ペルソナ4 a wandering demi-fiend (koth3)
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The demi-fiend escaped from in the past his life
1話
――四月十六日(土)雨――
十時を過ぎた東京駅は、サラリーマンで溢れかえっている。
同様のスーツを着ている彼らの顔は、まるで変わらない。少なくとも間薙シンには、そう見えて仕方がない。
泥人形の、いや、大量生産された自動人形の群れが、至る所で蠢く様は、見ていて生理的な嫌悪感をもたらす。
それらを目に入れないよう、パーカーについていたフードを目深に被った。それでも都会の喧噪は、シンの耳に滑り込んでくる。だが、それでもその姿が見えないだけ、ましだ。
――彼らは何を為そうと生きているのか。
ため息が一つこぼれる。自分の顔を両手で覆う。
――×××が何を偉そうに。
自らを嘲り笑う。うつむいたその一瞬、視界が赤く染まる。弾かれたように目を瞑り、恐る恐る瞼を開く。見開いた先には雨に濡れたアスファルトが、黒々とかじかんでいるのが見えるだけだ。乾いた砂が広がるのではない。
そのことに、胸をなで下ろした。
ふと、ポケットにしまっていた携帯電話が震える。あらかじめかけておいたアラームだ。バイブレーションを止める際、目に入ったモニターのデジタル時計は、そろそろ列車の時間だと告げていた。
肩がけのバックを背負いなおしたシンは、人混みをすり抜けるように、改札へ向かう。その後ろから「シン!」と、名前を呼ぶ声がした。
その声は、聞き慣れたものだ。
振り返れば、そこには二人の親友がいた。高校の制服のままで、雨に濡れそぼっている。
二人が来てくれたことに、シンの顔がほころびかける。しかしすぐにその顔はうつむき、二人を視界から外した。
うつむいた視線の先では、お気に入りのシューズのロゴがはげている。
「千晶……勇……どうして、ここに?」
「ふざけんな! とつぜんお前が引っ越すって聞いて、飛び出してきたんだよ!」
シンが弾かれたように顔を上げれば、勇は荒い息をしている。どれだけ走り回ったのだろうか。春先だというのに、身体からうっすらと湯気が出ている。
「ゴメン……」
シンはそれしか言えなかった。もっと違う、何かを喋ろうとしたのに。
「……謝んなよ、馬鹿」
ぶっきらぼうに返される。勇の姿を見ることができなくなり、シンは再び足の爪先を見詰める。
そうしていたら、シンの両頬にそっと手が添えられた。雨に濡れているのに、とても暖かく、柔らかい。ほのかに薔薇の匂いが香る。それは千晶のお気に入りの香りだ。
「シンくん、こっち見て」
シンがうつむいたままでいたら、ぐいと無理矢理頭を持ち上げられた。とつぜんのことに目を丸くする。
「な、何を?」
「やっとこっち見たわね」
これは見たというのだろうか。見せられたというべきなのでは。シンがそう考えていると、千晶はシンの顔をのぞき込んだ。目線が外れようと、
「逃げないで」
息がつまる。「何を」と言おうとしたが、舌がもつれて、言葉にはならなかった。
「何を怖がっているの?」
「それ……は……」
喉が渇く。否定しなければいけない。なのに、言葉は出てくれなくて。
「そう。やっぱり、話せないのね」
寂しげな表情が、千晶の顔に浮かぶ。そんな顔を千晶にして欲しくないのだ、シンは。
だというのに、そんな顔をさせてしまっている。
「ゴメン、千晶」
「ホント、馬鹿ね」
誰も怒っていないのに。そう言われても、シンはゴメンとだけしか喋れなかった。
沈黙が広がる。二人がシンの言葉を待っている。謝罪じゃない、シンの言葉。
「……僕、行くね。もう列車が来ちゃう」
なのに、シンは逃げた。ぽつりと呟き、止めようとする二人を引き離して。そして駆け足で改札口を通り過ぎる。
「あ……」
「シン! ――落ち着いたら、連絡寄こせよ! いいか、絶対だぞ!」
背後からの声に、シンは立ち止まり、ちいさく「うん」と呟いた。
そして振り返ることなく、ホームへと続く階段を駆け上がった。
――四月十七日(日)雨/晴――
「八十稲羽~、八十稲羽~。お降りのお客様はぁ、お荷物をお忘れなさりませんよぉう、お気をつけくださぁい」
凝り固まった身体を解すように、シンは背を伸ばす。首を回せばボキボキと、小気味よく音が鳴った。電車に揺られることほぼ一日。身体中が強張って仕方がない。
身体を解しながら改札口を出れば、昼下がりの陽光が降り注ぐ。余りのまばゆさに、ちょっと立ち止まったら、その脇をそよそよと桜色の風が吹き抜けていった。ちょっと泥臭さが混じっていた。けれども、胸がすくような、新鮮な風だ。
シンは、すがすがしいそよ風に、身を任せる。
「あら、いい風ね」
どこからか、可憐な女声が聞こえた。あたりには、シン以外いないのに。
だというのにシンは、それが何とでもないかのように、返答した。
「そうだね。ここはいい所だよ」
あたりをぐるりと見回す。駅前だというのに、古錆びた建物が建ち並ぶ。都会ではそうそう見られない、趣のある光景だ。
子供の頃の記憶と全く変わっていない。知らず知らずのうちに、シンの頬が緩む。
「時間ならいくらでもあるから、ちょっと見ていくかい?」
「行く!」
またどこからか聞こえてくる声。それは元気な声だ。うきうきと弾み、純朴で子供のように可愛らしい。
自らの胸から響いた声に、シンは微笑んで、気の赴くままに歩き出した。
しばらく色々な場所を巡り歩いていると、ガソリンスタンドが見えてきた。そこは商店街の入り口らしく、その後ろにいろんな商店が並んでいた。
小腹が空いたので、シンは商店街にあった総菜大学という店で、名物のビフテキ串と、特製コロッケとを一つずつ買った。油の香りが、シンの空きっ腹を誘惑したのだ。
ほかほかの袋を抱えながら、シンは人気のない場所を探す。
幸い、近くに神社があった。それほど大きな神社ではなく、参拝客は見当たらない。また、誰か来そうな気配もない。
神社の石段に腰をかける。もう一度あたりに人がいないのを確認したシンは、そっと慈愛に満ちた声で呟く。
「おいで、ピクシー」
シンの身体に紋様が浮かび上がる。
それはどこか宗教的な意匠で、ほのかに蛍光を発している。神秘的なその光は、脈動するかのように、輝いている。
その蛍光から、光の球がふわりとはき出された。
野球のボールより大きい程度の光球は、シンの周りをグルグルと旋回し、差し出した平手に乗った。
すると、光球が徐々に輝きを失う。同時に、シンの身体にある模様までもが消えていく。
光の消え去った掌。そこに、蝶の羽に似た翼を生やす、小人がいた。シンの手の上で俯せになり、両頬を突いて、足をパタパタさせている。
その姿は妖精という言葉がぴったり合う。当たり前だ。まさしく彼女は妖精なのだから。イングランドの伝承に登場する、悪戯好きな妖精の一種。妖精、ピクシー。それが彼女。
なぜイングランドの伝承に登場するピクシーが、日本の一介の高校生の掌で楽しそうにしているのか。それは様々な理由がある。だが、最も大きな理由は、ただ二人が共にあることを願ったからだ。
ピクシーが神社の境内を軽やかに飛ぶ。それを見ているシンの顔に、自然と笑顔が浮かぶ。
「ふふふ、いただきます」
そしてシンの反対側から、ピクシーはビフテキ串を口にした。美味しそうにもう一口。さらにもう一口。
身体こそ小さいが、ビフテキ串を食べる速度は速い。うかうかしていると、全部食べられてしまう。
慌ててシンも、負けじと大口でかぶりつく。濃厚な肉の味と香りが、出会い頭に強烈なパンチを食らわせてくる。けれども肉を串から食いちぎる頃には、下味であろう胡椒の、ぴりりとした小気味いいアクセントが主張を利かせる。そして噛めば噛むほどしたたり出る肉汁が、それらの味を豪華に、嫌みなくまとめ上げてみせる。
「美味しい?」
「うん!」
ピクシーはそのかんばせを、ひまわりのごとく咲き誇らせた。
「あっ、でも、甘いものが欲しいかな」
シンは苦笑をこぼし、残りの肉を食べきる。コロッケを二人で分けあいながら、後で蜂蜜でも買おうかと、約束をした。
コロッケも食べきる頃には、ピクシーは満足したらしく、お腹をさすっている。
ピクシーの口元に突いたタレをハンカチで拭い、身だしなみを整える。ゴミは近くにあったゴミ箱に捨てた。
「さあ、行こうか」
「うん、行きましょう」
それからは何時の間にか出てきた、大型スーパーのジュネスで約束のものを購入し――何かこだわりがあるらしく、随分高いもをを買わされた――シンは引っ越し先の、古い民家へたどり着いた。
そこは、一ヶ月前に亡くなったシンの祖母が暮らしていた家だ。子供の頃、毎年盆には一度、顔を出していた。どこに何があるのかもよく分かっている。
なのに、どこか違和感がある。仏壇には、真新しい祖母の写真がある。手を合わせようと座った畳は青々としており、い草の香りが家中に満ちている。いつもだったら漬けられている梅干しが今年はない。知っているはずの家なのに、どこか知らない何かが混じっている。奇妙な感覚に、少し胸が締め付けられた。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
ひとまず持ってきた荷物を片す。着替えなんかは、後日に運送してもらう手はずだ。
それが終われば、隣近所に引っ越しそばを渡す。こうして動いていれば、余計なことを考えずにすむ。
そこまですると、もういい時間だ。何か食べようと冷蔵庫を開けるが、しかし当然食べものは何もなく、かといって今から何か買いに行くのは至極面倒。仕方がなく、引っ越しそばを煮て啜ることに。
再び召還したピクシーとそばを食べていると、インターフォンが鳴った。
「はい、どちら様でしょうか」
ギシギシと軋む廊下を渡り、磨りガラスの引き戸を開ける。すると、そこにはがっしりとした体格の、無精髭を生やした男性が立っていた。
その男性が、シンに警察手帳を見せて、胡乱げに訊ねる。
「俺は堂島遼太郎ってんだが、お前さん、間薙さんの知り合いか?」
「孫です。間薙シンと言います」
そう告げると、堂島は納得したのか、警察手帳をしまいながら、先程まであったどこか固い雰囲気を散らした。
「ああ、そうか。そういや、確かにいたなぁ、お孫さん。悪いな、職業柄人を疑いやすくなっちまうもんでな」
後頭部をかきむしる。そんな堂島に対し、シンは頭を下げた。
「すみません。紛らわしいことをしてしまい」
「いや、謝ることじゃないだろう。ほら、顔を上げろ。そんな簡単に頭を下げるな。そんな卑屈だと、いらん疑いをかけられちまうぞ。まあ、年寄りの説教はこれくらいにして、だ。これからお隣同士だ。よろしくな」
差し出された手を握り返す。分厚い手は逞しく、力強い。
「あ、はい。分かりました。こちらこそよろしくお願いします」
「ああ、それと。最近、少し物騒なんでな。こんな田舎町だが、戸締まりはしっかりしておいた方が良い」
言われたとおり鍵をしっかりかけ直し、食卓に帰ってみれば、長机の上にあったそばが、全部なくなっていた。
「ピクシー! 全部食べちゃったの!?」
ピクシーは悪戯っぽく笑う。
「てへ」
その日は時計の針が天辺を越すまで、二人して家中をドタバタと走り回った。
こうして、シンの八十稲羽の初日は終わった。
これからおつきあいお願いします。
あ、感想がございましたら、些細なことでも書いていただければ幸いです。執筆の励みになりますので。それではここらで失礼致します。
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2話
――四月十八日(月)晴――
風の心地よさに、シンはうんと背伸びをした。天を仰げば、ここ最近雨模様が多かった空も、機嫌を直したらしく太陽がさんさんと輝いている。久方ぶりのぽかぽか陽気といい、心地よい風といい、自然とその相好が崩れる。
のんびりと、川沿いの通学路を歩く。きらきらと日の光を反射している川は、透き通っている。
清んだ川に見とれ、立ち止まったシンが水面を眺めていると、魚がぱしゃりと跳ねた。遠目だが、随分と大きかった。釣りをしたら楽しそうだと、やったこともないレジャーに挑戦しようかと考えてしまう。
そうして空想を膨らませていると、背後から気配が近づいてきた。なにやら世間話に花を咲かせているらしい。若い声だ。おそらく学生だろう。
その声にそろそろ学校に行こうか、あるいはもう少しこうやって川を眺めていようかとシンが悩んでいると、
「昨日のマヨナカテレビ見た?」
シンの耳に、そんな言葉がはっきりと入り込んできた。どうしてだろうか、『マヨナカテレビ』という単語が酷く気にかかる。振り返れば、シンの通うことになる高校の制服を着た二人の女子生徒が、横並びに歩きながら話の続きをしている。
「え、何それ?」
「ウソ、知らないの!? 遅れているわよ。いい、マヨナカテレビっていうのはね……」
どうやらマヨナカテレビは八十稲羽で流行っている都市伝説のことらしい。何でも真夜中に一人でテレビを見ると、将来の結婚相手が見えるだとか。
良くある都市伝説だ。実際、東京でも水を張った水面台を見ると……という類似の話が一時期流行った。脳裏に浮かんでしまったような内容でなかったことに、シンは胸をなで下ろす。
ふと気がつけば、辺りは学生が多くなってきた。シンが携帯電話で時刻を確認すると、そろそろ約束の時間だった。
後ろ髪を引かれる思いだったが、転校初日で遅れるわけにもいかず、泣く泣く踵を返す。とはいえ、その足がゆったりした歩調だったのは、ご愛敬だろう。
八十神高校は、河原から十分程度の所にあった。一目見た所これといった特徴はないが、それでもあえていうならば、都会の学校よりも土地があるためか、運動場や体育館は随分と大きかった。
校舎に入れば、部活動の勧誘ポスターが玄関の真正面に、でかでかと張り出されている。
シンはつい苦笑いを浮かべ頬を掻く。部活動に入るつもりは全くないからだ。
「と、いけない、いけない。早く職員室に行かないと」
職員室にはすぐ着いた。白い扉をノックする。
「入れ!」
かえってきた胴間声に、瞬きしてしまう。そしてここが職員室であることを確認する。プレートには間違いなく職員室と書かれている。ちょっと不安に思いながら、入室する。
「ん? 貴様、見ん顔だな……」
扉のすぐ近くに、男性がいた。額が少し寂しく、出っ歯だ。声から察するに、先程入室の命令をした人物だろう。
椅子の背もたれに寄りかかり、閻魔帳で首筋を叩いている。
そしてじろじろとシンをねめつけている。
「転校してきました、間薙シンです」
「そういえば今日、また転校生が来るという話だったな。貴様がその転校生か」
シンが首を振り肯定すると、男性がやにわに立ち上がった。ズボンからはみ出ているYシャツが、うれしくないひるがえりを見せた。
「ワシは貴様の担任となる諸岡金四郎だ。良いか、爛れた都会からやって来たとは言え、このワシの目が黒いうちは、清く正しい学生生活を送ってもらうぞ!」
目の前の諸岡の言動に、シンは目を丸くしていた。転校前の高校の教師の立ち居振る舞いと、あまりにかけ離れすぎていたからだ。なんとかその差異を消化すれば、代わりに頬がひくついてしまう。
それが疳に障ったのか、諸岡はシンに詰め寄り、指を突きつける。
「なんだそのへらへらした顔は! と、そろそろチャイムが鳴る頃か。貴様にばかりかまけるわけにもいかん。貴様へのありがたい言葉はまた今度にしてやる。着いてこい、教室へ連れてってやろう」
諸岡が一人、廊下に出てずんずん先へ歩いて行く。シンは慌ててその後を追いかける。諸岡はポケットに手を突っ込み肩をきる、ごろつきのような歩き方をしているが、意外と早かった。結局シンが追い付いたのは、教室の前だ。諸岡は腕組みをしながらシンを待っていた。
「遅い! いいか、今日からここが貴様のクラスだ。ワシが教室に入るから、その後をついてこい」
諸岡が教室に入ると、生徒が慌てて席に着く音がした。
入り口のところで教室を睥睨していた諸岡が、小さく、本当に僅かに首を頷かせた。真後ろにいたシンだから気がついたが、おそらく他の生徒は気がついていないだろう。
諸岡はそんな仕草をしたことをおくびにも出さず、教卓へ向かう。
シンもついていく。教室のざわめきがひときわ強くなった。
紹介を待っている間、クラス中の視線がシンに集まる。同じように見える生徒から、見世物のように見られ続け、シンは若干気持ち悪さを感じた。また、近くの生徒同士でひそひそ話し出したのも、気持ち悪さを助長させた。彼らに主体性はないのだろうかと。
「静かにしろー!」
諸岡の一喝に、ざわめいていた生徒が口を閉ざす。シンとしては正直助かった気持ちだ。
「さて、それでは不本意ながら転校生の紹介をする。間薙シンだ。軽く自己紹介をしろ」
軽くといわれても、困る。何を言えば良いというのか。ひとまず無難な挨拶をすることにした。
「シンです。引っ越したばかりでご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「ようし、では……窓側の一番後ろが空いているな。そこが貴様の席だ。分かったら早く着け!」
急ぎ足で席に着くと、諸岡がホームルームを開始した。
放課後になった。自分の席に座りながら、八十神高校の一日を振り返ると、少し不安に襲われた。
人がいないという理由で体育教師が英語の授業を受け持ったり、ツタンカーメン風のかぶり物をした女教師が歴史を教えたりなど、個性丸出しの教師陣だった。そのくせ、授業は分かりやすく面白いのが、何故か無性に負けた気になる。
そんなことをつらつら考えながら、教科書を鞄にしまっていると、教室から三つの影が飛び出したのが、目の隅に入った。
一瞬ちらりと垣間見た程度だが、なぜか異様に風格のある男子生徒に、首からヘッドホンを提げた男子生徒、そしてジャージを上から羽織った女子生徒の計三人が、険しい顔つきで教室から飛び出した。
なにやらきな臭い。
放っておけば良いのだが、シンはどうしても三人のことが気にかかってしまう。
判断は一瞬だった。残った教科書を鞄に投げ込み、三人に遅れて教室を出た。
すぐに行動を開始したからか、三人にはすぐに追い付いた。見つからないよう物陰に隠れながら跡を付けていると、三人はジュネスのフードコートに入っていった。
フードコートはジュネスの屋上にある。屋上は夕焼けに照らされ、朱色に染まり、そこに長い影が黒を落としている。
シンは、三人の座る円卓から見えないよう、建物の影に潜む。
そこから様子を窺うと、真剣な面持ちでなにやら話し合っているのが見えた。
かなりの距離があるため、普通ならば声など聞こえやしないだろう。だが、シンの耳は一言一句もらさず、彼らの話している内容を聴き取ってみせた。
「殺人事件なんてもんが、俺たちの身に降りかかってくるとはな……」
物騒なセリフに、意識が三人の様子に集中する。
殺人事件と語ったヘッドホンの男子生徒は、随分と真剣な顔つきだ。嘘や冗談の類いではないのだろう。
「ちょっと、縁起の悪いこと言わないでよ! 雪子はまだ死んでない!」
そんな男子生徒の言に反発するかのように、女子生徒が立ち上がり、テーブルを叩く。あたりに随分と大きな音が響いたが、女子生徒は興奮していて気がついていないようだ。
「わぁってる。落ち着け。状況を整理しただけだ。天城はまだ無事だ。でもな、救出するなら急がねえと。どうやら時間制限があるみたいなんだ。霧が出る前に助けださないと手遅れだそうだ」
女子生徒が携帯電話を取りだし、なにやら操作しだす。
「霧がでるのは、まだ先ね。でも急がないと」
「ああ、行こう。天城を一刻でも早く助けに」
貫禄のある男子生徒の言葉に、他の二人は力強く頷く。
三人が移動を開始した。移動したのは、ジュネスの家電コーナーだ。
こんなところで何をする気かと、離れた場所でシンが見張るなか、三人は店頭販売の薄型テレビ、それもかなり大きなテレビの前に集まっていた。
何故テレビの前に集まっているのだろうか。シンには分からなかった。犯人を探すのではなかったのか。しかしそこでふと、今朝のことを思い出した。
「マヨナカテレビ……?」
それは直感のようなものだ。だが、きっと何か関係があるはずという確信が、どこかあった。
シンがもやもや考えていると、三人は辺りを見回し出す。
そして、テレビの中に飛びこんでいった。
「なっ! そんな!」
シンが慌ててテレビに駆け寄れば、三人の姿は影もなかった。見た光景が見間違いでなければ、三人は本当にテレビに入っていったのだろう。
シンが、画面に指を伸ばす。画面に触れたところから波紋が起き、指の先がモニターに沈んでいく。息を呑み、シンもテレビの中に入ろうとする。
「本当に良いの?」
その声に、テレビに入ろうとしていた身体が止まる。
「ピクシー?」
「そこに入れば、また戦いの日々が待ち受けている。でも、もうシンが戦わなくても良いんだよ? 取り戻した日常を過ごしても、誰も責めないよ」
シンはしばし立ち尽くす。うつむいて、握りこんだ拳を振るわしている。
しかしその顔を上げると、毅然とした表情を浮かべていた。
「それでも行く。行かなければならないんだ。僕のすることに意味がないのかもしれない。彼らが解決するかもしれない。でも、もしかしたら、またあの地獄が再臨するかもしれない。そう思うと、怖いんだ。だから戦う。失わないためにも」
「そう。なら、一緒に頑張りましょう」
「ピクシー、いいの?」
「当然でしょう。アタシたちは仲魔よ。いつだって一緒だったじゃない。今更どこかへ行けっていわれても、ずっと一緒にいるんだから」
「……ありがとう」
シンは地を蹴った。そしてテレビに吸い込まれていった。
鳴上悠は、霧の漂う、舞台のような広場にいた。
広場の上にはスポットライトがあり眩しい。悠の影が落ちる地面には、中央に白黒の的が描かれ、そこの周囲に幾つも、ドラマに出て来る死体のあった場所を示す白線がある。
摩訶不思議な光景のここは、テレビの中にある世界だ。
目的地に着いたことを確認し、辺りの様子を窺う。すると近くには、一緒にテレビに入った花村陽介と、里中千枝とが立っていた。
それぞれすでに、霧を見通せる摩訶不思議なメガネを付けていた。
悠もそれに習いメガネをかける。視界が一挙にクリアになる。
「あれ? そういやぁ、クマはどうしたんだ? いつもなら、出てきても良い頃なんだが……」
陽介が周囲を探している。千枝も「クマくーん」と呼びかけている。悠も、近くにいないかと探すと、広場の中央にある、団子のように三つ連なっておかれたテレビの影で、その身を縮こめようと無駄な努力をしていた。
なにせクマの姿は、人がすっぽり入るほど大きい、クマを模したようなぬいぐるみだ。テレビ程度では到底隠しきれない。
「なにしているんだ、クマ?」
呼びかけると、クマはびくりと身体を震わし、恐る恐る振り返った。明らかにクマは怯えていた。
「セン……セイ? 良かった、無事だったクマね」
「無事? どういう意味、クマくん」
やって来た千枝が訊ねると、クマは身を竦ませる。そして再びぶるぶると震えだした。
「怖い何かがやって来るクマ」
「何か? シャドウじゃないのか、そいつは」
「そうクマ、ヨースケ。シャドウじゃない。シャドウよりももっと恐ろしい何か。とてつもない力を秘めた何かが近づいているクマ」
「恐ろしい? それが何か分かるか?」
「センセイ、ごめんクマ。クマが分かるのは、途方もない力の塊だということくらいクマ」
「そうか。いや、それだけでも十分だ」
クマの頭をなでる。すると多少落ち着いたのか、クマの震えは止まった。まだ辺りを警戒しているが。
「とっ、その何かは気になるけど、一旦置いておこうぜ。雪子を助けに行かねえと」
「ああ、そうだな」
陽介のいうとおり、クマのいう何かが気にかかるが、あまり気にしていても仕方がない。それよりも、雪子を早く助け出さなければならない。悠はクマにそう告げる。
「あ、じゃあ案内するクマ」
クマが雪子のいる場所へ案内しようと立ち上がった瞬間、広場中央のテレビがぶうんと音を立てた。
全員が反応し、テレビから距離をとり様子を窺う。モニターの光は徐々に強くなっていき、そして一人の人物がテレビから飛び出してきた。
「あれ? アイツ、転校生の……確か、シン。そうだ、間薙シンだ」
テレビから出てきたのは、今日転校してきた男子生徒だった。辺りを見回して、顔を歪めている。
「どうするの、彼。このままにしておくと危ないし、だからといって連れて行けないよ」
「そうだな。クマに頼んで一旦帰ってもらおう。クマ、頼めるか」
返事はない。不審に思い、クマを見れば、まるで熱病に犯された患者のように、全身を痙攣させていた。
「お、おい、クマ! しっかりしろ!」
クマの身体を揺すぶるが、その目の焦点はいまだ合わず、ただただ目の前にいるシンを怯えた瞳で凝視するだけだ。
すると、シンが動き出した。
悠は警戒し、その一挙手一投足を見張る。いざとなればクマを庇えるように。しかしシンは、悠の警戒をよそに、いっそ無警戒とでもいうべき気楽さで歩いている。
悠はシンの放つ雰囲気が、けして危害を加えようとしているわけじゃないのに気づいだ。
シンがクマの側まで近寄った。
「ごめんね。怖がらせちゃって。僕みたいなのが近くにいると、怖いよね……」
そして、しゃがみ込んでクマと目線を合わせ、謝った。
一方のクマは、目を丸くしている。
「あ、う」
「でもね、僕には君を傷つけようなんて意志はないんだ。……きっと信じられないだろうけど」
そう告げるシンの目は、とても悲しそうだった。
「う、し、信じるクマ。こ、怖いけど、君はきっと、優しい人だと思うクマ」
シンがうろたえだす。一体どうして動揺しているのか。悠は疑問に思いながらも、二人のことを見守ることにした。
シンが掠れた声で何故? と訊ねる。
「だって、君の目が優しいから。悲しそうだから。だから信じられるクマ」
「そう……、ありがとう」
シンの瞳から、ひとしずくの涙がこぼれ落ちていった。きらきらと光るそれは、クマの手ですくわれた。
「あー、空気読めてねえのは百も承知で聞くけど、シンはどうしてここに?」
陽介が頭を掻きながら訊ねる。悠もそのことが気にかかっていた。
「ああ、放課後君たちが飛び出したのを見て、少し気になって。悪いと思ったけれど、跡を付けたんだ。そしたら君らがテレビの中に入っていって、僕もその後を追ってね」
確かに悠達は教室を飛び出して、注目を集めていた。不審に思われて当然だ。しかし、腑に落ちないのが、どうやってシンがテレビに入ったかだ。おそらくペルソナのない人間は、テレビに入れないはずだ。それは陽介の推測だが、悠もそれで合っていると考えている。となれば、シンはペルソナを持っているのだろうか。
そのことを悠が訊ねてみれば、シンは小首をかしげた。
「ペルソナ? ごめん、ちょっと分からない。それにテレビなら普通に入れたよ」
「ええ! どういうことだ。クマ、何か分かるか?」
「じぇんじぇん」
「役に立たねえな、こいつ!」
「ムッキー! クマにだって分からないことくらいあるクマ」
「そればっかじゃねえか、お前!」
後ろで喧嘩している二人を、視界から外し、悠はシンにいくつかの単語に聞き覚えがあるかを訊ねてみる。
「シャドウについては全然分からない。雪子という名前は、君たちが話していたから名前だけは知っている。ただ誰かは分からない。マヨナカテレビは運命の相手が見える、くらいかな」
嘘は言っていないようだ。悠が見る限り、シンは真摯に答えている。しかしそうするとシンは一体どういう理由でテレビに入れたのか。謎が深まる。
「ねえ、シンくんが気にかかるのは分かるけれど、雪子のことを探さないと」
「そ、そうだな。なあ、シン。事情は後で話すから、一旦外に出て待っててくれないか?」
この通りと、陽介が手を合わせる。が、シンは千枝の言葉に反応していて、陽介の話を聞いていないようだった。
「探す? その雪子って子が、この世界にいるの?」
「そう。だから私たちは助け出そうとしているの」
シンがなにやら考え込み、そして遠くを指差した。
「それは、あそこの城にいる、ドレスを着た女の子?」
「え?」
皆が指し示された方向を見る。が、メガネ越しでも濃い霧のせいで見ることができない。
「ど、どうして分かるクマ! クマの鼻センサーでもそこまでは分からないクマよ」
「そ、そうだぜ、大体霧で、ってクマ、まさかマジであっちの方角に雪子がいるのか!?」
「そうクマ。確かにあっちからユキちゃんの匂いがするクマ」
しかしとうのシンは不可解そうな口調で、訊ね返してきた。
「霧って、何の話?」
「え、いや、ホラ。周りにこれでもかってくらいあるじゃん。私たちだって、クマくんからもらったメガネのおかげで霧を見通せるのよ?」
シンが首を巡らす。
「ごめん。やっぱり霧なんて見えないよ」
悠は二人と目を合わせる。それぞれの瞳には困惑が浮かんでいる。すると、クマが地団駄を踏みだした。かなり苛立っているようで、珍しく語気が荒い。
「もう、分かんない話をここで言い合うのはやめるクマ。それよりクマに妙案があるクマ。シンくんにもユキちゃん探し手伝ってもらうクマ」
「ええ!? で、でも……」
「大丈夫クマ。シンくんなら問題ないクマ。それに、何ならクマのように皆を案内するのを手伝ってもらうクマ」
確かにそれは良い案かもしれない。悠は顎に手を当て考えてみる。
今まではクマの鼻だけが頼りだった。信頼はしているし、重宝している。が、その分負担は大きいだろう。それが二人になれば、クマの負担も減るはず。
「良いと思うが、皆はどう思う?」
「ええ? そうだな。俺は、リーダーが良いって言うなら賛成だ」
「私は……ああ、分かんない! でも、雪子を助けるのを手伝ってくれるなら、賛成」
シンに目をやれば、頷いている。
「事情は分からないけれど、人助けならいくらでも協力させてもらうよ」
「ありがとう、シン」
悠はシンとがっちりと握手を交わす。シンの手は、細い割にかなり力強く感じられる。
予想外の時間を費やしたが、三人改め四人は、雪子がいる城へ急いだ。
城の内部に侵入すると、前回とフロアの様子が違う。クマによれば、道が変わっているらしい。
迷わないよう注意しながら進んでいくと、豪華な飾り付けをされた廊下をうろうろ巡回しているシャドウがいた。
「アレがシャドウ?」
「そうだ」
柱の陰からシャドウの隙を窺っていると、シンが問い掛けてきた。悠が肯定すると、なにやら考え込んでいる。
「ここにいてくれ」
ひとまずシンには安全な場所にいてもらい、悠と陽介、それに千枝とで戦うことに。
隙を見せたシャドウが気配に気づかないうちに一気に近づき、後ろから殴りかかった。模造刀から鈍い手応えが返る。慣れない感覚に悠の眉根がよる。
だがそれを努めて無視し、悠は続けて叫んだ。
「ペルソナ イザナギ!」
悠の背後に仮面を被った戦士が現れる。その手には大太刀が握られている。彼が力をこめると、空から雷が降り注ぎ、シャドウを焼いた。
虚言のアブルリーと悠達が読んでいるシャドウは、電気に弱いらしく、巨大な豆のような胴体を地面に突っ伏し、身体にひとつある大きな口からベロをだらりと垂れ下げた。弛緩した身体は隙だらけだ。
「行くぞ!」
チャンスとばかりに皆で突撃する。必死になって攻撃を繰り返していると、シャドウが断末魔の悲鳴を上げた。そして、その身体を廊下に転がす。
「二人とも問題ないか」
クマたちの様子を窺おうと悠が振りかえれば、そこには信じられない光景が広がっていた。
多くのシャドウが何時の間にか倒されている。そしてその中央に、シンが自然体で立っていた。
「あ、そっちも終わったようだね」
朗らかに笑いかけてくるシンに、悠はどこか不気味さを覚えた。
その底の見えない実力も、そして誰かを倒して笑っていられる精神にも。
知らず知らず背筋が震える。しかし、悠は自分の頬をはたき、活を入れた。
「そっちこそ、怪我はないか?」
「……うん」
少しだけ、シンは嬉しそうな顔をした。
悠はそれ以上聞きただすこともせず、皆を連れて先を急いだ。
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