Fate/EXTRA 虚ろなる少年少女 (裸エプロン閣下)
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予選突破

執筆中の『俺とアストルフォの第四次聖杯戦争』が詰まったので息抜きに。
といってもそんなレベルじゃなくなってしまいましたがw


 変わり映えのない陽気な天気に通学路。

 気だるげに欠伸をこぼしながら傍を歩くクラスメートたち。

 ニュースやドラマなどの他愛のない話を楽しむ声。

 

 特に変化のない日常風景、なのだが今日は校門の前がにぎやかだ。他の生徒たちとは色が違う黒の制服――生徒会役員の制服を着た生徒たちが登校してきた生徒たちを呼び止めている。いつもはない光景に足を止めてその一連を眺めていると、その中心に立つ生徒会長にして自分の友人である柳洞一成と目が合う。こちらに笑みを浮かべる一成に思わず苦笑を返しながら、止めていた足を再び動かし悠々と彼に歩み寄る。

 

「おはよう! 気持ちのいい天気だ! こんな日は気分がいいな!」

 

 朝から元気がいい一成に、こちらも片手を控えめに挙げておはようと返す。

 一成は満足そうに肯き一層爛々とした笑顔を向ける。

 今日は何かあったっけ、と言うと、

 

「あったっけもなにも、今日から学内風紀強化月間じゃないか。先週の朝礼で発表しただろう」

 

 ……思い返してみれば、そんなことを言われた気がする。

 

「美しい規律は正しい服装から始まる。そういうわけで模範として直々に陣頭指揮を執っているわけだ。いっておくが、長年の友人だからと言って甘やかすわけにはいかないからな」

 

 そういい、早速風紀検査を始める。

 襟から袖、袖からソックス。鞄の中身までしっかり検査される。最後に爪に頭髪と、計六点の調査項目を確認される。結果はオールパス、文句のつけようのない完璧な月海原(つくみはら)学園の生徒、らしい。

 

「事前に知っていた訳でもないのにここまで完璧とは、見事というしかないな!」

 

 満面の笑みを浮かべる一成は、自分のことでもないのに誇らしげで、それが少し微笑ましく感じられた。

 

 そんな彼に、これだけの項目をチェックするとなると時間がかかるのでは、と疑問を投げてみると先ほどとは打って変わり、ため息を吐いて表情を暗くする。

 

「残念ながらその通りだ。普通にやっていると時間がかかるし手間だということで、雑にやっている者もちらほらといてな……。運営側にもお前のような奴がいてくれればな……」

 

 運営? つまり生徒会役員のことだろうか?

 

「いや、今のは忘れてくれ。無理強いしてまで入ってほしいわけでもないからな」

 

 分かった。それじゃあがんばれよ、と一言置いて一成の隣りをすり抜ける。

 簡素な感謝を耳に入れて下駄箱がある昇降口へ向かっていく。ふと後ろを振り返ってみれば真面目な生徒会長は既に手近な生徒を捕まえて再び風紀検査を行っていた。そんな友人を見ていたら、いつの間にか自分も誇らしげな顔をしていたことに気付く。

 

 これといった珍しさのない、日常的な朝の風景。『いつも通り』のありきたりな積み重ね。

 

 穏やかな一日は再び始まっていく。

 

 

 ※※※

 

 

 いつも通りの二階のすぐ傍の教室へ入ると、自分の隣りの席に座る間桐慎二が幾人かの女子生徒に囲まれていた。もはやいつも通りの光景なので、今更特別に思うことはない。

 

 一成にしてみせたように、片手を挙げておはようと話すと慎二はそれまで女子生徒へと向けていた視線をこちらに移す。

 

「なんだ、何時の間にいたのかよ。お前って地味だから、存在感薄いよな」

 

 朝からいきなりご挨拶だが、これもいつも通りなのでもはや慣れた。もう彼とはかれこれ一年近くの仲だ。

 

「でもしょうがないよな。僕みたいな特別な人間の隣りにいると、どうしても薄くなってしまうからね!」

 

 これまたいつもと同様のセリフである。付き合いが長いからか自分は普通に受け止めているが、周りの女生徒たちはどのあたりがツボなのか分からないが、黄色い歓声を上げている。相変わらずだな、と思わざるを得ない。

 

 視線を少し下に下げると慎二の机にいくつかの教科書が出ていた。表紙に大きく『Math』と書かれているそれは数学のものだ。しかし自分の知る間桐慎二はとても勉学に打ち込むような性格ではなかったが……。

 

「あ、これかい? 実は今彼女たちに数学を教えててね。僕としてはこんなの理解できないほうがわからないけどね」

 

 誇らしげに――しかし先ほどの一成とは違う――笑う慎二。しかし、

 

「……あれ? ここ、ちょっとおかしくないかな、間桐君」

「……え?」

 

 一人の女生徒の言葉で笑みが凍りつく。引っ手繰るように女生徒のノートを取って目を落とす。ノートの字を追っていくごとに彼のノートをつかむ手が震える。

 

「ほら、ここ……間違ってるよね?」

「う、うるさい! どうせお前らが間違えたんだろ! 僕がこんなつまらないミスなんかするはずないだろうがっ!」

 

 それが図星だったのか、急に声を荒げ、顔を赤くしてノートを投げつける慎二に女生徒たちは蜘蛛の子を散らしたように去っていった。

 

「まったく、気まぐれで付き合ってやってるのに。これだから身の程をわきまえない凡人は嫌だね」

 

 そこで再び視線をこちらに向ける。今のでだいぶ発散したのかこちらに向ける表情は先ほどよりだいぶマシなものになっていた。

 

「その点、お前は分を弁えてるよな。地味な部活やってる割には見どころあるし、僕の邪魔もしない。ほんと、ちょうどいい脇役だよな」

 

 はっは、と無邪気に笑う慎二にぎこちない笑みを送る。信頼の置き方がちょっと変わっているが、彼は彼なりに自分のことを気に入っているようだ。

 

 しかし、何故自分は彼に気にいられているのだろう。一年前ということは分かるのに……それ以外のことがよく思い出せない。

 

 思い出そうとしてみるが、始業を告げるチャイムの音と、それと同時に教室へ飛び込んできた担任の藤村先生が周りの喧騒と自分の思考を容赦なく断ち切っていく。

 

「ギリギリ間に合ったーーっ! みんなー、おっはよ――」

 

 大きな声で朝の挨拶をしようとした藤村先生は教室へ入ってきたときの勢い余って足を滑らせ、教壇の角に頭を激突させた。ぎごん、という生物的にやばい音により教室が先ほどとは違う意味で静粛に包まれる。明らかにヤバイ光景ではあるが誰一人として藤村先生を心配する者はいない。別に嫌われているとかみんなが薄情だから、というわけではない。

 

「またか……。これで何回連続だよ。ギネスでも狙ってんの?」

「男子ー、冗談は良いから早くー」

「そうだよ。ピクリとも動かないぞ」

 

 そう、いつも通りの光景だからだ。

 勇気のある生徒たちがゆったりとした動きで倒れ込んだ先生の顔を覗き込む。

 

「おーい、先生―。生きてますかー?」

「あのー、大丈夫ですかー?

「……うーん、むにゃむにゃ……。ん……こーら、ホームルーム中に席を立っちゃだめだよ。ほら、早く座りなさい」

 

 まるで寝起きかのように眼を擦り起き上がり、何もなかったように当たり前の注意をする。先の衝撃で教室に入った後の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまったらしい。

 

 これも、いつも通りの光景だ。

 ……正直、日常的にこんなことがあるのはどうなのか、と思うが。

 

 

 ※※※

 

 

 まるで円環のように一定周期で回り続ける風景。

 

 一度見たビデオを巻き戻してもう一度見るかのような授業。

 

 変わり映えしない、いつも通りの内容。

 

「この文はトワイスさんっていう立派なお医者さんに関する伝記で――」

 

 そして変わらない教鞭を振るう藤村先生。

 

 そしてしばらくして、チャイムが鳴り授業が終わる。

 

 

 

 眠くはならないが、興味が惹かれるわけでもない授業。それらがすべて終わり、放課後を告げるチャイムが鳴り響くとみんな各々の場所へと散っていく。

 

「ようやく今日のルーチンワークも終わりだよ。こんな退屈な授業につき合わされなきゃならないなんて、学生ってほんとに面倒だな」

 

 慎二も一度伸びをして椅子から立ち上がり、鞄を手に取り、

 

「お前は――確か新聞部、だっけ。お前らしい地味な部活でお似合いだな!」

 

 こちらを一瞬見て、思い出したように話す。彼の言うとおり、自分は新聞部に所属している。理由は――――なんだっただろうか? これも一年ほど前の出来事だが、慎二との馴れ初め同様思い出せない。全く記憶になく、頭を悩ませる。

 

「また明日会おうじゃないか! じゃあな!」

 

 慎二がこちらに背を向け去っていく。その後も少しずつ思い出そうとしていくが、結局分からず仕舞い。仕方ないので後で部長に聞くとしよう。自分が覚えていないことを、他人が覚えているかは疑問ではあるが。

 

 鞄を背負い、教室から出ると件の部長が部員を二人連れて階段前に居た。今日はとくに急ぎの用事があるわけでもないはずだが……何かいいネタでも仕入れて来て、確かめてこいとでも言われるのだろうか。期待半分恐れ半分に部長へ歩み寄る。

 

「よ、新聞部のエース君! 取材の方は進んでいるか?」

 

 自分が頼まれていた取材はたしか『月海原怪奇スポット』だった。弓道場の裏手に霊界への入り口があるだの、いまいち信憑性が感じられないものばかりで確認してみればほとんどがガセネタだった、と鞄の中からそれらをまとめたレポートを渡す。

 

「さすがエース! 仕事が早いな!」

 

 渡したレポートを笑顔で受け取り、パラパラとめくり一通り速読した後、やや強めだが労うように肩を叩かれる。

 

「で、早速で悪いんだが、もう一つ、頼めるかなー?」

 

 そして次の瞬間、猫なで声で頼まれる。頼む、といっているが肩を掴む手が強制だと雄弁に告げている。否定しても黙っていてもこのままだと肩の骨が砕かれかねないので受けることにする。

 

「よろしい、それじゃあ最近の通り魔事件について調べてほしいの!」

 

 通り魔――その物騒な単語に思わず顔を顰める。

 そういえば、藤村先生もそんなことを言っていた気がする。

 そんな事件を調べてほしいとは、つまり……襲われろと?

 

「いや突飛すぎでしょ。ただその辺についての情報を集めてほしいんだよ」

 

 集めるといってもどうすればいいのだろうか。被害者本人に直接聞きに行く、などという真似はしたくないし、されたくないだろう。

 

「お、今のはちょっと惜しかったね。正解は被害者の友人に話を聞いて来てほしいの。確か今の時間なら……花壇の方にいるんじゃないかしら」

 

 分かった、と一言告げて花壇へ向かう。頑張れよー、とありきたりな声援を受けて階段を下りて花壇へ向かう。

 

 

 

 教会前の花壇は、まるでここだけ学校から切り離されたような静寂さだった。蝶がひらひらと宙を舞い、ポンプで噴き上げられる噴水を夕焼けが照らしていく。ひどく簡素な造りだが、そんな光景が輝いて見えたのはそこにいる一人の少女によるものだろう。

 

「……………………」

 

 教会と花壇には似合わない白い着物を着て、赤く濡れるナイフを持った少女が噴水を挟んだ先に立っていた。そのすぐ隣りには、おそらく自分が話を聞こうとした女生徒が制服を赤く染めながら倒れ伏していたが、自分は目線も思考も目の前の少女に釘付けとなっており、その光景が意味することが頭に入ってこなかった。それは自分と彼女の目があった後も変わらず、ただ彼女を見つめていた。

 

 しばらくそうしていると、一瞬、自分の首から衝撃を感じた。

 なんだ、と思って首に手を当てようとするが、それより早く意識は闇に沈んでいった。

 

 

 ※※※

 

 

「……オレが言うのもなんだけど、態々殺す必要があったのかよ」

「なるほど、通りで数が合わないわけだ」

 

 白い少女の問いかけを、黒い男は無視して独白していく。

 

 それは奇妙な光景だった。教会前という西洋風景において血に染まるナイフを手にした純和風の着物少女に、時代錯誤な衣装を着た侍を侍らせる黒いコートを着た青年。中でも侍が持つ槍ほどの長さを誇る長刀はことさらに目を引く光景だ。

 

「不確定要素は排除する。アサシン」

「やれやれ、またしてもこんな役回りか……。どうやらそういう星の下に生まれてしまったらしい」

 

 黒コートの言葉に従い一歩踏み出す彼の表情は、これからの死合に心を躍らせており、これを待っていたと言わんばかりに目を輝かせていた。

 

「マスターの手前、真明を名乗ることは許されぬのでな。ただアサシンと名乗らせてもらおう」

「オレは別にかまわないよ」

 

 互いに構えはなく、全身をだらりと脱力させる。そんな二人とは逆にあたりの空気は闘気で張りつめ、動くものはただルーチンワークに従い辺りを漂う蝶だけとなっていた。

 

 そして二人は示し合せたかのように、蝶が互いの視界から消え去ると同時に動き始めた。

 

 

 ※※※

 

 

 目覚めはいつも唐突に。まるで階段の電気のようにオン/オフを切り替えられる。

 自分の立つ位置より先の通学路は知らず、そもそも自分の家すら思い出せない有り様。

 定められたルーチンワークに従わされる足は自分の意志を無視して勝手に学校へ向かって歩み出す。

 今が何年なのか、何の季節なのか、何月なのか、何日なのか。考えようとすると眩暈で意識を飛ばされそうになる。それを必死に抑えようとする自分の心中をも無視して、足はただ無情にも歩き続け、遂に校門の前にまでやって来てしまった。

 

「おはよう! 気持ちのいい天気だ! こんな日は気分がいいな!」

 

 毎日、同じ天気を繰り返す空/なのだろうか。

 毎日、同じ話題を繰り返すクラスメート/なのだろうか。

 毎日、同じ行動を繰り返す友人/なのだろうか。

 

 毎日、同じことを繰り返す世界。どこにも行けない世界。それもそうだ、きっとこの世界にこれ以上先は無いんだ。

 

 先が無ければ、進めない。

 先が無いなら、進めない。

 まるで監獄。まるで悪夢。

 

「美しい規律は正しい服装から始まる。そういうわけで模範として直々に陣頭指揮を執っているわけだ」

 

 何も言っていないにも関わらず、勝手に話を進めていく彼。

 

 あまりの気持ち悪さと頭痛に耐えかねて喋り続ける柳洞一成を放置してそのまま逃げるように通り過ぎる。 このままここにいては自分は耐えられない。

 

「いっておくが、長年の友人だからと言って甘やかすわけにはいかないからな」

 

 自分が居なくても繰り返されるその言葉に、お前の代わりはいくらでもいると、言われている気がした。

 

 ここはもう、自分が知っている学校、いや自分が知っている世界じゃない……!

 本能が早く早く、と急かしていく。

 でないと手遅れになると、頭が理解している。

 

 

 ああ、でも――いったい、どこに行けばいいのだろうか?

 

 

※※※

 

 

 頭痛は時間が経てば経つほど酷くなり、吐き気はもう我慢の限界をとうに超えており、悪寒は氷河期を思わせるほどの寒さで自分の思考を鈍らせ、激痛は全身を容赦なく蝕んでいく。

 

 でも自分はまだその訴えに答えられる解を見つけられず、既に放課後を迎えていた。

 

 視界を覆うノイズは一寸先すら見通させず、耳に纏わりつく雑音は喧騒を寄せ付けず、全身を覆う重圧はまるで身体が石でできているかのように圧し掛かる。逃げ出したい一心で、鞄も持たずに教室から出る。

 階段へ向かおうとするが視界は悪く足もふらつき、隣りの掲示板に張り付いてしまう。その際目に入った新聞の『最終号』という文字にとてつもない違和感を感じる。新聞はまだ終わっていないはずだ。脳が鳴らす警鐘を無視して、へばりつくようにして新聞の内容を読み取る。

 

『月海原学園新聞 最終号

 「怪奇 視界を覆うノイズ」

 

 学園内に残った生徒たちにお知らせデス。

 

 予選期間はもうすぐ終わります。

 

 はやく真実を見つけ出して、

 きちんとお家に帰りましょう。

 

 さもないと――― 一生、何処にも帰れません』

 

 頭痛が、吐き気が、悪寒が、軽く今までの倍になった。その新聞から遠ざかりたい一心で一階に下りる。何度か躓きそうになりながらも少しずつ降りていくと、先ほど以上の強烈な違和感に襲われた。

 

 白いキャンバスの上にあるただ一つの黒点のような隠しようのない存在――この圧倒的な威圧感はついこの間転校してきたレオだ。

 

 威圧感は段々と一年教室の奥の方へと向かっていき、ある地点で――消えた。

 比喩でもなんでもない、本当に消えたのだ。何か考える前に、足が自然とその消えた地点へと向かっていた。あそこに行けば逃げられると、本能が告げている。まるで山のように重たい足をずるずると引き摺り、倒れそうになる体を引き起こし、落ちそうになる瞼を必死に開け、進んでいく。傍でひそひそと不審がる声が聞こえるが構っている暇はない。

 

 生死の境目をゆらゆらと『やじろべえ』のように揺れながらやって来た先はただの壁で、でも本能は一層ここが出口だと告げていた。グチャグチャになった思考の中、この世界のことを振り返る。

 

 この世界にもう、先は無い。

 確証はないが、確信はしている。

 だからここで乗り換えなければならない。

 この、なにもない“虚構”の世界から――残酷な“真実”の世界へ。

 だから――逃げるな! 真実に目を凝らせ!

 

 決意した瞬間、壁が変わる。何の変哲のないコンクリートの壁から、異界への入り口ができる。もう迷う余地は無く、日常の世界へ別れを告げて手を伸ばす。

 

 

※※※

 

 

 扉をくぐるとそれまであった頭痛に吐き気、悪寒などは消えており、錯覚かと疑うほどだった。あたりには埃をかぶったダンボールや使われなくなった机などがあり、用具室らしい場所だった。二、三歩進むと、自分より背が高いつるりとした肌の人形があった。

 

 これは、この先で、自分の剣となり、盾となるもの……。それをもって戦うがいい。

 

 どこからか、そんな声が聞こえてきた。

 戦うということに、強い反発心を抱くが、どのみち自分には選択肢などないのだろう。

 急に戦えなど、自分が盤上の駒のように扱われることに不愉快な気分になる。

 

 しかしそれでも、止まることは許されない。自分が選んだ“真実”を知るため、先にある歪みへ向かう。自分より幾分か身長が高い人形は何も言わず、従者のように自分の背後に付き従ってきた。

 

 

 ※※※

 

 

 何度かの演習を終え、向かった先には息苦しさすら感じるほど荘厳な空間へとたどり着いた。なるほど、ここまで神秘的だと、旧時代の人々が聖霊の宿る場所だと思うのもおかしくない。

 しかしそんな空間にはいま、白い着物をところどころ赤く染めた少女と紺色の陣羽織を来た侍、さらには赴任したばかりの葛木先生と似つかわしくない面々がいた。もっと言えば、少女と侍は互いに武器を構え、人の領域を超えた戦いを繰り広げており、当人はもちろん、葛木先生もそちらに全神経を削がれており自分たちの存在に気付いていなかった。斯く言う自分もその光景、というより白い少女に見とれており、先生の存在にすぐには気付けなかった。

 少女はナイフを手に猛然と向かっていくが、侍は流れるような動きで槍を超す長さの長刀を苦も無く振るい、少女へ切りかかる。少女はその太刀筋を受けようとはせず、回避してみせたように見えるが、離れた時にはその首筋から鮮血が散っていた。

 

 ――素人目にも分かる。あの侍には勝てない、と。

 実際、少女はいくつも手傷を負い、息も絶え絶えだががあの侍は未だ無傷にして余裕綽々。その様から少女は近付くことすらできていないのが見て取れる。

 

 それでもなお立ち向かい、さらに二撃、三撃と切り結ぶと遂に少女のナイフが飛ばされる。

 

「ふむ、勝負あったな。さらばだ、中々に楽しめたぞ」

 

 侍が満足げな笑みを浮かべて少女の首を薙ごうと剣を振る。今まで以上の力で放たれたそれを、回避できず、ナイフを失くした少女には打つ手は無く、ただ受け入れるしかなかった。

 

 そして、受けるしかなかったそれは一つの人形によって止められる。 

 

「む?」「なっ!?」「チッ……」

 

 自分はいつの間にか人形に指示を出していて、それを以て必殺の一撃を防いでいた。

 一瞬、拮抗してみせた人形はその後あえなく肩口から両断される。同時に自分の身体から急激に熱が去っていき、冷たい床に総身を叩きつけられる。その時、隣りに見知った顔を見た。その顔は行方不明になったはずのクラスメイトたちだった。

 

『……ふむ、これは予想外だな』

 

 ……どこからか、声が聞こえる。さらに言葉が紡がれていくが自分の耳には入らず、なぜか葛木と侍が去っていく姿と、こちらに駆け寄ってくる少女が無事であることを確認する。自分は死ぬのだろうか。そう思うと言いようのない虚無感に襲われる。悔いはない、などとは口が裂けても言えないが、少女が無事であったことには安堵する。遠ざかる熱とともに意識が遠ざかる。

 

 

 

 このまま、何もかも分からぬまま終わる(わすれる)のか。

 

 

 

 薄れゆく意識の中、ふと脳裏から何かが自分に問いを投げる、そして湧いてでたその言葉に最後の意識を繋ぎ止められる。なぜか分からないが『忘れていく』という部分にひどく後ろ髪をひかれる。思考の中枢に居座ったその言葉を中心に自分の意識は再び構成され再び振り返る。

 

 ――分からない。

 何故自分がそんなことをしたのか。

 

 ――分からない。

 何故、自分が真実を選んだのか。

 

 ――分からない。

 何故、自分はあそこにいたのか。

 

 ――分からない。

 自分は――いったい何なんだ?

 

 自分には分からないことばかりじゃないか。そう思った瞬間、自分の胸に熱が戻ってくる。このままでは終わら(きえられ)ない、終われ(わすれ)ない。起き上がろうと全身に喝を入れて両手足に力をいれるが、まるで床に縫い付けられたかのように動けない。

 

 それでも――このまま終わ(わすれ)るのは、許されない。

 動かない全身を無理やり起こそうと残ったか細い力を振り絞る。骨が凍ってしまったかのように固まって動かない。そして骨の冷気が最後の熱を奪おうとどんどんと中心へ迫って来る。

 

 ――それでも、こんなところで消えられない。消えたくない。

 

 ここで消えるなら、あの頭痛は、悪寒は何のために。

 

 ここで消えるなら、自分は、彼らは何のために。

 

 怖いままでもいい。痛いままでもいい。それでもなお、もう一度考えないと。

 

 

 だってこの手は、まだ一度も、自分の意志で戦ってすらいないのだから――――!

 

 

 その瞬間、自分の右手にやきごてを押し付けられたような熱が宿る。

 それを最後に、必死の抵抗虚しく、自分の意識は深い微睡へ落ちていった。

 

 

※※※

 

 

 天は(あか)く染まり、家は(あか)く燃えており、人は(あか)く濡れている。そこは紛れもない戦場だった。

 

 死が溢れた空間(せかい)、生が瞬く空間(せかい)、誰もが平等な空間(せかい)

 

 『■■■■』はそんな世界から、抜け出した。しかしその代償は、あまりにも重すぎた。

 

 ――絶対に忘れるな。ここで『■■■■』はたった一人生き延びた代償に、それ以外のすべてを失くした。

 

 

 ※※※

 

 

 ……何か、欠けた夢を、見ていた気がする。

 

 ふわりとした感触に包まれたまま、眼を開けて首を動かし自分がいる場所を見渡す。

 

 自分のすぐ隣りには白いカーテン、少し奥にはテーブルがあり、クロスが敷かれておりその上にはティッシュや温度計が置いてあり、さらにその先には体重計など、身体検査に使われそうなものがある。思い出した。清潔感溢れるこの空間、ここは保健室だ。しかし、その割にはどこか今までとは違う気がするのはなぜだろうか。

 

 おそらく、自分はいまベッドで寝ているのだろう、未だに微睡みに囚われつつある頭を使って現状に到るまでの記憶を思い出そうとし、

 

「気が付きましたか」

 

 シャ――と隣りのカーテンが開け放たれる。突如として聞こえた音に意識が否応なくそちらへ向けられ視線を移し、その姿に思考が止まる。

 

 ベッドを椅子代わりにし、こちらを色のない顔で見る少女がいた。薄い紅色に、花をあしらった着物に、藍色の帯をした凛とした――しかし、花のような可憐さを併せ持った――少女がいた。最初に見た時の純白の着物から変わってはいるが、その程度で自分の中に残った彼女の印象は変わらない。そしてその印象から連鎖するように記憶を思い出し、

 

 ――怪我はもう大丈夫なのか。

 

「……はい?」

 

 ……またしても、考えるよりも早く行動していた。その脈絡のない発言に少女は無表情だった顔を戸惑いに歪ませる。

 

 ――しまった、自分は何を言っているのだろうか。

 

 後悔、言葉通り『後』に悔む。期せずして固まってしまった空気に何も言えず、ただ向き合うばかりで無為に時間が流れていく。時が止まっているのでは、と思ったがカチ、コチ、という無機質な時計の音が時が流れていることを如実に示していた。

 

「……怪我は、大丈夫です。それより……なんで、」

 

 そんな状態に耐えかねて、先に音を上げたのは意外なことに彼女の方が先だった。

 か細い声で吐かれたその言葉は、意識を向けていなければ聞き逃していただろう。

 

「なんで、私を助けたのですか」

 

 『助けた』というのは、あの空間での出来事だろう。確かにあの時の自分の行動はそう見えるだろう。しかし、自分はその問いに明瞭な答えを表すことができない。彼女の顔つきからこれが真剣な話だということが伝わってくる。

 だから、ここで曖昧な答えを出したり、先延ばしにすることは許されない。

 

 

 

 

 ――分からない。考えるよりも先に、行動していた。

 

 だが、それでも自分には、これ以外に伝えるべき言葉が浮かばない。

 

「………………」

 

 自分の返事を聞いた彼女はわずかに眉間にしわを寄せて不機嫌さを見せたが、こちらも彼女と同じように真剣に話していたことを察したのか、「……分かりました。一先ずそれで納得させていただきます」と言ってくれた。といっても一先ずということから完全に納得したわけでは無いらしい。

 

「では、次に――」

 

 一端空気を入れ替える様に目を閉じて身体の中の息を吐く。その何気ない仕草にこちらも思わず感嘆の息を吐いてしまう。

 

「――私に、何をしました?」

 

 全身にビリッ、と電流が流れた気がした。瞼を開けた少女の瞳はこちらを睨んでいた。

 殺意、というほど重くなく、悪意、というほど刺々しくはない。恐らく向こうもあの後、何があったのかを計りかねているのだろう。しかし、自分にもあの後のことは全く分からない。そもそも、あの世界が何だったのかも知らなかった自分には先ほど以上に答える術は無く、迷っていると――。

 

「あ、岸波さん。目が覚めたんですか? よかったです」

 

 ガラリ、と自分と同じ制服――男女の差はあれど――の上に、医者が着るような白衣を重ねた少女が入ってきた。足首のあたりまで伸ばされたやや青みがかかった紫色の長い髪が、こちらへ歩くたびに揺れ動く。

 

 ――その岸波、というのは自分の名前なのだろうか?

 

「あれ、違いましたか? おかしいですね、ムーンセルから個人名をスキャンしたので間違えないと思いますが……」

 

 少女は首を傾げて何かしているのか、一端瞳を閉じ、再び開ける。

 

「――間違いありません。あなたは岸波白野さんですよ。予選を突破したことでセラフに入った際のメモリーも返されているはずですよ」

 

 予選? セラフ? メモリー? 駄目だ、言葉の意味は分かるが内容が理解できない。

 というか、自分の名前すらも分からないのだが……。

 

「え、もしかして記憶の返却に不備があるのですか……? 困りましたね……、そこは私の管轄外ですのでなんとも言えません」

 

 投げた抗議はあっさりと無視された。

 しかしそんなことで終えられるほど重要度の低い話ではなく、ならその管轄の人を、とさらに問い詰める。

 

「そう言われましても……。そういえば、言峰神父は私より権限が与えられているはずですから、それなりに融通は利くと思いますよ」

 

 神父――そういえば時々学校に神父が来ると、その予選で誰かが言っていた気がする。

 

 ありがとう、と一言告げてベッドから起き上がり、扉へ向かう。

 

「あ、待ってください。これを」

 

 扉を開ける直前に、声をかけられ振り向くと、彼女が何か端末を渡してくる。最近のケータイのような形をしたそれを受け取り改めて扉に向き直り外へ出る。

 

 

 外を出るとそこには見慣れた――しかし異質な――廊下がある。上にかけられた表札にはやはり保健室と書いてあった。窓の先から見える外の風景の異様さに驚きつつも言峰神父を探しに行く。

 

「まだ話は終わっていません」

 

 廊下を二、三歩歩くと背後の扉が再びガラリと音を立てて開く。先ほどまで座っていた着物の少女が自分に付き従う様について来ていた。無理に引きとめて話を再開しようとしないのは、彼女もその神父から話を聞けば謎が氷解すると察しているからだろうか。

 

 

 

 

 件の言峰神父は、教会とは反対側の階段前に居た。黒のカソックを着込んだ偉丈夫には人間らしさがあまり感じられず、些か不気味な感じだった。傍らの少女も顔を顰めている様子から、同じ心境なのだろう。

 

 しかし、謎を解くためにもここは退けない。覚悟を決めて足を進める。

 間合いまで踏み込むと偉丈夫は素早く反応し、瞬く間にその表情を喜悦に歪ませる。

 

「本戦出場おめでとう。これより君は、正式に聖杯戦争の参加者となる」

 

 やや芝居のかかった口調で話しかけてくる彼の言葉には、やはり人間味が薄い。まるで自動アナウンスの機会と話している感じだ。

 

「それは当然だろう。何しろ私はこの聖杯戦争の監督役として機能しているNPCだからな」

 

 ――聖杯戦争。監督役。NPC。またしても疑問が増えた。

 これ以上疑問が湧く前に、眼前の偉丈夫に矢継ぎ早に質問を投げる。

 

 ――ここはどこで、何故自分はここにいるのか、自分の記憶はどうなっているのか、予選とはなんだったのか、聖杯戦争とは何か。

 

 すべての問いを投げた後、元から喜悦を刻んでいた顔はさらに大きく変化していた。その瞬間、自分には彼が神父などではなく、悪魔や邪教の神官のような存在に見えた。背中を走る悪寒に耐えながら気丈に向き合う。

 

「まさか何も知らないとはな。いいだろう、教えてやろう」

 

 そう言うと神父は歩きはじめ、職員室へ向かって行った。突如動き出したことに驚き、戸惑いながら自分たちも続いていく。

 

 

 職員室の中はいくつもの机が並んでおり、その合間を縫って職員室の一角に存在する簡素なテーブルとイスに向かっていく。神父は奥へ座り、自分は彼と相対するように、少女は自分の隣りに座る。

 

「ではまずここがどこで、何故いるのか、という質問に答えよう。ここは君たちが求める聖杯、ムーンセルによって構築された『SE.RA.PH(セラフ)』と呼ばれる霊子虚構世界だ。そして霊子虚構世界とは仮想の電子世界で、君たち魔術師(ウィザード)は自分たちの魂をデータに変換してやって来たのだ」

 

 彼の説明は思いのほか丁寧だった。未だに分からない部分もあるが、少なくともここが仮想の空間で、自分たちはその魔術師という存在で、自分の意志で選んだという事が分かった。

 ――自分は何故、こんなところへ来たのだろうか。

 

「その問いの答えは自分で見つけるがいい。次に聖杯戦争のことを教えよう。聖杯戦争とは君たちがあらゆる願いを叶える万能の願望器、ムーンセルを手に入れるための戦いである。

「万能……? 胡散臭いですね」

 

 万能、という言葉に少女が反応する。確かに、万能なんて眉唾物だ。言われたところではいそうですかと信じられるわけがない。

 

「そこは信じてもらうしかあるまい。だが君たちは現に聖杯を求めにここにきているのだよ」

「私は、いつの間にかここにいただけです」

 

 自分も参加した覚えはない。戦争なんて、碌な物じゃない。仮に本当に万能だったとしても、それに託すに相応しい願いなんて持っていない。

 

「なるほど、君はイレギュラーなのか。それならば仕方ない。では話を続けよう。聖杯戦争には予選と本戦があり、君たちが体験してきたこの校舎での出来事が予選でここからが本戦なのだよ」

 

 ――予選? あれが、あの出来事が?

 

「その通り、安寧とした空間で違和感に気付き、真実に目を凝らしたものだけが本戦に出る資格を得る試練に挑み、それを突破した者だけが参加できる。君の右手のそれが証だ」

 

 言われて右手を見てみると、そこには奇妙な紋様が三つ刻まれていた。思い返せば、意識を失う直前にやきごてを当てられたような熱を感じた。それがこれなのだろう。

 

「もっとも君の場合、事情がかなり特殊だったようだが……」

 

 神父はそこで初めて視線を彼女へ向けた。しかしそれはわずかな間だけだった。再びこちらへ向き直る。

 

「そして君にはこの本戦で――殺し合いをしてもらう」

 

 ――殺し合い。とても比喩に取れそうにないその言葉と、それが持つ意味に思わず身の毛がよだつ。傍らの少女も似たような反応をして見せた。

 

「本戦の戦いはトーナメント形式で行われ、一回戦から七回戦まで勝ち進み、最終的に残った一人だけに聖杯が与えられる。つまり予選を突破した百二十八人のマスターたちが毎週殺し合い、最後の一人になるまで戦い続けるのだ。非常に分かり易かろう。どんな愚鈍な頭でも理解可能な、実にシンプルなシステムだ。なお、戦いは一回戦ごとに七日間で行われる」

「……」

 

 絶句する。内容に衝撃を受けたのにはもちろんだが、それ以上にそんな内容を微笑を浮かべながら語るこの男に戦慄する。先ほど人間味を感じない、といっていたがその原因はこの男がNPCだから、ではなく、この男の命に対する無気力感によるものだったのだ。

 

 ……戦うって、どうやって戦うつもりなんだ、と震える全身を抑えて声を絞り出す。

 

「君にはサーヴァントとの契約によって強靭な剣が与えられただろう」

 

 サーヴァント……? そんなものは与えられていない。もしや先ほど貰った端末なのだろうか。しかしどう見ても剣には、というか武器にすらなりそうにない。

 

「いるではないか、隣りに」

 

 隣り、というのはもしや……。

 

「……」「……」

 

 同じように、『隣り』を見た少女と目が合い、二人そろって瞬かせる。いや、まさか……と淡い期待を込めてニヤついた笑みでこちらを見る神父へと、視線を移す。

 

「他に誰が君の隣りにいる」

 

 そして淡い期待はシャボンのように弾ける。どういうことだ、と問い詰めようとするが、

 

「どういうことですか! 何故そんなことに……!」

 

 自分よりも早く、少女が椅子を押しのけて立ち上がり、机を平手で叩いていた。

 たしかに、いきなり知らない人間の従者だと言われれば、彼女が怒り心頭なのも十分納得だ。そしてそれが自分も彼女も、知らないうちに勝手にされていたとなればなおさらだろう。だからその視線をこちらに向けないでほしい。鋭すぎて心が痛いです。

 

「元々、サーヴァントとはこの聖杯戦争でマスターの手となり足となり、また剣となり盾となる、過去の英霊のことだったのだが……。いかんせん、事情が事情でな」

「どういう事情ですか!」

「なに、元々君はムーンセルにとっては異分子だ。それ故に君の存在はムーンセルにも、そして君自身にも負荷をかけていた。あの頭痛がそれだ、身に覚えがあるだろう」

「……ッ!」

 

 神父の言うとおり、覚えがあるのか、両手を握りしめて怒りをこらえ、再び椅子に腰を落ち着け薄ら笑いを浮かべた神父を恨めしそうに睨みつける。

 

「そしてムーンセルはその異分子をどうにかするために、サーヴァントの枠組みにはめ最適化したのだよ。サーヴァントには七つのクラスがある。騎士(セイバー)槍兵(ランサー)弓兵(アーチャー)騎兵(ライダー)魔術師(キャスター)暗殺者(アサシン)狂戦士(バーサーカー)。君はそのうちの一つ、アサシンのクラスになったのだ」

「アサシン……」

「兎に角、君は彼と契約を結ぶことで酸素を得ている状態だ。彼が居なければ君は再び酸欠状態に陥り、次は頭痛どころか体すら維持できず崩壊するだけだ。長生きをしたいのであれば、彼に従うしかあるまい」

 

 告げられた神父の言葉に少女は項垂れる。肩まで伸びた髪が垂れて表情は見れないが、おそらく屈辱に顔を染めているだろう。大丈夫か、と声をかけるが、それに応える余裕すらないのか沈黙が返ってくる。

 

「最後に、記憶に関する質問だったな」

 

 記憶。そう、自分の失くした記憶。歩んできた道しるべ。それが無ければ、自分は先へ進むことすらできやしないのだ。だから――。

 

「それに関してだが確認したところ、一切の不備はなかった。だから君は元々その状態――記憶など、端からない」

 

 一瞬、言われたことが理解できなかった。

 元々この状態? 

 なら自分はそもそも戦う理由などなかったのか? 

 なら何で、こんな場所にいるんだ?

 なんで記憶を持たない人間がこんなところにいるんだ?

 

「分かっていることはただ一つ、君が岸波白野という名前の東洋人であることだけだ」

 

 それだけ言って話は済んだと言わんばかりに神父は自分たちを尻目に扉へ向かっていく。

 

「それと、言い忘れていたが本戦参加者には特典として個室がプレゼントされているはずだ。2-Bの教室に端末を当てればいい」

 

 それを最後に神父は消えた。後に残されたのは項垂れる少女と、放心状態の自分。

 広い職員室には他に人はおらず、驚くほど静かで、いまの自分たちにはちょうど良かった。悔しいことに神父は神父なりに自分たちに気を使ったのだ。

 

 

 ……あの神父は確かにこちらに答えを提示してくれた。しかしその代わりに、自分たちは先ほど以上に厄介な問題を置いて行かれた。これからのことを思うと、不安にならざるを得ない。

 

 しかし、それ以上に自分たちは、互いに互いを知り合う必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……君の名前は。

 

 ……式。両儀、式。あなたは……?

 

 ……岸波、白野。

 

 それから三十分後、自分たちはようやく立ち直り、互いの名を交わした。

 

 




主人公の原作より輪をかけてひどい記憶とか、式の口調とかの伏線暴きは次話でやります。

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月面探索

断頭や落ちこぼれなど、同じくエクストラ作品たちに支えられながら完成した二話目。
息抜きとして書いていますが、始めた以上はしっかり終わらせるつもりですので。途中で更新が止まるのでは、と不安になっている方、ご心配は無用ですよ!

あと、七月に空の境界を放送するとか。神サンクスッ!!

PS.場面に合わせてBGMを使い分けるとより臨場感が増します。


 虚ろなる少年少女は歩きはじめる。

 

 他者の関心を失った少女、白紙に戻った少年。

 

 二人の月面での旅が始まる。最初の難関は――嵐の海。

 

 心境はさながら荒れた海、突きつけられた事実は苛烈な暴風、友の姿勢は否応なく戦へと駆り立てる。

 

 さて、彼等は無事に地上へ辿り着けるだろうか。それともあえなく沈没するか。

 

 

 ※※※

 

 

 自己紹介し、互いのここに至るまでの経緯を話し終え、職員室から退室する。内容はどちらも知らないうちにここにいた、というだけ。実入りは結して多くない。しかしそんな些細なことだが、自分たちは互いを理解することができた。その一歩は頼りないが、紛れもない前進だ。

 

「一先ず、この校舎を一通り見て回りましょう」

 

 表情こそ変わらぬ無表情ではあるが、先ほどよりは僅かに砕けた(?)口調。彼女も高校生らしいので、多分歳は変わらないだろうし、一緒に戦う――といっても自分は戦えないわけだから,語弊があるかもしれないが――ことになるのだから、『そんな硬い口調じゃなくてもいい』というと『これが地ですから』と返され、なおも食い下がると『……分かったわ。これでいい?』と式が折れたことで現在の口調に納まった。

 

 それはともかく、式の言うとおり、校舎を回ることにする。自分は仮初の日常とはいえど、この校舎で過ごしていたからある程度は分かるが、彼女はマスターとして予選に参加したわけではないので、まだ学校の造りについては詳しくない。それに、自分もあの時と何か変わっている場所があるのなら確かめておきたい。

 

「それで、どこから行くの」

 

 少し思案する。保健室と職員室は確認済み。用具室は一回戦の最終日に開くと端末に書いてあった。となれば特に目を張るような場所は個室の2-Bか、図書室だろう。教室も気にならないわけでは無いが、保健室が同じであったことから、重要度の低い場所はさほど変化はないのだろう。

 

 まずは、図書室へ行ってみよう。もしかしたら有益な情報があるかもしれない。

 

「そうね、私たちは圧倒的に情報が足りないし。ここが端末通りに観測機というのなら、それに見合うだけの情報量があるはずね」

 

 その言葉を最後に会話が途切れる。

 ……先ほど互いの経緯を話すことでそれなりに理解し合えたとは言えど、早々関係が良くなることは無く、扱いは未だにぶっきらぼうな感じだ。

 

 といっても、彼女は勝手に自分のサーヴァント、戦闘の代行者にされてしまったのだから無理もない。いま自分にできることは、少しでも彼女に認めてもらうことだ。彼女が自分と運命共同体である以上、裏切るような真似はしないだろう。けれど、そんな成り行き上の立場に胡坐をかいていてはだめなのだから。

 

 

 ※※※

 

 

 図書室で近代歴史の書を手に取る。図書館の様子は予想とは外れ、書物の内容も含めて大した変化は無かった。しかし、ここに来たことが全くの無駄だったわけではない。少なくとも書物から自分が知らない世界を把握することができる。隣りの式も神妙な趣きで何かしらの本へ視線を向けている。

 

 

 ……ページをめくるごとに、いまの地球の様子を理解する。

 

 

 現在二〇三〇年の世界では、西欧財閥なる組織の財力および武力によって、世界規模で徹底的な資源管理が行われているようだ。また、それと同時に技術革新も行われなくなり、技術レベルは二〇〇〇年代から止まったままらしい。そんな支配体制ゆえに、反抗組織も少なくはなく、常に小さな戦争が起きているそうだ。ページには爆風により曇った空と爆撃で壊滅した村の挿絵があり、知らず顔をしかめる。

 

 そして魔術師(ウィザード)という呼び名は優れたハッカーのことを意味するが、過去には本当に魔術師がいたらしい。らしい、というのは現在では魔術師が魔術を使うのに不可欠だった大源の魔力が失われたことでほとんど廃れ、個人単位ならいざ知らず、残った魔術組織は『アトラス院』と呼ばれるものしかないようだ。

 

 ……どうやら、地球は地球で大変らしい。手に取った本をそっと棚に戻し、視線を窓の方へ移す。月の空は0と1の数字の帯が見えるが、それでも地上の曇った空よりは本来の空の色を表していた。

 

 ……少し、屋上へ行きたくなった。

 未だに本を読んでいる式にその旨を伝え、控えめな首肯を確認して図書室を出る。マスターとサーヴァントは基本的にはマスターの傍を離れることはない。しかし自分たちは主従ではなく、仲間なのだから、そう思っているからどちらかをあまり縛り付けるような真似はしたくは無かった。まあ、さすがに四六時中離れているわけにはいかないが。

 

 

 ※※※

 

 

 屋上から見る空はやけに近く感じた。それも当然だろう、ここは地上の果てのない空と違い、ムーンセルによって創られた場所なのだから、限界は存在する。

 そのため、やや狭苦しく感じさせられる。

 

 ――以前の自分とは、どんな存在だったのだろう……。

 

 答えの分からない問いに、考え込む。この月の世界に自分の過去を知る者がいるとは思えない。予選では友人であった慎二も、おそらく本当の意味での友人ではないのだろう。そう思うと、いまさらではあるが、自分の存在が尚更うすっぺらに感じてしまう。

 

 立ち並ぶ0と1の羅列を眺めながら、途方に暮れていると。

 

「ふうん……。一通り調べてみたけど、おおまかな造りは予選の時から変わってないわね……。あとは……」

 

 聞こえた声に振り返ってみれば、いつの間にか一人の少女がいた。屋上の中央のあたりの床をぺたぺたと触っていることから、彼女は自分が気付く前から来ていたことが窺える。考え事に夢中で気付いていなった自分の不注意さに、ほんの少し反省する。

 

 あの赤い衣装の少女は、おそらく遠坂凛だろう。

 容姿端麗、成績優秀の月海原(つくみはら)学園のアイドル。噂でも随分と聞いていたた。慎二も散々愚痴を叩いていた。何でも自分だけベアナックル、とかなんとか。

 

 しかしそれはあくまで、平和だった予選での話だ。ここにいるという以上、彼女もまた聖杯を求めて参加した一人のマスターなのだから。特にその力強い瞳から感じられる意志は、廊下ですれ違った他のマスターたちとは覚悟のほどが違う。それに、彼女はカスタムアバター――ムーンセル側から用意されたアバターを改造できるほど優秀な魔術師なのだ。ここでもし戦闘に発展するような事態になってしまえば、自分は対抗することもできずにやられるだろう。とりあえず、今後は式とはなるべく離れないことにしよう。

 

 そんな彼女は床から立ち上がり、左右を見渡し、こちらへ目をつけ近づいてくる。何となく、若干緩んだように見えるその視線から敵意は感じられないことが取れるのだが……否が応でも緊張させられる。

 

「ちょっと、そこのあなた」

 

 そこの、というのは自分なのか。この空間には自分と彼女以外には誰も存在しないのだから、それしかありえないだろう。突如声を掛けられたことに鼓動が跳ねる。

 

「そう、あなたよ。そういえばキャラの方はまだチェックしていなかったのよね。ちょうどいいわ。ちょっとそこ、動かないでね」

 

 何を、と答える前に伸ばされた手が頬に触れる。自分のことを確かめるに弄るその手は細く、そして柔らかい。それは眼前の一人前の戦士も、まだあどけない一人の少女であることを、何よりもはっきりと伝えてきた。

 

「へえ、体温もしっかりあるんだ。……て、顔まで赤くなってきてる……? NPCも凝ってるわね」

 

 そういい少女は興味津々といった様子で、さらに顔を近づける。髪が肩にかかり、互いの吐息を肌で感じ取れるほどの距離感に、鼓動がさらに強く跳ねる。先ほどの床同様、こちらを調べるようにぺたぺたと触る仕草は、まるでもらったばかりのおもちゃで遊ぶ、子供のような幼さを感じた。そんな彼女の邪魔をすることに、忍びなく感じたからか、自分は彼女の行為を拒む気にはならなかった。

 

「なるほどね……。見かけだけじゃなく、感触もリアルだなんて。想像以上に造りが造りがいい。流石ムーンセル、ってとこかしら……」

 

「……なにやっているんですか、あなた方」

 

 もっとも、傍から見ればそんな風にはとても思えないのだろうけど。呆れた声の主は屋上の入り口から、冷たい目でこちらを見る両儀式だった。

 

「あれ、ここには私しか……。て、何笑ってんのよあんた」

 

 彼女が式の方へと不思議そうに振り返り、不意に顔をしかめて左方へ向き直る。おそらく、そこに彼女のサーヴァントがいるのだろう。

 

 普通のサーヴァントは霊体化といい、姿を隠しておくことが可能らしい。サーヴァントは過去の英霊なのだから、容姿だけでも真名を判断する重要な材料となるからだろう。英霊ではない式には霊体化をすることはできないが、霊体化しているサーヴァントを見ることが可能らしい。また、式でも念話を使う事はできるらしいが、頭に響く感じが気に入らないらしく、あまり使わないで、と釘を刺された。

 

「……え、彼もマスター? いやだって、マスターならもっと……。そ、それじゃあ、いま体をベタベタ触ってた私って……」

「傍から見れば、完璧に痴女、ですね」

 

 式のはばかることのない台詞に彼女があまりの羞恥に顔を真っ赤にして叫び、背を向ける。こちらも、一連のことを思い出し、改めて顔が熱くなる。その状況にあきれ果てた式が見せつけるように嘆息し、こちらへ寄ってくる。すると――

 

「うちのマスターがベタベタ触っちまって悪かったな坊主。ま、役得と思って許してくれや」

 

 ――突如、凛と向かい合うように青の装束を纏った一人の男が現れる。今のところ、その飄々とした面貌から敵意は感じないが、彼が自分たちを倒そうとすれば一秒もかからないであろうことが一瞬で見て取れた。おそらく、彼が遠坂凛のサーヴァントなのだろう。

 

「う、うるさい! 私だって失敗ぐらいするってーの! というか、あんた何勝手に出てきてんのよ!」

「そう吠えんなや、ちょっとくらい別にいいだろ。それによ、あんだけ触っておきながらまったく気付かなかったってのもどうなんだよ」

「ぐ、しょ、しょうがないでしょ! だってセラフのNPCだから、これくらいは普通なのかもしれないし!」

 

 凛とそのサーヴァントは口げんかのような勢いで言葉を交わし合う。これまで成り行きを見守っていた彼女のサーヴァントが現れたのは、おそらく式が関係するのだろう。式とて曲がりなりにもサーヴァントなのだから、サーヴァントとしては敵意が無いにしても放っておくわけにはいかないはずだ。

 

「大体、あなたもあなたよ! マスターの癖に影薄過ぎよ! 正直、そこらの一般生徒(モブ)キャラよりも影が薄いってどういう事なのよ! 今だってこっちがサーヴァント出したってのに、あなたたち何にもしないなんて、まさかまだ予選の学生気分で、記憶が戻ってない訳じゃないんでしょうね?」

 

 角が見えそうになるような勢いで捲し立てるように言葉を投げる凛。

 ……正直、その台詞に、返答をしかねる。彼女からすれば、それは単なる冗談半分なのだが、言っていることはあながち的外れではなかったのだから。

 

「あ、あれ……? ちょっと、何よその反応? まさか本当に記憶が戻っていないの?」

 

 ――そうであれば、どれだけよかったことか。それならまだ救いはあるが、自分には記憶が戻るどころか、その戻るはずの記憶事態なかったのだ。

 

「ちょ、記憶がそもそも無い!? いったいどういう事よそれ!? どんな状態でも、今までの戦闘経験(バトルログ)がなくても、決して元の場所に戻ることはできないわよ!」

「落ち着け嬢ちゃん、俺らが聞いてもしょうがねえ。それに、どうせこの聖杯戦争で生きて出られるのは一人だけだ。結局、どこかで脱落するしかねえ」

 

 やはり珍しすぎる事例らしく、先ほどとは打って変わり、心配げな声を出す凛だが、それを彼女のサーヴァントが現実的な意見を出し、窘める。

 

「………………ええそうね」

 

 それだけで、凛の声が平素のものに戻る。その態度について自分は冷たい、とは思わなった。たとえどんな事情を持とうと、目の前にいるのは聖杯を求めて戦う敵なのだから。その事実は、たとえ誰が相手でも変わらない。

 

「……」「……」

 

 かくいう自分たちは、ただ沈黙するだけだった。勝ち残れない、というのは自分たち自身、感じていることなのだから。

 

「記憶が戻ってないだけなら、理由次第でありえるけれど、さすがに記憶そのものがないっていう事例は本体の問題だし……。ま、残念だけど、どうしようもないわね」

 

 彼女の言うとおり、監督役直々にないと言われたのだから、問題があるとしたらそれは仮想(こっち)ではなく現実(あっち)の問題に違いない。

 

「どっちにしても、あなたたちは戦う姿勢が取れてないようだけど。覇気というか、緊張感というか……。そう、全体的に、現実感がないのよ。記憶のあるなしの関わらず、ね……」

 

 現実感が無い。たしかに、そうなのだろう。自分たちは、戦う理由も、覚悟もなく、ただ流されるようにやってきたのだから。神父にこれからのことが殺し合いと言われていたにも関わらず、どこか上の空だった。

 

「そんな夢現な気分で勝てるほど、聖杯戦争は甘くはないわよ。聖杯を求めに来てるのは、廊下の軽い気分の奴等ばかりじゃないんだからね!」

 

 最初に見た凛とした、戦士の顔でこちらにそう告げて、指を突きつける。

 そんな冷酷な事実を告げられたにも関わらず、何故か自分の胸中には暖かいものが産まれた。あまりにも場違いに思えるが、あの冷たい物言いが、彼女なりの激励だと気付いてしまうと笑みがこぼれる。勝手な思い込みかもしれないが、その可能性は彼女の背後で微笑ましげに笑みを浮かべるサーヴァントにより否定される。

 

「ちょ、なに笑ってるのよあんた! 状況分かってるの!?」

「いや、嬢ちゃんが不器用すぎるのがいけねえんだろこれは」

「ちょっと黙ってなさいよあんたは!」

 

 こちらに怒鳴ったり、あちらに怒鳴ったりと忙しそうな凛。緩んだ顔を整えて彼女の正面に立ち、その顔を見据える。

 

 ――ありがとう。

 

 たった一言だが、笑みと共に万感の意を込めて謝意を送る。彼女に対して言葉を飾る意味はない。これだけで、彼女は理解してくれる。

 

「――」

 

 ……と思ったが、なぜか凛は固まってしまう。何か間違ったのだろうか、隣りの式からは軽蔑の視線が、正面のサーヴァントからは称賛の意を込めた口笛が贈られる。

 

「べ、別に感謝される謂れはないわよ! 事実を語っただけだからねっ!」

 

 ようやく動き出す凛。なぜか再び顔を赤くしてそっぽを向く。やはり自分はどこか間違ったのだろうか。恰好を付けておきながらミスをしてしまったことに、恥ずかしさからこちらも思わず顔を赤くする。

 

「そ、それと、相手がサーヴァントを出しているんだから、そっちもサーヴァントを出しておきなさい! サーヴァントは英霊なんだから、舐めてたら一瞬でやられるわよ!」

「「「え?」」」

 

 思わず、全員が視線を凛に向ける。あまりにも息があった連携だったため、凛が少したじろぐ。

 

「え、何よこの空気……。私、いたって普通のこといったよね?」

「いや、存外鈍いんだな……。俺が出てきた時点で察してもよかったんじゃねえのか」

「え、どういうこと……?」

 

 

 

 

「サーヴァントも人間って、一体全体どうなってるのよあんたたちはー!」

 

 ここにきて、色々怒ってばかりだった遠坂だが、ついに噴火した。彼女が怒鳴りながら地団駄を踏む度に、屋上の霊子構成(テクスチャ)が崩れている気がするのは、自分の気のせいなのだろうか。しかし、この反応を見るとよほど自分たちは特異な例なのだと思い知る。

 

「そうはいわれても仕方がありませんので。それに、私自身志願した話ではありません」

「当たり前でしょ! もしそうだったら私が殴ってるわよ!」

「やめとけ嬢ちゃん、あんたじゃその前に殺されるぞ」

「ああもう、とにかくあんたたち、そのままじゃ絶対死ぬからね! 精々教会で改竄するなり、アリーナで鍛えるなりしなさい! 行くわよランサー!!」

「りょーかい。あ、それと坊主、縁があったらまた会おうや。そっちの嬢ちゃんもな」

 

 そういい余程苛立っていたのか、ドガンと乱暴に屋上の扉を蹴り破り、サーヴァントをクラスで呼んで去っていった。

 

 あとには、自分と式だけが残された。先ほどの騒がしさと打って変わり、静けさが屋上を満たす。

 

「……とりあえず、2-Bへ行きませんか」

 

 自分は首を縦に振り、一端個室のマイルームへと向かう。

 そして、マイルームと言う名の空き教室の整理に時間を多大に費やすこととなった。

 

 

 ※※※

 

 

 その後、凛の教えに従い、予選では用具室があった場所、アリーナへとやって来た。といっても、マイルームの整理で既に気力など、あってないようなものだったりする。今回はあくまでアリーナの空気に慣れておくためだ。アリーナに入れるのは一日一回という話だし、この機会を無駄にはできない。

 

 で、入ったわけだが……。

 

「随分と殺風景な光景だ……。面白みがなくてつまらないな」

 

 えーと、どういうわけか式さん、雰囲気変わっていませんか?

 丁寧な口調は気さくなものとなり、凛とした仕草は変わらないが、作法通りの完璧だった佇まいも砕けている。そのあまりの変化にどうしたの、と聞いてみたが、気にするな、と突っぱねられてしまう。あまり追及するのもあれなので、いずれ式から話してくれると思って今は退こう。

 

 ナイフを手で弄ぶ式が歩き出す。主武装がそれだけということに小さな不安を抱きながらも、あとを追い、式が言うとおり色のない暗い深海を思わせる風景を見ながら探索を始める。あちらこちらに曲がり角があり、それなりに入り組んだ造りとなっていた。

 

 カツ、カツ、と半透明な床を音を立てて歩いていくと、少し開けた部屋に着き、その空間を浮遊するビックリ箱のような何かを見つけた。あれは何だろう、と訝しんでいるとポケットの携帯端末が無機質な電子音を鳴らす。取り出して端末を覗いてみると、エネミーファイルというページが開かれており、画面中央には相対しているビックリ箱が表示されていた。他にも子細に書いてあるが、今はName(なまえ)Level(つよさ)しか表記されておらず、あとのWeak Point(じゃくてん)Pattern(こうどう)Skill(わざ)Drop(おとしもの)の項目は『?』が三つ並んでいただけだった。というか落し物ってなんだ?

 

 この端末によると目の前のビックリ箱の名前はKLEIN(クライン)といい、強さは『01』と、一番弱いことが窺える。序盤だし、肩慣らし程度のレベルなのだろう。しかし、英霊にとっては他愛ないのかもしれないが、人間である式にはどうなのか。あの荘厳な空間で戦っていた相手が、サーヴァントだとしたら式でも倒すことはできると思うが、ここで英霊と式の力の差を見分ける必要がある。こういう言い方は悪いが、このレベルの相手に手古摺るようでは、何か対策を講じる必要がある。

 

「脆いな……。肩慣らしにもなりやしない」

 

 ……まあ、そんな自分の心配を余所に、式はクラインを一撃で倒してしまった。どうやら、自分の考えは杞憂だったらしい。ナイフですれ違いざまに一閃、その神業的な動きは十分サーヴァントとも引けを取らないだろう。

 だというのに、何故か式は不機嫌な顔で頭部に手を添える。何か怪我でもしたのだろうか。

 

「いや、ただちょっと目の力を使うと……。慣れないものに頼ったからか……?」

 

 目の力、とはなんだろうか。気になって瞳を覗くが、見たところ変化はない。直前に手を下ろしたことを考えると、目の力を解除、あるいは一瞬しか使えないものなのだろうか。

 とにかく、目の力があまり辛いようならなるべく使わない様にして、今日のところは少し周りを探索して早めに帰ろう。

 

「そうだな。ここは息苦しい、あらかた用が済んだらさっさと帰ろう」

 

 溜息をこぼして自分の隣りに立つ。これもまた、自分たちが主従ではなく、仲間だという一種の意思表示だ。たとえ多重人格だろうと、仲間であることには変わりはない。

 

「仲間、か……」

 

 ふと、式がそう呟いた。その言葉にどんな思いがあったのか、付き合いの浅い自分には分からなかった。

 

 

 その後、アリーナを少し周り、蜂のようなエネミーの手前あたりで引き返した。

 

 ちなみに途中、エーテルの欠片と300PPTを手に入れた。その際、式は『ムーンセルも、案外みみっちいな』『……はずれか』と愚痴をこぼした。自分も同じことを思ったが……。なにしろ購買のカレーパンですら100PPT、食堂のかけそばですら190PPTなのだから降って湧いたお金と言えどかなり安い。唯一の救いが、エネミーを倒すとお金が入手できることだろう。現資金は最初から入っていた1000に手にいれた300、そしてKLEINから手に入れた87×3で261、計1561PPTだ。アリーナは明日の夕食後に行くため一食にかけられる値段は260PPT、ランチやセットメニューは無理だが、単品料理なら大丈夫だろう……っ。

 

「おまえ、以前は主婦でもやってたんじゃないのか」

 

 金銭管理は大事だよ。

 

 

 それで、今日のアリーナでの戦闘はどうだった?

 

 営業終了二〇分前の食堂で各々好きな物を食しながら、今日のアリーナのことを振り返る。当人の意見を聞いて、今後の方針を纏める必要がある。

 

「あの程度なら問題ないわ。いつまでもこのままではいられないけど」

 

 あの性格は戦闘中だけのものなのか、アリーナから出ると式の喋り方や動き方は元に戻り、距離感も再び離れてしまった。残念に思いながらも、表情には出さないようにする。

 

 戦闘に関しては圧勝していたものの、やはりそこまで差があるわけではなさそうだ。先ほど見つけたStatus(ステータス)の欄を見てみると式の能力は全てEだった。これが最低ラインだと見て間違いはないだろう。このままでは戦うどころではないし、この問題は早急に解決させる必要があるだろう。

 

「そうね、といっても、しばらくはあの痴女が言っていたように、アリーナで鍛えるしかないわね」

 

 仏頂面のまま、月見うどん(220PPT)を啜る式。ここの料理は彼女の舌に合ったのか、淑やかな食べ方ではあるが速度は割と早く、食べ始めて十分程度しかたっていないにも拘らず、中身は底が見えるほどに減っていた。

 自分もホウレン草のお浸しとかぼちゃの煮物(共に40PPT)をおかずに、麦ごはん大盛り(70PPT、大盛りは無料)をつつく箸を進める。

 

 それなら、明日は教会へ行ってみよう。凛はアリーナ以外にも教会で改竄とも言っていたし、予選では教会に入ったことは無かったから中の造りも気になる。

 

 自分も式も同時に食べ終わり、食器を返却してマイルームへ向かう。

 

 大半の椅子と机が教室の隅に追いやられており、式はその一角で並んだ椅子をベッドにして、自分は壁に寄りかかるようにして眠る。様々な出来事で疲弊した身体はやけに重く、目を閉じて一分もしないうちに眠気が自分を襲って行った。

 

 

 ※※※

 

 

 両儀式は人間嫌いだ。

 

 だから私は、幼い頃から他人に関心が持てず、故に一人だった。織曰く、『会う人全員が無条件で自分を愛してくれろと思っていられる子供の頃に、他人を知ってる(オレ)を内に持っていたから他人を知ってしまった。他人が無条件で愛してくれるわけじゃないと知り、他人がどれだけ醜いか知ってしまったから彼らを愛することができず、関心すら持たなくなって拒絶だけが残った』とのことだった。別にそれを不満に思ったことはなかった。確かに私は孤立してはいたけど、織がいたから、孤独ではなかった。

 

 でも、織は消えた。この死に囲まれた虚数の海に迷い込んだ時、織はいなかった。それまで二人だった私は途端に一人になった。織を欠いた穴は大きく、それはいとも容易く私をバラバラにして、私が私であるという実感を奪って行った。今の私は式なのか、それとも織なのか。この現実感のない空間は、そんなことすら曖昧にしてしまう。

 

 それから私は、平素に式を、戦闘に織を当てることで自己が混ざり合うことを拒んだ。しかしそれはただの悪あがき。結局、徐々に記憶の実感は掠れていき、私の自己は摩耗していった。

 

 そうして私は道に迷い、自分に迷い、生死に迷い込んでいった。時折気まぐれのように別の場所へ飛ばされ、時間が流れるごとに自己は薄れ、死に囲まれた空間と軋むほどの頭痛は生と死の感覚をかき混ぜる。溺れるように私は沈み続けていき、いつしか私は生の実感を失い、達観していた。

 

 

 

 

 

 そんな時、私は岸波白野と出会った。

 私が迫りくる刃にすら恐怖を感じず諦めていた時、彼は片割れである人形を挺して私を救ってくれた。私にはその行動の意味が分からず、二人の青年が去っていくのを尻目に彼に歩み寄った。しかしその時の彼はもはや死体同然の冷たさで、話すことすらままならぬ状態だった。その様は、死の線で塗りつぶされるほどで、人間ならば危篤状態をとうに超えている。待っているのは死しかない。

 

 でも、私は彼の死を受け止められなかった。自分の命すら達観しているのに、何故か。その答えはあっさりと出た。

 

 彼は、私が初めて関心を抱いた人間(・・・・・・・・・・・)なのだ。だから私はどうしても彼から聞きたかった。

 あなたは誰なのか。なぜ私を救ったのか。あなたは――なんなのかを。

 

 そんな想いがどこかへ届いたのか、彼の胸から死線が退いていく。

 まさか、と淡い期待を込めて彼の右手を握る。死線はさらに薄くなり、彼の身体に熱が戻る。そして次の瞬間、私が掴んでいた右手に一際強い熱が灯り、頭痛が、死線が止み、バラバラだった自己は式と織で綺麗に分けられた。

 

 どうして。そんな疑問より早く、私の意識は頭上からの光に呑まれていった。

 

 

 ※※※

 

 

 気が付いた時、私は知らない空間で寝ていた。全身を包み込む暖かさは毛布、誰かがかけてくれたのだろうか。起き上がって見渡して、ここが保健室だと理解した。隣りでは私を助けた彼が太平楽な寝顔を晒していた。その様子に、胸をなでおろす。

 

 起きてしまった以上、いつまでも寝ている理由もないしどこかへ行こうと思ったが、迂闊に動き回って、彼とすれ違いでもしたら嫌なので、仕方なく待つことにした。

 

 そして待つこと数十分。ようやく彼が気が付いた。すかさず声をかけたはいいが、どう話を切り出そうか、と悩んでいると、

 

「怪我はもう大丈夫なのか」

 

 その台詞に、つい戸惑ってしまったのは、無理もないだろう。何しろ今の今まで寝ていた彼が、私を心配するのだから。そもそも、私より彼のほうが長く寝ていたのだから、それだけでも彼自身の方が重傷だと分かるはずだ。

 

 ――本当に分からない。いままでも私に構ってくる人はいた。しかしその大多数は、異性は私の身体を、同性は興味本位からのことだった。だから、本心から私に構ってきたのは彼が初めてだ。

 

 なるべく動揺を悟られない様に、感情を抑え本題に入る。すなわち――何故私を助けたのか。

 その問いに、やや困ったように目線を迷わせ、意を決したのか、ようやく視線がこちらを見据える。

 

「――分からない。考えるよりも先に、行動していた」

 

 散々、気になっていた答えがこれ。まともな返答は返ってこないだろう、と思っていたが、ここまでとは思わなかった。ただの考えなしだったのか、と思い眉をひそめるが、その顔つきから、単なる思いつきでやったわけでは無いと、勝手に私は思った。

 

 

 

 

 

 その後も、様々な出来事があった。勝手に従者にされていたことには軽い憤りを感じたものの、あのままいても遠からず私は消えていたし、そもそも私はあの時助けてもらえなければ今ここにすらいなかった。だから、不満があるのは、未だに私が流されるばかりの立場だということ。勝手にこんなところに連れてこられて、勝手に従者にされて、勝手に殺し合いに参加されられて。

 私は、こんなところまで来ても、何一つ、自分の意志で決められない立場だというのが悔しかった。

 

 

 そして、彼、岸波白野には生来の記憶が無い、白紙の存在だと知った。

 人間嫌いの私が、彼を嫌いになれないのはきっと、醜さがないからなのだろう。

 だから私は、彼を守りたいと思う。彼は汚れない純粋な優しさを持った、清い人なのだから。

 

 ……態度が冷たいのは大目に見てほしい。私は自分でさえ嫌いなのだから、人に話かけられても親切に相手ができない。自分から話すのならなおさらだ。いかに関心を持った仲間(・・)といえど、すぐに変えることはできない。

 

 

 ※※※

 

 

[Matrix]

CLASS:アサシン

マスター:岸波白野

真名:両儀式

宝具:直死の魔眼

キーワード:?

      ?

 

筋力:E(13)

耐久:E(12)

敏捷:E(16)

魔力:E(15)

幸運:E(12)

 

KEYWORD

直死の魔眼

宝具扱いだが、正確にはスキル。奇しくも同じアサシンの燕返しと同じ状態。

対象の「死期」を視覚情報として捉えることができる目。

またそれに加え、その視覚情報をもとに対象を「殺す」ことができる能力。

スキル[魔眼]ではA+++ほどにもなる希少な力。

この両儀式は観測機であるムーンセルに接触することで会得した。

本来開眼したばかりでON/OFFは切り替えられなかったが、

サーヴァントとなることで、強制的にスキル化されたことで可能となった。

また、事象の視覚化に特化しており、概念、霊体や能力の死を視るのに向いている。

最高レベルの魔眼であるが、『直死の魔眼』事態がムーンセルに多大な負荷をかけるため、

使用時にDランク相当の[頭痛持ち]が発現する。

 

スキル

[気配遮断]:―

サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。

完全に気配を断てば発見することは難しい。

アサシンのクラスとして設定されているだけで、

実際には使いこなせていない。

 

 

※※※

 

 

現資金、1191PPT

 

 




えー今回、式の口調やらなんやらについて説明すると言いましたが、どうも今話だけでは仄めかしてはいるものの、説明しきれませんでした。
本来ならここで橙子さんを出す予定だったのですが……思った以上に凛の部分が長くなって……。
ぶっちゃけ、彼女のシーンで全体の40%くらい占めてますww

感想・評価お気軽にどうぞ!

追伸 6月12日
アリーナでの式のたたずまいに関する部分を微修正。
[気配遮断]の説明に一文足しました。


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初戦開催

CCCギルルートの進行度とともに作られた第三話。

最近「髪薄くね」といわれて調べてみたらあれって、ストレスが関係するらしいですね。
……まあ、私と兄の兄弟仲は、普通に橙子と青子みたいなもんですし。

説明がやや強引っぽい感じ……。
何か不明瞭な点があれば遠慮なくいってください。


 ――目が覚める。欠伸をこぼして目を瞬かせ立ち上がると、寝方が悪かったのか、上半身がひどく凝っていた。手はじめに肩を解しながら寝具を購入を考え、現資金を考え断念する。まずは資金集めの算段を整える必要がある。

 ちなみに一流のハッカーなら、個室のデータをいじって自分好みに(カスタマイズ)できるらしいが……一流と言うのは、アバターを改造できるレベルのことであり、当然自分にはできない。だが、購買ではそういう人のため、改造データを販売している。花瓶やティーカップといった小物から、窓にシャワールーム、さらには中庭まで増築できる優れもので、値段は大きければ大きいほど、複雑であれば複雑であるほど高い。

 

 全身の柔軟に移り、横目で未だに寝ている式を見る。昨日同様、椅子をいくつか並べて寝ている姿に、布団くらい買おうと決めた。さて、いまの資金は1191PPT、一番安い布団は500PPT……。昨日の食事で自分は110PPT浮かしたから、あと390PPT浮かせれば最低でも式の分は手に入る。……よし、朝は抜こう。昼は水だけで済ませれば十分足りる。

 

 さて、それでは朝を過ごすと――。

 

 ……柔軟をしていた全身の動きが、ピタリと止まる。

 ……思えば、予選の時に朝という時間は登校の時だけで、何かした覚えはない。改めて朝を謳歌しようと考えるが、清々しいくらいに何も浮かばない。こんなことなら図書館から、何か本でも持ってくればよかった。

 明朝といえど、サーヴァントも連れずに外を歩く危険性は知ったため、いまは待つべきだろう。備え付けられたアナログ時計の針が示すのは7の数字、起こすにはまだ早いだろう。しかし自分も二度寝をするほど眠気があるわけではない。

 

 何か退屈しのぎになるものはないか、と左右を見渡すと、先ほどうまく見えなかった式の寝顔が視界に入る。すうすうと寝息を立てて、深い眠りの内にいる彼女の寝顔は起きている時の、どこか傍観者めいた様子はなく年相応の、否、それ以上の幼さを見せている。

 微笑ましい気分になり、思わず撫でそうになったが起こしてしまうかもしれないので断念。音を立てないように傍の椅子を持ち上げて、式の正面に下ろし、腰を落ち着ける。その光景は三時間、彼女が起きるまで自分を飽きさせることは無かった。

 

 

 ※※※

 

 

 ――やってしまった。

 差し込む朝日の光に、眠気を削がれ散漫な動作で瞼を開けて、私はそう思った。別に寝相が悪かったとか、涎を垂らしていたとかそういったことは全くなく、寝過ごして約束を破ったこともない。それに、その場合は一緒の部屋にいながら起こそうとしなかった彼が悪い。

 

 ただ、彼が柔らかな笑みと優しい瞳でこちらを見ていた。別に嘲笑されているわけではなく、下劣な視線でも笑みでもない。ただ見守るようにこちらを見つめている。たったそれだけなのに、自分がとんでもない醜態をさらしていた気になるのは、きっと羞恥心からだろう。

 

「……じろじろ見ないで」

 

 どう返答すべきか、散々悩んでいえたのはそんなセリフだった。彼はそれだけですんなり了承の意を示し、視線を逸らして椅子を片付けようと持ち上げる。私もやや気恥ずかしさを胸に、目元を擦り起き上がる。昨日から着ていた浴衣めいた単衣の着物は、皺だらけになっていた。ここは仮想世界だというのに、ムーンセルも無駄なところに凝るものだ。

 

 

 ※※※

 

 

 日がだいぶ昇りきった十一時、朝と昼の兼用で式はトマトサンド(150PPT)を、自分はミネラルウォーター(50PPT)を食べた――あるいは飲んだ――あと、教会へとやって来た。陽光に照らされる教会は、名前からして東洋人であるからか、自分にはかなり新鮮な物に思えたが、式は顔をしかめて明らかに嫌そうな顔をする。何か嫌な思い出でもあるのだろうか。

 

「いえ、ただ父に入れられた高校では朝夕に礼拝儀式が義務付けられて……。どうにも、好きになれないわ」

 

 そういい、目を伏せわざとらしく嘆息する。その様子からよほど退屈だったことが窺える。苦笑いを浮かべながら教会の重い扉に手をかけ、押し――開かない? 引いても横にずらしても、持ち上げようともしてみたが、まるで固まったかのように動かない。

 まさか購買や食堂みたいに利用できる時間帯があるのだろうか。凛からはそんなこと聞いてはいなかったが、それならば仕方ないと思い引き返そうとした時、隣りから音がした。例えるとしたら、ちょうど目の前にある扉くらい大きなものを切り裂いた感じ?

 まさかー、と思って隣りを見ると式さんが頭を押さえながらナイフを持っており、扉の真ん中から左側が袈裟気味に切られていた。

 

 あの……、式さん?

 

「人の気配がしたので」

 

 そういい切られた扉を指先で突き飛ばす。押された扉は緩やかに傾き地に沈む。その際に、扉の重量を十分に感じさせる音と埃が僅かに立つ。特に教会という密閉された空間では音が良く響き渡る。

 

 眼前の光景に呆気にとられている自分の手首をつかんで、式はずかずかと教会の中へ入っていく。教会の中は薄暗く、煙っぽく、わずかに焦げ臭い。それに、扉が切り開かれているのにも拘らず、外の喧騒が全く聞こえない。それは、ここだけ空間が切り離されているのか、それとも――、

 

「ケホッ、ケホッ、また失敗!? あーもー、なんで出来ないのよ! これ、壊れてるんじゃないの!」

「それはお前が下手だからだ。自分の無能を棚上げするとは、さすがに頭のネジが数十本丸々飛んでいる奴は違うな」

 

 ――単純に、教会内の方がうるさいからか。

 煙の後から、四角形の物体を憎々しげに睨み、壊れろといわんばかりに両手で挟むようにして掴む赤い髪のパーカーを着た女性と、その様を嘲笑いながらタバコを吸う青い髪のフリルブラウスを着た女性。互いに祭壇の手前で、向かい合うように、しかし顔を見ないよう陣とっている。

 本来礼拝する信者、あるいは改竄の順番待ちのために用意されたであろう長椅子は、いったい何があったのだろうか、どれもこれも半ばから折れていたり、燃え滓になっていたりと、椅子として使える物は無くなっていた。また、教会にはシンボルであろう十字架などは見当たらず、その代わりに、祭壇の前には先ほど潰されかけた、四角形の蒼い発光物が宙に浮いていた。

 

 それを見て即座に踵を返し、帰ろうとする式を宥め、もうしばらく様子を見ることにする。

 

「まあ、所詮は宇宙戦艦、破壊しかとりえのない女だからな。ムーンセルから契約不履行で追放される日も近いな」

「うっさいっ! ただ椅子に座ってる姉貴にギャーギャー言われる筋合いはないわよ!」

 

 赤い髪の女性が苛立ちのあまり立ち上がり、青い髪の女性に指を付きつける。

 どうやら二人は姉妹で、青い髪の女性が姉のようだ。間柄は、一触即発といった空気から、かなり険悪であることが察せられる。このまま放っておくとケンカになりそうなので、仲裁の意味も込めて間に入って声をかける。そこでようやく二人は自分たちに気付いた。

 

「へ、あれ? 扉には姉貴がロックを掛けたはず……」

 

 赤い髪の女性がこちらに一度視線を送り、青い髪の女性を咎めるように睨む。

 

「うん? ムーンセルの構築物として設定したから理論上はムーンセル以外に破れ――ッ!」

 

 そして青い髪の女性は、気だるげな様子で扉を見つめ、その視界に式が入った途端、大きく目を見開き、咥えていたタバコを落とし、椅子を倒すような勢いで立ち上がる。そのまま乱雑な動きで式に近づき、その瞳が一際強く式を捕えた時、足を止めて頭を振る。

 

「あの、なにか?」

「なに、尋ね人と魂が一緒だから勘違いしただけだ」

 

 式の問いに、彼女はあっけからんと答えて見せた。似ていた、ではなく、一緒だった、と彼女はいまいった。容姿ならばともかく、魂ということは式という存在を探している、ということでは?

 

「察しがいいな、少年。私はうちの坊やの頼みで両儀式を探しにわざわざこんなところまでやって来たんだ。ただ、この両儀式は私が探している方ではない」

 

 両儀式、名前をいい当てたことから彼女は本当に式を、それも、もう一人の式を探しているらしい。そう考えると、世界には両儀式が二人いることになるのだが……。

 

「いや、世界は二人も同じ人間を作らない。だから、この両義式はこの世界の存在ではない平行世界の存在だ。おそらく私が知る式とは全く違う人生を歩んだのだろう」

 

 ――それは、彼女を本当の意味で知る者が、この世界にはいないということだ。

 

 そんな青天の霹靂ともいうべきことを、彼女はさらりと言ってのける。自分はそのことに思わず、息を呑んだが、式はとりわけ大きな反応をしなかった。

 

「それってつまり、平行世界の再現体ってこと?」

「確かに、ムーンセルは常にあらゆる『仮説』も演算していたんだ。再現する程度のことなら、英霊に比べればよっぽど軽いだろう」

 

 ……ムーンセルは万能の願望器にして観測機という話だ。本当に観測していたのなら、再現する程度はわけないだろう。しかし式には記憶が、そして彼女のいうとおり、魂がある。決して、再現された存在というわけでは……。

 

「それは違う。再現された存在でも、それが独りでに歩きだせば、それには再現された原型の魂と記憶(けいけん)がある。そうでなければ、単なる思考ルーチンに従っているだけだからな」

 

 ……あまりにもはっきりとした物言いで告げられ、二の句が継げず、唇を噛み俯きかける。

 

「……やれやれ、今のはあくまで再現体の話であって、この式に関する説明ではない。そして彼女は決して再現されたNPCがひとりでに動き出した存在ではない。それはNPCの管理を任された身として断言できる」

「任されたって、趣味の一環でやってるだけじゃん」

 

 さすがにばつが悪そうだったのか、訂正が入る。

 その言葉に顔を上げ、思わず安堵の息を漏らすと、いつの間にか全員がこちらを物珍しげに見ていた。そんな目で見られる理由が分からず、自分は何か変だったのだろうか、と後ろに立つ赤い髪の女性に聞いてみると、

 

「あーうん、変じゃないんだけど、ちょっと珍しいかなって……」

 

 目を泳がせながら、そう答えた。珍しい、といわれても自分の何が珍しいのだろうか。到って普通だと自負しているが……。

 

「いまの世の中、他人のことをまるで自分のことのように心配できる人間は希少種だからな。まあ、その手の輩の行動に大した理由は無いのだから、聞くだけ無駄だな」

 

 やれやれと口にしながら、彼女はもといた椅子へと戻り新たなタバコに火を点ける。

 

「ところで、君とはどこかであった気がするのだが……気のせいか?」

 

 またしても衝撃的な言葉を耳にした。

 自分の記憶がどこにもないことを告げると、二人は興味深げにほう、と息を漏らした。

 

「記憶がない、か。ムーンセルに限ってそんな不備はないだろうし、たぶんその凛って子がいった通り、肉体の問題ね」

「記憶が分別なく失っているというなら、魂自体の欠損ということも考えられるな。どちらにしろ、難儀な物を背負っているな」

 

 意外なことに二人とも真剣に考えてくれている。それに、魂自体の欠損ということはさすがに考えていなかった。

 

「興味本位なのでそこまで本気に模索する気はないが、何か進展あれば話してみたまえ」

「それじゃあ私も。何かの役には立つかもしれないし」

 

 たとえその動機が個人的な興味だったとしても、自分としては前進に繋がるので嬉しいことだ。その時はお願いしますと一言告げて頭を下げる。

 

「まー、専門でもないし、力になれるかは分からないけどね。それで、結局何のようだったの?」

 

 おっと、長話をしていてすっかり忘れるところだった。

 ――魂の改竄というのを。そう告げると笑顔だった赤い女性の顔が凍りつく。隣りでくつくつと、蒼い髪の女性が声を殺して笑う音が聞こえてなんとなく、地雷を踏んでしまった気がした。

 

「あー、改竄はやめておけ。この女は破壊することしか出来ん。実際、昨日改竄したサーヴァントは巨大()化したのちロストなどという、笑えない事態に陥ったからな」

「ちょ、あれはマスターが違法スレスレで頼むっていうから色々やったらなっちゃっただけだからね! それにそれ以外は普通に出来たんだから!」

「普通? 普通の改竄は決してステータスがバラバラになったのち、性別が変わるようなものではないがな」

「あ、あれは……その……、元から強いのにさらに強化してくれっていわれたから……」

「それに、お前の失敗でいくつの長椅子が犠牲になった。長椅子程度の改竄すらできん奴が、比較するのもおこがましいくらい精密な英霊の改竄ができると思っているのか」

「う、うぐぐぐぐ……」

 

 散々にこき下ろされても、反論しない辺りどうやら事実らしい。

 ……いつの間にか隣りに移動していた式など、早く帰ろう(逃げよう)といわんばかりに袖をぐいぐい引っ張っている。誰だって真っ二つになったり燃え滓にはなりたくないだろう。巨大化や、性転換は……人それぞれだ。

 

 と、とりあえず、改竄についての説明を聞こう。改竄の有無はそれからでも遅くはない。

 

「なんだ、そんなことも知らないで来たのか。まあ記憶がないのでは、仕方ないか」

 

 溜めていた煙を吐き、やや呆れたようにして、咥えたタバコを一端手に取り弄ぶ。

 

「まあ、簡単にいってしまえば君とサーヴァントの魂を連結(リンク)させることだ。マスターの魂の位階が上がれば、それだけ強く連結できるようになるわけだ。そしてどう連結させるかを決めて、直接魂にハッキングするというわけだ」

 

 しかし、とそこで言葉を区切る。

 

「お前達の場合は事情が事情だからな……。魂関係の問題もだが、それ以上に肉体面、主には魔術回路の調整でもしたほうがいいな。特に式は直死の魔眼を持ってるくせに、肉体面は普通だからな。その辺も含めて改造してやろうか? 安心しろ、私は元々そっちのほうが本職だからな」

「結構です」

 

 青い髪の女性の提案に式は即座に拒否。しかし自分は熟慮する。改造といわれてあまりいい気はしないのは確かだが、少なくともこのまま手を拱いていても勝てるわけでは無い。そして何より、この聖杯戦争で生き残れるのは最後の一組のみなのだから。式を助けるためにも、できることはやっておいた方がいいだろう。

 

「そこで自分と言わない辺りが珍しいというのだが……まあいい。それで、するのか?」

 

 意を決して、かいぞ……改竄は自分だけでも済むのか、と聞いてみる。式と赤い髪の女性が口をあんぐりとあけ、信じられないものを見たと言わんばかりにこちらを見る。……凛と言い、式と言い、自分はそこまで奇異な変人なのか?

 

「変だな」「変ね」「変よ」

 

 ほろりと眼から涙が落ちた。

 

「泣くことないだろ。まあいい、それで質問の答えだがお前だけでも十分だ。ただしその場合、魔術回路の流れを設定することになるから、式のパラメーターの細かい操作はできないぞ」

 

 ……そこは自分だけで決めることはできない。傍の式に視線を送り、判断を仰ぐ。式はやや顔を歪め、低い声で構わない、と了承を示した。どうにも式は青い髪の女性を好きにはなれないらしく、視界に入れないよう彼女に背を向けた。

 

「相も変わらず、私のことは嫌いか。それで少年、……」

 

 言葉を続けようとする青い髪の女性のセリフを断ち切ったのは、ポケットにしまいっぱなしの携帯端末の呼び出し音だった。邪魔をされ、不機嫌そうな顔をする青い髪の女性に頭を下げて、昨日と同じ無機質な音を奏でる端末を手に取り、画面に表示された文字を見る。

 

『::2階掲示板にて、

   次の対戦者を発表する』

 

 ……そういえば、聖杯戦争はトーナメント式で行われると言っていた。となれば対戦相手がいるのも当然だ。催促するような目でこちらを見る青い髪の女性に、対戦相手の発表と告げると、

 

「それは昨日発表されたことではなかったか?」

「だよねぇ。あなたたちだけが、ずれてたの?」

 

 どうなのだろう。ただ自分たちは対戦相手のことは知らなかったので、そのずれを認識してるのは自分の対戦相手だけだろう。何にしろ、対戦相手も知らずに戦うようなことにはならなくてよかった。

 

「まあ何にしろ、早く行った方がいいぞ。肉体の改竄となると、色々準備があるからどうせ今日はできん。明後日にでももう一回来てくれ」

 

 そういい手をひらひらさせ、早く行けと急かしてくる。自分もご好意に甘えるとして、今度は感謝の意を込めて頭を下げ、文字通り切り開かれた扉へ向かう。

 

 と、そこで自分が二人に名前を聞いていなかったことを思い出した。自分の名前すら知らなかったからだろうか、一番最初に聞くべきことをすっかり忘れていた。

 

「ああ、そういえばそうだったな。私は蒼崎橙子だ」

「私は蒼崎青子。間違えないでね」

 

 両者の髪色とは対照的な名前を心に刻んで、教会を出る。

 日はいつの間にか、頂点で輝いていた。

 

 

 ※※※

 

 

 岸波白野と両儀式、二人が去った後の教会は、やや焦げ臭さと煙っぽさがあるものの、本来を静寂さを取り戻した。

 

「……それで姉貴、本当にあの子のこと、知らないの?」

 

 そんな中、ぽつりと青子が言葉を落とす。

 

「知らん。私はNPCについては識別番号しか聞いてないし、そもそも自我を持ったNPCなら生前の記憶がある。そして記憶が無い以上、あいつはNPCではない」

 

 それに対して橙子は毅然とした口調で答えた。冷たいともとれる物言いだったが、青子相手に気を使うような性格はしていないし、生半可なことをいって、期待を持たせようとしないためでもある。

 

「ま、それもそうよね……」

 

 それが分かっているから青子も、特に反発することなくその言葉を受け止めた。

 弄んでいたタバコを棄て、新たな物を取り出し火を点けようとする橙子に、いつもは文句を唱えるのだが、煙っぽいこの空間ではタバコの一本二本点けようが変化はないし、どうにもそんな細かいことを気にする気分ではなかった。

 

「で、勝てると思う? あの子たち」

「さあ、相手次第だな。初戦でハーウェイの黒蠍やアトラス院の娘、老騎士などに当たらなければ五分といったところだな」

 

 口に咥えられたタバコの煙が、教会の外へと続いていく。それはさながら、彼らに対するエールのように。

 

 

 ※※※

 

 

 ――そういえば、なぜあのとき式は、自分がこの世界の人間ではないと言われても平静だったのだろうか。二階へ向かおうと廊下を歩いていたら、気になってきたので聞いてみる。

 

「……別に大したことじゃないわ。私は誰にも理解されなかったし、誰かに理解してもらおうとも思ってなかったわ」

 

 彼女は本当に、気にした様子もなく淡々と言ってのける。

 ……でも、親御さんは? 他にも親しい人とか……。

 

「父は私という存在を、正当な両儀の跡取りにするため、俗世に触れさせようとはしなかった。あの人にとって私はその程度しか価値は無かったの。兄もいたけど、碌に会っていなかったわ」

 

 ……それは、なんて哀しいのだろう。誰も彼女の本質を見ようとせず、表層ばかりに気を取られたり、役目を押し付けられて、誰も彼女を理解してあげられなかったのだから。

 

「……昨日会ったばかりのあなたが言えることでもないと思うけど。それに私は人間嫌いだし、しょうがないと思うわ」

 

 そういうと、やや非難めいた眼差しでこちらを睨む。

 

 

 それは違う。式は確かに人間が嫌いだろうけど、人が嫌いなわけでは無い。ただ自分も同じ人間で、自分のことすら好きになれないから、ちょっと言葉が拙かったり、不器用なだけで、別に誰も憎んでなんかいないはずだ。それに式は、自分だけじゃなく、周りの為にも孤立することを選んだんだと思う。

 

 

 と、自分の感じた両儀式のことを話してみると、式は途端、驚きのあまり大きく目を見開いてこちらを見る。…………今日一日で何回、他人の驚愕と奇異の表情を見ることになるのだろうか。

 

「あなた、本当に何者? もしかしてあなたも私みたいな力を持ってたりするの? 他人を見通す魔眼とか」

 

 目を細め、険しい顔でこちらを見る式に、そんなものあれば真っ先に自分見てます、と返すとそのとおりね、と返された。

 ……明らかに機嫌が悪くなっている。これからはあまり自分の意見をおおっぴらに言わない様にしよう。

 

 昨日の凛と言い、先ほどの青子さんに次いで、またしても地雷を踏んでしまったらしく、自分の返答に怒った式は早足で廊下を進んでいく。置いてけぼりにされないよう、自分も急いで足を速め、彼女に追随する。

 

 

 ※※※

 

 

 ――彼の言葉には素直に驚いた。何しろまだ会って一日経ったか経ってないかくらいの人に、自分の(なか)を見透かされたのだから。後半部分に関しては、私自身、よく分からないが、以前の織を抱えたままの私なら、どれだけ興味を持っていてもここまで彼と接しようとは思わなかった。昔の記憶は掠れてほとんど思い出せないけれど、たぶんそうだろう。

 

 彼は不思議な人だ。人の心を、それも自分すら知らない所までも容易く暴く癖に、悪感情を抱かせない。それは彼が正直なのではなく、容赦がないわけでもなく、本気でこちらを案じているからなのだろう。人によっては余計なお世話ともとられるかもしれないが、ああまで真剣な様相で語られると、どうにも無視できない。

 

 でも、もう少しデリカシーというものを学んでほしい。そうも堂々と言われると、こちらもいい気はしないのだから。

 

 

 ※※※

 

 

『私は仮にもサーヴァントなのだから、迂闊に姿は見せないほうがいいでしょ』

 

 そういい、わずかに離れたところで周囲を見張る式を置いて、掲示板の前へと来てみると、そこには見慣れない紙が一枚張り出されていた。真っ白な紙の中央部分に書かれているのは自分の名前と、

 

『マスター:間桐慎二

 決戦場:一の月想海』

 

 友人の名前だった。

 

「へえ、まさか君が一回戦の対戦相手とはね。この本戦にいるだけでも驚きだったけどねえ」

 

 声が聞こえた図書室の方へ顔を向ければ、いつの間にか慎二がいて、やけに面白そうな顔つきでこちらへ歩み寄り、隣りに立つ。

 

「でも考えてみればお前も、僕の友人に振り当てられたんだから、それなりの魔術師(ウィザード)ってことだもんな。ま、所詮僕とお前じゃあ格の違いは歴然だけどね。実際、予選だってギリギリで通過したって話だろ? いいよねえ凡俗は、色々ハンデつけてもらってさ」

 

 身振り手振りを交え、随分とお気楽そうに語る慎二の声音には、わずかな恐怖すら存在しない。自分たちのように、未だ現実感を持てないでいるのか、それとも単なる脅しと思っているのか。どちらにしろ、陶酔した顔で叫ぶ慎二は、遊び気分であることが窺える。

 

「でも、ここの主催者もなかなか見所があるじゃないか。一回戦からここまで盛り上げてくれるなんて。そうは思わないか? 何しろ仮初の友情だったとしても、勝利とのために友を手にかけろというんだからね! 悲しいね! なんて過酷な運命なんだろうか、主人公の定番とは言え、こればかりは僕も心苦しいよ」

 

 セリフとは違い、いつも通りのニヤついた顔つきでこちらの肩を軽めに、ぽんと叩く。

 

「ま、正々堂々と戦おうじゃないか。君だって選ばれたマスターなんだから、いい勝負なると思うぜ」

 

 僕らの友情に恥じない戦いをしようじゃないか、と最後に高らかにそう告げて慎二は陽気そうに去っていく。しかし自分は慎二とは対照的に、陰鬱な想いで胸が一杯だった。

 

 ……自分が慎二と、そのサーヴァントと戦う。

 

 その言葉が秘めた衝撃が、自分に正常な思考を赦さない。

 20文字にも満たない文字列が、自分の頭の中で何をするのでもなく、浮遊するように存在している。

 

 理由も、目的もないままに、友人だった人間と殺し合う……?

 まるで悪い夢にうなされているようだ。

 

「――しっかりして!」

 

 そんな自分を、元に戻したのは間近に接近してきた式だった。叱咤されるのと同時に背を叩かれ、痛みに耐えかね背筋をピンと伸ばす。おそらく全力でやったのだろう、Eとはいえ、英霊と同格扱いされるだけあってかなり痛い。

 

「夢だと思いたいのだろうけど、私たちがこれが現実であることを、あの予選で痛いほど思い知ったわ。迷うのも、悩むのもいいわ。でも、逃げることだけは、やめて」

 

 ――そうだ。あの時感じた、全身が冷めていく恐怖。自分という存在が消えていくあの感覚。そして自分は叫んだはずだ、このまま終わる(わすれる)わけにはいかない、と。たとえ、この先の結末がどれだけ残酷な物でも、自分は何も思い出せず、消え(にげ)たくなんかない。

 それに、傍らに凛々しい表情でこちらに喝を入れてくれた彼女、両儀式のためにも自分は負けられない。

 

「それと彼、自分を主人公って言ってたけど、私はあなたの方が、主人公らしいと思うわ」

 

 その思いがけない発言に、思わず吹き出しかける。それにむっとした表情になった、自分より10センチほど低い式の頭に手を置き、撫でる。その手はすぐに跳ね除けられたが、肩の力を抜かせることができた。

 

 

 

 

 

 マイルームで気持ちを落ち着けていると、再び端末が鳴り響く。

 

『::第一暗号鍵(プライマトリガー)を生成

   第一層にて取得されたし』

 

 暗号鍵――たしか、これを2つ集めなければ、決戦場へ入ることすら許されなかったはずだ。未だに気持ちの整理はつかないけれど、戦わずして諦めることなんてできない。未だに戦う覚悟は定まらないけど、逃げるわけにはいかない。

 

 ――行こう、式。

「ええ、まずはトリガーね」

 

 自分は制服を、式は着物をたなびかせ、隣り合わせでマイルームを出る。

 いまはまだ、優勝なんて大層な目標は持てないが、歩みを止めることだけはもうない。

 重ねた歩みは、きっと無駄にはならないだろう。

 

 

 ※※※

 

 現資金、991PPT

 




おかしい、未だに仲間というだけなのに、下手な主従よりも仲がいいだと……っ。
ま、まあこれからどぎまぎさせていくということで、つり合いとろう。

作中では説明しきれなかった細かな疑問を。
Q.何で白野と繋がることで式と織の区別ができるようになったの?
A.式と織がバラバラ、というか自己が摩耗したのは単に虚数空間で観測するものがいなかったから自我崩壊の危機になってただけ。存在がムーンセルに置いて不適合だから表に出てもそれが変わらず、白野とパスが繋がることでクラスに嵌められ、常に白野に観測されている状態になったから安定した。CCCの最初の桜と同じ感じ。
なお、意味消失などを起こさなかったのは式の起源が虚無で、虚数空間と相性が良かったから。

Q.何で織がいないの?
A.そういうことに理由を求めるのは野暮だと、どっかの水銀ニートがいっていた。
とまあ、ネタはさておき、理由は単に迷い込んだのが式だけだったというだけ。

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敵対行動

今回の食事シーンは原作ではなく、マンガの場面です。

しかし、戦闘シーンで納得のいく表現がうまくできない……。


「……あの流れなら、そのままアリーナにいくところじゃないかしら」

 

 アリーナでの戦闘前の腹ごなしとして、食堂へ来て、各々頼んだものを食べる。

 式はざるそば(190PPT)で、自分は鮎の塩焼き定食(230PPT)だ。どうでもいいが、昨日食べたかぼちゃは七月から十二月、ホウレン草は十一月から二月が旬で、鮎の旬は六月から八月。ずれがあるのに、どれも旬のおいしい時期の物だったのはどういうことだろうか。鮎が落ち鮎ならば、いまが十一月でも場所によっては取れるかもしれないが、券売機に普通にニシンの煮付けやタケノコご飯があるあたり、ムーンセルが生成しているのだろうか……。これほどの低価格で提供して来るとは……、アリーナではしけているが、学校側では太っ腹だ。

 

 しかし、あの神父がいっていた通り、本当にここには128人のマスターがいるということを、自分はようやく実感する。

 昨日は営業終了間近ということで、自分たち以外に人はいなかったし、校舎内でも大多数がNPCで、すれ違ったのは精々20人程度だったが、いま食堂には5,60人近くの人間が集まっていた。その大半はムーンセルから用意されたアバターをそのまま使用している者ばかりだが、改造アバターを使用している熟練者もちらほらといる。例えば……目の前で焼きそばパンを頬張る遠坂凛とか。

 

「しょうがないでしょ。他の席埋まっちゃってるんだし」

 

 いや、別にそこは問題ではない。ただ、凛たちはどんな目的で来たのか、少し気になっただけだ。辺りを見渡せば周りと和気藹々と、学生気分で話し合う人もいれば、確固たる目的を持っている者も見える。そして凛は後者の人間だ。だからこそ、聞きたい。

 

 凛は、聖杯にどんな願いを託すんだ?

 

「ふーん……。ま、昨日よりはだいぶマシになったわね」

 

 手に持っていた焼きそばパンを置き、咀嚼していた分をコップに注がれた水で流し込み、肘を突き、指を絡ませその上に顎を置く。凛とした瞳はこちらを真っ直ぐに見据えている。

 

「まず、私自身に関する話だけど、今地上は西欧財閥と一部のレジスタンスの小競り合いが起きているのは知ってる? 私はそのレジスタンス側よ」

 

 それは意外なことではあったが、驚きは少なかった。むしろ彼女に秘められた戦士としての心構えの、根本的な部分として納得すらできた。

 

 だとすれば、なおさら何故なのだろう。昨日会ったばかりだが、自分には凛が西欧財閥を聖杯の力で倒す、なんて他力本願な方法でどうにかしようとする人間には見えない。

 

「ええ、私は聖杯に託す願いは無いわ。私は、聖杯を西欧財閥に渡さないために来たのよ。わざわざ封印指定にしたほどだし、他の組織に取られないよう、絶対の自信を持って取りに来るはずよ」

 

「その通りです、ミス遠坂。聖杯は僕たち、西欧財閥が管理します」

 

 その声に凛が、いや、この場に集まった全マスターが弾かれたようにそちらを向く。不思議なことに、決して大きな声ではなかったにも拘らず、その声はざわついた喧噪のなかでも全員にしっかりと聞こえていた。

 

「みなさんごきげんよう」

 

 未だ幼さの残る顔立ちでありながら、集中するその視線に一切臆することなく、堂々と挨拶するのは、赤く改造(アレンジ)した制服を着る金髪の少年、レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイだ。予選では自分と同じクラスにいた彼は、今も変わらぬ強大な存在感をこちらに示してくる。そして、彼の傍には白い騎士が付き従っている。

 金色の髪と白銀の鎧を身に纏い、一切の曇りないその瞳は、彼が礼節と忠義を重んじる高潔な人物であることを思わせる。彼がおそらくレオのサーヴァントだろう。

 

 ――まさか、レオが西欧財閥の……?

 

「そう、しかも彼、西欧財閥の次期盟主、実質的な地上の支配者よ」

 

 思わず声を上げる。常々只者ではないと思っていたが、そこまでの存在だとは、夢にも思わなかった。しかしこうしてみれば、確かにその振舞いは、王者のそれに近い。

 

 自分が上げた声に気付いたのか、レオはファッションのような微笑を携えながら、こちらへ近づいてくる。式同様、そんな些細な所作にも、彼の育ちと生まれの良さがにじみ出ており、優雅さを感じとれた。

 

「ふん。御自ら出陣だなんて、随分と甘く見てくれるわねレオナルド」

「レオでいいですよ、ミス遠坂。直接お会いするのは初めてですね。確かに西欧財閥は魔術については明るくありませんでしたから、そう思われるのも無理はないでしょう」

 

 きつい表情で睨む凛に、さも余裕そうに返すレオ。

 

「そしてお久しぶりです。こうしてお話しするのは初めてですね」

 

 そして突如その微笑みがこちらへ向く。同時に凛の険しい顔もこちらを向く。

 

「改めて紹介を。レオナルド・B・ハーウェイです。気軽にレオと呼んでください」

 ――岸波、白野です。

 

 自分より明らかに低い年だと分かるのに、思わず敬語を使ってしまう。

 しかし、自分とレオは同じクラスだったが、そこまで仲が良かったわけでもなく、話をすることも碌に無かったわけだというのに、どうも他の者よりやけに親しげな気がする。

 

「僕は予選の時、あなたはきっと本戦まで来ると思っていました」

 

 ……そのセリフは冗談かと思ったが、レオの瞳にそんな色は微塵もない。どうやら彼は本気で自分が本戦まで来ると思っていたらしい。本来の予選がどういったものか知らないが、自分は予選ですら一度、死にかけた身だ。単なる買い被りに過ぎない、と返す。

 

「そうかもしれませんね。でもあなたは実際、ここまでやって来た。――その少女を連れて」

 

 そこでレオはこの空気の中、ただ一人無関心に座っていた式を見つめ、式がうっとおしそうに顔を逸らす。レオはそれを気にした様子もなく、ただ興味深げに俯瞰する。

 

「ふふ、どういった経緯で契約したのか知りませんが、よく彼女をサーヴァントに出来ましたね。彼女はおおよそのサーヴァントを上回る力を備えていますよ」

 

 レオは式の力を見抜いているのか、あるいは知っていたのか。とにかく、やはりレオは明らかに別格だ。西欧財閥が、聖杯戦争を危険だと知っていながらもレオを送ったのは、彼が跳び抜けて強いから、心配など無用だと分かっていたからだろう。

 傍らの白い騎士も、こうして傍にいると、太陽のような絶対的な力を持っていることを感じる。それは自分だけではなく、凛も、周りの者達も冷や汗をかくほどに。

 

「ああ、そうでした。ガウェイン、紹介を」

「はっ、従者のガウェインと申します。以後、お見知りおきを。どうか、我が主の良き好敵手であらんことを」

 

 背後で佇むガウェインに僅かに視線を送り、ガウェインに一切の淀みなく、真名を堂々と名乗らせる。真名を明かして見せたその行為に呆気にとられている間にも、ガウェインは涼やかな笑みと共に頭を下げた。

 そして自分は、そのあまりにも自然な動作につられて、名前を告げて頭を下げるという、ずれた行為をしてしまう。周りは自分の行動に呆れるが、かわりに空気が和んだ。

 

 ……いかに素人の自分でも、いまの行為の危うさは見て取れる。明かすものは全て明かし、その上で小細工することなく勝つという自信なのだろう。たいそうな自信ではあるが、レオにはそれが可能なのだと、理性ではなく、本能で理解できてしまう。

 

「真名まで名乗るだなんて……随分と余裕じゃない……。いいわ、地上での借り、利子つけて纏めて天上で返してあげるわっ!」

「では、その時を楽しみにしています」

 

 そういい、変わらぬ笑みを浮かべてレオは背を向け去っていった。いつの間にか静寂に満たされていた食堂は、再びざわめき始める者とマイルームに戻り対策を立てたり、アリーナで鍛えようとする者に別れた。

 

 前者は単純にレオの行為に対する感想を述べ合い、後者はレオとガウェインという圧倒的な存在に少しでも並ぶために力を尽くすものだ。レオという存在は、一瞬でこの場にいる全員の心をとらえてしまったのだ。

 

 自分と式は例外的に、そのまま食事を。そして凛は残った焼きそばパンを一口で食べると席を立つ。

 

「私はそろそろ行くわ。あなたたちもこの後アリーナで鍛錬? がんばってね」

 

 ――ああ、凛も気を付けてね。

 

「ええ、言われなくても。って、そういえば私、あなたに名前教えたっけ?」

 

 あ……、そういえば、凛自身から名前を聞いていなかったし、こちらも名乗ってなかったはずだ。どうにも自分は名乗られなければ、名前を言うのも聞くのも忘れてしまう癖がある。改めて、岸波白野、と自己紹介する。

 

 一応式の名前も教える。勝手に紹介したからか、ジト目で睨まれたが気にしない。

 

「私は遠坂凛。そっちが名前呼びなら、こっちも白野、式って呼ばせてもらうね。それじゃあまた明日」

 

 こちらに和やかな笑みと手を振って凛が髪を靡かせながら、階段を上がっていった。

 

 ……名前呼びは、慎二は普通に呼んでたし、式は名字で呼ばれることを嫌がるし、青子さんと橙子さんは、名前で呼んだら怒りそうだ。

 

 しかしいま思うとそれはかなり失礼だったかもしれない。今後、気を付けなければならないことだと、胸にしかと刻み付ける。

 

「その前に、早く食べてくださいね」

 

 ……既に完食し終え、のんびりと緑茶を飲む式に急かされる。力なく返事をして、箸を早めに進める。そして漬物をポリポリと噛みんでいると、ふと思った。

 

 ――鮎が一匹消えてる気がする。

 

「気のせいよ」

 

 ……釈然としない気持ちもあるが、まあ気にしないこととしよう。その方が色々救われる。

 

 

 ※※※

 

 

 食事を終えたあと、アリーナへと突入した。食べてすぐなので自分は少し胃がもたれるが、式はそんな心配はなさそうだ。

 

「へえ、今日はあの慎二ってやつがいるぜ」

 

 昨日同様、アリーナに入ると式の様子が変化する。それに合わせて距離感がやや縮まる。おそらく多重人格、または自己催眠なのだろう。ナイフを片手に闊歩する式の隣りに立つ。

 

 慎二がいる、ということは同時に彼のサーヴァントもいるのだろう。できれば戦いたくないが、そうも言っていられないのかもしれない。

 

 ひたすらに真っ直ぐに歩いていると、ちょうど昨日自分たちが引き返した地点に、慎二が道をふさぐように立っていた。そしてその隣りに、見知らぬ女性が立っている。

 大きく開かれた胸元と、額から頬にかける傷が特徴的な、ワインレッドのコートと腰まで伸びた赤みがかかった髪の女性。おそらく、慎二のサーヴァントだろう。放つ気配が人間のそれとは大きく違う。

 

「随分と遅かったじゃないか、岸波。お前たちがあんまりモタモタしてるから、こっちはもう暗号鍵(トリガー)をゲットしちゃったよ!」

 

 慎二はこちらを確認すると、得意げに笑い自分の端末をこちらに見せてくる。画面いっぱいに表示されたページには、左に緑に輝くデータ媒体のような物が、右にはその媒体と同じ大きさのくぼみがあった。おそらく左の物がトリガーなのだろう。

 

「ま、これも才能の差ってやつだからね。お前達みたいな凡俗はしょうがないし、気にしなくてもいいさ」

「飯食ってたから遅れただけなんだけどな……」

 

 慎二の語りに、面倒くさそうに式が反論する。しかし慎二には聞こえてなかったらしく、自慢げな表情でさらに言葉を紡ぐ。

 

「ついでに僕のサーヴァントも見してあげるよ。どうせ勝てないだろうし、トリガーを手に入れられないなら、どうせゲームオーバーになるんだし、同じことだろ? 蜂の巣にしちゃってよ、遠慮なくさ!」

 

 慎二がサーヴァントに指示を出すよう、腕を勢い良く振るうと、傍らのサーヴァントが前に出る。その仕草に戦闘かと思い、思わず身構える。

 

「なんだ、やっちゃっていいのかい? 今の会話はやけに楽しそうに見えたんだがねえ。ほら、うちのマスターはご覧のとおり、人間付き合いがヘッタクソでね。坊やとは、珍しく意気投合してたから平和的解決もありかなと思ってたんだがねえ」

「な、何勝手に僕を分析しているんだよ! あいつはタダのライバル! さっさとやっつけちまえよ!」

「……アホらしい」

 

 ……どうにもコントみたいな展開になり、思わず式も自分も呆れてしまう。しかし彼女、慎二の特徴をずばりと見ぬいているな。そういう才があったのか、あるいは人を率いる立場にあったのだろう。こうなると自慢の慎二節も形無しだ。

 

「素直じゃないねえ。ま、自称親友を叩きのめす性根の悪さはアタシ好みだ。いい悪党っぷりだよ慎二! 報酬はたっぷり用意しておきなよ!」

 

 高らかに吠えると彼女は両手にクラシックな拳銃を携え、こちらへ迫ってきた!

 

「チッ――」

 

 そしてすかさず式も走る。と、同時に、

 

『――アリーナ内での戦闘行為は禁止されています。ただちに戦闘行動を終了してください――アリーナ内での……』

 

 空間が赤く染まり、あたりに警告音が響き渡る。どうやら、すぐには対応されないらしい。

 

 ――しばらく保たせてくれ! 式!

「さっさとやっつけちまえ!」

 

 

 ※※※

 

 

「チッ――」

 

 慎二のサーヴァントがこちらへ迫ると同時に、式が地を蹴る。慎二のサーヴァントは銃という武器があるにも関わらず、迫る式に全く撃つ気配がない。どうにも舐められているようだ。

 

「――貰った!」

 

 式が肉薄すると同時に、慎二のサーヴァントの首元目がけてナイフを一閃。流れるような動きで放たれる鋭い一撃。やはり技量に関しては式は十分並び立っていることが分かる。

 

「おっと、危ないねぇ」

 

 しかし慎二のサーヴァントは、その一撃を事も無げに銃で止めて見せた。大部分が木製にできており、受け止めるには頼りなく感じるが、壊れる気配はなくそのまま鍔迫り合いをする。

 

「なかなかの速さだねえ。でもまだ遅い!」

「クッ――」

「式!」

 

 鍔迫り合いは式が押され、ついに慎二のサーヴァントにより弾かれるように飛ばされる。

 

「倍返しさあ!」

 

 そして両手の銃から5発の銃弾が放たれる。しかし狙いは散漫であり、式はうち3発をナイフで切り捨てて、残りの2発は全身を捩じるように駆け、紙一重で回避し、再び距離を詰めようと突き進む。前進すると同時に避けるという、二つの動作を同時にこなしたことに一瞬驚くが、

 

「そいつは迂闊さね!」

 

 すぐさま慎二のサーヴァントが地を駆ける式に右手の銃を向ける。本来あのタイプの銃は一発撃つごとに装填が必要なはずだが、そのような仕草は全く見られない。

 

「迂闊なのは、お前だよ!」

 

 式が帯に隠したナイフを取り出し、それを銃口目掛けて投げつける。銃撃にも劣らぬ速さで飛んでいったナイフは、僅かに苦い顔をした慎二のサーヴァントにより撃ち落されるが、その時には既に式が距離を詰めており、構えていた。

 

「壱!」

 

 勢いを落とさず、低い姿勢から足を切り落とすように一太刀。

 

「弐の!」

 

 そして続けて袈裟切り。左肩から右脇腹にかけてさらに一太刀。

 

「参! 双ね鐘楼!」

 

 最後に切り上げる一閃。一瞬に叩き込まれた三種の斬撃に、慎二のサーヴァントの身体が僅かに跳ねる。

 

「なっ!?」

 

 外野から見ている慎二が息を呑む。かくいう自分は、その流れるような三連撃に思わず見惚れそうだった。

 

 しかし当の式自身は、先程の慎二のサーヴァント同様、苦い顔をして舌打ちをこぼす。

 

「やってくれるねえ! そうこなくちゃこっちもつまらないってもんさ!」

 

 ヒットする直前、僅かに身を引いたのかほとんどダメージが無い慎二のサーヴァントは、地に足を力強く叩き付けて体勢を立て直し、式目掛けて銃を乱射する。しかも先ほどとは違い、全ての狙いが精確だ。

 

「糞……ッ! さっきと全然違う……ッ!」

 

 さすがの式も、ナイフ一本では防ぎきれず、前転をするように右後方に逃げる。ただ距離が距離だけに、全弾避けることはできず、幾つかの弾が着物を裂き式を打ち据える。

 

「読んでたさね!」

「何っ!?」

 

 すぐさま立ち上がると、ナイフを手に振り下ろされた拳銃を止めるが、あまりの膂力に体勢を崩してしまう。受け止めた銃口は式の頭部を狙うように向けられ、額目がけて発砲される。何とか首を捻ることで、式は額を少し裂く程度で済んだが、

 

「藻屑と消えな!」

 

 胸部に強烈な蹴りを決められ、大きく飛ばされる。そして宙に浮かぶ式に銃口を向け、

 

『―――最終警告です。アリーナ内での戦闘は禁止されています。ただちに戦闘行動を終了してください。最終警告です。アリーナ内での―――』

 

「……やれやれ、もう少しだったんだけどね」

 

 嘆息しながら、下ろす。幸い、最後の一撃はなかった。

 

 

 ※※※

 

 

「アハハハハ!! これが僕の力だ! 格の違いが分かっただろう!」

 

 蹴り飛ばされた式を受け止め、ゆっくり下すと式は膝をつき咳き込む。その中には僅かであるが、血も混ざっていた。

 

「これで僕には勝てないってわかっただろ。お前たちは精々ゴミのように這い蹲ってればいいのさ! なんなら、泣いて頼めば、子分にしてやってもいいぜ?」

 

 余裕そうな表情で慎二が、こちらを見下すようにあざ笑う。

 ……確かに今の自分達では、慎二には歯が立たない。だが、勝ち目がないというわけではない。

 

「はあ? どの口でほざいてるわけ? まさか気持ちじゃ負けてないとか、そんなつまらないこと言わないよね」

 

 そんなあやふやな物ではない。まず、いまの戦いで分かったこと。

 ――慎二のサーヴァントの武器。あの銃はたしかマッチロック式という、十五世紀から十七世紀ごろまでに使われていた銃だ。火縄の類は連射できないのが普通だが、間違いない。飛び道具ではあるが、遠距離戦闘を主としたアーチャーではないだろう。

 

「それに、お前のサーヴァントの動きは、比較的不安定な場所での戦闘に、特化したものだろ……。おそらく、馬上か戦車か、船か。何にしろ、お前のクラスはライダー、だ……」

 

 式も、せき込みながらも見解を述べる。言葉を並べるうちに、慎二の顔に焦りが生まれる。対して傍らの女性は感心したように面白そうな笑みを浮かべる。当たっていると思われ、さらに言葉を続ける。

 

 ――しかし、戦場を駆ける戦士ならば、絶対ではないが大抵、鎧を着こむはずだ。しかし彼女にはそう言ったものは一切ない! むしろ重いものをつけていないことから、彼女は船での戦闘を主とした者だ!

 

 言い切った後、慎二は顔を青ざめ、悔しそうな表情をする。やはり今の仮説は当たっていたらしい。

 

「ハハハハハ! 見事に当てられちまったじゃないか慎二ィ!! あんたの親友はえらく優秀じゃないか!」

 

 そして対照的に、慎二の肩を乱暴そうに叩きながらこちらを称賛するのはライダー。自分の情報を知られたというのに、焦った様子はない。

 

「う、うるさい! あ、あれは……、あれは……そう! あれはわざと教えてやったんだよ! あの程度も分からないんじゃ、僕の相手に相応しくないからね!」

 

 怒鳴り散らすように、慎二が言い訳をするが未だに顔色は悪いままだ。

 

「しかしやるねえアンタたち。まさかいまの戦闘でそこまで見抜かれるとは思ってもなかったよ」

「ふん、本気出してなかったくせに、よくいうぜ」 

 

 式のそのセリフに驚愕する。先ほどだって式を圧倒していたのに、あれでまだ全力ではないのか!

 

 ……いや、むしろ当然なのだろう。式のステータスは全てEなんだ。自力で圧倒されるのは、しょうがない。

 

「な、お前どういうことだよお前!? 僕は倒せっていったんだぞ!」

「落ち着きなよ慎二。ただここで簡単に倒しちゃあつまらないだろ。ここで倒しちまったらあとの五日間、何するのさ」

「……チッ、まあいい。だけど今度からはしっかりやってもらうからな」

「当然さ。アタシは副官、アンタが船長。命令には従うよ。航海じゃあ一人のバカで全員が死にかけることもあるからねえ」

 

 鼻を鳴らしやるせない趣きの慎二が、端末から何かを取り出し、消える。一瞬、転移かと思ったが、話の流れを考えるに、おそらくは離脱したのだろう。慎二たちはすでにトリガーを手に入れた。ならここに残る意味はない。

 

 ――と、いまはそんなことより式を!

 

 端末を操作して急いでエーテルの欠片を使用する。儚い光を帯びた粒子が額など、式の傷口へ吸い込まれ、欠けたデータを埋めていく。同時に赤く染まったり、先端部分が乱れた着物も修復されていく。

 

「……ありがとう」

 

 回復が終わると、やや素っ気ない返事を返して立ち上がろうとする式に手を差し伸べる。だがそれを式は、一度取ろうとしたが頭を振って自分の力で立ち上がる。

 

 顔を背ける際、どこか戸惑ったような顔を見せた式が気になり、どうしたのか聞いてみるが、

 

「いや……なんでもない。不甲斐ない所見せちまったな」

 

 と、答えるだけ。どうも自分では頼りにならないのだろうか。仕方なく、式自身の問題ならば任せよう、と自分を納得させる。実際、自分は怒らせてばかりだし。

 

 結局その日は、いくつかのエネミーを倒した後、礼装とトリガー、そしてなぜか竹刀を入手して帰還した。マイルームには、頼んだ布団がしっかりと届いていた。

 

 

 ※※※

 

 

 頭痛は止んだ。死線は消せた。自己は戻った。織が消えた穴も埋めれた。

 だけど……生の実感だけが戻らなかった。

 

 まるで宙を浮かぶ、死んでいながら現世に留まる亡霊のように、生と死が定まらない。

 きっとこの世界が、場所が現世でありながら仮想という胡乱気な境界線上になりたっているからだろう。

 

 会話をしても変わらない。本を読んでも響かない。食事もおいしいけど、所詮データがお腹に入るだけ。寝ても覚めても気分はいつも夢の中。

 

 でもようやく、私は生の実感を得れた。あの女、ライダーと戦っているとき、私は確かに自分の生を感じ取れた。それは道中の弱いエネミーでは感じられなかった。

 

 つまり、私は自分の命を瀬戸際に追いやること――殺し合いで初めて生きている実感を感じ取れるということ。

 

 それは所謂――殺人嗜好。

 

 織がいないのに私がそれを感じているということは、それが私自身のものだからだろう。本来その衝動を受け持つ織がいなくなって、私がいままで織が押さえつけていた分も受け持つようになっただけ、ということもありえる。

 

 だけどそんな方法(うそ)で救える人間はいない。

 認めるしかない。殺人を嗜好していたのは、織ではなく式であると。

 織はただ、それしか知らなかっただけだと。

 

 私は、殺し合いを望んでいると。

 

 ……どうやら戦う理由が、また一つ増えた。 

 幸いにも――あるいは不幸にも――ここでは戦う相手には困らない。

 

 

 ※※※

 

 

 マトリクスレベル:1

 現資金:832PPT

 




ライダーの武器に関しては作中の説明通り、十五世紀から十七世紀にかけて使われたのがマッチロック式なので、その時代に生きた彼女もきっとそうなのだと。
船上じゃ使えねえだろ、とかその辺りは気にしないように。
[星の開拓者]パゥワですよきっと。

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調査活動+嘘予告CCC

一日ずつじっくりやっていくと今回みたいなイベントのない時間が出ますね。こういう時はスキップしたり他のイベントと混ぜたほうがいいかもしれませんね。
今回は俺アストルフォを進めて居たため遅れましたが、今度からなるべく早い更新を心掛けたいです。まあ、三週連続土曜授業なんてものじゃなければ、の話ですが。
あと、今回は短いので、CCCのネタ予告を後半に。
べ、別に文字数稼ぎじゃないんだからね!


 ――私は祭壇へ向かって形だけの祈りを捧げる。

 

 正直、私は神なんて興味ない。シスターからは『様になっている』と褒められるが、ただ言われたとおりのことを、シスターがやっていることを真似ているだけだ。言ってしまえば、てきとうと言ってもいい。

 

 本質を理解できていないにも関わらず、勝手に周りの者に見習えなどいって注目を集めさせるシスターに、それに釣られる他の人たち。退屈な時間を過ごしながら、私は早く終われと思いながら誠意の欠片もない礼拝を続ける。

 

 

 

 夕日が射す廊下を歩いていると、必ず好意の視線を向けられ何かを囁かれる。

 何を囁いているかは分からないし、どうでもいいが、毎度の如くされると鬱陶しくてたまらない。早足で廊下を歩き、すぐさま自分の部屋へ戻る。

 

 

 

 しかし部屋に戻っても、私に安息は無い。礼園は基本的に二人で一部屋を使うため、必ず一人ルームメイトが付くのだ。幸いルームメイトは、これまでのことで私に話しかけても無駄だと理解したのか、積極的にこちらに関わろうとしてこない。なので私たちは互いに不干渉を貫き、無視し合っている。

 

 下のベッドに寝転がるルームメイトに挨拶もせず上の段に上がり、寝転がる。

 同じ空間に他人がいるため、なかなか寝付けないが、そこはさすがに我慢する。これ以上はさすがに高望みだろうし、我慢するしかない。

 

 

 

 本当に、くだらない。ここに入ってからは、夜に外の街を歩くことも碌にできない。今まで強いられてきた鍛錬もできず、どこにいても他人がいるので酷く窮屈だ。唯一の救いは織がでようとしない点だろう。

 

 

 私の安穏は、寝てるときにしか訪れない。

 

 

 ※※※

 

 

 不快感に気付き目を覚ますと、眩しい日差しがこちらを向いていた。今度は朝日が照らない場所に位置取ったのだが、昼も過ぎ、日が傾いたためやや赤みを帯びた眩しい日差しはこちらに向いていた。

 

 煩わしげに起き上がり、申し訳程度に被っていた毛布をどける。そのまま備え付けの時計を見ると……四時だった。当然、午前ではなく、午後の四時だ。昨夜アリーナから帰ってきたのが十時だったので十八時間も寝ていたことになる。元々休みは一日中寝てたほどだし、別段驚くことではない。

 

 本当ならこのまま二度寝したいところではあるが、今からさらに寝てしまうと日を跨いでしまう可能性が高い。アリーナは一日に一度しか行けないので、最低でもそこで鍛錬だけはしておきたい。

 

 ……のだが、肝心の彼は私が昨日渡した毛布――暑さや寒さに強い私は敷布団と毛布一枚だけあればよかった――に包まって未だに寝ていた。私と彼はある程度なら離れていても問題はないが、アリーナと校舎では空間が違うため、パスも切断される可能性もあり一人で行くのはさすがに気が退ける。

 

 しかし、昨日は随分と早起きだったが、今日は日差しの所為ということもあるが、私より遅いとはどういうことだろうか……。今も泥のように眠っている姿から、よほど疲れが溜まっていて、そしてまだ起きそうにない事が窺える。

 

 もしや昨日の戦闘による魔力消費だろうか。他のサーヴァントがどうなのかは知らないが、少なくとも私にとって彼から供給される魔力は、あの神父に賛同するのは癪だが、酸素といっていい。そして日常行動ならともかく、戦闘となると多くの酸素を消費する。従って、彼も私と同等の疲労を――いや、私はエーテルで回復させられたのだから、彼だけが疲労を重ねている。

 

 別に忘れていたわけでは無いが、私と彼が共同体であることを改めて理解する。私の傷はそのまま彼の負担に。彼の負担は私の不調に繋がる。そして当然ながら、私が殺されれば彼もまた同時に死ぬ。逆もまた然り。

 

 勝ち負け以前に、戦うだけでも彼には負担をかけているという事実が、私の双肩に重く圧し掛かってくる。そしてそれを意識すると、先の敗戦を思い出す。あの一方的ともいえる戦いを。

 

 先の戦闘で、私が劣っていたのは経験や年季の違いなど、様々ではあるがやはり決定的な理由は身体能力だ。技量に関しては、父から無駄に熱心に教えてもらっただけあって、過去の英雄たちと顕色ないどころかかなり上位に位置していると見た。同じ程度の能力なら負けることはない。

 

 ならまずは、一番大きな穴を埋めるのが先決だろう。

 幸いあの橙子といういけ好かない人が明日にでもどうにかしてくれるのだし、私はひたすら鍛錬に勤しむだけだ。

 

 しかしそれまで退屈だ。折角だし、意趣返しに彼の顔を見ていよう。どうせやることも無いのだし、時間を潰しても問題ない。

 

 

 ※※※

 

 

 ……目が覚めると、式が適当な机に座りながら、こちらを猫のような笑みを浮かべて見ていた。昨日の意趣返しだろうか。なるほど、これは確かには恥ずかしい。

 

 というか、既に日が傾いて、茜色がかかっている件。昨日はやけに疲れていたし、毛布が手に入ったからグッスリしすぎたのだろうか。とりあえず、おはようと言っておく。

 

「おはよう。もう夕方だけどね」

 

 お寝坊さん、と言われている気がして羞恥で顔を歪める。そんな自分を見て勝ち誇ったような顔をした式が机からゆっくりと降りるのを見て、自分も布団をどけて背伸びする。

 

 そのまま立ち上がり、毛布を綺麗に畳んで物置代わりの机の上に置く。本当なら干しておきたいが、今からやってもほとんど意味はないだろう。

 

 ……襖が欲しい、などと考えながら装いを整える。そして衣服から僅かに漂う昨日のアユの匂いを嗅いでふと思ったが、式は今日食事をとったのだろうか。

 

「とってないわ。でも気にしなくてもいいわ」

 そういうわけにもいかない。自分も何も食べてないし、あとで軽く何か食べるとしよう。

 

 

 ※※※

 

 

 廊下に出ると、図書室の方で早速慎二と凛の姿が目に映った。何やらもめてそうな雰囲気だが、おそらく慎二の方から噛み付いたのだろう。以前から慎二は凛を気にしていたから、間違いはあるまい。

 

 というか、凛の方から慎二に絡んでいるという発想自体、浮かばない。

 

「そうね。で、どうするの? 盗み聞きでもしてみる?」

 

 それもいいだろう。あの様子ならきっといくつか情報を零してくれる。それに、今日は図書室で慎二のサーヴァントの情報を集めるつもりだからちょうどよかった。判断材料が増えるのは、素直に嬉しい。

 

 幸い慎二はこちらに背を向けているし、ばれる心配はないだろう。

 

「君はもう、アリーナには入ったのかい? なかなか面白いとこだったよ? ファンタジックなものかと思ってたけど、わりとプリミティブなアプローチだったね。神話再現的な静かな海ってところかな」

 

 元々自己顕示欲が強かった慎二だが、今回は無理にカッコいい言葉や難しい単語を使おうとしているように思える。そのため、内容がいまいち分かり辛い。こう言ってはあれだが、小さな子供が関心を引こうと必死になっているようにも思えた。

 

「いや、シャレてるよ。海ってのはホントいいテーマだ。このゲーム、結構よく出来てるじゃないか」

 

 ……予想はしていたが、本当にゲームと思っているらしい。その様子にはさすがに呆れてつい嘆息しそうになるが、式に小突かれて寸前で止めることができた。

 

「あら、その分じゃよほどいいサーヴァント引いたみたいね。アジア圏有数のクラッカー、間桐慎二君」

 

 そして今まで黙っていた凛がようやく口を開く。

 

 ゲームだと思い込んでいることから、簡単に情報を割ると見たのだろう。凛は自分とは正反対の、獲物を見つけた女豹のような微笑を浮かべていた。きっとこの会話で容赦なく情報をむしり取っていくのだろう。

 

「ああ。君は何度か煮え湯を飲まされたけど、今回は僕の勝ちだぜ? 何しろ僕と彼女の艦隊は無敵だからね。いくら君が逆立ちしても、今回ばかりは手も足もでないさ!」

 

 それに気づかず慎二はようやく会話が成立したからか、やや上機嫌になり、迂闊にも艦隊という情報を漏らす。

 

 本当、なんてチョロ――軽率なんだろう。聞き耳を立てて一分と経っていないのに、早速情報を得ることができた。これがビギナーズラックという奴か。

 

「へぇ、サーヴァントの情報を敵に喋っちゃうなんて、間桐君ったら随分と余裕なんだ」

 

 凛も同じ感想を想ったのか、声を弾ませてそう返す。

 

 さすがの慎二も、自分の失態に気付いたらしい。きっと今頃顔を赤くしているだろう。

 

「う……そ、そうさ! あんまり一方的だとつまらないから、ハンデってヤツさ! で、でも大したハンデじゃないか、な? ほら、僕のブラフかもしれないし、参考にする価値は無いかもだよ……?」

 

 (ども)ってばかりで、呂律が拙いし、疑問形だし、ブラフなら自分からそんなこと言わないよ、と教えてあげたくなった。気分はまるで授業参観で子供が当てられた母親。老婆心ながら心配してしまう。

 

「そうね。さっきの迂闊な発言からじゃ、真名は想像の域を出ない。ま、それでも艦隊を操るクラスなら、候補は絞られているようなものだし、どうせ攻撃も艦なんでしょ? 艦砲射撃だとか、或いは突撃でもしてくるのかしらね。どのみち、物理攻撃な気がするけど」

「う……」

 

 慎二の背中が小さく見える。まるで叱られているようにも見えて、思わず応援しそうになる。

 

 しかし艦隊か……。となるとどこかの提督かな? 十五世紀なんて大航海時代だし、ヨーロッパ圏なら数多く存在する。判断材料としては弱いな……。

 

「ま、今の私にできるのは、物理障壁を大量に用意しておくぐらいかしら」

 

 なるほど、情報を知っていればこういった対策を立てることもできる訳か。個々の力が強力である以上、一方だけが対策を立ててしまえば、戦いの趨勢は明らかだろう。

 

 こちらを見つけ、上機嫌な笑みを浮かべる凛に感謝しながらそのことを心に刻む。同じように返すと顔を赤くして顔を逸らしてしまう。

 

 きっと『べ、別にあなたのためじゃないんだから、感謝される謂れはないわ! 勘違いしないでよね! ただあなたに少しでも慎二を消耗させてほしいだけよ!』とでも言いたいのだろう。

 

 その様に思わず破顔しそうになるが、ギリギリ抑える。多分してたらその時点で凛は想像通りのセリフを口走っていただろう。

 

「あ、一つ忠告しておくけど。私の分析(アナライズ)が正しいなら、『無敵艦隊』はどうなのかしらね。それはむしろ彼女の敵側のあだ名だし? せっかくのサーヴァントも、気を悪くしちゃうわよ」

 

 どうやら凛は真名まで看破したようで、したり顔でそう告げた。慎二はもはや顔どころが、全身真っ青だった。そろそろ可哀相に思えてきたが、自業自得なので仕方ないだろう。しかし、本当に容赦ないな凛……。

 

「ふ、ふん……まあいいさ。知識だけあっても、実践できなきゃ意味ないし。君が僕と必ず戦うとも限らないしね」

 

 屈辱で全身を震わせながらも、精一杯の虚勢を張って慎二が立ち去ろうとこちらを向く。情報は手に入ったので、隠れる必要ももはやない。

 

「お、お前……ッ! まさか、そこでずっと見てたわけ!?」

 

 こちらの姿を確認すると、慎二は大仰な動作で身を引いて見せた。しかし直ぐに体勢を立て直し、いつもの様子に戻る。やはり舐められているのだろう。昨日の戦闘結果を考えれば仕方ないといえば仕方ないが、あまりいい気はしない。しかしそこに付け入れる隙があるのだから、その点だけは感謝だ。

 

「ふ、ふん……。まあお前たちならどうせ、僕の無敵艦……いや、サーヴァントは止められないさ。精々必死になって情報を集めるんだな!」

 

 そう言い残して、逃げるように走り去っていった。

 ……正直、その姿は情けなかった。

 

「……やれやれ、緊張感に欠けるマスターが多いわね」

 

 嘆息しながらそう洩らすのは凛。確かに、自分の命綱ともいえる情報をああも簡単に零すようなマスターが相手では、嬉しいが張り合いというものが無い。

 

 ――しかし凛はすごいね。まさかたったあれだけの情報で、真名にたどり着くなんて。

「ええ。あなた、ただの痴女じゃなかったんですね」

「あれは慎二が迂闊すぎるだけよ。あと、あんたは人を痴女呼ばわりするな!」

 

 ……まあ、人が人を判断する上で、第一印象というのは大きいから、式が凛をそう思ってしまうのも仕方がないのだろう。

 

「はぁ……それであなたたちは図書室で情報集め?」

 

 そのつもりだ。新しい情報も入ったし、かなり範囲は搾れるだろう。

 

「そ、慎二はポロポロ情報零してくれるから、簡単に真名までたどり着けるわ。頑張ってね」

 

 こちらに背を向けて立ち去ろうとする凛。

 そんな彼女を、自分は図書室の扉に手をかけながら呼び止める。

 

 なによ、と疑問符を頭に浮かべる凛へ向かって、ありがとう、と告げる。凛があくまで慎二を苦しめるためだけだったとはいえ、慎二が勝手に漏らしただけとはいえ、彼女が自分に情報をくれたのは間違いないのだから、感謝の言葉を彼女に贈る。

 

 返事は聞かずに扉を開けて図書室へ入る。

 

『べ、別にあなたのためじゃないんだから、感謝される謂れはないわ! 勘違いしないでよね! ただあなたに少しでも慎二を消耗させてほしいだけよ! そうすればあいつが勝ち抜いてきても簡単に倒せるし、万が一、あなたたちが勝ちあがってきても苦労しないし! ド素人なんだからちょっと塩送ってやるかとか、全然、これっぽっちも考えてないんだから! 初めて同年代の話し相手が出来たのにすぐに消えるなんて、とも思ってないんだからね! ただ私は……そう! あなたたちに情報の大切さを教えようとしただけ! 聖杯戦争では情報がすべてを左右すると言ってもいいから分かりやすく見せてみただけなんだから! さっきの慎二を見ればいかに情報が戦況に影響を与えるか、さすがにあなたでも理解できるでしょ! だから別に私はあなたたちの心配なんてまったくしてないんだから――――!』

 

 扉を閉めると凛の叫びも途切れる。図書室の防音設備スゲー。

 

 

 ※※※

 

 

『大航海時代におけるスペイン海軍の異名。千トン級以上の大型艦100隻以上を主軸とし、合計6万5千人からなる英国征服艦隊。スペインを「太陽の沈まぬ王国」と謳わしめた、無敵の艦隊である』

 

 以上が無敵艦隊の情報である。そして凛がこれを敵方のあだ名と言った。つまりあのサーヴァントはスペインと敵対した者のことだ。

 

 そしてその無敵艦隊が敗れたのはアルマダの海戦。主な主要人物は、総司令官チャールズ・ハワードに副指令フランシス・ドレイク、他にはマーティン・フロビッシャー、ユスティヌス・ファン・ナッサ、ジョン・ホーキンスの計5名。

 

 だがこの中には女性は一人もいない。おそらくこの中に女性だった人物がいる。故に式に女性と思える人を探らせてはいるが……。

 

「……やっぱり、こんなものじゃわからないわ」

 

 やはり芳しくない様子だ。本をパタンと閉じて、式がため息を吐く。どれだけ史書を読み解こうと、その人となりまでは知れないか。しかしここまでくれば、あとは地道に進んでいくだけだ。

 

「そうね。5人にまで絞ったのだから、あとは船の名前でも知れれば簡単よ。明日あの……橙子とかいう女に改竄してもらって、もう一度戦うとしましょう」

 

 ……確かに、逃げているよりは情報を集めて差を縮める方がいい。しかし、式は大丈夫なのか。

 前回の戦闘で式は碌なダメージを与えられず、ほぼ一方的と言っていい結果となった。多少情報が手に入り有利になったとはいえ、もうしばらく様子見をしたほうが……。

 

「問題ないわ。確かに前回は負けたけど、技量はこちらの方が上。前回の敗因はただ基本性能の差だけよ」

 

 そう告げると式は睨むような鋭い視線をこちらへと向けてくる。どうやら式はあの敗戦を気にしているらしく、自分でも何が悪かったかはわかっているらしい。そして今の言葉が嘘というわけでは無いと、瞳に宿る熱が如実に告げている。

 

「だから、次に会う時はこっちが決めてやるわ」

 

 凛とした物言いで、堂々と言ってのける式。それに自分は素直に誇らしいと思った。

 

 期待してるよ、と告げると、

「ええ、期待していて」

 

 と好戦的な笑みを浮かべて見せてくれた。自分は一層笑みを深くし、式を連れて今日はもう実入りが無いだろうと思われる図書室を後にし、アリーナへ向かう。

 途中、軽食にトマトサンドとミネラルウォーターを買うことを忘れない。

 

 

 

 ……それはそうと、初日の収入は見つけたアイテムボックスからの収入込だったので、アリーナのエネミーを掃討しても収入は674PPTしかない。そしてこれを自分たちの食費に充てると、一食に使えるお金はたったの112PPTしかない。これではサンドイッチすら買えず、麦ごはんとおかず一品しか買えないのだ。

 

 この由々しき事態解決のために、何か手を打つ必要があると考えている。

 例えばそう、バイトとか……。

 

「言っとくけど、手伝わないから」

 ひどい。式も他人事じゃないんだぞ。

 

 

 ※※※

 

 

 マトリクスレベル:2

 現資金:1306PPT

 

 

 ※※※ ここから嘘予告

 

 

 月の裏側に囚われた岸波白野。そして流れる日々、

 

「奏者よ。あーんだ!」

「はいご主人様。海老の天ぷらですよ」

「セ~ンパイっ、お口開けてください。はい、あーん」

「あわてん坊なんだから。ほら」

「む……こちらもどうぞ」

「わあ、お兄ちゃんに褒められたわ、あたし(アリス)

「ええ、褒められたわね。嬉しいねあたし(ありす)

「ふふ……足を舐めてるみたい……。堪らないわ」

「私、もっと頑張ってきます!」

「ホラ、子ブタ。私の手料理も食べてよ」

 

 ――酒池肉林。

 

 

 ※※※

 

 

「先輩の蘇生、成功しました! バイタルの安定に移ります!」

「よし! さすが兄さんのカレー! もう一流の兵器ですね!」

「俺のカレーは絶品だからな!」

 

 ――そして物体xによる目覚め。

 

 

 ※※※

 

 

「レディ両儀なら、用具室に引きこもっていますよ」

「お前が夢の中であの女たちと姦しいことをしているのを見て怒ってな……」

薄い本(ソリッドブック)みたいな展開も一度や二度じゃありませんでしたからね!」

「小生としては眼福であった!」

「愉☆悦!」

 

 ――式の引きこもりによる生徒会の圧倒的男女比。

 

 

 ※※※

 

 

「本当に酷いものですよ。慎二が作った一流の防壁を、アサシンの勁とランサーのルーンと紅茶さんのアイアスに英雄王の財で強化して、至る所に緑茶さんのトラップを仕掛け、アンデルセンの搦め手を使い、さらにカルナさんのブラフマーストラを張り巡らし、各所にソードキャメロットの小型を分散させることでようやくこの生徒会室を保っているんですから、女性陣の攻め方本当に半端じゃありませんよ。用具室へ行くには最低でもあちらの人員を二、三人削らなければなりません」

 

 ――圧倒的な戦力差。

 

 

 ※※※

 

 

 ――そして岸波は両儀の元へと行くために、サクラ迷宮へ潜る。

 

 ……入り口って……コレ?

「はい。申し訳ありませんが、桜の木まで道を確保できないので――ゴミ箱から行ってください」

 

 

 ※※※

 

 

 ――未知行く先々のトラップ。アリーナの攻略は至難を極めた。しかし白野は決してあきらめない。様々な男サーヴァントを率い、迷宮を次々攻略していく。

 

 

 ※※※

 

 

「こちらは六手全てをガラティーンで埋める用意はできています! この迷宮のように焦土となる覚悟があるならばいつでも来るがいい!」

「く……やっぱりこの有り様はあんたの仕業だったのね!」

「ぐぬぬ……悔しいですがここは退くしかないかと。こちらの一夫多妻去勢拳よりあちらの方が早く入ります」

 

 

 ※※※

 

 

(神様……)

(女神……)

(結婚してぇ……)

 

 アーチャー、緑茶の始末任せた。桜は自分の後輩だと一万年と二千年前から決まってるんだ。

 

 

 ※※※

 

 

 ――ランサーが(男として)死んだ!

「「「「「「「「「「「「「「この人でなしーっ!!」」」」」」」」」」」」」」

 

 特に理由のない遠坂パワーイズマネーシステムと一夫多妻去勢拳がランサーを襲う!

 

 

 ※※※

 

 

「安心しろ、俺で主人公力が1000という時点でこれは壊れていると見ていい。だから5でも気にするな。それに龍玉という漫画では1000など雑魚で5などゴミだ。大した違いなどない」

 

 カルナの優しさが心に痛い。

 

 

 ※※※

 

 

「何を恥じる雑種。装いなど葉っぱ一枚あればいい」

 

 ――いやだ……。いやだ……、自分は、いや、俺は――脱ぎたくないィィィィイ!!

 

「ぬ、どうした雑種!?」

 

 懐にある手首で、令呪を発動する!

 

『あれは兄さんの!?』

『マスターたちからとった令呪! いつの間に!?』

 

 これが(社会的に)生き残るための、俺のあがきだァ!

 

「まさか力技で来るとは……。しかしこの脱衣式全自動オープンロックも宝具の一種! そう簡単に破壊はできません!」

 

 言っただろう、俺はこのターンで決着をつけると!(注:言ってません)

 令呪は一つではなく、五つある! 

 

「なんですって!?」『なにぃ!?』『兄さん、ちょっと取られ過ぎです!』

 

 岸波白野を舐めるな、破壊(バトル)だァ!

 ギルガメッシュで攻撃ィ! ゲートオブバビロン! グォレンダァ!

 

 ユリウスの懐にある令呪を奪ってでも、俺は勝ァァァツ!

 

 

 ※※※

 

 

「花びらの枚数には注意してください。全部散ったら死んでしまうので」

「それと、イ○とメ○リーに会ったら保護しておいてください。後々の面倒は私が見ますのでご安心を」

「お前たち……、ここはゲ○テナ展ではないのだぞ……。それと○ャリーも助けてやれ」

 

 

 ※※※

 

 

「あ、兄さんコーヒーをお願いします。ブラックで。砂糖とかミルクとか、一切の甘さを抜いて苦みだけを抽出したような感じので」

「ユリウス、私もお願いします。ランスロットの汚い心胆並みに黒いのを一杯」

「わしも頼む。コーヒーは飲んだことがないがな」

「俺もだ。こんな甘ったるい少年少女の恋物語など、俺にとってはボツリヌス菌みたいなものだ」

「俺も一杯くれ。こんなイチャイチャ見てたら糖分過多で糖尿病になっちまう。あ、緑茶じゃなくてコーヒーをだぞ」

「私も一杯頼む。言っておくが、紅茶ではなくコーヒーをな」

「我も頂こう。下手なものを出すな、と言いたいが今回ばかりは気にせぬからさっさと用意しろ」

「小生もいただこう! 猫舌ゆえ、温めを所望する!」

「僕も頂く……。岸波爆ぜろよ(ボソッ」

「私も頂くとしよう。一点の曇りもない、この世全ての悪のような黒を」

「ブラックはあまり好きではないのだけどね。今回は飲まずにいられないな」

 

「やれやれ……。まあ俺も飲みたくなってきたところだったしな。桜、ダン卿、手伝ってもらえるか? カルナ、火を頼む」

「はい、お任せください」

「構わぬ、手伝おう」

「命とあらば仕方ない」

 

 何故全員ブラックコーヒーを頼む。あと火付け役でいいのか施しの英霊よ。そして見回りはどうした、言峰と二度目の欠片男。

 

「トワイスだ」

 

 

 ※※※

 

 

「いつ僕がハーウェイトイチシステムの時間がこの世界だと言いましたか? ――ハーウェイトイチシステムは現実時間に準拠します」

 

 それは作者の遅筆が原因だろー!?

 

 忘れたころに襲い掛かってくる、恐怖のハーウェイトイチシステム。

 

 

 ※※※

 

 

「――BBさん、メルトさんの所為で浮いた空気をどうにかしてください。上に立つ者として責任を負うべきです」

『……悔しいですが、反論の余地はありませんね』

「全くだよ。監督不届きにもほどがあるぜBBさんよぉ。だからいつまでたっても後輩属性なんだよ」

『メルト、あなたがやったことは無粋な真似でしかありません』

「つまらんアドリブで舞台を台無しにするとは、まさしく大根役者だな! 馬鹿め!」

『余の晴れ舞台を壊すつもりかメルト! これで評価がガタ落ちしたらどうするつもりだ馬鹿者!』

「平時でも戦時でも、空気が読めないのは軍人として致命的であるぞ」

『ほーんと、メルトさんって空気読めませんね。所詮吸収しか脳のない蚊みたいな存在ですから、まあしょうがないかもしれませんですけど』

「ギャグでのみ構成されたこの空間において、お前の行為は物語そのものを破たんさせかねない行為だ。己が分を弁えるのだな、メルトリリス」

『『メルトってダメな子ね、ありす/アリス』』

「一人で突っ込んできて敵味方の両方に嘲笑される様……愉☆悦!」

『空気が読めないのが許されるのは小学生までよね』

「正直胸が欠片もないメルトは小生ノーサンキューである……」

『メルト……責任とって、自害してください……』

 

「……………………な、なによ……私が悪いの……?」

 

 空気が読めないメルトへの、敵味方からの容赦ない罵倒。

 

 

 ※※※

 

 

 ――Fate/EXTRA CCC IRREGULAR

 ――きっと、誰かがやってくれると信じて……。

 

 

 




てなわけで、無理やり感たっぷりの嘘予告でした。

感想・評価プリーズです。この頃一件しか来てなくてちょっと寂しいです。ていうかちょっと泣きそうです。


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二層探索

本日二度目ー。ほんとは8時に投稿したかったのですが途中でツールバーのニュース押してしまいパーになりましたw

犬ハサついにアニメになりましたね。そして魔王さま終わりましたね。残念です。
犬ハサは個人的には初見者を置いてけぼりにしてる感じがしてましたが、まあ今後に期待しますか。


 ――シンと静まりきった空間に、無機質な電子音が響く。深い微睡の中にいた自分の意識は無理やり引き上げられ、気だるい体を必死に動かし、騒がしく鳴り響く不快な端末を掴んで内容を確かめる。

 

『改造の準備ができた。十時ごろには始められるから来るように』

 

 メッセージは橙子さんからの、メールだった。教えた覚えがないのに、どうやって自分の端末にメールを送れたのだろうか。あと完璧に改造って言ったよ。

 

 改造という言葉に、思わずノコギリのような回転刃に、猛回転するドリルがあってしかもその先に動けないように固定された自分がいる光景を想ってしまい、思わず身の毛がよだつ。

 

 だがやめるわけにはいかない。せっかく用意してもらった、ということもあるが元々志願したのは自分だし、これから戦うためにも必要なことだ。

 

 聖杯戦争はトーナメント、参加者は128人。なら優勝するためには7回戦わなければならないのだ。そしてトーナメントである以上、勝ち抜くごとに相手は強くなる。だからいつまでも一回戦(ここ)で手こずっていられないのだ。

 

「ええ、そうね……。勝手に巻き込まれて、勝手に死ぬなんてまっぴらだし、何よりあれに負けるのだけは我慢ならないわ……」

 

 式が気だるげな声で賛同の意を示す。先ほどの電子音で起きたらしく、寝起きで意識がはっきりしていないのか……着物がはだけてて、その……、エロイです……。その色気に、思わず頭がくらくらしてしまう。

 

 白い起伏がはだけた胸元から僅かに見えて、横臥していたため艶めかしいしなを作っており、誘っているようにも見えなくはない。これ以上見ていると、自分の理性が本能に負けてしまいそうなので、小さく咳払いをして紅潮した顔を隠すように背を向ける。

 

 と、向いた先にはちょうど時計があり、短針は文字盤の8の字を示していた。個人的にはまだ六時程度だろうと思って居たため、結構意外だった。やや遅いが、朝食をとるにはいい時間だろう。

 

 

 ※※※

 

 

 そして相も変わらず式はトマトサンドを、自分はミネラルウォーターを買う。いつも同じものを選んでいるので、トマトサンドが好きなのかと聞いてみると、

 

「別にそんなわけじゃないけど、他のよりは美味しいと思うから買ってるだけ」

 それを好きっていうんじゃないかな?

「……それならあなたはどうなのよ。この前も昨日も、ミネラルウォーターばかりじゃない。好きじゃないけど、他に比べれば何となく美味しいと思うから買ってるだけでしょ?」

 

 むう……確かに。自分だって50PPTで買えるのならミネラルウォーターではなく、もっと美味しいものが食べたい。特にそれまでの記憶がない自分にとって食事というのは、数少ない趣味と言ってもいいレベルだからね。

 

「そう? 意外ね、てっきり欲とか薄そうに見えたけど」

 それは買い被りすぎだよ。自分だって人間だからね、人並み程度には欲もあるさ。

「人並み、ねえ……。欲はあるけど執着がないってことかしら……」

 え?

「いえ、なんでもないわ」

 

 そこで話を切って目の前の扉を開けると花壇に出る。

 様々な種類の花々が咲き誇っており、中央には噴水が置かれている。凝った造りはしていない、公園にありそうな風景だ。

 

 端末で時刻を確かめると九時四五分。少しばかり早いが、待ち合わせにはちょうどいいかもしれない。そう思い少し歩みを進めると、先ほどまで噴水の水のせいで見えなかった向こう側で一人の少女がベンチに座っていた。

 

 藤色の長い髪をした、自分と同じくらいの年の少女。服装は制服ではあるが、月海原のものではなく、黒い礼服に制服としての機能性を申し訳程度に持たせた感じの衣装で、どこか尼僧服を思わせる。そんな衣装も相まって清潔な印象を想わせるが、その表情には感情がなく、自分にはどこか強がっているように見えた。

 

 不意に視線を下げてみれば、彼女のくるぶしのあたりがひどく腫れ上がっていた。その腫れ上がれ方はひどく、見ているこっちの方が痛くなりそうで、どれだけ危険な状態かが素人の自分でも分かってしまう。

 

 そして、そんなものを抱えながら、彼女の端整な顔立ちは微塵も乱れておらず、発汗もない。これはもはや我慢強いとかで済まされるものではない。おそらく、何らかの疾患で感覚を失っているのかもしれない。歩こうとしないのは腫れ上がったくるぶしをこれ以上酷使するべきではないと、気付いているのだろう。見てられず、彼女の元へ行こうとすると、

 

「待って」

 

 式に肩を掴まれ、動きが止まる。それも全身を見えない力で押さえつけられているように、ピクリとも動かない。

 

「あれは異常よ。迂闊に近づかない方がいい」

 

 かろうじて動く首を回して、式の顔を見る。きつくこちらを睨む彼女の瞳が、冗談ではないと如実に告げていた。

 

 ……自分より、何倍も強い式がそういうなら、きっと彼女は危険なのだろう。しかし、自分にはとてもそのようには見えないし思えない。それは単に自分が無知で弱いからかもしれないが、それでもあの少女を放っておけなかった。

 

 式にごめん、と告げて一歩踏み出す。全身を縛っていた何かはいつの間にか消えていた。再び振り向いて見れば、式は手を放しており、飽きれたのか怒ったのか、そっぽを向いていた。

 

 ――ありがとう、式。

 

 

 ※※※

 

 

『マスター、立たぬならわしが運ぼうか?』

(結構です)

 

 足をくじいた私を心配して、サーヴァントが手を貸そうとして来るが、それをにべもなく拒絶する。この程度のことで、サーヴァントの姿は晒したくないし、そんな目立つこともしたくない。

 

 別に、無痛症の私は歩くことができないわけでは無い。痛みを感じないのだから。実際、先ほどまでは普通に歩いていた。今それをしないのは、脹れ上がったくるぶしがこれ以上は取り返しのつかないことになる、と訴えていたからだ。

 

 マスターの身体は、サーヴァントとは違いアイテムや礼装によるコードキャストで治るわけでは無いらしい。ムーンセルは本当に、無駄なところに凝る。

 

 仕方ないので私は誰にも気づかれないよう、ベンチに座って何事もないように振る舞う。きっと親切な人は私の足を見れば『痛くないの?』『痛まないの?』『痛いと思えないの?』などと言ってくるのだろう。そんな普通の感覚を持っている人の、無神経な心配なんて私は聞きたくなかった。なので私は決して悟られぬよう、ただじっと正面を見据えて休んでいるように振る舞う。

 

『やれやれ……、意固地よのお』

 

 サーヴァントが呆れた様子でため息をつく。霊体の癖に。器用なことだ。

 

「――大丈夫?」

 

 そんな時、一人の男性が私に話しかけてきた。

 

 いつの間にか、当たり前のように視界に入っており、こちらにそう話しかけてくる男性は、むしろこちらが大丈夫かと聞きたいほどに沈痛な面持ちだった。

 

 あまりにも気配が希薄なので、一瞬NPCかと思ってしまうが、NPCは基本役割以外のことはしてくれないので、必然的にこの人はマスターということになる。しかし殺し合いの場であるこの聖杯戦争で他人を助ける意味が分からない。

 

 何か裏があるのでは、という考えもあったが、それ以前に私は見つからないようにしていた足の傷を見つけられたことと、来てほしくなかった親切な人がやってきたことに苛立ちを覚え、「気にしないでください」と語調を荒げてそっけなく突き返す。

 

 しかし彼はそれを聞くと一層、顔を曇らせる。

 だから、なぜあなたがそんな顔をするのか。尋ねてみようと思ったが、次の瞬間感じた浮遊感で、そんな考えは一気に吹っ飛んだ。

 

 彼は私を、背と膝を手で支えるように持ち上げた。有り体に言ってしまえば、お姫様抱っこというものだ。唐突過ぎるその行動に、私は驚きの声を上げる。思わずその腕から逃れようと身を揺らし、きつい口調で一言、何か言ってやろうと口を開く。

 

「傷は耐えるものじゃなく、痛みは訴えるもの。それが普通だよ。――だから君は、泣いていいんだ。叫んでいいんだ」

 

 ――その一言で、私が言おうと思っていたことはすべて、消えてしまった。開いていた口は言葉を失い徐々に閉じていき、揺らしていた身体はやがて彼が歩むリズムに合わせて心地よく揺れる。

 

 彼はしばし呆然としていた私に、柔和な笑みを向ける。

 その笑みを見て、ふと私は昔を思い出した。

 

 幼い頃、ちっちゃな料理道具のおもちゃの中に、ひとつだけ本物が混じっていた時があった。綺麗に拵えられたそれを私は小さな両手で握りしめており、指を深く、深く切り裂いていた。母さまはそんな私を見咎めると、私を叱りつけて、泣き出して、最後に私を優しく抱いてくれた。

 痛かったでしょう、と母さまは言ってくれた。でも私はそんなわけの分からない言葉より、母さまが優しく抱きしめてくれたことが嬉しくて、母さまと一緒に泣きだした。

 

 ――そんな、遠い昔の事を、藤乃は思い出しだました。

 

 

 

 気が付くと、いつの間にか藤乃は泣いていました。恥も外聞もなく、嗚咽を洩らし、両の手で涙を拭っていました。彼はそんな私に何も言わず、ただ優しく抱いてくれて、それがとっても嬉しくてどんどん涙が、止め処なく溢れてしまいました。

 

 

 ※※※

 

 

「では後のことは任せてください、先輩」

 

 桜の笑顔と言葉を受け止めて、保健室から出る。

 

 途中で泣き疲れて眠ってしまった彼女を保健室へ運び、桜に治癒を頼んだところだ。やはり彼女のくるぶしの腫れは結構なもので、桜は寝てる彼女に苦言を呈していた。幸い、今の自分たちは霊子で構成された肉体なので、地上のように生涯後を引いたりするような物にはならないらしい。

 

 胸を撫で下ろしながら、不貞腐れているであろう式の元へ戻ろうと、再び花壇へ向かおうとする。

 

「――待て」

 

 そして扉に手をかける寸前、自分の背後に一人の男が現れる。

 灰色の質素な武道服を着て黒いコートを肩にかけた初老の男性。しかしその身が持つ威厳と、幾つもの修羅場をくぐってきたであろうその鋭い視線が、只者ではないと如実に示している。そのどう猛にも思える視線がこちらに向くと、思わず全身がビクリと跳ねる。

 

 おそらく、いや確実にサーヴァントだろう。存在感こそ強いものの、荒々しい闘気などは感じないから、戦いに来たというわけでは無いだろうが、いったいなぜ?

 

「礼をいう」

 

 そういうと、初老の男性は右拳を左手で包み、ペコリと一礼してみせた。

 これは確か……包拳礼。右拳の『武』を左手の『文』で包む、友好を示す礼だ。

 しかしいきなり礼といわれても……。きっと先ほどの少女のことなのだろう。

 自分は当たり前のことをしただけで、感謝されるほどのことではない、と告げる。

 

「ふっ、当たり前、か……。随分と徳高い男だな」

 

 僅かに目元を緩めて、彼は温かみのある笑みを浮かべる。その容姿から思わずマフィアをイメージしていたが、そんな人物像は一瞬で払拭(ふっしょく)された。

 

 しかし、今度は徳高いと来たか……。自分としては本当に当たり前のことをしているにすぎないのだが、何故ここまで過大評価されるのだろうか。照れよりも困惑のほうが多くなってくる。

 

「そうか。自覚なしときたか。言い直そう、愉快な男だな」

 

 そういいさらに笑みを深めて、男はそう語る。評価が上がったのか、下がったのか、微妙なところである。温和な口調から察するに前者だと思いたい。

 

 初老の男性はそこでさて、と咳を一つ零して改めてこちらと向き合う。

 

「繰り返して礼を述べる。我がマスター――浅上藤乃のあれは重傷だった」

 

 あれ、というのは決してくじいた足ではない、彼女の疾患のことに違いない。先天性か後天性かは不明だが、おそらくは無痛症。読んで字の如く、痛みを感じない病だ。

 

 痛み、というのは人体が発する危険信号だ。それがないということは、自分の限界が分からないということだ。だから自分の身体がどれだけ痛みを訴えても気づけない。今回は見れば分かるので良かったが、これが内臓が訴える痛みだと自覚症状もないため、最後まで気付かず、手遅れになる可能性もある。その手のことは本来専門医がみえることだが、月の中では到底望めない。桜がいてくれて、本当によかったと思う。

 

 それに、汗もかかないため、体温調整ができず運動などもできないため、結果的に全身の運動能力はほとんどなく、本当にいざという時に自分だけではどうにもできないこともある。

 

 彼女は、浅上藤乃はそんなものを抱えて今まで生きていたんだ。

 その半生の苦悩は、自分には分かるなど口が裂けても言えない。

 

「しかしお主のおかげであ奴は救われた。僅かと言えど苦悩は晴れた」

 

 穏やかに語る彼の表情は、まるで子を見守る親のようだった。

 それを微笑ましいと思うと同時に、分かっていながら何もしなかったこのサーヴァントに、ついつい苛立ちに似た感情が湧いて来てしまう。

 

「しょうがなかろう。わしとてどうにかしたかったが袖にされてばかりでな。生前そんなことにはとことん縁が無かったこともあるが、なによりわしは壊すことしか出来ん」

 

 そんな自分の内心を見透かしたのか、すぐさま言い分を告げてくる。同時に歪ませた顔が口惜しいと彼の感情を代弁するように語る。

 

 しかし自分としてそれだけでは納得できない。何しろここは月の海。彼女にとって仲間だと言えるのはサーヴァントたる彼しかいないのだから。押し付けがましい考えだが、サーヴァントならもっとマスターのことを考えるべきだと思う。

 

「……そんなこと、百も承知よ。だが、時々でもいい。藤乃とばったり会うことがあれば気軽に話してやってくれ」

 

 最後にそう言い残して姿を消す。無論自分とてそのつもり。無自覚に握りしめていた拳を顔の前に持っていき、固く誓う。

 

 そうしていると、端末が鳴り響く。煩わしく思いながらも端末を手に取り、端末の右上の時刻を見て度肝を抜かれた。

 

 

 ※※※

 

 

「おそい」

 

 待っていたのは、如何にも『不機嫌だ』と言わん顔をする橙子さんと、こちらに片手をひらひらと振ってくる青子さんと、隅っこでいじけている式。どうやら先に行っていたらしい。

 

 斯言う自分は、入ると同時に考えるより早く、青筋を立てる橙子さんの前で土下座し、平謝りに徹している。今の橙子さんは正直、並大抵のサーヴァントなら倒せるのでは、と思うくらい鬼気迫っている。下手なことをしてBADENDを迎えるよりただひたすらに謝り続けるのが最善と見た。

 

 実際、すべての非は自分にある。現在の時刻は十時半、待ち合わせは十時。完璧に遅刻だ。

 

「何か申し開きは?」

 ――ありません。すべては我が不徳が致したこと。

 

 あまりの恐怖にやや古風な言い回しとなる。ガクガクと震わせながらも、日本人だからかな、とのん気な自分がいたことに驚いた。

 

「……もういい。顔を挙げろ」

 

 出された許可に、わが耳を疑い、ゆっくりと顔を上げていく。そんな自分を橙子さんはやれやれと言わんばかりに嘆息しながらタバコの煙を吐きだす。

 

「式からは話は聞いていたからな。ただ遅くなるなら先に伝えろ。メールができるだろ。最終調整を行うからそこで待ってろ」

 

 まったく、と言葉を零してそっぽを向いて、中空にホロウィンドウを出し、目にもとまらぬ速さで――ていうか、キーボードすら押すことなく――画面を文字列で埋めていく。

 

 逃れられたことに安堵し、同時に長椅子が元の正常な形で存在していることに気付く。軽く触って小突いてみても壊れる様子が無い。

 

 青子さんがこちらにピースサインを送って誇っているので、とりあえず称賛の笑みを返しておいた。一昨日とはあまりにも出来が違う。橙子さんのセリフで忘れていたが、青子さんもムーンセルにいて、かつ改造アバターを使っているのだから魔術師としての腕前はかなり高いのだろう。……まあ、破壊方面に偏っているのだろうが。

 

 最終調整とやらでもう少し時間がかかりそうなので、隅に座る式の方へ行く。思い出せばあの後、放置してしまったし。自分の気の回らなさには自分でもつい飽きれてしまう。これでは彼女、藤乃のサーヴァントを怒れない。

 

 傍まで近づいてみるが、式は無表情で佇んでいる。

 ……怒らせて、しまっただろうか。

 

「怒ってはいません。ただ呆れただけです」

 

 嘘じゃないと言わんばかりに、こちらを蔑むように嘆息する。確かに式の助言を無視してしまったことには、反省しているが……。

 

「そうではありません。彼女もマスター、つまりは敵です。態々助ける意味なんてありません」

 

 こちらに詰め寄り、断固たる口調で訴える式。やはり本当は怒っているのか、いつもに比べて行動が大胆で、口調が丁寧だ。

 

 確かに、式の意見も間違っていない。

 相手はいずれ必ず戦う、あるいは倒れることになるマスターなのだから。手を貸して得することなどなく、むしろ付け込まれる可能性すらあるだろう。特にアサシンみたいな[気配遮断]を持ち合わせたサーヴァントなら、あり得る話だ。

 

「だったら……っ!」

 

 だが、そんなことで助けない理由にはならない。困っている人を助けるのは、少なくとも自分にとっては当たり前の行動なのだから。

 

「……っ! そうですか……、分かりました」

 

 式は身を翻してこちらに背を向ける。

 

 ……ああ、またやってしまった。またしてもやってしまった自分の愚かな行いに、呆れてしまう。ばつが悪い思いになってしまい、結局何も声を掛けれずに、ただ時間だけが無為に過ぎていった。

 

「出来た。ほら、始めるぞ」

 

 そうして呆然としていた自分は橙子さんに呼ばれるがままについていき――本気で後悔した。

 まさか、本当に回転ノコギリやドリルがあるとは思わなかった。

 

 ……かゆ、うま。

 

 

 ※※※

 

 

 改造も終えて夕方、校舎へ戻る。

 麻酔のおかげで術中は意識も痛みは無かったけど、逆に何があったのか全く分からなくて怖い。しかし処置自体はしっかり出来たようで、自分の魔力が効率よく式に流れていくのをはっきりと感じ取れるようになった。

 

 式自身、かなり良くなったと言っていたし。少なくとも損は無かった。

 ……うん、なかったんだ。そう思え自分。

 

「あれぇ? こんなところで合うなんて奇遇だねえ」

 

 不意に聞こえた声に、伏せていた顔を上げると、ちょうど慎二が階段の前にいた。

 

 いつもどおり胸元をはだけさせ、余裕綽々と言った表情を浮かべている。相変わらずだな、と思いながらやあ、と返す。

 

「もしかして、これから図書室に行くつもりだったのかい? ま、情報収集と言ったらそこしかないしね」

 

 ……別にそんなつもりは無かったのだが、水を差すのもあれなので黙っていると、図星を付いたと思った慎二はさらに上機嫌になる。

 

 ……なんか、デジャブってね?

 

「ところで、めぼしい本が見つからないみたいだね。残念ながら、既に対策済みさ。あの海賊女に関連する本は既にアリーナに隠ぺい済みだよ! 最弱マスターの君に見つけられるかな? 精々頑張ってくれよ」

 

 そう言って高笑いを残して慎二は去っていった。

 

 ……式。

「……何?」

 ……今のって、要するに『僕のサーヴァントの情報はアリーナにあるよ!』って言うことだよね。

「そう、よね……。しかも海賊女、って……」

 確か、この前調べた中に海賊がいたよね。

「ええ、たしか……フランシス・ドレイクとその従兄弟のジョン・ホーキンスの2人ね」

 

 後には沈黙。周囲のNPCも、他のマスターも静まり返っている。各々立場も役割も対戦相手も違うが、それでも慎二の犯した失態に思うことは一緒なのだろう。すなわち、

 

(((((こいつ、超チョロい……)))))

 

 とりあえず、礼装をいくつか装備してアリーナへ向かうとしよう。慎二の事だからまともな場所には隠していないだろうから、きっと長丁場になる。

 

 とりあえず得た装備を端末から出す。鳳凰のマフラーと竹刀。いまいち使い方が分からないが、マフラーは首に巻いて、竹刀は……腰に差すのか? それとも持つのか?

 

 などと四苦八苦していると、

 

「あー! それ私の竹刀!」

 

 聞こえた虎の咆哮のような声に振り返ると、藤村先生(タイガー)が煙を出しながら、こちらに捕食体勢で向かってきてる――ッ!!

 

「返せぇぇぇえ!!」

 ぬおお!?

 

 あまりの恐怖につい握っていた竹刀を振り下ろす。竹刀はスパンと、良い音を立ててタイガーの頭頂部に叩き付けられた。

 

 

 ※※※

 

 

「なるほど……。つまりあなたたちが竹刀を盗んだんじゃなくて、アリーナに紛れていたのね」

 ――イエスマム。

 

 衆人観衆の中、正座で藤村先生の説教を受けながら釈明をする。時々すれ違う人がこちらを見ては含み笑いを零していくので恥ずかしい。それに床が固いので膝が痛い。

 

 そして式はそんな自分を放置して、離れたところから他人のふりをして自販機で買った『ヘイ! お茶!』を飲んでいる。恨みがましく睨んでみるが、式はどこ吹く風と流して知らんぷり。

 

「じゃあ盗んだことは無罪。で、これから本題なんだけど」

 まだ続くの!? もう三十分は経っているよ!?

 

 おのれタイガー、野生に帰っていた状態とはいえ、よほど面を決められたことが気に食わないと見た。こちらとしては途中で端末が鳴ったので内容を確かめたいのだが。

 

「とりあえず、先生に面を決めた罰として、みかんを持ってきなさい!」

 みかん? みかんとは、あのオレンジ色の食べ物のことだろうか。

「いやそれ以外に何があるのよ。とにかく先生みかん食べたくなったから持ってきて。多分アリーナにあるでしょ」

 

 アリーナを四次元ポケットかなにかと勘違いしてないか? ていうか藤村先生、NPCってマスターのサポートが主な職務では……。もしや先生、自我を取り戻してませんか?

 

「いいからつべこべ言わず行ってこーい!」

 な、なにをするきさまー!

「ちょ、ちょっと!?」

 

 おもむろにマフラーを掴み、その細腕には似合わぬ腕力でアリーナへ向かって引っ張っていく。走力も合わさって凧揚げの凧のように宙へ浮かび、途中で式の腕を掴み、二人仲良くアリーナへと放られた。

 

 

 ※※※

 

 

 ……なんか、今日は本当についてないな……。

「ええ、本当に」

 

 普段アリーナに入るとごく自然な体勢で立っているが、今回は自分は地べたに這いつくばっており、式は傍で尻もちをついている。存在しない埃を払う動作をしながら起き上がり、違和感に気付き周囲を見渡す。

 

 辺りは今までいたアリーナとは違い、ちゃんとした風景が存在している。一層は底の見えない深海、というイメージだったが、今度はちゃんとした海の底で、ところどころに沈没して無残な姿となったガレオン船が見受けられる。

 

 先ほど端末が鳴ったのと関係あるかと思い、画面を開くと、新たなるトリガーの生成と共に第二層が解放された旨を知らせるメールが届いていた。碌な用意もできていないが、アリーナに入れるのは一日一回。このまま進むしかないようだ。

 

「それにあいつらも来てるみたいだぞ。帰る時にちょっかい出されても困るし、あいつらをどうにかするまで帰還は控えたほうがいいな。どうせ俺たちはあいつが隠した物を探しに来たんだ。いずれ鉢合わせになるさ」

 

 それもそうだ。万が一、慎二に回収されてしまったらもう取れなくなってしまうし、一刻も早く入手する必要がある。見たところ広そうなこの空間で、さらに凝った場所となると見つけるのは簡単ではない。

 

 急ごう、式。

「ああ」

 

 自分と式は二人同時に走り出す。この千載一遇のチャンスをものにするために。




今回もふじのんシーンに無理やり感が漂う……。まあ気にしない方向で。

ちなみに本来この場面はカリヤーン&ランスロットにする予定だったのですが、病欠しました。間桐性二人ってのもあれだし、4回戦で式にあのセリフ言わせたかったので。

感想・評価お気軽にどうぞ。

PS
どうも沈んでいるのはガレー船ではなく、ガレオン船に似てたので変更しました。


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真名看破


ドラマCD、買いたいけど高いんだよな……。やっぱ高校生の懐にとって3000てのはでかい。しかもオフィシャル送料が高いんだよ……。いっそアニメ化しろよエクストラ。

しかしそう考えると寿司屋で40皿×3人分奢ってくれた友人はすごいと思う。
あの時は正直すまんかった……。


「次!」

 

 出会い頭に会ったレベル4の平面上の薄っぺらいエネミー、INSPIRE(インスパイア)、を切り捨て、曲がり角でさらにもう一体のインスパイアを切り捨てる。順調ではあるが、その先には朱い防壁が道を阻んでいる。壁とは色が違うから、おそらく慎二が設置した物だろう。

 

「そのまま走れ!」

 

 しかし式はその防壁すらも切って捨てた。切られた防壁は一瞬陽炎のように揺らぐと、元からなかったように消えていた。式の言葉を信じて速度を緩めなかったため、一切のロスなく走り抜ける。

 

「右に道がある」

 

 すぐ隣りを走る式が、見えない通路を見抜く。確かにそちらの方向には別の道があった。態々透明になっていたということは、これも慎二が細工したのだろう。だが、

 

 ――慎二がこんな手前に隠すはずが無い。もう少し奥だ!

 

 自分はあえてそれをスルーする。慎二は捻くれているから、前過ぎず、しかし後でもない、中盤辺りに隠すはずだからここではない。無論、あとでこちらも探索するが、今優先すべきことは相手の、ライダーの情報だ。それ以外は二の次だ。

 

「分かった。信じるぞ!」

 

 信じる――式が言ったその何気ない一言に、つい笑みが零れる。思い返せば式に信じると言われたのは今日が初めてだろう。それだけで心が温まり、頬が緩む。

 

「何にやけてるんだ。気持ち悪いぞ」

 

 そんな自分を見て式は不審そうな顔でそんなことを言ってくる。自分はいつか式にも分かるさ、と軽口で返しておく。

 

「そんなもんか? と、新手か。少し待ってろ」

 

 一瞬だけ不思議そうにし、エネミーを確認してすぐさま顔を引き締めた式に言われ足を止める。視線の先には紫色の、牛をモチーフしたようなエネミーがいた。端末のエネミーファイルの名前欄には、CLUSTER(クラスタ) HORN(ホーン)と記されていた。レベルは8と、結構高い。

 

 止まった自分とは違い、式は迷うことなく進んでいく。クラスタホーンは敵を撃退しようと頭の左右に生えた、蟷螂の鎌のような角を式目掛けて振り下ろす。見た目に反して動きは早く、そして式はそれを避けようとしない。

 

「遅い」

 

 二つの角が式に当たる直前、式の姿がぶれたと思うと、次の瞬間にはクラスタホーンの背後にいた。クラスタホーンは両足を切り落とされたため、体勢を大きく崩しもたついており、その隙に式が振り向きざまに背中を一突き。それだけでクラスタホーンは消滅した。

 

 そのこれまで以上の圧倒的な戦闘力に思わず脱帽し、口元から感嘆の息が漏れる。やはり自分の身体にドリルやノコギリを入れた甲斐はあったのだ。これだけで救われる……っ!

 

「莫迦なこと言ってないで、さっさと行くぞ」

 

 と、その通りだ。いつ慎二の気が変わって回収されるか分かったものではない以上、ここで足踏みしている訳にはいかない。呆けて開けていた口を閉じて、再び走り出す。

 

 そしてレベル5の魚と蛇が混ざったような姿の新エネミー、VIPER(バイパー)を倒し、分かれ道で迷うことなく右を選ぶ。選んだ理由だが、単純に右なら曲がることなく進めるからだ。

 

 それに、どちらかが行き止まりだったとしても、自信家である慎二は、情報の隠匿や回収よりも自分を倒そうと行動する。先の戦いで自分の強さを見せつけるように戦いを仕掛けてきたのがその証拠だ。

 

 もっとも、サーヴァントが慎二を説得して情報の回収を優先させることも決してないわけでは無いが。そう考えると少し迂闊だったかもしれない。今更ながら少し心配になってくる。

 

「その心配はなさそうだぜ。ほら」

 

 式が速度を緩めていく。自分もそれに合わせて速度を落とし、並び立つ。目元を緩ませた式の視線を辿ると……両脇の部分を損壊したかなり大型のガレオン船と、その中にある二つのアイテムフォルダを発見する。

 

 なるほど……確かにぱっと見しただけでは分からない場所だ。おそるおそる壁の外へと踏み出すと、たしかに床が存在する。そのままどんどんと進んでいき、船の内部へ入る。こちらは迷宮の固くも柔らかくもない床と違い、踏むとギシリとした音と木独特の固さを感じる。学校や迷宮の固い床に慣れていた自分の足にはその感触が心地よかった。

 

 少々感動を覚えつつ、重要そうな物が入っていそうな、オレンジ色の光を発光するアイテムフォルダに手をかける。パカン、と安っぽい音とともに開かれたアイテムフォルダの中にあったのは、一冊の本だった。

 羊皮紙で出来た年代物の手記で、ほとんどの文字が消えかかっていた。おそらく慎二が消去しようと試みたが、あまりに強いプログラムで組まれていたため消去しきることができず、仕方なくここに隠したのだろう。

 

 所々かすれており、碌に読めなかったが『黄金の鹿号(ゴールデンハインド)』という船の名前や、いくつかの島の名前、襲った船の積み荷などを読み取ることができた。

 

 これで、情報は揃った。

 

黄金の鹿号――それは一五七七年に建造された、イングランドのガレオン船。

「そしてそれを私掠船として用いたのは、」

「「フランシス・ドレイク」」

 

 人類で初めて生きたまま世界一周を成し遂げた英雄にして海賊。海賊にして商人。商人にして冒険家。冒険家にしてイングランドの艦隊司令官と、様々な立場を持った英傑。今日(こんにち)イギリスが世界に名だたる大国としてその名を広く轟かせているのは、彼女が当時最強と言われた太陽の沈まぬ国と言われた大国、スペインを破ったからであろう。

 

 そしてその真名に強敵である、と舌を巻くのと同時にどこか安堵する自分がいた。確かにフランシス・ドレイクは世界に名を轟かす英傑ではあるが、それは成した事柄によるものであって、強靭無比な武威によるものではない。先の戦いの敗戦を忘れたわけでは無いが、式の言葉を信じている自分は橙子さんによって強くなった式にとって、決して勝てない相手ではないと確信している。

 

 手に持った手記から、覗き込むように覗く式へ視線を移す。すると同じようにこちらに視線を向けようとしていた式と目が合い、互いに自然と破顔する。無事に情報を手に入れることができたことで、自然と気が緩む。

 

「――慣れ合いも、その辺でいいかな」

 

 だがそれも一瞬。聞こえた声に咄嗟に振り向く。見ればここから出る唯一の道を塞ぐように、慎二とそのサーヴァントが陣取っていた。

 

「まさかこんなところまで探しに来るとはね。随分必死だったじゃないか。ま、その苦労も水の泡になるんだけどね」

 

 しまった……、と心の中で舌打ちする。どうやら浮かれすぎていたらしい……。先ほど自分でも情報の隠匿や回収よりも自分を倒そうと行動すると考えたはずなのに……。なら情報を取られたら奪い返しに来るということも十分予想できていたはずだ。自分の見積もりの見解の甘さに思わず自分を殴りたくなる。

 

 それにライダー、フランシス・ドレイクは決して勝てない相手ではないが、今この場で勝てるかどうかと問われると、まだきついというのが自分の本心だ。できれば慎二が油断している隙に鍛錬を行い、もう少し互いの差を埋めたかったが、こうなってしまっては仕方ない。

 

 ――式、いけるか?

「ああ、いつでも」

 

 自分の問いに素早く答え、式が一歩、自分を庇うように前に出る。その姿に怯えは一切なく、むしろ絶大的な自信に溢れていた。自分の弱気だった心も、それに喚起されるように奮い立つ。

 

 英雄の傍で戦う戦士たちも、きっと今の自分と同じ心境だったのだろう。

 

「おいおい、まさかまた勝負を挑もうってんじゃないだろうな。ついこの間のこと、もう忘れたわけ?」

「言ってろワカメ。お前如きに手古摺る気はもうない」

「ワカ……ッ!?」

「たしかに……言えてるねえ」

 

 式の口から飛び出した罵倒に慎二は絶句し、ライダーはまじまじと慎二の髪を見つめ、納得したと言わんばかりににんまりとした笑みを作っている。 

 

「……あっそう、そんなにここでやられたいわけ? こっちも歯ごたえない敵には、いい加減飽きてきたところだし、ちょうどいいや」

 

 慎二は全身と声を怒りと恥辱で震わせながら、目を伏せて低い声でそう呟いた。

 

「やっちまえライダー!! 格の違いってやつを見せつけてやれ!!」

「了解ィ! 今度は出し惜しみなしだ! 海の藻屑にしてやるよ!」

 

 そして上半身を上げると同時に、千切れるのではないかとも思える勢いで腕を振り、怒鳴るような大声でライダーに指示を下す。上げた額には青筋が立って、かつてないほどに慎二は怒り狂っていた。

 

 傍らのライダーも、それに応えるように、先の戦いとは段違いの闘気を発している。その人知を超えた力に、マフラーをしていてもなお涼しいほどの空間にも関わらず、汗が二滴、三滴と額から垂れていく。これが、ライダーの全力だろう、情けない事に少したじろいでしまう。

 

 しかし、自分の隣には式がいる。勝てるかどうかは分からないが、自分だけでないという、些細な事実が心強かった。

 

「身ぐるみ剥がれる覚悟はいいかい?」

 ライダーが引き金に指をかける。

 

「そっちこそ、これから殺される覚悟はいいか?」

 式が懐からナイフを取り出す。

 

 次の瞬間、互いの獲物が放たれ、弾きあう音が開戦の銅鑼となり、空間が赤く染め上げられた。

 

 

 ※※※

 

 

 今回先手を取ったのはライダー。以前までの様子見とは違い、式の進行方向を塞ぐようにばら撒かれた弾丸の一発一発に明確な殺意があった。救いがあるとすれば、自分を狙うような気は今のところないらしい。どれほど優れたサーヴァントも、魔力供給がなければ動けないのだから。

 

 先の戦いでの式の捩じるような避け方を防ぐためだろう。弾丸の合間に人一人が入り込む隙間は無い。

 

「――甘い」

 

 式はそう言い放つと、自分に迫っていた10を超える弾にたった一本のナイフを構え、クラスタホーンの時同様、その姿がぶれたと思うと既に弾幕の壁を突破していた。

 

 後に残されていたのは、両断されて力を失った銃弾と、アリーナの壁にぶつかり弾かれた弾丸の山だけだった。

 

「ちっ、技量は完全にそっちが上か……。だったらこれならどうだい……!」

 

 苦々しげな表情で舌打ちを零し、両手の拳銃を式へ向けて放つ。先ほどと同じ攻撃にも思えるが、今度の狙いは精確で、切り伏せるという動き事態を阻害するような撃ち方だった。

 

 迂闊に切り伏せようとすれば腕に怪我を。

 かといって防がなければ致命傷を。

 

 どちらも不利な一択を強る、敵ながら惚れ惚れするほど的確な戦い方だった。

 この攻撃に対して式はどう動くのか。ジワリと滲んだ手汗をマフラーで拭う。

 

「だから、甘いんだよ!」

 

 式が床に足を叩きつける。すると踏み抜かれた床板が持ち上がり、それが盾の役割となり銃弾を防ぐ。2、3発は板を貫き式に迫るがそれも難なく切り伏せる。

 

 その突飛でいて最善な行動に、自分も慎二も、そして相対するライダーも驚愕を隠せない。

 

 そのまま板はライダーに向かって投げつかれられ、それをライダーが右の手で払う。

 

「貰ったぁ!」

「チィッ!」

 

 すると板の影に入るように迫っていた式がライダーの首を切り落とさんとナイフを振るう。式の一撃を銃撃では止められぬと咄嗟に判断し、左の銃を消して腰に差してあったカトラスを手に取り刎頸の一撃を防ぐ。それでも僅かに遅れたのか、首筋から血が垂れている。

 

「やっぱり一皮剥いたら化物か……っ! 様子見なんかせず、そのまま倒しちまえばよかったさね……っ!」

「へえ、お前みたいな奴でも後悔はするんだな……っ!」

 

 互いに譲らぬ鍔迫り合い。ここだけとっても前回とは大違いだ。橙子さんの実力はやはり本物だったらしい。今の式のステータスは十分にライダーと並び立てている。

 

「確かにアンタは強い……っ! それだけは認めてやる。だけどあんたは、まだまだ……、実戦経験が薄い!」

「何――ッ!?」

 

 ライダーが渾身の力で一歩詰め寄ると、式の足を踵で踏みつける。ライダーの靴はハイヒールのようで――しかも『刺す』よりも『砕く』ような四角い踵だ――力が集中しやすい。

 さすがの式も突如走った末端部分の痛みには耐え切れず、体勢を崩す。そしてその隙を逃す相手ではなく、すぐさま腹部の中心に右の銃から追い撃ちの弾丸が放たれる。避けようと体を捻るが、避けきれず脇腹に弾丸が命中する。

 

「シンジィ!」

「分かってるよ! くらいな!」

 

 ライダーの叫びに慎二の方向を見てみれば、いつの間にか慎二はホロウィンドウとキーボードを出しており、何やら操作をしていた。未熟な自分には、慎二がどんな改竄をしたのかは分からないが、こちらに不利なことは間違いない。

 

「よぉし! 野郎ども、砲撃用意!」

 

 そしてライダーの命令と共に現れる砲台。それも4門。それらすべてが式へ向けられている。セラフの介入が近いとみて一気に決めるつもりだろう。

 

 戦闘能力のない自分には式を助けることができない。むしろ出て行っても邪魔になるだけだ。今更ながらその事実に、どうしようもない歯がゆさを覚える。マフラーを力強く握りしめ、撃たれた脇腹を抑える式に今まで以上の魔力を送ることで能力を急増させる。考えなしの魔力供給は、長時間の戦闘では悪手だが、今はこの一撃を防ぐことのみを考えればいい。

 

「さあて――藻屑と消えな!」

 

 そしてついに、大砲が火を噴いた。

 

 

 

 

 砲弾が炸裂した場所を中心に、煙がまき散らされる。あまりの衝撃に、余波で吹き飛ばされそうになるが、必死にその場に止まる。眼に突くような痛みを無視し、マフラーで口元を塞ぎ式がいた方向を見やる。

 

 煙が晴れた先には、ぽっかりと大穴があいており、式の姿は無かった。胸中が恐怖に染まり――すぐさま安堵に変わる。

 

「――バカな!?」

 

 ライダーの信じられないと言わんばかりの叫び。そしてその背後で、ライダーの足を切り付け、今まさに胸を穿たんとナイフを振り下ろす無傷の式がいた。

 

 勝利を確信した式のどこか恍惚とした表情。膝を突き、未だに驚愕で彩られたライダーの疑念を抱いた表情。

 

 かくして、ここで一度目の戦いが、七日目を迎えることなく終わりを迎えようと――

 

「……ちっ」

「……ふぅ」

 

 ――しなかった。限界まで赤く染められた空間にセラフの介入を察知し、式は弾かれるように飛び退いた。

 

 

 ※※※

 

 

「な……何やってんだよライダー!!」

 

 以前とは正反対の勝敗に、金切り声が響く。

 

「……そう騒ぐなよ慎二。船長ってのはいつでも冷静でなきゃいけないよ」

 

 返すライダーの軽口にも、覇気はない。未だに膝をついたままで、満身創痍であることが窺える。

 

「僕は力の差を見せつけろって言ったんだぞ! なのになんだよこの体たらくは!? お前遊んでたんじゃないだろうな!?」

「それこそまさかさ。アタシは言った通り、命ごと貰っていくつもりだったさ」

「そっか……て、尚更よくないじゃないか!」

 

 そうして、地団太を踏みながらライダーを責め立てるように散々喚き散らした後、慎二は『これで勝ったと思うなよ! 僕は最強なんだ!』と礼呪を誇示するように見せつけ、威勢のいいセリフを吐き捨ててアリーナから撤退した。

 

 そしてそれを見送り十秒ほど時が流れ……、

 

「ようやく帰ったか……」

 ――つ、疲れたな……。

 

 慎二の気配が完全に消えたことを認識し、自分も式も崩れ落ちるように座り込む。

 式は戦闘で、自分は魔力供給による疲れでもはや一歩も歩けない状態だった。改造されて効率はかなり良くなったがやはり本気の戦闘はまだ辛い。

 

 ――それに……。

 

「あいつが怒ってて、こっちを舐めてて助かったな……」

 

 そう、ライダーが全力で戦っていたにもかかわらず、慎二はこちらを格下と見て終始侮っていた。サーヴァントの実力はマスターのサポートがあって初めて出し切れるものだ。それを慎二は怠り、自分たちは結果的にライダーとの戦闘で限りなく勝利に近いものを得ることができた。だがその替わりに、彼我の正確な戦力差を計ることが出来なかった。

 

「本気で当たるとしたら……勝率は半々ってとこだな」

 

 式が自信なさ気にそう呟く。普段はあんな様子の慎二も、魔術師としての腕前は際立って高い。アバターの改造だけでなく、アリーナの一部を消したり、防壁を作ったりできるのだからそれは確かだ。もし慎二が本気になれば、こうも簡単にはいかないだろう。

 

「だな……。やっぱもう少し鍛えるしかないか……」

 

 汗ばんだ浴衣をはだけさせ、中に空気を入れる式。その仕草に、艶っぽいなどと思いつつ、違和感を感じた。

 

 見た目はいつも通りなのだが……式の身体を構成する霊子構造が、どこか甘く感じた。よく見れば、顔色も少し悪い気がする。自分の気のせいかもしれないが、どうにもそのことが気がかりで、確かめるようにじっと見つめる。

 

 根気強く、式を凝視すると、段々と式の情報がこちらへと流れてくる。自分はその感覚に、一層瞳を凝らして細部を確認しようとすると、

 

「ばっ、こっち見るな!」

 

 式の見事な拳によって、撃沈される。

 顔面にめり込んだ一撃を見舞われて遠のく意識の中、はだけた胸元を両手で覆い頬を染めて恥じらう式の姿に愛くるしさを覚えた。

 

 ――なんだろう、式って動物で言うと……うさぎ? いや、猫だな。

 

 

 ※※※

 

 

「なるほど……。つまり私の霊子構造に違和感を感じたから、それを調べるためだったのか」

 ――イエスマム。

 

 本日二度目の正座&事情説明。違う点は床が木材であることと、観客がいないこと、式も正座していること。

 

「……その、疑って……悪かった」

 

 そして素直なところ。同じネコ科でもタイガーとは大違いだ。これだけでも今日の改造やらタイガーやらライダーとの戦闘やらで荒んだ心が癒される。まさしく心のオアシス。

 

 とまあ、そのことは置いといて、実際のところ調子はどうなんだ、式。

 

「……概ねお前の言うとおりだ。今のオレの身体は張りぼてみたいなものだ。お前から受け取ったエーテル、というか霊子を受け取って最低限動けるようにしただけだからな」

 

 ――それはつまり……。

 

「中身はスタボロのまま。結構あぶな、イテッ!」

 

 式を咎めるような目で睨む。

 何故もっと早く言わないのか。思わずチョップを叩き込んでしまったが、自分は悪くない。とにかく、そういうことなら今日の探索はこれで打ち切って、あとは療養に専念しよう。

 

「……いいのかよ、それで」

 

 どうせ二層は今日解放されたばかりだ。明日にでもまた来るとしよう。タイガーに頼まれたみかんも、今日中とは言われていない。

 

 ところで、自分から受け取った霊子、というのは?

「うん? ライダーの砲撃を受ける前に来てたけど……」

 

 砲撃前……確か自分はマフラーを握って式に魔力を送ったが……。

 ああ、なるほど。このマフラーは鳳凰のマフラーという礼装だ。おそらく式に魔力を送る際、このマフラーが効果を発揮したのだろう。さしずめ、エーテルの欠片などと同じ効果だろう。

 試しにマフラーに魔力を通し、式に何か感じたかを聞くと、

 

「ああ、いま回復用の霊子が来た」

 

 少し顔色を良くして、体の感覚を確かめるよう掌を開けたり閉めたりする。

 

 どうやら礼装とは、魔力を通すことで効果を発揮するものらしい。しかも鳳凰のマフラーは近付かなくても即時回復ができる優れもの。さすがに自分の魔力では使える回数に限度があるが、それでも戦略の幅が増えた。

 

 一先ず、リターンクリスタルで校舎へと帰る。

 ライダーの情報と礼装の使い方、そして実戦経験という、3つの成果を持ち帰り――。

 

 

 ※※※

 

 

[Matrix]

CLASS:アサシン

マスター:岸波白野

真名:両儀式

宝具:直死の魔眼

キーワード:?

      ?

 

筋力:D

耐久:E

敏捷:D

魔力:D

幸運:E

 

 

 ※※※

 

 

 マトリクスレベル:3

 現資金:1306PPT

 




ランクが高いのは改造したのが橙子さんだからです。青子の十倍だとこのくらいでしょうかね。

幹也は式をうさぎみたい、と例えましたが正直私はうさぎに詳しくないので……。あと、『うさぎ系彼女』で調べたら猫系彼女が私の好み(スレンダー)どストライクだったので。まあ、うさぎ:ねこ=4:6くらいの割合にしていきたいです。

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嵐海踏破

なんかスランプ入ったのか、夏休みに入って気が抜けたのか、いまいち自分の文章に自信が持てず、結構時間食いました。
どちらにしろ、残念ながら六日目のイベントはいまいち出来が納得できず、あえなくボツ。淑やかな藤乃、式のチョイデレは残念ながら二回戦へ。

ちなみに今回、12000字越えなので長めです。


 かつ、かつ、と二組の足音が廊下に響く。いつもはマスターやNPCたちによってざわめいている校舎も、今日ばかりは物静かなもので、窓から射してくる茜色の夕日もそんな空間に調和しており、どこか寂寥にもした気持ちを抱かせる。

 

 かれこれ今日で地上と離れて一週間と四日目だ。人によっては郷愁の思いも抱くかもしれないが、生憎自分は故郷というものを覚えていないため、感じ入ることはない。自分の傍で(はべ)るように付き従う少女も、境遇は違えど思いは一緒だろう。

 

 階段を下り、一階へ移ると普段は使われることのない、鎖が万遍無く巻きつかれた用具室の前に立ちふさがるように一人の神父がいた。神父がこちらに気付き、視線を向けると、酷く愉快そうに微笑を浮かべ頬を歪ませる。

 

 傍らの少女がそれに顔を歪ませ、自分は思わず拳を握りしめた。会った当初から変わらぬ神父の異常性を再認させる、全身を舐めるような視線に耐えつつ、意を決して神父の前に立つ。

 

「ようこそ、決戦の地へ。身支度は全て整えたかね? 扉は一つ、再びこの校舎へと戻るのも一組。友と殺し合う覚悟を決めたのなら、闘技場(コロッセオ)の扉を開こう」

 

 友と、の部分で戦慄が走り思わず固唾をのみ、背筋にじわりと汗を感じる。

 そして、それと同時にふと日常(よせん)のことを思い返す。口が悪く、性格もひねくれているが、予選で過ごした日々は決して忘れられるものではなく、例えムーンセルから与えられていただけの役割にしても、彼が自分の――岸波白野の友人であったことに変わりはない。

 

 本音を曝け出してしまえば、自分は戦いたくない。だが……。

 

 視線を、自分の隣りに立つ少女へ移す。

 

 両儀式。記憶喪失で願いも覚悟を忘れてしまった自分と違い、願いも覚悟もないただ巻き込まれただけの少女。こうなってしまった理由は多々あるし、偶発的な要素ばかりであったが、彼女をこんな戦いに巻き込んだ原因の何割かは自分にある。だからなのか、自分は彼女を帰したいと強く願っている。それだけが今の伽藍堂(がらんどう)な自分にある願いだ。

 

 ――だから、たとえどんな結末を迎えるにしろ、願いのために逃げることだけは絶対に許されない。

 

 自分の心情を告げると、少女が息を呑み、神父が感嘆の息を洩らすのが分かった。

 

「――いい答えだ。では若き闘志よ。決戦の扉は今、開かれた。ささやかながら幸運を祈ろう。再びこの校舎に戻れることを。そして――存分に、殺し合い給え」

 

 そういい神父は横にずれる。口ではああ言っておきながら、神父の顔には軽薄な笑みが浮かんでおり、これからのことを思い楽しんでいるのが窺える。

 

 そんな神父を二人して冷たい視線で一瞥し、雁字搦めに縛られた用具室に端末を向けると、鎖は弾けるように解かれ、一瞬淡く発光するとエレベーターへと変形し、扉が開かれた。

 

 扉の先は全てを呑みこんでしまうような黒一色で、中の様子が一切窺うことができない。そんな常闇の空間に、怯えることなく自分たちは足を踏み入れる。

 

 そして校舎と戦場の境界線で、

 

 ――勝とう、式。

「ええ、絶対に勝ちましょう」

 

 勝って再びここへ戻ると、静かに誓う。

 

 

 ※※※

 

 

 自分たちが入ると扉が閉まり、無骨な重苦しい音と共に浮遊感を感じる。エレベーターが動き出したのだ。随分下へ行くようで、脇にある回数表示は狂ったように1から9を行き来していた。回転率の速さから、下りる階層は100や200ではなさそうだ。

 

 そして視線を正面に戻すのとほぼ同時にエレベーター内の電気が点き、透明な壁を間に挟んで慎二とライダーの姿が、自分と式と相対するように現れる。

 

 慎二もライダーもこちらとは対照的に、今までとなんら変わりない享楽的な笑みを浮かべていた。前者はこれがゲームであるという精神的余裕と自分が勝つことを疑わない楽観視から。後者はこれからの戦いを考えての高揚感からだろう。

 

「なんだ、逃げずにちゃんと来たんだ。ああ、そういえばそうだったね、学校でも生真面目さだけが取り柄だったっけ。でもさ、学校でも思ってたけど、空気読めないよねホント。せっかく僕が忠告してやったのに」

 

 とりあえず、空気が読めないとか、慎二にだけは言われたくない。

 まあ、それはさておき。慎二からは緊張というものが一切感じられず、それどころか学校で友達同士が語り合うような――実際、そのとおりなのだが――軽さでこちらに話しかけてくる。その軽さに思わず、こちらが間違っているのでは、という錯覚すら感じてしまう。

 

 無論、それは本当にただの錯覚であり、間違っているのは慎二のほうである。ただ、それを指摘しても慎二は改めないだろうし、その行為に大した意味はない。既に賽は投げられたのだから。

 

「まあ、誰が相手であれ関係ないか。僕には誰も勝てやしないんだから。僕と僕のエル・ドラゴは無敵だからね」

 

 慎二のそれは、強がりではなく本気の発言だ。既に知られているということもあるが、自信満々にサーヴァントの真名を明かすのも負けることを疑ってないからだろう。

 

 井の中の蛙、大海を知らず。慎二の実力は確かに本物だ。だが、それと同程度の力量を持ったマスターは決して少なくないし、この聖杯戦争でもっとも重要なのはマスターではなくサーヴァントだ。

 

 自分が今まで見たライダー以外のサーヴァントは、レオのガウェイン、凛のランサー、藤乃の中華風の武人の3人のサーヴァントだ。そして彼等に比べれば、慎二のライダーの実力は二回りも三回りも劣っている。こういってはなんだが、自分の見立てでは慎二がこの聖杯戦争で勝ち抜けるとは思わない。そしてここで躓くようなら、自分もまた――。

 

「へえ……。ついこの間負けかけた癖に、良くそんなことが言えるわね。それにフランシス・ドレイクはとても戦闘に向いたサーヴァントとは言えないわ」

 

 それまで黙っていた式が初めて口を開く。どうも慎二の軽口に付き合うのに疲れたのか、口調がきつく、顔もいつも以上に不機嫌で、そして本人は気づいてないかもしれないが、踵が苛立ちを示すようコツコツとリズムよく床を叩いていた。

 

「う、うるさい! 今度はあんな風にはいかないぞ! それに、そっちこそ凡百の英霊どころかただの人間じゃないか!」

 

 それに顔を歪ませ、叩き付けるように反論を返してくる。どうもそのことは図星だったらしい。

 しかし、何時の間に式のことを調べたのだろう。確かに式は普段から実体化はしておらず、着ているのが着物ということで校舎内での知名度は高いが、それでも英霊ではないと断定するには情報は少ない。実際、マスターのアバターを変えるより、サーヴァントの服装を変えるのはパスが繋がっている分比較的簡単だ。

 

「そっちが情報収集していたように、こっちもそれなりには調べてるんだ。ま、僕みたいな天才からしてみればその程度、簡単すぎることだけどね」

「とかいって、一昨日負けた後散々調べたのはどこの誰だったかね」

「な、変なことをいうなライダー!」

 

 得意げな笑みを見せていた慎二だが、ライダーの茶々ですぐさま顔を赤くする。矛先を向けられたライダーは慎二を気にせずひたすら酒を呑みつづける。その量は壁で遮られているにも関わらず、こちらも思わず酔ってしまいそうなほどだ。

 

 ………………………………………………………………酒?

 

「て、お前何酒飲んでんだよっ!!」

「そう騒ぐなよシンジィ……。頭に響くだろう」

「お前そんなんでこの後戦えるのかよ……って、寄るな! 酒臭っ! お前一体いくつ呑んだんだよ!」

「戦えるさぁ。そもそも素面で楽しめるかっての。海賊の戦ってのは大抵撃ち合った後に相手の船に乗り込んで、色々甲板(かんばん)にぶちまけながらやるもんさ」

「……戦えるなら文句はないさ。あとそんな話よりさっさと質問に答えろ! お前の酒代誰が出してると思ってんだよ!」

「アッハハハハ!!」

「いいから答えろよぉぉぉ!!」

 

 ……可笑しい。これから戦う空気だったというのに、明らかにそんな雰囲気でなくなっている。上機嫌に笑って見せるライダー、それに対して若干涙目になりながら怒鳴りつける慎二。先ほどとは違い、今度こそ本気で自分の心持ちが間違っている気がしてきた。

 

「ま、いいじゃないかこの程度。アンタも覚えときな。酒でもなんでも、好き勝手に食い散らかせるのが悪党の利点さ。しけった花火なんざ誰も喜ばないよ。あんたも悪党なら、派手にやらかせばいいんだよ!」

「誰が悪党だよ! ぼ、僕をお前なんかと一緒にするな! この脳筋女!」

「はっはっは! いいね、その悪態は中々だよ慎二! アンタ、小物な癖に筋はいいのが面白い!」

「ちょ、やめろ、やーめーろーよー! 頭撫でるな、この莫迦! それと酒臭いって言ってるだろ! 酔っぱらってるだろお前!」

「…………今、猛烈に帰りたくなったわ」

 

 うんざりとした表情を式が浮かべる。実は自分の心境もそんな感じだったりする。エレベーターに入る直前、格好良く決めたのはなんだったのだろう。あの神父もまさか、こんな状況に陥っているとは予想できてはおるまい。

 

 頭を撫でられ、照れ隠しに腕を振り回す慎二を見ていると、これもまた日常(がっこう)での一コマのように思えてしまう。もっとも、これが普通の学校なら大量に散らばっている酒瓶と漂うアルコール臭が存在していいはずないのだが。

 

 と、そんな風に慎二たちがじゃれ合っていると、轟音と共に重力が自分たちを襲う。エレベーターが止まったのだ。いつの間にか終着点まで来ていたようだ。

 

 さすがに慎二たちもじゃれ合うのをやめて、こちらに向き直る。

 

「……ふん。僕とエル・ドラゴの無敵艦隊の力を味あわせてやるよ。言っとくけど、手加減なんかしてやらないからな。ま、せいぜい一回戦で僕と当たったことを悔やむんだね」

 

 それまでの醜態をなかったことにしようと、キザっぽく前髪を払い、微笑を携えて慎二がエレベーターから出る。

 

 自分もそれに習う様に歩みだし、エレベーターの扉の一歩手前で足を止め、思い残したことが無いように昔を回顧する。

 

 そんな中、ふと思う。予選での出来事が地上で、普通に高校生としての生活を送れていたら、きっと自分と慎二は殺し合うことなく今も、そしてこれからも先ほどのような日常を謳歌していたのだろう。

 

 ただそれはもうあり得ない話。例えどれだけ仲が良くても、願いが似ていようと、この聖杯戦争で互いの道が交わることはない。

 

 弱音を吐きだすように深呼吸をして息を吐く。そうして自分は再三の覚悟を決めて、ついに戦場へと降り立った。

 

 

 ※※※

 

 

 決戦の場は奇しくも自分と慎二が二度目に戦った時同様、沈没船だった。しかしその大きさは段違いで、優に二倍以上のサイズを誇っている。

 

「また船か、いい加減飽きたんだけどな……。まあいい、さっさと終わらせて帰るか」

 

 自分と慎二が船の中心で互いに向き合うように立つと、式が着物の帯からナイフを取り出し、それと同時にライダーが右手でクラシックな拳銃に、逆の手で近接戦闘にカトラスを抜く。互いに構えていないにも関わらず、決して隙を見せない様子から、いつ斬り合っても可笑しくないと悟る。

 

「はん、弱い犬ほどよく吠えるってね。もうすぐ変えようのない現実ってやつを見せてやるよ。何もゲームの話だけじゃないぜ? 生きてるのが耐えられないくらいの赤っ恥をかかせてやるよ!」

「おや、勝つだけじゃなく、恥までかかせると? 強欲だねぇ慎二。いいよ、ロープの準備をしておこう。マストに吊り下げるなり、好きにするといい」

「間違っても手は抜くなよエル・ドラゴ。この僕に歯向かったんだ、欠ける情けなんて一つもない」

「はん、情けなんざ持ち合わせてないっての。アタシにあるのは愉しみだけさね。出し惜しむのは幸運だけだ。命も弾も、ありったけ使うから愉しいのさ! ましてやこいつは大詰め、正念場ってやつだ。さあ破産する覚悟はいいかい?」

 

 一歩、ライダーが相変わらず、隙を見せることなくこちらに詰め寄ってくる。と、同時に高まる闘気に、知らず冷や汗をかいてしまう。

 

「……手を抜いていた、ってわけでもないよな」

 

 自分が思っていたことを式が代弁するように告げる。そう、ライダーが劇的ではないが前回よりも強くなっているのだ。まさか改竄だろうか。確かに橙子さんも青子さんも立場は中立、頼まれれば断るわけにはいかない。それがムーンセルとの契約だし、可笑しくない。

 

「そうだ、僕のライダーは金を積めば積むほど強くなる! 昨日お前たちがアリーナにいない間に散々強化してやったんだ!」

 

 しかしその考えは勝ち誇るように語る慎二に否定された。

 昨日――六日目は朝早くからアリーナに籠り鍛錬に勤しみ、夕方前には学校へ戻り夜食を奮発して鋭気を養った日だ。いつも慎二は自分達より早くアリーナに入っていたため、鉢合うこともあるだろうと思っていたが、五日目も六日目も普段自分たちが入る頃になっても来なかったため、これ以上情報を取られないためマイルームに籠っていると結論付けていたのだ。慎二は自分達より早くアリーナに来る、という先入観に囚われていたらしい。そんな自分の浅はかさに思わず心中で自虐する。

 

「そんなことはどうでもいい。オレはお前を倒してさっさと帰りたいんだ」

 

 そんな自分の胸中とは裏腹に、どこか活き活きとした様子で式がライダーとの距離を詰める。先ほどのライダーとは対照的に、挑発するように隙を見せる。素人の自分にも分かるほどで、誘いとは思えないほどだった。

 

 その証拠に、ライダーが瞬きする間もないほどの速度で式の隙に照準を合わせ、同時にしまったと言わんばかりに顔を顰める。顔を顰めたのは、憶測だがカウンターを警戒してのことだろう。今のライダーと式の距離感は推定3メートル程で、それは式なら一歩で詰めれる距離だ。

 

 しかし定めてしまった以上、後には退けない。迂闊に引き金を引けば瞬間式が襲いかかり、距離を取ろうとすればこれまた同様。確かにこの状況がこのまま続けば、徐々に式が距離を詰めて自分の間合いまで近づけば決着は着くだろう。

 

 睨み合うこと十秒、式が僅かに詰め寄る。その動作にライダーはピクリと反応するが、結局何もできず再び睨み合うに入ると、式はライダーが何もできないと察して続けて二歩、三歩と詰め寄る。

 

「威勢がいいねお嬢ちゃん。それはちょっと迂闊じゃないかい?」

「でも、動けないのは事実だろう」

 

 ライダーの挑発的な発言に笑みを浮かべてそっけなく返し、さらに一歩。そこでこの膠着状態に入って初めてライダーが目を伏せ、首を真横に振った。その様子に、背後から黙って見ていた慎二が何かを言いたげに口を広げようとした。

 

「なら結構。そんじゃあ、一切合財、派手に散らそうじゃないか!」

 

 瞬間、ライダーが始まりを告げるように叫び、開眼と同時に引き金を引き絞る。式は指の僅かな動きを見逃すことなく、紙一重で避け残像が見えるほどの速さで駆け抜ける。

 

「――これで!」

 

 獲った――と見越した一撃は、下から飛ぶように飛来してきた拳銃により、回避を余儀なくされ決めることができなかった。推測だが、一度撃った銃を捨て、足元に落ちた際に蹴り上げたのだろう。さらにもう一つの銃を取り出して、詰められた距離を離すように足を狙う。何とかかわすことができたが、その際に体勢を崩す。

 

「これで追撃は終わり――なわけないよなっ!」

「砲撃用意ぃ!」

 

 そこからさらに8門のカルバリン砲が現れる。式の体勢はまだ崩れたまま、この一撃を受けるわけにはいかない!

 

 反射的に腰に差していた礼装・守り刀に魔力を通し剣先をライダーに向けると、現れた魔力がライダーへと向かっていく。式のみに集中していたライダーは咄嗟に迫ったそれに反応ができず受ける。

 

「この程度なら屁でも……ッ!?」

 

 ライダーの言うとおり、自分のような碌に魔術も使えない奴の攻撃なんて痛くもかゆくもないだろう。だが、この礼装は相手の状況次第で麻痺させることができる効果がある。そして今がその効果を発揮する時だ。

 

「岸波の癖に……手間かけされるなよ!」

 

 しかし、自分が式の援護をしたのと同様に、慎二もまたライダーの援護のためすかさず麻痺を回復させ、硬直が解け、砲撃が放たれ式がいた周囲一帯を煙が覆う。

 

 情けない事に、自分はその際に生じた爆風で吹き飛ばされる。幸いタルがクッション代わりになったことで、そこまでダメージは受けていない。

 

「やったか!?」

「そいつはフラグだよ慎二!」

 

 歓喜の声を上げる慎二とは対照的に、未だに周囲を経過するライダーが探るように視線を流し、不意にその場を飛び退くとその場にナイフが飛んで来た。

 

「チッ、勘がいいヤツだ」

 

 少し遅れて着物を煤けさせ所々に血をにじませた式が同じ場所に降りてくる。着地の際に放たれたライダーからの銃撃はあっさりと切り捨てる。

 

「もう銃撃は効かないか」

 

 そう零すとと銃を腰に戻す。カトラスのみを武器とし、正面に構える姿に一瞬騎士を幻視するが、獰猛な笑みがそうではないと明確に否定する。そのまま数値だけを見れば式より高い敏捷を誇るライダーは、互いの距離間を瞬く間に埋めて式へと迫り、通算三回目の鍔迫り合いを挑む。

 

 カトラスとナイフが打ち合う瞬間、互いの獲物が火花を散らし、両者の視線が交差する。今度は完璧な拮抗状態、下手なことをして僅かでも力を緩めれば、その瞬間相手の方へと天秤は偏る。

 

「アンタ、その目は普通じゃないね。アタシの商人としての部分がかなりレアだって告げてるよ! 高く売ってやろうじゃないか!」

「言ってろよ。逆におまえの船を沈めてやる」

「へぇ、落とせるのかい? アンタに不沈の黄金の鹿(ゴールデン・ハインド)を!」

「落とす? 違うな。殺してやるんだ!」

 

 勇猛にそう告げると式の瞳が蒼く染まる。それは、これまでの戦闘で使わなかった直死の魔眼。両儀式の奥の手だ。瞳の蒼はあまりにも冷めた色で、見る者に否が応でも死を思わせるその視線を向けられた途端、ライダーは飛び退いた。そして瞬間、カトラスの刃が半ばから切って落とされ、前髪がはらりと散る。

 

 ライダーはカトラスの断面を無感動に見つめたのち、何の感慨もなくそれを放り捨て、これまで見たことないほどにギラギラとした目を式に向け、おもむろに口を開いた。

 

「アンタ、殺すって言って見せたな――なら見せてやる! 慎二、宝具を使うよ!」

「ああ、見せてやれよエル・ドラゴ。僕の真の力ってやつをね!」

 

 宝具――それは英霊が持つそれぞれ違う最強の幻想。

 自分の頭がその言葉を認識すると同時に大きな揺れが発生し、タルや木箱があちらこちらへ行ったり来たりと転がる。船ではない、空間そのものが強大な力の発生によって揺れているのだ。

 

「掴まれ!」

 

 そして自分も、足を滑らせ船から落ちそうになり、すかさずやってきた式に助けられる。式は自分を背負ったまま、軽業師顔負けの動きでマストへ上がっていく。頂上に辿り着くころには揺れも収まっており、そこでようやく自分は気を落ち着け式にありがとうと告げる。

 

「――」

 

 しかし式にはそれに反応することなく、ただ眼前を見据える。釣られて自分も視線を向けると、いつの間にかライダーと慎二の姿は無くなっており、かわりに空には無数の大小様々な艦隊が点在していた。そんな中で、ただ一つだけ他を圧倒する存在感を宿した船がある。

 

「これがアタシの宝具――黄金鹿と嵐の夜(ゴールデン・ワイルドハント)さ!」

 

 響くライダーの声が全域に響き渡る。そしてそれに合わせて浮かぶすべての船がこちらに照準を定め、小船は燃え盛る火を携えて、こちらへ迫る。

 

 圧倒的な光景に、不意に自分の中に、敗北の二文字が去来する。自分たちに空を飛ぶ術は無く、また敵の猛攻を防ぐ術もない。逃げ場もなく、どうしようもない。ここまでか、という諦めの感情が自分の胸に広がっていき、心が折れそうになる。

 

「なに俯いてるんだよ。勝手に負けた気になるな」

 

 いつの間にか垂れていた頭を式に小突かれる。手加減は一切なかったようで、衝撃が頭の中で響く。顔を挙げれば不機嫌そうにこちらを見下ろしていた。そして、式の瞳には自分のような諦めの思いは無く、むしろここが勝負どころだと言わんばかりの熱を宿していた。

 

「あいつは一つだけ手を誤ったんだ。そしてあいつは片方の銃を放り、カトラスを失っている。だからここを切り抜ければ、オレたちの勝ちだ」

 

 そう告げる式の言葉に迷いは無く、自分はそれを聞いて、冷めていた心の内に再び熱が戻ると両の頬を叩き、気持ちを入れ替える。そして差し伸べられた手を取り、自身の足で立ち上がる。

 

 ――で、活路はどこにあるんだ?

 

「ああ、まず――」

 

 

 ※※※

 

 

「見ろよライダー! 圧倒的じゃないか僕の力は!」

 

 先程まで戦場だった沈没船が紅蓮の炎と煙に包まれたのを見て、旗艦・黄金の鹿号(ゴールデン・ハインド)で慎二が声高にそう叫ぶ。

 

「そりゃそうさ、ランクにすればAを超えるアタシが誇る艦隊は無敵さ。こいつを越えたきゃ聖剣の類を持って来るしかないさね」

 

 船首の先で慎二の高笑いと眼下の景色を肴に再び酒を呷り、誇らしげな笑みを浮かべてそう告げる。そうして飲んでいると、あることに気づき、眉をひそめて身を大きく乗り出す。

 

(どういうこった、炎の勢いが弱い……? 風は無いし、操作も誤ってない。なら何で……?)

「ん、どうしたライダー?」

「いや……」

 

 慎二が怪訝気な目でライダーを見るが、まともな返事を返すことなく、地上に意識を集中させる。

 

 『火を消す』こと自体は難しくない。水を掛ければ消えるし、強風で煽られれば勢いを増すことなく掻き消える。周りは電子とは言えど確かに海で、風も着弾の際に生じるし、普通なら単なる杞憂とも思える。

 

 そう、普通ならば。だがこれはライダーの宝具であり、そこから生まれた以上、船はもちろん、炎すらも宝具の範疇だ。ならばたかが水を掛けられた程度、風で煽られた程度で消えるはずが無い。それらが消えるとしたらそれは、人の手でしかありえない。

 

 そしてその人というのは勿論――、

 

(あいつらはまだ生きている!?)

 

 そのことに気づき、船首から飛び降りると、船が大きく軋んだ音を立てる。長年船で暮らしてきたライダーには、それが船の要である竜骨部分が切り落とされたことによる全体の軋みであると察し、事の重大さを知った。

 

 船において竜骨部分は最重要部分であり、ここを損傷すると船全体がダメになる。つまり事実上、この黄金の鹿号は壊滅状態だ。そしてこの船は小船や炎とは比較にならないほど強固な幻想であり、それを破壊できるのは間違いなく、

 

「――捕えたぞライダー!」

 

 すべての死線を見抜ける両儀式しかありえない。甲板を無理やり突き破って出てきた式に銃口を向けようとするが、腰から抜くよりも早く式の一撃が自身の足に入り、全身の動きが痙攣(けいれん)したかのように震え、満足に動くことができなくなる。

 

 先ほどの守り刀の一撃と似た現象であるが、突然の奇襲であることも相まって慎二は即座に対応できず、

 

「やれやれ……こいつはしてやられたねぇ……」

 

 式の振り向きざまの一撃を避けれず、ライダーはされるがままに死線を断たれる。都合三度にわたる英霊と人間の戦いは、人間に軍配が上がることとなった。

 

 

 ※※※

 

 

 式がライダーの死線を断つと同時に周りの船と煙幕、炎が掻き消え、自分たちは所々に穴が開き燃え滓が散らばる沈没船へと再び降り立つ。

 

 

 

 式が言った活路とは、ライダーが無敵艦隊を破った火計の船に在った。

 ライダーは火で敵の逃げ場を奪い、その後に大砲の一撃で自分たちを倒すつもりだったのだろうが、もし式が火でも殺せる(・・・・・・)と知っていたら、絶対にそんな真似はしなかっただろう。ただの砲撃であれば自分たちはライダーたちの船へ行くことも無く、あえなくこの船と共に海の藻屑と化していたのだから。

 

 あの時、式は迫る小船の火を殺し(・・)、小船に飛び移るという動作を何度も繰り返すことでライダーの旗艦まで接近したのだ。ある程度の高さに来たところで旗艦に追随する他の艦隊に飛び移り、万が一にも他の船に逃げられないよう、竜骨を切り落とすことで多大な損傷を与え、周りの船より高度を下げることで孤立させたのだ。

 

 そして自分の船に侵入されたことでライダーが僅かなりとも動揺を見せれば、式がその隙を逃さず、スキル[足を払う]を発動して動きを止め、その隙に死線を断てる。慎二も当然いるだろうが、宝具の使用で勝利を確信した慎二なら咄嗟に判断できないと見ていた。

 

 

 

 そして結果、戦況は式の思う通りに運び自分たちは逆転勝ちを収めることに成功したのだ。

 

「は……? おい、何してんだよ。立て、立てよライダー! 何寝てんだよっ!? さっさとあいつ等を叩きのめせよ!」

「あー、それは無理だねえ。立ち上がろうにも全身が殺されてるから指一本動かせないし」

「ふざけるな! まだたったの二撃じゃないか! それでも僕のサーヴァントかよお前! とんだハズレサーヴァントじゃないか!」

 

 ようやく現状を理解した慎二が、結果を認めないと言わんばかりに大仰な身振りと苛烈な口調を以てライダーを非難する。いつもならそれに軽口で返すライダーだが、今回ばかりはそんな余裕もなく呼吸と共に吐息を零すだけだった。

 

「く、くそっ! 僕が負けるなんて! こんなゲームつまらない、つまらない!」

「……見るに堪えないわ。私もこの有り様で疲れたし、帰りましょう」

 

 悔し涙を流しながらたたらを踏んだり、傍で転がっているタルを蹴飛ばしたりと、癇癪を起こす慎二に侮蔑の意を込めた視線を送り、式が踵を返す。勝敗が決した以上、戦意はもはや無いようで、口調も平素の物に戻っていた。

 

 自分もこの激闘で疲れており、早く休みたい気持ちもあり特に反発することなく校舎へ戻ろうと足を進める。

 

「あ……ま、待てよ、おい! おまえに話があるんだ。僕に勝ちを譲らないか? だだ、だってほら、君は偶然勝っただけじゃないか! 二回戦じゃ絶対に、100%負ける。でも、僕ならきっと勝ってみせる」

 

 そしてそんな自分たちを引き留めようと、そんなことを慎二が提案してくる。さすがにその発言には自分も呆れてしまう。いい加減、一言きつく言ってやろうかと思うと、式がこちらの袖を掴んでぐいぐいと引っ張っていく。

 

 構う必要はない、と言いたいのだろう。

 

「あ、オイ待てよ! こんな簡単な計算も分からないのかよ! 聖杯を分けてやるって言ってるのに!」

 

 どんどんと遠ざかる自分たちに逃げられまいと慎二がライダーをほったらかして走ってくる。ややつんのめるように手を伸ばし、それが肩に触れる瞬間――

 

「――は?」

 

 自分と慎二の間に入ってきた壁が、慎二の腕を跳ね飛ばす。こちらへ跳んできた慎二の腕は崩れるように消えていく。

 

「ヒ、ヒィィィイ! な、なんだよこれっ! ぼ、僕の身体が崩れていく!? し、知らないぞこんなアウトの仕方!?」

 

 そして壁の向こう側が赤く染まると、慎二の身体の端々が黒く変色し、紫の亀裂が慎二を蝕んでいく。突然のことで思わず慎二に向けて手を伸ばすが、壁に阻まれる。式に視線を送れば、蒼い瞳を瞬かせながら首を左右に振り不可能であると告げる。

 

「――聖杯戦争で敗れたものは死ぬ。アンタもマスターとしてそれだけは聞いてたはずだよな」

 

 そしてそれはライダーも同じだった。彼女は敗者がどういう末路を辿るか知っていたのか、死を覚悟していたのか、戸惑いは一切なく、その態度はさっぱりしたものだった。

 

「はい!? し、死ぬってそんなのよくある脅しだろ? 電脳死なんて、そんなの本当なわけ……」

「そりゃ死ぬだろ普通。今も昔も、西も東も戦争に負けるってのはそういうことだろ。舐めてんのかい」

 

 すべてを楽しむライダーが、初めて語気を荒げたことでようやく慎二が本気だと察する。それはあまりにも、遅すぎたことだった。

 

「大体ね、ここに入った時点でお前ら全員死んでるようなもんだ。生きて帰れるのは本当に一人だけなのさ」

「な……や、やだよ。今更そんなこと言うなよ……。ゲームだろ、これゲームなんだろ!? なあ!」

「…………」

「何とかいえよっ! あ、あぁぁ……、止まらない、止まらないよコレ! どうにかしろよ、サーヴァントはマスターを助けてくれるんだろ!?」

「無理に決まってるだろ。仮にあたしが万全の状態だったとしても、こればっかりはどうにもならないさ。でもま、善人も悪党も、最後には区別なく全員あの世行きだぜ? 別段、文句言うようなことじゃないだろ?」

「な……」

 

 さらりとそう告げられて、慎二は思わず二の句が告げられず、口を開けて一瞬呆ける。

 

「な、何わかったようなこと言ってんの!? おまえ悔しくないのかよ!?」

「そりゃあ反吐が出るほど悔しいさ。でもねえ、契約したときにアタシは確かにアンタに言ったよ、坊や。『覚悟しとけよ? 勝とうが負けようが、悪党の最期ってのは笑っちまうほど惨めなもんだ』ってねぇ!」

 

 目視が困難になるほど透けた状態で、愉快そうに笑みを浮かべ未練などないと、雄弁に言ってのける。

 

「はは、あんだけ立派に悪党やったんだ。この死に方だって贅沢ってもんさ。愉しめ、愉しめよシンジ」

 

 そこでライダーは地に臥せ嗚咽の声を上げる慎二から、自分たちに向き直る。

 

「そしてアンタらも容赦なく笑ってやれ。ピエロってのは笑ってもらえないと、そりゃあ哀れなもんだからな」

 

 ――そんなこと、出来るはずが無い。自分は例えピエロだとしても、他人の死を笑っていられるほど、剛毅な人間ではない。

 

「……さて、ともあれよい航海を。次があるのなら、もう少し強くなっていてくれよ? アタシの本業は軍艦専門の海賊だからねえ。どうにも自分より弱い相手と叩くってのは、どうも尻の座りが悪くていけない」

 

 ……確かに、自分たちは結果的に勝利したものの、まだ弱い。それは今回の戦いを通して学んだことだ。本来作戦は、背後で全体を俯瞰できる自分が立てなければならないものだ。自分は式以上に実戦経験が薄いのだから、一刻も早く慣れる必要がある。

 

「ああそうだ。ついでにそれ、貰っていってくれないかい?」

 

 ふと気づいたように、ライダーがこちら側の在る一画を指し示す。そこには最初、ライダーが蹴り飛ばした銃が転がっていた。あの猛攻の中でもあったはずなのに、傷一つない。

 

「……さすがにそのまま放置されちまうのはもったいないからね。撃てるんならそのまま使っていいし、インテリアとして飾っといてもいいさね。好きに使いな」

 

 最期の最後で、笑みを浮かべながらそんな他愛無い会話をして、ライダーことフランシス・ドレイクは消滅した。

 

「お、おい! 何勝手に消えてんだよ! 助けてくれよ、そんなのってないだろ!? そ、そうだおまえ! おまえが助けろよ! おまえが負けないからこんなことになったんだぞ!? 責任とって、早く助け――ひ、消える……! やだ、と、友達だろ? 友達だっただろ! 助けてくれよぉ!」

 

 目の前でライダーの消滅を見て、必死にすがりつくように壁に寄り掛かる慎二は、既に首元まで浸食されていた。消えるのも時間の問題だろう。友人が、死に瀕しているというのに、何も出来ない現状に少しでも抵抗するように拳を壁に叩き付ける。壁は強固で、たった一撃叩き付けただけなのに、僅かに血が付着していた。それでも、必死に抗うように拳を叩きつける。今度はピキリという音が響いた。無論、壁には傷は無い。

 

「あ、あ――消える、消えていく! なんで、おかしいぞこれ! なんでリアルの僕まで死ぬって分かるんだ!?」

 

「もう無理よ! 諦めなさい!」

 

 式の制止を無視して三度目の拳を叩きつける。バキリ、と音が響いて自分の手が歪み血が飛び散る。激痛が広がる。

 

「うそだ、うそだ、こんな筈じゃ……助けろよ、助けてよお! 僕はまだ八歳なんだぞ!?」

 

 今度は逆の腕を振りかぶり、叩き付けようとすると式に腕を掴まれる。沈痛な顔持ちで、必死に制止を呼びかける声を無視して拉げた拳で不器用に構える。

 

「こんなところで、まだ死にたくな――」

 

 四度目の拳をぶつける。同時に、壁が一瞬瞬く。

 

 やったか、という自分の思いは明確に否定された。後に残るのは拳を砕いた自分に、傷を負った式の二人だけ。そこには間桐慎二という少年がいたという痕跡は、何一つ残っておらず、完璧に削除されていた。

 

 

 

 覚悟はしていた。だが、死にたくない、と泣き叫ぶ友を、幼い少年を殺してしまったという事実は予想以上に重いものだった。

 

 

 ※※※

 

 

 両儀式 スキル

[足を払う]筋力ダメージ+スタン(A) 

[?]?

[?]?

[?]?

[?]?

[?]?

[?]?

[?]?

[?]?

[?]?

 

 




え、ライダーがまったく強くなってない? 気のせいですよw

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閑話――月夜邂逅

今回はインターバルですのでちょっと短めです。
式のデレを突っ込みましたので、皆さん存分に悶えてください。私も悶えましたw

代わりにちょっと駆け足気味なのは許してほしい。



 ――眠れない。全身は激闘で疲れ切って早々に休めたいと言っているのに、思考がそれを遮ってしまい、欠伸の一つも出やしない。理由は分かっている。今日の決戦でのことだ。

 

『助けろよ、助けてよお! 僕はまだ八歳なんだぞ!? こんなところで、まだ死にたくな――』

 

 死にたくないと、消えたくないと、そういって消滅してしまった慎二を思い出す。実を言うと、人を殺したという実感は薄い。それは直接手を下したわけでないことと、その後に何も残らなかったことが起因する。今自分にあるのは、もう慎二と会うことも話すこともできないという、言葉に出来ない悲しみの感情だ。それを思うと、とてもではないが寝ている気にはなれない。

 

 視線を隣りに向ければ、式はもう寝ていた。ただし、あまり寝つけなかったのか布団のシーツは皺だらけだ。大なり小なり、思うところがあったのだろう。

 

 静かに立ち上がり、忍び足でマイルームを出る。物音を立てなかったのは起こさないように、という配慮もあるが、一人で校舎に出たと知ったら怒るだろうからである。自分とてその危険性は十分理解している。だが、初戦が終わったことで大半の人間――主に遊び気分で来た者――が衝撃を受けて余裕を失っているため、外に出ている人間はいないと思う。

 

 それに、聖杯戦争には休みもないため明日も再び戦いが始まるのだから、鋭気を養っておかなければならないはずだ。

 

 

 

 気持ちを落ち着けるため、夜風(あるのだろうか?)に当たろうと思い屋上の階段を開けると、期待通りの冷えた空気が肌に染みる。その寒さに身を震わせながら空を見上げると、相変わらず0と1の数字が羅列されているが、この夜空の中ではそれらが星にも思えて、知らず感嘆の息を漏らす。

 

「おや、岸波さん。こんな時間にどうしたんですか?」

 

 不意に聞こえた声に鼓動が跳ねる。幸い、声音が優しいものだったので焦らずに済んだ。驚きを隠して声の出所を探ると、その先に赤い制服にサラサラとした金髪の少年、レオがいた。普段から凛とした佇まいをしているため、式同様の高貴さや美麗さを感じるが、月光の下であることがさらに拍車を掛けている。

 

 初戦でおそらく人を殺したのも今日が初めてであるにも関わらず、その気配に(かげ)りは一切ない。

 

「警戒しなくていいんですか? 一応僕たちは敵同士になるんですよ」

 

 そう言うが、微笑を浮かべる彼に敵対する意思が無いことは明白だ。

 ここで事を構える気はないのか、それとも単にプライベートだからなのか、普段感じている強大な存在感はやや柔らかく感じられる。そしてやや熱いと思える空気から見えないがガウェインがいることを如実に示している。おそらく、こちらが式を連れていないから合わせてくれたのだろう。

 

 これが他のマスターなら警戒なりなんなりしただろうが、ことレオにおいては心配は必要ないだろう。単なる買い被りか的外れな見解かもしれないが、王を目指すレオはあくまでルールに則った上で行動を取ると思われるから、校舎内で戦闘が禁じられている以上向こうから仕掛けてくることはない。そして彼のサーヴァントであるガウェインも同様、騎士足らんとする彼はレオの意に従って行動するはずだ。

 

 そのことを簡潔に告げると、

 

「――素晴らしいですね。僕が思っていたことをズバリと当てて見せるとは。それに、ガウェインのことも一言交わしただけなのにそこまで理解できるとは……ちょっと驚きです」

 

 どうやら間違っていなかったようだ。その言葉には一切世辞は無く、純粋にこちらを称賛していることが分かった。

 

 自分としては、個人的に思っていたことをぶつけただけなので、逆に恥ずかしくなってきてしまい、話題を変えようと何故レオがここにいたのかを尋ねてみる。

 

「ああ、それなら特に理由はありません。西欧財閥と通信するのでなるべく高いところにいたほうがいいと思っただけです」

 

 あっけらかんと言ってのけるが、それは紛れもなく驚愕に値することだ。聖杯戦争の参加者はムーンセルに入った時点で地上とのリンクを切られ、干渉する術を失う。それは自分も慎二も、きっと凛も同じはずだ。如何に強大なレオでもそこは変わらないはずでは……。

 

「ええ、そうですよ。ですからこれは僕の力ではなく、西欧財閥の力です。僕がムーンセルに行く際に一部の者が反対したので、妥協案として大体週に一度の周期で連絡することを義務付けられたのです」

 

 西欧財閥、事実上の世界の支配者。だが技術レベルが二〇〇〇年代から停止した地上の技術ではレオを足掛かりにしても出来るとは到底思えない。

 

「その通りです。残念ながら西欧財閥の力を以てしてもまともな通信はできず、通信自体も一分弱しかできません。それ以上はムーンセルに察知されますからね。まあ元々、通信が出来た程度で何も変わらないですがね」

 

 普段通りの微笑を浮かべながら、実情を隠すことなく曝け出すレオ。依然とした絶対の自信が、初戦での快勝ぶりが窺える。レオが負けることなど考えていなかったから、ある程度は予想できていたが。

 

「ところで、岸波さんは何をしに来たのですか?」

 

 当然の疑問なのだろうが、自分としてはあまり突いてほしくなかったりする。適当にはぐらかそうと考えるが、どうにもそのようなことを許してくれる相手ではないので、正直に自分の胸中を告げる。

 

 すると、

 

「何故悲しむ必要があるのですか。あなたと彼の関係はあくまでムーンセルから与えられた役割によるものでしょう?」

 

 その言葉は、本心から理解できないと言わんばかりの表情と共に放たれた。その態度にやや放心してしまう。レオが他の人たちとは違い、命を奪う覚悟を決めていた者としてもそれはあまりにも淡々としている。

 

 ――レオは、今日殺した人に関して思うことはないのか。

 

「ありません。これが戦争である以上、どちらかが死ぬのは当然の結果です」

 

 夜風以上に冷たい返事が返ってきた。表情は何ら変化なく、レオがそれを本心から言っていることが分かる。それだけに、彼の異常性を強く感じられた。

 

 レオは、人ではない。王という存在なんだ。人は生きるために、豚や魚を躊躇なく殺して糧としている。それはひとえに豚や魚が自分たちとは違うからだ。

 

 容姿が違う。言葉が違う。行動が違う。そして――価値が違う。

 

 レオという、『王』たる存在にとって自分たち『人間』は生き方が違うのだ。だから興味を惹かれたりすることはあれど、それで態度を変えたり躊躇することはなく、ただ糧として淡々と今も、そしてこれからもすべてにおいて勝ち進むのだろう。

 

 ――だが、それでは王足り得ない。人の心はそう簡単に割り切れるものではないし、これは割り切ってはいけない想いなんだ。(それ)を理解できない者が人を率いることは出来ないのだ。

 

「……割り切ってはいけない想い、ですか」

 

 ああ、人というのは完璧ではないんだ。悩み苦しみ妬み迷う挫折だらけで穴だらけの存在なんだ。だからこそ、『完璧』なレオには『不完全』な自分たちを率いることができない。『完璧』という言葉は『完成』とは違うんだ。

 

「……なるほど。ではあなたにとって僕が『完成』するには、どうするべきだと思うのですか?」

 

 ……そんな自分の勝手な意見を、レオは真摯な態度で受け止める。他人に意見を尋ねるなど、王たるレオという存在にとっておそらく初めてのことだろう。

 

 だが言うだけ言っておきながら、薄っぺらい自分には『何をどうすればいいのか』を明確に指摘することができない。ただ、そんな薄っぺらい自分にも言えることが一つある。それは――、

 

 ――ガウェインと話すんだ。

 

 投げ槍のつもりはない。ただ薄っぺらい自分の百言よりも、騎士として王の姿を見て来たガウェインの一言のほうが遥かに重く、心に響くものだからだ。それに彼はアーサー王の後世にも伝わるほど公明正大な振る舞いを間近で見ており――見ているからこそ、レオの公明正大な態度がいずれ破滅をもたらすと知っているはずだ。

 

 くどいようだが、人を率いれるのはあくまで人のみ。レオの在り方では繁栄させることはあれど、人心を繋ぎとめることは出来ない。それは近しい立場にあるものであればなおさらのことだ。

 

「分かりました。今日あなたと話せたことは僥倖でした。次もまた、こうして話し合えることを祈っています」

 

 そういいレオがこちらにニコリと微笑んで立ち去っていく。そしてその際、僅かに実体化してガウェインがこちらに頭を下げ、すぐさま霊体化する。

 

 どうにも先ほどのことは、ガウェインも気づいていたらしい。しかし知っていながら何故言いださなかったのか。生前のこともあるし、生真面目な性質なのだろう。

 

 と、そこで藤乃の武人のサーヴァントを思い出す。傍にいながら何もしなかったサーヴァントに、騎士という立場に徹するあまり私情を殺すサーヴァント。凛とランサーや慎二とライダーは比較的コミュニケーションが取れていたが、不和というか一方的というか、どうにも不器用な英霊は少なくは無いらしい。

 

 あと武人のサーヴァントを思い出したからか、藤乃のことが心配になってきた。桜が診てくれたから体の方は問題ないと思うが、心のことが気になる。サーヴァントも気軽に話してほしいと言っていたし、今度出会ったらそれとなく聞いてみよう。

 

 そう決意した時、夜風が一段と強く吹き付ける。そのあまりの寒さに身震いし、くしゃみを一つ零す。もう十分夜風に当たったし、風邪をひいたら、決戦の後に右手の治療してもらったばかりだというのに再び桜に診てもらう羽目になってしまう。もう戻ることにしよう。

 

 

 

 屋上からは綺麗な光を放っていた月だが、二階に降りると角度が違うこともあって廊下ではほとんど光が射さないためやや暗い。

 

 レオと話したからか、ほんの少しだが悲しみが薄れた。レオが言っていたように、これは戦争だ。自分にもあるように、慎二にも願いがあり、自分たちはその相容れぬ道のために戦うしかなかった。それで罪を正当化するつもりはない。ただ、ここで自分が慎二の命も背負えず重みに潰れてしまえば、それこそ慎二の死は意味の無い物になってしまう。

 

 ――しかし、それでも自分は足を止めずにはいられない。余人からすれば、命を背負うという考えすら烏滸(おこ)がましいのかもしれない。さらにはただの自己防衛に過ぎないのでは、という疑問も脳裏をかすめていき、まるで出口のない迷宮に迷ってしまった気分だ。

 

 やや沈痛な趣きでマイルームへと足を進め、扉に手をかける。そして扉を引くと同時に、何やら白い物が自分の顔面目がけて飛んでくる。咄嗟に反応しようとしたが、予期しなかったことに加え、気分があまり優れなかったこともあって碌な防御体制もとれず、相手の狙い通り無様に顔面で受ける羽目になった。

 

 しかし、白い物体はやや重さがある物の基本的には軽く、そして柔らかかったためダメージはなく、衝撃によろめいただけで大した痛みは無かった。あと、当たった時ほのかにいい香りがした。

 

「こんな時間に何してたの?」

 

 顔を抑えていると、棘のある口調で顔を顰めた式がこちらを睨みながらそう告げてきた。左手を腰に当て、右手を振りかぶったようにだらんと垂らしている。

 

 うん、どう見ても怒ってるなこれは。下手な言い逃れは通じないと察し、すかさず屋上で夜風に当たっていたと告げる。

 

「へえ、屋上で? 一人で?」

 

 一人で、の部分でさらに眉間に皺が寄せられ、青筋が立つ。これがマンガであれば怒りマークが書かれていたであろう。

 さすがにこれ以上墓穴を掘るわけにはいかない。だが嘘をつくとさらにひどい目に会うだろう。ここは……、

 

 >正直にレオといたことを話す。

 >凛といたことにする。

 >藤乃といたことにする。

 >やはり一人でいたことにする。

 

 とりあえず、三番目は無いだろう。式は藤乃をあまり気に入っていない。一緒にいたなんて言ったらどんなことになるかわからない。なので三番は却下。

 

 一人で、というのも危険だろう。式は割と鋭いほうなので、勘づかれる可能性がある。そうなれば洗いざらい喋らされるので、これもなし。

 

 となると、残るはレオか凛か。レオと正直に言うのもいいが、式は食堂であった時のことを考えるとレオのこともあまり好いていない様子だ。それならまだ凛のほうがいいだろう。最初に出会ったのも屋上だし、式も凛のことを痴女と呼んで弄って相性が悪くも思えるが、本心で嫌っているわけでは無いと思える。むしろ式的にはああいう裏表の少ない相手はむしろ好感が持てるはずだ。

 

 それならば、

 

 ――凛と一緒にいた。

「へぇ」

 

 告げた瞬間、地が揺れた。錯覚ではない。式が足を腹立たしげに叩き付けたためで、本当に揺れたのだ。

 あと同時に式が笑顔になった。ただそれは機嫌がよくなったからではなく、尚更悪化したからである。どうやら自分は墓穴どころか葬儀や墓の準備までしてしまったらしい。マンガなら怒りマークが二つばかり増えたであろう。

 

 そしていまので式の凛に対する好感度は一気に下がったであろう。勝手に巻き込んでしまって本当にすまない凛、今度何か奢るから許してほしい。

 

「こんな夜遅くに、私に一言もなく、女と密会ですか。さぞいい身分ですね」

 

 式が今まで見たことが無いくらいいい笑顔を浮かべる。こんな場でなければ本気で見惚れていただろう。それくらい今の式は綺麗だった。

 

 ――もしかしたらもうすぐ死んじゃうんじゃないかな。シャレではなく、心からそう思えてきた。心の中で辞世の句を思い浮かべていると、唐突に式の笑みや怒りが深い溜め息とともに消えていく。

 

「いくら今日みたいな日の真夜中でも、外に出る時はちゃんと私を連れてください」

 

 燻っているであろう僅かな怒りを込めたセリフを放って背を向け、何かに気付いたようで再びこちらに向き、自分の足元を指す。視線を下ろしてみればそこには先ほど自分の顔に当たった白い物、枕があった。

 

 ああなるほど、と一人納得して枕を取り、式に近寄り手渡す。それを変わらず不機嫌そうな態度で受け取り、そのまま布団に寝転がる。そのどこか子供が拗ねているような態度を微笑ましく見つめ、自分も同様に布団に入る。

 

「……心配するでしょ」

 

 ふと、そんな言葉が耳に入った。式としては多分語る気は無く、心の中で思ったことがつい出てしまった程度なのだろう。

 

 その言葉に再び笑みが浮かんでしまう。あの悲しみを忘れたわけでは無いが、それでも今は大分気が楽になった。我ながら現金な性格だと思う。

 

 




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8月3日 ちょっと修正。


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樹毒空間

遅れました。原因の5割はゲームです。ノースティリスにいったりパリに行ったりしてました。あと久々にエリア11にも。結局ロスカラR2は出なかったな……。

もう5割はフラグ設置です。こういうのってよく考えて張らないと、全体のバランスが崩れるので時間がかかりすぎました。まあ、崩れてるかもしれませんが……。考えなしにやるとこういうツケが来るな……。

それはそうと、EXTRAも空の境界同様に全七章+αなんですよね。映画化したらいいな……。


 雷雨を越えた航海。しかしその代償は決して軽くなく。

 

 次の難関は姿を見せぬ狩人。心に宿した黒い影、騎士道の裏に隠れた死角。

 

 狩人は其処に忍び、耽々と命を狙う。

 

 奇襲奇策策謀謀略。戦争の重み(いみ)を知れ。

 

 

 ※※※

 

 

 普段は訪れない、かつて自分が普通に授業をしていた教室へやって来る。以前少し覗いた時は少なくとも十人ほどいたはずだが、現在教室にいるマスターは二、三人程度しかいない。その二、三人も頭を抱えて机に突っ伏したり、忙しなくうろうろしている様子から未だに悩んでいるのだろう。

 

 斯言う自分も、ここに来た時点で彼らと同じように悩んでいるのだ。

 自分の席を通り過ぎ、隣りの慎二の席へ向かう。机は几帳面に整えられ、慎二の性格が表れていた。だが主を失った以上、この机が整えられることはない。そう思うとしんみりとした寂寥の念を覚える。

 

「……つらい?」

 

 戸惑いがちな式の問いに言葉を発することなく首肯で答える。撫でるように机に触れるがそこに熱は無い。ただ無機的な冷たさがあるだけで、慎二がいたことを告げているのはもうこの机の様子のみ。しかし、その机もいずれ荒れて慎二がいた時の様子を失うのだろう……。

 

 ズキリ、と胸が痛む。自分は願いも覚悟もあって戦ったつもりだ。そしてその結果、式が、そして自分がまだ生きている。だからこの結果を悔やむことはない。悔やむということは、自分たちではなく、慎二が生きているという選択肢を望むこと。それもまた、背負った重さに潰れるのと同様に、慎二の死を冒涜し、彼の死を無意味にしてしまうことだ。だから自分は逃げるわけにもいかないのだ。そのためにも、自分はこの二回戦の間に、自分なりの答えを見つけなければ――。

 

 そう決意を新たにすると、急かすように端末が鳴り響く。それは自分の者だけではなく全員一斉に、だ。時期を考えれば誰もが思い当たるだろう。つまり――、

 

「対戦相手の発表ね」

 ――だな。

 

 式と顔を見合わせて、名残惜しげに慎二の机を一瞥し、廊下へ出る。今鳴ったばかりだからか、あるいは気力のある人間が欠けているからか、掲示板の前にいるのは10人にも満たない。

 

 掲示板は以前自分が見た時と同じく、飾り気も何もない真っ白な紙の中央部分に自分と対戦相手の名前が書いてあるだけだ。おそらく、見る人によって映る内容が違って見えるのだろう。便利なものだ。

 

『マスター:ダン・ブラックモア

 決戦場:二の月想海』

 

 名前からして、ヨーロッパの方なのだろうと当たりを付ける。思い出せば、聖杯戦争のマスターは世界中から参加しているのだ。レオが転校生であり、知ってる人たちがNPCも含め日本人ばかりだからすっかり忘れていた。

 

「ふむ……。君が次の対戦相手か」

 

 そう遊びのない重い言葉で告げてきたのは、いつの間にか隣りに立っていた老人だった。

 軍人らしい黒い衣服に緑の鎧と、迷彩服を思わせるカラーリングに、年季を感じさせる白髪と髭。凛とした立ち振る舞いだが式とは違い、レオのサーヴァントであるガウェインを思わせる出で立ちからは彼同様の騎士らしさがあり、衰えというものを感じさせない。むしろ年を重ねることでより深みを感じさせられる。遊び気分で来た者とは違う、凛のような戦争を生業とする本職の人間だろう。

 

 そしてその鋭い眼光がこちらを射抜く。まるで心臓を掴まれたような気分になり、思わず震え上がりそうになったが、藤乃の武人のサーヴァントを思いだし何とか耐える。この老人も確かにすごいが、それでもあの武人ほどではない。

 

「なるほど……。若く、実戦経験も無いに等しく迷いもあるが、覚悟ははっきりしているようだ」

 

 そう呟くと、感心したように威圧するかのような視線を和らげ、髭を撫でる。この時点でいつの間にか止めていた息を吐いて、肩の力を抜きたかったがそれをすれば相手の評価は一気に落ちるだろう。舐められるのは嫌だったためそのまま虚勢を張り続ける。

 

「だが……どうにも君たちの間には僅かな齟齬があると見える」

 

 その言葉に反応したのは自分ではなく、式だった。いつも通りの毅然とした振る舞いが乱れる。何のことかわからず、一瞬呆けていた自分にもわかるほどの反応だった。

 

「では失礼する。決戦場で戦えることを心待ちにしている」

 

 そしてこちらの様子など知らぬと言わんばかりに身を翻し、老騎士は去っていった。その姿を見送り、ようやく息を吐いて肩の力を抜くと、すぐさま式に向き直る。式はこちらと目線を合わせようとはせず、視線を忙しなく動かしている。自分にはその様子だけで、先ほどの言葉が真実なのだと十二分に理解できた。

 

 幾度となく視線を迷わせる式の両肩に手を乗せ、やや無理やりに目を合わせる。その強引さに驚いたのか、式は目を丸くしている。

 

 齟齬がある、というのは自分と式の間でのことだろう。その齟齬がいったいどんな部分なのか、自分には分からないが、あの老騎士はきっと無関係、あるいは無意味なことを口にしたりしないと思う。となれば、それは自分たちの戦闘に支障をきたすのではないのだろうか。

 

「――なんでもないわ」

 

 そう告げてみたものの、素っ気なくあしらわれ再び目線を逸らされる。しかし、その表情が微かに思い詰めた物に変化したことを自分は見逃さなかった。彼女自身、自覚しているのだろう。

 

 ここで一歩、自分が式の心に踏み込めれば、もしかしたら心境を晒してくれるのかもしれないが……。一先ず今日のアリーナで様子を見て決めよう。

 

 トリガー生成の報告はまだ来ていないし、それまでに図書室で時間潰し用に本を何冊か借りて、食事を取って、一回戦でお世話になった人にお礼を言いに行くとしよう。ただし凛は除く。話したのは昨日の深夜で記憶に新しいことだし、式が問い詰めて嘘がばれてしまったら後で酷いことになる。主に自分が。

 

 さて、となると……。

 

 

 ※※※

 

 

「――それで君はお礼に来たというのか。律儀だな」

 

 吸っていたタバコの煙を肺から勢いよく吐きだし、自分が買ってきた『BASS レインボーマウンテンブレンド』を飲む橙子さん。その表情は呆れの色が濃いが、飲んだ瞬間には喜びの色も見えた。ここの飲食物はインスタントでも缶コーヒーでも本当に美味しいから、気持ちは分かる。

 

「ま、いいじゃん。紅茶くれたし。姉貴はコーヒーだけど」

 

 対して無邪気に喜び、買ってきた『正午の紅茶』をごくごくと一気飲みの勢いで飲み口元を拭う青子さん。どうやら自分のチョイスは間違っていなかったらしい。好みが分からないので自分の印象で決めたから実を言うと不安だった。

 

「まあ、それもそうだが……しかし驚いたな。一応アジアチャンプの間桐慎二に、素人以前の君が勝てるとは思っても見なかったよ」

 

 ……できれば今は慎二のことは出してほしくなかった。自分がほんの少し気鬱な表情になったのを橙子さんは目敏く見つけると、すまんと一言述べて話を切って捨てた。

 

「しかし……次の相手はダン・ブラックモアか……。まさか二回戦で老騎士にあたるとは君もつくづく運が無いな」

 

 半ばまで飲み干した缶コーヒーを机に置き、再びタバコを口に咥えると、橙子さんはこちらに同情するような視線を向けてくる。カスタムアバターを使っていることといい、歴戦の戦士としての振る舞いから只者ではないとは思っていたが、橙子さんも知っているということはやはりかなりの腕なのか。

 

「ああ。サー・ダンは退役しているものの、名のある軍人だ。西欧財閥の一画を担う彼の大英帝国の狙撃主で、現役時代は匍匐前進で1キロ以上進んだのちに敵の司令官にヘッドショットを決めるなど日常茶飯事の男でな。メンタル面ではこの聖杯戦争の参加者の中でも2、3を争うくらいだろう」

 

 1位は当然レオということか。本当にレオは規格外だな……。

 しかし、何で自分ばかり強い相手に当たるんだろう。カスタムアバターを使ってる人なんて全体の10分の1程度しかいないのに。改造で自分の幸運を改造出来たらな……。

 

「ま、元気だしなよ。一回戦の、えっと……間桐君だってあなたたちからすれば相当格上だったんだし。姉貴も改造だけは(・・・)一流だしきっと何とかなるよ」

「まるで私がそれしか能がないように言うのだな。紛うことなく破壊しか出来ない能無しの癖に。NPCの改竄で失敗して、処理性能を80%もダウンさせた女がほざいてくれるな。ムーンセルから苦情が来てたし、そろそろ本気で追放されるんじゃないか? お前は居ても害しかないし」

「う、うるさいわね! その時は月なんて破壊してやるわっ!」

「おいおい……とんでもない結論出したな」

 

 現状に嘆く自分そっちのけで口論を始める青子さんと橙子さん。それを相変わらずだと思いながら眺める自分に、長椅子で船を漕ぐ式。昨日はあまり寝てなかったらしいし、仕方ない。しかし無防備だな……。

 

 とりあえず、こういう時の対処法は『傍から眺める』ということは学んだ。さすがに口から肉体によるものに変わるようなら以前と同様に仲裁するが、この程度なら放っておいても問題ない。どうせ橙子さんの方が上手だから、最終的に青子さんが論破されて唸ることになる。

 

 そして一分後、予想通りの結果となった。

 

 

 ※※※

 

 

 ――それじゃあそろそろ失礼します。

「いやむしろ、此方こそ見っともない所を見せて失礼したな。二度とこんなこと無いように言い含めておくよ。では、またな」

 

 目を瞬かせ、気だるげに欠伸を零す式の手を引いていく。いい笑顔で語る橙子さんに青子さんが何か言いたげにしていたが、先ほど論破されたことがまだ後を引いているのか、悔しそうに顔を顰めてうぐぐ……と唸るだけでそれ以上口にしようとはしなかった。

 

 寝起きで緩やかな歩き方をする式に合わせて、自分もまた同様の歩き方をする。薄暗い教会内では雰囲気も相まって眠気を増進しているのだろうが、外に出ればまだ四時頃なので目も覚めるだろう。しかし花壇で眠るのも心地よさそうだ。すべてが終わったら寝てみたい、とのん気に思う。

 

「ああそうだ、最後に一つ教えてくれ」

 

 そんな目出度すぎる思考に耽っていた自分は橙子さんのセリフで現実に戻される。彼女は軽いことのように言ったのだろうが、腑抜けていた自分には少しばかり鋭く聞こえて、つい背筋を伸ばしてしまう。

 

「何故私にはコーヒーで、青子には紅茶だったんだ?」

 

 単なる疑問か、扱いの格差を感じたからか。質問の意図は分からないが、大したことではなさそうで、ここで嘘をついて『売り切れてたから』といっても決して追及はされないだろう。ただ、その質問が先ほど鋭く聞こえたことも相まって重要そうに思えていたので、自分は素直に答えて教会を去った。

 

 

 ※※※

 

 

「ふむ……」「へえ……」

 

 岸波白野の答えを聞いて、知らず橙子は感嘆の息を洩らした。それは青子も同様で、シンとした静けさの教会で二人分の息遣いが響いた。そして同じような反応をしたのが互いに気に入らず、再び同じタイミングで鼻を鳴らして彼の答えを頭の中で反芻する。

 

『青子さんはコーヒーより紅茶の方が好きそうだった。橙子さんはどっちもいけそうだったけど、コーヒーの方が飲み慣れてる気がした。あと、同じものだとケンカしそうに思えたから』

 

 それが彼――岸波白野の答え。1から10まですべて彼の想像だが、それは間違いなくあっていた。青子は元々コーヒー党であったがある時期から紅茶党へと移り変わり、どちらでもいける橙子は最近は社員の一人が頻繁にコーヒーを入れてくれることもあってややコーヒー党に寄っていた。そして同じだとケンカになる、という見解も先ほど同じタイミングで同じ行動を取ったのが気に食わなかったように、それが火種となりケンカが起きても可笑しくなかった。今は先ほど青子が負かされたこともあって起きなかっただけで、それ以前なら確実に起きていた。

 

 ――観察眼、にしては精度が段違いだ。そもそも私たちはここに来てからコーヒーや紅茶どころか、飲食物に関しては一切摂取していないし、話題にした覚えもない。もはや神懸かり的な見抜きだ。

 

 ――彼と会ったのはこれで三度目。それだけでこっちの趣味嗜好を完全に掴んだとは思えないし、調べるのも彼程度の技量じゃ無理。人伝に聞くのも、そんな細かい所まで知っている人間がここにいるとは思えない。

 

 本来あるべきの静けさが、痛いほどに教会を満たす。今この空間は、紛れもなく他の空間から隔絶されていた。

 

「……青子、私は本格的に調べてみようと思う。お前も手伝え」

 

 そんな空間に一石を投じたのは、意外なことに橙子だった。青子はそれに突っかかることなく受け入れる。それは青子自身、橙子に頼もうと思っていたことだった。

 

「彼、普通じゃないわね。悪人ってことはなさそうだけど、野放しにしとけそうもないわ」

 

 

 ※※※

 

 

 眠そうな式の頬をいじること十秒、ようやく目を覚ましたところで端末がけたたましく鳴り、第一暗号鍵(プライマトリガー)が生成されたことを確認する。夕食にはまだ早いが、以前みたいに凛と鉢合わせする可能性はできる限り潰しておきたいので手軽なもので済ませておいた。

 

 性格的に凛はこちらのことを心配しているだろうけど、もうしばらく時間を置きたい。大方屋上にでもいるだろうし、三日くらいしてから会いに行くとしよう。その時は、拳の一発くらいは覚悟しておこう。

 

 などと考えながら廊下を歩く。ほんのつい最近まで賑やかだった学校は、全体の人数が半減したことに加え、時折見かけるマスターたちが完全に意気消沈している所為で暗い雰囲気を醸し出している。

 

 無理もない、何しろ昨日の今日だ。殺した方も、殺された方も、これが本当の殺し合いだと思っていた者なんて、レオや凛などの極一部だろう。大半は遊び気分で参戦し、人を殺してしまったという罪の意識と、『自分もああなるのでは』という死の恐怖に怯えているのだろう。今の彼らには欠片ほどの覇気も緊張感も見て取れない。ただ在るだけで無い(・・・・・・・)ようなものだ。

 

 今なら凛が初めて会った時、自分たちを叱っていた気持ちが分かる。自分たちも傍から見たらあんな風に、抜け殻みたいに佇んでいたのだろうか。ふと、すれ違った生徒が自分に見えた。人の振り見て我が振り直せ、というが今の自分にとって、彼等の苦悩が他人事ではないことを再認する。もし自分の隣りに式が居なかったら、覚悟が無ければ、自分もあんな風になっていたのだろうか。

 

 脳裏に浮かんだ光景を頭を振って追い出す。いまは弱音を吐く時でも、厭世観に浸る時でもない。こんな気持ちでは、勝てるものも勝てなくなる。軽く深呼吸して気分を入れ替えて、力強い一歩を踏み出して――、

 

「……何か聞こえるわね。これは……」

 ――ダン・ブラックモアと、そのサーヴァントかな?

 

 ――動きが止まる。アリーナの入り口のすぐ傍で、自分たちの対戦相手であるダン・ブラックモアとそのサーヴァントが話し合っていた。降って湧いてきた幸運に、これ幸いと息を潜めて聞き耳を立てる。残念ながら、サーヴァントの方は死角になっているため、視認はできなかった。

 

「二回戦の相手を確認した。まだ若く未熟なマスターだが、戦士に相応しい子だ。一回戦の相手と同じだと決して思うな」

「へいへい、分かってますって。そも、俺はどんな相手だろうと手加減なんてしたことありませんよ。何しろ常に油断なんて出来ない状況下でしたし」

「なら良いが……。ともあれ、この戦いは連携が肝要だ。私の指示に従え。一回戦のような真似は二度とするな」

「あー、はいはい、分かりましたよ。ったく、俺から暗殺や奇襲を除いたら残るもんなんて絞りかすみたいなもんですぜ」

 

 愚痴を零すサーヴァントを叱咤するように睨み、二人はアリーナへ入っていく。

 

「暗殺、奇襲……。アサシンかしら……?」

 

 かもしれない。が、一応サーヴァントはセラフが相性を合わせて決めるので、明らかにあの老騎士に合いそうにないアサシンを配するとは思えない。おそらく、それに近いクラス、アーチャーかキャスターだろう。どちらにしろ、白兵戦に向いたサーヴァントではない。

 

「それで、どうするの。すぐ行く?」

 ……いや、少し時間をおこう。

 

 このままいけばアリーナですぐ鉢合わせになる。慎二とは違い、情報をぽろぽろこぼしてくれるわけでもないし二、三度の戦闘は覚悟しておくべきだろうが、それは今ではない。式のことで一抹の不安を抱えるこちらとしては初日では当たりたくない。

 

 …………しかし、相手が戦う気なら、こちらも準備を怠るわけにはいかない。もしあのサーヴァントが奇襲や謀略に長けた英霊ならば、不意を突いて仕掛けてこないとも限らない。それに対戦者発表の際、去り際にダンが残した言葉には、まるで『前回は戦えなかった』みたいなニュアンスが僅かに込められていた。

 

 英雄、と聞けば華々しい存在を思い浮かべる人が大部分を占めるが、実態は違う。ハサンと呼ばれた暗殺を専門とする者もいれば織田信長にチンギス・カン、白起といった歴史上にも類を見ない残虐な行為を行ったものもいる。また、策を以てどんな劣勢からも大逆転した策士も、見方を変えれば大量虐殺の指導者みたいなものだ。

 そしてその手の者はこちらが予想だにしない行動をとってくるわけだから、警戒はできても対処がし辛いのである。

 

 そういったことも考慮すると、自分が狙われる可能性もかなり大きいだろう。英霊クラスの式を倒すのと、ただの一般人の自分を倒すのでは段違いだし、十分あり得るだろう。特に真正面(ましょうめん)からのぶつかり合いに弱く、術策に長けたキャスタークラスなら合理的な判断をするだろうし、十分あり得る。

 

 それに、ダンもサーヴァントを律せていない様子だ。ダンは先ほども言った通り無関係、あるいは無意味なことを言ったりしないと思う。だからあのサーヴァントはダンの意向や命令をある程度無視して動ける立場なのだろう。

 

 決していなくなったわけでは無いが、廊下の人影はかなり減っているし、突然仕掛けてくることも無くはない。そうなると、マイルーム以外では終始気を張り続けなければならないだろう。難儀なことだ。二回戦の間はとても息が抜けそうにない。

 

 ――と、そろそろいいだろうか。

 

 端末の時間表示を見てみれば、ダンとそのサーヴァントの二人がアリーナに入ってかれこれ十分以上経過していた。一層はさほど広くなかったので、戻ってこなければ鉢合わせになることは無いだろう。

 

 式と共に扉に手を掛け、アリーナへと進入する。あまりにも場違いな想いだが、新たなアリーナの探索は、どんな心境でも心が躍るものがある。

 

 

 ※※※

 

 

 アリーナに入って、まず感じたのは殺風景だという僅かな落胆。色使いこそ青から緑に変化しているものの、やはり第一層は風景と言ったものが感じられない。まだ見ぬ第二層に期待しつつ、初の一歩を歩み出す。

 

 すると――全身に纏わりつく不快な空気を感じ、背筋に冷たいものが走る。それと同時に、式の腕を掴み地を駆ける。空気の正体を脳で考えるより早く、脊髄が『ここにいてはいけない』という判断と『走れ』という命令を下していた。

 

 そして次の瞬間、空間は色を失い、空間は白骨を思わせる白に、パネルの枠組みのような部分は、毒々しい紫色に染められた。恐らくこれは毒、それも空間全体を支配するほど強力な物、宝具だろう。急激な変化に歩みが止まる。手を開いたり閉じたりして、毒の進行状態を確かめる。やや重く感じるが、まだ全身に行き渡ってはいないらしい。長居できる状態ではないが、動くだけなら大丈夫だろう。

 

「空間全体に毒を張るとはな……。今回の相手は随分強硬的だな」

 ――ああ。先ほどダンに注意されていたにも関わらず、ここまでするとは……。

 

 これが張られたのは自分たちが入ってすぐだ。自分たちの侵入を察知したのか、あるいはただの偶然か。どちらにしろ、相手は本気でこちらを殺しに来ていると見ていいだろう。

 

 ――しかしこのくらい大規模なものなら、どこかに基点があっても可笑しくない。それを見つけて破壊しよう。幸い毒は速攻性ではないし、歩けなくなる前に見つければ問題ない。

「そうだな。この毒は不快で気分が悪い」

 

 目的を決めて早足でアリーナを駆けまわる。普段はマッピング作業もかねて虱潰しに走るのだが、今回はそんな暇はない。主な道だけを通って脇道は少し目線を送るだけで済ませる。壁も床同様、半透明なのでただ見るだけでも結構な範囲を探ることができる。

 

 そしてその甲斐あって、起点らしきものを見つけることができた。壁と空白の空間を挟んだ先には、一本の樹があった。遠目からなのであまりよく観察できないが、樹の根元には一本の矢が刺さっていた。

 

「あれだな。にしても……あんなに堂々晒してるってことは挑発のつもりか?」

 ――かもしれない。冷静に考えればあの時、自分が式を連れているように、ダンも自身のサーヴァントを連れていたのかもしれないんだから。あの時のダンの言葉を聞いていたのかもしれない。

「だとしても、ただの霊体化ならおれには見えてるよ。あいつはもしかしたら宝具を二つ持っているんじゃないか?」

 ――それか、二つ合わせて一つの宝具という幅の広いタイプのものか。何にしろ、相手が奇襲向けの英霊だというのは確かだな。

「……面倒だな」

 

 溜息を零して目を伏せる式。確かにそういうことに慣れていない自分たちではなかなか対処しづらい相手だ。

 

 まあ、挑発してるかどうかはともかく、一先ずは基点の破壊を優先しよう。あれがいつまでも残ったままでは探索すらできそうにないし、多少の戦闘は覚悟してでも行くべきだろう。念のため、リターンクリスタルを端末から取り出し、いつでも使えるように準備しておく。

 

「……分かった」

 

 大まかな方向に当たりを付けて、自分を待たずに歩を進めていく式。傍目からすればいつも通りのように思えるが、その前の返事には僅かだが間があった。苦悩にしては重すぎず、戸惑いにしてはやや軽い。おそらく、躊躇(ためら)いだろう。

 

 しかし毒は式自身不快と言っていたし、それを排除することに躊躇う理由はないはずだ。となると……戦うことを躊躇っているのだろうか? しかし式はいつも戦いを楽しんでいる節がある。躊躇う必要なんてないはずだ……。

 

 今までなかった式の反応に戸惑いを感じる。もしかしてこれがダンのいう齟齬なのだろうか。

 

「どうした? 早く来いよ」

 

 どこか無機的に聞こえる式の声に、ようやく自分も歩き始める。……不安を抱えながら。

 




今回ちょっと切り方が変なのは、たぶん長くなるからです。あと、これ以上待たせたらいけないだろうな、と思って。

変なところがあったらどんどん指摘してください。真摯な対応を心がけます。

感想・評価お気軽にどうぞ。


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少女心理

Elonaでペットに名前と喋りを変えて式にしてイチャイチャしてましたwおかげで好感度もLoveになりました。今は桜小路のお嬢様をLoveにするためイチャついてます。それが済んだら黒天使あらため殲滅天使ですね。あ、今ロリコンと思った人、一つ言っておきます。私の好みはスレンダーです。

それはそうとクライン系のエネミーは動きがうざい。迫ってこなくなると自分から当たる必要があるんだけど、動きがあれだからなかなか接触できないんですよね。
え、空気撃ち? なにそれ美味しいの?


 ――身体が重い。総身を侵す毒もそうだが、式の悩みに気づけなかったという纏わりつく自責の念が鎖のように全身を縛り付けてくる。躊躇いの理由は分からないが、少なくとも式が悩みを抱えているのは確実だろう。

 

 悩みとは、おそらく決戦でのことだろう。あの夜の式は寝付けが悪かったし、眠りの深い式が自分がいなくなっていることに気付いた――つまり途中で起きたことから余程のことのはずだ。それに内で溜め込むであろうタイプの式が外界に、自分に目を向けたということは、それは自分にも関係があるはずだ。本当なら自分に聞きたい――あるいは言いたい――ことがあるのだろう。

 

 それをしないということは、まだ纏めきれていないからか、自分に気を遣ったからだろう。どちらにしろ、心の内に溜めこんでいるのは確かだ。

 

「大丈夫か? なんか、調子悪くないか?」

 

 そしてそんな様子をおくびにも出さず、平素の振る舞いをしているのは、やはり先ほど思った通り自分に気を遣ってのことだろう。今もだが、最近やけに自分に心配してくれたのはそういう理由からなのか。何にしろ、式が弱音を吐いてないのに、自分が吐くわけにはいかない。

 

 ――いや、なんでもない。

「ならいいけど……」

 

 いつも通りの振る舞いで、式に返事を返す。式はやや訝しんではいたが、宙に漂うエネミーを見つけると、すぐさまそちらに意識を集中させる。クラインの色違いといっていいエネミーの名はMEBIUS(メビウス)、レベルは9とこれまで見て来たどのエネミーよりも高い。

 

 ライダーとは比較にもならないくらい弱いが、それでも初見で的も小さく、多少は手古摺るかと思ったが式は三度ほど動き方を眺めるだけでメビウスの動きを見切ると、あっさりと両断して撃破してみせた。普段ならその見事な一撃に感嘆の息を洩らしていたであろうが、今の自分は素直に称賛できなかった。

 

 自分の見解では式は、二度目で既にメビウスの動きを見抜いていたように見えた。だというのに、何故かさらに一度見に徹した。不自然な待ち。式の戸惑いが如実に表れた瞬間だった。

 

 なるほど、確かにこれは重傷かもしれない。英霊との勝負では刹那の隙が勝敗を分ける。これではエネミーは兎も角、サーヴァントと戦うのは無理だ。

 

 サーヴァントと戦闘にならないことを祈りながら進んでいく。そうしてしばらく歩いていくと、ふと話し声が聞こえた。大きな声ではないが、確かに聞こえることからすぐ近くにいるのだろう。

 

 このアリーナに入れるのは二組。一組は自分たちだ。そしてもう一組は……。

 式と一度顔を見合わせて声が聞こえる方角へと進んでいく。声の主は二人、ダンと彼のサーヴァントだ。先ほど廊下では見えなかったサーヴァントの姿も、今ははっきりと見ることができた。

 

 彼のサーヴァントはやや煤けたように見えるオレンジの髪に、森を思わせるフードの付いた緑色の外套を羽織っていた。その姿を隠すような衣服から自分は思わずゲリラ兵をイメージした。戦闘法から考えても、間違いではないだろう。

 

「さっきの廊下に次いでまただな。情報でも零してもらうか」

 

 好戦的な式が即座に戦闘を選ばなかったことに違和感を感じたが、今は気にするべきではない。集中するべきことは、情報に関することだろう。通路の先からの話し声に耳を向ける。壁が透明なので、決して見つからないため、這う様に身を屈め、呼吸を少なく、声を潜めて二人の口論に意識を集中させる。

 

「これはどういうことだ?」

 

 開口一番、ダンが怒気を隠さずにそう詰め寄った。

 

「へ? どうもこうも。旦那を勝たせるために、結界を張ったんですが」

 

 対して彼のサーヴァントは、飄々とした口ぶりで、何ら悪びれることなくそういってのけた。宝具の種類からある程度予想は付いていたが、その様子からあのサーヴァントが余程この手の工作に手慣れていることが窺える。

 

「決戦まで待ってるとか正気じゃねーし? 奴らが勝手におっちぬんなら、俺等も楽で来て万々歳でしょ」

「……誰が、そのような真似をしろと命じた。死肉を漁る禿鷹にも、一握りの矜持はあるのだぞ」

 

 反省のない発言に、ダンの怒気が一段強くなる。どうにも作戦の方針、というより両者の性質(たち)が合わないらしい。騎士足らんとし奇襲や奇策を弄せず堂々とした戦いを望むダンに、真っ向勝負を拒み策などを好むサーヴァント。水と油と言ってもいいだろう。

 

「イチイの毒はこの戦いには不要だ。決して使うなと命じたはずだが……どうにも、おまえには、誇りというものが欠落している」

「誇り、ねえ……。俺にそんなもん求められても困るんすよね。っていうか、それで勝てるんならいいですけど? ほーんと、誇りで敵が倒れてくれるならそりゃ最強だ!」

 

 嘆息と、僅かな落胆と共に放たれたダンの言葉にも、サーヴァントは気にした様子は無く、軽い口調と嘲笑で策士としては真っ当な意見を言い放つ。

 

 確かにそうなのだろう。結局のところ、理想にとっての最大の敵は現実であり、何より最終的には決闘という体裁にはなるが、これはあくまで戦争なのだ。彼の行いは卑劣なものだが、それ自体は決して間違いではないのだ。

 

「だが悪いね。俺ゃその域の達人じゃねえわけで。きちんと毒を盛って殺すリアリストなんすよ」

「……ふむ、なるほどな。条約違反。奇襲。裏切り。そう言った策に頼るのがお前の戦いか」

 

 ダンの声のトーンが一段低くなる。その言葉には侮蔑も蔑みあったが、拒絶や否定は無かった。

 

 ――結界を張ったのはサーヴァントの独断、しかしダンに結界を解く気はない、か……。

「あいつも一応軍人って話だし、心象的なところはどうであれ、有効打ってことくらいは分かってるだろ」

 

「今更結界を解け、とはいわぬ。だが、次に信義にもとることがあった時は――」

「へいへい、分かってますよ」

「ならいいがな」

 

 疑念の籠った視線を向けたまま、ダンとそのサーヴァントは退出した。二人の気配が完全に消えたところで無意識に服を払い、立ち上がる。

 

 マスターとサーヴァントの不仲。マスター同士の実力差は如何ともしがたいが、これが自分たちにとって2回戦の鍵かもしれない。しかし――、

 

「一先ずあの樹を破壊するか。もう目の前だしな」

 

 あちらにも鍵が――式の躊躇いがある。差し当たって行うべきことは、式の迷いを晴らすことだろう。

 

 

 ※※※

 

 

 それから十数分、樹を破壊した後は探索もそこそこに打ち切って帰ることにした。順調ではあったが、迷いを抱えたままでは相手が例えエネミーとは言えど、見ている自分としては危なっかしく感じたからだ。

 

「あっ」

 ――っと。

 

 マイルームへ帰ろうと数歩足を進め曲がり角を曲がると、ちょうど同じように曲がろうとしていた一人の少女とぶつかってしまった。不意をつかれたことで思わず倒れそうになったが、すぐ傍にいた式が支えてくれたことで何とか体勢を立て直す。見れば相手も同じようで、先ほどまではいなかった武人風のサーヴァントが受け止めていた。

 

 ――いきなりごめん。大丈夫?

「いえ、こちらこそ考え事をして……」

 

 すぐさま謝罪をする。相手も自分と同様に謝罪を口にし――、

 

「あ……」

 あ……。

 

 互いの顔を確認した瞬間、示し合せたわけでもなく言葉が重なる。覚えがある、つい最近出会った少女だ。藤色の長い髪に、黒い礼服に制服を合わせたような衣装、そして淑やかな雰囲気――そう、浅上藤乃である。

 

 

 ※※※

 

 

(…………何この空気……)

 

 積もりつつある苛立ちに似た感情を膨らせながら、静かに事の推移を見守りつつあるが、それもそろそろ限界を迎えそうだった。

 

「それで、足はもう大丈夫なの?」

「ええ、桜さんのおかげで。あの時は送って下さってありがとうございます」

 

 あの後、彼はともかく浅上という礼園の女の方は積もる話があるようで、場所を廊下から食堂へと移動した。いつもより早めに探索に向かったこともあって、食堂の閉店時間まで結構な時間があった、が――。

 

「のう……、いつまで話すつもりだ。もう三時間だぞ。この調子ではアリーナも閉まるぞ」

まだ(・・)三時間です。それにアリーナも高々一日逃した程度問題ありません」

 

 私の隣りに座る武人のサーヴァントが退屈そうに欠伸を零しながら苦言を呈すが、すぐさま切って落とされる。サーヴァントを鍛えるのは当然として、相手の情報を手に入れることができるアリーナを逃すなど通常ありえないことだが、それが単なる楽観視や慢心に思えないのは彼女の実力が確かなものだからだろう。

 

 魔術師としての腕はカスタムアバターであることから疑う余地はないだろう。そして肝心のサーヴァントの実力も、こうして隣りに座っている今、まさしく肌で感じ取っている。

 

 すっと、横に座るサーヴァントに視線を向ける。

 正体不明のこのサーヴァントは、凛のランサーや私が対峙したあの侍と同等、或いはそれ以上の実力を誇っていることが窺える。そしてそれは彼女が優勝候補に上がるほどの実力があるということでもある。

 

 まあ、今はそんなことはともかく、彼女のサーヴァントが言ったようにもう三時間も経過しているのだ。時刻は九時をとうに過ぎている状態で、営業終了までもう三十分もないだろう。当初は決して少なく無かった群衆も、今となっては見る影もない。

 

 その間ずっと彼女は喋り続けており、最初に持って来た紅茶には一度も口を付けていない。そしてそれにずっと付き合っていた白野も同様である。傍から見ているだけの私たちは既に飲み終えてしまい、私たちサーヴァントは大変暇なのだ。それはもう隣りのサーヴァントが欠伸を零したりするくらいには。

 

 なお私はただ待つだけなら耐えられないわけでは無い。退屈な時間は礼園で多々あったことだ。今更この程度、苦にはならない。では、一体何が私を苛立たせているのかというと――、

 

(……近すぎでしょう。明らかに)

 

 二人――岸波白野と、浅上藤乃の距離だ。彼女は笑顔で彼に寄りかかるようにして腕を組んで――というより抱きしめるようにしているのだ。それに対して彼は困ったように視線を迷わせるだけで、決して止めようとはしないのだ。ただそれだけなのに、なぜかひどく癪に障る。

 

 傍から見れば二人は…………とても仲睦まじい関係に思えるだろう。事実、一部の逞しいマスター達は悔しそうに歯ぎしりをしながら二人を睨み、すれ違いざまに『リア充……いやセラ充爆発しろ』という呟きと舌打ちを零して去っていった。そのセラ充、という言葉の意味は分からないが、余人が羨ましがるほどに二人の空気は甘ったるいのだ。

 

 そしてそんな空気を打ち切れるのは彼しかいないというのに、彼自身はただ普通にお喋りしているだけだ。時折気にしたようにこちらに視線を送っては来るが、彼女は目敏くそれに気づくと尚のこと距離を詰めていく。結果、二人の距離間は広がるどころか逆に縮まる始末。

 

 自分の中の苛立ちに似た感情がさらに膨れ上がっていくのを感じる。恐らくは彼の煮え切らない態度の所為、なのだろう……。

 

 再び視線が合った際に、ようやく彼も私の怒りを察したのか、時間を気にする素振りを見せ始め、申し訳なさそうに頬を掻きながら藤乃に別れの挨拶を告げ立ち上がろうとするが、

 

「ちょ、藤乃、さん? ……その、当たってるん、だけど……」

 

 彼女はあろうことか、彼の腕を谷間で挟むようにして無理やりに抑えに来た。さすがに彼女自身、恥ずかしいことだと自覚しているのか、顔を真っ赤にして目を背けている。彼も紅潮しており、立ち上がることもできずその場で固まってしまう。

 

 彼女の突然の行動に、思わず私たちも呆気にとられてしまう。しかし私は次の瞬間今まで以上に腹立たしい気分になる。さすがにそろそろ本気で我慢の限界で、いい加減私から切り出そうと腰を浮かせて――、

 

「い、いえこれは……、当ててるんです……」

 

 ――最後、蚊の鳴くような声を聴いてついに私の苛立ちが爆発した。荒々しく立ち上がり、彼の手を握ると乱暴に引っ張っていく。彼が突然のことに倒れそうになっていたが、今の私にそれを気遣う余裕は無く、振り返ることもせずに階段を上がっていった。

 

 

 ※※※

 

 

 申し訳なさそうにこちらに頭を下げながら急速に遠ざかる白野を名残惜しげに眺めながら、藤乃は悲しげに目を伏せ、式を思い出して不機嫌そうに顔を顰める。

 

「あぁ……行ってしまいました。残念です……。それにしても、無粋な方……」

「わしにはお主の方が無粋に見えたがな」

「何か、言いましたか。ランサー?」

「なにも」

 

 中華風の武人――ランサーの呟きに気づき、すぐさま冷たい視線を向ける。が、ランサーはそれを気にすることなく、何処吹く風と受け流す。

 

「それより早くアリーナへ行くとしようか」

「……ええ、そうですね」

 

 ランサーの発言に賛同するように頭を振って、手前に置かれた紅茶に初めて口を付ける。そこで初めて喉の渇きを感じたのか、少し驚いたように眼を開くとカップの7分辺りまで注がれていた紅茶を一度で飲み干し、カップを再び元の位置に戻す。

 

 そして残った3つの空いたカップを、もう一つの手付かずの紅茶を飲み干したランサーが足音も立てずに素早く返却口に返す。従者の心遣いに藤乃は短い言葉で謝辞を述べると立ちあがり、階段の方へと足を進める。

 

 そして歩き始めて僅か数秒後、購買の電灯がふっ、と灯りを落とす。それにあら、と藤乃が言葉を零して端末の時刻表示を確認すると、其処にはちょうど購買の営業時間終了である『22:00』の表示があった。

 

「もうこんな時間ですか」

「だからわしはさっきから言ったであろう……」

 

 示された時刻に藤乃は驚いたようで、再び同じ言葉を洩らし、ランサーはその藤乃の反応に思わず嘆息してしまう。

 

 ――恋は盲目、というがのう。まさかこやつがここまで変わるとは思わなんだわ。

 

 ランサーが知る浅上藤乃とは、物静か物事に荒波を立てるような性格ではなく、普通の子になろうと、常に周りと同調するような少女だ。

 そんな少女が、まさか自分から会話をするために誘う――というにはやや強引ではあったが――とは、限定的な状況下ではあるが十分に驚嘆に値するものであった。

 

 個人的には背景になるという、愚痴の一つ二つは零したくなる展開であったものの、今回のことは、精々他者との逢瀬を楽しむことで周囲に溶け込み、自身の異常性を気にしなくなる程度でいいと思っていたランサーの期待を良い方向に裏切ってくれた。

 

 弟子には異様なまでに厳しくしてきたが、子には優しくしてきた彼にとってこの変化は好ましく――同時に、悲しいものだった。

 

 やや浮かれ気味の藤乃はともかく、ランサーはここが戦場であり、全てのマスターが敵であることを理解している。だから彼等もいずれ死ぬか、対峙する時が来ることを忘れていない。

 

 生前善く学び、善く戦い、善く殺めたランサーは両儀式が濃厚な死の香りを引き連れていることを感じて取れた。運動能力こそ低いものの、技量や異常性も含んで力量を測れば、勝ち残る可能性は極めて高いと。それは遠くない未来、あの二人と相対することになるということでもある。無論、百戦錬磨の歴戦の闘士たるランサーには、まだ二十歳にも満たないひよっこ連中に負ける気などさらさらないし、躊躇などしない。

 

 だが――藤乃はそうはいかない。恋した男と殺し合う。三文芝居のような展開だが、実際にあり得ることなのだ。もしそうなった時、藤乃は(あらが)えない現実に絶望し、最悪発狂しても可笑しくないだろう。

 

 薬が転じて毒になる。自分から話すようにと頼んでおいて身勝手な話だが、ランサーは自分たちと対峙する前に彼らには途中で倒れてほしいと思う。それなら藤乃の絶望は相手への怒りへと変わり、やがて深い悲しみへと変わる。無論、この場合でも多少差があるだけで、藤乃の心に大きなダメージが残るという点では変わらないが。

 

(生前は無縁の想いだったが…………人の生とは、ままならぬな)

 

 

 ※※※

 

 

 夜が更けてくるにつれ、吹き付ける夜風も厳しくなり外は勿論、校舎の中でも寒さに身を震わせるほどになっていた。マイルーム以外で校舎内に(・・・・)残る者は存在せず、NPCも非常時のために待機している桜や監督役の言峰綺礼を除けば、『学園らしさの演出』という大前提から外れた時間帯となったことで活動を停止していた。つまるところ、校舎はほぼ無人といっていい状態である。

 

 そして、そんな無人の校舎の屋上で、冷めた自分の身体を抱き締めながら佇む少女がいた。

 

 少し前まで苛立たしげにコツコツと床を叩いていた靴は、今は不安げに屋上を彷徨い歩きながら静かな音を立てており、気難しく顰めていた顔も不安そうなものに変わっており、探し物をするかのようにきょろきょろと周りに視線を向けては時折思い出したかのように屋上の扉を見ては落ち込むと、忙しない様子であった。

 

 少女の名は遠坂凛――聖杯戦争優勝候補の一人である優秀なハッカーである。そんな少女が、何故こんなところにいるのかというと――、

 

「………………来ないわね」

(そりゃあ、な……)

 

 ――待ち人である。といっても、相手には日時や場所はおろか、待っていることすら伝えていない以上、来るはずないのだが。それは当人の凛とて十分に理解している。ならばなぜ、こんなことをしているのかというと――自分から行くと心配していたみたいで恥ずかしいのである。

 

 とはいえ、当然だが理由はそれだけでない。他にも3つほどの理由がある。

 遠坂凛が最後に待ち人――岸波白野と出会ったのは今から四日前で、図書室前で色々なカミングアウトをした後であるというのが一つ。いつも通り屋上に居たら教会へ向かう白野と式の姿を見かけ、ランサーが『一回戦』『世話』『お礼』という重要単語を耳ざとく聞き取っていたというのが一つ。そしてランサーがその際に零した『同年代の友人』という単語から、同年代との本当に他愛のない話をしたことが無い凛がそれを意識し始めたことが一つ。

 

 面倒見がよい姉御肌な遠坂凛だが、実を言うと彼女の周りには知り合い(としうえ)はいるが、友達(どうねんだい)はいなかったのだ。特にそれが男となれば、まともに話す機会自体がなかったりする。故に遠坂凛は、同年代の友達という利害関係でも上下関係でもない相手と心を通わせるのは今回が初めてのことだ。

 

 今まではその姉御肌な性格から何も知らない者に教授するという、年下みたいな扱いであったため弟みたいなものだと思っていたが、人間とは不便なもので、一度意識してしまうと以前のようには戻れなかったりする。

 

 当初その件に関してランサーは『中東のオヤジ共は過保護だな』と笑って見せたが、今となっては乾いた笑みしか出ない。

 

「ねえ……ランサー」

(なんだ?)

 

 ひゅうと冷たい風音が周囲に虚しく響くと同時に凛が足を止め、霊体化しているランサーに話しかける。それに対してランサーは、なんとなく嫌な予感がした。

 

「あなた確かに『一回戦でお世話になった人に』お礼を言いに行くって聞いたのよね」

(あ、ああ……。それは間違いねえ、はず)

「そう、それじゃあ……なんで私のところには来ないの?」

(……………………たぶん、時間の都合じゃねえのか。話によれば坊主の次の相手は有名な軍人なんだろう)

 

 予感は的中した。当然の疑問だが、正直そう言われてもランサーは人の心が読めるわけでも、考えていることが分かるわけでもないので無難な意見しか出せない。一応、彼なりに気遣ってみたのだが……。

 

「噂によると式に浅上さんを囲って三時間近く談笑していたとか」

(……それ、出所誰だよ)

「言峰綺礼」

(…………あの野郎)

 

 彼の手は読まれていた。ランサーの脳裏に愉悦に頬を歪ませ邪悪な笑みを刻む言峰の顔が思い浮かぶ。彼としては、何故あの外道神父を監督役に立てたのか、ムーンセルに小一時間問いただしたくなる心境ではあった。

 

 なお、この際にムーンセルが愉悦に染まっているのでは、という想像に到ったが脳裏の奥底に封印されたりされなかったりしたのはご愛嬌。

 

「私、腑抜けてた彼に激励したし、色々レクチャーしてあげたし、真名を仄めかしたり色々したよね。教会のこと教えたのも私だし、一番世話してあげたの私よね」

(ああ、うん。そうだな)

「普通、こういうのって一番お世話になった人の所へ一番最初行くよね」

 

 確かにそうかもしれないがそこは人によるのでは、と思ったがややこしくする必要はないのでただ肯定の意を示した。

 

「私、もしかして忘れられてる? それとも本当は鬱陶しがられてたとか? 友達って思ってたの、私だけ?」

(いやそれはねえから泣くなよ! あの坊主がそんな奴に見えるか!?)

「泣いてないわよ別にっ!」 

 

 とはいうが、実際凛の声は少し涙声になっており、瞳も僅かに朱く染まっている。ムーンセルの無駄な拘りに感心しつつ、どこかの少女と同じく我慢の限界に達した凛を宥めるという損な役回りとなったランサー。

 

 結局その日、凛の機嫌が直ることは無く、酷く不機嫌な様子で彼女もマイルームへと帰還した。

 

 

 ※※※

 

 

 教会前、花壇。昼には幾人かのマスターを見かけるセラフ内でも人気の高いスポットだが、さすがに深夜となれば来るものは誰もいない。

 

 冷たい夜風が吹き付ける度に花壇の花が揺れ、互いに身を揺す振る音のみが聞こえる静かな空間。そんな中に、違和感なく混ざる一人の少女がいた。

 

 日本人や西欧人にはない褐色肌に、やけに胸元をはだけさせた丈の短いガラベーヤ――エジプトの民族衣装――らしき上着を着たエキゾチックな少女で、まるで人形のように噴水の縁に腰を落ち着けて静止している。

 

 視線は常に揺らぐ水面を捕えている。そこに映るのはわずかに反射して見える自分の顔だけにすぎない筈だが、少女の瞳はまるで別の者を見ているかのようにじっくりと観察しており、微動だにすることなくじっと見据えている。

 

「……師よ」

 

 そしてそれまで人形のように止まっていた彼女が、ようやく言葉を発する。しかしそれにも感情という色はなく、むしろ人形らしさがより増したような錯覚すら感じさせるものだった。

 

「あなたの教えを守ってここまで来ました。彼が私が探し求めている星なのですね」

 

 そういう彼女の瞳に映るのは、やはり彼女自身であり、断じて彼ではない。しかしそれでも彼女には見えているのだ。今は亡き、神秘の領域が。

 

 水面が噴水から吹き上がる水しぶきで一段と波紋が揺らぐ。それと同時に先ほど見つめていた場所から右へ、彼女の視線がずれる。

 

「これは……森の中、息をひそめる狩人。新たな試練が……」

 

 当然水面には森も狩人も存在しない。そこに見えるのは今は無い過去――少女、ラニ=Ⅷのみが見れる星の記憶。

 

 突如として現れたその姿に、ラニは一考する。探し求める星と共に現れた狩人。彼が試練を乗り越えれば、より強く輝く星が見えると。

 

 少女が腰かけていた噴水の縁から立ち上がる。師が言う心を知るために、その輝きを間近で見るために、少女は自ら歩み寄る。

 

 




凛は決戦時に同年代の友達いないって言ってたし、きっと機械関係が使える代わりにその辺ダメな気がする。

あと今回の式は理由を付けると単に『前に私が言ったことはガン無視かよコノヤロー』的な感情です。気づいていないのは作中言った通り、心のうちでため込んでいるから機微に気づいていないだけです。

それはそうと、外典の二巻読むので次も遅れます。それに読み終わったら俺アストルフォの粗チェックもしなければなりませんので。

まあ学校始まれば授業中に読んだり、もうそ……個人的な幻想(プライベートファンタズム)もできるのでそこまで遅れないかなーと思います。

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閑話――極楽湯治+予告CCCVer.2

スランプに入りました。最新話とかまだ一割程度しか進んでないです。自分で自分を殴りたいです。ガチで。
前話でそこまで遅くならないと言っておきながらこの始末。もう私は更新速度に関することは言わないほうがいいですね。見事にフラグを立てては回収してしまうので。

今回の予告は『大体こんな感じになるよ~』的なものなので、切り方とかいろいろアレですが気にしない方向で。



 ――自分たちの生活は質素である。別に謙遜ではなく、正当な評価である。与えられたマイルーム――教室にあったのは一クラスの生徒二十四人分の椅子と机とロッカー。そして黒板と掲示板にゴミ箱と掃除道具、あとはぶら下がっている旧型のブラウン管テレビだ。これらのあらかじめ配備されていたものを除けば、自分たちのマイルームにあるのは布団だけである。それも一組。

 

 食事は購買があるし、そもそも情報収集やアリーナの探索が日課となっており、マイルームは精々寝たり起きたりするだけなので、極端な話布団があれば問題はない。とはいえ、完全に機能性重視で娯楽もなにもないこの部屋は、現代人が見ればきっと驚くこと間違いなしだろう。まあ余人にとってはそうでも、娯楽をほとんど知らなない自分や基本寝るばかりの式にとってはこれといった不満はない。

 

 とまあ、そんな質素倹約を地で行く自分たちだが、そんな者の部屋にも――正確には違うが――豪華な物がたった一つだけある。それは一般家庭になら必ずあるものだが、おおよそ学校という場にはあまりない物だ。

 

「先に入らせてもらっていいかしら、お風呂?」

 

 バスタオルを片手にした式が、いつも通りの口調で自分にそう声をかける。特に反対することもなく、首肯と笑みで示すと式は短く謝辞を述べて碌に使わない黒板隣りの扉に繋げた浴室へと向かっていく。

 ――そう、風呂である。購買の改造データだと安いシャワールームでも最低3万PPTもする、五日目現在、日給約3000PPT程度の自分たちにとっては手も足もでないほど高価な品である。

 

 さて、何でそんな物が自分たちのマイルームに在るかというと、話は少しだけ時を遡ることになる。アレは――たしか、いまから三日前のことだ。

 事の発端は、購買で呟いた自分のその何気ない一言だった。

 

 

 ※※※

 

 

 ――そういえば、凛っていい香りするよね。

 

 特に意識していなかった自分のその些細な一言に、凛が恥じらうように赤くした顔を背け、式がこちらを睨み始めるなど、途端に周りの態度が変化した。そして何故か周りの者がおぉ……と、感嘆の息を洩らす。その聴衆の可笑しな反応に、自分は思わず小首を傾げてしまう。

 

「ちょ、あんた、行き成り何言って……ッ!」

 ――それって整髪料だよね。ムーンセルってこういうところにばかり凝るけど、何か理由でもあるの?

「…………ああ、そういうこと」

 

 凛のどこか呆れたような声と共に、周りのギャラリーの熱も急速的に冷めていき、先ほどとは違う失望の息を洩らしていく。解せぬ。

 

「でも、言われて見ると確かに可笑しい話ね。本来ならこんな些細なことにリソースなんか使う必要もないし、予選だって何で学生生活にしたのかしら?」

 ――それは自分たちの年齢を考えてのことじゃないのか?

「確かに私たちの年齢は学生の範囲内だけど、それでも該当するのは全体の3割程度。理由にしては明らかに弱すぎるわ」

 

 不思議そうに手を顎にあてる式にに、自分がそう答えると凛が緩やかに首を横に振って否定してみせた。確かに、皆が学生らしく学生服を着ているが、それだって大部分の人間がムーンセルからの指定だし、そもそもアバターを改造できない者は外見なんてほぼ一緒に近いものだ。

 さすがの凛だって、自分の隣りに式が居なければ分からなかっただろうし。

 

「そうね。特にあなた全然人間らしくないからNPCにすら思えちゃうし」

 

 ……正直、自分は未だにNPCとマスターの区別が制服以外では中々つかないのだが……。実際、普通に接する分には同じ人にしか思えない。

 

「確かにすごいけど、それはムーンセルの情報と演算能力あってのものだけどね。それで、ムーンセルが何でこんな些細なところにもリソースを使うか、だっけ。それは多分、私たちに飽きさせないためじゃないかしら」

 ――飽きさせないため?

「飽きるというのは、この空間に?」

「正確にはここでの暮らし、じゃないかしら。ムーンセルの目的が観察だとすると、広いけどここ閉鎖空間だし、少しでも現実味を持たせて生の反応を観察したいんじゃないかしら」

 

 それならば地上の観察だけでも十分だと思うが、それ以外に思いつかず、無難な答えを当て嵌めて終わらせる。結局、ムーンセル自体人知の及ばぬ代物なのだから、考えるだけ無駄という結論に達したからだ。それに、いま自分たちがいる場所は購買で、先ほどから色々な匂いが自分たちの食欲を増長させてくるのだ。それは食事が数少ない娯楽となっている自分には、とても耐えがたいもので、これ以上先延ばしにできそうになかったのだ。

 

 ――と、いうわけで今日は少し豪華に鮎の塩焼き定食(230PPT)にしよう。

「じゃあ私は……ざるそば(190PPT)で」

 

 券売機に端末を当てて食券を買い所定の場所へ差し出し、すぐさま現れた鮎の塩焼き定食とざるそばを手に取り、空いている席を探し始める。既に多くの人が居たため、かなり後方の席になってしまったが、大して気にすることもなく座り、やや遅れて凛が月海原のロゴマークが入ったビニール袋を片手に自分の正面に座る。

 

「どこもかしこも混んでるわね。ま、時間帯を考えればしょうがないか」

 

 そういいながら凛が袋から取り出したのは、焼そばパンだ。根強い人気を誇る三大総菜パンの一角で、価格は150PPTと学生に求めやすい価格をしている。これは月海原の購買では同じ三大総菜パンであるカレーパンに次いで安い逸品である。ちなみに、残りの一つはコロッケパンだ。

 しかし総菜パンはその微妙なボリュームから主食になることはなく、精々が間食としての扱いなのだが……。……その質素な暮らしには自分と言えど、同情を禁じ得ない。

 

「ちょっと、何よその目は。いっとくけどお金が無いわけじゃないからね。大体、マスターにとっての食事は習慣でしかないから、別にこれでも十分に足りるのよ」

 

 いつの間にやら憐れみの視線を向けていた自分に、凛が顔を顰めながら反論し、袋の中身をひっくり返す。すると中から小粒な色取り取りの宝石と、タオルや歯ブラシといった生活必需品がテーブルの上に散らばった。

 

 その宝石の数と、それが持つ鮮やかな色合いに、つい感嘆の息を洩らす。それにふふんと凛が満足そうに鼻を鳴らす。宝石なんか自分には価値は分からないが、少なくともたかが1000、2000程度のPPTで手にはいる物ではないと理解できた。

 

 宝石の価値を認識すると、今の凛が勝ち誇っているであろうことが手に取るように分かる。同じマスターなのに、ここまでの格差があるとは。これが格差社会というやつか。今ならフランスで革命が起きた理由がよく理解できる。

 

 と、そこであることに気付いた――これだけのお金、どうやって手に入れたのだろうか。最初に入っていた資金は1000PPTで、自分たちが昨日倒したエネミーから得たのはその半分程度の561PPTだ。途中で切り上げたため、全エネミーを倒せば、もう少しは手に入るだろうが、それで買えるのは今散らばっている宝石の一つも買えないだろう。いったいどうやってこれほどの額を稼いだのか。是非とも知りたいものだ。

 

「そんなの簡単よ。アリーナをハッキングしてアイテムフォルダと貨幣を作り出しただけだし」

 

 違法じゃないか。それと『別に普通でしょ』みたいな顔して容易く言ってのけるが、そんなことは一流ハッカーでないと出来ないことだ。その証拠に、今しがた周囲のマスター達が悔しそうに歯を軋ませたような不協和音が響かせてた。

 自分とて、式や凛の前でなければ悔しさに涙を滲ませながらハンカチを噛んでいたかもしれない。こちらは日々の食費にも困っているのに、向こうはちょっと操作するだけで手に入るとか、チートしてるよこいつ……!

 

「ところで、これって一個当たりいくらなの?」

 

 そんな自分たちを尻目に、先ほどから鮮やかな翠の宝石を光に透かしたり指先で弄ったりしていた式が疑問の声を上げる。それは自分も薄々気になってはいたが、これ以上自分と彼女の経済事情の隔たりに関することはお腹一杯なので、出来れば聞きたくないことだ。

 

 どうせ、4、5万は軽くするのだろう――、

 

「一個当たりは2万ちょっとよ。そこまで高くは無かったわ」

 

 ――て、あれぇ?

「2万、ねえ……」

 

 凛から言い放たれ言葉に、自分は予想よりも安かったことに、式はその安さに胡散臭げに言葉を漏らして再び宝石を見つめ始める。自分も不審に思い、式に倣って輝くような蒼色の宝石を手に取り、じっと凝視する。

 

 確かにこれは宝石だろう。それは手にかかる重みと澄んだ耀きが証明してくれている。ただ、何故だろう。その澄んだ綺麗な色の中に、僅かに雑味のような色があるように感じる。それは注視してもなお、微細にしか感じ取れない程度で、自分が生み出した幻影とすら思えてしまえるほどだ。

 

 なんだろうと思い、しばしそのまま見つめ続けていると、唐突に式が嘆息しながら腕を降ろし翠色の宝石をやや乱雑と言ってもいい扱いでテーブルに放る。

 

「とりあえず、これ大半が悪質な品だから返してくることを薦めるわ」

「は、はぁ!?」

 

 そして自分の懸念を一足早く解いた式が、凛が買ってきた宝石の大部分を右側、こちら側に寄せてくる。どういうことかは分からないが、自分も一抹の不安を胸に抱きながらも手に持つ宝石を目の前の山に積む。式が何も反応しなかったことから、間違ってはいないのだろう。

 

「それってどういうことよ! ちゃんと説明してよね!」

 

 式に言われた言葉に理解が及ばない凛の心情を代弁するかのように、叩かれたテーブルが悲鳴を上げる。

 

「テーブルを叩かないで。説明はするわ」

 

 その衝撃に跳ねる料理(特にざるそばのつゆ)に気を遣いながら、式が粛々と言葉を紡いでいく。

 

「まずこれ。かなり精巧に偽装されてるけど、そこまで質は良くないわ」

「嘘でしょそれ! 完璧詐欺じゃないの! ていうかNPCの目的はマスターのサポートでしょ!? なんでそんな真似してくるのよ!」

「アリーナを弄ったから、意趣返しでもされたんじゃないの?」

「うぐっ……そ、それは……」

 

 やはり悪いことだとは自覚していたらしく、そこで言葉に詰まり悔しそうに歯噛みして唸り始める。さすがに気の毒そうに思い、慰めようかと思い手を伸ばそうとすると、式が先んじて必要ないと言いたげに首を左右に振ってみせた。

 不安ではあったが、式に従って眼前の震える背中を見つめていると、凛はおもむろに寄せていた宝石を掴んで立ち上がり、苛立ちを隠さない乱暴な足取りで購買の方へ向かって行った。

 

 それを見送りながら、二人して顔を見合わせて、自分たちはようやく食事に入った。

 

「返品よ返品! 大体偽物掴ませようってどういうつもりよ!? ムーンセルに訴えるわよ!」

「その時はこちらもムーンセルに問いただすまでです。二日目の段階でどうやってここまでの大金を稼げたのかを」

 

 音声に関してはスルーの方向で。

 

 

 ※※※

 

 

「あの店員、サイッテーね」

 ――おかえり、遠坂凛(クレーマー)

「その様子だとどうにかなったみたいね、遠坂凛(クレーマー)

「誰がクレーマーよ。私は詐欺られたのよ。裁判沙汰にしなかっただけましでしょ」

 

 あるんだ、裁判。

 苛立ちを隠さず、罵倒を口にしながら凛が帰ってきたのはたった三分後だった。汗を拭い、手で自身を扇ぐその姿が激闘の苛烈さを自分たちに否応なく告げていた。それを労わるように水を一杯差し出すと、一息でそれを飲み干して酔っ払いか何かのように、荒々しく叩きつけた。やはり騙されたということは凛にとってはかなり屈辱的なことだったらしい。

 しかし大分落ち着いてきたのか、少しずつではあるが呼吸が大分落ち着け始めた。

 

「にしても助かったわ。危うく粗悪品掴ませるところだったわ。あなたたちよく分かったわね」

「天然にしてはやけに線が多かったから、ね」

「線?」

 ――にしても意外だったよ。凛はこういうことには詳しそうだからてっきりそんなミスはしないと思ったけど。

 

 線というのは十中八九式の魔眼に関することだ。凛がこちらの手札に関することを追及してくるとは――周りに人がいなかったとしても――思わないが、ずれかけた話題を本筋に戻す。

 

「仕方ないでしょ。確かに私の魔術は宝石を使うけど、基本的に地上の偽物はあそこまで精巧じゃないし。ていうか、たとえAIといえどムーンセルがやればさすがに私でも判別はできないわよ」

 

 言われてみればそうだ。そも、この空間自体がムーンセルによって生成されているのだから、小さな宝石を本物に見せるなどいとも容易い行いだろう。むしろ、少しでも気付けるように濁りを混ぜていただけ、遥かに良心的だったのだろう。

 

「とにかくありがとね。もし何か手伝えることがあれば言って。少なくとも戻った金額分は報いるつもりよ」

 ――なら、アリーナの改竄方を。

「言っておくけど、違法な金稼ぎはさっき禁止されたわ。次やったらペナルティだそうよ」

 

 対応早すぎだろ、昨日の今日だぞムーンセル。

 金欠から解放されるだろうと思っていただけに、割とショックは大きい。しかし只でさえ弱い自分たちがさらにペナルティを受けて弱化するわけにはいかない以上、名残惜しいが諦めるしかない。

 

「まあ、貴方たちの場合は二人いるから食費が倍だからね……。家具とかなんかだったら私が改竄してあげるけど……」

 

 今度は凛がこちらに呆れと憐みの視線を向けてくる。情けないことに、真実であるため反論する余地はない。しかし、家具か……、正直自分は現状でもほとんど不満はないので、式に任せよう。最初に気づいたのも式だし、当然の権利だろう。

 

 ――式は何か頼みたいことある?

「特にないわ。でも……強いて言うなら風呂が欲しいわ」

 

 風呂――それは浴槽に湯を沸かし、それに浸かり心を癒すもの。大半の現代人にとってはなじみ深いものであるが、記憶がない自分には知識しかない物だ。

 一応購買に改造データとして並んではいるものの、値段があれなので自分たちにとっては手の届かない代物でもある。ムーンセルは食に関してはともかく、衣と住に関しては上級ハッカーでなければ自由にすることも出来ないため、自分たちのような弱小マスターはせっせとお金を集めて買わなければならないのだ。

 

 凛はああ、と遅まきながらに気づいたようなセリフを上げた後、すぐさま納得したように笑みを浮かべた。

 

「たしかにお風呂に入れないってのも女の子としてはつらいしね。和風か洋風、どっちがいい?」

「和風でお願い」

「りょーかい。後でデータ送るから楽しみにしててね」

 

 声を弾ませる凛の了承の意を聞いて、式が少しだけ顔を綻ばせた気がした。

 

 

 ※※※

 

 

「上がったわよ」

 ――と、もうそんな時間か。

 

 回想に耽り、夢心地になっていた自分の意識を、凛とした声が引き起こす。視線を上げれば、いつもの単衣の着物ではなく、より着付けが簡単な浴衣を来た式がいた。僅かに火照った肌は彼女が今しがた上がったということを如実に示していた。

 

 式は自分に一言そう告げると、火照った体を冷ますことなくそのまま布団へと向かう。どうやら今日はそのまま眠るらしい。

 

 自分も風呂に入ろうと腰を上げ、タオルを持って奥の扉を引き、脱衣室で服を脱いで浴室へと入る。浴室は眩しすぎず暗すぎずの適度に調整された輝度(きど)によって、檜でできた浴槽は輝いているように、入ると同時に肌に吸い付く湯気と檜の心地いい香りは自分を迎えてくれるように想えてしまう。

 

 一度湯を浴びて、身体の汚れを落として湯に浸かる。湯は程よい熱さで、全身だけではなく身体の奥底まで染み渡る感じに、感嘆の息を漏らす。これだけで今日アリーナを歩き回った疲れも大分取れてきた。

 

 そのあまりの心地よさに、このまま寝てしまいたい心境に駆り立てられたが、残った理性で必死に自生する。さすがにマイルームで溺死なんてのは御免だと、そんな自分の想像に笑みを浮かべながら浮力に身を委ね、自分は命の洗濯を心行くままに堪能するのであった。

 

 

 ※※※ 以下大体予告

 

 

 これがアリーナ、これが迷宮か。空は鮮やかな夕焼けで、構成物(オブジェクト)は繊細そのもの。ここがムーンセルという仮想空間の中だと知らなければ異世界に迷い込んだと錯覚しそうになるほどだ。

 しかしこれらはあくまで電子で構成された空間。ここには本当の空が無ければ海もなく、大地もない。

 

『あと呪われし姫君も居ませんし』

『それを言うなら天空の花嫁もな』

『エデンの戦士もいないし』

『星空の守り人や五つの種族も同様だな』

 

 ドラクエを混ぜるな。折角いい雰囲気出してたのに一気に変わってしまったじゃないか。

 

『おや、白野さんはFF派でしたが』

 

 そういう問題でもないよ。それはそうとあれはいったいいつまでファイナルなんだろうな。ボクシングだって12Rだぞ。

 

 

 ※※※

 

 

 ――退いては、その……お金を貸していただければ……。

 

「まあ、確かに。岸波さんでは5回もあれ(遠坂パワーイズマネーシステムガチャガチャVer)を回せばお金が尽きてしまうでしょう。分かりました、貸しましょう」

 

 ありがとうございます、お優しいレオ様!

 

「では女装して『お兄ちゃん、私のこと独り占めしてっ』と言ってもらいましょうか」

「お待ちくださいレオ、どうせなら『私、今でも将来の夢はお兄ちゃんのお嫁さんだから!』のほうがいいですよ」

 

 今まで見たことない位いい笑顔のレオに、ノリノリで女性用学生服を突き出してくる従者のガウェイン。こいつらのネタに対する食い付き甘く見ていたかもしれん。というか、お前らそんなキャラだったっけ?

 

「いえ、僕には弟や妹が一人もいませんから、一度でいいから兄という立場になってみたいんですよ」

「妹は確実に年下になりますからね。私も何度、弟が妹であればいいと思ったことやら……。せめて、一人でも妹であれば……」

 

 しみじみと呟くレオはまだいいだろう。しかしガウェイン、そこまで妹が欲しかったのか。噛み締めすぎて歯が折れそうだぞ。

 

 

 ※※※

 

 

 ついに三層。凛の攻略も最後になる層だ。一層ではガウェインが、二層ではランサーが自分のサーヴァントとして戦ってくれた。となると、次のサーヴァントは誰なのだろうか。やや不謹慎かもしれないが、やはり英雄と語らいながら共に戦うのは心が躍るというものだ。

 

 次の相棒に、胸を躍らせながら生徒会室の扉を開き――一気に心臓が止まる。視界を占めるのはありきたりなカソック。それだけですべてが理解できてしまうことが悲しかった。そしてそんな自分を尻目に、眼前に立つ神父はおもむろに口を開いた。

 

「次のサーヴァントは、私だ」

 ――おまえだったのか。

「暇を持て余した」「我々の」「あ、あそ、び……」

 生徒会の会長(バカ)たちは自分以上に不謹慎だった。

 

 

 ※※※

 

 

「まず、皆さん。これを見てください」

 

 レオの指示と共にスクリーンに新たな映像が現れる。それはつい昨日、ランサーが攻撃してきたシーンで、尾を大きく振り上げている部分だった。

 

 それだけで、自分たちはレオが自分たちを集めた理由を完全に理解した。普段生徒会の活動に関して不真面目なギルガメッシュにアンデルセン、慎二までもが佇まいを直してこれからの議題に真剣に取り組もうという気持ちが分かる。

 

 レオは皆のその様に満足そうに一度頷き、スクリーンの映像をある場面で止めた。

 

「では、これから話し合いましょう」

 

 キリッとした顔立ちで、レオが会議の音頭を取る。それに異論を挟む者はいない。何しろ、皆は己の中の答えを示すために言葉や知恵を絞っている最中で、そんな余裕はない。

 

 そう、これから話し合うのは――

 

「すなわち、何色の縞パンがジャスティスなのかを」

 

 ――縞パンの色(おのれのロマン)である。




違法な金稼ぎ云々で、慎二のことですがあれは気にしない方向で。
強いて理由をつけるなら強化>弱化だったので結果的にはプラスだったということで。

ちなみにわかりにくいネタ
・『お兄ちゃん、私のこと独り占めしてっ』と『私、今でも将来の夢はお兄ちゃんのお嫁さんだから!』に関しては『衣遠兄様の華麗なる一日』で検索しましょう。ネタバレがあるので、件の部分だけ見たいというお方は2525動画のpart5だけ見るとよろしいかと。
・『何色の縞パンがジャスティス』神咒神威神楽の特典CDにおける某陰陽術師の発言。これに腹を抱えて笑ったのは私だけではないはず。

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乙女花園

3カ月も、それも年末最後の日まで待たせてしまい大変すみませんでした! そして待っていてくれてありがとうございます!
一先ず推敲に推敲を重ねて、ようやく出せるレベルにはなったと思いますが、なんか違うと思われたら些細なことでもお気軽に言ってください。



 ――随分と規則的な鳴き声が、どこからか聞こえてくる。

 自分の眠気はその鳴き声のリズムに合わせて次第に晴れて行き、意識が徐々に浮上し始める。そうして靄がかかった視界を何度か目を瞬かせ、見慣れてきた天井をぼんやりと眺め、覚醒するまでの僅かな時間を過ごす。

 

 現状を確認できるくらいに意識が覚醒し始めると、まず初めに行ったのは布団から出ることだ。寝起きの所為か、少しだけ重く感じる毛布と布団を左手で押しのけ、若干の反動をつけて上半身を持ち上げる。そのまま無意識に空いた右手を口の前に持っていき、残っていた眠気を乗せた欠伸を一つ零して目元の雫を払い、周りを確かめる。

 

 とはいっても、そこにあるのは就寝前と変わらぬ景色。前方へ詰められた机と椅子。奥の方の少しだけ開けられた窓の前にあるイスに掛けられた二枚のバスタオル。碌に使われることのないメモ書き扱いの黒板。既に一週間を越え、先ほどの天井と同様に見慣れ始めた景色ではあるが、殺風景さが災いしてこの頃はマイルームにいること自体退屈になってきている。娯楽がないのは別に構わないが、見栄えが無いのは憩いの場としても宜しくない。

 

 今度財布に余裕がある時に、観葉植物か何かを買おうと心に留めておき、ふと心地よい風が首筋を撫でるのを感じた。一瞬のことだったから気のせいか、と思いながらも出所を探し、それが僅かに開けられていた窓からだと分かるとすぐさまそちらに足を向けて、控えめに開いてた窓を大きく開ける。そして自分は思わず、息を漏らした。

 

 外からやって来たのは、眩しいというほど強くなく、暗いと言うほど弱くない朝日と、少しひんやりとした、それでいて慰撫するかのような穏やかな風。例えるなら……夏の早朝頃の山の空気とでも言うべきだろうか。自分は山になど行ったことが無いため、完全に想像によるものだが、その心地よさにしばし放心してしまう。

 

 ――ムーンセルには基本的に晴れの天気しか存在しない。だが、その晴れにも微妙に違いがあることに最近気づき始めた。朝早くから冷たい風が吹き付けるような時もあれば、霧で靄がかかっている時もある。これもまた以前凛から聞いた、飽きさせないための措置なのだろうか。

 

 などと、どうでもいいことを考えながら今日の空気を強く求めて窓から身を乗り出し、それを全身で堪能しながら深呼吸をすると、吸い込んだ新鮮な空気が自分の体内に行き渡るのを感じて、知らずその身を震わせる。

 そのあまりに澄んだ空気から、今いるのは都会風の学園ではなく長閑(のどか)な田園風景や自然が色濃く残る高原ではないかと錯覚してしまいそうになる。勿論そんなはずはなく、窓の外にはグラウンドや弓道場、そして学園の外にはしっかりと家々が並んでいるのだが、むしろ目の前の光景の方が錯覚だと思えてしまう。大げさだと思われてしまうかもしれないが、それくらいに今日のこの空気は心地よい物だった。

 

 そんな風に外の空気を心行くまで堪能していると、数メートルほど離れたところから何かがもぞもぞと動く音がして、思わず身を固くする。おそらく式だろう。窓から部屋に流れ込む風の所為か、単なる時間経過の所為かは分からないが、目が覚めたのだろう。

 

 普段ならなんてことないことなのだが、こと今日の自分に限って言えばそれは今後に関わる重要な分岐点のようなものであり、選択次第で事態は悪化することになる。勝負となるのは第一印象。失敗は許されないことを認識し、固唾を呑み覚悟を決めて式に向き直る。

 

 振り返ると、式は寝転がっていた敷布団に正座をやや崩したように座りながら自分の服装の乱れを正していた。そのままその様子を眺めていると、こちらの視線に気づいた式はやや見上げるように顔を向けて不機嫌そうに柳眉を逆立て、責めるように睨みつけてくる。そのあからさまな威嚇に、少しだけ怯みそうになる。しかしここで怖気づくわけにはいかず、丹田のあたりに力を込めて堪える。

 

 そして小さく一息ついて、強張る体から力を抜いて緊張を解して式に一言、

 

 ――おはよう、式。

 

 誰もが聞いたことはある、ごく自然な挨拶。なるべく刺激をしないように穏やかな笑みを浮かべて言葉も短く、簡潔に話しかける。一先ずこれで様子を見ようと返事を待つが――、

 

「……………………」

 

 ――一向に返事は来ない。式は相変わらずの不機嫌顔でこちらを見据えたままで一切の反応なく、聞いていたのかすら怪しいほどだ。しかし式は耳が悪いわけでは無く、自分も聞こえないほど小さな声で言ったつもりはない。

 つまるところ、現在式は自分と会話すらしたくないほどに怒っているのだろう。若干、空気を重く感じ始めた。

 

 ……予想していなかったわけでは無いが、それが現実となってしまったことで、かなりのショックを受ける。思わず膝から崩れ落ちそうになるが、窓にもたれ掛かることで何とかそれを防ぐ。一先ず深呼吸をして気持ちを入れ替え、しっかりと現状に向き合う。

 

 最初に現状の再認だが、式が怒っている理由はやはり昨日の件――主に藤乃のことで間違いはないだろう。だが、腑に落ちない。良いか悪いかで聞かれれば、悪いほうに天秤は傾くのだろうが、それでもこれほどまでに式が怒る理由になるのだろうか、という疑問が頭から離れない。

 

 敵と言える藤乃と何時間も話していたのは、確かに褒められたことではない。しかし敵というなら凛だって一応そうなるが、これまで一緒に食事をしたり雑談を交わしたりしたが、それを咎められた覚えはない。いや、正確には一昨日あるのだが、あれはノーカウント……でいいはずだ。式だって本気で怒っていたわけでは無いと思う。

 

 となればやはり、元々式の中で溜まっていた想い(いかり)があの時限界を迎えて爆発したのだろうか。それはアリーナでも抱いていた懸念であり、ならばこれは一朝一夕ではどうにかなるものではないだろう。根本的な問題をどうにかしない限り、きっといつまでもこのままだ。ダンとの戦いも控えている以上、それはよろしくない。

 

 しかしその問題が分かっていないのも現状。今真っ先にやることは、やはり式の悩みを解消することだろう。こういうことはきっと凛や橙子さんの方が得意なのだろうが、他人任せで解決しても意味が無い。

 時の流れに任せる、というのはもっとない。それは解決ではなく、問題からの逃避でしかないからだ。そのやり方では、式の悩みは結局解消されないし、何よりこれは自分の力で解決しなければ、きっと自分と式の関係は戻らない気がする。

 

 だから自分はここで立ち止まるわけにはいかない。ここは積極的に会話を図るべきだろう。

 そういうわけで、色々と話題を振ってみたわけではあるが――、

 

 ――思えば、こんなに早く起きたのは初めてじゃないかな。

「……」

 

 

 ――今日はどんな感じに過ごす?

「……」

 

 

 ――えーと、式?

「……」

 

 ――この様である。どうやら式にとって昨日のことは、想像以上に業腹(ごうはら)だったらしく、当分このままで突き通すらしい。冷たくあしらわれるだろう、程度に思っていた自分の読みは完全に外れていた。

 

 これはまずい。非常にまずい。まずこのままでは日常的なコミュニケーションが不可能だし、自分が貢献していたなどと厚かましいことを言うつもりはさらさらないが、サーヴァントを相手取るのは式一人では無理だ。

 

 ライダーとの最初の戦闘では、基礎能力の格差で終始押され続けの惨敗。

 二度目の戦闘も、互角程度の戦いができていたがそれでも大きな負傷は免れなかった。

 そして決戦場でこそ勝利したものの、肝を冷やすことは何度もあった。

 

 この聖杯戦争、主役は確かにサーヴァントだが、それを支えるマスターの存在も必要不可欠だ。司令塔としては勿論、サポート役としてサーヴァントの回復や能力の強化、そして敵サーヴァントの妨害など。特に回復なんかは肝心要なことで、戦闘を繰り広げるサーヴァント達にそんな余裕はない。それに能力強化も、サーヴァントごとにステータスにばらつきがあり、その差を補い戦況を有利に運ぶためにもそれが可能なマスターは重要だ。

 

 特にダン・ブラックモアは自分たちより格上の存在。万全を期して挑んでも勝てる可能性は低い。つまり何が言いたいかというと、協力しないと勝利はないのだ。

 故に、無いだろうとは思うが式が一人で先走ったり、こちらの指示(いけん)を無視するような事態に陥らせないためにも、最低限日常会話位は成り立たせなければならない。

 

 とはいえ、自分たちの日常会話はそこまで多くなく、また自分たちの関係もまだ一週間程度。式の趣味嗜好に関しては碌に知らないし、式もまた同様。自分たちの共通事項は精々年が近いということと、和の雰囲気が気に入っているということくらいに過ぎない。

 これは生死を共にする関係にしては、やや繋がりが薄いと言えるのではないのだろうか。ちょうどいいし、ここらで様々な話題を振って式の興味を探ってみるとしよう。

 

 そう思い、口を開く――直前に『く~』という、気の抜けた音が静寂に満ちていた空間に響き、室内にあった重い空気が弛緩する。

 出所はすぐに分かった。何しろ、自分が視線を向けていた先だったからだ。

 要するに――出所は式だ。もっと正確に言えば、式のお腹のあたり。

 そのまま何をするのでもなく、ただじっと見つめていると、式は紅潮した頬を隠すように再びそっぽを向いてしまう。

 思えば昨日、自分たちが最後に食事をしたのは昼ごろで、夜は式は紅茶を一杯で、自分に到ってはそれすら口にしていない。

 

 それを思い出すと、自分も空腹を意識し始め、思わず腹部を手で押さえる。

 

 ――……朝食、食べようか。

「……」

 

 ぽつりと囁くような、自分の小さな声が部屋中に響き渡って数秒後、式は遠慮がちに首を上下に振った。

 

 ……これで一先ず冷戦のような緊張感のある時間は、終わりを告げた。

 

 

 ※※※

 

 

 ――暗いな……。

「ええ……」

 

 一先ず腹ごしらえとして購買へとやって来たわけだが、購買に流れる空気の異質さにやや意気消沈してしまう。異質、といっても先日アリーナで感じたような、ああいった明らかに害意が感じられるものではない。ただ単純に、この一週間で慣れ親しんだ空気と真逆の性質の空気が流れていることが、あまりにも異常に思えたからだ。

 

 これまで自分がこの購買で感じていた空気は、碌に人がいない昨日を除けば常に和気藹々とした、学生らしい雰囲気だった。

 しかし今の空気は重苦しく、会話などどこにもなく、ただ食器が重なり合う音ばかりが響き渡っているだけで、まるでお通夜のような雰囲気だ。

 今までが今までだったので、この空気には違和感しか感じられない。それは式も同様で、この様子にはやや困惑した面持ちだった。

 

 しかしそんな状況下でも、腹の虫は敏感に食物の臭いを嗅ぎ取り、急かすように空腹感を呼び起こす。それにやや苦笑しながらも食券を買い、席を探す。いつもの手慣れた動きは、こんな重苦しい空気の中でも平素通りであった。ただいつもは返却口に近い席を探すが、今日はなるべく離れた場所に着く。

 

 席に着くと式は割り箸を割り――割れ方が気に入らなかったのか、少しだけ眉を顰める。それに再度苦笑を零し、綺麗に割れていた自分の割り箸を差し出し、ややためらいがちであったが式はそれを手に取り、歪なそれをこちらに差し出す。

 

「それで、今日はどうするの?」

 ――ああ、今日は昨日同様お礼回りをしてからサーヴァントの情報を探ろうかと思う。

「情報? 昨日は特に目ぼしい情報は無かったと思うけど」

 ――いいや、小さいけど一つだけあったよ。

「……?」

 

 こちらを見つめながら首をこてんと右に傾け、顎に手を当て考えるような仕草をするが、思い当たらないのか顔を段々と顰めていく。その仕草に可愛いな、と思いながらもそれを表情に出さないように自制する。どうやら式はさほど頭脳労働は向いていないらしい。

 その様子をそのまま堪能していたい気分にもかられるが、正直この購買の空気には長く晒されていたくないので、名残惜しいが答えを教えることにする。

 

 ――昨日ダンが言っていただろう。『イチイの毒は不要』って。

「……ああ、そういえば言っていたわね。でもそれだけじゃあ情報としては弱くないかしら」

――まあ確かに。これだけじゃあ相手の真名に辿り着くことはないだろう。

 

 式に情報の正体を教えてあげると、ようやく思い出したのか首を戻して視線を目の前の物――ご飯やみそ汁、漬物に卵焼きなどがある『朝食セット・和(210PPT)』に戻し、箸を動かしながら反論してくる。

 

 式の言うとおり、イチイは世界中に広まったものでそれを毒として使用するのは珍しくもなんともない。これだけでは到底相手の情報を得ることは敵わないだろう。

 だがこういう小さなところから情報とは探っていくものだし、それに毒を使ってくると分かればあらかじめ解毒剤を用意しておける。何にしろ、調べておいて損はないだろう。

 

「それもそうね。となれば、この後行くのは図書室?」

 ――ああいや、その前に――。

 

 この後の予定を式に告げると、式は好悪が判断できない微妙そうな顔をした。

 

 

 ※※※

 

 

 食事を終えてほんの数分後、やって来たのは清潔感溢れる白を基調とした部屋――保健室だ。窓から射す光は朝の淡い光ではなく、いつの間にかまばゆく照っており、モダンなテーブルクロスは目に優しい色合いをしている。

 

 マイルーム以上にアットホームな雰囲気を持つこの保健室は、訪れる度に心を和ませてくれる、ムーンセル内における数少ない憩いの場だ。

 

 そしてそんな保健室の主、間桐桜もまた他者を和ませてくれる掛替えのない存在である。

 

「先輩、式さん。お茶のお味は如何ですか?」

 ――ああ、とっても美味しいよ。持って来たお茶菓子にも合うし。

「ええ、本当に。こんなに美味しいのは初めて飲んだわ」

 

 その言葉にお世辞はない。自分も式も、心からそう思えたのだ。

 自分たちの手には、テーブルの反対側で満面の笑みを浮かべる桜が淹れてくれた緑茶と、自分が購買で買った小さな饅頭がある。どちらも良い物だが、特にお茶の方は碌に味を知らない自分でも最高の物だと判断できるほどに美味しく、心に染みわたるものだった。

 

 ――にしても悪かったね、桜。態々押しかけてしまって。

「いえ、気にしないでください。私も退屈していましたから」

 

 そういえば自分は過去に二度、初日と藤乃を連れて来た時に保健室へとやってきたが、そこで桜以外の人と会ったことはないし、桜以外の人がいた痕跡を見つけたことが無い。まあ、保健室の利用目的はあくまで怪我の治療、サーヴァントの回復が各々で可能な以上、マスター自身が負傷しない無い限りこの場所を訪れることはないだろう。

 些か寂しいとは思うが、人が訪れないということは負傷者がいないと言うことなので、そこだけ考えればいい事だとも思える。

 

 だが、本当の殺し合いと分かった以上、これからはマスターを積極的に狙ってくるような、手段を選んでいられなくなる者も出てくる筈だ。主に暗殺に特化したアサシンと組んでいる者や、サーヴァント自身がそこまで強くないため奇策頼りの戦い方しか選べなくなった者たちが、これからは仕掛けてくることになるだろう。紛うことなく現時点で最底辺に位置する自分たちには無用な心がけだが、これからは格下相手でも気を抜くことはできないだろう。そして――校舎内でも。

 

 アリーナでもそうだったが、実際に戦闘が始まって強制終了されるまでには僅かなタイムラグがある。そのことを考えるに、おそらく校舎内での戦闘でも止められるまではタイムラグがあるし、もし反応する間もなく、一瞬で片を付けられてしまえばどうしようもない。無論、それを防ぐために監督役がいるのだから、校舎内での場合はほとんど狙われることはないし、狙われるにしてもそれは五回戦以降になるだろう。

 濃密な日々を過ごしていたが、聖杯戦争はまだまだ二回戦。こんな序盤でペナルティを受ける訳にもいかないだろうし、校舎内での戦闘は当分心配しなくてもいいだろう。

 

 そうして思考を巡らせていると、ふと今の自分がアットホームからかけ離れていることに気づき、一度それらを頭の片隅へと追い遣り饅頭を口に含む。途端、中の餡の甘みが口に広がり、気持ちが解されていくような気分になる。

 

「そういえば先輩、聞きたいことがあるって言ってましたけど、なんだったんですか?」

 

 そうして饅頭を堪能していると、不意に桜が新たな話題を挙げてきた。

 

 ――ああ、そうだったね。大したことじゃないんだけど……。

「いえ、それでもかまいません。さすがに特定のマスターに肩入れするような真似はできませんが、それ以外なら何でも言ってください」

 

 やや曖昧な態度を取る自分と対照的に、何を聞かれても真剣に答えると、力の籠った瞳で告げる桜。その桜の姿に目は口ほどにものを言う、とはよく言ったものだと一人納得する。

 

喉の渇きを潤すために続けてお茶を飲むと、最初暖かかったお茶は少しだけ温くなっていた。どうやら自分は先ほどの思考に随分と時間を割いていたらしい。

 

 聞きたいこと、というのは当初悪いと言って中々茶菓子を受け取ってくれなかった桜に対する建前のようなものだ。桜もそれは理解しているはず。それにその聞きたいこと先ほど式に話した『イチイの毒』に関すること。図書室でも調べられるので、重要度はさしてなかったりする。何より内容が若干なりとも聖杯戦争に関わることで、先ほど自省したこともあり、今は出したくないというのが正直な気持ちだ。

 

 故に、聖杯戦争とは関係のない適当な事を聞いておくという選択肢も、なくはない。

 むしろ、この空間のこの雰囲気を保ち続けたいのなら、そうしておくのが一番だ。

 

 だが、建前と分かっていながらもこうして話題に上げたということは、桜は桜で自分の力になろうと思っているのだ。それはもしかしたらNPC、というかAIにとっては当たり前の考えであるのかもしれない。しかし、自分には彼女のこの真摯な瞳が、単なる義務感やルーチンワークから生まれた物とは思えない。

 

 ――自分の願いを取るか。

 ――桜の気持ちを取るか。

 

 葛藤しつつも、決心して口を開く。

 

「実は――」

 

 ※※※

 

 

『イチイ、別名アララギ。果実は甘いが種は苦く、含まれているアルカロイドの一種タキシンは有毒。種を誤って飲み込むと呼吸困難で死に至る場合がある』

 

 それが桜に聞いてことと、図書館で調べたイチイに関することを纏めた大まかな説明である。他にも色々とあるが、毒という面だけを掻い摘んでみればこんなところだろう。調べた事柄を端末のメモに纏め、手に持った分厚い本を元の位置に戻す。ちなみに付いて来ていた式はこの棚の書物から早々に手を引き、膝を曲げて向かいの棚に向かっている。

 

 なお今自分が読んでいた本の棚は自然科学関連で、式が向かっている棚は小説関連、それも若年層――所謂自分たち向けのライトノベルというジャンルの物で、式やその中の一冊の表紙を、やや羨望が混ざった視線で見つめていた。その本は詳しくは知らないが、表紙から察するに日常のほのぼのとした学生生活などだと察する。

 

 とりあえず、未だにこちらの調べ物が終わったことに気付かない式にその本を借りていくかどうかを尋ねてみると――本を借りる権利を持つのはマスターのみ。ちなみに期限はない。基本はデータなので、慎二みたいに正規の手続きを踏まずに本を取っていかない限り本は残ったままだ――鷹揚に首を横に振り、静かに断った。迷いのない行動だった。

 

 そのまま式は未練などないようにあっさりと本を棚に戻して立ち上がると、自分の前に立ち、早足で扉に向かっていく。まるで逃げるかのように去っていく式に追随するように自分も早足に廊下へと出る。

 

 すると誰かが窓を開けたのか、爽やかな風が廊下を吹き抜けていくのを感じた。陽気な暖かさを連れてきた風は式の髪を靡かせる程度に強いが、式自身は大して気にした様子はなく、素直に心地よさを堪能している。斯言う自分も式同様に陽気さのあまり、つい気が抜けてしまう。アリーナでないとはいえ、あまり褒められたことではないが偶にはいいだろう。それに先も言ったが、序盤から校舎内で仕掛けてくる者はいない筈だ。

 

 そうして頬を緩ませながら目の前を歩く式へ視線を向けると――その先の、階段前で佇む少女とおもむろに視線が合い、その整った顔立ちに目を奪われ視線を外せず、互いに見つめ合っていると、あることに気づき僅かに若干驚きの声を洩らしてしまう。

 

 ややカールのかかった紫の髪に、小麦色の肌と、それに合う胸元の緩いエキゾチックな白い薄い衣装。容姿から察するに彼女はエジプト辺りの出なのだろう。それは世界中のウィザードが集まるこのムーンセルならば、珍しくはあるが別段驚くことでもない。

 

 自分が驚いたのは、少女の心の内が伽藍堂であったことだ。能面のように無表情で、瞳の奥にあるのは無機質な光だけ。おそらく、地上の一般的なNPCも、彼女のような面貌をしているのだろうと、そう思えるくらい彼女には人間性というものが欠如していた。

 

 驚愕に顔を染めてしばらく眺めていると、着いて来ない自分を不審に思ったのか三歩程前の式が振り返り、少女がおもむろに歩き出すのが視界に映る。そのまま少女は自分の傍まで近づき、自分の身体もそれにつれて段々と身が強張ってくる。そして一歩半という短い距離を開けて、彼女はピタリと静止する。その動作すらも、どこか機械染みているように思えて若干の恐怖を感じる。

 

「――はじめまして。私はラニ。あなたと同様、聖杯を手に入れる使命を負った者」

 

 その澄んだ鈴を転がすような声に僅かながらも感情が乗ったことで、ようやく彼女が同じ人間であると分かり安堵する。

 

「あなたを照らす星を、見ていました。他のマスターたちも同様に詠んだのですが、あなただけが……霞に隠れた存在」

 

 星を詠む……占星術みたいなものだろうか。ムーンセルは月にあるのだし、その手の術者が星を読むには最適な場所だろう。聖杯戦争に集まっているのは自分や慎二みたいな一魔術師だけでなく、テロリストや王様、軍人など多才な者も多くいるのだから、そう言った術者が出てきても、これまた驚くことはない。

 

 自分が見えない(わからない)、ということにも最近は無頓着になってきている。このムーンセルに自分のことを知っている人間がいるとは思えないし、分からないなら分からないで突き進むだけだ。

 

「では、改めて質問を。どうか答えてほしい。あなたは、何なのですか?」

 

 故に、いまの自分にその問いに答えるべきことは一つ。

 

 ――岸波白野。いまはただ、聖杯戦争に参加する一マスターにすぎない。

 

 言いよどむことなく、確固たる口調でそう告げる。自分の答えを聞き終えた彼女は、その言葉の意味を咀嚼し、理解するようにしばし目を閉じる。

 

「――つまり、いまのあなたは何者でもないと?」

 ――ああ。それで、君は何のために自分のことを知りたがるの?

「師は言いました。人形である私に、命を入れる者がいるのかを見よ、と。私は新たに誕生(うま)れる鳥を探しているのです」

 

 逡巡の躊躇いもなくすんなりと語り出したことに、やや呆気にとられる。

 

「師が言うのであれば、私は探さなければならない。人間というものの在り方を。そのために、私は多くの星を詠むのです」

 ――それが、自分だと?

「それはまだ分かりません。ですが、あなたは少し他のマスターとは、違う星が見える」

 ――違う星、か……。でもそれは、自分だけとは限らない。

「その通りです。ですから私はそれを判断するため……もっと人を見なければならない。あなたも、そしてブラックモアも。だから私に、見せてほしいのです」

 

 そのセリフは力強く、彼女にしてはやけに感情が乗せられた言葉だった。しかし本人には自覚は無いのか、表情に変化は見られない。

 

「何か彼の遺物を見つけたら、私の所まで来てください。私は三階の廊下の奥で待っています。その時、空を見てみましょう。私はあなたを利用し、あなたは私を利用する。如何でしょう、ブラックモアの星を詠むことは、あなたにも無益なことではないはずですが」

 

 畳み掛けるよう、矢継ぎ早に言葉が紡がれる。

 ダンという存在を知ることで、彼女は目的を果たし、自分たちは差を縮める。確かにこれは双方に利のある内容だ。しかも一方だけが損するわけでもない、対等な取引だ。拒否する理由はない。だが、これだけは言っておきたい。

 

 ――君は自分を利用するのでも、自分は君を使用するのでもない。どちらかが欠けてもできないことを協力し合うんだから、そんな風には言わないでほしい。

 

 自分の言葉に彼女はふむ、と言葉を零し再び目を閉じ、すぐさま開く。

 

「――つまり、お互いのために力を合わせよう、ということですか?」

 ――ああ、そう言う事。

「なるほど……。確かに先ほどよりも気持ちのいい考えです」

 

 少女は先ほどとは違い、余韻を味わうように瞳を閉じて、頬を僅かに緩める。それを見る自分も、自然と顔が綻んでくる。

 

「今から三日後には、星を詠むのに適した時が満ちるでしょう。その時までに、遺物をお持ちください」

 

 しかし次に彼女が目を開くとその顔は元の無表情に、声音も平素の物に戻ってしまい、それをやや残念に思うが、決して顔には出さない。今の自分には、もはや恐怖や緊張感というものは無かった。

 

「それでは、ごきげんよ――」

 

 う、と彼女が別れの言葉を言い切る前に、開け放たれた窓から強い風が入り込み、廊下全体に吹き付ける。その矛先は様々で、教室のネームプレートをカタカタと揺らしたり、掲示板に張られた記事を波打たせ、式の紙や浴衣を揺れ動かせ、彼女のスカートを捲り上げ、乙女の花園を露わにした。

 

 ――眼前に広がった光景に、思考が全部まとめて吹っ飛んでいく。

 自分には多くは語れないが、とにかく自分は今、とても衝撃的な光景を見た。

 

「――――――」

 

 それは彼女の背後にいた式も同様で、文字通り開いた口が塞がらない状態にあった。

 

「……ごきげんよう」

 

 しかし当の本人は全く気にした様子はなく、風の被害が収まった後、一拍置いて別れの言葉を告げるとそのまま何もなかったかのように三階へと通じる階段へと歩を進めていく。

 ……呆然と立ち尽くす自分たちは問い詰めることも出来ずに、ただ彼女を見送っていた。

 

 ……もはや驚くことはない、と思っていたが、どうやら世界は自分が思う以上に広い物らしい。

 




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経済事情

とりあえず文字数縛りを止めようかと思います。
縛ると変な方へ逸れたりすることもありますし、時間が間延びしてしまう……。



 あの衝撃的な出来事から時が流れ、覚束なかった自分の頭もようやくまともな思考が出来る程度には回復した。現在はアリーナへ行くための準備として、腹ごしらえを終えて購買でアイテムを揃えてる最中にある。時刻は昨日同様の5時を少し過ぎたくらいで、夕食にしては早めの時間だっただろう。

 その理由はまだ頭が回っていなかったから、という訳ではなく、ダンの遺物を探すため普段以上に時間が掛かると考えたからであり、朝のような空気の中で食事をしたくなかったからでもある。もっとも、静かすぎて寂しいのもあまり好ましいものでもなかったが。

 

 ――しかし、治療薬一つ500PPTか……。一回戦の二層目で収入も大きく増えたが……。

「毒の進行自体は遅いのだし、私は別に無くて問題ないと思うわよ」

 ――そういうわけにもいかないよ。昨日はあの程度で済んだけど、次も同じタイプの毒が来るとは限らないし、毒に対する備えは必要だよ。

 

 右手で持っている薄い黄緑色の水晶を目線の高さまで掲げる。それはエーテルの欠片などと同様にムーンセルが用意したサーヴァント用の治療アイテムだ。見た目はやけに毒々しいが、これは毒の他にも麻痺や呪いも無効化できる優れ物だ。

 その分、お値段は自分たちの現収入を考えるとやや高めの値段設定となっている。現資金は端数を除けば10000しかなく、そこに500PPTは致命的ではないが痛い価格だ。

 

 今度は左手を右手と同じ高さまで上げ、その手の中のお守りに視線を向ける。古風な感じの緑の小さな袋には行書体で力強く『御守』と書かれている。こちらは癒しの香気という礼装で、治療薬と同等の効果を持っていてかつ礼装なので自分の魔力が持つ限り何度でも使用が可能という優れものだ。

 ただし二回戦に入ってから購買で扱われ始めた品だからか、値段が12000PPTと結構高めとなっている。

 

 自分が悩んでいるのは当面は治療薬で済ませるか、多少危険を冒してでも癒しの香気の入手を急ぐかである。

 後のことを考えるなら、ここは礼装の癒しの香気を選ぶべきだろう。あのサーヴァントもさすがに昨日今日と同じ真似を繰り返すとは思えない。仮にしようとしてもダンがそれを許さないだろう。

 それに礼装はパスを通じて即座に回復してくれるため、近づかなければ使えない治療薬よりも段違いに使いやすいという利点もある。

 

 だが、癒しの香気の値段は12000PPT、これを買う場合はアリーナ探索で得られる収入と普段の食費を考えると、今日は治療薬を買うことは出来ないし、それは今朝方買おうと思った観葉植物もだ。毒の件も自信はあっても確証がない以上、容易く踏み込むわけにはいかない。

 とは言え、アリーナの探索時間を考えると、何時までも長々と考えてはいられない。

 

「いつまでそこで唸っているつもりですか。いい加減チャージ料取りますよ? 3000PPT程度」

 ――高いよ、チャージ料。それにいったいいつからここは居酒屋になった。取るならせめてピーナッツくらい出してよ。

 

 そうして思案に耽っていると背後から声が掛かり、自分はその発言者に振り返ることもせず軽口を返す。ただ相手の方は割と本気なのか、可愛らしい少女の声に僅かながらも邪性が混ざっていることを感じ取った。

 さすがにそんな手痛い出費は勘弁願いたいので、ようやく踏ん切りをつけて右手の治療薬を(・・・・・・・)レジに差し出す。癒しの香気が遠ざかるが式の安全を考えればこの程度の出費、惜しむ必要はないだろうと考えてだ。

 それに少女は営業スマイルを浮かべながら精算しようと自分の左手の物(・・・・)を掴み、そこにバーコードリーダーを――、

 

「12000PPTになり――」

 いや、ちょっと待て。

 

 名の通りに可憐な笑みを浮かべる少女――カレン・オルテンシアの腕を咄嗟に止める。

 

「あ、万引きですか? 万引きの場合は裁判の後、脳のデータを奪いNPCとして再利用されますよ?」

 ――そんなに浮き浮きして言うんじゃない。後輩ロールが崩れるぞ。もう跡形もなく砕け散ってるが。というか、倫理観しっかりしてるようでしてないなぁムーンセル。

 

 再び軽口に軽口で返しながら――彼女のセリフには相変わらず邪性が混ざっていた――癒しの香気を元あった場所に戻し治療薬をレジに乗せる。しかしカレンはそれに一度目線を移すとすぐさま自分の顔へと戻し、情けなさそうに嘆息した。

 

「この程度も持っていないなんて随分と貧しい生活を送っていますね先輩。そんな生活しているのはこのムーンセル内でも一人いるかいないか程度ですよ」

 ――しょうがないだろ。こっちは食費が単純計算で二倍なんだから。それに自分たちはまだ弱いから、有事に備えて色々買わなきゃいけないし。

 

 今の自分たちのアリーナでの収入はおよそ4500弱。しかしこれは二回戦一層目からの、つまり昨日からの収入でありそれまでは精々3500弱だった。うち食費が1500PPT前後のため、一昨日までの純利益は2000PPT程度で、昨日得た純利益が3000PPT。大分収入は増えたがそれでもまだ稼ぎ始めて日が浅いのだ。蓄えがないのも仕方がない。

 

 ではとカレンはレジから身を乗り出してこちらに距離を詰めてくると片手で小さく手招きをしてくる。なんなのだろうかと訝しみながらもそれに従いカレンへ顔を近づける。

 

「それならツケでどうですか? 今出せるだけのお金を出してもらい、足りない分は後日支払う、というのは。利息も日に三割でいいですから」

 

 そして小さな声で、魅力的でありながらあんまりな話を持ちかけてきた。

 

 ――……いいのか? いや、それ以上にそんなことができるのか? あと、金利が酷過ぎるんだが……。せめて日に一割の普通のカラス金くらいで。

「これでも上級AIですから。その程度問題にはなりません。金利に関してはすぐにでも返せばいいじゃないですか」

 ――いやしかし……式はどう思う?

「私に聞かれても……あなたがいいなら構わないわ」

 

 内容が内容だけに互いに声を潜めて会話する。もっとも周りに人など誰一人していないので静かなもので、どれだけ音量を下げても近くにいる式には普通に聞こえる以上する意味はなかったりする。まあその辺りは単なる雰囲気づくりのようなものなので気にしていない。

 彼女は今でこそ購買のレジ係に納まってはいるが、元々は桜や神父と同様に重要な役割を担っていたのだ上級AIの一人なのだ。ある程度の融通は利くだろう。これでツケにすること自体は問題ない……金利がどうとかは置いといて。

 

 だが……自分にはこの話には裏があるようにしか思えない。無論、彼女もムーンセルから用意されたNPCの一人であるのは間違いないため、マスターの害するような行動を取ることは…………ないと思いたい。

 

 だがしかし、彼女は『人の不幸は蜜の味』を地で行く性格だ。以前も凛相手に偽物を掴ませるなど、グレーな行いもしていたし今回もないとは限らない。いや、この際ハッキリ言おう。彼女は絶対に何かしかけてくるだろう。利率だって態々高利設定しているし。

 

「失礼ですね。私とてシスターの端くれ、これは善意ですよ。それに、相手がいつ攻めてくるか分からないのに数に限りがある治療薬では不便ですし」

 ――……突っ込みたいところがあるけど、たしかにその通りだ。即効性と言う点でも治療薬では劣るし。あと、善意なら利率を下げてくれ。

「それは嫌」

 

 こちらの申し出を拒否する彼女は本物の聖女のように美しいものだった。こういう時だけは混じり気のない純粋な笑顔を向けてくるなあ。

 しかし、この話が有利なのも確かだ。今あるPPTを全て使っても、今日の稼ぎで明日の食事代はどうにかなるし、足りない分も今のペースを保てれば自分がちょっと節制すればすぐさま清算できる。偽物を掴まされる心配も、ここで調べれば心配はない。

 

 今のところ思いつく問題にもすぐさま対処が可能だし、もしかしたら本当に善意なのかもしれない……疑念が消えたわけではないが、乗ってみるのも悪くはないと思い始めた。

 

 ――……分かった。それじゃあ足りない分はツケということで、癒しの香気を一つ。

「交渉成立ですね。毎度ありがとうございます」

 

 一応、念を押して一つと言っておく。知らない間に五つも六つも買わされてはたまらないし。

 自分の言葉には何ら反応を見せず、少女は笑顔で癒しの香気をこちらに差し出す。自分は代金はまだ支払わず、式に一応の検品を頼む。鑑定士扱いしたことに何か言われるだろうと思っていたが、式は文句の一つ零さず一通り目を通して問題ないと首肯する。

 やけに素直だな、と思いながら癒しの香気の代金として有り金を全て支払う。端数を手間賃とすると残りが2000PPTで、カラスが鳴く頃(ゆうがた)には2600PTTになる。

 

 ……予想以上に順調に事が運び、驚きを隠せない。物の綻びが見える式が問題ないと言った以上、粗悪品というわけでもないだろうし。

 

「だから言ったじゃないですか。善意ですって。純粋な気持ちを疑われて少し傷つきましたよ」

 ――あ、ああ……ごめん。悪かったよ。

 

 まるで狐に化かされた気分で、呆然としてしまう。が、そんな風に立ち尽くしている暇もなく、素早く立ち直し素早く移動を開始する。

 

「感謝の返事は無しですか。まあいいでしょう。それはそうと、先輩は知っていますか?」

 ――え、何が?

 

 背を向けた自分に、唐突に自分の足を止めるかのような要領を得ない問いを投げてくる。それが示すのが何なのか、気になって振り返ると、カレンがかつてないほどに黒い笑顔を浮かべていた。その顔は先ほどの聖女のようなものとは正反対で、見るものすべてを不安にさせる。見事な二面性だと心のどこかで感心しながら、猛烈に嫌な予感というやつを感じ取った。

 

 聞いたら駄目だ、と直感で思った。今聞かなかったから避けられるわけではないとわかっていながらも、絶望から逃れようと耳を塞ぎ、懇願の言葉を漏らす。

 しかしそれら凡てを拒絶して、無情にもカレンは言葉を紡ぎ始めた。

 

「――実は明日から食堂の値段が倍になります。購買のカレーパンと焼きそばパンも同様です」

 

 そして自分は絶望の淵へと叩き落された。

 自分の膝が崩れ落ち、情けなく座り込み、すぐさま後悔に打ち震える。

 

「惰性でただ居られるのはムーンセルにとって一番困ることですから。自らに芽生えた知性を廃し続けたムーンセルが知的生命体を招いているのは人の魂を、人の精神を知るためです。ならアリーナに駆り立てる策としてはこの程度、むしろ当然でしょう」

 

 さらりと重要なことを言っていた気がするが、あえて無視する。別段そうなのだとしても、自分の行動理由が変わるわけでもないのだから。そんなことより……。

 

 ――食費が、二倍だと……。

「かなり痛いわね……っ! まさかこのために態々ツケに!?」

 

 式も顔を歪ませ、すぐさまハッとしたように呟く。

 カレンとの間で交わした利率は日に三割。大して自分たちの純利益は食費が倍になったことで1500PPT程度。二日あれば2000PPT程度普通に返せる金額だが、利率三割だと今日の夕方には2600、明日で3380だ。返せる目途が立つ明後日では4394PPTと二倍以上になっている。

 

 無論、明日の早朝素早くアリーナに潜って荒稼ぎをして日が落ちる前に払ってしまえば負債は前日の2600PPTのままだが、それでは相手がアリーナに入る時間とずれ過ぎてしまうため、情報を入手することができない。只でさえ実力に差があるのだ、この手はあまりにもリスクが高すぎる。

 

 最終手段として今持っている鳳凰のマフラーと守り刀を売れば今この場で払うことも出来るが、後々のことを考えるとそれは悪手だ。自らの生命線を断つような真似は出来ない。

 

「ちなみにキャンセルはできません」

 

 言われなくても察しているさ、そんなこと。だから渡してから言ったんだろ。

 まさかこんなことになるとは……やはりカレンの提案を聞き入れたのは間違いだった。カレンに善意なんてあるわけがない。冷静に考えればこんなこと当たり前なのに。

 こうなったら……。

 

 ――すまない、式。

「いいわ。私も特に反対はしなかったし」

 ――いや、それもだけど、それだけじゃあない。

「……じゃあ、どういうこと?」

 

 小首を傾げて不思議そうな顔をする式に向き直り、肩を取る。そして、断固たる口調を持って告げる。

 

 ――今日は23:59まで粘るぞ。

「えっ」

 

 

 ※※※

 

 

 そしてアリーナ。目に映る敵を全て薙ぎ倒し順調にPPTを稼いでいく。

 とはいったものの戦闘の面での不調は相変わらずだったため、あらかたパターンが見えてきたとはいえ無理は出来ないのが現状だ。会話が出来るようになったしこちらも治ったのでは、と思っていたが会話は普通に出来ていたのだし、当然と言えば当然だった。

 

 こんな状況下でも探索や金銭など、そしてラニに頼まれた遺物の捜索などの諸事情に付き退くことができない。金銭面は最悪の場合は礼装を売ることでどうにかできるが、遺物の回収に関してはおそらく今日しかできないだろう。以前竹刀の時にタイガーから聞いた話だと本来アリーナには存在しない物に関しては1日、あるいは2日ほど時間が経つとムーンセルが不確定要素として消去してしまうらしい。そのため、最低でも遺物の回収は今日中に済まさなければならない。

 

 とりあえず、戦闘に関しては自分が礼装で積極的にサポートしていくことにした。自分も大分エネミーの動きに慣れてきたので、守り刀での攻撃もだいぶ当たるようになってきた。当初この事に魔力の無駄遣いと苦言を呈していた式も、連携とコツを掴むためと言うと割とすんなりと従ってくれた。ただそれは理由が分かったから、ではなく理由があったからだったのだと思う。別段自分は式が弱いなんて一度も思ったことはないのだけどね……。

 

 金銭はともかく、捜索の方は自分に遺物を探し当てる術がない以上はどうしても地道にならざるを得ない。幸いにして今日が終わるまであと5時間と時間には随分と余裕があるので焦ることはない。

 

 とはいえどさすがにただ戦闘を繰り返したり、異物を探すために床を見降ろしているのも暇だ。折角なのでこの時間の間に、状況を纏めよう。

目下の悩みである式の悩みに関してのことだが、原因に関しては皆目見当もつかない。というわけでこれまでのことを考察し、解明していこうと思う。

 

 まずは二回戦初日のこと。ダンが指摘するまで気付けなかったことと、問い詰めても拒否されたことから式自身はなるべく気付かせたくないのだろう。

 その理由はまだ式自身が纏められていないのか、自分に気遣ってのことなのか。断定することはできないが、おそらく後者だろう。自惚れているわけではなく、これまでのことを鑑みてそう判断した。もし前者だとすれば、むしろ自分に気を使う余裕はないだろう。式はどうもその手のことが不器用な気がする。

 

 次に、戦闘面でのこと。式の悩みが最も顕著に表れている部分、無用な見に徹するという点だ。エネミー程度なら大した問題ではないが、一瞬の隙が命取りになるサーヴァント戦では致命的。特に相手がアーチャーやアサシンならなおさらだ。こんなわかりやすい隙あったら逃しはしないだろう。故に最低でもこの問題だけは早急に解決する必要がある。敵は待ってはくれないし。

 

 しかし、依然として原因が分からない。大前提として自分に気を使っているのだとしても、まるで原因を絞りきれない。

 

 魔力量が足りない? 否、それなら自分が気づかないはずがない。それに青子さんならともかく、橙子さんに限ってパスの異常など起こすはずがない。

 自分の注意力が散漫? 否、それも式なら遠慮なく言ってくる。それにそうだとしたら式はより気を張るだろうから、むしろ逆だろう。

 まだ決戦での傷が癒えていない? 否、それならば自分の手の治療を行った時に桜が指摘してくれるだろうし、さすがにそれに気づかないほど自分と式のパスは弱くない。

 

 様々な思い付きが頭を掠めていくが、すぐさま消えていく。記憶喪失の所為でほんの一週間程度の人生経験しか無い自分にとって、他人のことを慮るということはかなり難しい。

 

 何とも情けない話だ。今朝方自分の力で解決すると誓ったのに、自分の力では解決の糸口すら掴めていない。だからといって、諦めるわけにはいかない。

 他人任せで解決しても意味はないし、いつまでもそのままではいけないのだ。凛は優しいがそれでも敵であることに変わりないし、彼女にも対戦相手がいるのだからいつまでも自分にかまっていられるわけじゃない。橙子さんにしても用があるからムーンセル内に居座っているだけで、いつまでもムーンセルに居るわけではない。

 

 両人ともに成すべきことがあるのだから、対人関係の相談にまで付き合ってもらうのは頼り過ぎと言うものだろう。学校の相談室というほど気軽に相談できるような間柄でもないのだし。

 

 それはそうと、凛にはまだお礼をしていなかったなし、そろそろお礼をしに行こう。さすがに式ももう気にしていないだろう。それに、凛は自分が一番お世話になった相手だ。アリーナのことも教会のことも、凛が教えてくれなければ自分たちはきっとあそこでただ佇むだけだったかもしれない。それこそ、7日目を迎えるまで。

 だから本来なら一番に向かいたかった相手だ。それを自分の都合で先延ばしにしてしまったのだし、凛には自分に持て成せる最高の感謝を送らなければ。

 

 しかし――懐が寂しい現在、尽くせるのは言葉だけになりそうだ。

 借金のせいで自分が素寒貧であることを思い出すと思わず涙が出そうになる。

 

「どうした急に哀愁なんか漂わせて」

 ――ああいや、なんでもない。なんでも……。 

「そ、そうか? 何か辛いことがあるなら言えよ……」

 

 とりあえず、自分の諸々の不甲斐無さに心の中で泣いておいた。

 




・本来教会に配備される予定
・しかし青崎姉妹が来たので保健委員にジョブチェンジ。
・しかし既に桜がいたし、言峰曰く「君がいては誰も来ない」といい無理やりに購買へ。
というのがカレンが購買院になった経緯。

PS
閑話休題の意味が違ったので修正しておきました。


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少女落涙

ようやくWindows Updateが出来るようになりましたが、随分と放置していたのかプログラム数がまさか154項目……。ちなみにその重さは約12GBでした。
これは戦神館とほぼ同じ重さですね。ゲームでありながら154項目分の重さを誇る戦神館に驚くべきか、それとも戦神館に並ぶほどの更新プログラムの多さに驚けばいいのか……まあそれはどうでもいいですね(


 負の感情が溜まる空間を、項垂れる者らを掻き分け周りの流れに逆らうかのように進んでいく。やや強引な真似であったがそれを咎める者はいない。あるいは、咎める気力もなかったのだろうか。足取りは重く、自らを支える力もないその姿に亡者を幻視する。

 

 すぐさまその錯覚を振り払い、自分は目的の物がある一角へと足を向ける。そこにあるのは自分よりも背の高い長方形の箱だ。上段は透明なガラス板がありその中には様々な商品が並んでいる。並ぶ品々は色合いは違えどその形には共通項がいくつもあった。下段には箱の端から端まで限られたスペースを贅沢に使った穴が開いている。

 

 箱の前に立ち、ガラス板の中の物を品定めする。妥協は一切しない。舐めるように観察して数秒後、意を決してその中から一つを選び、その品の下にあった小さなボタンを押す。

 

 すると突然、目の前の物が乱暴な音を立てて下段の穴に何かが落ちてくる。と同時に自分の懐からチャリンと小銭同士が擦れあうような電子音が鳴った。その二つの音を気にすることなく落ちて来た物をを取出し小さく笑みを浮かべる。

 

 ――またお前と昼を共にするとは。なぁ、ミネラルウォーター。

「なに莫迦なことを言ってるの」

 

 まあ、結局の所自動販売機で水を買いに来ただけだ。

 

 式の呆れを多分に含んだ反応を笑顔で流し、重い空気と嘲笑らしきものを含んだ店員(カレン)の視線から逃れるように急ぎ足で階段を上っていく。

 自手の手には凛へのせめてものお礼として買った焼きそばパンと自分の昼食のミネラルウォーターが。式の手にははトマトサンドがある。かつてはその安さに助けられた購買の品々ではあるが、値が倍となった今ではこれらも現状は財布に大きなダメージを与えてくれる。

 救いがあるとすれば、倍額となっても100PPTと安いミネラルウォーターといった飲み物類と、起きたのがほんのつい先ほどのため朝食の分の費用を浮かせれたという点だろう。何とも小さな救いだ。

 

 

 ――結局、昨夜は日が変わるギリギリまでアリーナで粘り、遺物の回収とPPT稼ぎに勤しみ続けた。その甲斐あって三つの遺物と借金を返済できる額を集めることができたが、その代償に自分たちは体力と気力と魔力を限界まで消耗してしまった。それこそ、後半に至っては何をやっていたのか全く思い出せず、最後にはマイルームに入ってすぐに式と二人して布団も被らず寝転ぶ程度に。

 おそらく校舎内で寝るのは危ないと察し、最後の力でマイルームまでたどり着いたはいいが、そこまでが限界で糸が切れるように倒れたのではないのかと察する。

 

 時間が経ったおかげで魔力はそれなりに回復できているが固い床で寝たおかげで全身が痛く、体力のほうはほとんど回復できていない。正直こうして階段を上っていくことすら未だに強張っている体では若干辛くも感じる。この辺りはリアル志向なムーンセルの弊害といえるだろう。

 

 そんな風に昨日は満足に休むこともできなかったのだが、決して悪いことばかりというわけではない。

 

 マイルームの扉は教室のものと同様で、その幅は精々人が一人二人通れる程度でしかない。そしてマイルームと校舎の出入り口をつなげれるのはマスターしかいないのだから、必然的に出るにしろ入るにしろ、まず先に通るのは自分だ。

 

 で、そこから入ってすぐ、二人して寝転げたのだ。

 自分は床に、式は自分に覆いかぶさるように。つまりそういうことだ。

 背中に柔らかいものが当たるし、いい香りがするし、耳元では式の吐息が――と枚挙すれば切がないほどにあれは良かった。おかげで体力はともかく、気力に関しては完全復活を遂げることができた。

 

 まあ、復活と同時にかなり消費することにもなったが。主に理性と本能の闘争で。

 自分はあの時のことをきっと一生忘れないだろう。

 

 などと考えていると屋上と階段を隔てる扉にたどり着く。地下にある購買からといえど、所詮三階建ての建物の高さなどたかが知れてる距離、疲労があっても1分とかからない。

 

「そういえば……なんでここにいると思ったの?」

 ――ああ、凛のこと? 単に消去法だよ。

 

 校舎内で見かけることがないということそれは特定の場所に居座っているということであり、図書館や保健室、教会や中庭などよくいく場所でも見かけることはなかった。そうなるとそれ以外に探していない場所はマイルームとアリーナと屋上のみ。しかもその内二つはどうしようもなく、会おうと思っても会える場所ではない。となればあとは屋上しか選択肢はない。そしてそういった理屈以外にも凛はここにいると直感していた。

 

 疑問、というよりは不思議そうな目でこちらを見つめてくる式に説明すると式はへえ、と興味なさ気に生返事を一つ。どうやら大して関心はなかったらしい。それを悲しく思いながら、改めて屋上へと繋がる扉を開けた。

 

 その先の景色は、自分が初めてやって来た時――凛と出会った時と同様の形を保ったままだった。

 

 中天で輝く太陽もどき。

 近く感じる澄んだ青空。

 空を走る0と1の文字。

 膝を抱えて蹲る遠坂凛。

 それを宥めるランサー。

 

 ――シチュエーションが違った。やはりまだ疲れているのだろうか。そう思い一度眼前の光景から視線を外し、目頭を揉んでもう一度視線を向ける。

 

「ふん……いいのよ別に……グスッ……今度泣きついて来ても絶対、ヒック……何も教えてやらない、んだから……」

「泣いてるのはどっちだよ……ったく、そんなに気になるんだったら自分から会いに行けばいいだろう」

「ば、莫迦言わないでよっ! 何で私が用事もないのには、白野くんに会いに行かなきゃいけないのよ!」

「(誰もあいつとはいってねえんだけどなぁ……)」

 

 だが結果は変わらない。小さく体操座りをして隅っこで嗚咽を漏らす凛の姿はどう好意的に解釈しても泣いているようにしか見えない。加えて、聞こえてきたセリフがそれをさらに決定づけてしまった。

 うん、なんだ。

 

 ――ムーンセル。自分だけこの手のイベント、やけに多くないかな。

 

 

 相手サーヴァントの情報の他に、金銭問題に自分の記憶に対人関係。このムーンセルという隔離された空間でこうも問題を背負っているのはきっと自分だけだろう。何故月海原学園にはカウンセラーがないのだろうか、裁判を作るくらいならそっちを作ってほしいと切に願った。

 

 いっそ今度カレンか神父を通してムーンセルに……いや、やめておこう。万が一懺悔室なんて形で実現してしまったらその役目につくのは確実にその二人になる。触らぬ神に祟りなし。保健室にいって桜に癒されよう。

 

 しかしそれはともかくとして、この状況はいったいどうすればいいのだろうか。あの気丈な凛が泣いているというだけでただ事ではないことは理解できる。ただその原因が自分というのはどういうことなのだろうか、状況がうまく飲み込めない。

 じっくりと記憶を思い返してみるが、凛を泣かせるような真似をした覚えはない。特に凜と話しをしている時間とは、自分にとっては掛け替えのない時間であり印象は強く残っている。そんな記憶を高々一週間程度で忘れるほど腑抜けた覚えはない。

 

 ――ねえ式。自分はいったい何をしたんだろう。

「私に言われても……」

 

 自分だけならともかく、常に自分と行動を共にしている式ですら分からないとなると、皆目見当がつかない。もしや自分たちが与り知らぬところで何かやってしまったのだろうか。だとするとどうしようもない。少なくとも今すぐ原因を把握することはできない。

 

 かといってこの場を立ち去るわけにはいかない。理由はどうあれ自分が元凶だというのならここで引くわけにはいかない。泣かせてしまったというのなら責任を取らなければならない。そしてさらに言うなら泣いている少女を目にしておきながら立ち去るなんて情けない真似は決してしたくない。

 

 しかし泣いていることから凛が自分に対して抱いている感情は何にしろ相当なものだとが察せられるし、そうなると普通に話しかけていいものなのだろうか。そう頭を悩ませていると、胡坐をかきながら凛を慰めているランサーが左の人差し指を前後に動かし、こちらを誘うような仕草を向けてくる。

 

 ……当たり前だが、ばれていたらしい。

 やはり英霊と言う存在は格が違うのだと思い知らされる。

 しかし、その判断には承諾しかねる。

 

「あの空気で来いって、中々に無茶振りするわね。あのタイツ」

 ――ああ、しかも中心人物をだぞ。あの青タイツの恰好も含めて正気かといいたい。

「お前らなんか以前と反応違わねえか!?」

 

 小声で会話していたのだが、やはりこれも英霊には聞こえていたらしい。といっても隠す気は無かったが。

 

 ――いや、以前は初めて見たということもあって英霊の威厳というのを感じてたけど……この一週間で色んな英霊を見て慣れてくるとどうしてもそのタイツの違和感が拭えないんだ。

「……そんなに変かよ、これ。あとタイツじゃねえから」

「……それよりも隣りはいいの?」

 

 式の呟きはもっともだ。泣いている凛たちと自分たちの距離感は結構広い。にも関わらず常人たる自分たちでも聞き取れるほどの声量で話しかければ――、

 

「ふえ?」

 

 当然、隣りにいる凛もこちらの存在に気付くに決まっている。凛は可愛らしい声を上げ、座ったままの体勢で緩やかにこちらに振り向く。

 こちらを見つめる凛の顔と瞳はやや赤みを帯びており、平素とは逆に自分よりも幼い顔つきをしているように見えた。そのままじっと見つめているとようやくこちらを認識したのか、瞬きを何度か繰り返す。

 

「え、え……えっ!?」

 

 驚愕、怒り、羞恥。と一言ごとに感情を変化させながら凛はより一層、顔を紅潮させていく。同時に狼狽えている姿はまるで子供がはしゃいでいるように思えた。しかし自分はその仕草を可愛いと思う前に、何故か身の危険を感じていた。この本能が叫ぶ信号は以前も感じたことがある。具体的にいうと一昨日入ったアリーナに入った時に。

 次の瞬間、理解した。彼女の中で渦巻いている感情の坩堝が、怒気によって征されていくのを。信号が発された元凶はこれであると。危険から身を守るためにすぐさま身を翻し、この場から一時離脱しようと軋む肉体を叱咤して力を込める。

 

「何であんたがいるのよーっ!」

 

 が、どうやら自分の速さは一歩遅かったらしい。凛の攻撃は自分の後頭部にヒット。その一撃は的確に自分の意識を刈り取り、地面が近づくのを他人事のように眺めながら自分は闇へ落ちて行った。

 

 

 ※※※

 

 

 ――……結局そっちは何があったの?

「え、えっと……それは……」

 

 ほかの三人同様に、全身を苛む痛みに堪えながら腰を据え、口を開く。問われた凛は先ほど泣いていたことは勿論、やらかしてしまったこともあり顔を合わせにくいのか間誤付くばかりだ。

 こちらにも非があるのだから、できれば根気強くいきたいところだがこちらも時間に余裕があるわけでもない。さすがにこのままでは埒が明かないので、問いかける相手を凛からランサーに変える。

 

 ――ランサー。

「端的に説明すればお前らに会えなくて寂しかったんだボォ!?」

 

 ランサーが問いに答えた瞬間、横から飛んできた拳が彼の頬にめり込んだ。完璧に振り抜いた時、ランサーの顎が90度ほど回転したことからかなりの威力が籠っていたことが窺い知れる。その光景に先ほど受けた攻撃が物理攻撃でなかったことと、怒っている原因の把握に成功したことで思わず安堵の溜息をつく。

 

 確か最後に会ったのは決闘前、自分は凛が負けるはずがないと思っていたから考えてもいなかったが、凛からすれば他人の勝敗結果が見えないため自分がどうなったのか不安だっただろう。自分と凛は敵同士であるが、親交のある相手だ。その生死が気にならないはずがない。

 自分のことを考えるあまり、知らず知らずにとんでもない不義理をしていたことを深く反省する。そしてもし自分が何食わぬ顔で、普通に話しかけていたらきっと自分もランサーと同じようになっていただろう。ランサーの尊い犠牲に深く感謝する。

 

「何アンタ勝手なこと言ってんの!? 殴ッ血KILLわよ!」

 ――既にやってる。

 

 そう言いかけたのを何とか自制する。感謝の念はあるが、さすがに命を賭すほどのものではないのだ。それにランサーも腐っても英霊。腫れや痣といった目に見える負傷が出来てない時点でさほどダメージは受けていないだろう。

 

「す……既にやってるじゃねえカッ!?」

「五月蠅い、ダ マ レ」

 

 先ほどの拳で床に倒れながらもなお言葉を紡ごうとするランサーの顔を容赦なく、荒々しく踏みつけて強引に黙らせる。顔を赤らめ怒気に身を震わせながらも黒い笑顔を見せるその姿は、どちらが主でどちらが従者かを万人に否応なく理解させるものだった。

 

 しかしこれはいったいどういうわけなのだろうか。ムーンセルが選ぶサーヴァントはマスターとの相性を考えて選出されているはずなのに、どれも一方的な関係になっている。

 凛とランサーはご覧の通りだし、レオとガウェインはガウェインが忠誠を誓う形であり、慎二とライダーはライダーが慎二を振り回しているイメージが強く、ダンと緑衣のサーヴァントに至っては両者ともに一方的なため非常に仲が悪い。まあそれでもサーヴァントの方は一応ダンのことを尊重しているらしいが。残る藤乃とランサーの関係もどこかレオとガウェインの関係に似ている。

 

 これが英霊との標準的(スタンダード)な関係なのか、あるいは自分の周りが特異なだけなのか非常に気になるところだ。

 

「それで、何の用なの? 言っておくけど私だって暇じゃないんだから」

 

 ようやくランサーへの折檻を終えいつも通りの振る舞いを取り戻した凛が、今度は運動直後による赤みを残したままにこちらを睨みつけてくる。明らかに暇そうだったが、それは言わないのが花だろう。

 しかしそうだ。改めて問われてみれば自分は大したことをしにきたわけではないのだから、話を切り出すことにさほど気負う必要はなかっただろうに。原因ということに囚われてそんな事にすら気付けなかった自分は、やはりまだまだ未熟なのだろう。全身の疲労も忘れてリラックス、身軽な気持ちで、

 

 ――とりあえず、一緒にお昼どう?

 

 買ってきた焼きそばパンを差し出して、気軽にそう声をかけた。

 

 

 ※※※

 

 

「そう……そっちは大変ね」

 ――まあ、ね。ほとんどが私事なんだけどね……。

 

 食事を素早く終えて、屋上のフェンスにもたれつつ近況を話し合う。

 式とランサーは少し離れた場所で素手で組み手をしている。当然どちらも本気ではない、軽いものだ。何故そんなことをし始めたのか、仕掛けた式の理由もそれを受けたランサーの理由も分からない。とはいえ凛とランサーなら問題はないだろう。

 

 凛の近況は逃げてばかりの対戦相手、大したことのないサーヴァント、簡単に判明した相手の真名と、順調そうで何よりだ。羨ましくて涙すら出そうになる。

 

 自分の近況は熟練の対戦相手、狡猾なサーヴァント、情報のための遺物探し、進展のない自分の記憶探し、そして自分と式の不仲。どれもこれも一筋縄ではいかないものばかりで、それを聞いた凛は哀れみに似た視線をくれた。

 

「ただでさえダン・ブラックモアが相手なのにこれじゃあ、先が思いやられるわね」

 ――ああ、まったくだよ。にしてもやっぱり凛も知ってたんだね。

「そりゃあダン・ブラックモアって言ったら有名人よ。軍属でありながら『サー』の称号を賜った現代の騎士で女王様の懐刀。ウィザードとしての実力も申し分ないし、優勝候補の一角よ」

 ――……ちなみに、凛の相手は有名だったりするの?

「さぁ? アバターは未改造(デフォルト)だし霊子構造も甘い。何よりこっちの姿を見るなり逃げるような相手ならどうせ大したことはないわ」

 ――……一回戦の相手は?

「一回戦も同様。おまけにゲーム気分だったからお世辞にも強い、なんて言えなかったわ」

 あれなら初日で終わらせてもよかったかも、と付け加えるように口にする。

 

 現在最弱のマスターの対戦相手が一回戦、二回戦ともに優勝候補の猛者。

 優勝候補のマスターの対戦相手が一回戦、二回戦ともに平均的な魔術師。

 

 ……バランス明らかに可笑しくないか、ムーンセルよ。

 トーナメントである以上、先へ進めばより強い相手が出てくるのは当然だろう。しかし、だ。自分だけその度合いが大きすぎる。周りが一段ずつ徐々に強くなっていくのに対して自分だけ二段、いや三段ほど飛んだ実力の相手が出てきている。

 

 目を伏せて深く嘆息する。まさかこの後の五戦すべてこんな調子ではないよな、と。

 優勝候補が何人いるのか分からないが、少なくともレオと凛、ラニに藤乃、そして葛木先生は確かだろう。……あれ、残り五人埋まった?

 

 まだ決まったとは限らないのに、途端に全身に嫌な汗が噴き出してきた。

 

 いやいや、まさか全員優勝候補はないよね?

 だって確率的には、えーと……小数第二位で切り下げて計算すると0.000051%?

 うん、これはさすがにないだろう。でも二人の時点でも確率は0.0052%と結構稀有な数字を叩き出しており、しかもこの二つは統計学的には0とは言えない数字である。

 

 ああ、頭を抱えたくなる……。

 

「……何悩んでるのよ? どうせあなた一人で考え込んだって解決しないわよ」

 ――え? あ、いや、まあそうだけど……。

 

 唐突に言われたので咄嗟に肯定してしまったが、凛は何を考えてたのか分かっているのだろうか……?

 

「こういうのは異性には分からないものよ。それに白野君、自分のことに関しては滅法鈍いからそのままじゃ一生かかっても解決しないわよ。だからほら、式のこと教えてみなさい」

 

 やはり分かってなかったようだ。見惚れそうになるほど得意げな顔も台無しである。

 しかし嬉しい申し出であるのは確かだ。どうにもこの手のことは苦手なのか、式のことに関しては全く好転していなかったのも事実だし、相談に乗ってもらえるのなら乗ってもらいたいところでもある。自分で解決したい、という思いは今もあるが意地を張っていてもしょうがない。

 そしてなにより、したり顔の凛に違いますというのも断るのも危険だからだ。

 

「今なんか馬鹿にされた気がするけど」

 ――気のせいです。

 

 一瞬だけ凛の笑顔に凄みが増した。本当に、こういうところには察しがいいのになぜ分からないのか。ただ、こういうどこか抜けているところも凛の魅力の一つなのだろう。

 

 

 そうして若干押し切られる形で式のことを包み隠さず話すと、何故か自分は呆れた目で見られていた。

 

「それ、あなたが胸中をしっかり語ってないからだと思うわよ。式が気にしてるのはそこだからさっさと解決しちゃいなさい」

 

 胸中、と言われても早々に整理はつかず、肝心なことがどれなのか判別ができない。

 真意を汲み取ることができずにいる自分を尻目に、凛は心配して損したと言わんばかりに嘆息する。これで話は終わり、ということなのだろう。

 

 未だに戸惑いを隠せないが、何から何まで聞いてしまっては助言してもらった意味もないし、指針は貰えたのだ。あとは自分で解決すべきだ。

 

 ちょうど式とランサーの手合せの決着も付いた所なのでそろそろお暇するとしよう。凛に感謝の言葉を告げて立ち上がり、式の元へ移動する。火照った体を冷やすため、自分が買って未だ飲まずにいたミネラルウォーターを差し伸べると一瞬躊躇ったのち手を伸ばし、そして気恥ずかしいのか視線を斜め下に向けてペットボトルのキャップを捻る。

 自分もそれに合わせて視線を逸らすように上に向ける。

 

 今日の天気は曇りひとつない快晴。気持ちのいい空を見上げ、自分の悩みも晴れることを期待しながら式と共に屋上から去っていく。

 




ライダー:酒飲み
アーチャー:反抗期
ランサー先生:好々翁

 ……現時点で威厳があるのランサー先生以外にいないな。

 そして毎週投稿とか一日二回更新とかできていたころが懐かしい。それもこれもフィーリングで面倒くさいこと加えてしまったからだなあ……。もう二度とこんな面倒なこと起こさない。
と、思うがフラグの回収率に定評のある私なのできっと回収してしまうのだろう。


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番外――セミラミスCCC

夏休み最後の一日にしてようやく完成! だけどまたネタ系なんだ。
遅筆ですいません……

この作成は「紅蓮獄華」と「Lunatic delusion」と「HOLY WORLD」と「jihad」をBGMに作成しました。うん、あってませんねw
まあ無垢心理領域はBAD ENDでしたが。

あ、あと今回風景描写っていうか全体的にやや雑気味です。
今話は量で質を補っている感じになります。


 終わりのない落下に身を委ねる。元より自分にこの闇の中でできることなど一つもないのだから。

 

 何も目に見えない。

 何も耳に響かない。

 何も熱が届かない。

 何も鼻に臭わない。

 何も舌で感じない。

 荷物が溶けていく。

 記憶が薄れていく。

 骨肉が朽ちていく。

 

 それは緩やかな死であった。もはや自分は歯車が止まるのを待つだけの絡繰人形――いや、何もできないのならそれ以下だろう。

 

 一瞬か、あるいは永遠か。指標のない空間ではそんな二極でですら判断できない。果てのない落下はまるで無重力空間を思わせる。案外その通りでただふわふわと浮いているだけで、どこにも向かっていないのかもしれない。

 

 活動を停止して久しい自分の腕はもはや残っているかも判別できず、大地を踏むことを忘れた足の感覚も忘れ、どのような形をしていたかすら思い出せない。

 そして心も鈍化していき、瞼を下すように閉じていく。

 身体が言っている。もう眠りたい、と。

 心が言っている。もう眠ろう、と。

 内から囁かれる甘美な響きは、徐々に自分の理性を蕩かしていく。

 

 

 にも関わらず、何故自分はそれを拒んでいるのだろうか。

 飽きただろう。疲れただろう。苦しいだろう。寂しいだろう。眠いだろう。

 他ならぬ心身(じぶん)がそれを認めているにも関わらず、(じぶん)だけがそれを拒む。

 

 

 可笑しなことだ。希望など見つからないのに何に期待しているのだろうか。もはや救いはない。最後の一線もとうに通り過ぎたというのに。これ以上、自分に何があるのか。

 

 

 ない。何もない、はずだ。だが、もしまだ何かあるのなら――

 

 

「ほう。まさかこんなところに人が居たとはな。しかもマスターの資格を有していると来た。もはや朽ちるのを待つだけと思っていたが、運がいい」

 

 ――不意に声が聞こえた。

 小さな小さな、それこそ蚊が泣くようなものであったが確かに聞こえた。

 僅かな希望を見つけ、再び全身に熱が灯る。

 

「このままでは我もそなたも消えるのみ。今の我にこの状況を打開するには癪ではあるが、そなたが必要だ。故に契約を結ぶ必要がある。ただし、タダでとはいかん」

 

 説明も何もなく、本題のみを切り出してくる声の主。未だに声は小さくかろうじて聞き取れる程度の声量で自分に取引を持ちかけてくる。

 

「我と契約を結ぶ代わりに、そなたには全ての令呪を差し出してもらう。それを代価に我はそなたをこの永久(とわ)の虚無から救い、黒幕を倒すまでの間はそなたのサーヴァントとなってやろう」

 

 今度ははっきりと聞こえた。大人の色香を漂わせた、艶やかな声だった。しかしその声もどこか切羽詰っているように聞こえる。どうやらあちらもこちらも余裕はない様だ。

 

「どうした。呑むのか? それとも嫌か?」

 

 返答を急かすような言葉。令呪やサーヴァントという言葉がどこか引っかかっているが、その正体を探っている暇はない。

 

 ――わかった。結ぼう、その契約!

 

 故に即断即決。どのみち結ばなければ自分は消えるのみ。ならば一縷の望みにかけて了承し、何も見えない前方へ向かって無我夢中に手を伸ばす。

 

「――ではこれより、そなたは我のマスターだ」

 

 そして手が掴まれ、瞬間世界から闇が消え去る。代わりに星と(そら)の蒼い光が周囲を照らす。そんな世界に現れた一人の女性――自分の手を掴んだ声の主は全身を黒色で包んだ退廃的な雰囲気を纏う、絶世と付けても過言ではない美女だった。

 

「ほう――中々に肝が据わった男だと思っていたが、まだ青いではないか。しかし顔立ちはよい。一集団の中で三番目、といったところだな」

 

 良い物を見つけたといわんばかりの笑みでこちらを見つめ、片腕の膂力のみで自分を持ち上げる。華奢な見た目に反したその力強さに驚きながらも彼女よりやや下の位置に足をつく。自分の感覚では、長らく使っていなかったこともあってよろけてしまうが一先ず立つことに成功した。

 そんな自分の何が良かったのか、眼前の彼女は笑みをより一層深くした。

 

「ではこんなところにいるのも退屈であるし、さっそく戻るとするとしよう。とはいえど、この時点で最早我がやることなどもないのだがな」

 ――……? それはどういう……?

「そなたは最早マスターであり、資格を持つ者だ。であるならもはやこのような虚数の檻に囚われ続けている必要もあるまい。一度目を瞑り、再び開けば正しき道へ戻れるだろう」

 

 本当にその程度でいいのだろうかと気になったが、この場で嘘をつく意味はない。

 言葉に従い目を瞑ると、驚いたことにそれだけで身体に纏わりついてた虚無感が消えていき、その代わりに暖かな温もりが身体を包んでいった。

 

 

 ※※※

 

 

 二〇〇〇サクラメントを使用して弱体化させたエネミーが、アサシンの魔術一発で消滅する。確かに簡単に倒せるようになったものの、こうも呆気ないとお金を無駄にしてしまった気になるのは何故なのだろうか。

 

『しかし課金でアイテムを手に入れるってのはあっても敵が弱くなるってのは珍しっすねえ。斬新な発想っす』

『ゲーマーからすれば敵の弱体化なんてつまらないだけじゃないか。ただレベルを上げて物理で殴るだけで勝てるんだからテクニックの競いようがないし』

「確かにそうだな。さすがにこれでは叩きのめす楽しみもない。しかし、ハーウェイ・トイチシステムに遠坂パワーイズマネーシステム……中々に画期的なシステムだ。今度試してみるとしようか」

 ――その矛先がこちらに無かなければどうぞ好きにしてくれ。できることならそれで自活してくれるとありがたいのだが。

「何をいう。民草が王に税を納めるのは当然のことであろう」

 ――おかしいな。マスターとサーヴァントの関係って強いて言うとマスターのほうが立場は上じゃなかったかな?

「それは令呪があって初めて言えるセリフだ。そしてそなたの令呪は我の手に。こちらのほうが力がある分、我のほうが立場は上だぞ」

 

 そうだ、令呪はサーヴァントに対するブースト効果であると同時にサーヴァントを律する鎖でもあったのだ。とはいえど、マスターが倒れれば同時にサーヴァントも倒れるので、通常であれば如何に関係が悪くとも反逆の心配だけはないはずだが……このアサシンは違う。彼女は自分を見限ればすぐにでも殺しに来る。短い付き合いであるが、それだけは判断できる。

 

 それなら自分は行動で示そう。自分がアサシンのマスターに相応しい男か否かを。

 そう思い、先へ進むべくして再び歩み始める。

 

「お待ちください」

 

 しかし止められる。その声の主はアサシンでも凛でも、そのサーヴァントであるランサーでもなく、ここにいるはずのないガウェインだった。一瞬、校舎で何か異常が起きたのかと思ったがそれなら通信で知らせてくるか、強制退出をさせているはずだろう。

 

 何より、本当に異常事態が起きたとすればガウェインをこちらに向かわせている余裕などあるはずがない。ということは、何か別件なのだろうか?

 

「察しの通りです。借金の徴収に来ました」

 

 ――は?

「……いま、なんと?」

 

「ですから、借金の徴収です。十万サクラメント、キッチリ耳を揃えて返してもらいます」

 

 あくまで爽やかな顔で告げるガウェイン。あまりにも唐突な事態に、自分はもちろんアサシンまでも呆けてしまった。

 

 ――い、いやいくらなんでも早すぎるだろ! まだ碌に時間経っていないぞ!

「それに期限など定めていなかったくせに、そなた一体何の真似だ!」

『その疑問には僕自身が答えます』

 

 レオの声が響く。その声はしぶしぶといった感じであり、レオ自身もここで徴収する気はなかったのだろう。しかし大金を持つレオが急ぐ理由とは一体何なのだろうか。

 

『この校舎、時間が流れないじゃないですか。それじゃあハーウェイ・トイチシステムの意味がないじゃないですか! 面白くないなら待つだけ無駄ですし、目的も果たした以上即刻取り立てるべきだと思いましたのでガウェインをそちらに送りました』

 ――面白くならないとかいいやがったなこの野郎。仲間とはいったい何だったのだろうか。

 

「というわけで返済をお願いします」

 

 このような限りなくブラックに近いグレーゾーンな行いをしているにも関わらず、ガウェインの顔に陰りはない。どうやら良心に訴えかけるという作戦も通じそうにないだろう。

 

 だが理由が理由なので素直に返す気など全くと言っていいほどない。というか――。

 

 ――レオ、お金はしっかり返すといったな。

『ええ、確かにそういっていましたね』

 ――あれは嘘だ。

『ガウェイン』『はっ』

 ――ステイステイ。ちょっと待て。今のはネタに走った自分が悪かった。せめて事情だけでも聴いてくれ。だから一先ずその聖剣は鞘に収めてほしい。踏み倒す気はないからそこは安心してくれ。今のところは……。

『いま最後に不穏なセリフがありましたが……では説明してください』

 

 必死の説得が通じたのか、剣の柄に手を添えたガウェインの動きが止まる。

 

「悪あがきは見苦しいだけだぞ。マスター」

 ――うるさいこの堕落サーヴァント。それでサクラメントだけど今使った二〇〇〇サクラメント以外のお金は値切った桜の制服とアサシンの借金で溶けました。ちなみに比率は4:6です。

『この制服そんなにしたんですか!?』

「女子に服を買うくらいなら我に貢ぐべきだろうに」

 ――人のサクラメントで嗜好品とか装飾品買い漁ってるくせにまだ欲しいというのか……。時代はもはや民主制なのだ、自活しろ自活。

『借金はともかくとして……制服に関する件は桜の処理性能も上がったのだから無駄な買い物ではないな。桜の性能の上昇は我々は勿論、岸波の生存確率も比例して上昇する。レオにとってははした金、別段問題はないだろう』

『そうですね。あの程度、僕の資産の1%にも満たないですし……』

 

 十万が1%にも満たないって……レオの資産の桁はいったいどれほどなのだろうか。というかそんなに大量のサクラメント、いったいどこで手に入れたのだろうか。まさかブラックな……。

 

『深入りすることは勧めませんよ』

 ――イ、イエッサー……。まあ、羨ましくはあるがそんな大金があってもアサシンが消費していくだけだし、自分は身の丈に合った金額があればいい。

「失礼なマスターだな、まったく……。それよりも、ガウェインをそろそろ戻したほうがいいのでは? 旧校舎が安全だとしても絶対というわけではないのだから、最低でも一人はつけておくべきだろう」

『それもそうですね。ではガウェイン……』

 ――それじゃあ、自分たちもそろそろ迷宮の攻略の再開を……。

『手短に借金取りの恐ろしさを味あわせてあげてください』「御意に」

『ちょ、おま――』

 

 驚愕を浮かべる自分たちを、太陽の光が包み込んだ。

 

 

 ※※※

 

 

「ほれ、どうした。早く脱がんか。土壇場で臆する男など女も萎えるぞ」

『そうですよ白野さん。迷宮を攻略するためにはこれしかないんです。安心してください。録画の準備はばっちりです』

『別に脱ぐっていっても裸になるわけじゃないだからいいじゃない。それに所詮はアバターなんだし、恥ずかしがることないでしょ』

『安心して開帳してください。撮影機材には生徒会のリソースの30%を回しておりますのでばっちり高画質で取れます』

『私はあなたにもこの開放感を感じてほしいのです』

『ちょ、ちょっとみなさん。もう少し冷静になってくださいよ! それと録画は切らせていただきますからね!』

 

 何てことだ。仲間が桜を除いてとして存在しない。これぞまさしく四面楚歌。ていうかレオは何録画しようとしているんだ。そしてガウェイン、誰も動画映りなんか気にしてない。そんなことに30%もリソースを回すんじゃない。ユリウスひとりいないだけでこの様とは……今更だがこの面子で回して大丈夫なのか、生徒会。

 

『大丈夫ですよ。やるべきことはしっかりやっていますし。それにこちらは日々校舎の安全管理にサクラ迷宮の解析ばかりで娯楽がないので、偶にはこう、はっちゃけてもいいじゃないですか』

「いつも似たような振る舞いだと思うがな……」

 ――表にいたときは何というか、凄味があったんだけどねえ。レオくらいの年の子って大体こんな振る舞いなのか?

『もしそうだとすればシンジさんも七年後にはこうなるんすねー。そう考えると……ブハッ! めっちゃ笑えるっスね!』

『僕がこんな風になるわけないだろ! これは単に西欧財閥の教育が可笑しいだけだ!』

『いえ、僕は知識のほとんどを記憶野に焼き付けられたので教育機関にはいってませんよ。ただまあ、十歳にも満たない子供に性知識まで焼き付けるのはどうかと思いましたけどね。たぶんシンジさんも僕と同じくらいの年になった後にR18な物を見せてあげれば同じになると思いますよ』

『なるほど、男子校的なノリか。まあ小生は仏門ゆえにそういうのご法度であったが』

『だから今になって煩悩丸出しだったのね……』

 

 どうやらみんな自分たちのことそっちのけで談笑に興じている様子。よし、今のうちに校舎へ戻ると――。

 

「駄目だ。我が許さんぞ」

『退出は認めません』

『先ほど言ったじゃありませんか。やるべきことはしっかりやってる、と』

 

 ――ちくしょう。

 

 

 ※※※

 

 

 ――カレーライスか……。そういえば、最近はめっきり食事を取っていないな。

「そうだったのか? 何とも惨めな生活をしているな」

 ――誰のせいでその惨めな生活をしていると思っているんだ。言っておくが、アサシンのツケは全部自分が払っているんだからな。

「ふむ……それは悪かったな。ならば今度貧相なそなたのために何か作ってやるとしよう。感謝するがよい」

 ――どうせまた毒入りだろうからいい。今度桜に何か作ってもらうよ。というか……できるの、料理。

「そなた……まさか我が料理ひとつ満足にできない女だと思っていたのか?」

 ――いつも毒入ってるから、料理に自分なりの独特……いや毒特(どくとく)なアレンジをしちゃう料理ベタなキャラとは思ってるよ。

「失敬な……。ならば今度我の腕を見せてやろう。たかだか料理のひとつ、我の手にかかれば容易いことよ」

 ――ドーピングコンソメスープとか、そういうオチは勘弁だよ?

『お二人とも、仲がいいのはわかりましたから早く攻略を進めてください。先ほどから二人だけで話しているせいでパッションリップがすごい不安がっていますよ』

 

 

 ※※※

 

 

 暗い闇の中から転移した先は深い青の空間だった。最初に思い浮かんだのは海の底。しかし先ほどまでの息苦しさや身体に纏わりつくような不快感、そして危険も感じることもない。生徒会の援護もない状態でもしっかりと活動できることから、ここは似ているがアリーナではないのだろう。

 

 随分と長く四つん這いを強いられていた気がするが、膝や肘といった間接に大した痛みはなくしっかりと立つことができる。

 

 とにかく、今は先に進んでみよう。道は正面のみで、空間の割にフィールドは広いわけではなさそうだ。

 

 それにユリウスが旧校舎ではなくあえてここに転移してくれたということは、ここには自分にとって不可欠なものがあり、またその為には自分という存在が必要だということに違いない。単純に魔術師(ウィザード)としての腕を問われるようなことならば、凛やラニが選ばれるだろう。そしてその辺りの判断をユリウスが間違うとは思えない。

 

 そう思案に耽りしばらく歩いていると、人影が見えてきた。凛かラニだろうか、と思い近づき――その後ろ姿に走り出す。

 

 見間違うはずがない。首回りを囲う羽のような飾りに床に着くほど長い流れるような黒髪、そして特徴的な耳。あれは自分がここまでの道程を共にしてきたサーヴァントだ。BBによって虚数空間に落とされたと思っていたが……。

 

 ――アサシン、無事だったのか!

 

 逸る気持ちを抑えられず叫ぶ。その言葉にアサシンは気だるげにこちらを振り向き、

 

「止まれ下郎。何処の誰かは知らぬが気軽に我に近寄るな。そも、誰の許しを得て我に声をかけているつもりだ、無礼者め。我は今、そなたごときにかかずらっている暇はないのだ。疾く失せよ」

 

 今までにないほど冷淡なセリフと視線をこちらへと向けた。

 

 ……どうも様子がおかしい。もう一度、落ち着いて話しかけてみる。

 

「岸波白野? 知らぬ、聞き覚えのない名前だ」

 

「は? マスター? そなたが? 我の?」

 

「クッククク……ハハハハハ! 妄言もここまでくれば笑えるものだな! 本来ならば八つ裂きであるが、その度を過ぎた愚かさと愉快さに免じて許そう。ただし、二度はないぞ」

 

 ――アサシンの言葉で、思考が完全に停止する。今まで感じてきた様々な衝撃とは別方向からの衝撃(ショック)だった。

 

 アサシンはこちらの事を覚えていない。

 あの星空で出会い、契約を結んだこと。

 第2層でガラティーンを食らったこと。

 第5層で人に脱げ脱げと急かしたこと。

 毒入りクッキーで人の腹を壊したこと。

 人に借金を押し付けて豪遊してたこと。

 

 ……何故だろう。思い返すと怒りがふつふつと湧いてきた。

 ああ、なるほど。先ほど自分が抱いていた衝撃とは、詐欺師に騙されたような怒りの念だったようだ。何しろ令呪三つ渡してこの始末だからな。

 しかしその怒りは自分を激情に駆らせることはなく、むしろ逆に思考が澄み渡っていく。

 まあこんなことで怒っていては彼女とは付き合えないし、今更というものだろう。

 

 とにかく、今はアサシンの記憶を取り戻すことに集中しよう。まずは小手調べとして……そうだな。

 

 ――思い出してくれ、アサシン!

 

「――二度はない、といったはずだがな」

 

 アサシンの顔が冷めたものに変わる。

 うん、見事なまでに予想通りな反応をありがとう。まあこの程度で思い出すような親切さ、あるいは素直さを持ち合わせているのなら自分は今まで苦労していない。

 そして口では凄んでいるが、少なくても現時点で手を出すことはないだろう。もしその気ならば口と同時に手も出してくる。それが自分が知るアサシンだ。

 

「……その平静な態度、気にくわぬな。我を前にして余裕のつもりか? それとも……」

 

 考え込むように若干視線を下げて顎を引く。小声なのでうまく聞き取れないが、自分の処理方法に関することではないことだけは判断できた。

 

「……実をいうと我も以前の記憶が曖昧でな。そなたの言うことには覚えこそないものの、真実か偽りかまでは分からんのだ。原因の方は特定できているのだがな」

 

 再び向き直ったかと思えば、すぐに後ろへ視線を向ける。釣られて視線を追ってみれば、これまで何度も見てきた迷宮の核となる(スタチュー)があった。それも他ならぬ、アサシンの姿で。

 

「何故あのような物があるのか、見当もつかぬがあれほど(つや)やかで蠱惑的である以上、我であるに違いはない」

 

 いや、確かにそうだけど……そういうセリフ、よく自分で言えるね。

 

「しかしあまりにも不可解ゆえ、あれが何なのか探りたいところなのだがどういうわけか、これ以上は足が進まぬ。見たところそなたは自由のようだし、我の露払いとして従うがよい。その出来次第では温情をやらんこともないぞ」

 

 ……つまりはいつも通り、自分が前に立って進めということだろう。願っても無いことだ。早速彼女の前に立ち、進み始めると彼女もまたいつものように自身の背を追うように歩き始めた。

 

 ――しかし記憶がないということは、このアサシンは自分と出会う前――誰かに召喚される前の初期状態ともいうべき状態なのだろうか。それにしては初めて会った時よりも態度が若干、ほんの若干だが温厚だった気がするが……やはりよくわからない。

 

 一先ず思考を断ち切る。少なくともあの像までは一本道で、これといった障害も見当たらないなら楽にたどり着くことができるだろう。疑問は記憶が戻った後のアサシンに聞くとしよう。

 

 ――――そう思った矢先。身体に衝撃が走る。静電気のようであったが、衝撃はそれの比ではなかった。まるで金属バットを硬い物に思い切り叩き付けたような痺れが全身を襲う。

 

「ふむ、防衛機構といったところだろう。ケガはな――いや、我が気遣う理由などないか」

 

 その他に異常がないかを確かめるが、何もない。そして足元を見てみるが、トラップらしきものもない。一瞬、幻覚か何かかと考えるが、今も残る痺れがそれを明確に否定する。

 

『今のは波長の違う霊子を排斥する生体電流。人間でいう白血球、外部からの毒を攻撃する免疫機能です』

 

 戸惑いを感じていると、不意に頭上から声が届いた。

 その聞き覚えのあり過ぎる声に振り向いて見れば、そこには白い下着――、

 

『――――』

 

 ――ではなく、BBが宙に立っていた。生ゴミを見るかのようでこちらを見下ろすBBの姿は半透明であり、その姿がどこかからの投影であることを示していた。どうやらユリウスが送ってくれたこの空間は、BBとて容易く入ることの出来ない場所らしい。

 

「ふむ……何とも不快な輩よな。礼儀も作法もなっていない不作法極まりないその様でよく我の前に姿を現せたものだ。投影でなければ塵一つ残さず殺していたぞ」

『私ではここには入れませんからね。ここはサーヴァントの霊子核……アサシンさんの心の中ですから。演算記憶を拡張した私でもこのフォーマットは読み込めない。精々こうして目と声を届かせることが限界です』

 

 心の中に、霊子核……なるほど。つまりここはアサシンの中枢部分であり、自分たちが凛やラニと心の中で対峙する、あの開けた空間と似たような場所にいるのだろう。ということは、あの像の中にもこれまでと同様にアサシンがいるのだろう。そして彼女こそが自分と共に過ごしてきた記憶を持ったアサシンということだろう。

 

『……ええ。その考えは大体あっていますよ。アサシンさんは虚数空間に落ちた際、防衛機構によって冬眠急速に入りました。一分後に来る霊子崩壊を防ぐ為、自らの時を止めたのです。その結果があれであり、そこにいるサーヴァントはあの本体を守るために機能している本能――初期状態のサーヴァントです』

「なるほど。道理で近寄るのも憚られたわけだ。あれが我の本体――理性だというのならあれが目覚めた瞬間に我は存在理由を失うのだろう。どちらか一方しか居られぬのが道理である以上、起こすということは我の消滅を意味する」

『そう、その通り。いくらあなたでも消えたいとは思いませんよね』

「当然よな。例えあれが我の片割れだとしても消えてやる道理はないし、正体が判明した以上、興味も尽きた」

 

 ……そうか。今の状況は自分が見ていた予選の夢と同じなのだ。

 自分が予選の夢を見続けながら眠っていたように、像の中のアサシンもまた眠っているのだろう。ならば外部から干渉して意識を引き上げれば、きっと目覚めるはずだ。

 

 そう思い、力強く踏み出した一歩に先ほどと同様のショックが走る。心なしか、それは先ほどよりも強く感じた。

 

『……話聞いてました? 今のあなたの存在はアサシンにとってただの異物、免疫機能が働くのは当然のことですよ。仮にそうでなくともこの先は霊子核がある領域。部外者がおいそれと立ち入れる領域ではありません。ここまで噛み砕いて説明すればわかりますか、センパイ? 今のあなたはただの無力な存在。今なら大特価で旧校舎への帰還ゲートも生成してあげますから、ウイルスとして解体される前にさっさと帰っちゃってください』

 

『私が声をかけたのはせっかくの反乱分子(しげん)を無駄にしないためです。生徒会のメンバーが生きてることが分かった以上、あなたは見せしめとして使うのが一番いいと考えたからです。いくらあなたみたいな碌に使い様がない資源でも無駄遣いはよくありませんから』

 

 そう最後に吐き捨てて、BBは消えた。

 これ以上の干渉は難しいのか、あるいは見る必要もないと判断したのか。どちらにしろ、BBはもういない。あとに残されたのは自分と、億劫そうにするアサシンだけ。

 

「……なんともまあ、途中で判明してしまうとは拍子抜けよな。しかしどの道これ以上先には進めぬのだし、正体がわかっただけましというものだろう。退屈だし、そなたが帰るのを見届けてやっても――」

 

 アサシンのセリフを無視して早速歩み始めると、再び電流が全身を駆け抜ける。しかしそれは先ほどまでの警告のものとは違い、攻撃性を含んだものに変化して、自分の内部組織の一部を破壊していった。

 

「……そなた、本物の莫迦なのか? そこから先はそなたが立ち入れる領域ではないぞ」

 

 後ろから呆れを多分に含んだ嘆息が聞こえる。

 その反応は、間違っていないのだろう。普通に考えればこんな真似は愚にも付かない行いだろう。いっそ自殺と言い換えてもいい。

 

 そんなことは分かっている。だが自分はそんなつもりは毛頭ない。最後までたどり着く気で先へ向かっていくのだ。

 

 全身をぶらぶらと準備運動のように動かしてみる。動作ごとに痛みが走るが、動けなくなったわけではない。それなら別に問題はない。

 

 訴えかける苦痛を無視して駆け出し前進。背後で息を飲むような音が聞こえたが、それを気に掛けるほどの余裕はない。というよりも、なんとなく怒ってそうで怖い。

 

 そこからさらに数十秒後、都合四度目の電流が走る。今度は身体の末端部分がやられたのか、手足が重く感じる。どうやら部位そのものが破損したらしく、足は脛から下までが使えなくなった。足取りはかなり遅くなるが、幸いにして膝をうまく使っていけば歩けないことはない。

 

「……阿呆らしくて酒の肴にもならぬ。まさか我の助けを期待しているのではないのだろうな。だがそれはない。あれが起きるということは我の消失を意味する。いったい世のどこに自らの消失を手伝う輩がおるというのだ」

 

 ……そういえば、そんなことも言っていたな。すっかり忘れていた。

 

 理性が起きれば本能は消える。

 今のアサシンにとって自分の行為は彼女に刃を向けているのと同じなのだ。今更ながらに自分の行為の危うさに気づくが、背後からは敵意らしきものは感じない。

 

 そのことに違和感を禁じ得ないが、今の自分に背中を気にしている余裕はない。

 それに、もし攻撃されたとしても自分はそれを責めるつもりはない。

 自分は本能のアサシンのことを考えず、勝手なエゴで行動しているのだ。背後から撃たれたらその時は素直に受け入れるつもりだ。

 

 というより、素の状態でも回避とかできないし。土台ただの人間に過ぎない自分が、英霊の一撃を避けるなど不可能だ。

 

 そこからさらに身体に鞭打って進むと、急に視界が暗くなった。

 こうなるとただでさえ黒いアサシンが背景色と紛れてしまい、視認が難しくなる。

 とはいえど、らしい被害といえばそれだけで、まだ前へ進むことはできる。傍までいけばアサシンの姿も見えるだろう。

 

「……理解不能だな。そうまでして我を消したいのか? それとも気を惹きたいのか? どちらにしろ見るに堪えぬわ。だからもう引き返せ、今ならまだ間に合うぞ!」

 

 残りはあと三割ほど。進行具合と消失具合から考えるとこれならギリギリ頭が残るくらいのバランスでたどり着けるはずだ。手前に坂もあるし、最悪首から下が消えても巧く転がれば行けるだろう。さすがにそんな状態になってしまっては無事ではいられないから、できれば勘弁願いたいが。

 

 そう思い、暗い視界の中一歩踏み出すと、急激に全身から力が抜け、膝から崩れ落ちる。

異常はそれだけに収まらず、これまで以上の痛みが全身を蹂躙しだし自身の身体の構造をどんどん破壊していき、堪らず声を漏らす。

 

 これまでの電流とは違う、別の何かによるものだ。

 

 なるほど、先ほどアサシンが言っていた『間に合う』という言葉の意味が理解できた。

 これはウイルス(どく)だ。おそらく一定以上進むと一気に症状を引き起こすタイプのものなのだろう。他人に毒を盛って殺しにくるアサシンなら自分の体内に対侵入者用の毒を仕込んでいても可笑しくない。

 

 むしろ、未だに冷静な自分の方が若干可笑しいともいえる。

 いや本当に。というか現状かなりやばい。

 

 最早歩くどころか、立つことすら難しいし。

 視界は正面以外の八割方が黒く染まっており色が全く分からない。

 呼吸運動を行えば肺が捻じれたような痛みが走る。

 聴覚はギリギリ生きているが、穴あき状態で断続的にしか聞こえない。

 

 気力で意識を保ってはいるが、いつ倒れるかわからない。それどころか一秒後の命の保証すらない。

 

 ――が、それでもなお、前へと進む。

 足はもう自分の身体を支えてはくれないが、腕のほうはまだ動く。なら、這うことで進むことはできる。先は見えないが終わりが分かっている分あの犬空間よりよほどましだ。

 

 そして何より、自分にはこれしかないのだ。凛のように魔術師として優れているわけでもなければラニのように処理が早いわけでもなく、レオのように全てにおいて秀でているわけでもない。

 

 自分に出来るのはただ前に進むだけ。それしかできないから愚直までに前へ進むのだ。そしてだからこそ、あの犬空間でみんなの幻聴を聞いた時でも、前へ進むことを諦めなかったのだろう。それだけが、自分にとって皆よりも秀でていることだから。

 

 

「何故だ」

 

 

 背後から、ぽつりと小さな声が聞こえた。

 

「何故そこまでする? そなたが我に何を求めているかは知らぬが、我はサーヴァントなどに向かん。マスターであろうと利用し、傀儡とすることすら厭わぬ女。もしそなたが言うように契約を結んでいたとしても、我はそなたを殺すことを躊躇せぬ。はっきり言って別のサーヴァントを探して契約したほうがいいぞ」

 

 うまく聞き取れなかったが、不思議なことに自分は彼女が言っているであろうことを理解できていた。

 

 ――確かにそのとおりだ。自信満々の癖にBBにほとんど魔力取られててエネミーにすら手こずるし無駄遣いは激しい。口を開けば文句と嫌味ばかりで女帝の癖にカリスマないから生徒会の面子と問題は起こすし、偶に労ってくれたかと思えば毒入りで腹を壊すことも多々あった。

 

 だから自分もまた、相手に理解できるであろうという自信を込めて掠れてばかりの声で告げる。

 

 ――それ以外にも気に食わないことがあれば大真面目に殺しに来る。人を嬉々として修羅場に放り込み、ピンチになっても笑ってるだけで自分から何かしようということは一切なく、むしろ他人事のように煽ってくる始末。はっきり言って手がかかりすぎる。本当に詐欺もいいところだよ。何度ガウェインやカルナ、果てはアンデルセンとチェンジしたいと思ったか知れないよ。

 

 走る激痛も躊躇せず、畳み掛ける様に言葉を紡ぐ。

 

「そうであろう。ならば尚更何故だ!」

 

 すると耐え切れないといわんばかりの、悲鳴のような叫び声が聞こえた。

 アサシンらしからぬその様子に思わず呆気に取られたものの、次の瞬間に笑みが零れそうになった。

 

 ……全く、何を言うのだろうかこのサーヴァントは。そんなの、決まってるじゃないか。

 

 ――自分(おれ)がお前のマスターで、お前が自分(おれ)のサーヴァントだからだよ。

「――っ!」

 

 そうこう話している内についに坂を下り、開けた場所までやってきた。視線をやや上方へ向ければ、おぼろげながらもながらもアサシンの姿が見えてきた。ここまでくれば本当にあと少し。

 

 全身を蝕む毒の激痛も、精神的余裕が出来たおかげで楽になった。亡者のように地面をひっかきながら身体を引き摺る。爪が剥がれたが、その程度のことは気にもしない。

 

 これなら、届く――!

 

『――そこまでです』

 

 そう確信した矢先、後方から無粋な邪魔が入る。思わず伸ばした腕を静止する。

 ああ、この声は先ほども聞いた――。

 

『まさかそんなズタボロになってまで行くとは驚きました。いえ、むしろ犬空間でのことを鑑みるにその程度は予測しておくべきでした』

 

 やはり――BB.

 心臓が、一際強く跳ねる。

 

『とはいえ、せっかく封印したサーヴァントを再び解放されてはたまりません。勿体無いですが貴方をここで排除させていただきます』

 

 その途端、新たな気配を感じる。これはエネミーの気配だ。

 まずい、今の自分は完全に的。この体制からでは防御も回避も不可能。

 アサシンの像までの距離はあと少しだが、一瞬でいけるほどの距離ではない。

 

 絶対絶命――その四字が、胸中を埋め尽くす。打開策も何も浮かばない。

 

 

 胸が、痛い。煩い。

 

 

 喉が、苦しい。詰まる。

 

 

 視界が、ぶれる。歪む。

 

 

 終わる。終わる――終わる。

 

 

『では――』

 

 エネミーが動く。だというのに、自分の身体は硬直したまま動かない。

 迫りくる恐怖に抗うかのように、瞼を閉じる。

 

 すまない――誰にともなく、心の中でそう呟いた。

 

 

 

 ……。

 

 

 

 …………。

 

 

 

 ………………?

 

 

 

 待てども待てども、衝撃が訪れない。

 意識はまだ保っている。ひっきりなしに叫ぶ身体の悲鳴が自分がまだ生きていることを伝えてくる。

 

「まったく、情けないよな。もう少し、しゃんとした姿を見せてほしいものだ」

 

 声が聞こえる。しかしそれは後方からではない。正面から聞こえたものだ。

 見知らぬ誰かではない。何度も聞いたその声、間違えるはずもない。

 だがそのことが信じられず、恐る恐る目を開く。

 

「とはいえど、我の毒を受けていては仕方ないか。むしろ良く持った方よな」

 

 視線の先には、穏やかな微笑を浮かべるアサシンがいて、手より発生させた鱗のような障壁でエネミーの攻撃を防いでいた。

 

 あのアサシン(・・・・・・)が自分を守ってくれている。しかも命令されたわけでもなく、自発的に。それも彼女にとって、自身を害していた存在である自分を。

 その行動に驚愕したのは自分だけではなく、BBもまた同じように驚きを隠せずにいた。

 

「な、何故あなたが邪魔をするのですか!? その人を野放しにするのは貴方にとって自殺行為のはずです。守る道理などどこにもないでしょう!?」

「その通りだな。我ながら信じられぬことをしていると思っておるよ」

「ならば何故!?」

「何故も何も、サーヴァントがマスターを守るのは当然だろう」

 

 その言葉に、二人揃って息を飲む。

 あのアサシンが、自分をマスターと呼んでくれている。

 ということは――。

 

「言っておくが、我はそなたの言葉を信じたわけではない。ただ――そなたならそれでもいいと思ったに過ぎん」

 

 片膝をつき、自分の肩に手をかけるアサシン。

 それはつまり、自分という存在を心から認めてくれたということ。

 成り行きで契約したに過ぎない自分とアサシンの関係を考えれば、これ以上に嬉しいことはない。

 

「所詮我は本能に過ぎん。そなたと契約を結んだ覚えなどなく、共に戦った記憶もない。そしてそれを行動に移すこともできん。故に、その役目は理性に譲るとしよう。そら、行くがよい」

 

 初めて会った時のように身体を起こされ、背中を押される。

 もう激痛も重みもない。両の足で地を蹴り、アサシンの像へ手を伸ばす。

 

 掌に伝わるのは硬く冷たい、岩のような感触。

 だがしかし、迷うことはない。かける言葉はただ一つ。

 

 ――来い、アサシンッ!

 

 強固なはずの像はその一言を皮切りに、みるみると罅が生まれる。そして一際大きな音が響くと遂に砕け、その中からアサシンが飛び出した。

 

「――まったく、そう大きな声を出さなくとも聞こえておる。しかし、莫迦だ莫迦だと思っておったが、まさかここまで莫迦だとは想像していなかったぞ」

 

 黒い髪をたなびかせて着地し、すぐさまこちらへ振り返ると呆れたような声で、しかし嬉しそうな微笑を携えながらそう呟いた。

 

 そんな彼女を見ていると、こちらもまた笑みが零れてくる。

 それにしてもこっちとしては全身ボロボロになってまでやってきたのだから、少しくらいは飴が欲しいところである。

 

「飴か。いいだろう、なんだかんだで料理をするという約束も果たしておらぬしな。後で何か作ってやるとするか」

 

 そういい、アサシンはこちらに背を向けた瞬間、全身の欠損が修復されていく。

 この瞬間、岸波白野は彼女にとって異物ではなくなったということだ。

 その事実だけでも飴としては十分であったが、手料理もいただけるとは。

 

 

 ――ああ、それは楽しみだ。それならば……。

「ああ。まずはこやつ等を叩きのめすとしよう。こんな輩に手間暇かけておれぬし、宝具で殲滅するとしようか」

『そんな、宝具が解禁されるだなんて!? そこまでの成長を、この先輩ができるはずが……』

「なんだ、埒外の考えか? ふん、やはりそなたは阿呆よな。黒幕たる者、いかなる可能性にも思慮するものであろうに」

 ――さすが黒幕。言うことが違う。

「変な茶々を入れるな! あと誰が黒幕か! まったく……そなたのせいで台無しよな」

 ――まあ、ね。でもこんな感じのほうが自分たちらしいじゃないか。

「ふ……言われてみればそれもそうよな。それではそろそろ、今まで嘗めさせられた辛酸を返させてもらおうか」

 

 

 ※※※

 

 

 BBの宝具の正体も暴き、二十層でのレベリングも終えてすべての準備は整った。遂に明日、自分たちは最後の戦いへと挑むのだ。

 

 時間にしては表の聖杯戦争ほど経ってはいないだろうけど、この裏側で過ごした日々の密度はそれに劣るものではなかった。そしてそれは、同じようにベッドに腰掛け、こちらを見つめて微笑むアサシンにしても同じだろう。

 

 最初出会った当初はこんな風に並んで居られるほど親密になれるなど、思いもよらなかった。何しろ出会いは落下の最中であり、その後もアサシンが一方的にこちらを弄ってくるばかりで相互理解の意思疎通というものはほとんど行わなかった。

 それが劇的に変わったのは、やはり彼女の心の中での出来事が要因なのだろう。

 

 ――ねえアサシン。何か欲しいものとかある?

「……やけに気前がいいな。熱でも出たか」

 

 アサシンは割と本気でそう思っているのか、身をこちらへすり寄せ、恐る恐るといった様子で自分の額に手を当てて体温を測る。心配してくれてることは嬉しいのだが、その気の遣い方は些か失礼ではないだろうか。というか、自分はそこまで狭量なつもりはないのが。

 

「いや、何しろ我がマスターは非常に倹約家で家具も買い替えず、ワインの一つすら嗜まぬほどであるからな……」

 ――いやどうせ時間経たないなら摩耗も劣化もないから買い替える必要ないし、あと自分未成年ですから。お酒は二十歳になってから。

「そんなもの無視してしまえばよかろうに。どうせ霊子体なら問題もあるまい」

 ――仮にも属性・秩序がいうセリフではないなぁ。

 

 自分が苦笑しながらそう呟くと、アサシンも偶には羽目を外したいものよ、と愚痴らしく零す。しかしその表情に陰りはなく、むしろこの他愛無い雑談を楽しむようにころころ笑う。

 

「それに我も茶化すばかりではない。実際問題、酒は必要だぞ」

 ――うん? ……あ、もしかして薬酒とかのこと?

 

 薬酒――エーテルの欠片などと同様のサーヴァントへの補助アイテムの一つであり、飲用することで体内魔力を回復させることができるという代物だ。

 

 ――言われて見れば、今日は三回も宝具を使ったわけだし……。

「というか、何故そなたはそこまで余裕なのだ。納得がいかんぞ……」

 

 それについてはアサシンが無遠慮に魔力を持っていくから自然に増えたと言うほかない。魔術回路というのは人体のように酷使するほど強くなるのかもしれない、と凛たちに言ったら猛烈な否定をされたが、自分にはそのくらいしか心当たりがない。

 

 ――購買は既に閉まってるし。手持ちには二つしかないけど、これで足りる?

「全然足らん」

 

 にべもなく拒絶するアサシン。

 とはいえ薬種は魔力回復の補助アイテムの中で最も格が劣るものゆえ、その反応も仕方ないといえば仕方ない。実際この程度ではアサシンの体内魔力の一割も賄えない。

 ならば他にどうするべきか。魔力は確かに寝ていれば回復するものだが、さすがにそれだけで全快するほどの効率はない。

 

「だ、だが、それ以外でも我の魔力を回復させる方法はあるぞ!」

 

 そう悩んでいると、アサシンが関心を無理やりに惹くように大きな声を上げる。

 普段冷静な彼女にしては少々意外な行動である。

 

 ――えーと、一応聞くけどどんな方法?

「なぜ一応と入れたのか気になるが……まあいい。それで、方法だが……」

 ――だが?

 

 押し黙ったままのアサシンに急かすように言葉をなぞるが、背を向けてこちらを見ようとしない。しかし、黒髪の間から見える彼女の肌はどこか赤みを帯びているように見える。

 

 ひょっとして……照れているのか?

「――て、照れてなどおらんわっ!」

 

 心の中で呟いたつもりが、どうやら実際に音にしていたらしくアサシンが顔を真っ赤にしながら怒鳴りつけてくる。その様にはかつての酷薄さや冷淡さはまるで見受けられなかった。

 

 段々とアサシンの反応が楽しくなって、ついつい苛めるように煽る言葉を重ねていく。

 そうしてじゃれていると若干の呆れを含んで嘆息する。どうやら観念したらしい。

 

「わ、我らサーヴァントはラインの魔力供給以外にも魔力を得る方法がさらに二つあるのだ。うち一つが魂喰いという方法だが、これはムーンセルでは不可能であるため、実質的には一つになる。それが、体液の摂取となる」

 ――ふんふん、なるほど。体液の摂取ね。体え、き……?

 

 体液――動物が体内に持っている液体。唾液などもこれにあたる。

 

 ――体液って、あの?

「他にどの体液があるのか知らんが、概ねそなたが思っておるのと変わらんだろう」

 ――……えーと、ちなみに何の液が必要なの?

「それは……唾液とか、血液とか、あと……その……せ、せい――」

 ――あ、もういいです。と、とりあえず血液で済ませようか。

「それだが血液だと、そなたが死んでしまうと思うのだが……」

 ――宝具三回使っても余りある自分の魔力でもそれか。な、ならば唾液で。

「だ、唾液は効率が悪すぎるのだ。だから、その……」

 ――必然的に、最後のものになるのか。

「そ、そうだな……」

 ――…………。

「…………」

 

 一気に静かになる。相手の顔を直視できない。き、気まずい……。 

 でもこれ、最終的にはしないといけないんだよね。明日決戦だし。

 

 別に、行為自体が嫌というわけではない。むしろ嬉しいくらいだ。

 だけど、ムードがない。良し悪し以前の問題だ。

 こう、必要に迫られてやるのはどうも抵抗があるだけだ。

 

 とにかく、するのならムードを整える必要がある。

 音が漏れるのではと思うくらい動悸の激しい心臓を落ち着けるべく、静かに深呼吸。

 それを数度か繰り返し、落ちついたところで改めてアサシンを直視する。向こうも大分落ち着いたようで、多少表情を赤く染めてはいるがこちらをしっかりと見据えている。 

 

 それを見て、言葉を噤もうとして――突如、自分の首に掴まるように両の腕が巻かれ、そのまま近づいてきた彼女によって口が塞がれた。

 

 それも触れるだけのキスではない。

 口内に舌が入り、唾液がこちらに送られて反射的にそれを飲み込む。

 そして自分もまた、それにつられるように舌を動かし、今度はこちらがアサシンの舌を弄り、絡ませて唾液を流す。するとアサシンは流した唾液に何の嫌悪感を示すことなく、むしろ表情に陶酔の色さえみせながら小さく喉を鳴らし飲みこんだ。

 

 そこでようやく、互いの舌を互いの口内から抜いて一旦動きを止める。

 

 ――ア、サシン……。

「セミラミス。真名で呼べ……莫迦者め」

 

 

 ※※※

 

 

「何を悲しむ。別段これは取引通りであろう」

 

 ――サーヴァントであるのは黒幕を倒すまでの間のみ。

 それは他ならぬ、彼女が告げた取引の内容だ。

 しかしそれはこんな形で行われるものではないし、彼女自身もそのつもりはなかっただろう。

 

「なあに、BBからも逃れた我だ。ムーンセルからも逃れてみせるさ。我を誰だと思っている」

 

 そう悠々と語って見せるアサシンだが、それはただの強がりだとすぐに看破できた。

 彼女の毒がBBに効いたのは単にBBが吸収という形を取ったからであり、全てを無常に分解しにかかるムーンセルには通じない。

 

 そんなことは自分にだってわかる。

 彼女がそんな分かりきったことを言うということは、どうしようもないということだ。

 

 だから自分はもう振り返らない。彼女の虚勢を信じてこのまま去ることにする。

 その代り、自分にできる最大の手向けを彼女に送る。 

 

 ――また会おう。セミラミス。

 

 

 

「ああ――また会おう。マスター(はくの)

 

 

 

 




>俺がお前のマスターで、お前が俺のサーヴァントだからだよ
私と趣味の似通った厨二病患者は察しているであろう、某蕎麦屋店主のあのセリフが元ネタである。ちなみにこの言葉自体に込められた意味はほとんどなく、単に彼にとっての事実を挙げただけに過ぎない。

ただそれは白野にとって(・・・・・・)であり、セミラミスからすれば結構な意味を持っていたりする。

まずセミラミスには記憶はないにしても散々なことをやっただろうという自覚があり――事実その通りのことを聞かされたわけでもある。自覚があるからこそ虚偽でないとも理解できた――それだけのことをされてもなお、セミラミスは自分のサーヴァントだと言い切った白野の言葉は権謀術策に生き、果ては息子に反逆された身としては非常に眩いものであり、心打たれるものでもあった。具体的にいうと胸キュン。

加えて先ほど挙げたカルナとガウェインという名前だけでわかる一流サーヴァントと契約したいのであればこの場でセミラミスと契約を結ぶのは完全に悪手でもあり、セミラミス自身がその両名のほうが戦力としても協力者としても優れているというのは自覚できる。というかマスターを殺しにくるサーヴァントと手を組むのはそもそもの悪手で論外とすら言えるレベル。にも係わらずセミラミスと契約を結ぼうとしていることは性能による選択ではなく、信頼の表れと取られた。とはいえど、ここまでだと単に容姿に惹かれたと取られない。

それを払拭させたのが決死の前進。ただセミラミスの美貌に惚れたのであれば態々危険を冒してまで理性を起こす必要はない。しかしそれすらも無視してのあの死すら厭わぬ行為は白野のサーヴァントが『何も覚えていないセミラミス』ではなく『共に歩んだセミラミス』であるという意味であり、それは決して美貌に釣られたというわけではないことを明確に示し、信頼の深度を如実に示していた。

セイバーが『導く者』でアーチャーが『守りし者』、キャスターが『寄り添う者』でギルガメッシュが『愉しむ者』らしいので、セミラミスは成功や失敗を分かち合い共に前進していく共に『歩む者』という感じにしときました。

え、無理やり感漂う? 気のせい気のせい(


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一触即発

祝・連載2周年! いや執筆状況を考えるとあんまり祝えないけどねw

今回はセリフが少ないのでことさら淡白な感じ出てる……

それと関係ないですが、拙作とシルヴァリオヴェンデッタのBGMがなんかマッチしてる感ある。
似てる要素、あまりないんですがね……あ、獲物か。ゼファーと一緒だし。


 屋上を後にし、やや軽やかな足取りと晴れやかな気持ちで階段を下りていく。隣りの式も自分と同様に、ある程度体を動かしたからなのか来た時に比べれば適度に硬さが取れた、滑らかな動きをしているのが目に見えて分かる。

 

 互いに心身ともに解れたようだ。そのことにいま一度、心中で凛に感謝を告げる。

 

 そうして一人の少女のことを思っていると、不意にもう一人の少女――ラニのことも思い出す。

 肌の色に纏う雰囲気。印象的な要素は多々あるが、それ以上に強烈な印象を叩きつけられた当分忘れることはないであろうあの少女。遺物も集め終えたし、一度三階へ寄って話をしようかと考えたが、空を見ると言っていたことを思い出す。

 

 その言葉が意味することはおそらく占星術――星の動きを眺め、それを持ってあり方を問う魔術。強力なれど星辰の位置などに作用するため、使用時期が限られた技。そして彼女が言った三日後が、その()なのだろう。

 それを考えると合理性を重んじる彼女はまだいないと確信し、階段を緩やかに降りつつ二日後の再開を心待ちにする。

 

 階段に差し込む強い日差しに、ふと窓の外へと視線を向ける。時刻はまだ1時をやや過ぎた程度。日は中天に。勢いは未だ衰えず。アリーナの環境が校舎側とリンクしているわけではないが、これから潜るというのも如何なものだろうか。

 

 余力のない自分たちは魔力消費は抑えるべきであり、おまけに凛との談笑である程度回復したといっても昨日の疲労も未だに抜けきってはいない。さらに先ほど凛に言われたことも踏まえて胸の内を整理したいところでもある。そのためにも一度、マイルームで休息を取るべきだろう。

 

 他に予定がないことを確認し、二階へ辿り着いたところで階段から離れて廊下へ移る。

 幾度となく通った道であり、目を瞑ったとしても戸惑うことはない順路だ。そのはずだ。

 

 だが――何故だろうか。もはや慣れたはずの空間であるはずなのに、強い違和感を感じる。ふと周囲を見渡せば、式もまた同様に違和感を感じ取ったのか、怪訝そうに薄目になって周囲を見渡して疑念の正体を探り始める。そして違和感の正体に対して長考することなく、ほどなくして口を開く。

 

 ――人が、いない……?

「変、ですね。いつもなら数人はいるはずですのに……」

 

 多くの人間が厳しい現実に打ちひしがれていた、あの二回戦開始直後でも何人かは居たというのに、今は誰もおらず耳鳴りすら起きそうなほど静寂に満ちていた。無論、あの時とは時期も事情も違うが、それにしたってあまりにも歪が過ぎる。明らかに不自然だ。二人だけで占めるには広すぎる空間は、まるで自分たちだけが世界に取り残されたような気持ちをもたらしてくる。

 

 しかしそんなことがあるはずはない。それにこの校舎は比較的音が響きやすい空間になっているのだ。仮に二階とその廊下に誰もいないにしても教室内にいたり、一階あるいは三階に人がいれば何かしらの動作音が響いてもいいのだ。にも拘わらず――。

 

「それがないってことは、どこにも人がいない……?」

 ――……マスターが校舎にいなくなる時なんて、夜中か。あるいは……

『巻き込まれることを、恐れている?』

 

 両者互いに同じ結論に達し、意識を切り替えすぐさま戦闘態勢へと移行する。

 自分は礼装を端末から召喚して身に纏い、式はナイフを構えて周囲の警戒へと移行する。

 そんな自分たちを『ようやく気付いたのか』とせせら笑うかのように、濃厚な殺気が自分と式を――いや正確には自分だけを絡めとる。

 

 うなじを這う蛇のような感覚に怖気が走る。

 

 心臓が跳ねる。引かれるように身もまた跳ねる。

 

 急激な変化に思わず、膝を屈して吐きそうになる。

 

 どうやら相手はサーヴァントではなく、マスターである自分にのみ狙いを絞ったらしい。

 

 自分に向けられたあまりにも強すぎる殺意は式も感じ取ってはいるが、やはりその矛先はあくまで自分。漠然としか感じられないようで、相手の位置を絞れていないのか間断なく、忙しなく四方へ視線を向ける。

 

 姿が見えないとなれば必然、相手の明確な意思(さつい)を感じ取っている自分が的確な指示を出す必要があるのだが――。

 

「おい、大丈夫か? しっかりしろ!」

 ――分かってる! 分かってる……けれど……。

 

 今までとは違う、直接的かつ驚異的な殺意。

 恥ずかしながら、己は完全にそれに飲まれていた。

 

 手足が震え、呼気も荒い。

 

 全身からじっとりと汗を流しながらも、背筋は凍りついたかのように冷えてしょうがない。

 

 激しい胸の鼓動が思考を遮るように響く。

 

 過呼吸のように荒々しく喉を鳴らして息を吸う。

 

 両手で全身を抑えてなければ、悲鳴を上げて叫びたくなる。

 

 戦う覚悟はあった。必然、殺される覚悟もあった。実際に人が亡くなるのを目にした。

 

 だが、しかし――ここまで濃厚な殺意を向けられたことはなかった。

 

 ここにきて露呈する実戦経験の乏しさによる臆病(よわ)さ。

 未知のものに対する恐怖。命を狙われているという危機感。

 実体験の伴わない、生半可な覚悟など所詮、この現実感(リアリティ)溢れる濃厚な殺意(さつがいよこく)の前には吹けば飛ぶような脆さでしかない。

 

「――くそっ! 一旦アリーナまで行くぞ!」

 

 ――まともに指示が出せる状態にない、と判断したのか式は自分の腕を掴んで階下へと走り出す。突如手を引かれたことに加え、未だ震え続けていたがため大きく体勢を崩し、危うく転びそうになる。それを何とか空いていた片手で以て、とにかくがむしゃらに立て直す。

 

 そんな自分を式は腕を通して感じていたのか、こちらを振り向くことなく、階段を一気に飛び降りると速度を一切緩めず――むしろ加速すらして――廊下を駆け抜ける。自分に強いるにはあまりにも酷すぎるその動きに不満を漏らしそうになる。

 

 しかし戦闘時以上に切羽詰った、前を行く式の苦しげな横顔に、思わず口を噤む。荒々しいが、式なりに自分を守ろうとしての行動なのだ。

 

 たたらを踏む足を整え、式に並ぶ――ことこそ出来ないが、せめて足を引っ張らぬように努める。そうして不恰好ながらも廊下を走り抜け、扉を押し開け、飛び込むようにアリーナへと突入した。

 

 

 ※※※

 

 

 アリーナへと侵入し、自分が纏わりつく生々しい殺意が若干ながらも緩んだことに気付くと、ようやく式は足を止めた。そしてそのまま、睨むように視線を前方へ向け続ける。

 

 対して自分は入った時の勢いによって大きく足を踏み鳴らし、慣性に引かれて式よりも二、三歩前へ躍り出て、膝に腕を立てて上半身を支える。急な全力疾走に、心臓は先ほどとは違う意味でばくばくと悲鳴を挙げ、緩急の差に戸惑った全身が溜まった疲労と共に痛みを主張する。そして同時に、恐怖に縛られていた思考が柔軟性を取り戻す。震えこそまだ治まらないが、それでも先ほどに比べれば雲泥の差と言える。

 

 ――あい、ては……居る?

「ああ、確実に。ただ場所までは掴めない」

 

 断続的に息を吐き、全身のクールダウンを試みながら式へ気配について尋ねる。先ほどより緩まったからといって相手から遠ざかったとは思わない。それどころか、自分はむしろここからが本番だとすら考えていた。殺気が消えていないのは居るということを主張しつつも、居場所を特定させないためであり、事実式から帰ってきた返事もそれを肯定するものだった。

 

 何しろ校舎内とアリーナ。敵サーヴァントにとって、どちらが戦いやすいかといえば後者に違いない。校舎での戦闘にはペナルティがあるし、なによる相手のサーヴァントのマスター、ダン・ブラックモアはだまし討ちをよしとする人物ではない。そのため、相手は事態の発覚につながる校舎での行動は最小限に済ませることを念頭に置いていたのだろう。

 

 そしてサーヴァントが一人、アリーナへ入ってしまえばマスターが単独で迂闊に入るわけにはいかない。あとはサーヴァントが帰ってくるまで待つしかないというわけだ。

 

 ……つまるところ、自分たちは見事に嵌められたというわけだ。

 しかし自分は別段、そのことで式を責めるつもりはない。あの場で立ち尽くしているのに比べれば何倍もましな判断ではあるし、こちらにもメリットがないわけでもないのだ。

 

 まずはアリーナの形状――それは校舎や一般邸宅のようにちゃんとした考えと設計に基づいて作られたものではなく、多分に遊びが込められた低レベルな迷路のような形状になっている。そして自分たちはこの階層のマッピングを終えている。つまり、相手がどこで奇襲を仕掛けてくるか、が把握できていること。

 

 そして次に――相手がマスターの支援を得られない、ということだ。

 たとえ単独であろうとも、自分たちを優に超えるだけの実力を誇っているのは確かだが、彼我の実力差を思えばこれは絶好の機会である。

 

 このような展開、二度もあるとは思えない。

 今回で何としてもサーヴァントの実力を測り、クラスを暴いておきたいところでもある。

 三日目にしてマトリクスが一つもないという状況は痛いし、それにこちらがどんな状態であろうと、決闘の時は必ず訪れるのだ。ならばこそ、挑むしかない。逃げに徹して勝利はない。

 

 覚悟を決めて、未だに荒ぶる心肺を落ち着かせるために深く、深く、なお深く空気を吸い――そして入れ替えるように溜めていた物を吐く。

 

 その大げさ、ともいえる動作で無理やり全身の動きを抑え、先を見据えて身動ぎ一つしない式へ念話で作戦を告げる。式はこれが嫌いだが、我慢してもらう。

 

 顔を顰めているであろう式に、内容を告げ終えると控えめに視線がこちらへ向けられる。その視線に籠っていたのは、不安。

 

 それは、本当に自分でいいのか、というこちらの信頼に対しての。

 それに対して、自分は力強い首肯でもって答える。

 

「……いいのか?」

 ――ああ。

 

 さらに紡がれる式の不安。対して自分は余計な言葉を挟まず、確固たる意志のみを、前面に押し立てる。

 

「……わかった」

 

 そう零し、顔を逸らす式。ぶっきらぼうな口調ではあるが、それは照れ隠しの面もあるのだろう。事実、微かに捉えた彼女の頬は僅かながらに赤みを帯びていた。

 が、それも一瞬。瞬きをしたかと思うとすぐさま自分の隣りへと歩を進める。覗く横顔に恥じらいはなく、そこには久しく見ていなかった凛とした姿があった。自分も改めて緑色に染まるアリーナへと目を向けて、PDAを開く暇も惜しんで地図を思い浮かべて襲撃地点を予測する。

 

 行き止まりに続く道で待ち構える意味はなく、また多くの道と面する場所も必殺を期するには難しい。かといってただの一直線なら左右からの攻撃を注意しなくてもいい。

 もし自分が相手の立場なら、選ぶのは障害物がなく、また八方から攻撃できる位置だ。そしてさらに欲をかけば退路の確保も難しくない地点。となれば――。

 

 ――中央の広間かな。

「妥当だな。それでも他の場所で待ち構えてる可能性もある。気は抜くなよ」

 ――わかってるよ。式のほうこそ、油断は禁物だよ。

 

 答え合わせの後、念のため手の中にリターンクリスタルを忍ばせる。

 

 そして視線だけをこちらに向ける式へ向けて首肯。

 ――途端、ナイフを正面に構えた式が、風を切るように駆け出す。それに続くべく、自分も式の後を疾駆する。

 速度は平素の持久力を考えたそれではなく、速さを意識した疾走だ。

 それはかつて、シンジとライダーの二人を相手に競争した時のように。

 差異があるとすれば、今回は式が前に立ち、自分が後から追従する点だろう。

 敵の攻撃を意識する必要がなかったあの時とは違い、今回は前方からくる殺気にも意識を集中させる必要がある。

 

 碌な休憩のない全力疾走に次ぐさらに過度な運動により、全身が悲鳴を上げる。

 本来ならば慎重さが求められるこの状況下において、実力に劣る自分たちが何故このような暴挙とも呼ぶべき行動に出たのか。当たり前だが自暴自棄などではなく、明確な理由がある。

 

 相手のクラスがどうであれ、相手が奇襲及び暗殺に卓越した腕を持つのは確かだ。

 それは宝具やスキルという意味でもだが、それ以上に技術の腕が、だ。

 磨き上げた技術というのがどれだけ驚異的であるかは、自分もまた判っている。

 

 何しろ、他ならぬ式がそれだ。

 

 脳裏に甦るのは決戦場で戦う式の姿。

 一回戦、最低値のステータスということで終始押されてはいたが、それでも技術という点では圧倒していた。

 

 もし相手に宝具を使わせることなく、式が全力でその技術を披露できる場を用意できていたのならば、おそらく劣勢に追い込まれることはなかっただろう。

 多少贔屓してる面はあるだろうが、それを抜いたとしても結果はきっと変わらなかったと思う。式の技にはそれだけのものがある。

 

 そして――相手のサーヴァントもまた、奇襲暗殺にそれだけの技術を誇ると見ていい。そうでなければさすがに姿と気配を消していようと、強力な毒があろうと、マスターが気を抜いていようと。英霊の守護を容易く抜いて暗殺できるはずがない。

 

 ではそんな技量を誇る英霊を相手に、どう奇襲を避けていくべきなのか。

 ――考えるまでもない。相手の思慮に乗らないことだ。少なくとも、相手の思惑に乗って莫迦正直に行けば、まず助からない。かといって一つ二つの小手先程度でも同じだ。故に方向性は違えど、同じく高い技量を誇る式に相手の一撃(きしゅう)を凌いでもらう。

 

 障害物がない中央で待つというのは、相手にも隠れる場所がないということであり、それは一撃で仕留めるという自負とも取れる。とはいえ、相手のサーヴァントが騎士道やら誓いやらといった誠実さから外れた存在だ。それ以外の状況に関しても頭の中で対策を講じておく。

 

 

 

 

 そして道を塞ぐ何体かのエネミーを倒し、ついに中央の広間へ足を踏み入れる。敵サーヴァントの視認も、覚悟の確認も、僅かばかりの減速もすることなく、駆け抜けるような勢いで走りぬける。

 

 緊張しないわけではない。恐怖を忘れたわけでもない。自棄(やけ)になったのかと問いには否定を。

 ただ自分は信じているだけだ。両儀式という、自分の相棒を。

 そして迷いがないのは相手の居場所と、奇襲地点の両方が推測できるからだ。

 

 居場所は、透明なアリーナの壁越しに見つかることのない奥の方。左右から狙うよりも、正面から狙うほうがよほど命中率は高く。背後から狙うのであれば、一本道で狙ってくる。それらを踏まえて、奥からくるとの判断だ。

 

 そして、奇襲地点。この広間にいるエネミーは六体。内四体が四隅に位置し、残りの二体が中心のスイッチを守るように周囲を浮遊している。スイッチ自体は既に起動しているが、守る二体の守備範囲は広く、奥へ進むには最低でもどちらかを相手にせざるを得ない。故にそのどちらかを相手にする一瞬の隙をついてくる。

 

 式が選んだのは左側のエネミー。

 決断したその瞬間、ほんの極僅かに速度を落とし、爪先を僅かにこれまでの進行方向から逸らす。それを伝わる思念で察知し、その上で動きに注視したとしてもまるで分らないほどの微細な変化。

 見逃すことなく集中し続けたとしても、見抜けるとは思えない。

 

 ――その目にも止まらず、知ったとしても分からない一瞬を、やはり英雄(サーヴァント)は狙ってきた。

 

 ピッ、と引き絞られた物が元の位置へ戻ろうとする張力による、風を切る音がした。

 

 

 来た、と。そう思った。自分にできたのはそれだけで。

 

 

「――そこかッ」

 

 そして対応を任せた式は、確かにそれに反応した。

 視界内の式の腕が一瞬ぶれる。そして同時に甲高い音とエネミーの撃破音が響く。

 

 その一瞬後、半ばで切り落とされた矢が離れたところで地に堕ちる。連結部分を絶たれたエネミー、MEBIUS(メビウス)が宙に溶ける。

 

「――チッ! やるなぁ……!」

 

 加えてそれだけに留まらず、さらに反撃すら行ったのか。

 姿を現した緑衣のサーヴァントは、左腕の肩口を抑えており、そこから血を滲ませている。

 普段の飄々とした笑みもなりを潜め、想定外だといわんばかりに苦い顔を見せている。

 

 確信を抱いて彼を見据える。先ほどの射撃技術は間違いなく、アーチャークラスのそれだと。

 

 奇襲を防ぎ、情報を得、すべてが順調だった。

 

 さて、あとは――。

 

 ……空いた左腕で熱を帯びる二の腕を抑える。麻痺した手からリターンクリスタルが零れ、砕け散る。

 

 ――どうやって、撤退するか。

 

 

 ※※※

 

 

「――チッ! やるなぁ……!」

 

 必殺の一撃を切り払い、反撃の一撃として放ったナイフが緑衣のサーヴァント――アーチャーの左腕を貫いた。

 死線を断ったわけでもなければ、死点を穿ったわけでもないために大した損傷ではないが、無意味というわけではない。少なくとも、謎を一つ解く鍵となった。

 

 見えなかった霊体化。その謎は背景との同化だった。

 見えなかったのではない。見えていたのにそれをアーチャーだと認識できていなかったのだ。

 

 恐らくこれは宝具の効果。厄介なものだと心の中で毒づき、ナイフを逆手から順手に構え直す。

 宝具とその性格を鑑みて、今ここで倒すべきだと判断する。幸いにしてアーチャーは負傷しており、マスターの支援も見込めない。

 

 そして何より、こいつは彼を狙った。

 強い苛立ちを抱いて魔眼を開く。狙うは心臓近くの死点。

 肘を曲げてナイフを抱え込む。姿勢を獣のように低く、足に力を込める。

 爪が食い込むほどに握りしめた掌から流れる血が、刃へと伝って滴り落ちる。

 奇襲の腕は見事なものだが、裏を返せば戦闘に自信がないということでもある。

 ならば容易い。時間は掛けない。宝具を使う間もなく――殺す。

 周りのエネミーなどは意にも返さない。高揚はなく、あるのは冷徹な殺意のみ。

 

「やる気か? ま、そりゃそうだな。大したものだぜ、まさか奇襲のタイミングを読み切って、反撃までしてくるとはな」

 

 軽薄な笑みを浮かべながら賛辞を投げる。しかしそれが癪に触って仕方がない。

 この不利な状況下でアーチャーは、腕の痛みこそ響いているがまるで動じない。

 この男は手の内が尽きたからと言って、潔く死を選ぶような人間ではない。

 まだ何か仕掛けているのだろうか。その可能性に頭が僅かに冷える。

 果たしてどうなのだろうか。意見を尋ねるために彼に意識を――。

 

「だが――反撃の分は取っておくべきだったな。迂闊だったぜ」

 

 一転して冷淡になったアーチャーから送られる冷ややかな声に、ガラスが割れたような音。

 その音に、眼前の男から視線を外す危険性すら忘れ、反射的にそちらを見やる。

 

 視線の先には脂汗を流して膝をつく彼。抑えた右腕には、制服を裂いて一条の傷跡が刻まれていた。

 




もはや何度目になるかも分かりませんが、やはりろくにプロットも練らずに予定外のことをするべきではありませんね。特に私は綿密に練って構成する知略型ではなく思いついたらパパッと書いてしまう本能型の執筆者なので尚更に。だからマトリクスとか所持金表記も消えていく……。
ただそんな展開を微塵も考えていなかった時からそれらしい伏線要素が意外と散らばってたのはさすが本能型。

それはともかく、Dies iraeのアニメ化プロジェクト。始まりましたね。そして速攻お金集まりましたね。やはり爪牙に不可能はなかったんや!


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事態急変

遅くなって申し訳ない。
やはり鬱以来どうにも気持ちがうまく落ち着かず執筆できずにいました。
十中八九強迫神経症だろうけれど、お金なくてイカベイも諦めたので病院には行きません。薬だけでも売っていればいいんですが。
皆さんも鬱病には気を付けましょう。荒縄買ってたけど我に返るとまるで使い道がない。
あと強迫神経症にも。些細なことにも不信感、不安を抱いてしまい我ながら超うざい。


『で、マスターを放り出してでも俺を狙うか? いいや、あんたには無理だよな』

 

 声の主へはっとして振り返る。しかしその姿はもはや影も形も存在しない。宝具を使われたのだろう。だが、まだ近くにいるのは確かだ。気配も完全に消えていない。

 

『それじゃあ一足先に帰らせてもらうぜ。無駄撃ちはしない主義なんでな』

「……クソッ!」

 

 だが嘲りを含んだ声を最後に、その気配すら消失する。

 言いたいことだけいって去っていくその姿勢に、苛立ちを隠せない。

 加えて言葉も傷も、何も返すことのできなかった。なんて情けないのだろうか。

 行場のない怒りを、踵でもって床に叩き付ける。

 

 しかし、いつまでも感情に振り回されている余裕はない。ささくれだった内心を胸の奥底にしまい込み、すぐさま横たわる白野の傍へ膝を突き、力を込めすぎない様に手を握る。

 

 ――なんて、冷たい。

 真冬の風に晒され続けたかのようだった。先ほどまで走っていた人間の体温とはとても思えない。傷口は青白く変色し、顔色も土気色になっている。その手の知識に乏しい式からしても、一刻の猶予もないということが見て取れる。

 

「ねえ、しっかりして! ねえ!」

 

 焦燥感に突き動かされ、やや乱暴に揺れ動かすが返事はない。相当朦朧としているのだろう。目は開いているが、視線は定まらず焦点もあっていない。毒を受けてまだ1分と経っていないにも関わらず、その効果は十分すぎるほどに発揮されていた。

 

 毒を吸い出そうと思っていたが、ここまで強力だと自身の感染する可能性が高い。白野が一人で満足に歩くこともできない以上、自分までそんな状態に陥るわけにはいかない。

 

(リターンクリスタルっ!)

 

 ならばと、今度は彼の懐から端末を取り出す。リターンクリスタルさえ出すことができれば、すぐさま校舎へ引き返すことができる。

 

 だが、端末は何をどう押してもまるで反応を示さない。

 

「ああ、もうッ!」

 

 マスターでなければ使えないのか、その設定に赫怒の念を抱きながらも、持っていたナイフと共に帯に押し込む。叩きつけたいほどの激情に駆られているが、今はそんな発露の暇すら惜しいのだ。

 

 安静さを気にして引き連れていては間に合わないと判断し、白野を肩の上へと乗せて抱え込む。その際に一瞬、呻き声が漏れて申し訳ない気分になるが、謝罪している暇もない。放り出された手足は力なく、ふらふらと漂うように揺れている。

 

 軽い、と思った。乗せた半身にほとんど負担はなく、持ち上げる際にも思わず力が空回りしかけたほどだ。改竄によって身体能力が相当向上しているのもあるが、やはりそれを含めても軽すぎる。

 数値で定められた重さ(ステータス)ではなく、彼という人間を構成する内容物(データ)が。特徴が少ないのではなく、特徴となるべき物。それ自体が欠如しているような――。

 

 いや、とそこで思考を切る。今はそんな思索にふけっている場合などではない。

 一刻も早く帰還するべく、アリーナの最奥へ向けて走り出す。その速度は先ほど以上であり、しかし、なるべく抱えた体を揺らさないように留意して移動する。幸いにして帰り道は直線のみの一本道。十秒と経たずにアリーナの最奥へと辿り着き、帰るためのポータルを遠慮なく踏み込み、起動させる。

 

 徐々に光が漏れ出し、視界一面に広がる。いつもはまるで気にしない転移までの時間と視界を潰す光が、この時ばかりは煩わしくて仕方がない。足で床を叩きながら、空間の入れ替わりを待つ。質感がアリーナのガラス染みたそれから校舎独特のリノリウムのそれに変化すると、視界が戻るのも待たずに記憶と感覚を頼りに走り出す。

 

 行先は保健室――いつの間にか戻ってきたマスターやNPCを気配だけで察知し避けながら駆け抜ける。そして当たりを付けた扉に手を掛けるころには視界も大分戻り、表札を見ること用件も告げることなく開く。行儀が悪いのは百も承知であるが、そんなことを気にしていられるような状況下ではない。

 

 荒々しく開いた扉の先には、突如響いた物音に対して驚きのあまり、可愛らしい声を漏らして背筋を伸ばす桜の姿。

 何事かと顔を赤く染めてこちらへ振り替える彼女は用件も聞かず、肩の上の彼を見ると即座に平静さを取り戻して立ち上がり、脇のカーテンを素早く開く。

 

「こちらへ!」

 

 指示に従い、白野をベッドに丁寧に降ろす。反対側では桜が既に傷口と症状を看破し、治療に移る所だった。

 知識を持たない自分にできることはもはやない。あとは桜に任せるだけ。

 

 ……任せるだけ。当然の役割分担にあるにも関わらず、(たずさ)われない自分がひどく癪に障った。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ――気が付くと、自分は漂っていた。

 何の前触れもなく、突如として浮かんだ自分の意識と、その視界。そこには綺麗に透き通った青い世界と、0と1の二進数で構成された羅列、そして時折見える上方へと向かっていく泡。

 ムーンセルの空に良く似た、それでいて見たことのない空間。そして現実味のない光景。

 

 ……何故だろう。本来、慌てるべきであろう場面であるはずなのに、まるでそんな気が起きないのは。

 それどころか、むしろ自分はこの空間に心地よさすら感じている。ずっとこのままでいたい、と思えるほどに。

 

 例えるならそう、揺り籠にいる赤子のような――いや、その表現は少々恥ずかしい。

 訂正しよう。――夢心地、とでも。自分の存在すらあやふやになりそうなほどに重みや実感を感じられない、これまで一度として感じたことのない感覚。そしてこの空間。

 

 それでも一切の不安を抱かないでいられるのは、この空間から害意を感じないからだろう。だからといって、優しさや慈しみ、といった好意的な感情が感じられるというわけでもないが。というより、感情そのものを感じることができない。

 

 それでも、分かることはある。それはこの空間が、自分のためだけに存在するということだ。

 

 だから一切の心配は不要。大丈夫、目が覚めたら、全ては元に戻っている。

 根拠のない自身と信頼に身を委ね、もう一度自分は目を閉じる。――そして意識は溶けていく。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ――照会中。

 個体名:――閲覧制限――

 役割:学生――個体情報不一致。情報修正実行――■■■権限による情報の上書きを確認――マスター。

 ――基■■報修正■。

 サー■ァ■■:■ルジ■■、ネ■、■■タ、バベ■■、■田■時、■■■ール、ス■■ハ、■ーラ■■、■リ■■ヒ■デ、■■ク■リー■、■■■■テ、無■、エド■■■、ラ■マ、■■ルス、■■ド■ッ■、■■の前、■■■ラ、■オニ■■、■■ゥー■、■■ルル、セ■ラ■ス、エ■■■・■ンテス、etc……

 ――該当多数。最新情■を参照――両儀■。

 破損データ多数。修正開始――

 

 ……

 …………

 ………………

 

 肉体損傷状況:物理損傷E、内部損傷A。

 修正――外部治療行為により修正済み。

 次期に物理損傷、内部損傷ともにFへ移行と判断。

 日常行為及び戦闘行為における支障なし。修復次第デバックを終了。

 状況達成につき、英霊の情報を送信します。

 

 ムーンセルへの個体情報の送信――■■■権限によりブロックされています。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「――随分と彼に優しいんですね。桜さん」

「――それはどういう意味ですか。カレンさん」

 

 明けて翌日。

 朝もやに包まれた淡い燐光の下、二人の少女が教会の前で顔を合わせていた。彼我の距離はおよそ4メートルほど。その距離感からは親密さの類を感じることは出来ず、剣呑な空気が周囲を覆っていた。

 

 相対する両者の内、片方は間桐桜。いつも通りの制服の上に白衣を纏った保健室を預かる、ムーンセルが配置した上級AIの一人。普段は保健室を訪れる者を柔和な笑みで迎え入れる彼女だが、今は硬い表情と口調を見せている。温和な彼女にしては珍しい雰囲気である。

 

 対するもう一人はカレン・オルテンシア。こちらは普段の制服と店員のエプロンの組み合わせた恰好ではなく、キャミソールの上に白衣を纏った格好をしている。それは店員としてではない。彼女の本来の役目としての姿。

 つまり彼女は、コンビニの店員としての役割(ロール)ではなく、保健室のもう一人の主としてここにきているということだ。それも普段、ふざけた態度の多い彼女が、である。笑みを浮かべてはいるものの、そこから好意的な感情など感じられない。相手を和らげるどころか、警戒心を掻き立てる厭らしさの混じったものだ。

 

 まして、この場で両者が相対したのは偶然ではない。カレンが呼び出し、桜がそれに応じて態々出向いたのである。

 

 普段碌に会話を交わすことのない相手からの急な召喚。加えて桜にとっては時期も悪い。さらに開口一番の、意味深な一言。温和な桜といえど、平静ではいられない。自然、纏う雰囲気も僅かながらも険しくなる。

 

「いえ、言葉通りの意味ですよ」

 

 しかしそんな桜の口調に対しても、カレンは一切動じることなく抑揚のない返事で答え、中空に指を走らせる。すると途端に、彼女の指先から1センチほど離れた所に半透明のウィンドウが現れる。そのサイズはさほど大きくはなく、一般的な用紙サイズの書類のようであり、事実それに類する物だった。

 

「昨日、先輩が保健室に来たようですね。それも、かなり危篤な状態で」

 

 その言葉に一瞬、桜の動きが止まる。そしてカレンが開いた物の正体を察し、驚愕に目を見開く。

 それは電子カルテ。桜が白野に対して行った所見および治療。そのすべてが記録されたものだ。

 別に、隠しておいたというわけではない。そんなことをしなくともカルテの閲覧は桜の権限でなければ行えない。そしてムーンセルが定めた役割は絶対。目の前の相手が何をしようと閲覧をするのは不可能。そのはずであったから。

 

 ――なぜそれを!

 咄嗟に口を開きそうになるが、口元を抑えて押し止める。

 しかし、目の前の少女にとってはそれだけでも十分な反応だった。喜悦によってか、カレンはさらに笑みを深くし、一歩距離を詰める。

 

「ふふ、不思議そうですね。でも、何にも可笑しくはありませんよ。元々、私だって健康管理の上級AIだったんですから。それを独断で、それもコンビニ店員なんて、誰でもできるものを押し付けられただけで、権限までは失ってませんし」

 

 そう、カレンの元の役割は桜と同じ健康管理の上級AI。コンビニ店員にしたのは監督役である言峰綺礼の独断に過ぎず、そうであるがゆえに、ムーンセルにとってはカレン・オルテンシアは未だに保健室の上級AIのままである。これまで大人しくしていたのは偏に権限を有効活用する機会がなかっただけに過ぎない。

 

 そしてその権限も特に使い道がないがゆえに、そのまま埋もれていくはずであったが、しかし、来てしまったのだ。有効活用する機会が。そしてカレンという少女は、その成果を使わざるを得なかった。与えられた役割ではなく、(もと)となった人物が故に。

 

「保健室に訪れる方たちは皆、私にとって救命対象です。私はあくまで役割に従い、許された権限の限りを尽くして治療したまでです。あなたに咎められることは一切ありません」

「へぇ、それにしては随分と手厚い看護を施したそうですね。宝具データを解体してもまで救うなんて、中立というスタンスからずれているように思えますが」

 

 カレンがいうことは尤もである。そもそもの話、彼女たちの役割はマスターたちの健康管理であり、主な業務内容はカウンセリングなど、精神面のサポートであって治療行為は役割に入っていないのだ。しかし禁止されているというわけでもないため、藤乃の様な患者が来たのであれば治療を施すことに問題はない。

 

 だが、今回の白野の件は完全にそれとは別だ。藤乃のソレは自傷行為に近しい物であったが故に、治療したところで彼女に肩入れする行為とはならなかった。

 

 対して今回の白野の怪我は相手のサーヴァントの行動によるもの――つまり戦闘による負傷だ。それも、体内に残留している宝具のデータすら分解してしまっている。ここまで完璧に治療してしまうと、一方の対戦相手に肩入れをしているのと見做されても文句は言えない。

 

「訪れるものは皆、ですか。明確に贔屓していなければ問題ない、とでもいうつもりですか? ムーンセルがアリーナでの戦闘を禁止しておきながら即座に介入しないのを何のためだと思っているんですか」

「それは……」

 

 それは、キャスターやアサシンといった、直接的な戦闘に長けていないサーヴァントたちへの公平さを保つためである。特に暗殺者(アサシン)はその名の通り、奇襲や不意打ちと言った間接的な戦闘に長けたクラスであり、戦闘能力そのものは低い。かつて地上で行われた聖杯戦争でも彼らの戦い方はサーヴァントを相手にしたものではなく、マスターに狙いを定めた戦法であった。数多の聖杯戦争の中では、アサシンを駆使し僅か一夜で勝利した例すら存在する。

 

 アリーナでの戦闘行為を全面的に禁止しては、この月の聖杯戦争においてアサシンや、彼らに似た戦法を取るサーヴァントたちの勝率が著しく下がってしまう。かといって一瞬だけ許しては今度は機会が増えすぎてアサシンたちに有利になり過ぎてしまう。

 

 ムーンセルとしてはなるべく公平を期することで、より現実に即したデータが欲しいのだ。

 だからこそ、禁止としながらも数ターンの猶予を与えたのだ。そうすることで暗殺の機会を与えながらも、反撃と情報の漏えいの恐れも生じさせた。

 

 そして桜の行いはムーンセルにとっては――その公平さを乱した暴挙に過ぎない。中立の立場でなければならないNPC、それも上級AIが戦闘の結果を改ざんするなどあってはならない。このことがムーンセルに発覚すれば、桜はよくて初期化(フォーマット)。最悪の場合は消去(デリート)だ。どちらにしろ、現在の桜にとっては死と同義である。

 

「まさか、あなた……!」

 

 そこまで考えてようやく気付く。目の前の相手が何を考えているのか。

 瞬間、カレン・オルテンシアは嘲笑うような視線を桜へと向けた。

 長かった互いの距離は、いつの間にか手を伸ばせば届きそうなほどに埋まっていた。

 

 ――思わず桜は一歩、後ずさった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ――まるで時が止まったようだ、と。余人がこの光景を観たら、そう評すること間違いないだろう。

 そこは礼拝堂。正面奥に簡素な祭壇に、乙女と天使をモチーフにしたステンドグラス。そして並ぶ椅子に座り、衣擦れの音一つ立てずに祈りを捧げる黒い礼服に身を包む少女たち。

 

 上っ面(・・・)だけなら、さながら宗教絵画のようである。

 では実態はどうなのかというと、知る者が見れば、あるいはより深く見れる者が見ればわかるだろう。彼女たちに信仰がないということに。

 

 なまじ上辺がよいだけに、中身が伴っていないことが不釣り合いに見えて仕方がないのだ。無論、全員が全員そうだというわけではないが、その比率はあまりにも圧倒的すぎた。

 

 とはいえど、無理もない。現代において神の存在は虚ろな物と化し、ただ親に言われるがままに入ったに過ぎないうら若き少女たちにとって宗教というのを心の底から受け入れるには、俗世に濡れすぎていた。

 

 そんな彼女たちにとっては、むしろこの空間は牢獄か箱庭、あるいは無菌室に過ぎない。好意的に見れるはずがないのだ。退屈とは、魔女をも殺す毒なのだから。それを思えば、こうして形だけでも整っているだけでも十分称賛に値することだ。

 

 十分に時が経ち、止め、とこの場において数少ない敬虔な信徒である老女が厳粛な声で終わりを告げると、ようやく皆が動き出す。そして老女が二、三言告げた後に解散を指示すると即座に少女たちは先ほどまでの静けさが嘘だったかのように、騒ぎ出す。この時ばかりは敬虔な者もそうでない者も関係ない。

 

 その様に老女は思わず嘆息するが、仕方がないことだと考える。かつて自分にもそのような年頃があったのだ。眼前の少女たちにも、そんな時があってもいいだろう、と。いくつもの塊になって礼拝堂を去る少女たちを見送る。

 

 

 

 

 

 

 そんな老女の目に、写ることない少女が一人。他者と談笑することなく、いち早く礼拝堂から立ち去ったがゆえに。俗世に染まることなく、また信仰に生きることもなく、そして周りに溶け込むことのない少女。

 

 ――名を、両儀式という。

 

 




セミラミスを見た後だと、どうも緑茶の毒は生温いと感じるんですよ。
具体的にいうと八等指定玻璃爛宮とタタリ征志郎くらい差がある。
つまり何が言いたいかというと、緑茶の毒もうちょっと強くしてもいいと思うんですよ。少なくともゴールデンカムイの毒矢くらいには。
要するに――500倍や(

セイバー曰く校舎では最低限の身体機能が保障され、紅茶曰く毒も悪化しないとのことでしたがこの作品ではそんなことないです。ついでに毒も放っておけば自然と明日に消えるとか、そんなのもないです。
もうちょっとリアル志向でもいいのよ、ムーンセル。


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