィルター越しに燻された葉が発する煙を吸い込む。
「フーッ…」
肺に入れたそれは仄かに甘く、吐き出した紫煙は中空へ解けて消えた。
ぼんやりと火のついたタバコを持ちながら眼下を見下ろす。
それなりに大きいグラウンドでは体育の授業だろうか、黄色い歓声を上げながら女子生徒たちがサッカーの試合中だった。
「うるせぇなぁ」
ドリブルを妨害した生徒がもみくちゃになって倒れて悲鳴にも似た声がココまで届く。
女子特有の甲高い声に不快感を感じて、俺は悪態をついた。
何だって女子の声と言うのは聴く者に不快感を与えるキンキン声なのだろうか。
電車や教室でバカ話をする女子は不愉快でたまらない。
授業終了のチャイムが鳴り、バラバラと教室へ引き上げ始める生徒達を見ながらそう思った。
「…ハァ」
身体を預けた鉄柵から離れ、タバコを口に運んで煙を肺へ入れて吐き出す。
チャイムが鳴ったという事は6時間目の授業が終わり、残すはホームルームのみという事だ。
残り10分20分したらもう下校するとしよう。
屋上で入り口の影に敷いたシートに座り込み、俺はまだ屋上に居座る事にした。
暫くボーっと適当な教室を眺めていると、不意に背後の鉄扉が開かれた。
腕時計を確認する。
何時も通りの時間だ。
「居た居た、またサボり?」
「まぁな」
スペースを確保する為、少し隅に退いてやると彼女は俺の隣に座った。
「サボってばっかりだと留年するわよ?」
「最低限授業出てっから平気だろ」
「貴方授業出ても寝てばっかりじゃない…まぁいいわ、一本頂戴」
「ん」
懐から今朝開封したばかりのタバコの箱を取り出して差し出す。
「ありがと」
無造作にそこから一本取り出すと、形の良い唇に咥えた。
「火」
「あいよ」
安物のライターで彼女に提供したタバコに着火してやる。
100円ライターの火で炙られ、燻された煙を吸い込む彼女の一連の仕草は手馴れていた。
「フーッ」
「最近良く来るな」
制服に匂いが着くのを気にして遠くへ煙を吐き出す彼女に声を掛けた。
ココ最近、彼女は毎日の様に屋上へ通い詰めている。
「誰かさんと違って忙しくてね。その分休憩」
「生徒会長も大変だな」
「本心からそう思ってる?」
「さぁ」
日本人には珍しい金髪を搔き揚げ、タバコを吸う彼女の姿を見ながら自身も紫煙を肺へ送っていると、視線に気付いた彼女から怪訝な視線を返される。
「…何?」
「いや?文武両道才色兼備を地で往く生徒会長が、ウラでは未成年喫煙者なんて知ったら絢瀬を慕う生徒や先生はどう思うのかなって」
絢瀬絵里。
俺の同級生でこの学校の生徒会長を務める彼女は極めて優秀な成績を納めている模範的生徒で、その大人びた雰囲気と端整な容姿、モデル顔負けのスタイルもあって生徒から――特に同性から――絶大な人気を誇っている。
とても俺とは釣り合いが取れていない。
「あなた、バラしたら殺すわよ」
「恐っ」
蒼い瞳で睨んで来る絢瀬にとりあえずビビッた素振りをしておく。
「それにロシアだとお酒とタバコは18からオーケーなの。私は今年で18だしノーカンよノーカン」
「さすが喫煙率上位の国」
「…ハァ、誰も面倒くさがってやりたがらない仕事やってるんだから、コレ位多めに見て欲しいものだわ」
「生徒会、今そんなに忙しいのか」
「ええ、廃校問題でてんやわんやよ…その他にもやる仕事はたくさんあるのに」
やってられない、と言わんばかりに絢瀬はまた煙を吐き出した。
少子化に伴う入学希望者の減少で、3年後我が母校国立音ノ木学院は廃校となる。
新年度始業式、いきなり理事長から伝えられたらしい。
といっても俺は始業式をサボったので、クラスメートから伝え聞いたのだが。
「共学化もムダだったってワケか」
生徒数減少自体は数年前から兆候が見られた音ノ木坂学院は、状況打開の為思い切った策に出た。
女子校だったのを共学化したのである。
共学化から少しの間は生徒数は増加したらしいが、現在は3年生3クラス、2年生2クラス、1年生1クラスと共学化は一時的な延命措置という結果に終わった。
「入学希望者を増やさないと廃校を免れる事はできない…生徒会や各クラブ、委員会も意見を出し合ってる所よ。あなたも何か思いついたら意見もらえる?」
「俺が考えつく事は絢瀬も考え付いてると思うけどな…ま、考えとく」
言いながらフィルター直近まで吸いきった絢瀬のタバコを受け取り、携帯灰皿に入れて火を揉み消す。
吸殻や灰を残しては喫煙がバレて指導を貰ってしまうので、後始末は入念にしなくてはならない。
「ありがとう…そろそろ行くわ。あんまり遅いとあなたとツルんでるのがばれちゃう」
一本吸いきった綾瀬は、スカートを叩いてシートから立ち上がる。
懐から取り出した口臭ケア用のタブレットを噛むなど、証拠隠滅は徹底している。
「あなたも程々にね」
「ん」
屋上から立ち去る絢瀬に会釈をして見送る。
「俺もそろそろ帰るか」
タバコの火を消し、吸殻と灰を携帯灰皿に回収して昼寝シートの片付けを始める。
絢瀬と同じタイミングで屋上を出ては俺と絢瀬の関係が疑われ、喫煙もバレてしまうので立ち去るタイミングをずらすのは暗黙の了解だった。
放課後、完璧で通っている生徒会長とこっそり悪い事をする。
コレが俺、村田武憲の日常である。
Rooftops(Sean Murray)
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東京非行少女
私から見て村田武憲は所謂不良だ。
出席日数は悪くないが、出席しても授業は基本机に突っ伏して夢の中、気付いたら時折教室から消えている。
それでも定期テストでは赤点ギリギリをとり続け、超低空飛行ながら留年を免れているのだから不思議で仕方が無い。
本人曰く『教科書を読めば最低限分かる』と言っているので、地頭は決して悪くは無い様だ。
真面目に勉強すれば良い点数を取れるのではないか、とも私は思う。
しかし当の本人にやる気がなく、注意するにしてもクラスの違う私にはどうしようもない。
まぁ、注意する資格は私には無いのだが。
屋上から校舎へ降りる階段の踊り場、私は人目のないここで最終チェックをする。
口臭も制服も自前でチェックした限りで匂いはしていない…と思う。
「…よし」
常用するようになった口臭対策の清涼カプセルと無香性の消臭剤は極めて有用で、周囲の人間に気付かれている様子は無い。
日頃真面目で通っている生徒会長が
チェックを終えて階段を降りる。
目指すは生徒会室だ。
「あっ、生徒会長、さようなら」
「絢瀬先輩、さようなら」
「ええ、さようなら」
廊下で私とすれ違い、挨拶をしてくる生徒たちに笑顔で返す。
私に向けてくれる視線はどれも敬意の念を持ったもので、まさか私が不良とツルんでいるなどとは夢にも思っていないようだった。
(…悪い事してるわね、私)
笑顔を作りながら、そう思った。
自惚れているかも知れないが、私に対する周囲からの評価は高いと思う。
文武両道、品行方正、容姿端麗。
後輩や同級生から称えられる気分は決して悪く無い。
周りの期待に答えられる様、それなりに努力した結果、私は生徒会長に祭り上げられ現在の地位にいる。
当然喫煙がバレればタダでは済まないだろう、今まで努力してきた積み上げてきた信頼は崩れて塵芥となる。
それでも何故私が彼との密会を止めないか。
理由は単純、タダ単にストレスの捌け口がそこしかないからだ。
生徒会長の仕事というのは忙しい。
各委員会・部活動・生徒と教師陣との間に立っての様々な調整、行事の企画進行、校報の製作…。
やらなければいけない仕事は非常に多く、成績を保つ為に日々の勉学にも手を抜けない。
それに二人暮らし中の身の上、家に帰れば炊事家事洗濯が待っている。
正直、しんどかった。
生徒会長の仕事も教師から頼まれた物で、自分から進んで立候補した訳ではない。
仕事自体はやりがいもあって嫌いでは無かったが、それでも嫌気が指す事は何度かあった。
それに新学期に入ってから発表された廃校の件で忙しさは増す一方である。
"昔からの音ノ木坂を知っているのはもうお前くらいしかいない"
私に生徒会長の任を頼んで来た教師はそう言った。
ロシア人とのハーフの母、日本人の父の間に生まれてた私は幼稚園時代は親の仕事の都合でロシアで過ごし、小学校からは日本で過ごした。
小、中、高と音ノ木坂系列の学校を進学して来て音ノ木坂には慣れ親しんでいた私はその言葉を受ける事にした。
大好きな祖母が卒業した学校という事で別段抵抗は無かった。
別に後悔はしていない、やりがいもあるし別段嫌いな仕事ではない。
しかし、それでも融通の利かない教師や話を聴かない生徒に嫌気が指す事もあった。
そんな中、村田武憲と出会った。
出会ってしまった。
昨年の文化祭、大きな行事の前に忙殺され、1人生徒会室に缶詰となっていた息抜きをする為私は屋上へ向かう事とした。
そして屋上へ来て見れば、ボケっとレジャーシートに座り込んでタバコを吹かしている男子生徒が居たという訳だ。
クラスも違い、廊下ですれ違う程度で特に交流があるわけでは無かったが、私はその男子生徒が共学化一年目の数少ない男子の同級生、とりわけ不良として名の通っていた村田君だと、すぐ気付くことが出来た。
屋上へ入ってきた私を目視し、慌てて火を揉み消した村田君の途端の驚いた表情は今でも思い返すことが出来る。
生徒会長は全生徒の模範足るべきであり、この未成年喫煙をしている不良少年を即刻厳重注意の上、教師へ報告するのが正しい選択だ。
しかし、私は聴いてしまった。
『それ、美味しいの?』と。
何故そんな事を聞いたのか、今でもわからない。
連日蓄積した疲れからついつい口走ったのか、中々こちらの案を通さない教師へ積もっていた反発心がそうさせたのか。
ともかく、こちらを怪しんでいる村田君に吸い方を教えてもらい、私は生まれて始めてのタバコを未成年喫煙という最悪のカタチで迎える事となる。
感想はというと、ぶっちゃけ最悪だった。
テレビで観たハードボイルドに喫煙するベテラン刑事の見よう見まねで思い切り肺に煙を吸い込んだ途端、身体が激しく拒絶反応を起こし涙ぐむ程に私は咽せまくってしまった。
『前からタバコに興味あったのか?』
村田君はそんな私をひとしきり笑った後聞いて来た。
『…無いわ。少なくとも数日前の私なら、あなたを問答無用でひっ捕らえて先生に突き出してた』
『だったら何で』
『さぁ…何でかしら。私にも良く分からないわ』
『…何か悩み事でもあるのか?随分疲れた顔してるし』
『まぁ、いろいろね』
『へぇ、生徒会長も大変だな』
『そうね、特にあなたみたいな校則違反者が一番困るわ』
『校則違反はお互い様だろ』
『…あぁ、そうだったわ。生徒会長失格ね…はぁ』
『話してみろよ。愚痴なら聞くぞ』
『友達でも無いあなたに?』
『生徒会長なら俺の評判知ってるだろ?仮に俺が喋ったとしても、"生徒会長がタバコ吸って学校の不平不満をぶちまけてきた"なんて誰も信じない』
『……』
確かに、言われてみれば。
彼の言葉の妙な説得力に納得した私は、ポツポツと愚痴を話し始めた。
予算案に難癖をつけて中々教師が案を通さない事、後輩の生徒会役員がまるで働かない事、各部長、委員長が我が強すぎて意見がまとまらない事。
それら一つ一つに村田君は相槌を打ち、茶々を入れてくる。
何故だかそうされると興が乗ってしまい、その他大小様々な不平不満をほぼ初対面の、それも取り締まる対象の男子生徒にぶちまけてしまった。
『どうだ、ちょっとはスッキリしたか?』
『…えぇ、何だか釈然としないけど』
憮然とした気持ちで村田君に答える。
彼の口車に乗せられ、気が付けば随分と話し込んでしまって何だか悔しい。
でも、何故だか嫌な気分ではない。
『随分話したけど、周りに愚痴言えるような相手いないのか?』
言われて考える。
真っ先に思いついたのは学校で一番仲が良い副会長を務める希だ。
1年生からの付き合いで、まず相談事をするのなら彼女以外に学校で最適な人物は居ない。
『学校には居ないわね』
しかし、彼女も愚痴や不満も言わずに忙しい生徒会の仕事を副会長として支えてくれているのだ、私だけが希に愚痴を言うわけにはいかない。
『じゃあ家族は?』
『…無理ね』
妹の亜理沙は論外だ。
ロシアでの生活が長く、日本の生活に適応しようと頑張っている亜理沙にいらぬ心配事を負わせたくない。
『なるほど、全校生徒のトップってのも意外と孤独なもんだ』
『……』
ぐうの音も出ない。
振り返ってみれば周りに称えられ、同級生から後輩に慕われていても弱音を吐く相手1人居ない。
『で、どうすんだ?俺を先生に突き出すのか?』
『…やめとく、気が乗らないから見逃すわ』
愚痴と一緒に毒気も抜かれてしまったようで、元から無かった村田君を取り締まる気持ちはすっかり無くなっていた。
『そうか』
私の言葉に村田君は喜ぶわけでもほっとするわけでもなく、唯淡々と答えた。
『村田君、良くここに居るの?』
『大体な。ホームルーム終わって暫くはココでボーっとしてる…流石にココまで残らないけど』
村田君が腕時計を確認して、話し込んでいるウチに大分時間も過ぎてしまった事に気付いた。
ちょっとした息抜きの為に生徒会室を出たつもりが、既に日は地平線に隠れようとしている時間まで屋上に留まってしまっている事になる。
『あぁ~…』
『もう帰るか?』
『…そうね、もう遅いし』
完全下校時間間近となってはこれ以上生徒会の仕事をする事は出来なさそうだ。
『じゃあホラ、全然吸ってなかったけど吸殻』
私は話すことに夢中で、右手にタバコを持っている事をすっかり忘れていた。
フィルターを残して燃え尽きたタバコを村田君へと手渡す。
『証拠隠滅はやっとかないとな…灰はまだいいけど吸殻が見つかったら一発アウトだ』
『…あと、分かってると思うけど今日の事は』
『分かってるよ、他言無用だろ?絢瀬も俺の事言うなよ?なんたって――』
そこで村田くんは言葉を切り、私が吸ったタバコと自分の吸ったタバコの吸殻、二つを右手に持つ。
『俺らは共犯なんだからな』
「えりち!」
「えっ?」
不意に掛けられた声に、私は素っ頓狂な声を上げた。
「どうしたん?さっきからボーッとして」
「あっ…いや、なんでもないわ。ちょっと考え事してて」
私の顔を覗き込む彼女に取り繕う。
どうやら少し前の事を思い出していたらぼんやりとしているように見られてしまったらしい。
いけない、これから大事な話があるというのに。
「大丈夫なん?」
「平気よ、希」
村田君との事を振り払い、目の前の扉に向き直る。
装飾が施された木製の扉、それに掛かっているプレートには"理事長室"の文字。
一つ咳払いし、その扉をノックする。
「どなたですか?」
「生徒会の絢瀬と東條です。廃校の件についてお話が」
「…どうぞ」
「失礼します」
理事長室の主より入室許可を得て扉を開く。
キッチリ仕事をしなくては折角取った休憩の意味も無い。
生徒会長、絢瀬絵里の仕事を全うするとしよう。
東京非行少女(COMA-CHI)
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可能性ガール
意識が覚醒する。
終礼のチャイムと同時に目が覚めるようプログラムされている俺の脳は、つくづく合理的に出来ていると思った。
「あぁ~っ、良く寝た」
「アンタ、この調子だとマジで留年するわよ?」
机に長時間突っ伏した事で縮こまった筋肉を解すべく、伸びをしていると、背後からそんな声が掛かった
「ああ矢澤、おはよう」
「おはよう…ていうかもうホームルーム終わったわよ」
腰を捻りながら、後ろの席に座る学友に話しかける。
半目で俺に飛ばして来る彼女の目線は呆れそのものだ。
「そうだな、最近学校があっという間に終わる」
「そらずっと寝てれば早く感じるでしょうよ…村田、アンタちゃんと家で寝てるの?」
「毎日グッスリ」
「あっそ」
帰りの支度をしながら応対してくる矢澤の態度は素っ気無い。
「それより村田さ、進路はどうすんの?」
「就職だ。大学行く頭も金もない」
「まぁ、そうでしょうね」
矢澤の問いに即答する。
大学に行く費用も高校生のバイト代では捻出出来る筈もなく、センター試験に合格出来るだけの頭も生憎持ち合わせていない。
「そういう矢澤はどうすんだ」
「む…まだ決まってない」
「迷い中か?」
「そんな感じ…やりたい事はあるっちゃあるけど」
「プロのアイドル?」
「…うん」
俺の問いに矢澤は力なく答える。
矢澤とは高校一年生から同じクラスの付き合いだ。
彼女がアイドル研究部を立ち上げ部長に就任する程アイドルに入れ込んでいるのは知っている。
ーーそのアイドルに複雑な思いを抱いているのも。
「やりたい事あるならそれをやった方がいいんじゃないか?失敗したってまだやり直し利く歳だと思うぞ」
「そんな事分かってるわよ…あーあ、私も就職にしようかしら」
溜息をつく矢澤は椅子の背に体を預け、頭の後ろで手を組む。
「進学は?」
俺の言葉に矢澤は首を左右に振る。
「無理よ。うちにそんなお金ない事アンタも知ってるでしょ?」
矢澤の家庭は母子家庭で、経済状況は良いとは言い難い。
音ノ木坂に進学したのも学費を節約するためと聞いた。
「まぁ、何かきっかけでもないと就職になるでしょうね」
矢澤は俺に諦めの表情でそう語った。
「信じられない…!」
肩を怒らせながら屋上へ乗り込んできた我らが生徒会長、絢瀬絵里は開口一番そう吐き出した。
「何がだ」
「理事長よ。『生徒会は学校存続の為の活動を認めない』って言われたわ」
絢瀬は苛立ちを隠そうともせず言う。
渡した煙草も先程から1度も口を付けていない。
「へぇ、あのオバサンが」
「普通理事長なら廃校阻止のための活動を後押しするべきでしょう…!?なんでそれを…」
相当鬱憤が溜まっているのか、愚痴の回転数は普段の数倍の勢いだ。
「…ごめんなさい、村田君に当たってもしょうがないわね」
少し落ち着きを取り戻した絢瀬はようやく煙草を口へ運ぶ。
「いや、良いよ…でも、生徒会に動くなってのも変な話だ」
「でしょう?各クラブや委員会にも働きかけてるのに…スクールアイドルやる、なんて言い出す二年生も出てきて…」
「へぇ、スクールアイドル」
「知ってるの?村田君はそういうの興味ないと思っていたのだけど」
意外ね、と俺の返事を受けた絢瀬は言う。
絢瀬の目から見て俺はサブカルチャーには疎く見えているらしい。
「知り合いに詳しいのがいるだけだ」
「そう…」
誰とは言わずに矢澤の事である。
アイドル情報誌を読んでいる矢澤にちょっかいを出したのがケチのつきはじめ。
毎度毎度講釈を垂れるようになった矢澤によって、テレビやネットニュースに触れる機会が殆ど無い俺でも人並みの知識を有するようになってしまった。
「それで?その2年生はスクールアイドルやって人気獲得でもしようって?」
「ええ、そうよ。自分達が活動して学校の名前を売れば、入学希望者も増えるだろう、って自信満々で言ってたわ」
「その口ぶりだと反対したみたいだな」
「当たり前よ。PRに失敗すればかえって逆効果だし、それに…」
そこまで言って絢瀬は言葉を切った。
絢瀬はタバコを銜え、言葉の変わりに紫煙を吐き出す。
「それに?」
「…それに、私にはスクールアイドルがプロのアイドルの真似事をしているだけにしか見えないの。明瞭な覚悟もなく、何となく友達と仲良しこよしでやるだけ。そう私には見えるわ」
「随分手厳しいんだな」
「やらなくても結果は見えてるならやらせない方があの子たちの為よ。そんな時間も余裕もないの…それより、村田君は何かいい廃校阻止の案思いついた?」
「案か…例えば」
先日絢瀬から頼まれた廃校阻止案の提言。
一応俺なりにあれこれ考えた内容を絢瀬に伝える事とした。
結局、絢瀬と幾つか話し合いはしたが成果は下の下、何も得ることは出来ず分かれた。
そもそも絢瀬のように責任あるポジションについている訳でも、何が何でも廃校を阻止したい動機も無い俺が考えた案などたかが知れているモノで、これと言って尖ったモノが無い音ノ木坂を救う妙案など思いつく筈も無い。
妙案、という意味では件のスクールアイドルは中々良いのでは、と思う。
否定的な絢瀬の手前、強く推薦する事はしなかったが集客力と即効性を兼ね備えたスクールアイドル部を設立し、学校を大々的に宣伝すれば廃校撤回は不可能ではない。
「あの~…」
矢澤の様にアイドルに憧れている生徒も校内に探せば居るだろうし――例の二年生もそのクチだろう――ファン獲得にも苦労は意外としないのではないか、とも思う。
「あれ?聞こえてないのかな?」
「もっと大きな声で言わないとダメだよ」
「気をつけてください、逆上したら危険です」
とは言っても、教師陣に良い印象を持たれていない俺が出しゃばれば逆効果になるかもしれない。
とどのつまり、俺に出来ることは無いのだ。
「あのー!!!」
ここで、上から降って来た良く通る大声で思考が中断された。
眼を開いてシートから上体を起こす。
「…何か用か?」
「あぁ、良かった。生きてた」
声のする方を向いてみると、声の持ち主はそんな事を言った。
どうやら俺に声を掛けたのは目の前の三人組の1人、サイドテールが特徴の女子生徒らしい。
他の、俺に警戒の目を向けるロングヘアーと、もう1人のハーフアップに輪っか状のお団子ヘアーはサイドテールの一歩後ろに控えている。
身に着けたリボンの色から全員二年生だ。
「あの、私たちここで練習したいんですけど使っても良いですか?」
「練習?屋上で?」
「はい!私たち、スクールアイドルやる事にしたんです!その練習でこの屋上使おうと思って!」
…驚いた。
ウワサをすれば何とやら、彼女らは絢瀬が言っていたスクールアイドル志望の二年生だ。
昨日の今日でお目に掛かれるとは。
「練習、だったっけ?別にいいぞ。俺勝手にココを使ってるだけだし」
「本当ですか!じゃあここでやろうよ、海未ちゃん、ことりちゃん!」
サイドテールが後ろの2人を向く。
どうやら2人はロングヘアーが海未でハーフアップがことりと言うらしい。
「えと、村田先輩はココで何をやってるんですか?」
「昼寝とサボり」
「え、ええ?」
ハーフアップの問いに簡潔に答えると、彼女は困惑する様子を見せる。
「えっ?先輩もしかして不良なんですか?」
「穂乃果!直接聞く人が居ますか!?…すみません村田先輩」
ロングヘアーがサイドテールの名前を呼びながら嗜める。
「いや、事実だし…というか、俺の事知ってるのか?どっかで会ったっけ」
「…ええ、まあ、その、有名ですから」
「よく屋上に居るって…」
歯切れ悪く海未とことりが答える。
どうやら二年生にも俺の事は周知済みであるらしい。
「じゃあ俺は引き上げるよ」
言いながら昼寝シートの片付けに入る。
俺に見られていては三人の練習の邪魔になるだろう。
「あ、いいですよ!ここ使わせてもらうだけなんで、先輩はここ居てください」
「え?」
サイドテールの提案に思わず生返事が出る。
「ほら、先に居たのは先輩で後から来たのは穂乃果たちなんだから。先輩が出て行く必要なんて無いです!ね、海未ちゃんもことりちゃんもいいでしょ?」
「まぁ、筋は通っていますね。私は村田先輩が良ければ」
「うん、私も良いかな」
「という事なんで!」
「はぁ…まぁどっちにしろもうバイトの時間だから帰るんだが」
絢瀬と三人と話し込んでいる内、気が付けばバイトの出勤時間が迫ってしまっていた。
「あ、先輩バイトしてるんですか?」
「まぁな。3人はまだ残ってくのか?」
「はい!今日から練習始めるんで!」
「そうか、頑張れ。俺は基本この時間ぐらいは屋上に居るから」
言いながら昼寝シートを小脇に抱え、ペラペラで軽い通学鞄を肩にかけて屋上を去る為歩を進める。
「…あぁ、そうだ。折角だから名前教えてくれよ。場所共有する相手ぐらい把握しときたい」
思い立って足を止めて名前を聞いておく事にした。
まさかサイドテールやロングヘアーなどと呼ぶ訳には行かない。
「そういえば自己紹介してなかったか…えーっと、高坂穂乃果です!スクールアイドルやります!」
「それは先程言ったでしょう…園田海未です。部活は一応弓道部に所属しています」
「えっと、南ことりです…よろしくお願いします?でいいのかな」
「俺は村田武憲…って、園田と南は知ってるんだったな。このシートにイタズラしなけりゃ何しても気にしないから。よろしくな」
「はい!よろしくお願いします!」
軽く自己紹介を交わし、今度こそ俺は屋上から去った。
「…む」
下校の為廊下を歩いていると掲示板に張り出された広告に目が留まる。
明るい色鉛筆で描かれたそれは、"スクールアイドル始めます"という何とも直球な内容である。
用紙の隅には高坂穂乃果、園田海未、南ことりと屋上で練習に励んでいるであろう三人の名前が連なっていた。
わざわざ広告を打ち出すとは相当自信があるらしい。
大きく出たものだ。
ひょっとしたら、彼女たちならば面白い結果を残してくれるかもしれない。
屋上からの立ち退きは勧告去れなかったのなら去る理由は無い。
明日から彼女らの練習を眺めるとしよう。
ん…明日から?
……明日からどこでサボろう。
しまった、サボり場所の事を考えていなかったぞ。
あの三人組が来るという事はタバコも吸えない。
特にあの園田とかいうロングヘアー、見るからに優等生といったカンジで絢瀬以上に規則にウルサそうだ。
…代わりの場所、探すか。
それまで学校での喫煙は辞めなくては。
俺はバイト先までの道中、代替サボり場の思案に暮れるのだった。
可能性ガール(栗山千明)
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おもてなし
従業員用の出入り口から出て、約5時間振りの外の空気を吸い込んで大きく伸びをする。
退屈で代わり映えしないアルバイトから解放されるこの瞬間、俺は決して嫌いではない。
しかし、解放されると同時にまた明日もバイトがあるのか、と少々憂鬱にすらなる。
自分では要領が悪い方では無いと思うし、適度にサボったりして楽をする時間は確保しているがそれでも面倒なものは面倒だ。
しかしコレも全て生活の為、致し方ない。
「よし」
両手に下げたビニール袋と気持ちを持ち直し、俺は帰路に着く前の寄り道へ向かう事にした。
夜10時を回り、車通りと人が疎らになったスーパーマーケットの看板下。
照明に照らされて目当ての人物は居た。
「矢澤」
「遅いわよ」
声を掛けて振り向いたラフな格好の矢澤は、こちらを認めると不機嫌そうに言った。
「年頃の乙女をこんな時間外にほったらかしにするなんてどういう了見なワケ?」
「あんまうるせぇとあげないぞ」
「ごめんなさいにこ」
文句を垂れる矢澤に両手のビニールを掲げるとあっさりと謝った。
現金な奴である。
「…いつも悪いわね」
バツの悪い顔で矢澤は言う。
「いい。どうせ捨てるんだからな」
袋の中身は廃棄予定の惣菜品や弁当である。
バイトがある日はいつも消費期限間近になり販売できなくなった品を失敬し、矢澤に渡しているのだ。
高校一年生の折、俺のバイト先であるスーパーにたまたま矢澤が買い物にやってきた時からこの関係は続いている。
矢澤の実家はお世辞にも裕福とは言えないらしく、四人の子供たちを育てるシングルマザーの母は毎日働き詰めで帰宅する時間は遅く、帰ってこない日も少なくない。
そんな母の負担を減らすため家事の一切合財は矢澤が引き受け、買出しもする訳ではあるがキツい家計を考慮すると極力安い品を買う必要がある。
話を聞いた俺は廃棄品の提供を提案、始めはプライドもあったのかクラスメートに迷惑を掛けられない、と断った矢澤だったが、最終的には俺に
「結構消費期限ヤバイの多いから帰ったら速攻冷凍しろよ。期限切れのカキフライ食って腹壊したら大変だ」
「ん、わかった…それじゃ早く戻らないと。妹たちが起きて騒ぎ出したら大変だわ」
「家まで送るよ」
「え?アンタの家ウチと別ルートじゃない」
「帰り道は途中まで一緒だ。それに年頃の乙女をこんな時間にほったらかしで帰すわけには行かないだろ」
「…む」
先程の言葉を意匠返しされた矢澤は若干ムッとした顔をするが何も言い返せないようだった。
「しかし毎度毎度結構な量渡してる筈だがすぐ無くなるな」
両手に提げたビニール袋はパンパンに膨らみ、俺の手指に食い込む程度の重さになっている。
中身は廃棄予定の品々である。
弁当、揚げ物、パン、デザート、生鮮食品など多岐にわたり、コレだけあれば俺なら一週間は食うには困らない量だ。
小柄な矢澤に持って行かせるのは中々酷な重さであり、やはり俺が荷物持ちを提案したのは正しい判断であろう。
「仕方ないでしょ?ウチの下の子らは皆食べ盛りなんだから」
「オマエももうちょっと食ったほうがいいんじゃ――痛てっ!」
瞬間、冗談を言った片方の太ももに鈍痛が走る。
矢澤がスニーカーのつま先で俺を蹴ったのだ。
「殺すわよアンタ」
低くドスの利いた声で矢澤。
何とも言わず体型のことをバカにされたのを察知したらしい。
「俺は矢澤の栄養環境をだな」
「余計なお世話よッ!蹴っ飛ばすわよ!?」
「もう蹴っ飛ばしてるだろ!」
怒りと羞恥で顔を赤くして吠える矢澤。
一切体型のことは口にしていないのにここまでの反応とは相当気にしているようだ。
「ったく、女の子に冗談でもそんなこと言うなんてセクハラよセクハラ。ケーサツに突き出されても文句言えないわよ?寛大なにこにーに感謝しなさい」
「はぁ」
俺は一言もそんな事は、と言おうとしたが飲み込んだ。
「…アンタ、今また失礼な事考えたでしょ」
「よくわかったな。エスパーかオマエ」
本日二度目の矢澤の蹴りが炸裂した。
まったく同じところを蹴るあたり、矢澤も中々良いセンスをしている。
「ああもう、アンタがセクハラばっかするからこんな時間じゃない」
「俺はパワハラで訴えたいんだが」
あーだこーだとじゃれあっているといつの間にか分かれる筈の道を通り過ぎ、矢澤宅の前――アパートの一室――へと到着していた。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうもので、時間は間もなく日付を跨ぐ時間となってしまった。
「悪かったわね、結局家まで付き合わせて」
「別に良い。こんな大荷物オマエが持ってくのは酷だろ」
ビニール袋を矢澤に渡す。
ここまで持ってくるのには中々の重さであり、やはり矢澤に持たせなかった俺の判断は正解だった。
「それよか妹らは大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。アンタに会う前にちゃんと寝かしつけたから」
「それは良かった…それよか早く冷凍して寝ろ。日付変わっちまうぞ」
「ん、わかった…それじゃ」
「ああ」
両手が塞がった矢澤の為に扉を開けてやると、彼女はビニールを重そうに持ちながらそそくさと明かりの点いていない屋内へと消えた。
「…ふう」
矢澤を見送り扉を閉めると、一つ息を吐く。
矢澤を心配する言葉なんてかけたが、俺も翌日普通に学校がある身の上、早く帰宅して寝るとしよう。
「あ、あのさ」
「ん」
アパートの出口へ向かおうとすると、背後から扉が開き声が掛かった。
振り返ると扉を少し開けてこちらを覗くように見ている矢澤が居た。
「なんだよ。もう渡す食いモンはないぞ」
「違うわよ!えっと、その…」
俺の冗談に調子よくツッコんだ後、矢澤は何やらが歯切れ悪くなる。
「今日はわざわざ持ってきてくれたんだしぃ?明日はいつも以上に期待してていいわよぉ?」
わざとらしすぎる羞恥を隠すための上から目線口上。
矢澤が照れ隠しの時使う常套句だ。
「フーン、あっそ」
「反応薄ッ!?何よ折角感謝の念込めて腕ふるってやろうっていうのに!」
適当に淡泊な反応を返すと、面白いぐらいのリアクションをとってくれる。
「あーもうそんなデカい声出すなよ。近所迷惑だろ」
「グッ…もう知らない!ひじきでも食ってろにこバーカ!」
悪態をついて勢いよく扉を閉める矢澤。
だから近所迷惑を考えろというに。
「ホント面白い奴」
今度こそ帰ろう。
帰路に就く俺の腹は、明日への期待で早くも空腹を訴えるのであった。
いつも通り、授業終了のチャイムで目を覚ます。
登校してから聞く四時限目の終了と昼休み開始を告げるチャイムは大好きだ。
「あぁ~良く寝た」
作場は遅い帰宅という事もあり、午前中はずっと寝ていたのでさすがに背中と腰が凝り固まっている。
大きく伸びをすると背骨が小気味の良い音がなり気持ちが良い。
「…む」
いつもなら伸びをする俺に後ろの席の女が小言を言うのだが、珍しく何もない。
振り返ってみると、当の本人は机に突っ伏して夢の中だった。
「おい矢澤、起きろ昼だぞ」
「んう?」
肩を持って揺すると、腕の中から頭を上げる。
その表情は惚けて緩み切っており、口の端からは涎が垂れそうになっている。
「ほら、涎」
「ん~」
ハンカチで涎を拭ってやっても矢澤はされるがまま。
どうやら相当深く眠っていたらしく、いわゆる寝ぼけている最中のようだ。
「ん、んん、あっ?涎?」
ここでようやく意識が覚醒したのか、矢澤の目と表情に活力が戻った。
「起きたか、もう昼だぞ」
「……えと、にこ、涎垂れてたにこ?」
「ガッツリ」
「はあぁぁぁぁあああぁぁぁ~」
恐る恐る自らの醜態を訪ねる矢澤に真実を伝えると再び机に突っ伏してしまう。
「最悪ぅ…寝顔見られたぁ…よりによって村田に見られてしかも涎まで拭かれるなんてぇ…」
よほど恥ずかしかったのか、矢澤は自らの額を机に打ち付け始める。
よりによってとは何だよりによってとは。
「いいから飯にしよう。俺は朝食ってないから腹減ってるんだ」
「お願い…しばらく話しかけないで…」
「飯。はよ」
「あーもう分かったわよ!」
お構いなしに飯を催促すると、矢澤はヤケ気味に鞄から三角巾で包まれた弁当箱を取り出し俺に押し付ける。
「にこにースペシャル弁当よ!むせび泣きながら食べなさい!」
俺が
ブツを矢澤に渡した翌日には必ず作ってもらう事になっている。
「おおよしよし、それじゃあ早速」
「待ちなさいよ」
一人になりたいらしい矢澤を放って机に向き直ろうとすると肩を捕まれる。
「ハンカチ、渡しなさいよ。洗濯して返すから」
「いやいいって。適当に自分で洗うから」
「いいから渡しなさいよ!にこにーのDNA付きハンカチをアンタに渡したら何に使うか知れたもんじゃないわ!」
「オマエ俺を何だと思ってんだ…」
有無を言わさずハンカチを矢澤に奪い取られる。
俺からハンカチを奪い取ると、矢澤は再び机に突っ伏し石のように動かなくなってしまった。
「…まぁいいか」
それより飯である。
包みを解き蓋を開けると中は男子高校生も満足する内容量の生姜焼き弁当だった。
盛り付け、付け合わせのポテトサラダ、白飯の硬さもすべて完璧と言って良い。
「いただきます…うま」
石になった矢澤へ聞こえるように感想を言いつつ、昼飯に舌鼓を打った。
「……」
机から恐る恐る顔を上げる。
前の席の住人はあっという間に平らげた弁当の箱を洗いに行ったようで、その姿と机上の弁当箱は姿を消している。
「はぁ~、やっと行ったわね」
不覚だった。
朝、妹たちの面倒も見なければならないので私は基本早起きだ。
その為に早く寝るようにしているのだが、昨日は村田と喋っていたら床に就く時間はいつもより大幅遅い時間、日付を跨いでしまっていた。
それが影響してか、午前中の授業はガッツリと寝てしまい、村田に寝ぼけ面を見られ涎を拭かれるなどという失態を犯してしまった。
矢澤にこ、17年の人生で最大の失態である。
手の中のハンカチを見る。
一目で安物とわかるハンカチは皺くちゃだ。
おそらく、あいつの性格からして洗濯してアイロンがけもせずに取り込んだままポケットに突っ込んだのだろう。
全く、だらしのない男だ。
「ねぇ、矢澤さん」
「ん?何?」
不意に隣のクラスメートに話しかけられる。
自分用の弁当を取り出したところで、包みを開けようとする手を止めて応答した。
「矢澤さんてさ、村田くんと付き合ってるんでしょ?」
「……ん?え?は?」
言葉の意味が理解できずに聞き返す。
ツキアウ、というのはアレだろうか、関取が土俵でやるアレだろうか。
……今のはさすがにない、と自分でも思った。
落ち着いて考える。
付き合う、女子高生的には彼氏がいる状態の事。
この場合の彼氏とは村田の事になるだろう。
つまり、彼女は私と村田が交際しているのか、と確認してきているのだ。
成程、納得した。
納得…
「納得できるかッ!?」
「わっ」
「つつつ付き合う?私があの村田と!?ないないないない!絶っっっっ対ない!」
興奮で顔が紅潮しているのがわかる。
決して村田が彼氏だった妄想をしたから顔が赤いわけではない、うん、決してない。
「え~?でも、彼氏でもない男子にお弁当作ってきたりしないでしょフツー」
「うっ」
痛いところを突かれてしまった。
確かに、ただの同級生ならばそのような事はする筈はない。
「しかもそんなムキになって否定するなんてさ、余計怪しいよ~」
「っ、とにかく!にこは村田の彼女なんかじゃないから!絶対よ!」
居た堪れなくなり教室を飛び出して廊下に出る。
数メートル教室から離れたところで自分のミスに気付いた。
これでは余計戻りづらくなったではないか。
「お、矢澤、弁当箱洗ってきたぞ」
「うっさいバカ!」
「!?」
こうなった原因の男が能天気に水洗した弁当箱を持った来たのでとりあえず罵倒しておいた。
おもてなし(tricot)
500000000年ぶりの更新です
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最果てが見たい
本日ハ晴天ナリ。
春の暖かな日差しと心地よい気温は絶好の昼寝日和である。
ここでタバコを吸いながら時間を気にせず寛げたらどんなに気持ち良いだろうか、想像に難くない。
しかし今俺は屋上の隅で何をするでもなくレジャーシートに座っており、タバコは懐から取り出してすらいない。
原因は最近増えた
「ワン、ツー、スリー、ワン、ツー、スリー」
園田の手拍子に合わせて高坂と南がステップを踏む。
しかしその動きは少々ぎこちなく、互いに合わせて動くべきであろう部分もズレていたり、ステップ自体も踏み間違えたりと素人目線でも拙いのが見て取れる。
全くの素人がトレーナーの指導もなく独学で、しかも練習を始めて数日という事を鑑みれば充分と言えるのだろうが。
「穂乃果、2番目のステップと3番目のステップが間違っていますよ!順番を入れ替えてください!」
「うんっ!」
「ことりは全体的にテンポが遅れ気味です!気持ちテンポ上げ気味に!」
「はいっ!」
2人の問題点を園田が指摘、的確に修正の指示を出して指示通り矯正する。
この数日試行錯誤し、ダンスは園田が指導しつつ高坂と南がそれに追従する形に落ち着いた。
素人3人組がプロの指導無く僅か数日で何となくではあるが形が出来つつある状態に持っていけてるので大したセンスである。
「どうでしたか!?今日の練習!」
「そうだな…初日に比べたら凄い進歩だと思う」
感想をねだる高坂に答える。
練習初日は予想は出来たが酷い有様であった。
取り敢えず、と踊ってみればステップは間違え、隣とぶつかる、タイミングはズレ、テンポはバラバラ。
ゆくゆくは大々的なライブを行い、学校の名前を売り出すのはかなり茨の道である事は十二分に見て取れたが、この上達ぶりなら何とかなるのではないかとすら思わせるものがある。
「ホントですか!?やっぱり穂乃果たち上手くなってるよ!海未ちゃん!ことりちゃん!」
「うん、ことりも穂乃果ちゃんと海未ちゃん見てて思ってた」
「私も正直驚きました。ここまで早く上達するとは」
「園田の教え方が良いんだと思う。どこが悪くてどうすれば良いかすぐ指摘してるから高坂と南も修正出来るんだろ」
「そ、そうですか?ありがとうございます」
俺の賞賛に対する園田の返答は固い。
これでも初日に比べたら大分柔らかくはなったとは思うが、完全に打ち解けるにはまだまだ時間がかかるだろう。
「海未ちゃんの教え方が上手なのももちろんだけど、村田先輩が居てくれるお陰だって穂乃果は思うな」
「俺?」
高坂から出た意外な言葉に思わず聞き返す。
俺のおかげとはどういうわけだろうか。
「そうですよ。見られてるって思うと、良い感じのプレッシャーになって集中出来るんです」
「そういうもんか?」
「そういうもんです!」
前に出て注目を浴びる様な経験をした事が無いので、俺には高坂の言い分はよく分からない。
「そうかも…それにことり達、これから大勢の前で歌うんだから人の目にも慣れなきゃ」
「うっ、人の目ですか…」
が、南の意見で納得した。
これから高坂達は不特定多数の衆人観衆の前で歌う事になる。
恐らくステージ上で歌うなど初めての経験の彼女たちにとって、人目によるプレッシャーの克服はアイドル活動をする上で重要なプロセスになる。
「そうです、今は村田先輩だけですがゆくゆくは大勢の人前で…ああ…」
特に、人目というワードに苦い顔をしている園田には特に重要だ。
不意に屋上の鉄扉が開かれ、俺たちは一斉にそちらへ視線をやった。
「…あっ」
現れた人物は予想外の組み合わせに驚いた表情を見せる。
「生徒会長?」
「…」
高坂の言葉を受けた絢瀬は硬い表情を作り、沈黙で応えた。
ちら、と左手首の腕時計を確認すれば絢瀬が屋上に現れる何時もの時間だ。
最近は姿を見せなかったので失念していたが…。
「…何の用でしょうか」
「貴女達に用はないわ。用があるのは村田くんよ」
警戒の色濃い園田の問いに毅然とした態度で絢瀬が応える。
未成年喫煙をしに来た不良生徒会長とは思えない。
「村田くん、ちょっと」
絢瀬は必要最低限の言葉を残して校舎内へと戻る。
それに追従するべくシートから立ち上がった。
「村田先輩?大丈夫なんですか?」
生徒会長直々の呼び出しを心配してくれているのか、高坂が不安そうに声をかけてくる。
「まさか、何か問題を起こしてしまったとか…」
「生徒会長が直接探しに来るなんてよっぽどですよ?」
園田と南も高坂に続く。
2人は俺の不良なイメージからして、絢瀬がここに来た目的ーー俺に愚痴りながら未成年喫煙ーーを全く見当もつかない様子で、俺が何かしらの問題で呼び出されていると思い込んでいるようだ。
俺と絢瀬のあまり大っぴらに出来ない関係を広められると不味いので思い込んでくれるのは有難い。
「大丈夫だ。そんな大げさな事じゃないからな」
それに、絢瀬の表情からどんな言葉をかけられるのかは容易に予想出来る事だし。
「村田くん、あなたはあの娘たちとどういう関係なのかしら」
ホラな、と内心で思った。
校舎へ続く階段の踊り場で待ち構えていた絢瀬に無人の生徒会室に連行された俺はパイプ椅子に座らされ、机を挟んで向かい合った絢瀬の尋問を受けている。
「別に。練習で屋上使いたいって言うし俺も暇だから練習見学してるだけ」
「それだけ?ずいぶん親しげだったけれど」
「あの高坂って奴がグイグイ来てるだけだよ」
「ふぅん…そう…」
疑わしげに絢瀬が半目で俺を睨む。
どうやら俺の答えには満足いただけていないらしい。
「随分あいつらに突っかかるんだな」
空気を変えようと話題を逸らす。
皆に慕われる美少女生徒会長が一生徒に向ける態度と高坂たちへのそれは余りに冷たく突き放すように俺には映ったからだ。
「当然よ。あの娘たちの遊びに学校が付き合う余裕も時間もないの。早く諦めてもらうには仕方ないわ」
「遊び、ってな」
手探りながら真剣に学校を守ろうと努力している高坂達に対してその発言はあんまりではないか。
たった数日だが真面目に練習を見た身としては、正直腹が立った。
「…じゃあよ、絢瀬には何か手があんのか?廃校阻止できる一発逆転、起死回生の手がよ」
「…それ、は」
絢瀬の目が動揺で揺れる。
そう、結局絢瀬率いる生徒会は未だ廃校を免れる手段すら見付けられて居ない。
理事長方針で生徒会の活動に待ったを掛けられている現状、高坂達の様に自分なりの考えで動く生徒を励ますまでは行かなくても、見守るぐらいはしてやっても良いのではないか。
「でも、スクールアイドルは駄目よ!学校のPRに失敗すればイメージの悪化にも」
「そう言うけどよ。無くなるのが決まり掛けの学校にイメージ悪化もクソも無いんじゃねぇのか?どうせ無くなるなら思う存分使ってやりゃ良いじゃねぇか」
「…何で、あの娘達の肩ばかり持つの?」
「え?」
俺に弁を遮られた絢瀬は、俯くと腹の底から絞り出す様に呟いた。
一瞬だけ、その時の表情はとても悔しそうな、それでいて悲しそうに見えた。
「…もう良いわ、話は終わりよ。私はまだ仕事があるから」
そのまま視線を切った絢瀬は書類が山と積まれた自分の机に着き、何やら書き物を始めた。
まるで俺など存在しないかのように。
不意に開かれたドアに私は咄嗟に身を引く。
「あっ」
その拍子に抱えた書類を廊下へ撒いてしまった。
単純なミスを恥じながらしゃがんで書類を集めようとすると、私以外の手が書類を集め始める。
「…悪い」
目が合った私に詫びたその少年の風態は生徒の模範たる生徒会、その本拠地である生徒会室には似つかわしく無い。
無造作な纏まりのない髪。
にだらしなく緩めたブレザーのネクタイ。
第2ボタンまで外したシワのよったYシャツ。
恐らく勉強道具など一切入って居ないであろうぺったんこの学生鞄。
人目で真面目な生徒ではない、私と同じ色のネクタイの少年を、直接話したことこそないが私は知っている。
ーー村田武憲、音ノ木坂学院内でもっぱら不良であると有名な3年生。
授業ボイコットの常習犯で他校生徒と喧嘩の目撃情報もある要注意人物だ。
特定の不良グループに所属する訳でもなく、いつも1人で過ごしているのでこちらから喧嘩をふっかけなければさほど危険性はないので生徒会もスルーしていたが、そんな彼が生徒会に何の用だろうか。
「うん、大丈夫よ。ありがと」
村田君が集め終わり、差し出された書類を受け取る。
どうやら噂に聞くより紳士的であるらしい。
「そうか…それじゃ」
立ち去ろうと歩みを進める前、村田君が生徒会を覗き込む。
「邪魔したな、絢瀬」
えりち?
村田君の視線の先には書類仕事に取り掛かっている私の親友が居た。
「…」
しかしえりちは呼ばれても顔を上げようともせず黙殺するかのように村田君に反応しない。
「…ハァ」
そんなえりちの反応に、メンドくさそうな溜息をついて村田君は去っていった。
「えりち?」
「…希?どうしたの?」
私の声でようやく顔を上げたえりちの様子は普段と変わらない。
いや、若干の不機嫌さを雰囲気に滲ませている。
やはり村田君と何かあったのだろうか。
「頼まれた書類持って来たよ」
「ああ、そこへ置いておいて。悪いわね、お使いなんてさせて」
「別にええよ。というか、今の村田武憲君やろ?生徒会室に居るなんてなんかあったん?」
不良と生徒会。
相反する2つが先程まで同居していた事がつい気になった私は親友に探りを入れてみる。
すると、あからさまにえりちは顔を曇らせた。
「別に。さっき屋上でサボってたから呼び出して指導しただけよ」
「屋上で?」
はて、さっきと言うが、さっきまで屋上では暫定スクールアイドルの卵候補たちが練習していて、まだ続けている筈だ。
そこに数時間前講堂の使用申請の件で揉めていた3人組と村田君、えりちが居るとはどういうワケだろうか。
「気になるなぁ」
「…何が?」
「ううん、何でもないよ?」
スクールアイドル、不良、生徒会長。
相反しすぎる要素が揃っているとは実に興味をそそられる。
(…調べてみよっかな)
最近は廃校なんてショックな出来事こそあれど面白い事が立て続けに起こる。
実に、実に愉快ではないか。
最果てが見たい(椎名林檎)
えりちの嫉妬ファイヤー
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なんでやねん
村田武憲。
身長180センチ、体重72キロ、血液型AB型、視力両目共1.5、持病等健康上所見なし。
所属部活動委員会等なし、内申点はギリギリ卒業可能レベル…。
「あんまし面白い事は書いてないなぁ」
『生徒個人情報持ち出し禁止』と書かれたファイルを閉じる。
不良で有名ならば補導歴有りぐらいの記載は期待していたのだが。
私はそのままファイルを元の位置に戻し、何食わぬ顔で早朝の資料室を出た。
「村田君の事?」
その同級生はクラスメートのことを廊下で尋ねられ、きょとんとした顔をした。
「せや、最近変わった事とか、何か気になった事とかない?」
「うーん、変わった事かぁ…普段から授業中寝てたり気が付いたら居なくなったりしてるから十分変わってるんだけど…私、1年からクラス一緒だけどそんな凄い話すわけじゃないし…」
「そっか…」
「あ、私より矢澤さんの方が詳しいと思うよ」
「矢澤…ああ、アイドル研究部の?」
予算委員会で見るぐらいではあったが、部活動の長の1人である為彼女の名と姿は覚えている。
既に部員は部長である彼女1人である為、彼女が卒業すれば自然消滅する部活ともなれば特にだ。
「そうそう。矢澤さんも村田君と1年生からクラス一緒だしさ。それに…」
「…それに?」
何か含みのある言い方で言葉を切った彼女は、周囲を気にするそぶりを見せてから私に耳打ちするように顔を近づけた。
「噂なんだけど、矢澤さんと村田君、陰でこっそり付き合ってるらしいよ?私、時々村田君にお弁当渡してるの見たし、友達がこの前2人が夜中一緒に帰ってるの観た事あるって言ってたし、怪しいよね?」
「…へぇ?」
これは耳寄りな情報だ。
廃部寸前のアイドル研究部の部長と不良のカップルとはまた珍しい。
しかも彼氏の方は活動を始めたスクールアイドル3人組と関係があり、我が生徒会長と何やら因縁がある。
ますます村田武憲という人物に興味が湧いた。
「あ、でもこれ広めたり私から聞いたって矢澤さんに言ったりしないでね?矢澤さん、この前聞かれた時に真っ赤になって教室飛び出してその日は帰ってこなかったから」
…そんなわかりやすい反応をする矢澤にこにも少し興味が湧いた。
「村田の事ォ?」
興味が湧いたので矢澤にこに直接聞いてみた。
終業と同時に別クラスから教室に突然入って来るなり村田君のことを質問した私に、目の前ツインテールは怪訝な顔をした。
因みに村田君本人の姿はない。
「せや。何でもええよ?最近変わった事とかない?」
「変わったって言ってもあいつ何時も変わった事しかしてないわよ…」
村田君とそこそこ長い付き合いであるらしい彼女は特に考える訳でもなく、教材をカバンにしまいながら答える。
「じゃあ村田君の事教えてくれない?1年の時からの付き合いなんやろ?」
「そりゃそこそこ付き合いあるけど…というか、わざわざ生徒副会長が出て来て聴き込みなんてあいつ何かやったワケ?」
「お、やっぱボーイフレンドの事だから気になるん?」
逆に探りを入れて来たにこを茶化してみると、うんざりした様子で溜息をついた。
あれ、てっきりわかりやすく赤面でもして慌てて否定しに来ると思ったのだが。
「あのねぇ、クラスの連中になんて言われたのか知らないし興味も無いけど、私とあいつは付き合ってなんかないから」
きっぱりと私の考えを否定する。
どうやらこの噂の出所は把握しているらしく、察するに相当クラスメートかり質問責めにあったらしい。
それがある故、この落ち着いた対応か。
「でも彼氏でも無い男子にお弁当作ったり来たりはフツーしないやろ?」
「それは…たまたまよ。たまたま作り過ぎちゃってあいつに渡してるだけ」
うわ、また使い古された口上を使う。
しかしこれは敢えてスルーする。
「ふぅん、ま、それはええけど。それより、村田君と時々夜中一緒に帰ってるらしいけどナニしてたん?」
その言葉を聞いた瞬間、にこの表情が変わる。
「あんた、それどこでッ…!?」
「それは言えないわぁ。口止めされてるもん」
「あいつらぁ!1人1人シバき回してやるわ!」
下校時間も過ぎ、人もまばらになった教室にこの場には居ない人物らに対するにこの怨みが木霊する。
質問責めして来たクラスメートのウチの誰かだろうと一瞬で目星は付いたらしい。
さて、からかうのはこれぐらいにして本題に移るとしよう。
あまりに面白いリアクションなのでつい逸れてしまった。
「で、村田君の事教えてもらって良い?1年生の頃から全部」
「…わかったわよ。これ以上あれこれ詮索されるぐらいなら自分から喋った方がマシだわ」
「ありがとなぁ。にこっち」
「誰がにこっちよ」
観念ーー観念するような事はしていないのだがーーするように、にこっちはポツポツと語り始めた。
μ’s。
そんな馴染みのない記号の書かれたメモ用紙を凝視する。
「…ユーズ?」
「違いますよ!ミューズです!」
当てずっぽうで読んでみると高坂が俺に答えを教えて来る。
「ミューズ?薬用石鹸の?」
「言うと思いました」
「やっぱりみんな同じ事言うなぁ…」
園田と南の何とも言えない顔から察するに周りからは悉く薬用石鹸と言われて来たようだ。
ミューズなんて単語は聞き覚えはそれこそ石鹸の名前ぐらいしか無いのでその反応も致し方ないとは思うのだが。
「他には何も入ってなかったのか?」
「いえ、この一枚だけでした」
園田が『グループ名募集!』と書かれた紙箱の蓋を開けて俺に見せてそう言った。
3人が活動する上で欠かせないグループ名を決めていないことに気付いたのが先日。
急遽何故か俺を加えた4人でグループ名会議をしてみたものの。
「『陸・海・空』『ほのうみとり』『東京バッドガールズ』『S.H.I.E.L.D.』『魔界倶楽部』より良いと思うな…」
南の意見に皆同意する。
まるでセンスのない我々より校内の有志に委ねたのは正解だった。
「どういう意味なんだろうな、μ’s」
「神話の女神の名前だそうです。全部で九柱いるそうですよ」
園田がスマートフォンの画面を見ながら言う。
俺が調べれば早いのだが生憎スマホなどという高価な物は持ち合わせていない。
「え、じゃあ9人要るってこと?穂乃果、海未ちゃん、ことりちゃん、ノリ先輩だと後5人必要じゃん」
「何で俺を頭数に入れてるんですかね」
さり気なく俺をアイドルデビューさせようとする高坂に釘を刺す。
最近はそこそこ打ち解けて来て仲良くなって来たーーその証なのか、3人は俺の事を下の名前で呼ぶようになったーーが、俺はステージで踊るつもりは一切無い。
「あ、そっか。何時も居るからつい」
「穂乃果は武憲先輩もステージに上げるつもりですか?」
呆れた表情で園田。
「俺はリズム感無いから無理だって」
「え、リズム感の問題なの?」
理由を説明すると南がツッコミを入れてくる。
現に俺はダンスなぞ踊ったことは無いし高坂たちの様に情熱もないのでステージに上がるなぞ土台無理な話なのだ。
「まぁ、良いんじゃないかμ’s」
短くシンプルで覚えやすく、アイドルらしくオシャレな良いグループ名であると思う。
「それじゃあ俺はこの辺で」
「もう帰っちゃうんですか?これから練習再開するんですけど」
暗に見ていってくれ、と立ち上がった俺に高坂が言う。
「悪いけど外せない野暮用でな」
お疲れ、と残してそそくさと屋上を後にする。
まだアルバイトまでは時間があるが、俺にはどうしても外せない用事がある。
外せない用事というのは勿論、新しい喫煙場所の開拓である。
屋上が高坂達が頻繁に来るようになって使えなくなった以上、人目に付かない喫煙場所の開拓は急務だ。
未成年である以上、公共の場で喫煙して面倒な事になるのは極力避けたい。
なので、煙草は極力自宅か学校で見つけたスポットのみと決めており、こうして人目に付かないスポットを探しているのだが…
「…ダメか」
校舎内を練り歩くも理想的なスポットには出会えていない。
人目に付かず、ニオイや灰証拠隠滅が容易な場所。
秘め事の鉄板、校舎裏は意外と人通りがあり空き教室はニオイが残り易く内外から目につき易い。
やはり屋上が一番良かった。
「…む」
いつの間にか人1人見当たらない廊下の向こうから微かに何かの音が聞こえた。
ピアノだろうか?
昼間ならば喧騒にかき消されてしまいそうなその音色だが、放課後の静まり返った廊下ではよく聞こえる。
確かこの先には音楽室があるので、そこで誰かが弾いているのかもしれない。
…そうだ、確か音楽室の先には家庭科準備室があったはずだ。
滅多に使われない部屋であるし、そもそもこの区間自体人通りも少ない。
流し台や換気扇も常備してあるので証拠隠滅も容易だろう。
俺は下見のため歩を進める事にした。
予想通りというか当たり前というか、やはり音の出所は音楽室だった。
1年生の女子生徒がピアノに座り一心に鍵盤に指を走らせているのが扉の窓から見える。
しかし上手いものだ。
音楽の担当教師より上手いのではないか。
「愛してるばんざーい ここでよかった〜」
ノッて来たのか、ピアノを弾きながら歌まで歌い始める。
歌唱力も相当高いと来た。
「私たちの…ッ!?」
聞いた覚えは無い歌詞なのでひょっとしてオリジナルだったりするのだろうか、などと考えていたら歌唱中の彼女と不意に目が合う。
完全に1人の世界に入っていたのだろう彼女は、俺の存在を認識して現実世界に戻ってきたようだ。
驚きで目を見開いた彼女は演奏を中断する。
「…悪かった、邪魔したみたいだな」
「覗きだなんて良い趣味ですね?先輩」
扉を開けて謝罪する俺へ彼女から注がれる視線は警戒のそれであり、口調こそ敬語ではあったものの刺々しい。
「上手いピアノが聞こえたもんでつい聴き入っちまって」
「はぁ…ありがとうございます」
ピアノの座席に座った彼女は俺の賛辞などどうでも良い、とばかりに癖だろうか、髪の毛先を指先に巻く動作を繰り返す。
「悪いな、演奏の邪魔して」
「…別に良いですけど。ちょっと驚いただけなんで」
再度謝罪すると、先程よりかは態度を幾許か軟化させて彼女が答える。
邪魔にならない内に退散するとしよう。
「名前なんて言うんだ?俺は村田って言うんだ」
「西木野です」
このまま退散というのも収まりが悪いので名前を聞いて見ると素直に西木野は名乗ってくれた。
「西木野は放課後はいつもここでピアノ弾いてるのか?」
「まぁ、気が向いたら」
「そうか。頑張ってな」
「…どうも」
軽く会釈をしつつ、俺は音楽室を後にした。
「さて…」
本命の家庭科準備室の内容は満足いく内容である。
扉に覗き窓はなく施錠もされておらず、校舎の奥で人目につきにくく、流し台に換気扇も完備で証拠隠滅は抜かりなく行える。
入る前に周囲に人影もない事を確認したし、それでは早速一服するとしよう。
懐に入れ久しい紙巻きタバコを取り出し火を付ける。
しばらく吸えてなかったので少々シケているがこの際どうでも良い。
口内、喉、肺で紫煙を味わう。
「フーッ…」
気管支全部でタバコを味わうと、脳が久々のニコチンに歓喜の声を挙げるのがよく分かった。
もう一口頂こう。
「成る程なぁ、こういう事かぁ」
「ーーッ!?」
余韻に浸りながら次に口をつけようとすると、不意に開かれた扉と声に俺は凍り付いた。
「説明してくれる?村田クン?」
俺を天国から地獄に急転直下に落としたその女は、不敵な笑みを浮かべてそう言った。
なんでやねん(B-DASH)
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「と、いう訳で今日から生徒会に入ることになった村田武憲くんよ~」
「……」
拍手~、などと一人朗らかに拍手をする東條に賛同する者は生徒会室にはおらず、空気は地獄のように冷え切っている。
生徒会のメンバー達は会計の2年生を除いて全員が女生徒でこの場で俺は完全にアウェーである。
俺に刺さる懐疑と警戒の視線が俺に対する生徒会のイメージを表している。
…早くこの場から消えたい。
「村田クンは暫くは雑用係として見習いをーー」
「あ、あの、副会長」
東條を遮って2年生の書記が手を挙げる。
「ん?なぁに?」
「生徒会役員はクラスで立候補し、信任の決を採ってから始めて役員に就任できるものです。それを急に、しかも信任投票無しで役員就任は…」
「私からも説明して欲しいわね」
今まで沈黙を保っていたこの部屋の主が口を開く。
一際俺に厳しい視線を突き刺していた絢瀬は俺に目を合わせようともしない。
「確かになぁ。でも村田クンは厳密には役員じゃないよ?奉仕活動の一環として生徒会で働いてもらうんや」
「どういう事ですか?」
「実はなぁ、村田クンから相談されたんよ…『俺も何か学校の為にできる事をしたい』ってね。それなら、って事で生徒会の雑用係を任せる事にしたってわけ」
「は、はぁ…」
書記の2年生は東條の隣に座る俺を一瞥し、目が合うと慌てて目を逸らした。
東條の二枚舌を信用するか否か迷っている様子だ。
「…動機はまぁ良いわ。問題は何故私や役員に事前の説明がなかったのか、という事よ」
書記と副会長のやり取りを聞いていた絢瀬が口を挟む。
動機は良い、と言うものの俺がそんな事を言い出す様な人間ではない事を知っている絢瀬は東條の弁を完全に信用していない様だ。
「忘れてたんよ。毎日忙しくしてるえりちへ報告のタイミング測りながら先生に許可取るのを進めてたら忘れて事後報告になっちゃったって訳」
言っていることが滅茶苦茶である。
「学校側の許可を得ているなら体裁は取れているけれど、役員に何の説明もなく独断で動いていたのは納得出来ないわね」
「それは申し訳ないけど、もう入れるって許可取っちゃったし」
今更なしでっていうのはねぇ、と俺の生徒会入りの許可が記された用紙を絢瀬に見せびらかして東條に言う。
後は絢瀬以下生徒会役員の腹が落ち着けば全て解決なのだが…
「…ハァ、学校が許可を出した以上、今更生徒会がどうこう言える話じゃないわね」
「て、事は?」
「認めるわ。村田くんの生徒会入り。みんなも良い?」
折れた絢瀬が役員達に同意を求めると、まばらではあったが皆絢瀬に従う反応を見せた。
「それじゃあ決まりやな。では改めて村田クンから一言!」
「エッ」
俺にマイクを向けるジェスチャーをして東條はいきなりコメントを求めてきた。
話を聞き流しながらただ座っていたので完全に虚を突かれた。
「…腹痛いから帰って良い?」
「はい拍手〜」
俺のコメントを掻き消すように無理やり東條が起こした拍手に、俺の消えてしまいたい衝動はより一層強くなった。
何故こうなったのかは実に数日前、俺が家庭科準備室で東條に遭遇した時まで遡る。
「説明してくれる?村田クン?」
説明と言われても見ての通りである。
使われていない部屋に忍び込んだ不良生徒が間抜けにも扉の鍵を掛け忘れて喫煙の現場を押さえられた。
確か俺の記憶が正しければ、眼前の彼女は生徒副会長の東條。
例によってクラスが違うので下の名前を失念する程俺と関わりがないが、絢瀬に負けず劣らずの敏腕ぶりを生徒会で発揮して居ると聞く。
そんな生徒副会長に現場を押さえられたとなってはもうどうしようもない。
絢瀬の時のようなミラクルは2度は起きたりはしないのだ。
「…」
とりあえず一服。
「あっコラ!この状況で喫煙ってどういう事やねん!」
「やかましい!勿体ないだろ!」
「逆ギレかいな!?」
俺からタバコを取り上げようと詰め寄る東條を一喝する。
タダでさえタバコは値上がりしているのだ。
特に俺の様な貧乏学生にとってタバコの一本は何事にも代え難い程大事である。
「えいっ!」
「あっ」
右手に持った俺のタバコはあっという間に東條に奪われてしまう。
「やれやれ、手こずらせてからに」
そのまま火のついたタバコを準備室の水道で消火する。
俺の憩いの象徴は東條の手によって台無しになってしまった。
「…で、どうすんだよ。教師に報告すんだろ」
「そうやねぇ…」
手に持っているタバコの箱ーー俺から押収したものーーを手の中で弄びながら、東條は思案顔をする。
こうなってしまった以上、東條が教師に報告の上俺に処分を下すのは明らかである。
良くて停学、悪ければ退学だろう。
「その前に村田クンに聞きたい事があるんよね。別に村田クンの悪事暴く為に後つけたわけじゃないよ?」
「聞きたい事?」
「うちのえりち…ああ、生徒会長の事なんやけど、村田クン。キミ、えりちとどういう関係なん?」
「どう、って…」
そういえば絢瀬に生徒会室で高坂たちの事を詰問された時、俺が出て行くところでぶつかりそうになった女生徒は東條だった。
その後の俺と絢瀬のやりとりーーと、言っても絢瀬に無視されていたので俺の一方的なものだがーーを聞いていた東條が関係を疑り、こうして俺に接触してきた、という事だろうか。
「別にどういう関係でもない」
絢瀬とは一緒に喫煙する仲です、などと正直に言う訳にもいかないので咄嗟に嘘をつく。
「じゃあこの前どうして生徒会室に居たの?」
「授業に臨む態度がなって無いって呼び出されたんだ」
「確かにえりちは真面目ちゃんだけどそんな理由で一々呼び出したりしないし…いくら気に食わない相手だとしても、あんな露骨に無視するなんて事は絶対にしない」
のらりくらりと躱そうとするも、余程絢瀬を信頼しているのかどうも乗ってくれそうにない。
「えりちな、廃校決まってからピリピリしてたけど、最近は輪を掛けてイライラしてるんよ。だからひょっとして村田クンが何か知ってると思ってたんやけど…」
洗いざらい吐け、と暗に東條は俺に言っている。
口上は質問の体ではあるものの、俺の弱みをあちらが握っている以上事実上の命令だ。
「…ハァ」
許せ、絢瀬。
去年から続く絢瀬との妙な縁を聞いた東條の反応は静かなものだった。
「…そっか、えりちがなぁ」
東條の呟きからは絢瀬への同情と、若干の失望が感じられた。
品行方正で通っていた友人がまさか自分の知らないところで不良とつるんで不平不満をぶちまけ、あまつさえ未成年喫煙までしていた、となっては当然の反応と言える。
「今の話、信じるのか?」
「実はウラは大体取れてたんよ。村田クンが屋上でサボってるのは聞き込みで分かってたし、えりちが1人で何処か行く時間と村田クンがサボってる時間も一致してたし。後は本人から直接聞き出すだけだったってワケ」
「全部お見通しだったって事か…」
「それでも、タバコ吸いながら愚痴ってるなんて思いもしなかったけどね」
正直な話、追い詰められた不良の世迷い事と一蹴されると思っていた。
しかし、東條は俺に接触する前に入念な下調べを行なっており薄々俺と絢瀬の関係にも勘付いていたようだ。
「…それで?」
「えりちがウチに黙ってそういう事してたのは正直癪やけど…別に村田クンとえりちをチクったりせんよ」
「良いのか?」
「大事にしても学校のイメージも下がるばっかで良い事ないやん?ウチとキミ、えりちしか知らないんなら黙っておけば良いやん」
バレなければ良い、という生徒副会長のダーティーな考えに拍子抜けすると同時に安堵する。
そうと決まれば俺はさっさとお暇するとしよう。
「じゃあ俺はこれで」
「まぁ待ちや」
そそくさと部屋を出ようとした俺の腕を東條は掴み静止する。
「校則違反のペナルティーはちゃ〜んと受けてもらうで?」
「えっ」
満面の笑みを浮かべて俺に迫る東條は悪魔的であった。
この数日後、俺は何故か生徒会入りし、雑用係としてこき使われる事になる。
いいから(WANIMA)
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May I Help You?
「村田、職員室の蛍光灯変えてくれるか?」
「村田くん、空き教室の机と椅子を全部倉庫に運んでくれる?え?1人でだけど?」
「村田ァ、俺掃除してたら雑巾落としてトイレ詰まっちゃってさぁ、治してくれよ」
「村田先輩、校内に野良猫が忍び込んだそうなので捕まえて外へ逃がしてください。それと侵入した箇所の特定と補修もお願いします」
「村田くん!」
「村田先輩!」
「村田!」
「村田ったら!起きなさいよ!」
「…」
体を揺さぶられて嫌々体を起こす。
悪い寝方をしたのか、頭は僅かな痛みを訴えている。
「…今何時?」
霞みがかった頭のまま、起こしてくれた矢澤に問う。
「何時って、もうホームルーム終わったわよ…アンタ、昼休みどっかから帰ってきてからずっと寝てたから死んだと思ったわよ」
「んー、朝から明日の新入生歓迎会の準備でな」
「そんな事もやらされてる訳?」
「あー、んー」
「…生徒会のパシリになってからずっとこんな調子だけど大丈夫?」
適当な俺の生返事に、生徒会にこき使われているーー弱みを握られている事実は誤魔化したーー事情を知る矢澤は心配そうな表情を見せる。
「何だ、心配してくれてんのか?」
「当たり前でしょ。あんたが居なくなったら誰がウチに食材卸すのよ」
「流石のドライっぷりだ。将来大物になれる」
軽口の応酬も切り上げて俺は机から立ち上がる。
「またどっか行くの?」
「放課後アルパカ小屋の掃除やれって頼まれてる…あーっ」
伸びをして首と肩、腰を回すと小気味良い音が各部位の骨から鳴った。
すっかりおっさん臭くなってしまったものだ。
「ねぇ、ホントに大丈夫なんでしょうね。学校で休み時間は生徒会にこき使われて、学校終わったらバイトして…身体持つの?」
「大丈夫だ。授業中バッチリ休んでるからな」
「それで授業内容は?」
「何言ってんだ?覚えてる訳ないだろ」
「何で奉仕活動やらされてるのか考えなさいよ!」
周囲にはありのままの事実を伝える訳にはいかないので、俺の生活態度改善の為に生徒会に奉仕活動をさせられている事にしている。
普段から授業をサボる俺の態度をよく知っていた為あっさりとこの嘘は浸透した。
自業自得です、と園田の厳しい意見が身に刺さりはしたが。
「心配してくれるんなら、次の弁当は春巻きが食いたいな」
「…わかったわよ、回鍋肉も付けたげるわ」
「サンキュー」
矢澤の優しさに感謝しつつ、今日も今日とて俺はコキ使われに向かうのだった。
何回か飼育小屋の掃除をしてわかった事だがアルパカというのはなかなかどうして頭が良い。
トイレは毎度決まった場所でしてくれるし、大人しいので掃除の邪魔をする事はあまり無い。
「…おい」
訂正、時々ちょっかいをかけてくる。
俺のジャージの裾を噛んで引っ張って来る白いアルパカは特にそれが顕著だ。
「離せ白いの。伸びるだろ」
箒を動かす手を止め、掌で軽く白アルパカの鼻を押すと素直に引き下がる。
「すぐ終わるから待ってろ、な?」
言葉を理解しているかはわからないが、アルパカ特有の長い首を撫でながら語りかけると不思議とこの白いのは言う事を聞いてくれる…と思う。
はじめに無理やり動かそうとして臭さ過ぎる唾を顔面に引っ掛けられれば、否応にもアプローチは慎重になる。
「小泉?どうした?」
「えっ?あっ、えっと…」
飼育小屋の隅で大人しくしている茶色アルパカーーおそらく番ーーの元へ戻った白いのを見送っていると、こちらを眺めている一年生と目があった。
そもそも俺がこうしてアルパカの世話係をしているのは、元々の世話係である今わたわたしている彼女、小泉花陽をサポートしろ、との東條からの名を受けての事だ。
他の飼育係が軒並みサボるのでその穴埋めという訳である。
「む、村田先輩って動物、す、好きなんですか?」
「…まぁ嫌いじゃない」
おどおどしている小泉に答える。
人間と違って動物は素直で嘘を付かない。
それだけで俺の中で動物に対する印象はかなり良く、好きと言えるかもしれない。
「そっそうなんですか。アルパカさん、村田先輩によく懐いてるし、村田先輩もアルパカさんと接してる時楽しそうにしてるから、好きなのかなって」
「楽しそうに、なぁ」
自分では普通にしているつもりなのだが外野にはそう見えるのだろうか。
「あっ、あの、ごめんなさい!」
などと考えていると小泉は唐突に俺に謝罪した。
気分を害したと思ったようだ。
…いい加減1週間近く一緒に掃除しているのだから、俺がそんなことで一々腹を立てる人間でないとわかって欲しい。
この数日、一緒に飼育小屋の掃除をして分かったが小泉は相当な人見知りだ。
特に異性に対しては男性恐怖症と言っても差し支えないレベルの。
こちらの一挙手一投足すべてに萎縮していた初日から比べれば少しは慣れてくれた、と考えられなくもない。
まぁ、そのうち慣れるだろうし無理に関わったりする必要はないだろう。
どうせ飼育小屋でしか会わない薄い繋がりだ。
「…よし、終わりだな」
ざっと小屋を見渡し、綺麗になった事を確認し頷く。
アルパカは頭が良く人懐こいとはいえ、草は1日1キロは食べるし走り回って小屋の草を散らしてしまうので飼育は以外と大変だ。
特にエサやりは小柄で運動部には所属していないらしい小泉には一苦労だろう。
「ホラ、もう良いぞ」
小屋の支柱に繋いでおいたアルパカ二匹を解放してやる。
リードを解いた瞬間、二匹から俺は揉みくちゃにされる事になった。
「ああもうわかったから!ジャージ引っ張んな!髪を食うないででで!」
「ダ、ダメェ!アルパカさん!」
小泉が俺からつぶらな瞳の白いヤツと目が隠れてる茶色いヤツを引き離そうとすると二匹ともすんなり小泉に従う。
「あっ、ふふっ」
俺への過激なスキンシップとは打って変わり、小泉へのそれは鼻をこすりつけたり匂いを嗅いだりと大人しいものである。
…何だか納得が行かない。
「鍋にするぞお前ら」
「アルパカさん食べちゃダメですよぉ…」
アルパカを小屋へ放すと俺と小泉は外へ出る。
掃除用具を片付け、報告をすれば今日の仕事は全て終わりだ。
「じゃあ片付けと報告は俺がしとくから小泉は帰って良いぞ」
「えっ?でも、飼育係は私で」
「俺はどうせ今日の活動報告があるからついでだ。それにーー」
「かよちーん?掃除終わったー?」
「ーー友達も来たみたいだしな」
「あ、凛ちゃん」
現れた下校する出で立ちの1年の女生徒は、目当ての人物を見つけると朗らかな表情で手を振って駆け寄ってくる。
「早く帰ろーよかよちん!今日は駅前のクレープ屋さん行く約束でしょ?」
「で、でもまだ片付けとか終わってないし、もうちょっと待ってて?」
「えー!?クレープ無くなっちゃうにゃあ!」
「り、凛ちゃん!先輩の前だよ!?」
「あっ!…む、村田先輩、お疲れ様です…」
にゃあってなんだその語尾。
などと考えながら眼前のやり取りを眺めていると、先程までの朗らかさは何処へやら、俺を認識した途端すっかり萎縮してしまった。
生徒会雑用係になっても俺の不良のレッテルは中々変わりそうにない。
「あー、星空、だったっけ?片付けは俺がやるから小泉連れて帰って良いぞ」
「え!ほんと!?」
萎縮した表情から一転、星空の顔は再び朗らかなそれに戻る。
喜怒哀楽のはっきりした奴だ。
「…えと、本当に良いんですか?」
恐る恐る小泉が聞いてくる。
「ん、良いよ。俺の気が変わらないうちに帰れ帰れ」
「村田先輩ありがとー!ほら、かよちん!行こ!」
「えっ、あっありがとうございます!」
星空に手を引かれながら小泉は帰宅と相成った。
余程親友と居るのが嬉しいのか星空はステップなど踏んでいる。
「へぇ、優しいやん村田くん」
「…東條」
いつから居たのか、俺の背後には性悪生徒副会長が立って居て1年生2人を見送っていた。
「だいぶ花陽ちゃんとも打ち解けたみたいやん?良かった良かった」
「全然警戒されてるがな」
「それでも紹介初日より距離縮まったんやないの?はじめはお互い気まずそうだったやん」
「そら初日に比べたらマシにはなったが…それよか今日の活動報告だが」
雑用係としては1日の最後に副会長である東條にその日1日の内容を報告する事になっている。
「いや、良いよ。別口から報告上がって把握してるから」
その規則に則り報告しようとすると、東條が俺の弁をそう遮った。
…いつも思うがこの東條希という女、一体どうやって情報を集めているのだろうか。
「分かってるなら話早い」
報告が不要であるのならば片付けを済ませてさっさと帰るとしよう。
今日はバイトはないが、朝から働き詰めなので部屋でゆっくりしたい。
「ああちょっと待ってや。明日の事なんやけど」
片付けに入ろうとした俺を東條が引き止める。
「何だよ」
明日の、というのは新入生歓迎会の事だろう。
会場設営は終わっているので俺の出番は撤収の時ぐらいのはずだ。
「いやね?新入生歓迎会終わった後、講堂で催しがあるんよ」
「はぁ、それの設営か?」
「いや。その催しに生徒会は講堂使用許可出しただけでノータッチなんよ」
「はぁ…つか、何なんだよその催しって」
「校内の張り紙見てないん?村田くんと仲良しのμ'sが新入生歓迎会でライブやるんよ?」
「…あぁ」
そういえば、そんな手書きの張り紙を見た気がする。
最近は屋上に顔を出す余裕がない程忙しかったので失念していたが、2年生3人組スクールアイドル"μ's"が明日初ライブを行うのだった。
「それで?そのライブをどうすんだ?」
まさか台無しにする段取りをしろ、などといのではあるまいか。
綾瀬の件もあり、生徒会はμ'sの活動には反対していると考えて良いだろう。
生徒会長に倣って東條も反対派である可能性は十二分にある。
「簡単よーー手伝ってきて、そのライブ」
「はぁ…は?」
勘繰っていた俺を裏切る様に、東條はそんなことを口にした。
May I Help You?(10-FEET)
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