Fate/betrayal (まーぼう)
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召喚

 それは1月も半ばを過ぎた頃のことだった。

 

「やっはろー!」

 

 今日も今日とて由比ヶ浜の元気な声が部室に響き渡る。

 

「こんにちは、由比ヶ浜さん」

「よう」

 

 俺と雪ノ下もいつも通りに挨拶を返し、いつものように手元の文庫本に視線を落とす。

 由比ヶ浜もやはりいつもの席に腰を下ろし、いつものように携帯をいじりだす。そのうち黙っていることに飽きて雪ノ下に話しかけるのだろう。それがこの奉仕部の日常だ。

 それが今日は少しだけ違った。

 

「そうだゆきのん、はいこれ」

 

 唐突に由比ヶ浜がカバンから一冊の本を取り出した。

 赤い革の装丁の、古めかしい本。由比ヶ浜の手にあることに凄まじい違和感を感じる。

 雪ノ下に目をやると困惑の表情を浮かべている。この本について心当たりのようなものは無いらしい。

 

「由比ヶ浜さん、これは?」

「この前あたしでも読める本選んでくれたでしょ。だからそのお礼!」

「別にお礼なんて……」

「いいからいいから!ゆきのん難しい本好きでしょ?あのねー、あたしも自分でなんか探してみようかなーって思って古本屋さんで見つけたんだ」

「はぁ……」

 

 思いっきりドヤ顔の由比ヶ浜に、雪ノ下はどう返せばわからないようだ。つうか相変わらず仲良いな、こいつら。

 

「なぁ、由比ヶ浜」

「なに、ヒッキー?あ、もしかして羨ましい?ダメだよ~、これはゆきのんへのお礼なんだから。で、でも、どうしてもあたしに選んでほしいって言うなら今度一緒に……」

「本好きの一人として言わせてもらうけどな、本好きは難しい本が好きなわけじゃないぞ」

「ほへ?」

「そりゃ難しい方が読みごたえはあるけどな、あくまでも面白いから難しくても読んでいるわけで。ただ難しいだけで面白くない本なんか好きな奴は、多分この世にいないぞ?」

「え、えぇ~~!?」

 

 いや、そこまで驚くようなことか?ちょっと考えりゃ誰でも分かることだと思うが。

 もっともちゃんと考えて行動する由比ヶ浜というのも考えにくいけど。……うん、まったくもって想像できん。何コレ悲しい。

 

「う~。ゴメン、ゆきのん……」

 

 先程までの得意顔からは打って変わってショボくれる由比ヶ浜。そんな由比ヶ浜に、雪ノ下は優しく微笑みかけた。

 

「気持ちだけで嬉しいわ、由比ヶ浜さん。それに面白いかどうかは読んでみなければ分からないでしょう?あんな廃棄物を組み合わせて出来たような男の言うことなんて気にすることないわ」

「……うん。ありがとゆきのん。ヒッキーの言うことなんか気にしちゃダメだよね」

「友情を深めるのは別にいいんだけど、ナチュラルに俺をディスるのはやめてくれませんか?」

 

 今のある意味由比ヶ浜の方がヒドイよ?雪ノ下はいつも通りだけど。今のがいつも通りとかそっちのがよっぽどヒドイか。

 

「んで、それなんの本なんだ?」

 

 俺は由比ヶ浜が持ってきた本を観察する。

 先にも述べたように、年期の入った赤い革表紙。何か湿ったような質感のそれに、見たことのない文字と真円に囲まれた六芒星、いわゆる魔方陣が金色で描かれている。

 ぶっちゃけ気味の悪い本だった。

 

「……お前ってセンスだけは良い奴だと思ってたんだけどな」

「えー、なんかカッコよくない?」

 

 こんなもん格好良いと思うような奴は材木座くらいだろう。さすがの雪ノ下もこの発言はフォロー出来ないらしく、気まずそうに目を逸らしている。

 

「……まあ表紙と中身の出来は関係ないしな。て言うかそもそもどこの本なんだこれ?英語じゃないよな?」

「これが英語に見えるのなら中g「えっ!?コレ英語じゃないの!?」……少し遡って勉強し直すことをお奨めするわ」

「おい、途中で変えんな。最後まで言い切れ」

「何の話かしら」

 

 明後日の方を向いたままとぼける雪ノ下。マンガなら口笛でも吹いてるところだろう。ホンット由比ヶ浜には甘いよな、こいつ。

 

「で、結局何語なんだ?」

「……見たところギリシャ語みたいね。調べながらでないと難しいかもしれないわね」

 

 難しいで済んじゃうんだ。普通なら頑張っても読めないもんだと思うけど。

 

 その後は特に変わったこともなく、ダラダラと他愛ない話を続けて、下校時刻の少し前に部活終了となった。

 

 そして翌日の放課後。

 

「あの本、読んでみたか?」

 

 雪ノ下に尋ねてみた。何だかんだで興味はある。

 

「ええ、少しだけね」

「あ、読んでくれたんだ。どうだった?」

 

 プレゼントしただけとはいえ、やはり自分が関わった物のことは気になるのだろう。由比ヶ浜も食いついた。

「そうね……何と言えばいいのかしら。とりあえず、普通の本とは言えないわね」

 

 珍しく歯切れの悪い物言い。というか

 

「お前らしくもないな。『普通』なんてジャンルの本がこの世にあるとでも思ってんのか?」

「その意見を否定する気はないけれど、そういうことを言っているのではなくて……いわゆる小説などの類いの、書店に普通に出回っている種類の本ではなかったわ」

「? んじゃ、なんなんだ?」

「そうね……。本物の、と言っていいのか分からないけれど、恐らく魔導書、と呼ばれる物だと思うわ」

 

 ……………………

 

「雪ノ下。少し休め」

「何故かしら。心配されることをここまで不愉快に思ったのは生まれて初めてだわ」

「なあ雪ノ下、お前自分が今何を言ったか理解してるか?材木座と同レベルのことを口走ったんだぞ?」

「……それ以上侮辱するなら後悔だけでは済まさないわよ」

 

 雪ノ下の瞳の奥に本気の殺意が見て取れた。だがここで退くわけにもいかない。

 色々文句を言ってはいるが、俺はこの奉仕部を気に入っているのだ。雪ノ下が壊れていくのを黙って見過ごすことは出来ない。

 

「なあ雪ノ下。俺にとってお前も由比ヶ浜も、もう欠かすことのできないものなんだ。頼むから自分を大事にしてくれ」

「……っ!ひ、比企谷くん、何を勘違いしているのか分からないけれど、私はこの本が何だったのかを答えただけよ?別にこの本に感化されたとか、そんな事実はどこにも無いわ。……だから、そういう不意打ちはやめてちょうだい……」

 

 雪ノ下は、怒りの為にか真っ赤になってそう答えた。

 なんだ、この歳になって中二病を発症したわけじゃないのか。最後の方はよく聞き取れなかったけど、とにかく良かった。ところで何で由比ヶ浜まで怒ってるんだ?

 ゴホン、と何かを誤魔化すように咳払いをしてから、雪ノ下は本の説明に戻った。

 

「いい?この本には悪魔の召喚法や魔術の理論なんかが書いてあるのよ。それもかなり本格的なものが。分類的には恐らく学術書になるのでしょうけど……」

 

 こんなものを学問に含めたくはないわねと、雪ノ下は呆れを含んだ声音で付け加えた。

 まあ、雪ノ下には合わんよな。翻訳の労力を払ってまで読みたいとは思わないはずだ。そんな物、俺だって食指は動かない。そういう設定を用いた物語ならともかく。

 が、興味を持っちゃったバカがいた。

 

「やってみたい!」

 

 由比ヶ浜がなんか眼をキラキラさせてた。

 

「……えーと、由比ヶ浜さん、何を?」

 

 雪ノ下がこめかみを指で押さえて尋ねる。

 

「悪魔召喚とか面白そうじゃん!あたしそういうのやったことないの!」

「大多数の人間はやったことないと思うぞ」

「えー、いいじゃん。なんか魔方陣とか書いてベントラーベントラーって踊るんでしょ?」

「お前小町より酷いこと言ってんぞ」

 

 ねえねえやろうよゆきのんと雪ノ下にまとわりつく。雪ノ下は難色を示しているが……こりゃ落ちるな。

 

「……仕方ないわね。明日から準備を始めて週末にやりましょう。今日の帰りに必要そうな物を買いに行きましょうか」

「やったー!」

 

 ああ、やっぱり。

 無駄だと知りつつも、一応は確認を取る。

 

「オイ、いいのか?」

「……仕方ないでしょう?由比ヶ浜さんはああなったら聞かないんだから」

 

 いや、単にお前が由比ヶ浜に特別甘いだけだと思うが。

 

「ねえゆきのん、必要な物って何があるの?」

「とりあえずは魔方陣を書く為の塗料かしら。片付けのことを考えて落とし易いものがいいわね。後、ロウソクが何本か……」

「ホームセンターで揃うかな?」

 

 女の子二人で買い物の相談、と言うには色気がなさすぎる。

 こんなアホなことで時間使って、自分が受験生だって分かってんのかね。

 

「ほらヒッキーもちゃんと話聞いて!ヒッキー荷物持ちだかんね!」

「ヘイヘイ……」

 

 まあ、楽しそうだしいいか。

 

 

 後にして思えば。

 この時、強引にでも却下しておくべきだったのかもしれない。

 

 

 それから特に何事もなく週末になり、儀式の時がやってきた。

 部室はスペースを空ける為に机と椅子が後部に片付けられ、床には数日かけてコツコツ描いた魔方陣。

 二人は、魔法使いのコスプレでも披露してくれるのか、と思っていたらそんなこともなく。

 あちこちに立てられたロウソクに火を灯して、後は呪文を唱えるだけ。ちなみにそれは雪ノ下の役目だ。なにしろあの本を読めるのが雪ノ下だけだし。

 

「……それじゃあ、始めるわよ」

 

 雪ノ下が雰囲気たっぷりに告げる。別に意識してやったわけではなく、元々そういう空気を纏っていたというだけだが。

 俺と由比ヶ浜は、邪魔にならないように隅の方でしゃがみこんでいる。

 

「残念だったな、自分でやれなくて」

「え?なんで?楽しいよ?」

 

 無理をしている風でもなく、にこにこしながらそう答える。

 要するにこいつは、儀式がやりたかったわけではなく、単に何か変わったことがしたかっただけなのだろう。

 そういう意味ではこの儀式は、既に成功していると言っても良いだろう。

 

「告げる――」

 

 雪ノ下もそれは分かっているのか、特に気負うこともなく淡々と、しかし雰囲気を壊すことなく呪文を唱え始めた。

 

「――告げる。

 汝の身は我が下に、我が運命は汝の剣にーー」

 

 おお、なんかすげぇ。由比ヶ浜も息を飲んで見入っている。

 

「ーー聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うなら応えよ――」

 

 カタン――

 どこかで、そんな音がした。

 

「――誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者――」

 

 轟!

 そんな効果音が付きそうな風が、突如室内に吹き荒れる。

 

「な、なんだ!?」

 

 思わず立ち上がった俺の頭のすぐ横の壁に、ズガン!と何かが叩き付けられる。

 

「……は?」

 

 見れば椅子が壁に突き刺さっていた。

 

「おわーーーーっ!?」

 

 部室内を渦巻く風に乗って、後ろに押し込めていた机や椅子が乱舞していた。つかなんだこりゃあっ!?

 

「きゃあー!?なになになにーー!?」

 

 由比ヶ浜は頭を抱えてうずくまっている。多分それで正解だ。

 

「由比ヶ浜!そのままじっとしてろ!」

 

 俺は一声叫ぶと身を低くして部室の中央、雪ノ下の方に向かって踏み出す。

 雪ノ下はこの状況にも関わらず、いまだに呪文を唱え続けていた。つーかなんか魔方陣が光ってね?

 

「オイ!雪ノ下、止めろ!中止だ!」

 

 理屈やなにやらは分からんが、この現象の原因は儀式以外に考えられない。

 

「雪ノ下!止めろって――!?」

 

 止める気配のない雪ノ下の、肩を掴んで振り向かせようとするがびくともしない。

 力を込めて抵抗されたというより、その位置に固定されている物を動かそうとしたときのような感触。

 雪ノ下の顔を覗き込むと、恐怖にひきつった表情で目に涙を浮かべながら、それでも呪文を唱え続けている。……これ、もしかしなくても、オカルト系のマンガとかでたまに見る、『身体が勝手に動いちゃう』状態なんじゃ?

 雪ノ下が目だけで俺を見る。その瞳が明確に言葉を投げかけてきた。『助けて』と。

 即座に決断する。

 

「後で訴えるとか言うなよ!」

 

 雪ノ下の腰に手を廻し、バックドロップの要領で思い切り引っこ抜く。

 ガクン、と一瞬の抵抗の後、驚くほどあっけなく雪ノ下の身体が浮き上がり、勢いがつきすぎて二人して後ろに倒れこんだ。

 

「ってぇ……、オイ、大丈夫か雪ノ下」

「え、えぇ。助かっ……!?」

 

 セリフの途中で雪ノ下が絶句する。驚愕に見開かれた雪ノ下の視線を追っていくと――

 

「――マジかよ」

 

 例の魔導書――もう本物でいいだろ――が、先程までとまったく同じ位置で、つまりは宙に浮いたままで、激しくページをはためかせていた。

 

「このヤロ……!」

「比企谷くん!何する気!?」

「叩き落とす!」

 

 この状況がなんなのか。はっきり言って皆目見当がつかない。

 だがこれだけは確実に言える。ほっといたらヤバい!

 俺は立ち上がり、右手を振り上げ、思い切り魔導書に叩き付けた。瞬間、

 

「痛っ!?」

 

 魔導書から放電のような光が走り、鋭い痛みが走った。何故か左手の甲に。

 魔導書は意外にも簡単に吹き飛び、一度だけバウンドしてから床に落ちて――同時に暴風も収まった。

 

「何……だったの?」

 

 雪ノ下が呆然と呟く。俺が聞きてえよそんなもん。

 とりあえず手を貸す。

 

「立てるか?」

「え、ええ。ありがとう」

「怪我は?」

「大丈夫……だと思う」

 

 ふう、ようやく人心地ついたぜ。

 余裕が出来たところで由比ヶ浜にも気を向ける。

 

「由比ヶ浜、大丈夫か?」

 

 ……返事が無い。ただの屍のようだ。

 じゃなくて!

 

「オイ!由比ヶ浜!?」

 

 慌てて振り向くと、由比ヶ浜は元の位置で呆然と座りこんでいた。

 ……脅かすなよこのヤロウ。お約束がシャレになってなかったぞ、今の。

 

「……起きてんだったら返事くらいしろよ。おい、目ェ覚ませ」

 

 いまだに呆けたままの由比ヶ浜の頬をペチペチしてやろうと近付くと、ようやく由比ヶ浜が反応を示した。

 

「ヒ、ヒッキー……あれ……」

 

 由比ヶ浜は、震える声と指である方を指した。

 雪ノ下も同じ方を見て固まっていた。

 そこに有る物を見て、俺達が何をしていたのかを思い出した。

 それは、悪魔召喚の為の魔方陣。

 その中心に立つ、俺でも、雪ノ下でも、由比ヶ浜でもない『誰か』が口を開いた。

 

 

「――あなたが、私のマスターですか?」



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令呪

 私、雪ノ下雪乃は、つい先程怪奇現象に遭遇した。

 場所はこの奉仕部の部室。

 部員である由比ヶ浜さんの提案に乗る形で悪魔召喚の儀式を行い、お遊びのつもりだったものが、なんの間違いか成功してしまったらしい。

 部室の床に描かれた魔方陣の中心に、儀式の『成果』が佇んでいた。

 

「あ……あなた、誰!?」

 

 怯えが色濃く滲んだ声。まるで自分のものではないみたいだ。

 召喚された『悪魔』は全くの無反応。言葉が通じないのだろうか?

 

「答えなさい!あなた何な……?」

 

 ふと、視界の半分を影が覆う。

 見れば奉仕部唯一の男子、比企谷くんが私の前に立っていた。

 彼は『悪魔』から視線を外さないまま、呟くような声で告げる。

 

「雪ノ下、少し下がってろ」

 

 ぶっきらぼうだけど、優しさを感じる声。今は警戒と緊張の方が強いけれど。

 庇ってくれている……?

 その、思ったよりずっと広く感じる背中に、少しだけ落ち着きを取り戻した。

 改めて『悪魔』を観察する。

 それは人間の、それも少女の姿をしていた。

 歳は私達とさほど変わらないように見える。

 ローブというのだろうか。体つきが全くわからない、闇色のゆったりした衣装を纏っている。

 明るい、しかしどこかくすんだ色合いの、青みがかった銀髪。フードを浅く被っている為、長さはわからない。

 端正、というだけでは説明が付かない、寒気がするほどに整った顔立ち。しかしその表情には、如何なる感情も映してはいない。

 そして彼女が纏う、正体不明の不気味な気配。

 見た目だけで言えば、美の集大成のような人物だと思う。正直、あの姉さんですら彼女には及ばない。

 だけどこの、見ているだけで不安で気が狂いそうになる『何か』は何なのだ?

 

「お前はなんだ?どっから現れた?」

 

 比企谷くんが問を発する。然り気無く、彼女から私を隠すような位置に踏み出しながら。

 

「マスターの召喚に応じ馳せ参じました。キャスターとお呼び下さい」

 

 っ!? 喋った!?

 

「……日本語分かるのか?」

「はい」

 

 ……なら初めから返事しなさいよ。

 比企谷くんのお陰で、というのが気に入らないが、とにかく冷静さは取り戻した。後は状況を把握しなくては。

 

「もう一度聞くわ。あなたは何者?なんの目的で現れたの?」

 

 …………

 

 耳が痛いような沈黙。それに耐えきれなくなったのか、今まで黙っていた由比ヶ浜さんが口を開いた。

 

「え、えーと、キャスター?さん?何しに来たのか教えてくれないかなー、なんて……」

 

 …………

 

 やはり沈黙。その無表情も相まって、何を考えているのか全くわからない。

 今度は比企谷くんが話しかける。

 

「……なぁ、せめてなんの為に現れたかくらい説明してもらえんと話が進まねえんだけど」

「私は聖杯戦争において、マスターを勝利に導く為に呼ばれました」

 

 !? また!?

 

「聖杯戦争とは何?勝利って、一体誰と戦うの?」

 

 …………

 

 何なのよもう!?質問に答えたり答えなかったり!

 

「……ねえヒッキー、この娘もしかしてヒッキーの質問にだけ答えてるんじゃない?」

 

 由比ヶ浜さんがポツリと洩らす。

 言われてみれば、確かに比企谷くんの質問にのみ返答している。

 比企谷くんと目が合い、互いに頷き合う。ここは彼に任せよう。

 

「……俺の質問になら答えるのか?」

「はい」

「他の奴とは会話できないのか?」

「いいえ」

「じゃあなんで俺だけなんだ?」

「あなたが私のマスターだからです」

 

 無表情のまま淡々と、ごく端的に答え続ける少女。悪魔というよりはむしろ機械のようだ。

 なんとなく気が抜けそうになるが、比企谷くんの表情を見て気を引き締める。彼はまだ警戒を解いていない。

 

「……マスターってのはお前の主って意味か?それがなんで俺なんだ?」

「あなたが令呪を持っているからです」

「れいじゅ?なんだそりゃ?」

「その左手の痣のことです」

 

 自然、比企谷くんの左手に目が向く。その甲に、何か模様のような不自然な痣が浮かび上がっていた。

 

「比企谷くん、それ、何時から?」

「……さっきまでは無かった。多分、あの魔導書をぶっ叩いた時だ」

 

 あの時か……。

 

「……これって健康に害とかないのかしら」

「こえぇこと言うなよ。どうなんだ?」

「令呪自体が体調に影響を及ぼすことはありません」

「そりゃ良かった。んで、聖杯戦争ってのは何なんだ?」

「聖杯を手に入れる為の儀式です」

「……聖杯ってのは?」

「願望器です」

「…………お前の説明は端的過ぎて分かりにくい」

 

 比企谷くんが苦虫を噛み潰したような顔で呟く。

 

「……ねえ、比企谷くん」

「……そうだな」

 

 これだけで通じたらしい。察しがいいのは彼の数少ない長所だ。

 

「なあ、えーと、キャスター、でいいのか?こいつらとも普通に話してやってくれないか?まどろっこしくて敵わん」

 

 比企谷くんが私と由比ヶ浜さんを指してそう言った。それに対する彼女の答えは。

 

「了解しました」

 

 これでようやくまともな会話になりそうだ。

 

 三人がかりで質問を繰り返した結果、判明したのは次のことだ。

 

・この総武校のある冬木市には、聖杯と呼ばれる物が存在していること。

・聖杯にはあらゆる願いを叶える力があること。

・しかし聖杯は形を持たない為、人にも扱えるように器を与えてやる必要があること。

・その為には、魔術師が七人がかりで儀式を行う必要があること。

・その儀式が聖杯戦争であること。

・聖杯に選ばれた七人の魔術師は、歴史上・伝説上で多大な業績を上げた人物の化身、すなわち英霊を使い魔として与えられること。

・その英霊のことをサーヴァントと呼ぶこと。

・サーヴァントにはそれぞれ、その性質に応じたクラスが与えられるということ。

・サーヴァントを与えられた魔術師はマスターと呼ばれ、その証として令呪が与えられること。

・マスター達はサーヴァントを使い、聖杯の所有権を賭けて戦わなければならないこと。

 

「多いな……」

 

 比企谷くんがうんざりしたようにぼやく。

 確かに一度に与えられる情報量としては多すぎる。しかもまだ残っていそうだ。

 

「ていうか、なんでわざわざ戦わなきゃなんないの?せっかく協力して、儀式?してるのに……。てゆーか戦うとか危なくない?」

 

 由比ヶ浜さんが怯えたように口にする。確かに優しい彼女には縁のない言葉だったろう。

 そんな由比ヶ浜さんにキャスターさんが付け加える。

 

「問題ありません。その為のサーヴァントです」

「そう……。それで、聖杯を奪い合う理由は?やはり回数制限かしら?」

 

 私の推測にキャスターさんが頷く。

 

「聖杯によって成就できる願いには、その規模によって制限が有ります。小さな願いであれば無数に叶えることもできるでしょうが、大きな願いを叶えてしまえば聖杯はその力を失うでしょう」

「……つまり、聖杯でなければ叶えられないような願いは、一度だけしか叶えられないということ?」

「実際に一度だけかは試してみるまで分かりませんが、そのような解釈で間違いはないと思われます」

 

 私の質問に、やはり淡々と答えるキャスターさん。感情らしきものがまるで感じられない。サーヴァントというのはこういうものなのだろうか?

 それにしても、どんな願いでも一度だけ叶えられる聖杯か。まるでお伽噺だ。

 だけど目の前には、現実にキャスターなる人物が存在している。ならばもしかしたら……

 

「ねえねえゆきのん、ゆきのんならどんなお願いする?」

 

 あらぬ方向に沈みそうになった思考が、由比ヶ浜さんの声によって引き戻された。

 由比ヶ浜さんの質問の答えを考える。

 

「……そうね。全人類の意思統率かしら」

「怖ぇよ。何お前、独裁者?ヒトラーの生まれ変わりかなんかなの?」

「あいにく輪廻転生は信じていないわ。私に支配してもらえるなら幸せでしょう?」

「そのような願いを叶えることも可能です」

 

 キャスターさんの言葉になんとなく沈黙が降りる。そう、可能なのね……。

 

「じゃ、じゃあヒッキーは?ヒッキーならどんなお願いするの?」

「あ?俺はパスだ。要らねえよそんなもん」

 

 何かを誤魔化すように話を続ける由比ヶ浜さんに、比企谷くんは普段と変わらぬ腐った眼差しで答えた。

 

「え!?なんで!?もったいないじゃん!どんなお願いでも叶うんだよ!?」

 

 由比ヶ浜さんが驚愕の声を上げる。普段ならともかく、今の状況でこの反応は、私も大袈裟とは思わない。

 

「……あなたのことだから一生働かずに済むだけの大金、とでも言うのかと思っていたのだけど」

「私にも理由をお聞かせ頂けないでしょうか?」

 

 キャスターさんにとっても意外だったようだ。一応感情らしきものは持っているらしい。

 比企谷くんは呆れたようにため息を吐いてから答えた。

 

「あのなお前ら、どんな願いでも叶えるなんて謳い文句のアイテムがマトモなシロモノのわけねえだろうが。古今東西の物語を見てみろ。一つ残らずろくでもない結果になってんだろ」

 

 そして小馬鹿にしたように皮肉げに笑う。

 

「どうせ世界平和を願ったら人類を滅ぼして『これでもう戦争は起こりません』とか言い出すようなシロモノに決まってる。この手の物で一番マシなのがドラゴンボールだろうけど、あれだって奪い合いの過程で何人死んでるか分かんねえしな」

「……ヒッキーってよくそれだけ物事を悪い方に考えられるよね。なんか逆に感心しちゃった」

 

 由比ヶ浜さんが、言葉通りに感心したような声を上げた。

 

「随分疑り深い方なのですね」

「親父の教育が行き届いてるんでな」

 

 キャスターさんもやや呆れたように言う。人外の存在にまでこんな態度を取らせるというのは、もはや見事と言うしかないかもしれない。

 

「それよりよ、この令呪ってやつ、なんかサーヴァントに対する絶対命令権とか言ってたけど、具体的にどういうことだ?」

 

 比企谷くんがそんなことを聞く。

 確かにそんな話も出てきた気もする。しかし何故そんなことを今聞くのだろうか?

 不自然と言うほどでもないが、流れが少し強引な気もするが……。

 

「サーヴァントとマスターは、令呪によって霊的に結ばれています。サーヴァントは令呪を通してマスターから魔力を受け取ることで存在を維持しています」

「つまりヒッキーが居ないとキャスターさんは消えちゃうってこと?」

「はい。令呪はそれ以外にも、サーヴァントに対する安全装置の役割も果たします。令呪がある限り、サーヴァントは自分のマスターに危害を加えることは出来ません」

 

 なるほど。戦争などと言われていても、それなりにシステム化はされているわけだ。

 

「……令呪がある限りっつったな。令呪が無くなるような状況も有り得るってことか?」

 

 比企谷くんが口を開く。

 

「はい。令呪は使用することによって消費されます」

「……令呪を使用?」

「令呪は聖杯から与えられた魔力の結晶です。これを消費することで、サーヴァントに対し極めて強い強制力を持った命令を下すことが出来ます」

 

 またしても比企谷くんの左手に注目が集まる。

 よくよく見れば、令呪は三つのパーツに分かれている。

 

「……これ、三回まで使えるってことかしら」

「はい。令呪は、サーヴァントが望まない命令に強引に従わせることも出来ますが、令呪によってブーストをかけることで、能力的に本来不可能な筈の指令を達成させることも出来ます。使い方次第では戦局を覆すことも可能な、聖杯戦争の切り札です」

 

 ふむ……。勝ち抜く為には令呪の使い方とタイミングが鍵になるわけか。

 

「ふーん。んで、これどうやって使うんだ?」

「あ!ヒッキー、もしかしてキャスターさんにエッチな命令しようとしてない!?」

「するかバカ」

「そのような命令を下すことも可能ですが、あまりお薦めはしません」

「だからしねえって。で、どうやんだ?」

「基本的には念じるだけで使用可能です。ですが、集中が不完全だと効果を発揮しない可能性もある為、同時にコマンドを発声した方が良いでしょう」

「令呪を以て命ずる、とかそんな感じか?」

「はい」

 

 ふむ、と比企谷くんは考えるような素振りを見せる。そして冷めたような顔でおもむろに左手を持ち上げ、口を開いた。

 

「令呪を以て命ずる。キャスター、俺の質問に正直に答えろ」

 

 パキン!

 そんな音を立てて、令呪の一画が砕けて消える。

 

「比企谷くん、何を!?」

 

 突然の事態に頭が着いていかない。それは由比ヶ浜さんも同じようだ。そして

 

「……どういうつもりでしょうか?」

 

 キャスターさんの、やはり感情の見えない声が響く。ただしそれは今までとは違い、溢れそうな何かを無理矢理押し込めているようにも感じた。

 比企谷くんは冷めたままの表情で問う。

 

「聖杯戦争ってのは安全なのか?」

「……戦いである以上、ある程度の危険が伴うのは仕方のないことだと思われますが」

 

 キャスターさんの言う通りだ。自分の望みのために他者を蹴落とす以上、相応のリスクは覚悟して然るべきだろう。

 しかし比企谷くんは表情を変えないまま続ける。

 

「聞き方が悪かったな。聖杯戦争ってのは、命を落とす可能性はないのか?」

 

 命!?

 キャスターさんは……苦々しげに顔を歪めていた。

 

「……そう、ならない為のサーヴァントです」

 

 あえて明言を避けるような答え方。それは、暗に肯定しているのと同じだ。

 迂闊だった。何故気が付かなかったのか。さっき比企谷くんも言っていたではないか。

 

 どんな願いでも一つだけ叶える聖杯。

 

 そんな物を奪い合うとなれば――殺し合いになるに決まってる。

 比企谷くんはさらに続ける。

 

「曖昧な答え方だな。令呪は絶対命令権って話、あれは嘘か?」

「いいえ、使い方がまずかっただけです。永続的な命令になると、令呪の強制力も弱まりますから」

「なるほど、弱まるってことは効いてはいるわけだ。ちなみに同じ命令を重ね掛けした場合、縛りがより強固になったりするのか?」

「…………はい、その通りです」

「そうか。なら、令呪を以て重ねて命ずる。キャスター、俺の質問に正直に答えろ」

「ぐっ……!」

 

 令呪が再び弾けて消える。私と由比ヶ浜さんは、最早口を挟むことも出来ない。

 

「……正気ですか。令呪は聖杯戦争の切り札だと説明した筈ですが」

「あのな、俺は素人だ。魔術も使えなけりゃ戦闘の経験も無い。そんな俺が殺し合いとか普通にやらかすような連中と渡り合おうと思ったら、頭に頼る以外にねえんだよ。となりゃ情報は文字通りの命綱だ。切り札を消費してでも精度を上げるのは当たり前だろうが」

「……私の言葉は、信用出来ないと?」

「あ?何言ってやがる。命が懸かってるなんて情報、普通真っ先に知らせるのが筋だろうが。それを聞かれるまで黙ってるような奴信用するわけねえだろ。――英霊だかなんだか知らねえけどよ、あんま人のこと舐めてんじゃねえぞ」

 

 キャスターさんを厳然と見下ろす比企谷くん。彼のこんな表情見たこともない。

 

「……何故、私を疑ったのか、聞かせて頂けないでしょうか」

「お前、質問しただろ」

「は?」

 

 忌々しげに発された問に対して返された、端的過ぎる答えに、キャスターさんは呆けたような声を洩らす。

 

「俺が聖杯を要らないつった時だ。それまではそんなもんかと思ってたんだよな」

 

 確かにあった。だがそれがなんだというのだろう。

 

「使い魔って話だったしな。最初はただ命令を聞くだけのロボットみたいなものなのかとも思ったんだ。だけどそれなら疑問を抱いたりしない。感想だって言わない。それをしたってことは感情があるってことだろ」

「そ、そんなことで?」

「そんなことじゃねえだろ。最初からそういうポーズを取ってたってことは、元から騙す気満々だったってことじゃねえか。残念だったな、ぼっちってのは悪意に敏感なんだよ」

 

 さて、と比企谷くんは気をとりなおすように息を吐く。

 

「本題だ。お前の予測で良い。この聖杯戦争とやらで、俺が生き延びられる可能性はどのくらいだ?」

 

 由比ヶ浜さんが息を飲む。

 そうだった。元はそんな話だった。

 頭がいつものように働かない。こんな大事なことを忘れるなんて。

 キャスターさんは、重々しく言葉を紡ぐ。

 

「……おそらく、絶望的ではないかと」

「そんな……!」

 

 由比ヶ浜さんが立ち上がり、それを比企谷くんがたしなめる。

 

「落ち着け、由比ヶ浜」

「だって!ヒッキーなんで落ち着いてるの!?死ぬって言われてるんだよ!?」

「そうならない為の方法をこれから考えるんだよ。だから落ち着け」

 

 渋々腰を下ろす由比ヶ浜さん。他ならぬ比企谷くん本人に言われては落ち着く他ないだろう。

 

「……比企谷くん、何か考えでもあるの?」

「んにゃ、正直さっぱりだ。だからこそ情報には精度が欲しいわけだしな。その前に、一つハッキリさせておきたいことがあるんだが……キャスターってのは『クラス』の名前なんだよな?ならお前にも本名とかあんのか?」

「…………有ります」

 

 彼女はやや強張った無表情で答える。比企谷くんは、それを無視して質問を続けた。

 

「なんてんだ?」

「……サーヴァントにとって、敵に正体を知られることは極めて不利なこととなります。魔術の知識を持たないマスターが」

「答えろ」

「…………メディア、と申します」

 

 比企谷くんが私を見る。知ってるか、ということだろう。

 私は首を横に振った。

 

「んで、メディア。ハッキリさせたいことってのはこれなんだが、お前は聖杯を使って何をするつもりなんだ?」

「!?」

 

 キャスター、いや、メディアさんが驚愕に目を見開く。私の反応もさほど変わらない。

 

「比企谷くん、どういうこと?」

「ゲームとかだと自分よりも強い奴を召喚するってのは割と普通なんだけどよ、実際にこの目で見たらちょっと疑問に思ってな。仮にも英霊とまで呼ばれる存在が、その辺の高校生のガキの命令に従うってんだぞ?不自然にも程があんだろ」

 

 特に考え付きもしなかったが、言われて見れば確かに不自然極まりない。

 

「使い魔とか言う割に、サーヴァントは自我が強すぎる。無理矢理呼び出されたってよりは、召喚されるのを承諾したって感じだ。こいつはただの推測だけどな、聖杯はマスターだけじゃなくてサーヴァントの願いも叶えるんじゃないか?」

 

 比企谷くんはさらに続ける。

 

「だからサーヴァントは召喚に応じるんだ。自分にも叶えたい願いがあるから。そうでもなけりゃ、赤の他人の私利私欲の為の殺し合いに手を貸したりするかよ」

 

 世界の危機に立ち向かう為とかならともかくよ、と冗談めかして付け加える。

 比企谷くんはメディアさんに向き直った。

 彼女は変わらず仮面のような無表情。しかしその白い面はどこか青ざめて見える。

 

「つーわけでメディア。お前の願いってのはなんだ?」

 

 途端、メディアさんが頭を抱えた苦しみ出す。

 

「ど、どしたの!?大丈夫!?」

 

 由比ヶ浜さんが心配して声をかける。だがおそらくこれは……

 

「由比ヶ浜、近付くな。令呪の強制力に抵抗してるだけだ」

 

 やはりそうなのだろう。

 彼女の願いとはなんなのだろうか。これ程苦しんでまで隠したがる、聖杯などという物に頼ってまで叶えたい願い。

 何か恐ろしいことを企んでいるのだろうか。

 

「答えろ、メディア。お前は、聖杯に、何を望む」

 

 比企谷くんも同じことを思ったのだろう。彼女に対し、冷徹に命令を重ねる。

 

「わ……たし、は……!」

 

 強制力というものはやはり逆らい難いものなのか、ついにその口から声が漏れる。

 

「私……は……、幸せに……なりたい……!」

 

 沈黙。

 部室に響くのは、ぜえぜえという荒い呼吸音のみ。

 私達は気まずげに顔を見合わせる。

 突如現れ、私達を混乱に陥れ、命懸けの戦いに巻き込み、英霊とまで呼ばれる少女が、万能と言われる願望器に望むもの。

 それは、誰もがごく当たり前に望む素朴なものだった。

 

「……今日はもう解散しようぜ」

 

 比企谷君が疲れたように提案する。確かにこんな状態では、まともなアイディアなど出てこないだろう。由比ヶ浜さんも頷いた。

 メディアさんはやはり比企谷くんの家に行くのだろうか。霊体化、というのが出来るらしいから、家族の目を誤魔化すのは難しくないだろうが。

 そんなことを考えながら彼女の方に目を向ける。

 

 ぞわり。

 

 悪寒が走る。

 

「雪ノ下、どうした?」

「え?」

 

 比企谷くんに気を取られ、再び彼女に目を向けた時には、その感覚は霧散していた。

 

「……いえ、なんでもないわ」

 

 私がそう答えたのを最後に下校することになった。

 帰り道で思い出す。

 あのメディアという少女が最後に一瞬だけ見せたあの眼。

 私はあの目を知っている。そして同時に、私はあの眼を知らない。

 あれは憎しみの眼だ。私がこれまでに、何百何千と向けられてきた視線。

 だがしかし、彼女のそれは、私の知るものとは強度においてまったくの別物と呼んでもいい。

 あれほどの憎しみをぶつけられたのは生まれて初めてだ。おそらく、これまでの人生で受けたもの全てを総合したよりも大きかっただろう。

 だけど腑に落ちない。

 一体なにがそこまで憎かったというのだろう。

 私には……あの少女が、まるで理解出来ない。



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戦略

私はただ、帰りたかったのだ。

家族の眠る、故郷へ。



 窓から射し込む朝日に目を開ける。

 時計を見るとまだ5時を回ったところだ。こんな早くに目が覚めたのは初めてかもしれない。

 

「メディア、居るか?」

「ここに」

 

 ――しゅるり。

 

 そんな音を立てて、闇色のローブを纏った少女が姿を現す。

 俺に仕えるキャスターのクラスのサーヴァント。キャスターとは魔術師という意味らしい。何語だかは知らんが。

 

「何用でしょうか」

「……いや、昨日の今日なんで、もしかしたら夢だったのかと思ってな」

「左様ですか。では私はまた休ませて頂きます。ご用命とあらば何時でもお呼び立て下さい」

 

 そう言い残して、現れた時と同じように姿を消す。霊体化、というやつらしい。魔力の消耗が少ないいわゆる省エネモードだそうだ。

 

 ハァ。

 

 日曜の朝だというのにため息が出る。

 今日は雪ノ下のマンションで作戦会議の予定なのだが、約束の時間までまだ四時間以上もある。

 こんな時間ではアニメもやってないし、寝直そうにも夢見が悪かったせいでまるでそんな気が起きない。別に悪夢というわけでもなかったのだが……

 

「……ヘンな夢」

 

 俺はまた、嘆息した。

 

 午前10時。

 約束の時間丁度に、雪ノ下の部屋に呼び出しをかける。

 

『遅い。由比ヶ浜さんはもう来てるわよ』

「時間ぴったりだろうが」

『だから何?五分前行動という言葉を知らないの?小学校で教育を受け直してきた方が良いのではないかしら』

「早すぎる方が失礼なパターンだってあるだろうが。つうか五分前に来たら来たで文句言うんだろ。さっさと開けろ」

『……やめましょう』

「……そうだな」

 

 通話が切れると同時に入口の自動ドアが開く。

 俺は中に入ってエレベーターに乗り、十五階のボタンを押した。

 先程のやり取り、お互い言葉は普段と大して変わらなかったが、そこに含まれた刺はいつもよりずっと鋭かった。

 雪ノ下が切り上げてくれなかったら、多分本気の喧嘩になっていた筈だ。

 余裕がなくなっている。もっとも当然と言えば当然なのだが。

 なにしろ懸かっているのは命なのだ。しかも状況次第では、無関係の相手を巻き込む恐れがある。これで普段通りにしろという方が無茶な注文だろう。

 家を出る際も、小町にいつもの如く茶化されたが、上手く冗談で返すことが出来ずに心配されたりした。

 これでは駄目だ。平常心を取り戻せ。

 エレベーターが止まる。

 下りていくつか並んだドアの一つの前に立ち、インターホンを押すとさほど待つこともなくドアが開いた。

 

「よう」

「……入って」

 

 出迎えに来た雪ノ下に軽く挨拶し、部屋に上がる。リビングでは由比ヶ浜がソファでくつろいでいた。

 

「あ、やっはろー、ヒッキー!」

 

 普段と変わらぬ声と笑顔。

 

「よう。今日も元気だな、由比ヶ浜は」

「うん!沈んでても何にもなんないもん。ヒッキーは今日も目が死んでるね」

「うっせ、ほっとけ」

 

 いつも通りの会話。だがお互いにどこかぎこちなさを感じる。

 唐突に訪れた非日常に、由比ヶ浜とて動揺しているのだろう。それでも普段通りに振る舞おうとしてくれてる。

 そんな由比ヶ浜に、俺も雪ノ下も何度となく助けられてきた。だが今回ばかりは由比ヶ浜に頼り過ぎるわけにはいかない。

 

「比企谷くん、メディアさんは?」

「居るぞ。メディア」

「はい」

 

 短い返事とともに、メディアが虚空から姿を現す。雪ノ下と由比ヶ浜が揃って息を飲んだ。

 

「……ホントに人間じゃないんだ」

 

 由比ヶ浜がどこか感心したような声を漏らす。

 

「……それじゃあ早速始めましょうか。みんな、紅茶でいいかしら?」

 

 雪ノ下の言葉に全員が頷いた。

 

 

 

「まず、サーヴァントは七人。セイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、アサシン、キャスター、バーサーカーのクラスが一人ずつになるそうだ。同じクラスのサーヴァントが二人、という事態は有り得ないらしい」

 

 昨日、家に帰ってからさらに詳しく聞き出したことを二人に説明する。

 

「サーヴァントは元々持っている能力に加えて、各クラス毎にボーナスのようなものが与えられるそうだ。キャスターだと『陣地作成』だったか?」

 

 俺の言葉にメディアが頷く。

 

「それはどういった能力なの?」

「任意の土地に自分に有利な領域を設置することができます。戦闘に不向きなキャスターのクラスは、ここで待ち構えるのが基本的な戦術になります」

 

 雪ノ下の質問に、メディアが抑揚のない声で答える。俺はそれにさらに付け足した。

 

「ゲームっぽく説明すると、そこに居る限り自分のパラメーターアップ、HPMP回復、特殊能力付加、敵の場合は逆にパラメーターダウンとかそんなところか」

「……比企谷くん、これはゲームではないのだけれど」

「いや、説明聞く限りだと色々ゲームっぽいんだ、これが。俺としては理解しやすくてありがたい」

 

 雪ノ下はふむ、と頷く。

 

「他のクラスにはどんな能力があるの?」

「アサシンが『気配遮断』。文字通り、気配を完全に消すことができるらしい。これを使われると魔術でも機械でも発見することは不可能だそうだ。バーサーカーは『狂化』。理性を失う代わりに全ての能力が上昇するらしい。三つは覚えたんだが……」

「覚えきれなかったの?理解しやすいという言葉はどこへ行ったのかしら。ああ、ごめんなさい。どんなにデータを圧縮したところで容量自体が皆無では何の意味もなかったわね」

「うるせぇな……。途中で割り込むんじゃねえよ。説明くらい黙って最後まで聞けねえのか」

「あなたがちんたら喋っているからでしょう?言葉をいくら重ねたところでそこに含まれる意味がスカスカでは情報量が多いとは言えないのよ。そんなことも分からないの?」

「ああ?今の説明のどこら辺に無駄があったってんだ、言ってみろオイ」

「ちょっ、やめようよ二人とも!」

 

 ヒートアップする俺と雪ノ下に、由比ヶ浜が割って入る。

 

「……ごめんなさい」

「……いや」

 

 駄目だ。本気で余裕がなくなってるらしい。普段ならこのくらい軽く流せる筈なんだが。

 止めてくれた由比ヶ浜をじっと見つめる。

 

「ど、どしたのヒッキー?」

「……いや、助かった。ありがとな」

「へっ!?う、ううん!なんでもないよこんなの!」

 

 そうは言うが、由比ヶ浜の存在は正直でかい。

 俺が辛うじて平静を保っていられるのは、彼女のおかげと言っても大袈裟ではないだろう。それはおそらく、雪ノ下にとっても変わらない筈だ。

 気を取り直して再開する。

 

「続けるか」

「そうね。各クラス毎に一つずつ特典がある、という解釈で良いのかしら?」

「いや、それが他の四つだとボーナスが複数あるらしいんだよ」

「え!なにそれズルい!」

 

 まったくだ。

 

「そのせいで覚えきれなくてな。メディア、頼む」

 

 俺の言葉にメディアが頷いて後を継ぐ。

 

「他のクラスは主に戦闘力を底上げするタイプのアビリティが与えられます。特にセイバー、ランサー、アーチャーのクラスは三騎士と呼ばれ、対魔力のアビリティを獲得できる強力なクラスとされています」

「対魔力?」

 

 由比ヶ浜が首を傾げる。

 

「いわゆるレジスト能力ってやつだな。ファンタジーじゃ割とお馴染みの言葉だ。魔術の効果を半減したり無効化したり、だろ?」

「はい。中でもセイバーのクラスは最高の対魔力が与えられ、魔術による攻撃はほぼ全く通用しません。パラメーターも総合的に高く、全クラス中で最強とも言われています。キャスターの私にとっては天敵と言っていいでしょう」

「魔術が通用しない…。マスターのほぼ全員が魔術師であることを考えると破格とも言える能力ね。最強というのも頷けるわ」

「まあ俺には関係ないけどな。そもそも魔術使えないし」

「比企谷くん。他の人とのハンディが消えただけではあなたがハズレだという事実は覆らないわよ」

「そうだな。セイバー以外には結局俺一人だけ不利なままだしな、ってやかましいわ」

 

 雪ノ下に突っ込んでから先を続ける。

 

「問題は他にもあってな、つーかこっちのが重要なんだが……」

「問題?」

「実はな……ウチのメディアなんだが、弱体化してるらしいんだよ」

「どういうこと?」

 

 雪ノ下の疑問に頭を掻きながら答える。

 

「サーヴァントはマスターから令呪を通して魔力を受け取ってるって話だったろ?つまりマスターの魔力が大きいほどサーヴァントも全力に近い状態で戦えるわけなんだが……」

「つまり比企谷くんが無能なせいでメディアさんは力を発揮出来ないと」

「人を傷付ける事だけを目的とした事実確認はやめてくれる?これ前にも言ったよな?」

 

 ジト目で雪ノ下を睨む。が、事実なのでそこまでだ。

 そんな俺達を無視してメディアが説明を続けた。サーヴァントにシカトされるマスターって俺だけなんじゃないだろうか。

 

「魔術の素養は魔術回路という、通常の神経の裏側に存在する、普通ならば使われることのない隠れた神経の数によって決定します。マスターの場合、この魔術回路がほぼ全く存在しません」

「そのせいでメディアは全盛期から外れた年齢で召喚されて、能力自体も大きく低減しちまってるそうだ」

「メディアさんってホントは歳違うんだ。てか結局ヒッキーが足引っ張ってんじゃん」

「ほっとけ、つーかどうしようもねえだろそんなもん。生まれつきのものなんだから。金髪に産まれてこなかったのが悪いとか言われてんのと変わんねえぞ」

 

 いやもうホント、目が腐ってるとか言われてもどうすりゃいいんだよそんなもん。心根の問題ですか?じゃあ俺が悪いか。

 

「まあとにかく、無い物ねだりしてもしょうがねえ。この戦力で生き残る方法を考える」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜が頷く。

 

「……そうね。そうなると最も警戒しなければならない相手は……」

「アサシンだ」

 

 俺の言葉に他の三人が動きを止める。

 

『何言ってんだこいつ』

 

 目がそう言っていた。

 何これデジャヴ?中一の時の白井さんグループの表情にそっくりなんですけど。

 

「比企谷くんどういうこと?どう考えてもセイバーの方が相性が悪いと思うのだけれど」

「そうだよヒッキー。メディアさんも自分で言ってたじゃん」

 

 メディアも口には出さないが目で疑問を投げ掛けてくる。

 

「いいか、おそらく俺は全マスターの中で最弱だ。多分メディアもな。弱体化してなけりゃどうだったか分からんが」

 

 メディアは少々不愉快そうな顔をしたが何も言わなかった。

 

「要するに誰と当たったところで不利なのは変わらない、つか正面からやりあったら多分負ける。なら俺達が生き残れるかは、一つしかないアドバンテージをどれだけ活かせるかで決まる」

「アドバンテージって何?」

「優位性。お前ホントに受験して総武校に入ったの?」

「そのくらい知ってるし!バカにしすぎだから!」

「それで、私たちの有利な点とは何なの?」

「敵に知られていないこと。メディアの話によると、マスターは基本先着順で選ばれるらしいんだが、期限までに七人揃わない場合は冬木市に居る人間の中から残りのマスターがランダムに選ばれるらしい」

「随分とはた迷惑ね……」

 

 雪ノ下が顔をしかめる。

 

「で、その際も魔術師としての素養がある人間の中から選ばれるらしいんだが、今回俺が選ばれたのは完全なイレギュラーなんだそうだ」

「……なんかすごいヒッキーらしいねそれ」

 

 どういう意味だオイ。分かってんだから言うんじゃねえよ。『間違って選ばれし者』とか材木座だって羨ましがらねえぞ。

 

「つまり、予め聖杯戦争に備えて情報収集していた奴であっても、俺がマスターになることはどうやっても予測出来ない。魔力も持ってないから令呪さえ隠し通せばマスターとばれることはないだろう」

「……なるほど。つまり比企谷くんの戦略は」

 

 雪ノ下は俺の考えに気付いたらしい。

 

「ああ。戦っても勝てない。ならば初めから戦わない。名付けて『漁夫の利作戦』。他のマスターが全滅するまで隠れ通す」

「うっわー……。なんていうか……ヒッキー、生きてて恥ずかしくならない?」

「バカ言え。これが一番安全かつ確実な戦法なんだよ。大体昨日も言ったように俺は聖杯なんか要らねえんだよ。そんなもんの為に殺し合いとか馬鹿げてんだろうが。俺と関係ないとこで勝手にやってろっての」

 

 由比ヶ浜は俺の言葉に考え込むような素振りを見せた。そして一つ頷くと口を開いた。

 

「……うん、そだね。わざわざ自分から危ないことすることないもんね」

 

 どうやら同意を得られたらしい。それは雪ノ下も同じなようだ。

 メディアもやや不満気にしてはいたが、積極的に反対するつもりはないらしい。

 

「そうなるとこれまで以上に情報が重要になってくるけど……。なるほど、それでアサシンなのね?」

 

 雪ノ下の言葉に頷いて答える。そう、それがセイバーよりもアサシンを警戒する理由だ。

 

「実際にどんな奴なのかは分からんが、クラスの特性を考えるとアサシンはどう考えても情報戦に特化したサーヴァントだ。何時の間にか身元がばれて、気が付いたらグサリ、なんてことにもなりかねない」

 

 由比ヶ浜が息を飲む。

 雪ノ下も緊張を含んだ声で続けてきた。

 

「それで、何か考えはあるの?」

「ああ、一応な。それで雪ノ下にいくつか頼みたいことがあるんだが……その前に、メディア」

 

 俺は、これまでずっと黙って成り行きを見守っていたメディアに声をかけた。

 

「マスターならサーヴァントは見ただけで分かるって話だったが、それって誤魔化す方法とかあるか?」

「通常なら不可能ですがそのような能力も存在します。私にも可能です」

「そいつは重畳。もう一つ聞くが、催眠術みたいなの使って人の記憶を操ったりは?」

「暗示は魔術の初歩です。魔力に耐性の無い人間の意識を操るのは容易いでしょう」

「うし。なら決まりだな」

 

 満足そうに頷く俺を、雪ノ下が訝しげに見る。

 

「比企谷くん、何をするつもり?」

「大したこっちゃねえよ。用意して欲しい物ってのはな……」



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宝具

 許さない。

 

 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。

 

 ベッドで眠るマスターを見下ろしながら、心の中で繰り返し呪詛を唱える。

 この男は私の内側に無断で踏み込んだ。

 絶対に許すことはできない。あの二人の女もだ。

 私が召喚されたその日、こいつは令呪の強制力をもって私の望みを強引に聞き出した。

 

『幸せになりたい』

 

 そんな平凡で、月並みで、在り来たりで、誰もが当たり前に抱く願いを、よりにもよってこのメディアの口から吐き出させたのだ。

 耐え難い屈辱だった。

 この男も、あの女共も、生かしておくことはできない。

 懐から一振りの短剣を取り出す。

 刀身が奇妙に歪んだ奇怪な短剣。

 その柄を両手で握り、仰向けに眠る比企谷八幡の心臓目掛けて振り下ろし――刃先が届く寸前で止まる。

 自分の意志ではない。令呪によるリミッターが働いた結果だ。

 特に驚くこともなく諦める。

 分かっていたことだ。というか昨夜も同じことをしていた。

 自分の持つ短剣に目をやる。

 刃が大きく曲がりくねってS字にも見えなくない。いや、角度を考えるとむしろZか。

 この実用性があるとは到底思えない短剣は、単にデザインが変わっているだけの物ではない。

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 

 英霊を英霊足らしめるアイテム、宝具。サーヴァントの切り札だ。

 この『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』こそは、ありとあらゆる契約を破壊する裏切りの魔剣。

 これさえあれば令呪の縛りも意味を成さない。マスターである比企谷八幡に直接届くことはなくとも、自分の腕を軽く一刺しするだけで支配から脱することができる。

 この男は、間抜けなことに宝具に関することを全く質問しなかったのだ。

 もし質問されていたら答えざるを得なかった。令呪二つ分の強制力が働いている為、嘘をつくこともできない。

 もっとも質問が出なかったのは宝具に関する情報を与えなかったからだし、万一質問された場合、その場で契約を解除して皆殺しにするつもりだった。

 ただその場合、自分は新しいマスターを見つけることができずに朽ち果てていた可能性が高い。だからお互いに運が良かったと言えなくもない。

 ともあれ契約の破棄はいつでもできるのだ。その後の見通しが立つまでは、この男のサーヴァントに甘んじるべきだろう。

 それに、忌々しいがこの男の立てた戦略は正しい。

 今の私では誰と戦っても敵わないだろう。そもそも正面対決など魔術師の領分ではない。敵を共倒れに誘い込むというのは、極めて魔術師らしいとさえ言える。

 だがその方法では、最後に一人残ることになる。その時の為の準備は早い段階でしておくべきだろう。

 ネックになるのは魔力量だ。このマスターにはこれが絶対的に不足している。

 正直キャスターである自分にとっては、ほとんど致命的とも言える条件なのだが、こればかりは文句を言ったところでどうにもならない。努力で改善できるようなことでもないし。

 足りない物があれば他所から持ってきて補うのが魔術師だ。質が悪いなら数で補えば良い。

 他のマスターに気付かれるかもしれないからと、魔術は使うなと言われているが……なに、要は気付かれなければ良いだけの話だ。

 弱体化しているとは言え、キャスターである自分以上に魔力の扱いに長けた者など居るものか。

 窓枠に手をかけ、もう一度マスターの寝顔を振り返る。

 殺すのはいつでもできる。ならばそれは、私を侮辱した罪を償わせる為に、後悔すら出来ぬ程の絶望を与えてからだ。

 私は薄く笑い、夜の街へ繰り出した。

 

 

 

 屈辱だ……。

 

 翌朝、私はいつもとは異なる衣服に身を包み、多数の好奇の視線に晒されていた。

 マスターによれば戦略の一環らしいが、全く意味がわからない。一体これに、どんな意味があるというのか。

 小さな部屋に押し込められた、沢山の若い男女。まるで飼育小屋のようにも見える。

 ならば私の隣に立つこの中年の男は、さしずめ飼育員といったところか。

 

「おらお前ら静かにしろ!……それじゃキミ、自己紹介して」

 

 中年男に促され、私は事前にマスターから命じられていた通りに言葉を発した。いや、正確には腹いせも込めて少しだけ変えてあるが。

 

「初めまして。本日からお世話になります、比企谷メディアと言います。皆さん、よろしくお願いします」



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魔女

「比企谷メディアと言います。皆さん、よろしくお願いします」

 

 総武校の制服に身を包み、教室の壇上で明るい笑顔を振り撒く我がサーヴァントを見て――俺は頭を抱えた。

 

 何あれ可愛い銀髪キレー彼氏いんのかな比企谷ってどっかで聞いたことないっけどこの国の娘なんか耳尖ってね?

 

 そんなざわめきに混じって、いくつかの視線が俺に突き刺さる。

『何か関係あんの?』という、葉山を始めとした数人の目だ。

 メディアは今朝になって用意された、一番後ろの窓際という主人公専用の特等席(しかも葉山の隣)に座らされていた。俺の隣よりはマシだが目立ちすぎる。

「よろしく、比企谷さん」という声が、それほど大きくないにも関わらずはっきりと聞こえて、思わず鳥肌が立つ。

 この鳥肌の原因には、異様に鋭い三浦の姉御の眼光も含まれる。俺に向けられているわけでもないのに怖すぎる。

 HRが終わってすぐに一限目の担当教師が入ってきた。メディアが質問攻めに遭うのは休み時間になってからだな。

 

 一限目の授業が終わるとすぐさま教室の隅、メディアの席の周りに人だかりができた。

 出身国は趣味は彼氏はと、チェーンガンの如く質問が繰り出される。ちょっと落ち着けよお前ら。聖徳太子だって十人同時に聞くことは出来ても、同時に答えるのは無理だろさすがに。

 隣で巻き込まれていた葉山が、マネージャーよろしく皆の手綱を引いていた。あいつ英霊になったらライダーになんのかな。

 

「ヒッキタッニくん!」

 

 机に頬杖をついて眺めていると、後ろ首に衝撃があった。

 見れば金髪の男子が、肩を組むようにして馴れ馴れしく腕を回している。

 バカだった。間違えた、戸部だった。

 

「……何だよいきなり」

 

 鬱陶しいから離れろ。海老名さんに見られたらどうすんだ。

 

「なあなあヒキタニくん、メディアさんとどういう関係?」

「なんで俺が関係あると思うんだよ」

「だって名字一緒じゃん」

 

 ……こいつ俺の名字知ってたのか。じゃあちゃんと呼べよ。

 

「どういうって言われてもな……」

 

 ぶっちゃけこの状況は想定外だった。

 確かにメディアには、暗示を使って学校に通うように指示を出したが、それは隣のクラスに適当な名前で、という筈だったのだ。それが同じクラスというだけならまだしも同じ名字とは……。

 

「あいつに直接聞けよ」

 

 さすがにただの偶然とは言えず丸投げする。

 

「おぉ!?あいつとかかなり親しげじゃん!やっぱ彼女とか?」

 

 うぜぇ。なんで同じ名字で彼女になんだよ、意味わかんねぇぞ。ああ、そういやこいつ戸部だったっけ。違った、バカだったっけ。

 

「でも話聞こうにもあんだけ人が居るとなー。しばらくはムリっしょ、これ」

 

 確かに。

 ホントはメディアを問い詰めるつもりだったんだが、クラスで目立つ方の戸部でも断念する程となると俺にはもっと無理。

 と思っていたら向こうから声をかけてきた。

 

「マスター」

 

 教室が静まり返る。

 …………何言ってくれちゃってんのこのバカ?

 

「……マスターはやめろ」

 

 怒鳴りたくなるのをギリギリで自制してそう答える。一体何のつもりだこいつ。

 

「では……八幡様」

 

 ざわ……!と、カイジのモブばりに教室がざわめく。

 さらに戸部のバカに席から引き起こされてガクガクと揺さぶられる。

 

「ちょっとちょっとヒキタニくんどういうことよ!?この美少女とマジでどういう関係なわけ!?」

 

 いや気持ちは分かるよ?

 クラスメイトの冴えない男に突然親しげに接する美少女が現れたら俺だって混乱する。

 でも頼む。考える時間をくれ。俺にも何が起きているのか分かってないんだ。

 メディアを見ると、先ほどまでにこやかに笑っていたのに今は無表情。何それ意味深すぎる。

 

「あんさー、なんでヒキオのこと様付けで呼んでんの?」

 

 大根乱妖精の乱舞する周囲を無視して、頼れる姉御が口を開いた。

 それに対してメディアは、俺だけに分かるように薄く笑った。このアマ、面白がってやがる……!

 はたして謎の銀髪美少女転校生の答えとは。

 

「私は八幡様の下僕ですから」

 

 帰りてえ……。

 

 

 あっという間に放課後。「ほうかご」と入力すると最初に放火後と出るのは何故だろう。

 俺は昼休み同様逃げるように教室を抜け出し、部室へと退避していた。

 

「……随分お疲れのようね」

「ああ、ちょっとな……」

 

 そんなに酷く見えるのだろうか。雪ノ下が皮肉を込めることすらせずに気遣う言葉をかけてきた。

 今日一日はきつかった。文化祭直後がまだマシに思えたほどだ。

 メディアはギリシャ産まれの遠い親戚ということになっていた。

 下僕やら様付けやらは、日本語に慣れてないことからの勘違いということに落ち着いたのだが、それでも女子からは侮蔑と嫌悪、男子からは嫉妬と憎悪の視線を浴びせられてへとへとになっていた。

 誤解だって言ってんのになんで態度変わんねえんだよあいつら。特に戸部、お前海老名さんが好きなんじゃなかったの?

 件のメディアはというと、上位カーストにあっさりと溶け込んでいた。つうか猫の被りっぷりが半端じゃなかった。

 ニコニコきらきらと笑顔を振り撒き、周りに合わせつつも自ら話の流れを誘導し、機知に富んだ話題で皆を驚かせたかと思えばユーモアに溢れた返しで笑いを誘う。

 もはやクラスの中心だ。わずか半日で完全に葉山の立場を喰っていた。根暗女のくせしてなんつうコミュ力だ。

 ちなみに俺の解釈では、明るさというのは態度や言葉使いではなく、生き方や考え方を指す言葉になる。芝村の末姫様がそう言ってた。

 表面上どんなに明るく振る舞おうとも、心の中でナチュラルに他人を見下しているような、いわゆる(笑)が付くタイプのリア充は「根の暗い人間」ということだ。

 つまりそれと正反対の生き方を貫く俺は、最高に明るくて超前向きな人間ということになる。違うか?違うな。

 話が逸れたが、俺の見立てではメディアはクラスの連中を見下している。

 他の奴らは気付いてないみたいだが、葉山達に混じって一緒に笑っている時の違和感が半端じゃない。怖すぎて失笑すら出来んかった。

 

「やっはろーゆきのん、ヒッキー!」

「やっはろーです」

 

 今日のことを回想していると、由比ヶ浜がメディアを連れて部室に入ってきた。ところでその挨拶って伝染性かなんかなの?やだ怖い。

 

「こんにちは、由比ヶ浜さん、メディアさん。……メディアさんってショートヘアだったのね」

 

 昨日まではフードで隠れていたからな。俺も少し驚いた。

 なお、クラスの男子によると「活動的なショートヘアとお嬢様然とした言葉使いのギャップがそそる」だそうだ。

 ついでに俺の近くに居る時だけに見せる「無口・無表情キャラバージョン(しかもやや怯えた風)」も人気があるっぽい。

 あれはホントやめて欲しい。お蔭で針どころかグングニルのむしろだ。俺、学園長に逆らった覚えねえんだけどな。

 

「ねえねえゆきのん!メディアさんすごいんだよ!あっという間にクラスの人気者になっちゃった!」

「……そうなの?」

 

 由比ヶ浜ではなく俺を見て言う雪ノ下。

 そうなんです。凄いんですよウチの子。どのくらい凄いかというと、今後の方針に支障が出るレベル。……マジシャレんなんねえ。

 

「あまり目立たない方が良いと思うのだけれど……」

「……申し訳ありません。調子に乗りすぎました」

 

 俺の疲れきった表情を見て、メディアが謝罪してくる。まあ表面だけだろうが。

 

「生徒達の印象を操作することも可能ですが」

「……いや、このまま行こう。噂はもう学年全体に飛び火してる。こんだけの数を記憶操作しちまうと、どうやっても不自然さの方が目立っちまうだろ」

 

 ため息混じりに吐き出す。

 

「……まぁ、比企谷くんが被害を受けるだけなら良しとしましょう。過ぎたことよりこれからのことを考えましょう」

「オイ、さらっと俺をどうでもいい物扱いすんな」

「比企谷くん、話の腰を折らないで。メディアさん、この書類に記入してもらえるかしら」

「これは?」

「入部届けよ。関係者は一纏めにしておいた方がいいでしょう?」

 

 メディアは少しだけ考える素振りを見せて、すぐに了承した。

 言いなりになる必要は無いが、逆らう意味も無い、と言ったところか。ところで俺の存在がすげえナチュラルに無視されてるんですけど。……釈然としねえ。

 メディアが入部届けを書き終え、雪ノ下がチェックする。

 それを見届けてから口を開いた。

 

「んじゃ由比ヶ浜、メディアと一緒にこれ届けに行ってやってくれ」

「へ?あたし?別にいいけど、自分で行けばいいじゃん」

「……今どんな噂が流れてるかさっき話してたじゃねえか。何?俺にリンチに会ってこいつうの?」

「あ、そっか。それじゃヒッキーは行けないね」

「そゆこと。ついでにメディアに学校案内してやってくれ。確かまだ行ってなかっただろ」

 

 由比ヶ浜とメディアがきゃいきゃいと騒がしく出ていく。これでしばらくは戻ってこないだろう。

 俺はそれを見届けてから、雪ノ下に声をかけた。

 

「……メディアの伝説について、聞かせてくれ」

 

 これは口に出して頼んだわけではない。本人が目の前に居たしな。だが雪ノ下なら言われる間でもなく調べているだろう。

 雪ノ下は小さく頷いた。

 

 

 魔女メディアの伝説。

 

 彼女の名前が登場するのは、ギリシャ神話におけるアルゴー船遠征の物語の中でだ。

 イオルコスの王子イアソンは、亡き父に替わって王位を継いだ叔父に、黒海の東に位置するコルキス国から至宝とされる金の羊毛を持ち帰るように命じられる。

 これは、達成不可能な命令によってイアソンを亡き者にせんとする策謀でもあった。

 女神アフロディテは困り果てたイアソンを見かね、息子のエロスに助力を命じた。

 コルキスには魔術に長じた王女がいた。この王女こそがメディアである。

 エロス、いわゆるキューピットとも呼ばれる彼がコルキスの王女を射抜くと、彼女はたちまちイアソンへの恋に落ちた。

 メディアは国を裏切りイアソンを助け、弟を人質に取って逃亡した。

 追ってきた父の目の前で弟を殺害し、更にはバラバラにして海にばら蒔き、父が泣きながら遺体をかき集めている隙に逃げ切ることに成功した。

 イオルコスに辿り着くと、イアソンに王位を譲ろうとしない叔父を「魔術で若返らせてやる」と騙し、娘の手で殺させてしまった。

 メディアとイアソンは、互いの故郷を捨ててコリントスという国で生活を始める。

 しかしコリントスの王が娘婿にイアソンを欲し、イアソンも財宝と権力に惹かれて承諾してしまう。

 嫉妬に駆られたメディアは、親友でもあったコリントスの王女を、その父もろとも焼き殺してしまった。

 更には自分とイアソンとの間に産まれた二人の息子をも手にかけ、全てを失い嘆き悲しむイアソンを残し、何処かへと姿を消した。

 

 

「そんな彼女に付けられた呼び名が、『裏切りの魔女』よ」

 

 そう締めくくった雪ノ下に、俺はげんなりと漏らした。

 

「なんつうか……何の救いも無い話だな」

「神話や伝説なんてそんな物でしょう」

 

 なんか戦いのヒントになる情報でもあるかと思ったけど、不安が増しただけだな。

 と、そこで思い出したが雪ノ下には他にも色々頼み事をしてあった。

 とりあえずは、

 

「そういや制服ありがとな。助かったわ」

「別に構わないわよ、そのくらいは」

 

 メディアが着ている制服は雪ノ下の物だ。

 由比ヶ浜ではなく雪ノ下に頼んだ理由は……ある一部分のサイズだということは黙っておこう。

 

「戸籍と転入手続きの方は?」

「私個人ではさすがに無理ね。家の力を借りればどうにかなると思うけれど?」

「いや、そこまでやると却って不自然さが目立つかもしれん。メディアの暗示で誤魔化そう。例の物は?」

「明日には届くわ。それと昇降口と部室の合鍵。……姉さんに借りを作ってしまったわ。あんな物、役に立つの?」

「さあな、気休めでも無いよりはマシだろ。つうか頼んどいてなんだけど、なんであっさり用意出来んだよ陽乃さん……」

 

 さて、明日から色々しなきゃならないな。しかも目立たないように。めんどくさいけど手を抜くわけにもいかん。

 頭の中で段取りを考えていると、雪ノ下が戸惑うように口を開いた。

 

「それにしてもメディアさん、一体どういうつもりなのかしら。あんな行動を取っていれば自分が不利になることくらい分かっているでしょうに」

「別に構わないと思ってるんだろ」

「どういうこと?」

「あいつもマスターが俺じゃ勝ち目が無いと思ってるんだろうな」

「自棄になっているということ?」

 

 首を振って否定する。

 

「聖杯戦争ではな、マスターにしろサーヴァントにしろ、パートナーには替えが効くんだそうだ。どっちかが死んでも再契約して敗者復活が可能なんだと。だからサーヴァントを倒してマスターが生き残っていた場合、『念のため』に殺しておくのが通例なんだとよ」

 

 息を飲む雪ノ下。それに取り合わずに続ける。

 

「メディアはその辺のルールを利用するつもりなんだろうな。俺を他のマスターに殺させて、もっと優秀なマスターに鞍替えするつもりなんだろう」

「……比企谷くん、四月くらいまで海外留学するつもりはない?母に頭を下げれば、そのくらいなんとかなると思うわ」

 

 つまり、聖杯戦争から逃げろということだ。

 俺は首を横に振った。

 

「それをやると、多分メディアに殺される」

「……!?」

 

 絶句する雪ノ下。雪ノ下と由比ヶ浜も巻き添えになるだろう、ってのは口に出さなくて正解だったな。

 雪ノ下はどうにか言葉を絞り出す。

 

「で……でも、令呪は?それが有る限り自分のマスターには手出し出来ない筈でしょう?」

「それは信用し過ぎない方がいいな」

 

 雪ノ下は顎に手を当てて考え込む。メディアから説明を受けた時のことを思い出しているのだろう。

 

「……そうか、令呪の説明があったのは比企谷くんが令呪を使う前だったわね。あの時ならまだメディアさんも嘘を吐ける」

「いや、あの説明自体は多分本当だと思うぞ?嘘なんか吐かなくたって騙すことはできる。おそらくメディアには、令呪の縛りをすり抜ける手があるんだ。ルール的な抜け道なのか、令呪の制約自体を無効化できる裏技なのかは分からんが」

「どうしてそう思うの?」

「あの説明の時、あいつロボットのふりしてただろ。質問されたことにただ答えるだけって。にも関わらず令呪の説明の時だけやたら饒舌だった。聞かれてないことまでべらべら喋ってな。俺達に『令呪が有る限り自分は裏切れない』って思わせたかったんだろうな」

 

 雪ノ下は再び考え込んでしまう。俺の推論の否定材料を探しているのだろう。いや、俺もできれば間違ってて欲しいが。

 

「……それなら、比企谷くんは既に殺されていないとおかしくない?わざわざ他のマスターを誘い出す意味がわからないわ」

「魔術師自体の数が少ないんだろ。実在してるにも関わらず、それに関する情報はほぼ完全に秘匿されてる。噂レベルを除けばだけどな。ある程度以上の人数が居た場合、どうやっても情報は漏れる。つまり、情報を隠匿出来る程度の規模しかないってことだ」

 

 話ながら考えを纏める。

 

「サーヴァントがマスターを失ってから活動可能な時間は、一部の例外を除けば一日程らしい。その間にフリーの魔術師を見付けるのは無理だと考えたんだろうな。その点、マスターならほぼ確実に魔術師だ。敵のサーヴァントを倒し、俺を敵のマスターに殺させて再契約、ってのがメディアにとって最良のシナリオだろうな」

「で、でも、そんなに上手く行くとは思えないわ。比企谷くんが殺されるだけの可能性の方が高いじゃない」

「それでもいいんだろ。その場合はそこらのパンピー操って『繋ぎ』に使えばいいんだから」

 

 今それをやらないのは、メディアが俺達を憎んでいるからだろう。

 召喚したあの日に、俺達はメディアの願いを強引に聞き出した。おそらくそれがメディアのプライドを傷付けたのだ。

 雪ノ下から聞いた伝説からも想像できるように、メディアはひどく陰湿で執念深い女だ。俺達を殺す前に出来る限り苦しめようとするだろう。そのお蔭でまだ死なずにすんでいるのだから皮肉なものだ。

 うむ。我ながら一分の隙も無い完璧な推論。わあ泣きたい。

 

「いいか、雪ノ下。メディアが行動を起こさないのは俺達を軽視しているからだ。普段通りに行動していれば、少なくともしばらくは大丈夫だ。出し抜こうとするな。相手は伝説にまで名前を残す魔女だ。上を行けるなんて考えるなよ」

 

 少しきつめに言っておく。

 雪ノ下は、ゴクリと喉を鳴らして頷いた。

 釘は刺した。後はメディアが飽きる前に俺の利用価値を認めさせなければならない。それ以外にも問題は山積みだ。

 ……実を言えば、安全にリタイアする方法は、一つ思い付いてはいる。

 ただ、できればこれはやりたくない。

 上手く行く保証も無いし、しくじったらそれでアウトだ。なにより後味が悪すぎる。

 雪ノ下と由比ヶ浜の安全を考えれば、これが一番だとは思うんだが……

 

「たっだいまー!」

 

 思索に耽っていると、由比ヶ浜が元気よく帰ってきた。もちろんメディアも一緒だ。

 

「お帰りなさい、由比ヶ浜さん、メディアさん」

「うん!入部届け、ちゃんと平塚先生に渡してきたよ」

「ありがとう、由比ヶ浜さん。ではメディアさん」

 

 雪ノ下はメディアに向き直り、一度言葉を切った。

 

「ようこそ奉仕部へ。あなたを歓迎するわ」

 

 普段通りの態度で、かつて俺に向けた言葉をメディアに投げ掛ける雪ノ下。

 だが、机の下に隠した手が微かに震えているのを、俺は見逃さなかった。



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日常

 やめてください。やめてください。


「大した薬だな。あれだけ抵抗してた女がすっかり言いなりだ」
「ああ。大枚はたいた甲斐があったってモンだな」

 虚ろな眼で座り込む私を見下ろし、男達が下卑た性根を隠そうともせずに笑い合う。
 そんな中に、船の後方で見張りに立っていた男の一人が駆け込んできた。

「おい、追っ手が来たぜ。このままだと追い付かれる」
「ふん、分かってるさ。あのガキを連れてこい」


 やめてください。やめてください。


「オラ!さっさと来い!」

 男達のリーダー格が私の髪を乱暴に掴んで引っ張る。
 私は引かれるままに、悲鳴も上げずに付いていく。
 船尾に着いた私達の足元に、ロープで縛られた十にも満たない男の子が転がされた。


 やめてください。やめてください。
 何でも言うこと聞きますから。何でも差し上げますから。
 だからどうか、私にそれを命じることだけは許してください。


「そのガキを殺せ。お前の手でだ。そのためにわざわざ拐ってきたんだからな」


「ゲーセン?」

 

 由比ヶ浜達が部室に入ってくるなり飛び出した言葉を、俺はオウム返しに繰り返した。

 

「はい。優美子様達が御一緒にと」

「……それ、俺も誘えって言われたの?」

「いいえ」

 

 ですよねー。

 メディアが転入してきてから一週間が経っていた。

 メディアは葉山達のトップカーストグループにあっさりと溶け込み、放課後みんなで遊びに行こうという話になったらしい。いや、葉山達の、と言うのは語弊があったか。ともかくそれで由比ヶ浜とメディアが、ついでに俺も、と言い出したのだ。

 ただ、この二人の場合、言ってる事は同じでも理由はそれぞれ異なる。

 由比ヶ浜は単純に気を使ってのことだろうが……

 

「だ、だいじょーぶだって!隼人くんなら別に邪魔とか言ったりしないから!」

「なんで俺が行きたがってること前提で喋ってんだお前は。行ってこいよ。俺は気にしなくていい」

「ですが私と八幡様の距離が開き過ぎると魔力のパスが切れてしまいます。万一敵に捕捉された場合も、令呪が一つしか残ってない現状では助けが間に合うか分かりません」

 

 とまあ、こういうことだ。

 俺は基本的にメディアを信用してない。

 メディアもメディアでそのことには気付いているだろうが、それでも表面的には忠臣の態度を崩すことはなかった。メディアにとって、おそらく一種のゲームのようなものなのだろう。

 

「離れ過ぎなきゃいいんだろ。行き先教えろ、俺も行くから。だが一緒に遊ぶのはゴメンだ」

 

 メディアは俺の言葉に納得したらしく、それ以上追究してこなかった。が、由比ヶ浜はしつこく食い下がってきた。

 

「えー、なんで?一緒に遊んだ方が楽しいじゃん」

「楽しくない、疲れるだけだ。そんなに一緒がいいなら雪ノ下でも連れてけよ」

「……ちょっと、私に押し付けないでもらえるかしら」

 

 これまで不干渉を貫いていた雪ノ下が、あからさまに迷惑そうな顔をする。しかしその程度では止まらないのが由比ヶ浜だ。

 

「えー!いいじゃん、行こうよゆきのん!あたしが教えてあげるから!」

「ちょっ、引っ張らないで由比ヶ浜さん。私はまだ行くとは……」

「まあまあそう言わずに、参りましょうゆきのん様」

「だから引っ張らないで、というかゆきのんって呼ばないで……」

 

 さらに便乗したメディアと二人がかりで連行される雪ノ下。俺はと言えば、存在をあっさり忘れ去られて置き去りである。

 奉仕部にメディアが加入して以来、ただでさえ低かった俺の地位がさらに低くなった気がする。地に落ちるどころか埋まってるレベル。

 まあ女三人に男一人じゃバランス悪いしな。俺がハブられるのは自然な流れだろう。別にいいけどね。

 

「ヒッキー、何してんの?置いてくよ?」

 

 まさに今置いてかれたところだったんだが。と言うか一緒に行くとは言ってないんだが。

 

「……わかったわかった。戸締まりすっからちっと待ってろ」

 

 まあ良いか。どのみちメディアが行く以上は俺も行かなきゃならんわけだし。別に声かけてもらえたからって嬉し泣きなんかしてないんだからね!

 

 ……ま、このくらいなら許容範囲だろ。

 

 

「やっ」

 

 ゲーセンへと向かう道すがら。

 集団を離れた所から眺めながら歩く俺に、リア充グループの『元』リーダー、爽やかイケメン葉山隼人が声をかけてきた。

 

「……なんか用か」

「いや、正直ヒキタニくんが来るとは思わなかったから。どういう心境の変化かな?やっぱりメディアさん?」

 

 うっざ。何この知りたがりくん。

 

「どうでもいいだろ。お前は俺の友達かよ」

「……俺はそのつもりなんだけどな」

 

 ちょっと困ったような顔で頬を掻きながら言う葉山。おいやめろ、俺が女だったら惚れちゃうだろうが。近くに海老名さんだって居るんだぞ。

 

「……一応あいつの保護者だからな。放っとくわけにもいかんだろ」

「そっか、相変わらず変に責任感強いな。ま、楽しんでってよ。と言っても俺も誘われた側なんだけどね」

「そういや今回の言い出しっぺって戸部なんだって?」

「ああ。この前中学の時の友達と偶然あって、メディアさんのこと話したら会ってみたいって言われたらしくてね。悪いな、迷惑だったか?」

「……確かに迷惑だがお前に謝られる筋合いは無い。俺にあいつの行動を制限する権限も無いしな。比企谷家における最下層の地位は俺の物だし」

「……ゴメン」

「マジな顔で謝んな。泣きたくなるだろうが」

 

 我が家におけるメディアの地位は、小町に次いで第四位だ。超電磁砲見せながら「『原子崩し』撃てる?」と聞いてみたら「出来ます」とあっさり返ってきてビビったのを覚えている。

 ウチのパワーバランスは女性側に傾く一方。上位陣唯一の男であるカマクラはお袋の奴隷だし。

 ちなみにメディアが比企谷家にお住まいになっているのは既に周知の事実である。お陰様で俺は毎日視線の槍で槍襖になっている。おっかしいなぁ、あいつはキャスターであってランサーではなかった筈なんだが……。

 

「……正直言うとさ、メディアさんが来てくれて助かってるんだ、俺は」

「あん?」

「結構しんどかったんだ、真ん中に居続けるのは。だから、メディアさんに代わってもらってホッとしてる」

 

 今ならヒキタニくんが独りにこだわって理由が解る気がするよ。

 葉山はそう、自嘲めいた表情でこぼす。

『トップカーストのリーダー』というレッテルは、葉山からメディアへと移項している。メディアが強引にぶん取ったとも言える。それに気付いているのは、初めからメディアを信用してない俺くらいだろうが。

 葉山が嫌われたわけでも、何か失敗したわけでもない。

 ただ、今まで葉山に向かっていた注目がメディアに移っただけ。

 たったそれだけで、葉山の周りには冗談のように人が集まらなくなった。

 メディアは葉山のグループを、文字通り『奪い取った』わけだ。

 その様子を見ていて正直戦慄したよ。なにしろ誰もその事に気付いていなかったのだ。

 三浦や戸部や由比ヶ浜はおろか、海老名さんや当の葉山本人でさえ、何が起きたか正しく理解しているか怪しいものだ。

 

 メディアとは、令呪の繋がりを使って出来る事を色々と試している。

 念話や互いの居場所の確認(大体の方向が分かる程度だが)、相手の健康状態の認識(相方が重傷を負うと伝わるらしい。当然確かめたりはしてない)など、メディアがサーヴァントとして保有していた知識に加え、メディアの魔術のプロとしての観点からの発想、俺の素人ならではのアイディアまで試せるものは片っ端にだ。その殆どは空振りだったが。

 だから確信を持って言える。

 メディアは学校生活において、魔術を一切使ってない。この現象は、メディアが純粋に、話術を始めとした対人能力のみで引き起こしたものだ。

 

「それじゃ。今日はお互い楽しもう」

 

 葉山はそう言って集団の中に戻って行った。それに気付いた戸部や三浦が葉山に絡み付く。葉山は困りながらも少し嬉しそうだった。

 ランクが一つばかり落ちたところで、葉山がトップカーストの一員であることは変わらない。落ちぶれたように見えるのは、今までとの比較による錯覚に過ぎない。

 実際、他の奴らの葉山に対する好感度は一切低下してないし、葉山に話しかけられれば嬉しそうに応えるのだ。

 葉山自身とて、それは理解している筈だ。

 だがそれでも、彼がどこか哀れに見えてしまうのは止められなかった。

 

 ゲーセンにたどり着き、俺は他の奴らから離れて久々のゲーセンを堪能していた。懐かしくてやってみた怒首領蜂、超楽しい。

 コア向けのゲームが揃った3階から他の奴らが居る1階へと降りてくると、みんなは対戦型のクイズゲームで盛り上がっていた。なんかメディアの連勝記録が凄いことになってるんだが……

 筐体に群がる人間は大まかに二種類。ウチの制服を着ている奴らと、他所の制服を着ている奴ら。

 あれが戸部の中学時代の友達とやらだろう。あの制服は確か穂群原だったか?

 

「おのれやるな!この穂群原の黒豹と渡り合うとは!」

「蒔の字!汝の歴史が最後の砦だ!せめて一矢を!」

「蒔ちゃんガンバって!」

 

 その穂群原の制服を着た、筐体に座る色黒の女子が声援を受けている。セリフの内容から察するに、どうも『メディアさんに挑め!クイズ編』状態になっているらしい。

 俺は自販機でMAXコーヒーを買い、その様子が見えるベンチに腰かけた。

 

「ギャース!また負けたー!?」

「あぁ……!最後の希望が……!」

「おのれ、このまま引き下がれるか!リターンマッチだ、覚悟せよ女怪!今度こそ俺が討ち取ってくれる!」

「フフフ。どうぞ、何度でもお相手して差し上げますわ」

 

 色黒女が断末魔の叫びを上げ、眉毛の太い女が落胆し、眼鏡の男子が名乗りを上げる。

 盛り上がってんなー……。つうかすげえな穂群原。なんかあの周辺だけ濃度が凄まじいんだが。なんの濃さかは言わねえけど。

 

「騒がしい所ね、ここは」

 

 座ってコーヒーをすすっていると、隣からそんな声が飛んできた。雪ノ下だ。人混みに疲れて退避してきたらしい。

 

「ゲーセンなんだ。こんなもんだろ」

「そうなの?」

「ああ。まぁ、お前は普段こんなとこ来ないだろうからな。知らなくても仕方ないだろ」

「そうね。初めて来たわ、ゲームセンターなんて」

 

 やはりこういう空間は向いてないのだろう。ややうんざりしたような表情で言う。だがそれでも笑顔の範疇に納まっているのは、やはり由比ヶ浜の功績なんだろうな。

 雪ノ下は、また一つ記録を伸ばしたメディアに目を向け、意外そうに言った。

 

「……でも、彼女は楽しんでいるみたいね」

「だな」

 

 見たところあれは演技ではない。素ではしゃいでる。

 

「こういう物には興味が無いようなイメージだったのだけど……」

「いや、結構色々やってるぞ?あいつ」

 

 メディアは家で、アニメやゲームを普通に楽しんでる。

 メディアが生きてた時代には娯楽も少なかっただろうと試しに勧めてみたんだが、見事にクリーンヒットしてしまったらしい。

 何と言うか、エリートの素質を感じてつい英才教育を施したくなる。クラスで一番仲良いの、実は海老名さんだしな。

 できれば壁を越えるのは勘弁して欲しいが……実を言うと、もう手遅れなんじゃないかとも思っている。

 最近ね、なんか海老名さんが影分身してるような錯覚を覚えることがあるんスよ。気配っつーか視線だけなんですけどね。

 まぁ、楽しんでるのなら、それは悪いことではないのだろう。例えそれが仮初めだったとしてもだ。

 

「いくらなんでも目立ち過ぎだと思うのだけど。釘を刺さなくていいの?」

「……目立つ人間と目立つ行動は別物だ」

「どういうこと?」

「言葉通りだよ。何もしなくても目立つ人間が、目立たないようにしようとすると余計に目立つ。あいつは初めからトップカーストに君臨する人間として振る舞っていた。今更控えようとしても逆効果なんだよ」

 

 だから俺がリア充グループと行動を共にするのも、本当は避けたかった。そんなのは『らしく』ないから。このらしくないというのが一番目立つのだ。

 とは言え俺はメディアの親戚で監督役、という設定だ。だから『メディアの行き先に嫌々着いてきた』というのはそれほど不自然ではない。

 

「…………」

 

 不意に雪ノ下が黙り込む。だが、言いたい事を言い終えた気配はない。

 

「……大丈夫だ。今、俺達に注目してる奴は居ない」

 

 おそらく聖杯戦争に関わる単語を使おうとしたのだろう。それで周囲を警戒したのだ。

 今はメディア達に注目が集まっている為、俺と雪ノ下のも傍には人が居ない。

 集団の端で、穂群原の制服を着た、変則ツインテールのつり目の女子がこちらを見ていたが、この騒音でこの距離なら声が届くことはないだろう。

 魔術を使われた気配や、霊体化したサーヴァントが居ればメディアが気付く。念話で確認を取ったが大丈夫だ。少なくとも店内は。

 雪ノ下はそう、と呟いてから改めて口を開いた。

 

「……今更だけど、どうして学校に通わせようなんて思ったの?どう考えても得策とは思えないのだけど」

「言ったろ。メディアがあんな風に振る舞うのは予想外だったんだよ。分かってたら流石に別の手を取ってた」

 

 ホント言うと初めは雲隠れも考えた。

 だが、聖杯戦争が始まったタイミングでそんなことをすれば、自分がマスターだと喧伝しているようなものだ。逃げを封じられてる以上、そのまま隠れ切れるとも思えない。

 だから先に挙げた理由もあって、普段通りの生活を心がけているわけだが……失敗したかなぁ……。

 

「そういうことではなくて……隠れるつもりなら、ずっと霊体化させておくのも手だと思うのだけど」

「それも考えたんだけどな。霊体化すれば確かに目立たなくなるが、それでも感知される可能性はゼロじゃないらしい。で、霊体化したままで先制攻撃を受けると、何もできないままやられちまうんだそうだ」

「……それでもリスクと釣り合わないと思うけど?」

「まあな。ただ、霊体化するってのは結構ストレスが溜まるらしい」

「そうなの?」

「ああ。直接言われたわけじゃないけどな」

 

 先に行った実験の副産物で、メディアの心理状態がなんとなく分かるようになってしまった。

 それによると、霊体化する時に、我慢できない程ではないが明らかに不快さを感じている。

 その感覚がメディア固有のものなのか、サーヴァント全体に共通するものなのかは分からない。が、考えてみればサーヴァントは、ついこないだまで死人だったのだ。一時的にとはいえ、体を失うことが気持ち良い筈がないだろう。

 

「恨み買ってる身で、ストレス溜めさせるってのもどうかと思ってな……」

「……なるほど」

 

 もっともその辺りのことは後付けだったりするが。

 最初の理由は他にあるんだが、それはあくまで俺の感情的なものにすぎない。言う必要はないだろう。

 

「ここに来るまでに葉山くんと話していたわね。どんな内容だったの?」

「よく気付いたなお前。結構距離あったと思ったんだが」

「海老名さんが、その……」

 

 さっすが海老名さん。もうホント勘弁してくださいよ……

 

「で、なんで葉山?なんか気になんのか?」

「ええ。なんだか探りを入れているようにも見えたから」

 

 ああ、なるほど。葉山がマスターの可能性を疑っているのか。

 

「ただの世間話だよ。心配しなくても総武校関係者に魔術師は居ない。もう確認した」

「確認って、どうやって……?」

「こないだここ一週間の欠席者の素行調査頼んだだろ。あれだ」

「あの興信所まで使って調べたやつ?結局病欠とサボりばかりだった……。あんなもので判るの?」

「まあな」

 

 校内にマスターが居た場合、あれだけ目立ってしまうとどうやってもバレるだろう。

 そう考えた結果、俺はメディアに命じて校内にある仕掛けを施した。

 かなり派手な代物で、魔術に関わる人間なら気付かずにいるのは不可能だろうというレベルだ。

 タイミング的にメディアがサーヴァントだと全力アピールしているのも同然だったが、こちらの正体だけが一方的にバレるという、最悪の状況を避ける為の苦肉の策だった。

 結果、それだけ目立つ仕掛けに気付いた人間は、生徒、教職員、共に無し。――もしマスターが居た場合は靴を舐める覚悟だったんだが。

 

「そう……」

 

 雪ノ下はそれだけ呟き、それきり会話が途切れる。

 クイズゲームではメディアがさらに記録を伸ばしていて、今度は葉山と新旧リーダー対決になっていた。

 その光景をどこか眩しそうに眺めながら、雪ノ下がぽつりとこぼす。

 

「……私も魔術を学ぼうかしら」

「……は?なんだいきなり」

「実在することが証明されているのだから、それはオカルトではなく技術よ。なら、正しく学べば修得も可能な筈よ」

「確かにそうかも知れんが、一朝一夕で身に付くもんじゃねえだろ。もしそうだったら、世間一般でもっと普通に使われてると思うぞ」

「……それは、そうだけど……」

 

 そして再び黙り込む。

 何と言うべきか、落ち込んでいると言うか、拗ねているように見えた。

 

「……どうかしたのか?なんかおかしいぞ、お前」

「……だって、魔術絡みになると私も由比ヶ浜さんも何もできないじゃない」

「いや、目茶苦茶助かってるし。機材とか調査とか、お前抜きじゃ成り立たねえだろ」

「それは私じゃなくて家の力じゃない。それに由比ヶ浜さんは?」

「由比ヶ浜だって充分役割を果たしてる。ぶっちゃけ俺だけ何もしてなくて心苦しいレベルなんだが」

 

 雪ノ下は驚いたように目を円くする。

 

「……そうなの?」

「おう」

 

 そうして俺の目を覗き込むと、ふっと笑って立ち上がった。

 

「嫌な物を見て気分が悪くなったわ。口直しにゲームでもしてくるわね」

「嫌な物って俺の顔ですか。ならクイズゲームとか良いんじゃねえか?勝ちまくって調子に乗ってる魔女の鼻っ柱とかへし折るとスッキリするんじゃねえの?」

「あら、比企谷くんにしては素敵な提案ね。中々面白そうだわ」

「おう。現代人の意地ってやつでも見せてやれよ」

 

 雪ノ下は軽く手を振ってメディアの所に向かった。

 それからしばらくして、一際大きな歓声が上がる。

 ほら、やっぱお前だってすげえじゃねえか。



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帰路

 その少年は独りだった。
 彼は常に弾かれる側の立場に立っていた。
 何か理由があったわけではない。理由が無い故に、解決法もまた存在しなかった。
 ただ、星の廻り合わせが悪かった。そうとしか言いようがない。
 少年はいつも泣いていた。
 誰かと一緒になろうと、仲間に入れてもらおうと、努力すればしただけ裏切られた。
 やがて、弾かれる理由が自分の側に無いことを理解した時。
 少年は静かに、涙を流すことをやめた。


 ああ、楽しかった。

 放課後の道草。クラスメイトとの寄り道。

 マスターの所蔵する書物で読んだ時にも思ったが、実際に試してみると、ここまで心浮かれるものだとは。

 ついつい全力で満喫してしまった。

 本当、この時代は素晴らしい。これほど娯楽に溢れた世が来るとは、生前は夢にも思わなかった。聖杯戦争のことなど忘れてしまいそうだ。

 

「じゃーね、メディア。また明日」

「はい、優美子様。また明日」

「じゃ、さよならメディアさん!ヒッキーも!」

「おー。じゃーな」

 

 祭りの時間も終わり、ゲームセンターとやらからの帰り道。

 他校の生徒も合わせて20人近くも居た集団も、家が近付くにつれて数を減らし、とうとう私とマスターの二人だけになった。

 それでも楽しい時間の余韻が熱となって残り、気付けば鼻歌など口ずさんでいる自分がいた。

 

「……ご機嫌だな」

「はい!」

 

 マスターが呆れたように苦笑を漏らす。

 比企谷八幡。私のマスター。そして憎む男。

 いつもなら彼の傍に居る間は、怯えたように表情を殺し、口数も減らしていたのだが、それもそろそろ飽きた。

 そうする事で、彼に周囲の人間の敵意を向けさせたのだ。が、どうもマスターはそうした感情に慣れているらしく、反応が薄い。あまり面白くない。

 そんなわけで他の相手と同じように振る舞うことにする。演技の使い分けも面倒だし。

 憎しみの対象に親しげに語りかける事に関しては特に抵抗も無い。

 私にとって、世の全てが憎悪の対象だ。つまりは通常営業というやつだ。……覚えたての言葉を使う楽しさは異常だと思います。

 これもマスターの本から学んだ言葉だが、全てを愛することは、何も愛さないのと同じだという。

 なるほどと思ってしまった。

 また、愛と憎しみはよく似ているとも。これにも唸ってしまった。

 私は全てを憎んでいる。だけど憎しみに狂ったりはしてない。

 怒りを感じれば簡単に攻撃的になるし、人を殺すことにも抵抗を覚えない。だけどそれを理性で押さえ込むこともできる。

 それは倫理観ではなく、損得勘定によるものだ。しかし結局のところそれは、どこにでもいる、ただの人間と変わらないのではないだろうか。

 全てを憎む私は、何も憎んでないのと変わらないのではないだろうか。

 そんなことを考えながら歩いていると、マスターが何かソワソワしていることに気付いた。

 

「どうかしましたか?」

「あー……いや」

 

 なんでもない。そう言いながらもマスターはしきりに周囲を気にしている。心なしか顔が赤い。

 マスターは、一つ大きく深呼吸してから右手を差し出してきた。

 

「?」

 

 意図を理解できず私がきょとんとしていると、真っ赤に染まった顔を明後日の方向に向けながら、ぶっきらぼうに言った。

 

「……手、繋ごうぜ」

「…………え?」

 

 一体何を言っているのだこの男は。

 私と生活を共にする内に下らない勘違いをした、という可能性が頭に浮かび、即座に否定する。

 しばらく観察した結果分かったことだが、この男はそう簡単に他人を、特に女性を信じたりはしない。

 案外惚れっぽいところはあるが、それ以上に警戒心と猜疑心が強いのだ。

 だからこの男の方からこのようなアプローチをしてくることは、可能性自体を考慮していなかった。

 私が戸惑っていると、不意に脳裏に声が響いた。

 

(言う通りにしろ)

 

 見た目の態度とは打って変わって冷徹な声。意外なことに、マスターからの念話だ。

 意外というのは、マスターはこの念話の感覚を「気色悪!」と言って嫌っており、滅多なことでは使おうとしないのだ。

 それをわざわざ使ってきたということは、使わざるを得ないような事態が発生したということ。

 私はマスターと同じように頬を染め、コクリと小さく頷いてから、差し出された手に自分の左手を添える。

 そして数秒間、マスターと見つめ合ってから互いに微笑み、寄り添うようにして歩き出した。

 私は勿論、マスターも完璧な演技だ。周りからは初々しいカップルにしか見えないだろう。

 

(……何かありましたか?)

(付けられてる。ゲーセンからだ……振り向くなよ)

 

 反射的に振り返ろうとした私を、マスターが手を強く握って止める。

 前を向いたまま背後の気配を探るがまるで判らない。元々私にそんな技能は無いのだから当然だ。が、後方から明らかに一般人よりも大きな魔力を感じる。どうやら勘違いではなさそうだ。

 

(どうやって気付いたのですか?)

(前に言ったろ。ぼっちは悪意に敏感なんだよ。これだけハッキリ意識を向けられりゃ嫌でも気付く)

 

 気配だけで察知したらしい。この男は本当にただの人間なのか?少なくともアサシンの適性を持っているのは間違いなさそうだが。

 

(それで、どうなさいますか?)

(遠回りするぞ。手遅れかも知れんが家を特定されたくない。人気の無い道を選んで誘い出す)

(その後は?)

(わざとやられる)

 

 !?

 

(どういうことですか!?)

(ゲーセンからってことは、相手は多分穂群原の奴だ。戸部からお前の名前を聞いて疑いを持ったんだろう。それで今日の集まりになるように誘導したんだろうな。ならばまだ確信には至ってない筈だ。だからその疑いを逸らす。隠蔽は効いてるんだよな?)

(はい、問題ありません)

 

 マスターにはサーヴァントを識別する能力がある。相手がサーヴァントなら、見ただけでそれと解るのだ。

 だがそれも、聖杯によって与えられた力。つまりは魔術だ。魔に精通した者であれば欺くことも不可能ではない。

 ちなみにマスターの令呪は外では手袋、屋内では肌色の目立たないカットバンで隠してある。

 料理中に油が跳ねたと裏口を合わせていたが、誰にも気付いてもらえなくてこっそり泣いていたことは秘密にしておいてやろう。

 それはともかく。

 

(無抵抗でやられちまえばそれ以上疑ったりしないだろ)

(危険過ぎます。考え直しを。逃げるくらいならどうにかなる筈です)

(駄目だ。この場を凌いでも追撃をかけられたらそれで終わりだ。後が続かないんじゃ意味が無い。いいか、俺達は弱い。戦ったらアウトだ。だから戦わないことに全力を尽くす)

(……一撃で殺される可能性もあります)

(わざわざ他人を使って接触を図る相手だ。社会的な常識くらいわきまえてるだろ。疑いレベルで殺しにはこねえよ。……覚悟決めろ。他に道は無い)

 

 まさか私の方が覚悟を促されるとは。

 マスターは声(念話だが)も態度も平静を装っているが、その心が恐怖で荒れ狂っているのが令呪を通して伝わってきていた。

 当然だ。確信を持っているかのような言い方をしているが、それらは全て憶測に過ぎない。

 一つでも予想が外れていればどう転ぶか判らない。が、その場合の最終的な結果は概ね死だ。

 しかしマスターはそれをおくびにも出さず、己に考え付く最善をこなそうとしている。そうあって欲しいという願望も混じってはいるだろうが、それでも尋常な精神力ではない。

 

(……分かりました。背後からの不意討ちに無反応で倒されれば良いのですね?)

(ああ。街中だし、派手な事は出来ないだろうから、とりあえず片方を無力化しようとするだろう。残った方は何が起きたか分からないまま倒れた恋人を心配する。そういう演技で行くぞ。まあ狙われるのは俺だろうが)

(何故ですか?)

(男と女のどっちかを襲うとなれば普通は男を狙う。その方が心理的な負担が少ない。好んで女を狙うようなゲスも居るかも知れんが、やり口を見る限りは違うだろう)

 

 女の方が狙われ易いと思っていたのだが、この国ではそういうものなのか。いや、違うのは時代か?

 

(後はまあ、能力順だな。弱い奴から狙うのは戦いの定石だ)

 

 どういう意味だろうか?隠蔽が効いている以上、どちらがマスターか、つまりどちらが弱いかは判らない筈。何か判別法でも……

 そこまで考えて気付く。

 マスターには令呪がある。そして令呪は左手の甲に顕れる。

 マスターは左手をポケットに入れているが、私の左手はマスターの右手と繋がれていて隠せない。しかもご丁寧に、互いの手を前後に向けて繋いでいる為、私の甲を後ろに見せ付ける形になっていた。

 ここまで見越して右手を差し出したというのだろうか。先ほど私が振り向くのを引き留めた時といい、どこまで抜け目が無いのだ、この男は。

 

(追撃が来た場合は?)

(そうならない事を祈るしかないな……。その場合はもうどうにもならん。なりふり構わずに逃げろ。場合によっては最後の令呪を使う)

 

 事前に決めておくべきことはこのくらいだろうか。人通りも減ってきて、後ろに隠れている敵を除けば、歩いているのは私達だけになっている。おそらくそろそろ……

 

(……そろそろくるぞ)

 

 マスターも同じ見解なようだ。

 角を折れて長い一本道に入る。そこを少し進んだ所。後ろを塞がれてしまえば、あとは隠れる所も無いその場所で。

 

「げはぁ!?」

 

 隣を歩いていたマスターが、唐突に吹っ飛んだ。

 

 マスター!

 

 そう叫びそうになるのをどうにか自制する。いくら何でもマスターはまずい。

 そのせいで数秒反応が遅れるが、状況を理解してない娘であればむしろこんなものかも知れない。

 

「八幡様!?」

 

 身を反らして前方に吹き飛んだマスターに、一拍遅れて駆け寄る。

 

「八幡様!八幡様!」

 

 倒れたままピクリとも動かないマスターにすがり付き、目に涙を浮かべながら身を揺する――フリをしながら状態を確かめる。

 完全に昏倒してはいるが命に別状は無い。かなりの衝撃で背中を撃ち抜かれたようだが、ただの打撲だけで骨などに異常はなさそうだ。

 医学的な意味ではダメージは無いに等しい。にも関わらずマスターの意識が戻る様子は無い。

 背中の目に見えない怪我を探る。

 高レベルに圧縮された呪いと魔力を撃ち込まれたらしい。体内が軽く汚染されている。

 おそらくはガンド。指差すことで呪いをかける簡単な呪術で、相手にちょっとした不幸や体調不良をもたらすことができる――程度の筈なのだが、呪いの圧縮率と込められた魔力が強すぎるせいだろう。不幸どころか物理的な破壊力を伴うレベルに至ってしまっている。

 相当な実力が無ければ不可能な芸当だ。が、果たしてこれは才能と呼んでも良いものだろうか?呪いとしては成立してない気がするのだが……。

 倒れた恋人にすがり付き、ただ泣くだけの女を見かねたのか、背後から足音が近付いてきた。

 私は振り向きたくなる衝動を力ずくで押し込めて、無力で無能な女を演じ続ける。

 

「あの、どうかなさいましたか?」

 

 かけられた声は女のものだった。私はその声にようやく振り返り、相手を確認する。無論涙は流したままだ。

 赤い女だった。

 穂群原の制服の上から纏った赤いコートがよく似合う、どこか大人びた雰囲気と年相応のあどけなさが混在する少女。……左手は手袋で隠れている。

 見覚えがある。あまり積極的ではなかったが、今日の集まりに参加していた娘の一人だ。どうやらマスターの読みは当たっていたらしい。

 私はその少女に、懇願するように言う。

 

「分からないんです。歩いていたらいきなり倒れて……」

「ちょっと見せて下さい」

 

 少女は動かないマスターの上半身を起こし、なにやら自分とマスターの腕を絡めてマスターの背中に掌を押し当てる。そして、

 

「破っ!」

「ゴホッ!?」

 

 少女の気合いと同時にマスターが息を吹き返した。

 

「八幡様!」

「ゴホッ、ゴホッ。……え?あれ、何だ?」

「八幡様!良かった……八幡様……」

 

 マスターの首筋にかじりついてホロホロと泣き崩れる。

 

「……あのー。わたし、もう行きますね?あ、そっちの人、原因が分からないなら念のために病院行った方が良いと思いますよ」

「え?その、どうも……?」

「ありがとうございました!このご恩は一生忘れません!」

「いえ、お気になさらないで下さい。それではお大事に」

 

 そう言ってにこやかに去っていく。

 それ見送り、マスターは私に支えられながらヨロヨロと立ち上がった。

 

(……どうだった)

(間違いありません。マスターです)

 

 念話で問いかけてきたマスターに断言する。

 あの娘がマスターを起こした時――活を入れると言うのだろうか?よく分からないが――上手くカモフラージュしていたが、それと同時に魔力を注入していた。それによって体内の呪いを押し出したのだ。魔術を学んでいるのは間違いない。

 それに何より、彼女の傍らには霊体化したサーヴァントが控えていた。疑う余地も無い。

 

(顔は覚えたか?)

(はい。使い魔に後を付けさせます)

(いや、それは後だ。顔も学校も割れてんだから調べるのは難しくない。それより使い魔が見つかってまた疑われる方がまずい)

 

 本当にどこまでも抜け目が無い。

 ここに至って確信した。この男は使える。

 胆力は十分。魔力不足は痛いが、その不利が問題にならないほど頭が切れる。

 何より心理面の読み合いにかけてはこの裏切りの魔女に匹敵、いや、下手をすれば凌駕する。

 いいだろう。私を辱しめた事は、ひとまず水に流してやる。

 これからの戦いに、精々役に立ってもらうぞ。

 マスターは少女達が去って行った方をしばらく眺めてから、元の進行方向へと歩き出した。

 家からは遠ざかる方向だが、これも念のためという事だろう。

 

「……てて、痛ってぇ……。何だったんだ、今の……。オイ、もう一人で歩けっから離れろ」

「ダメです!まだフラフラしてるじゃないですか」

 

 私はマスターの腕を取ってふらつく身体を支える。そのせいで腕を組むような形になってしまった。

 

(それに、まだ監視があるかも知れませんよ?)

(マジで?)

(いえ、分かりませんけど)

 

 私の言葉にマスターの身体がカクン、と沈む。私はそれを慌てて支える。

 

「お前な……いや、もう良い。それよりホント離れろ。その……当たってんだよ、さっきから」

「? 何がですか?」

「いやだから……」

 

 頬を染めて顔を背けるマスター。

 この男は眼は腐っているものの、顔立ち自体は整っている。特に照れた顔は堪らなく可愛らしい。……はやはちか。中々映えそうだ。

 当然だが当ててるのはわざとだ。今回は頑張ったからな。このくらいのサービスは有っても良いだろう。

 それに監視があるかも知れないというのも嘘ではない。あくまで可能性の話だが。

 だから家に着くまでの間、精々イチャついて見せようか。

 

「……お前、ワザとか?」

「何がですか?」

「……もういい。帰ろう」

「はい♪」

 

 マスターは観念したらしく、何も言わなくなった。が、肩に顔を擦り付けたりするとピクリと反応する。楽しい。

 この時代は本当に素晴らしい。

 娯楽に溢れていて飽きることはないし、人々は愚かで他人を疑うことを知らない。このマスターも、そこそこ気に入った。

 聖杯戦争が本格化するまでの束の間。

 この仮初めの平穏を、存分に楽しむとしよう。



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変化

 やめてください。やめてください。


「クソが!」

 戸を乱暴に蹴り開けたのは夫だった。
 そのままテーブルに並べられた料理の一つに手掴みでかじりつく。

「不味い!冷めてるだろうが、作り直せ!」

 そう怒鳴って中身が入ったままの食器を私に投げ付けた。


 やめてください。やめてください。


「クソ!クソ!クソ!あの老いぼれめ、何が『貴様に人を束ねる資格は無い』だ!誰に向かって言っている!このアルゴー船の勇者に!」

 夫は家具に当たり散らしながら喚き続ける。
 やがて疲れたのか、ドッカと椅子に腰を下ろし、酒を煽り始めた。
 しばらくしてから、ふと思い出したように口にする。

「……オイ、お前確か若返りの秘術とやらを使えたな?殺されてから生き返ると若返るとかいうやつ」


 やめてください。やめてください。
 言葉に出すことは出来なくても。涙を流すことは出来なくても。
 私はもう、人を殺めたくはないのです。


「あのオヤジの娘共の前で実演してみせろ。で、やり方を教えてやれ。ウソっぱちをな。あの親孝行なバカ女共ならすぐに殺してくれるだろう。フン、こんな国、俺の物にならないなら必要無い」


「ああー!メディアさん、それ違う!」

「え?え?で、ではこちらを足してバランスを……」

「にゃー!それは料理ではしちゃいけない考え方!」

 

 リビングに降りてくると、キッチンがなにやら騒がしかった。

 

「……何やってんだお前ら?」

「あ、お兄ちゃんおはよー。最近早いね」

「ああ、まあな。で、何やってんだ?」

「もうすぐ朝ごはん出来るからちょっと待っててね~」

 

 ……ナチュラルに俺の言う事無視するのやめてもらえませんか妹よ。お兄ちゃん泣きたくなっちゃう。

 まあ、わざわざ聞かなくても何をしてるかは一目瞭然。メディアが小町に料理を教わっているのだろう。

 俺はソファに座ってテレビを付ける。映ったのはニュースだった。市街地で女性が倒れて入院?またこの街じゃねーか、最近多いな。

 

「お待たせ~♪」

 

 そうこうしてる内に出来たらしい。ホントにすぐだったな。

 パンの多い比企谷家の朝食としては珍しく白米と味噌汁、おかずに卵焼きと野菜炒めが並べられていく、のだが……

 朝から野菜炒めというのは、まあ良い。胸焼けがどうとか言う奴もいるかも知れんが俺は平気だ。なんならステーキとかでもいける。

 ただ、俺の分だけ明らかに出来が違う。卵焼きは焦げてるし、野菜炒めも水気が切れてなくてベシャベシャだ。

 これがどういう事かは……考えるまでも無いか。

 

「じゃ、いただきまーす♪」

「……いただきます」

 

 とりあえず卵焼きを口に運ぶ。……じっと見てんじゃねえよ二人とも。食い辛いだろうが。

「……苦い」

 

 俺は甘い味付けの方が好みなのだが、砂糖を入れると焦げやすくなる。そのためちょっと油断すると酷い事になるのだが、これはその典型だった。

 次いで野菜炒めに箸をつける。

 野菜から出た汁気が底に溜まってとってもジューシィ。……言い方変えてもダメだな。まあこのくらいは許容範囲だが。

 気を取り直して口に入れる。

 

「辛!?」

 

 塩コショウで味付けしてあるのだろうが、明らかに入れすぎだった。もはやしょっぱいなんて表現には納まらないレベル。そう言えば『しょっぱい』って関東の方言らしい。コナン君から聞くまで知らなかった。

 俺の反応を見ていたメディアが、おそるおそる口を開く。

 

「……美味しく、ないですか?」

「ああ」

「ちょっと!お兄ちゃん!?」

 

 はっきり正直に答えた俺に小町が立ち上がる。が、訂正する気はない。こういうのは嘘ついても本人の為にならんからな。

 

「申し訳ありません、片付けます……」

 

 メディアは俺の答えにしょんぼりとうなだれると、俺の皿に手を伸ばした。

 俺はその手が届く前に、皿をひょいと取り上げる。

 

「あの……?」

「別に食えなくはねーよ」

 

 そのまま野菜炒めをご飯にかけて掻き込む。

 こういう食い方なら味付けは濃いくらいの方がいい。卵焼きだって少し焦げてるだけだ。

 まあ、単純に経験が足りないだけなんだろうな。考えてみれば元はお姫様なわけだし。

 一応味見はしてたみたいだし、よほどのことがなければ食えない物は出てこないだろう。少なくとも由比ヶ浜よりは全然マシだ。

 

「悪い、水くれ。……どうした?」

 

 それでも喉に渇きを覚えて水を無心すると、二人がぽけー、と見ていることに気が付いた。

 

「おい?」

 

 メディアは俺の再度の声にハッとすると、慌てたように立ち上がる。

 

「……あ、いえ、その、あの、あ、ありがとうございます!」

「どういたしまして、ってなんでお礼?ってか水くれって言ったんだが」

「あ、ハイ!お水ですね、只今!」

 

 そのままドタドタとキッチンに向かう。

 

「……なんだありゃ?」

 

 呆然と呟くと、今度は小町が再起動して俺の背中をバンバン叩いてきた。いや、痛えよ。

 

「もう、お兄ちゃんってば何今の高等テク!?最初このクズどうしようかと思ったのに小町までうっとりしちゃったじゃない!」

「いや何言ってんだお前、なんだテクって」

 

 つうか兄に向かってクズとか言うな。

 

「またまたまたまたまたまたまた~。いやー今のはホントにポイント高かったよ!あれが普段から出来てたらモテモテなのに」

 

 また多いよ。別に特別な意味なんかねえんだけどな。

 ホラ、あれだ。俺主夫志望だし、食材の無駄とか許せないだけだ。もったいないおばけとか出たらヤダし。

 

「お待たせしました!」

 

 メディアが水を持って戻ってきて、躓いて溢しそうになり、それを支える。

 

「ちょっ……!危ねえな、気ぃつけろよ」

「は、はい。ありがとうございます。あ、お水です」

「おう、サンキュ」

「いや~朝から見せ付けてくれますなぁ~。もう完全にお義姉ちゃん筆頭候補だねメディアさん」

「い、いやですわ。小町様ったら」

「ただ出来る妹としては一人に肩入れすることはできないんですよね~、スミマセンけど。うーん、雪乃さんと結衣さんにも発破かけるべきかなぁ?」

「……さっさと食えお前ら。遅刻すんぞ」

 

 比企谷家の食卓は今日も平和だった。

 

 穂群原のマスターの襲撃から二日後のことだ。

 

「調査結果が出たわ」

「早いな。まだ一日経ってねえぞ?」

「雪ノ下お抱えの興信所よ。顔も名前も判っていて数日かかるような無能な筈ないでしょう、と言いたいところなのだけど……」

 

 やや不満気なお言葉。

 あれから帰って雪ノ下に連絡し、翌日ポラロイドカメラを用意してもらい、調査資料としてメディアに念写させてみた。

 もしかして出来んじゃね?くらいの気持ちで言ってみたのだが上手くいってくれた。魔術って超便利。

 由比ヶ浜がそのカメラを物珍し気に触りまくっていたが、それが幾らする物なのかは心の安寧の為にも聞かなかった。だってどう見ても年代物なんだもん。

 尚、雪ノ下の連絡先を知らなかったので由比ヶ浜に伝言を頼んだのだが、正直正しく伝わるか気が気じゃなかった。雪ノ下の番号聞いとくか……。小町に頼むわけにもいかんし。

 で、出てきた写真を見た由比ヶ浜が、たまたま相手のことを知っていたのだ。

 彼女の名前は遠坂凛。由比ヶ浜の話によると、穂群原では結構な有名人なんだそうだ。

 なんでも成績優秀、運動万能、生徒、教員双方からの信頼も厚く友人も多いらしい。何その完璧超人、雪ノ下の進化型?いや、それは陽乃さんか。

 また、雪ノ下が名前を聞いて思い出したのだが、遠坂というのはこの冬木の名士らしい。もっとも十年前に先代の当主、つまり彼女の父親が亡くなって没落したらしいが。

 ともあれまたしても興信所、すなわち陽乃さんに借が出来てしまった。

 

「調べによると、最近特定の男子生徒と行動を共にすることが多いみたいね。相手の名前は衛宮士郎。同い年ね。ただのボーイフレンドという可能性もあるけど、彼女とは今までまるで接点の無い相手だったみたい」

「ふーん。やっぱそいつもマスターなのかね」

「かも知れないわね。興信所の調べによると、十年前の火災で家族を亡くし、衛宮切嗣という男性に引き取られているわ。衛宮姓になったのはその時ね。その義理の父親も五年前に他界、現在は藤村組の藤村雷河を後見人に一人暮らしをしているわ」

「随分波乱万丈だな……」

 

 ラノベやギャルゲーなら間違いなく主人公のポジションだろこいつ。

 話を聞いてた由比ヶ浜が、恐る恐るといった体で口を開く。

 

「……ねえゆきのん、藤村組って……」

「……まぁ、ヤクザね」

「ひぃぃ……」

 

 気持ちは解る。冷静に考えれば魔術師やサーヴァントの方がよっぽど危険な筈だが、ヤクザと聞いただけで何となくビビってしまうのが日本人の性だ。

 

「つーかなんでそんなのが後見人になってんだ?聞いた限りだと天涯孤独っぽいんだけど」

「義父の切嗣氏と繋がりがあったみたいね。こちらも調べたようだけどかなり不審な人物みたい。十年前に冬木に越してきたようだけど、それ以前の経歴のほとんどが不明。僅かな手掛かりから推測するに、どうも世界中の紛争地帯を転々としていたらしいの。しかもはっきりとした事は分からないけど、いくつかの国ではこの衛宮切嗣らしき人物が指名手配されてるらしいわ」

「聞けば聞くほど無茶苦茶じゃねえか。つうかなんで衛宮って奴のことばっかなんだ?肝心の遠坂の情報がほとんど無いんだけど」

 

 提供した写真は遠坂凛の物だけだ。だが彼女について新たに判ったことは住所くらいしか無かった。

 無論、新たなマスターであろう衛宮士郎についての情報が手に入ったのは大きな収穫だが、依頼したのはあくまでも遠坂凛の調査なのだが……。

 

「……それが、彼女、まったく隙を見せないらしいの。それで周囲の人間から洗い出そうとして彼に目を付けたようなのだけど……。なんでも500m以上離れた場所から望遠レンズ越しに目が合ったこともあったらしいわ。調査員も怯えてしまって、出来れば調査を打ち切りたいと言っているのだけど?」

 

 どこのシティハンターだよ、出没地域間違ってんだろ。ここ新宿じゃねえぞ。

 ともあれ相手の備えは万全らしい。常識的な手段では近付く事も出来なさそうだ。それが判っただけでも収穫だろう。

 

「分かった、調査はもう良い。これ以上は多分危ない。後はこっちでやろう」

「そう伝えておくわ。……でもこっちでやるって、何か考えでもあるの?」

「んー……まぁ、一応な」

 

 魔術師というのは色々ふざけた存在だ。

 俺の知ってるサンプルがメディアしか居ないのではっきりしたことは言えないが、メディアに見せられた一部の事例だけでも俺から見れば完全にチートだ。

 メディアはキャスターのサーヴァントだ。つまり、弱体化している事を加味しても魔術師という括りの中では最高位の存在と言えるだろう。

 だからサンプルとしてはあまり優秀とは言えないかも知れない。だがそれでも見えるものはある。

 最高の魔術師ということは、魔術師の模範そのものだということだ。

 つまり魔術師であれば、それも優秀であればあるほどに、価値観や思考がメディアに似通ってくるということだ。

 メディアを見ていていくつか気付いたことがある。これはおそらく魔術師特有のものだ。

 ならば、多分付け入る隙はある。

 

 

「メディアの話によると魔術師ってのは血筋を重んじるものらしい。一族が研鑽してきたものを家督と一緒に譲り渡し、それをさらに突き詰めていくんだそうだ。だからその父親ってのも魔術師だったのかもな」

 

 俺は雪ノ下が淹れてくれた紅茶を受け取りながらそう言った。ちなみに湯飲みだ。日本茶置いてないのに。

 

「おそらくは。聖杯戦争は遠坂、マキリ、アインツベルンの三つの家系が協力して始めたもので、そこの魔術師は最優先でマスターに選ばれます。先代の死因も前回の聖杯戦争での敗北ではないかと思われます」

 

 こちらはコーヒーカップだった。どうも被らないようにしているらしい。

 徹底すればそれはそれで統一性があると言えるから、雪ノ下らしいと言えばらしいかも知れない。

 

「マジか。つうか十年前?聖杯戦争ってそんな頻繁にやってんの?」

 

 メディアが焼いてきたクッキーをつまみながら聞く。うん、旨い。さすがにクッキーくらいで失敗はしないか。

 

「いえ。本来は六十年周期の筈です。聖杯が力を取り戻すほど魔力を溜め込むのにそれだけかかる筈ですので。おそらく前回は何かイレギュラーがあって聖杯の魔力が消費されなかったのでしょう。もしかしたら本来適性の無い八幡様がマスターに選ばれてしまったのも、その辺りが影響しているのかも知れません」

「……十年前というとこの街で怪事件が頻発していた時期ね。もしかしてそれも聖杯戦争と関係あるのかしら」

 

 これもクッキーをつまみながら。雪ノ下の舌も十分満足させる出来らしい。

 

「そういやあったな、なんか色々。連続儀式殺人に未成年者の大量行方不明、自衛隊の戦闘機が墜落したなんてのもあったな」

「あー、あったねー。あれ、今でも解決してないんだよね?あたしの小学校でも居なくなっちゃった子いたんだ。隣のクラスで知らない子だったけど、あたしすごい怖かったなぁ」

 

 今まで黙ってクッキーを頬張ってた由比ヶ浜が思い出したように口を挟んできた。大好評だな。

 

「断定は出来ませんが可能性は高いと思います」

 

 これは雪ノ下の十年前の事件が聖杯戦争に関係あるか、という疑問に対する答えだろう。

 

「後、十年前っつうとあの大火災か?結局原因不明のままなんだっけ?」

 

 俺の口から漏れ出た言葉に、今度は雪ノ下が答える。

 

「ええ。死者五百人以上、一三四世帯を巻き込んだ、冬木史最悪の大事件よ」

「……子供のころは実感なかったけど、今改めて聞くとすごい数字だね、それ。あの辺りって今公園になってるんだっけ?」

 

 確かに由比ヶ浜の言う通りだな。年をとってからだとものの見え方が変わってくるものなのだろうか。

 

「その公園というのは新都にある大きな公園の事でしょうか?」

「ああ。あそこ、何か新しく作っても何故か長続きしなくてな。立地は良い筈なのに、今じゃもう誰も欲しがらないらしい。それで公園のままなんだと」

「…………そうですか」

「……どうかしたのか?」

「いえ、特には」

 

 メディアは俺の説明に考え込むような素振りを見せたが、特に何も言わない。

 令呪の縛りは効いているから、何かあるなら今ので答えている筈。だから本当に大したことでは無いのだろう。

 

 

 ……こういう事なら普通に読めるんだけどなぁ。

 

 

 最近メディアの考えが読めないことが増えてきた。

 例えば今摘まんでいるクッキーもそうだし、今朝の朝食もそうだ。ついでだからと言って作ってきた弁当もだ。

 最近外は寒いから昼は教室で食っているのだが、これのお陰で周りからの視線が痛かった。が、メディアがどういうつもりで弁当なんぞ作ってきたのかがまったく分からない。

 もしかしたら意味なんか無いのかも知れない。初めから意味が存在しないなら、読み取れないのも納得だ。

 だけどそうだとしたら、メディアは無意味な行動を取ることが増えたということだ。そうなった理由が分からない。

 

「八幡様、お茶のおかわりは?」

「……ああ、頼む」

 

 一体何がメディアを変えたのか、メディアがどう変わったのか。

 俺にはさっぱり分からない。

 雪ノ下と由比ヶ浜もメディアの変化には気付いているだろう。だけど二人は何も言わない。

 だからきっと、問題があるとすれば俺の方なのだろう。

 

 

 君はまるで理性の化物だね

 

 

 かつて誰かに言われたその言葉が、ちくりと胸を刺した。



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依頼

 その少年は独りだった。
 少年はいつも泣いていた。
 涙を流すことなく、声を漏らすこともなく、ただ心の中で泣いていた。
 彼は常に弾かれる側に立っていた。
 それは以前から変わらぬ事だった。しかし、その内容が少しずつ変質していくのを感じていた。
 ただ何となく疎外されていたものに、少しずつ悪意が混じり始めた。
 一つ一つのそれはごく小さなものだったろう。
 だが、海を漂う船の残骸が、複雑な潮の流れによって一つ所に集まるように。
 無数の悪意は、誰が意図するでもなく少年のところに集まった。
 やがて、己の処遇に人の意志など介在しないことを理解した時。
 少年は、心の内からも涙を棄てた。


「おはようございます、八幡様」

「おはよう。相変わらず早えぇな」

 

 寝起きの為かいつも以上に淀んだ眼でそんなことを言うマスター。

 私が早起きなのは当然だ。今は人間の振りをする必要性から普通に眠っているが、サーヴァントは元々睡眠を必要としない。眠るも起きるも自由に切り換えられる。

 マスターは私のそばまで来て手元を覗き込んで言った。

 

「……一日で一気に上達したな。もうコツ掴んだのか」

「はい。小町様の指導が良かったもので」

 

 料理は楽しい。

 まだ簡単な、それこそただ焼いて炒めて味付けするくらいの物しか作れないものの、人から正しく料理を学ぶというのは今までに無かった経験だ。

 教師であるマスターの妹君は可愛いし、料理の感想を言ってもらえるのは思いの他嬉しかった。あと小町さんは可愛いし。

 

「もうすぐ朝食が出来ますので今しばらくお待ちください。そう言えば八幡様、お弁当はいかがでしたでしょうか?」

「お、おう。美味かったぞ」

「そうですか!それは良かったです!」

 

 綻ぶように笑顔を作る私に、戸惑ったように答えるマスター。

 正直に言えば意外だった。

 この男にとって、他者の心など見えて当然のものだと思い初めていたところなのだ。

 それがほんの些細な、純粋な気紛れからの善意によって、これほど動揺するとは思いもしなかった。

 どうやら悪意に対しては神憑って鼻が利くものの、善意、好意に対してはまったくと言って良いほど免疫が無いらしい。

 からかう時はそういう方向でいくことにしよう。とも思ったが、からかうつもりで好意を示すと勘付かれそうだ。難しい。

 

「そういや小町は?」

 

 マスターは取り繕うようにこの場にいない妹の事を聞いてきた。

 

「まだお休みのようですが」

「寝坊か?たまにあるんだよな、俺が言えた義理じゃねえけど。しゃあねえ、起こしてくるわ」

「まだ遅刻するような時間ではありませんし、もう少し寝かせてあげてもよろしいのでは?」

「放っとくとそれはそれで文句言うんだよ。それに飯は一緒に食うんだろ?」

 

 ふむ。自分で起きてくるまで待っても良いが、やはり料理は出来立ての方が美味しいだろう。それに早く起きてくれればその分多く話せる。

 

「それではお願いします」

「あいよ」

 

 マスターは短く返事するとキッチンから出ていった。

 私はその間に料理を仕上げてしまう。味噌汁は少し味が濃かったが、初めてにしては上等だろう。

 

「うぁ~……メディアさんおはよ~……」

 

 小町さんが寝乱れたパジャマ姿で目元を擦りつつ現れた。可愛い。

 

「あらあら。おはようございます小町様、お顔を洗っておいでください」

「あ~い……」

 

 寝ぼけ眼でフラフラと洗面所に向かう小町さん。可愛い。

 

「……メディア、人の妹を猛禽が獲物を狙うような目で見るのはやめろ」

「……何の話でしょうか?」

「いや、とぼけても無駄だから。瞳孔開きまくってるからお前」

「ご自分の欲求を私に投影して貶めるのは止めて頂けませんか?不愉快です」

「不愉……人のせいにすんな、何の境界の彼方に行くつもりだお前は。俺が妹に欲情するような変態に見えんのか」

「違うのですか?」

「違うわ。俺の小町への想いはもっと純粋なものだ」

「ストーカーの常套句じゃないですか、それ……」

 

 このマスターとの、こんなやり取りも普通になった。

 毎日が楽しい。

 マスターとの腹の探り合いも、小町さんとのジャレあいも、クラスメイトとの下らない会話も、奉仕部でのゆったりとした時間も。

 どれもこれも、生前では決して得る事の出来なかったものだ。

 このまま聖杯戦争の事など忘れて人として過ごそうか。

 そんな考えが魅力的に思える程には、今の状態を気に入っていた。

 一人だけとは言え、実際に他のマスターを欺く事に成功しているのだ。もしかしたら不可能ではないのかも知れない。

 

 そんな風に思い始めた日の放課後だった。

 奉仕部に依頼が舞い込んだのは。

 

 

 パァン!

 

 廊下に乾いた音が鳴り響く。

 一人の女生徒が、頬を打った右手もそのままに、涙の滲んだ眼でマスターを睨み着ける。

 

「……最っ低!」

 

 ただ一言そう吐き捨てると、くるりと身を翻して走り去る。

 向こうの角でこちらの様子を伺っていた二人の女子と合流し、大丈夫ゴメンね何あいつと囁き交わしながら、一度だけマスターに鋭い一瞥を飛ばしてから去っていった。

 

「……おー痛て。んじゃ報告して帰るか」

 

 打たれた頬をさすりながら、マスターがなんでもないことのように言う。

 令呪のリンクからは動揺のようなものは一切伝わってこない。本当に何とも思ってないのだろう。

 あの少女達はつい先程まで仲違いしていた筈だった。

 友人と仲直りをしたい。

 それが奉仕部に持ち込まれた依頼だった。説明だけは受けていたものの、私にとっては初めての部活動ということになる。

 この時代のこの年代の若者の悩みとしては、そこそこ切実な部類ではあるだろう。

 それをマスターは見事に依頼達成してみせた、わけなのだが……

 

「ヒッキー!」

 

 依頼人達が消えた方向から、別行動を取っていた由比ヶ浜結衣が駆け寄ってくる。その後ろには雪ノ下雪乃の姿もあった。

 

「どうゆうこと!?一体何やったの!?」

 

 部室にやって来た時の依頼人よりも、尚張り詰めた表情でマスターに詰め寄る由比ヶ浜結衣。

 

「あの、結衣様落ち着いて下さい。八幡様も悪気があったわけでは……」

「……違うの、メディアさん。そうゆうことじゃないの……」

 

 彼女は絞り出すように言うと、哀しげに目を伏せてしまった。

 どうしたというのだろうか。彼女は感情的な人間ではあるが、このように他人を責めるような態度を見せたのは初めてだ。

 見れば雪ノ下雪乃もマスターに険しい視線を向けている。

 

「……こういうやり方はもうヤメだ。以前、あなたはそう言ったと思ったのだけれど?」

「……仕方ねえだろ。今は出来るだけ他人を関わらせるわけにいかねえんだから」

 

 聖杯戦争に巻き込むおそれがある。そう言っているのだろう。極低い確率ではあるが、確かにその可能性も絶無ではない。

 

「手っ取り早く方着ける必要があった。それで思い着いたのがこれだったんだよ」

「……ならばせめて事前に私達に説明を入れておくべきでしょう。結局あなたは何も学んでいなかったということなの?」

「段取りを思い付いて報告しようと思ってたら突発的に条件が揃っちまったんだよ。さっきを逃したら、解決するのは早くて明日の放課後になっちまう。勝手に決行したのは悪かった。謝る」

「……そう、もう良いわ。次は許さないわよ」

 

 くるりと踵を返して歩み去る雪ノ下雪乃。部室に戻るのだろう。

 一応は手打ちの形を取っているものの、まるで言い足りてないのがありありと分かる態度。

 その名の如く、雪のような淡い冷たさを備えたこの少女が、これほど感情を露にしようとは。

 

「……便所行ってくるわ。先に帰る準備済ませといてくれ」

 

 マスターは、こちらも舌打ちでもしそうな気配を撒き散らしながらこの場を離れた。

 

「……あの、どうしたのでしょうか、皆様……」

 

 取り残されたように俯き続ける由比ヶ浜結衣に問いかける。

 正直意味が分からない。

 敵の敵は味方という言葉がある。

 マスターは今回、衝突していた三人の共通の敵となることで壊れかけた結束を補強したのだ。

 確かに一般的な倫理観に照らし合わせれば、あまり褒められた行動ではないだろう。しかし目的は達せられている。

 その場しのぎの時間稼ぎかも知れないが、時間さえ稼げれば自力で持ち直せるパターンもある。今回はそのケースだ。

 依頼はほぼ完璧に成功と言って良いと思う。マスターが糾弾される理由が分からない。

 奉仕部の評判が落ちるとでも思ったのだろうか?しかし三人共そんなことを気にするタイプとも思えない。大体ほとんど知られてもいない部活なのに評判も何もない。

 

「……あのね、前にもあったの。こういうこと」

 

 彼女は苦し気にそうこぼした。

 聞けば彼は、これまでに何度も似たような方法で、つまりは己を供物に捧げるようなやり方で問題を納めてきたらしい。

 初めは素直に凄いと思った。他人の為に自分を投げ出せる優しさに憧れもした。

 けれど次第に見ていられなくなった。彼を大事に思うようになるにつれて、彼が傷付くことに耐えられなくなった。

 犠牲などではない。本人はそう言い張るが、見ている側は痛々しくてかなわないと。

 

「……ちょっと前にね、本当に危なかったことがあったの。みんなバラバラになっちゃいそうで、今度こそ本当にダメかも知れないって、そう思った。なんとか乗り越えて、今も一緒にいられてるんだけど……」

 

 あの時、もうしないって約束してくれたんだけどなぁ……。

 

 そう寂しげに呟く。

 

「ヒッキーは、あたしやゆきのんがヒッキーの事を想うほどには、あたし達の事を考えてくれてないのかな……」

 

 消え入りそうな声でそんなことを呟く彼女に、出来るだけ優しく声をかける。

 

「……ご心配要りませんよ、結衣様」

「……え?」

「八幡様はお二人を大事に思っていらっしゃいますよ。今回は、本当にただ早期解決にこだわっただけです」

「……そう、かな」

「はい。ですから自信をお持ちになって結構です。お二人は八幡様がお心を許す、数少ない方なのですから」

「そ……かな……。えへへ。ありがと、メディアさ……」

 

 由比ヶ浜結衣が表情を綻ばせ、いつもの笑顔でこちらに振り向き――その顔が強ばる。あれ?

 

「?どうかなさいましたか?」

「……メディ……ア……さん?」

「――そろそろ八幡様がお戻りになられますね。失礼、鞄を取りに行かせて頂きます。結衣様のものもお持ちしますね」

 

 固まったままの彼女を残して部室に向かう。

 おかしい。表情は完璧に作れていたと思ったのだが。

 自分で思っているより動揺していたのだろうか。雪ノ下雪乃と顔を会わせる前には調整しなければ。何、私ならば問題無い。

 胸の内に渦巻くドス黒い感情を制御しながら、私は部室へと歩を進めた。



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予感

 やめてください。やめてください。


「ハッハッハッ!ようやく俺にもツキが向いてきたぞ!」

 夫は乱暴に扉を開け放って入ってくると、いつものように酒を煽り始めた。
 しかし、今日は常とは異なり料理に文句をつけるようなことも無い。

「この国の王がな、俺のことを気に入ったらしい。娘婿に欲しいとよ。ようやく俺を正しく評価できる奴が現れたってわけだ!」


 やめてください。やめてください。


「まあ肝心の娘はえらく生意気だが……ま、そこさえ我慢すりゃ国一つが丸々手に入るんだからな。贅沢は言うもんじゃない」

 夫は上機嫌で語り続けていたが、不意に黙り込んだ。
 これはあれだ。またしてもろくでもない事を思い着いたサインだ。それを言い出す前兆だ。

「……そういやお前、あのバカ雌に妙になつかれてたな?」

 そう言ってにやりと顔を歪める。
 これまでに何度も見てきた、誰かを陥れる時に必ず見せる、醜悪な笑み。

「確か炎を糸に変える術を使えただろう。その糸で編んだ布でドレスを作れ。お前からの贈り物ならあの苛つくガキも疑わんだろ」


 やめてください。やめてください。
 もう意思など残っていないけれど。ただ言いなりになるだけの人形だけど。
 そんな私のことを、彼女は友達と呼んでくれたのです。

「あの女が居なくなりゃこの国は俺一人のモンじゃねえか。式さえ済ませちまえばこっちのモンだ!文句を言う奴が出たらお前の首を跳ねりゃ良い。それで仇討ち完了だ。さすが俺、冴えてるぜ!」


 カタン。

 

 小さな物音に目を開ける。

 時計を見ると午前2時。

 こんな時間に起きてしまったというのにまるで眠気を感じない。代わりに身体がダルい。疲れが取れてないらしい。

 

 ……戻っちまったな。

 

 原因は分かってる。メディアだ。

 メディアを召喚してしばらくの間もこんな感じだった。ここ数日は割と普通に眠れていたのだが。

 今日の帰り、トイレに行って戻ってきたら、いきなり豹変していた。

 表面的にはいつも通りを取り繕っていたが、俺の眼は誤魔化せない。いや、直前まで本音が見えない事に戸惑っていたのに、ちょっと離れた隙にまた見えるようになっててかなり驚いたけど。

 

 喉が渇いていたのでキッチンへ向かう。

 冷蔵庫を開けてMAXコーヒーに手を伸ばし、眠れなくなりそうだと考え直してポカリを取り出す。

 

 ……あいつになんかしたっけかな。

 

 自問してみるが答えが出ない。

 今日の部活では久々に依頼があった。

 心当たりと言えばそれくらいなのだが、それがどう作用してメディアに恨まれる羽目になったのかが皆目解らん。いや、恨みとは若干違う気もするが……。

 まあ以前とは違って、負の感情があくまで俺一人に向けられているのが救いと言えば救いか。これなら雪ノ下や由比ヶ浜が巻き添えを喰う確率は低そうだ。

 二階に戻ってきて、自分の部屋のドアノブに手をかけ――何とはなしに隣の部屋に目が行く。

 ちょっと前まで物置代わりだった部屋。メディアに人間として生活させるようにしてからは彼女の部屋になった。

 片付けを手伝うつもりでいたら、メディア一人で30分足らずで終わらせてしまったので驚嘆したのを覚えている。中にあった物が何処へ行ってしまったのか分からないので、多分魔術で何かしたのだとは思うが。

 そのメディアの部屋のドアを開ける。俺の部屋と同じで鍵は無い。

 特に警戒もせずに踏み込む。

 

「……閉め忘れてんぞ」

 

 そんな言葉が漏れる。

 部屋は無人だった。まあ分かっていたが。

 メディアは深夜、家族が眠るのを見計らって街に出掛けている。

 俺に不足している魔力をかき集めているのだろう。これは召喚直後から続いているメディアの日課だ。

 その際窓から出入りしているのだが、窓が閉まり切っておらず、隙間風が吹き込んでいた。

 一つ嘆息して閉めてやる。このままでは部屋が冷えきってしまう。

 

 召喚したその日、メディアにはあまり余計な事はするなと言っておいた。

 それは他のマスターやサーヴァントの目に留まる事を恐れてだが、行動しないということは、何の備えも出来ないということでもある。

 逆にメディアのように先を見越して行動すれば、準備を進めることは出来るが敵に気付かれる確率が上がる。

 重要なのはどこで線引きするかだが、俺にはそれを判断する為の知識が全く無かった。

 だから隠れると決めたと同時にそれを徹底するように命じたのだが、メディアはそれに背いた。

 それ自体は別に良い。

 尻尾を掴ませない為に一切行動しないか、見付からないように水面下で行動するか。

 どちらが正解かなんて結果以外で語ることはできない。

 大体仕掛けやらなんやらで散々メディアに魔術を使わせてきたし、俺だって魔術を使わなかっただけで情報収集はしていたのだ。

 本当に徹底するなら、それすらするべきではなかった筈だ。メディアを責める権利など無い。

 

 部屋をぐるりと見回す。

 

 机もベッドも無い。

 親父は揃えてやると言っていたのだが、長く居座るわけではないからだろう。メディアはそれを辞退した。

 代わりに折り畳み式のテーブルと布団。それに丸っこいぬいぐるみがいくつか。この前のゲーセンでクレーンゲームをしてたから、その景品だろう。

 机の上には黒猫がプリントされたマグカップに、俺のVitaちゃん。どこ行ったのかと思ってたらこいつの仕業か。それからペタペタと貼られた、何枚かのプリクラ。

 

 プリクラの中のメディアは笑っていた。

 由比ヶ浜と一緒に、あるいは三浦や海老名さんや葉山や戸部と一緒に。雪ノ下と一緒に写っているものもあった。雪ノ下一人だけムスッとしてるのが、なんと言うか、らしい。

 ここだけ見ればすっかりリア充だ。実際、メディアもこの生活を気に入っていた筈だ。

 俺は聖杯戦争に関して、雪ノ下相手には結構色々頼み事をしていたが、由比ヶ浜にはほとんど何も言ってない。

 それは信頼云々の話ではなく、受け持つ役割と適性の問題だ。

 この一年足らずで、俺も雪ノ下も確かに変わった。外から見て分からなくても、自分が認めたくなくても、それでもだ。

 そしてそれは間違いなく由比ヶ浜の影響だろう。

 だから、今度もそれを由比ヶ浜に期待した。由比ヶ浜なら黒く染まった魔女の心を融かすことができるかも知れないと思った。

 それは上手くいっていた筈なのだ。

 俺が一番懸念していたのは、遭遇するかどうか分からない敵マスターではなく、メディアに殺される可能性だった。だけどそれは、由比ヶ浜のお陰でほとんど霧散したと考えている。

 俺は人の善意というものが理解できない。

 つまり、俺が行動を読めないということは、その相手が善意で行動しているということだ。

 だからメディアの考えが読めなくなったときも、戸惑いはしても心配はしていなかった。だというのに……。

 

 また溜め息が出る。

 

 何が原因かは分からないが、俺はメディアの機嫌を損ねてしまったらしい。

 振り出しに戻った、というわけではない。

 メディアの悪感情は俺一人に向いている。だが、俺と関わりのある人間に塁が及ばないとは限らない。

 また、メディアは俺の家族に対して特別な接し方をしていたように思える。

 小町だけに対してだったなら、単なるゆるゆりだろうと気に留めなかっただろうが、親父やお袋に対しても結構気を許していた。小町に特別甘かったのは間違いないが。

 これは推測だが、メディアは『家族』というものに特別な憧れがあるのかも知れない。だから暗示の影響とは言え、初めから『家族』として接してきた相手になついたのではないだろうか。

 ところが今のメディアは小町にさえも心を閉ざしているように見える。全体で見れば振り出しどころかマイナスとすら言えるかもしれない。

 

「……もう、限界かもな」

 

 メディアは沈着冷静を装っているがかなりの激情家だ。今の状態が続けば、遠からずでかいヘマを犯すだろう。そうなれば、もう日常を演じることは出来なくなるだろう。

 覚悟を決めておくべきかもしれない。いや、実を言えば覚悟ならもう出来てる。あとは決意だけだ。

 

 もう一度嘆息する。そろそろ寝るか。

 

 時計を見ると既に3時を回っていた。一時間以上も考え込んでいたらしい。

 後一時間もしない内にメディアも帰ってくるだろう。それまでに、せめて寝たふりくらいはしておかなければ。

 

 ひしひしと、なんでもない日々が遠ざかる気配を感じながら、俺は静かにドアを閉じた。



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笑顔

 その少年は独りだった。
 彼は常に弾かれる側に立っていた。
 少年には、理由無く他者を疎外する他人が理解出来なかった。
 だから考えた。彼等が自分を遠ざけなければならない理由を。
 しかし、いくらそれらしい理屈を並べ立てても、結局のところ最終的な原因は相手の弱さに繋がってしまった。
 その結果を否定する為にさらに思考を重ねても、結局は同じ結論に行き着いてしまった。
 やがて、それがただの事実であることを理解したとき。
 少年は静かに、彼等を憐れんだ。


 雑草を引き抜いた事はあるだろうか?

 植物の根というものはひどく複雑な形をしていて、力任せに引き抜くと周りの土までごっそりと抉り取ってしまう。

 その跡はまるで傷口のようで、その根が深く広く張られていればいる程、地面は深く醜い傷痕を遺すことになる。

 

 

「オッハヨー、メディアさん!今日も美人っスね!」

 

 戸部翔。

 クラスのムードメーカー。一言で言えばただのお調子者。騒がしいだけが取り柄の低脳。

 

 気に入らない。

 

 

「よーっすメディア。あれ?なんかあったん?」

 

 三浦優美子。

 クラスの女王。人望があるとは言いがたいものの、生まれ持った支配者の気質と強気な性格で女子の頂点に君臨している。

 意外に気配りが出来、自分が友人と認めた相手の事は驚くほど良く見ている。その為か友人からの信頼は厚い。

 

 気に入らない。

 

 

「んー?なんか元気ないよね?悩み事?」

 

 海老名姫菜。

 赤渕の眼鏡が特徴の少女。女王のお気に入りとして、クラスのトップグループに所属する美少女。

 それでいて私と多くの趣味を共有し、それらに関しては私よりずっと造詣が深い。また、どこかマスターとも通ずる陰を纏った変わり種。

 

 気に入らない。

 

 

「おはよう、メディアさん。何か困った事があったらいつでも言ってよ。多分力になれると思うからさ」

 

 葉山隼人。

 クラスの実質的なリーダー。能力の高さに裏打ちされた落ち着いた物腰と、痒いところに手の届く視野の広さで男女双方から絶大な人気を誇る。

 

 気に入らない。

 

 

「……メディアさん、えっと、あたしは難しいことはわかんないけどさ」

 

 由比ヶ浜結衣。

 優しい少女。本当の意味での優しさと強さを併せ持った少女。……どこか、かつて私を友と呼んでくれた王女の面影を感じさせる少女。

 この時代において、私の正体を知りながら好意的に接してくれる唯一の人物。

 

「あたしは、絶対メディアさんの味方だからね。友達だもん」

 

 気に入らない。

 

 

 あぁ、気に入らない気に入らない気に入らない。

 他のクラスメイトも、教師も、雪ノ下雪乃も、この時代も、なにもかも気に入らない。

 それもこれも、全てあの男のせいだ。

 

 

 

 雑草を引き抜いた事はあるだろうか?

 人はしばしば植物に喩えられる。

 その理由は外見であったり生き方であったりと様々だが、大元は人同士の関係性なのではないかと考えている。

 心を大地とすると、他人が草木だ。そして地面の下と地表とで裏と表を表現できる。

 知り合いの多い者ほど緑豊かな大地となるだろう。

 どのような知り合いかで植物の種類が決定する。

 基本的に、繋がりの強い他者ほど目立つ植物になるから、友人の多い者なら森のようになるかも知れない。

 反対に、他人と関わりを持たずに生きる者であれば、草がまばらに生えるだけの荒野になるだろう。

 では地下はどうだろうか。

 根がどれだけの深さで張られているかは、表からは分からない。他人は勿論、自分でもだ。

 確かめたければ引き抜くしかない。

 人は、失った時の傷の深さで他人の価値を認識するのだ。

 

 

 気に入らない気に入らない気に入らない。比企谷八幡が気に入らない。

 見ていろ。すぐに化けの皮を剥いでやる。その為に。

 

 

 深く深く根を張ろう。

 彼等の心に、二度と消えない傷を遺す為に。

 そうして壊れた彼等を見て、あの偽善者が何を思うか。それを確かめる。

 だから――

 

 

「皆さん、心配して下さってありがとうございます」

 

 

 ――だから私は、今日も笑う。



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闇闘

 その少年は独りだった。
 少年には他人がとても小さく見えた。
 人とは、優れた者をただ羨むだけ自己を高めることはせず。
 はぐれ者をよってたかって突つき回し、傲慢に見下す事で安心を得る。
 善意は見返りを得る為の代価であり。
 惰弱な己を守る為に無価値な悪意を撒き散らす。
 そんな哀しい存在だと考えていた。
 無論、世の全ての人間がそうだとは思ってない。が、少なくとも少年は例外を見たことが無かった。
 そうして他人を憐れんで少しの時間が経った頃、己の行為もまた憐れな他者と変わらないと気が付いた。
 それから少年は己を律することに腐心するようになった。
 自分は他人を愚かと、紛い物と断じた。ならば自分は本物でなければならない。それが責務だ。
 だから少年は本物で在ろうと、ただひたすらに自制し、自律し、自戒し続けた。
 その間も無数の悪意は少年の元に集まり続けたが、それもまた人の弱さ故と赦そうとし、その考えすらも傲慢と打ち消した。
 そうして他人の悪意をその身に受け続け、己の善意を否定し続けて。
 ふと気が付けば、少年は善意というものを理解出来なくなっていた。


 少し派手に動き過ぎた。

 深夜の路上で我に返り、ようやく少しだけ悔いる。日課の魔力集めの帰りのことだ。

 今の姿はローブでも制服でもなく、やや派手目の若者風の出で立ち。傍目からは夜遊びの学生にしか見えないだろう。

 今までとにかく目立たぬ事を最優先に行動してきた。

 大きな霊脈からごく小さな支流を作って工房に繋げたり、隠蔽した結界を敷いて道行く人々から少量の魔力を吸い上げたりだ。

 効率は極めて悪いと言わざるを得ないが、それでも着実に、誰にも気付かれないように力を蓄える事に成功していた。

 だが昨日今日と、併せて数十人の一般人から多量の魔力を奪い前後不覚に陥らせてしまった。

 別に急いで魔力を集める必要があったわけではない。

 感情を制御出来ずに、ついやり過ぎてしまっただけ。要するにただの八つ当たりだ。

 死者は出ていないものの、お陰でニュースに取り上げられるなど結構な騒ぎになってしまっている。明日の朝はさらに騒がしいことになるだろう。

 一応集団ガス中毒という扱いになってはいるものの、少し勘の良い人間ならそんなものではない事などすぐに気付くだろう。

 そして気付いた者が魔術師なら、いや、魔術の存在を知る者であれば、これが魔術絡みである可能性に思い至る筈だ。おそらくは比企谷八幡も。

 

 あの男を思い浮かべ、また感情が昂る。落ち着け、失敗したばかりだぞ。

 

 高揚しかけた気を無理矢理鎮める。

 頭を振って一度深呼吸。よし、大丈夫だ。

 少し早いが今夜はもう帰ろう。無関係な他人に目撃される事は無いとは思うが、他のマスターが事件を調べている可能性は低くない。興奮していた間に出くわさなかったのは幸運とすら言える。

 そう考えて、一歩踏み出したその時だった。

 

 とすっ。

 

 そんな軽い音が肩の辺りから聴こえた。

 何事かと振り返ろうとして――膝が抜ける。

 

「――!?」

 

 受け身も取れずにうつ伏せに倒れる。が、地面に激突した痛みすら感じない。

 首をひねって自分の肩を見る。たったそれだけの事に途方もない労力を費やしどうにか目をやると、そこには一本のナイフが突き立っていた。

 

「……あ……」

 

 左の肩甲骨の辺りに刺さった、真っ直ぐな両刃の短剣。それを見て声を漏らす。

 悲鳴を上げられない。小さな呻きしか出ない。痛みどころか全身の感覚が無い。

 おそらく、いや、間違いなく毒。それもサーヴァント相手に有効な毒となると、扱う者はごく限られる。

 その最有力の候補は言う間でもない。

 首をそのままに眼球だけを動かして視界を移動させると、ほんの数歩離れたところに、黒衣にドクロの仮面を纏った痩身の男が立っていた。

 

(アサシン……!)

 

 その言葉が思わず口を突きそうになり、しかし毒によって阻まれる。お陰で聖杯戦争の関係者だとは知られなかったかもしれないが、この状況では感謝する気も起きない。

 アサシン(仮定)は何をするでもなく、こちらを見ながら首を傾げていた。

 

(何をしている……?)

 

 この状況で止めを刺さない理由が分からない。

 なぶるつもりなのかとも思ったがそんな気配もなく、ただ倒れた私を見下ろしている。

 ……もしかすると、私がサーヴァントだという確証があって襲ったわけではないのかもしれない。

 隠蔽は今だに効いているし、外観からは人間と見分けが付かない筈だ。

 だとすると、今はマスターに指示をあおいでいるのだろうか。だとすれば見逃される可能性も……

 

 アサシンを見て、ただ待つ。ほんの僅かな時間が、数十分にも感じる。

 途方もなく永い数秒が過ぎ、アサシンは一つ頷くと――――どこからともなく、右手にナイフを現した。

 アサシンのマスターは私を始末する事に決めたらしい。

 当たり前だ。無関係な相手でも、目撃者は消す。魔術師としてごく標準的な判断だ。私でもそうする。

 

「ぐ……!」

 

 嫌だ。

 嫌だ嫌だ嫌だ!こんなところで消えたくはない!

 

 痺れすら感じない身体を無理矢理動し、這って少しでも逃れようとする。

 しかし、当然ながらそんな事で逃げられる筈もなく。

 アサシンはゆっくりと私に歩み寄り、小さく右手を振り上げると――――

 

 

 いきなり弾け飛んだ。

 

 

 アサシンは、後方から飛来した光に胸を貫かれて吹き飛び、数回転も転がってからようやく動きを止めた。

 どう見ても即死だった。

 実際アサシンは身体を構成する魔力がほどけて、光となって溶けるように消えていく。

 慌てて後ろを確認しようとするが、またも毒に阻まれる。

 それでもどうにか振り向くが、人影らしきものはどこにも見当たらない。

 瞬時に姿を隠したのでなければ、視界が及ばぬ程の長距離からの狙撃という事になる。

 ちなみにキャスターの身体能力はほとんど人間並みではあるが、それでもサーヴァントだけあって平均よりは大分高い。特に視力に関しては比較にもならない筈だ。動体視力はともかく。

 その私に見えないとなると、下手をすれば一キロ以上離れた距離からの攻撃という可能性もある。そんな真似が出来るとなるとアーチャーくらいだろう。

 頭を働かせられるのもそこまでだった。

 私は考えながらも這い続けていた。

 状況だけ見れば助けられた形になるが、実際には驚異がアサシンからアーチャーに切り替わっただけだ。次に私が射たれないという保証はどこにもない。

 しかし匍匐前進は思ったよりもはるかに体力を消耗する。アサシンの毒も今だに効いており、意識も朦朧としてきた。

 それでも身体を無理矢理動かして、せめて物陰に入ろうとする。

 冷静に考えれば、私を始末するつもりならとっくにそうしていただろう。が、今の私にはそこに思い至る余裕が無い。

 何より『大丈夫かもしれない』では、命を預ける根拠としては弱すぎる。射界内でじっとしている理由にはならない。

 どうにか角を曲がる。そこが限界だった。

 身を起こす事も出来ずに倒れ伏す。

 意識を手放さなかったのは、奇跡ではあっただろう。何の役にも立ちはしないが。

 ヒュウヒュウという空気の漏れるような音は自分の呼吸だろうか。それすらも分からない。

 死体のように道端に転がって、どのくらいの時間が経った頃か。いや、実際にはそれほどのものではないだろうが。

 不意に、ジャリ、という砂を踏む音が聞こえた。

 頭上、もとい頭の先。つまりは進行方向からだ。

 アーチャーが止めを刺しに来たのかもしれない。

 

 ここまでか……

 

 死の恐怖を通り越し、死の覚悟が胸に去来する。

 もう疲れた。

 満足はしていないが、それでもこの時代での生活は楽しいものだった。少なくとも一度目の人生に比べればずっとマシだ。ならばもう良いかもしれない。

 心残りは……

 

「……何やってんだお前は」

 

 今まさに思い浮かべた声が実際に耳に届き、沈みかけた意識を浮上させる。

 目に飛び込んで来たのは素足にサンダル。

 そこに立っていたのは、パジャマの上にジャケットを羽織った目の腐った男だった。

 

「マス……ター……?」

 

 比企谷八幡はしゃがみこみ、血に染まった私の肩に手を触れる。アサシンが消滅した為か、抜いた覚えの無いナイフは消えていた。

 

「動けないのか?」

 

 頷こうとしたがそれも出来ない。マスターはそれを察したか、私の身体の下に手を差し入れて上体を起き上がらせた。

 

「とりあえず帰るぞ。話はそれからだ」

 

 そして動けない私を器用におぶると、立ち上がって歩き出した。

 

「……こういう……時は……お姫さま……」

「んな疲れる真似が出来るか。俺は運動神経には自信があるが筋力体力は平均だ」

「……私は……そんなに……重く……」

「いくら軽いっつっても40キロはあんだろ。そんなもん腕だけで抱えてられっか。……冗談言う余裕があんなら大丈夫だな。ちょっと休んでろ」

 

 確かにもう限界だった。その言葉に甘えさせてもらおう。

 そうして比企谷八幡の背中に頭を預け、冬場に出歩く姿として薄着過ぎる事に気が付いた。

 この男が何故ここにいるのか。

 令呪のリンクによって私の危機を察し、慌てて駆け付けたのだと今更ながら気付く。

 

「……こんな……格好で……風邪……ひきます……よ……?」

「……寝てろっつったろ。お前に言われる筋合いだけはねえよ」

 

 普段通りの会話が出来た事に安心を覚えたか、その会話を最後に。

 私は今度こそ意識を手放した。



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決意

 やめてください。やめてください。


「お前のメシを食うのもこれが最後だな」

 王女との結婚を明日に控えた夫が感慨深そうに呟いた。
 夫は相変わらず粗暴で、酒を呑んでは家具を壊していたが、それでもこのところはずっと機嫌が良く、理不尽に暴力を振るうようなことは無くなった。

「なんだかんだ言って、お前には随分助けられた。その礼というわけでもないが、明日の『仕事』が済んだらお前は自由だ。好きにして良い」


 やめてください。やめてください。


 普段からは想像出来ないような殊勝な態度で語る。が、夫の言う『仕事』とは、彼の結婚相手にして私の親友たる王女の暗殺である。
 しかし、魔法の薬によって今だに心を縛られている私には、そんな事をさも「感謝しろ」と言わんばかりに語る夫に、疑問を抱く事すらも出来ない。

「美味かった。俺は明日に備えてもう寝る」

 夫はそれだけ言って寝室に向かい、その途中で足を止めた。

「ああそうだ、忘れるところだった」


 やめてください。やめてください。
 あなたにとって、手近なモノに劣情をぶつけた結果でしかないのだとしても。
 私にとって、憎い仇の血を引いているのだとしても。
 それでもあの子達は、お腹を痛めて産んだ子供達なんです。


「あのガキ共を始末しとけ。魔女の血を引く息子がいるなんて知れたら俺の名誉に傷が付くからな」


「そうか……」

 

 メディアから説明を受けて、出てきた言葉はそれだった。

 

「……それだけ、ですか?」

「お前を責めたって状況が良くなるわけじゃねえだろ」

 

 布団に横になったままのメディアにそう答えた。

 あれから一時間程しか経ってないが、メディアの顔色は随分良くなっている。

 元々ただの麻痺毒(ただし強力な上に超速効性)だった上に、メディア自身の魔術で解毒と治療を行った為、後は体力を回復させれば全快という状態だ。

 もっともその体力が底をついていた為、俺が世話をしてやらなければならないが。……くそっ、小町以外の女の子の着替えを手伝わなけりゃならん日が来るとは思わんかった。

 いや、仕方ないだろ?泥と血で汚れたまま寝かせるわけにもいかんだろうが。別に意外と着痩せするタイプなんだななんて思ってないよ?誰に言い訳してんだ俺……。

 

「ですが八幡様」

「ひゃっ、ひゃい!なんでふか!?」

「は?」

「い、いや、すまん。何だ?」

 

 あっぶねえ、変な声出た。虫を見るような目で見られちまったぜ……。

 

「……いえ、その、おそらく八幡様の計画を継続する事は酷く困難になってしまったと思うのですが……」

「ああ、その事か。気にすんな。計画なんて元々上手く行かないことを前提に組むもんだろ?」

「いえ、その考え方はどうかと……」

 

 え、違うの?自分の思い通りに事が運んだことがないからそういうものだと思ってた。

 それはともかく、実際それほどショックのようなものは感じてないんだよな。

 はっきり言ってしまえば、メディアを召喚してしまった時からいずれはこうなるだろうなとは思っていた。お約束でもあるしな。

 

「ま、それほど悲観する事もねえだろ。少なくともアサシンが倒れたってのは朗報だしな。アサシンを倒したのはアーチャーで間違いないのか?」

「確証はありませんがおそらく。超長距離の狙撃を可能とするクラスはアーチャーとキャスターになります。他のクラスでもそうした性能を持った宝具を用いれば不可能ではありませんが、そうした霊装を持つ英霊は大抵アーチャーになります」

 

 ……宝具ってのは初めて聞く単語だな。

 今の話し方だと霊装ってのがいわゆるマジックアイテムのことで、宝具はその中で英霊の切り札になるアイテムのことか。

 しかしこれは今までメディアが隠してきた情報だろうに、うっかり漏らしちまうとか本気で弱ってるぽいな。とりあえず聞かなかった事にしてやるか。

 それはそれとして、今の状況は最悪からはほど遠い。

 俺の考える最悪とは、状況をまったく把握出来ないまま詰んでしまう事だ。そうなった場合、何の手も打てないまま死ぬしかないだろう。

 それに比べて現状は、いくらかの準備も出来ているし、わずかとは言え敵についての情報もある。

 

「……アーチャーって事はセイバーもセットで着いて来るって事だよな。めんどくせぇ」

 

 アーチャーのマスターが遠坂、セイバーのマスターが衛宮であること。そしてこの二人が同盟を結んでいることは、ここ数日間の監視で判明している。

 遠坂には魔術師ならでは弱点があったし、衛宮はそもそも警戒心の足りない人間のようなので、思った程苦労しなかった。

 もっとも危惧していたのはサーヴァントだったのだが、その警戒網もメディアにかかれば潜り抜けるのは難しくないらしい。

 自分が持っている敵の情報というのが、この二人のことに集中している(と言うかほぼ全て)というのも幸運と言えば幸運だろう。

 

「ま、文句言ってもしゃあねえ。最初のプランがダメになった以上、次のプランに移るだけだ」

 

 さっきも言ったが、俺は計画なんてものは上手く行かなくて当たり前だと考えている。ならば当然、失敗した時の為の対策だって用意している。

 

「それにあたって細かい調整をしたいんだが、お前が今まで街でやってた事を教えてくれ」

 

 

 

「――――出来るか?」

「……はい。どうにかなると思います」

「なら頼む。あいつらの行動パターンを考えれば動くのは夜になるだろう。つまり明日、つうか今日一日は猶予があるわけだ。その間に詰められるだけ詰める。とりあえずお前は朝まで休んで回復させろ。準備さえ済ませてくれれば本番は俺が引き受ける」

「……よろしいのですか?」

「他に選択肢がねえんだ。良いも悪いもねえだろ」

「了解しました。それでは休ませていただきます」

 

 メディアはそう言って目を閉じると、すうすうと寝息を立て初めた。

 異様な寝付きの良さだ、とも思ったがよく考えてみればそもそも人間ではないのだ。スイッチのon/offのようなものなのかもしれない。

 俺は自分の部屋に戻ると、羽織ったままだったジャケットを脱ぎ捨ててベッドに転がった。

 明日からのことを考えて気が沈む。

 ショックは無い。意外でもない。

 来るべき時がついに来た。それだけだ。

 だが、だからといってそれを望んでいたわけでもないのだ。多少鬱になるくらいは見逃して欲しい。どうせここから先は落ち込んでる暇も無くなる筈だ。

 

 ため息を一つ。今までのことを思い出す。

 どうしてこうなった?

 もっと安全な、命の心配などする必要の無い道だってあった筈だ。

 どこで間違った?何を間違った?

 決まってる。初めから全部だ。

 

 あの時、雪ノ下に魔導書のことを聞かなければ――

 召喚の儀式を無理矢理にでも止めていれば――

 メディアを追い詰めずに、対等の立場で交渉していれば――

 メディアの勝手な行動を黙認していなければ――

 

 

 最後の令呪を、使っておけば――

 

 

 チッ

 

 最悪の選択肢に未練を残す自分に嫌気が差す。

 やはりなにもかもが間違った人間である自分には、正しい選択など選べないのかもしれない。

 

 だけど、それでも俺は――

 

 存在するかどうかも分からぬ未来に思いを馳せながら。

 俺は、次の夜に備えて眠りについた。



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別離

 その日、ヒッキーとメディアさんは学校を休んだ。

 ちょっとは話題になるかと思ったけど、みんなあまり気にしてないみたい。まぁ、ヒッキーの場合はいつものことだけど。

 何回か電話をかけてみたけど繋がらない。電源を切ってるっぽい。

 どうしたんだろ?連絡くらいくれたらいいのに。

 あたしはそれだけしか思わなかった。昼休みのその時までは。

 

「ユイー?どしたん、ボーっとして」

「うえっ?い、いや、ヒッキーどーしたのかなーって……」

 

 いきなり優美子に声をかけられてびっくりした。そのせいでついそのまま答えてしまった。

 

 うぅ……またからかわれる……。

 

 そう思った。だけど。

 

「ヒッキー?誰?」

 

 あたしはちょっとムッとした。

 そりゃ優美子がヒッキーのことあんまり好きじゃないのは知ってるけどさ、今さらそれはあんまりじゃない?

 

「?どしたん、ユイ?」

「……いやー、クラスメイトにそれはちょっとヒドくないかなーって思って」

「へ?ウチにそんなやついたっけ?」

「……ちょっと、優美子?」

「い、いや、怒んなし」

 

 優美子のあんまりな態度につい睨みつけると、優美子は面食らったように引き下がった。

 

「まぁまぁ結衣ちゃん、落ち着いて」

「でも……」

 

 姫菜が取り成してくれたけど納得いかない。

 

「優美子だって悪気があったわけじゃないんだから」

 

 ……そんなわけないじゃん。なんだかんだで結構話するのに知らないフリとかちょっとヒドいと思う。

 

「や、悪かったって。でもしょーがないじゃん。あーしだってユイの友達全部知ってるわけじゃないんだから」

 

 しつこく知らないフリを続ける優美子に違和感を覚える。

 優美子はワガママなところはあるけど決して嫌な娘ではない。むしろ純情で優しい娘だと思う。

 その優美子が、こんな下らない嫌がらせみたいなことを、あたしとケンカしてまで続けるだろうか?

 

「それで?結衣ちゃん、そのヒッキーくん?ちゃん?がどうかしたの?」

 

 …………え?

 姫菜の言葉に頭が真っ白になる。

 

「……え、ちょっと、姫菜まで何言ってんの?」

「何って……あれ、もしかして会ったことある?」

「あるよ!ていうか姫菜、いつもはやはちとか言って鼻血吹いてたじゃん!」

「ちょっ、落ち着けしユイ!」

 

 立ち上がって大声を上げるあたしを、今度は優美子が止める。教室のみんなが見ているけど止まれない。

 

「マジでどうしたのよ?なんかおかしいよ、ユイ」

「おかしいのは二人でしょ!?なんでこんなヘンなことすんの!?」

 

 思わず怒鳴ってしまったけど、嫌な予感が止まらない。

 

「あの、ゴメンね、結衣ちゃん?ちゃんと覚えるからまた今度紹介して?」

「や、悪かったから。そんな怒んなし。な?」

 

 二人が謝罪してくる。それで気付いてしまった。

 二人は本気で謝ってる。本当に悪いと思っている。

 それはつまり、冗談でも嫌がらせでもなんでもなく、本当にヒッキーのことを忘れてしまっているということだ。

 ガラガラと。

 何かが足下から崩れていくような気がして、思わずよろけてしまう。

 そんなあたしの肩を優しく支えてくれたのは隼人くんだった。

 

「大丈夫か?結衣」

「隼人くん……」

 

 普段なら、こういうところがモテるポイントなんだろな、とか思うところだけど、今のあたしにそんな余裕は無い。

 代わりに泣きそうな気持ちで隼人くんに訴える。

 

「……優美子と、姫菜がおかしいの。ヒッキーのこと、忘れちゃってるの……」

 

 隼人くんはあたしと、心配そうにあたしを見る二人を交互に見てから、困ったようにこう言った。

 

「……ゴメン、結衣。ヒッキーって誰だっけ?」

 

 ガラガラと。

 何かが足元から崩れていくような気がした。

 

 

「ヒッキー?誰?」

 

 戸部っちも。

 

「えっと……ゴメン、わからない」

 

 彩ちゃんも。

 

「ムウ……?すまんが我にそのような知り合いはおらぬぞ?」

 

 中二も。

 誰もヒッキーを、いや、メディアさんのことも覚えていなかった。

 

「先生!」

「ん?コラ由比ヶ浜、廊下を走るな」

「先生!今日のヒッキ……比企谷くんの欠席の理由ってなんですか!?」

「比企谷?」

 

 廊下で見かけた平塚先生に駆け寄って、息を切らしながらそう聞いた。

 休みなら学校に連絡を入れてるはずだ。ヒッキーはそういうとこマジメそうだし。だけど……

 

「……あー、すまん。何組の比企谷だ?」

 

 ガラガラと

 

「……F組、ですよ。……何、言ってんです、か……?」

 

 何かが

 

「ム、そうだったか?済まんが分からん。……教師失格だな、私は」

 

 

 午後の授業の時間が近付き、廊下から人気が消えても、あたしはそこに立ち尽くしていた。

 のそのそと携帯を取り出し、震える指でプッシュする。

 三回のコール音のあとで繋がった。

 

『どもども~!やっはろーです、結衣さん!どうしたんですかいきなり?』

「……小町ちゃん、今日、ヒッキー、どうしたの?」

『ほえ?』

 

 ガラガラと

 

『ヒッキーって誰でしたっけ?』

 

 ガラガラと

 

 

 保健室で目を覚ますと、もう放課後に近い時間だった。

 教室に戻って仕度を済ませ、重い脚を引きずって部活に向かう。

 優美子達からは休んだほうがいいと言われたけど、そういうわけにはいかない。

 部室の戸に手をかけて、固まる。

 本当なら、最初にゆきのんに確認するべきだったのだ。

 ヒッキーと一緒にメディアさんが休んでいるのなら、きっと聖杯戦争関係で何かがあったのだから。

 あたしはきっと、考えが甘かったのだろう。

 ケンカしたり、すれ違ったりすることはあっても、このままずっとみんなでやっていけると思っていたのだ。それが、こんないきなり……

 もしも。

 もしもゆきのんまでヒッキーを忘れていたら。

 あたしはきっと狂ってしまう。

 それが怖くて、ゆきのんと連絡を取るのを避けていた。そして今、こうして部室に入るのをためらっている。

 何度も深呼吸して、手を伸ばしては引っ込めてを繰り返し。

 そうしてどのくらい時間が過ぎたころか。

 不意に、扉の向こうから声がかけられた。

 

「……いつまでやってんだよ、お前は」

 

 それと同時に弾けるように戸を開く。

 

「うるせえな……。開ける時はもっと静かにやれよ」

 

 そこには、今日ずっと見たかった顔が、会いたくて会いたくて仕方なかった人がいた。

 

「よっ、由比ヶ浜」

「…………ヒッキー…………」

「突っ立ってないでとりあえず入れよ。寒いし「ひっぎぃ~……!」って、おわ!?」

 

 あたしはヒッキーの胸に飛び込んでいた。

 夢じゃない。幻でもない。ちゃんとここにいてくれてる……!

 ヒッキーは泣きながらしがみつくあたしの頭を、優しく撫でてくれた。

 

「……たく、落ち着けよお前は」

「だって……みんなヒッキーのこと忘れちゃって……ヒッキーが居なくなっちゃったんじゃないかって、怖かったんだもん……」

「……いや、高二も終わりに近いってのに『だもん』はどうなんだ?」

「いいでしょ、別に。ていうかヒッキーのせいなんだから……」

「俺のせいかよ……。つうか由比ヶ浜、その、そろそろだな……」

 

 ヒッキーが何か言いにくそうにモゴモゴしている。どうしたんだろ?

 あたしがキョトンとしていると、ヒッキーは顔を赤くして目を反らしながら口を開く。

 

「……あー、その、そろそろ離れてくれないと、色々困るんだが……」

「へ?」

 

 言われて今の自分の状況に気付く。あたし、今、ヒッキーと抱き合ってる!?

 

「っっきゃーっ!?」

「おわっ!?」

 

 思わず突き飛ばすと、ヒッキーはバランスを崩して後ろに倒れ、頭を打ってしまった。

 

「……っお……ぐおぉぉ……!」

「ごっごごごごめん!大丈夫っ!?」

「おま……シャレんなんねえぞ……!」

 

 慌てて助け起こしたけど、涙目で睨まれてしまった。

 と、そこでようやく気付いた。

 ヒッキーは制服ではなかった。

 そしてヒッキーの後ろの椅子には、ゆきのんがもたれるようにして眠っていた。

 ヒッキーの気配が変わる。

 ヒッキーは立ち上がると、一歩、二歩と後ろに下がった。あたしから距離を取るように。

 あたしは――踏み込めなかった。

 

「……ヒッキー、今日、どうしたの?」

「ちょっとやらなきゃならん事が出来てな」

「大変だったんだよ?みんなヒッキーのこと忘れちゃってて」

「ああ、知ってる」

「知ってるって……」

「俺がメディアにやらせた事だからな」

 

 ……やっぱり。なんとなくそんな気はしてた。

 

「なんでそんなことすんの?あたし達って、そんなにヒッキーの迷惑?」

 

 そんなわけはない。ヒッキーは口では文句を言いながら、ちゃんと周りの人を大事にしている。

 きっとヒッキーだって悩んだ末での決断なんだ。

 なのにあたしは、わざとヒッキーが困るような聞き方をしてしまった。

 ヒッキーにとって、素直になることも、冷たく突き放すことも、すごく難しいことだと分かっていて。

 きっと他にどうしようもないんだと分かっていて。でも、それを認めたくなくて。

 ヒッキーはそんな意地悪なあたしに、寂しげに、しかし優しく笑いかけてくれた。

 

「……他のマスターに見つかった。もうこれ以上は、今まで通りを続けることはできない」

「なんで?みんなちゃんと助けてくれるよ?ヒッキーは信じないかもしれないけど、ヒッキーに感謝してる人はたくさんいるんだよ?あたしは何にもできないけど、ゆきのんや隼人くんだったら――」

「……相手がヤクザくらいだったらあいつらに頼っても良かったんだけどな。残念ながら、そういう次元の相手じゃねえんだ」

「でも……だって……」

 

 いつの間にか涙が流れていた。

 分かっていた。

 ヒッキーは既に、春に再会した頃とは違う。

 ひねくれた言動も、孤独を好む性質も変わらない。

 それでも他人を認め、『みんな』を許せるようになっていた。

 誰かに頼ることができるようになっていた。

 その上で誰にも頼るわけにはいかないと判断したのだ。

 ヒッキーは、考え方はいつも間違っていたけど、判断はいつだって正しかった。だから今回も、きっとヒッキーは正しい。だけど。

 

「やだよ……」

 

 あたしは涙を拭うのも忘れて訴える。

 

「あたし、ヒッキーのこと忘れたくないよ……!」

 

 困らせるだけだと分かっていても、言わずにいられなかった。

 ヒッキーは……

 

「……悪いな、由比ヶ浜」

 

 ただ、苦し気にそう言った。

 

「……ヒッキー、一つだけ教えて」

「なんだ?」

「ヒッキーは、みんなを巻き込まない為にみんなから離れようとしてるんだよね?」

「ああ」

「じゃあ、なんであたしとゆきのんだけ、こんな手の込んだことしてるの?」

 

 ヒッキーがみんなの記憶を消したのは、自分の知り合いだという理由で他のマスターに狙われるのを恐れたから。逆に知り合いから自分の情報が漏れるのを避けるためでもあるだろう。

 けど、それだけだったらあたしやゆきのんの記憶も一緒くたに消してしまえば良かったはず。

 なのにヒッキーは、みんなの記憶は消してもあたし達の記憶は残していた。

 その理由が知りたい。

 ヒッキーはあたしの質問に不意を打たれたような顔をして、ばつが悪そうに口を開いた。

 

「……単なる、わがままだ」

「……意味わかんない。ちゃんと答えてよ」

「だから……!」

 

 ヒッキーは怒鳴りかけて口をモゴモゴさせると、今度は「うぅ~!」と唸りながらガシガシと頭を掻き始めた。

 どうしたんだろ?

 

「……お前らは、さ」

 

 ヒッキーが、唐突に動きを止めて話し出す。

 

「お前らは、特別なんだよ。俺にとって」

「……へ?」

「だから、ちゃんと挨拶しておきたかった」

 

 憮然とした顔で、真っ赤になってそう言った。

 あたしは――つい、吹き出してしまう。

 

「ぷっ――何、それ」

「うっせ、ほっとけ」

 

 ヒッキーがむくれながら近付いてくる。

 

「――また、会える?」

「当たり前だ。別に死にに行くわけじゃねえんだから」

「ホントに?」

「ああ。そもそもこれも、俺の顔を見ただけで勝手に効果が解けるシロモノなんだ。だから雪ノ下が起きる前に出てかなきゃならん」

「嘘ついたら、小町ちゃんに言いつけるよ?」

「だから平気だって。こんなのはただの念の為だ。……だから小町はかんべんしてくれ」

「ダーメ。小町ちゃんに嫌われたくなかったら、ちゃんと帰ってくること」

「ヘイヘイ、分かりましたよ。あーあ、やっとぼっちに戻れると思ったのによ」

「……ねえ、ヒッキー」

「ん?」

 

 

「大好きだよ」

 

 

 

 

「……ヶ浜さん、由比ヶ浜さん、起きなさい」

「……ふぇ?」

 

 目を開けると、ゆきのんが呆れ顔で覗きこんでいた。

 

「暖房が効いているとはいえ、こんなところで寝ると風邪をひくわよ」

「あ、あれ?」

 

 キョロキョロと辺りを見回す。いつもの部室だった。

 いつの間にか眠ってしまったらしい。

 

「ご、ごめんゆきのん!」

「謝らなくても良いから、よだれの跡をなんとかしなさい」

「へ?わわっ、ちょっとタンマ!」

 

 慌てて顔をゴシゴシするあたしを見て、ゆきのんがクスリと笑う。いつもの光景だ。

 なのにどこか物足りなさを感じるのは何故だろう?

 

「……ねえゆきのん。奉仕部って、あたしら二人だけだよね?」

「……ええ、その筈よ」

「……だよね」

 

 最初にゆきのんがいて。

 あたしが依頼を持ち込んで。

 それから入部して。

 それだけだ。他の部員なんていない。

 なのになんだろう。この喪失感のようなものは?

 

「……由比ヶ浜さん。あなたも何か違和感を感じるの?」

「……って、ゆきのんも?」

「ええ……。それで落ち着かなくて、由比ヶ浜さんが目を覚ます前に部室を歩き回っている時に気付いたのだけど、ポケットにこんな物が入っていたの」

「何コレ?」

「ICレコーダーよ」

「……なんでそんなの持ってんの?」

「わからないの。それで、何かデータが入っているみたいなのだけど、一緒に聞いてみる?」

 

 

 好奇心に負けて聞いてみると、入っていたのは自分と、ゆきのんと、知らない男の子の声だった。

 

「……何なのかしら、これ」

 

 ゆきのんが小さく呟く。

 レコーダーの中で、まずゆきのんが、次いであたしが、知らない男の子とお芝居じみた会話をしている。

 だけどあたしはこんなものを録った覚えは無い。ゆきのんも知らないそうだ。

 男の子の声にも聞き覚えが無いし、気味が悪い。

 それに会話の内容も問題だ。

 なんかこれだと、あたしとゆきのんが同じ男の子に、その、あれみたいじゃん……。あたしなんか大好きとか言っちゃってるし……。

 

「うぅ~……、もう止めよ?」

「待って、まだ何かあるわ」

 

 今度は男の子と、また知らない女の子の声だった。

 

 

『本当に、よろしかったのですか?』

『……良いわけねえだろ。だから今まで無理してしがみついてたんだろうが』

『どちらへ?』

『決まってんだろ、最後の仕上げだ。お前もそっちが終わってんなら手伝え』

『了解しました』

 

『……ったく、めんどくせぇ。さっさと終わらせて帰ってくんぞ』

 

 

 それで終わりだった。

 

「……本当、何なのかしら?」

 

 確かに意味がわからない。

 

「セリフの内容から推測すると、この比企谷くんという男の子がどこかへ行こうとしているのを、私達が引き留めようとしている……ように思える、のだけど……」

 

 うん、確かにそんな感じ。でもやっぱり覚えが無い。

 

「でもさ、このヒッキーって人さ」

 

 それと、あたしはゆきのんとはちょっとだけ違った印象を覚えていた。

 

「なんか、奉仕部のことをスゴく大事に思ってくれてるよね」

 

 あたしやゆきのんが必死に止めてるのにどっかに行っちゃおうとしてるけど、最後にちゃんと『帰る』って言ってる。

 それはつまり、この人がここを自分の居場所だと思っているってことで。

 それが何故か、何故かとても嬉しかった。

 

「……由比ヶ浜さん、大丈夫?」

「? 何が?」

「あなた、泣いてるわよ?」

「へ?」

 

 手で目元を触ってみると、確かに濡れていた。

 あ、あれ?何コレ?

 拭っても拭っても、次から次へと涙が溢れてくる。

 

「ちょっと、由比ヶ浜さん、本当に大丈夫?」

「う、うん、多分。ていうか、ゆきのんだって泣いてるじゃん」

「え?」

 

 ゆきのんは自分の頬を触って驚いている。あたしと同じで、言われるまで気付かなかったようだ。

 

「な、何、これ?どうして……」

「わか、んない、やば、止まんない……」

 

 涙は止めどなく溢れ続け。

 あたし達は。

 わけもわからないまま、下校時刻まで泣き続けた。



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侵入

 夜の闇の中、私を含む四人の男女がある建物を見上げていた。

 学校の制服を着た者、そして騎士の甲冑を纏った者が、それぞれ男女一名ずつ。事情を知らぬ者が見れば、さぞ奇妙な集団に思うだろう。

 その内の一人、騎士の出で立ちをした青年が口を開いた。

 

「……本当にここなのか?」

「何よ、信用出来ない?」

「そういうわけではないが……」

 

 自信に満ちた制服の少女の言葉に、青年が困惑気味に答える。

 どちらもどことなく赤を想起させる雰囲気を纏った、当人達は否定するだろうがどこか似た二人だった。サーヴァントにはマスターに似た英霊が選ばれる為、当然と言えば当然なのだが。

 少女の名は遠坂凛。私はリンと呼んでいる。

 この冬木の管理者たる遠坂の当主であり、聖杯戦争に参加するマスターでもある。

 そして赤い騎士は彼女に与えられたアーチャーのサーヴァントだ。

 その正体は不明。記憶喪失の為、本人にもわからないらしいが……どこまで信用出来たものか。

 彼が主の言葉を疑うのも無理からぬ事だった。

 我々は今、同盟を組んだ彼女達と共に、敵対するサーヴァントを討伐する為にこの場所を訪れていた。

 広い敷地を塀がぐるりと取り囲んでいるが、肝心の高さが足りておらず、乗り越えようと思えば魔術師やサーヴァントでなくとも越えられるだろう。

 我々の正面には正門があるが、そこを塞ぐ扉、もとい柵にはやはり頑健さは感じられない。

 

「でも遠坂、ここってただの学校だろ?」

 

 制服姿の少年、シロウ――私のマスターで、衛宮士郎という――が二人に口を挟む。

 彼の言うように、その門柱には『総武高校』と刻まれたプレートが埋め込まれていた。特に霊地というわけでもなく、魔術師が居を構えるには不向き過ぎる。

 

「ま、そうなんだけどね。近くに霊脈があるわけでもなく、構造的にも防御に向いてるわけじゃない。だからこそ完全にノーマークだった。そこを突かれたわけね」

 

 顔に疑惑が出ていたのだろうか。リンは発言していない私を含めた全員に説明するように話し出した。

 

「わたし達を監視してた使い魔、あの隠れるのがえらく巧かったやつ。あれの魔力を逆探知したらここに繋がってたわ。あいつに気付かなかったらここにたどり着くことはなかったでしょうね。セイバーのお手柄よね」

「いえ、私は役割を果たしたに過ぎません」

 

 警戒監視は私とアーチャーが交代で行っている。これに関しては、クラスの問題もあるだろうがアーチャーの方が優秀だった。

 件の使い魔は位置取りの巧妙さに加え、魔術的、光学的にカモフラージュが施されており、そのアーチャーの眼をも欺く事に成功していた。私が気付けたのはただの幸運だ。

 しかし同盟を組んでいるとはいえ、他人のサーヴァントをこうも素直に誉められるというのは……。

 シロウもそうだが、彼女も大概なお人好しのようだ。マスターとしては致命的とも言える欠点だろう。

 が、騎士の主としては申し分ない。少なくとも私なら、ここで相手を妬むような卑屈な主に仕えるのは出来れば避けたい。

 

「この辺一帯の魔力の流れを調べてみたら、いくつかの霊脈から小さな、意識して調べなきゃ気付かないくらいの支流がこの学校に繋がってたわ。不自然さから考えて、間違いなく人為的に作られた支流よ。効率は今一でも、これなら誰にも気付かれることなく力を蓄える事が出来る。巧いやり方よ」

 

 リンは裏をかかれたことを憤るより、相手に感心しているようだった。

 騎士が力と技とで相手を評価するのに対し、魔術師は知略と深慮によって相手を推し測る。

 今回の敵は、どうやら彼女の闘争心を煽るに足る相手のようだ。もっともこうして優れた相手に対抗心を燃やすのは、魔術師よりは戦士に近い気質だとは思うが。

 とは言え彼女が優秀な魔術師であることは疑いようがない。今回も敵の所在を突き止めるのは、彼女抜きでは成り立たなかっただろう。

 若さ故かたまに抜けているところもあるが、それは私やアーチャーで補佐すれば良いだけのことだ。

 

「……街にいくつか敷いてあった結界も、やっぱりここのサーヴァントの仕業なのか?」

「多分ね。隠蔽の精度から考えて、まずキャスターの仕業に間違いないわ。霊脈に支流を作るような離れ業が出来るサーヴァントが複数いるっていうのは、正直考えたくないわね」

「そうか。じゃあ、やっぱり止めなきゃな」

 

 リンの説明に、シロウが頷く。

 シロウは初め、聖杯戦争に参加することに消極的だった。聖杯を使ってまで望むものなど無いと。

 しかし先日、最近この街で頻発している意識不明者が、サーヴァントの魂食いの餌食となった者達だと知って戦いを決意した。

 単純に暴走するサーヴァントやマスターの犠牲となる者を無くす為。そして、そうした者達に聖杯を渡さない為にだ。

 私としては聖杯さえ手に入るのならば、マスターの戦う理由は気にしない。が、見知らぬ他人の為に戦えるこの少年を、少なからず好ましく思ってはいた。

 

「それにしてもなんで急に動きが活発になったんだろうな」

 

 今まで魂食いの犠牲者は1日に一人程度の割合だった。

 しかし昨日、一昨日と連続して、それぞれ十数人の意識不明者が出た。シロウが言っているのはそのことだ。

 ちなみに魂食いとは言っても、本当に魂を食うわけではなく魔力を奪うだけだ。ただ、魔力を大量に奪われるとショック症状を起こし、その様が魂を奪われたかのように見える為にそう呼ばれている。

 今までの事件では死亡者は出ていないが、それはあくまで今のところの話で、死に至る可能性も少なからずある。

 

「……考えられる可能性としては、一つは急に大量の魔力が必要になった場合。何か早急に対処しなきゃならない事態が発生した場合ね」

「他には?」

「既に充分な魔力を溜め込んで、こそこそする必要が無くなった場合。でも、こっちの可能性は高くないと思うわ」

「何故ですか?」

 

 シロウに解説していたリンに口を挟んだ。

 

「今までこれだけ用心深く行動してた相手よ?ちょっと力を蓄えたくらいで油断するような低脳とは思えないわ。用心深い奴がそれでも慢心する程の魔力を蓄えていたらさすがに気付くと思うし、効率面から考えてもそこまでの量にはなってない筈よ」

「つまり……」

「ええ。敵は今、何か問題を抱えている。狙い目ってことね」

 

 彼女はシロウの呟きにニヤリと返した。

 

「……だが、そんな状況なら相手も警戒しているのではないか?」

 

 そんな彼女にアーチャーが異を唱える。

 彼はこの戦いに対して、理由はわからないがずっと曖昧な態度をとっていた。

 臆した、という風にも見えない。どちらかというと戸惑っているように見える。

 リンも彼の異変には気付いているのだろうが、言及するつもりは無いらしい。

 

「そうでしょうね。でも同時に焦ってもいる。だからこそ使い魔の擬態が甘くなったんでしょうし」

「……そうだな。『家』の偽装はばれていないか?」

「問題無いわ。例の使い魔に動きがあれば警報が働く筈よ」

 

 今回の出撃に際して、我々は一つの細工を施していた。

 現在、敵の監視下に置かれている衛宮邸では、魔術で作られた我々の人形がいつも通りの生活を演じている。

 使い魔を通してそれを見ている限り、我々がここに居る事には気付けない。敵の監視を逆手に取ったわけだ。

 

「ま、屋内まで踏み込まれればさすがに気付くとは思うけどね。だからその先はスピード勝負よ。相手の体勢が整わない内に見つけ出して一気に倒す。フォーメーションを確認するわ。まず対魔力の高いセイバーが先行して危険を排除。良い?」

「了解しました。まずはあちらの校舎の四階を目指せば良いのですね?」

「それでお願い。大体のアタリでしかないからわたしが中で改めて絞りこむわ。衛宮君は罠の検知。頼りにしてるわよ」

「わかった」

「アーチャーは後方を警戒しつつ全員のフォローを、アーチャー?」

 

 アーチャーはリンの言葉に反応せず、どこか明後日の方向を向いたまま表情を厳しくしている。

 

「どうした、アーチャー?」

「……セイバー、あれが見えるか?」

 

 言われて彼の視線を追ってみると、遥か彼方の民家の屋根の上に何かが見えた。とは言え私はアーチャー程には眼が良くない。

 

「……なんだ?あれは」

「分からん。が、私には砲台のようにも見える」

「砲台だと?」

 

 アーチャーの言葉を受けて、リンが眉間にシワを寄せた。

 

「……物騒ね。衛宮君、校庭辺りに何か無い?」

「ちょっと待ってくれ……あそことあそこ、うわ、メチャクチャたくさんあるぞ」

 

 校庭に目を凝らしていたシロウが驚きの声を上げる。

 リンの話では、シロウは『世界』の異常に対して驚く程敏感らしい。その為魔術的な仕掛けを見抜く感性はリン以上だそうだ。

 リンはシロウの示した地点に、しばし意識を集中する。

 

「……あの結界そのものには特に力は無いみたいね」

「おそらくあの砲台と連動しているのだろうな。結界に検知された標的を自動的に狙撃する仕掛けだろう。警報も兼ねているのだろうな」

「無視するわけにもいかないわね……。アーチャー、狙撃できる?」

「爆発すれば下の民家を巻き込むが構わないか?」

「却下」

 

 アーチャーの推測にリンが思案の表情を見せる。

 このまま突っ込めば大損害を被った上に相手に気付かれてしまう。

 離れた場所にある砲台を無力化してからでは、時間がかかってやはり感付かれるだろう。他の方角にも同じ様な仕掛けがあるだろうから、回り込む意味もない。

 正直正面対決でも異存は無いのだが、わざわざこちらの利を捨てる意味もない。

 何より相手はキャスター。戦士ではなく魔術師だ。戦わずに逃げてしまう怖れもある。そうなっては元も子も無い。

 

「私が行こう。あまり時間をかけるわけにもいかんだろう」

 

 アーチャーが立ち上がる。

 

「……そうね。フォーメーションを変更、アーチャーが砲台を無力化すると同時にわたし達で突入。アーチャーは外から援護。出来ないなんて言わないわよね?」

「当たり前だ、私は弓の英霊だぞ。君の方こそ油断するな。一度手玉にとられていることを忘れるな」

「それはあんたも一緒でしょうが……!」

 

 この二人は以前、キャスターとそのマスターとおぼしき相手に接触している。そしてその時はサーヴァントだと見抜けなかったらしい。

 アーチャーは神妙な顔で私を見下ろし、口を開いた。

 

「セイバー、凛を頼む」

「言われる間でもない。貴様こそしくじるな」

「……くれぐれも、頼んだぞ」

 

 ……?

 正直、アーチャーの態度は腑に落ちない。

 敵を警戒するのは当然だが、それにしても様子がおかしい。

 私を信用していないのかとも思ったが、それならリンの側を離れる筈がない。

 訝しみながら見送っていると、去り際に彼の漏らした独り言が聞こえた。

 

 

「一体どうなっている……?こんな展開は知らんぞ……」

 

 

「アー……!」

 

 声をかけようとしたが、既に出発した後だった。

 

「セイバー、どうした?」

「……いえ、なんでもありません」

 

 シロウの言葉にうやむやに返す。他に答えようがない。

 我々サーヴァントは、なにかしら抱えているものがある。だからこその英霊だ。隠し事を咎めるのはルール違反だろう。しかし……

 

(……どういう意味だ?何を知っている、アーチャー)

 

 

 

「アーチャーが配置に着いたわ」

 

 それからほどなくして、全ての準備が整った。

 アーチャーと念話で連絡をとっていたリンが表情を引き締める。

 私はそれを見て、確かめるように剣を握り直す。

 

 透明剣『風王結界(インビジブル・エア)

 

 これはこの剣の名前ではない。

 この剣の鞘は失われてしまっている。しかし強力過ぎるこの剣を、抜き身のままで持ち歩くわけにもいかない為、風の結界で力を封じてある。その副作用として剣が透明化してしまっているのだ。

 その目に見えない握りの感触で、自分の調子を確かめる。

 問題無い。アーチャーの事はひとまず忘れろ。

 

「じゃ、合図と同時に突入よ。準備は良い?」

 

 リンの言葉に私とシロウが頷く。

 戦力では完全にこちらが上回っている。

 敵の監視も欺き、こちらの所在は未だにばれていない。

 全員の戦意も高く、なおかつ油断せず、用心を重ねている。

 敗れる要素は無い。

 

「状況、開始!」

 

 リンの宣言と共に、私は闇の中を疾走した。



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開幕

 走り込んだ勢いのままに、昇降口の扉を蹴り着ける。ささやかな抵抗があって鍵が弾け、内側に向かって開け放たれた。その僅かな時間にシロウとリンも距離を詰める。

 間を置かずに踏み込む。と、

 

(…………!?)

 

 目眩にも似た強烈な違和感。これは……!

 

「二人とも、外へ!」

 

 私を追って突入する二人を制止しようとするが、既に遅かった。

 二人が中に入ると同時に扉が勝手に閉まる。

 シロウが咄嗟にとりすがって揺する。が、

 

「っ、開かない!」

 

 私は剣を扉に叩き付ける。しかし、ただのガラスである筈のそれにはヒビ一つ入らなかった。

 

「二人とも、どいて!」

 

 私とシロウが飛び退くと同時、リンが扉に向かって紅い石を二つ投げ付けた。

 

 宝石魔術。

 

 彼女の得意とする魔術で、あらかじめ宝石に魔力を貯めておくことで、術者が保有する以上の魔力を扱うことの出来る魔術だ。

 貯め込んだ魔力を解放する際に属性を付与する事で、冷気や風、果ては治癒などの様々な効果を産む事が出来、さらに使用する宝石の質や種類によっても性質や相性が変化するという、何かと応用範囲の広い魔術である。

 今回リンが付与した属性は、スタンダードに炎。魔力を用いた爆弾である。

 

 ドンッ!

 

 腹の底を揺るがすような轟音。しかし……

 

「やっぱダメか……!」

 

 リンが舌打ちしながら吐き出した言葉の通り、扉にはキズ一つ入っていなかった。

 我々は脱出を諦めて奥に目を向ける。

 

「なあ、遠坂、これって……」

「……不意を突いたつもりが誘い込まれてたってわけね。やられたわ。にしても、まさか校舎がまるごと工房化してるなんて……」

 

 リンの言う通り、校舎内は見た目には変化は無いものの、半ば異界化していた。

 指揮官役のリンに指示を仰ぐ。

 

「どうしますか?」

「……迂闊に動けないわね、これじゃ衛宮君のセンサーも役に立たない」

 

 シロウは『世界』の異常に敏感だ。その感性によって魔術的な罠を見抜く事を得意としている。

 しかしこの校舎には異常『しか』ない。隠された異常を探し出すシロウの能力では、異常の種類を分析する事は出来ないのだ。

 私は、サーヴァントらしき人物が学校に通っていると聞いて、『何故』よりも『どうやって』という疑問を強く感じていた。

 学校に魔術師が居れば、簡単に見付かってしまうだろう。だからそれを炙り出す必要がある。

 しかし隠れた魔術師を探し出すのは容易ではない。一体どうやったのか?

 その疑問が、今解けた。並の魔術師がこんなところで生活していては気が触れる。

 僅かに思案した後、リンが口を開く。

 

「アーチャーを待ちましょう。外からならこじ開けられるかも知れない」

 

 理性的な判断だ。分断された事が良い方向に働いた……ように見える。

 しかし、この敵がそれを許す程甘い相手だろうか?

 

 ジリリリリリリッ!

 

「!?」

 

 突如けたたましいベル音が鳴り響く。

 火災報知器の警報だ。先程の爆発に反応したのだろうか。いや待て、火災報知器だと?この異界化した校舎でか?

 

 バシュウ!

 

 その疑問に答えるかのように、天井に据え付けられたスプリンクラーから白煙が吹き出し視界を遮る。

 

「ゲホッ!ゲホッ!ちょっ……何コレ!?」

「ゴホッ、催涙……ガス!?」

 

 否、視界だけで済んでいるのは私だけだった。

 私と違い生身の人間である二人は、煙を吸い込み涙を流して激しく咳き込んでいる。

 その時、私の耳が警報の騒音に紛れるような小さな足音を捉えた。

 昇降口から奥に踏み込む。

 正面に階段があり、左右に廊下が伸びている。その右側の廊下に、黒ずくめの男がいた。

 黒ずくめとは言っても暗殺者のような特殊な装束を纏っているわけではなく、黒いジーンズに黒いジャケットという、この時代において珍しくもない姿だ。ただ一点を除けばだが。

 男は黒い面を着けていた。

 顔全体を覆う、どこか虫を連想させるような奇怪なデザインで、口の部分には小さな孔が無数に開いている。

 

 この面は何なのか?

 キャスターは女ではなかったのか?

 マスターだというなら何故姿を晒したのか?

 

 いくつもの疑問が脳裏をよぎり――その全てを無視する。まずは眼前の敵を打ち伏せる!

 男に向かって踏み込み、胴を薙ぎ斬る。が、

 

(速い!)

 

 男は私の攻撃を、後ろに跳んで躱していた。

 僅かに浅かったとは言え、人間に反応出来る速度ではなかった筈だ。さらに一度の、それも後方への跳躍で数メートル以上も移動している。

 明らかに人間離れしている。にも関わらず、動きそのものは素人のそれだ。

 おそらくは魔術による身体強化。それもサーヴァントに肉薄するレベルのものとなると、やはりキャスター以外は考えられない。とは言え……

 

(結局は生身の人間!)

 

 信じ難い程に強化されてはいるが、サーヴァントを上回る程ではない。

 元が武術の達人であれば、或いは私を打倒し得る程の戦闘力を発揮したかもしれないが、素人ではそれも望むべくもないだろう。

 以上の思索を男が着地する前に済ませ、追撃の為に前方に、男の着地点を狙って跳躍するように踏み込む。これなら、少なくとも自動的に発動するタイプの罠は回避出来る筈だ。

 一度の踏み込みでは追い付けない。なのでもう一度の踏み込みに合わせて重心を移動する。

 男は予想通り、着地と同時に再び後ろに跳ぶ。

 私はそれを追って床を蹴り――

 

 

 どぷんっ

 

 

 そのまま沈んだ。

 

 

「くっ!?」

 

 状況を理解出来ないまま、咄嗟に剣を壁に突き立てる。それにぶら下がって周囲を確認する。

 廊下にいきなり穴が開き、その下に溜まった泥水に胸元まで浸かっている状態だ。しかも足が着かない。

 

(屋内に……底なし沼だと!?)

 

 ともかく上がろうと床に手を伸ばす。しかし、

 

「なっ!?」

 

 リノリウムの床が、触れた途端に溶けるようにして消えてしまった。

 もう一度試しても同じ。注意深く見てみると、消失の際に魔力の輝きが見えた。

 

(これは……!)

 

 魔力で編まれた足場を廊下に擬態させてある。それが私のレジストによって消滅しているのだ。つまり、

 

(魔術的な防御を施した者『だけ』に有効な罠だと……!)

 

 どこの誰だ、こんな罠を考えたのは!

 一体どんなねじまがった性格をしていればこんな仕掛けを思い付く!

 

 腕力だけで跳躍する事も可能だが、下手をすればこの廊下全体が同じ状態かもしれない。おかしな位置に落ちれば今度こそ抜け出せなくなる可能性もある。

 幸い壁には細工は無いらしい。ならば壁を蹴って移動すれば……!

 そう考えて身体を引き上げようとしたが、

 

(!? 魔力解放が働かない!?)

 

 私は華奢な見た目に反し、破城の鉄槌と呼ばれる程の剛力を誇る英霊だ。

 しかしそれは純粋な筋力ではなく、生まれ持った膨大な魔力を、ロケットのように噴射する事で身体能力に上乗せしているのだ。私が宮廷魔術師マーリンに師事していたのは魔力の制御法を学ぶ為でもある。

 それが今、どういうわけか完全に封じられていた。いや、そもそも私は湖の精霊の加護により水に沈まない筈だ。それすらも働いていない。

 混乱する私の視界に、あるものが映り込んだ。

 私の握る剣に、跳ねた泥が付着していた。そしてそこから結界がほどけ、刀身が見えている。

 

「これは、秩序(コスモス)……終末の泥か!」

 

 マーリンの教えによれば、魔術において、混沌は始まりと可能性を。秩序は完成と終末を意味するらしい。

 混沌とは可能性そのもの。故にそれだけでは意味を成さず、方向を与えてやる事であらゆるものに変化する。それが魔術なのだそうだ。

 対して秩序とは既に出来上がっているものであり、その状態で完結しているものである。故にそれ以上は変化せず、その先は存在しない。

 秩序とは、魔術そのものにとっての天敵なのだ。

 秩序の泥とは、五大属性の魔力を不活性状態で練り込んだ泥で、その名の通り秩序の性質を持っている。

 これに触れている限りあらゆる魔術は意味を成さない。魔力解放や精霊の加護が働かないのはその為だろう。いや、長時間浸かっていれば、魔力で編まれたこの身体をも分解されてしまうかもしれない。

 こうなっては魔力を使わずに脱出する他無い。が、

 

(力が、入らない……!?)

 

 身体の末端から、徐々に感覚が消えていく。これは……

 

(毒、だと……!?サーヴァントの私に……!?)

 

 焦る中見上げた視界に、例の男が映り込む。

 男は観察するように私に視線を向けていた。いや、実際に観察しているのだろう。

 止めを刺しにくるつもりだろうか。それならば返って好都合だ。間合いに入ってくれさえすれば、相討ちに持ち込む事が出来る。

 しかし男はそれを見透かしたかのように飛び上がり、壁を蹴って私の間合いを避け、対岸、私の背後に着地した。

 ここまで有利な状況であっても私と戦うつもりは無いらしい。そのままシロウ達の方へ走り出す。

 どうにか止める方法を考えるが……

 

(何も出来ない、詰んだ!)

「そちらに向かいました!応戦を!」

 

 二人の剣となるべき私が、ただ声をかける事しか出来ないとは……!

 二人はこちらの騒音を聞き付けてか、ガスから逃げるようにしてヨロヨロと歩み出てきたところだった。

 男は走りながら右腕を振り、袖口から取り出した警棒を伸ばす。

 リンはそれを見て、咳き込みながらも宝石を構えるが、男に腕を打たれてあっさりと叩き落とされる。

 男はリンの首元に警棒を叩き付け、と言うより押し付けた。

 

 バチンッ!

 

 そんな音を立てて、リンが悲鳴すら上げられずに崩れ落ちる。なんだ今のは!?

 

「遠阪!?くそ!」

 

 シロウが身構える。その為か、男は警棒を振り上げ、シロウに今度こそ叩き付けた。

 シロウは交差させた腕でそれを受け止めた。

 ガキン!と金属のような、布や肉では有り得ない音が響く。

 シロウの『強化』だ。

 物体に魔力を通す事でその強度を引き上げる、シロウの得意とする、と言うより唯一扱える魔術。

 『強化』された衣服の防御力は、頑強なフルプレートを上回る。警棒の打撃程度はものともしない。その筈だった。

 

 バチンッ!

 

 その音と共に、やはりシロウが崩れ落ちる。

 

「シロウ!」

 

 私の声にピクリと反応するも、動くことは出来ないようだ。

 男の持つ警棒から、バチバチと音を立てて青白い火花が散る。

 あれは……ただの警棒ではなく、電撃系の宝具なのか?

 男は自分の懐をゴソゴソとまさぐると、鎖で繋がれた金属の輪――手錠を取り出した。それで足下のシロウを拘束する。

 

「ぐ……くそ!」

 

 シロウがうめくが、男は意にも介さない。

 同じようにリンの手足にも手錠をはめ込むと、男は懐から、また別の何かを取り出した。

 それは、半分に切られた――じゃがいも。

 

「……は?」

 

 呆気にとられている間に、男は芋をリンの額に押し当てた。

 その跡を見て満足気に頷きながら、男は初めて声を上げた。

 

『おー、効いた効いた』

 

 なんとも緊張感の無い声。

 男はシロウに歩み寄ると、同じように芋を押し付ける。

 

『はい、しゅーりょーっと』

 

 リンの時は角度の問題で何があったのか見えなかったが、今度ははっきりと見えた。

 シロウの額に赤く、何か複雑な文字のような跡が残る。それがスゥっと、染み込むようにして消えていった。

 

(呪血刻印……!)

 

 強力な呪いの一種で、自分の血で相手の身体に刻印を刻む事で、強制的に何らかの契約を結ばせる事が出来る。

 問題なのは契約の内容で、どれ程理不尽で一方的な内容であっても関係無く成立してしまうのだ。それをまさかイモ判で……!

 

『あー、やっと外せる。ガスマスクって案外息苦しいのな?』

 

 男はぼやくようにそう言って、例の面を外した。

 

「さって、フリートークタイムといきますか?」

 

 校舎に踏み込んでからこのセリフまで、僅か五分足らず。

 たったそれだけの時間で。

 我々は、この目の腐った男一人に敗北した。



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契約

 やめてください。やめてください。


「どういうことだ、これは!」

 ごうごうと渦巻く熱気の中、夫の怒声が響く。

「誰がここまでやれと言った!これではなにもかも台無しではないか!」

 城は、炎に包まれていた。
 人も。財宝も。なにもかも。


 やめてください。やめてください。


 王女は私の贈ったドレスで式に出た。そのドレスが炎で出来ているとも知らずに。
 式の最中で魔術は解け、ドレスは炎へと戻り全てを包み込んだ。
 全て夫の指示の通りに行った事だ。
 糸の一本一本が炎で出来たドレス。その全てが一度に炎に戻ればどれ程巨大になるか。
 自明の事だとは思うのだが、夫は考えもしなかったらしい。

「美しいからと目を掛けてやった恩を仇で返しやがって!まさか嫉妬か?生意気な!」


 やめてください。やめてください。
 私から全てを奪った男なのだとしても。憎い仇なのだとしても。
 私にはもう、あなたしか残されてないのです。


「図に乗るな、薄汚い魔女が!俺は、貴様を愛した事など一度も無い!」



 ずぶり

 

 さして大きくない筈のその音は、騒音の中で、いやにはっきりと耳に届いた。
 夫は己の腹を、そこに突き刺さった剣を茫然と見下ろし、それを握る私に驚愕の表情を向け――――そのまま崩れ落ちた。

 それが夫の、誉れ高き勇者イアソンの、あっけない最期だった。


「さって、フリートークタイムといきますか?」

 

 からかうように言う俺に、二対の敵意に満ちた視線が突き刺さった。うっお、超コエー!

 余裕ぶっこいてはいるが、内心では冷や汗ダラダラである。

 気取られるなよ比企谷八幡。お前の手札でコイツらに通用するのは、ハッタリだけなんだからな。

 視線は、俺の仕掛けた秩序の沼にはまっているセイバーと、三歩ほど離れた所で転がされている遠坂凛のものだ。

 その迫力は凄まじく、自分が圧倒的優位に立っているにも関わらず土下座したくなるレベル。つーか美人ってなんでこんなに怖いの?もうヤダ、戸塚が恋しい。

 ちなみに足下の衛宮は怖くもなんともない。

 なんでだろ。なんとなく同族の気配を感じるからだろうか。主に身近な女に対して頭が上がらないところとか。

 

「とりあえずはお前らにかけた呪いから説明しようか、気になってるだろうしな。内容は至ってシンプルだ。俺が死ぬと衛宮と遠坂も一緒に死ぬ。OK?」

 

 俺の言葉に衛宮とセイバーが瞠目する。しかし遠坂は動揺を押し隠し、別の事を口にした。

 

「……わたし達の事は先刻承知ってわけね。目的は何?」

 

 状況を理解してないわけでもないだろうに、むしろ挑むような目を向けてくる。口元にはニヤリとした笑みを浮かべて。へえ?

 

「俺とちょっとばかり契約を結んで欲しい」

「契約?」

 

 衛宮が訝しげな表情を浮かべる。

 

「んな警戒すんなよ。契約つっても別に魔法少女になれとか言うわけじゃねえから」

「はぁ?何言ってんの、あんた?」

 

 遠坂からバカを見るような目で見られた。

 

「俺、そもそも男なんだけど……」

 

 衛宮に素で首を捻られた。

 

(八幡様、日本人が全員アニメ好きという前提で会話するのは如何なものかと)

 

 メディアからわざわざ念話でダメ出しされた。

 あれー?おかしいなー。まどマギの視聴は法律で定められた義務だと思ってたんだけど。

 ともあれ俺は後を続ける。

 

「契約ってのはだな、お前らで俺を守ってくれってことだ」

「守る?」

「ああ。ぶっちゃけ俺達だけで生き残るのは難しそうなんでな。守ってくれる奴が欲しかったんだわ」

 

 衛宮と遠坂は俺の言葉に顔を見合わせる。そこにメディアから念話が入った。

 

(八幡様、予定と異なりますが)

(プラン変更だ。こいつらを戦力として取り込む)

(危険です)

(こいつらの力は俺が想定してたより大分高かった。他のサーヴァントもこの調子だと最後まで持たん。早い段階で手を打つ必要がある)

(しかしこの呪いは……)

(分かってる。それでもやるしかねえ)

(……了解しました)

 

 不承不承といった気配を撒き散らしつつも念話が切れる。

 当初の予定では、呪いを楯に二人に令呪を使わせるつもりだった。令呪でサーヴァントを自決させる手筈だったのだ。

 今の俺は、メディアの身体強化によってべらぼうにパワーアップしている。今ならレスラーくらいなら、比喩ではなく片手で捻り潰せるだろう。コンクリ握り潰せるとかおかしいもん。

 勿論本当に戦うつもりなど無かった。だけど保険も用意してあるし、ぶっちゃけ普通に戦って勝てんじゃね?とか思ってた時期もありました。

 その無謀な自信はあっさりと瓦解した。

 おそらくこの二組は、俺達以外の敵からも監視されてるだろう。となれば、次はその敵に襲われる事になる。

 そうやって襲ってくる相手を、罠に誘い込んで各個撃破していくつもりだったのだ。

 しかしセイバーの速さは俺の想像を超えており、それを見た瞬間に悟ってしまった。あ、こりゃ勝てねえわ、と。

 そんなわけで他のサーヴァントの戦力予想値を上方修正したんだが、これだとどう考えても途中で死ぬ。と言うか次勝てるかも怪しい。またもや計画を変えるしか無かった。

 ちなみに計画なんて上手く行かなくて当たり前とは言ったが、予備プランは必ず悪い方向に転がったパターンを想定しておくべきだ。

 お役所なんかだとこういう時、無理矢理自分側のキャパに納まるように計算し直すらしいけど、懸かってるのは自分の命。修正値を小さくする意味なんか無いし、下方修正なんて論外だ。計算だけで安心する、なんてわけにはいかない。

 ともかく戦力の補強が急務となり、呪いをかけるところまで成功したので味方に引き込むことにしたわけだ。

 こいつらとしても、生き残る為には俺を護らざるを得ない。この契約は100%成立する、筈なのだが……

 

 実はこの呪いには、一つ重大な欠陥がある。

 イモ判のアイディアを使う為に、いくつかクリアしなければならない問題があった。

 まず強度。

 呪いも魔術の一種だ。力付くで破る事も可能らしい。そうなってしまうと脅しが成立しない為、これは絶対に必要だった。

 次に、扱うのが俺だということ。

 魔術回路を持たない俺が、儀式を省略して呪いをかける為にはそれなりの細工が要る。

 その二つを同時にクリアする為には、別の何かを犠牲にする必要があった。そこで選択したのが効果期間である。

 かくして誰にでも簡単に呪いをかけられるスペシャルなイモ判が完成したわけだが、その効果は僅か二日と極めて短いものになってしまった。メディアが危惧しているのはその事だ。

 この場で倒すだけなら十分だろうが、隷属させるとなると呪いが切れてからも騙し通さなければならない。ぶっちゃけリスクが高すぎる。

 しかしそれでもやらなければならない。

 現在俺達が情報を掴んでいるマスターはこの二人だけで、次の戦いがここまで上手く行く保証など何処にも無い。

 それにこいつらを味方に付けることが出来れば、自陣のサーヴァントは7人中3人。アサシンが倒れている今、全体の戦力の半分を保有する事になり、安全度は格段に上がる。

 呪いそのものは本物だし、期間のことは上手く擬装するとメディアが言っていた。調べられても問題は無い筈だ。やってやれないことは無いとは思うが……

 

「人に何かを要求するのであれば、名くらい名乗るのが筋というものではないか?」

 

 暗い廊下に凛とした声が響く。今まで黙っていたセイバーのものだ。ぶら下がったままなので格好はつかないが。

 

「……そゆこと言える状況だと思ってんの?」

 

 セイバーは俺の言葉に答えず、真っ直ぐに睨み付けてくる。あまりに真っ直ぐすぎて、つい目を逸らしてしまう。

 怖い怖い怖い。なんでそんな真っ直ぐ人の眼見れんだよ。いや、別にいいけどさ。

 

「……比企谷八幡。予想は着いてると思うが、キャスターのマスターだ」

 

 とりあえず名乗る。今さら知られて困るもんでもないし。別に迫力に負けたわけじゃないよ?

 

「……比企谷、一つ聞かせろ」

 

 今度は衛宮だった。

 

「いやだからさ、質問とか出来る立場だと思って」

「新都の集団ガス中毒事件、あれはお前らの仕業か?」

 

 えー?人のセリフぶった切って質問してきましたよこの人?ちゃんと言葉のキャッチボールしようぜ。じゃないと俺みたいになっちゃうよ?

 

「……まあ、そうだな」

 

 とりあえず肯定する。

 正確にはメディアが無断で行った事だが、あいつの管理責任は俺にある。こいつらにしたって敵のマスターとサーヴァント間の不和など知った事ではないだろう。

 衛宮は俺の言葉を受けて、さらに質問を重ねてきた。

 

「なんであんな事をした?あの人達がお前に何かしたのか?」

「いや別に。なんでって言われると、力を蓄えるため、としか答えようがないが」

「……自分の都合の為に無関係な人間を犠牲にしたっていうのか」

「いやまあ、そう言われちまうとその通りなんだが。……え?そんな非難されるような事か?」

「当たり前だろ!何人入院したと思ってるんだ!」

「まあ確かに倒れるまで吸うのはやり過ぎだし、入院した人達には悪い事したと思うが、あれって二日くらい寝てれば回復するらしいぞ?」

「下手したら死んでたかも知れないんだぞ!」

「でも死んでないよな?あいつも死人だけは出さないように気をつけてたみたいだし、いくらうっかりがあってもそんなヘマはしないだろ」

「そういう問題じゃないだろ!?」

「んじゃどういう問題だよ?言っとくが魔力を集めてたのは身を護る為だぞ。黙って殺されろとでも言うつもりか?実際あれで集めた分の魔力が無けりゃお前らにだって負けてたしな」

 

 俺の言葉に衛宮が押し黙る。さすがに死ねとは言えないらしい。

 でも言えちゃう奴も世の中には結構居るわけで。

 

「詭弁だ!」

 

 セイバーだ。

 

「貴様が言っているのはただの結果論でしかないだろう!己の保身の為に無関係な者達に手をかけたのは事実!貴様のような姑息な男と手など組めるものか!」

 

 だから状況考えてもの言えよ……。なんつーかさすがは英霊様だ。言動がモロ主人公。

 まあ考えてみたら正真正銘の英雄なわけだしな。しかも剣の英霊とくれば物語の主人公みたいな性格してても不思議じゃない、というかむしろ主人公のモデルになる側じゃないだろうか。

 そんなセイバーから見れば、俺はさしずめ邪悪な魔女の手下Aってとこか。

 でもな?端役は端役でも、物語と違ってちゃんと生きてんだぜ?

 

「結果論はお互い様だろ?お前らだって自分の都合の為に俺らを殺しに来たんだろうが。同じ事だろ?」

「同じなものか!魔術師同士の争いは魔術師だけで片を着けるべきだろう!自身の力で堂々と戦おうとは思わないのか、卑怯者め!」

「それじゃ勝ち目が無いからこういう手を採ったんだろうが。つうか卑怯って……あのな、確かにそうなるように誘導はしたが、仕掛けてきたのはあくまでお前らだぞ?しかも二対一。それで負けたら卑怯呼ばわりってどういう事よ?何?確実に勝てる勝負じゃなきゃ納得しない人?」

「誇りは無いのかと言っている!」

「あるわけねーだろそんなもん。アホかテメーは」

 

 このセイバー、監視してる時からなんか気に入らなかったんだが、ようやくその理由が分かった。

 こいつあれだ。葉山と同じ種類の人間なんだ。

 どこまでも有能で、どこまでも正しい。そして正しいだけのアホだ。

 

「いやさ、格好良いと思うよそういうの。いや、皮肉じゃなく。命をかけて誇りを護る。尊敬するし、正直憧れる」

 

 俺はぼっちだ。ぼっちは大抵オタクだ。マンガもアニメも大好きだ。

 そしてそうした物で描かれる物語は、多くの場合、正しい人間が間違いを正す話になる。バトル物だろうが恋愛物だろうが、そうした要素が含まれる。

 だからオタクは、多かれ少なかれ正しさに憧れるものだろう。だけど現実はそんな単純じゃない。正しい程度の理由で間違った人間を踏みにじって良い筈がない。

 

「でもな、そりゃあくまでお前の価値観だろうが。世の中にゃ誇りより命の方が大事って奴の方が多いんだよ。押し付けてんじゃねえ」

「逆だ!命のやり取りであるからこそ、犯してはならない理念がある!戦士が誇りを失えば、戦場はただの地獄と化すのだぞ!」

 

 ……うん、ちょっと聞き捨てならない。今の言い方だと戦場が地獄よりマシみたいに聞こえる。

 

「なあ騎士様よ。誇りも名誉もいいけどよ、そりゃ人を殺してまで護らなきゃならん物なのか?」

「……なんだと?」

 

 それまで俺を糾弾するだけだったセイバーの声に、初めてそれ以外の色が混じる。言葉にするなら戸惑いだろうか。

 

「お前が言ってんのはよ、栄誉や栄光を護る為なら人を殺しても許されるって事だよな?」

「……我が前で騎士道を愚弄するか!」

 

 ああ、させてもらうね。

 セイバーは俺達を殺しに来た。それは聖杯を手に入れる為だろう。

 しかしセイバーは、我欲の為に他者を手にかける事を否定し、その上で自らの行いを、誇りや栄誉といった綺麗な言葉で誤魔化した。ならばそれは欺瞞だろう。

 俺はオタクだ。だから正しさに憧れる気持ちはある。

 しかし俺は、オタクである前にぼっちだ。

 ぼっちとは間違えし者。正しさから外れし者。

 ならば、正しさを振りかざし、間違いを踏みにじる者とは戦わなければならない。

 

「なぁ、one for allって言葉、どう思う?」



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脅迫

「なぁ、one for allって言葉、どう思う?」

 

 比企谷と名乗った目の腐った男。そいつがいきなり口にした質問に、セイバーは面食らっていた。

 無理も無いだろう。脈絡が無さすぎる。

 

「衛宮、お前はどうだ?」

 

 セイバーが固まったのを見てか、比企谷は俺に水を向けてきた。

 

「……良い言葉だと思う。一人はみんなの為に。結構好きだ」

「ま、そう思うよな」

 

 比企谷は俺の返答に、肩をすくめてあっさりと同意する。しかし何故だろう。その声にはどこか呆れのようなものが感じられた。

 

「……一体何が言いたい」

 

 セイバーもそれを感じ取ったのだろう。苛立ったように先を促す。

 

「いや、良い言葉だと思うぜ?俺も。誰かの為に率先して動ける。立派だよな」

 

 比企谷はそこで一度言葉を切る。そして冷めた声で、改めて言った。

 

「……でもよ、それを他人に押し付けんのは違うんじゃねえか?」

 

 ……いや、何言ってんだこいつ?

 

「押し付けるってなんだよ?俺達がいつそんな事したってんだ?」

 

 聞き返す俺に、比企谷は冷めた目を向けて口を開いた。

 

「お前らは俺達を『退治』しに来た。そうだな?」

「……ああ」

「なんでだ?」

「それはお前らが無関係な人達から魔力を奪っていたから……」

「さっきも言ったがキャスターが魔力を集めていたのは身を護る為だ。昨日と一昨日はやり過ぎちまったが、普段はほんの少し、疲れを感じる程度にしか奪ってない。はっきり言って動物を殺して食う人間よりよっぽど平和的だ」

 

 なんだって?

 

「ちょっと待て。しばらく前から連続してる新都の意識不明事件、あれはお前らの仕業じゃないのか?」

 

 俺が聖杯戦争に参加する事を決意したのは、その事件がサーヴァントの仕業らしかったからだ。今夜ここに来たのも犯人の尻尾を掴んだと思ったから、だったのだが……。

 比企谷は俺の質問にキョトンとすると、少し考え込んでから口を開いた。

 

「……どうもお互い誤解があったらしいな。それについては後で改めて話し合おう」

 

 どうやら別口だったらしい。いや、本当かどうかは分からないが。

 

「まあともかくだ、お前達は『他人に迷惑をかける悪者』をやっつけにきたわけだよな。これ、要するに俺達に犠牲になれって事だろ?『みんな』の為によ」

「だからそれは無関係な人が犠牲になるのを見過ごせないから……」

「でも誤解だったんだよな?」

「それは……」

 

 確かにそうだ。もしかしたらこの比企谷を、間違いで死なせていた可能性もある。

 

「ああ、別にそれは気にしなくていいぜ?逆の立場なら俺だって同じように考える。つーか疑わない方がおかしい」

 

 言葉に詰まる俺に、比企谷がそう言う。

 

「だけどな、だからって勝手に悪と決め付けて、一方的に責任押し付けるってのはどうなんだ?ま、それが正義だって言っちまえばそれまでなんだろうが」

「……」

 

 俺は押し黙るしかできなかった。

 比企谷の言う事を認める気にはならない。だけど、否定する事もできない。

 俺は正義の味方を目指していた。いや、今でも目指している。正義の味方となって、全ての人を救いたかった。

 子供の頃はそれだけで良かった。だけど成長するにつれ、自分の夢が矛盾を抱えている事に気付いてしまった。

 正義が成り立つ為には悪が要る。正義の味方が誰かを救う為には、退治される悪という犠牲が必要になる。

 正義の味方では、全てを救う事は出来ないのだ。

 

「別に自分の目的の為に他人を蹴落とすのは構わないと思うよ。そんなの誰でもやってる事だ。いや、もちろん殺されるのはゴメンだが」

 

 比企谷は軽い調子でそう続ける。

 

「だけど一方的に殺された挙げ句に正義なんて綺麗事で正当化されたら、さすがに黙ってらんねえだろ。ま、ホントに殺されたら黙るしかねえんだけどな」

 

 比企谷の立場を考えれば、激昂していてもおかしくない筈だ。それなのに比企谷は、むしろ静かに諭すような声音でこう続けた。

 

「まぁ、グダグダ語っちまったけど、あんま難しく考えんな。こっちは単に死にたくないってだけだからな。聖杯はお前らに譲るから守ってくれ」

 

 非は完全にこちらにある……ような気がする。

 自分が優位に立っているにも関わらず、利益を手放すとも言っているのだ。本当に他人に危害を加える気はないのかもしれない。

 もしかしたら、聖杯戦争には望んで参加したのではなく、偶然巻き込まれただけなのかもしれない。――俺と同じように。

 ならば、同じ境遇の者同士で助け合うべきなのかもしれない。

 俺は、比企谷の誘い――脅しではなく頼みだ――に答えた。

 

 

 

「……済まない。お前達と組むことはできない」

 

 

 

「――い……いやいや、何言ってんのお前?」

 

 僅かな沈黙の後、比企谷が慌てたような声を上げる。

 

「言った通りだ。俺達はお前と同盟を組むことはできない」

「だから何言ってんだよ。状況解ってんのかオイ」

 

 予想外の返事だったのだろう。平静を取り繕おうとしてはいるが、比企谷は明らかに動揺していた。

 

「……なぁ、ちゃんと考えろよ?つうか考える余地ねえだろ。俺が死ねばお前も死ぬんだぞ?」

「……分かってる」

 

 比企谷を護る事は自分を護る事とイコールだ。逆に比企谷を放置するのは自分の急所をさらけ出すのと同じ事だ。それは分かってる。だけど、

 

「俺はもう、他のマスターの誘いを断ってるんだ。だから、お前と組むことはできない」

 

 そう、俺は既に友人である慎二からの同盟の誘いを断っているのだ。もう遠坂と組んでいるからという理由で。

 それを差し置いて、別の相手と組むわけにはいかない。それは裏切りになってしまう。

 

「いやだから状況考えろよ!?懸かってんのはお前の命だけじゃねえんだぞ!?」

 

 比企谷はとうとう顔色を変えて声を荒げる。

 遠坂には悪いと思う。だけど……

 

「……あいつは、色々問題のある奴だけど、それでも友達なんだ。裏切るわけにはいかない」

「こ、この野郎……!」

 

 比企谷は絶句してしまった。その比企谷に、セイバーが声をかける。先程までとは違い、既に冷静さを取り戻していた。

 

「当てが外れたようだな」

「あぁ!?」

「シロウが最も与し易いと踏んだのだろう?残念だったな」

 

 ぎしり、と歯ぎしりして、比企谷がセイバーを睨み付ける。

 

「……テメェ、分かってやがったのか?こいつがこういう奴だって」

「いや。考えの足りない人間だとは思っていたが、ここまでだとは思っていなかった」

 

 比企谷は舌打ちすると、再び俺に顔を向けた。……あれ、俺今セイバーにバカって言われた?

 

「オイ、もっかいよく考えろ。こんなもん裏切りになんねえだろ。同盟が嫌なら手下でも保護者でも好きな言葉に……」

「その位にしておけ」

 

 矢継ぎ早に紡がれる比企谷の言葉を、セイバーが断ち切る。

 

「うるせえ、今お前とは話してねえ」

「相手の弱点を的確に突き冷静さを奪う手管、不快ではあるが見事だ。濡れ衣を着せた非礼は詫びよう。呪いを解いてシロウ達を解放しろ」

「……あ?何言ってやがる。んなこと」

「貴様の底は知れたと言っている」

 

 セイバーの一言に、比企谷が動きを止める。

 しばらくの静寂の後、比企谷は絞り出すように言葉を吐き出す。

 

「……どういう意味だ」

「その程度のハッタリはもう通じないって意味よ」

 

 答えたのは、今まで沈黙を守っていた遠坂だった。

 

「あんたは今回、一見あたし達を圧倒したように見える。けど実はギリギリだったんでしょう?だからなんとしてでもあたし達を味方に付ける必要がある。でないと後が続かないから。違う?」

 

 え、そうなのか?

 比企谷は……答えない。

 

「呪いを解いて投降しなさい。そうすればあんたの安全は保証するわ」

「……なんでそっちが投降呼び掛けてんだよ。どっちが優勢だか解ってんのか?」

「解ってないのはあんたよ」

 

 遠坂がぴしゃりと言い放つ。

 

「掛けられた呪いを調べさせてもらったわ。呪いは本物で、内容はあんたの説明した通り。呪いが効果を発揮するのはあんたが死亡した時『だけ』。なら、殺さなければいいだけの話よ」

「……逃げるって事か?他のマスターが俺を狙うとは考えねえの?」

「魔術師を舐めるなって言ってんのよ。人間を死なせないように『保管』する方法なんていくらでもあるの」

 

 遠坂の言葉に、比企谷の気配が変わる。

 

「死にたくないだけって言ってたわね。調度良いでしょう?今なら安全に聖杯戦争から降りられるわよ」

「……そりゃ、キャスターを差し出せって意味か?」

 

 なんだ……?脅しをかけられて、逆に冷静さを取り戻した?

 

「ええ、そうよ。キャスターの正体の当りはついてる。味方に引き入れる気はないわ」

 

 遠坂は構わずに続ける。だけど俺は、何か妙な不安を感じていた。

 

「令呪もサーヴァントも失ったマスターを、わざわざ捜し出してまで殺すような物好きは居ないでしょう。安心できないというのなら、聖杯戦争が終わるまであたし達で匿ってあげてもいい」

「……やっぱ無理か。慣れない事はするもんじゃねえな」

 

 比企谷は頭をボリボリと掻くと、大げさに溜め息を吐いてみせた。

 

「いや、お見事。どうにか弱味を見せないようにと頑張ったんだけどな、こんなあっさり見破られるとは思わなかったわ」

 

 ヘラヘラと笑いながら、やはり軽い調子で言う。

 それはタネを見破られた手品師のようでもあった。諦めたようにも見える。

 しかし、

 

「んじゃ、まどろっこしいのは止めだ。俺に従え。でなきゃ殺す」

「……ちゃんと聞いてた?言っとくけどあたしのはハッタリじゃないわよ」

「奇遇だな、俺もだ」

「ただの人間の力で魔術師に敵うと思ってるの?」

「試してみりゃ分かるさ」

「お……おい、落ち着け、比企谷」

 

 比企谷は俺には見向きもせずに遠坂を睨み着けている。

 

「……いい加減にしておきなさい。こっちが妥協してあげてるってのが」

「遠坂、ダメだ!」

 

 思わず止めていた。

 

「衛宮くん……?」

 

 遠坂は比企谷の変化に気付いてない。いや、気付いてはいるのだろうが、比企谷を甘く見てる。

 比企谷は俺にチラリとだけ視線を向けると、また遠坂に向けて口を開く。

 

「分かってねえのはお前の方だよ、やっぱ。忘れてんのかも知れねえが、こっちはまだキャスターを出してないんだ。ただ始末するだけなら難しい事じゃない」

 

 さっきまでとはまるで違う、ほとんど交渉とは呼べない強硬な態度。豹変した比企谷を見て、さっきの違和感の正体にようやく気付いた。

 きっとこいつの本質は敗北者なんだ。

 さっきまでみたいな相手の上に立って進めるようなやり取りは、多分こいつの苦手とするところなのだろう。それがセイバーと遠坂に追い詰められて、本来得意とする土俵に立たせてしまった。

 こいつに脅しは通じない。

 こいつはきっと、劣勢でこそ強さを発揮するタイプ。捨て身こそが比企谷のスタイルなんだ。

 このまま行けば、多分本当に殺される。負けないかも知れないが、確実に死人が出る。

 

「落ち着け比企谷。遠坂はこういう事で約束を破る奴じゃない。投降すればちゃんと助かる」

「キャスターを生け贄にしてな」

 

 その一言に、俺は固まる。

 

「さっきのone for allの話な、確かに交渉の為のブラフではあったんだけどな、まるきりの出任せってわけでもねえんだわ」

「……お前、もしかして自分のサーヴァントの正体を知らないのか?」

 

 キャスターの正体は、遠坂の予想が正しければかの『裏切りの魔女』だ。

 そうであれば、キャスターは自分のマスターに対してでも正体を隠したがる筈。比企谷が知らないということは十分に有り得る。

 

「んなわけねえだろ。味方のスペックも把握しないで戦うアホが居るか」

 

 しかし比企谷はあっさりと否定した。……俺、セイバーの真名知らされてないんだけど。

 

「……じゃあ、正体を知った上で信用してるって言うのか?」

「別に信用なんかしてねえよ。さんざっぱら引っ掻き回されてウンザリだ。こっちゃ平穏無事に生きたいだけだってのによ」

 

 本当にうんざりした様子で言う。

 

「でもまあ、なんだ。……ムカつくんだよ、お前ら」

 

 これまでで一番凄みのある声。

 要するにこいつは、自分だけではなくサーヴァントも護ろうとしているのだ。

 サーヴァントはマスターの為の駒だ。道具だ。魔術師であるならそう認識するべきだ。

 替えの利かない貴重なものではあるが、それでもサーヴァントを護る為にマスターを危険に晒すなどおかしい。間違いですらある。

 だけど、それが出来ない人間だっているだろう。それはよく分かる。俺もそうだから。

 

「……言いたい事は分かったわ」

 

 遠坂が表情を変えずに口を開く。

 

「それでも同盟は無しよ。後ろから刺される危険を犯すつもりは無いわ」

「……殺すっつったよな?」

「無理よ。マスターからも信用されないような相手を身内に取り込めるわけないでしょう。信用っていうのは自分の行動の積み重ね。ここで消えたところで自分の責任よ」

「なるほど、そりゃつまり……」

 

 比企谷は呟くと、左腕を振った。

 

「ここでお前が死ぬのもお前の責任ってことだよな?」

 

 袖から飛び出した『それ』を構えて、冷厳と告げる。

 

「お前、そんな物まで……!」

 

 比企谷が左手に持っているのは、黒い塊。人類の産んだ最凶の武器。

 

 拳銃。

 

 俺は銃には詳しくないが、前にニュースで見たトカレフというやつに似ている気がする。それを真っ直ぐ、遠坂の額に突き付けていた。

 しかし遠坂は態度を変えない。

 

「あたしは『無理』って言ったの。あんたにあたしを殺すことはできないわ」

 

 遠坂の視線は比企谷と、その足下の俺の後ろへと向いていた。

 

「要するに、時間切れよ」

 

 そこにはいつの間にか、赤い騎士、アーチャーが音も無く立っていた。



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同盟

「さ、今度こそ王手よ」

 

 遠坂が冷徹に告げる。

 比企谷は遠坂に突き付けた銃口を下ろすことなく、顔だけを背後のアーチャーに向ける。

 

「状況は令呪を通して伝えてあるわ。アーチャーならその位置から銃弾を弾く事も出来る。打つ手は無いわよ、降伏しなさい」

「……だとさ。どうすんだ?」

 

 遠坂のその言葉を、比企谷はまるで他人事のようにアーチャーへと受け流した。いや、なんで敵に聞いてるんだ?

 アーチャーは目を閉じると深く溜め息を吐く。

 

「……条件は貴様達の護衛で間違いは無いな?」

「おう、俺は生き残ることさえ出来りゃ文句はねえよ。聖杯はお前らで好きにしろ」

「キャスターはそれで納得しているのか?」

「そっちは要相談だな。後で俺の居ない所で勝手に話し合ってくれ」

「……条件の後出しは受け付けんぞ」

「んな危ない真似しねえよ。いや、話の分かる奴が居てくれて助かったわ」

 

 俺達が呆然としてる間にトントンと話が纏められていく。

 最初に我に帰り、慌てて口を挟んだのは遠坂だった。

 

「ちょっ、アーチャー!何言ってんのあんた!?」

「聞いての通りだ。この男の軍門に降る。折角見逃してくれると言うのだから聞かぬ手はあるまい」

「だからっ!なんで降伏しなきゃなんないのかって言ってんのよ!?あんたがそいつをぶちのめせば済む話でしょ!?」

「残念ながらリン、そういうわけにもいかんらしい」

「ハァ!?どういう意味よ!?」

「臭いで分かるだろう。……ああ、そう言えば鼻をやられているのだったな」

 

 アーチャーの言葉に意識を鼻に集中する。催涙ガスでマヒしていたが、少しは回復していた。

 微かに嗅ぎ取れたのは、高校生には馴染みがあるとは言い難い、しかし誰もが嗅いだ事のあるであろう臭い。

 一度でも経験すれば忘れる事は難しい、独特の刺激臭。これは……!

 

「ガ……ガソリン!?」

 

 遠坂がほとんど悲鳴に近い声を上げる。

 

「なんで……いつの間に!?」

「衛宮に断られた時からだな。悪の秘密基地なら自爆装置はつきものだろ?」

 

 遠坂のそれは質問というわけではなかったのだろうが、比企谷はおちょくるように答えてみせた。今度こそ勝利を確信したのか、ヘラヘラした笑いを取り戻している。その比企谷に問いかける。

 

「……どうして、てかどうやったんだ?そんな気配無かったぞ!?」

「錬金術って便利だな」

 

 返ってきたのはごく端的な言葉。端的過ぎて一瞬何を言っているのか分からなかった。

 

「充満していた催涙ガスを作り替えたのだろうな。そもそもあのガス自体もスプリンクラーの水を錬金した物なのだろう」

 

 状況を飲み込めていないのを見越してか、アーチャーが簡単に補足してきた。気が付かなかったが、確かにガスが消えている。

 

「あり得ない!」

 

 それを聞いて遠坂がまたしても悲鳴を上げる。

 

「あれだけ大量のガスを魔術装置も無しにこんな短時間で、しかも遠隔で錬金するなんて、並の魔術師に出来るわけないでしょう!?」

「リン、相手はキャスターで、ここは奴の工房だ」

「……っ!」

 

 アーチャーの言葉に遠坂は悔しげに押し黙る。並の魔術師には不可能でも、キャスターなら可能かもしれないということだろう。そして実際に可能なのだろう。こうして実現している以上は。

 

「正気か貴様!こんなものでサーヴァントを倒せると思っているのか!?」

 

 今度はセイバーが悲鳴を上げる。

 セイバーの言うように、ガス爆発くらいではサーヴァントにダメージは通らないのかもしれない。しかし……

 

「無理なんだろうな。サーヴァントは」

 

 比企谷の含みを持たせた声。そう、サーヴァントはともかく、マスターは無事では済まない。

 

「貴様とて無事では済まんぞ!」

「あいにくこっちは素人なんでな。お前らみたいなバケモンと張り合おうと思ったら、命くらいしか懸けられる物がねーんだわ」

 

 セイバーの言葉に比企谷が肩をすくめる。その比企谷を、アーチャーが忌々しげに睨み着けた。

 

「……白々しい事を言うな。どうせ自分だけは安全に離脱出来るような保険を懸けてあるのだろう?」

「あ、バレた?」

 

 比企谷はイタズラを成功させた子供のような表情を浮かべる。

 

「ま、お互い運が良かったよな。俺にちょっとでも傷が入ってたら校舎毎ドカンの予定だったんだぜ?」

 

 まるで世間話のような口調でとんでもないことを言う。軽い調子のその声音に、返って寒気を覚える。

 比企谷は笑みを深めて続けた。

 

「んじゃ、話の続きといくか。同盟、どうよ?」

「……お前、さっき焦ってたのは演技だったのか?」

「いや、本当だぜ?こっちは別にお前らを殺したいわけじゃねえし。さっさと味方作らねえと困るのもマジだしな」

「だったらなんで初めからそう言わない?相手を誘い出して罠まで仕掛けて、こんなの交渉なんて言わないだろう」

「おいおい、お前が言うか?ついさっき、受けて当然どころか受けなきゃマズいレベルの取り引きを蹴った奴が」

「それは……」

「逆に聞くけどな、正面から交渉持ち掛けてたら聞いたか?」

 

 俺は沈黙した。もしそうなっていたとしても、恐らく……

 

「断るよな、普通。ぶっちゃけた話、俺達は弱い。戦力的には足手まといにしかならんレベルだ。そんな相手と組むメリットなんか無いだろう?」

 

 多分そうなっていた。

 俺はそう考えるだろうし、遠坂だって首を縦には振らない筈だ。

 話し合いに来た相手に襲いかかるつもりなど毛頭無いが、それでも不戦協定が良いところだろう。確かにそれでは比企谷の望みからは程遠い。

 

「人間、格下だと思ってる相手の言う事なんざ取り合わないもんだ。そういう相手に話を聞かせる為には相応のシチュが必要なもんだろ」

「別に格下だなんて」

「戦えばまず負ける事の無い敵、そんなの格下と同義だろ。人間としてどうこうなんて言ってねえよ。いや、別にそれでも良いけどな。いつもの事だし」

 

 人として下に見られるのがいつもの事ってどうなんだ?

 

「しかし解せんな」

 

 呆れて黙ってしまった俺に代わって、アーチャーが呟きを漏らす。

 

「我々の事をかなり調べたようだが一体どうやった?警戒は怠っていなかった筈だが」

 

 何気ない疑問のような聞き方だが、サーヴァント二人の監視を潜り抜けるというのは並大抵ではないだろう。看過出来る事ではない。

 比企谷はそれに、やはり軽く答えた。

 

「ああ、それならホレ」

 

 そう言って指したのは天井の隅、意識的に見ようとしなければ目に入らないような場所。

 一見何も無いように見えた暗がりの中で、微かに光を反射していた物。それは小さなレンズだった。

 思わず呟く。

 

「……小型カメラ?」

「それと指向性集音マイクな。電池式だけど結構持つのな。たくさん頼んだせいで散財だけど」

 

 たくさん、って。

 

「……まさか、俺達の家にも仕掛けてあるのか?」

「おう」

 

 しれっと肯定する比企谷に遠坂が顔を引き釣らせる。

 

「魔術師ってのは、こういう文明の利器を軽く見る傾向があるみたいだからな。一度仕掛けちまえば見付からねえと思ったんだよ」

 

 その言葉にアーチャーはなるほどと頷く。

 言われてみれば遠坂にしろアーチャーにしろ、確かに『魔術的な監視は無い』としか言っていなかった。

 監視に限らず、気配の察知や罠の有無についても魔力を探るのが一番最初になる。

 最も効果が高く、最も危険なのが魔術なのだから、それ自体は間違いではないのだろうが、魔術を知る者はそれに偏り過ぎるらしい。実際俺も魔術以外の罠というものに無警戒だった。

 が、遠坂にとって問題なのはそこではないらしい。

 

「あ、あ、あんた!何やらかしてくれてんのよこの覗き魔!?」

「覗きって……。風呂やトイレには仕掛けてないぞ?つうか屋内はさすがに無理だ」

「トトトトイレ!?この変態!?アーチャー!そいつを取り押さえて!」

「無茶を言うな。肺にまでガスが入り込んでいる以上、引火すれば私の能力では君を護る事は出来んぞ」

「ハッタリよ!ガソリンは本来無臭、臭いだけを流してるんだわ!」

「残念ながら本物のガソリンだ。既に調べた。むしろ臭いを残してあるのはあくまで警告が目的ということなのだろう。手を出してしまえば脅しでは済まなくなるぞ」

「だったらそいつの腕を切り落として……!」

「同じ事だ。さっきその男を傷付ければ罠が作動すると言っていただろう。それにどのみち後にキャスターが控えているのだ。着火するなど造作もないだろう」

「こっ……の!」

「つーかおっかねーなこの女……」

 

 比企谷が冷や汗を垂らす。

 

「んで、いい加減話戻していいか?同盟は……」

「組むわけないでしょ!?この変態!」

「……そっか。じゃ、しゃあねえ」

 

 間髪入れずに返ってきた返事に、比企谷は溜め息を吐いた。そして銃を構え直す。

 

「……え?」

 

 零れた声は俺の物か、遠坂の物か。

 構えられた銃口は、真っ直ぐ遠坂の額に向いている。というか直撃コースに見えた。

 いや、今までも遠坂に向いていたんだけど、今度はなんと言うか、本気が感じられる。

 比企谷の表情が、これまでのどれとも違う。

 言葉にするなら諦めだろうか。では、一体『何を』諦めたというのか。

 

「おい……比企谷?」

「なんだ?」

「まさか、本当に撃つつもりか?」

「しょうがねえだろ。味方に付けられないなら倒すしかねえだろうが」

 

 しょうがない。

 そう、しょうがない。その通りだ。

 元々敵同士なのだから、決裂すればこうなるしかない。なのに何故俺は驚いているんだ?

 

「……やめろ、引火するぞ。お前だって巻き込まれるぞ」

「そこは安心しろ。そうならないように細工してある。撃つだけなら大丈夫だ。保険もあるしな」

 

 取り引き。

 そう、比企谷は取り引きを持ち掛けてきた。なんだかんだ言っても、結局のところそれは話し合いだ。

 だからだろうか。俺は、心のどこかで油断していたのかもしれない。

 

「やめろ、殺す必要なんか無いだろう」

「何度も言ってるけど俺達は弱いんだよ。今回勝てたのが幸運なんだ。次は負ける。だから今倒すしかねえんだよ」

 

 聖杯戦争を甘く見ていたつもりはない。実際、俺は既に二度死にかけている。

 だけど、それはどちらも会話の余地の無い状況だった。俺を殺しかけた相手は、どちらも自分の言いたいことを語るだけで、俺と会話をする事はなかった。

 それ以外の敵、遠坂と慎二は、まず話し合いを持ち掛けてきた。

 遠坂とは同盟を組む事になったし、慎二とだって戦いには至っていない。

 俺は、会話が通じる相手ならば、殺し合いにまではならないと考えていたのかもしれなかった。

 

「アーチャー!見てないで止めろ!」

 

 焦りを覚えてつい怒鳴ってしまう。しかしアーチャーは、静かに首を振るのみ。

 アーチャーは、自分の能力では遠坂を護れないと言っていた。

 銃弾を弾けば火花で引火。比企谷自身を攻撃しても罠が作動。そもそも共死の呪いがある以上、比企谷を殺してしまうわけにもいかず、さらにキャスターは未だに姿を見せてない。

 確かに打つ手が無いのかもしれない。だけど、

 

(だからって、遠坂が死ぬのを黙って見過ごしていい理由になるかよ!)

「やめろ比企谷!考え直せ!」

「機会は与えた。みすみす不意にしたのはお前らだ」

 

 比企谷はもはや俺に視線を向ける事すらしない。

 遠坂は緊張からか、一言も発さない。その瞳に諦めの色は無いが、それは単に彼女の信念故であって、状況を打開する何かがあるわけではないのだろう。

 

(どうする!?どうすればいい!?)

 

 自分には何も出来ない。セイバーも動けない。アーチャーは当てにならない。いっそ令呪を使うか?だけどなんて命令する?

 考えが纏まらない。

 引き金にかけられた指に、ほんの僅か、力が込められたのが分かった。その瞬間に叫んでいた。

 

「分かった!俺達の負けだ!だからやめろ!」

 

 その言葉に比企谷は、

 

「悪いが、とっくに時間切れだ」

 

 無感情にそう答えた。

 遠坂が目を閉じる。

 引き金が――――

 

 

「やめろォォォーーーーーー!!」

 

 

 ――――引き金が、引かれた。

 

 

 ぱすっ

 

「いたっ」

 

 てんっ、てん。

 そんな小さな音を立てて、遠坂の額から跳ね返った『弾』がリノリウムの床をバウンドする。

 寒々しい廊下を転がるオレンジ色のそれは――

 

「……B……B、弾……?」

「何驚いてんだよ?」

 

 比企谷が呆れたような顔で言う。

 

「いや、だって……アレ?え?」

「ここは日本で俺はただの高校生だぞ?本物の銃なんか手に入るわけねーだろが」

「いや、そうかもしれんが、なんでオモチャの銃なんて……」

「ハッタリ用の小道具に決まってんだろ。常識で考えろ常識で」

 

 ただただ呆然とする俺に、それこそ当たり前のことを諭すように言う比企谷。いや、この状況でモデルガンで脅しをかけるような奴に常識とか言われても……。

 床に頭を落として大きく息を吐き出す。脱力してしまってそれしか出来ない。遠坂とセイバーも似たようなものだった。

 誰も動かなくなったからか、アーチャーが口を開く。

 

「多少は気が晴れたか?」

「まあな。つってもこの歳で借金七桁越えは変わんねえけど。……マジでどうすっかなぁ。出世払いで良いとは言ってくれたけど」

「命の値段と思えば安いものだろう」

 

 呑気に世間話などしている。

 どうやらアーチャーは銃が偽物だと分かっていたようである。それでまったく焦っていなかったらしい。借金って例のカメラの代金のことだろうか?

 

「で、最後にもっかい誘ってみるけど、どうする?ここで断られると今度こそ殺すしかなくなるわけだが」

 

 そしてそこからまったく調子を変えずに比企谷が訊ねてきた。

 さすがにもう間違えない。これは最後通告だ。

 

「一応説明しとくと、交渉を始めるまでにお前らを殺す機会は四度あった。まず初めの催涙ガス。アレはアーチャーが言った通り錬金術で作った代物だ。つまり、代わりに致死毒や強酸を降らせる事も出来た」

 

 比企谷は、ネタばらしが済んで役目を終えたモデルガンを懐に仕舞いながら語る。

 

「それからスタンガンをぶち込んだ時、それと」

 

 右手に握った警棒――警棒とスタンガンが一体化した電磁警棒だ――を弄びつつ、懐から左手を引き抜く。

 

「手錠とイモ判の時に、代わりにコイツを使う事も出来た」

 

 そこに握られていたのは、刃渡り20cmほどのナイフ。

 軽量化と殺傷力の向上の為に刀身が肉抜きされた、護身やサバイバルではなく、あくまでも人を殺す事を目的に作られた軍用ナイフだった。

 

「今お前らが生きてる事、それ自体が俺なりの誠意だって事を理解して貰えるとありがたいんだが」

「……ああ、分かった。お前の勝ちだ」

「うし。交渉成立」

 

 もはや交渉も何も無いだろうに。

 先ほどの茶番で気勢を削がれてしまい、反発するという発想自体が出て来なかった。というか緩急が酷すぎる。もしこれが狙ってのものだとすれば、本当にとんでもない奴だ。

 遠坂も似たような状態なのか、何も言っては来なかった。

 

「では、そろそろウチのマスターを解放してやって貰えんかね?このままだと後が怖いのでな」

 

 話が纏まったのを確認し、アーチャーが口を挟んだ。

 比企谷は「あいよ」と短く答えて鍵を取り出すと、足下の俺の手錠にそれを差し込んだ。カチャリと小さな音を立てて手錠が外れる。

 

「んじゃ、ご主人様から最初の命令だ」

 

 立ち上がって手首の具合を確かめていた俺に、比企谷がそんなことを言ってきた。いやまあ、ご主人様で間違ってはいないけど……。

 何を言われるのかと警戒する俺に、ご主人様、もとい比企谷は廊下を――中程に大穴が空き、ガスからいつの間にか戻っていた水でびしょ濡れになった廊下を指してから、拝むように手を合わせて言った。

 

「後始末、手伝って?」

 

 小さく舌を出した比企谷は、うっかり殴りそうになる程キモかった。

 

 

「セイバー、待ってろ、今引き上げる」

 

 解放された俺は、まず落とし穴にはまったままだったセイバーを救出しにきた。ていうかよく作ったな、こんなの。

 セイバーは胸まで泥水に漬かったまま、済まなそうに目を伏せる。

 俺はセイバーの手首を掴み、腰を入れて引く。泥のためか、意外と重い。

 

「この、もうちょっと……って、うわぁ!?」

「シ、シロウ!放さないで下さい!」

 

 思わず手を放しそうになり、再び落ちそうになったセイバーが、俺の身体にしがみつく。

 

「わ、悪い!でもどうしたんだそれ!?」

 

 セイバーは鎧と服が溶けて半裸状態になっていた。そこに泥水がまとわりついて、なんと言うか、非常にその、アレだ。

 

「この泥は魔術を無効化する泥なのです。私の鎧は魔力で編まれた物なので、分解されてしまったようです」

「そ、そうなのか。でも説明より先に隠してほしいんだけど……」

「私の身体など、見ても面白いとは思えませんが」

 

 いや、そういう問題じゃなくて……

 

「と、とりあえず離れてくれないか?その……動けないし」

「……済みません。この廊下は私が触れると消滅してしまうので、立つ事が出来ないのです。出来れば向こうまで運んでもらえると助かるのですが……」

 

 そういや比企谷がそんな事言ってたか。くそっ、厄介な罠作りやがって。

 俺はセイバーに抱き着かれたまま苦労して上着を脱ぎ、それをセイバーに掛けてから背中に背負い直した。

 

「……申し訳ありません、シロウ……」

「別にいいよ、このくらい」

「いえ、そうではなく、あなたを護る事が出来ませんでした……」

「……まあ、それも仕方ないだろ。結局無事だったんだし気にするな」

 

 そんな会話をしながら遠坂達の所まで戻ってくる。遠坂は拘束を解かれ、俺と同じように手錠の嵌まっていた部分を擦っているところだった。

 

 ズンッ

 

 唐突に聞こえたその音は、なんと言えばいいか、ひどく重かった。

 気付けば遠坂の足下に、比企谷が腹を押さえてうずくまるようにしてくずおれていた。

 口元で月明かりを反射しているのは胃液だろうか。白眼を剥いて完全に伸びている。

 

「あ……あの……、遠坂……さん……?」

 

 状況を見る限り、遠坂が比企谷を殴り倒したのだろう。多分。

 多分というのは、俺には何が起きたのか全く解らなかったからだ。目を離していなかったにも関わらずだ。

 遠坂は俺の言葉に答える事なく、俯いたままアーチャーに向かって口を開く。

 

「……あんたは、あれが偽物の銃だって、分かってたわけよね?」

「……これでも弓の英霊なのでな。飛び道具の真贋を見誤るわけにはいかん」

「そう……」

 

 それきり、沈黙。

 アーチャーは泰然と答えていたが、その頬を一筋の冷や汗が伝っていたのを、俺は見逃していなかった。

 精神が蝕まれるような圧倒的な静寂。それがどのくらい続いただろうか。

 実際にはおそらく数秒といったところなのだろうが、俺には数分以上にも感じられた。もし本当に数分間も続いていたなら発狂していたかもしれない。昏倒している比企谷を羨ましいとすら思った。

 その沈黙を破ったのはやはり遠坂だった。

 遠坂が顔を上げる。

 背中のセイバーが息を呑む気配。

 俺は産まれて初めて本物の修羅を目撃した。

 

「令呪を以て命ずる!自刃せよ!アーチ「落ち着け遠坂ぁぁーー!!??」」

 

 

 こうして俺は遠坂に加え、比企谷八幡と共に聖杯戦争を戦う事になった――んだけど、

 

 

「離しなさいよ!あいつ殺せないでしょ!?」

「だから殺しちゃダメだろ!?」

 

 ホントに大丈夫なのか?コレ……。



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情報

 少年は見る間に磨り減っていった。
 自覚無き悪意は少年の心を削り取り。
 届くことのない理想は、現実という鈍器をもって少年を歪ませていった。
 舞台を新たにしてもそれは変わらなかった。
 少年自身も、心のどこかで既に諦めていた。
 そんな時だった。
 雪のような少女と出逢ったのは。


 チッ チッ と、秒針が時を刻む音だけが響く。

 畳敷きの客間にて、セイバーと二人きりで、一言も交わさずに茶を啜っていた。

 学校での戦いの後、寝泊まりする場所の無かった私達は衛宮邸へと押し掛けた。衛宮士郎は迷惑がってはいたが、追い出すつもりまでは無さそうだ。

 セイバーを見ながら戦いを思い返す。

 

 本当に勝ってしまった。

 

 決着して最初に浮かんだ言葉はそれだった。正直まだ信じられない。

 無論私とて全力を尽くした。比企谷八幡と二人で作戦を練り、罠を設置し、可能な限り勝率を高めたつもりだ。

 それでも確率的には二割そこそこというところだっただろう。それを最初に拾えたのは幸運以外の何物でもない。

 もっともこんな分の悪い勝負に出られたのは保険があったからだ。それがあれば、一度だけならほぼ確実に逃げることができる。今回は使わずに済んだ為、次以降に持ち越せたのはありがたい。

 

(とは言え……)

 

 先の事を考えると頭が痛い。

 先の戦い、戦術的には勝利と言って良いだろうが、戦略的には大敗と変わらない。もっともこれは、最初の隠れ通すというプランが崩れた時点で分かっていた事だが。

 比企谷八幡との作戦会議で初めに話し合ったのは、先の事を考えて節約するか、全力をつぎ込むかだった。

 これは、自分達は出し惜しみができる程余裕は無いと意見が一致し、あっさり決まった。

 結果的にその判断は正しかったわけだが、おかげで私が召喚されてから約二週間かけて溜め込んだ魔力を、ほぼ全て使い切ってしまった。

 とにかく『サーヴァントに確実に効果のある罠』を用意する必要があった。そこで選択したのが終末の泥だったのだが、これがとにかくコストがかかるのだ。

 製法そのものはシンプルなのだが、五つの属性全ての魔力を飽和状態になるまで練り込まなければならない。それを大量に生産した為、貯蔵分の魔力はあっという間に底を着いてしまった。

 おかげで必倒と呼べるトラップは秩序の沼しか用意出来ず、そこに確実に誘い込む為に比企谷八幡が自らエサを演じなければならなかった。

 本来エサ役はサーヴァントである私が受け持つべきなのだろうが、保険が適用されるのは比企谷八幡だけだ。なので私はサポートに徹する事になった。

 一応それ以外の罠も用意してあったが、正直逃げる為の時間稼ぎ程度の役にしか立たない代物だ。

 

 アサシンの毒を入手できたのは幸運だった。自分が痛い目を見ている為、素直に喜ぶ事は出来ないが。皮膚浸透するタイプだったのも助かった。複製だけならともかく、改良してる時間はさすがに無かったから。

 一応、事前に済ませた準備の分だけで片が着いていれば少しは備蓄が残せる筈だったのだが、それも最後の錬金でパアだ。

 比企谷八幡は予定調和のように語っていたが、あれはアーチャーに結界を破られそうになって慌てて実行したものだ。

 多少なりとも時間をかけて錬金していればまだ違ったのだろうが、とっさの判断で無理矢理錬金した為、通常より余分に消耗する羽目になった。

 ガソリンのアイディア自体は事前に出ていたが、それは文字通りの最後の手段の筈だった。要は保険を使う羽目になった時に、敵を爆殺し、追撃を食い止める為の物だったのだ。

 

(それにしても)

 

 比企谷八幡。

 よくもあれだけとっさの出鱈目が湧いて出るものだ。この私が呆れるなど相当だろう。もっとも作戦は、それを見込んでという部分も少なくないが。

 比企谷八幡の交渉、と呼んで良いのかは分からないが、とにかくあの口論。

 相手が口をつむぐ場面が多かった為、こちらが終始圧倒していたと錯覚するかもしれないが、実はそんなことはない。なにしろこちらは、一つたりとも論破などしていないのだ。相手が返答に戸惑うような言葉をぶつけ、その隙に話題をスライドさせて煙に巻いただけだ。

 

 無論本来なら、マスターはともかくサーヴァント相手にそんなチャチな交渉術など通用しないだろう。当たり前だが仕掛けがある。

 まず舞台。こちらの工房内というだけである程度精神に負荷をかけることができる。

 そしてフィールド効果そのものに敵の平常心を掻き乱す効果を加えてあった。

 さらに比企谷八幡の言葉には、聴いた者の心の奥深くまで浸透する、いわゆる言霊と呼ばれる力を魔術的に付加しておいた。

 

 この三重の精神攪乱こそが、今回の戦いにおける肝だった。

 なにしろ私達には、敵サーヴァントを直接倒せる手札が無い。よって、マスターを直接狙うか、令呪を使わせてサーヴァントを自滅させるかしかないのだが、比企谷八幡が選択したのは明らかに難度の高い後者だった。

 曰く、マスターという人質を失った直後に攻撃されたら対処出来ないとの事だが、単に人殺しが嫌だというのが本音だろう。だがまあ、言い訳の方にも一理ある。一応はだが。

 

 魔術による言霊というと、耐魔力に弾かれるのではと思うかもしれないが、聖杯に与えられる耐魔力にはあるルールがある。

 防げる魔術は強度ではなく、呪文詠唱の長さで決定されるのだ。セイバーが魔術師に対して無敵と言われる理由はここにある。

 呪文というのは、実は省略出来る部分が結構ある。

 ただし、正しく理解していないと絶対に必要な部分まで削ってしまう可能性もあるし、省略部分にはサポートの効果がある為、魔力の消費効率が悪くなったり魔術の効力が落ちたりする。

 それらを回避する為には、深い知識と強大な魔力が必要になる。

 早い話が、優れた魔術師ほど短い呪文で強力な魔術を扱えるということだ。

 

 言う間でもないが、呪文、つまり魔術の使用にかかる時間は短い方が良い。戦闘ではそれが特に顕著だ。

 しかし、セイバーのクラスに与えられる耐魔力Aは「3音節以下の呪文詠唱を必要とする魔術を無効化」する。

 つまりセイバーに魔術でダメージを与えるには4音節以上呪文を唱えなければならないのだが、もとより戦闘力で劣る魔術師が、剣の英霊相手にそんな真似出来る筈がない。いいとこ2音節が限界だろう。

 また、この時代では魔術も効率化が進んでおり、体系化された魔術のほぼ全ては3音節以下で使用可能になっていて、長い詠唱を必要とするのは儀式魔術くらいである。つまり、この時代の魔術師にセイバーを傷付ける事は出来ない。

ならばどうやって言霊を通したか。

 簡単だ。4音節以上使って魔術をかけた。それだけだ。事前の準備や調査というのはこれだから重要なのだ。

 

 言霊には相手を無条件で服従させるようなものもあったが、二つの理由から相手の心を揺さぶる程度に留めた。

 一つは単純にコストの問題。

 自分で使うならまだしも、他人に、それも魔術の素人に付与するとなると効率が悪過ぎる。こちらも重要だが終末の泥をケチるわけにもいかない。

 そしてもう一つは、確実性を上げる為だ。

 強力な精神干渉は、素人相手ならともかく魔力耐性を持った相手には気付かれる可能性が高い。そしてこの手の術は、意識されてしまうと効果が格段に落ちる。魔術師相手には通用しない可能性が高いのだ。

 校舎内に張り巡らせた、違和感を植え付ける為だけのダミーを含めた無数の罠は、これらの精神攻撃を気付かせない為の物でもあった。比企谷八幡は確か「忍法 砂漠の針」と言っていたか。

 敵に捕まったシノビが武装解除させられ、取り出した武器のあまりの多さに敵が唖然としてる隙を突いて、隠し持った針で倒したという話からそう呼ばれるらしい。ソースは……忘れた。多分マンガだと思うが。

 要はフェイントにフェイントを重ねる事で、本当の狙いから目を逸らす技術の事なのだろう。実際これは上手くいったようで、攪乱をあまり受けていないアーチャーですら精神干渉には最後まで気付いていなかった。

 

 だからこそ、衛宮士郎に同盟を蹴られた時は本当に焦った。

 

 サーヴァントを殺せと命じるより、仲間になれと言われる方が、どう考えても抵抗が少ない。方針変更は、後の事はともかく、その場における交渉の成功率自体は大きく高めていた筈なのだ。

 比企谷八幡も断られるとは思っていなかっただろう。にも関わらず、返ってきたのは拒否。正直何を考えているのか分からない。

 

(分からないと言えば……)

 

 比企谷八幡もそうだ。

 彼の目的は「安全なリタイア」だった筈。あの時に出された条件は、彼にとってほとんど理想的と言っても良かっただろう。あれを聞いた時は絶対に売られると思ったのだが……。

 

「へいお待ち~」

 

 そこまで考えたところでやる気の無い声が響いた。

 視線をやると、比企谷八幡と衛宮士郎が大皿を二つずつ抱えてキッチンから出てきたところだった。昼から何も食べてなかった為、夜食をこさえていたのだ。

 

「比企谷って料理出来るんだな。なんか意外だ」

「意外たぁなんだ。こっちはこれでも専業主夫志望なんだよ。なんなら世話になる間家事を請け負ってもいいレベル」

「いや、さすがにそれは悪いだろ。普通に交代制でいいだろ?」

 

 仲睦まじくこれからの生活について語り合う男二人。私も手伝いに入るべきだっただろうか。そうすればもっと近くで見れたのに。

 

「……キャスター、何を見ている?」

「いえ、何でもありません」

 

 おっと、いけないいけない。

 

「遠坂はまだか?料理が冷めなきゃいいんだけど」

 

 衛宮士郎がそんな呟きを漏らした時だった。

 ガラガラピシャン!と玄関を乱暴に開け閉めする音がして、ドスドスと荒い足音が近づいてくる。

 スパン!と勢い良く襖を開け放った彼女に、比企谷八幡がいつも通りの軽さで声をかけた。

 

「よっ、遅かったな」

「あん……ったねぇ……!」

 

 遠坂凛はわなわなと震えながら声を絞り出した。

 右手からめきめきと何かが潰れる音がする。その、潰れて一塊になった何かを突きつけながら声を荒げた。

 

「人ん家に何してくれてんのよ!?隠しカメラ6個も仕掛けて!」

「あれ?1個足んなくね?」

「ま、まだあんの!?いつの間にそんなに仕掛けたのよ!?」

「そりゃお前らが学校行ってる間に使い魔でコツコツと」

「自慢気に言うな!それはキャスターの手柄でしょう!?つーかアーチャー!対空監視は!?」

「上空からの侵入は無かった。留守中も含めてだ」

「そりゃそうだろ。使ったのはネズミだし」

「なんでよ!?使い魔って普通空飛べるやつにするでしょ!?じゃないと不便じゃない!」

「いくら便利でも100パー発見されるんじゃ何の意味もねえだろ。空がダメなら多少不便でも地上から行くしかねえだろ?それなら障害物も多いし」

 

 ……騒がしいことだ。

 

 

 

「意外と美味しいじゃない。あたしほどじゃないけど」

「そうですね。とても美味しいです。シロウほどではありませんが」

「……んだよ。文句あんなら食うなよちくしょう。つうか考えてみたらこいつら二人とも一人暮らしじゃん。俺より家事スキル高くて当然じゃん。死ねバカ死ねよ、自信満々で飯作ってやるとか言ってた二時間前の俺……」

「おーい……」

 

 料理対決で衛宮士郎に完敗した我が主が部屋の隅でいじけていた。別に勝負はしてなかったと思うが。

 それは放っておいて、食事中に出しあった情報を纏める。

 チームを組んだ以上、情報の共有化は重要だ。もっとも、私達が保有する情報はこの二組のもののみなので受けとる一方なのだが。

 

「そちらが接触したのはランサー、バーサーカー、ライダー。ランサーとバーサーカーは真名が、バーサーカーとライダーはマスターが判明している。それで間違いありませんね?」

「ええ。アーチャーが倒したアサシンも併せて、七人のサーヴァントが全て出揃ったことになるわ」

「にしてもヘラクレスか。やっぱ強えの?俺でも知ってるくらいだし」

 

 いつの間にか復活していた比企谷八幡が口を挟む。

 

「そうですね。英霊の力というものは、基本的に知名度に比例します。勿論生前の力量にも影響されますから一概には言えませんが」

「もっとも英霊の大半は武勇がイコール知名度だから、結局有名な奴ほど強いってことになるわね」

 

 私の返答に、遠坂凛が補足する。比企谷八幡はそれを聞き、しばし考えを巡らせてから口を開いた。

 

「……なあ、それだともう勝ち目無くねえか?ヘラクレスったら、神話伝説をろくに知らん奴でも名前を知ってる正統派中の正統派だろ。元から最強の奴がバーサーカーのクラス補整で更に強化されてるとか、もうどうにもならんだろ」

「ま、確かに厄介極まりない相手ね。でも戦いっていうのは、強い方が必ず勝つとは限らないものよ。戦略や戦術次第でいくらでもひっくり返せるわ。て言うか……」

 

 遠坂凛がセリフの途中で比企谷八幡をジト目で睨み着ける。

 

「あんたがそれ言う?ついさっき自分で証明したところじゃないの。あたし達相手に」

「……なるほど。つまり又カメラを仕掛けて」

「誰が面白い事を言えと言った」

「面白かったですかスンマセン!」

 

 神速で遠坂凛に土下座する比企谷八幡。

 盗撮は余程腹に据えかねたらしく、凄まじい形相で詰め寄っていた。別にふざけたわけではなく、情報収集という意味でカメラと言ったのだと思うが。

 

「まあとりあえず、まずはライダーだろうな」

 

 比企谷八幡が身を起こして言う。

 

「そうね。いつ現れるか分からないランサーやバーサーカーより、居場所の判っているライダーを倒すのが先決でしょうね」

「ああ、いや、そうじゃなくて」

 

 否定の言葉に、それを発した本人以外の全員が疑問符を浮かべる。

 

「倒すんじゃなくて仲間に引き込めねえか?一度は向こうから誘いをかけてきたんだろ?」

 

 その言葉に部屋が静まり返る。

 どうにか口を開いたのは衛宮士郎だった。

 

「だ、だから慎二には、もう遠坂と組んでるから組めないって……」

「俺としてはその理屈がよく分からんのだが。別に三人で組んだって構わんだろ?どの道もう俺と組んでるわけだし、そこらの事情を説明すればなんとか説得出来んじゃね?」

 

 衛宮士郎は考え込んだ。

 既に敵対してしまった相手にまで友の義理を通そうとする男だ。対話で解決出来るなら一考の余地ありと踏んだのだろうか。

 話の途切れたタイミングで、遠坂凛がおずおずと手を上げた。

 

「あのー……それ、ちょっと難しいかもしんない」

「なんで?」

「えーとね、間桐慎二くんなんだけど、その、ちょっと告られまして」

 

 …………ほう。

 

「……振っちゃった。かなりこっぴどく」

「うわぁ」

 

 比企谷八幡がこめかみを押さえる。

 

「……まあ、やっちまったもんは仕方ないだろ。悪いが衛宮、ダメ元で説得してみてくれないか?四人掛かりでボコればバーサーカーもなんとかなるかもしれんし」

「分かった。やってみる。慎二とも戦わなくて済むかもしれないしな」

 

 次に接触するのはライダーに決まったようだ。

 

「ああ、そうだ。契約にちょっと追加させて貰って良いか?」

 

 比企谷八幡が唐突にそんな事を言い出した。

 

「……条件の後出しは受け付けんと言った筈だが?」

 

 アーチャーが険を深める。当然の反応だ。しかし比企谷八幡は気にせずに続ける。

 

「怖え顔すんなよ。別にお前らのマイナスになるような事じゃねえから」

「……とりあえず聞くだけ聞きましょうか」

「ああ。衛宮か遠坂、どっちかがサーヴァントを失った時で良いんだけどよ、キャスターのマスターになってやってくれねえか?」

 

 !?

 

 全員が言葉を失う。

 

「八幡様、何を!?」

「最初から言ってるだろ。安全に降りるのが目的だって。だけどそりゃ俺の都合だ。お前はお前で聖杯を求める理由があるんだろ?」

 

 どうにか問を発した私に向かって、さも当然とばかりに言い放った。……この男は、本当に……!

 私が何も言えずにいると、衛宮士郎が躊躇い勝ちに声をかけた。

 

「……お前、もしかして本当に聖杯はどうでもいいのか?」

「だから初めからそう言ってんだろ。別にいいけどよ。疑われんのは慣れてるし」

「……いや、なんか済まん」

 

 何故か謝っていた。

 今度こそ話は終わったらしく、それぞれ宛がわれた部屋へと引き上げていった。



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比較

「ふぁ……あ……」

 

 欠伸を盛大に噛み殺して伸びをする。

 朝7時。

 昨日は、つか日付的には今日だが、全員ほとんど明け方まで起きていたにも関わらず、他の連中は既に起きているらしい。元気な奴らだ。

 仕方ないので俺も起きることにする。

 身体強化の反動であちこち痛いしホントはガッツリ寝たかったんだが、家主が起きてるのにいつまでも寝てるわけにはいかんだろう。

 とりあえずトイレに行こうと居間を横切る。

 

「あ、おはよ~」

「おはようございます」

 

 客間でテレビを見ていた20代前半くらいの女性と朝の挨拶を交わす。えーと、トイレどこだっけ。

 フラフラと玄関まで来ると、タイミング良く戸が開いた。

 

「おはようござい……ま……す……?」

 

 玄関を開けた、淡い色合いのロングヘアにリボンを着けた制服姿の女の子が戸惑いの表情を浮かべる。やべ、寝起きのままだ。でも昨日は普段着のままだしそこまでおかしくはないよな。いや、逆にマズイか?

 とりあえず「どうも」と頭を下げる。女の子もつられて頭を下げ返していた。さて、トイレは、と。

 

「桜、おはよう。……あ」

 

 現れた衛宮が俺を見て、しまった、みたいな顔をする。おい、失礼だろうが。

 

「おはようございます、先輩。あの、この人は……?」

 

 チッ、誤魔化せなかったか。

 この少女は桜。名字は分からんが監視中に何度か見かけた人物で、どうも衛宮に通い妻してるらしい。

 どうやって誤魔化したもんかなと考えあぐねていると、居間から騒がしい声が近づいてきた。

 

「士郎士郎士郎!どうなってんの!?遠坂さんとセイバーちゃんに続いてまた新しい女の子がいるじゃない!」

「あ、あの、引っ張らないで下さい……!」

「ふ……藤ねえ、もう来てたのか!?」

「もう来てたじゃないでしょー!どういうことなの!?お姉ちゃんに説明しなさい……って男の子まで!?ダメよ!男同士なんてお姉ちゃん許しません!」

 

 先程居間でも見かけた女性が、メディアの手を引きながらギャーギャーとやかましく現れた。

 こちらは藤村大河といって、衛宮の昔馴染みで衛宮邸に日常的に入り浸っていた、筈だ。

 確か衛宮と遠坂の通う穂群原の教師をしていて、衛宮の後見人である藤村組の娘さんだった筈だ。

 桜の方は集音マイクで会話を拾った分の情報しか無いが、藤村先生の方は以前雪ノ下が興信所に調べさせた時にある程度のことが分かっている。まぁ、どちらも聖杯戦争には関係の無い人物だ。

 さて、普通に説得するのも面倒だ。なので事前に決めておいた通りにするか。

 

(メディア、頼む)

(承知しました)

 

 メディアが藤村先生に近づく。

 

「失礼」

「何?今士郎と話してるからちょっと待……?」

 

 メディアが藤村先生の目を覗き込むと、捲し立てていた藤村先生がいきなりおとなしくなる。

 

「ふ、藤ねえ?」

「藤村先生?」

 

 衛宮と桜(頭の中だけとは言え女子を名前呼び捨てってなんかヤダな)が様子の変わった藤村先生にギョッとする。え、この人がおとなしくするのってそんなに珍しいの?

 メディアが続けて桜の目も同じように覗き込むと、やはり桜もおとなしくなる。

 メディアがパチンと指を鳴らすと、二人ともフラフラと玄関から出ていった。

 突如衛宮に胸ぐらを掴まれる。

 

「お前!桜と藤ねえに何をした!?」

「落ち着いて下さい士郎様。ただの催眠暗示です」

「……暗示?」

 

 メディアにいなされ、少しだけ衛宮の力が緩む。それを見計らって衛宮の手を外し、襟元を直しながら説明する。

 

「十日ばかりこの家に近付かねえようにしたんだよ。ここに来ればあの二人と関わることになるのは分かってたからな。聖杯戦争に巻き込むわけにもいかんだろ?」

「あ……そ、そうだったのか。済まん。て言うかなんで藤ねえと桜のことまで知ってるんだ?」

「監視してたって言ったろうが」

 

 自分の周りの人間を巻き込むとか、その辺りの事は考えてなかったんだろうか?随分のんのんびよりだな。

 

(八幡様)

 

 不意にメディアから念話が届く。

 

(どうした?)

(先程の桜様、大河様に比べて大分暗示の効きが悪かったので、念のためにご報告を)

(……効かなかったのか?)

(それは問題ありません)

 

 ふむ……?

 暗示が効いたのなら大丈夫だとは思うが、一応衛宮に話を聞くくらいはしておくか。

 

「なぁ衛宮、さっきの二人の事聞いても良いか?」

「……なんでだよ?」

「念のためだ。お前の関係者ってだけで巻き込む可能性はゼロじゃねえんだ。無いよりマシ程度の情報でも、知っておけば何かあった時に役に立つかもしれんだろ」

 

 衛宮はそういうことならと、渋々ではあるが話し始めた。

 

「藤ねえとは子供の頃からの付き合いだ。俺の親父と藤ねえの爺さんが知り合いで、藤ねえは親父になついてて、よく家の道場に入り浸ってた」

 

 そういう繋がりだったか。なんでヤクザが後見人なんかやってんのかと思ってたら。

 

「桜は友達の妹だ。ホラ、慎二……昨日話したライダーのマスターの」

 

 おもくそ関係者じゃねえか。

 

「桜は出会った頃はすごい引っ込み思案でさ、家族から人に慣れるように言われたらしくて慎二に紹介されたんだよ。それから俺が料理教えることになってな。俺も最初は怯えられてたんだけど、次第に打ち解けてくれるようになってさ。今じゃ料理の腕も追い越されちまったよ」

 

 どこか嬉しそうに語る衛宮。

 メディアの話だと魔術師は血統を重視するらしいが、魔術を受け継ぐのはあくまでも一人だけで、それ以外の兄弟は魔術に触れることさえ許されないのが普通らしい。

 なんでも後継者を複数設けると、その分だけ力が弱まってしまうとか。どういう理屈なんだそれ。

 だからまあ、兄貴の方がマスターをやってるなら妹は警戒しなくても大丈夫だろう。暗示の効きが悪かったのは、単に血統のせいか。

 それはともかく。

 

「なあ、衛宮」

「なんだ?」

「折れろ」

「ホントになんだ!?」

「いやだって。歳上美人の幼馴染みに後輩の押し掛け通い妻。それに加えて学園のマドンナ(笑)に金髪美少女と一つ屋根の下とか。そんな奴見たら死んでほしいと思うだろ普通」

「どんな普通だ!?」

 

 いや、これは普通だと思うぞ?割とマジで。

 

「て言うか!そんなこと言ったら比企谷だって大して変わんないだろ!?」

 

 …………は?何言ってんのこいつ?

 

「遠坂から聞いたぞ?なんか凄い美人と部活同じらしいじゃないか。しかも二人も。それにお前だってキャスターと暮らしてたんだろ?」

 

 ……こっちはこっちで調べられてたんだな、やっぱ。

 

「いやまあ確かに同じ部活だが。俺のはそういうんじゃないぞ?部活が同じったってそれだけだし、キャスターとだって色気のある展開なんか皆無だし」

「そんなの俺だって同じだよ」

 

 ムウ。強情な奴だ。

 だが確かに周りに女が居るってだけでそういう話に結び付けるのは問題有りだな。それだと俺も、関係性を無視すればモテてる事になっちまう。ちょっと比較してみるか……?

 

 

 クール系美少女対決!

 毒舌ナイチチ女VS暴力ナイチチ女!

 怪我しない分だけ雪ノ下の勝ち!

 

 夢と希望の膨らみ対決!

 練炭術師VS押し掛け通い妻!

 比べる迄も無し!間桐桜の勝ち!

 

 サーヴァント対決!

 陰険毒蛇女VS脳筋猪女!

 ドロー!

 

 歳上美人対決!

 アラサー暴力教師VS変人暴力教師!

 戦力(年齢)差により藤村大河の勝ち!

 

 天使対決!

 戸塚の不戦勝!

 

 妹対決!

 小町の不戦勝!

 

 

 っし!ギリギリ勝利!

 ふう……。衛宮に妹が居たら危ないところだったぜ。

 ん?どうした衛宮?」

「いや……勇気あるなぁと思って」

「は?」

 

 衛宮の視線は俺の後ろに向いていた。

 つられて振り返ると、そこにはメディアと、いつの間にかセイバーと遠坂が並んでいた。

 三人とも笑顔だった。それもすっごい良い笑顔。

 あえて言葉にするなら、そう…………殺ス笑み?

 

「……毒蛇ですか。なかなか面白い例えですね」

「雪ノ下さんって人とはなんだか気が合うような気がするわ。今度紹介してもらえるかしら?」

 

 俺はギギギ……と衛宮に向き直る。

 

「……あの、もしかして口に出ていましたでしょうか?」

「おもいっきり……なんだ、やっぱり無意識だったのか」

 

 衛宮は沈鬱な表情で首を振りながら、事実上の死刑宣告を口にした。

 後ろ襟をガッシと掴まれる。セイバーだった。

 

「……脳筋は脳筋らしく鍛練に励もうと思います。ハチマン、付き合っていただけますか?」

「いえそのボク道場に入ると死ぬ病気なんで」

「あたしも手伝うわよセイバー。横からひたすらガンドをぶちこみ続ければいいわね?」

「いやだから無理つかイジメよくない」

「怪我をしたら私が治療いたしますので。存分に励んで下さい」

「死すら許されないと!?お、おい衛宮!助けろ!?」

 

 懇願すると、衛宮は哀しげに目を臥せた。

 

「……済まん、往生してくれ」

 

 見捨てやがったこのヤロウ!?

 ジタバタと足掻くがセイバーの力に敵う筈もない。そのまま引き摺られていく……と思いきや、不意にセイバーが振り向いて口を開いた。

 

「何をしているのですか?行きますよ、シロウ」

「…………え?」

 

 衛宮が呆ける。

 

「いや、ちょっと待って俺関係な」

「何言ってんの。早朝鍛練は元々衛宮くんのためのものでしょう?」

「いや確かにそうだけど!ひ、比企谷、なんとか言ってくれ!」

「わはははは!人を見捨てようとした報いだ!一緒に不幸になれぃ!」

「比企谷テメェ!?」

「往生際が悪いぞ!不幸は分かち合い、幸せは潰し合う!それが男の友情ってもんだろうが!」

「恨むぞ比企谷ぁぁぁっ!?」

「なんでもいいから二人ともさっさと来なさい」

「「いやあぁぁぁぁぁーーーー!?」」

 

 

 昼前くらいには悲鳴は聞こえなくなりました。



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結界

 ひどい目にあった……

 

 女子三人から特訓という名の私刑(リンチ)を受け、気付けば既に昼をまわっていた。

 ちなみに今日は平日だが、衛宮と遠坂も聖杯戦争の間は学校を休むつもりらしい。

 衛宮は午前はセイバーとの鍛練、午後は遠坂から魔術の講義を受ける予定だったそうな。これらは昨日から始めたことらしく、遠坂は「教材が足りなくなった」と衛宮に課題を与えて自宅に戻っていた。ちなみにライダーのマスターの説得は学校が終わる頃を見計らって行うらしい。

 俺はというと、現在持ち込んだノートパソコンとにらめっこ中である。

 別に暇をもて余してpixivやハーメルンを覗いているわけではない。稼働している監視カメラの確認だ。

 遠坂邸、及び衛宮邸に仕掛けた分は撤去されたが、それで全てではない。今見ているのは自分、そして雪ノ下と由比ヶ浜の家に設置してある物の記録影像だ。

 ……言っておくが了承はとってあるぞ。というかカメラは本人にセットしてもらったものだ。

 一応家族や知人を巻き込まないように配慮はしたが、それでも何らかの形で危険が及ぶ可能性はゼロではない。何かあった時に、せめてそれを知ることができるように気を払う必要がある。幸い特に変わった事は無さそうだ。……由比ヶ浜は今日は寝坊か。

 一通りチェックを終えて廊下に出ると、衛宮が慌ただしく電話を置くところに出くわした。心なしか顔色が悪い。

 

「どうした?」

「……慎二から呼び出しがあった。今から学校に来いって」

 

 聞けば聖杯戦争について話したいことがあるから一人で来いとかなんとか。まぁ、十中八九衛宮を呼び出すための方便だろう。

 

「とにかく学校に行って……!」

「却下だ。どう考えても罠だろ」

「だけどどの道慎二とは話さなくちゃならないだろう?それにあいつ、何か様子がおかしかった。思い詰めてる感じだ」

「……」

 

 考えを巡らせる。

 こっちから呼び掛けるならともかく、向こうから声を掛けてきたなら警戒しないわけにはいかない。

 衛宮は思い詰めた感じがすると言った。

 衛宮の話では件の間桐慎二とは、マスターであることをお互いに知っていることになる。ならば衛宮達に監視をつけていてもおかしくない。というかつけるのが自然だ。

 となると、当然俺とメディアの情報も渡っていることになる。

 まず最初は衛宮に同盟を持ちかけ断られた。

 次いで遠坂に衛宮を裏切るように働きかけ、これも失敗した。

 さらにその二人が俺という未知の相手と手を組んだ。

 間桐慎二から見れば、衛宮達が俺と結託して自分を包囲しているようにも見えるだろう。

 二度にわたって同盟を持ちかけたことから考えて、間桐は自分一人で戦い抜けるとは考えていない。少なくとも慢心はしていない。

 奴は今、追い詰められたと感じているかもしれない。衛宮達に存在を知られた時の俺と同じだ。なら次はどう出るか。これも俺と同じだろう。

 殺られる前に殺れ。先手を取られる前に潰したいと考える筈だ。総合力で劣っている以上、主導権を取られてしまえばその時点で負けが確定してしまう。

 気になるのは遠坂が見つけたという学校に張られた結界。内部の人間を溶かして魔力に還元してしまうという、物騒極まりないシロモノだ。

 遠坂の話では、魔術による結界ではなく結界型の宝具らしい。だから魔術ではどうやっても解除できないとか。なんでもありだなホント。

 間桐はその結界を保険と言っていたそうだ。おそらくそれは事実だろう。

 こういう最終兵器みたいなやつは、基本的に脅しに使われるものだ。それも大抵の場合は自衛が目的になる。

 ようするに、これを使われたくなければ自分に手を出すなと、そういうことだ。もしかしたら間桐は俺と似たような思考をする奴なのかもしれない。

 だが逆に、そうした切り札は、一度でも使ってしまえば後戻りの道を絶ってしまう。間桐もそれは理解していた筈だ。

 しかし俺の予想が正しければ、奴は今、正常な判断力を失っている。諸刃の剣であっても本当に使いかねない。

 やはり衛宮を一人で行かせるのは論外だ。だが、無視してしまえばそれはそれで間桐を刺激することになるだろう。

 

「……とりあえず一人で行くのは無しだ。せめてセイバーを連れていけ」

「だけど慎二は一人で来るように言ってた。セイバーを見たら何をするか分からないぞ」

「霊体化させた上でキャスターに気配隠しを掛けさせる。それならそうそう簡単には見つからんだろ」

「……いや、悪いけどそれは無理だ」

「なんで?」

「セイバーは霊体化できないんだ」

「ハア?」

 

 遠坂の診断では、召喚時に事故があってその影響ではないか、とのことらしい。セイバー自身も言っていたので霊体化できないのは確実なようだ。そんな嘘をつくタイプではないし、そのメリットも無い。

 つーか事故率高すぎだろ英霊召喚。確かアーチャーも事故で記憶が無いとか言ってたよな。三人中三人ってどういうことよ?コペルニクスでも積んでんのか。

 とにかくセイバーが使えないなら別の手を考えなければならない。

 

「なら代わりにアーチャーを護衛に着けさせよう。遠坂の携帯に連絡入れてくれ」

「……悪い。俺、遠坂の携帯の番号知らない。ていうか遠坂が携帯持ってるかどうかも知らない」

 

 お前は俺か。共闘相手との連絡手段くらい確立しとけよ。

 

「……さすがに今どき携帯持ってないってのは考えにくいだろ」

「いや、俺持ってないぞ」

「マジか。なんで?」

「俺の場合、基本的に爺さん……親父が遺してくれた財産で生活してるからな。あんまり贅沢しないようにしてるんだ」

 

 ……まぁ、これは責められないか。とは言え困った。

 

「……仕方ない。遠坂には書き置きを残しておいて俺達だけで行こう。要求に従って衛宮が一人で先行。俺とキャスターとセイバーは隠行しつつ離れて着いていく。衛宮、これを持ってけ」

 

 ポケットから取り出した物を衛宮に放る。

 

「これは?」

「集音マイクだ。昨日遠坂に握り潰されたやつの中で一つだけ生き残ってた。これで多少はそっちの状況が伝わる筈だ」

 

 衛宮は頷いてマイクを仕舞う。

 

「衛宮。俺達は、なるべくすぐに駆け付けられる距離で待機するつもりだが、それも相手の監視の可能性を考えると限度がある。いくらキャスターの隠行でも、サーヴァント相手に通用するとは限らない。だから俺達は隠行した上で学校の外の遮蔽物に隠れるつもりだ」

 

 俺の説明を、衛宮は口を挟むこともなく聞いている。ちゃんと話を聞いてくれるのを新鮮に感じるってどういうこと。

 

「マイクから会話を拾ってヤバイと感じたら踏み込むつもりだ。だけどその前に例の結界を使われた場合、侵入できるかどうか分からん。十分に注意しろ」

 

 衛宮は俺の言葉に頷く。

 

「衛宮。自分で言ったことを覆す形になるが、今の間桐が説得に応じる確率はおそらく低い。こっちはこっちで、無理にでもセイバーをねじ込むつもりでいるが、それじゃ間に合わない可能性が高い。だから少しでもヤバイと感じたら躊躇わずに令呪を使え」

 

 令呪の強制力ならば結界も突破できる筈だ。というか、そのくらいできてくれないと令呪の存在価値が無いだろう。

 

「……分かった」

 

 衛宮は、ただ一言頷いた。

 

 ノートパソコンを小脇に抱え、鎧姿のセイバーとローブを纏ったメディアを引き連れ、十数メートル先を歩く衛宮の後を着ける。

 端から見たら何者に見えるだろうかとか思ったりもしたが、時折すれ違う通行人は、これほど異様な集団を見かけても何の反応も無い。

 メディアの隠行の効果だ。当たり前だが俺の生来のステルスとは比較にもならない。

 セイバーはしきりに周囲を気にしていたが、おそらく学校に着くまでは仕掛けてくる事はないだろう。外で仕掛けてうっかり倒されてしまったらそれまでだ。もっともそれは警戒を解く理由にはならないが。

 先行する衛宮が何事もなく穂群原学園にたどり着く。

 俺達は、校舎から直接視線が通らない位置を移動しつつ、校門にもっとも近い曲がり角から様子を伺う。

 ノートパソコンを開いてスリープ状態から立ち上げると、繋いだままのイヤホンから複数の男女の会話が聞こえてきた。衛宮とすれ違った生徒のものだろう。

 衛宮の姿が校舎内に消えて少しした頃だった。

 

 バツッ

 

「うお!?」

 

 そんな音を最後に、いきなり何も聞こえなくなった。

 

「あれを!」

 

 塀に隠れて直接様子を伺っていたメディアが学校を指す。

 校舎が、というか校庭を含めた学校の敷地全体が、毒々しい赤いドーム状の光の膜のようなものに覆われていた。

 

「やりやがった……!」

 

 呻いて歯噛みする。

 例の人を溶かす結界だろう。これが実際に使われる可能性は、実は低くないと踏んでいた。だから動揺のようなものはあまり無い。しかしまさか会話すら無い段階でいきなりやらかすとは……

 メディアが声を発した時点でセイバーは駆け出していたが、結界に阻まれて中に入れないらしい。中の人間を逃がさない為なのだろう。やはり通行を遮断する効果もあるようだ。

 俺とメディアが追い付いた頃には既に数回、結界の表面に見えない剣を叩きつけたところだったが何の変化も見られない。

 セイバーは結界を悔しげに見上げて口を開いた。

 

「キャスター、お願いします」

 

 前に出たメディアが慎重に、しかし素早く結界に手を触れる。

 

「……どうだ?」

「……やはり結界型の宝具です。解除は出来ませんが一時的に穴を開けるくらいならなんとかなるでしょう。少々お待ちを」

 

 メディアの額に汗が浮かぶ。

 備蓄分の魔力を使い切ってしまったメディアには酷かもしれないが、頑張ってもらわんと衛宮、そして無関係な人間が大勢死ぬ。

 

「……っ」

 

 セイバーが小さく身じろぎする。

 結界が発動してからまだ5分も経っていない。しかしこうした状況では『待たされる』というのが何よりも苦痛となる。それはセイバーも同じらしい。

 不意に。

 セイバーがピクリと虚空を見上げた。直後。

 

 パキン!

 

 薄いガラスが砕けるような音と共に、突如セイバーの姿が掻き消えた。

 

「な、なんだ!?」

「……おそらく士郎様が令呪を使用したのではないかと」

 

 狼狽する俺にメディアが説明を入れる。そうか、使ったか。つーか遅えよ。すぐ使えっつったろうが。

 

「それで、私達はどうなさいますか?」

 

 結界に踏み込むのか、という意味だろう。穴開けは一時中断しているようだ。

 俺は少し考えて質問した。

 

「……俺達が中に入って何か出来ると思うか?」

「いえ。私は穴を開けるだけで力を使い果たしてしまいますし、魔力耐性の無い八幡様では結界に抵抗できないでしょう」

 

 やっぱりか。

 

「ライダーとそのマスターは衛宮とセイバーに任せよう。俺達は結界そのものをなんとかする」

「解除は出来ないと申し上げましたが」

「分かってる。この結界には基点が複数あったって話だ。それ、結界の外縁部にもあると思うか?」

「あるでしょう。ある程度以上の規模の結界は範囲を指定する必要がありますから、最低でも三つはある筈です」

「ならまずはそれを探す。基点に直接干渉して魔力の流れを操ったり出来ないか?」

「……中々無茶な注文をしますね。不可能ではないでしょうが、最初にも言ったように破壊も解除も出来ませんよ?」

「機能を低下させるだけでいい。それだけでも結界に取り込まれた連中の生存率は上がる筈だ。判明している基点の位置は遠坂から聞いていたよな。それから残りの位置を割り出せるか?」

「はい。おそらくこちらです」

 

 言うが早いか、メディアが学校の敷地に沿って走り出す。

 

(……死ぬなよ、衛宮)

 

 俺は心の中で呟くと、メディアを追って駆け出した。



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捜索

 その少女は美しかった。
 孤高を貫き、己が正義を貫き、理解されないことを嘆かず、理解することを諦める。
 誠実で、嘘を吐かず、依る辺がなくともその足で立ち続ける。
 少年は憧れたのだ。その、凍てつく蒼い炎のように美しく、悲しいまでに儚い立ち姿に。
 そこに自分が失ってしまったはずの理想を見出だしたのだ。
 だから、護りたかった。例え自分が泥を被ることになったとしても。
 その少女ではなく、彼女の体現する己の理想をこそ護りたいと願ったのだ。
 されど少年は思い知る。
 彼女に見出だした光もまた、ただの幻想にすぎなかったことを。


「どうだった?」

「とりあえず無事よ。……相変わらず原因はサッパリだけど」

「そうか……」

 

 居間に戻った途端の比企谷八幡の質問に、遠坂凛が答える。それに比企谷八幡はホッとしたように息を吐いた。

 

 昼間の学校での戦い。

 

 結界の基点を見つけて少しした頃、いきなり結界が解除された。

 ライダーを倒したのかと思ったのだが違ったらしく、校門まで戻ったところで校舎から閃光が飛び出していくのを目撃した。

 セイバーの話では、詳細は不明だがライダーの宝具らしい。ライダーは、それでもってマスター共々離脱したそうだ。

 衛宮士郎は酷い有り様だった。

 全身ズタボロで、怪我をしてない場所を探す方が難しいような状態、のはずだった。

 セイバーに抱えられて帰ってきた衛宮士郎は、意識を失い、服もあちこち破れてそこら中に血の染みを作っていた。にも関わらず、怪我そのものはどこにも無かったのだ。

 セイバーと遠坂凛の話では、以前にもこういうことがあったらしい。バーサーカーに身体を上下に分断された時も、二人が何をするでもなく勝手に再生してしまったそうだ。

 一応調べてはみたものの、遠坂凛には原因は解らなかったようだ。

 それもあって、治療と検査も兼ねて今度は私が診てみることになったのだが、結局私も分からないと答えていた。

 

「ま、無事だってんなら良かった。……ホントに不死身ならえらい強力な武器なんだが、理由が分からん以上当てにするわけにはいかねえな」

「そうね。衛宮くんが目を覚ますまで少しかかると思うわ。キャスターに回復効果を高める陣を敷いてもらって、今はセイバーに看てもらってる。令呪の繋がりとの相乗作用で二人共大きく回復できるはずよ」

「そうか……。俺も休んどくわ。衛宮が起きたら間桐を探しに行くとか言い出すだろうからな。遠坂、お前も休め」

「……そうね。そうするわ」

「それでは失礼します」

 

 遠坂凛に頭を下げ、比企谷八幡を追って居間を出る。

 私と比企谷八幡に与えられた部屋は、襖で区切られただけの隣同士だ。だからまず彼の部屋を通り、奥に入ってから襖を閉める。そこまでしてから念話で呼び掛けた。

 

(八幡様。ご報告が)

(……なんだ?)

 

 訝しむような思念。

 てっきり見透かされているものだと思ったのだが、どうやら純粋に衛宮士郎の身を案じていたようだ。この男も、やはり根本的な部分では甘いらしい。

 

(まず、衛宮士郎と遠坂凛にかけた共死の呪いですが、衛宮士郎のものが消滅しています)

(……あ?)

 

 これは予想のしようがなかっただろう。呆けたような返事をよこす。

 

(……期限まであと1日はあったよな。予想より効果が短かったってことか?)

(いえ。おそらく初めから効いていなかったものと思われます)

(……どういうことだ?)

(それについての報告です。衛宮士郎の内に眠る、二つの力について)

(……内に眠る力?しかも二つって……。あいつなんかの主人公とかなの?)

(そうかもしれません)

(マジか)

 

 比企谷八幡は冗談半分で言ったのだろうが、彼に隠された力の大きさを考えれば、あながち違うとも言い切れない。

 

(まず、強力な宝具が形を変えて彼の肉体と同化しています)

(強力な宝具?)

(はい。おそらくは聖剣の鞘に間違いありません。不死身の理由はこれでしょう)

(……すまん、聖剣っていわゆるエクスカリバーのことでいいのか?なんでそれが不死身に繋がるのかが分からんのだが)

(かの聖剣の鞘は、持ち主からあらゆる災厄を退け不老不死を与えると言われています。正しく使えばありとあらゆる攻撃を無効化する、絶対の防御として機能するでしょう。呪いを弾いたのもこの鞘です)

(……知らんかった。なんでそんなのが衛宮に?)

(それは分かりません。ですがこれほど高ランクの霊装を所持しているなら、サーヴァントの召喚にも確実に影響していたはずです)

(衛宮も知らない内に触媒になってたってことか。てことはセイバーの正体は……)

(騎士王アーサーに違いないでしょう)

 

 サーヴァントの召喚は、触媒を用いることである程度結果をコントロールできる。聖遺物と呼ばれる英雄の遺産を使い、呼び出したい相手との繋がりを強めるのだ。

 聖遺物が強力なアイテムであれば召喚の成功率は飛躍的に高まる。逆の言い方をすれば、召喚者との相性といったそれ以外の要素を無視して結果が限定されてしまう。また、物によってはそのままサーヴァントの武装として利用することもできる。衛宮士郎の鞘はこのパターンだ。

 

(……分かってたつもりだが、サーヴァントってホントに有名人のオンパレードなんだな。サインとか貰っとくかな)

(……スミマセンね、マイナーで)

(いや、そういうつもりじゃなかったんだが。で、既に腹いっぱいなんだがまだあるんだよな?)

(はい。こちらは判然としませんが、おそらくは固有結界ではないかと)

(……すまん。今度は聞き覚えすら無い)

(仕方ないでしょう。魔術師でもなければまず知らない単語です)

 

 固有結界とは、術者の心象世界を現実に投影し、一時的に世界の法則を上書きしてしまう大禁術である。

 努力で習得できるものではなく、純粋に素養によってのみ得られる、技術よりは能力に近い力だ。

 その効果は様々だが、おおむね術者にとって極端に有利な状況を作り出すものがほとんどになる。相性次第ではサーヴァントにも対抗しうる武器となるだろう。

 それらのことを比企谷八幡に説明した。

 

(……マジで主人公じゃねえか。なんなんだあいつ)

 

 半ば呆れたように言う。気持ちは分かる。現段階ではあくまで潜在能力にすぎないとはいえ、ただの人間としてはほとんどチート気味の力だ。

 

(…………なあ)

(何か?)

(…………)

 

 何かを躊躇うかのような思念。

 何故それを遠坂凛達に黙っているのか。それを聞くべきかどうかの判断がつきかねているのだろう。

 聞かれてしまえば私は答えざるを得ない。

 

『比企谷八幡の質問に正直に答えよ』

 

 令呪によるその枷は、いまだに私を縛ったままだ。令呪か私、どちらかが消滅するまでその枷が消えることは無い。

 しかし今回は、今まで話題にすることを避けてきた宝具という単語を使ってしまっている。聞いてしまえば私の宝具にまで話題が及ぶかもしれない。それを危惧しているのだろう。

 私の宝具、契約破りの『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』の存在を知ってしまえば、あるいは知られてしまえば、私達の関係は破綻する。が、それはあくまでも普通ならばの話だ。

 比企谷八幡は、正確にどういうものかは分からなくとも、私が令呪を無効化する手段を持っていることに感付いているし、私ももはや比企谷八幡から離れるつもりは無い。

 気付かない振りも、気付かれていない振りも、そろそろやめてもよさそうな頃合いだとは思うが。

 

(……いや、なんでもない)

 

 結局、気付かぬ振りを続けることにしたらしい。いくらなんでも露骨に過ぎると思うのだが。

 

(……そうですか。では、私も休ませていただきます)

(ああ)

 

 短い返事と共に念話が切れる。

 当人達に話さなかった理由は簡単だ。セイバーは強すぎるのだ。

 今は共闘の形をとっているとは言え、いずれ倒さねばならない相手であることは変わらない。

 ただでさえセイバーのクラスとは相性が悪いのに、マスターがあれほど強力な力を隠し持っているとなると、私では太刀打ちできなくなってしまう。

 衛宮士郎を診て判明したことは、実はもう一つある。令呪のリンクが不完全なのだ。

 通常、マスターとサーヴァントの間では、令呪を通して互いに魔力が循環している。

 しかし衛宮士郎とセイバーの場合、マスターが魔力を受け取る一方で、セイバーには魔力が流れ込んでいなかったのだ。

 現在セイバーは、元から持っていた魔力で存在を維持している状態であり、消耗するだけで一切回復できないのだ。私が敷いた回復の陣も意味をなさない。

 通常戦闘ならばとりあえずこなせるだろうが、聖剣ほどの宝具を使用すればそれだけで消滅しかねない。

 比企谷八幡は正体の分からないアーチャーをより警戒しているようだが、私にとってはやはりセイバーの方が驚異だ。聖剣で敵を道連れに自滅してくれるのが理想的だろう。

 無論それは比企谷八幡の望むところではない。戦力が落ちれば自身が生き延びる確率も低下する。

 比企谷八幡も、これを知ればさすがに無視はできなかっただろう。私に問題を解消するように命じた筈だ。

 だからこのことは気付かれていない。気付かれぬように『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』を隠れ蓑にした。

 これは現状で、私がセイバーよりも有利な唯一の部分だ。

 比企谷八幡は魔術回路をほとんど持たないが、それでもわずかながらは魔力を生産する。気休め程度とはいえ、それでもゼロよりはマシだ。たった一つの優位まで手放してたまるか。

 自分もここまでに大きく消耗していたが、幸い今はライダーの結界から掠め取った分の魔力がある。しばらくは問題なく過ごせるだろう。

 基点から魔力を抜き取ることで結界の出力を落としたのだ。注文は果たしている。文句を言われる筋合いは無い。

 

(それにしても)

 

 比企谷八幡。

 彼の行動は、いつでも矛盾している。

 衛宮士郎。ライダーのマスター。結界の時もそうだった。

 口では(念話も含む)自分さえ良ければ良いような事を言っておきながら、その実、己が身を危険に晒してまで犠牲を出さない方法を模索している。そしてそれは、きっとこの私にさえも向けられているだろう。

 力も持たず、助けも求めず、他者が近寄るのを拒みながら、それでも誰かのために身を削り続ける。

 彼は衛宮士郎を主人公と称したが、私から見れば彼の方こそライトノベルか何かのヒーローに見える。

 

 まったく、本当にどこまでも――――気に入らない。

 

 目を覚ました衛宮士郎は、案の定と言うべきか、間桐慎二とライダーを捜しに行くと言い出した。

 比企谷八幡が既に予想していたこともあり、特に反対意見もなく捜索が開始された。

 その際の会話で分かったことだが、セイバーは衛宮士郎のことを、信用はしていても信頼はしてないらしい。どうも令呪の機能不全の事を、マスターにすら隠しているようなのだ。

 正直これは予想外の幸運だった。これなら私にとっての天敵とも言えるセイバーは、そう遠くないうちに勝手に自滅する。

 なお、衛宮士郎は衛宮士郎で「女の子が戦うのは賛成できない」みたいな事を言ってセイバーが戦うのに反対していたらしいが、今回の事で考えを改めたようだ。それも肝心のセイバーがこれでは何にもならないが。

 私と遠坂凛の二人で魔力の残滓を辿った結果、ライダーは橋の向こう、新都に潜伏しているらしいことが判明した。

 そこで眼の利くアーチャーが冬木市全体を監視できる橋の上から出入りを見張り、その間に私達とセイバー達が二手に分かれて街中を捜索することになった。のだが……

 

「……あの、八幡様」

「なんだ?」

「手分けして捜すのなら、もう少し離れた方が効率的だと思うのですが」

 

 私達は今、セイバー達をストーキングしていた。それも100m以上も距離を置き、隠行した上で視覚強化まで使うという徹底ぶり。

 

「まぁ捜索範囲って点で考えればその通りなんだろうけどな」

「何かあるのですか?」

「いや、俺らだけだと、もし見つけても返り討ちに遇うだけなんじゃねえかなと」

 

 ……まぁ、その通りではあるのだが、ここまでハッキリ言われるとさすがに腹が立つ。

 

「それに、わざわざ捜さなくても向こうから現れてくれるさ」

「何故ですか?」

「衛宮の話だと、間桐は俺と同じように魔術回路を持たないマスターらしい。となると、サーヴァントの存在を維持するために他人から魔力を奪わなきゃならん。お前と同じようにな」

「そうなりますね。あの結界はそのための物でもあったのでしょう」

 

 以前、私の魔力集めとは別に、魂食いの犠牲となった人間が出ていた。あれはおそらくライダーの仕業だったのだろう。それで集めた魔力を基に結界を敷き、さらに大量の魔力を獲得しようとしたのだろう。

 

「ああそうだ。だが学校の結界は潰した。間桐は別の場所で魔力を蓄え直さなきゃならん。だけどあの結界には大がかりな準備が必要だ」

 

 あの人食い結界は、起動に必要な魔力量の他にも問題点がある。あらかじめ複数の基点を設置しなければならないことだ。そして……

 

「……学校の基点を見つけたのは、ほとんどが士郎様という話でしたね」

「ああ。衛宮には基点を探して、見つけ次第魔力を抜き取るように指示してある。そうすりゃ間桐には魔力の再充填はできない。魂食いで補充すれば騒ぎになってすぐ見つかる。ライダーはもうジリ貧だ。間桐の精神状態を考えれば、そう時間をかけないうちに痺れを切らす」

 

 なるほど、合理的だ。しかし……

 

「それだと士郎様に危険が及ぶのでは?」

 

 そうなれば敵はまず衛宮士郎を叩きたいと考えるだろう。そしてライダーは機動力に優れたクラスだ。奇襲能力にかけてはアサシンやアーチャーにも匹敵する。

 

「……セイバーは白兵戦にかけては最強だ。滅多なことじゃやられたりはしない。そして本来弱点になる筈のマスターは不死身ときてる。囮としてこれ以上優秀な二人は考えられん」

 

 衛宮士郎の不死が信頼できるものと知って、最大限に活用することにしたらしい。

 根本が甘いくせにその辺りの取捨選択ができてしまうのがこの男の厄介なところだ。

 そうこうしてる間にも、セイバー達の探索は続いていた。既に三つの基点を発見して魔力を抜いてある。正直異常とも言えるペースだ。

 新都に入って半刻と少しが過ぎた頃、衛宮士郎が四つ目の基点を発見した。彼がそこに近づいたその時。

 

 ギンッ!

 

 セイバーが突然見えない剣を振るい、飛来した何かを弾き返した。セイバーの視線を追った先には――

 

「なんじゃありゃ……」

 

 比企谷八幡が唖然とした声を漏らす。

 そこには、黒く露出の高い衣装に、奇妙な目隠しを身に付けた女が、ビルの壁面に直立していた。

 直立、である。

 張り付くとかぶら下がるとかではなく、重力を完全に無視して真横に『立って』いる。

 セイバーが動いた。

 女の立つビルに向かって跳躍すると、その壁面を蹴って、ライダーとデッドヒートを繰り広げながら上へ上へと登って行く。

 心の中で「ゲームキャラか」と突っ込んでいるうちに、衛宮士郎もセイバーを追ってビルへと入って行ってしまった。

 

「……どうなさいますか?」

 

 とりあえず聞いてみる。正直割り込める気がまったくしないのだが。

 

「……とりあえず行くか。何もできんかもしれんが、何かはできるかもしれん」

 

 まぁ行くだけならタダだし。アーチャーも向かっているだろうし、負けたりはしないだろう。



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遭遇

 上から感じたそれに、狭い通路の闇の中で顔を上げる。

 

「……へえ。使ったんだ?」

 

 この魔力の波動は聖剣。10年前にも覚えがある。もっともその時とは出力が桁違いだが。

 

「認めたのね、セイバー」

 

 セイバーが聖剣を解放したということは、シロウを真の意味でマスターと認めたということだ。

 嬉しさに笑みが込み上げる。

 

「……フフ。ようやく敵になってくれたわね、シロウ」

 

 彼は今まで、自分の復讐の対象として弱すぎた。それではなんの面白味も無い。

 だけど今、セイバーに認められたことで、ようやく自分に対抗しうる力を手に入れた。

 やはり復讐はこうでなければならない。激しく抵抗する獲物を仕止めてこそ、自分と母を捨てた父への報復となりうる。

 さあ、準備を進めよう。

 わたしと母の復讐に相応しい舞台を整えよう。

 どのようなシチュエーションにするべきか、考えを巡らせる。と、それを妨害するようにして、海藻のような頭をした男がドタドタと騒音を撒き散らしながら現れた。たしかライダーのマスターだった男だ。

 

「ちくしょう……!ちくしょう……!何が私の宝具は他を圧倒しているだ!あっさりやられやがって役立たずめ!」

 

 ライダーを失って逃げ出してきたらしい。見苦しい。

 

「って!?な……なんだよ!?なんでこんなところに壁があるんだよ!くそ!くそ!バカにしやがって!」

 

 わたしのサーヴァントにぶつかって、見当違いの悪態をつく。

 わたしのサーヴァントは巨大だ。

 身長3メートルを超える巨人。岩のような筋肉(実際には岩などより遥かに頑強だが)に覆われたその体躯は、暗がりの中では壁と間違えるのも無理はない。

 とはいえ、醜く喚きながらサーヴァントを殴りつける男の姿は、滑稽の一言に尽きた。

 知らず、ため息が漏れる。

 

「っ!?な、なんだ!?誰かいるのか!?」

 

 それが聞こえたらしく、面白いほどに狼狽する。

 

「だ、誰だ!出てこいよ!?」

 

 別に隠れてなどいないのだが。

 サーヴァントの陰になっているとはいえ、見落とすほどではない筈だ。が、ライダーのマスターは錯乱しているらしく、わたしに気付くことはない。

 ……見たところ令呪も失っているようだし、殺す意味は無さそうだ。かと言ってわざわざ見逃す理由も無い。何より、この男は見ていて不快だ。

 

「バーサーカー」

 

 自分のサーヴァント、バーサーカー『ヘラクレス』に一言だけで命じる。

 

「あ……あああぁぁぁ!?」

 

 バーサーカーが一歩踏み出したことでようやく状況を理解したらしく、耳障りな金切り声を上げる。思わず耳を塞ぎたくなったが、それは少々優雅さに欠ける気がする。

 ライダーのマスターは逃げることすら忘れて棒立ちになっていたが、バーサーカーが右手に握った斧剣を持ち上げるのを見て再び悲鳴を上げた。

 

「あ……わ……あ……わああぁぁぁあぁあ!?」

 

 うるさいなぁ……。

 

 バーサーカーが斧剣を降り下ろす。

 ともあれこれでお仕舞い。少し気分が悪くなった。帰ってお風呂に入ってサッパリしよう。

そう思って振り返ろうとし、気付く。

 

「は……ひ……あ、あれ?」

 

 ライダーのマスターが……生きている。

 避けた?そんなわけが無い。

 ならばバーサーカーが空振り?それこそ有り得ない。

 ライダーのマスターは、涙で顔をぐじゃぐじゃにして腰を抜かしている。その後ろ襟が不自然な形に伸びていた。

 ライダーのマスターのすぐ後ろの空間が、揺らぐ。

 

「……どうして飛び出しちゃうんですか。せっかく気付かれてなかったのに」

「いや、見殺しにするわけにもいかんだろさすがに」

 

 その揺らぎから滲み出るようにして、一組の男女が姿を現した。

 

「それで、ここからどうするんです?倒すんですか、アレ」

 

 ファーのついたミルク色のコートにジーンズのミニスカ、肩から大きめのスポーツバッグを下げた短い銀髪の女が、責めるような顔で男に問う。

 

「ムチャ言うなよ。何も悪いことしてなくても土下座するぞあんなモン」

 

 黒い、袖口の広いジャケットを羽織った目の腐ったその男(……アンデッド?)は、掴んでいたライダーのマスターの襟を引っ張り、自分の後ろに下がらせながら立ち上がった。ワカメ頭はバランスを崩して後ろに転がり「プギャ」とか言ってた。

 どうも魔術で姿と気配を隠して潜んでいたらしい。まったく気付かなかった。……さすがに仕掛けられればバーサーカーが反応したとは思うが。

 現代風の出で立ちをしてはいるが、女の方はサーヴァントだった。

 シロウは確か、最近キャスターを味方に着けた筈だ。ということは、こいつが裏切りの魔女か。

 魔術の腕前はさすがといったところか。そのマスターであろう、リビングデッドっぽい男が口を開いた。

 

「あー、念のために聞くけど、見逃してくれる気とかあります?」

「?」

 

 何を言っているのだ、この男は?

 確かにキャスターは雑魚だし、そのマスターにいたっては魔術師ですらないという話だが、だからといって目の前の敵を見逃す理由になどなる筈がないではないか。

 

「……いや、そこまで心底不思議そうにされるとなんか困るんだが。どっかズレてんのかこのロリッ娘」

 

 ……何かバカにされた。確かに年齢に比べて若く見えるだろうがロリとはなんだ。腹いせも兼ねてさっさと倒してしまおう。

 バーサーカーを一歩進ませる。

 

「……なんかやる気出してきましたよ?」

「やる気っつーか殺る気だな。……普通にやって逃げ切れると思うか?」

「無理でしょうね」

「ですよねー」

 

 左足を退いて軽く半身に構えるゾンビを先頭に、軽口を叩きあうキャスター達。随分余裕ではないか。

 

「……『保険』は持ってきてるよな?」

「はい、勿論。使う気ですか?」

「もったいないけどしゃーねえ。……こんな早く使う羽目になるとはな」

 

 ……わざわざ聞こえるように話しているのはどういうつもりなのだろうか?

 こちらの警戒を煽って出足を鈍らせるつもりか。それとも聞かれても関係無いタイプ、あるいは知られている事を条件に効力を発揮する切り札なのか。

 まぁどれであったとしても関係無い。わたしのバーサーカーの前には等しく無力だ。

 わたしは暇ではないのだ。早く帰って次のことを考えなければならない。そのためにバーサーカーに命令を下そうとした、その矢先。

 

「跳べ!」

 

 わたしの機先を制する形で、ゾンビ風の男が叫びを上げる。お陰でわずかに反応が遅れた。

 その声を受けてキャスターが動く。身を起こしていたライダーのマスターを肩に担ぎ上げ、後ろに走る。その先にあるのは小さな窓。

 キャスターは男一人を抱えたまま、躊躇無く窓を突き破って飛び降りた。

 一方ゾンビ男は、叫ぶと同時に身体の後ろに隠していた左腕を振るって何かを放り投げていた。

 それは一本の瓶。中には何かの液体が入っていて、その口に詰め込まれた布のような物には火が着いていた。

 火炎瓶というやつか。下らない。自分の身体で隠しておいてキャスターに準備させたのだろう。

 バーサーカーはそれを、蚊を潰すように左の平手で壁に叩きつける。火は燃え広がることもなく、あっさりと消えた。

 わたしはバーサーカーに追撃の命令を出さなかった。何故なら逃げたのはキャスターだけで、肝心のマスターがその場に残っていたからだ。

 

「……なんのつもり?」

「さて、なんだろうか……ね!」

 

 男は言葉と同時、右の袖口から警棒を取り出すと、間髪入れずわたしに向かって投げつける。それと同時に、身を低くして突進してきた。

 無謀な。

 ヒロイズムというやつなのだろうか。ライダーのマスターを助けた事といい、キャスターを逃がした事といい、馬鹿げた英雄願望に振り回されているようだ。

 バーサーカーは、自分の脇をすり抜けようとする警棒を左手で叩き落と――そうとして動きが止まり、一拍遅れて右の斧剣で切り飛ばす。

 巨体のバーサーカーが狭い通路で横凪ぎに武器を振るった為、斧剣はコンクリートの壁に突き刺さってしまった。

 見れば、ガラス瓶の破片が混じった、見るからに粘性の高い何かがバーサーカーの左手と壁とを結びつけていた。

 

 とりもち……!火はフェイクか!

 

 男は速度を落とすことなく、わたしに真っ直ぐ向かってくる。

 バーサーカーの両腕は封じられている。その隙にならマスターのわたしを抑えられる。

 

(とでも思ったのかしら)

 

 バーサーカーは、右手は武器を手放せば済む話だし、左だってバーサーカーを抑え込むにはまったく足りない。

 仮に、この接着剤がバーサーカーでも引きちぎれないような代物だったとしても、バーサーカーの膂力には壁の方が耐えられない。

 また、わたし相手ならばどうにかできると思われているのも業腹だ。

 確かにわたしは外見的にはやや幼く見えるかもしれないし、バーサーカーに比べれば弱いのも間違いないだろう。だがそれでも、多少強化されただけのただの人間にどうにかされるほど無力でもない。

 

 さて、どうするか。

 

 叩き潰すのは簡単だが、普通にやったらこの男の策略を見抜けなかったみたいで、なんか癪だ。

 と、いうわけで、おそらくこの男が予測していないであろう方法で迎撃することにした。

 男はバーサーカーの右脇、壁に刺さった斧剣の下を潜ってわたしに迫るつもりのようだ。

 バーサーカーなら、単なる拳の一撃が並の宝具を凌駕する。だから武器を手放して素手で攻撃するのがセオリーだろう。が、今回はあえてそのセオリーを無視する。

 バーサーカーはわたしの命令に従い、壁に刺さったままの斧剣を強引に振るった。

 コンクリを抉り、鉄筋を引きちぎりながら己に迫る斧剣を見て、男の腐った目が驚愕に見開かれる。慌ててブレーキをかけるがもう遅い。

 男は左腕で防御の姿勢を取るが、単なる反射的なものであって、それで防げるなどとは思っていなかっただろう。

 当たり前だが、お構い無しにバーサーカーの右腕は振り抜かれる。

 斧剣が通り過ぎた後には、身体を上下に引き裂かれ、その中身を無惨に撒き散らす――――ぬいぐるみ。

 

「!?」

 

 直後。

 爆音がビルを揺るがした。

 

 

 

 立ち込める黒煙に咳き込む。耳が痛い。鼓膜は破れてはいないようだが。

 すぐそばの瓦礫に白っぽい物が引っ掛かっていた。熱で溶けかけた、ナイロン製のウサギの耳。

 それを手に取って、呻く。

 

「けほっ……リバースドールね、やってくれるじゃない……!」

 

 完全に不意を突かれた。バーサーカーに庇ってもらわなければやられていたかもしれない。

 人形というのは、元々人間の身代わりにするために作られた物だ。だから人形を使った魔術・呪術は世界中に存在する。この国ならば丑の刻参りが有名だろう。藁人形と五寸釘のアレだ。

 リバースドールというのはそうした人形の呪いを逆転させたもので、人間が受けた被害を人形に肩代わりさせる魔術の総称だ。

 先ほどのは転移の魔術と組み合わせたハイレベルなアレンジで、マスターが傷を負った瞬間に丸ごと人形と入れ換えてしまうという離れ業だ。さらにはご丁寧に、身代わり人形の中に爆弾を仕込んであったらしい。

 倒したと思った瞬間に、意表を突いた上で反撃がくる。凄まじく底意地の悪いトラップだ。一体どんな人格破綻者が考えついたのか。

 マスターが残ったのは、人形を遠くに運ぶ時間を稼ぐためだったか。今からでは追い付くのは難しいだろう。

 通路は爆発でメチャクチャになっていた。

 あの音ではビル全体の窓が割れているかもしれない。外も結構な騒ぎになっている筈だ。シロウとセイバーにも気付かれただろう。

 ……二人は今、消耗している。戦えば倒すのは簡単だろう。だが折角の復讐がそれでは、あまりにも味気ない。

 

「……いいわ、今日のところは退いてあげる。顔は覚えたわよ」



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離脱

 その少女は、少年が思っていたような存在ではなかった。
 強くなどなかった。
 超然となどしていなかった。
 ただ必死で、そう在ろうと繕っていただけだったのだ。かつての自分と同じように。
 届かぬ理想を追い求める少女を。
 不様にあがき続けるその姿を。
 少年は。
 やはり美しいと思った。
 だから、自分も貫くことにしたのだ。
 己の信じる最良を。全体にとって、もっとも価値のある選択を。
 それは他人には、少年が己を犠牲にしているように見えたかもしれない。
 しかし少年は、単に効率を最重視しただけなのだ。
 自分が行動しなければ、別の誰かが不幸になることを知っていた。
 その誰かが複数であるなら動くべきだ。
 不幸になるのが自分一人なら、その方が幸せの総量は多い筈なのだから。
 その判断の基に、少年は何度も泥を被った。
 それが、彼自身の嫌う欺瞞であることに目を瞑りながら。


 どさり、と音を立ててゴミ捨て場に落ちる。

 うず高く積まれたゴミ袋がクッションになったため、衝撃はそれほどでもなかった。代わりにバランスを崩して転げ落ちたが。

 ゴミ袋の中身は、幸いにも生ゴミではなく布の端切れやビニール袋などで、それほど不快さは感じずに済んだ。

 

「あ、ひ、ひいぃぃっ!」

 

 そんな悲鳴を上げて、ライダーのマスターが逃げ出した。

 ネオンの光と人混みの気配に我を取り戻したらしい。這って私から距離を取りながら立ち上がり、そのまま大通りへフラフラと駆けていく。

 ……あの様子では警官に補導されるかもしれないが、そこまでは知ったことではない。なんにしても殺されるよりはマシだろう。

 ライダーのマスターはそのまま捨て置くことにする。それより問題はこっちだ。

 私はスポーツバッグを肩にかけ直し、ワカメとは反対方向に駆け出した。

 バーサーカーは比企谷八幡が抑えている。とはいえ、当たり前だが長くは持つまい。一分稼げれば御の字だろう。その間にわずかでも距離を取る必要がある。

 しかしここでも注意しなければならない点があった。

 このスポーツバッグには切り札の一つが入っている。比企谷八幡考案の身代わり爆弾人形だ。

 戦線からほぼ確実に離脱できる強力な保険ではあるが、当然のごとく万能というわけにはいかない。有効距離が短いのだ。

 正確に測ったわけではないが、直線距離で数十メートル程度。少なくとも百メートルには届かなかった筈。だから今回のように外を出歩く時にはわざわざ人形を持ち歩かなければならない。

 フィールドによるサポートがあれば射程を拡大することも可能なのだが、こうした遭遇戦ではどうにもならない。ただ、壁やなにやらの影響は受けないため、高低差や障害物を利用すれば単純な数値以上の効果を発揮することはできる。

 もっとも今回の場合、そもそも射程外まで逃げる事は時間的に不可能だろう。だからただ全力で逃げればいい。

 

 ビルの隙間でいくつかの角を折れた時のことだった。

 唐突にバッグが重くなる。身体強化していなければ取り落としてたところだった。そしてそれからわずかに遅れて背後から爆音が響いた。

 どうやらリバースドールは無事に起動したらしい。複数用意できればよかったのだが、材料と製作時間の問題で一つしか作れなかった。そのため動作確認なども行えず、実は少々不安だったのだ。

 そして今回で、準備期間中に用意した魔術的な手札は使い切ってしまったことになる。終末の泥はある程度回収したが、さすがにもう使える場面があるとは思えないし。

 隠行をかけてから立ち止まる。スポーツバッグを地面に下ろしチャックを開けると、既に見慣れた腐れ眼と目が会った。これ、ビックリ箱か何かにすれば…………いや、駄目か。こんなの子供が見たら間違いなく泣き出す。

 スポーツバッグに生えたゾンビ顔に声をかける。

 

「ご無事で」

「おう。とりあえず開けてくんねえか?出られん」

 

 要求に答えてチャックを下ろそうとして、引っ掛かる。開かない。

 

「……おい?」

「壊れたみたいですね。大き目の物を選んだつもりでしたが、やはり人が入るには小さかったようです」

「ようですじゃねえよ。なんとかしろよ」

「せっかくですしこのまま運びましょうか?間違ったマスコットキャラみたいで可愛いですよ?」

「間違ったっつってんじゃねえか。つうか肩震わせて笑いこらえてんじゃねえ。ったく、よっ…と」

 

 比企谷八幡が、折り畳むようにしてバッグに収まっていた身体を無理矢理動かす。ブチブチと音を立ててチャックの部分が千切れていった。もうこれは使えなさそうだ。安物だからいいけど。

 比企谷八幡は壊れたバッグの奥からノートパソコンを取り出し私に渡してきた。

 

「……っ、PCを開けろ。操作方法は分かるな?」

「分かりますけど、ご自分でなさった方が……どうなさいました?」

 

 様子がおかしい。表情は変わらないが脂汗を浮かべている。左腕を庇っているように見える。

 

「……腕、見せて下さい」

「折れてるだけだ。それよりバーサーカー達の様子を探れ。隠れてる間にロッカーの後ろにマイクをねじ込んでおいた。使い魔の方はどうだ?」

「だけって……、大変じゃないですか!すぐに治療しないと!」

 

 リバースドールの発動のタイミング。その設定が、実は結構難しい。

 感度を高くしすぎると、日常のちょっとした怪我で反応してしまうし、かといって下げすぎると肝心な時に作動が遅れ、入れ替わるまでに大怪我を負うなんてことにもなりかねない。

 今回の設定では、一度に2cm以上皮膚を損傷した場合に効果を発揮するようにしてある。そしてそれは正しく機能した。つまりバーサーカーの攻撃は、リバースドールが発動するまでの、ほんのわずかなタイムラグの間に骨まで達していたということになる。

 さすがは最強のサーヴァントといったところか。部位が腕でなければ、致命とはいわずとも結構な惨事になっていた可能性もある。

 比企谷八幡は厳しい表情のままで私の申し出を拒絶した。

 

「向こうを確認する方が先だ。セイバーは消耗してる。今襲われたらヤバい。対策を練る必要がある」

 

 ……こんな時でも、こいつは……!

 

「……使い魔は爆発にやられました。細かい指示をお願いします」

 

 反発しそうになる心を押さえ付けて承諾の旨を返す。

 必要な機能は基本的にすぐ使えるように設定してある。だからスリープ状態から復帰するのを待ってクリックするだけでよかった。

 マイクが爆発でダメージを受けたのか音割れが酷い。が、それでもどうにか機能はしているようだ。

 

「……どうやら、バーサーカーのマスターは退くつもりのようです」

「……爆弾が効いたのかね。怪我でもしたか?」

「いえ、そういう様子は感じられませんが」

「……盗聴に感づいてる気配は?」

「それも無いと思います」

「気分屋なのか……?ま、退いてくれるってんならありがたい。衛宮達は遠坂に任せて俺達は離れよう。バーサーカーと鉢合わせるとまずい」

 

 言って立ち上がる。

 私はそれを留めようと声をかけた。

 

「八幡様、それより治療を」

「ああ、頼む。でも移動が先だ」

「……分かりました。急ぎましょう」

 

 その判断は正しい。治療したところで、バーサーカーに捕まってしまえば何にもならないのだから。ここはまだ安全圏にはほど遠い。

 とはいえ、いくらなんでも冷静すぎはしないだろうか。そうなるように調整してあるとはいえ、いきすぎな感は否めない。

 なんにしても今は逃げるのが先だろうが。

 私はノートパソコンと広げた小道具を壊れたバッグに詰め込むと、先を小走りに進む比企谷八幡を追って走り出した。



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月下

 私は帰りたかったのだ。

 東へ。
 ただ東へ。
 それだけを思って歩き続けた。
 故郷が滅んだことは、風の噂で聞いていた。
 それでも私は東を目指して歩き続けた。
『後は好きにしろ』
 夫の遺した、その最後の命令に従って。

 私は帰りたかったのだ。
 家族の眠る、故郷へ。

 街を越え。山を越え。草原を越え。
 私は食べることも、休むこともなく、ただひたすらに歩き続けた。
 そして獣すら寄り付かない、陽の光の届かぬ深い森の奥で、私は倒れた。
 なんのことはない。張り出した樹の根に躓いただけだ。
 しかし私には、そこから再び立ち上がる力は残っていなかった。

 私は帰りたかったのだ。
 帰って父様と弟のお墓に、ただ一言「ごめんなさい」と謝りたかっただけなのだ。

 倒れたまま動けぬ私の頬を、温かい滴が濡らした。
 私は、『それ』が何なのか分からなかった。
 否、知っていた筈なのだ。本当は。
 あまりにも長い間その感触に縁が無かったため、思い出せなかっただけなのだ。
『それ』は、自分が一四の時にさらわれて以来、十数年の間一度も流すことの無かった物だ。
 けれどそれ以前の自分は、沢山『それ』を流していた筈なのだ。

 闇深い森の中で。
 見守る者もない静寂の中で。
『それ』が涙であると思い出す、その前に。
 私は、獣にすら看取られることの無いまま。
 その短い人生に、静かに幕を下ろした。


 他の連中が寝静まった頃。俺は縁側で胡座をかき、月を見上げていた。

 下弦の半月に左手をかざし、握ったり開いたりを繰り返す。

 

 大したモンだな、魔術ってのは。

 

 つい1時間前まで、この腕は折れていた筈なのだ。

 それがすっかり元通り。もはやその陰すら見えない。

 ライダーとの戦いの後、セイバーは倒れてしまった。

 ライダーの正体は結局分からなかったらしいが、奴の宝具は幻獣・ペガサス(より厳密にはそれを操る手綱)だったそうだ。騎兵は騎兵でもペガサスナイトだったらしい。

 ファンタジー系のシミュレーションゲームだと、飛行ユニットってのは移動力が高い代わりに弱点が多くて結構狙い目の敵だったりする。が、実際に戦うと空を飛べるというのはそれだけで圧倒的に有利っぽい。

 実際セイバーは、ペガサスに乗ったライダーに対して手も足も出ず、切り札である聖剣を使わざるを得なかったようだ。

 聖剣は強力な宝具だ。バーサーカーから隠れてたせいで直に見ることはできなかったが、魔術を使えない俺が、壁越しによく分からない圧力を感じるほどには。

 遠坂の話では街の一画が消し飛ぶくらいの威力はあったらしい。それホントに剣なの?山羊座の黄金聖闘士だってもうちょい剣っぽかったよ?

 当然ながらコストもそれに見合う莫大なものであり、セイバーは魔力を消費し過ぎて消滅寸前のところまでいってしまったそうだ。

 どうにか存在を留めてはいるが問題はその後で、セイバーは令呪からの魔力供給を受けられず回復できないようなのだ。なんでも召喚時の事故の影響ではないかとのことだが、ホントに事故率高すぎだろ。聖杯ってのは結構いい加減な代物なのかもしれない。

 今はメディアが遠坂から借りた宝石を使って魔力を分け与えた為、小康状態に落ち着いている。遠坂も知らない魔術だったらしく、目を剥いていた。

 とはいえ全快にはほど遠く、根本的な対処をしなければまた同じ事が起こる。現在その方法を模索中である。

 

 雲一つ無い夜空から投げ掛けられる月光を浴びる身体に、不意に震えが走る。

 

 自分に迫るバーサーカーの巨大な刃。それを思い出した。

 前回より効果が弱まるのが早い。またかけ直してもらわなければ。

 準備が万全でなかったのもあるだろうが、きっとセイバーの剣とは違って目に見えてしまっていたのも大きいのだろう。精神的な負担が大きいと綻びるのも早くなるようだ。

 俺は聖杯戦争に参加するにあたって、戦闘が予想される場面に赴く時には、メディアに身体強化とは別にもう一つ魔術をかけさせていた。催眠暗示だ。

 それによって心を無理矢理ニュートラルな状態に固定している。この状態なら常に冷静でいられるし、痛みも無視することができる。あくまでも無視なので、結局はやせ我慢と変わらないのだが。

 お陰で恐怖に萎縮することも錯乱することもせずに済んでいるのだが、それでもやはりどこかしらに負荷が掛かっているのだろう。昨日今日と一睡もできていなかった。

 どうにか心を鎮めようとここでこうしているわけだが、そもそも恐怖を感じることができないため、効果があるのかどうかも分からない。

 そうして1時間ほど月を眺めた頃だったろうか。

 

「何をしている?」

 

 そんな声をかけられたのは。

 振り返れば、赤い外套の騎士がすぐ隣に立っていた。

 

 赤い騎士、アーチャー。

 正直俺はこの男が苦手だった。

 正体が分からないというのも勿論だが、それ以上にどこか油断がならない。

 衛宮はあの通りの性格だし、セイバーと遠坂も、厳しい事は口にしても根本的にはお人好しの部類に入る。過程がどうあれ、一度身内と認識させてしまえば向こうから裏切ることは無いだろう。

 だけどこのアーチャーだけは別だ。こいつはおそらく、行動から感情を完全に切り離せるタイプだ。俺が遠坂にとって害悪だと判断すれば容赦なく切りつけてくるだろう。

 俺はアーチャーのことを、メディアの次に警戒していた。今さらだけど身内が一番信用ならないってどういうこと。

 

「月、見てんだよ。見りゃ分かんだろ」

 

 アーチャーの問に簡潔に答える。するとアーチャーは意外そうな顔をした。どういう意味だおい。俺が月見するのがそんなに似合わんか。

 

「……似合わんな」

 

 言いやがったこの野郎。

 

「……お前ら(イケメン)は唾を吐き鼻で笑い信じられぬと叫ぶだろうが、ぼっちにも月を美しいと思う感情は……在る」

「……それもアニメか?」

「いや、漫画」

 

 美川先生、一生大ファンです。

 意外なことにこのアーチャー、稀にアニメネタに反応することがある。と言っても、ドラえもんとかサザエさんとか、いわゆる国民的と呼ばれる、超が付くレベルで有名な作品のネタにたまに、程度だが。

 アーチャーは、もしかしたら割と近代で生まれた英雄なのかもしれない。聖杯はあらゆる時代に干渉できるとのことらしいので、それこそ未来の英雄という可能性も十分有り得る。まぁ、仮にそうだった場合、どんなに考えたところで正体が分かる筈はないので仮定する意味は無いのだが。

 

「んで?あんたこそ何の用だ?」

 

 前述の通り、アーチャーは油断がならない。それは逆に、味方として警戒に当たらせた場合、非常に信が置けるということでもある。

 だからきっと、今この瞬間に襲撃があるようなことは無いのだろう。それでもアーチャーがわざわざ見張りの任を放棄してここに居るからには、俺に何かの用事があるからだと考えるべきだ。

 

「礼を言っておこうと思ってな」

「礼?」

 

 こいつに感謝されるような事、なんかあったか?

 

「ライダーのマスターを助けたらしいな」

「……まぁ、結果的に。それでなんであんたに礼を言われなきゃならん?」

「あんな男ではあっても私のマスターにとっては級友だからな。殺されたとあっては動揺しないわけにはいかんだろう」

「……遠坂がそんなもんで平静を崩すタマとは思えんのだが」

「あれでも年頃の多感な少女だ。何も思わんというわけにはいかんさ。例え押し殺すのがどんなに上手かったとしてもな」

 

 ……言われてみればそれもそうか。なんか身近に年齢不相応なキャラが多すぎて色々麻痺してるのかもしれん。

 

「あぁ、まあ、分かった。助けちまったのはただの成り行きだから借りとかは考えなくていい」

 

 借りとかちょいと自意識過剰かとも思ったが、そう答えて月見に戻る。が、アーチャーは見張りに戻らずその場に居残った。仕方なく声をかける。

 

「……何だよ。まだなんかあんの?」

「……何故、ライダーのマスターを助けた?」

「あ?」

 

 いきなり何言ってんだこいつ?

 

「黙って隠れていればバーサーカーはやり過ごせた筈だ。何故わざわざ己を危険に晒すような真似をした?」

「……さっき言ったろ。ただの成り行きだ」

「脱出のために使った人形。あれは我々と戦った時に言っていた保険だな?あれは一見地味だがおそろしくハイレベルな魔術が使用されている。いくらキャスターでもそう幾つも用意できる物ではない筈だ。そんな切り札を消費してまで助ける意味がどこにあった?」

「だから成り行きだって言ってんだろが。目の前で誰かが死にそうになってて、自分ならなんとかできる。なら助けるだろ、常識的に」

「しかし対象は己の都合のために多くの無関係な人間を巻き込もうとした男だ。助けてしまえばまた同じ事をしでかすかもしれん。もしそうなれば、一人の命を救った代償に多くの命が失われる事になる。ならば君のした事は間違いになるのではないか?」

 

 めんどくせえ奴だなオイ。英雄ってみんなそんなこと考えながら戦ってんの?

 

「咄嗟に動くって時に、んなこと一々考えるかよ。大体間違いの何が悪い」

 

 その言葉にアーチャーは虚を突かれたような顔をする。

 

「……間違っても、良いのか?」

「別に構わんだろ。人にできるのは精々、その時その時で正しいと思う選択を採り続ける程度で、それが本当に正しいかどうかなんて後にならなきゃ分からないんだから」

 

 アーチャーは俺の言葉に思案するような顔を見せて、再び口を開く。

 

「しかしそれで失敗したなら後悔するのではないか?」

「後悔しない生き方なんかできるかよ。そもそも後悔ってのはどういう時に生まれるもんだと思う?」

「致命的な失敗を犯した時だろう」

 

 即答するアーチャー。ま、普通そう思うよな。しかし俺はそれを否定した。

 

「違う。何かを選択した時だ。何故なら後悔ってのは、選ばれなかった可能性に対する未練だからだ」

「フム……?」

「なら何かを選んだ時点で後悔ってのは生まれるもんだろ。成功失敗が影響するのはその後悔の大きさだ。後悔せずに生きられる奴なんてのは、自分の選択に何の疑問も抱かないクズか、でなけりゃ自分では何一つ選ばないゴミかのどっちかだ」

「……なるほど。一理あるな」

 

 アーチャーは一つ頷くとまた口を開いた。

 

 

「ならば君は、今の状況にどの程度後悔しているのだね?」

 

 

「……悪いが何の話か分からない」

「その最後の令呪を何故使わなかったのかと聞いている」

 

 ドクン、と心臓が脈打つ。

 

「……使わなきゃならん局面なんか無かったろ」

「とぼけるな。最後の令呪を使えば貴様の目的とっくに果たせていた筈だ。思い着かなかったとは言わさん」

 

 あー、なーる。そういうことね。それで俺を不信に思ったと。

 そして同時に思い知る。やっぱ俺が思い着く程度のことなら他の誰かも思い着くんだな。

 

「だがその道も、今回のことで断たれた。目的とやらが本当に昨日語った通りならば、今日の行動は有り得ない筈だ。答えろ、一体何を企んでいる」

 

 さて、どうしたもんか。

 正直アーチャーの懸念はまったくの的外れなんだが、こいつを納得させられる言葉を俺は持っていない。

 俺は考え考え言葉を紡ぐ。

 

「……例えばだ、ある街で凶悪な伝染病が流行ったとする。勿論死ぬやつな?」

「……突然なんだ?誤魔化すつもりか?」

「まぁ聞け。そんな中で、ある一人の女の心臓を薬として使えば街の全員が助けられるとしたら、あんたはどうする?」

「その女を殺して心臓をえぐり出す」

「……まさか即答されるとは思わなかったぞ」

「街の全住人と女一人の命を秤にかけるわけにはいかん。迷う余地などあるまい」

「いやまあその通りなんだけどよ。もちっとこう……まぁいいか。とにかく女を殺すのが正解だ。それは間違いない。だけどそれは、別にその女を殺したいわけじゃねえんだろ?」

「……そうだな。あくまで二つの選択肢を比べて犠牲の少ない側を選んだだけだからな」

「だろ?その女だって、助けられるなら助けるよな?」

「その通りだが……その質問は貴様の行動と何か関係があるのか?」

「……すまん。よく考えたらあんま関係なかったかもしれん」

 

 アーチャーはため息を吐いて緊張を解いた。

 

「……つまり、貴様自身もよく分かってないということだな?」

「悪い……」

「もういい。少なくとも、我々に下らん悪意で近付いたわけではないことは分かった」

 

 え?あんなんで?

 アーチャーは、話は済んだとばかりに背を向けた。

 

「一応忠告だけさせてもらおうか。君のその感情はまがい物だ」

 

 そして振り返りざまにそんな言葉を投げ掛けてきた。

 

「それは傍目には優しさに見えるかもしれん。だが『それ』の本質は、もっと醜悪な感情に根付くものだ。何より相手はサーヴァント。聖杯の産み出した泡沫の夢。いくら人の如く振る舞ったところで、それは結局偽物にすぎん」

「……」

 

 アーチャーの言うことは解る。俺の感情が間違ったものだということも。相手が人間ではないことも。だけど。

 

「……本物と、本物と遜色のない偽物。より価値があるのはどっちだと思う?」

 

 俺は、立ち去ろうとするアーチャーに、そんな質問をぶつけていた。

 アーチャーは首だけで振り返り、怪訝な顔をしながらも律儀に答える。

 

「無論、本物だろう」

「普通そう思うよな。だけど、偽物でしかない物が、本物に負けないようにと努力を重ねて本物に並び立ったのならば、それはきっと本物よりも価値がある筈だ。ソースは貝木泥舟」

「貝木……誰だ?」

「ラノベのキャラ」

 

 よほど意外だったのだろうか。それを聞いたアーチャーは目を見開いて硬直し、次いでうつむき細かく震え出す。そして次の瞬間には笑い出していた。

 

「ハ、ハハハハハッ!このタイミングでラノベときたか!ブレないな、君は!」

 

 うむ。受けるってのは気分が良いものだ。

 

「クク、ク。物の真贋に拘る方ではないが、まさか偽物の方が価値があるなどと言われる日が来るとは思わなかったぞ」

「ラノベも案外捨てたもんじゃねえだろ?」

「ああ、本当にな。今度機会があれば読んでみよう。何かお奨めはあるか?」

「人の好みはそれぞれだから一概にどれが良いとは言えないんだが……とりあえず貝木は化物語ってシリーズのキャラだ」

「覚えておこう。偽物の方が価値がある、か。予想外というやつだな。有意義な会話だったよ。ほんの少しだけだが、過去の自分を赦せる気になった」

 

 過去の自分を、か。当たり前だが英雄ってのは色々背負っているものらしい。

 アーチャーは今度こそ背を向ける。お開きのようだ。

 

「礼と言ってはなんだが、一度だけ、マスターの指示よりも君の安全を優先すると約束しよう。だからそう怯えずに、少しは安心して休みたまえ」

 

 最後にそう言い残して姿を消す。

 眠れていないのも見透かされていたらしい。

 

 

 

 アーチャーが立ち去った後も、俺は月を眺めていた。

 俺の目的。それは俺自身の安全。

 聖杯戦争の中でそれを確保するためには、リタイアしてしまうのが一番いい。

 しかし普通に戦って負ければ殺される公算が高いし、用心深いマスターは脱落したマスターでも的にかける可能性がある。安全にリタイアするためには、いくつかの条件があるのだ。

 実を言えば、その条件を全て満たして聖杯戦争を降りることは、可能だった。令呪を得た翌日にはその方法を思い着いていた。それを実行しなかった理由は――――

 

 メディアを召喚して以来、毎晩のように見る奇妙な夢。ここ二日間は眠れていないが、寝ればきっとまた見るのだろう。

 それは魔女と呼ばれた、ある一人の女の記憶。

 まだ若い、いっそ幼いとすら言える時分に人生を破壊され、何一つ報われる事の無いままに命を落とした王女の物語。

 分かってる。これは憐れみだ。安い同情だ。そしてそれらは、決して優しさなどではない。それは分かっている。

 憐れみや同情は、一見優しさに見えるが、実は相手を決定的に見下す傲慢な感情だ。それを知る者にとって、その感情を向けられることがどれほどの屈辱か。俺はそれを、身をもって知っている。メディアもきっと、知っているだろう。

 だからこれは、絶対に口に出してはいけない。出してしまえば、ギリギリのラインでもっている今の関係すら保てなくなるだろう。それでも。

 

「……仕方ねえだろ。あんなもん見せられたら」

 

 迷いを多分に孕んだ呟き。

 その呟きを聞いた者は、蒼白い光を放つ月のみ。

 当たり前ではあるが、月は何も答えてはくれなかった。



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拉致

 夜が明けた。

 俺は結局眠ることはできず、セイバーも床に伏せったままだ。

 まぁ俺の方は横になって目を閉じていればそれなりに回復できるので、期間の短い聖杯戦争の間くらいなら保つだろう。問題はセイバーだ。

 メディアだったら昨日衛宮を診察した時に令呪の不具合に気付いていてもおかしくない。だとすると、メディアがわざと黙っていたことになる。つまりメディアは、セイバーを危険視しているということだ。

 となると、メディアにとってセイバーの今の状態は好ましいものだということになる。つまりこのまま知らん顔をする可能性もある。

 まぁ全体的な戦略を考えれば有り得ない手ではないだろう。衛宮達と結んだ同盟の契約条件にも抵触していない。勿論、不義理だとは思うが。

 だが、俺としてはセイバーには持ち直してもらいたい。別に聖杯戦争をこのメンバー全員で乗り切ろうとかそういうことではなく、そうしてもらわないと困るからだ。

 昨夜接触したバーサーカー。あれは危険だ。セイバー抜きで、というかわずかでも戦力を減らした状態で戦うのは考えられない。メディアがそれを解ってないようなら、どうにか説得しなければ。

 

「キャスター、起きてるか?」

「はい」

 

 返事を確認してから襖を開ける。とりあえずは直球で聞いてみる。

 

「セイバーのことだが、何か回復させる方法は思い着いたか?」

「いくつか。ただ、どれも問題がありますが」

 

 返ってきた答えは建設的と呼べるものだった。どうやらメディアもバーサーカーの対策を打つ方が先決と判断したらしい。これなら余計なことを口にする必要は無さそうだ。

 

「そうか。順番に説明してくれ」

 

 俺はまず、メディアの考えた方法を確認することにした。

 

「まず一つは私か凛様、あるいはアーチャーの魔力を分け与える方法。昨晩私が応急的にとった方法です。宝石魔術の一種で、魔力を溜め込んだ宝石を飲ませることでその相手の力を回復させることができます」

「……昨日も思ったんだがそんなに特殊なもんなのか、それ?割と誰でも思い着きそうな方法だと思うんだが」

「方法自体は単純ですが、他人の魔力を馴染ませるために宝石に特殊な処置を施さなければなりません。この時代ではそれが失伝しているようですね」

 

 なるほど、臓器移植みたいなもんか。……返って分かり辛いな、これ。

 ともあれ方法は分かったが、昨日見た限りだとあまり効率が良さそうには思えなかった。それに、

 

「味方の魔力を分け与えるってことは、チーム全体としての魔力量は変わらないってことだよな?それじゃ意味ねえな」

「無意味どころかマイナスですね。処置の段階でわずかですが消費しますし、人体と宝石間でも減衰が生じますから」

「却下だな。だが余裕のある段階で、いざって時のためにストックを作っておくのはありだろう。遠坂に頼んでおこう。まぁあいつなら言われるまでもなくやってるかもしれんが」

 

 間が抜けてるようで抜け目ないからな。逆に、しっかりしてるようでポカやらかす奴でもあるんだが。

 

「ところで魔力を与える側に俺と衛宮の名前が無かったのは?」

 

 衛宮はともかく俺の魔力ならいくら削れても問題無いんだが。

 

「八幡様、宝石に魔力を込めるって出来ますか?」

「……それもそうか。んで、次は?」

「魂食いです」

「不許可だ。つうかセイバーの方が拒否るだろ、それは」

「ですね。以前街に敷いた吸精の結界は?」

「まぁ、そのくらいなら……いや、ダメか。効率重視でいくと結局倒れる人間が出る」

「総武校に引いた霊脈を利用する手もありますが」

「それもあんま効率良くねえんだよな、確か。それに学校には個人的に近付きたくないし……。まぁ手段の一つとしては考えておくか。これで全部か?」

「他には、性交による魔力の補充でしょうか」

 

 ……………………

 

「すまん。耳には届いたんだが心には届かなかった。もう一回言ってくれ」

「性交による魔力の補充です。具体的にはセック「分かったもういい」」

 

 どうやら聞き間違いではなかったらしい。

 まあね?考えてみたら魔術だのオカルトだのにそういうのは付き物だもんね。別に出てきたって不思議じゃないよね?

 

「……一応、理屈とか聞いても良いか?」

「元々性交には『活力を分け与える』という意味合いが含まれています。これを魔術的な儀式に見立てることで、他人の魔力を譲渡することが可能となります」

「最初の宝石のやつと変わらないようにも思えるんだが、効率面ではどうなんだ?」

「非常に良いですね。宝石魔術のものはあくまでその場凌ぎの応急措置ですが、これは初めからその為に設計された儀式魔術ですから。不完全とはいえ令呪の繋がりを利用すれば、ただの譲渡に終わらずに互いの力の増幅も見込めるかもしれません」

 

 なにその良いことずくめ。

 ……令呪の繋がりを利用すればってことは、その役割は衛宮ってことになるよな。二、三回刺しとくか。どうせ死なねえし。……令呪の繋がり、か……。

 

「……私はゴメンですよ?」

「バババババッカ!ベベ、別にんなことかかか考えてね、ねえよ!?」

「ドモリすぎ。キモいです」

 

 蔑むような目で見られてしまった。いや、ホント誤解だよ?マジで。

 

「と、とにかく。当人同士の合意の上なら手段としてアリだな。衛宮達に話しておこう。でも今言った方法だと、結局どれも根本治療にはならないよな?そっちはなんとかならねえのか?」

「そちらは原因から調べないことにはなんとも……。一応、擬似的にリンクを繋げる方法も考えましたが」

「どんな?」

「マスターである士郎様の魔術回路をセイバーに移植します。そうして一時的にパスを繋ぎ、その間に魔力の通り道を固着してしまえば、そのまま令呪のリンクの代わりとして使えるでしょう」

「……現状、一番良いのはそれかな。時間はどのくらいかかる?」

「それなりに。通常の、医学的な手術よりは短いとは思いますが」

「うし、決まりだ。まずは衛宮達に話を通そう」

 

 俺は立ち上がって部屋を出た。

 

「あ、比企谷くん。衛宮くん見なかった?」

 

 人を探して歩いていると、逆に遠坂から声をかけられた。

 

「いや。なんかあったのか?」

「セイバーのことで少し相談したかったんだけど、姿が見えなくて」

「そうか。こっちもキャスターがいくつか思い着いたから意見を聞きたかったとこだ」

「そ。ならちょうど良かったわね。衛宮くんを探しましょう」

 

 遠坂と二手に別れて家の中を一通り歩く。が……

 

「居ねえな……。なんか聞いてるか?」

「何にも……おかしいわね。アーチャー!」

 

 遠坂が天井に向かって声を上げると、すぐさま赤い騎士が姿を現した。

 

「何か?」

「衛宮くんを見なかった?姿が見えないんだけど」

「あの小僧なら少し前に出ていったぞ」

「ハ、ハァ!?出てったって、何で!?何しに!?」

「さてな。あんな未熟者の考えることなど知らん」

「あんたねぇ……!」

 

 驚くのは分かるがちょっと落ち着けよ遠坂。人様に見せられん顔になってるぞ。

 アーチャーは過剰に反応する遠坂に取り合わず冷徹に答えた、んだけど、なんか『いつも通り』には見えないんだよな……。昨晩の会話のせいか?

 

「なあ、あんた。衛宮となんか話したのか?」

 

 問いかけると、アーチャーは少し瞑目してから答えた。

 

「……大したことではない。セイバーが、自分が倒れると分かっていながら聖剣を使った理由を教えてやっただけだ」

 

 ……それ、もしかして。

 

「……理由ってのは?」

「あの小僧を護るためだ」

 

 やっぱりか。

 

「あんたね!セイバーがあんな状態でそんなこと言われたら誰でもショックに決まってんでしょ!?」

 

 遠坂の言った通りなんだろうな。

 衛宮は元々戦うのに反対してたらしいが、その理由の一つにセイバーが、というか女の子が傷付くのが嫌だから、というのがあったらしい。

 学校でライダーにボロカスにやられて考えを改め、セイバーに頼る覚悟を決めたみたいだが、その直後にこれだ。そこにアーチャーから追い打ちを受けて、自失したまま出ていっちまったってとこか。

 

「知らん。私は聞かれた事に答えただけだ」

「こっの……!」

 

 にしても、アーチャーが衛宮に対してやたら辛辣に見えるのは、気のせいじゃないよな、多分。

 

「おい、アーチャーと衛宮って仲悪かったのか?」

「……なんかそうみたい。あたしも理由は分かんないんだけど」

 

 念のために確認してみたら案の定だよ。

 今までその組み合わせで会話してるのを見たことが無かったが、もしかしたら無視し合ってただけだったのかもな。

 

「とにかく捜しにいくぞ。今の状況で単独行動とか危険すぎる」

「それはそうだけど、セイバーはどうするの?あの状態じゃ一人にするわけにはいかないわよ?」

「……しゃあねえ、キャスターを置いていく。どの道戦闘になったら何もできないしな。俺はこの家の周辺を捜すから、遠坂はアーチャーを連れてその外側を頼む」

「分かったわ。見付からなくても30分で一度戻ることにしましょう」

「ああ。アーチャー、ちゃんと探してくれよ?」

「……フン」

 

 ……行動から感情を切り離せるって印象は修正した方がいいかな。どうしたってんだ、ホント。

 

 衛宮は案外すぐに見付かった。

 衛宮邸からほど近い公園(空き地?)だ。見た目はのび太君達がたむろっているあそこをイメージしてくれれば大体合ってる。

 遠坂達は方向が逆なためか気付かなかったようだがそれはいい。いいんだが……俺は今、絶賛スニーキング中である。

 衛宮はそこで、白い髪の少女と話し込んでいた。

 昨夜出会った、バーサーカーを従えていた十歳ほどの女の子だ。衛宮達の話だと、確かイリヤスフィールと名乗っていたそうだが。

 

(な、なんでバーサーカーのマスターが居るんだよ……!?)

 

 衛宮の姿を見かけて声をかけようとしたら、塀の蔭になってたイリヤスフィールが見えて、慌てて隠れて今に至る。気付かれてはいない、と思いたいが……

 つうかなんで普通にお喋りしてんだあいつら。

 イリヤスフィールは人を躊躇いなく殺せるタイプの筈だ。ライダーのマスターをあっさり始末しようとしてた事から考えて、それは間違いないだろう。

 殺人狂というよりは、善悪の判断がつかない残虐ロリタイプだと思う。厄介さで言えばどっちもどっちだが。

 衛宮はともかく、そんなのがなんで敵と馴れ合っているのか……いや、逆にそういうタイプだからか?そういや遠坂が、バーサーカーのマスターが衛宮に執着してる、みたいなことを言ってたな。

 衛宮とどんな接点があるのかは皆目分からんが、イリヤスフィールにとっての衛宮は、単なる敵というわけではないのかもしれない。

 どうにか会話の内容を聞きたいところだが……

 

 

「こそこそしてないで出てきたら?」

 

 

 いきなりこっちに声が飛んできた。

 やはりバレてたらしい。仕方なく出ていく。

 

「よっ」

「……比企谷?」

「あ、ゾンビ」

 

 衛宮とイリヤスフィールが揃って意外そうな顔をする。イリヤスフィールも誰かがいることには気付いていても、それが俺だと特定してたわけではなかったらしい。

 

「誰がゾンビだロリガキ。つうかよく気付いたなお前」

「当然でしょ。人避けの結界張ってるのに人の気配がするんだもの。ま、いたのは人じゃなくてアンデッドだったけど」

「さっきから勝手に人のこと殺してんじゃねえよ。これでもまだ新鮮だよ?腐ってるの目だけだからね?」

「じゃあなんで人避けが効かないの?あなた魔術師じゃないのよね?」

「知らねえよ。俺に聞くな」

 

 そう答えはしたが、一つ心当たりはあった。

 人避けの結界にはいくつか種類があるが、スタンダードなものは、人の無意識下に働きかけて『なんとなく』近付かないようにするものだそうだ。

 それはつまり一種の精神干渉になるわけだが、俺は既にメディアの催眠暗示の影響下にあるため、人避けの効果が打ち消されてしまったのではないだろうか。

 まあ実際のところはどうなのか分からんし、ぶっちゃけどうでもいいんだが。

 

「比企谷、なんでここに?イリヤと知り合いなのか?」

 

 衛宮が呑気にそんなことを言う。こいつ、なんでこんなに危機感ねえの?敵が目の前に居んだぞオイ。

 見たところバーサーカーは連れてないらしい。が、これは多分、自信の現れなんだろう。もっともそれは、魔術師特有の慢心でもあるわけだが。

 ……巧く不意を突ければこの場で倒せるかもしれないが、挑戦するにはリスクが高すぎるな。やはり危険か。

 

「昨日ちょっとな。お前がいきなり居なくなるから捜しに来たんだよ。おい衛宮、令呪を使ってセイバーを呼んどけ」

「バカ言うな!セイバーがどんな状態か分かってるのか!?」

「バカはお前だ。今バーサーカーを呼ばれたら俺らは二人ともやられるしかねえんだぞ。せめて先手を取れるようにしとかんとどうにもならんだろ」

「それなら大丈夫だ。イリヤは昼間は戦わない」

「あ……?何言ってんだお前?」

 

 なんぼなんでも呑気が過ぎんだろ。お人好しってレベルじゃねえぞ。それともロリコンなの?

 

「聖杯戦争は夜にするもの。そうでしょ?」

 

 そう、おどけたようにイリヤスフィールが言う。

 

「……そんな決まりあったのか?」

「ああ。イリヤはこの前もそう言ってたんだ」

 

 この前?以前にも会ってたのか。その時は『昼間だから』という理由で見逃されて、それで油断してる、と。

 衛宮はこの無邪気さに騙されてるわけか。

 ……いや、騙されてるってのは違うか。イリヤスフィールの無邪気さは本物だ。だけど無邪気だから安全とは限らない。むしろ逆だ。

 子供が遊び半分で虫を殺せるのは無邪気さゆえだ。

 殺す相手が虫なのは反撃を受ける心配が無いからだ。

 ならば、無邪気な子供が理不尽に巨大な力を手にしたなら?その力が人間に対して向けられる事もあるだろう。

 それにな、衛宮。ルールと聞いたら破らずにいられないのが子供ってもんだぞ。

 

「でもね、シロウ?」

 

 ほらな。

 

「今日はちょっとズルしに来ちゃったんだ」

「え……?」

 

 イリヤスフィールが、並んで立っている俺と衛宮に立ちはだかる。その紅い瞳が妖しく輝いている気がした。

 

「わたしの城まで案内するわね。あ、ゾンビは要らないから。そこで寝てていいわよ」

 

 イリヤスフィールに見つめられた途端、いきなり頭が重くなる。

 この感覚には覚えがある。催眠暗示だ。メディアのものと比べると、やや拙い気もするが。

 

「あれー?なんで効かないんだろ……?」

 

 イリヤスフィールが怪訝そうに俺の顔を覗き込む。

 衛宮は既に意識を失い人形のように立ち尽くしているが、俺はまだ意識を保っている。それに疑問を感じているらしい。

 俺に暗示が効き辛いのは人避けが効かなかったのと同じ理屈だろう。しかしメディアほどではないとは言えイリヤスフィールの暗示も強力だ。それも時間の問題だろう。今の内に何とかしなくては。

 ふと。イリヤスフィールの背後に目を向ける。

 

「……!?」

「?」

 

 目を見開くと、イリヤスフィールもつられて後ろを向いた。暗示による気だるさが、わずかだが弛む。

 その隙に、気力を振り絞って左腕を持ち上げた。

 

 プシュッ

 

「っ!?」

 

 後ろに何も無いことを確認し、こちらに向き直ったイリヤスフィールの顔面に『それ』が直撃する。

 

「ゲホッ!ケホ、何、これ!?」

 

 一気に身体が軽くなる。

 咳き込むイリヤスフィールを尻目に、隣の衛宮の腕を引いて走り出した。

 

「逃げるぞ衛宮!」

「ちょっ、何だ今の!?」

「痴漢撃退用の催涙スプレーだ!」

「おま、女の子になんて物を!?」

「言ってる場合か!?いいから走れ!」

 

 催涙スプレーの効果は精々数十秒だ。その間に可能な限り距離を稼がなければならない。衛宮と問答してる余裕なんか無い。

 当然だがイリヤスフィールも黙ってはいなかった。

 

「こっ……のぉ!バーサーカー!」

 

 硝子が砕けるような音と共に、目の前に巨人が降ってきた。

 よほど頭に来たらしい。令呪を使ったようだ。

 着地の振動に、身体が浮き上がるような錯覚を覚える。俺と衛宮はほとんど反射的に、それぞれ逆方向へと横っ飛びに身体を投げ出した。直後、それまで俺達が居た場所をバーサーカーの巨大な掌が叩き潰す。

 

「捕まえなさい!絶対に殺すんじゃないわよ!」

 

 イリヤスフィールのの命令が飛ぶ。遅いッス!危うく死ぬとこだったじゃないですか!

 起き上がろうとしていた俺の身体を、バーサーカーがムンズと掴む。

 殺すなとの命令のためか痛みなどは無いが、ガッチリと固められてビクともしない。いや、人間の胴体を鷲掴みとかおかしいだろ!?ていうかバーサーカーさん、指先が『すぼみ』に食い込んでてすっげぇ嫌なんですが!?

 バーサーカーは衛宮にも手を伸ばすが、衛宮は間一髪でそれを避けた。しかしそれもマグレの範疇。次には捕まるだろう。

 体勢を大きく崩した衛宮にバーサーカーの手が迫る。いよいよ捕まるかと思った、その瞬間。

 

 キュドッ!

 

 そんな鋭い風切り音と共に、光弾がバーサーカーのその腕を貫く。その隙に衛宮は間合いから抜け出した。

 

「今の……アーチャーね!?」

 

 イリヤスフィールが弾が飛んできた方向を睨みつける。来てくれたか!

 光弾はさらに連続で飛来し、次々にバーサーカーへと突き刺さる。……いや。

 

(なんだ!?)

 

 光弾は最初に飛んできのと同じ物だろう。最初の物は確かにバーサーカーにダメージを与えた。しかしそれ以降の攻撃は、全て効いていない。というかバーサーカーに届いていないように見える。バーサーカーは防御すらしていないというのに。

 

「「っ!?」」

 

 声にならない声は、俺とイリヤスフィールのものだった。

 バーサーカーが動いた。

 光弾の一つがイリヤスフィールへと向かい、それをバーサーカーが防いだのだ。

 流れ弾、ではないだろう。アーチャーがマスターを狙ったのだ。

 

「……っ!退くわよ、バーサーカー!」

 

 このまま戦うのは危険と判断したか、イリヤスフィールが撤退を命じる。あれ、これヤバくね?

 グニャリと視界が歪む。

 

「比企谷!」

 

 衛宮の声もどこか現実感が損なわれていた。これは多分あれだ。空間転移ってやつだ。

 意識が暗転する。

 

 

 拝啓、お父様、お母様。

 比企谷八幡17歳。

 これまで学校の演劇では木の役すら貰い損ねてきたわたくしですが、この度、囚われの姫という大役を賜ることと相成りました。

 

 

 ……誰得だよ、これ。



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虜囚

「あーっもう!なんであんたが来ちゃうわけ!?せっかくシロウのこと連れてこようと思ってたのに!」

 

 そう言ってぷりぷり怒る白髪の幼女。バーサーカーのマスター、イリヤスフィールだ。

 それを見ながらボソリと呟く。

 

「……お前がちゃんと命令しなかったからだろ」

「なんか言った!?」

「なんでもありません、マム!」

 

 こわっ!聞こえたらしく、すっげえ睨まれた。

 ここは彼女の城の、その一室だった。……いや、マジで城。なんかゲームとかに出てくるような西洋風の。

 だだっ広い部屋に天涯付きのベッドが鎮座し、俺はその脇で豪奢な椅子に座らされロープで縛り付けられている。

 あまりの現実感の無さにもしかして国外かと不安になったが、どうやら城の方を日本に持ってきて使っているらしい。うん、そっちのが無茶ですね。城を持ってくるって何よ。

 イリヤスフィールの先ほどのセリフだが、彼女はバーサーカーに衛宮を捕まえろと命令したつもりだったらしい。しかし主語が無かったため、バーサーカーは俺と衛宮の両方を捕らえようとし、結果的に俺だけが捕まることになった。

 要するに間違って連れてこられたわけだ。何それマジ迷惑。みんな、会話する時はちゃんと主語をつけよう!お兄さんとの約束だ!

 

「イリヤ、元気出す。また頑張ればいい」

「うぅ~、そうだけど、やっぱムカつく!」

「イリヤ、そういうこと言うとセラに怒られる」

 

 いや、元気なら有り余ってるよね?

 イリヤスフィールは地団駄を踏みながらメイドさんになだめられていた。……メイド、だよな?

 なんで疑問形なのかというと、その服装が、その何と言うか、日本人が『メイド』と聞いて連想する、フリフリのエプロンドレスとは大分趣が異なるからだ。

 具体的にどんななのかは言葉で説明するのは難しい。どうしても気になるならpixiv辺りでイラストを探してくれ。

 

「……」

 

 いつのまにかイリヤスフィールは動きを止め、手に持った何かをじっと見つめている。あれは、俺から取り上げた催涙スプレー?

 ……嫌な予感しかしないんですが。

 イリヤスフィールは無表情のまま、おもむろに俺へとスプレーを向けた。

 

「ちょ待っげほ!げほ!げほ!?」

 

 なんだコレ!?

 玉ねぎとレモンの汁をブレンドして百倍に濃縮したモノをぶっかけられたような、って目ン球と喉と鼻の奥がひたすら痛い痛い痛い!?

 縛られているため手でこすることさえできず、ただひたすら苦しみにのたうちまわる。

 少しすると効果が切れたのか、何かの冗談のように痛みが消えていった。おお、すげえ。

 俺はイリヤスフィールに恨みがましい目を向けて文句を言う。

 

「……お前な、いきなり何しやがげふんげふんげふん!?」

 

 最後まで言わせてもらえませんでした。

 またひとしきり暴れてぜぇぜぇと息を切らす。

 そっとイリヤスフィールの様子を伺うとやはり無表情……なのだが、それは抑え切れない何かに無理矢理蓋をしているようにも見えた。というかちょっと頬が紅い。

 これは……ヤバい。

 イリヤスフィールはまたしてもスプレーを俺に向ける。

 

「まて!自分がやられて嫌なことは人にがはげへごほげへがは!」

「……プッ」

 

 涙とヨダレと鼻水で顔面をグシャグシャにする俺を見て、ついにイリヤスフィールから『それ』が吹き出した。

 

「あはははは!何コレ面白い!あはははは!」

 

 ああ、やっぱり。このガキ絶対Sだと思ったよ。

 イリヤスフィールはやめてやめてお願いしますと懇願する俺に容赦なくスプレーを吹き付け笑い転げる。なお、メイドさんはそれをぼーっと見てるだけだった。いや、拍手とかしてんじゃねえよ。

 何回目かのスプレーの後、コンコンとノックが響いた。

 

「失礼します。お食事をお持ちしまし……お嬢様、はしたないですよ」

 

 もっと言ってやってください。

 入ってくるなりお嬢様に注意したのはメイドさんその二。その一と比べてややキツそうな顔をしている他、身体の一部分が非常に慎まsげふんげふん。

 一方お嬢様はメイドさんの注意もなんのその。後から現れたメイドさんに向けた瞳をキランと輝かせていた。あ、これヤバい。

 

「セラ!セラ!」

「なんですか?お嬢さげひんげひんげひん!?」

「あはははは!あははははは!」

 

 あーあ、やっちゃった。

 なんつーかすんません。自分のせいでもないのについ謝りたくなってしまった。いや、あのスプレー俺のだし。

 セラと呼ばれたメイドさんその二は、初めの上品な佇まいも見る影なく転げまわる。しかしイリヤお嬢様の暴走は止まらない。

 

「リズ!リズ!」

「何、イリヤ?……イリヤ、痛い」

「あはははは!顔変わんないのに泣いてる!あはははは!」

 

 今度の被害者はメイドさんその一。催涙スプレーを吹き付けられて、表情を変えることのないままボロボロと涙を流し始める。うわぁ、大惨事。

 

「あははは……ふぇ?」

 

 イリヤスフィールの笑い声が唐突に途絶える。いつの間にか復活したメイドその二がイリヤお嬢様の肩に手を置いている。

 

「あ、あれ……えっと、セラ?」

「……お嬢様、お話があります。こちらへ来ていただけますか?」

 

 先ほどまでとはうって変わって怯えるイリヤスフィールに、にっこりと微笑みかけるセラ大明神。つーか超怖え。

 

「あ、あたしちょっと用事が!」

 

 速攻で逃げ出すお嬢様。しかしセラさんはそれを、慣れた様子であっさりとふん捕まえる。

 セラさんはお嬢様を小脇に抱えると、スタスタとドアへ向かう。そして成り行きをぼーっと見ていたもう一人のメイドさんに向き直る。

 

「リズ、その男に食事を与えておいてください。私はお嬢様にお説教をしなければなりませんので」

「りょーかーい」

「ちょっ、やだ、放して!ゴメンってば!」

「謝るくらいなら初めからしないでください。大体いつもいつも……」

「やー!ゴメンなさーい!」

 

 セラさんの小言とイリヤスフィールの断末魔は、扉が閉まると同時に完全に聞こえなくなった。すげえな。音漏れとか全然しねえのな。

 どうやらこの城における最高権力者はあのセラというメイドさんらしい。覚えておこう。

 

 

 

「はい、あーん」

 

 えーと、何コレ?

 状況を整理しよう。俺は敵にさらわれて椅子に拘束されメイドさんにあーんされている。うん、意味分からん。いや、この人はセラさんに言い付けられたことをこなしているだけなんだが。

 俺に飯をやっとけと言っていたが、俺は縛られてて手が使えない。なら誰かが食わせてやるしかないのだが、この場にいるのはこの人だけだ。つまりこうなるのは必然と言えなくもないが……。

 にしてもすごいなこの人。服の上からでも分かるが、おそらくは由比ヶ浜以上。お陰で目のやり場に困る。万乳引力に逆らうのも大変だ。

 

「お腹、空いてない?」

 

 口を開けない俺に、コクンと小首を傾げるメイドさん(巨乳)。何コレ可愛いお持ち帰りしたい。いや、俺がお持ち帰りされた結果が今なんだが。

 

「あーその、なんか恥ずかしくて」

 

 目を反らしながら答える。と、メイドさんはわざわざ回り込んで顔を覗き込んでくる。近い近い近い。

 

「恥ずかしい?なんで?」

「いや、んな心底不思議そうに聞かれても。普通に恥ずいでしょ、こんな美人さんにあーんされるとか」

「…………ぽ」

 

 俺の言葉に無表情に呟くメイドさん。ぽってなんぞ?

 

「でも困った。食べてくれないとセラに怒られる」

「……ほどいてくれりゃ自分で食うけど」

「分かった」

 

 言って後ろに回るメイドさん。え?ほどいちゃって良いの?素直すぎて罪悪感を覚えるレベル。

 メイドさんは十秒ほど結び目と格闘すると、再び俺の正面へと戻ってきた。

 

「ゴメン。ほどけない」

 

 いや諦めるの早いよ。もうちょい粘ろうよ。押して駄目なら諦めろって言うじゃない。あれ?諦めてるからいいのか。

 どうやら細かい作業は苦手らしい。それメイドとしてどうなの?はぁ、しょうがねえな……。まあこの娘が怒られるのも可哀想だしな。

 

「よっ……と」

「あれ?」

 

 八幡48の特技の一つ、縄抜け。ゴメン嘘。48も無い。と言うか別に特技でもない。

 

「すごい。どうやったの?」

「別に大したこっちゃねえよ」

 

 言って運ばれてきた料理を口に入れる。美味!何コレ!?

 縄抜けの方はマジで大したことではない。

 縛られる時に腕を広げておくだけ。それで脇を閉じると縄が弛むから、それで抜け出すだけだ。

 つうかそもそもこいつら捕虜の管理がめっちゃ杜撰だし。ズサンってGジェネでは結構使ってました。ビームよりミサイルのが好きなんだよね。

 縄は元から弛かったし、ボディーチェックすらされてないからジャケットの下には装備一式が丸々残ってる。

 これはイリヤスフィール達がそうしたことのいろはを知らないというよりは、単に俺のことを驚異として認識していないだけなんだろう。

 それは魔術師らしい慢心であり怠慢でもあるが、同時にそのまま事実でもあるから困ったものだ。

 きっと俺がどれだけ足掻いたところで抵抗らしい抵抗にはならないだろう。おそらくイリヤスフィールに一矢報いるにすら至らない筈だ。それを分かっているからこそ、遠慮なく放置できる。

 

 イリヤスフィールは衛宮を捕らえようとしていた。逆に俺は相手にされていなかった。

 その俺がこの状況で生かされているのは、単なるイリヤスフィールの気紛れだ。俺を餌にすれば衛宮を誘き寄せられるかも、という考えも無くはないだろうが、それについてはさほど期待はしてないだろう。

 だがたとえ気紛れだとしても、いや、気紛れだからこそ、わざわざ生かした相手を改めて殺そうとは簡単には思わない筈だ。

 だから拘束を解いた程度で始末されるようなことはないと思う。まぁさすがに逃げ出せば殺されるだろうから、自力で脱出なんて無謀なことは考えないが。

 ただ、気紛れで生かされているということは、同じように気紛れで殺される可能性も低くないということだ。

 つまり大人しくしてようがご機嫌取りしようが死ぬ時は死ぬ。だから黙って捕まっているのはあまり意味が無い。むしろ何もせずにいて興味を完全に失われる方が危険だろう。

 そうなると、ウザがられない程度に動き回って情報を収集する方が有益だ。ところでウザがられないようにって、俺にとってはベリーハードどころじゃねえんだけど。

 

 イリヤスフィールは、衛宮達が俺を救出に来る可能性は低いと考えているだろう。それはそうだ。危険を犯して俺を回収するメリットなどどこにも無い。

 しかし有り難いことに、ただしチームとして見た場合には残念ながら、俺を助けに来る可能性はおそらく高いと思われる。

 イリヤスフィールが衛宮に執心している事は衛宮自身も知っている。ならばお人好しの衛宮のことだ。きっと自分の身代わりに俺が捕まったとか考えて、俺の救出を主張するだろう。下手すると一人でも行くとか言い出しかねない。

 セイバーは当然衛宮に随行しようとするし、遠坂も衛宮を見捨てることはできないだろう。

 アーチャーとキャスターがどう考えるかは不明だが、チームの過半数が行くとなれば同道せざるを得ない。結果、全員がここに集まることになる。

 当然それを見逃すイリヤスフィールでもないだろう。そしてここは敵陣の最奥だ。逃げるのは難しい筈。つまりバーサーカーとはここで決着を着ける事になる。

 

 バーサーカーは強敵だ。正直勝てるかどうか分からない。少なくとも対策も無しにどうにかできる相手ではないだろう。ならば衛宮達が来るまでにそれを考えておかなければ。

 できればバーサーカーの詳細な情報を知りたいところだが、さすがにポロッとこぼしたりはしないだろうしなぁ……。

 自分側の手札と、ヘラクレスの伝説(うろ覚え)を比較してうんうん唸っていると横から視線を感じた。メイドさんだ。

 メイドさんはロープを持ってじっとこっちを見てる。飯が終わったから縛り直そうというのだろうか。別に構わないが。なお、考え事してる間に終わってしまった為、味はまったく覚えてない。勿体ねえ。

 

「んじゃ、お願いします」

 

 言って椅子ごと背中を向ける。が、しばらく待っても反応が無い。

 不審に思って後ろを向くと、メイドさんからロープを手渡された。

 

「……えーと?」

「縛って」

「……はい?」

 

 

 

「うぅ……おしり痛い……って、え?」

「あ」

 

 白髪の幼女が涙目で尻をさすりながら入室してきた時、俺はメイドさんと緊迫プレイにいそしんでいた。

 俺の代わりに椅子に座るメイドさんと、それを後ろから縛り上げる俺を見て、イリヤスフィールが目をパチクリさせる。いや、そりゃ驚くよな。

 

「あ、あ、あんた!リズに何してるわけ!?」

「いや待て誤解だ話を聞け!」

「うるさい!待ってなさいリズ、すぐ助けるからね!」

「グェッ!?」

 

 イリヤスフィールに睨まれた途端、いきなり重力が倍加したかのように身体が重くなり床に叩き付けられる。なんだコリャ!?声もあげられねぇ!

 

「……さて、どうしてくれようかしら。人様のメイドに手を出すなんて」

「……から……誤か……」

「黙りなさい。アンデッドのクセに性欲を持て余しているなんてね。勝手に縄を解いたのはともかく、わたしの友達にちょっかいかけて無事に済むとは思ってないでしょうね?」

「イリヤ、イリヤ」

 

 倒れ臥したまま身動きもとれない俺を見下ろすイリヤスフィールに、メイドさんがマイペースに声をかける。イリヤスフィールはそれに横目でチラリとだけ見て答えた。

 

「ちょっと待っててね、リズ。すぐほどいてあげるから」

「じゃーん」

「って、ええ!?」

 

 自分でロープから抜け出したメイドさんに、お嬢様が驚きの声をあげる。

 

「な、何今の?どうやったの!?」

「えっへん。すごい?」

「すごいすごい!どうやるの?教えて!」

「どうしよっかなー?」

「イジワルしないでよー。教えてくれても良いじゃない」

 

 メイドさんの縄抜けショーにお嬢様おおはしゃぎ。俺のことなどすっかり忘れてゆるゆりし始める。忘れたついでに魔術も解いてくれれば有り難かったんですけど。

 

「あのね、イリヤ。そこの人に教えてもらった」

「え?」

 

 メイドさんが倒れたまま放置されてた俺を指してそう言うと、イリヤお嬢様がまたしても目を丸くする。同時に見えない力による拘束が少しだけ弛んだ。

 イリヤスフィールは俺の頭の前でしゃがみ込んで言った。丈の長いスカートなので中は見えませんでした。

 

「……あれ、あんたがリズに教えたの?」

「おお。なんか教えてくれってねだられてな」

 

 のんびりした喋りに見せて押しが強い強い。

 最初は断って俺を縛るように言ってたんだが結局押し切られてしまった。

 

「ふーん……。だったら早くそう言いなさいよ。うっかり始末しちゃうところだったじゃない」

「いや、そもそも喋らせてもらえませんでしたよね?……いえ、何でもないです」

 

 一睨みで引っ込む俺。押しが強かったって言うか単に俺が弱いだけだな、これ。

 イリヤスフィールは目を反らし、どこかもじもじしながら口を開いた。

 

「……ねえ、他にも何か知ってたりする?」

 

 これは……あれか。超能力じみたマジックと本物の超能力のどっちが凄いかってやつか。

 超能力はもちろん凄い。しかし知恵と技術を凝らしたマジックだって同じくらいに凄い。

 魔術と比べた場合も同様らしい。イリヤスフィールも興味を持ったようだ。

 魔術師というのは基本的に魔術しか学ばない。それは魔術が優れているからというのはもちろんだが、そのために魔術しか学ばせてもらえないというのが大きいだろう。

 予想外の展開ではあったが、警戒を持たせないまま気を引く事に成功したらしい。

 俺はそれを表に出さないように答えた。

 

「あー、簡単な手品ならいくつか」

 

 

 

 俺は再び拘束されることもなく、優雅にお茶などいただいていた。

 イリヤスフィールはメイドさんと一緒に俺が教えてやった手品で遊んでいる。中学の修学旅行で友達に披露しようと練習し、結局一度も披露する機会の無かったものだがお気に召してくれたらしい。おや?目から塩水が……。

 こうして見てると本当にただの少女だ。衛宮が気を許してしまうのも分からなくはない。実際魅力的な少女だと思う。いや、ロリコンじゃないぞ俺は。

 

 イリヤスフィール。

 優れた魔術師であり、バーサーカーのマスターであり、冷徹な殺戮者である。

 同時にひどく幼く、純粋で、無知な少女でもある。

 

 ラノベとかによく登場する、知識や能力に反して極端に幼いタイプのキャラなんだろう。メインヒロインに据えられることこそ少ないものの、俺は結構好きなタイプだ。

 しかし、こうして生で見てみるとこうまで不気味なシロモノなのか。

 

「イリヤ、そう言えば大変だった」

 

 ぼんやり二人を眺めていると、メイドさんの方が唐突に声を上げた。ちなみにメイドさんの名前はリーゼリット、略してリズらしい。横でお茶を入れてくれてるセラさんが教えてくれた。

 それはそうと二人の会話は続く。

 

「どうしたの、リズ?」

「イリヤ、私、ナンパされた」

 

 …………は?なに言うてはりますのん、この娘さん?

 

「ええ~!?凄い!何それ、どういうこと!?」

「美人って言われた」

「キャーッ!」

 

 驚くお嬢様に端的に答えるリズさん。て言うか美人って…………もしかしてさっきのアレか?

 

「それで?それで?どうするの?」

「どうしよっかなー?」

「えー?いいじゃんいいじゃん、試しに付き合っちゃいなよ」

「んー、でもあんまりタイプの人じゃなかったんだよねー」

 

 告った覚えも無いのにフラれました。俺の歴史にまた一ページ……

 なんだかいたたまれなくなりました。ここに居たくない。

 そういえばションベンしてえな。もうお茶も四杯目だし。今なら黙って出ていっても気にされないと思うが、一応声かけとくか。

 

「あー、セラさん?」

「……私もナンパするおつもりでしょうか?」

「いや、しないから。してないから」

 

 ホント誤解だから。だからその誰かさんを思い起こすゴミムシを見るような目を止めて下さい。つうか何で一瞬で相手の特定とかできんの?あの時居なかったよね?

 

「いや、トイレ行きたいんだけど、場所どこ?」

「さようでしたか。ご案内いたします」

 

 言ってしずしずと歩き出すセラさん。俺はそれにおとなしく着いていく。

 セラさんが扉を開けると、外には胸板がそびえ立っていた。

 

「こちらです」

 

 何度見てもナイスマッスルなバーサーカーをあんぐりと見上げる俺を無視して、セラさんはさっさと行ってしまう。

 これ、俺が一人で出てきたら攻撃されてたんだろうな。うん、事前報告って大事だね!マジ断り入れといて良かった……



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救出

 少年は人の善意が理解できない。
 善意や好意に理由を見出だし、理屈を当てはめ、それらを欺瞞と断ずる。
 感情に損得を絡め、だから本物ではないと切り捨てる。
 そしてそれは自身のものにすら当てはまる。
 他人のために行動するなど間違いだと、誰かのために何かができるなど思い上がりだと繰り返す。
 故に少年は自分のため、効率のためとうそぶき続けた。それで救われる者がいたとしても、それはただの結果にすぎないと。
 それはきっと、事実ではあったのだろう。
 だけどそれだけでもなかった筈だ。そうでなければ、敵と呼んでもいいような相手まで助けたりはしない。
 彼に近しい者達は、少年を分かりにくいと評した。
 実際その通りなのだろう。本人ですらそう思っている。
 しかし結局のところ、少年のことを誰よりも理解できていないのは彼自身なのではないだろうか。
 少年は人の善意を理解できない。己が他人に向ける善意ですら。
 要するに少年は、自分よりも弱い者を――例えそれが、一時的に弱っているだけだったとしても――見棄てられないだけなのだ。


 比企谷八幡がさらわれた。バーサーカーのマスターの仕業だ。

 今朝、衛宮士郎と共に遭遇し、アーチャーが助けに入ったもののそのまま連れ去られてしまったそうだ。

 

「……救出は難しいでしょうね。それに比企谷くんを切ってしまっても痛手にはならない」

 

 やはりというか、そう言ったのは遠坂凛だった。

 当然の判断ではある。今の状態でバーサーカーに挑むなど自殺行為以外の何物でもない。

 しかしやはり、それに反発する声もある。衛宮士郎だ。

 

「比企谷は俺の身代わりに捕まったようなものなんだぞ!?見棄てろって言うのか!?」

「単なる事実よ。比企谷くんは有能だけど、彼が力を発揮できるのは入念な事前準備があってこそよ。スパンの短い聖杯戦争でこれ以上活躍できるとは思えないわ。彼の為にチーム全体を危険に晒すのは得策とは言えないわ」

「だからって……!」

 

 とまあ、こんな調子である。

 衛宮士郎は人情家らしく救出を主張するが、遠坂凛の感情を排した現実的な意見に否定される。

 実際、衛宮士郎の言うことは無謀なのだ。それに遠坂凛の指摘も正しい。

 私も比企谷八幡も、二戦目以降を戦い抜くのが不可能だと考えたからこそセイバー達を戦力として取り込もうとしたのだ。ここで戦力にならない比企谷八幡を助ける為に消耗する意味は無い。それでも意味を見出だすとすれば……

 

「そ、そうだ!俺達呪いをかけられてただろ。比企谷を助けないと俺達もヤバイだろ?」

「ああ、共死の呪いならもう解けてるわよ」

「え?」

 

 これだとばかりの言葉をあっさりと否定されて、衛宮士郎が唖然とする。やはりバレたか。

 

「暇みてちょくちょくチェックしてたからね。今朝になっていきなり呪いが消えてたのには驚いたけど。まぁ、あんな強力な呪いを魔術師でもない人間が簡単に使えるんだもの。どこかしらに欠点があるのは当たり前よね。それが有効期間だった。違う?」

 

 最後の言葉は私に向けられたものだった。私はそれに黙って頷く。

 

 さて、どうしたものか。

 私としてはなんとしてでも比企谷八幡を助けたい。まだ奴の化けの皮を剥がしてないのだ。これは私にとって、もはや聖杯よりも優先されることだ。死なれては困る。

 しかし現実問題、私一人では比企谷八幡を取り戻すことは不可能だろう。彼等の協力は不可欠だ。

 このチームの中心は遠坂凛だ。彼女を説得しないことにはどうにもならないし、セイバーが動けない現状、最大の戦力であるアーチャー抜きでは話にならない。

 セイバーを回復させられれば多少は違うのだろうが、マスターからの魔力供給が途切れてしまっている今では、心霊手術に私の方が耐えられない可能性がある。

 どうにかして説き伏せなければならないのだが、理は彼女にある。

 頭の中で交渉材料を探っていると、それまで黙っていたアーチャーが口を開いた。

 

「つまり、比企谷を助けに行くのは反対ということだな?」

「……まぁ、そうね。文句ある?」

「いや、冷静な判断だ。ここは見捨てるのが正解だろう」

「お前!何を!」

 

 衛宮士郎がアーチャーに食って掛かるが、アーチャーはそれを相手にせずに立ち上がった。

 

「それでは凛、すまんが一日だけ暇をもらいたい。君はここで待機していてもらえるか」

「……ちょっと、アーチャー?何のつもり?」

「無論、比企谷の救出だ。私だけで行ってこよう」

「な……!」

 

 遠坂凛が愕然としていた。それはそうだろう、私も驚いた。一番説得が面倒だと思っていたアーチャーが自ら行動するというのだから。

 私はアーチャーに声をかける。

 

「……どういうつもりですか?」

「そういう約束をしてしまったのでな。見捨てるわけにもいかんのだ」

 

 私のいないところでどんなやり取りをした。

 さっさと出ていこうとするアーチャーを、今度は衛宮士郎が呼び止める。

 

「おい、待てよ」

「……何か用か、小僧」

「俺も行く」

 

 そう宣言して立ち上がると、しばしアーチャーと睨み合った。

 先に視線を外したのはアーチャーだった。

 

「……勝手にしろ。足を引っ張るなよ」

「言われなくても」

「フン。拐われたのが貴様だったなら遠慮なく見棄てられたのだがな」

「何だと?」

「ちょっと!二人とも待ちなさいよ!?」

 

 いがみ合いながら出ていこうとする二人を、さらに遠坂凛が呼び止めた。

 

「なんだよ遠坂。言っとくけど止めても無駄だぞ」

「あーもう!別に助けに行かないとは言ってないでしょ!?これじゃあたしが冷血女みたいじゃない!」

「え?でも遠坂、さっきまで……」

「だから!普通にやっても無理なんだから、何か対策を講じようって話でしょう!?最初っから見捨てるつもりなんか無いわよ!」

 

 照れくさいのか、若干顔を赤らめながらそう言う。

 意外にも満場一致で比企谷八幡の救出が決定した。本当に意外だ。寝込んでいるセイバーは例外だが、彼女も反対はしないだろう。

 

「とりあえずセイバーを動けるようにしましょう。キャスターを真似して回復用の宝石をいくつか作っておいたわ。それを飲ませれば動くくらいはできる筈よ」

 

 そんなやり取りがあったのが半日以上前。

 現在は既に深夜。そろそろ日付も変わろうかという頃合いだ。

 あれからアインツベルンの牙城を突き止め、バーサーカーのマスターに取り引きの為のメッセージを送り、外に誘い出してから救出に踏み込んだ。

 取り引きは勿論デタラメだ。部隊を分けても各個撃破されるだけなのだから。衛宮士郎の名前を使ったためか、意外なほどあっさり食い付いた。

 ここまで私が先導することで、森全体を覆う結界を含めて敵に検知された気配はない。が、途中に見られたいくつかの仕掛けを見る限り、相手の技量も相当なものだ。どこかで見落としがあってもおかしくないし、何よりここに辿り着くまで結構な時間がかかった。感付かれていてもおかしくない。戦闘は覚悟しておいた方がいいかもしれない。

 距離が縮んだことで復活した令呪のリンクを頼りに、比企谷八幡の居場所を探る。ここだろうと思われる部屋の扉を見付け、中の気配を探っていた時のことだ。

 

「ちょっ、おい!やめろ!」

 

 聞き覚えのある声。しかも悲鳴。間違いなく比企谷八幡のものだ。

 聞いた瞬間に、隣の遠坂凛と共に扉を押し開いていた。

 

「八幡様!?」

「比企谷くん、無事!?」

 

 扉の向こうに見たものは、椅子に縛られた状態で、メイド(巨乳)にズボンを降ろされている比企谷八幡だった。

 

 

 

「で、あたしらが必死こいてここまで来る間、肝心のあんたは敵のメイドとよろしくやってた、と」

「いえ、ですからこれは誤解でして……」

「ハッ!どうだか!」

 

 アーチャーがあっさり気絶させたアインツベルンのメイドの横、顔面を変形させて正座する比企谷八幡と、仁王立ちで彼を見下ろす遠坂凛。なお、私も同じポーズで彼女の隣に立っている。

 

「だから、あれは俺が小便したいって言ったらこいつが尿瓶とか持ち出してだな……!」

「うわあ……」

「あのさぁ、人の趣味をとやかく言うつもりは無いけど、そういう特殊な性癖を他人にさらすのはどうかと思うわよ?」

「違ぇっつってんだろが!おい、ドン引きやめろ!」

 

 表情を歪めて遠ざかる私と遠坂凛に、比企谷八幡が食い下がる。

 

「ま、何にしても無事でよかったよ」

「……ああ、サンキュー」

 

 そう言って、苦笑しながらも立ち上がるのに手を貸す衛宮士郎に、比企谷八幡は複雑そうに応えた。

 衛宮士郎はその様子に疑問符を浮かべる。

 

「どうした?」

「いや、やっぱり来ちまったかと思ってな」

「……どういう意味だ?」

「いや、感謝はしてんだぜ?見捨てられたら死ぬしかなかったわけだしな、俺は。でもチーム全体の事を考えると、ここに来ちまうのは失敗なんだよ。今頃イリヤスフィールは入口辺りで待ち構えてるんじゃないか?」

 

 やはりその可能性が高いか。比企谷八幡も私と同じことを考えていたようだ。

 

「え、でも俺達、イリヤが出て行くのを確認してからここまで来たんだぞ?」

「幻影か、出てくふりしてすぐに引き返してるか。まぁホントに騙されてる可能性もゼロじゃないだろうが、期待はするべきじゃないな。セイバーは回復してるのか?」

「いや……」

「やっぱ戦うのは無謀か……。キャスター、入口以外で出入りできそうな場所はあったか?」

 

 この男、こんな状況で私達が助けに来ることを見越して、さらにバーサーカーと戦うことまで視野に入れていたのか?

 

「……この城そのものが一種の結界の役目を果たしています。正規の方法以外での脱出は難しいかと」

「だろうなぁ……。せめて城の中で戦闘するのは避けたいんだが……」

 

 比企谷八幡は眉間に皺を寄せてぼやいた。

 この城はアインツベルンの工房だ。城内で戦うことは、ただでさえ低い勝率をさらに下げることを意味する。

 

「……仕方ねえ、まずは入口まで行こう。そこからは一応考えがある」

「途中で仕掛けてきた場合は?」

「その場合は犠牲無しで乗り切るのは難しいかもな。でもまぁ、その心配は多分要らないだろ」

「どうしてそう思うの?」

 

 遠坂凛の、当然といえば当然の質問に、比企谷八幡は軽く肩をすくめた。

 

「魔術師ってのがそういう生き物だからだ」

 

 

 

「あら、もうお帰り?もっとゆっくりしていけばいいのに」

 

 城のロビーまで辿り着き、門扉に手をかけた時のことだった。

 カツン、という靴音と共に聞こえたその声に、私達は一斉に振り返える。

 見れば幅広い正面階段を登った先、吹き抜けの二階へと左右に別れる踊り場。

 先ほどまで誰も居なかった筈のそこから、バーサーカーを従えたイリヤスフィール・フォン・アインツベルンが悠然と見下ろしていた。

 

「ごめんなさい、おもてなしが遅れてしまって。この城の主としてお詫びす……なに?その顔」

 

 イリヤスフィールが私達の表情を見て、やや不快そうに眉根を寄せる。期待した反応と違ったのだろう。

 衛宮士郎と遠坂凛が、思わずといった調子で呟いた。

 

「凄いな……。出てくるタイミングから場所から、ほとんど比企谷の言った通りだ」

「最初のセリフなんか一言一句そのままだったわよ?どうなってんのよこいつ……」

「ハ、ハァッ!?なによそれ!?」

 

 二人の言葉にイリヤスフィールが顔を真っ赤にして叫ぶ。

 無理もない。格好よく意表を突いたつもりがとっくに予想済みだと言われたら、恥ずかしくてたまらないだろう。

 白髪の幼女(ちょっと涙目)は比企谷八幡にビシィ!と指を突きつける。

 

「もう!なんなのよアンタ、あたしの邪魔ばっかりして!なんか恨みでもあるわけ!?ゾンビのクセに!」

「いやゾンビ関係ねえし。つうかなんで恨まれてないと思ってんだ」

 

 モゴモゴと反論する比企谷八幡。聞こえるように言えばいいのに。声のトーンはそのままで、つまりはイリヤスフィールには聞こえないように他のメンバーに声をかける。

 

「……んじゃ、手筈通りにな。いくぞ!」

 

 掛け声と同時、入口にもっとも近かった比企谷八幡と衛宮士郎が、身体全体を使って巨大な城門を押し開ける。扉そのものが重いため一気に全開とはいかないものの、それでも人間二人ほどが並んで通れるほどの隙間ができた。

 また、それと同時に遠坂凛が左手を掲げて口を開く。

 

「アーチャー!」

「! バーサーカー!」

 

 それを見たイリヤスフィールが血相を変えて叫んだ。勘付かれた!

 

「あたし達を連れて逃げなさい!」

「そいつらを逃がさないで!」

 

 命令が完成したのは同時だった。

 ガラスが砕けるような音と共に二つの令呪が弾け、アーチャーとバーサーカーの姿がかき消える。

 途端、ロビーのそこかしこから無数の衝撃音が鳴り響く。

 人の身では有り得ない、否、サーヴァントとしても常軌を逸したレベルでの高速戦闘。

 数瞬の後、二人が元居た位置に再び姿を現した。

 アーチャーは手傷を負ったらしく、左腕から血が滴っていた。対してバーサーカーは――無傷。

 

「――思ったよりはやるみたいね。まだ生きてるなんて」

 

 私達の逃走を阻止してか、余裕を取り戻したイリヤスフィールが悠然と冷笑を浮かべる。

 

「それで?今度はどうするつもり?」

 

 遠坂凛は悔しげな表情で比企谷八幡へと声をかけた。

 

「……ダメだったわね。他にプランはあったりする?」

「……悪いが全員が離脱できるのは今のだけだ」

「そう……。次善策はあたしが考えたやつと一緒かしら?」

「多分な」

 

 遠坂凛は深くため息を吐いた。

 

「アーチャー」

 

 そして。

 

 

 

「五分でいいわ。あいつを足止めして」

 

 

 

 己のサーヴァントに、『死ね』と命じた。



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逃走

「アーチャー、五分でいいわ、あいつを足止めして」

 

 遠坂のその言葉に、どうとも言えない感情が沸き起こる。

 判っているのだ、他に手が無いことは。さっきの不意打ち気味の令呪が失敗した以上、少なくとも俺には全員が無事に逃げられる方法は思いついてない。

 俺も遠坂も令呪が一つしか残ってないし、セイバーは弱り切っていて、四人も抱えてバーサーカーを振り切る事は令呪のブーストがあっても難しいだろう。

 最後の令呪を使って特攻をかけたとしても、バーサーカーならばおそらく凌ぎきる。イリヤスフィールを直接狙っても同じだろう。

 となれば、誰かが残って他のメンバーが逃げる時間を稼ぐしかないのだが、それが可能なのはアーチャーだけだ。

 一瞬、この場で全員で戦うことも考えたが、それではおそらく全滅するだけだろう。さらわれる時に見たあの現象。もしあれが想像通りのものだった場合、対策無しでバーサーカーを倒すのは不可能に近い。

 今の状態ではメディアもセイバーも戦力にならない。アーチャーからすれば足手まといが増えるだけだ。

 つまるところ、これが最善手。メディアの暗示によって補強された冷静さがそう告げている。

 衛宮の固有結界とかいう力があればもしかするのかもしれないが、土壇場で隠された力が覚醒するなんてのはアニメやラノベだけだ。ついでに言えばそれがバーサーカーに通用するという保証も無い。期待するわけにはいかない。

 

「……正しい判断だ。やはり私は当たりを引いたらしいな」

 

 別の選択肢を探って思考を巡らせていると、聞こえてきたのはアーチャーの言葉だった。

 当たりとは、遠坂が優秀なマスターだったという意味だろうか。……おい、なんで過去形で考えた、俺。

 アーチャーは振り返ることのないまま、俺に言葉を投げ掛けてきた。

 

「そんな顔をするな、比企谷。別に君の責任ではない」

 

 そんなわけ無いだろうが。俺を助けに来たせいで勝ち目の無い戦いに挑む羽目になったんだぞ?

 アーチャーはいつの間にか左右の手に、それぞれ白と黒の短剣を握っていた。その双剣を見たイリヤスフィールが嘲りの笑みを浮かべる。

 

「可愛い。そんな宝具でバーサーカーと戦おうなんて」

 

 アーチャーはそれを無視して、今度は衛宮へと言葉をかける。

 

「小僧、私の言ったことを忘れるな。貴様が戦おうとしても無駄だ。貴様は戦う者ではなく創り出す者なのだから。ならば最強の力を創り出せ。何者にも負けないものを想像し、創造しろ」

 

 何の話か分からないが、俺のいないところで何かのやり取りがあったのだろう。衛宮も神妙に聞いていた。

 一方、無視されたのが面白くなかったのか、イリヤスフィールが不満気に口を挟む。

 

「ちょっと……」

「それと凛、念のために確認しておきたい。君は先ほど『アレ』を足止めしろと命じたが……」

 

 しかしアーチャーは、そんなイリヤスフィールをやはり無視して言葉を紡ぐ。

 セリフを一度切って、顔を肩越しに半分だけこちらに向け、口角を持ち上げてニヒルに笑い、そのセリフを口にした。

 

 

「別に倒してしまっても構わんのだろう?」

 

 

 かっけぇ!なんだこいつ!?

 言われた遠坂は、しばし唖然としてからニヤリとした笑みを浮かべて答えた。

 

「ええ、もちろんよ。目にもの見せてやりなさい」

「承知した。そうさせてもらおう」

 

 いや、ホントかっけぇなこいつら。

 

「……っの、バカにして……!」

 

 反して、せっかくの見せ場を奪われた形のイリヤスフィールは、頭に血を上らせている。彼女が何かを言おうと口を開く。それと同時、

 

「行け!」

 

 アーチャーが双剣の片方を頭上へと投げた。

 剣は天井をぶち砕き、瓦礫へと変えて俺達とバーサーカーとを隔てる壁となる。

 もしかしたら、何か別の手もあったのかもしれない。だがここまで来たらもう別ルートに乗り換えることはできない。

 俺達には、アーチャーを犠牲にするしかなかった。

 

 

 

 夜の森を、ただひたすら走る、走る。

 どのくらいの時間が過ぎた頃か。先頭を走っていた遠坂が、唐突に左手を押さえて立ち止まった。

 

「どうした?」

「……アーチャーが、消えたわ」

「……そうか」

 

 あの余裕のある態度から、もしかしたら、とか思ったんだがやはり無理だったか。くそっ。

 

「行きましょう。アーチャーが稼いだ時間を無駄にするわけにはいかないわ」

 

 俺達は頷き、また走り出した。

 

 

 

「遠坂!セイバーがもう限界だ!」

 

 またしばらく経った頃、今度は衛宮が声を上げた。

 俺と衛宮が両側から肩を貸しながら走っていたのだが、セイバーはもう虫の息に見える。

 

「……少し休ませよう。これ以上は無理だ」

「……そうね。あっちに廃屋があるみたい。そこに運んでちょうだい」

「分かった」

 

 衛宮が短く答える。俺はセイバーを衛宮に任せて最後尾のメディアに声をかけた。

 

「キャスター、そっちは?」

「即興の小細工ですので完全というわけには……。多少の時間稼ぎにはなるでしょうが」

「十分だ」

 

 メディアにはイリヤスフィールの追跡を遅らせるために、痕跡の抹消や偽装を頼んでいた。この辺りのことは、メディア以上に上手くやれる奴は多分いない。

 俺は廃屋の方を無言で促した。

 中ではセイバーが寝かされ、少し離れて遠坂と衛宮が座って休憩をとっていた。そこに俺達も加わる。

 

「バーサーカーを、倒しましょう」

 

 不意に、遠坂が宣言した。

 反対する者はない。ある意味当然の判断だからだ。

 例えこの森から上手く逃げおおせたとしても、イリヤスフィールは執拗に追ってくるだろう。ならばバーサーカーを倒さない限り、俺達に安息は無い。もっとも、アーチャーに感化されたというのも少なくないだろうが。

 問題はだ、

 

「具体的な策はあるのか?セイバーを回復させるのは必須だろうが」

「ええ。一応考えがないこともないわ。セイバーのことも含めてね」

「そうか。俺もいくつか考えついたことがある。それも含めて検討してみよう。メディア」

 

 俺は衛宮達の前で、初めて真名を呼んだ。衛宮達も予想はついていただろうが、まぁある種の覚悟の現れみたいなもんだ。

 

「ヘラクレスは確か、お前と同じギリシャ神話だったよな?知っている限りの情報と、そこから予想されるバーサーカーの能力を頼む。それと……」

 

 これを言うのは躊躇われたが、出し惜しみしている場合ではない。

 

「俺達の手札も。衛宮の能力や、お前の宝具についてもだ」

 

 

 

「最悪だ……」

 

 思わず呻く。

 メディアの知識。聖杯の特性。俺の目撃した現象。

 そうした諸々から互いの戦力を比較した結果、勝利不可能という結論が出てしまった。

 俺のバーサーカーの能力の予想は悪い方向へと外れていた。俺が考えた能力もチートじみていたが、それに輪をかけて凶悪なシロモノらしい。

 無論これも予想であることは変わらないが、メディアと遠坂がブレインとしてついている以上、精度は極めて高いと思われる。

 そしてこの新たな予想が正しかった場合、戦力を立て直したとしても関係なく、バーサーカーを倒し切る方法など存在しないことになってしまう。

 

「どうしろっていうのよ……!」

 

 遠坂が悔しげに漏らした。彼女の作戦はこの段階でパアになってしまったのだから無理もない。……いや、それよりもアーチャーの仇を討てないことの方か。

 メディアも衛宮も黙ったまま。バーサーカーの防御を突破する方法は思い着かないようだ。

 

「……」

 

 一応、俺には一つだけ思いついたことがある。

 今回メディアから開陳された情報と、これまでに考えたアイディアのいくつかをアレンジして組み合わせたものだ。これが上手くいけば、一見無敵に近い護りも打ち破れるかもしれない。

 ただ、これは魔術知識の無い俺が独自に考えた合体技。つまりは材木座の妄想設定と同レベル。要するに実現可能かどうかは非常に怪しいシロモノだ。

 

「……ちょっと良いか?」

 

 しかしまあ、どうせ作戦会議は行き詰まってるんだ。駄目でも俺が恥かくだけ。聞くだけ聞いてみるか。

 

 

「……ってとこだが、どうだ?」

 

 無反応。誰も何も言わない。うーむ、開いた口が塞がらないとはこういうことを言うんだろうな。やっぱ駄目か。

 

「……すまん、忘れてくれ」

 

 そう言って別の手を考える。が、そもそも何も思い着かないからこんな苦し紛れの策を口に出しちまったんだよな。ヤベェ、マジで詰んだんじゃねえか?これ。

 他の奴らが何か考え着かないかと目をやると、何か様子がおかしいことに気がついた。

 

「……どうした?」

 

 声をかけても反応がない。いや、衛宮は普通にこっちを向いたが、メディアと遠坂は顎に手を当ててブツブツ呟いている。

 

「……れが……でも………」

「……て……ダメ……いや、これなら……?」

 

 遠坂がいきなり顔を上げた。様子を伺っていた俺とバッチリ目が合う。

 

「いけるかもしれない」

「……何が?」

「あなたのアイディアよ。技術的には多分可能だわ」

 

 マジでか。何でも言ってみるもんだな。

 遠坂は意気込んだ様子で言葉を続ける。

 

「問題がいくつかあるわ。まずあなたの令呪。それから単純に時間が足りない。キャスター、どのくらいかかる?」

「限界まで簡略化して二時間ほど。セイバーの回復も合わせると数時間は欲しいところです」

 

 小さく舌打ちする遠坂に口を挟む。

 

「時間は俺が稼ぐ。令呪もそのために使うつもりだ」

「そう。なら後は引き受けるわ。それと……」

 

 遠坂は衛宮へと気まずげに視線を向ける。

 

「……俺にやれる事があるなら引き受ける」

 

 衛宮は気丈にそう言うが、その言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。

 

「……ちゃんと考えてから答えろよ。下手したらお前は」

「何もせずにやられるよりはマシだ。……それに、アーチャーだって命を張ったんだしな」

「……そうか。悪いな」

「良いさ。比企谷こそ良いのか?バーサーカー相手に時間稼ぎなんてそれこそ命賭けだぞ?」

「余ってるのが俺だけなんだ。良いも悪いもねえだろ」

 

 自分で考えた作戦にも関わらず、これには俺の出る幕がない。自然、余った役目は俺のものになる。単なる消去法だ。

 

「まずはセイバーの回復だ。遠坂とメディアは儀式の準備を進めてくれ。俺は邪魔にならんように外を警戒しとく。メディアはある程度処置が済んだら俺の方を頼む」

 

 各員に指示を出し、自分は廃屋から出ようとする。

 

「待って」

 

 その俺の背中に遠坂の声が飛んだ。

 

「こんな術式、まともな魔術師じゃ思い着かないわ。あなた、一体何者なの?」

 

 何者と言われてもな……。

 

「……ただのボッチだ。トレカってやった事あるか?」

「トレカ?」

「トレーディングカードゲーム。カード毎に色んな効果や能力があってな、複数の能力を組み合わせてより大きな効果を生み出すことをコンボっていうんだ」

 

 いきなりゲームの話を始めた俺に遠坂達はきょとんとしている。ま、そりゃそうだわな。

 

「基本的に手数が少ないコンボの方が使い勝手が良くて強力なんだ。介入する余地が少ないからな。でも対戦する相手がいないと複雑で派手なコンボばっか考えちまうんだよな」

 

 思い出すのは小学校高学年から中学始めにかけて。あの頃はすげえ流行ってた。

 オリジナルデックを複数組んで誰か対戦挑んでこないかなーと、盛り上がる輪の外で一人そわそわし続け、結局誰とも対戦できなかったのも今では嫌な思い出だ。嫌なのかよ。

 

「だからまぁ、そういうの考えるのは得意なんだよ。ボッチだからな」

 

 

 

 廃屋の外の手頃な石に腰掛け、アインツベルンの城があった方角を眺める。

 外に出てからどのくらい経っただろうか。

 令呪の不具合はすぐに解決した筈だから、今はセイバーを『回復』させているところだろう。

 メディアはその先に行う儀式の準備。遠坂はその説明を受けつつサポートだ。

 何もできることが無い俺は邪魔にならないように表に出て、せめてとばかりに見張りをしているのだが正直あまり意味は無い。

 イリヤスフィールが問答無用で殺しに来れば、俺は抵抗の余地無く死ぬしかない。警戒しようがしまいが同じだ。

 もしそうなった場合、作戦は根っこからパアで正面から戦う他ない。セイバーの回復を最初に持ってきたのはそのためだ。ま、気を張る必要が無いのは楽ではあるけどな。

 

「……」

 

 虫の声すらない森の中で、ただひたすら時が過ぎるのを待つ。その間も代案を探し続けたが、結局何も思い着かなかった。

 

 カサッ

 

 正面ではなく、背後から足音が聞こえた。

 振り返るとメディアが立っていた。

 

「そっちはもう良いのか?」

「はい。凛様に一通り説明してきました。今も準備を進めてくれています」

「そうか。なら今の内にこっちも頼む」

 

 言ってメディアの正面に立つ。俺の要求に従ってメディアが魔術を紡ぎだした。

 ただの時間稼ぎとはいえ、衛宮の言った通り命賭けだ。準備はどれだけしても足りないだろう。

 まず、毎度お馴染み身体強化。これがあるとないとでは生存率が桁違いだ。

 次いで心を平静に保つ催眠暗示。なんだかんだ言って、これまで一番役に立っていたのはこれかもしれない。これがなかったらとっくにチビっていた筈だ。

 この二つはさらわれる前にかけてもらったきりだったから、改めてかけ直してもらった。

 そして今回は、さらにいくつかの魔術をかけてもらう。それから、

 

「それと……どうぞ」

「おう、借りるぞ」

 

 ひとまずの役目を終えた『それ』を受けとる。使う機会があるかは分からないが、メディア達の方ではもう出番は無い。なら念のために俺が持たせてもらおう。

 

「こんなとこか。んじゃ、お前も戻って遠坂を手伝ってくれ」

 

 そう言って、再び森の奥へと向き直った。が、いつまで経ってもメディアが立ち去る気配はない。強化されて鋭敏になった感覚が、彼女がそこに留まり続けていることを伝えてきた。

 

「……どうかしたか?」

 

 肩越しに聞いてもメディアは答えない。ただその場に立ち尽くしているだけだ。

 そのまましばし時が流れた。

 しびれを切らし、俺の方からもう一度声をかけようとしたそのときに、メディアが口を開いた。

 

「……八幡様、逃げませんか?」



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吐露

 少年は己を弱者と語る。
 負けることに関しては自分こそが最強と。
 しかしそんなことはない筈なのだ。
 彼は問題に直面した時、誰もが選ぶ、もっとも簡単で、確実で、安全なその手段だけは採らなかった。
 見て見ぬ振りをする。
 その選択だけは、決して選ぶ事はなかったのだから。
 ならばそれは、強さと呼んでも良いのではないのだろうか。
 少年にとって不幸だったのは、少年が自分で思っているよりもずっと強かったということだろう。
 そのために少年は、関わる者達を見捨てることができなかったのだから。
 彼の妹によれば少年は捻デレなのだという。
 だから、少年自身が認めることはけしてないのだろう。それでも。
 彼の強さの、その根底にあるものは。
 きっと、優しさと呼ばれるものなのだ。


「……八幡様、逃げませんか?」

 

 私のその言葉にも、比企谷八幡は微動だにしなかった。

 体を森へと向けたまま首だけを捻り、肩越しに私へといつもの腐った視線を向けている。

 これはある種の賭けだった。

 比企谷八幡は何かを覚悟している。時間稼ぎとやらにどのような手段を用いるつもりかは分からないが、なんにしても生き延びられる可能性は高くない筈だ。

 この男の本性を見極める機会は、おそらくこれが最後になる。

 

「人数が減れば追跡をかわすのも容易になります。私達だけなら逃げ切れると思います」

 

 これは本当だった。

 アインツベルンの技量は相当だが、私とてキャスターのサーヴァントだ。侵入の際にトラップの癖は見切っている。全てをかわすのも不可能ではない。

 

「……衛宮達を囮にしてか」

「はい」

「お前が抜けたら作戦はどうなる」

「大丈夫ですよ、きっと。セイバーも復活しましたし、凛様も切り札を持ってきてるみたいですから」

 

 この切り札というのが中々強力だった。上手く決まれば本当にサーヴァントでも倒せるだろう。

 

「それじゃ足りないからこんな素人の作戦に乗ったんだろうが」

「それに士郎様にも固有結界がありますし」

「将来的に使えるようになるかもしれないってだけだろ。何の足しにもならん」

「追い詰められて才能が開花するかもしれませんよ?ほら、士郎様のこと前に主人公って言ってたじゃないですか」

「あるわけねえだろんなもん、ラノベじゃあるまいし。現実じゃ、策も無しに追い詰められたらそこで終わりだ」

「そうとも限りませんけどね、魔術が絡むと特に」

 

 窮地に陥ることで集中力が極限まで高まり、それまで出来なかったことがいきなり出来るようになるというのは、実は結構ある。

 集中力が重要な魔術では、その傾向は特に高い。無論、そうならない可能性の方が遥かに高いが。

 

「それに良いじゃないですか、それでも。どの道最後には倒さなければならない相手なんですから。ここで潰し合ってもらいましょう」

「……その後はどうする。お前じゃバーサーカーに対処できないだろう」

「アインツベルンのマスターは衛宮士郎に拘泥しています。彼さえ手に入れてしまえば満足しますよ。そのまま聖杯戦争から降りてしまう可能性もあるでしょう」

 

 そこで、会話が途切れた。そのまましばし見詰め合う。

 睨み合い、ではない。

 比企谷八幡の視線に微かに含まれる感情を感じ取り、つい激昂しそうになるがどうにか平静を装って続ける。

 

「ねぇ、そうしましょう?セイバーが倒れ、バーサーカーが去れば、残りはランサー一人。私と八幡様なら倒せますよ、きっと」

 

 ランサーの正体は既に判っている。強敵ではあるが、相性という点においてはバーサーカーほど悲惨ではない。

 私と比企谷八幡がきっちり策を練れば、決して勝てない相手ではないだろう。

 

「そうなればどんな望みも思いのままですよ?別に大それた事に使う必要なんてありません。小さな願いを少しずつ叶えていけば、それこそ一生遊んで暮らすくらいわけない筈です」

 

 比企谷八幡は聖杯を要らないと言っていた。それはおそらく本心だろうが、だからと言って丸きりの無欲ということにはなるまい。

 実際この男は無欲という言葉にはほど遠い。ただ並以上の幸福を求めないというだけだ。

 

「ですから……逃げましょう、ね?所詮は他人じゃないですか。八幡様が犠牲になる必要なんてありません。小町様だって悲しみます。もし、私と逃げて下さるのなら……」

 

 ここで一度言葉を切る。私にとってもそれなりの覚悟を要するセリフだから。

 

「……私と逃げて下さるなら、今度こそ、八幡様に忠誠を誓っても構いません」

 

 私はそれまでのやや軽い調子を引っ込め、真剣な面持ちでそう告げた。

 この言葉は本気だった。この男がこの状況で自分を優先してくれるのであれば、私はこの先を奴隷として過ごしても、なんなら比企谷八幡を逃がすための捨て駒として使われても構わない。

 

 さあ、どう出る、比企谷八幡?

 私のカードはこれで全てだ。

 お前はもう戦わなくても良い。元々こんなところへ来てしまったことが間違いなのだ。日常に帰れるなら帰るべきだ。

 理由は与えた。メリットも示した。逃げ道も作った。

 後は言葉にするだけだ。それだけでお前は、あの暖かい場所へ帰れる。帰してみせる。

 だから言え。逃げると。死にたくないと。そうすればわ

 

 

「準備を進めろ。見落としの無いようにな」

 

 

 比企谷八幡は、それだけ言って視線を前に戻した。

 

「……なんでよ」

 

 怒りに声が震えているのが自分でも分かった。

 

「あんな作戦が上手くいくと思ってるの?そんなわけ無いでしょうが!いいえ、それ以前の問題よ!作戦の成功失敗に関わりなくあなたは死ぬ!そのくらい分かっているでしょう!?」

 

 感情を抑え切れず声を荒げてしまう。

 バーサーカーに気付かれるかもしれない。

 遠坂凛達にも聞こえているだろう。

 まずいのは分かっている。しかし止まれない。

 

「時間稼ぎ?ただの人間に何が出来る!ああ、お前は優秀だ。だがそれだけだ!今までだって私の魔術があってどうにか切り抜けてきただけだろうが!」

 

 そう。作戦は比企谷八幡が時間を作ることが前提となっている。

 だがそもそも無理なのだ。ただの人間が、バーサーカーを相手に時間稼ぎなど出来るわけがない。

 

「分かっているだろう!?お前が生き残る道は逃げることだけだ!なのに何故戦おうとする!?」

 

 一息に吐き出し、息を荒げる。

 比企谷八幡は、正面を向いたままで答える。

 

「……あいつらは、多分この先必要になる。失うわけには」

「建前はもういいと言っている!」

 

 もうたくさんだ!

 

「この先必要になる!?お前の目的は何だ!生き残ることだろうが!やつらを生かす為に貴様が死んでどうする!?貴様の言っていることはバラバラだ!」

 

 思えば初めからそうだった。

 この男の言うことは、筋が通っているようで微妙にチグハグだった。ほんの少しずつだが目的から外れているのだ。

 

「そう、そうよ。なんで令呪を使わなかったわけ?あんたなら思いついていた筈でしょう?そんな目的、すぐに達成できたって。その最後の令呪で」

「やめろ」

 

 そうだ。私が思いつくのだ。この男が考えなかったわけがない。この命令ならば、確実に、安全に聖杯戦争から降りることができる。

 令呪とサーヴァントを、まとめて片付けることができる。

 

「最後の令呪で、私に死ねって命令すればよかったじゃない!」

「やめろ!」

 

 二人の叫びが重なり、沈黙が降りる。

 分かっている。この男は、その命令をしなかったのではない。できなかったのだ。それは分かっている。

 そして私は、それが気に入らないのだ。

 

「……ねえ、なんで?なんでそうしなかったの?私を憐れんだわけ?」

 

 頑なにこちらを向こうとしない比企谷八幡の背中に、卑屈な笑みを投げかける。顔に水気を感じた。雨でも降ってきたか?

 

「ふざけるな!貴様が、よりにもよって貴様如きが、この私を憐れむだと!?貴様など……、貴様など……!」

 

 一息に言ってしまいたいのに、上手く言葉が出ない。爆発して壊れた感情に塞き止められてしまう。それでも無理矢理に吐き出すと、思った以上に大きな声が出た。

 

「貴様など、私と同類の癖に!」

 

 それが悔しかった。

 ああ、そうだ。私が気に入らないのは、結局これに尽きる。

 人の振りをして過ごしていた頃、私は夢という形で比企谷八幡の過去を垣間見た。

 それなりに壮絶だった。この男とならば解り合えるかもしれない。そんなことを思いさえした。

 私ほど悲惨ではないとは言え、そんなことは当人にとって何の救いにもならない。あんなものは人の受ける扱いではない。

 私達には世界を憎む資格がある。復讐する権利がある。

 彼が聖杯を手にして破滅を望むのであれば、自分の願いを差し置いてでも叶えてやろう。そう思った。それなのに。

 

 お前は何故憎まない!?何故恨まない!?

 

 絶対に許さない。そんな馬鹿なことを言いながら、この男はその実誰も憎んでなどいなかった。あまつさえ、恨むべき相手に救いの手を差し伸べてすらいる。

 何故そんなことができる?

 権利と義務は表裏一体だ。お前は、私と同じ最底辺の人間の筈だ。世界に復讐しなければならない筈だ。なのに何故それを望まない?

 これでは、私だけがあまりにも惨めではないか……!

 

「何が違う。私とお前は何が違う!貴様は何だ!?答えろ、比企谷八幡!貴様は何の為に戦っている!?」

 

 比企谷八幡は、あくまでも背を向けたままだった。そのままで深くため息を吐くと、一言だけ呟くように言った。

 

「……依頼、されたからな」

 

 ……依頼?何の話だ?

 私が疑問符を浮かべたのを気配で察したか、さらに言葉を続ける。

 

「何だ、雪ノ下から聞いてないのか?ったく、たまに抜けてるよな、あいつも」

 

 雪ノ下雪乃だと?何故今さらそんな名前が出てくる?

 

「飢えた者に魚を与えるのではなく、魚の捕り方を教える。それが奉仕部の理念なんだとよ。俺は入部させられた時に言われたんだけどな」

 

 だからこいつは何を言っている!?

 

「依頼は『なりたい』だったからな。理念に抵触してない以上、突っぱねるわけにもいかねえんだよ。過程がどうあれ、引き受けた以上仕事はこなすさ」

「『なりたい』?さっきから何だ!一体誰からどんな依頼を受けた!?」

「お前が言ったんだよ」

 

 その言葉に、固まる。

 私の依頼だと?私がいつ、何になりたいと言ったというのだ?

 比企谷八幡はやはり背を向けたまま。そのままで、左手で後ろ頭をボリボリと掻いている。

 不意に思い出す。

 この仕種は、学生として過ごしていた頃に気付いたこの男の癖だった。何か照れくさい事があった時、この男はこうやって誤魔化そうとするのだ。

 

「だからまぁ、その手伝いくらいはしてやる」

 

 それで終わり、らしい。

 わけが分からない。一体何を言いたかった?

 ただ、嘘をついているわけではないことは直感的に分かった。

 この男は、思いの他嘘を嫌う。こういう場面では意外なほど不器用な人間なのだ。

 考える。

 私に覚えはないが、この男は私の依頼で戦っているらしい。ならばその依頼とはなんだ?それらしい会話など一度も……

 

「!?」

 

 いや、あった。一度だけ。たった一度だけ、この男の前で『なりたい』と言ったことが、言わされたことがある。

 だけど本当にそうなのか?あんなものを依頼と呼ぶのか?

 

「……お前が小町の名前とか出すから、わが家の飯が恋しくなっちまったじゃねえか」

 

 沈黙を誤魔化すように、比企谷八幡がぼやく。左手で頭を掻きながら。

 

「だからまぁ、さっさと終わらせて帰ろうぜ」

 

 私は崩れて膝をつく。自分の胸を抱いて涙を堪えようとするが止まらない。

 帰ろう。

 その言葉で分かってしまった。いや、本当はもっと前から気付いていたのかもしれない。ただ私が認めなかっただけだ。信じなかっただけだ。

 あの日。私が召喚されたあの日に、無理矢理言わされたあの言葉。

 

『幸せになりたい』

 

 この人はずっと、その、たった一言のために戦ってくれていたのだ。

 比企谷八幡は言葉を続ける。左手で頭を掻きながら。

 

「……また、野菜炒め作ってくれよ。今度はベシャベシャじゃないやつな」

「はい…………!」

 

 あくまでも背を向けたまま。私の涙を見ないように。

 その然り気無い優しさに、また涙が溢れる。

 

「小町もお前に料理教えるの楽しそうだったからな。また付き合ってやってくれ」

「はい…………!」

 

 思えばセイバー達を護ろうとしているのも、聖杯戦争ではなく、私に必要だからだと考えているのかもしれない。

 もうちょっと考えて欲しい。どう考えてもあなたの方が重要ではないか。

 生き残ろう。絶対に。

 そう決意する。

 それとほぼ同時だった。

 

 

「茶番は終わった?」

 

 

 唐突にかけられたその言葉に、私は涙を拭って立ち上がる。

 

「退屈な劇を見せられて、眠くなっちゃったわ」

 

 そう言って、霧深い森から白い少女が姿を現す。

 形ある『死』を引き連れて。

 

「それじゃあ、狩りを始めさせてもらうわね?」



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奇手

「それじゃあ、狩りを始めさせてもらうわね?」

 

 ついに来たか……。とりあえず最初の賭けには勝ったらしいが。

 霧から溶け出るようにして現れたイリヤスフィール、そして彼女に付き従うバーサーカーへと視線を向ける。

 近くで俺達の様子を伺っていたのだろう、後ろからは衛宮達が飛び出してきた。

 ……セイバーは武装していて、顔色も良い。無事に回復できたようだ。そのセイバーが口を開く。

 

「ハチマン!下がってください!」

 

 セイバー、ナイスアシスト。意識してやったわけじゃないだろうけど。

 

「いや、いい。メディア、お前も下がってろ」

 

 俺の代わりに前に出ようとするセイバーを制し、メディアにも衛宮達と合流するように指示する。

 彼女らはわずかに迷いを見せながらもそれに従う。が、そんな俺に不快そうな視線を向ける者もいた。イリヤスフィールだ。

 

「……なんのつもり?」

 

 メディア達が固唾を飲んで見守る中、出来るだけ大仰な仕種と共に答える。

 

「見ての通りだ。まずは俺が相手してやるよ」

 

 相手して『やる』。

 その言葉に、イリヤスフィールのこめかみがピクリと動くのが見えた。予想通りだな。

 

「正気?魔術師ですらないただの人間に、バーサーカーの相手が務まると思ってるの?」

「ま、普通は無理だろうけどな。だが幸い、今なら一つだけ秘策がある。どうだ?お前さえよけりゃ試させてほしいんだが」

「バカじゃないの?わざわざ敵に好きにさせる理由なんて無いじゃない」

 

 理由が無いなら作ればいい。それも今回は相手の方が積極的に作ってくれる。

 

「いや、無理にとは言わんさ。ダメならこのまま普通にやり合うだけだ」

「待ちなさい」

 

 あっさりと退く俺に、イリヤスフィールは考える素振りを見せる。

 やっぱりな。

 

(魔術師の弱点その一。魔術師以外を警戒しない)

 

 この手の駆け引きはバランスが難しいのだが、俺が相手である場合に限り、この程度で問題ないだろう。

 囚われていた間、俺は一度も名前を聞かれなかった。つまりイリヤスフィールにとっての俺は、名前の設定すらないモブキャラだということだ。

 また、イリヤスフィールの精神は見た目以上に幼い。知識や能力は外見からは考えられないほどに高いが、精神性そのものはそれに相反するように幼稚だ。

 頭が悪くて頭がおかしい蛇神様ではないが、彼女を騙すのは難しくない。もっとも頭の回転自体は早いので、騙し続けるとなると至難だろうが。

 

「……良いわよ?やってごらんなさい」

 

 そら、乗ってきた。

 

(魔術師の弱点その二。演出にこだわる)

 

 普段秘匿してる反動なのかは知らんが、いざ魔術を使う段になるとやたらと見栄えを気にする。それもおそらくは無意識にだ。

 例えばイリヤスフィールの場合、俺達を城から逃がしたくなかったのなら、その辺の通路とかで待ち構えるべきだったのだ。

 それをロビーで、しかもわざわざ俺達が扉に手をかけるのを待ってから仕掛けたりするからムザムザ逃がす羽目になった。

 今にしてもそうだ。

 ただ俺達を倒すのが目的ならば、前口上などせずにいきなり斬りかかるべきだった。そうなっていたら、俺は悲鳴すら上げられずに絶命していただろう。

 最初の賭けとはまさにその事で、不意打ちが無かった時点で時間稼ぎまではほぼ成功したと思っていい。

 イリヤスフィールにとって俺はただの端役だ。

 今の状況は、本来モブである筈の俺が、出番でもないのに舞台の真ん中に陣取っている状態だ。それも主演の一人であるセイバーに下がれとまで抜かしている。演出家からすれば、これほど不快な状況もそうそう無いだろう。

 俺を無理矢理引きずり降ろすのは簡単だろう。しかしそんなことをすれば舞台が白けてしまう。ならばどうするか。

 モブに役を与えてやればいい。それに合わせて、大筋に影響を与えないよう、ほんの少しだけ脚本を変更する。

 ではどんな役を与えるべきかだが、モブキャラに相応しく、いつ退場させても構わないものが望ましい。

 そんな役割はごく限られるだろうが、この場合は丁度良いものがある。すなわち、噛ませ役だ。

 噛ませ役を使ってバーサーカーの強さを誇示するにはどうするのが効果的か。これはシンプルな方がいいだろう。

 今回イリヤスフィールが狙っているのは、敵のとっておきの攻撃を無効化し、反す刀で即殺する、という演出だ。

 つまり一手。一手だけ、俺の自由が約束されたことになる。そして一手あれば、俺の時間稼ぎは完成する。

 

「んじゃま、遠慮無く」

 

 俺はゆっくりと、令呪を見せ付けるようにして左手を掲げた。イリヤスフィールはそれを見て、嘲るような笑みを浮かべる。

 

(魔術師の弱点その三。魔術を信頼しすぎる)

 

 場合にもよるが、魔術の頭に『自分の』と付くことも少なくない。

 なんにしてもだ。その一もその二もそれ以外も、魔術師の弱点――魔術の、ではない。あくまでもそれを扱う者の弱点だ――というのは、結局これに集約される。

 魔術は強大だ。生身の人間が振るう力としては、間違いなく最強だろう。それ故に、魔術師は魔術を、ひいてはそれを扱う自分を過信する。

 たとえ令呪のブーストがあっても、キャスターではバーサーカーを傷付けることは出来ない。イリヤスフィールはそう考えているだろう。その認識はおそらく正しい。イリヤスフィールの慢心は、きわめて順当なものでもある。

 単独でバーサーカーを打倒出来るサーヴァントは、多分存在しない。メディアの力では、バーサーカーにダメージを与える事すら出来ないだろう。イリヤスフィールはそれを正しく理解している。

 だからこそ、この場における俺の勝利は揺るがない。

 

「最後の令呪をもって命ずる」

 

 俺はイリヤスフィールの望む演出に合わせて、勿体ぶるように言葉を紡ぐ。

 スパロボみたいなマップクリア式の戦略シミュレーションを遊んだ事のある奴ならば分かると思うが、勝利条件というものは、必ずしも敵を倒すことだとは限らない。

 例えば特定のポイントに辿り着くことだったり、規定の時間を生き延びることだったりすることもある。

 

「キャスター」

 

 今の俺達で言えば、勝利条件は時間を稼ぐこと。もっと言えば、衛宮達にバーサーカーを倒す為の準備を整えさせることだ。

 そしてその中に、俺自身の無事は含まれない。

 

「衛宮達を連れて逃げろ」

 

 衛宮達の表情が驚愕に染まり、同時に掻き消える。その間際、メディアが何事かを叫ぼうとするのが見えた気がした。

 

「お~、消えた消えた。今の空間転移ってやつだよな?ラノベだと地味に思えるけど、実際に見るとインパクトすげーなこれ」

 

 俺はメディアが何を言おうとしたのかを考えないようにしながら、はしゃぐような声を上げる。

 

「…………なんのつもり?」

 

 凍り付くようなその声は、イリヤスフィールのものだ。彼女は全ての表情を殺し、ただ虚ろな瞳でこちらを見詰めている。おお怖え。

 俺は肩を竦め、あくまでも軽い調子で答える。

 

「見ての通りだ。俺の役目は時間稼ぎなんでな、あいつらを逃がさせてもらった」

「へえ、そうだったんだ?でもなんで自分だけ残ったの?一人で前に出たりしないで一塊になってれば、あなたも一緒に逃げられたんじゃない?」

「それだとお前が警戒するだろ?そうしてたら、令呪を使う前に潰そうとしたんじゃないか?」

「……言われてみれば、それもそうね」

 

 例え令呪のブーストがあっても、複数の人間を抱えて逃げるとなれば並のことではない。一人だけ群から離れた者を回収するとなると、成功率はさらに大きく低減する。

 バーサーカーを相手にそれは、文字通りの命取りとなる。それはあまりにも無謀だし、何より意味が無い。だからこそ、イリヤスフィールは今回、逃げの可能性を除外した。そこを突かせてもらったわけだ。

 

 仮に全員で集まっていたとしよう。

 令呪を逃走用に使うのは、既に一度見せてしまっている。当然イリヤスフィールは警戒している。令呪を使う素振りを見せれば、即座にバーサーカーをけしかけてきただろう。

 イリヤスフィールは既に令呪を二つ使っている。バーサーカーはセイバーが抑えてくれるだろう。だからそれで殺されるということは無かった筈だ。

 しかしそうなった場合、俺達はセイバーを残して逃げることになってしまう。それでは何の意味も無い。

 また、時間を稼ぐだけなら令呪が二つ残っていて、尚且つ不死身の衛宮の方が適任ではある。しかし衛宮は、セイバーと並んで今回の作戦の鍵だ。使うことはできない。

 遠坂は令呪があってもサーヴァントがいない。それに適性の差を考えれば、遠坂をここで使い潰してしまうのは惜しい。

 結局、俺を囮に使うのが一番確実だったのだ。問題があるとすれば……

 

「それで?ここからどうするつもり?わたしには、あなたが生き延びられる可能性があるようには思えないんだけど」

 

 そうなんだよな。

 白状してしまうと今の俺は、アーチャーに中二心を刺激されてるだけ。こんな真似をしでかしたのは、ぶっちゃけただのノリに近い。だからきっとすぐに後悔するだろう。というかもうしてる。

 ただ正味な話、これは俺が選べる選択肢の中では、生き延びる可能性がもっとも高いと思われるものなのも事実だったりする。

 メディアは、イリヤスフィールは衛宮を手に入れれば満足すると言っていた。それはおそらく正しいだろう。

 しかし城で連中の会話を漏れ聞いた限りだと、イリヤスフィールが聖杯戦争に参加しているのは、アインツベルン家の意向らしい。となれば、衛宮を手に入れただけでは止まらない筈だ。

 イリヤスフィールはバーサーカーに絶対の自信を持っている。ならば、個人的な目的を果たした後、『ついでに』聖杯を取りにくる可能性は決して低くないだろう。いや、むしろ高いと思われる。つまりバーサーカーを倒さない限り、どこかで必ず殺されることになる。

 バーサーカーを単独で倒すのは不可能だ。生き残りたいならセイバーと協力する以外にない。ただ……

 

(一番高い可能性で1%以下、ってのが泣けるところだな)

 

 別に計算したわけではないが多分そんなもんだろう。

 全員で戦っていれば、メディアが言っていたように誰かの隠れた力が目覚めて一発逆転、てな展開もあったかもしれない。実際、衛宮には本当に力が眠っているわけだし。

 しかしそんなのはただの奇跡だ。俺は奇跡など信じない。

 俺の選択は、勝率で言えばHP1でメタルキングとタイマン張るようなものだろう。

 攻撃しても当たらない。当たったところで倒すことはできない。ベギラマが飛んでくればそれで終わり。絶望的と言える。

 しかしそれでも完全な0ではない。会心さえ出れば倒せる。恐ろしく低いとは言え、生き延びる可能性は確かに存在するのだ。

 対して全員で戦う道は、そもそも倒せないように設定されてるイベントエネミーをバグ頼みで倒そうとするようなものだ。奇跡に賭けると言えば聞こえは良いが、そんなものを可能性と呼ぶわけにはいかない。

 ま、なんにしても今さらルート変更はできない。ならばわずかな可能性とやらにすがるしかない。

 一応、俺の生存パターンは4つほどある。

 

 一、イリヤスフィールが衛宮達の追撃を優先して俺を無視する。

 二、イリヤスフィールの気紛れで見逃される。

 

 一も二も大して変わらなかった。

 俺は左手をイリヤスフィールに見せながら言った。

 

「見ての通り、俺はもうマスターじゃない」

「そうね。それが?」

「見逃してもらえると助かるんだが」

「……そんな話が通るとでも思ってるの?」

 

 イリヤスフィールは氷のような瞳でそう答える。ですよねー。

 

「……なんなら靴を舐めてもいいが?」

 

 その言葉に、イリヤスフィールは俯いて肩を震わせる。髪で隠れて表情は見えない。が、超怖い。

 

「……フ、フフ、フ……ここまでコケにされたのは生まれて初めてだわ」

 

 おおう、すげえ怒ってる。本気だったんだけどな。そんなもんで助かるならやるよ?普通に。

 二つの可能性があっさり潰えた。いやまあ期待してたわけでもないが。

 

「やっぱダメか……しゃあねえ。んじゃ、最後の手段だな」

 

 ため息と共に、右腕を振るう。袖から飛び出したナイフを掴み、左足を軽く引く。

 自然体とほとんど変わらない、しかし明らかに戦う為の構えをとった俺に、イリヤスフィールは顔を上げぬままで問いかける。

 

「なんのつもり?」

 

 こいつのこのセリフは何度目だろう。自覚があるかは分からないが、会う度に言われている気がする。

 ただ、今回のこれは、わずかではあるがこれまでとトーンが異なる気がした。

 

「見ての通りだよ。逃げるのは無理そうだしな、戦うしかねえだろ」

「戦う?バーサーカーと?そんな物でどうしようっていうの?」

「バーサーカーには効かなくても、マスターになら効くんじゃねえか?」

「そうね。魔術もかかっていないただのナイフでも、わたしにだったら刺さるかもしれないわね」

「だろ?バーサーカーをかわしてお前に近付けりゃ何とかなるかもな」

「かわす必要は無いわよ。バーサーカーに手出しはさせないから」

 

 言って、イリヤスフィールはようやく顔を上げた。その凄絶とも言える笑みを見て、麻痺させている筈の恐怖が首をもたげる。

 

「下がってなさい、バーサーカー。この男は、わたしが直々に叩き潰すわ」

 

 その言葉に内心で拳を握る。

 上手くいってくれた。挑発しまくった甲斐があった。これで三つ目の可能性の、最低限の条件はクリアできた。

 

 俺が生き延びる可能性その三。戦って勝つ。

 

 第四位を倒した、とある無能力者はこう言っていた。

 能力者は銃弾が効かないわけではない。能力を使って銃弾が当たらないようにイカサマしているだけだ。

 この言葉は、能力者を魔術師に置き換えてもそのまま通用するだろう。

 バーサーカーが相手では可能性など絶無だが、イリヤスフィールが相手ならば、少なくともゼロではない。

 ちなみに可能性その四は『奇跡が起きてなんか助かる』なので考える意味は無い。

 

「誇りなさい。わたしをこれだけ怒らせたのは、キリツグ以外じゃあなただけよ」

 

 イリヤスフィールは、その瞳を狂気で紅く輝かせて――おそらく錯覚ではないだろう――告げる。

 

「来なさい、虫けら。身の程というものを教えてあげるわ」



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奇蹟

 奇跡とは、それを信ずる者にのみ訪れる。


 はてさて、生き残りのための最低限の条件をクリアしたはいいが、依然として絶望的な状況であることは変わらない。

 

 俺とイリヤスフィール。

 

 魔術を知らない者なら、誰が見ても俺が勝つと言うだろう。なんなら卑怯者やらゲス野郎といった罵声と共に、空き缶や石ころが飛んでくるまである。そのくらい体格に差がある。

 しかし当の俺は、まったくもって楽観する気にはなれなかった。

 この幼女の代わりに熊と戦えと言われれば、おそらくそっちに飛び付く。魔術師とそうでない人間の力には、それほどに差があるのだ。

 聖杯戦争が本格化する前に、メディアと模擬戦をしたことがある。その時俺は、メディアに触れるどころか歩かせることすらできなかった。無論、メディアが手加減していての話だ。

 ぶっちゃけた話、ただの人間が魔術師に挑むというのは、難易度で言えばFFノーセーブクリアと大差ないだろう。要するに普通に考えれば不可能だ。

 しかし俺は知っている。ネオエクスデスをLV7で倒したバカを。オープニングからエンディングまでは五時間だったか。いやこれ関係ねえな。

 まあなんだ、厳しいからって諦める理由にはならんさ。やらなきゃならん事をするのに、それが出来るかどうかは関係ない。俺の尊敬するヒーローがそう言ってた。ちなみにギャグパートだったのは秘密。

 ナイフを正面に構えたまま、左腕を震わせ筋肉をほぐす。そうしながらイリヤスフィールに声をかけた。

 

「なあ、砂漠の針って知ってるか?」

「……なにそれ」

「いや、知らんなら別にいい」

 

 セリフの終わりと同時に、倒れこむようにして駆け出した。

 

 実力においてどう逆立ちしても敵わない相手と戦う時、さらにはその相手にどうしても勝ちたい時、どうすればいいと思う?

 

 昔読んだ古いラノベで、主人公が回想の中で師匠から言われたセリフだ。

 幼い主人公は分からないと答えた。そんな主人公に、師匠は人の悪い笑みを浮かべてこう教えたんだ。

 

(イカサマするのさ、だったよな。チャイルドマン先生!)

 

 身を低くし、地を這うような体勢で疾走する。

 脚で走っているとは思えないスピード。強化状態の俺は、100m5秒を切る。驚け、亀仙人より速い。

 走りながら左腕を振るう。

 袖から飛び出したトカレフを見て、イリヤスフィールが失望に近い表情を見せた。

 

 そんなオモチャが通じると思っているのか。

 

(とでも思ってんだろ)

 

 無論、通じるわけがない。そもそもこれは、BB弾しか撃てない正真正銘のオモチャだ。

 左腕を振り上げて銃口を向ける、フリをして銃を頭上へと放り投げた。

 イリヤスフィールは反射的にそれを目で追う。そのために、俺の左袖から新たに別の物が転がり出たのを見逃した。

 

 ドッ

 

 重量のある何かが、湿った土を叩く音。その音につられてイリヤスフィールが今度は下を向く。直後、光が爆発した。

 

 暴徒鎮圧用の閃光手榴弾(フラッシュグレネード)

 

 雪ノ下を通じて陽乃さんに取り寄せてもらったアイテムの中でも取って置きだ。

 閃光に網膜を焼かれ、イリヤスフィールが怯む。

 メディアに頼んであらかじめ防御を施しておいた俺は、光の中でも速度を緩めることなく一気に間合いを詰め、その小さな身体の中心目掛けてナイフを突き出す。

 迷いは無かった。己れよりも圧倒的に強大な敵が相手だ。迷いを持つ余裕など無い。にも関わらず、その刃が届くことはなかった。

 肉抜きされた大振りの刃、そしてそれを持つ右手が、目に見えない、よく分からない力に絡め取られている。

 イリヤスフィールの胸の十数㎝手前。その空間で固定されたみたいにビクともしない。

 

「……随分酷いことするじゃない。眼が悪くなったらどうするのよ?」

 

 そんなセリフと共に右腕、というか手首の辺りに上向きの力が加わり、ゆっくりと持ち上げられる。

 

「う……お!?」

 

 抵抗するがまったく通じない。肘が伸びきってからも手首は上がり続け、ついには宙吊りにされる形となる。

 

「いい格好じゃない。ここからどうしようかしら?」

 

 冷笑を浮かべるイリヤスフィールと目が合う。その目を一瞬右に逸らす。それにつられ、イリヤスフィールの視線も反射的に右を向いた。

 誰にでも出来る簡単な視線誘導(ミスディレクション)だ。その一瞬にまだ自由な左手を持ち上げ――

 

 めぎしっ

 

 そんな耳障りな音と共に、イリヤスフィールに向けた筈の左腕が奇妙な方向へと捻じ曲がる。

 骨がメチャクチャに砕けた腕は力なく垂れ下がり、隠し持っていた催涙スプレーがこぼれ落ちた。

 イリヤスフィールは薄笑いを浮かべ、空中にぶら下がる俺へと言葉を投げた。

 

「同じ手が二度も通じると思う?」

「ああ、思うね」

 

 実際衛宮達を逃がしてるわけだしな。俺は脂汗を浮かべながらもニヤリと笑ってみせた。

 肩を揺すって砕けた左腕を動かすと、袖から何かがこぼれ落ちる。

 イリヤスフィールがそれに目を向けた瞬間、再び閃光が溢れる。

 二つ目のフラッシュグレネード。陽乃さん印のビックリアイテムはこれで打ち止めだ。

 イリヤスフィールももう対策しているだろう。だから目潰しの効果は期待できない。それでも注意を引くことはできる。それで充分だ。

 効果的な不意討ちとは何か?

 背後からの攻撃?否。視界外からの攻撃?否だ。

 それらは間違いではないが本質を捉えてはいない。不意討ちというものは、意識の外から放たれるから有効なのだ。

 相手がまったく予想してない攻撃であれば、正面からでも不意討ちは成立する。予測してないロングフックの前には、幕の内一歩ですら一撃でマットに沈むのだ。

 俺は右手の、宙吊りにされて動きを封じられている右手の親指を押し込む。

 

 バチンッ

 

 硬いバネの弾ける音がした。

 

 スペツナズナイフ。

 ソ連の特殊部隊、スペツナズが使用していたと言われるナイフで、バネ仕掛けで刃を射出することができるという、中二心をくすぐりまくる逸品である。

 実際にスペツナズで使用されていたかどうかは実は怪しいらしいが、『バネで刃が飛び出すナイフ』という代物は実在している。ちなみに日本では法律違反になるらしい。

 俺の入手したこれは、おそらくそうした都市伝説の類いを聞いて複製されたバッタもんだろう。

 重心がおかしいのか微妙に取り回しが悪いし、肝心のスプリングが弱いのだろう、射程にいたっては3mもない。

 だが、俺は元々素人だ。道具の良し悪しが勝敗に影響するような相手ならば、そもそも殺し合いになどなりはしない。

 だから、俺が聖杯戦争で直接戦闘を行うことになった場合、重要なのはいかにして不意を突くか。その一点に絞られる。

 その意味で、スペツナズナイフというのはうってつけの武器と言える。

 そして今、俺はその武器を、最高の状態で使っていた。

 敵は勝利を確信した直後に足下へと注意を引き付けられ、頭上から、それも拘束した筈の右手から、致命の刃が放たれて――

 

 

「――へぇ、こんなオモチャもあるんだ?中々面白いわね」

 

 

 それは結局、イリヤスフィールへと届くことはなかった。

 

「……っそ、たれがぁ……!」

 

 放たれた刃は、イリヤスフィールの額の数㎝手前で、空中に静止していた。

 

「下品な言葉使いね。嫌だわ」

 

 イリヤスフィールのそんなセリフに合わせるようにして、柄の無いナイフがふわりと彼女の周りを浮遊する。

 

 判っていた。届かないことは。

 1%の可能性。そんなものに賭けて上手くいくのはフィクションだけだ。

 現実で挑戦したりすれば、普通に負けるに決まっているのだ。

 

 ギチリ

 

 手首を吊り上げていた力が強まり、その手に残されていたナイフの柄が落ちる。

 

「手品はもうネタ切れ?なら、今度はわたしの番よね?」

 

 そう言って、白い少女は嘲笑う。

 ネズミを前にした猫のように。




 奇跡とは、それを信ずる者にのみ訪れる。


 比企谷八幡の危機回避能力の高さは不信に依るところが大きい。
 彼は何も信じない。
 善意も。幸運も。偶然も。
 無論彼一人では何もできない。だから誰かを頼る必要がある。
 そのため、譲歩として必要以上に疑わないことを選択した。

 フィクションの物語の中には、『疑わない』ことを『信じる』ことの上位互換のように扱っている作品もある。が、それは本来逆なのだ。本物の信頼というものは、疑念の先にあるものなのだから。

 比企谷八幡は信じない。
 他人も。友愛も。運命も。自分自身ですらも。
 信じなかったからこそ、死と隣り合わせの日々を、死線に触れることなく越えてくることができた。
 しかしそれもここまでだ。ここから先は、疑わないだけでは足りない。
 信じることのできない比企谷八幡の、限界だった。


 奇跡とは、それを信ずる者にのみ訪れる。


 無論奇蹟とは、信じただけで起こせるほど安いものではない。
 最後の最期まで奇跡を信じ続け、結局何も起きないまま命を落とす者の方が遥かに多い。
 しかし、それでも奇跡を起こすのは、必ずそれを信じ抜いた者だけなのだ。


 奇跡とは、それを信ずる者にのみ訪れる。


 すなわち、奇跡を信じぬ比企谷八幡が、奇跡を引き起こすことは、

 無い。


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凌辱

 鋼の刃がふわり、と舞う。

 つい先ほどまで目の前の男が持っていた物で、どうもバネ仕掛けで射出できるらしい変わったナイフの刃だ。

 

「さて、と」

 

 その、柄の失われたナイフを顔の横でピタリと止め、男の太股目掛けて打ち出す。

 

「ぐっ!」

 

 短い苦鳴と共に鮮血が噴き出す。

 予想よりもずっと多い出血に、慌てて刃を引き抜いた。

 刃を顔の前に引き寄せて観察する。

 真っ直ぐな両刃のナイフで、真ん中が肉抜きされてスリットのような細長い空洞がある。

 ただの軽量化のためだと思っていたのだが、これがストローの役目を果たして刺した相手に出血を強いるらしい。なるほど、よく考えられている。

 

「でも、今は邪魔ね」

 

 呟いてパチンと指をならす。

 魔力が変質してナイフの肉抜き部分を塞ぎ、一枚の鋼の板に変える。出血が多いとすぐに死んでしまうし、汚れるのも困る。

 同時に男の傷口を塞いで出血を止め、ついでにその全身を軽くスキャンする。うん、やっぱり。どうりで反応が薄いと思った。

 わたしは男の脚に触れた。本当なら胸とか首の方が様になるところだけど、身長差がある上に宙吊りにしているため届かないのだ。ともあれ、そこから魔力を流し込む。

 

「ぐあぁぁぁぁっ!?」

 

 途端、男がみっともなく悲鳴を上げる。

 

「テ……メェ、何しやがった……!?」

「大したことじゃないわよ。あなたにかかっていた魔術を解除しただけ。痛覚を遮断していたんでしょう?腕が砕けてるのに平気そうだったものね」

 

 図星を突かれ、男がヒクリと顔を痙攣させる。いや、これから起こることを想像してか?

 わたしは気にせずもう一度ナイフを打ち込む。さっきは左脚だったから、今度は右だ。

 

「ぐわあぁぁぁ!?」

 

 うん、いい声。こうでなくちゃ。

 今度は血が噴き出したりはしない。刃が蓋になって傷口を塞いでいる。柄の無いナイフは尚も肉を抉って沈み続け、男の脚に完全に埋没し、反対側から飛び出す。

 

「あ……が……?」

 

 男は痛みに喘ぎながらも不思議そうな顔をする。どうやら気付いたらしい。

 男の脚、刃が通り抜けた部分は血で汚れていたが、怪我そのものは既に無い。わたしが治療したのだ。当たり前だが善意などではない。

 

 

「ねえ、知ってる?治癒の魔術っていうのはね、拷問にも使えるのよ?」

 

 

 身体の真ん中をナイフが貫く。

 溝尾の辺りに突き刺さった刃は体内で回転し、臓腑をメチャメチャに掻き回しつつ背骨を砕いて背中から飛び出る。

 そしてその頃には身体は元通り。衣服と皮膚の表面を紅く汚すのみ。後は男が吐血するくらいか。

 心臓を抉り、耳を削ぎ、肺を潰し、眼球を貫き、腸を引き出し、手足を裂き。

 そんなことを何十回と繰り返し、男にはもはや血で染まっていないところなど残っていないような有り様。

 常に再生させながら壊しているため怪我の類いは無いが、段々反応が鈍ってきている。今ではぐったりして悲鳴も出なくなってしまった。

 

「ねえ、何かしゃべってよ。退屈になってきちゃったわ」

 

 言葉と共に男の身体を吊り下げている右腕に刃を打ち込む。が、男は小さく震えただけで声すら上げなかった。

 つまらない。そろそろ終わりにしようか。

 ため息を一つ吐いて歩み寄る。

 特に意味の無い行動だ。気分を変えるために少し観察しよう。その程度のことだったのだが、近付いたことで『それ』に気付いた。

 思わず吹き出す。

 

「プッ……!アハハハハハッ!汚ったない!お漏らししてる!」

 

 股間の湿り気からは、既に温度が失われているように見える。つい今しがた、というわけではなさそうだ。もっと前にあって、ただわたしが気が付かなかっただけだろう。

 勿体ないことをしてしまった。が、それでもわたしは気を良くし、上機嫌で男へと語りかけた。

 

「ねえ、どんな気分?女の子にいじめられておしっこ漏らすのって。恥っずかしいね~?もしかして死んじゃいたい?」

 

 ちゃんと表情が見たい。

 下に潜り込むようにして顔を見上げると、唇が小さく動いているのが見えた。

 

「………う………て……い……」

「ん?なになに?ちゃんと聞こえるように言ってくれないと分かんないよ?」

 

 そう言ってやると、わずかではあったが声量が上がった。

 わたしの方も耳に意識を集中していたため、そのかすれた声をどうにか拾うことができた。

 

「……もう……許し……さい……」

 

 どうやらギブアップらしい。

 

「えー?せっかくまた面白くなりそうだったのにー」

 

 でもまあ仕方ないか。とっくに泣いてたし、考えてやってもいいだろう。

 

「それじゃあねえ、ちゃんとゴメンなさいしてお願い出来たら許してあげるかもしれないよ?」

 

 わたしの言葉に男がピクリと反応を示す。

 

「……ほん……とに……?」

「うん、ホントよ?それが出来たらちゃんと考えてあげるわ」

 

 わたしやっさしー♪こいつなんか泣いて喜んでるし。泣いてるのはずっとだけど。

 男はほんの少しだけ気の緩んだ様子を見せて口を開く。

 

「……すみま、ああああぁぁぁぁっ!?」

 

 そしてセリフの途中で絶叫する。肘の辺りに突き刺さっていたナイフを、一気に肩口まで引き下ろしたためだろう。

 

「すみま、何?」

 

 わたしはニコニコと続きを待つ。無論、その間もナイフの抜き刺しは忘れない。むしろ今までにないペースで何度も何度も男の身体を貫く。

 

「いまっ、までっ、なっ、まいっ、きっ、たいっ、どっ、ってっ、もうっ、しっ、わけっ、あっ、りまっ、せんっ、でしっ、たっ!」

 

 ビクビクと小さく痙攣を繰り返す男を見て、わたしはこれまでにないほど気分が高揚しているのを感じていた。

 

「……うん、ゴメンなさいは出来たわね。それから?」

「だっ!?」

 

 男が何かを言おうとして、止まる。それはそうだろう。気道が完全に塞がっていては声など出しようがない。

 向かって左側から男の首に突き刺さったナイフは、気道と頸動脈を含む首の大部分を塞ぎつつ、たっぷり十数秒以上をかけて反対側へと突き抜ける。

 当然すぐさま組織は再生を果たし、後にはわずかな血の滴が残るのみ。

 代わりというわけではないだろうが、男はごぽりという音と共に、泡の混じった血を吐き出した。

 わたしはそれを避けずに受け、左の頬に男の体温を感じながら続きを促す。

 

「それから?」

「……だず……げで……」

 

 男は顔のいろんなところから、いろんな体液を流しながらそう懇願した。

 

 うん。

 この子は頑張った。

 本当に頑張った。

 だからわたしも、とびきりの笑顔で応えてあげよう。

 

 そう心に決めて、彼に花が綻ぶような笑顔を向ける。

 そうして、その言葉を口にした。

 

 

「ダーメ☆」

 

 

 考える、とは言ったが許すとは言ってない。

 そしてまた、宴が再開される。

 

 

 どしゃり

 

 右腕の拘束が解けると共に、声もなく崩れ落ちる男。

 うつ伏せに倒れたまま、もはやピクリとも動かない。しかしわたしはまだ満足していない。すっかり火が着いてしまった。

 

「起きなさい。気を失う許可なんて出してないわよ」

 

 髪を掴んで引き起こしてやろう。そう思って近付いた。その時だった。

 

 ズンッ!

 

「!?」

 

 腹の底を突き上げるような衝撃。そして、

 

「ぐあぁぁぁっ!?」

 

 久方ぶりの、男の悲鳴。

 

 ふと気付けば自分のすぐ隣、それこそ触れるかどうかというほどの傍に、バーサーカーがいた。

 何が起きたか分からず、バーサーカーを上から下まで眺め、気付く。

 バーサーカーが、男の右腕を踏み潰していた。

 

「何のつもり!?下がりなさい!こんな命令は出してないわよ!」

 

 バーサーカーは逆らうことなく離れる。

 なんだというのだ、一体。

 せっかくの興奮に冷水をかけられた気分だ。

 今までこんなことはなかった。バーサーカーはこれまで、わたしの指示にひたすら忠実に従ってきた。それが何故突然……。

 

「ぐ……あ……ぐぅぅ……!」

 

 ともあれかがみこんで男の傷を診る。

 出血が酷い、のでとりあえず魔術で止血する。死ぬのは別に構わないが、それはもっと楽しんでからだ。

 右腕は、肘から先が完全に潰れていた。

 バーサーカーの巨体に踏み潰されたのだから当然だろう。比喩ではなく、文字通りのぺしゃんこだ。

 

「?」

 

 バーサーカーの足跡に残った、血と潰れた肉の混合物に紛れて、異質な何かが微かに輝くのが見えた。

 紫色の金属。土に埋もれかけてはいるが、破損はしていない。それは……

 

「『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』!?」

 

 思わず飛び退く。

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 

 かの裏切りの魔女が所持していたとされる、ありとあらゆる契約を破壊する裏切りの魔剣。

 

(何故そんな物がここに!?)

 

 いや待て。キャスターの正体は当の裏切りの魔女メディアだ。そのマスターが彼女の宝具を持っていたとしても不思議ではない。

 問題は、それが何故今のタイミングで出てきたかだ。

 遠巻きに観察する。

 かの魔剣は、バーサーカーに踏み潰されて尚壊れてはおらず、男の血と肉片で汚れているだけだ。

 元は手の部分であっただろう肉が柄にまとわりついていて、何かのどさくさで投げ出されたのではなく、男が手で握っていたのが伺える。そしてその切っ先は――

 

 思わず息を呑む。

 

 その刃の先端の、わずか数㎝先に小さな足跡がある。

 言うまでもない。わたしのものだ。これが何を意味するか。

 

(あとちょっとで、刺されてた?)

 

 まったく気が付かなかった。

 無論、足を刺されたところで大したことはない。

 普通の人間にとってはそれなりに大事かもしれないが、わたしは魔術師だ。すぐに治療すればいい。が。

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』の力を考える。

 

 魔術的な契約を全て無効化してしまうという、一見地味だが恐ろしく凶悪な宝具だ。下手をすれば、バーサーカーの支配権を令呪ごと奪われていた可能性もある。

 そうなっていたら、わたしではバーサーカーに勝ち目は無い。

 

(負けていた?あと一歩で……バーサーカーの機転が無ければ負けていた!)

 

 油断した隙を突かれた。

 そう言ってしまえばそれだけだが、仕方ないではないか。悲鳴も上げられないほど衰弱している相手から反撃がくるなど誰が考える。――いや待て、悲鳴だと?

 

(衰弱――してた筈、よね?)

 

 体感時間で約一時間。

 男が反応を見せなくなってから、それだけの間切り刻み続けた。それに飽きたからこそ、新しい刺激を求めて拘束を解いたのだ。

 しかしこいつは、バーサーカーに腕を踏み潰されて『悲鳴を上げた』。そんな力など残ってない筈なのに。

 男の身体をもう一度スキャンする。今度は簡単にではない。可能な限り精密にだ。

 

「これって……!?」

 

 男の背中にナイフを突き立てる。

 

「ぐっ……そ……!」

 

 反応が鈍い。が、その声には失われた筈の力が戻っている。それを聞いて確信した。

 

「あんた……痛覚を『殺し』てるわね!?」

 

 痛みを感じる神経そのものを破壊してある。魔術による痛覚の遮断は、それを隠すためのカモフラージュ。

 

「……正確には現在進行形で『死んでいってる』だ。完全にゼロになっちまうと反応が鈍るからな」

「信じられない……!」

 

 これではもう、魔術でも回復は望めない。

 感覚や感情というものは、必要だから存在しているのだ。

 初めから持っていないのならともかく、失ってしまえば全体のバランスを保つことはできない。例えそれが、どんなに余分なものに思えたとしてもだ。

 一時的に遮断するくらいならともかく、完全に殺してしまえば、いずれ五感の全てが引きずられるように壊死してしまう。

 こいつはそれを理解しているのか?

 痛みを感じないのであれば、拷問にでも耐えられるかもしれない。

 そうしてこちらの油断を誘い、隙を伺い、反撃の機会を待ち続けた。つまり――

 

(今までのは、全部演技……?)

 

 最初からここまで。それでワンセットの戦略(タクティクス)戦略。

 

 全身が粟立つ。

 確かに効果的ではあるだろう。

 事実、わたしはあと一歩で逆転を許すところだった。魔術師ですらない人の身で戦おうとするなら、そのくらいの覚悟が必要なのかもしれない。何より死ぬよりはマシだ。しかし――

 

(だからって、本当にやるか普通!?)

 

 痛みを感じないとはいえ、他の感覚は健在なのだ。拷問の不快感は拭い切れるものではない。というか、軽減されているとはいえ痛みそのものも感じていた筈だ。

 そこまでしても確実に勝てる確証など無く、勝ったとしても、待っているのは良くて半身不随の未来。

 例え他に手が無かったとしてもこんな道を選び、あまつさえ成功の一歩手前までこぎ着けるというのは、どんな自制心があれば可能なのだ?

 あり得ない。人間ではあり得ない。これではまるで……

 

 

「理性の……化け物……!」

 

 

 無意識にそんな言葉が漏れた。

 

 慎重に、慎重に近付く。今度はすぐ傍にバーサーカーを控えさせて。

 さすがにこれ以上は無いとは思うが、もはや警戒を解く気にはなれない。

 ゆっくりと歩を進め、その刃に触れないように気を着けながら魔剣を蹴飛ばし遠くへ追いやる。

 これでひとまずは大丈夫。だろう。多分。

 わたしは倒れたままの男に声をかけた。

 

「イリヤスフィール・フォン・アインツベルンよ」

「……あ?」

 

 名乗るわたしにきょとんと返す男。その声は多少弱ってはいるものの、やはり衰弱してる様子は無い。

 

「わたしの名前。人に名前を聞く時は自分から名乗るのが礼儀なのよね?あなたのお名前、教えてくれる?」

「……今さらどうしたってんだ?」

「あなたに興味が出たの。名前を教えてくれたら殺さないでおいてあげるわよ?」

「……比企谷八幡だ。こんなもんで助かるならいくらでも名乗るけどな」

「ヒキガヤ、ハチマン――ハチマンね。ねえハチマン、わたしの物にならない?シロウと一緒に可愛がってあげるわよ?」

「……ロリ美少女からのお誘いとはオタ垂涎のシチュではあるんだろうがな、はっきり言って嫌な予感しかしねえ。生憎俺はシスコンであってロリコンじゃねえんだわ」

「わたしじゃ不満?」

「こちとら純情なオタク少年なんでな。平然と二股宣言するようなビッチはお断りなんだ」

「……前から思ってたけどハチマンって失礼よね。わたし、これでもあなたより歳上なんだけど?」

「は?」

 

 わたしの言葉に唖然とするハチマンを見て、ちょっとだけ溜飲が下がる。この国じゃ一本取ったって言うんだっけ?

 

「ふふっ、やっと驚いてくれたわね?でも、フラれちゃったかぁ……」

 

 わたしはハチマンの背中におもむろに手を当てる。

 

「何を……ぐ、ぎゃあぁぁぁぁっ!?」

 

 今度こそ、演技ではない本物の悲鳴。

 

「テ……メェ……何を……!?」

「感覚を一時的に研ぎ澄ます術よ。こんなボロボロの神経に使ったらすぐに焼き切れちゃうだろうけど、どのみちすぐにダメになるんだし、構わないわよね?」

 

 ヒクリと頬を痙攣させるハチマン。

 

「大丈夫、殺したりしないから。ハッキリそう約束しちゃったもの。知ってる?例えただの口約束だとしても、魔術師にとって契約は絶対なのよ?」

 

 でも、と続ける。

 

「それはそれとして、女に恥をかかせた報いは受けるべきよね。そうは思わない?」

「……どうぞ、お手柔らかに……」

 

 顔をヒクつかせながら、それでも笑みを浮かべてそう答えるハチマン。

 それはきっと、精一杯の虚勢なのだろう。そんな彼が、途方もなく愛しい。

 彼が痛覚を完全に失うまでの間、その最後の時を自分が独占するのだと思うと、どうしようもなく昂る。

 思えばこれまで自分の周りには、異性というものが存在しなかった。キリツグやシロウといった家族を除けば、ハチマンこそが生まれて初めて触れあった男性といえる。

 もしかしたら、この感情こそが初恋というものなのかもしれない。

 そんなことを思いながら――――

 

 

 そしてまたしても。

 霧深いアインツベルンの森に、長い長い悲鳴が響き渡る。



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法陣

 薄暗い森を、歩く。

 意識の片隅に引っ掛かる違和感。

 このアインツベルンの森を覆う結界。その一画に、いきなり空白が出来た。何者かがわたしの結界の内側に、無理矢理別のフィールドを張ったのだ。

 そんな芸当が可能な存在はごく限られる。おそらくはキャスターの仕業だろう。

 

(逃げるつもりかと思ってたんだけど)

 

 居残った男――ハチマンを囮にして離脱するのかと思っていたのだが、どうやら迎え撃つつもりらしい。フィールドは少しでも戦力を底上げしようという、涙ぐましい努力だろう。

 フィールドは結構な広さで展開されており、既に踏み込んでから数分は経つ。そろそろ中心の筈だが――

 

「!?」

 

 そこで思考を中断させられた。

 バーサーカーがいきなりわたしの襟首を掴み、脇へと放り投げられる。直後、光の奔流がバーサーカーを呑み込んだ。

 

「な……」

 

 光が通り過ぎた後には、胸から上が消滅したバーサーカーの残骸。

 

「っし!まず一つ!」

 

 薙ぎ倒された木々の先に目をやると、そこには剣を降り下ろした姿勢のセイバーと、その隣で不敵な笑みを浮かべるリンがいた。

 

「やってくれるじゃないの……!」

 

 言って立ち上がる。

 

「騎士王が聞いて呆れるわね、聖剣まで使って不意討ちなんて。でもその程度でバーサーカーが……」

「セイバー!」

「はい!」

 

 わたしの言葉を無視してセイバーが剣を振りかぶる。魔力が集中して輝きを増し――

 

(うそ!?連発!?)

「バーサーカー!」

 

 既に再生を始めていたバーサーカーに魔力を注ぎ込む。少々の無理の甲斐もあって瞬時に復活したバーサーカーが、間に割り込むように前に出る。

 再び聖剣から放たれた光の波動を、バーサーカーは左手を突き出して受け止める。

 数秒間のせめぎあいの後に光は収まり、後には左腕を失ったバーサーカーが残された。

 

「ちっ!やっぱ無理か」

 

 リンは舌打ちすると、セイバーと共に後ろに下がった。

 わたしは慌てることなく、慎重にバーサーカーと歩を進め、丁度セイバー達が居た辺りで立ち止まった。

 その一画には木々が無く、ちょっとした広場のようになっていた。

 広場の中央を挟んだ反対側、そこにシロウが瞑想するように足を組んでおり、後ろからその肩に手を置いてキャスターが立っている。そしてその二人を護るかのように、セイバーとリンが立ちはだかっていた。

 

「……?」

 

 布陣の意味が分からない。

 セイバーが他の面子を護る為に前に出るのは分かるのだが、何故リンがその隣にいる?

 相手を観察して、気付く。セイバーのパラメータが上がっている。

 

(……そうか、『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』)

 

 ハチマンの持っていた短剣を思い出す。あれを使ってマスターとサーヴァントの組み換えを行ったのだろう。

 マスターの力量はそのままサーヴァントの能力に直結する。

 シロウのマスターとしての適性はお世辞にも高いとは言えない。セイバーという優秀な駒も活かし切れないのだ。

 しかし今のセイバーは、フィールド効果の補助もあってか、クラス補正によって強化されているバーサーカーに比肩しうる程のパフォーマンスを発揮している。おそらくこれがセイバーの本来の力なのだろう。

 

(でも……)

 

 心の中でほくそ笑む。

 互角では足りない。バーサーカーには届かない。

 

 

十二の試練(ゴッドハンド)

 

 

 ヘラクレスが生前成した偉業により、神から与えられた『呪い』。

 命のストック。それがバーサーカーの宝具。

 バーサーカーは、十二回殺されなければ死なない。

 さらに一度でも受けたことのある攻撃のダメージを半減させ、しかも一定以下のダメージはバーサーカーに届くことすらなく打ち消される。

 これらにバーサーカーの持つ元々の頑健さが加わり、理不尽なまでの防御性能を発揮している。

 つまり、バーサーカーを倒す為には、バーサーカーの防御を貫く攻撃を最低で十二種類以上持っていなければならない。そんなサーヴァントなど存在しない。

 これこそがバーサーカーの最大の強みなのだ。

 

「さすがに驚いたわ。聖剣の連続使用なんて。でも、それも無駄撃ちに終わったわね」

 

 人類最強の聖剣といえど、威力を半減されてはバーサーカーを倒すには至らない。

 半減されてなお片腕を持っていったのはさすがというところだが、それももう無い。次からは傷すらつかないだろう。

 セイバーの、いや、彼女らの切り札は封じられた。

 

「結構かかったけど、狩りもここまでね。お礼を言わせてちょうだい。思ったよりずっと楽しめたわ」

 

 わたしの言葉に、セイバー達が改めて身構える。

 わたしはゆっくりと左腕を持ち上げ、その言葉を発した。

 

「では、終わりにしましょう。――吼えなさい、バーサーカー!」

 

 

「■■■■■■■■!」

 

 

 バーサーカーが言語化不可能な咆哮を上げて突進する。バーサーカーの降り下ろした斧剣を、前に出たセイバーが正面から弾き返した。

 さすがだ。だが彼女達には、もはやバーサーカーを倒す手段が無い。ただバーサーカーに削り殺されるのを待つだけだ。

 セイバーと打ち合うバーサーカーの側面に回り込んだリンが、バーサーカーに向けて宝石を投げた。

 

 爆発。

 それなりに威力のある攻撃だったらしい。ダメージを受けた気配はないものの、バーサーカーの動きが一瞬だけ止まる。

 その一瞬に、セイバーの一閃がバーサーカーの首を捉え、そして――

 

 

 驚くほど呆気なく、バーサーカーの首が落ちた。

 

 

「な……」

 

 何が起きた?

 

 目の前で起きた現象が理解できなかった。

 バーサーカーはすぐに再生を始め、新しい首が現れる。しかしそんなことは問題ではない。

 有り得ない。

 聖剣による攻撃は、もうバーサーカーには通じない筈だ。にも関わらず、セイバーの攻撃はいともあっさりバーサーカーを倒したのだ。

 どんなトリックを使ったのか、それを見破るべくセイバーを凝視する。彼女の持つ聖剣は変わらず黄金色の輝きを放ち続け――黄金色?

 慌てて剣を注視する。

 聖剣には黄金の中にも清謐さを想起させる青が混じっていた筈だ。しかしその剣が放つ輝きは、どこまでも眩い黄金色。彼女の持っている剣は――

 

「そんな……『勝利すべし黄金の剣(カリバーン)』!?」

 

 アーサー王と言えば岩に刺さった剣だ。

 このエピソードが有名すぎるせいで、その剣こそがエクスカリバーだと誤解されることが多いが、実はそれは間違いなのだ。

 岩に刺さっていたのは王を選定すると言われる黄金剣で、これが折れた後に湖の精から賜るのがエクスカリバーである。

 どちらも強力かつアーサー王に縁の深い剣だ。セイバーが持ち出すのは不思議なことではない。しかし……

 

(いつ持ち代えた!?)

 

 自分は目を離したりはしていない。セイバーが武器を持ち代えた様子などなかった。それは断言できる。

 仮に最初から『勝利すべし黄金の剣(カリバーン)』を使っていたのだとしても、二度の威力半減を無視してバーサーカーの首を落とした説明にはならない。途中で武器を変えたのでなければおかしい。

 セイバーは油断なくバーサーカーへと構え直す。その剣の切っ先から魔力の光がほどけ、下から別の剣、彼女が初めに持っていた聖剣が姿を現す。これは……

 

(投影魔術!?)

 

 有り得ない。

 アーサー王は魔術師マーリンに師事していた。だからセイバーが魔術を使えたとしても、それ自体はおかしなことではない。

 しかし、それが扱い辛く効率も悪い投影魔術で、しかも例え聖剣を下敷きにしているとは言え、バーサーカーの防御を貫くような練度でとなると話は別だ。

 もしそんな事実が存在するのなら、伝承として残っていなければおかしい。そしてそんな伝承があるなら、わたしが知らない筈がないのだ。

 混乱するわたしを余所に、セイバーは再生を果たしたバーサーカーと再び打ち合う。互いに弾かれ距離が開いたその瞬間、バーサーカーの背後からリンが、今度は無謀にも跳躍して飛びかかった。

 

「邪魔よ!」

 

 バーサーカーに命じて凪ぎ払う。

 バーサーカーは振り向きもせずに斧剣を振るう。斧剣は空中で避けようもないリンを正確に捉える、かに見えた。

 

「『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』!」

 

 セイバーの叫びと共に現れた光の花弁がリンを包み込み、バーサーカーの斧剣を弾く。

 

「そんな!?」

 

 リンはそのままバーサーカーへと肉薄し、いつの間にか持っていた剣で、バーサーカーの心臓を貫いた。

 

「有り得ない!」

 

 リンの持つ剣を見て、わたしは今度こそ悲鳴を上げた。

 彼女の持つその剣は『無毀なる湖光(アロンダイト)』。アーサー王の聖剣にも匹敵する至高の宝剣である。

 偽物の筈はない。紛い物ではバーサーカーの防御を貫くことなどできはしない。

 しかし同時に本物でも有り得ない。

無毀なる湖光(アロンダイト)』を持つ資格があるのは『騎士の中の騎士』ランスロット卿ただ一人。彼以外がその剣を振るうことは、例え騎士王アーサーであっても許されない。

 

「有り得ない……何よこれ?何なのよこれ!?」

「……ホント、無茶苦茶な能力よね。伝説級の神剣魔剣はおろか、それを扱うための技能や資格まで一緒くたに再現できるんだから」

 

 状況を理解できないでいるわたしに同情するような笑みを向けて、リンがそんなことを呟いく。

 その手に持つ『無毀なる湖光(アロンダイト)』が、微かな魔力の輝きだけを残して気化するように消え去った。

 

(これも投影……!?)

 

 本物でないのなら別の何か。それは当たり前のことだ。しかし投影魔術で作った偽物など考えられない。

 そもそも投影魔術がマイナーなのは、単純に使えないからだ。

 制御が難しく扱い難い上に、十の魔力を用いて作り出した道具は、精々三の性能を発揮できればマシな方。いいとこ用意できなかった小道具の代用に使う程度だ。

 投影で魔剣の類いを産み出したところで、ただのハリボテしか作れない。こんな魔術など効率が悪すぎて、間違っても実戦で使おうなどとは思えない。

 

「何なのよこれは!?一体何をしたの!?」

 

 堪らずに叫ぶ。リンは軽く肩を竦めて答えた。

 

「士郎が面白い才能を持っててね、それを使わせてもらってるのよ」

「才能……?」

「そ。固有結界……『無限の剣製』ってとこかしらね?」

 

 固有結界。

 世界の法則を一時的に上書きする大禁術。

 その効果は様々で、使用者のパーソナリティーに大きく影響されるという。シロウがその使い手だと?

 

「大したもんよ。一度でも見たことのある武器を精神世界で複製して保管し、自在に呼び出して扱う能力。特に剣との相性が良いみたいね。これだけのレベルの宝具を低コストで、しかもほとんど性能の劣化も無しに再現できるんだもの」

「有り得ない!」

 

 わたしは再び叫んだ。

 固有結界は特殊な魔術だ。努力で修得することはできない代わり、その効果は汎用的な魔術からはかけ離れたものであることが多い。だからリンの言うような能力があってもおかしくはない。

 しかし先にも述べたように、固有結界はあくまでもその術者だけが扱える特殊なものだ。他人が、それも複数人が同時に同じ能力を使うなど有り得る筈がない。

 そこで、不意に閃く。

 裏切りの魔剣。その持ち主は、かの裏切りの魔女。彼女の伝説には、たしか――

 

「お前ら!シロウを杖にしたな!?」

 

 魔女メディアの伝説には、生きた人間を魔術の杖に改造するというエピソードがある。

 どのような外法なのかの詳細は不明だが、杖の性能は素材となった人間の才覚に準ずる筈だ。シロウがそんな能力を持っていたのなら、剣製に特化した杖を作ることも可能だろう。

 こいつらは、それを振るって戦っているのだ。

 

(信じられない……!人の弟になんてことをしてくれる!)

 

 必ず助け出す。そう誓った直後、人としての意識を無くしているものと思ったシロウが口を開いた。

 

「違うぞ、イリヤ。これは、俺が自分の意思で受け入れたことだ。お前達に勝つ為に」

 

 その後をキャスターが受け持つ。

 

「剣製の杖となった士郎様は、自身の能力を『持ち主』に設定した相手に分け与える事ができます。これをさらに令呪のリンクを介して全員に分配し、セイバーの記憶から彼女の生前の仲間達の力を再現しました」

「キャスターのフィールドで魔術的な繋がりを補強してなきゃ成り立たないけどね」

 

 キャスターの説明をリンが補足した。

 キャスターは、わたしを真っ直ぐに見て続ける。

 

「法陣『騎士の円卓』。このフィールドはブリテンそのもの。この場における我々の力は、キャメロットの全戦力と同義です」

「要するに今のあたし達は、ラウンズ全員分の宝具を全て同時に扱えるのよ」

 

 リンが獰猛に歯を剥いてとんでもないことを言う。

 

「『十二の試練【ゴッドハンド】』はあと九つ?アーチャーがいくつか削ってくれてればもっと少ないんだろうけど……なんにしても、たったそれだけで足りるのかしら?」

 

「有り得ない!」

 

 このセリフは何度目だ?しかし他に言い様がない。

 

「こんな魔術は有り得ない!こんなものは魔術じゃない!」

 

 余程特殊な例外でもない限り、魔術師が自分の魔術に、まったく別の魔術を組み合わせるようなことはない。あってはならない。そんなことをすれば、自分の魔術が変質してしまう。

 魔術師が魔術を秘匿するのは自分の研究を守る為だ。

 魔術師は血統にこだわる。余分なものが混じると純度が落ちるからだ。

 魔術師の最終的な目的というものは、基本的に一つしかない。それは『根源』へと辿り着くことだ。その為に研究を受け継ぎ、世代を越えて業を研鑽していく。

 故に、魔術師は自分の魔術に余計なものが混じるのを嫌う。それは研究の後退を意味し、受け継いだ魔術の正しさを否定することになる。

 つまり真っ当な魔術師であれば、こんな術式は思い着く筈がないのだ。

 無論そうでない魔術師も存在する。魔術を単なる手段と割り切った、実用一辺倒の魔術師だっているだろう。

 しかしそうした手合いの場合、より少ない手間で、より確実な結果を求める為、シンプルさを突き詰めたような術を好む。こんな無駄に手の込んだ魔術は絶対に使わない。

 要するに、有り得ないのだ。こんな術式は。にも関わらず、さっきから有り得ないことばかりが起きている。

 

「何なのよ、これ……!?こんなのおかしい!こんな術、魔術師である限り絶対に考え着かない!一体誰よ、こんなふざけた術式考えたのは!?」

 

 理解を超えた事態に、頭を抱えて喚く。

 そんなわたしの言葉に、リンが肩を竦めて答えた。

 

「誰が、ね。あなた、今自分で答え言ったわよ」

「え……?」

「魔術師では絶対に思い着かない。確かにその通りよね」

「……まさ……か」

「つまり、これを考えたのは、魔術とは関わりのない生き方をしてきた人間、ってことよ」

「ヒキガヤ……ハチマン!」

 

 これで何度目だ!?あの男に足を掬われるのは!

 完全に読み違えた!あの男だけは、何を差し置いてでも一番初めに始末しておくべきだったのだ!

 後悔したところで、もはや事態は動かない。

 狼狽えるわたしを余所に、セイバーが静かに聖剣を構え、唄うように諳じる。

 

「我が主が、私に力を与えてくれた。

 我が同胞が、私に力を貸してくれた。

 そして我が戦友が、身命を賭して勝機を作ってくれた。

 今の我々に、敗れる道理など無い。覚悟してもらおう、大英雄よ。その首、このブリテンの赤き竜が貰い請ける」




 おまけ

『騎士の円卓』解説


名称:騎士の円卓
レンジ:フィールド内
最大捕捉:四人
ランク:A~E


 補足

 魔女メディアは、生きた人間を杖に作り替える邪法を持っている。
 具体的にどういったものかは公式での説明が無い為不明だが、劇中の演出から、おそらく脳髄を引っこ抜いて魔術装置に組み込むとかそういう系統のものと予想される。

 今回は装置を用意できなかった為、衛宮士郎の肉体の方に杖としての機能を持たせることで代用してある。
 本来であれば、衛宮士郎はこの改造によって人間としての機能を失い植物状態となる筈だったが、比企谷八幡の影響で極限まで高められたメディアの集中力。遠坂凛のサポート。聖剣の鞘の加護。衛宮士郎自身の協力的な意思といった好条件がいくつも重なり、奇跡的なバランスの上で、人の容を残したままで剣製の杖の能力を獲得することに成功している。

 剣製の杖と化した衛宮士郎は、固有結界の展開は不可能となったものの、それに近いレベルでの投影魔術による剣製が常時使用可能となっている。(無限の剣製に比べ、性能と速度が半ランクダウン。代わりに消費魔力が六割減と大幅に改善されている。ただし騎士の円卓展開時は必ずフィールド補正が入る為、結果的に性能の劣化も無くなっている)
 また、魔術的に自分の所有者を設定することで、その人物に自分と同等の剣製の力を与えられる他、投影魔術に使用する魔力を共有することが可能となる。

 騎士の円卓は、メディアを衛宮士郎の所有者に設定することで、二組の令呪のリンクを擬似的に直結させることで機能する。
 セイバー=衛宮士郎、メディア=遠坂凛の二つの組み合わせに衛宮士郎=メディアという繋がりを追加し、それらをフィールドで補強することで無理矢理四人一組のリンクを作り出している。

 この状態の彼等は記憶と魔力の共有が可能となり、セイバーの記憶から、ラウンズに限らず、一般兵から使用人に至るまで、キャメロットに在籍していた全ての人物の武装と技能を再現可能となる。なお、清掃用具や調理器具も武装にカウントされる模様。
 劇中ではメディアと衛宮士郎はまったく動かなかったが、これは二人がフィールドの維持に専念していた為であり、この二人も同様に戦闘行動は可能。
 また、この状態ではセイバーとメディアはマスター二人分の能力補正を受けることができる。これは発案者である比企谷八幡、実際に術式を組み上げた遠坂凛、メディアのいずれも予想していなかった副次効果である。

 理論上はセイバーを他のサーヴァントとスイッチすることで様々な武装が使用できる筈だが、剣製の杖の力は聖剣の鞘の加護がなければ機能しない為、事実上セイバー以外との組み合わせでは成立しない。

 弱点は、フィールドによる補正が前提にある為、『待ち構える戦い』以外では使えないこと。
 騎士の円卓を構成するメンバーが一人でも倒される、あるいはフィールド外に出てしまうと、その瞬間に瓦解すること。

 令呪や特定のサーヴァントといった特殊な条件を複数必要とする上、行程が複雑過ぎて実用に耐えうる代物ではない。また、根源に至る研究には一切役に立たないという、悪い意味での規格外。


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帰還

「■■■■■■■■■!」

 

 形容し難い叫びと共に、また一つ、バーサーカーの命が失われる。

 一方的な戦いだった。

 セイバーがバーサーカーを正面から受け止め、その隙を突いて遠坂凛が攻撃する。

 遠坂凛を先に仕留めようとしてもセイバーに阻まれる。

 バーサーカーの防御を貫ける存在などごく限られる。だから普段なら敵の攻撃など無視すればいい。しかし今はそれが出来ずにいる。

 バーサーカーのマスターであるアインツベルンのホムンクルスも懸命に援護してはいたが、それも時間稼ぎにしかなっていなかった。

 カードゲームに例えるなら、バーサーカーは純粋なパワーデックだ。

 バーサーカーという最強のユニット。それで敵を蹂躙するのが基本戦術。故に、力で上回られることは想定されておらず、補助の手札はバーサーカーを失わない為のカードが揃えられている。

 つまり、総合力で上をいかれてしまった場合、それを覆す為の手札はそもそも組み込まれていないのだ。

 

「セイバー!」

 

 遠坂凛。

 現在、一時的に私のマスターとなっている少女。

 マスターとしての高い適性と、抜群の戦闘センスを持つ強力な魔術師。

 彼女がその手に持つは『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』。

 湖の精霊から授けられた、月の加護を受けし人類最強の聖剣。

 

「合わせます!」

 

 セイバー。

 絶大な戦闘力を秘めたサーヴァント。

 聖剣の主たる、騎士王アーサーその人。

 彼女がその手に持つは『転輪する勝利の剣(ガラティーン)』。

 太陽の加護を受けし、もう一つの聖剣とも呼ばれるエクスカリバーの姉妹剣。

 

 二人の少女の持つ二対の聖剣が、バーサーカーの胸を十字に切り裂く。

 

 

「「『交差せし月光と日輪(ツヴァイ・カリバー)』!」」

 

 

 二つの聖剣の同時攻撃に、さしものバーサーカーも遂に動きを止める。

 

「バーサーカー……」

 

 イリヤスフィールのか細い呼び掛けに応え、バーサーカーが振り返る。否、もはやバーサーカーの呼び名は適当ではないかもしれない。

 

「よもや半日足らずで我が命を全て奪われるとはな」

 

 バーサーカーの口から出たのは意味を為さない咆哮ではなく、いっそ穏やかとすらいえる声だった。

 バーサーカーは明らかな知性を宿した瞳をセイバーに向ける。

 

「楽しかったぞ。最後に戦えたのがお前達であったことを感謝したい」

「大英雄よ。貴方と剣を交えられたこと、誇りに思う」

 

 セイバーの言葉に満足気に頷くと、今度は私へと視線を向けた。

 

「すまなかったな、キャスター。私がアルゴー船に残っていれば、あのような非道はさせなんだが」

「貴様に謝罪されるいわれは無い。自分さえその場に居れば何かが出来たなど、戦士に特有の思い上がりだ」

「そうか……そうだな。そうかもしれん」

 

 大英雄は小さく苦笑し、続けた。

 

「あの勇敢な少年に、言伝てを頼みたい」

「何と?」

「見事、と」

「承知した」

 

 そして次に衛宮士郎へと顔を向ける。

 

「バーサーカー……」

 

 頼りなげに呟くイリヤスフィールに優しく微笑んでから、一言だけ告げる。

 

「イリヤを、頼んだ」

「ああ、任せてくれ」

 

 その返事に頷くと、バーサーカーは背を向ける。そして、

 

「さらばだ」

 

 その一言だけを残し、光の粒子となって消えた。

 同時に、イリヤスフィールがフラリと倒れる。

 

「イリヤ!」

 

 それに駆け寄る衛宮士郎には目もくれず、私は森の奥へと駆け出した。

 

 

 

「八幡様!」

 

 走りながら叫ぶ。

 

「八幡様!返事をしてください!」

 

 バーサーカーは言伝てを頼むと言った。

 あれはイアソンとは違い、その精神性も含めて本物の英雄だ。ならば下らない嫌がらせの為に、ありもしない希望を持たせるような真似はしない筈。つまり、マスターはまだ生きている……!

 息が切れるのも無視して、マスターの名を呼び続ける。

 

 パキッ

 

「八幡様!?」

 

 不意に聞こえた枯れ枝を踏む音に振り向く。

 そこに居たのは蒼き騎士だった。

 細身だが、無駄の無い、引き締まった筋肉に覆われた鋭利な肉体。

 飄々とした笑みを浮かべた美貌。

 そしてその手に携えた、深紅の魔槍。

 遠坂凛から聞いていた特徴と一致する。

 

「ランサー!?」

 

 慌てて警戒する、よりも先に、彼が肩に担いでいるものが目に入った。ズタボロであちこち赤黒く汚れたそれは――

 

「貴様ァッ!マスターに何をしたァ!?」

 

 怒りが瞬時に沸点を越え、激情のままに躍りかかる。が、当然の如く、文字通りに一蹴される。

 回し蹴りで吹き飛ばされ、樹に背中から叩き付けられた私に、ランサーが呆れたような声をかけた。

 

「魔術師が槍兵に肉弾戦仕掛けてどうすんだよ」

「……マスターを……放せ……!」

 

 それを無視して睨み付ける私に、ランサーは肩を竦めた。

 

「やれやれ、大した忠義だな。そんなに主が大事か?」

「五月蝿い!マスターを放せ!」

「誉めたつもりなんだがな。言われなくても返してやるよ、そのために連れてきたんだしな」

 

 ランサーはそう言うと、肩に担いでいたマスターを放り投げた。

 

「マスター!」

 

 力なく仰向けに転がったマスターに這い寄る。

 全身血塗れ。服もボロボロ。右腕に至っては、肘から先が完全に失われてしまっている。

 しかし、それでも生きてる。生きててくれている……!

 嬉しさに涙が滲む。が、泣くのは後だ。

 マスターを背に庇い、改めてランサーを睨み付ける。

 

 どうする?

 

 ただでさえ消耗している上に、既にランサーの間合いに入ってしまっている。彼の正体の強力さを抜きにしても勝ち目など無い。

 関係あるか。

 例え世界の理をねじ曲げてでも、この人だけは絶対に護る。

 

「……んな眼で睨むなよ。言っとくが俺は、そのボウズにはなんもしてねえぞ?」

 

 密かに死を決意していると、ランサーはあっさりと背を向けた。

 

「んじゃ、用も済んだし、俺はもう行くぜ?」

 

 そう言って本当に立ち去ろうとするランサーに、思わず声をかけた。

 

「何の真似?」

「なに、ただの礼代わりだ。お前らのお陰で俺も目的を果たせそうなんでな」

「目的?」

「こっちの話だ、気にすんな。そのボウズ、ちゃんと治してやれよ。こんなところで死なすにゃ惜しいタマだぜ」

 

 そう言って手など振りながら、ランサーは森の奥へと消えて行った。それからしばらく警戒を続けたが、戻ってくる気配も無い。

 私は改めてマスターの状態を診た。

 

「マスター……」

 

 一見酷い有り様だった。いや、実際にボロボロではあるのだが、一応は軽く治療された形跡があり、見た目ほどには酷くない。

 とは言え、悲惨な状態であることは違いない。治療を施せば助かるが、放っておけば確実に死ぬ。そういう状態だ。

 出血は止まっているが、失われた血液が戻ることはないし、あちこち骨をやられている。左腕は特に酷く、治しても障害が残るかもしれない。調べなければ分からないが、臓器にもダメージがありそうだ。それでも。

 

「マスター……!」

 

 彼の手を握り、涙する。

 反応は無い。それでも、そこには確かに温もりがある。それだけで十分だ。

 遠くから声が聞こえた。セイバー達が追ってきたようだ。

 それを聞きながら、一言だけ呟く。

 

「おかえりなさい。マスター」



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相談

「八幡様、どうぞ♡」

 

「八幡様、これですね♡」

 

「八幡様、お任せください♡」

 

「八幡様♡」

 

「八幡様♡」

 

「八幡様♡」

 

 

 えーと、なんぞこれ。いや、状況は分かってるんだが。

 バーサーカーとの決着から半日。日が暮れ始めた頃に、俺はようやく目を覚ました。

 俺は衛宮邸の一室に、あちこちに包帯を巻かれた状態で寝かされていて、傍にはメディアが付き添ってくれていた。

 俺が目を覚ましたことを聞き付けると、衛宮や遠坂達も駆け付けて声をかけてくれた。なんつうか、まぁ……普通に有り難かった。

 

 俺が寝ている間の事も説明してもらった。

 無事にバーサーカーを倒した後、俺を回収したのは何故かランサーだったらしい。彼はすぐに姿を消してしまい、どういう意図があったのかは不明だそうだ。

 

 イリヤスフィールはこの家に連れてきている。

 サーヴァントを失ったマスターは、聖杯戦争の監督役を務める教会で保護してもらえるらしいので、そちらに預けようという話も出たのだが、衛宮の主張でここで世話する事になったらしい。起きた時にメイド二人を引き連れて挨拶しにきたのは驚いた。

 ところで脱落したマスターを保護してもらえるシステムとかあったんですね。遠坂は「あ、あれ?説明してなかったっけ?」と目を逸らしていたが初耳です。いやいいけどさ、別に。

 

 俺はというと、その後もひたすら横になっていた。休日万歳とかではなく、単に動けなかっただけだ。

 身体がボロボロで、回復に時間がかかるそうだ。魔術で一気に治すこともできなくはないが、ダメージが深すぎてそれをやると障害が残る可能性があるらしく、ある程度治してから治癒力を高める方向でいくことにしたらしい。まぁ、治るならなんでもいい。

 右腕についてはどうにもならないらしい。済まなそうにしていたが、かえってこっちが恐縮してしまいそうだった。

 いや、確かに困ることは困るんだが、ぶっちゃけ死ぬ覚悟まで決めてたからな。腕一本で済んだなら儲けものだと錯覚してしまう。

 遠坂は腕の良い人形師に心当たりがあるから探してみると言ってくれてた。何で人形?とも思ったが、多分魔術関連なんだろう。詳しい事は知らん。

 

 そんなこんなで夕飯時。

 

 全快には程遠いものの、どうにか動き回れるくらいには回復し、今は居間の食卓に着いている。シャレじゃないよ?

 人数が増えたからか景気付けか、やたらと豪勢な夕食だった。メイドさんその2こと、セラさんが頑張ったらしい。

 ただ、俺は内臓にダメージがあるからとかで一人だけ別メニュー。消化の良い物をと製作メディア、監修衛宮の卵粥でした。なんでも俺の分はメディアが作るときかなかったらしい。

 メディアは身体が言うことを聞かない俺を甲斐甲斐しく世話してくれていた。

 正直非常に助かるし、メディアが今さら何かを企んでるとか疑うつもりも無い。無いんだが……

 

 

「八幡様、はい、あーん♡」

 

 

 ……公開処刑はかんべんしてほしい。

 メディアに他意は無い。多分。少なくとも悪意の類いは一切感じられない。というかブンブン振れる尻尾の幻覚とか見えるし。犬じゃなくて狐だけど。

 俺もまだ身体が上手く動かんし、自分で食うのも結構辛い。

 でもですね、突き刺さる視線が痛い痛い痛い。ぼっちは注目されるの苦手なんだよ。

 

「……あのさあ、イチャつくのは良いんだけどさ、ちょっとくらい人目を憚って欲しいんだけど?」

 

 いや、俺に言われても困るんですが。

 遠坂の呆れた声も何のその。メディアは一切気にすることなく、レンゲに乗った卵粥をふーふーして俺に突き出してくる。

 躊躇いながらも仕方なく口に含む。うわ、すっげぇニコニコしてるし。

 この場に居る全員から顔を逸らして咀嚼する。全然味わかんねえ。

 

 

 羞恥プレイに耐え切って食事を済ませ、食後のティータイム。いや、日本茶だけど。俺も湯飲みくらいなら持てそうだ。

 

「イリヤ様、どうぞ」

「ありがと、セラ」

 

 優雅に一人だけ紅茶をたしなむイリヤスフィール。衛宮がセラさんからお茶の淹れ方でダメ出しくらいまくってへこんでいた。

 なんというかこの三人の馴染みっぷりがすごい。リズさんはリズさんでナチュラルに煎餅かじってまったりしてるし。

 俺は殺されかけてるし、遠坂にとってはアーチャーの仇である筈なのだが、その辺りのことは昼間の内に話が着いているらしい。

 よく分からんが器がどうとかで、聖杯を手に入れる為には、勝ち残る以外にイリヤスフィールを手に入れておく必要があるんだそうだ。

 とは言え自分の命にも関わることを完全人任せというわけにもいかんだろう。

 

「なぁ、イリヤスフィール」

「イリヤでいいわよ。何?ハチマン」

「んじゃイリヤ。お前、聖杯戦争に復帰するつもりとかあんの?」

 

 俺の言葉に緊張が走る。

 令呪さえ残っていれば、マスター不在のサーヴァントと契約して再び聖杯を目指すことが可能だ。

 メディアとセイバーを除けば残るサーヴァントはランサーのみだが、これをうやむやにしておくわけにはいかない。

 が、こちらの内心の警戒とは裏腹に、イリヤはあっさりと否定した。

 

「無いわ。バーサーカー以外のサーヴァントなんて要らないもの」

 

 そう言ったイリヤの瞳に偽りは感じられない。……こいつらにも絆みたいな物があったらしい。

 などと密かに感心していると、イリヤはいたずらっぽい笑みを浮かべて付け足してきた。

 

「あ、でも、ハチマンだったらわたしのサーヴァントにしてあげてもいいわよ?」

 

 その一言に、先ほどまでとは別種の緊張が走る。さっきまでの空気がただ固いだけだとしたら、今度は冷気が混じってる、みたいな?

 

「……済まん。何を言っているのか分からない」

「だからぁ、わたしのパートナーにしてあげるって言ってるの。ハチマンも今フリーなんでしょ?」

「ごめんなさい。それは無理」

「えぇー、なんで?いいじゃない。わたしのお世話させてあげるって言ってるのよ?」

 

 えぇー、なんで?こう言われたら引き下がるもんじゃないの普通?

 いやホントカンベンしてくださいよ。お前さんにゃズタボロにされて苦手意識が半端ないんだから。トラウマ慣れしてる俺でなけりゃ逃げ出してるところよ?それ抜きにしてもさっきからメディアとセラさんからのプレッシャーが凄いのに。

 

「あのな、世話させてあげるって何よ?こちとらお前のお陰で介護が必要な身の上なんだぞ?」

「あ、そっか。じゃあわたしがハチマンのサーヴァントになってあげるね」

 

 今度こそ、空気が凍り付いた。あの、キャスターさん?握り締めた湯飲みにヒビ入ってますよ?

 

「……いやあの、イリヤさん?ホント何言ってんの君?」

「わたし、誰かのお世話するのって初めてだから失敗しても大目に見てね。あはっ、なんか楽しみ~♪」

「いやだから承諾してねえよ俺は。嫌な予感しかしないからマジやめてください。幼女からのお世話とか昔妹で懲りてるから」

「……ちょっとくらいならえっちなことさせてあげてもいいわよ?」

 

 頬染めてんじゃねえよマセガキ。あとセラさん、黙って睨み着けるのやめてください怖いから。

 

「俺はロリコンじゃねえって言ってんだろが。だからその蔑むような目をやめろ遠坂」

「前にも言ったけど、わたしあなたより年上よ?18禁な展開もOKだけど?」

「え」

 

 思わず固まっちゃったけど、俺悪くないよねこれ?仕方ないよね?

 

「あ、ちょっと反応した。も~、しょ~がないなぁ~♪」

「いや待てちg「フギャーーーー!!!!」」

 

 あ、メディアが壊れた。

 

「いい加減にしやがれです女狐!お呼びじゃないのが分からないんですか!?」

「女狐はあなたでしょう?関係ない人は黙っていてもらえる?」

「関係ないってなんですか!?八幡様のサーヴァントは私です!私一人で十分です!」

「今のあなたのマスターはリンでしょう?令呪だってリンに……」

「そんな物はこうです!」

「痛ーーーーっ!?」

 

 遠坂の叫びに何事かと目を向けると、メディアが遠坂の左手にルールブレイカーをぶっ刺していた。いや、切っ先が浅く刺さってるだけだし血も出てないけど。

 引き抜いたルールブレイカーの先には半透明なシールのような令呪が刺さっている。え、それってそうやって使うもんだったの?

 

「さあ、八幡様、これを!」

 

 得物の先の令呪を「獲ったどー!」とばかりに掲げ、ズイッと俺へと差し向ける。すげえ、有り難みとか微塵もねえ。

 どうすれば良いのか分からず、ビチビチと暴れる令呪を半眼で見やる。て言うかこれ生きてんの?

 

「……やめときなさい、キャスター」

 

 口を挟んだのは遠坂だった。左手を涙目でフウフウしながらなのでまったく様にならないが。

 

「比企谷くんが本当に大事だっていうなら、あなたはもう彼のサーヴァントになるべきじゃないわ」

「なんでですか!?」

 

 メディアが遠坂に喰ってかかる。が、遠坂は一切動じる事なく答えた。

 

「残る敵はランサーのみ。アインツベルンの森で、ランサーは比企谷くんを見逃したわ。どういうつもりかは分からないけど、今後改めて比企谷くんを殺しにくる可能性は低いでしょうね」

 

 ……そっか。セイバーが今さら俺を狙うとは考えられない以上、ランサーさえどうにかすれば少なくとも聖杯絡みで俺を狙う奴は居なくなる。

 

「でも、比企谷くんがまたマスターになってしまえば話は違うかもしれない。彼の安全を考えるなら、比企谷くんはここで降りるべきよ」

「……はい」

 

 メディアは淋しそうに俺を見てから、令呪を遠坂の左手にペタンと貼り付けた。いやだからそういうもんなのそれ?

 遠坂は令呪を確認すると、今度は俺に向かって口を開いた。

 

「それじゃ、キャスターは預かるわよ。いつかの契約通りにね」

 

 契約って……ああ、あれか。遠坂か衛宮がサーヴァントを失った時に、代わりにメディアのマスターになってくれって。よく覚えてたなそんなもん。

 俺は頷いて答える。

 

「おう、よろしく頼むわ」

「八幡様!令呪が無くても私は八幡様の下僕ですからね!」

「いや、そういうのいいから。お前も男より女のマスターの方が気が楽だろ?少なくともセクハラ命令の可能性は無くなったんだから」

「私は八幡様が望まれるのでしたらどんな恥ずかしい命令でも!」

「「ボぶぅっ!?」」

 

 あまりと言えばあまりなセリフに、遠坂と衛宮が飲んでいた茶を盛大に吹いた。俺も手を滑らせてしまい、取り落とした湯飲みが鈍い音を立てて砕けた。

 俺は咳き込む二人を尻目に頭を押さえる。

 

「そういうこと言うなよ……。悪い衛宮、布巾取ってくれ」

 

 テーブルを片付けようと手を伸ば……そうとして、右手が無いことを思い出す。思ったよりかなり不便だな。

 改めて左手で破片をまとめていると、衛宮が焦ったような声を上げた。

 

「お、おい!比企谷!?」

「んだよ?って、あ……」

 

 衛宮の視線を追って自分の手に目を向けると、なにやら血まみれになっていた。どうも破片で切ったらしく、手のひらにばっくりデカイ傷口が開いている。

 なんで気が付かなかったのかと考えて、すぐに思い出す。そういや痛覚ねえんだよな。

 ふと気が付くと、自分に視線が集中してた。

 

「……あー、気にすんな。大した怪我じゃない」

 

 実際そんなに気にしてないし。ちょっと気をつければ良いだけだし。だからその目をやめろ。

 

「やっぱこのままってわけにはいかないわよね……よし、決めた!あたしが聖杯を手に入れたら、それで比企谷くんを治してあげるわ」

 

 唐突に遠坂が宣言する。

 

「有り難いんだが、良いのか?せっかくの聖杯だろ?」

「良いのよ、別に。元々聖杯で何かするつもりなんて無かったし。あたしはただ、魔術師としての実力を証明する為に聖杯戦争に参加してたんだから」

 

 ……そんな理由で命のやり取りとかできんのかよ。理解できねえ……。

 でもまあ、

 

「そっか。サンキュな、助かる」

「気にしなくて良いわよ。借りを返すだけだし。キャスターも文句無いわよね?」

「もちろんです!八幡様、待っていてくださいましね!」

「なら俺もその為に聖杯を目指すか。俺も願いとか無いしな」

 

 これは衛宮。マスターが三人も集まって願いが一つも無いとか何なの?いや、助かるけど。

 みんなを眺めていたセイバーが、穏やかに微笑みながら口を開く。

 

「それでは、最後は私とキャスターで勝負ですね。負けませんよ?」

「気が早いわよ、セイバー。まずはランサーを倒すのが先でしょう?」

 

 遠坂の言葉にみんなが笑う。

 ここしばらくは縁の無かった穏やかな空気。少々くすぐったいが、悪くはない。

 気を抜くにはまだ早いが、今日ぐらいは緊張を解くか。

 

 

 

 食後の団欒も終わり、俺は部屋に引き返していた。

 風呂にはさすがに入れないので、後でメディアに身体を拭いてもらうことになっている。

 それが終れば後は寝るだけなのだが、その前にやる事がある。あるというかできたというか。なんか衛宮が二人だけで話がしたいとか。何だろ?

 

「比企谷、待たせた」

「別に待っちゃいないが……何の話だ?」

 

 言いにくい話なのか、衛宮は頬を赤く染めてモジモジと……おい、まさか海老名さんが狂喜するような展開じゃあるまいな。

 

「ひ、比企谷!」

「待て落ち着け!俺には戸塚という心に決めた相手が!」

「相談に乗ってくれ!」

 

 ……は?相談?

 

 

 

「ワンモア」

「だ、だから!その……俺、セイバーのこと、好きみたいなんだよ。……何回も言わせんなよ、恥ずかしいんだから」

 

 どうやら聞き間違いではなかったらしい。いやだって恋愛相談だよ?この俺に。

 

「……うん、それは分かった。で、それをなんで俺に相談する。遠坂にでも聞けよ、そういうのは」

 

 ミスマッチにも程があんだろ。俺がモテるようにでも見えんの?だとしたら医者に行った方が良い。眼科じゃなくて脳外科な。

 

「いや、女子に相談とかハードル高すぎだろ。それに比企谷って、キャスターと付き合ってるんだろ?」

 

 

 

「ワンモア」

 

 一瞬意識が飛んでいたようだ。やはりダメージは大きいらしい。

 

「いやだからキャスターと恋人同士なんだろ?」

 

 現実逃避している俺に、容赦なく追撃を加える衛宮。

 

「いや、違うけど……」

「え?でも付き合ってるようにしか見えないぞ?キャスターもあんなだし」

 

 いやまあね?どこぞのエセ難聴主人公じゃあるまいし、メディアがどう思ってるか分からないとか言うつもりは無いよ?いや、それでも勘違いの可能性が脳をよぎるのは我ながらアレだと思うけど。

 でもなぁ。好かれたのはまあ、ぶっちゃけ嬉しいんだが、それにどう応えれば良いのかとなると、正直言って皆目分からん。なにしろ経験値が絶無だ。

 そこら辺のことを、力になれそうにないというのも合わせて説明すると、衛宮は深くため息を吐いた。

 

「そっか……。サーヴァントと付き合ってるんなら、何かアドバイスとかもらえるかもと思ったんだけど」

「悪いな、力になれなくて。ただ一般論だけどさ、こういうのって結局はなるようにしかならないもんじゃね?いや、こういうケースを一般に当てはめて良いのか分からんけど」

「……そうだな。うん。よし、明日セイバーをデートに誘ってみるよ」

 

 なにやら決意した表情の衛宮。……まあセイバーなら奇襲にも対応できるだろうし、昼間くらいなら大丈夫か?

 

「まぁ月並みなことしか言えんが、頑張れ」

「おう。比企谷はどうする?キャスターを誘ったりしないのか?」

「俺はやめとくわ。この身体じゃ注目集めまくってあっという間にライフ0だしな」

 

 それに外出るのめんどいし。というのは冗談にしても、本当に出歩くのがキツい状態ではある。

 

「そっか……。しばらくは不便だろうけど我慢してくれ。万能の聖杯なんて言うくらいだ。比企谷の身体を治すくらいできるさ」

「おー。お前らも無理はすんなよ。ここまで来て死んだりしたらつまんねえぞ?」

「肝に命じておくよ。それじゃお休み、比企谷」

 

 衛宮はそう言って部屋を出て行った。

 ……まさか俺が恋愛相談を受ける日が来るとはな。セイバーだって衛宮を憎からず思ってはいるだろうが、実際問題人間とサーヴァントってどうなんだろうな。

 サーヴァントの寿命ってどのくらいなんだ?マスターが魔力を供給し続けてれば、聖杯戦争が終わっても存在し続けられるのか?

 聖杯戦争も終盤。俺個人の戦いは既に終わった。生き延びることができた。だけど――

 

 もしかしたら存在しないのかもしれない、メディアの未来に思いを馳せ、俺は布団に横になった。




一方その頃

メディア「ああああどうしようどうしよう大丈夫かしらもし八幡様が士郎様に迫られたりしていたら」

イリヤ「ちょっとは落ち着きなさい、キャスター。みっともないわよ」

セイバー「心配要りません、キャスター。シロウが味方を襲うようなことは万が一にも有り得ません」

イリヤ「まあそうよね。シロウなら襲うより襲われる側よね」

セイバー「そうですね。ですが安心してください。万一何者かの襲撃があったとしても、必ず私が二人を守ります」

キャスター「そ、そうよね?平気よね?二人とも受けっぽいし、襲われることはあっても襲うことなんて無いわよね?」

イリヤ「ま、攻守の逆転もこの世界の醍醐味だとは思うけどね」

キャスター「いやああぁぁぁぁっ!?どうしよう!ねえセイバーどうしよう!?」

セイバー「お、落ち着いてくださいキャスター!あの二人の友情は本物です。今さら仲違いなど有り得ません」

キャスター「仲良いから心配なんでしょおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!??」

凛(噛み合ってねえ……)


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休息

「八幡様、はい、どうぞ」

「おう、サンキュ」

 

 メディアから湯飲みを受け取り茶を啜る。

 テレビからはバラエティーの笑い声が響く。

 外に繋がる障子戸は、2月にしては暖かいために開け放してあり、そこから覗く庭では迷いこんだトラ猫が眠たげに欠伸していた。

 塀の向こうの通りを、車のエンジン音が通り抜けていくのが聞こえた。

 一口大に切られた栗ようかんに、楊枝を突き刺し口に運ぶ。旨い。

 

 

 平和だ。

 

 

「じゃなくて!?」

 

 平穏な日常は、突如現れた魔神『トオサカ』によって脆くも崩れ去った。

 

「誰が魔神か!?」

「ナチュラルに人の心読むなよ。なんだよ遠坂」

「いや、なんだじゃなくて。なんでこんなまったりしてるわけ?まだ聖杯戦争は終わってないんだけど?」

「仕方ねえだろ。できる事が何もねえんだから」

 

 残る敵はランサー一人。しかしそのランサーは、真名こそ判明してはいるものの、それ以外の情報が全くと言っていいほどに無い。潜伏場所を探ろうにも、まずはその手がかりから探さなければならないのが現状だった。

 一方こちら側の状況だが、ランサーからは既に拠点がバレている上に、俺にイリヤという荷物を抱えている。

 戦力も総合的に見れば高いものの、ランサーと正面からぶつかり合えるのはセイバーのみ。そしてそのセイバーは現在衛宮とデート中である。

 連戦の為、俺はもちろん他のメンバーもダメージが蓄積している。だからいっそ、今日一日は休養に宛ててしまおうということで話が着いたのだ。

 

「そうだけどさぁ……」

 

 頬杖を突き、退屈そうに呟く遠坂。要するに何もしないことに飽きたらしい。俺はゴロゴロするのは得意だけど、こいつはそういうの苦手そうだしな。

 

「まぁ気持ちは分からんでもないが、実際下手に動くわけにもいかねえんだ。我慢しろよ」

 

 さすがに一人でランサー捜索に行ったりはしないと思うが、念のために釘を刺す。

 アインツベルンの森での行動やその正体なんかから考えて、ランサーは非常に英雄らしい英霊だと予想できる。しかし遠坂達から聞いた話によると、同時に英雄らしくない行動も目立っている。

 おそらくこれは、ランサーとそのマスターの連携が取れていないことを意味している筈だ。

 つまりランサーは、マスターと性格的に馬が合わないのではないだろうか。もしかしたら意にそぐわぬ服従を強いられている可能性もある。

 ランサー個人は、おそらくセイバーとの正面対決、いわゆる決闘を望んでいるのだろう。だから俺達が多少近付いたところで見逃されるかもしれない。

 しかしそのマスターは違う。セイバーが居ない状況で下手に居場所を探ったりすれば、藪蛇になる可能性が高い。

 なんにしてもセイバーが居なけりゃ話にならないのだ。おとなしく休む以外にない。

 

「八幡様、おかわりどうぞ」

「おう」

 

 メディアから湯飲みを受け取り、また啜る。そんな俺達を見て、遠坂が半眼で口を開く。

 

「……あんた達も遊んできたら?」

「なんでわざわざ疲れてこなきゃなんねえんだよ。休みってのは休む為にあるもんだろうが」

「なんでそんなにジジ臭いのよあんたは……。キャスター、あなたこんなので本当に満足なの?」

「私は八幡様のお側に居られるだけで十分幸せですから」

「バカップルというかもはや老夫婦ね……。ハァ……あたしも早く彼氏作んないと綾子に先越されるかも……」

「衛宮はセイバーに取られたしな」

「ななななんでそこで士郎が出てくるのよ!?」

 

 いやだってなんか何時の間にか名前呼びになってるし。綾子ってのが誰かは知らんが。

 そんな風にダラダラと会話していると、気付けば昼飯時になっていた。

 

「失礼いたします」

 

 セラさんがお盆に料理を乗せて居間に入って来た。

 

「あー、ごはん?」

 

 匂いに釣られたか、今まで隣の部屋にいたリズさんものそのそと起き上がる。て言うかこの人もメイドだったよね?

 ちなみに二人ともメイド服は着ておらず、遠坂に借りた服を着用している。……リズさんは胸元がかなり苦しそうだが。

 俺はテーブルの片付けをメディアと遠坂に任せて隣へ向かった。

 

「んじゃ、イリヤを起こしてくるか」

 

 

 

「イリヤ、起きられるか?」

「……あ……ハチマン……?」

 

 イリヤは今朝からいきなり体調を崩していた。

 詳しいことは俺には分からんが、イリヤが器だとかいうのが関係してるらしい。しばらく休めば回復するって話だが……。

 俺がこの家から出ない理由の一つはこれだ。衛宮もイリヤの事をかなり気にしていたが、俺と遠坂で無理矢理追い出した。セイバー待たせんなボケ。

 

「飯、食えそうか?」

「うん……」

 

 背中を支えて起こしてやると、イリヤは弱々しく頷いた。無理をしている様子はない。強がりでは無さそうだ。

 イリヤを連れて居間に戻ると、既に昼食の用意が整っていた。メニューは焼きうどん。調子の悪いイリヤに合わせたのだろう。つうかこんなのも作れんだな。

 

「イリヤ、あーん」

「あむ……」

 

 いつか俺にしていたように、リズさんがイリヤにあーんしている。イリヤは特に照れるでもなく普通に食っていた。

 一方俺はそうもいかない。

 

「八幡様、あーん♪」

「……自分で食うからいい」

「駄目です。お身体に障ります」

「いや、今から左手使うのに慣れておかないと……」

「必要ありません。私が一生お世話します」

 

 食事の度に繰り広げられる攻防だが、今のところ俺の全敗だった。フォーク取り上げられたらどうにもならん。

 今回も結局押し切られて、メディアのされるがままになっていた。

 

「……あーん、なさいますか?」

「いらない……」

 

 セラさんと遠坂が、そんなコントみたいなやり取りをしていた。

 

 

 

 俺は静かな方が好きだ。

 しかし普段騒がしい人間がおとなしいと気持ち悪い。イリヤにはさっさと回復して、以前のように引っ掻き回してほしいところだ。

 

 

 そんな風に思っていた時期が俺にもありました。

 

 

「飽ーきーたー!ハチマン、どっか遊び行こー!」

 

 午後になってからイリヤはみるみる回復し、夕方にはこの通りである。休めば治るというのはそのままの意味だったらしい。つうかお前俺より歳上とか言ってなかったか?

 

「病み上がりなんだからおとなしくしてろよ……。大体この時間じゃ遊べるところなんかねえだろ」

 

 いや、遊ぶだけならどうとでもなるだろうけど、『安全に』という条件が付くと正直怪しい。イリヤもその辺は分かってる筈なのだが、しかし納得する様子は無い。さすがようじょ。

 

「ちょっとでいいから外行きたいのー!もう寝てるの飽きたー!」

 

 まあ気持ちは分からないでもないが。俺自身、昨日は一日寝たきりだったわけだし。ちなみに原因はこいつ。言わないけど。

 

「ハチマン……ダメ……?」

 

 テーブルに顎を乗っけて、涙目であざとく首を傾けるイリヤ。

 並の相手ならば即KOの愛らしさではあるが、あいにく俺は百戦錬磨のぼっち様。この程度で動揺したりはしない。ただし、隣でリズさんが可愛くイリヤの真似をしていて威力倍増。要するにめっちゃ動揺してる。

 

「仕方ありませんね……」

 

 狼狽える俺を見かねたのか、セラさんがため息を吐いて呟いた。

 

「ハチマン様、申し訳ありませんが買い物を頼まれては頂けないでしょうか?」

「買い物?」

「はい。そろそろ夕食の準備をと思ったのですが、少し足りない物がございますので。お願いできますか?」

 

 ……日が暮れるまではまだあるよな。

 

「了解。メモ頼むわ」

「えー!ハチマンだけずるい!」

 

 分かってねえのかよこの幼女。

 セラさんからメモを受け取って立ち上がる。隣にはいつの間にかメディアもいた。

 

「いや、なんで居んの?」

「八幡様がお出掛けになるなら当然着いていきます」

 

 ですよねー。分かってたよ、うん。

 

「で?遠坂も?」

 

 一緒に立ち上がった遠坂に半眼を向ける。

 

「サーヴァントと離れてる時に襲われたらどうすんのよ」

 

 ま、荷物持ちは必要だしな。……あれ?俺が荷物持ちしなくていいって滅茶苦茶新鮮。

 

「ホラ行くぞ。さっさと用意しろ、イリヤ」

「え……?」

 

 何キョトンとしてんだよ。俺は先に玄関へと向かった。

 

「イリヤ、お出かけだって」

「え?あれ?ま、待って!」

「日が暮れるまでにはお戻り下さい。リズ、イリヤ様の護衛をお願いします」

「がってんしょーち」

「……どこで覚えて来たのですか」

 

 そんな会話を聞きながら、俺は靴を履くのをてこずっていた。やっぱ右手が無いって不便だな。

 

 

 

「多分この辺りだと思うんだけどな」

「もうちょっとあっちじゃない?」

 

 五人でぞろぞろと出掛けた先。

 買い物は二人もいれば十分なのでメディアと遠坂に任せ、残りの三人で衛宮達を探そうという話になった。

 デートの予定と時間を考えればこの近くに居る筈なので、冷やかしついでに迎えに行こうというわけだ。

 メンバー振り分けでは、メディアは案の定俺と組みたがっていたが、結局ハンカチ噛んで悔しがる事になった。いや泣くなよこんなんで。仕方ねえだろ?

 

 

 俺→片手

 イリヤ→幼女

 リズさん→イリヤ以外興味無し

 

 買い物の役に立たねえ。

 

 

 そんなわけで戦力外通告を受けた俺達は、スーパーの近くの河川敷の公園まで様子を見に来たのだが、ぐるりと見回しても人影は見当たらない。つーか今さらだけど、うっかりキスシーンとかに遭遇したらどうしよう。

 イリヤと二人、手を繋いで歩く。

 リズさんは少し離れたところを見に行っており、今はイリヤと二人きりだ。

 

「えへへ、あたし達もデートみたいだね?」

 

 イリヤが不意に、はにかみながらそんなことを言った。俺はそれに優しく笑って応える。

 

「アホ」

「ぶー!なんでー?」

 

 だから俺はロリコンじゃなくてシスコンなんだよ。

 

 穏やかな時間。

 衛宮達と戦ったあの夜からまだ一週間も経ってないが、今までずっと緊張の連続で、心休まる時など無かった。

 不思議だが、放課後のあの教室にも似た空気を感じてしまった。

 だからだろうか。『それ』の接近に気が付かなかったのは。

 

 

「ほう?これはこれは」

 

 

 突然の声に振り返ると、そこには金色の男が立っていた。

 鮮やかな金髪もそうだが、なんと言うか身に纏う空気がきらびやかな気がしてならない。その身に受ける夕陽も相まって、全身が黄金色に輝いているような錯覚を覚える。

 いっそ神々しささえ覚える美貌の持ち主だが、見下すような冷たい笑みのお陰で全てぶち壊しだった。いや、似合ってはいるが。

 

 ……なんだコイツ。

 

 そう呟く直前に、左手に違和感を感じた。

 見ればイリヤが俺の手を強く握り、男を凝視しながら細かく震えている。……怯えてる?

 再度男を見ると、男は俺達の様子など気に留めた風もなく一人ごちた。

 

「セイバーを迎えに来たつもりだったが、聖杯を先に見付けてしまったな」

 

 セイバー!?聖杯!?コイツ、聖杯戦争の関係者か!

 残るサーヴァントはランサー、こいつはそのマスターか。

 イリヤを抱えて距離を取る。周囲を警戒するがランサーが飛び出してくる様子は無い。

 一方金色の男は開いた距離をゆっくりと、しかし無造作に詰めてきた。まるで俺達など注意するにも値しない……ていうかコイツ、俺達のこと見ちゃいねえ!背景かなんかだと思ってやがる!?

 

「まだ少し早いが……まあよかろう。ついでに回収しておくか」

 

 コイツの『独り言』が何を意味しているかは分からないが、何かとてつもなくヤバい予感がする。

 俺はともかく逃げを決め、コースを探――そうとした瞬間に、男の気配が変わった。

 

 死んだ。そう確信した。

 

 男は何かしたわけでもない。ただ俺を『見た』だけだ。断言するが魔術の類いは使われていない。

 しかしその『視線を向ける』という行為、ただそれだけで、バーサーカーと相対した時以上の絶望感が押し寄せてくる。イリヤがやられたのはこれか!?

 何もできずに立ち竦む俺達に、男は嗜虐的な笑みを浮かべて歩を進め、

 

「む?」

 

 突然脇から飛来した何かに足を止めた。

 高速で回転しながら飛んできたそれは、男に命中する直前に硬い金属音を立てて弾かれ俺の足下に突き刺さった。

 それは巨大な白銀の――槍?斧?3メートル近い長大な柄の先にでっかい斧刃が着いたような武器だった。斧槍、ハルバードというやつかもしれない。

 飛んできた方に目を向けると、リズさんが腕を降り下ろした格好で佇んでいた。彼女が投げ付けたらしい。

 リズさんは続けて脇に停まっていたワゴン車に手をかけ、「よいしょ」と担ぎ上げ、て、ええぇぇぇ!?

 まばたきしても現実が変わることはなく、リズさんは男に向かってワゴン車をぶん投げた。

 男は慌てることもなく、ただ一言つまらなそうに「邪魔だ」と呟く。同時に空中に現れた魔方陣から何かが打ち出され、ワゴン車もろともリズさんを貫いた。

 ワゴン車は空中で爆散し、リズさんは腹に穴を開けて倒れてしまった。おいおいおいおい、なんだよこれ!?

 

「リズ!」

「動くなバカ!」

 

 俺を振り払って駆け出そうとしたイリヤに飛び付いて止める。片腕な為上手くいかず、身体全体で押し潰すような形になってしまった。

 普段ならその事に心の中でしなくてもいい言い訳をするところだが、そんな余裕も無い。リズさんの馬鹿力も驚きだが、この男の戦闘力は普通じゃないぞ?これじゃまるでサーヴァントだ。マスターなんじゃないのか?

 男が再びこちらを見る。俺はその視線の圧力に耐えられず、顔を伏せることしか出来ない。気分はほとんど土下座だ。

 

「どうやら身の程はわきまえているらしいな?」

 

 イリヤを押さえ込み、ただ待っていると、男はすぐ側で立ち止まったらしい。頭上から声が降ってきた。

 

「が、肝心の作法の方はまるでなっておらんな。まあ、下民に礼節を求めたところで詮無いことではあるが」

 

 ゴリッ

 

 言葉と共に、頭を踏みつけられる。

 力はまったく入ってないが、そのまま踏み砕く事もできるのが、はっきりと分かった。

 

「貴様は確か、キャスターの元マスターだったな?令呪も失っているようだし、見逃しても構わんのだが、さて……?」

 

 この男が何者なのか。何をどこまで知っているのか。

 そんな事はどうでも良かった。ただこの場を逃れられればそれだけでいい。

 時間の感覚が完全に失われ、どのくらいが経ったのかまるで分からなかったが、不意に圧力が消失した。

 

「ハアァ!」

 

 突然現れたセイバーが、烈拍の気合いと共にに男に斬りかかる。男はそれを、飛び退いて難なくかわした。

 

「無事ですか?ハチマン」

 

 爆発音を聞いて駆け付けてくれたのだろうか。何にしても助かった。

 

「ああ、俺もイリヤも大丈夫だ。でもあっちでリズさんが……」

「……そうですか。私がアーチャーを引き付けます。その間に彼女を救出して逃げて下さい」

「アーチャー?何言ってんだ?」

「そのことは後で」

「……分かった」

 

 聞きたい事は山ほどあるが、確かに今はこの場を凌ぐのが先決だ。

 セイバーは油断なく男を睨み付ける。が、男は涼しい顔で口を開いた。

 

「セイバー、(オレ)を待ちきれなかったのは解るが、少々はしたないのではないか?」

「何故貴方がここに居る?」

「決まっている。花嫁を迎えにくるのは当然だろう」

「まだそのような戯れ言を……!」

 

 会話の内容はえらく気になるが、男の意識が完全にセイバーに向いている内に離れないとマズイ。

 なるべく気配を消しつつ、その上で最速でリズさんのところに向かう。

 先ほどの光景は見間違いではなく、男の攻撃はリズさんの腹部に直撃していた。が、リズさんはどうにか生きていた。

 あの怪力のことも合わせて考えると、リズさんは人間ではないのかもしれない。セラさんが護衛と言っていた事から考えて、戦闘用に調整されたホムンクルスというやつだろうか。

 

 男はいつの間にか黄金の鎧を纏い、剣を持ってセイバーと切り結んでいた。

 セイバーは男を圧倒しているように見えた。

 セイバーの言葉通りなら、あの男はアーチャーの筈。接近戦でセイバーに敵う筈がない。

 しかし男からは余裕が感じられ、むしろセイバーの方が焦っているように見える。

 やがて男は距離を取ろうと大きく飛び退く。セイバーは逃すまいと追撃しようとするが、いきなり現れた魔方陣に阻まれた。

 

 またあの攻撃だ。

 

 間合いが広がると立場はあっさりと逆転し、今度はセイバーが防戦一方となる。

 魔方陣は次々と現れセイバーに魔弾を放ち続ける。なるほど、確かにアーチャーだ。

 やがてセイバーが捌き切れなくなり、攻撃が身体を掠め始めた頃。

 

「セイバー!」

 

 一振りの剣が男に向かって飛来する。男は難なくかわしたが、攻撃の手を止めてその方向に目を向けた。

 俺とはセイバー達を挟んだ反対側に衛宮がいた。今の攻撃はあいつのものだろう。

 

「邪魔だ、雑種」

 

 男は一言不機嫌に言い放つと魔方陣の一つを衛宮に向ける。

 その時、今まで動きが激しくて見えなかった攻撃がようやく見えた。

 魔方陣の中心から、剣の柄らしき物が生えている。どうやら剣を射出しているらしい。

 

投影開始(トレースオン)!」

 

 どうやら衛宮にも見えたらしく、同じ剣を投影して打ち出した。

 二つの剣は中間でぶつかり合い――衛宮の剣があっさりと碎け散り、男の攻撃が衛宮のすぐ足元に着弾した。

 

「うおっ!?」

 

 衛宮は怯んでいたが、それだけでは男は不満だったらしい。新たに四つの魔方陣を生み出し衛宮に向ける。

 

「不敬だぞ。誰の許可を得て生き延びている」

 

 不快さも露に吐き捨てると、一斉に魔剣を解き放つ。

 

「シロウ!」

 

 セイバーが叫ぶ。

 さっきは攻撃をぶつけたお陰で軌道が逸れたようだが、今度は間に合ったようには見えなかった。

 噴煙が晴れるとその向こうから、四枚の花弁のような形の光の楯が現れる。確かアイアスとかいうやつだ。

 

「貴様ァ!図に乗るな雑種ゥ!」

 

 男は無傷な衛宮を見てなまじりを吊り上げると、今度は一気に十数もの魔方陣を生み出し――つうかそこまでキレるようなことしたのか!?いまだにお前が圧倒してるだろ!?

 ともかくまたしても一斉射が始まるかと思ったその時。

 

「……っ!邪魔をするな!僭越だぞ!」

 

 男はいきなり頭を押さえて怒鳴り声を上げた。

 

「……チッ!」

 

 一つ舌打ちすると、魔方陣を消して背を向ける。

 

「またくるぞ、セイバー。次は我(オレ)を受け入れる準備を済ませておけ」

 

 そしてそれだけ言い残すと姿を消した。

 

「何だったんだ、ありゃ……?」

 

 俺は、それだけ呟くのがやっとだった。



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教会

 黄金のアーチャー襲撃の後。

 メディア達と合流し、リズさんの応急手当を済ませて衛宮邸へと引き上げた。

 事情を聞いたセラさんは、リズさんを連れて城へ向かった。リズさんはやはり人間ではなかったらしく、普通の治療法では回復出来ないそうだ。

 イリヤはあのアーチャーの圧力に当てられたのか、家に着くなりまた体調を崩してしまった。「イリヤ様をお願いします」としっかり頼まれたので、イリヤに何かあったらセラさんに殺されるかもしれない。

 今はイリヤを隣の部屋で寝かせ、残りのメンバーでセイバーから話を聞いていたところだった。

 何でもセイバーは、前回の聖杯戦争でもセイバーとして召喚され、しかも衛宮の養父のサーヴァントとして戦ったのだそうだ。

 あの黄金のアーチャーも前回の戦いで召喚された英霊で、十年前から今までずっと現界し続けてきたのだそうだ。

 なお、セイバーは戦いの途中でアーチャーから求婚されたらしいが、その辺りの事は全て衛宮に任せる事にした。

 

「てことは、前回の聖杯戦争では、セイバーはあのアーチャーに負けたのか?」

「……いえ、十年前は決着を着けることはできませんでした。というのも私は、キリツグに聖剣で聖杯を破壊するように命じられ、力を使い果たして消滅してしまったのです」

「聖杯を破壊?何でまた?」

「解りません。私には、キリツグが何を考えていたのか、結局最後まで理解できませんでした」

 

 セイバーは俺の質問に、哀しげに目を伏せてそう答えた。

 

 セイバーの話によるとあのアーチャーは極めて強力なサーヴァントで、衛宮切嗣の介入が無かったとしても、勝てたかどうかは疑問だったそうだ。さらには複数回接触しているにも関わらず、未だに正体が判らないらしい。

 

「宝具を見ても分からないのか?あの魔方陣から打ち出される剣。あれって宝具だろ?」

 

 あれだけ特徴的な能力ならすぐに特定できそうだけど。そう思ったのだが詳細は別物だったらしい。

 

「いや、あれだけ色々使われると却って特定できない」

 

 衛宮の言葉にセイバーが頷く。

 俺はあの宝具を、魔方陣から攻撃を打ち出すことのできる剣だと思っていたのだが、実際はまったく違ったらしい。

 あの魔方陣から射出されていたのは一つ一つが異なる武器で、しかもその全てが本物の宝具だったらしい。となると奴は、俺が目撃しただけでも二十以上の宝具を所持している事になる。しかもまだまだ底を突いた様子はなかった。

 あれだけの数の宝具を使いこなす英霊には全員心当たりが無いらしい。勿論俺にもサッパリだ。

 

「大体宝具って、多くて一人三つくらいが限度でしょう?あんな英霊有り得ないじゃない」

「つっても実際にああして存在してる以上、該当する英雄は居なきゃおかしいだろ」

「そうは言うけど、宝具っていうのは英霊にとってシンボルでもあるのよ。だからこそギリギリまで使わないようにしてるわけだし。あんな風にドカスカ宝具を繰り出すのは、そもそも英霊としての在り方に反しているわ」

 

 ほとんど愚痴のような俺の言葉に、遠坂がやはり愚痴のように反論する。まあ確かにその通りなんだよな。

 エクスカリバーと言えばアーサー王というように、宝具が判ればその持ち主の正体も判る。それが聖杯戦争の原則の筈だった。

 正体さえ判れば、相手にまつわるエピソードから能力や弱点を探る事が可能となり、どれほど強力な敵にでも対策を立てる事ができる。

 実際俺達は、正体が判っていたからこそバーサーカーを打倒することができた。しかしあのアーチャーには、その原則が通用しない。

 

「……考え方を変えるべきかもな」

 

 原則が通用しない以上、原則に沿って考えても無駄だ。だが逆に、原則が通用しないという事実、それ自体がヒントになりうる。

 

「そうだな……例えば、宝具集めが趣味の英雄とか……いないか」

 

 弁慶とか、エクスカリパーのあの人みたいな。ビッグブリッジの死闘は個人的にFF屈指の名曲だと思う。

 

「……それだわ!」

「何が?」

 

 俺が何気なく呟いた言葉に、遠坂がパチンと指を鳴らす。

 

「かつて世界の全てを手に入れた、人類最古の英雄王ギルガメッシュ!彼の所持していた数多の武具は、彼の死後様々な者の手に渡り、その優れた性能故に後世に名を残す事になった。つまりあいつが無数の宝具を持っていたんじゃなくて、あいつの持っていた武器が宝具になったのよ!」

 

 まさかのビンゴ。そっかー、あのキャラってそういう元ネタがあったんだ。

 にしてもアーサーにギルガメッシュか……。ナム×カプでは両方味方だったんだけどなぁ。

 

「で、正体が判ったところで対策は?こっちの手札でどうにかなりそうか?」

「ええ。あいつは大量の宝具を所持してはいるけどその使い手というわけじゃない。つまり質より量で押すタイプなのよ。ならばこっちは相手を上回る物量で攻めてやればいい。幸いそれが可能なカードがあるわ」

 

 俺の質問に遠坂は、衛宮を見ながらそう答えた。なるほど、確かに可能だ。

 

「何とかなりそうか……。ただ、あいつにも切り札、いわゆる取って置きってやつがあるだろう。油断すんなよ?」

「しないわよ、これで精々互角でしかないんだから。ねえ、あんたの口車はあいつに通じそう?」

「無理だな」

 

 遠坂の言葉に即答した。

 俺の手札はハッタリだ。だからまず会話しないことには文字通り話にならない。

 しかしあのアーチャーは、言葉を話してはいても会話している様子が無い。と言うか、目が合ったとかそんな理由で殺しにくるタイプに思える。下手すりゃバーサーカー以上に話が通じる気がしない。

 遠坂は俺の答えに「そうよね」と呟きため息を吐くと、改めて俺に向き直り、こう言った。

 

 

「あなた、もうこの家に居ない方が良いかもね」

 

 

 

 

「じゃ、短い間だが世話になったな」

 

 翌日の早朝、俺は大して多くもない荷物を詰めたバッグを肩にかけ、この家の家長である衛宮士郎に別れの挨拶を告げていた。

 

 

 昨夜、遠坂が俺に言ったことは、よくよく考えれば納得のいくもの、と言うかむしろ至極当然の判断であった。

 要するに、あの英雄王の攻撃範囲は広すぎるのだ。おまけに昨日の戦闘を見る限り、目撃者や周囲の被害といった事を気にしている様子も無かった。つまりここに居座っていると、巻き添えを食う確率が高い。

 あいつには、準備を整えた上でこちらから仕掛けるつもりでいるが、その前に向こうから乗り込んでくる可能性だって低くない。そうなった場合、俺自身が危険なのはもちろん、俺を気にして他の誰かが死ぬなんて事態も有り得る。

 聖杯戦争において、俺という人間を狙う意味は既に無い。ならばいっそ、衛宮達と距離をおいてしまった方がお互い安全なのだ。

 ランサーにしろ英雄王にしろ、今の時点で建てられる対策は建てた。

 無論想定してない状況だって有り得るだろうが、メディアは残るわけだし、遠坂と衛宮だって対応力というかその辺りの能力は相当高い。大丈夫だろう。

 逆に俺は、もはや身体を張ることもできない。この家に留まったところで、役に立たないどころかマイナスしか産まない。

 

 出ていく事に反対する理由は無かった。

 しかし俺は、即座に頷くことができなかった。いや、そもそも自分でもとっくに考えていたにも関わらず、自分から言い出さなかったことがおかしかった。それどころか、残らなければならない理由を探している自分に気が付いて驚愕する始末。

 要するに俺は、こいつらに仲間意識みたいな物を感じてしまっているらしい。それで自分一人だけ戦列から離れる事に負い目を感じているのだ。

 こいつらはそんな俺を、それぞれの言葉で説得してきた。

 ここに居ると危険だとか、俺が居なくても大丈夫とか、そんなのだ。トドメはメディアだったけどな。目にいっぱい涙貯めながら「邪魔です」とか言われても説得力ねえっての。

 ま、無理言って残ったところで、今度は足引っ張る事に心苦しくなるのは目に見えてる。どちらを選らんでも同じ事なら、他人に迷惑かけない方を選択するのがボッチの道だ。

 

 

 そんなわけで一昨日話に聞いた、敗退したマスターを保護するシステムとやらを利用させてもらうことになった。今は衛宮とセイバーとに、最後の挨拶をしているところだ。

 

「いや、こっちこそ助かった。比企谷が居なかったら、俺はどこかで死んでたかもしれない」

 

 俺の世話になったという言葉を受けて、衛宮がそう返してきた。社交辞令……ではないんだろうな。こいつの性格だと。

 

「セイバー、その……悪かったな。作戦とは言え、ボロクソに言っちまって」

 

 俺が言っているのはセイバー達と学校で戦った夜のことだ。作戦だったというのも本当だが、あの時は初めての戦闘で妙なノリになっていたのも否めない。

 結果として上手くいったが、言う必要の無い事まで口走ってしまったのも事実だ。今さらではあるが、謝罪はしておくべきだろう。聖杯戦争の結果に関係なく、セイバーに会うことは、きっともう無いのだろうから。

 

「……構いません。今思えば、あの方法は貴方達にとってほぼ唯一の正解だったのでしょう。貴方は智と勇を持って困難を乗り越えただけです。それは讃えられるべきことではあっても、責められるべきことではありません」

 

 まさかのべた褒め。背中の痒みを誤魔化すつもりで、前から気になっていたことを聞いてみる。

 

「なあセイバー、あんたは聖杯をどう使うつもりなんだ?」

 

 そんなことを聞かれるとは思ってなかったのか、セイバーは少し驚いた顔をしてから答えてくれた。

 

「私は、過去をやり直したいと思ってました。選定の剣が、私よりもっと王に相応しい者を選らんでくれていれば、ブリテンは滅びずに済んだかもしれない。そう思っていました」

 

 過去の改竄か。確かに聖杯にでも頼るしかない上に切実な願いだ。だけど……

 

「なあ、セイバー」

 

 前にもどこかで思ったこと。

 過去は変えてはいけない。今の自分を形作っているのは、間違いなく過去なのだから。

 だから受け入れて、飲み干して、自分の一部として認めるしかない。消したり変えたりしてしまったら、今の自分が死んでしまう。

 きっとセイバーだって、そんなことは分かっているのだろう。俺みたいなぬるいガキなんかに言われる迄もなく。

 それでもどうにかしたいからこそ、こうして戦っているのだ。

 それを承知で、それでもあえて開こうとした口を、セイバーはそっと押し留めた。

 

「分かっています。昨日、シロウに叱られました」

 

 言われてみれば、セイバーの言葉は過去形だった。昨日ってことはデート中にか。やるじゃん衛宮。

 その衛宮が、左手を差し出しながら口を開く。

 

「聖杯戦争が終わったらまた会おうぜ。そうだ、妹さん紹介してくれよ。俺も藤ねえと桜をちゃんと紹介するから」

「だが断る」

「おい」

「いやすまん、つい反射的に。言っとくが妹はやらんからな」

「そういうつもりで言ったんじゃないんだが……」

 

 わーってるよ。本当にただの反射だ。

 そんな俺達を見てクスリと笑いながら、セイバーも左手を差し出した。

 

「お達者で、ハチマン。いずれまた」

 

 聖杯戦争が終れば、役目を終えたサーヴァントは消え去るのだろう。英雄王のような例外もあるだろうが、セイバーがそれを望むとは思えない。

 だから衛宮はともかく、セイバーとはこれが今生の別れになる筈だ。『いずれ』も『また』も、きっと無い。それでも。

 

「ああ、またな」

 

 俺はそう言って、セイバーの手を握った。

 仲間の無事を願うことは、欺瞞などではない筈だから。

 

 

「八幡様、教会に着くまでの間だけでも、私のマスターでいて下さいませんか?」

 

 メディアがそう言い出したのは、昨夜俺が出ていく事が決まった直後だった。

 ルールブレイカーを使えばマスターの組み換えは簡単に済む。遠坂を見ると、軽く肩を竦めただけだった。

 メディアが行くならと、現マスターである遠坂も同行する事になった。

 ここを手薄にするのは問題なので断ろうとしたのだが、どちらにせよ、八人目のサーヴァントについて報告と情報収集をしなければならないそうだ。だからただのついでだとか。

 

 そんなわけで、今の俺の左手には、再び令呪が輝いていた。

 もっともそれを目にする事は叶わない。メディアが俺の左腕をがっちりホールドして離れないからだ。近い近い柔らかい近いいい匂い。

 なお、そのメディアの向こう側では、遠坂が何やらブツクサ言っててすごく怖い。

 何か嫌な物を幻視してしまった。彼女が平塚先生みたいにならないことを、切に願う。

 

 そうこうしてる間に教会へと辿り着いた。

 

「綺礼ー、居るー?」

 

 大きな扉を開けて中に入ると、遠坂はそんな声を上げた。返事は無い。

 綺礼というのは、信じ難いが人名らしい。

 言峰綺礼。

 聖杯戦争の管理人として派遣されてきた神父であり、遠坂にとっては兄弟子兼師匠だそうだ。

 どんな人かと聞いたところ、胡散臭いけど腕は確かとの答えが返ってきた。いやそれ安心できる要素が一個もねえだろ。強いのに信用できないとか不安要素しかねえだろ。

 

「ちょっとー、綺礼ー?」

 

 遠坂は中に入ると、無造作にスタスタと歩いていく。俺はその背中に着いて行った。

 

 

 

 正直に言うなら、何故そんな事をしたのか、自分でも分からなかった。

 ただ気が付けば、俺は遠坂の背中に、思い切り蹴りをぶちこんでいた。

 

 

 

 遠坂は背中に靴跡を着け、声も立てずに吹き飛んだ。

 俺はその反動を使い、身体全体でメディアを押し倒すようにして反対側に飛ぶ。その間際、何か軽い、乾いた音が聞こえた気がした。

 二人揃って倒れこみ、すぐさま起き上がる。先ほどまで俺達が立っていた辺りに、黒い短剣が突き立っていた。

 

「まさか、奇襲に感付かれるとはな」

 

 それは、すぐ隣から聞こえてきた。

 重厚だがどこか空虚な声。

 いっそ穏やかさすら感じるそれに、とてつもなく不吉な何かを感じ、反対へと思い切り飛び退く。

 

「げぼぉ!?」

「ぎゃん!」

 

 同時に脇腹を襲った衝撃に吹き飛び、思った以上に距離が開いた。

 痛覚が死んでいるせいで痛みは感じないが、身体がまったく動かない。込み上げた吐き気にえづくと、シャレにならない量の血が口から溢れ出た。これ、内臓イッてるだろ絶対。

 全身から妙な汗を噴き出しながら、なんとか顔を持ち上げる。上がり切らず床しか見えなかったが、視界の端に黒衣を纏った男の脚が写りこんだ。

 その足下では、メディアが腹を押さえて悶絶している。さっき俺が打たれた時、一緒に鳩尾を踏み抜かれたらしい。

 視界を持ち上げられない為に顔は見えないが、黒衣の男は俺を見ているらしい。その男が呟くように言った。

 

「私の寸勁を受けて倒れぬか。本当に何者だね、君は?」

 

 俺が倒れてないのは、単に吹き飛んだ時に変にバランスが取れてしまっただけだ。だから『倒れられなかった』と言った方が正しい。が、そんなことはお互いどうでもよかった。

 男は静かに俺へと歩み寄り、正面で立ち止まる。胸元の十字架が光った。

 

「動きそのものは素人なのだがな。ともあれ、君にはここでご退場願おう」

 

 男の右手が動いた。

 どうにか左腕を挟み込み、ブロックした腕ごと顔面を粉砕される。

 しばし身体が浮く感覚。数瞬の後、全身に衝撃。またも吹き飛ばされ、どこかに打ち付けられたようだ。身体が完全に動かなくなった。

 

 

「八幡様ぁ!」

 

 

 そんな、悲鳴のようなメディアの叫びを最後に。

 俺の意識は、そこで途絶えた。



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英雄

 比企谷くんが倒されるのを、私はただ見ていることしかできなかった。

 状況が理解できなかったとか、雰囲気に呑まれたとか、そんな理由ではない。身体が動かなかったのだ。

 床に刺さった短剣。

 頭上からいきなり投げつけられたそれは、比企谷くんに突き飛ばされたお陰で当たりはしなかった。

 しかしほんのわずかに脚を掠めていたらしい。ストッキングが小さく破れ、一筋血が滲んでいた。そしてそれだけで私は動けなくなっていた。

 強力無比な麻痺毒。それがわずかな時間で全身から力を奪い、私はもう声を上げることすら叶わない。そしてその間に強烈な一撃が比企谷くんの顔面を捉え、彼は壁まで吹き飛ばされて動かなくなった。

 

「……今の攻撃にもしっかり反応していたな。純粋に生まれ持った素養のみでここまで生き抜いたわけか。惜しいな、私の元で修業を積めば、面白い使い手に成長していたかもしんれのだが。そうは思わんかね?凛」

 

 比企谷くんを打ち倒したそいつは、私が口を利けないのを分かっていて、そんなことを聞いてきた。

 言峰綺礼。

 私達がここに来たのは、この男に会う為だった。

 

「貴様ァ!よくもマスターを!」

 

 その綺礼の背後から、激昂したキャスターが躍りかかる。

 彼女は比企谷くんのことを、マスターであるという以上に慕っている。彼に手を出せばこうなるのは目に見えていた。

 キャスターは両の掌に雷球を産み、綺礼に叩き付けようとした。綺礼はそれを身体を退いてあっさりと躱わし、反撃に転じる。キャスターは雷球を膜のように引き伸ばして防御壁に変化させた。

 彼女は弱体化しているとはいえキャスターのサーヴァントだ。その魔術強度は並の魔術師など比較にもならない。彼女の展開した電磁障壁も、一見脆そうに見えて相当な防御力を持っている筈だ。しかし、

 

(ダメ……!)

「ごぶっ……!?」

 

 その、おそらくはライフル弾ですら弾き返すであろう防護壁を、綺礼の左拳が易々と貫いた。

 綺礼は鳩尾に突き刺さった左腕を振るい、キャスターを投げ飛ばす。

 同時に、綺礼がいつの間にか投げ放った投剣が、彼女の左手足を教会の壁に縫い止めた。

 

「が、ああああぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 苦悶の悲鳴を上げるキャスターを冷ややかに見下ろし、綺礼は無感情に呟く。

 

「人間相手ならば敗北することは無いとでも思ったかね?君は代行者のなんたるかをまるで理解していない」

 

 そこまできてようやく、私は言うことを聞かない身体を動かし、自分の口に宝石を放り込む事に成功した。

 宝石を噛み砕き、その内に溜め込まれた魔力を解毒の力に変換し、身体に行き渡らせる。

 身体の自由を取り戻した私は、即座に綺礼へと飛びかかった。

 腕の力で弾けるように跳躍し、矢のような蹴りを放つ。

 綺礼はそれを肘で捌くと、その肘をがら空きの胴へと落としてきた。

 私はそれをガードして掴み、そこを軸に逆上がりの要領で身体を回転させ、綺礼の頭へと膝を放つ。

 綺礼は上体を反らすことで躱わすと、腕をスイングさせて私を放り投げた。

 私は空中で受け身をとって危なげなく着地し、不意打ちを軽くいなされた事に舌打ちした。

 

「チィッ!」

「腕を上げたな、凛。君がどこまで成長するのか、師として非常に興味深い……む?」

 

 綺礼はセリフの途中で何かに気を取られたように横を向く。私はそれと同時に跳躍した。

 

「余所見してる余裕があるわけ!?」

 

 長身である綺礼の頭よりも高く飛び上がり、空転の遠心力を乗せた踵を叩き付けた。それを体をずらすだけで躱わした綺礼に、そのままの勢いで両腕を降り下ろす。綺礼は今度は身体ごと下がって避けた。

 

「ハアァァァァッ!」

 

 私は降り下ろした手を床に着き、倒立して旋回し、両脚をカポエラのように振り回した。

 その嵐のような連撃を――綺礼はこちらに顔を向ける事すらなく、片腕だけで捌ききった。

 

「逆に聞くが、何故私に余裕が無くなると思ったのだね?」

 

 あまつさえ、攻撃を捌きながら心底不思議そうにそんなことを聞いてくる。

 

(こいつ、やっぱバケモンだわ……!)

 

 絶望的な技量差に慄然とした隙を突かれ、身体を支えていた腕を払われる。浮いた胴体目掛けて飛んできた蹴りをどうにかブロックするが、全身の骨をバラバラにされるような衝撃と共に入り口の扉近くまで弾き飛ばされた。

 ごろごろと数回転も転がってからようやく止まる。すぐさま身を起こ

 

「…………っ!」

 

 ヒヤリ、と喉元に冷気を感じた。

 いつの間にか後ろから、首筋に刃物を押し当てられている。身動きが取れない。

 最初に投げつけられた物と同じ、黒い両刃の短剣。それを握っていたのは、痩身を黒衣で覆い、ドクロの仮面を被った男。

 

「アサ、シン……!」

 

 聖杯戦争で一番初めに脱落した筈の、他ならぬ己のサーヴァントによって倒された筈の、アサシンだった。

 

「どういう、事……?」

 

 冷や汗を流しつつ口にする。危ないかもと思ったが、聞かずにいられなかった。

 幸い綺礼もアサシンも気に留めた様子は無い。言葉を話すくらいは許されるらしい。

 

「見ての通り。私がアサシンのマスターということだ」

「アサシンは間違いなく倒した筈よ!それがなんでピンピンしてるのかって聞いてんのよ!」

「説明してやっても良いのだがな。悪いが今はあちらが優先だ」

 

 答える綺礼はさっきからある一方を向いたままだ。そちらに意識を向けると、ズル……、ズル……、と何かを引きずるような音がする。

 見れば磔状態から自力で脱出したらしいキャスターが、動かない左手足を引きずりながら移動している。

 ゼエゼエと息を切らしながら這い進む先は、倒れたままピクリとも動かない比企谷くん。

 綺礼がキャスターを見つめたまま右手を小さく動かす。握った指の隙間から、音も無く三本の刃が伸びた。

 先ほどキャスターを貫いた物と同じ、代行者と呼ばれる教会の戦闘員が好んで使う、黒鍵という剣だ。

 投擲用の武器であるにも関わらず普通の長剣ほどの長さがあるのだが、実はその刃は魔力で編まれたものである。そのため本体はごく小さな柄の部分だけで、非常に携行性に優れている。

 キャスターが妙な動きを見せれば、それで即座に止めを刺すつもりなのだろう。綺礼は油断無くキャスターを見つめ続けた。

 キャスターは比企谷くんの元まで辿り着くと、その首もとにかじりつくようにして覆い被さる。

 

 それだけだった。

 庇っている、つもりらしい。

 

「フハハハハハハハハッ!」

 

 突如哄笑が響き渡る。綺礼だ。二人を見て、身を捩って爆笑している。

 

「何が……何がおかしいのよ、あんたは!」

 

 堪らずに怒鳴る。

 彼女の行為は、愛する誰かを護りたいという、とても尊い想いからなるものだ。それは断じて馬鹿にされて良いようなものではない筈だ。

 しかし綺礼は、それすらも面白いとばかりに笑い続けた。

 

「滑稽ではないか!魔術師の頂点たるキャスターのサーヴァントが!それもかの裏切りの魔女がだ!己が主を護るために身体を張るしかないなどと!それで庇っているつもりか!?その細い身体が何かの盾になるとでも!?」

 

 綺礼は笑いながらずかずかと二人に近付き、キャスターを思い切り踏みつけた。キャスターは小さく呻き、それでも比企谷くんにしがみつき続ける。

 

「止めなさいよ!」

「勘違いするな、凛。私はキャスターの願いを叶えてやっているのだぞ?主の役に立ちたいという願いをな」

 

 言って綺礼は、何度もキャスターを蹴りつける。

 

「こ……のォ……!」

 

 悔しさに涙が滲む。こいつを黙らせたいのに私にはその術が無い。

 私は昔からこの男が嫌いだった。

 初めはお父様の直弟子であることに対する嫉妬だと思っていた。

 しかし中学にあがる頃には、どうやら違うらしいことに気が付いた。

 だがそれなら何故、と考えてもずっと答えが出なかったのだが、それが今、ようやく解った。

 この男は、人の想いを踏みにじるのが何より好きなのだ。

 綺礼は一通りキャスターを痛め付けて満足したのか、その蹴撃を収めた。その間、キャスターは悲鳴も上げずに比企谷くんを護り続けた。

 

「さて……」

 

 綺礼は右手の黒鍵を構えた。

 

「残念だが私もそれなりに忙しいのでな。ここらでお開きとさせて貰おう」

「あんた、いい加減に……!」

「凛、これは慈悲だ。これだけ想い合う二人ならば、せめて同じところに送ってやるのが情けというものだろう。君は彼等のために念仏でも唱えてやりたまえ。おっと失敬、これでも私は神父だったな?フフフ……ハハハハハハッ!」

 

 額を押さえ、またしても大笑いする綺礼。

 いっそのこと、玉砕覚悟でその背中に宝石をぶち込んでやろうかと、そんな考えがよぎったその時だった。

 

 

「念仏ならテメェの分だけ唱えとけよ」

 

 

 カラン

 

 そんな軽い音が響いた。アサシンが短剣を取り落とした音だ。

 解放されて振り向くと、アサシンが光となって消滅するところだった。

 アサシンを扉ごと後ろから貫いた『それ』が、その孔から音も無く引っ込む。直後、スカカンッ、と乾いた音が響いたかと思うと、木製の分厚い大扉がバラバラに崩れ去った。

 もうもうと立ち上る埃。

 その向こうから現れたのは、飄々とした空気を纏った男。

 細いが、脆弱さは微塵も感じさせない体躯を蒼い甲冑で包み、その右手には彼のシンボルたる深紅の魔槍。

 

 

「……ランサー」

「ヒーロー参上ってな。よう、嬢ちゃん。久しぶりだな?」

 

 

「あんた……どうして……」

 

 脈絡無く現れたランサーに、呆然と呟く。

 

「なに、ただの私用だ」

 

 ランサーは以前にも見せた、人を喰ったような笑顔を見せてそう答えた。

 綺礼は先ほどまでと一転して表情を消す。

 

「ランサーか。アインツベルンの森で野垂れ死んだものだと思っていたのだがな」

「生憎と生き汚いのが取り柄でな。そう簡単にはくたばれねえのさ」

「それで?今さらノコノコと何の用だ?魔力切れが近付いて恵んでほしいなら、貴様が殺したアサシンの分を働いてもらいたいのだが?」

「ハッ!今さらはこっちのセリフだ。今さらテメェの言う事聞くとでも思ってんのかよ」

「ちょ、ちょっと待って!あんた、それって……!」

 

 聞き捨てならない内容に思わず口を挟む。ランサーは苦々しい顔で頷いた。

 

「……ああ。忌々しいことに、このクソ野郎が俺のマスターだ」

「そんな、それじゃ二重契約……!?」

「どころじゃねえよ。あの金ぴかのアーチャーもこいつのサーヴァントだ」

「な……!?」

 

 三重契約……!そんなことが可能なの!?

 種明かしをされたのが不快だったのか、綺礼が舌打ちするのが聞こえた。そしていつもの鉄面皮に戻ると、ランサーに向かって語りかける。

 

「余計な事を喋るな。ランサー、凛を殺せ。そうすれば再び私のサーヴァントとして迎えてやろう」

「嫌だっつってんだろうが。どうしても俺に殺らせたきゃ、その左手の令呪を使いな」

「……そうか、では仕方無いな」

 

 綺礼が左手を持ち上げるのを見て、私は身を固くした。

 ランサーの意思がどうあろうが、令呪の強制力には逆らえない。この間合いではどうやっても逃げ切れないだろう。

 

「令呪をもって命ずる」

 

 綺礼が唱える。

 ランサーは腕を組み、冷めた眼でそれを眺めていた。

 

「自刃せよ、ランサー」

 

 パリン、と、令呪の砕ける音が響いた。

 

「……で?」

 

 ランサーは、先ほどまでと変わらぬ姿勢で平然と笑った。

 

「……やはりか」

 

 綺礼が忌々しげに呟く。

 

「答えろランサー。何故、貴様には令呪の支配が及ばない」

 

 ランサーは肩を竦め、おどけたように答える。

 

「そこのキャスターが面白い宝具を持ってたんでな、そいつをちょいと拝借したのさ」

「……ルールブレイカーか。なるほどな」

 

 ……そうか。アインツベルンの森で言っていた礼とはその事だったのか。

 

「そういうわけで、俺にはもはや令呪は通じん。遠慮無くぶちのめさせてもらうぜ」

「……殺されるのは堪らんな。それではこうさせてもらおう」

 

 綺礼が呟くと同時、ランサーが槍を振り上げる。

 重い音。

 見ればその穂先に、先ほど倒した筈のアサシンが貫かれていた。

 

「な……」

 

 これで三度目。まさかアサシンもバーサーカーみたいな能力を持ってるの?

 ランサーはアサシンの能力の正体を知っているのか、一切の動揺もなく告げる。

 

「暗殺者風情が騎士に敵うかよ。言っとくが外のアサシンは狩り尽くしたぜ。テメェの手駒は、ここに残ってる奴らで最後だ」

「……そうか。では、もう隠しておく意味も無いな」

 

 綺礼のその言葉を期に

 

 長椅子の陰から

 

 神像の後ろから

 

 柱の上から

 

 教会の至るところからドクロの仮面が現れる。

 その数、優に二十以上。

 アサシンは復活の能力を持っていたのではなく、初めから複数いたのだ。

 数は力だ。

 多いというのは、それだけで絶対的なアドバンテージとなる。

 しかしランサーは、少しも臆することなく槍を構えた。

 

「ランサー、もう一度だけ機会をやろう。凛を殺せ。そうすれば再び私のサーヴァントにしてやる」

「寝言は寝てから言いな。ようやく掴んだテメェを殺す機会、手放すわけねぇだろうが」

「大したものだな、騎士道というものは。契約による仮初めとは言え、かつて主君だった相手をこうも簡単に裏切れるものか」

「抜かせ!テメェはマスターから奪い取った令呪で無理矢理俺を従わせてただけだろうが!」

 

 綺礼の挑発にランサーがなまじりを吊り上げ、怒りを込めて吼える。

 

「令呪さえ無けりゃ、誰がテメェなんぞに従うか……!テメェは最初(ハナ)から俺の仇敵なんだよ。騎士の忠節ナメんじゃねえぞ!」



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魔槍

 三方から投げつけられた短剣を槍の柄で弾く。その隙を突く形で左右から同時に、と見せかけ、わずかにタイミングをずらして飛びかかってくる二人のアサシンをまとめて切り払った。

 

「やはり単純な戦闘力では勝負にならんか」

 

 ボソリと、言峰が陰気な声で呟く。

 当然だった。二十という数字は決して少なくはないが、アサシンは元々百人近い軍勢だったのだ。つまりアサシンは、既に五分の一にまで弱体化してるのと同じだ。苦戦などしようがない。

 とは言え弱体化しているのはマスターを失ったランサーも同じだ。彼も油断する気はさらさら無かった。何より――

 

「このアサシンは、サーヴァントとして召喚される際は百人で一体と扱われる。これがどういう意味か分かるかね?」

 

 言峰がいきなりそんな質問をしてきた。来るか?

 

「百人揃ってようやく一人分ってこったろ」

「間違いではないが、今言いたいのは別の事だ」

 

 言峰はおもむろに左手を掲げ、唱える。

 

 

「令呪をもって命ずる。アサシン、ランサーを打倒せよ」

 

 

 瞬間、周りを取り巻く二十人のアサシン、その全員の気配が膨れ上がる。遠坂が息を飲む音が聞こえた。

 

「百人で一体。すなわち、令呪による強化は百人のアサシン全てに適用される。この『山の翁』はな、令呪ともっとも相性の良いサーヴァントなのだよ」

 

 言峰の言葉が終わるや否や、またしてもアサシンが飛びかかってきた。今度は四人。しかも先ほどと迅さが段違いだ。

 右端の一体に、リーチの差を活かして槍を突き込む。

 突き刺したアサシンを鈍器のように振るい、横の二体を凪ぎ払う。

 残りの一体の短剣を掻い潜って頭突きを見舞い、浮いた顎を掌底でぶち砕く。

 起き上がろうとするアサシンの一方を切り伏せ、背後から切りかかってきた残り一体の喉を槍の石突きで叩き潰す。

 

「この程度で相手になると思ってんのか?」

 

 強化された筈のアサシン四人を瞬く間に叩き伏せ、ランサーは不敵に告げる。しかしそんなランサーを見ても、言峰は表情を変えない。

 

「やはり一つでは無理か。ならば、令呪をもって重ねて命ずる。アサシン、ランサーを打倒せよ」

「なっ!?」

「……チッ」

 

 遠坂が驚愕を漏らし、さらに膨れ上がったアサシンの魔力にランサーが舌打ちする。

 最初に無駄撃ちさせた分も含め、令呪はこれで三つ目。普通ならサーヴァントとのリンクが切れてしまう為、最後の令呪を使う事はないのだ。しかし、

 

「……まだだ」

 

 

「令呪をもってさらに重ねて命ずる。アサシン、ランサーを打倒せよ」

 

 

「そんな!?」

 

 ランサーの言葉通り、言峰が四つ目の令呪を使用する。絶句する遠坂にランサーが説明する。

 

「あの野郎は不意を突いて俺のマスターを倒し、その令呪を俺の支配権ごと奪い取ったんだよ」

「……つまり綺礼は、令呪を六つ持ってるって事?」

「ああ。だが奴は令呪を奪った直後に、俺の反逆を封じる為に一つ消費してる。今度こそ打ち止めの筈……」

 

 

「令呪をもってさらに重ねて命ずる。アサシン、ランサーを打倒せよ」

 

 

「なんだと!?」

「もしかして、英雄王の分……?」

 

 驚愕するランサーを他所に、遠坂が予測を口にする。

 ランサーは歯噛みした。

 ランサーは言峰自身から、ギルガメッシュの分の令呪は残っていないと聞かされていた。それがデタラメだったとすると、言峰は最悪あと三つの令呪を所持していることになる。

 

「ランサー。お前は今、こう考えているな?私が令呪をあと三つ残しているかもしれない、と」

「……あぁ?だったらどうした」

 

 しかし彼は思い知る。彼の想定した最悪ですら、まだ救いのある状況であると。

 

「いや、君にはこれが三つに見えるのかと思ってな」

 

 言峰はそう言って、己の左袖を引いた。

 言峰の着ている神父服は、防弾防刃の特別に頑強な物であったが、キャスターの電磁障壁を破った際にボロボロになっていて簡単に千切れた。

 

「なに……それ……!?」

 

 露になった言峰の左腕を見て、遠坂が唖然と呻く。

 そこにあったのは、腕を埋め尽くす令呪の群れ。下手をすれば二十近くもある。

 

「私の家は、代々聖杯戦争の監督役を担っている」

 

 言葉を失っている二人に、言峰は淡々と説明した。

 

「当然のことだが、令呪を使い切ることなく脱落するマスターも数多くいた。私の家系は、そうした消費されることのなかった令呪を受け継ぎ管理しているのだ」

 

 そのセリフが終わると同時、またしても令呪が砕ける音が響く。アサシンから発せられる魔力の波動は、既にランサーを上回っていた。

 ランサーは背後の遠坂に声をかけた。

 

「……嬢ちゃん、家に戻んな」

「だけどキャスター達が……!」

 

 遠坂は躊躇う。死にかけている比企谷と、それを庇うキャスターが気掛かりなのだ。しかしそれも、ランサーの言葉によって見切りを着けざるを得なくなる。

 

「あの黄金のアーチャーが聖杯の回収に向かっている」

「……っ!」

「あいつらは余裕があれば助けといてやるさ。セイバー達のところに行ってやれ」

「……お願い!」

 

 そう言って遠坂は背を向けた。

 選択の余地は無かった。英雄王と戦う準備は整っておらず、自分がここに残って出来る事は何も無いのだから。むしろランサーの足を引っ張りかねない。

 遠坂の背に投げつけられた短剣を叩き落とし、同時に飛びかかってきたアサシン一人を一太刀で打ち倒す。

 そんなランサーに、遠坂は去り際に言葉をかける。

 

「あんた、これが終わったらあたしのサーヴァントになりなさい」

「ハッ!ガキがナマ言ってんじゃねえ。もちっと歳食ってから出直して来やがれ」

 

 

 

 

「ハァーッ……!ハァーッ……!」

 

 

「大したものだ。これほどに手こずるとは思わなかったぞ」

 

 満身創痍のランサーに、言峰が心底感心したように告げる。

 傍らに立つアサシンは、既に五人にまで減っていた。しかしランサーには、もはや軽口を叩く余裕も無かった。

 ランサーとのリンクが消失してから既に丸二日が経っている。

 ランサーのクラスには単独行動のアビリティが与えられる。しかしアーチャーやライダーに比べるとそのランクは低く、魔力供給抜きで現界可能なのはわずか二日。つまりランサーは既に魔力切れを起こしているのだ。おそらく、あと半刻も待たずにその身体は崩壊を始めるだろう。

 にも関わらず、自分と同等以上にまで強化された敵十数人を相手に今だ立ち続けているのだから尋常ではない。

 それ以前にランサーは、隠形に優れたアサシン相手に逆に不意討ちを仕掛け、マスターに連絡さえさせずに仕留めるという離れ業をやってのけている。それをわずか二日の間に八十近く。普通に有り得ない。

 

「とはいえ、さすがに限界のようだな。防毒のルーンも効きが鈍っているようだぞ?」

 

 言峰の言う通り、ランサーの動きは徐々に精細を欠いてきていた。

 戦士としての武勇ばかりが目立つが、ランサーは魔術師としても超一級である。

 アサシンが毒を使う事を知っていた彼は、予め魔術による防御を施していた。しかしアサシンの毒は、それすらも突破するほどに強力だったらしい。

 五人のアサシンがランサーを取り囲む。

 その内三人が短剣を投げ放つ。やはりほんの少しずつタイミングをずらして。

 同時攻撃の時は必ずこれだった。捌き辛いことこの上ない。さらにそれ合わせて、残りのアサシンが背後と左手から飛びかかってくる。

 一つを弾き、二つは身を捻って躱す。同時に左側へ倒れ込みつつ突きを放ち、アサシンの一人を倒す。

 多くの場合、槍使いにとっては左が死角となる。槍は普通右側に構える為、自分の身体が邪魔になるからだ。

 ランサーもその例に漏れず大きく体勢を崩し、背後からの攻撃を避け切れずに左腕で受け止めた。そこにすかさず残りの三人が殺到する。

 アサシンの一人に、身体ごと地を這うような足払いを放つ。倒れた直後で他に取れる手段が無い。アサシンはそれを小さく跳んで躱し、空中から短剣を突き下ろす。ランサーは転がってアサシンの下をくぐり抜けた。

 転がった先には別のアサシンが待ち受けていた。そいつの降り下ろす短剣を右足で受け止め、足裏に刃が食い込むのを無視して蹴りを放つ。

 右足の中指から外側が切り離される。激痛を無視してアサシンの顎を蹴り砕き、その勢いのまま倒れた体勢から上体のバネだけで跳躍し槍を振るう。アサシンの一人が喉から血を噴いて倒れた。残り二人。

 着地の直前、左右からまたしても投剣。両方は躱せない。右の攻撃に意識を集中させ、左は腕で受け止める。どうせ左腕はもう使い物にならない。

 仰け反って短剣を避けたところにさらに追撃が来た。正面から三本の黒鍵。アサシンではなく、言峰自身の攻撃だ。それをぎりぎりで防ぎ

 

 

「――っ!」

 

 

 脇腹と肩に異物感。短剣が突き刺さっている。

 見れば後ろに六人目のアサシンが、短剣を投げ放った姿勢で佇んでいた。

 数え間違い――ではない。初めから一人だけ気配を殺して潜み続け、今の今まで隙を伺っていたのだろう。

 ダメージにランサーの動きが止まり、そこに言峰の声が響く。

 

「令呪をもって命ずる。アサシン、ランサーの動きを封じよ」

 

 残った三人のアサシンが、ランサーの首に、腕に、脚に組み付く。元からのダメージに加え、令呪のブーストを得たアサシンを振りほどく力は、ランサーには残っていなかった。

 

「ようやくおとなしくなったな」

 

 アサシンに組み敷かれ、短剣を突き付けられたランサーに、言峰が近付く。

 

「どうかね?今からでも命乞いすれば、私も気紛れを起こすかもしれんぞ?」

「……ペッ!」

 

 ランサーは血の混じった唾を吐く事で答えた。

 ランサーは今だその眼から闘志を失わせてはいない。が、既にズタボロで戦う力を残しているようにも見えない。

 実際ランサーは荒く息を吐くのみで、皮肉の一つも出ない有り様だった。

 言峰はそんなランサーに小さくため息を吐く。

 

「……最期まで愚かだったな、君は。せめて元マスターとして、私自ら止めを刺してやろう」

 

 そう言って一歩、歩を進める。

 その瞬間、ランサーの瞳が獰猛に輝いた。

 

 

 言峰綺礼は、それまで決してランサーに近付くことはなかった。彼の槍の能力を知っていたからだ。

 ランサーの振るう槍は、敵の心臓を確実に貫いたと言われている。

 それは、彼の類い稀な技量を指し示す伝承でもあったが、同時に彼の槍自体が持つ魔力の伝説でもあった。

 ランサーの槍に宿る力は『因果逆転の呪い』。原因よりも先に結果を産み出してしまう力。

 彼の槍は、『敵の心臓を貫いた』という結果を最初に産み出し、それに合わせて過程が付随する。つまり、魔力の発動と同時に結果が確定してしまう為、絶対に躱すことはできない。

 その呪いから逃れる術は二つ。純粋な防御力でもって刃を防ぐか、槍の届かぬ間合いを保ち続けるかだ。

 ランサーの目的は、アサシンではなく言峰綺礼を倒すこと。故に、一瞬でも魔槍の間合いに踏み込めば、即座にその力を解放してくるだろうことが解っていた。そうなれば自分が殺されるしかないことも。

 正直に言えばランサーには、今、言峰がわざわざ近付いて来た意図が理解出来なかった。

 この男は、他者の希望を踏み砕く事に快感を覚える下衆野郎ではあるが、その為に己を危険に晒すようなタイプではなかった筈だ。

 自らの手で止めを刺す。そんなことの為にわざわざサーヴァントに近付くだろうか?

 もはや反撃する力など残ってないと思ったのかもしれない。理由がどうあれ、言峰は実際にランサーに近付いている。

 そしてそれは、ランサーにとって好機以外の何物でもなかった。

 故に、それは必然。

 言峰綺礼が槍の届く範囲に踏み込んだその瞬間、ランサーは残り少ない魔力を愛槍に注ぎ込み、その名を呼ぶ。

 

 

「『刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルグ)』!」

 

 

 先にも述べた通りこの槍は、先に結果が出てから過程が作られる。故にどれほど強大な力でランサーを押さえ込もうと関係が無い。槍は既に心臓を貫いているのだから。

 魔槍の呪いは正しく発現し、産まれた結果に従って過程が作られる。

 ランサーは、令呪の力で己を押さえ込むアサシンごと槍を振り上げ、言峰綺礼の持つ心臓を貫いた。

 

 

 ゲイ・ボルグは間違いなく心臓を貫いていた。

 言峰の――彼が、左手に持った心臓を。

 

 

「残念。一歩、及ばなかったな」

 

 

「――なんだ、そりゃあ……?」

 

 ランサーの口から、愕然とした声と共に紅い雫が零れる。

 

「見て分からんかね?心臓だよ。君のな」

 

 呆然と固まっているランサーに、言峰が愉快そうに解説する。

 

「『妄想心音(ザバーニーヤ)』と言ってな、敵の心臓を魔術で創った幻像とすり替える宝具だそうだ。私などは、掴んだのならそのまま握り潰してしまえば良いと思うのだがな。――こんな風に」

「ごぼぁ!?」

 

 言峰が言葉通り、左手の心臓を握り潰す。同時にランサーが大量の血を吐き出した。

 

「……ぁ……はぁ……」

 

 そのままぐったりと項垂れ動かなくなる。その瞳からは、光が失われていた。

 

「君の騎士道を愚弄した事は謝罪しよう。君の忠義は称賛に価する。なにしろ、令呪など無くとも主の命令に従ってくれるのだから。自刃しろという命令にすらな」

 

 言峰は満足気に頷くと、動かなくなったランサーに背を向けた。

 

「君が消滅するまでまだ時間が有りそうだな。折角だ、君が助けると言ったあの二人。彼等が死ぬところでも見物していたまえ」

 

 そう言って、倒れたままピクリとも動かぬ比企谷八幡と、彼に覆い被さったキャスターへと近付く。そしてまたしてもキャスターを踏みつけた。

 ランサーには、その様子を見ている事しか出来なかった。

 切り札は、一つだけ残っている。しかしそれは、言峰も承知している。その証左に、言峰はランサーに背を向けながらも警戒を解いておらず、既に死に体の彼を今だにアサシンで拘束し続けている。

 今切り札を使ったところで、言峰は令呪でアサシンを盾にして難を逃れるだろう。そうなれば、今度こそ打つ手が無くなる。

 しかし、現状を打破できる手札は、ランサーには残されていない。

 絶望的だった。最後の手段を使うには、偶然に期待するしか無い状況なのだ。

 

 

「む……?」

 

 

 不意に、言峰が声を上げた。

 その瞬間、ランサーの瞳に再び失われた火が灯る。

 それがどういうものだったのか、どんな意味を持っていたのかは、正直分からなかった。

 単に何らかの化学反応が産んだ、ただの偶然であったのかもしれない。

 そこに力の類いは一切感じられず、それが物理的な障害として機能することなど有り得ないだろう。それでも、

 

 

 意識の無い筈の比企谷八幡の、

 砕けた筈の左手が、

 言峰綺礼の足首を掴んでいた。

 

 その手が、一瞬だけ言峰の注意を引く。

 

 

(でかした小僧!)

 

 

 それは、本来であれば何の足しにもなり得ない要素。隙とすらも呼べないような、ほんのわずかな意識の空隙。

 しかし、真に英雄と呼ばれる者達にとってはそれで充分。

 そも彼等は、そうしたわずかな勝機を掴み取る事で、伝説にその名を刻んできたのだから。

 そしてこのランサーの真名は、赤枝の騎士クーフーリン。

 眠りの呪いにより戦う力を失った故郷を護る為、コナハトの女王メイヴ率いる軍勢を、己が身一つで押し留めたケルト神話最大の勇者。

 かのヘラクレスにも匹敵する武勇を誇る、正真正銘の英雄である。

 彼は相棒に魔力を、否、己の命を注ぎ込み、そのもう一つの名を解放する。

 

 

「『穿ち貫く死翔の槍(ゲイ・ボルグ)』!」

 

 

 伝説や伝承には、隠されているわけではないが、あまり知られていない事実というものが存在する。

 それらは英雄達のエピソードを語る上で重要性が低いが為に注目されないだけであって、きちんと調べればすぐに分かるようなものばかりだ。

 無論、このゲイ・ボルグにもそうした事実が存在する。

 たとえばこの槍が、元々は投擲用の槍だったということとか。これが何を意味するか。

 即ちかの魔槍は、敵に『投げつけた』時にこそ、その真の力を発揮する。

 

 ランサーの手から放たれた槍は、その力を十全に発揮し、今度こそ言峰の背に突き刺さる。

 そしてその威力の余り言峰の上半身を引きちぎり、教会の壁へと縫い付ける。

 残された下半身が、どちゃりと粘着質な音を立ててその場に倒れた。

 

「ざまぁ……見やがれ……!」

 

 誰がどう見ても即死だった。おそらく言峰には、自身に何が起きたか認識する間も無かっただろう。

 ランサーの知る佳しもないことだが、言峰の死に顔は、彼が自ら手にかけた師の、末期の表情によく似ていた。

 

 

 言峰が死んでもアサシンはランサーから離れなかった。まだ令呪の効力が消えないらしい。

 ランサーはこれ幸いと、震える指で空中にルーンを描いた。それを見たアサシンが悲鳴を上げる。

 それは爆炎のルーン。身動きの取れぬアサシンと共に自爆しようという魂胆だった。

 アサシンはランサーに短剣を突き立てるが、まるで堪える様子が無い。

 それはそうだろう。ランサーは既に死体も同然の有り様だ。死者をいくら切り刻んだところで殺すことはできない。

 アサシンの抵抗も虚しくルーンは弾け、教会もろとも彼等を炎に包み込む。

 アサシン達はランサーから離れることの出来ぬまま、その身を焼かれて絶命した。

 それを見届け、ランサーは目を閉じる。

 

 約束は果たした。

 これで少なくとも、キャスター達がアサシンに殺されることは無い。ここから脱出出来なければ同じ事かもしれないが、さすがにそこまでは面倒を見られない。

 炎の中で思い出すのは、自分を呼んだ魔術師。

 戦い以外は本当に何も出来ない、ひどく不器用な女。

 戦いがあれば、敗者が生まれるのは必定。だから戦いに敗れる事を責めるのは筋違いだ。

 ランサーは彼女を勝たせる事が出来なかった。

 ならば、せめて彼女の選択が間違いではなかったと証明する。

 ランサーはその為に戦い続けたのだ。それこそが、彼にとっての忠義だったから。

 炎の中で手を伸ばす。

 既に視力の失われたその眼に、何が映っているかは分からない。それでもランサーは、明確に誰かへと語りかけていた。

 

「どうだ……お前の選んだサーヴァントは……強かった、だろう……?」



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落涙

「ハァ……!ハァ……!」

 

 

 焼け落ちる教会から、ヨロヨロと人影が歩み出てくる。

 人影は少女の姿をしていた。

 少女は怪我を負っているらしく、その足元は覚束ない。にも関わらず、彼女は人を運んでいた。

 自分よりも大きな少年の腕を首に巻き付け、右腕で少年の身体を支えて、動かぬ左の手足を引きずりながら、少しでも炎から逃れようと懸命に身体を動かす。

 ようやく熱気の届かぬところまで来ると、抱えた少年の身体ごと、力尽きて崩れ落ちる。

 

「ハァ……!ハァ……!」

 

 少女はそのまま気を失ってしまいたい誘惑を振り切って、震える腕で無理矢理身を起こす。

 まだだ。まだ倒れるわけにはいかない。

 

「お待ちください、八幡様……今、メディアがお助けします……!」

 

 少女――メディアはそう呟くと、脇に転がる自らの主、比企谷八幡の身体を仰向けにして、その胸に両手を当てて意識を集中した。

 

「治れ……!治れ……!」

 

 比企谷八幡の怪我は酷いものだった。

 臓器のいくつかが破裂しており、折れた肋骨が肺に突き刺さっている。

 顔面は叩き潰されて陥没しており、元がどんな顔だったのかも判別出来ない。左腕の粉砕骨折が一番マシというところだ。

 

「治れ…!治れ…!治れ…!」

 

 しかしそれでも命の灯は消えていない。

 ならば、これは彼女にとっては治せない怪我ではなかった。

 

「治れ!治れ!治れ!治れ!」

 

 実際彼女は、否、彼女でなくともある程度の腕を持った魔術師であれば、助けられない状態ではない。

 稀代の魔女メディアの技量があれば、難しい事ではない。その筈だった。

 

「治れ治れ治れ治れ治りなさいよ!なんでよ!?おかしいじゃない!もっと酷い怪我を治したことだってあったじゃない!死人を生き返らせた事だってあったじゃない!」

 

 しかし彼女は裏切りの魔女。

 彼女の魔術は誰かを陥れる為のもの。

 

「治れ!治れ!治れ……!治って……お願い……治ってよぉ……」

 

 純粋に誰かを救いたいという想いには、彼女の魔術は応えない。

 全てを裏切り、全てに裏切られる魔女は、自分すらをも裏切るのだ。

 

「……誰か……」

 

 倒れて動かぬ少年と、彼にとりすがって泣く少女。

 それは、いつかの帰り道を思い起こさせる姿だった。

 

「お願いします……誰か、マスターを、助けてください……」

 

 あの時と決定的に違うのは、少年が本当に死にかけている事と、少女が本当に何も出来ない無力な女である事。

 

「私はどうなっても構いません……ですからどうか、この人だけは助けてください……」

 

 誰でもよかった。

 彼を助けてくれるのでさえあれば、それが悪魔でも、憎み呪い続けた神であっても、喜んで忠誠を誓って見せただろう。

 

「お願いします……お願いします……お願いします……」

 

 しかし奇跡は起こらない。

 そもそもこれは聖杯戦争。

 奇跡を起こす聖杯の所有権を賭けた戦いであり、彼女は今だ勝者足り得ない。

 

 少女の言葉が、魔術からただの嗚咽と懇願へと変わって、幾ばくかの時間が過ぎた頃だった。

 

 

 

『お兄ちゃん、メールだよ♪』

 

 

 

 唐突に響いた場違いに陽気な声に顔を上げる。

 それは少年の上着のポケット、その中のスマートフォンから聞こえてきた。

 スマートフォン。電話。

 

「!」

 

 大慌てでそれを取り出す。

 これを使えば助けを呼べる。通常の医学でどこまでの事が出来るかは分からないが、それでも今の自分よりはマシな筈だ。

 薄い精密機械を手に取り、彼の妹の写真に指を近付け、固まる。

 使い方が分からない。

 聖杯は、電話という道具の概念は知識として与えてくれたが、具体的な使い方までは教えてくれなかった。

 普通サーヴァントに電話を使う機会など無いだろうし、ただの電話機ならばそこまで複雑ではないので特に問題無いだろう。

 しかし、スマートフォンはいわゆる携帯電話に比べて少々特殊だ。メディアもゲーム機やリモコンならば扱った事があったが、スマートフォンは触った事が無かった。

 

 落ち着け。思い出せ。

 自分で使った事はなくとも、人が使うのは何度も見た筈だ。

 

 画面に指を触れさせると波紋のようなエフェクトが発生し、驚いて指を離す。

 よく見れば画面の上部に『フリックしてロックを外してください』とある。フリックって何?

 暴走しそうな心を力ずくで押さえ付け、学校での生活を、そこでの級友達を思い出す。

 彼らは確か――

 もう一度指を当てる。画面の上で、指を中心に波紋が広がる。

 よく見れば波紋の中央に、南京錠を模したマークがあった。記憶を頼りに指を滑らせると、マークは鍵が外れた状態へと変化し、画面が切り替わる。

 ホッと息を吐き、すぐに頭を振る。こんな事で気を抜いてどうする。

 画面の左下に、緑色の受話器のようなアイコンを発見した。

 それに軽く触れるとカチッという音がして、わずかなラグの後にまた画面が切り替わる。今度は画面の下部に0から9までの数字が表示されている。どうやら無事に電話の機能まで辿り着いたらしい。

 メディアはそこで再び動きを止める。

 後は番号を入力するだけなのだが、彼女は肝心の番号を一つも知らない。短縮ダイアルの知識も聖杯からは与えられてなかった。

 なのでここでも学校での記憶に頼る。

 級友達の会話では、度々友人との電話という話題が飛び出した。その中では、結構な頻度で履歴とか電話帳とかいう単語が出てきた筈だ。

 改めて画面を見ると、上部に『通話履歴』と『電話帳』というボタンがあった。通話履歴の方を押すと、ズラッと数列と日付と時刻とが表示された。

 その一番上の数列に触れるといくつかのシステムメッセージが表示される。その中に『発信する』というものを見つけ、即座にそれを押す。

 耳を当てると、プルルルルッ、という電子音が聞こえる。通じた!

 

(早く、お願い、早く出て……!)

 

 実際にはほんの数秒でしかない時間が、とてつもなく長く感じられた。

 四回目のコール音の後、カチャッ、という音がして人の声が聞こえた。

 

『もしも』

「助けてください!」

 

 相手が一言を終える前に叫んでいた。

 

『あの』

「助けてください!」

 

 電話越しではあったが、相手から困惑が伝わってくる。しかし彼女には、それを気にかける余裕など無かった。

 

「お願いします……!マスターを、助けてください……!」

 

 ただただ必死に頼みこむ。今の彼女には、それしか出来ない。

 その必死さが伝わったのか、電話の相手もいたずらではないと判断してくれたらしい。

 

『……まずは落ち着いて。何がありました?そこが何処かは判りますか?何故私の電話番号を知って……いえ、これは後にしましょう。とにかく状況を説明してください』



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消失

 ピッ……ピッ……

 

 単調で小さな電子音が響く。

 薄暗い病室の中央に設置されたベッドには、包帯でぐるぐる巻きにされた痛々しい姿の比企谷くんが寝かされ、無数のチューブで複数の機械と繋がれている。

 メディアさんは部屋の隅のパイプ椅子に腰掛けたまま微動だにせず、由比ヶ浜さんはベッドの傍に座り、ずっと比企谷くんの手を握っていた。

 誰も何も言わなかった。こんな状態がずっと続いていた。

 

 

 今朝、登校の準備を済ませ部屋を出ようとすると、普段滅多に鳴らない携帯電話がいきなり鳴った。

 私に電話をかける相手など家族か先生、由比ヶ浜さんくらいなのでそのいずれかだろうと画面を見てみると、まったく覚えの無い番号が表示されていた。しかも何故か登録されているらしく、相手の名前も表示されている。

 表示された名前は比企谷くん。

 知らない相手だ。しかしその名前には、一つだけ心当たりがあった。

 一週間ほど前、自分が何故か持っていたICレコーダー。それに録音されていた、自分と『誰か』との会話。その『誰か』を自分は比企谷くんと呼んでいた筈だ。

 もしかしたらという想いから電話に出てみると聞こえてきたのは女性の声。それも助けを求める声だった。

 わけが分からなかった。が、その声には必死さが感じられた。

 助けてと言われた以上、それを無下にするわけにもいかない。私は運転手の都筑に命じて、電話越しに聞かされた場所、教会へと向かった。

 

 着いた先で目にしたのは、もうもうと煙を上げて崩れ落ちる教会だった。

 火災が起きてからそれなりに時間が経っているらしい。が、消防車はおろか野次馬の一人すら居ない。延焼こそしていないものの、住宅街からそれほど離れているわけでもないのに。

 いや、それ以前に、これほど派手に煙を上げているにも関わらず、私も都筑もここに着くまで火災に気付かなかった。

 その事実の異様さと、目の前の光景に圧倒されたのだろうか。本来なら警察と消防に連絡する方が先だったのだろうが、私はそれを忘れて電話の相手を探していた。

 

 相手はすぐに見つかった。

 教会から少し離れた場所に、倒れた男性と、彼にとりすがって泣いている女性がいた。彼女が電話の相手だろう。

 男性は重傷を負っているのかピクリとも動く様子が無い。

 怪我の程度を診ようと回り込むと、完全に潰れた顔が視界に映りこんだ。

 

 そしてその瞬間、全てを思い出した。

 

 同時に理解してしまう。『これ』は比企谷くんだ。

 私はすぐ都筑に命じて比企谷くんを病院へ運ばせた。救急車を待つべきかとも思ったが、『待つ』という行為に耐えられそうもなかった。

 車の中で病院に電話し、判別出来る限りの容態を伝え、電話越しに指示を受けながら可能な限りの救命措置を行う。

 病院では既に手術の準備が整っており、比企谷くんはすぐにストレッチャーに移され手術室に運び込まれた。

 

 数時間の手術の末、比企谷くんは一命をとりとめた。しかし、未だ予断を許さぬ容態である事は変わらない。

 比企谷くんは、通常は使われる事の無い病室に移された。

 ここは最新鋭の医療機器が揃えられた特別な病室で、本来雪ノ下の人間以外が使う事は有り得ない部屋だった。

 連絡を受けた母は当然の如く反対したが、私が土下座して頼み込むと唖然としながら了承してくれた。

 母と姉の、あれほど驚いた顔は見た事が無かった。

 私は産まれて初めてあの二人の度胆を抜いた事になるが、正直なんの感慨も湧かない。今の私にとって、そんな事は些末事でしかなかったのだ。

 

 携帯電話が震えた。気付けばもう学校が終わる時間になっていた。そう言えば学校に連絡もしていない。無断欠席になってしまった。

 電話の相手は由比ヶ浜さんだった。

 由比ヶ浜さんの話では、私は病欠扱いになっているらしい。母の手回しだろう。

 私は迷った末、由比ヶ浜さん、それから小町さんには事情を説明するべきと思い、二人を病院に呼び出した。が、小町さんを呼んでしまったのは失敗だったかもしれない。

 

 二人とも、比企谷くんの名前を出してもきょとんとしていた。

 それはそうだろう。彼女達は、彼のことを思い出すことが出来ないのだから。

 比企谷くんは私の記憶を奪う時、否、封じる時、『顔を見れば思い出す』と言っていた。

 それはどうやら言葉通りの意味であったらしい。つまり、彼の顔を見る事が封印解除の鍵だったのだ。

 条件はおそらく『生身の比企谷くん本人の顔を見る』事で、その顔がどのような状態であるかは関係無いのだろう。だから潰れた顔であっても封印は解かれた。

 逆に写真や映像では封印が解ける事は無いらしい。携帯の写真では思い出すことはなかったから。

 二人は変わり果てた比企谷くんの姿を見て、私と同じように記憶を取り戻した。そして小町さんは、そのまま半狂乱になってしまった。今は鎮静剤を打たれて、別室で眠っている。

 

 夜になって遠坂さんという方が訪ねてきた。記憶が確かなら、マスターの一人だった筈の少女だ。

 既に面会時間は終わっている。この部屋にはそれなり以上のセキュリティが敷いてある筈なのだが、魔術師というのはそういうものなのだろう。深く考えないことにした。

 彼女の話では、比企谷くんと共闘関係にあったらしい。教会にも居合わせたらしく、比企谷くんのことを謝罪してきた。

 これまでにあった事、そしてこれから最後の敵に戦いを挑む事を聞かされた。

 その敵の話では、聖杯は呪いで汚染されていてまともに機能しないらしい。そしてその敵は、それを承知の上で聖杯を使おうとしていると。

 それを見過ごせば酷い災厄が起こりかねない。だから阻止する必要があると言っていた。

 しかし彼女は、メディアさんには戦いを強制しなかった。

 比企谷くんの傍に居させてやってほしい。そう言っていた。

 

 

 これら一連の出来事の間、メディアさんはただ俯いているだけだった。

 

 

 手術を担当した医師から聞いた話では、比企谷くんの怪我は相当酷いものだったそうだ。

 まず右腕の肘から先が完全に欠損してしまっている。

 左腕も骨が滅茶滅茶で、元通りにはならないらしい。

 肝臓と脾臓が強い衝撃で破裂していて、他の臓器もダメージを受けている。肺の片方が完全に潰れ、もう片方にも折れた肋骨が刺さっているそうだ。心臓はどうにか無事なようだが、逆に言えば心臓くらいしか無事な部分が無いらしい。

 また、神経にも何らかの異常が見られるそうだ。原因は不明だが、神経細胞が部分的に機能を停止しているらしい。

 その部分に影響されて、他の生きている細胞も徐々にだが活動を弱めているらしく、いずれは全ての神経細胞が壊死してしまうという。詳しくは不明だが、現時点で少なくとも痛覚は完全に失われているだろうとのことだった。

 しかし、何より問題なのは頭部の怪我だ。

 正面、顔ではなく、後頭部の陥没骨折。それにより――

 

「脳を、損傷しているそうよ」

 

 私の言葉に、由比ヶ浜さんがピクリと反応を示す。

 

「目を覚ますことは、期待しない方が良いって」

 

 自分の声が震えているのが分かった。なのに驚くほど感情が籠ってない。だからどうしたと言われればそれまでだが。

 

 

「……ゴメン、なさい」

 

 

 それは、これまで一言も喋らなかったメディアさんの声だった。

 

「……何に対する謝罪かしら」

 

 自分でも驚くほど冷たい声。

 彼女を責めるつもりなど無いというのに。

 

「彼に怪我をさせたこと?英霊が聞いて呆れるわね。主一人すら護れないなんて」

 

 分かっている。

 彼女の忠誠は本物だ。そうでなければ、あれほど必死に救いを求めるわけがない。それは分かっている。

 

「大方彼の人の善さにつけこんで好き勝手に利用してきたのでしょう?その挙げ句に死なせかけてこんな時だけ助けを求めて。あなたに恥は無いの?」

 

 分かっている。

 彼は他人の為に自分を省みないお人好しではあるが、それでもその為に命を投げ出すほどではない。

 だからこれは、二人が必死で抗った挙げ句に力が及ばなかっただけだ。

 力が足りないのは責められるような事ではない。それは分かっている。

 

「力も無いくせに大口を叩いて危険な場に駆り出して。役にも立たない力を振りかざしていい気になって。どうせなにもかも彼に押し付けて安全なところでのうのうとしていたのでしょう?」

「ゆきのん……」

 

 分かっている。

 役立たずは私の方だ。

 そもそもの話、彼女を呼び出したのは私だ。本来マスターとして戦う筈だったのは私なのだ。それを彼に肩代わりさせてしまった。

 つまり、彼がこんな目に会っているのは私のせいだ。

 

「自分の勝手な都合で他人を弄んで!あなた自分がどれだけ人に迷惑をかけているか分かっているの!?せっかく上手く回っていたのに全部ぶち壊しじゃない!」

「ダメだよ、ゆきのん……」

 

 分かっている。

 結局のところこれは嫉妬だ。

 比企谷くんは、彼女を文字通り命をかけて護ろうとした。その事実に対する醜い嫉妬。

 

「あなたが……!あなたさえ現れなければ比企谷くんは……!比企谷くんを……」

 

 分かっている分かっている分かっている!

 分かっているのに止まらない!止まれない!

 

 

「比企谷くんを、返してよォ!」

 

 

 感情の爆発を押さえられず、手近にあった花瓶を振り上げる。それをメディアさん目掛けて投げ付け、

 

「ゆきのん、ダメェ!」

 

 凶行に走りそうになった私を、由比ヶ浜さんが飛び付いて止めてくれた。花瓶は逸れて、壁に当たって砕けた。

 

「ダメ……ダメだよ、ゆきのん……」

 

 二人でもつれるように病室の床に倒れ、由比ヶ浜さんは私の胸に顔を埋めてうわ言のように繰り返す。

 分かっている。

 誰も責めるべきではないことも。

 それで何が変わるわけでもないことも。

 そんなことは分かっている。

 

 私は、私にしがみついて泣く由比ヶ浜さんを抱き締め返し、涙を流した。

 メディアさんは、やはり俯いたまま動かなかった。

 

 

 

 ふと目を覚ますと、既に真夜中だった。

 由比ヶ浜さんと二人、いつの間にか眠ってしまったらしい。彼女は涙の跡を残したまま、静かに寝息を立てている。

 彼女を起こさないようにして比企谷くんのところに近付き、そっと手を取る。

 彼の腕は骨が砕けて滅茶滅茶だったが、手首から先は綺麗なものだった。

 その、『痣一つ無い左手』を握って呟く。

 

「本当に、バカなんだから……」

 

 いくら『子供を助けるためとはいえ、ダンプの前に飛び出す』なんて正気を疑う。その結果自分がこんな目に会って、自分を心配する人間が居ないと、本気で思っているのだろうか?

 起きたら説教と心に誓う。だから――

 

「だから、早く起きなさい。こんな美人を二人も泣かせて、目を覚まさなかったら許さないんだから」

 

 その呟きは、『三人だけ』の病室に小さく響いた。

 場所も、時間も、状況も違うというのに、『奉仕部の全員』が揃ったこの部屋は、どこか斜陽と紅茶の香りを思い起こさせた。



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鬼気

 黄金の英雄王が光の粒子となって消えていく。

 彼が最期に浮かべた表情は、無念。

 言葉にするならおそらく――『なんでこんな奴らに』――そんなとこだろうか。

 

 俺達は勝った。

 遠坂を俺の『所有者』に設定し直し、二人がかりの剣製で英雄王の攻撃を封殺し、その隙にセイバーが接近戦に持ち込む。

 遠坂の立てた作戦は見事に当たり、彼女の持ち出した『切り札』の力もあって、苦戦はしたものの、俺達は目立ったダメージも無く英雄王を打倒することに成功した。しかし――

 

「遠坂……」

「……何も言わないで」

「だけど……!」

「慰めなんて要らないわ」

 

 俺の呟きに、遠坂は力無く答えた。その表情は伺い知れない。

 俺達は確かに勝利した。しかし、そのために彼女が支払った代償はあまりにも大きかった。

 遠坂の言う通り、きっと声をかけるべきではないのだろう。それでも何かをしてやりたいのに、彼女の纏う哀愁にも似た何かがそれを阻む。

 遠坂を心配する気持ちはセイバーも同じだったようで、口を開きかけては気まず気に目を剃らすといったことを繰り返していたが、やがて、どうにか声を出すことに成功した。やはり目を剃らしながら。

 

「リン、その……似合ってますよ?猫耳」

「慰めは要らないって言ってるでしょう!?」

 

 遠坂が絶叫しつつ手に持ったステッキをガンガン石畳に叩き付ける。

 50cmほどの短い柄の先に星形の飾り。その両脇に羽の着いた玩具のような杖。これこそが、遠坂が対英雄王用に用意した切り札だった。

 今の遠坂には、セイバーの言ったように猫耳が生えていた。また赤を基調とし、フリルをふんだんに使ったミニスカドレスを着用している。

 その手に持つステッキのデザインも相まって、女児向けアニメの――要するに魔法少女のコスプレに見える。が、問題はこれがコスプレどころかマジ物だということだ。

 

 件の杖はカレイドステッキと言うらしく、平行世界に格納した霊装を召喚して契約者に装備させるという、まんま変身ステッキなわけだが、その霊装というのがおそろしく強力なのだ。

 身体強化や耐魔力等の各種補助効果を、ほとんど最高ランクで常時展開している上に、強力な魔力砲を無詠唱で放つことができる。

 何より凄まじいのは、無限に存在する平行世界から魔力をかき集める能力。これによってカレイドステッキの所有者には、事実上魔力切れが無くなる。俺の剣製の杖の力と組み合わせれば、言葉通りに無限の剣製が可能となるのだ。

 俺の剣製の力は英雄王の蔵の宝具と較べ、速度でほとんど互角。威力ではまったく太刀打ち出来ず、わずかに逸らす程度の事しか出来なかった。それを遠坂との二人がかりで倍以上の物量を叩き付けることで圧倒したのだ。

 カレイドステッキの無限の魔力が無かったら、最後まで持ったかは微妙だっただろう。

 カレイドステッキに使用されている魔術はあまりに複雑過ぎて人間に扱えるシロモノではないらしい。それを制御する為に人工精霊――ルビーという名前らしい――を使っているのだが、その精霊の人格に問題があるらしく、今の今まで遠坂の家に封印されていたそうだ。

 

『まあまあ凛さん、似合ってるなら良いじゃないですか。普通十七にもなってこんな格好してたら痛いどころじゃすみませんよ?』

「だったらもっとマシな霊装出しなさいよアンタはァ!」

『そんなこと言ってもこれが一番性能の良いやつですし。敵の力を考えたら半端な物を出すわけにもいかないですから』

「その敵ももう居ないでしょ!?さっさと転身解きなさいよ!」

『ヤですよ。せっかく表に出たのにまた封印されたらたまりませんから。それに高校生の年増なんて、と思ってましたけど、弄りがいがあって以外と面白いですし』

「弄りがいってなんだ!?つか誰が年増だァ!?」

 

 とまあこんな感じだ。今回のような事例でも無ければ遠坂も封印を解くつもりは無かったらしい。

 なんにせよ、お陰で犠牲を出すこともなく英雄王を倒すことができたのだ。感謝するべきなのだろう。

 

「ともかく行きましょう。後はイリヤスフィールを救い出し、聖杯を破壊するだけです」

 

 気を取り直してセイバーが告げる。確かに最大の障害は取り除いたとはいえ、まだ終わりではない。

 遠坂と二人で頷きあい、境内の奥へと歩を進めた。その直後。

 

「二人とも、下がって!」

 

 セイバーがいきなり叫んで後ろに飛び出した。

 背後から膨大な光が飛来する。その極大の閃光から、セイバーは聖剣とレジスト能力、そして自分自身を盾として俺達を護った。

 

「く……!」

「セイバー!」

 

 数秒間の後に閃光が収まり、セイバーが片膝を着く。セイバーの最高の耐魔力を持ってしても防ぎ切れる攻撃ではなかったらしい。

 余波で石畳が焼け溶け、硝子質の滑らかな溝が出来ていた。その溝の先には、先ほどの攻撃を放ったであろう人物。

 闇色のローブを纏い、項垂れて顔は見えないが、キャスターに間違いなかった。

 

 

「そこをどけ……」

 

 

 地の底から響くような声。

 キャスターはその面を上げ、幽鬼の如き形相で吼える。

 

 

「聖杯は、私の物だァ!!」



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聖杯

「ああアァぁアぁァァッ!!」

 

 

 キャスターの叫びと共に無数の光弾が降り注ぐ。

 

「くっ!やめろ、キャスター!」

「下がってくださいシロウ!キャスターは自分を見失っています!」

 

 前に飛び出して光弾を弾く。が、数が多すぎる。捌き切れない!

 

「無謀だ、キャスター!死ぬつもりか!?」

 

 数発被弾しながら叫ぶ。

 光弾を受けた腕から鮮血が流れる。レジストが働かない。やはり魔力弾か!

 

 魔術師の攻撃手段には魔力弾、あるいは魔力砲と呼ばれる物がある。これらの最大の特徴は、魔術『ではない』という事だ。

 魔力弾とはその名の通り、魔力を魔術に変換することなくそのままエネルギーの塊として打ち出す攻撃なのだが、これには対抗手段と呼べるものがほとんど存在しない。純粋な防御力以外ではダメージを軽減することが出来ないのだ。

 レジストとは、魔術を構成する『式』に干渉して分解してしまう防御法の事だ。そのため『式』の存在しない魔力弾に対してはまったく意味を成さない。魔力弾は、私のような高い耐魔力を持った相手には極めて有効な攻撃手段と言える。

 しかし、それほど有用であるにも関わらず、魔力弾をメインの攻撃手段として扱う魔術師はほとんど存在しない。何故なら効率が悪すぎるからだ。

 例えば魔術で炎を生み出す場合、十の魔力で百の熱量を作る事が出来る。術者の力量次第では千や万になることもあるだろう。

 しかし魔力をそのまま放出する場合、消費する魔力がそのまま威力とイコールになってしまう。技術が介入する余地が無いため、誰が使っても変わらない。

 先ほど無謀と言ったのはそのことで、これだけの威力、これだけの数の魔力弾を放てば消耗は尋常なものではない。並の魔術師なら、今の時点で衰弱死していてもおかしくないだろう。

 実際キャスターは、身体を構成する魔力がほどけて輪郭が揺らいできている。しかしキャスターは、そんな事はお構い無しとばかりにさらに十数発の光弾を生み出し、内二つを両の手にそれぞれ持って突進をかけてくる。私相手に接近戦だと!?

 獣の如き咆哮を上げて、キャスターがその手の光を叩き付けてくる。私はそれを聖剣で受け止めるが、キャスターは構わず押し込んできた。

 

「アアアアァァァァッ!」

「やめろキャスター!私は貴女に友情を感じている!斬りたくはない!」

「黙れえェェェェッ!」

 

 キャスターの絶叫と共に、つばぜり合いになっていた光球が弾ける。

 

「ぐぅっ!?」

 

 至近距離での爆発にさすがに怯む。が、それはキャスターも同じ事の筈。むしろ聖剣を間に挟んでいた分、私はまだマシだろう。

 

「まだあぁッ!」

 

 しかしキャスターの攻勢はまだ終わらない

 さっき生み出した光弾の残りが一斉に降り注ぐ。

 

「がぁッ!?」

 

 当然だが避けられるタイミングではない。そして、それはつまり――

 

(自分ごと爆撃しただと!?)

 

 私が避けられないという事は、私より身体能力の劣るキャスターにも当然避けられない。これでは捨て身どころではない。自爆だ!

 キャスターの自身を省みない猛攻に戦慄し、大きく体勢が崩れる。爆発で粉煙に包まれ視界が閉ざされる。そこに――

 

「獲ったァァッ!!」

 

 粉塵のカーテンを切り裂いて、ルールブレイカーが現れた。

 

 

 

 タイミングは完璧だった。

 私の体勢を崩し、視界を奪い、すかさず必殺の一撃を叩き込む。これ以上は無いと言えるほどの不意討ち。相当な実力差のある相手であっても倒せる筈だ。それを――

 

 

「……っ!放せぇぇッ!」

 

 

 私は、キャスターの手首を掴んであっさり止めていた。

 

「ルールブレイカーの存在は既に知っています。私が警戒してない筈がないでしょう……?」

 

 先の不意討ちが成立するのは、必殺の牙を相手に悟られていない場合だけだ。

 私が警戒してる以上、キャスターの力で私にルールブレイカーを当てる事は出来ない。例えどんな幸運が手伝ったとしてもだ。

 キャスターは全身を揺すって振りほどこうとするが、彼女を掴む私の手はビクともしない。単純な力になると、私達にはそれほどに差がある。

 

「……すみません」

「ぐっ……!」

 

 暴れるキャスターの鳩尾に拳を叩き込むと、彼女は小さく呻いて動かなくなった。

 しかしぐったりとしながらも、ルールブレイカーだけはしっかりと握って離さない。

 私は指を一本ずつ丁寧に引き剥がし、ルールブレイカーを取り上げた。

 無言でシロウ達のところへ戻り、ルールブレイカーをリンに預けた。シロウが躊躇い勝ちに口を開く。

「セイバー……」

「……行きましょう。我々に出来るのは、終わらせる事だけです」

 二人はやや間を置いてから私の言葉に頷いてくれた。それを確認して足を踏み出し

 

 

 カツッ

 

 

 小さな音に振り向くと、足下で小石がカラカラと揺れていた。

 何の魔力もこもっていない、どころか私の元に届いてすらいない、ただの投石。

 しかしそこに込められた意思の力は、私の足を止めるに十分にすぎた。

 キャスターは意識を保つのもやっとだろうに、膝を着いたまま、身体全体で荒く息を吐きながらも、その眼光を衰えさせてはいない。どころか脚を震わせながら、再び立ち上がろうとしている。

 

 

 何故そこまで――とは思わなかった。そんなこと、考えるまでも無い。

 

 

 キャスターは崩れ落ちそうになる自身の膝に渇を入れながら、ブツブツと何事かを繰り返している。

 

「あの人は、勝てる筈のない敵にでも、平然と立ち向かって見せた……」

 

 それは、私達にではなく、自分に言い聞かせる言葉だった。

 

「あの人は、自分を捨て駒に使ってでも、目的は必ず達成して見せた……」

 

 溢れ出る涙を拭おうともせず、歯を食いしばって前を向く。

 

「押して駄目なら諦めろ。そんなバカな事を言いながら、本当に大事なことは、何一つ諦めなかった……!」

 

 既に尽きつつある命を気迫だけで支え、動かぬ筈の身体を無理矢理立ち上がらせて吼える。

 

「比企谷八幡のサーヴァントを名乗る以上、何もせず、ただ膝を屈する事だけは許されない……!」

 

 私は先ほどの自分の言葉を恥じた。

 これほど強靭な意志に支えられて戦う者が、己を見失うなどあるものか。

 キャスターはこちらの様子など構う事なく呪文の詠唱に入った。

 具体的にどのような術を使うつもりかは判らないが、それが恐ろしく強力な魔術であろう事だけは解る。今のキャスターではその反動に耐えられないであろう事。そして、まともな手段では彼女を止める事は出来ないであろう事も。

 それを見て、私も覚悟を決める。

 

「シロウ、聖剣の使用許可を」

「セイバー!?何を!?」

「彼女は否定するかもしれませんが、キャスターの忠義の心は騎士の誇りそのもの。ならば、私には受けてたつ以外の選択は有り得ません」

 

 私はシロウの返事を待つことなく、一歩前に出て聖剣を構える。

 

「来い、キャスター。貴公の渾身、このアルトリア・アーサー・ペンドラゴンが、全霊を持って受け止めよう!」

 

 宣言し、意識の全てを自分とキャスターとに集中する。

 一瞬が無限に引き伸ばされ、空気の振動すらが見えるほどに感覚が研ぎ澄まされる。

 私が聖剣を上段に掲げ、キャスターの呪文が完成する。

 ふと、二人が同時に笑うのかが分かった。

 

 

「「ああああぁぁぁぁぁぁッ!!!!」」

 

 

 私が聖剣を降り下ろし、キャスターが極光を解き放とうとしたその刹那。

 

「やめろセイバー!」

「ッ!」

 

 令呪による強制力が私の動きを封じる。

 同時にキャスターも、直上から飛び掛かったリンによってその場に組伏せられていた。

 リンの手には、先ほど預けたルールブレイカーが握られていて、尚も暴れるキャスターに容赦なく突き立てられる。彼女の左手に再び令呪が輝いた。同時に、

 

「やめなさい!」

 

 即座に令呪を消費し、キャスターを押さえ付ける。

 令呪の強制力に加え、カレイドの力まで使った上での不意討ち。キャスターもさすがに止まるしかないようだ。

 私にとっては決闘を邪魔された気分だ。しかし、二人が私達を止めたい気持ちも解る。だから私は言葉にはすることなく、視線だけで抗議した。

 二人はその視線に怯むことなく、キャスターへと視線を向けている。リンが口を開いた。

 

「キャスター。あなたが聖杯を求めるのは、比企谷くんを助けるためよね?」

 

 キャスターは応えない。ただ、否定の気配もなかった。

 リンは特に気にすることもなく続けた。

 

「もしこっちの条件を呑むなら、聖杯を使わせてあげても良いわ。どうする?」

「!?」

 

 その言葉にキャスターが顔色を変える。それは私も同じだった。

 

「リン!?何を言っているのですか!」

 

 事前に英雄王から聞かされていた通り、聖杯は呪いに汚染されていた。

 これはきっと、厄災しか産まない。そういうモノだ。だからこそ私達は破壊することにした。きっと十年前の切嗣もそうだったのだろう。

 しかしリンは、その聖杯を使わせると言う。リンに視線で説明を求めると、彼女はゆっくり口を開いた。

 

「さっき士郎とも話したんだけどね、英雄王の目的って何だったと思う?」

「それは……」

「あいつは聖杯がまともに機能しないことを知っていた。にも関わらず聖杯を使おうとしていた」

 

 確かにその通りだ。

 聖杯が産むのは破壊のみ。ならば破壊こそが目的であったと考えるのが順当だろう。しかし……

 

「あいつの目的が破壊だったとは思えない。あいつは聖杯に頼るまでもなく、世界を滅ぼせるだけの力を持っていたんだから」

 

 そうなのだ。

 戦いの中で英雄王が見せた切り札。

 結局使わせる隙は与えなかったが、『あれ』の力は聖剣すらをも超えていた。下手をすれば本当に世界を滅ぼしかねないほどの代物だったのだ。

 

「あいつが聖杯で何をするつもりだったのかはこの際どうでもいいわ。重要なのは破壊以外の目的で聖杯を使うつもりだったということ。それが意味することは一つ。聖杯は呪いで汚染されてはいても、願望器としての機能そのものは失われていない。つまり、魔力の流れを完璧にコントロールすることさえ出来れば、願いを正しく叶えることも可能な筈よ」

「無茶だ!並の魔術師にそんなこと出来る筈がない!」

「ええ、並の魔術師には不可能でしょうね。でもね、セイバー。ここに居るのは魔術師の頂点たるキャスターのサーヴァント。それもかの、稀代の魔女メディアなのよ」

 

 ニヤリと笑うリンに、唖然とキャスターを見る。確かに彼女ならば可能かもしれない。

 

「キャスター、聖杯を放置することはできないわ。でも、比企谷くんを助けたいと思ってるのはあたし達も同じよ。だからあなたが手を貸してくれるなら、一度だけ挑戦してみようと思ってる。どう?」

 

 キャスターはしばし呆然としていたが、唇を引き結んで頷いた。

 

「やります」

「よし。ならイリヤには悪いけど、もうちょっとだけ頑張ってもらいましょうか。キャスターがメインで聖杯にアクセス。あたしはサポートにまわるから令呪を通して指示してちょうだい。ルビー、あんたも手伝いなさい。こういうのは得意中の得意でしょ?」

『えー?わたしその比企谷さんって人の事知らないんですけど?』

「ごちゃごちゃうっさい。セイバーは聖杯が暴走した時に備えて聖剣の準備、照準と出力の安定に集中してちょうだい」

「分かりました」

「士郎は聖杯を観測。聖剣を使うタイミングはあなたに任せるわ。ちょっとでもヤバイ気配を感じたら即座に令呪を使ってちょうだい」

「分かった。任せろ」

「こんなとこかしらね……。最後にキャスター、セイバーも。これの成功失敗に関わらず、聖杯は破壊するわ。そうなれば、聖杯の力で現界しているあなた達は消滅することになる。本当にそれでも良い?」

「構いません」

 

 キャスターが即答する。

 出遅れた事に少なからず驚きつつ、私も答える。

 

「元より承知」

 

 リンは私達の答えに満足気に頷くと、自分の手のひらに拳を打ち付けた。

 

「OK、それじゃ行きましょうか。聖杯戦争最後の大勝負よ!」




 冬木市在住のある男性(51)の話では、その日の朝は奇妙な天気だったらしい。
 妙な色合いの分厚い雲が空を覆い、降りだす気配も無いのに生温い風が吹いていたそうだ。
 趣味である早朝のジョギングを早めに切り上げようと顔を上げると、山の中腹、丁度柳洞寺の辺りから一条の光が伸び、暗雲を吹き飛ばしたらしい。
 その日は天気予報では快晴となっており、実際、雲一つ無い非常に過ごし易い一日だった。
 そのためか、彼の話をまともに聞く者はおらず、彼自身も日常の中にその記憶を埋もれさせていった。
 そして時は流れ――――


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運命 ~Fate~

「お兄ちゃん!学校行く準備できてるの!?」

「へいへい、今終わるとこだからデカイ声出すなよ」

「大きい声出されるのイヤなら早起きしてよ!雪乃さんもう来ちゃうよ!?」

「十分早起きの範囲内だろうが……。あいつが早すぎんだよ」

「他人のせいにするのはやめてもらえるかしら、責任転嫁谷くん。あなたの寝坊癖は今でも健在でしょう」

「癖じゃなくて時間を有効に使ってるだけだ。つかその名前はいくらなんでも強引すぎんだろ、語呂悪ぃし」

「およ!雪乃さん、オハヨーございます!」

「お早う、小町さん。今日もよろしくね」

「サラッとシカトすんのやめてもらえませんかねぇ……」

 

 

 あれからほぼ一ヶ月が経っていた。

 

 知らない天井だ。そんなお約束をかますのも忘れて周りを見回すと、泣き疲れて眠る雪ノ下と由比ヶ浜。

 眠りは浅かったのか、俺が身を起こすと同時に二人も目を覚まし、俺を見て呆然とした後揃って突進して来やがった。

 俺はバランスを崩してベッドから転げ落ち、繋がっていたコードやら何やらが外れ、医者達が慌てた様子で駆け込んできた。

 医師の説明では、俺は回復の見込みなど無いほどの重体だったらしい。しかし気が付いたら完全回復していたという。

 一週間かけて色々検査したが、右腕や痛覚も含めて完全健康体ということ以外は判らなかった。

 退院前に医師から「報酬を払うからもう少し研究させてくれ」とか言われたが、雪ノ下が凄まじい剣幕で追い払っていた。

 

 

 念の為にともう一日だけ休みをとってから学校に復帰することになった。

 雪ノ下に由比ヶ浜は、それから毎朝交互に、たまに二人一緒に俺の家まで迎えに来てる。

 小町も交えて三人で登校するのがデフォになってしまったのだが、徒歩の二人に合わせる為に早起きして自転車を押していかなければならない。一緒に乗れって?バカ言え。俺が後ろに乗せるのは小町だけだ。

 ともかく雪ノ下と由比ヶ浜、それに小町は、隙あらば俺の傍に寄ってくるようになった。

 まぁ、自分では覚えてないとは言え死にかけたわけだからな。心配かけてしまったのだろう。

 俺だって小町や戸塚が事故に遇ったりしたら、それ以降心配のあまり四六時中張り付いてストーカーとして逮捕されるだろう。捕まっちゃうのかよ。

 何にせよ、基本ぼっちである俺にとってはこの状態は迷惑、とは言わずとも少々キツい。

 ひたすら人の目を集めるし、何より――あいつらが、メディアのことをまるで覚えてないのが辛かった。

 

 

 学校へはすんなりと復帰できた。

 元々知り合いが少なかったのもあるが、記憶の封印、というかその解除は正常に機能した。

 俺を知っている連中は、俺を見て目をパチクリさせた後、慌てたように愛想笑いを浮かべて首をひねりながら去って行った。

 記憶の封印は、俺の注文で俺とメディアとの記憶を個別に封じてあった。どちらか片方がダメだった時の為の配慮、のつもりだった。

 数が多いので無理ならいいとは言ったのだが、学校を既に工房化してあったこともあり、メディアにとってはそれほど難しい事ではなかったらしい。

 ただ、雪ノ下と由比ヶ浜は別だった。

 二人の場合、聖杯戦争についての知識も含めてセットになっている筈だったのだが、二人ともそれらの記憶が完全に消されていて、俺の怪我も交通事故ということになってしまっていた。メディアが何かしたのだろうということは分かるが、それ以上はさっぱりだ。

 

 登校時はともかく、下校なら一人になることはできなくもなかった。

 俺は何度か衛宮邸へと足を運んだが、いつも留守だった。というか帰って来てる気配が無かった。

 鍵がかかっているので屋内に入る事はできないが、門は普通に開いていたので庭になら入れた。

 そこから伺った限りでは、しばらく人が出入りしてる様子が無かった。

 ずっと無人だったという感じではなく、ここ数日から十数日の間、つまりは俺が目を覚ました前後くらいからだ。まあそんな感じがしたってだけで、正確なところは分からんが。

 遠坂の家も似たようなものだった。

 例の教会にも行ってみたが、焼け跡が残っているだけだった。何があったオイ。

 あと俺が知っている聖杯戦争関連の施設といえば風雲イリヤ城くらいだが、これは行きはワープで帰りは気絶だったからな。どこにあるのか分からん。

 何にしても、衛宮達にも会う事は出来なかった。

 つまり、メディアのことを覚えている人間は、俺を除けば一人も居なかった。

 

 

 そんなこんなで、あの戦いが実はただの夢だったんじゃないかと、そんな風に思い始めた日のことだ。

 いつものように小町を送り届け、雪ノ下と二人、並んで歩いていると、学校近くで俺を待ち構えていた奴がいた。

 

「お久しぶりですね」

 

 そいつは気負った様子も無く声をかけてきた。雪ノ下が怪訝な目を向けて応える。

 

「どちらさま?」

「初めまして。わたくし、そちらの比企谷さんの友人です。本日は彼に少々お話しがございまして、よろしければ彼と二人にさせていただきたいのですが」

 

 ペコリと丁寧にお辞儀するそいつに、雪ノ下が戸惑うように俺を見る。

 俺は、そいつに向かって口を開いた。

 

 

「……誰?」

 

 

「え……?えっと……アレ?」

 

 そいつは分かりやすく混乱していた。

 雪ノ下が小首を傾げて聞いてくる。

 

「……知り合いではなかったの?」

「最初は俺もそう思ったんだが違ったらしい。見た目はそっくりだが、俺の知ってる奴はもっとがさつで大雑把で雄々しく猛々しい女だ」

「どういう意味だっ!?」

「あれ、遠坂。いつからそこに?」

「あんたねぇ、久しぶりに会ったってのに何なのよその言い草は……!」

「つってもなぁ。なんだよあのお嬢言葉は、鳥肌モンの気色悪さだったぞ」

「キショッ……!?乙女に向かってなんてこと言ってくれんのよ!?こっちにはこっちの都合ってものがあんのよ!」

「すっかり忘れてたが、そういや学校では猫かぶってたんだよな、お前。でもまぁ素の方がいいと思うぞ。そっちのが俺は好きだ」

「……あんたといい士郎といい、なんであたしの周りはこんな男ばっかり……あんた、誰彼構わずそういう事言うのやめなさい。刺されても知らないわよ」

「何を言っているのか解らん。俺はただ思った事を言ってててててっ!?いきなりなんだ雪ノ下!?」

「……漫才はそのくらいにして、そろそろ説明してほしいのだけれど?」

 

 雪ノ下にいきなり耳を引っ張られた。いや、置いてきぼりにしたのは悪かったけどそこまで怒るなよ。

 とりあえず遠坂を紹介する。

 

「えーと、こいつは遠坂。俺の……なんだ?友達?じゃないよな」

「なんでよ……?普通に友達で良いでしょ」

「なるほど。一体どんな弱味を握られているの?知り合いに腕の良い弁護士がいるから良ければ紹介するわ。安心して、その方も女性だから」

「オイコラどういう意味だ」

「黙りなさい。見損なったわ比企谷くん。前々から存在自体が迷惑だったというのに、とうとう実害が出るような事に手を出したのね?軽蔑を通り越して通報するわ」

「何その通り越し方、斬新すぎんだろ。なんで感情の先が行動になってんだよ。おかしいだろ」

「あんた達って普段からこんななわけ……?」

 

 遠坂が何故か戦慄していた。

 その遠坂が改めて雪ノ下に声をかける。今度は猫かぶりをやめて。

 

「とにかく、彼と二人で話がしたいの。悪いけれど貸してもらえるかしら?」

「……話している間に随分時間が経ってしまったわ。悪いけれど……」

「雪ノ下、俺もこいつに話がある。すまんが先行っててくれ」

「……後で説明してもらうわよ」

 

 

「良かったの?」

「別に構わんだろ」

 

 警戒心むき出しの雪ノ下を先に行かせて、遠坂と二人で話す。

 

「あの娘、私の事誤解してたみたいだけど」

「誤解ってどんな?」

 

 おい、なんだその無言のため息は。

 まあいい。ともあれ話を戻そう。

 

「んで、どうしたいきなり?つうか今まで何してたんだ?」

「聖杯戦争の後始末ってところね。本当なら監督役の綺礼の役目だったんだけど、まぁあの通りだし。冬木の管理者として色々雑務に追われてたのよ。今日はその辺りの事の報告、みたいな感じ?」

 

 管理者、ね。確かにそんな事言ってたな。

 一瞬何の権利があって、とか思ったが、考えてみたら国とか街とかって枠組みも一部の誰かが勝手に主張してるだけで、それがいつの間にか常識として扱われてるだけだからな。そんな物かもしれん。

 

 遠坂の話では、俺が倒れた後どうにか勝ち抜き、呪いで汚染されて大量破壊兵器同然になっていた聖杯を破壊する事で聖杯戦争は幕を閉じたらしい。約三百年に渡って続いた聖杯戦争の歴史も、今回で終わりだそうだ。

 衛宮とイリヤも無事らしい。二人は遠坂の雑務とやらを手伝っていたらしく、それで家に帰ってなかったそうだ。

 遠坂は肩を竦めて続けた。

 

「それもようやく一区切りついてね。留学前に片付いて良かったわ」

「留学?」

「ええ、ロンドンにね。時計塔……まぁ、魔術師にとっての大学みたいな物ね。そこに行くことになってるの。今日の午後には発つ予定よ」

「えらい急だな……いや、予定ってんなら前から決まってたのか」

「そうね、連絡出来なかったのは謝るわ。こっちも忙しくてね。実はまだ少し残ってるし」

「そういやこの街はどうすんだ?管理者が留守にしちまって良いのか?」

「だからそこら辺の調整をしてたのよ。幸い有能な代理人を雇えたわ。近い内にあんたのところにも挨拶に来る筈よ」

「……俺に挨拶されても困るんだが」

「大丈夫よ、あんたも知ってる相手だから」

 

 俺の知り合い……衛宮か?いやでも有能っつってるしな。

 考え込んでいると、遠坂はふっと笑って右手を差し出してきた。

 

「まあともかく、あんたのお陰でどうにか聖杯戦争を乗り切れたわ。ありがとう」

「……別に俺のお陰ってこたねえだろ。足引っ張ったところもあるし、俺抜きでも何とかなってたんじゃねえの?」

「それでも、よ。少なくとも私はあんたに助けられたと思ってるの。だから、お礼をさせてちょうだい」

 

 俺は左手で頭を掻いて、差し出された手を握った。遠坂はそのまま笑顔で……ていうかさっきからなんか気になんな、こいつの笑い方。なんか企んでる感じというか。

 遠坂はそのイイ笑顔のままで続ける。

 

「お礼としてちょっとした贈り物をさせてもらうわね。受け取ってちょうだい」

「は?」

「今日中にはあなたのところに届く筈だから。それじゃ、私はそろそろ行くわね?」

「いや待て。なんだ贈り物って」

「人形よ。ものすっごい高いやつ」

「いやホントに待て。人形なんか俺にどうしろと?」

「ちなみに返品は受け付けないから。じゃ、縁があったらまた会いましょ」

 

 遠坂は俺の言葉に耳を貸さず、手を振り振り去っていった。

 俺はそれを呆然と見送っていたが、聞こえてきた予鈴に慌てて学校に駆け込んだ。

 

 

 教室に駆け込み席に着くのと、担任が入ってくるのは同時だった。

 

「おらお前ら席着けー」

 

 いつも通りのやる気の無い声。しかし今日は、そこから先が違っていた。

 

「あー、いきなりだが、今日は転校生を紹介する」

 

 は?転校生?

 

「先生、この時期にですか?」

 

 俺が、というかクラスのほぼ全員が思った事を、葉山がナチュラルに代表して質問していた。

 この時期に転校生とか有り得ない。なにしろ明後日には終業式なのだ。転入してくるなら普通新学期からだろう。

 担任はやはりやる気の無い顔で説明する。

 

「学校からも言ったんだが、本人の強い希望でな。可能な限り早く学校に来たいんだと」

 

 ふーん。奇特な奴も居たもんだ。

 まあなんでもいいか。どうせ俺には関係無い。

 俺はそう考えて、いつものように寝た振りを――

 

「それじゃ、入れ、遠坂」

 

 しようとして、担任の口から飛び出した名前に再び顔を上げる。

 待ておい、誰だって?

 いや、偶然か?そこまで珍しい苗字でもないし。大体ついさっき本人から留学するとか言われたとこだし。

 

「失礼します」

 

 そう言って教室に入ってきた『彼女』の姿を見て、俺は今度こそ言葉を失った。のみならず、あまりの驚きに立ち上がる。

 クラスの連中の視線が集まる。しかし俺には、そんなことを気にする余裕が無い。

『彼女』はそんな教室の様子を意に介さず、チョークを手に取って黒板にカツカツと自分の名前を書いた。

 そしてクルリと振り向くと、かつてのように自己紹介した。

 

 

 

 くすんだ色合いの、やや青みがかった銀髪は腰まで伸び。

 人外の血を想起させた尖った耳は、人並みに丸くなり。

 寒気すら覚える美貌は、柔らかな笑顔によって温もりを帯びていたが。

 外見は細かいところは結構色々変わっていたけど。

 それでも、俺がこいつを見間違える筈がない。

 

 

「初めまして、遠坂メディアと申します。皆さま、よろしくお願いします」

 

 

「お前……なんで……」

 

 ただ、それだけ呟くのがやっとだった。

 彼女はそんな俺にニコリと微笑み、静かに歩み寄って来た。

 

「約束、しましたよね?小町様と一緒に、また野菜炒め作るって」

 

 呆然と動けずにいる俺の前で立ち止まり、続ける。

 

「依頼も、終わってませんよね?幸せになるのを、手伝ってくれるって、言いました」

 

 彼女は手を伸ばし、俺の胸にそっと触れる。そして何かを思い出すように目を閉じた。

 

「『身体』が出来上がるのに時間がかかってしまいました。遅くなって、申し訳ありません……」

 

 そして彼女はくしゃりと顔を歪めると、その涙を隠そうとするかのように、俺の胸へと飛び込んできた。

 

「八幡様……ただ今、帰りました――――!」

 

 

 

 これはメディアと再会して少し後、春休みの間に聞いたことだ。

 

 聖杯戦争終結の直後に、以前から遠坂が探していた人形師と連絡が取れたらしい。

 その人はやはり魔術師で、生き人形を造るのが得意なんだそうだ。その技術を応用して俺の義手を注文するつもりだったらしい。

 で、聖杯を破壊してしまったことで消滅しかけていたメディアとセイバーを、遠坂と衛宮が自前の魔力でどうにかつなぎ止め、その間にその人形師に二人の身体を造ってもらったんだそうだ。

 

 元々扱っているのが高級品ばかりなのに加え、初めに聞いていた話と違うということで相当ふっかけられたらしい。が、サーヴァント二人分の魂に聖杯の欠片。聖杯の器に生きた剣製の杖を研究素材として提供することで、ほとんどタダ同然まで値引きしてもらったそうだ。

 

 研究素材といってもゲームのアイテム合成の材料のようにされることは無く、色々とデータを取ったり実験に付き合わされたりと、そんな感じだったようだ。

 まあ、どれも簡単に手に入るような物じゃないだろうから、迂闊に消費する気も起きなかったのだろう。ともあれ全員無事で新しい身体を手に入れることに成功したとのことだ。

 

 ただ、衛宮とイリヤが冬木に戻るのは、もう少し後になるそうだ。セイバーの身体がまだ完成してないらしく、その分を稼がないとならないとか。留学の近かった遠坂を先に帰らせ、メディアに管理者の代理として引き継ぎしていたんだそうだ。

 

 そんなわけで、今のメディアの身体は人形らしい。もっとも魔術関連のシロモノなので、当然の如く普通ではない。

 なんでも人間と同じように物を食べ、睡眠をとり、時間の経過に従って変化――つまりは歳を取る。それもう人形じゃねえだろ。

 また、一体どんな手段を使ったのか、遠坂はメディアの戸籍をでっち上げてしまったらしい。お陰でメディアは一人の人間として、遠坂の家で管理者の代行をしつつ、こうして学校に通うこともできるようになったそうな。すげえな管理者。ホントに同い年か。

 

 まとめちまうと、全てが円く納まった、で、良いのか?

 まぁ、これから先がどうなるかは分からん。また何か妙な問題が持ち上がるかもしれないし、何も無いまま人生をまっとうするかもしれない。が、どちらにせよそれは別の話だろう。

 とにかく話を今に――教室でメディアが抱き着いてきた直後に戻そうか。

 

 

 ちょっとナニアレヒキタニくんマジパネェあの男子誰よヒヒヒヒヒッキー誰それどういうこと八幡大胆なんであんなやつがやるじゃんヒキオはやはちに強力ライバルでも嫉妬に身を焦がす隼人くんこれはこれで比企谷後で職員室に来い

 

 

 涙を流して俺にすがりつく銀髪美少女転校生と、それを抱き止める学校一の嫌われ者。

 そんな組み合わせに教室が喧騒に包まれる。

 しかし俺はそんなこと気にしてられない。今は目の前のことで精一杯だ。さっきのざわめきに、ここに居ない筈の人の声が混じってた気もするけど、それもどうでもいい。

 

「お前、どうして……」

 

 そう言いながら、俺は遠坂の言葉を思い出していた。

 遠坂は、メディア達は聖杯が破壊された事で力を失い身体を維持出来なくなった、と言っていた。

 なるほど、勝手に消滅したと思い込んでいたが、確かにそんな事は言ってない。やってくれんじゃねえかあのアマ。

 

「わた、わたし……八幡、様に……ひくっ……会いた、会い、ひくっ……」

 

 メディアは本格的にしゃくりあげてしまって言葉にならない。俺はメディアの頭を軽く抱いてポンポンとしてやる。

 まぁなんだ。こいつが無事に帰ってこれたってんなら、それに越した事はないだろ。なら細かい事は後でいいさ。

 周りから突き刺さる視線は痛いが、こいつが泣き止むくらいまでなら我慢してやる。

 しばらくして落ち着くと、メディアは顔を上げ、にこりと微笑む。そして俺の目を真っ直ぐに見詰めて口を開いた。

 

「八幡様、私、一番初めの質問に、まだ答えてもらっていません」

 

 その初めの質問というのが何の事か、俺には分からなかった。

 しかし改めて聞かされて、ああなるほどと思ってしまった。

 俺と彼女が初めて出逢った時、彼女は確かにそう言った。そして俺は、その言葉に未だ答えてない。

 彼女はその瞳に涙を湛え、今再び、その言葉を口にする。

 

 

 

「――貴方が、私のマスターですか?」

 

 

 

 fin



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Fate/black snow
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ここから別ルート。
続編ではなく、途中から分岐した完全に別のシナリオです。14話、別離の直後からの分岐になります。
例によって途中までしか出来てないので、もやっとするのが嫌な人は読まぬが吉。
ところでこのシリーズは、ルート毎にサブタイを統一というか法則性を持たせるつもりでいます。メディアルートは漢字2文字でした。
こちらはpixivでは「○○と○○」という形にしてたんですが、やはり英語にしたいと思いまして。
いや、元々は英語で行こうと思ってたんですけど、自分が英語全然ダメなもので諦めたんですよ。そこで読者の皆様にも考えていただけたらなぁと。いや勿論自分でも考えますが。
良ければメッセージやコメントでご意見くださいませ。


 あれは一体なんだったのだろう。

 

 すでに日も落ち暗くなった道を1人歩く。

 いつもならこんなに遅くなることはないのだが、今日は少し事情がある。事情と言っても人に説明できるようなことでもないが。

 スカートのポケットに手をやる。布地越しに硬い感触。

 自分が何故か持っていたICレコーダー。それに残された声。

 それは知らない少年のものだった。なのにどうしてか、ひどく心がざわめいた。由比ヶ浜さんも同じだったらしく、二人で子供のように泣いてしまった。遅くなった理由はそれだ。

 

「比企谷……くん」

 

 なんとなく一人ごちる。

 ICレコーダーの中で、私は彼をそう呼んでいた。

 彼との会話は、一言で言えば別れ話だ。とは言っても恋人同士におけるそれとは別のものだが。

 彼には何かしなければならない事があって、そのために私たちの元から離れなければならない。それを告げに来た。そんな感じだ。

 そして私たちは、そんな彼に「行ってほしくない」と取りすがるのだ。まるで捨てられる恋人のように。

 

「恋人……」

 

 馬鹿馬鹿しい。

 一瞬浮かびかけた妄念を、頭をふって追い払う。

 これではまるで、私が彼に懸想しているようではないか。顔すら知らない相手に一体何をどう思えというのだ。

 そんな益体もないことを考えながら家路を急ぐ。まだそこまで遅い時間ではないとはいえ、最近は少し物騒だ。用心に越したことはない。

 

 そう言えばと、ふと思い出す。

 以前にもこのくらいの時間に帰った事があった。その時誰かに送ろうかと言われた覚えがある。

 私は確かそれを断ったのだ。本当は嬉しかったくせに。心にも無いことを言って。

 

 あれは一体、誰だっただろうか。

 

 

 

 扉を閉めると、廊下から射し込んでいた光も無くなり真っ暗になる。

 私はその状態のまま目が慣れるのを待った。その間、一人暮らしを始めてからただいまを言わなくなったな、などとどうでもいいことを考える。

 

 意味の無いことをしている。その自覚はあった。

 理由は分からないがどうにも空虚な気分が拭えない。

 いや、原因は判っている。あのICレコーダーだ。しかしそれがどうしてここまで自分の心を掻き乱すのかが解らない。

 

 溜め息を吐く。

 

 考えて分かることであるならば、自分なら既に答えにたどり着いているだろう。つまりこれは考えてどうにかなることではない。

 私は諦めて靴を脱ぐと、リビングへと入って照明のリモコンに手を伸ばしーー

 

 

 

「随分と遅い帰りだったな」

 

 

 

 唐突に聞こえたその声に思わず飛び退く。

 それはすぐ隣から聞こえてきた。落ち着いた、男の声。

 その男はただ立っていた。

 部屋の隅で、壁に身を預けるでもなく、闇に沈み込むようにして。

 彼の纏う漆黒の法衣の胸元で、小さなロザリオがキラリと揺れる。

 

「な……」

「若者は古い考えと思うかもしれんが、やはり学生が夜遊びというのは感心できんな。……いや、余計な世話だったかな?たまたま用事があっただけならすまない。老人のたわごとと聞き流してくれたまえ」

 

 驚きのあまり絶句している私に、男はなんでもない事のようにそう語った。その長めのセリフの間にいくらか冷静さを取り戻し、私は声を張り上げる。

 

「誰!?」

 

 そう言いながらも、私はこの男に見覚えがあった。古い記憶からどうにか該当するものを探り当てる。確か幼い頃に母に連れられて行った教会の神父だ。

 

「失礼、少々確認せねばならん事があってな。悪いとは思ったが勝手にお邪魔させていただいた」

 

 神父はまったく悪びれることなく言ってのける。そして私の方へ無造作に足を踏み出した。

 

「近寄らないで!警察を呼ぶわよ!」

「……これは私の思い過ごしかもしれんな。まあ良い。念のために軽く記憶を探らせてもらおう」

「この……!」

 

 神父は私の言葉を聞いてないのか、訳の分からないことを言いながらその手を伸ばしてきた。私はその腕を取ってーーうつ伏せに組伏せられていた。

 

「!?!?」

 

 何が起きたのか分からない。肘を極めようと思ったらいつの間にか倒されていた。

 投げられたのか足を払われたのか、その判断もつかない。攻撃の意思や気配も感じさせず、それどころかこうして倒されてからも痛みすら無い。次元が違い過ぎる!

 神父は後ろから私の頭を掴み顔を引き起こす。

 

 

 ずぷりっ

 

 

 そんな音が聞こえた気がした。

 

「ふむ……?」

「ヒッ……!?」

 

 今度こそ、何が起きているのか解らずに、ヒクつく肺から空気が漏れた。

 神父は掌を私の頭頂部に置き、指を額に掛けている。その指が額に『沈み込んで』いる。

 

「ロックが掛かっているな。外れかとも思ったが、やはり何か関わりがあったか?」

 

『沈み込む』とは言葉通りの意味で、神父の指が私の額に第二関節のあたりまで突き刺さっているのだ。

 どう見ても頭蓋骨に穴が空いているのだが、痛みの類いはまったく無い。代わりに脳の表面を蟲が這いずるようなおぞましい感触が襲う。

 

「恐ろしく精巧だが、強度の方は大したこともない。この程度なら私でも……」

 

 状況も神父の言っていることも、何一つ理解出来ない。

 恐怖にガチガチと歯が鳴り涙が滲む。

 怖い。なんなのこれは?

 誰か、助けて、誰か、誰か……

 

 

「む……!?」

 

 

 

『比企谷くん』……!

 

 

 

「ほう……」

 

 ぜいぜいと荒い息を吐く私を見下ろし、神父は感心したような声を漏らした。

 

「簡素な代物とは言え、キャスターの封印を自力で破ったか。さすがは雪ノ下の血と言ったところか?大したものだ」

「どういう意味……!?」

 

 私は強引に息を整えると神父を睨み付けた。

 私は全てを思い出していた。

 比企谷くんの事、メディアさんの事、聖杯戦争の事、全てをだ。

 しかしそれでも神父の言っていることには理解出来ないことがある。何故ここで雪ノ下の名前が出る?

 

「君の家は魔術師の家系なのだよ、雪ノ下雪乃くん」

「嘘よ!そんな話聞いた事も……!」

「当然だ。君のお母上は君に魔術の事を知らせる気は無いとおっしゃっていたからな。ああ、その事についてご家族を恨みに思うのはやめておきたまえ。魔術を継承するのは長子のみ。それ以外の子供には魔術の存在すら知らせぬのは普通の事だ。それにだ、黙っていたのは君のためを想えばこそだぞ。人としての幸せを望むのであれば、魔術になど関わらずにいた方が良いに決まっているのだから」

 

 淡々とした神父の声に、以前メディアさんから聞いた話を思い出す。確かに彼女もそのような事を言っていた。だとすれば姉さんが……?

 

「本来マスターに選ばれるのは君の姉だと踏んでいたのだがね。いや、人生とは何が起こるか判らんな。まさか魔術師ですらない少年がサーヴァントの召喚を成すとは」

 

 私の記憶から比企谷くんの情報を抜き取ったらしい。神父は声には出さず、しかし愉快そうに笑っていた。

 どこか不吉なその笑いに不快さを覚え、自然と視線が鋭くなる。

 

「比企谷くんに何をするつもり?」

「何も。初めに言っただろう、確認せねばならない事があると。それが済んだ以上、関わるつもりは無い」

「だったらどうして確認が必要なの?」

「サーヴァントの召喚に成功した者はその旨を私に届け出ることになっている。私は聖杯戦争の監督役を任されているのでな」

「監督役?」

「ああ。主な役割はマスター同士の戦いによる、無関係な人間への二次被害と神秘の漏洩の防止。それと戦う力を喪ったマスターの保護だな」

 

 聖杯戦争はある程度システム化されている。メディアさんから説明を受けた時に私が思ったことでもある。だが……

 

「マスターの保護?」

「無論、戦いを放棄した者に限るがな。我々としても無意味な犠牲は望むところではない」

「保護と言ってもどうやって?他のマスターが強襲をかけてきたら護り切れるの?」

「無理だな。少なくとも私にはサーヴァントを止める権利も力も無い。そこは参加者の良識に期待する他あるまい。が、そう心配は要らんだろう。戦いを放棄したマスターに仕えるサーヴァントなど居ないだろうし、そんなマスターを狙ったところで何の意味も無い。ただ敵に居場所を知られるだけだ」

「それでも令呪が残っているなら念を押すマスターだって居るのでは?」

「だからこその監督役だ。私は戦いを放棄したマスターから令呪を摘出する術を持っている」

 

 神父はそう言って左の袖をまくった。私はその下にあったものを見て息を飲む。神父の左腕には、びっしりと無数の令呪が輝いていた。

 

「私の家は代々聖杯戦争の監督を務めていてね。これらは過去の戦いで、結局消費されることのなかった令呪だ。私はそれを受け継いでいる。もっともサーヴァントを持たぬ身では宝の持ち腐れだがね」

 

 神父は袖を戻すと私に向かって小さく頭を下げた。

 

「結構な時間邪魔してしまったな、申し訳ない。重ねてすまないのだが、君には今の会話の事を忘れてもらいたい」

「待って」

 

 私に向かって踏み出そうとした神父を声で押し留める。

 

「……何か?」

「ここに来たのは、私がマスターかどうか確認する為よね」

「正しくは戦う意志の確認だな。もし不本意に巻き込まれているのであれば辞退を勧めるつもりでいた」

 

 まあ見当違いだったのだが、と付け加える。

 

「ならば比企谷くんを保護してあげて。彼が聖杯戦争に巻き込まれているのは純粋に事故よ」

「残念だがそれは難しいな」

「どうして!?」

「居場所が判らん。これでは保護も何もない。それにだ、よしんば話ができたとしても、彼が説得に応じるとは思えん」

 

 説得に、応じない?

 

「どうしてそう思うの?」

「先ほど君の記憶を覗いたと言ったな。それで彼の人となりもある程度は把握した。ずいぶんと頭が良く、また心優しい少年のようだ」

 

 ……それがどうしたというのだ。というか私の記憶を読んで何故そんな評価になるのか。

 

「彼であれば、安全にリタイアする方法は既に思い着いているのでは、と思うのだがな」

「……そんな方法があるの?」

「彼の令呪は残り一つなのだろう?ならば簡単だ。最後の令呪を用いてサーヴァントを自決させれば良い」

「な……!?」

「それをしないということは、彼は自分の意志で戦いに参加しているのではないかね?聖杯で叶えたい願いがあるのか、それともサーヴァントに同情しただけかは分からんが」

 

 サーヴァントに同情。

 ああ、それはありそうだ。ものすごくすんなり納得できる。というより比企谷くんの場合、それ以外の理由が考えつかない。

 

 

「……彼を、救いたいのかね?」

 

 

 その言葉は、私の心の防壁をあっさりとすり抜けてきた。

 

 救う。

 私が。

 比企谷くんを。

 

 

「本来であれば、私は君の聖杯戦争に関する記憶を封じなければならない。神秘は隠匿せねばならん」

 

 神父の落ち着いた声が、私の心を優しく溶かす。

 

「しかしそれ以外にも道はある。君に魔術と関わって生きる覚悟があるのならば」

「それは、どういう……」

「つまり、君自身が聖杯戦争に参加すれば良い。君が戦って他のマスターを倒してしまえば、彼を傷つける敵は居なくなる」

「……だけど、私には令呪もサーヴァントも」

「令呪は私のものを使えば良い。それに、実は今、マスターの居ないサーヴァントを一体預かっていてね」

 

 

 希望が見えた。見えて、しまった。

 

 

「教会としても、聖杯は非道な人間の手に落ちるべきではないと考えている。私個人は、君になら任せてみても良いと考えているのだが、どうするかね?」



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encount

「……どうだ?」

 

 俺の問いかけに、メディアは首を横に振った。 手がかりらしいものは見つけられなかったらしい。

 

「わずかに魔力の残滓がありますので、魔術師が関わっているとは思うのですが……」

「そうだろうな」

 

 最新の電子セキュリティも魔術の前には形無しだ。それはついさっきメディアが証明してみせた。

 もっともこれは初めから予想していたことなので、結局は何も分からないのと同じだ。くそ。

 

「これからどうなさいますか?」

「…………分からん」

 

 他に答えようがなかった。

 俺は今、雪ノ下のマンションにいる。

 学校に罠を張り巡らし、誘いをかけたマスター達を迎え撃つ準備を済ませた後、ノートPCを開いてメディアに作戦に必要な操作を教えていた時のことだ。

 動作チェックのついでに各監視カメラの映像を確認していたところ、雪ノ下が何者かに襲われているのを発見した。

 それで学校を放棄してここに急行したのだが、やはり間に合わずもぬけの空だったというわけだ。

 学校には戻れない。今からでは俺達を襲撃しに来たマスター達と鉢合わせる可能性がある。

 しかし他に何かが出来るかというと、何も出来ないというのが正直なところだったりする。

 なにしろメディアが半月以上もかけて溜め込んだ魔力は、学校を要塞化するのにほぼ全て使ってしまったのだ。ぶっちゃけ途方に暮れるしかない。

 

「……なあ、これやっぱ聖杯戦争が絡んでると思うか?」

「断定は出来ません。ですが可能性は高いでしょう」

 

 だよな。

 

「ならそこから当たるしかねえか」

 

 手がかりが何も無い以上、手当たり次第に動く他ない。

 

「……どうなさるおつもりですか?」

 

 俺の呟きに疑問符を浮かべるメディアに、大したことじゃねぇよと答える。

 

「何か知ってそうな奴に話を聞くしかねえだろ。……とりあえずは関係者だな」

 

 

 

 

「あぁ~、もう!最悪!」

 

 朝の9時。

 シャワーを浴び、濡れた髪を拭いたバスタオルを、洗濯機に八つ当たり気味に叩き込む。

 

『ずいぶん荒れてるな、リン』

「当たり前でしょ!?」

 

 霊体化したまま語りかけてきたアーチャーに乱暴に答える。

 昨夜、キャスターが潜伏していると思われる学校に強襲をかけた。しかし学校はもぬけの空。だというのに罠だけは大量に設置されていて酷い目に遇わされた。

 つーかなんなのよあの底意地悪いトラップの数々は!?どういう性格してたらあんな仕掛けを思い付くわけ!?

 どれもこれも殺傷力は無いくせに魔術による防御の隙を突くようなものばかり。特にあの秩序の沼はセイバーすら無力化してしまう厄介さだった。……くっそ、下着までグショグショになったわ。

 不意討ちのつもりが誘い込まれたと知り、警戒しながら時間をかけてキャスターを探索した。それが結局スカだとわかった時の悔しさといったら……!

 て言うかなんで奴らが仕掛けた罠の後始末を私らがしなきゃなんないのよ!?無視するわけにもいかなくて朝までかかっちゃったじゃない!

 

『しかし考えようによっては幸運とも言えるぞ。あそこで直接仕掛けられていた場合、勝てた保証は無い』

「……まあね」

 

 アーチャーの冷静な分析に、多少なりともクールダウンする。

 学校に仕掛けられていた罠は、命に関わる類いのものは無かった。一見おちょくっているのかと思うような代物も少なくなかった。

 しかし同時に、こちらにまったく効果の無いものも一つも無かったのだ。つまり敵は、こちらの戦力をかなり正確に把握していたことになる。

 それが誘いをかけてきたということは、勝つ自信があったということだろう。実際あの無数の罠の中で戦えば、相当な苦戦は免れなかった筈だ。

 しかしそうなると疑問が出てくる。

 

「……なんで、あの学校を放棄したんだと思う?」

『……おそらく、敵にとって想定外の何かが起こったのだろうな。それであそこを手放さざるを得なかった。そうでなければ説明が着かん』

「やっぱりそうよね……」

 

 あれらのトラップを用意するには結構な魔力が必要になる。少なくとも、ただの囮の為に消費して良いような量ではない筈だ。

 トラップだけで仕留められると考えていた、という可能性は無い。致死性のトラップだけは一つも無かったのだから。

 敵の戦略は、罠で動きを封じておいて自分の手で止めを刺す。あるいは交渉を有利に進めるといった具合だった筈。そして本命は後者だと踏んでいる。

 だけど敵はあの場に現れなかった。

 これでは大量の魔力を無駄遣いしたのみならず、私達に警戒心を与え、さらに隠れて様子を伺っていた他のマスターに存在を晒しただけだ。自分の利に働く部分が一つも無い。

 では、それほどの損害と天秤にかけてでも無視出来ない事態とはなんなのか?という話になるが、これは正直さっぱりである。情報が無さすぎる。

 

 仕方なく思考を中断し、着替えを済ませたちょうどその時だった。

 

 

 ピンポーン

 

 

 普段滅多に聞くことの無い電子音が鳴り響く。

 なんということもない、普通のチャイムだ。しかし……

 

「こんな時間に……?」

 

 私は一人暮らしで学生だ。近所の住民なら平日のこの時間に人が居るとは考えない。無論ウチの事情など知らない人間という可能性もあるが……

 

「アーチャー」

 

 既に玄関の様子を見に行っていたアーチャーに呼び掛ける。

 

『……予想外な来客だ』

「? 誰よ?」

『キャスターだ』

「ハァ!?」

 

 気配を殺しつつ玄関に向かい、覗き穴から扉の向こうを確認する。

 

「うわ、マジじゃない……」

 

 そこには以前ゲーセンで見かけた少女と、彼女と帰り道を共にしていた目の腐った男。キャスターとマスターだと当たりを着けた相手だった。

 

『どうする?』

「どうするって言われても……」

 

 無視する、という選択肢は無しだろう。キャスターのサーヴァントが相手であれば、結界越しに屋内の様子を探られていてもおかしくない。

 必要とあらば戦うことになるだろうが、その可能性は高くないと思われる。わざわざチャイムを鳴らしてきたということは、戦うつもりは無いという意思表示の筈だ。

 

(とはいえ、相手が相手だし……)

 

 予想が正しければ、キャスターの正体はかの裏切りの魔女だ。騙し討ちの類いを警戒しないわけにはいかない。いっそのこと、何かされる前に先制攻撃をかけて倒してしまうのも手だが……

 

「どちら様でしょうか?」

 

 インターホン越しに、まずは相手の出方を見ることにする。当然アーチャーには警戒させておく。

 

『アーチャーのマスターだな?』

 

 いきなり来た!?

 

「……おっしゃっている意味が分かりませんが」

『俺はキャスターのマスターだ。聖杯戦争関連で聞きたいことがある』

 

 ス、ストレートね……!

 屋上から狙いを着けている筈のアーチャーに念話で声をかける。

 

(どう思う?)

(……何か細工をしている様子は無い。昨夜の件もある。本当に切羽詰まっているのかもしれん)

 

 ……『聞きたいこと』って言ったわね。『頼みたいこと』じゃなくて。

 交渉するなら最初に無茶な要求をふっかけて徐々にハードルを下げていくものだ。その逆は下策中の下策となる。

 この男がその定石を知らない、という可能性は除外する。そんな無能ならば初めからキャスターに交渉を任せている筈だ。

 つまり、これは本当に質問したいことがあって来たのだろう。

 

「……鍵を開けるわ。妙な真似はしないようにね」

 

 

 

 

「で、聞きたいことって?」

 

 応接室のソファに腰掛け、相手を油断無く見詰める。

 対面に座る比企谷と名乗った男はアンデッドかと思うような眼をしているが、血色も良いし不死者特有の波動も感じない。吸血種を疑ったが、単にそういう顔というだけらしい。

 

「昨夜、俺の知り合いが消息を絶った。一般人だ。状況から見て聖杯戦争に巻き込まれた可能性が高い。何か知らないか?」

 

 比企谷は前降りすることもなく、端的に述べた。

 ……つじつまは合ってる。本当に一般人が巻き込まれているというのなら、冬木の管理者として無視するわけにもいかない。

 とはいえ信じる義理も無い。これが何かの釣り針ではない保証などないのだから。もっともそれ以前の問題でもあるが。

 

「残念ながら何も知らないわ。他を当たってちょうだい」

 

 私は冷たくあしらった。実際私はそのことについては何も知らないのだ。……後で綺礼に調べさせなきゃ。

 比企谷は尚も食い下がった。

 

「何でもいい、何か心当たりは無いか?そいつに接触したと思われる魔術師は、わざわざそいつのマンションにまで踏み込んでるんだ。偶然魔力補充に使われたってわけじゃない」

「……悪いけど本当に何も知らないの。ごめんなさい」

「そうか……。一応聞くが協力してくれたりは……」

「無しよ。あなたのサーヴァントの正体には当たりがついてる。背中から刺される危険を犯す気はないわ。代わりと言ってはなんだけど、そちらから仕掛けてこない限りあなたに手は出さないと約束するわ。私の同盟相手にも伝えておく」

「ありがたいが、良かったのか?同盟のこと話しちまって」

「どうせ調べはついてたんでしょう?」

「まあな。メモとペン、借りていいか?」

「……どうぞ」

 

 テーブルの上のメモ用紙をちぎる比企谷を見つつアーチャーに念話を送る。

 

(アーチャー)

(分かっている)

 

 妙な真似をすれば即座に攻撃に移る。

 比企谷はメモ用紙にサラサラと数字の羅列を書き記した。

 特に呪術の類いを用いた様子は無い。アーチャーからも、キャスターが何かしたという警告は無かった。警戒しすぎだろうか。

 比企谷がそのメモ用紙を私のところまで滑らせた。私はそれを手に取る。

 

「……これは?」

「俺の携帯の番号だ」

「協力はしないと言った筈だけど?」

「気が向いたらで良い。何か分かったら連絡くれ」

 

 比企谷はそう言って立ち上がった。出ていこうとする背中に声をかける。

 

「ねえ、なんで私を疑わなかったの?」

「お前らは昨日俺の罠に引っ掛かってただろ」

「……そうだったわね。お友達、何もないといいわね。監督役には私から連絡しておくわ」

 

 それで会話を切るつもりだったのだが、比企谷はこちらを見て目を円くしていた。

 

「監督役?そんなのがいんのか?」

「何?知らなかったの?」

「知らねえよ。こちとら偶然巻き込まれただけのパンピーだぞ」

「そうなの?……教会は分かる?聖杯戦争から降りたくなったらそこを訪ねなさい。保護してもらえる筈よ」

「そんな手があったのかよ……。くそ、無駄に苦労しちまった」

 

 比企谷はぶつくさ言いながら今度こそ出て行った。

 二人が家から出たのを確認してからアーチャーに声をかける。

 

「……アーチャー、念の為に家をチェックして」

「あの二人に何かをさせる隙を与えたつもりは無いが。それにそういった作業なら君の方が上手ではないかね?」

「だから念の為よ。勿論私もチェックするわ」

「ずいぶんと警戒しているな。マスター、サーヴァント共に大した力を持っているようには思えなかったが」

「だからよ。あの比企谷って奴、どう見てもただの人間だったわ。にも関わらず主導権はあいつが握ってた。多分あの学校の罠を設計したのもあいつよ。つまりあいつの知略は、私達とセイバーとをまとめて倒しうるレベルってことじゃない。警戒しないわけにはいかないわ」

「同感だ。ただ強いだけの敵ならいくらでも倒しようがあるが、己の無力を認める謙虚とそれを覆す知略を併せ持つ敵となると、どれだけ差を着けたところで安心できん。しかしだなリン、マスターの性能というならこちらとて引けは取っておらんぞ」

「は……?な、何よいきなり?」

「なに、やはり私は当りを引いたようだと思っただけだ」

「ふ、ふん!誉めても何も出ないわよ!」

 

 

 

 

「まいったな……」

 

 他を当たれと言われても、そもそも当てが無いから危険を承知で遠坂凛のところに行ったのだ。収穫がまるで無かったわけではないが、満足する結果には程遠い。

 

「これからどうなさいますか?」

「まずは雪ノ下を見つける。後はそれからだ」

 

 メディアの問いかけに端的に答える。メディアは特に何も答えない。

 俺は逆にメディアに質問した。

 

「お前の方はどうだ?何か心当たりは無いか?」

「……一応拠点になりそうな霊地はいくつか見繕ってあります。他のマスターがそこを押さえている可能性は低くないかと」

「そうか……ならそこに探りを入れてみるか」

「先ほど話に出た教会も霊地の一つですね。そちらには行かなくてよろしいのですか?」

「遠坂が連絡入れるってんなら後回しでいいだろ」

「……八幡様は保護を求めなくていいのですか、と聞いたのですが」

「あ?……そうだな。どっちにしろ雪ノ下を見つけるのが先だ。それから考える」

 

 手がかりを求めてフラフラとさ迷っているうちに新都の方まで来てしまった。

 今は昼前といったところで人通りも増えてきた。よく考えたら昨日の夕方から何も口に入れてない。少し早いが昼飯にしよう。

 適当な店を探してキョロキョロしていると、不意に肩を叩かれた。

 

「すみません。この女の子を見かけませんでしたか?」

 

 いきなりのことに振り返ると、1枚の写真を見せられた。

 

「昨夜から行方不明みたいなんです。捜索にご協力くだ……さ……?」

 

 写真を持った男は、俺の顔を見て戸惑うような様子を見せた。

 おいおい、勘弁してくれ……なんでお前がこんなところに居るんだよ……

 

「あれ……ちょ、頭が……なんだこれ……?」

 

 その男は頭を押さえてうずくまってしまう。

 俺はそいつが取り落とした写真を拾ってため息を吐いた。

 写真に写っていたのは俺のよく知る少女。まさに今探していた、我が奉仕部の部長様。

 そして俺に声をかけてきたこの男は……

 

 

「比企……谷……?」

 

 

 総武校の誇るイケメンリア充、葉山隼人だった。



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a raid

モブが意味深な会話をしてますがこの作品の本筋とは特に関係ありません。


「比企谷……だよ……な?それに、メディアさんも……」

 

 葉山隼人はやや呆然と呟いた。

 なんでこいつがこんなところに居るんだよ。

 そんな意図を込めてメディアを見るが小さく首を振るのみ。どうもまったくの偶然らしい。

 

「あ-……奇遇だな、葉山。お前もサボりか?お互い見なかった事にしようぜ」

「待てよ」

 

 そそくさと立ち去ろうとしたがあっさりと捕まった。くっそ、立ち直り早ええ!腕放せ、目立つんだよお前。

 

「……なんだよ。別にお前のことチクるつもりなんかねえぞ。そもそもチクる相手がいねえし」

「とぼけるな。お前、何か知ってるだろう」

「何かってなんだよ。何の話だかわかんねえぞ」

「雪ノ下さんが行方不明になってる。昨日から家に帰ってないらしい。俺は知り合いに声をかけて自主的に捜索している」

「警察に任せりゃいいだろそんなもん。つうかサボって遊びにでも行ってんじゃねえの?」

「相手は雪ノ下さんだぞ。そんなことが有り得ると思うのか?」

「……」

 

 これはさすがに黙るしかなかった。トボけ方に無理がありすぎたな。俺もあまり冷静ではないらしい。

 葉山は尚も言葉を連ねる。

 

「雪ノ下の家も事態を把握したのはついさっきらしい。警察もじきに動くだろう。が、はっきり言ってこの事態は異常だ。雪ノ下家が彼女を見失うなんてあるはずがない」

 

 なにそれこわい。ごく自然にそんな認識になってる方がよっぽど異常だと思うのは俺だけでしょうか。

 

「OK、分かった。雪ノ下のことは俺の方でも気を払おう。で?なんで俺がそれに関わってると思うんだ?」

「勘だ」

「話になんねえ。俺はもう行くぞ」

「待てって言ってるだろ。……俺はついさっきまでお前のことを忘れていた。メディアさんのことも。俺だけじゃない。君たちが居ないことに誰も疑問を持たなかった。こんな事普通有り得るか?普通じゃない情況で普通じゃない事が起きたんだ。関連を疑ってもおかしくないだろう」

 

 確かに勘だがまったくの無根拠というわけでもないのか。しかもいいとこ突いてやがる。ホンっとメンドくせえ奴だな。

 

「たまたまだろ。俺なんかいつでも忘れられてるようなもんだしな」

「結衣がお前を忘れるなんてあるわけないだろうが」

「……」

 

 一言で撃沈された。守勢にまわるとひたすら弱いな俺。

 

(八幡様。暗示を使いますか?)

 

 メディアから念話で助け船が入った。確かにそれが一番手っ取り早くて確実なんだろうが……

 

「……分かった。知ってる事を話す。人気の無いところに行こう」

「駄目だ。ここで話せ」

「あ……?なんでだよ?」

「なんとなくだ。お前こそなんでわざわざ人目を避ける」

 

 こ……のヤロウ……!

 葉山は自身の記憶の異常が俺の(正確にはメディアだが)仕業だと感付いている。そしてもう一度やられる事を警戒している。

 別にこの場でも葉山の記憶を奪うことは可能だ。メディアの技量なら街中で魔術を使うこと自体はそれほど問題ないだろう。

 しかし今は、ただでさえ目立つ葉山がモブ男(俺)の腕を掴んで押し問答なんぞをしているせいで、ひたすら人の注目を集めてしまっている。これで葉山がいきなり呆けでもしたら、見る奴が見れば一発で魔術だとバレる。

 正直遠坂のところに顔を出してる時点で今さらではあるが、それは警戒を怠る理由にはならない。

 

 つーか本当にどうする?

 このまま葉山を振り切って強引に逃げた場合、『比企谷八幡が事件に関わっているかもしれない』という疑念、いや、おそらくは確信を持たせたまま野放しにすることになる。ついでにこの場を監視しているかもしれない誰かにマークされるおそれもあるだろう。

 メディアの暗示は強力だ。少なくとも素人に破れるようなものではない。

 だから学校の連中に俺の名前を出したところで「ヒキタニ?誰?」となるのは目に見えてるが、そこは葉山だ。どうにか纏めあげて俺の包囲網を構築するだろう。メディアの魔術があれば切り抜けるのは難しくないだろうが、そうなると他のマスターに発見される確率が爆発的に上昇する。

 加えて葉山は警察にも情報を提供するはずだ。しない理由が無い。警察が学生の言うことをどこまで信用するかは分からんが、教師生徒双方から信用の厚い葉山の言うことなら無視はしないだろう。

 て言うかあいつの親弁護士とか言ってたよな。だとすると警察にもパイプがあるだろうから、葉山と直接知り合いで個人的に信用してる警官とかも居るかもしれない。つうか居る気がする。だとすると警察も動くな。ぶっちゃけ詰みだ。

 遠坂が言ってた監督役とやらがどのくらい力を持っているかは分からんが、仮に公的機関に圧力をかけられるレベルだったとしても、葉山のつてで個人的に協力している学生連中まで抑制することはできないだろう。

 つまるところ、葉山をほっとけば俺は終わる。

 

 魔術は使えない。逃げることもできない。ならば適当な事を言って煙に巻くか?

 ……無理だ。俺がこいつを言いくるめられるイメージが湧かない。

 この一年間、葉山とはなんだかんだでよく関わってきた。その付き合いの中で葉山隼人という人間に対する印象は随分変わった気がする。

 

 俺が葉山に対して抱いていたイメージ。

 頭脳明晰運動万能眉目秀麗の完璧超人。

 人付き合いが良く愛想も良く面倒見も良いため男女共に絶大な人気を誇り、周囲から多大な期待を寄せられそれらに常に応え続ける実力を備える。

 柔らかい物腰に強い芯を持ち、誰にでも優しく平等で目端が効き、なおかつ他者の悪感情を理解しその上で受け入れる懐の深さ。

 つーか改めて言葉にするととんでもねえなこいつ。人脈まで含めた総合力で言えば雪ノ下すら相手にならんだろ。性格が良いため特定の誰かを敵視するようなことはまず無いが、いざ本気で敵に回してしまった時の危険度は陽乃さん以上ではないだろうか。

 ただ、これらの無茶苦茶とも言える美辞麗句には、正直に言えばやっかみが多分に含まれる。つまるところ、こんだけ凄くて良い奴なんだから勝てなくても仕方がないと、そう思い込みたかったのだ、俺は。

 しかし今は違う。葉山隼人はただの良い奴ではない。

 人並みに悩みもすれば妬みもする。誰かを嫌うこともあれば自己嫌悪だってする。

 葉山のことを噂でしか知らなかった一年前に比べれば、俺の中での評価そのものは大きく落ちているとも言えるだろう。が、それでもなお、初期からまったく変わっていない認識もある。

 

 すなわち、比企谷八幡では、葉山隼人には勝てない。

 

 何をどう考えてみても、この認識だけは変えられなかった。何故ならこれは、劣等感や思い込みではなく、ただの純然たる事実だからだ。

 葉山は俺の嘘をあっさり見抜くだろう。普段ならその上で見逃されるかもしれないが、今はそうはいくまい。懸かっているのは雪ノ下の安否なのだから。

 それにだ。仮にこいつを騙くらかすことに成功したとして、その後はどうする?

 葉山を手伝ってる奴の中に、雪ノ下をさらったのは魔術師だ、なんて考えてるバカはさすがに居ないだろう。

 魔術師ではない人間が魔術師に対抗するには、最低限相手が魔術師であることを認識していなければ話にならない。だから葉山達が雪ノ下にたどり着くことはないだろう。

 が、葉山の影響力、そして捜索対象が雪ノ下であることをを考えれば、協力者は結構な数になるはずだ。今はそうでなくともすぐに膨れ上がるだろう。下手をすれば三桁を越えるかもしれない。

 それだけの数が雪ノ下を追うとなると、もしかしたら、何かの間違いで真実にたどり着いてしまう人間も出るかもしれない。

 

 万が一、そうなってしまった場合、そいつはどうなる?

 

 自覚も無いままに魔術の世界に首を突っ込んでしまえばまず助からない。俺がどうにか無事なのは運良くサーヴァントという護衛を引き当てたからだ。

 無論、それはただの可能性だ。確率で言えば要らん心配となる率の方がずっと高い。それでも思い当たってしまった以上は無視するわけにもいかん。

 そうなると、どうにかして葉山達の活動を止めなければならない。だけどどうやって?

 集団そのものに働きかけるような方法は全て却下だ。そんな手段は持ってない。となると集団の核に干渉するしかないわけだが、その核たる葉山にどんなアプローチをすればいいのやら……

 

 結局良い案が何も思い着かず、俺は深くため息を吐いた。

 

「分かった。事情を話す。だけど場所は変えさせてもらうぞ」

「人気の無い場所に行くつもりは」

「人気ならむしろ多いはずだ。少し移動するけどな。……それと、俺は事実を話すつもりだが、お前は多分信じないぞ」

「……分かった。良いだろう」

 

 

 

 

「…………なあ、比企谷」

 

 その場所を一言で現すならば混沌だった。

 通常ではあり得ない装束に身を包んだ者たちが当然のように闊歩し、狭い空間の至るところで意味不明な矯声が上がる。

 そんな中で俺たちは、比較的静かと思われる一角に腰を下ろした。

 無論静かと言ってもあくまで比較的の話なので、すぐさまそこの住人が声をかけてくる。俺は慌てることなく、むしろ慣れた調子でそれに対応した。

 

「おかえりなさいニャンお兄様♡お姉様♡今日は何を食べてくれるニャン?」

「妹の手作りふわふわオムライス。あとMAXコーヒー」

「メイドさんが心を込めて作ったカレーライスを。飲み物は超神水をお願いします」

「わかったニャン!そちらの新しいお兄様は何にするニャン?」

「え……えっと、その、コーヒーを……」

「了解ニャン!メイドさんのもっと美味しくなるおまじないサービスは」

「あ、今日はいいです」

「わかったニャン!すぐに持ってくるから待っててニャン♡」

 

 妹系ネコミミメイドさんが離れたのを確認してから葉山に切り出す。

 

「で、何から話す?」

「…………聞きたいことは色々あるけどとりあえず、なんでメイド喫茶なんだ?」

「腹減ってんだよ。元々メシ食うとこ探してたわけだし」

「……よく来るのか?この店」

「ああ、メディアが気に入っててな。よく連れてこられる」

「そっちか!?」

 

 大げさに驚くなよ。こいつ学校でも別に隠してなかったろ、オタク趣味。

 葉山が頭を抱えている間に飲み物が届き、食い物もすぐだろうからとそれを待ってから話すことにした。

 

「……まず、雪ノ下がどうしてるかだが、それについては俺にも分からん。自分の意思で姿を消したのか、何かあってそうせざるを得なかったのかもだ。ただ雪ノ下が消える直前、何者かがあいつに接触してたのは間違いない」

「何者か?誰だ?」

「分からん。ただ、魔術師なのは確実だ」

「…………は?」

 

 オムライスをパクつきながらの俺の口から飛び出た単語に、葉山はポカンと口を開けて静止する。なかなかレアな光景だ。写真に撮れば女子に良い値で売れるかもしれない。

 どうにか持ち直した葉山は絞り出すように口を開く。

 

「……なんだよ、魔術師って」

「魔術を使う人間のことだ」

「なんで魔術師って分かるんだ?」

「魔術を使って調べた」

「……ということは、比企谷も魔術が使えるんだな?」

「俺には無理だ。調べたのはメディアだ」

「……メディアさんはどこで魔術を覚えたんだ?」

「こいつはもともと人間じゃない」

「いい加減にしろっ……!」

 

 ドン!と拳を打ち付けられたテーブルが揺れる。

 一瞬浮き上がったコーヒーカップが倒れ、黒い液体が床を濡らした。

 

「比企谷、俺は、真面目に話してるんだぞ……!」

 

 葉山は怒りを隠すことなく、歯を剥いて俺を睨みつける。

 俺はそれに臆することなく、冷たく言い放った。

 

「最初に言ったぞ。お前は多分信じないって」

「まともに話す気は無いんだな?」

 

 葉山はそう言うと、五百円硬貨を置いて立ち上がった。

 

「分かった。好きにしろ。俺もそうさせてもらう」

 

 そう吐き捨てると出口に向かう。その去り際、背中越しに呟くような言葉が聞こえた。

 

「見損なったよ、比企谷」

「これも前に言ったと思うがな、俺を買いかぶりすぎなんだよ、お前は」

 

 葉山はそれに応えることなく、足早に店を出て行った。その葉山を見送り、それまで黙って成り行きを見守っていたメディアが口を開く。

 

「よろしかったのですか?」

「とりあえずは上等だろ」

 

 人間は、一度『違う』と決め付けた可能性を疑えない。

 雪ノ下の捜索に行き詰まれば、そのうちオカルトの可能性を考え出すバカも現れるかもしれない。その時に魔術の可能性を疑えば、うっかり本物にぶち当たってしまうかもしれない。

 しかしこの段階で葉山に『魔術なんかあるわけない』と明確に意識させておけば、仮にそんなことを言い出す奴が表れてもすぐに否定してくれるだろう。葉山の言うことなら聞くはずだ。

 

「危険も大きいと思いますが」

「……分かってる」

 

 他の人間に対してはそれで済むだろうが、葉山個人に対しては違ってくる。後になって条件が揃えば『もしかしたら』と思わせてしまうかもしれない。

 しかし今回のこれは必要なことでもあった。

 おそらく俺たちについているであろう監視者に対し、葉山が完全に無関係であることをアピールしなければならない。

 ここでの会話が聞かれていればこれで葉山への興味を失うはずだし、例え声の届かないところからの監視だとしても、葉山が見当違いの捜索活動をしているところを見ればそれ以上の手出しはすまい。無論、監視なんてのが俺の妄想だというのならそれが一番だが。

 もっとも……

 

「それでも、確実ではありませんよね?」

 

 俺の思考を先回りしたかのようなメディアの言葉に、うめく。

 そう、これらは全て俺の希望的観測に基づくシミュレートにすぎない。おそらくそうなるだろうとは思っているが、それでも絶対などあり得ないのだ。

 だけどな……

 

「……お前は俺に何を期待してんだよ。天才マンじゃあるまいし、なんでもかんでも計算通りとかできるわけねえだろ」

 

 こいつといい葉山といい、俺を何だと思ってんだ。俺はただのぼっちだぞ。

 そりゃそれなりにスペック高いって自負はあるがそれだけだ。こんなもんが限界だろ。

 

「……そうですね。失礼いたしました」

 

 メディアは何か言いたげにしていたが、結局は何も言わずに食事に戻った。

 

「そういえば、隼人さまもおっしゃってましたがどうしてメイド喫茶なのですか?」

 

 そしてふと顔を上げると、それまでとまったく関係ないことを聞いてきた。

 俺は肩越しに後ろを指差して口を開く。

 

「後ろの席の会話、聞こえるか?」

「? はい」

「何の話だと思う?」

「アニメか何かでしょう?機関とかタイムマシンとか言ってますし……ああ、なるほど」

 

 メディアは得心して頷いた。

 聞かれちゃまずい話をするなら人の居ないところに行くか、聞かれても問題無いところに行くかのどちらかだ。

 こんな場所で魔術がどうとかなんて話が聞こえたところで、それがマジだなんて絶対に思わない。木を隠すには森というやつだ。

 

 

 

 食事を済ませた俺たちは、雪ノ下の手がかりを求めて街をうろついた。まずは霊地とやらでもっとも手近だった新都の公園だ。

 

「しっかし何もねーな」

 

 ただひたすら、それこそ無駄に広いだけの空間を眺めてポツリと漏らす。

 いつだったか、奉仕部で十年前の大災害の話題になった時、メディアはここの名前に反応していた。今思えばここが霊地だったからなのだろう。

 それもあって少しは期待してたのだが、結果は空振り。分かったのはこの土地が呪いに汚染されてるということくらいだった。

 

 というわけで次。

 

 公園から近いのは教会と、その北側にある森。

 教会は遠坂が行くことになっているので森へ向かう。教会も帰りに少し覗いとくか。

 メディアが言うにはこの森は霊地ではないらしいが、なにやら魔力を感じるとのこと。近くまで来ると、実際に人避けの結界が張ってあった。少なくとも何かがあるのは確実なようだ。

 メディアの先導で結界にかからないように慎重に進む。俺にはまったく判断がつかんからすげえ不安。

 しばらく歩を進めると、やがて洋館が見えてきた。なんかゾンビとか出そうなやつ。……夜じゃなくて良かった。いや、案外仲魔と思われるかも?

 メディアは立ち止まってそれを見つめる。ただ見てるだけに見えるが、魔術で中の様子を探ってるんだろう。

 やがて目を閉じて小さく息を整えると、こちらに向き直って口を開いた。

 

「この館自体はただの隠れ家みたいなもののようです。トラップの類も無さそうですね。ただ、二階の一室に妙な反応がありました」

「妙な反応?何だ?」

「分かりません。ですが公園で検出された呪いに良く似た波動を感じます」

 

 呪い……?繋がりがさっぱり見えん。つっても情報が無さすぎるから当然だが。

 

「……調べてみるしかねえか。鍵、開けら」

「やっと追い付いた」

 

 開けられそうか?と続けようとしたところで、知った声に遮られた。

 

「……こんなところがあったんだな。それで、ここに何があるんだ?」

「葉山……!?」

 

 街で別れたはずの葉山が、俺たちの歩いてきた道から姿を現す。

 

「……葉山、お前、なんでここにいる」

「比企谷が何か知ってるのは確実そうだったからな」

「後着けてきやがったのか、テメエ……!」

「言ったぞ。俺も好きにさせてもらうって。……お前は異常に勘がいいからな、苦労したよ」

 

 最悪だ……!

 ここは結界の内側。葉山が何者か、聖杯戦争にどの程度関わっているかは関係ない。ここに居るという時点で敵がこいつを見逃す可能性は消えた。

 魔術師にとって一般人は虫と同じだ。

 毒があるかもしれないから念のために潰しておこう。始末する理由なんてそれで充分なのだ。

 

「それで、何なんだこの家?全然使われてないみたいだけど」

 

 葉山は俺の反応を気にかけることなく近寄ってくる。事情を知らないのだから当たり前なのだが、その呑気さに腹が立つ。

 俺はつい顔を逸らして舌打ちした。

 

 

 

 それはまったくの偶然だった。

 

 

 

 顔を逸らした先、日の傾き始めた森の木々の隙間に、白い何かが踊るのが見えた。

 

「メディア!」

 

 その瞬間猛烈な悪寒を感じ、それが何かを理解する前に自分のサーヴァントの名を叫ぶ。同時に念話を使い、言語ではなくイメージで命令する。

 メディアはそれに応え、俺たち三人を包みこむように障壁を展開した。直後。

 

「うわああぁぁっ!?」

 

 森から無数の何かが飛来して障壁を激しく打つ。それをバチバチと弾き返す派手な音に葉山が悲鳴を上げた。

 

「な、なんだ、なんだ!?」

 

 障壁に弾かれて落ちたそれは、黒い両刃の短剣。それと同じ物をもった者が、森から姿を現す。

 それは黒ずくめの男たち。

 細い身体に漆黒の衣装を纏い、一様にドクロのような仮面を着けた男。それがざっと二十人ほども湧き出てくる。

 

「アサシン……!?」

 

 メディアの驚愕に満ちた言葉が、俺の耳を打った。



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50話

 飛来する無数の短剣に混じって数人のアサシンが迫る。

 

「中へ!」

 

 メディアに障壁を張らせて投剣を防ぎ、舘の扉 を蹴り開ける。扉は幸いにも簡単に開き、俺は棒立ちの葉山の腕を引いて中に転がりこんだ。

 メディアが障壁でアサシンたちの進軍を妨害しつつ中に下がる。そのタイミングを見計らって扉を閉め、身体全体で押さえた。

 

「手伝え葉山!メディア!」

「5秒ください!」

「急げ!」

 

 葉山は言われるまま、俺と同じように扉に体重をかける。蹴り開けたために鍵が壊れている。なのでこうしてないと簡単に侵入されてしまう。

 扉越しに衝撃。

 森の結界に踏み込む前に身体強化をかけさせてあるので、単純な力比べならサーヴァント相手でもそうそう負けないはずだ。というかそうであってくれ。

 ガンガンと扉を蹴りつけるような感触が伝わってくるが、相手がアサシンのクラスということもあってかどうにか突破を許すことなく踏み留まる。その間にメディアの呪文が完成し

 

 

 ガスッ!

 

 

 そんな音と共に右手の親指と人差し指の間、葉山の目の前に黒い刀身が生える。

 

(あっぶねぇ……!)

 

 アサシンが扉の向こうから短剣を突き立てたらしい。運良く外れてくれたがあとちょっとで指が飛んでた。

 葉山は顔面を蒼白にしながらも、悲鳴を無理矢理飲み込んで扉を押さえ続けた。大した胆力だ。

 その直後、今度こそメディアの魔術が完成した。

 

「δщ!」

 

 メディアが扉に手を当てて聞き取り不可能な言葉を叫ぶと、そこから壁全体に波紋のような光が走る。

 それを境に衝撃が消えるが、扉を叩く音はいまだに響いている。ガン!という一際大きな音が窓から響いたが変化は見られない。

 メディアの魔術は正常に機能しているようだ。鍵の壊れた扉が開かないところをみると、強度の増強ではなく物体の位置固定だろうか。まあ敵の侵入を阻めるなら何でも良いが。もっとも……

 

「どのくらい持つ?」

「あまり長くは」

 

 だそうだ。元々魔力不足だったからな。

 時間を稼げただけでも善しとするべきなのだが、それは次に打てる手を残している場合だ。残念ながら今の俺たちは、本当にただその場をしのいだだけにすぎない。

 

「……メディア、お前の切り札はこの状況を覆せる物か?」

 

 確か宝具だったか?詳しい内容までは分からないが、メディアが以前うっかり口を滑らせたことがあった。

 その、メディアに限らず英霊が持っているという奥の手に少なからず期待する。が、

 

「…………いえ」

 

 返ってきたのは否定。

 令呪の縛りが効いている以上、今の聞き方ならば嘘はつけない。何よりこの状況で出し惜しみする意味が無い。

 つまり、現状を打破する手段は無い。

 俺は素早く考えをまとめると次の指示を出す。

 

「……この舘から感じた魔力は二階からだったな?メディア、お前はその魔力の元を手に入れろ。俺はここでアサシンを食い止める。保険はカバンから出しておけよ」

 

 選択肢が少ないというのは悪いことばかりではない。少なくとも迷う必要が無いのは間違いなく長所だろう。

 普通に考えれば無茶な指示なのだが、メディアも他に手が無いことが分かっているのだろう。反論することもなく頷くと、奥へと走り出した。

 

 

「なんだよこれ……比企谷、説明しろ!なんなんだこれは!?」

 

 

 一人だけ理解の追い付かない葉山は俺に食ってかかる。

 ひどくうざったいがこれは仕方のない反応だろう。むしろ錯乱せず状況の把握に努めようとするあたり、度を越して冷静とすら言える。

 俺は襟首を掴む葉山の手を外しながら簡潔に指示した。

 

「葉山、メディアを追え」

「俺は説明しろって言ってるんだ!なんなんだあいつらは!」

「見た通りだよ。敵だ」

「敵って……!」

「今はこれ以上話してる時間はねえ。死にたくなかったらメディアにくっついてろ」

 

 その言葉と共に葉山を軽く突き押す。

 

「……後で、話してもらうぞ……!」

 

 葉山は悔しげに呻くと、メディアを追って玄関ホールから出て行った。

 奥の廊下へと続く扉がパタンと閉まり、ホールには俺一人が残される。しかしだからといって空間に静寂が満ちるようなことはない。

 アサシンたちが扉やら窓やらを叩く音は、葉山と問答している間も絶え間無く続いていたし、今もなお大きくなり続けている。中に踏み込まれるのは時間の問題だろう。

 

(思ったより早いな……)

 

 もう少し稼げるかと思ったのだが、この様子ではあと一分も持たないだろう。なんと言うかもう音がヤバい。

 なんにしろ、贅沢を言っても始まらない。

 俺はホールの隅に置いてあった『それ』を持ち上げると、耳にに意識を集中させる。

 打撃音は、ホラーゲームの演出ならばトラウマになりかねないレベルに激しさを増している。それに混じって、ベキッという、何か決定的な音が聞こえた。

 直後、派手な音を立ててステンドグラスのような色付きの窓ガラスが砕け散る。窓を蹴破って着地したアサシンに、俺は担ぎ上げた、一抱えほどもあるクソ重い壺(花瓶?)を叩きつけた。

 壺の底がアサシンの側頭にめり込む。壺は陶器製だったが、砕けることなくアサシンを吹き飛ばした。

 確かな手応えに心の中で拳を握る。

 

 このアサシンは弱い。それもサーヴァントとしては『極めて弱い』部類に入るだろう。

 アサシンが集団で表れたことから予想してたのだが、それはズバリ当たってくれたようだ。

 おそらく複数で召喚されたことによって、聖杯から受け取った力を分配してしまったためなのだろう。全部で何人いるのかは分からないが、個々の身体能力はメディアより少し上程度らしい。これならば強化状態の俺なら倒すことも不可能ではなさそうだ。ただし……

 

 殴り飛ばしたアサシンが跳ね起きる。人間ならば即死級の攻撃をまともに食らったにも関わらず、まるで堪えた様子が無い。

 そう。倒すのが可能というのは、あくまでもそれだけの意味しか持たない。実際に倒せるかどうかは、当たり前だが別問題だ。

 

(とにかく、やれるだけやるしかねえ……!)

 

 その間にも破られた窓から二人のアサシンが入り込んでいた。

 俺はアサシンたちから距離を取り。右にナイフ、左に電磁警棒を構えて相手の出方を伺う。

 時間が経てば経つほど不利になるのは分かっている。しかし身体的なパラメーターは互角でも、技能と戦闘経験では比較にもならない。まともにぶつかるなど問題外、こちらから仕掛けるのは論外だ。防御に専念する以外にない。

 幸いアサシンは、最初の不意打ちで警戒してくれたらしい。すぐさま仕掛けてくる様子は見られない。

 ホールの広さを考えると、まともな立ち回りができる人数はあと一人というところ。大して間を置かずに四人目が現れると、アサシンたちがゆるりと間を詰めてきた。

 俺は左腕を振るい、袖に隠し持っていた催涙スプレーを投げつける。アサシンがそれを黒い短剣で切り払うと、中のガスが膨れ上がり瞬間的に煙幕の役割を果たす。俺は同時に一番右、最後に入ってきたアサシンに間合いを詰めてナイフを突き出す。

 アサシンは俺の刺突を逆手に持った短剣で受け流すと、流れるような動作で逆に切り上げてきた。俺はそれを身体を投げ出すように転がって避ける。

 倒れた俺に別のアサシンが駆け寄る。ガスに巻かれた奴のはずだが、仮面に防毒効果でもあるのか動きにはまるで淀みが無い。

 振り下ろされた短剣を電磁警棒で受け止める。直前にスタンガンの出力を最大にしたのだが、短剣かグローブが電気を通さないのか、あるいはこの程度の電撃はそもそも効かないのか、怯んだ気配も無い。くそっ!こっちの攻撃がことごとく通じねえ!

 どうにか短剣を逸らして足払いを放つが、アサシンはそれを軽く跳んで躱し、逆にその脚に短剣を突き立てる。これは脛まで覆う鉄板入りのロングブーツのおかげで防げた。

 脚を振り抜くままに身体全体を転がす。その勢いを使って身を起こすと同時、二人のアサシンが斬りかかってきた。

 一人目の短剣をナイフで受け止めーーようとして、偶然ナイフのスリットに短剣が入り込んだ。しかも捻ったことでアサシンの手から短剣を離れる。ラッキー!

 武器を無くしたアサシンを間に挟むことでもう一人の攻撃を妨げようとする。が、先に仕掛けてきたアサシンはあっさりと飛び退き、二人目の邪魔をしないようにした。その辺のチンピラと違って判断が速い。

 その二人目の斬撃をどうにか掻い潜って頭突きを見舞う。鈍い打撃音に混じって、ペキッと仮面にヒビが入る音が聞こえた。

 怯んだ隙に再び距離を取ろうとし、猛烈な悪寒に咄嗟に身を伏せる。いつの間にか後ろに回り込んでいたアサシンの一人が、俺の首があった辺りを薙ぎ払っていた。

 またしても地べたを這いずる俺。転がって逃げようとしたところを蹴りつけられる。

 爪先が綺麗にみぞおちに突き刺さり、一秒弱の低空飛行。激痛と衝撃に呼吸が止まる。が、どうにか距離を取ることには成功した。そして乱戦の中で密かに仕掛けておいた『それ』が発動する。

 

 

 カッ!

 

 

 アサシンの足下で強烈な閃光が、物理的な衝撃さえ伴って膨れ上がる。視界を灼き尽くす唐突な光の、文字どおりの爆発に、アサシンたちが怯んだ。

 

 暴徒鎮圧用のフラッシュグレネード。

 

 以前聖杯戦争に使えそうな道具を、雪ノ下を通して陽乃さんに注文したことがある。その際に、頼んだ覚えの無い物までいくつかおまけで付いてきたのだが、これはその中でも取って置きだった。

 俺は光の爆発を無視してもっとも手近なアサシンに突進する。

 メディアの魔術で閃光防御は施してある。にも関わらず視界は白くかすみ、アサシンたちの姿はまともに見えない。

 俺はほとんど勘だけで間合いを計り、ナイフを思い切り突き出す。

 手応えは、無い。白んだ視界の中、黒い影が後ろに飛び退くような姿が見えた気がした。それを認識した瞬間、ナイフの柄のスイッチを押し込んだ。

 

 スペツナズナイフ。

 

 ソ連の特殊部隊が使用していたと言われる軍用ナイフ。

 実在したかどうかは不明だが、そのあまりに特徴的な機構は都市伝説となって広まり、多くの模造品を産み出した。俺の持つこれも、そうした模造品の一つだ。

 その有名かつ突拍子もない仕様。バネ仕掛けで刃を撃ち出せるナイフ。

 

 アサシンはまっすぐ後ろに跳んでいた。

 そのためにナイフは届かなかった。

 しかしその切っ先は、まっすぐアサシンへと向いていた。

 それはすなわち、スペツナズの射線上。

 アサシンは予想だにしていなかった奇襲に、喉から血を吹いて倒れた。

 俺はそれを見届ける前に、泳いだ上体のバランスを無理矢理持ち直す。視界に破られた窓が入り込んだ。

 窓には新たなアサシンが足をかけ、中に入ろうとしていた。

 そいつの左手は、俺に向かってまっすぐ伸びていた。まるで何かを投げつけたようなーー

 

 

 俺の喉に、黒い短剣が突き刺さった。



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51話

 知らない天井だ。

 そんなお約束が思い浮かぶあたり、まだ余裕があったらしい。

 アサシンに喉を刺された瞬時に視界が切り替わり、気付けば廊下に仰向けに転がっていた。一拍遅れてどこかから爆音が響く。身代わり人形は正常に機能してくれたらしい。

 とりあえず身を起こす。転移の影響かめまいを感じて頭を振ると、傍らで葉山が尻餅を着いているのが目に入った。いきなり現れた俺に驚いたらしい。

 見回すが辺りにメディアの姿は無い。はぐれたのか?

 

「葉山、メディアは?」

「メ、メディアさんならそこの部屋に……いや、それより比企谷、お前今どこから……?」

 

 葉山の視線を追って後ろを見るとドアがあった。

 

「なんで入らない?」

「メディアさんが外で待つようにと」

 

 身を起こしながら葉山が答える。が、質問しておいてなんだが、葉山が口を開くより早く理由に思い当たってしまっていた。

 俺はメディアの側で魔術関連のあれこれを見ている内に、魔力ーーらしき気配のような何かを感じとれるようになっていた。そしてドア越しに感じるそれは、メディアから感じたものと比べてひどく禍々しい印象を受ける。

 そう言えばメディアは魔力ではなく呪いと言っていた。なるほど、これから素人を遠ざけようとするのはごく自然な判断だろう。いや、ただの俺の勘違いという可能性もあるが。

 

「メディア、入るぞ」

「お、おい、いいのか?」

 

 ドア越しに短く告げてノブをひねる。葉山が止めようとするが気にしない。本当にマズイなら念話で制止が入るだろう。

 そもそもの話、今の俺たちには選択肢など無いのだ。外に居てもアサシンに殺されるだけなのだから。

 そう考えて部屋に入る。

 幸いというべきか、瘴気とでも呼ぶべきその気配がいきなり溢れ出てくるようなことはなかった。

 部屋はそれなりの広さがあってがらんとした印象を受ける。高級そうなピアノが置いてある以外は、特筆するべきものはなさそうだ。ーーあくまでも部屋そのものには。

 メディアは入口からもっとも離れた部屋の隅にうずくまっていた。そこで足下の何かに険しい顔で手をかざしている。

 おそらくメディアの言う呪いの影響なのだろう。その周辺だけ奇妙に歪んで見えて、足下のそれが何なのかは分からない。

 

「メディアさん、何を」

 

 葉山がメディアに不用意に近づく。そしてセリフの途中でまたしても尻餅を着いた。

 

「し、した……人が、死ん……!」

 

 顔を青ざめさせ、歯の根の合わない様子で何かを呟く葉山。

 情けない、とは思わない。メディアの催眠暗示が無ければ俺だって大差なかったはずだ。多分、悲鳴を上げなかったのは驚嘆すべき偉業なのだろう。きっと。

 俺は葉山を無視してメディアに近寄る。メディアの足下に横たわるそれは、まさしく人間の死体に見えた。

 スーツ姿の女性。おそらくは外国人。髪は短いが美人だ。……どことなく相模に似ているが、ただの偶然だろう、さすがに。

 呼吸が止まっているのか、その胸は動いていない。血色は極めて悪くほとんど土色である。とてもではないが生きた人間のものには見えない。

 そしてもっとも特筆すべきは、左手が無い。手首から先が欠損している。刃物か何かで切り取られているようだ。ちなみに出血はしていない。というよりすでに止まっているみたいだった。

 声をかけて良いのか少し迷ったが、このままではらちが明かないので聞くことにする。

 

「死んでるのか?」

「いえ。ひどいダメージを受けて仮死状態になっているようです」

「蘇生出来るか?」

「今やってます。怪我はすぐに治せますが、呪いに囚われて時間が凍結しているのでそれを解凍するのに時間がかかります」

「分かった。急いでくれ」

 

 呪いの解凍はメディアの腕を持ってしても簡単ではないらしく、その額には汗が浮かんでいる。アサシンがこの部屋を突き止める前に間に合ってほしいが、期待はしない方がいいだろう。

 保険はもう使ってしまった。あまり無茶はしたくないが、そうも言っていられない。武器になりそうな物を探して部屋を見回していると、恐る恐るといった様子で葉山が声をかけてきた。

 

「ひ、比企谷、頼む、説明してくれ。一体何がどうなってるんだ?」

 

 少し迷う、が……まぁ、ここまできて何も分からないままってのもあんまりだよな。

 

「……昼間の話、覚えてるか?」

「あ、ああ……まさか、あれ、本当なのか?」

「残念ながら本当だ。詳しい事を話している時間はさすがに無いが、とりあえずあの黒い奴らは敵で、このままいけば全員殺されるってことだけ覚えとけ」

「……あの倒れてた人は何だ?蘇生させるとか言ってたけど、あの人を起こせば助かるのか?」

「わからん」

「わからんって……」

「俺たちは今、追い詰められている。この状況を覆せるカードは手札に無い。あとはもうドローカードに期待するしかねえんだ」

 

 遊戯王なら意思の力で望み通りのカードを引き寄せられるんだけどな。

 現実逃避も兼ねて、そんな益体もないことを考える。分の悪すぎる賭けではあるが、他に手の打ちようがない。

 とりあえず、あの女性が何者で、起こしたところでどうなるかは意識して思考から締め出す。代わりにほんの少しでも時間を稼ぐ方法を探していると、ふと視線を感じた。葉山だ。

 

「……なんだよ?」

 

 先ほどまでの、怯えと恐怖に支配されていたそれとは異なる眼に、つい聞いてしまった。

 葉山はどこか言いにくそうに質問してくる。

 

「お前は、どうしてそんなに冷静なんだ……?」

「メディアにそういう魔術をかけさせている」

 

 そのままを答えると、葉山は虚を突かれたように目をしばたたかせた。

 

「……そうなのか?」

「ああ」

「そうか……そうか」

 

 葉山はそう、何かに納得したように何度も頷いた。……え、何こいつ?今ので何をどう納得したの?

 

「なぁ、その魔術、俺にもかけてもらえないか?」

「メディアは今、手が離せない。今は無理だ」

「そうか……」

 

 それが出来れば葉山を戦力に数える事も出来たんだけどな。

 素人が戦闘の役に立たないのは弱いからではない。パニックを起こすからだ。むしろ下手に大きな力を持った奴に暴走されると、足を引っ張られて余計に被害が大きくなる。逆にパニックさえ起こさなければ、弱い奴にでも使い所はあるのだ。

 もっとも今の状況では、どちらにせよ焼け石に水ではある。……それでも無いよりはマシってのが泣けてくるな。

 

「葉山」

 

 俺は懐から最後のフラッシュグレネードを取り出して、ピンを抜いた。そして呆気に取られている葉山にしっかりと握らせる。

 手榴弾という武器は、ピンを抜いただけでは起爆しない。ピンはあくまでレバーを押さえるための物で、このレバーさえ放さなければ爆発することはない。

 

「お、おい……?」

「いいか葉山、俺が合図したらこれをあそこの入り口に向かって思い切り投げ付けろ」

「俺に、戦えっていうのか……?」

「投げるだけでいい。後は俺がやる。一手だけ手伝ってくれ」

 

 実際それだけでもありがたい。猫の手も借りたいってのはこういう状況なんだろう。違うか、違うな。

 葉山はゴクリと喉を鳴らすと、俺を見据えて重々しく口を開いた。

 

「なんとか、できるのか……?」

「やるしかねえだけだ」

 

 出てきたのは肯定でも否定でもない言葉。しかしそこに拒絶の意思は感じない。

 俺はそれを承諾と見なし、武器として使えそうな物に手をかけた。

 

 

「……変わらないんだな、呆れるくらいに……」

 

 

 背後から聞こえたその呟きの意味は、俺には解らなかった。

 

 

 戦闘準備と言ってもできることなどタカが知れている。

 その少ない準備を済ませてしまえば、後は敵が現れるのを待って神経を研ぎ澄ますくらいしかすることがない。

 幸い、いや、不幸にもだな。アサシンがこの部屋を突き止めるのには大した時間はかからなかった。

 ダンッ!という音とともに内開きのドアがわずかに開く。アサシンが扉を蹴り開けようとして失敗したのだ。

 扉の前には玄関ホールでも見かけたくそ重い花瓶が二つ並べて置いてあり、扉の稼働を邪魔している。

 無論、こんな物で侵入を阻めるはずもなく、再びの衝撃音が響く。蝶番が弾け、扉が花瓶ごと内側に傾いた。

 

「葉「うおぉぉぉぉっ!」

 

 俺が声を発するよりも早く、葉山がこれ以上はないという完璧なタイミングでフラッシュグレネードを投げる。

 野球部からもスカウトがあったという豪速球が、寸分違わず扉の隙間に滑り込んだ。わずかに覗いた白い仮面に直撃したのは望外の幸運と言えるだろう。バウンドしたグレネードが空中で炸裂した。

 眩い閃光が収まり、ほとんど間を置かずにアサシンたちが活動を再開する。やはり対応されている。が、一度見せた手で数秒稼げたなら上等だろう。その間に俺は投擲体勢に入っている。

 踏み込んだアサシンが俺に視線を向けーー固まる。今の俺の姿はサーヴァントから見ても十分に異様だったらしい。

 

 

「おおぉるぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 ぶちぶちと、限界を超えて酷使された筋繊維が千切れるような幻聴を聞きながら、俺は『抱え上げたグランドピアノ』を思い切り投げつけた。

 この大質量を受け止める事はできないらしく、先頭のアサシンが慌てて横っ飛びに避ける。しかし入り口付近にはそもそも躱すためのスペースが存在せず、後続のアサシンを二人ほど押し潰しつつグランドピアノが入り口を塞いだ。これでまた少し時間を稼げる。

 メディアの身体強化をもってしてもピアノはキツかった。ヘロヘロに震える腕に活を入れ、入り込んだアサシンに備える。

 アサシンは受け身を取って素早く起き上がると瞬時に間合いを詰めてきた。頼むからちょっとは動揺してくれ。

 突き出される短剣を警棒で弾き、脚を狙って蹴りを放つ。逆に足首を踏み抜かれたがブーツのおかげでダメージにはならない。

 踏まれた脚をそのまま振り上げる。アサシンはバランスを崩して後ろに下がるが転倒には至らない。それでもわずかに開いた間合いを利用して、左手に握り込んでいた物を床に叩き着けた。

 

 

 パァン!

 

 

 百円ライターの安っぽい容器が砕け、内容されたガスが破裂する。光すら出ない小さな爆発ではあったが、派手な破裂音にアサシンが一瞬身を固くした。

 その隙を突いてタックルをかける。肩がみぞおちに突き刺さり、浮いた顎に頭突きを見舞う。そしてアサシンの持つ短剣に手を伸ばし

 

 

 ブスッ

 

 

 鈍い感触。一拍遅れて鋭い激痛が二の腕を襲う。

 左腕を刺されていた。しかしこれは想定内。痛みを無視してアサシンの腕をへし折り、細い身体を弾き飛ばす。

 身体能力そのものはこっちが上だ。組み合えば勝つに決まってる。

 左腕に残った短剣を引き抜き倒れたアサシンに止めを

 

「ーーかーーっ」

 

 唐突に全身から力が抜け、為す術もなく倒れ伏す。指一本、どころか悪態すら出せない。

 毒があることは知っていた。それでも短剣を奪って振り下ろすくらいはできると考えていたのだが、完全に当てが外れた。ここまで一瞬で動けなくなる代物だったのかよーー!

 

 ドスッ

 

「ーーっ」

 

 鈍い痛みが腹部を走る。アサシンが蹴りを入れてきたのだ。

 さっさと止めを刺すべきだろうに。自分の事だというのに無関心にそう思った。

 アサシンたちにも個体差があるらしい。こいつは激昂しやすいタイプなのか、動けない俺を何度も蹴りつけてきた。

 時間にして数秒ほどで冷静さを取り戻したのか、落ちた短剣に手を伸ばしーー

 

 

 

「うああぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 

 突然の雄叫び。

 バギャン!!という音を残してアサシンが真横に吹き飛ぶ。

 

「はあ……!はあ……!」

 

 涙で顔をぐしゃぐしゃにして。

 脚は内股で震えて。

 それでも、壊れたピアノの椅子を手に。

 葉山隼人がそこに居た。

 

(バカやろう……!)

 

 こいつに何ができるわけでもない。

 無駄な足掻き。それ以外の何物でもない。

 こいつは俺と違って完全に素のまま、身体強化も催眠暗示の加護も無いのだから。

 

 だというのに、葉山はアサシンに向かって身構える。

 

 葉山は恐怖に歯を鳴らし、腰は引け、手は震えて今にも得物を取り落としそうだ。

 ひどく頼りなく、限りなく情けなく、例えようもなく不様だった。

 その姿はまるで、何の力も無いくせに大切な何かのために強大な敵に立ち向かう、少年漫画の主人公のようでーー

 

 

 

 

 ーーああ、ちくしょう。

 やっぱかっけぇなあ、こいつ。

 

 

 

 

 

 怖い怖い怖い怖い怖いーーーー!

 

 ゆっくりと起き上がる黒尽くめから吹き付けてくる、凄まじい怒気に身が竦む。

 思わず飛び出してしまったことに後悔するが、今さら引っ込みもつかない。比企谷はなんでこんなのと戦えるんだ!?

 一歩ずつ、威嚇するように黒尽くめが寄ってくる。その恐怖に耐え切れずこちらから飛び出してしまう。

 

「うわあああああっ!?」

 

 狙いも何もない。ただでたらめに椅子の残骸を振り回す。

 攻撃はそもそも届いてすらおらず、黒尽くめは目の前にきた椅子を片手で払った。軽く触れただけにしか見えなかったのに、上体が大きく振り回されて体勢が崩れる。

 

「げぶっ!?」

 

 黒尽くめの膝がみぞおちにめり込む。

 

「……っ、げぇ……!」

 

 昼に食ったサンドイッチを吐き戻しつつ膝を着く。たった一撃でもう動けない。

 黒尽くめは俺の髪を掴み、今度は顔面に膝蹴りを入れてきた。

 

「……かっ、げほっ」

 

 痛みに床に転がってのたうち回る。血の混じった胃液を吐き出すと、吐瀉物の中に白い欠片が見えた。歯が折れたらしい。

 黒尽くめは俺の頭を踏み着けると、ギリギリと体重をかけてきた。

 

 痛い痛い痛い割れる痛いちくしょう何で痛い!

 

 なんだよこれ!?なんで俺がこんな目に会ってんだよ!

 俺はただ、行方不明の雪ノ下さんを探して、その途中で比企谷に会って、そうだ比企谷だよ、あいつに会ったせいで全部おかしくなったんじゃないか!

 涙に滲んだ視界で、比企谷を睨む。比企谷はまだ動けないのかピクリともしない。

 ちくしょう、呑気に寝てんじゃねえよ!お前俺より強いんだろ!?さっさと助けろよ!

 あいつのことはずっと気に入らなかった。

 いきなり現れて、俺にできないことを平然とやってのけるあいつが、どうしても受け入れられなかった。

 さっきは魔術に助けられていると聞いて、同じ条件なら俺だって負けないとも思った。だけどすぐにそうではないと思い知らされた。

 

 やるしかないからやるだけ。

 

 あいつはそう言って黒尽くめに立ち向かった。

 その言葉は以前にも聞いたことがあった。

 あいつはきっと、どんな時でもあいつのままなんだろう。だから魔術なんか無くても戦ったはずだ。

 俺はそれが、たまらなく羨ましく、どうしようもなく妬ましい。

 ああそうだ。俺は、ずっとあいつに嫉妬してたんだ。

 どんな時でも冷静で、不可能なんか何もなくて、誰でも救ってしまうすごい奴。

 

 そんな比企谷を、この黒尽くめは殺そうとしている。

 

 

 

「ふっ!ざっ!けんっ!なぁっ!!」

 

 

 

 膨れ上がった怒りで痛みと恐怖を塗り潰し、黒尽くめの脚に噛み付く。どうやって踏みつけから抜け出したのかは分からない。というかどうでもいい。

 黒尽くめはガシガシと俺の頭を蹴るが、絶対に放してなんかやらない。

 ふざけるなよクソ野郎!お前らみたいな奴に比企谷を、俺達を殺す権利なんかあるものかよ!

 ガスッ!と、強烈な一撃が頬に入り、引き剥がされてしまう。ちくしょうっ!

 黒尽くめはさらに俺の腹を蹴り上げた。俺は吹き飛んでごろごろと転がり、比企谷の隣で止まった。もう本当に動けない。

 

 ガシャンッ!

 

 いきなり響いた音に視線を動かすと、窓を破って他の黒尽くめが入ってくるところだった。表から回り込んできたらしい。

 さらに入り口からもピアノが退けられ、敵が入ってくる。

 

 

 

(終わりかよ、クソったれ……!)

 

 

 

 諦めが心を支配する。

 何かを想う間もなく黒尽くめの一人が俺達に歩み寄り、短剣を振り上げーー

 

 

 グシャ

 

 

 そんな水っぽい音とともに、黒尽くめが崩れ落ちる。目の錯覚か、その黒尽くめには首から上が無いように見えた。

 

「ありがとうございます、隼人様。おかげで間に合いました」

 

 いつの間にかメディアさんが、俺の身体を起こして支えてくれている。

 ざわりと、黒尽くめたちの間から動揺の気配が伝わってきた。

 気がつけば、俺達と黒尽くめとの間には、スーツ姿の女性が立ちはだかっていた。

 そのスーツ姿の背中が、無機質に呟く。

 

 

「ーー状況がよく分かりませんが、とりあえず脅威度の高い相手から排除しましょうか」



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52話

 グシャリッ

 

 壁に叩き付けられたアサシンが、そんな音を立てて潰れる。そのグロテスクな光景に、隣の葉山がえづいて口元を押さえた。

 その間にもスーツ姿の女は、拳でアサシンの胸を打ち砕き、蹴りで脚をもぎ取り、肘で腹に穴を開け、手で頭を握り潰す。

 

「バケモンじゃねーか……」

 

 俺は唖然と呟いた。それしかできなかった。

 恐らくサーヴァントとしては極端に弱いであろうアサシンが相手とは言え、それを生身の人間が十倍を越える数を相手に圧倒し、一方的に殺戮していた。

 無双とはまさにこのことだろう。僅か数人にあれだけ痛め付けられていたのが馬鹿らしくなってくる。

 さらに驚くべきは、この女が状態が万全ではあり得ないということだろう。

 彼女がほんの少し前まで死にかけていたのももちろんだが、それ以前に見ただけで判る身体的欠損を抱えている。左手が無いのだ。つまりこの女は、片手でサーヴァント十数名を上回っていることになる。

 やがて女が何人目かのアサシンの頭を踏み潰すと、アサシンの一人が口笛のような音を鳴らした。同時に黒尽くめの集団が、波が引くように部屋から出ていく。どうやら不利を悟って撤退したらしい。

 

「た……助かっ……た……?」

 

 葉山が呆然とした様子で漏らす。やや間抜けな絵面ではあったがそれも無理からぬことだろう。

 残心というのか、女はアサシン達が去ってからもしばらく警戒を続けていたが、やがて俺達の方へ向き直ると、スタスタと歩み寄って来た。

 それまで放心していた葉山が、ハッとして彼女に一歩踏み出す。

 

「あ、ありがとうござっ……!?」

 

 俺はその葉山の襟首を掴んで思い切り引き寄せる。バランスを崩して俺に寄りかかるように後ろに倒れた葉山の鼻先に、女の拳が突き付けられた。

 

「……っ!?」

 

 息を飲む葉山。

 なんということもないただの拳骨。しかしそれが撒き散らす惨劇を、俺達はこの目で見てしまっている。

 俺が葉山を引くのが遅かったら、あるいは女があと半歩だけ深く踏み込んでいたならば、葉山は先ほどまでのアサシン達と同じ運命を辿っていただろう。

 女は感情の見えない眼で、無機質にこちらを観察している。俺はそんな彼女に向かって、ゆっくり、できるだけ刺激しないように口を開いた。

 

「オーケイ、取り引きしよう。日本語解るか?」

「……そちらの材料は?」

「今の状況の説明と持ちうる限りの情報。おたくの怪我の治療の分は負けといてやる」

「求める対価は?」

「俺達の身の安全の保証。話の後でなんか頼むかもしれんがそっちは要相談でいこう。とりあえず今は殺されなけりゃなんでもいい」

 

 女はしばし動きを止める。どうするべきか計算しているのだろう……が、考える頭があるなら大丈夫そうだ。多分。

 

「…………いいでしょう。わかりました」

 

 女は大分考えた末にそう答えると拳を引いてくれた。……いや、ホント良かったわ。こっからこの女とバトルなんて展開だったらdead or dieだったよ。マジで。

 どうやらただの脳筋ではなさそうなことに安堵する。

 ようやく緊張から解放された葉山がズルズルとその場にへたり込み、女はそれを尻目にくるりと踵を返し、その場にパタリと倒れた。

 

 …………って、は?

 

 

「ちょっ、大丈夫ですか!?」

 

 

 身を起こしたした葉山が彼女に駆け寄る。つい先ほど殺されかけた相手だというのにフェミニストの鑑みたいなやつだ。

 彼女はうつ伏せに倒れたままピクリともしない。

 俺は黙って成り行きを見守っていたメディアに目配せする。もしかしたらアサシンとの戦いのどこかで毒にやられていたのかもしれない。ならばメディアが解毒できるはずだ。

 俺が葉山の隣、頭のすぐそばに屈みこむと、彼女はギギギッと音がしそうな動きで俺達に顔を向けた。意識はあるらしい。

 彼女は青ざめた顔で、しかし表情はまったく変えずに、つまりは真顔でこう言った。

 

 

 

「すみません。何か食料を所持していませんか?」

 

 

 

 おい葉山、そんな顔すんな。失礼だろうが。

 

 

 

 

 バゼット・フラガ・マクレミッツ。私の名だ。

 

 時計塔に所属する封印指定執行者。

 塔の依頼により聖杯を回収するべく来日し、ランサーのマスターとして第五次聖杯戦争に参加する。

 聖杯戦争の舞台である冬木市を訪れた際、戦争の監督役を務める聖堂教会の代行者、言峰綺礼の元を訪ねる。これは塔の指示でもあった。

 聖杯戦争に関するあらゆる情報が集まる監督役、さらに前回の聖杯戦争の参加者でもあったという彼の協力を得れば、聖杯の獲得はほぼ確実となる。

 言峰と個人的に面識を持っていた私は特に疑うことなく彼を訪ね、既知であることの油断から不意を討たれた。

 

 私はこうして会敵することすらなく敗退した。

 

 

 

 記憶に欠損は無い。身体も左手の損失と空腹以外は問題無し。戦闘行為に支障はない。

 私は自己診断を済ませ、サンドイッチをペットボトルの水で流し込みつつ少年達を観察する。

 私が意識を取り戻した時にこの部屋に居た者達だ。彼らはアサシンのサーヴァントと思わしき黒尽くめの集団と戦っていた。

 目覚めた私はその全てを敵と仮定し、危険度のより高いと思われるアサシン(仮)を優先的に撃退した。その後あらためて彼らを殲滅しようとしたところで交渉を持ちかけられて今に至る。

 彼らは少年二人、少女が一人の三人組だ。この内少女はサーヴァントだった。キャスターのクラスらしい。

 キャスターのマスターは腐った眼が特徴の黒髪の少年。比企谷八幡と名乗っていた。

 もう一人の女受けの良さそうな金髪は葉山隼人。

 この二人は共に魔術師の素養を持たない一般人で、聖杯戦争には偶然巻き込まれたのだという。現に隼人の方は聖杯戦争の名すら知らなかったらしく、八幡の話を聞いてしきりに驚いていた。

 対して八幡だが、彼が一般人だというのは正直疑わしい。肝が据わりすぎている。

 例えば彼に提供してもらった食料。

 コンビニのサンドイッチが二つに水。チューブ入りのゼリーに缶詰め、ブロック状の固形食料が数点。

 この内サンドイッチは別として、他は保存性と携行性を意識した物ばかりだ。つまりこの少年は、長期的な戦いを視野に入れていることになる。

 聖杯戦争という異常な状況で、素人がそんなことにまで頭が回るものだろうか?

 

「こっちの話はこんなところだ。バゼットさんだっけ?今度はあんたのことを聞いてもいいか?」

 

 あらかたの話が終わったらしい。

 一般人と言うだけあって真新しい情報は無かったものの、それでもいくつか判ったことはある。だがその前に。

 

「話をするのは構いませんが、その前に質問してもいいでしょうか?」

「なんだ?」

「あなたは民間人だという話でしたが、魔術ではなくともなんらかの訓練を受けた事があるのですか?」

「いや。なんで?」

 

 八幡は私の問いに眼をしばたたかせて疑問を返した。

 

「冷静過ぎます。平時に頭が切れるのはともかく、このような状況でこれだけ落ち着いていられる素人などあり得ません」

「まあ同感だ。だからキャスターにそういう暗示をかけさせてる」

 

 催眠暗示。魔術における初歩も初歩だが、なるほど。それなら納得がいく。

 この少年は非常時における平常心に重きを置いているようだ。そしてその判断は正しい。素人とそうでない者の差は、そこにこそあるのだから。

 普通の人間は戦闘というストレスに対し、まともな精神性を保つことはできない。そこで暗示でもって心を護るのだ。何もせずに正気を保っていられるならば、むしろそちらの方が狂っているだろう。

 そもそもの話、心を鍛えるという概念自体がある種の暗示なのだ。極論を言ってしまえば、積み上げた鍛練も、仲間との絆も、それらは全て心を護る鎧に他ならない。

 例え魔術師ではなくとも、戦いに携わる者なら自己暗示は基本的な技術だ。他にもスポーツ選手などが行うルーティングなんかも暗示の一種と言える。

 催眠暗示とは本来敵に、あるいは非協力的な相手にかけて、自分の望む行動をとらせるために使うものだ。それを味方のマインドセットに利用するというのは非凡な発想と言える。もっとも……

 

(自身の精神状態を完全に他人任せにできてしまう精神性など、そちらの方がよほど異常だと思いますが)

 

 ともあれ得心はいった。怪我の治療と食事の礼も含めて、ひとまずは彼らのことを信用してもいいだろう。

 少なくとも彼らの戦闘力の低さは本物なのだ。私を謀るつもりならば、それが判った時に潰せばいい。

 

「分かりました。まず……」

 

 私は来日した目的、そして仮死状態に陥った経緯を説明した。

 ここで嘘をつく意味は無い。それに話を聞く限り、私と彼らの利害は一致している。ならばある程度の信用を得るために、また私が彼らを信用するためにも、こちらの手札を曝しておく必要がある。これもひとつの暗示だ。

 これは一般に言われる信用や信頼とは別種のものだ。疑念は判断を鈍らせる。戦いにおいて味方を疑わないのはただの技術にすぎない。

 

「……その、言峰だったか?そいつに味方しそうな奴に心当たりとかあるか?」

 

 私の話を聞いた八幡は、難しい顔で質問を発した。すぐさまその可能性に思い至ったか。やはり相当な切れ者のようだ。

 

「……一応答え合わせをしておきましょうか。なぜそんな質問を?」

「このタイミングで仕掛けてくるのは言峰以外はあり得ない。言峰がランサーを持っているなら協力者がいることになる」

「襲撃が言峰の意図であることの根拠は?」

「この館は地理的に戦略的な拠点にはなり得ない。特に霊地というわけでもない。それでもなお仕掛けてきたということは、この館に触れてほしくない何かがあったからだ。状況から考えて、それはバゼットさん、あんたのことだろう。そしてあんたのことを知っているのは言峰か、その味方だけだ」

「……偶然あなたを発見したアサシンのマスターが、与し易しと狙った可能性は?」

「あり得ないな。さっきの話でも出たが、俺達はアサシンは倒されたものだと思って一切警戒していなかった。他のマスターもそうだったろう。少なくとも俺がアサシンのマスターなら、この利は絶対捨てない」

 

 ……百点だ。現状の情報から導き出せる答えとしてはおそらく最上のものだろう。やはりこの少年は戦力足りうる。

 

「……驚きました。あなたの分析はおそらく正しい。その上で言わせていただきますが、私はアサシンのマスターは言峰自身だと考えています」

「……二重契約ってことか?」

 

 八幡は己のサーヴァントにちらりと視線を向けた。それが技術的に可能なことなのか、確認をとっているのだろう。

 キャスターは特に否定しなかった。それを受けて、八幡は私に簡潔に質問してくる。

 

「根拠は?」

「先ほど戦ったアサシン、あれは弱すぎます。使い魔を複数持つと、その分一体ごとに分配できる魔力量が減少して個々の能力が低下します。おそらくアサシンは、初めから複数で一体として扱われるサーヴァントで単体での戦闘力は低く設定されているのでしょうが、それを考慮に入れても手応えが無さすぎました」

「……つまり、元から弱いアサシンが、ランサーとの二重契約によって更に弱体化していたと」

 

 私は首肯した。

 アサシンがいかに最弱と言えどサーヴァントはサーヴァント。二十近くも同時に相手して無傷でいられるとは考えにくい。それが現実に起きたのならば、そうなっただけの理由があると考えるべきだ。

 八幡は私の言葉に短く考えてから口を開いた。

 

「アサシンの気配遮断の能力を考えれば、あんたを襲う時にアサシンを使わない理由は無かったはずだ。だがあんたの話には、アサシンのことは出てこなかった。つまり言峰は、あんたと会った時点ではアサシンを持っていなかったことになる」

 

 だからこそ他人からサーヴァントを奪うことを考えたんだろう、と続ける。

 

「だけど単純な疑問として、既にランサーを持ってる人間が別のサーヴァントを召喚できるのか?」

 

 もっともな疑問だ。が、これについては私には、ほとんど確信に近い感触があった。

 

「言峰にとって、アサシンの召喚は意図せぬものだったのだと思います。自分でアサシンを召喚したのではなく、聖杯に選ばれてしまったのでしょう」

「……聖杯戦争開始時にマスターが揃ってなかった場合、冬木市内の人間からランダムで選ばれるってやつのことか?なおさらあり得ないと思うんだが」

「ランサーを召喚したのはあくまでも私です。なので言峰は召喚者としてカウントされなかったのでしょう。彼は聖杯に気に入られているようですから」

 

 死にかけた私を縛り付けていた呪い。

 実際に囚われていたからこそ解るが、あれは聖杯だ。

 そして聖杯に接続していたから解るが、聖杯は言峰に手に入れられることを望んでいる。この程度の贔屓があったとしても不自然さは感じない。

 八幡は私の言葉に思考を巡らせている。信じることはできないが、完全に否定する材料も無いといったところか。

 良かった。

 こんな話をあっさり信じるような人間は思慮に欠ける。かといって可能性を検証もせずにあり得ないと断ずるような者は柔軟性に欠ける。彼はその両方を持ち合わせているということだ。

 

「八幡」

 

 交渉を始める前、彼は頼みごとがあると言っていた。おそらくそれは、私が今考えていることと同じなはずだ。

 彼の推理力に敬意を表し、私から切り出すことにしよう。

 

「あなたの目的は生き残ることだと言っていた。しかしそのための力が足りない。私の任務は聖杯を持ち帰ることです。しかし私にはサーヴァントが足りない。我々は協力できる。そう思いませんか?」



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53話

 人気の無い道を、走る、走る、走る。

 息はとっくに上がっており、肺と脳は脚を止めて休めという命令を出し続けていたが、それを無視して駆け続けた。

 このまま走り続ければ深刻な障害を被る可能性もあるが、立ち止まれば死ぬ。

 

「なんだよアレ……!ちくしょう、なんなんだよアレは!?」

 

 苛立ちと共に吐き出す。そんな余裕など無いはずなのだがそうせずにいられない。疲労が蓄積した今の状態では、どのみち速度に大差は無いが。

 愚痴を言うのと同じく、振り返る事も愚かしい行為だ。しかし生物的な本能から、やはりそうせずにはいられなかった。

 振り向いた視界の端、夜の闇の彼方で何かが瞬く。直後、足下が爆発した。

 

「うわあぁぁぁぁっ!?」

 

 たまらず吹き飛び転倒する。

 転がった先で慌てて身を起こす。が、その視界の端に再び煌めきを捉えて身を竦めた。周囲の地面がまたしても、今度は立て続けに爆発する。

 

「ちくしょう!なんとかしろライダー!?」

 

 爆風と死の恐怖に曝されたこの状況で叫ぶことができたのは、実はとてつもない偉業なのではないだろうか。

 ともあれ彼のサーヴァントである眼帯の女は、主の前に立ちはだかった。

 夜のカーテンの向こうから三度の光弾。それをライダーは、渾身の力でもって弾き返す。

 

「ほう?(オレ)の攻撃を防いだか」

 

 光弾を放ってきた相手のものであろうその声には、紛れもない賞賛が含まれていた。

 闇の中から歩み出てきたその男は、一言で言えば黄金だった。金の髪に金の鎧。そして何よりその身から発せられる神気が金色を想起させる。

 しかしその表情には隠しようのないーー否、隠すつもりなど微塵も無い嘲りが浮かんでいる。

 確かにライダーは敵の攻撃を防ぐことには成功していた。しかしライダーは、ただそれだけでボロボロになっていた。

 

「慎二、逃げてください」

 

 この敵には勝てない。

 それを悟ったライダーは、主にそれだけ告げて眼帯をむしり取った。その下に隠されていた瞳が、魔力を帯びて虹色に輝く。それを見た男がその顔を喜色に染める。

 

「ほう!?これは石化の邪眼、それもこの力、宝石級か!?」

 

 男の言う通り、それは強力無比な石化の魔眼。ライダーにとっての切り札だった。

 その効果は凄まじく、周囲の樹々はおろか路肩の車のような無機物ですらも石化が始まる。しかしーー

 

 

 

「惜しいものよな。この醜悪な臭いさえ無ければ我が財宝の一つとして愛でてやったものを」

 

 

 

 男はただ、心底残念そうに頭を振るだけだった。

 ライダーが歯噛みする間も男の言葉は続く。

 

「これだけの力を持つ邪眼にライダーのクラス、そして 恐気(おぞけ)を催すこの臭気……。貴様、ゴルゴンの末妹か」

 

 ライダーは男の言葉には応えず、短剣で己の首を掻き切る。溢れ出た鮮血は地に落ちることなく宙を漂い、空中に魔方陣を描き出した。

 光輝く方円から、なおも眩い光輝を纏った『何か』が現れる。

 それは翼持つ駿馬。

 神話において、何者よりも疾く天を駆ける者。

 これぞライダーのもう一つの切り札、幻獣ペガサス。これを喚び出し自在に乗りこなすからこそのライダー。

 彼女の『石化の魔眼(キュベレイ)』は、例え石化を防いだとしてもその動きを大きく鈍らせる力がある。

 魔眼で動きを封じてからのペガサスによる突進。このコンボを躱せる者など存在しない。

 

「『騎英の (ベルレ)……!!」

「連中に運命を弄ばれたことを考えれば、貴様に同情を覚えぬこともない。が……」

手綱 (フォーン)!!』」

 

 ライダーを乗せた天馬が一筋の光と化す。

 残像を光の尾となして突き進むその姿は、さながら流星の如し。

 実際、その一撃に秘められた力は、天より墜ちし星の屑にも劣らぬものだろう。

 その、城壁すらをも容易く打ち砕く人外の一撃は……

 

 

 

「あいにくと、(オレ)は神が嫌いでな」

 

 

 

 男の前に突如として現れた楯によって、あっさりと阻まれた。

 その、人一人を完全に覆い隠してしまう巨大な楯は、誰にも止められぬはずの突撃を平然と受け止めていた。白銀に輝くその装甲には、ヒビすらも入っていない。

 

「……っ!」

 

 ライダーはなおも魔力を絞り出すが、それでも楯は揺るがない。

 

「女神の系譜たる貴様の存在を赦すことはできん。ライダー、やはり貴様はここで死ね」

 

 そんな、彼女を嘲笑うかのような言葉と共に男が指を鳴らす。同時にライダーを取り囲むように無数の魔方陣が現れた。

 ライダーはこの攻撃に全ての力を使ってしまっている。当然、男の反撃に対応する余力など無い。

 すなわち、魔方陣から吐き出された無数の武具が、ライダーとペガサスを貫いたのは必定と言えた。

 

「あ……あああ、ライダー!?」

 

 光の粒子となって消え行く自らのサーヴァントに少年が悲鳴を上げる。男はそれを聞いて、初めて彼の存在に気がついたかのような視線を向けた。

 

「ヒ……ヒィ!?」

 

 少年は尻餅を着いたまま必死に後退る。

 男は少年を退屈そうに眺めると、その指を向けて

 

「やめなさい」

 

 凛とした声が夜を切り裂く。

 涼やかな鈴の音を思わせるその声に男は動きを止め、無表情な貌を肩越しに背後へと向けた。

 現れたのは一人の少女。

 雪のような儚さと、氷のような鋭さを同時に纏った少女だった。

 夜闇よりもなお黒く、しかし決して輝きを失わぬ黒髪をなびかせて、彼女は左腕を持ち上げ口を開く。

 

「令呪をもって命じるわ。今後、人間の殺害を禁じます」

 

 その言葉と共に少女の令呪が砕ける。

 男は特に気分を害した様子はない。代わりに何かを面白がるような、試すような目を彼女へと投げ掛ける。

 

「何故止める雪乃?ライダーを駆逐しろと命じたのは貴様だったはずだぞ?」

「そのライダーはすでに倒したでしょう。マスターの命まで奪う必要は無いはずよ」

「しかしだな、そもそも貴様がライダー討伐を考えたのは、こ奴等が無関係な人間を巻き込んだからではなかったのか?あの結界を張ったのは確かにライダーだが、それを命じたのはマスターの方だろうに」

「同じことよ。サーヴァントを失った以上は何もできないのだから」

「そうとも限らんぞ?またどこぞでサーヴァントを手に入れて再び悪事を働くやもしれん。そうなったらどうするつもりだ?」

「その時はまた倒せばいいだけの話でしょう」

 

 その言葉に、男は虚を突かれたように表情を消した。

 男は顎に指を当て、内容を吟味するようにしばし瞑目する。そして身体を小さく震わせ、震えは次第に大きくなり、やがて堪え切れぬとばかりに声を上げて笑い出した。

 少女は不快さも露に男を睨み付ける。

 

「……何がおかしいの?」

「ク、クク……。いやなに、感心しておったのよ。また倒せばいいか、確かにその通りだ」

 

 渋面を作る少女とは裏腹に、男は心底愉快気笑う。

 

「気に入ったぞ雪乃。その傲慢、実に(オレ)好みだ。良い、(オレ)を使うことを許す。我がマスターとして存分に命ずるがいい」

「なにを当たり前のことを……。あなたは私のサーヴァントでしょう?」

「クカカッ、そうであったな、そう言えば」

 

「お……お前ら!何なんだよ!?」

 

 二人の会話に突如割って入ったのは、ライダーのマスターだった。

 

「いきなり現れて、人のサーヴァントを殺して!何のつもりだ!?」

 

 愚かな行いだった。

 セリフの内容もだが、少年にとっての最善は、二人に気付かれぬようにこっそり立ち去るのことだったはずだ。それは少年とて理解していただろう。

 

「……あなた、まだ居たの?」

 

 実際少女達は彼のことなど完全に忘れていた。しかし少年は、それこそが気に入らなかったのだ。

 彼は、虚栄心が極端に強い人間だった。

 

「質問に答えろよ!?」

「黙りなさい」

「っ!?」

 

 少女の静かな、しかし有無を言わさぬ一言に少年は言葉を飲み込む。少女は彼に、刃よりも鋭い視線を向けた。

 

「あなた、まさか自分が責められないと思っているのではないでしょうね?あんな非道な真似をしておいて許されるはずがないでしょう」

 

 それは人として当然の義憤。さらに言えば、少女はそうした非道を人一倍嫌う(たち)だった。

 しかし、これまた当然ではあるが少年にも言い分はある。無論、彼だけの身勝手な正義ではあるが。

 

「う……うるさいな!あんなの身を守る手段だろ!?自分の命が懸かってる時に、他人なんか気にしてられるかよ!?」

「そう……」

 

 少女が眼を細める。

 

「な……なんだよ?」

 

 そのまま無言で歩み寄ってくる少女に、少年はたじろぐ。が、気を取り直したように笑みを浮かべた。

 

「ふ、ふん。僕がビビるとでも思ってるのか?お前さっきサーヴァントに令呪を使ってただろ。サーヴァントさえ無けりゃお前なんかに……っ!?」

 

 少年は言葉を最後まで続けられなかった。いつの間にか間合いに入ってきた少女に投げ飛ばされたのだ。

 仰向けになって息を詰まらせる少年に、少女は冷たく告げる。

 

「……意外とよく見ているわね、姑息なだけはあるわ。で、サーヴァントが無ければ、何?私だけでもあなたごときを捻り潰すのはわけないのだけど」

「ヒ……!?」

「あなたみたいな人間の屑でも、死なれると迷惑を被る人がいるの。あなたを見逃す理由はそれだけよ。だから、私の気が変わらない内に失せなさい」

「ヒ……ヒィィィィッ!?」

 

 傲然と見下ろす少女に、少年は今度こそ逃げ出した。それを愉快気に見送り、黄金の男が口を開く。

 

「綺礼への義理立てか、律儀だな。事後処理は元々奴の役目だろうに」

「手間は手間でしょう。迷惑をかけるわけにはいかないわ、あの人には恩があるもの。……行くわよ」

「良かろう。精々(オレ)を楽しませろよ、マスター」

 

 こうして二人は、闇の中に消えていった。

 

 

 

 

「見付けたわよ、慎二!」

「うわぁぁぁぁっ!?」

 

 声をかけると、慎二は耳障りな悲鳴を上げて派手に転がった。……ちょっと驚き過ぎじゃない?今までとは別ベクトルで失礼ね。

 

「と……遠坂……?」

「……あんた、一体どうしたわけ?」

 

 慎二は汗だくで、顔も涙でグシャグシャだった。よほど必死だったのか、あたしのことも今になってようやく気がついたようだ。叩き潰すつもりで探していた相手なのに、気の毒に思えてくるほどだ。

 あたしは状況を理解できてない様子の慎二の額に指突き付け言ってやる。

 

「……何があったか知らないけど、だいぶ酷い目にあったみたいね。良いわ、今なら大人しく令呪を差し出せば、記憶を消すだけで勘弁してあげる」

「は、はぁっ!?」

「抵抗は無駄よ。衛宮くんたちもすぐに駆けつけるし、今もアーチャーが周囲を警戒してるわ。ライダーを呼んだところで封殺できる。諦めなさい」

「ふ、ふざけるな!?」

 

 慎二が叫ぶ。

 いきなり感情を爆発させたのには驚いたが、まあいつもの事と言えばいつもの事だ。だって慎二だし。

 あたしは務めて冷たく続ける。

 

「信じないのは勝手だけど、大人しく聞いておいた方が……」

「そんな事言ってんじゃないよ!ライダーならとっくに殺された!あの金ぴかに!」

「…………は?」

 

 一瞬何を言われたのか分からなかった。

 殺された?ライダーが?

 

「ちょ、ちょっと慎二、どういう……」

「とぼけるな!どうせあの雪乃とかいう女もお前らとグルなんだろ!?汚いんだよ、寄ってたかって!」

「いや、だから……!」

「覚えてろよ!絶対まとめて後悔させてやるからな!」

「あ!ちょっと!?」

 

 一体どこに力を残していたのか、慎二は捨て台詞を残して逃げてしまった。つい見送ってしまったが……まあ良いか。

 ライダーが本当に倒されているのなら慎二にはもう何もできないし、あれがその場逃れの言葉ならばアーチャーが何とかする。どちらにせよ慎二は脱落だ。それよりも……

 

「雪乃、って言ってたわね……」

 

 それは比企谷ーーキャスターのマスターが言っていたのと同じ名前だ。そして『あの』雪ノ下家の下の娘とも。

 綺礼の話では、妹の方は魔術とは関わり無く生きている事になっている。だけど、もしその情報がフェイクだったら?

 

「……綺礼に確認しないとね」



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54話

pixivではキャラの書き別けの練習にセリフのみで投稿した回。
後から地の文を付け足したんで色々おかしいと思いますが。


「つまり八人目のサーヴァントが存在していると、そう言いたいのかね?」

『ええ。現状マスターが不明なのはランサーとアサシン。アサシンはもう倒したから、その雪乃って女が連れてたのはランサーだと考えるのが妥当だけど、それだとどうにも金ぴかってイメージと結び着かないのよね』

 

 受話器越しに答える声は、少なくとも表面上は冷静だった。

 電話の相手は遠坂凛。自分の弟子だ。

 彼女は昨夜遭遇したマスターから得た情報を元に、突拍子もない推論を組み立てて私に報告してきたのだった。

 

「……にわかには信じがたい話だな。何者かの偽装か、でなければライダーのマスターが咄嗟にデタラメを言ったのではないか?」

『偽装はともかく慎二のデマって線はないわね。あいつ、頭は悪くないけど機転の利く奴じゃないし。とにかくその可能性があるってことは頭に入れておいて。もし本当だったらあんたも危ないかもしれないわよ』

 

 つまり、この娘は私を心配したらしい。

 まったく、私のことは嫌っているだろうに。人が良いにも程がある。

 十年早い、と言ってやりたいところだが仕方ない。彼女の師として、また保護者として、多少なりとも協力してやるべきか。

 

「……その女の名が本当に雪乃だと言うのならば、その黄金のサーヴァントはランサーではない」

『……なんですって?』

 

 私の言葉に凛が険を深める。

 

「ランサーのマスターは時計塔から派遣されてきた魔術師だ。マクレミッツという名に心当たりはあるかね?」

『封印指定の伝承保菌者(ゴッズホルダー)じゃない!?まさか彼女が!?』

 

 やはりバゼットのことは知っていたか。彼女は時計塔でもそれなりに有名だからな。

 

「そのまさかだ。彼女は私の元に直接顔を見せている。それでその封印指定執行者だが、キャスターのマスターと行動を共にしているところが確認されている」

『ちょ、それって……!』

「八人目のサーヴァントが実在するとして、そのマスターが雪ノ下雪乃であるならば、彼女は比企谷八幡と通じている可能性が高い。キャスターであれば聖杯に直接干渉して新たなサーヴァントを召喚することも可能かもしれん」

『いくらなんでもそんなわけ……!』

「あくまで可能性の話だ。だが、それなら色々と辻褄は合う。意識の隅くらいには置いておくべきだろう」

『ちっ……!』

 

 舌打ちとともに凛の言葉が途切れる。

 私の言葉から考え得る可能性を模索して眉間にシワを寄せている様がありありと想像できた。目に浮かぶようだ。 

 私はそんな彼女に言葉を投げる。

 

「ともあれ謎のサーヴァントに関してはこちらでも調査しておこう。気をつけろよ、凛」

『言われなくても。……ていうか良いの、あんた?監督役のクセに他のマスターのことベラベラ話しちゃって』

「八人目のサーヴァントなどというものが出てきた時点で既にまともな状況とは呼べん。これは聖杯戦争の参加者ではなく、冬木の管理者に対する依頼だ」

『相変わらず屁理屈は一流ね。……ありがと』

 

 そんな言葉を最後に電話が切れる。

 ……少しは疑うということを教えておくべきだっただろうか。これで本人は警戒心が強いつもりなのだから頭が痛くなる。

 ともあれだ。

 

「さて……バゼットを発見された時は肝を冷やしたが、これはこれで面白い。シナリオは早くも私の手を離れたな。物語がどう転ぶかは、もはや誰にも判らん。この状況、お前はどう愉しむ、ギルガメッシュ?」

 

 

 

 

「どうだった、遠坂?」

 

 受話器を置くと同時にそんな声をかけられる。

 私はそれに、首を小さく横に振って答えた。

 

「ダメね。やっぱり綺礼も把握してなかったみたい」

「そうか……。なぁ、本当に八人目のサーヴァントなんて居るのか?」

 

 そう、根本的な疑問を口にする衛宮くん。

 彼の疑問はもっともだった。私自身にも疑わしい可能性なのだから。

 しかしこれは、無視するには危険すぎる。

 私は綺礼から得た情報も加味し、思考を整理しながら答える。

 

「どうかしらね。ただ、可能性は否定できないわよ。アサシンとライダーが倒れて残るサーヴァントは五騎。内、セイバーとアーチャーは除外するとして、残りはランサー、キャスター、バーサーカー。でも、この三人の誰も黄金の武装とは結び着かない。まあ、英雄と黄金は大なり小なり縁があるものだから、絶対に無いとは言い切れないけど……」

 

 衛宮くんは私の言葉に渋い顔をする。どうやら彼にも否定しきれないようだ。

 

「そっか……。それじゃ、ええと、比企谷だっけ?キャスターのマスターがその雪ノ下って娘の捜索を依頼してきたのは……」

「罠、なんでしょうね。何が狙いかは分からないけど。実際にどうかは分からないけどそう考えるべきでしょう。警戒は怠るべきじゃないわ」

「だよな。なぁ、これからどうするつもりだ?」

「決まってるじゃない。雪ノ下雪乃の情報が入ったんだから教えてあげましょう。依頼だもの」

 

 人指し指を立てて答える私に、衛宮くんは不安気に顔をしかめた。

 

「大丈夫なのか、それ……?」

「実際に会えば狙いもハッキリするでしょ?罠のつもりだったっていうんなら、誰を嵌めようとしてくれたのか、思い知らせてやればいいわ」

 

 

 

 

「ああ、わかった。……いや、助かる。それで頼む。……すまん、人が来た。それじゃまた今夜」

 

 ドアの開く小さな軋みを感じて、相手に断ってから携帯を切る。

 背後を振り向くと、律儀にそれを待ってたらしい葉山が挨拶してきた。

 

「おはよう比企谷。……邪魔したか?」

「いや、ちょうど終わったとこだ。早いな葉山、まだ5時過ぎだぞ」

 

 携帯に表示された時刻はAM 5:02。冬至はとっくに過ぎているとはいえまだまだ日は短く、この時間帯では薄暗い。

 葉山は俺の言葉に苦笑して答える。

 

「……こんな状況で熟睡できるほど図太くないよ。そっちこそこんな時間に誰と電話だ?」

「遠坂だ」

「それって、確かアーチャーのマスターだった娘か?雪ノ下さんの捜索を依頼したっていう……まさか!?」

 

 端的に答えた俺に食い気味に反応する葉山。まあこいつが巻き込まれたのも元々は雪ノ下を探してたからだしな。

 

「ああ、それらしき女の話を聞いたらしい。今夜直接会って話を聞くことになった」

「……大丈夫なのか、それ?その遠坂って娘、例の監督役とつながってる可能性が高いんだろ?」

「バゼットの話ではな。前回の聖杯戦争では遠坂家と教会は協力関係にあったらしい。遠坂と言峰、親子二代でつるんでても不思議じゃねえ。言峰はそのつながりで遠坂の後見人やってるらしいしな」

 

 葉山は俺の言葉に渋面を作る。

 

「やっぱり危険じゃないか?わざわざ夜を指定してきたのも気になるし」

「少なくとも一戦交える可能性は考えてるってことだよな。つっても雪ノ下の名前を出された以上、無視するわけにもいかねえだろ」

「それはそうなんだが……」

 

 選択肢が無いと示すが葉山は渋い顔のままだ。気持ちは解るがな。

 葉山、及び自分自身の精神衛生のために何とか明るい材料を探すことにする。

 

「まあ、遠坂は遠坂で言峰に踊らされてるって可能性もあるけどな。もちろん、より悪い方を想定しておくのは当たり前だが」

「それを確認する為にも、直接会う必要があるか。……すまない、せめて俺が足を引っ張ってなければよかったんだが……」

「気にすんな。お前が居るせいで行動を制限されてるのも間違いないが、お前が居るおかげで打てる手もある。少なくともお前が居なかったら、俺はアサシンにやられてた」

「……ありがとう」

 

 いきなり礼とか言うな。

 本気で鳥肌が立ちそうになって思わず身震いしてしまった。

 シッシッと犬を追い払うように手を振って、吐き捨てるように葉山に応える。

 

「やめろ気色悪い。間違っても海老名さんの前でそういうこと言うなよ。……そろそろメディアとバゼットも来る頃だろ、昼の内に作戦を詰める。葉山、早速だがお前にも働いてもらうぞ」

「ああ……って比企谷、まさか戦う気か!?いや、役目をもらえるのはありがたいんだが」

 

 俺の言葉に一拍遅れで反応する葉山。こいつ漫才とかも上手そうだな。

 葉山が驚くのも解るが、『敵』である可能性が低くない以上は対策を立てないわけにはいかない。

 

「バゼットが加わったとは言え、戦力的に不安なのは変わらんからな。先手を取られちまうと全滅コース必至だ。とりあえず叩きのめしてから話を聞かせてもらおう」

「いや、言ってることは分かるんだが、俺が言いたいのはそもそもそれが可能なのかって話で……」

「考えが無きゃこんなこと言わねえよ。まあ、メディアとバゼットに確認する必用はあるが……」

「……あんまり無茶なことは考えるなよ?」

 

 言われる迄もない。

 

「しなくて良い無茶なら頼まれたってしねえよ。……まあ、やるしかねえならどうやって成功させるかを考えるだけだ。俺の考えた方法が可能なら、たぶんやれる。無理そうだったらおとなしく土下座でもするさ」

「……なんていうか、やっぱり比企谷だなぁ……」

「当たり前だろ?……ま、見とけ。数の暴力ってのがどういうもんか思い知らせてやるよ」



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55話

「ああ、そうなんだ。いや、大したことじゃない。はは、サンキュ。まあ正直に言えばサボりみたいなもんなんだけどな。とにかく今日は学校行けないんだ。すまないけど優美子たちにも伝言頼む……悪いな、戸部。今度埋め合わせはするから」

 

 携帯を切ってため息を吐く。

 方便とはいえ嘘を吐いて学校を休み、さらに頼みごとをするというのは、これまでに経験したことのない種類のストレスを感じた。

 とはいえこれは絶対に必要なことだ。

 そう切り替えてドアノブを捻る。

 廊下から部屋に戻ると、比企谷とメディアさん、そしてバゼットさんが車座になって話込んでいた。

 彼等の中心には人間の拳ほどの大きさの、銀色の球がいくつか転がっていて、メディアさんがそれを手に取って熱心に眺め回している。

 俺に気が付いた比企谷が、こちらに向けて口を開いた。

 

「葉山、首尾はどうだ?」

「家と学校には連絡した。怪しまれたけど問題はないはずだ」

「そうか。その調子で残りも頼む」

「……なぁ、こんなので本当に大丈夫なのか?」

 

 魔術についてはほとんど何も知らない俺だ、口を挟むのは間違いなのだろう。だけど……

 

「よくこんな手段を思い付くものですね。呆れを通り越して感心します」

「……こんなの、魔術に対する冒涜です……!」

 

 専門家二人の態度がこれでは不安になるのも仕方ないと思う。もっとも、

 

「方法論的には何の問題も無いはずです。ただ、魔術師では絶対に考えつかない手段でしょうね」

 

 と、バゼットさんが言っているので大丈夫は大丈夫なのだろうが。

 

「ま、できるできないの前に下準備が終わらねえと話にならん。俺らが生き残れるかどうかはお前にかかってるわけだ」

「カンベンしてくれ……」

 

 比企谷の言葉にげんなりと答える。こんな時に冗談を飛ばせるなんてどういう神経してるんだこいつは。

 

「申し訳ありません、隼人様。私が至らぬばかりに」

「ああ、いや。仕方ないよ」

 

 すまなそうに頭を下げるメディアさんーーいや、キャスターと呼んだ方がいいんだったか。……これも俺のせいでバゼットさんにバレたんだよな。

 比企谷の立てた作戦は、結構大がかりな下準備が必要になる。しかしそのために放った数体の使い魔はあっさりと潰されてしまったらしい。

 おそらくはアサシンの仕業だろうとの話だ。元から街に潜ませておいた使い魔は無事だが、それだけでは手が足りないらしい。

 

「……しかし、本気で不利な状況だな」

「まあな。ライダーかバーサーカーのマスターと連絡がとれりゃよかったんだが……」

 

 そう言ってこめかみを抑える比企谷。

 まあこちらの推測が正しかった場合、敵は七人中四人が結託してることになるわけだからな。気持ちは分かる。他人事でもないし。

 

「その、遠坂と言峰が手を組んでるっていうのは確実なのか?」

 

 否定の言葉を少なからず期待してそう聞く。答えたのは比企谷ではなくバゼットさんだった。

 

「確定というわけではありません。ですが前回の聖杯戦争では、教会は遠坂時臣を勝たせるために動いてました。言峰の父である言峰璃正は監督役の立場を利用して時臣に情報を流し、言峰自身もマスターとして参加し彼等に協力していました。前回の失敗を踏まえて今度こそ、と考えていても不思議ではないでしょう」

「それだけ有利だったのに負けたのか……」

 

 ふと思ったことが漏れてしまった。それを拾ったのは比企谷だった。

 

「そのことに責任を感じてた、なんて可能性もあるかもな。前回の聖杯戦争では、言峰が協力する前準備としてかなり早い段階から遠坂に弟子入りしてたらしい。住み込みって話だから娘とも面識があっただろう。実際、聖杯戦争の後は後見人をしてたみたいだからな」

「そんな殊勝な人間ではなかったと思いますが……。ですが言峰と遠坂が組んでいる可能性は高いと思われます。アーチャーがアサシンを倒したのも自作自演でしょう」

「ま、事実がどうあれそういう前提で行動するべきだろうな。計画の再確認するぞ」

 

 比企谷はそう言うと、会話が止まったのを確認してから口を開いた。

 

「まず、今夜遠坂と衛宮、アーチャーとセイバーの四人と接触する。目的は行方不明の雪ノ下の情報。だがさっきの話の通り、こいつらは言峰及びアサシン、ランサーと組んでる可能性が高い」

「彼等が本当に雪ノ下さんの情報を持っているとは限らないんじゃないか?」

「いや、監督役の言峰なら雪ノ下の情報を掴んでいる可能性は高い。連中が言峰と組んでるならそこから情報を引っ張れる。逆に言峰と組んでないなら、そんな嘘を吐く意味が無い」

 

 なるほど。どちらにしても無駄にはならないわけか。逆に言えば無視もできないことになるが。

 比企谷はなおも続ける。

 

「さっきも言ったが、俺達は遠坂達が言峰と組んでるものとして、つまり敵という認識で行動する。先制で仕掛けて無力化するぞ」

「話し合いは無理なのか?せめて確認してから……」

「こっちは総合力で負けてる。勝とうと思ったら先手を取るのは絶対条件だ。心配するな、深読みだったら全員で土下座すればいい」

「おい」

「俺達の目的はあくまで情報だ。だから話を聞き出すためにも、土下座で済ませるためにも殺すのは無しだ。作戦目標は『殺さずに行動を封じること』になる」

「普通に戦うより難度が上がってるじゃないか……」

 

 とはいえこの指示は正直ありがたい。殺さなくて良いとなると、心理的な負荷がまるで違う。

 そのことに関して安堵の表情を出していたのは俺だけだったが、おそらく比企谷も似たようなものだっただろう。メディアさんとバゼットさんは……同じ、と思っておこう。無理にでも。

 

「しかしそうなると、バゼットさんの宝具は使えないか……」

 

 俺は床に転がっていた球を拾ってそう呟いた。この球こそが、バゼットさんの宝具である『剣』らしい。

 宝具とは英霊のみが持つ切り札。比企谷はそう説明していた。

 だからか、バゼットさんが宝具を持っていると聞いてえらく驚いていた。ちなみに驚いていたのはメディアさんもだ。よほど特殊な事例らしい。

 バゼットさんとの共闘が決まった際、戦力確認としてそれぞれの手札を晒すことになった。

 言い出したのはバゼットさん。

 比企谷もそのつもりだったようだけど、自分の手札を隠すことより相方の手札を確認することを優先したらしい。俺に関しては隠すべきことなんて無かったから、その分だけ自分が有利と考えたのかもしれない。

 

「そうですね。もっとも私の情報は既に敵に渡っているでしょうから、どのみち使う機会は無いでしょうが」

 

 俺の呟きにバゼットさんが答える。

 バゼットさんの宝具は、一言で言えば『切り札殺し』だ。なんでも敵の切り札に反応して、『敵が切り札を使う前に倒した』ことにしてしまうらしい。

 正直俺の理解を超えていたが、比企谷に「魔術ってそういうもんらしいから諦めて納得しとけ」と言われたのでそれ以上考えないことにした。

 ともかくバゼットさんの宝具は、敵を問答無用で倒してしまう文字通りの『必殺』なため、今回のように生け捕りを目的とした戦いには絶望的に向いてないのだ。

 

「もっとも、だからこそ生け捕りを主目的にしたんだけどな。バゼットのことが相手に知れてるなら、もうその時点で敵の切り札を封じたも同然だ。安全に、とはいかんだろうが、取って置きを気にせずに作戦を立てられるのは大きい」

「……向こうがそれでも宝具を使ってきたら?」

「その場合はバゼットの判断に任せる。多分死人が出ることになるだろうが、殺されてやるわけにもいかんしな」

「やっぱりそうだよな……」

 

 バゼットさんも静かに頷いていた。

 気は乗らないが、こればかりは仕方ない。敵が間抜けでないことを祈ろう。

 それはそれとしてだ。

 

「セイバー、アーチャーについてはわかった。残りはどうするんだ?」

 

 ここまでの対策は敵戦力の半分までのものだ。残りの半分はあくまで可能性でしかないが、無視して良いものでもない。というかそっちがあるからこそ、こうして額を突き合わせて悩んでいるわけで。もちろんそんな事、比企谷だって理解してるが。

 比企谷はそれを証明するように話を続ける。

 

「アサシンは力が弱い。幸い場所の指定はこっちでできたから、メディアとバゼットの結界で締め出す。警報や気配察知じゃなくて通行を物理的に阻害するタイプのやつだ」

「……出来るのか、と聞こうと思ったけど、お前ならなんとかするんだろうな。アサシンはそれでいいとして、ランサーはどうする?その言い方だと力付くで突破されそうだけど」

「メディアの正体は相手に知れてる。もしかしたら宝具のこともな。なら俺達に対してランサーを使うことはないだろう」

「それでも出てきたならむしろ好都合。その場でランサーを取り戻します」

 

 バゼットさんは、どことなく顔を険しくしてそう言った。

 彼女はメディアさんの宝具のことを知った時、叶うならランサーを取り戻したいと主張していた。初めは戦闘機械みたいな人だと思ったが、人間らしい一面を見れてホッとしたものだ。

 俺は左腕の時計に目を落とす。学校では一時限目が終わる頃だろうか。

 俺は立ち上がって比企谷に告げる。

 

「そろそろ時間だ。俺は作業に戻る」

「了解だ。こっちも改造を急がないとな」

「……それ、働くのは比企谷じゃなくてメディアさんだよな?」

「ほっとけ、仕方ねえだろ」

 

 まあ、確かに仕方ないけどな。

 俺はそう苦笑して部屋を出た。

 

 

 

 

「リン、見つけました」

「これで四つ目ね。でかしたわ、セイバー」

 

 セイバーの見つけた奇妙な模様を見て、遠坂は笑顔を作った。

 ここは冬木市のほぼ中央に位置する海浜公園。キャスターのマスターは、落ち合う場所にここを指定した。

 俺と遠坂は、何かの罠が仕掛けられてる可能性を考えて昼の内に調べに来たわけだが、案の定だったわけだ。

 

「遠坂、これなんだか分かったか?」

「ルーン文字の結界魔術みたいね、通行を遮断するタイプの。わたし達を逃がさないためかしら」

「だとしたらえらく強気だな」

「そりゃそうでしょ。残り五騎の内二騎を占めてる上に『番外』まで連れてるんだから」

 

 遠坂に言われて納得する。確かに強気にならない方がおかしい。

 遠坂は公園の見取り図を広げると、これまでに発見した結界の基点の位置を確認して呟いた。

 

「かなり広範囲ね……」

「結界の範囲のことか?」

 

 遠坂は俺の言葉に頷いて見取り図を横にずらした。見ろという意味らしい。

 言われるままに覗き込むと、思った以上に遠坂との距離が近づいて焦る。

 

「どうかした?顔赤いけど」

「え?い、いや、なんでもない」

 

 ……遠坂の髪が良い匂いだったとか、言えるわけないだろ。

 

「ふーん?ま、良いけど。それで結界だけど、どう思う?」

 

 あっさり流してもらえて助かった。

 俺は遠坂の持つ見取り図に視線を落とす。

 

「……森が多いな」

 

 まず初めに思ったのはそれだった。

 遠坂が引いた赤い円、結界の予想範囲だが、その内側のほとんどが緑色で占められていた。

それを見たセイバーが口を開く。

 

「おそらくアーチャー対策でしょう」

 

 その通りだろう。視界の悪い森では飛び道具の力は半減する。

 俺はそれに追随して付け加えた。

 

「それと伏兵じゃないか?」

「やっぱそれよね……」

 

 敵は徒党を組んでいることを隠している。そしてそれが俺達にバレていることには気付いてない。

 なら、初めに姿を見せるのはキャスターだけで、他の仲間は隠れてこちらの隙を伺うはずだ。そして森という地形は、伏兵を配置するには持ってこいと言える。

 

「……よし、だったらこの結界を逆に利用してやりましょう。上手くいけば敵戦力を分断できるわ」

「逆利用なんてできるのか?キャスターの術なんだろ?」

「無力化や変質は無理でも指定範囲の変更くらいならなんとかなるわよ。ついでに術式を少し書き加えてこっちで起動できるようにしておきましょ」

 

 遠坂は獰猛に笑うと、見取り図の一角を指差す。

 

「この川沿いの一角、この広場なら十分な広さがある上に遮蔽物も無いわ。セイバーとアーチャーが十全に力を発揮できる。ここに誘い込んで速攻で倒すわよ」

「そんな上手くいくか?」

「キャスターが姿を現せば良し、例えいきなり仕掛けてきたとしても同じことよ。例の黄金のサーヴァントが遠近どちらのタイプなのかは不明だけど、少なくともランサーは接近戦主体。どう転んだところで敵戦力を切り離せるわ」

「ここに来ないで逃げた場合は?」

「その場合はキャスターが敵だってことが確定するだけね。こっちが雪ノ下雪乃の情報をちらつかせてるのに食い付かないってことは、それを必要としてないってことでしょ?後日改めて人を嵌めようとしたことを後悔させてやりましょう」

 

 こんなところか。

 話が一区切りついたのを感じて、俺はため息を吐いた。

 遠坂から聞いた限りでは友達を助けたいって話だったから、できれば協力してやりたいと思ってたんだけど、こんな結界が敷かれてるんじゃやっぱり敵みたいだな。

 無意味な戦いは避けたいけど、相手から仕掛けてくるんじゃ仕方ない。

 

「…………?」

 

 と、そこで視界の端に違和感を覚える。

 

「どうかしましたか、シロウ?」

「いや……なんだろ?」

 

 見失ってしまった。目を擦ってみたが見付からない。

 フラフラと『何か』を感じた辺りに近づく。

 

「ちょっと、どうしたのよ?」

 

 遠坂の声には応えず辺りを見回す。すると、ベンチの背もたれの裏に『それ』を発見した。

 

「なんだこれ……?」

 

 思わず手に取ってしまう。

 それは指先ほどの大きさの紙片。それに一つの模様、いや、文字が印されている。

 

「これ、魔術文字……だよな?」

「そうだけど……なにこれ?」

「これもキャスターの仕業か?」

「いや、いくらなんでもそんなわけ……」

 

 遠坂が戸惑うのも分かる。

 複雑だから、ではない。むしろ逆。杜撰、と呼ぶのすらも躊躇われるほど意味が無いのだ。

 印された魔術文字は確かに本物だ。だけどこれ単体では何の意味も成さない。

 ついでに言えば、使われているのは普通のコピー紙にただのインクだ。それがセロハンテープで貼り付けられていた。これが最高位の魔術師の御業とはとても思えない。

 

「……一応確認してみましょう。アーチャー?」

 

 遠坂は念話でアーチャーに呼び掛けた。

 アーチャーはこの一帯の使い魔を狩った後、周辺の警戒にあたっている。何か見ているかもしれない。

 

「……そう、ありがと。引き続き警戒よろしくね。どうも近所の小学生が、同じ物をあちこちに貼り付けてるみたいね」

「小学生?キャスターに操られてるのか?」

「そういう様子でもないみたい。友達とふざけ合いながららしいし、何かのおまじないかもね。流行ってるのかしら」

 

 おまじないか。

 本物の魔術文字と言ってもホントに初歩的な物だし、そういうのにちょっと詳しい本になら載っていてもおかしくないだろう。たまたまそれを拾ってきたのかもしれない。

 辻褄は合う。だけど……

 

「これ、危なくないのか?例えキャスターが関係無かったとしても本物なんだろ?」

 

 俺のその言葉に、遠坂はキョトンと目を丸める。

 

「ないない。確かに本物の魔方陣にも使われる文字だけど、これだけじゃ何の効果も無いわよ」

 

 そして吹き出すと、指を立てて解説を始めた。

 

「魔方陣っていうのは使われる文字の種類や数、設置する位置、方角、時間。他にも使用する塗料の色やその材料、単純な大きさなんかも。その全てに意味があって、互いが互いを補助することで効果を高めているの」

 

 そして例の紙片をつまみ上げて、苦笑と共に続ける。

 

「この文字は、元々力の方向を整えるだけの補助が主目的なの。だから単体で使っても何の意味も無いわ。位置は適当だし、材質は言うに及ばず……。まぁ、おまじないで雰囲気を味わうくらいの役には立つんじゃない?」

「でもこれ、見た時に変な感じしたぞ?俺はそれで気が付いたんだし」

「一応本物だしね。少しくらいは世界に影響を与えるわよ。て言うかよく気付いたわね、こんな小さな歪み。むしろそっちのが驚きよ」

「それじゃこれ、本当に意味無いのか?」

「無意味ってこた無いわよ。そうね……」

 

 遠坂は少し考えると、いたずらっぽく笑ってこう言った。

 

「同じ物を百枚くらい、正しい法則で並べてやれば、紙で割り箸を折るくらいの強化なら出来るかもね?」

 

 

 

 

「あなた、何をしているの?」

「へ?」

 

 その男は、私の声に間抜けな声を上げて振り返った。

 おそらくは私と同年代の少年。それが駅の壁に手を伸ばしている。

 私は彼に、少しきつめの声を出す。

 

「へ?ではないでしょう。いい年していたずらなんて、恥ずかしいと思わないの?」

「ああいや、すんません……」

 

 手のひらを上に向けて差し出すと、男はばつの悪そうな顔で謝り、存外素直に持っていた物を渡してきた。

 渡されたのは、小さな紙切れ。

 白いコピー紙に、文字とも模様ともつかない印が描かれている。セロハンテープが付いているので、これで壁に貼り付けるつもりだったのだろう。

 

「……何、これ?」

「いや、なんか友達に頼まれて」

「友達?」

「ええ、そいつも別の誰かに頼まれたらしいんですけど。意味はわかんないけど、こんくらいならやってあげても良いかなって」

「良いわけないでしょう。こういう場所に勝手に貼り紙をするのは法令違反よ。そのくらい考えれば……」

「ああいやすんません!その通りです!もうしませんからカンベンしてください!」

「……もういいわ。行きなさい」

 

 男は小走りで逃げていった。私はそれを見送ってから首を廻らして人を探す。

 目当ての相手はすぐに見付かった。というか彼はひどく目立つために見失う方が難しいのだが。

 

「些事は済んだか、雪乃」

 

 歩み寄った私に、私のサーヴァントはそう声をかけてきた。

 彼は他のサーヴァントと違って霊体化ができないらしく、目立って仕方がない。ちなみに当たり前だが鎧姿ではない。

 私は男から取り上げた紙片を彼に見せて訊ねる。

 

「ギルガメッシュ、これが何か解る?」

「ふむ……?」

 

 ギルガメッシュは小さく首を捻る。

 

「同じ物を他にも見かけたわ。ただの偶然とは思えないのだけど」

 

 私の言葉にギルガメッシュは辺りを見回すと、「なるほど」と愉快気に呟いた。

 

「どこの誰かは知らんが、中々面白いことを考える」

「……何か分かったの?」

「ああ。(オレ)の嗜好とは真逆だが、ここまで徹底すれば感心できんこともない。動きがあるとすれば今夜か?」

「動き?」

「物見に行くのも悪くないかもしれんな。まあ、采配は貴様が振るえ。行きたいと言うなら案内くらいはしてやろう」

「あ、ちょっと!?」

 

 言うだけ言って、しかし説明はろくにしないままギルガメッシュは歩き出す。

 付き合いは僅かな時間だが、この男はいつもこうだ。始めは思わせ振りなことを言っているだけかとも思ったが、明確なことを言った時には尽く的中している。

 つまりこの男は、頭の良さが異常なのだ。

 頭だけではない。力も、器も、何もかもが規格外だ。そしてそれを他人のために使うつもりが微塵も無い。

 

 

(私は、本当にこの男を使えるの……?)

 

 

 心によぎる暗い陰。

 それは私にとってはひどく慣れ親しんだものだった。私は幼い頃からその陰の中で生きてきた。

 

 昔はあの人の。

 最近は、彼の陰の中で。

 

 頭を振って妄念を振り払い、ギルガメッシュの背中を追いかける。

 そう。追いかけて、そして追い付いてみせる。

 

 そのために、私は戦うことにしたのだから。



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56話

 深夜、俺と遠坂はそれぞれのサーヴァントと共に、ある相手と会うために歩いていた。

 この冬木も近代化が進んできたとは言え、まだまだ都会と呼ぶには及ばない。加えて最近は通り魔事件やら謎の意識障害やらが頻発していて、このくらいの時間になると人通りはほぼ完全に無くなる。

 そんな人気の無い海浜公園。

 時期が時期だけに虫の音すらもしないそこに、その二人は立っていた。

 

「時間ピッタリだな」

「こういうのは早くても遅くてもNG。当然でしょ」

 

 その二人の片割れ、男の方の言葉に遠坂が強気な笑みで応える。

 待ち合わせの相手である男女。彼等はキャスターのサーヴァントとそのマスターだ。

 遠坂の話では男の方がマスターだったはず。その前情報の通り、女の格好はフードの付いた闇色のローブという、いかにも魔術師然とした出で立ちだった。

 対して黒いジーンズに黒いジャケットという、色以外はごく普通の格好をした男ーー比企谷という名だったはずだーーが口を開く。

 

「んじゃ、早速だが話を聞かせてくれ。雪ノ下の姿を見たってのはマジなのか?」

「ええ。もっともわたしが直接見たわけじゃないんだけどね」

「目撃者がいる?」

「そ。ただ、そいつの話をする前……に!」

 

 遠坂が言葉を切ると同時、魔力が白い光となって地面を迸る。間を置かずに薄明かるい光の壁が立ち上ぼり周囲を取り囲んだ。

 

「遠坂!?」

 

 俺は慌てて叫んだ。

 これは遠坂が昼間細工を施したキャスターの結界だ。範囲をこちらの有利なフィールドに絞り、こちらの意思で起動できるようにしておいたのだ。

 確かに相手が敵対的な素振りを見せればすぐにでも使うつもりだったし、そうなる可能性は高いと予想していた。しかしこれではこっちの方が宣戦布告しているようなものではないか。事実、比企谷は表情を消して暗い眼差しを向けている。

 

「何の真似だ?」

「そっちがそれを言う?」

 

 遠坂が答えると同時、突然アーチャーが腕を振るった。アーチャーがいつの間にか持っていた短剣が、視認すら困難な速度で飛ぶ。短剣は真っ直ぐに比企谷に向かいーー突き刺さる直前で動きを止めた。

 アーチャーの攻撃はキャスターが防いだ。投げつけられた短剣を『手で掴んで』。

 それを見た遠坂が不機嫌に言い放った。

 

「それのどこがキャスターなわけ?」

「……バレてたか」

 

 比企谷が苦笑いを浮かべる。キャスターが短剣を握り潰しすと同時、まるでノイズがかかったようにローブ姿が揺らぎ、スーツの女性に切り替わる。

 見覚えの無い相手だった。しかし俺たちには、その女性について心当たりがある。

 

「ランサーのマスター……!」

「そこまで知ってんのか。やっぱ敵だな、お前ら」

 

 比企谷はあっさり認めると後ろに退がった。同時に、確かバゼットという名だったはずのランサーのマスターが、比企谷を守るように前に出る。

 どうやらと言うべきか、それともやはりと言うべきか、キャスターとランサーは共闘していたらしい。となると件の黄金のサーヴァントも、やはり奴らの仲間なのだろう。

 

「お前ら、一体何を企んでる……!」

「んなもん聞かれて答える奴が居るか」

「大人しく答えた方が身のためよ」

 

 言い捨てる比企谷に、遠坂が感情を殺した声で忠告した。

 

「結界は範囲を絞った分だけ強度が増してるわ。あんたらのお仲間がどのくらいの力を持ってるのかは知らないけど、そうそう簡単に破れる代物じゃないはずよ」

 

 遠坂の指摘に比企谷の瞼がピクリと動いた。

 

「そっちは逃げることも援軍を呼ぶこともできない。仮に令呪を使ってサーヴァントを呼んだところで地形の分だけこちらが有利。あんた達に勝ち目なんて無いわ」

 

 わずかに戸惑うような素振りを見せた比企谷に、遠坂は告げる。

 

「ま、わたし達も鬼じゃないわ。この場で戦力を放棄するなら痛い思いはしなくて済むわよ。十秒あげるからどうするか決めなさい」

「……参ったな」

 

 比企谷は頭の後ろをボリボリと掻くと、小さく何事かを呟く。

 

「どうも嵌められたっぽいな。かと言って話し合いが通じる雰囲気でもないし、結局やり合うしかねえか……」

「……最後だけ聞こえたけど、要するに降参は無しって意味よね?」

 

 ボソボソとした声でよく聞こえなかったけど、確かにそう言った。俺は無駄かもしれないと思いつつ、もう一度比企谷に降参を促す。

 

「大人しく降参しろ。どんな仕掛けを仕込んでいたのか知らないけど、キャスターの結界を逆利用された時点で計画通りには行かないだろ」

「忠告ありがとよ。心配してくれなくてもここで戦うのは予定通りなんだ。予想とはちょっと違ったがな」

「は?」

 

 軽い調子の比企谷の返事に、つい間抜けな声が漏れる。予定通りだって?

 比企谷が右手を持ち上げ指を鳴らす。すると遠坂が起動した結界に重なるように、光の壁がもう一枚立ち上った。

 

「結界がもう一つ!?」

「お前らが見付けたのはデコイのつもりだったんだよ。解除されるもんだと思ってたんだけどな」

 

 それじゃあ本当にここで戦うつもりだったのか?伏兵は?アーチャー対策は?

 この場所は公園内の川沿いの通路が広くなっただけの、ちょっとした広場でしかない。

 置いてあるのはベンチが四つに自動販売機、それとくずかごのみ。すぐ横の森は結界の外だ。

 別に正確に区切ったわけでもないため少しは森を取り込んでしまっているが、それでも結界内にあるのは数本の木々と僅かな茂みのみ。人が身を隠すことは出来なくもないが、セイバーとアーチャーの目を欺くのは不可能だろう。

 

「アーチャー!セイバー!」

 

 いきなり遠坂が叫ぶ。それと同時に二人のサーヴァントが動いた。セイバーが正面から突っ込み、アーチャーは側面に回り込む。

 そうだ。相手が何を企んでいようと、今目の前にいるのはマスターであり人間でしかない。力付くで倒してしまえばそれで終わりだ。まずはとにかく無力化する……!

 

「覚悟!」

「させません」

 

 セイバーの進行をふさぐ形でバゼットが飛び出す。二人は衝突、する間際の数瞬に攻防を繰り広げ、やがてセイバーが弾き飛ばされた。

 

「チィッ!」

「セイバー!?」

 

 信じられない、セイバーが押し負けた。正面対決、それも相手は片手でだ。ランサーのマスターが強力だとは聞いていたがこれほどとは……!

 元の位置、俺の隣にまで押し戻されたセイバーを見ると、セイバーにはダメージを受けた様子は無かった。

 一方押し勝ったはずのバゼットは、目に見える怪我こそ無いものの額に汗を滲ませている。

 セイバーが負けたようにも思えたが、内実は逆だったらしい。心配はなさそうだ。

 それから僅かに遅れてアーチャーが矢を射った。

 標的は比企谷。角度からしてバゼットは手出し出来ない。それが無くても余力はなさそうだったが。

 

 アーチャーの矢は真っ直ぐに比企谷目掛けて飛びーー比企谷の拳によって叩き落とされた。

 

「何!?」

「はぁっ!?」

 

 アーチャーと遠坂から驚愕の声が飛ぶ。

 無理もない。バゼットについては既に遠坂から「サーヴァント並みの戦闘力を持つ魔術師」と聞いていた。だからその力を実際に目の当たりにしても、驚きこそすれ動揺はせずに済んだ。

 しかし比企谷は違う。

 事前の調べでも、また、遠坂とアーチャーが実際に会話して感じた気配でも、間違いなくただの素人だったはずだ。

 仮に、実は何かの格闘技の達人だったとしても、サーヴァントの攻撃など防げるはずがない。

 

「さて……と」

 

 比企谷が小さく呟く。それと同時、

 

 

 ポッ

 

 

 どこかから、そんな小さな音が聞こえた気がした。

 しかし当然ながらそんなことを気にしている場合ではない。比企谷がゆらりと左足を踏み出しながら口を開いた。

 

 

「お前ら、黒神ファントムって知ってる?」

 

 

 そんな言葉と、パァン!という破裂音を残して。

 

 比企谷が消えた。

 

 

 

 

「塵も積もれば、だったか」

「え?」

 

 前を歩くギルガメッシュが、突然そんな呟きを漏らした。

 

「この国にはそんな諺があったであろう。雪乃よ、貴様はこの言葉をどう思う?」

 

 いきなりどういうつもりなのだろうか。相変わらずこの男の考えは読めない。

 

「……嫌いではないわ。努力を積み重ねればいずれは高みに至る。良い言葉でしょう」

「ふむ、小物らしい考えだな。己に無い発想というのはそれだけで面白い」

 

 訝しみながらも答えると、まるで意外な答えをを聞いたかのようなリアクションを取る。……どうしてここまで自然に他人を見下せるのかしら。どういう育ち方をしてきたのか、逆に興味が湧くわね。

 ギルガメッシュは尚も続ける。どこか機嫌良さそうに見えるのは気のせいだろうか?

 

「よいか、雪乃。塵などという物は、風が吹けば飛び、獣が通れば飛び、虫が這いずれば飛ぶ。その矮小さ故に誰にも気付かれること無く降り積もることもあるが、それも人目に付く程に溜まれば誰かが簡単に片付けるだろう。分かるか?塵が山になるようなことは決して有り得んのだ」

 

 ギルガメッシュの言に私は黙る。黙るしかなかった。

 彼の言葉には、いつでもどこか重みがある。例え誰にでも言えるようなことであっても、彼の口から語られるとそれだけで強い力を帯びるのだ。

 が、今回はそれは関係無い。

 私はつい認めさせられてしまったのだ。彼の言葉が事実であることを。

 弱い人間が努力しても強くなることは出来ない。私はそれをずっと見てきたのだから。

 弱者が弱いのには様々な理由がある。しかし最大の要因は、きっとその心にある。

 心が弱いから努力しても強くなれない。否、心が弱い者は努力出来ない。努力しようという発想自体が浮かばない。そして努力する者を見付けると、それを自分と同じ弱さに引き摺り落とそうとする。

 みんな弱い。だから自分も弱くて良い。そう思い込むために。

 まったくもって吐血が出る。だけど世の中には、そんな人間ばかりが溢れかえっているのが現実なのだ。

 

「しかしだ」

 

 その逆説の接続語に、いつの間にか下を向いていた視線を持ち上げる。

 

「にも拘らず、稀にではあるが、塵を積み上げて山を産み出す者というのも確かに存在する。部分々々で見ればありふれたものでしかないというのに、全体を見れば他に二つと無い異様を持つ。なんとも珍妙よな」

 

 そう、自分自身の言葉を否定すると、黄金のサーヴァントは思わず身震いするような笑みを浮かべた。

 

 

「さて、今宵はどのような劇を楽しめるか……。クク、失望させてくれるなよ?」

 

 

 

 

 何が起きたのか解らなかった。現象だけをそのまま列記するならこうだ。

 

 まず、10メートルほど離れた場所に居た比企谷の姿が掻き消えた。

 同時に隣、俺と遠坂の間に居たセイバーの姿が消え、代わりに右拳を降り下ろしたような格好の比企谷が現れた。

 背後でメキメキと樹木が倒れるような音、そしてそれなりの重量と体積を持った何かが地面を打つ音が聞こえた。

 比企谷が僅かに身を屈め、力を溜めるように両腕を引き寄せた。

 いつの間にか戻っていたアーチャーが、遠坂を抱えて飛び退いた。

 そして俺も、反射的に身を伏せた。

 

 比企谷が左右の俺達に向けて双腕を振るう。

 断言するが当たってない。掠りすらしていない。にも拘らず俺の身体は浮き上がり、風圧だけで数メートルも弾き飛ばされる。

 どうにか受け身を取って遠坂の姿を確認すると、特にダメージを負った様子は無かった。アーチャーが上手く庇ったらしい。

 俺は殴り飛ばされ木に叩き付けられたセイバーの方に向かーー

 

「うおぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 ーーおうとして、突然横合いから飛び出してきた金髪の男に押し倒された。どこから!?ていうか誰だコイツ!?

 

「比企谷、急げ!」

 

 その金髪が比企谷に向けて叫ぶ。何者かは分からないが、どうやら敵らしい。

 

「くそっ!」

 

 背中に乗られ腕をガッチリと極められてしまった。どうにか脱け出そうと身を捩るが、凄まじい力で押さえつけられビクともしない。というか普通の力ではない。おそらく魔術で強化されてる。

 ならばと対抗するために魔力を精製しようとした、その時だった。

 

 

 ポッ

 

 

 またしてもそんな音が耳を突いた。

 顔を持ち上げ、気付く。

 

(なんだ……!?)

 

 公園のあちこちに小さな光が灯っている。十や二十ではきかない、蒼白い、蛍のようなか細い火が、視界の至るところで揺らめいている。

 

 

 ポッ

 

 

 今度の音は、俺の顔のすぐ横で聞こえた。

 視線を向けるとそこには蒼白い火。いや、火に見えるが熱は感じない。これは魔力の光だ。そしてそれを放っているのは小さな紙片。

 

「これ、昼間の……!?」

 

 そう、俺達が無意味と放置した魔術文字。それが炎のような魔力を放っていた。

 

 

 

 

「間抜けが!」

 

 何も無い空間から突然現れた金髪の男に、あっさりと組伏せられた衛宮士郎に悪態を漏らす。

 ただの八つ当たりだとは自覚しているが、あの小僧のことになるとどうしても怒りが込み上げてしまう。

 ともかく一つでも手数を増やそうと、衛宮士郎を押さえている男に矢を放つ。そしてそれは、半分の距離も飛ぶことなく停止した。

 

「私のことを忘れてもらっては困ります」

 

 ランサーのマスターは、掴んだ矢を親指でへし折ってから身構える。

 

「凛、下がれ!」

 

 叫ぶと同時、数メートルはあった間合いを瞬時に潰される。咄嗟に投影した干将と莫耶でその拳を受け止めるが、力負けして後ろに弾かれる。さらに投影した双剣はあっさりと砕けてしまった。

 もっとも、私の武器は基本使い捨てだ。失ったところでマイナスにはならない。引き換えに距離を稼げたならば上等とも言える。

 

「大した力だな。本当に人間か、貴様?」

「貴方は弓の英霊だけあって、セイバーほど接近戦を得意としていないようですね」

「狭いフィールドはこのためか」

 

 なるほど、戦いに十分な広さと言ってもこの程度では、この敵を相手に距離を取ることは難しい。

 ランサーのマスターは、首をコキリと鳴らすと再び拳を構えた。

 

「安心しました。この程度であれば、片手でもなんとかなりそうです」

 

 ……確かに私は接近戦を得手としているわけではない。ついでに言えば、誇りや矜持などというものも持ち合わせてはいない。

 だが、それでもこのような物言いに何も感じぬわけではない。

 よかろう。その安い挑発に乗ってやる。

 そう心を決めて、再び双剣を産み出す。

 どのみちこの女は倒さねばならん。セイバーがあの男の相手をしている今、それが可能なのは私だけだ。

 

 

「これでも英雄などと呼ばれた男だ。あまり舐めてくれるなよ、魔術師(メイガス)……!」

 

 

 

 

「で、わたしの相手はあなたってわけね?」

 

 そう言うと同時に、背後からゴボリという音が聞こえた。振り向くと川面からローブ姿の少女ーー今度こそ本物のキャスターが姿を現した。

 彼女は今の今まで川の中に居たというのに、髪の一筋すらも濡れてない。

 

「水中に潜んで……いえ、水中を移動してきたのね?」

「ええ、地上で四人分の目を欺いて身を隠すのは苦労しそうでしたから。夜の闇も、川の水も、立派な遮蔽物よ」

 

 結界はそれなりに広さがある。戦闘行為に支障をきたさない程度には。よって川縁のこの広場を中心にしている以上、範囲内の三割程は川になってしまう。キャスターはそのどこかに潜んでいたのだ。

 おそらくあの金髪もキャスターと共に居たのだろう。あの男を水中から衛宮くんの近くに送り届けて、本人はわたしの足止めにきた。

 キャスターの隠行は高精度だ。いくらアーチャーとセイバーでも、そう簡単には水中の彼女に気が付くのは難しいだろう。

 ともあれ呑気にお喋りしていられる状況ではない。わたしは既に握りこんでいた三つの宝石を投げ付けた。

 宝石が魔力の輝きと共に弾け川の水を凍り付かせる。同時に爆発が起こり、さらにそれを暴風が巻き込んで紅蓮の竜巻に変容する。

 

「ダメージくらいは通ってくれてるといいけど……」

 

 その呟きが終わるかどうかのところで悪寒が走る。とっさに身を投げ出すと、足下から伸びた何かがそれまで立っていた空間を貫いた。

 

(影の刃……!)

 

 わたしが居た辺りまで伸びていたベンチの影から黒い刃が飛び出ている。その刃が影に引っ込むと、入れ替わるように人影が競り上がってきた。

 影から現れたキャスターには、やはりダメージは感じられなかった。

 

「複数の属性を同時に操るなんて、中々の腕前ね。どう?貴女が望むなら弟子にしてあげても良いわよ?」

「ジョーダン!あんたみたいな危ない女の側に居たら、いつ薬の材料にされるか気が気じゃないわ!」

「気が合うわね。私ももう少し無能な弟子でなければ、安心して眠れないわ!」

 

 セリフと同時にキャスターが複数の黒い炎弾を産み出す。

 わたしは照準から逃れるため、全力で走り出した。足下に次々着弾するがスピードを緩めることなく駆け抜ける。

 

「弱体化してるとはいえ、人間の魔術師が魔術師の英霊に敵うものか!」

「チィッ!」

 

 最後の炎弾を躱わした先を、突如落雷が穿つ。それを身を捻って無理矢理回避し、崩れたバランスを側転で立て直す。そのままさらに数回、アクロバットに回転して跳躍し、空中から宝石を撒き散らす。

 

「っ!」

 

 宝石は一斉に弾けて激しい閃光を撒き散らした。それで目を眩ました隙に、近くにあった自販機の陰に転がり込んで息を整える。

 

(さすがにキャスターね。魔術の撃ち合いじゃ勝負にならない……!)

 

 精度、強度、速度。そのどれもが平均を遥かに上回っている。これで弱体化しているというのだから驚嘆する以外にない。

 

(とはいえ、弱点が無いわけじゃない。神代の魔術師には無くて、現代の魔術師にはあるもの。それなら……!)

 

 キャスターは魔術のエキスパートだ。魔術で彼女を上回るのはおそらく不可能だろう。

 しかし見たところ、身体の使い方はまるでなっていない。

 体術に関しては完全に素人なのだろう。接近戦に持ち込めば案外簡単に倒せるかもしれない。

 そこまで思考をまとめたところで足下に影が射した。身を投げ出すと同時、背中を預けていた自販機が爆散する。

 

「よく動くこと。魔術師のくせに」

 

 撒き散らされた缶ジュースを踏み潰し、余裕たっぷりに歩を進めるキャスターに、立ち上がりながら言い放つ。

 

「まあね。今の時代は魔術師も身体使ってなんぼよ。幸いあなたの吸精結界も大した力は無いみたいだし」

「あら、気付いてたの?」

「そりゃあ、ね。つい最近似たような結界に取り込まれたところだし」

 

 公園のあちこちで蒼い火をあげる基点。それに僅かだが力が抜けていく感覚。

 これはキャスターの結界魔術。魔力を吸い上げて自身に還元する、ライダーの鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)と同種のものだ。もっとも……

 

「あっちに比べて、威力の方はカスみたいなものだけどね」

 

 敵を弱体化させて、その分だけ自分を強化する。戦闘において極めて強力な効果と言える。

 しかし肝心の吸収量が非常に小さい。これでは相手がただの子供であっても、吸い殺すのに一時間以上かかるだろう。

 むろん、戦闘行動に支障をきたすことも無ければ、強化のレベルもたかが知れている。人間を瞬時に昏倒させていたライダーの結界とは比べるべくもない。

 

(この挑発でちょっとでも集中を乱してくれれば良いけど……)

 

 特に期待することもなくそう思う。が、返ってきたのはやや予想外の言葉だった。

 

「そうね、出力の方は大分絞ってあるわ。私のマスターは無駄に優しいから」

「は?」

 

 出力を絞った?

 優しい?

 

 わたしはこの結界を『敵の戦力を削ぎ、同時に味方の戦力を高めるため』の物だと思っていた。

 しかしそれなら威力を弱める意味など無い。しかも元から戦うつもりだったというのに優しいも何もないだろう。

 

 キャスターは余裕のためか、仕掛けてくる様子は無い。

 それならばと、状況の把握に努めようとしてーー不意に気付いた。

 

 

(……影?)

 

 

 そう、影だ。キャスターの足下から影が伸びている。

 なんということもない、ごく普通の影。

 先ほどのように影を用いた魔術を使用した気配もなく、ただ光源に合わせて揺らいでいるだけだ。

 

 光源。

 

(何が、光っている……?)

 

 今は深夜だ。外灯くらいはあるものの、こんなハッキリと影ができるほど明るい代物ではない。なら一体何が……?

 キャスターを視界から外さぬように、慎重に視界をずらす。その先には、

 

 

「ちょ……何、それ……!?」

 

 

 キャスターへの警戒も忘れて、思わず声を漏らす。

 顔を向けた先では比企谷が、その身体から蒼い炎を、否、炎のような魔力を、

 

 

 物理的に発光するほどの莫大な魔力を吹き上げていた。

 

 

 

 

「『冥精の寝所(ランパード・ニンフォメア)』、とか言ってたっけな。まあ、ぶっちゃけ名前とかどうでもいいんだけど」

 

 独り言のように呟く男に向けて、目の前の倒木を蹴り出す。

 大した太さではないとはいえ、五メートルほども長さのある樹が男へと飛びーー男はそれを左の裏拳で、蝿でも払うように凪ぎ払った。

 一抱えほどの生木が、二つにへし折れて吹き飛んでいく。

 明らかに人間離れした怪力を振るうその男は、全身から蒼い炎を、いや、炎のようにも見える魔力の輝きを吹き上げていた。

 

「……この結界のことか。街に敷いてあったのと同じ物だな?」

「そ。今使ってるのは今夜のために特注した特大品だけどな。ちなみに結界の規模は冬木市全域。160万の住人が俺の味方だ」

「それでかき集めた魔力を自身の強化に宛てているのだな」

「ああ。こっちは凡人なんでな、数に頼らせてもらう。卑怯とか言うなよ、強大な敵に対抗するために力を合わせるのは王道だろ?冬木のみんな、オラに力を分けてくれ、ってな」

 

 卑怯、か。確かにそうだな。

 無関係の人間を多数巻き込み魔力を奪い、策を弄して敵の隙を突く。しかもそのための業も他人任せ。

 策を弄して戦う者は覚悟に欠ける。

 彼らの戦術は有効かつ合理的だが、自らが傷付かぬことを前提に組み上げられるため、戦士の気概を持つ者からはむしろ嫌われることも多い。

 この比企谷という男もそうした手合いなのだろう。現に先ほども、倒れた私に追撃することもなく、己れの策を自慢気に語っていた。

 この男は、軽蔑すべき卑怯者だ。

 

 

(などと、思い込まされていたかもしれんな)

 

 

 策士には覚悟が足りない。しかし稀にではあるが、策士でありながら戦士の魂を持つ者も存在する。この男はそれだ。

 追撃はしなかったのではない。出来なかったのだ。

 立ち方で巧妙に誤魔化しているが右の拳、そして足首が砕けている。

 当たり前だ。

 先ほどの一撃、信じがたいがパワー・スピード共に、バーサーカーのそれを上回っていた。そんな出力に人間の身体が耐えられるはずがない。

 それだけではない。音の壁を越えた際の衝撃波のせいだろう、服はズタズタで皮膚もあちこち裂けている。

 また、皮膚が所々黒く変色している。体内で渦巻く魔力が強すぎて内出血を起こしているのだ。

 それだけの怪我を負って尚、この男は涼しい顔をして汗一つ流していない。

 無論のことそれは、私に自分の状態を知らせないためだ。しかし当然ながら実行できるかは別の問題である。

 

 ならば、一体どうやって?

 

 魔術で痛覚を遮断しているのか?それなら自分の怪我に気付くことなく戦い続けるだろう。

 では痛みを恐れる心の方を凍らせているのか?同じことだ。それなら怪我を庇ったりはしない。

 ならば一体何故なのか。

 それは、簡単にして単純な答え。

 この男はそれらの激痛を、ただ精神力のみで抑え込んでいるのだ。

 

 力も速さも敵が上。しかし戦いにならないほどの差は無い。そして男の動きは素人のそれだった。

 おそらく百度戦えば百度とも私が勝つだろう。それほどに技量に差がある。が……

 

 

(気を抜けば、食われる……!)

 

 

 これはそういう敵だ。

 強化の中には再生能力も含まれるらしく、裂傷が見る間に塞がっていく。砕けた拳も再生が終わったのか、具合を確かめるように二度ほど開閉してから口を開いた。

 

「お前ら悪い奴らじゃなさそうだし、俺も一応気を付けるけどよ……手加減できるほど余裕あるわけじゃねえんだ。悪いが死なねえように頑張ってくれ」

 

 まるで野生の獣のごとき気迫はみなぎらせて、比企谷が吠える。

 

 

 

「160万対1だ!勝てるもんなら勝ってみろよ、英雄様!」

 




オリ宝具解説

名称:冥精の寝所《ランパード・ニンフォメア》
レンジ:結界内
最大捕捉:結界内に納まる限り
ランク:D

 補足
 キャスターが魔力収集に用いた結界魔方陣。
 方円の内側に魔術文字を並べるタイプのスタンダードな魔方陣で、結界内の生物から魔力を吸い上げて術者、若しくは指定した者に還元する。
 ライダーの鮮血神殿と効果はまったく同じだがその出力は大きく劣り、通行遮断の効果も無い完全な下位互換。
 あくまでも基礎的な魔術を組み合わせた物であって、正しい知識さえあれば誰にでも使える、本来は宝具と呼ぶことも憚られるような物でしかない。

 魔方陣型の結界魔術は、それを構成する全てが意味を持つ。
 方円の形、大きさ。使用する魔術文字の種類、数、配列、方角。染料の色、材料。その他様々な要素を組み合わせ、互いが互いを補強しながら陣の効果を高めている。
 逆に言えば、効率さえ考えなければ適当に魔術文字を並べただけでも魔方陣は成り立つ。比企谷八幡はそこに目を着けた。
 最低限必要な魔術文字をメールで送信し、他人を使って街中に配置する。やったことはそれだけである。効率が落ちる分を数と規模で補ったのだ。これによって冬木市をまるごと覆う、極大の結界が完成した。
 尚、配置された基点は9000以上。これは比企谷八幡の想定の三倍を超える数値で、葉山隼人の人脈あっての数である。

 結界は起動さえできれば出力は一定となる。そのため魔力の収集量は規模に依存する。
 基点の数は出力ではなく稼働時間に影響する。
 基点から魔力が漏れるのは、魔力が通過する際にコピー紙がその負荷に耐えられないためである。
 吹き出る光は熱を持たないが、基点は負荷に伴い焼けたように劣化していく。完全に焼け落ちれば、当然その効果を失う。
 基点は門、あるいは導線の役目をするため、その数を増すほどに一つ当たりの負荷が軽減され、結果的に稼働時間が伸びることになる。
 比企谷八幡の想定した数では、稼働時間は最大で数分の計算だったが、実際の数では十数分にまで引き伸ばされている。

 尚、基点はごく普通のコピー紙であり、設置場所も基本的に屋外であるため、雨どころか霜が降りただけで瓦解する。


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57話

 キュボッ!

 

 そんな音を立てて拳が空間を切り裂く。

 マンガなんかでは結構よく見る効果音だが、まさか現実で聞く日が来ようとは思ってもいなかった。しかもだ。その音を立てているのは、こともあろうに俺の拳だったりする。

 俺は胸の前で腕を畳んだ状態、見よう見真似のボクシングスタイルから最小の動作で拳を突き出す。いわゆるジャブというやつだ。

 音速を超え、空気摩擦で焼け焦げる拳は、衝撃波で皮膚が裂けて血と嫌な臭いを撒き散らす。

 その目視すら不可能なはずの攻撃を、しかし少女はあっさりと躱わしてみせた。

 

 白銀の甲冑を纏った金髪の美少女。

 葉山や戸部のような染めたものとは明らかに違う、夜闇の中でもなお輝くブロンドに、可憐ながらも凛々しさが勝る表情で不可視の剣を構えた彼女は、人間ではなかった。

 

 サーヴァント。

 伝説に名を残す英雄達。その概念が聖杯によってカタチと意思を得たモノ。

 目の前の少女の正体は分からないが、そのクラスはセイバーだ。

 剣の英霊。英雄中の英雄。

 今の俺はチート級のドーピングによってサーヴァント以上の力を得ている。しかしそれで勝てるなどと考えてはいけない。俺のイメージする英雄とは、自分より強い敵を倒すことに長けた者達のことなのだから。

 俺は鴨川会長のセリフを思い出しながら、ひたすら細かくパンチを重ねる。

 小さく、小さく。隙を作らないように、体幹を崩さないように。

 大振りは要らない。というか当たらない。

 セイバーはほとんど不意討ち気味の最速の初撃をガードしてみせた。単発の攻撃は一切通じないと考えるべきだ。

 加えて今の俺なら小技を当てるだけでも敵を倒し得る。ならばとにかく数を撃つ。

 セイバーも攻撃力の差を理解しているらしく、反撃はせず防御に専念している。途中、明らかな隙を何度か見せたにも関わらずだ。

 

(チッ……!)

 

 心の中で舌打ちする。

 狙いを読まれている。

 まともにやっても勝負にならないのは分かっていた。

 素人である俺が伝説級の戦士であるセイバーに、普通の方法で攻撃を当てることなど出来ない。ならば普通じゃない方法に頼るしかない。

 不意討ちは凌がれた。今可能な手段は限られている。

 すなわち、相討ち狙い。

 今の俺は、攻撃力はもちろん防御力も大幅に上昇している。急所さえ庇えば、無傷とはいかないだろうが一撃で倒されることはない。そしてこちらは一撃当てれば即戦闘不能にすることができる。

 相手に反撃の意図が無いのならと、攻撃の回転を上げる。無論、いつでもカウンターを撃てるように意識しながら。

 とにかく当たりさえすればどうとでもなる。なら手数で圧倒するのが手っ取り早い。

 だというのに。

 

 

(当たらねえ……!)

 

 

 そう、当たらない。まったくもって当たらない。

 身体能力が人外のレベルにまで引き上げられ、秒間十数発という意味不明な数字の攻撃が、機関銃の掃射のごとく空間を引き裂き続ける。

 セイバーはその全てを、躱わし、弾き、いなしていた。それもクロスレンジ、俺の距離でだ。

 セイバーは剣の間合いの内側に潜り込んだ俺を、その場で迎え撃っていた。

 敵からは際限なく攻撃され、自分は手出し出来ないその距離で。

 一歩も退かず。逃げもせず。顔色すら変えずに。ただひたすら、俺の拳を捌き続ける。

 

 

(160万人と、互角にやり合ってんじゃねーよ!バケモンが!)

 

 

 俺は内心で歯噛みしつつ、それでも攻撃を続けた。

 今の俺にできるのは、それだけなのだから。

 

 

 

 

 片膝を着いたスーツの女を見下ろし、告げる。

 

「口ほどにもなかったな、封印指定執行者」

「クッ……!」

 

 悔しげに睨み返してくるその眼差しに、内心で胸を撫で下ろした。

 ああは言ったものの強敵だった。単純に強かった。

 攻撃は速く、重く、読みも当て勘も並外れている。相手の状態が万全であったなら、膝を着いていたのは自分だっただろう。

 人の身でここまで強くなれるものなのかと胸中で舌を巻きながら、止めを刺すために距離を詰める。

 この女は見逃すには危険すぎる。そう判断して足を踏み出した、その時だった。

 

「!」

 

 唐突に左から飛んできた火球を飛び退いて躱わす。

 死角からの攻撃ではあったが気配が丸分かりだ。だから避けるのは簡単だった。しかし、

 

「チィッ……!」

 

 そのために距離が開き、その隙に女は体勢を建て直している。

 火球はキャスターのものだった。流れ弾、ではないだろう。この女へのアシストだ。

 

「仕切り直し、ですね。キャスターには礼をしなければなりませんね」

 

 女はグローブを口で嵌め直しながら言う。

 

「あなたのスピードは覚えました。次は同じようにはいきません」

 

 ハッタリではないのだろう。同じ戦い方はもう通じないはずだ。が、

 

「あれが私の手札の全てだとでも思っているのか?武芸百般は伊達ではないぞ」

 

 今までの手が通じないなら別の手を使えば良い。そもそもの話、常に手管を変えながら戦うのが私のスタイルだ。

 これはむしろこちらの土俵とも言える。こういう相手と渡り合うために、広く浅くを修めたのだから。

 

 次の手、そのさらに次の手をイメージしつつ、私は新たに双剣を投影した。

 

 

 

 

「くそっ!」

 

 ジタバタと暴れる金髪を組伏せ、自分の上着で後ろ手に縛り上げる。その上着に魔力を流し込んで強化する。これで簡単には動けないはずだ。

 身体強化の影響で力は凄まじかったが、動きそのものは完全に素人だった。ケンカ慣れしてる様子も無く、おかげでどうにか逆転できた。

 相手が起き上がれないのを確認してから注意をセイバーの方に向ける。

 

「セイバー!」

「こちらは大丈夫です!私よりもリンの援護を!」

 

 無茶苦茶な速度で攻防を繰り広げながらセイバーが答える。

 その声には油断は無いが、いくらか余裕が感じられた。遠坂の状況を把握出来てるあたり、本当に大丈夫そうだ。

 そう判断して遠坂を探す。あの次元の戦いでは援護のしようが無いというのもあるが。

 遠坂は苦戦していた。

 サーヴァントが相手なのだから当然だ。むしろ苦戦で済ませてしまっているあたり、遠坂の方がデタラメとも言える。

 遠坂はキャスターが次々に繰り出す魔術を避けるのに精一杯のようだ。時々思い出したように宝石を投げつけているが、キャスターにはまったく通じていない。

 

(ん……?)

 

 キャスターは遠坂の攻撃を、その場を動くことすらなく無効化している。爆発も、雷撃も、猛吹雪も、何一つ効いていない。

 しかし、俺には見えてしまった。遠坂の投げた三つの宝石。それが爆発した時、その内一つだけ何も起こらずに地面に落ちたのを。

 暗がりで良く見えないが、目を凝らせばキャスターの足下にはいくつかの宝石が転がっているのが見える。

 不発ではない。遠坂は何かを狙っている。派手な攻撃が多いのはこれに気付かせないためか!

 

 一瞬、遠坂と目が合う。

 手伝え。そう言われた気がした。もちろん異論など無い。

 遠坂の仕込みがどういうものかは分からないが、あまり近付くと巻き込まれるかもしれない。

 

強化開始(トレースオン)……!」

 

 俺は持ってきていた木刀と、足元から拾い上げた木の枝に魔力を流し込み、その形状を変化させる。魔術は未だに上手く使えないけれど、道具を創る術に関してならば成功率はそれなりに高い。

 弓と矢に変じたそれらを構え、キャスターの背に照準を合わせる。

 キャスターがうるさそうに右手を振ると、俺の放った矢が見えない力ではたき落とされた。当たり前だがキャスターにダメージは無い。

 しかしそれで十分だった。

 キャスターの意識がほんの少しだけ俺に向き、視線が一瞬だけ遠坂から逸れる。その一瞬に、遠坂はキャスターに向かって駆け出す。

 キャスターが視線を戻し、遠坂を迎え撃とうとしたその時、キャスターの足下で閃光が炸裂した。その光にキャスターが怯んだ隙に、遠坂は懐まで潜り込んでいる。

 

「しまっ……!」

「遅い!」

 

 遠坂の双掌打がキャスターの腹部にめり込む。息が詰まって浮いた顎を左肩でカチ上げ、体ごと旋回させて遠心力を乗せた右肘がこめかみを抉る。さらにその勢いを利用して全体重を乗せた後ろ回し蹴りを叩き込んだ。

 

「うっわぁ……」

 

 流れるように流麗、かつ凶悪な連続技に、思わずそんな声が漏れる。

 人間なら下手すりゃ死んでる。比喩では無しに。そのくらい見事な攻撃だった。

 事実、キャスターもダメージは大きかったらしく、どうにか起き上がろうとしているものの足元がおぼついていない。それでも無理矢理に立ち上がろうとして、結局成せずに膝から崩れ落ちる。

 

「魔術師が……格闘戦なんて……!」

「言ったはずよ。現代の魔術師は身体使ってなんぼだって」

「おのれ……!」

 

 キャスターが膝を着いたまま手を伸ばす。それを、遠坂のガンドが撃ち抜いた。

 

「ぐっ……!」

「ムダよ。もうあなたに魔術を使う隙は与えないわ」

 

 遠坂はいつでもガンドを撃てるようにキャスターに指を突き付けたまま、ジリジリと間合いを詰める。

 敵はサーヴァントだ。どれだけ優位に立っていようと油断して良い相手ではない。

 あと一歩。それだけ踏み込めめば止めの一撃を入れられる。

 遠坂はその最後の一歩を踏み出しーー

 

 

 

「比企谷、急げ!」

 

 

 

 背後からいきなり響いた大声に、遠坂が一瞬硬直する。

 

「っ!」

 

 その一瞬にキャスターが左腕を振るい、遠坂はそれを避けて大きく飛び退いた。

 キャスターの左手には、奇妙に曲がりくねった短剣が握られている。あれはーー

 

「遠坂!あれ、宝具だ!」

「でしょうね。でもそんなに心配要らないわよ。今の今まで持ち出さなかったってことは、敵に当てなきゃ効果を発揮しないタイプの武器ってこと。なら、当たらなきゃ良いだけよ」

 

 遠坂は余裕を見せつつも油断なく構える。

 キャスターも肩で息をしながら短剣を構えるーーが、正直隙だらけだった。はっきり言って、格闘戦で遠坂の相手になるとは思えない。

 魔力が尽きて魔術を使えなくなったのか。それとも宝具を出したことでそれに固執してしまっているのか。

 どちらか、またはそれ以外の理由なのかは分からないが、キャスターは魔術を使う気配が無い。これはチャンスだ。

 視界から二人を外さないようにしながら、公園のあちこちで蒼白い火を放つ魔術文字をみる。

 基点は既に三分の二ほどが焼け焦げ、残りも時を待たずして燃え尽きるように見えた。

 さっきの声は、俺が動きを封じた金髪の男のものだった。あいつはこの基点を見て焦っているのだろう。例え敵を倒せなくても、あと少し凌ぎ切るだけで形勢は崩れる。

 

 

 そう思った時だった。

 遠坂がキャスターとの間合いを詰め、同時に轟音が鳴り響いた。

 

 

 

 

「息が上がってきているぞ、キャスターのマスター」

「うる…….せえ!」

 

 ヒキガヤという名のその男は、私の言葉にかまうこと無く攻撃を続ける。が、その回転速度は明らかに低下してきていた。

 とはいえ、そのスピードは衰えてなお私を上回っているし、何よりーー

 

(目は、まだ死んでない)

 

 疲れが出始め体幹を保てなくなってきたのか、わずかだが身体が泳ぐことも少なくない。しかしそれでも隙は見せない。

 いや、正しくは隙は見せている。

 間違いなく本物の隙だった。ただしそれは猛毒入りの餌だ。食い付けば命に関わる。

 相討ち。この男の狙いはそれだ。

 どれだけ体勢を崩そうと、必ずある一定のバランスだけは保っている。うかつに手を出せば、能力差に任せた強烈な逆襲がくる。加えてさらにその先に何かを隠している気がする。

 しかしこのまま守りに徹していても、いずれ勝手に自滅するだろう。

 これだけ無茶苦茶なブーストだ。結界がそう長く持つとは思えないし、そうでなくとも人間の身体が耐えられるはずがない。

 

(できればその前に蹴りを着けたいが……)

 

 決着は早い方が良い。

 そうすれば仲間の援護に回れるし、長引けば確率は低いとはいえ間違いが起こる可能性は高まる。何よりも、1人の戦士としてこの男の覚悟には応えたい。

 とは言うものの、反撃の機会が無いことにはどうにもならない。膠着状態を脱したいのは相手も同じだろうがーー

 

 

「比企谷、急げ!」

 

 

 唐突に響いたその声は、ヒキガヤの仲間の金髪の男のものだった。ヒキガヤはそれを聞いて小さく舌打ちする。結界の限界が近いらしい。

 ヒキガヤは落ちていた攻撃の回転を再び上げる。がーー

 

「しまっ……!」

 

 ヒキガヤの口から悔恨の呟きが漏れる。

 ヒキガヤのラッシュの一つ、ほんのわずかに甘く入った一撃を剣で受け、その衝撃を利用して間合いから逃れる。

 追撃はーー無い。ヒキガヤはその場で肩を上下させている。

 私は一度も攻撃していない。にも関わらず、ヒキガヤはボロボロだった。

 体力が底を着いているのはもちろんのこと、自分の攻撃で発生させた衝撃波で服はズタズタ。袖は両方とも破れ落ちていて、持ち上げる力も残っておらずにダラリと垂れた両腕は、内出血で全体が赤黒く染まっている。

 

「ハァ-……!ハァ-……!」

「ここまでだな。投降する気があるなら命までは取らぬと約束しよう」

 

 人の身でサーヴァントとここまで戦ったのだ。それは称賛に価する。恐らくムダだと思いつつも、私は礼儀として投降を呼び掛ける。

 

「……」

 

 ヒキガヤは震えながらも腕を持ち上げ戦いの構えをとった。その瞳からは、闘志は微塵も失われてはいない。

 やはりか。ここで降るような者ならば、私とここまで戦えるはずがない。

 

「そうか。ならばーー勝負!」

 

 私は内心で最高の賛辞を送りつつ、最速で突進する。

 かくなる上は最高の技を以て葬るのみ。この強敵に、戦士としての誇りある最期を!

 ヒキガヤは私の突進に合わせて右足を振り上げ、そのまま地面に叩き付ける。

 

 

 

「ナメん、なァ!」

「!?」

 

 

 

 地面が、割れた。

 ヒキガヤの右足は地面を文字通りに踏み砕いていた。

 ヒキガヤを中心に半径2メートルほどにヒビが入り、アスファルトとタイルが浮き上がる。その反動も凄まじかったらしく、彼の膝から折れた骨が皮膚を突き破っていた。

 自分自身を破壊しながらの大技に、私もさすがに動きを止めざるを得ない。砕けた大地ごと突き上げられ、宙に浮いて身動きの取れない私を、ヒキガヤの眼光が射抜く。

 

 

「だるまさんがァ!」

 

 

 折れた脚を無視して引き絞られた左手。掌底の形をとったその手の平に、文字のような刻印が鈍く輝く。

 

連動式短縮呪文(パッチスペル)か!)

 

 連動式短縮呪文(パッチスペル)とは、予め詠唱しておいた呪文を封印術で圧縮凍結し、簡単なキーワードで解凍することで任意に魔術を発動する技術のことだ。

 先に封印を済ませておけば一言呟くだけで魔術を行使できるようになる。これを利用すれば魔術の素養を持たぬ者でも擬似的に魔術を使うことも可能だろう。

 先の大地を砕いた一撃。当然だが普通に地面を蹴りつけただけでは、どれだけ威力があろうとああはならない。なんらかの魔術が働いていたことになる。あれもこの技術を利用したのだろう。

 こう言うと恐ろしく便利なように思えるが、実は欠点が非常に多く、好んで使う者は滅多にいない。

 その欠点の一つが、一度解放した魔術は封印し直すまで使えなくなる、つまり弾切れを起こすこと。すなわち、

 

(これがこの男の切り札か!)

 

 連動式短縮呪文(パッチスペル)の構造的に次弾はありえない。それを抜きにしても、この勝負所で牽制は無意味だ。

 恐らくこれには、私を一撃で無力化するような術が封じられているはずだ。

 構えを見る限り接触式の術だろう。

 相手に直に触れて直接術を流し込めば、フィールドタイプの防護は意味を成さない。なによりここまで周到に戦いの準備をしてきたこの男のことだ。私に効かない攻撃は用意していないだろう。レジストは当てにするべきではない。

 

 私はヒキガヤに全神経を集中する。

 獲物の分だけリーチではこちらが有利。しかし体勢が崩れてすぐに攻撃には移れない。

 今私は宙に浮かされ、しかも敵に向けて飛んでいる。そして敵はそれを迎え撃つ形で構えている。

 勝負は一瞬。

 私の身体がヒキガヤの間合いに入る。

 

「ころんだァ!」

 

 ヒキガヤの縮められた身体が弾けるように伸び、一本の矢と化す。

 地面と、それを踏み締める左足が砕け、その反動を以て鏃となる掌底を打ち出した。

 これまでで間違いなく最速の攻撃。それが私を捉えるより、ほんの少しだけ早くーー

 

 

「おおぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 

 確かな手応えとともに、私の剣がヒキガヤの胸を貫いた。

 





 用語解説


 連動式短縮呪文《パッチスペル》

 遅延呪文《ディレイスペル》のバリエーションの一つ。
 遅延呪文とは、詠唱の完成から魔術の発動までの時間を遅らせる技術全般を指す。予め設定した時間だけ待機してから発動するタイプと、任意のタイミングで術を解放できるタイプがある。後者の方が技術的に高度。
 時間差によるフェイントに使うこともできるが、より一般的には複数の術の発動タイミングを揃えて一斉射を行うために使われることが多い。
 扱いには高いセンスが要求されるが、使いこなせれば凄まじい効果を発揮する。
 なお、遅延呪文はあくまでも術者が能動的に起動する術式を指すため、効果対象が領域内に踏み込むことで起動する機雷式《マインスペル》や、複数の条件を満たすことで起動する設置罠式《トラップスペル》のような受動起動型は別系統の魔術として扱われる。

 連動式短縮呪文は、予め詠唱した呪文に簡単な封印を施し、キーワードで解放することで任意のタイミングで魔術を発動させる技術である。
 封印の強度にもよるが解封のキーワードは大抵一言で済むため、普通に呪文を詠唱するよりかなり素早く魔術を放てる。が、欠点が非常に多い。
 まず使用する術に加え、封印と解封の術の分も魔力を必要とするため余分にコストがかかる。
 また、先に完成した呪文を封印する構造上、威力の調整や内容の変更が利かない上に、一度切りしか使えない。
 さらに封印できるのは底ランクの魔術のみ。(封印を強化すれば高ランクの術でも可能。しかしそれだと解封に手間がかかってしまい、そもそも使う意味が無くなる)
 これらの欠陥のため、高速詠唱を修得した、いわゆる一流以上と呼ばれる魔術師はまず使うことはない。

 なお、劇中で使用されたキーワード「だるまさんがころんだ」は純粋に比企谷八幡のセンスによって設定されたもの。
 敵の意表を突く、などの理由も無いこともないが、基本的にはただの思い付きである。
 実際に使う段階になってちょっと後悔したのは本人だけの秘密。


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58話

 何が起きた?

 

 目の前の光景が理解出来なかった。

 俺達は深夜の公園でキャスター達と落ち合い、そのまま戦闘になった。

 相手の策に翻弄され、何度か肝を冷やしたけど、それでも戦いを優勢に進めていた。あと一歩で勝利というところまで。

 それなのに。

 

 

 倒れ伏す遠坂とアーチャー。

 膝を着くセイバー。

 そして、令呪の消えた俺の左手。

 

 

 全滅。

 

 そんな二文字が脳裏をよぎる。

 

(なんでだよ……さっきまで間違いなく勝ってたはずだろ!?)

 

 どんなに否定しても現実は変わらない。

 俺は状況を把握しようと、必死に先ほどまでのことを思い出す。

 

 

 遠坂がキャスターに止めを刺そうとしたその時、轟音が鳴り響いた。

 音源はセイバーと戦っていたキャスターのマスター、比企谷だった。

 セイバーが比企谷に向かって突進し、比企谷がそれを迎え撃って地面を砕いた。その衝撃でセイバーを宙に浮かせ、そこを掌底で狙い打つ。

 セイバーは崩れた体勢を空中で立て直し、臆することなく攻撃に移る。

 セイバーの剣と比企谷の腕が交差し、ほんのわずかに早くセイバーの剣が比企谷を貫いた。

 

 

 

 はずだった。

 

 

 

 胸を刺し貫かれて血飛沫を上げる比企谷の姿が掻き消える。同時にセイバーの背後、というかほとんど直上に短剣を構えたキャスターが現れた。

 キャスターはそのままセイバーのがら空きの背中に短剣を突き立てる。直後、俺の左手に痛みが走った。 

 それとほぼ同時に遠坂が短く悲鳴を上げた。

 見ればそこにキャスターの姿は無く、替わりにさっき消えた比企谷が。

 その姿はボロボロで、間違いなくセイバーと戦っていたのと同一の存在に思える。ただ一つ、刺されたはずの胸に怪我が無いことを除けば。

 比企谷は掌底を突き出した姿をとっていて、その足下には倒れた遠坂が苦悶の呻きを上げていた。両足が折れているらしく、自分の身体を支えられずに遠坂の上に崩れ落ちた。

 

 

「私に従え、セイバー!」

 

 

 キャスターが左手を掲げてそんな叫びを上げた。その甲に輝く令呪の一画が弾け、セイバーが苦し気に膝を着く。

 何があったかは分からないがアーチャーも倒れていた。

 

 

 

 これらの全てがほんのわずかな時間に起きた。

 遠坂もアーチャーも倒れ、俺はキャスターに令呪を奪われて、セイバーはその令呪によって支配されようとしている。今はまだ抵抗しているが、いつまで持つかは分からない。

 一瞬でほぼ全滅。唯一残った俺は、戦力的には一番格下だ。

 一方敵は、比企谷は倒れた上にブーストも切れてもう戦えないだろう。だけどランサーのマスターにキャスターが残っている上に、セイバーが敵に回る可能性だってある。

 逃げようにも自分たちとキャスターが張った二重の結界が邪魔だし、その外にはランサーと黄金のサーヴァントが控えている。はっきり言って絶望的だ。

 

(何か……何かないか!?せめて遠坂だけでも逃がさないと……!)

 

 俺は焦る心を無理矢理に抑えて、こちらに足を向けたランサーのマスターに身構えた。

 

 

 

「拘束呪術……感染型か!」

 

 動きを封じられて倒れたアーチャーが呻く。私は作戦が上手くいったことに安堵しながらその言葉を肯定した。

 

「ええ、その通りです。令呪を通してあなたの核に直接呪いを注入してますから、耐魔力も効果はありません」

 

 同時に戦場全体を見回す。

 アーチャーのマスターも倒れ、セイバーも奪った令呪によって動きを封じられている。勝敗は決したようだ。

 余裕を見せてはいるがギリギリだった。あと少し呪いの発動が遅ければ倒されていただろう。もっとも、それも作戦に折り込み済みではあったが。隼人がきちんと役割を果たしてくれて助かった。

 この呪いは八幡の連動式短縮呪文( パッチスペル)の効果だ。

 呪いを受けた者は四肢の動きを封じられ、魔力の流れも乱されるため魔術を使うこともできなくなる。さらに被術者の魔力を喰って増殖し、霊的なリンクを通して他の者に感染するという代物だ。

 アーチャーの言った感染型という言葉の通り、霊的な繋がりを介して増殖感染する呪い。ウイルスのようなものだ。マスターからの魔力供給に毒を混ぜ混む形なので、サーヴァントには防ぎようが無い。

 複数の敵を同時に無力化できる効果なのだが、本来はそこまで強力な術ではなかったりする。少なくともサーヴァント相手に効果を発揮するようなものではない。

 キャスターはそれを、デメリットを自分で設定することでどうにか使えるレベルに引き上げてしまった。

 既に完成している魔術の改良、いや、改造。そんなアイディアを思い付く八幡も充分驚愕に値するが、より驚くべきはやはりそれらを実現してみせるキャスターだろう。

 今回、魔術強度を引き上げるために犠牲にしたものは二つ。内一つが射程で、接触式にすることで同時に三騎士の耐魔力対策にもなっている。それは良い。が……

 

(上手く行くものですね)

 

 件の拘束呪術をいかにして決めるか。問題はそれだった。

 私が使ってもよかったのだが、相手はサーヴァントが二人だ。勝てる見込みは低い。結局ここでも八幡の策に頼る他なかったわけだが、これがほとんど曲芸じみた代物だった。

 もちろん行けると思ったからこそ私も策に乗ったのだが。というかフラガラックを二つも提供したのだ、上手く行ってくれなければ困る。

 

供犠に捧げる偽りの誓約( リバースエンゲージ)

 

 私が預けたフラガラックをキャスターが改造して創った宝具。

 私の『斬り抉る戦神の小剣( フラガラック)』は敵の切り札に反応し、『後より出でて先に断つもの( アンサラー)』のキーワードによって真の力を発揮する。

 その力は因果逆転の呪い。

 時間を遡り、敵が切り札を使う前に倒したことにしてしまう逆行剣。

 事実上の即死効果を持つこの剣の、因果をねじ曲げる力を利用した二つ一組の指輪は、八幡とキャスターが身に付けている。

 これはいくつかの条件を満たした状態で敵の攻撃を受けると効果を発揮する宝具で、その攻撃のダメージを無かったことにした上で、確実に敵の死角を取ることができるというものだ。

 これこそがこの戦いにおける本当の本命だったのだが、綺麗に決まってくれた。派手すぎる囮に目を奪われて、敵の誰もが本物の狙いに気付けなかったのだろう。

 ろくに鍛練も積んでいない素人にサーヴァント並の戦闘力を与える。

 この時点で既に常軌を逸しているというのに、そんな狂気じみた術を『ただの目眩まし』に使うなど、予測できてたまるものか。

 

 とにもかくにも蹴りはついた。

 拘束呪術のもう一つの弱点は効果時間だが、それでも十数分間は持つ。説得には充分すぎるだろう。

 私は敵の生き残りであるセイバーのマスター、衛宮士郎の元へ足を向ける。彼のすぐ側には八幡も倒れている。気を失っているようだし拾ってやらねば。

 隼人も拘束を解いて立ち上がる。

 セイバーはまだ令呪の支配に抵抗を続けていたが、それも時間の問題だろう。が、キャスターは少し苛立っているようだ。

 令呪をもう一つ使おうとしたのか、あるいは強制力を強めよるために魔力を流し入れようとしたのか、左手を高く掲げる。

 

 

 

 その左手が、不意に掻き消えた。

 

 

 

「あ……ああああぁぁぁぁぁぁあっ!?」

 

 

 メディアさんの悲鳴が響き渡る。

 彼女は右手で左腕を抑えて苦痛にのたうち回っている。その左腕は、肘から先が失われて鮮血が溢れ出ていた。

 

 いきなりだった。

 何かが割れるような音がしたと思ったら、彼女が掲げた左手が突然消失した。

 バゼットさんを見たが、彼女も何が起きたのか理解できてないようだ。衛宮たちも同様のようだった。

 混乱して身動きも取れずにいると、唐突に背中に氷柱を差し込まれたような感覚がした。

 いきなり感じた圧倒的としか表現しようのないプレッシャーに、全身の毛穴が開いて汗が吹き出す。

 

 

 

「今宵のところは物見に徹するつもりだったが……セイバーに手出しされたとあっては黙っているわけにはいかぬな」

 

 

 

 傲岸という言葉に形を与えればこうなる。そう言われれば納得する以外に無いような、万物を見下すかのような声。

 しかし脈絡無しに登場した謎の乱入者に、俺は振り向くことすらもできない。

 今までに感じたことの無い、否、想像すらしたことの無い感情の爆発。それがあまりにも大きすぎて、この感覚が恐怖であることを理解するのに時間がかかった。

 

 その恐怖の源たる黄金の男が、尊大に告げる。

 

 

 

「王の宝物に手を着けたのだ。当然死ぬ覚悟は済ませてあるのだろうな、雑種」

 





オリ宝具解説


名称:供犠に捧げる偽りの誓約《リバースエンゲージ》
最大捕捉:2 人
レンジ:10
ランク:C

 補足
 キャスターが斬り抉る戦神の小剣《フラガラック》を改造したもの。
 二つ一組の指輪で身代わり人形《リバースドール》の技術を流用してあり、空間転移による入れ替え、因果の逆転、切り札に反応する性質をそれぞれから受け継いでいる。
 劇中では比企谷八幡とキャスターが装備しており、複数の条件を満たすと効果を発揮する。
 その条件とは

①装備者同士がレンジ内にいる
②装備者が切り札を使用可能、及び使用待機状態にある
③装備者がそれぞれ異なる相手に対して戦闘状態にある

 以上の条件を満たした上で装備者のどちらかがダメージを受けると、『そのダメージを回避して敵の死角を取った』状態に現実を上書きしてしまう。尚、効果発動と同時に指輪は破壊される。
 ②と③の条件である切り札と敵は装備者の認識に依存するため、暗示などを利用すれば自在に切り替えることも可能。ただし失敗すると不発になるのであまりおすすめはできない。
 また、同時に複数の敵対者と対峙していた場合、発動時にもっとも意識を割いている相手の死角に転移する。この時、二人以上の相手に同程度意識を向けていた場合も不発となる。

 上記の通り因果逆転を利用して現実を書き換えるため、敵の攻撃をその威力や種類に係わらず一度だけ無効化できる。
 さらに敵の背後や頭上ではなく、あくまでも死角に転移するため必ず不意討ち判定が取れる。加えて切り札の使用待機状態で転移するため、転移直後に切り札を発動可能。事実上の必中効果と変わらない。

 発動と同時に敵を倒したことが確定してしまうフラガラックと比べて大きく格が落ちるが、敵ではなく自分の切り札に反応するためある程度能動的に使用できること。手加減の一切利かない、文字通りの必殺武器であるフラガラックと違い融通の利くことなどは利点と言える。

 八幡達は、フラガラックの情報は衛宮達に漏れていると予測していた。そのためフラガラックを使う場面は来ないだろうと考え、ならば別のことに利用できないかとキャスターが創ったのがリバースエンゲージである。
 劇中のバゼットのモノローグだと逆に思えるかもしれないが、八幡の作戦は拘束呪術ではなくこちらを基準に立てられている。


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59話

 爆音が夜に轟く。

 

 片腕を失って悶絶するメディアさんと、令呪の支配によって身動きの取れなかったセイバーが一緒くたに吹き飛ばされ、後にはまるでバトル漫画のような小さなクレーター。その中心には一本の槍が残された。

 

「セイバー!」

 

 衛宮が叫びを上げ、俺はそれを聞いてようやく金縛りから脱して身体の向きを変えた。その先には、黄金の鎧を纏った謎の男。

 どうやって結界で隔離されたこの戦闘フィールドに踏み込んだのかは分からないが、この圧倒的な存在感を放つ男の攻撃によって、メディアさんとセイバーは行動不能に陥ってしまった。

 二人のサーヴァントを一撃で倒した戦闘力から考えて、この男もサーヴァントであることは疑いようがない。

 常識的に考えればいまだに姿を知らないランサーかバーサーカーのどちらかなのだろうが、バゼットさんの様子を見る限りランサーとは思えないし、かといってバーサーカーにも見えなかった。

 

(どうする……逃げるか……!?)

 

 正体不明、予想外の敵の出現に判断に迷う。

 今夜の戦いでの俺の役割は衛宮の足止め、ではなかった。

 俺に与えられた役目は二つ、内一つがタイムキーパーだ。

 比企谷の用意した切り札『供犠に捧げる偽りの誓約(リバースエンゲージ)』は発動条件が厳しい。戦闘の素人である比企谷とメディアさんが互いの様子を見ながら使うのは不可能だったろう。

 バゼットさんはバゼットさんで、敵戦力の中核であるアーチャーの相手をしなければならず、他のメンバーのフォローまですると負担が大きすぎる。

 そこで俺が全体の状況を見て適切なタイミングで、あるいは吸精結界の時間切れが近付いたら合図を出す手筈になっていた。二度目の「比企谷、急げ」というセリフがそれだ。俺はそのために敵の中で最も戦力が低く、また、負けたとしても重傷を負う可能性が低いと思われる衛宮にぶつけられたのだ。

 

 そして俺のもう一つの役割が脱出装置の起動だ。

 この戦闘フィールドにはいくつもの結界が敷いてある。

 まず公園全体に張られたのと、この広場を囲む遮断結界。

 この二つは結界内外の交通を遮断するもので、戦闘領域を限定するのが目的で設置したものだ。前者をカモフラージュとして本命の後者を隠してあった。

 そしてその二つを隠れ蓑にして用意したのが冬木市全域を覆う吸精結界『冥精の寝所( ランパード・ニンフォメア)』だった。これは戦力で劣る俺達が戦うためには必要不可欠な仕掛けで、前の二つに輪をかけて入念に隠されていた。

 そして、それら三重の結界でさらに深く隠蔽してあるのが脱出用の転移結界だ。俺はその起動キーを預かっている。

 

 比企谷の想定ではここでの戦闘の結果に関わらず、最初の結界が解け次第アサシンがなだれ込んでくると予想していた。

 言峰綺礼にとって、自分の正体を知るバゼットさん、及び彼女から情報を得た俺達は邪魔者だ。何としてでも消したいと考えるだろう。

 遠坂達が言峰と組んでいるならそのまま共闘すれば良いし、そうでないなら消耗したところをまとめて葬れば良い。どちらにせよ仕掛けない理由は無い。

 転移結界はそれを見越して用意したものなのだが、今の状況では使えない。比企谷とメディアさんが取り残されてしまう。

 

 転移結界の範囲は他の結界に比べるとだいぶ狭い。比企谷達が最初に立っていた地点を中心に数メートルというところだ。

 もちろんこれには理由がある。

 アサシンの力は非常に弱い。遮断結界を力付くで破ることは不可能だ。

 ランサーならば結界を強引に突破することも可能らしいが、元マスターであるバゼットさんと契約破戒のルールブレイカーが揃っている限り、ランサーをけしかけられることは無い。だから戦闘終了後に行動不能になったメンバー(衛宮たち含む)を回収して転移する時間は充分にあるはずだった。

 また、作戦が上手く行かなかった場合の逃走用に用いるパターンも考えていた。この場合は俺かバゼットさんが戦況を見て判断することになっていたのだが、範囲が広すぎると敵を巻き込んで一緒に転移してしまうことになりかねない。それでは転移先で戦いが続行されるだけだ。

 

 どちらにせよ、転移による離脱は遮断結界が機能していることを前提に考えられていた。謎の敵を前にして、負傷者を回収しながら離脱というのは難度が高い。

 ……いや、正直に言えば比企谷とメディアさんだけなら何とかなるとは思う。だけど恐らくそれは、比企谷が認めないだろう。

 比企谷は初めから、誰も死なないことを目的に作戦を組み立てていた。これには敵として設定してある衛宮達も含まれる。

 比企谷はきっと、衛宮達を見捨てて逃げることを認めないだろう。

 比企谷は自分の都合ばかりを主張しながら、その実最初から誰一人見捨てるつもりが無いのだ。普段は『みんなが』と(うそぶ)きながら、いざとなると身内のためと言い訳して誰かを切り捨ててきた俺とは正反対の男と言える。

 

 ならば、そのための方法を考えなければならない。

 俺に比企谷の代わりが務まるなんて思わない。だけどそれが、比企谷に命を助けられた俺の責任だ。

 

 俺は駆け出した衛宮に倣い、バゼットさんと合流するべく走り出した。

 

 

 

「セイバー!」

 

 俺は謎のサーヴァントの攻撃で吹き飛ばされたセイバーに向かって駆け出していた。

 乱入してきたのは黄金の鎧を纏った男。ライダーを倒したというサーヴァントで間違いないだろう。

 そいつは腕組みして正面を向いたまま、目だけでこちらを見た。瞬間、猛烈な悪寒が走る。

 

「雑種、誰が動いて良いと言った?」

 

 不快気なその言葉と共に浮かび上がった魔方陣から光弾が放たれる。とっさに身を投げ出してなんとか回避した。が、

 

「あうっ!」

「遠坂!」

「比企谷!」

 

 遠坂の悲鳴と、俺と金髪の叫びが重なった。

 流れ弾が背後の遠坂の近くに着弾したらしい。折り重なるように倒れていた遠坂と比企谷がまとめて吹き飛ばされていた。

 黄金のサーヴァントは倒れたキャスターに向けて、またあの魔方陣を展開させている。こちらへの興味は既に失っているようだーーが、下手に動けばまた攻撃が飛んでくるだろう。そうなれば今度こそ遠坂に当たるかもしれない。

 そう考えて硬直している俺の横を駆け抜けていく影があった。

 

「ハアァッ!」

 

 鋭く気合いを発してランサーのマスター、バゼットが黄金のサーヴァントに片腕だけで果敢に飛びかかる。金ぴかは小さく舌打ちすると、盾を出現させてバゼットを弾き返した。

 

「下がれ女。貴様に用は無い」

 

 金ぴかは心底どうでもよさげに吐き捨てると、今度は四つの魔方陣を産み出し光弾を打ち出す。なんなんだこいつの能力は!?ていうかこいつら仲間じゃなかったのか!?

 バゼットは飛び退いて攻撃を躱わした。しかしそれで精一杯らしく、次々打ち出される光弾にジリジリと距離を押し広げられている。

 間合いが大きく開いたところで、黄金のサーヴァントの視線が再びキャスターに向く。未だ動けぬキャスターに攻撃を再開ーーする直前、

 

 

 

「やめなさい!」

 

 

 

 鋭い制止の声が響いた。

 声は若い女のもの。

 振り向けば黒髪の、おそらく同年代と思わしき少女が息を切らし、左右の手をそれぞれ街頭と自身の膝にかけて身体を支えていた。

 

「何を……げほっ……何をしているの、ギルガメッシュ!」

 

 その、息も絶え絶えで今にも倒れてしまいそうにも見える少女は、それでも力のこもった眼で黄金のサーヴァントを睨み着ける。

 ギルガメッシュと呼ばれたサーヴァントは、しばしその少女へと視線をやりーー彼女を無視して改めてキャスターへ光弾を放つ。その攻撃は金髪がキャスターに飛び付きどうにか凌いでいた。わずかに動きが止まった間に駆け寄っていたらしい。

 その金髪を見た少女が目を丸くする。

 

「葉山くん、どうしてあなたが……!?」

「雪乃ちゃん、君こそ何をしているんだ……!?」

 

 この二人はどうやら知り合いらしい。遠坂が言っていた雪ノ下雪乃と思わしき少女は頭を振ると、ギルガメッシュと呼んだサーヴァントに食ってかかった。

 

「やめろと言っているでしょう!一体どういうつもり!?干渉しないはずじゃなかったの!?」

「気が変わった。セイバーに手を出されては黙っているわけにはいかん」

 

 雪ノ下は責め立てるが、ギルガメッシュにはまるで堪えた様子は無い。むしろ小馬鹿にするような眼を自らのマスターに向けている。雪ノ下はそれにますます柳眉を吊り上げた。

 

「だからってマスターを攻撃するなんて!人を傷つけるなと命じたはずよ!」

「心配せずとも殺さぬように気を遣ってやっている。そうでもなければこやつらがまだ生きている説明がつくまい?」

「メディアさんを殺そうとしたでしょう!?」

「貴様は何を言っている」

 

 いきなりギルガメッシュの気配が塗り変わる。豹変したサーヴァントに、逆に雪ノ下の方がたじろいでいた。

 

「貴様の目的はサーヴァントを全て消し去り聖杯戦争を終わらせることだったはずだ。キャスターだけを例外に扱うことなど許さんぞ」

「そ、それは……!」

「その辺りの覚悟は済ませてあるものとばかり思っていたのだがな。まさかとは思うが、理解していなかったなどと言うつもりではあるまいな?」

 

 雪ノ下は反論できずに俯いてしまう。

 話の内容はよく分からなかったが、とにかくこの二人は比企谷たちと共闘してるわけではないらしい。

 ギルガメッシュは雪ノ下が沈黙したのを確認すると、またしてもキャスターに向き直る。どうあってもこの場で始末するつもりらしい。

 キャスターは金髪ーー葉山という名らしいーーに抱えられているが、完全に気を失っているようでぐったりしている。

 この状態で攻撃すればどうやっても二人まとめてになると思うのだが、ギルガメッシュはお構い無しに仕掛けるつもりのようだ。

 

「隼人、撤退を!」

 

 叫びと共に、何かが空間を切り裂く。それはギルガメッシュが出現させた盾に衝突し、やたらと重い音を立てて四散した。

 叫びはバゼットのものだった。彼女は拳大ほどもある石を三つ宙に放り、それを連続でサッカーボールのように蹴り飛ばす。石は音速を越え、衝撃波を放ちつつギルガメッシュへと飛んだ。

 ギルガメッシュはバゼットに顔を向けることすらなく盾で防いでいたが、葉山はその隙にキャスターを抱えてジリジリと後退していた。

 とは言え、ギルガメッシュは攻撃できないわけではないのだろう。

 すぐに終わらせないのは相手を嬲っているだけ。それは奴の顔に張り付いた嗜虐的な薄笑いを見ればありありと分かる。

 気絶したままの比企谷を回収したいのだろう。葉山は俺の背後へと視線をやり、そして目を見開いた。

 その表情は、端的に言えば予想だにしないものを見たような顔だった。それにつられて俺も後ろを振り向いた。

 

 そこには倒れ伏す男女。

 呪いにやられて動きを封じられた遠坂と、セイバーとの戦いで力を使い果たした比企谷。

 

 そしてその二人に覆い被さるようにして、短剣を振りかざす制服姿の男。

 

 誰かが声を発するよりも早く、その男は比企谷の胸に曲がりくねった短剣を突き立てた。

 迸った魔力の輝きが、男の左手に収束する。同時にキャスターが苦しげに呻き、その身を支えていた葉山を弾き飛ばした。

 男は続けて遠坂にも短剣を突き立て、もう一度同じように左手が輝いた。

 

「ク……クフ……クヒヒヒヒ…………!」

 

 男はゆらりと立ち上がり、己の左手を眺めて痙攣するように身体を震わせた。

 

「令呪……令呪だ……!偽臣の書じゃない、本物の令呪だぁ!」

 

 左手の甲に六つの令呪を輝かせ、間桐慎二は狂気じみた笑いを夜の公園に響かせた。



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60話

 ここに居合わせたのはただの偶然だった。

 ライダーを失った僕は行く当ても無く街をさ迷い、お爺さまと他のマスターとに怯えて過ごしていた。

 手持ちの金もそれほどあるわけでもないし、ホテルを利用することもできない。結局この真冬に野宿する他なかった。

 そして公園で少しでも風を避けようと、そして身を隠そうと茂みの中で寝ていた時のことだ。

 深夜だというのに人の話し声がして目が覚めた。

 茂みからこっそり覗いてみると、衛宮と遠坂が誰かと話していた。サーヴァントを普通に連れているところを見ると、相手もマスターなのだろう。

 奴らがどういう目的で接触したのかは分からない。だけど少し話してすぐに戦い始めた。自分のすぐ後ろにいきなり結界ができたのにはビビった、いやビビってないけど、あいつらは僕には気付いてないらしい。結界のせいで逃げることもできないので、そのまま隠れて様子を見ることにした。

 

 ていうかバカだなあいつら。初めから戦うつもりだったんなら姿を見せる前に狙撃でもすれば良かっただろうに。アーチャーってそういうクラスだろ?

 話し合いが目的だっていうならほとんど会話もしないウチに戦闘を始めた意味が分からないし、遠坂って自分で思ってるほど頭良くないよな、絶対。

 

 それでも戦いは終始遠坂たちが押しているように見えた。

 4対4、のはずなのに、少年マンガみたいにワザワザ1対1を四ヶ所でやり合ってたよ。

 相手側に乗せられた形だったけど、これは遠坂たちに有利に働いたっぽい。遠坂だけは苦戦してたけど、サーヴァント相手にどうにか渡り合ってるんだから、やっぱり遠坂の実力は相当なものなんだろう。

 キャスター側の切り札らしい結界の効果も終わりが近付き、戦いの佳境が訪れた。

 セイバーと戦っていた男の姿が掻き消え、入れ替わるようにキャスターが現れた。キャスターがセイバーの背中に短剣を突き立てると、その左手に模様のようなアザが現れた。

 僕は目を疑ったよ。でもそれは間違いなく令呪だった。キャスターの命令にセイバーが従わされていたんだから。信じがたいけど、あの短剣には令呪を奪い取る力があるらしい。

 その後、間を置かずに遠坂とアーチャーも倒れて形勢は一気に逆転。衛宮だけが残され、何やってんだ早く逃げろバカと思っていたらキャスターが攻撃を受けた。

 結界をぶち破って乱入して来たのは、あの雪乃とかいう女の黄金のサーヴァント。僕のライダーを殺しやがったあいつだった。

 ムカつく奴だ。僕がこんな惨めな目に会っているのはあいつのせいだ。あいつさえ居なけりゃ野宿なんてする必要なかった。

 でも、今の僕はあの金ぴかを気にしている余裕はなかった。

 

 キャスターは金ぴかに肘から先を吹き飛ばされた。その腕はクルクルと飛んで僕から数メートルのところに落ちていた。ーー持っていた短剣ごと。

 

 状況を確認する。

 キャスターの腕は魔力の光になって消え去り、短剣だけが残されている。

 大股で走れば三歩で手が届く距離。

 衛宮たちは例の金ぴかに注目している。僕に気が付いている奴も、この剣に注意を向けている奴もいない。

 

 ゴクリと喉を鳴らす。

 

 普通に歩けば短剣を拾うまでに約二秒。そこから一番近い相手は倒れている遠坂とキャスターのマスター。走れば多分三秒ほど。

 合わせて約五秒間、誰かに気付かれない保障は無い。ついでにこの短剣の効果も知れたものではない。

 キャスターはセイバーに使うことで令呪を奪った。だけどマスターに対して使った場合、同じ効果が得られるかは不明だ。そもそもキャスターでなければ使えないアイテムの可能性だってある。

 

 戦闘はいつの間にか停滞していた。僕を投げ飛ばした雪乃とかいう女が現れて、金ぴかに何かをわめき立てている。

 この場の全員の注目がその二人に向いている。

 

 上手くいく保障は無い。

 上手くいかなかったら、きっと死ぬ。だけど。

 

 僕の誘いを断った衛宮。

 僕を見下した遠坂。

 産まれてこのかた僕を見ることもなかったお爺さま。

 それらの顔が、脳裏に浮かんでは消える。

 

 いつの間にか荒くなっていた息を無理矢理抑える。

 金ぴかとそれ以外との間に、また緊張が高まっている。もうすぐ戦闘が再開されるはずだ。

 ゆっくり、気配を殺し、物音を立てないように茂みから這い出る。

 ジリジリと、匍匐前進で少しずつ短剣に近付く。

 真冬だというのに汗が吹き出る。その不快感を無視して短剣に手を伸ばす。届いた。

 それと同時に衝撃音が耳を打つ。

 僕は短剣を握って立ち上がり、無我夢中で駆け出した。

 

 

 

 

「慎二……お前、どうして……!?」

 

 脈絡なく現れた慎二に思わず呟く。それが聞こえていたかは不明だが、どちらにせよまともなリアクションが返ってくるようには見えなかった。

 慎二は血走った眼で自分の左手を、そこに浮かんだ六つの令呪を見て狂気じみた笑いを上げている。

 やがて痙攣のような笑いが治まると、大仰な仕種と共にわざとらしく語りかけてきた。

 

「やあ衛宮、遠坂も。奇遇だな、こんなところで」

「何やってんだよ、慎二……なんでこんなところにいる?」

「たまたまだよ。お前らが苦戦してるみたいだから笑ってやろうかと思ってね。どうだ?土下座してお願いすれば助けてやってもいいぜ?」

 

 慎二は小馬鹿にするように笑う。それを動けぬままの遠坂が一喝した。

 

「バカ言ってないで逃げなさい!あんたにどうこうできる状況じゃないわよ!」

「ああ?」

 

 それが面白くなかったのか、慎二は遠坂の襟首を掴んで引き起こす。

 

「遠坂、お前さぁ、立場わかってもの言ってんの?」

「あんたこそ身の程をわきまえなさい。サーヴァントを失った時点で自分の実力は思い知ったでしょう?せっかく拾った命を無駄にするんじゃないわよ」

「ハッ!お前こそわきまえろよ。今サーヴァントを持ってないのは誰だ?逃げるならお前たちの方なんじゃないのか?」

 

 慎二はあくまで余裕を崩さない。薄ら笑いを張り付け遠坂の胸ぐらを掴んだまま、俺の方へと視線を向ける。

 

「衛宮、本当ならお前も殺してやる予定なんだけどさぁ、友達のよしみでそれは後回しにしてやるよ。お前と遠坂に誰が一番上なのか教えてやらなきゃいけないしね。だからこの場は……」

 

 慎二はギラリと雪ノ下を睨みつけると、その顔を怒りに染めて叫んだ。

 

「令呪を持って命ずる!アーチャー!キャスター!あの金ぴかを殺せぇっ!」

 

 パキンッ!と、ガラスが砕けるような音と共に、慎二の令呪の一画が消失する。同時に呪いで動きを封じられていたはずのアーチャーと、片腕を失った激痛で悶絶していたキャスターが弾けるように立ち上がった。

 アーチャーが双剣を投げつけ、キャスターが黒い炎弾を放つ。

 一連のやり取りの間、黙って様子を眺めていたギルガメッシュは、サーヴァント二人の攻撃に挟みこまれーーそれらを眉一つ動かさぬまま、出現させた盾で防ぎ切った。

 

「はぁ?」

 

 慎二が呆けたような声をあげる。

 ギルガメッシュは鼻だけで小さくため息を吐くと、慎二に向けて魔方陣を生み出した。

 

「慎二、避けろ!」

「へーーわぁっ!?」

 

 俺の叫びにとっさに身をよじったのが幸いしたか、ギルガメッシュの攻撃は慎二に直撃することはなかった。代わりに、と言うべきかは分からないが、慎二の持っていたキャスターの宝具を打ち砕く。もしかすると始めからそちらを狙ったのかもしれないが。

 慎二は宝具を砕かれた衝撃に、遠坂を抱えたまま尻餅を着いた。そのまま後退りながら罵声を飛ばす。

 

「な……何やってんだ役立たず!二人がかりのクセに僕を危険に晒すな!さっさとそいつを倒せ!」

 

 慎二の叫びにアーチャーたちが再び攻撃を仕掛けた。

 キャスターの魔術がギルガメッシュを包み込み、蒼い輝きが周囲の空間ごと凍てつかせる。すぐそばの雪ノ下を巻き込んで。

 

「嘘……時間凍結!?」

 

 遠坂が目を見開き、思わずといった風に呟きを漏らす。俺には理解できないが相当強力な魔術らしい。

 動きの止まったギルガメッシュに、間髪入れずアーチャーが仕掛ける。

 アーチャーが両腕を振るい、二対の双剣が夜闇を舞う。計四本の刃が左右から弧を描いてギルガメッシュを襲い、同時にアーチャー本人も双剣を構えて突撃する。

 刃の一つ一つ、その全てが必殺。たとえキャスターの魔術がなくとも、この死の嵐から逃れる術など無かっただろう。

 動きを封じられ、圧倒的な暴力に曝された黄金のサーヴァントは、

 

 

 

「ーーーーくだらん」

 

 

 

 たった一言と共に、それら全てを蹴散らした。

 ギルガメッシュの周囲に無数の魔方陣が浮かび上がり、吐き出された光弾が凍てついた空間と迫りくる刃とを破砕したのだ。接近していたアーチャー本人もその衝撃に弾かれ、強力な魔術を破られたキャスターも逆流した魔力にやられて地に伏した。

 俺はこの段階になってギルガメッシュの能力をようやく理解した。武器だ。

 剣、槍、斧、鎌。

 奴はありとあらゆる種類の武器を、あの魔方陣から投射している。しかもそれらの全てが宝具級の力を持っている。

 こんなもの、対抗できるはずがない。

 

「な……なんだよそれ!?」

 

 デタラメすぎるギルガメッシュの力に慎二が悲鳴を上げる。無理もないが。

 ギルガメッシュがチロリと目を向けると、慎二はそれだけで声も上げられなくなっていた。ギルガメッシュは特に気にするでもなく、緩慢に慎二へと指を向ける。

 

「雪乃の命令ゆえ人間を殺さぬようにと気を遣っていたが……そろそろ面倒になってきたな」

 

 そう呟いたギルガメッシュからは、腹を立てたとか、イラついているとか、そういった『怒り』に属する感情は一切見受けられない。

 感じられるのは『飽き』。こいつは、退屈だからというだけの理由で慎二を殺そうとしている。

 ギルガメッシュの周りに十を越える数の魔方陣が現れる。狙いが生身の人間であることを考えたらオーバーキルもいいところだ。このままでは奴と慎二の間にいる俺も巻き添えを食うだろう。

 ギルガメッシュは俺を見ていない。視界には入っているはずだが、存在として認識されてない。良くてオブジェか何かだと思われてる程度だろう。

 だから俺は、横に跳ぶだけでこの危機から脱っせられる。だけど。

 

 チラリと視線を後ろに向ける。

 目に入ったのは、怯えて泣き出しそうな慎二の顔。そして慎二に抱き抱えられたまま、気丈にギルガメッシュを睨みつける遠坂。

 それを見て覚悟を決める。

 

(俺が逃げたら、遠坂が死ぬ……!)

 

 ギルガメッシュは他人の巻き添えや周囲の被害といったものを、一切考慮していない。このまま慎二を攻撃すれば遠坂を確実に巻き込むが、そんなこと気にもかけないだろう。

 つまり、俺が二人を守るしかない。

 できるのか、という疑問は脳から除外する。やるしかないのだから悩む意味がない。

 ならば手段は?

 俺にできることは多くない。この場で使えそうな手札など実質二つしかない。

 一つは強化。幼いころから繰り返し鍛錬を続け、けれどちっとも上達しない魔術。

 成功率は低く、時間がかかり、効力も小さい。遠坂に見てもらうようになってからもそれは変わらない。

 ランサーの襲撃はこれのお陰でどうにかしのげたけど、正直命を預けて使うような気にはなれない。

 ならばもう一つだがーー

 この魔術はあまり使ったことがない。

 親父の見よう見まねで習得し、これを見せることでようやく渋る親父から魔術を習えるようになった。

 だけど親父はこの魔術を「無駄な才能」と呼んだ。そんな才能を伸ばしても仕方がないと、代わりに教えてくれたのが強化だった。

 俺も親父に従った。俺にとって、親父を疑うなんてあり得なかったから。以来、これは使ってない。

 

 普通に考えれば強化に頼るべきだ。

 たとえ弱くても、長年積み上げてきたものは決してゼロではないのだから。だけど。

 

 脳裏に焼き付いた赤い外套。

 鍛え抜かれたその背に、どこか確信めいたものを感じる。

 

 ギルガメッシュが展開した魔方陣の一つが輝きを増す。攻撃がくる前兆だ。

 俺は思考をショートカットして魔術回路をフル稼働させる。

 

 

 創造の理念を鑑定し、

 基本となる骨子を想定し、

 構成された材質を複製し、

 制作に及ぶ技術を模倣し、

 成長に至る経験に共感し、

 蓄積された年月を再現し、

 あらゆる工程を凌駕し尽くし――――

 ここに、幻想を結び剣と成す――――!

 

 

投影開始(トレースオン)!」

 

 

 衝撃に腕が痺れる。

 とっさに使った投影魔術は、英雄王の一撃に遠く及ばなかった。

 奴の射ち出した剣に、それをコピーした俺の剣を叩きつけたは良いものの、コピーはあっさりと砕け散り、衝撃に俺自身も弾き飛ばされる。

 できたことは、奴の攻撃の軌道をほんのわずかに逸らす程度。それでも、

 

 

(できた……!)

 

 

 そう、それでもできたのだ。

 兎にも角にも、奴の攻撃から遠坂を守ることに成功した。

 俺が手応えを感じていると、不意に凄まじい悪寒が襲う。

 

「……その能力はなんだ、雑種」

 

 ギルガメッシュが視線を俺に向けている。攻撃を防がれたためだろうか、その表情には不快さがありありと浮かんでいた。

 ギルガメッシュは更に四つの魔方陣から攻撃を射ち出す。今度は俺に向かって。

 

「うおおおっ!」

 

 もっと迅く!

 もっと強く!

 

 視認、解析、把握、複製。

 それらの工程を省略して一足跳びに投影を完成させる。

 創造した武器を迫りくる英雄王の宝具に叩きつけ、砕けるのも構わず次の幻想を造り出す。

 今度はさっきよりも衝撃が少ない。体勢を崩すことなくしのぎ切った。

 

「貴様……!図に乗るな、雑種!」

 

 英雄王が激昂し、更に数十の魔方陣を産み出す。マズイ、いくらなんでも捌き切れない!

 

「バゼット!」

 

 俺が絶望を覚えるとほぼ同時、背後から声が上がった。

 叫びの主は気を失っていたはずの比企谷だった。いつの間にか意識を取り戻していたらしい。

 もっともその姿は地べたに這いつくばったままだった。左腕以外の四肢が全て砕けているのだから無理もないが。

 比企谷の声を受けたバゼットが、銀色の球体を取り出す。

 

後より出でて先に断つもの(アンサラー)!」

 

 バゼットの詠唱と共に、球体に魔力が満ちる。

 掲げた拳の先で浮遊するその『剣』は、因果を歪め紫電を迸らせる。

 

斬り抉る戦神の小剣(フラガラック)!」

 

 放たれた刃は瞬きすらも 許さぬ迅さでギルガメッシュへと向かいーー

 

 

 

「邪魔だ!」

 

 

 

 英雄王の一喝によってあっさり掻き消された。

 

「バカな!?」

 

 驚愕するバゼットに、ギルガメッシュは斉射を開始した。

 慌てて身を躱わすバゼットを無視して、ギルガメッシュの攻撃は地面を切り刻みながら俺へと向かってくる。狙いはあくまでも俺らしい。

 

 逃げるのは不可能。ならば迎え撃つのみ!

 

 俺は迷いを捨てて三度宝具を投影する。

 英雄王の宝具の群れが俺を呑み込む。

 俺は精神を極限まで研ぎ澄まし、高速で投影を繰り返しながら自分に当たる武器だけを叩き落としていく。

 

「うわぁぁぁぁっ!?」

 

 背後から慎二の悲鳴が聞こえた。巻き込まれたらしいが、さすがに気にしている余裕はない。

 無限にも思える時間。しかし実際には、おそらく数秒にも満たなかったであろうその状況に変化が起きた。わずかだが攻撃の密度が薄れた。

 キャスターの魔術に巻き込まれて意識を失っていた雪ノ下雪乃。彼女が息を吹き返し、あろうことかギルガメッシュに組みかかっていた。ギルガメッシュは苛立たしげに雪ノ下を殴り倒す。ヤロウ!女の子の顔を!

 雪ノ下は鼻血を流しながら尚もギルガメッシュに掴みかかる。ギルガメッシュは煩そうにしながら、ついに攻撃を中止した。

 同時に俺は、気力を使い果たして膝を着く。顔だけはどうにか持ち上げギルガメッシュを睨みつけるが、しばらくは立ち上がれそうもない。

 俺はせめて遠坂の無事を確認しようと顔を後ろに向けた。

 

 遠坂は無事だった。

 まだ呪いが消えてないらしく、慎二に抱きすくめられたままだが、怪我などは無いらしい。

 慎二は遠坂を抱えたまましりもちを着いていた。

 二人は強ばった表情で同じ方を見ている。

 視線を追うと、そこには力なく落ちた左手。助けを求めているようにも見えるが、おそらく逆だろう。遠坂たちの体勢と元の位置を考えると、突き飛ばされた形に見える。

 その、二人を突き飛ばした比企谷は、うつ伏せに倒れたままピクリとも動かない。

 それはそうだろう。身体にあんな大穴が空いていては動けるはずもない。

 

「お……おい……?」

 

 比企谷の身体の真ん中に、英雄王の流れ弾であろう、一本の槍が突き刺さっていた。

 いや、刺さっていたという表現は正確ではないかもしれない。なにしろその槍を中心に、比企谷の身体の大半が消し飛んでいたのだから。

 比企谷は腹から胸にかけてのほとんどを失っていた。脇腹の組織がわずかに残ってかろうじて上下が繋がっている状態だ。

 どう見ても致命傷だった。しかしまだ息があるらしく、ゴボリと血の塊を吐き出す。

 

「おい!しっかりしろ!?」

 

 思わず声をかけるが、どう考えても助かるわけがない。ましてや返事など望むべくもないだろう。

 

 ギルガメッシュは腕組みし、黙ってこちらの様子を見ている。奴のマスターである雪ノ下が、俺の叫びに反応してこちらを向いた。

 彼女の顔が引き吊る。

 

 

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 

 夜の公園に、少女の悲痛な叫びが響き渡った。



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61話

残業のせいでカド3話見逃した。今日も休出だったし。
労働ってやっぱ害悪だわ。


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 

 

 

 雪乃ちゃんの絶叫が響き渡る。

 無理もないだろう。目の前で自分の想い人が命を落としかけているのだ。

 彼女は顔を青ざめさせ、膝を落として頭を抱えている。

 そんな彼女を眺めながら俺は、あの黄金のサーヴァントーー雪乃ちゃんは確かギルガメッシュと呼んでいたーーを刺激しないように、慎重に移動していた。

 我ながら冷静すぎるとは思うが、これは別に驚くような、ましてや誇るようなことではない。この冷静さは、メディアさんの催眠暗示の影響なのだから。だけどそれが逆に俺の動きを縛ってもいた。

 俺は比企谷を見捨てたいとは思っていない。しかしこの冷静さと、比企谷に割り振られた役割は即時の撤退を要求している。

 撤退の合図を出すのは俺の役目だ。作戦上、一番の安全圏に居るのが俺だからだ。

 その俺が危機を感じとったなら、それは作戦そのものの失敗を意味する。だからその場合、動けない奴は残して逃げられる者だけで逃げることになっていた。しかし……

 

(だからって見捨てられるかよ……!)

 

 比企谷のことだ、切り捨てる対象として真っ先に考えたのは自分だっただろう。だけどそんなのは認めるわけにはいかない。

 比企谷の作戦能力はこのチームには必要不可欠なものだし、何より比企谷が死ねば雪乃ちゃんが悲しむ。

 俺は音を立てないように比企谷たちの近くまで回り込んだ。幸いにもギルガメッシュには気付かれなかった。いや、おそらく気付かれてはいたのだろう。しかし奴は俺に興味を示さなかった。

 

「比企谷……」

 

 倒れた比企谷の姿を見て血の気が引く。

 酷い有り様だった。

 両足首はどう見ても砕けているし、服が破れて剥き出しになった腕は内出血で真っ黒に染まっている。しかし、そんなことすらどうでもいいと思えるほどに胴体が損壊が酷かった。

 損壊、である。それ以外の言葉では表現できない。

 ギルガメッシュの流れ弾が命中したのは、おそらくは右脇腹のあたり。

 おそらくというのは正確に判別するのが不可能だから。というのも、比企谷の胴体は胸から下のほとんどが消し飛んでいたからだ。

 穴、と呼ぶのも馬鹿馬鹿しいほどに大きな穴。

 比企谷の腹部はほとんど残っておらず、左側にわずかに残った肉が胸から上と下半身とを辛うじて繋いでいる。

 救急車という単語が脳裏に浮かび、すぐに打ち消す。どう考えても普通の医学で助かるような状態ではない。ならばーー

 

「おいお前!」

「ヒッ!?」

 

 俺はすぐ傍で呆然としていたワカメ頭の胸ぐらを掴み上げた。身体強化の影響もあってか、驚くほど簡単にワカメの足が地面から離れた。

 

「な、なんだよ!?言っとくけど僕のせいじゃないぞ!?」

「そんなことはどうでもいい!令呪を使って比企谷を治療させろ!」

 

 通常の手段で間に合わないなら常ならぬ手段、要は魔術に頼るまでだ。となるとメディアさんに頼るのが筋だろうが、彼女の令呪はこの男に奪われてしまった。『破戒すべき全ての符( ルールブレイカー)』が破壊されてしまった以上、この男にやらせる他ない。

 ワカメは俺の言葉に虚を突かれたように目をしばたたかせると、今度は真っ赤になって喚きだした。

 

「ふ……ふざけるなよ!?なんでこんな奴のために大事な令呪ぶぎゃ!?」

 

 セリフの途中で頭突きを叩き込む。鼻血を吹いて黙ったワカメの首を両手で掴み、宙吊りのまま少しずつ力を加える。

 

「あ……ぐぁ……!?」

「さっさとしろ。今の俺はお前の首をへし折るくらいやってみせるぞ」

「ヒ……!?」

 

 完全に本気の口調で脅しつけるとワカメは真っ青になって抵抗をやめた。

 震えながら左手を持ち上げるワカメを見て、声を出せるように少しだけ力を弛めてやる。

 

「れ……令呪を持って命ずる……」

 

 呪文 (コマンド)に反応してワカメの左手が輝く。ブラフではなく令呪を使うつもりなのを確認して一安心、などするはずがない。問題はここからだ。

 ワカメは一際深く息を吸い込むと、一拍だけ溜めてから意を決したように口を開いた。

 

「僕を助けろォ!」

「クソが!」

 

 硝子が砕けるような音。俺はワカメを突き飛ばし、その反動も使って身体を投げ出すように飛び退く。

 倒れざまに眼前で火花が散ってわずかに目が眩んだ。令呪の力で引き戻されたアーチャーの剣を、割り込んだバゼットさんが拳で弾いたのだ。

 

「無事ですか、隼人」

「はい。だけど……」

 

 勢いのままに後転して身を起こすが、すでにワカメの前にはアーチャーとメディアさんが立ち塞がっている。バゼットさんの力でもサーヴァント二体を抜くのは不可能だろう。

 ワカメは這うように遠坂のところまで行くと、呪いで身動きのとれない彼女を抱きすくめてサーヴァント達に振り返った。

 

「おい!逃げるぞ!」

「慎二、あんたいい加減に……!」

「うるさい黙れ!おい、お前ら早くしろ!?」

 

 ワカメは何かを言いかけた遠坂の首を締め上げて黙らせ、口角から泡を飛ばしてサーヴァントに命令する。奴の左手の令呪がまたも輝き砕け散る。それと同時にメディアさんが印を組むと、彼女らは黒い粒子のようなものになって夜空へと飛び散っていった。

 

 

 

「クソッ!」

 

 四人が消えた夜空を見上げて悪態を吐く。

 最悪の結果になってしまった。

 仲間を奪われ、比企谷を救う手段を奪われ、戦う力を奪われた。それら全てが致命的ではあるが、さしあたって現在最も重要であろう事柄に思考のリソースを回す。すなわち、ギルガメッシュの脅威をどう切り抜けるかである。これをどうにかしなければ比企谷を助けるどころではない。

 奴は雪乃ちゃんに止められてからは動きを見せていない。というかもう飽きて帰りたがっているようにも見えるがさすがに気のせいだろう。

 雪乃ちゃんの言動を見る限り、彼女たちがこの場に現れたのはギルガメッシュの暴走らしい。マスターである彼女には俺たちを殲滅する意思が無さそうなのが救いだがーー

 

「令呪を持って命ずる!比企谷くんを助けなさい、ギルガメッシュ!」

 

 その雪乃ちゃんが突然立ち上がって令呪を使った。命令の内容も含めてそれ自体はさほど驚くことではないだろう。しかし、

 

「ーーほう?」

 

 ギルガメッシュの反応は鈍い。彼は彼女に対してわずかに興味を向けただけだった。雪乃ちゃんはそんな己のサーヴァントに苛立ちと共に言葉をぶつける。

 

「何をしているの!?早くしなさい!」

「フム……まあ、よかろう」

 

 ギルガメッシュは一言呟くとパチンと指を鳴らした。それと同時に俺達の、そして離れたところで動けずにいたセイバーの周りにも金色の魔方陣がいくつも浮かび上がる。

 しまった、と思う間もなくそこから鎖が飛び出し比企谷の身体を絡めとる。とっさに伸ばした手は比企谷に触れることなく空を切り、比企谷とセイバーは鎖ごと謎空間へと飲み込まれた。

 

「さて、では往くか、雪乃」

「え……きゃあ!?」

 

 悲鳴に目を向けると雪乃ちゃんにも同じように鎖が絡み付いていた。ギルガメッシュは驚き慌てる己の主に、むしろせせら笑うような口調で続ける。

 

「何を驚く。あの男を助けるのだろう?ならばこんなところでのんびりしている暇はあるまい」

「そ……それとこれとにどんな関係が……!」

「何、生身の人間の足に合わせていては要らぬ時間を食うであろう。だからこの( おれ)が運んでやろうというのだ。感謝するがいい」

「ちょっ……きゃ……!」

 

 雪乃ちゃんは小さな悲鳴だけを残し、比企谷やセイバーと同じように魔方陣へと飲み込まれた。

 ギルガメッシュはそれを確認する素振りも見せずに俺達に背を向け、そのまま立ち去ろうとする。

 俺はそれを黙って見送る。不安は残るがどうすることもできない。

 俺達には比企谷を治療する手段が無い。ならば彼等に任せた方が良いだろう。あのギルガメッシュはともかく、そのマスターである雪乃ちゃんが比企谷を助けたがっているのは確実なのだ。

 令呪まで使ったのだから助けてくれるに違いない、と信じるしかない。何より俺達では、あのサーヴァントには太刀打ちできないのだから。

 だから、ここはこのまま見過ごすのが上策。心情的な要因を除けばこれ以外は悪手だ。それなのに、

 

「待て!」

 

 奴を呼び止める声があった。衛宮だ。

 ギルガメッシュは立ち止まり、肩越しに衛宮に視線を投げる。俺には意識を向けてないはずなのに、それだけで肌が粟立つ。

 

「セイバーを返せ」

 

 しかし、そんなプレッシャーを直接ぶつけられているはずの衛宮は全く怯まない。どういう精神力してるんだこいつ!?

 ギルガメッシュは衛宮の声には応えず、ただ少しだけ目を細めた。

 ……ヤバイ。何となくだがどうしようもなくヤバイ気がする。

 そもそもこのサーヴァントは強すぎる。万全な状態でも対策無しで太刀打ちできる相手ではない。今戦うのは無謀を通り越してもはやギャグだ。

 

「……おい、やめろ衛宮」

 

 俺は仕方なく止めに入る。このままでは多分巻き添えで殺される。逃げるのも考えたが、その行為自体が奴を刺激しかねない。

 衛宮は今にも飛び出しそうに見えたのだが、俺が肩を掴むと意外にもあっさり前傾の姿勢から重心が後ろに戻った。頭に血が昇ってはいても力の差が理解できてないわけではなさそうだ。

 

「クッ」

 

 不意にギルガメッシュから笑いが漏れる。失笑、というやつだろうか。

 

「その男に感謝しておけよ、雑種。本来ならその不快な能力のことも含めて細切れにしているところであるが、( おれ)は今機嫌が良い。特別に生きて帰ることを赦そうではないか」

 

 ギルガメッシュは自らの言葉通り、機嫌良さげにクツクツと笑っている。

 

「とんだ無駄足かと思っていたが、思わぬ楽しみが増えたわ。クク……、セイバーを受肉させるまでの暇潰しとしては上々だ。

 さて、セイバーのマスターよ。今日までセイバーを現界させ続けた功績に免じて( さき)の言葉は聞かなかった事にしてやろう。

 まあ、あれほどの女だ。手放したくない気持ちは解らんでもない。とは言えアレは元々( おれ)の物だ。身の程は弁えよ」

 

 ギシリと、衛宮の身体に力が充ちる。俺は肩を掴んだ手に力を込めてそれを抑えた。

 ギルガメッシュはそんな俺達を一顧だにせず背を向け歩き出す。

 

「セイバーの価値を理解できた眼だけは評価できるな。特別に( おれ)とセイバーの婚儀に参列することを赦そう。無論、それまで生き残れればだがな?」

 

 去り際にそんな言葉を残し、黄金のサーヴァントは今度こそ夜の公園から姿を消した。

 

 

 

 ギルガメッシュが去り、この場に残ったのは俺とバゼットさん、そして衛宮の三人だけになった。途中で増えた分も合わせれば十一人もいたわけだから、一気に三分の一以下になったことになる。

 

「衛宮、大丈夫か?」

「あ、ああ。済まない。さっきは助かった」

 

 立ち尽くしていた衛宮に声をかけると礼を言ってきた。さっきのギルガメッシュとのやり取りでのことだろう。

 それにしても、衛宮はけっこうなお人好しらしい。

 助けたと言っても俺はただ衛宮を止めただけ。それも単なる成り行きでだ。

 大体俺達は本来敵同士なのだが、それ自体頭からスッポリと抜け落ちてるようだ。

 まあ元々停戦を呼び掛けるところだったし丁度良い。もう戦うどころじゃないしな。

 

「とりあえず場所を移そう。ここに留まるのはまずい」

 

 そう言って衛宮を促す。バゼットさんも俺の言葉に頷いているところを見ると、やはりまだ終わりではなさそうだ。

 

「場所を移すってどこに……」

「どこにも行かせねえよ」

 

 衛宮のセリフを遮って、新たな声が響く。

 周りを見渡すと、夜闇に浮かんだ無数の白い仮面がグルリと広場を取り囲んでいる。そのアサシン達の一角が割れ、一つの人影が歩み出てきた。

 

「な……!?」

 

 衛宮が息を飲む気配。しかし俺とバゼットさんにとっては予想済みの相手ではある。

 その蒼い男は、まるで散歩でもするかのような歩調で近付いてきた。

 きっと街中で、普通の格好ですれ違ったとしたら気にも止めなかっただろう。そのくらい普通に歩いてきた。

 だけど彼からは、ギルガメッシュにも劣らぬほどの不吉な気配を感じていた。もしかすると殺気というやつなのかもしれない。

 多分だが、これはきっと彼なりの誠意、のような気がする。せめて騙し討ちはしないとか、そんな感じの。

 無論、そんなものは俺の勝手な妄想に過ぎない。そもそも俺は、何かを想像できるほどその男のことを知らない。

 もし、彼の心情を推し測れる者がいるとすればーー

 

 

 

「……よう、バゼット」

「やはり来ましたか、ランサー」

 

 

 

 久し振りに顔を合わせた主従が交わした言葉は、ごく短いものだった。



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62話

 バラバラだった身体が繋がっていくよう感覚。ごく短時間のそんな錯覚を経て五感が正常に復帰していく中、最初に知覚したのは荒い息遣いだった。

 

「げほっ、ウッ……ゲェ……!」

 

 間桐慎二。ライダーの元マスター。

 空間転移に酔ったのだろう。地に両手を着いて吐いているこの男は、現在形の上では私のマスターでもある。

 その慎二は一通り胃の中身を出し終えると、傍らのキャスターを殴りつけた。

 

「この……無能!もうちょっとマシな逃げ方はなかったのか!?」

 

 キャスターは力を使い果たしたのか、反抗する気配すらなくぐったりしている。それを憐れんだわけではないが、私は慎二に制止の声を投げ掛けた。

 

「そう言ってやるな。そもそも準備も無しに空間転移を使える者など限られているのだ。それを荷物を四つも抱えて成せる者など、おそらく歴史を紐解いてもこの女くらいしかおるまい」

「確かにね……。最高位の魔術師は伊達じゃないわね」

 

 そう私に同意した赤い少女は、慎二と比べて転移の影響を受けた様子は無い。鍛え方が違うということだろう。

 

「動けるか、凛?」

「ええ。ようやくだけど」

 

 そう言って、キャスターの拘束呪術がやっと解けた凛は身を起こす。

 凛は身体の具合を確かめ、妙な影響が残っていないのを確認すると、私に向かって口を開いた。

 

「さて、とりあえず位置の確認かしら」

「おそらく郊外の森のどこかだろう。咄嗟の転移でそこまで距離を稼げるとは思えん」

「街の真ん中から街外れまでって時点ですでに常識はずれなんだけどね。にしても衛宮くん達を置いてきちゃったわね。無事だと良いけど……」

「だが逃げの判断自体は間違ってはいない。アレが本当にかの英雄王なのだとしたら、対策無しで戦うのは無謀だ」

「そうね。アーチャー、正直に答えて。貴方ならアレに勝てる?」

「……不可能とは言わん。が、勝率は高いとは言えんな」

「十分だわ。なら確度を上げるためにも衛宮くん達と合流しないと」

「そうだな。あの小僧はどうでもいいが、セイバーの戦力は無視できん」

「あんたなんでそんなに衛宮くんのこと嫌いなわけ……?」

 

 そんな軽口を叩き合いながら足を踏み出したその時、私達を呼び止める声があった。慎二だ。

 

「ま、待てよお前ら!?」

 

 顔を真っ赤にして喚く慎二に、凛は本当に今気付いた風に言う。

 

「何?あんたまだいたの?」

「ふ、ふざけるなよ!?おいアーチャー!お前のマスターは僕だろうが!遠坂の言うことなんか聞いてんじゃない!」

「あのね、サーヴァントがそう簡単にマスターを見限るわけ」

「うるさいんだよ!?サーヴァントなんかただの奴隷だろ!」

「……それ、本気で言ってるんなら本当にマスターの適性無いわよ、あんた。悪いこと言わないから命がある内にリタイアしなさい」

 

 ため息を吐く凛に、慎二は眼を血走らせてギリギリと歯を鳴らす。そして、

 

「キャスター!遠坂を黙らせろ!」

 

 パキン、と薄いガラスが砕けるような音と共に、凛がフラリと倒れた。それを地に落ちる前に受けとめ状態を確認する。どうやら眠っているだけのようだ。が、呪いの強度が凄まじい。かけた本人でなければ解けないだろう。

 

「……正気か?こんなくだらん事で令呪を消費するなど」

 

 思わず漏れた言葉は忌々しさを隠し切れていなかった。令呪の縛りを覆す手段はあるにはあるが、これでは再契約がままならない。

 そもそも凛の言葉は言い方こそ刺があるものの、真実相手の身を案じてのアドバイスだ。それを足蹴にするようなこの対応は、常識的な価値観の持ち主であれば到底容認できることではない。

 しかし慎二はほとんど錯乱に近い状態らしく、それすらも理解できていないようだ。

 

「うるさいんだよ!奴隷のクセに僕のやることに口出しするな……グッ……ゴホッ!?」

 

 激昂した慎二は私に怒鳴りつけ、その途中で突然咳き込んだ。

 

「あ……?なんだよこれ……?」

 

 口許を押さえた手の平にベットリと付着した血を見て慎二が呆然と呟く。そんな慎二に、私はため息を吐き諭すように語りかけた。

 

「……君は魔術回路を持っていないのだろう?そんな人間がサーヴァントなどという規格外を二つも抱え込めば無理が出るに決まっているだろう」

「な……ああっ!?僕が悪いってのか!?」

「悪いことは言わん。今すぐ令呪を放棄しろ。君では聖杯戦争を生き抜くことはできん」

「ふざけるな!二人掛かりで敵一人も倒せない役立たずが僕に責任を押し付けるんじゃないよ!?使えもしないクセにコストばっかり食いやがって!」

 

 口の端から血を垂らし、眼に狂気を漲らせて、慎二は肩で息をしながらこちらを睨み付けてきた。その形相に、説得は不可能だと思い知る。

 

「いつまで寝てんだ!?起きろ!」

 

 慎二は怒鳴り、倒れたまま動けずにいるキャスターを八つ当たり気味に蹴りつける。元々力を使い果たしていたところを、さらに令呪で酷使したのだから無理もないと思うのだが。

 

 そんな慎二を眺めながら、遠い記憶を探る。

 

 この少年は、果たしてこうまで歪んでいただろうか?

 過去のことは靄がかかったようにあまり思い出せないが、ここまで酷くはなかった気がする。

 彼は本来なら、多少の問題はあってもそこそこ付き合いの良い、歳相応の少年でしかなかったはずだ。それがどう間違ってこのような人物になってしまったのか。 

 無論これは、本人が元から持っていた資質ではあるのだろう。しかしそれはあくまでも資質でしかないはずなのだ。

 きっと彼の人格を歪めてしまった要因は無数にあるにちがいなく、その詳細な経緯など知る由は無い。

 だがしかし、それでも1つだけ確実に言えるとすれば、この少年の心に止めを刺したのは衛宮士郎だということだ。

 

 間桐慎二はその性格上、友人と呼べる存在をほとんど持たない。また、特殊な家柄故に肉親に対しても信を置いてない。

 そんな少年が聖杯戦争という極限状態の中で見付けた数少ない、否、おそらくは唯一信用できる人間。それが衛宮士郎だったはずだ。

 互いに歪みを抱えた者同士で共鳴でもしたのか、それは判らない。しかしこの二人の間には間違いなく友情があったはずだ。

 だが衛宮士郎は、間桐慎二を見捨てた。自分以外に頼る者を持たない人間を切り捨て、別の人間の味方をした。

 本人がどういうつもりだったにせよ、この事実は動かない。

 

「何ボケッとしてる!行くぞ!」

 

 慎二の声に、回想から引き戻される。

 慎二は上半身だけでこちらに振り返り、苛立たし気な視線を叩き付けてきている。キャスターもどうにか動ける程度には回復したのか、フラつきながら凛を背負っていた。

 

「どこに向かうつもりだ?」

「魔力が無いんだったら他所から持ってくりゃ良いだろ。一応心当たりがある」

 

 私の問いに、慎二は端的に答えた。

 

 

 

 

「悪いな、バゼット。お前らを逃がすわけにはいかねえ」

「言峰の指示ですか?」

「……ああ」

 

 バゼットさんの言葉を、ランサーは苦虫を噛み潰したような顔で肯定した。……今の表情は、事実を指摘された事にではなく、そうせざるを得ない自分の立場に対するものに見えた。

 

「待ってくれ!」

「ああ?」

 

 俺は二人に割って入った。

 彼は明らかに苦悩している。ならばもしかしたら説得できるかもしれない。

 俺は面倒くさそうにこちらに視線を向けるランサーに言葉を続ける。

 

「ランサー、バゼットさんは貴方のマスターなんだろ?なら」

「元マスターだ」

「そこは強調しなきゃならない事なのか?彼女が貴方の召喚者である事は変わらないだろう。それならマスターと同じはずだ」

「同じじゃねえよ。こっちにはこっちの都合ってものがあんだ、すっこんでろガキ」

 

 ランサーは一つ舌打ちすると、こちらを睨み付けて吐き捨てた。だけどこちらとしては簡単に退くわけにはいかない。なにしろ文字どおり命懸けなのだ。

 

「その都合というのは召喚者であるバゼットさんに刃を向けてまで優先しなければならないものなのか?貴方は騎士だと聞いていたが、騎士とはそんな簡単に主を裏切れるものなのか?」

「……痛ぇとこ突いてくれんじゃねえかクソガキ……!」

 

 俺の言葉にランサーが牙を剥いて怒りを顕にする。

 ぞんざいでいい加減な扱いに思わず責めるような物言いになってしまったが、その効果は想像以上だったようだ。メディアさんの催眠暗示が残っていなければ、多分叩き付けられた怒気に漏らしていただろう。

 しかしランサーは露骨に怒りを示しておきながら、それでも飛び掛かったりはしてこない。

 バゼットさんから聞いた通りなら、ランサーは粗野とまではいかずとも紳士的とは呼べない性格だったはずだ。

 十歩近く離れているとはいえ、白兵戦型のサーヴァントである彼にとってその程度の距離はあって無いようなもの。簡単に攻撃できたはず。にも関わらず手が出なかったのは、やはり後ろめたさが歯止めをかけているからなのだろう。

 つまり、このまま攻勢をかければ退かせることもできるかもしれない。少なくとも手を鈍らせられる。

 そう考えて言葉を連ねようとした時、俺の肩を掴む手があった。

 

「すみません隼人。そのくらいにしてもらえますか」

 

 バゼットさんのそのセリフには、静かながらも強い怒りが感じられた。無論、俺に対するだ。

 バゼットさんはそのまま俺を下がらせ、再び自分が前に出る。

 

「すみません、ランサー。貴方がこちらを気にかける必要はありません」

「別に止めなくてよかったぜ?俺がお前を裏切ってるのは事実なんだからな」

「貴方は貴方の信念に従って行動しているのでしょう。貴方がそういう人物だからこそ、私は貴方を呼んだのですから」

「……参ったね。これなら罵られた方がよっぽどマシだぜ」

「ではそれを持って報復とさせてもらいましょう」

 

 ランサーはばつの悪そうにガシガシと頭を掻いた。そんな彼を見て、バゼットさんがクスリと笑う。

 やはりこの二人には、たとえ敵対していたとしても深い信頼があるようだ。それだけに、ここでの対決は避けられないと思い知らされる。

 

 

「いつまで話しているつもりだ、ランサー」

 

 

 そんな二人に割って入ったのはアサシンの一人だった。

 ボロ切れのような黒装束にドクロを模した白い仮面は同じだが、他のアサシンに比べて一回り体格が良い。連中のリーダー格だろうか。

 そんな彼に、ランサーは心底煩そうに応える。

 

「堅ぇこと言うなよ。別に良いだろ、こんくらい」

「余裕はあるとはいえ時も無限ではない。何より我等がマスターは貴様を信用しておらん」

「ああそうかい。んなこた知ってるって言峰に伝えとけ」

「みだりにマスターの名を明かすな……!」

「今さらだろそんなもん」

「そういう問題ではない!良いか、我等はマスターから貴様の監視も仰せつかっている。くだらんお喋りでこちらの情報を流そうという魂胆なら」

 

 アサシンの言葉はそこで途切れた。

 何時の間にかーー本当に、一体いつそうなったのかまったく知覚できなかったが、ランサーがアサシンの喉元に槍の切っ先を突き付けてた。

 

「そこまでにしときな」

 

 ランサーはそのまま平坦な顔で、淡白に告げる。

 

「過程がどうあれ令呪を持っている以上、俺のマスターは言峰だ。俺は『マスター』を勝たせる。騎士としてそう誓った。そいつを侮辱するならテメェから叩き斬るぞ」

 

 その声音に先ほどのような激しさまったく無い。しかし俺は背骨が氷柱と入れ替わったかのような錯覚を覚えていた。

 きっとこれがランサーの本物の怒りなのだろう。端で見ているだけの、しかも魔術で感情を凍結させているはずの俺ですらこれだ。直接その怒りをぶつけられているアサシンのプレッシャーは想像もできない。

 結局アサシンは身動ぎ一つできず、ランサーが槍を退くことで再び場が動き出す。

 

「悪いな。待たせた」

「……いえ」

 

 応えるバゼットさん声は明らかに重い。

 今の気迫でランサーの、これから自分が戦う敵の強大さを改めて思い知らされたのだろう。

 

「衛宮」

 

 俺は口出しできずに成り行きを見守っていた衛宮に小さく声をかけた。衛宮が眼だけでこちらを向いたのを確認し、言葉を続ける。

 

「ランサーはバゼットさんに抑えてもらう。その間にあそこへ走れ」

 

 そう言ってやはり眼だけである地点、初めに比企谷が衛宮たちを待っていた街灯の下辺りを指す。

 衛宮黙って頷いた。

 

 

 

 二つの影が交錯する。

 槍とグローブが衝突する度に火花が散り、夜を刹那の時だけ明るく照らす。

 ランサーはバゼットさんを迎え撃つ形で防戦に回っていた。しかしそれは、決してバゼットさんが押しているという意味ではない。

 

「ハアァァッ!」

 

 バゼットさんが裂帛の気合いと共に攻撃を繰り出す。俺では視認すらできない、人外の領域に達したその攻撃を、ランサーは事も無げに捌いていた。

 先ほどからずっとこの調子だ。

 どんなに手数を増やしても、フェイントを入れても、ランサーはその全てを弾き返していた。なのに自分からは手を出さない。

 焦りのためか、バゼットさんの表情が歪み汗が滲む。そしてそれは、俺と衛宮も同じだった。

 ランサーには余裕があるとはいえ、バゼットさんを無視できるほどではないはずだ。だから逃げるならば今しか無い。しかしーー

 

「くそっ……!」

 

 隣の衛宮が小さくうめく。アサシン達の包囲に隙が無い。

 アサシン達はこちらを取り囲むだけで攻撃してくる事はなかった。

 恐らくランサーが事前に、バゼットさんとの決着が着くまで手を出すなとか、そんなような事を言い含めていたのだろう。特に根拠は無いが、そういうことを言いそうなタイプに思える。

 そのお陰でかとりあえずは無事でいられるが、動きを見せればさすがにこのままというわけにはいかないだろう。

 転移結界までは100メートルほど。全力で走れば十一秒とちょっと。

 言葉にすればたったのそれだけだが、その間アサシン達を凌ぎ切れるイメージがまったく湧かない。どうにか隙を見付けなければ離脱は難しいだろう。

 俺達が歯噛みしている間もバゼットさんとランサーの闘いは続いている。数分が経った頃、それに小さな変化が訪れた。

 

 

「チッ…… こんなもんかよ、バゼット?」

 

 

 何の事はない、ただの小さな舌打ち。それはランサーのものだった。

 ランサーは構えを解くと大袈裟にため息を吐く。訝しげな顔で攻撃の手を止めたバゼットさんに、ランサーは落胆したように続けた。

 

「動きが硬え。視野が狭え。今お前の前に居るのは誰だ?お前の従者か?お前が憧れた英雄か?違うだろ。ただの倒すべき敵だろうが」

 

 ランサーの指摘にバゼットさんが目に見えて動揺する。そんなバゼットさんに、ランサーは侮蔑するような顔で言葉を連ねた。

 

「敵とやりあうのにんな萎縮してどうすんだ。お前なら俺を倒せんじゃねえかと思ってたんだがな、この程度じゃ期待するだけ無駄か」

「!?」

 

 一瞬だった。

 ランサーが小さく呟いたと思ったら、瞬間移動でもしたかのように数メートルは離れていたバゼットさんの目の前へと踏み込んでいた。ろくに反応も出来ずに驚愕するだけのバゼットさんに、ランサーは冷めた眼で告げる。

 

「せめて俺の手で死なせてやる。お前はここで終わっとけ」

「くっ!」

 

 至近距離から振り上げられた槍を、バゼットさんは身を仰け反らせてギリギリで躱わす。体勢を崩して派手に飛び退く彼女を、ランサーは追撃するでもなくダルそうに見送った。

 手心を加えた、わけではない。ただ単に手を抜いている。俺にすら判るその事実に、バゼットさんの表情が屈辱に歪む。

 まずい……。戦力差がありすぎる。

 俺には強化魔術の効果が残っているが、そんな程度じゃサーヴァントには及ばない。実際比企谷はアサシン1人との戦いに敗れている。

 頼みの綱のバゼットさんもランサーには手も足も出ない。これでは本当に撤退すらままならない。

 ランサーはもはや構えを取ることすらせず、槍を肩に預けてスタスタと無造作に距離を詰めてくる。隙だらけにしか見えないのにバゼットさんは手出し出来ず、逆に後退を繰り返してとうとう俺達のところまで戻ってきてしまった。

 

「……すみません。時間を作ることもできませんでした」

「いえ……でも困りましたね。何か策とかあります?」

「残念ながら」

 

 バゼットさんは苦笑してそう答えた。確かにもう笑うしかない。

 比企谷ならどうしただろう。そんなことを思いもしたが、俺に思い付くのは玉砕覚悟の強行突破くらいだろうか。バゼットさんと視線が合い、彼女も同じ考えであることを確認する。

 そうして頷こうとしたところで、今まで黙っていた衛宮が口を開いた。

 

「葉山、とにかくあそこまで行けばなんとかなるのか?」

「? ああ」

 

 転移結界の敷かれた辺りを視線で指す衛宮に肯定の返事を返す。

 

「試してみたい事がある。合図したらとにかく走ってくれ」

 

 何をするつもりなのかは分からないが、どうせ策など無いのだ。試せる事は何でも試してやる。

 

「わかった」

「相談は終ったか?」

 

 俺とバゼットさんが衛宮の言葉に頷くのとほぼ同時、ランサーの気だるげな声が響く。

 ランサーはわざわざ待っていたらしい。しかしこれは最初の頃とは違って、ただこちらを舐めきっているが所以なのだろう。彼は己の肩を槍で退屈そうにトントンと叩きながらあくびを噛み殺している。

 

「んじゃ、そろそろ終らせるぜ。そっちの二人も覚悟を済ませな」

 

 ランサーのそのセリフにアサシン達の気配が塗り変わる。どうやらもうアサシンを待たせるつもりも無いらしい。

 ピリッ、と空気が張り詰める。そのまま数秒ほど状況が静止しーー

 

 

「走れ!」

 

 

 衛宮の叫びと共に時間が流れ出す。

 俺達は弾かれたように駆け出し、それにアサシンが殺到する。そんな中で、ランサーだけはゆったりと歩を進めていた。

 先頭を走っていたバゼットさんがアサシンと接触する。あの館の時と同様に蹴散らしていたが、今回はあの時よりも数が多く、退く気配も無い。

 

「うおおっ!」

 

 バゼットさんの背後に迫っていたアサシンの一人にタックルする。余計な真似かも、などと考えてる余裕は無い。奴等の毒はほとんど一撃必殺の代物だ。かするだけでもマズイ。バゼットさんといえどこの数を捌くのは無理がある。

 

 

投影開始( トレースオン)!」

 

 

 背後から衛宮の声が響く。

 アサシン達と入り乱れて格闘している俺に、声に反応して振り向く余裕は無かった。だから視界に衛宮の姿が入ったのはただの偶然だ。

 衛宮は左手に弓を、右手に剣を持っていた。

 弓は俺達との戦いの時に遠坂を援護する為に作り出した物。

 そして剣は、あの黄金のサーヴァントとの戦いで見せた魔術で作り出した物だった。

 その剣はまるでドリルのようなねじれた刀身をしていた。衛宮はそれを矢の代わりに弓につがえーー

 

 

「空間よ、捻れ狂え!」

 

 

 瞬間、音が消えた。間近で起きた爆音に一時的に耳が壊れたのだ。

 熱波をはらんだ暴風が吹き荒れ、衝撃を伴う閃光が全身を打つ。平衡感覚を失い受け身も取れずに地面を転がる。

 まだ治まることのない耳鳴りに顔をしかめながら身を起こすと、目の前にクレーターが出来ていた。

 

 ……いやいやいや、おかしいだろ。

 

 タイミング的にどう考えても衛宮の仕業なのだが、どう考えても人間業ではない。バゼットさんの超人的な戦闘力が霞んで見えるほどだ。

 

「今だ!走れ!」

 

 唖然としていたところに衛宮の叱咤が届き、反射的に走り出す。そうだ、今はとにかく脱出するのが先決だ。他の事は後で考えろ。

 今の爆発でアサシンは半数近くが消滅したようだ。正面にはぽっかりと空白地帯が出来ており、目標地点までを遮る物は何も無い。今なら一気に……!

 

 

「行かせねえっつったろ?」

 

 

 希望が見えた矢先に又しても立ちはだかる蒼い影。クソ、ここまで来て!

 ランサーは先ほどとはうって変わって楽し気な笑みを浮かべていた。

 

「あんな隠し玉があったのかよ。今のはさすがに驚いたぜボウズ。叔父貴の剣 ( カラドボルグ)なんか一体どこで手に入れやがった?」

 

 カラカラと機嫌良く、しかし獰猛に笑うランサーにバゼットさんが間髪入れず再び挑みかかる。

 

「ハァ!」

「カカッ!ずいぶん動きが良くなったじゃねえかバゼット!だがその程度じゃまだ俺の命には届かねえぞ!っとぉ!?」

 

 嬉しそうにバゼットさんを迎え撃つランサーが、奇嬌な声を上げて真横から弧を描いて飛んできた短剣を叩き落とした。

 

「うおおぉぉぉぉっ!」

 

 その隙を突いて身を退くバゼットさんと入れ替わるようにして、衛宮が自身の身長ほどもある大剣でランサーに殴りかかる。ほとんど真上から振りかかるそれを、ランサーは槍で受け止めた。

 衛宮の持つ剣は巨大で、どう少なく見積もっても80キロはありそうな代物だった。そんな物に重力と体重を加算して叩き着けたのだ。槍が折れなかったのが不思議なくらいだ。

 ランサーは膝と腰を折り、ほとんどしゃがみ込むような体勢で持ちこたえてはいたが、ここから逆転するのは不可能だろう。

 

 ーーーー普通なら。

 

 

 

「ハッハァ!やっぱ筋が良いなボウズ!つうかこんなバカデカイ剣どこに隠してやがった?」

 

 

 

 ランサーの下肢の筋肉が脹れ上がり、巨剣がそれを握る衛宮ごと浮き上がる。

 ランサーは己に振りかかる災禍を、暴力を、不条理を、それらの全てを抱えて立ち上がって見せた。まるで伝説の英雄のように。

 その立ち姿に見とれそうな自分に活を入れ、先ほどランサーが叩き落とした短剣を拾って切りかかる。反対からはバゼットさんが再度仕掛けーーその俺達三人をランサーは、槍の一振りでまとめて凪ぎ払った。だからおかしいだろ!三人がかりで手も足も出ないとか!

 俺達の中でただ一人、瞬時に体勢を立て直したバゼットさんが尚もランサーに挑みかかる。一方俺は、それに加わる事ができなくなっていた。

 ランサーとの攻防は、濃密ではあったが時間としてはわずかなものだった。そのわずかな間に、アサシン達が陣形を整えて俺達の包囲を完成させていたのだ。

 

「ちくしょう……!」

 

 歯ぎしりと共にそんな言葉が漏れ、諦念が心を塗り潰す。

 完全に詰んだ。もうこれ以上は手札が無い。

 俺は握り締めていた短剣を手放ーー

 

「まだだ!」

 

 すぐ隣であがった咆哮に、抜けかけていた力を込め直す。

 見れば衛宮は欠片も諦めちゃいなかった。その手に新たに剣を産み出し、アサシンを無視してランサーに切り着ける。ランサーはバゼットさんと衛宮の二人を同時に相手して、心底嬉しそうに牙を剥いていた。

 

「良い気合いだボウズ!それで良い!諦めるなんざ死んでからでも間に合う!」

 

 ランサーのその笑顔のせいか、殺し合いをしているはずの彼らが、俺には無邪気に遊んでいるように見えた。

 そんな彼らが眩しくて、つまらない計算で簡単に諦めようとしていた自分が酷く小さく思えてくる。

 そんな妄念を振り払うように頭を振り、手早く状況を再確認する。

 

 脱出地点である転移陣はもう目と鼻の先。しかしその前にはランサーが壁として立ちはだかっている。

 アサシンはこちらを取り囲むのみで仕掛けてくる様子が無い。さっきはランサーが釘を刺していたのかと思ったが、どうもそれだけではなさそうだ。恐らくアサシンとランサーの能力差のためだろう。

 投げナイフではランサーを巻き込む事になり、不用意に近寄ればもろともに蹴散らされる。だからランサーが積極的に戦い、優勢な内はこちらを逃がさない事だけに注力しているのだろう。無論、いざとなればランサーごと俺達を葬るつもりで。

 

 目下、最大の障害はランサーだ。彼をどうにかしなければ話にならない。しかしランサーは単純に強い。どうにかできる目処が立たない。よしんばランサーを押し込める事が出来たとしてもアサシンの一斉射が来る。だから先にアサシンをなんとかする必要がある。けどランサーを相手にしながらアサシンを無力化するのは不可能で……

 

 ダメだ。考えれば考えるほど絶望的な状況が浮き彫りになるだけで、プラスの要素が何一つ見付からない。というかもう既に、ひたすら足掻き続けるしかないところまで来ているのだが、どうしても『無駄な足掻き』という言葉が脳裏を掠めて出足が鈍る。クソ、ついさっきそれで自己嫌悪したとこだろうが……!

 さっきも思った通り、手持ちの札ではもうどうにもならない。出来る事があるとすれば、投了までの時間を先延ばしにする程度。比企谷の言葉を借りればドローカードに期待するしかないわけだが、そもそも山札が残っているかすらが疑問。それでも、

 

 

『諦めるのは死んでからでも間に合う』

 

 

 今しがた敵の口から出た言葉を胸に、剣を握る手に力を込め視線を上げる。

 それと同時に光の柱が現れた。

 

「!?」

 

 正面、隠蔽してあるはずの転移陣が輝き無数の光弾を吐き出していた。光弾は花火のように上空へと飛び、弧を描いてアサシン達へと降り注ぐ。

 

「何だぁ!?」

「隙有り!」

 

 いきなりの事態にさすがに戸惑うランサーに、バゼットさんが食らい付く。ランサーは危なげなくそれを捌いたが、これまでとは違ってバゼットさんに押される形で距離が開いた。そこへーー

 

「うおおぉぉ!?」

 

 例の光弾がランサーへと殺到し、ダメージこそ与えた様子はないものの、ランサーをその場に釘付けにする。

 

「隼人!」

 

 この声!?

 脈絡無く響く聞き覚えのある声。その発生源に振り向くと輝く転移陣が目に入る。

 

「飛び込め!」

 

 反射的に叫んだ。もうここしかない。

 衛宮もバゼットさんもそれは心得ていたらしく、言われるまでもなく結界に向かって駆け出していた。

 三人がほぼ同時に、転がるようにして結界に飛び込む。

 俺は周囲を確認する時間も惜しみ、袖口に忍ばせておいたアイスの棒のような小さな木の板ーー転移結界の起動キーに、服の上から拳を叩き着ける。

 キーが折れる感触と共に、結界が輝きを増しーー

 

 

 

 

 グシャ

 

 そんな音が響き、黒衣を纏った男ーーアサシンが崩れ落ちる。

 

「一人だけあの一瞬で追い付いてきたようですね。排除は完了しました。情報を送る余裕は無かったはずです」

 

 落ち着き払った様子で拳の血を払うバゼットさん。全身傷だらけのボロボロなのに息を切らした気配も無い。というかどんなに疲労してても一瞬で息を整える技術を身につけているらしい。こんど教えてもらおう。

 彼女とは対照的に、俺と衛宮はいかにも疲労困憊で肩で息をしている。その衛宮がやっとの様子で身を起こし、呟きを漏らす。

 

「……ここは?」

 

 もっともなセリフではある。衛宮が『ここ』を知っているはずは無いのだから。とはいえ俺も入るのは初めてなんだが。

 ここは比企谷が選び、メディアさんが設定した転移先。恐らくは敵方の誰もが予想しないであろう安全地帯。……まったく、他人の家を勝手に使うとかどういう神経をしてるんだ。

 心の中で比企谷に愚痴を言い、ようやく顔を上げる。

 一人で生活するには広すぎるのでは、とも思える3LDK。リビングの窓からはバルコニーを挟んで新都の夜景が広がっている。

 来客を想定していないのか、まるでビジネスホテルのように簡素で最低限の調度品。寂しい光景のはずなのに何故か温かみを感じるのは、きっと彼と彼女のお陰なのだろう。

 やや異彩を放つクリーム色のソファの正面には大型のテレビが設置され、その下のデッキにパンさんをはじめとしたディスティニー作品が並んでいる。……好きなんだな、相変わらず。

 ここはとある高級マンション。雪乃ちゃんの住む部屋だった。比企谷が「どうせ無人なんだから使わせてもらおう」とか言い出した時は呆れ果てて頭痛がしたよ。

 俺はその無人のはずの部屋を見回し、居ないはずの相手を探す。彼女は特に隠れたりもせず、堂々とその姿を晒していた。

 

 カンベンしてくれ。

 

 それが正直な感想だった。

 ここ二日の間にどれだけの事が起こった?

 雪乃ちゃんが行方不明になり、メディアさんは人間じゃなくて、比企谷はワケわからん戦いに参加していて、アサシンに襲われバゼットさんに助けられ雪乃ちゃんがサーヴァントを連れてきて比企谷が拐われて。

 もうウンザリだ。とっくに一杯々々なんだよ俺は。

 なのに、なんでこんなところでよりによってアンタが出てくるんだ。

 

 俺がほとんど恨むような気持ちで睨み着けると、彼女はいつもと変わらぬ、それこそ彼女の名前を体言するような輝く笑顔で手を振ってきた。

 

 

「ひゃっはろ~!って、比企谷くんは居ないんだっけ」




ここまで。
現在出来てるのはこれで全部です。
次の更新が何時になるかは俺が聞きたい。……マジすんません。


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