ストライク・ザ・ブラッド―混沌の龍姫― (アヴ=ローラ)
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〇章 龍神の再来篇
龍神と空隙


お久しぶりの方はお久しぶりです。突然ですが、『ストライク・ザ・ブラッド―真祖と無限―』をリメイクすることにしました。
理由は二つ。一つ目は、聖者の右腕と戦王の使者の回が、原作通りすぎたこと。二つ目は、原作文字の多さで書くのがしんどくなったこと。
以上の理由により、リメイクとなりました。続きを楽しみにしていた方、すみません。

リメイク版は、オリ主最強のままなので、敵は各神話の神々+強化をたくさん出していく予定です。………あと、古城達も原作より強くしていきます。
相変わらずの不定期更新となりますが、よろしくお願いします。


 ある真夏の日のことだった。

 太平洋上に浮かぶ小さな島。カーボンファイバーと樹脂と金属と魔術によって造られた人工島。それは絃神島と呼ばれていた都市(まち)

 第四真祖という、この街のどこかにいるとされる吸血鬼の都市伝説がある。

 その第四真祖は不死にして不滅。一切の血族同胞を持たず、支配を望まず、ただ災厄の化身たる十二の眷獣を従え、人の血を啜り、殺戮し、破壊する。世界の理から外れた冷酷非情な吸血鬼。過去に多くの都市を滅ぼした化け物だという噂があった。

 そんな第四真祖の噂があるこの街に、一人の少女がこぼれ落ちた。

 その少女は、時刻が丁度真夜中の零時になった途端、何もない闇の空から出現した。

 闇より深い姫カットの黒い長髪。落日を思わせるような真っ赤な双眸。髪色とは対照的に真っ白な肌を持つ童顔。

 闇を纏っているような漆黒の姫ドレス。そして―――幼女の言葉が似合う容姿で人形のような少女だ。

 漆黒の少女は、闇色の翼を背に広げたまま絃神島を見下ろして、

 

「この世界………久しぶりに帰ってきた」

 

『久しぶりって言っても、数ヵ月ぶりだけどね』

 

 漆黒の少女の呟きに、陽気な少年のような声が応える。

 漆黒の少女は、そうだった、と特に恥じることもなく、無感動な声音で返事をした。

 

「………〝彼〟は元気にしてる?」

 

『うん?〝暁古城〟のことかな?』

 

 コクリ、と頷く漆黒の少女。陽気な少年の声は、そうだねえ、と考えるように呟き、

 

『―――実際に会ってみた方がボクはいいと思うよ』

 

「わかった。そうする」

 

 漆黒の少女は、短く返事してゆっくり下降する。彼女が降り立ったところは、人目のつく繁華街。

 漆黒の翼を広げたまま舞い降りてきた少女を見て、彼女を目撃した者達が、何事か、と驚いた表情で見てくる。

 しかし、漆黒の少女は、周囲の目を全く気にしていないのか、なに食わぬ顔で漆黒の翼を消して繁華街を歩き始めた。

 そんな彼女に、呆れたような声音で陽気な少年の声が言ってきた。

 

『あのさ、愛娘ちゃん。捜し人は〝暁古城〟だけなんだからさ、人目のつかないところに降りない?』

 

「………この世界で龍神(ワタシ)に勝てる生物は存在しない。だからコソコソする必要はない」

 

 きっぱりと言ってのける漆黒の少女。陽気な少年の声は、まあそれはそうなんだけどねえ、と軽い口調で返す。

 

『この世界の〝天部(カミ)〟は全滅しちゃってるし、あとボクの愛娘ちゃんと戦え(遊べ)るのは……三名の真祖と』

 

「第四真祖。世界最強の吸血鬼なだけあって、中々愉しめる相手」

 

 フッと薄い笑みを浮かべる漆黒の少女。

 少し楽しそうな彼女に、陽気な少年の声は、ククと笑って、

 

『とはいっても、過去(むかし)なら兎も角、現在(いま)の第四真祖は眷獣もまともに制御できない子だよ?愛娘ちゃんが期待できるほど強くはないよ』

 

「………それは困る。どうすればいい、パパ?」

 

 困ったような顔をする漆黒の少女。彼女に〝パパ〟と呼ばれた、陽気な少年の声は、うーん、と考え込み、

 

『手っ取り早い方法なら―――愛娘ちゃんが直々に、第四真祖の覚醒を手伝ってあげる………ってのがあるけど?』

 

「それ、名案。パパ、冴えてる。うん、その方法でいく」

 

 強く頷いて賛同する漆黒の少女。陽気な少年の声は、それじゃあ決まりだね、と返し、

 

『………っと。その前に、愛娘ちゃんに〝お客さん〟みたいだよ』

 

「〝お客さん〟?」

 

 漆黒の少女は、きょとんとした顔で立ち止まる。陽気な少年の声が、後ろ後ろ、と彼女を促す。

 漆黒の少女は、彼に従い振り返る。そこには、数名の特区警備隊(アイランド・ガード)の者達と―――黒い日傘を差した少女がいた。

 日傘を差しているその少女は、容姿は漆黒の少女と大差なく、童顔で人形のような幼い少女だ。

 瞳の色は紺。フリルまみれの豪華な黒のドレスを着ている。

 

「貴様か?通報にあった、身元不明の魔族の娘というのは」

 

「………魔族?」

 

 漆黒の少女は、自分と同じ髪色の少女の問いに小首を傾げる。

 その日傘の少女は、そうだ、と頷いた。

 

「つい先ほど、匿名の通報があってな。その通報してきた奴の情報と、貴様の容姿や恰好が一致している。それで、私がこうして貴様に質問しているんだが………人違いか?」

 

 日傘の少女が、漆黒の少女の全身を見回し訊いてくる。漆黒の少女は、無感情な表情で彼女を見返し、

 

「………ワタシは魔族じゃない。龍神」

 

「―――――は?」

 

 日傘の少女と、彼女の後ろに控えていた数名の特区警備隊(アイランド・ガード)が素っ頓狂な声を洩らす。

 日傘の少女は、疑わしいような目で漆黒の少女を睨み、

 

「貴様、大人をからかってるのか?」

 

「からかってない。ワタシは龍神。異界に棲むドラゴン」

 

 淡々と告げる漆黒の少女。日傘の少女は、ふん、と鼻を鳴らして、

 

「………貴様がどういうつもりで大人をからかっているのかは知らんが―――あまり調子に乗らない方がいい」

 

「………調子に乗ったら、どうなる?」

 

 無感動な声で訊き返す漆黒の少女。すると、日傘の少女は、フッと笑い、

 

「当然―――痛い目を見ることになるぞ、小娘」

 

 そう言うと、日傘の少女の周囲の虚空から、無数の銀色の鎖が出現して、漆黒の少女の全身を搦め捕った。

 不意打ちの攻撃を受けた漆黒の少女。だが、銀色の鎖に捕縛されたまま、特に驚いた様子を見せることもなく、ただ冷静な口調で言葉を紡いだ。

 

「………〝天部〟の遺産、〝戒めの鎖(レージング)〟」

 

「なに!?」

 

 漆黒の少女の呟きを耳にした日傘の少女は、ぎょっと彼女を見つめ、

 

「貴様、〝天部〟を知っているのか!?」

 

「知ってる。けど、魔女風情に教える義理はない」

 

 漆黒の少女は、きっぱりと断ると、軽く動いて銀色の鎖を粉々に破壊した。

戒めの鎖(レージング)〟を容易く破壊した漆黒の少女に、なっ、と驚愕する日傘の少女。

 そんな彼女を庇うように、特区警備隊(アイランド・ガード)の者達が前に出てきて、

 

「南宮教官、あの娘は我々が………!」

 

「―――!待て、よせっ!」

 

「これでも喰らえ………ッ!」

 

 南宮と呼ばれた日傘の少女の制止は間に合わず、特区警備隊(アイランド・ガード)の数名が対魔族用の呪力弾を、漆黒の少女めがけて一斉射撃した。

 が、漆黒の少女の胸元に、寸分の狂いなく全ての呪力弾が叩き込まれたはずが、彼女に触れた瞬間―――パァンと風船が割れたように銃弾が粉々に弾け飛んだ。

 

「馬鹿なッ!?」

 

 特区警備隊(アイランド・ガード)の者達が有り得ないものを見たような表情を見せる。

 漆黒の少女は、そんな彼らをつまらないものを見るかのような目で眺め、

 

「………?」

 

 彼女の眼前に突如、巨大な黄金の鎖が迫ってきた。それは、戦艦の錨鎖(アンカーチェーン)にも似た、直径十数センチにも達する鋼鉄製の鎖。鎖を構成する(リンク)の一つ一つが、最早完全な凶器である。南宮が、砲弾のような勢いで撃ち出した新たな鎖だ。

戒めの鎖(レージング)〟の比ではないその巨大な黄金の錨鎖は、漆黒の少女の身体に吸い込まれるように、鎖の先端が叩き込まれ―――バキャン、と音を立てて黄金の鎖の方が粉々に弾け飛んだ。

 

「な………!?」

 

 南宮が、愕然と声を上げる。漆黒の少女は、落胆したような瞳で南宮を見つめ、

 

「〝天部〟の遺産、〝呪いの縛鎖(ドローミ)〟。たしかに強力。けど、龍神のワタシには通用しない」

 

「く………!」

 

 南宮は、試しに左腕を一閃する。漆黒の少女の身体を吹き飛ばすイメージで。だが、肝心の彼女の身体は微動だにしなかった。

 空間そのものを振動させて、爆発的な衝撃波を作り出して、漆黒の少女のこめかみに叩きつけたが、彼女には全く効いていない。

 それもそのはず、漆黒の少女にとって、南宮の放った不可視の衝撃波は、そよ風とも感じていない攻撃だったからだ。

 南宮は、ちぃ、と舌打ちすると、まるで凄腕の手品師のように、日傘を掲げ、その中から小さな獣達を撒き散らした。見た目はクマの縫いぐるみに似ている。二頭身の可愛らしい獣の群れだ。

 

「………?」

 

 漆黒の少女が、それらを怪訝な瞳で見回す。その獣達は、見た目に反した敏捷さで動きだし、漆黒の少女を包囲した。

 その正体を、陽気な少年の声が答える。

 

『魔女の使い魔(ファミリア)だね。迂闊に触れたら、手脚の一、二本は吹き飛ぶけど………ボクの愛娘ちゃんなら問題ないね』

 

「うん」

 

 漆黒の少女は、彼の意見に賛同し頷く。そんな彼女へと、南宮の使い魔(ファミリア)達が四方から跳んだ。

 漆黒の少女は、避ける暇もなく全ての使い魔(ファミリア)達を身体に受け―――ズドガァン、と凄まじい爆発が巻き起こった。

 これなら流石の奴でも無傷とはいかんだろう、と南宮は思った。が、

 

 

「―――もう終わり?」

 

 

「………っ!?」

 

 爆炎が晴れると、無傷の状態で漆黒の少女の姿が現れた。

 使い魔(ファミリア)達の攻撃でも、漆黒の少女にダメージを与えるどころか、傷一つ負わせることができなかった。

 南宮は、ギリッと歯軋りする。なんてデタラメな身体をしているんだ、と思いながら。

 漆黒の少女は、南宮をつまらないものを見るかのような瞳で見つめ、

 

「………所詮、魔女の力はその程度。降参する?」

 

 漆黒の少女の問いに、南宮は首を横に振り、

 

「安心しろ、自称龍神娘。私の力はこんなものではない」

 

「………そう。なら、見せて。オマエの全力」

 

 まだ何かある南宮を、漆黒の少女は少し嬉しそうな笑みを浮かべながら見つめる。

 南宮は、言われなくても見せてやる、と呟き、

 

 

「―――起きろ、〝輪環王(ラインゴルト)〟」

 

 

 自らの影に向かって傲然と命じた。

 その瞬間、南宮の背後に現れたのは、全長数十メートルもある巨大な影だった。

 優雅さと荒々しさを併せ持つ、金色の甲冑を纏った人型の影。機械仕掛けの黄金の騎士。

 禍々しい存在感が、人工の大地を震わせた。

 闇そのものを閉じ込めたような分厚い鎧の内側から、巨大な歯車や駆動装置の蠢く音が、怪物の咆哮のように聞こえてくる。

 巨大な黄金の騎士の姿を見上げて、漆黒の少女の口元に笑みが浮かぶ。

 陽気な少年の声も、少し喜んでいるような声音で呟く。

 

『へえ………中々強力な手札(もの)を隠し持っていたみたいだね。まあ、ボクの愛娘ちゃんの敵じゃないけど』

 

「うん。けど、少し楽しめそう」

 

 黄金の騎士像を見上げたまま、少し喜んでいるような笑みを浮かべる漆黒の少女。

 南宮は、そんな彼女を怪訝な顔で見つめ、

 

「嬉しそうだな、娘。だが、私の〝守護者〟は強力だぞ?慢心している場合ではないと思うんだが」

 

「うん。でも、勝つのはワタシ。その事実は揺るがない」

 

 漆黒の少女の言葉に、南宮は、ふん、と鼻を鳴らして、

 

「貴様のその驕り―――叩き潰してくれる………!」

 

 南宮の宣言と共に、黄金の騎士像が巨大な右腕を、漆黒の少女に振り下ろした。

 漆黒の少女は、その巨大な黄金の右腕を―――左手の人差し指のみで受け止めた。

 

「なん、だと………!?」

 

 自分の〝守護者〟の怪力を、たったの指一本で止めて見せたデタラメな少女を、愕然とした表情で見つめる南宮。

 漆黒の少女は、クスリと笑って南宮を見返し、

 

「これで終わり?」

 

「いや、まだだ!」

 

 南宮が叫ぶと、黄金の騎士像は真紅の荊を放ち、漆黒の少女の全身を搦め捕った。

 

「………無駄―――っ!?」

 

 漆黒の少女は〝戒めの鎖(レージング)〟と同じ要領で、真紅の荊の破壊を試みたが、壊れなかった。

 ようやく彼女の表情を驚きに染めることができて、南宮は満足げに笑う。

 

「ふふん。この〝禁忌の荊(グレイプニール)〟は、そう簡単には千切れんよ」

 

「〝禁忌の荊(グレイプニール)〟?………そう。北欧神話の魔狼を捕縛するためにドワーフ達がつくったという魔法の紐」

 

 真紅の荊の正体を知り、冷静な口調で己が持つ知識を口にする漆黒の少女。

 南宮は、ほう、と感心したような瞳で彼女を見つめた。

 

「さすがは龍神を自称するだけあるな。この真紅の荊も知っているのか」

 

「自称、違う。ワタシは本物の龍神」

 

 少し怒ったような声音で言う漆黒の少女。南宮は、ふん、と鼻を鳴らして、

 

「なら、この荊も千切ってみせろ。できたら、貴様が龍神だということを認めてやってもいいぞ?」

 

「………言われなくてもやる。こんな荊、すぐにでも壊せる」

 

 漆黒の少女はそう言うと、全身から〝闇〟を放出した。その〝闇〟はみるみるうちに真紅の荊を呑み込んでいき―――次の瞬間には消失した。

 

「な、に………!?」

 

 有り得ない光景を目にして、唖然とする南宮。そうしている間に、自由を取り戻した漆黒の少女が地面を軽く蹴り、黄金の騎士像に肉薄する。

 南宮がハッと背後を見た時には、漆黒の少女の小さな拳が、黄金の騎士像を粉々に叩き壊していた。

 自分の〝守護者〟を斃されて、放心する南宮。一方、彼女の目の前に着地した漆黒の少女は、薄い笑みを浮かべて、

 

「オマエ、魔女なのに中々強い。()()()()()。名前、なんていう?」

 

「私か?………南宮那月だ」

 

 なんとか口を動かして言葉を紡ぐ南宮那月。漆黒の少女は、クスリと笑って、

 

「南宮、那月。………うん、覚えておく」

 

 それだけを言い残すと、漆黒の少女は、那月の目の前から姿を消した。

 漆黒の少女が消えたのを確認した特区警備隊(アイランド・ガード)の者達が、那月の下へ駆け寄る。

 

「ご無事ですか、南宮教官!」

 

「なにもできず申し訳ありません!」

 

「私は平気だ。おまえたちは、先に戻って報告しておけ」

 

 那月の号令の下、特区警備隊(アイランド・ガード)の者達は、はっ、と応えて現場をあとにした。

 那月は、ふん、と鼻を鳴らして、漆黒の少女がいた場所に目を向ける。

 

「………龍神の娘、か」

 

 自称かと思っていたが、自分の攻撃が一切通用しないとなると、ある意味、本物の龍神と捉えてもいいかもしれない。

 あれほどの怪物が、この都市(まち)に潜んでいたとはな、と那月はフッと笑って天を仰ぐ。

 そして、密かにこう思った。あの龍神娘が、自分のメイドにならないかな、と星に願う。

 

 ―――その願いが叶って、翌日、メイドラゴンとして、漆黒の少女が那月の家に来ようとは、この時は思いもしなかった。




那月ちゃん家のメイドラゴン………的なノリで〇章は終了です。次回から聖者の右腕篇開始です。


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一章 聖書の神篇
聖者の右腕 壱


早速オリジナル設定入ります。
リメイク前より、オリ主の設定が変わってます。
あと、名前も変更してます。
名前変更の理由は、咎神の騎士篇で登場する安座真という名前が達巳(たつみ)だったので、紛らわしいから変更しました。


 神々の神話から外れた、とある異世界の話。

原初の龍(ウロボロス)〟。それは龍族(ドラゴン)蛇族(ナーガ)の始祖であり、異界の神々が最も恐れている世界最強の龍神(ドラゴン)だ。

 その無敗の龍神は、全ての始まりの神―――〝原初の混沌(カオス)〟が創造した、至高の殺戮兵器(ドラゴン)である。

原初の混沌(カオス)〟によって、世界が誕生する前に生み出された〝原初の龍(ウロボロス)〟は、ギリシャ神話の大地母神(ガイア)のように、九体の龍神及び蛇神を自力で生み出した。

 それから〝原初の龍(ウロボロス)〟と彼女の眷族()たちで、龍蛇たちのための〝楽園(パラダイス)〟を造り上げていった。

 彼らが創造した〝楽園(パラダイス)〟は、龍蛇たち(彼らの子達も含む)だけが棲まうことを許された、龍蛇(かれら)だけの世界。

 その世界は、決して滅びを迎えることのない完全なる世界―――〝永劫世界(エンドレス・ワールド)〟と呼ばれている。

 

 

 

 

 

 南宮那月の自宅は、人工島西地区(アイランド・ウエスト)にある八階建てのビル。高級マンションである。

 そのマンションの屋上に、結界が張られており、その中では―――絶賛特訓中だった。

 

「―――フッ!」

 

 豪華なドレスを着た那月は、襲いかかってきた無数の蛇たちを、自らの周囲の虚空から銀色の鎖を無数に出現させて撃ち落としていく。彼女の有する天部の遺産―――〝戒めの鎖(レージング)〟だ。

『彼女』の魔力で造られた蛇たちは、那月の銀鎖に為す術もなく蹴散らされていく。が、数が多すぎたため、銀鎖の攻撃は、全ての蛇を仕留め損ねる。

 那月は、冷静に逃げ延びて襲いかかってくる蛇たちを見つめると、空間制御の魔術で不可視の衝撃波を生み出し、纏めて蛇たちを吹き飛ばした。

 全ての蛇たちの一掃を終えた那月は、意識を周囲の空間に集中させて、不可視の能力を行使している『彼女』の居場所を探る。

 『彼女』の姿が見えなくても、透過の能力ではないので、空間に僅かな歪みが生じているはずだ。それを探り当てれば、そこに不可視の『彼女』がいる。

 そして、

 

「―――!そこか!」

 

 空間の歪みを探り当てた那月は、すぐさまそこへ銀鎖を撃ち放つ。

 すると、狙いは見事に的中したようで、那月の銀鎖は何かに衝突し―――バキン、と銀鎖が砕け散った。

 

「………見つかった」

 

 そう言って、『彼女』が不可視の能力を解いて姿を現し、着地した。その『彼女』は、露出度高めのメイド姿をしている。

 『彼女』が着地した瞬間、那月は、再び銀鎖を放って捕らえにかかる。が、『彼女』に触れることなく空を突いた。

 那月が見上げると、上空には『彼女』の姿があった。どうやら『彼女』も、空間跳躍(テレポーテーション)で銀鎖から逃れたようだ。

 那月は、すぐさま新たに銀鎖を放つ。が、やはり『彼女』には当たらない。

 ならば、と一本ではなく、二本に、三本に、四本に………と徐々に銀鎖の数を増やして試みる。が、『彼女』には掠りもしない。

 『彼女』の周りの空間を歪めて、逃げられないように(トラップ)を仕掛けてみるが、『彼女』は異空間跳躍で簡単に抜け出してみせる。

 今度は、那月自らが空間転移で『彼女』の背後に跳ぶ。そこからすぐに無数の銀鎖を撃ち放つ。が、『彼女』は振り返りもせずに全て躱してみせた。

 背中に目でもついてるのか、とでも言いたいくらいの完璧な回避術に、那月は、ちぃ、と舌打ちする。

 本当なら、不可視の衝撃波を『彼女』に叩きつけて、体勢を崩した瞬間を狙って、銀鎖を放ち捕らえる………が理想的だが、如何せん、『彼女』にはそんな小細工は通用しない。

 故に、那月は苦戦を強いられている。天部の遺産である黄金の錨鎖―――〝呪いの縛鎖(ドローミ)〟を使ったとしても、『彼女』を捕らえることはできないだろう。

 

「(………姫乃(ひめの)の眷族の力を借りるか)」

 

 姫乃。それは那月が『彼女』に付けた名前であり、名字は空無(からなし)と名付けた。

 それはさておき、那月はそう決めると、銀鎖を空間の中へ回収する。そして、新たな鎖を『彼女』―――姫乃に向かって撃ち放った。

 その鎖は、銀色の鎖〝戒めの鎖(レージング)〟でも、黄金の錨鎖〝呪いの縛鎖(ドローミ)〟でもない―――漆黒の鎖だった。

 その黒鎖を見た姫乃は、ようやく()()()の力を使った、と薄い笑みを浮かべる。

 黒鎖が姫乃を捕らえようと、まるで意思を持った蛇のようにうねりながら襲いかかった。

 姫乃は、僅かな動作で黒鎖を躱す。が、姫乃の横を通り過ぎたはずの黒鎖が急に方向を変え、彼女を背後から襲った。

 

「……………」

 

 しかし、姫乃は特に焦ることもなく、追撃してきた黒鎖を避ける。

 追尾する黒鎖、それを悉く躱し続ける姫乃。そんな攻防は延々と繰り返されているかに思えたが、それは間もなく決着を迎える。

 

「(………そろそろだな)」

 

 那月は、仕掛け時がきたな、と笑みを浮かべる。いつの間にか、姫乃を包囲するかのように、黒鎖が彼女の周囲の空間を漂っていた。

 そう。ただ姫乃に躱され続けていただけではなく、別の方法で彼女を捕らえるために準備していたのだ。

 那月の策に気づいた姫乃だが、もう遅い。那月は右手を前に出してグッと握る。すると、姫乃の周囲を漂っていた黒鎖は収束していき、彼女の身体を縛り上げた。

 

「………捕まった」

 

「ああ。捕まえたぞ」

 

 無感動な声音で言葉を紡ぐ姫乃を、満足げに見上げる那月。

 

「とはいえ、おまえが本気を出せば、容易く逃れられたのだろう?」

 

「うん。本気を出さなくてもいける」

 

 当然、と特に誇ることもなく答える姫乃。その余裕にイラッとくる那月だが、実際に数日前のあの戦いも姫乃は本気の一片すら見せてないので、認めざるを得ない。

 いや。一つだけ、姫乃のおぞましい能力を那月は目の当たりにしていた。〝闇〟そのものを身体から放出させ、ありとあらゆるものを呑み込み、消滅させるあの力を。

 那月がその〝闇〟について問いただしたところ、その正体は―――『全てを無へと還す混沌』だと姫乃は答えた。

 それは、たとえ〝神〟であっても抗う術がない『絶対』の力。勿論、姫乃も龍神(カミ)である以上、〝混沌()〟には敵わない。即ち―――創造主(カオス)には勝てないということだ。

 姫乃がこの〝闇〟を操れるのは、創造主(カオス)が最初に生み出した存在であるからであり、〝神〟が姫乃に勝てないのは、これが理由なのだ。

 

「複数の敵の撃退、不可視の索敵、空間跳躍封じは完璧。流石はワタシの()()()()

 

「ふん。最後のは姫乃の眷族の力を借りたからな。私の技術(スキル)だけではない」

 

 那月は、黒鎖を撫でながら不服そうに言う。

 黒鎖。それは姫乃の九体の眷族のうち、一体の能力が宿っている特殊な鎖だ。その能力は二つある。

 一つ目は、使用者の魔力を糧に敵をどこまでも追いかける追尾能力。

 二つ目は、魔力を奪い取る吸収能力。しかも、捕らえた相手だけでなく、包囲しただけで相手が放出している魔力を奪い取ることも可能だ。

 姫乃が、黒鎖に包囲された時に空間跳躍を行わなかったのは、使用すれば魔力を奪われてしまうからだった。

 欠点があるとすれば、追尾能力は使用者の魔力を糧に発動する機能なため、使うたびに魔力消費が馬鹿にならない。

 そして、神力もとい霊力を奪えない。魔族相手ならば完封できる代物だが、〝神〟や〝天使〟といった霊力を使うものには役立たずということだ。

 

「………それでも、勝手に追尾するだけの黒鎖を制御して、敵を追い詰める策は凄い」

 

「………ふん」

 

 姫乃に褒められても、那月は表情を変えない。が、本当は嬉しかったりする。何せ、目の前のメイドは神々が最も恐れている世界最強の龍神(ドラゴン)なのだから。

 ちなみに、龍神の姫乃がメイドラゴンとして那月家で共に暮らすようになったのは、最初に遭遇した翌日の朝のことだ。

 那月が目を覚めるや否やで、視界に映ったのが姫乃。そして、姫乃はこう告げた。

 

 

『―――オマエの願い、ワタシが叶える』

 

 

『その代わり、オマエはワタシを楽しませる存在になる―――これが契約の条件』

 

 

 この契約に那月は承諾し、特訓を受ける代わりに、姫乃をメイドラゴンにする夢が叶った。

 そして現在に至るのだ。

 

「………それじゃあ、本格的に戦お(遊ぼ)う、御主人様」

 

「そうだな。今日こそは、姫乃に一撃与えてやる」

 

 黒鎖を消して、構える那月。さっきの前哨戦(ウォーミングアップ)で消費した魔力は、会話をしている際に、黒鎖を通して姫乃の無尽蔵の魔力からたっぷりと奪っ(頂い)ている。

 姫乃は、那月から大量に魔力を奪われても気にしない。無尽蔵ゆえに決して尽きることがないからだ。

 無尽蔵の魔力と霊力の両方を併せ持ち、〝無〟の能力さえ行使できるこの龍神に勝てる〝神〟や生物は存在しない。空無姫乃を唯一滅ぼせるのは、〝無〟そのものである彼女の創造主(父親)だけなのだから。

 

 

「―――――」

 

 

 今日も龍神と魔女の戦いは始まる。時間が静止した結界(せかい)の中で。

 結果は、那月の惨敗。今日も龍神に一撃も与えることは敵わなかったのだった。

 

 

 

 

 

 真祖。それは闇の血族を統べる帝王であり、最も古くて最も強大な魔力を備えた〝始まりの吸血鬼〟だ。

 彼らは、自らの同族である数千数万もの軍勢を従え、三つの大陸にそれぞれが自治領である夜の帝国(ドミニオン)を築いている。

 そして、その夜の帝国(ドミニオン)を築いている、三人の真祖が存在する。

 第一真祖〝忘却の戦王(ロストウォーロード)〟。

 東欧の夜の帝国(ドミニオン)〝戦王領域〟を支配する真祖で、七十二体の眷獣を従える吸血鬼の覇王。

 自らの血族の吸血鬼は『D種』―――〝龍の息子(ドラキュラ)〟と呼ばれた、一般人が持つ吸血鬼(ヴァンパイア)のイメージに最も近い血族。

 第二真祖〝滅びの瞳(フォーゲイザー)〟。

 中東の夜の帝国(ドミニオン)〝滅びの王朝〟の皇帝の真祖で、十九体の眷獣を従える。公的に知られる三名の真祖の中でも最も謎が多く、自らの血族の貴族であっても正体を知るものはほとんどいない。

 自らの血族の吸血鬼は『G種』―――〝屍食鬼(グール)〟と呼ばれ、体色と姿を変えられる悪魔であり、特にハイエナ(ジャコウネコ科に最も近縁)を装う。女性はグーラと呼ばれ、美女の姿をしてフェロモンを放出させる〝魅了〟の能力を持つ。

 第三真祖〝混沌の皇女(ケイオスブライド)〟。

 中央アメリカの夜の帝国(ドミニオン)〝混沌界域〟を統べる、二十七体の眷獣を従える。

 自らの血族の吸血鬼は『T種』―――〝山羊の血を吸う者(チュパカブラ)〟と呼ばれ、獣人のように全身が毛に覆われている姿をする。

 槍や鞭などの姿をした〝意思を持つ武器(インテリジェント・ウェポン)〟の眷獣を従えていることが多い。

 そんな三名の真祖と違い、夜の帝国(ドミニオン)を持たない真祖が存在している。

 その者こそが、第四真祖〝焔光の夜伯(カレイドブラッド)〟と呼ばれた世界最強の吸血鬼。姫乃がこの絃神島に帰ってきた理由の、()()()なのだ。

 

「……………」

 

 時刻は夕方。姫乃は、微弱だが眷獣の魔力を感じ取って絃神島西地区(アイランド・ウエスト)のショッピングモールに来ていた。

 そこには、〝若い世代〟の吸血鬼と、〝灼蹄(シャクテイ)〟と呼ばれた妖馬の眷獣がいた。

 眷獣。それは不老不死の吸血鬼だけが従える、異界からの召喚獣。意思を持った魔力の塊だ。

 そんな彼と眷獣に対峙するのは、銀色の槍を持つ人間の少女。見るからに吸血鬼の方が勝つと思われるが、

 

獅子王機関(あいつら)の開発した対魔族用の秘奥兵器―――七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)だね。銘は〝雪霞狼〟と呼ばれている奴かな』

 

「白い蔓薔薇(つるばら)………雪の舞踏(シュネーヴァルツァー)?ふうん。興味ない。それよりも―――」

 

 陽気な少年の声―――創造主(カオス)の説明を軽く流して、姫乃はある少年の方へ視線を向けた。

 白いパーカーを着た高校生ぐらいの男。緊迫した表情で、銀槍を持つ少女を見守っている『彼』の顔に、姫乃は心当たりがあった。

 何故なら『彼』こそが、姫乃の捜し人なのだから。

 

「見つけた」

 

 姫乃は、漆黒の翼を広げると、早速『彼』の下へ一直線に飛翔して向かった。

 

「………!?なんだ!?」

 

「え!?」

 

 突如横切ってきた小さな漆黒の影に驚く吸血鬼の男と銀槍の少女。そして、最も驚いたのが、

 

「うおっ!?」

 

 漆黒の影が降り立ったすぐ眼前にいる『彼』だった。

 そんな『彼』に漆黒の影―――姫乃が口を開き言ってきた。

 

「見つけた、暁古城」

 

「は?」

 

 見知らぬ姫乃(少女)に声をかけられて戸惑う『彼』―――暁古城。

 姫乃は、少し寂しそうな表情で古城を見つめて、

 

「………やっぱりワタシのこと、覚えてない?」

 

「………いや、覚えてないとか言われてもな。黒い翼を広げたロリメイドの知り合いは、心当たりがないんだが」

 

 古城は、見知らぬ姫乃(少女)の寂しそうな表情を見て、困った顔をする。

 姫乃を慰めるように、創造主(カオス)が陽気な少年の声で言った。

 

『そう落ち込まないでよ愛娘ちゃん。いずれ思い出してくれるんだから、それまで待とう?』

 

「うん、そうする」

 

 創造主(カオス)の声に頷く姫乃。その彼の声を、間近にいた古城も聞いていたようで、驚いた顔をした。

 

「は?だ、誰だよおまえ!?つか、どこにいやがる!?」

 

『ん?それは企業秘密って奴だよ、暁古城()()

 

「うん。ワタシのパパの居場所は、ワタシにしかわからない」

 

「そうか………って、パパ!?おまえが、この子にメイド服を着せて喜ぶ特殊な性癖の持ち主か!?」

 

 古城が、姫乃(少女)の恰好について絶叫に似た大声で問いかける。

 その質問に姫乃は首を横に振り否定した。

 

「違う。この恰好はパパの趣味じゃない」

 

「え?じゃあ、そのメイド服をおまえに着せてる奴って―――」

 

 誰だ、と古城が訊こうとしたところ、吸血鬼の男に遮られた。

 

「嬢ちゃん、あんたは攻魔師………じゃねえな、魔族(同類)か!?」

 

 吸血鬼の男の問いかけに、姫乃は、振り返ると無感動な声音で答えた。

 

「魔族、違う。ワタシは龍神」

 

「―――――は?」

 

 姫乃の返答を聞いて、間の抜けた声を洩らす古城と吸血鬼の男。

 一方、銀槍の少女は、姫乃の言葉と容姿に戦慄していた。

 

「(龍神!?それにあの容姿は―――ッ!?………ま、まさか、こんな街中で『彼女』に遭遇するなんて………!)」

 

 なんてツイてない、と滝のように冷や汗を流す銀槍の少女。

 獅子王機関の長老たち〝三聖〟ですら手も足もでなかったと言われる、最強の天敵(ドラゴン)

 そんな怪物が、自分の目の前に悠然と立っている。おぞましいことこの上ない。

 だが、姫乃の正体に気づいていない〝若い世代〟の吸血鬼は、小馬鹿にしたように嗤った。

 

「おいおい嬢ちゃん、そんな冗談を言って、お兄さんをからかってるのか?」

 

「………冗談じゃない。ワタシは本物の龍神。異界の楽園に棲まうドラゴン」

 

 は?と一瞬言葉を失う吸血鬼の男。異界の楽園なら、彼も噂で聞いたことがある。そこは一言で表すならば―――〝龍蛇の楽園〟だと。

 

「おい、ガキ。冗談には言って良いことと、悪いことがあるぜ」

 

「冗談じゃない。オマエこそ、弱者風情がワタシを餓鬼扱いしたらどうなるか、わかっていない」

 

 吸血鬼の男が姫乃を睨み、姫乃は吸血鬼の男を冷ややかに見下す。

 吸血鬼の男は、牙を剥き出しにして吼えた。

 

「テメェごときのクソガキが龍神を騙るのは―――一億年()えェんだよッ!!」

 

 激昂した吸血鬼の男は、標的を銀槍の少女から、姫乃に変更して、

 

「あのクソガキをぶっ殺せ!〝灼蹄(シャクテイ)〟ッ!!」

 

 吸血鬼の男の命令を受け、標的を姫乃に変えて、妖馬の眷獣が襲いかかってきた。

 

「な、危ない!」

 

 古城が姫乃(少女)を庇おうとした。が、姫乃は彼を右手で制し、

 

 

「―――下らない」

 

 

 突進してきた妖馬の眷獣を―――デコピンの要領で消し飛ばした。

 

 

「……………は!?」

 

 

 その有り得ない光景に素っ頓狂な声を上げる古城たち三人。

 そして、自らの眷獣を失った吸血鬼の男は、放心してしまった。

 そんな動けない彼へと、姫乃はゆっくり近づいていく。止めを刺すつもりなのだろうか。

 それを古城は、慌てて止めに入った。

 

「ちょっと待ったァ!」

 

「………なに?暁古城」

 

 落ち着いた声音で訊き返す姫乃。古城は姫乃の前に立ち、通せんぼした。

 

「舐められたからって、殺そうとしちゃ駄目だろ!」

 

「………ワタシを殺しにきた愚者は、ワタシに殺されても文句は言えない」

 

「いや、たしかにそうだけど」

 

「もし邪魔するなら、先にオマエから殺す」

 

「っ!!?」

 

 にべもなく死刑宣告する姫乃に、古城は臨戦態勢を取ろうとして、

 

「―――というのは冗談」

 

「は?」

 

「オマエを殺したら、楽しみが減る。だから、オマエの顔に免じて、その弱者を見逃す」

 

「あ、ああ」

 

 なんとか引いてくれた姫乃に、古城は、ホッと息を吐く。

 それから、古城は、吸血鬼の男へと振り返り、

 

「おい、あんた。今のうちに仲間を連れて逃げろ。あいつの気が変わらない前にな」

 

「………!す、すまん………恩に着るぜ」

 

 吸血鬼の男は、古城に礼を言うと、気絶した仲間の身体を担いで去ろうとした。

 それを銀槍の少女が呼び止めた。

 

「待ってください」

 

「な、なんだよ!まだなにかあんのか!?」

 

 銀槍の少女を、吸血鬼の男が睨みながら返事する。しかし、銀槍の少女は落ち着いた声音で告げた。

 

「あなたが喧嘩を売った、その『彼女』は―――〝原初の龍(ウロボロス)〟です。龍族(ドラゴン)蛇族(ナーガ)の始祖だと言われています」

 

「え!?」

 

獅子王機関(わたしたち)は〝原初の混沌(カオス)〟の娘である『彼女』を〝混沌の龍姫〟と呼んでいます」

 

 銀槍の少女が語り終えると、唖然とする古城と、顔面蒼白で言葉を失う吸血鬼の男。そして、

 

「す―――すみませんでしたぁあああああ!!!」

 

 吸血鬼の男は、姫乃に謝罪しながら全速力で走り去っていった。

 そんな彼の背を一瞥した姫乃は、視線を銀槍の少女に向けて、

 

獅子王機関(オマエたち)は、ワタシの情報、どこまで知ってる?」

 

「え?………あ、はい。たしかな情報ではありませんが、第一真祖、第二真祖、第三真祖の三名の真祖は―――龍蛇(あなたがた)の世界の住人ではないかと睨んでいます」

 

 吸血鬼の真祖の不老不死は、龍蛇の象徴としてのものではないか、と獅子王機関は解釈している。

 銀槍の少女の言葉に、なるほど、と相槌を打つ姫乃。が、姫乃は首を横に振り、

 

「不正解。龍蛇(ワタシたち)の世界と真祖(カレら)は無縁。だけど」

 

「………だけど?」

 

「この世界に、龍蛇(ワタシたち)の世界の住人もいる。誰かは、教えない」

 

「え!?」

 

 驚愕の事実を知った銀槍の少女は、開いた口が塞がらない状態で暫し固まる。

 龍蛇(かれら)の世界の住人は、神話級の怪物がたくさん棲息していると聞いている。

 そんな怪物級がこの世界に移り住んでいるのは、考えるだけで恐ろしい。

 

「………そういや、あんたは俺のことを知ってるんだったな」

 

「うん」

 

「おまえの世界(シマ)は、絃神島(ここ)とは違う異界なんだろ?」

 

「うん」

 

「そんな異界からわざわざこの絃神島(まち)に来て、俺に会って、なにが目的なんだ?」

 

 古城が真剣な表情で問いただすと、姫乃はクスリと笑って答えたのだった。

 

 

「それはもちろん―――第四真祖(オマエ)戦う(遊ぶ)ため」

 

 

「……………は?」

 

 




D種=ドラキュラという解釈は、第一真祖の眷獣はソロモン七十二柱っぽいので、悪魔=龍。即ち、D種は龍(悪魔)の息子、ドラキュラ。

G種=グールという解釈は、グールはアラビアの吸血鬼なので、エジプト=第二真祖。滅びの瞳=ホルスの目=古代エジプト。能力についてはwiki参照。原作では固有能力不明。

T種=チュパカブラという解釈は、チュパカブラは南米の吸血鬼(吸血UMA)なので、メソアメリカ=第三真祖。ククルカン=ケツァルコアトル=アステカ。

オリジナル設定の姫乃の九体の眷族の詳細は、本編にて紹介していきます。


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聖者の右腕 弐

 翌日。那月家のマンション―――屋上。

 今朝も那月は、メイドラゴンこと姫乃の特訓を受け、戦闘技術を高めていた。

 前哨戦(ウォーミングアッブ)の内容は、那月が姫乃の攻撃をひたすら避けるというものだった。

 

「―――――」

 

 姫乃が、無から生み出した石の(つぶて)を同じテンポで投擲してくる。那月は、寸分の狂いなく自分の胸元に吸い込まれるように迫ってくる礫を、空間制御の魔術で生み出した衝撃波で迎え撃つ。

 最初の方は、それでどうにか凌げていた。が、姫乃の投擲速度が増していくたびに、衝撃波で対処するのが困難になっていき、

 

「―――ッ!」

 

 遂には、那月の衝撃波を礫が突き破り、彼女の左肩を掠めた。すぐ間近に迫ってきた追撃の礫を見て、ちぃ、と舌打ちした那月は、空間転移でその場から離脱する。

 だが、転移した先には、まるで待ち構えていたかのように礫が迫っていた。

 

「く………!」

 

 那月は、無造作に腕を振るって、銀色の鎖―――〝戒めの鎖(レージング)〟を虚空から撃ち出し、礫を撃ち落とす。

 それを見た姫乃は、クスリと笑って、

 

「………鎖を使うなら―――礫の数を増やす」

 

「は?」

 

 那月が間の抜けた声を洩らした瞬間、姫乃の周りには数十個に増えた礫が浮遊していた。そして、

 

「―――一斉攻撃」

 

 姫乃の一斉射撃が開始された。

 

「な………!?」

 

 那月は、超高速で迫ってきた無数の礫に戦慄し、恨めしそうに姫乃を睨みつけた。

 数が多すぎだ、駄メイド!という言葉を目で訴える那月。が、姫乃は無視して追撃の礫を用意する。

 那月は、自棄になって虚空から無数の銀鎖を撃ち放ち、礫を撃墜………しきれなかったので、空間転移で躱しながら鎖で礫を迎撃していく。

 だが、那月が回避できる速度に限界がきたようで、姫乃の操る礫を躱しきれず、胸板を撃ち抜かれてしまった。

 でも、那月のこの身体は、彼女の魔力で創り出された幻影―――人形だ。故に、壊されたところで那月本人が死ぬことはない。

 しかし、分身体である幻影の破損具合が酷ければ、那月の戦闘能力は失われてしまう。

 そんな那月の幻影は、姫乃が指一つ振るだけで再構築(リセット)された。

 復活した那月は、相も変わらずデタラメなメイドラゴンの能力に頬を引き攣らせる。

 

「………姫乃」

 

「なに?」

 

「昨日の特訓に比べて、今日のはハードすぎる気がするんだが」

 

 那月が指摘すると、姫乃は静かに頷き、

 

「御主人様が簡単にクリアするから、難易度上げた」

 

「そうか。たしかに、昨日の特訓は物足りないと思っていたが………今日のはクリアさせる気ないだろう?」

 

「うん」

 

 隠す素振りもなく答える姫乃。それに苦笑いを浮かべる那月。まあ、昨日の特訓よりは遣り甲斐があったが。

 

「………そうだ、姫乃」

 

「なに?」

 

「暁には会えたか?」

 

「うん、会えた。………けど」

 

「けど、なんだ?」

 

「勧誘失敗。暁古城は、ワタシの特訓を拒否した。必要ない、と言われた」

 

 しょんぼりと肩を落とす姫乃。そんな彼女を、那月は不思議そうな表情で見つめる。

 

「暁を特訓して、どうする気だ?」

 

「もちろん、戦う(遊ぶ)。強くなった第四真祖と」

 

「………姫乃は、強者と戦うのが好きなのか?」

 

「うん、好き。強者と戦う(遊ぶ)のはとても楽しい。弱者は、つまらない。簡単に殺せる(壊せる)から」

 

 那月はゾッとした。姫乃の口ぶりは、かつて〝弱者〟と呼べる存在を数多に殺して(壊して)きたように聞こえた。

 那月が額に冷や汗を掻いていると、姫乃が、無表情に見つめてきて、

 

「今日も暁古城を勧誘しにいく。だから御主人様、また少し出かけてきてもいい?」

 

「ん?暁に会いたいのか?なら、私と一緒に学校へ行こう」

 

「え?」

 

 目を瞬かせる姫乃。そんな彼女に、那月はニヤリと意味深な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 時刻は朝の九時前。場所は、彩海学園の高等部―――追試会場。

 姫乃は、那月に連れられてその会場の教室に入ると、

 

「―――――は?」

 

 世界最強の吸血鬼、第四真祖―――暁古城が席につき、だらしなく頬杖を突いていた。

 古城は、予想外の来客に瞳を見開く。

 

「なんでおまえが那月ちゃんといるんだ!?」

 

 古城の疑問に、眉を顰めて那月が答える。

 

「教師をちゃん付けで呼ぶなと言ってるだろう。姫乃は、私のメイドラゴンだからな。一緒にいるのが自然だと思うが?」

 

「メイドラゴン?………原初龍(そいつ)が、那月ちゃんのメイドだと!?」

 

 ぎょっと目を剥く古城。〝原初の龍(ウロボロス)〟をメイドにすることなど、可能なものだろうか。

 

「………那月ちゃん。まさか、そいつを飼い慣らしたのか?」

 

「そいつ、違う。空無姫乃。御主人様に付けてもらった、ワタシの名前」

 

「お、おう」

 

 姫乃に無感動な声音で言われて、古城は、苦笑いを浮かべる。

 那月は、ふん、と鼻を鳴らして答えた。

 

「飼い慣らしたわけではない。互いに利益があるからこういう関係が成り立っているだけだ」

 

「利益?」

 

「うん。ワタシにとってのプラスは、強者と戦える(遊べる)こと」

 

「そして、私にとってのプラスは、世界最強の龍神をメイドラゴンとして扱えることだ」

 

 姫乃と那月がそう言うと、古城は、新たな疑問が生まれた。

 

「え?………那月ちゃんって、空無が認めるほど強いのか!?」

 

「ううん、弱い」

 

「は?」

 

「けど、魔女(人間)にしてはかなり強い。〝空隙〟を、カオス(パパ)の異名を持ってるから、ワタシが育てればきっと強者になれる。だからワタシは御主人様に期待してる」

 

「そ、そうか」

 

 古城には、那月の力がどの程度かは知らないが、龍神が期待するほどの人間なんだな、と取り敢えず納得しておく。

 

「〝空隙(カオス)の魔女〟か。悪くない異名だが、それでは姫乃の父親の株価が暴落する気がするんだがな」

 

「平気。遠くない未来に、時空を自在に操る魔女にしてみせる」

 

「おまえはいったい、私を何にする気だ?」

 

「ワタシを楽しませられる、〝神〟に最も近い魔女」

 

 時空を操る魔女。時間と空間の両方を制御できる魔女が誕生するならば、この世界でその魔女に勝てる生物は存在しなくなるだろう。

 一方、那月の正体を魔女と知った古城は、愕然とした表情で那月を見た。

 

「は?那月ちゃんはただのプロ攻魔師じゃなくて、魔女なのか!?」

 

「ん?そうだが?」

 

「軽っ!?とてもじゃないが正体隠してた人の反応じゃねえな!」

 

 叫ぶ古城を、那月が面倒臭そうに見下ろす。

 姫乃は、古城から那月に視線を向けて、

 

「御主人様。暁古城の記憶………消す?」

 

「は?」

 

「いや、いい。どのみちいつかは正体がバレる日がくるからな。それが早まっただけだ。記憶を消す必要はない」

 

「わかった」

 

 那月に、それは不要だ、と言われて、姫乃は頷いた。が、

 

「ちょっと待てェ!」

 

「ん?」

 

「ん?じゃねえよ!なに他人の記憶を消す消さない言ってんだよあんた!人をなんだと思ってやがる!」

 

殺して(壊して)もいい………最弱者?」

 

「最低だなオイ!?」

 

 姫乃の回答にガクリと項垂れる古城。しかし、この傍迷惑な龍神を更正させる力は、古城にはないが。

 姫乃は、無感動な瞳で古城を見下ろし、

 

「暁古城」

 

「………なんだ?」

 

「ワタシの特訓………受ける気になった?」

 

「ならねえよ!つか、どうして俺を強くしようとするんだ?」

 

 古城は、一番気になった疑問をぶつけてみる。すると、姫乃は暫し考えたのち、口を開き質問に答えた。

 

「それはオマエが、第四真祖が―――殺神兵器だから」

 

「は?」

 

「オマエは〝神〟を殺せる(壊せる)世界最強の吸血鬼。〝龍神(カミ)〟であるワタシも殺せる(壊せる)かもしれない存在。だから、ワタシはオマエを至高の戦い(遊び)相手にするために、特訓に誘ってる」

 

「結局、自分のためじゃねえか!?」

 

 自己中心的な姫乃を睨みつけて吼える古城。うん、と隠す素振りもなく素直に肯定する姫乃。

 一方、那月は、真剣な表情で姫乃に問いただした。

 

「姫乃。第四真祖は殺神兵器だと言ったな。それは、『誰が』〝神〟を斃すために創ったんだ?」

 

「教えない」

 

「なに?」

 

「もし知りたいなら、ワタシに一撃与える。それができたら御主人様にも教える」

 

 ばっさり切り捨てる姫乃。ちぃ、と悔しそうに舌打ちする那月。

 ここで、私のメイドラゴンの分際で!と言ってしまったら、魔女風情がワタシに逆らうつもり?と姫乃に返され契約は破棄されていたことだろう。

 姫乃にとって、那月は〝自分を楽しませてくれるだろう〟と期待している程度であって、期待外れだった場合は即刻切り捨てられる、いわば蛇の脱皮した皮のようなもの。

 基本的には那月の言うことを聞く所存ではあるが、自分のことや〝天部(お気に入り)〟の情報をタダで提供するつもりはないのだ。

 那月も、メイドラゴンの主人なのに立場が下、というのは不服に思っているが、相手は世界最強の龍神。龍神と魔女では、強さは天と地の差どころか、次元が違うから逆らえない。

 それに姫乃は、知られたくないこと以外は那月に従順であり、家事全般の技術(スキル)も完璧にこなせるので、契約を破棄するのは非常に惜しい存在だ。

 そして、姫乃を満足させられるほど強くなった暁には、彼女の真の主人となりなんでも言うことを聞かせる、本当の意味で彼女をメイドラゴンにする、という目標もあるため『我慢』することを選んでいるのだ。

 

「………俺にも、教えてくれないんだよな?」

 

「うん」

 

「そっか。じゃあ、俺もおまえの特訓は受けねえよ。そっちが話さねえなら、俺が従う必要もないしな」

 

 馬鹿馬鹿しい、と古城が呟いた刹那―――姫乃の殺意が彼を射抜いた。

 

「な―――っ!?」

 

 古城は、堪らず跳び退く。姫乃の顔を見るが、彼女の表情に変化はない。が、その紅い双眸には落胆の色が浮かんでいた。

 

「真祖風情が龍神(ワタシ)に対価を求めるなど烏滸(おこ)がましい。オマエがワタシの特訓を拒否するなら、勝手にしろ」

 

「あ?」

 

「その代わり、オマエに一つ言っておく。弱者のオマエには興味ないから、ワタシは手を出さない。けど―――異界の神々は、〝殺神兵器〟である第四真祖(オマエ)を絶対に生かさない。弱者のオマエは彼らにとって、格好の餌。狙われても知らない。助けない。そのことを覚えておく」

 

 姫乃は警告した。ワタシの特訓を受けなければ、近い未来〝神〟に殺される(壊される)と。

 だが、古城は、姫乃の態度に怒りが頂点に達したらしく、憤怒の炎を瞳に宿して言った。

 

「てめえが龍神(カミ)だからって、人を散々見下しやがって!神々が俺を殺しにくる?それはてめえが俺を言うこと聞かせるためのデマだろうがッ!てめえの都合に俺を巻き込むんじゃねえ!俺のことはもう知らない、助けない?ああ、そうかよ。なら勝手にしろ!てめえの顔を見ないで済むんなら、むしろ清々するぜ」

 

「………!?」

 

 古城の予想外な返事に、姫乃は驚く。まさか、彼が自分に反抗的な態度をとってくるとは思いもしなかったのだろう。

 古城は、イライラと歯軋りすると、那月に視線を向けて言った。

 

「那月ちゃん。悪いけど、そいつをこの教室から追い出してくれませんか?顔も見たくないんで」

 

「私をちゃん付けで呼ぶな!………ふん、いいだろう。姫乃、悪いがこの教室から出ていってくれないか?この古城(バカ)の追試を始めたいんでな」

 

「………わかった」

 

 姫乃は、古城に睨まれながら異空間へと姿を消した。

 

 

 

 

 

 時刻は夜。場所は、絃神島西地区(アイランド・ウエスト)の人気の途絶えた夜の公園。

 姫乃は、昨日の夕方頃に感じた魔力と同じ魔力を感じ取って、この場所の遥か上空に来ていた。

 漆黒の翼を広げたまま夜の空を浮遊している姫乃が、公園を見下ろすと―――案の定、例の〝若い世代〟の吸血鬼の男と、彼の眷獣〝灼蹄(シャクテイ)〟が何者か達と対峙していた。

 その何者か達の方に姫乃は目を向ける。

 一人目は、藍色の髪の小柄な少女。恐らく姫乃と大差ない容姿だろうか。

 左右対称の整った顔立ちで、透き通るような白い肌を持つ、瞳の色は薄い水色。膝丈までのケープコートですっぽりと身体を覆っている。

 二人目は、金髪を軍人のように短く刈った外国人の男。背は姫乃より五十センチ以上はありそうな巨躯な人間。

 左目には眼帯のような金属製の片眼鏡(モノクル)を嵌めている。聖職者のような法衣を纏っており、その下には、軍の重装歩兵部隊が使用する装甲強化服。男の右手には、巨大な刃を備えた金属製の半月斧(バルディッシュ)があった。

 

「ふうん。人工生命体(ホムンクルス)と人間が、〝若い世代〟の吸血鬼と対峙している」

 

『そうだね。でも、地面に転がってる瀕死の獣人を見るからに、殱教師の彼は相当な腕を持ってるよ』

 

「そう。けど、所詮は人間。弱者。ワタシの戦い(遊び)相手にすらならない雑魚」

 

『………今日の愛娘ちゃんは毒舌だねえ。暁古城くんに嫌われたこと、引き摺ってるの?』

 

「………!」

 

 陽気な少年の声―――創造主(カオス)の指摘に、ギクリと表情を微かに歪ませる。

 だが、声音は冷静さを失っておらず、淡々と返した。

 

「………真祖風情に怒られたのがむかつくだけ。暁古城という弱者なんかはどうでもいい」

 

『ふーん?本当にどうでもいいのかなあ?』

 

「……………どうでも、いい。あんなやつ」

 

 姫乃のか細い声は、風の音に掻き消される。が、もちろん創造主(カオス)には聞こえていた。

 微かに不貞腐れたような表情を見せる姫乃。そんな彼女を創造主(カオス)は、面白そうに眺めていた。

 姫乃にとって、自分の正体を知っているのに、あんな風に堂々と向き合ってくる人間は、初めてだった。

 那月は、御主人様だから除くとして、大抵の人間は、恐怖して逃げたり、敬語を使ったりして〝龍神様〟とか言ってくる。

 だが、暁古城は違う。恐怖して逃げたり、敬語を使ったりしてこない。そればかりか、〝龍神(カミ)〟に対して『てめえ』と言ってくる。勇敢なのか、それとも恐いもの知らずのタダの馬鹿なのかは知らないが、姫乃にとっては『不思議』な存在であるのは確かだ。

 とはいえ、暁古城を姫乃が『好き』になったりすることはない。暁古城が『弱者』であり続ける限り、彼女が彼のことを永遠に『好き』になることは絶対にありえないことのだ。

 そんなことを姫乃が思い返していると、人工生命体(ホムンクルス)の少女の身体から生えた、仄白く輝く透き通った腕が―――妖馬の眷獣を『喰った』。

 

『へえ………眷獣を、魔力の塊を喰らう能力か。ボクの愛娘ちゃんの眷族()にもいたね』

 

「うん。〝北欧神話〟で世界樹(ユグドラシル)の根を齧って、宇宙の根源の破壊を企む邪龍ニーズヘッグ(にー君)。ワタシの可愛い九体の眷族()たちのうちの一体」

 

『そうそう。愛娘の眷族(息子)である彼は、死体が好物だからね。吸血鬼の魔力なんかは欲しがっちゃうよ、きっと』

 

「うん。けど、〝若い世代〟の眷獣じゃあの子は物足りない。真祖級なら、喜んで貪りつく」

 

『〝腹ペコ龍神〟って愛娘の他の眷族()たちから付けられるくらいだからね。真祖の魔力さえ喰らい尽くしかねないよ』

 

 苦笑する創造主(カオス)創造主の娘(ウロボロス)

 そんな彼らが視線を公園に戻すと、今まさに、人工生命体(ホムンクルス)の少女が、眷獣を失った(喰われた)〝若い世代〟に止めを刺そうとしていた。

 

『………助けないの?愛娘ちゃん』

 

「弱者を助ける義理はない。それに、あの弱者には昨日喧嘩売られたから、一回痛い目を見るべき」

 

 姫乃がそう口にした瞬間、暁古城の言葉が不意に脳裏を掠めた。

 

 

『てめえが龍神(カミ)だからって、人を散々見下しやがって!』

 

 

 龍神(カミ)だから、弱者である人間を見下してもいいじゃないか。これの一体なにがいけないというのか。

 でも、暁古城の立場で考えてみると………むかつく。見下すな!と叫びたくなる。

 そうか。暁古城の感じていた『苛立ち』というものは、これほどに不快なものだったのか。

 人間も、〝神〟も、皆、世界に存在することを許された者たちだ。存在こそ違えど、人間と〝神〟は世界の仲間。それを否定するということは、世界に嫌われた仲間外れになってしまうだろう。

 そして、始まりの人間は〝神〟が生み出したように、始まりの〝神〟も〝無〟に生み出された存在。〝原初神〟であっても、〝無〟より先に存在していたわけではないじゃないか。

 即ち、〝神〟も所詮は〝無〟という得体の知れない存在が生み出した『被造物』。〝神〟の『被造物』である人間と同じ〝創作物(ツクリモノ)〟に過ぎないのだ。

 現に自分は、『カオス』と名付けられた〝混沌〟に、〝無〟に生み出された存在ではなかったか。

〝神〟は人間より優れた存在。だが、所詮は〝無〟より劣った不完全な存在。〝無〟こそ存在しないが故に、斃すことのできない完全。〝神〟は存在しているが故に、斃すことができる不完全。言葉通りの全知全能の〝神〟など、この世に存在しない。所詮〝神〟も、人間より優れた存在という程度なのだから。

 

「……………」

 

 そう結論に至った姫乃は動いた。彼女が『弱者』と貶していた〝若い世代〟の吸血鬼の彼を助けるために。

 そして、

 

「―――なに!?」

 

「………!?」

 

 驚愕する法衣の男と人工生命体(ホムンクルス)の少女。彼女の身体から生えた巨大な腕を―――指一つで受け止めた謎の少女を見て。

 その少女を知っている〝若い世代〟の吸血鬼の男は驚愕に瞳を見開く。

 

「え?………あ、あんたは!?」

 

 驚く彼に、少女は振り返り、

 

 

「昨日ぶり、〝若い世代〟。安心して。オマエは、ワタシが守る」

 

 

 人間を見下すことをやめた少女―――空無姫乃は薄く笑ってそう言ったのだった。




長くなるのでここまでです。

次回、章のタイトル通り〝聖書の神〟が登場します。

登場しなかったら、オイスタッハたちの企みここで終了しちゃいますからね(^_^;)


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聖者の右腕 参

「〝若い世代〟、下がる」

 

〝若い世代〟の吸血鬼の男に、下がるよう促す姫乃。ああ、と首肯して彼は姫乃から少し下がった。

 一方、法衣の男は、得体の知れない姫乃(少女)に警戒しながら、問いかけた。

 

「ロドダクテュロスの一撃を、指一つで受け止める貴女はいったい何者ですか!まさか、最近この島に出没したという」

 

「うん。ワタシは、オマエの想像通りの存在。異界の楽園に棲まう龍神」

 

「な………ッ!?」

 

 姫乃の正体を知った法衣の男と人工生命体(ホムンクルス)の少女は戦慄した。

 まさか、魔族狩りをしていたら原初龍(バケモノ)に遭遇するとは、なんたる不運なことか。

 法衣の男か、冷や汗を滝のように流していると、姫乃がじっと見つめてきて、

 

「………オマエたち、御主人様が捜してる魔族狩りの常習犯の特徴と似てる」

 

「………!?」

 

『似てるもなにも、彼らが南宮那月ちゃんが捜してる、魔族狩りの常習犯だよ』

 

「やっぱり、そう」

 

 創造主(カオス)が答えると、姫乃は確信したように頷き、法衣の男と人工生命体(ホムンクルス)の少女を見回した。

 

「オマエたちをこれから御主人様の下に突き出す。逃亡も抵抗もしなければ、痛い思いはしない」

 

「―――ッ!?」

 

 法衣の男の顔が強張る。御主人様というのが誰かは知らないが、ここで捕まるわけにはいかない。

 しかし、相手は原初龍(バケモノ)。自分が挑んで勝てるわけがない。

 そんな彼を庇うように、人工生命体(ホムンクルス)の少女が前に出てきて、

 

執行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 仄白く輝く透き通った腕で姫乃を攻撃した。が、腕が姫乃を殴打するよりも早く―――

 

「―――ガッ!?」

 

 人工生命体(ホムンクルス)の少女の小柄な身体が、不可視の攻撃を受けたように吹き飛ばされてしまった。

 

「アスタルテ!?」

 

 法衣の男は、血相を変えてアスタルテと呼ばれた少女の下へ駆け寄る。

 彼女は幸い目立った怪我はなかったが、地面に背中を強く打ち付けたのか、苦悶の表情をしていた。

 

「貴様………!」

 

 法衣の男は、怒りに任せて姫乃に襲いかかった。彼が戦斧を振り上げた刹那―――バキャン、と戦斧(それ)は粉々に砕け散り、

 

「―――ガハッ!?」

 

 不可視の攻撃を受けて法衣の男の着用していた強化服も砕け、彼の巨躯な身体は呆気なく吹き飛ばされた。

 地面に倒れ伏す彼を見た〝若い世代〟の吸血鬼は、唖然とした表情をしていた。自分と友達(ダチ)が手も足も出せなかったあの僧侶(ボーズ)を、あんな簡単に倒してしまう姫乃に恐怖と憧憬が入り混じった感情を抱く。

〝若い世代〟の吸血鬼が見るからに、姫乃は一歩も動かず、指一つ数回振っただけだった。まるで、杖を振って魔法を行使する魔法使いのように。

 地面に倒れた彼らの確保に向かおうとする姫乃。すると、不意に〝若い世代〟の吸血鬼が姫乃を呼び止めた。

 

「ま、待ってくれ!」

 

「ん?」

 

「俺の友達(ダチ)が死にかけてるんだ!あんたの力で助けられないか!?」

 

 必死に懇願する〝若い世代〟の吸血鬼。姫乃は、うん、と首肯し、

 

「獣人の彼はまだ生きてる。ワタシが彼の傷を癒せるから、ちょっと待つ」

 

「ほ、本当か!?す、すまん………どうか、俺の友達(ダチ)を頼む!」

 

「うん、わかった」

 

 姫乃は了承し、指を振る。たったそれだけで、瀕死だった獣人の男は、まるで時間が巻き戻るかのように再生していった。

 そして、完治した獣人の男の下へと〝若い世代〟の吸血鬼が駆け寄る。

 

「おい、無事か!?無事なら返事してくれ!」

 

 しかし、獣人の男からの返事はない。代わりに、姫乃が〝若い世代〟の吸血鬼の下へ歩み寄ってきて、

 

「大丈夫。ワタシの能力で眠らせてるだけ。じきに目覚める」

 

「そ、そうか………よかった」

 

 ホッと胸を撫で下ろす〝若い世代〟の吸血鬼。その彼が姫乃をじっと見つめて、

 

「………なに?」

 

「いや。昨日会った時のあんたとは、まるで別人だなと思って。天使みたいに優しくしてくれるからさ」

 

「天使、違う。ワタシは龍神」

 

「あ、ああ。そうだったな………悪い」

 

 頭を掻きながら謝る〝若い世代〟の吸血鬼。そんな彼は、完治した獣人の男を背負い、

 

「本当にありがとな、あんた。この恩は一生忘れない」

 

「うん。ナンパはほどほどに」

 

 うぐ、と姫乃の忠告が〝若い世代〟の吸血鬼の胸を抉る。今回のケースは、向こうから誘ってきたわけだが、その言い訳は飲み込んで頷いた。

 

「じゃあ、俺たちはこれで」

 

「うん」

 

 獣人の男を背負って、〝若い世代〟の吸血鬼は去っていった。

 姫乃は、彼らの背を見送り、法衣の男たちが倒れている方に向き直ると、

 

「―――!」

 

 不意に光の槍が、姫乃の眼前に迫ってきた。

 その不意打ちに、姫乃は小さな拳で殴りつけて粉砕する。

 姫乃は、光の槍が飛んできた方向に視線を向ける。するとそこには―――

 

「ほう?貴様が弱者を守り、命まで救うとは驚きだ」

 

 黄金の髪と蒼い双眸を持つ、純白のローブを着た少年がいた。

 神々しい力、神力(霊力)を全身から溢れ出している彼を、姫乃は、あっ、と呟き―――

 

「………聖書の神ヤハウェ(やー君)?」

 

「誰が、やー君だ!(オレ)は唯一神ヤハウェ!ユダヤ・キリスト教の唯一絶対なる神だ!イスラム教では唯一神アッラーフと呼ばれているがな」

 

 やー君もとい唯一神(ヤハウェ)が怒りながら姫乃を睨みつけた。

 しかし、姫乃は華麗に無視して、彼の背後に目を向けて小首を傾げる。

 

「………人間と人工生命体(ホムンクルス)の子は?」

 

「ん?ロタリンギア殱教師、ルードルフ・オイスタッハと、人工生命体アスタルテ(オレの妻)なら………(オレ)が逃がした」

 

「―――――え?」

 

 唯一神(ヤハウェ)の言葉に驚く姫乃。

 

「………あの人工生命体(ホムンクルス)の子が、ヤハウェ(やー君)の正妻?」

 

「驚くところソコかよ!?名前がアスタルテだから、かつての(オレ)の妻と重ねて言っただけだ!つか、やー君言うな駄龍!」

 

「地中海世界各地で広く崇められたセム系の豊穣多産の女神(アスタルテ)?たしかに、ウガリット神話において、女神アスタルテは最高神イル(やー君)の妻とされる説もあるけど―――」

 

 じっと唯一神(ヤハウェ)を見つめたのち、姫乃はポンと納得したように手を打った。

 

ヤハウェ(やー君)って………幼女好き(ロリコン)?」

 

「はあ!?なにを馬鹿なことを言ってんだこの駄龍は!?」

 

『なるほどねえ。たしかに、人工生命体(あの子)可愛かったからね。ヤハウェくんが妻にしたくなる気持ち、わからなくもないよ?まあ、ボクの愛娘ちゃんよりは劣るけど』

 

原初龍(コイツ)幼女体型(ロリ)に創ってにやけている変態の貴様と一緒にするな!」

 

 姫乃の紅い双眸の奥に潜むであろう〝原初の混沌(カオス)〟を睨みながら吼える唯一神(ヤハウェ)

 混沌神(カオス)は、やれやれ、と呟いて、

 

『ボクが愛娘ちゃんを幼女体型(ロリータ)に創ってるのは、その方が弱く見えるからに決まってるよ?ヤハウェくんと違って根っからの幼女好き(ロリータ・コンプレックス)というわけじゃないよ』

 

「ふん、どうだか―――って、だから(オレ)はロリコンじゃねえ!」

 

「………昔、ヤハウェ(やー君)神話(世界)に行った時―――天使や悪魔が幼女(ロリ)に統一されていた気が」

 

「だー!それは、貴様の、見間違いだ!」

 

 唯一神(ヤハウェ)が鬼のような形相で姫乃に詰め寄りながら言ってくる。

 そんな彼から、姫乃()を守るように混沌神(カオス)が言った。

 

『うわあ!愛娘ちゃん逃げて!ヤハウェ(ロリコン)くんに孕まさせられちゃうよ!』

 

「ロリコンじゃねえって言ってんだろ!って、誰が駄龍(コイツ)孕ませる(妊娠させる)かよ!?駄龍(貴様)も然り気無く(オレ)から距離を取ってんじゃねえ!」

 

 自然な動きで離れていく姫乃に激怒する唯一神(ヤハウェ)。そんな彼を愉しそうにからかって遊ぶ混沌神(カオス)

 姫乃は、唯一神(ヤハウェ)から一定の距離を保ちつつ、無感動な瞳で見つめて、

 

「………ヤハウェ(やー君)は、この世界に何しに来た?」

 

「やー君言うなと言ってんだろ駄龍!ん?(オレ)か?(オレ)は、さっきの殱教師と妻―――ではなく、人工生命体(ホムンクルス)の娘とは協力関係といったところだな」

 

 姫乃の質問に答える唯一神(ヤハウェ)。それと、と彼は言葉を付け足して、

 

原初龍(貴様)殺しに(壊しに)来た」

 

「………!」

 

 唯一神(ヤハウェ)の放つ殺気に身構える姫乃。すぐに殺し(壊し)合えるよう臨戦態勢に入る。

 だが、唯一神(ヤハウェ)は殺気を消して首を横に振った。

 

「今、貴様と殺し(壊し)合う気はない。〝(オレ)〟と〝龍神(貴様)〟がここで闘えば、間違いなくこの島は滅ぶからな」

 

「うん。全知全能の神(全盛期)だった頃のヤハウェ(やー君)と異界で闘った時、その世界が滅んだ」

 

 姫乃の言葉に頷く唯一神(ヤハウェ)

 全能者同士の戦闘は、宇宙の法則を容易く捻じ曲げ、世界を破滅させるほどのものだったのだ。それを経験している二人だからこそ、絃神島(ここ)での戦闘を避けるべきと悟ったのである。

 

「けど、現時点()ヤハウェ(やー君)は全知全能の神じゃない」

 

「ああ。貴様に敗れた(オレ)は、貴様にかけられた呪い(パラドックス)によって全知全能の力は封じられ、そして―――龍蛇の創造の権能を剥奪された」

 

 聖書に記された龍蛇たちの創造の権能を原初龍(貴様)にな、と溜め息混じりに言う唯一神(ヤハウェ)

 姫乃は、うん、と頷いた。

 

ヤハウェ(やー君)聖書(神話)に記された龍蛇(彼ら)の扱いが酷い。だからワタシは、オマエから龍蛇(彼ら)の創造の権能を奪った」

 

「………ふん。貴様は様々な神話(世界)を渡り歩き、神々(我々)に勝利しては呪い(パラドックス)をかけて全知全能の力を封じ、さらに龍蛇の創造の権能を剥奪。そして、剥奪したその権能を使用して各神話の龍蛇(ヤツら)母龍(オヤ)となった」

 

 唯一神(ヤハウェ)が語り、姫乃が首肯する。

 そう。神々が姫乃を倒せずにいる真の理由は呪い(パラドックス)をかけられているからだ。

 全能の逆説(パラドックス)。それは、全能者の能力の矛盾を指摘し、全能者の全能性を否定する呪い(パラドックス)

 例えば、〝全能者は、自分でも持ち上げられない石を造ることは可能か?〟という質問をされたとする。

 全能者はその質問に〝(YES)〟と答えると、彼は『自分でも持ち上げられない石を造ることができる』。故に、彼は全能者である。

 が、それを造れるということは彼は『その石を持ち上げられない』。即ち、完全無欠の才能(全能)なはずなのに〝持てない〟のでは、彼は全能者ではないことを意味する。

 逆に、全能者はその質問に〝(NO)〟と答えると、彼は『自分でも持ち上げられない石を造ることはできない』。故に、彼は全能者ではないことを意味する。

 本来、この呪い(パラドックス)は、宇宙の法則を容易く捻じ曲げられる開闢者(創造神)たちには通用しない。

 だが、この呪い(パラドックス)をかける存在が同格の、〝宇宙の根源〟を司る龍神〝原初の龍(ウロボロス)〟が使用することで、創造神(彼ら)も例外なく呪い(パラドックス)の影響を受けて、全知全能の力を封じられてしまうのだ。

 それ故に、神々は姫乃の呪い(パラドックス)に屈し、全能を振るえず、今まで彼女を斃す手段がなかった。

 

「―――だが、神々(我々)は遂に、貴様を滅ぼし得る力を完成させた。故に、(オレ)は貴様に宣戦布告に来たというわけだ」

 

「………ワタシを殺せる(壊せる)力?」

 

「そうだ。ククク………戦場(舞台)が調い次第、貴様を我が聖戦の地(メギドの丘)へと招いてやる。首を洗って待っているんだな」

 

 高らかに笑う唯一神(ヤハウェ)。彼には既に、自分の思い描いた〝勝利〟が見えているのだろう。

 姫乃は、そう、と呟くと、薄く笑って返した。

 

「わかった。ヤハウェ(やー君)との終末戦争(壊し合い)、楽しみにしてる」

 

「ふん。すぐに(オレ)のことを〝やー君〟ではなく〝()()〟と呼ばせてやるからな!覚悟しておけよ!」

 

「え?」

 

「それではな―――未来の(オレ)の娘」

 

 意味深な発言を残して、異空間へと消え去る唯一神(ヤハウェ)

 姫乃が小首を傾げていると、混沌神(カオス)が呆れたような声音で言った。

 

『………ヤハウェくん、やっぱりロリコンだね。ボクの愛娘ちゃんに〝パパ〟と呼ばせたいなんて』

 

「パパ?」

 

『愛娘ちゃん。この終末戦争(ハルマゲドン)………敗北しちゃ駄目だからね?負けたら愛娘ちゃんは―――ヤハウェくんの養女にされちゃうよ』

 

「………それは、嫌。よくわからないけど………ヤハウェ(やー君)の養女にされるって想像しただけで悪寒がする」

 

 身震いする姫乃。苦笑いする混沌神(カオス)

 そんな二人(?)は、深い溜め息を吐くと那月家へ帰宅するのだった。




聖書の神に特殊な性癖(ロリコン)を設定しました。
オリ主の創造主は単なる親バカです。ロリコンではありません。

前回、北欧神話のニーズヘッグがオリ主の子という謎設定が登場していましたが、オリ主が龍族と蛇族の始祖と呼ばれている由縁は、各神話の龍蛇の創造権を神々から奪ったからだったんです。

ちなみに、この裏事情は古城たちは知るよしもありません。知っているのは、喧嘩売られた神々だけです。


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聖者の右腕 肆

 翌日。那月家のマンション、屋上。

 今朝も那月の特訓が時間停止の能力が与えられている結界の中で始められるわけだが、

 

「今日で、御主人様と出会ってからちょうど一週間」

 

「もう一週間か。時が過ぎるのは早いな」

 

「それに、今日で八月は終わり。だから―――御主人様の特訓の成果を見る」

 

「ほう。姫乃の特訓を受けてからはまだ一週間も経っていないが、今までの成果をおまえに見せればいいんだな?」

 

 うん、と首肯するメイドラゴンの姫乃。姫乃の主人(仮)の豪華なドレスを着た那月は、黒レースの扇子を開いて戦闘準備を整え訊いた。

 

「それで、どんな方法で力を見せればいい?姫乃がひたすら私の攻撃を受け続ける気か?」

 

「ううん。それじゃあ面白くないと思う。だから、」

 

 姫乃は突如、虚空から漆黒の仮面を取り出して顔を覆った。それからすぐに仮面を外して、仮面(それ)を異空間に跳ばした。

 姫乃の顔を見た那月は、あり得ないものを見たような表情で呟く。

 

「………姫乃。顔が私になっているんだが………どういう冗談だ?」

 

 自分の顔をした姫乃を見て、那月は眉を顰める。姫乃は、それだけじゃない、とクスリと笑うと―――彼女の全身を〝闇〟が覆った。

 そして、姫乃を完全に覆っていた〝闇〟が消えるとそこにいたのは―――南宮那月とまったく同じ姿をした少女(姫乃)だった。

 

「………ほう。姫乃は、私になることが可能なのか」

 

「うん。それと、私自身に制限をかけて、実力を御主人様と同格にした」

 

「なに?」

 

 自分自身に制限をかけて那月の実力に合わせた。那月(姫乃)はそう言ったのだ。

 だが、自らに制限をかけたということは、姫乃は現在全能者でなくなっていることを意味している。

 でも、彼女の全能性は失われるわけではない。何故なら、彼女の創造主(父親)が全能性を保証しているため、彼女は制限をかけたところで全能者としての力を失わずに済むのだから。

 

「これで準備万端。御主人様、準備はできてる?」

 

「ああ。私はいつでもいけるぞ」

 

 広げていた扇子を閉じて答える那月。那月(姫乃)は、わかった、と頷き、

 

 

「―――戦闘開始」

 

 

 那月(姫乃)の合図と共に、那月vs那月(姫乃)の戦闘が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 那月は、先手必勝、と自分の周りの虚空から無数の銀色の鎖―――〝戒めの鎖(レージング)〟を撃ち放った。

 那月(姫乃)は、襲いかかる無数の銀鎖を、那月の空間制御の魔術による空間転移で逃れる。

 那月の背後を取った那月(姫乃)は、不可視の衝撃波を那月に叩きつけようとする。

 那月は、空間転移を使用せずに横に数歩移動しただけで躱してみせた。

 那月(姫乃)は続けて不可視の衝撃波を撃っていくが、彼女との特訓で培った回避術で那月はその悉くを躱していった。

 そして、那月(姫乃)の攻撃が途絶えると、すぐさま那月は反撃を開始した。

 再び虚空から無数の銀鎖を撃ち出していく那月。それらを那月(姫乃)はバックステップで回避。

 那月(姫乃)の背後の虚空から那月が撃ち出した銀鎖は、那月(姫乃)は振り返り様に不可視の衝撃波を叩きつけて軌道を逸らす。

 

「ほう。そんな方法で〝戒めの鎖(レージング)〟を防いだか。なら、」

 

 那月は新たな鎖を虚空から撃ち出した。それは、銀鎖とは違う黄金の錨鎖―――〝呪いの縛鎖(ドローミ)〟だ。

 砲弾のような勢いで撃ち出された金鎖(それ)を、那月(姫乃)は衝撃波では軌道を逸らせないと悟り、

 

「―――」

 

 虚空から無数の銀鎖を撃ち出して金鎖を搦め捕る。那月(姫乃)が扇子を振り下ろすと、無数の銀鎖が搦め捕った金鎖を強引に下に引っ張り、金鎖は那月(姫乃)を狙い損ね屋上の床に突き刺さった。

 

「………!?〝戒めの鎖(レージング)〟まで模倣できるのか!」

 

「うん。ワタシが模倣できるのは〝戒めの鎖(レージング)〟だけじゃない」

 

 那月(姫乃)はそう言って、新たな鎖を―――金鎖を虚空から撃ち出した。

 金鎖(それ)を見た那月は、なっ、と驚愕の声を上げる。

 

「〝呪いの縛鎖(ドローミ)〟だと!?」

 

「うん。そして―――」

 

 那月(姫乃)は、スッと目を閉じる。すると、彼女の背後に現れたのは巨大な影。

 しかも(それ)は、絶対に存在してはならないものだった。

 

「馬鹿、な………それは私の唯一無二の〝守護者〟………黄金の悪魔と契約して得た〝輪環王(ラインゴルト)〟………」

 

 震えた声で言う那月。そう。世界に一つだけの、那月だけの〝守護者〟であるはずの黄金の騎士像―――〝輪環王(ラインゴルト)〟。それが那月(姫乃)の〝守護者〟として顕現したのだ。普通は絶対にあり得ないことである。

 まさか、と思った那月は、すぐさま自らの影に向かって告げた。

 

「起きろ、〝輪環王(ラインゴルト)〟………!」

 

 那月の声に応えた彼女の〝守護者〟は、その姿を現した。黄金騎士(それ)が顕現したということは、所有権を奪い取られたわけではないらしい。

 だが、那月の〝守護者〟が奪われていたのではなく、黄金騎士(それ)が二体存在しているということは、まったくもって不可解、理解不能である。

 那月のその疑問に、那月(姫乃)は答えた。

 

「ワタシは、完全無欠の知恵と才能を持つ者(全知全能者)。ワタシに、不可能はない」

 

「は?」

 

「だから、『ラインの黄金(ラインゴルト)』の模倣もできる。ワタシは、南宮那月(御主人様)の全てを模倣できる」

 

「そ、そうか」

 

 全知全能の龍神。それが那月(姫乃)だと知った那月は、頬を引き攣らせる。

 目の前のメイドラゴンは〝完全〟なる存在。そんな怪物を倒すことなど可能なのだろうか。

 那月が悩み考えていると、那月(姫乃)は、大丈夫、と唇を動かした。

 

「人間や神々からしたら、ワタシは〝完全(完成品)〟。でも、パパからしたら、容易く殺せる(壊せる)不完全(未完成品)〟」

 

「なに?」

 

「今のがワタシを殺せる(壊せる)ヒント。これ以上は教えない」

 

「………姫乃の父親―――〝混沌神(カオス)〟がおまえを倒す鍵か」

 

 那月は、ふむ、と考え込む。那月はハッとして那月(姫乃)を見た。まさか、魔女でしかない自分に〝混沌〟を掌握しろ、とでも言うわけではないだろうか。

 那月のその疑問に察した那月(姫乃)は、クスリと笑い、

 

「『ラインの黄金(ラインゴルト)』の能力を完全に使いこなせれば、ワタシに届くかもしれない」

 

「なに?それはどういう意味だ?」

 

 那月が眉を顰めて訊くが、那月(姫乃)は答えない。

 代わりに金鎖をどことも知れない空間へと巻き戻しながら、口を開いた。

 

「………それよりも戦闘再開」

 

「………釈然としないが、まあいい。姫乃の模倣した私の〝守護者〟。それが模倣できるだけの張りぼてでないか、逆に見せてもらおうか」

 

「わかった」

 

 那月(姫乃)は頷くと、彼女の背後に控えていた黄金騎士(コピー)が那月の黄金騎士(オリジナル)に殴りかかった。

 那月の黄金騎士(オリジナル)が、黄金騎士(コピー)の拳を躱してカウンターを狙う。が、黄金騎士(コピー)は鎧を纏う腕で防御した。

 黄金騎士同士が互角に殴り合っているのを見て、那月は感心する。

 

「ほう。タダの模造品ではなくちゃんと扱えるんだな」

 

「当然。ワタシの模倣は完璧。本物(オリジナル)に劣るものは創らない」

 

 虚空から無数の銀鎖を撃ち出しながら返す那月(姫乃)。那月は躱しながら、そうか、と笑みを浮かべる。

 

「なら、姫乃からもらったコレはどうだ?」

 

 そう言って那月は、虚空から新たな鎖を撃ち出した。

 それは銀鎖でも金鎖でもない、漆黒の鎖―――〝飢餓の呪鎖(ニーズヘッグ)〟だ。相手の魔力を貪り喰らう、獰猛なる邪龍ニーズヘッグの能力が与えられた黒鎖である。

 意思を持つ蛇のようにうねりながら那月(姫乃)に襲いかかった。

 那月(姫乃)はそれを見て、同じ鎖を―――撃ってこなかった。黒鎖を普通に躱しただけ。

 

「なんだ?もしかして、元々私のものではないから模倣できないのか?」

 

「それは違う。けど、ワタシがニーズヘッグ(にー君)の鎖を模倣しないのは御主人様へのハンデ」

 

 那月(姫乃)の言葉に、カチンときた那月は、彼女を睨みつけて、

 

「私と同格になっておいて、ハンデか………舐められたものだな」

 

 那月は全身から膨大な魔力を放出させて告げた。

 

「私を舐めたことを後悔させてやる。覚悟しろ、駄メイド!」

 

 那月の言葉と共に、那月(姫乃)の四方から無数の銀鎖を撃ち出す。那月(姫乃)は、それらを同じ銀鎖を虚空から撃ち出して迎撃する。

 それからすぐに、那月(姫乃)を追尾し続ける黒鎖から一時的に逃れるため、空間転移でそこから離脱。

 那月の魔力を喰いながら、転移した那月(姫乃)を追尾する黒鎖。

 那月の魔力が尽きるか、那月(姫乃)が黒鎖に捕まるか、勝敗はコレで決まるだろう。

 そして―――那月は惜しくも那月(姫乃)を捕らえることが敵わず、魔力が枯渇し敗北してしまった。

 

 

 

 

 

 特訓を終え、那月は元の姿に戻った姫乃の手首に黒鎖を巻きつけると、枯渇し切った魔力を回復していった。

 那月は悔しそうな表情で先ほどの戦闘を振り返る。

 

「………あと少しだというのに、ギリギリのところで魔力切れか」

 

「本当に危なかった。御主人様が無尽蔵の魔力の持ち主だったら、ワタシが敗北してた」

 

 そう。あと数センチで那月の黒鎖が姫乃を捕らえようとしていたが、黒鎖に魔力を喰われ過ぎていたため限界を迎えてしまった。

 姫乃は、那月の巧みな空間制御の魔術に追い詰められていたのだ。同格になっておきながら那月にハンデを与えるのは間違いだったと姫乃は学習した。

 那月は、ふん、と鼻を鳴らして扇子を姫乃に向けて宣言する。

 

「次こそは姫乃を捕らえてやる。絶対にだ!」

 

「そう。一週間後、楽しみしてる」

 

 姫乃は薄く笑って返す。が、ふと思い出したように那月を見つめて、

 

「そうだ、御主人様」

 

「なんだ?」

 

「御主人様は魔族狩りの件、引いた方がいい」

 

「なに?」

 

 那月は怪訝な顔で姫乃を見つめ、訊いた。

 

「それはどういう意味だ?」

 

「今回の魔族狩りの背後に―――〝神〟がいる」

 

「………は?」

 

 姫乃の言葉に間の抜けた声を洩らす那月。

 

「〝神〟とやらは滅んだんじゃなかったのか?」

 

「この世界の〝神〟は滅んだ。けど、異界の神々の一柱がこの世界に来て、魔族狩りに手を貸している」

 

「魔族狩りに手を貸しているだと?その〝神〟とやらは何者なんだ?」

 

 那月が問いただすと、姫乃は静かに頷いて答えた。

 

「―――ヤハウェ(やー君)

 

「は?」

 

「ごめん、間違えた。聖書の神ヤハウェ」

 

「聖書の、〝神〟だと!?」

 

 ぎょっと目を剥く那月。魔族狩りの協力者が聖書の〝神〟。そんな存在が協力者なら、那月に勝てるわけがない。

 それに聖書の〝神〟が手を貸している魔族狩りの犯人。その正体は、恐らく西欧教会の者に違いないだろう。

 あと、聖書の〝神〟を『やー君』と読んでいる姫乃は、その〝神〟と一体どういう関係なのだろうか。

 姫乃は、うん、と首肯して続けた。

 

「魔族狩りの犯人は二人。ロタリンギア殱教師、ルードルフ・オイスタッハと、眷獣を宿す人工生命体(ホムンクルス)の少女アスタルテ」

 

「ロタリンギアだと?ふん、西欧教会の祓魔師が魔族狩りか。それに、眷獣を宿す人工生命体(ホムンクルス)………なるほどな。大方、人形の生命力の糧にするために、魔族からなんらかの方法で魔力を奪っていたというわけか」

 

人工生命体(ホムンクルス)の眷獣は魔力吸収型。昨夜、〝若い世代〟の眷獣を喰らってるところを見た」

 

「そうか。………そういえば姫乃は昨夜、『魔族狩りの犯人を取り逃がした』と私に言ったんだったな。おまえほどの強者が取り逃がしたのは、聖書の〝神〟に妨害されたからというわけか」

 

 疑問が解消し、納得する那月。一方、姫乃はスッと瞳を細めて言った。

 

「魔族狩りの情報は教えた。けど、御主人様はこの件から手を引く」

 

「………嫌だと言ったら?」

 

「契約解消」

 

「………っ!」

 

 姫乃の言葉に、那月の表情が歪む。魔族狩りを捕まえたいが、メイドラゴンを失いたくない。故に那月はどちらかに決めるのを躊躇った。

 そんな那月の頭にポンと手を置いて、姫乃は言った。

 

「これは脅しじゃない。純粋に、御主人様を失いたくないから警告してるだけ」

 

「なに?」

 

「人間は弱い。けど、経験を積めば積むほど強くなれる。進化できる。だから、御主人様がどこまで強くなれるか、ワタシは知りたい。弱いまま死んだら(壊れたら)、困る」

 

「……………」

 

 姫乃の言葉に、那月は暫し無言になる。心配してくれるのは嬉しいが、結局は自分のためだから落胆する。

 が、少なくとも人間を『弱者』と言って切り捨てることはなくなった。そればかりか、〝人間〟の可能性に興味を持ち始めている。

 これもあの暁古城(バカ)に叱られたのが効いたのだろうか。よくわからないが、姫乃は彼に、第四真祖に興味を示している。〝殺神兵器〟とやらだからなのだろうか。

 相も変わらず戦闘好きではあるが、凶悪さがなくなり可愛くなったから、まあ良しとしよう。

 那月は、やれやれ、と苦笑すると、頷いて言った。

 

「わかった。魔族狩りの件、私は引くとしよう。姫乃のワガママに付き合ってやる」

 

「御主人様………ありがとう。代わりに、彼らはワタシが捕まえる。ヤハウェ(やー君)も、この世界から追っ払う」

 

「ああ、頼んだぞ姫乃」

 

「うん」

 

 那月の承諾を得て、微かに嬉しそうな笑みを浮かべる姫乃。

 

「………それと御主人様」

 

「ん?」

 

「これから出かけてきていい?」

 

「………暁に会いにいくのか?」

 

 コクリと頷く姫乃。那月は、そうか、と頷くが、

 

「あの古城(バカ)は、おまえに会いたがらないと思うが」

 

「………仲直りする」

 

「仲直り、か。………できるのか?」

 

「大丈夫。もう人間を見下さない。龍神(カミ)だからって偉そうにしない」

 

 そう言う姫乃の表情は、相変わらず無感情だが、彼女の瞳は決意したようなものだった。

 那月は、フッと笑って頷き、

 

「それなら許可する。行って仲直りしてこい」

 

「うん」

 

 那月の許可をもらった姫乃は、早速、古城に会いに行くため異空間へと姿を消した。




〝飢餓の呪鎖(ニーズヘッグ)〟
名前の意味は、相手も自分も魔力を枯渇(飢え)させる呪いの鎖。
姫乃が那月に与えた特殊な鎖の正体は邪龍ニーズヘッグの能力。

次回からようやく原作主人公たちと行動開始です。


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聖者の右腕 伍

 場所は、絃神島南地区(アイランド・サウス)。九階建てマンション正面玄関前。

 そこには、引っ越しの荷物を待っていた、彩海学園の制服をギターケースを背負ったあの時の少女がいた。

 その彼女は、虚空からいきなり出現したメイドラゴンの姫乃を見て、驚きの表情をしていた。

 

「………あ、あなたは!」

 

 姫乃の登場に戦慄し、思わず身構える少女。しかし、姫乃は首を横に振って、

 

「身構えなくていい。べつにオマエを―――姫柊雪菜を殺しに(壊しに)きたわけじゃない」

 

「!?どうしてわたしの名前を!?」

 

「ワタシは龍神。見ただけでオマエの情報が手に取るようにわかる」

 

「え?見ただけで、ですか!?」

 

 驚愕する雪菜と呼ばれた少女。姫乃は、うん、と首肯し、

 

「姫柊雪菜、十四歳。身長百五十六センチ、(バスト)七十六・(ウエスト)五十五・(ヒップ)七十八、C六〇。明日、私立彩海学園中等部に転入する転校生。縁堂縁の弟子で精神防壁の術式、呪術全般、巫術、幻術、禍祓い、魔術は大陸系のもの一通り、西洋魔術は基礎理論のみ。魔族との戦闘経験は、模擬戦闘なら二回、実戦は………この前のが初。武術は一応使える」

 

「なっ!?―――って、スリーサイズまで言わないでください!」

 

 余計な情報まで口にする姫乃を、雪菜は頬を赤らめながら怒る。

 そんな雪菜を見て、姫乃は暫し考えたのち、うん、と一人頷き、

 

「………ワタシのスリーサイズ、知りたい?」

 

「え?」

 

「空無姫乃、年齢不詳。身長百三十五センチ、体重三十五キロ、B六十九・W五十・H七十二、AAA(トリプルエー)六十三。二の腕二十、太腿三十九、ふくらはぎ二十七、足首十六、ヒップ高六十八、股下六十三―――」

 

「ス、ストップ!」

 

「ん?」

 

「スリーサイズどころじゃないですよ!それに、AAAって―――」

 

 雪菜は視線を姫乃の胸元へと向ける。たしかに姫乃の胸の膨らみはないに等しく、まな板という言葉が似合いそうなほどだ。

 

「………なに?」

 

「いえ。なんでもありません」

 

「ワタシの胸がないのを憐れむ必要はない」

 

「うっ………!」

 

「ワタシは万物(あらゆるもの)に変身できるから、胸のサイズなんか正直どうでもいい。それにこの容姿は、パパの趣味。変えようと思えば、巨乳爆乳思いのまま」

 

「………そう、ですか」

 

 雪菜は、そういえば彼女は全能の龍神だったことを思い出し、頬を引き攣らせる。あと、胸のサイズを自在に変えられるというその能力を羨ましく思った。

 それと、彼女の父親がロリコンだということも、雪菜は学習した。姫乃の父親がただの親バカだと雪菜が気づくのは、かなりあとになる。

 一方、姫乃は雪菜をじっと見つめて、

 

「………姫柊雪菜、胸を大きくしたい?」

 

「え?」

 

「ワタシがオマエを巨乳にすることもできる」

 

「―――!?」

 

 姫乃の言葉に、雪菜は思わず、本当ですか、と声を上げそうになる。できるなら是非、と口にしたいところだが、雪菜は己の欲望をぐっと堪えた。

 

「………いえ、いいです。胸を大きくしてもらっても、結局は偽物ですし、それに暁先輩にまたいやらしい目で見られてしまうので遠慮します」

 

「そう。暁古城は年頃の男。変態なのは仕方がない」

 

 それもそうですね、と雪菜が同意すると、

 

「―――誰が変態だ!」

 

 パーカーを着た少年―――古城が不機嫌そうな顔で現れた。噂をすればなんとやらである。

 雪菜と姫乃は、あ、と口を揃えて、

 

「こんにちは、暁先輩」

 

「こんにちは、暁古城」

 

「お、おう。こんにちは―――じゃなくて!なんでいるんだ姫柊?しかも、そいつと」

 

 攻撃的な視線を姫乃に向けて言う古城。雪菜と姫乃は一瞬だけ目を合わせて頷き、

 

「先輩を監視するためです」

 

「暁古城を観察しにきた」

 

「マジか、おい!?って、空無(おまえ)は今度は俺を植物扱いかよ!?」

 

 絶叫し、痛い頭を抱える古城。

 雪菜の監視も姫乃の観察も、結局は古城を視る(観る)ためだということに変わりない。

 しかし、雪菜はクスリと小さく笑い、

 

「冗談です」

 

「え?」

 

「引っ越しの荷物が来るのを待ってたんです。この時間に届くと言われていたので」

 

「………引っ越し?」

 

「はい。急な任務だったので準備が間に合わなくて。昨日まではホテルを借りてたんですけど、やはり不便でしたから」

 

 雪菜が答えると、古城はますます不可解そうに頭を悩ませる。なんでここで引っ越しの荷物を待つのか。まさか、姫柊の引っ越し先って―――

 

「暁古城」

 

「ん?………え?」

 

 不意に声をかけられて、古城は声の主に目を向けて、固まる。頭を下げている姫乃を見て。

 

「………なにやってんだ、おまえ?」

 

「謝罪」

 

「は?」

 

「昨日、オマエに酷いこと言って傷つけた。だから謝罪。ごめん」

 

 深々と頭を下げて謝る姫乃。そんな彼女を、驚きの表情で見下ろす古城。昨日の人間を見下していた彼女とは思えない行為に、古城は暫し言葉を失う。

 ハッと我に返った古城は頭をポリポリと掻いて、

 

「俺のほうこそ昨日はごめんな。キツいこと言って」

 

「ワタシは平気。それに、悪いのは全部自分勝手なワタシ。オマエは怒って当然」

 

「いや、でも」

 

「オマエが謝罪するのはおかしい。割に合わない。だからワタシに謝罪するのは禁止」

 

「お、おう」

 

 姫乃にきっぱり言われて、古城は思わず頷く。姫乃はそれを確認すると、じっと古城の顔を見つめて、

 

「要求」

 

「え?」

 

「オマエはワタシに、なにをして欲しい?」

 

「は?」

 

 姫乃の唐突な提案に、古城はぽかんと口を開ける。彼女は一体なにを言っているのか。古城には理解できない。

 その疑問を察したように、姫乃は続けた。

 

「オマエを傷つけた御詫び。ワタシになにを要求する?」

 

「お詫び、か」

 

 別にそんなものはいらないが、と古城は思った。が、恐らくそれじゃあ彼女は納得しないだろう。

 どうしたものか、と古城は黙考していると、今まで静聴していた雪菜が割って入ってきた。

 

「空無さん。そのお詫びというのは、先輩が無理な要求をしても、応えるつもりですか?」

 

「うん」

 

 雪菜の質問に、躊躇うことなく頷く姫乃。これに古城は、マジか、と驚愕する。

 無理な要求でも応える所存の姫乃。そんな彼女に、古城は恐る恐る口を開いて言った。

 

「………今日一日、俺の言うことをなんでも聞く―――ってのでもいいのか?」

 

「先輩、それはさすがに」

 

「構わない」

 

「え!?いいんですか!?」

 

 ぎょっとした表情で姫乃を見つめる雪菜。うん、と首肯する姫乃。

 それに古城は警戒するように姫乃を見返し、

 

「………あとで見返りを求めてくるわけじゃねえよな?」

 

「?どうしてお詫びなのに見返りをオマエに要求する必要がある?」

 

 不思議そうな表情で見つめ返してくる姫乃。それもそうか、と納得する古城。

 彼女がいいというのなら、古城がこれ以上言うのは野暮だろう。それに、龍神を自由にできる機会はそうそう来ない。このチャンスはありがたく使わせてもらうことにしよう。

 古城はそう決めると、よし、と頷いて、

 

「じゃあ早速で悪いんだが、俺のことは〝オマエ〟じゃなくて名前で呼んでくれ」

 

「わかった。古城様」

 

「………いや、様はいらないんだが」

 

「わかった。古城」

 

 古城の言われた通りに言い直す姫乃。そういえば、那月ちゃんのことを〝御主人様〟って呼んでたな、と古城は思い出す。姫乃は一度決めた契約には従順なようだ。

 次に古城は雪菜に視線を向けて、

 

「姫柊は空無になんて呼ばれたい?」

 

「え?………そうですね。わたしも名前でいいです」

 

「―――だそうだ」

 

「うん、わかった。雪菜」

 

 了承して雪菜のことも名前で呼ぶ姫乃。彼女を最初から呼び捨てにしたのは、彼女は姫乃の一日主人(マスター)ではないからだろう。

 そういうところはちゃんと区別してるんだな、と苦笑いを浮かべる古城。

 古城がそんなことを思っていると、一台の小型トラックが現れては彼らのいる玄関前に停車し、

 

「お荷物を届けに上がりました」

 

 とトラックから配達員の二人が降りてきて、威勢よく言ってきた。

 そんな彼らに雪菜がエレベーターを指差しながら、

 

「すみません。こちらです」

 

 雪菜が配達員たちを誘導すると、古城は、げっ、と予想が的中して嫌そうな顔をする。

 

「なあ、姫柊。やっぱり姫柊の引っ越し先って」

 

「ええ。こちらのマンションですよ」

 

「マジか………」

 

 雪菜の返答を聞いて、ますます嫌そうな顔になる古城。姫乃は古城をじっと見上げて、

 

「………殲滅する?」

 

「は?」

 

「獅子王機関」

 

「なんで!?」

 

「嫌そうな顔をしていたから、獅子王機関は古城にとって邪魔な存在と解釈した。命令してくれれば、ワタシが今すぐにでも殲滅しにいく」

 

「やめろ!それは絶対にやめてくれ!頼むから!」

 

「わかった」

 

 古城が必死に訴えると、姫乃は了承し自ら出した提案を取り消す。そのやり取りを見ていた雪菜は、ホッと胸を撫で下ろす。

 獅子王機関曰く、姫乃は自らの楽園(パラダイス)を守るために数多の異界を滅ぼしてきた恐ろしい龍神。いわば世界を容易く壊せる兵器そのものなのだ。悪人が利用すれば今日中に世界は終焉を迎えていただろう。

 そう考えると、姫乃の所有者が善人であってよかった、と雪菜は思った。古城もまた、悪い吸血鬼(ひと)ではなくてよかった。

 台車の荷物と共にエレベーターに乗り込む雪菜。なんとなく気になって彼女についていく古城と、彼の一日従者としてついていく姫乃。それから雪菜は迷いなくエレベーターの七階のボタンを押して、配達員たちに言った。

 

「七〇五号室です」

 

「ちょっと待てェ!」

 

 聞き捨てならない言葉に古城は思わず絶叫する。配達員たちが驚いて古城を凝視するなか、雪菜も咎めるような口調で、

 

「どうしたんですか、先輩。こんな狭いところで急に大きな声を出して?」

 

「いや、だって七〇五号室って、思いきりうちの隣じゃねえか!先週その部屋に住んでた山田さんが急に引っ越していったのも、おまえらの仕業か!?」

 

「べつに脅したわけではないですよ。平和的に説得して出ていってもらいました」

 

「説得ゥ?」

 

「はい。この部屋には悪い気が籠っているとか、自殺した前の住人の霊が今も居座ってるとか、このままでは不幸な死に方をすると、信頼のおける霊能者の託宣をお伝えして………」

 

「そういうのを世間では脅しっていうんだろうが!悪徳霊感商法かっ!?」

 

「冗談です」

 

「そうだよな。冗談に決まって………は?」

 

「七〇五号室の前の住人には、きちんと立ち退き手数料を払って引っ越してもらいました。転居先も同等以上の住居を用意したと聞いてます」

 

「本当に?」

 

「はい。曲がりなりにも政府機関のやることですから」

 

 そういえばそうだったな、と古城はホッと胸を撫で下ろす。

 一方、配達員たちは、一体こいつらはなんの話をしてるんだ、というような表情で古城たちを眺めている。ただでさえ露出度高めなロリっ娘メイドが彼らの傍らにいるというカオス状態だというのに。

 そういえばこの子、殲滅するとか物騒なことを言っていたような、と配達員たちは思い出す。よくわからないが警戒しておこう、と二人は顔を見合わせ、頷いた。

 やがてエレベーターは七階に到着し扉が開くと、配達員たちは荷物を積んだ台車を七〇五号室の前まで移動させる。それから雪菜に荷物の受領印をもらうと、挨拶もそこそこに帰っていった。

 雪菜は七〇五号室の扉を開けて、

 

「先輩、その段ボール箱、中に運んでもらえますか?」

 

「え?なんで俺が………」

 

 文句を言いながらも、古城は段ボール箱を一つ持ち上げようとした。すると、先ほどまで無言だった姫乃が古城に言ってきた。

 

「渋々やるなら、ワタシが運ぶ」

 

「え?いいのか?」

 

「うん」

 

 首肯する姫乃。そういうことなら頼んだ、と古城は下がって彼女の言葉に甘えることにした。

 姫乃は三つある雪菜の荷物を積み重ねていくと、ひょいっと纏めて軽々持ち上げた。

 

「………まとめてとか、さすがは龍神だな」

 

「そうですね」

 

 小柄な身体に不釣り合いな怪力を発揮する姫乃を見て、苦笑を零す古城と雪菜。吸血鬼の真祖である古城でも、流石に真似できないことだろう。

 ふらつきもせず安定した状態で雪菜の荷物を部屋の奥へ運んでいく姫乃。透視の能力も使用しないで前が見えていないはずなのに、壁や段差に躓くことなく運び終えた。

 

「終わった」

 

「ありがとうございます、空無さん」

 

「ん」

 

 雪菜はお礼を言い、それに短く返事する姫乃。古城は、姫乃の運んできた三つの段ボール箱を眺めながら首を傾げた。

 

「もしかして、姫柊の荷物ってこれだけか?」

 

「はい。そうですけど………なにかまずいですか?学生寮に住んでいたので、あまり私物を持ってないんですが」

 

「まずくはないけど、いろいろ困るだろ。見た感じ、布団もなさそうだし」

 

「わたしなら、べつにどこでも寝られますけど。段ボールもありますし」

 

「頼むからやめてくれ、そういうのは」

 

「………いちおう生活に必要なものは、あとで買いにいくつもりだったんですけど………」

 

 ぐったりと壁に凭れる古城の顔をちらりと見て、言い訳するように呟く雪菜。なにか物言いたげな彼女の表情に、ムッと古城は眉を寄せた。

 

「もしかして俺を監視しなきゃいけないから、買いにいく時間がない、とか思ってる?」

 

「ええ、まあ。でも、任務ですから………」

 

 真顔で頷く雪菜を見て、古城は呆れたように息を吐く。しょうがないな、と古城は再び嘆息し、

 

「だったら、俺が姫柊の買い物に一緒にいけばいいのか?」

 

「先輩と一緒に………ですか?」

 

「それなら監視任務もサボったことにならないだろ」

 

「そうですけど、でも先輩はいいんですか?」

 

「昼過ぎまでは追試があるけど、そのあとでよければつき合ってやるよ。試験勉強を手伝ってもらった借りがあるからな」

 

 時計を確認しながら言う古城。それを聞いて雪菜は少し嬉しそうに微笑み、

 

「そうですか。そういうことでしたら、先輩の試験が終わるまで校内で待ってます」

 

「おう」

 

 古城は短く返事して頷くと、視線を姫乃に向けて、

 

「空無にもつき合ってもらうが、構わねえか?」

 

「うん」

 

「よし。俺の追試と姫柊の買い物が終わったら、いろいろ教えてもらうぜ。空無のこととか、あんたが知ってる第四真祖の情報とかをな」

 

「……………」

 

 古城のその言葉に、姫乃は暫し無言になる。そんなに知りたいのか、と姫乃は思う。が、彼の提示した条件―――〝なんでも言うことを聞く〟を飲んでしまった以上、誤魔化すわけにはいかない。

 本当は彼がもう少し力をつけてもらってから教える予定だったが、この際は仕方がない。姫乃は無言のまま頷いた。

 古城は、姫乃が頷いたのを確認すると、両手を合わせて、

 

「あとすまん!このままじゃ追試に間に合わないから、空無の力でなんとかならねえか!?」

 

「………?わかった」

 

 古城のお願いを聞いて、姫乃は了承し指を振る。すると、三人がいた場所と見ていた景色はがらりと変わり次の瞬間には―――彩海学園の正門前に立っていた。

 

「―――――は!?」

 

「着いた。これで古城の遅刻は回避」

 

 唖然とする古城や雪菜と違って、無表情かつ無感動な声音で言う姫乃。

 マジか、と姫乃の能力に驚愕する古城。雪菜も、簡単に空間制御の魔術を行使する彼女に驚く。龍神だからこそ、難なく空間に干渉できるのか。

 ぽかんと口を開けて固まっている古城に、姫乃は黒い紙片のようなものを手渡す。

 

「………なんだ、コレ?」

 

「ワタシを召喚する術式を組み込んだ紙片。使用すればワタシをいつでも喚び出せる優れもの」

 

「マジか!?」

 

「一日主人(マスター)の古城に渡す。期限は今から二十四時間。過ぎたらその紙片は自然消滅」

 

「ああ。ありがとな、空無」

 

「うん。あと、コレも渡す」

 

 そう言って、姫乃は虚空から一振りの禍々しい長剣を古城に渡した。

 

「………剣?」

 

「うん。ワタシを殺せる(壊せる)唯一無二の剣」

 

「は?」

 

「ワタシが契約違反した時に、その剣でワタシの心の臓を貫く。そうすればワタシを殺せる(壊せる)

 

「え?いや、ちょっと待て!」

 

 姫乃のとんでもない発言に、古城は堪らず絶叫した。

 

「ん?」

 

「なんで空無(おまえ)を殺せる武器を俺に渡すんだ!?」

 

「………契約は絶対。裏切りは万死に値する。だから一日主人(マスター)の古城が持つべき剣」

 

「は?正気かあんた!?」

 

「うん。一日主人(マスター)の古城でも、一時の本契約者。裏切り者は死をもって償う」

 

 淡々と告げる姫乃。そう。今の古城は一日だけではあるものの、仮契約の那月とは違って本契約なのだ。姫乃にとって命をかけるべき存在。

 そして、彼に渡した剣は、姫乃自身が創った唯一無二の剣であり、自らを殺せる(壊せる)武器。全能者ならば、自らを殺せる(壊せる)武器を創ることも可能なのだ。

 古城は、姫乃の無表情だが覚悟を決めたような瞳を見て、そうか、と頷き、

 

「わかった。空無がそこまで言うなら、(こいつ)は俺が持っとく」

 

「うん」

 

「でも、この剣が他の人の手に渡ったりしたらヤバくねえか?」

 

「平気。その剣でワタシを殺せる(壊せる)のは、本契約者のみ。他者が使用しても、ワタシは殺せない(壊せない)

 

「そっか。それなら安心―――」

 

「けど、相当強力に創ったから、死なないけど掠っただけで致命傷。さすがに心の臓を貫かれたら気を失う」

 

「駄目じゃねえか!?」

 

 古城は痛い頭を抱えた。傍らで静聴していた雪菜も失笑を禁じ得ない。

 姫乃は無表情な顔を僅かに申し訳なさそうな表情に変えて、

 

「古城。なるべく他者の手に渡らないように管理お願い。いちおう〝神〟には触れないように創ってるけど、人間は触れても大丈夫にしてるから」

 

「責任重大だなオイ!わかった、善処するよ」

 

 古城は、姫乃から渡された闇色の剣をバッグの中に仕舞う。ふと、この剣が獅子王機関の手に渡ったら、相当やばいんだろうな、と古城は思った。

 古城は、雪菜をちらりと横目で見る。任務に忠実な彼女の手にも渡らないようにしないとな、と古城は思う。

 闇剣をバッグに仕舞ったことを再確認した古城は、雪菜と姫乃を見回して、

 

「それじゃあ、俺は追試に行ってくる」

 

「はい。私も校内までは行きます」

 

「うん。ワタシは自宅で待機してる。終わったらさっき渡した紙片でワタシを喚ぶ」

 

「おう」

 

 古城と雪菜が校内に入っていくのを見届けた姫乃は、異空間を通じて帰宅したのだった。




古城と雪菜は、早くも姫乃および第四真祖について知ることになります。本編での紹介は、ネタバレ防止のため当分先にしますが。

古城の所有物。
闇の紙片(ダークネス・ゲート):姫乃を召喚できる。
闇の魔剣(ダークネス・キラー):姫乃の本契約者にのみ姫乃を斃せる剣。他者が使用しても姫乃に致命傷を負わせられるおぞましい剣でもある。


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聖者の右腕 陸

 追試を終えた古城は、雪菜と合流すると、人気のない場所に移動する。そして古城は、姫乃を喚ぶためにポケットに忍ばせておいた〝闇の紙片(ダークネス・ゲート)〟を取り出し、

 

「………どうやって空無(あいつ)を喚び出せばいいんだ?」

 

「え?先輩、聞いてなかったんですか?」

 

 雪菜が呆れたように訊いてきて、古城は、ああ、と頷き焦り始める。どうすればいいんだ、と適当に紙片を持つ手を掲げてみた。

 すると、古城と雪菜の頭上に純白と純黒の二匹の蛇が顕現して互いの尾を喰らい合い環をなすと、その環の中から真っ黒な異空間が顔を覗き―――

 

「喚んだ?」

 

 メイドラゴンの姫乃がそこから現れた。古城と雪菜がぽかんと口を開けて固まっていると、姫乃は音もなく彼らの前に着地する。

 それからすぐにハッと我に返った古城は、姫乃の顔に手を伸ばし―――彼女の頬を引っ張ってみた。

 

「………なに?」

 

「いや、偽者じゃないかと思って。どうやら本物みたいだな」

 

「そう」

 

 姫乃は短く返事をし納得する。古城に頬を引っ張られても、彼女は特に気にしていないようだ。が、偽者扱いされて少し怒っているような気がした。

 一方、古城は、それにしても柔らかい肌だな、と無遠慮に姫乃の頬を触りまくっていると、雪菜がジト目で睨んできて、

 

「先輩。彼女は龍神でも女の子なんですよ?べたべたと触りすぎです」

 

「え?あ、悪い。柔らかかったからつい」

 

「つい、ですか」

 

 はぁ、と溜め息を吐く雪菜。だが、彼女も姫乃の肌に触れてみたいと内心思っていた。そんな雪菜の想いを察したように、姫乃が雪菜に視線を向けて言ってきた。

 

「雪菜も触る?」

 

「え?いいんですか!?」

 

「うん」

 

 首肯する姫乃。では遠慮なく、と雪菜は彼女の顔に手を伸ばして触り始めた。

 

「………!ほ、本当に柔らかい!神々のあらゆる武器を通さない身体とはとても思えません!」

 

 雪菜は興奮気味に、姫乃の首や腕、腰、脚などを触りまくる。古城がこれだけ彼女の身体を触りまくれば、間違いなく変態扱いまっしぐらだろう。

 古城は少し羨ましげにその光景を眺めていると、ふと目的を思い出して雪菜を止めた。

 

「姫柊、そろそろいいか?」

 

「え?あ、はい、すみません。夢中になってました」

 

 雪菜は頬をぽりぽりと掻きながら、姫乃を解放した。少しだけ乱れた服を正して姫乃は、古城に視線を向けて、

 

「雪菜の買い物、どこに行く?」

 

「ん?そうだな。手っ取り早く日用品を揃えるなら、近場のホームセンターがいいか」

 

「わかった」

 

 え、と古城が声を発した刹那、姫乃は指を振り―――彼が向かおうと決めたホームセンターの入口前に三人は転移した。

 追試前にも、古城と雪菜が体験した姫乃の空間転移(テレポート)だったが、まだ二回目なので驚きの表情を見せる。

 そして最も驚いていたのは、通行人たちだった。偶然ホームセンターの前を通りかかった彼らは、古城たちを見て、一体どこから湧いて出てきた、と驚愕して立ち止まってしまっている。

 古城はムッと眉を寄せると、姫乃に文句を言った。

 

「空無。せめて能力使うなら事前に教えてくれ。急にやられたらびっくりするだろ!」

 

「わかった」

 

「それから、勝手に能力使うのも禁止な。便利だけど、緊急時だけに頼む」

 

「わかった」

 

 無感動な声音で了承する姫乃。だがその瞳には反省の色が浮かんでいるような気がした。

 よし、と古城は、姫乃の頭をポンと叩いたのち、三人はホームセンターの中へ入っていった。

 店内に入った途端、雪菜が目を丸くして固まる。特に変わった店ではないが、彼女は初めてらしかった。

 雪菜は陳列された商品を露骨に警戒した表情で眺め、

 

「これはなんという武器ですか?(メイス)のようですが」

 

「うん。コレはゴルフクラブ。頭をかち割る武器」

 

「違うわ!名前はあってるけど、かち割んな!ただのスポーツ用品な」

 

 真面目な口調で訊いてくる雪菜に、姫乃が物騒な回答をし、それを古城が訂正する。

 

「そうですか。では、この火炎放射器のような重装備は………」

 

「違う。ソレは高圧洗浄器。シャワー感覚で身体を洗うヤツ」

 

「車とかな。間違っても身体を洗っちゃ駄目だからな」

 

「これは間違いなく武器ですね。映画で見たことがあります」

 

「うん。チェーンソーは人体をバラバラにするのに効率がいい」

 

「やめろ!武器といえば武器だが、バラバラにするのは木材にしてくれ!」

 

 つかそれじゃあバラバラ殺人事件じゃねえか、と古城は痛い頭を抱える。

 

「あ、これも獅子王機関で習いました。こんなものまで販売しているとは、恐ろしい店です」

 

「うん。酸性の薬剤と塩素系の薬剤を混ぜて毒ガスを発生させられる。洗剤は強力な武器の一つ」

 

「いや、ただの洗剤だしそういう使い方をするな!」

 

「え?駄目なんですか?」

 

「は?まさか姫柊も空無と同じことを考えてたのか!?」

 

「はい」

 

「マジかよ!?」

 

 獅子王機関はなんつーことを教えてんだよ、と呆れ果てる古城。

 それはそうと、と古城は姫乃に視線を向けて、

 

「空無。おまえは名前は知ってるのに、なんで使い方が間違ってる上に物騒なんだよ?」

 

「〝愛娘ちゃんの頭に入っている知識が全て正しいわけじゃない〟って、パパに正しい使い方を教わった」

 

「正しくねえよ!―――って犯人はおまえの父親か!」

 

 姫乃の創造主(父親)が犯人だと分かり、古城は盛大に溜め息を吐く。まさかとは思うが、彼女の傲岸不遜だった態度の原点は、彼女の創造主(父親)ではないだろうか。

 もしそうなら、姫乃はただ創造主(父親)に倣ってあんな性格を帯びていたのかもしれない。

 これはもう姫乃の創造主(父親)に文句を言ってやるしかないな、と古城は心に決めた。

 そんなこんなで雪菜が必要なものを買い揃えた頃には、古城は完全に消耗し尽くしていた。姫乃が創造主(父親)から教わった、間違った知識に突っ込むという労力もプラスして、古城は魂が口から抜けかけるほどのダメージを負った。

 一方、雪菜は随分楽しそうな表情を浮かべていた。誰かと一緒に買い物をするのが楽しいのだろうか。

 ………姫乃のほうは相変わらず、表情に変化は見られなかった。彼女の心から笑った表情を見てみたいな、と古城は密かに思った。

 それから買い物を終えて店を出ると、駅へ向かうなか、古城は雪菜に訊いた。

 

「そういえば支払いのほうは大丈夫だったのか、姫柊?けっこう買いこんだみたいだけど」

 

「はい。必要経費を前払いしてもらった支度金がありますから」

 

「ああ、そういうことか。………支度金、ね。それっていくらぐらい出るんだ?」

 

「えーと、一千万円くらいです」

 

「いっせ………!?」

 

 平然と答える雪菜を、古城は凝視し絶句する。明らかに中学生が手にしていい額ではない。

 呆然と立ち止まる古城に、雪菜は不思議そうな表情を浮かべて、

 

「第四真祖が相手ということで、いつ死んでも悔いが残らないようにしておけと獅子王機関のおばさまには言われたんですけど………そのための支度金なんだそうで」

 

「俺のせいか!?その大金は俺のせいなのか!?」

 

 納得いかねえ、と叫ぶ古城。そんな彼に、姫乃が不意に口を開き、

 

「………古城も大金欲しい?」

 

「え?」

 

「ワタシの〝創造〟の能力を行使すれば、一千万円以上のお金を造って古城にあげられる」

 

「マジか!―――って、いやそれ犯罪だからな!?たしかに空無の能力なら本物の金を無限に生み出せるかもしれないけど、やっちゃ駄目だ!」

 

「わかった」

 

 危うく、造ってくれ、と欲望を剥き出しにしかけた古城は、慌てて姫乃の提案を止める。

 姫乃は無表情で返すが、その瞳は僅かに残念そうな色を見せている気がした。

 そんな二人のやり取りを、雪菜は苦笑いを浮かべながら眺めて、

 

「じゃあワタシの〝破壊〟の能力で、お金の存在自体を壊してこの世から全て消し去る」

 

「そうすればお金を払わずに欲しいものがなんでも手に―――ってそれも駄目だろ!?造るのも壊すのもやっちゃ駄目だ!」

 

「わかった」

 

 ………苦笑いから失笑へと変わる雪菜。『お金』の〝創造〟も〝破壊〟も思いのままな龍神(ドラゴン)。如何に龍神(カミ)とはいえ、そんなことをされたらお金を製造している人たちにとっては堪ったもんじゃないだろう。

 ふと姫乃は、古城の持つ荷物へと視線を向けて、

 

「………古城。やっぱりワタシがソレ持つ」

 

「いや、気持ちだけ受け取っておくよ。べつに重い荷物じゃないしな」

 

「そう」

 

 手伝わなくていい、と古城に言われて引き下がる姫乃。古城が彼女に荷物運びの手伝いを頼まないのは、傍から見たら幼い子供に重い荷物を持たせてる悪いお兄さんになりかねないからだ。

 そんな彼の想いを汲み取った姫乃は、大人しく引き下がった。というよりは、一日主人(マスター)である古城の指示に従っただけだが。

 ちなみに古城がぶら下げている袋の中身は、雪菜が買った日用品たちだ。寝室用のカーテンにバスマット、トイレのスリッパ、コップと歯ブラシ、マグカップ。まるで同棲開始直後の学生カップルみたいな荷物だな、と古城は思う。が、姫乃(お子様メイド)付きなためそれ以上の意味に取れそうな気がしないでもない。

 そして、古城たち三人がモノレール乗り場に辿り着いたとき、

 

「―――古城?」

 

 目の前で誰かの驚く声がした。その声の主へと、古城が反射的に顔を上げて確認する。そこに立っていたのは、華やかな髪型の金髪と茶色の瞳、校則ギリギリまで飾り立てた彩海学園の制服を着た女子高生だった。

 

「あれ、浅葱?どうしてここに?おまえん()ってこっちじゃないよな?」

 

「うん。バイトの帰りだから………こないだ頼まれた世界史のレポートを、古城の家まで持ってってあげようと思ってたんだけど………」

 

 浅葱と呼ばれた少女は、古城が持っている生活感溢れる荷物たちに視線を向けたのち、古城の両隣にいる雪菜と姫乃に目を向けて、

 

「その子たち、誰?」

 

「ああ、姫柊と空無のことか。えーと、こっちが今度うちの中等部に入ってくる予定の転校生が姫柊で、あっちが那月ちゃんのメイドを務めてる空無だ」

 

 古城が気楽な口調で雪菜と姫乃を紹介すると、雪菜が、ぺこりと頭を下げ、姫乃は、ん、と短く返事した。

 浅葱は、雪菜と姫乃をじっと見比べて、

 

「どうしてその中等部の転校生と、古城が一緒にいるわけ?それに那月ちゃんのメイドの子だってそう―――って那月ちゃん、いつの間にかメイド雇ってたんだ!?」

 

「ああ。俺も昨日の追試のときに空無が那月ちゃんのメイドをしてるって知って驚いたよ。姫柊は………えと………!そ、そう、姫柊は凪沙のクラスメイトなんだよ」

 

 古城が浅葱に説明していると、姫乃がコクリと頷き、

 

「ワタシは御主人様の、南宮那月のメイド。今は、古城が一日主人(マスター)。だから一緒にいる」

 

「そうなんだ―――って、え?古城が一日主人(マスター)ってどういうことよ?」

 

「え?あ、いやそれは………空無」

 

「なに?」

 

 古城は前屈みになると、姫乃の耳元に口を持っていき、小声で言った。

 

「余計なことは言わないでくれ。ややこしくなるから」

 

「わかった」

 

 姫乃も小声で了承する。そんな二人のやり取りを不審そうに眺める浅葱。

 

「メイドの子のほうの話………まだ納得いかないけど、まあいいわ。それで、転校生のほうは凪沙ちゃんの知り合いなの?」

 

「ん?ああ。なんか転校の手続きにきたときに、凪沙と知り合いみたいで」

 

「………それで古城は、凪沙ちゃんにその子を紹介してもらったってこと?」

 

「まあ、そうかな」

 

 適当に受け流す古城。そんなやり取りを聞いていた雪菜が、なにかに気づいてハッとした表情を浮かべる。

 浅葱はもう一度、姫乃と雪菜を見回して、うん、と頷き、

 

「メイドの子は可愛いし、転校生も綺麗な子だよねー」

 

「だよな」

 

「ホント、両手に花でいいご身分ね」

 

「え?あ、浅葱?」

 

 浅葱の発言に古城はきょとんとした表情で見返していると、モノレール乗り場に車両が到着して、

 

「じゃあ、電車来たから。あたし帰るね」

 

「は?いやちょっと待て」

 

「なによ?」

 

「世界史のレポート、見せてくれるんじゃなかったのか?」

 

「うん。そのつもりだったんだけど、どっかに忘れてきちゃったみたい」

 

 静かな怒気を孕んだ笑顔で浅葱が言う。明日、学校できちんと説明してもらうわよ、と無言のメッセージを瞳で伝えてくる。

 

「え?おい、浅葱?」

 

「バイバイ」

 

 困惑する古城の目の前で、車両の扉が閉まった。浅葱は何故か古城だけを無視して、姫乃と雪菜にだけ愛想よく手を振り去っていく。

 

「なんだ、あいつ」

 

 古城が首を傾げて呟くと、雪菜は責任を感じているような表情になって、

 

「すみません、先輩。わたしのせいで、なにか誤解されてしまったかも………」

 

「誤解?………ああ。いや、ないない。誤解とか。あいつはただの友達だから」

 

「ただの友達………ですか」

 

「まあ腐れ縁というか、男友達みたいなもんかな」

 

「先輩………」

 

「なんだ?つか誤解もなにも、空無も一緒にいるわけだから、姫柊が責任を感じることはないんじゃねえか?」

 

 古城に指摘されて、それもそうですけど、と雪菜は返すが、内心では『鈍感』と思い深々と溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 

 時刻は夕方近く。古城たち三人がマンションに着き、エントランスを潜ると、

 

「―――あれ、古城君たちも今帰り?遅かったね」

 

 エレベーターのドアを開けたまま、制服姿の女子中学生が、早く早く、と手招きしてきた。

 黒い長髪を結い上げてピンで止めた、茶色の大きな瞳が特徴的な雪菜と同じ彩海学園の中等部の制服を着た少女だ。

 

「凪沙か。なんだ、その荷物?」

 

 エレベーターに乗り込んだ古城は、凪沙と呼ばれた自分の妹の姿を見て眉を寄せる。

 凪沙の右手にある部活の荷物を詰めたスポーツバッグはいいが、左手にある大量の食材―――大量の肉や刺身などの高級食材を詰め込んだ買い物袋が不思議でならない。

 そんな兄に、凪沙が呆れたように言ってきた。

 

「なにって、歓迎会だよ。転校生ちゃんの」

 

「歓迎会?」

 

「そだよ。だって引っ越してきたばっかりで、今日はご飯の支度なんてできないでしょ」

 

「まあ、そういやそうか―――って、ん?凪沙、おまえ、姫柊が隣に引っ越してくるって知ってたのか?」

 

「うん。だって今朝、挨拶に来てくれたし。古城君は寝てたけど」

 

 兄の寝坊を咎めるような口調で言う凪沙。古城が、そうなのか、と小声で雪菜に訊くと、はい、と彼女は頷き返した。

 

「あの………でも、いいんですか、歓迎会なんて」

 

「いいのいいの。お肉ももう買っちゃったし。あたしと古城君だけじゃ食べきれないよ」

 

 凪沙が人懐こい表情で言った。たしかに、と古城も苦笑する。

 雪菜は少し考えたのち、頷いて、

 

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えます」

 

 それを聞いて、よかった、と嬉しそうに笑う凪沙。その笑顔のまま凪沙は兄を見上げて、

 

「ねえ、古城君」

 

「なんだ?」

 

「ずっと気になってたんだけど―――そっちの子は誰?メイドさんだよね。本物のメイドさんは初めて見たよ。なんで古城君たちと一緒にいるの?知り合いなの?もしかして雇ったの?」

 

「ああ、いや、雇い主は那月ちゃんだよ。一緒にいるのは、空無にいろいろ話があるからかな」

 

 矢継ぎ早に繰り出される妹の質問に答える古城。すると凪沙が瞳を丸くして驚き、

 

「え?南宮先生のメイドさん!?へえ、そうなんだ。いつの間にメイドさんを雇ってたんだね」

 

「……………」

 

 無表情で立っている姫乃の全身を興味津々に眺める凪沙。それから、うん、と凪沙は頷き、

 

「メイドさんもよかったら夕飯食べてかない?食材たくさん買っちゃったから、手伝ってくれると嬉しいかな」

 

「………古城」

 

「なんで俺に訊く。ま、いいんじゃねえか?せっかくだし夕飯もつき合ってくれ」

 

「わかった」

 

 即了承する姫乃。それを不思議そうに凪沙が見つめて、

 

「なんでメイドさんは古城君の言うことにすぐ従ったの?やっぱり古城君に雇われてるの?」

 

「え?あ、いやそれは―――」

 

「レンタル」

 

「そ、そう!空無はレンタルメイド………って、は?」

 

 姫乃の唐突な発言に間の抜けた声を洩らす古城。雪菜と凪沙もきょとんと姫乃を見つめているが、姫乃は気にせず続けた。

 

「古城はメイド(ワタシ)をレンタルしている、ワタシの一日主人(マスター)。だから彼の命令は絶対遵守」

 

「は?おま、なに言って―――」

 

「メイドさんをレンタルできるの!?」

 

 古城の言葉を遮って興奮気味に食いつく凪沙。え、と凪沙の反応に驚く古城。

 姫乃は、うん、と頷いて、

 

「レンタルできる。一日だけだけど」

 

「レンタルできるんだ!?どうしよう古城君。あたしもメイドさんレンタルしたいかも!」

 

 凪沙が瞳を輝かせながら兄に言ってくる。古城は、なんで俺に言うんだよ、と眉を寄せる。

 古城は、はぁ、と溜め息を吐くと、前屈みで姫乃に小声で訊いた。

 

「あんなこと言って大丈夫なのか?」

 

「うん………多分」

 

 多分かよ、と苦笑いを浮かべる古城。古城に助け船を出したつもりでレンタルメイドなどと嘘を言った姫乃。あとで那月になにを言われるかは古城に知るよしもないが。

 一方、凪沙は姫乃(メイド)を一日レンタルできると知ってどうしようか悩んでいると、エレベーターは七階についてハッと我に返った。

 

「じゃあ雪菜ちゃん、荷物を置いたらうちに来てね。メイドさんはうちに直行でいいのかな?」

 

「はい」

 

「うん」

 

「あ、それと夕飯は寄せ鍋にするけど大丈夫?雪菜ちゃん、メイドさん、食べられないものとかないかなあ。やっぱり真夏に冷房をガンガンに効かせて食べるお鍋は、贅沢な感じがしていいよねえ。そうそう、味噌味と醤油味はどっちがいいかな。おダシはね、いちおうカツオとコンブと鶏ガラとホタテを使うつもりなんだけど、今日はカニも用意してあるからやっぱりお醤油仕立てかなあ。カニはオホーツクの毛ガニだよ。ちょうど今が旬―――」

 

「その辺にしとけ、凪沙。空無はともかく、姫柊が固まってる」

 

 早口で捲し立てる妹の頭頂部を古城が軽く叩いて黙らせる。あ痛、と涙目になった凪沙が恨みがましく見てくるが古城は気にしない。

 雪菜は圧倒されたような表情を浮かべながらも、

 

「あの、わたしも手伝いましょうか?鍋物の下ごしらえくらいなら………」

 

「いやいや。雪菜ちゃんは今日はお客様だからね。のんびりくつろいでてよ。遠くからやってきたばかりで、疲れたでしょ。ほら、古城君も雪菜ちゃんをもてなして」

 

「そういう思いつきだけで適当なことを言うな。俺は自分の部屋で宿題の残りをやる」

 

「そういうことなら、わたしが先輩の宿題を手伝うということでどうですか?」

 

 買い揃えた日用品を七〇五号室の玄関先に起きながら雪菜が言った。

 その申し出に古城は迷うが、凪沙は兄の葛藤などお構いなしに、

 

「ごめんね、雪菜ちゃん。古城君のこと、よろしくね。出来の悪いお兄ちゃんですけど」

 

 一方的にそう言って雪菜を自宅に連れていく凪沙。出来の悪い兄で悪かったな、とムッとした表情を見せたのち、斜め後ろに控えている姫乃に視線を向けて、

 

「空無。約束通りいろいろ教えてもらうからな」

 

「わかった。けど、知っていいのは古城と雪菜のみ。他の誰にも喋っては駄目。盗聴できないように結界も張らせてもらう」

 

「ああ。べつにあんたが俺の知りたい情報を包み隠さずすべて喋ってくれるならそれで構わないぜ。姫柊にも獅子王機関に報告しないよう口止めする」

 

「うん。それでお願い」

 

 姫乃は無表情ながらも、瞳は安堵しているような気がした。

 古城は、そんなに知られちゃまずい情報でもあるのか、と思った。だが古城も、獅子王機関に第四真祖の情報が渡るのはなんかヤバい気がしたため、姫乃の条件を飲むことにしたのだった。




前回後書きに書いた通り、姫乃のネタバレ話はカットしますので悪しからず。


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聖者の右腕 漆

今回は10000近いです。


 古城と雪菜に、自分や第四真祖の情報を嘘偽りなく伝えた姫乃。それから凪沙の寄せ鍋をご馳走させてもらったのち、彼らと別れた。

 そして現在、那月の見回りを手伝いながら早速今日の出来事を報告した。

 

「御主人様。ちゃんと古城と仲直りできた」

 

「ほう。それはよかったな。いったいどんな方法で仲直りしたんだ?」

 

 那月が訊くと、うん、と姫乃は頷き、

 

「謝罪と一日主人(マスター)の契約を結んだ」

 

「なに?それは本当か?」

 

「本当。御主人様と違って本契約を結んでるから、古城の命令は絶対遵守」

 

「……………」

 

 姫乃の返答に眉を顰める那月。聞き捨てならない言葉を耳にしたからだ。

 

「私とは本契約を結んでくれないくせに、あの古城(バカ)はいいのか………解せんな」

 

「………?古城は本契約でも一日主人(マスター)。御主人様は仮契約でも、御主人様がワタシを解約しない限り永劫に付き従う。それじゃ駄目?」

 

「駄目だな。仮契約では姫乃にも拒否権があるんだろう?それじゃあ本当に所有した気にはなれんな」

 

 ふん、と面白くなさそうな表情で言う那月。姫乃は、そう、と無感動に呟き、

 

「………御主人様はワタシと本契約、結びたい?」

 

「なに?契約し直してくれるのか?」

 

「………それは無理。御主人様は本体じゃない。創作物(造り物)では本契約は結べない」

 

「ほう。つまり、私本人が本契約を申し込めば、姫乃は承諾してくれるのか?」

 

 ニヤリと笑い訊く那月。しかし、姫乃は小首を横に振り、

 

「本契約はお勧めしない。ワタシの真の主人になれば、常に危険が伴う」

 

「危険、か。それは何故だ?」

 

 フッと真剣な表情で問いただす那月。姫乃はスッと瞳を細めて、

 

「ワタシは数多ある平行世界(異世界)を滅ぼしてきた―――〝世界の敵〟だから」

 

「は?」

 

「ワタシは可愛い龍蛇()たちのために、あらゆる神々の、主に善神の恨みを買ってる。真の主人(マスター)になったら、御主人様も神々の敵対者になる」

 

「……………」

 

「御主人様は、ワタシと一緒に〝世界の敵〟になる覚悟はある?」

 

「……………っ、」

 

 姫乃の問いに、返答を躊躇う那月。那月は魔女といえど人間だ。世界の全てを敵に回して生き残れるほど強くはない。姫乃の言う〝神〟にでも狙われたら一貫の終わりだ。

 那月本人は異界に存在するから安全かといえば、それは否。〝神〟が相手ならば関係ない。容易く那月を見つけ出し殺しに(壊しに)くるだろう。

 なら姫乃(メイド)に守ってもらえばいいじゃないか。彼女は世界最強の龍神(ドラゴン)。彼女がいれば〝神〟だろうと退けてくれるはずだ。

 が、そんなのは那月のプライドが許さない。如何に最強の龍神であっても、主人がメイドの後ろに隠れる臆病者にはなりたくない。

 とはいえ那月単体で〝神〟に挑んで勝てるわけないが。今の弱いままでは那月は姫乃に守られる側でしかないだろう。

 結論は、現状の那月には姫乃の真の主人(マスター)になる資格はない。那月は、それを理解した上で閉ざしていた口を開き、

 

「………姫乃。すまないが、今の私ではおまえの真の主人(マスター)にはなれない」

 

「うん」

 

「だが、いずれはおまえの真の主人(マスター)になろう。約束だ。だからその日が来るまで、私を鍛えてくれると嬉しい」

 

「………わかった。御主人様が望むなら、そうする」

 

 了承する姫乃。無表情なはずの姫乃の顔には、薄っすらと驚きの色が浮かんでいた。

 姫乃は〝世界の敵〟である。それなのに那月が、いずれは真の主人(マスター)になる、と言ってきたことに姫乃は驚いたのだ。

 まあ、那月がそれを望むのなら、姫乃は全力で支援するだけのことだが。

 

「―――あ、もう一ついい、御主人様」

 

「ん?」

 

「古城が一日主人(マスター)になっている理由を誤魔化すため、凪沙にレンタルメイドをしていると答えた」

 

「………ほう、暁の妹にか。それで?」

 

「………御主人様。レンタルメイドをしてもいい?」

 

「今さらなかったことにするわけにはいかないから、レンタルメイドの許可をくれ、ということでいいんだな?」

 

 コクリと首肯する姫乃。那月は、少しだけ考えたのち頷き、

 

「いいだろう、許可する。姫乃が今まで馬鹿にしてきた人間を間近で観察できるいい機会だからな。一日レンタルメイドとやらをして、私や暁古城以外の人間と触れ合ってこい」

 

「わかった」

 

 那月の許可が下り、姫乃が他の人間との触れ合いを目的とした、一日レンタルメイドが確立したのだった。

 

 

 

 

 

 それから那月と見回りを務めていた姫乃は、ゲームセンターの前に見覚えのある後ろ姿の二人を視界に捉えた。

 姫乃は那月の服をクイッと引っ張り、

 

「御主人様。クレーンゲームの前に古城と雪菜がいる」

 

「ん?………ほう。もうすぐ日付が替わるというのにゲーセンで遊んでいるとは―――不良に育てた覚えはないぞ暁」

 

「御主人様が育てたわけではないと思う」

 

 那月の冗談に、無感動な声音で指摘する姫乃。チッとつまらなそうに舌打ちする那月。

 それはさておき、せっかくの古城(獲物)だ、冷たい姫乃(メイド)の腹いせに、存分にからかってやろうじゃないか。

 那月はそう決めると、古城と雪菜の背後から声をかけた。

 

「―――そこの二人。彩海学園の生徒だな。こんな時間になにをしている?」

 

「「―――ッ!?」」

 

 那月の静かな声に、古城と雪菜は電撃に打たれたように硬直した。

 古城はゲーム機のガラスに映り込んだ那月と姫乃を見て、ゲッと息を呑む。

 那月は、古城たちの反応に楽しげな笑みを浮かべて、

 

「そこの男。どっかで見たような後ろ姿だが、フードを脱いでこっちを向いてもらおうか」

 

 楽しそうな口調で言う那月に対し、雪菜は青ざめた表情で硬直。古城も、まずいな、と冷や汗を掻く。

 那月の用件を飲もうとしない古城に、那月はニヤリと笑い、

 

「どうしたんだ?意地でも振り向かないというのなら、私にも考えがあるぞ―――」

 

 古城(獲物)を嬲るような口調でそう言いかけた、その時。

 ―――ズン、と鈍い振動が人工島全体を揺るがした。一瞬遅れて爆発音が響く。

 

「なんだ―――!?」

 

 那月が異様な気配に反応して振り返る。姫乃もそれには気づいているが、興味ないのか振り返りもせず古城と雪菜の背を無言で見つめている。

 爆発音はなおも絶え間なく響き続けている。さらに常人にも感知できるレベルの強烈な魔力の波動が伝わってくる。

 那月の注意が完全にそちらに引き付けられたその瞬間を狙って、

 

「姫柊、走れ!」

 

 古城は咄嗟に雪菜の手を引いて駆け出した。

 

「え、あ………はい!」

 

 古城の意図を理解して、雪菜も彼の手を握り返す。

 

「あ、待て、おまえら―――」

 

 那月が叫ぶが、雪菜も古城も無視して那月から逃げていく。

 那月は咄嗟に結界を張り巡らせたが、雪菜に気合い一閃で破壊されてしまう。

 なら姫乃に協力して彼らを捕まえてもらうか、と思い那月は彼女に振り向く。が、姫乃は小首を横に振った。

 那月は、ハッと思い出す。今の姫乃の主人(マスター)は古城だ。仮契約の那月よりも優遇される存在ということに。

 チッと舌打ちした那月は、古城たちの背に向かって捨て台詞のような言葉を叫んだ。

 

「覚えていろ、暁古城!」

 

 その言葉が夜の街にこだまするが、断続的に響き続ける巨大な爆発音に掻き消される。

 那月が不機嫌そうな表情をしているなか、姫乃はハッと何か別の気配に気づいて那月を守るように前に出る。

 

「御主人様、下がる」

 

「は?いきなりどうしたんだ、姫乃?」

 

 姫乃の行動に那月が怪訝な顔をする。姫乃が腕を上げた刹那、遥か上空から雷霆が降り注いだ。

 

「なに!?」

 

 唐突な不意打ちの攻撃に驚愕する那月。しかし姫乃は特に驚くこともなく、掲げた右腕から濃密な魔力を発生させ、それを無数の漆黒の蛇に変化させることで雷霆を迎え撃つ。

 黄金と漆黒は衝突し、凄まじい轟音を響かせ、共に爆散した。空中で起きた爆発のため、街の被害はない。

 爆炎が収まると、そこには黄金の髪と蒼い双眸を持つ、純白のローブを着た少年がいた。彼は全身から神々しい力を放っている。

 那月が冷や汗を流しながら身構えるなか、姫乃は那月を右手で制し、

 

「………なにしに来た、ヤハウェ(やー君)

 

「やー君言うなって言ってんだろ駄龍!(オレ)は唯一神ヤハウェだ!」

 

 やー君と呼ばれて激怒する唯一神(ヤハウェ)。一方、那月はギョッと瞳を見開いて唯一神(ヤハウェ)を見上げ、

 

「貴様が姫乃の言っていた、唯一神だと!?」

 

「あ?」

 

 那月の声に反応した唯一神(ヤハウェ)は、姫乃の後ろにいる那月に目を向けて、ほう、と笑みを浮かべた。

 

「魔女か。悪魔と契約した愚かな人間が、終末兵器(ウロボロス)に守られているとはな。くく、こいつは傑作だ!」

 

「は?貴様、なにがおかしい!?」

 

「いや別に。………さて。(オレ)の視界に魔女()がいるなら、()さねばな」

 

「―――ッ!?」

 

 唯一神(ヤハウェ)から発せられた殺気を受けて、那月の全身から冷や汗が噴き出す。

 唯一神(ヤハウェ)にとって、悪魔と契約した那月は殺す(壊す)べき敵。故に見逃すわけにはいかないのだが、

 

「御主人様に手出しはさせない」

 

 那月を守るため、姫乃が唯一神(ヤハウェ)に立ちはだかった。

 

「………姫乃」

 

ヤハウェ(やー君)は私が押さえる。その隙に御主人様は家に帰る」

 

「なっ、姫乃を置いて私だけ逃げるわけにはいかないだろう!?」

 

「私は平気。だから御主人様は先に帰ってる」

 

「………っ、」

 

 那月は悔しそうに顔を歪める。これ以上、姫乃の側にいれば足手まといにしかならないことを悟ったからだ。

 那月は苦渋の決断をして頷き、

 

「わかった。生きてちゃんと帰ってこい。いいな?」

 

「わかった」

 

 姫乃は了承して頷く。それを確認した那月は、自宅へ空間転移で帰っていった。

 それを唯一神(ヤハウェ)は面白そうに眺め、

 

「ほう。あの魔女が貴様の主人か」

 

「………なに?」

 

「ふん。貴様も随分と落ちぶれたな。魔女風情のモノに成り下がるとは」

 

「違う。御主人様は、黄金の守護龍ファフニール(ふぁー君)の魔女。だから鍛えてる」

 

黄金の悪魔(ファフニール)………成る程、そういうことか。守護龍?ふん、邪龍の間違いだろ」

 

「邪龍、違う。ファフニール(ふぁー君)は、ワタシの龍蛇の楽園(パラダイス)の守護龍の一人」

 

 唯一神(ヤハウェ)の言葉に、姫乃の無感動な瞳に怒りの色を浮かべる。龍蛇は皆、姫乃の眷族。故に姫乃は守護龍の一人であるファフニール(息子)を邪龍扱いされて憤っているのだ。

 そんな姫乃を唯一神(ヤハウェ)はニヤリと笑って、

 

「憤ったか?なら、(オレ)殺し(壊し)合うか、終末兵器(ウロボロス)よ」

 

「うん。ワタシの逆鱗に触れたヤハウェ(やー君)にお仕置きする」

 

「は?」

 

「だから、場所を変える。ヤハウェ(やー君)、付いてくる」

 

 そう言って姫乃は、右手を突き出す。すると、突き出した右手の前方に、丸く空間を切り取ったような漆黒の異空間が覗いた。

 姫乃がその中へ入っていくと、唯一神(ヤハウェ)も彼女に続いて中へと入る。

 そこは、全てが純黒に染まった、無の空間が広がっていた。何物も存在せず、あるのはただ〝空隙〟のみ。

 唯一神(ヤハウェ)は無言で辺りを見回していると、

 

『やあ、ヤハウェくん。混沌(ボク)の中へようこそ!歓迎するよ♪』

 

 陽気な少年の声―――姫乃の創造主(父親)原初の混沌(カオス)〟が唯一神(ヤハウェ)を歓迎した。

 

「………は?」

 

『は?じゃないよヤハウェくん。愛娘ちゃんと終末戦争(ハルマゲドン)するなら、混沌(ボク)の中が一番適してるよ?』

 

「うん。ワタシのパパの中なら、壊すモノは何一つない。だから存分に戦える(遊べる)

 

 創造主(カオス)の言葉に首肯して、姫乃も唯一神(ヤハウェ)に勧める。

 唯一神(ヤハウェ)は、たしかにそうだな、と納得する。が、

 

(オレ)の力が有限のままじゃ、長くはいられんと思うが」

 

「『………あ』」

 

 唯一神(ヤハウェ)呪い(パラドックス)をかけたままだったことを思い出す姫乃と混沌神(カオス)

 姫乃は唯一神(ヤハウェ)に近寄り、彼の頭に触れた。

 

「―――呪い(パラドックス)、解除した」

 

 姫乃がそう言うと、そうか、と唯一神(ヤハウェ)は獰猛に笑い、

 

「………ふん!」

 

「―――ッ!?」

 

 不意打ちの一撃を姫乃にお見舞いした。唯一神(ヤハウェ)の拳が姫乃の腹部を強襲し、姫乃は数メートル吹き飛ばされた。

 姫乃はゆっくり顔を上げて唯一神(ヤハウェ)を睨み、

 

「………痛い」

 

 若干涙目で言った。唯一神(ヤハウェ)は、くく、と笑い、

 

呪い(パラドックス)を解除してくれたお礼だ。―――ふむ。貴様の涙目、久々に拝めたな」

 

「………なに?」

 

「別に。相変わらず可愛いなと思っただけだ」

 

「え?」

 

 唯一神(ヤハウェ)の言葉に、キョトンとする姫乃。唯一神(ヤハウェ)は、コホンと咳払いをし、

 

「………さて。(オレ)と貴様は互いに全能者。互角であり、優劣のない戦争(壊し合い)を始めようか」

 

「うん。パパも、手出しは無用」

 

『了解だよ。それじゃあ、存分に殺し(壊し)合いを始めちゃって。ボクは傍観させてもらうからね』

 

 混沌神(カオス)の言葉を合図に、姫乃と唯一神(ヤハウェ)の―――無限(ウロボロス)無限(アイン・ソフ)終末戦争(ハルマゲドン)が開始した。

 

 

 

 

 

 その頃の倉庫街。

 雪菜は、襲われていた〝旧き世代〟を守るため、ロタリンギア殱教師、ルードルフ・オイスタッハと刃を交えていた。

 優勢は雪菜。霊視によって一瞬先の未来を視てオイスタッハの動作を先読みし、彼を圧倒した。

 しかし、オイスタッハは戦斧(獲物)を破壊されても、獅子王機関の秘呪〝神格振動波駆動術式(DOE)〟が刻印された七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)との戦闘データを得ることが出来てご満悦だった。

 それからオイスタッハは、アスタルテに命令して選手交替。雪菜は、アスタルテの眷獣〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟による攻撃を槍で受け止めるが、一本しかなかった腕がもう一本増えたことで不意を突かれ、殺されかけた。

 が、ギリギリのところで古城が駆けつけ、アスタルテの眷獣の腕を殴り飛ばすことで雪菜を救った。

 古城を加えて雪菜がオイスタッハたちと対峙していると―――その間の空間が丸く切り取られたように漆黒の異空間が出現する。

 

「な、なんだ!?」

 

 古城が驚き叫ぶと、その異空間から二つの影が飛び出した。

 オイスタッハたちの眼前に着地したのは、金髪蒼眼の少年。但し彼の着ている純白のローブはズタズタに引き裂かれたような跡があった。

 古城たちの眼前に降り立ったのは、黒髪紅眼の少女。但し、彼女の着ているメイド服はボロボロで所々焼け焦げていた。

 見覚えのある後ろ姿にハッとした古城は、その背に声をかけた。

 

「え?あんた、空無か!?」

 

「ん?………古城?」

 

 古城の声に振り向く姫乃。が、雪菜が姫乃のあられもない姿を見て瞳を見開き、

 

「か、空無さん!服がボロボロじゃないですか!」

 

「え?………あ、本当だ」

 

 雪菜に指摘されて、姫乃はようやく自分がどんな恰好をしているのか気がつく。

 ただでさえ露出度高めなメイド服が、ボロボロで胸元は兎も角、スカートの方は中身が見えそうで危険なほど重傷だった。

 古城は手傷を負っている姫乃を不可解そうに見つめていると、雪菜に睨まれて、

 

「………先輩。空無さんを見る目がいやらしいですよ」

 

「いやらしくはねえよ!空無が手傷を負ってるのを不思議に思って見ていただけだ!」

 

 古城の言葉に、たしかにそうですね、と雪菜もダメージを負っている姫乃を見て首を傾げる。

 その間にボロボロの服と、唯一神(ヤハウェ)との戦闘で負った傷を回復させる姫乃。本当は古城の許可をもらってから力を使うべきなのだが、この場合は仕方がない。

 古城たちが騒いでるなか、オイスタッハは傷ついた唯一神(ヤハウェ)を見て驚愕し、

 

「ご無事ですか!?我らの主!」

 

「ああ、これくらいなら問題ない。………が、チッ。この世界に戻ってきた途端に、呪い(パラドックス)が再発動してやがる」

 

呪い(パラドックス)ですか!?その様な力が主を苛んでいるというのですか!」

 

 許せません、と憤り、姫乃の背を睨むオイスタッハ。西欧教会の〝神〟たる唯一神(ヤハウェ)の自由を奪っている姫乃を許してはおけない。なんとしてでも忌まわしき龍神()を滅ぼさねば。

 アスタルテが唯一神(ヤハウェ)に歩み寄り、

 

「大丈夫ですか、(あるじ)様」

 

「大丈夫じゃない!故に抱きしめさせろ、我が妻よ!」

 

「………私は主様の妻ではありません」

 

「そうだったな。だが、(オレ)の側に来たのは運の尽きだ!」

 

 唯一神(ヤハウェ)の速すぎる動きについていけず、アスタルテはあっさり彼の胸に抱かれてしまった。

 無表情なアスタルテを嬉々として抱きしめるヤハウェ(ロリコン神)。そんな光景をオイスタッハは羨望の眼差しで見つめ、

 

「アスタルテばかり狡いです!是非私にも主の温かき抱擁を!」

 

(オレ)はオッサンを抱きしめる趣味はない。ロリになって出直してこい!」

 

「ぬぅ………!」

 

 見事玉砕した。オイスタッハは別に同性好きというわけではないが、西欧教会の者として唯一神(ヤハウェ)と触れ合えるまたとないチャンスだったからだ。教会の者として、アスタルテが羨ましくて仕方がないのである。

 思う存分アスタルテを抱きしめた唯一神(ヤハウェ)は、さて、と彼女を解放すると、姫乃を見つめ、

 

「今日のところは引き分けでいいな、終末兵器(ウロボロス)よ」

 

「うん。ワタシはそれで構わない。久しぶりに楽しめたから」

 

 無表情なはずの姫乃が、少し嬉しそうな笑みを浮かべる。そうか、と唯一神(ヤハウェ)も敵であるはずの姫乃の笑みを見て、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 そして、アスタルテとオイスタッハを連れて去ろうとした唯一神(ヤハウェ)は、ふと視界に古城が映り、眉を寄せた。

 

「………貴様、もしや第四真祖か?」

 

「え?………まあ、そうだけど」

 

 古城が何気なく返事すると、そうか、と唯一神(ヤハウェ)は呟き―――消えた。

 

「は?」

 

 古城が間の抜けた声を洩らした瞬間、唯一神(ヤハウェ)が古城の背後に現れ、

 

「〝殺神兵器〟ならば予定変更だ。貴様は、ここで死ね」

 

「―――ッ!?」

 

 唯一神(ヤハウェ)の本気の殺意を背に感じて古城の全身からドッと冷や汗が噴き出す。

 身体を動かそうにも間に合わない。雪菜も、唯一神(ヤハウェ)の不意打ちに対応できず動くことができない。

 

「先輩―――ッ!」

 

 できたのは、叫び声を上げるだけだった。唯一神(ヤハウェ)の右手に握られた光剣(ルクス・ソード)が、古城の心の臓を貫―――

 

「何!?」

 

 ―――けなかった。姫乃が庇ったことにより、唯一神(ヤハウェ)光剣(ルクス・ソード)は古城には刺さらず、姫乃の胸元を貫いていた。

 その光景を見た古城と雪菜は悲鳴を上げる。

 

「な、空無!?」

 

「空無さん!?」

 

 しかし、肝心の姫乃は無表情なまま無感動な声を発した。

 

「ワタシは平気。全能者じゃないヤハウェ(やー君)の力ではワタシを傷つけられない」

 

「は?思いきり剣が刺さってるのに!?」

 

「うん」

 

 平然と返す姫乃。古城と雪菜はポカンと口を開き固まる。

 一方、唯一神(ヤハウェ)はチッと舌打ちして、光剣(ルクス・ソード)を引き抜こうとするが、刀身を姫乃に掴まれた。

 

「古城を殺そうとした罰、受けてもらう」

 

「く―――っ!」

 

 唯一神(ヤハウェ)光剣(ルクス・ソード)を放置して離脱しようとするが、姫乃がそれさえも許さない。

 呪い(パラドックス)により、再び有限に堕ちた唯一神(ヤハウェ)が姫乃の一撃を受けたら無事ではすまないだろう。

 姫乃が拳を握り唯一神(ヤハウェ)を殴り飛ばそうとした、その時。

 

 

『罰を受けるのは―――キミの方だよ、愛娘ちゃん』

 

 

 陽気な少年の声が、混沌神(カオス)がケラケラと笑った。

 え、と姫乃が声を洩らした瞬間、彼女の胸元に刺さっていた唯一神(ヤハウェ)光剣(ルクス・ソード)が漆黒に染まっていき―――闇色の禍々しい闇剣(ダークネス・ソード)へと変化した。

 その刹那、姫乃の口からゴポリと大量の血塊が零れ落ちた。それを見た古城たちの表情が固まる。

 剣が刺さっていても傷を負っていなかったはずの姫乃の胸元と背中は血で滲み地に鮮血が滴り落ちている。

 胸元から背中にかけて走る激痛に苦しむ姫乃。次第に薄れていく意識の中、姫乃は悲し気な声音で呟いた。

 

「パパ………どうして………」

 

 しかし混沌神(カオス)は答えない。代わりにケラケラと笑って、

 

『オヤスミ、ボクの愛娘ちゃん』

 

 姫乃はその言葉を耳にして、意識を失った。

 ゆっくりと前に倒れる姫乃の小柄な身体を、唯一神(ヤハウェ)が受け止める。が、彼は不機嫌そうな表情を浮かべ、混沌神(カオス)に訊いた。

 

「貴様、一体何の真似だ?」

 

『うん?ボクはただ、ヤハウェくん(キミ)に協力して欲しいだけだよ』

 

「………何をだ?」

 

『愛娘ちゃんに〝罰〟を与えることに、だよ』

 

「……………ほう」

 

 姫乃に〝罰〟を与えてくれ、と聞いて唯一神(ヤハウェ)は〝神〟とは思えない邪悪な笑みを浮かべた。

 そういうことなら協力しようではないか。唯一神(ヤハウェ)闇剣(ダークネス・ソード)に変化した自分の剣を引き抜かず、姫乃の胸元に刺さった状態のまま彼女を脇に抱えた。

 それを見た古城は慌てて叫ぶ。

 

「待てよあんた!空無をどこへ連れてく気だ!?」

 

「ふん。〝殺神兵器〟の貴様が知る必要はない」

 

「なっ、」

 

「本来なら貴様は(オレ)に殺されている立場だが、今日の(オレ)は気分がいい。故に今回は見逃してやろう」

 

 唯一神(ヤハウェ)は、くく、と笑うと、古城たちの視界から消え、オイスタッハたちの下へ一瞬で移動した。

 古城は、ふざけんな、と激昂して振り返り、無謀だと分かっていながらも唯一神(ヤハウェ)から姫乃を奪還すべく動いた。

 

「駄目です、先輩!」

 

 雪菜が古城を呼び止めるが、古城は彼女を無視して唯一神(ヤハウェ)に突っ込んでいく。

 しかし、古城の行く手を、唯一神(ヤハウェ)を庇うように前に出てきたアスタルテが阻んだ。

 

執行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

「―――ッ!邪魔だッ!!」

 

 古城はアスタルテの眷獣の腕を魔力を帯びた拳一つで撥ね除け突き進む。が、それは下策だった。古城は気づけなかったのだ。背後からもう一本の腕が強襲してきたことに。

 

「しまっ―――」

 

 古城は回避しようにも間に合わない。殺られる、そう思った瞬間―――

 

「〝雪霞狼〟―――!」

 

 古城を強襲したもう一本の腕を、雪菜の槍が切り裂いた。

 

「ああ………っ!」

 

 眷獣を切り裂かれたアスタルテは、眷獣が受けたダメージの逆流に弱々しく苦悶の息を吐く。

 

「姫柊!?」

 

「先輩、今のうちに空無さんを!」

 

「―――!ああ!」

 

 古城は、雪菜の援護に感謝して唯一神(ヤハウェ)に殴りかかろった。

 が、古城の拳が唯一神(ヤハウェ)に届く前に―――古城の首が宙を舞った。唯一神(ヤハウェ)の目にも止まらぬ速さで振るった、ただの手刀の一撃によって。

 

「―――――ぇ?」

 

 雪菜の思考が一瞬フリーズする。頭を失った身体がゆっくりと倒れ落ちる様と、古城の首が、雪菜の足元に転がってきたのを確認して、ようやく雪菜は現状を理解し、

 

「せ、先輩………そんな………いや………あああああああっ!」

 

 悲鳴を上げてその場で泣き崩れた。古城の心臓が無事とはいえ、首と胴体が切り離された状態から復活できるとは思えない。

 古城の頭を胸に抱きしめながら泣き喚く雪菜を、唯一神(ヤハウェ)は冷たく見下ろし、

 

「ふん、愚かな兵器(ヤツ)だ。せっかく今回は見逃すと言ったのにな」

 

 それだけを言い残して雪菜たちに背を向ける。本当はアスタルテを傷つけた雪菜の首もハネてやりたいところだが、戦意喪失の彼女を見て興が醒めてやめた。

 代わりに唯一神(ヤハウェ)は、自分の脇に抱えていた気を失っている姫乃の顔を眺め、喜びの笑みを浮かべ英気を養う。

 それから、唯一神(ヤハウェ)は脇に抱えた姫乃とアスタルテ、オイスタッハを連れてどこかへ去っていった。

 その場に残されたのは、瀕死の重傷を負った〝旧き世代〟と、古城のピクリとも動かない首無の身体、古城の頭を胸に抱きしめたまま泣き喚く雪菜だけだった。



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聖者の右腕 捌

10000文字突破してしまった………


 翌日。時刻は朝の五時。古城は目を開けると、見知らぬ天井が映った。彼が横たわるベッドはとても柔らかい。

 少なくとも、古城の寝室ではないことが分かった。そう、自分の寝室では―――

 

「はっ!?」

 

 古城が飛び起きると、すぐ側にいた雪菜が、あ、と古城に気がつき、

 

「おはようございます先輩。よく眠れましたか?」

 

「ん?あ、おう―――じゃなくて!なんで姫柊がいんだ!?」

 

 平然と挨拶してきた雪菜に、古城がすかさず突っ込みを入れる。

 雪菜は無表情に見つめ返して、

 

「先輩が目を覚ますまで監視していました」

 

「え?マジかよ!?」

 

「冗談です。ちゃんと仮眠は取りました。一時間おきに、ですが」

 

「一時間おき、って二時間しか寝てねえじゃねえか!?」

 

 大丈夫なのか、と雪菜を心配する古城。雪菜は、大丈夫です、と返して微笑んだ。

 古城はホッと胸を撫で下ろす。が、古城は雪菜の顔をじっと見つめると首を傾げて、

 

「………大丈夫っていうわりには、瞼が赤く腫れているようだが」

 

「―――ッ!こ、これは!先輩が殺されて、それが悲しくて泣いていたんです!」

 

「………第四真祖は魔力そのものを無効化されない限り殺せない、って空無に教わったのにか?」

 

「う、それは………彼女の話を半信半疑に思っていたからです!」

 

 三名の真祖とは無縁だ、と初めて会った時に嘘をつかれましたし、と雪菜はムッとした表情で言う。

 古城は、それな、と呟き、

 

「あの時は空無の性格がひねくれてたんだから、嘘をつかれても仕方がないだろ」

 

「それは………そうですけど………先輩はどうなんですか?」

 

「俺か?………まあ、俺も首を落とされた状態から復活できるとは思ってなかったけどな」

 

 古城も雪菜と同じで、復活できるとは思っていなかった。姫乃の話を半信半疑に思っていたのは彼も同じだった。

 吸血鬼の真祖は、他の吸血鬼たちと違い神々の呪いを直に受けているため、首を落とされた程度で死ぬことはない。

〝  〟を封じるために、〝天部〟によって創られた殺神兵器―――第四真祖。その力を〝     〟から受け継いだ古城もまた、不滅の肉体を得ているため簡単に滅びたりはしない。

 

「たとえ心臓を貫かれても、頭を潰されても真祖は復活するんだってな。死にたくても死ねない………本当に呪い以外の何物でもねーな」

 

「そうですね。ですが、もしも空無さんの話が嘘だったら先輩は………」

 

「ああ。あの金髪ローブ野郎に殺されてたな」

 

 古城の言う金髪ローブ野郎というのは、姫乃を連れ去った唯一神(ヤハウェ)のことだ。

 

「………金髪ローブ野郎はなんで空無を連れ去ったんだろうな。つか何者だよ」

 

「わかりません。空無さんが金髪の彼のことを〝やー君〟と言っていましたが―――」

 

「姫乃を拉致したのは異界に棲まう〝神〟だ。聖書の神、唯一神ヤハウェと呼ばれているな」

 

 え、と聞き覚えのある声に振り向く古城。彼の目に映ったのは、豪奢なドレスを着た少女―――那月だった。

 古城は那月の登場に驚き、声を上げる。

 

「………え、那月ちゃん!?」

 

「教師をちゃん付けで呼ぶな馬鹿者。なにを驚いている暁。ここは私の家だ、私がいてもおかしくはないだろう」

 

「は?那月ちゃんの家!?てことは、この寝室は那月ちゃんの」

 

「ちゃんではない。………ふん、ああそうだ。だが残念ながらこの寝室は私の部屋ではない。姫乃に貸してる部屋だ」

 

 つまり、古城がついさっきまで寝ていたベッドは、いつも姫乃が眠っているベッドということだ。微かに甘い香りがしたのはそのためだ。

 

「ん?でもなんで俺と姫柊は那月ちゃん()にいるんだ?」

 

「先輩、それはですね、倉庫街で倒れていたわたしたちを、南宮先生が運んでくださったんです」

 

 雪菜の説明に、なるほど、と納得する古城。一方、那月は古城にちゃん付けを連呼されて不機嫌な表情をしていた。

 那月は、ふん、と鼻を鳴らし、

 

「本当は姫乃に止められていたんだが、心配になってな。様子を見に行ったら、姫乃の姿はなくおまえたちがいたというわけだ」

 

 まさか拉致されていたとはな、と複雑な表情を浮かべる那月。世界最強の龍神(ドラゴン)が、あっさり敗北して捕まるとは思いもしなかったのだ。

 那月のその顔を見た古城は、申し訳なさそうな表情を浮かべ、

 

「悪い那月ちゃん。俺のせいで空無が連れてかれちまった」

 

「なに?姫乃は唯一神に敗北したわけじゃないのか?」

 

 那月が怪訝な顔で訊くと、雪菜が、はい、と頷いて、

 

「空無さんを斃せるのは創造主だけだと聞いています。彼女が無敗を刻み続けているのは、創造主に与えられた力があるからだと」

 

「………待て、転校生。だとしたら姫乃が拉致られた原因は」

 

「ああ。空無の創造主、混沌神(カオス)が裏切ったんだ。どういうわけで空無を裏切ったのかは知らねえけど」

 

 ギリッと歯を噛み締める古城。創っておいて裏切るような真似をする混沌神(カオス)に憤っているのだ。

 姫乃のことを〝愛娘ちゃん〟と呼んでいるにも関わらず、娘を敵に売るなんてどうかしている。

 

「南宮先生。先輩を殺そうとし、空無さんを拉致した金髪の少年を唯一神とさきほど言ってましたが………まさか、聖書に記されているあの………?」

 

「そうだ。奴自らが〝唯一神〟と名乗っていたからな。姫乃に〝やー君〟と言われてキレていた短気な奴だったが」

 

「………那月ちゃんもあの金髪ローブ野郎にあったのか!?」

 

 ギョッと目を剥いて那月を見る古城。不機嫌顔で、ああ、と那月は頷く。

 

唯一神(ヤツ)にとって、悪魔と契約した魔女の私も殺すべき敵だと言っていた。姫乃が唯一神(ヤツ)を押さえてくれたおかげで、私はこうして無事なわけだがな」

 

「那月ちゃんもあいつに襲われたのか!?」

 

「ちゃんではないが………ふん。そういうおまえも、〝殺神兵器〟という理由で殺されかけたようだな」

 

 不機嫌顔で訊いてくる那月に、苦い顔で頷く古城。殺されかけた、というより実際に一回殺されたようなものだが。

 那月は、古城と雪菜を見回すと、踵を返して、

 

「暁が起きたところだしな、私がおまえたちを家に送ろう。姫乃のことは私に任せて、おまえたちはちゃんと学校に行け」

 

「は?那月ちゃん一人で金髪ローブ野郎に挑む気なのか!?」

 

「そういうことになるな。だが、仮契約とはいえ姫乃の主人(マスター)だからな。見捨てることはできない」

 

 それに約束したからな、いずれ真の主人(マスター)になってやるって、と那月は瞳を細めて言う。

 たとえ〝神〟が敵だろうと、姫乃は私のメイドだ。絶対に奪還してやる。

 姫乃奪還に燃える那月。古城は、そっか、と呟き、

 

「そういうことなら、俺にも協力させてくれ」

 

「なに?」

 

「俺だって一日だけだけど空無の主人(マスター)だ。それに、あいつには助けてもらった借りがあるからな」

 

 主従関係として、姫乃は身を挺して古城を守ったのかもしれない。が、古城にとっては嬉しかった。それと同時に自分のせいで彼女が拉致されてしまったことに罪悪感があった。

 故に、今度は俺が助ける番だ、と古城は拳を硬く握り締める。

 そんな古城の拳に両手を重ねて雪菜が言った。

 

「先輩が行くのなら、私も行きます」

 

「姫柊………?」

 

「私は先輩の監視役ですよ。付いていくのは当然の義務です」

 

 そういやそうだったな、と古城は苦笑する。たとえ古城が危険な橋を渡ろうとも、雪菜は監視役という名目で是が非でも付いてくるだろう。

 それに、と雪菜が続けて口を開き、

 

「空無さんは恐ろしい存在ですが、考えが幼稚でした。ですから、彼女を取り返して―――教育します」

 

「は?」

 

「今まで好き勝手やってきたそうですからね。駄目なものは駄目だと、私が一から教えます」

 

「そ、そうか」

 

 変なスイッチが入っている雪菜に、古城は苦笑いを浮かべた。

 一方、那月はムッとした顔で古城と雪菜を睨み、

 

「待ておまえたち。付いてくる気満々みたいだが、私はおまえたちを連れていくつもりはないぞ」

 

「そう言わないでくれよ那月ちゃん!空無を助けたいのはあんただけじゃねえんだ!」

 

「ふん。相手は〝神〟だ。私はおまえたちを守ってやれないかもしれない。それでもなお、私と来る気か?」

 

「ああ。覚悟は決まってる。相手が〝神〟だろうがなんだろうが知ったことか!空無を取り返す、ただそれだけだ」

 

 真剣な表情で言う古城。その瞳は退こうという気が微塵もない。

 那月は、仕方がないな、と諦めたように溜め息を吐き、

 

「ふん、いいだろう。そこまで言うなら連れて行ってやる。その代わり、後悔しても遅いからな」

 

「ああ」

 

「はい」

 

 こうして那月は、古城と雪菜を連れて姫乃奪還に向かうことになった。が、

 

「………ところで那月ちゃん」

 

「ちゃんではない。なんだ?」

 

「どうやって空無の居場所を特定するんだ?」

 

 古城の尤もな意見に雪菜も、たしかに、と疑問に思い那月を見る。

 那月は、ニヤリと笑って答えた。

 

「それなら問題ない。〝飢餓の呪鎖(コイツ)〟があればな」

 

 

 

 

 

 絃神島北地区(アイランド・ノース)の第二層B区画、企業の研究所街―――スヘルデ製薬の研究所。

 まるで教会の聖堂のような天井の高い広い部屋。

 壁際に並んでいるのは、直径一メートル、高さ二メートル弱の円筒形の水槽で、計二十基ほど整然と配置されている。

 水槽の中には濁った琥珀色の溶液が満たされていた。

 そこはただの実験室。廃棄された人工生命体(ホムンクルス)の調整槽なのだが、

 

「~♪」

 

「「「……………」」」

 

 その場に不釣り合いな、黄金の装飾が施された豪奢な玉座があった。

 その玉座に座るのは、金髪の少年、唯一神(ヤハウェ)。と、彼に抱き締められている幼女(ロリ)が二人。

 彼の右腕の中に収まる幼女(ロリ)は、黒髪と紅い瞳の少女、世界最強の龍神(ドラゴン)、姫乃。左腕の中に収まる幼女(ロリ)は、藍髪と水色の瞳の少女、人工生命体(ホムンクルス)、アスタルテ。

 その玉座の傍らに控えているのは、金髪と左目に片眼鏡(モノクル)を嵌めた男、ロタリンギア殱教師のオイスタッハ。

 上機嫌の唯一神(ヤハウェ)が抱き締められている幼女(ロリ)二人の恰好は、可愛らしい姫ドレスに替わっていた。

 姫乃は漆黒の姫ドレスで、アスタルテは彼女とは対照的な純白の姫ドレスを着せられている―――唯一神(ヤハウェ)の手によって。

 そんな主なる神を、流石のオイスタッハも表情が引き攣っていた。

 どうしてこうなったのか、数時間遡ることにしよう。

 

 

【回想】

 

 

 第四真祖(古城)を戦闘不能にし、雪菜の戦意を喪失させた唯一神(ヤハウェ)は、瀕死の姫乃を抱えてオイスタッハたちと共に隠れ家へ帰還した。

 唯一神(ヤハウェ)は、自らが座するために創っていた黄金の玉座に瀕死の姫乃を座らせる。

 闇剣(ダークネス・ソード)が彼女の胸元に刺さったままなのは、抜き取れば瞬く間に彼女の傷が癒えて復活してしまうからだろう。

 彼女の傷が癒えず瀕死の重傷を負ったまま気絶しているのは、彼女の創造主である混沌神(カオス)の力によるもので、彼女の超再生能力を闇剣(ダークネス・ソード)が〝無〟にしているからだ。

 そういえば、カオス(ヤツ)唯一神(オレ)に、姫乃(コイツ)の罰を任せてきた理由を聞いていない。一体混沌神(ヤツ)は何を考えて敵の(オレ)に協力したのか。

 そんなことを考えていると、オイスタッハが不思議そうな表情で見つめてきた。

 

「我らの主よ。これから何を為さるおつもりですか?」

 

「ん?ああ。これから(オレ)は―――〝終末兵器(コイツ)〟に罰を与える」

 

「罰ですか?その娘を我らの主の玉座に座らせて、一体どんな罰を与えるおつもりなのですか?」

 

 オイスタッハの疑問に、フッと笑って唯一神(ヤハウェ)が答えた。

 

「そんなのは決まってる―――(オレ)のモノにするんだよ!」

 

「………はい?」

 

 オイスタッハは、唯一神(ヤハウェ)のとんでもない発言を聞いて間の抜けた声を洩らす。唯一神(ヤハウェ)は異空間から光り輝く何かを出現させて、それを手の中に収める。

 唯一神(ヤハウェ)は、その光り輝く何かを開き、告げた。

 

「起動せよ、我が聖書の原初の聖典―――〝創世記(ベレシート)〟」

 

 その瞬間、彼の手にする書物は輝きを増し、実験室を眩い光が満たしていく。

 オイスタッハたちが眩しそうに瞳を細めているうちに、書物から溢れ出した光が、玉座に座る瀕死の姫乃を包み込んだ。

 それを確認した唯一神(ヤハウェ)は、光り輝く書物を掲げ叫んだ。

 

「我が名は〝聖書〟の偉大なる神ヤハウェ・エロヒム。禁忌を犯した汝、世界(コスモス)の守護龍たるウロボロスよ。汝の罪、我が被造物と成りて償い給え!」

 

 唯一神(ヤハウェ)の叫び声と共に書物の輝きと、姫乃を包み込んでいた輝きが消え失せて―――彼女の胸元に刺さっていた闇剣(ダークネス・ソード)が砕け散った。

 すると、彼女の胸元の傷は一瞬で塞がり、閉ざされていた瞼がゆっくりと開く。

 紅い瞳が完全に開かれた彼女へと、唯一神(ヤハウェ)は歩み寄り、右手を差し出した。

 

「目覚めはどうだ、〝終末兵器(ウロボロス)〟。否、(オレ)の愛しい被造物(ムスメ)―――原初蛇レヴィアタンよ」

 

 原初蛇レヴィアタン。そう呼ばれた姫乃は、コクリと無表情に頷いて唯一神(ヤハウェ)の差し出された右手を掴む。

 その瞬間、唯一神(ヤハウェ)が掴み取った姫乃の手をぐいっと引き寄せて―――彼女を抱き締めた。

 

「……………ッ!」

 

 驚いた姫乃は、唯一神(ヤハウェ)の抱擁から逃れようと藻掻くが、彼の被造物に改変されてしまった彼女に拒めるほどの力はない。

 次第に恥ずかしさで頬を赤らめていく姫乃。唯一神(ヤハウェ)は、第一目標の『ウロボロスを抱き締める』を達成できてご満悦のようだ。

 姫乃は、唯一神(ヤハウェ)の顔を見上げ、涙目で口を開いた。

 

「………離して、欲しい」

 

「断る!」

 

 姫乃の懇願を、唯一神(ヤハウェ)は一蹴して彼女の涙を拭う。

 しかし、唯一神(ヤハウェ)に拒否されて、姫乃の瞳は涙で滲みポロポロと零れ始める。

 唯一神(ヤハウェ)は、ニヤニヤと笑いながら泣き出す姫乃の頭を優しく撫でてあやす。『ウロボロスを泣き虫っ娘にする』という彼の第二目標も達成できて笑いが止まらない。

 そして、唯一神(ヤハウェ)が最も達成したい第三目標。それは、

 

「くく、レヴィアタンよ。(オレ)のことを〝パパ〟と呼んでくれたら、解放してやらないでもないぞ?」

 

 え、と涙で濡れた瞳を見開かせて唯一神(ヤハウェ)を見つめる姫乃。

 

「………本当?」

 

「ああ。(オレ)は嘘は吐かん。信じてよいぞ」

 

 ニヤリと笑って言う唯一神(ヤハウェ)。姫乃は、そういうことなら、と少し恥じらったのち、上目遣いで告げた。

 

「………パ………パ?」

 

「うむ!」

 

 唯一神(ヤハウェ)は嬉しさのあまり、逆に姫乃を強く抱き締めた。

 これには姫乃はムッと怒ったような表情で彼を見つめ返し、

 

「………嘘、つき………!」

 

「はっ!?す、すまんなレヴィアタン。あまりにも可愛かったのでつい………!」

 

 慌てて姫乃を解放する唯一神(ヤハウェ)。やっと解放された姫乃は、その場にぺたんと座り込み、唯一神(ヤハウェ)を恨みがましく睨め上げた。

 だがしかし、彼女のその瞳は涙目であり、恐いどころか可愛い生物にしか見えない、と思った唯一神(ヤハウェ)である。

 一方、その光景を開いた口が塞がらない状態で眺めていたオイスタッハと、無表情なはずが驚愕したように瞳を見開かせているアスタルテの二人。

 一体全体何が起きているのか、二人には全く理解できない。〝創世記(ベレシート)〟というのは、どこかで聞いたことのあるような気がしたオイスタッハだが、それで主なる神が龍神に何をしたのかまでは解らなかった。

 オイスタッハは、愛おしそうに姫乃を見つめる唯一神(ヤハウェ)の下へ歩み寄り、

 

「我らの主よ。その娘に何を為さったのですか?まるっきり別人のように思えるのですが」

 

「ん?そうだ。(オレ)がこの聖典〝創世記(ベレシート)〟を使い、〝終末兵器(ウロボロス)〟の存在を改変したからな」

 

「改変、ですか!?」

 

 ギョッと目を剥くオイスタッハ。かつて〝終末兵器(ウロボロス)〟に敗北した唯一神(ヤハウェ)。その彼が、絶対の勝者たる彼女の存在を改変したというのだ、驚くのは無理もない話である。

 唯一神(ヤハウェ)は、くく、と笑って〝創世記(ベレシート)〟をオイスタッハに見せながら説明した。

 

「この聖典は、とある男が記したものが基になっているんだが、基となったものは〝終末兵器(ウロボロス)〟との終末戦争(ハルマゲドン)の時に消滅してしまった」

 

創世記(ベレシート)〟。それは古代ヘブライ語によるユダヤ、キリスト教の聖典で、イスラム教の啓典である聖書の最初の書であり、正典の一つである。

 とある男―――唯一神(ヤハウェ)の預言者の一人、モーセと呼ばれる男が記述したとされるものだ。モーセといえば、唯一神(ヤハウェ)が彼に与えた〝モーセの十戒〟というのが有名だろう。

 所謂モーセ五書、聖書の最初の五つの書のうち、始まりの書である〝創世記〟は、ヘブライ語では冒頭の言葉をとって〝ベレシート〟というヘブライ語で『はじめに』という意味で呼ばれている。

 ギリシャ語の〝ゲネシス〟は『誕生・創生・原因・開始・始まり・根源』の意味である。

 その内容は、大きく三つに分けることができ、『天地創造と原初の人類』『イスラエルの太祖たち』『ヨセフ物語』なのだが、特に細かく触れるつもりはないので紹介程度にしておく。

 

(オレ)は、〝終末兵器(ウロボロス)〟に敗北し、滅ぼされた自らの世界から離脱し、無限宇宙を彷徨った。彷徨い続け、ある日、同じ境遇をもった異界の神と出会った」

 

 その異界の神は言った。

 

『〝終末兵器(アイツ)〟に一矢報いる力はないものか』

 

 唯一神(オレ)と同じ想いの異界の神に(オレ)は共感し、

 

『ならば、共に〝終末兵器(ヤツ)〟を滅ぼし得る力を創ろうではないか』

 

 (オレ)の提案に異界の神は乗ってくれて、それから長い旅が始まった。

 探究という名の旅をしていくうちに、また別の神と出会い、彼も加えて三神に増え、また別の神が………と繰り返していくと、いつの間にか数十柱の異界の神々が集結していた。

 その神々は、皆〝終末兵器(ウロボロス)〟によって世界を滅ぼされた者たちで、彼女を滅ぼしたいと願う者たちだった。

 そんななか、〝終末兵器(ウロボロス)〟誕生の起源を知る異界の神と出会った。その神は言った。

 

『〝終末兵器(ウロボロス)〟とお前たちが呼んでいた彼女の元々の正体は、俺を悪しき大蛇から守護してくれた冥界の蛇神―――メヘンだ』

 

 その神の発言を聞いて、異界の神々がどよめく。龍神が蛇神だったということではなく、世界を破滅させてきた〝終末兵器(ウロボロス)〟は、実は〝守護龍〟だったということに驚愕したのだ。

 

「そして(オレ)は衝撃の真実を知った。〝終末兵器(ウロボロス)〟は『悪』ではなく、元々は『善』だったってことにな」

 

終末兵器(ウロボロス)〟と呼んでいた姫乃の正体。それは〝混沌(カオス)〟と対立した概念―――〝秩序(コスモス)〟の守護龍。神々の世界(コスモス)が崩壊しないように維持する世界龍だった。

 唯一神(ヤハウェ)の話を聞いて、オイスタッハは不可解そうに顔を顰めた。

 

「………その娘が元は『善』というのは納得しかねますが………では何故、その娘は『悪』に堕ちたのですか?」

 

「ふん………それが解れば苦労はせん。だが、これだけは(オレ)には理解した」

 

 唯一神(ヤハウェ)は、座り込んでいた姫乃をひょいと抱き寄せて、

 

(オレ)はいたいけな幼女(ロリ)を悪用する黒幕(ヤツら)を許してはおけん!黒幕(ヤツら)は、(オレ)が必ず断罪してやるッ!!」

 

 高らかに宣言した。そんな彼を、姫乃は怒ることすら忘れてキョトンと見上げる。

 

「………パパ?」

 

「安心しろ、レヴィアタン。お前は(オレ)が守ってやる。………敵は多いがな」

 

 よしよし、と姫乃の頭を優しく撫でる唯一神(ヤハウェ)。姫乃は少し恥ずかしそうに頬を赤らめるが、守ってやる、と言われて少し嬉しそうな表情を見せていた。

 敵は多い。それは姫乃を守る派の神々よりも、殺す派の神々の方が過半数もいるからだ。

 ふむ、とオイスタッハは考え込む素振りを見せたのち、唯一神(ヤハウェ)の意図を汲み取って笑う。

 

「なるほど。我らの主がその娘を連れ去った理由は、殺すのではなく保護することが目的だったのですね」

 

「そうだ。(オレ)以外にもこの子を守る派の神々はいるが、殺す派の方が圧倒的に多いからな。(オレ)のものにすることで、殺す派の神々に手出しできないようにしたというわけだ」

 

 なにせ、黒幕によってこの子が『悪』に改竄されたからといって、世界を滅ぼされた者たちの怨念が消えるわけではないからな、と唯一神(ヤハウェ)は苦笑を零す。

 彼もまた、幼女(ロリ)好きでなかったら、もしくは姫乃が幼女(ロリ)じゃなかったら、彼女を殺す派に回っていたことだろう。

 

「………それで、我らの主が生み出した秘呪とは一体なんなのですか?」

 

「む?………おお、そうだったな。つい熱く語ってしまった」

 

 照れ臭そうにポリポリと頭を掻く唯一神(ヤハウェ)。それからフッと真剣な表情で言った。

 

神々(我々)が生み出した〝終末兵器(ウロボロス)〟を斃し得る力。それは禁忌を犯した者に罰を与える秘呪―――聖典に記された神話の存在へと改変させる絶対的な力だ!」

 

「神話の存在へと改変、ですか!?」

 

「うむ。この聖典〝創世記(ベレシート)〟は、(オレ)が天地創造した軌跡が記されている。その五日目は、(オレ)が海の大いなる獣―――即ち原初蛇レヴィアタンの創造が記されている」

 

 

 神はまた言われた。

 

 

『水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天の大空を飛べ』

 

 

 神は海の大いなる獣と水に群がる全ての動く生き物とを種類に従って創造し、また翼のある全ての鳥を種類に従って創造された。神は見て、良しとされた。

 

 

「だが、(オレ)は〝終末兵器(ウロボロス)〟に敗れ、龍蛇の創造権を剥奪された。故にレヴィアタンの創造はできない」

 

 海の大いなる獣の()()()である〝    〟は創れるがな、と付け足す唯一神(ヤハウェ)

 

「―――なら、こうしよう。創れないのならば、別の者にレヴィアタンになってもらえばいい」

 

 そう言って唯一神(ヤハウェ)は、姫乃の顔をチラッと見たのち、言った。

 

「そして、レヴィアタンに改変し得る存在こそが、本来は守るべき神々の神話(世界)を数多に滅ぼし、剰え龍蛇の創造権を剥奪した、禁忌の邪龍ウロボロスなのだと!」

 

 禁忌の邪龍ウロボロス。本来の役割と真逆の行為を行い、神々の神話(世界)に影響を及ぼしてしまった姫乃に押された神々の烙印。

〝禁忌〟の烙印を押すことで、神々の生み出した秘呪は彼女を蝕む強力な呪いへと至るのだ。

 

神々(我々)が生み出した秘呪。禁忌の邪龍ウロボロスに剥奪された、神々の神話の龍蛇(存在)へと改変する究極の禁書。それがこの我が聖典〝創世記(ベレシート)〟に新たに与えられた力だ」

 

 唯一神(ヤハウェ)は説明を終えると、聖典もとい禁書を懐に仕舞った。

 オイスタッハとアスタルテは、先程の話を聞いて、唯一神(ヤハウェ)の禁書が禍々しく歪んだものに見えて冷や汗が止まらない。

 唯一神(ヤハウェ)は、さて、と腕の中に収めていた姫乃を床に下ろすと、彼女の全身を見回して、

 

「ふむ。レヴィアタンの露出度高めのメイド姿もそそるが、(オレ)以外に肌見せとはけしからん!」

 

「………?」

 

 何を言ってるんだこの人、的な表情で唯一神(ヤハウェ)を見つめ返す姫乃。

 唯一神(ヤハウェ)は、それにしても、と不意にアスタルテの方に振り向き、

 

「我が妻も、裸身の上にケープコートとはけしからん!オイスタッハよ………超グッジョブだ!」

 

「………はい?」

 

「私は(あるじ)様の妻では―――」

 

「………え?ワタシの母は、オマエ?」

 

 オイスタッハが困惑し、アスタルテが否定しようとしたところに、姫乃が割って入ってきた。

 アスタルテは一瞬固まったが、すぐに人工的な声音で否定―――

 

「……………(ネガ)

 

「その通りだ!レヴィアタンの母は、我が妻アスタルテ!オマエではなく〝ママ〟と呼べ!」

 

 ―――できなかった。唯一神(ロリコン神)に遮られて、アスタルテの言葉が消える。

 姫乃は目を瞬かせながらアスタルテを見つめて、

 

「………ママ?」

 

「―――――ッ!?」

 

〝ママ〟と言った。この瞬間、アスタルテの全身に電流が走ったように痺れ、

 

「………………可愛い」

 

 思わず母性本能が刺激されたような感覚に襲われ、そんな言葉が口から洩れ出た。彼女の頬は微かに赤く染まっている。

 オイスタッハは、感情の乏しいアスタルテが頬を赤らめている姿を見て、驚愕の表情を浮かべていた。

 一方、姫乃とアスタルテを満足げに眺める唯一神(ヤハウェ)は、うんうんと頷き、

 

(オレ)アスタルテ()レヴィアタン()が仲良くなったし、次は着替えだな」

 

「「……………!?」」

 

 唯一神(ヤハウェ)の言葉に、硬直する姫乃とアスタルテ。この男は一体何をする気なのか。

 逃げよう、と姫乃とアスタルテは顔を合わせて頷き合い―――

 

「どこへ行こうというんだ?我が妻と娘よ」

 

「「……………ッ!」」

 

 いつの間にか二人纏めて唯一神(ヤハウェ)の腕の中に収まっていた。速すぎて何をされたのか理解できなかった。

 唯一神(ヤハウェ)は〝神〟とは思えない邪悪な笑みを浮かべて、

 

「さあ、着せ替えといこうじゃないか♪」

 

「「~~~~~ッ!!?」」

 

 着替えではなく、着せ替えに変わっていることに気づいた姫乃とアスタルテは絶望した。

 オイスタッハは、そんな憐れな幼女(ロリ)たちに合掌する。私には助けられません、と謝罪の気持ちを込めて。

 そして、唯一神(ヤハウェ)に問答無用で連れていかれた姫乃とアスタルテは、可愛らしい悲鳴を上げたのだった。

 

 

【回想終了】

 

 

 そして時刻は戻り、朝の六時。姫乃とアスタルテの着せ替えを思う存分に楽しんだ唯一神(ヤハウェ)は、お姫様ドレスを着せた幼女(ロリ)二人を腕の中に収めて玉座に座り、ちょっとした幼女(ロリ)ハーレム気分を満喫していた。

 姫乃とアスタルテは、唯一神(ヤハウェ)に散々着せ替え人形にされて、ぐったりしていた。色々と恥ずかしい思いをしたためか、二人の顔は真っ赤に染まっている。

 オイスタッハは、呆れたような表情で唯一神(ヤハウェ)を玉座の傍らで見ていると、

 

「………ふん。どうやら来たようだな」

 

「………敵襲ですか?」

 

 オイスタッハが訊くと、唯一神(ヤハウェ)は首肯して玉座から腰を上げる。

 それから腕の中に収めていた姫乃とアスタルテを解放し、唯一神(ヤハウェ)は言った。

 

「敵は三人か。例の〝殺神兵器〟と〝メトセラの末裔〟。それに―――〝魔女〟だな」

 

「〝メトセラの末裔〟!?まさか、あの時の剣巫のことですか!?それに魔女もいるのですか………」

 

 オイスタッハが驚きと不安の混じった顔をすると、唯一神(ヤハウェ)はフッと笑い、

 

「案ずるな。貴様には(オレ)が力を与えてやろう」

 

「………!なんと!?この私めに、我らの主が御力を与えてくださるのですか!?」

 

「ああ。その背に担ぐ斧を(オレ)に寄越せ。ソレに我が力の一部を宿す」

 

「はい!」

 

 オイスタッハは歓喜の笑みを浮かべて、背に担ぐ巨大な戦斧を唯一神(ヤハウェ)に手渡す。

 唯一神(ヤハウェ)が戦斧を受け取ると、指で軽く撫でた。すると、戦斧の色は神々しい黄金へと変化し、凄まじい霊力を纏っていた。

 唯一神(ヤハウェ)から受け取った黄金の戦斧を、オイスタッハはとても嬉しそうな表情で撫でる。

 戦斧から伝わる唯一神(ヤハウェ)の膨大な霊力を肌で感じて、彼は主なる神の力と共に戦える歓びに笑みを浮かべていた。

 唯一神(ヤハウェ)は、喜んで何よりだ、と笑ったのち、アスタルテに振り向き、

 

「我が妻にも、力を与えよう」

 

「私は主様の………」

 

 否定しようとして、チラッと姫乃を見る。彼女は私が母だと信じているんだっけ、と思い否定するのをやめた。

 

「………はい」

 

 アスタルテが応えると、唯一神(ヤハウェ)はニコリと笑って彼女の頭に手を翳した。

 

「我が最高傑作にして、完璧なる獣―――〝    〟を眷獣として、汝に与えん!」

 

「……………っ!!」

 

 アスタルテの人工の血に入り込むは、大いなる獣の魔力。激痛は、走らない。ただ、ちょっと身体が熱くなってきた気がした。

 熱に魘される、そんな感覚に襲われて―――

 

「ママ」

 

「………!」

 

 ギュッと姫乃に手を握られると、一瞬で熱が冷めて元の体温に戻った。

 アスタルテは驚いたような表情で姫乃を見つめると、彼女はニコリと微笑んできた。

 可愛い。アスタルテはまた姫乃を可愛いと思った。敵だった頃の彼女は、無感情無感動無表情の全く可愛いげの欠片もない少女だった。

 だが、唯一神(ヤハウェ)が改変した彼女は、可愛いと言わざるを得ない可愛さを持った少女となっている。表情は豊かになり、笑顔は可愛らしく、泣いている時は守ってあげたくなる。

 愛らしい少女に変化したのは、唯一神(ヤハウェ)の願望の体現というべきか。彼にとって幼女(ロリ)は、可愛らしくあるべきなのだろう。

 アスタルテは、彼女なら娘にしてもいいかな、と思う。流石に唯一神(ヤハウェ)が夫なのは遠慮願いたいが。

 姫乃を微かな笑みを浮かべてアスタルテが見ていると―――バァン、と勢いよく扉が開く音がした。

 そして、

 

「―――金髪ローブ野郎!」

 

「む?」

 

 少年の絶叫に似た声を聞いて、唯一神(ヤハウェ)が振り向くと、

 

「悪いが、空無は返してもらうぜ」

 

 獰猛な笑みを浮かべる〝殺神兵器〟―――古城。

 銀の槍を構えた〝メトセラの末裔〟―――雪菜。

 漆黒の鎖〝飢餓の呪鎖(ニーズヘッグ)〟を操る〝魔女〟―――那月。

 三人の侵入者と、唯一神(ヤハウェ)率いるオイスタッハ、アスタルテ、姫乃(レヴィアタン)の戦いが幕を開けようとしていた。




オリジナル設定
〝禁書〟―――異界の神々が協力して生み出した究極の秘呪。
〝禁書〟の正式名は『禁忌を犯した者に罰を与える呪いの書』………長いとか言わない。
名の通り、禁忌―――タブーの行為に走った者に罰を与える力のこと。
カインの〝聖殱〟のような力だが、この〝禁書〟は世界を書き換えるというよりは、自らの神話の存在に置き換えるというもの。本編で〝改変〟と記しているが、物語が進んでいくうちに〝置換〟という表記に変わる予定。


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聖者の右腕 玖

 古城と雪菜、那月の登場に、唯一神(ヤハウェ)は特に驚きもせず見回し、

 

「やはり来たか、貴様ら」

 

「当たり前だ!勝手に那月ちゃん(ひと様)のメイドを、あんたは連れ去ったんだからな。取り返しに来るに決まってんだろ!」

 

 唯一神(ヤハウェ)を睨みつけて吼える古城。一方、那月は姫乃の姿を確認すると、ふん、と鼻を鳴らして唯一神(ヤハウェ)を睨んだ。

 

「姫乃の恰好がメイドではないのは、唯一神、貴様の仕業か?」

 

「如何にも。ふむ?あのメイド服は貴様の趣味だったか魔女」

 

「………だったらなんだ?」

 

「いやなに―――超グッジョブだ!」

 

「は?」

 

 親指を立ててニヤリと笑う唯一神(ヤハウェ)。那月は、なんだこいつ、と不可解そうに眉を顰める。

 唯一神(ヤハウェ)は、くく、と笑いながら姫乃に振り向き、

 

「レヴィアタンよ。ヤツらが取り返しに来たというが………どうする?」

 

「………?どうするもなにも、ワタシのパパはヤハウェ、ママはアスタルテ。アイツらは、知らない」

 

「なっ、」

 

 姫乃の言葉に絶句する古城たち。彼女の表情を見るからに、冗談で言っているようには思えない。

 言葉を失う古城たちを、唯一神(ヤハウェ)は面白そうに嘲笑いながら、姫乃の肩を抱き寄せた。

 

「ま、そういうことだ。レヴィアタンは貴様らのものではない。(オレ)のものだ。分かったら、さっさと失せろ」

 

「……………ッ!!」

 

 殺気を滲ませながら言い放つ唯一神(ヤハウェ)。古城と雪菜が身構えるなか、那月は一歩前に歩み出て、姫乃に視線を向けた。

 

「姫乃。おまえは本当に私や暁古城、姫柊雪菜のことを忘れたのか?」

 

「しつこい。ワタシはオマエらのことは知らないし、知ろうとも思わない。けど、パパやママに手を出すなら―――皆殺しにする」

 

 不機嫌そうな表情と共に莫大な魔力を放出させる姫乃。まるで威嚇しているかのような魔力の放ち方だ。

 那月は、そうか、と深い溜め息を吐いたのち、スッと瞳を細めて、

 

「仕方がない。姫乃がその気なら―――無理矢理にでも連れ帰らせてもらうぞ」

 

 そう告げた那月は、虚空より銀鎖―――〝戒めの鎖(レージング)〟を撃ち出して姫乃を搦め捕りにかかった。

 

「無駄」

 

 姫乃は、水の魔力を放出することで那月の銀鎖を撃ち落とす。

 

「魔女風情じゃ、ワタシは倒せない」

 

 姫乃は、右手を那月に向けて突き出すと、水色の魔法陣が浮かび上がって、そこから水の魔力砲が撃ち出された。

 那月を撃ち抜かんと高速で迫る魔力砲を、

 

「―――はあっ!」

 

 雪菜が銀の槍―――七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)〝雪霞狼〟で切り裂いた。

 魔力を無効化し、あらゆる結界を切り裂く〝神格振動波駆動術式(DOE)〟。この能力なら、〝唯一神(ヤハウェ)〟の被造物であるレヴィアタンの魔力砲といえども打ち消せるようだ。

 雪菜は、そのままの勢いで飛び出して、姫乃に銀の槍を突き立てんとした。もし彼女が操られているのなら、その術式をこの槍で切り裂けるかもしれないと思ったのだ。

 

「やらせませんよ」

 

「―――ッ!?」

 

 その雪菜の進行を遮ったのは、黄金の戦斧。ロタリンギア殱教師、ルードルフ・オイスタッハの一閃だ。

 雪菜は、オイスタッハの戦斧を銀槍で受け止めるが、

 

「………ッ!!?」

 

 余りにも重すぎる一撃に、雪菜は受け止め切れずに吹き飛ばされてしまった。

 

「姫柊!?」

 

 古城は思わず叫ぶが、雪菜は床に身体を打ち付ける寸前に受け身を取って体勢を立て直した。

 

「大丈夫です」

 

 古城に返しつつ、戦斧を片手に近づいてくるオイスタッハを警戒する雪菜。

 オイスタッハは、フフフ、と不気味な笑みを浮かべながら戦斧を構えた。

 

「我らの主が与えてくださったこの力、是非貴女で試させていただきますよ、剣巫」

 

「………!?唯一神に与えてもらった!?」

 

「ええ。故に、前回の私とは一味も二味も違います。我らが主の御力、その身をもって味わいなさい」

 

 オイスタッハの黄金の戦斧が煌めき、雪菜を真っ二つに斬り裂かんと襲いかかる。

 雪菜は、それを受け止めるのではなく、横に跳ぶことで回避した。が、先程まで雪菜が立っていた床は、まるで薪割りのように深々と斬り裂かれていた。

 オイスタッハのデタラメな破壊力を目の当たりにして、雪菜は戦慄する。これが〝神〟の力を与えられた人間が成せる御技なのかと。

 雪菜とオイスタッハが刃を交え始めるなか、古城と那月は、姫乃とアスタルテの二人と睨み合っていた。

 

「………那月ちゃん。空無の相手を、俺にやらせてくれねえか?」

 

「教師をちゃん付けで呼ぶな。………ほう?なにか策でもあるのか暁」

 

「策ってわけじゃないけど………空無を傷つけられる武器なら、持ってる」

 

 古城は、他ならぬ姫乃から渡されていた、彼女を斃せる〝闇の魔剣(ダークネス・ソード)〟のことを那月に伝える。

 その話を聞いて、何故か那月は不機嫌そうな表情で古城を睨み、

 

「それが、本契約者にのみ姫乃から託される魔剣か。本契約者にのみ」

 

「なんで二回言ったんだ!?」

 

「………ふん。いいだろう。おまえが姫乃を止めてこい。悔しいが私では姫乃を止める力は無さそうだからな。人工生命体(ホムンクルス)のお守りで我慢してやる」

 

 那月は、古城が一日だけとはいえど、姫乃と本契約を結べていることが気に入らないようだ。

 が、那月は、フッと真剣な表情に変えて古城を見つめ、

 

「やるからには失敗は許さん。心してかかれ。いいな?」

 

「ああ。はなからそのつもりだ」

 

 古城は頷くと、バッグから魔剣を取り出し、姫乃に向かって走り出す。

 

「させません。執行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 古城に立ちはだかったのは、人工生命体(ホムンクルス)の少女アスタルテ。その彼女が己の身に宿す眷獣―――〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟を顕現させた。

 体長は四メートルほどか。虹色に輝く半透明の巨人は、宿主であるアスタルテを身体の中に取り込んでいる。

 全身を分厚い肉の鎧で覆った、顔のないゴーレムは、巨大な腕を振りかぶり、古城に殴りかかった。

 古城が迎撃しようと拳を握り締めた瞬間、眷獣の腕を銀鎖が搦め捕り、動きを封じ込めた。この鎖は、那月が虚空から撃ち出したものだ。

 

「貴様の相手は私だ、人形娘」

 

「……………」

 

 ふわりと豪奢なドレスを翻らせて宙を舞う那月。人型の眷獣の中で無表情に見上げるアスタルテ。

 古城は、その隙に姫乃の下へ辿り着く。すぐ傍には唯一神(ヤハウェ)もいるが、優先すべきは姫乃の奪還だ。

 

「空無!今すぐに、金髪ローブ野郎から解放してやるからな」

 

「………オマエが何を言ってるのか、ワタシには分からない。でも、パパを悪く言うなら、殺す」

 

 殺意の籠った瞳で古城を睨む姫乃。それとほぼ同時に、彼女の周囲に六つの魔法陣が浮かび上がり、魔力砲が一斉に放たれた。

 それらを古城は、ほとんど勘だけで躱し切る。

 姫乃はムッと眉を寄せて、左手に水の魔力を纏わせると、古城の首を斬り落とすかのように横へ一閃した。

 

「―――くっ!?」

 

 古城は、屈むことで間一髪難を逃れたが、スパン、と白のパーカーのフードが綺麗に切り裂かれて落ちた。

 

「マジかよ、おい!?」

 

 水の刃と呼ぶに相応しい一撃を見た古城は、目を剥いて驚愕する。

 姫乃の攻撃は止まらない。古城の足下に魔法陣を浮かび上がらせると、右腕を振り上げた。

 

「………うおっ!?」

 

 すると、古城の足下から噴水のように水が噴き出し、彼を上に吹き飛ばした。

 空中に飛ばされた古城に、姫乃が目を向けると、彼女の背後から巨大な影が出現した。

 現れたのは、怪物の巨大な顎。怪物はギラギラと光る瞳で古城を見ると、口を開いて灼熱の気焔(ブレス)を撃ち放った。

 

「―――しまっ」

 

 空中にいる古城に、怪物の気焔(ブレス)は躱せない。やられる、そう思った古城の左腕に銀鎖が巻きつき、彼の身体は乱暴に左へ大きく引っ張られ気焔(ブレス)の軌道から逃れた。

 標的を失った怪物の気焔(ブレス)は、天井を易々と熔解させて撃ち抜き、空の彼方へと消えていく。

 古城は、助かった、と安堵するも、床に背中を強打して、痛て、と呻く。那月が乱暴に銀鎖で、古城を引き寄せたのが原因だろう。

 

「あれが龍の気焔(ドラゴン・ブレス)か。凄まじい威力だな」

 

「なに呑気なこと言ってるんだよ那月ちゃん!感心してる場合か!」

 

「ふん。助けてやったのに礼もなしとは、不出来な教え子だな」

 

 やれやれ、と呆れたように溜め息を吐き、古城の腕に巻きついていた銀鎖を解く那月。

 古城は、あ、と感謝の言葉を言い忘れていたことに気がつき、

 

「悪い那月ちゃん。助かった」

 

「ちゃんではない………が、まあいいだろう」

 

 フッと笑みを浮かべる那月。古城は、那月の機嫌が良くなったのを見て、ホッと胸を撫で下ろす。

 

「ところで那月ちゃんの方は、」

 

「ん?ああ。あの人形娘なら、すでに捕獲済みだ」

 

 え、と古城は、那月が指差す方に目を向けると、銀鎖で全身を搦め捕られていたアスタルテの姿が映った。

 オイスタッハが、アスタルテに刻印した術式はまだ未完成なのか、あっさりと那月の銀鎖に捕らわれてしまっているようだ。

 本来なら、オイスタッハが手に入れた雪菜の〝雪霞狼〟のデータをもとに完成しているはずだったのだが、どこぞの〝(ロリコン)〟がアスタルテを着せ替え人形よろしくしていたせいで完成に至っていなかったのである。

 それ故に、天部の遺産である〝戒めの鎖(レージング)〟がアスタルテの眷獣の魔力を封じ込め、結果、実体化を保てなくなった〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟は消滅し、今に至る。

 マジか、と古城が驚いていると、姫乃の表情が怒りに歪んでいた。彼女の背後に控えていた怪物の顎は鎌首をもたげて、アスタルテを拘束していた銀鎖を喰い千切った。

 

「なに!?」

 

 容易く銀鎖を破壊されて驚愕する那月。姫乃ならともかく、彼女の背後にいる怪物に壊されるとは思いもしなかったのだろう。

 姫乃は、怪物の顎を引き戻すと、アスタルテの下へ一瞬で移動して、

 

「ママ、大丈夫?」

 

「はい。私は平気です。ありがとうございます、レヴィアタン」

 

「よかった」

 

 無事と聞いて笑みを浮かべる姫乃。だがしかし、その笑みはすぐに怒りへと歪み、姫乃は那月を憤怒の瞳で睨みつけた。

 

「ママを傷つけた。魔女、オマエは許さない」

 

「―――っ!?」

 

 姫乃は、標的を古城ではなく、那月に変更すると、背後の怪物が咆哮して那月に襲いかかった。

 那月は、チッと舌打ちして虚空から銀鎖を撃ち出すが、怪物の鋭い牙を備えた顎が、その悉くを喰い千切っていく。

 那月が新たに別の鎖を撃ち出そうとして、

 

「待ってください」

 

 アスタルテが姫乃に向かって待ったをかけた。

 キョトンとした表情で姫乃は振り向く。

 

「………ママ?」

 

「魔女の相手は私がします。レヴィアタンは、第四真祖の相手をお願いします」

 

「………わかった。ママ、気をつけて」

 

「はい」

 

 姫乃は、心配そうにアスタルテを見つめるも、気持ちを入れ換えて古城の方へ向き直った。

 那月は、ふん、と鼻を鳴らしてアスタルテを見つる。

 

「貴様の眷獣では、私の相手は務まらんぞ」

 

「そうですね。ですが、(あるじ)様が与えてくださった、もう一体の眷獣はどうでしょう」

 

「なに?もう一体だと?」

 

 那月が眉を顰める。ただでさえ人工生命体(ホムンクルス)が眷獣を宿しているということ自体不思議でならないのに、それがもう一体いると聞けば不可解に思うのは無理もない。

 アスタルテは、まるで神に祈りを捧げるように両手を組み、

 

「お願いします―――〝ベヒモス〟」

 

〝ベヒモス〟。アスタルテがその名を口にした瞬間、彼女の背後から巨大な影が顕現した。

 体長は〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟の倍近くはあろうかという巨躯な怪獣。

 その姿はカバとサイを融合したような異形なもので、杉の枝のようにしなやかな尾と、青銅と鋼鉄の骨格に、巨大な腹を持っていた。

 

「なんだこいつは!?」

 

 古城は巨大な獣の眷獣を目の当たりにして、瞳をいっぱいに見開き動きを止める。

 彼だけでなく、雪菜やオイスタッハも戦闘を中止して、〝ベヒモス〟を見上げていた。

 唯一神(ヤハウェ)だけは満足げに、アスタルテに与えた〝ベヒモス〟を眺める。

 聖書に記された神話の怪物とは程遠い大きさだが、この場を圧倒するには十分過ぎるサイズといえよう。

 

「………それが貴様の、もう一体の眷獣か」

 

「肯定。〝ベヒモス〟は、(あるじ)様が与えてくださった眷獣です」

 

〝ベヒモス〟が放つ圧倒的な魔力に、流石の那月も表情から余裕が消える。

 だが、那月は怯まずに虚空から銀鎖を撃ち出して、巨獣の眷獣を搦め捕ろうとした。

 

「………〝ベヒモス〟」

 

 アスタルテが人工的な声音で告げると、巨獣の眷獣は大きく口を開き―――バグン、と那月の銀鎖を喰らった。

 

「〝戒めの鎖(レージング)〟を喰っただと!?」

 

 驚愕の声を上げる那月。魔力を封じ込める天部の遺産である銀鎖を、逆にその鎖を喰らう眷獣が存在するのかと。

〝ベヒモス〟は、耳を劈くような咆哮を上げると、那月もろとも古城を突き飛ばさんと、猛突進してきた。

 那月は、咄嗟に古城の首根っこを掴んで空間転移の魔術で回避する。そして、眷獣を攻撃に使用して無防備になったアスタルテへと銀鎖を撃ち放つ。

 

「させない」

 

 アスタルテを搦め捕ろうとした銀鎖は、姫乃の小さな拳によって全て撃ち落とされた。

 那月は、チッと舌打ちして着地する。古城は、盛大に尻を床に打ち付けて、痛て、と呻いているが、気にしていられるほど今の那月に余裕はない。

 前方には、姫乃と怪物の顎。後方には、アスタルテの眷獣〝ベヒモス〟。

 前に龍、後ろに獣と、いつの間にか那月と古城は思い詰められていた。

 雪菜の〝雪霞狼〟ならば、唯一神(ヤハウェ)の被造物である〝ベヒモス〟といえど、眷獣として顕現しているのなら無力化できるだろう。が、肝心の彼女は、オイスタッハの相手で手一杯で応援は望めそうにない。

 那月は、暫し黙考して、

 

「………暁」

 

「なんだ、那月ちゃん?」

 

「今から私がおまえを姫乃の目の前に転移させる。だからその魔剣で、姫乃を刺せ」

 

「は?」

 

 古城は一瞬、那月が何を言ってるのか理解できなかった。姫乃を刺せ。それはつまり、殺せということか!?

 

「な、なに言ってんだよ那月ちゃん!空無を殺せるわけねえだろ!?」

 

「違う。そうじゃない。私がおまえに〝姫乃を刺せ〟と言ったのは、致命傷を負わせて弱らせろという意味だ」

 

 那月の言葉に、古城は安堵する。姫乃に致命傷を負わせろ、というのは気が乗らないが。

 

「………仮に空無を弱らせられたとして、それからどうするんだ?」

 

「決まっている。姫乃を捕獲してここから離脱する。唯一神とまともに殺り合える力は、私達にはないからな」

 

 悔しそうな表情で答える那月。今のところ、唯一神(ヤハウェ)は傍観に徹しているが、いつ動きを見せてもおかしくない。恐らく、姫乃かアスタルテを倒したら、唯一神(ヤハウェ)が激怒して那月たちを殺しに来るだろう。

 古城は、そうだな、と目を伏せて返し、

 

「わかった。跳ばしてくれ那月ちゃん!姫乃には悪いけど、魔剣(コイツ)で眠らせる」

 

「………すまんな暁。辛いことを押しつけてしまって。だが、姫乃を奪還するためには」

 

「ああ。必要なことなんだろ?だったら俺はやる。空無(アイツ)を取り戻せるなら、たとえこの手を血で汚そうがやってやるぜ」

 

 ギュッと魔剣を握り締めて言う古城。覚悟は決まった。あとは作戦を無事成功できるか否かだ。

 那月は、よく言った、と笑みを浮かべて、

 

「チャンスは一度きりだ。失敗は許されない。やってくれるな?」

 

「ああ」

 

 古城が首肯すると、那月は、よし、と頷き、彼の背中に手を添える。

 その光景を見ていた姫乃が、スッと瞳を細めて言った。

 

「………今生の別れは済んだ?」

 

 その姫乃の言葉に、那月は、ああ、と返してニヤリと笑い、

 

「今生に別れを告げるのは―――貴様だ」

 

 姫乃にそう告げた刹那、古城の姿が、彼女の視界から消える。

 

「………!?」

 

 だがそれはほんの一瞬だけ。すぐに古城の姿が、姫乃の視界に映る―――眼前に。

 

「―――ッ!?」

 

「うおおおおお!」

 

 姫乃がギョッと目を剥くなか、古城は、魔剣を握り締めて、彼女の胸を貫こうとする。

 それを阻もうと、姫乃の背後にいた怪物の顎が反応して、魔剣を喰い千切ろうと襲いかかる―――が、不意に怪物の顎が動きを止めた。

 

「え?」

 

 古城は、何故怪物の顎が動きを止めたのか、解らなかった。姫乃の満足げな表情を見るまでは。

 ドッ、と姫乃の右胸を魔剣が抉り、貫く。カフッ、と喀血した彼女は、ゆっくりと古城へと倒れ込む。怪物の顎も、彼女が致命傷を負ったことで消滅している。

 アスタルテが瞳をいっぱいに見開かせるなか、古城は気を失った姫乃の背に手を添えて、震えた声でボソリと呟く。

 

「空無、あんたはまさか、最初から………!」

 

 そんな古城を、気絶している姫乃ごと銀鎖で搦め捕る那月。オイスタッハと戦闘中だった雪菜も銀鎖で搦め捕ると、用意していた虚空に浮かぶ空間転移用の(ゲート)へと引き摺り込む那月。行き先は恐らく、那月のマンションだろう。

 

「逃がしませんよ!」

 

 オイスタッハは、離脱しようとする古城たちに戦斧で斬りかかろうとして、

 

「―――構わん。逃がしてやれ」

 

 唯一神(ヤハウェ)に止められた。オイスタッハは、何故、と不可解そうな表情を見せる。

 唯一神(ヤハウェ)は、(ゲート)の消滅を確認すると、ふん、と荒々しく息を吐き、

 

「レヴィアタンは………いや、〝終末兵器(ヤツ)〟は(オレ)たちを騙していた。(オレ)のものに成りすましてな!」

 

 怒りと殺意の籠った声音で、唯一神(ヤハウェ)は、消えた(ゲート)を睨みながら告げた。

 

 

 

 

 

 人工島西地区(アイランド・ウエスト)。那月家。姫乃の寝室。

 古城は、姫乃の右胸を貫いていた魔剣を抜き取り、彼女をベッドに寝かせる。

 古城と雪菜、那月が見守るなか、姫乃の刺し傷はみるみるうちに塞がっていき、致命傷が嘘のように回復した。

 それからすぐに、姫乃は閉じていた瞼を開き、死の淵から覚醒する。

 

「……………」

 

 ゆっくりと上体を起こした姫乃は、古城・雪菜・那月の順に見回す。古城と雪菜が警戒するなか、那月は、フッと笑い、

 

「悪い夢から覚めたか、姫乃?」

 

「………悪い夢?」

 

「ああ。唯一神に操られる悪い夢だ」

 

 瞬きする姫乃に、那月が説明する。それに姫乃は、頭を下げて、

 

「ごめん、御主人様。実はワタシ、ヤハウェ(やー君)に操られてない」

 

「なに?それは本当か?」

 

 那月が聞き返すと、コクリと首肯する姫乃。

 それを聞いて、古城と雪菜は、よかった、と安堵する。が、古城が、ん?と首を傾げて、

 

「じゃあなんで空無は、俺たちに敵対する素振りを見せてたんだ?」

 

「それは………自力で脱け出す力がなかったから」

 

「え?」

 

「あと、古城と雪菜の実力が見れるチャンスだったから」

 

「それが目的かよ!」

 

 前者はともかく、後者の理由を聞いて呆れる古城。結局古城たちは、姫乃のわがままに付き合わされたのだと落胆する。

 苦笑する雪菜は、前者の理由の意味が解らないため、姫乃に訊ねた。

 

「空無さん。自力で脱け出せないとはどういう意味ですか?」

 

「………今のワタシは〝ウロボロス〟じゃない。ヤハウェ(やー君)の被造物レヴィアタン」

 

「え?唯一神の被造物………?」

 

「うん。御主人様に向けて放った魔力砲。雪菜が槍で簡単に無効化できたのは、ワタシが弱体化してる証拠」

 

 あ、とその光景を思い出して雪菜は槍を仕舞っているギターケースに目を向ける。たしかにあの時、姫乃の一撃を〝雪霞狼〟で簡単に切り裂けた。

 本来の姫乃の魔力は、〝雪霞狼〟で無効化しても、無限であるため完全に消滅させることはできない。その彼女の魔力をあっさりと無力化できたからには、弱体化しているのは本当なのかもしれない。

 

「そういえば、唯一神は姫乃のことを〝レヴィアタン〟と呼んでいたな」

 

 那月は、唯一神(ヤハウェ)の言葉を思い出して呟く。

 レヴィアタン。それは旧約聖書に登場する海中の怪物ないし怪獣。悪魔と見られることもあり、キリスト教の七つの大罪では〝嫉妬〟を司る悪魔とされている。

 ちなみに〝嫉妬〟は、動物で表された場合は〝蛇〟となり、レヴィアタンは〝海蛇〟である。

 唯一神(ヤハウェ)が天地創造の五日目に造り出した存在で、レヴィアタンは海を意味し、最強の生物とされる。

 

「ちょっと待て。空無が無理なら、誰があの金髪ローブ野郎を相手するんだ?」

 

ヤハウェ(やー君)ならワタシが相手するから、古城は気にしなくていい」

 

「は?だって勝てないんじゃ………」

 

「うん。今のままじゃ、確実に敗北する。だから、古城たちには、ワタシが弱体化してる原因である―――〝禁書〟を破壊してほしい」

 

「〝禁書〟?なんだそれ?」

 

 古城たちは疑問符を頭に浮かべる。しかし姫乃は、ごめん、と謝罪して、

 

「詳しい話をしている暇はない。でも、〝禁書〟さえ破壊してくれれば、ワタシの力は元に戻る」

 

「わかった。俺たちで〝禁書〟とかいう本?を探して壊せばいいんだな?」

 

「うん。〝禁書〟を持ってるのはヤハウェ(やー君)じゃない。きっと―――」

 

 そこで姫乃の言葉が途切れる。彼女の胸元から生えた白い手の奇襲によって。

 

「か、空無!?」

 

「空無さん!?」

 

 堪らず悲鳴を上げる古城と雪菜。那月も声には出さなかったものの、その顔は蒼白に染まっていた。

 姫乃を背後から手刀で貫いた唯一神(ヤハウェ)は、手応えの無さにムッと眉を寄せる。すると、姫乃の形を創っていたそれは水に変わり、唯一神(ヤハウェ)の手を濡らす。

 本体の姫乃は、水の魔力を纏わせた拳で、唯一神(ヤハウェ)の背後を奇襲返し―――

 

「遅い」

 

「―――っ!?」

 

 ―――できなかった。姫乃の拳は空を切り、逆に背後を取った唯一神(ヤハウェ)が彼女を捕らえた。後ろから抱き寄せるような形で。

 

「………ふむ、この感触………紛れもなく本物だな」

 

「―――っ!」

 

 厭らしい手つきで触ってくる唯一神(ヤハウェ)。姫乃は、それに堪えながら那月たちに向けて叫んだ。

 

「早く行く!」

 

「空無!?でも、」

 

「………ワタシは平気。だからお願い、行って!」

 

「―――っ、那月ちゃん!」

 

 断腸の思いで姫乃に唯一神(ヤハウェ)を任せることにした古城は、那月に叫ぶ。那月は頷き、跳ぶ前に姫乃の方を向き、

 

「………死ぬなよ、姫乃」

 

「うん、わかった」

 

 主人(仮)の那月と、メイドラゴンの姫乃は短く言葉を交わすと、那月は、古城と雪菜を連れてどこかへ転移していった。

 姫乃は、任せた、と那月たちを見送り、

 

「………ヤハウェ(やー君)はいつまでワタシの身体を堪能するつもり?」

 

「ん?無論―――永遠にだ!」

 

「………変態」

 

「変態で結構!どのみち、我が〝禁書〟が壊されない限り、貴様は(オレ)に勝てんのだからな!」

 

「―――くっ、」

 

 唯一神(ヤハウェ)の言う通り、神々の生み出した〝禁書〟の効果は絶対だ。姫乃が自力で破ることはできない。

 勿論、唯一神(ヤハウェ)の被造物であるレヴィアタンに変えられてしまった姫乃は、彼に勝ち目はない。

 唯一神(ヤハウェ)は、くく、と笑って、

 

「さて、英気を養ったところだし―――お仕置きの時間にしようか」

 

「え?」

 

 唯一神(ヤハウェ)の謎の発言を聞くや否や、姫乃が跳ばされた先は―――辺り一面海の場所だった。

 キョトンとした表情で見下ろす姫乃。そんな彼女を解放した唯一神(ヤハウェ)は、

 

「ふん!」

 

「―――ッ!!?」

 

 姫乃を海に蹴落とした。ドバァン!という轟音とともに特大な水柱を上げる。

 その中から、半ば本気の涙を瞳に浮かべた姫乃が、恨めしげに唯一神(ヤハウェ)を睨め上げていた。

 しかし、唯一神(ヤハウェ)は、愉快そうに姫乃を見下ろしたのち、フッと笑みを消して告げた。

 

「………貴様に騙されて、(オレ)は酷く傷ついた。故に(オレ)は執行する!お仕置きという名の―――嬲り殺しをなッ!!」

 

 怒りに顔を歪めた唯一神(ヤハウェ)は、己を欺き騙した狡猾な邪龍(姫乃)に裁きの鉄槌を下した。




アスタルテの新たな眷獣〝ベヒモス〟
能力は、あらゆるものを飲み込む〝無限喰い(エンドレス・イーター)〟。

次回で一巻は完結の予定です。


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聖者の右腕 拾

思ったより文字数が多くなってしまったので一巻終了は次回に持ち越しです、すみません。


 絃神島北地区(アイランド・ノース)の研究所街―――スヘルデ製薬の研究所。

 姫乃と唯一神(ヤハウェ)が衝突している頃、古城たちは、姫乃の言っていた〝禁書〟を破壊するべく、オイスタッハたちの隠れ家であるスヘルデ製薬の研究所に来ていた。

 古城たちが姫乃を取り戻してから経過した時間は半刻も満たないため、まだオイスタッハたちはここにいると踏んだのだ。が、

 

「―――いない!?」

 

 予想とは反して、オイスタッハたちの姿はなかった。

 

「どこ行ったんだよ、あのオッサンたちは!」

 

 クソ、と乱暴に頭を掻き毟る古城。早く〝禁書〟を破壊しないと、姫乃がやられてしまう。

 苛立つ古城の手に、雪菜が自分の手を重ねて宥めた。

 

「落ち着いてください先輩。きっとこの部屋のどこかに、彼らの行き先を示す手がかりがあるはずです」

 

「どこかにって、どこにだよ?そんなの、呑気に探してる暇なんてあるわけねえだろ!」

 

 手がかりを探すなどと呑気なことを言う雪菜に、冷静さを失っていた古城は、思わず怒鳴ってしまった。

 ハッと我に返って雪菜の顔を窺う古城。彼女の表情は、無表情ではなく、焦燥の色が浮かんでいた。

 早くしたいのは雪菜も同じだった。だが、焦れば焦るほど要点を見逃しやすい。故に冷静にならなければいけないのだ。

 那月は、やれやれ、と打つ手なし状態の古城たちを見つめ、

 

「あの殱教師共を見つける方法ならあるぞ」

 

「「え?」」

 

 那月の言葉に、古城と雪菜が同時に振り向く。なんですと、という感じに。

 

「本当か、那月ちゃん!」

 

「教師をちゃん付けで呼ぶな。………ふん。姫乃を捜索したときと同じ方法を使えば、簡単に辿り着ける」

 

「………南宮先生が空無さんにもらった、魔力追跡能力をもつ〝飢餓の呪鎖(ニーズヘッグ)〟ですか?」

 

 雪菜が聞き返すと、那月は首肯した。

飢餓の呪鎖(ニーズヘッグ)〟。それは、姫乃(ウロボロス)が最初に産み落とした九体の子のうちの一体―――元は北欧神話の蛇ないし龍であった怪物ニーズヘッグ。その能力が与えられた特殊な黒鎖のことだ。

 その能力は二種類。

 一つ目は、捕らえた、もしくは囲った相手の魔力を奪い取る吸収型。

 二つ目は、使用者の魔力を喰らうことで、相手をどこまでも追いかける追尾型。

 姫乃の捜索時にこの鎖を利用したのは、彼女の莫大な魔力の気配を頼りに、黒鎖が魔力の波動を遡ることで、発信源を特定できるのではないかと推測したからだ。

 結果は見事成功し、姫乃をすぐに発見できた。

 

「けど那月ちゃん。空無とオッサンたちの魔力量では、天と地の差ほどあると思うんだが………見つけられるのか?」

 

「その点なら問題ない。姫乃がくれた鎖だからな、万能でなくてはむしろ困る」

 

「なんだその安心要素の欠片もない理由は!?」

 

「なにを言う暁。姫乃は私の優秀なメイドラゴンだ。家事全般を完璧にこなす、全能のメイドだぞ」

 

「いや、家事云々は今の話と関係ないよな!?」

 

 姫乃の家事技術(スキル)はたしかに気になるけど、とツッコミを入れながら付け足す古城。

 那月は、くく、と笑って古城を見つめ返し、

 

「―――だが、試してみる価値はあるだろう?なんの策もないまま路頭に迷うよりはな」

 

「それは………そうだけど」

 

 那月の提案に、古城は賛否を決められず迷う。

 たしかに那月の言い分は一理ある。だが、宛が外れたら姫乃を助けられなくなる。その可能性もあるが故に、〝(YES)〟とは言い難いのだ。

 けど、手がかりを探している時間も惜しい。それに探したところでオイスタッハたちのことだ、足がつかないように手がかりになりそうなものは何一つと残していない可能性が高い。

 ならば答えは決まっているじゃないか。古城は、グッと拳を握り締めると、真剣な表情で那月を見つめて、

 

「わかった。頼む那月ちゃん。オッサンたちを、空無のときと同じ方法で捜してくれ」

 

「いいだろう。だがな、暁」

 

「ん?―――ぐおっ!?」

 

 不意に、古城の額に激痛が走り、彼は仰向けに転倒した。頭蓋骨が陥没しかねない一撃を、那月からもらったからだ。

 那月は、ふん、と不機嫌な表情で鼻を鳴らし、

 

「おまえは今日一日どれだけ私をちゃん付けすれば気が済むんだ!?私をちゃん付けで呼ぶな!」

 

 痛む額を押さえた古城は、天井を見上げて弱々しく呟く。

 

「くそ………体罰反対………だぜ」

 

 ぶつぶつ何かを言う古城を、那月は冷ややかに見下ろしたのち、雪菜の方に目を向ける。

 

「―――そういうことだから、転校生も構わないな?」

 

「え?あ、はい。よろしくお願いします、南宮先生。………ですが、その前に一つ、いいですか?」

 

「なんだ?」

 

 那月が聞き返すと、雪菜は古城の下へ歩み寄り、

 

「先輩」

 

「ん、姫柊?どうし―――」

 

 古城が、雪菜の方へ振り向くと、雪菜がいつの間にかギターケースから取り出していた銀の槍の、その刃を自分の首筋に押し当ていた。

 それから雪菜は、スッと音もなく槍を引いて、自分の首筋を薄く切り裂いた。

 

「は?なにやってんだ姫柊?」

 

「先輩。わたしの血を………吸ってください」

 

「え?なんで!?」

 

 唐突な雪菜の申し出に、戸惑う古城。正直、雪菜の意図が古城には解らなかった。

 雪菜は、溜め息混じりに古城を見返して、

 

「まさか先輩、眷獣なしで彼らに挑むつもりだったんですか?」

 

「うっ………けど仕方ないだろ!第四真祖のことを知ったところで、俺には従える眷獣は一体もいねえんだから」

 

 子供のように拗ねる古城。約束通り姫乃から第四真祖の情報を聞くことができたが、眷獣(彼女)たちが古城を認めることはなかった。

 傀儡されている振りをしていた姫乃と、古城は一戦交えたことで、〝 番目〟が彼女の魔力に警戒して覚醒の兆しを見せようとしていた。が、魔力による攻撃を古城は受けなかったからか、暴走も、〝 〟の魔力を放出させることすらできていない。

 古城にとっても、〝 番目〟にとっても、中途半端なもどかしい状況にある。〝 番目〟は、数ヵ月ぶりに天敵たる姫乃(ドラゴン)の魔力を感じ取って、暴れてやりたい衝動に駆られた。けど、吸血童貞の古城に力を貸すのは癪だと思い、暴れたい気持ちを抑え、今も大人しくしている。

 古城もまた、せっかく眷獣(彼女)たちのことを知れたというのに、使役してやれない自分の不甲斐なさに苛立ちを感じていた。

 勿論、どうすれば眷獣(彼女)たちを使役できるか、その方法は姫乃から聞いている。しかし、その方法は―――

 

「ですから、わたしの血を吸ってください。空無さんは、第四真祖の眷獣を覚醒させるには、強力な霊媒が必要だと言ってました」

 

「ああ。だけど、姫柊はいいのか?姫柊は、俺を監視し、危険と判断したら抹殺するようにと、獅子王機関(アイツら)が派遣した仮採用(見習い)の攻魔師なんだろ」

 

「はい。ですが今回の場合(ケース)は仕方がないと思います。相手は〝聖書の神〟から強大な力を与えられていますし、さらにはその〝神〟は、獅子王機関(我々)がどうすることもできなかった〝混沌の龍姫〟を斃し得る状況まで追い詰めていますから」

 

 そうだな、と雪菜の意見に賛同する古城。今回の件は穏やかではない。何せ異界に棲まう〝神〟が関わっている。姫乃を殺す(滅ぼす)ために。

 その姫乃を助けるためには、眷獣が、強大な力が必要だ。直接〝神〟に挑むわけではないが、その〝神〟の加護を受けている彼らを倒すのは容易ではない。

 彼らを倒し〝禁書〟を破壊するには、雪菜や那月の力だけでは厳しい。古城の、第四真祖の眷獣が必要なのだ。

 

「………本当にいいのか?姫柊は俺なんかの為に血をくれて。後悔しないか?」

 

「はい。私は平気です。それに先輩は、あのとき私を助けてくれましたから。そのお礼と思ってください」

 

 雪菜はそう言って微笑む。たしかにあの時、古城が駆けつけなかったら、今の雪菜は存在しなかっただろう。

 だが、その救った者の血を吸うのはどうか。それに万が一、血を吸って彼女を〝血の従者〟にしてしまったら元も子も無い。

 古城のそんな葛藤を別の意味で捉えた雪菜は、あっ、と思い出したように呟き、

 

「このままじゃ先輩の吸血衝動は引き出せませんでしたね」

 

「は?」

 

 雪菜の発言に古城が間の抜けた声を洩らす。雪菜は気にせず唐突にボタンを外して胸元をはだける。

 白い肌と細い鎖骨。そしてほっそりとした首筋が露になる。

 それを見た古城はぎょっと目を剥いて驚愕した。

 

「ちょっと待て姫柊!いきなり何やってるんだよ!?」

 

「何やってるって、それは先輩が血を吸いやすいようにしているだけです」

 

「はあ!?俺はまだ血を吸うとは一言も」

 

「早くしてください!先輩は空無さんが死んでもいいんですか!?彼女は今は先輩の従者なんですよ!助けないつもりですか!?」

 

 ぐっ、と言葉が詰まる古城。雪菜の血を吸いたくはないが、姫乃は助けたい。何故なら姫乃は古城の一日従者中なのだ。

 勿論理由はそれだけではなく、ちゃんと更正してくればいい子になってくれる気がするし、友達にだってなれる。

 それに雪菜のあられもない姿を目の当たりにしている古城は………限界だった。

 古城は唐突に雪菜を抱き寄せて、

 

「本当にいいんだな、姫柊」

 

「………はい。私は平気です。覚悟は決めていますから」

 

 雪菜は口でそう言うものの、いざ吸血鬼に吸われるとなると恐怖で体が震えてしまう。

 古城は、無理しやがって、と苦笑する。だが雪菜の覚悟を無下にするわけにはいかないし、既に発症している吸血衝動は抑えられない。

 古城は口を開けて牙を、雪菜の首筋に突き立てた。

 

「あ、痛………先ぱ………い………」

 

 雪菜はきつく目を閉じてその痛みに耐える。雪菜の唇から弱々しい吐息が洩れる。

 やがて古城の腕に抱かれた雪菜の身体から力が抜けていく。

 暫くして吸血を終えた古城は牙を抜き取り、ぐったりとした雪菜の体を支える。

 相手が神の加護を受けているからということで血を吸いすぎてしまった古城は、気を失っている雪菜を申し訳なさそうに見つめる。

 そんな古城の背を、那月が不機嫌な顔で睨み、

 

「教師の面前で吸血行為とはいい度胸だな暁」

 

「は?し、仕方ねえだろ!必要な事だったんだからさ!」

 

 雪菜を抱きかかえたまま那月に振り返り叫ぶ古城。

 那月は、ふん、と鼻を鳴らすと、虚空から黒鎖〝飢餓の呪鎖(ニーズヘッグ)〟を出現させた。

 

「まあいい。取り敢えず転校生の乱れた服を直せ暁。それからすぐにやつらの下へ向かうぞ」

 

「あ、ああ―――って俺が直すのかよ!?直してる途中に姫柊が起きたら完全に変態扱いされるんだが!?」

 

「いいから早くしろアホツキ。もたもたしている間に姫乃がやられたなんてことがあったら、私は貴様を許さんからな」

 

「アカツキだ!畜生………やればいいんだろ!」

 

 古城はなくなく雪菜の乱れた服を直した。運よく雪菜は目を覚ますことはなかったが。

 それから古城は、雪菜をお姫様抱っこしたまま、那月と共にオイスタッハ達の下へ急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 場所は変わり、太平洋のど真ん中。

 姫乃は海上にいた。彼女の着ている漆黒の姫ドレスは所々切り裂かれており、肩やら腹、太腿などが露になっている。

 唯一神(ヤハウェ)は上空にいた。姫乃と違って無傷で、右手には光り輝く剣が握られている。

 その唯一神は、海上にいる姫乃を見下ろしてニヤリと笑い、

 

「いい恰好だなレヴィアタンよ。見えそうで見えないその姿は中々そそるな」

 

「………変態」

 

 唯一神(ロリコン)を無感動に見上げて返す姫乃。見えそうで見えないというけど、着せ替え時にバッチリ見られているはずだが。

 が、彼女の表情に余裕はない。何せこちらの攻撃はまるで歯が立たないからだ。

 逆に唯一神の攻撃をまともに喰らえば致命的なのは確実なのだが、

 

「………どういうつもりヤハウェ(やー君)。嬲り殺すんじゃなかった?」

 

 姫乃は服を切られているものの、致命傷は負っていない。軽い切り傷程度しか負っていないのだ。

 それを不可解に思った姫乃が唯一神に問うと、唯一神はクックッと笑い、

 

「安心しろ。貴様の事はちゃんと嬲り殺してやる。今はまだ皮のみで押さえてるだけだ」

 

「………?じわじわと殺る派?」

 

「うむ!ただし相手は幼女(ロリ)限定だがな!他は無論瞬殺してやるぞ!」

 

「………そう」

 

 姫乃は唯一神を冷たい眼差しで見つめる。

 だがそれを聞いて安心した。彼がすぐに自分を殺すつもりがないなら、時間を稼いで古城達が〝禁書〟を破壊してくれるのを待てばいい。

 そうすれば力は戻り、形勢は逆転。力を取り戻した自分に、唯一神は勝てないのだから。

 そんな姫乃の考えを読み取った神は凶悪な笑みを浮かべた。

 

「そうかそうか。(オレ)が貴様をすぐに殺さないから安堵しているんだな」

 

「………ッ!」

 

「だが安堵するのはまだ早いぞ?次、(オレ)が斬るのは」

 

 そう言って唯一神の姿が一瞬で消える。

 姫乃は警戒して周囲に意識を集中―――ザシュ。

 

「………ッ!!?」

 

 しかし集中したところで今の彼女では唯一神の動きを捉えることは出来なかった。

 左の脇腹を斬り裂かれた姫乃は、激痛の余りその場で片膝を突く。

 その彼女の背後には、彼女の血で濡れた光剣を握る唯一神の姿があった。

 唯一神は光剣の切っ先を姫乃に向けて告げた。

 

「―――貴様の肉だからな」

 

「……………!」

 

 皮の次は肉。ならば次は骨を断ちにくるだろう。そして最期は―――心臓か。

 姫乃は冷や汗を掻きながら唯一神から距離を取る。留まっては危険だと予感したからだ。

 その予感は的中する。姫乃のいた所に唯一神の光剣が奔り―――海面を深々と抉り取った。

 もしあそこに留まっていたら、致命傷は確実だっただろう。

 

「―――ハッ!!」

 

 姫乃は嫌な汗を掻きながらも、反撃に出る。海面に着地したと同時に両手を上げた。

 

「………む?」

 

 するといつの間に仕掛けていたのか、唯一神の周りに無数の水色の魔法陣が展開し、海水が彼を覆い隠し巨大な水球の中に閉じ込めた。

 唯一神は、ほう、と感心するなか、突如眼前に現れた巨大な怪物の顎に目を細める。

 

「レヴィアタン、最大出力ッ!!」

 

 怪物の顎もといレヴィアタンは巨大な口を開くと、唯一神に向かって特大の気焔(ブレス)を撃ち放った。

 この一撃はスヘルデ研究所の時に見せたものとは比べ物にならない高熱量で、周りの大気も海水も抉りながら突き進む。

 が、唯一神は姫乃の全力を見据えると、光剣を斜めに振り抜いた。

 そして、レヴィアタンの最大出力である気焔(ブレス)を袈裟斬りにして、

 

「………うっ!?」

 

 レヴィアタンの顎ごと姫乃の右肩を深々と斬り裂いた。レヴィアタンにはあらゆる武器を跳ね返す能力があるが、光の斬撃にたいしては意味がない。

 ………いや、レヴィアタンの創造主たる唯一神の一撃故に防げなかったと見るべきだろう。

 姫乃は斬られた右肩を押さえながら唯一神を睨む。まさかここまで実力差があるとは思いもしなかった。

 唯一神はクックッと笑いながら悠然と姫乃に近づいてくる。

 

「いい加減に理解しろ。今の貴様では(オレ)に傷一つつけられんことをな」

 

「……………」

 

「大人しく(オレ)に捕まれ。そしたら楽に死なせてやるぞ」

 

「………断る」

 

 姫乃は唯一神の提案を断る。苦も楽も死ぬのが確定なら断るのは当然な選択だろう。

 その返答に唯一神は、そうか、と姫乃を憐れみの目で見つめ、

 

「それは残念だ。ならば思う存分―――嬲るとしようか!」

 

 そう告げた唯一神は腕を振るう。姫乃は嫌な予感がしてその場から跳び退く。

 すると次の瞬間、姫乃がいた場所に雷霆が降り注いだ。もし跳び退かなかったら雷霆の餌食になっていただろう。

 しかし姫乃が跳び退く瞬間こそ、唯一神の狙いだった。

 

「フンッ!」

 

「―――――ッ!!」

 

 跳び退いた姫乃の眼前に一瞬で現れた唯一神は、彼女の胸倉を掴むと、後ろの壁に叩きつけた。

 その壁はただの壁ではなく―――十字架だった。

 何故こんな所に十字架があるのか。すぐにそれは唯一神の仕業だと理解する姫乃。

 けど、何故こんな所に十字架を出現させたのか、その理由までは理解出来なかった。

 姫乃はその理由を考えるよりも先に、どうやって唯一神の手から逃れるか考え始める。

 そうしているなか、唯一神は空いている方の手で指を鳴らした。

 

「………え!?」

 

 するとその刹那、姫乃の首・両手首・両足首に黄金の枷が出現して彼女につけられた。

 身動きを封じられて驚く姫乃は、すぐさま枷を力任せに破壊しようと試みるが、微動だにしない。

 その上、この枷はただ捕縛するためのものではないようで、

 

「………!?力が………入ら、ない………!?」

 

 そう。どういう原理かは兎も角、姫乃の身動きを封じるだけでなく力も封じ込めたようだ。

 力が入らず姫乃の両手両足がだらしなく垂れ下がる。そんな様子を唯一神は満足げに笑いながら眺めて、姫乃を離して少し距離を取った。

 それから唯一神は光剣を手の中から消すと、代わりに光の槍が手の中に出現する。

 その槍を姫乃に向けた唯一神は、獰猛な笑みを浮かべて言った。

 

「さて、ゲームといこうか。これから一分ごとにこの神の槍で貴様の体を順番に刺していく。我が神槍が貴様の心の臓を串刺しにするのが先か。我が〝禁書〟が破壊されるのが先か。どちらが先か、愉しい愉しいゲームをな」

 

「……………ッ!」

 

 姫乃はゾッと背筋に悪寒が走った。目の前の神は、本気で自分を嬲り殺すつもりなのだと。

 その神は、十字架に磔にされた姫乃に向かって、両手を広げて告げるのだった。

 

「さあ、串刺しの刑を執行しようか!」

 

 

 

 

 

 場所は変わり、海面下二百二十メートル―――キーストーンゲート最下層。

 そこには二つの影があった。

 一つは法衣を纏った金髪の大男、ロタリンギア殱教師ルードルフ・オイスタッハ。

 もう一つは藍色の長髪と薄水色の瞳の少女、人工生命体(ホムンクルス)アスタルテ。

 アスタルテが大事そうに抱きかかえているのは一冊の分厚い本―――即ち唯一神の〝禁書〟というものだ。

 彼らが誰とも接触することなくここに来れているのは、唯一神の力であり、この空間に跳んで来たからである。

 そして、彼らが、もといオイスタッハがここに来た理由は、とあるモノを奪還するためだった。

 それはロタリンギアの聖堂より簒奪された不朽体―――聖遺物と呼ばれるものだ。

 この聖遺物は、西欧教会の〝神〟、即ち唯一神に仕えた聖人の遺体。その遺体の一部の〝腕〟だ。

 これは神の聖性が現世に顕現するための依代であり、それ故に人々の信仰の対象となる。強い聖性を帯びたその遺体は決して腐ることがなく、様々な奇跡を引き起こすという。

 そう。奇跡を引き起こせる。だからこの聖遺物は奪われてしまったのだ。とある計画のために。

 それがこの都市、絃神島設計だった。

 四十年以上も前。レイライン―――東洋でいう龍脈が通る海洋上に、人工の浮き島を建設して新たな都市を築く。それは当時としては画期的な発想だった。

 龍脈が流し込む霊力は住民の活力へと繋がり、都市を繁栄へと導くだろうと誰もが考えたが、建設は難航した。海洋を流れる剥き出しの龍脈の力は、人々の予想を遥かに超えていたために。

 都市の設計者、絃神千羅という男は東西南北―――四つに分割した人工島(ギガフロート)を風水でいうところの四神に見立て、それらを有機的に結合することで龍脈を制御しようとした。が、それでも解決出来ない問題が一つだけ残った。

 それが要石の強度だ。千羅の設計では、島の中央に四神の長たる黄龍が―――連結部の要諦となる要石(キーストーン)が必要だった。が、当時の技術では、それに耐えうる強度の建材を作り出すことが出来なかった。

 故に千羅は許されざる忌まわしき邪法に手を染めた。供犠建材。人柱。建造物の強度を増すために、生きた人間を贄として捧げる邪法に。

 しかし龍脈とは自然界の気の流れであり、その荒々しい力は、人工島の連結部に過大な負担を及ぼす。それを受け止める要石の役目には、生半可な呪術では耐えられない。神の奇跡に匹敵するだけの力がなければ。

 その贄として千羅が選んだのが、オイスタッハ達の聖堂より簒奪した尊き聖人の遺体だった。

 そして何より、魔族達が跳梁する島の土台として、オイスタッハ達の信仰を踏みにじる所業。決して許せるものではない。

 そんな怒りと悲しみの声を聞いた唯一神は、オイスタッハ達に協力することにした。が、勿論ただで神が人間の願いを叶えたりはしない。

 唯一神は、オイスタッハ達の願いを叶える代わりにあるノルマを与えた。それは―――

 

 

(オレ)終末兵器(ウロボロス)を始末するまで、この〝禁書(ホン)〟を護りきれ』

 

 

 ―――というものだった。

 正直、唯一神が〝禁書〟を護りながら姫乃と戦い、彼女を始末する方が確実だと思う。そうせず、敢えてオイスタッハ達に〝禁書〟を託したのは、神として彼らを試しているのだろう。

 ならば、我らの主の試練、見事乗り越えてみせましょう!とオイスタッハは強気で返した。

 それを聞いた唯一神は満足したのち、妻もといアスタルテに〝禁書〟を託し今に至る。

 

「……………」

 

 オイスタッハは黄金の戦斧を片手にアスタルテを見守る。否、彼女の持つ〝禁書〟の方をだが。

 アスタルテもまた抱えている〝禁書〟をじっと見下ろしている。その彼女は、何時でも調整が完了した人工眷獣〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟を召喚出来るように身構えていた。

 唯一神が姫乃の始末を完了するまで、目の前にある聖遺物は取り返すことは出来ない。オイスタッハにとっては非常にもどかしい状況だが、神との誓約は破るわけにはいかないのだ。西欧教会の者として。

 一方のアスタルテは、別段教会の者ではないが、創造主(マスター)たるオイスタッハの言うことは絶対だ。それ故に彼女も動こうとはしない。

 暫しの間は静寂が続いていたが、途端に何かが駆けるような音が聞こえてきて、

 

「―――見つけたぜ、オッサンッ!!」

 

 現れたのはフードがなくなった白いパーカーを着た少年、〝第四真祖〟暁古城。

 それに続いて黒鎖〝飢餓の呪鎖(ニーズヘッグ)〟を動かしてオイスタッハ達の居場所を突き止めた豪華なドレスの少女、〝空隙の魔女〟南宮那月。

 そして最後に、どっかの誰かさんに沢山血を吸われてやや貧血気味ではあるが、戦える意思を見せる制服姿の少女、〝メトセラの末裔〟姫柊雪菜。

 そんな彼らの登場に眉を顰めるも、迎え撃つべく黄金の戦斧を振り上げ肩に担ぐオイスタッハ。

 そんな彼の背に護られているアスタルテは、破壊されまいと〝禁書〟を抱く力を強める。

 再び相見えた彼らだが、その戦いは、恐らく最終決戦となるだろう。

 しかし、古城達がオイスタッハ達の下に辿り着いた時には、もう既に姫乃の串刺しの刑が執行されているのだった。

 

 唯一神が姫乃殺害完了まで、残り十分を切っているのだから………




唯一神に捕まり串刺し刑が執行され絶体絶命の姫乃。
そんななか、古城達は〝禁書〟を破壊するために奮戦するが………
そして明かされる姫乃の正体とは………


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聖者の右腕 拾壱

また一巻完結出来ませんでした、すみません………

姫乃は登場しません、古城達の活躍回です。


 時を少し遡り、那月の黒鎖〝飢餓の呪鎖(ニーズヘッグ)〟がオイスタッハ達の魔力を感知し、先を行く(ソレ)を古城達が追いかけて数十分。行き着いた場所は、キーストーンゲートと呼ばれる、絃神島の中央に位置する巨大複合建造物だった。

 何故こんな場所に彼らが向かったのか、古城達には理解出来ない。

 何せこの巨大建造物には重要な役割がある。

 それは十二階建ての地上部の方ではなく、海面下四十階にも及ぶ方の、人工島(ギガフロート)集中管理施設だった。

 直径僅か二キロメートルに満たないこの建物は、絃神島を構成する四基の人工島の連結部をも兼ねているのだ。

 海流や波風などの影響で発生する人工島間の歪みや振動は、このキーストーンゲートによって吸収される。その働きがなければ絃神島の四つの地区はたちまち激突、或いは分解して、洋上を漂うことになるだろう。

 そんな要石(キーストーン)の名に相応しい重要な施設に、オイスタッハ達は一体どんな目的があって来たというのか。

 ………まさか、絃神島を崩壊させるのが彼らの狙いではないか。

 不吉な予感がした古城は急いでキーストーンゲートの中へ突入しようとし、

 

「待て、暁」

 

 那月に制された。

 古城は那月を睨んで、

 

「何だよ那月ちゃん!」

 

「………入り口に罠のようなものが仕掛けられている」

 

「は?罠?」

 

 古城が聞き返すと、那月は首肯した。

 

「この中に入った瞬間、別の空間に跳ばされる仕掛けになっているようだな」

 

「え?そんなことが分かるのか那月ちゃん!」

 

「ああ。空間制御は私の専門分野だからな。そして魔女以外でこんな芸当が出来る奴は、殱教師でも人工生命体(ホムンクルス)でもない」

 

「………!あの金髪ローブ野郎の仕業か!」

 

 そう。今回の出来事に関わっている〝空隙の魔女〟の異名を持つ那月以外で空間に干渉出来る相手は二人だけ。

 味方であるメイドラゴンの姫乃を除けば、唯一神ぐらいしか有り得ないのだ。

 古城は思わぬ妨害に歯を鳴らす。

 

「畜生!あと少しでオッサンたちのところに行けたっていうのに、ここで足止めを食らうのかよ………!」

 

「いや待て。まだ罠と決まったわけでは―――」

 

 ない、と言う前に那月の言葉を、少女の声が遮った。

 

「―――つまり、その術式を破壊すればいいんですね」

 

「え?」

 

 古城は声がする、眼下に目を向けた。

 するとそこには、頬を赤らめて見つめ返してきた雪菜の姿があった。

 

「………姫柊?」

 

「はい、なんですか?」

 

「もう起きて平気なのか?」

 

「はい、問題ありません。ですが、その………降ろしてほしいです」

 

 恥ずかしそうにそう言ってくる雪菜に、古城は、降ろす?と一瞬疑問に思ったが、雪菜をお姫様抱っこしていることを思い出し、

 

「わ、悪い」

 

「いえ。わたしは大丈夫です」

 

 古城は慌てて雪菜を降ろす。雪菜は顔を赤く染めたまま服を正す。

 雪菜は、古城が背負っているギターケースを受け取ると、そこから銀の槍〝雪霞狼〟を引き抜き展開する。

 銀槍を手にした雪菜は、那月に振り返って訊いた。

 

「南宮先生。仕掛けられている空間制御の術式は、あの入り口であってるんですね?」

 

「ああ。だが転校生のその槍〝七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)〟とはいえ唯一神の力を無効に出来るとは思えん」

 

「そうですね。ですが通じるかどうかなんて、やってみなきゃ分かりません!」

 

 そう言って雪菜は、入り口付近に仕掛けられた術式を破壊するために槍を一閃させた。

 

「〝雪霞狼〟!」

 

 しかし雪菜の槍は、唯一神の力を切り裂くことは敵わず、バチン!と弾かれてしまった。

 

「―――くっ!」

 

 弾かれた反動で雪菜は吹き飛ばされるが、受け身をとって何事もなく起き上がった。

 が、雪菜の槍が通用しなかったということは、これより先に進むことが出来ないことを意味していた。

 古城が、くそ、と悔しそうな顔で地面を殴りつける。このままでは本当に姫乃が殺されてしまう。

 雪菜は諦めずもう一度槍で術式を切り裂こうとするが、また弾かれる。

 弾かれては切りかかり、また弾かれてはまた切りかかる。無謀だと分かっていても止めようとしない雪菜。

 一方の那月は、唯一神の仕掛けた転移先を割り出し絶句した。

 

「………転移先が、島の外だと!?」

 

 そう。もしあのままキーストーンゲート内に侵入していたら、絃神島から弾き出されていたのだ。

 それを聞いて古城もぎょっと目を剥いて驚愕する。

 

「島の外って、マジかよ!?」

 

「ああ、本当だ。しかも最悪なことに入り口だけでなく、この建物全体に仕掛けられている。私の魔術で転移したところで、結果は同じだ」

 

「そんな………それじゃあ空無さんを助けることが出来ないじゃないですか!」

 

 雪菜が悲痛の叫び声を上げる。古城は拳を固く握り締め、那月は静かに目を閉じる。

 唯一神が何の準備もなく姫乃を斃しに来るわけがなかったのだ。オイスタッハ達の身の安全を確保してからに決まっている。

 完全に詰んでしまった古城達は、侵入の隙がないキーストーンゲートを睨みつける。

 そんな古城達の背後に、突如人の気配がしてハッと振り返る。

 するとそこにいたのは、黒いフードを深く被った小柄な子供だった。

 場違いな登場人物に古城は、は?と目を瞬かせる。

 

「………おいあんた、子供がこんなところで何してるんだ?」

 

「……………」

 

 しかし古城の質問に黒フードの子供は応えない。

 代わりに黒フードの子供は口を開いて、

 

「助けたい?」

 

「え?」

 

「あの子………〝エータ〟を」

 

「は?〝エータ〟って、誰のことだ?」

 

「オマエたちが〝空無姫乃〟と呼んでいるNo.8のウロボロスのこと」

 

「………なっ」

 

 黒フードの子供の衝撃的な発言に、古城達は唖然とした。

エータ(η)〟?No.8のウロボロス?それが姫乃だというのか。

 そんなことを言う黒フードの、声を聞くからに少女か。那月は彼女の胸倉を掴み睨む。

 

「貴様、何をデタラメなことを言うんだ。姫乃が偽者だとでも―――」

 

 言う気か、と言葉が続かなかった。激しく揺さぶった時に少女の黒フードが頭から外れてしまったからだ。

 そして露になった少女の、姫乃と全く同じ顔の、黒髪紅眼の童顔を見たことによって。

 

「嘘、だろ………?」

 

「空無さんと………同じ顔!?」

 

 古城と雪菜も驚きの光景を目にして言葉を失う。

 目の前の姫乃とそっくりの少女は、素顔を知られても特に動揺せず自己紹介をした。

 

「ワタシの名は〝イプシロン〟。No.5のウロボロス」

 

「〝イプシロン〟………No.5のウロボロスだと!?」

 

イプシロン(ε)〟と名乗った少女の正体に驚きを隠せない那月。

〝イプシロン〟はそんな彼らを無感動な瞳で見つめ言う。

 

「ワタシたちは本体のウロボロス、即ち〝ミデン(0)〟に生み出された分身体。故に死んだところで〝ミデン〟が消滅することはない」

 

「……………」

 

「〝イプシロン〟であるワタシが死のうとも、オマエたちが〝空無姫乃〟と呼んでいる〝エータ〟が死のうとも。〝ミデン〟は平気」

 

 淡々と言葉を紡ぐ〝イプシロン〟。そんな彼女は古城達を見回して再度問う。

 

「〝エータ〟は、〝空無姫乃〟は本体の、〝ミデン〟の分身体でしかない存在。それでもオマエたちは、あの子を助けたい?」

 

「当たり前だ!」

 

〝イプシロン〟の問いに古城が即答する。

〝イプシロン〟は驚いたように瞳を見開く。

 

「………どうして?」

 

「どうしても何も、空無が俺達と出会ったウロボロスだからだよ。あいつが偽者だろうが何だろうが関係ねえ!俺はあいつを助けたい………ただそれだけだ」

 

 古城がそう答えると、〝イプシロン〟は驚きを隠せない。

 本体ではない分身体に拘るのは何故なのか、彼女には理解出来ないようだ。

〝イプシロン〟は雪菜と那月に目を向けて、

 

「オマエたちも、〝エータ〟を救いたい………?」

 

「はい。空無さんはワガママですが、命令に忠実な方なので、教育していい子にするのが私の目標ですから」

 

「………え?」

 

 雪菜のずれた回答に困惑の表情を浮かべる〝イプシロン〟。

 そんな彼女に、今度は那月が答えた。

 

「無論だな。姫乃は近い未来、正式に私のメイドラゴンにするからな。こんなところでくたばってもらっては困る」

 

「………そう」

 

 那月の発言にきょとんとする〝イプシロン〟。幾ら分身体だからといって魔女風情の彼女の実力を〝エータ〟が認めるとは思えない。

 しかし古城も、雪菜も、那月も〝エータ〟を救いたいと願うのならば、協力するのは吝かではない。

〝イプシロン〟は古城達の想いを受け止め、コクリと頷いた。

 

「分かった。そこまでして〝エータ〟を救いたいのなら、ワタシが目的地に連れていく」

 

「え?それは本当か!」

 

「うん。〝エータ〟はウロボロスNo.8だから、No.5のワタシにとっては妹のような存在。故にオマエたちに(エータ)の命を任せる」

 

「おう、任された」

 

 力強く頷く古城。雪菜と那月も、これで姫乃を助けられる、と安堵した―――瞬間、

 

「………行ってらっしゃい」

 

〝イプシロン〟はパチンと指を鳴らして古城達をキーストーンゲート最下層へ跳ばした。

 そして今に至る。

 

 

 

 

 

 キーストーンゲート最下層。

〝イプシロン〟の協力を得て無事にオイスタッハ達の下へ辿り着いた古城達。

 強制転移させられないのは、唯一神の力を無効化出来るだけの力が〝イプシロン〟にはあるようだ。

 オイスタッハは、ふむ、と那月を険しい顔で眺め、

 

「あの時は我らの主から与えられたこの力を試したくて周りに目を向けていませんでしたが………よもや魔女の正体は貴女でしたか―――〝空隙の魔女〟」

 

「ふん。だったら何だ?怖くなったから大人しく捕まる気にでもなったか?」

 

 那月がフッと笑いながら訊くと、オイスタッハは首を横に振った。

 

「まさか。如何に魔族殺しの魔女とはいえ、悪魔と契約した我らの主の敵であるに違いありません。そんな貴女に、私が大人しく捕まるとでも?」

 

 黄金の戦斧を掲げて嘲笑うオイスタッハ。

 チッ、と舌打ちした那月は黒鎖を消して古城と雪菜に振り向いた。

 

「殱教師の相手は私がやろう。暁と転校生は人工生命体(ホムンクルス)を押さえろ」

 

「な、那月ちゃん?けど相手は神の力を与えられてるから相性は悪いんじゃ」

 

「何だ暁。私があの殱教師に負けるとでも言いたいのか?」

 

「い、いや、別にそうは言ってないが………」

 

「ふん。相手は魔族との戦闘経験が豊富な祓魔師だぞ。おまえたちには荷が重いと思うがな」

 

 それを言われたら確かにと思う。実際に雪菜が苦戦するほどの強敵だ。ここは魔女である那月が適任なのかもしれない。

 古城は頷いて那月に言った。

 

「分かった。オッサンの相手は任せるぜ那月ちゃん!俺と姫柊で眷獣憑きを倒す」

 

「ああ」

 

 役割を決めた古城達は頷き合い、それぞれの倒すべき相手の前に立ちはだかる。

 しかしオイスタッハは、古城を憐れみの眼差しで見つめ、

 

「第四真祖でありながら、一体も眷獣を扱えない貴方が、我らの主によって新たに齎された強大な眷獣を有するアスタルテに勝つおつもりですか?」

 

「そうだな。あの時の俺だったら、勝ち目がなかっただろうな」

 

 何?と不可解な発言をした古城を、怪訝な瞳で見るオイスタッハ。

 古城は獰猛に笑って右腕を掲げる。するとその腕からは稲妻が迸り、強大な魔力が放出した。

 

「今の俺には()()()の力がある。だから神に与えられた眷獣だろうが何だろうが負けてやる気はねえよ」

 

「………ぬ、」

 

「神と戦闘中のあいつを救うために、〝禁書(それ)〟は破壊させてもらう!行くぜオッサン―――ここから先は、第四真祖(オレ)戦争(ケンカ)だ」

 

 雷光を纏った右腕を掲げたまま吼える古城。

 その隣で寄り添うように銀槍を構えて、雪菜が悪戯っぽく微笑んだ。

 

「いいえ、先輩。わたしたちの戦争(ケンカ)、です―――!」

 

 そんな二人に、ふん、と鼻を鳴らして那月が並び立つ。

 

「姫乃は私のメイドラゴンだぞ。これは私の戦争(ケンカ)だ」

 

 

 

 

 

 最初に動いたのは那月だ。虚空から無数の銀鎖〝戒めの鎖(レージング)〟を撃ち放ち、オイスタッハを搦め捕ろうとする。

 が、オイスタッハは、那月の銀鎖を躱そうとはせず、ただ己が持つ金斧を一閃した。

 たったそれだけで天部の遺産たる魔具は呆気なく粉々に砕け散った。

 驚愕の表情を見せる那月に、オイスタッハは豪快に笑う。

 

「無駄です、〝空隙の魔女〟。そんなものでは今の私を捕らえることは出来ませんよ!」

 

「チッ、この鎖はまがりなりにも神々が鍛えたものなんだが………神の力が相手では通じないか」

 

 オイスタッハの金斧の一撃を避けながら舌打ちする那月。

 唯一神が与えた力は伊達じゃないらしい。恐らく黄金の錨鎖〝呪いの縛鎖(ドローミ)〟を以てしても、あの金斧に打ち勝つのは無理だろう。

 そう。金斧()()。那月は、オイスタッハ本人の力が強化されているわけではないことを見抜くと―――彼目掛けて一直線に駆け出した。

 オイスタッハは、そんな憐れな魔女を真っ二つに斬りさかんと金斧を縦に一閃する。が、

 

「………む!」

 

 那月は一歩左に動いただけで躱してみせた。

 そしてそのままオイスタッハの懐に飛び込み、

 

「フッ―――!」

 

「ぐっ!?」

 

 掌底………ではなく、それはハッタリ。本命は至近距離からの不可視の衝撃波。

 至近距離から不可視の衝撃波をオイスタッハの腹部に叩き込んだ。

 防御も間に合わずまともに喰らったオイスタッハの巨体は吹き飛び、壁に叩きつけられた。

 しかし防御以前に装甲強化服に護られているため、ダメージは少ないようだ。

 起き上がるオイスタッハを見つめ、チッと那月は舌打ちする。

 

「流石に防具は壊れないか。戦斧には神の力があるから鎖じゃどうにもならん。さあ、どう攻略するべきか」

 

「………ふふ、先程のは防具がなかったら危なかったですが、その程度の攻撃では、我が聖別装甲の防護結界を破ることは敵いませんよ」

 

 那月を嘲笑するオイスタッハ。

 そんな彼を、那月はニヤリと笑って返す。

 

「ああ、そうだな。そういうことなら―――こいつはどうだ?」

 

 そう言って那月は、虚空から一本の金鎖〝呪いの縛鎖〟を撃ち出す。

 砲弾の如き勢いで迫る金鎖を、オイスタッハは鼻で笑い、

 

「無駄だというのが、分からないのですか?」

 

 金斧を振るって〝呪いの縛鎖〟に叩きつけて斬り裂き跡形もなく粉砕する。

 オイスタッハは笑いながら那月を見るが、彼女の表情は笑みを浮かべたままだ。

 オイスタッハがそれを不可解に思った瞬間、

 

「―――ガッ!?」

 

 彼の視界が、ぐらりと揺れた。苦痛も衝撃もないが、酩酊したように平衡感覚が失われる。

 オイスタッハは即座に、空間制御の魔術によって脳を直接揺さぶられたのだと直感した。

〝呪いの縛鎖〟による攻撃は囮。本命は脳を揺らして意識を刈り取ることだったのだ。

 完全に油断した。装甲で護られていない頭など、格好の標的だということを。

〝空隙の魔女〟には、相手の体の内部に魔術を仕掛けることが可能だということを。

 

「油断したな、殱教師。貴様の戦斧(オノ)相手に鎖が通じないことは織り込み済みだ。囮の攻撃に引っかかったのと、神の力に頼りすぎた貴様の敗けだ」

 

 那月は、ほくそ笑むとオイスタッハに向けて虚空から無数の銀鎖を撃ち出す。

 それらをオイスタッハは、遠のきかけた意識を気合いでつなぎ止めると、今出せる全力で後方に跳び間一髪で回避した。

 最後の悪足掻きをしたオイスタッハを、感心したように那月が見つめる。

 

「ほう、よく躱した。だが、これで終わりだな」

 

「………ッ!」

 

 那月は、オイスタッハの周囲の虚空から無数の銀鎖を撃ち出す。

 流石の彼も、これらは躱せないと踏み、だがしかし、捕まるものかと、やぶれかぶれに金斧を振り回した。

 その滅茶苦茶な金斧の攻撃は、約半数の銀鎖を断ち斬り、粉々に砕いたが、残り半数の銀鎖がオイスタッハの全身を搦め捕り、決着がついた。

 戦闘を始めて僅か一分弱で、那月とオイスタッハの戦いは、那月に軍配が上がった。

 が、オイスタッハが敗北しようとも、アスタルテの動きが止まるわけではない。

 アスタルテの主は、オイスタッハと唯一神の二人なのだから。

 那月は、苦戦を強いられている古城と雪菜を眺め、ぼそりと呟くのだった。

 

「………そっちは任せたぞ、暁、転校生」

 

 

 

 

 

 少し遡り、戦闘開始と同時に動きを見せた那月。その彼女に続くように飛び出したのは、雪菜だった。

 銀の槍〝雪霞狼〟を片手に先制攻撃を仕掛けた雪菜は、アスタルテが大事そうに抱えている〝禁書〟に銀槍を突き立てようとする。

 その突きをアスタルテは無感動な瞳で見据えると、口を開いて眷獣を召喚した。

 

執行せよ(エクスキュート)、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 その瞬間、アスタルテを護るように二本の虹色の巨大な腕が()()より出現して、雪菜の銀槍を受け止めた。

 そう。本来は眷獣で防ぐことさえ出来ない一撃なのだが、それを〝薔薇の指先〟の巨腕が受け止めたのだ。

 

「〝雪霞狼〟が………止められた!?」

 

 あらゆる結界を切り裂く〝神格振動波駆動術式(DOE)〟。それは如何なる魔力、眷獣であっても防げるはずがないのに。

 防げるはずがないのに、アスタルテの〝薔薇の指先〟は受け止めている。防いでいる。

 これは一体どういうことか。雪菜はその理由を解明すべく一旦距離を取り、アスタルテの眷獣〝薔薇の指先〟の巨腕を凝視し、ハッと異変に気がついた。

 よく見たら〝薔薇の指先〟の巨腕は、青白い輝きを纏っているではないか。

 

「ま、まさか………〝雪霞狼〟と同じ能力!?」

 

「肯定」

 

 那月と戦闘中のオイスタッハに代わり、アスタルテが応える。

 そんな………と雪菜が項垂れる。自分のせいで敵を強くしてしまったと後悔する。

 古城は、雪菜の肩を叩いて励ます。

 

「そんなこと気にするなって。どのみちオッサンたちには神がついてるんだ、姫柊の力を模倣されんのだって時間の問題だよ」

 

「先輩………はい、ありがとうございます。そう言っていただけて、心が救われました」

 

「そっか。それはよかった」

 

 古城は、正気を取り戻した雪菜を見て、ホッと胸を撫で下ろす。

 それから古城は、雪菜を庇うように前に出てきて、

 

「悪いな。俺たちは一刻も早く〝禁書(それ)〟を破壊しなきゃならねえんだ。だから、死ぬなよ、眷獣憑き!」

 

「………ッ!?」

 

 アスタルテは、危険な予感がして咄嗟に身構える。

 古城は、アスタルテに向けて右腕を突き出す。その腕から、鮮血が噴いた。

 

「〝焔光の夜伯(カレイドブラッド)〟の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ―――!」

 

 その鮮血が、輝く雷光へと変わる。先程放出した稲妻以上が発生し、膨大な光と熱量、衝撃を生み出す。

 それはやがて凝縮し巨大な獣の姿をした。

 

()()()()、五番目の眷獣〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟―――!」

 

 出現したのは、雷光の獅子。戦車程もある巨体は、荒れ狂う雷の魔力の塊。

 その全身は目が眩むような輝きを放ち、その咆哮は雷鳴のように大気を震わせる。

 雪菜の血を、強力な霊媒の血を大量に飲んだからか、〝獅子の黄金〟がやる気満々のようだ。

 早く暴れさせろ、と〝獅子の黄金〟が古城に目で訴えかけてくる。

 古城は、ああ、と頷き、己の眷獣に命令を出す。

 

「頼む、五番目(ペンプトス)。〝禁書(あれ)〟を破壊してくれ!」

 

 古城の命令を聞いた五番目もとい〝獅子の黄金〟は、一本の巨大な雷と化して〝禁書〟をアスタルテごと貫こうとした。

 アスタルテは、古城の眷獣に匹敵する眷獣を召喚することで迎え撃った。

 

「お願いします―――〝ベヒモス〟」

 

 アスタルテの声に応えて〝獅子の黄金〟よりも巨大な眷獣が姿を現す。

 サイとカバを融合したようなもので、杉の枝のようにしなやかな尾、青銅と鋼鉄の骨格、巨大な腹を持つ獣だ。

 ベヒモス。それは『旧約聖書』に登場する陸の怪物ないし怪獣。一説には豊穣の象徴(シンボル)であり、また悪魔と見なされることもある。

『旧約聖書』の内容から転じて、〝暴飲暴食〟を司り、ひいては〝貪欲〟を象徴する。レヴィアタンが〝嫉妬〟を対応してるため、ベヒモスが〝暴食〟或いは〝強欲〟に対応しているかのように説明されることがあるがこれは誤りであり、七つの大罪とは関係がない。

 唯一神が天地創造の五日目に造り出した存在で、同じく唯一神に造られ海に棲むレヴィアタンと二頭一対を成すとされる。空に棲む〝  〟を合わせて三頭一対とされることもある。

 レヴィアタンが最強の生物と記されるのに対し、ベヒモスは唯一神の傑作と記され、完璧な獣とされる。

 その〝ベヒモス〟が真正面から〝獅子の黄金〟の雷撃を受け止めた。

 それを見た古城は、ぎょっと目を剥く。

 

「な、マジかよおい!?」

 

 古城の、第四真祖の眷獣の一撃を、アスタルテの眷獣〝ベヒモス〟が防いだ。それは即ち、この〝ベヒモス〟は真祖の眷獣に匹敵するということを意味していた。流石は唯一神の被造物といえよう。

 しかし古城の眷獣も負けてはいなかった。体格差があるのに、〝獅子の黄金〟は〝ベヒモス〟を少しずつ押し返している。世界最強の吸血鬼の眷獣は伊達じゃないらしい。

 いける!古城がそう思ったその刹那、

 

「………え?」

 

 ガクン、と古城の膝が折れてそのまま地面に片膝を突いた。

 古城の、まるで急に力が抜けたような倒れ方に雪菜は驚きの声を上げる。

 

「せ、先輩!?」

 

 古城の傍に駆け寄り心配そうに見つめる雪菜。

 古城は、大丈夫だ、と彼女を右手で制し、

 

「俺があのデカブツを押さえてるうちに、姫柊は〝禁書(あれ)〟を破壊してくれ!長くは持ちそうにねえからな………!」

 

「………!わかりました、やってみます」

 

 雪菜は頷くと、古城から離れて祝詞を紡ぎ始めた。

 

「―――獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る」

 

 雪菜が祝詞を紡ぎ始めたと同時に、〝ベヒモス〟が〝獅子の黄金〟に喰らいついた。

 そして〝ベヒモス〟は〝獅子の黄金〟の右腕を肩口から喰い千切り、古城の魔力を喰らう。

 ぐおおおおお!?と眷獣が傷ついたことによる魔力の反動を受けた古城が苦痛に顔を歪め叫びを上げる。

 が、古城はこれしきと耐えた。痛い思いをしてるのは五番目(あいつ)も同じなんだ、と自分に言い聞かせる。

 雪菜は、苦しむ古城が気がかりだが、彼を信じて祝詞を紡ぎ続けた。

 

「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 祝詞を紡ぎ終えた雪菜。その彼女が持つ銀槍は青白い輝きを放っていた。その光の形は細く、鋭く、まるで光り輝く牙のようだった。

 雪菜はその青白く輝く槍を片手に駆け出した。狙うは、アスタルテの抱えている〝禁書〟。

 雪菜が銀槍を構えて一直線に駆けるなか、アスタルテは、ハッと雪菜に気がついて、

 

「―――〝薔薇の指先〟!」

 

 アスタルテは〝薔薇の指先〟の両腕をクロスさせて防御の体勢に入る。当然、青白い輝きを、神格振動波を纏っている状態で。

 雪菜は、それを承知の上で銀槍を〝薔薇の指先〟の腕に突き立てた。

 

「〝雪霞狼〟!」

 

 次の瞬間、雪菜の銀槍が、アスタルテの防御結界を突き破って、〝薔薇の指先〟の腕に深々と突き刺さり、貫通した。

 

「………っ!」

 

 眷獣のダメージが逆流してきて、苦痛の表情を浮かべるアスタルテ。

 肝心の〝禁書〟は………無事だった。あと数センチのところで青白く輝く刃が届くのに、止まってしまっている。

 あと少しなのに………!雪菜が悔しそうな顔をして諦めかけた、その時。

 

「どいてろ、姫柊!」

 

 古城が、雪菜の下へ駆けながら叫んだ。

 

「―――!はい!」

 

 雪菜は、古城の意図を察して銀槍から手を離し横に跳ぶ。

 それを確認した古城は拳を引き絞ると、そのまま銀槍の柄の先端を全力で殴りつけた。

 

「うおおおおお―――!!」

 

「………ッ!!?」

 

 古城の魔力を一切使用しない、全力の一撃。それは〝薔薇の指先〟の腕を串刺しにした状態で止まっていた銀槍を少し押し出し、青白く輝く刃の尖端が〝禁書〟に触れた。

 すると、まるで最初からそんな本は存在していなかったかのように、〝禁書〟は跡形もなく消滅していった。

 

「………ぁ……」

 

 アスタルテは、〝禁書〟の消滅を確認すると、力が抜けたのか、ぺたんとその場に座り込んでしまった。

 戦意喪失。アスタルテの召喚していた二体の眷獣〝薔薇の指先〟と〝ベヒモス〟が消滅する。

 それを見た古城と雪菜は、ハイタッチを交わした。これで姫乃は助かると喜びの笑みを浮かべながら。

 完全敗北したことを悟って、銀鎖で捕縛されたオイスタッハは悔しそうな顔でアスタルテを見る。

 一方の那月は、古城と雪菜の背を微笑ましく眺め呟いた。

 

「ふふ、上出来だ………暁、転校生」

 

 キーストーンゲート最下層での戦いは、古城達の勝利で幕を下ろす。

 それは、唯一神による姫乃殺害まで、あと一分を切っていた頃だった。




次回こそ一巻完結させます。

〝イプシロン〟は〝エータ〟もとい姫乃と同格。分身体同士の接触は禁止。破れば………両方とも強制消去される。

〝ミデン〟はウロボロスの本体故に正真正銘の最強。分身体達とは違い〝禁書〟の影響を一切受けない。とある空間から出られないため登場は滅多にない。


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聖者の右腕 拾弐

これで一巻もとい唯一神編は完結です。


 時を遡り、場所は大平洋のど真ん中。

 唯一神によって十字架に磔にされた姫乃。それから一分ごとに串刺しの刑が執行された。

 唯一神が最初に光り輝く神の槍を刺したのは、姫乃の左足だった。

 

「………っ!」

 

 襲ってきた激痛に耐える姫乃。ただ刺すだけでなく、宣言通り串刺し。即ち十字架ごと彼女の左足を神槍が刺し貫いているのだ。

 悲鳴を上げない姫乃を、唯一神は残念そうに見つめると、一分後に今度は姫乃の右足を神槍で串刺しにする。

 

「………っ!」

 

 姫乃はまた耐える。痛いが、ここで弱気になってしまったら唯一神の思うつぼなのだと自分に言い聞かせて。

 唯一神は、両足では悲鳴は聞けないか、とまた残念そうな顔をして、串刺し刑を続けた。

 ………それから八分が経過し、姫乃の両足と両脚には合わせて十本の神槍が刺し貫いていた。

 

「……………っ、」

 

 足・足首・脛・膝・腿の部位が神槍で串刺しにされており、姫乃の両脚の感覚は無いに等しかった。

 それでも姫乃は悲鳴を一切上げない。苦痛に顔を歪めてはいるけど。

 唯一神は、ようやく姫乃の表情に変化が表れたのを見て、嬉々とした笑みを浮かべていた。

 しかし唯一神が聞きたいのは、姫乃の悲鳴ただ一つ。まあ、苦しむ表情も中々可愛いが。

 ………さらに十分が経過し、姫乃の両手と両腕には合わせて十本の神槍が刺し貫いていた。即ち、姫乃の体には計二十本の神槍が刺さっていることになる。

 

「―――――ッ!!」

 

 手・手首・前腕の中間・肘・上腕の中間の部位が神槍で串刺しにされており、姫乃は両脚だけでなく両腕まで感覚が無くなりかけていた。

 けれども姫乃は悲鳴を上げない。表情はかなり苦しそうになっているが。

 唯一神は、まだ耐えるか、と姫乃に感心するも、早く彼女の悲鳴が聞きたくてもどかしかった。

 故に唯一神は、神槍をもう一本増やして―――姫乃の両肩を串刺しにした。

 

「―――うっ!?」

 

 突然の追加攻撃に思わず苦悶の声を洩らす姫乃。唯一神は、お?と嬉しそうに笑った。

 

「やっと声を出したか」

 

「………ヤハウェ(やー君)、一分ごとじゃなかった?」

 

 涙目で唯一神を睨む姫乃。ルールを破った彼に怒っているようだ。

 唯一神は、照れ臭そうに頭を掻いて笑った。

 

「いや、済まんな。早くお前の可愛らしい悲鳴が聞きたくてつい、な」

 

「……………」

 

 やっぱこいつ変態だ、と姫乃は唯一神をジト目で見る。

 唯一神は、クックッと笑いながら二本の神槍を生み出し、姫乃の両脇腹に突き刺した。

 

「―――あぅ!?」

 

 唯一神の容赦ない不意打ちに、苦悶の声を上げる姫乃。

 姫乃の可愛らしい悲鳴(?)を聞いて唯一神のやる気が増した。

 唯一神は、すぐに二本の神槍を生み出し、姫乃の両胸に突き刺した。

 

「………カフッ!」

 

 両方の肺を貫かれた姫乃は、口から大量の血を吐き出す。これは致命的なダメージだった。

 しかし唯一神の串刺し刑は止まらない。

 右手に生み出した神槍を姫乃の腹部に突き刺すと、間髪入れずに左手に生み出した神槍を姫乃の鳩尾に突き刺した。

 そして止めに、姫乃の胸元―――心臓部に神槍の切っ先を向けて、ハッと動きを止めた。

 唯一神は、声の一つも上げなくなった姫乃を見つめる。それから唯一神は、姫乃の口元に耳を近づける。

 すると、まだ辛うじて息はあるようだが、ひゅぅひゅぅ、と今にも死にそうな息づかいをしていた。

 唯一神は、失敗したな、と、もっとじっくり嬲っておくべきだった、と後悔する。

 

「……………」

 

 唯一神は、無言で物言わなくなった姫乃の顎を持ち上げて、彼女の顔を覗き込む。

 姫乃の口元は血塗れで、口は半開き。瞳も虚ろで半開きになっている。このまま〝禁書〟が破壊されずに彼女の力が戻らないのなら、放っておいても何れ死んでしまうだろう。

 だがしかし、唯一神はそれは認めない。姫乃の心臓を確実に串刺しにして殺さなければ、唯一神の目的は達成できないのだ。

 

「ウロボロスよ。(オレ)はお前を殺して力を取り戻す。そしたら、(オレ)がお前を創り、我が物にしよう。だからそれまで―――暫し眠れ」

 

 そう言って唯一神は、姫乃の胸元に神槍を突き立てた。が、神槍の切っ先が姫乃の心臓を抉ることなく消滅した。

 

「何!?」

 

 驚愕する唯一神。そんな彼の全身を、突如何かが突き抜けた。

 

「ぐぅ!?」

 

 その場で膝を突き血を吐く唯一神。自分の身体を確認すると、針よりも細い漆黒の〝闇〟が無数に刺さっていた。

 ………〝闇〟だと!?まさか、ウロボロスが復活したのか!?

 自分の力を無効化出来る存在は、レヴィアタンではない。力を取り戻したウロボロスだ。

 唯一神が顔を上げると、姫乃はまだ血で真っ赤に染まった十字架に磔のまま。

 姫乃の体には計二十八本の神槍が刺さったままだ。

 が、それも一瞬だったようで、姫乃の体に刺さっていた計二十八本の神槍は瞬く間に消滅していった。

 そして刺し傷だらけの姫乃の体はあっという間に再生。二十八箇所もあった傷口は全て塞がってあ。

 最後は、姫乃を拘束していた黄金の枷と、彼女を磔にしていた十字架は〝闇〟に呑まれて消滅。

 海上に音もなく着地した姫乃がゆっくりと目を開けて、無感動な瞳で唯一神を見た。

 

「………形勢逆転。ワタシの勝ち」

 

「………くそ、完全復活してしまったか」

 

 唯一神は悔しそうな顔で近づいてくる姫乃を見つめる。

 姫乃は〝闇〟を剣の形に変えて唯一神にその切っ先を向ける。

 

「どうする?まだワタシと()し合う?」

 

「………いや、完全復活したお前相手じゃ(オレ)が勝てるわけねえよ。悔しいが、降参だ」

 

「………そう」

 

 潔く負けを認めた唯一神に、姫乃は少し驚く。

 何故あっさり負けを認めたのか姫乃には理解出来ないが、戦いが終結したのなら問題ないなと〝闇〟を消して唯一神を解放する。

〝闇〟から解放された唯一神は、ゆっくりと立ち上がるとニヤニヤと笑いながら姫乃を見つめた。

 

(オレ)は十分いい思いが出来たから満足だ。本来傷をつけることさえ困難なお前を、瀕死に追い込むことが出来たし。普段見せない表情も見れたし。普段聞かない声も聞けた。そして何より―――可愛かった!」

 

「………キモい」

 

 唯一神の言葉を聞いてドン引きする姫乃。

 しかし唯一神は姫乃に貶されても悲しむどころか寧ろ悦んだ。

 

幼女(ロリ)に貶されても(オレ)にとってはご褒美でしかないぞ!」

 

「………キモい」

 

 ご褒美と言われようとも、これは流石に貶さずにはいられない姫乃。

 キモい。再び姫乃にそう言われて悦ぶ唯一神(変態)

 そんな唯一神に、陽気な少年のような声が笑った。

 

『うっわあ………ボクがいない間にヤハウェくんが変態化してる!』

 

「あ、パパ」

 

 パパもとい〝混沌神(カオス)〟の帰還に嬉しそうな姫乃。

 

「パパ、どこ行ってた?」

 

『ん?愛娘ちゃんがヤハウェくんにレヴィアタンに改変されたと同時に、ボクの()()()愛娘ちゃんのところに行ってたよ』

 

「本物のところに?そうなんだ。消滅したわけじゃなかったんだ」

 

 ホッと胸を撫で下ろす姫乃。だが今の話を聞いていた唯一神が怪訝な顔で姫乃を見つめた。

 

「ちょっと待て。本物、ってどういうことだ?お前以外にウロボロスが存在しているのか?」

 

「え?………あっ、」

 

 カオスの帰還が嬉しくて、唯一神がすぐ近くにいることを忘れていた姫乃。

 聞かれちゃまずい会話を、唯一神に聞かれて、やばい、と思う姫乃。

 しかしカオスは特に気にすることなく、唯一神に真実を話した。

 

『そうだよ。この子は本当はボクの愛娘ちゃんじゃないんだ。この子は、ボクの本物の愛娘ちゃんが生み出した分身体なんだよ』

 

「なん、だと!?」

 

 衝撃的なカミングアウトに驚きを隠せない唯一神。

 姫乃が本物のウロボロスではなく、分身体だということに。

 姫乃が分身体だというのに、強さが全知全能の神々クラスだということに。

 驚く唯一神に、カオスはさらに続けた。

 

『ちなみに、この子の名前は〝エータ〟ちゃんって言うよ。No.8のウロボロスちゃん』

 

「No.8のウロボロス〝エータ〟ちゃんか………それで?」

 

『〝エータ〟ちゃんが担当している世界が此処、天部が治めてた世界なんだ』

 

「………ほう。それで?」

 

『〝エータ〟ちゃんが担当していた世界は此処なんだけど、とある神様が生み出した力のせいで〝エータ〟ちゃんの天部(遊び相手)は全滅しちゃったんだ』

 

「遊び相手がいなくなったのか………」

 

 唯一神は、可哀想な子を見る目で姫乃を見つめる。姫乃は、放っといて、というような顔でそっぽを向く。

 カオスは、姫乃の拗ねたような顔を面白そうに見つめ(ているような雰囲気を出し)た。

 

『そこで、遊び相手が欲しい〝エータ〟ちゃんが取った行為が』

 

「他の世界の神々に喧嘩を売りに行った、ってところか?」

 

『そうそう!ヤハウェくんも〝エータ〟ちゃんに会ったことあるはずだよ』

 

「会ったも何も、(オレ)の世界を滅ぼしたのはそいつだろ?」

 

 唯一神は、姫乃を鋭い視線で睨みつける。それに姫乃は首を横に振って否定した。

 

「違う。ヤハウェ(やー君)の世界を滅ぼしたのは、ワタシじゃない」

 

「は?なに嘘ついて」

 

『嘘じゃないよ。言ったよねヤハウェくん。〝エータ〟ちゃんが担当している世界は此処だって。なのにどうしてキミの世界を滅ぼしたりするのさ』

 

「え?じゃあ(オレ)の世界を滅ぼしたウロボロスは?」

 

『〝イプシロン〟ちゃんだよ。No.5のウロボロスちゃんがヤハウェくんの世界の担当者で、キミの世界を滅ぼした張本人さ』

 

「紛らわしっ!顔が全く同じだけど、別のウロボロスの仕業だったのかよ!」

 

 痛い頭を抱える唯一神。そんな彼をケラケラと笑うカオス。

 次の瞬間、唯一神は、ハッとあることに気がつく。自分の世界を滅ぼしたのは〝イプシロン〟というNo.5のウロボロス。だとしたら、自分が復讐で殺そうとしたこの子は―――

 

「す、済まん!(オレ)は何て酷いことを………!復讐の相手じゃないのに、(オレ)は無害な〝エータ〟ちゃんを殺そうとしてしまった………ッ!」

 

 唯一神は、自分の過ちを悔いた。姫乃は首を横に振る。

 

「ううん。ヤハウェ(やー君)は悪くない。ワタシが嘘をついたから、勘違いしても無理はない。あと、〝エータ〟って呼ばないで。ワタシ、その名前好きじゃない」

 

「〝エータ〟ちゃんって呼ばれるのは嫌なのか?結構いい名前だと(オレ)は思うんだが………。―――!そうだったな。何で嘘ついたんだ?」

 

 唯一神が訊くと、姫乃は唯一神をじっと見つめて答えた。

 

「………遊んでくれると思ったから」

 

「―――!!」

 

 姫乃の回答を聞いて、唯一神は驚く。同時に、この子はただ遊んで欲しかっただけだということに気づいた。

 この世界を統べていた天部(カミ)が全滅したことで、姫乃は退屈していた。

 そこで別の世界に行って、他の神々と遊ぶことにした。自分の退屈を解消するために。

 唯一神は、ただ誰かと遊びたいだけの子供のような姫乃を、ニヤニヤと眺めた。

 

「つまり、〝エータ〟ちゃんは『構ってちゃん』なんだな!うむ、萌えるな!」

 

「え?」

 

「安心しろ〝エータ〟ちゃん!遊んで欲しいなら(オレ)がいつでも相手してやるからな!」

 

 唯一神の言葉に、カオスは、うわぁ幼女好き(ロリコン)がいる、と愉快そうにケラケラと笑う。

 姫乃は暫くきょとんと唯一神を見つめ、

 

「………本当に遊んでくれる?」

 

「うむ!幼女(ロリ)の頼みとあらば、(オレ)は喜んで引き受けるッ!!」

 

 当然だ!と胸を張って高らかに笑う唯一神。

 そんな彼に、姫乃は微かに頬を染めると嬉しそうな笑みを浮かべた。

 

ヤハウェ(やー君)………ありがとう。とても嬉しい、大好き」

 

 そう言って唯一神に抱きつく姫乃。

 全くの予想外な展開に唯一神は驚愕と歓喜の入り混じった表情をした。

 やー君、大好き。大好き。大好き。という姫乃の言葉が唯一神の脳内で繰り返される。

 加えて弱体化してない状態の彼女が、笑顔で抱きついてくるなど一生ないと思っていたほどだ。

 遊んであげる。たったそれだけで〝無〟の表情を笑顔に出来た。そう考えると彼女は案外チョロいのかもしれない。

 

「ねえ、やー君」

 

「何だ、〝エータ〟ちゃん?」

 

「ワタシのお願い、聞いてくれたら、ワタシの傍にいてもいい」

 

「なん………だと!?それは真か!?」

 

 唯一神が興奮気味に聞き返すと、姫乃はコクリと頷いた。

 首肯。つまりYES、OKだ。姫乃(ロリ)と一緒にいられるなど、願ってもないご褒美だった。

 唯一神のテンションがMAXに達し、鼻息を荒くしながら訊いた。

 

「そ、それで!?(オレ)にお願いとは何だ!?」

 

「………それは―――」

 

 

 

 

 

 場所は変わり、キーストーンゲート最下層。

 古城達とオイスタッハ達の戦いが決着した後、那月がアスタルテも念のため銀鎖で捕縛していた。

 それから姫乃を待つこと数分後、突如古城達の眼前の空間が歪み、漆黒の異空間が顕れる。

 その中から、黒髪紅眼の漆黒姫ドレスの幼女(ロリ)・姫乃と。

 古城達には見覚えのない、金髪蒼眼の修道女(シスター)らしき幼女(ロリ)が現れた。

 姫乃と金髪蒼眼の幼女(ロリ)シスターが音もなく着地するや否や、古城と雪菜が駆け寄ってきた。

 

「よう、空無。約束通り〝禁書〟は破壊できたぜ」

 

「うん。お陰で助かった。ありがとう古城、雪菜、御主人様」

 

「いえいえ」

 

「………ふん」

 

 素直にお礼を言う姫乃に、古城と雪菜は照れ臭そうに頬を掻く。

 那月だけは照れ隠しか、鼻を鳴らして平静を装いながら姫乃を見る。

 それはそうと………と古城が金髪シスターを睨んで、

 

「そいつは誰だ?見ない顔だが………空無の友達か?」

 

「うん。紹介する。この子は今日からワタシの付き人になるデウス(デゥちゃん)

 

「き、今日から〝エータ〟ちゃ………姫乃様の付き人をすることになった………なりました、デウスだ………です。不束ものだが………ですが、よろしく………お願いします!」

 

 いつもの口調で喋りかけ、それを丁寧語に直しながら自己紹介するデウス。

 不思議な喋り方をするデウスを、怪訝な顔で見つめる雪菜。

 

「………付き人、ですか?」

 

「ああ………じゃなくて………はい」

 

 丁寧語に言い直すデウス。那月は、彼女の恰好をまじまじと見つめる。

 

「付き人だというのに、メイド服ではないんだな娘」

 

「はぁ!?誰がそんなもの着るか!………着ますか!」

 

 那月の言葉に怒るデウス。メイド服などあり得ない、と那月を鋭い視線で睨みつけている。

 那月は、メイド服の良さをまるで分かってないな、とデウスを落胆の眼差しで見る。

 何だよ………何ですか、と那月を睨み返すデウス。

 一方、オイスタッハは、姫乃がここへ来たことに驚愕していた。彼女がいるということはまさか―――

 

「ちょっと待ってください!貴女が来たということは………我らの主はどうしたのです!」

 

「やー君?彼なら―――ワタシが倒した」

 

「なっ、」

 

 絶句するオイスタッハ。唯一神が敗北するなんて思いもしなかったのだ。

 それに、倒したという割には、戦斧に変化がない。これは一体どういうことか。

 オイスタッハが考え込んでいると、姫乃が唐突に眼前に現れた。

 

「むっ………!」

 

「そう警戒しない。ワタシはオマエと取引しに来た」

 

「………取引ですか?」

 

「うん」

 

 オイスタッハが聞き返すと、姫乃は頷く。そして彼女は、要石(キーストーン)を真っ直ぐ指差した。

 

聖遺物(アレ)をオマエに返すから………アスタルテ(あの子)頂戴?」

 

「―――――はい?」

 

 唐突な提案にオイスタッハは間の抜けた声を洩らす。

 願ってもない提案だが、姫乃がどういう意図でこんな提案を、それとアスタルテを欲するのか理解出来ない。

 一方、姫乃の言葉に驚愕した古城達が彼女に怪訝な顔で見た。

 

「空無、あんた一体どういうつもりだ!?俺たちに隠してオッサン達に協力してたのかよ!」

 

「駄目です空無さん!要石を破壊したら、この島は沈んでしまうんですよ!?」

 

「……………」

 

 慌てふためく古城と雪菜。那月だけは冷静に姫乃を見つめる。姫乃が何を考えているのか探ろうとしているのだ。

 姫乃は、大丈夫、と言って古城達を制し、オイスタッハに向き直る。

 

「それで、どうする?ワタシの提案………伸るか反るか、どっちにする?」

 

「………私は………伸ります。貴女の提案に。ですから、我々の至宝をどうか………どうか奪還してください!」

 

 オイスタッハが提案に伸ると、姫乃は、分かったと頷いた。

 そして姫乃は、スッと瞼を閉じる。すると次の瞬間、人間モードの彼女の姿に変化が生じた。

 頭部に生えたのは、悪魔を彷彿させる黒く鋭い二本の角。

 口元からはみ出るは、龍の鋭い白い牙。

 姫ドレスの背を突き破って生えたのは、堕天使の如く黒い烏のような大きな一対の翼。

 スカートの中から出てきたのは、蛇のような細くて長い黒い尻尾。

 瞼を開けると、人の眼は蛇の目に変化していた。

 そんな姫乃の姿を古城達は驚愕の表情で見つめた。

 

「………それが空無の、本来の姿か?」

 

「違う。これはまだ人化の状態。少し簡略化したものがこの姿」

 

 先程までは完全に人化していたが、今の状態は龍としての特徴的な部分が所々出現している。

 姫乃がこの姿になっているのは、別段古城達に見せるためではない。この姿になったのには理由があった。

 そしてその理由。姫乃は自分の左の角を掴むと―――バキッ!とへし折った。

 

「は?」

 

 姫乃の理解不能な行為に唖然とする古城達。

 姫乃は気にすることなく、折った自分の角を古城達に見せた。

 

「聖遺物の代わりにワタシの角を要石に供える。龍脈(レイライン)の制御はワタシが代行するから、この島は沈まない」

 

「は?そんなことが出来るのか!?」

 

 古城が驚きの声を上げると、姫乃はムッと眉を寄せて彼を睨んだ。

 

「四神如きの長、黄龍の役割を、龍神のワタシに出来ないと思う?」

 

「え?………ですが、空無は本物の龍神では、」

 

「―――!?」

 

 雪菜の発言に驚く姫乃。だが、すぐにどこかの異空間に存在する本体(ミデン)から最新の情報が齎されて、雪菜がその秘密を知るわけを理解した。

 

「………〝イプシロン〟がワタシたちの秘密を話したんだ。………うん。ワタシは本物の龍神ではなく、分身体。個体No.8〝エータ〟」

 

「でしたら、黄龍の役割を担うのは」

 

「簡単。たしかに本物(ミデン)よりは劣るけど………ワタシたちは一体一体が〝主神〟と同格。だから問題ない。ノープロブレム」

 

「なっ、」

 

 姫乃の言葉に愕然とする雪菜達。ウロボロスの分身体だというのに、その一体一体が〝神〟………それも〝主神〟クラスとか笑えない。

 しかも姫乃がNo.8ということは、少なくともウロボロスの分身体はあと〝イプシロン〟を含めて七体存在することになる。

 そんな彼女達がこの世界に集結したら………など恐ろしくて想像したくもない。

 姫乃は、オイスタッハに向き直ると、右手に持っていた自分の角を、要石の中にある聖遺物と空間転移の要領で入れ替えた。

 そして姫乃は、入れ替えによって右手に持っているものが聖遺物に変わっていることを確認し、オイスタッハの眼前でしゃがみ込んだ。

 

「………オマエが欲しいのは、聖遺物(コレ)で合ってる?」

 

「え、ええ!紛れもなく、私が取り返したかった我らの至宝ですッ!!」

 

 決して取り戻せないと諦めていた聖遺物。それを目の前にしたオイスタッハは、感動のあまり目から涙が零れ落ちる。

 鎖で縛られていなかったら、姫乃の手に飛びついていたことだろう。

 姫乃は、オイスタッハの目をじっと見つめる。

 

「それじゃあ、約束通りアスタルテ(あの子)とトレード」

 

「ええ、勿論です!元々アスタルテは我々の聖遺物を奪還するためだけに育成してきた道具ですから、目的が達成するのなら、もう不要です」

 

「そう」

 

「それに、道具の癖に幼女(ロリ)というだけで我らの主に大層可愛がられていました。その事が私は許せなくて………早くお別れしたいと思っていたところでしたので寧ろ清々します」

 

 唯一神がこの世界から消えたことによって、ようやくアスタルテへの不満を口に出来たオイスタッハ。

 アスタルテは、別段怒りの感情を見せるわけでもなく、無感動な瞳でオイスタッハを見つめる。

 一方、古城達は人工生命体(ホムンクルス)の少女を道具として利用していたオイスタッハに憤りを感じていた。

 だがそれも今日でお仕舞い。姫乃がどういう意図でアスタルテを欲したのかは知らないが、彼女ならアスタルテを道具のように扱わないでくれる気がした。

 那月だけは、特に関心を持つ素振りを見せずにアスタルテを見ている。

 最もオイスタッハの言葉に憤りを覚えたのは―――デウスだった。姫乃以外は知らないが、この幼女(ロリ)シスターの正体は、唯一神である。

 何故、唯一神が幼女(ロリ)化しているのか。それは、姫乃のお願いを聞き入れたから、彼は幼女(ロリ)化しているのだ。

 ………ちなみに、修道女(シスター)をチョイスしたのは唯一神本人だったりする。

 だがデウスは、正体を隠すために怒りを必死に抑える。ここで正体がバレてしまっては、姫乃(ロリ)とお別れになってしまう。それだけは何としても避けなければならないのだ。

 そんなデウスの想いを察したのか、姫乃がオイスタッハを縛っていた銀鎖を、指を鳴らすことで消滅させる。

 自由を取り戻したオイスタッハが飛び起きると、姫乃も立ち上がって聖遺物を彼に手渡す。

 

「取引成立。じゃあ、そういうことで………バイバイ」

 

「え?」

 

 姫乃の言葉に疑問に思うオイスタッハ。だが、疑問を口にする前に彼の姿はこの場から消えた。姫乃が指を鳴らして彼をロタリンギアまで跳ばしたのだ。

 聖遺物を渡した後、すぐにオイスタッハの姿が消えて驚く古城達。だが、姫乃の力を目の当たりにしたことがある彼らは、オイスタッハをどこかに跳ばしたのか、と姫乃の行った事を理解した。

 ………突然、何もない虚空から、聖遺物を手にロタリンギアへと帰還したオイスタッハを目撃した人々が大騒ぎしたそうだが、それはまた別の話である。

 

「………アスタルテ」

 

 元の姿に戻った姫乃は、アスタルテの下へ歩み寄り、指を鳴らす。銀鎖は消滅しアスタルテは自由を取り戻す。

 そんな彼女へ手を差し出した姫乃は、薄く笑って告げた。

 

「今日からオマエはワタシのもの。これからよろしく、アスタルテ」

 

 唐突に言われて暫し困惑するアスタルテ。だが姫乃の言葉の意味を理解すると、アスタルテは彼女の手を取り返事をした。

 

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします空無姫乃(マスター)

 

 こうして姫乃は、アスタルテの新たなマスターとなった。この結果に、デウスも嬉しそうだ。

 一方、古城達は、話が一気に進んで置いてきぼりにされたが、一件落着のようで自然と笑みが零れた。

 しかし、ふと雪菜が時間を確認して、ぎょっと目を剥く。

 

「せ、先輩!のんびりしてる場合じゃありません!早く学校に行かないと遅刻してしまいますよ!」

 

「え?―――うおっ!マジかよ!?朝食もまだなのにもうこんな時間か!」

 

 慌てふためく古城と雪菜。そんな彼らに、那月がやれやれと苦笑しながら歩み寄る。

 

「今回は特別に私が学校に連れていってやろう。姫乃のために私と一緒に頑張ってくれた報酬としてな」

 

「マジか!ありがとう、助かるぜ那月ちゃん!」

 

「すみません、南宮先生。恩に切ります」

 

 古城達に感謝されて、ふん、と鼻を鳴らした那月は、最後に姫乃へ向き直る。

 

「私は暁と転校生を送っていく。またあとで色々と話を聞かせてもらうからな?」

 

「うん。行ってらっしゃい、御主人様」

 

 姫乃が手を振ると、那月は古城と雪菜を連れて学校へ跳んでいった。

 騒々しい彼らが去っていったことで、一気に静まり返る最下層。

 姫乃は、一人薄く笑って呟く。

 

「………絃神島、掌握」

 

 そんな姫乃の呟きを聞いたアスタルテは小首を傾げ、デウスは苦笑いを浮かべた。カオスも密かに、愉快そうにケラケラと笑う。

 アスタルテとデウス(付き人達)を手に入れた姫乃は、彼女達を引き連れて那月家へと帰宅した。

 

 のちに、姫乃達により引き起こされる更なる厄介ごとに巻き込まれることになろうとは、この時の古城達には知るよしもなかった………




時系列だと実は小説一巻の半分で終了してます。

デウスはラテン語で、唯一神ヤハウェを指す固有名詞。

本来は男性単数形の男神を指す。女神の場合はデア。


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二章 蛇王と古代兵器篇
戦王の使者 壱


二巻突入です。

アスタルテにオリジナル設定追加(それとも設定改変?)。

某青年貴族にオリジナル設定追加(それとも設定改変?)。

以上の二人の原作キャラ設定に変動ありです。悪しからず。


 月齢二十一。弦月の夜―――

 港湾地区の夜の街をある男が疾走していた。

 

「糞っ、糞っ、糞っ、糞っ………やってくれたな、人間ども!」

 

 嗄れた声で口汚く罵りながら疾走するのは、しなやかな巨躯と、黒い毛並みの豹の頭を持つ獣人の男だ。

 彼は銃撃により怪我をしていて、加えて目や鼻を痛めている。

 何故そんな状況になっているのか。その理由は、特区警備隊(アイランド・ガード)強襲班に攻撃されたからだ。

 古い倉庫内で武器の闇取引を行っていた密入国の犯罪者集団の一人である彼は、同志(なかま)遊戯(カードゲーム)をしていた所を特区警備隊に強襲された。

 強襲班が使用した弾丸は聖別された琥珀金弾(エレクトラム・チップ)で、魔族の肉体再生能力を封じる対獣人用特殊弾頭。彼の傷が中々癒えないのは、呪力を込めた武器による攻撃を受けたためである。

 目や鼻の痛みは、強襲班が使用した催涙ガスの影響だ。

 しかし、彼も特区警備隊にやられるだけではなかった。

 特区警備隊の目を欺き、一瞬の隙を見せた彼らに、倉庫中に仕掛けておいた爆弾を、隠し持っていた起爆スイッチのリモコンを押して爆発させ、彼らを倉庫ごと吹き飛ばした。

 その爆発に紛れて倉庫を脱出。そして今に至る。

 

「許さんぞ、奴ら………必ず後悔させてやる」

 

 いまだ炎に包まれている背後の倉庫を、豹男は憎悪の眼差しで睨みつけた。そして月明かりに照らされた夜の街並みへと目を向ける。

 東京都絃神市―――大平洋上に浮かぶ巨大な人工島。人類と魔族が共存する、聖域条約の申し子。忌まわしき〝魔族特区〟である。

 欧州〝戦王領域〟出身である彼は、特別絃神市の人間に恨みはない。が、彼ら黒死皇派の健在を世に知らしめ、魔族の地位を貶めた呪わしき僭王への反逆の狼煙を上げるには、〝魔族特区〟の崩壊は必要なことなのだ。

 既に計画は動き出している。特区警備隊如きが今さら何をしようとも、この街の運命が変わることはない。

 同志を失い、武器の取引も潰され少しばかり段取りは狂ったが、特区警備隊の注意を囮の自分が惹きつけていれば、少佐の計画の成功率は上がる。

 それが仮令(たとえ)、少佐の計画の一部だとしても。

 

「ふははっ」

 

 頬まで裂けた唇を吊り上げて、豹男は笑う。

 獣人化形態を保ったまま跳躍して、彼は五階建てのビルの屋上へと一気に躍り出た。人豹(ワーパンサー)は、L種と呼ばれる獣人族の中でも、特に身軽さと敏捷性に秀でた種族だ。夜の市街地を逃走する彼を、追跡出来る者などいるはずもない。

 精々今は何処かに身を隠し、傷が癒えるのを待たせてもらおう―――だがその前に、と豹男は握っていたリモコン起爆装置のスイッチに指をかける。

 彼らが前以て仕掛けておいた爆弾は、倉庫と港湾地区の地下通路の二つ。そのうちの地下通路の方は爆破させていない。

 負傷者の救助のために呼ばれた特区警備隊の増援部隊が、丁度その辺りを通過しているはずなのだから。

 

「同志の仇だ。思い知れ―――!」

 

 豹男がリモコンを握る手に力を入れた。が、確かに触れたはずのスイッチからは、何の手応えも返ってこなかった。

 豹男は驚き自分の右手を見つめ………呆然と息を呑む。何故なら握り締めていたはずのリモコンが、跡形もなく消えていたからだ。

 代わりに彼の腕に巻きついていたのは銀鎖。何処からともなく伸びてきた銀鎖が、手錠のように彼の手首を縛りつけている。

 

「なんだ………こいつは!?」

 

 銀鎖を引き千切ろうとして、豹男は腕に力を込めた。が、獣人の腕力をもってしても、銀鎖は解けない。逆に銀鎖に引き摺られ、豹男はその場から動けなくなる。

 その直後、彼の背後から聞こえてきたのは、どこか笑いを含んだ舌足らずな声だった。

 

「―――曲がりなりにも神々の鍛えた〝戒めの鎖(レージング)〟だ。私のメイドラゴンならともかく、貴様如きの力では千切れんよ」

 

「何っ!?」

 

 思いがけないその声に、豹男は低く唸りながら振り返る。

 声の主は若い女。ビルの屋上の給水塔の上に、少女が二人立っていた。

 二人とも幼女(ロリ)と見紛うばかりの小柄な少女。一人は、馬鹿馬鹿しいほど豪華なドレスを纏い、真夜中だというのに日傘を差している。あどけなくも整った顔立ちは、愛くるしい人形を見ているようだ。

 もう一人は、露出度高めのフリフリなメイド服を着た童顔の少女。吸血鬼の如き紅い瞳が静かに豹男を見据えている。

 日傘少女にメイド少女という、あまりにも場違いな彼女達を見て、豹男はわけもなく恐怖を覚える。

 

「今ドキ、暗号化処理もされてないアナログ無線式起爆装置か。安物だな。よくもまあ、これまで暴発しなかったものだ」

 

 リモコン状の小さな機械を掌の上で転がしながら、日傘少女が嘲るように呟いた。

 それを見て、豹男が表情を引き攣らせる。日傘少女が弄んでいるその機械(リモコン)は、彼が持っていたはずの爆弾の起爆装置だった。どんな手品を使ったのか、日傘少女は獣人である彼に気配すら感じさせずに近づき、起爆装置(リモコン)を奪ってみせたのだ。

 

「攻魔師………にメイド?組み合わせがさっぱりだが、どうやって俺に追いついた?」

 

 豹男が金色の瞳を細めて彼女達を睨む。すると、メイド少女が無感動な瞳を豹男に向けて言った。

 

「神以下のオマエ如きが、龍神のワタシから逃げられると思った?」

 

「調子に―――は?龍神!?」

 

 メイド少女の言葉に驚愕する豹男。そう言えば、日傘の小娘が〝メイドラゴン〟と口にしていたな………まさか、あのメイドの小娘が龍族(ドラゴン)だというのか!?

 

「は、ハッタリだ!そうやって俺を怖がらせて捕まえようたってそうはいかねえ………!!」

 

 恐怖心を捩じ伏せてメイド少女を睨みつける豹男。メイド少女は、そんな彼を薄い笑みで見返した。

 

「ハッタリかどうか………試してみる?」

 

「え?―――ッ!!?」

 

 豹男は、いつの間にか眼前に立っていたメイド少女に愕然とした。さっきまで日傘の小娘の隣にいたはずなのに、一瞬で目の前に移動してきたのだ。しかも魔術の類いは感じられない。まさか自分が感知出来ないほどの速度で動いたというのか。

 豹男が恐怖で身を強張らせていると、メイド少女は自分の胸元に手を置いて言った。

 

「オマエがワタシに傷を一つでもつけられたら、見逃す。つけられなかったら、ワタシを龍神と認める」

 

「は?」

 

 この小娘は何を言ってるんだ、と豹男は怪訝な顔でメイド少女を見る。

 傷一つつけることが出来れば、少なくともメイド少女は豹男を捕まえない。つけられなかったら、メイド少女を龍神だと認める。どちらも豹男に損はないどころか前者は得という謎の条件に不可解に思ったのだ。

 だが損のない条件なら、受けてやろうじゃないか、と豹男は笑い、腰のベルトからナイフを引き抜く。

 

「よくわからねえが………おまえの提案に乗ってやる」

 

「そう」

 

 メイド少女は、豹男が自分の提案に乗った瞬間、指を鳴らして豹男の手首を縛っていた銀鎖を消した。

 銀鎖の消失に驚く豹男。しかしこれでメイド少女の出した条件を容易くクリア出来る。獣人の力を全開にしてナイフで斬りかかれば、小娘の柔い肉など簡単に斬り裂くことが出来るのだから。

 豹男は条件クリアを確信して思い切りナイフを、メイド少女の左肩めがけて振り下ろした。これでメイド少女の左肩を斬り落とせる、そう思ったが―――バキンッ!と逆にナイフの方が粉々に砕け散ってしまった。

 

「なっ………!?」

 

 あり得ない光景を目の当たりにした豹男は、唖然と砕けたナイフの刃があった部分を見る。

 メイド少女は、豹男をつまらないものを見るような瞳で見た。

 

「………所詮、豹人間。ワタシに傷一つもつけられない雑魚。リル兄ならワタシに致命傷を負わせられるのに」

 

 リル兄もとい〝     〟のことを脳裏に浮かべて呟くメイド少女。ある神と共に異界に棲まう〝     〟は、メイド少女に致命的なダメージを与えることが出来るらしい。

 豹男は、ナイフが砕けただけでなく、斬りつけたはずのメイド少女の左肩が無傷だということを知って、驚愕と恐怖に支配された。

 そんな彼に、メイド少女は薄い笑みを作って見つめ言った。

 

「これで分かった?ワタシが本物の龍神だということを」

 

「ひぃっ!」

 

 だが豹男は、メイド少女の化け物染みた身体の頑丈さに恐れて、彼女に背を向けて逃げ出した。

 勝てるわけがない。豹男は一刻も早くメイド少女から逃げ出したかった。故に人豹の全速力で夜の街を必死に走った。

 メイド少女は、自分との約束を破って逃げ出した豹男を見て、ほんの少し怒りの感情を顔に浮かばせる。

 

「………あーちゃん」

 

 そして自分の眷属を呼び出した。

 

「―――はい」

 

 あーちゃんと呼ばれた少女の声が返事をすると、豹男の前方に漆黒の魔法陣が展開され、そこから幼女(ロリ)と見紛うばかりの小柄な少女が現れた。

 藍色の髪に透き通るような白い肌と水色の瞳。完全に左右対称の整った顔立ちの少女。身につけているのはメイド少女と同じ露出度高めなフリフリのメイド服。

 そんな如何にもか弱そうな幼い少女・あーちゃんが豹男の前に立ち塞がった。

 

「はっ!人工生命体(ホムンクルス)のガキ風情が、獣人の俺を止められると思うな―――!」

 

 豹男は無謀な人形少女を嗤い、そのままの勢いで彼女に向かって突進する。人形少女をタックルで吹っ飛ばすつもりだ。

 人形少女は静かに首を横に振った。

 

「違います。私は()・人工生命体で、今は()()です」

 

「は?」

 

 人形少女の衝撃的な発言に、豹男は素っ頓狂な声を洩らして立ち止まる。人形改め藍髪少女はその隙に眷獣を召喚した。

 

「お願いします、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 藍髪少女の声に応えて、虹色の巨大な腕が彼女の背後の虚空から二本現れた。その左右の腕からは凄まじい魔力を放っている。

 

「何っ!?」

 

 まずい、と思った豹男が慌ててその場から離脱しようと跳躍する。が、彼の真下から突如漆黒の魔法陣が出現し、そこから無数の黒い蛇が飛び出してきて彼の両脚に巻きつき引き摺り下ろす。

 豹男はぎょっと目を剥いて、自分の脚に巻きつく黒蛇達を力任せに引き千切ろうとした。しかし黒蛇達を引き千切ることは出来なかった。

 何故なら、豹男が黒蛇に気を取られている隙に、藍髪少女の眷獣〝薔薇の指先〟が彼を捉え、その巨大な拳が彼を軽く殴り飛ばしたからだ。

 グハッ!と口から血を吐き出しながら吹き飛ぶ豹男。そんな彼を片手で受け止めたメイド少女は、彼を日傘少女の目の前に跳ばした。

 日傘少女は、ふん、と鼻を鳴らし、ボロボロになった豹男の全身を虚空から撃ち出した無数の銀鎖で搦め捕って足元に引き摺り落とす。

 豹男は、日傘少女の御技を見て、眷獣の一撃を受けた痛みさえ忘れて驚愕の声を上げた。

 

「空間制御の、魔術だと………!?馬鹿な!そんな芸当が、出来るのは、練達者級の………高位魔法使いだけだぞ!おまえのような、小娘がなぜ………!?」

 

 龍神を自称する化け物は兎も角、日傘少女に出来る御技ではないと豹男は思った。

 しかし日傘少女は無言のまま、日傘を畳んでつまらなそうに息を吐く。月光に照らし出された彼女の顔を見上げて、豹男は低く呻いた。

 

「そう、か………おまえ、南宮那月か!?なぜおまえが、こんなところに………いる!?まだ、魔族(おれたち)を………殺し足りないのか、〝空隙の魔女〟め………!」

 

「やれやれ………野良猫がよく喋る。眷獣の一撃を喰らった奴とは思えんな」

 

 日傘少女―――那月は冷ややかに豹男を見下ろす。が、特に用はないらしく豹男に背を向けた。

 

「〝戦王領域〟のテロリストどもが、こんな極東の〝魔族特区〟で何をする気だったのか、興味はあるが、尋問は特区警備隊に任せるか。明日の授業の支度と、メイドラゴンの特訓に励むとしよう」

 

「授業の支度………?それに、メイドラゴンって………あの自称龍神の化け物に特訓とか、鍛えてもらってるのかよ!?」

 

「ああ。それはもう………みっちりとな」

 

 那月は、豹男に振り返ってニヤリと笑う。彼女のその笑みを見て豹男はゾッとした。ただでさえ強大な魔女だというのに、メイド少女の特訓を受けているとか、どこまで魔族を恐がらせば気が済むのか。

 一方の那月は、メイド少女に一撃を与えて、彼女と本契約を交わし正式に自分のメイドラゴンにするのが目標のため、一日でも早く強くならなければならない。

 仮令彼女が本物(本体)じゃなくて偽者(分身体)のウロボロスでも、自分が出逢ったのは彼女だし、神より強い彼女を物に出来たらどれほどの優越感に浸ることが出来るというのだろうか。

 それに彼女は万能なメイドラゴンだ。さらには眷属も有能な幼女(ロリ)達を有している。眷族に至っては蛇族(ナーガ)龍族(ドラゴン)の全てを使役出来るそうだ。そんな彼女を手に入れないわけにはいかないのだ。

 とはいえ、いまだに那月の攻撃は、メイド少女に一撃どころか掠りもしていない。何か彼女に有効な手段はないだろうか。

 そんなことを考えながら、銀鎖で捕縛している豹男をそのまま放置して、メイド二人の下へ向かう。

 そのメイド二人はというと………黒髪メイドが藍髪メイドの頭を優しく撫でている最中だった。

 

「………私に後始末を任せて、二人だけでお楽しみとはいい度胸だな?」

 

 那月が不服そうな顔でメイド二人を睨みつける。黒髪メイドは、ごめん、と謝罪して理由を述べた。

 

「頑張ったあーちゃんに御褒美のナデナデタイム。御主人様もナデナデタイム欲しい?」

 

「いらん。馬鹿をやってないで早く帰るぞ、姫乃、アスタルテ。一日でも早く私は強くなりたいのだからな」

 

「分かった。あーちゃん、続きはワタシのベッドの中で」

 

「はい、マスター」

 

 黒髪メイド―――姫乃の言葉に藍髪メイド―――アスタルテは頷き了解する。少し名残惜しそうな表情を見せたアスタルテだが。

 ちなみに、ベッドの中でというのは、二人は同じ部屋を共有しているからだ。前はもう一人も同じ部屋にしていたのだが、変態(ユリ)だったため追放し別室にしてもらっている。

 その人が変態(ユリ)なのは、中身が唯一神(ロリコン)であるため、避けようのない変態癖なのだ。それを知っているのは姫乃だけだが。

 やれやれ、と那月は溜め息を吐くも、仲良しなメイド二人を眺めて笑みを浮かべた。

 それにしても、姫乃の全能ぶりには驚かされた。何せ人工生命体であるアスタルテを、人間に創り変えてしまったのだ。

 本来無感情な彼女は、人間として生まれ変わったことによって感情は豊かになり、少女らしく姫乃の眷属として生活している。

 ただし、姫乃の眷属として生活するに当たって異界の神々に命を狙われる危険があるため、アスタルテは〝永劫回帰〟の呪いを刻印されている。

〝永劫回帰〟の呪いの効果は、簡単に言うと、『死と生を永遠に繰り返す』というものだ。即ち、アスタルテが死亡すると、時間が巻き戻ったかのように死亡前の状態に戻り蘇生するということだ。

 不死の呪いを受け入れることで、アスタルテは人間にかつ姫乃の眷属としていられるのだ。

 ちなみにもう一人、変態(ユリ)修道女(シスター)の彼女には〝永劫回帰〟の呪いをかけていない。姫乃曰く『必要ない』というらしいが、どういう意味なのか那月にはさっぱりだった。

 変態(ユリ)シスターの彼女も『(ワタシ)には不要だ………です』と言っていたから、これ以上の追及はしないことにしたが。

 ………その変態(ユリ)シスターは、家で留守番してもらっている。私達と暫しの別れに号泣していたな。本当はもっと彼女を困らせるために帰りを遅くしたいところだが、姫乃との特訓を優先して帰るとしよう。

 那月は、姫乃とアスタルテを連れて自宅へ帰還した。

 

 玄関先で待ち構えていた涙と鼻水まみれの変態(ユリ)シスターが物凄い勢いで飛びついてきたのは、また別の話である。

 

 

 

 

 

 夜明け前―――

 東京の南方海上三百三十キロ付近を、一隻の船が悠然と航行していた。

 船名は〝オシアナス・グレイヴ〟。全長約四百フィート。俗にメガヨットなどと呼ばれる、外洋クルーズ船である。

 この美麗な船〝オシアナス・グレイヴ〟の船主(オーナー)は、〝戦王領域〟の貴族―――アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー。金髪碧眼の美しい男である。

 その彼は、愛船の屋上デッキで月光浴を楽しんでいた。豪華なサマーベッドに横たわり、のんびりとカシス酒のグラスを傾けている。

 しかし彼の肩書きは、貴族(ノーブルズ)。〝旧き世代〟の吸血鬼。〝戦王領域〟にある広大な彼の領土には、西欧諸国の軍隊にも匹敵する強大な戦力が常備され、彼自身もまた、大都市を瞬く間に壊滅させるほどの巨大な権能(ちから)を持った怪物。

 ………それが世間一般に知られている彼の()()の正体だ。本当の彼の正体は、真祖をも容易く屠れる()()によって創造された〝  吸血鬼〟。彼に匹敵する吸血鬼は、第四真祖のみである。

 そんな彼の真の正体を知っている者は亡き天部や〝   〟。生存者は三名の真祖だけ。

 ヴァトラーの目的は二つ。一つは絃神島に出現したという第四真祖と接触すること。もう一つは、異界の旅から帰還した()()と再会することだ。

 その二つの目的を達成するべく数ヵ月ぶりに絃神島に訪問してきたわけだが、その前に自分の傍らに近づいてくる気配を感じ取った。

 その気配の正体は、日本人の年若い少女だった。すらりとした長身に、華やかさと優美さを感じる顔立ち。肌は白く、髪の色素も薄い。ポニーテールの少女は、関西地区にある名門女子校の制服を着ている。右手にはキーボード用の黒い楽器ケースが握られていた。

 

「こちらでしたか、閣下」

 

「………ん?」

 

 ポニテ少女は立ち止まって恭しく礼をすると、ヴァトラーは振り返って彼女を見た。

 ポニテ少女は一通の書状を彼に差し出す。

 

「日本政府からの回答書をお持ちいたしました」

 

「ふゥん。それで、ボクに何の用かな?」

 

 人懐こく微笑むヴァトラーに、ポニテ少女は、はい、と言って淡々と言葉を続ける。

 

「本日午前零時をもって、閣下の絃神島〝魔族特区〟への訪問を承認。以後は閣下を聖域条約に基づく〝戦王領域〟からの外交特使として扱う―――とのことです」

 

「それは結構。まあ妥当な結論だね。来るなと言われても勝手に上がり込むつもりだったけど、いくらか手間が省けたかな」

 

 サマーベッドに寝込んだまま、ヴァトラーは無邪気に笑う。

 しかしポニテ少女は、彼を戒めるように表情を硬くして言った。

 

「ただし条件が一つ」

 

「へえ。なんだい?」

 

「日本政府が派遣した監視者の帯同を受け入れて、その勧告に従っていただきたいのです」

 

「お目付け役というわけか」

 

 なるほど、とヴァトラーは面白そうに頷いてみせた。

 

「で、その監視者ってのは誰なのかな?」

 

「僭越ながら、私がその役目を果たさせていただきます」

 

 静かな口調とは裏腹の挑発的な表情でポニテ少女が答える。

 そんな彼女を、不思議そうに見返してヴァトラーは訊いた。

 

「ああ、そう。そう言えば、キミって誰だっけ?」

 

 見事な無関心さを滲ませたヴァトラーの言葉に、ポニテ少女は薄く溜め息を洩らす。

 

「煌坂紗矢華と申します。獅子王機関より、舞威媛の肩書きを名乗ることを許された者です」

 

「獅子王機関か。どこかで聞き覚えのある名前だなァ」

 

 緊張感のない声でヴァトラーが呟くと、ポニテ少女―――紗矢華は苛々と呆れたように首を振る。

 

「魔導テロ対策を担当する日本政府の特務機関です」

 

「………魔導テロ?」

 

「このたびの閣下の絃神市訪問は、機関の監視対象となりますので、私たちが随伴を担当させていただきます。どうかご承知を」

 

「ふうん。まァ、なんでもいいよ」

 

 ヴァトラーはあっさりと受諾すると、笑顔で目を眇めた。

 

「それにしてもお目付け役がキミみたいな可愛い女の子とはね。日本政府も中々粋な計らいをしてくれるじゃァないか」

 

 可愛い男の子だったらもっとよかったんだけどサ、と独りごちるヴァトラーへと、紗矢華は流石に不愉快そうな視線を向けた。

 

「お言葉ですが、閣下。これでも私は、六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)の所有を許された攻魔師です。私の判断で、閣下を討ち滅ぼす権利が与えられていることをお忘れなきよう」

 

 恫喝のような紗矢華の言葉に、ヴァトラーは愉快そうに声を上げて笑い出した。

 

「ははは、いいね。キミ、中々面白い。気に入ったよ。そうそう、ボクのことは、ディマでもヴァトラーでも、好きに呼んでくれたまえ。閣下なんて堅苦しいのはやめにしてサ」

 

「………承知しました、アルデアル公」

 

 紗矢華は他人行儀な態度を崩さない。ヴァトラーは拗ねたように頭を振ると、上体を起こして紗矢華を見た。彼の両眼が薄っすらと紅く陽炎のように揺らめく。

 

「それで、ボクのもう一つのお願いごとの方はどうなってるのかなァ」

 

「お願いごと………ですか」

 

 ヴァトラーの放つ冷ややかな気配に、紗矢華が表情を硬くする。

 

「今さら惚けるのはなしにしてくれないかな。キミたちはとっくに彼を見つけ出して、今も監視中なんだろ。あの世界最強の吸血鬼のことをさ」

 

「第四真祖のことを仰っているのでしたら、あえて否定はしない、と申し上げておきましょう」

 

 平然と告げる紗矢華の態度に、ヴァトラーは微かに歯を剥いて笑った。

 

「是非紹介してもらいたいね。キミたちが彼を匿いたい気持ちはわかるけどサ」

 

 ヴァトラーは人懐こい笑顔のままだが、今や彼の全身からは物理的な圧力にも似た凄まじい呪力が放たれている。猛り狂う感情が、そのまま形になったかのような光景だ。

 しかし彼の強烈な邪気を受けながらも、紗矢華は無表情のまま静かに首を振った。

 

「いえ。彼を庇う理由はありません」

 

 そう言って彼女は一枚の写真を取り出した。制服を着た男子高校生―――暁古城の写真だ。

 

「第四真祖・暁古城は私たちの敵ですから―――」

 

 そう呟いた紗矢華の手の中で、古城の写真がぐしゃりと潰れた。

 ヴァトラーはそれを聞いて凶悪な笑みを浮かべた。

 だが、不意に紗矢華の表情に緊張が走り、ヴァトラーに言った。

 

「………第四真祖もそうですが、絃神島には彼女がいます」

 

「うん、知ってるヨ」

 

 ヴァトラーの即答に、え?と驚く紗矢華。ヴァトラーは愛おしそうな表情を見せると、意味深な笑みを浮かべて言った。

 

「ボクには、彼女がどこにいるのか………手に取るように分かるからネ」

 

 何故なら彼女は―――ボクを創った〝創造主(マザー)〟だからネ………と、ヴァトラーは内心で呟き、絃神島へと視線を向けたのだった。



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戦王の使者 弐

姫乃が原作主人公達と接触(特に学校は行かないので)少ないため、話が原作二巻の一章の半分を越えてしまった。

戦闘描写、書くのは好きだけど相変わらず難しい………


 翌日の早朝。那月宅の屋上。

 其処では、姫乃の張り巡らした時間停止の結界内で特訓が行われていた。

 一対一の特訓ではない。一対()の乱戦が繰り広げられていた。

 

「〝焔光の夜伯(カレイドブラッド)〟の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ―――!」

 

 上空に浮遊する姫乃に向かって右腕を突き出す古城。その腕からは鮮血が噴き出し、やがて雷光へと変わる。膨大な光と熱量は凝縮して巨大な獣の姿を形作った。

 

()()()()、五番目の眷獣〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟―――!」

 

 古城の声に応えて、戦車ほどもある巨大な雷光の獅子の眷獣〝獅子の黄金〟が虚空より出現した。

 古城の血に宿る九体のうちの一体である〝獅子の黄金〟は、雪菜の血を啜ったことで召喚可能になった唯一の眷獣だ。

 その彼の眷獣〝獅子の黄金〟は、天敵たる姫乃の存在を確認するや否やで、古城の指示を待たずに彼女めがけて突っ込んだ。

 本日も〝獅子の黄金〟の制御に失敗した古城は、挽回しようと〝獅子の黄金〟に意識を集中させる。姫乃が相手だと毎回こんな調子だ。

 姫乃は、薄い笑みを浮かべると、光速で迫る〝獅子の黄金〟を片手で受け止める。〝獅子の黄金〟は姫乃の手に牙を突き立てるが、彼女には全く効いていない。

 全盛期の、第四真祖(初代)が放つ〝獅子の黄金〟ならまだしも、まだまだ未熟な第四真祖(古城)が放つ〝獅子の黄金〟では、姫乃にはまるで歯が立たないのだ。

 姫乃は、自分の手に噛みつく〝獅子の黄金〟を、軽く腕を振っただけで消し飛ばす。眷獣を消し飛ばされた影響で、ダメージを負った古城は苦悶の息を吐く。

 そんな彼を庇うように雪菜が前に飛び出す。銀槍〝雪霞狼〟を握り締め地を駆ける雪菜。その彼女に向けて姫乃が左手を翳した。

 すると雪菜の足下に漆黒の魔法陣が浮かび上がり、無数の黒い蛇が飛び出してきて彼女に襲いかかった。

 その不意打ちに雪菜は冷静に対処した。〝雪霞狼〟で狙うのは黒蛇達ではない。黒蛇達を無制限に生み出している漆黒の魔法陣だ。

 

「〝雪霞狼〟―――!」

 

 黒蛇達を無視して〝雪霞狼〟の切っ先を漆黒の魔法陣に突き立てる。たったそれだけで魔法陣は跡形もなく消滅し、魔力で生み出されていた黒蛇達も全て消滅していった。

 姫乃はそれを確認すると、新たに漆黒の魔法陣を展開した。今度は一つだけでなく、同時に四つ。雪菜を取り囲むように出現させた。

 しかし所詮は魔力で生み出された物。雪菜の〝雪霞狼〟の敵ではない。雪菜は、魔法陣から魔力砲を放たれるよりも速く動いた。

 雪菜は右足を軸にして旋回。魔力砲を放とうとした魔法陣に〝雪霞狼〟を横一閃に薙ぎ、四方の魔法陣を纏めて斬り裂き消滅させた。

 姫乃が、中々、と雪菜に感心していると、姫乃の周囲の虚空から無数の銀鎖〝戒めの鎖(レージング)〟が出現して姫乃を搦め捕ろうと襲いかかった。

 それらを姫乃は、全身から膨大な魔力を放出することで全て弾き飛ばす。そして〝戒めの鎖〟を撃ち出してきた那月へ、振り向き様に姫乃は黒い魔力を纏わせた左腕を一閃させた。

 黒い魔力は漆黒の刃と化して那月を斬り裂かんとするその一撃を、

 

「お願いします、〝薔薇の指先(ロドダクテュロス)〟」

 

 アスタルテが虚空より召喚した虹色の巨大な腕の眷獣〝薔薇の指先〟が受け止め、魔力刃を反射して跳ね返した。

 跳ね返され迫り来る自分が放った魔力刃を、姫乃は軽く殴って消し飛ばす。その隙に那月は金鎖〝呪いの縛鎖(ドローミ)〟を虚空から撃ち出して、姫乃の頭部を襲った。

 姫乃は頭を横に傾けて〝呪いの縛鎖〟を躱し、左手を那月に向ける。姫乃の身長と同等の漆黒の魔法陣が展開されると、其処から一際巨大な魔力砲が放たれた。

 光速で迫る巨大な魔力砲を、アスタルテが〝薔薇の指先〟で受け止めようとするが、軌道が不自然に曲がり〝薔薇の指先〟を避けて那月を襲った。

 しかし那月は特に驚くこともなく空間転移で姫乃の背後に跳ぶ。那月は背後から無数の〝戒めの鎖〟で奇襲をかけたが、姫乃はそれを予想していたかのように振り返りもせずに全て躱した。

 そして姫乃は振り返って左手を那月に向けた。が、那月の余裕な笑みを見て不可解に思い眉を寄せる。背後に目を向けると、アスタルテの眷獣〝薔薇の指先〟の両腕が、那月の撃ち出した〝戒めの鎖〟を掴んでいた。

 何故そんな真似をするのか。その答えはすぐに分かった。雪菜と古城が〝戒めの鎖〟の上を駆けて自分の方へ向かってきているということを。

 

「うおおおおお―――!」

 

「はあああああ―――!」

 

 右斜め下から雷光を右腕に纏いながら迫る古城。左斜め下から〝雪霞狼〟を突き出しながら迫る雪菜。

 姫乃は、両手を前に突き出して二人の攻撃に備える。右手には何も纏わせていないが、左手の方には漆黒の結界を五重に張った。

 古城の雷の魔力を纏わせた渾身の右ストレートを易々と右手で受け止める姫乃。雪菜の〝雪霞狼〟は、姫乃の結界を紙切れの如く次々と貫いていき………五重結界を破った〝雪霞狼〟の刃の切っ先が姫乃の左手に触れる寸前で動きを止めた。

 止めた、というよりは止められたという方が正しいのかもしれない。しかも止められたのは〝雪霞狼〟ではなく、持ち主の雪菜の方だ。まるで時間停止を受けたかのように身動きが一切取れないのだ。

 だが雪菜の身動きを封じているその正体は、不可視の能力で目視出来ない透明な蛇達だった。不可視の蛇達は雪菜の両腕両脚に巻きつき動けないように縛りつけているのだ。

 あと一歩で姫乃に届いた一撃。しかしその一歩が遠く届かない。雪菜も古城も勝利を諦めかけた………その時。

 

「上出来だ、教え子ども」

 

 那月は勝利を確信して笑う。姫乃は、ハッとして那月に振り向くがもう遅い。虚空から突如出現した真紅の荊〝禁忌の荊(グレイプニール)〟が姫乃の全身を搦め捕った。

 流石の姫乃でも、〝禁忌の荊〟に捕らえられては反則技を使わなければ脱け出すのは難しい。何せ〝神殺しの魔狼〟さえ脱け出すことが敵わない魔法の荊なのだから。しかし反則技=敗北を意味するため使用はしない。

 いや、それ以前に今回の特訓は姫乃が〝その場から離脱する行為の禁止〟をハンデとして行っているため、空間跳躍も次元跳躍も禁止だし、特訓で〝混沌(カオス)〟の力を使用するのも大人気ない。

 故に那月の〝禁忌の荊〟に捕まった時点で勝負は決していた。離脱禁止の状態では、古城と雪菜を押さえたまま那月の攻撃を躱すことは出来ないということだ。

 姫乃は、自分を捕縛している那月の〝禁忌の荊〟に目を向けながら呟く。

 

「………やられた。流石にこの特訓内容は簡単すぎたかな」

 

「いやいやいや!全然簡単じゃなかったからな!?ハンデつきな上に四人がかりなのにクリアするのが難しかったしよ!」

 

「それは古城が未熟なのが悪い。そんなんじゃ、凪沙も〝     〟も救えない」

 

 うぐっ、と痛いところを指摘されて黙り込む古城。そう。今のままじゃ彼は何も救えない。救う力がない。自分の眷獣〝獅子の黄金〟さえまともに制御出来ない今の彼では到底不可能だ。

 凪沙の中に〝     〟がいる。それを古城と雪菜は知っている。姫乃から聞き出した第四真祖の情報の中に入っていたからだ。

 しかし古城は、あの時に姫乃に救ってもらうことを選択しなかった。何故なら、凪沙と〝     〟は他ならぬ彼の問題だったからだ。それなのに、無償で彼女の力を借りるのは図々しい。だから彼は彼女にこう提案した。

 

 

『俺を鍛えてくれ。あんたを満足させられるまで、俺はあんたの力を借りない』

 

 

 自分の力では凪沙達を救えない。だからこそ古城は、姫乃を満足させることでその代わりを果たそうとしたのだ。

 これにより、オイスタッハ戦の翌日から古城は姫乃の特訓を受け始めた。いつか彼女を満足させられるほど強くなって、その報酬として凪沙達を解放するために。

 

「いいえ。未熟なのはわたしも同じです。〝雪霞狼〟に頼りすぎて見えない敵にしてやられましたから」

 

 雪菜は〝雪霞狼〟を握り締めて、悔しそうな顔で言った。

 雪菜が古城と一緒に特訓に参加しているのは、彼の監視を兼ねて自分も今より強くなるためだ。

 現に雪菜は、姫乃に一撃を与えることを重視していたため、不可視の蛇達の奇襲に気づけなかった。結果、不可視の蛇達にあっさり止められるという失態を犯してしまった。

 だから次からは目視出来ない敵を感知出来るように、もっと周りに注意しつつ姫乃に挑もうと雪菜は思った。

 

「………相変わらず姫乃に通用する手段が少なくて参るな」

 

 那月は溜め息混じりに呟く。基が頑丈に創られている〝No.0(ミデン)〟の分身体〝No.8(エータ)〟。故に通用する手段は、〝禁忌の荊〟と彼女から貰った〝飢餓の呪鎖(ニーズヘッグ)〟くらいしかない。

 日々鍛えてもらっている近接戦闘の技術や、空間制御の魔術による攻撃の一切が姫乃には通用しないので、天部の遺産に頼るほかないのだ。

 

「私も、〝薔薇の指先〟の防御技術はまだまだ未熟でした」

 

 アスタルテは〝薔薇の指先〟を消して那月達の下へ歩み寄って呟く。〝神格振動波駆動術式(DOE)〟を刻印されているアスタルテは、魔力や結界の一切を無力化出来るが、接触しなければ効果は発揮されない。

 今回のように、突然軌道が変わってアスタルテの防御を掻い潜れる力は厄介だ。狙いが那月だったからよかったものの、自分だったら確実にやられていた。

 次からは、不意の攻撃にも対応出来るように精進しようとアスタルテは思った。

 それはそうと、と姫乃は那月をじっと見つめ言った。

 

「反省会はいいけど………ワタシはいつまで縛られてればいい、御主人様?」

 

「ん?………ああ、すまん。忘れてた」

 

 姫乃に言われて、彼女を〝禁忌の荊〟で拘束中だったことを思い出す那月。というか自力で脱出出来るだろ、と那月は思ったが、まあいいかとすぐさま消して姫乃を解放した。

 それからすぐに時間停止の結界を解除すると、古城と雪菜を自宅へ帰し今朝の特訓は終了した。

 

 

 

 

 

 その日の夕方。姫乃は、那月に連れられてとある研究所に来ていた。ちなみに本日のお供は修道女(シスター)の恰好をした幼女(ロリ)と見紛うばかりの小柄な金髪蒼眼の少女―――デウスを連れている。アスタルテはお留守番係だ。

 それと、今回は黒い背広姿の男が二人同伴している。那月の指示に従っているところを見ると、彼女の部下か何かだろう。そんな彼らと共に研究室の隔壁を開けて突入した。

 其処には一人の男が、鉄骨を剥き出しにした殺風景な部屋の片隅にいた。

 静寂に満ちた薄暗い研究室。室内を埋め尽くす電子回路の保護のために、呼気が白く煙るほどに室温が低い。中央のモニタには得体の知れない奇怪な文字の羅列が映し出されていた。

 その男は、那月達に気づくと椅子を軋ませ向き直る。

 

「なんだ、きみたちは?ここはクラス(シックス)の機密区域だぞ。職員以外の立ち入りは―――」

 

 縄張りを荒らされた猛禽のような目つきで黒服男達を威嚇する男。が、その表情は、黒服男の二人が掲げていた身分証明書に気づいて凍りつく。

 

「―――カノウ・アルケミカル・インダストリー社開発部、槙村洋介だな」

 

 抑揚の乏しい機械的な声で黒服男の一人が言う。黒服男の身分証に記されているのは、護身用の簡易魔法陣を兼ねた五芒星。特区警察局攻魔部。国際魔導犯罪を担当する国家攻魔官達の紋章である。

 

「槙村研究主任。この研究所内で扱っている荷物には、魔導貿易管理令に違反する物品が含まれている疑いがある。速やかに所内の全資料の開示、並びに荷物の引き渡しを要求したい」

 

 槙村と呼ばれた男が、額に汗を浮かべて立ち上がる。

 

「待ってくれ。何かの間違いだ!ここで研究しているのは古代言語の解析だ。管理公社の許可も取っている。総務部の方に問い合わせてくれれば―――」

 

「我々は、既に先日、クリストフ・ガルドシュの部下一名を拘束している」

 

 もう一人の黒服男が手錠を取り出しながら威圧的に告げた。槙村がハッと息を呑む。

 

「特区治安維持条例第五条に基づき、これよりあなたの身柄を拘束する。あなたの供述は裁判で不利な証拠として使われることがある。言動には気をつけた方がいい」

 

「くっ………!」

 

 黒服男が槙村の腕を掴んで手錠をかける―――と思われた瞬間、ずん、と鈍い衝撃が黒服男を襲った。

 痩身で見るからに非力な槙村に対して黒服男の体格は屈強。だが槙村が掴まれた腕を振った時、吹っ飛んだのは黒服男の方で、近くの柱に叩きつけられ苦悶の息を吐きながら床に転がった。

 その間に槙村は変身を終えていた。膨れ上がった全身の筋肉が白衣を引き裂き獣人化し、人狼になると金属製の手錠を引き千切る。

 もう一人の黒服男が、咄嗟に拳銃を抜いて槙村に向けた。訓練された動きで人狼殺し(ライカンキラー)と呼ばれる銀イリジウム合金弾を撃ち放つ。しかし槙村は弾丸の雨を潜り抜けて、黒服男の拳銃を叩き落としそのままの勢いで跳躍し、開け放たれたままの隔壁から外に逃げようとした。

 

「やはり、未登録魔族………黒死皇派の賛同者(シンパ)か」

 

 そんな槙村の後ろ姿を見送って、那月がつまらなそうに呟いた。そして彼女は静かに命令する。

 

「―――姫乃、あの人狼(イヌ)を拘束しろ」

 

「分かった」

 

 那月の隣にいた姫乃は頷き、一瞬で槙村の眼前に移動する。空間跳躍ではなく、ただ単純な高速移動で。

 さっきまで那月の隣にいたはずの姫乃が突如自分の眼前に現れたことに驚愕する槙村。が、彼女は武器を何も持たない非力なメイド少女だと錯覚した槙村は獰猛に牙を剥いて笑った。

 

「メイドのガキが、この俺を止められるとでも思ったか―――!」

 

「うん」

 

 姫乃が首肯した刹那、槙村の身体は一回転して床に叩きつけられた。姫乃が、槙村の剛腕を掴むや否やで床に思い切り叩きつけたのだ。

 

「―――カハッ!?」

 

 強かに背中を打ちつけた槙村は、余りの衝撃に苦悶の息を吐き出す。一瞬意識が飛びかけたが何とか気合いで持ち直し、自分の腕を掴んだまま離さない姫乃を睨みつける。

 腕を振って彼女の手を振り払おうと試みるが、そもそも腕を振ることさえ出来ず、少女とはとても思えないデタラメな力に押さえつけられる。

 槙村はわけも分からず人狼の自分を容易く押さえつけている目の前の少女に恐怖を覚えた。

 

「な、何者だよおまえは………!?ただの人間のガキじゃねえな!?」

 

「うん。ワタシは龍神」

 

「―――………は?」

 

「絃神島を支えている………龍脈(レイライン)を制御しているドラゴン。それがワタシ」

 

「なっ、」

 

 槙村は絶句した。彼女が龍神を自称しているのは置いといて、絃神島を支えているドラゴン、という言葉に愕然としたのだ。もしその話が真実ならば、これはいいことを聞いたと密かに笑う。

 黒死皇派の目的の一つである〝魔族特区〟の崩壊。それを一瞬で行える手段―――〝魔族特区〟を支えている姫乃の抹殺を槙村は思い至ったのだ。

 しかし彼は知らない。一見簡単そうに思える姫乃の抹殺の方が、実は難易度MAXであるということに。

 姫乃はつまらなそうに槙村を見下ろして口を開く。

 

「豹人間も狼人間も、結局はどっちも雑魚。リル兄の足元にも及ばない」

 

「何っ!?」

 

 雑魚扱いされて憤る槙村。そんな彼を無視して、姫乃は彼を掴んでいる手から〝闇〟を発生させる。その〝闇〟は瞬く間に彼を呑み込み、その〝闇〟が晴れると………人間に戻っていた。

 

「………え?」

 

 あり得ない光景を目にした槙村と黒服男達は目を丸くした。槙村は何故自分の獣人化が強制的に解除されたのか。黒服男達はどういった手品を使って槙村の獣人化を消したのか。共に理解出来なかった。

 那月とデウスだけは、姫乃が何をやったのか理解していた。姫乃が行ったこと、それは………槙村の姿を元通りに戻しただけだ。

 槙村の獣人化を強制的に解除したわけでも、させたわけではなく、彼が獣人化する前の状態に戻しただけだった。

 槙村は慌てて獣人化を再度行おうとするが、その前に駆け寄ってきた黒服男達が、槙村の首に、微弱な電流によって神経の働きを狂わせ獣人化を阻止する対魔族用の拘束具である金属製のリングを嵌めた。

 

「―――南宮教官、申し訳ない。お陰で助かりました」

 

 折れた右腕を押さえながら黒服男の一人が那月に礼を言った。那月は黒レースの扇子を広げながら優雅に首を振る。

 

「礼なら私の優秀なメイドラゴンに言え」

 

 扇子で口元に浮かんだ笑みを隠しながら言う。黒服男の一人はハッとして姫乃に向き直り、礼を言った。

 

「南宮教官のメイドラゴンの娘、御協力感謝する」

 

「ん」

 

 姫乃は短く返すと、デウスに向き直り命令した。

 

「デゥちゃん、その人怪我してるから治してあげて」

 

「ああ………じゃなくて、ええ。了解した………しました〝エータ〟ちゃ―――姫乃様」

 

 相変わらず慣れない口調に苦戦しながらも、姫乃の命令を受諾するデウス。が、デウスは不機嫌そうな顔で怪我をしている黒服男の下に歩み寄ると、見上げてぼそりと呟く。

 

「………治すなら、こんなむさ苦しい奴じゃなくて、可愛い幼女(ロリ)がよかったなあ」

 

「………?」

 

 怪我をしている黒服男は、デウスのぼそぼそと呟く独り言に首を傾げる。どうやらあまりよく聞こえてないらしい。

 デウスは溜め息を吐くと、黒服男の折れた右腕に右手を翳した。すると聖なる光が黒服男の右腕を包み込み………あっという間に彼の折れた右腕は癒えていった。

 治った右腕に驚愕する黒服男は、治ったばかりの右腕を曲げたり振ったりして確認する。何回か繰り返すが痛みを感じることはなかった。完全に折れていた右腕は治っているようだ。

 

「シスターの娘、怪我の治癒感謝する」

 

「………ふん」

 

 素っ気ない態度で返すデウス。治癒した相手がむさ苦しい男だったのが余程気に食わなかったらしい。

 そんな彼女に歩み寄った姫乃は、デウスを背後から抱き締めると………〝ナデナデタイム〟を執行した。

 

「デゥちゃん、お疲れ。御褒美のナデナデタイム」

 

「お、おお!………幼女(ロリ)にされる抱き締め&ナデナデは癒されるなあ♪」

 

「………変なこと言うならやめるけど?」

 

「嘘ですすみません!引き続きナデナデタイムお願いしますッ!!」

 

 こんなときは素直に敬語を話せる謎なデウスであった。姫乃は呆れたような顔をするも、デウスのために〝ナデナデタイム〟を続行した。

 そんな百合百合しい光景を黒服男達と槙村が唖然と眺めていたが、次第に頬を赤めて、癒されるなと口にしていた。幼女好き(ロリコン)への扉が開いた瞬間だった。

 ただ一人、那月だけは、馬鹿ばっかりだなと呆れたような顔をして男達を眺めていた。

 馬鹿共は放っておいて、と那月は槙村の机に散らばっていた数枚の写真に目を向ける。何処かの古代遺跡から出土した石板を写したものらしい。

 石板の表面に刻まれているのは、研究室のモニタに映し出されている者と同じ、解読不能な文字の羅列。だが、その文字列を見ただけで、其処に書かれている内容は恐ろしく危険な力を秘めた代物だと、直感的に理解出来た。

 

「黒死皇派が、西域からわざわざ運び込んできた密輸品というのはこいつか………ただの骨董品ではなさそうだが………現物(オリジナル)はどこにある?」

 

「―――現物は既にない。一足遅かったみたい、御主人様」

 

 姫乃は、デウスに〝ナデナデタイム〟をしながら那月の呟きに答える。

 姫乃が指差したのは、部屋の隅に残された金属製の輸送用ケース。呪的な封印処理が幾重にも施された特殊な代物だが、その封印は既に破られており、中身はない。其処に収められていた石板は何者かが持ち去ってしまったのだろう。

 

「出遅れた、というわけか」

 

 不機嫌な声で自問しながら、那月はいまだに〝ナデナデタイム〟中の姫乃達に呆れながらも、モニタに映し出された映像を見上げた。

 槙村はどうやら自分の会社の研究設備を使って石板の解読作業を行っていたらしい。だが解読はいまだ不完全であり、解読出来ているのはごく限られた一部の単語だけ。その中に、〝ナラクヴェーラ〟の文字を見つけて那月が険しい表情を浮かべる。

 

「馬鹿な………何を考えている、クリストフ・ガルドシュ………」

 

 那月達の会話を聞いていた槙村が、床に倒れたまま甲高く笑い出す。

 すると、姫乃は〝ナデナデタイム〟をやめてデウスを解放した。デウスが物足りなさそうな表情をしているが、それよりもと姫乃は、那月の傍に歩み寄るとモニタの映像を見上げて薄く笑った。

 

「ふうん。黒死皇派の目的は、天部の古代兵器(オモチャ)を起動させることなんだ」

 

「は?」

 

 姫乃の言葉に素っ頓狂な声を上げる那月達四人。デウスも石板の内容が解るのだが、今は唯一神ではなくシスターを偽ってこの世界に留まっているため、関わらないようにした。

 那月は姫乃をじっと見つめて訊いた。

 

「………姫乃。まさかあの文字が読めるのか?」

 

「うん。そもそも、天部が創った〝ナラクヴェーラ〟の性能をテストする際、ワタシがその実験台をやらされたくらいだからよく知ってる」

 

「なっ………!」

 

 実験台。それはつまり、姫乃は遥か昔に〝ナラクヴェーラ〟と戦ったことがあるということを意味していた。まあ、那月は知らないが、天部の世界を担当していた姫乃だからこそ〝ナラクヴェーラ〟を知らないわけがないのだ。

 それを知った槙村は、ははっ、と笑い姫乃に言った。

 

「アレを解読出来るなら話が早い!是非、今ここでアレが何と書いてあるか読んで―――」

 

「やだ」

 

「………は?」

 

「オマエのような雑魚に、教えてやる義理はない」

 

「な、に………!?」

 

 また雑魚扱いされた槙村は、憤怒の炎を瞳に燃やして姫乃を睨みつける。しかし姫乃が彼を見る瞳は冷えきっていて、興味の欠片もなくどうでもいい存在に対して向けるものだった。

 那月は、扇子で口元を隠しながら、クックッと愉快そうに笑って槙村を見下ろす。

 

「残念だったな。私のメイドラゴンは、貴様のような仔犬には興味がないらしい」

 

「く、くそっ………!」

 

 悔しそうに床を殴る槙村。もし此処で石板の解読が完了出来れば、ガルドシュに褒められ信頼を勝ち取ることが出来たのにと。

 そんな彼を既に視界から外していた姫乃は、デウスと那月を見回して言った。

 

「もう此処に用はないから、早く帰ろう?あーちゃんが一人で寂しがってると思うから」

 

「そうだな。よし………その仔犬はお前達に任せる。私達は寂しがり屋な可愛いメイドの相手をしてやらんといけないんでな」

 

「ハッ!お気をつけて、南宮教官」

 

 黒服男達は那月に敬礼する。那月は頷き、姫乃とデウスを連れて帰宅した。那月達が帰ってくるや否や、アスタルテが泣き笑いで出迎えてくれたのは、また別の話である。

 

 だが、最悪な出来事が刻一刻と迫っているということに、この時は誰も知らなかった。那月のメイドラゴンが―――黒死皇派(テロリスト)と手を組み、絃神島に災厄を齎すという事件が起きるということを………




リメイク前と違って、オリ主は味方も敵も両方演じます。

大抵姫乃が古城達の敵になるのは、某青年貴族のせいだったりしますが。

一応、今後の予定では、奇数巻は異界の神々襲来篇、偶数巻は姫乃敵サイド篇にしようかと思ってます。話の内容次第では逆の時もあるかもしれませんが………


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戦王の使者 参

某青年貴族の正体(オリ設定)が明かされます。


 その日の夜。姫乃は那月達に『ちょっと出掛けてくる』と言って、港湾地区(アイランド・イースト)の大桟橋に一人で来ていた。目的は当然、絃神島に訪れてきた最愛の彼に会うためだ。

 アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー。その彼が、姫乃が数ヶ月ぶりの再会を果たしたい、愛しい者の名である。………まあ、この名は第一真祖がつけたものだが。

 姫乃がつけた彼の名前は別にあるのだが、それはのちに分かることなので今は伏せておくとしよう。

 姫乃はヴァトラーのクルーズ船〝オシアナス・グレイヴ〟の中へと乗り込む。その際、大勢の招待客がジロジロと見てきた。彼女の恰好がメイド服だったからだろう。

 だが姫乃にはそんなのは関係ない。彼らの視線などどうでもいい。ワタシが会いたいのは()()()だけ。

 

「………ん?」

 

 しかしヴァトラーに早く会いたい彼女でも、彼らだけは特例だった。その彼らとは、普段は着なれないであろうスリーピースのタキシード姿の少年―――暁古城と。白地に紺色のパーティドレスを着た少女―――姫柊雪菜のことだ。

 今朝、姫乃の特訓を受けていた彼らが此処に来ている理由。それは言うまでもなく、ヴァトラーに招待されたからだろう。ヴァトラーにとって第四真祖は愛しい好敵手(ライバル)なのだから。

 彼らが来ているのなら接触しておこうかな、と思った姫乃は、早速話しかけに行こうと行動に移る。が、雪菜の手を握り返そうとした古城の腕に、栗色の髪にチャイナドレス風の衣装を着た少女が殺気を伴った銀色の光―――フォークを振り下ろしているのを確認するや否やで飛び出し、その一閃を人差し指で受け止めた。

 え?と驚く古城と、跳び退くフォーク少女。いきなり現れた者の正体が那月のメイドラゴン―――姫乃であることを理解して、古城は驚きの声を上げる。

 

「か、空無!?何であんたがこんなとこにいんだ!?」

 

「………ワタシもこの船に用事があるからいる。それより平気、古城?」

 

「え?あ、ああ………空無のお陰で大丈夫だよ。ありがとな」

 

「ん」

 

 古城は姫乃の頭に手を置いて撫でる。お礼のつもりでやった行為だったが、彼女は嫌がらずに受け入れ、寧ろ喜んでいるような気がした。

 そんな光景をフォーク少女は、あり得ないものを見ているかのような表情で呟く。

 

「な、〝混沌の龍姫〟が………変態真祖に手懐けられてる!?」

 

「誰が変態だ!?空無を手懐けた覚えもねえよ!」

 

 失礼極まりないフォーク少女を睨んで怒る古城。姫乃もフォーク少女を無感動な瞳で見返して言った。

 

「古城に手懐けられた覚えはない。ワタシの御主人様は、南宮那月だけ」

 

「南宮那月………!?そう、あの噂は本当だったようね。世界最強の龍神(ドラゴン)が、〝空隙の魔女〟のメイドをしているっていう噂は」

 

 冷や汗を背中に感じ取りながらも、姫乃から目を逸らさないフォーク少女。フォーク少女と姫乃が睨み合って(正確には姫乃はただ見返してるだけ)いると、雪菜が戻ってきて驚きの声を上げた。

 

「―――紗矢華さん!?それに、空無さんまで!?」

 

「あ、雪菜」

 

 姫乃が雪菜に視線を向けた刹那、紗矢華と呼ばれた栗髪少女が勢いよく雪菜に抱きついた。ポニーテールに纏めた後ろ髪が喜ぶ犬の尻尾のように揺れている。

 

「雪菜!久しぶりね、元気だった!?」

 

「は、はい」

 

 紗矢華との突然の再会に、雪菜は軽く戸惑っているようだ。しかしそんな雪菜の反応などお構い無しに、紗矢華は自分の頬を、雪菜の首筋にぐりぐりと押しつける。

 

「ああ、雪菜、雪菜、雪菜っ………!私がいない間に、第四真祖なんかの監視任務を押しつけられて可哀想に!獅子王機関執行部も私の雪菜になんてむごい仕打ちをするのかしら!」

 

「あ、あの………紗矢華さん………!?」

 

「でも、もう大丈夫よ。この変質者があなたに指一本でも触れようとしたら、私が即座に抹殺―――」

 

「それは駄目」

 

 紗矢華の言葉を遮るように姫乃が拒否した。姫乃は古城の袖を摘まんで紗矢華を睨み言った。

 

「古城はワタシの特訓を受けて強くなることを約束してくれた。だから、ワタシが満足出来るほど強くなるまでは、彼の抹殺を許可しない」

 

「ちょっと待てェ!」

 

 姫乃のとんでもない発言を聞いて、古城はすぐさま待ったをかけた。

 

「ん?」

 

「何言ってんだよあんたは!それじゃあまるで、空無を満足させられるほど強くなったら俺を抹殺していいみたいじゃねえか!」

 

「うん」

 

「うん、っておまえなあ!確かに第四真祖(オレ)は簡単には死なねえけど、痛い思いをするのは御免だ!」

 

 痛い頭を抱えて唸る古城。姫乃は、なるほど、と古城の気持ちを理解して頷く。

 一方、いまだに雪菜に張り付いていた紗矢華は、古城を嘲るような表情で眺め、いい気味ね、と呟く。

 それからすぐに紗矢華は雪菜に視線を戻して、むしゃぶりついた。

 

「ちょっ………さ、紗矢華さん………流石にそれは………やっ」

 

「おい」

 

 立ち直った古城は、そんな隙だらけな紗矢華の後頭部に手刀(チョップ)を叩き込む。きゃっ、と悲痛な声を上げて紗矢華が怯えたように跳びずさった。

 ようやく紗矢華から解放された雪菜は、ホッと安堵の息を吐き、古城の背後に回り込む。

 紗矢華は殴られた後頭部を押さえて、キッと古城を睨んだ。

 

「何するの。触らないでよ、変態真祖!」

 

「だから俺は変態じゃねえ!つか、姫柊にむしゃぶりついてるおまえの方がよっぽど変態だろ!」

 

「はあ!?誰が変態よ!ド変態真祖のあなたなんかと一緒にしないでくれる!?」

 

 歯を剥いて怒鳴り、睨み合う古城と紗矢華。姫乃はそんな彼らを無感動な瞳で眺めて言った。

 

「………どっちも変態だと思う」

 

「そうですね。どちらも変態です」

 

 姫乃に同意する雪菜。雪菜に変態扱いされて、ガーン!とあまりのショックで顎が外れんばかりに大きな口を開けた状態のまま石化する紗矢華。

 古城は、紗矢華と同類にされて納得がいかないような顔をした。確かに雪菜に〝いやらしい〟と言われることは多々あったが、大抵不可抗力によるものだ。だから俺は変態じゃない!

 古城はそんなことを思いながら、石化している紗矢華を一瞥したあと、雪菜に向き直り訊いた。

 

「紗矢華って、たしか姫柊がさっき言ってた元ルームメイトだっけか?」

 

「………はい」

 

 どこか申し訳なさそうに古城を見上げて頷く雪菜。そんな古城達の会話を遮るように、いつの間にか復活した紗矢華が横から割り込んできて言った。

 

「煌坂紗矢華。獅子王機関の舞威媛よ、あほつき古城」

 

「あ、か、つ、き、だ。わざとらしく言い間違えんな!」

 

 古城は怒鳴り返して紗矢華を睨む。これだけの騒ぎを起こしていても、パーティ会場にいる客達はそれを気にしている様子はない。そういえば姫乃が接触してきた時には既に客達はこちらに関心がなかったような気がした。

 

「舞威媛ってなんだ?剣巫とは違うのか?」

 

 古城がもう一度雪菜に質問すると、彼女は小さく首を振った。

 

「どちらも同じ攻魔師ですけど、修めている業が違うんです」

 

「業?」

 

 眉を顰めた古城を見て、紗矢華が得意げに言い放つ。

 

「舞威媛の真髄は呪詛と暗殺。つまり、あなたのような雪菜につきまとう変態を抹殺するのが、私の使命よ」

 

「つきまとってねえよ!どっちかと言うと、つきまとわれてるのは俺の方だ!」

 

「何勝ち誇ってるのよ!?別に羨ましくなんかないんだけど!」

 

「羨ましがらせようと思って言ってんじゃねえよ!」

 

 互いに激昂しながら古城と紗矢華が睨み合う。雪菜は目を覆いながら弱々しく首を振った。

 

「でも、どうして紗矢華さんが?外事課で多国籍魔導犯罪を担当していたんですよね?」

 

「今もそうよ。この島には任務で来たの」

 

 別人のように優しげな口調で紗矢華が答える。雪菜(好き)古城(嫌い)の激しい少女だ。雪菜が驚いて瞳を細める。

 

「任務?」

 

「あなたと同じよ、雪菜。吸血鬼の監視役。アルデアル公が絃神市の住民に危険に曝さないよう、監視するのが私の任務。今は彼に依頼されて―――ッ!!?」

 

 紗矢華は途中で言葉を切って咄嗟に跳び退く。突如凄まじい殺気が彼女を襲ったからだ。

 雪菜と古城も、背後から感じ取ったゾッとするような殺気に、冷や汗を流しながらゆっくりと振り向く。

 二人の目に映ったのは、相も変わらず無表情な姫乃。しかし彼女の瞳には明確な〝怒〟が刻まれており、それは紗矢華に向けられていた。

 さっきまで紗矢華に対して関心の〝か〟の字も示さなかった姫乃。が、今は恐ろしいほどの怒りが全身から滲み出ている。

 古城がそんな彼女に声をかけようとした瞬間、その彼女が不快そうに眉を寄せて紗矢華に言った。

 

「ふうん。オマエ如き下等生物(ニンゲン)が、ヴァ君の監視者?笑えない冗談を言うのはやめて欲しい」

 

「え?ヴァ君………?」

 

 雪菜がそう呟くと、何故か鋭い視線で姫乃に睨まれた。その瞳は、ワタシ以外がその愛称を呼ぶことは許さない、と訴えてきているようだった。

 紗矢華は幼女(ロリ)とはとても思えない姫乃の凄味に、今すぐにでも逃げ出したくなるような衝動に駆られる。が、何とか姫乃を見返して言った。

 

「じ、冗談ではないわ〝混沌の龍姫〟。私は日本政府から、アルデアル公の監視の命を受けてるもの」

 

「そう。じゃあ、日本政府のゴミ共は今夜中に始末しに行かないといけないかな。ワタシの可愛いヴァ君に手を出した愚かなゴミ共に罰を与えないと」

 

「―――ッ!!?」

 

 姫乃のその言葉を聞いて紗矢華は、この子は此処で始末しないとまずい、と思いキーボード用の黒い楽器ケースに手を―――

 

「(………!?しまった!〝煌華麟〟は今は携帯していないじゃない!)」

 

 そう。紗矢華は今〝煌華麟〟と呼ばれた六式重装降魔弓(デア・フライシュッツ)を持って来ていない。そも姫乃が来ていること自体がイレギュラーだったため、武器は携帯してこなかったのは仕方がなかった。

 紗矢華が悔いるように唇を噛み締める。一方の古城は、姫乃の言葉を聞いて慌てて止めに入った。

 

「ちょっと待て空無!それだけはやめろ!………つかまるで話が見えないけど、どうしてあんたがディミトリエ・ヴァトラーを気にかけてるんだ?」

 

「それは第四真祖でも教えられない。ワタシとヴァ君の関係を知っている人物は、世界に三人しか存在してない。それほどとても秘密な関係だから」

 

「世界に三人しか………!?それってもしかして、三名の真祖のことですか!?」

 

「うん」

 

 即答する姫乃。それは隠す気はないらしい。よくそれで秘密が知られずに守られていたものだ。

 それはさておき、と姫乃が日本政府を殲滅しに行こうと転移用の魔法陣を展開した瞬間………銀色の閃光が煌めき、魔法陣を切り裂いた。

 姫乃は魔法陣を切り裂いた〝雪霞狼〟の持ち主である雪菜を睨んだ。

 

「何の真似?雪菜」

 

「すみません空無さん。あなたを行かせるわけにはいきません。もし、日本政府を消しに行くつもりなら―――わたしはあなたを殺してでも止めます!」

 

 雪菜は〝雪霞狼〟を姫乃に突きつけて宣言する。しかし姫乃はつまらなそうな瞳で雪菜を見返した。

 

「雪菜、〝雪霞狼〟じゃワタシを殺せない。無意味な行為は感心しない」

 

「………っ!」

 

 雪菜は悔しげに顔を歪める。魔法陣には有効でも、姫乃本体には通用しないことは分かっていた。けど、此処で引くわけにはいかない、と〝雪霞狼〟を下ろさずに姫乃の胸元に切っ先を向ける。

 すると姫乃の態度は打って変わって余裕がなくなり、両手を振って雪菜に言った。

 

「嘘。その槍で心臓刺されたら消滅しちゃうから、下ろして欲しい」

 

「「「え?」」」

 

 姫乃の言葉に、雪菜だけでなく古城と紗矢華も驚いた。龍神(ウロボロス)の分身体とはいえ、獅子王機関の武器で滅ぼせるとは思いもしなかったのだ。紗矢華に至っては、姫乃を龍神本体だと誤解しているため、雪菜や古城以上に驚いているわけだが。

 雪菜達は知らないが、〝雪霞狼〟の真の効果は魔力無効化やあらゆる結界を切り裂く程度で留まるモノではない。

『世界を本来在るべき姿に戻す』―――その効果は、龍神本体ではない分身体の姫乃を消滅させられるだけの力がある。何せ姫乃は本体が生み出した分身体で、本来存在しないはずの(ドラゴン)なのだから。

 雪菜は驚きつつも、罠かもしれない、と警戒して姫乃に問いただした。

 

「それは本当ですか?わたしを油断させるために吐いた嘘ではないんですか?」

 

「本当。………試しに刺してみる?消滅したらワタシとは金輪際会えなくなるけど」

 

「え!?」

 

「それにワタシが死んだって知ったら、御主人様が怒って雪菜を殺しに来るかもしれない」

 

「―――ッ!!」

 

 ハッと雪菜は思い出す。そうだ。姫乃をメイドとして雇っている那月(主人)がいるじゃないか。それなのに姫乃を殺したりしたら那月が復讐しにくるのは目に見えてる。

 ならば此処は穏便に事を済ませなければ、と雪菜は思い、姫乃に突きつけていた〝雪霞狼〟を下ろした。

 

「分かりました。今回は両者痛み分けにしましょう。わたしは空無さんを抹殺しません。ですからあなたも日本政府には手を出さないでください」

 

「分かった。日本政府には手を出さない。煌坂紗矢華もヴァ君の監視者として認める。でも、一つだけ忠告させてもらう」

 

 姫乃はフッと完全に感情を殺すと、雪菜と紗矢華を〝無〟の表情で見回して告げた。

 

「ヴァ君に刃を向けたらその時は―――この世界ごとオマエたちを沈めるから、覚悟しとく」

 

「「「―――――ッ!!!?」」」

 

 姫乃の〝無〟表情で告げた『世界滅ぼす宣言』に、三人はぎょっと目を剥いた。其処までしてヴァトラーを守ろうとする姫乃………ますますその関係が知りたくなる三人。

 いや、それも気になるが、姫乃が自分を滅ぼせる武器を向けられただけで大人しく言うことを聞いたのは不可解だ。彼女ならば雪菜の攻撃を容易く避けられるはずだというのに。

 姫乃が此処まで慎重な理由。それはもしかしたら、この場所だからなのかもしれない。彼女はヴァトラーの船を壊してしまわぬように、下手に動こうとしないのだろう。それなら納得がいく。

 その姫乃は、無感動な声音で古城達に言った。

 

「………じゃあ、早くヴァ君の所に行こ。特に古城には会いたがってるから」

 

「………俺に?」

 

 古城が自分を指差しながら訊くと、姫乃はコクリと頷いた。それから姫乃が足で床を軽くトンと叩くと、古城達は一瞬で船の上甲板に移動した。空間転移である。

 この現象に古城と雪菜は何度も経験しているため、別段驚きはしない。が、紗矢華は初めての経験だったのか、唖然としていた。

 古城は、漆黒の海と夜空を背景にして、広大なデッキの隅に立っていた一人の男を発見する。金髪に純白のコートを纏った美しい青年だ。

 その彼は、古城達の気配に気づいて振り返る。そして彼は碧眼で古城を見るや否やで、純白の閃光を撃ち放った。

 

「―――先輩!」

 

 真っ先に反応した雪菜は、〝雪霞狼〟を構えて古城を庇おうとする。その雪菜を紗矢華がハッと我に返って庇う。しかしそれでは純白の閃光は防げない。

 彼が放った光の正体は、光り輝く灼熱を纏った炎の蛇………吸血鬼の眷獣だ。流星の如き速度で撃ち放たれたその眷獣に、古城は反応するのが遅れた。

 まずい、眷獣を召喚する暇がない!古城がそう思って身構えた瞬間、漆黒の長髪が彼の眼前に現れた。自分を庇ったその人物は確認するまでもなかった。真祖すら容易く凌駕する強大な魔力を纏える者など一人しかいないのだから。

 

「―――〝難陀(なー君)〟、止まる」

 

 メイドラゴン、姫乃の言葉に純白の炎蛇〝難陀(なー君)〟と呼ばれた眷獣がピタリと彼女の目の前で止まった。

 

「「「は?」」」

 

 その光景に素っ頓狂な声を洩らす古城達。炎蛇の眷獣〝難陀(ナンダ)〟の召喚者である純白コートの彼は苦笑いを浮かべていた。

 姫乃は言うことを聞いた〝難陀〟に、優しげな表情を浮かべると、〝難陀〟の蛇頭を優しく撫で始めた。

 

「ふふ、いい子。〝難陀(なー君)〟、()()()()()()()()()()

 

 姫乃がそう言うと、〝難陀〟はコクンと頷いた。そんな〝難陀〟に、姫乃が口づけした刹那、〝難陀〟は魔力の塊に変化してやがて完全に消滅した。

 

「「「……………」」」

 

 一部始終を見ていた古城達は、ポカンと口を開けて呆けていた。姫乃がまるで自分のペットのように召喚者の意思も関係なく異界へ送り返したこと。

『ワタシの楽園へお帰り』という姫乃の不可解な言葉。なー君と呼んでいたあの眷獣は、彼女の楽園出身のモノなのだろうか。

 一方、純白コートの彼は、やれやれと首を横に振って姫乃を見つめる。

 

「邪魔をしないで欲しかったかな………ボクは彼を試そうとしていただけなんだ」

 

「そう。ごめんヴァ君。でも、古城なら心配しないで。ヴァ君の好敵手(ライバル)と呼べるほどの者になるまで、ワタシがみっちり鍛えるから」

 

「へえ。貴女が直々に彼を強くしてくれるんだ。それはとても嬉しいネ。どれほどボク好みの強者に育ってくれるか、楽しみだよ」

 

「うん、期待してて。でも、ヴァ君の不意打ちに反応遅れてたからまだまだかな。〝不意〟の攻撃にキチンと対応出来るように特訓しよう」

 

 うんうん、と一人で納得して頷く姫乃。仲睦まじく話をする二人を、古城達は呆然と眺めていた。純白コートの彼と話している時の姫乃の表情が、無表情ではなく優しげな表情で驚きを隠せない。

 純白コートの彼は、姫乃の横を通りすぎて古城の前に歩み寄った。

 

「初めまして、と言っておこうか、暁古城。我が名はディミトリエ・ヴァトラー、第一真祖〝忘却の戦王(ロストウォーロード)〟よりアルデアル公位を賜りし者」

 

「あんたが、ディミトリエ・ヴァトラー………?俺を呼びつけた張本人?」

 

 古城が訊くと、ヴァトラーはニヤリと微笑んだ。

 

「そうだよ、暁古城。いや、〝焔光の夜伯(カレイドブラッド)〟―――我が愛しの第四真祖よ!」

 

 そう言って、ヴァトラーは古城を愛おしげに見つめ、大きく両腕を広げて古城を迎え入れんとする。やはりこうなるのか、と首を振る紗矢華と、唖然とする雪菜。

 

「………はい?」

 

 告げられた言葉の意味を理解出来ずに、古城は弱々しい呟きを洩らす。

 ヴァトラーはニヤリと笑うと、姫乃の隣まで戻り、彼女の肩を抱き寄せて告げた。

 

「それから古城にも紹介してあげるね。この御方こそが、ボクを創った我が愛しき〝創造主(マザー)〟―――ボクの愛する御母様だヨ!」

 

「「「え?」」」

 

 暫く古城達はきょとんとした顔で姫乃とヴァトラーをゆっくり見比べた。

 

「「「えええぇぇぇぇ―――!!!?」」」

 

 そのあとすぐに、彼らの絶叫が夜の絃神市に響き渡った。

 これが天部が創りし人造吸血鬼〝第四真祖(カレイドブラッド)〟の力を受け継ぎし少年・暁古城と。

 姫乃(ウロボロス)が創りし龍造吸血鬼〝蛇王(ナーガラージャ)〟ディミトリエ・ヴァトラーもといアーディ・シェーシャの邂逅だった。




シェーシャはアナンタ竜王の別名または同一視される。

ヴァトラーの真名をシェーシャにしたのは、原作で原初の蛇アナンタが彼の切り札だったので、オリ設定での彼の真名はアナンタの別名にしよう!と決めた作者であります。

ちなみにこのSSのヴァトラーは、合成眷獣以外の特殊能力を追加しています。何なのかは本編にて。


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戦王の使者 肆

 ヴァトラーが告げた驚愕の事実―――姫乃が自分の創造主(マザー)なのだと。御母様なのだという話を聞いて、開いた口が塞がらない状態でいる古城達三人。

 その姫乃は、無表情だった顔を不機嫌そうな顔に変えて、ヴァトラーに言った。

 

「ヴァ君、それは言わない約束」

 

「別にいいじゃないか御母様。ボクは貴女の帰還と新しい第四真祖の登場を機に、正体を明かすつもりだったからね」

 

「………ワタシの子だって知られたら、ヴァ君に危険が及ぶ」

 

「ははっ、それこそスリルがあってボクは嬉しい限りだよ」

 

 問題ないね、と笑うヴァトラー。そんな彼を心配そうな顔で見つめる姫乃。

 ヴァ君は分かっていない。ワタシが恐れていることは、獅子王機関()()に知られることじゃない。異界の神々に知られること。

 ………知られたら最後、ヴァ君はワタシの子というだけで異界の神々に狙われる。もしヴァ君を人質にでも取られたらワタシは死を選ぶしかない。

 そんな不安を過らせる姫乃を余所に、古城がヴァトラーと姫乃を見比べて、

 

「全然似てねえじゃねーか!」

 

 あまりにも似ていない親子に絶叫を上げた。そんな彼に雪菜は首を横に振った。

 

「いえ。つっこむところはそこではありませんよ先輩」

 

「そうよ!似てる似てないなんてどうでもいいことじゃない!これだからド変態真祖は」

 

「変態は関係ねえだろ!つか俺は変態じゃねえ!」

 

 意味不明な理由で変態扱いしてくる紗矢華に歯を剥いて怒鳴る古城。

 ヴァトラーは、似ていないという古城の質問に答えた。

 

「似ていないのは当然だよ、古城。ボクは御母様に創られた存在だからね。御母様に産み落とされたわけではないヨ」

 

「空無に創られた?じゃあ第一真祖との血縁関係は一切ないのか?」

 

「そうだよ。第一真祖とは血縁関係は全くないさ」

 

 第一真祖とは無縁。それを聞いて雪菜が驚きの声を上げた。

 

「え?第一真祖とは血縁関係は全くないんですか!?ではどうして〝戦王領域〟に身を置いているんですか?」

 

「ん?それは御母様が異界へ旅立つ際に、第一真祖(じいさん)とこにボクを預けたからだね。本当はボクも一緒に連れていって欲しかったけど」

 

「それは駄目。神々のいる世界に、ワタシの可愛いヴァ君は連れていけない」

 

「とまあ、こんな感じに断られちゃったんだ」

 

 あの時と同じ台詞を姫乃に言われて、しょんぼりと肩を落とすヴァトラー。

 一方、ヴァトラーの正体が獅子王機関の情報とはまるで違っていて驚きを隠せない雪菜と紗矢華。まさか〝混沌の龍姫〟が創った存在だったとは予想外だった。

 ヴァトラーが姫乃に創られたということは、その力は〝貴族(ノーブルズ)〟程度では収まらないはず。最悪、お世話になっている第一真祖をも凌駕する怪物か。

 古城は唖然としながらも、ヴァトラーを見つめる姫乃の表情を見れば嫌でも納得せざるを得ない。が、一つ分からない点があった。それは―――

 

「なあ、空無。ヴァトラーを創った理由はなんだ?やっぱり、強い奴と戦いたいからか?」

 

「それもある。けど、ヴァ君を創ったのは、ワタシも天部みたいにワタシだけの殺神兵器を創ってみたかったから」

 

「それもあるのかよ。殺神兵器って、まさか天部が創った第四真祖の真似をして、そいつを創ったのか!?」

 

「そいつ違う。ヴァ君の名前はヴァトラー。幾ら第四真祖の古城でも、ヴァ君をそいつ呼ばわりするのは許さない」

 

「わ、悪い」

 

 姫乃の半ば本気の殺意を向けられて、慌てて謝る古城。どうやらヴァトラーを悪く言うのは死亡フラグらしい。

 しかしヴァトラーは、やれやれと首を横に振り、

 

「ボクの呼び方は気にしなくていいよ、古城。愛さえあれば〝こいつ〟でも〝そいつ〟でも何でも好きに呼ぶといいサ」

 

「愛さえあればって、それは絶対ねえよ!同性愛とか、そんな趣味は俺にはねえ!」

 

「ははっ、そう照れなくていいよ、古城。素直になろうじゃァないか」

 

「照れてねえよ!俺は素直に嫌なんだって!」

 

 つれないなあ、と寂しそうな表情で見つめてくるヴァトラー。彼は本気のようだ。

 気持ち悪いなこいつ、と迷惑そうにヴァトラーを見返す古城。が、ハッと失言に気づいて姫乃を恐る恐る見た。

 その姫乃は―――痛い頭を抱えて深い溜め息を吐いていた。そんな彼女の反応に古城は驚く。

 

「………空無は、ヴァトラーの同性愛をどう思ってるんだ?」

 

「正直言ってやめて欲しい。ワタシの可愛いヴァ君でも、同性愛は認められない」

 

 姫乃のその言葉を聞いて、ホッと胸を撫で下ろす古城。彼女がこういう面では常識()で良かった。

 ヴァトラーは肩を竦ませると、姫乃の頭を撫でながら言った。

 

「御母様はボクのお願いは基本何でも叶えてくれるんだけどね。同性愛だけは認めてくれないんだよ」

 

「いや、普通に同性を好む息子なんか嫌だろ」

 

「うん。ヴァ君には真っ当な人になって欲しい。ちゃんとした異性と結ばれることがワタシの望み」

 

 古城に同意して姫乃が真っ直ぐな瞳でヴァトラーを見つめる。それから彼女はヴァトラーの頬に両手を添えて、

 

「もし誰も貰ってくれなかったら言って。ワタシがヴァ君のお嫁さんになるから」

 

「は?」

 

「御母様を貰っていいのかい?………うん、それもアリだね。分かった、古城がボクの愛を受け止めてくれなかったその時は、貴女をお嫁に貰うヨ」

 

「ちょっと待てェ!」

 

「「ん?」」

 

 ヴァトラーが姫乃の顎をクイッと持ち上げて覗き込んでいるその状況を、ヤバい、と直感した古城が慌てて止めに入る。

 

「同性もだけど、親子はもっと駄目だろ!空無はあんたの産みの親ではなくても、生みの親ではあるんだからさ!」

 

「………?別にワタシは親子だろうと構わない」

 

「うん。ボクも御母様ならいいよ。親子だという事実なんて些細なことだからね」

 

「ちっとも些細じゃねーよ。そこは重大な問題だから。あとヴァトラー、おまえは愛おしげにこっち見んな!」

 

 愛おしげに見つめてくるヴァトラーに怒鳴る古城。姫乃は姫乃で、常識()かと思いきや親子愛は受け入れる異常者だったことに古城は落胆した。

 そんな危険な雰囲気に包まれている彼らを余所に、紗矢華は気になる言葉を聞いて雪菜に質問していた。

 

「ちょっと雪菜。第四真祖が天部に創られた殺神兵器って本当なの?」

 

「え?は、はい。わたしと暁先輩は、空無さんから第四真祖について聞き及んでいますので真実です」

 

「〝混沌の龍姫〟から!?嘘………どうやって口を割らせたの!?」

 

「いえ。口を割らせたわけではなく、教えてくれました。ちょっと色々あって暁先輩が空無さんの一日主人(マスター)の権利を得た時に、第四真祖の事を聞いたら話してくれましたから」

 

 雪菜の話を聞いて、紗矢華は絶句する。

 口を割らせたわけではなく喋ったこと。あの変態真祖が一日とは言え、〝混沌の龍姫〟を自由に出来る権利を得たこと。もしかして本当は、あの変態真祖は凄い実力の持ち主なのでは?と嫌な汗を流す。

 紗矢華が古城を恐ろしいものを見るような表情で見ていると、雪菜が苦笑しながら首を横に振った。

 

「暁先輩が空無さんに勝利して一日主人の権利を手に入れたわけではありませんよ紗矢華さん」

 

「え?違うの?」

 

「はい。空無さんは暁先輩と喧嘩したそうで、その仲直りの印で暁先輩は空無さんの一日主人の権利を手に入れました」

 

「………よく分からない子ね、〝混沌の龍姫(あの子)〟。喧嘩の仲直りだけで、自分の所有権を一日でもあげるかしら普通?」

 

「それは………わたしも同意見です」

 

 姫乃の意図がまるで読めず不可解に思う紗矢華と雪菜。そこまでしてまで第四真祖との関係を壊したくない理由とは何なのか。

 紗矢華は気を取り直して姫乃に目を向け呟く。

 

「それにしても、アルデアル公の正体が〝混沌の龍姫〟に創られた吸血鬼だったとは驚きね」

 

「はい。しかもアルデアル公を創った理由が、天部が創った第四真祖みたいな殺神兵器を創ってみたかったから、ですよ。やっぱり空無さんは自分勝手な(ひと)です」

 

 はぁ、と深い溜め息を吐く雪菜。暁先輩(第四真祖)()し合うだけが目的ではなく、アルデアル公(息子)という名のとんでもない吸血鬼(爆弾)を創っていたとは思いもしなかった。

 しかもどっちも自分の欲望を満たすためだけなのだから、自分勝手にもほどがある。これは本気で彼女を更正しなければならないかもしれない、と雪菜は強く思った。

 それはともかく、と雪菜は本題に入るべく古城の前に出てヴァトラーを言った。

 

「アルデアル公―――恐れながらお尋ねします」

 

「ん?きみは?」

 

「獅子王機関の剣巫、姫柊雪菜と申します。今夜は第四真祖の監視役として参上いたしました」

 

「ふゥん………成る程。紗矢華嬢のご同輩か」

 

 恭しい言葉遣いで名乗る雪菜を、ヴァトラーは退屈そうに見下ろして呟いた。

 

「ところで古城の身体から、きみの血と同じ匂いがするんだが………もしかしてきみが〝獅子の黄金(レグルス・アウルム)〟の霊媒だったりするのかな?」

 

「………っ!?」

 

 思いがけないヴァトラーの指摘に、雪菜の全身がぎこちなく硬直する。

 表情を凍りつかせていたのは、古城も同じだ。同じだが、ヴァトラーの言葉に引っかかり眉を顰めて、

 

「ちょっと待て。何であんたが〝獅子の黄金〟を知ってるんだ?俺はあんたの目の前で眷獣を召喚した覚えは―――」

 

 そこまで言って古城は何かに気づいてハッとした。そう言えばヴァトラーを空無が創った理由は、第四真祖みたいな殺神兵器を創りたかったからではなかったか。なら、俺が召喚せずとも、覚醒している眷獣を言い当てるのは造作もないことではないか?

 そんな彼を、気づいたようだね、と満足そうに見つめてヴァトラーは頷いた。

 

「そうだよ古城。ボクは第四真祖を初代の頃から知っているからね。召喚せずともきみの身体から覚醒済みの眷獣の気配を読み取ることが可能なのさ」

 

「マジかよ………。じゃあ血の匂いも分かるのか?」

 

「いや、嘘だよ。ちょっと言ってみただけだ」

 

「そっちははったりかよ!?」

 

 嵌められた、と古城はガクリと項垂れる。まんまとヴァトラーにしてやられたようだ。

 そんな古城は背後から突き刺さるような視線を感じた。振り返るまでもない。原因は雪菜好きの紗矢華しかないのだから。彼女の凄烈な殺気に、古城の背筋が冷たくなる。

 古城達の動揺を愉しむかなように、ヴァトラーが満足そうな笑顔で言う。

 

「でもまあ、きみが古城の〝血の伴侶〟候補だというのなら、ボクにとっては恋敵ってことになる。それに敬意を表して特別に質問を受け付けてあげるよ。何が聞きたい?」

 

「前提からして色々間違ってるだろ。候補でもねえし、恋敵でもねえよ!」

 

 古城が律儀に反論するが、ヴァトラーは何事もなかったかのように聞き流すだけだ。

 雪菜は重々しく息を吐き、険しい表情でヴァトラーを真っ直ぐに見据えた。

 

「貴公が絃神島を来訪された目的についてお聞かせください。そうやって第四真祖といかがわしい縁を結ぶことや、空無さんと再会することが目的なのですか?」

 

 咎めるような雪菜の発言にも、ヴァトラーは笑顔を崩さない。寧ろ愉快そうに眉を上げ、

 

「ああ、そうか、忘れていたな。本題は別にある。勿論古城と愛を語り合ったり、御母様との再会を果たすためでもあるんだけどね」

 

「やっぱりそっちもあるのかよ」

 

 古城がうんざりと呟いた。姫乃は同性愛に走るヴァトラーに溜め息を吐くも、ヴァトラー(息子)との再会は嬉しく思っていた。

 雪菜は、攻撃的な気配を漂わせながら、威嚇するようにヴァトラーを睨んで、

 

「本題というのは………?」

 

「ちょっとした根回しってやつだよ。この魔族特区が第四真祖の領地だというのなら、まずは挨拶しておこうと思ってね。もしかしたら迷惑を掛けることになるかもしれないからねェ」

 

 そう言いながらヴァトラーは優雅に指を鳴らす。それが合図になって、船内からぞろぞろと大勢の使用人達が現れた。彼らが運んできたワゴンの上には、豪華料理の皿が満載されている。

 

「―――迷惑とは、どういうことですか?」

 

 出された料理には目もくれずに雪菜が訊く。

 ヴァトラーは、生ハムを一切れ行儀悪く摘み上げながら笑った。

 

「クリストフ・ガルドシュという名前を知っているかい、古城?」

 

「いや?誰だ?」

 

 首を振る古城に、ヴァトラーの執事らしき男がワイングラスを手渡してくる。未成年なので、と断りかけた古城だが、男の顔を見て逆らうことを諦めた。

 物腰は静かで知性的だが、凄まじい威圧感を備えた強面の老人だ。頬に残された大きな古傷が、彼の苛烈な人生を想像させる。

 ヴァトラーも同じように執事からグラスを受け取って、乾杯、と古城の前に掲げてみせた。

 

「戦王領域出身の元軍人で、欧州では少しばかり名前を知られたテロリストさ。黒死皇派という過激派グループの幹部で、十年ほど前のプラハ国立劇場占拠事件では民間人に四百人以上の死傷者を出した」

 

「黒死皇派って名前は聞いたことがあるな。だけど、何年も前に壊滅したんじゃなかったか?たしか指導者が暗殺されて―――」

 

 古城はうろ覚えの古いニュースを思い出して呟いた。

 

「そう。彼はボクが殺した。少々厄介な特技を持った獣人の爺さんだったけどね」

 

 ワイングラスを傾けながらヴァトラーは悠然と笑って答える。

 

「ガルドシュは、その黒死皇派の生き残りだ。正確に言えば、黒死皇派の残党達が、新たな指導者としてガルドシュを雇ったんだ。テロリストとして圧倒的な実績を持つ彼をね」

 

「ちょっと待て。あんたが絃神島に来た理由に、そのガルドシュって男が関係してるのか?」

 

 唐突に嫌な予感を覚えて、古城が訊くと、ヴァトラーは感心したように頷いて、

 

「察しがよくて助かるよ、古城。その通りだ。ガルドシュが、黒死皇派の部下達を連れて、この島に潜入したという情報があった」

 

「………何でヨーロッパの過激派が、わざわざこんな島に来るんだよ?」

 

「さあね………全く何を考えてるんだか」

 

 ヴァトラーの惚けた態度に、古城は苛々と歯を軋ませる。

 それを無言で眺めていた紗矢華が突然、事務的な口調で古城に告げた。

 

「黒死皇派は、差別的な獣人優位主義者達の集団よ。彼らの目的は聖域条約の完全破棄と、戦王領域の支配権を第一真祖から奪うこと―――」

 

 そんなことも知らないのかしら、とでも言いたげな紗矢華の冷ややかな態度に、古城は思わずムッとして、

 

「益々この島は関係ねーじゃんかよ」

 

「いえ、先輩。違います」

 

 雪菜が小声で古城を嗜めると、そうそう、とヴァトラーも悪戯っぽく片目を瞑って、

 

「絃神島は魔族特区―――聖域条約によって成立している街だ。彼らが、この街で事件を起こすことは意義があるのサ。黒死皇派の健在を印象付けるという程度の自己満足だけどねェ」

 

「な………」

 

 そんな勝手な理屈があるか、と古城は低く唸る古城。

 

「とはいえ、魔族特区がある国は日本だけじゃない。彼らが絃神島に来たことには、他にも何か理由があると考えるのが妥当だろうねェ」

 

「何か………ってなんだ?」

 

「そんなことは知らないよ」

 

 ヴァトラーがぞんざいに首を振った。そして奇妙に浮き立つような声で、

 

「考えられるとすれば、そうだな、真祖を倒す手段を手に入れるため、というのはどうかなァ。何しろ彼らの最終目的は第一真祖を殺すことだからねェ」

 

「………あんたはそれでいいのかよ」

 

 古城は呆れ顔で溜め息を吐いた。真祖を倒す手段を手に入れてしまったら、危険なのはヴァトラー(あんた)もそうだろ、と。

 

「別に構わないよ………と、あの真祖(じいさん)なら言いそうだけどねェ。ボクにも色々と立場ってものがあってサ、そうも言ってられないわけだ」

 

 他人事のような態度で両腕を広げて、ヴァトラーは意味ありげな含み笑いを洩らす。

 そんな得体の知れないヴァトラーを、雪菜が生真面目な表情で睨めつけた。

 

「クリストフ・ガルドシュを、暗殺なさるつもりなのですか?」

 

「まさか。そんな面倒なことはしないよ。そもそも御母様が与えてくれたボクの眷獣達は、そういう細かい作業に向いてないんだ。街ごと焼き払うとか、そういうのは得意なんだけどねェ」

 

 ヴァトラーがのらりくらりと雪菜の詰問をはぐらかす。

 自慢することか、と古城は密かに嘆息する。姫乃に与えられた、という点にはもう驚きはしない。ヴァトラーは彼女に創られた吸血鬼なのだから当然、眷獣も彼女によって与えられているのは目に見えて分かることだ。

 まあそれはともかく、ヴァトラーにテロリストと戦う意志がないというのなら、一先ずは安心だ―――と古城が胸を撫で下ろしかけたその時、

 

「でもサ、もし仮にガルドシュの方からボクを殺そうと仕掛けてきたら、応戦しないわけにはいかないよねェ。自衛権の行使ってやつだよ。そうだろ?」

 

 油断した古城を嘲笑うかのように、ヴァトラーはそう言って同意を求めてくる。

 その時になって古城もようやく彼の目的を理解した。

 

「あんたが絃神島に来たのは、テロリストを挑発して誘き出すのが目的か。こんなクソ目立つ船で乗り付けたのも―――」

 

「いやいや………どちらかと言えば、愛しいきみと御母様に会うのが目的なんだが」

 

 ヴァトラーはそう言って、姫乃の頭を撫でつつ古城にしつこく色目を使う。

 古城は声を荒げて、

 

「ふざけてる場合か。戦争がしたけりゃ自分の領地(くに)でやれ。他国(よそ)の街に迷惑かけんな!」

 

「勿論ボクはそう願ってるよ。この都市(まち)の攻魔官達がガルドシュを捕まえてくれれば文句はない。手間が省けていいよねェ。彼らがガルドシュを捕らえられるなら、の話だけどサ」

 

 やれやれと肩を竦めて、ヴァトラーが大袈裟に息を吐く。そして彼は、ゾッとするような美しい笑顔を古城に向けた。

 

「だが、御母様が与えてくれたボクの九体の眷獣―――こいつらは御母様に似てとても心配性でね。宿主であるボクの身に危険が迫ったら、何をしでかすか分からない。この島を沈めるくらいのことは平気でやるヨ。だから、きみには最初に謝っておこうと思ったのサ」

 

「なっ………」

 

 古城は今度こそ絶句した。

 ヴァトラーは、絃神島を沈める気があると言ったのだ。彼の命を狙う、精々数十人のテロリストを始末するために、絃神島ごと纏めて滅ぼすと。

 そして、それを古城の前で宣言したということは、古城が止めようとしても無駄だという彼の意思表示でもあり、もしも邪魔をするなら古城も倒す―――それが彼の、ヴァトラーの本心だ。

 腹が立たないわけではないが、事実、古城にはヴァトラーを止める術がない。力ずくで彼を止めようにも、古城とヴァトラーが戦えば結果的に絃神島には甚大な被害が出るからだ。

 ヴァトラーが正当防衛を主張する限り、雪菜達獅子王機関も彼には手が出せない。正式な外交使節であるヴァトラーを、テロリストに狙われているというだけの理由で絃神島から追い出すことも不可能だ。

 ………いや、それ以前にヴァトラーに手を出したら最後、雪菜達だけでなく獅子王機関は今日中に消滅することになるだろう。他でもない姫乃という彼の創造主(マザー)の手によって。

 八方塞がりの状況に、古城が絶望を覚え始めたその時―――

 

「折角ですが、そのようなお気遣いは無用でしょう、アルデアル公」

 

 冷たく澄んだ声で献言したのは雪菜だった。

 

「ひ、姫柊?」

 

「………どういうことかな?まさか古城が、ボクの代わりにガルドシュを始末してくれるとでも?だけど第四真祖のやつよりは、まだボクの眷獣達の方が大人しいと思うけどね」

 

 古城とヴァトラーが、それぞれ意外そうな表情で訊き返す。

 端整な面立ちに、静かな決意を浮かべて雪菜は首肯し、

 

「そうですね。ですから、わたしが第四真祖の代わりに、黒死皇派の残党を確保します」

 

「―――雪菜!?」

 

 紗矢華が悲鳴のような声を洩らした。

 

「何でそうなる!?代わりも何も俺はガルドシュとかの相手をする気なんて―――」

 

「先輩達は黙っていてください。監視役として当然の判断です。第四真祖をテロリストと接触させるわけにはいきませんから。相手が真祖を殺そうとしているのなら、尚更」

 

 抑揚のない硬い声で言う雪菜。

 ヴァトラーは、そんな雪菜を何故か警戒したように見つめて、

 

「ふゥん………成る程。面白い………流石にボクの恋敵になろうというだけのことはあるな」

 

「え?いえ、別にそういうわけでは………」

 

 雪菜が強張っていた表情を緩めて、戸惑ったような声を出す。

 しかしヴァトラーは愉快そうに、そしてどこか酷薄そうに微笑んで宣告した。

 

「ならば、まずは獅子王機関の剣巫の実力、見せてもらおうか。古城の伴侶に相応しいか、見極めさせてもらうよ」

 

 勝手に決めるんじゃねーよ、という古城の呟きは、睨み合う雪菜とヴァトラーにきっぱり無視される。

 ふと見れば紗矢華は軽い放心状態で、絶句したまま固まっていた。黙っていろと雪菜に言われたことが相当にショックだったらしい。そう言えば姫柊に変態扱いされた時も石化していたっけな。

 挑発的に微笑むヴァトラーに向かって、雪菜が静かに頷いてみせる。

 すると、今まで無言でやり取りを眺めていた姫乃が雪菜に視線を向け、

 

「雪菜、無理しなくてもいい。ヴァ君に任せておけば、テロリスト共は一瞬で片付くから」

 

「無理なんかしてません。それに、アルデアル公の眷獣は空無さんが与えたものなんですよね?なら、尚更彼に任せるわけには―――」

 

「平気。この都市(まち)は、ワタシの可愛いヴァ君でも沈められない」

 

「………え?それはどういうことですか空無さん?」

 

 雪菜は驚きの表情で訊き返す。

 姫乃は自分の胸元に手を置いて無表情で答えた。

 

「ワタシは龍脈を制御しているだけじゃない。絃神島が受けたダメージを、全てワタシに来るようにしてる」

 

「え?龍脈を制御しているだけでなく、絃神島が受けたダメージも空無さんが!?」

 

「うん。絃神島を沈めるには、ワタシを殺せる力がなければ絶対に出来ない。それは古城の眷獣でも、ヴァ君の眷獣でも不可能」

 

「そ、それじゃあ!」

 

「絃神島は傷付かないし沈まない」

 

 姫乃を殺す力がないと沈まない。それは即ち、この世界に存在する全てのものには不可能だということを意味していた。

 姫乃を殺し得る力を持っているものは、現状〝禁書〟を発動出来る異界の神々以外に存在しないのだ。

 それを知って雪菜達が安堵していると、姫乃がヴァトラーの頬に手を添えて、

 

「今の絃神島は、ワタシそのものだから、ヴァ君は遠慮せずに暴れていい。ワタシが許可する」

 

「ははっ、そりゃあいいね。絃神島が御母様そのものの耐久力を持っているなら、存分に暴れられそうだ」

 

 ヴァトラーは、良いことを聞いた、と嬉しそうに笑い姫乃の頭を撫でる。

 その会話を聞いた古城がムッとして雪菜の前に出て言った。

 

「駄目だ。幾ら空無のお陰で絃神島に被害が及ばないと分かっていても、あんたの好きにはさせねえよ」

 

「せ、先輩?」

 

 古城の言葉に驚く雪菜。

 そんな彼をヴァトラーは、へえ?と感心したように見つめて、

 

「なんだい古城。きみも獅子王機関の剣巫と共にガルドシュを捕まえる気かな?」

 

「ああ。本当はガルドシュとかの相手をする気はなかったが、あんたが暴れ回る気なら―――俺がやってやるさ」

 

 グッと拳を握り締めて返す古城。そして雪菜に向き直り、

 

「絶対に俺達で捕まえるぞ、姫柊!」

 

「え?ですが先輩―――」

 

 反論しようとした雪菜だったが、有無を言わさぬ気迫の古城に、諦めたような溜め息を吐いて首を縦に振った。

 こうしてガルドシュは、雪菜だけでなく古城も捕獲に加わる形で話は終結した。

 そんな結果にヴァトラーは残念そうに肩を落とす。姫乃は何故か不機嫌な顔で古城を睨んでいたのだった。



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戦王の使者 伍

〝オシアナス・グレイヴ〟・屋上デッキ。

 話を終えて古城達と別れた姫乃は、豪華なサマーベッドに座っているヴァトラーの膝の上に座っていた。不機嫌な表情のままで。

 ヴァトラーは、そんな姫乃の黒髪を指先で弄りながら苦笑いを浮かべた。

 

「いつまでもそんな顔をしないでおくれよ。せっかく再会できたんだから、ゆっくりと親子愛を確かめ合おうじゃないか」

 

「うん。でもごめんヴァ君。せっかくの準備が台無しになった」

 

「ん?準備ってなんだい?」

 

「………ヴァ君が存分に暴れられる場所(舞台)の準備。それがこの島」

 

 絃神島を指差して姫乃が告げる。

 ヴァトラーは驚きの表情で姫乃の顔を覗き込んだ。

 

「まさか、ボクのためにわざわざ絃神島の守護龍になったのかい?」

 

「うん」

 

 即答する姫乃。

 ロタリンギア殱教師ルードルフ・オイスタッハの悲願である至宝、聖遺物。それを彼に返還し、自らの力で龍脈の制御と絃神島の耐久力強化を請け負ったのは、全て愛する息子ヴァトラーのためだったのだ。

 

「実は、ヴァ君が絃神島に来ることは〝未来予知〟で確認済み。だからワタシは絃神島を掌握した」

 

「………ははっ、そうだったんだね。全てはボクのため、か。まったく、ボクは御母様に愛されているなァ」

 

 ヴァトラーは嬉しそうに笑いながら姫乃の頭を撫でる。

 ヴァトラーに頭を撫でられて姫乃も嬉しそうな笑みを浮かべる。が、すぐに不機嫌な顔になり、

 

「………古城と雪菜、余計なことをしてくれた。ワタシの計画を邪魔した、許さない」

 

 古城と雪菜のこれから行おうとしていることは、姫乃の計画に支障をきたすものだ。

 その計画というのは至極単純。愛する息子ヴァトラーの退屈をなくしてあげることである。

 テロリストが相手というのは物足りない気もするが、ヴァトラーが自由気ままに力を振るえるなら、敵の強弱は些細なことだ。

 だがそのテロリストを捕まえると古城と雪菜が言ってきたことで、いきなり計画は失敗に向かおうとしている。

 そのことが姫乃は気に食わず、さっきからずっと絶賛不機嫌モード中なのだった。

 

「別にボクは気にしてないよ」

 

「え?」

 

「むしろ古城がやる気を出してくれて、ボクは嬉しいんだ」

 

「………そう」

 

 ヴァトラーの言葉を聞いて、ホッと安堵の息を洩らす姫乃。彼が構わないならいいと思ったからだ。

 ヴァトラーは肩を竦めながら続けた。

 

「けど、今回の彼らの計画を止めるには、眷獣を一体しか使役できない古城では役不足だね」

 

「………?テロリストは真祖の眷獣よりも強力?」

 

「いや。彼らでは古城の眷獣に太刀打ちできないよ。ボクが言いたいのは―――」

 

「ナラクヴェーラ」

 

 姫乃の発言に、ヴァトラーは目を丸くした。

 

「………なんだ、知ってたんだね御母様」

 

「御主人様とテロリストに荷担していた研究員を捕まえた時に、ナラクヴェーラの起動コマンドの解析をしていたのを見た」

 

「御主人様、ね。気になってたんだけど、御母様はどうして〝空隙の魔女〟に肩入れしているんだい?」

 

「御主人様の契約した黄金の悪魔は、ワタシの楽園の住人にして守護龍の一人、ファ君。だから鍛えてる。メイドはついで」

 

「ふぁ君?」

 

「ファフニール。ワタシが世界樹(ユグドラシル)に遊びに行った時に()()()()()()ドラゴン。今はワタシの可愛い息子」

 

 それを聞いて、ヴァトラーは成る程ね、と納得する。

 黄金の悪魔もとい黄金の守護龍ファフニール。彼はかつてとある龍殺しに斬り殺されてしまった憐れなドラゴン。

 そんな彼と友達だった姫乃は、彼の死を哀しみ―――新たに彼を創り直した。北欧世界を滅ぼしたNo.6のウロボロス〝スティグマ〟が手に入れた蛇龍創造の権利を以て。

 それから彼は創造主(マザー)たる姫乃の楽園(パラダイス)を守るために楽園の守護龍を務めるようになったのである。

 これがヴァトラーに話した姫乃の秘密だが、正しいかどうかは謎に包まれている。

 

「御母様が〝空隙の魔女〟に肩入れしている理由は、貴女の眷族の一人の契約者だったからなんだね」

 

「うん。ファ君の契約者に、弱いまま死な()れるのは嫌。だからワタシが強者に育てる」

 

「そうか。まァ、ボクも今よりも強者になった〝空隙の魔女〟と()し合う方が愉しいかな」

 

 ニヤリと笑って言うヴァトラー。弱者より強者と戦いたいのは、彼も同じようだ。

 姫乃は笑みで返した後、フッと無表情になってヴァトラーに問い質した。

 

「ワタシと御主人様の関係の話はこれくらいにして。………テロリストが起動()こそうと躍起になってるナラクヴェーラ。ヴァ君は久しぶりにあのナラクヴェーラ(おもちゃ)と戯れたい?」

 

「勿論だよ。御母様が旅に出ていった後は、退屈で退屈で生きてるのが嫌になるくらいだったからね」

 

 大袈裟に溜め息を吐いて、姫乃をチラッと見るヴァトラー。

 姫乃は、うん、と躊躇うことなく頷いた。

 

「ヴァ君が遊びたいなら、ナラクヴェーラを起動()こすの手伝う」

 

「本当かい!?」

 

「うん。ワタシに二言はない。けど、直接ワタシがあのナラクヴェーラ(おもちゃ)起動()こしたら、御主人様にバレちゃうから駄目」

 

「………それもそうだね。御母様は全知全能の龍神(ウロボロス)様の分身の一人。今すぐにナラクヴェーラを起動させてしまったら、貴女の仕業だとすぐに割れてしまうね」

 

 神々の言語を一瞬で理解し、解き明かせる存在がいるとしたら、真っ先に疑われるのは龍神の分身たる姫乃なのだ。

 姫乃はピッと人差し指を立てて告げた。

 

「だから、()()に協力してもらう」

 

「彼女って………誰だい?」

 

「古城の幼馴染みにして、()()()()()()。藍羽浅葱」

 

「かー君?………ああ。ボクの永遠の恋敵(ライバル)()()()のことか」

 

「………かー君は初代第四真祖をそんな目で見てないと思う」

 

「ん?じゃあカインと戦わずしてボクの不戦勝だったのかい?」

 

 そう聞いてくるヴァトラーを、姫乃は冷ややかな瞳で見返す。

 ヴァトラーは肩を竦ませた後、にいっと邪悪な笑みを見せた。

 

「………へえ、カインの巫女か。成る程、確かにその子ならナラクヴェーラの起動も簡単にこなしてしまいそうだね」

 

「うん。かー君の巫女なら、確実にナラクヴェーラを起動()こせる。古城には悪いけど、幼馴染みの藍羽浅葱は拉致させてもらう」

 

「うん?カインの巫女の正体は、古城の幼馴染みなのかい?〝カインの巫女〟に〝第四真祖の後継者〟………はははっ、なんて面白い偶然なんだろうね。まるで昔みたいな状況じゃァないか!」

 

「うん。古城が藍羽浅葱の()()()じゃなくて、幼馴染みだってところは違うけど」

 

 細かいところを指摘する姫乃に、ヴァトラーは肩を竦ませた。

 姫乃は、ヴァトラーの膝の上から降りて、彼に振り返った。

 

「じゃあ早速―――この船にいるテロリスト達に教えてあげないと」

 

「!?そのことにもバレてたのか」

 

「当然。ワタシの目は誤魔化せない。古城にグラスを渡してた頬の傷男が、クリストフ・ガルドシュ」

 

「………うん、正解だよ。参ったな、御母様には全てお見通しかあ」

 

 顔を手で覆い隠し乾いた笑みを浮かべるヴァトラー。

 姫乃は、ヴァトラーの服を引っ張って言った。

 

「ワタシには隠さなくていい。ワタシはいつでもヴァ君の味方だから、テロリストを匿っていようと関係ない」

 

「………そうだね。御母様はいつだってボクの味方でいてくれるんだったよね」

 

「優先順位は圧倒的にヴァ君。その次に御主人様、古城。これはワタシの中では決定事項」

 

「……………」

 

 姫乃がそう言っていると、不意にヴァトラーが物欲しそうな瞳で見つめてきた。

 

「………なに?」

 

「いや、幾星霜ぶりに御母様の血が欲しくなってね。飲ませてくれるかい?」

 

 ヴァトラーが訊いた瞬間、フワリと姫乃が彼の胸元へと飛び込んだ。

 

「勿論いい」

 

「………抱きついてくる必要はないと思うなあ」

 

「………?じゃあ、どういうシチュエーションがいい?」

 

「うーん、そうだねェ。ボクはどちらかといえば―――」

 

 そう言いながら回れ右をしたヴァトラーは、そのままサマーベッドへダイブした。

 ヴァトラーに引っ付いたままの姫乃は、きょとんとした顔で彼の顔を見つめた。

 

「ヴァ君、ワタシを組み敷いてどうする気?」

 

「性的興奮が欲しいからね。この体勢の方がいいと思ったんだよ」

 

「そう………じゃあ、脱ぐ?」

 

「いや、そこまでしなくて結構だよ。ボクは間近で御母様の強大な魔力を浴びて、衝動を抑えられない状態だからね」

 

 ヴァトラーは、白くて鋭い長い牙を口元から覗かせながら笑う。彼の碧眼の瞳も、吸血鬼らしい紅眼に染まっていた。

 姫乃は、ムッと剥れた表情を見せたが、すぐに優しく微笑み、黒い長髪を掻き上げ白くて細い首筋を露にした。

 

「おいでヴァ君。好きなだけワタシの血を味わって」

 

 ヴァトラーは頷くと、姫乃の首筋に牙を突き立て、ゆっくりと中に埋めていく。

 

「………んっ」

 

 幾星霜ぶりの感覚に頬を赤らめる姫乃。痛いわけではないが、擽ったいという程度には思ったのだろう。

 ヴァトラーも、幾星霜ぶりの濃厚な魔力と血を飲むことが出来て、恍惚な表情を浮かべていた。そしてそのまま、姫乃の決して減ることのない魔力と血を貪るように堪能していった。

 

 

 

 

 

 場所は変わり、那月宅。

 玄関前では、露出度高めのメイド服を着たアスタルテと、修道服を着たデウスが待機していた。姫乃の帰りを待っているのだ。

 ソファに座り脚を組みながら紅茶を嗜む那月は、メイドラゴン姫乃の帰りが遅いことに若干苛立っていた。午前零時をとっくに過ぎているのだから当然といえば当然だが。

 

「………ふん。主人の私をほったらかしにして、何処まで行ってるんだか」

 

 不機嫌そうな表情を見せながら紅茶を口に運ぶ那月。正式な契約はまだだが、それでも姫乃はメイドとしては怠ることなくこなしている。

 さらに、忠実なメイド(アスタルテ)百合好き修道女(デウス)のマスターとして、日々鍛練してあげては褒美(なでなで)も欠かさず、彼女達との仲も良好だ。

 そんな主人(マスター)従者(つきびと)よりも重要な用事とは一体何なのだろうか。

 

「……………」

 

 那月がティーカップを傾けながらそんなことを考えていると、不意に呼び鈴が鳴った。

 

「「―――!」」

 

 ハッと顔を上げた従者組は、駆け込むように戸を開けた。

 開けると其処には―――黒いローブを身に纏っていた姫乃(?)がいた。

 姫乃(?)の格好はメイドではなく、黒ローブ。しかも裸足だからその下は恐らく何も身に付けていないだろう。

 デウスは、姫乃の顔をした何者かを怪訝な瞳で見つめ、問い質した。

 

「………お前、じゃなくて貴女は〝エータ〟ちゃ―――姫乃様じゃないな………ないですね。何者だ………ですか?」

 

「ワタシはNo.5のウロボロス〝イプシロン〟」

 

「………ッ!?」

 

〝イプシロン〟。その名を聞いた瞬間、デウスは、驚愕と怒りの混じった表情に変化した。

 そうなるのは至極単純な理由。〝イプシロン〟はデウスの、唯一神ヤハウェの世界を滅ぼした、憎きNo.0のウロボロス〝ミデン〟の五体目の分身体だからだ。

 デウスが憤怒の炎を燃やした瞳で〝イプシロン〟を睨みつけていると、那月がアスタルテの隣まで来て、〝イプシロン〟を見て口を開いた。

 

「お前か。あの時は世話になったな。お陰で姫乃を助けられた」

 

「そう」

 

〝イプシロン〟が短く返す。那月は、ふん、と鼻を鳴らして続けた。

 

「それで、お前は私の家に何の用だ?」

 

「………ワタシたちの末妹〝エータ〟は、自分の息子と一緒にいる。だから今日は帰ってこない」

 

「何?息子だと?」

 

 那月が訝しげに眉を顰める。アスタルテが挙手をして、聞き返した。

 

空無姫乃(マスター)の息子とは、誰なんですか?」

 

「〝蛇王(ナーガラージャ)〟アーディ・シェーシャ。オマエたちが知っている名で言うなら―――戦王領域の貴族(ノーブルズ)、アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー」

 

「何!?あの蛇遣いの軽薄男が、姫乃の息子だと!?」

 

 驚愕の表情で声を上げる那月に、コクリと頷く〝イプシロン〟。

 ヴァトラーの正体が、姫乃の息子というのは初めて知ったし、何より、彼女が吸血鬼を創っていた事実に驚いた。

 いや、〝蛇王(ナーガラージャ)〟という異名があるのだから、彼は吸血鬼というより(ナーガ)の王と捉えるべきか。

 

「〝エータ〟はヴァトラーと接触、そのまま滞在してる」

 

「………姫乃は蛇遣いのところに泊まるのか。ふん、主人の私や従者共よりも愛する息子を優先したというわけだな」

 

 そう言って、那月はますます不機嫌な顔になった。仮にも主人である自分を優先にしなかった姫乃に苛立ったのだ。

 姫乃が帰ってこないと知り、落ち込むデウスと寂しそうな顔をするアスタルテ。

〝イプシロン〟は用件を言い終えたのか、踵を返して、

 

「じゃあ、ワタシは帰る」

 

 そう言って帰ろうとした。が、那月が〝イプシロン〟の手首を掴み引き止めた。

 

「………?なに?」

 

「姫乃が帰ってこないなら、お前にメイドをしてもらおうと思ってな」

 

「え?」

 

「え?ではないぞ〝イプシロン〟。妹の尻拭いをするのは姉であるお前の役目だ」

 

 那月の言葉に、きょとんとした顔で那月を見つめる〝イプシロン〟。

 アスタルテとデウスもぽかんと口を開いて驚いている。

 那月はそんな彼女達に構わず、勝手に話を進めた。

 

「〝イプシロン〟というのは名前ではなくギリシャ文字でいう数字の『5』だからな。何か新しく名前を考えてやるか」

 

「………?」

 

「数字の5が入って、女らしい名前がいいな。ふむ………〝五月(さつき)美海(みう)〟なんてのはどうだ?」

 

「………サツキ、ミウ?」

 

 那月に付けられた名前を口にしてみる〝イプシロン〟。その名前に、No.5の『五』が入っているし、聖書の原初の蛇(レヴィアタン)に相応しい『海』も入っていたためか、悪い気はしなかった。

〝イプシロン〟が肯定の意味で頷くと、那月は、ふふん、と満足げに笑った。

 

「決まりだな。今日からお前は〝イプシロン〟ではなく―――五月美海だ。暫くの間、姫乃の代わりにメイドラゴンになってもらおう」

 

「………わかった。〝エータ〟の尻拭いで、ワタシが暫くの間、南宮那月のメイドラゴンをする」

 

「ふふ、わかってるじゃないか。これからよろしく頼むぞ、美海」

 

「はい。よろしくお願いします、御主人様」

 

 こうして〝イプシロン〟改め五月美海は、姫乃不在の間、那月のメイドラゴンをすることになったのだった。

 

「では、美海。早速だがメイド服に着替えてもらう」

 

「分かりました。お邪魔します」

 

 美海はペタペタと裸足(最初から裸足だが)で玄関から上がると、那月に手を引かれて廊下を進む。

 その際、アスタルテが緊張気味に挨拶をしてきた。

 

「ま、空無姫乃(マスター)のメイドのアスタルテです。こ、これからよろしくお願いいたします………マスターのお姉様!」

 

「うん。こちらこそよろしく。お姉様はいい。同じメイドだから、美海で構わない」

 

「は、はい!えっと………美海さん」

 

「ん、アスタルテ」

 

 メイド同士握手を交わす二人。その様子を微笑ましげに眺める那月。

 一方、デウスだけは不服そうな顔をしていたが、コホンと咳払いして美海に手を差し出した。

 

「………(オレ)、じゃなくて私は〝エータ〟ちゃ―――姫乃様の付き人をしている………いますデウスだ、です。これからよろしく、お願いします」

 

「うん。よろしく」

 

 メイドラゴン二号と修道女は挨拶と握手を交わす。美海が踵を返した途端、彼女の脳内に直接、デウスが語りかけてきた。

 

『―――〝イプシロン〟。分かっていると思うが、(オレ)の正体は唯一神ヤハウェ………貴様が滅ぼした世界の、創造神だ』

 

『当然。ワタシはオマエと正々堂々、殺し合った仲だから覚えてる』

 

『ならいい。そして貴様に宣戦布告だ。(オレ)は貴様を必ず殺して―――我が物にすることをな!』

 

『うん。その勝負、受け取った。いつでも殺し合おう。………けど、最後の一言はなに?』

 

『ん?無論、貴様を手に入れると言ったのだ!我が世界を滅ぼした仇敵ではあるが、幼女(ロリ)ならば手に入れないなど有り得ないからなッ!!』

 

『…………キモい』

 

『フハハハハハ!なんとでも言え!幼女(ロリ)に罵倒されようが、(オレ)への褒美にしかならんからなッ!!』

 

 百合好き修道女(デウス)もとい幼女好き変態神(ヤハウェ)が、美海の脳内で高らかに笑い声を上げる。

 美海は、取り敢えずこの変態に冷ややかな視線を送ったのち、デウスから那月に視線を戻した。

 那月は、怪訝な顔で美海を見つめ訊いた。

 

「美海、あの百合修道女がどうかしたか?」

 

「いいえ、なんでもありません」

 

「………?まあいいか」

 

 那月は小首を傾げたが、深く考えることはせず、美海をメイド服に着替えさせるために部屋の中へと入っていった。




次回から姫乃がテロリストと共に行動を開始します。
ここから原作と違う展開になります。
ただし、ガルドシュ達の強化はなしです。
姫乃はあくまでもヴァトラーのために動くだけなので。

そしてまさかの〝イプシロン〟再登場+名前獲得です。
本来は終盤まであの一回こっきりにしようとしていましたが、勿体無い気がしたのでこうなりました。
後悔はしていない(キリッ)


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