お返しは突然に (雛千谷らん)
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お返しは突然に
「なあ、知ってるか?今日はホワイトデー……バレンタインのお返しをする日なんだぜ」
今日も今日とて無駄に格好つけて行く手を阻むように立つのは、同僚のオルオだ。いつもと違うのは、臭い台詞の最後まで舌を噛まなかったことくらいである。
不服ながらも向かい合う形になり、面倒臭いのをあからさまに顔に出して呆れる私。
「知ってるわよ、さっきエルドとグンタにもお菓子貰ったし……」
「フッ、そうか。なら話は早いな。ほらよ、俺からのお返しだ、受け取ってくれ」
謎のポーズをとる同僚から、小さな包みを受け取る。その台詞とポーズをかっこいいとでも思っているのだろうか。だとしたらそれは全くの見当違いだ。
「ああ、ありがとう」去ろうとするオルオに一応礼を言っておき、「その口調やら何やら、やっぱり直したほうがいいよ。リヴァイさんはそんなんじゃないから」とつけ加える。
だが当の本人は「じゃあな」と振り返った直後に何もないところで転倒し、そのはずみで舌を噛んだらしく必死で悶えているので、恐らく私の言葉なんて耳に届いてないだろう。
はあ、とため息をついて、しゃがみ込むオルオを通り過ぎ自室へ向かう。
ドアの前まで来たところで、とある人物とばったり出くわした。
「ペトラさん!探してたんですよ!」
私の目線の先では、エレンが息を切らせて立っていた。何か急ぎの用でもあるのかと思い問う。
「どうかしたの?」
「この前のお返しを渡そうと思って」
呼吸を整えそう告げたエレンの手には、大きめの分厚い本。表紙の文字はよく見えないが、なんだか嫌な予感がするのは気のせいであってほしい。
そんな儚い願いは、次のエレンの言動によって見事に破壊された。
「この本、ハンジさんが書いたらしいんですけど、とにかく凄いんですよ!!巨人についてすげー詳しく説明してあって、訓練や通常の任務では絶対に学べないことがたくさん載ってるんです!」
もちろんこれだけでは終わらず、内容の説明や素晴らしさについて聞かされること約20分。エレンは私にこれでもかというほど熱弁をふるってくれた。後半はほとんど聞いてなかったなんて口が裂けても言えないけど。
「……なので、持ってて損はないし、きっと役に立つと思います!」
「う、うん……ありがとう」
真剣な表情で差し出された本のタイトルは『巨人大全集(上級者向け)〜君の見たい巨人がここにある〜』。やばい。想像していたよりかなりやばい。たとえあのハンジさんが作ったものだとしても、これはやばい。この表紙をめくる勇気は今の私にはないと直感してしまうほどに。
エレンと別れ、部屋に入る。受け取った『巨人大全集(以下略)』は、思ったよりはるかに重かった。重量はもちろん、作ったハンジさんとこれをくれたエレンの思いがとても重かった。エレンには悪いけど、本棚の奥の方に仕舞っておこう。
それにしてもこれだけの物を製作してしまうなんて、ハンジさんはある意味凄い人だ。エレンの巨人化の実験にも他の誰よりも熱心だったし、やっぱり巨人が大好きなんだろうな。
ベッドに腰掛けてそんなことを考えていると、ドアを叩く音と共に聞き覚えのある声がした。
「おーいペトラ、いるかーい?」
噂をすれば、とはこの事か。
「はーい」と返事をして立ち上がり、扉を開ける。案の定、そこにはハンジさんがいた。
「何かありましたか?」
「リヴァイの奴が見つからなくてさー、急ぎの用があるんだけど、どこにいるか知らない?」
急ぎの用、という発言に反して、ハンジさんはどこか落ち着いているように見えた。本当に急用なのか疑わしいところだ。まあそんなことを追求しても時間の無駄なので、事実を話す。
「さあ、私には特に心当たりはないですけど」
「そっかー。全く、どこに行ったんだあいつは……」
ハンジさんが肩を落としたのは一瞬のうち。次の瞬間には私の肩を掴みにやにやに近い笑顔で、
「じゃあさ、ペトラも一緒に探してくれないかな!ね!」
語尾に疑問符がつけられなかったおかげで、私は有無を言えぬ状況に陥ってしまった。今日はもう用事もないしいいか、と頷く。それを見たハンジさんはなぜか、まるでこれからいたずらを仕掛けようとしている子供のようににやりと笑った。
私と肩を並べて歩くハンジさんには、焦りの色は全くと言っていいほど見えなかった。さっきの意味深な笑みも気になるし、何かあるのは間違いない。でもだからと言って、たとえこの人でも目上の人には聞きづらい。
悶々と考え込む私に、ハンジさんは陽気に話しかける。
「そういえば今日はホワイトデーか!ペトラはバレンタインの日、誰かにチョコとかあげたりしたの?」
「あ、はい。リヴァイ班のみんなとか、同期の人とかにあげましたよ」
「ふーん、それじゃあお返しもらったんだ?」
「まあ……はい」
数歩踏み出したハンジさんが振り返り、曖昧な返事をした私の顔を覗く。
「なーんか浮かない顔だねえ……」
首を傾げるハンジさん。数秒ほど考えた後、そうだ、と何か思いついた様子で尋ねてくる。
「リヴァイにはもらったのかい?」
まさに今、考えていた名を会話に出されてため息をつく。
「もらってないんです。どうせあの人は覚えてませんよ、ホワイトデーなんて」
私は少しばかり俯き、自嘲気味に答えた。
チョコを渡したあの日から、いやそれ以前から、リヴァイさんがこんなイベントに興味がないことには薄々気がついていた。あの時だって、私から受け取った物を見てきょとんとしていたのだ。ましてやお返しをする日なんて知ってるわけがない。
「それが、案外そうでもないらしくてさあ」
ハンジさんは進行方向に向き直り、私が口を開くより前に言葉を続ける。
「今朝リヴァイを見かけた時にね、何か妙な物を持ってたんだ」
「妙な物?」
「うん」頷いて、頭の後ろで腕を組んだハンジさんは、「一目見てあいつの物じゃないってわかるくらい、可愛い感じの箱みたいなやつ。あれは絶対に誰かへのプレゼントだね」
「そう、なんですか……」
素っ気なく返したつもりだったけど、頭の中は大騒ぎだった。
もしかしたらもしかすると、それは私への……いやいや、そんなことあり得ない。あるはずない。あのリヴァイさんのことだ。バレンタイン当日は、他の人にもたくさんもらっていただろう。ハンジさんの言っていた「誰か」は、その内の1人に違いない。でも、もし私宛てだったら……?期待と諦めがぐるぐる回る。
2つの感情がぶつかり争っていたその時。私の中のぐるぐるともやもやは、ハンジさんが唐突に上げた「あーーーっ!」という声に見事にかき消された。
「急用思い出しちゃった!ちょっと行ってくるね!」
「え、あの、リヴァイさんは!?」
既に走り出す体勢になっていたハンジさんに、「リヴァイさんを探してたんじゃないんですか?どうするんですか?」という長い台詞をとっさに省略して聞く。だが、引き止めようとした私の努力と、「廊下は走らない」と書いてある壁の張り紙の影響力は虚しいものだった。ハンジさんはもう走り出していて、数十メートル前方から叫んでいた。
「悪いけど、ペトラ1人で探しててくれないかなー?すぐ戻るからさー!!」
どうやら私の大幅に省略した台詞の意図は、ちゃんと伝わったらしい。
兵士長捜索を押しつけられた私は、歩き疲れて外のベンチに座っていた。空は橙色に染まっている。ついさっきまで高い位置にあったはずの太陽は、今にも西の方角に吸い込まれて消えてしまいそうだ。
「すぐ戻る」と告げて走って行ったハンジさんは、まだ姿を見せない。あれは一体何だったんだろう。ちなみに、あれ、というのはハンジさんの言っていた「急用」でもあり、ずっと気になっていた怪しげな行動でもあり、あの人の存在そのものでもある。つまり、幾度も会って話をしても計り知れないほど、不思議な人なのだ。
それはハンジさんに限ったことではない。似たような人はこの調査兵団に山ほどいることを、私は知っている。いや、入団して思い知らされた、と言ったほうが正しいのかもしれない。只今捜索中のあの人だって、決して例には漏れない。
「どこにいるんだろ、リヴァイさん……」
思ってたことを声にしてしまい慌てて周囲を見渡すも、人の影はなかった。ホッとして胸を撫で下ろす。その安堵が長く続かないことも知らずに。
「俺がどうした?」
背後から、聞き慣れた声。ハンジさんに頼まれ、今の今まで探し回っていたその人の声。わざわざ振り返らずとも私は、声の主の正体を知っている。しかし、声をかけられた瞬間、振り返らずにはいられなかった。
「リヴァイ、さん……」
私のすぐ後ろ、振り返ればぶつかってしまいそうなとても近い距離に、彼はいた。その顔には、わずかに苛立ちの感情が見えた気がした。
思考が、完全に停止した。停止せざるを得なかった。本来ならばここは「もー、探してたんですよー」とか「ここにいたんですか!」とか、そんなことを言うべきなんだろうけど、あまりに驚きすぎて言葉が上手く出てこない。今の私には呆然とすることしかできなかった。
「おい、聞いてるのか、ペトラ」
「は、はいっ」
名前を呼ばれ、反射的に立ち上がり返事をする。数歩後ずさったのも反射的なものだ。
一方、リヴァイさんは表情を全く変えないまま、
「何か俺に用があるのか」
そこでやっと我に返る。ついでに、この場にいる理由も思い出した。深呼吸をして冷静になろうとする。
「えっと、ハンジさんが探してましたよ。と言っても、急用を思い出したらしくてどこかに行っちゃいましたけど……」
「チッ……あのクソメガネが」
舌打ちと共に、明らかに悪意の込もった呼び名を口にしたリヴァイさんが「めんどくせえ……」と小声で呟いたのを、私は聞き逃さなかった。まあ、いつものことなので特に気には留めない。
今まで驚きだとか焦りだとか、いろいろと忙しくて考えてもみなかったが、「夕暮れ時の2人きり」はかなりレアな状況だ。このまま去るのは名残惜しい。とはいえ、兵士長捜索という私の任務は無事終了したのだ。これ以上ここにいる理由はない。
無理に話を引き延ばして怪しまれるのも嫌なので、「それじゃ、失礼します」と軽く礼をして歩き出す。正確には、歩き出そうとしたところで、リヴァイさんの次の言葉に引き止められた。
「待て、お前に用がある」
私に、用?ハンジさんの件はもう伝えたし、他に頼まれごとはなかった。怒られるようなこともしてないはず。それに、オルオやエレンならまだしも、この人の表情からは何も読み取れない。なんのことか全く検討がつかなかった。
無意識に首を傾げる私にリヴァイさんが無言で差し出したそれを、私は初めて見た。それなのに、なぜか知っている。記憶を辿ると、その先にはハンジさんの発言があった。
『一目見てあいつの物じゃないってわかるくらい、可愛い感じの箱みたいなやつ』
このふわっとした表現を聞いて私が想像した物と、似ていたのだ。つまるところ、ハンジさんが見たのは目の前にあるこれで、今こうして差し出されてるということは、私への……
そこでリヴァイさんは再び思考がフリーズした私の前で、丁寧に説明してくれた。
「今日は先月のお返しをする日らしいな。俺はそんなくだらねえイベントごとには興味がない。が、お前はリヴァイ班の一員として頑張っているからな。これは日頃の感謝の気持ちだと思って受け取ってくれ」
「……ありがとう……ございます」
思考を巡らせるのもままならない状態で、やっとそれだけを口に出す。受け取ったのは、ピンクのリボンで可愛いラッピングが施された、私の掌に収まるほどの箱だった。
「用は済んだ。俺はクソメガネのとこに行ってくる」
そう言い残し、リヴァイさんは屋内に通じるドアを開けて中へ入って行った。
いつの間にか沈んでいた太陽に代わって光り出す一番星の下、私はしばらく立ち尽くしていた。その間に、これは夢なんじゃないかと思った回数は決して少なくない。夢か現実かを確かめるために自分の頬をつねりながら、脳の回転を再開しようと試みる。
数秒後、その頬は痛みと熱を帯びていた。痛みのおかげで夢ではなく現実だということ、熱のおかげで気分が高揚していることを知る。と同時に、心臓は普段よりはるかに速いテンポを刻んでいた。身体の内側から嬉しさが込み上げてくる。一度諦めかけていた分、それはとても大きいものだった。
開けてしまうのが勿体無いくらいに可愛らしい小箱を胸に抱きしめながら、空を見上げる。誰かに贈り物をされてこんなに嬉しくなったのは久しぶりだ。
いつかあの人の隣で星が見れたらなあ、なんてことを考えてしまうのも、きっとこの特別な気持ちのせいだ。
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