幸せになる番(ごちうさ×Charlotte) (森永文太郎)
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番外編
番外編、ココアの誕生日


 今日はなんか二人ともよそよそしい。

 ココアは街を一人歩きながら、先程まで働いていたバイト先───ラビットハウスでの出来事について考えていた。

 リゼちゃんもチノちゃんも何かこそこそしてて、私が話しかけても二人とも仕事に戻っちゃうの。

 さっきだって仕事が終わるのにまだ時間があるのに────

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「ココアさん、今日はもう先にあがっていいですよ」

 

 私のホームステイ先兼バイト先、ラビットハウス。ここで一緒に暮らすわたしの妹のチノちゃんが突然私に向けてそう言った。

 でも時計を見ると、まだ店を閉める時間には早かった。

 

「えっ?大丈夫だよ。最後までちゃんとがんばれるよ」

 

 まだ働けるよとチノちゃんに言うものの、私と同じくこの店のアルバイトのリゼちゃんもチノちゃんと同じようなことを私に言う。

 

「ココア、いいからあがれよ。後は私たちでやっておくからさ」

 

「えっでも……」

 

 そうは言われても、私一人先に上がるのはなんか悪いし……。

 しかしチノちゃんは私に有無も言わせず続け様に言う。

 

「あとココアさん、着替えたら少し外に出ていただけますか」

 

「えっなんで?」

 

「なんでもです。いいですね」

 

「うっうん……」

 

 いつもは見ないチノちゃんの謎の強気な態度に気圧され、私は渋々お仕事を途中にして、お店を後にした。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ───といった感じで、結局私は二人に言われるがまま店から追い出されちゃって今に至るわけです。

 にしても、なんで二人は私を店から追い出すようなことしたんだろ?

 しかしココアがいくら考えても、二人がそんなことをした理由はわからなかった。

 まぁいっか、追い出されちゃったものは仕方ないもんね。折角早くあがれたんだから他のみんなの所に遊びに行ってみよう。

 そう考えたココアはまず初めに、親友の千夜のところに行くことにした。

 

 

 

「いらっしゃいココアちゃん」

 

 千夜ちゃんの家に着くと、いつもの和服の制服に身を包んだ千夜ちゃんが出迎えてくれる。

 千夜ちゃんの家は甘味処で、千夜ちゃんは看板娘なんだ。

 

「千夜ちゃん、今日も制服決まってるね♪」

 

「ココアちゃん、今日はどうしたの?今日はまだお仕事じゃなかったかしら?」

 

「えっと……ちょっと色々あって……」

 

 私が言葉を詰まらせていると、千夜ちゃんが微笑みながら言う。

 

「取り敢えず座って。今お客さんもそんなにいないから話聞くわ」

 

 そして千夜ちゃんに言われるがまま、私はカウンターの席に座り、千夜ちゃんに店での事を話した。

 

「そう、チノちゃんとリゼちゃんが……」

 

「うん、なんか二人がよそよそしいの。私なんかしちゃったかな~」

 

「何か思い当たることがあるのかしら?」

 

「ううん、ここ最近と言えばお姉ちゃんが泊まりに来たことぐらいしか…ハッ!もしかして二人とも私じゃなくてお姉ちゃんに居て欲しかったとかなのかな!?」

 

「そんなことないと思うけど……。でもそうね、きっとそのうちわかるかもしれないわ」

 

「そうかな……。あ、ところで千夜ちゃん今日はいつまでなの?」

 

「ごめんなさい、今日は閉店までずっとなの」

 

「そっか……。うーん、まだお店には戻れないだろうしな~」

 

 まだお店を出てから一時間も経ってないしどうしようかな……。

 するとどうしようか迷う私に千夜ちゃんがこう提案する。

 

「シャロちゃんのところに行ってみたらどうかしら?何かいいアドバイスを貰えると思うわ」

 

「そっか、じゃあシャロちゃんの所に行ってこようかな。ありがとね千夜ちゃん」

 

 そうして私は千夜ちゃんとお別れして甘兎庵を後にした。そして千夜ちゃんに言われた通りシャロちゃんに会いに行くことにした。

 

 

 

 甘兎庵を出てしばらくして、シャロちゃんの働くフルール・ド・ラパンに来たんだけど……。

 

「あれ?シャロちゃんいないな……外でチラシ配りかな?」

 

 いざフルールに着いて中に入っても、そこにシャロちゃんの姿はなかった。

 今日休みだったっけ?でもシャロちゃんお家の方にはいなかったよね?まぁ、せっかく来たから少しお茶でもしてこうかな?

 

「あら、ココアさん。奇遇ですね」

 

 すると突然、誰かが私にに声を掛けてきた。

 声のする方を向くと、知り合い小説家さん、青山さんの姿があった。

 

「青山さん、こんにちは」

 

「こんにちは。今日はどうされたんですか?」

 

「シャロちゃんに会いに来たんですけどいないみたいで。あ、席ご一緒してもいいですか?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 そして私は青山さんの向かいの席に座り、それから青山さんと、お茶とケーキを囲みながらおしゃべりを楽しんだ。

 そのついでに、今日の店での二人のことも相談に乗ってもらった。

 

「なるほど、チノさんとリゼさんがですか」

 

「そうなの。やっぱり私、嫌われるようなことしたのかな……」

 

「そんなことないと思いますよ、お二人がココアさんを嫌いになるとは思えませんし、ちゃんと話し合えば分かり合えると思いますよ」

 

「青山さん……!」

 

 青山さんにそう言われて、なんだか自信が湧いてきた。

 もしかして私が何かしたせいで二人を怒らせちゃったのかもとか思ったけど、きっと何かのすれ違いだよね。

 

「そっか、そうだよね、あとでちゃんと二人と話してみるよ。ありがとう青山さん」

 

「いえ、どういたしまして」

 

 

 

 それからフルールを出た私は、青山さんのアドバイスを受け、二人とちゃんと話し合おうと早速ラビットハウスに向かった。

 でもその途中、いつもシャロがチラシを配っている公園の側を通ると……。

 

「キャー来ないでー!」

 

 突然公園の広場の方から悲鳴が上がった。

 その何処か聞き覚えのある悲鳴が上がった方へ行ってみると、うさぎに追いかけられてるシャロちゃんの姿があった。

 それを見た私はうさぎの側まで寄り、そのうさぎをひょいと抱き抱えた。

 

「相変わらずうさぎが苦手なんだねシャロちゃん」

 

「う~ココアありがとう」

 

 シャロは涙目でココアに謝辞を述べる。

 

「ううん、いいよ。ところでシャロちゃんはバイトかな?」

 

「ええそうよ、あんたは何してるの?」

 

「ちょっとの間店から出てってリゼちゃんとチノちゃんに言われたからちょっと散歩に。でももう戻ろうかなって」

 

「えっ!あんたまたなんかやったの?」

 

「何もやってないよ!もう!しかもまたってどういうこと!?」

 

 シャロの反応に、ココアは頬を膨らませる。

 それからココアは事情をシャロに説明する。

 

「なるほどね。そっか、今日だったわね」

 

「えっ何が?」

 

「別に、なんでもないわ。どうせいつものようにあんたがきっとなんかしでかしたんでしょ」

 

「えっ!?やっぱそうなのかな……」

 

「ええ、だからほとぼりが冷めるまで外にいたほうがいいんじゃない?」

 

「……うん」

 

 そう言われると、やっぱり私が何かしちゃったんじゃないかとまた思い始めてくる。

 青山さんはすれ違いって言ってたけど、思えば二人が理由もなく私をお店から追い出したりしないだろうしな……。

 

 

 

 シャロちゃんと別れた後、店に戻ろうと思っていたけど、シャロの話を聞いて、まだもう少し外にいたほうがいい気がして、そのまま広場の公園のベンチに座って時間を待つことにした。

 ベンチに座ってからしばらくすると、もう太陽が沈みかけて、空も暗くなり始めてきた。

 

「う~ん、青山さんはああ言ってたけど、シャロちゃんが言った通りなのかな……」

 

 空は暗くなってきたものの、二人と顔を合わせるのがなんだか怖くなってきた私は、一人公園のベンチで黄昏れていた。

 すると突然私に声が掛かる。

 

「あれっココアじゃん、どうしたのこんなとこで?」

 

「ココアさんこんにちは~」

 

 いつのまにか目の前に、チノちゃんの親友にして、私の妹たち──マヤちゃんとメグちゃんが立っていた。

 

「マヤちゃん、メグちゃん……」

 

 二人の妹を前に、普段ならテンションを上げるココアだが、しかし今はそんな気分にはなれなかった。

 

「どうしたのこんなところで?こんなとこに座ってないで一緒にラビットハウスに行こうぜ」

 

「でもまだ私……」

 

「いいからいいから~」

 

 するとマヤちゃんは強引に私の手を取った。

 

「ココアさん、早く早く」

 

 そして普段大人しいメグちゃんも私のもう片方手を強引に取って、二人で私をベンチから引っぱり上げ、そのまま二人に引っ張ったられるがままに公園を後にした。

 

 

 

 それから二人の妹に引っ張られるがまましばらくして、チノちゃんとリゼちゃんの待つラビットハウスに着いた。

 う〜ん、二人になんとなく流されて戻って来ちゃったけど、いいのかな……。でも帰らないわけにもいかないし、ここまで来たからには覚悟を決めなくちゃね!

 さっきまでウジウジと考えていたココアであったが、ここに来て二人と話し合う覚悟を決めた。

 そしていざ、ドアノブを掴み思いっきりドアを開ける。

 

「チノちゃんリゼちゃんあのね!」

 

 パンパンパン!!

 

「…え?」

 

「「ココア(さん)(ちゃん)、誕生日おめでとう(ございます)!」」

 

 ドアを開けるや否や、いつものみんなが勢揃いしており、そしてみんなが一斉に鳴らしたクラッカーが店中に鳴り響き、私の頭に紙テープや紙吹雪が降りかかる。

 

「えっ、ええ!?どういうこと!?」

 

  突然の事に混乱すると、リゼちゃんが事情を説明してくれる。

 

「どういうことって今日は4月10日、お前の誕生日じゃないか」

 

「えっ……あっ!そういえばそうだったね」

 

「お前、人の誕生日はよく覚えてるのに、自分の誕生日は覚えてないのかよ……」

 

「えへへ……。えっと、それじゃあつまり……」

 

「はい、これはココアのサプライズ誕生日パーティーです。私の誕生日の時はサプライズに失敗してたのでお手本をみせようと思ったので」

 

 つまり二人して私をお店から追い出したのは、私の誕生日パーティーの準備をするためだったんだ。

 因みにチノちゃんの言った私の誕生日というのは、去年の冬、チノちゃんの誕生日を知って、私がチノちゃんの誕生日を祝う為に、お店を盛り上げたり、チノちゃんにサプライズを仕掛けたりした事だよ。

 

「じゃあ嫌われたわけじゃなかったんだ~」

 

 取り敢えず昼間つっけんどんな態度を取られていたのは、嫌われたからでないと知りほっと安堵する。

 

「全く、そんなわけないだろう」

 

「でもシャロちゃんが~」

 

「あっ、あれはあのままだとあんたラビットハウスに戻ってたでしょうが!」

 

 あぁ、だからシャロちゃんはわざと私が家に帰らないようにあんなこと言ったんだ。

 

「そういうことか~。いや〜すっかり騙されちゃったよ。でも本当に嫌われたんじゃなくてよかった~」

 

 これで、ひとまず昼間の件については無事誤解と知ることができ、解決できた。

 そして、解決したところで千夜ちゃんがみんなに声を掛ける。

 

「みんな、料理も冷めちゃうし、取り敢えずいただきましょ♪」

 

 千夜ちゃんがそういうとみんなそれぞれ自分の席の前に立つ。

 

「それじゃあ乾杯しましょう」

 

 チノちゃんの合図でみんな自分の席の前においてあるグラスを手に持つ。

 

「ココアさんの誕生日を祝って……」

 

「「「かんぱ~い!」」」

 

 乾杯の音頭が終わると、ココアはつい顔を緩ませ、ニヤけた表情を浮かべる。

 去年は私が木組みの街で暮らすことも含めたお祝いパーティーを家族で祝ってもらったけど、今はこうして家族じゃなくて、この街で出会った友達に祝われてるなんて、なんか新鮮だな〜。

 

「えへへ」

 

「どうしたんですか?」

 

「ううん、なんか嬉しくて」

 

「そういや今回のサプライズもチノが企画したんだぞ」

 

「リッリゼさん!」

 

「そうなの!ありがとうチノちゃん!」

 

 そう言うとココアはチノに思い切り抱きついた。

 

「ま、前の私の誕生日の時のココアさんのサプライズがあまりに下手だったので、お手本をみせようとしただけです」

 

「ダメだしされてるぞココア」

 

「えへへ、今度はちゃんとサプライズしてみせるよ」

 

 そんな会話を続けてると、

 

「そういえばそろそろ新学期ね」

 

 とシャロちゃんが言う。

 

「この前は千夜がクラス分けで騒いで大変だったな」

 

 この前というのは、千夜ちゃんが私と一緒のクラスになれないといって落ち込んでいて、それでリゼちゃんたちに迷惑をかけてしまったことだ。

 

「うふふ、ごめんなさい」

 

「ま、あんたにはいつも迷惑かけられてるけどね」

 

「ということはココアさんが来て1年になりますね」

 

「私が来て1年か~」

 

 そっか、そういうことになるんだね~。

 

「色々ありましたね」

 

「うん、そうだね~」

 

 本当いろんなことがあったな~。

 チノちゃんやリゼちゃん、千夜ちゃんにシャロちゃん、他にもマヤちゃんメグちゃんに青山さん、いろんな人に出会えたな。

 今年もみんなと一緒に楽しく過ごせたらいいな。

 それにもしかしたら、今年は新しい友達に出会えるかもしれない。

 私は立ち上がってみんなに向き合って言う。

 

「みんな、これからもよろしくね」




今日はココアちゃんの誕生日ですね。
今回の話はまだ有宇が来る少し前のお話です。
さて、そんなことはさておき、皆さん今日は盛大にお祝いしましょう。


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プロローグ
第0話、逃避行


 少年、乙坂有宇には特別な力があった。

 それは目の前の他人に、わずか五秒間乗り移ることができるというものである。しかしたった五秒しか乗り移れないため、一見大した使い道がなさそうなこの力だが、彼はこれをあることに利用した。

 ───それがカンニングである。

 有名な進学塾に潜入するなどして頭のいい生徒の情報を大量に集めた彼は、その生徒達が受ける受験校に自らも受けて、彼らに乗り移ってテストのカンニングをしたのだ。

 その甲斐あって見事、彼は難関校である私立陽野森高等学校に成績トップで合格したのである。その後も実力テストで学年トップを取り、学園のマドンナと呼ばれる少女、白柳弓を堕とすための演出のためだけに、彼女にトラックを突っ込ませたりと、有宇の行動は次第にエスカレートしていった。

 しかし、彼の暴走もここまでだった───彼はあまりにも注目を集めすぎたのだった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ある日の放課後、乙坂有宇は放送で生徒会に呼び出されて生徒会室の前に来ていた。有宇には生徒会に呼ばれるような覚えはないが、無視するわけにもいかず、ここに来た次第だ。

 ドアを開け中に入ると、 すぐ目の前には教室によくあるような学習机、その更に奥には長机がおいてあり、そこにこの学校の生徒会長が座していた。

 

「生徒会長の大村です」

 

 生徒会長は一言そう言ってあいさつを交わした。

 

「……なんのようでしょう。人を待たせているんですが」

 

 白柳弓と一緒に帰る約束をしていた有宇は、生徒会長に急かすようになんの用かと聞く。すると生徒会長が答える。

 

「乙坂君、君にはカンニングの容疑がかかっています」

 

「なにっ!?」

 

 生徒会長のその言葉に有宇は驚きを隠せなかった。

 なにせ超能力によるカンニングが見破られるなんてあるはずがないと有宇は高を括っていたからだ。

 

「数名の男子生徒が、あなたが人にテストでカンニングをしたと言ってるところを見たと言っています」

 

 そんなはずはない!!

 有宇には生徒会長の言った言葉が信じられなかった。

 この学校で唯一親しい関係にある白柳弓にすらカンニングはおろか、能力のことは誰にも喋ったことはない。だから僕が誰かにカンニングをしたと言ったところを目撃されるなんてことはまずないはずだ!

 だとすれば成績優秀で、学園のマドンナすら手に入れたこの僕に嫉妬した輩の嫌がらせと考えるのが妥当なところだろう。

 クソッ!行動に移すのが急過ぎたか!?

 

「誤解です!カンニングなんてしていません!」

 

 有宇は咄嗟にそう弁明した。しかし有宇の弁明は生徒会長には聞き入れられなかった。

 

「でしたらそこの机の上に置いてあるテストから一教科解いてみてください。この前の実力テストとまったく同じものです。九十点以上なら白、それ未満なら審議の対象となります」

 

 テストをもう一度やれだと!?冗談じゃない!!

 まともに勉強をしてない上に、他人に乗り移って書き写しただけなのに、まともな答案が書けるわけないだろ!!

 

「ばかばかしい、帰らせてもらう!」

 

 そう言って有宇はその場を立ち去ろうと生徒会長に背を向けた。すると生徒会長が言う。

 

「この件は校長先生も承認しております。帰れば退学となります」

 

「た……退学!?」

 

 退学と聞いて思わず声を上げ、勢い良く生徒会長の方を振り向く。もはや有宇に逃げ道はなかった。

 そして結局、席に着き大人しく問題を解き始める。教科は国語を選んだ。既存の知識がなくても点が取れそうな教科を選んだ。しかしそう上手くもいかなかった。

 記号問題なんかはまだかろうじて覚えていたが、書き問題はほぼ全滅だった。ある程度の点数は取れただろうが、九割なんてまずいってないだろう。

 そして試験が終了し、テストは生徒会長にもっていかれた。テストは職員室で教師に採点されるらしい。その間生徒会室で待機させられた。

 待機している間に携帯で、放課後一緒にパンケーキを食べに行く約束のために校門前で待っている白柳弓に、今日は行けないという旨をメールした。

 有宇にはもうわかっていたのだ……この後すぐに帰れるわけがないということが。

 

 

 

 二十分ほどしてドアを開けて教師が三人入ってきた。入ってきたのは有宇のクラスの担任と学年主任、生徒指導の教師で、そこに生徒会長の姿はなかった。

 それから早速テストでカンニングをしたのかを問い詰められた。

 最初はひたすら否定した有宇だったが、先ほどのテストの点数が半分ちょっとしか解けていなかったことを指摘され、もはやカンニングを認めざるを得なかった。

 カンニングの方法に関しては、まさか本当に超能力を使っただなんて言えないので適当なことを言って誤魔化した。

 そして学校始まって以来の初のカンニング騒動ということもあり、今回のテストに限らず入学試験でもカンニングをしたのかなど色々問い詰められ、やけになっていた有宇は思わず全部認めてしまった。

 結局その日は帰るのが夜遅くになった。

 叱られるだけ叱られ、後日、日を改めて三者面談をすることになった。それまで自宅で待機することとなっているが、もはやこの先退学になることは避けられないだろう。

 クソッ、まさかこんなことになるなんて……。

 綿密に計画したにもかかわらず、こんなことで、こんな早くにすべてが水の泡になるとは思いもよらなかった。もっと少しずつ地位を上り詰めて行くべきだったのだ。

 もっとも、今更後の祭りだがな……。

 

 

 

 家に帰ると、有宇の妹、歩未が迎えてくれた。

 

「お兄ちゃん遅い!」

 

 しかし家で待つ歩未は頬を膨らませご立腹だった。それも当然で、時計はもう十時を回っていた。

 

「いや、ちょっと色々あってだな……」

 

「それだったら、心配するからメールいれてほしかったのです」

 

「悪かったって……」

 

「もうご飯の支度できてるのです」

 

 歩未はそう言うとテーブルの上に置いてあるサランラップをしてあったオムライスをレンジで温めようとしていた。

 普通オムライスはケチャップを使うが、乙坂家のオムライスは、有宇たちの母親が昔作った乙坂家秘伝のピザソースを使っている。

 そのピザソースがとても甘く、たまに食べるだけならいいが、歩未は毎日このソースを使ったメニューを作るのだ。

 その理由を聞くと、歩未はいつも「だって、お兄ちゃんこれ好きでしょ?」と答える。オムライスが好きだったのは子供の頃の話だと何度も言ってるのに……。

 まぁ、それでもいつもなら歩未のために我慢して食べるのだが、今日は流石に食べる気にならなかった。

 

「歩未、今日は食欲無いから夕飯はいいよ」

 

「そうなのです?お兄ちゃん体調悪いの?」

 

「いや、心配するほどじゃないから大丈夫だ」

 

 流石に歩未に今日のことは言えなかった。

 言えるはずがなかった。歩未の中で僕は優秀な兄ということになっているのだから。その兄が実はカンニング魔で、それがバレて学校を退学になりかけてるなんて言えるはずがない……。

 すると突然、ポケットの中の有宇の携帯が鳴り出す。

 

「僕のことはいいから食べていてくれ。僕の分は冷蔵庫にいれてくれればいいから」

 

「はいなのです」

 

 歩未がテーブルに着くのを見終えると、有宇は携帯を手に外に出た。

 

 

 

 外に出た有宇は、電話の相手が誰かを見る。電話の相手は有宇たちの親権者のおじさんだった。

 電話の内容はわかっていたが無視するわけにはいかないと思い電話に出る。

 

「もしもし」

 

『なんで電話したかわかっているな』

 

 当然カンニングのことだろう。

 おじさんの声は予想通り厳しいものだった。

 

『先生から聞いたよ。テストでカンニングをしたそうだな。しかも入学試験の時にもやっていたと言うじゃないか』

 

 何も答えられずただ電話に耳を貸す。

 

『中学の成績もよかったから安心していたというのに……。ということはお前、まさか中学の頃からしていたんじゃないか?』

 

「それは……」

 

『俺はお前にいい学校に入れと言った覚えは一度もない。俺はお前のできる限りでやれればそれでいいと思ってたんだ。でもお前が優秀な成績をとってあの陽野森高校に入ったと聞いた時はうれしかったよ。なのにまさかこんな裏切られ方をするなんてな……』

 

 この言葉に有宇はいらだちを覚えた。

 有宇の陽野森高校への入学が決まった時、まともに顔を見せに来ることもなく、お祝いの言葉一つかけてもらわなかった。

 どうせ入学金がもったいないぐらいしか思ってないくせに……。

 すると次におじさんはとんでもないことを言い出す。

 

『有宇、お前ももう成長しただろ。自分の責任は自分で果たせ。自分の力で生きてみろ』

 

「はぁ!どういうことだよ!」

 

『そのまんまの意味だ。家から出て自分でなんとかしてみろ』

 

 一瞬言葉の意味がわからなかったが、その意味を理解すると、先程まで黙っておじさんの言葉に耳を貸していた有宇だったが、これには流石に反論せざるを得なかった。

 

「いきなり何言ってんだよ!大体……なんとかって無理に決まってるだろ!それに歩未はどうすんだよ!」

 

『安心しろ、歩未はこっちで引き取る。学校は転校することになるだろうがあの子なら問題ないだろう』

 

「いや、問題あるだろ!何考えてんだよ!」

 

『何考えてるんだはこっちのセリフだ!カンニングなんかしやがって!お前みたいな奴はもう乙坂の人間じゃない!今すぐうちから出ていけ!』

 

 言わせておけばいい気になりやがって……。

 普段人に対しては表面上は穏やかにしている有宇も我慢できず、激怒した。

 

「あーそうかよ……わかったよ、だったらそっちの望み通り今すぐ出てってやるよッ!!」

 

 電話の向こうでおじさんはまだ何か言っていたが、有宇は無視して電話を切った。

 

「クソッ!!」

 

 有宇は携帯をその場に叩きつけた。

 

「はぁ……はぁ……クソッ……なんでこんなことになってんだよ……」

 

 完璧だと思っていた。この異能の力があれば僕は誰にだって認められるエリートになれると思っていた。なのに……なんでこんなことになるんだよ……。

 地面に跪く有宇の瞳からは涙が雨のようにアスファルトの地面に降り注がれた。

 悔しくてもどかしくて、だけどもうどうしようもなくて、有宇はギリギリと歯を噛み締めた。

 

 

 

 しばらくして落ち着くと、投げつけた携帯を拾い上げ家に戻る。すると歩未が心配そうに声をかける。

 

「外から大声聞こえたけど何かあったの?」

 

「いや大丈夫、心配ないよ」

 

「そう……有宇お兄ちゃん帰ってきてからなんか元気ないからあゆ心配だよ……」

 

「大丈夫だよ。ほら、後片付けできないからさっさと食べろよ。」

 

「うん……」

 

 歩未には何も言わず、その場は誤魔化した。

 しかし有宇にはもうこの時既に、ある決意が芽生えていた───

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 食事を終えると、二人で夕食の後片付けをして、風呂に入って床についた。いつもは寝る前に歩未は望遠鏡で星を見るのを日課としているのだが、今日は有宇に気を使っているのかすぐ寝ることにしたようだ。

 そして歩未が寝ついた頃、有宇は行動を開始した。

 歩未が風呂に入っている間にバックに必要なものを急いで揃え、書いといた書き置きを机の上に置いておく。更に歩未が寝る支度をしている時に、用があると言ってコンビニに行き、ATMで歩未の分の生活費を残して残りの金を全額引き出した。

 歩未が起きないようこっそりと布団から起き上がり、荷物を詰めたスポーツバッグを持ち玄関に向かう。そして、音を立てずひっそりと有宇は家を出た。

 外に出ると、もう五月も下旬だというのに、夜はまだ肌寒かった。

 空はこんな日だというのに綺麗な星がいくつも瞬いていた。星を見て、ふと歩未の顔が過り一瞬引き返そうかと思った。だがそんな思考はすぐに振り払って歩みを進めた。

 家を出ると決めたのは紛れもなくおじさんに対する反抗だ。だが、それを抜きにしても僕がこのまま家にいたら、一緒にいる歩未だってカンニング魔の妹としていじめられる可能性だってある。

 いや、一緒にいなくたって僕がカンニングをして退学になった噂が歩未の学校に流れれば、その時点でお終いなんだがな。

 その時、歩未はどんな風に僕のことを思うだろうか。完璧だと思っていた兄が最低なカンニング魔だと知ったら。きっと軽蔑することだろう。

 そうなったら僕はもう立ち直れない。だから、もうどの道僕がこの家から去るしかないんだ……。

 

 星空の下、有宇は一人宛もなく歩き始めた。




始めまして、著者の森永です。
今回の作品は僕の始めての作品となります。
これから先も是非読んでいただけたらと思います。


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第1章、木組みの街編(その1)
第1話、Welcome U・SA


 家を出た翌日、有宇がいたのは都内のマンガ喫茶であった。

 家を出たからには、当然だが他に住む場所が必要だ。そして単に住む場所と言ってもどこでもいいわけではない。

 一応しばらく生活できるだけの金はあるが、ホテルなんて泊まっていたらあっという間に金が底を尽きる。かといって公園で寝泊まりは流石に論外。

 カプセルホテルとも迷ったが、少しでも支出を減らすためにネットカフェに泊まることにした。

 ネットカフェは寝る環境としては最悪だったが、パソコンで暇潰しはできるし飲み物も飲み放題でコスパもいいし、普通に生活していくには安定している。

 こうして、そう考えた有宇はネットカフェにしばらくの間、泊まることにしたのであった。

 しかし、ネットカフェに泊ってからというものの、有宇は特に何をするでもなく、ただアニメを見たり動画を見たりとネットサーフィンをするだけの時間を怠惰に過ごし、無意味な時間が過ぎていくばかりであった。

 

 そんな日々が一週間ほど続いた頃であった。ネットサーフィンにも飽きて、ずっと部屋に篭りっきりなのも億劫に感じてきた有宇は、ずっと篭る必要もないと思い、久しぶりに外出を試みた。しかし、それが失敗だった。

 宛もなく外をぶらついていると、一人の警察官に呼び止められた。平日の真昼間に外出したのがまずかったのだ。身分証の提示を要求されるものの、未成年であることがばれれば自宅に連れ戻されてしまう。そう考えた有宇は身分証は持ってないと答えた。

 すると警察官は家出人の可能性があるといって、有宇を署に連れて行くと言い出した。

 まずいと思った有宇は自らの持つ不思議な能力を使い、なんとかその場は警察官を巻くことに成功した。それから有宇は警察の追手が来ないか気にしながら人気のない方へと走りだし、追手が来ないことを確認すると、久しぶりに全速力で走って疲弊したのもあって近くにあった公園のベンチに腰を落ち着けた。

 もしかしたらおじさんが、僕が本気で出ていくと思わなかったから家出人として警察に届けを出した可能性もある。もしあのまま連れていたら……クソッ、出て行けって言ったのはアンタだろうが。僕は帰らないぞ。

 そうして有宇は駅に向かい、電車で数駅離れた所の漫画喫茶に生活の拠点を移すことにした。

 

 適当な場所で電車から降りた有宇は、すぐにネットカフェを探し出して宿泊の手続きを取った。そして部屋についてすぐに今後の事を考えた。

 一応少し遠くには来てみたが、ここらもすぐに警察が来るかもしれないな。このままじゃおちおち街を歩くこともできない。もういっその事、都内を出てもっと離れた遠いところに場所を移すか?

 しかし、そう考えてネットの検索も活用しながら探してみるも、なかなかいい場所が決まらなかった。そうしてパソコンの前で一人頭を悩ませていると、突然ある広告が有宇の目に入った。

 

<緑とうさぎに囲まれた街、木組みの町に来てみませんか?>

 

 それはただの観光広告だった。だが有宇は何故かこの広告が気になり、その広告をクリックしていた。

 その広告にある木組みの街というところは、風景はフランスなどヨーロッパの街並みをモデルとしているらしく、どの家も木組みの街の名の通り、ヨーロッパ風の綺麗な木組みの建築が多くみられた。

 その他にも野生のうさぎがたくさん生息していたり緑も豊かで、田舎にある割にはそれなりに栄えているようだ。

 その後も有宇は自分で木組みの街を調べていく内に、街のいろんな写真を見て回った。そこにはまるで本当にフランスにいるみたいな幻想的な世界が広がっており、有宇も思わず写真に心奪われていた。

 再び広告に目を戻すと、さっきは気づかなかった別の文に注目する。

 

<街の外からの新入生募集!ホームステイも大歓迎!>

 

 なんでも外から人を入れようと、街の学校に通うために外から来る学生を対象に、街の個人宅にホームステイできる制度を、街の一部の学校が行っているらしい。

 学生は下宿代わりにバイトをして、その家に奉仕をする必要があるらしい。住人は安く働き手が見つかるし、学校の方は外から優秀な生徒を呼び込める。街は外から人を呼び込めて街を活性化できる。まさにwin-winというわけだ。

 そしてこの広告を見て、有宇はここだと思った。

 広告を見るかぎり、この街は外の人間を呼び込もうとしている。おそらくだが、こんな田舎町だしきっと街の若者も減っているんだろう。

 つまりだ、ここなら家出中の僕みたいな人間でも受け入れてくれるのではないか?

 しかも街のあちこちでバイトも募集しているという。そこで働けば生活費も稼げるし、更に条件次第では住み込みで働けるかもしれない。そうなれば宿泊費だって節約できるかもしれない。ここは景色もいい場所だし居心地も良さそうだし、いいこと尽くめじゃないか!!

 元々アルバイトは金銭的にそろそろしなければと思っていたし、ちょうどいい機会だ。ここに行こう。どの道このまま都内にいたらいつ警察に捕まるか知れたもんじゃない。

 そう考えると、有宇はさっそく行動に移した。

 まずはネットや雑誌、求人誌などでこの木組みの街について調べ上げた。どこで宿泊するか、どこでバイトするか、どうやって行くのかなど、必要な情報を丸一日使って洗い出した。

 そして次の日には夜に出る深夜バスを予約し、その夜、有宇は木組みの街へと出発した。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 バスが着いたのは朝早くだった。

 バスから降りて周りの景色を見てみると、そこには写真でしか見たことのないヨーロッパの街並みそのものが広がっておりで、有宇も思わずその美しい景色に圧巻された。

 有宇が最初に降り立ったこの場所は ″百の橋と輝きの都″ と呼ばれるこの辺りでは一番大きな都市だ。旧市街を中心にビルや高級ショップが乱立しており、様々な用途にエリア分けされ、遊園地は勿論、カジノのような娯楽施設まである。

 しかし用があるのはこの街ではなく、有宇はここから更に列車に乗り換えて目的の街まで行くのであった。

 有宇は早速バスを降りてすぐの所にある駅の中へと入って行った。すると有宇は駅の中の豪華な内装と驚く程の広さに再び圧巻される。

 

「すげぇ……」

 

 まるで大聖堂を思わせるような内装、ガラス張りのアーチ状の天井、高級感漂わせる地下街のカフェやレストラン、駅のその美しさに目を奪われるばかりであった。

 それから自分の乗る列車のホームに、広い駅の中で迷いながらも無事に辿り着いた。列車はいかにもテレビでみたことあるようなヨーロッパの列車といった外装で、内装も木組みでレトロな雰囲気を漂わせていた。

 有宇は列車に乗り込み、指定された自分の席に座る。そして、発車合図のベルと共に列車が出発した。

 列車が出発してしばらくすると、有宇は窓を開け、外の景色を一望する。この辺りはまだビルなどが建っているものの、遠くのほうを見ると、写真で見たような木組みの西洋風の家が立ち並んでいた。

 その景色は、カメラがあればきっと写真に収めていたと思えるぐらい美しい眺めだった。

 列車が木組みの街に着くまで、有宇は窓の外の景色にただただ心奪われていた。

 

 

 

 電車が着いたのは昼を過ぎた頃だった。

 駅から降りてしばらく歩くと、さっきまで列車の窓から見えていた木組みの西洋風の家が立ち並ぶ。窓から見るのとは違い間近で見ると、本当にヨーロッパに来たかのような感覚を覚える。

 

(さっきの街といい、ここは本当に日本なのか……?)

 

 そんな疑問さえ浮かぶほど、自分の住んでいた東京と同じ日本だとは思えない美しい街並みだった。

 早速街を歩いてみると、休日ということもあってか、街は人で賑わっており、活気づいてる市場からは色々な人の声がする。

 子供の笑い声、店のおばさんの掛け声、聞いててそう悪いものではない。むしろ街の雰囲気と合わさってどこかやすらぎすら感じる。

 歩未もここに連れて来たら喜んだだろうなと有宇はふと思ったが、それは胸の内に仕舞い込んだ。

 ここに来たのは生活のためだ。観光に来たんじゃない。これから先のこともあるし歩未のことは忘れるんだ……。

 そうして街をしばらく歩いていると、目的の場所に辿り着いた。

 そこは他の建物と特に変わらない木組みの建物で、カップを持つうさぎのマークが描かれた看板があり、こう書いてあった。

 

<RABBIT‐HOUSE>

 

 ラビットというからうさぎカフェか何かか?と最初は思ったが、調べてみたらどうやら普通の喫茶店らしい。

 有宇はここでアルバイトをしようと決めていた。

 このなんの変哲もない店を有宇がターゲットに選んだのは、有宇がこの街のことを調べる際に買った雑誌でこの店の事が紹介されていたからだった。

 なんでも去年、映画にもなった有名な小説の舞台になった所なんだとか。それに雑誌にも載るぐらいだし、ただ安直に儲かっていそうだなと思ったのが一つ。

 あと、バイト申し込みの電話の時の電話口の先のマスターの声が、どことなく優しそうな感じでチョロそうだったのもまた理由の一つだ。僕は一応家出人なわけだし、それを悟られるわけにはいかない。だから店主がどんな人間かは大事だ。

 因みに一応住み込みのアルバイトも探したのだが、この街のそういうところは大抵どこもこの街の学校に通う学生限定のところばかりで無理そうだったので、諦めて住まいは別で探すことにした。

 さっそく有宇は店の扉に手をかける。

 扉にかけられた鈴が心地よい音を立てながら店に入ると、目の前にいたピンクの制服を着た女店員がこちらを振り返る。

 

「いらっしゃいませ〜!ラビットハウスにようこそ!」

 

 目の前の店員の少女の頭には……なぜかうさ耳が着いていた。

 

「えっと……」

 

 確かふつうの喫茶店だというはずなのだが、店を間違えたのだろうか?

 だが店の外の看板には間違いなくラビットハウスと書かれていた。

 どう反応していいかわからず悩んでいると、奥から青い制服を着た小さな女の子が出て来た。

 

「ココアさん!?なんでうさ耳なんてつけてるんですか!?」

 

「え〜だってラビットハウスって名前なのに、やっぱりうさぎ要素が無いのはダメかと思って。ほらっ、新学期始まってからしばらく経つし、色々心機一転しなきゃいけないと思うんだよ。それにチノちゃんもうさ耳着けたら絶対可愛くなるよ。お客さんもそう思いますよね?」

 

「えっ!?あ……えっと……」

 

 突然こっちに振られても困るんだが……。

 だがやはりここがラビットハウスなのは間違いないみたいだ。

 

「ココアさん、お客さん困ってるじゃないですか。早く席まで案内してあげてください。あとうちは普通の喫茶店ですのでうさ耳は外してください」

 

「はぁ~い……可愛いと思うんだけどなぁ……」

 

 ココアと呼ばれている店員が渋々頭につけていたうさ耳をはずしてる間に、有宇はチノと呼ばれていた店員に声をかける。

 こっちの方がまともに対応してくれるだろうと判断した。

 

「あの、すみません。バイトの面接を申し込んだ乙坂ですが、マスターさんはいらっしゃいますか?」

 

「貴方が乙坂さんですか。お待ちしておりました。父は奥にいるので案内します」

 

「えっ、新しいバイトさん!?私の後輩君になるの?」

 

「ココアさんが入るとややこしくなるので少し黙っていてください」

 

「う〜さっきから私に対して冷たい気がするよ〜」

 

「さっ乙坂さん、行きましょう」

 

 一人涙にくれるココアを無視して、チノは有宇を店の奥まで案内した。

 わがままは言ってられないが、あの頭のおかしそうな女と同僚になるのは嫌だなと有宇が考えていると、マスターの部屋の前に着いた。

 

「ここからは父が面接しますので、では」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 ペコリとお辞儀をしてチノは仕事に戻っていった。

 そして有宇は目の前のドアをノックする。柄にもなく少し緊張する。

 

「どうぞ」と中から返ってきたので「失礼します」と言ってドアを開ける。入ると目の前に雑誌の写真で見たマスターが椅子に座っていた。

「まぁ、座りなさい」と声がかかり椅子に座る。椅子に座ると早速面接が始まった。

 

「ではまず自己紹介からお願いします」

 

「はい、乙坂有宇といいます。歳は十五歳です」

 

「なるほど、では……」

 

 面接はスムーズに進んだ。

 面接の質問は一応それなりに受け答えできるようにしておいてあった。こと上辺を繕うことに関しては有宇の得意分野だ。

 面接は主にシフトはいつ入れるか、どこに住んでいて通勤にはどれぐらい時間がかかるのか、連絡を取れるケータイはあるかなど聞かれた。

 住所はこれから泊まる予定のネットカフェの住所。勿論怪しまれるとあれなのでネカフェとは名言はしないが。ケータイは電話代節約のため持っていないとそれぞれ答えておいた。

 僕は顔はいいし、素を出さなければ印象は良い筈だ。大丈夫、イケるはずだ……。

 それら質疑応答が終わり、面接もこれで終わりかと思われた時、マスターが最後にと有宇に言う。

 

「……なるほど。じゃあこれで面接は終わります。ああそうだ、電話で言うのを忘れてしまったんだが、保護者様からの承諾書と戸籍証明書は持ってきてくれているかな?あ今日持ってきていないなら、次に来る時に持ってきてくれればいいから」

 

 ……聞かれるとは思っていたが聞かれてしまったか。

 アルバイトをするためにアルバイトそのものについても調べてみると、必要なものがそれなりにあるらしい。

 一つは履歴書。

 まぁ、これはコンビニで適当に買ってきて適当に書いておいた。

 二つ目は身分証。

 これは学生証がもう使えないので保険証で。

 三つ目は親の同意書。

 なんでも高校生(十八歳以下)は上二つの他に、親の同意書が必要になるらしい。まぁ偽造は簡単なのでそれを出した。

 印鑑は適当に買ってきたやつを使い、サインは自分のところは汚く書いて、親の部分は綺麗に書いた。

 そして四つ目が住民票。これがまずかった。

 住民票をこの街に移すことも考えたが、それだとおじさんに足が付いてしまう。わざわざ警察の目を掻い潜るためにこんな遠くの田舎町に来たのにそれでは意味がない。なので住民票は移していないのだ。

 そもそもこの店を選んだ理由の一つに、住民票や親の同意書を特に持ってくるように言われなかったからイケると思ったからなのに、これではここを選んだ意味がないじゃないか。

 しかし出せと言われてしまった以上仕方ないので、取り敢えず持ってる住民票を出す。

 まぁ、どうせ内容までは詳しく見ないだろうと高を括っていたのだが、そんな上手くはいかなかった。

 

「まず同意書の印鑑だけど、これシャチハタだね。すまないがちゃんとした印鑑で押してまた出して欲しい。あと本当にこれ親御さんのサインかな?」

 

「え!?」

 

 思わずギグッとした。

 まず印鑑って種類とかあるのか?ということ。

 そして何よりまさか同意書の方が気づかれるとは……いや、まだ気付かれたとは限らない。偶然に違いないと有宇は思った。

 だがマスターは的確にその理由を述べる。

 

「一見別人が書いたように見えるが、乙坂の乙の字の書き方がどちらもよく似ている。簡単な漢字だから書き分けが難しかったのだろう。それでもう一度聞くがこれは本当に親御さんが書いたのかな?」

 

「えっと……そうです……」

 

 理由は的確だったが、認めるわけにはいかない。認めたら不合格になってしまう。

 だがマスターは更にこう続ける。

 

「人間はね、嘘をつくとき自然と相手から目をそらしやすくなる。特に右上を見ることが多いようだ。それにさっきからやたら鼻をかいているし、落ち着きが無い。これも嘘をつくときに、しやすいんだ。私は昔軍隊にいてね。特に交渉を任されたことが多くて相手の嘘には敏感なんだ」

 

(ぐ、軍人上がり……だと!?)

 

 流石の有宇もそこまでは読めなかった。

 どうやら端から嘘が通じるような相手ではないらしい。

 

「あと住民票の住所が先程言っていた住所とも違うね。これは?」

 

 クソッ、やっぱりそこもバレるのか……。

 

「えっと……それは……」

 

 もはやこの人相手にこれ以上誤魔化すのは流石の有宇でも無理そうだった。しかしここで引き下がる有宇ではなかった。

 そして有宇はマスターに深々と頭を下げた。

 

「お願いします!ここで働かせてもらえるわけにはいかないでしょうか!?」

 

 正攻法で駄目なら泣き落としだ。

 そして有宇は続けた。

 

「実は親から勘当されてしまって……必死で働き口を探していたんです。しかし都会ではどの職場もダメだと言われ追い返されてしまったんです。でもこの街のことを知って、この街でなら僕を受け入れてくれるんじゃないかと思ってここまで来たんです。お願いします!ここで働かせてください!」

 

 外から人を呼びこんでるような街だし、情で訴えればきっといけるはずと思った。

 だがそんな有宇の思惑通りにはいかなかった。

 

「すまないがこういうのは労働基準法で決まっていてね。十八歳以下の子供を雇うには親御さんの同意書と戸籍証明書が無いと雇うことはできないんだ」

 

 マスターは態度を変えることなく、そう答えた。

 情で訴えればイケると思ったが、まぁここまできっちりチェックするぐらいだし、イケるはずもなかったか……。

 ネットで調べたところ、住民票や親の同意書がなくても仕事ができる所は探してみると結構あるらしいとのことだったので、こんな個人経営の店ならイケるだろうと期待したのだが、どうやらこの店はそうではなかったらしい。

 すると、落胆する有宇にマスターが提案する。

 

「残念だがこのまま君を雇うことはできない。だが君がよければ私の方から君の親御さんに……」

 

「いえ、結構です……失礼しました」

 

 マスターの提案を遮ってそう言うと、有宇は席を立ち、マスターの部屋を後にした。

 親に連絡だと!?冗談じゃない!!なんのためにこんなクソ田舎まで来たと思ってるんだ!!

 有宇はそのまま足早に店を出た。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 店を出てから有宇はずっと途方に暮れていた。

 外はもう日が沈みかけていた。

 一応これから他の店も当たってみるつもりではいるが、出鼻をくじかれたのはかなり堪えた。

 そうして広場のベンチに座り一人項垂れていると、突然女が声をかけてきた。

 

「あれ?君、お昼にバイトの面接に来た人だよね?」

 

 顔を上げて見てみると、昼間店で働いていたピンクの制服の頭のおかしな女だった。腕には買い物袋を引っ下げており、おそらく買い物帰りだと思われる。

 

「えっと……確かココアさんでしたっけ?」

 

「あれ、名前教えたっけ?」

 

「もう一人の店員さんにそう呼ばれてませんでした?」

 

「あ、そうだったね。頭いいんだね」

 

 そう言うとラビットハウスの店員、ココアは何も言わず有宇の隣に座った。

 せめてなんか隣座っていい?とか聞けよ。

 

「そういえば、まだ君の名前聞いてなかったね。なんていうの?」

 

「乙坂有宇といいます」

 

「有宇くんか、よろしくね」

 

 なれなれしい女と思ったが、追い払う気力もないので会話を続ける。

 

「それで、バイトは受かりそうかな?それとももう決まった?」

 

「えっと……ダメでした」

 

「えっどうして?もっと自信を持たなきゃダメだよ!」

 

「……親の同意書と……あとこの街の住民票が無いとバイトが出来ないんだ」

 

「えっと……貰えばいいんじゃないの?」

 

「そうもいかないんだ……」

 

「どうして?」

 

「どうしてって……」

 

 まさか学校でカンニングして退学になりかけたことがきっかけで、親権者(おじさん)の怒りを買って家出したからなんて、仮にも女の前で言えるはずがない!!

 プライドの高い有宇は、女相手に自分の置かれた状況を説明するのは躊躇われたのであった。

 

「えっと……実は親に勘当されてね、家を追い出されたんだ……」

 

「えっ!?何か悪いことでもしたの?」

 

「……実は父が酒飲みでね。仕事もろくにせず僕が新聞配達のバイトをして生計を立てていたんだ。だから学校にもろくに通えなかったしお金もないから高校にも入れなかったんだ。だけどこの前、酒をのんで家をめちゃくちゃにしてて母さんに手を挙げたんだ。それでとうとう殴り合いのけんかになって家を追い出されたんだ」

 

 もちろん嘘八百である。

 有宇の両親はとっくの昔に離婚して家を出て二人とも行方知らずだし、親権者のおじさんとは殴り合いのけんかはおろか顔を合わせることすらあまり無い。

 それにうちは確かにそこそこ貧乏だが高校に行くぐらいの金はある。もっとも退学になったせいで全部パアだが。

 しかし流石の有宇も我ながら嘘くさいと思ったが、ココアの顔をうかがってみると、顔を真っ赤にして涙を流していた。

 

「そ、そんなことがあったなんて、有宇ぐん苦労じでだんだね……」

 

「あ、あぁ……」

 

 まさかここまでありきたりな作り話に見事に騙されるとは有宇も思っていなかった。

 人がいいのかただ馬鹿なのか……。

 するとココアは涙を拭いて立ち上がると、有宇に向け言う。

 

「よし、私に任せて!私からもタカヒロさんに頼んでみるよ!」

 

「えっ!?」

 

 言うや否や、ココアは有宇の手を掴み、そのまま手を引いて店まで連れて行こうとした。

 

「ちょっ、ちょっと待ってココアさん!?流石に無理なんじゃ……」

 

「やる前から諦めてたら駄目だよ。それでもダメだったらチノちゃんにも協力してもらうから大丈夫だよ」

 

 さっさとこの女との会話を終わらせたかっただけだったのに、まさかこんな展開になるなんて思いもよらなかった。

 でも他に頼るあてもないし、この女を止めるのはめんどくさそうだ。

 それに、うまくいくとは思えないが、これでバイトできるようになるのであれば、この流れに乗るのもワンチャンありだなと有宇は考え、このまま連れて行かれることにした。

 

 

 

 しばらくして店に着くと、何故かトレンチコートを着て何処かへ出かける準備をしていたマスターがすぐ目の前にいた。そんなマスターにさっそくココアが声をかける。

 

「おじさん!」

 

「おやココア君、彼と一緒だったのかい?」

 

「はい、ところでお願いがあるんです」

 

「なにかな」

 

「有宇くんをここで働かせてもらえませんか?有宇くん、なんか今までたくさん苦労してきたみたいなんです。なのに学校にも行けず働こうにも働けず住むところもないなんてあんまりじゃないですか!だからここで有宇くんを働かせてあげてください!」

 

 泣き落としならさっき僕もやったし、まぁ無理だろうなと見てると、マスターから意外な反応が返ってきた。

 

「構わないよ」

 

「えっ!?」

 

 即答だった。

 先程はどんなに頼んでもダメだったのに一秒で了承されてしまった。

 どういう風の吹き回しなのだろうと有宇は疑問に思った。

 

「本当にいいんですか!?」

 

 有宇がにわかに信じられずそう聞くと、先程までと打って変わって首を立てに振った。

 

「あぁ、構わないよ。明日から住み込みで働いてもらうけど、大丈夫だね?」

 

「住み込みで!?はい、大丈夫です!」

 

「ココア君もそれでいいかな?」

 

「はい!ありがとうございます!」

 

「そうか、では有宇くん、これからシフトやここで暮らしていく上での事を色々と決めていこうか」

 

「はっ、はい」

 

 それから有宇はココアを一瞥する。ココアの方もまた笑顔でこちらを見つめる。

 

「有宇くんやったね!これからよろしくね」

 

 急な展開だったものの、こうして有宇はこの喫茶店、ラビットハウスで働くことになった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 先ほどの少年、もしかしなくても家出少年だろう。

 有宇が帰った後、ラビットハウスのマスター、香風タカヒロはそう考えた。そして机の上の先程有宇にもらった履歴書が目に入る。するとタカヒロはそこに書かれていた電話番号に電話をかけてみた。

 履歴書の住所はデタラメだったので、電話番号もデタラメの可能性が高いものの、市外局番はこの街のものではないし、本物の可能性が高い。それにこれは流石に親と話す必要がある。

 電話番号は本当に家の番号だったようで、電話には親と思しき男が出た。

 

「もしもし、乙坂です」

 

「もしもし、そちら乙坂くんのお宅でしょうか。こちら喫茶店ラビットハウスの店長、香風タカヒロと申します。そちらの息子さんがうちにアルバイトの面接に来たのですが……」

 

「有宇がそちらにいるのですか!?」

 

「ええ、先程までうちに面接に来ていました」

 

「そうですか……見つかってよかった」

 

 どうやらまともに話せる相手のようだ。

 タカヒロは事情を聞いてみることにした。

 

「失礼ですが何があったか聞いてもよろしいですか?」

 

「はい……実は……」

 

 そう言うと男は事のあらましを説明した。

 何でも先程の少年──乙坂有宇は学校でカンニングを働き、それがバレて高校を退学になりかけてるとのことだ。それがきっかけでこの電話口の叔父と口論になり、家出をしたということらしい。

 

「……情けないですよ、本当に。自分があいつをしっかりみてやれなかったのがいけなかったのに、あいつに八つ当たりしてしまって」

 

「子供が間違えたらちゃんと叱る。乙坂さんはしっかり親としての責務を果たしたと思いますよ」

 

「そう言ってもらえるとありがたいです。しかし出ていけはさすがに言い過ぎました……」

 

「引き取りに来られるなら彼を探してきますが」

 

 そう言うと電話の相手の男は押し黙ってしまった。

 

「どうかしましたか?」

 

「……実は、あいつに星ノ海学園から特待生として迎えたいという推薦状が来ているんですが……」

 

 星ノ海学園……天々座の奴がそんな名前を口にしていた気がするが……。

 

「それはすごいですね。通わせるおつもりですか?」

 

「そのつもりでした。しかし今のあいつではまた同じことをしてしまう気がするんです。このままあいつを行かせていいものか……」

 

「そうですか……」

 

 するとタカヒロはあることを思い着いた。自分でも何故こんな事を考えたのかわからなかった。明らかにリスクしかないし、娘を持つ父親としてはどうかしている。

 だが、乙坂有宇───彼は昔の自分と重なるのだ。自分に力があると過信し、現実を知りもしない青二才な若者は、まるでかつての自分と同じだと。

 そんな彼を、タカヒロはどうにもこのまま放っておくことに、躊躇いがあったのだ。

 そしてタカヒロはその思い付きでしかない提案を口にする。

 

「では一度、うちで預かってみますか」

 

「えっ?」

 

「社会経験もかねて彼をうちで住み込みでアルバイトをさせてみてはどうでしょうか」

 

 乙坂有宇をうちで働かせる。年頃の娘が二人いるこの家で。我ながら馬鹿げているとタカヒロは思った。しかしもう後には引けない。

 

「えっ、いやそんな……いいんですか?」

 

「部屋はあまっていますので、そちらがよろしいのであれば」

 

「しかし……それぐらいであいつが変わるとは思えないのですが……」

 

「心配ないと思います。うちの娘もあまり人と関わるような子ではなかったのですが、去年うちに住み込みでアルバイトに入った子が来てから娘も変わりました。たぶん、お宅の有宇くんも変われるはずです」

 

「しかし……本当にいいんでしょうか?いきなり任せてしまって」

 

「こちらは問題ありません。もし心配なことがあれば電話でも直接こちらに来ていただいても構わないので」

 

「そうですか……では有宇のこと、よろしくお願いします」

 

「ええ、わかりました」

 

 こうして有宇の知らないところで、有宇がラビットハウスで住み込みで働くという話が決まった。

 

「それと、彼がこちらに来たら、そちらに連絡させましょうか?」

 

「いえ……私が関わっていることを知ったら辞めてしまうでしょうから結構です。私のことはくれぐれも内緒にしてください。ただ時々でいいので近況を知らせていただけると助かります」

 

「わかりました。細かい事はまた後ほど話し合いましょう。それでは」

 

 電話を切ると、タカヒロは再び電話をかける。かける相手は彼をここに住ませるに当たり、許可を貰わなければならない人だ。

 その人に許可を貰うと、娘であるチノにも許可を貰う。そして、彼を向かい入れる準備を整えたタカヒロは彼を探しに行こうとトレンチコートを羽織る。

 しかしタカヒロが彼を探しに行こうとした矢先、偶然にも彼の運命を変えてくれるであろう少女───ココアが彼を連れて帰ってきたのだった。



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第2話、ラビットハウス

「ここが君の部屋だ、それじゃあ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 そういってマスターはバーの準備をしに行った。

 

 有宇はここで働くことが決まった後、マスターとシフトやその他色々ここで暮らしていくためのルールを決め、そして、有宇がこれから使う部屋まで案内されたところだ。

 早速有宇は自分の部屋のドアを開ける。そこは棚と机、ベッドの他には特に何にもなかったが、部屋としては十分だ。

 そして有宇は置いてあったベッドの上で横になってみた。

 家にいた頃は硬い床の上に布団を敷いて寝ていたし、何より自分の部屋なんてなかった。更に家を出てからも、ゲームやバソコンの音が響くネットカフェの硬い床で毛布をかけて寝ていた有宇にとって、ベッドの柔らかさはたまらなく気持ちいいものだった。

 そのままうとうとしていると突然、ドアが勢いよく開いた。

 突然のことに有宇は目を覚ました。

 

「有宇くんお疲れ!バイトのシフト決まった?」

 

 するとノックもなしにいきなりココアが入ってきた。

 

「ココアさん、ノックぐらいちゃんとしてくださいって言ってるじゃないですか」

 

 そう言いながら昼間、青い制服を着て働いていた小さな女の子も続いて部屋に入ってきた。

 

「すみません乙坂さん、お休みのところをお邪魔してしまって」

 

 驚きはしたが、女を前にして素をみせる有宇ではなかった。

 

「大丈夫、気にしてないから……。でも心臓に悪いから次はノックしてから入ってほしいかな」

 

「は~い」

 

 ココアが軽い返事を返す。

 

「ココアさん、本当にわかってますか?」

 

 ココアの返事に、チノが信用ならないと言わんばかりに(いぶか)しむ。

 

「わかってるよ~お姉ちゃんをもっと信頼してほしいな」

 

「なら普段から信頼に足りる行動をしてください」

 

「うう~今日はなんだか辛辣な言葉が多い気がするよ~」

 

 こいつらはいつもこんな感じ何だろうか。だとしたらこの子、毎日ココアの相手してるのか……大変そうだな。

 しかしこのままずっと放っておくと、この茶番がずっと続きそうだと思い、有宇はここに来た本題に入ってもらうよう二人に促した。

 

「それで僕に何か用かな?」

 

「あっはい、夕食のリクエストを聞きに来たのですが、何か食べたいものはありますか?」

 

「そうだな、特に嫌いなものもないし、なんでもいいよ」

 

「そうですか、ではナポリタンでもいいでしょうか?」

 

「ああ、それでいいよ。えっと……」

 

 そういえばこの子、名前なんだっけ?

 すると有宇の考えてることを察したのか、小さい子が答える。

 

「そういえばまだしっかり自己紹介してませんでしたね。この店のマスターの娘の香風智乃です。よろしくお願いします」

 

 そうだ、チノだ。

 そういえばココアがそう呼んでいたじゃないか。

 

「ああ、よろしく」

 

「私は保登心愛っていいます♪気軽にココアって呼んでくれていいからね。有宇くんと同じでここで住み込みで働いてるんだ」

 

 お前はもう知ってるから。

 にしてもチノにココアか……この辺の土地の人間の名前は変わってるな。ココアに関してはアイドルの芸名みたいな名前だ。これが俗に言うキラキラネームってやつか。

 自己紹介を互いに済ませると、チノが申し訳なさそうに有宇に言う。

 

「それで……乙坂さん、来てもらってそうそう申し訳ないのですが、夕食作りを手伝ってもらえないでしょうか?」

 

「えっと、料理はあまり得意じゃないんだけど……」

 

 得意どころか有宇はやったことすらない。

 いつも料理は妹の歩未の仕事だったから、皿洗いぐらいしかできないのだ。

 だが飲食店で働くのにできないなんて言ったらまずいと思い、少し控えめに断ろうとした。

 しかし有宇の思う通りにはいかなかった。

 

「ええ、ですから夕飯をつくりながら料理を覚えていただこうと思ったのですが、どうでしょうか?」

 

 仕事のためと言われたからには流石に断り辛いな……。

 正直めんどくさいと思うがやらないと意識が低いと思われるだろう。それにこれから一緒に住むわけだし、関係を悪化させるような真似はこの先色々面倒になるだろうと有宇は考えた。

 

「そういうことであればわかりました。よろしくお願いします」

 

 するとココアが嬉しそうに言う。

 

「おおっ、みんなでお料理だね!!私の腕もなるよ~」

 

 げっこいつも作るのか!

 有宇は怪訝な顔を浮かべた。

 ココアの雰囲気からしてうまい料理を作れるとは思えないし、せっかくピザソース生活から離れられたのに、またおかしな料理を食う羽目にはなりたくはない。

 有宇がそんな事を思っていると、チノがココアに先程のように冷静に諭した。

 

「一人の方が教えやすいので、しばらくココアさんは遠慮してください」

 

「え~そんな~」

 

 ナイスだチノ!これでこいつの変な料理を食わされずに済む!

 喜ぶ有宇とは裏腹にココアは残念そうにしていたが、納得にしたようでそれ以上は何も言ってこなかった。

 

「それでは行きましょうか乙坂さん」

 

「ああ」

 

 そしてチノと共に部屋を後にした。

 

 

 

 それから階段を降りてニ階の台所に着くと、チノが冷蔵庫や棚から使う材料を揃える。

 

「では乙坂さん、準備できたので始めましょうか」

 

「ああ、よろしく頼むよ」

 

「ナポリタンの作り方ですが、まず最初にお湯を沸かします。一人分で一リットルなので、今回は三人分で三リットル沸かします」

 

「あれ、マスターは食べないんですか?」

 

「父はバーの準備があるので、私達より少し早めに食べているので大丈夫です」

 

「バー?」

 

「ラビットハウスは昼は喫茶店ですが、夜にはバーになります」

 

 そういえばカウンターの後ろの棚にコーヒーの瓶以外にも酒が置いてあったな。カフェの仕事もあるのにその上夜もバーで働くとか、結構あの人も大変なんだな。

 そして有宇はチノに言われた通り、鍋に水を入れていく。

 

「次に塩を加えます。こちらは一人十グラムなので今回は三十グラム加えます」

 

「あの、塩を入れる意味って何かあるの?」

 

「塩を入れるとパスタに下味をつけられます。あとアルデンテを作りやすいですね」

 

 すると有宇は疑問に思った。

 

「アルデンテ?ナポリタンを作るんじゃなくて?」

 

「えっと……アルデンテというのはパスタの芯を僅かに残して茹で上げる調理方法のことでして……その……料理の名前ではないです」

 

「え!?」

 

 それを聞くと、有宇の顔はみるみる赤くなって、その場で頭を抱えて踞った。

 アルデンテって料理の名前じゃないのか!?もしかして僕、かなり恥ずかしい勘違いをしたんじゃないか!?

 羞恥のあまり恥ずかしそうに頭を抱える有宇を、チノがフォローする。

 

「えっと……あの、大丈夫です。ココアさんも結構恥ずかしい勘違いすること多いですし、気にする必要ありませんよ」

 

 こんな幼い女の子に慰められたあげく、あの(ココア)と比べられるなんて……。

 チノにフォローされ、(あまつさ)えココアと比べられたことに、逆に有宇は更にショックを受けた。

 

「えっと……次行きましょう」

 

 そう言ってチノは、落ち込む有宇をスルーし次の手順の説明に移った────

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「それでは次にパスタを……」

 

 それからパスタを茹でたり、具を炒めたりソースを作ったりして、最後にとパスタと混ぜ合わせ無事ナポリタンが完成した。

 

「できましたね、ではお皿によそってください。その間に私はココアさんを呼んでくるので。」

 

 そう言ってチノは階段を上がっていった。その間有宇はチノに言われた通り皿にナポリタンと、付け合せのサラダを三人分よそった。

 しばらくしてココアとチノが降りてくると、三人で皿やフォークなどををテーブルに配り、キッチンのテーブルに着く。

 

「う〜ん、いい匂い!中々美味しそうだね」

 

「それではいただきましょうか」

 

「うん、もうお腹ペコペコだよ〜」

 

 正直チノに横で教わりながら作ったとはいえ、やはり不安がある。

 料理なんて今までしたことないし、何か変なミスはしてないだろうか。

 有宇がどこかミスはなかったかと不安に駆られてる間に、ココアとチノが手を合わせる。

 

「それではいただきます。」

 

「いただきま~す」

 

 そして二人はパスタに口をつけた。

 もう口をつけられてしまったのなら仕方ない、と有宇も覚悟を決めてフォークを握る。

 

「いただきます」

 

 フォークでパスタをすくい口に運ぶ。

 

「……!」

 

 しっかりケチャップの酸味が飛んでおり、加えたはちみつの甘みがあり、まろやかな味わいが口に広がる。

 どうやらちゃんとおいしくできたようだ。

 

「ん~おいしいね♪」

 

「はい、おいしくできてますね」

 

「有宇くん、お料理上手だね」

 

 上手と言われて少し胸が高鳴る。

 今まで顔以外で自分のことを誰かに褒められたことなんてなかったので新鮮に感じた。

 

「いや、チノに教えてもらわなかったらこうはならなかったよ」

 

「いえ、そんなことないと思います。乙坂さんなかなか筋がよかったですよ」

 

「そうかな……?」

 

「そうだよ、もっと胸を張っていいんだよ」

 

 ココアにそう言われ、歩未に美味しいと言うとよく喜んでいたことを思い出した。

 正直何で美味しいと言うだけで歩未があんなに喜んでいたのかわからなかったが、今ならその……少しはその気持ちもわかる気がする。

 

 

 

 食事が終わり、食事の後片づけに入る。

 家にいた頃なら、食後の皿洗いとかの片付けなんて後でもできると放置して、結局歩未が一人で片付けてしまうことが多いのだが、流石に居候の身でそんなことはできず、後片付けを手伝った。

 そして片付けを終え部屋に戻ろうとすると、後ろからマスターに呼び止められる。

 

「あ、有宇くん、少しいいかな」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「明日の朝、娘たちの弁当作りを手伝ってもらっていいかな」

 

 軽く明日は早起きしろと言われた。

 弁当作りとなると五時起きぐらいになるんだろうか……。

 

「えっと……マスター一人で作った方が早いと思いますが……」

 

「なに、君の料理の練習も含めてだ。もちろん職務ではないから別に断ってくれても構わないよ」

 

 職務に関係ないと言われても、断るとイメージ悪くなりそうで断れないじゃないか。

 

「いえ、マスターがいいなら是非お手伝いさせていただきます」

 

「そうか、では明日五時にキッチンに降りてきてくれ。」

 

「はい……」

 

 結局、明日から5時起きすることが決定してしまった。

 まぁ、無事住み込みのバイトに嗅ぎつけたんだ。多少の事は我慢しないとな……。

 

 

 

 その後は特にすることもなく、有宇は自分の部屋に戻った。

 風呂はチノとココアが先で有宇が一番最後なので、二人が出るまで時間が空く。しかしすることがないので暇だ。

 暇なときはよく適当に買ってきた雑誌を眺めてたり、テレビを見てたりしていたが、そのどちらもこの部屋にはない。

 何かないかと部屋を散策すると、棚に置いてある本に目がいく。

 しかし見渡す限り、コーヒーの事や料理、店の経営や法律などの本ばかりだった。

 

「ジジ臭せぇ本ばっかだな……。この部屋一体誰の部屋だったんだ?」

 

 普段はまず読むことはないが、かといって他にすることもないので、その中のコーヒーの本を適当に読んでみることにした。

 

「キリマンジャロ……マンデリン。それに浅煎り深煎り……?全然わからん……」

 

 コーヒーといっても色々種類があるようで、それぞれ味も淹れ方も違うみたいなことが書かれてるのは有宇でもなんとなくは理解できた。しかし、詳しいことは全くもって理解できなかった。

 この辺は明日教えてもらえるのだろうとか思いながら読んでると、突然、背後から肩をたたかれた。

 

「有宇くん、お風呂空いたよ~」

 

「うわぁ!?」

 

 いきなり背後をつかれ、驚いて思わず声をあげてしまう。

 

「うわ、ビックリした~。いきなり大声出したらびっくりするよ~」

 

「驚いたはこっちのセリフだ!いきなりなんだよ!」

 

「えっと、お風呂空いたよ~って知らせに来たんだけど……」

 

「そうか……頼むからノックをしてくれ……」

 

「えへへ、ごめんごめん」

 

 この女、本当に分かってんのか?

 

「それより有宇くん、なんかさっきまでと雰囲気違うような気がするんだけど……?」

 

 しまった、驚いてつい素に戻ってた。

 素の自分は出さないほうがいいだろう。印象は良いに超したことはないだろうしな。一緒に暮らしていくわけだし、これまで通り隠し通させてもらう。

 

「いや、驚いたからそう見えただけだよ、次から気を付けてください」

 

「そう……?」

 

 そういってココアは背を向けそのまま出ていくと思われたのだが、振り返り間際、有宇に尋ねた。

 

「そういえばさっきは聞き忘れちゃったけど、有宇くんシフトどうなってるの?」

 

 そんなこと聞いてどうすんだ。別にお前には関係ないだろ。

 そう思ったが素は出さないと決めているので、仕方なくココアの質問に答える。

 

「えっと、ほとんど午前中から君たちが帰ってくるまでの間に入ってるけど……」

 

 午後はココア達が働くので、有宇はほとんど午前中にシフトが入っている。

 午前中はココア達は学校なので、マスター一人で切り盛りしなくてはならない。だから前からココア達が学校に行ってる間働けるアルバイトを探していたらしいのだ。

 正直朝から働くのは面倒だが我儘(わがまま)言ってられないしな……。

 すると、有宇の答えを聞いてココアが少し残念そうな表情を浮かべる。

 

「そっか……。じゃあ一緒に働くのは難しいね……」

 

「えっと……まぁ、そうだね」

 

 一緒に働きたいって……なんだこいつ、僕に気があるのか?

 でも別に顔を赤らめてる様子もないし特にそういう様子は見られない。顔はまぁそこそこだけど、どのみち僕に気があろうともこんな頭のおかしそうな女を相手にするつもりはさらさらないがな。

 そんな事を考えていると、何やらココアから視線を感じる。

 

「……(じ~)」

 

 何故か知らないが、ココアがじーっと有宇の顔を見つめていた。

 なんかじっと僕の顔を見てくるんだが、一体なんなんだ?

 

「えっと……まだなにか?」

 

「えっとね、有宇くん。今日はどうだったかな?」

 

 今日はどうだったか?

 まだこの店に来てから半日も経ってないぞ。

 

「まだ具体的には何も……」

 

「そっか。有宇くん、今まではいろんなことたくさん我慢してきたかもしれないけどこれからは自由だよ。ここでは色んな事経験して、いっぱい楽しんでほしいなって思って」

 

 そういやこいつは僕のことを、かわいそうな悲劇の少年だと思ってるんだったっけな。どうする、誤解を説いておくか?

 いや、そのおかげでここで働けたわけだし、黙っておいた方がいいだろう。

 

「話し込んじゃってごめんね、お風呂どうぞ」

 

 そう言うとココアはようやく部屋から出て行った。

 

 

 

 それから風呂に入る。

 風呂には何故かアヒルが浮いていた。

 

「ココアのやつ、これ浮かべて入ってたのか?一体いくつだよ……」

 

 有宇はアヒルを湯槽から取り出し、適当な場所に置いておく。それから頭と体を洗ってから湯船に浸かる。

 思えばちゃんとした風呂に入るのは結構久しぶりだよな。ずっとネカフェのシャワーだったし。

 そして湯船の水をすくい上げる。そこでふとあることに気づく。

 そういやこの風呂、さっきまでチノやココアが入ってたんだよな……。

 すると頭の中にチノやココアが風呂に浸かる情景が浮かんだ。

 いやいやいや、何考えてんだ僕は!!たかが女子の入った風呂ごとき、それもココアなんかに欲情してたまるか!?

 すぐに雑念を振り払い……たかったが、一度意識すると中々頭から離れず、悶々としてしまい、素直に久しぶりの風呂を楽しむことができなかった。

 

 

 

 風呂から上がると、再び与えられた自分の部屋へと戻る。

 することもなく、明日も早いので有宇はもう寝ることにした。

 寝る前に窓を開け外を見てみると、都会とは違い街はもう暗くなっており、電灯の明かりだけがポツポツと見えた。

 本当に遠い所まで来たんだなと感慨に浸り、ふと空を見上げる。すると都会では見られないような満天の星空が広がっていた。

 もしいつかほとぼりが冷めてここを出て、どこかに就職して本当に生活が安定したら、歩未に再び会いに行ってこの街で空を眺めるのもいいかもしれないな……。

 そのためにも明日からこの店で頑張らないとな、と新たに決意を胸にし窓を閉め寝床に着いた。



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第3話、ココアのゆかいな仲間たち

 ジリリリリリ!

 

 部屋に置いてある目覚ましが鳴り響く。

 時計を止め目を覚ますと、そこは見知らぬ場所だった。だがすぐに記憶が鮮明になり、有宇は状況を把握した。

 

 「……そういえば、昨日からラビットハウスで住み込みで働くことになったんだっけ……」

 

 時計は朝五時を指している。

 昨日マスターと、ココア達の弁当を作る約束をしたから、部屋に置いてあった時計に目覚ましを設定しておいたのだった。

 正直結構きついかなとも思ったが、昨日は風呂から上がってさっさと寝たせいかすっきり起きられた。

 そして昨日渡された白のワイシャツと黒のスラックス、ロングエプロンに着替えると、階段をおりて一階のキッチンへ向かった。

 キッチンに着くと、既に制服姿のマスターがいた。

 

「やあ、おはよう。どうやらちゃんと起きれたみたいだね」

 

 この人夜遅くまでバーテンダーやってんだよな……よく起きられるな。

 

「おはようございます……早いですね」

 

「そうかい?まあいつもやってることだからね。それじゃあ始めようか」

 

「あっ、はい」

 

 弁当作り自体はそこまで手間ではなかった。

 ソーセージとかを焼いたりして盛り付けるだけだったし、マスターも付いていたし、教わりながら普通にできた。

 因みにマスターは僕が弁当作りに手を焼いている間にも店のパンの焼き上げをやったりしていた。

 

(本当何でもできるなこの人……)

 

 そして奮闘しながらもなんとか弁当が完成する。

 

「できましたね」

 

「おめでとう、綺麗にできてるよ」

 

 それなりに上手くできたと思う。

 ただ有宇には一つ疑問があった。

 

「あの……」

 

「なんだい?」

 

「ところで……どうしてうさぎなんですか?」

 

 僕たちが作った弁当の真ん中にご飯でできたうさぎが居座っていた。

 俗に言うキャラ弁ってやつだ。

 

「この方がチノ達も喜ぶと思ってね」

 

「そうですか?ココアなんか高校生ですし、チノも結構大人びてますし、流石に恥ずかしいのでは?」

 

「そうかい?いつも喜んでくれているよ」

 

 マスターは微笑みながらそう答える。

 ココアはまぁ、精神年齢低そうだし喜ぶかも知れないが、あのクールでどことなく大人びているチノがうさぎのキャラ弁で喜ぶ姿は思い浮かばない。

 しかし別に自分が食べる訳ではないし、本人達が納得しているというのであれば口を出すことではないな。

 それから弁当箱を包み、今度はあの二人の朝ごはんを用意する。

 メニューはパンとサラダ、そして先程の弁当作りで余ったソーセージと目玉焼きという簡単なものだ。

 しかし有宇は今まで目玉焼きすら焼いたことがなかったので、目玉焼きの形は残念なものになってしまった。

 

「なに、最初はみんなそんなものさ」

 

「すみません……」

 

「形はあれだが、味は大丈夫だろうし問題ないよ。これから練習していこう」

 

「はい……」

 

 そして朝ごはんを作り終えると同時に、着替え終えたチノが二階から下りてきた。

 

「あっおはようございます、乙坂さん」

 

 チノは私立の小学生なのか、私服姿ではなく制服姿であった。しかしその制服姿がまたなんというか園児服みたいなデザインなのだ。

 布地は白で青いラインがはいっており、胸には青いネクタイというデザインで、セーラー服の元にもなった海軍の制服を意識したデザインといえばデザインなのだが、帽子は当然海軍帽などではなく白い園帽子のようなデザインなのだ。

 それも合さってか、チノぐらいの子がこの制服を着ると、海軍制服のようなデザインの白の制服も園児服にしか見えないのだ。そのおかげで余計に幼く見える。

 あれだな、この制服考えたやつは絶対ロリコンだな。小学生に園児服みたいな制服着せるとか、ロリコンの極みだなほんと。

 都内の私立の小学生はもっと制服らしい制服を着ていたが、地方だと色々なデザインがあるんだな。

 

「どうしたんですか……?」

 

「いや何でもない。おはよう、もうご飯できてるから席着いてて」

 

「いえ、お皿ぐらい並べますので」

 

 そう言うとチノは料理を乗せた皿をそれぞれの席に並べていく。

 そして並べ終わったところで()()()がいないことに気づいた。

 

「そういえばチノ、ココアさんは?」

 

「ココアさん、まだ寝てるようですね……ハア、起こしに行かないと」

 

 あいつらしいといえばあいつらしいが、小学生にため息つかれる高校生とは……。

 

「いいよいいよ、チノは学校あるし先食べてなよ。僕が起こしに行くから」

 

「いいんですか、すみません」

 

「いいっていいって」

 

 そう言って有宇は階段を上がって行った。

 

 

 

 ココアの部屋がある三階まで上がり部屋の前につくと、有宇はココアの部屋のドアをノックした。

 

「ココアさん、朝ですよ。起きないと遅刻しますよ」

 

 しかし返事はない。ただ中からスピースピーと寝息はかすかに聞こえるから寝てるのは確かだ。

 

「……入りますよ」

 

 中に入ると、ココアは普通にベッドで気持ちよさそうにすぴーすぴーと寝息をたてて寝ていた。

 

「馬鹿面して寝てやがって……。僕は五時起きだってのに……」

 

 早速布団の上から体をゆすって起こしにかかった。

 

「ココアさん、学校遅刻しますよ」

 

 しかし起きる気配はない。

 仕舞には、

 

「パンが焼けたらラッパで知らせてね……zzz」

 

 と寝言をほざいてた。

 本当に耳元で大音量でラッパの音を鳴らしてやろうか。まあ、素がばれるとやっかいなので実行には移さないが……。

 その後も声を掛けたが、全く起きる気配がなく困っていると、朝ごはんを食べ終わったチノが部屋にあがってきた。

 

「やっぱり起きませんか……」

 

「さっきから声はかけてるんだけどね……」

 

「……仕方ありませんね」

 

 そう言うとチノはココアの側まで行って耳元で囁いた。

 

「ココアお姉ちゃん、朝ですよ」

 

 するとココアがものすごい勢いで体を起こした。

 なんでさっきまで完全に眠りこけてたくせに、そんな小さな声で起きるんだよ!?

 

「あれ……チノちゃん?それに有宇くんも。なんで私の部屋にいるの?」

 

「ココアさんを起こしに来たんです。ココアさんがなかなか起きないので乙坂さんも困ってましたよ」

 

 チノがそう言うと、ココアが「えへへ……」とヘラヘラ笑い、平謝り。

 

「ゴメンゴメン、次はがんばるよ」

 

「それ何回目ですか……」

 

 この様子だとチノも相当苦労していそうだよな……。

 そんな僕とチノの気も知らず、ココアが言う。

 

「それよりご飯食べよ、お腹すいちゃったよ」

 

「もう食べる時間ありませんよ、着替えて急いで出ますよ」

 

「そんな~!」

 

 そしてココアは制服に着替えると、結局朝食も取らずにチノとともに学校に向け家を出た。

 

 

 

 ココアたちが家を出た後は店の開店の準備だ。

 料理やコーヒーは頼まれるたびに作るので、開店の準備としては机を拭いたり、軽く箒で軽く掃いたりするぐらいだった。下ごしらえとかの面倒なことは今日はマスターが全部やっておいてくれたようだ。

 開店準備を終えると、マスターが机の上に何やらごつい道具を並べ始めた。

 

「さて、まだ開店まで少し時間があるから軽くコーヒーの作り方を教えておこうか」

 

「えっ早くないですか!?」

 

「いや、まだお客さんには出さないけど、君にもこれから先やってもらいたいからね、今から覚えておいて損はないさ」

 

 出来れば面倒なのでやりたくないな……。

 有宇がそんなことを思っていると、それを見透かしてからなのか、マスターがこんなことを言う。

 

「出来るようになって、お客さんに出せるまでになったら、君の給料を少し上げることも考えておくよ」

 

「がんばって覚えます」

 

 金とあらば頑張る。乙坂有宇は現金な男だった。

 それから有宇の視線はマスターが並べた道具に向けられた。

 

「これで作るんですか?」

 

「ああ、他の道具を使うやり方もあるんだが、うちではサイフォンを使ってコーヒーを入れているんだ」

 

 サイフォンとはおそらく、この目の前にある理科の実験室にありそうなフラスコのようなやつのことだろう。

 

「まずはコーヒーミルで豆を挽く。うちは挽きたてのコーヒーを飲んでもらいたいから注文のたびに挽くんだ」

 

「めんどくさくないですか?」

 

「君はコーヒーは飲むかね」

 

「えっ」

 

 突然の質問に驚いたが、考えてみるとそういえば家にコーヒーなんて洒落たもの淹れるやつなんてないし、外食なんて滅多にしなかったから缶コーヒーぐらいしか飲んだことないかもしれない。

 

「君も淹れたてのコーヒーを飲めばわかるさ」

 

 それからマスターは有宇に手順を教えながらコーヒーを淹れて見せた。

 一応メモはしたが頭にはろくに入ってこなかった。

 まぁ下に入れていたお湯が上に上がっていくのは見てて面白かった。

 

「……そして最後に攪拌(かくはん)したら火を消して、後はコーヒーがフラスコに落ちるのを待つだけだ。そうそう、夏場とか暑い日はコーヒーが中々落ちて来ない。そういう時は濡らしたタオルでフラスコを包むと、フラスコの温度が下がってコーヒーが落ちてくるから覚えておいた方がいい」

 

 そうしてコーヒーが完全に下のフラスコに落ちると、マスターはサイフォンのロートを外してコーヒーをカップに注いだ。

 

「これで完成だが、サイフォンに残ったコーヒーの粉を見てごらん」

 

 言われた通りに見てみると、コーヒーの粉が盛り上がっていた。

 

「抽出後にコーヒーの粉の表面が盛り上がって、一番上に泡が付いていれば成功だ。今後の参考にするといい」

 

 成る程、それで成功したかどうかわかるようになってるのか。

 少し感心した。

 そしてマスターはコーヒーをカップに入れ、それを有宇の目の前に置く。

 

「飲んでみたまえ」

 

 言われた通りにカップを口へ運ぶ。

 

「……おいしい!」

 

 上手く言葉に言い表せないが、缶コーヒーぐらいしか飲んだことない僕でもこれが美味しいのがよく分かった。

 これが淹れたての美味しさってやつなのだろうか。

 

「これから少しずつ練習していこう。なに、君もすぐに淹れられるようになるさ。また日を改めて細かいところも教えていくとしよう。さて、じゃあもういい時間だし、そろそろ開店しようか」

 

 こうして有宇の初めてのアルバイトが始まった。

 僕の仕事は基本注文を取ってきて、それを運んだりするウエイターだ。

 あとはレジ打ちをしたり手が空いてる時は皿を洗ったりした。

 来る客も平日の昼間の割に数もそう多くはなく、仕事を覚えるには都合がよかった。

 だがそれにしても……。

 

「あまりお客さん来ないんですね……」

 

「まあ、普段からこんなものだよ」

 

 雑誌に載ってるぐらいだから繁盛してるのかと思ったけど、どうやらそうでもないらしい。時給も最低賃金並みだったしな。

 ついでにさっきから気になっている目の前の物についても聞いてみた。

 

「マスター……この白い毛玉は何ですか」

 

 そこには白い毛でもじゃもじゃした何かがいた。

 なんかの動物だというのはわかるがそれが何なのかはわからない。

 昨日店に来た時からたびたび姿を見かけていたのだが、昨日は疲れていたので気には留めなかった。

 しかしさっきからそこら辺をうろうろしてて、見ていて鬱陶しい。

 

「ああ、うちで飼っているアンゴラウサギのティッピーだ」

 

「アンゴラウサギ……ですか」

 

 へぇ、こんな毛玉のような品種のうさぎがいたなんて知らなかった。うさぎなんてみんなあの長い耳があるやつしかいないのかと思ってたがそうではないようだ。

 しかし感心する反面、有宇は少し心配になる。

 

「にしても飲食店で動物って衛生上どうなんですかね……」

 

「なに、よく看板猫とかがいる飲食店とかもあるだろう。それにちゃんと毛がコーヒーや食べ物に入らないよう私もティッピーも十分注意を払っているから問題はないさ」

 

「いや、うさぎが気を使うわけないじゃないですか」

 

「まあ、特に問題はないから安心していい」

 

 マスターがそう言うので、有宇はこれ以上言及するのはやめといた。

 それから暇なので壁を眺めていると、うさぎの絵が飾ってあるのが目に留まった。

 本当にうさぎまみれだなと思ってよく見てみると、絵ではなくパズルであることが分かった。

 

「これ、マスターが作ったんですか?」

 

「ああ、それは去年ココア君たちが作ったパズルだよ」

 

「たち?」

 

「ああ、ココア君とチノとココア君の友人達が作ったものなんだ」

 

 あの頭のおかしな奴の友達とかどんな奴等なんだ……。

 できれば関わりたくないなと有宇は少し不安になる。

 

「ちなみにその中の子が一人うちで働いているから、会ったら挨拶しておきなさい」

 

「えっ!?」

 

 マスターのその言葉を聞いて、有宇は更に不安になった……。

 

 

 

 朝から働き続け、時間ももう午後の三時に差し掛かる。

 そろそろチノ達が帰ってくるからこれで終わりだと有宇が思ったその時だった。

 ドアが開いて誰かが入ってきた。

 客だと思い、振り向いて挨拶する。

 

「いらっしゃいませ」

 

 見るとそこにはツインテールの女がいた。

 身長はココアと比べると高く、スタイルも良いなかなかの美少女だった。ココアと年は近そうだが、着ている学校の制服は朝ココアが着ていた制服とは違う。

 すると女はポケットに手を入れ、突然何かを取り出した。

 驚くことにそれは黒々と光る拳銃で、しかも女は有宇にそれを向け言い放った。

 

「おまえは誰だ!」

 

 女に銃を向けられ、思わず有宇は反射的に手を上げ、変な声で叫んだ。

 

「ひっ!!ご、強盗!?」

 

「なっ、私は強盗じゃない!」

 

 女はそう言ったが、格好が制服なこと以外、店に入って銃を店員に突き付けている姿はどうみても強盗のようにしか見えなかった。

 

「わっ私は父が軍人で護身用にこいつを携帯いるが、普通の女子高生だから信じろ!」

 

「普通の女子高生は銃持たねえよ!!」

 

「うっ……」

 

 すると女は恥ずかしそうに顔を赤らめ銃をしまった。

 

「いきなり銃を向けたのは悪かった。私はここのバイトのリゼだ」

 

「バイト!?」

 

 てことはココアの友達でここでバイトしてる奴ってこいつかよ……。

 あいつの友達というくらいだしまともな奴ではないとは思っていたが、こんな危ない女だとは思わなかった。

 

「ところでおまえは誰だ!新しいバイトが入るなんて聞いてないぞ!さてはここに潜入に来たスパイだな!」

 

 これでやっとまともに話し合えると思った矢先、リゼと名乗る女は今度は僕をスパイ扱いし始めた。

 

「んなわけあるか!僕は正真正銘ここの新しいバイトだよ!」

 

 こいつ、本当に頭がやばい奴だ。

 初見で美人だと思った自分が恥ずかしい……。

 

「スパイと聞いて慌てるなんて……やっぱりお前スパイだな!」

 

 慌てたというより、この女がバカのことを言うものだから躍起になって反論しただけだが……。

 しかしそう言うとリゼは再び銃を取り出し、有宇の胸ぐらを掴み額に銃口を押し付ける。

 

「ひっ!ちっちげーよ、お前がバカなこと言うからだろうが」

 

「必死になるところがますます怪しい、覚悟しろ!」

 

「うわあああああ!」

 

 もう死んだと有宇が思ったその時。

 

「ただいま……」

 

 タイミングよくチノが帰ってきたが、目の前の光景に唖然としているようだ。

 

「……なにしてるんですか?」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「リゼさん、今日から新しくうちで働くことになった乙坂有宇さんです」

 

 チノに事情を話し、説明してもらった。

 説明を受けてる本人は顔を真っ赤にして申し訳なさそうにこちらをみている。

 

「で、乙坂さん、こちらはここのバイトのリゼさんです」

 

「えっと……」

 

 本来であれば素直によろしくと言うべき場面なんだろう。しかし有宇は正直このリゼという女とは関わりたくないと思った。初見の印象の悪さはココア以上だ。

 有宇がなんと声をかけていいか迷っていると、向こうから先に切り出してきた。

 

「その……さっきはすまなかった。今までここに男のバイトが入ったことがなかったからつい疑ってしまった」

 

 どうやらリゼもそれなりに反省しているようだった。

 ここで付き合い悪くしてもメリットはないし、ここは素直に謝罪を受け入れた方がいいと判断する。

 

「別にいいですよ。お互い知らなかったわけですし」

 

 さっきまでのイメージを払拭しようといつも通り再び猫を被る。

 そう言うと安心したのか、リゼの顔に笑みが浮かぶ。

 

「そうか、そういってもらえると助かる。これからよろしくな、有宇」

 

 そう言って有宇に手を伸ばす。

 その笑みに一瞬顔が熱くなるのを感じたが、さっきまでのこいつの行動を思い返し我に返る。

 

「ああ、よろしく」

 

 そして伸ばされたその手を握った。

 どうやら普通に接する分にはまともにコミュニケーションが取れそうだ。

 するとチノが間に入って言った。

 

「ですが乙坂さんはシフトがほぼ午前中に入っているので、私たちと一緒に働く機会はそれほどないと思いますが」

 

「あれ?有宇って私たちと同い年くらいじゃないのか?学校はどうしてるんだ?」

 

 リゼが当然のように疑問を抱く。

 するとチノはリゼの耳元にこそこそと話し始めた。

 チノが話し終わるとリゼがこちらに向き直り、なぜか涙を流していた。

 

「そうか……お前も結構苦労してたんだな……辛かったな……」

 

 などと言って俺の肩を優しくポンと叩く。

 すぐにチノに耳打ちしてリゼに何を話したか聞いた。

 

「乙坂さんが来た日にココアさんから事情はうかがってたので、それをそのままリゼさんに伝えただけですが、言ってはまずかったでしょうか?」

 

 そういやココアになんか同情寄せられるような嘘ついたんだっけか。

 あの時は本当のことを言えば馬鹿にされると思ってとっさについた嘘だったのだが、結果的に念願の職と住まいを手にすることができて結果オーライとなった。

 しかしそれは逆に言えば、嘘がばれるとまずいことになる。

 バレてマスターの耳に届けば最悪クビになるということもあるし、今まで通り外面良くして悲劇の少年を演じ続けなければならないということだ。

 とにかく、これこらもこのまま悲劇の美少年を演じた方が良いということだ。

 

「いや、別に大丈夫だよ。それよりもう引き継いでもらっていいかな?」

 

 取り敢えず下手にしゃべってボロが出るとまずいので話を逸らす。

 

「あっそうでしたね、すみませんすぐ着替えてきます」

 

 そう言うとチノは更衣室の方へ向かった。

 

「それじゃあ私も着替えに行くか。あれ?そういえば有宇はどこで着替えるんだ?」

 

「え、自分の部屋ですけど」

 

 当然のようにそう返した。

 女子達は一階の更衣室で制服に着替えるのだが、当然男の有宇がそこで着替えるわけにはいかないので、与えられた自分の部屋で着替えている。

 しかしそれを聞いたリゼは驚いている様子だった。

 

「えっ……自分の部屋?ちょっと待て、まさかお前ここに住んでるのか!?」

 

「え?ええ、そうですけど……」

 

 有宇がそう答えると、リゼは急いで階段を駆け上がっていた。

 どうやらさっきチノがリゼに話したときの話に、僕が住み込みで働くことはなかったみたいだな。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「チノ、あの男がここに住むって本当か!?」

 

 リゼは更衣室のドアを開けるとすぐにチノに問い詰めた。

 

「はい、そうですが。どうしてそんなこと聞くんですか?」

 

「だって同じ屋根の下で男女が一緒って色々とまずいだろ!?」

 

「そうかもしれませんが、乙坂さん、他に住む宛もないようですし」

 

 それはさっき聞いた。

 かなり複雑な身の上のようだが、それにしてもどうなのかとリゼは思った。

 しかしチノは何でもないかのように答える。

 

「父もいますし問題ありませんよ。それに乙坂さん悪い人ではなさそうですし」

 

「そんなのわからないじゃないか。万が一にも……」

 

「大丈夫ですよ。それに雇うと決めたのは父ですし、ちゃんと父が面接もしました。心配ありませんよ」

 

 チノはそう言って、有宇と一緒に住むことには納得している様子だ。

 正直納得はできないが、しかしこの店のことに自分が口を挟むのは野暮だとリゼは考えた。

 

「……ならいいけど、なんかあったら遠慮なく言えよ」

 

「はい、ありがとうございますリゼさん」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 チノ達が着替えてホールにやって来ると、彼女達にシフトを引き継ぎ、有宇のバイト初日は無事?終了した。

 部屋にいても暇なのでせっかくだし街にくりだしてみようと考え、着替えて下に降りるとココアがもう帰っていた。

 

「あっ有宇くんただいま~。あれっ、バイト終わったの?」

 

「はい、皆さんが帰ってくるまでなので」

 

「そういえばそうだったね、でもできれば一緒に働きたかったな」

 

 こっちとしてはごめんなんだが。お前、なんか皿とか割りそうだし。

 

「今度午後にシフトが入ってるのでその時一緒に働けますよ」

 

「そうなんだ、有宇くんと働くの楽しみにしてるよ」

 

 こいつ、本当に僕に気があるわけじゃないんだよな……。

 すると、リゼとチノがココアに言う。

 

「ココア、いつまでも話してないで早く着替えて来いよ」

 

「そうですよ、もう時間過ぎてますよ」

 

「ゴメンゴメン……あっ!有宇くんリゼちゃんと話した?リゼちゃんかわいいでしょ!」

 

 ずいぶんとまた答えづらいことを……。

 確かに正直初見で美人だと思ったが、人に会うなりいきなり銃を向ける危ない女を可愛いとは言い難い。

 するとリゼが顔を真っ赤にして慌てた様子で反論した。

 

「なっなにを言ってるんだお前は!私なんか全然……」

 

「え~そんなことないよ!リゼちゃんかわいいよ」

 

「はい、リゼさんは魅力的だと思いますよ」

 

「なっ!?」

 

 何やら突然談笑が繰り広げられ、三人で盛り上がり始めた。

 こいつらいつもこんな感じなのか?まぁ、女子の会話って大体こんなもんか。

 しかし有宇はさっさと出かけたかったので、彼女達に早く話を切り上げてもらいたかった。

 

「えっと、出かけたいからもういいかな……」

 

「有宇くんどっか出かけるの?」

 

「暇だし街を見て回ろうかと思って」

 

「なら私が案内してあげよっか?」

 

 ココアから突然の提案。確かに街案内はして欲しいといえばして欲しいが……。

 するとチノがココアに言う。

 

「ココアさん、早速仕事サボろうとしないでください」

 

「別にそんなつもりじゃないよ〜」

 

 ……街を案内してもらえるのは正直ありがたいのだが、こいつのサボりの片棒をかつぐのは御免なので、ココアには仕事をするように促す。

 

「えっとココアさん、街の案内はまた今度おねがいします」

 

「でもこの街広いから迷っちゃうよ?」

 

「迷うのはココアさんだけです」

 

 チノから鋭いツッコミ。

 

「そんなことないよ〜。初めてだと本当に迷うんだよ」

 

「とにかく今日は仕事してください」

 

「はぁ〜い」

 

 チノに促され、ココアはようやく諦めたようだった。

 

「乙坂さんも夕飯の準備がありますので早めに帰ってきてください」

 

「ええ、わかりました。それでは」

 

 そしてようやく店から出て行くことができた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「なぁココア……」

 

 有宇が店を出た後、着替え終わってホールに戻って来たココアにリゼが尋ねる。

 

「有宇のことだけど、お前は一緒に住むことで何も思わないのか?」

 

「えっ?どうしてそんなこと聞くの?」

 

「いや、普通気にするだろ男と一緒に住むことなんかになったら」

 

「でもリゼちゃんのお家も男の人いっぱいいるよね?」

 

「あいつらは親父の部下だし、それに、私の部屋周りは女の使用人で固めてるし。で、どうも思わないのか?」

 

「う〜ん、でも有宇くん他に行くところもないみたいだし、可愛そうだよ」

 

「そりゃそうかもしれないけど、そもそも有宇ってどこから来たんだ?学校に行ってないみたいだけど一体何者なんだ?」

 

 するとリゼの質問に、ココアの代わりにチノが答える。

 

「確か父が東京の方から来たと言ってましたよ。歳は十五歳だったかと」

 

「普通だったら高一だな」

 

「えっ?有宇くん私より年下なんだ」

 

「お前そんなことも知らなかったのかよ!!」

 

 思わずリゼがココアにツッコむ。

 

「だって昨日は有宇くんお風呂上がってからすぐ寝ちゃったから、あんま喋る時間なかったんだもん」

 

「確かに昨日はお疲れの様子でしたね」

 

 普通年頃の男なら自分と一緒に住む女の子と仲良くなりたいとか思うらしいが、ココア達に見向きもせずに寝たということは、ひとまずそういう心配は無いようだな……。

 リゼはほっと安堵する。

 

「待って!ということは……」

 

 すると、突然ココアが神妙な顔つきになって何かを考え始めた。

 

「どうした、やっぱ何か問題でもあるのか!?」

 

 リゼがそう聞くと、ココアが真剣な顔で答える。

 

「有宇くんが私より年下ということは、私にも遂に妹だけじゃなくて、弟ができたってことになるよね……」

 

「……」

 

 ココアに真面目な回答を期待した自分がバカだったとリゼは反省した。

 

「この街に来てからチノちゃん、マヤちゃん、メグちゃんが私の妹になったけど遂に弟もできるんだよ!?」

 

「妹じゃないです」

 

 チノの冷静なツッコミを無視してココアは続ける。

 

「有宇くんが帰ってきたらお姉ちゃんって呼ばせなきゃ!」

 

「それはやめといた方がいいと思うぞ」

 

 喜ぶココアにリゼがそう忠告する。

 

「えっどうして?」

 

「普通いきなり赤の他人に姉と呼べなんて言われたら引くぞ」

 

「えっ引かれちゃうの!?でもチノちゃんはそんなことなかったよ」

 

「いえ、私も最初はいきなりなんだと思いました」

 

「ええぇぇぇ!?」

 

 そんな調子でいつもと変わらずココアは通常運転だった。

 この様子を見たリゼは、さっきまで有宇がここに住むことに感じていた不安も、何もなかったかのように消し飛んだ。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ラビットハウスを出てから、有宇は街のいろんな所をぶらついていた。

 途中生活の必要品を買って歩いて、そのうち広い公園の広場の近くまで来る。すると……。

 

「キャァァァァァ!こっちこないで!」

 

 どこからか女の子の叫び声が聞こえた。

 なんだと思い声のする方を見てみると、ミニスカートにメイド服のような服装の金髪少女が追われていた…………うさぎに。

 

「こっち来たら舌噛むから!」

 

 などと女の子はうさぎに向かって言ったが、それをうさぎが聞くわけもなく、うさぎは女の子に近づいていく。

 正直危ない奴に追われているとかだったら面倒事に巻き込まれたくないので出て行かないつもりだったが、あまりにも見ていられないので助けに行くことにした。

 うさぎは後ろから近づくとひょいと抱き上げ簡単に捕まえることができた。

 それから女の子を見る。すると、この女の子がまたセミロングの結構な美少女だった。胸はまぁ、見た感じ貧相なのだが。

 あんまりじっと見られたら気味悪がれるだろうと思い、女の子に声をかける。

 

「大丈夫、君?」

 

 もちろん猫をかぶることは忘れない。

 

「あっありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 これが暴漢に襲われてるところだったらかっこ良く決まったんだろうな……。まぁ、本当に暴漢だったら出ていかないが。

 そして有宇はそのままベンチでその女の子と話した。

 

「さっきは本当にありがとうございます。私、シャロっていいます」

 

 シャロって日本人の名前か?と疑問を抱いたが、ココアとかリゼとかいう名前の奴もいるし、この街にはそういう名前の人間が多いのかもしれないと思って気に止めなかった。

 

「乙坂有宇といいます。昨日からこの街に越してきました。それよりもさっきはなんでうさぎから逃げてたんですか?」

 

 そう聞くとシャロは恥ずかしそうにしながら答えた。

 

「私、うさぎが苦手なんです……」

 

 犬が苦手とかいう奴はよくいるが、うさぎが苦手なんて珍しいな。

 

「そうなんだ、珍しいね。うさぎ結構可愛いと思うけどな」

 

 別に可愛いとは思わないが建前上そう言っておく。

 

「その……小さい頃、幼なじみの子が飼ってるうさぎに噛まれてからちょっと苦手なんです……」

 

 さっきのはちょっとって感じには見えなかったのだが……。

 しかしあれか、幼少期のトラウマってやつか。確かにそれなら怖がるのも無理ないかもしれないな。

 

「そうなんだ、それじゃあ仕方ないよね。ところでさっきから気になってたんだけどその格好は……」

 

 すると有宇はシャロの服装について尋ねた。

 シャロの格好はヒラヒラのミニスカートのメイド服に頭にはロップイヤーの帽子というあまりにも奇抜な格好だった。気にならないわけがない。

 

「あ、この服ですか。バイト先の制服です。フルール・ド・ラパンていうお店なんでけど……」

 

 なるほど、メイド喫茶の制服ってことか。

 

「えっと……ハーブティーのお店です。制服は店長の趣味です……」

 

 外したか。

 というか心の声が漏れていたようだ。いかんいかん。

 

「それでシャロさんはどうしてここに?バイト中じゃないの?」

 

「チラシを配ってたんです。よければ一枚どうぞ」

 

 とチラシを差し出され、それを手にとってみた。

 

 〈心も体も癒やします〉

 

 なんだがどことなく勘違いされそうなデザインのチラシだ。

 チラシにはバニー姿の女の子の黒いシルエットがあり、あとなんていうか……チラシ全体がピンクだ。

 心も体も癒やすって、まぁハーブで癒やしてくれるってことなんだろうけど、少なくともハーブティーの店とは思えなかった。

 まぁ、指摘したところで僕に得はないので何も言わないでおくが。

 

「ありがとう、今度行ってみるよ」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 無難にそう答えて、シャロと別れた。

 

 

 

 シャロと別れた後、色々と少しぶらついていると日が暮れてきた。

 チノに早めに帰ってくるようにと言われていたので帰ろうとした……帰ろうとしたのだが。

 

「……どこだここ?」

 

 見事に迷ってしまった。

 昨日は地図をしっかり持っていたから迷わず行けたのだが、今日は持ってくるのを忘れてしまった。一度通った道なら大丈夫だと慢心していたのだが、有宇が思っていた以上にこの街は広かった。

 

『でもこの街広いから迷っちゃうよ?』

 

 店を出る前、ココアが僕に言った言葉が思い起こされる。

 やっぱ道案内してもらえばよかったか……。

 しかし後悔していても何も始まらないので、取り敢えず適当な誰かに聞いてみるか。

 そう思ってしばらく歩いていると、変わった建物が目に入った。

 一階部分はこの街では珍しく窓枠に和風の木の柵が付いており、和風の外装となっている。しかし二階部分は他の家同様洋風となっており、看板には『甘兎庵』の文字。

 西洋風の木組みの家が立ち並ぶこの街では珍しかった。

 

「おれ……うさぎ……あまい…?なんて読むんだ?」

 

 もっとも学の無い有宇には看板の文字が読めなかったのだが。

 ともかく何かの店であることは確かなので、ここで道を聞くことにした。

 木製の扉を開いて中に入ると、緑色の和服に白いエプロンをした女の子が出迎えてくれた。

 

「いらっしゃいませ」

 

 すると女の子の姿を見て、有宇は思わず驚いた。

 

「……白柳さん?」

 

「はい?」

 

 店員の女の子は黒髪ぱっつんの美少女で、有宇が陽野森高校にいたとき付き合っていた彼女───白柳弓とよく似ていた。正確には付き合う直前ぐらいまでで付きあってはいなかったのだが。

 しかしよく見るとやはり白柳弓であるはずがなかった。

 

「えっと……お客様?」

 

「あ、えっと……すみません、知り合いによく似てたものですから」

 

 恥ずかしいことをしたなと思ったが、女の子の方は気にしているような様子はなかった。

 

「いいえ、大丈夫ですよ。人違いはよくありますから。今お席にご案内しますね」

 

 女の子が席に案内しようとしたところで、有宇はこの店に入った目的を思い出した。

 

「あのすみません、その……道を尋ねに来たのですが……」

 

「あら、そうだったんですね。申し訳ございません」

 

 女の子は礼儀正しく頭を下げた。

 客としてではなくただ道を尋ねに入ったこちら側の方に否があるので、流石の有宇も申し訳なく思ってしまう。

 

「いえ、こちらこそすみません。それであの……」

 

「道案内でしたね。どちらへ行かれるんですか?」

 

「ラビットハウスという店なんですが」

 

「まぁ、ラビットハウスね♪」

 

 そう答えると、なぜか女の子はうれしそうだった。

 それからわかりやすく丁寧にラビットハウスまでの道を教えてくれた。

 

「ありがとうございます」

 

「どういたしまして。ラビットハウスはいいお店よ♪」

 

 女の子は客への敬語も忘れてラビットハウスを褒めていた。

 普通自分の店以外の店を褒めたりすることはないと思うのだが、何か関係があるのだろうか?

 

「でも次は是非うちへ来て欲しいわ。サービスするわ」

 

 そう言うと女の子は有宇に店のサービス券を渡した。

 

「ありがとうございます、今度はちゃんと客としてここに来ます。ところでここって何のお店なんですか?」

 

「甘味処よ」

 

「甘味処……ああ、和菓子屋か」

 

「ええ、そんなところよ」

 

 確かにそんな感じの雰囲気の店だ。

 ただ甘いものはそんなに好きではないので、好き好んでここに寄ることはないだろうな。

 そんなことを思いながら、有宇は甘兎庵を後にした。

 

 

 

 その後、女の子に教えてもらった通りの道を進むと無事ラビットハウスにたどり着いた。

 帰った時にはリゼはもうすでに帰宅していたようで、ココアとチノが出迎えてくれて、すぐチノと夕飯の準備に取り掛かった。

 そして夕飯の時、ココアが今日のことを聞いてきた。

 

「そういえば有宇くん何処に行ってきたの?」

 

「ん?ああ、適当にぶらついてたよ。途中日用品とか買ったりしたかな」

 

「そうなんだ、迷ったりしなかった?」

 

「ココアさんじゃあるまいし、迷いませんよ」

 

「ゔっ……」

 

 グサッ!

 

 チノの言葉が胸に刺さる。

 そんな有宇の様子にチノも感づいた。

 

「……え、迷ったんですか!?」

 

「だっ大丈夫だよ!今度ちゃんと案内してあげるからね」

 

「ココアさん方向音痴でしたよね!?それよりどうやって帰ってきたんですか?」

 

「甘味処の店員さんに教えてもらって何とか……」

 

「えっ千夜ちゃんに会ったんだ?」

 

「えっ!?いや名前までわからないけど……」

 

 なんか嫌な予感がする……。

 そう思いながらも恐る恐る聞いてみることにした。

 

「その子ってもしかして黒髪で前髪がぱっつんの子……?」

 

「そうそう、なんだ今度紹介しようと思ってたのに~」

 

 あの普通に優しそうな綺麗な子がこいつの友達かよ!?

 ということは、あの子もこいつやリゼみたいに変な奴だったりする可能性があるということだ。

 

(はっ!まさか……)

 

 有宇は千夜に会う前に会ったシャロのことを思い出し、もしやと思い聞いてみる。

 

「もしかしてシャロって子も……」

 

「えっ!?シャロちゃんにも会ったの!?すごいよ、これは偶然を取り越して運命だよ!!」

 

 こっちは運命というより運に見放されたといった感じなんだが……。

 せっかくこっちに来てから会えたまともそうな女の子までココアの知り合いだったとは……と有宇は頭を痛くした。

 

「あっそうだ有宇くん」

 

 ココアが身を乗り出してくる。

 

「なんでしょう……」

 

 正直、色々頭が混乱しててこいつの相手をする心の余裕はないのだが。

 

「あのね、今度から私のことお姉ちゃんって呼んでいいからね!」

 

「……」

 

「えっ引いてる?もしかして引いてるの?ねえ有宇く~ん!!」

 

 有宇はこれからのここでの生活に一気に不安を覚えた。



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第4話、一緒に過ごす時間

 ラビットハウスに来て数日が経った。

 ある日の夜、有宇はいつものように風呂に入り、明日に備えて早めに寝ようとベッドに腰を下ろす。しかしそこでいつものごとく、招かねざる訪問者が有宇の部屋を訪れる。

 

「有宇くん、これからチノちゃんとリゼちゃんから借りたDVD見るんだけど有宇くんもどう?」

 

 ここに来て数日、夕飯を終え風呂から出たこのタイミングでいつもこの女はノックもせずに部屋にやってくる。毎回用事は違うものの、しつこいのなんの。こっちは朝早いっていうのに迷惑ったらありゃしない。

 

「せっかくのお誘いですが明日も早いので……」

 

「少しだけ!少しだけでもいいから一緒におしゃべりでもしようよ」

 

 しかし粘り強くココアは引き下がろうとはしない。

 だが、それで折れる有宇ではない。

 

「すみません、ちょっともう眠くて……。また別の機会に誘ってください」

 

「そっか。ごめんね、また別の日に誘うね」

 

 そう言ってココアは部屋を出た。

 別の日と言ってもまた明日来るだろうなあいつ。

 ここ三日間ずっと来てたことから、有宇にはそんな予感しかしなかった。

 あいつ、僕のこと好きなのか?そりゃ僕は二枚目だし仕方がないことだが、けどいまいちあいつからはそういう好意は感じられないんだよな。

 ココアの行動原理に疑問を抱きながらも、すぐにどうでもいいことと切り捨て、明日も早いからと床についた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「今日も有宇くん、誘えなかったよ……」

 

 有宇に誘いを断られた後、ココアはチノの部屋を訪れ、チノにそう愚痴を零した。

 

「ココアさんがしつこいんですよ。毎日ずっと誘ってたら乙坂さんも困りますよ」

 

「でも全然お話できる機会がないんだもん。折角一緒に暮らすんだから、もっと仲良くなりたいよ。それに、誘っても断られてばっかだし……」

 

「きっとお疲れなんですよ。まだここに来て一週間も経ってないわけですし、新しい生活に慣れるのに大変なんですよ。そっとしておいてあげてください」

 

 チノはいつものように、そう冷静にココアを諭した。

 しかしそれでも「でも……」と言うココアに、チノは自分が付き合うと言うと、ココアはすぐ機嫌を良くした。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 それから更に数日───

 

「有宇くん、今日はよろしくね♪」

 

「よろしくお願いします」

 

「よろしくな」

 

 ココア、チノ、リゼの三人が声を揃えて挨拶する。

 

「ああ、よろしく」

 

 今日は有宇がこの店に来て初めての土曜日。そして休日ということもありココア達は学校が休みだ。そのため普段午前中は学校にいるココア達と初めてシフトが被り、一緒に働くこととなった。

 しかし有宇はこれをあまり芳しく思わなかった。

 今現在この店には僕を含めて四人の店員がいる。対してうちの店内のカフェスペースはおおよそ十五坪ぐらいだろうか。席数は全部で十九席(四人掛けの席のソファーを含めると二十三席)。

 僕の部屋に置いてあった本によると、この店ぐらいの規模だと厨房スタッフとホールスタッフが最低二名は配置する必要があるらしく、計四人必要とのことだ。

 しかしそれというのも基本的にフルサービスで提供するため。つまりは人手がないと料理に接客とその忙しさから店が回らないからである。

 だが見てみろこの店内を。ガラガラである。まだ開店してからそう時間が経ってないということもあるが、客が一人もいない。というより働いてみて分かったことだが、この店元々そんなに客が来ないのだ。

 平日の忙しい時だって僕とタカヒロさんで店を回せるぐらいだ。いや、僕が来る前はタカヒロさん一人で回していたというのだ。つまり何が言いたいかと言うと、この店に四人も店員は必要ないのだ。

 勿論この事はシフトの段階でマスターにも申し伝えた。しかし経営者であるマスターが大丈夫だと言うのでそれ以上口を挟むことはできなかった。

 そして肝心の仕事の役割としてはリゼとチノが厨房で料理、それとコーヒー作り。ココアと僕がホールだ。

 因みに、ココアは僕と同じホール担当なのだが、今日みたいな休みの日は店のメニューのパンの仕込みとかを朝早くやっているらしい。いつも朝寝坊しまくってるこいつにしては珍しいがな。

 何でもココアの実家はパン屋らしく、ラビットハウスでパンを出すようになったのもココアの提案なんだとか。そもそもあんな立派なオーブンがあるのにパンを出さなかったのが不思議なくらいだし、ココアにしてはいい提案なのではないかと思う。

 ココアのいない平日は、マスターが僕より早く起きてやっているのだが、夜のバータイムも働いて、あの人は本当にいつ寝てるのだろうかといつも疑問に思っている。

 

 

 

 挨拶も手短に済ませ開店準備も済ませると、四人とも仕事に取り掛かった。

 仕事を始めてからしばらくは少ないながらも客入りがそれなりにあり、それぞれ自分の仕事をこなしていた。

 しかし客がいなくなると暇を持て余すようになり、ココア達はお喋りと洒落こみ始めた。そして当然のように有宇もその中に入れられた。

 

「有宇くん、まだ来てからそんなに経ってないのになかなかやるね〜」

 

「ありがとうございます」

 

 当然だ!と言いたいところだったが、有宇は素は隠し通し、謙虚で穏やかな感じを醸し出した。

 もっとも最初の頃は、アルバイトなんて今までやってこなかったのでレジ打ちもろくに出来ず失敗も多かったが、幸い客はそんな頻繁には来ないので、仕事を覚える時間だけはたくさんあったのですぐに順応することができた。

 ちなみに接客の方はいつも猫を被っていたせいか、こちらは最初からできた。特に有宇の場合、顔が整ってるせいか特に若い女性客に対しては受けがよかった。

 

「うんうん、お姉ちゃん関心だよ〜」

 

 因みに有宇が年下と知ってから、ココアは事あるごとに有宇の姉であるかのような態度を取るようになった。

 遠回しにやめて欲しいとは何度も言ってるのだが、聞き入れてはもらえなかった。しかしかといって素の自分を知られるわけにもいかないので、強く拒絶するわけにもいかなかった。

 それに『ココアさんは年下の人に対してはああいう感じですから』と経験者は語るみたいな感じでチノが言うので、有宇ももう諦めることにしたのであった。

 

「ココアさんは今でもカップを落としたり転んだりしますもんね」

 

 そうチノに言われると、ココアが恥ずかしそうに顔を赤らめる。

 

「チ、チノちゃ〜ん、それは言わないでよ〜。お姉ちゃんとしての威厳が……」

 

「そんなの最初からありません」

 

「ふえ〜ん!」

 

「ココアは相変わらずだな」

 

 仕事の手を止めずリゼはそう言った。

 正直リゼは初見が初見だったので、仕事でも何かやらかすんじゃないのか危惧していたが、勤務態度は至って真面目でしっかりやっていた。

 料理も上手く、接客も良くできており、どうやら銃さえ持ってなければまともらしい。

 四人が会話に勤しんでいると、突然ドアに掛けてある鈴の音が気持ちのいい音を響かせて、店のドアが開いた。

 

「こんにちはー」

 

「ココアちゃん、来たわよ~」

 

「あっ二人ともいらっしゃい!」

 

 店に来たのは客ではなく、ココアの友達のシャロと千夜だった。

 二人とも以前会ったことはあるが、それきり会ってないしその時はココアの友達だとは知らなかった。

 

「あ、こんにちは有宇くん」

 

「本当にここで働いてるのね」

 

「いらっしゃいませ、お二人とも」

 

 有宇はポーカーフェイスの笑顔を浮かべたまま軽く会釈する。それから二人を席まで案内し、二人はカウンターの席に腰を下ろした。

 

「改めてこんにちは有宇くん、私は千夜よ、甘兎庵で働いてるわ」

 

「あっどうもシャロです。以前お会いしましたよね」

 

 二人が軽く会釈する。

 僕も二人に軽く挨拶をしておく……もちろん本性は隠したままで。

 

「乙坂有宇です。よろしくお願いします」

 

「まぁ、ご丁寧にどうも♪」

 

「よろしく」

 

 よしよし、反応はまずまず。

 有宇は二人の反応にそれなりの好感触を覚えた。それからここに来た用事を、話の種程度のつもりで聞く。

 

「ところでお二人とも今日はどのようなご用事で?」

 

 有宇がそう尋ねると、千夜が答える。

 

「今日はココアちゃんに呼ばれてきたの」

 

 千夜がそう言うのでココアの方を見ると、ココアがえっへんと胸を張って偉そうにしていた。

 

「だってせっかく有宇くん二人と知り合えたのに、全然親睦を深める機会がないんだもん。だから今日ならみんなここに集まれると思ってここに呼んだの」

 

「そ……そうでしたか」

 

 余計なお世話……といいたいところだが実際まだこの二人がどんな人物かはまだ詳しくはわからないし、ココアの友達といえどもおかしい奴らとは限らない。実際チノは愛想はないが普通の女の子だし、この二人もまともな奴かもしれない。

 ならこれは、この二人を見極めるいいチャンスなのかもしれないなと有宇は思うことにした。

 すると、ココアがまるでお見合いの司会でもやるかのように言う。

 

「二人とも、有宇くんに聞きたいことがあったら何でも聞いてね。有宇くんも二人に聞きたいことあったら何でも聞いていいんだよ?」

 

 聞きたいことと言われても正直特にはない。

 それに二人も聞きたいことと言っても、ここで働く経緯(まぁ、嘘まみれなんだが)とかはココアから聞いてるだろうし、今更僕に聞くことなんかないだろう。

 しかし会話がないのもあれだし、適当に好きな物とかでも聞いておくべきか。

 

「はい!」

 

 するとまず私からと言わんばかりに、千夜が学校の授業でやるみたいに手を挙げた。

 

「えっと……どうぞ」

 

 一体千夜は僕の何を知りたいのだろうか。

 

「有宇くん、初めて私と会った時のこと覚えてるかしら?あの時はそんなに気にならなかったんだけど、有宇くんがココアちゃんの知り合いだって聞いてね。それで私と見間違えた白柳さんってどなたなのかしらって気になっちゃったの。もしかして恋人さんだったり?」

 

「えっ!?」

 

 皆の視線が有宇に向けられる。

 そういえばそんなこともあったな……。

 

「えっ、有宇くん彼女いるの?」

 

恋話(コイバナ)!私達の周りじゃ聞けないことですね」

 

「都会は進んでるな〜」

 

 他のメンバー達も普段聞けない恋愛話が聞けると思って興味津々に聞き入ろうとしている。

 これは少し不味いと有宇は危惧した。

 こいつらの中では、僕は親が飲んだくれで高校に通わせてもらえず、終いに家を追い出されたという設定になっている。本当はただのカンニング魔で、それがバレて退学の危機に陥り親権者のおじさんと口論になり家出しただけなんだがな。

 とにかく今僕がここにいられるのはそんな不遇な環境下にいたという嘘の経歴でこいつらから同情を買ってるおかげだ。バレたら店をクビになって追い出されかねん。

 そして過去話はボロが出やすい。慎重に答えなくてはならない。

 白柳弓は僕が高校を辞めさせられる前、付き合っていた……いや、正確には付き合うはずだった女だ(白柳弓に告白される前に退学になったからな……)。

 確か高校に通わせてもらえなかった設定だったはずだから、高校での彼女だなんていう矛盾が出ることは避けないとな……。

 そうして有宇は自分の作り出した設定に矛盾しないように慎重に、そして無難な感じの答えを返す。

 

「白柳さんは中学の頃の同級生だよ。その子も黒髪に前髪がぱっつんだったから見間違えたんだ。彼女とか別にそういうのじゃないよ」

 

「あら、そんなの?有宇くんのコイバナ聞いてみたかったからざ〜んねん。にしてもそんなに私と似てたのかしら。うふふ、一度会ってみたいわ」

 

 一応、千夜は納得した様子だった。

 白柳さんの存在を認めつつ、そして嘘も交える。人を騙すときの常套手段だ。本当の事に嘘を混ぜこめば大概の人間は騙せる。

 全部嘘で固めると不自然さが際立ち怪しまれるからな。白柳さんという同級生がいた事実は認めて、後は嘘で固めてやればいいのだ。

 そして他の連中はというと、恋話が聞けると思ってたのでがっかりしていた。

 すると、シャロが怪訝そうな表情で有宇にこう訊いてきた。

 

「あのーじゃあ乙坂くんは今好きな女の子とかいるのかな……?」

 

 有宇はその質問に少し違和感を感じる。

 普通この手の質問は相手に気があり、それで相手に今付き合ってる人間がいるかどうかを確かめるためにするものだ。しかしなぜかシャロは有宇に対して若干敵意や疑念を抱いているかのように聞いてきた。

 なぜシャロが自分に対してそんな態度をとっているのかは不明だが、疑念を煽るような真似をして、面倒な事になるのは避けたいので、有宇はお世辞も少し混じえて当たり障りのない答えを返す。

 

「えっと……そうですね、今はそういう方はいませんよ。それに僕自身、今の状況が状況ですし、彼女どころじゃありませんから……」

 

「じゃあ今後も彼女は作らないってこと?私達の中に気があるとかもなく?」

 

「そうですね、ここにいる皆さんは全員魅力的ですが、まだ会って間もないですし特にそういった感情はありません。皆さんとは良い友人でありたいと思っています」

 

 実際のところ、僕も男だし正直彼女は欲しいとは思ってる。思っているからこそ白柳弓を堕とそうと策略したわけだしな。

 しかしだからといって誰でもいいわけじゃない。僕に見合う容姿端麗で頭がよく、まともで完璧な才色兼備な女性じゃなきゃダメだ。

 ここにいる奴らは皆容姿だけでいえば……まぁそれなりにレベルは高いんじゃないかと思う。だがココアは性格面に難ありだし、リゼは生活態度に難ありだ。千夜とシャロに至ってはまだどんな人物かがわからないからなんとも言えない。チノは小学生だし年齢的に対象外……ていうか流石に犯罪だしな。Not ロリコン。

 そんなわけで、今は自分の置かれている状況の打開を中心にやっていきたいというのは本当の事だし、彼女だのそういうのは今は後回しだな。

 そして有宇の答えを聞くと、シャロはボソボソと何かを呟いた。

 

「……リゼ先輩が好きってわけじゃないようね。それはそれで癪にさわるけど……」

 

「……?」

 

 有宇の答えに安心したのか、シャロは安堵したように見える。

 シャロの狙いが何だったのかはわからないが、それで自分に対するなんらかの疑念が晴れたならそれでよかったと有宇は安堵した。

 さて、あんまり根掘り葉掘り聞かれても色々困るしな……。

 そう思った有宇は、取り敢えず二人に飲み物でも飲まないかと提案する。

 すると二人はそれぞれコーヒーとホットココアを注文した。

 

「あれ、シャロさんはコーヒー苦手なんですか?」

 

 注文を聞いて有宇がシャロに尋ねる。

 うちの店の売りはやはりサイフォンで淹れたコーヒーだ。それを頼まずココアを頼むということはコーヒーが苦手なんだろうか?

 まぁ、コーヒー苦手な奴なんて割と多いし、珍しくはないがな。

 するとシャロは恥ずかしそうに答える。

 

「別に苦手ってことはないんだけど……。その……私カフェインを取りすぎると酔っちゃうの……」

 

「えっ?」

 

 カフェインで酔う?わけがわからん。

 有宇がシャロの言葉の意味がわからないでいると、それを察したココアがこう付け加えた。

 

「シャロちゃんはカフェインを取るとハイテンションになっちゃうんだよ」

 

「カフェインハイテンション!?」

 

 つまりシャロはコーヒーを飲むと酒を飲んだかのように酔っぱらうのだという。よく漫画で炭酸とかで酔うキャラがいるが、現実にそんな人間がいるとは……。

 その後も色々と話をしたが、そこからは僕が来るまでのここでの出来事とかいった他愛無い世間話だった。

 

 

 

 昼に差し掛かる頃、店はそろそろ昼食を食べにくる客が来るため、先程よりかは忙しくなるのだが、有宇のシフトは昼までなので、一人仕事を切り上げた。

 

「それでは時間ですので、僕は上がらせてもらいます。お疲れ様でした」

 

 そう言って有宇が言って仕事を上がろうとすると、千夜に声をかけられる。

 

「有宇くん、午後暇ならうちの店に来ない?」

 

「お誘いは嬉しいのですが、この後やりたいことがありますので。またの機会に行きます」

 

 千夜の働く店が甘味処だということは覚えていた。有宇は妹の歩未の作るピザソースのこともあって甘いものがあまり好きではないため、進んで行こうとは思わなかった。

 それにお金の使用は最低限に留めておき、万が一の時に備えておきたかったので贅沢はしないように心がけているのだ。

 あとこの後本当にやりたいことがあり、街に出るつもりだったこともあり、有宇は千夜の誘いを断ったのだった。

 有宇が断ると千夜は「あら、残念」と言い、それを聞いて有宇は「すみません」と一言詫びを入れ、それから自分の部屋に着替えに行った。着替え終わり下に降りると、ココア達に出掛けてくると言って店を出て行った。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「で、みんな、有宇くんのことどう思う?」

 

 有宇が店を出た後、ココアはその場にいた仲間達にそう問いかけた。

 

「そうですね、ちゃんと仕事もしてくれますし、家事仕事も手伝ってくれますし、いい人だと思いますよ」

 

 とチノ。

 

「ああ、私も悪い奴じゃないと思うぞ」

 

 とリゼ。

 

「私も有宇くんはしっかりした男の子のように見えたけど」

 

 と千夜。

 

「私は正直男の人が働くって聞いて不安だったけど、今日会ってみた感じ特に問題はないと思うわ」

 

 とシャロ。

 

「シャロちゃん、有宇くんがリゼちゃんに気がないかずっと不安だったものね~」

 

「お、おばかぁぁぁぁぁ!!リ、リゼ先輩の前では言わないでって言ったでしょ!?」

 

 シャロが千夜に憤慨していると、当の本人がフォローを入れる。

 

「まあ、確かに今まで女だけだった職場にいきなり男が入るのは、私も色々と不安だったしな。シャロ、気遣ってくれてありがとな」

 

「リ、リジェ先輩…!」

 

 そう言うとシャロは顔を真っ赤にして倒れこんだ。

 

「おっおい大丈夫か!?」

 

「先輩に……お礼言ってもらえた……」

 

 リゼの心配とは裏腹に、倒れたシャロは幸せそうな顔をしていた。

 しばらくしてシャロも落ち着きリゼが話を戻す。

 

「で、ココア。なんか有宇に不満でもあるのか?私も最初はかなり驚いたけど、ちゃんと一緒に暮らせてるんだろ?仕事の方も今日見た限り問題なさそうだしな」

 

 ココアは何か物言いだけな様子で表情を曇らせる。

 

「う~ん、確かに有宇くんは優しくて紳士的だし仕事もしっかりできてるよ。けど……」

 

「けど?」

 

「なんか距離を感じるの!遠慮してるっていうかなんて言うか……せっかく知り合えたのに全然仲良くなれてる感じがしないの!」

 

 ココアの発言に対し、皆も思うことを口々に言う。

 

「そう言われてみると、確かに乙坂さんから話しかけられることってあまりないですよね」

 

「そうね、確かにさっきも有宇くん、あまり会話に参加してなかったわね」

 

「確かにそうだな……」

 

「そうかしら?元々大人しいだけじゃないの?それに会って間もないし、女の子の中に男の人が自分一人だけだったから話しづらかっただけじゃない?みんなココアみたいに騒がしくて遠慮が無い訳じゃないんだし」

 

「シャロちゃんひどいよ!ん〜でも確かにシャロちゃんの言うとおりでもあるんだけど、なんか納得行かなくて……」

 

「なんかって?」

 

 言い淀むココアにリゼが尋ねる。

 

「う〜ん、なんていうかあれが本当の有宇くんじゃないような……」

 

「もっとわかるように言えよ」

 

「えっとね、なんか有宇くんって驚いたりした時とかに、なんていうか口が悪くていつもみたいな感じじゃないときがあって……。もしかしてあれが本当の有宇くんなのかなって思って……」

 

「例えば?」

 

「最初にあった日、有宇くんと話そうと思ってドア開けたら驚かせちゃたことがあって。そしたらなんかいつもと違った雰囲気で怒られたり……」

 

「ココアさんはちゃんとノックするよう心掛けてください」

 

 チノが話の途中に割って入り、ココアに注意を促す。

 

「はい……」

 

 そこはココアも素直に反省する

 するとリゼにもココアの言う事に思い当たる節があったようで、それを口にする。

 

「そういえば確かに私も初めてあった時も、なんか今と雰囲気違ったような気がするな……」

 

「あれはリゼさんが銃で驚かしたからだと思いますよ……」

 

 その時その場に居合わせていたチノが苦い顔を浮かべる。

 それからココアが話をまとめて、皆に言い放つ。

 

「と、とにかく!せっかくこうして会えたんだから遠慮とかしないで欲しいの!それでもっと仲良くなれたらって……それでみんなにどうしたらいいか聞きたくて……」

 

 しかしそう聞くと一同は皆黙り込む。

 

「どうしたらって言われてもな……」

 

「そっとしておいたほうがいいと思いますが」

 

「有宇くんの方から歩み寄ってもらえないと難しいと思うわ」

 

「うぅ〜でも……」

 

 皆は放っておいた方がいいというが、ココアはそれに納得いかない様子であった。例え本当にそれが正しいとしても、ココアはそれを放ってはおけない性格(たち)であったからだ。

 そんなココアにシャロがこう助言する。

 

「ココア、そもそもこっちから歩み寄るにしても、あいつと話さないと始まらないんじゃない?せっかく一緒に住んでるわけなんだし、ゆっくり話し合ったり出来ないの?あんたこういうの得意じゃない」

 

 シャロの言葉に対し、ココアは気難しい顔を浮かべる。

 

「う〜ん、普段はシフトも違うし、夜も有宇くん朝早いからすぐ寝ちゃうしであんまり話せる時間ないんだよね〜。だからみんなと話せば有宇くんも心開いてくれるかなって思って今日みんなを集めたんだけど……」

 

「なんでもいいから話すきっかけ作りなさいよ。何か思いつかないの?」

 

「そんなこと言われても……あっ」

 

 そこでココアがはっとした様子で何かを思いついた。

 

「どうしたのよ」

 

「いい事思いついたの!!えっとね……」

 

 ココアは思いついたアイデアを喜々とした様子で皆に話した。

 

「前に有宇くんに街を案内するって話をしたの。だからそこで私が色々有宇くんと話してみるっていうのはどうかな?」

 

 ココアがそう話すと、皆納得した様子を見せた。

 

「ああ、いいんじゃないか」

 

「はい、いいと思いますよ」

 

「頑張ってねココアちゃん」

 

 皆口々にそう口にする。

 

「でもココア、あんま深追いしちゃだめよ。他人に踏み込まれたくないことだってあるだろうから。特にあいつの場合、なんか重い事情があるんでしょ?」

 

 しかしその中でまたシャロが一人、ココアにそう忠告した。

 シャロもココアの人当たりのいいところは買っているものの、その反面千夜もそうだが、色々と人を振り回したり、天然で心にグサッとくる一言を言ったりする所があるので、万が一を考え忠告した。

 特に有宇の場合、何か色々と抱え込んでいそうなので、ココアがそこに無造作に踏み込んでいかないか心配だったのだ。

 

「わかってるよ〜」

 

 本当にわかってるかどうかはわからないが、ココアはそういつもの調子で答えた。

 こうして有宇不在の中、彼に歩み寄ろうとするココア達の計画が進んでいった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 日が沈み辺りが暗くなる頃、有宇はラビットハウスに帰宅した。

 もっと早く帰宅するはずだったのだがまた少し道に迷い、帰るのが遅れてしまった。

 

「ただいま」

 

 有宇が帰るとココアが一番に出迎えてくれた。

 

「あっお帰り有宇くん。あれっ、何か買ってきたの?」

 

「ああ、これ?」

 

 帰ってきた有宇の手には紙袋が握られていた。

 有宇は特に隠す必要はないだろうと思い、袋の中の物を取り出した。

 

「お勉強の本?」

 

「ああ、高卒認定を受けようと思って」

 

 有宇は午後の時間を使って高卒認定について調べたり、参考書を買ったりしていた。

 

「いつまでもここにいるわけにもいかないし、ちゃんとしたところに就職するために少しでも努力はしなくちゃと思ってね」

 

 本当は努力なんてしたくもないのだが、状況が状況なので仕方なく一応の努力はしてみようと試みたのだ。

 

「そっか……」

 

 しかしそれを聞いたココアが何故か暗い顔を浮かべた。

 なんだ、僕がいなくなった後に何かあったのか?

 だがすぐにココアの表情はいつもの笑顔に戻っていた。やっぱ気のせいか?

 そしてココアはいつもの笑顔で有宇に話しかける。

 

「ねぇ有宇くん、明日暇かな?」

 

「えっ?」

 

「ほら、前に街を案内するって言ったよね。確か明日有宇くんお休みだったし、私の方も学校も仕事もないからどうかなって」

 

 確かに明日は暇だし、以前街の案内を頼んだ覚えもある。

 相手がココアなのは心配だが、今日も道に迷ったことを考えると、街の案内は欲しいし素直に受けることにした。

 

「じゃあ、よろしく頼もうかな」

 

 そう返すと、ココアは顔をパァッと明るくし、とても喜々とした様子を見せる。

 

「やった!じゃあ明日お昼に行こっか!」

 

「は、はい」

 

 そしてココアははしゃぎながら階段を駆け上がって行ってしまった。

 ったく……何がそんなに嬉しいのやら。たかだか街の案内ごときで。あの女の感情はいまいち理解し難い。

 有宇はそんな事を思いながら、そのまま夕飯の準備をしに、チノが待っているであろうキッチンへと向かった。



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第5話、ノーポイッ

 日曜日の午後、ココアとの約束通り、有宇はココアと一緒に家を出た。

 この日は有宇がこの街に来てから初めての休暇であった。いつもより長く寝ていられたこともあってか、体の調子もすこぶるよかった。

 ココアの方はというと、有宇と違い午前中は仕事があったので、少しは疲弊してもおかしくないのだが全くそんな様子はなく生き生きとしていた。

 

「有宇くん、最初はどこに行きたい?私はねえ~」

 

「ココアさん、とりあえずお昼がまだですし、どっかで何か食べませんか?」

 

「おお、それもそうだね、有宇くん何か食べたいものある?」

 

「いえ、特には。ココアさんのおすすめの所とかありませんか?」

 

「おすすめの所か~。う~ん、卒業式の日にみんなで行ったあそことかいいかな」

 

「ではそこへ行きましょうか」

 

 そして二人はココアの勧めるその店へと赴いた。その店は店の前にテラス席を設けているオープンカフェだった。カフェの近くには川があり、川を眺めながらゆっくりお茶することができ、中々風情あるカフェであった。

 二人はそこでサンドイッチなどの軽食で昼食を取る。昼食の最中もココアが三か月ほど前の卒業式の日にみんなであつまったのがこの店だったとか、そういった有宇がここに来る前の他愛のない思い出話を楽しげに話なしていた。

 自分の話が終わると、今度は有宇自身のことについても聞いてくる。

 

「そういえば有宇くん、有宇くんのいた東京ってどんな所なの?東京なんて行ったこともないから全然知らなくて。一応うちのお兄ちゃん達が今東京にいるんだけど全然連絡来ないんだもん」

 

「お兄さんいるんですか?」

 

「うん、お姉ちゃんが一人とお兄ちゃんが二人いるんだ。お姉ちゃんはうちの実家のパン屋で働いてて、お兄ちゃん達は東京で弁護士と科学者目指してるの」

 

 こいつが年下を妹や弟にしたがるのは、こいつが末っ子で姉という存在に憧れてたからなのか。なんとはた迷惑な話だろう。

 しかし東京の話ぐらいならいいだろうと有宇は東京についてココアに話聞かせた。だが、自分自身についてはボロが出ると不味いので、多くは語らなかった。

 

 

 

 昼を終えると二人はカフェを後にし、それからココアに色々と街を案内された。

 まず最初に連れて来られたのが街の雑貨屋だ。いかにも女子が好きそうな文房具やら小物で溢れている綺麗な店だった。だが……。

 

「わあ!見て見て有宇くん、このうさぎのお皿可愛いね〜」

 

「そうですね……」

 

「あれ?有宇くん的にイマイチ?有宇くんもなんかいいのあったら買ってみたら?」

 

「はぁ……」

 

 ココアは喜んでいるが、その反面、有宇の心境はあまり良くなかった。

 そもそも僕はまだ揃ってない生活品を揃えたかったから、百均でも何でもいいから物の揃ってる日用品店はないかと聞いたのだ。

 歯ブラシとかその辺の軽い日用品はこの前出かけたときに、近場のコンビニとかで揃えられたからいいんだが、皿や箸といった食器類などの日用品は近場では揃えられなかった。今はラビットハウスにあるタカヒロさんが以前使ってた物を使わせてもらってるのだが、それが嫌というわけではないが、やはり自分だけの物が欲しかった。だから街を回れるこの機会に揃えたかったのだ。

 だというのに、この女は自分の趣味全開の雑貨屋なんぞに連れてきやがって、こんな女趣味の小物なんぞ僕の部屋に置いて置けるか!

 結局ここでは物を買わず、ココアが小物を見て回るのに付き合わされただけで終わった。

 

 

 

 次に二人が訪れたのが服屋だ。

 有宇も着替えはいくらか家から持ってきてはいたが、スポーツバッグに入る分しか持ってきていないので数が少ない。制服のワイシャツと黒ズボンもタカヒロさんの物を借りて使っているぐらいなのだ。

 この一週間は仕事もあったし、ラビットハウスの近くに服屋らしき店もなく服を買える機会がなかったので、街を見て回れるこの機会に是非とも行ってみたかったのだが────

 

「おお、これリゼちゃん似合いそう!あっ、このフリルのやつなんかチノちゃん着たら可愛いだろうな〜。ねぇ、有宇くんどう思う?」

 

 ココアは両手に服を持って色々と物色している。いやまぁ別にそれはいいんだが……。

 有宇も店内を散策してみるが、それであることに気づいた。

 

「ココアさん……」

 

「ん、なに?」

 

「ここ……男物の服はないんですか?」

 

「え?あ……えっと……そういえばなかったっけ?」

 

 店を軽く見て回ったが、明らかに男物の服が一着もない。

 ココア達が行く店と聞いてはいたからまさかと思ったがそのまさかだったようで、どうやらこの店は女性服専門店だったようだ。

 つまり、ここに有宇が買える服は無いということだ。

 ココアはすぐ「ごめんね〜!」と謝罪して別の服屋へ連れて行ってくれたが、いつもさっきの服屋で買っていたせいで他の服屋を知らなかったようで、別の男物の服も売っている服屋を探すのにそれから小一時間かかった。

 服屋に着くと、早速有宇は自分の寝間着とかバイト用のワイシャツなどを選ぶため、色々服を見て回ったのだが───

 

「有宇くん、この寝間着どう?きっと似合うと思うな。あ、この服も有宇くん似合いそう!」

 

 何故かココアが有宇の服を見立てていた。すぐに見て回るから店の前で待ってていいと言ったのだが、「お姉ちゃんが有宇くんの服見立ててあげる」と言って付いてきたのだ。

 正直こいつに任せるのは不安でしかなかったので断りたかったのだが、どうしてもと引き下がらなかったので仕方なくお願いしたのだが……。

 

「ココアさん……これ寝間着ですよね?」

 

「そうだよ、可愛いよねこれ」

 

「なんで寝間着にうさ耳フードが付いてるんですか……」

 

 ココアの見立てた服は全部、寝間着はうさ耳が付いてたり、ワイシャツは真っピンクだったり、服も真っ黄色の某電気ネズミを思わせるようなパーカーとか幼児が来てそうな服など、ダサい物ばかりを選んできた。

 正直「こんなもの着れるか!」と怒鳴ってやりたかったが、素の自分を知られるわけにはいかないので、なんとかそれは我慢した。

 しかし、勧めてきた服は全て丁重に断り、結局自分で選んだ服を買って行くことにした。

 

 

 

 服を買い終わり店を出た後、ココアが服を選ばせてもらえなかったことが不満だったのか、不機嫌そうにぶつぶつと文句を呟く。

 

「あ~あ、私が選んだ服の方が可愛かったのに……」

 

「いや、年頃の男子にあの服はちょっと……」

 

「でも有宇くんの選んだのって灰色とか黒とかの地味なやつばっかじゃん。もっと色んな色の服着ないと」

 

「少し地味なくらいがいいんですよ。別に原宿系目指してるわけじゃないんで」

 

「原宿系?」

 

「知らないならいいです」

 

 それに僕みたいな二枚目となると、大概何着てても映えるというものだ。もっとも、ココアの選んだやつみたいな物着てたら流石に引かれるだろうがな。

 それからしばらく歩いていると、突然ココアが立ち止まった。

 

「どうしたんですか?」

 

「えっと……ここ何処だろう」

 

「……は?」

 

 ココアが顔を引きつらせ、苦笑を漏らしながらそんなことを言い出したのだ。

 

「どっかに向かってたのでは……?」

 

「取り敢えず知ってる場所に戻ろうと思ったんだけど、迷っちゃった♪」

 

 迷っちゃった♪じゃねぇよ!!

 こちとらお前がどんどん歩いていくから、どっかに案内してくれるものとばかり思ってたから付いてきたというのに、迷ったとかマジでふざけんなよ!!

 しかしココアは「デヘヘ」と笑い、反省してる様子はない。

 クソッ、僕もこの街のことなんぞ詳しくないというのにどうすんだよ……。

 

「取り敢えず来た道戻るぞ」

 

「は〜い」

 

 そう言って来た道を戻ろうとすると、ココアは来た道と反対方向へと歩いて行く。

 

「おい……」

 

「あっ、ごめんごめん。そっちだったね」

 

 そういえばチノが方向音痴だなんだと言っていたが、まさかここまでとは。今更言ったところで仕方ないのだが、やはり別の日でいいから街の案内はココアではなくチノに頼めばよかった。早く街に慣れようとしたのが裏目に出たな。

 その後取り敢えず店の前まで戻ると、改めて帰り道を模索する。

 

「うぅ、どうしよう……。街を案内してたのに迷ってちゃお姉ちゃん失格だ……」

 

「元々姉として見てないから安心しろ。それより、あっちの道じゃないか?」

 

 そう言って僕は店の向こう側の路地を指差す。

 

「おおっ!有宇くん道覚えてたの?」

 

「うろ覚えだがな。あの建物の側来る時に通った覚えあるし、向こうの方を歩いていけば知ってる場所に行けるだろう」

 

「なるほど、それじゃあレッツゴーだね」

 

 それから僕の案内の元、なんとか僕らは見知った場所まで戻る事が出来た。

 

「おおっ、戻れたね。流石だよ有宇くん」

 

「そりゃどうも……」

 

 無邪気に喜ぶココアとの反面、有宇の方はげんなりとしていた。

 僕はもうとにかく疲れた……。

 ここまで戻る道中も、ココアがチョロチョロ店を見て回ったりしてたせいでちょくちょく迷ったりと、とにかく大変だった。

 改めて思うと、僕がココアに街を案内させてるというより、ココアが僕に街を案内させてるって感じだったし、もうこれ地図片手に僕一人で回ってた方が良かったんじゃないかとすら思った。

 そんなこんなで時間も経ち、腕時計を見るともう四時近かった。

 

「おお、もうこんな時間だね。ちょっとお腹空いたしどっかでおやつ食べない?」

 

「おやつ?そうだな……」

 

 昼もサンドイッチとか軽食だったし、何より色々と歩き回ったせいで確かに少し小腹が空いたな。しかし中途半端な時間だしな……それに今日は色々買ったしおやつに出す金が惜しい。

 だが、あちこち歩き続けたせいで疲れもあったし、どこかで一息入れたかったのもあり、結局行くことにした。

 

「じゃあ休憩がてら行くか」

 

「うん、じゃあどこに行こうか?」

 

 どこ行こうかと言われても僕はまだこの辺にどんな店があるとか知らないしな。昼間のカフェも中々良かったし、ここはココアに任せるか。

 

「お前の好きにしてくれていい」

 

「う~ん。あっ、じゃあ甘兎庵に行こうよ。有宇くんまだ甘兎庵で食べたことないもんね?」

 

「えっ、まあ……」

 

「じゃあ甘兎庵に行こう!」

 

 そもそも甘兎庵なる場所を知らないのだがと思ったが、ココアに任せると言ったのは自分なのでココアに任せることにした。

 

 

 

「ここが甘兎庵だよ」

 

 ココアがそう言って案内した場所は千夜の働くあの甘味処だった。

 前来たときは看板が読めなかったのだが成る程、『甘兎庵(あまうさあん)』と読むのか。これは右からじゃなく、左から読むのか。それに『(おれ)』ではなく『(いおり)』と読むのか。

 看板の読み方を理解したところで店に入ると、以前この店で会った時と同じ緑の和服姿で千夜が出迎えてくれた。

 

「いらっしゃいませ……あらっココアちゃんと有宇くん、今日はどうしたの?」

 

「今有宇くんに街を案内してて。ついでだから甘兎庵でおやつにしようかってなって」

 

「まぁ、そうなの。じゃあサービスしなきゃね。席に案内するわ」

 

 そう言うと千夜は二人を席まで案内した。

 席に座ると、有宇はテーブルに置いてあるお品書きを手に取る。

 

「さて、何にしよう……か……」

 

 有宇はメニュー表に目を通した瞬間、絶句した。

 お品書きには当然メニューが載っているものだと思ってたのだが、そこには漫画の必殺技みたいな言葉が羅列されてあった。

 

「煌めく三宝珠……雪原の赤宝石……なんだこれは!?」

 

「あら、有宇くんには難しかったかしら?」

 

「いや、難しいっていうより、これメニュー名としてどうなんだ!ていうか、こんなもん読めるか!」

 

「う~ん、今日は抹茶パフェにしようかな~。あっでも最中抹茶アイスもいいかも!」

 

 なんでこいつ読めてんだよ!?

 有宇の横で嬉々としてメニューを眺めるココアには、どうやらこのメニュー表に何が書いてあるかを理解しているようだった。

 

「こいつは別として普通の奴じゃわからないだろ」

 

「え、私今馬鹿にされなかった!?」

 

「大丈夫よ、初めてのお客様には指南書をお渡ししてるわ」

 

 そう言って千夜は指南書と書かれたメニュー表を取り出した。そこには変な名前などではなく、ちゃんとしたメニュー名が書かれていた。

 

「最初からそれ出せよ……」

 

「ごめんなさい、でも出来た和菓子に名前を付けるのが私の楽しみなの」

 

 そう言って千夜はにこっと笑いかける。

 この()はまともそうだと思ったが、やはりココアとリゼ同様一癖ある奴だった。まぁもうどうでもいいか、今に始まったことじゃないしな。

 それから僕はメニューの中にあった煌めく三宝珠とやらを頼んでみた。

 頼んだ理由としては夕飯前にあんま食べると入らなくなるし、値段も見た感じ一番安かったから、財布にも優しいし、そんな量はないだろうと思って選んだ。

 そしてココアは黄金の鯱スペシャルとかいうのを頼んでいた。黄金の鯱って……というかそれ一体どんなメニューなんだ!?

 

 

 

「ねえ、有宇くん」

 

 和菓子が来るのを待っている間、ココアが声を掛けてきた。

 

「ん、なんだ?」

 

「えっと……なんかさっきから有宇くん、普段と雰囲気が……」

 

 しまった!!道に迷ったり、甘兎でツッコミどころがあり過ぎたせいでつい心乱されて素に戻っていた!!

 

「きっ、気のせいですよ」

 

「えっ、でも……」

 

「疲れてそう感じただけですよ。ねっ?」

 

「そっか、気のせいだよね……」

 

 危ない危ない、危うく素がバレるところだった。

 まぁ今の感じだとこいつ相手だったらある程度は大丈夫だろう。

 

 

 

 しばらくしてお盆に頼んだメニューを載せた千夜がやって来た。

 

「お待たせしました。煌めく三宝珠と黄金の鯱スペシャルになります」

 

 そう言って千夜が僕らの前に注文した物を

 僕が頼んだ煌めく三宝珠は三色団子だ。

 そしてココアが頼んだ黄金の鯱スペシャルは、どうやらたい焼きを載せた抹茶パフェだったようだ。

 なるほど、たい焼きを鯱に見立てているのか。

 

「おお、相変わらず凄いね〜!じゃあいただきます!」

 

 そう言ってココアがスプーンでパフェをすくって口に運ぶ。

 

「ん〜美味しい!」

 

 本当に美味しそうに食べている。

 本当に美味しいのか、それとも単に友達の作ったものだからそういう風に食べてるだけなのか。いや、こいつはそんな風に面をかぶれるほど器用な奴ではないのは知ってるだろう。名前は奇抜だったものの、おそらく普通に食べてもいいはず……。

 

「ほら、有宇くんも食べてみなよ。美味しいよ?」

 

 ココアにそう言われて有宇も団子の串を手に取る。

 

「いただきます」

 

 言われるがまま団子をそのまま口に運ぶ。

 

「……美味い!」

 

 別に三色団子を食べたことがない訳ではない。

 甘味処のような所で食べたことはないが、よくコンビニで売ってるやつぐらいなら食べたことはある。

 三色団子は元々そこまで甘くないので僕にも食べれるが、色が綺麗なだけで特別美味しいと感じたことはなかった。

 しかし今食べたやつにはしっかり味がついており、甘すぎず、僕好みの味だった。

 

「コンビニのものとは味が違うんだな……」

 

「コンビニやスーパーで売られてるものは食紅で着色して色を変えてるだけだから三つとも味が同じなの。うちのは緑はヨモギで出来てて、ピンクは赤しそを練り込んでいるからそれぞれ味が違うのよ。きな粉や黒蜜もあるからそれをつけて食べると違った味が楽しめるわよ」

 

 そう言われると、まずは団子に黒蜜を少し付けてから口に入れる。それから今度はきな粉をまぶして口にする。

 

「うん、どっちも美味いな」

 

「ふふっ、気に入ってもらえたようでよかったわ」

 

 黒蜜もきな粉も団子によくマッチしてて美味い。よもぎと赤しそとも相性良く、旨さを引き立ててる。

 それからあっという間に一本完食して二本目に手を付けようとした時、ココアが有宇に声をかける。

 

「あっ有宇くん、お団子一個頂戴。私もパフェ少しあげるから」

 

「別にいいけど」

 

 こっちもパフェの味が気になっていたのでココアの提案を飲み、串の先についてるピンクの団子をココアのパフェに載っける。

 

「ありがと〜。じゃあ有宇くん、あ~んして」

 

 ココアはパフェをすくったスプーンをこちらに差し出してきた。

 

「えっ!?いやこっちの皿に載っければいいだろ」

 

「遠慮しないで、さあさあ」

 

 いやいやいや、流石に歳の近い女子にあ~んしてもらうのはかなり恥ずかしいし、それによく考えたらこれ間接キスじゃないか!?

 

「いや、流石に恥ずかしいから……」

 

「有宇くん、お姉ちゃん相手に恥ずかしがらなくてもいいんだよ?」

 

 ココアは相変わらずお構いなしだった。

 しかし、僕ばかり恥ずかしがってるのも腹立だしいと思い、思いっきってココアの差し出すスプーンに喰らいついた。

 

「んっ美味い……」

 

 どうだ、本当にやるとは思わなかっただろ。しかしココアは平然といつもの調子だった。

 

「ん〜団子も美味しいね〜」

 

 こっちがあれだけ恥ずかしく思いをしたにも関わらず、この女は何も感じないのか。

 普通の女子だったら僕と間接キス出来るだけでドキドキしたり、喜んだりしてもおかしくない筈なのに。クソッ、調子狂うな……。

 

「どうしたの有宇くん?」

 

「いや、なんでも……」

 

 まぁもういっかと思い皿に残った団子に手を付けようと思ったのだが、皿にあったはずの団子が失くなっている。

 

「あれ、団子が……」

 

 あたりを見ると、台の上の置物だと思っていた黒いうさぎが、いつの間にか僕の団子を完食していた。

 

「ああっ!このくそうさぎ……覚悟しろっ!」

 

 とっちめてやろうと思い捕まえようとしたのだが、こいつがまたすばしっこくて捕まえられなかった。

 すると千夜が現れて黒うさぎをひょいと捕まえた。

 

「あらあらあんこ、ごめんなさい有宇くん、すぐ代わりを持ってくるわ」

 

「……それ、兎の置物じゃなかったのか?」

 

「うちの看板うさぎのあんこよ。普段は大人しくしてるんだけど、お腹空かしてたみたいね」

 

 全く動かないから、てっきり置物だと思ってた。

 

「……兎の世話ぐらいしっかりやってくれ。今まさに僕のこの店の評価が一気に下がったぞ……」

 

「ごめんなさい、あっそうだわ!」

 

 そう言うと千夜はあんこを連れて奥へ消えていった。

 しばらくしてお盆を持って帰ってきた。

 

「はい、代わりの団子とこれもどうぞ」

 

 そう言って出されたのは、抹茶ケーキだった。

 

「ココアちゃんもどうぞ」

 

「わーい、千夜ちゃんこれ新しいメニュー?」

 

「ええ、(いにしえ)より積み重なりし緑層よ」

 

「いや、抹茶ケーキだろ」

 

 確かに地層に見えなくもないけど……。

 

「へぇ〜、甘兎でもケーキ出すんだ?」

 

「ええ、今度新しく出そうと思って、二人とも試食してみてくれる?」

 

 抹茶とはいえケーキか……甘過ぎる物はちょっと。

 まぁ、無料ならいいかと思い口に運ぶ。

 

「美味いな……」

 

「美味しい〜!」

 

 クリームの甘みと抹茶の苦味がマッチしてて美味かった。抹茶の苦味が強く、甘すぎなくて僕でも楽しめる味だった。

 それからケーキを完食すると、千夜が感想を求めてきた。

 

「感想とか聞かせてもらえると嬉しいんだけど」

 

「う〜ん、私的にはもうちょっと甘くてもいいかな?」

 

「有宇くんはどうかしら?」

 

「僕はこれぐらいの方がちょうどよくていいな」

 

「そう、ありがとう。他のみんなにも試食してもらって完成させなきゃ」

 

「おお、千夜ちゃんやる気だね!」

 

「ええ、甘兎庵、大手チェーンへの第一歩のためだもの!」

 

 千夜がそう言うと、イェーイと二人で手を叩いた。

 このやり取りで、なんとなくこの二人が仲が良い理由がわかった気がした。まさに似たもの同士というやつだ。こういう奴らは周りを巻き込んでもお構いなしだから、一緒になる奴は大変なんだよな……まぁ僕もその中の一人になるんだろうが。

 二人が喜ぶ影で、有宇はこれから先が不安になった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 甘兎庵を出ると、外はもう日が沈みかけていた。

 思っていたよりあそこに長居していたようだ。

 

「ああ、もう夕方だね。まだ色々案内したい場所あるのに〜」

 

「でももう十分この街のことはわかりましたし大丈夫ですよ。今日はもう帰りましょうか」

 

「そっか、ならよかったよ。でも私でも今日みたいに迷っちゃったりするから有宇くんも気を抜いちゃダメだよ」

 

「大丈夫ですよ」 

 

 お前じゃないからな。

 

「にしても有宇くん、和菓子好きだったんだね」

 

「えっ?」

 

「だってすごく美味しそうに食べてたから」

 

「……そんなに顔に出てた?」

 

「うん、美味しいんだなって一目でわかったよ」

 

 いつも感情を素直に顔に出さないよう気をつけていたのに、何故か甘兎庵では色々と気が抜けていた。

 ココアに振り回されたせいで今日は色々と気が抜けているのかもしれないな。ココアにも不信感を抱かれてたし、これからはもっと本格的に気を引き締めなければならない。

 素の僕を知られるわけにはいかないのだ。自分が悲劇の少年だという嘘を固めるためというのもあるが、ここで上手くやっていくためにはその方がいい。

 本当の自分なんてものが、誰にも認められるはずないのだから……。

 しかし有宇がそう思った矢先、ココアが急に足を止めこう言う。

 

「……ねぇ有宇くん。今日さ、やっぱりいつもと雰囲気違ったよね」

 

「……え?」

 

 ……どうやらもう既に手遅れだったようだ。

 隠し通せていると思っていたが、そうはいかなかったみたいだ。あの後も兎に団子を取られて取り乱したりしたから、まあ当然といえば当然なのだか。

 迂闊だった。バカっぽいこいつらの前なら多少素の自分を見せたところでばれないだろうと高を括っていたが、僕が思ってた以上にこの女は勘が鋭いようだ。

 だが、それでも本性を見せるわけにはいかない。知られた所で得なんぞない。なら多少強引になろうとも隠し通させてもらう。

 

「きっ気のせいですよ、そんなこと……」

 

「そんなことあるよ。有宇くん、なんか私達の前だと素直じゃないっていうか……距離を感じるっていうか……。ねぇ有宇くん、もしかして私達に遠慮してるのかな?」

 

「えっと……」

 

 今日はなんだかいつも以上にしつこい。異を唱える暇も与えずぐいぐいきやがる。

 

「お世話になってるからとか気にしなくてもいいんだよ?私、有宇くんのこと弟だと思ってるし遠慮なんかしないで普通に接してくれていいからね。みんなもきっとありのままの有宇くんと仲良くなりたがってるし、もっとお姉ちゃんに素直でいてもいいんだよ」

 

 ありのままの……僕……?

 ココアのその言葉を聞いた途端、さっきまで素の自分を知られまいと焦っていた有宇の気持ちが、無意識に怒りへと変っていった。

 何を苛ついてるんだ僕は。ただ単にそうだね、悪かったよとか言って返せばそれでいいじゃないか。

 だが、ココアのその言葉は僕を無性に苛つかせた。

 ありのままの自分なんて好いてくれる奴なんていないことぐらいは理解している。昔の記憶は何故か薄れてしまって殆ど無いけど、物心ついたときから僕は素の自分を隠してきた。そうすれば皆僕を好きでいてくれた、認めてくれた。だから今までそうして生きてきた。

 だが今のココアの言葉はなんだ。そうして生きてきた僕を否定するのか?それにありのままの僕と仲良くなりたがってるだって?お前ごときが……僕の何を知っている。

 ココアとしては気を使ったつもりかもしれないが、有宇にはその言葉がただただ無性に腹立だしかった。

 いつもならどんなにイラッとしても我慢して表に出すことはない有宇だったが、学校を辞めさせられ、家を追い出されたりと、ここまで積み重なってきた多大なストレス、今日一日の疲れ、それらが相俟って溢れ出す怒りを鎮めることは有宇自身にはもうできなかった。

 

「……本当の僕ってなんだよ」

 

「えっ?」

 

「会って間もないお前が、一体僕の何がわかるって言ってんだよ……。ありのままの僕だと?なんにも知らないくせに……お前ごときが、僕を知ったかのような口を利くなぁ!!」

 

 有宇はココアに向けそう激昂した。

 あぁ……終わった。ここに来て僅か一週間で、今まで築き上げてきた悲劇の美少年像が崩れてしまった。

 そして有宇は、大声で叫ぶなんて慣れないことをしたものだからはぁはぁと息を切らせる。

 ココアの方はというと、突然大声で怒鳴られて面を食らっている。

 有宇が息を落ち着けると、ココアは突然のことに動揺しながらも、有宇を気遣う言葉をかけた。

 

「その……ごめんね、変なこと言っちゃって。でもね、私……あっ私だけじゃなくてチノちゃんやみんなも、有宇くんと本当に仲良くなりたいなって思ってるんだよ。だからもっと有宇くんに近づけたらなって。でも有宇くんの気持ちを考えないで変なこと言っちゃったね。ごめんね。でもできたらこれからも仲良くしてほしいな」

 

 気を遣ってるのか?

 まぁ一緒に暮らすのに、このままってわけにはいかないもんなぁ。でもそれだってある意味素を隠してるって言えるだろうに、よくまぁ僕に偉そうに言えたもんだな……本当、笑わせる。

 それから有宇はココアに背を向けて言い放つ。

 

「……大声出して悪かったな。けど僕のことはもう放っておいてくれないか?」

 

「え、どうして?気に入らない所があったら直すよ!私、有宇くんと仲良くなりたいよ!今日だって有宇くんと仲良くなるために、その時間が欲しくて街案内をしようって思ったんだよ!」

 

「そんなの知るかよ。そもそもシフトだって別々だし、一緒に住むってだけでわざわざそんな関わる必要もないだろ。こっちもお前らに気を遣うの面倒なんだよ。大体、今ので僕がお前らと気の合うようなやつじゃないってことぐらいお前でもわかるだろ?だからもう僕のことは放っておいてくれ!」

 

 ココアの方だって今のを見て、本当に僕と仲良くしたいだなんて思わないだろうし、これがお互いのためだろ。

 元々こいつらとは気が合いそうじゃなかったし、こいつらと仲良くやってくとか端から無理な話だったんだ。

 有宇はそう考えることで、ココア達との関係を築いていくことを諦めることにした。しかし、ココアから返ってきた答えは有宇の予想に反したものだった。

 

「放っとけないよ……」

 

「は?」

 

「そんなの……放っておけるわけないよ!!」

 

 ココアは声を張り上げて、有宇にそう言い返した。

 いつも騒がしくてふざけているやつのくせに、この時のココアの声には、()しもの有宇といえども、普段からは考えられないほどの真剣さを感じ取った。

 

「だって放っといたら有宇くん、ひとりぼっちになっちゃうよ!そんなのダメだよ!」

 

「一人で何が悪い!お前にそんな事心配される筋合いはない!」

 

「あるよ!だって私………私たち友達だもん!」

 

「友達って……まだそんなこと言ってんのか?言っておくが僕はお前らを友達だと思ったことは一度もない!」

 

「有宇くんは思ってなくても私はあるよ!」

 

「なっ……!」

 

「だから友達を、有宇くんを放ってはおけないよ!」

 

 なんでこいつは今の僕を見てそんなこと言える。普通の女子なら素の僕を見たらもうとっくに引いてるところだろ。

 変わってる奴だとは思っていたがここまでとはな……。

 

「悪いが僕に友達なんか必要無い」

 

「嘘だよ、だったら有宇くんはどうして自分を隠してたの?」

 

 どうしてだと?そんなの決まってる。

 歯をぎしりと噛み締めてから有宇はココアに向け言い放つ。

 

「……ありのままの僕なんて誰が認めてくれんだよ。傲慢で自分勝手!自分のためなら他人を平気で蹴落とせる人間、それが僕だ!そんな人間の素顔を知って誰が認めてくれるってんだよ!?」

 

 大声を出したせいで「はぁ……はぁ……」 と再び息を切らせる。その様子を見て、通りかかる人が遠目から僕達を好奇の目で睨みつけてくる。

 今の僕は滑稽か。滑稽だろうな。女一人に当り散らしてる惨めな男だよ僕は。

 しかしココアは今度は動揺もせず、ましてや笑いもせず、真剣に有宇をまっすぐ見つめていた。

 有宇はそんなココアの真っ直ぐな視線など見向きもせず、息を整えると再び自分の心の内を吐き出した。

 

「そんなの僕自身が今まで生きてきて一番理解している。けどな、誰にも認められない人間は社会からハブられて惨めにすごさなきゃいけない。でも僕は違う!僕はルックスはいいし、外面さえ保てばそれだけで人が集まり、人に認められる人間になれる!だからこそ僕はルックスに見合う行動を振る舞って、周りの奴らの期待に応えてきたんだよ!でもそうすればみんな僕を賞賛してくれる!認めてくれる!友達とかそんなのどうだっていい!対等な人間なんかいらない!僕を認めてくれる、褒め称える人間さえいれば、あとは蹴落とそうが何しようがどうだっていいんだよ!!」

 

 そうだ、人に良く見られればそれだけでステータスだ。それだけが僕の望む理想なんだ。

 大体、僕の素顔なんて知ったところで誰も特なんかしないし、僕自身も不幸になる。それだったら素を隠して周りの望む理想の乙坂有宇を演じた方がいいじゃないか。それでみんな幸せになれるのならそれでいいじゃないか。

 そしてそこに対等な友人関係など必要ない。対等と名ばかりで裏で何考えてるかわからん友達という名の他人より、何も知らずただただ理想の乙坂有宇に酔いしれてくれる人間の方がよっぽど僕にとっては必要なのさ。僕という人間を引き立ててくれる舞台装置として。

 そして有宇の答えを聞くと、ココアのまっすぐと見据えていた瞳は曇りがかり、悲しそうな顔を浮かべた。

 

「そんなの、誰も幸せじゃないよ……」

 

 その言葉に有宇は再びイラッとした。そして躍起になって再び怒鳴り返す。

 

「んだよ……何が悪いってんだよ。大体素を隠してる人間なんか他にいくらだっている!僕はそれが悪いだなんて思わない!皆本当の自分を知られるのが怖いんだ!自分の本性を知られて嫌われるのが怖いからだ!皆生きるために自分を押し殺して、周りの人間が抱く理想の自分を演じてるんだ!馬鹿正直に生きたって誰も得なんかしないし、傷つくだけじゃないか!?それの何が悪い!!」

 

 思いの丈を思いっきりぶちまけた。

 そうだ、どんなに顔が良くても僕は人に良く見られたいだけの醜い人間なのかもしれない。でもそれは何も僕だけじゃないだろ?

 みんなそうだ。みんな自分の醜さを自覚しているから自分を偽り、周りの思う理想の自分を演じるんだ。

 だが凡庸な一般人はそれを理解してるつもりでもその本質を理解していない。心のどこかにスキをみせる。この人は信用していいんだと。それがこの女の言う友達という名の他人の正体だ。

 きっとこの女は友達というやつは互いに信頼し合い、互いの孤独を癒やす素晴らしい人間関係だとでも思い込んでいるのだろう。バカめ、現実がそんな素晴らしい甘い幻想のようにいくはずがないだろ。

 皆一人になるのが怖くて、その孤独を埋めるために形だけの友達という他人を入れてしまう。

 そんなことをしてなんになる。確かにそれで一時の孤独は癒せても、そんなもの本当に一時的なものに過ぎないのだ。

 そもそもこっちが対等なつもりでも向こうがそう思ってる保証なんてどこにもないし、自分は向こうを理解しているつもりでも、実際はその理解から外れた人間であることだってある。友人関係とは実に脆く、そして不明瞭なものだ。

 全ての友人関係がそうだというわけではないのかもしれない。だが一度その心を許した人間と仲違い、いや、仲違いならまだいいだろう。それが裏切りであるならばどうだろうか。

 友人というものは、この人は信用できるとばかりに心にスキを作ってしまう。何もなければいい。だが、心にスキを見せた分、そこを突かれた時は赤の他人に心の領域を侵される時より心に穴を開けることだろう。心だけで済めばいい、それは時に現実の地位すら奪われてしまうときだってあるのだ。

 僕もかつて、友人ではないがそれ以上の母親という存在に信頼を寄せていた頃があった。親の愛は無償の愛というぐらいだし、母さんは僕達を愛しているものだとそう信じていた。子供の頃の僕は母さんが好きだった。ずっと側にいるものだと思ってた。

 だが現実はどうだ!父さんと離婚した途端、あの女は僕と歩未をおじさんに預けて姿をくらましたのだ。捨てたのだ!自分の息子と娘を!ずっと一緒だとあれだけ!あれだけ信じていたのに母親(あいつ)は簡単に我が子を捨てて逃げたのだ!

 人間が最初に築き、最も重要とする共同体たる家族という関係ですら裏切り、いとも簡単に壊れてしまうというのに、友人だとかいうそんな不明瞭で脆く壊れやすいもので、己の孤独を埋めようなんて実にバカらしい。

 僕は違う。僕が他人に求めたのは評価だ。ルックスのいい僕はまず見た目の評価は言うまでもなく高い。見た目というのは第一印象の評価に繋がる。第一印象で既に周りの同性の奴等より優位に立つ僕は、周りの人間が抱く理想を演じ、ひたすらに評価を上げた。

 するとどうだ、心のスキを見せることなく僕は人から認められ、孤独でありながらも孤独を癒やすことに成功している。

 もちろん、そんな僕を妬む人間もいるだろう。だが、スキを作らなければそんな奴等どうにもなるし、邪魔するのであれば優位性を利用して蹴落としてやればいい。

 そうだ、これは生きるための知恵だ、手段だ。周りの理想を演じ、邪魔になるやつは容赦なく蹴落としてきた。僕はこうして生きてきたんだ。

 もっとも、結局のところ僕は失敗してしまった。でもそれというのも僕に宿ったこの使い勝手の悪い特殊な力なんかに頼ったせいだ。それこそが僕があの陽野森の学校で見せてしまった唯一のスキだ。

 だから決して、僕の生き方が間違いだったなんて誰にも言わせないし認めない!!のほほんと優しい日常を生きてきただけのお前なんかに、僕の生き方を否定なんかさせるものか!!

 するとココアが静かに口を開いた。

 

「……確かに、そうなのかもしれないね」

 

 そうだ、僕は間違ってなんかいない。

 

「でもね、辛くない?」

 

「何が」

 

「私だって誰かに嫌われたくないし、有宇くんの気持ちはよくわかるんだ。でもね、ずっと自分を隠し続けるのは辛くない?有宇くんだってありのままでいたい時だってあるんじゃないかな?」

 

 その言葉に有宇は図星をつかれ動揺する。有宇もまた素の自分を隠し続きることに苦痛を感じたことはあるのだ。

 

「私は辛いと思うな。私もシャロちゃんを見習ってお嬢様の真似したことあるけど、結構難しいんだよね。皆にも似合わないって言われちゃうし。それになんか自分と違う誰かを演じるってうまく言えないけど……なんかすごくもどかしいく感じるんだ」

 

 しかし、それを聞いて有宇はイラッとした。

 

「……そんな真似事と僕の話を一緒にするな!」

 

 僕がしてるのはそんなごっこ遊びじゃない!

 僕だって本来なら素を隠さずに過ごしていけるならそれがいい。けど、そんなことしたらこう言われるだろう。「顔はいいのに中身は……」とか、「あいつは顔だけだ」と。一度(ひとたび)弱みを見せればそうやって周りから揶揄されるんだ。

 だからこそ僕は本気で誰かを欺いて、周りを認めさせてきたんだ。それが例え本当の僕でなくとも、僕という人間が認められるならそれでいいと思ったからだ。

 しかしココアは有宇の怒声に臆せずに続けた。

 

「うん、だからね、真似事じゃなくて本気で自分を隠してきた有宇くんはきっとすごく辛かったんじゃないかなって思ったんだ。真似事でもこんなに大変なんだもん。シャロちゃんもよく学校でお嬢様の振りするの苦労してるって言ってたし。だから有宇くんがどれだけ大変だったのかはわかってるつもりだよ。でもだからこそ、自分が自分でいられる場所って必要だと思うの。せめて、自分の信頼できる誰かの……そう、友達とかの前ではありのままでいてもいいと思うんだ」

 

 ……シャロ云々の話は知らないが、ココアの言い分は分かった。だけどな、ココア、それは簡単なことじゃない。

 

「そんな奴、僕にはいない」

 

 そうだ、僕にはそんな奴なんかいない。

 唯一、僕が信頼を寄せることのできる人間がいるとすれば、それは妹の歩未だ。歩未だけは昔から僕の味方でいてくれた。僕を好きでいてくれた。母親(あいつ)がくれなかった物を、歩未は沢山くれたんだ。

 妹の歩未以外に、僕が誰かを信頼したことなどない。そしてその歩未も、今はもう僕のもとにはいない。

 だからもうこれから先、僕が誰かを心から信頼することなんてない。現に僕だって他人の悪意によって蹴落とされたからこそこんな所にいるんだ。

 みんな同じだ。友達だろうがなんだろうが、本当に信頼できるやつなんかいない。それこそ家族だってそうだ。両親(あいつら)だって、僕と歩未を捨て姿を(くら)ましたんだ。だというのに、誰を信じられるというのだろう。

 するとココアはにこっと笑う。

 

「いないなら作ればいいんだよ」

 

「そんな簡単にいくわけないだろ」

 

 そんな簡単に作れるぐらいなら端から苦労しない。

 だがココアは自信満々に答える。

 

「簡単だよ、私たちと友達になればいいんだよ」

 

「は?」

 

「有宇くんは私たちを友達じゃないって言ったけど、私は有宇くんと友達になりたいな。私だけじゃなくてチノちゃんやみんなもきっとおんなじ気持ちだよ。有宇くんが自分をさらけ出すのが怖いならそれでもいいよ。でもね、自分を隠し続けるのが辛くなった時は遠慮なんかしないで。私たちの前では素直でいてもいいんだよ」

 

 そして最後にこう言う。

 

「だからね有宇くん、改めて私と友達になってください」

 

 そう言ってココアは僕に手を差し出した。

 僕の素顔を知って、あれだけ友達なんかいらないと拒んだにも関わらず、そんなこと言い出したのはこいつが初めてだ……。

 しかし、有宇はそれでもココアを信用しようとは思わなかった。

 

「……なんで僕にそこまで構う」

 

「えっ?」

 

「僕の本性を知っていながらなんでそこまでして僕に構う。さっきも言ったが、明らかに僕がお前らと気が合うような奴じゃないってことぐらいわかるだろ?」

 

 そうだ、昨日までの僕は一般的に従順な美少年だったわけだが、それがいきなり変貌し、今まででは考えられないぐらいの暴言を吐き、性格の悪さを露呈した。それを目の当たりにしてなぜ友達になろうだなんて言える?

 普通ならそんなの考えられないし、疑いにかかるのは当然だ。何か裏があるに違いないと。

 しかしココアは顎に手を当てこう返す。

 

「う~ん、有宇くんは私たちとは気が合わないって言ったけど本当にそうかな?」

 

「えっ……?」

 

「私は有宇くんとならうまくいくと思うんだ。確かに有宇くんは私の周りにはいないタイプの人だけどさ、うまくいかないってことはないと思うんだ。ほら、私達って自分で言うのもあれだけど普通じゃないでしょ?だから有宇くんみたいな普通な人が来てくれたら助かるかなって。あ、そうしたらツッコミにも困らなさそうだし、千夜ちゃん喜ぶかも!」

 

 それを聞いて只々唖然とした。

 

「……そんな理由で?」

 

「そんな理由っていうけど、友達になるきっかけなんてほんの些細なきっかけででいいんだよ」

 

「けど、こんな僕の性格を知っててそんな……」

 

 するとココアが人差し指を有宇の口に当て、有宇の言葉を遮った。

 

「あんま自分のことをこんななんて言っちゃだめだよ。確かに有宇くん、素になると口悪くなるけど、思ったことを正直に言ってくれるよね?思ったことを素直に言われちゃうと傷つくこともあるけど、でも正直に言ってもらえた方がいい時だってあると思うんだ。自分はこんな風に思われてるんだなって再認識できたり、こういうところは直した方がいいんだろうなって反省できるし。それに自分を繕うことだって、建前だけでも人に優しくできることは私はいいことだと思うよ。ほら、有宇くんのいいところ、探せばいっぱいあるでしょ?だから自分のことこんななんて言っちゃだめ」

 

 ココアに諭され、有宇はさっきまでのココアを拒もうとしていた気持ちが揺らぐのを感じた。

 ああ、そうか。こいつにとっては僕の性格の悪さなんて些細なものなんだろうな。

 どんなにひねくれた人間であってもそれを個性として認識して、一見欠点だと思われることでも長所として捉えてしまう。なんてポジティブな奴なんだ。

 これは、本当の僕自身を認めてもらう最後のチャンスなのではないかと思った。これを逃したらもう僕は誰にも認めてもらえないのではないかと。

 確かに友達なんてものは不明瞭で脆く壊れやすいものだ。だが今更何が壊れるっていうんだ。無償の愛を与えてくれるはずの親も、僕を褒め称えて認めてくれる他人も、僕にふさわしい才色兼備な彼女も、僕の唯一の理解者である歩未も、もういないんだ。

 落ちるところまで落ちたんだ、今更これ以上落ちることもないだろうし、だったら、こいつを信じてみてもいいんじゃないかと、そう思えたのだ。

 ココアの差し出す手を取ろうと手を指し伸ばす。しかしその時、あることが頭を()ぎった。

 いや待てよ……そうだ、忘れていた。こいつは知らないじゃないか、僕がしてきたことを。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ココアと最初に会った時、僕は嘘をついた。自分が不遇な家庭環境にいたという嘘の身の上話を。

 そうだ、それでココアの同情を買い、今に至るわけだ。だとしたら、こいつが僕に対してポジティブに接してくれたのは、単に僕の嘘の境遇に同情しただけなんじゃないか?

 結局こいつも本当のことを知ったら、周りの奴らと同じように、僕を軽蔑するかもしれない。いや、きっとそうする。いくらこいつでも悪さを働いた人間を擁護しようとは思わないだろう。

 そして、有宇は自分の中でココアの優しさにより(ほぐ)れつつあった気持ちを引き締めた。

 そうだ、なら僕が今するべきことはこいつの手を取ることではなく、こいつの真意を探り鼻を明かしてやることだ。

 そのためにも、こいつについた嘘を撤回し、本当のことを言わなければならない。

 本当のことを言えばこいつも手のひら返した態度をとるに違いない。そしてそれがマスターの耳にも届いて店をやめさせられるかもしれない。

 だがそれでも、僕はこの女が僕にやってのけたように、こいつの素顔を暴いてやりたいと思った。それで人間なんて信用するもんじゃないって、僕がやってきた事は間違っていなかったと、改めて再認識するんだ。

 そして有宇は静かに口を開く。

 

「……あのさココア、お前にいつか言ったよな、僕の家のこと」

 

「え?う、うん。お父さんのことでその……苦労してたんだよね」

 

「ああ、でもそれ全部嘘だから」

 

「え!?」

 

「高校通わせてもらえなかったって言ったけど、本当はこの前まで高校にも普通に通ってた。結構な有名校に通ってたけど、入試でカンニングしたことがバレてさ、退学になったんだ。それで親権者のおじさんにもバレて口論になってさ、仕舞には喧嘩になって家を追い出されて、それから色々あってこんな田舎街に流れ着いたわけだ。そもそも僕の両親はとっくにいないし、親権者のおじさんも遠くに住んでるからもちろん家庭内暴力とかないし。だから、お前に言ったあの話は全部デタラメだから」

 

 ココアは戸惑っている様子だった。

 まぁ当然だろう。僕を悲劇の少年だと思いこんでいたからこそ、こんな僕を認めようとしてくれたんだから。それはそれで正直嬉しかったよ。

 けど、これが本当の僕だ。自分の為なら何でもやる。自分のことしか考えてないし、その為なら平気で他人を蹴落とすし嘘もつく。

 だから決してお前らのような純粋な奴らと一緒にいられるような人間じゃないんだよ、僕は。

 

「……本当なの?」

 

「ああ、ていうか明らかに嘘くさい話だったろ。逆によく騙されたよなお前ら。本当、馬鹿正直にも程があんだろ」

 

 有宇はその場でゲラゲラ笑い出した。すると、先程までと違いココアはムッとした顔をする。

 すると急に距離を詰めてきて、そして────

 

 

 

 

 

 ベシッ!

 

 

 

 

 

 ───……思いっきりチョップされた。

 

「……ってぇな、何すんだよ!」

 

「これでおあいこ」

 

「はっ?」

 

「有宇くんも私に嘘をついたからこれでおあいこ。全くもう!お姉ちゃんに嘘をつくなんてお姉ちゃんぷんぷんだよ!」

 

 そう言うとココアは頬を膨らませ腕を組み、有宇から背を向けてぷりぷり憤っていた。

 

「怒らないのか……?」

 

「怒ってるよ!もうプンプンだよ!」

 

「いや、そうじゃなくて……それだけか?」

 

「えっ、何が?」

 

「いや、もっとなんか言われると思ったから……」

 

「言うって何を?」

 

「だからほら、嘘つき野郎だとかカンニング魔だとか……」

 

 そう言うとココアは再びこちらに向き直り、話し出す。

 

「だって有宇くんはもう罰を受けたんでしょ?」

 

「え?いやまぁそうだけど……」

 

 学校を退学させられたことを言っているのなら一応そうなる。

 

「だったら私から言うことは何もないよ。それは私の問題じゃなくて有宇くんの問題でしょ?」

 

「でも僕が悪人だってことは分かっただろ?だったらなんで……」

 

「じゃあ有宇くんに一つ聞くけど、もしまた有宇くんが学校に通えるようになったとしたら有宇くんはまたおんなじことをする?今度はちゃんと正直に答えてね」

 

 もしまた学校に入ったら……か。有宇は考える。

 依然として僕に宿った力はまだ健在だ。だからもし、また学校に入る機会があればまたカンニングをやろうと思えばやれる。

 だけど、一度失敗した手でまたやろうとは思わないし、流石にもう僕も懲りた。

 

「……いや、もう流石に懲りたよ」

 

 そう答えるとココアはニコッと笑う。

 

「うん、有宇くんもちゃんと反省してるみたいだし、私から言うことはなんにもありません!」

 

「けど……!」

 

 僕は納得いかなかった。

 だって過去にやらかした奴をなんでそんな簡単に迎える?

 僕だったらもし知り合いがそんな奴だとわかったら軽蔑するし、縁も切る。たぶん他の人間だって同じだろう。

 そもそも過去に何かしらやらかした奴が、この先何かしない保証なんてないわけだし、一般人より信用できないのは明白だろ?

 なのに、こいつは何でそんなこと言えるんだよ。

 するとココアが答える。

 

「ねえ有宇くん、もしかしてだけどカンニングしたことが一番許せないのは有宇くん自身なんじゃないかな」

 

「えっ……?」

 

 僕自身が、一番許せない……?

 何を……言ってる?

 

「有宇くんはさ、何が納得いかないのかな?」

 

「それは……だっておかしいだろ。普通だったら軽蔑するのが当たり前で……」

 

「じゃあ軽蔑されるって思ったのにどうして私に話してくれたの?」

 

「それは……僕はお前の思ってるような奴じゃないって証明してやろうとしただけで……別に他意はない」

 

「そうなんだ。でもそれってカンニングをしてしまったことで、自分がとてつもなく悪い人間だって、有宇くん自身でそう思ったからじゃないのかな。確かに有宇くんのやったことは悪いことだけど、そうやって過剰に反応してるってことは、本当は自分の中で悪いことをしたっていう自覚があるんじゃない?」

 

「……やめろ」

 

「だから嘘をついたまま、偽りの自分を認められるのが怖かったんじゃないかな。自分の過去と、自分のついた嘘に押しつぶされるのが怖かったんだよね……」

 

「うるさい!!やめろ……!!」

 

 つい大声を荒らげてしまった。

 

「やめてくれ……」

 

 そして有宇は顔を手で覆い、俯いてしまった。

 ココアには多分全部お見通しなんだろう。けど、ココアが僕の心を見透かすように話すのが、たまらなく怖かった。

 

「ああ、そうだよ。本当は悪いことだっていうことぐらいわかってる……あぁ、わかってたさ……!!でも僕は頭が悪いし、こうでもしなきゃ上にあがれないんだよ!!誰にも認められないんだよ……!!」

 

 きっとココアの眼に映る僕は、まったくもって情けない姿だろう。僕はその場に(うずくま)り泣き言を言った。

 するとココアも腰を下ろし、踞る僕の目線に合わせて優しく話しかける。

 

「上にあがれなくたっていいじゃん。認められなくたっていいじゃん。頭が良くなきゃ認めてくれない人なんかに、有宇くんが振り回される必要なんかないよ」

 

 その言葉を聞くと、有宇は顔を上げ、ココアの顔を見つめた。

 ココアの表情は穏やかで優しく、どこか安らぎすら感じた。

 

「ねぇ有宇くん、有宇くんがどんな人であっても、離れていく人はきっと離れていっちゃうんだと思う。出会って三秒で友達が理念(モットー)の私にだってきっと、全ての人と仲良くなるのは難しいのかもしれない……」

 

 そう言うとココアは表情を曇らせた。しかし「でもね……!」と続けると、ココアの顔がすぐにぱっといつもの明るい笑顔になる。

 

「誰かの理想を演じた偽物の有宇くんじゃない、本当の有宇くんを好きになってくれる人がきっといる!君の味方になってくれる人は必ずいるよ!」

 

 離れていく奴は離れていく。けれど、そうじゃない奴もいる。

 人なんて、何かしらのきっかけや繋がり、その人間と付き合っていく上でのメリット、そんな物で繋ぎ止めて置かなければ離れていくものだとばかり考えていた。

 でもココアは違う。繋ぎ止めるまでもなく離れて行く奴は離れて行くのだと。それでも、側にいるべき人間は近くにいるのだと。

 綺麗事だと思う。離れて行く奴は離れていくだろうけど、近くにいるべき人間なんて、そもそも端からいないことが殆どではないのかと。

 でもそうだな……僕はそんな事、考えたこともなかったな……。

 

「有宇くんには有宇くんのできることがある。そんな有宇くんを好きになってくれる人だってきっといる。だから無理しなくたっていいんだよ。それにまだ終わりじゃないよ」

 

「え?」

 

 そう言うとココアは立ち上がり、大きく手を広げてみせる。

 

「有宇くんにはこれから先、まだまだたっくさ〜ん時間があるんだよ?まだ全然やり直せるよ」

 

「けどそんなの……」

 

「わかんないよ。でもそんなのみんな一緒だよ。みんなこれからのことなんてわかんないよ。だからこれから変わるも変わらないも、やり直すもやり直さないも有宇くん次第だよ」

 

「僕次第……」

 

 僕次第でこれから先が変わる……?

 確かに変われるかもしれない。けど、ただでさえどん底に落ちてしまったのに、これから先変わっていけるのか?いや、不安しかない。

 

「私は信じてるよ」

 

 ココアは踞る僕を真っ直ぐに見つめて言う。

 

「信じる……?」

 

「有宇くんがこれから先、ちゃんと変わっていけるって、やり直せるって信じてる。だから有宇くんも自分を信じて。私も、みんなも応援するから、ね?」

 

 そう言うとココアは僕に手を差し出す。

 だがそれでもその手を取ることはできない。

 

「お前が信じてくれたって、他に誰が信じてくれんだよ……。お前が認めてくれたって、それこそお前の周りの連中が僕を認める確証なんてないだろうが……」

 

 ココアはきっと、僕みたいな人間でも信じて、そして無条件で認めてくれるのかもしれない。

 でも他の連中は違う。それこそ、チノやリゼ、千夜やシャロがココアと同じように本当の僕を知った時、ココアと同じように僕を認めてくれるとは限らない。

 ちゃんと変わったところで、やり直したところで、そんな僕を認めてくれる人間が他にいないのなら、やり直す意味なんてないじゃないか。

 

「確かに確証はないけど、でもね有宇くん、人の気持ちに絶対はないよ」

 

「それは、そうだろうけど……」

 

「人の気持ちに絶対はない。それはきっと、有宇くんが人を拒絶してきた理由なんだよね。人の気持ちは見えないから、上手くやっていけるか不安で、壊れちゃうのがとても怖い。私もたまにチノちゃんの事怒らせちゃったりするし、上手くお姉ちゃんとしてやってるのか不安に思うときもあるよ」

 

 ココアの表情に曇りが生じる。

 ココアもまた程度の差はあれど、人間関係に不安を感じる時はあるのかもしれない。基本的にポジティブな女ではあるが、何も考えていないわけではない。人間関係に悩むときもあるだろう。

 それこそ今こうして僕と話している時だって、僕との関係を断ち切らせないために必死で繋ぎ止めようとしている。こいつもこいつなりに人の心を繋ぎ止めるのに必死なのだ。

 ポジティブであっても、悩みがないわけではないのだから。

 そしてココアは続ける。

 

「でもね、だからこそ人は信じ合うことで絆を作りあげていくんだと私は思うの。不完全な関係でも、それを信じ合い乗り越えていくことで人と人は繋がれるんだって。私は有宇くんを信じるよ。だから有宇くんもみんなを信じて欲しいな」

 

 信じる……か。

 ココアが必死に紡いだ言葉を受けて、有宇は改めて考える。

 今まで妹の歩未以外に誰かを信じたことはなかった。親ですら僕らを捨てて逃げた。恋人にしようとした白柳弓ですら心の底から信じようとしたことはなかった。信じられる人間なんて、妹の歩未しかいなかった。

 そんな僕が……誰かを信じる?こいつを、こいつ等を信じていいのか?

 そんな疑念をまだ完全には払えなかった。

 すると、ココアと言い争っている間に、いつの間にか結構時間が経っていたようで、もう日が沈み、外は暗くなり始めていた。

 

「あれ、嘘!?いつの間にか真っ暗だ!チノちゃん怒ってるかも。ほら、帰ろ有宇くん」

 

 そう何もなかったかのようにココアは笑顔で有宇の手を取り、二人は帰路に就いた。

 話は途中で中断され、結局答えは出せず終いとなってしまった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ラビットハウスに帰るとマスターが出迎えてくれていた。どうやらバーの準備をしているようだった。

 マスターに挨拶すると、そのまま二人で二階にあがり、二階のキッチンへ行くと、チノが料理をしていた。そしてココアがチノに声をかける。

 

「ただいまチノちゃん」

 

「おかえりなさい、遅かったですねお二人とも。何かあったんですか?」

 

「ううん、ちょっと色々回ってたら遅くなっちゃった」

 

「はぁ、まぁココアさんが一緒の時点で大体想像してましたが」

 

「え〜それどういうこと」

 

 いつものようにチノはココアに毒づくと、今度は僕の方を見て言う。

 

「乙坂さんも、ココアさんにあちこち連れ回されてお疲れだと思いましたので、夕飯はもうこちらで作ってあります。お二人とも手を洗ってお皿の準備とかをお願いします」

 

「ああ……ありがとうチノ」

 

「? いえ、どういたしまして」

 

 そしてココアが僕の手を取る。

 

「じゃあ手洗いにいこっか有宇くん」

 

「ああ……」

 

 そのままココアに手を引かれたまま、手を洗いに洗面所へ行った。

 

 

 

 いつも夕食は適当に二人の会話に相槌を打ちながら食べてるのだが、この日の夕食は正直どう接すればいいのかわからず黙って食事に手を付けていた。

 もっともココアはいつものようにしゃべりっぱなしで、今日の事をチノに話していた。

 しかし僕との言い争い(ほとんど一方的に僕が突っかかってただけだが)のことに関しては一切触れていなかった。一応こいつなりに気を使ったのだろうか。

 チノも僕の様子がいつもと様子が違うことを知ってか知らずか、とくに僕に話を振るようなことはしてこなかった。

 そして食事が終わり風呂に入るとすぐに部屋に戻った。

 風呂の時にココアが僕に風呂が空いたことを言いに来たが、その時も特に何もなかったかのように、普段と変わらない様子だった。まるで今日のことを気にしてるのが僕だけみたいだ。

 そしてベッドに尻をつき、改めて考え込む。

 さて、これからどうするか。正直これからもこのまま猫被っていける気はしないし、かといって素の自分を出したところで……。

 そう思ったところでココアの言った言葉が頭を()ぎる。

 

『私は有宇くんを信じる。だから有宇くんもみんなを信じて欲しいな』

 

 信じる……か。なら僕は────

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 朝、いつものようにマスターと二人の弁当と朝食を作っていた。

 まだここにきて一週間程だが、大分料理には慣れてきた気がする。目玉焼きも形を崩さないように出来るようになった。マスターとチノの教え方がいいのかもしれない。

 朝食ができる少し前にチノは起きてきたが、あいつはいつも通りまだ寝ているようだ。

 朝食を作り終えると、チノは朝食を食べ始めた。しかしまだあいつは起きてくる気配はない。

 

「ココアさん、起きてきませんね。後で起こしに行かないと」

 

「いや、いいよ、僕が起こしに行くから」

 

「えっ?ですがココアさん簡単に起きませんよ」

 

「その時はその時だ」

 

 そう言って有宇はココアを起こしに、階段を駆け上がっていった。

 

「乙坂さん、なんかいつもと雰囲気が違うような……?」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「すぴーすぴー」

 

 ココアの部屋に入ると、ココアは見事に爆睡していた。

 一応体を揺すってみるが起きる様子はない。

 

「パンが焼けたらラッパで知らせてね……zzz」

 

 またその寝言かよ!

 くそ、昨日は色々考えてて眠れなかったせいで寝不足だっていうのにこの女……ぶん殴ってやりたい。

 すると机の上にふと目が行く。そこにはピンクの音楽プレイヤーが置いてあった。

 こいつ、音楽とか聞くのか。

 どんな曲が入ってるのかと見てみると、最近流行りの曲とか、アニメの曲とかなんか色々入ってた。

 

「なんか色々入ってんな。あっこれ確か歩未の好きなアイドルの曲だったよな」

 

 確かハロハロとかいったっけ?よく知らないけど。

 そんな感じで見てると、ふとココアを起こすいい方法を思いついた。

 まずはココアの耳にヘッドホンを当て、それからヘッドホンを音楽プレイヤーに繋ぐ。そしたら音量を最大に設定して、あとは最後にこいつを鳴らせばいいだけだ。

 最も以前なら僕のイメージを崩してしまうのでこんな起こし方はできなかったのだが……。

 

「まっ、素でいろって言ったのはお前だしな」

 

 音楽プレイヤーのスイッチを入れる。

 するとこっちにも聞こえるぐらいの大音量でラッパの音が鳴る。

 

「ヴェアアアア!!何!?何なのー!?」

 

「起きたか、望み通りラッパで知らせてやったぞ」 

 

 つかヴェアアアアってすげぇ声だな……。

 

「え……有宇くん?」

 

「ああ、そうだよ。ほら、さっさと起きろよ、遅刻するぞ」

 

 するとしばらく目をぱちくりさせた後、ココアはフフッと笑い出した。

 

「何がおかしいんだよ」

 

「ううん、何でもない」

 

「? まぁいいや、さっさと着替えて降りてこい」

 

「はぁ〜い♪」

 

「……ったく」

 

 そう言うと有宇はココアの部屋を出た。

 別に僕はこいつの言葉を鵜呑みしたわけじゃない。でもどうせもう本性も知られたことだし、もう上辺を繕う必要はないと思っただけだ。

 でも何故だろう。この日はなんだかいつもより気分が清々しく感じられた。



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第6話、やさしさひとかけら

メグちゃんのセリフが一部半角になっておりますが、意図してやってますので気にしないでください。読みにくかったらすみません。


 朝、いつものように朝食の準備を終え、チノも既に起きてきており席についている。だというのに未だにあいつが起きてくる気配が一向にない。

 仕方ないと有宇は席を立ち、三階のココアの部屋へと赴いた。

 ココアに街を案内されてから数日、有宇は素を隠すことなく普通に過ごすようにした。それに伴い朝のココアの起こし方も変えた。

 耳元で大きな音をたてたり、思い切り額にデコピンをしたりと、多少強引な起こし方に変えたのだ。普通に揺すったり声かけたりしてもあいつ起きないからな。

 それに、街での一件以来、僕の素顔はココアに知られてしまったわけで、僕が作り上げた悲劇の美少年像は崩れてしまったしな。だから、もう前みたいにわざわざ気を使う必要もなくなったしな。

 そうして無理矢理にでも叩き起こす方法に変えたのだが、あの女は懲りることなく、朝寝坊しまくってる。

 それで今日もまた、いつものようにココアを起こしに行ったのである。

 

「おいココア、起きろ」

 

 ココアの部屋の前に来ると、有宇はどうせ起きてないだろうとノックもなしに部屋に入る。

 部屋に入ってみると、もう既にココアは起きており、すぐ目の前に立っていた。もっとも、目の前にいたココアの姿はいつもの寝間着姿ではなく、ピンクの下着姿だった。

 

「……え?」

 

「うおっ!?」

 

 ココアが着替え中だったと知ると、有宇は慌ててすぐにドアを閉め部屋を出た。

 

「ゆっ有宇くん!?」

 

「おっ、お前なんで起きてんだよ!?」

 

「私だっていつも寝坊助じゃないもん!」

 

「いや、僕がここに来てから一度も自分から起きてるところ見たことないんだが……」

 

「だって春は暖かくてついつい」

 

「ついついってな……」

 

 扉越しでも、あいつがヘラヘラ笑ってるのがわかる。

 ったく、起こすこっちの身にもなれってもんだ。

 

「そっ、そもそも、有宇くんがいつも意地悪な起こし方するから怖くて目がさめちゃったんだよ!」

 

「人のせいにすんな!そもそも普通に起こしたら起きないだろお前!つか自分で起きろ!」

 

「う〜ん、あっ、じゃあチノちゃんみたいにお姉ちゃんって……」

 

「誰が呼ぶか」

 

「え〜」

 

「はぁ、とにかく起きたならさっさと着替えて降りてこい、チノはもう食べてるぞ」

 

「はぁ〜い」

 

 ココアの返事を聞いて、有宇はそのまま下に降りていった。

 ったく、朝から忙しないったらありゃしない。まぁ、これからは自分で起きてくれるというならそれに超したことはないがな。

 ……にしてもあいつ、意外に結構スタイルいいんだな。

 普段は決して見ることのない、ピンクの下着姿に身を包んだココアを思い出し、ふとそんなことを思う有宇であった。

 

 

 

 ココア達を送り出した後はいつも通りマスターと仕事をする。喫茶店の仕事にも慣れてきたもので、接客からレジ打ち、軽い料理や洗い物、もう大分手慣れたものだ。

 そして時間はあっという間に過ぎていき、ココア達が帰ってくる時間になる。

 普段はココア達が帰って来るまでの間が普段の有宇のシフトなのだが、いつもと違い今日は午後にもシフトが入ってる。つまり今日はココア達と働くことになっている。

 先週もそうだったが、わざわざ僕が午後に入らなくても、ココア・チノ・リゼの三人がいるわけだし非効率的じゃないのかと以前からマスターに言ってるのだが、その辺は気にするなの一点張りで聞き入れてはもらえなかった。

 こちらとしては寧ろ働きたくないのだが、店主であるマスターには逆らえないし、それに今後のためにも少しでも金は欲しいので渋々了承する。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「……」

 

 授業を終え、いつものようにラビットハウスにバイトとしてやって来たリゼは、着替えて戻ってくるや否や、呆然とじーっと有宇を見つめる。

 

「んだよ、なにジロジロ見てんだよ」

 

「いや……お前、この前とキャラ違いすぎだろ」

 

 数日ぶりに会った有宇の態度が、この前と明らかに違っていた。

 この前までの有宇は丁寧な口調、柔らかな物腰の好青年といった感じであった。しかし、今の有宇からはそんな様子の欠片も感じられなかったのだ。

 リセはそんな有宇の態度の豹変にただただ驚いた。

 

「有宇が変わったとは聞いていたが、ここまで変わるとは思わなかったぞ」

 

「本当にすごい変わりようね」

 

「ちょっとびっくりね」

 

 因みに何故か今日は、ここのバイトではない千夜とシャロも来ていた。そして、皆有宇の突然の豹変に驚きを隠せなかった。

 しかしそんな中、ココアだけはこう言った。

 

「えへへ、でもこっちの有宇くんの方が私は好きだな〜」

 

「いや、まぁ素直でいることに越したことはないんだろうけど……」

 

 そう言うと、リゼが何か言いたそうな眼で有宇を見つめる。

 

「何だその何か言いたげな目は。言っておくが僕なんかよりお前らの方がよっぽど人間性に問題があると思うぞ。正直僕から見てこの中でまともなのって、チノとシャロぐらいだろ」

 

「……本当にこの前と同じ人間とは思えないな」

 

 有宇がリゼに毒づくと、シャロが(いき)り立って有宇に突っかかる。

 

「ちょっとあんた、リゼ先輩に失礼じゃない!リゼ先輩はかっよくて頼りになるし、あんたなんかよりよっぽどまともよ!」

 

「ちょっ、シャロ!?褒めすぎだって!」

 

 なんだ、やけにリゼのことを庇うな。

 友達を馬鹿にされたから怒ったのかと思えばそういうわけでもなさそうだしな。

 リゼを過剰に庇うシャロの態度に、有宇は疑念を抱く。

 そういや以前も僕に好意を持ってるわけでもなさそうなのに、好きな人を聞いたりしてたっけ。

 ……なるほど、そういうことか。

 

「もしかしてお前、リゼのことが好きなのか?」

 

 そう訊くとシャロの顔は真っ赤になり、図星だったのか慌て始めた。

 

「あらあら〜♪」

 

 そして何故か傍らで千夜がニコニコしていた。

 

「な、何言ってんのよ!そりゃリゼ先輩は憧れの先輩だけど……べ、別にそういうのじゃないから!」

 

 こういうのって百合って言うんだっけか。

 てっきり普通の女子だとばかりに思ったのに、性癖の方に問題があったとは……。

 まぁうさぎ恐怖症だったりカフェイン酔いするとかなんとかで前々から変なところはあったけどな。

 

「はぁ、これでまともなのはチノだけか……」

 

「はぁ!?どういうことよそれ!?」

 

「そのまんまの意味だ」

 

「はぁ!?なんなのよもう!!」

 

 そんな感じで有宇とシャロがひと悶着している間に、リゼがずっと黙って様子を見ているチノに話しかける。

 

「……なぁチノ、こんな調子で一緒に暮らしてて大丈夫か?」

 

「はい、ココアさんに対しては以前より厳しくなりましたけど、そのおかげでココアさんが朝ちゃんと起きるようになったりしましたし、仕事も依然真面目にやってくださってますし、私としては特にこれといった問題はありませんよ」

 

「ちょっ、チノちゃん!?」

 

「そうか、ならいいけどさ。というかココアは二人より年上なんだからもうちょっとしっかりした方がいいぞ」

 

 すると姉としての威厳を傷つけられたのか、ココアが反論する。

 

「でもでも、有宇くん朝起こす時に、耳元で大っきな音鳴らしたり、おでこに思いっ切りデコピンしたりするんだよ」

 

「いや、お前がちゃんと起きればいい話だろ。前からチノが頭悩ませてたぞ、ココアがなかなか起きないって」

 

「うっ……!確かにそうだけど。でもでも今日はちゃんといつもより早く起きたもん!あっ……//」

 

 すると何故か急にココアは顔を赤らめる。

 その様子に周りは首を傾げる。しかしその中で千夜だけが事情を知ってるのか、ニコニコとしている。

 

「あっそれ今朝話してたことよね。確か有宇くんに着替えみられちゃったのよね」

 

「「「え!?」」」

 

 千夜のそのセリフによってその場の空気が凍りつき、一気に皆の視線が有宇に集まる。

 周りの視線が痛い……。まずい、誤解を解かねば。

 

「いやいや誤解だって!そりゃ僕もノックせずに入ったのは悪かったけど、いつもみたいにまだ寝てると思ってたから。それにすぐドア閉めたからそんな見てないから!」

 

 今ので誤解を説いて貰えればいいのだがと有宇が思っていると、一応皆今の弁解でそれなりに事情を察してくれたようだが、リゼがこう言う。

 

「まぁ、そんなことだろうとは思ったけど、女子の部屋に入るんだからノックぐらいしろよ」

 

「確かにそうだが、ココアはノックせずに僕の部屋に入ってくるのに理不尽だろ……」

 

 しかし有宇のそんなささやかな反論は無視され、リゼが再びチノに聞く。

 

「で、チノはなんか有宇に意地悪されたりしてないか?」

 

「おい」

 

 本人を前にしてそんなこと聞くなよ。別に気にしないが。

 

「いえ、別に特に何もありませんが」

 

「そうか……」

 

 するとリゼはしばらく考え込み、有宇に向き直ると、何か言いにくそうにこちらを見る。

 

「ん、なんだよ」

 

「いや、その……有宇、気を悪くしないで聞いてほしいんだけど、お前ロリコンとかじゃ……」

 

「違う」

 

 有宇は即座に否定した。

 

「あのなあ、単にチノはココアみたいに問題も起こさないし、唯一まともに話せる相手だから普通に接してるってだけで、別に幼女趣味はない!」

 

 有宇はそのまま更にノンストップで続ける。

 

「そもそも小学生を恋愛対象に入れるわけ無いだろ。僕はお前らと違って常識ぐらい(わきま)えてる」

 

 ピキーン

 

 なぜかまたその場の空気が凍りついた。

 

「ゆ、有宇くん……」

 

「なんだよ、なんか文句でもあんのか」

 

「文句っていうか……えっとね、チノちゃん今年で中学三年生なんだけど……」

 

「えっ……?」

 

 それを聞いて一瞬思考停止する。

 最初言ってる意味がわからなかったが、それからすぐに理解する。

 

「はぁぁぁぁぁ!?」

 

 衝撃の事実に驚きを隠せず、有宇は思わず声を上げた。

 

「嘘だろ!?ていうか僕と一つ違い!?」

 

 そして同時に、自分がさっき、おそらく言ってはいけないことを言ってしまったことを理解した。

 恐る恐るチノの方を見ると……。

 

「……いいんです、どうせココアさん達と違って成長も遅いですし……」

 

 いつの間にか端の方に移動しており、腕にここで飼われている毛玉うさぎ、ティッピーを抱えて一人でぶつぶつと話しかけていた。どうやら幼く見られたことが相当ショックだったようだ。

 周りの視線が痛い……なんとか弁明を図らねば。

 

「いやいやいや、だって学校の制服があんなだし、てっきり小学生だと……」

 

 正直チノのあの制服を見て最初は幼稚園の服のようなデザインだなと思ったのだが、流石にそこまで幼くはないだろうし、小学生ぐらいだろうと勝手に思っていたのだ。

 すると、リゼが尋ねる。

 

「ていうかちゃんと自己紹介しなかったのかよ」

 

「いや、素がバレないよう必要最低限の会話しかしなかったしな……。確か自己紹介のときもマスターの娘ってことぐらいしか聞いてない……」

 

「チノもチノでちゃんと話さなかったのは悪いけど、お前がちゃんとコミュニケーション取ろうとしなかったツケだな」

 

 その意見はもっともだが、今まで女にいい顔してたとはいえ、ろくに顔も名前も積極的に覚えようとしたことはなかったし、興味もなかったからそこまで聞こうとも思わなかったんだ。だから僕は悪くない。

 しかし有宇のそんな言い分も通じるわけなく、ココアが有宇に言う。

 

「とにかく有宇くん、ちゃんとチノちゃんに謝って!」

 

 まぁこの場を収めるためにはそれが一番手っ取り早いだろうな。

 年下に頭を下げるのは正直癪なんだが仕方がない。

 

「えっと……チノ、悪かったな」

 

 しかしチノはこちらを見向きもせず、毛玉うさぎを撫でながら答える。

 

「いえ……いいんです、私が小学生と間違われるくらいの見かけなのが悪いわけですし……」

 

 だめだ、すっかりへそを曲げてしまってる。

 しかし僕に怒ってるというよりは、自分の容姿が改めて幼く見えることを再認識してショックを隠せないといった感じだろうか。

 するとリゼが有宇の肩をポンと叩き、慰みの言葉をかける。

 

「まぁ、放っとけば機嫌治すだろ。そう気を落とすな」

 

「いや、別に落ち込んではないけどな……」

 

 ただ悪いことしたなと流石の有宇も少し反省した。

 ていうかリゼ、お前のせいでもあるんだけどな。こいつも何気にチノをロリ扱いしてたし……。

 

 

 

 その後、千夜とシャロはバイトがあるからと各々帰っていき、残った四人で仕事を始めた。

 

 カラーン

 

 ドアに掛けられたベルが鳴り、客が入る。

 客は女子高生二人で、有宇はさっそく応対する。

 

「いらっしゃいませ、お客様二名様でよろしいですか?」

 

「あっはい……//」

 

「それではお席にご案内致します」

 

 客二人を席に案内すると、二人にメニュー表を渡す。

 

「ご注文がお決まりになりましたらお声掛けください」

 

「はっはい……//」

 

 有宇が去った後、「あの店員さんかっこいいね」とか、「結構好みかも」とか女子高生達が話しているのが聞こえる。

 そんな様子を見てリゼが言う。

 

「お前、客相手だとああなんだな」

 

「あっ?前からそうだっただろ」

 

「いや、以前のお前だったら違和感なかったけど、今のお前だと違和感しかないんだが」

 

「知るか、文句があるならココアに言え。それに、これで客が僕目当てにリピーターになってくれれば客もこの店も幸せになれるだろ?まさしく幸せスパイラルじゃないか」

 

「幸せスパイラルって……。まぁ確かにそうなんだけど、なんか複雑な気持ちだ……」

 

 すると先程の客がメニューを決めたようで、こちらに呼びかける。

 

「すいません、注文いいですか?」

 

「はい、只今参ります」

 

 するとさっきまでゲスいことを言っていたはずの有宇は、リゼと話していたときとは打って変わって、笑顔で紳士的な態度で接客を始めた。

 

「リゼさん、チノ、キリマンジャロとオリジナルブレンドお願いします」

 

「……かしこまりました」

 

 さっきまで呼び捨てで呼んでいたくせに、なんて変わりようだ。リゼはそんな不満を押し留めながらも仕事に集中した。

 接客時と普段とのギャップはあったものの、有宇は仕事はちゃんと真面目にこなしていた。三人もまた、そんな有宇のギャップに戸惑いはしたものの、特に問題なくこの日は仕事を終える事ができた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 次の日の午後、有宇がシフトを終えココア達が働く時間のラビットハウス────

 

「なぁチノ、有宇とは仲直りしたか?」

 

 リゼは昨日のこともあり、一応機嫌は治ったかチノに尋ねた。

 

「な、仲直りって……!別に初めから怒ってません!……ですが小学生だと思われてたのはちょっとショックでした……」

 

 ココアの話だと今朝も牛乳をたくさん飲んでいたというし、小学生と思われていたことがかなりショックだったらしい。

 

「まぁそれならいいけど、結局お前らちゃんと一緒に生活できてるのか?有宇のことだけど、仕事は……まぁ一応ちゃんとしてるけど、正直あまりいい性格してるとは思えないぞ」

 

 実際皆の有宇の印象は、最初の頃よりも印象が一気に悪くなった。

 皆のことを変人扱いし、早速シャロが有宇と言い争いになったりと、これで印象が良くなるはずなかった。

 しかしココアが自信満々にこう言う。

 

「大丈夫だよ、きっとその内有宇くんのいいところも見つかるよ」

 

「あれを見てよくそんなこと言えるな?」

 

「リゼちゃん、何事も信じる気持ちだよ!それに上辺だけでも優しくできるんだし、きっと有宇くんにもどこか優しいところがあるはずだよ」

 

「いや、そうとは限らないだろ……にしてもまぁ、お前はいつも前向きだな」

 

 ココアの言ってることはただの綺麗事だ。有宇が本当にそんな人間だという保証なんてどこにもない。

 けど何故か、ココアが言うと本当にそう思えるのだから不思議なもんだよな。

 

「それがココアさんの数少ない良いところですからね」

 

「えへへ、チノちゃんに褒められちゃった」

 

「いや、別に褒められてはないと思うぞ」

 

「えっ!?」

 

 リゼはとりあえずココアがそう言うので、有宇のことは再びしばらく様子を見ることにした。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 それから数日後の土曜日、この日は仕事がなかったので、有宇は久しぶりに外に出かけた。

 最も外に出てもやることはないので、家にいる方がよっぽど堅実的なのだが、家にいるとココア達がうるさいので外に出ることにした。

 幸いにも午前中はココアはシフトが入ってたので、あいつが仕事をしている間に出かけてきた。多分シフトが終わると途端にダル絡みされること間違いないしな。外に出て正解だろう。

 しかし本当にやることがなく、結局は広場のベンチに座り、持ってきた本を読むことしかできなかった。

 ちなみに今読んでいる本は、ココアがこの前貸してくれたものだ。何でも去年映画化された作品で、ココアが勧めた割になかなか読み応えがあった。

 途中、正午も過ぎた頃、腹が減ったので、シャロが働いてるというフルールとかいう喫茶店で昼食をとってみたが、シャロはいなかった。

 まあ、聞いた話だとここ以外にもバイトを幾つも掛け持ちしているらしいし、別に会いに来たわけでもないので構わないのだが。それに会ったところで喧嘩になること間違いないしな。会わないほうがむしろいいだろう。

 店自体はハーブティーメインの喫茶店で、ケーキも美味しく、ハーブティーも店員が色々教えてくれたりしてくれたので、ハーブに詳しくなくても十分に楽しむことができる中々いい店だと思う。

 昼食を食べ終え店を出ると、有宇は再び広場のベンチに戻り本を読み始めた。

 本を読んでいると、鳥の声や子供の声が聞こえる。さっきは子供二人が「待てー!」と言いながら犬を追いかけていた。

 この街の穏やかな雰囲気の中でこうしてゆっくりするのは、とても心地が良く心が安らいだ。東京の喧騒の中ではこの雰囲気は味わえないだろうしな。

 そういえば元々この街の雰囲気を気に入ったから、ここに興味を持ったんだっけか。ここのところ仕事がずっと忙しかったし、他にも色々あったしな……たまにはこうしてゆっくり過ごすのも悪くない。

 そうして街の雰囲気に心を和ませながら本を読んでいると、先程犬を追いかけ回していた子供二人が有宇の元にやって来た。そして、二人の内の一人、おさげ髪の少女が声をかける。

 

「すみません、この辺に腕時計とか落ちてませんでしたか……ゼイゼイ」

 

 おさげの少女は走ってきたせいなのか、息を切らしていた。そしてもう一人の短髪の活発そうな少女も有宇に尋ねた。

 

「犬が咥えて持ってちゃって、どっかいっちゃったんだけど兄ちゃん見てない?」

 

「いや、見てないが」

 

 因みに女性相手には素を隠し、紳士に応対する有宇だが、子供相手には素のままで接する。

 理由は単純で、子供にカッコつけても仕方ないし意味もないからだ。

 

「ソウデスカ……」

 

「う〜ん、どうしよう……」

 

 どうやらこの二人のどっちかが腕時計を落として、二人で探しているようだ。

 犬が咥えて持ってったとか言ってたが、まぁ落とした時計を犬が持ってったとかそんなとこだろう。別に犬と遊んでいたわけではなかったようだな。

 しかしそれが何だというのだ。そんなこと僕には関係ないし、一緒に探してとか面倒くさいことを言われる前に、この場はさっさと立ち去るに限る。

 そして有宇は読んでいた本を閉じ、ベンチから立ち上がった。

 

「じゃあ僕は行くから」

 

「アッ、ハイ……どうもすみませんでした」

 

 このまま立ち去れる……と思ったが、短髪の方の少女が不満そうに言う。

 

「え〜一緒に探してくれないの〜」

 

 そら来た。確かに暇はしていたが、なぜ僕がわざわざお前らの失くし物を一緒に探さなくちゃならないんだ。

 何か言ってやろうと思ったが、もう一人のおさげの方のガキが、短髪の方のガキを(たしな)める。

 

「マヤちゃん、知らない人に無理言っちゃだめだよ」

 

「でもメグ……」

 

 どうやらこっちのメグと呼ばれるおさげの方のガキはある程度常識があるようだ。

 そしてメグと呼ばれる少女が有宇に頭を下げる。

 

「スミマセンお兄さん、大丈夫なので気にしないでください」

 

 本当は大丈夫そうじゃないのはバレバレなのだが、そんなの知ったことじゃない。僕には関係ないしな。

 そうして有宇は、さっさとその場から立ち去ろうと困る二人に背を向け歩き出した。

 すると後ろの二人の会話が微かに聞こえる。

 

「どうしよっかマヤちゃん、全然見つからないね……」

 

「う〜ん、メグはもう帰っていいよ。元々私の不注意だし」

 

「でもマヤちゃん……大事にしてたんでしょ?」

 

「うん……でももういいよ、私はもう少し探してみるけど多分もう見つかんないし……」

 

 どうやら失くした腕時計はマヤと呼ばれている方の少女の持ち物だったようだ。

 まぁだからどうしたというんだ、ちゃんと管理しなかったお前が悪い。大体助ける義理もないしな。

 

「でもお兄さんから貰った時計なんでしょ? そんな大事なもの諦めちゃだめだよ!」

 

 メグがそう口にした瞬間、有宇は足を止めた。

 

「ううん、別にそんな大したもんじゃないよ。さっきも言ったけど兄貴がなんかこの前新しい腕時計買ったから、それで前使ってたやつをくれたおさがりだし。別にそんな大事なやつじゃないよ……」

 

「デモ……」

 

 振り返ってマヤの顔を見る。

 笑ってはいるが、おそらく虚勢を張っているだけだ。本当は兄からのプレゼントは嬉しかったのだろう。だけど友達に迷惑をかけたくないから諦めるといったとこか。

 

『有宇お兄ちゃん、お誕生日おめでとうなのです!』

 

 ふと昔の記憶が蘇る。

 そういや歩未も毎年、欠かさず僕の誕生日を祝ってくれたな。少ない月の小遣いで、僕にプレゼントをくれたっけ。

 最も歩未のプレゼントはどこかズレていて、僕の気に入るような物ではないことが殆どなのだが、どんなものでも歩未から貰えるというだけで十分嬉しかったな……。

 実際家を離れた今も、歩未から貰ったプレゼントの中で唯一気に入ったのを一つ持ってきている。それを失くすなんてことは考えたくもない。

 それはあのマヤとかいうガキも同じなんだろう。兄から貰ったから大事なのかまでは分からないが、兄のことを全く思ってないわけではないだろう。

 すると有宇は、自分でもわざわざ厄介事に関わりに行くなんて馬鹿げてると思っていたはずなのに、気づけばマヤとメグの前に再び戻って来ていた。

 

「んっ?さっきの兄ちゃんどうしたの?」

 

「あーえっと、一緒に探してやるよ」

 

「「え!?」」

 

 二人は有宇の言葉に声を合わせて驚いた。

 

「本当に探してくれんの?」

 

「勘違いするな、帰っても暇なだけだから、暇つぶしにちょうどよさそうと思ったからだ」

 

 それを聞くと、マヤと呼ばれる方の少女がケタケタと笑い出した。

 

「あはは、兄ちゃんツンデレだね~」

 

 イラッ

 

 マヤの言葉に軽くイラついた有宇は、マヤの頬を両手で掴み、思い切り引っ張る。

 

「このクソガキ、舐めた口利けないようにしてやろうか」

 

「イタイイタイ、ゴメン、ごめんてば~」

 

 マヤの頬から手を離す。痛そうに頬をさすっているが自業自得だ。

 

「……ったく、それで、腕時計を失くした経緯について詳しく聞かせろ。腕時計なんてそうそう失くすもんでもないだろ。犬に取られたとか言ってたが……」

 

「うん、そうそう。えっとね……」

 

 そしてマヤは腕時計を失くした経緯について語り始めた。

 

「メグと一緒に外で遊んでて、それでメグに昨日兄貴からもらった腕時計を自慢してて……」

 

 メグもマヤの説明に付け足すように入ってくる。

 

「うん、それでマヤちゃんが私にもつけさせてくれるって言って外したら……」

 

「犬が急に走ってきて、メグに渡そうとしたところを咥えて取ってっちゃったんだよ」

 

 なるほど、腕時計を外したところを、犬に持って行かれたわけか。

 

「それで、犬を見失ったのか?」

 

「いえ、ワンちゃんはすぐに見つかったんですけど……」

 

「けど?」

 

「見つけたときにはもう腕時計を持ってなかったんだよ。だから今探してるんだけど見つからなくて……」

 

「犬の飼い主はどうした?まさか野良じゃないだろ」

 

 そこら中に野良うさぎがいるこの街だが、野良犬までは流石に蔓延(はびこ)ってはいないだろう。

 

「うん、もちろん野良じゃなかったよ。でも飼い主の人も犬が戻ってきた時にはもう咥えてなかったって」

 

「それでワンちゃんの飼い主さんも、今向こうの方で探してくれてるんです」

 

「そうか……道中は(くま)なく探したんだよな?」

 

「うん、途中で落とすかもって思って、途中で落とさないかちゃんと見ながら追いかけてたし、飼い主の人のとこに着いたあとも来た道戻って落としてないかちゃんと確認したよ。でも見つかんなかったんだよね」

 

「そうか……」

 

 有宇はそれを聞いてその場で考え込んだ。

 こいつ等は犬をすぐ見つけたと言った。すぐ見つけたということは、こいつらが犬を追っていったルートを犬も走っていったはずだし、他のところに犬が寄り道していた可能性はないとも言いきれないかもしれないが、可能性としては低いだろう。

 それでいて飼い主の元に戻るまでの間、犬が時計を落とさないかチェックまでしていた。だが犬は腕時計を持ってなかったと飼い主は言ったわけだ。

 ……それっておかしくないか?

 いや、確かにこいつらがどこまでちゃんとチェックして探していたかはわからないからなんともいえんが、もしこいつらの言ってる事が全くもってその通りなのだとしたら、それはおかしいだろう。

 もし犬が飼い主のところに戻る道中で腕時計を落としていたのなら、そのすぐ後を追っていったこいつ等が見つけている筈だ。

 指輪とか小さいものならならまだしも腕時計ほどの大きさなら、ましてちゃんと犬のすぐ後ろを追っていたのなら、道に落とした時点で気付けたはずだ。

 なのに飼い主は腕時計はなかったと言った、それはつまり……。

 

「……腕時計がどこにあるかわかった」

 

「えっ本当!?」

 

「お兄さんすごい!」

 

「……多分」

 

「多分かよ!」

 

 いや、流石に百パーセントとは言い切れないけど。

 犬が落とした時計を見知らぬ第三者が拾ってしまった可能性もある。百パーセント僕の持論が正しいとは言いきれない。だが、仮に僕の答えが間違っていようとも、時計を取り返すことはできるはずだ。

 すると有宇は、そういえばと疑問に思ったことを尋ねてみた。

 

「一応訊くがお前ら、飼い主が持ってるとは疑ったりしなかったのか?」

 

 いくら飼い主が無いと言っても、少しは飼い主がパクる可能性を普通の人間なら考えるはずだ。

 だがそれを聞くと、二人は不思議そうな顔をしている。

 

「えっなんで?」

 

「飼い主さん、持ってないって言ってましたよ?」

 

 二人の答えを聞いて、有宇は「まじかよ……」と呆れ果てた。

 

「……はぁ」

 

「え?何そのため息」

 

「いや別に……」

 

 ココアといいこいつ等といい、純粋というか何というか……なんだ、この街の人間は人を疑うということを知らないのか?

 それから有宇は二人に人差し指を向け、言い放った。

 

「いいかお前ら、今から人間ってやつがどれだけ信用ならないか見せてやる」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 その後マヤとメグに連れられ、広場を抜けたところにある川の上にかかる橋のところまで来ると、橋の上に犬の飼い主はいた。

 見た目は僕と違い平凡な顔をしていて、歳は僕と同じくらいだろうか?見た感じ特別悪そうな奴ではない。

 男は有宇達に気づくと声をかけてきた。

 

「あっ君たち、時計は見つかったかな……?」

 

「えっと、まだ見つかりません……」

 

 メグがそう答えると、男は「そうか……」と言って肩を落とす。

 

「本当にすまない、うちの犬のせいで……」

 

「ううん、別に気にしてないって。犬がやったことだもん、仕方ないよ」

 

 マヤがそう答えると、男の目線は有宇に向けられる。

 

「ところでそこの彼は?」

 

「えっとね、助っ人。名前はえっと……そういえばなんだっけ?」

 

 そういや名乗ってなかったな。この前チノのことがあったばかりだっていうのに。

 

「乙坂だ。乙坂有宇」

 

「そうそう、有宇にぃ」

 

 有宇にぃって……。

 歩未以外に兄と呼ばれるのに若干の歯痒さを感じた。

 すると男は申し訳なさそうに言う。

 

「そうか、君も悪いね、俺のせいで迷惑かけちゃって……」

 

 僕が言うのもアレだが、いかにも善人面しやがって。

 

「ああ、全くだ。飼い犬の世話ぐらいちゃんとしろよな」

 

「ちょ、有宇にぃ!?」

 

 マヤが止めようとするが、それを手で制する。

 

(いいから黙って見てろ)

 

 すると飼い主は依然として申し訳なさそうに言う。

 

「いや、本当にそのとおりだ。申し訳ない」

 

 しかしそんな態度を装ったところで、僕には通用しない。僕の予想通りなら、こいつは善人の皮を被ったコソ泥で、決して人の良い男などではない。今からそれを暴いてやる。

 そして有宇は目を細め、声に少しドスを利かせて、男を責め立てるように言う。

 

「へぇ、本当に悪いって思ってんならさ、当然弁償とかはするんだろ?」

 

「えっ!?」

 

 それを聞くと、男の顔が引きつる。

 

「当然だろ。あんたの犬のせいでこの子は大事な物を失くしたわけだ。腕時計なんて安いもんでもないんだし、飼い主が弁償するってのが筋だろ」

 

「いや、確かにその通りかもしれないけど……でも今お金がなくて……」

 

「あんた、歳は僕と同じくらいだよな。なら親にでも泣きつけばいいだろ。元々犬のせいなんだし、別にあんたが怒られることはないだろ」

 

「それは……」

 

 ここでこのまま親に弁償させれば、この件はお互い損することなく片付く。

 だが男は黙りこんだ。おそらくそれは、時計を盗んだ罪悪感から素直に頷けないのだろう。

 そう、腕時計はこの男が盗ったのだ。僕はそう睨んでる。まぁ、特に証拠とかはないんだけどな。

 だが仮に違ったとしても、このままこの男に弁償させればことはそれで済むしな。まぁ、その場合『兄貴』の腕時計は取り返せないことになるが、そうなったら仕方がないとマヤには諦めてもらおう。

 さて、それじゃあ鎌をかけてみるか。

 

「まぁ、別に時計がちゃんと見つかれば、こっちも文句はないんだけどな……?」

 

 そう言うと一瞬、男の視線が男の持つ犬のフンを入れるビニール袋に向いた。

 そこか!!

 その瞬間、有宇は自分の持つ特殊な力を使った。

 有宇は視界に入った対象一人に五秒間乗り移ることのできるという不思議な力を持っている。俗に言う超能力というものだ。その力を使い、有宇は男に乗り移ったのだ。

 そして男に乗り移った有宇は腕にかけられているビニール袋の中に手を入れる。すると中には(フン)は入っていなかった。代わりにシャベルともう一つ、硬い感触があった。

 それを手にすると、それをマヤとメグに見えるように取り出した。そこには今まで捜していたものが見えるはずだ。

 

「あっ、私の腕時計!!」

 

「エーどうして!?」

 

 まぁ、ざっとこんなもんか。

 五秒経って意識が自分の体の中に戻る。

 

「いてっ……クソッ、またか」

 

 意識が自分の体に戻ると、有宇の体はうつ伏せの状態で横たわっていた。

 この能力、使うと自分の体が一切コントロールできなくなるから、体が無防備になるのは勿論のこと、立つ力を失った体はそのまま力なく倒れてしまうのだ。それで怪我してることも多い。

 

「あれ……今意識が……あれ!?ええっ!?嘘っ!?なんで!?」

 

 一方、意識を取り戻した男は驚いていた。

 まぁ自分の知らない間に自分の体が勝手に動いていたわけだし当然か。

 正直この忌まわしい力はカンニングがバレたあのとき以来、二度と使うもんかと思っていたのだが、まさかこんなところで再び使うことになるとはな。

 本当だったら場所を把握して、そこから素早くひったくるだけでよかったのだが、腕にかけている袋の中にあったため、素早くひったくれそうになかったのでこの方法を取った。

 ……あと、万が一僕の予想が外れてフンが入っていたら自分の手で取り出したくなかったというのもある。

 そらから有宇は男を問い詰めた。

 

「で、その腕時計はなんだ。見つからなかったんじゃないのか」

 

 流石のマヤとメグも男に疑いの眼差しを向けていた。

 

「えっ!?いやこれはその……犬のフンに混じってたのかな?あはは……」

 

「ふーん、あんたの犬は随分排泄するのが早いんだな。大体フンの中に混じってた割にはきれいだし、そもそも袋の中にフンなんて入ってないじゃないか」

 

 袋には犬の糞を取るためのシャベルは入ってたが、フンは一欠片も入っていなかった。まだフンの処理をする前だったのだろう。

 すると男は先程までの穏やかな態度から豹変し、口調を荒らげながら言う。

 

「なっ、なんだよ!俺がわざわざ犬を使ってこの子の時計を取ったって言うのか?んな曲芸じみたことできるわけ無いだろ!大体ポチだってこの通りなのによ!」

 

 ちっ逆ギレかよ、面倒くせえな。

 だが、男の言う通り実際飼い主の握る手綱の先でポチと呼ばれる犬が暴れていた。確かにとてもそんな芸当出来そうにない。

 

「まぁ、無理だろうな」

 

「だろ!だったら……」

 

「でも、だからこそフンを入れる袋なんかに入れたんだろ。犬が時計をパクってきたのは本当に偶々(たまたま)だったんだろう。おそらく貴様は犬があまりに暴れるもんだから、つい手綱を離してしまい犬を逃した。そして逃げた犬を探してしばらくして、犬が帰ってきた。だが何故か犬は腕時計を咥えていた。僕はあんま興味ないけど大抵の男子は好きだもんな、こういうやつ。それであんたは時計欲しさに時計をそのまま持ち逃げしようか葛藤した。だがすぐにこいつらが来て、焦ったあんたは時計をまだフンを入れてなかった袋の中に咄嗟に入れた……ってとこだろ」

 

 要は最初から盗み目的ではなく、この駄犬がマヤから盗み出したのは単なる偶然でしかなかったということだ。だが、犬の持ってきた時計が欲しくなったこの男は咄嗟に時計を袋の中に入れ、時計は見つからなかったことにし、自分のものにしようとしたということだ。

 そして有宇がそう力説すると、図星なのか男は顔を引きつらせる。

 

「そ、そんなのお前の言い掛かりだ!」

 

「確かにこれはあくまで僕の推測の域を出ないが、事実としてお前はこの子達に嘘をつき、腕時計を隠し持っていた。これは代え難い事実だろ」

 

「うぐっ……クソッ……!」

 

 もはやここまでだ。

 まぁこういう輩が考えることは大体わかるさ。僕も似たようなもんだしな。いや、僕がやるとしたらもっと上手くやるだろうけど。

 

「大人しく時計を返せ、そうすれば僕もこのガキどももこれ以上何も言うつもりはない」

 

 有宇がそう言うと、すると男は何を血迷ったのか、川の方を振り返り、腕時計を持った手を振り上げた。

 

「「あっ!?」」

 

 アヤとメグが同時に叫ぶ。

 させるか!!

 有宇は再び能力を使い男に乗り移り、時計が川に投げられるのを阻止した。

 さて、僕が被害を被ったわけじゃないし、面倒だからただで許してやってもいいと思っていたのだが、僕にこの力を二度も使わせやがって……。

 男に対し怒りが湧き上がってきた有宇は時計を橋の欄干の上に置くと、男に乗り移ったまま欄干を乗り越し川へ飛び込んだ。

 意識が自分の体に戻ると、川の方から男が何か言ってる声がした。そして横たわった体を起こし、欄干の側まで歩き、川で流されている男に向かって言う。

 

「はっ、大人しく時計を渡せばよかったのになぁ。この僕を手こずらせた天罰だ。そこで頭でも冷やしてろ」

 

 ああ、すっきりした。

 

「メグ、なんか私達が悪役みたいな感じなんだけど……」

 

「ウン……ソウダネ……」

 

 自分達の時計を盗んだ相手とはいえ、その相手に対する有宇の仕打ちを見て、マヤとメグが引いていた。

 そんな二人を見て、有宇は本来の目的を思い出した。

 欄干に置いた腕時計を手に取り、そのままマヤに歩み寄る。

 

「ほら、もう失くすなよ」

 

 そう言って腕時計をマヤに手渡す。

 

「ったく、これに懲りたらもう少し人間を疑ってかか……」

 

 有宇がそう言いかけたところで、マヤは満面の笑みを浮かべる。

 

「えへへ、ありがとう有宇にぃ!本当はすごく大事だったんだ!」

 

「……」

 

 マヤのその笑顔を見て、有宇は再び昔の思い出が頭を過ぎった────

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

『おお!これ、あゆの欲しかった天体撮影セットなのです!』

 

 歩未の誕生日の日、前から欲しそうにしていた天体撮影セットなる物をプレゼントした。何でも望遠鏡につけて宇宙(そら)の写真が撮れるのだとか。

 ちなみに望遠鏡は既に昔おじさんが買ってくれたやつがあるので、そこは抜かりない。

 

『でもこれ高かったんじゃ……』

 

『僕がお前にプレゼントしたくて買ったんだ。だからそんなことは気にするな』

 

 望遠鏡は家にあるからといえども、この撮影セット自体もかなりの値段で、月の少ない小遣いじゃ足りなかった。

 でも歩未が雑誌で欲しそうにしてたからどうしても誕生日にあげたかった。なのでおじさんに無理言って来月の小遣いを借りて買ったのだった。

 まぁそのおかげで一ヶ月間何も買えなかったのだが、歩未の喜ぶ顔のためなら惜しくない。

 プレゼントを受け取ると、歩未は満面の笑みで貰ったプレゼントを抱きながらくるくる回って喜んだ。そしてそのまま有宇の方に向き直り、その天使のような笑みで微笑む。

 

『有宇お兄ちゃん、ありがとうなのです!』

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「有宇にい、有宇にぃってば」

 

「……ん、なんだ?」

 

「どうしたの? 急にボーッとして」

 

「いや、何でもない……」

 

 昔のことが頭を過ぎった。こいつ等を見ていて、つい歩未のことを思い出してしまった。

 歩未はこんなガキよりずっと可愛いし、こんなクソガキとは比べ物にならないっていうのに、いかんいかん。

 そんなことを思っていると、さっきまでの不安そうな表情から一転、笑顔を取り戻したメグも有宇にお礼を言う。

 

「あの、お兄さん、本当にありがとうございます」

 

「言っただろ、お前らのためじゃない。だから別に気にするな」

 

「あはは、本当に有宇にぃはツンデレだな~」

 

 ムカッ

 

 イラッとしたので再びマヤの頬を引っ張る。

 

「お前はもう少し年上に対しての口の聞き方に気をつけろよなぁ!」

 

「イタイイタイ、痛いよ有宇にぃ~!」

 

 しばらく引っ張ってから手を放すと、マヤは痛そうに頬をさすっている。

 

「イテテ、うう~もうちょっと手加減してよ有宇にぃ」

 

「僕に舐めた口利くからだ」

 

「もう、意地悪だな有宇にぃは……あ、そうだ!」

 

 唐突に何か思い出したようで、マヤは目を輝かせながら有宇に聞く。

 

「そういえばさ、もしかして有宇にぃって超能力とか使えたりするの?」

 

 ギグッ!

 

「な、なんのことだ……?」

 

「いやさ、さっき犬の飼い主の人が急に自分から時計出したり、川に飛び込んだりしたじゃん? いきなりあんなことするのっておかしいでしょ? で、あの時有宇にぃなんていうか、なんか力を使い果たしたって感じで倒れてたし。もしかしてあの間、有宇にぃは強大な超能力を使ってあの飼い主の人を操ってたのかなって」

 

 しまった、緊急措置とはいえ流石に不自然だったか? かといって能力者であることをバラすわけにはいかないしな。

 バレたことで何かあったらたまったもんじゃないし、何とかして誤魔化さなければ!

 

「マヤちゃん、いくら何でも超能力なんてありえないよ」

 

 メグ、ナイスだ!

 

「え〜でも飼い主の人が川に落ちたとき、有宇にぃ天罰だーとかなんとか言ってたじゃん。てことは有宇にぃが何かしらやったってことでしょ?」

 

「ソッカ~そう言われると確かに〜」

 

 くそ、このガキ変なところで鋭いな。しかしこのまま認めていいはずがない。

 何か……何か言い訳できないか……そうだ!

 

「えっとだな……あれは催眠術だ」

 

「催眠術?」

 

「ああそうだ、催眠術であの男を操ってやったのさ。僕ほどの男になれば催眠術を使うことだって容易いものさ。ただ精神的に消耗するから力が抜けるんだよ」

 

 一応超能力よりは現実的だしこれでどうだ!って流石にやっぱ無理があるよな……。

 

「へぇ、やっぱ有宇にぃってすげぇんだな!」

 

「お兄さんすご~い!」

 

「だ、だろ!」

 

 信じるのか!?

 さっきあれほど人の言うことを真に受けるなと言ったばかりだっていうのに……。

 だがまあ、所詮はガキだな。とりあえず誤魔化せたようだ。

 ともかく、これで全部片付いたことだし、時間的にもいい時間だし帰るとするか。

 

「じゃあ僕は行くから」

 

 するとマヤが再び呼び止める。

 

「あっ待ってよ有宇にぃ、お礼になんか奢るよ」

 

「奢る?何を?」

 

「友達の家が喫茶店でさ、そこで美味しいコーヒーをご馳走するよ」

 

「いらん、ガキに奢ってもらうほど僕は落ちぶれてない」

 

「え〜ただのお礼だよ」

 

「いい、それにコーヒーは飲み飽きてるしな。じゃあな」

 

 そして有宇は、マヤに背を向け歩き出す。

 

「ブーつれないな〜。まぁいっか、じゃあね有宇にぃ!」

 

「お兄さんさようなら〜」

 

 二人が手を振り有宇を見送る。

 

「今度会ったら一緒に遊ぼうな〜」

 

「ああ、そんな機会があればな」

 

 多分そんな機会は二度と来ないだろうがな。ガキは好きじゃないし、もう関わることもないだろう。

 そのままマヤ達と別れ、途中少し寄り道をしながら帰路に着いた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「ただいま」

 

 そう言ってドアを開けると、ココアの声が返ってきた。

 

「おかえり、有宇くん!」

 

 何故かもう午前でバイトを終えたはずのココアがテーブルに座っていた。

 

「ココア、お前今日午前中だけじゃなかったか?」 

 

「え〜だって一人で部屋にいてもつまんないんだもん。だから今他にお客さんもいないしお客さんやってるの」

 

 店にいたらこいつに振り回されることとなっていただろうし、出かけてて正解だったな。

 さらにココアの向かいの席にリゼもいた。

 

「お帰り、邪魔してるぞ」

 

「なんでお前もいんだよ。揃いも揃って暇人ばかりだな」

 

「ムッ、私は受験勉強も兼ねてだ。まぁココア達と話してたからあまり進んでないけど……」

 

 そう言うリゼの席には確かに勉強道具が置いてあった。

 受験生だっていうのに、勉強にバイトとよくやるもんだ。元カンニング魔の僕から見たら考えられないな。

 

「大体暇人なのはお前もだろ。ここに来る前に広場のベンチで本読んでるの見たぞ」

 

 ……見られてたのかよ、全然気づかなかった。

 

「声かけようと思ったけど、お前そういうの嫌うと思って。それにずいぶん熱中して本読んでたみたいだし、邪魔しちゃ悪いと思ったからやめておいたよ」

 

 別にそんな集中して読んでたわけではないが……まあ確かに結構面白かったが。

 それを聞くと、ココアが嬉しそうに言う。

 

「おお、有宇くん呼んでくれたんだ~。面白かったでしょ青山さんの本」

 

「まぁお前のにしては面白かったな」

 

「え、それどういう意味!?」

 

 ちなみに青山さんというのは、今回有宇がココアから借りた本の作者らしい。

 なんでも知り合いとかで、この店にもよく来るらしいが、有宇はまだ一度も会ったことはない。

 

「ていうか有宇くん暇してたなら言ってよ〜。そしたら私とリゼちゃんで遊びに行けたじゃん」

 

「いや、そういうと思ったから出かけてたんだよ」

 

「も〜つれないな〜有宇くんは」

 

 するとふとカウンター席に目が行き見てみると、チノと同じくらいの背丈の小さな客二人がチノと話していた。

 なんだ、客いるじゃないかと思ったその時だった。その二人の客に妙な既視感を感じた。

 あれ、あの二人……?

 何か嫌な予感がした。

 すると、チノがこちらに気づき声を掛けてきた。

 

「あっ乙坂さん、もう戻られていたんですね。お帰りなさい」

 

「あ、あぁ、ただいま……」

 

 すると、

 

「ああぁぁぁぁぁ!!」

 

 と突然カウンターで声があがる。

 その声の主は先程別れたばかりの二人組のガキの一人、マヤだった。

 

「ア、お兄さんだ。また会いましたね」

 

 もちろん隣の席にいたもう一人の客はメグだった。

 

「有宇にぃ!?有宇にぃがなんでここにいるの?」

 

「マヤちゃんメグちゃん、有宇くんのこと知ってるの?」

 

 当然のようにココアが聞く。

 

「知ってるも何も、さっき私の腕時計取り返してくれた兄ちゃんって有宇にぃのことだよ!」

 

「「ええ!?」」

 

 ココアとリゼの二人が大声出して驚いた。

 そんな驚くことか?

 

「有宇くんすごいね!マヤちゃんから聞いたよ!名探偵みたいな名推理でマヤちゃんの腕時計を見つけてあげて、超能力と見誤る程の催眠術で犯人をやっつけたんだよね!」

 

「いや、それは……」

 

「そうだよ、さっきの有宇にぃの姿ココア達にも見せてやりたいよ。なぁメグ」

 

 マヤに促されメグも頷く。

 

「ウン、本当にお兄さんかっこよかった〜」

 

「いや……だから」

 

 さらにリゼまで話に入ってくる。

 

「へぇ有宇、なかなかやるじゃないか。見直したぞ」

 

「いや、だからあれは……」

 

 何か弁明しようと思ったが、マヤが妹と重なって見えたから手伝ってやったなんて言いたくなかった。

 あいつと歩未じゃ似ても似つかないし、あいつに妹を重ねたとか個人的に認めたくなかった。

 てか何だ、変に褒められたせいかさっきから顔が熱い。

 

「おっ、なんだ照れてるのか?お前も可愛いとこあるじゃないか」

 

 リゼに茶々を入れられる。

 

「別に照れてない!」

 

 すると周りの連中もニヤニヤした下衆な笑みを浮かべている。

 

「クソッ……!なんなんだよ……」

 

 気に食わないような態度を見せている有宇だったが、実はそこまで不機嫌だったわけではない。

 普段なら周りから笑われるなんていうのは、有宇にとっては不愉快極まりないはずなのだが、繕った自分ではなく本当の自分を褒められたのは、満更でもなかった。

 

 

 

「で、今更だけどどうして有宇にぃがここにいるの?」

 

 一通り有宇をおちょくり終わると、マヤが本当今更な事を聞いてきた。

 

「‪どうしても何も、先週からここで住み込みで働いてるんだよ。ていうか友達ってチノのことだったのか?」

 

「そうだよ」

 

「ソウデスヨ」

 

 マヤとメグが答える。

 二人ともチノ並に背が低いし、てっきり小学生だと思っていたのだが……ていうことはこいつらも僕と一つ差しかないのか!? この街の中学生、みんな幼すぎやしないか!?

 正直これがこの街に来てから一番驚いたことかもしれない。

 

「はい、お二人とも私の学校の友達です。それより乙坂さん、お二人を助けてくださったようで、どうもありがとうございます」

 

 チノが軽く頭を下げる。

 

「あ、いや別にそういうつもりじゃ……」

 

 すると再び周りがニヤニヤし始めた。

 

「……もういいだろ」

 

 ていうかまず、そもそもチノって友達いたんだな。

 大人しくて口数少ないし、ずっと喫茶店で働いてるから友達いないのかと思ってた。

 まぁ口に出したらまたいじけるだろうから言わないけどな。

 

「てことはチノが言ってた新しく入ったバイトって有宇にぃのことだったんだな」

 

 そう言うとマヤはケタケタ笑い出す。

 一応チノから僕のことは聞いていたようだな。

 

「大人しい兄ちゃんって聞いてたのに、今週になって急に豹変したとかチノが言うからどんな人なのかなって気になっててさ。メグと様子見に行こうかなって前から話してたんだよ」

 

「そういや僕が来てから二週間ぐらい経つけど、一度もお前らここに来たことないよな?」

 

「うん、行こうと思ってたんだけどチノがさ、新人を茶化しに来るのはやめろって」

 

 そういうことか。

 まぁお前らみたいなガキの相手は、バイトに少し慣れた今でも御免だがな。

 するとマヤは握手を求めるようにこちらに手を差し出す。

 

「ま、ということで改めてよろしく有宇にぃ!暇なときは遊んでくれよな。メグも私も放課後は大体暇してるからさ」

 

「いや、別にお前らとよろしくするつもりは……」

 

 すると急にココアが割って入り、僕とマヤの手を掴み、無理やり握手させる。

 

「……おい」

 

「ダメだよ有宇くん、ちゃんと仲良くしなきゃ。ついでに私とも改めてよろしく〜」

 

 そう言ってマヤと繋いだ手を覆うように手を置く。

 

「アッ、じゃあわたしも〜」

 

 とメグ。

 

「じゃあ私も」

 

 とリゼ。

 

「ほら〜チノちゃんも」

 

 ココアにそう促されるとチノも仕方なさそうに、

 

「はぁ、では私も」

 

 と僕の上に手を重ねた。

 少しガキを手助けしただけでこんなことになるとは……。

 まぁ僕の株が上がる分には別にいいか……。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 その日の夜、夕食を終え、部屋で昼間の本の続きを読んでいる。

 するとふと昼間のことを思い出し、机の中から小さなケースを取り出し、蓋を開ける。

 中にはドッグタグが入っており、そこには有宇の名前が刻まれていた。

 いつだったか僕の誕生日に歩未がくれたやつで、名前の他にも僕の生年月日や血液型が刻まれており、最後の行には、

 

 〈お兄ちゃんお誕生日おめでとうなのです!〉

 

 と刻まれていた。

 あいつはおそらく今頃おじさんの家にいるんだろうな。

 書き置きにもおじさんの家に行くよう書いたし、おじさんも僕が家を出たことを受けて歩未を家に引き戻したはずだしな。

 昔、まだ僕らが幼い頃だった。突然両親が離婚した。理由は覚えていないが、父があの時母さんと何かを巡って言い争っていたことだけは覚えている。

 最初に父が家を出て、そして僕等の母親もまた、無理矢理おじさんに僕等の親権を押し付け姿を(くら)ました。

 それまで僕は母さんの事が好きだった。優しい母さんが好きだった。いつも作ってくれるあの特製ピザソースで作るオムライスが好きだった。僕らを愛してくれた母さんが好きだった。

 なのにあの日───あの人は僕等を捨てたんだ。

 それまでの気持ちが嘘だったかのように僕はあの人を恨んだ。あの人を憎んだ。たとえこの先会う機会があっても、顔も見たくない程に。歩未はあの人を許したが、僕はとてもそんな気にはなれなかった。

 それから僕等はおじさん夫婦の元に預けられた。おじさん夫婦はきっとかなり迷惑したに違いない。実際のところの経緯は覚えていないのだが、だからこそ僕等はおじさんの家から遠く離れたあの東京のボロアパートで仕送りだけを送ってもらい、二人で生活してきたんだ。

 僕等もまたその方が気が楽だった。おじさん夫婦の元で居心地悪さを感じながら日々を過ごすくらいなら、別々に暮らして生活だけ支援してもらった方が楽だからな。

 そんなわけだから、歩未が家に戻ることをきっとおじさんは快く思ってないだろう。今回のことで、歩未がおじさん夫婦にいじめられてないといいのだが……。

 だがどっちにしろ今の僕じゃ助けにはいくことはできない。それに、僕が家に戻っていったところで、歩未が快く迎えてくれるなんてことないのだから……。

 マヤとメグ、今日あの二人を助けたのは単に歩未と重なって見えたからというだけでなく、二人を助けて、置き去りにした歩未への罪滅ぼしをした気になりたかっただけなのかもしれない。

 だとしたら、僕はなんとエゴイストなんだろう。だってそうだろ、誰かを助けているつもりが、結局は自分が罪の意識から解放されたかっただけで、本当は自分のことしか考えていなかったのだから……。

 

「有宇くん、お風呂空いたよ〜」

 

「うぉわっと……!」

 

 すると、突然ココアがそう言ってノックもせず部屋に入って来た。

 突然のことに驚き、手に持っていたドッグタグを落としそうになったが、何とかキャッチした。

 

「ん?何持ってるの?」

 

 イラッ

 

 無神経なココアにイラつき、昼間マヤにやったみたいにココアの頬を引っ張る。

 

「お前はいつになったらノックを覚えるんだよ!」

 

「いひゃいいひゃい、許ひて〜」

 

「……ったく」

 

 ココアの頬から手を離す。

 

「これに懲りたら次からちゃんとノックをだな……」

 

「あっ、これドッグタグ?」

 

「人の話を聞け!」

 

「私も持ってるんだよ〜。去年リゼちゃんに貰ったの」

 

「ちょっと待ってて」と言うとココアは自分の部屋に戻り、しばらくしてまた僕の部屋に戻ってきて、そのドッグタグを見せつけてくる。

 ドッグタグにはミニチュアの銃のストラップがついており、いかにもリゼらしいプレゼントだなといった感じだった。

 

「カッコイイでしょ!それにちっちゃくて可愛いし」

 

「いや、可愛くはないだろ」

 

 可愛いというか明らかに物騒だろ。

 

「え〜そうかな〜。あっ有宇くんのはどんなやつなの?」

 

「別に普通のやつだよ。僕の名前とかが入ってるだけの」

 

 そう言って、手に持つドッグタグをココアに見せる。

 

「ほほう、成る程。有宇くんらしくシンプルでイイね!」

 

「そうか、で、お前何しに来たんだ?」

 

「あ、そうそう、お風呂空いたから有宇くんどうぞ」

 

「ああ、風呂か。わかった」

 

「うん、それじゃあおやすみ〜」

 

 そう言うとココアは部屋を出ようとしたが、出る間際にこちらを振り返る。

 

「そうそう有宇くん」

 

「なんだ」

 

「今日の有宇くん、ちょっとだけかっこよかったよ」

 

 と言い残していった。

 何を今更……僕がかっこいいなんて当然だろ。だけど、その言葉に温もりに似た温かさを感じたのは気のせいだろうか?

 ココアのその一言は、罪悪感に駆られていた有宇の心の中を何度も反芻し、心の内に微かな温もりを残した。



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第7話、桐間紗路をおもてなし?

「へえ~そんなことあったのね」

 

「まあ、有宇くんすごいわね」

 

 ある日の午後、ココアは有宇がマヤを助けた話を、ラビットハウスに遊びに来ていたシャロと千夜に話聞かせた。

 

「でしょ!有宇くん結構やるでしょ。だからシャロちゃんも有宇くんのこと許して欲しいな」

 

「なっ、べっ別に怒ってなんかないわよ!私だって初めて会った時は助けてもらったし……でもリゼ先輩に対してのあの発言は撤回してほしいっていうか……」

 

「まあ、確かに有宇くん口悪い所あるからね〜。でもリゼちゃん気にしてなさそうだったよ」

 

「リゼ先輩が気にしてなくても私は気にするの!」

 

 すると千夜がからかうように言う。

 

「あらっ、私はてっきり有宇くんに、リゼちゃんが好きだってことばらされちゃったことを……」

 

「いうなバカァァァァァァ!!」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「ということで、シャロちゃんは大変お怒りです」

 

 有宇がバイト後の片付けを手伝っていた時だった。バイトを終えたココアに、バイト中の出来事を聞かさせたのだ。

 

「いや、そんな事言われても僕にどうしろってんだよ」

 

 ていうかお怒りって、怒らせたのはどっちかというと僕じゃなくて千夜じゃないのか?

 

「やっぱ素直に謝ったほうがいいと思うの。元々有宇くんの言った言葉が原因だし」

 

「はっ、どうして僕が謝らなくちゃならないんだ。僕は事実を言ったまでだ」

 

「確かに私たち普通じゃないかもしれないけど、シャロちゃんは傷ついたんだからちゃんと謝らなきゃだめだよ」

 

 普通じゃないって自覚あったのかよ……ってそういや前にも自分で言ってたな……。

 

「とにかく僕は謝らないぞ。女に頭を下げるなんてまっぴらゴメンだ」

 

「う〜んチノちゃん、有宇くん強情だよ〜!」

 

「ちょっ、ココアさん離れてください!仕事の片付けしてるんですから邪魔しないでください。ていうかココアさんも手伝ってください」

 

「うぇ〜ん、チノちゃん冷たいよ〜!」

 

 いつものように素っ気なくチノにあしらわれるココア。この光景もここに来てから何度目だろうか?

 仮にも自称姉のくせに年下に泣きつくって……こいつには年上としてのプライドはないのか?

 

「ですが、お二人の仲が悪いままなのは私も嫌ですね。乙坂さんはこのままでもいいんですか?」

 

 すると、チノもまたココアのようにシャロとの関係改善について言われると、有宇は少し冷静になって考えてみることにした。

 ココア達とシャロが友人なのは言わずと知れている。当然この先店に来たりするだろうし、街中で会うことだってあるかもしれない。その度にいちいちあの女に睨まれたり、突っかかってこられるのは確かにかなり面倒ではある。

 

「……確かにこのままじゃまずいな」

 

 しかしかといって素直に頭下げるのも癪だしな……。

 するとココアが「そういえば……」と言って有宇に尋ねる。

 

「有宇くん今日からコーヒーも作ってるんだよね?」

 

「ん、ああそうだけど?」

 

 ここに来てもう半月ぐらいだろうか。

 今まで開店までの空き時間や客からの注文がない時間を使ってマスターからコーヒーの作り方を教えてもらっていた。そして今日、初めて客に自分の作ったコーヒーを出させてもらった。

 

「で、それがどうした」

 

「明日……はシャロちゃんバイトだからえ〜と、じゃあ明後日にシャロちゃんをコーヒーでおもてなししようよ!それでシャロちゃんにご機嫌取ってもらうの!」

 

 まぁココアにしては悪くない意見だ。要は美味い物で機嫌を取ってもらおうってことか。だがその作戦には一つ大きな問題がある。

 チノもそれがわかったようで、ココアにその問題を指摘する。

 

「ココアさん、シャロさんはコーヒー飲めませんよ」

 

「あっそうだったね。えっと……じゃあジュースとかかな?」

 

「うちのメニューにジュースはありませんよ。作るとしたらホットココアとかでしょうか?」

 

 そう、シャロはなんでもコーヒーを飲むとカフェインで酔ってしまうらしい。シャロ自身、そうならないようにコーヒーを飲むことを避けてるらしく、この案は使えない。いや、まてよ……。

 有宇はあることを思いつく。

 

「いや、コーヒーでいこう」

 

「「ええっ!?」」

 

「ノンカフェインのコーヒーを作ればいいんじゃないか?それならシャロでも飲めるだろ」

 

 最近カフェインゼロコーヒーみたいなのが流行ってるらしいし、その方が意外性もあるだろうしいいんじゃないだろうか?まぁ僕自身は飲んだことないし、よく知らないんだがな。

 

「おお、流石有宇くん!頭冴えてるね〜」

 

 ココアは有宇の意見に賛成の様子だ。しかしその一方、チノの方は納得のいかない様子だった。

 

「なんだよチノ、なんか問題でもあるのか?」

 

「いえ、いいとは思うのですがノンカフェインコーヒーは普通のコーヒーより味が物足りないところがありますので……」

 

「要はまずいってことか?」

 

「不味いと言う程ではないのですが、普通の物よりは劣ると思います。シャロさんはお茶に詳しい方ですし満足はされないかと」

 

「そうか……」

 

 つまり不味くてもノンカフェインコーヒーにするか、他の飲み物にするか、ということか。

 

「……まぁ後で考えてみる。それよりさっさと片付けるぞ。マスターがバーの準備出来なくなるしな」

 

「そうだね」

 

 取り敢えずシャロの問題は後回しにして、店の後片付けを優先した。

 

 

 

「さて、どうするか……」

 

 片付けを終えた後、夕食の準備はココア達に任せて、ノンカフェインコーヒーについて、部屋にあった本で調べてみることにした。

 調べてみると、どうやらカフェインを抜く方法は3つあるらしい。

 その内の一つは薬で抜く方法。使われてる薬は結構やばいやつのようだが、海外ではこれが主流らしい。

 最も日本ではこの手の薬は禁止されているらしく、輸入もされてないため出回ってないらしい。なので日本で手に入るカフェインレスコーヒーは水、または二酸化炭素を使う方法を取っているらしい。

 だがやはりこういったノンカフェインコーヒーは、主に妊婦とかのカフェインを取りすぎてはならない人でもコーヒーが飲めるようにしたものであり、カフェインを抜く過程で味が落ちてしまうのは致し方ないようだ。

 まぁそこまで味にこだわらない人が飲んでも大差ないようなのだが、シャロは自分でハーブティーを育てたりする程お茶には詳しいらしい。

 そういえば以前行ったフルールとかいう店もハーブティーの店だったしな。もてなす以上、やはり味で手を抜くわけにはいかない……。

 それならば初めからカフェインを元から含まないコーヒーはないのかと思い探してみたが、ノンカフェインコーヒーノキを育てようという試みはあるらしいが、まだ販売には至っていないそうだ。

 一応リロイと呼ばれるカフェインの量が普通のコーヒーの半分程しかないコーヒーがあるらしい。リロイは味もあのブルーマウンテンより美味いらしく、これだ!と思ったのだが、値段を調べたら百グラム一万円近くするらしく、とても居候身分の僕が手を出せるような代物(しろもの)じゃなかった。

 

 

 

 結局その後も打開策は見つからず、夕食の席で調べた事を二人に話した。

 

「そっか、でもコーヒーって本当に奥が深いんだね」

 

 ココアは呑気に答えるが、チノは少し心配そうに有宇に問いかける。

 

「それで結局どうするんですか?明後日なら早く決めたほうがいいと思いますが」

 

「そうだな……。もうコーヒーは諦めて適当なもので誤魔化すか」

 

 無理にノンカフェインでいくより、他に適当に作って出した方が良さそうだしな。

 すると、ここでココアが目くじら立てて抗議する。

 

「えー!おもてなしするならちゃんとやんなきゃ駄目だよ!」

 

「んな事言ってもどうしようもないだろ。何か他の案でもあればいいが……」

 

「あ、お料理はどう?有宇くんも朝食とか夕飯作るようになってから大分お料理上手になったし、いいんじゃないかな?」

 

「あのなあ、確かに全く作れなかった以前と比べれば作れるようにはなったが、店のメニューとか今まで作ったような簡単なのしか作れないぞ。寧ろ普段からずっと料理してるシャロの方が上手いだろ」

 

「そっか……う~ん……」

 

 有宇の言葉にココアは釈然としない様子だった。

 

「なんだよ」

 

「えっとね、本当にうまく作る必要あるのかな?って思って」

 

「はぁ!?あのなぁ僕が何のためにこんな事してると思ってんだよ。大体ちゃんともてなせって言ったのお前だろ」

 

「それは有宇くんが適当に誤魔化すなんて言うからだよ。それに仲直りするためにシャロちゃんに喜んでもらいたいんでしょ?だったら別に上手くなくたっていいんじゃないかなって。有宇くんが一生懸命誠意を込めて作った物なら、きっとシャロちゃんだって喜んでくれるはずだよ」

 

 ココアらしいといえばココアらしい綺麗事だが、自分に敵意を持ってる相手にその理論は通じないだろう。それが通じるのは元から親交がある人間に限られる。

 敵意を持たれている僕がやってもシャロには手抜きとしか思われないダロウな。

 

「あのなぁ、お前は単純だからそれでいいだろうけどなぁ、シャロがお前と同じように喜ぶとは限らな……」

 

 いや待てよ?確かに要はシャロを喜ばせばいいんだよな……。

 

「……ああいや、確かにその通りだな」

 

「有宇くん?」

 

「乙坂さん?」

 

 この時、有宇にはある考えが浮かんだ。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「もうなんなのよ。私この後バイトなんだけど」

 

 それから二日後、シャロを予定通り店に呼んだ。

 しかしどうやらココアの勘違いでこの日もバイトがあったらしい。一応まだ少し時間もあるようなので、責任もってココアにシャロを呼びに行かせた。

 

「まぁまぁ、リゼちゃんがシャロちゃんにどうしても飲んでもらいたいコーヒーがあるんだって」

 

「えっリゼ先輩が!?……なら仕方ないわね」

 

 そしてリゼの名に釣られてラビットハウスに行くと、ココアとシャロの二人をリゼが出迎える。

 

「お、来たな。シャロ、時間大丈夫か?」

 

「は、はい、まだ大丈夫です」

 

「そうか、ならよかった。待ってろすぐ作るからな」

 

 リゼはそう言うとさっそくサイフォンの準備を始めた。

 しかしそこでシャロが自分の体質のことを思い出して、リゼを呼び止め申し訳なさそうに言う。

 

「あっ、あのリゼ先輩、私その……この後バイトなので酔ったままだとまずいので全部は飲めないかもしれないんですけど……」

 

 それを聞くとリゼはニコッと笑う。

 

「大丈夫、これならシャロも飲めるはずだから」

 

 大丈夫?どういうことかしら……。

 リゼの言葉にそんな疑問を浮かべたシャロだったが、リゼがそう言うならと、リゼを信じて大人しくコーヒーが出来上がるのを待つことにした。

 

 

 

 しばらくしてコーヒーが出来上がる。しかし、それをカップに注いで出すのかと思えば、リゼはグラスを持ってきてその中に大量の氷を入れ、そこにコーヒーを注いだ。

 更にそこにミルクとチョコシロップを加えてかき混ぜて、その上にホイップクリームを乗せて、チョコチップとココアパウダーをまぶして、最後にバナナを二切れグラスに刺して完成した。

 

「出来たぞ」

 

 そう言ってリゼはシャロの前にそれを置いた。

 

「アイスカフェモカだ。飲んでみてくれ」

 

「は、はい、それでは……」

 

 カフェモカ───コーヒー(本来であればエスプレッソを使うのが好ましい)とミルク、そしてチョコレートを混ぜた飲み物である。場合によってはチョコとミルクの代わりにココアを使う事もある。アメリカ生まれのアレンジコーヒーであり、最近だとどのチェーン店にも置いてある定番メニューである。

 リゼの作るカフェモカを前に、シャロも美味しそう……とツバを飲む。しかし、やはり混ぜてあるとはいえコーヒーなので、手を付けるには抵抗感があった。

 どんなにミルクやチョコシロップが入っててもコーヒーはコーヒだし……でもリゼ先輩が淹れてくれたものだし……。

 シャロはカフェインへの抵抗を若干見せるも、リゼが作った物だからと覚悟を決めて口をつける。すると───

 

「……美味しい!それにチョコとかクリームとか入ってる割には意外に結構スッキリした味わいですし、冷たくて飲みやすいです!」

 

「そうか、喜んでもらえてよかったよ。最近は暑くなってきたし、冷たい飲み物がいいと思ってな。ところで体の調子は大丈夫かシャロ?」

 

 リゼにそう言われて、シャロもハッと気が付いた。

 

「先輩、私酔ってません!」

 

「ああ、今回使ったコーヒーはデカフェナート、つまりカフェインを抜く処理をした豆を使って淹れたんだ。だけどデカフェはカフェインを抜くから風味が薄っぺらくなってしまう難点もある。けどカフェモカにすることでチョコやクリームが加わって、少しでもデカフェの味の薄っぺらさが目立たないようにしたんだ。あと今回はデカフェだからあまり関係ないけど、バナナはカフェインによる体調不良を防ぐ効果もあって、コーヒーとの飲み合わせも抜群なんだ。これならシャロも美味しいコーヒーを楽しめるし、私もシャロにコーヒーを飲んでもらえるだろ」

 

「先輩……!」

 

 シャロはリゼの自分を思って作ってくれたその一杯が嬉しくて、思わず涙ぐむ。

 するとリゼがシャロに言う。

 

「それでさシャロ、有宇のことなんだけど、許してやってくれないか?」

 

「え……?」

 

「いや、シャロが有宇と仲が良くないみたいなこと聞いたからさ」

 

「それは……だってあいつ、リゼ先輩に失礼なこと……」

 

「ありがとう、でも私は別に気にしてないよ。それにあいつ口は悪いけど根はそんなに悪いやつでもないみたいだしさ、多めに見てやってくれないか?」

 

「はい……リゼ先輩がそう言うなら……」

 

 リゼに言われ一応頷くものの、シャロはまだどこか腑に落ちない様子だった。

 すると、そんなシャロにリゼが続けて言う。

 

「実はなシャロ、今日作ったカフェモカ、あれ考えたの有宇なんだ」

 

「えっ?」

 

「だろ、有宇」

 

 リゼにそう言われると、店の奥から有宇が姿を現した。

 そしてシャロも有宇の方を向く。有宇もジッとシャロの方を見て、それから口を開く。

 

「……正直、今でもお前らが普通だと思えないし、僕がお前らに言ったことが間違いだったとは思わない」

 

「なっ!」

 

「けど、言い方は悪かったと少しは思う。だからその……悪かった」

 

 有宇が謝罪を口にすると、シャロも「はぁ……」とため息を吐きながらしょうがないという風に答える。

 

「別に怒ってないわよ。ただリゼ先輩への態度が気になってたけど、リゼ先輩が許したならもういいわ。でも今後はリゼ先輩への言動には気をつけなさいよね」

 

 そう言うと席を立ち戸口へと向かう。

 

「それじゃあ私もうバイトだから。リゼ先輩ごちそうさまでした」

 

 ドアの前でリゼに頭をペコリと下げ、店の外へと出て行く。すると、ドアを閉める直前、有宇の方を振り返る。

 

「有宇、アイスカフェモカ美味しかったわ、ありがと。気を使ったつもりなんでしょうけど、今度はあんたの手で作ったやつをごちそうして頂戴」

 

 そう言ってシャロは店を去って行った。

 

 

 

「有宇くん大成功だったね!」

 

 シャロが去った後、ココアが大はしゃぎで声をかけてきた。

 

「アイスカフェモカとても良かったと思います」

 

 チノもそう言って喜んでいた。

 こいつら自分の事でもないのに何をそんなに喜んでいるんだ?まぁ色々協力してもらったのでその辺は感謝している。

 

「そうそう、あれ有宇が考えたんだよな?」

 

 リゼがそんな事を聞いてきた。

 リゼは今日この作戦の事を聞かされたばかりなので、信じられないのは当然だ。

 

「別に、メニューのアレンジメニューのとこ見てて、これならミルクやシロップでコーヒーの風味の落ち度を上手く誤魔化せるんじゃってないかって思っただけだ。それでマスターに色々聞いたからそれを参考にして、元々メニューにあったカフェモカに手を加えただけだ」

 

 元々メニューにあったカフェモカは、エスプレッソとチョコシロップを混ぜ、そこにフォームドミルクを加えた地味なこの店らしいあまり飾り気のないものだった。

 これはこれでコーヒーの風味が楽しめていいのだが、今回はデカフェの普通の物より劣る風味を誤魔化したかったので、このままでは使えなかった。

 なのでマスターのアドバイスを基にメニューをアレンジしたのだ。

 マスターのアドバイスによると、気候も大分暖かくなってきたし、アイスにした方がカフェモカのすっきりとした味わいにも合うとのことなので、ホットではなくアイスで出した。

 マスターから貰ったこれらのアドバイス、そしてシアトル系カフェとかのメニューなどを参考にして、今回のアイスカフェモカは出来上がった。

 するとココアが有宇に疑問を投げかけた。

 

「でも有宇くん、美味しいコーヒー出せたのになんでシャロちゃんに謝ったの?謝りたくないから頑張ってたんじゃないの?」

 

「僕はあくまで自分が全面的に悪いみたいになるのが嫌だっただけだ。それに、どんなに機嫌を取っても謝罪なしに打ち解けるのは無理だろうしな」

 

「でもそれだったらそのまま謝るのじゃダメなの?」

 

「いや、そのまま自分の非を認めないまま謝っても、そんなの逆に怒らせるだけだろ。それに人間、心理的に何か食べたり飲んだりしてる時が一番物を頼みやすかったり、謝罪を受け入れやすかったりすんだよ。だから美味いものである程度機嫌を取る必要があった」

 

「へ~。でもそれだったらなんで自分でやらずにリゼちゃんに作らせたの?」

 

「ああ、だってお前言ってただろ?気持ちが篭ってればシャロも喜ぶって。それを聞いて思ったんだ。要は喜ばせばいいんだって。だからシャロを喜ばすためには別に僕じゃなくてもいいんだって思ったんだ。シャロに許しを請うにも僕じゃ難しいだろうが、リゼが仲介してくれたら簡単だろうと思ってな」

 

 だから敢えて僕ではなく、リゼにシャロをもてなさせた。その方があいつもリゼのコーヒーを飲めるって喜んで機嫌を良くするだろうしな。

 かと言って流石に何もしないとまずいので、その分アイスカフェモカ作りに手を焼いた。まぁ手を焼いたと言っても、マスターに教わったアドバイスを基に色々試して、チノとココアに毒見させただけだけどな。

 何はともあれこれでシャロとの問題は片付いたと見ていいだろう。

 

「私そういうつもりで言ったんじゃないんだけどな……」

 

 ココアは自分の意見を捻じ曲がった受け取り方をされた事が不服のようだ。

 

「相変わらず捻くれてるなお前……」

 

 リゼもココアと同じく、呆れたように言う。

 

「ほっとけ」

 

 別にこれで無事に済んだんだからいいだろ。

 因みに「ところでなんで私が作るとシャロが喜ぶんだ?」とリゼがそんな疑問を口にしたが、それは流石にシャロのためにノーコメントとさせてもらった。

 

「まぁとにかくこれで済んだことだし仕事に戻るか」

 

「え〜私もアイスカフェモカ飲んでみた〜い」

 

「いや、お前とチノには昨日さんざん毒味で飲ませただろ」

 

「私もまた飲みたいです」

 

「チノまで!?」

 

「私も飲んでみたいな。まだ自分じゃ飲んでないし。手伝ってやったんだからいいだろ?」

 

「うっ……」

 

 こいつもかよ。

 しかし手伝わせた以上文句は言えないしな……。

 その時、鈴の音と共にドアが開いた。

 

「ほら、客が来たし仕事に戻るぞ。いらっしゃいま……」

 

「有宇くんバリスタデビューしたって聞いて来ちゃった!」

 

「せ……」

 

 来たのは客ではなく千夜だった。いや、客と言えば客ではあるのだが……。

 有宇は思わず絶句する。

 

「あっ千夜ちゃんいらっしゃい!今から有宇くんがアイスカフェモカ作ってくれるんだけど千夜ちゃんもどう?」

 

「まぁ、最近少し暑くなってきたし調度いいわね。有宇くん、私にもアイスカフェモカくださいな」

 

「ココア、今日はシャロだけ呼ぶって言ったよな……」

 

「うん、呼んでないよ。ただ有宇くんがコーヒー作れるようになったよって言っただけだよ」

 

 いや、そんな事言ったら来るだろ間違いなく。

 

「それより有宇くん、アイスカフェモカお願いね♪」

 

「……はぁ」

 

 客も他にいないしまぁいいか。マスターに怒られるようならこいつらに無理やりやらされたって言えばいいか。

 それに───

 

「ん〜美味しいね!」

 

「美味しいです」

 

「夏のメニューとして出していいかもな」

 

「美味しいわね〜」

 

 自分で作った物を美味いと言われるのは、何というか悪い気はしないしな……。



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第8話、曖昧模糊な関係(前編)

 その日のラビットハウスの夕食はカレーであった。市販のルーを使い、具材は人参、玉ねぎ、ジャガイモ、豚肉という極シンプルなカレーだ。

 ココア達が働いている間に夕食を用意し、店の片付けと着替えを終えた二人が来たら夕食にする。最近はもっぱらこの流れである。

 有宇もこの二週間程で大分料理には慣れてきたので、今は一人で三人分の夕飯を作っている。料理の作り方も今はネットで作り方は見れる。もっとも有宇は家出中の身なので、携帯の位置情報から自分の居場所がおじさんにバレないよう携帯は実家の方に置いてきてしまっている。

 しかし、有宇が今使っている部屋にはコーヒーの本は勿論のこと、経営や法律の本など沢山の本がおいてあり、その中に料理本もあったため、その本を頼りに夕飯を作っている。

 そしてこの日も有宇が作ったカレーを、いつものように二階のキッチンのテーブルにつき、三人で食べていた。

 しかしその食事の最中、ココアが人参を皿の端に除けながら食べているのを有宇は見逃さなかった。

 

「おい、何してんだココア」

 

 ギクッ!

 

 バレたとわかった途端、ココアは顔を引きつらせて苦笑を浮かべる。

 

「あはは……お母さん大目に見て?」

 

「誰がお前のお母さんだ誰が!!いいから残さず食え。大体チノはお前と違ってそんな……」

 

 そう言いながらチノの方を見ると、チノもまたココアと同じように人参を皿の端に除けながら食べていた。

 有宇の視線に気づくと、顔を赤らめ(うつむ)き、申し訳なさそうに答える。

 

「すみません、野菜はあまり得意ではなくて……」

 

 チノの反応に有宇は呆然とする。

 いや、いつもサラダとかもちゃんと食べてたし好き嫌いとかないものだと思っていたので少し驚いた。

 きつく言うのも憚られたので、それとなく少しは食べるように促す。

 

「……まぁ少しは食べろよ」

 

「はい……」

 

 チノが申し訳なさそうに頷く。

 

「はぁ~い!」

 

 そしてココアがチノとは違い、申し訳ないと思う気持ちの欠片も見せないような元気な返事をする。

 チノに注意した流れに乗って、自分も人参を残そうとしているようだがそうはいくか!!

 

「いや、お前は全部食べろよ」

 

「え~なんで~」

 

「自称姉なんだろ。ならお姉ちゃんがお残しはできないよな」

 

 有宇はココアに意地悪く棘を含む言い方で、ココアを追い詰める。

 

「う~有宇くんの意地悪」

 

「人聞きの悪い。お前のためを思って言ってやってるんだから寧ろ感謝しろ」

 

「そんな~!」

 

 そして結局、ココアは涙を浮かべながら皿の端に避けた人参を食べることとなった。

 

 

 

「う〜人参の味がまだ舌に残ってるよ〜」

 

 夕食を終え、一緒に夕食の片付けをしていたココアが、人参を無理やり食べさせられたことについて文句を垂れていた。

 

「半分で許してやっただろ。大体いい歳して好き嫌いとか恥ずかしいぞ」

 

「でも苦手なんだもん!それに有宇くんだって甘い物苦手だって言ってたじゃん!」

 

 有宇は実家にいた頃、妹の歩未の作る甘いピザソースを使った料理を毎日食べさせられていたせいで、甘い物が苦手である。

 この前「そういえば有宇くんって嫌いなものあるの?」と聞かれたときに甘い物が苦手だと答えてしまったのだ。その時は「甘兎で美味しそうに和菓子食べてたのに意外!?」とココアに驚かれた。まさか覚えているとは……。

 

「苦手ではあるが食えなくはないしな。それにお前と違って残したりはしない」

 

「ゔ〜」

 

 有宇に反論されて、ココアは悔しそうに唸った。

 まぁ、嘘なんだけどな。確かに歩未の作る朝食や夕飯は歩未の前なので残せないため無理矢理口に詰めてはいたのだが、歩未の目の届かない昼食の弁当に関しては、トイレに全部流して学校へ行く途中で買った弁当を食っていた。

 しかしそれを馬鹿正直に言うと、妹至上主義のココアに何言われるかわからないし、ココアが野菜を残す言い訳になりかねないので言わないでおく。

 するとココアはこんなことを言い出す。

 

「ていうより有宇くんはチノちゃんには甘い気がするよ……」

 

 甘いだと?この僕が?

 

「そんなことないだろ」

 

「ううん、絶対チノちゃんにだけ優しいよ!さっきもチノちゃんにだけ優しかったし」

 

「いやそれはチノは申し訳なさそうにしてたけど、お前、悪びれる様子すらなかっただろ」

 

「えぇ、そうかな……はっ!もしかして有宇くんチノちゃんのお兄ちゃんの座を狙って!?」

 

「それはない」

 

「いくら有宇くんでも、チノちゃんのお姉ちゃんの座は渡さないからね!」

 

「別にいらねえよそんな称号……」

 

 相変わらずこいつは話を聞かないというかなんというか……。そもそもチノはそういうの嫌がるだろ。

 それから夕食の片付けを終え部屋に戻ると、有宇はココアに言われたことがまだ気になって、少し考える。

 僕はチノに甘いのか?いや、確かにマスターの娘ってこともあって他の連中よりかは多少気を使って話してるが、別に甘やかしてるつもりはない。

 そう見えるのは単にまともに話せるのがチノしかいないからだ。他の奴等とは違い、僕が指摘するまでもなくしっかりしているからであって、別にチノが他の連中のような頭のねじが飛んでる奴だったら僕だって容赦はしてないはずだ。

 だが、正直チノとどう接していいのかわからないというのは、確かにあるかもしれない。

 最初に会った時、チノに抱いたイメージは大人しいしっかり者という印象だ。それは今も変わらないのだが、口数が少ないからあまり人と接するのが好きじゃないのかと思えば、マヤやメグのようにそれなりに友人関係を築いているようだし、ココアのことだって普段はうざがってるように見えるが、なんだかんだでココアに付き合ってたりするし、何ていうか感情が見えにくい。

 僕に対してもそうだ。ココアの街案内の後、周りへの接し方を変えた時もチノは何も言わなかった。単に僕に興味がないのか、それとも言いたいことを黙ってるだけなのか。

 思えばチノとは仕事関係の話とかしかしてないし、会話という会話もココアを介してしかしてない気がするしな。

 前にもリゼに注意されたし、もう少しチノに歩み寄ってもいいのか……?

 

 

 

 その日の夜、有宇が部屋で本を読んでいると部屋のドアがノックされる。

 ドアをノックする時点でココアではないのは確かだ。

 そして有宇は、開いていた本にしおりを挟んで机に置き、椅子から立ち上がりドアを開ける。

 

「はい」

 

 しかしドアを開けても誰もいない。

 

「あれ?」

 

「下です」

 

 すると急に下から声がした。

 言われた通り目線を下に下げるとチノが立っていた。

 

「うぉっ!?……居たのか」

 

 大体いつもドアをノックして部屋に来るのはマスターなので、ドアがノックされたときは目線をいつもより上にするようにしているから、背の低いチノの姿が見えなかったのだ。

 

「今お話よろしいでしょうか」

 

「あ、あぁ」

 

 そして有宇はチノを部屋に招き入れる。

 

「ていうか珍しいな。どうしたんだ夜遅くに」

 

「はい、実はさっきココアさんが明後日までにやらなきゃいけない課題があるのを思い出したらしく、それで千夜さんのところで課題をやるから明日仕事を休むみたいで。それでその……申し訳ないんですけど明日続けて午後も入ってもらえないでしょうか?」

 

 ココアのやつ、余計な仕事増やしやがって。課題ぐらい前日に徹夜でやればなんとかなるだろ。

 まぁ課題はいつも能力で乗り移って、クラスメイトのノートを書き写していた僕が言えることじゃないか……。

 

「別にいいけど、リゼは明日いないのか?」

 

「はい、明日はリゼさんはお休みです。リゼさん、受験勉強のためにシフトを減らされたので」

 

 成る程な。まあ流石に受験だし仕方ないか。寧ろそれでバイト続けてるのが不思議なぐらいだからな。僕にはとても真似できん。

 まぁ、とにかくシフトに穴開けるわけにはいかないし引き受けるか。

 

「わかった、明日はよろしくな」

 

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

 そう言うとチノはぺこりとお辞儀した。

 そのまま部屋を出て行くのかと思えば僕の部屋を見渡していた。

 

「どうしたチノ?」

 

「いえ、乙坂さんが来てから大分経ちましたけど、あまり前と変わってないなと」

 

「まぁ私物もそんなないしな。そういやこの部屋って元々誰の部屋なんだ?本とかいろいろ置いてあるけど」

 

「この部屋は元々祖父の部屋です」

 

「祖父って先代マスターの?」

 

 この喫茶店、ラビットハウスは元々チノの祖父が始めたらしい。その爺さんも二、三年程前に亡くなったようだ。

 確か以前、ココアがそんな感じのことを話してくれてた気がする。

 

「なるほどな、道理でコーヒーの本やら経営の本とかがたくさん置いてあるわけだ」

 

「読んだんですか?」

 

「まぁ少し、パラパラっとな。読んじゃまずかったか?」

 

「いえ、そういうわけじゃないです。寧ろいずれは処分する予定でしたので欲しいのがあれば譲りますが?」

 

「いや、流石に形見の品なんて貰えないよ」

 

 暇な時に少し読んだり、料理の参考にしてる程度で、別に欲しいって訳じゃないしな。

 にしても爺さんが死んでまだそんな経ってないようだが、チノは死んだ爺さんのことをどう思っているんだろうか。

 遺品を処分とか言ってるし割と平気そうだが、またこの前みたいに変な地雷踏むとあれだしな。些細なことでも聞いてみるか。

 それに、チノともっと話した方がいいと思ってたところだし、こういう些細な会話を積み重ねることで、チノのこともよく知ることができるだろう。

 

「えっと……こういうこと聞いていいかわかんないけど、チノは爺さんのこと好きだったのか?」

 

「はい、大好きでした。コーヒーを淹れる姿はとても尊敬していました」

 

「そうか、じいちゃん子だったんだな」

 

「そうですね。でもさみしくはないですよ。父もティッピーもいますし、それに今はココアさんもいますし」

 

「意外だな」

 

 率直な感想だった。

 チノからしたらいきなりなんだと思うだろうけど。

 

「何がでしょうか?」

 

「いや、てっきりココアのことはあまり好きじゃないのかと思ってたからさ」

 

 ここに来てから毎日のようにココアを(たしな)める姿しか見てないもんだからてっきりそう思っていた。

 

「確かにココアさんは五月蠅いですし、時々天然でやらかしたりしますが、決して嫌いなんかじゃありませんよ。あれでいいところもありますし。それにココアさんがいたから、今の私があるって時々思うんです」

 

「どういうことだ?」

 

 有宇がそう聞くと、いつも物静かにしているチノにしては珍しく、熱弁を振るって語り始めた。

 

「その、ココアさんがこの店に来てから、千夜さんとシャロさん、青山さんや凛さんと出会って、それからリゼさん、マヤさん、メグさんとも前より親しくなりました。ココアさんと出会ってから、私は色々と変われたと思うんです」

 

「変われたって?」

 

 有宇は再び聞き返す。

 有宇にとっては接する人間が増えたところで、だからどうしたとしか思えなかった。

 自分を慕う人間が増えること自体はいいとは思うのだが、僕に言わせればそんなものは自分の名声を高めるための手段でしかない。周りの人間なんて僕にとっては僕自身の自己顕示欲を満たすためだけに利用する道具に過ぎない。

 それに変われたって何が?環境が変わったってことか?いや、そんなことわざわざ言いたいわけじゃあるまい。じゃあ何が?

 そしてチノは続ける。

 

「私は見ての通り、あまり人と積極的に接するタイプではなかったので、だから友達も少なかったですし、人と話すこともあまりありませんでした」

 

「でもマヤとメグがいるじゃないか」

 

「あの二人が積極的に話しかけてくれたから友達になれましたが、今ほど親交はなかったと思います。ココアさんは見てわかるように気軽に人と話せる人です。だからここに来てからすぐに皆さんと仲良くなられました。気づけば私もその和の中に入っていて、そして色んな人と仲良くなれました。ココアさんがいなかったら、きっと今も私は一人だっただろうなって」

 

 なるほど、ココアが千夜やシャロ達と仲良くなれたから、自然とココアの側にいたリゼやチノもその輪の中に入れたわけだ。更にチノと親しい関係にいたマヤとメグもその輪に入り、そのおかげでマヤとメグとも以前より仲を深めることができたってことか。

 だから友達を作ることのできない自分が、ココアとの出会いをきっかけに友達を作ることができた。それがチノの言う自己の変化だ。

 でもそれってさ……。

 

「それって単にココアのおこぼれを貰っただけじゃないのか?」

 

「え?」

 

「いや、チノはなんかココアと会ってから自分は変われたみたいなこと言ってるけどさ、単にココアが作った仲良しの輪に入れたってだけで、お前自身何か変わったわけじゃないのかってことだよ」

 

 ……はっ、何言ってるんだ僕は!?

 ついつい思ったことを口にしてしまったが、明らかにチノに喧嘩売ってるように受け取られてもおかしくないこと言ったぞ。

 流石に怒らせたか?と思ったが、チノの態度は依然として変わる様子はなかった。

 

「そうですね、確かに乙坂さんの言うとおりだと思います。だからまだ自分に友達を作る力がついただなんて思っていません。でもココアさんが私に人と接する機会を作ってくれたから、私はもっと皆さんと一緒にいたいって、もっと色んな人と出会えたらいいなって、そう思えるようになったんだと思います」

 

 チノはそう自信満々に言い放った。まるで僕の発言など物ともしないぞとでも言うように。

 

「昔は一人でいようとも平気でしたし、お店でコーヒーを淹れられればそれでいいと思ってました。今でも静かなお店でコーヒーを淹れるのは好きです。でも今は、皆さんと一緒に遊んだり、騒がしいお店でコーヒーを淹れるのも悪くないって、楽しいって思えるようになりました。今はその……なんていうか、一人でいると落ち着かないんです。ココアさんと出会えたからこそ、誰かと一緒にいることの楽しさを知る事ができました。大したことじゃないかもしれません。でも私は、今まで知ることのなかったとても大切なことを知ることができたような気がします」

 

 今まで、チノがこんなに長く喋ったことがあっただろうか。いや、それだけこの思いを伝えたかったのだろう。

 正直僕には誰かといる楽しさなんてものは知らないし、これからも理解しようだなんて思わない。

 チノとココアが今までどんな風に過ごしてきたかは話聞いたぐらいしか知らない。けどチノにとってはきっと、今まで過ごしてきた時間の中で、チノの人生観を変えるほどの何かを得られるほど、意味のある物であったのかもしれないな。

 

「そうか、悪かったな変なこと言って」

 

「いえ、気にしないでください」

 

 そう言ってチノは僅かに微笑む。

 にしても改めてこう聞いてみるとチノって……。

 

「なんだかんだでココアのこと結構好きなんだな」

 

 有宇がそう言うと、たちまちチノの顔か赤くなっていた。

 

「なっ!?べ、別にココアさんのことは嫌いではありませんけど……でも特別好きというわけでは……」

 

「わかったから落ち着け落ち着け」

 

 取り敢えずチノを(なだ)める。

 それからチノは少し息を整えてから言う。

 

「すみません、見苦しいところを見せてしまって。あの、ココアさんには今の話言わないでください。絶対調子乗りますから」

 

「あぁ、わかった」

 

 ああ、なんかなんとなくチノのことがわかってきた気がする。

 大人しい奴ではあるが、決して根暗な奴じゃない。

 口数こそ少ないが、本当は人と話すのが好きで、ココア達といることだって好きなんだろう。

 最もそれを素直に認めるのはまだ恥ずかしいようだがな。

 

「つい喋りすぎてしまいました。すみません、長居してしまって」

 

「いや別にいいよ、どうせ本読んでただけだしな」

 

「そういえばよく本読んでいますよね。本好きなんですか?」

 

「ん?まぁ、趣味も無いし暇な時は読んでるな」

 

「好きなジャンルとかあるんですか?」

 

「いや、適当に本屋で良さそうなのとかベストセラーとか売り出されてるやつを適当に手に取ってる感じだな。別に読書家ってわけじゃないぞ。漫画とか雑誌とかも普通に読むしな」

 

 飽くまで本は周りの流行りとかを押さえるための手段で、漫画や雑誌もそうだ。こういう日々の積み重ねが周りとの会話の糸口になるからな。

 その中で本を積極的に読んでるのは、単に頭良さそうに見えるからだ。まぁ口に出すと頭悪そうに見られるから言わないけどな。

 要は他にやることも無いし、周りの評価を得るための手段として趣味にしているということだ。

 

「チノは本は読むのか?」

 

 単純な疑問として聞いてみた。

 個人的に結構読んでそうなイメージがあるけど。

 

「いえ、全く読まないわけではないですけど、そんな読むわけではないですね。ココアさんはよく読んでますけど」

 

 ココアの方が読んでるっていうのが意外だな。あいつこそ漫画とかしか読んでないイメージなんだが。

 

「そういえば以前ココアさんに本借りてましたよね」

 

「ああ、前に本読んでてにいきなり部屋に入ってきた時に、本好きなの?とか聞かれたから適当に頷いてたら貸してきてな。最初はあいつの読む本なんかろくなもんじゃないだろと思ってたけど意外に面白かったな。この本もあいつから借りたやつなんだ」

 

 そう言って有宇は、机の上に置いてある『カフェインファイター』の本に手を添える。

 以前、ココアに借りた借りた本が面白かったので、ココアから同じ作者が書いているこの本を借りたのだ。

 読んでいる途中だが、この本もまた結構面白い。

 

「フフッ、すっかり青山さんのファンですね」

 

「そういえばその人、この店にたまに来てるんだよな?今度紹介してくれよ」

 

 前回読んだ『うさぎになったバリスタ』は喫茶店を立ち上げる爺さんの苦悩が語られるシリアスな感動系の話だった。調べてみると映画にもなっており、なんとこの喫茶店がその舞台だったようだ。

 そういえばこの街を調べるときに古本屋で買った雑誌にも、映画の舞台になった喫茶店と書いてあったが、その映画というのがこの『うさぎになったバリスタ』だったようだな。

 そして今読んでる『カフェインファイター』はシリアス要素はあまりなく、コメディー色が強い話となっていた。一々敵キャラの口上が中二臭い割に、やってることがギャグそのものなのがまた面白い。

 読んだのはまだこの二冊だけだが、この二冊を手がけた作家、青山ブルーマウンテンは他にも子供向けの本とかを書いてたりするらしい。

 多種多様なジャンルを書き分けられる作者に、基本他人に興味のない有宇にしては珍しく興味を持ったのだ。

 そして何でもその作者はこの店の常連らしい。最近は姿を見ないということだが、会えるというなら折角の機会だし会ってみたい。

 

「はい、今度いらっしゃった時に声かけますね」

 

「ああ、頼むよ。そういえばチノは普段部屋で何してるんだ?」

 

 有宇は趣味が特にあるわけではないので、他人が普段何をやっているのか若干の興味があった。

 それにチノの趣味が分かれば、そこから話を共有して仲を深めることもできるしな。聞いといて損はないはずだ。

 

「普段ですか?宿題とか明日の授業の予習とか……あと受験に向けて少し勉強もしてます」

 

 そういえばリゼだけじゃなくてチノも受験生だったな。

 チノは一見、小学生にしか見えない見た目ではあるが、実はこう見えて中学三年生である。だから僕と一つしか差がないのだが、未だに少し信じられない。

 そして中学三年生なので、当然高校受験を控えている。今が頑張り時の時期だろうな。

 僕の受験シーズンの時は、近辺の色んな進学塾に潜入して、頭のいい受験生の情報を調べることにひたすら時間を割いていたっけ。

 今思えば無駄なことだったなと今更ながら後悔する。

 

「仕事に勉強に大変だな」

 

「いえ、そんな勉強ばっかというわけでもありませんよ。息抜きもちゃんとしてますしよ。よくパズルや趣味のボトルシップ制作もしてます」

 

 パズルにボトルシップか……パズル系のゲームが好きなのか?というかボトルシップってなんだ?

 

「ボトルシップってあれか、ペットボトルで船でも作るのか?」

 

「いえ、そういうのではなくて……見てみますか?」

 

「え?あぁ……」

 

 そう言われてそのままチノの部屋に連れて行かれた。

 思えばチノの部屋に入るのって何気に初めてじゃないか?

 

「どうぞ」

 

 そう言われて中に入ると、物は整頓されている綺麗な部屋だった。そして広い。

 女子の部屋にしては少し地味な気もするが、うさぎの人形が置いてあり、女子らしいものもある。まぁ、何故か人形には眼帯が付いているのだが、チノの趣味なのか?

 そういえばココアもあいつ、部屋とか汚くしそうなイメージなのに結構綺麗なんだよな……とか思っている間にチノがボトルシップを持ってきてくれた。

 

「これです」

 

 そう言われてチノが持ってきた物を見てみると、それは中に船の模型が入っている瓶だった。

 

「これがボトルシップか。で、これどうすんだ?川にでも浮かべて遊ぶのか?」

 

「違います。ココアさんと同じことを言うんですね」

 

 あいつと同じこと……だと……。

 それだけバカなことを言ったということだろうか。地味にショックだ。

 

「ボトルシップは作るまでが楽しいんです。そういう風に遊んだりする物じゃありません」

 

「作るって言ったって組み立てて瓶に入れるだけだろ?プラモと何が違うんだ?」

 

「まぁそういうタイプもありますが、私が作っているのは分解・組み立てタイプですので」

 

「分解?組み立て?」

 

「はい、確かに瓶の外で作ってから瓶に入れるものもありますが、それだと瓶の口の大きさや船の大きさが制限されてしまうので。分解・組み立てタイプは船のパーツを予め分解しておいて、バラバラのパーツをピンセットをうまく使って瓶の中で組み立てるんです」

 

「むずっ!?」

 

 そんな器用な作業よくできるな!?

 あまり人を褒める質じゃないが、素直に凄いと思った。

 

「……僕には出来そうもないな」

 

「いえ、先程も言いましたが外で作ってから瓶の中に入れるタイプもありますし。それに偽ボトルシップというのもありますし」

 

「偽ボトルシップ?」

 

「はい、瓶のそこを切り抜いて、予め作っておいた船の模型を入れて接着剤でくっつけるという他と比べると一番簡単な方法です。それにボトルシップ組み立てキットとかも模型店とかで売っているので、もし興味があるようでしたらそこから始めるのをお勧めします。乙坂さんもこの機会に是非どうでしょう!」

 

「あ、あぁそうだな……気が向いたら……な……?」

 

「はい、お待ちしてます!」

 

 さっきのココアの話よりも饒舌に話してる。

 同好の士が欲しいんだろうか。チノの目が心做しかキラキラしている。他にこういうの好きそうなやつ、チノの周りにいなさそうだしな……。

 けどチノには悪いが、付き合うつもりは全く無い。僕にこんな器用な作業は無理だ。

 するとチノが時計を一瞥する。

 

「あっ、もうこんな時間ですね」

 

 チノがそう言うので時計を見てみると、もう十時を回っていた。

 部屋で色々話して、チノの部屋に来たりしてる間に結構時間が経ってたみたいだな。

 

「もうこんな時間か……」

 

「話してたらあっという間に時間が過ぎてしまいましたね」

 

「そうだな」

 

 確かに思ってたより時間が経っていた気がする。

 チノとは落ち着いて話せるので、ココアと話すときみたいに疲れたりしないからだろうか?

 取り敢えず明日も早いし、もう寝るか。

 

「それじゃあ、僕は明日も早いし部屋に戻るよ」

 

「あっはい、あの……乙坂さん」

 

「何だ?」

 

「その……お話できてよかったです」

 

 少し緊張しているのか、チノはもじもじしながら恥ずかしそうに少し俯きながらそう言った。

 もしかしたらチノも僕のように、僕との距離感を探っているのかもしれないな。僕もチノとちゃんと話さないといけないと思っていたところだったし、これはちょうどいい機会だったのかもしれないな。

 

「僕もチノと話せてよかったよ。何だかんだ、ここに来てから二人で話したことって仕事関係以外のことでなかったし、楽しかったよ」

 

「はい、私も楽しかったです。おやすみなさいお兄さん」

 

「あぁ……ってお兄さん?」

 

「あっ……!す、すみませんつい……」

 

「あ、いや、別にいいけど……」

 

 いきなりチノに兄と呼ばれたため、有宇は少し驚いた。

 そういえばマヤにも「有宇にぃ」と兄呼ばわりされたが、なんだ?僕から兄オーラでも出ているのか?

 ……いや、兄オーラってなんだよ!と内心で一人ツッコミをしてしまう。

 

「えっと……それではおやすみなさい、乙坂さん。明日はよろしくお願いします」

 

「あ、あぁ、おやすみ」

 

 チノの兄呼びにまだ少し同様したまま、有宇はそう答えて部屋を出た。

 

 

 

 チノの部屋から自分の部屋に戻ると、机の上に置いてある本に目がいく。そういえば、結構いいところでチノが来たんだっけか。

 しかし、本の続きは気になったが、明日も早いので流石にもう寝ることにした。

 そしてそのまま電気を消してベットに横になる。

 

『大したことじゃないかもしれません。でも私にとっては大きな一歩でした』

 

 目を閉じると、ふとチノの先程の言葉が思い起こされる。

 あいつは……チノは今も変わろうとしている。僕よりも小さいあの子が、人と接する努力を、不器用なりに必死に頑張っている。

 じゃあ僕は?僕はどうだろうか?

 

『変わるも変わらないも有宇くん次第だよ』

 

 あの日のココアの言葉が思い出される。僕が変わらなければいけないと思い直したあの日、ココアが僕に向け言った言葉だ。

 変わると簡単に言ってくれるが、そもそも変わるったってどんな風になればいい。

 チノは人と話せるようになりたいという、変わりたい自分の理想の姿があるわけだが、僕は自分がどう変わればいいかなんてわからない。

 敷いて言えば今まではそれが他人から羨まれる、誰からも認められる人間ってことだったんだけど、カンニング魔として悪名を立て、人生のレールから外れてしまった僕がその理想を叶えるのは無理がある。

 だからといって、ココアみたいに誰かと積極的に繋がりたいとか、友達になりたいとか、そう思うことはできない。

 今のままじゃ駄目なんだろうけど、でも具体的にどうすればいい?どう変わればいい?

 そんな悩みを残したまま、眠りについた。




後編に続きます。


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第8話、曖昧模糊な関係(後編)

「チノ、ちょっといいかい」

 

 チノが夕飯を終え部屋で机に向かっていた時のこと。チノの父親、タカヒロはそう言ってチノの部屋を訪れた。

 夜の時間はうちはバータイムなので、基本的にこの時間帯は父はバーにいます。ですので夜にこうして父が部屋に来ることはあまりないのですが……。

 一体なんの用だろうとチノは父に尋ねる。

 

「なんですか、お父さん」

 

「今日アルバイトの電話が来たんだ。それで一応チノにも事前に伝えておこうと思ってね」

 

 どうやら新しいバイトさんが増えるという話みたいですね。

 因みにうちには今、私の他に二人のバイトさんがいます。

 一人は父の友人の娘さんで名前をリゼさんといいます。私の三つ歳上で、基本的にはなんでもできる頼りになるお姉さんです。ですがリゼさんのお父さんが軍人ということもあってか、リゼさんもたまに鬼教官っぽくなってしまうところがあり、時々ちょっと怖いです。

 二人目は去年うちにバイトで入ったココアさんです。街の外からこの街の学校に入るためにうちで住み込みで働いています。明くておっちょこちょいで、可愛いものとあらばすぐにもふもふする色々と騒がしい人です。

 何故か私のことを妹だと言って自分のことをお姉ちゃんと呼ぶように言ってきたり、いきなり抱きつかれたりされるので正直困ってます。でも……嫌いじゃないです。

 今はこの三人でバータイムまでのカフェを切り盛りしています。ですがどうやらまた一人、新しい方が来るみたいです。

 

「はぁ、別に構いませんが……どんな方なんですか?」

 

「乙坂有宇くんというチノの一つ上の男の子だ。午前中に働けるようだし、明日の面接次第では採用したいと思っている」

 

「男の人……ですか」

 

「不安かい?チノが不安なら採用は見送るけど」

 

 男の人……ちょっと怖いな。

 新しいバイトが男だと聞いて、チノは少し不安になる。

 今まで周りの方達はみんな女の人でしたし、学校もずっと女子校でしたから、男の方と接したことは殆どありません。ですのでちょっと怖いです。

 でも私達が学校へ行っている間、カフェは父一人で回しています。お昼時は普段お客さんの少ないうちのお店でもそこそこお客さんは来ますし、一人でやるのはとても大変な筈です。

 不安はありますが、父の負担が少しでも減るならバイトさんに来て貰った方がいいのは確かですし、わがままは言えませんね。

 

「いえ、大丈夫です。不安がないといえば嘘になりますが、男の人に慣れるいいきっかけになると思いますから」

 

「そうか。じゃあ明日彼が面接に来たら私の部屋に通してやってくれないか」

 

「わかりました」

 

 新しいアルバイトの人……男の人……どんな方なんでしょうか?

 そして次の日、そのバイトさんはやって来ました。これが、乙坂さんとの初めての出会いでした。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 翌日、ここに来て初めてチノと二人での仕事……なのだが、既に洗い物などの仕事も大体済んでおり、雨のせいもあるのか客も全然来ていない。

 この店の客のピークは大体十二時少し前から二時ぐらいまでで、そこを過ぎた頃ぐらいから少しずつ客数が減っていく。だから今は客があまり来る時間ではないのだ。雨で客が来ない今日みたいな日は尚更来ない。

 それにしたって一人もいないとかこの店本当に大丈夫かよ……。

 有宇はガラリとした店内を見渡し心配になる。

 客数の心配をするのももう何回目だろうか。それほどこの店の先行きが不安になる。そりゃ働かないで金が貰えるから僕としては万々歳だが、この店が潰れでもしたら僕の働く場所がなくなってしまう。

 家出少年を住み込みで働かせてくれるところなんて他にそんなないだろうし、この店にはもう少し繁盛してもらわなければ僕が困る。

 それから有雨は隣でつっ立っているチノをチラリと一瞥する。

 この客数だったらチノ一人でもよかったんじゃないのか?いや、それよりもこれはツッコんだ方がいいのか……?

 さっきから隣に立つチノは特に何をするでもなく、ただ立っている……立っているだけなのだが、その姿は傍から見ても異様なものであった。

 意を決してチノに()()について尋ねてみる。

 

「なぁ、それ重くないのか……?」

 

「ティッピーのことですか?はい、大丈夫ですよ」

 

「そ、そうか……」

 

 チノの頭には何故か店で飼われている毛玉うさぎが乗っかっていた。乗っかっていたというよりさっきチノが自分で乗っけるところを見た。

 いや、チノがうさぎが好きなのは知ってる。以前から弁当をうさぎのキャラ弁にしてもらっていたり、仕事の空いた合間にモフっていたところを見たことがあるからわかってはいるんだが、だが何故わざわざ頭に乗せる!?

 そんなもん頭に乗せてたら動き辛くないのか!?いや、ていうかそもそも乗せる意味ってなんだ!?

 

「乙坂さん、どうかしましたか?」

 

「いや、えっと……」

 

 聞いていいのか?

 だけどチノのことだしな、何か訳があるはずだ。

 そう思い有宇はチノに尋ねる。

 

「なぁ、なんでうさぎを頭に乗っけてるんだ……?」

 

「ティッピーを頭に乗せてるとしっくりくるんです。寧ろ乗せてないと落ち着かないです」

 

「そ、そうか……」

 

「はい、あっキリマンジャロが切れそうなので倉庫の方へ行ってきますね」

 

「あ、あぁ……」

 

 そう言ってチノは毛玉うさぎを頭から降ろし、倉庫の方へ行ってしまった。

 ……おかしい、理由を聞いたのに全然理解できないんだが?

 昨日少しはチノのこと知れたと思ったのだが、またチノがわからなくなってきたような……。

 有宇はチノの奇行に頭が追いつかないままその場に取り残された。

 

 

 

 チノが部屋を出て五分ほど経つ。その間も特に客が来ることもなく、有宇はただ一人で突っ立っていた。そしてチノがまだ戻って来ないことに、有宇は少し心配になる。

 豆の入った袋は確かに女子には重いが(僕からしても少し重いが)、倉庫は廊下を出てすぐ左の部屋なので、さっさと戻ってこれると思うのだが何かあったのだろうか?

 何かあって僕の責任になるのは嫌だし……客もいないし少し様子を見に行ってみるか。

 そう考えると有宇は店舗スペースの後ろにあるドアから廊下に出て、倉庫の部屋に向かう。すると倉庫の部屋のドアは開いており、中からごそごそと何か聞こえる。

 

「おーいチノ、なんかあったのか?」

 

 そう言って部屋を覗いてみると、地面に豆が散乱しており、それを片付けてるチノの姿があった。

 

「うわっ!?どうしたんだこれ!?」

 

「すみません、袋を持っていこうとしたら転んでしまって。そしたら紐でしっかり結ばれてなかったようで袋の中の豆が出てきてしまって。でももう片付くので乙坂さんは戻って大丈夫ですよ」

 

「いや、手伝うよ」

 

「えっ?ですがお客さん……」

 

「どうせ来ないだろ。それよりさっさと片づけるぞ。ほら、ちりとり貸せ」

 

「は、はい」

 

 チノからちりとりを受け取り、そのまま二人で散らばった豆を片付ける。

 すると後ろからピョンピョンとうさぎのティッピーが跳ねながら部屋に入ってきた。

 

「おい入ってくるな!豆のカスで汚れるぞ!……ったく、ただでさえ無駄に毛が生え散らかってるってのに……」

 

『なんじゃと!ワシの自慢のモフモフボディーを無駄とはなんじゃ無駄とは!』

 

「え!?」

 

 何処からともなく返ってきた声に、有宇は驚く。それから周りを見回すが声の主と思える奴はいなかった。

 気のせいか?いや、今一瞬確かにジジイの声が聞こえたよな……?

 それからうさぎのティッピーに目をやる。

 ていうかこのうさぎから聞こえたような……。でもうさぎが喋るわけないよな……?

 有宇がじっとティッピーを睨みつけていると、チノがぱっとティッピーを右腕で抱き抱える。それから左手で口元を隠す素振りをしながら言う。

 

「すみません。今のは私の腹話術です」

 

「腹話術?」

 

「はい、きっとティッピーならこう言うだろなと思いまして。ちょっとしたジョークです」

 

「そ、そうか。ならいいけど、その毛玉って確かメスじゃなかったか?」

 

「その……白い毛がもじゃもじゃしてるので、おじいちゃんを思い出したんです。ティッピー向こうに連れていきますね」

 

「あ、あぁ……」

 

 チノがジョークねぇ……。

 まぁうさぎが喋るわけないし、本人もそう言ってることだし、そうとしか考えられないか。

 チノだってあまりイメージこそ湧かないが、ジョークの一つや二つぐらい言うだろうしな。

 にしてもチノってあんな渋い声出せるのか……声帯どうなってんだ?

 そうしてチノは、そのまま有宇に背を向け、毛玉を店の方へ連れて行った。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「おじいちゃん、乙坂さんの前で喋るのはやめてください。乙坂さんは多分、他の方達より誤魔化すのは大変そうですから」

 

 チノはカウンター席にティッピーを置くと、ティッピーにそう注意を促した。

 

「だがチノよ、折角ワシが手伝ってやろうとしたのに、あの小僧が生意気言ったのが悪いんじゃ。そもそもあやつが来たせいでわしは部屋を取られてしまうわで散々じゃわい」

 

「それは我慢してください。それに元々ティッピーの姿であの部屋は広すぎると思ってましたし、ちゃんと使ってくれる人が使うべきです。ですのでおじいちゃんは私の部屋で我慢してください」

 

「ムム〜」

 

「あと、乙坂さんの言った通りおじいちゃんが来ると毛に豆のかすがついちゃいますし、おじいちゃんはここで待っててください」

 

「仕方ないのぉ。しかしチノよ、何かあったらワシにすぐ知らせるんじゃぞ」

 

「大丈夫ですよ。それにこぼした豆の掃除なんてすぐに終わります」

 

 そう言ってチノは倉庫に戻っていった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 倉庫の床に散らばった豆を片付けた後、二人は残った豆が入った袋をキッチンまで持っていった。

 

「あとは袋の豆を瓶に移し替えるだけか」

 

「乙坂さん、その……手伝ってくださってありがとうございます」

 

「いや、別にいいけど……なあチノ、なんかあった時は別に呼んでくれて構わないぞ。何かあったんじゃないかと思って流石に心配したからさ」

 

「す、すみません。お客さん来た時に誰かいないとお客さん困ると思ったので。それに乙坂さんにもご迷惑になるかと……」

 

「別に迷惑なんて思わない。僕ほどの人間だってミスぐらいするしな。だからそういう時は遠慮せず人に頼れ」

 

 僕も周りの評価を得るのに必死だったのは自分の評価を上げるためでもあるが、いざという時に頼れるようにするためでもある。

 そりゃ基本的に一人でやれることはやるし、何かある時は能力を使って物事に対処するが、それでも人の力を借りなきゃできない場面というのは必ずしもあるというものだ。

 しかし、この時人望がない人間は人の手を借りるということができない。或いは手を借りることに遠慮がちになる。普段関わりのない人間から手を借りることに怯えてしまうからだ。それに周りの人間も、普段仲良くもない、評判も特別良いわけではないそいつに、わざわざ進んで手を貸してやろうだなんて思わないからな。

 だが僕は違う。僕は人間というやつを信頼はしてないが、利用できるものであることをしっかり認識している。だから普段から人にいい顔して評価を上げ、利用できるときに心置きなく利用できるようにしている。

 しかも僕は優等生でルックスだってイケてるし、まだ学生だった頃はよく女子が積極的に力を貸してくれたものだ。

 要は僕でも人に頼る場面はあるので、人に頼るということ自体を悪いことだとは僕は思わない。

 勿論僕自身、人に手を貸すことを面倒だと思わないでもないが、借りを作れると考えたら安いものだ。それにそういうことの積み重ねが周りの評価に繋がるし、そう悪いものではない。まぁ、本当に面倒だと思うことに関しては適当に理由付けて断るけどな。

 でもまずは手を貸してもらえるか聞いてみて欲しい。断るか断らないかはそれから決めるし、何も言われないとそれで逆に事態を悪化させて面倒になるなんてこともあり得るからな。

 頼りきりになって改善の余地なしってなると困るが、ある程度モラルを持って頼むのであれば、こちらも強く拒んだりはしないから。

 そして有宇は続ける。

 

「それに客だって来たらすぐに対応しに行けばいいだけだし、とにかく次からは何でも一人でやろうとしないでなんかあったらすぐ言ってくれよ。なんかあったら大変だし、僕もできる範囲で手伝うからさ」

 

「はい……」

 

 するとチノはボーっとした顔で有宇を見つめる。

 

「ん、どうした?」

 

「いえ、その、乙坂さんって結構優しいですよね」

 

 今なんて言った?

 優しいだって?この僕が?

 

「別に優しさで言ってるわけじゃない。お前が一人で解決しようとして何かあって僕の責任になるのが嫌なだけだ」

 

「フフッ、ではそういうことにしておきますね」

 

 フフッてなんだ!

 別に嘘を言ったつもりじゃないんだが……ん?っていうか今笑った……?

 

「どうしました?」

 

「いや、チノが笑うところ初めて見る気がしたからさ」

 

「私そんなずっと仏頂面してましたか……?」

 

「いや、仏頂面っていうか何ていうか……。単に感情が顔に出にくいだけじゃないか?そんな気にすることじゃないだろ」

 

 そう言うとチノは少し落ち込んだ様子をみせる。

 

「そう言ってもらえると有り難いですけど、でも接客業ですし笑えないとお客さん来てもらえませんし……」

 

 また気にしてることを言ったか……?

 別に気にすることでもないだろうと思うんだが、しかし本人は気にしているようだし、一応フォローいれておくか。

 

「まぁ確かにもっと笑った方が取っ付きやすいとは思うけどな」

 

「ですよね……」

 

「けどさ、そんな無理して変わる必要もないだろ」

 

「えっ?」

 

「僕みたいにカンニングしただとか、そういう余程の問題があるっていうならまだしも別にそうじゃないだろ?誰にだって苦手なことぐらいあるだろうし、そんなに慌てて改善する必要なんてないだろ」

 

「でも、もっと笑えるようになればもっと皆さんやお客さんにもいい印象持ってもらえるでしょうし……」

 

「まぁ、笑顔で明るいココアみたいな人間の方が良い印象を持たれやすいというのは確かだが、客によっては店員に顔を覚えられたくないから店員と話すのを避けたり、単純に人と話すのが嫌いな奴だっている。だからココアみたいに明るい店員を嫌う人間だっているし、客によって様々だ。接客っていうのは明るく接すればいいってもんじゃない。それに僕だって、ココアみたいな騒がしい奴よりもチノみたいに大人しい奴の方が好きだぞ」

 

 確かに明るい人間は人に好かれやすい。人との繋がりを築く上で手っ取り早いのがやはり会話だからな。明るく誰にでも話しかけることができるココアみたいな奴はやはり人に好かれやすいのだ。

 当然接客においても、ムスッとしているより明るく接した方が好印象だ。特にこういう個人経営店はチェーン店と比べると来る客に偏りがあるから常連客との人間関係は大事だ。それに客によっては店員の印象だけで店の良し悪しを判断する奇特な奴もいるし、印象をよくしておいて悪いことはない。

 しかし、ただ明るく接すればいいってものじゃない。例えばこの店のような喫茶店だと、ただコーヒーを楽しみに来ただけとか、一人で静かに過ごしていたい、といった店員と過度な関わりを避けたがる人間も一定数いることは確かだ。そういう人間相手に、ココアみたいに誰彼構わず客に絡みに行く店員が接客すると、そういった客は店から離れてしまう。せっかくのリピーターが逃げてしまうのだ。

 だからただ単に明るく接するのではなく、相手によって、空気を読んで対応することも大事なのだ。チノはあまり笑わないため少し無愛想だが、声はちゃんとはきはきしてるし、対応はしっかりしてる。空気だって読んでいると思う。

 逆にココアは客への配慮が少し足りてないところがある。元々空気読めるタイプでもないんだろうけど、あいつはうちに来る客には誰彼構わずよく話しかけているみたいだからな。うちに来る客は割と話すのが好きな人が多いからあまり問題はないが、たまに寡黙そうな一人でいるのが好きそうな雰囲気があるサラリーマン相手にも「お仕事ですか?」と話しかけたりしている。

 それに何気にココアは記憶力がそこそこいい。一度知り合った人間のことはすぐ覚えるから、客のことも当然よく覚えている。店員に顔を覚えられたくないと思う人間が再来店した時に「また来てくれたんですね。今日もブレンドでいいですか?」なんて聞いてみろ。もうその客はうちには来なくなるだろう。

 現にあのサラリーマンはあれから店で姿を見た覚えはない。僕ももし客の立場だったらあまり話しかけられたくはないし、店に来なくなった気持ちがよくわかる。

 要はどちらも一長一短なんだ。明るくできるなら明るくした方がいいとは思うが、空気を読んで対応することも接客には求められるわけだ。

 だからチノが明るくなりたいというのも、勿論明るくなる分にはいいだろう。けど無理するほどではないと思う。チノにはチノのいいところがあるし、下手に自分を変える必要性はないと思う。変えるにしたってそう焦ることはない。自分のペースでゆっくり改善していけばいい。

 有宇がそう言ってチノを励ますと、チノの顔が少し赤らむ。

 

「あ、ありがとうございます。そう言ってもらえるとは思いませんでした」

 

 なぜ照れる!?

 いや、でも確かに好きとか結構恥ずかしいこと言ったな。いかん、今更恥ずかしくなってきたな……。

 

「と、とにかくチノは別に無理して変わらなくても十分だと思うし、改善したいと思うなら、ゆっくりで大丈夫だからあんま気にするな。お前はお前だ。大人しいことだってお前の個性だ。無理にココアみたいになる必要なんてないんだから出来る限りで気楽にやっていけばいいさ。それにお前はこの喫茶店の唯一の良心だしな。お前までココアみたいになられたら溜まったもんじゃない」

 

 有宇がそう言うと、チノは「そうですね」とクスクスと笑う。

 機嫌が直ったようなら何よりだ。

 するとチノが「そう言えば……」と何やら疑問を口にした。

 

「どうした?」

 

「いえ、その、先程言ってたカンニングって何のことでしょうか?」

 

「えっ?」

 

 てっきりココアから聞いてるものかと思っていたのだが……まさか。

 

「えっと……ココアから何も聞いてないのか?」

 

「何とは?」

 

「僕がココアに街案内して貰った日だ。何も聞いてないのか?」

 

「えっと……あの時乙坂さんの様子がおかしかったのは私にもなんとなくわかりましたが、ココアさんからは特に何も聞いてません。というより何があったのか聞いても何も答えてくれなかったので」

 

 ……あいつ話さなかったのか?

 お喋りなあいつのことだからもうとっくに全員に知られてると想っていたが、あいつにしては珍しく気を使ったのか?

 いや、それよりも今するべきなのは……。

 

「あの、乙坂さん?」

 

 チノはまだ僕の本当の素性を知らない。僕が乱暴な父に家を追い出された悲劇の少年などではなく、本当はただのカンニング魔で、それがバレて高校を退学になり、それが原因で親権者のおじさんと喧嘩して家出しただけのただの家出人だということを。

 有宇は思った。このまま黙っている方がいいんじゃないか?と。

 ココアにばらしたのは飽くまでココアの鼻を明かしてやろうかと思ったからだ。本来なら隠し通しておかなければならない黒歴史だ。

 下手にぶちまけて嫌われて、これからの生活がギスギスするぐらいなら、隠すことが得策と考えるべきだろう。今ならまだ誤魔化しようがある。

 ココアは幸い気にしてないようだし、言いふらす気もないようだ。なら、僕から言わない限りはおそらくバレたりはしないだろう。知らぬが仏とも言うし、このまま黙っておくか……。

 有宇がそう考えた時だった。ふとココアのある言葉が思い起こされる。

 

『私は有宇くんを信じるよ。だから有宇くんもみんなを信じて欲しいな?』

 

 みんなを信じる……僕が?

 はっ、まさか、そんな言葉を真に受ける僕じゃ……。

 

『変わるも変わらないも、やり直すもやり直さないも有宇くん次第だよ』

 

 僕次第……僕は……どうしたいんだ?

 その言葉に突き動かされたのかどうか、自分でもよくわからない。けど、この時は考えるよりも先に口が先走っていた。

 

「あのだなチノ、実はな……」

 

 

 

 結局僕はチノに本当の事を話した。僕が最初にココアに話した身の上話が嘘であること。本当はただのカンニング魔で、それがばれて高校を退学させられ、そのせいで親権者のおじさんの怒りを買い、勘当同然で家を出たこと。そしてこの前、ココアと出かけたときの事も。

 チノは終始何も言わず、僕が話し終わるまで聞いていた。その顔には若干の戸惑いが感じられる。

 まあ当然だろうな。普通だったら軽蔑されても仕方ないことだ。無理もない。

 そして僕が話し終えると、チノは静かに口を開いてこう言う。

 

「……正直に言うとちょっとショックです」

 

 ……そりゃそうだろうな。

 そもそもココアみたいになんでも受け入れる方がおかしいのだから。ココアのようなポジティブな答えが来るなんて思ってはいなかった。

 しかしチノはこう続ける。

 

「でもありがとうございます、本当のことを言ってくださって」

 

 ありがとう……だと?

 今確かにそう言ったよな。

 

「ありがとうってなんだよ。ショックだったんじゃないのか?」

 

「はい、乙坂さんが悪いことをしていたのはショックです。ですが、それを言うのはすごく勇気のいることだと思います。だって話したら嫌われてしまうかもしれない、軽蔑されてしまうかもしれないって、私が乙坂さんならそう思って言えないかもしれませんから」

 

 それが普通だ。何もおかしくはない。

 僕だってそう思ったから今まで言わなかったわけだしな。

 

「だから、乙坂さんのように、後ろめたい事を正直に言えるのは凄いと思います」

 

 そう言ってもらえて悪い気はしないが……。

 

「別に勇気とか、そんなんじゃない。チノは僕が自分から言ったと思っているだろうけど、結局ココアに促されただけだ」

 

「ココアさん……ですか?」

 

「さっき話しただろ、ココアにみんなを信じろとか言われたんだ。だから今もなんとなくその言葉に釣られて話しただけだ。別に自分の意思とかじゃない」

 

 結局のところ、以前ココアに言われたことに流されただけなんだ。

 どうすればいいか。どう変わればいいか。その答えはまだ出ていない。そして今も、チノに僕の黒歴史を話して良かったのかどうかもわからなかった。

 どうやら今の僕は、自分が絶対に正しいと言える程、自分を正当化できなくなっているようだ。正しいと思った道を進んだはずなのに失敗し、落ちるところまで落ちてしまった。だから自分の選択に自身が持てないのだ。

 でも、だからこそ変わらなければならない。もうあんな事にならないように次は上手くやる。そのためにも変化は必要だ。だけど、自分がどう変わればいいかなんて僕にはわからない。

 今まで他人を見下し、僕こそが正しいと疑わなかった。だから、僕が変わるべき正しい自分というものがわからないんだ。

 きっと以前の僕なら自らの選択を間違いだったと疑うことはなかっただろう。今だって迷わずチノに嘘をついて秘密を隠したことだろう。

 でも今は迷いが生じている。本当にそれが正しいのかと。わからなかった。自分がどんな答えを出せばいいのか。

 そして今、チノに本当の事を話すかどうかという選択をすることは、きっとこれから先の僕の道に大きく関わってくることだと思う。

 もう大事な選択を誤りたくはない。そのプレッシャーが僕の中の自信を揺がせ、答えが出せなかった。

 けどその時、ココアの言葉が頭の中に思い起こされた。『変わるも変わらないも、やり直すもやり直さないも有宇くん次第だよ』と。

 自分をどう変えていけばいいかなんてわからない。その答えは未だに出ていないのだから。けどそれなら、今出そうとしている答えを変えてみよう。重く考えていたはずなのに、ココアのあの気の抜けた声を思い出したら、そんな風に思えたのだ。

 あれこれ色々と悩んでいたはずのに、僕は迷い無くそのまま秘密を明かしてしまった。だから、これは僕の意思などではなく、ココアに促されたと言うべきだろう。自分で考え抜いて出した答えではない。

 しかしチノはぽつりと言う。

 

「そうでしょうか。私はそうは思いません」

 

「へっ?」

 

 まさかチノに自分の答えを否定されるとは思いもしてなかったので、思わず変な声が出る。

 

「もし乙坂さんがココアさんに真実を話すように言われたのならそうかもしれません。ですが、ココアさんは私達を信じろとしか言ってません。だから、私達を信じて話してくれたのは乙坂さん自身の意思です」

 

「……別にそんなんじゃない」

 

「でも少なくとも私達を信じてみようとは思ったんじゃないですか?」

 

 そう……なのだろうか。

 確かにこいつ等なら、僕を咎めたりはしないだろう……。期待こそしてなくとも、確かにどこかでそんな甘えたことを考えていたのかもしれない。

 

「確かに乙坂さんのやったことは悪いことです。でも、それ以上に、私を信頼してくれた乙坂さんの信頼が嬉しかったです。だから、私も乙坂さんの信頼に答えたいです」

 

 チノは笑顔でそう言った。

 

「それに、乙坂さんは悪い人なのかもしれませんが、根はいい人だって一緒に過ごしたらわかりますから」

 

「買いかぶりすぎだろ。別に僕は……」

 

「そんなんじゃない」と言おうとするもチノの言葉に遮られる。

 

「確かに乙坂さんは口は乱暴で、それで時々人を傷つけてしまうこともあります。けど、なんだかんだでちゃんと人のことを思いやれる人だと思います。喧嘩したシャロさんと仲直りするときは、シャロさんのために必死にがんばっていました。マヤさんが困っていた時は手を差し伸べて助けてくれました。さっきだって私のことを気遣って元気づけてくれました。カンニングは確かに悪いことですし、乙坂さんに悪い所がないとは言えません。ですが、少なくとも私は、乙坂さんはラビットハウスにふさわしい人だと思いました。ですから、これからもよろしくお願いします、乙坂さん」

 

 ただ僕はチノの言葉に耳を傾けた。そして、意外にもチノが結構僕のことを見てくれていたことに驚いた。

 仕事以外での会話はなかったし、チノから仕事以外の用事で話しかけられたこともない。僕自身、チノに積極的に話しかけようとはしていなかったというのもあるが、てっきりチノは僕にあまり関心がないものだと思っていた。

 思えば、シャロにカフェモカを作った時もそうだったが、チノは何も言わず僕を手伝ってくれいた。もしかしたら口にしないだけで、僕の事を気に掛けてくれていたのかもしれない。

 チノは自分には友達を作る力はないと言っていたがそんな事はない。不器用ではあるが、人を思いやることもできるし、こんな僕にも手を差し伸べるだけの懐の広さもある。

 嘘で自分を固めることでしか人と関わることができなかった僕なんかよりよっぽど社交的だ。

 

「ありがとう、チノ」

 

 僕は一言、そうチノに礼を述べた。

 

「いえ、私は思ったことを言っただけですから」

 

 チノは微笑みそう返す。

 チノのその姿を見て、有宇はふと既視感に駆られる。

 ああ、似てるな。どこかの誰かさんに───

 

「似てるな」

 

「似てるとは?」

 

「お前とココアだよ。まるで姉妹のように言うことがまるで同じだ」

 

 人の醜い一面に触れてもなお、その人間に寄り添おうとするその姿勢は、あの日、僕に手を差し伸べてきたココアによく似ていた。

 すると、昨日「ココアのこと好きなのか?」と聞いたとき同様、チノの顔は赤くなった。

 

「なっ……べ、別に姉妹なんかじゃありません!」

 

「顔赤くなってるぞ」

 

「赤くなんかなっていません!……クスッ」

 

 チノが微かに笑い笑みを浮かべる。

 

「何がおかしいんだ?」

 

「いえ、すみません、なんか新鮮でつい」

 

「新鮮って?」

 

「いえ、その……男の人と話したことなんて、父と祖父以外になかったのでどう接すればいいのか正直不安で……。だからその……正直乙坂さんと話すときはちょっと緊張してたんですが、今は乙坂さんとちゃんと話せてるなと。その……すみません」

 

 ああ成る程、今まで僕に対してなんか遠慮がちなところがあったりしたのはそういうことか。

 確かにチノの学校は女子校だし、男と接する機会はなかったろうしな。しかも一緒に住むなんてことになって、緊張するのも無理ないだろう。

 僕だってここに来る前まで妹と一緒に暮らしていたとはいえ、ココアのような同年代の女子と暮らすことになって多少なりとも緊張はしているし、チノの気持ちはわからなくもない。

 それに僕もチノとの距離感を掴めずにいたわけだし、お互い様だ。

 

「別に気にしてないから、気にするな」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 しかし、チノはまだ何か言いたげな様子でモジモジしていた。

 なんだ、まだ何か言いたいことでもあるのだろうか。

 

「あの乙坂さん、その……お兄さんと呼んでもいいでしょうか」

 

「はぁ!いきなりどうした!?」

 

「すみません、その……いつまでも乙坂さんと名字で呼ぶのは他人行儀と思いまして」

 

 ああ、成る程……いやいやいや!

 

「それだったら普通に有宇でいいだろ」

 

「最初は有宇さんと呼ぼうと思ったのですが……鏡の前で練習して呼んでみたらなんか恥ずかしくて」

 

 兄と呼ぶのは恥ずかしくないのかよ!?ていうか練習なんてしてたのか……。

 まぁ、チノなりに僕との距離を詰めようとしてくれてたんだろう。

 

「でもチノはそういう風に呼ぶの嫌いじゃないのか?ほら、ココアにお姉ちゃんって呼ぶのも嫌がってるじゃないか」

 

「あれはココアさんがしつこいからです。年上の皆さんにお姉さんと呼ぶことに対してはそこまで抵抗はありませんよ。ですが呼ぶように要求されると言いたくなくなるんです」

 

 天邪鬼だなと思ったが、まぁそれはなんとなくわかる。

 僕自身、普段からチノみたいにココアから姉と呼べと、うるさく執拗に催促されているので気持ちはわからんでもない。

 

「なので乙坂さんがもし私にお兄ちゃんと呼ぶように言ってきたら全力で断るつもりです」

 

「言うか!!」

 

 てかそれ犯罪だろ。

 

「……はぁ、まぁいいや、好きに呼んでくれ」

 

「はい、お兄さん」

 

 その時、僕に向けるその笑顔が少し眩しく感じた。

 僕は少し考えを改める必要があるようだ。

 昨日僕はチノに、慕ってくれる人が増えたのはココアのおかげだろと言った。けどそれは違う。

 出会いのきっかけこそそうだったかもしれないが、その全員と仲良くなれたのは、紛れもないチノ自身が歩み寄ろうとしたからだろう。今僕にそうしたように、きっとチノなりに歩み寄ろうと頑張ってきたからだ。

 だからこそなのかもしれない。僕にはない純真さを持つそんなチノの笑顔が眩しく見えたのは。

 その時、カランと入り口のドアに掛けてある鈴の音が店内に響く。

 

「あっお客さん来ましたね。お兄さん、お席へ案内してください」

 

「あ、ああ」

 

 そうして会話は中断され、再び二人は仕事に戻っていった。

 

 

 

 それからバイトが終わるまでの間、そこそこ客も来たため、チノと喋るような余裕はなかった。

 変わったことと言えば、チノがお兄さんなどと呼ぶせいで、客にほほえましい眼差しを差し向けられたことぐらいだろうか。

 仕事が終わると、閉店準備をし、その後はチノが風呂を沸かし、その間に有宇が夕飯の準備に取り掛かった。その間少しさっきのことを考えていた。

 チノは僕を信じてくれると言った。じゃあ僕は?僕はチノを、ココア達を信じられるか?

 さっきチノに秘密を明かしたのだって、純真無垢なこいつらなら僕を避難することはしないだろうという驕りでしかない。それを僕からの信頼と呼ぶには、あまりにもこいつらの信頼を軽視し過ぎではないだろうか。

 正直まだ完全にこいつらを信じたとは言い難い。というよりそんな自分を認め難いと思っているところがある。

 (あの人)に捨てられてから、もう誰も信じまいと思いずっと生きてきたのに、こんな簡単に他人を信じてしまっていいのか?簡単に自分の信念を曲げてしまっていいのか?そんな思いが頭の中を巡る。

 僕は……僕はこのままでいいのか?

 

 

 

「たっだいま~」

 

 有宇が夕飯を作り終えた頃、ちょうどココアが甘兎から帰ってきた。

 そして下からどたどた足音を立てて階段を駆け上がってくる。

 

「チノちゃんただいま~」

 

 ダイニングルームに来ていの一番に発した言葉がそれだ。本当にこいつはチノが好きだな。

 それからココアは僕の横を通り過ぎ、思いっきりチノに抱きつく。

 

「ココアさん苦しいです」

 

「ごめんごめん」

 

 そう言ってチノから離れる。

 

「私がいなくて大丈夫だった?」

 

「はい、お兄さんもいましたから」

 

「へ~……ってええ!?チノちゃん今なんて!?」

 

「それより手を洗ってきてください。もうご飯にしますから」

 

 そう言ってチノはキッチンの方に戻っていった。

 一人残されたココアはプルプルと小刻みに体を震わせている。それから後ろにいた有宇の方を目を細めて睨みつける。

 

「よ、ようココア……」

 

「ふーん、いつの間にチノちゃんとそんなに仲良くなったんだ」

 

 その声はいつもより低めで、明らかに機嫌を悪くしていた。多分これがココアから向けられる初めての敵意だろう。

 

「いや、あのなあ、別にそんな大した話じゃ……」

 

「いくら有宇くんでも、チノちゃんのお姉ちゃんの座は渡さないんだからね!」

 

 そう言うと「うわあああん!」と泣きながらダイニングルームを出ていった。

 

「……本当騒がしい奴だな」

 

「そうですね。まああれもココアさんの良い所でもありますから。それに、さっきの話を掘り返すようであれですが、お兄さんのことを私たちに話さなかったのも、たぶん話す必要はないってわかってたからだと思います」

 

「……そうだな」

 

 あいつは馬鹿に見えるが……いや馬鹿だけど、人のことを考えられる奴だということはわかる。

 最も……

 

「さあ、チノちゃん、お皿並べ手伝うよ!」

 

「チノちゃん、私がよそうからいいよ!」

 

「チノちゃん、座ってていいよ!お姉ちゃんが全部やるから!」

 

「あの、ココアさん……分担した方が早いので………あの、聞いてます?」

 

 ……もう少し空気を読むべきだとは思うけどな。



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第9話、Candy Color Days(サイダー味)

 ある日の午後───

 

「今日はよろしく有宇にぃ!」

 

「あぁ、きびきびと働けよ」

 

 この日のラビットハウスでは、マヤがチノの代わりに働きに来ていた。それというのも、何でも中学の職業体験とかで三日間、街にある店舗で働かなければいけないらしい。それでマヤはここで働くとのことだ。

 にしても中学三年のこの時期に職業体験って……普通そういうのって二年のときにやるもんだろ。なんで受験本番の年にやるんだよ。

 有宇の頭にはそんな疑問が浮かんだ。

 まぁ僕は午後にシフト入れているのは今週は今日だけだし、こいつと働くのも今日だけだから別に構わんがな。

 因みにチノは甘兎、メグはフルールにそれぞれ職業体に行ったらしい。リゼは今日はシフトが入ってないため休みである。

 

「で、いつもなら喜んでそうなお前が何でそんな浮かない顔してんだよ」

 

 いつもマヤとメグのチビ二人が来ると喜ぶココアが何故か浮かない顔をして、毛玉うさぎを手でモフモフしていた。

 

「うん……だってチノちゃんが……」

 

「チノ?別に甘兎なら千夜だっているし心配ないだろ。それともチノが居なくて寂しいのか?」

 

「確かに寂しいけどそうじゃなくて……千夜ちゃんに影響されてこんな風になってなきゃいいけど……」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

『今日から抹茶派です。コーヒー派に宣戦布告です』

 

 そう言うチノの手には湯呑みが握られており、どことなく偉そうな雰囲気を漂わせてる。

 そしてそこに千夜が現れ、チノと共に決めポーズを決める。

 

『甘兎庵 看板姉妹 爆誕☆!!』

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「ヴェアアアア!!チノちゃんとられる!!」

 

 いきなり奇声を上げたかと思えば、ココアは勢い良くそのまま後ろに倒れ込んだ。

 

「……ただの中学の職業体験だろうが」

 

 何を思い浮かべたかは知らないが、どうせまたくだらない事だろう。大体たった三日間だけだし、泊まり込みってわけでもないっていうのになぁ……。

 すると、ココアの側に毛玉うさぎも泡を吹いて倒れているのを見つける。心なしか毛玉もショックを受けているような……。

 

「まぁ、ココアは無視して仕事に取り掛かるか」

 

 この女に一々付き合ってられるか。

 有宇は放っておくことにした。

 

「あ、無視するんだ」

 

「こいつにいちいち構ってたらきりがない」

 

 と言う訳で早速仕事に取り掛かろうと……

 

「無視しないでよ!!」

 

 すると、いきなりカバっとココアが起き上がった。

 

「あ、起きたか」

 

「ちょっとぐらいお姉ちゃんの心配してくれてもいいのに」

 

「お前に関しては、もう心配するの通り越して呆れてんだよ」

 

「もう、有宇くんの意地悪」

 

 冷たい態度をとる有宇に対して、ココアが頬を膨らませる。

 すると、二人のやり取りを横で見ていたマヤがくすくすと笑い出す。

 

「なんだよ」

 

「いや、有宇にぃとココアいいコンビだなって」

 

「え、そうかな!!」

 

 ココアが目を輝かせて食い付く。

 いいコンビと言われたことがそんなに嬉しかったのか?

 

「うんうん、二人ならきっとN1出れるよ!」

 

「コンビってそっちかよ!?」

 

 マヤの一言に思わず有宇がツッコみを入れる。

 するとそれを聞いて、ココアが顎に手をあて何かを考え始めた。

 

「どうした?」

 

「……有宇くん、コンビ組んだらN1取れるかな?」

 

「真面目に検討してんじゃねぇよ!!」

 

 やっぱりこいつを心配するだけ無駄だということか……。有宇はココアのアホみたいな純粋さに頭を悩ませる。

 

「大体、奇声あげる女とコンビとかゴメンだ」

 

「え〜でもその方がお客さんにウケたり……」

 

「するか!!」

 

 奇声上げるだけでトップ狙えるなら、芸人は苦労しねぇよ。てかさっきの声じゃ寧ろドン引かれるだろうが。

 

「大体お前よくあんな声出せるな……」

 

 確か前も出してたよな「ヴェアァァァ」って声。すげぇ声だけど喉痛めないのか?

 

「え?全然大丈夫だよ。なんなら何回でもヴェアアアアってできるよ」

 

「へーじゃあココア、もう一回やってみてよ」

 

 何回でもできると聞いて、マヤがココアにもう一度やって欲しいと懇願する。

 

「え〜でもなんかショックなこと言われないと気分的に出ないかな〜」

 

「そっか〜」

 

 それを聞いて有宇は考える。ショックなことか……。

 

「マヤ」

 

 有宇はマヤを呼ぶと、思いついたことをそっと耳打ちする。それを聞くと、マヤは指で丸を作りOKサインを返した。

 するとマヤは早速実行に移そうと、ココアにとびっきりの笑顔を向けながらココアに近づく。

 

「ココアお姉ちゃん♪」

 

「お、急にどうしたのマヤちゃん。お姉ちゃんに何の用かな?」

 

「お姉ちゃんなんて……」

 

「お姉ちゃんなんて?」

 

「大っ嫌い♪」

 

「ヴェアアアア!!」

 

 するとココアは再び奇声を上げてバタリと背中から倒れた。

 

「うわー本当に出たね」

 

「まぁ、こいつにとってのショックな出来事なんてこんなもんだろ。さ、仕事に戻るぞ」

 

 こいつがショック受けることなんて想像に難くない。親しい人間、特にお気に入りのチビ共に嫌いと言われるだけでこのザマだ。

 にしても、この豆腐メンタルでよく僕相手に説教できたよな本当……。

 そうして倒れるココアを残して、二人は仕事に戻っていった。

 

 

 

「ありがとうございました」

 

 その後は普通に客もやって来て、有宇たちは業務を遂行した。そして今の客で取り敢えず店の中の客はいなくなり、有宇たちは一息つく。

 

「取り敢えず一息ってとこか。にしてもマヤ、意外にしっかりやってるな」

 

 有宇は普段のやんちゃそうなイメージもあってか、マヤがしっかり働いていたことを意外に思い、感嘆する。

 こういうのは不真面目にやりそうなイメージがあったのだが、仕事ぶりを見た感じ手慣れたようにこなしていたのが少し意外だったのだ。

 

「まぁね、何回かここのお手伝いしてるしね。そもそも慣れてて楽だからここ選んだんだもん」

 

 一瞬感心したが、ここを職業体験に選んだ理由を聞いてやっぱりそういう奴かと有宇は呆れた。

 まぁ同じ立場なら僕もそうしただろうし、ある意味納得がいく理由ではあるけどな。

 

「もうマヤちゃん、大切な授業の一環なんだからちゃんとやらなきゃダメだよ!」

 

 すると、マヤの職業体験の志望理由を聞いたココアが、チビ相手にも関わらず、マヤの不真面目さを諭した。

 チビ相手にココアが厳しく言うなんて珍しい。でもまぁこいつ、なんだかんだ真面目だよな。

 有宇は以前ココアと言い争ったときの事を思い出す。基本的に他人に甘いが、注意すべきところはしっかり意見を言う女だよ、こいつは。

 しかしそれを聞くとマヤはしゅんとした様子で毛玉うさぎを抱きかかえながら言う。

 

「……本当はね、ここでココア達と働いてるチノが羨ましくて、私が代わりをしたかったの……」

 

 しゅんとした様子でそれっぽいことを言ってるが、まぁただの言い訳……演技だろうな。

 流石にこれぐらいじゃ騙されな……

 

「マヤぢゃぁぁぁぁん!!」

 

 ええぇぇぇぇぇ!?

 ココアが泣きじゃくりながらマヤに抱きつく。

 

「厳しいこと言ってゴメンね〜」

 

 見事に騙されていた。そうだ、こいつは騙されやすく、なんだかんだ基本的に人に甘いから疑うということを知らん奴でもある。だからこそ、僕のあんな嘘まみれの経歴だって信じ込んでたんだもんな。

 そしてマヤの方はというと、ちょろいと言わんばかりに「へっ」と呟き悪い顔をしていた。

 ココア……お前絶対こいつに舐められてるだろ……。

 ココアの騙されやすさに呆れつつも心配になった有宇であった。

 

 

 

 ココアが一通り落ち着くと、有宇はマヤの話を聞いて、思ったことを口にする。

 

「にしてもそれだったらメグもここにすればよかったのにな」

 

 チノは流石に実家だと職業体験の意味を成さないから他へ行ったのはわかるが、メグは何故フルールに行ったんだ?シャロが働いてるとはいえ、わざわざ赤の他人の店で働くより、慣れたこっちの店でマヤと一緒に働いた方が楽な筈だが……。

 するとマヤが答える。

 

「なんか働いてるシャロがキラキラして見えたんだって」

 

「ふーん真面目な理由だな……どっかの誰かと違ってな」

 

 嫌味ったらしく、そのどっかの誰かさんそう呟く。

 

「あ、有宇にぃ!それって私のこと言ってんの!?」

 

「さてな、お前のその貧相な胸に聞いてみたらどうだ」

 

「う〜ココア!有宇にぃが苛めるよ〜」

 

 有宇が嫌味を言うものだから、マヤがココアに泣きついた。

 

「もう有宇くん、あんまりいじわる言っちゃダメだよ」

 

「僕は別にマヤのことだなんて一言も言ってないぞ」

 

 そんな有宇の返答に二人とも若干呆れていた。

 

(ねぇねぇ、有宇にぃっていつもこんな感じなの?)

 

(う〜ん、優しいときもあるけど普段はこんなかな)

 

(へぇ、ココア達も苦労してるんだね〜)

 

「何か言ったか」

 

 小声で話す二人に有宇が声をかける。

 

「何でもないよ。それはそうと暇だよね〜」

 

 咄嗟にマヤは話を変える。

 

「まぁ、そうだな……」

 

 客がみんな帰ってしまったせいで、今現在、店内には三人以外誰もいない。酷いときだと全く客が来ないときもあるからなこの店……。

 

「本当にマジでこの店盛り上げないとまずいんじゃないか……?」

 

 一応バータイムの時間はそれなりに人が来るようだが、それだけでやっていけるものでもないし、何かしらの対処はした方が絶対いいって。

 すると、マヤがこんな提案をする。

 

「あ、じゃあ音楽はどう?盛り上がるよ」

 

「いいね!タカヒロさんもジャズでお店を盛り上げたことがあるってチノちゃんも言ってたし、いいんじゃないかな!」

 

 ココアもマヤの提案に賛同する。

 ていうかマスターってそんなこともしてたのか!?

 有宇はマスターの知られざる過去に驚いていた。

 そして、マヤはそれを聞いて、更にこんなことを言い出す。

 

「じゃあ私DJやるよ!DJ兎猛者(うさもさ)としてラビットハウスを盛り上げるよ!!」

 

「兎猛者……なんかカッコイイ!!これはイケるんじゃないかな!!ね、有宇くん!!」

 

 ココアにそう聞かれた有宇の返答は勿論……

 

「いや駄目に決まってるだろ」

 

「「ええ!?」」

 

 有宇の答えに二人は驚く。

 

「どうして!?」

 

「そうだよ、DJカッコイイじゃん!」

 

「普通に近所迷惑だ」

 

 この店の壁はある程度は防音されてるとは思うが、DJとかそんなでかい音掛けたら流石に音が漏れて近所から顰蹙(ひんしゅく)買って店の評判ガタ落ち間違い無しだ。

 

「大体素人がちょっとかじったぐらいじゃ客は来ねぇよ」

 

 有宇にそう諭されると、二人は諦めたようだった。

 

「ちぇ〜、DJになって一躍有名人になろうと思ったのに」

 

 マヤがそう呟く。

 本物のDJが聞いたらブチ切れそうな発言だな……。

 

「じゃあ有宇くんはどうしたらこのお店が盛り上がると思う?」

 

 ココアがそう聞いてくる。

 どうしたらって、そんなこと急に聞かれてもな……。

 

「そうだな、ひとまず客を呼ぶということに絞れば何かしら話題性のあるような……普通に考えたら新商品とか、あと値下げだとか期間限定だとか客の目を引くサービスをするとかじゃないか?」

 

 なんとなくそう言ってみると、マヤが唖然としてる。

 

「なんだよ」

 

「いや、有宇にぃのくせに意外に真面目な答えだったから」

 

「くせにってなんだ!?」

 

 本当に生意気なクソガキだな……。

 そしてココアも同じような反応を示す。

 

「おお、有宇くんがそれっぽいことを言ってる……!」

 

「それっぽいってな……。そりゃ一般的な意見だがお前らのDJ案よりはマシだ」

 

 まぁ、実際に店を盛り上げるとしたらそう簡単にはいかないんだろうが僕には関係ない。

 僕はここで金を貯めるだけ貯めて、将来に備えるためにここにいるだけなのだから……。

 

 

 

 それからしばらくすると、また客足も出てきたので、三人はそれぞれ仕事をこなしていった。そして気が付けば空も暗くなり、その日の業務は終わった。

 

「二人ともお疲れ様〜」

 

 ココアが有宇とマヤの二人に労いの言葉をかける。

 

「全くだ。僕なんて午前中から入ってるから丸一日だ。普段より余計疲れたぞ」

 

「そういや有宇にぃって何で学校行かずにここで働いてるの?」

 

 マヤがそう疑問を投げかけた。

 ……もうココア達にも知られてるわけだし、今更隠すことでもないか。

 

「……有り体に言えば家出だ家出。地元で問題起こして親と喧嘩してここに逃げてきただけだ」

 

 以前の有宇なら自分の黒歴史共呼べるカンニング魔であった過去は隠したのだろう。しかし、ココア達には既にもう明かしているので、マヤと、そしてここにはいないメグにも隠す意味はもう無いと考えた。

 それにガキ相手に格好つける必要はないと考え、曖昧にだが本当のことを言ったのだった。

 

「おお、有宇にぃ意外とロックだったんだね!」

 

「ロックて……」

 

 実際はコソコソとカンニングして、それがバレておじさんと喧嘩して、それで家出しただけで、ロックとはかけ離れてると思うが……。

 するとココアがにんまりしてこちらを見ていた。

 

「……なんだよ」

 

「ううん、別に〜」

 

「んだよ気持ち悪いな」

 

「え、ひど!」

 

 有宇の言葉に地味にショックを受けるココアをおいて、有宇はマヤに話を振る。

 

「で、マヤは明日からもここで働くんだよな」

 

「うん、そうだよ。あ、有宇にぃと働けるのは今日だけだっけ」

 

「あぁ、そうなるな」

 

 明日明後日は午後にシフトはなく、代わりにリゼが入る筈だ。

 

「そっか〜。折角ならもっと一緒に働きたかったな」

 

 それを聞いて有宇は少し照れくさくなる。

 しかしそれを表には出さず、ぶっきらぼうに聞き返す。

 

「……別に僕と働いても面白いもんでもないだろ」

 

「え〜そんなことないよ!リゼとはまた違ったツッコミを経験できるし」

 

「僕のいる意味ツッコミだけかよ!」

 

 一瞬でも慕われてると思っていた自分がバカだった……。

 

「それより有宇にぃ、明日暇ならメグ達の様子見てきてよ。二人がどうなってるか気になるし」

 

 マヤがそう言うと、ココアもそれに乗っかる。

 

「あ、それ私も知りたい!特にチノちゃんが甘兎に染まってないか調べてきてよ有宇くん」

 

「なぜ僕がそんなことをしなきゃならないんだ。却下だ却下」

 

 僕はそんなに暇じゃない。

 今だって高校の卒業認定ぐらいは取ろうと勉強しているわけで、お前らのくだらん偵察に付き合うほど暇じゃな……。

 

「お小遣いあげるからお願い!」

 

「よしわかった」

 

「切り替えはや!!」

 

 ココアが金をくれるというので、つい乗ってしまった……。

 そしてマヤからは失望の視線が感じられる。

 

「有宇にぃ意外とがめつい……」

 

「失礼な、僕だって別にそこまで金に困ってるわけじゃないぞ。ただ世の中何事においても対価は必要で、そこで最も価値を発揮するのが金だってわけだ」

 

「うわ〜」

 

 マヤが失望を顕にするが、そんなことは気にせず有宇は廊下に出て行く。

 

「じゃあ僕は着替えて夕飯の準備するから。じゃあな」

 

 そう言うと有宇は廊下に出て自室へと戻って行ってしまった。

 

「行っちゃった」

 

「じゃあ私達も着替えよっかマヤちゃん」

 

「うん」

 

 そうして二人も着替えに更衣室へ向かった。

 

 

 

 更衣室に着くと、ココアとマヤの二人はお喋りと洒落こんだ。

 

「有宇にぃってなんだかんだ真面目だよね。仕事もちゃんとしてるし」

 

「そうだね。家のお手伝いもやってくれてるし、結構ちゃんとしてるよ。まあ、たま〜に面倒くさがりなところもあるけど……」

 

「ココアは有宇にぃのことどう思ってるの?」

 

 マヤがココアに尋ねる。

 

「私?そうだね〜意地悪なところもあるけど、優しいところもあって、ちょっぴり手のかかる弟って感じかな」

 

「へぇ〜。でも今日見た感じココアの方が有宇にぃに手かけさせてる気がするけど」

 

 マヤの率直な意見がココアの胸にぐさりと突き刺さる。

 

「そ、そんなことないよ!?私だってちゃんとお姉ちゃんやってるもん!」

 

「え〜本当かな〜」

 

「本当だよ!もう〜!!」

 

 マヤにおちょくられて躍起になるココアであった。

 

 

 

「じゃあお疲れココア」

 

「また明日ねマヤちゃん」

 

 着替え終わると、マヤはそのまま家に帰るので、ココアは店の外まで見送りをしていた。有宇は夕飯の支度をしているから、どうせ呼んでも来ないだろうからと呼ばなかった。

 しかし、階段を降りる音がしてココア達が店の方を見ると、有宇が店先までやって来たのであった。

 

「あれ?有宇くん夕飯の準備してたんじゃないの?」

 

「いや、渡し忘れてた物があったからさ、ほらマヤ」

 

 そう言うとマヤにポイッと小さな袋を放り投げる。袋には白と茶色のクッキーが数枚入っていた。しかもちゃんと赤いリボンでラッピングしてある。

 

「これって……」

 

「クッキーだ。今朝パンの焼き上げの時に一緒に焼いておいた。職業体験とはいえ労働の対価は必要だと思ってな。味の保証はしないが受け取れ」

 

「え、あ、ありがとう有宇にぃ……」

 

 マヤのお礼を聞くと、有宇は特に何か言葉を返すでもなく、そのまま店の中へと戻っていってしまった。

 

「ね、有宇くん優しいところもあるでしょ」

 

 ココアが笑みを浮かべながらマヤにそう言う。

 それに対しマヤも笑顔で返す。

 

「そんなの知ってるよ!じゃあね!」

 

 そしてマヤは元気に走り出して行った。

 

 

 

「にしても有宇くん素直じゃないな〜」

 

 マヤを見送った後、二人して夕飯を作っていた時、ココアがそう言った。

 

「何が?」

 

「もうとぼけちゃって。わざわざマヤちゃんにクッキー作ってあげてたなんて、いいとこあるね〜」

 

 すると有宇はそれに対しニヤリと笑みを浮かべながら答える。

 

「ああ、それか。うちって今バイト僕含めて四人だけだろ」

 

「え、うん。それがどうしたの?」

 

「こうバイトの人数が少ないと、お前らの誰かがシフトを休んだ場合、今日みたいに午前からそのまま僕が引きずり出されるわけだが、そういう時に僕の代わりに入ってくれる奴が居ればいいと思ってさ」

 

「有宇くん……まさか……」

 

 ココアにはその時、有宇の言いたいことが大方予想できていた。

 

「マヤ達の職業体験の話を聞いて思ったんだ。中学生は労基に違反するから給料を発生させる労働契約はできないけど、今回のように手伝いをする分には利用できる。つまり、無償で働かせることが出来る労働力ってことだ。だからしっかり確保しておかなきゃと思ってな。クッキーなんてあの袋の分だけでも原価百円にも満たないし、それで満足して代わりに働いてくれるなら安いもんだ」

 

 笑いながら楽しそうに有宇はそう答えた。要はマヤを誑し込んで、また店の手伝いをさせようという魂胆だったのだ。

 するとそれを聞いてココアの体がわなわなと震える。

 

「もう!!有宇くんはどうしていつもすぐそういう考えになるの!!もう!!もう!!」

 

 有宇のゲスい心の内を知って、憤慨して牛のようになるココアであった。




今回の話は原作4巻第10話の話が基になってます。ぶっちゃけDJナイトの時の兎猛者を出したくて書きました。
後編に続きます。


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第9話、Candy Color Days(いちご&すもも味)

「ここに来るのもなんか久しぶりな気がするな……」

 

 そう言う有宇は今、シャロのバイト先でもあるハーブディーの喫茶店、フルール・ド・ラパンの前に来ていた。

 有宇が何故ここにいるのかというと、この日の前日、職業体験で来ていたマヤと、ココアの二人とラビットハウスでいつものように働いていたのだが、二人から明日チノとメグの様子を見に行って欲しいと頼まれたのだ。

 ココアが金をくれるというので引き受けたのだが……。

 

「にしてもたった千円とか……しけてんなぁ」

 

 たった千円じゃフルールと甘兎、二つの店で飲み物を頼んだだけで殆どなくなってしまいそうな額である。

 有宇はココアからお駄賃として貰った千円札を指で挟んでヒラヒラさせながら愚痴をこぼした。

 まったく、午前のバイト上がりの僕のフリータイムをたった千円とは。安く見られたものだな。

 

「まぁいい、まずは一軒行ってみるか」

 

 そう言って有宇はフルールの店の扉を開ける。

 

「イラッシャイマセ〜!!」

 

 扉を開けるとすぐ目の前で、フルールの制服に見を包んだメグが元気な挨拶で有宇を早速出迎えてくれた。

 

「アッ、お兄さんだ!」

 

「よう、元気にやってるな」

 

「ハイ!あっ、一名様お席に案内します!」

 

 そう言うとメグは、有宇を席まで案内した。そして有宇が席につくと、メグはメニュー表を有宇に手渡した。

 

「ご注文をどうぞ!」

 

 有宇は渡されたメニュー表を開く。

 前回は適当になんかジャスミンティーを飲んだんだっけか? 店員にもリラックスさせる効能があるとか言われて飲んだんだよな確か。

 またジャスミンティーでもいいけど今回はそうだな……。

 

「ルイボスミントティーを頼む」

 

 ルイボスティーって確か健康にいいんだよな。確かノンカフェインらしいし、いつもコーヒーばっか飲んでるからたまにはいいだろう。

 

「カシコマリマシタ!」

 

 注文を受けるとメグは厨房の方へ行く。

 しばらく待つと、二人の店員が有宇のいる席にやって来る。1人は有宇の注文したルイボスミントティーをお盆に乗せたメグ、そしてもう一人が……。

 

「なんであんたがここにいるのよ」

 

 有宇に冷ややかな視線を送るシャロである。

 

「ココアとマヤにメグ達がどうしてるか見てこいって言われたんだよ。大体今の僕は客だぞ、もっと畏まった態度で接しろよ」

 

「相変わらずね、そういう偉そうなところは……」

 

 シャロがいつもと変わらない有宇を見て呆れていると、メグがトレーの上に乗せて運んできた、有宇の頼んだメニューを有宇の前に置く。

 

「お兄さん、お待たせしました〜。ルイボスミントティーです」

 

「ああ、ありがとう」

 

 有宇は早速お茶に口をつけると、メグが有宇に尋ねる。

 

「お兄さん、マヤちゃんとチノちゃんはどうしてました?」

 

「ん、あぁ、マヤは特に問題なさそうだぞ。チノはまだこれからだけど、まぁ大丈夫だろう。寧ろどっちかというとココアの方が心配なぐらいだ。メグも心配なさそうだな」

 

 フルールはラビットハウスや甘兎と違って、知り合いの店ではないからちゃんとやれてるか不安があったが、この様子なら問題なさそうだ。

 

「エヘヘ〜。ありがとうございます。シャロさんがちゃんと教えてくれるおかげです」

 

 メグがそう言うと、シャロは少し照れた様子で顔を赤らめていた。

 

「よかったな先輩。褒められて」

 

 有宇は揶揄い混じりにシャロに声をかける。

 

「な、べ、別にそんなんじゃないわよ。もう……」

 

 そう言いながらも少し嬉しそうだ。

 にしても……と有宇は辺りを見回す。フルールは中は綺麗な吹き抜けの洋装の作りで、リゼの家の物程ではないがシャンデリアが吊るされており、ラビットハウスの地味な内装とは違っておしゃれ感漂う内装である。

 そして辺りを見回した後に目の前の二人の店員を見る。

 ロップイヤーに短いスカートのメイド服……見事に不釣り合いだな。

 折角こんなおしゃれな内装なのだから、店員の服もそれなりの物を揃えればいいと思うんだが。

 こんな秋葉原とかのメイド喫茶のオタク向けのミニスカートのメイド服などではなく、もっとこう畏まったベストにするとかさぁ。ミドルエプロン&四角巾やショートエプロンなんかもいいかもしれないな。メイド服にするにしても、ロングスカートの畏まった物にするとか、もっと工夫すれば店の内装も合さって、店の内装ももっと映えることだろう。安っぽく、男の情欲を唆るだけのメイド服などこの店には合わない。

 そんなことを考えていると、シャロが有宇からの視線に気づき、若干引き気味で言う。

 

「さっきから何よ、ジロジロと」

 

「いや、店の内装と不釣り合いな服だなと思ってな。店長の趣味だっけか?」

 

「そうよ。この制服だと覗かれたりするし迷惑してるのよね」

 

「覗かれるのか!?そんな奴さっさと警察にでも突き出したらどうだ?」

 

 有宇がそう言うと、シャロは答え辛そうにいう。

 

「顔見知りだからそんなことできないのよ」

 

「んな奴が顔見知りなのかよ」

 

「あんたもその内会うと思うわ」

 

 マジかよ、そんな変な奴会いたくないんだが。

 にしてもとんだ不届き者がいたもんだな。まぁ、能力使って覗きしてた僕が言うのもあれだがな。勿論、今はもう見飽きたしやってないぞ。

 そういや制服といえば、さっき見てて気づいたんだが……。

 

「メグのスカートのところ(ほつ)れてないか?」

 

 有宇にそう言われ、シャロがメグのスカートのところを見ると確かに糸が少し解れていた。

 

「もしかしてさっきスピン見せてもらった時かしら?」

 

「スピン?」

 

「ええ、メグちゃんバレエやってるからスピンを見せてもらったんだけど、その時に引っ掛けちゃったからそれかも」

 

 バレエか、確かにやってそうなイメージあるな。なんかチビ他二人よりもどことなくお嬢様っぽいし、やってても違和感ないな。

 

「すみませんシャロさん、服引っ掛けちゃって」

 

 するとメグが申し訳なさそうにシャロに謝る。それに対し、シャロがフォローを入れる。

 

「気にしないでメグちゃん。元々頼んだ私が悪いわけだし。制服は明日直して持ってくるから。私今日早上がりだから、後で私が上がるときに更衣室に一緒に来てもらえる?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 すると有宇も何故か偉そうにメグにフォローを入れる。

 

「そうだぞ、下の奴がやったことは上の奴が責任取るもんだしな。そんなこといちいち気にしなくていいんだぞ」

 

「あんたねぇ……」

 

 シャロが「お前は言うな」と言わんばかりにジト目で有宇を睨む。

 

「なんだよ、フォローしてやったんだろうが」

 

「まぁいいけど、あんたチノちゃんとメグちゃんにだけ優しくない?やっぱロリコ……」

 

「おい、その先言ったら戦争だぞ」

 

 シャロの言葉を制し、有宇はそう言った。

 以前もリゼにロリコン疑惑を掛けられたが、またしても掛けられるとは心外にも程がある。

 

「チノとメグはたまに天然入るが、基本従順でまともだからであってだな……そもそもチノもメグも僕と一歳しか年離れてないだろうが」

 

 そうだ、そもそも僕らは1歳しか年が離れていないのだ。

 チビ共はみんな背が低くて小学生と見間違えそうになるが、れっきとした中学三年生だ。僕は本来であれば高一なので一つしか年は離れていない。

 つまり、仮に僕が二人にそういう感情を持っていたとしても、別段特に問題があるわけじゃない。まぁ、貧相な体には興味無いし、まずあり得ない話だがな。

 

「だとしても怖いじゃない。もしあんたにその気があったら、メグちゃんなんか純粋であんたに口で巧みに騙されて手込めにされちゃいそうだし……」

 

「するか!!」

 

 ったく、僕をなんだと思ってるんだ。

 いやまぁ、汚い手を使って白柳弓を堕とそうとした過去があるので一概にそうじゃないとは言えないが、少なくともガキ二人にそんなことしようとは微塵も思わない。

 

「まぁいいわ。それじゃあ私達は仕事戻るからゆっくりやってなさい」

 

「ジャアネ〜お兄さん」

 

 すると二人はそれぞれ仕事に戻っていった。

 有宇はやることもないので、席で二人を観察していた。メグはまだ少しぎこちないが、笑顔を忘れずしっかりとした接客が出来ていた。シャロの方はというと、あの女は僕と似て実に(したた)かな女だ。笑顔もそうだが、一つ一つの動きに無駄がなく、客への気遣いも忘れない。悔しいが僕より役者かもしれないな。

 そして二人に問題がないことを確認すると、有宇は飲み物一杯しか頼んでないこともあり、ここに来てから十分程度で席を立った。

 会計はメグがやってくれた。

 

「お兄さんもう行っちゃうんですね」

 

「あぁ、しっかりやってるようだし邪魔しちゃ悪いからな。それにあんまり長居してると貧乏お嬢様がうるさいし」

 

 どうせ聞こえてないだろうと、有宇がシャロを皮肉る。

 シャロはリゼと同じお嬢様学校に通っているらしいが、こうしてアルバイトをしている。お嬢様学校は金持ちの家の世間知らずのお嬢様ばかりいるらしいのだが、シャロはアルバイトもしてるし、そんな感じではない(リゼもそんな感じではないが、ココア達の話によれば、あいつん家は普通に金持ちらしい)。

 それでリゼ同様ココア達に聞いてみたところ、何でもシャロの家はそんな裕福ではないんだとか。しかしまぁ、どうせお嬢様と比べたら裕福じゃないってだけで、実際は一般家庭ぐらいの豊かさはあるんだろうな。まぁ、なんにせよお嬢様と比べたら貧乏だから、貧乏お嬢様ってわけだ。

 

「誰が貧乏お嬢様よ!!」

 

 すると、どうやら有宇の声が聞こえていたのか、遠くからシャロが客前にも関わらず喚いている。

 有宇はそれを平然と無視して店を出た。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 フルールを出た有宇が次に向かうのは、チノと千夜が働く甘兎庵だ。甘兎には実はココアと訪れた以降も何度か来てるし、店の雰囲気は抑えているつもりだ。

 ココアがチノのことを心配していたが、特に問題はないだろう。そしてフルールから歩いて十数分程で甘兎に着いた。ドアを開けるとカランと気持ちのいい音が鳴る。

 

「千夜、邪魔する……」

 

「いらっしゃい……」

 

「うわ!?」

 

 目の前に立っていた千夜があまりにも不気味な雰囲気を漂わせていたため、突然のことに有宇も思わずたじろぐ。目の前の千夜は前髪がダランとしていて少しぼさついており、まるでよくテレビとかから出てくる幽霊のようだった。

 

「どうしたんだよ千夜!?ていうかチノは?」

 

 辺りを見回してもチノの姿は見えなかった。

 

「チノちゃんは今奥で休憩してるわ……」

 

「そ、そうか……」

 

 取り敢えずチノがここにいることが確認できたことに安堵する。

 

「それで、お前はなんでそんな顔してるんだ?貞子かと思ったぞ。接客業なんだからしっかりしろよ」

 

「実はね……シャロちゃんが」

 

「シャロ?あいつがどうかしたのか?さっき会った時は特に変わった様子無く普通に働いてたぞ」

 

 有宇がそう言うと、何故か千夜は先程よりも落ち込んだ雰囲気を漂わせ始める。マジで不気味だからやめてくれ……。

 

「シャロちゃん……やっぱりフルールの方が楽しいのかしら」

 

 千夜がボソリと呟く。

 

「フルール?どういうことなんだよ一体」

 

 そして千夜は何があったかを話した───

 

 

 

「……成る程」

 

 千夜から聞いた話を要約すると、昨日チノにシャロはここで働かないのかと聞かれたので、それとなく誘ってみたはいいけど、シャロの方はフルールの方をエンジョイしているようだったのでショックだった……ということらしい。

 

「つか二人は幼馴染だったんだな」

 

「ええ、昔からの仲良しよ」

 

 あ、なんかちょっと機嫌が良くなった。こういうちょっとしたことですぐ機嫌良くしたり、悪くしたりするところはココアみたいだな。

 

「それで、千夜はどうしたいんだよ。あいつを甘兎で働かせたいのか?」

 

「働かせたいっていうか、一緒に働きたいなって……」

 

「だったら直球でそう言ってみたらいいんじゃないか?それが通るかどうかはあれにしても、あいつだって幼馴染の願いを無下にしたりはしないだろ。確かあいつ今日はシフト早めに終わるみたいだし、この後行ってみたらどうだ?」

 

 有宇がそう言うと、千夜は不気味な雰囲気から一転、握りこぶしを固めてやる気をみせた。

 

「わかったわ、私、やるわ!」

 

「お、おう、頑張れ……」

 

 千夜のやる気ある姿勢に有宇は引き気味でそう答える。

 

「それよりチノの様子見に行っていいか?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 千夜はいつもの明るい調子でそう答えると、有宇は甘兎の奥へと入っていった。

 

 

 

 奥に進んでいくと台所が見え、そこにいた気難しそうな婆さんと目があう。

 千夜の婆さん、つまりはこの店の店主だ。なんか気難しそうな婆さんだよな。チヤの父親もここで働いてるそうだが、姿が見えないな。一度ぐらいはどんな人なのか見てみたい気もする。

 そして有宇は千夜の祖母に軽く会釈をして先に進むと、チノの休む客間の前まで来た。

 戸をノックしようとすると、中からチノの声の他に老人の声がする。なんだ、誰か他にいるのか……?

 入るのを躊躇したが、ここで突っ立ってるのもあれだしと思い、有宇は戸をノックした。

 

「チノ、入っていいか?」

 

「お、お兄さん!?ちょ、ちょっと待ってください!!……というわけですのでお爺ちゃん、こっちは大丈夫ですので……」

 

『あ、おいチノ、待たんか、チノ〜』

 

 ブツっと電話が切れる音がして、それから戸が開いた。

 

「すみませんお兄さん、お待たせしてしまって」

 

「いや、それは別にいいんだけど、誰と話してたんだ?」

 

 見たところ、中には誰もいないが……。それに聞き間違いかもしれないが、お爺ちゃんとか言ってたよな。チノの爺さんて確か二年前に亡くなったんだよな……?

 

「えっとその……ふ、腹話術の練習をしていたんです」

 

「そ、そうか……」

 

 なんか色々と怪しいが、まぁ深くは聞かないでおこう。それに前もうさぎで爺さんの真似してたし、深い意味はないだろ。

 

「それよりも随分といい思いしてるじゃないか」

 

 ちゃぶ台の上を見ると、お茶だけではなく最中や羊羹とかの和菓子も置いてあり、ちょっとしたティータイムのようだ。

 

「千夜さんのお婆さんが持ってきてくださったんです」

 

「千夜の婆さん?」

 

 千夜の婆さんってさっきの気難しそうな婆さんだよな……?あれで結構優しい人なのか?

 

「あの、お兄さんはどうしてここに?」

 

「ん?あぁ、ココア達にチノとメグがどんな様子か見てこいって言われてな。さっきフルールにも行ってきたところだ」

 

「そうでしたか、ココアさんがご迷惑を……」

 

「いや、別に気にしなくていい」

 

 そもそも金目当てで引き受けてるから、謝られると逆にこっちが申し訳なくなってくる。

 

「あ、お兄さんもお茶菓子食べますか?」

 

「いいのか?じゃ、遠慮なく」

 

 そして畳に座り込み、ちゃぶ台に置いてあるここのメニューの中でも有宇が特に気に入ってる『琥珀色の三宝珠(みたらし団子)』を手に取り咥える。これがまた実に美味い。毎日食っても飽きないぐらいだ。

 

「お兄さんって和菓子好きなんですか?」

 

 有宇の食べる様子を見てチノが聞いてくる。

 

「まぁな。自分でも甘い物は苦手だと思ってたから驚いている」

 

 実際ここに来るまで甘い物は口にしたくないとさえ思っていたのに、ココアに連れられてここに来てから、和菓子の魅力に取り憑かれてしまったようだ。特にこのみたらし団子は格別だ。……実は週に一回はここに顔を出しに来てたりもする。

 

「……うちより甘兎で働いた方がよかったですか?」

 

「え?」

 

 するとチノは少し頬を膨らませ、少し怒っているかのような様子をみせる。他の店に執着している様子が、チノのラビットハウスの後取りとしての矜持を傷つけてしまったのだろうか?

 

「いや、別にそういうわけじゃないぞ。店のコーヒーもそれなりに気に入ってるし、ラビットハウスにもそれなりに感謝してるつもりだ」

 

 有宇がそう言うと、チノはクスクスと笑い出す。

 

「ふふ、冗談です。言ってみただけです」

 

 この間の一件(詳しくは第八話)からチノとの距離も縮まったが、こんな風に冗談を言うようになるまで縮まるとは思っていなかったので、それが少しうれしくも感じる……が。

 

「年上は揶揄うもんじゃないぞ」

 

 チノの頬を軽く引っ張る。

 

「いひゃいです」

 

 フッと有宇は笑うと、すぐにチノの頬から手を離した。

 こんな風にチノと接していると、歩未と過ごした日々を少し思い出す。チノと歩未じゃ性格とかも色々違うけど、このチノとの距離感は歩未との距離感に通じるものがあると思う。

 それからは有宇は和菓子を口にしながら、チノの様子を見守っていた。チノはというと、ちゃぶ台の上のA4サイズの用紙に必死にむかっていた。

 

「なぁ、さっきから何書いてるんだ?」

 

「職業体験レポートです」

 

「レポートか」

 

 そっか、職業体験だもんな。やっぱそういうのも提出するのか。

 

「お兄さんはやりましたか?職業体験」

 

「そうだな、中学の時はそういうのはなかったような……。でも小学校の時はキッ○ニアとか行ったっけか」

 

「キッ○ニア?」

 

「職業体験が出来る子供用の施設だ。こっちには……ないか」

 

「はい。東京はそういうのもあるんですね」

 

「まぁな。でも実際の職場でしか得られないものだってあるだろうし、一概にそっちの方がいいとはいえないだろうけどな」

 

 チノとそんな風に話してると戸が開き、千夜が現れる。

 

「あら、二人とも仲良さそうね」

 

「あ、千夜さん、お仕事大丈夫そうですか?」

 

「ええ、チノちゃんはレポート進んでるかしら?」

 

「はい、大丈夫です」

 

 すると有宇が千夜に尋ねる。

 

「そういやシャロのところには行ってきたのか?」

 

「ええ、でもやっぱり直接言うのは恥ずかしくて、手紙に書いて和菓子のお裾分けの中に入れておいたわ」

 

 直球とは言い難いが、それなら多分千夜の思いも伝わっただろう。

 するとそれから三人で部屋にいると、しばらくしてドドドドという足音が聞こえて来る。そして戸が思い切り開き、そこにはシャロが立っていた。

 

「シャロちゃん!」

 

「もーっ、素直に直球で言いなさいよ!そしたら私だって……」

 

 どうやらシャロは手紙の返答に来たようだな。なんだかんだ幼馴染なんだなと有宇は感心した。

 やっぱり話せば通じ……。

 

「直球で返すんだから!」

 

 そういうシャロが手に持っていたのはフルールの制服だった。

 

「変化球じゃねぇか!」

 

 思わずツッコんでしまう。それから有宇は千夜に耳打ちする。

 

(おい、ちゃんと伝えたんじゃないのかよ)

 

(ええ、だからシャロちゃんと同じ制服を着て一緒に働きたいって書いたわ)

 

 あぁ、だからシャロはフルールの制服を持ってきたのか。そりゃその言い方じゃ伝わらないよな。

 すると千夜はシャロから制服を受け取る。

 

「じゃ、ちょっと着替えてくるわ」

 

「って着るのかよ!?」

 

 有宇のツッコミに対し、特に返しもなく千夜は着替えに行った。

 

 

 

「おまたせ〜」

 

 しばらくしてフルールの制服を身に(まと)った千夜が出てきた。それも結構ノリノリの様子で。

 にしてもこうして改めて見ると、千夜は和風美人ではあるが、洋装も中々似合っている。それに着物の上からじゃわかりにくいが、結構スタイルがいいため、制服の如何わしさも増して見える。

 

「お兄さん」

 

「んんっ!」

 

 千夜の制服姿に見惚れていると、千夜をまじまじと見つめていたのをチノに気付かれたようだ。

 チノがジト目で睨んでくるので、取り敢えず咳をして茶を濁しておく。そして本来の目的を思い出し、有宇は再び千夜に耳打ちする。

 

(なぁいいのか?多分フルールで働きたいと勘違いされてるぞ)

 

 すると、そこにチノも加わる。

 

(それに私が着た制服も本当はシャロさんに用意した物だったんですよね?)

 

 そうだったのか?

 チノのここの制服姿をまだ見てないのでなんとも言えないが、もしそうなら尚更誤解を解かなきゃまずいんじゃないか?

 すると千夜はニコッと微笑み、チノと有宇の二人に言う。

 

(でもシャロちゃんを見て。とっても嬉しそう)

 

 千夜にそう言われてシャロの方を見ると、笑顔で嬉しそうな表情を浮かべている。

 

「もう、うちには絶対興味ないって思ってたのに。しょうがないわね〜」

 

 何をそんなに嬉しそうにしているのだろうか?

 するとチノが僕の疑問を打ち消してくれる。

 

(きっと一緒に働きたいって考えは同じだったんですね)

 

 あぁ、そういうことか。

 僕にはわからない感情だが、思いはシャロにも通じていたってことでいいのだろうか。

 

(まぁ、その気持ちが分かっただけで今は十分だわ)

 

 千夜は笑顔で僕等二人にそっとそう答えた。

 どうやら本人は満足しているようなので、これでいいのだろう。

 

「ふふっ、本当にフルールで働いてみようかしら」

 

「本当にってどういうことよ」

 

「ふふっ、それは……あっ!」

 

 すると突然、千夜の胸のボタンが弾け飛んだ。

 

「……え?」

 

 そして有宇の目には、しっかりと千夜のたわわな胸元が目に入った。

 

「ぎゃー!!あんたは見ちゃダメ!!」

 

 そしてその直後、シャロに目を塞がれる。

 

「ち、千夜さん!早くボタンを!」

 

「それがどっか行っちゃって。ボタンや〜い」

 

 千夜の方は有宇に見られたことなど気にしていない様子だが、有宇の方は内心バクバクだった。

 別に女子の胸を見るのは初めてではないが、こう突然に来られると反応に困る。それに千夜は少なくとも外見は美人だし、僕好みだしな……。

 そして千夜とチノがボタンを探している間に、僕の目を手で覆っているシャロに尋ねる。

 

「なぁシャロ……あの制服のサイズって……」

 

「私と同じよ」

 

「……そうか」

 

 目を手で覆われているので、シャロがどんな表情を浮かべているかはわからないが、おそらく内心はそう穏やかなものではあるまい……。

 普段人の感情に対し鈍い有宇でもそれだけは察することができた。なので有宇はそれ以上深くは聞こうとは思わなかった……。

 

 

 

 しばらくしてボタンも見つかり、千夜は元の制服に着替えに行った。千夜が着替えから戻ってからはチノも仕事に戻り、シャロも千夜から制服を受け取って帰って行った。

 そしてそれからしばらく経つと、空も暗くなり、もういい頃合いだった。

 

「もうこんな時間か。チノ、そろそろ終わるか?」

 

「そうですね。千夜さん、もう上がってもよろしいでしょうか?」

 

「そうね、じゃあご苦労様。また明日もお願いね」

 

 そっか、チノは明日もあるのか。まぁ僕の役目はこれで終わりでいいだろう。特にメグもチノも問題なかったしな。

 ……どちらかというと二人を監督する側に問題があった気はするが、まぁいいだろう。

 

「それじゃあココアさんにも連絡を……」

 

 するとチノは今から帰ることをココアにメールを入れようとしていた。それを見て有宇はふと思いついたことがあった。

 

「ちょっと携帯貸してくれないか?」

 

「どうしてです?」

 

「写真撮ってやるからさ。ほら、千夜と並んだ並んだ」

 

 有宇に言われ、チノは携帯を有宇に手渡し、言われたように千夜の横に立つ。

 

「じゃあなんか適当にポーズ取ってくれ」

 

「ポーズですか!?そんな恥ずかしいこと……」

 

「あ、それじゃあチノちゃん、やって欲しいポーズがあるんだけど」

 

「え!?」

 

 チノの方は恥ずかしげだったが、千夜はノリノリだった。

 

「よし、じゃあハイチーズ」

 

 パシャッ

 

 ポーズをとった二人を写真に収める。

 千夜曰く甘兎庵☆看板姉妹だそうだが、これからすることを考えたら寧ろ好都合というもの。

 有宇は早速撮った写真をチノが送ろうとしていたメールに添付し、チノが打った『今から帰ります』という文章に付け加える形で、〈千夜さん曰く甘兎庵看板姉妹爆誕☆です〉と付け足してココアにメールを送った。

 するとすぐに返信が来る。

 

 〈ラビットハウス新3姉妹で対抗だよ!〉

 

 メールにはリゼとマヤと一緒に写っている写真が添付されていた。

 そんな様子を見てチノが言う。

 

「もう、あんまココアさんからかわないで下さい。後が面倒くさいんですから」

 

「悪い悪い」

 

 何となくココアの事をからかいたくなったのだ。昨日のヴェアアアが結構面白かったもんだからつい。それになんとなく誰かを揶揄いたいという気分だったのだ。

 するとその様子を見ていた千夜がクスクスと笑う。

 

「ふふっ、有宇くん、ラビットハウスにちゃんと馴染んでいるのね」

 

「えっ……?」

 

 僕が……ココア達と馴染んでるだと……?

 

「だって今、有宇くんすごく楽しそうだったから」

 

「そう……か……?」

 

 確かにラビットハウスでの生活にもそれなりに慣れてはきたと思う。それが僕にとっていいことか悪いことかは知らないが。

 でも僕は……楽しいのか?他人より上の存在に立つことでしか優越感を得ることができなかったこの僕が?わからない、だってその楽しいってやつが僕にはいまいち理解できない。僕は……楽しいだろうか?

 そして千夜はそんな僕の曖昧な返答を聞くと、嬉しそうに相も変わらずふふっと笑みを浮かべていた。

 

 

 

 それからチノが着替え終わるのを待ち、チノが着替え終わるとすぐに二人で甘兎を出た。甘兎を出てしばらく歩くと、見知った顔二人と出会った。

 

「アッ、お兄さん、チノちゃん!」

 

「お、チノ、それに有宇にぃも。やっと来た〜」

 

 二人とも職業体験を終えたばかりなのか、マヤとメグはすぐ近くのベンチに座っており、こちらに気付き声をかけてきたのだ。

 

「お前ら、なんでこんなとこにいるんだ?」

 

「チノのこと待ってたんだ〜。有宇にぃ一緒だったんだね」

 

「お前が様子見てこいって言ったんだろ」

 

「そうだったっけ。まぁいいや、途中までだけど一緒に帰ろ?」

 

 マヤがそう誘うと、チノが頷いた。

 

「はい、じゃあ皆さんで帰りましょう」

 

 そして僕等は途中まで四人で帰ることとなった。

 

 

 

 

 

 帰り道、三人はお互い今日それぞれが店で何があったかを話していた。ココアがまた発狂したとか、こういうお客さんがいたとか、そういう他愛のない話だ。

 するとマヤが有宇に言う。

 

「そういや有宇にぃ、ココアが今日も帰り際にヴェアァァァってやってたよ。あのメール書いたの有宇にぃでしょ。あんまココアのこと苛めてやんなよ」

 

「あいつは少し妹離れしたほうがいいんだよ。あれは僕なりの荒療治さ」

 

「え〜本当かな〜」

 

 マヤはニヤニヤしながらそう言う。この様子だと揶揄うのが楽しかったとは言えそうにないな。言ったらまたなんかおちょくられそうだ。

 するとマヤは急にカバンをゴソゴソし始めた。

 

「お、あったあった」

 

 取り出したのは小さい四角い缶だった。

 

「マヤちゃん、それなに?」

 

 メグがそれが何かをマヤに聞く。

 

「ドロップだよ。食べる?」

 

「タベル〜」

 

「じゃあいただきます」

 

 するとメグは赤色のリンゴ味のドロップを、チノは薄青色のスモモ味のドロップをマヤから受け取った。

 

「それじゃあ私も……げ、ハッカだ。有宇にぃあげる」

 

「おい!……まぁいいけど」

 

 別段ハッカ味が苦手というわけではないので、マヤから白色のハッカ味のドロップを受け取る。マヤはというと、有宇にハッカを渡した後、無事青色のサイダー味のドロップを缶から出せたようだ。

 そして四人でドロップを口に入れながら歩く。

 

「オイシイネ〜」

 

「はい、美味しいです」

 

「ランダムに味が楽しめるのがいいよね〜」

 

「お前はリセマラしただろうが」

 

 するとマヤがじーっと有宇を見つめる。

 

「なんだよ」

 

「いや、有宇にぃって大人だなって思ってさ」

 

「大人?」

 

「ハッカが食べれるなんて大人だなって思って。だってハッカとかみんな苦手じゃん。ねぇ」

 

 マヤに振られてメグとチノも答える。

 

「私も苦手かも〜」

 

「私も得意じゃないです……」

 

 二人の答えを聞くと、マヤが「ねっ」と言わんばかりに視線を有宇に向ける。

 それに対して有宇が答える。

 

「あのなぁ、大人だって好き嫌いなんかいくらでもあるぞ。それこそ僕にだってあるし。お前達みたいにそれは大人だ子供だとか決め付けて騒ぐのが子供なんだよ」

 

 有宇がそう言うと、有宇の言葉に三人は感心したようだった。

 

「おお、なんかかっけぇ!」

 

「ソウダネ〜」

 

「今のセリフ大人っぽかったです」

 

「そ、そうか……」

 

 特に意識して言ったわけじゃないんだが、まぁ褒められているようなので素直に受け取っておこう。

 しかしそれにしても僕が大人……ね。

 マヤに大人と言われたことが、何故か腑に落ちなかった。

 地位に拘り、自分勝手に他人を蹴落としたり卑怯な手を使うことも厭わなくて、自分勝手な都合に他人を巻き込んできた。そしてその挙句おじさんと口論して家出までした僕が、もしかしたら一番この中で子供なのかもしれない……。そんな風に有宇は内心考えていた。

 真に大人を名乗るなら、それこそ周りに気を配り、周りを導けるような人間でなければならないのだろう。自分のことしか考えられず、利益を独占しようとする僕にはあまりにも浅ましく、大人とは程遠い存在だ。

 それこそ周りに自分のドロップ缶に入ってるドロップを配れるマヤのような人間が大人だとも言えるだろう。自己の包容力によっていかに他人に奉仕できるか。そこに大人と子の差があるように思えるのだ。要は、僕のようなドロップ缶を独占し、一人で食べるしまうような僕は子供だということだ。

 目の前にいる彼女らは純粋無垢で、まるでカラフルなキャンディーのように個性豊かに輝いて見える。僕といえば無色透明、クセばかり強くて輝けるようなものが何もないこのハッカ飴のようだ。

 もしこいつらのような純水な人間が子供で、僕のような汚れきった考えしか持てない人間が大人だというのなら、大人になんかならない方がいいのかもしれない。

 そんなことを考えていると、マヤが声をかけてくる。

 

「有宇にぃ、どうしたの?」

 

 マヤの声で我に返り、ネガティブな思考を振り払う。

 この街に来たこと自体は、仕事先も見つかって住む場所も見つかって、家出人の僕にとっては良い事ずくめだが、余計なことをあれこれと考えるようになったのだけはいただけないな……。

 そして有宇はマヤの問いに対して、適当にはぐらかして答える。

 

「別に、お前らってキャンディーみたいだなって思っただけだ」

 

「え〜なにそれ〜」

 

「でも確かにそうかも〜」

 

「確かに皆さんイメージカラーがありますし、カラフルなところはそうかもしれませんね」

 

「じゃあ私サイダー」

 

「ワタシリンゴ〜」

 

「私は……色で言うとスモモになるんでしょうか?」

 

 三人は有宇が何となく適当に言った言葉を真剣に考え始めた。面白いと思い有宇もそれに乗っかる。

 

「それだとココアはピンクで苺味。リゼは紫だから葡萄か?千夜は緑だからメロン味、シャロは何となく黄色のイメージあるからレモンってなるな」

 

 有宇がそう言うと、マヤが更に付け加えて言う。

 

「じゃあ有宇にぃは……ハッカ?」

 

 それを聞いて有宇は先程考えていたことを思い出す。

 すると無意識にマヤに尋ね返していた。

 

「……それはクセが強いだけで色がないってことか?」

 

 しかしそれに対しマヤは特に動じることなく答える。

 

「ん?まぁクセは強いけど、でもハッカってスカッとする清涼感があるっていうかさ、スッキリさせてくれるってところあるよね。ほら、有宇にぃって誰に対してもツンツンしてるけど、今となってはなんだかんだいって有宇にぃがいないと寂しいなって思えるし、有宇にぃいないとスッキリしないなって」

 

 マヤの自分は考えなかった意外な答えを聞いて、有宇は愕然とした。

 そうか……そういう考えもあるのか……と。

 クククと有宇は笑いだした。

 

「本当どしたの有宇にぃ?」

 

「いや、何でもない。なんかツボった」

 

「なんだよそれ〜」

 

 フフフとチノとメグも笑い出す。

 僕らはドロップ缶に入ったキャンディーみたいな個性豊かな奴らばかりだけど、それはそれで味があっていいのかもなと有宇は思った。少なくとも、カラフルに彩られたバラバラな個性を持ったこいつらとの日常も悪くないと思えた。



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第10話、Welcomeようこそパン祭り!

多分、これまでで一番長いお話になると思います


「……というわけで、今年もパン祭りを開催します!」

 

 ある日の午後、この日有宇は女子三人とシフトが重なり共に働いていた。そんな最中、ココアが突然そんな事を言い出したのだ。

 

「……なんだって?」

 

「だからパン祭りだよ!もう、有宇くんちゃんと聞いてた?」

 

「いや、聞いてたけど……」

 

 ココアの話によると、何でも去年、夏のパン祭りと題したイベントをこの店でやったらしい。ヤマ○キじゃあるまいし何でそんなことやってんだって話だし、というかここって喫茶店だよな?パン屋じゃねえんだぞ。

 というかなんで突然そんな話をと思うが、なんでもどうやら今年はまだそのパン祭りイベントをやっていないらしく、ココア主催の元、また今年もやりたいのだという。

 イベント事なんて面倒な。ココアの話を聞いて有宇はそう面倒くさがる。しかしすぐに思い直す。

 しかしまぁ、今も客のいないこの店内を見ると、少しは集客していかないと不味いのかもしれない。まっ、少しぐらいは肌を脱いでやってもいいか。

 

「で、そのパン祭りはいつやるんだ?」

 

 有宇はココアに尋ねる。

 

「今週の土曜日!」

 

 ココアは元気にそう答えた。

 

「今週!?もうすぐじゃないか!」

 

「うん、そうだよ。はりきっていこう!」

 

「いやいや待て待て、それなりのイベントなんだし……こう準備期間とかないのか?」

 

 まさかそんなすぐやるとは……。もっと間が空くもんだとばかり思ってたぞ。

 するとチノがココアの代わりに有宇の質問に答える。

 

「いえ、パンの材料は沢山ありますし、前日に普段よりパンの仕込みをするだけなので、それ程期間を空ける必要はありません」

 

「宣伝とかは?流石にもう始めないとやばいだろ」

 

 今週の土曜となると、もう今日からでも宣伝をやらないとイベントが客に周知されず集客が望めなくなる。

 

「ふふん、大丈夫。これからみんなで持ち回りで外にちらしを配ります」

 

 そう言うココアの手にはチラシの束らしきものがあった。

 チラシ配りか……まぁそれぐらいしか宣伝の手段はこの店にはないか。パソコンとかあればホームページとかSNS等も使えるんだがな。

 チラシをわざわざ配り歩くとなると正直かなり面倒くさそうだが、生憎今週は午後のシフトは今日入れてあと一回だけだ。その一回というのが例の土曜日だから、つまりチラシ配りは殆どこいつらが配りに行くことになるだろうから、僕は当日だけ頑張ればいいというわけだ。

 

「わかった。それじゃあまぁ頑張れよ」

 

「何言ってるの?有宇くんもやるんだよ」

 

「……は?何言ってんだ、今週僕の午後のシフトの日は当日のあと一回だけ……」

 

「うん、でもタカヒロさんにパン祭りのこと話したら、有宇くんも手伝えるようにシフト調整してくれるって言ってたよ?」

 

「マスタァァァァ!?」

 

 ちょっと待てっ!?そんなこと聞いてないぞ!

 てかそんなこと言ったら、午前中に店で仕事して、午後になっても外でずっと突っ立ってチラシ配りの仕事しろってことか!?

 てことはこれから一週間、一日中働き詰めじゃないか!?

 

「取り敢えずリゼちゃんもう外で待ってるし、今日は私とリゼちゃんが外で配ってくるから、有宇くんは、今日はこのままチノちゃんとお店よろしくね。それじゃあね!」

 

「あっ、おい待て!?」

 

 そう言うと、足早にココアは店を出ていった。

 店に残された有宇はというと、今週の日程に絶望していた。朝早く起きてパンの仕込み、こいつらの弁当作りの手伝い、朝飯作り、それが終わったら洗濯物を干したりして、仕事の準備をしてから午前中はカフェの仕事だ。

 いつもならそれで終わりだが、今週に関しては、それが終われば午後にこいつらと仕事をしなければならない。いや、前からたまに午後にも入ることはあったけど、今週は毎日か……。

 しかもそれが終われば日によっては夕飯の買い出し、それから夕食準備。おまけに休日はパン祭りで大忙しだから今週一週間、一日中働かされっぱなし……ブラックすぎるだろ。

 

「あの、お兄さん、きついようであれば私から父に言っておきますから……」

 

 有宇を気遣ってくれているのか、チノは有宇にそう声をかける。

 その優しさは素直に有り難い……が。

 

「……いやいい。一応世話になってる身だしな、手伝うよ」

 

 居候身分だとやっぱり断りづらいしな。まぁ、別にただ働きってんじゃないんだし、甘んじて仕事に励むとするか……。

 

「いえ、本当に大丈夫ですよ。私達だけでもなんとかなりますし無理はしなくても……」

 

「いや、でも人手は少しでもあったほうがいいだろ。それにこの店が景気よくしてるところは僕も見たいしな」

 

「お兄さん……!そんなにこの店のことを大事に思って……」

 

「ああ、なにせ僕がこの店に来てから、この店の席が満席になった所見たことないからな。本当前々からこの店大丈夫かと心配してたところだ」

 

 この店には潰れてしまっては困るからな。少しは客が沢山来るところを見て安心したいところだ。それにここが潰れたら本当に行く場所がなくなっちまうしな。

 

「……」

 

「ん、どうしたチノ?」

 

 何故かチノが微妙な表情を浮かべて黙り込んでいた。

 

「そういう意味ですか……いえ、何でもありません」

 

 てっきり店のことを大切に思ってくれていると思っていたので、有宇の言葉に内心がっかりしたチノであった。

 

「?まぁいいか、とにかく僕も手伝うし心配するな」

 

「わかりました。でも無理はなさらないでくださいね」

 

「ああ」

 

 こうして、パン祭りまでの一週間、有宇のハードな日々が始まった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「えへへ、有宇くんと二人きりって珍しいね!」

 

「そうだな……はぁ」

 

「その溜め息はなに!?」

 

「別に……」

 

 いや、誰とやろうとやることは変わらないんだけどさ……こいつと仕事とか不安でしかない。

 

「とにかく、お客さんに来てもらえるように頑張っていこー!」

 

「……おぉ」

 

「ダメだよ有宇くん、そんなんじゃお客さん来てくれないよ?」

 

「お前のテンションについていけないだけだ」

 

「え〜いつもと変わんないよ?」

 

 いつもテンション高けぇってことだろ。ったく、ココアは無駄に元気があるから一緒にいるだけで疲れる。

 この日、有宇はココアとチラシ配りを担当することになり、人の集まりやすい広場に来ていた。

 見た感じそこそこ人もいるし、この広場は効率良く配るには絶好のスポットと言えるだろう。シャロもここでよくフルールのチラシを配ってるしな。真似するようであれだが、こっちも商売だし、利用できるものは利用していこう。

 

「それじゃあはい、これ有宇くんの分」

 

「あぁ」

 

 そして有宇はココアからチラシを受け取る。

 そういえばチラシのデザインとか聞いてなかったな。

 そう思いココアから受け取ったチラシを見てみる。まず目に入ったのが手描きのうちにいる毛玉うさぎ、そして『ウェルカムカモーン』と、でかでかと書かれた文字だ。

 

「……何だこれ」

 

「あ、それ私が去年書いたやつなんだ。今回は時間がなかったからデザインはほとんど去年の使い回しなんだけど、今年のはちゃんと去年間違えたスペルミスも直してあるし、なかなかいい味出してるでしょ」

 

 何故か自慢気にそう言う。

 いや、普通にひどいなこれ……つか手描きかよ。手描きにするならもうちょっと綺麗に書けよ。

 チラシを見た瞬間から、有宇はこのチラシの出来に不満しか抱かなかった。

 ていうかなんだウェルカモーンって。おまけにこの毛玉うさぎの絵、なんか目がでかくてキモいし、字が小さくて見にくい上に、背景がピンクで目がチカチカして、より字が見えにくくなっている。店への地図も抽象的過ぎてめちゃくちゃわかり辛い。

 ある意味人目を引くチラシではあるが、まるで子供の落書きだ。酷過ぎる。

 もっとマシなものかと思っていたのだが……ていうかこいつに書かせたら間違いなくアウトになるってなんとなくわかるだろ。なぜチノもリゼも止めない。

 

「次こういうの作るときは、お前には一切任せない方がいいな」

 

「ええ!?なんで!?」

 

 なんでじゃねえよ。……はぁ、このイベント本当に大丈夫かよ。

 パン祭りの先行きが一気に不安になる有宇であった。

 

 

 

 それから二人はチラシ配りを各々開始した。

 そして早速有宇は、帰宅途中と思しき二人組の女子高生に声をかけた。

 

「すみません」

 

「はい?あっ……///」

 

 話しかけられた女子二人は有宇の姿を見た途端頬を赤らめる。

 制服からしてリゼとシャロの通うお嬢様学校の生徒か。どうやらファーストコンタクトは成功したようだ。

 

「今週の日曜日に何かご予定はありますか?よろしかったら、実はうちの店でこういうのをやるんですが」

 

 女子生徒二人にチラシを渡す。

 

「パン祭り……?」

 

「はい、よろしければ是非」

 

 女子生徒二人に優しく微笑む。

 

「は、はい……///あ、あの!当日は店員さんもいますか?」

 

「はい、その日は一日中いますよ」

 

 そう言うと女子生徒は、二人で「キャーッ!!」と声を上げ、「絶対行きます!!」と言って去っていった。

 

「おお有宇くん、モテモテだね〜」

 

 有宇の様子を見てココアが言う。

 

「当然だ。お前も無駄口たたいてないでさっさと配れ」

 

「は〜い」

 

 つーか今更だが、こいつ含めそうだけど、僕の周りの女どもは僕に惚れることはなかったよな。他の男よりも顔はかなりいいはず……だよな?

 ココア達があまりにも自分のことを意識しないことに気付き、少し自分に自信をなくした有宇であった。

 

 

 

「ふぅ、流石に疲れたな」

 

 配って一時間は経過しただろうか。ずっと声出して立っているのも結構きついものだ。 だが、若い女子をターゲットにして配った甲斐あって、持っていたチラシはもう僅かだ。まぁ僕の手にかかればこんなものだ。

 少し自分に自信を取り戻したところで、そういえばココアの方はどうだろうと思い、有宇はココアの様子を見に行くことにした。

 ココアの持ち場に行くと、ココアの声がはっきりと聞こえてくる。

 

「パン祭りやりま〜す。是非来てくださ〜い」

 

 相変わらず馬鹿みたいに元気だな……。

 しかしまぁ、僕ほどじゃないがそこそこチラシは減っているようだ。人当たりはいい奴だし、こういうのは元々向いているんだろう。

 

「あっ有宇くんお疲れ。おおっ!いっぱい配ったね」

 

 すると、ココアが有宇に気付き声をかけてくる。

 

「まあな、僕にかかればこんなものさ」

 

 最初は若い女子をターゲットにして、女子が通るたびに積極的に話しかけてチラシを渡していたのだが、途中から僕が話しかける前にむこうから群がるようになっていた。そのおかげで持っていたチラシがみるみる減っていく。これというのも二枚目の僕だからこそやれるというもんだ。

 有宇が一人鼻を高くしていると、二人の元に年端もいかない四〜五歳ぐらいの幼い子供がやってきた。

 

「お姉ちゃん、それちょうだい」

 

「いいよ、はいどうぞ。おいしいパンがいっぱいあるからお母さんと一緒に来てね」

 

 そう言ってココアはチラシを子供に渡す。

 

「うん!」

 

 子供はチラシを受け取ると、向こうの方にいた友達と思しき数人の子供の元へと走って行った。

 そして、子供の姿が見えなくなると、有宇はココアに言う。

 

「なぁ」

 

「うん?どうしたの?」

 

「もしかしてお前、子供にも配ってるのか?」

 

「え?そうだけどそれがどうしたの?」

 

「いや、ダメとまで言うつもりはないけど、チラシ印刷するのだってタダじゃないんだしあんなガキに配るのはやめた方がいいんじゃないか?広告費ドブに捨てるようなもんだろ。あんなガキに渡したところでどうせ家で紙飛行機にされるのがオチだぞ」

 

「え〜そんなことないよ。ちっちゃい子だってみんなパン好きだろうし」

 

「けどあれぐらいの歳のガキに渡しても、実際金出して来るのは親だぞ。喫茶店は子供を連れてくのには不向きだ。狭い店内じゃ子供の声が響いて他の客に迷惑がかかるから、あまり子連れの母親は喫茶店には行きたがらないだろう。それにパンはともかく喫茶店は子供の好きな飲み物も少ないしな。うちなんかその典型だ」

 

 喫茶店は店が何を売りにするかにもよるが、子連れ客向きではない。小さいガキンチョは席でじっとしているのが苦手だし、泣きわめいたりもする。他の客に自分の子供が迷惑をかけるかもしれないと心配する親は行きづらいだろうし、子供向きのメニューが少なければ尚更心配することだろう。

 特にうちの店なんかはチノの祖父の意向でドリンクメニューはコーヒーが殆だ。苦いコーヒーは子供は好まないし、かといってコーヒー以外のドリンクメニューは牛乳と紅茶しかない。

 おまけに店内はそこまで広いわけじゃないから、子供の泣き声や叫び声が響き渡りやすい。それも子連れの親から見たらマイナスだろう。

 小さい子供が好きそうなジュースの類も置いてない上、自分の子供が迷惑をかけやすく、居づらくてゆっくりもできない、そんな子連れにとっては少し敷居が高いのがこの店だ。

 そして理由はこれだけではない。

 

「チラシ配りは受け取ってもらうのも大事だが、チラシの数が限られている以上、うちに来る客層かどうかもしっかり見極めるべきだ。そういう意味でも子供にチラシを配るのは得策じゃない。今みたいに要求されたら渡さないわけにはいかないが、そうでないなら渡さん方がいいぞ」

 

 僕が小学生の時だ。昔小学校の課外授業かなんかでクラスで学校外に出たとき、クラスの他の連中がふざけてチラシを大量に貰ってきた。それでまだ家に持って帰るとかならともかく、奴等は貰うや否や紙飛行機にして飛ばして遊んでいやがった。

 ガキとはそういうものだ。チラシなんて奴等に玩具を与えると同義。こちらの意図なんぞ理解してないし、タダで貰える玩具程度にしか考えてないのだ。

 大体ガキは金がない。喫茶店のメニューなんてガキの欲しがるものも少ないし、端から顧客になり得ない。敷いて言えばその親が顧客になり得るが、親の手に渡るまでが稀だし、その親だって来るとは限らない。

 確かにチラシを貰った人間が全員来てくれるはずはないが、だからといって奴等に広告費を割くのは本当に無駄でしかない。ただでさえうちは貧乏喫茶店で、チラシを刷るのにだってそんな高い金かけられないっていうのに、その限られたチラシを、来る望みの薄いガキ共に割いてたまるか。

 つまり、僕の経験則含め、子供にはチラシを配るべきではないと考えるのが定石だろう。実際僕はというと、子供単体でチラシを貰いに来たときは、「コーヒー苦いぞとか子供が飲めるものじゃないぞ」という風に遠回しにチラシを受け取らせないようにしていた。

 有宇がそう言い終わると、ココアはポカンと間の抜けた顔を浮かべている。

 

「どうした?」

 

「ううん、なんか感心しちゃって。てっきり有宇くんのことだから子供が嫌いとかそういう理由かなって思ったけど、ちゃんとお店のこと考えてくれてたんだなって」

 

「確かにガキは好きじゃないが、仕事との区別ぐらいつけてるさ」

 

 有宇がそう言うと「それもそうだよね」とココアは笑う。しかし「でも……」と続ける。

 

「確かに、集客率を考えるなら有宇くんの言う通りなのかもしれないけど、私は色んな人に来て欲しいな。それで色んな人にラビットハウスのコーヒーを味わって欲しいの。だから相手がちっちゃい子でも、そのための機会を奪うようなことはしたくないな……なんて私のワガママかな」

 

 こいつらしいといえばそうだが、僕には理解できない。

 ティッシュ配りのバイトだって、ガキの方から欲しいと言われない限りガキ相手に渡そうする奴はそうそういないだろう。

 それにこういうチラシ配りによる広告のいいところは、自ら狙った客層をターゲットにできることだ。その利点を生かさないでどうする。効率がいいとわかっているならその方がいいじゃないか。なのに、何故あえて非効率な手段を取るんだ。

 色んな人というなら、それこそたくさんの人に来てもらえるように客層を絞ったほうがいいと思うんだが……。

 まぁ、それを言ってもこいつには無駄か。 そういう理屈が通じる奴じゃないだろうしな。別に悪いことでもないわけだし、納得はできないが、わざわざ反論する気にもならん。

 有宇は一言溜息を履くと、呆れたように一言言う。

 

「ま、勝手にしてくれ」

 

 ココアはただニコリと笑っていた。

 

 

 

 それから有宇は、自分の持ち場に戻り再びチラシを配り始める。すると有宇の目に見知った顔が映る。

 

「おい、シャロ……」

 

 有宇がそう声をかけると、彼女はくるっとこちらを振り向いて万面の笑みで答える。

 

「フルール・ド・ラパンで〜す!よろしくお願いします!」

 

「……よう」

 

 仕事中の営業スマイルなのはわかってるんだが、なんかいけないものを見たような気分だ。

 シャロも知り合いだと気づかずに営業スマイル全開なところを見せてしまって少し恥ずかしいのか、コホンっと咳を立てて顔を赤らめていた。

 

「あんた、そんな格好でなんでここにいるのよ。お店はどうしたのよ?」

 

「お前と同じチラシ配りだ。土曜にパン祭りをやるんだよ。お前も来るか?」

 

 そう言ってチラシを見せる。

 

「ふ〜ん、そういえば今年はまだやってなかったわね。あっでも今年もその日は一日中バイトだから行けないわ。ううっ……お腹いっぱいメロンパン……」

 

 するとシャロは悔しそうに目に涙を浮かべる。

 メロンパン好きなのか?なんとなくこいつって黄色のイメージカラーあるから、メロンパンの色とも似てるし、何かシンパシーを感じてしまう。にしても落ち込みすぎだろ……。

 哀れに思った有宇は、珍しく気を使って声をかける。

 

「パンぐらいなら持ってくるぞ別に」

 

「本当……っ!!あっ、んんっ……ありがと」

 

 今すごい嬉しそうだったな。

 すると今の声でシャロがいることに気付いたのか、ココアがこちらにやってきた。

 

「あっシャロちゃんだ。シャロちゃんもチラシ配り?」

 

「ココアもいたのね。二人だけ?」

 

「うん、今日は有宇くんと二人でチラシ配りだよ」

 

「そう……ならいいけど」

 

 シャロがほっと安堵する。

 どうせリゼのことでも考えてたんだろうな。生憎今日、リゼはチノと店番だけどな。まぁ、こいつ的には僕と二人きりでいるよりはいいって感じだろうな。

 しかしココアがここで余計な一言を加える。

 

「あっ、でも明日は有宇くんとリゼちゃんがチラシ担当だよ」

 

「なぁっ!?」

 

 あ、このバカ余計なこと言うなよ。

 

「べ、別に羨ましくないけど!有宇!リゼ先輩に変なことするんじゃないわよ!」

 

「別にしねぇよ!」

 

 こいつ、リゼの事になると本当めんどくせぇな。

 またなんか色々因縁つけられても面倒くせぇし、元々何かするつもりはないが、素直に頷いた方がいいだろう。

 

「ならいいわ。じゃ、私は仕事に戻るから。あんた達も頑張んなさいよ」

 

「じゃあねシャロちゃん」

 

 有宇も軽く手を振る。それからシャロはすぐに満面の笑みでチラシを配り始める。

 にしても、人への対応を瞬時に変えられるところを見ると、あいつもなかなか役者だな。そういやココアも前にそんなこと言ってたか。僕も人に良い顔するのは得意のつもりだったが、世の中探せば他にもそういう奴はいるもんだな。

 そしてココアもシャロの仕事ぶりに感化されたか、はりきった様子で有宇に言う。

 

「よし、じゃあ有宇くん、残りも配っちゃおう!」

 

「あぁ」

 

 それから二人もチラシ配りに戻り、今日一日分のチラシを配り終えた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「あぁ、店で仕事だと座ってられるからいいな」

 

「おい、怠けるな。仕事中だぞ、全くだらしないな」

 

「んだとぉ。こっちは午前中から入ってんだぞ。客もいないんだし少しぐらいいいだろ」

 

 一昨日はココアと、昨日はリゼとチラシを配り、今日はまたリゼと二人で今度は店番。

 別になんかあったわけじゃないが二日連続チラシ配りで外に立ちっぱで、ずっと声張ってなきゃいけないのはとても疲れる。

 特に僕の場合若い女性をターゲットにしてるので、気は抜けないしな。しかし店には早速チラシ効果で、パン祭り前だが客がそれなりにやって来た。

 今はラッシュが終わって客もいないので一休みしていたところだ。

 

「こいつ……この姿をさっきの客達にも見せてやりたいな」

 

「ほっとけ」

 

 ちなみに先程まで、早速有宇からチラシを貰った女性客達が店に来ていた。女性客の殆どは女子高生で、リゼ達の通うお嬢様学校の生徒達であった。

 お嬢様ということもあり男子との関わりがあまりないのか、比較的顔立ちの整っている有宇に興味津々の様子で、パン祭り前にも関わらず店にやって来たようだ。

 女子にちやほやされて普段なら素直に喜ぶ有宇だが、今日は素直にそう喜ぶ気にはなれなかった。その理由は……。

 そして有宇はリゼに厭味ったらしく言う。

 

「にしてもお前、女子のくせに女子に人気があるとはな」

 

「別にそんなことないだろ」

 

 リゼはまるで自覚なしって感じでそう答える。

 

「さっきいた女子どもの中にいたお前の学校の女子数人が、僕を無視してお前にまっしぐらだったのを僕は忘れてないぞ」

 

「ゔっ……!それは……」

 

 有宇の不機嫌の理由。それは先程やって来たお嬢様学校の女子達の何人かが、有宇を無視してリゼのもとへまっしぐらだったことだ。有宇にとってはそれが地味にショックだったし、プライドを傷つけられたのであった。

 クソッ、こいつ特別ボーイッシュってわけでもないのに、なんであんなに同性に好かれてんだよ。確かに頼りがいがあるところとかは男らしさがあるのかもしれんが、近くにこの僕がいるにも関わらず、この僕を差し置いて向かうほどなのか?

 ていうかそういう百合っていうのか?女子同士でそういうのってシャロぐらいしかいないだろうと思ってたのに、他にもそういう奴が結構いることが一番の驚きなんだが。

 創作物とかでは、よく女子校で女子同士の恋愛模様が描かれたりするけど、こうして現実で目にして、改めてそういうのって本当にあるんだなって思えるよ本当。

 

「ふん、女らしくなくて悪かったな」

 

 すると、リゼが機嫌を損ねる。どうやら女子らしくないと言われたことにふてくされてしまったようだ。

 

「なんだよ、んなこと言ってねえだろ。拗ねんなって」

 

 有宇がそう言うものの、リゼはそっぽを向けたままだ。すると、今度は何やらぶつくさと呟き始めた。

 

「演劇部の助っ人に出る時も男役ばかりやらされることが多いし、やっぱり私は女らしくないのか……?」

 

 部活の助っ人なんかやってたのか?

 そういうの漫画の中だけだと思ってたが、現実でもそんなことってあるんだな。

 にしてもなんかさっきからこいつの周りだけ漫画みたいになってないか?お嬢様学校、百合が日常茶飯事、部活の助っ人、まるで少女漫画の世界を体現したかのようだ。

 部活の助っ人やってるってことは、じゃああれもあんのか?有宇は気になったのでリゼに"あれ"について聞いてみる。

 

「なぁ、部活の助っ人してる時ってさ、周りに結構人いたりするのか?」

 

「えっ?あーそうだな、結構応援してくれる人が来てたりするな」

 

「……それってお前の応援だったり……?」

 

「まぁ、私も応援されるけど、別に私だけってことはないと思うぞ」

 

 出た、部活の助っ人すると、自分のファンの生徒が集まってくるやつ。まさか本当に現実でそんなことがあるとは……。

 つまりこいつ、本当に学校じゃ「お姉さま〜♪」って感じなのかよ。んだよそれ、男の、しかもそこそこモテてるはずの僕でもそんな漫画みたいなモテ方したことねぇよ。

 

「クソッ、僕としたことが羨ましいと思ってしまった……」

 

「何を羨ましがってるんだ!別におまえの思ってるようなもんじゃないぞ!」

 

 リゼはそう言うが、僕はさっき実際に、こいつが女子生徒にちやほやされているところを見ているからな。リゼ自身、自覚はないようだが、学校でのこいつはまさにアイドルのようなものなんだろう。

 すると先程までと打って変わって、何やらしゅんとした様子のリゼが、有宇に尋ねる。

 

「なぁ有宇、やっぱ男のお前から見ても私はその……女らしくないのか?」

 

 なんだ突然、急に萎らしくなりやがって。女らしいかだって?そんなもん……。

 

「知るかよ。んなことどうだっていいよ。んなこといちいち気にすんなよ鬱陶しい」

 

「なっ!?こっちは真剣に悩んでるっていうのにお前って奴は……」

 

「知らねーよ。大体、んなこと気にしてる時点で自覚あるってことだろ?じゃあそういうことなんだろ」

 

 こいつが男らしいとか女らしいだとか、そんなことにいちいち興味は持たない。他人の悩みごと程どうでもいいことも他にないもんだ。

 しかし有宇の答えを聞いたリゼは「そうか……」と呟き、顔を俯けた。

 あれ、言い過ぎたか?てっきりいつものようにポケットから銃を取り出してキレるのかと思ったのだが……。

 流石の有宇も落ち込んだ様子のリゼを見て、少し心配する。

 しかしあれか、あまりリゼと関係悪くするとシャロとの関係もまた悪くなりそうだな。またあいつに「リゼ先輩になんてことを……!」とか言われるとまた険悪な感じになるかもしれんな。

 それにここでの僕の立場は低い。シャロ以外にも、ココア含めた女子グループにリゼを苛めたとかどうとか文句つけられると面倒なことになりそうだ。少しはフォローしてやらないとまずいか。

 そう思うと有宇は途端にリゼにフォローを入れ始める。

 

「まぁあれだ、そんな気にすんなよ。お前にもそのうち女らしいところの一つや二つぐらいつくようになるだろ」

 

 よし、華麗にフォローしてやった。

 そう思い有宇はやりきった感じになっていたが、対するリゼの反応は微妙そうな表情を浮かべている。

 

「お前……もしかしてだけど、それってフォローしてるつもりか?」

 

「他に何だと?」

 

 有宇は自信満々に答える。するとリゼは微妙な表情を浮かべたまま言う。

 

「お前……モテないだろ」

 

「あ゛!?モテますけど?」

 

 喧嘩売ってんのかこいつ!?

 リゼの突然の罵倒に、有宇は機嫌を損ねる。

 

「確かにお前、顔はいいんだろうけど、多分誰かと付き合ってもそんなんじゃすぐ別れるのが目に見えてるぞ。なんかお前って結構空気読めないとこあるし、気も使えないし、そんなんじゃモテたところですぐ呆れられるぞ」

 

「ぐぬぬ……」

 

 リゼは思っていることを有宇に容赦なくズバズバと言い放った。

 この野郎……!言わせておけばいい気になりやがって!

 

「うるさいっ!大体何故僕が気を使わなきゃならんのだ!寧ろ僕としては、こっちが付き合ってやってんだよ!そんなんですぐキレる女なんて端から僕の眼中にないっつうの!」

 

 有宇がそう言い切ると、リゼは「はぁ……」とため息を吐く。

 

「べつにお前がどんなスタンスを取ろうが私は別に構わないが……。まぁ、けどお前と付き合う女性は苦労しそうだなって思っただけだ」

 

 そんなリゼの反応にイラッときた。なので先程フォローしたばかりだったが、有宇はボソッと愚痴を漏らす。

 

「……そんなんだから女子にしかモテねぇんだろ」

 

 有宇が小声でそう愚痴ると、どこから取り出したのか、リゼは銃を有宇の額に押し付ける。

 

「なんか言ったか……?」

 

「ヒッ……!な……何も言って……ません」

 

「そうか、ならいい」

 

 そう言うと銃をポケットにしまう。

 こいつ、以前から何も変わってねぇ!銃を向けられるこっちの身にもなれよ!ていうかそれ、流石にモデルガンだよな?でもこいつの親父が軍人とか言ってたし……本物じゃないよな?

 なんか少し気になったので、有宇は銃について尋ねてみることにした。

 

「なぁ、いつもそんなもん持ち歩いてんのか?」

 

「あぁ、護身用にな。あとコンバットナイフも携帯してるぞ」

 

 そう言うとポケットから、よく軍人とかが持ってそうなでかいナイフをポケットから取り出す。

 

「見せなくていい!いいから仕舞え」

 

 有宇がそう言うと、リゼは素直に再びナイフをポケットに仕舞った。それから再びリゼに尋ねる。

 

「なぁ、それって親の方針とかだったりするのか?」

 

 ミリオタっていうんだっけか。こういう銃とかナイフが好きな奴は一定層いることは知っている。だが、だからといって普段からそんなもん携帯してる奴は中々いないし、それもこいつは女子だ。女子でここまで重度のミリオタはそうそういないだろうし、普通じゃない。

 だからもしかして自分の意志ではないかもしれないと有宇は思った。確か親が軍人とか言ってたし、何か複雑な事情があるのかもしれないと思った。もしかしたらそれで父親の方針でそんな危ない物を持たされてるだけかもしれないと思ったのだが、有宇の予想はあっさりと覆される。

 

「まぁ、確かにうちの親父は軍人だけど、これは私の趣味だ。常時肌身離さず持ってるのは一応護身用にな。まぁ、体術だけでもそこらのチンピラ程度なら軽くいなせるけど」

 

 ……まぁ、そうだよな。別に親の方針で持たされてるだけなら、持ってるだけで使わなきゃいい話だし、割とこいつ平気で取り出してくるもんな。

 予想は着いてたっちゃ着いてたが、リゼの答えに若干呆れる。更にリゼは語り出す。

 

「幼少の頃からよく親父の部下の訓練キャンプに付いていったりしてな。それがまたすごく楽しいんだ。勿論、訓練だから厳しくもあるんだが、ああした環境でしか感じることのできないものがあるんだよ。それに親父の趣味でミリタリー映画は揃ってたからよく見てたし、うちには射撃場もあるし、趣味を謳歌するのに事欠かなかったよ。そうそう、あとうちのコレクションルームには……」

 

「長い長い!いつまで続ける気だその話!」

 

 長くなりそうだったので、話の途中だったが有宇は話をやめさせた。

 

「ったく、お前の趣味の話なんざに興味ないってのに……」

 

 勝手にべらべら喋り出しやがって。僕はミリタリーなんざに興味はないぞ。

 するとリゼは再び急にしゅんとした態度をみせる。

 

「すまない、やっぱりこういうところが駄目なんだろうな……女らしくなんてなれないはずだよな……」

 

 なんか先程よりも落ち込んでいるように見える。

 なんか思った以上に女らしくないだとかを気にしていたようだな。おそらくリゼはその要因がミリオタ趣味にあると考えているんだろう。それだけじゃないと思うが……

 まぁ何にせよ、こいつが萎らしくしてるのはなんか見てられんしな。流石にもう少し真面目にフォローしておくか。

 

「……まぁ、あれだ、人にすぐ銃を向ける癖を直した方がいいが、ミリオタ趣味自体はそんなに気にする程でもないだろ。それにお前料理とか結構上手いし、僕から言っても顔は悪くないしな。聞けば他にも色々できるらしいじゃないか。それだけでも十分女らしいんじゃないか?」

 

 ココア達から聞いた話だと、リゼは髪型のセットから裁縫から何から何までできるという。それと合わせて料理も上手いし、ぶっちゃけ言うほど男らしいかと言われるとそうでもない気がする。

 何でもできて頼りがいがあるというのは男らしいと言えなくも無いが、髪型のセットとか、世間一般的に女らしいに含まれることも出来るんだ。女らしくないわけじゃない。

 それに顔も悪くない。スタイルだっていい。身長も高めで出るとこ出て、引き締まるとこは引き締まってる。別にボーイッシュってわけでもないんだ。男らしい頼りがいのあるところやミリオタ趣味があったところで、外見も内面も含めてそんな男らしいってことはない。寧ろ十分女らしいといえる。

 いちいちこんなことを僕の口から言いたくはないが、言ったほうがリゼも納得するだろうしな。これでリゼも少しは機嫌を直すだろう。

 そう思ってリゼの方を見る。しかし、何故かリゼは顔を俯けてプルプルと震えていた。

 

「ん?どうした」

 

「な、な、何を言ってるんだお前はぁぁぁ!?」

 

「ええぇぇぇ!?」

 

 なんでフォローしてやったのにキレられるんだよ!

 だがリゼの顔をよく見ると顔が真っ赤だ。もしかしなくてもだがこいつ……照れてるのか?

 

「か…可愛いとか私をからかってるのか!?」

 

「いや可愛いなんて言ってねえよ。いいから落ち着け」

 

 リゼをなだめて、ひとまず落ち着いてもらう。

 

「すまない、取り乱した……」

 

「いや、別にいいけど、案外褒められ慣れてないのな?」

 

「あぁ……なんか恥ずかしくてな。お前はそういうの平気そうだよな?」

 

「まぁ、当たり前のこと言われてもなって感じだしな」

 

「……お前のその自信過剰なところ少し分けてもらいたいぐらいだ」

 

「僕が自信過剰なんじゃない。僕はただ事実をありのままに受け止めてるだけだ。お前も素直に受け止めろ」

 

「受け止めろってそんなこと言われてもな……恥ずかしいしだろ」

 

 今日のこいつは本当に、いつもよりなんか萎らしいな。なんというか、さっき僕に銃を向けたような覇気がない。

 

「謙虚は美徳とはよく言うが、力があるのに力がないように思い込むのは逆に周りを苛立たせるってもんだろ。例えばお前がブスの前で『あたし、そんなに可愛くないから……』なんて言ったらそいつの心中は酷く荒れることだろうな。『じゃあお前が可愛くないっていうなら、お前よりブスな私は何なんだ』ってな」

 

「そう言われるとそんな気もしてきたが……っていうかブスとかそういう言葉はあまり言うもんじゃないぞ」

 

「は、優等生気取るな。事実を事実として言って何が悪い。大体折角他人より優れたものを持ってるのに、それを自分で否定してどうする。リゼ、聞いた限りお前は周りに大分評価されてる。だからそれは素直に喜ぶべきだ」

 

 自分の持つ力、リゼの場合はさっきも言ったが多彩な能力とその美貌だ。頼りにされるほど何でも卒無くこなせる力。そして周りを引き寄せる外見。スタイルも出るところは出ていて、引き締まっているところは引き締まっている。顔だって悪くない。いや、ぶっちゃけかなりいい。

 周りの女子達だって、何も全員が全員、リゼを男らしいと見てるわけではないはずだ。完璧なリゼに同性として憧れや魅力を感じるからこそああして評価しているのが殆どだろう。

 結局のところ、それをリゼはみんなが自分を男らしいと見ていると思いこんでいるに過ぎないと僕は思っている。

 だが有宇がそう言ってもリゼは納得のいかない様子だった。

 

「と言ってもな……」

 

 まぁ言いたいことはわかる。

 僕とは違い、要は周りに評価されたいとかではなく、ただただ自分が女らしくありたいのだろう。どんなに評価されようとも、女らしさで評価されないと本人的には意味がないのだろう。

 ここだけ聞くと贅沢な悩みのような気もするが、こいつの場合、自分自身の評価と周りの評価が邪魔して自分は女らしくないと思ってしまっている。だからそれが自分の欠点だと思いこんでいる節がある。

 なら、ここで無理に気にするなと言うより、こいつの中の定義を変えてやればいい。そう思い有宇はリゼに問いかける。

 

「リゼ、じゃあ逆に聞くが女らしいってなんだ?」

 

「え?そりゃ……お淑やかな感じの……?」

 

「自分でもよくわかってないだろ。だいたい女らしいの考え方なんてもんは人それぞれだ。顔だったり、それこそお前のようにお淑やかさだったり色々だ。そんなもんいちいち気にしてたらきりないぞ」

 

「そう……なのか……?」

 

「あぁ、それにさっきも言ったがお前は器量いいし、あのココア達を引っ張っていくだけの統率力もある。料理もできるしよく働く。これだって人によっては女らしいと言えなくもない。それに下手にキャラ変えたところで周りを心配させるだけだろうしな。だからあんま気にすんな。お前は今のままでいい」

 

 そう言い終わると、リゼは有宇の言葉に呆気を取られたのか呆然としている。

 

「ん、どうした?」

 

「有宇……!お前……やればできるじゃないか!」

 

「あ゛!?」

 

 この野郎……一体僕をなんだと思ってやがる。

 

「勘違いすんな!外見その他諸々いいところはあっても、女らしさとか云々別にして、お前が銃やナイフを忍ばせてる危ない奴なのには変わりないからな!」

 

「わ、わかったって……!」

 

 折角慰めてやろうとしてやったのに馬鹿にされて苛ついたので、若干キレ気味で嫌味たっぷりにリゼに言いたいこと言ってやった。

 しかしリゼはそんな有宇に、にこやかに微笑みかける。

 

「悪かったよ。有宇なりに元気づけてくれたんだよな。ありがとな、有宇」

 

 その笑顔に思わずドキッと、有宇の胸の鼓動が高まる。

 いやいやいや、外見に惑わされるな!こいつの中身を忘れたのか!?銃だのナイフだの平気で持ち歩く危ない女だぞ!落ち着け落ち着け……。

 今まで見たことないようなリゼの笑顔に、内心ドキドキな有宇であった。

 

 カラン

 

 するとその時、店の扉が開いて見知った顔の二人が入ってきた。

 

「リゼ先輩、有宇、こんにちは」

 

「リゼちゃん、有宇くん、お邪魔するわ〜」

 

 シャロと千夜だった。こんな平日に珍しい。二人とも今日は仕事ないのか?

 

「どうしたんだ二人とも?まだパン祭りの日じゃないぞ?」

 

「いえ、今日は普通にお客さんで来ました」

 

 シャロは相変わらずリゼに対しては態度違うのな。学校の先輩っていうのもあるんだろうけど、まぁ、理由はそこじゃないんだろうな。

 するとシャロはキョロキョロと店内を見渡す。

 

「ココアとチノちゃんはいないんですね」

 

「ああ、今日は二人とも外でチラシ配ってるよ」

 

 今日はココアとチノが配りに行ってる。

 最も昨日までで大分配れたと思うからもう必要ないとも思ったのだが、ココアが結構チラシを印刷していたので、ひとまずなくなるまでは配りに行こうということになったのだ。

 あのチラシ、無駄にカラー印刷だからな。モノクロよりカラーの方が見えやすいしいいんだけどさぁ。けどカラーだと一枚一枚の印刷費がモノクロのものより高いし、今度刷る機会があるときは、枚数少なめにしないとな。

 

「それより二人で何話してたの?」

 

 千夜が有宇とリゼの二人に聞く。

 

「いや、その……ちょっと有宇に自信をつけるコツみたいなのを聞いてたんだ」

 

 流石にさっきのことを話すのは恥ずかしかったのか、どうやらさっきまでの話はシャロたちには隠しておくつもりのようだ。

 

「自信?あぁ確かに有宇って自信過剰ですもんね」

 

「そうね〜」

 

 シャロと千夜は、目の前の有宇のことなどお構い無しに好き勝手言う。

 

「……本人の目の前で言うなよ」

 

 流石にちょっと傷つくぞ。

 そして有宇の言ったことなど無視して、シャロはリゼを元気づける。

 

「でもリゼ先輩、もっと自信たっぷりでもいいと思います!リゼ先輩かっこいいですし可愛いですし何でもできますし!」

 

「あ……ありがとなシャロ」

 

 意外だな。今のを聞いて有宇はそう思った。

 こいつはリゼのことを男らしくてかっこいい先輩としか見てないのかと思ってたが、そういうわけではないらしい。一応リゼの女子らしい一面にも惹かれているようだ。流石というべきか、ガチ勢は違うな。

 

「というかシャロも有宇と同じ様なこと言うんだな。流石に照れるな」

 

 あっバカ、言っちゃだめだろそれ!

 千夜は「まぁ♪」と言って微笑んでいたが、シャロは「なぁ!?」と言って驚愕の表情を浮かべた。そしてすぐに物凄い勢いで有宇に詰め寄ってきた。

 

「ちょっと!!今のどういうことよ!?」

 

「別にお前の思ってるようなことじゃない!自信をつけてやろうと色々言っただけだ!本当だ!」

 

 リゼを口説いたと思われると色々厄介だ。またシャロに目つけられたらたまったもんじゃない。

 取り敢えず気まずいので話を逸らそうと有宇は周りを見渡す。するとシャロが何か持っているのに気が付く。

 

「そ、それよりもお前、何持って来たんだ?」

 

「……なんかはぐらかされたような気がするけどまぁいいわ。っていうかお前って……前から思ってたんだけど私の方が年上なんだけど」

 

「いやだって僕より上だなんて思ってないし」

 

「なんですって!?」

 

 無遠慮な有宇の態度にシャロは憤る。するとすぐにキレるシャロを千夜が(なだ)める。

 

「落ち着いてシャロちゃん。ほら深呼吸して」

 

「落ち着いてるわよ!ったく。でもそうね、あんたがそういう奴なのはもうこの数週間でわかってたことだわ。さっきのリゼ先輩のことも何かの勘違いよねきっと」

 

 そして何やら自問自答してひとまずシャロは落ち着いた様子をみせる。

 

「でシャロ、結局何を持ってきたんだ?」

 

 改めてリゼがそう聞くと、シャロはすっかり調子を良くして答える。

 

「本屋で買った雑誌です」

 

 そう言って持っていた雑誌を有宇とリゼに見せる。

 

「あ、この雑誌って以前取材受けたところの?」

 

「はい、そうです。この雑誌、結構美味しい喫茶店紹介してくれるので、あれからもたまに買ってるんです」

 

「本当はまたリゼちゃんの写真が載らないかチェック……」

 

「言うなバカァァァァァ!」

 

 とシャロのシャウトが店に響いた。

 一方有宇はというと、三人が仲良く話してる中、一人疎外感を感じていた。

 以前?取材?

 有宇には三人の言ってることがわからなかった。取り敢えずこのまま放っておかれるのは癪なので聞いてみることにする。

 

「取材って何のことだ?」

 

 すると三人は「ああそっか」といった感じで顔を合わせる。

 

「あぁそうか、あの時はまだ有宇がいない時だもんな」

 

 とリゼ。

 

「去年取材を受けたのよ。フルールと甘兎が」

 

 とシャロ。

 

「その後ラビットハウスも取材されてたわよね」

 

 と千夜がそれぞれ答える。

 へぇ、そういやそんなことココアが食事のときかなんかに話してたような……。

 それから雑誌に目を移す。すると、雑誌をよく見ると、何やら既視感があった。

 

(ん…?この雑誌って…)

 

 雑誌をよく見てみると、やはり何故か見覚えがあった。もしかしてと思い、有宇は三階へ駆け上がる。

 

「どこ行くんだ有宇?」

 

「ちょっとな」

 

 そして自分の部屋に行き、カバンの中のこの街を調べる際に古本屋で買った中古の雑誌二冊を持ってくる。

 

「それは?」

 

「僕がこの街のことを調べるのに使った雑誌だ。やっぱり僕が思った通り同じ雑誌だ」

 

 有宇の読み通り、シャロが買って来た雑誌と同じ『Walker』雑誌だった。各地の飲食店とかを紹介する情報誌のようだ。どうやら割と広い範囲で売られてるようだな。

 

「まぁそれを確かめたかっただけなんだけどな……ってどうした?」

 

 三人とも有宇が持ってきた雑誌を懐かしそうに見ている。するとリゼが喜々とした様子で答える。

 

「これだよ!さっき言った私達が取材受けたときのやつって」

 

「え?」

 

 そんな馬鹿な。

 たしかにこの雑誌でラビットハウスのことは知ったけど、こいつらの写真なんかあったっけ?

 ページをめくり、ラビットハウスのことが書かれている記事を見つける。するとそこにココア、チノ、リゼが仲良く三人で写っている写真があった。

 

「本当だ、全然関心なかったから気が付かなかった」

 

 あの時は職探すのに夢中で、流石にマスターの顔は押さえていたけど、写真の従業員の顔なんか眼中に無かったな。

 

「さり気に失礼だなお前」

 

「そうよ、リゼ先輩に失礼よ!」

 

 いちいちうっせぇなこいつら。すると千夜が懐かしそうに話す。

 

「こっちのやつにはシャロちゃんも載ってるのよ。ほら」

 

 千夜が有宇の持ってきたもう一つの雑誌を手に取りページをめくると、フルールの記事があり、そこにはシャロの写真が確かにあった。

 

「お前ただのバイトじゃなかったか?」

 

「いつの間にか撮られてたのよ」

 

「こんなカメラ目線なのにか?」

 

 写真のシャロは見事な笑顔をこちらに向けていた。

 

「うっさい!別にいいでしょ!」

 

 そして更にページをめくったすぐのところに甘兎の記事も発見した。

 

「甘兎も載ってるのか」

 

「ええ、いつかはもっと大っきな記事になるよう精進するわ!」

 

 何故か知らないが、無駄に張り切った様子で千夜はそう答える。

 そんな千夜の様子に若干引いていると、シャロが小声で耳打ちで理由を教えてくれる。

 

「千夜、この時甘兎の記事がフルールの記事より小さいってショック受けてたから……」

 

「あぁそういうことか」

 

 別に記事になるだけでも十分すごいと思うがなぁ……。

 そしてページをパラパラめくると、ある記事が目に入った。

 

「ん、これ……?」

 

「あっ、その写真は……!」

 

「あら、リゼちゃんの写真ね」

 

「あぁ、懐かしいな」

 

 その記事は街の美人を特集した記事で、その中にあるスナップ写真にリゼの姿があった。写真は『クール&キューティー』と題されており、他の女達の写真よりもでかでかとリゼの写真は掲載されていた。

 

「リゼちゃんよくこういう雑誌に載るわよね」

 

「あぁ、恥ずかしいけどこういうのに載るのも悪くないしさ」

 

 顔はいいとは思っていたが雑誌に載るほどとは……。

 にしてもこいつ……よくこれでさっきまで女らしくないだのなんだのうだうだ言えたな。他の顔面偏差値平均以下の女が聞いたら嫌味にしか聞こえないだろうな……。

 ていうか僕ですらまだ雑誌なんか載ったことないのに……クソッ。

 軽く嫉妬に駆られ、リゼの写真を恨めしそうに眺めた。

 

「あら?有宇くんじっと見てるけど、もしかして写真のリゼちゃんに心奪われたの?」

 

「なっ!?」

 

 千夜がそう茶化すと、シャロがそれに釣られて声を上げた。

 別にそんなんじゃないんだが。寧ろ心奪われるどころか、嫉妬に駆られているところだ。

 

「いや、ちょっと恨みを込めてな……」

 

「この数秒の間にお前に何があった!?」

 

 するとリゼが雑誌を奪い取る。

 

「ったくもう、私の写真はいいだろ。あっほら、ここ。有宇の会いたがってた青山さんの写真があるぞ」

 

 恥ずかしかったのか顔を赤らめ、話題を強引に変えようとしている。まぁ別にいいけど。

 そしてリゼの指差したページには確かに、

 

 〈青山はらぺこグルメマウンテン〉

 

 と題した記事があり、街のグルメについて色々紹介していた。そして肝心の青山ブルーマウンテン本人の顔写真も載っていた。

 

「……結構美人だな」

 

 写真を見た瞬間、有宇はそんな言葉を溢した。

 何となく作風やペンネームから女性だとは思っていたが、思った以上に若くてお淑やかそうな美人だった。

 

「あら有宇くん、青山さんみたいな人がお好み?」

 

 千夜がそう茶化してきたが、有宇は特に恥ずかしがることもなく答える。

 

「そうだな。というか美人でお淑やかで才色兼備な女性だったら誰でもいい」

 

「誰でもいいってあんたね……ってそれってリゼ先輩のことじゃ……!」

 

「それはない」

 

「それはないってどういうことよ!」

 

「あーもううっせぇなぁ、どうだっていいだろ」

 

 シャロは本当にうっせえな。別にお前のお姫様は取ったりしねぇよ興味もねえし。ったく、ダル絡みうぜえな……。

 するとリゼが怪訝そうな顔をして有宇に言う。

 

「にしてもお前、さっきから才色兼備だなんだと……少し夢見過ぎじゃないか?もう少し現実見たほうがいいぞ?」

 

「は、お前に言われんでも十分見てる。大体僕みたいな二枚目に釣り合う女はそれぐらいじゃないと務まらないだろ」

 

「自分で二枚目って……。自信過剰とは前々から思ってはいたがここまでとは……」

 

 リゼは呆れた様子で何も言えないといった感じだ。

 

「そういえば有宇くんって向こうに仲いい子いたわよね。確か白柳さんっていったかしら。中学の同級生の子だったかしら?その子とは結局本当に何もないの?」

 

 千夜がそんなことを聞いてくる。そういやそんなこと話したっけか。まだ覚えてたのかそんな話。

 

「千夜、有宇に彼女なんているわけないじゃない。こんな傲慢を形にしたようなやつ」

 

 グサッ!

 

 シャロの言葉が地味に心に刺る。

 この女……言ってくれるじゃないか……!

 すると千夜がシャロを窘めようとする。

 

「シャロちゃん言いすぎよ。有宇くんはあれよ……ちょっと自信過剰でナルシストなだけよ」

 

 グサッ!

 

 更にリゼが追い打ちをかけるように言う。

 

「あとデリカシーもないよな」

 

 グサッ!

 

 オーバーキルされすぎて、流石の有宇も机にうつ伏せてダウンする。

 

「こいつ、人にあれだけ言っておいて結構メンタル弱いな……」

 

「あらあら」

 

「情けないわね」

 

 誰のせいだ誰の。クソッ、こいつら口々に好き勝手言いやがって……。

 すると、好き勝手罵倒するリゼ、千夜、シャロの三人に苛ついた有宇は、つい躍起になり、こんなことを口走ってしまう。

 

「うるさい!それに、僕にだって彼女ぐらい……い、いたぞ!」

 

 有宇がそう言うと、真っ先にシャロが突っかかってくる。

 

「恋人?あんたに?あんたね、そりゃ私達も言い過ぎたけど、見栄張んなくていいわよ別に」

 

「嘘じゃない。高校のときに白柳さんと……」

 

 そう言いかけたとき、シャロが目ざとく反応した。

 

「高校?あれ、あんた確か高校行ってないんじゃなかったっけ?それにあんた前千夜に聞かれたとき、白柳さんって子とはなんにもないって言ってなかった?」

 

 シャロにそう言われると、有宇は自分の犯した過ちに気付き後悔する。

 しまった、こいつらには白柳弓は中学の同級生ってことになってたんだ。

 有宇の言う彼女というのは当然白柳弓のことである。

 白柳弓、有宇がかつて在籍していた陽野森高校の同級生であり、一学年の男子に限らず、他学年の男子生徒からも『学園のマドンナ』などと呼ばれており、非常に人気の高い女子生徒だった。

 スポーツもでき、成績も学年三位の実力者で、まさに有宇の求める才色兼備な女性像そのものであった。

 そんな彼女を堕とすために、自らに宿る、他人に乗り移る特殊能力を最大限悪用して彼女に近づいた有宇だったが、結局もうすぐで恋人になれるという寸前でカンニングがバレ、そして叔父と口論になって家出してから、彼女とは二度と会っていない。

 だからまぁ、言ってしまえばそもそも彼女ではないのだが、三人の舐め腐った態度に腹を立てつい嘘を言ってしまった。それ以上に、三人には以前、白柳さんは中学の同級生だと言ってるし、更に白柳とは恋人ではないと否定している。

 そもそも、三人の中では僕は家庭を顧みない粗暴な父親によって家を追い出され、高校にも通えずこの街に来たことになっている。

 つまり今の僕の発言は、僕が今までついてきた嘘と矛盾することになる。

 そして黙り込む有宇に、更にシャロは追い打ちをかけるように問いかける。

 

「今のもそうだけど、結局あんたって何でこの街に来たの?確か以前複雑な家庭環境で家を追い出されて、それでお金稼ぎに来たみたいなこと聞いたけど、今のあんた見てるととてもそんな風には思えないのよね」

 

「それは……だな……」

 

 それを説明するにはまずは色々打ち明けなければならない。僕が嘘をついてきたこと。ここに来るまでのこと……その全てを。

 話していいものなのか?ココアとチノは受け入れてくれた。けど、こいつらは僕に対して好感を抱いていないし、強く拒絶される可能性は十分にある。

 するとココアとチノとのやり取りのことを思い出す。まぁ今更もう隠すことでもないか。どうせいつかはバレるのだから……。

 有宇はそっと口を開いた。

 

「えっと……実は……」

 

 

 

 有宇は三人に話した。以前ココアに話した身の上話が嘘なこと。学校でカンニングをしまくり、高校に入学してしばらくしてそれがバレたこと。おじさんと口論して家出したこと。それから白柳さんについてのことを話した。

 学園のマドンナと呼ばれる彼女を堕とすために、色々と策略を巡らしたこと。能力のについては流石に言えないので、ここはぼかしながら話した。

 そして白柳さんに好意を持ってもらえることには成功したが、結局正式に交際する前にカンニングがバレて学校を辞めさせられ、おじさんと口論して家出して今に至ると。

 有宇が全てを話し終える。そしてそれを聞いた一同の反応はというと……。

 

「クズね」

 

「えっと……クズね♪」

 

「クズだな」

 

 うぐっ!

 

 三人揃ってクズ認定だった。いや、まぁこれに関しては何も言えない。

 

「つまりあんたはカンニングを駆使して陽野森だっけ?その有名な高校に入って、そのご自慢のルックスとかを駆使して千夜そっくりの女の子を堕としたはいいけど、カンニングがバレて全部失って、家出して仕事と住むところを探してここに来たってことでいいのよね」

 

「……まぁ、概ね合ってる」

 

 能力のことや妹のことを除けばそれで大体あってる。

 流石に能力のことは言えないし、歩未のことは別にこいつらに話すようなことではないと思ったので言わなかった。

 

「おかしいと思ってたのよ。来たばっかの時の猫かぶってたあんたならいざ知らず、今のあんたじゃココアから聞いた話と全くイメージが合わないんだもの。にしても本当にクズね!それにガキね!自分のことしかまるで頭にないし、挙句家出なんて。全部自業自得じゃない」

 

 悔しいが、僕に反論の余地はない。これは言われても仕方のないことだ。

 そもそもココアやチノみたいにさらっと受け入れるのがおかしいんだ。普通は罵倒の一つや二つ飛んできてもおかしくないことをしてるんだ僕は。

 それからもガミガミと有宇を叱るシャロを、千夜が「まぁまぁ」と宥める。すると、シャロは一息ため息を吐いてからこんなことを言った。

 

「ま、でも安心したわ」

 

「は?」

 

 安心?今の僕の話を聞いて何に安心したって?

 

「あんたがとんでもない奴とかだったらどうしようかと思ったけど、たかが知れててよかったわ」

 

「あぁ、思ったより小物臭かったな」

 

「チキンね♪」

 

 シャロに続き、リゼと千夜までもがそんなことを言う。

 こいつら、相変わらず言いたい放題言いやがって……。しかし流石に逆ギレするわけにはいかないし我慢だ我慢。

 すると千夜が改まって有宇に言う。

 

「でも私は例え有宇くんがどんな人でも構わないわ。だってココアちゃんがいるもの」

 

「なんでそこでココアの名前が出てくるのよ」

 

 有宇の代わりにシャロが突っ込む。それから千夜は有宇の方を見て答える。

 

「さぁ、なんででしょうね」

 

 なんだろう、千夜に至っては話すまでもなく、端からお見通しって感じだな。そんな気がする。

 千夜ってココアと同じくらいバカっぽいとこあるけど、結構鋭いところがあるというか、案外侮れない奴かも知れないな。最も、隠すこともなくなった今となっては警戒する必要なんかないんだろうけど。

 

「で結局その千夜そっくりの……白柳さんって子とはその後どうなったの?」

 

「……さぁな。カンニングがバレてその日の内に家を出たし知らん。携帯もおじさんにGPSで見つからないように置いてきたから連絡も取れないし。ただ、僕をはめた奴等とかがカンニングの噂とかは流しただろうし、今頃は僕の悪口でも言ってんじゃないか?」

 

 有宇がそう言うと、シャロが少しムッとする。

 

「あんたねぇ……まぁ、そんなんじゃどの道カンニングがバレようとバレなかろうと長続きしないわよ」

 

「なんだと!」

 

「そうでしょ。だって本当に好きだったら、そんなぞんざいに接したりする?あんたもどうせその子のことなんか本当に好きじゃなかったんじゃないの?」

 

「それは……」

 

 言い返せなかった。

 確かに白柳弓は容姿端麗で才色兼備の僕好みの女だった。けど家を出る時、白柳弓のことが頭に浮かぶことはなかった。

 実際今だって歩未のことを思うことはあるけど、白柳弓のことを思うことはこうして話すまで考えたことなかった。

 再び憤るシャロを、今度はリゼが宥めに入る。

 

「まぁシャロ、落ち着けって。確かにその子には気の毒だけど今更どうこうできるわけじゃないんだ。それに一応付き合っていたわけではないんだし、向こうも有宇のことなんて忘れてるさ」

 

 リゼがそう言うと、シャロは落ち着きを取り戻したようだった。

 僕のことなんか忘れてるか。それはそれで寂しい……なんていえる立場じゃないのはわかってるけど、でもまぁ、それがお互いのためか。

 向こうだってカンニング魔のことが好きだったなんて黒歴史忘れたいだろうし、僕だってもう白柳さんと交際できるような状況じゃないんだ。それが一番だ。

 そしてシャロを宥めた後、リゼは有宇に真剣な眼差しを向けて言う。

 

「有宇、安心したとはいったが、正直いって今の話を聞いてお前を軽蔑したのは確かだ。カンニングや家出とかはお前自身の事情だから、私からとやかく言うつもりは無い。けど、白柳っていう同級生に対してのお前の行動には責任感がない。恋人ではなかったにしろ、なんにしろ、お前はもう少し他人に対して責任感を持て。発言一つにしても、態度にしてもだ。普段の口の悪さはお前の個性だから別にしたとしても、お前は人に対しての行動にしても自分本位過ぎる。もう少し相手のことも考えろ。お前の今後の課題点だ」

 

 リゼの叱り方はまるで学校の教師宛らのものであった。決して激昂することはなく、感情的になることもない。ただ淡々と冷静に僕の悪かったところを非難し、そしてその改善点を述べていった。

 だが、最後にこうも言った。

 

「まぁでもなんだ、人間性に問題は多少あるが、マヤメグの件もある。チノもなんだかんだお前に懐いてるし、シャロと喧嘩したときだってお前は頑張っていた。私にはお前がただ冷たいだけの奴だとは思えない。だからさ、有宇、お前のこと信じてるから。だから有宇も色々と頑張ってみろよ。今までのこと、なかったことにできるぐらいさ」

 

 有宇は何も答えなかった。顔を俯けたまま黙っていた。それから千夜とシャロも結局何も頼まずにそのまま帰っていった。

 有宇はただ情けないと思っていた。無条件に認められようと思っていた自らの愚かさを。それと同時にそんな自分でも信じてくれると言ったリゼの優しさに暖かさと感じつつも、気まずさから何も言えなかったことを有宇はひたすら恥じた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 そしてそれからあっという間にパン祭り前日、チラシも全て配り終え、明日のパン生地などの仕込みも終わった。

 普段はそんな客も来ないし大量に仕込むことはないのだが、流石にパン祭りというだけあってかなり大量に仕込んだため、なかなか大変だった。

 

「いよいよ明日だね!チノちゃん、有宇くん、リゼちゃん、明日は頑張るよ!ラビットハウス三姉妹……ううん、ラビットハウス四姉弟(きょうだい)!えいえいおー!」

 

「おー」

 

「おー」

 

「おー」

 

 ココアに言われて声を出すも、三人共声に張りがない。

 

「みんなもっとやる気だそうよ!?」

 

 ちなみにリゼもいつもより上がる時間遅くなるにも関わらず、残って仕込みの手伝いをしていた。

 そして明日の準備も終え、解散する直前だった。有宇が三人に声をかける。

 

「あーちょっといいか。いい忘れてたんだが、当日レジをやる奴は──まぁ僕とココアになるんだろうが一応リゼとチノも。パン祭りに来た客の会計する際にはこれを渡してくれ」

 

 そう言って有宇は三人に一枚の紙切れを見せる。

 

「なあにこれ?」

 

 一体これが何なのかわからないココアが、有宇に紙切れの詳細を問う。

 

「店の割引券だ。昨日パソコンで僕が作った」

 

「あれ?有宇くんパソコンなんて持ってたっけ?」

 

「マスターに事情を話したら知り合いの使わないノートパソコンくれたからそれで作った。ココアの手書きの汚いチラシみたいにしたくなかったからな」

 

「酷い!?」

 

 酷いと言うが、ココアが作ったあのチラシの方が酷い。こいつに任せたら酷いデザインになると思ったからこそ、わざわざ僕自らの手で作ったんだ。理由はそれだけではないが……。

 

「でもこれよくできてますね」

 

「あぁ、地味に手が込んでるな」

 

 割引券自体は縦五〜六センチ、横十センチの名刺サイズの紙切れだ。よくある感じのコーヒーの写真を乗っけて、ドリンク商品百円引き!って文字と有効期限等の詳細を入れただけなんだが。三人には好評のようだ。

 するとリゼが疑問を呈する。

 

「でもなんで今更?パン祭り前にやっておいたほうがいいんじゃないか?」

 

「アホか、ただでさえパン祭り中はパン商品全部十パーセント引きで、しかも好きなドリンクメニュー(一杯まで無料でおかわり可)とパン食べ放題のセットで千円とかサービスしまくってるのに、割引券まで配ったらこっちが損するだろ」

 

「じゃあなんで配るんだ?」

 

「集客率を少しでも上げるためだ。パン祭りは確かに大勢の客が来るが、そいつら全員がパン祭りの後、この店のリピーターになるとは限らない。事実、去年もたくさん人が来たっていうのに、今午後のお前らのシフトの時間帯、店の中ガラガラだろ?バン祭りそのものがその後の集客に結びついてないのが明白だ。そこで割引券をパン祭りに来た客に配る。そうすることで折角割引券貰ったからとまた足を運んでくれる可能性が高まるわけだ」

 

 つまりはパン祭り後の集客をアップさせるためだ。パン祭り自体は去年の結果を見るに、一時的な集客にしかなっておらず、その後の集客には繋がってないことがわかる。

 だからこそ、継続して客を呼び込むために、新規の客が大量に来るであろうこのタイミングで次回から使える割引券を配り、パン祭り後の集客を上げる。欲張っていえば、その勢いでリピーターを増やして、継続した客入りを図りたいところだ。

 そして有宇の説明を聞くと、三人とも有宇の熱弁に感心する。

 

「確かにそうですね。いいと思います」

 

「あぁ、いいんじゃないか」

 

「有宇くんがこんなにお店のこと考えてたなんて……お姉ちゃん感激だよ!」

 

 何はともあれ納得してくれたならそれでいい。できればこれを皮切りに、ポスターやらその辺の仕事をココアから遠ざけていこう。

 

「取り敢えず理解したなら、明日よろしく頼むぞ」

 

「うん、了解しました有宇くん隊長殿!」

 

 ココアがふざけて敬礼する。すると……。

 

「あぁ!」

 

「はい!」

 

 何故かリゼとチノも敬礼をした。なぜに敬礼……?

 いやもう特にツッコむつもりはないが……。これで明日の準備は万全だし明日を待つばかりだ。

 

 

 

 その日の夜、部屋のドアがノックされる。こんな時間に誰だ?

 

「有宇くんまだ起きてる?」

 

 訪問者はどうやらココアのようだ。ていうか珍しくドアをちゃんとノックしたな。そっちにまず驚いたぞ。

 まぁ流石に寝てるかもしれない時間帯に、いきなりドア開けて入ってくるようなマネはしなかったか。

 そして「あぁ起きてる」と答えると、ココアが部屋に入ってきた。

 

「ごめんね夜遅くに」

 

「別にいいけど早く寝ろよ。明日パン生地の焼き上げとかで早いんだから」

 

「うん」

 

「で、なんのようだ?」

 

「大した用じゃないんだけどね。どうして割引券作ったのかなって」

 

「いや、それはさっき言っただろ」

 

「そうじゃなくてね。有宇くんあんまりこういうの積極的にやるようなタイプじゃないからさ。なんでかなって、気になっちゃって」

 

 そんなこと聞きにわざわざ部屋に来たのか。相変わらず変わった奴だ。

 そして有宇はココアの疑問に答える。

 

「ただの気まぐれだ。それに居候先が無くなられたら困るしな。それだけだ」

 

「そっか」

 

 ココアは何故か優しい笑顔で微笑む。それから「おやすみ」と一言言うと部屋を出て行った。

 もしかしてあいつ……わかってたのか。いや、まさかな……。

 それから有宇は机の上の割引券に目を落とす。

 リゼ達に全てを明かした後、僕は考えた。ここで自分ができることを。リゼ達に叱られた後、僕はリゼの言った信じてると言った言葉が離れなかった。

 以前ココアは僕に言った。人は信じ合い、他人同士という不完全な関係を乗り越えていくのだと。

 リゼは僕を信じようとしてくれている。人を陥れ、傷つけてきたこんな僕を。まさにあの時のココアと一緒だ。拒絶しようとした僕という人間との関係を断ち切らせないように必死に繋ぎ止めようとしたあの時のココアと。

 リゼもまた、僕という人間を非難しながらも、僕自身に何かを期待し、信じようとしてくれている。僕とリゼ達の関係は未だ不完全なもので、僕の秘密を知ったことで、その関係は酷く脆い物になってしまっただろう。それでもリゼは信頼という鎖で、繋ぎ止めていてくれている。

 そうだ、ココアが、チノが、リゼが、僕みたいな人間を信じてくれるなら、僕もその信頼に応えたいって、そう思ったんだ。

 だが結局、信頼に応えるために考えた末、結局単純にこの店に貢献することぐらいしか思いつかなかった。

 取り敢えず行動しようと思い、思いついた割引券の案をマスターに相談してみて、そしたらいきなりノートパソコン渡されたから仕方なく作ってみた。それでこの割引券ができたわけだが、まぁリゼ達の信頼回復になるかは置いといて、この店には潰れてもらっては僕も困るし、面倒ではあるがこの店の集客率アップには個人的に手を惜しまないつもりだ。

 さて、明日はパン祭り本番だ。当日はどうなることやら……。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 有宇くん、頑張ってるなあ。ちゃんと変わろうとしてるってこと、お姉ちゃんわかってるからね。

 有宇の部屋を出た後、ココアは有宇の様子を見て、そんなことを考えて安心していた。

 チノちゃんと千夜ちゃんの話聞いた感じだと、みんなにもちゃんと自分から本当のことを話してくれたみたいだし、一歩前進してるね、有宇くん。

 でも千夜ちゃんの話だと、なんかリゼちゃんとシャロちゃんには怒られちゃったみたいだね。なんとかしてあげたいけど、でもこれは有宇くんの問題だから、彼自身が向き合わないと意味がないもんね。ここは心の鬼にして見守らないと。

 ううっ、弟を持つのは初めてだし、有宇くん色々と複雑なところあるから、お姉ちゃんドキドキだよ。

 でも今日、あの割引券を見せてくれたとき、有宇くん、成長してるなって思った。きっと彼は自分の問題と向き合って、とにかく変わろうと足掻いている。その成果がきっとあの割引券なんだと思う。私にはそれが嬉しかった。

 まだまだ問題がないわけじゃないし、彼がちゃんとみんなと仲良くやっていけるのか不安もいっぱいあるけど、前より私達と接してくれる気にはなってくれてる。それが何より嬉しいの。

 有宇くんは男の子だし事情が事情だから、チノちゃんと違ってちょっと厳しめに接してるけど、でも彼が悩んで、立ち止まりそうな時はしっかりお姉ちゃんとして支えていきたいな。

 それにチノちゃんのお姉ちゃんとしてもまだまだだし、私もお姉ちゃんとしてレベルアップしていかないと!

 そうして寝室で一人、密かに姉としての向上心を燃やすココアであった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 パン祭り当日、物凄い忙しさだった。店は珍しく、というか僕がここに来てから初めての満席で、休日ということもあって朝から店の外にも長蛇の列が出来ていた。

 有宇達はそれぞれ役割を分担して仕事に取り掛かった。有宇はホール全般&レジ、リゼとチノはドリンク&飲み物全般、ココアは洗い物や、手の空いてるときはホールの手伝い、あと途中で切れたパンの仕込みと焼き上げを担当した。

 来る客の殆どがやはりチラシを受け取った人が多かった。特に有宇がチラシを配ったおかげか、若い女性が結構多かった。実際女学生とかも来ており、その殆どが有宇目当てだった。

 有宇としては当然の結果だと思っていたが、そう素直に喜んでもいなかった。女性客はやはり話したがりで、この忙しい中、有宇に話しかけてくる客が多いのなんの。そのせいで有宇は忙しさ二倍で慌てふためく羽目となった。

 そしてもう一つ────

 

「お姉ちゃん来たよ〜」

 

 そう言いながら入店してきたのは、ココアがチラシを渡した子供とその母親だった。

 

「おお、来たね!いらっしゃい、さぁ、お好きなパンを召し上がれ」

 

 ココアはいつもの明るい調子で子供をもてなす。

 

「わぁ、美味しそう!」

 

 子供も喜んでいるようだ。そして子供の母親が有宇に声をかける。

 

「あの子がすごく来たがってたんですよ。パンもそうだけど優しいお姉ちゃんに会いたいって聞かないんですよ」

 

「……そうですか」

 

 それからも、子連れの客が何人か来た。それでも、おそらく結果としては、僕がチラシを配った客の方が多く来たと思う。

 だが、僕一人がチラシ配りをしていたら、子供達が店に来ることも、店でこうして笑顔でいることもなかったかもしれない。

 相手が小さい子供でも、お店に来る機会を奪いたくない。そんなココアの言葉が思い起こされる。ココアは年端のいかない子供でも、ちゃんと見せに来てくれると信じていた。対して僕は信じるどころか、来るはずがないと高を括り、チラシを渡さなかった。

 きっとこういうところなんだろう。ココア達にあって、僕にはないもの。僕が必要なもの。僕が……変えていかなければいけないもの。

 何はともあれ、僕には為せないことをココアは成し遂げた。そう思うと、僕はなんだかココアに負けたような気分になった……。

 

 

 

 それからみんな、休憩なしのフルタイムで働き続けて、ようやく今年の春のパン祭りは無事終了した。

 流石に有宇を含めて皆クタクタだった。

 

「お疲れ様みんな〜。みんなお腹すいてるだろうからパン持ってくるね〜」

 

 そう言うとココアはキッチンへ行った。

 ココア以外は後片付けをしながら話に花を咲かせる。といってもリゼもチノも疲労が目に見える様子だった。

 ココアの方も、キッチンへ行くとき少しよろけていたから、流石に疲れが表れているようだ。

 すると有宇は唐突に、あることを思い出す。

 

「あぁそうだ、この後シャロにパン届けに行かないと」

 

 シャロにパンを届けることを思い出した。

 面倒くさいし、なんとなく顔を合わせ辛いが、かなり楽しみにしていたようだし、行かないわけにも行かない。

 

「そうだな、後でみんなで行こうか。にしてもお疲れ有宇、初めての割にはなかなか良い働きだったんじゃないか」

 

 リゼがそう言って有宇の肩を叩く。

 

「はい、お客さんを捌く姿がまるでシャロさんみたいに完璧でした」

 

 チノもそう言って、有宇の働きぶりを評価した。

 

「そうか?」

 

「はい、私は接客はあまり得意ではないので尊敬します」

 

「そうか……」

 

 そうはいっても、実は結構、僕も手を焼いていたけどな。

 パン祭りに来るのは何も女性客や子供に限らない。あれこれ注文つけたりする客もいたり、いちゃもんつけてくる客もいたり、普通に迷惑な客もいたりで、いつもより人が多いから当然そういう客も出てきたので、そういった対応にも追われたりで大変だった。

 まぁ、何にせよ無事終わってくれて何よりだ。とにかく今はめいいっぱい休みが欲しい。

 

「はぁ、明日は休みだからいいけど、明後日まで休みたいぐらいだな……」

 

「大分疲れてるな」

 

「でも乙坂さんこの一週間ずっと休み無しで働いてくれてますし、明後日も休まれてはどうですか?明後日はお弁当も自分たちで作りますよ」

 

「そうしてくれると助かる……」

 

 するとリゼがこちらをじっと見つめる。

 

「ん、なんか僕の顔についてるか?」

 

「あぁいや、なんだかんだで文句言わずやってるよなって思ってさ。家事とかもやってるんだろ?結構大変そうなのにきっちりこなしてるよなって素直に感心してさ」

 

「僕だって少しは自分の置かれている状況ぐらいわかってるつもりだ。それに、こうした忙しさに身を置くのも悪くない」

 

 家事労働なんかは、ここに来る前までは殆ど歩未がやってくれていた。僕も手伝うことはあったけど、言うほどではない。

 しかし、ここに来てからというものの、家事労働は居候として、ほぼ全てをこなすこととなった。掃除洗濯料理に全部だ。今まで皿洗いと洗濯の終わった衣服を干したり、干し終わったのをたたんでタンスに入れるぐらいしかやらなかった僕がだ。

 最初は当然大変だったし、ココアやチノにも手伝ってもらっていた。だが最近は全部一人でこなせるようになったし、料理だってもうチノのサポート無しで出来るようになった。

 勿論、慣れたといっても大変ではある。だが、こうしてると改めて歩未の苦労がわかるし、そして家事をやる目線に立つからこそ感じるやりがいも生まれる。家事をやるこらこその感謝もされる。だからこそ、大変ではあるが、そう悪いものじゃないと思えるのだ。

 そして有宇の答えを聞くと、リゼは微かに微笑んだ。それから有宇の頭を何も言わずに撫でる。

 

「ちょ、なんだいきなり。やめろ、髪が乱れる!」

 

「いいから撫でられておけ」

 

「何がいいからなんだよ!いいからやめろ!」

 

 有宇にはわけがわからなかった。

 一体なんのつもりだ?クソッ、ガキ扱いしやがって。二つしか歳変わんねえだろ。

 しかししばらくして、リゼが急に撫でるのをやめて言う。

 

「あ、有宇。ここ、髪にゴミがついてるぞ」

 

 リゼにそう言われると、有宇は髪を弄り、ついたゴミを取ろうとする。

 

「なに、どこだ?僕の髪にゴミがつくなんて……だめだ見えん。取ってくれ」

 

「はいはい、ちょっとじっとしてろ。取ってやるから」

 

 有宇にゴミを取るよう頼まれて、リゼが有宇の髪についたゴミを取ろうとした時だった。ちょうどそのタイミングでココアが焼きたてのパンを持ってきた。

 

「みんな、ちょっと休憩してパン食べよっておわっ……!?」

 

 すると、パンを乗せたトレイを持ったまま、見事に転んで有宇にぶつかる。

 

「うわっ……!」

 

「え……うわっ!」

 

 そして有宇もココアに押されて、目の前にいたリゼに覆いかぶさる形で転んでしまった。

 

 ズドン!

 

「いってぇ…………はっ!」

 

 転んですぐに有宇は理解した。

 自分の右手がリゼの胸の上に置かれていることを。

 漫画とかだとこういうときって、一もみ二もみしてから気づくが、リゼの豊満な胸の感触は、触れた瞬間に感じ取る事が出来た。

 殺される!と思い有宇はすぐに体を起こし弁解を図る。

 

「す、すまん!別に悪気があってやったわけじゃなくて、後ろから押されたからで、別にわざとじゃなくてだな……」

 

 しかしリゼは何も言ってこない。どうしたんだと有宇は目を開けて様子を見る。すると、リゼはぷるぷる震えて何か呟いていた。

 

「うっ……」

 

「う?」

 

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 

 そして突然、叫び出したと思ったら顔を真っ赤にして店を飛び出して行った。

 

「リゼさーん待ってください!」

 

 リゼが飛び出して行くと、チノも急いでリゼの後を追って店を飛び出す。

 

「チノちゃん待って〜」

 

 そして元凶のココアもチノが飛び出した後を追っていった。店に一人残された有宇はポツリと呟く。

 

「なんだこれ……」

 

 取り敢えずココアが落としたトレイとパンを拾い上げる有宇だった。



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第11話、突撃!?天々座さんち

「これが……リゼの家か……?」

 

 乙坂有宇は今、馬鹿でかい屋敷の門の前に立っていた。彼が何故そんなところにいるかというと、それは前日のことであった───

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「リゼちゃん足早くて結局追いつかなかったね」

 

「リゼさん大丈夫でしょうか?」

 

「知らん」

 

 昨日のパン祭りの後のこと、不幸な事故によって有宇の手がリゼの胸に触れてしまった。そしたらリゼが顔を真っ赤にして店を飛び出して行ってしまったのだ。

 その後、ココア達がリゼの後を追ったのだが、どうやら二人とも追いつかなかったようだ。

 

「もう有宇くん、他人事じゃないんだよ!」

 

 冷淡な態度をとる有宇に、ココアが叱責する。

 しかしそれを聞いた有宇はイラッときたのか、ココアの両方の頬を思いっきり引っ張る。

 

「元々誰のせいだ誰のっ!!」

 

「いひゃいいひゃいごめんなひゃい!(痛い痛いごめんなさい!)」

 

 そもそも今回の事態、原因はココアがすっ転んで有宇にぶつかったことにある。その勢いで有宇も前のめりにバランスを崩してしまい、更に有宇の髪についたゴミを取ろうと、有宇の前に立っていたリゼを押し倒す形で三人は倒れ込んだのだ。

 そして、倒れた拍子に有宇の手がリゼの胸部に触れてしまい、何故かリゼが飛び出していったというわけだ。つまり、元々の原因はココアにあるということだ。

 くそっ、リゼからの信頼を取り戻したいと思った矢先にこんなことが起きるとは。ったく、本当ただでさえ疲れてるってのに余計な面倒増やしやがって……。

 だがそもそもこれってこんな問題にすることなのか?

 

「大体ほっとけばいいだろ。明日には落ち着いてるだろ」

 

 リゼだってまさか僕が意図的にしたとは思っていないだろう……多分。それにリゼだって高三だろ?たかだか胸を触られた程度だ。そんな(うぶ)な年齢でもないんだし、すぐに落ち着いて顔を見せるだろう。

 しかしそんな楽観的なことを言う有宇に対し、チノがこんなことを言う。

 

「でもリゼさん、あれで繊細な方ですから」

 

 確かに……チノの言う通りではあるな。女らしいだとかなんだとか、あれで結構色々気にする奴だからな……。

 

「じゃあどうしろってんだよ」

 

「取り敢えずシャロさんのところにパンを届けに行きませんか?シャロさん待ってるでしょうし」

 

 取り敢えず今すぐ解決できるものでもないし、やるべきことをやろうと、チノはそう言ってるのだろう。しかしそれならもう……。

 

「パンならお前らが飛び出していった後に僕一人で届けに行ったぞ」

 

「あれ?有宇くん、シャロちゃんち知ってたっけ?」

 

「あぁ、前に千夜んちの隣っていうのは聞いてたからな」

 

 ココアとチノの二人がリゼを追っていった後、一人店に取り残された有宇はやることもなかったので、シャロにパンを届けに行ったのだ。

 まぁ、それはそれで面倒だったけどな────

 

 

 

「確かここだよな?」

 

 シャロにパンを届けに来た有宇は、千夜の家の左隣の家の前に立っていた。

 以前千夜の家の隣にあるってことを聞いた気がするので来てみたが、まぁこの街にはよくある感じの洋風な普通の家だな。

 お嬢様学校なんて通ってるぐらいだからもっと大きい家かと思ったけど、こうしてみると普通の一軒家と大差ないな。けどココアも確かシャロの家はそんなに裕福じゃないとか前に言ってた気がするし、ここでいいのだろう。

 にしても以前、シャロが裕福でないということを聞いて、シャロを貧乏お嬢様とバカにしたことがあったが、なんだかんだ綺麗な家に住んでるよな。僕が住んでたボロアパートと比べたら全然綺麗だ。お嬢様学校の生徒の中では裕福でないかもしれないが、僕に言わせれば充分裕福だ。

 

 取り敢えずその家の呼び鈴を鳴らしてみる。

 

 ピンポーン

 

「はいよ」

 

 呼び鈴を鳴らすと、一人の老婆が出てきた……シャロの婆さんか?

 

「どちらさんかね?」

 

「あの、自分シャロさんの友達でして。シャロさんにパンをお裾分けに来たんですが」

 

「シャロ……?あぁ、シャロちゃんね。シャロちゃん家はこっちじゃなくてあっちよ」

 

「え?」

 

 それで家の表札をよく見ると、確かにシャロの名字である桐間ではなかった。そして老婆の指差す方向は、甘兎の右隣の家だった。どうやらこっちじゃなくて、逆隣(ぎゃくとなり)だったようだ。

 老婆にお礼を言うと、早速逆隣の家に行く。

 千夜の家の物置の隣にあるその家も、まぁ今の老婆の家と大差ない普通の家だった。

 そして呼び鈴を鳴らす前に一応また間違いがないか表札を確認する。すると、なんとそこも桐間ではなかった。

 あれ?でもさっき婆さんがここだと……。

 

「何してんのよあんた」

 

 声がして背後を振り向く。するとすぐそこにシャロがいた。

 

「いや、お前の家を探してたんだよ。ほら、これ」

 

 持って来たパンの入った袋をシャロに渡す。

 

「あぁ、そういえば今日だったわね。ありがと」

 

 そう言ってシャロは有宇から袋を受け取る。これで目的は果たしたからいいけど、結局こいつの家ってどこにあるんだ?

 流石にちょっと気になったので、本人に聞いてみることにする。

 

「なあ、お前の家どこにあるんだ?甘兎の隣って聞いたのにないんだが」

 

 両隣はどちらもシャロの家ではなかった。シャロの家が甘兎庵の隣という情報そのものが間違っているというならまだ納得できる。だが、左隣の家の老婆は、シャロの家は右隣にあると言っていた。だというのに、実際にはそこもシャロの家ではなかった。これはどういうことなんだ……?

 すると、家のことを聞かれたシャロは不機嫌そうな顔をした。あれ?別に変なこと言ってないよな……?

 有宇が混乱していると、シャロが一言ボソッと言う。

 

「……ここよ」

 

「え?」

 

 聞こえなかった。なんだって?

 

「だからっ、この物置が私の家よ!!」

 

 そう言ってシャロは甘兎庵の隣にあるみすぼらしい物置のような小屋を指す。

 

「この物置……って、ええっ!?」

 

 ということは、千夜の家の物置だと思っていたこのみすぼらしい小屋がこいつの家だっていうのか!?

 

「えっと、その……悪い……」

 

 流石の有宇も素直に謝罪してしまう程哀れだった。

 お嬢様学校なんて通ってるぐらいだし、裕福ではないとは聞いていたとはいえ、ごく普通な家庭を予想していたのに、まさかこんなところに住んでいたなんて流石に思わなかった。

 

「別に謝んなくていいわよ。ココア達も最初あんたみたいな反応だったし……」

 

 あっ、やっぱそう思うよな。僕だけじゃなくてよかった。にしても本当に貧乏お嬢様だったとは……。

 衝撃の事実に有宇が気圧されていると、話を変えようとしたのか、シャロが有宇に今日のパン祭りのことを聞いてきた。

 

「で、パン祭りはどうだった?」

 

「ん、あぁ成功したぞ。僕が来てから一番の大盛況だ」

 

「そう。で、そういえばなんで今日はあんただけなのよ。ココアとチノちゃんとリゼ先輩は?去年は三人で来てくれたのに」

 

「え!?あ……えっと……」

 

「?」

 

 まずい……さっきあったこと言ったら間違いなくこいつブチギレるよな。リゼの胸を触ったとか言ったら、リゼ大好きのこいつのことだから絶対キレるに決まってる。

 かといって隠したところでココア達を通じてバレそうだしな……。それにこの前のこともある。あまりこいつらには嘘は言いたくないな。

 まぁなに、別に命を取られるわけじゃない。後で報告してギャーギャー言われる方が面倒だから先に言っておくか。

 有宇は覚悟を決めて、シャロにさっき店で起きた出来事を話した。すると────

 

「このおばかぁぁぁぁぁ!!」

 

 もちろん、予想通りブチギレた。まぁそりゃそうなるよな。

 

「リ、リゼ先輩のむ……胸を触るなんて羨ま……恐れ多いことをするなんて!」

 

「おい、本音漏れてるぞ」

 

 百合は他所でやってくれ。僕にそっちの趣味はない。

 

「んんっ!とにかくやっちゃったことは仕方ないし、ちゃんと謝んなさいよ」

 

「え、やだよ面倒くさい。僕別に悪くないし」

 

 そりゃ色々と頑張っていくとはいったが、なぜ僕が頭を下げに行かなきゃならない。別に今回は僕悪くないし、なんでわざわざそんなことしなくちゃならないんだよ。

 

「いいから謝んなさい!今すぐ……は流石にもう遅いからリゼ先輩に悪いし……明日!明日絶対リゼ先輩に謝りに行きなさいよね!絶対よ!」

 

「チッ……面倒くせぇ」

 

 そう愚痴ると聞こえたのか、シャロは顔は笑っているのに何故か雰囲気が怖い。

 

「なんか言った……?」

 

「わかったわかった、行けばいいんだろ行けば!」

 

 ひとまずその場はそう言って引き上げてきた。

 

 

 

「……てことがあった」

 

 シャロの家であったことを一通り話し終える。するとココアが言う。

 

「そっか。じゃあシャロちゃんが言った通り明日リゼちゃんちに行こっか」

 

「えっ、マジで行くの?僕明日休みなんだけど」

 

「有宇くん、シャロちゃんと約束したんでしょ。約束は破っちゃダメだよ。私も明日バイト終わったら行くから」

 

「クソッ、マジかよ面倒くせぇな……」

 

 ココアのこういうところマジで面倒くせぇな。変なところで律儀なんだもんこいつ。

 はぁ、折角の休日が台無しじゃねえか。いや待てよ……?

 

「そもそも僕アイツんち知らないんだけど?」

 

 ココアとチノは当然ラビットハウスだし、千夜の家、甘兎庵は以前行ったことがある。シャロの家も甘兎庵の隣ということは聞いてたし、今日実際に行ったわけだが、リゼの家はそういえば聞いたこともないし、見たこともない。

 リゼってそういやどこら辺に住んでんだあいつ。あいつ、よく軍用のレーション食べてるとか言ってるし、シャロみたいにあいつの家もそんな裕福ではないんだろうか。

 するとココアがニコッと笑って応える。

 

「後で地図書いてあげるよ。それに一目見たらわかるだろうし」

 

「?」

 

 一目見たらわかる?なんだ、そんな特徴的な家なのか?やっぱりまたシャロみたいに、あいつもなんちゃってお嬢様だったりするのか?

 取り敢えずその場でココアに地図を書いてもらった……のだが。

 

「……なんだこれ?」

 

 チラシの時も思ったんだがまぁ酷い。

 字は決して汚くはないのだが、変な絵をつけたりしてるせいで物凄いわかりづらい。おまけに絵ばっかに力を入れていて、肝心の地図がこれまた抽象的過ぎてわかりづらい。

 一番酷いのは、リゼの家がでっかい丸でこの辺りって示されていることだ。でっかくこの辺りなんて言われても、この丸の中のどの辺りに家があるってんだよ。まさかこの丸の範囲全てリゼの家ってこともないだろう。ったく、やっぱりココアに書かせるんじゃなかった。

 

「やっぱチノに書いてもらうわ」

 

「ええなんで!?」

 

 結局その後チノに綺麗に書いてもらい、明日はその地図を使うことにした。

 

 

 

 次の日、いつもより少し遅くに起きた。

 久しぶりにこんなに寝た気がする。ここんとこずっと、朝早くに起きて、朝から晩まで働いてたしな。休日っていうのはなんと素晴らしいことかっ!!

 着替えて二階のキッチンに行く。既にチノたちは一階のカフェで働いているので、キッチンにラップがけしてあった朝食を一人で食べる。

 食事を終え、皿とかを片付ける。本来なら折角の休日だし、部屋で本読んだり、高卒認定の勉強とかでもやりたいところだが、昨日のリゼとの一件を思い出す。

 ここでボイコットしたところで、どうせ、午前でシフト上がりのココアに連れて行かれるだろうしな。

 勿論、今ここでリゼの家に行くふりしてどっかの喫茶店にでも休んでも行ってふける方法もあるが、そんなことをして約束を破ればココアからも、そしてシャロからも信頼を失うことだろう。

 パン祭り前のあの一件で、僕はシャロとリゼからの信頼を回復すると誓った。正直未だに僕は悪くないと思ってる。押したココアが悪いのだと。

 けど、行くと言ってしまったんだ。面倒ではあるが、やるといったことはやらないとな。

 そうして有宇は重い腰を上げて、リゼの家に出かけるために私服に着替えて、昨日チノが書いてくれた地図とお詫びのパンを持って出かけた。

 地図を頼りに歩いていくと、馬鹿でかいお屋敷が目に入る。日本にこんな屋敷があったのかと思うぐらい馬鹿でかかった。

 ココアに以前案内された時は、この辺は案内されなかったよな。こんなところがあったとは……。

 世の中こんなところに住んでる奴もいるんだなと思うと、ふと疑問に思う。

 

(あれ、地図だとこの辺のはずだが、この辺この屋敷ぐらいしか家がないぞ?)

 

 屋敷の周りにも家はあるが、地図だと確かにここのはずだ。チノが間違えた?いやチノに限ってそんな筈は……。

 すると昨日のココアの言葉を思い出した。

 

『それに一目見たらわかるだろうし』

 

 まさか!?

 有宇は屋敷の門の前までダッシュして表札を見る。するとそこには天々座の文字が刻まれていた。

 そして今に至るわけだ───

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「まさかここがリゼの家とは……」

 

 お嬢様学校なんて通ってるから裕福とは思っていたが、まさかここまで金持ちだったとは……てかシャロの家と両極端すぎだろ!!

 有宇はリゼの家の大きさにただただ驚くばかりであった。

 今にして思えば、ココアの地図も間違いではなかったのか。本当にあの大きな丸の範囲がリゼの家だったんだ。

 にしてもあいつ……本物(ガチモン)のお嬢様だったとは……。まぁ、ここがリゼの家とわかったならさっさと呼び鈴押すか。

 そうして有宇が呼び鈴を押そうとすると後ろから声がかかる。

 

「おい、そこで何をしてる」

 

 振り向くとサングラスをかけた強面の屈強な黒服の男が二人立っていた。なんだこいつら……この家の使用人か?

 男達は絶対「ヤ」がつく仕事やってるだろという感じの雰囲気を漂わせている。取り敢えず質問に答えるか。

 

「えっと……僕はリゼさんのバイト仲間で……」

 

「ほう、てことはお前か。お嬢を傷つけた男ってのは」

 

「ですかいですかい」

 

 え、どういう伝わり方してるの!?ていうか絶対悪く思われてるよな僕!?

 

「おい、ボスのところへ連れてくぞ」

 

「あぁ」

 

「てことでちょっと来てもらおうか」

 

 黒服二人に詰め寄られる。

 これは……思った以上にまずいかもしれない。何やらヤバそうだと感じる有宇であった。

 

 

 

 それから男達に連れられリゼ邸に入る。

 中もやはりシャンデリアなんかがあったりとまぁ豪華な造りとなっていた。やっぱり金持ちなんだなあいつ……。

 家の内装の豪華さに目を奪われる有宇だったが、すぐに自分の今置かれている状況を思い出す。

 いや、そんなことよりこの状況かなりまずいよな!?さっきの話しぶりから絶対僕に対して好意的に思っていないだろうし、リゼに会わせて欲しいと言ってみたが拒否されたし、どうやってこの誤解を解けばいいんだ……。

 万が一のときは能力を使ってでも……と思ったところで、ある一室の前で黒服二人が立ち止まる。

 

「入れ」

 

 黒服の一人が有宇に命令する。

 

「……ここは?」

 

「応接間だ。中でボスがお待ちだ」

 

 ボス───ということは多分、リゼの父親だよな。

 そうだ、そもそも相手はリゼの父親なんだ。何を緊張する必要がある。曲った伝わり方のせいで怒ってはいるだろうが、流石に娘のバイト仲間をいきなりどうこうしたりはしないだろう。ちゃんと事情を説明すれば分かってもらえる筈だ。

 まぁわかってもらうためにも最初の印象は大事だな。有宇はドアを開けると元気よく挨拶する。

 

「失礼します!」

 

「来たか、小僧」

 

 中に入ると数人の黒服の男達、そして明らかに雰囲気の違う眼帯の男が一人、中央のソファーに座している。

 ソファーに座るこの男が間違いなくリゼの父親だろう。

 眼帯のその男はじっとこちらを睨んでいる。

 怖え……けど、まるで目が離せない……!まるで僕を逃さないとでも言うような目だ。

 

「さて、何故ここに呼ばれたかはわかるな」

 

 物凄い殺気を漂わせながら、リゼの父親と思しき男が聞いてくる。

 

「リゼ……さんのことですね」

 

「そうだ、まぁ座れ」

 

 そう言われ、男の向かいのソファーに座る。

 話せばわかる───なんて思ってたが、思ってた以上にキレてるぞこれ。周りの黒服達も、もの凄い睨みつけてくる。

 ヤバイな……とにかくこのままじゃ殺されかねない雰囲気だし、早く誤解を解かねば!

 

「あの!昨日のことなんですが、確かにその……お宅のリゼさんを押し倒して胸を触ってしまったのは事実ですが、決してわざとじゃないんです!」

 

「ほう、男のくせに言い訳か」

 

「いえ……言い訳という訳では……」

 

 駄目だ、全く取り合ってもらえない。

 しかし、険しかったリゼの父親の顔が少し緩む。

 

「なに、別に怒ってるわけじゃない。ただこちらとしても大事な一人娘を傷物にされたわけだしな。このままただでお前を許すわけにはいかない」

 

「傷物って……んな大袈裟な」

 

「あ゛っ!?」

 

 黒服たちとリゼの父親の視線が途端に厳しくなる。

 

「ひっ……!す、すみません……」

 

 怖えっ!!多分、また失言しようものなら今度こそ殺される!!一体どうすれば僕は許されるんだ。

 

「そ、それであの……僕はどうしたら……?」

 

 有宇がそう聞くと、リゼの父親は険しい表情のままこう言う。

 

「その話をする前に、小僧、お前に聞きたいことがある」

 

 聞きたいこと?一体何聞かれんだよ。とにかくここで答えを間違えれば、かなりヤバイことになるかもしれない。真面目に答えなくては……。

 すると、黒服から一枚のA4サイズの紙とペンを渡される。

 

「……なんですかこれ?」

 

「見ての通り、アンケート用紙だ」

 

 黒服から渡された紙には、質問が三十問あり、全部二択で答えられるようになっていた。何故こんなのを書かなきゃならないんだ……。

 

「えっと、聞きたいことって……」

 

「そのアンケートを見てから聞く。いいから書け」

 

 なんだよそれ、本当になんの意味があんだよこのやり取り。

 けど抵抗すると殺されそうだし、取り敢えず書くか。

 アンケートは、最初は本当に極普通なものだった。『去年と生活が楽になりましたか?』とか『今月清涼飲料水をどのくらい飲みましたか?』といった感じだ。この質問から何聞くつもりだよ。有宇は呆れながらもアンケートに答えていく。

 だが十五問目の質問、これは『今まで体に異変を感じたことはありますか?但し、病気等の体の不調は除く』という質問だった。

 病気以外で体の異変なんて、普通に考えたらあるわけ無いだろ。最初はそう思った有宇だったが、あるものに思い至る。

 僕に宿る特殊な力……あれは確かに体の異変といえるよな。いや、まさかな……。

 有宇は"いいえ"に丸をした。

 それからはまた特に意味のない質問が続き、遂に最後の質問までくる。その質問というのが───

 

『あなたには力があり、世界に不服があります。あなたはその力で世界を変えるか。それとも自分を変えるか』

 

 なんだこれ、急に哲学っぽい質問が来たな。で、なんだって?世界を変えるか自分を変えるか、だと?そうだな……。

 すると、再び有宇は自分に宿る特殊な力を思い出す。

 そうだ、僕はあの力で自分を変えてきた。あの力で完璧な自分を作り上げてきたんだ。最も、結局悪い方向に変わったけどな……。

 有宇はその最後の質問に"自分"と答えた。そして黒服にアンケート用紙を渡す。それから黒服はアンケート用紙をリゼの父親に渡す。

 リゼの父親はアンケート用紙に目を通す。しばらくしてようやく口を開いた。

 

「これは全部正直に答えたんだろうな」

 

 ギクッ

 

 やばい、十五問目で嘘をついたことがバレたか。超能力なんて信じないだろうが、万が一があるしな……。

 それに今更訂正したところで、その異変とはなんだって聞かれると答えられないし……ここは嘘を貫き通すしかない。

 

「はい、嘘は書いていません」

 

 有宇はそう答えた。

 リゼの父親は「そうか」と素っ気無く答えると、再び有宇に問い質す。

 

「最後の質問……これはどういう意図の元で答えた」

 

 最後の質問?あの哲学っぽい質問のことか。

 あの質問……一体なんの意味があるんだ。なんの意図があってあんなこと聞いてきたんだ。

 だが答えないわけにはいかない。有宇は自分の能力については触れないように答える。

 

「大した意味はありません。ただ世界に不服があろうと、自分をその世界に身を置く上で都合の良い方に、その力を自分に使えば世界への不服も消え、またその世界においての自分の立場を高めることができると、そう考えたからです」

 

 嘘ではない。結局のところ、特殊な能力を持たなくても僕はそうしただろう。そう考えただろう。そう思っての解答だ。

 有宇の答えを聞くと、またリゼの父親は「そうか」と答える。そして、ようやく本題に入ってくれる。

 

「さて、じゃあお待ちかねのお前にやってもらうことだが……」

 

 一体何をやらされるんだ。犯罪まがいなことをやれとか言われなきゃいいんだが……。

 有宇はビクビクと、どんなことをやらされるんだと怯えていた。するとリゼの父親はニヤッと微笑む。

 

「なに、そう怯えるな。簡単な話だ、うちのリゼを貰ってくれればそれでいい」

 

「……へ?」

 

 貰う?どういう事だ。

 

「あの……それはどういうことでしょう……?」

 

「そのまんまの意味だ。リゼと結婚しろということだ」

 

「結婚…………はぁぁぁぁぁ!?」

 

 結婚!?どういう事だ!? ていうか一体何がどうなってそうなる!?

 混乱する有宇とは逆に、リゼの父親は先程までとは打って変わって、明るい調子で話す。

 

「悪い話じゃないだろ?我が娘ながら、見てくれは母親譲りでかなりいいはずだ」

 

 いや、確かにそうだけどそういう話じゃない!!

 

「いやでも本人の意思とか……」

 

「リゼはお前以外に同年代の男の知り合いはいない。問題はないだろ」

 

「いやでも……」

 

「なんだ、そんなにうちの娘が気に食わないか」

 

 ギロッ

 

「ひっ……!」

 

 クソッ駄目だ、全く口を挟み込む余地がない。このまんまじゃマジでリゼと結婚するハメになる。

 有宇が頭を悩ませて黙りを決め込むと、リゼの父親は黒服から紙を受取り、それを読み始める。

 

「乙坂有宇、十五歳。東京都中野区在住。両親は離婚し、その後は叔父が親権を担っており妹と二人ぐらし……だったが高校の退学を巡って叔父と口論になり家出をし、今現在はタカヒロの店で居候……か」

 

 なに!?何故それを!?

 

「何故それを、とでも言いたげな顔だな。悪いがこちらで勝手に調べさせてもらった」

 

 マジかよ……。ていうかさっきから思ってたんだが、このおっさん、本当に軍人なんだよな?有宇の中にそんな疑問が浮かぶ。

 このおっさんが軍のお偉いさんだったとして、こんなに権力を持ってるものだろうか?他人の個人情報を容易に入手し、更に周りにいる黒服たち。明らかに堅気じゃない気がする。このおっさん、本当にただの軍人なのか……?

 そしてリゼの父親は続ける。

 

「でだ、これを聞く限りこの話、お前にとっては悪い話じゃないはずだが」

 

「どういう事だ!?」

 

 つい声を荒らげてしまう。

 

「それがお前の本性か。まぁいい、それでだ。お前は今、学校を辞めさせられ、家族も頼れず一人で生きていかなきゃないない状況なわけだ。今はタカヒロの店で居候してなんとかやっているようだが、いつまでもそのままって訳にはいかないだろう?ならいっそ、うちに婿入りした方がいいんじゃないか?お前はリゼと結婚するだけでこの家の跡取りになって晴れて社会復帰できる。それにうちの莫大な資産も手に入れることができる。どうだ、悪い話じゃないだろ?」

 

 確かに一理あるかもしれない。金もない、頼れる者もいないこの今の状況においてそう悪い話じゃない。いや、寧ろいい話とも言える。

 見てきた通り、この家は超がつくほどの金持ちだ。 リゼの婿になるということは、いずれはこの家の全てを継ぐことのできる立場になるということだ。

 そうだ、いい話じゃないか。リゼだって銃やナイフを常備する危ない奴ではあるが、それ以外はまともだし美人だし、いずれ舞い込んでくる地位と大金に比べたらそんなこと些細なことじゃないか。

 これは……底辺に落ちた僕に与えられた最後のチャンスに違いない!そうだ、そうに決まってる!よし、この話受けよう!

 そう決意すると、有宇は早速リゼの父親の気が変わらないうちに話を受けようとする。

 

「わかりました、この話受けま……」

 

 しかし、有宇がそう言いかけたとき、リゼの父親がこう続けた。

 

「因みにリゼの婿になるのなら、明日から早速訓練に参加してもらう」

 

「……え?訓練?」

 

「ああそうだ、貴様はまだ十五だ。結婚できるまであと三年ある。その間にリゼの婿に相応しい立派な軍人に鍛え上げてやる」

 

「はぁ!?軍人!?ちょっと待て、リゼが後を継ぐんじゃないのか!?」

 

「何を言ってる、可愛い一人娘を戦場に送り出す親がどこにいる」

 

「義理の息子ならいいのかよ!?」

 

 なんてこった……てっきりリゼが軍事方面を継ぐものばかりと……。ていうかそうか、そういうことか。

 

「端から僕に家業を継がせるのが目的ってことか……」

 

「そうだ、貴様のような碌でなしに大事な一人娘をやるんだ。それ以外になんの理由がある?」

 

 クソッ、んだよ折角いい話だと思ったのによ!

 つまりこいつは初めから僕を、軍人としての自分の後継者にしようと思っていたんだ。リゼが軍人にならない以上、リゼと結婚するであろう婿にやらせるしかないからな。

 冗談じゃない!軍人なんかになったら命がいくつあっても足りないぞ!トレーニングとかだって厳しいだろうし、命の危険も伴うだろうし、軍人なんぞになってたまるかっ!!

 つかこいつ、娘が大事と言いつつ、その娘を利用するのかこの男は。仮にリゼに他に好きな男がいたときは、そのときはどうするつもりだったのか。

 リゼの父親の真意に気付き、有宇の中で、先程まで前向きに考えようとしていた気持ちが失せていく。しかし、すぐにその考えを改めた。

 しかし待てよ、でも軍人になるっていっても要は自衛隊に入るってことだろ?いくら軍人といえども何も今の法律的に戦地に駆り出されるわけじゃない。

 法律はよく知らんからあれだが、確か憲法九条とかどうとかで、自衛隊は戦闘行為はできない筈だ。仮に戦地に赴くにしても炊き出しとかその程度で、命かけて戦ったりはしないだろ。

 それでも命の危険が伴わないわけじゃないが、数年後にこの屋敷のすべてを手に入れることができるというのなら、訓練ぐらい、少しは我慢してもいいのかもしれない。何事もリスクはあるものだ。

 何年かしてリゼと結婚できれば金持ちになれるわけだし、これも一つの試練と思って……。

 そう思い直し始めたとき、リゼの父親が再びこう付け足した。

 

「あと当然だが婿だからといって容赦する気はない。一通り訓練が済んだら戦地にも送り出すつもりだ」

 

「は……?いや、そんなことできないだろ!憲法九条とかなんとかで自衛隊は国の自衛以外で戦ったりできないはずだ!僕でもそれぐらい知ってるぞ!」

 

「なんだ知らんのか。駆けつけ警護といって、国連やPKOが他国の武装集団に襲われた場合、自衛隊も武器を行使して戦い、これに応戦することができる。他にも宿営地の警護など、今の日本は自衛隊とて武器を持って戦うことができるしな。戦うリスクなくして軍人になれるはずがないだろ」

 

 マジか……。

 じゃあ何か?下手したら死ぬ可能性があるってことか?冗談じゃない!死んだら元も子もないじゃないか!

 しかも僕なんか運動神経だって常人並だ。悪くはないと思うが、かといって優れてるわけじゃない。そんな僕が軍隊なんか入って、ちょっとやそっと訓練を積んだだけで生きていけるはずがない!

 

「で、貴様、さっき話を受けると言ったよな?」

 

 聞いてたのかよ。クソッ、ふざけやがって……!

 

「バカバカしい、なんで命かけて戦場なんか行かなきゃならないんだ!そんな話無しだ!」

 

「ほう……そうか、ならただで返すわけにはいかないな……」

 

 すると背後の扉に黒服達がいつの間にか立っていた。

 クソッ、最初から僕に選択肢なんかなかったってことか。

 

「まさかリゼを傷つけておいてただで帰れると思ってたのか。婿になる気がないならいいだろう──ならその責任、命を持って償え」

 

 リゼの父親が銃を取り出した。

 

「本物……じゃないよな?」

 

「偽物を出す必要がどこにある」

 

 マジで僕を殺すつもりなのか!?まさか……本当に本物の銃だっていうのか?

 そんなことで人を殺すのかとか、人を殺してただで済むと思っているのかとか、色々言いたいことはあったが、今の有宇にそれを口にする余裕はなかった。

 本当に殺される!?もはや能力を出し惜しみをしてる状況じゃない!?

 有宇はこの危機を脱するために、自らの持つ他人に乗り移る特殊能力を発動する。そして早速その力でリゼの父親乗り移ろうとする。しかし……。

 

(乗り移れない……だとッ!?)

 

 何故か能力を使ったにも関わらず、リゼの父親には乗り移ることが出来なかった。

 なんで!?どうして!?

 ていうかまずい、このままじゃマジで殺される!?

 

「死ね」

 

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 

 もう駄目だ……そう思った時だった。

 

 バタン!

 

「親父!有宇がここに来たって聞いたぞ!」

 

 そう言って勢い良くリゼが部屋に入ってきた。

 リゼの眼前には必死の形相の有宇と、有宇に銃口を向ける父親の姿があった。

 

「何やってるんだ親父!?おい有宇大丈夫か!?おい有宇!?」

 

 この時、既に有宇はあまりの恐怖に失神していた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「……ん、ここは」

 

 目覚めるとベッドの上にいた。

 辺りを見回すと中々に広い部屋のようだ。そしてベッドのすぐ近くには眼帯をつけた兎の人形がある。

 なんとなく、有宇は起き上がりそのぬいぐるみを手にとる。よく見てみると、なんか既視感がある。

 このぬいぐるみ、なんか似たようなのどっかで見たことあるような?いや、それよりもなんだここは?ていうか僕はなにをして……。

 

『ならその責任、命を持って償え』

 

 そうだ、僕はあの時リゼの父親に殺され……いや、こうして生きてるということはとりあえず助かったのか?

 すると、この部屋のドアが開いて誰かが部屋に入ってきた。驚いてそちらの方を見ると、そこにはリゼが立っていた。

 

「お、目が冷めたか……って、なんでワイルドギースなんか持ってるんだ?」

 

「ワイルドギース……?」

 

「そのぬいぐるみの名前だ」

 

「あ、ああ。えっといや、その……どっかで見たことあるような気がして」

 

「あぁ、チノの部屋に片割れがいるから多分それだろ。昔チノにあげたんだ」

 

「そ、そうか」

 

「それよりコーヒー淹れてきたんだ。お前も飲むか?」

 

「え?あ、あぁ」

 

 先程までの非現実な状況から、穏やかないつもの日常に戻ったそのギャップについてこれないのか、有宇は少し呆けた様子であった。そして有宇は人形をベッドに置き、リゼからカップを受け取る。そこでお互いソファーに座りコーヒーで一息入れる。

 それから少し落ち着いてきたのか、ここに来た目的を思い出して、有宇は傍らに置いてあったパンの入った紙袋をリゼに差し出す。

 

「そうだ、これ昨日のパン。詫びも兼ねて持ってきてやったぞ」

 

「あぁ、ありがとう。折角だから今一緒に食べちゃうか」

 

 そう言うとリゼはパンの袋を持って部屋から出ていき、数分後、皿にパンを乗せて持ってきた。

 それをテーブルに置くと、リゼが口を開く。

 

「悪かったな、親父が色々と」

 

「全くだ。危うく殺されるところだったぞ」

 

 ていうか流石に今回は死を覚悟した。

 能力を使えばなんとかなると思っていただけに、流石に今回はもう駄目かと思った。

 

「私もまさか親父があんなこと考えてただなんて思わなかったよ。本当にすまない……」

 

 どうやらリゼに内密にやろうとしていたようだな。いや、そもそもあんな話リゼが望むわけもないか。

 

「別に謝らんでいい、お前が悪いわけでもないし。それに謝られたところで僕には何の特もないしな」

 

「そう言ってもらえると助かる。親父のやつ、結構前から自分の跡を継ぐ人材を探してたみたいだからさ」

 

 あぁ、その話自体はリゼも知ってたのか。

 

「そんなもん自分の部下から選べばいいじゃないか。こっちはいい迷惑だ」

 

 わざわざ他所から引っ張って来なくても、自分の屈強な部下達がいるだろうに。それに自分の隊を継ぐ人間が欲しいだけなら、別にリゼと結婚させて息子にする必要だってないはずだ。

 

「私もそう思ったんだけど、親父的にはもっと若い男がいいみたいでな。でも軍人って職業なだけあって中々なろうとしてくれる人がいなくて……それで今回お前に白羽の矢がたってしまったらしい。家族と縁を切ったお前だったら扱いやすいってさ。それでうちの資産をちらつかせて、部隊を任せられるぐらいの軍人にお前を仕立て上げようとしたみたいだ」

 

 あの眼帯クソ親父め……舐めた真似しやがって。まぁ、引っかかった僕も僕だが。ていうか、大体よぉ……。

 そして有宇は思っていたことをリゼに聞く。

 

「ていうかそもそもお前が継げばそれで話は解決するんじゃないのか?お前だっていつも武器持ってたりして、結構そういうの好きなんじゃないのか?お前の父親は反対してるみたいだが、お前がなりたいっていえばわかってくれるんじゃないのか?」

 

 そう、そもそもリゼが親父の後を継ぐのが一番平和的にこの問題を解決できる。別に女だからって軍人になれないわけじゃないだろ?ならリゼがなればいいじゃないか。

 リゼだってミリタリー趣味があるんだし、軍人になることにだってそう抵抗はないんじゃないか?親父の方はリゼには軍人になって欲しくはないようだが、リゼの方がなりたいといえばそもそもの利害も一致するし、悪いことではないと思うのだが。

 有宇がそう言うと、リゼは何やら言い難そうに、モジモジした様子を見せる。

 

「ああ……うん、確かに銃とかそういうのは好きだけど……他になりたい職業があるんだ」

 

 どこか自信なさげに言う。

 

「何になりたいんだ?」

 

「……言ってもいいけど……笑うなよ?」

 

「あ、あぁ」

 

 なんだ?何になりたいんだこいつ。

 そんななるのが恥ずかしい職業になるつもりなのか?それともあれか、お嫁さん、とか痛いことでも言うつもりか?

 そして少し間を開けてからリゼはボソッと言う。

 

「……の先生」

 

「え?」

 

「小学校の先生だ!!おかしいか!?」

 

「いや、もっとヤバイやつかと思った」

 

「ヤバいやつってなんだよ!?」

 

「もういい!」と言うと、茶化されたと思ったのか、リゼは不機嫌そうにプイッと顔を反らした。

 

「怒んなよ。別に合ってるんじゃないか?小学校の先生。向いてると思うぞ」

 

「……本当にそう思うか?」

 

「銃の携帯とかはともかく、周りを統率する力はあると思うし、いいんじゃないか?」

 

 実際これまで何回かこいつらと働いてきたが、その中でリゼは周りより年上ということもあるのか、チノとココアをよく引っ張っていたというのがわかる仕事振りだった。

 他にもココア達からも今まであったことは色々聞いてるし、その情報を含めても、指導者という立場になる教師という職業はリゼに向いてると思う。最も軍人の方が向いてるとは思うが、それは言わないでおこう。

 するとリゼは安堵の表情を浮かべる。

 

「そうか……向いてるか。お前は人に気を使うやつでもないし、素直にそう言ってもらえるとこっちも自信がつくな。ありがとな有宇」

 

「人を褒めるか貶すかどっちかにしろ」

 

 まったく……好き勝手言いやがって。ていうかそうだ、肝心なこと聞き忘れてた。

 

「ていうかお前、なんで昨日いきなり逃げたりしたんだよ。たかが胸を触られたぐらいで」

 

「なっ……!? お、お前にとってはたかがと思うかも知れないけど、私は物凄く恥ずかしかったんだぞ!!」

 

 昨日のことを思い出したのか、リゼの顔はまた赤くなっていく。

 

「それに男にむ……胸を触られるなんてことなかったし……それでパニックになって……」

 

 言ってるそばからまたパニックになりそうなぐらい動揺しているのが見て取れる。

 こいつがそんなに乙女な奴だったとは。チノの言う通りだったな。流石になんか悪いことした気がしてくるし、軽く謝っておくか。

 

「あぁわかった、悪かったよ。でも怒るならココアの方にしてくれよ。元々あいつが元凶なんだし」

 

「それぐらいわかってる!というよりわざとやってたらお前を蜂の巣にしてやるところだ」

 

「怖えよ!」

 

 全く、親子揃って物騒な奴等め。

 にしてもこいつも乙女なとこあったんだな。この前のことといい、このベッドの上の人形もそうだが、なんだかんだで本人が思ってる以上に女らしいところはあるじゃないか。

 ん?そういやここってこいつの部屋だよな。こいつの好きなあれが見当たらないが……。

 

「そういえばこの部屋には銃とかはないんだな」

 

 そう、こいつといえば銃だ。それがこの部屋には一つもない。なんか女らしい部屋過ぎて、らしくないよな。

 するとリゼは嬉しそうに答える。

 

「ん?あぁそれか。別の部屋にコレクションルームがあるんだ。見たいなら見せてやるぞ」

 

 リゼは目をキラキラさせながら言う。

 

「ああいや、いい。気になっただけだ」

 

 そう答えると「そうか……」とリゼは残念そうに言う。見せたかったんだろうか……。でも流石に今日はもう銃は懲り懲りだ。

 にしても流石金持ちだな。コレクションルームなんてもん持ってるのか。いや、まぁこれだけ広い家だったらそれぐらいあってもおかしくないか。

 そして有宇は、コーヒーを一気に飲み干すと立ち上がる。

 

「さて、そろそろ僕は帰るよ。いつまでもここにいたら殺されそうだしな」

 

「もう大丈夫だって言ったろ。それより有宇、これから暇か?」

 

 リゼがそんなことを聞いてくる。

 

「特に用事はないけど……それがどうした?」

 

「ならこれから一緒に出かけないか?私も暇でさ」

 

「暇ってお前受験生だろ。勉強しなくていいのか」

 

「息抜きも大事だろ。それよりどうだ?」

 

 久しぶりに家でゆっくりしようかと思ったけど、特別やることもないしな。

 かといってココアみたいにあちこち振り回したりはしないだろうけど、歩き回ったりするのはどの道疲れるし、面倒だし断るか。

 

「いや、えん……」

 

 遠慮すると答えようと思ったが、ドアの先に誰かの視線を感じた。

 まさか……見張られてるのか?

 そう思うと、有宇は再び先程の応接間での出来事を思い出し戦慄する。

 僕を跡取りにするのは恐らくリゼに言われて諦めたのだろうが、まだ昨日の僕がやったことが許されたわけじゃないのか?恐らくまた僕がリゼに対して何かやろうものなら、今度は跡取りだなんだの話無しでいきなり問答無用で殺しにかかる……ってことなのか?

 どうやらまだこの家にいる間は、リゼに対しては従順でいた方が良さそうだな……。

 そう考えると、有宇はリゼの誘いを受けることにする。

 

「……そうだな。僕も暇だし別に構わないぞ」

 

「そうか、じゃあちょっと着替えるから部屋の外で待っててくれ」

 

 そう言われたので、有宇は部屋の外に出る。出た後辺りを見回してみたが誰もいない。

 気のせいか。いや、だが油断禁物だ。隠れてどこからか見張っているのかもしれない。奴等はプロだろうしな。油断できない。

 もしかしたら外に出てからも見張られる可能性がある。外に出てからも、下手なことはしないようにしよう……。

 こうして有宇とリゼのドキドキ?デートが始まろうとしていた。



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第12話、お嬢様との昼下がり

 リゼの部屋の前で待機してから数分後、ようやくリゼが着替え終わり、部屋から出てきた。

 はぁ、ようやく生きた心地が実感できるというもんだ。リゼの前で連中もどうこうしたりはしないだろう。無論、まだ安心するには早いがな。

 有宇は後ろをぱっと振り向く。人の気配はない。だがあの黒服たちなら余裕で気配ぐらい消せそうで怖いしな。

 

「何してんだ有宇」

 

「いやちょっとな……」

 

「?そうか」

 

 リゼに見張りのこと言えば、それはそれで解決するかもしれないが、あの眼帯親父がそれで諦めるとも思えないし、取り敢えず背後の警戒をして、リゼへの態度に気をつけていればひとまず大丈夫だろう。

 それに本当に気のせいだった可能性もある。リゼに話して下手に騒ぎ立てないほうがいいだろう。まぁ、気を取り直して出かけようか。

 そして有宇はリゼにこれからどこへ行くのか尋ねる。

 

「で、どこ行くんだ」

 

「あぁ、ちょっと服屋に付き合ってくれるか?」

 

「服屋?」

 

「あぁ、最近行ってなかったしな。それに折角有宇がいるなら男の意見も欲しいしな……って有宇はつまらないか」

 

「いや、別に行きたい場所もないし、お前が行きたいならそこでいい」

 

 というより時間潰せるならこっちとしてはもうどこだっていい。僕としてはお前の相手を適当にやって、さっさと家に帰って一安心したいところだ。

 

「そっか、ありがとう。じゃあ行くか」

 

「あぁ」

 

 そして二人で服屋へ向かうことになった。

 

「にしても服とか結構着飾る方なのなお前」

 

「まぁそうだな。可愛い服とかそういうのは着てて楽しいからな。有宇はどうなんだ?」

 

「僕?僕はまぁ雑誌とかで流行りの服とかは抑えてるけど、別に特別関心があるわけじゃない」

 

「そうか。てっきりナルシストなとこあるから好きなのかと思ったぞ」

 

「誰がナルシストだ。まぁ、確かに洒落た姿をしている自分を見るのは悪くないと思うが」

 

「やはりナルシストじゃないか……」

 

 大体服なんて悪魔で周りにダサいと思われないように気を使うぐらいだ。僕も自分のセンスがダサいと思われるのは嫌だし、だからこそ流行りの無難な服を見繕って着ている。といっても金ないし殆どユニ○ロだがな。

 それに、服を着るのが楽しいというより、僕の場合は自分に似合う服を着て周りに評価してもらうことにこそ意味があると思っている。だからまぁ、特別お洒落をすることそのものに価値を見出してはいない。

 それにどんな服を着ようとも僕の顔なら大抵のものは着こなせるだろうしな。

 にしても幅着飾ったりとか、なんだかんだで自分が思ってるより乙女趣味だよなこいつ。

 そしてリゼ邸を出てからしばらく歩くと、街の方に出た。そこから数分歩いていると、目的の服屋に到着する。

 

「ここか……」

 

 以前僕とココアが生活品とか揃えるのに寄った服屋とは違う店のようだ。まぁ、あの時は、僕の服を探しに来たから、男性服が置いてる店に行ったからな。あと少し高級感があるようにも見える。リゼが金持ちだと知ったせいだろうか。

 そしてリゼはというと早速店内で服を物色していた。そして服を2つ取ると、どちらがいいか悩んでいるようだ。有宇の方は近くに置いてあった椅子に腰を下ろし、その様子をただじっと暇そうに見ていた。

 暫くしても決めきれずに悩んでいると、リゼは急に有の元までやって来たと思ったら、両手に持つ服を見せてこんな事を聞く。

 

「なぁ有宇、どっちがいいかな」

 

 どうやら有宇に意見を求めたかったようだ。しかし有宇は興味なさそうに返事する。

 

「どっちでもいいんじゃね?」

 

「適当に答えるな。付き合ってくれるんだろ」

 

「一緒に行くとは言ったが、服選びを手伝うとまでは言ってない」

 

「お前なぁ……」

 

 女子の服なんか知らねぇし。余程酷いものでなければぶっちゃけ僕から何か言ったりはしないし、どうでもいいし。大体お前のビジュアルなら大概のものは似合うだろうが。それに……

 

「金持ちなんだしどっちも買えばいいじゃないか」

 

 そう、こいつの家は超が付くほどの金持ちだ。あの親父が本当に軍のお偉いさんなのかっていうのには疑問はあるが、金があるっていうのは確かだ。

 その家の一人娘であるこいつは、当然小遣いだって沢山貰ってんだろ。あの親父、リゼには甘いっぽいし。ならケチケチせずに両方買えばいいだろ。

 するとリゼは有宇の言い分にこう返す。

 

「何言ってるんだ。親父からは金はもらってない」

 

「えっ、なんで?」

 

「そりゃ親父に言えば貰えるかもしれないが、欲しいものぐらい、自分で買いたいしな。だから社会勉強も兼ねてラビットハウスで働いてるわけだしな」

 

「ふーん、よくまぁわざわざそんな面倒なことするなぁ。ぼくがお前ならバイトなんかしないで親父から金を貰って遊びまくるのに」

 

「お前は……そういう奴だよな」

 

 リゼは呆れたようにそう言った。

 リゼはどうせ、僕を怠惰な男と呆れているんだろうな。でも実際、リゼみたいな恵まれた立場にいたら、その環境を最大限活かしたいと考えると思うだろ。

 贅沢するしないはともかく、わざわざ時間削って労働に勤しむなんてよくやるなとは思う。高校生なんだし、バイトしないで小遣いだけ貰ってる奴だってまだいるだろうし、小遣い貰う事自体はそんな恥ずかしいことでもないだろうに。

 有宇はリゼの話を聞いてそんなことを思いつつも、話を本題に戻す。

 

「ま、とにかく服は自分で見てくれ。僕はぼーっとお前が選び終わるの待ってるから」

 

 そう言うと有宇は大きくあくびをする。リゼはそんな有宇の態度を不満に思いつつも、こんな提案をする。

 

「お前なぁ……わかった、後でなんか奢ってやるからそれでいいか?」

 

「よしわかった。選べばいいんだろ?」

 

「現金な奴だな……」

 

 報酬があると言うなら話は別だ。それによく考えたら、店に来て忘れてたけど、今も見張りが見ている可能性があるしな。さっきあんなことがあったばかりだというのに……用心しないとな。

 しかし、さっきから視線も感じないし、特に出てくる気配はない。

 僕の気のせいだったか?流石に外まで追っては来なかったか。いや、でもここにリゼがいるからアクションを起こしてないだけかもしれないしな。なんにせよ油断ならん。

 改めて有宇は緩んだ気を引き締めた。

 さて、服を選ぶんだったか。そしてリゼの持つ二つの衣服を見比べる。

 リゼの手にした服の一つは白いシフォンシャツだ。

 生地が薄く、これから迎える夏にもぴったりと言えるだろう。

 もう一つは黒いオフショルダー──いわゆる肩出しというやつだろう。露出が他の服と比べても比較的多いのが特徴だ。リゼの豊満な体付きじゃ色々見えてしまいそうだが……。

 

「お前こういうの着るのな……」

 

「あぁ、可愛いと思ってさ」

 

 こういう露出多い服着るやつって大概自分に自信あるやつなんだよな。よくこれであんな女らしさだの何だのグチグチ悩めたな。

 

「駄目か……?」

 

「いや、取り敢えず二つともキープしておいて下探そう。下と着合わせてみないと判断出来ないし、他にもいいのがあるだろう」

 

 まぁ自信はあるに越したことはないしな。大体僕が言えたことじゃないか。

 それから二人であれこれ話しながら下も決め、取り敢えず試着室で着させてみた。

 最初は上にリゼの選んだ白のシフォンシャツ、こちらは胸元のフリルとリボンタイが特徴的だ。それと下には黒いヒラヒラとしたミニのスカートを合わせた。個人的には、夏のお嬢様をイメージしてみたコーデだ。

 それに合わせて髪もサイドポニーにしてもらい、嬢様っぽくなったと思う。着替え終わると、リゼが少し恥ずかしそうに着衣所から出てくる。

 

「どうだ……?」

 

「うーん、僕好みではあるが……他の色とか、あとスカート以外にもズボンとかも試してみるか。ひとまずこれとこれ着てまた出てこい」

 

 そう言うと有宇は、手に持っていた衣服をリゼに渡す。

 

「あ、あぁ」

 

 そんな感じで結構時間をかけてい服を色々吟味し、ようやく買う服を何着か決め、レジに出した。買い終わると女性店員が微笑みながら言う。

 

「服を選んでくれるなんて、かっこいい彼氏さんですね〜。羨ましいです」

 

「なっ……/// ち、違う!こいつは彼氏なんかじゃない……!」

 

 リゼはそれを聞いて顔を真っ赤にしていたが、僕としては至極どうでも良かった。悪いイメージで見られていないのなら、別に構わない。

 レジを去った後も店員達は後ろで、僕達二人を若いカップルと勘違いしたまま、僕等を温かい目で見送っていた。

 店を出た後も、リゼはまだ少し顔が赤かった。

 

「……全く、お前も少しは否定しろよな」

 

「若いカップルっぽい男女を見て、微笑ましいって思っただけだろ。別に悪意があるわけでもないんだし、わざわざ水を指すことじゃないだろ。どうせ他人なんだし、そのうち忘れられるだろ」

 

「お前はそうかもしれないけど、私はまた行くんだぞ。全く……」

 

 そんなこと言われてもそこまで気が回らなかったし、そもそも回す気もなかったしな……。

 

「で、それで満足かお嬢様」

 

「お嬢様はやめろ!でもそうだな、いいと思うぞ。ただなんというかお前の選んだやつはその……ヒラヒラのものが多くて……全体的に女の子っぽい服が多いなと」

 

 まぁ確かにそういう系のやつを選んだしな。大分渋っていたが、軽く後押ししたらかごに入れていた。

 そもそも最初にヒラヒラしたシフォンシャツを選んだのはリゼだし、本当は着てみたかったのだろう。だから僕に背中を押して欲しかった……ってところだろ。だから僕もそれに合わせて下も選んだつもりだ。

 そして有宇はヒラヒラの格好に照れるリゼにこう言う。

 

「お前の普段着がどんななのかとか、そんな見ないし知らないけど、まぁたまにはいいんじゃないか?素材はいいわけだし、色々着てみるのもさ」

 

「そ、そうか……」

 

 そう言うリゼは少し嬉しそうだ。

 因みに早速リゼは買った服を着ている。別に今着替えんでもいいと思うのだが、折角だから今着たいとのことだ。

 今は、最初にリゼが選んだ白のシフォンシャツに黒いガウチョパンツという格好だ。一応最初に選んだスカートも買ったのだが、今は恥ずかしいからこれでいいとのことだ。

 個人的には、着替える前の黒いインナーに、灰色と白のシマシマのVネック、下はデニムのショートパンツという格好も別に女らしくないなんてことはないと思うが、まぁリゼにはリゼの基準があるんだろ。

 

「にしても結構真面目に選んでくれるとはな。適当に選ぶかと思ったぞ」

 

「後でケチつけられたくなかっただけだ。それより奢りの話忘れんなよ」

 

「わかったよ。でもそんな高いものはだめだからな」

 

「安心しろ、僕だってそれぐらいわきまえるさ」

 

 にしても確かに奢りのためとはいえ、結構集中して選んだかもしれんな。まぁこいつ、見た目はいいから正直見てて楽しかったっていうのはあるのかもしれない。

 

「それより次どこ行く?」

 

 正直もう見た感じ追手もいなさそうだしな。やっぱ気のせいだったかもしれない。あん時はまだリゼの親父に銃を向けられたトラウマが残ってたしな。視線を感じたのもきっとそのせいだろう。

 それに自然に解散すれば、別に見張りがいたとしても別にどうにかなったりとかにはならないだろう。まぁ、だから解散になろうが、これから何処へ行こうが、どうだっていいってことだ。

 

「そうだな……」

 

 リゼが有宇にどこへ行くか聞かれて悩んでいると、突然そいつらは現れた。

 

「あー!リゼと有宇にぃ!」

 

 いきなり僕等二人を呼ぶ声が後方からした。見張りかと思ってバッと振り返ると、背の低い小さいガキ二人が近づいてきた。

 

「お、マヤとメグじゃないか、どうしたんだこんなところで?」

 

 リゼが二人にそう声をかけた。

 この二人はマヤとメグ。チノの同級生で、この前こいつらが盗まれたっていう腕時計を取り返してやったのをきっかけで知り合った奴等だ。まぁ、チノの関係者だったなら、遅かれ早かれ顔を合わせることになってたと思うがな。

 そしてマヤはリゼにこう返した。

 

「二人で遊んでただけだよ。それよりリゼは何?有宇にぃとデート?」

 

「エー!お二人はそういう関係なんですか!?」

 

「違う!!」

 

 リゼが強く否定する。

 どうやらあの服屋の店員達に限らず、他から見ると僕等はそう見えるらしい。メグまでもデートと聞いて顔を赤くしていやがる。

 するとマヤは、今度は有宇の方にニヤニヤと笑みを浮かべて聞いてきた。

 

「ねぇねぇ有宇にぃ、そこんとこどうなの?」

 

 そこんとこ……か。元を正せば、親父の追手がいるかもしれないから、リゼの言うことには逆らわない方がいいと思ったからだから……。

 

「そうだな……脅されて仕方なく?」

 

「おい!?」

 

 しまった、この言い方じゃリゼ自身に脅されたと言ってるようなもんだ。

 

「エー!リゼさんがお兄さんを無理やり!?」

 

「衝撃の事実だ……」

 

 すると、有宇の発言を真に受けたメグとマヤが、驚きの表情を見せる。

 

「ちがぁぁぁぁぁう!!」

 

 そして僕等の茶番に業を煮やし、リゼの怒声が辺りに響き渡る。

 

 

 

 その後、これ以上はリゼがガチでキレかねないので、二人にはちゃんと事情を説明した。

 有宇が昨日、不幸な事故によりリゼの胸に触れてしまったこと。それを謝罪しにリゼの家まで来たら、リゼの父親に許す代わりに軍人になれと言われたこと。そして、それを断ったら殺されそうになったことを。

 

「へぇ、リゼのお父さんって怖いんだな」

 

「コワイネー」

 

 結構やばい出来事だったというのに、マヤとメグの反応は割と軽かった。こいつら……他人事だと思って……。

 すると、そんな二人にリゼがこう言う。

 

「お前らは大丈夫だから安心しろ。ただ有宇はその……男だったからな」

 

「それだけで殺されかけたら溜まったもんじゃないぞ……」

 

 本当あと一歩のところで死んでたからな僕。

 

「まぁ、もう親父にはきつく言っておいたから有宇も安心しろ。お前が私の部屋で感じた視線というのも多分、警備が巡回してただけだろうし」

 

 ちなみにリゼの家で視線を感じたことも一緒に話した。

 にしてもそうか、だから僕が部屋を出たときにはいなかったのか。結局僕のただの思い過ごしか……。

 無駄に気を使い過ぎたな。いや、一度は殺されかけたわけだしあの状況じゃ仕方ない。

 すると今の話を聞いた上で、マヤが未だにこんな事を言う。

 

「でも二人って結構傍目から見たらカップルみたいだよね。二人とも見た目いいし」

 

「え?」

 

 マヤのやつ、まだ言うか。

 

「本当は付き合ってたりして?」

 

「「絶対ない」」

 

 有宇とリゼは、二人して声を揃えて言う。

 

「え〜お似合いだと思うんだけどな〜」

 

「「それはない」」

 

 再び息ぴったり息を合わせてそう返す。

 たしかに僕はかっこよくて、こいつも結構見た目はいいし、そう思うのも無理ない。だがこいつん家に嫁いだ瞬間、戦地に送られて死ぬかもしれないんだぞ!冗談じゃない!

 

「でもお兄さん、なんだかんだでリゼさんのお父さんに認められてるんだね〜」

 

 メグがそんな事を言い出す。おそらくリゼの親父が、リゼと結婚させてやると言ったことを言ってるのだろう。

 そういえばそうだよな。戦地に送るとかいいつつも、大事な一人娘であるリゼの婿にしてやると言ってたし、僕のことをろくでなしなんて言った割には、案外僕のことを認めていたりするのか……?

 有宇がメグの話を聞いてそんな事を考えていると、その幻想を打ち壊すようにリゼがこう返した。

 

「いや、有宇は単に家出人だから、最悪死んでも隠蔽しやすいってことで選んだらしい。それに結婚の話も元々口約束だけってことで、本気で私と結婚させるつもりはなかったらしい。要は、家の後継者とは別に、有宇を軍の後継者に仕立て上げるのが親父の目的だったみたいだ」

 

「はぁ!?聞いてないぞ!?」

 

 あのクソ親父ぃ……端から僕を家の後継者にする気は無かったってことかよ!?

 おかしいと思ったよ、あれだけ娘を溺愛しておきながら無理やり結婚させるなんてマネするのかと。端からそれが狙いだったのか……クソッ!

 利用されそうになっていたことに気づいて一人憤慨する有宇だった。

 

 

 

「じゃあ私達ラビットハウスに行くからまたねリゼ、有宇にぃ!」

 

「リゼさん、お兄さん、マタネ〜」

 

 その後、マヤとメグはラビットハウスに行くと言って去っていった。すると、リゼが改めて有宇に聞いてくる。

 

「で、次どこに行こうか?」

 

 どこに行くって言われてもなぁ。特に行きたい場所があるわけじゃないし……。

 

「なんか遊べる場所とかないのか?ゲーセンみたいなとことか」

 

「ゲームセンターは見たことないな……ん?」

 

 すると、話している最中にも関わらず、リゼが何かに目をやった。その目先の方向を見てみると、何やら怪しげな細い裏路地があった。そしてリゼは何故かその路地のある方へと歩いていくので、有宇もその後ろを付いて行く。

 路地を覗いてみると、暗くて汚くて、この街には珍しく危なそうな場所である。この先に不良のたまり場でもありそうだ。この街にそういった人間がいるのかは知らないが。

 正直者出来ることなら通りたくない道だ。路地を見てそんな事を思っている一方、リゼも何やら顎に手を当てて何かを考えていた。そして有宇にこう尋ねる。

 

「なぁ、こんな道、ここにあったか?」

 

 どうやらこの路地は、地元民であるリゼも知らない道らしい。だが、そんなこと僕に聞かれてもな……。

 

「僕が知るかよ。あったんじゃないのか?実際あるんだし」

 

 この街に来てまだ二週間程しか経ってないのに、そんな僕がこの街の、それもこんな細い路地まで、地理を把握しているわけがないだろ。だからじっさいこうして路地が存在している以上、あったんじゃないのかとしか言いようがない。

 すると、リゼは「それもそうか……」と呟いたと思ったら、また暫く考え込んだ。

 なんだよ、この道に何かあるのか?ただの道じゃないか。少し薄気味悪いが……。

 何かを考え込むリゼに対し、有宇は呑気にそんな事を思っていた。そして数秒の間が空いた後、リゼは突然こんな事を言い出す。

 

「……よし。なぁ有宇、この先探検してみないか?」

 

「は?探検……?」

 

「あぁ、昔この街中を隅々まで探検して回ったこの私が知らなかった場所があったなんてな。正直ワクワクしてくるんだ。それで、有宇もどうだ?」

 

「いや、どうだじゃねえよ。やだよ普通に」

 

「そうか?楽しいと思うぞ?」

 

「お前今いくつだよ……」

 

 探検って小学生じゃあるまいし、なんてそんなことをしなきゃならない。こんな暗くて汚くて治安悪そうなところに繋がってそうなところ通るのなんて、僕は嫌だからな。

 大体知らないなんていうけど、どうせ覚えていないだけなんじゃないか?こいつが昔どれだけこの街を歩き回ったかは知らないが、そんだけ言うほど歩いていたのなら、歩いてる内に『あ、やっぱここ通ったことある』って絶対なるだろ。

 リゼの突然芽生えた冒険心に対し、有宇は辟易していた。

 

「大体折角買った服が汚れるぞ」

 

「大丈夫だって、暗いけどそんな汚くなさそうだし。それで、どうだ?」

 

 リゼはもうすっかり探検気分だ。こりゃ他の選択肢を提示したところで、こいつがそれを呑むとは思えんな。

 さて、どうするか。もう別にリゼの家の人間にはつけられていないっていうのはわかったし、リゼの言う事聞いて、行動を共にする必要も無くなったわけだ。解散してもいいけどな……。

 解散しても構わないと思いつつも、有宇の中には一つ、迷いがあった。

 下手に断って解散になって家に戻るとなぁ、今家に戻ったらマヤ達が僕達の事をココア達に話してるだろうし、帰ったら色々聞かれたりしてめんどくさそうだな……。

 ココアなんか得にこの手の話題には食いつきそうだしな。またリゼが恥ずかしがってどうこうとかなりたくないし、出来ればほとぼりが冷めるまで帰りたくないしな……しょうがない、もう少しリゼと一緒にいるか。

 

「わーったよ。行けばいいんだろ行けば」

 

 そういうわけで有宇とリゼは、二人が知らないこの怪しい路地を探検することになった。

 

 

 

 路地に入って暫く進んでいくと、だいぶ道は拓けてきたが、人の気配が全く感じられない。そこはかとなく不気味さを感じる。

 建物とかは普通にあるのに、人の気配が全く感じられないっておかしくないか?誰一人として遭遇しないし、人の声とか音もろくに聞こえない。

 路地に入って暫く経ったとはいえ、路地に入る前の大通りには人がちらほらといたはずだ。大通りの人の声や、街に流れる音楽やその他雑音等が、少しは聞こえていてもいいはずなんだがな……。

 そんな裏路地の不気味なぐらいの静寂さに、有宇は若干疑念と恐怖を感じていた。更に進んで行くと、この街では珍しく景観に沿わない、日本式の潰れたボロアパートのような建物が見受けられた。

 

「この辺にもあんな建物があったんだな」

 

「大分昔のやつだと思うぞ。今は景観条例でああいう建物は消えていったからな」

 

「けいかん条例?」

 

 何だそれ。警察と何か関係がある条例なのか?

 有宇がわからず聞き返すと、リゼは呆れた表情を浮かべる。

 

「お前なぁ、中学の社会科で習うとこだぞ」

 

 そんなこと言われても、中学の授業なんてまともに聞いてねえし知るかそんなもん。

 するとリゼは、景観条例について知らない有宇に説明してやる。

 

「景観条例っていうのはその地の伝統的な街の景色を保つために、その街並みを保つ条例のことをいうんだ。京都とかがいい例かな。京都とかじゃブラバとかも全部京都の街並みに沿った和風の造りになっているんだ」

 

「ふーん、じゃあその条例ってのがこの街にもあるってわけか」

 

「そういうことだ。千夜の家もそんな感じだろ?だから未だにこんな建物が残ってるなんて珍しいってことだ」

 

 確かにこの街はコンビニから何から何まで、外からの見た目が外国っぽい建物が多いなとは思っていた。

 この街のコンビニは、外装が白いレンガで出来ているものや、入り口がガラス張りになっていたりと、お洒落な感じのものが殆どだ。更に、その他の商業施設や会社とかの建物なんかも同様にレンガ造りだったり、木組みの街の名の通り、木組みの建物だったりするしな。

 千夜の店なんかも、洋風と和風が混じったような店の外装だよな。それというのも、その景観条例とやらが原因だったのか。

 因みに話の中に出てきたブラバとは、正式名称がBright Bunnyというアメリカシアトル発祥のカフェチェーンのことだ。世界規模でチェーン展開しており、その人気は計り知れず、シアトル系コーヒーというスタイルを確立した大手中の大手だ。最も、あそこの店のコーヒーは甘いのばかりで、僕の好みには合わないんだけどな。

 

 

 

 それから僕等は潰れた日本式のアパートの側を離れ、再び路地の奥へと向かう。やはり相変わらず人の気配が感じられず、不気味さもどんどん増していく。

 

「なぁ、気味悪いしもう帰ろうぜ……って、うん?」

 

 あまりの不気味さに、有宇がリゼに帰ろうと切り出したときだった。二人の行く先に大きな建物が見える。

 

「あれは……なんだ?リゼ、知ってるか?」

 

「いや……私もこんな所があるなんて初耳だな」

 

 やはりリゼも知らないらしい。

 よく見てみると、建物の表にある看板には、

 

 〈 BUNNY ARCADE〉

 

 と書かれている。更に建物の看板にはピエロのうさぎのマークが付いていた。

 

「バニーアルカデ?」

 

 アルカデってなんだ?

 するとリゼがまたしても呆れた様子で指摘する。

 

「アーケードな……お前本当に大丈夫か」

 

 ああ、あれでアーケードって読むのか。英語は苦手なんだ、仕方ないだろ。まぁ、逆に何ができるって話になるから言わないけど。

 にしてもどうやらここは何かの施設のようだな。バニーっていうぐらいだし、如何わしい施設か?いや、この街のことだから、ただのうさぎ関連の施設である可能性も否定できない。

 だが何かの施設や店だとして、ここ今も開店しているのか?こんな人家のないところでそもそも営業できているのか微妙なところだが……。

 有宇はこの建物からなんとなく怪しい雰囲気を感じていた。ここがどういうところなのか知らないが、危ないことになったりしたら嫌だし、さっさとここから立ち去ろう。

 リゼにもそう言おうと思った矢先、リゼはこう言い出した。

 

「よし、中に入ってみるか」

 

「え?マジで言ってんのか」

 

「だって気になるじゃないか」

 

「いや、そりゃそうだけど普通入るか?……っておい!」

 

 有宇が躊躇しているのなんてお構いなしに、リゼは先に進んでいった。有宇も仕方なくその後ろを追った。

 中に入ってみると耳障りなぐらい、いろんな電子音が響いていた。音だけじゃない。色々な機械がカラフルにピカピカと、暗い店内で光り輝いていた。

 よく見るとこの光る機械全てがゲーム筐体であり、何台ものいろんなゲームが見受けられる。

 

「ここって……ゲーセンか?」

 

「ああ、ていうかアーケードってさっき言っただろ」

 

 アーケードって、ゲームって意味なのか。覚えておこう。

 ていうかリゼはゲーセンだってわかってたから躊躇せずに店内に入って行ったのか。

 

「にしても本当にゲームセンターとは……。この街にもゲームセンターがあったんだな」

 

「いや、お前この街出身だろ」

 

 逆にこっちからしたら、なんで知らないんだって感じなんだが。ここら辺のことは知らなくても、街にゲーセンがあるとか、それぐらいの情報は知っててくれよ。こいつ本当にこの街に詳しいのか?

 するとリゼは慌てた様子で弁解する。

 

「いや、本当にこんな所があるなんて聞いたことないんだ。でもそうだな、折角だし遊んでみるか」

 

 リゼはここで遊んでいくことを提案する。まぁ、元々遊べる場所を探してた訳だし特に異論はないが……。

 

「ここも全くもって人がいないな……それに店員の姿もない。なぁ、いくら何でもおかしくないか?」

 

 ここもさっきまでと同様に人が一人もいないのだ。客がいないだけならまだ納得できる。だが客だけじゃなく、店の店員の姿さえ見えないのだ。

 路地とかはまぁ、単に人気がないところなんだろうと納得できるが、ここに関してはいくら何でもおかしい。普通店員の一人でもいるはずだろう。

 流石に不自然だと感じ、リゼのようにそう素直に遊ぶ気にはなれなかった。しかし……。

 

「おい有宇、これ見てみろよ!すごい昔のゲームがあるぞ!」

 

「って聞けよ!」

 

 リゼはお構いなしにゲームに目がいっていた。これだけおかしな状況だというのに。ったく、少しは気にしろよ……。

 そして渋々リゼの方に近づくと、そこには確かに昔のゲームがあった。

 

「なんだっけこれ……インベーダーゲームだっけか?」

 

 確かこれ、そこそこ昔のゲームじゃなかったか?インベーダーゲームだけじゃない。周りのゲームもよく見てみると、一昔前に流行ったゲームとかが多いような気がする。

 なんだここは。まるでタイムスリップでもしたかのような場所だな。

 

「あ、有宇、これ一緒にやらないか?」

 

 いつの間にかインベーダーゲームの前から離れていたリゼが、銃のようなものを持ち、有宇を呼びつける。リゼの前にあるのは、今でもゲーセンとかにおいてあるガンシューティングのゲームだ。手に持ってるその銃もこのゲームのものだろう。

 まぁ、あれこれ言っても仕方ないし、もう既に僕等はここに足を踏み入れてしまったんだ。さっきのリゼの家の追手だって気のせいだったんだ。おそらくこれも僕の考え過ぎに決まってる。ここは素直にゲームを楽しむか。

 そして有宇はリゼの呼びかけに答える。

 

「あぁ、いいぞ」

 

 そしてリゼの隣に立つと、財布を取り出し、百円をゲーム筐体に入れる。すると早速ゲームが始まった。

 ゲーム自体は画面に出てくるゾンビを倒していくよくあるやつだが、これが中々難しい。二ステージ目で有宇は死んでしまった。

 

「有宇、まだまだ爪が甘いな」

 

 リゼはというと、僕がやられた後も先のステージに進み、最終ステージまで見事にクリアした。流石普段から銃を持ち歩いてるだけのことはある。

 にしてもすぐ死んだとはいえ、結構楽しいなこれ。悔しいのでコインを入れて再びリベンジする。

 

「またやるのか?」

 

「クリアするまでやる」

 

「お前、結構負けず嫌いだな。まぁ頑張れ」

 

 今度は一人でプレイだが、リゼが隣からアドバイスをしてくれたおかげか、それとも流石に慣れてきたのか、正確に敵を射殺し、ライフも温存して先に進む事が出来た。そして見事ラストステージのボスも撃破することに成功した。

 まぁ、ボス戦であとちょっとのところで一度死んだので、連コインしてコンティニューして勝ったのだが。

 

「よし!」

 

「おっ、やったじゃないか有宇!」

 

「あぁ」

 

 ゲームセンターか、あんまり来たことはなかったが中々に楽しいな。今度また来てもいいかもな。

 ガンシューティングを終え、次に僕等の目に入ったのがメリーゴーランドみたいな……というよりメリーゴーランドそのものであった。

 なんでゲーセンなんかに。普通遊園地とかにあるもんだろこういうのって。

 しかし流石に遊園地にあるような大きなものではなく、子供用の小さなメリーゴーランドだ。馬も小さいし、数も五体しかいない。当然メリーゴーランドなので、機械の馬に乗るというそれだけの遊具に過ぎない。

 だがしかし、リゼの方は目を輝かせて乗りたそうに見ている。

 

「有宇!これ乗らないか?」

 

 案の定、乗らないかと誘ってきた。

 この年でこんな子供用のメリーゴーランドに乗るなんて嫌だぞ。せめて街の広場に置いてあるメリーゴーランドなら大人も乗れるやつだしいいんだけどなぁ……。

 

「僕はいい。ここで見てるからお前一人で乗れよ」

 

 いい年して子供用のメリーゴーランドなんて乗りたくないしな。有宇はリゼの誘いを断った。しかしリゼはそう簡単には折れてはくれなかった。

 

「そんなこと言わずに折角だから乗ろう。ほらっ」

 

「あっおい!」

 

 リゼは有宇の腕を強く強く引っ張って無理矢理馬に乗せる。それからお金を入れると、何故かリゼは有宇の後ろに跨がった。

 

「待て、なんで一緒の馬に乗るんだよ」

 

「あ、悪い。つい勢いで」

 

 勢いでよく、わざわざ僕の後ろに乗ろうと思ったな。狭いしやめてほしいんだが。

 

「とにかく降りてくれ……」

 

「あ、ああ」

 

 有宇に言われて、リゼが馬から降りようとする。しかし、ちょうどそのタイミングでメリーゴーランドが愉快な音楽と共に動き始めた。

 

「あ……」

 

「おい!」

 

 メリーゴーランドが動いている途中で降りるのは危ない(といってもリゼなら普通に降りれそうだけど)から、結局二人して同じ馬に乗ることとなった。

 メリーゴーランドは音楽と共に上下に揺れ、割りかし速いスピードで回っていく。有宇にとっては揺れが気持ち悪いだけだし、楽しいとは思えなかったが、リゼの方は楽しそうである。

 

「楽しいな。本物の馬もいいけど、たまにはこういうのもいいな」

 

「そうか……」

 

「ん?有宇どうしたんだ?気分でも悪いのか?」

 

「いや、気にすんな……」

 

「?」

 

 本物に乗ったことあるのか?とか本来聞きたかったところだが、有宇はそれどころではなかった。

 馬は有宇が前でリゼが後ろに座っていたのだが、ちょくちょく揺れるためか、リゼは振り落とされないように有宇の肩にしっかりと捕まっていた。しかし揺れのせいか、時折リゼの豊満な胸が有宇の背中に当たることに気付いたのであった。

 普通こういうシチュエーションは、異性を意識してドキドキするものなのかもしれないが、リゼに気付かれたらまた顔真っ赤にしてまた逃げだすに違いない。そうなれば今度こそあの親父に殺される……。

 そう思うと有宇は、いつリゼに気付かれるか気が気でなく、リゼの胸が当たってることにドキドキしている余裕などなかった。最も、リゼにバレてリゼの父親に殺されるか、それともバレないで何事もなく終わってくれるかの緊張感で、ある意味ドキドキはしていた。

 

 

 

「ん〜楽しかったな有宇!」

 

「そうだな……」

 

 数分後、メリーゴーランドはようやくその動きを停止した。リゼは満足そうに腕を伸ばしているが、有宇としては無事バレることなく終わってくれてよかったと安堵の気持ちでいっぱいで楽しむ余裕はなかった。

 それからも穴をめがけてボールを投げるゲームやら、昔ながらの格闘ゲームとかをやったりと、二人はゲーセン中のゲームを遊びまくった。殆どのゲームで有宇はリゼに勝つことはできなかったが、初めてのゲーセンは有宇にとっても中々に楽しめたようであった。

 しかし、その時間というのも永遠ではない。

 

「有宇、次は何で遊ぼうか?」

 

 リゼがまた別のゲームで遊ぼうと誘ってくる。しかし……。

 

「待てリゼ、もうこの辺で終わりにしないか?」

 

 今まで楽しそうに遊んでいたはずの有宇だったが、突然もう止めようと言い出したのであった。

 

「どうしたんだよ急に?」

 

「……財布がヤバイ」

 

「あぁ……そういうことか」

 

 そう、遊びすぎて大分散財してしまったのだ。すっからかんというわけではないが、今日一日でまさか財布を空っぽにするわけにはいかないだろう。

 ここで遊ぶ時間は永遠ではない。財布の中身という限界があったのだ。どんなに楽しくても、金がなければ遊ぶ事はできない。ゲームセンター恐るべし!

 

「私も今日は使いすぎちゃったし、もういい時間だしな。名残惜しいけどそろそろ帰るか」

 

「あぁ」

 

 そして二人で出口に向かう。しかし、その途中でリゼが立ち止まった。

 何かと思ったら、出入り口の近くにクレーンゲームが置いてあるのだが、リゼの視線が完全にそちらに向かっていた。

 

「……おい」

 

「す、すまん、ただあの人形いいなって思ってさ」

 

「人形?」

 

 リゼの視線の先のクレーンゲームの中に、店のマークにもなってるピエロうさぎの人形が景品として入っていた。

 

「あんなのが欲しいのか」

 

「可愛くないか?」

 

「……僕にはわからん」

 

 まぁピエロの格好をしているが別に不気味な感じではない。けど、僕は特に可愛いとは思わない。

 するとリゼが物欲しそうに、有宇に頼み込んだ。

 

「なぁ有宇、あれ最後にやってきていいか?」

 

「まぁ別にいいけど」

 

 僕がやるわけじゃないし、それにリゼならこんなゲーム、さっさと終わらせるだろう。そう思ったから、最後だし別にいいだろうと許可したのだが……。

 

「結構難しい!」

 

「おい!」

 

 ものの見事に手こずっていた。そして、五百円六回分をあっという間に使い切ってしまった。

 隣で見ていた感じ、リゼの狙いは的確だったが、アームの力が弱すぎて全然掴みようがなかった。

 

「これ掴めないやつじゃないか?もう諦めて帰ろうぜ」

 

「くそ……ここまでやって引くのは……」

 

 帰るよう促したが、リゼは台の前から離れる気配が一向にない。こいつも大概負けず嫌いだよな。流石、軍人の娘。

 しかしいつまでもこんなところで時間使って帰りが遅くなっても嫌だしなぁ……。

 そう思い有宇はリゼにこんな提案をする。

 

「なぁ、店員いないみたいだし揺らしてみたらどうだ。そしたら落ちるんじゃないか?」

 

 見たところ、あれからも店員らしき姿は見ていない。他の客もいないし、クレーンゲームの筐体ごと揺らしてしまえば、こんだけ入ってるわけだし、一つぐらい取れるだろう。

 しかし有宇がそう言うと、リゼは顔をしかめる。

 

「いや、そんなことしちゃだめだろ」

 

「別に誰も見てないから良くないか?」

 

 有宇としては、リゼのことを思っての発言だった。しかし……。

 

「有宇、お前そういうところは直したほうがいいと思うぞ」

 

 先程とは違い、声を強めてリゼは有宇にそう言った。

 んだよノリ悪いな……。元々お前がこんなの取るのに手間取ってるのが悪いんだろうが。

 リゼの発言を受け、有宇は少し不機嫌になる。けどすぐに思い直す。

 まぁでもよく考えたら確かにリゼの言い分も一理ある。もしかしたら監視カメラとかがどこかについてるかもしれないしな。下手な事はしない方がいいだろう。

 もし不正してぬいぐるみを取ったことがバレたら、またあのカンニングのときと同じ目に合ってたかもしれない。いや、今度は警察の世話になるだろうからカンニングのときより酷いことになる。

 しかしかといってもなぁ。これじゃいつまでも帰れないしな……仕方ない。

 すると何を思ったか、有宇はこんな事を言い出す。

 

「替われ、僕がやる」

 

 そう言って有宇はリゼを押しのけて、クレーンゲームの前に立つ。

 

「え、いやお前大丈夫か?そもそも金ないんだろ?」

 

「一回で決めればいい話だ。いくぞ!」

 

 リゼの心配など他所に、有宇は財布から無け無しの百円玉を入れてアームを動かした。

 確かにクレーンゲームなんてやったことないが、さっきまでリゼのやつを見てきたし、見様見真似で何とかなるはず……たぶんっ!!

 そして取りやすそうなぬいぐるみに狙いを定めて、ここだと思うタイミングでボタンを押して、アームを下げる。

 

「どうだ!」

 

「おお、この有宇の気迫なら……いけるか!」

 

 しかしアームは人形のすぐ横を通過していった。

 

「あ」

 

「ダメじゃないか!」

 

 そんなこと言われてもクレーンゲームなんてやったことねえしな。

 しかし二人がダメだと諦めたその時、奇跡が起きた。

 

「「おおっ!」」

 

 クレーンのアームが人形のタグを捉えていたのだ。そしてそのままぬいぐるみを持ち上げて穴まで持っていく。

 

「「いっけぇぇぇぇぇ!」」

 

 しかし残念なことに(すんで)のところで穴には入らず、穴のすぐ横に落ちてしまった。

 

「あぁ……惜しかったな」

 

 リゼが落胆を顕にする。

 くそっ、あともう少しだったのに。アーム弱すぎだろ。なんとかして取りたいな……。

 すると有宇は辺りをキョロキョロと見回す。クレーンゲームの近くだし、カメラぐらいあると思ったがなさそうだな。これなら……。

 

「よっと」

 

 すると有宇は即座に台に蹴りを入れた。それで台が軽く揺れ、見事に人形は穴にホールインした。そしてその人形を取り出す。

 

「おい!」

 

「まぁこれぐらいセーフだろ。ほらよ」

 

 人形をリゼに放り投げる。

 流石にあれはこの店のアームにも問題あるし、本当にあともうちょっとだったんだ。これぐらいはセーフだろう。

 するとリゼも特に怒ったりするでもなく、顔を少し赤らめて礼を言う。

 

「あ……ありがとう」

 

 そんなリゼに有宇はニヤッと笑いかける。

 

「これでお前も共犯者な」

 

「なに!?」

 

「さて、じゃあさっさと帰るか」

 

 そう言ってリゼに背中を向けて出口に向けて有宇は歩いた。リゼはそんな有宇の背中に、笑みを浮かべる。

 

「……仕方ないな。今回だけだぞ」

 

 そう言ってリゼは有宇の背中を追う。このときのリゼには、台を蹴ったことよりも、自分のために必死になってくれた有宇の心意気が嬉しかったのであった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「すっかり遅くなっちゃったな」

 

「そうだな」

 

 ゲームセンターからの帰り道、来る前と同様に辺りに人の気配はない。それどころか夜になったせいで、辺りは来る前よりも暗くなり、おまけに電灯すらついていない。そのせいで不気味さはゲームセンターに入る前より、よりずっと増していた。

 来る前は威勢の良かったリゼも身を縮めて、有宇から貰った人形を強く抱きしめて震えていた。

 

「もしかしてだけど怖いのか?」

 

「べ、別に怖くなんてないぞ!」

 

「そうか」

 

 そう言うと有宇は足を早める。

 

「ああ待て!頼む、一人にしないでくれ〜!」

 

「最初から素直にそう言えよ」

 

 こいつ、普段は威勢いいくせに、こういうとこビビリなのな。

 すると、リゼは今更になってゲームセンターで遊び過ぎたことを後悔し始めた。

 

「うう……こんなことならもっと早く店を出るべきだった」

 

「そうだな。ていうかこの辺り、ゲーセン入る前から真っ暗だし人気もなかっただろうが。気にならなかったのか?」

 

「いや、知らないところを探検するのが楽しかったから……」

 

「どんだけ探検ごっこが好きなんだよ……」

 

 ガキじゃないんだから。こいつ、もっとこうできる女感ある奴じゃなかったか?ココアの周りの中じゃ一番の年上だし、頼りがいのある大人らしい人間、そう思っていたんだが、こういうところ意外と子供っぽいのな。

 好奇心は意外と旺盛で、ゲーセンとかの遊びになれば大はしゃぎ。おまけにお化けが苦手ときたもんだ。……まぁ、僕も霊とかそういうのは得意な方ではないけど。

 だがラビットハウスに来て暫く経つのに、割と知らない一面が見つかるもんだな。だからどうというわけではないが。

 するとリゼはこんな話をする。

 

「私が特別探検好きってわけでもないと思うけどな。ほら、うちの街には子供の遊びにシストの宝探しっていうのがあるし、この街の子供はみんな街を歩き回るのは好きなはずだぞ」

 

「シスト?なんだよそれ」

 

 初めて聞いた名前だな。そんなものがこの街にあるのか?

 

「ああ、シストっていうのは要は宝探しゲームだよ。宝箱に宝物を入れて、それを街に何処かに隠し、更にその隠し場所の書かれた謎解きの地図も、同様に何処かに隠しておくんだ」

 

「えっ、地図も隠すのか?それじゃあ見つけられないじゃないか」

 

「だから地図を見つけられた人だけに、参加する権利があるってことだよ。子供の頃は街中の地図を探して、そしてその地図の宝物を探し歩いたんだ」

 

「うわっ、面倒臭そうだな……」

 

 地図を見つけても、今度はその宝の地図を見つけなきゃいけないんだもんな。おまけに謎解きときたもんだ。面倒なんてレベルじゃない。

 にしてもあれか、リゼがこんなに街を歩き回るのが好きなのもその遊びのせいなのか。いや、でも同じこの街の人間であるシャロ達はそんなことないしな。やっぱ単純にこいつが子供っぽいだけだろうな。

 リゼの話を聞いてそんなことを考える。にしてもと有宇は改めて辺りを見回す。電灯すらついておらず、僕らはリゼの持つ携帯の明かりだけを頼りに歩いているようなこの状態。明らかにおかしすぎる。やはり僕等は神隠しにでもあったのではないか?

 人気もなく、まるでこの辺りだけ街が死んでいるようだ。或いは他に例えるならそう……。

 

「まるで石の街だな」

 

 思わず一言そう漏らした。

 

「突然どうした。石の街?」

 

 リゼが突然出てきたその言葉に首を傾げる。

 

「例えだよ。なんかほら、まるでこの辺りだけ時間が固まったように何も起こらない。おまけに人っ子一人いない。石にされたみたいじゃないか?」

 

 石の街……自分で言っておいてあれだが、言い得て妙だな。まさに今のこの辺りの様子に相応しい例えじゃないか?

 するとリゼもそう思ったのか、こう言った。

 

「ああ、まぁ確かにそんな感じだよな。にしてもお前結構詩的なんだな」

 

 詩的か……悪くない。

 リゼに詩的と言われたことが嬉しかったのか、有宇は機嫌を良くして天狗になる。

 

「ふっ、クールな僕にピッタリだろ?」

 

「あ、ただのナルシストに戻ったな」

 

「なんだと!!」

 

「ハハッ、悪い悪い」

 

「……ったく」

 

 せっかく詩的と言われて機嫌を良くして天狗になっていた有宇も、今のリゼの一言ですっかり気分が冷めてしまった。

 そんなこんなで、二人で話しながら歩いていると、ようやく路地の出口に差し掛かる。

 

「お、ようやく出れるな」

 

「出れないかとヒヤヒヤしたよ」

 

「んな大げさな」

 

 そして路地を出ると、街灯の灯りが差し込む。夜なのでそこまでじゃないが、人の姿もちらほらと見えている。

 

「まるで異世界から抜け出した気分だな」

 

「まぁそんな感じだな」

 

 どっちかというと神隠しに近い気もするが。まぁそれだけさっきの場所が異世界といっても過言じゃないくらい異質に見えたのは同意だが。なんにせよ、無事こうしてちゃんと戻れてよかったよ。

 

「それじゃあここいらで解散するか?」

 

「そうだな」

 

 そしてここでリゼとは別れようとする。もう時間も遅いし、チノ達も夕飯の準備に、既に取り掛かってることだろう。

 しかしその時だった。解散しようとしたその矢先、この街に来てからは聞かなかったバイク音とかの騒がしい音が二人の元まで聞こえる。

 

「何だ?」

 

 そして二人で音のする方に行ってみると、何やら夜の広場で、いかにも不良といった容貌のカラフルな頭をした若者達(クズども)(たむろ)していた。

 反射的にすぐそこの草むらのところに、二人してしゃがんで隠れる。

 

「……この街にもあんな奴らがいたのか」

 

「いや、おそらくバイクで他のところからやって来たんだろう。偶にああいうバカどもが来るんだ」

 

「ふーん」

 

 ミツバチ族みたいな感じだろうか?未だにああいう連中がいるとはこの辺も物騒だな。いや、でもうちの地元にも柄悪そうな奴らは結構いたな。

 そして連中の様子を伺うと、ゴミを散らかしているのはもちろんのこと、通り掛かった人にも突っかかったりしているのが見て取れる。更によく見ると、金を強請っているのも見受けられた。

 どうやらただの騒がしい連中ってわけではなさそうだ。関わると非常にまずい気がする。絡まれる前に僕等もここを離れた方がいい。

 

「おい、もういいだろ。さっさと帰ろうぜ」

 

 有宇がそう言って、この場を離れることを忠告する。しかし何故かリゼは動こうとしなかった。

 

「おいリゼ」

 

「何してんだお前らこんなところで」

 

 すると、いつの間にか不良連中の一人が、二人の後ろに立っていた。

 クソッ、こいつがグズグズしてるから!

 

「いえ、僕達はたまたま通り掛かっただけで……」

 

「んなことどうでもいいんだよ!それより金貸してくんね……って何だ、結構イカした女連れてるじゃねえか色男。よし、じゃあ金と女置いてさっさと消えろ。でないと……わかってるよな」

 

 不良は指をボキボキ鳴らして迫ってくる。

 クソッ、やっぱりこうなるか。だがここで素直に金を出す僕じゃない。今からでも僕の能力を使ってこいつをなんとかすれば、逃げる時間ぐらいは稼げるだろうし、さっさと逃げよう。

 そうと決まったら早速リゼにそっと耳打ちする。

 

(おいリゼ、逃げるぞ。僕が時間を稼ぐからお前はダッシュで逃げろ。いいな)

 

 有宇がそう言うと、リゼその場では立ち上がった。

 よし、それじゃあさっさと逃げるか。リゼの前だが緊急事態だ。力を使って……!

 だがリゼは逃げようとはせず、持っていた人形を有宇に投げ渡した。

 

「リゼ……?」

 

「有宇、お前は逃げろ。私はこいつらを片付けていくから」

 

「なっ……!?」

 

 なんと、リゼはこの不良達と一人で闘うと言い出したのだ。何を言い出すかと思えば、何考えてんだよっ!?

 

「片付けるって……バカ!何言ってんだ!お前の腕っぷしが強いのは知ってるが、あんな大勢相手にできるわけ無いだろ!」

 

 確かにリゼは強い……と思う。学校での運動神経もピカイチらしいし、何より軍人の娘ってぐらいだしな。よくわからんがマヤの話によると、CQCとかいう武術も(たしな)んでいるらしいし、そこらの男なんかには負けない腕っ節の強さはあると思う。

 それにリゼには銃がある。本物ではないと思うが、モデルガンでもそれなりの威力はあるはずだ。どうせ改造とかしてるだろうし。それだって対人戦では役に立つはずだ。

 だが相手が悪すぎる。向こうは喧嘩慣れしてるだろうし、数だって十人以上いる。一対一ならまだしも、いくら何でも無茶だ。

 しかし、有宇の必死の制止の言葉には耳を貸さずに、リゼはこう言った。

 

「うちの家はな、この街の治安維持の為の警護の仕事もやっているんだ。だから、天々座の人間としてこの屑共を見過ごすわけにはいかない」

 

 リゼがそう言うと、屑共と言われて苛ついたのか、不良がキレる。

 

「あ゛このアマ、今なんつった!?」

 

 なに挑発してんだよこいつは!?

 とにかく他の連中に気づかれる前に止めさせなければ!!

 

「んなもん後であのクソ親父に言いつけておけばいいだろ!?いいから逃げるぞ!」

 

「でもその間にも今金を強請られた人みたいな犠牲者が出る。だから、お前は行け」

 

 こいつマジで言ってんのかよ……バカバカしい、付き合ってられるか!

 有宇はリゼを止めることを諦めた。本当ならこいつ見捨ててさっさと逃げ出していたところを、散々見捨てずに呼びかけてやったっていうのにこの女ぁ……。

 

「あぁそうかよ、じゃあもう勝手にしろ!」

 

 自分の言うことに耳を貸さないリゼに痺れを切らし、有宇は自分一人で逃げることにした。

 だが逃げようとする間際、リゼが有宇の方を振り返って呼び止める。

 

「あぁ、そうだ有宇」

 

「何だよ!」

 

 するとリゼは優しく笑みを浮かべる。

 

「今日は楽しかった。ありがとな」

 

「……」

 

 有宇は何も答えず、そのままダッシュで走ってその場から逃げ出した。

 

「あ゙っ!?この野郎……待ちやがれ!!」

 

 不良が逃げ出した有宇を追いかけようとする。しかし、その不良の前にリゼが立ち塞がる。

 

「いいのかよ、彼氏逃げちまったぜ?」

 

「別にあいつは彼氏じゃない。それにお前達の相手は私一人で十分だしな」

 

「んだよお前、マジで俺達とやるつもりなのかよ」

 

「女だからといって舐めない方がいいぞ。本気でかかってこい」

 

「上等だゴラァァァ!」

 

 不良がリゼに殴りかかる。しかしリゼはそれを敢え無くいなし、思いっきり腹に重い一撃を喰らわす。

 

「……ガハッ!」

 

 そして、不良はその場で倒れる。騒ぎを聞きつけ、広場にいた仲間たちもやってくる。

 

「なんだ、これは……」

 

 不良達の眼前に立ちはだかるのは美しい少女が一人。その側に味方が一人転がっていた。

 不良達はその異様な光景に恐怖し、一歩後退る。そして少女は不良達を睨みながらこう呼びかける。

 

「さぁ、怪我したい奴からかかってこい」

 

 

 

「ったく……あいつ……バカじゃねえのか……」

 

 一方、有宇はひたすら走って逃げていた。今までの人生でこんなに走らなかっただろうというぐらい全力で走った。

 

「ハァ……ハァ……もう大丈夫か……?」

 

 後ろを振り向くと人の姿はなく、どうやら追手は来ていないようだ。追手が来ていないことを確認すると、近くにあったベンチに座り込む。

 にしてもこれからどうする。店に帰るか?ていうか、もうそれしかないか……。

 確かリゼの親父が、タカヒロとマスターのことを呼び捨てにしていた。リゼ自身も確か、あの親父の紹介であの店で働き始めたらしいし、マスターにこの事を言えば、リゼの親父に動いてもらえるだろう。

 ただ一つ問題がある。リゼの親父にリゼを置いて逃げたことを知られたら今度こそ殺されるんじゃないか?わざと胸を触ったわけじゃなかったのに、僕のことを殺しにかかるような親父だぞ?殺されるかもしれない……。

 じゃあ黙ってるか? いやダメだろ。いくらリゼが強いからといって、あの数を相手にするのは……。

 それにあの中にもぱっと見、かなり強そうな奴も数人いたしな。相手が複数のことも含め、まず勝てないだろうし助けは必要だろう。

 しかし……。

 

「クソッ、どうしろってんだよ……」

 

 このままじゃリゼがボコボコにされて犯されるか、リゼの親父に助けを求めて僕が殺されるかのどちらかだ。クソッ、なんでこんなことになってんだよ。 あのままあそこで解散していればこんなことにならなかったのに……。

 いや、でもそうだ、リゼは僕に逃げろと言ったんだ。なら別にこのまま見捨てても……。リゼの親父だって、リゼの願い通りに動いた僕にどうこうすることは……いやダメだ、そんなのはもう午前中の一件でわかったことだろ。 そんなことを素直に聞く親父じゃない。

 そもそも今から助けを求めて間に合うのか?もうリゼは今頃全員とタイマン張ってるだろうし、今から助けを求めてもどの道間に合わないんじゃないか?

 じゃあどうすればいい……どうすれば……。

 

 選択を責められ、ただ困惑するしかなかった。すると有宇の中に第三の選択肢が浮かぶ。

 いや、あるにはある……あるじゃないか!僕が今からダッシュで戻って、能力を使えば助けられないこともないんじゃないか?今までだってそう、能力の活用を模索してたときだって、腹いせに不良の一人に乗り移って、仲間内させて憂さ晴らししたこともあったじゃないか!

 それに、これならリゼの親父にも、リゼを見捨てて逃げたことも隠せるかもしれない。それでいてリゼを助けられるかもしれない。

 しかし、そこまで考えてすぐに不安が頭を過ぎる。

 いや、だがそううまくいくだろうか。他人に乗り移ってる間、僕の体は無防備だ。相手が数人程度ならまだしも、相手は十人以上いた。

 もし僕が乗り移ってる間に、誰かに僕の無防備な体が発見されれば間違いなくやられる。そりゃクズ共に乗り移って憂さ晴らししたことぐらいはあるが、喧嘩に使ったわけじゃないし、あまりにもリスクが大きい。

 

 そして有宇には更に、不安に思うことがあった。そもそもの話、僕は今、あの力を使えるのか?

 有宇の中にあった不安。それはリゼの親父に能力が使えなかったことだった。

 僕があの親父に乗り移れなかったのは、単に僕が能力を失ったからじゃないのか?もしそうなら、リゼの元に駆けつけたところでなんの役にもたたないどころか、死にに行くだけだ。

 実験したくても、夜で他に人がいないしな。だが今もこうしてる間にあいつが……。どうする、このままリゼを見捨てて逃げるか。それとも僕が……。

 再び選択を迫られる。リゼを見捨てるか、それとも自分が助けに行くか。もう考えてる時間はない。だが……。

 有宇が悩んでいるその時だった。手に持っている人形になんとなく視線を移す。すると────

 

『今日は楽しかった、ありがとな』

 

 不良達から逃げる間際、リゼが自分に見せたあの笑顔が頭に浮かんだ。

 僕は……僕は……!

 

「……クソッ!」

 

 気づけば有宇は来た道をダッシュで駆け戻っていた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「ハァ……ハァ……なかなか手こずらせてくれたじゃねぇかこのアマ」

 

「くそッ……離せ!」

 

 リゼの方は敵に取り押さえられピンチを迎えていた。とはいえ大分健闘し、十人以上いた不良達も今じゃ六人程度しか残っていない。それ以外のメンバーはリゼに倒され戦闘不能となっている。

 しかし流石にこれだけの数を相手にしているため、僅かな隙を突かれて後ろから大男に羽交い締めにされ、更に別の男に足まで抑えられてしまい、(のが)れようがなかった。

 

「さて、手こずらせてくれたんだ。たっぷり楽しませてもらうとするか」

 

 不良たちのボスらしき男が、リゼにいやらしい視線を向けて迫ってくる。

 

「くっ……」

 

 リゼも流石にここまでか……と覚悟したその時だった。

 

「ぐわっ!」

 

 リゼを羽交い締めにしていた男が突然うめき声を上げる。

 チャンスと思い、リゼは自由になった腕で思い切り、足を押さえつけていた男を殴る。

 

「はっ!」

 

 バキッ!

 

「へぶしっ!」

 

 そうして自由の身になると、素早く男達から距離を取る。すると、自分を羽交い締めにしていた男に何があったかを悟った。

 大男の背中にナイフが刺さっていた。しかもそれを刺したのは、仲間であるはずの別のメンバーだったのだ。

 

「てめぇ……」

 

「お、俺じゃない!か……体が勝手に……!」

 

 何だ、仲間割れか?このタイミングで?一体何が……。

 リゼが目の前の光景に疑問を抱いている間にも、更に不思議なことは立て続けに起きる。

 

 ガンッ!

 

「グハッ!」

 

 今度はナイフを刺した男が別の仲間に鉄パイプで殴られていた。

 

「何やってやがるてめぇら!」

 

 ボスの男が仲間達に怒声をとばす。だが仲間達の仲間割れは止まらず、メンバー同士が喧嘩し始めた。

 突然のその事態にボスの男は警戒する。そしてボスの男自身も疑心暗鬼に陥り、仲間が近づこうものなら一発入れていった。だがしかし……。

 

 ブスッ

 

 警戒の甲斐無く、ボスであるその男は突然、自分の太ももに向かって、持っていたナイフを突き刺した。

 

「ぐわぁぁぁぁぁ!!」

 

「ひぃぃぃぃぃ!!」

 

 そしてボスが倒れたことによって、残った不良たちも目の前で起こる謎の現象に恐怖し、パニックに落ちた。

 

「おい待て、てめぇら……逃げる気か」

 

 更に地面に(うずくま)るリーダーの静止を聞かずに、残った不良達は皆バイクに一目散に乗って、リーダー含む動けないメンバーを残して逃げていった。

 だがバイクに乗って逃げたメンバーにも悲劇が訪れる。バイクに乗った内の一人が突然他のバイクに急に幅寄せをし、そのせいで逃げたメンバーも全員見事に事故ってバイクは炎上、逃げたメンバー達の悲鳴や断末魔が辺りに鳴り響く。

 

「くそっ……な、何が起こってやがる」

 

 ナイフによる激しい痛みで地面に蹲るボスの男にリゼが近づく。

 

「た、頼む……助けてくれ……死にたくない」

 

 ボスは近づいてくるリゼに命乞いをした。そこにさっきまでの威勢の良さは最早無かった。

 

「助けを呼んでやってもいいが、もう二度とこんな真似するな。いいな」

 

「わかった!だから……助けてくれ……!」

 

 男が涙を流しながらそう言うのを確認すると、リゼは携帯で救急車と警察を呼んだ。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「上手くいったようだな」

 

 有宇は広場にいる不良達をギリギリ視認できる距離にある建物の影に隠れていた。そう、不良達に立て続けに起きた謎の現象は有宇の能力によるものだった。

 全力疾走で現場に戻った有宇は、リゼが羽交い締めにされているのを見つける。そしてすぐに、リゼ達の側にいた男に乗り移った。そしてその手に持つナイフで、リゼを羽交い締めにしている男を刺したのだ。

 これで自分の能力が失われたわけじゃないことを確認すると、同じ要領で次々と他の不良達に乗り移り自滅させた。

 リーダーの男は流石に手強かった。他のメンバーに乗り移ってから攻撃を加えようとしたが、近寄らせまいとぶん殴られてしまったのだ。自分の体は傷つかないとはいえ、流石に痛かったな。

 仕方ないので、リーダー本人に直接乗り移って自滅させたのだ。流石に乗り移った体に自分でナイフを刺すのは、激痛が一瞬とはいえ走るので、結構覚悟がいった。しかし状況が状況なので、覚悟を決めて乗り移って実行に移した。

 結果的に無事成功したようで何よりだ。だが勿論そこで終わりじゃない。

 リーダーの負傷を受けて、残党が一斉に逃げ出した。見逃すこともできたが、散々面倒かけさせられたしな。誰一人として逃がす気はなかった。そして綺麗に横に並列してバイクを走らせてるものだから、一番端を走るメンバーに乗り移って、隣の奴に思いっきり幅寄せてしてやったら、まぁドミノ倒しみたいに事故る事故る。これにて一網打尽というわけだ。

 にしてもこの能力、結構喧嘩にも使えるのな……覚えておこう。ていうか能力が消えたわけじゃないのに、なんでリゼの親父には能力が使えなかったんだ?

 こうして能力は自分の中に健在していることは確認できた。では何故あの男には能力が通じなかったのだろう。

 疑問に思うものの、それに対する答えは浮かばなかった。

 まぁもう今更どうでもいいか。さて、後はもう大丈夫だろうしさっさと帰るか。リゼに見つかると面倒なことになるしな。

 そして、有宇はそのままその場を立ち去ろうとした。しかし……。

 

「有宇!」

 

 立ち去ろうと現場に背を向けたその時、背後にリゼが立っていた。

 しまった、見つかってしまった。不味いな……能力のこととか面倒なこと聞かれる前に誤魔化さないと……。

 

「よ……よう、やっぱ心配になって戻ってきたんだが、大丈夫そうで何よりだ。流石軍人の娘……」

 

「有宇!」

 

 だがリゼは有宇の言葉を遮り、声を強めてそう有宇の名前を呼んだ。流石の有宇も思わずビクッとする。

 

「な、何だよ……」

 

 そして、リゼは驚きの言葉を口にした。

 

「お前……超人なのか」




次回の話は少しRewriteのネタバレ的なことを含みます。
Rewriteの原作ゲーム、又はアニメを見ていない方でネタバレが嫌な人はそちらを先に見ておくことをお勧めしておきます。予めご了承ください。
因みにお話の中で出てきたブラバことBright Bunnyは、ごちうさの8巻に出てくるカフェです。この「幸せになる番」という話では『ブラバ=スタバ』と考えて頂ければと思います。


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第13話、超能力者について語ろう

前回も言った通り、今回は少しRewriteのネタバレ的な内容を含みます。
まだRewriteをプレイしていない、またはアニメを見ていないという方でネタバレが嫌な方はそちらを先に見ていただくのをお勧めします。


今なんていった?

超人?超能力者のことか?

いや、なんだっていい。とにかく誤魔化さなければ。

 

「な、なんのことだ?あれはその……僕の催眠術だ。前にマヤから聞いただろ。催眠術であいつらをおかしくしてやったのさ」

 

「そうか、だけど私はさっきの現象がお前のせいだとは言ってないんだけどな」

 

「……!」

 

しまった、墓穴を掘った!?

リゼは依然として厳しい視線を有宇に向ける。

だが超能力のことを話すわけにはいかない。

超能力者であることが知られていいはずがないのだから。

有宇が沈黙を決め込むと、リゼがハァと息を吐き表情を和らげる。

 

「心配しなくてもいい。私は能力者に関しては理解がある人間だ」

 

「なに!?」

 

超能力を知っている?

どういうことだ?

するとパトカーやら救急車やらのサイレンの音が聞こえてくる。

 

「おっと、面倒なことになるとあれだし、とりあえず場所を変えるか。行こう有宇」

 

「あっ、おい!」

 

そしてリゼは有宇の手を取り走り出し、有宇もリゼに引っ張られながら走ってその場を離れた。

 

 

 

 

 

しばらく走って、現場から距離を取ると、近くのベンチに座る。

 

「ここまでくれば大丈夫かな」

 

「なぁ、逃げた方がまずいんじゃないか。一応参考人なわけだし……」

 

「大丈夫、後で親父になんとかしてもらうから」

 

なんとかって……いくら金持ちでも普通そんな事できねぇだろ。

 

「……それはさっきの話と関係あることか?」

 

有宇がそう言うと、リゼの顔が再び神妙な顔つきになる。

 

「私の親父は……表向きは軍人だが、いや本当に軍人ではあるけど、ただの軍人じゃない」

 

「……能力者ってことか」

 

「そうだ」

 

リゼははっきりとそう返す。

だがさらにリゼは驚きの事実を話す。

 

「親父は……能力者の組織──守護者(ガーディアン)の海外軍事派兵部門の元特殊部隊隊長で、今はガーディアンジャパンで指揮をとっている実質的な最高責任者だ」

 

「ガーディアン?待て、お前の親父が超能力者だという話ではないのか?他にも超能力者がいるのか?」

 

何が何だかわからなかった。

話が思ったよりもぶっとんでいたため頭が混乱した。

 

「そうだな、まずはガーディアンについて話そうか」

 

そしてリゼは語りだす。

 

「ガーディアンは超能力者達をスカウトし、表沙汰にできない問題などを秘密裏に解決する世界的に活動している組織だ」

 

「世界中に!?そんな組織があるなんて聞いたことないぞ」

 

「秘密裏って言ったろ。表向きには民間軍事会社とか色々な名目で通っているからな。最も、やってることはそんなに変わらないけどな」

 

「なら必要ないんじゃないか?超能力軍隊なんて」

 

「いや、超人でしか解決できない問題だってたくさんあるからな。寧ろ必要不可欠だ」

 

「例えば?」

 

「同じ超能力者でも全員がガーディアンに属しているわけじゃない。問題を起こす輩もいるってことだ。そういった連中をなんとかできるのはガーディアンしかいない」

 

成る程、目には目を、超人には超人をってことか。

さらにリゼはこんなことも付け足す。

 

「それに軍事事業だけじゃない。ガーディアンは世界経済への影響力もある。ガーディアンなしに世界は成り立たないだろう」

 

「世界経済まで握ってるのかよ…」

 

もう話がでかくなりすぎて何が何だか…。

まぁけど要するに……。

 

「要はお前の親父はそこの日本支部のトップで、だから娘のお前も超能力のことを知ってるということか」

 

「そうだ、信じられないか?」

 

「いや……」

 

確かに信じ難い話ではあるが、作り話にしては出来すぎている。

それにリゼの態度はこちらを謀るようなものではないし、マジなんだろう。

だが……。

 

「三つ聞きたいことがある」

 

「何だ?」

 

「まず一つ、お前は能力者か」

 

まず疑うべきはこれだろ。

父親が超能力者なんだし、そんな重要そうなことを知ってるぐらいだ。

それにこいつの運動神経、能力者でない筈がない。

 

「違う。私は能力者じゃない」

 

「そうか、やっぱり……え、違うのか?」

 

「そんな不思議なことか?別に能力は遺伝しないぞ?」

 

「いや、それはそうなのかもしれないけど……」

 

いやいやいや、話の流れ的に能力者なのかと思ったぞ!

ていうか逆にこの流れで能力者じゃないっておかしいだろ!

 

「そうだ!あの身体能力はどう説明する!あれは常人じゃ無理だろ!」

 

「いや、あれぐらい普通に鍛えたらできるだろ。ともかく私に関しては普通の女子高生だから信じろ」

 

「普通の女子高生が数人相手に立ち回れるか!」

 

なんてこった、あの強さで常人なのかよ……。

 

「それに、私が超人だったらあいつらなんかまとめて皆殺しできるだろうしな」

 

本当にやりそうで怖えよ……。

 

「それで、二つ目はなんだ?」

 

「えっと、ガーディアン超能力者の集まりなんだろ。ならなんでお前の親父は僕を後継者にしようとした。僕が能力者であることは知らないはずなのに何故普通の人間を後継者にしようとしたんだ」

 

そう、普通の軍隊ってことなら鍛えりゃなんとかなるかもしれないが、僕のこのクソ能力でも余裕で不良どもを圧倒できたんだ。

能力者と一般人じゃ比べ物にならないぐらいの力の差があるはずだ。

能力者組織のボスの後継者に一般人がなれるはずがない。

なのになぜ一般人の(正確には一般人と認識している)僕をスカウトしようとしたんだ。

 

「簡単な話だ。有宇、お前が超能力者じゃないかと親父はお前をマークしていたからだ」

 

「何!?」

 

マークしてただと!?

いつから?

するとリゼはさっきまで普通に僕の問に対して答えていたのに急に困ったような表情を見せる。

 

「どうした?」

 

「えーとだな、これチノには絶対言うなよ」

 

「?」

 

チノ?

なんで今チノが話に出てくるんだ。

取り敢えず話が進まないので軽く頷く。

 

「実はな……ラビットハウスには盗聴器が仕掛けられていてだな……それで親父はマヤの話を聞いてお前が超能力者じゃないかってマークをつけたみたいだ。強引にお前を捕まえたのも本当に超能力者か見極めるためだったみたいだ」

 

「成る程……って盗聴器だと!?勝手にそんな……お前、それ犯罪だろ!?」

 

あの店にそんなもん仕掛けられてたのかよ!

プライバシーのへったくれもないじゃないか!

 

「落ち着け。まぁ私もどうかと思うが仕方ないんだ。それにちゃんとした理由もあるんだよ」

 

「理由?」

 

盗聴を正当化できる理由ってなんだよ。

 

「私の親父とチノのお父さん──タカヒロさんはかつて戦友だったんだ」

 

「戦友……」

 

そういやリゼの親父もマスターのことをタカヒロと呼び捨てにしていたっけ。

あれってそういうことだったのか。

いや待て、てことはつまり……!

 

「マスターも能力者なのか!?」

 

「そうだ、タカヒロさんも元ガーディアンの戦闘員だ。しかも元々親父の役職はタカヒロさんがなる筈だったんだ」

 

「マジかよ……」

 

しかもリゼの親父ってさっき最高責任者とかどうとか言ってたよな。

てことはリゼの親父以上の手練ってことじゃないか!

いや、更に言えばあの豪邸に住んでいたのはリゼの親父じゃなくてマスターだった可能性もあるってことだろ!?

なんてこった!

 

「いや、でもそれが盗聴と何の関係があるんだよ?」

 

「……タカヒロさんはある時、ガーディアンを突然辞めると言ったんだ。だけどガーディアンの掟でガーディアンを辞める際には記憶除去の手術を受けなくちゃいけない」

 

「記憶除去だと!?」

 

「ガーディアンの秘密は絶対厳守だ。外部に万が一でも漏れたら大変だからな。でもまぁ手術と言っても今は記憶を簡単に消せる能力を持つ若い新人が入ったとかで今はやってないみたいだけどな。昔の話だ」

 

いや、そんなことはどうでもいい。

じゃあマスターは……。

 

「マスターは昔のことは覚えてないのか?」

 

「安心しろ、うちの親父が当時のガーディアンジャパンの実質的に最高責任者だった江坂宗源という男に掛け合ってなんとか記憶除去は免れたらしい」

 

「そうか……」

 

少し安心した。

流石に基本他人に情を持たない有宇でも、流石に自分が世話になってる人間が不憫な思いをするのは感じが悪い。

 

「その代わり、交換条件として親父はタカヒロさんの監視役を任された。その過程でラビットハウスには今も盗聴器が埋め込まれているんだ」

 

そういうことだったのか……。

正に人に歴史ありだな。

まさかマスターにそんな過去があったなんて……。

 

「でも何でマスターはガーディアンを辞めたんだ?ボロい喫茶店のマスターなんかやるよりそっちの方が儲かるだろうに」

 

僕なら確かに命かける仕事なんかやってられないが、超能力者集団の最強にまで登りつめたマスターが何故やめたのだろう?

 

「さぁな……ただガーディアンは一応正義の味方ってことにはなってるが、綺麗なことばかりやってるわけじゃないからな。どんなに実力があってもそれで辞めていく人はいるから、タカヒロさんもそうだったのかもな」

 

綺麗なことばかりやってるわけじゃない……ね。

まぁそんだけでかい組織なら裏があったっておかしくないもんな。

僕らには到底理解できない理由がきっとあったんだろうな。

 

「それで有宇、三つ目は?」

 

「ん?あぁ、三つ目は……これから僕はどうなる」

 

これが一番重要だ。

僕は超人だということがバレてしまったわけで、しかもさっきの話だとガーディアンは能力者をスカウトしていると言っていた。

しかもリゼの親父は後継者を探していたし、僕もガーディアンに入れられるのだろうか?

それだけはなんとしてでも避けたいところだ。

 

「安心しろ、これまで通り生活してくれていい。それにさっき言ったスカウトだって別に強制じゃないしな。それに私から見てもお前はガーディアンには向いてないし、友達を戦場に送るなんてマネはしないさ」

 

「そうか……」

 

それを聞いてホッと安堵する。

もしガーディアンに強制的に入隊させるなんて言おうものなら、今すぐにでもこの街を出て逃亡を図るところだった。

だがリゼは更にこう言う。

 

「ただ有宇、親父にバレたらその時はそうじゃないかもしれない」

 

「どういうことだ、スカウトも別に強制じゃないんだろう?」

 

「さっきのタカヒロさんの話もそうだけど、ガーディアンは秘密に関しては絶対厳守の組織だ。入隊を断ることはできるけど、能力者だと知られた以上記憶除去か、数年に渡る監視付きになることは免れられない」

 

「……マジかよ」

 

「それだけ能力者は放置することはできない存在なんだ。もしかしたら自分たちの敵になるかもしれないしな」

 

僕普通にカンニングとかに使ってたけど、結構ヤバかったんじゃないか!?

 

「まぁ能力を使わず、それを仄めかすようなことを言わなきゃバレないはずだ。安心しろ」

 

「あぁ……」

 

しかしそんなこと言われてもすぐに安心できねぇよ……。

別にもうこんなクソ能力使おうとは思わないけど、今回みたいな万が一があるからな……。

しかも、もうこいつの親父にマークされてるわけで、それでバレたらって思うとそうやすやすと安心できるかよ。

 

「それより有宇、今度は私の質問にも答えろ」

 

「あ、あぁ」

 

正直三つとは言ったけど、まだ他にも聞きたいことがあったのだが。

まぁそれはまた今度でいいか。

 

「改めて、お前は能力者か?」

「……そうだ」

 

今度はちゃんとそう答えた。

 

「そうか、因みに能力は?」

 

「なに、他人に五秒間だけ乗り移れるってだけのクソ能力だ。大した能力じゃない」

 

そう言うとリゼはその場で考え込むような仕草をみせる。

 

「何だよ」

 

「いや、普通超能力は三つに分かれる。狩猟系、伐採系、汚染系の三つにな」

 

「何だそれ?」

 

「大体イメージ通りだと思うが狩猟系は狩猟技術──つまり飛び道具に関系する能力のことだ。銃器がある現代だとある意味一番強いともいえる。うちの親父なんかもこのタイプだ。そして伐採系は切断技術に秀でている能力だ。狩猟系が遠距離なら伐採系は近接戦闘のプロフェッショナルだ。ただ銃器がある現代だとそれ程活躍の場はないかもな。最後が汚染系、これは体の体液を操る能力だ。体内で物質を生成したり、色々とトリッキーな能力が多い。でだ、お前が今言った能力はそのどれにも当てはまらないから変だと思ってさ」

 

成る程、超能力者にも分類分けがあるのか。

 

「けど嘘は言ってないぞ。なんなら今ここてお前に乗り移ってやってもいいぞ」

 

「別にいいけど、私に乗り移ったら証明できなくないか?」

 

「ん?そうだな。じゃあ乗り移って……服でも脱いでやるか?」

 

「やったら殺すぞ」

 

「……すいませんでした」

 

冗談だっていうのに本気にするなよ……。

そしてリゼはあることに気がつく。

 

「そういえばこの前、お前がここに来る前の事を話した時、カンニングの方法は企業秘密だとか言ってたけど、もしかして……」

 

気づいてしまったか……。

有宇は半ば逆ギレするように答える。

 

「あぁそうだ、この能力でカンニングしまくったんだよ!それで頭のいいやつに乗り移りまくって良い点取ってたんだ!悪いか!」

 

「いや、別にもう今更だけど……セコいことに能力使うなお前……」

 

「ほっとけ!」

 

「にしてもそれじゃあ学校の成績は保てても受験じゃ通用しなくないか?受験会場なんてみんな知らない人だろうし」

 

「はっ、僕を甘く見るな!皆が勉強している間、僕は行けるだけのありとあらゆる有名塾に潜入して頭のいい学生の情報を仕入れ、彼らがどこの高校を受けるかまで徹底的に調べてから挑んでやった」

 

「その時間を勉強に回せよ!」

 

「?なぜ僕がそんなことしなきゃならん」

 

「受験生だからだろ……ハァ……」

 

有宇のクズっぷりに手に頭を当て、若干うんざりするリゼであった。

するとその時、リゼが何かに気づいたのか有宇にこんなことを聞く。

 

「有宇、お前さっき私の身体能力を見て能力者だと判断したんだよな」

 

「そりゃまぁな、普通あんだけ戦えるやつなんかいないだろ」

 

「お前、身体能力はどれほどだ?」

 

「平均並だ。別に悪くはないと思うが、かといって特別いいわけでもない」

 

するとまたリゼはその場で考え込んだ。

 

「なんだ、何がおかしい?」

 

「いや……普通能力者は狩猟系だろうが伐採系だろうが汚染系だろうが、どんな能力でも必ず身体能力は常人の10倍はあるはずだ」

 

「え、そうなのか!?」

 

するとリゼは近くにあった蓋付きのゴミ箱を持ってきて、蓋の上に腕を置いた。

 

「有宇、試しに腕相撲をしよう。本気でかかってこい」

 

「え?あ、あぁ……」

 

リゼにそう言われ有宇も腕を置いてリゼの右手を握る。

 

「それじゃあレディーゴー!」

 

ドンッ!

 

「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」

 

一瞬で敗北した。

腕が……腕が……。

 

「有宇……お前本当に弱いな……」

 

「お前が強すぎるんだよ!」

 

本当にこいつ強えよ。

これで超人じゃないって、こいつのいう超人てどんだけ強えんだよ。

あぁ、腕が痛い……。

 

「しかしこれだと有宇に能力があるのが説明つかないな……。ガーディアンの知らないタイプの能力者がいるということなのか?」

 

「知らねぇよ!僕はこの力でカンニングしまくっただけで他にはなんにもないからな……もういいだろ」

 

「あ、あぁそうだな悪い。もう大分遅くなっちゃったし帰るか」

 

「あぁ、それじゃあまたな」

 

そう言って有宇はリゼに背を向けラビットハウスに向けて帰ろうとすると、リゼが後ろから声をかける。

 

「有宇!」

 

「ん、まだなんかあるのか?」

 

「その……さっきはありがとう。助けに来てくれて嬉しかった」

 

「……あぁ」

 

それを聞くと有宇はまたラビットハウスに向けて歩みを進める。

この時有宇の顔もリゼの顔も真っ赤だったことはお互い知りもしなかった。

 

 

 

 

 

「ほら有宇くん早く!」

 

「おい、ちゃんと前向いて走れ」

 

「そうですよココアさん。前向いてないと転んじゃいますよ」

 

「まぁココアらしいけどな」

 

昨日ココアとチノにゲームセンターのことを話したら行きたいと言いだしたので、今日はココアとチノを含めた四人でやって来た(因みにシャロと千夜はバイト)。

本来ならこいつら午後は店のバイトなのだが、マスターが午前から引き続き入ってくれたおかげでここに来れたのだ。

マスター……今日は僕も休みをもらってるから午前中からずっと一人で働き詰めとか……なんか申し訳なくなってくるな。

そしてこいつらはそんなことも気にせずにはしゃいでいた。

 

「にしても昨日有宇くん帰りが遅いから心配したよ。それに昨日はなんか悪い人たちが暴れてたみたいだし、何かあったんじゃないかと思ったよ」

 

「あぁ……悪いな」

 

「現場はかなりひどかったようですね。バイクの事故や乱闘騒ぎがあったみたいですけど、何故か皆さん口々に呪いだと言ってたそうです」

 

ギグッ!×2

 

「え、呪い?どういうことなの?」

 

「マヤさんの話によると、不良の人達の体が勝手に動いて仲間割れをしだしたり、とても強い女ファイターが襲ってきて幽霊のように消え去ったりしたとか」

 

ギクギクッ!×2

 

「えーなんか怖いね〜って有宇くんリゼちゃんどうしたの?」

 

「「いや…何でも…」」

 

間違いなく僕達のことだよな……。

体が勝手に動いたのは僕の能力、女ファイターの幽霊はリゼだろう。

幽霊云々のところは多分リゼの親父が、現場にリゼがいた事実を揉み消したためにそうなったのだろう。

 

「それよりも有宇くんとリゼちゃん昨日デートしてたんだってね。お姉ちゃんビックリだよ。いつの間にそんな仲になってたの?あ、二人が結婚したら私リゼちゃんのお姉ちゃんになっちゃうね」

 

「落ち着けって、別にそんなんじゃなくてだな……」

 

と言いかけたところでリゼの顔が少し赤くなっていたのに気づく。

そして有宇も昨日のことを思い出し、顔が少し赤くなる。

 

「お二人とも顔が赤いですよ」

 

とチノが指摘する。

ココアは「おやおやおや〜」と言いながらニヤニヤしている。

 

「そ、それよりそこの路地を入ってすぐだ。ほら行くぞ」

 

「話をそらされました」

 

「もう、テレ屋さんなんだから〜」

 

と二人に茶化されながら狭い路地を歩いていく。

今日は昨日と違い人の姿がいくらか見えた。

まぁ流石にずっと人がいないわけじゃないだらうけど……と歩いていくと驚きの光景が見えた。

 

「あれ?なぁリゼここって」

 

「ん?あっ……」

 

昨日ゲーセンの近くにあった日本式の潰れて廃屋になっていたボロアパートがなくなっていた。

代わりにそこには新しいこの街の景観に沿った西洋風の木組みのアパートが建っていた。

 

「どうなってる……?昨日の今日で建て直し?まさか……」

 

そして更に一同は先に進んでいったのだが、なんと昨日のゲームセンターがどこにも見当たらなかった。

 

「ゲームセンターなんてないよ?有宇くんリゼちゃん」

 

「確かにどこにもそれらしい建物はありませんね」

 

「確かにこの辺にあった筈なんだが……」

 

「なぁ有宇……あそこって全然人の気配なかったよな……もしかして」

 

「縁起でもない事言うなよ!んなわけ無いだろ!」

 

「でも店の中に店員一人すらいなかったっておかしくないか?」

 

「それは……」

 

「「……」」

 

二人は怖くなってその先は言わなかった。

あそこは本当に異世界だったのか、それとも僕らが見た幻なのか。

だがしかし、リゼの家には今もあのゲーセンで取った人形があり、僕らは確かにあのゲームセンターに足を踏み入れたのだけは確かな事実だ。




この「幸せになる番」というお話では、ごちうさ原作と違い、リゼ父達は自分たちがガーディアンという組織に属している事は秘匿し、表向きには自衛隊(タカヒロさんの場合はだった)として過ごしているというこの話オリジナルの設定になります。
ラビットハウスに盗聴器があるという設定は、ごちうさ原作の、ラビットハウスが雑誌に載る話から持ってきました。
一応これに合わせてRewriteのタグを付けるので、そこのところご了承ください。


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第14話、ラテアートに挑戦!

話はパン祭り前に戻る。

この日はココア一人でチラシ配りで、チノとリゼの二人と店にいた時のことだった。

 

「すみません」

 

客に呼ばれ有宇が接客に向かう。

 

「ご注文お決まりでしょうか」

 

「はい、カフェラテ下さい」

 

「畏まりました」

 

いつもはこれで終わるはずが、客は更に注文する。

 

「あ、あとこの店ラテアートやってるって聞いたんですけど?」

 

「……ラテアート?」

 

すると後ろのキッチンにいるリゼが有宇のフォローに入る。

 

「はい、大丈夫ですよ。何を描きましょうか?」

 

「じゃあ可愛い猫描いてください」

 

「畏まりました」

 

客の注文を聞くと、リゼは早速カフェラテを作り始めた。

 

 

 

 

 

客がいなくなった後、リゼが有宇に聞く。

 

「有宇、お前まさかラテアート知らないのか?」

 

「いや、それぐらい知ってるがこの店でそんなサービスやってるなんて聞いてないぞ」

 

誤魔化しているとかじゃなく実際そんなの初耳だし。

 

「父から聞いてませんか?」

 

有宇に店の仕事を教えたのはマスターなので、チノがそう聞いてくる。

 

「いや、マスターからもそんな事聞いた覚えは……」

 

するとチノがため息をする。

 

「はぁ、お父さん……。すみません父が……」

 

「いや、別にいいよ」

 

ていうか教えられる立場の僕がこういうのもあれだが、何でも完璧そうなマスターが教え忘れるなんて珍しいな。

 

「にしてもお前よくそれで今までやって来たな。ラテアート頼まれることなかったのか?」

 

「いや、別になかったけど」

 

「お兄さんのシフトは午前中で、お年寄の人が多い時間帯ですからそんなに頼まれないのかもしれませんね。私達の時間帯でもそんなに頼まれることはありませんし」

 

成る程、チノの考察は確かに合ってるかもしれない。

年寄りは見かけより味を重視してそうだしな。

それにここに通う年寄りの殆どが前のマスター

───チノの爺さんの頃から通っている人が多い。

チノの爺さんはコーヒーの味にこだわる人だったらしいから、本場イタリアではあまり好まれないアメリカ発祥のカフェラテとかはあまり好んで出さなかったかもしれないので、それもあるかもしれない。

 

「まぁ要はやり方とかはわからないんだろ?なら今お客もいないし、ちょうどいいから私達が教えるか」

 

「ああ、さっさと教えてくれ」

 

「お前……教えてもらう立場なのになんでそんな偉そうなんだ……。まぁいいけど」

 

まずはカフェラテを作る準備から入る。

マキネッタでエスプレッソを作り、ミルクパンで温めたミルクをミルクジャグに入れ、電動ミルクフローサーで軽く泡立ててフォームドミルクを作ったら準備完了だ。

 

「さて、じゃあラテアートを作るか…ってどうした?」

 

有宇を見ると何か言いたそうな顔をしていた。

 

「いや、前から思ってたんだけどこのラテ作るまでの準備作業面倒くせぇなって。エスプレッソマシン買えよマジで」

 

「お前な……」

 

単純にカフェラテ作りが面倒なだけだった。

それにチノも半分同意しながらもこう返す。

 

「確かにエスプレッソマシンがあれば便利ですね。エスプレッソマシンがあればエスプレッソもフォームドミルクも今よりすぐに出来ますし。ですがエスプレッソマシンはその……お値段がお高いので、取り敢えず今はこれで我慢してください」

 

エスプレッソマシンはとても高価だ。

今も客がいないようなこの店じゃ手が出せないのだろう。

 

「まぁそう返されるのはわかってたが。にしてもお前の爺さん、パン用のオーブンとか作るよりそっちに金使えよ」

 

「まぁお気持ちはわかりますが今それを言っても仕方ないので……。それにマキネッタはマキネッタでエスプレッソマシンとは違った味を楽しむことが出来ますし、これはこれでいいものだと思いますよ」

 

そういうものなのか?

まぁ今はそういうことにしておこう。

 

「じゃあ改めてラテアートの作り方を説明するぞ。まずは私がやるから見てろ」

 

リゼがそう言うので、ジーとピッチャーの注ぎ口を見る。

だがリゼはなかなか注がない。

 

「……おい」

 

「いやその……じっと見られると結構恥ずかしいな」

 

「教える気あんのかお前!?いいからさっさとやってくれよ!」

 

「すまん……よし、今度こそいくぞ!」

 

「あぁ」

 

そしてようやくミルクを注ぎ始める。

 

「まずはカップを45度、まぁ大体でいいがそれぐらいの角度で持つ。そしたら高いところから深いところへ注ぐ」

 

そしてある程度注ぐとリゼは注ぐのをやめた。

そしてカップをこちらに見せる。

 

「これぐらいの量になったら、今度はピッチャーをカップに近づける。そうすればミルクが表面に浮かぶから、これで大まかに描きたい形をつくる。今回は試しにさっき客が頼んだ猫を描くから丸を作るぞ」

 

そしてカップに白い丸が出来上がった。

 

「さて、キャンバスが出来たらいよいよ描くぞ。スピードよく終わらせないと表面が崩れるからここからは早くなるからちゃんと見とけよ」

 

そう言うとリゼはピックを構え、そして次の瞬間、リゼの腕が高速に動き、どんどん絵が完成されていく!

そのあまりのスピードに有宇は目で追うことが出来なかった。

 

「出来た!」

 

そして完成されたのは何故か猫ではなく戦車だった。

 

「いや猫どうした!?つかすげぇなこれ!?しかも早すぎて全然見えなかったぞ!ていうかこれじゃ参考にならねぇよ!?」

 

色々とツッコミどころが多すぎる。

ツッコミ疲れてゼイゼイと息切れを起こした。

 

「すまん……つい熱が入ってしまった。まぁ要はピックで周りのクレマをインク代わりに使って絵を描くんだ。もし猫だったら耳とか足りないパーツはピッチャーについてる泡を乗せて足したりも出来る。ほら、やって見ろ」

 

そう言われて有宇も教えられた通りやってみる。

 

「……出来た?」

 

「なんで疑問形なんだ?どれどれ……」

 

リゼの目の前に描かれていたのは角が生え、目はおどろおどろしい怪物だった。

正直それが元は何を描こうとして出来たのかまるで想像つかなかった。

 

「有宇……一応聞くがこれは何だ……?」

 

「……猫だ……おそらく」

 

「いや、描いてる本人がおそらくとか言っちゃだめだろ!?しかもこれ、ちょっと歪んでないか?」

 

「仕方ないだろ。描いてるうちに時間が立ったらそんな風になったんだよ。僕は悪くない」

 

何故か偉そうなくらいに言う有宇だった。

そんな有宇に呆れつつもリゼは言うべきことを言う。

 

「さっき時間かけたら崩れるって言ったろ!それとあとお前絵心なさすぎだろ!この耳なんか角みたいに尖ってるじゃないか。目も可愛くないしとにかく酷すぎる!よくこれで僕は悪くないとか言えたな!?」

 

「あぁもううっせぇな、絵なんて碌に描いたことねぇししょうがねぇだろ。こんなの絵心なきゃ無理だろ。他にやり方とかないのか他に」

 

有宇がそう言うとリゼがミルクのピッチャーを持って言う。

 

「あるにはあるが、これも難しいぞ。よっと」

 

そしてリゼはピッチャーを持つ手の動きだけで絵を描き始めた。

そして完成されたカップには、よくテレビとかで見るきれいな葉っぱが描かれていた。

 

「さっきお前に教えた方法がエッチングっていうんだが、これはフリーポアというやり方だ。今見た通り、手の動きだけで絵を描く。物は試しにやってみろ」

 

そう言われ早速有宇も挑戦してみる。

まずはハートを描けとリゼに言われたのでハートを描く。

描き方はさらっと教えられたので、それを実践してみる。

 

「……あっ」

 

手元がブレて形が崩れる。

 

「失敗だな」

 

「クソッ、思ったよりむずいな」

 

「でもこの方法なら絵心はいらないから練習を積めば何とかなる筈だ」

 

「じゃあこれを極めればクリアか?」

 

「いや、客に頼まれるのは猫とか熊とかだけじゃないからな。キャラクターの絵とかも頼まれたりするし、フリーポアはフリーポアで練習するべきだけど、エッチングもちゃんと出来るようにしろよ」

 

「んだよ面倒くせぇなぁ」

 

「お前な……」

 

リゼが有宇に呆れていると、有宇の目はチノの方に向く。

いつの間にかチノも何か描いていたようだ。

 

「チノはどんな絵を描くんだ?」

 

そしてカップを覗き込むと、そこにはなんとも形容し難い絵が描かれていた。

別に下手とかいうわけじゃないのだが、なんというかこれは……。

 

「……キュピズム?」

 

そう、まるでピカソが描くような、あのよくわからない絵みたいだ。

それが描けるって逆にすごいな…。

 

「チノのピカソアレンジは結構客にも評判いいぞ」

 

「まぁ……それはなんかわかる気がする」

 

こんな絵普通の人間じゃそうそう描けないだろうしな。

リゼと二人でそう言うと、チノが照れる。

 

「や、やめてください。そんなに褒めても画家にはなりませんよ!」

 

すごく嬉しそうだった。

別にそこまで褒めてはないのだが……。

チノってたまにこういう変なとこあるよな。

 

「ココアのやつはどうなんだ。あいつは描けるのか?」

 

「ココアも最初はそこまでじゃなかったけど、今は結構上達したぞ」

 

「はい、ココアさんよく練習してますしね。まぁそれか日向ぼっこしてるかって感じですが」

 

「仕事しろよ……」

 

ラテアートの練習は良いけど、日向ぼっこって……。

あいつ僕の前じゃそんな様子全然なかったけど、もし僕の目の前で日向ぼっこなんてしようものなら思いっ切りぶん殴ってやりたい。

 

「まぁ要は練習あるのみってことだ。頑張れ」

 

リゼにそう諭される。

 

「んなこと言われてもな……」

 

練習の度にエスプレッソとミルク作んのって結構めんどくさいしな……。

有宇がそう悩んでいると、チノが有宇にアドバイスする。

 

「お兄さん、まずはカップで作る前に紙に描いて練習したらいいと思います」

 

「紙?要はまずは絵心を上げろってことか?そんなすぐに上達できねぇだろ」

 

「いえ、絵といっても、猫やうさぎもそうですが単純なものが多いので。ですから紙で見本を見ながらでもいいので描いて形を覚えて、それからカップで練習した方がいいと思います」

 

成る程、本当に要は慣れろってことか。

ひとまずその後はフリーポアでの描き方を練習してこの日のラテアート練習は終わった。

 

 

 

 

 

その日の夜、有宇は早速紙で練習をしてみた。

リゼに見本を描いてもらい、それを見ながら描いていく。

そうやって机に向かっていると、ドアがトントンとノックされる。

 

「どうぞ」

 

チノかマスターだろうと思っていたのに、入ってきたのは意外にもココアだった。

 

「んだよお前かよ……」

 

「ちゃんとノックしたのにひどい!」

 

「それでなんの用だ」

 

そう聞くと、ココアは有宇の机をジロジロと見始めた。

 

「なんだよ」

 

「ううん、ちゃんと練習してたんだなって思って。えらいえらい」

 

そう言うとココアは有宇の頭を撫でてくる。

相変わらず姉ぶりたいようだ。

 

「ええいやめろ、髪が乱れる!つか用はそれだけか?見ての通り練習中だ。さっさと部屋に戻れ」

 

「あ、待って待って。あのね、手伝おうと思って」

 

「手伝う?何を?」

 

一人で紙に描いて覚えてるだけだというのに、何をどうやって手伝うというのか。

 

「まぁまぁ、ひとまずその紙持って下に行こ♪」

 

そう言われひとまず紙を持って下の二階に降りる。

そしてキッチンの方へ連れて行かれた。

 

「おい、結局手伝うってなんなんだよ。ってこれ……」

 

キッチンにおいて目にしたのは、テーブルの上のマキネッタとミルクが入ったピッチャーだった。

 

「さぁ、それじゃあ早速練習してみよう!」

 

成る程、手伝うってこういうことか。

まさかここまでやるとは……。

 

「付き合ってくれるっていうのか?多分すぐには成功しないと思うぞ」

 

有宇がそう聞くと笑顔で胸を張ってに答える。

 

「大丈夫!夜は長いんだしとことん付き合うよ!頑張る弟をサポートするのはお姉ちゃんの役目だからね!」

 

相変わらずこいつはお人好しというか単純というかなんというか……。

だけど今はその親切がすこしありがたかった。

 

「じゃあその……頼む」

 

「うん!」

 

 

 

 

こうして夜の間中、二人してラテアートをひたすら作っていた。

失敗したら二人で飲んで、また新しく作る。

それをひたすら繰り返した。

そしてたまにココアがココアなりにアドバイスしてくれたり、作ってみせたりしてくれた。

 

「えっへん!どう有宇くん、すごいでしょ!」

 

カップには見事にきれいな花みたいな奴をフリーポアとエッチングを上手く使って描かれていた。

リゼが上達したとか言ってたけど、ここまで上手いとは思わなかった。

 

「あぁ、お前にしてはすごいな」

 

「私にしてはってどういうこと!?もう、ほら有宇くんももう一度やってみて」

 

「はいはい」

 

そんなこんなで試行錯誤し夜中の1時を回った時だった。

 

「……出来た!」

 

ようやく我ながら可愛らしい猫が描けた。

これならリゼに見せても問題ない筈だ。

 

「見てくれココア、やっと出来たぞ!……って」

 

ココアの方を見ると、机にうつ伏せて寝ていた。

もう1時だし無理はないか。

まぁそれにしてもこいつ、本当良く寝るよな。

普段だって結構早くに寝てる筈なのに朝全然起きれないし、休みの日なんかは結構昼寝してる姿も見られる。

気疲れしやすいタイプなのだろうか?

ここで寝かすのもあれだし起こそうとも思ったけど、ここまで付き合ってくれたのに無理に起こすのもなぁ。

するとココアが何か寝言を言っているようなので有宇は耳を澄ます。

 

「有宇くん……上手に描けたね……zzz」

 

それを聞いて有宇も思わず微笑む。

どうやら夢の中でしっかり見ていてくれたようだ。

そして有宇はココアを起こさないようにゆっくりとココアを背中に抱えて階段を登り、ココアの部屋まで行く。

そしてベッドにココアを降ろし、布団をかける。

 

「お休み、姉さん」

 

そう一言残し、静かにココアの部屋を出た。

 

 

 

 

 

次の日、今日はチラシも配り終え、四人で仕事をしている。

そして今、有宇がチラシを渡した女の子がやって来ていた。

 

「ご注文はお決まりですか?」

 

「あの……カフェラテお願いします」

 

「畏まりました」

 

「あ、あの店員さん……// ラテアートってここやってますか?」

 

「ええ、やってますよ」

 

「じゃあその……お願いします」

 

「何か絵柄のリクエストはありますか?」

 

「その……ハートを……きゃっ……!」

 

僕に気があるのが丸分かりだな。

そう思ったが口にはせず、リゼとチノに注文を通す。

すると客が更にこう付け足す。

 

「あ、あの……できればラテアートはお兄さんに描いて欲しい……な……//」

 

まぁ、さっきの様子だと当然そうなるよな。

 

「畏まりました」

 

注文を受け、有宇もキッチンに入る。

するとリゼが小声で耳打ちする。

 

(おい有宇、大丈夫か?まだ一日しか経ってないし描けないだろ)

 

「大丈夫だ」

 

「けど……」

 

それでもと心配するリゼにココアが言う。

 

「まぁまぁリゼちゃん。有宇くんに任せて」

 

「え?うん……」

 

ココアに諭され、リゼも有宇を見守ることに。

そして有宇はラテアートを作り始める。

昨日の練習通りに……。

慎重に、だけど素早く……。

そして見事、ハートを作ることが出来た。

しかしハートはフリーポアで作れるので、せっかくエッチングも練習したのに物足りなかった。

そう思い少し付け足しもして、完成した。

 

「お待たせしました」

 

そうして出されたカップには、中央にフリーポアで描いたハートが描かれており、さらに左端の方に小さいハートが3つ付いていた。

これはエッチングの要領で、ミルクの泡を小さく3つ付け足し真ん中をピックで線引いて作った。

更にこのままだと、僕も客の女に好意を抱いていると勘違いされかねないので、中央のハートにも可愛く顔を描いて、悪魔で業務的に接してることをそれとなく示した。

しかし調子乗って色々アレンジしてしまったが大丈夫か?と思ったが、客の反応は良かった。

 

「わぁ可愛い……!ちっちゃくハートが3つ付いてる!ハートについてる顔も可愛い!」

 

「喜んでいただけたなら良かったです」

 

本心か営業スマイルか、そう答える有宇の顔は微笑んでいた。

そしてそんな様子を見て、ココア達三人も思わず微笑んだ。

 

 

 

 

 

客達が帰った後、ココア達が有宇に詰め寄る。

 

「有宇、なかなかやるじゃないか!一日であんなに上達するなんて」

 

「はい、なかなか良かったと思います」

 

「でしょでしょ!」

 

「……なんでココアさんが自慢げなんですか?」

 

チノのココアに向けてのツッコミに対して、有宇が事情を話す。

 

「えっとだな……実は昨日ココアにラテアートの練習に付き合ってもらってな。まぁその……ココアのおかげっていうのは間違いじゃない」

 

そう言うと、チノとリゼがぽかんと口を開ける。

いい加減この反応にも慣れてきた頃だ。

 

「お前ら……どうせ僕が素直に感謝を示すなんて珍しいとでも思ってるだろ」

 

「あぁ、その通りだ」

 

「はい。よくわかりましたね」

 

「……僕だって助けられたら礼ぐらい言うし感謝だってするぞ」

 

するとココアの方を見ると、見るからに両手を頬にあてて気持ち悪いぐらいにニンマリと微笑み喜んでいるようだ。

 

「えへへ〜。もう有宇くん、お姉ちゃんにそんなお礼だなんていいのに〜」

 

こいつ、本当すぐ調子に乗るな……なんか自然と感謝する気が失せる。

するとココアが思い出したかのように言う。

 

「あ、そういえば夜ベッドに運んでくれたの有宇くんだよね。昨日途中で机で寝ちゃったのに朝起きたらベッドにいたからビックリしたよ。朝は寝ぼけてて気づかなくて言えなかったけどありがとね」

 

「別に、まぁ手伝ってくれんのは助かるけど無理はすんなよ。そこまでして手伝って貰いたいわけじゃないし」

 

有宇がそう言うと、チノとリゼが二人してニヤニヤする。

 

「ツンデレだな」

 

「ツンデレですね」

 

「デレてなどない!」

 

するとココアが更に思い出したかのように聞く。

 

「デレといえばそういえば昨日、誰かにお姉ちゃんって呼ばれた気がするよ。もしかして有宇くん、私のことお姉ちゃんって呼んだりしてない?」

 

「呼んでない!気のせいだ!」

 

有宇が焦って即答すると、その様子を見てリゼが怪しむ。

 

「なんか焦ってないか?」

 

「焦ってなどいない!」

 

「怪しいです」

 

「チノまで!?」

 

ったく、聞こえてないと思ったのに……。

一応その場は何とかごまかした。

認めたら多分、これから面倒になるだろうからな。

それについ気分に押されてあんな世迷い言を呟いてしまったが、別に本心から行ったわけじゃない。

にしても寝てると思ったのに姉と呼ばれたことだけは覚えているとは……ココア恐るべし。

でもまぁ、僕に妹はいるけど兄や姉なんてのはいないから、こういうのはちょっと新鮮だったのは確かだった。

 

 

 

 

 

「そういえばお兄さん、さっきカフェ・ド・マンシーをしていましたが、そっちは出来るんですね」

 

さっき間での姉騒動が一段落すると、チノがそんなことを聞いてくる。

 

「カフェドマンシー?あぁ、コーヒー占いのことか」

 

カフェ・ド・マンシーとは、要はコーヒー占いだ。

カップの底に出来たコーヒーの模様で占うのだ。

さっきカフェラテを注文した客に頼まれ占ってやったのだ。

 

「お兄さん占いなんて出来たんですね」

 

「いや全然」

 

「え?」

 

有宇の反応にチノが驚く。

 

「カップの底見て占うっていうのは知ってるけど、占い方なんて知らん。けど適当に客が喜ぶ運勢言うとこれが結構うけるんだよな〜。特に若い女性客、ころっと騙されて喜んで気分よくしてくれるから本当便利だよな、カフェド……マンシー?」

 

有宇がそう言うと、ム〜とチノが頬を膨らませる。

 

「えっと……どうした?」

 

「乙坂さんにカフェ・ド・マンシーを語る資格はありません!」

 

そう言うとチノはプイッとそっぽ向いてしまった。

呼び方も乙坂さんに戻ってるし、相当ご立腹のようだ。

 

「なにキレてんだよチノ、別にたかが占いだろ?占いなんて実際本当に当たるわけでもないし、適当にいい事言って客を喜ばせて集客に繋げた方がいいじゃないか」

 

そう言うと有宇に再び向き直り、キッと睨みつける。

 

「カフェ・ド・マンシーを舐めないでください!本場トルコの占い師はかなり正確にその人の未来を占うことが出来ますし、お祖父ちゃんのカフェ・ド・マンシーも当たりすぎて怖いと有名でした」

 

チノがそう力説するが、有宇は信じようともしない。

 

「はっ、どうせただの性格診断みたいなやつだろ?バーナム効果に決まってる」

 

有宇がそう言うと、どこからともなくジジイの声が聞こえる。

 

『なんじゃと貴様!わしを舐めおって!』

 

「おおっ!チノちゃんの腹話術」

 

「なんか久しぶりに聞いたな」

 

あぁ、そういやそんなこと出来たんだっけか。

でもなんとなくだが、チノの背より高いところから聞こえた気がするのは気のせいだろうか?

すると今度は腹話術じゃなく、いつもの声で有宇に言う。

 

「いいでしょう、なら今ここで乙坂さんを占ってあげます」

 

「え?」

 

するとチノはそう言うと、サイフォンでコーヒーを作り出した。

そして出来上がったコーヒーを有宇に差し出す。

 

「本当にやるのかよ……」

 

するとココアとリゼが他人事のように言う。

 

「チノちゃんが熱くなってる!」

 

「あぁ、チノがこんなに燃えるなんて珍しいな」

 

「さぁ、乙坂さん!飲んでください!」

 

仕方ないので言われるがままにコーヒーを飲み干す。

そして飲み終えたカップをチノに渡すと、頭の上にいる毛玉うさぎに見えるようにカップを持った。

 

「おい、それで見えるのか?」

 

するとココアが口を挟む。

 

「フッフッフ、有宇くん甘く見ちゃいけないよ。ティッピーの占いはよく当たるんだから」

 

「いや、うさぎが占えるわけ無いだろ」

 

そんなことを言ってる間に結果が出たようで、チノが腹話術の声で占いの結果を言う。

 

『小僧、お前さんは近いうち……数日のうちに命を脅かせれる危険に会うじゃろう』

 

「命の危機ね……フッ」

 

バカらしい、命の危機なんてそんな事そうそう起りえないのに当たるわけないじゃないか。

あまりにもバカらしいと笑う有宇だったが、周りの三人はものすごい驚いた顔をしていた。

まるで占いが本当に当たるかのように。

 

「なに本気にしてんだよ。あれだろ、チノが躍起になって適当に言ったことだろ?てかなんでチノも驚いてんだよ。」

 

「有宇、お前とは短い付き合いだったな」

 

「有宇くん……私、有宇くんの事忘れないよ」

 

「お兄さん……その、さっきは怒ってすみません。お兄さんのこと……私、忘れません」

 

ハハッ……まさかな。

僕を驚かせようとしてるだけ……だよな?

だがその数日後、占い通りリゼ邸にてリゼの父親に殺されそうになることになろうとは、この時の有宇は知る由もなかった。



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第15話、傘を届けに

6月ももう終わりという時期に差し掛かる今日この頃。

6月は梅雨の時期なんて言われているが、特に雨が降ることなく、このまま終わるのかと思ったのだが……

 

 

 

 

 

「うわ〜すごい雨ですね」

 

乙坂有宇がラビットハウスでいつものようにアルバイトをしていると、突然物凄い勢いで雨が降りだした。

朝はあんなに晴れていたというのに、先程から空模様が変わり始め、そして一気に大雨へと変わったのだ。

そして一緒に働く店主のマスターは、学校に行った二人を心配していた。

 

「チノとココアくんが心配だな。二人とも傘を持っていなかったからね」

 

うちは一階にあるキッチンとは別にある二階のキッチンでいつも食事を取るのだが、そこにはテレビがおいていないので、朝に天気予報の確認をすることが出来ないのだ。

なので朝は晴れていたからと二人は傘を持っては行かなかった。

 

「若いんですし濡れても大丈夫ですよ。ま、帰ったら速攻風呂に入れますが」

 

有宇は特に二人の心配などはしていなかった。

それどころかバカは風引かないだろなどとすら思っていた。

するとマスターは時計を一瞥すると、有宇に言う。

 

「そろそろチノとココア君も学校が終わる頃だろう。有宇くん、もう上がっていいから二人に傘を届けに行ってくれないか」

 

それを聞いて有宇はギョッとした。

雨の中外に出るという行為だけでも面倒くさいのに、この大雨の中チノとココア、二人の学校までわざわざ行くとなると、少なからず濡れることになるだろうし、その疲労感も半端ないだろう。

それならまだあいつらが帰ってくるまでここで働いていたほうがずっとマシである。

だが……。

 

「えっと……わかりました」

 

ヘタレな有宇は、居候身分という立場上断ることが出来なかった。

でもある程度は譲歩してみようと努力してみる。

 

「でも今から歩いて行ったらせいぜいどっちかの学校に行くのが精一杯かと……」

 

「庭にココア君の自転車がある。私の合羽を貸すからそれを着て乗り給え」

 

「は、はぁ……」

 

結局マスターに押し切られ、両方の学校に傘を届けることになってしまった。

一応自転車という乗り物が手に入っただけ無駄ではなかったが……。

つか庭にあったピンクの自転車、いつも洗濯物干すときに誰のなんだと気にはなっていたがココアのだったとは。

あいつが自転車に乗ってるところ見たことないんだが……まぁいい、そうと分かればこれからは勝手に使わせてもらおう。

そして有宇はマスターから黒いレインコートを借りて、それを着ると、傘を五本傘立てから取り出し外へ出た。

 

 

 

 

 

『何を笑っているんじゃ息子よ』

 

有宇が去った後、フッと笑うタカヒロにティッピーが言った。

 

「わからないか親父、私は二人に傘を届けて欲しいと彼に頼んだんだ。だが彼は傘を五本持っていった。そしてチノの学校にはマヤくんとメグくんが、ココアくんの学校には千夜くんがいる」

 

『成る程、少しはあの小僧も他人に気が回せるようになった……ということじゃな』

 

ティッピーの言葉に対し、タカヒロは何も言わず、ただ笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

一方有宇は、自転車の持ち手のところに傘を五本掛けながら必死にペダルを漕いでいた。

そしてまずは家から近いチノの学校に向かっていた。

椅子の位置を調整し忘れて、椅子がココアの座る高さになっているので、ただでさえ持ち手にかかってる傘が足にバンバン当たってくることもあり、とても漕ぎにくかった。

途中で椅子の位置をなおそうかとも思ったが、雨の中その作業をやるのは面倒くさいし、別に乗れないということもないのでそのまま自転車に乗り続けた。

 

 

 

 

 

チノの学校につくと警備員に事情を話し、校門の前でチノを待つ。

待ってる間、警備員のおっさんと話したり、学校をボーっと眺めていた。

にしても見てて思うんだが、いつ見てもあの某映画の魔法学校のようなところである。

城のような外観、でかい表門、そして後者の真ん中にはでかい鐘がかけられている。

ココア達の学校もまるで一流大学みたいに広く、陽野森高校にも劣らないぐらい立派な学校だ。

リゼ達の学校にいたっては、もうそれこそ比べ物にならないぐらい広い。

もしかしなくてもだが、この辺の学校って結構な優良校だったりするのか……?

そんなことを考えていると、生徒達が次々と門を通って帰っていく。

そろそろ来る頃合いかなと思い、校舎の方を見ると、チノの姿が見えた。

警備員に入っていいか許可を取り、門の中に入って、校舎の出入り口で雨を凌いでいるいつもの三人組に声をかける。

 

「お〜い、チノ、マヤ、メグ」

 

すると三人も有宇に気づき、口々に話しかける。

 

「お兄さん!?なんでここにいるんですか?」

 

「お、有宇にぃ!」

 

「オニイサンダ〜!」

 

「なんでって、マスターに言われてお前らに傘届けに来たんだよ。ほら、マヤとメグも」

 

有宇はそう言うと三人に傘を渡す。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「ありがと有宇にぃ!」

 

そしてメグにも傘を渡そうとするが、よく見るとメグは折りたたみ傘を手に持っていた。

 

「ごめんなさい、いつも入れてて……」

 

「いや、謝らなくていい!寧ろその方がいいんだから。偉いぞ、メグ」

 

有宇がそう言うと、メグは顔を赤らめながらエヘヘと笑みを見せる。

 

「それじゃあ僕は行くから」

 

「あれ?一緒に帰らないんですか?」

 

「まだココアに届けてないからな。じゃあな……あ、マヤ、傘は明日チノに返しておけよ。それじゃあ」

 

そう言うと有宇は門めがけて走っていった。

有宇が視界から消えると、マヤが言う。

 

「有宇にぃ頑張ってるね〜」

 

メグとチノもマヤの言葉に相槌をうつ。

 

「ウン、優しいよね〜お兄さん」

 

「そうですね、いつも助けて頂いてます」

 

するとマヤがチノに聞く。

 

「有宇にぃ来てからもう一ヶ月くらい経つんだっけ?」

 

「そうですね。6月に入ってからですので、そろそろ一ヶ月経ちますね」

 

「そっか〜。最初はなんかもう私達とココア達で全員って感じだったのに、なんかもう有宇にぃがいるのも当たり前になってきた気がするな〜」

 

マヤの言葉に、チノも笑みを浮かべながら答える。

 

「そうですね」

 

 

 

 

 

チノ達の学校を出てから数分後、ココア達の学校につく。

着くとちょうどよく、二人で一つの傘に入る千夜とココアが門から出てきた。

 

「あれ、有宇くん?なんでここにいるの?」

 

「こんにちは有宇くん」

 

こちらが声をかけるより先に、向こうから声をかけてくる。

 

「傘を届けに来たんだ。ほら」

 

ココアに傘を手渡す。

 

「おお、これはどうも」

 

「千夜は傘持ってきてたんだな」

 

有宇がそう聞くと、千夜はいつもみたく笑みを絶やさず答える。

 

「ええ、今朝天気予報で出てたから」

 

「ココア達も天気予報ぐらい自分で確認しておけよ。僕がこうやって苦労するんだから」

 

「エヘヘ、ごめんごめん」

 

そして有宇は再び自転車に(またが)る。

 

「じゃ、僕は行くから」

 

「え〜一緒に行こうよ〜」

 

「嫌だ、面倒くさい」

 

わざわざ自転車から降りて、何故こいつらと歩いて帰らなきゃならない。

すると千夜がココアに助け舟を出す。

 

「まぁまぁ有宇くん、一緒に帰ってあげたら?この後もう仕事もないんでしょ?」

 

「まぁ……そうだけど」

 

「それにこうやって一緒に帰ることなんて滅多にないじゃない?なら今日だけでも付き合ってあげたら?」

 

そこまで言われると、流石の有宇も断り辛くなってしまった。

 

「……わかった」

 

有宇がそう言うと、ココアの顔がパァッと笑顔になった。

 

 

 

 

 

「そういえばそろそろ夏だけど、ラビットハウスさんは夏のメニューとかもう決めたのかしら?」

 

三人で歩いていると、千夜がそんなことを聞いてくる。

 

「ううん、まだだよ。冷やしコーヒー(アイスコーヒー)は当然として、有宇くん他に何かある?」

 

「そうだな……カフェで夏っていったらアフォガードとかジェラートとかかな?」

 

「アホガード?」

 

「アフォガードな。それじゃ単にアホな奴が身を守ってるだけだろ」

 

ココアのアホな発言にツッコミを入れる。

 

「アフォガードっていうのは溺れるって意味だ。確かジェラートがエスプレッソに溺れているというところから名付けられた……みたいなはずだった気がする。塩をひとつまみ入れてやるとより美味しくなるんだよなぁ……。まぁ、うちにはジェラートを作るマシンとかないからちょっと厳しいかもしれないが。千夜のところは何かやるのか?」

 

「うちはかき氷とかいいかなって」

 

「かき氷か〜いいね、うちもやろうか有宇くん」

 

「まぁいいとは思うけど、メニューはやっぱり他の面子(メンツ)と話し合ってから決めないとな」

 

そんな風に三人で話していると、道がふた手に分かれるところに着き、そこで千夜が言う。

 

「あ、私はこっちだから。じゃあまたね、有宇くん、ココアちゃん」

 

「じゃあね〜千夜ちゃん。また明日〜」

 

「あぁ、じゃあな」

 

千夜に別れの挨拶をして別れた。

千夜と別れると、当然二人きりになる。するとココアが有宇の右手にしがみつく。

 

「おわっ!……いきなりなんだ」

 

「えへへ、弟と相合傘っていうのも悪くないかなって」

 

「わかったから離れろ。しがみつく必要はないだろ」

 

そう言うと有宇は掴まれた右手でココアを振り払う。

 

「もう、お姉ちゃんに恥ずかしがらなくてもいいのに」

 

「お前はもうちょっとそういうとこ気をつけたほうがいいぞ……」

 

「え、どういうこと?」

 

「何でもない……」

 

僕以外の男にこんなことやったら、気があると思われるぞほんと……。

それに僕だってこいつの過度なスキンシップに何も感じてないわけではないしな……。

ココアの無防備さに、流石に少し心配になる有宇だった。

 

 

 

 

 

有宇に振り払われた後もココアは相合傘を続けていた。

しかし有宇の方が圧倒的に背が高いので、ココアはつま先立ちになっていた。

どうせ辛くなってすぐやめるだろうと思って放っておいていたのだが、本人は意地でも続けるつもりらしい。

 

「はぁ……ったく、仕方ないな。ほら」

 

見兼ねた有宇はそう言うと、右手をココアに差し出す。

するとココアは差し出された有宇の手に自分の手をおいた。

 

「お手じゃねぇよ!傘貸せってことだよ!」

 

「ああ、そういうことね」

 

そしてココアから傘を受け取る。

 

「ありがとね有宇くん。頼りになる弟でお姉ちゃん嬉しいよ」

 

「は、勝手に言ってろ」

 

もはや弟だとか姉だとかを否定する気にはならない。

にしてもさっきからニコニコと随分と嬉しそうにしている。

何がそんなに嬉しいのだろうと思い聞いてみる。

 

「何をそんなに嬉しそうにしてるんだ、ココア」

 

「え〜だって有宇くんとこうやって一緒に歩くことってそんなにないじゃない?こうやって一緒にいられるなら雨も悪くないな〜って」

 

そう言われるとそうかもしれない。

普段ココアと会うのなんて朝と夕飯の時ぐらいだしな。

それ以外だとラパンのアニメを見るときぐらいか。

なんにせよココアとは家でしか一緒にいることがない。

別段僕としては一緒にいたいと思うことはないけど、確かにちょっと新鮮かもしれない。

すると突然こんなことを聞いてくる。

 

「そういえば雨乞いってどうやってやるんだろう?」

 

「なんだ唐突に……」

 

ほんと脈略を得ないな。

 

「雨が降れば有宇くんと一緒に帰れるなら、雨乞いをマスターすればいいのかなって。どうやればいいと思う?」

 

「……火でも起こせば?」

 

適当に答える。

するとココアは有宇の返事を真面目に受けたのか、「そうか……火か……」などと真面目に思案していた。

 

「頼むから火事だけは起こすなよ?」

 

一応注意しておく。

それに、別に火なんか起こさなくたってなぁ……。

 

「……別に散歩ぐらいなら付き合ってやるぞ」

 

「え、なんか言った?」

 

「……何でもない」

 

どうやら有宇の言葉は雨の音に呑まれてココアには届かなかったようだ。

でもまぁ……なんか嬉しそうだし別にいいか。

すると雨の音が止み、雲の間から光がさす。

 

「おお、晴れたね」

 

「あぁ、そうだな」

 

「あの光の差し込み方は天使の階段っていうんだって。前に千夜ちゃんが言ってたの」

 

「へぇ〜ロマンチックだな」

 

「でも私は、おてんとさんの鼻水って昔教わったんだけどね」

 

「……台無しだよ」

 

するとココアが遠くで何かを見つける。

 

「あ、駄菓子屋さんだ。有宇くん、晴れたことだしアイスキャンディーでも買ってこうよ!私、奢っちゃうよ〜」

 

確かにココアの目先には何かの店と思しき一軒家がある。

駄菓子屋といっても東京とかの下町にある古ぼけた駄菓子屋などではなく、洋装の木組みの建物である。

すると、ココアは有宇の差した傘から抜け出し走り出した。

 

「おい、地面はまだ濡れてるんだから走ると危ないぞ」

 

そう言って有宇も、走って遠くにあるココアの背を追っていった。

 

 

 

 

 

─────そんな出来事から数日後。

 

「ここが……ラビットハウスですか」

 

その日、ある少女がラビットハウスの前に立っていた。

携帯が鳴り、少女は携帯に出る。

 

『もしもし友利さん、高城です。木組みの街にはもう着きましたか?』

 

「はい、着きました。これからターゲット───乙坂有宇に接触します」



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第16話、知らなかった真実

「今週のラパン面白かったね〜」

 

「はい、謎の電撃超能力者に追い込まれた時はヒヤヒヤしましたが流石ラパンです。華麗に乗り越えてみせましたね」

 

夜、いつものようにチノの部屋でラパンを鑑賞していた。

今回はラパンを捕まえるために現れた超能力者とラパンが一戦交える話だった。

 

「でも超能力か〜。有宇くんだったらどんな能力が欲しい?」

 

「えっ……?」

 

ココアにそう聞かれ思わず戸惑う。

 

「有宇くん……?」

 

「あ、えっとそうだな……楽してなんでも出来るようになる能力とか?」

 

「え〜夢がないよ〜。私だったら、世界中のみんなを妹にできる能力とか〜」

 

「そんな能力あるわけないじゃないですか。本当ココアさんは妹にできれば誰でもいいんですね」

 

「チノちゃ〜ん怒らないでよ〜。一番は勿論チノちゃんだから〜」

 

言ってることが何股もかけてる男みたいだぞ。

にしても超能力か……。

 

 

 

 

 

あれから部屋に戻った後、番組に影響されたのか、有宇は自分の能力について考えていた。

今までは能力のことなど、どうせ僕一人しかいないのだからと気にしてこなかったが、この前のリゼに聞いた話のこともあるし、このまま関係ないと言い切ることが出来ない気がしてならない……。

 

 

 

 

 

僕には他人に乗り移る能力がある。

但したった五秒間、殆ど使い物にならない。

ただ使い道としてはカンニングや喧嘩程度には使えるというのが今のところわかっている。

そして、今まで超能力者は自分一人だけだと思っていたが、そうでないことがわかった。

リゼの父親が、超能力者だったのだ。

そしてリゼの話だと、この世にはガーディアンと呼ばれる組織があり、世界の裏で暗躍しているということ。

そして世界中に超能力者達がいて、ガーディアンは彼らをスカウトし、兵士として戦場に送り出すのだという。

一応世界の均衡を保つためみたいなことが目的らしいが、果たして本当にそれを鵜呑みにしてもいいのやら。

それにまだ僕の知らない真実があるようだし油断はできない。

それと能力について。

超能力はそれぞれ3つのタイプに別れるとかなんとか。

そして僕はそのどれでもないとか。

さらに能力者は能力者であるというだけで、常人より遥かに運動神経がいいのだとか。

だが僕自身は運動能力は平均並だ。

ガーディアン、そして超能力者達の中であっても異端な僕の能力、果たしてどんな真実が隠されているのか……。

 

 

 

 

 

───などと考えてみたが、やはりだから何なのだというのだ。

実際問題、僕はもう過去のカンニングの失敗から、能力はもう余程の事態の対処以外では使わないとそう決めたのだ。

要は使わなければ問題ないのだ。

使わなければ、ガーディアンだとか超能力だとかそんな世界とは関係なく普通に過ごせる筈だ。

リゼもそう言っていたわけだし、深く考える必要はない。

いつも通り、カフェのアルバイトとして過ごせばいい。

バイトして金を集めて、ちゃんとした職を探す。

能力だとかそういう問題の前にまずこっちを優先しろという話だ。

そうだ、やっぱり僕が能力なんかのことを改めて考える必要なんかないのだ。

おじさんなんかに頼らないで、それこそこの店にも頼らないで生きていけるようになれればそれでいい。

そして出来れば歩未とまた一緒に過ごせたらどんなにいいことか……。

 

 

 

 

 

次の日、いつも通りバイトに励む。

そして午後の二時過ぎ頃、そろそろチノ達も帰ってくるであろうというその時間に一人の客が店にやってくる。

 

「いらっしゃいませ」

 

いつも通り笑顔で客を出迎える。

やって来た客は女子高生、だがここいらじゃ見ない制服だ。

赤いセーラー服に黄色いリボン、やっぱりこの辺の制服じゃないよな……。

 

「あの〜席に案内してもらっていいですか?そんなに見つめられると流石に恥ずかしいんで」

 

つい制服が気になって、案内するのも忘れて女を見つめていたようだ。

ていうかこの声……なんかどっかで聞いたことあるような……まぁ、いいか。

 

「申し訳ございません。つい。この辺りじゃ見ない制服だったので」

 

「あぁ、そういう事ですか。これ、今の学校の制服なんです。実は来週この街に引っ越すんですよ。それで今日は下見にこの街に来て、たまたまこのカフェを見かけたので寄ってみたんです」

 

成る程、他の街から来たのか。

それで制服もこの辺の学校のやつじゃなかったのか。

 

「そうでしたか。ではこの街に来たときは是非うちの店をご贔屓に。っとすみません、お席に案内しますね」

 

いつも通り猫を被って接する。

相手が誰にせよ、女性客ならいいカモだ。

転校そうそう僕みたいなイケメンに出会ってさぞ喜んでいることだろう。

このまま僕に惚れさせて常連客にしてうちに金を落としてもらおうか。

 

 

 

 

 

女を席に案内すると、女はサンドイッチ、スパゲッティーとブレンドコーヒーを注文してきた。……結構がっつりいくな。

つか結構な値段になるけど払えんのか?

おまけに今タカヒロさんが用事でいないので、全部一人で作らなければならないので大変だった。

 

「お待たせしました」

 

トレーいっぱいに乗せたそれらの料理を女の座る席に並べる。

 

「わぁ!美味しそうですね!」

 

女が携帯で写メを取るところを見て、The 今時の女子高生だなと思った。

まぁ、食べる量はあれだが……。

 

「よく食べますね……」

 

女が食べている横で、思わず心の声が漏れる。

そう言うと客はしゅんとしおらしくなってしまった。

 

「はい、朝食べてこなかったのでお腹がすいちゃって……こんなに食べるなんて女らしくないっすよね……」

 

しまった、今のは失言だったな。

 

「いえ、たくさん食べるのはいいことだと思いますよ。最近はダイエットとかで食べない女性もいますが、僕はやっぱり美味しそうに食べてる女性の方が好きですから」

 

「マジっすか!えへへ、でもそんな気を使わなくてもいいっすよ別に。お兄さん優しいっすね〜」

 

一応なんとか失言は修正出来たが、なんかキャラ変わってね?この女。

そして一通り食べ終わると、女が有宇に言う。

 

「ふ〜美味しかった。これ全部お兄さんが作ってるんですよね〜」

 

「はい、そうです。喜んでもらえて恐縮です」

 

「いや〜料理できる男の人って憧れるな〜。お兄さん彼女とかいないんですか?」

 

なんだこの女、もう僕の虜になったか?

まぁ無理もない、僕はカッコイイからな。

 

「はい、彼女はいませんよ。でもまぁ今はちょっと忙しいので、彼女と遊ぶような時間もないんですけどね、はは」

 

彼女いないアピールをしつつ、それでいて客側から告白されたりするのを避ける。

我ながらナイステクニックだ!

流石に告白などされると、こちらも断らざるを得なくなり、そうなるとその客はもうこの店に来なくなってしまうので、悪魔でまだ自分にはチャンスがあると思わせるのが重要なのである。

そうすればバカな女性客はいくらでも僕に会いに店に足を運ぶからな。

しかしこの女はそうはいかなかった。

 

「そうなんですね〜。あ、でもこの後お時間空いてたりしますか?私この街のことまだ知らないので、お店終わってからでもいいんで案内してほしいんですけど〜。頼れる人も他にいなくて〜だめですか?」

 

成る程、この女……やるな。

会ったばかりの男をストレートにデートに誘うなんて真似すれば、当然断られる可能性が高い。

だからこの女はあえて街の案内をして欲しいと言って、遠回しにデートに誘ったのだ。

しかも自分がこの街に来たばかりという状況を利用して、他に頼りになる者がおらず、頼れるのは貴方だけという状況を作り出し、断りづらくしたのだ。

正直女はビジュアル的には上玉だ。

だが今話した感じ、ちょっとギャルっぽくて頭悪そうだし、僕の趣味じゃないな。

それに僕は普通な女子なんぞに興味はない。

僕に合うのは才色兼備な女性!それ以外は僕の相手として相応しくない!

故に断る!

下手に親密になったと勘違いして告白なんてされたらカモにならなくなるからな。

それにこの女、まだまだ甘い。

確かに理由なしに断るのはきついが、こちらに相応の理由があれば切り抜けることが出来るのだ。

だったら「ごめんなさい、案内して差し上げたいのですがまだバイトが……」と返せばいいだけだ。

さっき忙しいと予め言っておいたし、これならこちらにも都合があり、不親切な人間という烙印を押されずに断ることができるのだ。

そしてそう返そうと思ったその時、店のドアが開く。

 

「ただいま。お兄さん、お疲れ様です」

 

学校からチノが帰ってきた。

 

「お、おかえりチノ」

 

「待っててください、すぐに着替えますので。もう上がる準備をしてもらって大丈夫ですよ」

 

あ、バカ、余計なこと言わなくていいんだよ。

そしてチノはそう言うと、奥の更衣室に行ってしまった。

まずい、今のでさっき考えた言い訳が使えなくなった。

それからチラッと女を見る。

女はニコッと笑顔を返す。

……どうやら僕の負けのようだな。

 

 

 

 

 

「行ってくる」

 

「はい、行ってらっしゃ……デートですか?」

 

僕の横にいる女を見てチノが言う。

 

「……ただの街案内だ」

 

「?そうですか」

 

そして女はニコニコしながら有宇に言う。

 

「よろしくお願いします、お兄さん♪」

 

結局女に街案内をする羽目になった。

有宇は気づかれない程度に軽くため息を吐いた。

 

 

 

 

店を出ると、女が有宇に話しかける。

 

「いや〜お兄さんみたいなカッコいい人と街を歩けて嬉しいッス!」

 

「そう?僕も君みたいな子と一緒に入れて嬉しいよ」

 

「マジっすか!やったー嬉しい!」

 

しまった、今のは言い過ぎか?

下手に勘違いされたら面倒だなぁ。

すると女が有宇に聞いてくる。

 

「そういえばお兄さん、お名前なんていうんですか?」

 

「乙坂有宇といいます。君は?」

 

「私、友利奈緒っていいます」

 

「奈緒……いい名前だね」

 

別にいい名前とか思ってはいないが、立て前上そう言っておく。

それからしばらく街を案内して回った。

あそこにあれがあるとか、あっちにはあれがあるだとか説明しながら二人で歩いた。

 

「で、ここが君が今度通う学校だ」

 

そして彼女が通うと言っていた学校の前についた。

まぁココアと千夜が通う学校なんだが……。

もし万が一ココアとかと仲良くなったら面倒なことになりそうだし、そうなるのだけは頼むからやめてくれ……。

ていうかココアで気づいたけど、この女の声、なんかどことなくココアに似てるな。

もしココアと友達にでもなったりしたら、二人して同じ声で僕に絡んで来るのか……マジで勘弁してくれ。

すると友利は特に反応を示すでもなく、無言でいる。

 

「えっと……どうかした?」

 

「……ねぇ乙坂さん、次は人気が無い場所に行きたいな……二人っきりで」

 

「……え?」

 

二人っきり?

それに人気のない場所?

それってつまり……。

つまりの先を考えて、思わず顔が赤くなる。

いやいやいや、まさかそんな……なぁ?

ていうかそれ、告白とかもう色々飛び越えすぎだろ!

どうする……人気のない場所に行ってこの女と一線超えるか、ここで強く突っぱねるか。

有宇は考えに考えて、結論を出した。

 

 

 

 

 

「着いたよ。ここならそんな人気はないと思うよ」

 

結局人気のない公園につれてきた。

だがこの公園は本当に何もない所だ。

だからその……もし一線を超えるような事をしようにも、隠れられる場所がない。

それにここは人通りは少ないとはいえ、全く人通りがないわけじゃない。

故に条件に合う場所には連れてきたが、この女がおそらくやろうとしていることは出来ない場所に連れて来たということだ。

流石にこの女と深い関係になるつもりはないし、そんな事は出来ない……まぁ、心揺さぶられたのは確かだが。

友利は何も言わずに公園の方へと数歩進んでいく。

 

「そうですね……まぁここでいっか」

 

そう呟くと、有宇の方に振り向いた。

 

「ようやく二人っきりになれましたね。乙坂さん。これから話すことはあまり人に聞かれたくない話ですのでわざわざこんなところまで案内していただきました」

 

「……え?」

 

話?何の?

ていうかさっきまでと雰囲気が違う……。

 

「は、話って何をするのかな?」

 

一応まだ猫をかぶったままそう聞く。

すると友利はこう答えた。

 

「あなたの───超能力についてです」

 

「な!?」

 

超能力!?

今この女、超能力って……確かにそう言ったよな?

 

「な、なんのこと……?僕にはさっぱり……」

 

「あぁ、もう面倒なので隠さなくていいですよ。こっちはもう全部知ってますし。あともう素に戻ってもらって構いません。こっちも今の猫かぶったあなたとは話しづらいんで」

 

能力だけでなく、僕の素顔まで知っているようだった。

 

「……お前、何者だ」

 

「では改めて。はじめまして、星ノ海学園生徒会長の友利奈緒です。よろしくお願いします、カンニング魔の乙坂有宇くん」

 

「……貴様」

 

カンニングのことまで……。

一体なんなんだこいつ……僕のことを、どこまで知ってる。

 

「それで、どこぞの学校の生徒会長様が一体僕になんの用だ」

 

「単刀直入に言いましょう。あなたの持つ能力をこれから先使わないで欲しいんです。絶対に」

 

能力を使うな……だと?

どういうことだ?

なぜ?なんの為に?

取り敢えず目的がわからない以上、素直に話を飲むわけにはいかない。

 

「……嫌だと言ったら?」

 

「これはあなたの為でもあるんですよ」

 

「なに?」

 

「いいんですか?能力がバレて科学者のモルモットにされても」

 

「モ、モルモットだと!?」

 

どういうことだ!?

いや待て、きっとでたらめだ。

脅して僕を騙そうとしているに違いない。

 

「そんな話があるわけ……」

 

「あるんです。一度バレたら人生おしまい。死ぬまで科学者の実験台にされます」

 

友利はこちらの反論を遮り断言する。

 

「ありえない!そんな馬鹿な話信じられるわけないだろ!」

 

「ではこれでどうでしょう」

 

友利がそう言った次の瞬間、僕の目の前から一瞬で友利が消えた。

 

「うわぁ!?」

 

そしてすぐにまた僕の目の前に現れた。

 

「どうでしょうか、これで少しは信じていただけるかと」

 

こいつも能力者だったのか……。

 

「今のは?まさか……透明人間になれる能力……!?」

 

「いえ、私の能力は一人の対象から視認されなくなる能力です。ここに第三者がいればその人の目には私の姿が映ってるかと」

 

不完全な能力……僕と一緒だ。

さっきの話、リゼから聞いた情報と違ったために信じられなかったが、リゼの話と違い僕と重なる部分がある。

まさか本当に………。

 

「その……科学者の話を具体的に聞かせてほしい」

 

「いいでしょう。と言っても先程言ったら通りです。能力者であることがバレたら捕まる。そして実験台にされます。それだけです」

 

「警察は!?警察に訴えればそれで……」

 

「その警察もグルなんすよ。というか国家が敵と言っても過言ではないかと」

 

「マジかよ……」

 

なんてこった……。

以前リゼから聞いた話よりもやばい。

兵士になるどころじゃない、命すら危ういじゃないか!!

ていうかそうだ、ガーディアン!!

もしかしてこれも奴らがもしかして関わってるのか!?

リゼのスカウトの話と似てるし、可能性としては否定できない!!

でもそうしたらリゼは……僕の敵?

……聞いてみる価値はあるか。

 

「なぁ、その科学者っていうのはもしかして……ガーディアンなのか?」

 

喉をごくりと鳴らし、友利の反応を待つ。

 

「ガーデ……なに?なんですそれ?」

 

「あ、いやえっと……何でもない」

 

「?そうですか」

 

どうやらガーディアンじゃないようだ。

リゼはひとまず敵ではないということだな。

取り敢えず安心した……っとそうだ、一番聞かなきゃいけないことを忘れていた。

 

「で、結局お前は一体何なんだ?生徒会長とか言ってたが……」

 

「私のいる星ノ海学園はある人物がそんな能力者達を守るために建てた学校です。そして生徒会は、彼らを守るための特別な任務を任されています」

 

「……具体的には?」

 

「あなたのように野放しになっている能力者を誰よりも先に確保して守るか、力を使わないように脅します」

 

成る程、確かに能力なんて使わなければバレないしな……。

だが一見完璧に見えるが、それだと問題がまだ残るんじゃないか?

 

「学校を卒業した後はどうする。どの道社会に出た後に捕まったら意味ないじゃないか」

 

そう、能力者を守る施設が学校というなら、当然卒業もするわけだが、そうなったら一体誰が能力者を守ってくれるというのだろうか。

 

「ご安心を。能力は思春期を過ぎるぐらいの時期……具体的には高校卒業する時ぐらいには大体消えてますので問題ありません」

 

「え?」

 

「どうかしました?」

 

「いや……本当に消えるのか?」

 

「はい、少なくとも今までの例ですと、どんなに長くても二十歳になる前には消えていますので。それが何か?」

 

「いや……何でもない」

 

リゼの話と違いすぎる。

だってリゼの父親は能力者だぞ。

まさかあのおっさんが20にも満たない年齢だとは思えないし、何がどうなっている?

本当にもう何を信じればいいのやら……。

 

「まぁとにかく、今のでわかったでしょう。能力は使わないでください。いいですか」

 

「あ、あぁ……わかった」

 

なんだかとんでもない事になったな。

まぁ要は使わなきゃいいっていうのは変わらないけど、今ので事の重大さが大きく上がったぞ。

元々カンニングのせいで退学して以来、能力を使う気はなかったけど、実際それからも度々マヤの時計取り返す時とか、リゼを助ける時とかに使ってたしな。

今後は使用をこれまで以上に控えた方が、ていうかもう本当に命の危険を回避するぐらいの時以外には使わないようにしよう……。

 

「まぁ、話は以上です。しかし驚きましたよ。まさかこんな遠くにいるなんて。あなたを見つけて身辺を調べて、よし捕まえるぞと思った次の日には街から姿を消してるんですもん。あなたの所在をまた掴むのに一ヶ月も要してしまいましたよ」

 

「僕の身辺を調べたって……。つかお前、どうやって能力者を見つけてるんだ?」

 

「能力者を見つける能力を持つ協力者がいるんです。ただ範囲が限られるみたいなので、流石にここまで遠くに来られるとお手上げですね。ですのであなたの目撃情報や、駅の監視カメラなどの情報からようやくここまでたどり着いたってわけです」

 

成る程、そういう能力者もいるのか。

じゃあもしあの日家出しなかったら、次の日にはこいつに捕まってたのか。

 

「にしてもわざわざここで話す必要あったのか?どうせ他に誰もいなかったんだから店でも……」

 

「いえ、お腹がすいてたのは本当ですから。それに、盗聴器があったようなのであそこで話すのは危険かと思い連れ出した所存です」

 

こいつ……店の盗聴器に気づいてたのか。

ずっと住んでるチノやココアも知らないのに。

僕だってリゼに聞くまで知らなかったのに一発で気づいたのか。

どんだけだよ……。

 

「それでわざわざ猫かぶって近づいたのか」

 

「猫かぶってたのはお互い様でしょ。あっ、そういえば人気のないところって言ったとき、なんか様子変じゃありませんでしたか、あなた」

 

「なっ!!べ、別に何もない……!!」

 

「え〜本当ですか〜」

 

こいつ、わかっててやったな……クソッ舐めやがって。

そうして一通り有宇をからかうと、友利が公園の出口に向かう。

 

「じゃあ私は帰るとしますか……本当だったらあなたにうちの生徒会に入って欲しかったんですが仕方ありませんね……」

 

ん?今なんて言った。

そういやさっきも保護するとか言ってたよな。

それって、星の海学園に入れるってことだよな。

星ノ海学園は一応学校ではあるみたいだし、もし保護されるとなれば……また高校生に戻れるってことか!?

 

「ま、待ってくれ!」

 

思わず背中を向け、帰る友利を呼び止めていた。

 

「なんです?まだ聞きたいことでも」

 

「ぼ、僕も連れて行ってほしい!」

 

「はぁ?」

 

「超能力を保護するのがお前らの仕事なんだろ?なら僕も保護してくれよ!なんならその生徒会とやらにも協力してやる!頼む!」

 

今僕は高校の学歴ぐらいは取ろうと高卒認定の勉強をしている。

が、如何せんとも全然頭に入らない。

まぁ、中学入ってすぐの頃に能力を手に入れて、それからずっとカンニングしてたから無理もない。

だが、ここで高校に入って無事卒業できれば楽して高校卒業資格が手に入るということだ。

だが、友利の答えは僕の期待したものではなかった。

 

「……確かに、生徒会としてもあなたの能力は使えますので是非とも星の海学園の生徒として生徒会に入っていただきたい。……ですが、それでもあなたを我が校に迎えることは出来ません」

 

「な、どうして!?」

 

「親御さんの……あなたの親権を持つ方からの了承が得られません。うちも悪魔で学校法人ですので、親権者の了承が得られないのに迎えることができないんですよ。うちは全寮制ですし、親御さんからの援助は不可欠です。ですので、あなたを我が校に迎えることは出来ません」

 

「そんな……」

 

クソッ、折角の大チャンスだったのに!

てか親権を持つ方って……まさか、おじさんのことか!?

 

「そこまでして僕の邪魔をするのか……クソッ!」

 

「何でも今のあなたを学校に通わせたところでまた同じ過ちを犯すだろうということです。こちらも再三お願いしたんですが駄目でした」

 

同じ過ちだと?

ハッ、そんな事知るか!

どうせ僕らのことなんか邪魔者程度にしか思ってないくせに、いっちょ前に親ヅラしてんじゃねぇよ!!

 

「ははっ別にいいさ、別にあんたなんかに頼らなくたって一人で生きてやるよ。ここにだって一人で来たんだしなぁ!!」

 

そう言うと、友利は意外そうに有宇に言う。

 

「あれ?まさかあなた、一人で今の生活ができてるって思ってるんですか?」

 

「なに?どういう事だ?」

 

「高校生が親の同意書無しで……いやまぁ、この店みたいな個人経営のところならワンチャン無しでもいける気はしますが、同意書無しで働けるとでも?それも住み込みで」

 

「だが僕は現に……」

 

「それはあなたのおじさんに、この店のマスターの方が了承を得たからです。普通家出人と知って雇うバカはそうそういませんよ」

 

「……本当なのか?」

 

「はい。本当はあなたには黙っておくはずでしたが、やはり心配だったそうで。そうそう忘れてました。これをどうぞ」

 

そう言って友利がポケットから出したのは、僕が以前使っていた携帯だった。

 

「これ……」

 

「あなたのおじさん曰く、近頃のあなたの事をここのマスターから聞いて、そろそろ明かしてもいいだろうということらしいです。それで携帯がないと不便だろうということで、あなたに会いに行く私に預けられたということです。あっ、ただ携帯代は自分で出せとの事です」

 

「なに!?」

 

ふざけるな!別に僕は携帯をもってこいだなんて言ってないぞ!

ていうよりマスターめ……全部知ってたのか……!!

それを聞くと有宇は公園を出ようとする。

 

「どこに行くんです?」

 

「店に戻る。もう帰っていいぞ」

 

「そうですか、では」

 

そう言って友利は公園を出ていった。

有宇も公園を足早に去った。

 

 

 

 

 

「ふう、疲れた」

 

リゼはそう言うと、う〜んと背を伸ばしていた。

学校で推薦対策の小論文の添削を先生にしてもらった帰りで疲れていた。

まぁ、これも先生になるという夢のため、手は抜いてられない。

そんな帰り道、向こうから見知った顔が歩いてきた。

 

「お〜い有宇」

 

だが、有宇は特に返事を返すでもなく、無言ですれ違って行った。

 

「どうしたんだあいつ?なんか険しい顔してたけど……」

 

まぁいつも不機嫌そうな奴ではあるけど……それにしたっていつもと様子が違う気がするような……。

 

 

 

 

 

カラン

 

ラビットハウスの店のドアにかけられた鈴が鳴る。

 

「いらっしゃいませ〜って有宇くんか」

 

ラビットハウスに帰ってきた有宇をココアとチノが迎える。

 

「おかえりなさい、お兄さん」

 

「ねぇねぇチノちゃんから聞いたよ?可愛い女の子とデートしてたんだって?流石有宇くん、モテモテだね〜」

 

ココアがそう茶化すが、有宇は特に反応を示すまでもなく店の奥に言ってしまう。

 

「……あれ?」

 

「ほら、ココアさんが茶化すからお兄さん怒っちゃいましたよ」

 

「……有宇くん、なんか思い詰めた顔してなかった?」

 

「ココアさんが茶化したから怒ったんじゃないんですか?」

 

「そうじゃなくて!それにそれだったらいつもみたいにほっぺ引っ張ったりしてくるのに……なんか今の有宇くん、初めて素の有宇くんに会った時と同じ雰囲気だった」

 

 

 

 

 

ココアがなんか言ってたが、耳に入らなかった。

それにしても、結局おじさんの手の上で踊らされていたのか、僕は……。

有宇の心はそんなおじや、それを黙っていたマスターに対する怒りで満ちていた。

そして階段を登り二階にあるマスターの部屋の前に来た。

僕はおじさんの力を借りずに生きるんだ。

その為にも今日限りで僕は────

 

 

 

 

 

 

 

──────僕はこの店を辞める。



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第17話、突きつけられた現実

トントン

 

マスターの部屋のドアをノックする。

 

「どうぞ」

 

声がかかると、有宇は部屋に入る。

マスターはいつもみたく椅子に座っていた。

 

「さて、なんの用かな」

 

「マスター、聞きたいことがあります」

 

「聞こうか」

 

「叔父さんと連絡を取り合ってたというのは本当ですか」

 

そう言うとマスターは、特に顔色を変えることもなく答える。

 

「どうやら星ノ海学園の生徒会長さんと会えたようだね」

 

友利が来ることを知っていたのか。

いや、そんな事よりも、友利が来ることを知っていたということは、伯父さんと内通していたのを認めたということだ。

 

「君の叔父さんから連絡があってね。星ノ海学園の生徒会長さんがこちらに向かっているというのは知らされていたんだが、具体的にいつ来るのか知らされてなかったので君に教えるのが遅くなってしまった。すまな……」

 

「僕が聞きたいのはそんな事じゃない……!!」

 

マスターの言葉を遮り、思わず声を荒らげる。

だがすぐに我に返り、聞きたいことを聞く。

 

「……どうやって叔父さんと連絡を取ったんですか」

 

「君の置いていった履歴書に書かれてあった電話番号にかけたんだ。市外局番がここら辺の番号とは違うから、本当の番号かも知れないと思い試しにかけてみたのさ」

 

履歴書……そうか、住所は東京だと怪しまれると思って変えたけど、電話番号はそのまま家の番号を書いてしまっていたのか。

しまった、そこまで目がいってなかった。

 

「……何故、僕を雇おうと」

 

「さぁ、何故だろうね。ただこのまま君を家に帰しても根本的な解決にはならないと思ったんだ。そこで君の叔父さんにここで社会勉強や君の更生も含めてアルバイトさせてみないか提案したんだ」

 

「……だから今までシフト的に無理があるはずなのにココア達と組まされたりしたんですね。ラテアートを教えなかったのも、ココア達に教えさせるために」

 

前々からマスターの行動には不可解な点があった。

ただでさえ客が来てないのにココア達三人と一緒に働かされたり、バイトで来てそうそう色々家事手伝いを手伝わされたり、完璧そうなこの人がラテアートを教え忘れたり。

全てはこの人なりの僕の更生プログラムだったってわけだ。

 

「そうだ。残念ながら私には君を変える力はない。だがココア君ならそれができる。だからなるべくココア君達と関わるように仕向けさせてもらったよ」

 

「何故ココアなんです?」

 

「それは私が言うまでもなく、君自身がわかっているんじゃないか」

 

……そう言われると、確かになんとなくわかる自分がいる。

あいつはいつもヘラヘラ笑ってるバカのくせに、その純粋さのせいか、人を嫌うということを知らない。

バカやって周りを振り回すことはあるが、なんだかんだ他人のことを思いやって、僕がカンニング魔だと分かった時だって、決して僕を軽蔑したりはしなかった。

寧ろ親身になって気にかけてくれた。

僕自身、まだたった一ヶ月ぐらいしか過ごしてないが、大分ここに染まってきたと時々思うことがある。

それがいいことかどうかはわからない。

けどそうなったのは紛れもなくココアがいたからだと思う。

あいつの、どんな奴でも受け入れてくれるその寛容さがあったからこそ、僕はここにいる。

でも、だからこそこれだけは最後に聞きたい。

 

「最後に一つ、この事をココアは……ココア達は初めから知っていましたか。ちゃんと答えてください」

 

もしあれが僕の更生のための演技であったのなら、それはそれで辻褄が合うし、納得できる。

普通カンニング魔の家出人の味方になる奴なんかいないし、演技であるほうが寧ろ自然だ。

そう、それが自然な事。

だから演技であってもそれはそれで納得できる筈なのに、それを認めたくない自分があるのは確かだ。

だからどうしてもこれだけは聞いておきたかった。

 

「安心したまえ、チノには君を気にかけるように言っておいたが、それだけだ。それ以外のことはチノにもココア君にも言っていない」

 

「そうですか……」

 

演技では……なかったか。

あぁ、思ってた以上に安心している自分がいる。

たった一ヶ月だったが、あいつらと過ごす日々はそう悪いものじゃなかったかもな……。

けど、これでもう心残りはない。

有宇はドアに向かって歩を進める。

 

「どこへ行くんだね」

 

有宇は背中を向けたままマスターに言う。

 

「マスターにはお世話になりました。けど僕は、やっぱり叔父さんの施しを受けてまでこのままこの店に居座るつもりはありません。ですので、今日でこの店を出ていきます」

 

そう言って部屋を出ていこうとドアノブを捻ろうとしたその時だった。

 

「君は……いつまでそうやって甘えてるつもりかね」

 

「え?」

 

「自分には人の上に立てる力があるなどと過信し不正を働き、その上一人で生きていく力もないくせに自分勝手に家を出て親を困らせ……そうやっていつまで自分に甘えるつもりだ」

 

思わず体がビクつく。

普段から温厚で優しく、確か実の娘であるチノすらもマスターの怒った姿を見たことないとか言っていた。

そのマスターが今、静かに怒りを顕にしていた。

そこには流石の有宇も怯んでしまう程の迫力があった。

だが有宇も怯んだままでいられなかった。

 

「……あんたに何がわかる。僕はただ自分に与えられた力の全てを利用しただけだ。それの何が悪い!」

 

「ふざけるな!!」

 

再び有宇の体がビクつく。

今度は先程までと打って変わり、マスターは声を荒らげて怒鳴った。

 

「君の言う与えられた力が何なのかは俺にはわからない。だが、君の言うその力でどれだけの人に迷惑をかけた!君とは違い受験勉強を頑張り陽野森高校を受けた受験生、学校で君を指導し期待した先生達、君のために学費を出してくれた君のおじさん、君はその全ての人達に迷惑をかけたことを理解しているのか?」

 

「それは……」

 

何も言えなかった。

だってそれは批判されて当然の事実なのだから。

ココア達が言わなかったであろう有宇という人間に対する批判を、マスターは次々と口にしていった。

 

「自らの利益のために不正に手を出してしまいたい誘惑は誰にだってあるだろう。現に君のように手を出してしまう人間だっている。それはそれでやってしまったものは仕方ない。然るべき罰を受け、反省し、次に進めばいい。だが君は、人からの誹りを受けることを恐れ逃げ出した」

 

それを聞いて有宇も咄嗟に反論する。

 

「逃げて何が悪い!!あんたの言う罰を受け入れたところで、じゃあ僕は許されるのか!?そんな事ない!!みんな僕をずっと攻め続けるんだろ!?どうせ許されないのなら、別に逃げたっていいじゃないか!!」

 

「逃げることが悪いとは言わない。逃げた先で得られることだってあるだろう。だが君の逃げはなんの意味がある。逃げた先からすら逃げようとして君は何を得るつもりだ。逃げたところでいつかは向き合わなければならない時は必ず来る。その現実からただ逃げ回ったってるだけでは何の意味もない。それに君がもしまともな人間であるなら、逃げた先でずっとその罪を引きずることになる。過去を後悔し、自責の念に駆られ、得たものすらも捨てていく……それこそ本当に意味がないんじゃないのか」

 

「……じゃあどうしろってんだよ。罪を認めても誰も僕を許してくれない、逃げても意味がない、じゃあ僕は……僕はどうすればよかったんだよ!!大体それだったら僕みたいな奴なんかに何で構ったんだよ!!放っておいてくれればよかったじゃないか!!」

 

心からの叫びだった。

もう自分がどうしたらいいのかわからなかった。

誰かに認めて欲しかった。

ただそれだけだったのにこんな事になって、認められるどころか避難される立場になって、そんなの……受け入れようにも僕には耐えられなかった。

もう、ただひたすら逃げて開き直ることしかできなかった。

僕をただそんな辛い現実に引き戻すためにこの店に雇い入れたのなら、初めから放っといて欲しかった。

するとマスターは静かに口を開く。

 

「……君には特別な力があり、世界に不服がある。さて、君は世界を変えるか、それとも自分を変えるか。答えてみなさい」

 

何を言ってる?

その質問が……僕のすべき事と、僕を雇った理由と何の関係がある。

 

「……自分。世界なんかに興味はない。僕が、僕自身が良いと思える姿に変われるのなら、自分を変える。世界への不服なんて、自分を変えれば消えるだろうし……」

 

質問の意図がわからなかったが、有宇は正直に自分の思うことを答えた。

なんだ?そんな自分勝手なクズは死ねってか。

知るか、自分の事ばかりを考えて何が悪い。

だがマスターから返ってきた答えは意外なものだった。

 

「私も、君と同じ答えだ」

 

「え?」

 

「私もかつて、ある人に同じことを聞かれて、同じように返したよ」

 

ある人?

ていうか何が言いたい……。

 

「私は、ここで働く前は軍人だった」

 

その話は知っている。

リゼから聞いた。

だがそれがどうしたというのだ。

有宇の疑問を外に、マスターは自分の昔話を始めた─────

 

 

 

 

 

私には特別な力があった。

周りの人間にはない───それはある種、ズルとも言えなくない力だ。

その力が評価され、私は軍隊にスカウトされた。

あの頃の私は若かった。

昔から周りの人間より優れた身体能力を持っていた当時の私は、そこで自分が成功する未来しか見えていなかった。

自分にはそこで成功できるだけの力があると過信し、私はそのスカウトを受けた。

だが、親父は反対だった。

親父は喫茶店を建てる夢を持っていた。

それもあって私も幼い頃からシェイカーとか色々仕込まれたものだ。

親父は喫茶店を建てたら私を跡継ぎにするつもりだったが、当時の私には喫茶店のマスターなんて退屈なものにしか感じられなかった。

だから跡継ぎになる私が軍人になることに反対だったのだろうと当時の私は勝手にそう思っていた。

今にして思えば、あの時親父は親として自分の子を戦場へ送ることに反対だったのだろうと親になって初めてわかったがね。

だが私は結局、親父の反対を押しのけ、黙って家を出て軍隊に入隊した。

 

 

 

軍隊に入ってからは厳しい訓練が待っていた。

自分と同じように集められた人間が何人もおり、中には私よりも強い人間もいた。

そこで随分と現実を見せられたものだ。

だが、逃げようとは思わなかった。

それは自分のプライドが許さなかった。

必死で食らいつく思いで成績を上げ、優秀な成績で無事訓練過程を終えることが出来た。

 

 

 

訓練が終われば当然実戦に出される。

幾つもの部隊に分けられたが、私は海外での対テロ部隊に入れられ、テロ組織の鎮圧、要人の警護などを主にやって来た。

そしてそこでは当然、訓練とは違い命を懸けた戦いに赴くこともあった。

何人もの仲間が死んだ。

そして私自身も、何人もの人間を殺した。

だが、それらに対して何も感じなかった。

軍人になると決めた時からそうなる事は覚悟していた。

だから殺すことに何の躊躇いも責任も感じなかった。

それにここでは殺さないことが讃えられるのではなく、殺すことで讃えられる。

寧ろ殺さないことで責任が生まれると言っても過言じゃない。

自分が殺さなきゃ自分自身が、或いは仲間が死ぬことになるのだから。

どんな理由であれ、それが人殺しで紛れもない悪であることは知っている……それでも私はそれを正当化した。

 

 

 

そうして過ごすうちに戦友もでき、自分を信頼してくれる部下もできた。

人殺しだとわかっても、そうすれば皆が信頼を寄せてくれた。

当時の私はそれこそ任務で人を殺すことこそが自分の勲章と思っていた。

そして戦友達と競い合いながら、ひたすら敵を殺し、敵軍殲滅のための作戦を考えたり、敵と優位な条件で交渉したりなどして功績を立て、私は隊内でもかなり高い地位まで登りつめた。

遂には念願の、軍隊の指揮権を当時の指揮官から直々に託される話が出てくるまでになった────

 

 

 

 

 

マスターは一旦そこで話を止めた。

マスターの過去、自分の予想を超えたその内容に有宇は驚きを隠せなかった。

今の温厚なこの人からは、とても自分の名誉のために人殺しをするような人には見えなかったからだ。

だがそれは同時に、自分の利益の為に他人を蹴落としてきた自分とどこか通ずるものがある気もした。

そしてマスターは再び話に戻る。

 

「だが、ある戦場に送られたときだった。そこで、ある小さな子供に私は出会った。今のチノよりも少し小さい、本当にまだ子供という年齢だった。とても優しく親切な可愛らしい子だった。だが……」

 

そこでマスターは言葉を濁す。

なんだ、何があったんだ?

有宇は先が気になり聞いてみる。

 

「……何があったんですか」

 

「……テロ組織の一味が立て篭っている建物への攻撃が始まった。私も当然兵士として戦いに参加した。上からの命令では中のテロリスト一味は全員殺せとのことだった。そしてその中にその子がいた」

 

「なっ……!」

 

いや、無理もないのか?

確か紛争地域とかだと子供も兵士にされるみたいな事を聞いた事がある。

それに身寄りのない子供がマフィアとかテロ組織とかに身を委ねることもあるとか……。

 

「それで……マスターはどうしたんですか……?」

 

「……殺したよ」

 

「……!」

 

「話を続けようか……」

 

そしてそこからまたマスターは再び語り始める────

 

 

 

 

その日以来、私は悪夢を見るようになった。

殺したあの子が、今まで殺した人間達が出て来る夢だ。

私はあの子を殺して初めて、今まで奪ってきた命の重さを思い知った。

そしてつくづく自分が身勝手な人間だと思い知らされた。

今までだって子供が相手だったことは何度かあった。

可哀想とは思ったが、それでもそれ以上の事は何も思い浮かばず、その命に手をかけてきた。

なのに、自分の身近な人間が死んだ時になって、ようやくそれに気付かされたのだから、私は何というエゴイストなのだろうと思い知った。

 

 

 

それから私はこの軍隊という組織の異質さに気づき始めた。

いや、気づき始めたというより見えていなかった──見ようとしていなかったというべきだろう。

人の命に平気で手をかけ、子供すら敵とあらば殺す。

そしてそれを自慢気に己の勲章にする。

敵をたくさん殺して、まるで鬼の首を取ったように喜ぶ仲間たちを見て、私はここに来て初めて恐ろしいと感じた。

最も、以前の私だって同じことをして、同じように喜んでいたのだから人のことは言えないがな……。

そして上はそれを平和維持の、ましては人類の為だと言う。

しかし、弱い立場にある人間を殺して、国の要人ばかりを擁護する。

そこにどんな正義がある。 そこにどんな平和があるんだと問いたかった。

そう思うようになってからしばらく経った時の事だった。

────私は銃が持てなくなっていた。

人に銃を向けると、あの子の事を、殺した者たちのことを思い出してしまうのだ。

もう私には……人は殺せなかった。

周りには大分心配された。

そうして精神的に疲労した私は上官の勧めで一時休暇を取って、逃げるように日本に帰国した。

 

 

 

日本に帰ってすぐ、親父が昔から夢だった念願の喫茶店を開いたと知った。

成功を収めに行った筈が現実を思い知らされそこから逃げて来た私とは違い、親父は夢を叶えていた。

頼るあてもない私は親父の店に行った。

だがいざ店のドアの前に立つと体が動かなかった。

親父の反対を押し切り黙って家を出て、それからずっと連絡も寄越さなかったのに今更……と思い店のドアに手をかけることが出来なかった。

結局そのまま帰ろうと引き返そうとすると、ちょうどその時ドアが開き、そこに親父が立っていた。

 

「お前……タカヒロか……!?」

 

「……」

 

私は何も返さなかった。

親父もそれから特に何も言わずに店に私を入れた。

私がカウンター席に座ると親父は、

 

「なんか飲むか?」

 

と一言言った。

何でもいいと私が言うと、親父はサイフォンでコーヒーを作り始める。

サイフォンからコーヒーのいい香りが溢れ出す。

昔から親父はサイフォンでよくコーヒーを淹れてくれたっけと感傷に浸った。

そしてコーヒーが出来上がり、親父は静かにそれを私の前に置く。

そして私はコーヒーに口をつける。

すると何故だろう、昔から散々飲み慣れた味の筈なのに、涙が溢れて止まらなかった。

親父のコーヒーはとても温かく、荒んだ私の心の奥にまで染みこんでくるようだった。

年甲斐もなく咽び泣く私に対して親父は、何も言わず私の頭を、コーヒーの香りのするその手で撫でていた。

 

 

 

それから私は軍隊を退役した。

辞めるのは容易ではなく、私の訓練時代からの友人の手も借りながら幾つもの条件を課された末に辞めることができた。

しかし軍隊を辞めると、一部を除いて、当時の仲間や部下からは臆病者と罵られた。

そう言われても仕方がなかった。

事実私は逃げ出し、彼らから見たら臆病者でしかないのだから。

ただ、後悔はなかった。

一時休暇の時のように、漠然と戦場から逃げ出したのではなく、親父のあの一杯を飲んだあの日から、自分の中にできた夢を追うために、私は再びあそこから逃げると決めたのだから。

軍隊に入ったのは、自分には向いていると思ったから。

そこでなら自分は成功できると思ったからだ。

それは目標といえば目標だが、自分がしたかったことじゃない。

自分の成功願望を叶えるためだけの願望で、それは夢というにはあまりにも粗末なものだった。

だが親父のあの一杯を飲んだあの日から、私の中にも夢と呼ぶべき目標ができた。

親父のこの店をお客様に安らぎを与えられる、お客様の立場に立った店にしたいという夢が。

たくさんの人間の命を奪ってきた私が、誰かの為に何ができるか。

私はあの子を殺してからずっと考えていた。

その答えが、親父のこの店にあると思った。

殺してきた者たちにできることはない。

どんなに悔やんで、どんなことをしても彼らは帰ってこないのだから。

でも、今を生きる誰かの心の安らぎになるように、そしてまた明日を生きる活力になるように、そんな店を作り今いる人々の支えになる事こそが私が殺してきた者達のためにできる最大の返礼であると思うから。

だから私はこの店で、お客様に安らぎの一時を与えたい。

───そう、私があの日、親父のコーヒーで救われたように───

 

 

 

 

 

マスターの昔話はそこで終わった。

人に人生ありというが、思った以上に重い話だった。

するとマスターが有宇に言う。

 

「君を始めてみた時、どこか昔の自分と似ている気がした。最初は気がした程度のものだったが、実際に君と過ごしてみると、それが確信に変わったよ。自信過剰で、強い成功願望があり、自己の利益の為には周りの人間の事など厭わない、そんなところが」

 

それは違う!……と言いたかったが、自分でもマスターの話を聞いてて自分でも昔のマスターと似ていると思った。

 

「君を見ていると昔の自分を見ているようだった。だからこそ放っておけなかった。君にかつての私のようにならないで欲しかった。成功願望だけを夢見て、その為にはどんな犠牲も厭わない、そんな人間にはね」

 

マスターは決して、僕を咎めたいわけではなかった。

自分がかつて後悔してしまった事を、かつての自分と似ている僕にも歩んでほしくなかった。

ただそれだけだったのだ。

 

「君のしてきた事は紛れもなく間違いで、咎められなければならない罪だ。それを償うのは簡単ではないだろう。君がどんなに変わろうと、やってしまった事は消えはしないのだから。だが敢えて言わせてもらおう、全力で向き合っていけと。それが君の償いにもなり、君自身のためにもなるはずだ」

 

「僕自身の……ため……」

 

自分のやってきたことの責任を取る。

それはただただ辛いものだと思っていた。

でもこの人は、それが成長に繋がると言った。

現にこの人は辛い現実を乗り越えてきたのだから、その説得力は計り知れない程だ。

だがやはりまだ怖い。

タカヒロさんの話を聞いても……僕にはまだ……。

するとタカヒロさんが有宇の心を見透かすかのように言う。

 

「今すぐ向き合う必要はない。けど君は若く、時間は沢山ある。大いに悩んで大いに迷いなさい。今はないものをこれから先手に入れていけばいい。そうだな……できれば目標か何かあればいい。ただし君の場合はただの成功願望ではない何かを見つけられるようにした方がいいな」

 

「どうしてですか……?」

 

「成功を夢見ることは悪いことではないが、それは人を変えやすい。現に私も君も、それに狂わされてきた人間だからな」

 

それを聞いて素直に納得する。

確かにそうかもしれないと思った。

しかし自分がただ成功を収めるというだけではない何かを……か。

そんな目標なんかすぐに思い浮かばない。

やりたいことも好きな事も特にないしな……。

するとタカヒロさんは冗談交じりにこんな事を提案する。

 

「そうだな……ではひとまずのところでこういうのはどうだろう。この店を盛り上げてみるというのは」

 

「は?」

 

店を盛り上げる?どういうことだ。

 

「勿論お客を増やすことができれば君の給料を上げよう。どうかな?」

 

「どうかなって……」

 

突然の提案に戸惑う。

そんな事自分にできるかどうかわからないし、そんな事急に言われても……。

 

「まぁ、そんな重く考えなくていい。ゆっくり考えてくれればいいさ」

 

「は、はぁ……」

 

そうして再び二人の間に沈黙が流れる。

そしてこの語に及んで有宇はこんなことを聞く。

 

「あの……それで僕は結局どうすれば……」

 

「君がこの店を出ていきたいのならそれはそれでいいと思う。ただ君はおじさんへの対抗心だけでそうしようとした。だから止めた」

 

「……おじさんと話し合えと?」

 

「今すぐにとは言わない。さっきも言ったが時間はたっぷりある。よく考えておきなさい。それに本当の親子でなくとも君たちは家族なんだ。いつまでも争うべきではないと私は思うがね」

 

「………」

 

正直、今はまだおじさんと話し合う気はない。

確かに、学費を無駄にした僕が悪いのは明白だ。

ただ、おじさんだって僕を恥さらしだといった。

それに出て行けと最初に言ったのだっておじさんだ。

なのに今更僕には直接何も言わずに仲を戻そうなんて虫が良すぎるし、とてもそんな気にはなれなかった。

 

「まぁ、とにかく今はまだここに居てみてはどうかね。それに、君はもう少し残される者の立場になるべきだ。君は悪人かもしれないが、君を思う人だっているのだから」

 

「それはどういう……」

 

「さて、もうそろそろ夕食の時間だろう。私もバーの準備をしなくちゃならない。もう行きたまえ」

 

部屋にかけられた時計を見ると、もう夕食を作る時間だった。

 

「は、はい。その……失礼しました」

 

「あぁ」

 

本当はもっと他に言うべきことがあるのだろうが、この時はそれしか言葉が浮かばなかった。

そうして部屋から出るためにドアを開けると

 

ドンッ!

 

と音がした。

そして同時に、

 

「痛て!」

 

「痛いです!」

 

と声が上がった。

ドアの向こうをみると、ドアにぶつかって額を抑えているココアとチノの姿があった。

 

「お前ら……いつからそこに?」

 

「いてて……ついさっき……。仕事終わって、有宇くんの様子おかしかったから様子見に行ったら部屋にいないんだもん。そしたらタカヒロさんの部屋から声が聞こえて……そうだ!それより有宇くん!」

 

「は、はい…!」

 

いきなり大声を出すもんだから少し驚いて思わず丁寧口調で言葉を返す。

するとココアは悲しそうな顔で尋ねてきた。

 

「……出ていっちゃうの?」

 

「え?」

 

「だってさっきここを出ていくって聞こえたから……。私、まだ有宇くんのお姉ちゃんらしいこと出来てないし、まだ有宇くんと一緒にいたいよ!」

 

するとチノも有宇に言う。

 

「私もまだお兄さんと一緒にいたいです!まだお話も全然してないのに……!」

 

あぁそうか……残される者ってそういうことか。

二人の必死の訴えを聞いて、タカヒロの言った言葉の意味に気づいた有宇は、いつも通りの口調で言葉を返す。

 

「別に出ていかねぇよ。他に行く宛もないし……それに、今の僕にはここしかないしな」

 

そう言うと、ココアは先程とは打って変わって満面の笑みを取り戻すと、有宇に思いきり抱きついた。

 

「良かった〜!まだ有宇くんといられるんだね!!」

 

「ココアさん、そんなにくっつくとお兄さんに迷惑ですよ」

 

ココアに抱きつかれて恥ずかしいやら何やらで混乱したが、すぐにいつもの調子で払いのける。

 

「だぁもう、うっとおしい!それよりさっさと夕食の準備するぞ。ココアは風呂わかしてこい。チノはいつも通り手伝い頼む」

 

「了解!」

 

「はい、わかりました」

 

そしていつも通り夕飯の準備に戻っていった。

 

 

 

 

 

その日の夜、夕飯を食べ終えた有宇は、三階のテラスに来ていた。

そして昼間友利から貰った携帯をポケットから取り出し、電話をかける。

 

『もしもし、友利です』

 

「あっ……えっと、乙坂だ」

 

『あなたですか。なんですかこんな時間に?』

 

「いや、その……まだ礼言ってなかったと思ってさ……ありがとな」

 

さっき携帯を開いたら、こいつの電話番号が入っていたのを発見した。

多分何かあったときにかけろということだろう。

それで、昼間おじさんのことで血が登ってろくに挨拶もせず別れたので、一応僕のためにはるばる遠くから来てくれたので、礼を言っとこうと思って電話をかけたのだ。

 

『はぁ、まぁこっちは任務でやってるんで別に気にしなくていいっすよ』

 

「あっそ……」

 

昼間も思ったが、結構冷めた女だよなこいつ……。

声はどことなくココアと似てるのに、騒がしいあいつとは大違いだ。

 

『それで、結局まだそこに残るんですか?』

 

「え?」

 

『いえ、昼間あんなに怒ってらっしゃったので。あなたのことだからおじさんの施しは受けないとか言って出ていくのかと思ったので』

 

そこまで想定済みかよ……なんて女だ。

 

「いやまぁ、一応まだここにいるけど……」

 

『そうですか。それじゃあ、おじさんとはよりを戻すおつもりですか?』

 

「いや、それは……」

 

それはまだ考えさせて欲しい。

まだ僕もあの人と話そうとは思わない。

そもそも本当に僕が心配だったら向こうからかけてくるだろうし、僕から電話をかける必要はないだろ。

 

『まぁそれはあなたのご家庭の問題なのでいいですが。それよりこっちとしては早くあなたを星ノ海学園に入れてこき使いたいので、早く更正して仲を戻してください』

 

「こき使うってお前なぁ……」

 

この女、大概失礼だよな。

僕もあんま偉そうに言える立場ではないが……。

 

「まぁいいたいことはそれだけだ。じゃあな」

 

『あーちょっと待ってください』

 

「ん?なんだよ」

 

『歩未ちゃんには連絡しましたか?』

 

「……いや、まだしてないけど」

 

『ちゃんと連絡取った方がいいと思いますよ。歩未ちゃん心配していましたよ』

 

「歩未に会ったのか?」

 

『いえ、まだ直接は。悪魔であなたのおじさんから聞いた話ですが、歩未ちゃん、まだあの家にいますよ』

 

「え……?」

 

そんな馬鹿な、歩未には置き手紙でちゃんとおじさんの家に行くよう伝えたはずだしなんで……。

 

『あなたが帰るまでは絶対にあの家から動かないと。それと念の為歩未ちゃんが能力者になる可能性もあるので彼女にも星ノ海学園に……』

 

「ちょっと待て!歩未も能力者なのか!?」

 

『いえ、その可能性が高いというだけです。能力者は兄弟でなりやすいケースが高いので』

 

「そうか……」

 

びっくりした。

てっきり歩未も能力者なのかとヒヤヒヤした。

でも確かリゼは能力は遺伝しないとか何とか言っていたのにな……またリゼの話と矛盾が生じたな……。

 

『それで、歩未ちゃんにも星ノ海学園の推薦状をあなた達のおじさん経由で渡したのですが、あなたと一緒じゃなきゃ行かないと』

 

「……そうか」

 

『歩未ちゃんは多分あなたのことを怒ってはいないと思います。ですから歩未ちゃんとはちゃんと連絡を取ってください』

 

「……あぁ」

 

『まぁ何かあればまた連絡してください。一応歩未ちゃんには監視をつけていますし、危険が及ぶことはないと思います。それでは今度は星ノ海学園で会いましょう』

 

そう言って友利は電話を切った。

それから有宇は額に手をかざし、友利に言われたことを考える。

本当は携帯を手にして一番に連絡を取ろうとしたのは友利ではなく、歩未だった。

けど怖かった。

今まであいつの前では完璧なお兄ちゃんを演じていたのに、それがバレた今、あいつに軽蔑されるのが怖かった。

歩未は僕にとって大切な妹なんだ。

その歩未に軽蔑されるのはやはり怖い。

友利は、歩未は怒っていないと言っていたが、それでも万が一軽蔑されたら……僕は立ち直れないだろう。

それに、そもそも僕が家出を決めたのは歩未に僕のしたことの風評被害から守るためでもある。

せっかく僕と距離を取ることができたのに、僕から歩未にコンタクトを取っていいのかと躊躇われた。

 

『君はもう少し、残される者の立場になるべきだ』

 

するとその時、マスターの言葉を思い出した。

残される者……そうか、これってココア達のことだけじゃなくて……。

気づけば有宇は電話を取っていた。

 

 

 

 

 

プルルルル プルルルル……

 

しばらくして電話が取られる。

 

『もしもしお兄ちゃん!?』

 

「……あぁ、久しぶり」

 

『久しぶりじゃないのです!あゆが、あゆがどれだけ心配したか……』

 

電話の向こう側の歩未は涙ぐんでいた。

歩未の声を聞いて、有宇も何故か涙が溢れてきた。

 

「あぁ……ごめん……ごめんな……」

 

それからしばらく、久しぶりに言葉を交した二人は、電話越しでお互い泣き始めた。

 

 

 

 

 

『……そっか、じゃあ今有宇お兄ちゃんはそのラビットハウスっていうお店で働いてるんだ』

 

お互い泣きやんだ後、僕はここに来るまでの経緯を歩未に話した。

 

「あぁ、それでその……まだしばらくそっちには帰れそうにはない」

 

『そうなのですか……。でもお兄ちゃんが元気でやってるなら良かったのです』

 

それを聞いて有宇は一番気になることを聞いてみる。

 

「……怒ってないのか?」

『怒ってるのです!あゆに黙って家を出るなんて!』

 

「いや……その、お前を騙していたこと」

 

『騙した?』

 

「だって今までずっと優秀な振りしてお前を騙したのに……」

 

歩未の前では優秀な兄を演じていたけど、本当はただのカンニング魔で、優秀でも何でもない。

そんな風にずっと騙していたのに、何で以前のままでいられるんだと有宇は思った。

 

『確かに、有宇お兄ちゃんは優秀じゃなかったかもだけど……でも、あゆにはいつも優しくて、あゆの自慢のお兄ちゃんなのです!だから、嫌いになんかならないのです』

 

「歩未……」

 

歩未のその言葉に感銘を受ける。

いかん、また涙が……。

有宇は涙をこらえ、話題を変える。

 

「そういえば歩未の方はなんか変わったこととかあったか?」

 

僕のことでなにか友達とかから言われてないといいんだが……。

 

『ううん、なんにもないのです。あ、でも最近変な夢を見るのです』

 

「夢?」

 

『うん、なんか……もう一人家族が居たような……?そんな夢』

 

「なんだそりゃ、ただの夢だろ」

 

『でも本当にいた気がするのです』

 

そんなこと言われても、僕達に他に家族なんていないしな……。

 

「家族は僕とお前だけだ。変な夢のことは忘れておけ」

 

『う〜ん、了解したのです』

 

歩未はまだ納得しきれていないようだったが、まぁ所詮夢だ。すぐに忘れるだろう。

 

「それじゃあ歩未、その……まだ帰ってやれないけど一人で平気か?」

 

『大丈夫なのです!それにこうしていつでも有宇お兄ちゃんと話せるから寂しくないのです』

 

「そうか……迷惑かけてすまない」

 

『いいのです!それより今度は一緒に働いている人とか紹介してほしいのです!』

 

「あ……えっと、まぁ考えておく」

 

『よろしくなのです!』

 

ココア達なら歩未とは仲良くなれそうだけど、できれば歩未の教育上紹介したくはないな……。

 

『それじゃあお兄ちゃん、バイバイなのです』

 

「あぁ、それじゃあ」

 

そう言って電話を切る。

正直ホッとした。

歩未に嫌われていなかったこと。

そして、あいつが元気そうだったこと。

思い切って電話して本当に良かったと思う。

そういう意味でいえば友利に感謝だな。

さて、そろそろ部屋に戻るかと振り向くと、いつの間にかココアがすぐそこに立っていた。

 

「うぉっ!お前いつからいたんだよ」

 

「ついさっき。有宇くんが珍しくテラスにいるなって思って。それより有宇くん、携帯持ってなかったって言ってなかったっけ?」

 

あぁ、そういえばまだ言ってなかったな。

あの後普通に飯食って風呂に入ったしな。

 

「おじさんから送られてきたんだよ」

 

「おじさんって確か……もしかして有宇くん、おじさんと仲直りしたの!?それでもしかして実家に帰るからここを出ていくって言ってたの?」

 

「いや、別にそういうわけじゃない……」

 

「そっか……」

 

ココアは少し残念そうな表情を見せる。

 

「何だお前、僕に出てって欲しくなかったんじゃなかったのかよ」

 

「う〜んそうなんだけど、やっぱり家族と一緒にいられるのならその方がいいのかなって……」

 

マスターと同じこと言うんだな。

確かに家族の絆とやらが尊重されるべき物であるのは確かなんだろうけど、うちの場合、両親共々子供を捨てていくような連中だし、歩未は大切だが、正直僕にはいまいち家族だから仲良くしろというのがよくわからん。

 

「用がないならもう部屋に戻るぞ」

 

そう言って有宇がテラスから出るとココアが呼び止める。

 

「あぁ待って!」

 

「んだよ……」

 

「携帯持ってるなら私とメアド交換しようよ」

 

「メアド?」

 

「うん、いいでしょ?」

 

「いやまぁいいけど、今の時代メアドよりLI○Eとかのアプリとか……」

 

と言いかけたところでココアの携帯を見ると、なんとこの時代には珍しくガラケーだった。

 

「ガラケーかよ……」

 

「えへへ、これお姉ちゃんのお下がりで大事にしてて中々買い換えられなくて……。まぁ当のお姉ちゃんは機械苦手で全然使ってなかったんだけどね」

 

「……まぁいいや、じゃあメアドと電話番号教えろ。あ、ついでにチノのも知ってるなら教えてくれ」

 

「うん。あ、じゃあみんなのも教えておくね」

 

こうして全員のメアドと電話番号を手に入れた。

 

 

 

 

 

それから部屋に戻って携帯を眺める。

そこにはココア達の名前が入っていた。

他にも友利と、高城とかいう人物のメアドと電話番号が入っていた。

……高城って誰?

まぁ、また後日友利に聞いてみるか。

にしても今はSNSとかのアプリがあるから、こんな風にメアドとか交換するのなんて初めてだな。

どことなく、新鮮さを感じる。

にしてもなんか色々あったな今日一日で……。

取り敢えず今はまだこの店に残ることにした。

でもマスターに言われたこの先の目標だとか夢だとかはまだ全然考えつかない。

おじさんとの和解も今は考えてない。

いつか自分の罪と向き合わなければならないとマスターは言っていた。

あの人もまさに今、向き合っている最中なのかもしれない。

けど僕にはまだそんな覚悟はない……。

結局なんだかんだいって、マスターに言われた勢いで、ひとまずここに留まることを決めただけに過ぎないんだよな……。

あと超能力についても、友利の話と合わないところとかリゼに確認取りたいし……本当問題が山積みだ。

ひとまずマスターも時間はあると言っていたわけだし、今すぐ手を付ける必要はないだろう。

とにかく今日はもう疲れたし、早く寝てしまおう。

そうして有宇は床に就いた。

 

 

 

 

歩未の突拍子のない夢の話のせいだろうか。

その晩、おかしな夢を見た。

小さい頃の僕と歩未、そして見知らぬ誰かと歩いている。

あの人は、誰だったんだろうか─────




タカヒロさんの過去は、この話オリジナルのものです。


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第18話、懐かしい安らぎ

七月、もうそろそろ夏休みという時期である。

だが学生には夏休みに入る前に、大きな鬼門が待ち構えている。

 

 

 

 

 

午後、ラビットハウスには有宇、チノ、リゼの三人が働いていた。

ココアはというと……

 

「期末試験の勉強をするからバイト代われとかふざけやがって……」

 

ココア達の学校はもう期末試験。

ココア達の学校に限らず、この時期はどこも期末試験で学生は試験勉強に追われていることだろう。

そしてココアが千夜と試験勉強をするため、ココアのシフトを代わって有宇が午前から引き続き働いている。

 

「ていうかお前らはいいのかよ試験勉強しなくて」

 

共に働く現役学生二人に尋ねる。

 

「私は普段から予習復習してるし、家帰ってからもやるし特に問題ない」

 

とリゼ。

 

「私もそうですね。バイトが終わったらちゃんと勉強しますし、大丈夫ですよ」

 

とチノ。

二人の返答を聞くと、有宇は若干やさぐれたように愚痴る。

 

「ふ〜ん……それは優秀なことで」

 

すると何故か有宇が機嫌を損ねてしまう。

 

「あの……何か気に触るようなこと言ったのでしょうか?」

 

「ただ僻んでるだけだろ、ほっとけ」

 

「ゔっ!」

 

図星だった。

要は自分の頭が悪いものだから、二人の余裕そうな態度に嫉妬しているのだ。

しかし有宇も透かさず反論する。

 

「ふん、そうやって余裕ぶっこいて赤点とっても僕は知らんぞ」

 

「はいはい、わかったわかった」

 

しかしリゼには相手にもされず受け流される。

クソッ、なんか負けた気分だ……。

 

「そういえば有宇もなんか勉強してるんだろ?」

 

「ん、あぁ、まぁな」

 

一応有宇も高卒認定の勉強をしている。

どっかに就職するにしても高校卒業レベルはないとダメだと思い、やりたくはないが仕方なくやっている。

 

「なんなら今度私が教えてやろうか?」

 

「え?」

 

まさかそんな風に提案されるとは思ってもいなかったので驚く。

確かに実際わからないところだらけで全く身になってない気はするので教えを請いたいところだが……。

するとその時ドアにかけられた鈴が気持ちよく音を立てる。

 

「ただいま〜」

 

入ってきたのは客ではなくココアだった。

 

「お前、甘兎で勉強するんじゃなかったのか?」

 

「ちょっと忘れ物しちゃって」

 

「……甘兎からここまで30分はかかるよな確か」

 

それなりに距離あるんだから、時間もったいないんだし忘れ物なんかするなよ……。

 

「それよりみんな何話してるの?」

 

「今有宇に勉強教えてやろうかって話をしてたんだ」

 

ココアの質問に対しリゼがそう答える。

それを聞いたココアはふーんと頷いたと思ったら、突然「そうだ!」と声を上げ、なにかを思いついたようだ。

 

「じゃあ有宇くん、私達と一緒に来る?」

 

「は?なんでそうなる」

 

「だって有宇くん勉強教えて欲しいんでしょ?だったらちょうどいいかなって。ほら、今から私と一緒に行こ?」

 

「いや、僕仕事あるし……」

 

「行ってきたらどうだ。そんなにお客さんもいないしさ」

 

リゼにそう言われ、店内を見回す。

確かに今店には客は二人しかいないのでヒマではある。

 

「でも勝手に抜けるわけには……」

 

するとちょうどよく廊下からマスターが現れる。

一応聞いてみるかと声をかける。

 

「あの、マスター……」

 

するとまだ何も用件を言っていないのにも関わらず、マスターはグッと親指を立て了承のサインをする。

まさか一秒で了承されるとは……。

まぁこんなに客がいないのに働いてたって人件費の無駄でしかないし、別にいいか。

 

「えっとじゃあ……後は頼む」

 

リゼとチノにそう告げる。

 

「あぁ、任せろ」

 

「はい、いってらっしゃいお兄さん」

 

二人は快くそう答えた。

 

 

 

 

 

それから普段着に着替え、カバンに今まで使ってきた教材を放り込んでココアと店を出た。

 

「ていうか本当によかったのか?テスト勉強だっていうのに僕が邪魔しても」

 

「全然邪魔なんかじゃないよ。それにこういうのはみんなでやった方が楽しいし」

 

いや、勉強なんて楽しむもんじゃないだろ。

そもそもよく勉強会なんてやってる奴いるけど、僕が言うのもあれだがそういう奴に限って成績悪かったりするんだよな……。

最も僕はテスト勉強をしに行くわけではないので別にいいけど。

 

 

 

 

 

30分後、ようやく甘兎に到着する。

中に入り奥の部屋に向かう。

そこに、ちゃぶ台の上に教科書を広げる千夜とシャロの姿があった。

 

「お待たせ〜」

 

「あらココアちゃん、おかえりなさい」

 

「まったく、忘れ物なんかするんじゃないわよ……て、なんで有宇がいるのよ」

 

「有宇くんもみんなとお勉強したいんだって。シャロちゃん、有宇くんのことも教えてあげて」

 

「私も試験勉強あるんだけど……まぁいいわ、とにかく時間もったいないんだし始めるわよ」

 

「「サーイエッサー!」」

 

「さ、さー……?」

 

こうして四人の勉強会が始まった。

 

 

 

 

 

勉強会開始から数十分後、シャロは苦い顔をしていた。

そんなシャロの手には、有宇の問題集がある。

有宇が解いた問題の丸つけをしてもらっているのだが……。

 

「ねぇ有宇……」

 

「なんだ?」

 

「ここの日本語文を読んでみなさい」

 

シャロが有宇の解いた問題の一つ、日本語を英語に書き換える問題の一つを指差す。

 

「えっと『トムはいつ帰ってきますか?』だろ」

 

「そうよね……それがなんでこうなるのよ!!」

 

有宇の答え

〈Is Tom ritarn ?〉

 

「何だお前知らないのか?疑問文はbe動詞が先に来るんだぞ」

 

有宇はさも当たり前かのように言う。

 

「ここは疑問詞を使うんでしょうが!!答えは〈When will Tom come home?〉よ!!あとreturnのスペル間違えてるし、あとこれ!」

 

次にシャロが指を指したのは、英語を日本語に訳す問題だ。

 

〈I'm home〉

 

有宇の答え

〈私はホメです〉

 

「いやだって『私は家です』じゃおかしいだろ?だからてっきりホメさんていう人だと……」

 

「なわけないでしょ!!はぁ……こんなの中学でやることでしょ……」

 

「は!?ここは日本なんですけど!?英語なんて必要ないし、お前こそ日本語で喋れよ!!」

 

「それが人に教えてもらう態度かぁぁぁぁぁ!!」

 

有宇の立場をわきまえない反論にシャロが激昂する。

 

「一応聞くけどあんた、5W1Hは流石にわかってるでしょうね!!」

 

「馬鹿にするな。いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように、情報伝達においての基本事項だ」

 

「ええそうよ、それを英語で?」

 

「……」

 

「ウソでしょ!?一つもわかんないの!?」

 

つまり、有宇は高校1年(になってる歳)にも関わらず、疑問詞すら理解していないということだ。

 

「本当に中学の基礎もできてないじゃない……。因みにSVCは?」

 

「S……?す……す、スーパーヴォルカニックカノン!!」

 

「なにその必殺技みたいな名前!?」

 

「あ、それ、すごくいい名前ね!喫茶店のメニューの参考にさせてもらってもいいかしら?」

 

「あんたは黙ってなさい!!」

 

千夜が有宇の珍回答に悪乗りすると、シャロから鋭いツッコミが入る。

そしてシャロは有宇のバカさ加減に頭を抱える。

 

「はぁ……そうじゃなくて第二文型のことでしょうが。あんた、自分で勉強してたんじゃなかったの?」

 

「いや、英語とか数学とか自分でやってもわかんねぇから、公民とか現代文とかそっち優先してやってたし……」

 

それを聞くとシャロは呆然とした。

そして静かに涙した。

 

「……もうヤダ」

 

「シャロちゃんが折れた!?」

 

「逆にすごいわ有宇くん!」

 

「別に嬉しくねぇよ!!」

 

有宇の頭の悪さは、もはやシャロすら投げ出すレベルだった。

 

 

 

 

 

「まさかここまで頭が悪かったなんて……」

 

少し休んでいつもの調子を取り戻したシャロが、本当に意外そうにそう呟く。

 

「カンニング魔だっていうのは聞いてたけど……あんたいつからそんなことしてたわけ?」

 

「えっと……」

 

シャロにそう聞かれ、真面目に思い出そうとする。

能力を手に入れたのが中学入ってすぐ辺りだった気がするから、そこから能力の活用方法を模索したりしてあれこれ時間が経って……。

 

「……中2ぐらいからだったかな?」

 

「そんな前からやってたのね……。それから全く勉強してないの?」

 

「あぁ!全然、これっぽっちも!」

 

「威張るな!!」

 

そしてそれを聞いてシャロは頭を悩ませる。

シャロはてっきり、有宇は有名校に入るためだけにカンニングをしたと思いこんでいたのだ。

だが実際は受験よりずっと前からカンニングをしていたのである。

つまり、有宇には高校の勉強の基礎的な事がほぼ一切頭に無いのである。

 

「この調子だと他の教科も基礎が出来てないだろうし……有宇、あんた明日から一週間の予定は?」

 

「毎日バイトだが?」

 

「そう、じゃあ午後は空けときなさい。どうせ午前バイトでしょ?」

 

「いや、土曜は午後も……」

 

「空けておきなさい!いいわね」

 

「あ、あぁ……わかった」

 

シャロの謎の気迫に押され、仕方なく言われたことを素直に呑む。

 

「いい!私もテスト期間でバイトのシフト減らしてるから、残りの時間であんたに勉強の基礎を叩き込んであげる!基本さえ掴めば後は自分でもやれるだろうし……とにかく覚悟しなさい!!」

 

どうやらシャロはバイト終わりの時間を、有宇の勉強を見るのに使うつもりらしい。

 

「いや、そんなわざわざ……」

 

「私の気がすまないのよ!私が教えておいてこのままだなんて絶対許さないんだから!」

 

シャロが熱く燃えていた。

シャロが貧乏なことを知ってからリゼに聞いたのだが、シャロはお嬢様学校の特待生らしい。

だからそれなりにプライドでもあるのだろうか?

 

「でもお前、自分のテスト勉強はいいのかよ?」

 

有宇がシャロに尋ねる。

シャロだって自分のテスト勉強があるはずだ。

 

「心配いらないわ。テスト勉強なんて普段やってる予習復習の確認みたいなものだしそこまで重要じゃないわ。勿論怠る気はないけど」

 

リゼとチノと同じことを……頭の良い奴は皆こんななのか?

ともかくシャロとしては心配する必要はないということなのだろう。

有宇としても勉強を教えてもらえるのは助かる……が、かといってそんなにみっちりやる気もない。

逃げ道を探そうと考えると、さっきから二人で勉強をしている千夜とココアが目に入った。

 

「そ、そういえば二人はどうなんだ?シャロの手が必要なんじゃないか?」

 

いつも他のメンバーよりアホなことを噛ましてる二人のことだ。

僕と同じくらいといかずとも、アホの部類に入るに違いない。

そうなればシャロの力が必要になり、僕だけを重点的に見る訳にもいかなくなるはずだ。

だが二人の答えは有宇の予想に反するものだった。

 

「ううん、大丈夫よ。私達がわからないことがあれば勿論シャロちゃんに聞いたりするけど、二人で力を合わせればほぼ問題ないわ」

 

「うん、だからシャロちゃんは有宇くんに集中してくれて大丈夫だよ」

 

「で、でもココアとかお前本当に大丈夫なのか?正直頭いいイメージが全然ないんだが……」

 

「ひどっ!!」

 

確かに大分失礼なことを言ってるのは承知してるが、こいつの普段の様子を見て頭がいいイメージが沸くはずもなく、そう思うのも仕方ないだろう。

すると千夜が言う。

 

「あら、ココアちゃん結構成績良いのよ。特に理系科目は学年でもトップクラスで、私も普段から教えてもらってるの」

 

「え!?」

 

今日一番の驚きである。

てっきりココアが千夜から一方的に教わってるのかと思っていたのに……。

ていうかこいつ……バカそうに見えて実はリケジョだったとは……。

 

「でも私、文系科目が苦手なんだ〜。だから文系科目は千夜ちゃんに教わってるの。その代わり理系科目は私が千夜ちゃんに教えてるんだ〜」

 

一応何でもできるというわけではないようだ。

なんにせよ、こいつらはそれぞれ理系、文系科目を得意としており、お互いに苦手科目を補えるようにしているということか。

そして二人でもわからないような発展的内容に関してだけ、お嬢様学校に通ってるシャロが教えているというわけだ。

 

「ともかく勉強に戻るわよ!あんたには色々と詰め込まなきゃいけないんだし」

 

「まじかよ……」

 

「有宇くん、ファイトだよ!」

 

「頑張ってね」

 

それから有宇は、みっちりとシャロに勉強の基礎という基礎を頭に叩き込まれた。

 

 

 

 

 

勉強はそれから三時間続いた。

外はもう暗くなっており、時計の針は夜の八時を回ったところでシャロがそろそろ終わろうと言った。

 

「取り敢えず今日はここまでにしましょう」

 

「お……終わった……」

 

終了の合図がかかると、有宇は魂でも抜けたかのように机にうつ伏せになる。

こんなに勉強したのは何年ぶりだろうか……。

本当は七時に終わるはずだったのだが、有宇の方のきりが悪かったので、そこからダラダラと余計に一時間経ってしまった。

勉強の途中からはココアや千夜にも、そこ違うとかなんとかツッコまれ、シャロからは同じところを間違えると怒号が飛んでくるし、有宇にとっては苦痛の三時間だった。

 

「有宇、あんたは明日も来なさいよ。明日はうちでみっちりとやるんだから」

 

「うげぇ……もう十分やっただろ」

 

「今日は英語しか出来なかったじゃない!その英語も全然まだまだだし、他の教科もきっちりやらなきゃまずいでしょ!高卒認定ってあんたが思ってる以上に難しいのよ!とにかく、自分で勉強できるレベルになるまで続くんだから覚悟しなさい!あと家でも予習復習しなさいよ!」

 

「マジかよ……」

 

「あと今日出た英単語、明日またテストするから。できなかったらまた後日再テストよ」

 

「はぁ!?んなもんどうやって覚えろっていうんだよ!」

 

「ほら、この英単語帳あげるからこれで覚えなさい」

 

するとシャロは、針金に短冊状の紙が束ねられている物を渡してきた。

 

「これが単語帳か。存在は知ってるけど、これどうやって使うんだ?」

 

するとその時、ピシッとその場の空気が凍りつくのを感じた。

ココア達すら苦い顔を浮かべていた。

お前はそんなことも知らないのかというような雰囲気である。

 

「な……なんだよ。受験勉強だってしてこなかったんだから仕方ないだろ!!」

 

「自業自得でしょうが!!」

 

シャロの鋭いツッコミがとぶ。

 

「ま……まぁまぁシャロちゃん。誰にだってわからないことぐらいあるよ。えっとね有宇くん、これは表側に覚えたい英単語を書いて、裏側に正解の日本語訳を書くの。で、それをこうやってめくって……」

 

とココアが有宇にフォローを入れながら、単語帳の使い方を教えてくれた。

その横顔を見て、少しドキリとする。

たまにこう姉らしさを発揮することあるよなこいつ……。

 

「ん、どうしたの?変な顔して」

 

「あっいや……なんでもない」

 

まぁ本人に言うと調子乗るので言わないのだが。

その後千夜に夕飯に誘われたが、チノからメールが来て、家でチノがもう作ってくれてるとのことなので、僕とココアはそのままラビットハウスに帰ることにした。

 

 

 

 

 

甘兎からの帰り道、有宇は浮かない顔をしていた。

 

「あーあ、明日から勉強漬けかよ……。おまけに帰ってからも勉強とか、普通に死ねる……」

 

「死んじゃうの!?とにかく元気だしなよ有宇くん。ファイトだよ!」

 

「あーはいはい、ファイトファイト」

 

「もう!全然ファイト出す声じゃないよ〜!」

 

そんなこと言われても出せないものは出せないのだ。仕方ないだろ。

それからもココアが色々となにか話していたが、単語帳片手に話半分に聞き流し帰路に着いた。

 

 

 

 

 

その日の夜、有宇は机に向かっていた。

明日は数学をやるということなので手をつけているのだが、さっぱりわからん。

そもそも僕はもう勉強をする必要はないのだ。

星ノ海学園への入学はおじさんの手によって編入することが出来なかった。

だがおじさんはマスターを通じて今の僕の情報を入手している。

マスター曰く、おじさんは今の僕に割と好感触を持っているらしい。

ならば、どの道ここでしばらく過ごせばおじさんの怒りも解かれ、星ノ海学園に編入できる日もいつかくるはずだ。

つまり、今までは完全に家出のつもりでいたから高卒認定を取ろうと躍起になっていたが、もうその必要はないということだ。

勿論入った後で苦労することにはなるだろうがそんなの知るか。

後のことまで気にしてられないし、明日も「マスターがどうしてもシフトに入って欲しいらしくて。だからゴメン」とでも言っておけばシャロも納得するだろう。

それに僕なんかに時間を使うより自分のテスト勉強をした方がシャロのためにだってなるだろう。

そうだ、こんなことやめだやめだ。

いつもみたいに本でも読もう。

そう思ってシャーペンを置こうとすると、トントンとドアがノックされる。

どうぞと声をかけるとお盆にコーヒーの入ったカップを乗せたココアが入って来た。

 

「お勉強頑張ってると思ってコーヒー淹れてきたよ〜」

 

「おう、気が利くな」

 

そしてココアはお盆を有宇の机に置き、有宇にカップを渡す。

 

「どう?捗ってる?」

 

「全然、ちょうど諦めようと思っていたところだ」

 

「えぇ!?諦めちゃうの!?」

 

「あぁ、そもそも僕には向いてないんだよ。無理やりやったってやる気だって出るわけないんだし。明日もシャロには適当に理由つけて断るつもりだ」

 

するとココアが笑顔を曇らせる。

そしていつになく真剣な声色で有宇に言う。

 

「……本当にそれでいいの?」

 

「あ?何がだ」

 

「有宇くんは本当にそれでいいの?」

 

「あぁ、言ったろ?僕には向いてないって。昔から僕はそんな頭も良くないしな。それに今、もしかしたら高校に入れるかもしれないって話が来てるんだ。そうなれば高卒認定を取る必要もない。だからもういいんだ」

 

そうだ、無理して勉強する必要なんかもう無い。

必要性もないのにわざわざそんなことやるなんてバカみたいだろ。

だからこれで……。

 

「私はそうは思わないな」

 

そう言うココアはいつものにんまりとした笑顔ではなく、初めて本音で語り合ったあの日のように優しく微笑んでいた。

しかし有宇は平然と悪態をつく。

 

「はっ、お前はいいよな、頭がいいからそこまで苦痛でもないんだろうし。でも僕はお前たちと違って頭が悪いんだ。理解しようとしても理解できない。そうなれば周りの奴らにも奇異の目で見られる。そんなの苦痛でしかない。そうだろ?」

 

僕だって真面目に勉強してた頃はあったさ。

だけどどんなに頑張って机に向かっても理解できない。

だから結果も出ない。

なんとか赤点を回避することぐらいならできたけど、望むような点数を手にすることはなかった。

いい点数を普通に取れるお前達にはわかるまい。

 

「確かに勉強って楽しくないって思う人はいっぱいいるし、有宇くんの気持ちはわからなくはないよ。でも私、有宇くんが頭悪いとは思わないけどな」

 

「え?」

 

「まぁ良くも無いと思うけど」

 

「どっちだよ!!」

 

「えへへ、とにかく有宇くんに必要なのはやる気だと思うんだ。なんか今日見てて思ったんだけど有宇くん、やる気がないっていうか覚える気がないでしょ」

 

それを聞いてドキリとする。

確かに勉強に意欲的かといえばそうじゃない。

けどそれも仕方ないだろうと同時に思った。

 

「当然だ。お前だってさっき言ったじゃないか。勉強なんか楽しめるものじゃないと。全ては学校の成績を保つためにすぎない。結果しか見られないから頑張ったってその過程は無視される。なら無理やりやるしかないだろ?そんなものにやる気なんか出せるか」

 

「そうだね。でも有宇くん、勉強もそうだけど、どんなものでも何かを一つやり遂げたいって思うことが大切なんだよ。勉強は辛いものかもしれない。でもみんな辛い勉強をするのだって将来の自分のために……自分のしたいことを叶えるために勉強するの」

 

「自分の……したいこと……」

 

「ほら、私お兄ちゃん達いるでしょ?お兄ちゃん達も昔から弁護士と科学者になりたくて必死に机に向かってたよ。受験のためには好きでもない科目の問題も説かなきゃいけないけど、必死に頑張って夢を叶えたんだよ。まぁまだ学生だから叶えたってわけじゃないけど」

 

そりゃお前の兄貴は目指す目標があるからいいだろうよ。

けど僕には……。

 

「僕とお前の兄貴達じゃ違う。僕には将来の目標なんかない」

 

マスターにも目標うんぬんの話はされた。

だが僕には好きなものなんかないし、これといった趣味もない。

だから、僕には勉強を頑張る理由なんてやっばりないのだ。

「でも……」とココアが口を開く。

 

「でもそれなら尚更頑張んなきゃいけないと思うよ」

 

「それはあれか?取り敢えず勉強しておけばいい会社に入れるとかそんなのか。は、僕だってそれぐらいわかるさ。だから汚いことをしてでも成績をあげようと思ったわけだしな」

 

「ううん、そうじゃないよ。有宇くん、勉強っていうのはね、可能性の宝庫なんだよ」

 

「可能性の宝庫?」

 

「うん、だって何も知らなきゃ何もできない。それは勉強に限ったことじゃないでしょ。チノちゃんや千夜ちゃんみたいにみたいに喫茶店やったり、お兄ちゃん達みたいに弁護士や科学者になったりするのだって色んな知識が必要なの」

 

「けど喫茶店と弁護士じゃ、なる為の勉強量が違うだろ」

 

「確かにみんなそれぞれ必要な知識は違うよ。でもその根幹にあるのが学校の勉強なの。たくさん勉強しなくてもなれるお仕事は確かにあるだろうし、それとは逆に弁護士さんとかは沢山勉強しなくちゃなれない。でもたくさん勉強しなきゃ弁護士さんにはなれないけど、たくさん勉強すれば弁護士さんにも、喫茶店の店員さんでも、何でもなれるんだよ。つまりね、学校のお勉強はその全てで通じるの。しておくだけで将来の選択肢が増えるの。だから勉強をするっていうことはね、可能性を広げることなの」

 

「可能性を広げる……」

 

「うん、それに学んだ知識を、今度は専門的な知識に繋げられる。そこから自分のやりたいことだって見つけられるはずだよ。だからね、これからの事を考える有宇くんには沢山お勉強して沢山のことを知って欲しい。それで手にした知識の中から自分のやりたいことを見つけて欲しいな」

 

僕は今まで勉強を将来仕事を得るための……周りから評価されるための手段でしかないと思っていた。

勿論それが間違いだというわけではない。

しかしそれだけではないのだと、得られた知識から自分のやりたいことだって見つけられるのだとココアはそういったのだ。

そうか……それは何事においても消極的な僕なんかじゃ思いつかない考えだ。

 

「かく言う私も街の国際バリスタ弁護士か小説家かどっちにしようか迷ってるんだ」

 

「それは色々と一つに絞れよ!てか街の国際って矛盾してないか!?」

 

ったく……。

まぁ何はともあれココアの言いたいことはわかった。

 

「でも現実問題成績がな……。それに苦痛なのには変わりないし……」

 

「だったら!」

 

そう言うとココアは部屋を飛び出していった。

そしてすぐに自分の部屋の椅子と伊達眼鏡をかけ、白衣を着て戻ってきた。

椅子を僕の右隣に置いて、ココアは伊達眼鏡をかける。

 

「えっと……ココア?これは一体……」

 

「一人でやるのが辛いなら私も一緒にやってあげる。ほら、私有宇くんよりお姉さんだしなんでも聞いて聞いて」

 

「でもお前、テスト勉強は……」

 

「いいのいいの。お姉ちゃんに任せなさ〜い!」

 

そう言うとココアは右腕の袖をまくって腕を曲げた後、左腕を右腕に添えるポーズをとった。

まぁ、一人でやるよりはいいか……。

 

「じゃあ……頼む」

 

「うん!」

 

ココアは笑顔で快く返事を返した。

しかし有宇には一つ気になることがあった。

 

「ところで……その白衣と伊達眼鏡は?」

 

「先生といったらやっぱ白衣と眼鏡かなって」

 

「……姉か先生かどっちかにしろよ」

 

「そうだね、じゃあ間を取ってお姉ちゃん先生で!」

 

「欲張りかよ!」

 

そんなこんなで二人で勉強を再び始めた。

正直ココアの教え方は何かと分かりづらいところが多かった。

……でも、わかるまでちゃんと教えてくれた。

説明を聞いてもわからなければ途中式を書いたり、図で説明したりしてくれた。

時間はかかったけど、この時間は決して今までのように苦痛な時間ではなかった。

 

 

 

 

 

その日の夜、夢を見た。

夢の中の僕は小学生ぐらいだろうか。

必死に机に向かっている。

テストの点が低くてクラスメイトにバカにされて、次の小テストこそはと勉強しているのだ。

だが自分でやっても全然わからなかった。

自分の出来なさに嫌気が差した。

顔は今にも泣きそうだ。

そんな時、隣に誰かが立つ。

 

『お、勉強してるのか。どれ、〇〇〇〇〇〇が見てやろうか』

 

その人は隣に立って僕の勉強を教えてくれた。

とても優しく、学校の奴らと違ってなんでできないのなんて言わなかった。

わかるまで何度も優しく教えてくれた。

まるで今日のココアのように……。

だがその顔は以前見た夢と同じように霞がかっているようになっていて見えなかった。

なぁ、あなたは一体誰なんだ……。

 

 

 

 

 

次の日も、午後になるとシャロの家に赴いた。

シャロも言葉は厳しいけど、わかるまでちゃんとじっくり教えてくれる。

これでバイトもやってるんだ。大したもんだよ。

ラビットハウスと甘兎は徒歩30分かかる。

その間の道も単語帳を眺めたりして無駄にはしなかった。

家に帰れば、夕食当番を変わってくれたチノとココアが夕食を作って待っており、夕食と風呂を済ましたらココアと一緒に勉強した。

途中からチノも混ぜて欲しいと場所をチノの部屋に変えて、三人で小さい丸テーブルに座ってそれぞれの勉強をして、わからないところがあればココアが教えてくれた。

そんな感じで一週間が経った。

 

 

 

 

(じ〜)

 

有宇はいつも通りシャロの家にいた。

この日はシャロの勉強会の最終日、そういうこともあってシャロは一週間のまとめとして自作のテストを渡してきた。

範囲はこれまでやって来たところだ。

有宇はそれを解いて、そして今シャロがテストの答え合わせをしているのだ。

そしてしばらくしてシャロが答案から顔を上げた。

緊張から喉をゴクリと鳴らす。

 

「全問正解……ではないけど、でも八割出来てる。頑張ったわね有宇」

 

そう言いながら軽く微笑む。

何気に初めてじゃないか?僕にこんな風に笑いかけてくれたの。

でもなんだろう。達成感というかなんというか……今はなんだか最高の気分だ。

すると顔が緩みそうようになり、咄嗟に緩まないよう抑えた。

それだけ有宇にとって嬉しかったのだろう。

───誰かから認められるということが。

 

「でも油断しないことよ!これからもちゃんと勉強は続け……ゴホッゴホッ!」

 

するとシャロが咳き込む。

 

「大丈夫か?」

 

「大丈夫よ、ちょっと咳き込んじゃっただけ。今日はもう帰っていいわ。今までご苦労様。私はちょっとベッドで横になるからそれじゃ」

 

そう言うとシャロは席を立ち、ベッドの方へのそのそと向かう。

 

「シャロ」

 

そんなシャロのその背中を呼び止める。

 

「なによ?」

 

「その……ありがとう。色々と助かった」

 

「別に、私がそうしたかっただけよ。……でも、素直に受け取っておくわ」

 

そしてこう付け加える。

 

「それと……また何かわからなくなったら聞きに来てもいいわよ。バイトとかある時じゃなければだけど」

 

「あぁ、そのときは頼む」

 

そうしてシャロはベッドに潜り込み横になった。

有宇も帰り支度を整えてシャロの家を出た。

 

 

 

 

 

家に帰る途中、夕飯の買い物の帰りのココアと会う。

 

「おー有宇くん早いね。どうだった?」

 

「あぁ、取り敢えずシャロのテストはクリアしてきた。ひとまず勉強会はこれで終わりみたいだ」

 

「そっか」

 

すると有宇はココアの持つレジ袋に目が入る。

見た感じ卵とか鶏肉とかが入ってるようだ。

 

「今日はオムライスだよ。腕によりをかけて作ってあげるね」

 

「オムライスか……」

 

歩未のオムライスを思い出す。

思えばもうあれを食わなくなってから一ヶ月以上経ってるのか……。

そして有宇は左腕を、左側を歩くココアに差し出す。

 

「?」

 

「持ってやる。重いだろ」

 

「あぁ、そういうこと」

 

そしてココアからレジ袋を受け取る。

 

「ありがとね有宇くん」

 

「あぁ」

 

そういえば、よくこうやって歩未と二人で歩いたっけ。

歩未と一緒にスーパーへ行って、レジ袋は僕が持って、歩未の隣を歩く。

ほんの少し前まで当たり前だったことなのに、今となっては昔のことに感じられてしまうな……。

するとココアが有宇に尋ねる。

 

「そういえば有宇くん、これからどうするの?」

 

「どうするって?」

 

「お勉強。もうシャロちゃんの勉強会も終わっちゃったしやめちゃうのかな〜って」

 

あぁ、そういうことか。

確かにもうやる必要もないのかもしれないが……。

 

『できれば目標か何かあればいい』

 

『勉強をするっていうことは可能性を広げることなの』

 

『自分のやりたいことを見つけて欲しいな』

 

ココアやマスターのセリフを思い出す。

可能性……目標か……。

昔の僕にはとてもじゃないが持つことの出来ないものだと思っていた。

でもそれが見つかるというなら僕は……。

 

「いや、続けるよ。折角覚えたのに忘れたくないしな」

 

そう言うとココアは満面の笑みを浮かべた。

 

「そっか……えへへ」

 

それに、勉強は今でも僕には荷が重いけど、この僕の隣で笑っている少しおっちょこちょいな自称姉がいれば続けていけそうだ。



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第19話、夏風邪引いた織姫

朝、いつものように二階のキッチンで朝食をココアとチノの二人と取る。

こいつらが飯を食い終わったら洗い物をして、洗濯物を干して開店準備をしなくちゃといつものように頭を巡らしていると、下からドアにかけられた鈴の音がした。

まだ開店時間には早いが誰か来たのだろうか。

すると下から階段を上がる音がして、姿を見せたのは千夜だった。

 

「千夜ちゃん!?どうしたのこんな朝早くに」

 

ココアがいち早く反応する。

流石親友を名乗るだけある。

 

「ゼイゼイ……シャ……シャロちゃんが大変なの」

 

「「「え?」」」

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、シャロが体調崩して倒れてるってわけか」

 

「ええ、そうなの。シャロちゃん、バイトと試験勉強どっちも頑張ってたから無理が出たみたいで……」

 

確かに昨日も少し咳してたしな……夏風邪でも引いたか?

ていうかシャロって今までもバイトと試験勉強を両立出来ていたんだよな……だとするとこれって僕のせいだったりするのか?

バイト終わった後は僕に勉強を教えて、さらにその後は自分の勉強もやってたんだろうし、それで睡眠時間が削れて無理が祟ったのかもしれない。

自分の勉強も怠る気はないとか言ってたし間違いないだろう。

向こうからの提案であったとはいえ、シャロには悪いことしたな……。

そして千夜が申し訳なさそうに言う。

 

「それでね有宇くん、悪いんだけどシャロちゃんの看病お願いできるかしら?」

 

「え?」

 

「本当は私も学校休んで看病してあげたいんだけど、今日うちテストでしょ?だから流石に休むわけにはいかなくて……」

 

確かにココアと千夜の学校は今日から期末テストだ。

ていうかシャロのところも期末だよな確か。

まぁ病欠だし再テストとかはやらしてもらえるだろうけど……。

とにかくシャロの看病をやって欲しいとのことだ。

こっちとしても原因を作った責任もあるし引き受けたいが……。

 

「う〜ん、この前も勉強のためにシフトなくしてもらったばっかだしな……」

 

流石に二度も勝手に休みをもらっても大丈夫なのかどうか……。

 

「そういう事情なら行ってあげなさい」

 

するといつの間にかマスターがすぐそこにいた。

さっきまで下にいたはずなのにいつの間に……。

 

「えっと……いいんですか?」

 

「あぁ、病人が一人きりというのは放っておけないしね。店は私がやっておくから遠慮しないで行ってきたまえ」

 

「わ、わかりました」

 

了解を得るまでもなく、マスターの方から先に了承されるとは……。

取り敢えずこれでシャロの看病には行けることになった。

 

「ということだから千夜、シャロの看病は任せろ」

 

「ありがとう!あ、そうそう、これ」

 

そう言うと千夜は紙袋を渡してくる。

 

「これは?」

 

「アイスとか風邪薬とかが入ってるわ。シャロちゃんに渡してあげて」

 

「あぁ、わかった」

 

こうして仕事は急遽休みとなり、シャロの看病に行くこととなった。

 

 

 

 

 

ココア達が家を出た後、有宇もラビットハウスを出た。

歩いていくと時間がかかるので、ココアから自転車を借りた。

借りたといっても鍵は挿しっぱなしなので勝手に使うこともできるが、まぁそこは最低限のマナーということで。

どうでもいいが、この自転車の名前は、色がティラノピンクだから略してティッピーなのだという。

無理矢理すぎるだろと思ったが、どんな名前をつけようが持ち主の自由なので特にはツッコまないでおいた。

シャロの家に行くまでの道中、千夜が用意したもの以外にも看病に使えそうなものを買っておいたりしながら無事シャロの家に着いた。

しかし何度見ても千夜の家の物置にしか見えない場所である。

そして千夜から鍵は渡されているが、一応ドアをノックして声をかける。

 

「おーいシャロ、看病しに来てやったぞ」

 

しかし特に返事は返ってこない。

寝ているのだろうか?

仕方ないので鍵を開けて中に入った───

 

 

 

 

 

今なんかドアがノックされたような……あとなんか外で声が聞こえたような……。

ベッドで寝ていたら家の戸が叩かれたような音がして目を覚す。

気のせいよね……千夜には看病はいいからって言っておいたから来るわけないし……。

すると鍵がガチャっと開く音がなる。

うそっ、誰か入ってくる……!?

まさかうちに泥棒が入ってくるなんて……なにも熱の時に来なくたって……。

やだやだ、来ないでよ。

大体うちに盗めるものなんかないのに!

そしてガチャリとドアが開いた。

やばい……襲われる!

シャロは咄嗟に悲鳴を上げた。

 

「きゃぁぁぁぁぁ!!」

 

「うわぁぁぁぁぁ!?……っていきなりデカい声出すなよ!!びっくりしただろうが!!」

 

「……え、有宇?」

 

家に入ってきたのは泥棒などではなく、ラビットハウスで居候している有宇だった。

 

 

 

 

 

「……つまりあんたは千夜に言われて看病しに来たってこと?」

 

シャロは有宇がここに来た事情を聞いた。

 

「ああ、そうだよ」

 

「なんで?ていうか鍵は?」

「鍵は千夜から借りた。理由は……まぁ元々体調崩したのも僕のせいだし罪滅ぼしに来たってわけだ。でもまさかこの僕を変態扱いするとはな」

 

有宇はしっかりと先程のシャロの態度を根に持っていた。

 

「し……仕方ないじゃない。声聞こえなかったし……」

 

恥ずかしそうにシャロがそう言うと、有宇は「はぁ」とため息を吐いた。

ひとまず機嫌を直したようで、調子はどうか聞いてきた。

 

「それで、具合はどうだ?あとなんか食べたか?」

 

「熱と咳はあるけど特にこれと言って他には……。ご飯は食欲ないから食べてない」

 

「そうか、今は大丈夫か?なんならなんか作るが……」

 

「いい、本当に食欲ないから」

 

「そうか、取り敢えず冷蔵庫にプリンとかウ○ダーゼリーとか入れておくから食いたくなったら食べてくれ。これぐらいなら食べられるだろうし。あと冷凍庫にアイスも入れておくから。」

 

そう言うと冷蔵庫を開けて、袋かぶプリンやらアイスやら色々入れていく。

 

「なにそれ、あんたが買ってきたの?」

 

「いや、千夜が買ってきたやつ。アイスとかなら冷たくて食欲なくても食えるだろうからって」

 

「そう……」

 

千夜のやつ……そんなにお節介かかなくてもいいのに……。

でもまぁ助かるっちゃ助かるけど……。

 

「ついでに冷蔵庫に冷えピタも入れてあるから」

 

「ええ、わかったわ」

 

するとシャロは千夜から預かったという紙袋の他にももう一つ袋があるのを見つける。

袋からはネギがはみ出している。

 

「それも千夜が?」

 

「これは僕が途中で買ってきたやつだ。飯作れるように一応な」

 

ネギを使った食べ物ね……風邪の時って普通お粥だけどネギなんか使うかしら?

 

「それじゃあ携帯近くに置いとけよ。なんかあったら携帯鳴らしてくれ。僕は奥の部屋にいるから」

 

「ええ……って近くにいてくれないの!?」

 

「いや、僕がいたら寝にくいと思ったから。いて欲しいならいるけど」

 

どうやら有宇なりに気を使ってくれたらしい。

確かに男の子と二人きりになるのは流石にちょっとあれだし……。

でもいつも千夜は側にいてくれたので、千夜との看病の違いに驚いたのだ。

 

「え!?いやその……別にいい」

 

「わかった。それじゃ」

 

そう言って有宇は部屋から出て行った。

有宇が出ていくと部屋は再び静まり返る。

シャロは再び布団をかぶり直してボソリと呟く。

「別に寂しくなんてないんだから……」

 

 

 

 

 

シャロの部屋を出た有宇は奥の部屋に入る。

奥の部屋は倉庫みたいなものなのか色々な物が置いてある。

窓際にはシャロが育てていると思われてるハーブティーの生えた鉢植えも置いてある。

そして有宇はもう使われてないと思われる学習机の椅子に座って本を読み始めた。

わざわざ仕事を休んでまで来た割には暇なものである。

まぁ、ちょっとした休暇と思えばいいか。

 

 

 

 

 

それからしばらく経った。

目が疲れて本から目を離すと、ハーブティーの植えてある棚の側に何かがいるのが目に入った。

なんだ?ネズミにしてはデカイような……。

よく見えないので棚の側を覗き込む。

するとそこにいたのは(たてがみ)を生やし顔に傷がある灰色のうさぎだった。

 

「うさぎ?なんでこんなところに……」

 

いや、でも確か家の前にダンボールで出来た犬小屋みたいなのがあったけど、あれってもしかしてこいつの小屋たったのか?

シャロの奴、うさぎ嫌いとか言ってたくせに、なんでうさぎなんか飼ってるんだ?

しかしよく見るとうさぎが何か咥えている。

 

「なんだ……ってこれハーブか?こいつ……ほら、ペッと吐き出せ」

 

有宇はうさぎの頭を軽くペシペシと叩いて、うさぎが咥えたハーブティーを吐き出させる。

飼い主が丹精込めて作ったハーブを台無しにしやがって。

随分とまぁ恩知らずな奴だ。

するとうさぎから取り返したハーブから檸檬(レモン)のいい香りがする。

 

「ん?なんだこれ。なんのハーブだ一体……」

 

鉢植えからハーブのなくなってるものを探す。

そして一つだけハーブの生えてない鉢植えを見つけた。

とうやらここから引っこ抜いたようだな……本に集中してて全く気が付かなかった。

えっとこのハーブの名前は……。

すると有宇は鉢植えに書かれていたハーブの名前を見て、ハッとした。

念の為部屋にあったハーブの辞典でそのハーブを調べた。

そして辞典で何かを確かめると、有宇は何かを思いついたのだった。

 

 

 

トントントン

 

まな板で何かを切るいい音がする。

それに何かいいにおいもするし……

少し目を開けるとキッチンに誰かが立っている。

 

「……お母さん……」

 

「悪いがお前の親じゃない。まして母親なんかじゃない」

 

その声を聞いてシャロはガバッと起き上がる。

キッチンに立ってるのはお母さんなどではなく、自分の看病に来た有宇だった。

 

「おはよう。と言ってももう一時過ぎだけどな」

 

時計を見ると、確かに一時を少し超えた辺りだ。

有宇が部屋から出て行った後、何も食べないのは流石にまずいと思い千夜が買ってきたウ○ダーゼリーを一つ飲んで、それからまたすぐ寝たのよね。

もうそんなに経ったんだと思いながら、そういえばと思い有宇に尋ねる。

 

「そういえば有宇、あんたなに作ってるの?」

 

「昼飯、流石に何も食べないんじゃまずいから何か食っとけ。僕もお腹空いたし」

 

「いや、お昼ご飯なのは言われなくてもなんとなくわかるから。そうじゃなくて何を作ってるのって聞いてるの」

 

「うるせぇな……いいから待ってろ、すぐできるから」

 

有宇にそう言われ、流石に作ってもらってる立場なので、仕方なくシャロは席について黙りこんだ。

それからしばらくして料理ができ、有宇がお盆に乗せて持ってきた。

 

「待たせたな」

 

そう言って有宇はシャロの前に黒いつゆが入った透明なそばちょこと、擦り落とした生姜と千切りされたみょうが、小口切りされたネギ、鴨肉を乗せた薬味皿を置いた。

そしてちゃぶ台の真ん中に、いくつもの巻かれたそうめんが乗った大皿を置いた。

 

「なんでそうめん?」

 

「今日は何の日だ」

 

「今日……?あ、七夕!」

 

「あぁ、七夕といえばそうめんだからな。そうめんは風邪にもいいし、七夕に備えて昨日から出汁も作っておいたから丁度いいと思ってな」

 

「わざわざ出汁持ってきたの?」

 

「あぁ」

 

じゃあ有宇が持ってきた袋に入ってたのってそうめんの材料だったのね。

ていうかこいつ、いつの間にか女子力上がってない!?

シャロがそんなことを思っていると、有宇が考え込むシャロに言う。

 

「そういえば七夕といえば彦星と織姫だが、夏風邪引いた織姫様は愛しの彦星様には会えなくて残念だな」

「別にそんなこと思ってないわよ!!」

 

まったくもう、千夜みたいなからかい方して。

そりゃリゼ先輩が来てくれたらいいけど……でも風邪移したりしたら申し訳ないし……。

 

「冗談だ。ま、それだけ元気があれば問題ないな」

 

こいつ……冗談なんか言うキャラだったっけ?

 

「因みに織姫と彦星の星座であるベガもアルタイルも七夕の日は見れないんだけどな」

 

「そう聞くとロマンもへったくれもないわね……ていうか詳しいわね。星好きなの?」

 

「別に……星が好きな奴が身近にいただけさ」

 

「?そう……」

 

そういう友達でもいたのかしら。

でもこいつ友達位なさそうだし……。

 

「そうそう、飲み物も作ったんだ」

 

そう言うと有宇は席を立ち、冷蔵庫から何かを取り出し、それを氷を入れた透明なグラスに注いで入れて持ってきた。

有宇の差し出したグラスからはレモンのいい香りがした。

シャロにはそれが何なのかすぐにわかった。

 

「この匂い……もしかしてレモンマートル?」

 

「あぁ、水につけて置いといた。水出しハーブだ。ハーブはお前のうさぎが引っこ抜いたやつを拝借した。捨てるのは勿体無いと思って。あ、勿論ちゃんと洗ってから使ったぞ」

 

「ワイルドギース……食事調達は各自でって言ったじゃない」

 

シャロはワイルドギースにハーブを抜かれた事を嘆いていた。

 

「うさぎにそれを言ってもわからんだろ……。ていうかなんでうさぎなんか飼ってるんだ?うさぎ嫌いじゃなかったか?」

 

「うん……今でも苦手だけど、リゼ先輩に進められたから……」

 

「あぁ……」

 

有宇はその一言だけで納得した。

そして実に説得力があるとも思った。

しかし「でも……」と有宇は付け加える。

 

「レモンマートルってお前の部屋にあったハーブティー辞典で調べたら風邪にいいらしいな」

 

「それが何なのよ……」

 

「偶然だろうが案外飼い主のために取ってきてくれたのかもしれないぞ。ハーブを取り上げた時も、特に取り返してこようとしなかったしな」

 

「えっ……」

 

有宇にそう言われ考える。

確かに最近はそんなにハーブを抜くこともなくなったし、それにいつも欲しいものを取り上げるとすぐに取り返してくるし……まさか本当に?

するとひょこっとワイルドギースが奥から姿を表す。

 

「ワイルドギース……」

 

ワイルドギースは特に何か鳴くわけでもなく、じっとシャロを見つめている。

 

「い、一応お礼を言っておくわ、ありがとう。……あとで少しだけ人参あげる、少しだけね」

 

するとうさぎはそのまま奥へ引っ込んでしまった。

 

「愛嬌のないうさぎだな、取り敢えずさっさと食べるか。腹減って仕方ない」

 

「そうね、それじゃあいただきます」

 

そしてワイルドギースの見せた優しさ?を感じながら、有宇の作った昼食を食べた。

 

 

 

 

「ご馳走様、美味しかったわ」

 

「あぁ、僕が作ったんだ。当然だ」

 

「本当ナルシストなんだから……」

 

まぁ本当にあっさりしてて美味しかったけど……。

麺と野菜の他に鴨肉もあったのは、おそらくそうめんの栄養素で欠けるタンパク質を補うためだと思う。

栄養のことをしっかりと考えてあって、とてもいい出来だったわ。

しかも麺を巻いておいてあったため、食べれる量を調節出来るようになっていたのもよかった。

 

「でもダメ出しするわけじゃないけど、レモンマートルは酸味が強いから他のハーブティーと合わせた方が美味しくなるわ」

 

「ハーブティーはそんなに詳しくないし仕方ないだろ。まぁ今後の参考にさせてもらおう」

 

てっきりもっと不平を言うかと思ったのに、案外素直に受け止めるのね……。

 

「さて、それじゃデザートもどうだ」

 

「デザート?」

 

すると有宇は冷凍庫からアイスを取り出した。

 

「あぁ、アイスね」

 

てっきりまた何か作るのかと思った……。

すると有宇は更に冷蔵庫からも何か黄色いものが入った瓶を取り出した。

そして有宇はそれを混ぜ始め、混ぜ終わるとアイスをガラス製のサンデーカップに移して瓶の中の液体をスプーンですくって少しかける。

その後瓶の中からスライスされたレモンとミントの葉を乗せる。

 

「ほら」

 

そう言って有宇はアイスをシャロに手渡す。

 

「えっと……これは?」

 

「レモンのはちみつ漬けのシロップをかけたんだ。といってもお前が寝てから漬け始めたから三、四時間程しか漬けてないけどな。でもこれでも十分上手いと思うぞ」

 

「そうじゃなくてなんでわざわざこれを?」

 

「レモンのはちみつ漬けって風邪にいいだろ。だから飲み物にして出そうと思ってさ。けどハーブティー作っちゃったからどうしようと思って。それで材料勿体無いからアイスの時にでも出そうと思ったんだ。あ、まだ瓶に全然余ってから食べたいときに食べてくれ」

 

「そ……そう、わかったわ」

 

こいつ、こんなに気の回る奴だったかしら?

向こうだと確か家事仕事全部手伝ってるのよね……。

それで料理が出来るようになったのはわかるけど、でもわざわざこんな手間をかけるような真似をする奴ではなかったはず……。

いや、でも向こうにはチノちゃんがいるとはいえ、ココアもいるものね。

きっとココアに振り回される内に、色々と気を使うようになったのかもしれないわ。

なんにせよこいつ、一ヶ月で変わりすぎでしょ……。

その時シャロはふと半月前にリゼに作ってもらったアイスカフェモカを作ってもらった時のことを思い出す。

あぁ……でもそうね、元々こういう奴だったかもしれないわね。

 

「どうした、食べないのか?食べないなら僕がもらうけど」

 

「ううん、大丈夫。頂くわ」

 

そして二人はアイスに口をつける。

アイスとよく合っていてこれも美味しかった。

有宇はなんか塩ふって食べていたけど……。

有宇曰く「アイスは塩ふって食べると美味い」とのことだ。

有宇なりの食のこだわりがあるみたいね……。

 

 

 

 

 

アイスを食べ終わると有宇は皿洗いをし始めた。

いつもラビットハウスでやってる為、そういうのが言われなくても身についてしまった。

家事仕事は別にやれと言われたわけじゃない。

いや、勿論居候身分であることも理由の一つではあるけど。

最初は料理を覚えるために料理の手伝いをした。

そこから少しずつ他の家事も手伝ってるうちに、言われる前にやった方が早いと思い始め、いつの間にかラビットハウスの家事のほぼ全般を担当するようになっていた。

皿洗いを終えると、ちゃぶ台ところで座り込む。

するとシャロが声をかけてくる。

 

「ねぇ、あんた以前目標がないとか言ってたじゃない」

 

「何だ突然」

 

確かにシャロとの勉強会の時にそんなことも洩らしたかもしれないが、それがなんだというのだ?

 

「あんたさ、料理とか結構向いてるんじゃない?そういう方面に進めば?」

 

「料理?僕が?はっ、僕のやってるのなんかちょっとした家庭料理レベルだ。仕事に出来る程のもんじゃない」

 

「そりゃプロの料理人とかは難しいだろうけど。でも栄養士とかはどう?今日のそうめんだって私の体調をよく考えて作ってあるなって思ったし」

 

「栄養士ね……。ふん、僕にそんな仕事向いてないさ」

 

「じゃあ喫茶店はどう?ラビットハウスでそれなりにノウハウを学んだんじゃない」

 

「バイトはバイトだ。別にやりたくてやってるわけじゃないし、これからやろうとも思わん」

 

「じゃあ逆に聞くけど、あんたには何が向いてるの?」

 

「そりゃ……」

 

あれ、僕には何が向いてるんだ?

ここに来る前まではカンニングで有名大に入って大企業にでも就職してやるつもりだった。

それが完璧な自分に相応しいのだと思いこんでいたからだ。

でも今は?

今の僕はエリートでも何でもない。

なら、今の僕には何が向いてるんだ?

戸惑う有宇の様子を見て、シャロが申し訳なさそうに言う。

 

「変なこと言っちゃったわね……。ごめんなさい、今のは忘れて」

 

「あ、あぁ……」

 

二人の間に微妙な雰囲気が流れる。

なんか気まずいな……。

気まずさにそわそわしながら辺りをキョロキョロすると、アルバムらしきものを発見する。

話を変えるのに丁度いいか。

 

「なぁシャロ、あれ見ていいか」

 

「あれ?あぁ、アルバムね。別にいいわよ」

 

シャロの許可が下りると、アルバムを早速開いた。

アルバムには幼いシャロの写真がいくつかある。

その殆どが千夜と一緒の写真だ。

 

「本当千夜と仲いいな」

 

「そうね、家も隣だから昔からよく一緒にいたし……まぁ、振り回されることの方が多いけど」

 

あぁ、そういえばよくイジられてるよなこいつ。

しかも今はココアもいるし、振り回す奴が増えて苦労してるだろうな……。

「でも……」とシャロは続ける。

 

「なんだかんだいつも一番に助けてくれるし……その……感謝もしてるわ」

 

それを聞いて、今朝ラビットハウスに駆け込んできた時の千夜を思い出す。

シャロのために、体力もないくせして片道30分の道をアイスとかが入った袋を持って必死に走って来たんだよな……。

多分いつもシャロに何かあった時、一番にああやって千夜が助けてくれたに違いない。

 

「僕には幼なじみなんかいないからよくわからんが……でもいい友達だな」

 

「そうね……うん、千夜は大事な友達よ」

 

友達のいない有宇には、友人関係というのはよくわからない。

けど、この二人がいい関係なのは言われなくてもわかった。

そしてページをめくっていくと、ある写真が目に入る。

それはシャロとシャロの両親が写っている写真だ。

そういえばシャロの両親って今どうしてるんだ?と疑問に思った。

家族なら一緒に暮らすのが普通だ。

最も僕のようにそうでない家庭も一部あるわけだが……。

それをシャロに聞いていいのかどうか迷ってると、シャロがアルバムをのぞき込んでくる。

 

「なにをそんな注視してるのよ」

 

「あ……」

 

そして有宇が家族写真を見ていたことにシャロも気づいた。

だが特に暗い表情を浮かべたりとかの反応はしなかった。

 

「あぁ、お父さんとお母さんの写真ね」

 

「えっと……それって聞いたりしても……」

 

「別に大したことじゃないわ。単に出稼ぎに出てるだけよ」

 

「出稼ぎ?」

 

「そう、ほらこの辺って田舎でしょ?だから仕事がこの辺ってあんまないの。だから二人とも街の外で働いてるってわけ」

 

なんだ、てっきり死別したとかもっと重いものを考えていたのだが、変に気を使ったのがバカだった。

でも、だとするなら疑問が一つ残る。

 

「なら仕送りとか貰ってるんだろ?お前がそんな働く必要ないんじゃないか?」

 

今までは両親がいないから、シャロが自分の生活のために働いているのだと思っていたのだが、両親という経済的支えとなる人間がいるのに、何故こんな貧しい暮らしをしているのだろう。

 

「仕送りは家賃の分だけしか貰ってないわ。それ以外の生活費は自分で稼いでるの」

 

「家賃の分だけ?そんなに稼げてないとか?」

 

「それもなくはないけど、元々ここに残りたいっていうのは私のわがままだから」

 

「わがまま……?」

 

「ええ、元々両親と一緒に街の郊外に住むはずだったんだけど、私この街のこと案外気に入ってるの。だからわがまま言ってこの街に残らせてもらったの」

 

街のことを気に入ってる……か。

普段察しの悪い有宇でもわかった。本当はそれが理由じゃないことを。

この街に限らず、ここら一体はそんなに景色が変わるものじゃない。

少し遠くに移り住む程度であれば景色や街並みもそんな大差はないはずだ。

何よりそんな街への拘りを、両親と住むことより優先するとは考えづらい。

ならその本当の理由とは、やはり千夜なのだろう。

千夜と離れたくないから、友達と離れたくないから……おそらくそれが本当の理由に違いない。

現に普段の生活でも風呂を千夜の家で借りたりと、千夜の家の援助を受けている。

シャロがひとり暮らしをする際、もしかしたら千夜の家の口添えがあったのかもしれない。

 

「……何よ、急に静かになっちゃって」

 

「いや、何でもない」

 

全てお見通しとでも言うようにニヤッと笑ってみせる。

 

「本当に何よもう!ニヤニヤして気持ち悪いわね……」

 

有宇は敢えて口を挟まなかった。

二人の友情に口を挟む程野暮な男では無いからな……。

しかしそうなると結局こいつは経済的理由もあるっちゃあるが、進んで貧乏やってるってことになるのか。

そして興味本位で聞いてみる。

 

「なぁ」

 

「何よ」

 

「……止めたいとか思わなかったのか?」

 

「どうしたの急に?」

 

「だって毎日バイトなんかして大変だろ。おまけに特待生として勉強も疎かにできない。投げ出したいって思わないのか?」

 

僕だったら堪らず投げ出してしまいそうだ。

勉強だけでもいっぱいいっぱいになりそうなのに、その上生活費も稼がなきゃならないなんて、たまったもんじゃない。

だがシャロは毅然としてはっきりと言う。

 

「思わないわ。だって自分のやりたいことやれてるんだもん。勿論生活は苦しいし、辛いときもあるけど自分の選んだことだから。だから後悔なんてないわ」

 

シャロのその言葉は、有宇とって衝撃的だった。

有宇の家もまたそんなに裕福ではなく、多少の違いはあれどシャロの境遇とどことなく近しいものだった。

いや、僕は学費と生活費を援助して貰えていたから、シャロの方が過酷な状況であるともいえる。

それにも関わらず、有宇といえば努力を怠り、不正を働き、援助してもらった学費をドブに捨てた挙句家出……。

対するシャロは努力して優秀な成績を収めて優良校の特待生に選ばれ学費を免除され、更に生活費も自分で稼いで暮らしている。

有宇はシャロの言葉を聞いて自分が恥ずかしかったのだ。

なぜ自分は努力をしようとしなかったのか。

なぜ自分はシャロみたいになれなかったのだろうか……と。

 

「どうしたの?急に黙りこんじゃって」

 

シャロが急に黙りこんだ有宇に心配そうに声をかける。

 

「……お前はすごいな」

 

「はぁ!?なによ急に!あんたいきなりどうしたの!?私の熱でも移ったんじゃないの!?」

 

「僕は十分元気だ!!……ただ、僕はお前のようには出来ないから、少し羨ましく思えただけだ」

 

有宇が悄然とした声でそう言うとシャロが言う。

 

「それはそれでいいんじゃない」

 

「え?」

 

「誰だって出来ないことぐらいあるわよ。それこそ私だって出来ないことはあるしね。だからあんたは自分の出来ることをやればいいじゃない。それこそ出来ないことを出来るようにしたいと思うなら、それに熱を出すのもいいと思う。でも私が思うに、今のあんたに足りないのは、何か一つのことを成し遂げたいっていうやる気よ」

 

「やる気……」

そういえばココアにもそんなことを言われたっけか。

何か一つのことを成し遂げる……か。

 

「目標を見出(みいだ)しなさい。自信を失ってる暇があるなら模索すること。自信過剰なあんたから自信取ったら何も残らないわよ」

 

「余計なお世話だ!」

 

ったく、まるで人をナルシストのように言いやがって……。

でもそうか……目標か……。

有宇がそんな風に考えていると、いきなり背後にある玄関のドアが開いた。

何かと思って振り返ると、ココアと千夜がそこにいた。

 

「シャロちゃ〜ん、お見舞いに来たよ!」

 

「シャロちゃん、具合どう?」

 

「あんた達!ビックリするからノックぐらいしなさいよ!」

 

「ごめんごめん。あ、有宇くんやっほー」

 

「やっほーじゃねぇよ。四時間で終わりだろ?何やってたんだよ」

 

「えっとね、千夜ちゃんとお見舞いの品買ってきたの」

 

そう言いながらココアが袋から取り出したのはミニサイズの笹だった。

 

「短冊に願い事書いてこれに吊して元気出して貰おうと思って」

 

「あと他にも色々買ってきたわ」

 

そう言うと二人して袋の中の物を見せてくる。

本人達曰く笹につける飾りらしいが、こいつらクリスマスツリーと勘違いしてないか?

すると千夜が言う。

 

「そうそう有宇くん、今日はありがとね。シャロちゃんの看病してもらって」

 

「別に構わん。ま、ともかくこれで僕はお役御免だな。後は任せた」

 

そう言うと有宇は持ってたアルバムを棚にしまって立ち上がった。

 

「え〜まだ一緒にいようよ〜」

 

「店手伝わないといけないだろ。午前中休んだ分午後働かないと悪いし」

 

「そっか……」

 

そして荷物をまとめて玄関のドアを開ける。

 

「有宇!」

 

すると突然シャロが有宇を呼び止める。

 

「ん?なんだ、まだ何かあるのか?」

 

「その……今日はありがと。来てくれて助かったわ」

 

「あ、あぁ……」

 

シャロの素直な感謝の言葉に少しドキッとする。

いつも自分に対してツンケンした態度を取っているシャロに急に優しくされたからだろうか。

そして有宇はシャロの家を出た。

 

 

 

 

 

シャロの家からの帰り道、有宇はあることを考えていた。

自分は何をすべきなのかと。

シャロの話を聞いて、自分も何か頑張らなきゃいけないと焦りを感じていたからだ。

何か一つのことを成し遂げたいと思うこと……か。

そんなことを頭の中で巡らしていると、シャロに言われたことを思い出す。

 

『あんた料理とか結構向いてるんじゃない?そういう方面に進めば?』

 

『喫茶店はどう?』

 

喫茶店か……。

ラビットハウスで働き始めてから一ヶ月ぐらい経つが、確かにそれなりに充実感を得ては来ているが……。

 

『ひとまずのところでこういうのはどうだろう。この店を盛り上げてみるというのは』

 

マスターのあの謎の提案を思い出す。

ひとまず……ね。

そうだな、そんな重く考えなくてもいいのかもしれない。

いきなり人生の目標を決める必要はないよな。

取り敢えず……そう、取り敢えずの目標だ。

まだ模索していたっていいはずだ。

でもシャロの言ったとおり模索する努力を怠ってはならない。

だから取り敢えずの目標として、店を盛り上げてみるのもいいのかもしれない。

商売なんて今までやったことないし、僕に本当に店を盛り上げられることができるのかどうかはわからないが、きっとそこから得られるものがあるはずだ。

それこそ、本当に僕が飲食業に向いているかどうかだってわかるだろう。

そうだ……もうただ漫然と日々を過ごしていくのはやめにしよう。

この時有宇の中に、取り敢えずではあるが店を盛り上げるという目標が芽生えたのであった。




昨日はバレンタインでしたね。
私はアニメイトで「Dear My Sister イェ〜イ」と店員さんに言って恥と引き換えに手にいれたチョコを噛み締めるバレンタインでした。


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第20話、青山さん登場

 七月も中旬に差し掛かる頃、ココア達もテストが終わり、今日がテスト返却の日だ。これで特に問題がなければ明日からテスト休みに入るようだ。

 

「ただいま!遅くなってごめんね!」

 

 そして午後、シフトに入る時間を少しオーバーして、学校からココアが帰宅する。

 

「おかえりなさいココアさん」

 

 因みにチノはもう既に帰宅しており、着替えて仕事に入ってる。

 

「ったく遅えよ。今日五時間で終わりだろ確か。折角早く上がれると思ったのに、僕の労働時間が無駄に伸びるだろうが。さっさと着替えてこい」

 

 有宇がココアにそう悪態づくが、ココアは慣れたように聞き流し「はーい」と答えて着替えに行った。

 

「さて、じゃあ僕もココアが来たら上がらせて貰うか」

 

「はい、お疲れ様ですお兄さん」

 

「あぁ、チノも頑張れよ」

 

 有宇がそう言って仕事から上がろうとした時、店のドアが開き、一人の客が入店して来た。

 

「こんにちは〜」

 

 やって来たのはどこかおっとりした雰囲気のある大人の女性で、中々の美女だった。

 どことなく見覚えがあるような気がしないでもないような……。有宇はその女性にそんな既視感を感じた。

 

「あ、青山さん、お久しぶりですね」

 

 女性の顔を見ると、そう言ってチノが出迎える。

 

「あ、青山さんだ!」

 

 すると後ろからココアも、チノに続いてその女性を出迎える。

 しかしまだ着替え途中だったのか、いつも胸元に付けている赤いリボンがまだ付いていなかった。

 

「ちゃんと着替えてから来いよ」

 

「だって有宇くんがさっさと来てこいって言うんだもん」

 

「にしても客の前でそんな格好みっともないだろ」

 

「いいえ、大丈夫ですよ。お気遣いなく」

 

 言い合いをする有宇とココアに、青山さんと呼ばれる女性が二人を気遣ったのか、そう言った。

 流石にココア達と違って大人なだけあるなぁと有宇が感心していると、有宇はあることに気が付く。

 あれ?ていうか青山さんって確か……。

 

「あの……もしかして青山ブルーマウンテンさん?」

 

「はい、そうです」

 

 やっぱりそうだ。

 青山ブルーマウンテン、シリアスな大人向けのものから子供向けのものまで、一つのジャンルに囚われず、多彩なジャンルを書くことで有名な小説家だ。去年映画化した『うさぎになったバリスタ』は有名であろう。

 そしてココアから本を貸してもらったのを期に、僕が今一番ハマっている小説家でもある。

 確か以前、リゼ達と見た雑誌の中の青山さんの記事に写真が載っていた。僕が感じた既視感は、おそらくその写真で一度目にしていたからであろう。

 すると青山さんは、少し戸惑った様子で僕に尋ねる。

 

「ところで、あなたは……えっと」

 

「青山さん、紹介するね。うちのお店に新しくバイトで入った有宇くんです」

 

 僕の代わりにココアが間に割って入って僕のことを紹介する。それから僕はペコリと頭を下げて、自分で改めて自己紹介をする。

 

「初めまして、乙坂有宇といいます。一ヶ月程前からこのお店でお世話になっています」

 

 よし、完璧な挨拶だ。

 僕はいつものように二枚目の好青年を演じる。そして第一印象は完璧だろうと青山さんの方を見る。

 すると、何故か青山さんはキョトンと呆けた顔を浮かべている。

 

「くん……?君ということは、もしかして男の人ですか……?」

 

「え?えぇ、まぁ……」

 

 何故そんな当たり前のことを聞く?

 そう思った次の瞬間、青山さんは物凄いスピードでココアの後ろに隠れた。

 

「えぇ!?なんで!?」

 

「すみません、男の人と話すのは苦手でして……」

 

 そうだったのか……。

 隠れられたのは地味にショックだったが、まぁ嫌われたのでないのなら別にいい……。

 

「そうだったんだ」

 

「知りませんでした」

 

「って、お前らも知らねぇのかよ!?」

 

 どうやら既に青山さんと顔見知りだと思われるココアとチノも、青山さんが男が苦手なことは知らなかったようだ。

 そして自分の背に隠れる青山さんにココアが言う。

 

「青山さん、安心して大丈夫だよ。有宇くん悪い人じゃないから」

 

「そうですか、信頼されてるんですね」

 

「そう……ですかね……?」

 

 信頼……されてるのか?よくわからんが、まぁ今はどうでもいいか。

 そしてココアに優しく諭されたおかげか、青山さんはココアの後ろから出てきて、そのまま近くの席に座った。席につくと青山さんは早速ブルーマウンテンを注文する。

 チノがブルーマウンテンを作っている間に、ココアが青山さんに尋ねる。

 

「そういえば青山さん、ここのところ全然お店に来なかったよね。何かあったの?」

 

 どうでもいいがこいつ、仮にも親しいとはいえ年上相手によくタメ口で話せるな。いや、年上のココア達にタメ口の僕が言えることではないが。

 すると青山さんが答える。

 

「実は、ラパンの実写化が決まって少し忙しかったので」

 

 ラパンの実写化!?マジか!?

 

「そうなの!ていうかラパンの作者って青山さんだったんだ!?」

 

「ってそこからかよ!?」

 

 ココアの言葉に思わずツッコミを入れる。

 こいつ、僕よりずっと前に読んでたくせに、何も知らなかったのかよ……。

 とはいえ、僕もラパンの方はまだ原作には手を付けていない。とはいえ、こいつと違って作者が誰なのかぐらいわかってはいるが。

 それにラパンのアニメの方は一応毎週ココア達と鑑賞してるので、アニメの内容までであれば、僕も一応は知っている。

 そこで有宇はふと思い出す。

 そういえラパンのアニメを見たのは、確か僕がまだ来たばかりの頃、僕がこいつらに素を見せてすぐの時だったか───

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 あれはココアに初めて青山さんの本を貸してもらってすぐだったか。

 その日の夜、ココアはいつものように突然、ノックもせず僕の部屋を訪れた。

 

「有宇くん!」

 

「うおっ!……ココア、ノックしろとあれ程……」

 

 何度言ってもノックする癖を直さないので、ぼくが文句を垂れようとすると、それを平然とで無視して僕に言う。

 

「ねぇねぇ、一緒にラパン見ようよ」

 

「ラパン?」

 

「うん、怪盗ラパン。子供向けのアニメなんだけど、これが結構面白いんだ。先週は有宇くんまだ来たばかりで疲れて眠っちゃってたから誘わなかったんだけど今日はどうかな?きっと有宇くんも楽しめるよ?」

 

 夕食を終え、風呂にも入ったこの寝る前の時間こそ僕の一日に与えられた貴重な自由時間だというのに、何故こいつらに時間を使わねばならん。それにネカフェ時代にアニメとかは結構見ていたが、流石にガキ向けのジャンルは見る気が失せる。

 そう考えた有宇は、机に広げた読んでいた本に目を向けたまま答える。

 

「いい、お前らで見てろ」

 

「ええ〜面白いんだよ」

 

 ココアはそう言って引き下がろうとしない。しかし……。

 

「いい」

 

「うん、わかった……」

 

 有宇が強く断ると、ココアもすんなり引き下がった。

 ココアがしょんぼりしながら部屋に戻って行った。

 悪いことしたか……?しかし興味ないものは仕方がないだろう。時間を無駄にしたくはないしな。

 ココアが去った後、再びココアから借りた青山さんの本に目を通す。すると、その本の帯にラパンの文字があった。

 あれ?これさっき言ってたアニメだよな。なんでこの本の帯にそれが書いてあるんだ?

 同じ出版社から出てるのか?と思いその帯をよく見てみると、

 

 〈青山先生新作!『怪盗ラパン』絶賛発売中!〉

 

 と書いてあった。

 

 

 

 

 

「有宇くん誘えなかったよ」

 

「乙坂さんはラパンはお気に召しませんでしたか」

 

「うん、そうみたい」

 

 ココアは有宇に誘いを断られた後、チノの部屋に戻りラパンの放送開始を待機していた。するとその時。

 

 ダダダダダ!

 

 階段を駆け下りる音が聞こえたと思うと次の瞬間、ココアの部屋のドアが勢いよく開いた。

 

「うわ!ビックリした……」

 

「ビックリしました……」

 

 ドアを開けて、そこに立っていたのは有宇だった。

 

「どうしたの有宇くん?」

 

「……やっぱり僕も見る」

 

 有宇がそう言うと、ココアとチノが笑顔を浮かべる。

 

「そっか、じゃあここどうぞ。さぁ座って座って、もうすぐ始まるから」

 

 ココアにそう促されてココアとチノの間に座り、共にラパンを鑑賞した。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 そうそう、あれが僕が初めてラパンを見たときだったな。

 アニメを見た感じ、子供向けなところはあるが、ギャグも面白く、中々魅入られる作品だった。

 あれからも毎週、ちゃんとココア達と一緒に鑑賞している。

 今読んでる〈ベーカリークイーン〉を読み終えたら、ラパンの原作も読もうと思っているところだ。

 

「あら?私の書いた小説読んでくれたんですか?」

 

 青山さんが僕に尋ねる。

 まだ全部見たわけではないのに、ファンを名乗っていいものなんだろうか?

 返答に迷っていると、僕より先にココアが答える。

 

「有宇くん大ファンなんですよ。私が本貸したらハマっちゃって」

 

「あ、おい!」

 

「まぁ!それは嬉しいですね」

 

 クソッ、ミーハーな奴に思われるだろうが。勝手に答えやがって。

 しかし今更文句を言っても仕方がない。僕は青山さんに、自分の言葉で改めて伝える。

 

「あの、いつも楽しく読ませてもらってます。でもまだ読み始めたばっかで、全部の作品はまだ読み終えてないんですが……」

 

「いえ、楽しく読んでもらえたならそれで構いません。本を楽しんで読んでくれる人に大も小もありませんから」

 

 有宇はますます感心した。

 何だろう、今まで会った女達とは違って大人っぽさがあるというかなんというか。

 見た感じまだ結構若い筈なのに、こうちゃんと大人らしい人って今時珍しいと思った。今の世の中大人でもガキっぽい人間なんていくらでもいるだろうしな。

 それに作家とかって気難しい人が多いイメージがあったけど、この人は穏やかでとても接しやすい。それに見た目もとても綺麗な人だ。

 育ちも良さそうで、まさに僕が求める理想の才色兼備な女性像に一番近いかもしれないな。

 有宇は青山さんのその人柄を見て、ますますファンになった。

 

「むっ、何だか弟の羨望の眼差しを取られた気がするよ」

 

 ココアがいきなりアホなことを呟く。

 

「取られたも何もお前を羨望の眼差しで見た覚えはねぇよ。お前ももう少し青山さんを見習ったらどうだ」

 

 すると、いつもならこんなことを言うと何か言い返してくるのに、何故か可哀想な物を見るような目で僕を見てくる。

 

「何だよその目は」

 

「有宇くん、その……青山さんって結構……」

 

 するとブルーマウンテンを作り終えて戻って来たチノがココアの言葉を遮る。

 

「ココアさん、黙っておきましょう。お兄さんの夢を壊しちゃあれですし……」

 

「そうだね……」

 

 何なんだこいつら。

 二人の態度を一人、不思議に思う有宇であった。

 

 

 

 

 

「それで青山さん!実写っていつ放送するの?」

 

 先程はつい話がそれてしまったが、ココアが改めてラパン実写化の話に戻す。そして青山さんが答える。

 

「放送は9月からですね。8月には撮影が始まるそうです」

 

 どうやら映画とかではなく、連ドラ枠みたいだな。

 そういうのって、個人的感想だがクオリティー落ちそうで嫌だな。

 

「ていうかそういうのって言っちゃって大丈夫なんですか?」

 

 一応心配になって聞いてみる。まだ未発表の情報なのに話して大丈夫なのかと。

 

「はい、明日のアニメ版ラパンの放送終了時に発表されますので」

 

 成る程、まぁだとしても本当は言っちゃだめなんだろうが、ココア達のことは信頼してるんだろうな。

 青山さんとココア達が仲良くなった経緯とかまではよく聞いていないのであまり知らないが、付き合い長そうだし信頼するに足りると思ったのだろう。どの道僕が口出しすることじゃなかったな。

 そしてココアが話をラパンの実写化に戻す。

 

「それでそれで!ラパンのキャストさんって誰なの?もしかしてシャロちゃん?」

 

「なわけあるか」

 

 確かにラパンとシャロってアニメで見た感じ同じ髪型で雰囲気似てるし、アニメ版の声もなんとなくシャロと似てるけど、ただの一般人でしかないあいつをキャスティングとか無理に決まってるだろ。

 すると青山さんが残念そうに答える。

 

「私もそう提案したんですが残念ながら……」

 

「え!?」

 

 提案したのか!?

 いくら原作者が押しても、一般人をメインキャストに据えるのは無理があるだろ!

 そして青山さんは話を続ける。

 

「ですが、ラパンの役はアニメ版でもラパンに声を当てて下さった西森柚咲さんが演じて下さることになりました」

 

「えぇそうなの!?やったぁ!私柚咲ちゃんのファンだから嬉しい!」

 

「私もココアさんに勧められて曲を聞いてみたんですが、なかなか良かったです。それにアニメ版のラパンの役をやった方なら安心できます」

 

 西森柚咲──確か歩未がいつもゆさりんだとかハロハロだとか言ってたアイドルだっけか。まさかラパンの声を当ててたなんて……気づかなかったな。

 そういや主題歌もHow-Low-Helloてなってたけど、そうか、ハウロウハローでハロハロか……見落としていたな。

 そういや今思えば歩未もラパンぽいアニメをチェックしてたような気が……。

 西森柚咲と聞いて今更色々と気付かされる有宇であった。

 

「西森さんは一番シャロさんに近……ラパンにイメージが近い方なので、安心です」

 

 今シャロに近いって言いかけたよな!?

 ていうかさっきからこの口ぶり……いや、もう言われなくてもわかるがラパンのモデルってシャロか!?

 そういやこの前読んだカフェインファイターの主人公もどことなくシャロっぽい雰囲気を漂わせていたような気がしないでもない。

 どうやら青山さん、結構シャロのこと気に入ってるみたいだな。

 

「そっか〜楽しみだな。今からもう待ちきれないよ」

 

 ココアがそう言うと、青山さんは更なる新情報を発表する。

 

「そうそう撮影なんですが、なんとこの街でやる事になりました」

 

「ええ!そうなの!?じゃあ柚咲ちゃんに会えるかもしれないんだ!やったぁ!」

 

 マジかよ……。

 正直それは有宇にとってはあまり嬉しい情報ではなかった。

 撮影現場見たさに人が集まるだろうし街は大騒ぎになるだろう。……考えただけで煩わしい。

 するとその時、店のドアが開く。今度は全く知らない普通の客のようだ。

 さて、丁度いいタイミングだし、ここらで僕は上がるか。

 そして有宇は青山さんに声をかける。

 

「それじゃあ青山さん、僕は上がりますのでまた」

 

「ええ、また。今度ゆっくり感想を聞かせてください」

 

 青山さんに挨拶すると、ココア達にも上がることを告げる。

 

「ココア、チノ、僕はもう上がるから」

 

「あ、うん、お疲れ有宇くん」

 

「お疲れ様です」

 

 そして有宇は着替えに階段を登って部屋に戻って行った。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 有宇が部屋に戻った後────

 

「有宇くん、そういえば普段何してるんだろ?」

 

 ココアはふとそんな疑問を口にする。

 

「普段……とは?」

 

 チノはココアの質問の意図がわからず、ココアに聞き返す。

 

「私達と交代した後いつも有宇くん一人で部屋にいるし、あと外に出かけてるときもたまにあるよね。だから有宇くん、一人でいつも何してるのかなって」

 

「確か部屋にいる時はお勉強してるんですよね。高校卒業の資格を取りたいとか」

 

「うん、シャロちゃんと勉強してからも、有宇くん毎日頑張ってるよ」

 

「そうみたいですね。それで外に出かけているのは……夕飯の買い物か何かじゃないですか?でもそれ以外の時は確かに何してるんでしょう?」

 

 有宇は基本、仕事をココアたちに交代した後は夕飯まで部屋にいることが多い。

 夕飯の買い出しで外に出るときもあるが、そうじゃない時もある。その時有宇が一体何をやっているのかは謎だ。

 

「あの〜有宇くんさんは皆さんとは一緒に働かないのですか?」

 

 すると、青山さんがココア達の話を聞いて、当然の疑問を口にする。

 

「えっとね、有宇くん基本的に午前中から私達が来るまでの間にお仕事入れてるからあんまり一緒に働けないの。週に一度くらいは午後も入ってるけど。あ、あと土日とかは私達も朝から入る時とかあるから、一緒になれるのはそういう時ぐらいかな」

 

「そうなんですね。ですがそれだと学校にはいつ頃行かれるのでしょうか?」

 

「あ、えっと……ちょっと事情があって……」

 

 ココアは青山さんから目を逸らす。

 流石に勝手に有宇くんのこと話しちゃまずいよね。それに有宇くん、青山さんに少し憧れてるみたいだし、有宇くんが自分から言ったほうがいいよね。

 

「成る程、何やら込み入った事情があるんですね。失礼しました」

 

 ココアの態度から何かを察し、青山さんはそう答える。

 

「いえいえそんな。それで青山さんは、有宇くん一人の時何してると思いますか?」

 

 ココアが有宇の仕事後に何してるのかという話に戻す。

 そして青山さんがこんな提案をする。

 

「そうですね。まだ今日会ったばかりなので私にはよくわかりませんが、気になるのでしたら尾行してみたはどうでしょう。私もよくシャロさんの後を追って小説のネタを探してますし」

 

「尾行!?成る程……」

 

「いやいや、勝手に後をつけたりしたらお兄さん怒ると思いますよ」

 

 チノが尾行に興味を示したココアに、一応忠告を入れておく。

 しかしココアはそんな事は意に介しなかった。

 

「大丈夫だよ!今度有宇くんが出かける時にリゼちゃんも誘って尾行しよう!」

 

「はぁ……お兄さんに怒られても知りませんよ」

 

 こうして、有宇の知らないところで、密かに有宇尾行計画が始まっていた。




軽くゆさりん名前だけ登場です。
以前にも第五話後編の最後の方でハロハロの名前が出てますが覚えてるでしょうか?
そのうち本編にも出そうかなとか考えてます。
それはそうとkey最新作『Summer Pockets』の発売日が決まりましたね。
2018年6月29日だそうです。
AB1stが延長してなんだかんだで2015年6月26日に発売されましたから実に3年ぶりの新作です。
今から私も楽しみです。


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第21話、密着!有宇くんの一日

青山さんが店に姿を現してからしばらく経ったある日のこと。

 

「じゃあ僕は上がるから」

 

ココア達が全員来たので、有宇がバイトから上がる。

 

「お疲れ〜」

 

「お疲れ様です」

 

「あぁ、お疲れ」

 

そして有宇が階段に登っていくのを見計らって、ココアはテスト期間の時に青山さんと立てた計画をリゼに話す。

 

「それで有宇を尾行するんだっけか?」

 

「そうだよ。リゼちゃん得意でしょ?」

 

「まぁな。それにあいつはなかなか手ごわそうだし面白そうだな」

 

すっかりノリノリになっている二人をチノが牽制する。

 

「あの、お二人ともやめといたほうがいいですよ。お兄さん、絶対怒りますよ」

 

「大丈夫だよチノちゃん!それにいざとなったら二人の分まで私がほっぺ引っ張られてあげるから!」

 

「ココア、そこまでの覚悟が……!いいだろう、お前に付き合ってやる。それで、実行はいつにする?」

 

「えっとね、有宇くんが出かけないとわからないから……」

 

「何話してんだ?」

 

ビクッ!×3

 

ココアが言いかけたところで、有宇がいつの間にか下に降りてきていたようだ。

 

「な、何でもないよ。それより有宇くんどうしたの?」

 

「いや、ちょっと出かけるから、店ちゃんと頼んだぞ」

 

「うん、いってらっしゃい〜」

 

「いってらっしゃい」

 

「いってらっしゃいませ」

 

「?あぁ」

 

そうして有宇は店のドアから出ていった。

 

「ふ〜危なかった。たまにああやって外に出かけてるんだよね……ってそうだ!私達もすぐに着替えて後を追わないと!」

 

「今からか!?」

 

「お店はどうするんですか?」

 

「安心して、予めタカヒロさんに言っておいたから」

 

すると二階からタカヒロさんが降りてきて、三人にグッと親指を立てる。

 

「お父さん……」

 

「まぁタカヒロさんの許可が出てるなら、急いで着替えて行こうか」

 

「おお!」

 

「……おお」

 

こうして三人も急いで有宇の後を追った。

 

 

 

 

 

「有宇くん発見!」

 

「本屋さんですね」

 

「立ち読みしてるな……」

 

本屋でようやく有宇を見つけたのだが、ずっと雑誌を立ち読みしているだけで、特に変化はない。

 

「ヒマだね……」

 

「誘ってきたお前が一番に飽きるなよ!」

 

「あ、中に入りましたよ」

 

いつの間にか雑誌を置いて店内に入っていた。

 

「……店員と話してるな」

 

店内に入ると、有宇は何やら若い女性店員と話している。

 

「なんか親しげだね」

 

「そうですね」

 

「お、なんか買ったぞ」

 

何やら分厚そうな本を買ったようだ。

 

「なんの本だろ?」

 

「あいつのことだから小説じゃないか?」

 

「勉強用の参考書かもしれませんね」

 

そして店を出ると、有宇は移動を始めた。

 

「よし、私達も追うぞ」

 

「うん」

 

「はい」

 

 

 

 

 

次に有宇が向かったのは広場だ。

ベンチに座り、腕時計を覗いているようだ。

ココア達は有宇が座るベンチの後ろの方にある木に隠れていた。

 

「誰かと待ち合わせかな?」

 

「そんな感じですね」

 

「あいつ、待ち合わせするような知り合いなんかこの街にいるのか?」

 

するとしばらくして、リゼ達の通うお嬢様学校の制服を着た女の子が有宇の前に現れる。

 

「彼女さんかな?」

 

「いつの間にお付き合いする人を作っていたんでしょうか。リゼさん知ってる人ですか?」

 

「確かパン祭りの時に有宇に誘惑されて来た女性客の一人だったと思うけど……名前まではわからないな」

 

そして有宇はベンチから立ち上がり、自動販売機で缶ジュースを二本買うと、一本を女の子に渡す。

 

「おお、有宇くんジェントルメ〜ンだね」

 

「流石ですね」

 

「どうでもいいけどあいつ、私達以外の女には優しいよな」

 

そしてしばらくベンチで二人で何かを話し合った後、女の子は去っていった。

 

「帰っちゃったね」

 

「デートにしては短かったですね」

 

「何話してたんだろうな」

 

そして有宇は女の子が去っていくのを見届けるとまた移動を始めた。

 

「あ、また移動するみたい」

 

「追うぞ!」

 

三人も有宇の後を再び追う。

 

 

 

 

 

すると追っている途中、有宇がマヤとメグと接触した。

 

「マヤさんとメグさんです」

 

「おお!私の妹たち〜」

 

「何話してるんだろうな」

 

有宇は二人としばらく話すと、二人を連れてまた移動を開始した。

 

「有宇くん!まさか……チノちゃんだけじゃ飽き足らず、マヤちゃんとメグちゃんまで自分の妹に!?」

 

「ココアさんじゃないんですから、お兄さんに限ってそんなことありませんよ」

 

「だな。でもあいつらどこに向かってるんだ?」

 

そしてまたしばらく歩き、着いた場所は甘兎庵だった。

有宇はマヤとメグと一緒に中に入っていった。

 

「まさか……千夜ちゃんまで……?」

 

「ただ甘兎庵に休みに来ただけでは?」

 

「……いや、そのまさかなんじゃないか?」

 

「リゼさんまで!?」

 

リゼがまさかのここで肯定派になる。

 

「だってさっき彼女とデートしたばかりだというのに、別れてすぐに千夜含めて三人の女と接触してるんだぞ。デート前には本屋の店員とも親しげに話していたし……あいつ、まさかこの街でハーレムを築く気なんじゃないか?」

 

「ハーレム!?」

 

「いやいや、流石のお兄さんでもそんな……」

 

「いや、この前のパン祭りの準備期間の時に、シャロと千夜で彼女なしとあいつをバカにしてしまったことがあるからな。もしかしたらそれで思い詰めて……」

 

「そんな!?」

 

「いやいやまさかそんな事で……でもお兄さん、変なところでプライド高いですし……まさか本当に?」

 

「それに確か千夜ちゃんて有宇くんの初恋の人に似てるんだよね。だから甘兎に来たんじゃ……」

 

シーン

 

三人の間に沈黙が流れる。

最初に沈黙を破ったのはリゼだった。

 

「どうするココア。ここで帰るというのも一つの手だぞ。下手をすれば私達も奴のハーレムに入れられるかもしれない」

 

真剣味を帯びた声でココアに問いかける。

だがココアは堂々とこう返す。

 

「ううん、ここで引いたらお姉ちゃん失格だよ。有宇くんがちゃんとした恋愛できるようにお姉ちゃんが導いてあげないと!」

 

「よく言った!よし、三人で突撃するぞ!」

 

「「おお!」」

 

 

 

 

 

「御待ち遠様、〈海に映る月と星々〉よ。マメちゃん達もどうぞ」

 

「わーい!有宇にぃありがとう」

 

「お兄さんアリガトウゴザイマス」

 

「ったく奢らせやがって。給料貰ったばっかだっていうのに」

 

来る途中マヤとメグに会い、甘兎に行くと言ったらずっとついて来て、奢れ奢れうるさいので奢ることにした。

 

「でも何だかんだで奢ってあげるのね」

 

「年上が奢る奢らないで渋ってるのもみっともないしな。ただ無駄に使ってばっかられないし次はこうはいかないさ」

 

するとマヤが有宇に図々しくもこんなことを聞く。

 

「ねぇねぇ有宇にぃ、飲み物も頼んでいい?」

 

「調子のんな、セルフのお茶で我慢しろ。デザート奢ってやるだけありがたく思え」

 

そして自分もやって来たデザートに手を付けようとすると、突然店のドアが開く。

 

「そこまでだ!」

 

リゼがやって来て有宇に銃を向ける。

そしてココアとチノが素早く千夜にベッタリとボディーガードのように寄り添う。

 

「あらあら」

 

「な、なんだ!?」

 

「お、何か始まったねメグ」

 

「ウン、どうしたんだろう?」

 

いきなりの事で戸惑う有宇。

そしてリゼがゆっくりと有宇に近づくと、初めて会った時のように銃口を有宇の額に押し付ける。

 

「さぁ有宇!お前のハーレム計画もここまでだ!」

 

「はぁ?ハーレム?なんの事だよ!?」

 

「とぼけても無駄だ!調べはついてるぞ!」

 

そしてココアとチノも有宇に呼びかける。

 

「有宇くん!恋愛は自由だけど、やっぱり複数の女の子を好きになっちゃうのは良くないよ!ちゃんと心に決めた女の子一人を愛さないと!」

 

「お兄さん、その……マヤさんとメグさんは私の友達で……こ、このままだとお二人が可哀想なのでちゃんと一人を選んであげてください!」

 

そして三人の言葉を聞いて千夜、マヤ、メグも口々に言う。

 

「あら、有宇くんハーレム作るの?応援はできないけど、有宇くんが決めたなら私、止めないわ!」

 

「え、有宇にぃハーレム作るの?じゃあ私ハーレム一号ね」

 

「エー!じゃあ私二号」

 

各々が好き勝手に色々言うのを聞いて、有宇の体がプルプル震える。

 

「お前ら……い」

 

「「「い?」」」

 

「いい加減にしろぉぉぉぉぉ!!」

 

そして有宇の怒りの叫び声が店の中に響いた。

 

 

 

 

 

「えっと……じゃあマヤちゃんとメグちゃんは有宇くんに奢ってもらうために一緒にいたんだね」

 

「そうだよ」

 

「ソウデスー」

 

マヤとメグに事のあらましを説明させた。

 

「でもどうして千夜ちゃんのお店に来たの?」

 

「来ちゃ悪いか?」

 

「そういう訳じゃないけど、有宇くん甘い物好きじゃないって言ってたから」

 

「お前と一緒にここに来てからハマってな。毎週の楽しみに来てんだよ」

 

「有宇くん、結構来てくれてるのよ。うちの新しい常連さんね」

 

「そうなんだ、知らなかったよ。あ、じゃあ本屋の店員さんとあの広場で一緒にいた女の子は何だったの?」

 

「本屋のあの子は前から親切におすすめの本とか探してくれるから仲良くなっただけで、別に何でもない。広場であった彼女のことは……後々話す」

 

有宇は何故か広場であった少女に関しては言葉を濁す。

 

「えぇ、気になるよ〜。ところで有宇くん……いつになったら立てますか?」

 

ココアは一人床に正座させられていた。

 

「罰は一人で受けるとか言ってたそうじゃないか。しばらくそこでそうしてろ」

 

「うわ〜ん!足が痺れてきたよ〜!」

 

「安心しろ、リゼ達にも罰はしっかり与える。というわけでリゼ、ここの勘定頼んだぞ」

 

「え!?」

 

有宇の言葉を聞いてリゼがギョッとする。

 

「確か白玉ぜんざい600円が三人分で1800円だろ。あとガキども、お前ら飲み物欲しいんだったな。頼んでいいぞ」

 

それを聞くと、マヤとメグは目を輝かせた。

 

「え、本当?とれにしようかな〜」

 

「私ラムネがいいな〜」

 

「じゃあ私メロンソーダ」

 

まだ有宇は止まらなかった。

 

「これでガキどものドリンク二人分でプラス400円か。あと千夜、みたらし……〈琥珀色の三宝珠〉をガキどもと合わせて三人分と……あ、あと僕に抹茶ラテ頼む」

 

「は〜い」

 

注文を受けると千夜は奥へ消えていく。

 

「みたらし団子が三人分で600円、抹茶ラテが300円、締めて3100円か。じゃあ支払い頼んだぞ」

 

有宇がそう言うと、リゼは慌てて反論する。

 

「ちょ、ちょっと待て!確かに悪かったけどいくら何でもそれは……」

 

「この前服見てやった時奢ってくれるって言ったよな。今使わせてもらうぞ」

 

有宇はこの前一緒に出かけた時のことを言う。

元々奢らせる気はなかったが、しっかり覚えていた。

 

「た、確かにそう言ったけど、でもそんな高いやつはダメだとも……」

 

「その後ゲーセンでお前がなかなか取れなかった人形も取ってやったよなぁ。あとお前の親父に殺されそうになったりもしたっけ」

 

「うぐっ……」

 

もはやリゼに反論する余地はなく、もう素直に受け入れるしかなかった。

リゼがその場で手をついて四つん這いで項垂れる。

すると有宇がサイフから、項垂れるリゼに紙切れを落とす。

リゼはひらひらと落ちるその紙を手に取ると、そこには全会計10%オフと書かれていた。

 

「僕の大切な甘兎の割引券だ。ありがたく使えよ」

 

ありがたいっちゃありがたいのだが、今のリゼには素直に感謝する程の心の余裕はなかった。

その様子を見ていて流石に可哀想に思ったのか、マヤが有宇に言う。

 

「うわ〜有宇にぃゲスだな〜。流石にちょっと……」

 

「別にリゼが哀れだと思うなら食わなくてもいいんだぞ?」

 

「ありがたく頂きます」

 

「よろしい」

 

「マヤァァァァァ!」

 

リゼの悲痛な叫びが聞こえる。

にしてもマヤのやつ清々しいぐらいに潔く折れたな。

甘味とは斯くも恐ろしいものよ。

そして最後にチノの方を見ると、チノはガグガク震えていた。

 

「あの……お兄さん……本当に申し訳ありませんでした。い、命だけは……命だけは取らないでください……」

 

「取らねぇよ!僕を何だと思ってるんだ!」

 

さて、チノにはどうするか。

この様子じゃあんまり厳しくやると下手すりゃ泣かしちゃいそうだしな……。

流石にそこまでやる気はないし、そうだな……。

 

「チノは、今日の夕飯は人参をたくさん食べてもらうか」

 

「ええ!チノちゃんだけずるい!」

 

チノの罰の軽さにココアが反論する。

 

「うるさい!首謀者のお前らより軽いのは当然だ!お前はそのまま僕らが食べ終わるまで座ってろ!」

 

「うわ〜ん!有宇くんの鬼軍曹〜!」

 

こうして、三人は有宇本人の手によってきっちり罰を受けることとなった。

 

 

 

 

 

甘兎を出た後、ココアもチノも項垂れていた。

リゼは店で別れた。

因みにリゼの会計は、流石に自分で誘ったので責任を感じたのか、半分はココアが出したようだ。

 

「うう、酷い目にあった……」

 

「だからやめといたほうがいいって言ったじゃないですか」

 

「自業自得だ。ったく、わざわざタカヒロさんに仕事変わってもらってきやがって。ちゃんと反省しろよ」

 

「うう、尾行したぐらいでそんなに怒らなくてもいいじゃん。ねぇチノちゃん」

 

「……帰ったら人参……人参……」

 

チノに同意を求めるが、チノの方は心ここにあらずの様だ。

 

「別に尾行されたこと自体は……まぁどうでもいいが、お前らがあらぬ事を店で口にしたせいで、他の客から白い目で見られたんだ。これぐらい当然の罰だ。大体、何してるか知りたいんだったら直接聞けよ。別に隠したりしねぇよ」

 

「だって、尾行した方が面白そうじゃない?」

 

イラッ

 

反省の色が全く見えなかったので、有宇は思いっ切りココアの頬を引っ張った。

 

「いひゃいいひゃい、ごめんなひゃい!(痛い痛い、ごめんなさい!)」

 

「ったく」

 

ココアの頬から手を離してやる。

 

「うう〜痛いよ……。お姉ちゃんに酷いことしちゃいけないんだよ……。」

 

「知るか」

 

そうして歩いていくと、有宇はラビットハウスの方向とは違う道に向けて歩き出した。

 

「お兄さんどこに?家はこっちですよ?」

 

「夕飯の買い物がある。お前らも手伝え。甘兎で金も浮いたし、なんか好きな菓子でも買ってやるから来い」

 

有宇がそう言うと、二人とも先程までの落ち込んだ様子とは打って変わって目を輝かせる。

 

「わ〜い、チノちゃん行こ!」

 

「待ってくださいココアさん〜」

 

すぐに二人は有宇の後を追う。

まったく、現金な奴等だ。

まぁ、鞭と飴は使いようってな。

二人を見て、微かに笑みを浮かべる有宇だった。

 

 

 

 

 

その日の夕食、

 

「さぁ約束だチノ、食え」

 

「本当に……人参いっぱい……」

 

この日の献立は肉じゃが。

だが、チノの皿だけ人参がいっぱい入っており、チノは再び恐怖に震え出した。

 

「頑張ってチノちゃん!ファイトだよ!」

 

「は、はい……」

 

とはいえ、苦手なものは苦手なわけで、なかなか箸をつけることが出来ず、戸惑うチノに有宇が言う。

 

「いいから食べてみろチノ。多分食べれるはずだから」

 

有宇にそう促され、チノは覚悟を決めて人参を口にする。

 

「……あれっ、食べれる?」

 

その反応を見て、ココアも自分の皿にある人参を食べる。

 

「本当だ。いつもよりは食べれるね……完全にOKじゃないけど」

 

流石に完全に大丈夫とまではいかないが、一応食べれるレベルではあるようだ。

すると有宇が答える。

 

「人参は普通よりも小さく切って、その上で予めよく煮て柔らかくして食べやすいようにした。それに肉じゃがの汁は多めにして、人参に味がよく染みるようにしたし、まぁ他の肉とか白滝とかと一緒に食べればそれ程気にならない筈だ」

 

まぁ、リゼに奴らの好き嫌いを何とかするために、以前一緒に出かけた時に聞いといたやつを試してみただけだが、効果はあったようだな。

 

「お兄さん……!」

 

「お母さん……!」

 

「誰がお母さんだ!……いいからさっさと食え」

 

そしてココアもチノも、無事肉じゃがを完食出来た。

 

「やったねチノちゃん!」

 

「はい!お兄さんありがとうございます」

 

「食べれたならそれでいい。じゃあこれからも人参も普通に入れて大丈夫だな」

 

有宇がそう言うと、二人とも息を揃えてこう返す。

 

「それとこれとは話が別です」

 

「だよね〜」

 

「こいつら……」

 

まだ好き嫌いを克服するのはまだ先になりそうだな……。

 

「あっ!」

 

すると突然ココアが声を上げる。

 

「何だ?」

 

「えっと、結局これってチノちゃんの罰になってないんじゃないかって…」

 

「……さっさと皿を片付けろ」

 

「ちょっと有宇くん!?チノちゃんばっかずるいよ〜!お姉ちゃんにも、もっと優しさプリ〜ズ!」

 

ココアが有宇にしがみつく。

 

「あぁもう、うっとおしい!いいから離れろ!片付けが出来ねぇだろうが!」

 

その後もココアにぎゃあぎゃあ喚かれて、食事の片付けが遅れたりと、一日中ココアに振り回された有宇であった。



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第22話、ラビットハウスをプロデュース(前編)

「よし、全員集まったな」

 

午後、店のカウンターの前にココア、チノ、リゼのいつもの三人が集まっていた。

有宇はキッチン側に立っており、最後に来たリゼを待っていた。

 

「有宇、今日お前シフト入ってたっけか?」

 

リゼがそんな疑問を投げかける。

 

「いや、シフトはもう終わりだが、折角三人が揃ってる時に話しておこうと思ってな」

 

「それなら仕事終わりでもいいんじゃないか?何も今でなくても……」

 

「別に仕事に戻ってもらって構わないが、今やる仕事があるのか?」

 

有宇にそう言われて三人は店を見回すと、客はほぼなくガラガラである。

 

「で、でも青山さんがいるよ」

 

ココアの言う通り、確かにテーブル席に青山さんが一人いるが……。

 

「身内なら別にいいだろ。別にいいですよね青山さん」

 

「はい、私は構いませんよ」

 

「ということでお前らもいいな」

 

有宇にそう言われて返す言葉もなく、素直に三人は応じる。

 

「それでお兄さん、お話とは?」

 

「店の今後の方針についてちょっとな」

 

「方針って?」

 

「まず一つ聞きたいのが、お前ら……この店の状況を見て何も思わないのか?」

 

有宇に言われ、チノはギクッとする。

 

「それは……その……」

 

痛いところを突かれて動揺するチノを庇うようにココアが言う。

 

「で、でも私が来たときからこんな感じだったし、お客さんだって今日はあんまり来てないけど、それなりに来る日だって……」

 

「それじゃダメだろ。勿論日によってはあまり客が来ない日はあるだろうけど、それにしたって全く客がいないような日があるのは流石にやばい。そうだな……今うちの一日の来客数の平均が20人ちょっとだから……例えば日に20人来るとして全員が店で一番売れてるオリジナルブレンドしか頼まなかったとする。そうすると月いくら稼げる?」

 

因みにオリジナルブレンドは400円だ。

 

「えっと、大体24万円ぐらいかな?」

 

ココアが即答する。

流石に数学を得意とするだけあって計算が早い。

 

「そうだ」

 

「おお、24万円ってすごいね〜」

 

「すごいものか、あくまで売上にすぎない。そこから経費が差し引かれ、残りの額からオーナー、つまりマスターやチノの給料が出て、更にその残りが運転資金となるんだぞ」

 

「でも24万もあったら……」

 

「経費は家賃や人件費とかも含まれる。時給800円で、ココアとリゼのバイト代がそれぞれ大体月5万だとして、僕が生活費3万を差し引いて大体月8万円。勿論これらの数字も前後するから、合計して人件費だけでも月約20万円かかる」

 

「そ、そんなに……!?ていうか有宇くん結構貰ってるんだね」

 

「週休1日で毎日ほぼ5時間は働いてるしそれなりにな。だが家の家事手伝いとかもやってるし、それでこの値段は寧ろ安いぐらいだ。でだ、あくまで24万はかなり低く見積った数値ではあるが、それでも実際の今店の売上も月30万から40万いかないぐらいだろう。それでもう一度聞くが本当に今のままで大丈夫か?」

 

一同は皆有宇に言われた現実に苦い顔を示していた。

今まで彼女達も客が少ないと思うことはあっても、それに対してそれ程危機感を感じたことはなかったからだ。

 

「で、でもでもチノちゃんのお父さんのバータイムは繁盛してるし……」

 

「まぁな、でもバーの稼ぎだけでカフェの運転資金とかもやりくりする気か?無理じゃないだろうが厳しいところではあるぞ。なんにせよ手遅れになってからじゃ遅い。それにこの調子で今までうまくやってこれたというわけでもないぞ」

 

「「え!?」」

 

ココアとチノが驚きを見せる。

 

「どういうことだ?」

 

一人冷静なリゼが聞く。

 

「マスターにその辺気になったから聞いてみたけど、赤字が出た月の生活費……売上に占める原価はマスターが軍人時代に稼いだりした貯金でカバーされてるらしいぞ。まぁそれだけってわけでもないらしいが。おかしいと思ったんだよ、こんなに客が来てないのにやっていけてるのかって」

 

それを聴くと、リゼは納得したようだ。

ガーディアンってやつは結構稼げるようで、その時の貯金が結構あるらしい。

そして有宇から聞かされた店の運営事情を聞いたチノは少し青ざめた顔をしていた。

流石にちょっと脅かしすぎたか?

いや、チノはこの店の跡を次ぐわけだし、早いうちに現実を知ってもらっておいても損はないはずだ。

 

「なんにせよ、このままずっとこんな調子で店を続いていけるとは僕には思えない。そこで、少しでも店を良くするために話し合いをと思ってな。と言う訳で何か案出せ」

 

「と言われてもな……」

 

「はい……いきなりそんな……」

 

リゼとチノが返答に窮すると、

 

「はい!」

 

ココアが元気よく手を上げる。

 

「よしココア、言ってみろ」

 

「はい、メニューを増やすのはどうでしょう!有宇くん大佐!」

 

「誰が大佐だ。新メニューを増やすのは悪くないが、増やせばいいってもんじゃないしな……。まぁ、その辺は夏のメニューのこともあるし順次考えていこう。他!」

 

「じゃあ、はい」

 

今度はリゼが手を上げる。

 

「よしリゼ」

 

「ミリタリー喫茶なんてどうだ?」

 

「ニッチ過ぎる!却下だ、他!」

 

するとチノが自信なさげに手を上げる。

 

「あの……その、内装を変えるとか……?」

 

『なぬ!チノ、どういうつもりじゃ!?』

 

「いえ、このお店ちょっと地味なのかなと思って……。フルールや甘兎庵とかはちょっと変わった作りですし」

 

なんで腹話術で自問自答しているんだ?

まぁそれは置いといて、この街は元々洋装の作りが多いから、派手なフルールや、この街には珍しい甘味処の甘兎と比べると内装は確かに地味かもな。

だが……。

 

「確かにそうだが、内装を変えるにしたってどんな風にするつもりだ。少し飾り付ける程度ならまだしも、色々変えるとなると金もかかるし、それで客が増えるかとなるとちょっとな……」

 

「すみません、その……この前シャロさんと『世界のカフェ』という本を読んで、その中に内装が魅力的なお店があったのでつい……」

 

まぁ確かに内装を変えることで得られる利点もあるのだろうが……。

 

「内装が人気の店とかも確かにある。が、そういうのは大抵店主がそういう内装に拘りがあるから出来る事であって、漠然とこんなのがいいって程度でやっても意味がない。さっきも言ったが金もかかるし、内装の良さで客寄せしてもすぐに飽きられる。そう言うのはチノがこの先店を繁盛させた後で、余裕ができた時にやってみたらいいんじゃないか?」

 

「はい……」

 

そう言ってチノの提案を退けた。

チノも必死で案を出してくれたので尊重してやりたいが、そんな甘いことも言ってられないしな……。

すると再びココアが手を上げる。

 

「はい、じゃあ去年みたいにコスプレはどうかな?」

 

「コスプレ?」

 

ココアの提案に疑問を浮かべる。

 

「去年チノちゃんの誕生日に、お店にお客さんいっぱい呼ぶためにコスプレしてチラシ配りしたんだ。結構良かったよ」

 

「効果あったのか?」

 

「うん。ね、チノちゃん、リゼちゃん」

 

「はい、確かにいっぱいお客さん来てくれました」

 

「あぁ。……まぁ、恥ずかしかったけどな」

 

どうやらそれなりに効果があったみたいだな。

まぁこいつらビジュアルは悪くないし、効果があったのも納得だ。

 

「で、具体的には?」

 

「えっとね、ハロウィンに、サンタに、あとラパンとか……」

 

「待て、勝手にラパンの衣装使って大丈夫なのか?」

 

個人でコスプレするのであればともかく、ラパンって小説のキャラだし、店の売上目的なのにそんなことして原作者とか出版社に訴えられたらまずくないか?

 

「大丈夫!原作者様の許可はおりてます!」

 

と、どうぞと言わんばかりに青山さんの方へ手を向ける。

 

「あぁ、そういやそうだったな……」

 

原作者直々に許可がおりてんならまぁ、そりゃ大丈夫か……。

 

「あと、リゼちゃんに(あやか)って軍服とか、千夜ちゃんとシャロちゃんに協力してもらって甘兎とフルールの制服も着たりしたな〜。あ、あとバニーにもなったり!」

 

「ほうほう………え、今なんつった?」

 

「え、バニーだけど……もしかして有宇くん見たいとか?」

 

「アホ!そういう事じゃない!本当にバニーになったのか!?」

 

「うん。……あれ、ダメだった?」

 

「普通に風営法違反だバカ!下手すりゃ営業停止もんだぞ!」

 

「ええ!?」

 

バニー姿が風営法違反とかは法律知らないが、明らかに風俗的にアウトだろ。

確か前に新宿かなんかの店がバニー姿で接客させて営業停止くらったとかいうニュース見たことあるし、絶対やばいって。

てかよく訴えられなかったよな……。

コスプレというのは、まぁ趣旨はあれにしろありかなと思ったが、この調子じゃこの店がいくつあっても足らねぇよ……。

 

「コスプレは無しだ!……まぁ売れるようだしやってみてもいいが、やるならコスプレ内容を僕に許可取ってからにしろ」

 

「は〜い……」

 

ココアは少し残念そうだ。

そんなにしたかったのか?

 

「他!他にないのか!」

 

「あの〜、私もいいでしょうか?」

 

席で座る青山さんが静かに手を上げていた。

本来なら部外者を話に混ぜるわけにはいかないが、ココア達に聞いた話だと、たまにここのバータイムとかに働いてるみたいだし部外者とも言い切れないので話を聞いてみることにする。

 

「えっと、それじゃあどうぞ」

 

「私が学生の頃、マスターはよくお客さんのお話を聞いていました。今のラビットハウスにそれがないとは言いませんが、お客さんが悩みを打ち明けられたりできたらいいと思います。私も昔マスターに小説の相談をよくしたものです」

 

悩み相談……?

まぁ、悪くはないと思うが……いや、いいとは思うんだが……。

 

「とは言ってもお客さんの殆どが大人の方ですし、僕達みたいな若者じゃ人生経験的にそれは難しいかと……」

 

「あらら、そうですか。成る程、私には難しかったですね」

 

「いえ、案としては悪くなかったと思います。要はお客さんとの距離を縮めろってことですよね。ならもっとお客さんとの距離を縮められるよう努力します」

 

「そうですか、参考になってよかったです〜」

 

まぁ悩み相談は出来なくても、客との距離感を保つことは大切だ。

と言っても僕も普段からそれなりにやってるし、ココア達も普段からやってることは言わずと知れているだろう。

ただココア達の場合、一人でいるのが好きな客とかにも話しかけたりしてないか心配だが……。

するとジーと三人が有宇に疑念を抱くように視線を向ける。

 

「なんだよ」

 

「有宇(くん、お兄さん)、青山さんに優しくない?」

 

「別に贔屓(ひいき)などしていない。純然にいいと思った意見を採用しているだけだ」

 

有宇がそう言っても三人は疑念を拭いきれていない様子であったが、有宇は平然と無視した。

 

「他ないのか、他」

 

有宇がそう言うと、リゼが物申す。

 

「有宇、私達ばっかに意見を求めてるけどお前はなんかないのか」

 

リゼの言う通りである。

さっきから有宇は意見を求めるばかりで、自分の意見を言っていない。

だが有宇もちゃんと自分の意見を用意していた。

 

「勿論ある。僕がまず最初に考えたのは値引きだ」

 

「値引き?」

 

「あぁ、駅前のチェーン店とかと比べるとやっぱりコーヒー一杯の値段が高いし、人間やっぱり安いものに釣られるからな。だから値下げがいいと思った」

 

有宇がそう言うと、チノは怪訝な顔をする。

 

「お兄さん、確かに値段を下げればお客さんも増えるかもしれませんが、でも私は反対です。お客さんが少ないとはいえ、私も、そしておじいちゃんもうちのコーヒーには自信があります。その価値を下げるなんてことは……」

 

「知らん。そんなつまらんプライドは捨てろ」

 

有宇はバッサリとチノの意見を退けた。

それに対しココアが反論しようとする。

 

「有宇くん、その言い方は……」

 

「だがチノの意見ももっともだ。一度値段を下げてしまうと、もう値段を上げるわけにはいかなくなるからな。しかもそれで客の数が変わらなければ、結局損することになる。だからこそ工夫すべきなのだ」

 

「工夫って?」

 

「ココア、お前なんでこの街に来たんだ」

 

「え、なに急に?」

 

「いいから答えろ」

 

有宇にそう言われ、ココアは必死に自分がこの街に来たわけを考える。

 

「なんでここに来たって……えっと……チノちゃんに会いに……じゃなくて、この街の学校に通うため……?」

 

「そうだ、それでわからないか?」

 

有宇の言葉の意味がわからず、三人は頭を悩ませる。

すると外野の青山さんが答える。

 

「あの〜もしかして有宇くんさんは、ホームステイ制度のことを言いたいのでしょうか?」

 

「ホームステイ制度……あ!!」

 

ココア達も気づいたようだ。

 

「そうだ、この街はココアのような外から来た学生が、この街の学校に通うために街のあちこちで住み込みでバイトしながら下宿している。つまり今この街には学生……ひときわその中でも高校生が多いというわけだ」

 

有宇もこの街に来る際、この街の学校の制度をネットで調べる際に目にした。

この田舎町に外から若者を呼ぶために街の学校の協力のもと行われている地域活性化制度のようなものだ。

実際ココアのような学生が外の街から集められているため、この街には今、高校生が多いのだ。

 

「つまり、この街の学生を対象としたサービスを展開できれば客を効率よく増やすことができる。そこで僕が提案するのは学割サービスだ」

 

「学割?」

 

「学割……ですか?」

 

「具体的には?」

 

「高校生を対象として、学生証提示で全会計100円引きにする」

 

そう言うと、リゼが尋ねる。

 

「利益に支障は出ないのか?」

 

「問題ない。ブレンドコーヒーをまた例えで出すと、一杯分の豆の原価がおおよそ40円、角砂糖が一つ2円、ミルクが一つ5円から6円程度。つまり一杯の原価は、およそ48円。そこから売価400円で割ってから100かけると12。つまりうちのブレンドコーヒーの原価率は12%というわけだ」

 

「原価率?」

 

ココアが頭にはてなを浮かべる。

リゼがココアに説明する。

 

「原価率っていうのは売価に対する原価の割合のことだ。原材料費÷売価×100で算出できる。そして残りが粗利率、つまり利益になる」

 

リゼがココアに説明したところで話を戻す。

 

「そうだ、一般的にコーヒーのようなドリンク類の原価率は10から20%と言われている。要は原価率がこの間なら大概は問題ないということだ。そして学割をした時の原価率だが、売値を100円引いた300円で計算したところ原価率は16%。つまり利益には支障の出ない範囲だということだ」

 

それを聞くと一同は「おおっ!」と感嘆の声を上げた。

 

「さらに言えば、悪魔で全会計からの100引きだ。これでサンドイッチとかの食べ物もセットで頼んでもらえれば、+αで頼まれた分は今までどおり利益が出る。しかも元々この店は学生の客は少ないし、これまでの利益に支障はそれほど出ないはずだ」

 

もはや有宇のこの力説を聞いて反対意見を出す奴はいなかった。

有宇もそれなりの自信があったからこそ提案したので、特に意外とも思わなかった。

 

「有宇くんすごいね〜。思わず聞き入っちゃったよ」

 

「はい、すごかったです」

 

「あぁ、悪くない意見だ。で、他にはなんかないのか?」

 

「他か……あるにはあるが、まぁそれは後で聞かしてやる。仕事終わったら全員僕の部屋に来い。取り敢えずもう仕事に戻っていいぞ」

 

そう言うと有宇は自分の部屋に戻っていってしまった。

 

「まだなんかあるみたいだね。何だろう」

 

「さぁな。でもあいつのことだ、大丈夫だろう。金に対するがめつさでは信用あるしな」

 

「そうですね」

 

普段から金や自分の損得勘定に関しては色々とうるさい有宇のことだ。

それに、今も皆の納得のいく意見をしっかりとしていたところも見ると、きっといい考えがあるのだろうと三人とも信用しきっていた。

 

 

 

 

 

その日の仕事が終わり、三人は後片付けや着替えが終わった後、言われた通り有宇の部屋の前に来た。

 

「来たか。よし、入れ」

 

そう言われ三人は有宇の部屋の中に入る。

ココア達の部屋と比べると狭い一室である。

そして三人は有宇の机に置いてあるパソコンに注目した。

 

「それってパン祭りのときの……」

 

「あぁ、マスターに貰ったノーパソだ。それで見てもらいたいのがこれだ」

 

有宇がカチッとクリックすると、画面にそれが出てくる。

 

「これって……!」

 

「もしかしてホームページですか?」

 

画面にはRabbit Houseの文字とともに、おしゃれな感じに写っているコーヒーの入ったカップとサイフォンの写真が映し出されている。

初心者が作ったホームページの割にはそれなりの出来であった。

 

「そうだ。至らないところもあるだろうけど、まぁ勘弁してくれ。僕も本読んだりネットで調べたりして色々やってみたんだが、こいつが中々難しくてな。最近ネットで知り合った『ちゃっきーさん』って人にアドバイスを請いながらなんとか昨日完成したんだ」

 

「ネットで知り合ったって……それ大丈夫なのか?」

 

「なに、それなりに信用できる人間だと思って力を借りた。問題ない。ともかく、これで色々と情報を発信できるようになったわけだ」

 

そう言うと三人は再び感心したようだ。

……実はサーバー代が年間5000円かかるのだが、まぁ必要経費だろう。マスターにはちゃんと言ったしな。

 

「おお、すごいね有宇くん!有宇くんならきっとネットに強い弁護士とかにもなれそうだね!」

 

「あーココア、褒めるのは構わんが、その不穏な呼び名だけはやめてくれ……」

 

何故かわからないが、その呼び名は不名誉な気がしてならない……。

 

「そう?いいと思うのに……。有宇くんが使わないなら私が将来名乗ることにするよ。ネットに強い街の国際バリスタ弁護士……うん、かっこいい!!」

 

「勝手にしてくれ……」

 

ココアを放っておいて話を進める。

 

「あーじゃあ次はこれを見てくれ」

 

有宇はホームページのURLをクリックする。

すると白い鳥と青い背景が目印のサイトに飛んだ。

そこにもRabbit Houseの文字がある。

 

「これは?」

 

「Gtitter(グチッター)───巷で有名なSNSだ。某米大統領も政治的発言をするのに利用するなど、情報の発信力の点でいえば一番力があるSNSだ。アカウント作ったからこれで情報を発信していこうと思う。お前達にも後でIDとパスワードを教えておくから何かあれば呟いてくれ。仮にも店のアカウントだから変なことは呟くなよ」

 

チノとリゼはわかったと言って、早速携帯でグチッターをインストールし始めた。

するとココアが有宇に聞く。

 

「これどうやって使うの?」

 

「なに、簡単だ。普通にアプリストアにアプリがあるからそこでダウンロードしてくれれば……」

 

そこで有宇は気づいた。

 

「……そういえばココアはガラケーだったな」

 

「えへへ、ごめんね」

 

チノとリゼはちゃんとスマホを持っているのだが、ココアは時代錯誤のガラケーなのだ。

今時の若者だというのにガラケーなんて、ある意味稀少な存在ではあるが、色々と不便だから買い替えて欲しいものだ。

 

「……ココアにはパソコンのパスワードも渡しておくから、何かあればパソコンからやってくれ。でも変なこと呟いたりすんなよ。この中で一番炎上しそうなこと呟きそうだし」

 

「そんなことしないよ〜!」

 

どうだかな。

念の為こいつがパソコン持ち出す時は色々と確認しておこう……。

 

「それで、ホームページとSNSで店の情報を発信するのがお前の作戦ってわけか」

 

「あぁ、ネット広告の強さは計り知れないからな。勿論炎上などの危険も伴うから扱いは慎重にだけどな。それにグチッターを使ったフォロワーを対象としたサービス展開とかもやろうと思えば出来るし、サービスの幅が広がるという意味でもやる意味は十分あると思う」

 

それを聞くと三人とも有宇に感心して、口々に賛辞の言葉を言う。

 

「お兄さん……そこまでお店のことを!」

 

「中々やるじゃないか有宇」

 

「すごいね有宇くん、お姉ちゃん感動しちゃったよ」

 

三人に褒め称えられると、有宇は微笑を浮かべる。

 

「ありがとう。でだ、実はまだ他にも案があってだな……お前達に協力して欲しいんだが……」

 

((な、なんか嫌な予感がする(します)……))

 

有宇の微笑から漂う怪しげな雰囲気に危機感を感じ、リゼとチノは警戒する。

だが疑うことを知らないココアはそんなことを気にもせず有宇にこう言ってしまう。

 

「なになに?いいよ!お姉ちゃん達に出来る事があれば何でも言って!」

 

あっバカ……。

リゼとチノがそう思った時にはもう遅い。

有宇はニンマリと怪しげな笑みを浮かべた。

 

「そうかそうか、何でもね……。それじゃあ頼もうか……」

 

有宇は三人に紙を手渡す。

 

「これは……歌の歌詞?」

 

「「おい有宇(お兄さん)、これはなんだ(なんですか)?」」

 

「さっき作ったホームページにラビットハウスのPVを乗せる。そこでお前達には歌って踊って貰うぞ」

 

「「「ええぇぇぇぇぇ!?」」」




本当はもう少し早く投稿する予定だったのですが、ヘルシェイク矢野のことを考えていて遅れました。
次話に続きます。


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第22話、ラビットハウスをプロデュース(後編)

「歌って踊るってどういうことだ有宇!」

 

「そうです!どうして私達がそんなことをしなきゃいけないんですか!?」

 

リゼとチノが有宇に詰め寄る。

無理もない。いきなり歌って踊ってくれなんて言われたらそうなるだろう。

だがこっちにもちゃんと理由はある。

 

「なに、簡単な話だ。さっきも話に出てきた『ちゃっきーさん』と話をしていたときに、うちのイメージソングを作ってくれると向こうが提案をしてくれてな。しかもタダでだ。まぁその代わりちゃんと作曲者として名前を乗せて欲しいとのことだが、それでやってもらえるなら安いというものだ」

 

「それでPVか」

 

「そうだ」

 

「でもそれならその曲を流して、後は店内の映像でも流しておけばいいじゃないか!」

 

「逆に聞くが、お前はそんな普通な動画をわざわざ見ようと思うのか?」

 

「それは……」

 

リゼは言葉を詰まらせる。

確かに悪いところもない、けどかといっていいところもない。そんな普通の動画をわざわざ開いて見ようとは思えなかったからだ。

 

「ないだろ。普通にやっても誰も見やしないのだ。そこでお前達だ」

 

「私達?」

 

三人が頭に疑問符を浮かべる。

 

「そうだ、お前達三人とも……まぁチノは多少外見が幼いが、三人ともビジュアルはかなりいいと思う。この僕が言うんだから間違いない」

 

そう言うとチノとリゼは若干顔を赤らめる。

ココアは頬に手を当て、デヘヘと気持ち悪い声を上げながらニンマリしている。

 

「もう有宇くん、お上手なんだから〜」

 

「まぁ、頭がおかしいのが若干名いるが」

 

「え?それ私のことじゃないよね?」

 

「でだ」

 

「無視!?」

 

「お前達が歌って踊る姿は人目を引くだろう。僕がイケメンだから女性客が近寄ってくるように、美少女というだけで価値があるようなもんだからな。この際お前達の歌の旨さは関係ない。お前達が映ることに意味があるんだ。動画内容の評価がどうなるかまではわからんが、とにかく目を引ければそれでいい」

 

そう言い終わると、チノは取り敢えず納得した様子だ。

本当はまだ言いたいことはあるんだろうけど、有宇を論破できるだけの意見を持ち合わせてはいないといった感じだろうか。

だがリゼはまだ納得いかない様子だ。

 

「なんだ、まだ何かあるのかリゼ」

 

「いや、私達が……その、可愛いかどうかはあれにして、私達にやらせる意味があることはわかった。でもそれだったらお前がやればいいじゃないか。お前だって顔だけはいいんだし、お前も出ればいいじゃないか」

 

確かにその意見は一理ある。

有宇も顔立ちは整っており、おそらく道行く人に聞けば、ほぼ全員がイケメンだと答えるであろうビジュアルである。

実際チラシ配りの際はこのビジュアルに釣られた女子がかなりいた。

今もたまに有宇に会いたいがためにやって来る。

だがどうしても有宇には出てはならない事情があったのだ。

 

「リゼ、お前僕がここに来た理由を忘れたのか」

 

「お前がここに来た理由……あ」

 

リゼは、それを聞いてすぐに理解した。

 

「僕は陽野森学園でカンニング事件を起こしたせいで、街にいられなくなってここに来た。……まぁ、おじさんとの喧嘩が一番の理由ではあるが。ともかく、この街でなら知り合いはいなくても、ネットに流す以上、そいつらの目にとまる可能性がある」

 

「でも有宇くん、そんな気にすることでも……」

 

「確かに、そいつらが遠く離れた場所にあるうちのカフェのPVなんざ見る可能性は低いだろう。だが仮にそいつらに僕がここで働いてることがバレれば宣伝どころか店の評判を落とすことになるだろう。そう、カンニング魔が働く店ってな。いや、こんな個人経営の店なんかがそんな風評被害を受けたら、客数を減らすどころか店が潰れることになるだろうな」

 

実例として、個人経営の店で働いていたアルバイトのバカが、グチッターに話題性欲しさに店で馬鹿やった写真を乗せて炎上し、店はその風評被害で潰れた………なんてのも実際の事件として起きている。

この実例は今回の話とは多少違えど、個人経営の店にとって風評被害がどれほどやばいかという点では通じるものがある。

一度の炎上が店を潰す。

だから有宇はネットに顔出しは出来ないのだ。

 

「だからこれまでだって女性客に一緒に写真を撮って欲しいというのも断ってきたし、僕の名前をネットに上げたりはしないよう言ってきた。僕だって利用できるものは利用したいが、そういうわけだから出来ない」

 

それを聞くと、リゼも流石に自分達だけ不公平だなんて言えなかった。

自業自得とはいえ、有宇がPVに映ることで本来目指していた結果と真逆の結果になってしまったら本末転倒だからだ。

しかしそれでもリゼとチノは浮かない顔をしていた。

二人とも人前に出るのはあまり好きではないからであろう。

こればかりは自分にはどうしょうもないと有宇が思っていると、リゼとチノにココアが言う。

 

「まぁまぁ二人とも。そんな顔しないでやってみようよ。折角の機会なんだし」

 

「お前はいいかもしれないが……」

 

「はい、ココアさんはそういうの好きそうですもんね……」

 

「まぁまぁ。確かに恥ずかしいかもだし、緊張もするかもだけど、これもいい経験だよ。失敗したらしたらでそれも経験だし、滅多にできないことなんだから挑戦してみようよ!それに、もしかしたらお客さんも増えるかもだし、やってみない手はないよ!」

 

「「ココア(さん)……」」

 

するとリゼとチノのこわばった表情が柔らかくなっていく。

 

「そうだな、やる前からああだこうだ言ってるのはカッコ悪いよな」

 

「そうですね、お店を盛り上げるためなのに、マスターの娘である私が文句を言っちゃだめですよね」

 

そう言って二人は納得し始めた。

不思議なものだ……ココアが言うと皆納得してしまうのだから。

こいつは決して理屈じみたことを言っているわけではない。

それでもこいつには人の心を動かす何かがある。

僕もこいつに心動かされたからここにいるわけだしな……。

 

「それで有宇くん、いつPV撮るの?」

 

「ん、あぁ今週の土日だ」

 

「こん……えぇ!もうそんな時間ないじゃん!?」

 

「土曜日にお嬢様学校で踊りの練習と歌の練習。日曜に店を閉めて、店で本番撮影。その後お嬢様学校で歌の収録だ」

 

「結構本格的だね!」

 

「待て、うちの学校でやるのか!?」

 

「話はつけてある。前々から向こうとも相談してたしな」

 

「相談ていつの間に!?」

 

するとチノがあることに気づく。

 

「もしかしてこの前の尾行の時に会ってたリゼさんの学校の人って……」

 

それを聞いて共に尾行していたココアとリゼも気づく。

 

「そうだ、この前はその為の打ち合わせをしていたんだ。うちで客として来てたときに色々話してて、それで確か部活がダンス部と聞いてたから、それを思い出してあの日実際に会って相談してみたんだ。向こうはすっかり僕の虜だったから快くOKしてくれたよ。ついでにレコーディング部なる部活と声楽部も紹介してもらって学校の収録場も借りる事と歌の指導を受ける事ができた」

 

(((さらっと虜にしたとか言った!?)))

 

要は誑し込んだお嬢様学校の女生徒で人脈を広げ、それを利用して色々手を回したということだ。

収録場なんてのは普通に借りたらそれなりに金が掛かるが、お嬢様学校の部活の一貫としてやるので値段はタダだ。

但し動画投稿の際はちゃっきーさん同様、自分達のことも概要に載せて欲しいとの事だ。

……あとダンス部の部長にはデートの約束も取り付けられた。

 

「ていうかレコーディング部なんて部活がうちにあったとは……」

 

「どんな部活なのかな?」

 

「それでお兄さん、それまではどうすればいいでしょうか」

 

「さっき渡した歌詞カードを覚えておいてくれ。それとちゃっきーさんが作った曲のデータと、向こうのダンス部が踊った見本のCDも渡しておくから、ダンスも出来るだけ覚えておくように。なに、3分程度の動画だ。頑張ってくれ」

 

そう言うと曲のデータとかが入ったUSBをリゼに渡す。

 

「そういうことで各自土日に備えてくれ。では解散!……じゃ、僕は夕飯の準備に戻るから」

 

そう言うと有宇は部屋を出て2階へと降りていった。

 

「まさか踊らされるとはな……」

 

「でも私、今から楽しみだよ〜。どんなダンス踊るんだろ〜」

 

「ココアさんはマイペースでいいですね……。でもこれもお店を盛り上げるため、皆さん頑張りましょう」

 

「「おー!!」」

 

三人は土日に向け、既に気合十分だった。

 

 

 

 

 

有宇がPVを撮ると言ってからあっという間に数日が過ぎ、本番前日の土曜日、この日はお嬢様学校で本番前のダンスの練習&確認と歌の練習だ。

お嬢様学校に着くと、早速有宇が密会していたダンス部女子が門で出迎えてくれた。

 

「あ、有宇く〜ん!うちの学校へようこそ!リゼ先輩とお友達の皆さんもようこそいらしてくれました」

 

「穂乃果さん、休みの日なのにわざわざゴメンね。今日はよろしく頼むよ」

 

「もーそんなこと気にしなくていいよ。私、有宇くんの為なら何でもやっちゃうんだから♪」

 

有宇とダンス部の会話を眺めていた三人はなんとも言えない気持ちになった。

 

「恋は盲目なんていうけど……な……」

 

「ダンス部の部長さん、有宇くんにぞっこんだね……」

 

「お兄さん……恐るべしですね……」

 

三人が有宇と部長を冷めた目で見ていると、二人の会話が終わったようだ。

 

「おい、突っ立ってないで行くぞ」

 

ココア達に対してはいつもどおりの様子である。

だが特にダンス部部長の様子に変化はない。

リゼの言うとおり恋は盲目ということなのか、それとも有宇の魅力するテクニックがすごいのか……。

三人は取り敢えず前を行く二人に付いていった。

 

 

 

 

 

一同は校舎の先にある管理棟と体育館の間にある庭にやって来た。

体育館はバスケ部などの運動部が使っているため、人数も少ないしここでやることにした。

一度三人で踊って貰ったのだが、初めて合わせる割に結構出来ていた。

 

「それなりに出来てるな。まぁ、まだテンポとかは若干合ってないが」

 

ココアが笑顔で答える。

 

「えへへ〜三人でお店で練習してたもんね〜」

 

「仕事しろ」

 

確かに暇な時間を使ってやってたんだろうけど、そんなドタドタ踊ったりしたりしたら埃が立つだろ……。

まぁ、これなら思ったより早く終わりそうだな。

それからダンス部部員の指導が入ったりして、確実に上達していった。

ただチノの表情が少し固かった。

他二人は特に問題なかった。

ココアはあの性格だし、リゼは演劇部の助っ人とかで慣れているからだろう。

 

「チノちゃん、表情固いよ」

 

「はい!」

 

「チノちゃん、もうちょっと笑顔……」

 

「はい!」

 

部長が指導するが、チノのむっつり顔は中々治らなかった。だけど本人は真剣だ。

それに緊張しているのだろう。

無理もない、さっきから道行く生徒がこちらをじっと見ているのだから。

他校の生徒がいること、そして何より女子校に男子がいることが珍しかったのだろう。

だがそれでも練習していくうちにチノの表情も柔らかくなっていった。

踊りは三人で元々練習していたこともあって、すぐに息ぴったり揃うようになった。

踊りに関してはチノも、メグの家でバレエをやったことがあるとかで踊りの方に関しては特に問題もなかった。

そして昼に差しかかろうとする時間になって、取り敢えずダンスの練習は終わった。

 

「よし、それじゃあダンスはここまで。明日は私いないけど、その調子で皆さん頑張ってください」

 

ダンス部部長がそう言うと、三人はくたっとなり、その場で座りこんだ。

 

「疲れた……」

 

「はい……笑顔って意識してつくるの難しいです……」

 

「でもチノちゃん……ちゃんと出来てたよ……」

 

疲れた三人の側で有宇がダンス部部長にお礼を言う。

 

「穂乃果さん、今日は本当にありがとうございました」

 

「いいのいいの、そうそう有宇くん、約束なんだけど……」

 

「一緒に出かける約束でしたよね。いつにしましょうか?」

 

「それが……レコーディング部と声楽部に約束がバレちゃってね。自分たちも手伝うのに抜けがけするな!……って。私としては二人っきりが良かったんだけど、みんなでお出かけでもいいかな?」

 

「え!?えっと……はい、大丈夫です」

 

「良かった、じゃあ日取りはLI○Eで送るね」

 

マジかよ……好きでもない女とデートってだけでも面倒くさいのに、そんな大勢で出かけるとか……。

まぁその分二人きりでいるよりかは下手に距離が縮まることもなくなるし、別にいいか……。

気を取り直して有宇は座っている三人に言う。

 

「それじゃあ昼休憩終わったら歌の練習だ。一時には音楽室行けるようにしとけ。取り敢えず解散」

 

「「「は〜い……」」」

 

 

 

 

 

休憩中、有宇はうちから持ってきたパンを庭のテラスで食べていた。

他三人は学食に食べに行ったようだ。

有宇も一緒に行こうと誘われたのだが、沢山の女子生徒で混雑している中で、男子が一人いるのは目立つと思って遠慮した。

しかしここにいてもあまり大差はなかった。

さっきから道行く女子の視線が僕に釘付けである。

おそらく女子校というだけでなく、お嬢様という立場上あまり同年代の異性と接したことがないからだろう。

だからリゼみたいな男らしい女子が人気になるのだろうし。

しかしさっきからジロジロ見られて本当に居心地が悪い。

 

「……移動するか」

 

席から立ち上がるとその場を離れた。

しかし移動するにしても、どこも女子生徒がうろついていて、テラスとあまり大差がない。

すると女子生徒が声をかけてくる。

 

「あのー」

 

声の主を見ると、髪を両サイドに結んだ体操服姿の女子だった。

勿論面識はない。

何やら細長い筒のような物を持っているが一体……。

 

「はい、何でしょう?」

 

「君、リゼの店で働いてるイケメン君でしょ〜?」

 

「えっと……まぁ、イケメンではないですが、一応そうです」

 

どうやらリゼの知り合いのようだ。

しかし一応猫被ったままでいるか……。

 

「やっぱり。聞いたとおりだね〜」

 

「あの……因みに僕のこと、どういう風に聞いてますか?」

 

「えっと……表裏が激しくて、偉そうでナルシストだって聞いてるよ。あ、あと金にがめついとも」

 

あの野郎、普通に言いふらしてんじゃねぇよ。

このお返しはいずれたっぷりと返してやる……。

 

「でさ、イケメン君」

 

「乙坂有宇です」

 

「そう、じゃあ乙坂くん。今食べるとこ探してるんでしょ?ならうちの部室においでよ。今なら他の部員もいないしさ」

 

その誘いはありがたいが、しかし何が狙いだ?

僕と仲良くなりたいとかか……?いや、リゼから素の僕のことを聞いているならそれはないか。

まぁ、なんにせよ今は他に食べる場所もないし、素直にお言葉に甘えさせてもらおうか。

 

「それじゃあ……よろしくお願いします」

 

そして女子生徒の後を着いていくと、部室棟までやってくる。

部室棟というと、色んな部活の狭苦しい小さな部室が固まってるイメージだが、ここはお嬢様学校というだけあって、部室棟とは思えないほど中は綺麗だった。

そしてその中の一室に案内された。

 

「さぁ着いたよ。ここがうちの部の部室だよ」

 

中に入ってまず目にとまったのがトーテムポールだ。

何故部室にこんなものがあるんだと思ったが他にもまだある。

マンモスの牙みたいな置物に鹿の剥製、それにアステカの仮面みたいなやつも置いてある。

他にも洋風の一室には似合わないものが色々置いてあった。

 

「えっと……ここってもしかして民族研究会とかですか?」

 

「ううん、吹き矢部だよ」

 

「吹き矢部?」

 

部屋の奥の方をよく見てみると、確かにダーツの的みたいのが壁に掛けられている。

そうか、さっきから持ってる謎の筒のような物は吹き矢の筒だったのか。

 

「椅子とかはないけど、適当に座って座って」

 

そう言われて、トーテムポールとかが置いてあるところに敷いてある藁葺のシートの上に座った。

二人きりで少し気まずいが、あそこで注目を集めながら食べるよりかはマシだろう。

 

「ありがとうございます。えっと……」

 

「あ、自己紹介まだだったね。私ここの吹き矢部の部長です。リゼとは昔馴染みなんだ〜」

 

リゼと昔馴染みか……。

もしかしてガーディアンにも関係があったりするのだろうか。

いや、まさかな……。

 

「それで乙坂くんはリゼとはどんな関係だったり?」

 

「別に普通のバイト仲間ですよ。大した関係では……」

 

「え〜でもこの前リゼがかっこいい男の子と一緒にデートしてたっていう噂があるんだけどな〜」

 

おそらくパン祭りの後、一緒に出かけたことを言ってるのだろうか。

リゼも学園内じゃ人気者だし、そのリゼに彼氏疑惑が出れば噂になるのも無理はないか……。

にしても誰かに見られてたとは……。

 

「ほら〜お姉さんに正直に話してみなさい。本当のところどうなの?」

 

「本当に何もありませんよ。向こうも特に意識とかしてないでしょうし」

 

「え〜結構脈ありだと思ったんだけどな〜。まぁいいや、そういうことにしてあげる」

 

取り敢えず追求を免れたようだ。

さっさとパン食べてこの部屋から出ていこう。

 

「そうそう、あともう一つ聞きたかったんだけどさ」

 

「なんですか?」

 

まだ何かあるのか?

いい加減変な追求は止めて欲し……。

 

「リゼと出かけた日にさ。なんか起きなかった?」

 

それを聞いて体がビクッとする。

その質問って不良達に絡まれたことを言ってるのだろうか?

いや、まさかな……。

 

「いえ、特に何も……」

 

そう答えると、吹き矢部部長はニコッと笑みを浮かべた。

 

「そーか。なんか変なこと聞いてゴメンね。あの日なんか物騒なことが起きててさ。それで巻き込まれたりしてなかっか心配だったんだよね。そーかそーか、何もなかったなら良かったよ」

 

明らかに何か知ってるといった雰囲気だ……。

だが下手なことを尋ねて能力者であることがバレて何かあったらヤバイしな……。

リゼと友利も、二人の話に違いこそあれど、能力を隠せというのはどちらも言ってたし、慎重に行動しよう。

というわけでパンをさっさと口に放り込んで、立ち上がる。

 

「食べ終わったので、もう失礼しますね」

 

下手なこと話してしまう前に出ていった方がいい。

まだあと一個パンがカバンの中に入っているのだが、ここでこの人と話を続けるのはヤバイ気がする。

 

「あー待って待って。まだ時間あるでしょ?吹き矢やってこーよ」

 

「えっと、でも……」

 

「部室に入れてあげたんだし、それぐらいいいでしょ?」

 

そう言われると流石に何も言い返せない。

借りを作ったままにしておくのは、有宇としても気分が良くなかった。

 

「わかりました。じゃあ一回だけ……」

 

そうして部長から筒を受け取り、軽く筒の持ち方とかを指導されると、的の前に立つ。

 

「中央の黒い点と白い円は7点、赤は5点、その外側の白は3点、黒は1点だよ。1ラウンドで五回出来るから、五回どーぞ」

 

そして五回やってみた。

結果は無残なものだった。

一回だけ外側の白いところに刺さったが、他は的にたどり着く前に落ちてしまった。

 

「肺活量ないね〜君」

 

心ない素直な感想が有宇の胸を貫く。

地味に傷つく……。

 

「どれ、私に貸してみなさい」

 

そう言うと、有宇に代わって的の前に立ち、吹き矢を吹く。

結果は部長を名乗るだけあって大したものだった。

三本が中央の白い円に刺さり、残り二本が赤い部分に刺さった。

 

「すごいですね……」

 

「私なんてまだまだだよ。シャロちゃんなんか五本全部黒い点に当てられるしね」

 

「シャロが?」

 

「うん、前にリゼと部室に来たとき君みたいにやってもらったんだけど、本当にすごいよ〜!うちにエースとして入ってもらいたいぐらいの腕前だよ」

 

あいつにそんな特技があったとは……。

あいつらが学校で何してるかとか全然知らないから、そういう話が聞けるのはなんか新鮮だ。

 

「それじゃあ付き合わせちゃって悪かったね。でも今度来るときはもっと上達してから挑戦してきてね」

 

「別に挑みたくて挑んだわけじゃないですけど……まぁ、それじゃあ」

 

そうして吹き矢部の部室を出て、新たに昼飯を食べれる場所を探しに行った。

それにしても、結局あの人は何だったのだろうか……。

 

 

 

 

 

そして昼休憩が終わり、有宇達は音楽室へ向かった。

そこで声楽部の部長が待っていた。

 

「あ、乙坂さん。こんにちは……あの、覚えてますか?」

 

「千沙都さんだよね。前に友達と一緒にうちに来てたよね」

 

「お、覚えててくれたんですね……嬉しい」

 

音楽部部長も前に店に来た人間だったようだ。

そして再びココア達は冷たい視線を話し合う二人に向ける。

 

「お兄さん……本当にモテますね……」

 

「うちの学校の奴らがみんな有宇に誑かされていく……」

 

「ちゃんと名前まで覚えてるんだもんね……抜かりないね有宇くん」

 

いつか女を誑かし過ぎて、誰かしらに刺されるのではないかと三人は心配になった。

それから歌の練習が始まった。

三人とも練習してきたのか、こちらも特に問題はなかった。

というか三人ともかなり歌は上手かった。

特にチノが中でも秀でていた。

ダンスの時は笑顔に苦戦していたが、歌に関しては幼さを若干残した声ではあるものの、耳に透き通るように入るきれいな歌声だった。

引っ込み思案なチノのことだからてっきり上手くないものかと思っていたが、意外な才能である。

 

「チノ、上手いじゃないか。驚いだぞ」

 

「そう……でしょうか?」

 

「はい、チノさんお上手でしたよ」

 

声楽部の部長もチノの才能を評価した。

ココアとリゼもチノに駆け寄る。

 

「チノちゃ〜ん、すっごい上手だったね」

 

「やるじゃないかチノ」

 

「えっと……あの……」

 

皆に急に褒められて、たじろぐチノに有宇が言う。

 

「チノ、こういうのは素直に受け止めておけ。みんなお前を素直に評価してるのだからな。注目を集めるのは緊張するかもしれないけど、そう悪いもんでもないだろ?」

 

有宇にそう言われると、踊ってたときよりも自然に微笑む。

 

「はい、そうですね」

 

歌の方も特に問題なく、無事この日の練習を終えた。

後は明日の本番に備えるのみである。

お嬢様学校からの帰り道、各々が口々に言う。

 

「明日いよいよ撮るんだよね」

 

「あぁ、緊張するな」

 

「はい、でも今はちょっとだけ楽しみです」

 

「おぉ、チノちゃんからそんな言葉が出るなんて……!」

 

「どういう心境の変化だ、チノ」

 

「べ、別に大したことじゃないです。ただその……今日踊ったり歌ったりしてみて、飛び込んでみると見えてくる世界もあるんだなって思ったんです」

 

チノはチノなりに今日の経験で何か見えたのだろうか。

なんにしても、満足出来たのならそれはそれでよかった。

するとココアが言う。

 

「なんにしても有宇くんに感謝だね」

 

「は?僕?」

 

「うん、だって有宇くんがやろうって言わなかったらこんな事やらなかったと思うし、ありがとね有宇くん」

 

しかしそう言われて素直に喜ぶ有宇ではない。

 

「まだ礼を言うには早いぞ。明日撮るPVの反応を見てからにしろ」

 

「はぁ〜い、もう、有宇くんは固いんだから」

 

有宇には素直にココア達の賛辞を受け止める気にはまだなれなかったのだ。

その理由は……まぁ、PVを公開したらわかるだろう……。

喜ぶ三人を後目に、まだ何かを危惧している有宇であった。

 

 

 

 

 

日曜日、この日遂にPVの撮影をするのだが、朝からラビットハウスの前に数台の車がやって来ていた

その音を聞きつけ、ココアとチノが下に降りてくる。

 

「これは何事!?」

 

店の前に停まる車を見てココアが驚きの声を上げる。

 

「おーココア、チノも来たか。制服に着替えておけ、制服で撮るから」

 

「あ、うん……て、そうじゃなくてこの車はなんなの有宇くん!?」

 

「そうです。この車は一体……」

 

「撮影機材の搬入だ」

 

「撮影機材って……なんかテレビでも撮るみたいだけど……」

 

車から降ろされているでかいカメラは確かにテレビでも撮るような感じである。

 

「それにこれ……すごいお金かかるんじゃ……」

 

「それに関しては問題ない」

 

撮影費用を心配するチノに問題ないと言ったのは、車から下りてきたリゼだった。

 

「リゼさん!?これは一体……」

 

「有宇の奴……親父に協力を仰いでいたみたいで。それでこの車とかも親父が用意させたみたいだ」

 

「リゼさんのお父さん……?」

 

そう言われて運転手をよく見ると、前にリゼの家で見たグラサンの黒服である。

そして有宇がリゼの説明に補足する形で説明する。

 

「ビデオカメラで撮ろうと思ったんだが折角だしな。たまたまバータイムにうちに来てたリゼの親父に娘の晴れ姿を撮ると言ったら喜んで協力してくれたよ。世の中持つべきは財力のある人間との人脈だ」

 

「「「うわぁ……」」」

 

相変わらず金にがめつい男だと思った三人であった。

するとココアがあることに気づく。

 

「あ!撮影で思い出したけど有宇くん、私達の衣装とかないの?」

 

「衣装?」

 

「うん、だって折角撮るんだから可愛い格好したいじゃない?だから衣装とかないのかなーって」

 

「衣装はいつもの制服のつもりだが」

 

そう言うと、ココアが苦い顔をする。

 

「え〜折角ならいつもと違うのがいいな〜」

 

「今回は店の宣伝だから制服のままでいく。それに、お前らの制服って前々からピンクに紫に青色にって、十分カラフルで派手だし別にいいだろ」

 

「はぁ〜い……」

 

仕方ないと言わんばかりの様子ではあるが、一応納得したようだ。

そして三人が着替えたところで撮影開始。

最初何回かミスってやり直したが、なんとか撮影も無事終わった。

それからお嬢様学校に再び赴き、レコーディング部の収録場で曲を収録した。

それをパソコンでの編集を経てPVは完成され、動画は無事ホームページにUPされた。

 

 

 

 

 

動画をアップした翌日、PVの再生回数をいつものメンバーで確認してみると、1016回再生だった。

そして有宇がこっそり上げていた店のコーヒーとかを映したごく普通のPVの方も103再生で、手間をかけた割にそこまでの成果は出なかった。

 

「そんないかないもんだね〜」

 

「まぁ、こんなもんじゃないか?」

 

「でも、あんなに頑張ったのに残念ですね」

 

正直有宇はこうなることを予想はしていた。

それなりに手間はかけたかもしれないが、所詮素人の作った動画だ。

撮影自体はリゼの親父の撮影班がやったので綺麗に仕上がったが、ダンスだってプロじゃなくて部活の高校生が考えたものだし、踊るこいつらもプロなんかじゃない。

それを抜きにしても、わざわざ喫茶店のCMなんかを見ようと検索する人間は少ないだろう。

だから再生数が物凄い伸びるなんてことは端から期待していなかった。

そしてリゼが有宇に聞く。

 

「なぁ有宇、結局これって意味あったのか?」

 

「なければやらんさ」

 

「けど……」

 

「……今の所1016再生されてるわけだが、その内この辺に住んでる人間はほんの僅かだろう。北海道とかでこの動画を見ても、わざわざそんな遥々ここまで来ようなんて輩はいないだろうからな」

 

「それって……」

 

「つまり?」

 

「どういうことでしょうか?」

 

三人が口々に尋ねる。

有宇は話を続ける。

 

「つまり、今回の動画を見て実際に店に来る数は本当にごく僅かだということだ。動画を再生したこの街近郊に住んでいる人間だって、本当にわざわざ店に足を運ぶとも限らないし、今の再生数で実際に店に来るのはせいぜい一人か二人だろう」

 

「「「えぇ!?」」」

 

三人は驚愕した。

そりゃそうだ、あんなに客足を伸ばす策があるとでも言うように自分達に言ったのに、今更集客には大して繋がらないなどと言われたら驚くのも無理はない。

そして三人は有宇に詰め寄る。

 

「だったらなんで私達にこんな事をさせたんだ!」

 

「そうです!お客さん増えるか持って思ったから恥ずかったけどやったんですよ!」

 

「有宇くん、どういうことなの?」

 

三人がいきり立った様子で有宇に聞く。

 

「当然、一人でも多くの客を呼ぶためだ!実際今のうちの店の状況を考えたら客足を途絶えさせないこと、それが最優先だ。それにはまず、この店に一人でも多く足を運んでもらうしかない」

 

そうはっきりと三人に言った。

少しでも客足を伸ばせるなら何でもやる。

それが有宇の考えだった。

勿論経費などがかかり過ぎるようであればやるつもりはなかったが、今回は色々なところから協力を得ることができたから、ほとんどお金をかけずにやれるからやろうと思ったのだ。

そしてそれを聞くと三人も有宇を責める気にはなれず、寧ろ有宇の意見に納得したようだった。

 

「確かにそうだな。今は一人でも多くのお客さんに来てもらわないとな」

 

「はい、私達が浅はかでしたね……」

 

「一人でもお客さんを増やすため……そっか、私達一気にお客さんが増えることしか考えてなかったから、そんなこと全然考えてなかったよ」

 

各々が自己反省を述べていく。

別に責めたつもりではなかったのだが……。

 

「とにかく、すぐに客を増やそうたってそうはいかない。これからも地道に客を増やしていくぞ。いいな」

 

そう言うと三人ともビシッと敬礼のポーズをして顔を引き締めた。

 

「「「サーイエッサー!」」」

 

何故軍人風?

まぁ、やる気になってくれたのならそれでかまわない。

そうだ、もう漫然と過ごしていくのはやめにしたのだ。

ここにいる間くらいは、この店を盛り上げてやろうじゃないか。

密かに柄にもなく、闘志を燃やす有宇であった。

 

 

 

 

 

だがそれから数日後、有宇がお嬢様学校の女子達と約束通りデートに行った日のことだった。

女子たちに散々振り回されて疲れ果てて店に帰ってくると、満席とはいかないが、店にはかなりの人数の客が来ていた。

 

「あ、有宇くんお帰り」

 

「ココア、これは一体……?」

 

「なんかよくわからないけど、今日はお客さんいっぱいだよ〜」

 

どういうことだ。

何故急にこんな……それになんかいつもと店の雰囲気が……。

するとその時、周りから鋭い視線を感じた。

視線を感じて周りの客を見てみると、さっきから感じる謎の違和感の正体に気づいた。

そう、全員男性客なのだ。

この店の客層は、年寄りを除けば大体女性客が多いのだが、今は圧倒的に男性客が多い。

鋭い視線を向けられたのも、おそらくココアと親しげに話したからであろう。

 

「ひゃっ!」

 

すると突然変な声が上がった。

なんだと思い声のする方を見てみると、声を上げたのは接客中のリゼだったようだ。

 

「貴様ぁ!」

 

ポケットからいつもの銃を出し、客に突きつける。

 

「バカ、やめろ!」

 

リゼを取り押さえる。

だがリゼは興奮した様子で、中々銃を下げてはくれない。

 

「落ち着け、何があった」

 

「離せ!今……この男が私のお尻を……」

 

あぁ、触られたのか……仕方ない。

触った客に、リゼに代わり謝罪する。

 

「大変失礼致しましたお客様。しかしうちはそういった店ではございませんので、従業員に触れるなどといった行為はご遠慮くださいませ」

 

しかしリゼの尻に触れた小太りの眼鏡の客の怒りは収まらない。

 

「お尻ぐらいいいじゃないか!なのにこんな乱暴なことされるなんて!お詫びとしてもっとすごいことしてもらうんだな」

 

そうだそうだと一緒の席に座っている眼鏡の男たちが喚く。

有宇も流石に頭にきた。

 

「ですがお客様、うちは普通の喫茶店ですので、そういった行為をされますと、こちらも対処せざるを得なくなります。あまりこういう事は言いたくないのですが、こういった行為が続くようでしたら警察を呼ばなくてはならなくなりますので、うちもできればそれは避けたいのですが……」

 

「け、警察!?」

 

警察という言葉を出すと、男たちは一気に態度を変えた。

こういう輩には警察を呼ぶというのが一番だ。

所詮は相手は店員だからと思ってるから調子に乗るわけで、警察が来ると聞いたら態度も改めざるを得ないだろう。

そして周りの客からも非難の視線が集まり、眼鏡の男たちは居心地悪くし会計を払って出て行った。

それからも勝手にココア達の写真を撮るやつが現れたりと、店は大変だった。

客の全員がそういう客ではなかったが、やはり客が増えると一人や二人は厄介な客が出てくるものである。

今後はこういった対策も取らないとな……。

 

 

 

 

 

そして店を閉めた後、例のPV動画を確認する。

見るとPVの再生数がいつの間にか10万再生に届いていた。

まさかと思い以前ネットで知り合った『ちゃっきーさん』のブログを見ると、この動画について書かれていた。

それ自体は普通に〈お嬢様学校とラビットハウスとの合作PV!見てね!〉と紹介されていたが、調べてみるとこの『ちゃっきーさん』、実は結構ネットでは大物だったらしい。

ネットの何でも屋を自称して、自分の名前を広めるために無償であちこちでネット関係の手助けをしてまわってるようだ。

そしてブログに紹介されたのが昨日だったようで、それで今になって注目されだしたようだ。

要は『ちゃっきーさん』によって注目する人間が増え、こいつらのビジュアルに釘付けになった男性客が増えたということだ。

元々この辺は女子校が多く、お嬢様学校もあることからネットでは美女が多いことで有名で、それも今回の男性客増加に繋がったようだ。

 

「再生数が増えたのはいいけど、まさかこんなことになるとは……」

 

「写真いきなり撮られた時はビックリしました……」

 

「有宇くん、なんとかならない?」

 

客が増えたことは本来喜ばしいことだが、ココア達は流石に参ってしまってるようだ。

ココアですらこの様子なんだから相当苦痛だったのだろう。

女子校で普段男のああいった視線で見られることに慣れてないだろうしな……。

だが正直有宇としては、問題も増えたが客が増えたことに内心歓喜していた。

だからつい金に目がくらみ、こんな事を言ってしまう。

 

「そうだな……。なら規制するぐらいなら端から認めてしまえばいいんじゃないか」

 

「というと?」

 

「金を取る。写真一枚五百円とか。下手に抑圧するより商売にしてしまった方が稼げるしwinwinだ」

 

「でもそれ根本の解決にはならな……」

 

「あぁ、そうだ……この辺メイド喫茶とかそういう店なかったもんな。この路線で売り出すのもいいかもしれん。これなら売れるんじゃないか。このままこいつらを看板娘に据えて……いや、寧ろもっと歌の動画を出してネットアイドルにすれば……そしてネットアイドルが接客してくれる喫茶店になれば……」

 

「有宇くん……?」

 

「いける!これは絶対儲かるぞ!ということでお前ら、早速動画撮影第二弾を……!」

 

ドンッ!

 

その時、有宇の左頬のすぐ側を思いっきりココアの手が横切り、後ろの壁に思いっきり手を突きつけた。

俗にいう壁ドンというやつだ。

まさかこんな形でされるとは……。

 

「えっと……ココア?」

「なんとかしてくれるよね?」

 

「いや、でもこれはチャンス……」

 

「な・ん・と・か・し・て・く・れ・る・よ・ね」

 

顔を一気に近づける。

顔は笑っているけど笑ってないというか、絶対これキレてる。

普段のココアからは感じられない程の凄まじい気迫があった。

後ろの二人に助けて欲しいと視線を送るが、二人とも知らん顔だ。

もはやココアに意見することはできなかった。

 

「………はい」

 

ココアに迫られ、結局苦労して作ったPVは削除する形を取った。

更に今後の対策として店内にもお触り禁止と店員の無断撮影禁止の貼り紙を貼らされた。

まぁ動画自体は転載されてまだネットには残ってたりするので、しばらくは男性客が絶えなかったのだが、それはまた別のお話。

結果的に今回のPV作戦は、半分成功し、半分失敗に終わる形となった。




今回のお話は甘城ブリリアントパークのパロディです。
元々今回の幸せになる番で有宇を書くに当たって、原作第一話の時のようなゲスで強気な有宇くんが書きたかったので、その参考にしたのがCharlotteのドラマCDに出てくるゲス坂くんと、中の人も一緒で有宇と頭の良さ以外色々と似ている甘ブリの可児江くんでした。
甘ブリを知らない方は知っておくと、更に楽しめるようになってると思います。


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第23話、甘兎庵での一時

朝、いつも通りに起きる。

外はまだ少し暗い時間だが、有宇はいつもこの時間に起きている。

そして一階へ降りていきマスターに挨拶、そして今日のパンの成型をマスターと行う。

それが終われば今度は朝食作りだ。

そして朝食が出来る頃にチノが降りてくる。

 

「おはようございますお兄さん」

 

「おはよう。もう出来てるから皿並べててくれ」

 

「はい」

 

そして2階のキッチンで二人で朝食をとる。

朝食を食べ終わるとチノは学校へと行く。

 

「お兄さん、いってきます」

 

「あぁ、いってらっしゃい」

 

そして有宇は皿の洗い物をする。

この間にマスターがもうパンの焼き上げをやってるはずだ。

すると、有宇が洗い物をしていると後ろからマスターが声をかけてくる。

 

「あれ、マスターどうかしましたか?」

 

「もうココア君とチノは行ったかい」

 

「ええ、もう行きまし……」

 

そこで思い出す。

 

「ヤベッ!ココアがまだ起きてねぇ!」

 

水道の蛇口を止め、手を軽く拭くとダッシュで階段を駆け上がる。

テストが終わってテスト休みに入っていたものだから、すっかり今日が登校日であったことを忘れていた!

しかもあいつ最近は自分で起きてたし、こっちも気に止めてなかった……。

そしてココアの部屋のドアを開ける。

案の定ココアはベットの上で寝ていやがった。

有宇はココアの体を揺すりながら起こしにかかる。

 

「おい起きろ!ココア起きろ!」

 

「zzz……パンが焼けたら……」

 

「ラッパでしらせてる場合じゃねぇよ!いいから起きろ!」

 

するとようやくココアは目を擦りながら目を覚した。

 

「う……ん有宇くん?どうしたのこんな朝早く……」

 

「朝早くじゃねぇよ!もう8時過ぎだ!今日お前学校だろ!」

 

「そっか、もう8時……って8時!?」

 

ようやく事の重大さに気づいたようだ。

 

「うわ〜ん!どうして起こしてくれなかったの〜!」

 

「悪い、忘れてた……って自分のことだろうが!それぐらい自分でなんとかしろ!」

 

そして有宇は部屋を出ていった。

おそらく今から出ても、ぎりぎりホームルームには間にあわないだろう。

ココアの自業自得ではあるが僕のミスでもあるし……それに家の家事を担ってる以上ココアを遅刻にする訳にはいかないしな……仕方ない。

そして何かを思い立ち、有宇は外に出た。

 

 

 

 

 

しばらくしてココアが制服に着替え終わり店から出てくる。

店から出ると目の前には、有宇が自分の愛車『ティッピー号』に跨がっていた。

 

「有宇くん?それ……」

 

「後ろに乗れ。送ってやる」

そう言うとココアの顔がぱあっと笑顔になった。

そしてココアは有宇の後ろのキャリア部分に跨り、有宇の肩をそっと掴む。

 

「よし、行くぞ」

 

「Go!」

 

自転車の後ろにココアを乗せ、有宇は自転車で学校に向かった。

学校へ向かう途中、ココアが「エヘヘ〜」といつもの気持ち悪い呟きを口にする。

 

「そんな気持ち悪い声出してどうした?」

 

「気持ち悪くないよ!?えっとね、いつかチノちゃんを後ろに乗せたいな〜て思ってたのに私が乗ってもらう側になっちゃったな〜って」

 

「なんだ、だめだったか?」

 

「ううん、これはこれでいいなって。また今度乗せてもらおうかな〜」

 

「調子のんな。今度は助けてやらんぞ」

 

「は〜い」

 

乗せてもらう側……ね。

そういえば僕も昔は乗せてもらう側だったけか。

よく後ろに乗せてもらった覚えが……ってあれ?そういえば誰に乗せてもらったんだ?

父さんか?……いや、あの人はそんなことしてくれるような人じゃなかった。

じゃあこの記憶は一体……。

 

「有宇くん前!」

 

「おっと」

 

目の前の電柱をぎりぎりの距離で避ける。

 

「もう、よそ見は危ないよ」

 

「悪い……」

 

取り敢えず今は自転車を漕ぐことに集中するか。

そしてさっきのあやふやな記憶を頭から消し去った。

 

 

 

 

しばらくして学校前まで来ると、校門前に自転車を止める。

ホームルーム5分前、なんとか間に合ったようだ。

 

「ありがとね有宇くん、いってきま〜す」

 

「あぁ、さっさと行ってこい」

 

そしてココアは校舎へと走り去っていった。

それを見届けると、有宇も店の準備とかがまだ残ってるので、そのまままっすぐラビットハウスへと帰った。

 

 

 

 

ココアはクラスに着くと、いつも通りクラスメイト達に挨拶する。

 

「おっはよ〜!」

 

するとクラス中がココアに目を向ける。

雰囲気もどこかいつもと違い、みんな静かだ。

しかし、そんなクラスの様子の変化にも気づかず、ココアは喋り続ける。

 

「いや〜今日学校あること忘れちゃってて、すっかり寝坊しちゃったよ〜。本当有宇くんに送って貰わなかったら……ってどうしたのみんな?」

 

ようやくココアはクラスの様子がいつもと違うことに気づく。

そしてその中の一人、眼鏡をかけたクラス委員長がココアの肩をがっちり掴んで鬼気迫る様子で言う。

 

「委員長……?」

 

「おいココア……あのイケメン誰だ?」

 

「え?えっと、前にも話したよね?うちでお世話になってる有……」

 

「嘘つけぇぇぇ!」

 

「えぇ!?」

 

なんで嘘つき呼ばわりされてるの!?

 

「お前、言ってたじゃないか!『有宇くんはちょっぴり気難しいけど、しっかりしてる私の弟みたいなもの』だって!一緒に暮らしてるとか言ってたからてっきりもうちょっと幼い感じの男の子を想定していたのに……それが……それがなんであんなクソイケメンなんだぁぁぁ!!」

 

「ちょっ、委員長落ち着いて!?」

 

すると周りのクラスメイト達も寄ってきた。

 

「弟とか言ってたけど何あれ!?付き合ってるの!?」

 

「えっと……」

 

「ココアが彼氏持ちか〜。お姉さん達は悲しいよ〜」

 

「彼氏?……って私だってうちではお姉ちゃんだもん!」

 

「あ〜あ、うちにもあんなイケメンなバイト来ないかな〜」

 

クラスはすっかり有宇の話で持ちきりとなった。

といってもココアにとっては有宇は弟みたいなもので、異性として意識はしてないため否定するも、クラスのみんなは有宇のルックスが高かったために、誰一人として信じようとはしなかった。

そして、あまりにもみんなの追求が凄かったので、流石のココアも参ってしまう程だった。

 

「もう!有宇くんとはそんなんじゃないよ〜!」

 

そんなココアの叫びがクラス中に響き渡った───

 

 

 

 

 

「……ってことがあったのよ。ココアちゃん、みんなに質問攻めされてたわ」

 

午後、バイトを終えて甘兎でいつものように一息ついていると、千夜が今日学校であったことを話してくれた。

 

「まぁ、僕みたいなイケメンが現れたらそうなるのも無理はないか」

 

「相変わらずね〜有宇くんは」

 

「で、ココアはなんて?」

 

「有宇くんは弟みたいなもので、みんなが思ってるような関係じゃないよって」

 

あいつに異性として意識はされてはないだろうというのは、普段の弟扱いから察しがつく。

僕も特にココアに想いを寄せてる訳ではないので、寧ろその方がありがたい。

……まぁ、全く意識されていないというのも少し腹立だしいが。

 

「元々、かっこいい店員さんがいる喫茶店があるって噂は流れてたんだけど、みんなそれが有宇くんのことだってことは知らなかったみたいで」

 

やっぱ噂にはなってたのか。

おそらくココア達の学校の女子生徒が僕のいる時間帯で来たことは今までなかったから、それで噂程度に留まっていたのだろう。

じゃなかったら今頃お嬢様学校の連中だけじゃなくて、ココア達の学校の奴らも僕の虜になること間違いなしに違いない。

 

「あ、有宇くん、そこ間違ってるわ」

 

その時、千夜が有宇の解いてる問題の間違いを指摘する。

甘兎でどうせなら勉強もしようと思って教材を持ってきたのだが、折角だからと千夜が国語と日本史を教えてくれるといって、千夜に勉強を教えてもらっていた。

シャロとココアからは、苦手な理系科目と英語を重点的に教わっていたので、この申し出はありがたかった。

それで今は古文をやっていたところだ。

 

「え、どこが?」

 

「下に『とき』ていう名詞、つまり体言があるでしょ。下に体言がある時は連体形になるから……」

 

「あぁ、だから答えは『死ぬ(とき)』だろ?」

 

「五段活用ならそうだけど、これはナ行変格活用の動詞なの。ナ変のときの連体形の活用語尾は『ぬる』。だから答えは『死ぬる(とき)』よ」

 

「クソッ、面倒くせぇな……」

 

「ナ変の動詞は『死ぬ』『往ぬ(去ぬ)』の二語だけだから覚えた方がいいわね。あ、あとそこの単語の意味も違うわ」

 

そしてまた間違いを指摘された。

古文は苦手だ……。

現代文はいつも本を読んでるせいか、漢字間違いを除けばそこそこ出来るのだが、古文はそう簡単にはいかない。

日本語なのに今の日本語と意味が違ったり、逆に同じだったりする奴もあるし、動詞だって活用形を見分けるのが面倒くさいし、本当に苦痛でしかない。

 

 

 

 

 

それからしばらく古文をやった後、今度は文学史を教えてもらう。

 

「有宇くん、では問題です。金閣寺の美しさに取り憑かれた学僧の告白を描いた小説は……」

 

「金閣寺!」

 

「ですが、その作者は誰でしょう」

 

「なっ、ずるいぞ!」

 

「お答えくださ〜い♪」

 

クソッ変な問題出しやがって。

えっと……確か自殺したとかで有名だったっけか……。

自殺自殺……わかった!

 

「川畑康彦!」

 

「残念!正解は三島由紀夫でした。因みに川畑康彦じゃなくて川端康成よ」

 

「クソッ、そっちかよ!」

 

有宇は惜しいと思っているが、全然惜しくない。

 

「因みにテストとかには出ないとは思うけど、川端康成と三島由紀夫は師弟関係にあるの。覚えておいて損はないわ」

 

師弟関係とか、そんなのまでいちいち覚えてられるかよ……。

 

「なぁ、もっと簡単なのにしてくれよ。もっと有名な奴」

 

ぶっちゃけ夏目漱石ぐらいしか出てこねぇよ……。

 

「そうね〜有名な人ね。わかったわ、じゃあ夏目漱石といえば……」

 

お、夏目漱石来た!

これなら簡単に解け……。

 

「坊ちゃんなどで有名な作家ですが、その夏目漱石の初期三部作をお答えください」

 

「わかるか!!」

 

なにまたサラッと引っ掛けようとしてんだよ!

初期三部作?わかるか!

つか初期も後期もわからねぇよ!

今初めて知ったわそんなもん!

 

「夏目漱石ならいいと思ったんだけど……。でもチャレンジして見て?」

 

「んなこと言われても……えっと、『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『伊豆の踊子』でどうだ」

 

取り敢えず適当に知ってる名前を上げてみた。

そして当然……。

 

「残念!答えは『三四郎』『それから』『門』でした。因みに『伊豆の踊子』は夏目漱石じゃなくて、さっき出てきた川端康成の作品よ」

 

「いや、適当に知ってる名前上げただけだし。つか漱石とか今言った『坊ちゃん』と『吾輩は猫である』しか知らねぇし」

 

「そう?でも夏目漱石のお話は他にも面白いお話が沢山あるわよ。文学少年の有宇くんにも是非読んで欲しいわ」

 

「別に文学少年じゃないんだが……」

 

暇つぶし程度に読むくらいで、そんな昔の本とか読まないし……。

 

「私、夏目漱石の残した言葉の『月が綺麗ですね』が好きなの。いいわよね〜」

 

そう言うと千夜は頬に手を当て、顔を赤らめ、ニヤけた表情を浮かべる。

 

「確か『I Love You』を言い換えた言葉だっけか。千夜はやっぱプロポーズとかもそういう凝った言い回しがよかったりするのか?」

 

「そうね、プロポーズをされるならそういうかっこいいセリフで言って欲しいわね。あ、あと他にも二葉亭四迷の『死んでもいいわ』っていうのもいいと思うの」

 

流石メニューに変な名前をつけるだけのことだけあって、プロポーズとかもそういうのじゃなきゃダメなのか。

千夜に告白する男は大変そうだな……。

 

「そろそろ休憩入れましょうか。これサービスよ」

 

千夜がそう言って置いたのは、有宇の大好物〈琥珀色の三宝珠(みたらし団子)〉だった。

 

「いいのか?」

 

「ええ、有宇くん頑張ってたからご褒美よ」

 

「それじゃあ、ありがたく頂くよ」

 

そして勉強を一時中断して、ペンを置いた。

 

 

 

 

「そういえば有宇くん、ココアちゃんからPVを作ってるって聞いたんだけど」

 

休憩中、千夜が有宇にそう尋ねてきた。

 

「まあな。と言っても撮るのは日曜で、今は各自振り付けと歌詞を覚えてもらってるだけだけどな」

 

そう言うと、千夜は羨ましそうに言う。

 

「羨ましいわ。うちもそういうのやろうかしら」

 

「わざわざ?別にそんな事しなくても甘兎はそれなりに客入りがあるじゃないか」

 

甘兎はいつも数人は客が入っている。

他にもお得意先には出前サービスもやってるみたいだし、第一この街には数少ない甘味処だしで、わざわざ新たにテコ入れする必要はないと思うのだが……。

 

「いいえ、それなりじゃダメなのよ!それじゃあ甘兎庵、大手チェーン店の第一歩にはほど遠いわ!」

 

「お、おう……」

 

千夜から気迫じみたものを感じる。

こういうのを燃えてるって言うんだろうか。

 

「にしても千夜が歌か……。そういえば千夜って普段どんな曲聞くんだ?」

 

大体予想はつくが、一応聞いてみる。

 

「そうね、普段は演歌をよく聞くわ。今お店に流してるのも私の持ってるCDなの」

 

和風なイメージがあるからもしやと思ったが、やっぱり演歌なのか。

予想ついてたとはいえ、最近の女子高生が演歌ってどうなんだ……。

でも今店で流れてるこの曲なんかは、僕も昔テレビかなんかで聞いたことがあるな。

 

「確かこの曲って昔やってたドラマの……必殺兎人の主題歌だっけか?」

有宇がそう言うと、千夜の体がプルプル震える。

 

「千夜?」

 

「〜〜〜もう!そんなんも知らんとか!これは暴れ狼兎右衛門取締貼のテーマソングやきん!」

 

「千夜!?」

 

本当にどうした!?

てか口調がいつもと違うんだが!?

 

「……はっ!ごめんなさい!つい熱くなっちゃって……」

 

「いや、別にいいんだが……」

 

よくわからないが、今の僕の失言で千夜の何かが目覚めたようだ。

にしてもまさかここまで演歌好きだったとは……。

 

「そ、それよりも、そろそろ勉強に戻るか!次は日本史を頼む」

 

「ええ、任せて」

 

こうして、千夜の意外な一面を目にして、また勉強へと戻った。

 

 

 

 

「……ということで1633年、35年、39年にそれぞれ寛永10年、12年、16年令が発布されて、日本は鎖国体制を築くの。これによって日本はペリー来航の1853年まで中国、オランダ以外との国との国交を絶ってしまうの」

 

「ふーん」

 

「寛永令はそれぞれ内容が違うからちゃんと抑えてね。じゃ、今やったところをテストしま〜す」

 

「うげぇ」

 

そう言われて千夜は自筆の1枚のテストを有宇に差し出す。

高卒認定では日本史Aを専攻するつもりだったので、幕末から教えて欲しいと言ったのだが、幕末を抑えるならまずは江戸時代からと千夜に言われ、江戸時代初期から教わっている。

まぁ、星ノ海学園にいずれ通えるようになった時には日本史Bの知識も必要になるだろうし別にいいけど……。

そして今、江戸時代初期の日本の鎖国体制についてのテストをやらされている。

選択問題なんかは一切無い。

千夜は優しそうに見えて、結構手厳しい。

それからしばらくして問題を解き終わると、千夜に解答を渡す。

そして千夜が丸付けをする。

 

「う〜んそうね、単語の穴埋めは大体出来てるけど年号問題の間違いが多いわね」

 

そう言われると、確かに年号問題はほとんど間違えている。

 

「そんなこと言われても、年号って四桁もあって覚えづらいんだよな……」

 

「そんなことないわ、例えばさっきの寛永令の発布された年はそれぞれ3・5・9の年だから語呂合わせで『鎖国』で覚えられるわ」

 

「へぇ〜なるほど」

 

語呂合わせか、聞いたことはあったが成る程、そういうものなのか。

確かにそれだと覚えやすいかもな。

 

「そして寛永16年の前年に島原の乱が起きてるの。島原の乱が原因で幕府は宗門一揆を恐れて警戒して発布したわけだから、寛永16年令の年号を抑えていれば自ずと島原の乱が起きた年もわかるでしょ?」

 

「じゃあ島原の乱は1638年に起きたってことか」

 

「フフッ、残念ながら島原の乱が起きたのは1637年なの。反乱が起きたのが12月で、乱の平定が翌年2月末だから、そこは注意しなきゃいけないわね」

 

「面倒だな……」

 

そんな年越し前の時期に乱なんか起こしてんじゃねぇよ!

頼むから過去の人間は、後世の若者のためにも覚えやすいよう努力してくれ……。

 

「えっと、島原の乱って確か宗教弾圧されてブチ切れた連中が乱起こしたってやつだっけ?」

 

「ちょっと違うわね。確かに島原の人達は前領主、有馬晴信がキリシタン大名だった影響でキリシタンが多かったのだけれど、反乱を起こした本当の理由は領主の圧政に対する不満からなの」

 

「不満?」

 

「ええ、島原、そして天草のそれぞれの領主、松倉氏と寺沢氏は苛酷な徴税を農民に強いたの。しかもこの時農作物があまり取れない凶作の年で農民の人達はみんな困窮してたの」

 

「そりゃ酷いな」

 

そんなことしたら反乱されるのも無理はない。

僕が領主だったらもっとうまく……いや、僕が領主でも金欲しさで結局やることはそんなに変わりなさそうだな……。

 

「ええ、そして農民はそんな領主の圧政に耐えきれなくなって遂に一揆を起こすの。そしてそんな中、島原に英雄が現れるの」

 

「えっと……確か天草四郎だっけか」

 

「ええ、厳密には益田四郎、教科書とかだと益田時貞ってなってるとこもあるわね。でも天草四郎でも間違いじゃないわ。一般的には天草四郎時貞の名で知られてるわ」

 

「ややこしいな……。で、確かそいつって16とか17とか結構若かったんだよな」

 

「ええ、16歳の若さで乱の総大将となって、島原の人達の為に彼は立ち上がったの。本当は地元の浪人達がカリスマ性の高い彼を利用したというのが有力らしいんだけど、それでも彼が島原の人達の為に立ち上がったのには変わりないわ」

 

「でも失敗するんだろ、島原の乱って。正直僕はバカだと思うけどな。政府相手に真っ向からぶつかり合って勝てるわけないだろ。英雄っていうより蛮勇、ただの無鉄砲のバカにしか思えない」

 

率直な感想だった。

そんな勝てもしない勝負に出るなんてなんと愚かなのだろうと。

僕だったら絶対逃げる。

農民達から支持を集められるだけのカリスマ性があるなら他の地でもやっていけなくはないだろうし、わざわざ勝てない勝負に出ようとは思わない。

 

「そうかしら?確かに無茶だとは思うわ。現に失敗に終わってしまったけど……」

 

「なら……」

 

「でも、無茶だとわかっても、人ってやらなきゃいけない時って必ずあると思うの。有宇くんだって、もしかしたら誰かのために何かを成し遂げる日が来るかもしれないわ」

 

「僕が?まさか、僕は誰かのために力を尽くせる人間じゃない」

 

心からの本音だ。

ここに来てそれなりに考えが変わったりした部分はある。

だが、それで特に慈善的な考えを持つようになったとかではないし、ましてや無謀だとわかってるのにやろうとは絶対に思わないだろう。

すると千夜はいつものようにフフッと笑う。

 

「そうかしら、有宇くんは十分優しいと思うわ。きっと天草四郎のように誰からも愛されるヒーローにだってなれるわ」

 

「ヒーローって……。ま、お前が僕をどう思うが知ったこっちゃないし別にいいけどな。ていうか長々と話したけど天草四郎って受験とかで出るのかこれ?有名だけどそんな問題に出るイメージないんだが……」

 

天草四郎って有名な割には、問題として出すところもそんなないし、問題集もパラパラっと見た感じ、そんな出てきたりはしてないような気がするんだが。

すると千夜が自信なさげに言う。

 

「そうね……確か、もしかしたら将来教科書から外される偉人だったような……」

 

「は!?それじゃあ今までの話なんだったんだ!?やる意味なかったんじゃないのか!?」

 

「えっと……でもまだ確定じゃないから。まぁ、覚えて損はないはずよ……?」

 

「じゃあなんで疑問系なんだよ!」

 

「えっと……それより、次いきましょ♪」

 

「誤魔化したな……」

 

結局、天草四郎を学ぶ意味はほぼなかったということか……。

まぁ、覚えて損はないというのは確かだろうし、別にいいけど……。

そんな調子で日本史を進めていった。

 

 

 

 

 

「それじゃあ今日はここまでね」

 

夕方、五時のチャイムが外では鳴り響き、僕も夕飯の準備があるので切り上げることにした。

 

「あぁ、ありがとう千夜」

 

「いいのよ。私も今日は有宇くんのお姉さんになった気分になれたもの」

 

「お姉さんて……頼むからココアみたいにはなってくれるなよ」

 

ツッコむ奴が増えるのはゴメンだ……。

そしてカバンに教材をしまい、席を立つ。

そして会計を済ませてそのまま出ようとしたのだが、ある物が目にとまる。

 

「そういやここって、色々売ってるのな」

 

有宇が気に留めたのは、レジの周りに置いてある土産品だ。

 

「ええ、お土産とかうちで使ってるお茶とか色々売ってるわ」

 

「ふ〜ん」

 

今まで普通に会計済ませたらそのまま店を出てたけど、確かによく見てみると色々売ってるな。

お茶っ葉に和菓子、それになんだこれ?白亜の宝珠と擬態する毒玉?

わさび入りって書いてあるけどこれってロシアンルーレット的なあれか。

こんなのもあるのか……。

他にもお茶を立てる道具なども置かれている。

そしてその中から先程目に留めた物を一つ手に取る。

 

「千夜、これくれ」

 

「いいけど、それ何に使うの?」

 

「なに、物は試しにな」

 

「?」

 

そして有宇はそれを買って、甘兎を出た。

 

 

 

 

 

有宇が甘兎に行った次の日、午後になってチノが最初に帰ってきた。

 

「ただいま」

 

「あぁ、おかえり」

 

有宇がカウンター越しのキッチンで、コーヒーを作りながら出迎える。

いつもならチノはそのまま更衣室へ着替えに行くのだが、有宇のコーヒーの作り方の異様さに気づいて立ち止まる。

 

「どうしたチノ?」

 

「お兄さん……何を作ってるんですか?」

 

「なにって、お客さんからオーダー受けたからコーヒー作ってるだけだが?」

 

「えっと……でもそれって……茶筅ですよね?」

 

そう、有宇が持っていたのは茶を立てるのに使う茶筅だった。

普通サイフォンでコーヒーを攪拌する際はヘラやスプーンなどでかき混ぜるのが普通だ。

チノたちも今まで細長い攪拌用のバースプーンでかき混ぜてきたので、有宇が茶筅を使っているのが不思議でたまらなかった。

するとコーヒーを注文したお客さんも言う。

 

「私も最初茶筅を取り出した時は驚いちゃったわ。でもそういうのもあるのね」

 

お客の方は珍しがってはいるが、特に不満がある様子ではないようだ。

しかしチノは何故有宇がそんな物を使っているのか疑問でしかなかった。

 

「あの……何故茶筅を?」

 

「昨日千夜の店で見かけたから買ってきたんだ。前からスプーンだと混ざりにくいなって思ってたからさ。ほら、茶筅て混ぜるのに適してるだろ?だからいいと思ってさ。あ、勿論マスターからの許可も得たぞ」

 

それを聞くとチノは納得した。

確かにスプーンやヘラでも混ぜられないことはないが、注意して混ぜないとムラができてしまうし時間がかかる。

サイフォンは火にかける時間を長くかけてしまうと、苦味やえぐ味が出てしまう。

だから茶を点てたりするのに使われる茶筅は、効率よく素早く混ぜられる。

そして、今まで自分ですらやろうとしなかったことに気づいた有宇にも、チノは感心した。

 

 

 

 

 

その後ココア達も帰ってきて、有宇は上がってしまい、いつもの三人で店を回す時間になる。

有宇の提案した学割サービスも既にスタートしているのだが、まだそこまで効果はないようで、今お客さんは二人しかいない。

 

「中々お客さん増えないね〜」

 

「まぁ、まだ始まったばっかだしな」

 

「はい、それにこれからPV作成とかもありますし、まだまだわかりませんよ」

 

するとココアがチノのコーヒーの作り方がいつもと違うことに気づく。

 

「そういえばチノちゃん、いつもと使ってる道具が違うね?」

 

「はい、これは見てのとおり茶筅です。お兄さんが甘兎庵で買ってきたんですが、これのおかげでコーヒーの攪拌がやりやすくなりました」

 

「おお、流石有宇くん!目の付け所がシャープだね」

 

「有宇がか?あぁ……そういえばあいつ、甘兎の常連だったもんな」

 

それを聞いてココアが浮かない顔をする。

 

「う〜でも有宇くんが千夜ちゃんの弟になっちゃうんじゃないか心配だよ」

 

ココアがそう言うと、チノもそれに同意する。

 

「確かにそれは私も心配ですね……。甘兎の方がうちのお店より景気いいですし、甘兎に転職してしまわないか心配ですね……」

 

するとココアはこんな情景を思い浮かべる────

 

 

 

 

茶碗を持った、書生姿の有宇が言う。

 

『悪いが今日限りでこの店とはおさらばさせてもらう。こんなボロいコーヒー屋よりも、甘くてほろ苦い甘味を楽しめる甘兎の方がよっぽどいいしな』

 

有宇はそう言うと、千夜と一緒に並んで決めポーズをする。

 

『『甘兎庵 看板姉弟 爆誕☆』』

 

 

 

 

 

「ヴェアアアア!!有宇くん取られる!!」

 

いつものように奇声を上げて後ろに倒れ込む。

お客さんはもう慣れているのか、フフッと笑っていた。

リゼとチノはそんなココアを冷めた目で見ていた。

 

「大げさな……。あくまで可能性の話だろ?別に有宇本人が出ていくって言ったわけでもないのになぁ」

 

「ココアさんは感性が豊かですから」

 

さらっと遠回しにココアをdisるチノ。

すると丁度上の階から有宇が降りてきた。

 

「お、噂をすればだな」

 

「?何がだ」

 

事態を飲み込めていない有宇にはリゼの言葉の意味がわからなかった。

だが、すぐ傍らでココアが白目で口を開けてぶっ倒れている姿を見て大体察した。

そしてリゼ達同様冷めた眼差しを倒れているココアに送る。

 

「奇声が聞こえたから来てみれば、やっぱりこいつか……一体今度はなんだ?」

 

するとココアが体を起こした。

そして有宇に手を貸して貰い引っ張って貰いながら、有宇の質問に答える。

 

「有宇くんが甘兎に行っちゃうんじゃないかって……」

 

「僕が?は、まさか。確かに甘兎の和菓子は好きだが、作りたいとかまでは別に思わん。それに、作りたいとしても、今の慣れた仕事をわざわざ手放そうとは思わないしな。大体あそこ千夜と千夜の婆さんの女二人所帯だろ?僕が居候するのは流石に無理があるだろ」

 

「あ、そっか」

 

言われてみれば確かにと思い、ココアは納得した。

リゼとチノはやれやれといった感じだ。

するとその時、有宇は何かを思いついたのか、手を顎に当て、その場で何かを考え始めた。

 

「有宇くん?」

 

「どうしたんだ?」

 

ココアとリゼが声をかけても有宇は反応しなかった。

するとしばらくして、こんなことを言い出した。

 

「なぁ、甘兎庵とコラボしてみないか……?」

 

「「「え!?」」」

 

有宇のその発言に、三人は驚きの声を上げた。



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第24話、甘味コラボレーション!

「コラボってどういうつもりだ有宇!」

 

「言葉通りの意味だ。甘兎庵とコラボして相乗効果を図る」

 

さっき甘兎で働くと言われて思ったのだ。向こうの客をこちらにも呼べないかと。

そしてそれをコラボという形で実現できないかと。

それに、普通に他の企業や喫茶店とかとコラボするよりも、知り合いの店の方がコラボの実現も容易いだろう。

これで集客率アップを図る。

 

「でも有宇くん、コラボっていっても実際何するの?」

 

ココアの疑問は最もだ。

コラボといっても形は色々ある。

例えばお互いのマスコットやグッズをモチーフにしたグッズ展開や、それこそ喫茶店であれば互いの店のメニューの特徴を合わせた新メニューを展開するなど、一口にコラボといっても様々である。

 

「それはまぁ、これから考えよう。僕としては、喫茶店ならコラボメニューとかがいいとは思うけど」

 

すると三人とも何故か微妙そうな顔をする。

案としては悪くないと思ったのだが……。

 

「何か問題でもあるのか?メニューの事なら和菓子とコーヒーって結構合うし問題ないだろ?」

 

そう言うと、チノが答えづらそうに答える。

 

「あの……お兄さん、実は昔、ラビットハウスと甘兎庵はコラボしたことがあったんです……」

 

「え……」

 

それは初耳だ。

まさか既にコラボしてたとは……いや、案としては結構安易なものだし、していてもおかしくはないか。

しかし、だったら尚更コラボの実現が容易いというものではないか。

 

「ならその時のコラボを参考にして、また新たに何かやれば……」

 

「以前やったコラボがなくなったのは、うちのお祖父ちゃんと千夜さんのお婆さんが仲違いしたからなんです」

 

「なに!?」

 

仲違いだと!?

でもあの婆さん、チノには優しかったみたいだし、大体うちのメンバーと千夜だって仲はいいわけだし、そんなことがあったなんて思えないんだが……。

 

「なにがあったんだ……?」

 

「……以前コラボした時に、お互いの店でコラボメニューとしてコーヒー餡蜜とコーヒー羊羹を出したんです」

 

コーヒー餡蜜にコーヒー羊羹……成る程、コーヒーと和菓子を組合せたのか。なかなか美味しそうだな。

しかしここから何が起きたんだ?

メニューは問題なさそうだし、やっぱお互いの経営方針とかそういうのに違いが出たとかか?

 

「コラボメニューはとても人気が出ました。最初はお祖父ちゃんも、千夜さんのお婆さんも大喜びでした。ですが……」

 

「ですが?」

 

「コーヒー餡蜜は甘兎の特製あんこが美味しいと、コーヒー羊羹はうちのコーヒーが美味しいと評判になったんです……」

 

「……ん?」

 

それの何が駄目なんだ?

それぞれ互いの店の持ち味が活かせてよかったじゃないか。

一体何がダメだったんだ?

 

「それでお互い、自分の店の物が注目されなくて嫉妬してしまいました。それで結局仲違いするような形でコラボは終わってしまいました。以後ラビットハウスと甘兎庵でコラボがされることはなく

なってしまいました」

 

「……は?」

 

……ちょっと待て、それって要は互いに嫉妬し合って、拗ねて、それで喧嘩したってことか?

なんて大人気ないんだ……。

 

「お祖父ちゃんは自分のコーヒーに強いこだわりを持っていましたから……辛かったんですね……」

 

「いや、くだらねぇよ!」

 

本当くだらない!

いい歳した大人がそんな事で喧嘩したとか本当にくだらねぇよ!

もっと深刻な因縁があるのかと思って真面目に聞いた僕がバカだった!

 

『くだらないとはなんじゃ!!小僧!!貴様にワシの気持ちがわかってたまるか!!』

 

「おおっ、チノちゃんの腹話術!」

 

「あぁ、なんか久しぶりに聞いたな」

 

するとどこからともなくジジイの声がする。

いつものチノの腹話術だが、やはり変だな。

ココアとリゼは特に疑っている様子はないが、有宇は違和感を感じざるを得なかった。

すると有宇はチノの頭の上にいる毛玉兎をジーと見つめる。

チノは確かに口を塞いではいたが、声が聞こえる位置がやはりもう少し上から出ていた気が……。

 

「あの……お兄さん……近いです」

 

しかし有宇はそんなチノの訴えなどお構いなしにジーとそのまま毛玉兎兎を見つめる。

そして……。

 

「……まぁ、うさぎが喋るわけないか」

 

結局チノの腹話術ということで話を片付ける。

まだ疑問は残るが、流石にうさぎが喋るだなんてファンタジーなことを、この現実主義な僕が信じるわけがない。

 

「まぁ、とにかく事情はわかった。だがそれも過去の話だろ……それに理由もくっだらねぇし……。大体今は喧嘩の張本人のジジイもいないし、コラボをやり直すなら今しかないだろ」

 

「ですが、千夜さんのお婆さんがいますよ。無理があるんじゃ……」

 

「無理かどうかはやってみなきゃわからんだろ。それに、うちにはもうコーヒーがどうとかで争う火種(ジジイ)はいないんだ。ある程度向こうの条件を飲めば案外いけるかもしれないぞ」

 

「それは……そうかもしれませんが……」

 

「とにかく、向こうと話してみる。それから色々と今後について決めていくぞ。向こうとは僕が話をつけに行くから、お前らは取り敢えずPVの曲とダンスを覚えることに専念してくれ」

 

そう言うと有宇は早速店を出ていってしまった。

 

 

 

 

 

「……大丈夫でしょうか」

 

心配そうにチノがそう呟く。

 

「まぁチノちゃん、取り敢えず有宇くんに任せてみようよ」

 

「あぁ、あいつはやるとなったらとことんやる質だしな」

 

「行動力の塊だよね〜有宇くん。お姉ちゃん感心だよ〜」

 

「そう上手くいくといいんですが……」

 

ココアとリゼはそう言うが、チノは不安でいっぱいだった。

今まで千夜とは親交はあっても、コラボに繋がるまでには至らなかった。

それに千夜の祖母も、孫である自分には優しくしてくれたかもしれないが、過去の因縁となったらそうもいかないかもしれないと。

何にしても有宇の報告を待つしかなかった。

 

 

 

 

 

「……というわけでうちとコラボしないか千夜?」

 

甘兎に来た有宇は、早速千夜にコラボを持ちかける。

しかし千夜はいい顔しなかった。

 

「さっきも言ったが因縁のことはチノから聞いてる。だが、いつまでもそんな理由で利益を無駄にするなんてバカげてるだろ。それにこっちにはもう火種になる爺さんはいないし、ここはお互いの店の集客率アップのためにも千夜からも婆さんに頼んでくれないか?」

 

有宇は先程ラビットハウスで三人に言い聞かせた事と同じ事を千夜にも言い聞かせる。

しかし、千夜の反応が変わることはなかった。

 

「有宇くんの気持ちはわかったわ。私もラビットハウスさんとコラボしてみたいし……」

 

「なら……」

 

「でもごめんなさい。お婆ちゃん、未だにあの時のことちょっと引きずってて……」

 

「それはわかってる。だからこそ千夜の力を借りたい。頼む……!」

 

千夜の婆さんが未だにへそ曲げてるのは大体察しがつく。

コーヒーが美味しいと言われただけで拗ねるようなババアだ。

未だに当時の事を引きずってることなんて百も承知だ。

だからこそ孫娘である千夜からもコラボするよう一緒に頼んで欲しいのだ。

すると千夜は少し戸惑う様子を見せたが、有宇の熱意が伝わったのか、まだ少し戸惑っている様子ではあるが、聞き入れてくれた。

 

「わかったわ。私からもお婆ちゃんに頼んでみるわ」

 

「ありがとう、助かるよ」

 

よし、あとはこれで婆さんに二人して頼めばまだ勝算が……。

 

「アタシに何を頼むって?」

 

すると千夜が引き受けてくれると言ったその時、店の奥から千夜の婆さんが姿を現した。

相変わらず気難しそうな顔をしたババアだ。

だがババア一人に怯む僕ではない。

なんとしてでも引き受けてもらうぞ。

すると早速千夜が交渉に出る。

 

「お婆ちゃんあのね、話があるんだけど……」

 

「ラビットハウスとのコラボならお断りだよ。千夜、前にも言ったはずだよ。あのジジイの店と組む気はもうないって」

 

しかしすぐに撥ね付けられてしまった。

にしても今のババアの口ぶりから察するに、千夜は過去にもラビットハウスとのコラボみたいなことをババアに提案していたようだな。

だがおそらく今みたいに突っぱねられてダメだったのだろう。

だから千夜は快くOKしてくれなかったのだろう。

これは思った以上に厄介だな……だがこんなところで諦める僕じゃない。

 

「えっと……千夜のお婆さん、少しでもいいので話を聞いてくれ……」

 

「小僧、あんたにゃ聞いてないよ!客じゃないならさっさと帰んな!」

 

しかし話を聞いてくれる隙すら与えられず、帰るように促されてしまった。

内心物凄くムカついたが、我慢して再度頼み込む。

 

「ですが、これはお互いの店のために……」

 

「うちは十分繁盛してるよ。客が足りてないのはジジイの店の方だろう」

 

それに関しては否定できない。

甘兎の経営事情は知らないが、だいたい店に来るとうちと違っていつも客が数人いるし、少なくともうちよりは繁盛してるだろう。

だが、だからといって、ここで引き下がるわけにはいかない。

 

「……確かに、うちはお客さんはこの店より少ないですし、コラボをすることでうちが助かるのは事実です。だから、相乗効果で得られる利益もそちらのお客さんに宣伝できる分、こちらの方が多いかもしれません」

 

「有宇くん!?」

 

有宇がいきなり元も子もないことを言い出したので、千夜が驚きの声を上げる。

 

「ですが、甘兎だって何もこのコラボによって利益がないわけじゃない。うちのお客さんもコラボをすれば少なからずともそちらの店に赴く人もいるはずです。ですから、互いの店のためにもうちとコラボしてはくれませんか?」

 

つまりは、コラボすることによって、甘兎には利益はあっても損はしないということだ。

得られる利益こそ、甘兎の客の方が多い分こちらの方が甘兎の客を呼び込めるので、ラビットハウスの方が多い。

だが甘兎だってラビットハウスより新規の客は望めなくとも、ラビットハウスの客が少なからずとも甘兎に来ることを考えたら損はしないはずだ。寧ろ利益になるはずだ。

コラボなんてほとんど名前の貸し借りみたいなものだ。

必要経費だってそんなかからない。

利益となるならやらない手はない。有宇はそう言いたいのだ。

しかし千夜の婆さんの態度は依然として変わらなかった。

 

「……確かにアンタの言うとおり、利益はあっても損することはないんだろうよ。コラボなんて大してコストもかからんし、客寄せには好都合だ。だけどね!うちには利益なんてもんより大事なこだわりがある。うちの和菓子にコーヒーなんてもんは相応しくないんだよ!」

 

千夜の婆さんはそう主張する。

しかしそんなことで怯む有宇ではない。

 

「そんなことはありません!コーヒーと和菓子はよく合うはずです!フードペアリングにおける数値でも、コーヒーと和菓子はよく合うと科学的にも立証されてますし、合わないなんてことはないはずです!だからこそラビットハウスとコラボしたんじゃないんですか!?だからコーヒー餡蜜やコーヒー羊羹だって人気メニューになったんじゃないんですか!?」

 

有宇も必死にそう訴えた。

下準備なしで挑むほど僕は愚かじゃない。

実は甘兎に来るまでの間に有宇は、相手の出方を予想し、それに対抗するための答えを、スマホで必要な情報を調べたりしたりして予め用意してから勝負に出ている。

しかし有宇の必死の訴えも虚しく、千夜の婆さんの態度は変わらなかった。

 

「……人気が出ようが出まいが関係ない。あれは失敗作だった。だからやめただけさ。話は終わりだ。さっさと帰んな」

 

千夜の婆さんはそう言うと、奥へ再び戻ろうとする。

やっぱり駄目だったのね……と千夜が諦め掛けたその時だった。

 

「フフッ……ハハハハ!!」

 

どうしたことか、突然有宇があざ笑うかのように笑い声を上げる。

すると奥へ戻ろうとしていた千夜の婆さんの足が止まる。

 

「何がおかしいんだい小僧」

 

「これが笑わずにはいられるか。こだわりだって?くだらん、美味いと知っていながらも過去の因縁でそれを失敗作呼ばわりするようで何がこだわりだ!ハハッ!まったく、実にバカらしいじゃないか」

 

有宇がそう言い放つと、千夜の婆さんは一本線のように見えるほど閉じているまぶたをカッと開き、瞳を覗かせた。

だがすぐまぶたを細めていつもの目に戻る。

 

「言ってくれるじゃないか小僧……だが確かにあんたの言うとおり、アタシも少し私情を入れてたよ。いいだろう、コラボの話、考えてやってもいい」

 

「お婆ちゃん……!」

 

千夜が喜びの声を上げる。

どうやら上手くいったようだ。

そう、有宇はわざと千夜の婆さんを挑発した。

もう何を言っても無駄なら、挑発して誘い込むしかなかった。

それに婆さんが怒るにしろなんにしろ、足さえ止めて貰えれば、まだ説得を続けることもできる。

もっとも下手すりゃ怒らせるだけ怒らせて機嫌を損ねてしまうだけの可能性もあったが、どの道あそこで行動を起こさなきゃ、コラボの話は完全に無くなっていた。

すると喜ぶのもつかの間、チヤの婆さんが再び口を開く。

 

「ただし、条件があるよ」

 

そら来た、どうせそんなことだろうと思ったよ。

初めからタダで飲んでもらえるとは思ってないさ。

だが条件は粗方予想がつく。

 

「そっちが言い出しっぺなんだ。今回のコラボメニューはアンタ達に考えて貰おうじゃないか。当然うちの名でコラボするんだから美味いもんじゃなきゃタダじゃおかないよ。美味いもんじゃなかったらコラボの話もなし、それでどうだい」

 

やはりそう言って来ると思った。

しかしこれならいける、有宇はそう確信した。

前回までのコラボは片方のメニューの特徴が出すぎたことでトラブルになった。

しかしこちらにはもう文句を言うジジイはいない。

つまり、甘兎よりのコラボメニューを作ればこの婆さんも文句はないだろ。

しかし有宇の思惑とは違い、婆さんは更にこう付け足す。

 

「ただし、和菓子とコーヒーの要素、どちらかを打ち消すようなメニューはダメだ。うちとそっちの店、両方の要素を均等に兼ね備えた新たなメニューを作ること。それが条件だよ」

 

「なに!?」

 

「なんだい、何か不都合だったかい」

 

「いや、さっきも言いましたが、もうチノの爺さんはいないし、甘兎よりのメニューでもこっちは別に……」

 

「はん、どうせうちに媚売ったメニュー出して許してもらおうとでも思ってたんだろ。けどそうはいかないよ」

 

クソッ読まれてたか。

適当にコーヒー要素ほぼ皆無の和菓子メニューでも作って認めてもらおうと思ったのに宛が外れたか。

 

「それに、あのジジイの孫娘、ジジイみたいなごうつくばりじゃないにしろ、この先あの娘がジジイのように強い拘りを見せるようにならんとも限らんだろう」

 

そんな事はない!……とは確かに言い切れない。

カフェドマンシーの時や、この前も値下げをすると言った時も一番に噛み付いてきたのはチノだった。

普段は大人しいが、チノはあれで結構頑固なところもある。

特にコーヒーに関しての拘りは強いみたいだし、婆さんの言うとおり、コラボしても将来また甘兎とケンカしないとは言い切れないかもしれない。

 

「……わかりました。その条件でいきましょう」

 

取り敢えずこの条件を飲むしかない。

今は少しでも引き受けて貰う為の最善を尽くすしかないのだ。

 

「それで、いつまでに作ってくれるんだい」

 

「えっと……今週の土日はPVの撮影があるしな……。それじゃあ、来週の閉店頃の時間に行かせてもらいます」

 

「わかった。それじゃあ楽しみにしてるよ。ま、あんまり期待はしてないよ」

 

そう言うと婆さんは今度こそ奥へと引っ込んでいった。

 

 

 

 

 

「ふぅ、取り敢えず交渉はできたか……」

 

婆さんがいなくなった後、席に力なく座り込んで一息つく。

 

「でも有宇くん、コラボメニューはどうするの?何かアイディアがあるのかしら?」

 

「ない。バイト一ヶ月の僕がそんな簡単にメニューなんか考えつくものか。ま、なんとかやるさ」

 

すると千夜は不安そうな表情を浮かべたまま、心配そうに言う。

 

「無理しなくてもいいのよ?うちとじゃなくてもコラボしてくれる店なら他にもあるはずだし……私もラビットハウスさんとコラボしてみたかったけど、無理はさせたくないわ」

 

「……確かに、もうこの際甘兎とじゃなくて、他の店とのコラボした方が手っ取り早いかもな」

 

この街は喫茶店が結構多い。

そしてその分当然競争率も激しいわけだが、だからこそほとんどコストをかけずに集客率を上げることのできるコラボは、他の店だって持ちかければやってくれる可能性はある。だが……。

すると有宇は千夜に向かって微笑みながら言う。

 

「だからこれは僕のわがままだ。僕が甘兎とコラボしてみたいんだ。それに、僕はやりたいことはやり通さないと気がすまないんだ。だからなんとしてでも婆さんには引き受けてもらうさ」

 

「有宇くん……!」

 

すると先程まで不安そうだった千夜の表情は、いつもの笑顔を取り戻した。

そして千夜自身、どことなく自信ありげな有宇に、頼もしさを感じていた。

 

「わかったわ。私も全力で応援すらから。何か必要なものとかあったら何でも言って」

 

「あぁ、助かる」

 

こうして、PV制作に加え、甘兎とのコラボメニュー制作に奮闘することになった。

 

 

 

 

 

しかしそれから数日が経った。

PVも撮り終え、約束の日も迫っているのだが、未だにコラボメニューの案すら出来ていなかった。

 

「コーヒー饅頭……いや安易すぎるか。それにコーヒー羊羹と同じオチになりそうだし……。コーヒー……和菓子……」

 

「おい有宇、甘兎のこともいいけど、少しはこっちの話し合いにも参加しろ」

 

ラビットハウスでは今、夏休みに向けて夏の新メニューをみんなで考えていた。

しかし一向に有宇が話し合いに参加しないので、リゼが痺れを切らして話し合いに参加するよう言ってきたのだ。

 

「あぁ、そっか……夏メニューももう考えないとな……」

 

仕方ないと一旦夏メニューの話し合いに戻る。

するとココアがハイハイと手を上げる。

 

「前に有宇くんが作ったアイスカフェモカとかいいんじゃない?」

 

「あぁ、確かにあれ美味かったよな」

 

アイスカフェモカね……そういやそんなの作ったな。

確かにあれも夏向きのメニューではあるな。

 

「私はそうだな……フラペチーノとか……」

 

「却下」

 

有宇がすぐにリゼの意見を退ける。

 

「え〜フラペチーノ美味しくていいじゃん」

 

「はい、私も良いと思いますけど……」

 

「何がだめなんだよ有宇?」

 

フラペチーノはコーヒーやクリームなどを氷と一緒にミキサーにかけた飲み物で、確かに夏向きのメニューといえるだろう。

だが、メニューにしてはいけない理由がある。

 

「フラペチーノはス○バの登録商標だ。家庭で勝手に作る分にはいいだろうけど、売り物として勝手に店で出したら訴えられるぞ」

 

「「「え!?」」」

 

三人は揃って驚きの声を上げる。

やはり知らなかったのか……。

まぁ、僕も知ったのはつい最近だからそんな威張れないけどな……。

そして気を取り直して、今度はチノが意見を出す。

 

「アフォガードとかどうでしょう。アイスクリームにエスプレッソをかけたものなんですが冷たくて美味しいですよ」

 

「アホガード!この前有宇くんが言ってたやつだ」

 

「アフォガードな」

 

何回言い間違える気だこいつは。

するとリゼが再び意見を出す。

 

「コーヒーゼリーはどうだ。上にアイスでも乗せれば冷たくていいんじゃないか」

 

「おお、いいね!」

 

「定番ですけど美味しいですよね」

 

コーヒーゼリーか、シンプルだが確かに美味い。

仕込み自体も楽だしいいかもな。

 

「で、有宇、お前はなんかないのか?」

 

「ん、あぁ……」

 

と言われても何も考えてない……。

そうだな……アフォガード……コーヒーゼリー……アイスか……。

 

「コーヒーフロートなんてどうだ?アフォガードやコーヒーゼリーでアイスを使うなら一緒に……」

 

その時、有宇の頭に何かが閃いた。

コーヒーゼリー……アイス……和風……そうだ!

 

「……そうだ、これならイケる」

 

するといきなり席を立ち、店の出口へと向かって行く。

 

「おい!いきなりどこに行くんだ!」

 

「悪い、適当に案出してまとめておいてくれ。ちょっと用事が出来た」

 

そしてそのまま有宇は店を出ていってしまった。

 

「とうしたんだ……有宇のやつ……?」

 

「どうされたんでしょう?」

 

「何か閃いたみたいだけど……?」

 

 

 

 

 

店を出た有宇はポケットから携帯を取り出し、千夜に電話をかける。

 

『もしもし有宇くん?どうしたの?』

 

「千夜か、ちょっと聞きたいことがあるんだが……」

 

有宇は先程思いついたことを話した。

 

『ええ、それなら大丈夫よ。うちの機械、昔お婆ちゃんが奮発して買ったやつで3種類まで作れるやつで、うちは今バニラと抹茶しか使ってないから』

 

奮発してって……どっかのジジイも奮発してパン用のオーブンとか買ってたような……。

 

「ならよかった。じゃあこれでいくか」

 

『でも有宇くん、それで何を作るつもりなの?』

 

「それは当日のお楽しみだ。僕に任せてくれ。あ、だから当日の朝に仕込んだやつ渡しておくから、先にセットしておいてくれ」

 

『ええ、わかったわ』

 

「じゃあそういうことで頼んだぞ」

 

そう言うと有宇は電話を切ろうとした。

 

「あ、ちょっと待って有宇くん」

 

しかし千夜が有宇を呼び止めた。

 

「ん?どうした?」

 

「実はね……」

 

 

 

 

 

───それから二日後、遂にコラボメニューお披露目の日となった。

甘兎の閉店後、有宇達は甘兎に赴いた。

 

「それじゃあ早速見せてもらうよ。約束通り、コラボメニューとして相応しくない物だったら、コラボの話はなしだ」

 

「あぁ、だけど婆さん、コラボメニューとして相応しいと思えるものを作れた時は、コラボの話を受け入れてもらう」

 

有宇と千夜の婆さんが火花を散らしている間、二人のただならぬ雰囲気に、他のメンバーは少し怖気づいていた。

 

「千夜ちゃんのお婆ちゃん、凄い気迫だね……!」

 

「あぁ、でも有宇も負けてないな。うちの親父にビビってた時とは大違いだな」

 

「お兄さん……」

 

未だに心配そうなチノの肩を、千夜がポンと叩く。

 

「大丈夫よ。有宇くんを信じましょ」

 

「……はい」

 

しかしチノはそれでも正直不安を拭いきれていなかった。

何故かというと……。

そして有宇は早速持ってきたクーラーボックスの中を開ける。

 

「有宇くん、これって……」

 

「寒天……いや、ゼリーかい」

 

クーラーボックスには、ゼリーが流し込まれたトレーが二つ入っていた。

一方は黒く、もう片方は深緑である。

 

「コーヒーと抹茶のゼリーです。因みに使用した抹茶は甘兎で買ったものです」

 

当然ココア達は家でゼリーを作っていたのを見ていたので、中身は知っていた。

しかしチノにはこんな二種類のゼリーだけで千夜の婆さんが満足するとは思えず、不安になっていたのだ。

 

「で、小僧。まさかゼリーだけってわけじゃないだろうね」

 

「まぁ、少し待ってください」

 

有宇は少しも怖じけずにそのまま作業を続ける。

トレーをクーラーボックスから取り出すと、バターナイフでゼリーに切り込みを入れていく。

 

「何してるの有宇くん?」

 

「見ての通りだ。ゼリーに切り込みを入れてる」

 

「それは何か意味があるの?」

 

「まぁ見てろ」

 

有宇はそのままゼリーをブロック状に切り分けていくと、それコーヒー、抹茶の順番で透明なカップに入れていく。

五人分それぞれ入れ終わると、それらをトレーにのせていく。

 

「よし、じゃあ千夜、やっておいてくれたか?」

 

「ええ、バッチリよ」

 

「千夜ちゃんになにかお願いしてたの?」

 

「あぁ」

 

そう言うと有宇はソフトクリーム機器の前に立ち、カップをセットするとソフトクリームを上手く乗せていく。

5つ全てに乗せていくと、皆の前にそれらを出す。

 

「ゼリーにソフトクリームか」

 

「美味そうだけど……」

 

「お兄さん……」

 

三人の反応はいまいちだった。

その気持ちはわからないでもない。

それは予想されていたものよりもあまりにもシンプル過ぎていたのだから。

そして千夜の婆さんも口を開く。

 

「これで完成かい、小僧」

 

しかし有宇はニヤッと笑ってみせる。

 

「いや、まだだ」

 

そう言うと、有宇は何かを取り出した。

 

「黒……黒蜜……?」

 

有宇が取り出したのは黒蜜の入ったビンだった。

有宇はそこからスプーンですくって、ソフトクリームの上にかけていく。

そして更にもう一つビンを取り出す。

 

「黄色い……」

 

「それはきな粉かい」

 

「はい、これを茶こしでふりかけて完成です」

 

そしてソフトクリームの上にきな粉が振りかけられる。

 

「……よし、これで乙坂直伝、『コーヒー抹茶ゼリー 〜黒蜜きな粉のソフトクリーム添え〜』の完成だ」

 

すると一同の反応もさっきよりも良くなる。

 

「おお、きな粉と黒蜜!いいね、さっきよりも美味しそうになったよ!」

 

「けど抹茶はともかく、コーヒーに黒蜜ときな粉って合うのか……?」

 

「とにかく食べてみましょう」

 

「「「「いただきま〜す」」」」

 

そして皆ゼリーに口をつけていく。

そして反応は……。

 

「んん!美味しい!」

 

「あぁ、コーヒーゼリーがきな粉と黒蜜と思った以上に合うな!」

 

「はい、美味しいです……!」

 

「美味しいわね〜」

 

四人の評価は良好。

そして肝心の婆さんもゼリーに口をつける。

その様子を皆ゴクリと唾を飲んで見守る。

そして千夜の婆さんは静かに口を開いた。

 

「……いくつか聞いていいかい」

 

「どうぞ」

 

「最初にゼリーを切り分けたのは?」

 

「一つは層にすると、コーヒーと抹茶をそれぞれ二回に分けて流し込む必要があります。そうなると先に流しこんだやつが固まるのを待たなくてはいけなくなり、仕込みの時に手間がかかってしまうのでそれを避けるため。そしてもう一つがソフトクリームです」

 

「どういうことだい」

 

「よくあるじゃないですか。先に上のクリームを食べちゃって、後々クリームがなくなっちゃったみたいなやつ。特に抹茶とコーヒーだとゼリー自体はそんなに甘くはないので、クリームが先になくなると食べるのが苦痛になってしまいます。だからバラバラにして入れておくことで、ソフトクリームが溶けて、間をつたって底にもいき、後々も美味しく頂けるということです」

 

それを聞くと婆さんは更に質問をする。

 

「わざわざソフトクリームにしたのは?」

 

「今回ゼリーをブロック状にくずしていれてるので、固いアイスクリームだと土台となるゼリーがぐらついて食べ辛くなるからです。それに甘兎には餡蜜やパフェ用にソフトクリーム機器がありますし、うちも夏に向けてアフォガードやコーヒーフロート用に機器を入れようとしてますので、丁度いいと思ったので」

 

有宇がそう言うと、今度はソフトクリームに口をつける。

 

「やけにきな粉の風味がするね……このソフトクリーム、きな粉かい」

 

「え!?そうなの!?」

 

婆さんの発言を受けココアが驚く。

 

「いや、普通にきな粉の味しただろ」

 

「はい、しました」

 

「私も気づいたわ」

 

「え!?」

 

……どうやら気づかなかったのは味音痴のココアだけだったようだ。

そういやココアって一年以上働いてるのに未だにコーヒーの味の区別もつかないらしいし、まぁ、こいつだけだから心配する必要はないだろ。

 

「きな粉のソフトクリームは予めうちで仕込んでおき、今朝千夜に頼んで機器にセットしておいて貰いました。一応最後に追いきな粉してますが、ソフトクリーム自体もきな粉にすればよりきな粉感が出せると思いやってみました」

 

普通のバニラソフトにきな粉をかけるだけでも十分だが、そこは話題作りも含めてもうひと工夫といったところだ。

それに作り方も本来の牛乳、生クリーム、砂糖、ゼラチン、バニラエッセンスに加えて牛乳で溶かしたきな粉を入れるだけだし、それ程苦労するわけじゃない。

 

「どうしてきな粉なんだい」

 

「僕がコーヒーと抹茶の二つに合うものと考えて出たのがきな粉と黒蜜だった、それだけです。ですが実際合うでしょ?お前らもそう思うよな」

 

周りの面々に呼びかける。

 

「確かに、きな粉のソフトクリームもいい味出してるよな合うな」

 

「はい、きな粉の味が際立ちますね」

 

「コーヒーと抹茶ともよく合うわ」

 

流れ的にはとても良さそうだが、しかし婆さんの顔は依然として険しかった。

 

「……確かにゼリーとよく合っていて、工夫もされている。だけど、これはどっちかといえば和スイーツじゃないかい?コーヒーが雲隠れしているようにアタシには感じるよ」

 

確かにきな粉に黒蜜、抹茶、一見すれば和スイーツだ。

だが勿論条件として課されたお互いの店の個性の均衡を忘れたわけじゃない。

 

「まぁお婆さん、コーヒーのゼリーの方も口つけてみてから言ってくださいよ。ほら、まだコーヒーの方は一口もつけてないじゃないですか」

 

婆さんはまだ底の方にあるコーヒーゼリーのには口をつけていなかった。

そして有宇に促されて口をつける。

 

「んっ、これは……一気にコーヒーの強い香りが!」

 

「ゼリーに使ったコーヒーはいつもより濃い目に淹れてます。それに抹茶とコーヒーじゃ、コーヒーの方が香りも味も強いですから、マイルドな抹茶を楽しんだ後に、ちょっぴり苦いコーヒーゼリーが楽しめるようになってます。全体的に見れば和スイーツではありますが、決してそれに飲まれないぐらいにコーヒーの個性も負けないように個人的には努力したつもりです」

 

これが僕にできる最大限の工夫だ。

作ってる途中僕自身、これ和スイーツじゃね?と思わなかったわけじゃないが、コーヒー餡蜜にしろ羊羹にしろ、何を作るにしてもどちらかには偏るのでしょうがないと割り切った。

しかし何もしないわけにはいかないので、それなりに工夫をこらした。

コーヒーもいつものサイフォンじゃなくマキネッタを使用、そして砂糖ではなく少しヘルシーにメープルシロップを使用し、コーヒーの苦味と風味を際立たせられるようにした。

まぁ、これでダメだったらもう諦めるしかない。

そして皆が見守る中、婆さんがゼリーを食べ終え、スプーンを置いた。

 

 

 

 

 

────あぁ、懐かしいね。

数年前、あのジジイがいきなりうちに押しかけてコラボを持ちかけてきたのは今でも覚えてるよ。

 

『宇治松の婆さん、うちとコラボしてみんか』

 

『なんだい突然、別にうちとじゃなくてもいいだろ』

 

『ワシはここの和菓子に惚れ込んだんじゃ。コラボするならここしかないと思っての。どうじゃ、うちのコーヒーとコラボしてみんか?』

 

ジジイは最近できたと噂のコーヒーの喫茶店の店主。

だが、まだこれといったいい噂があるというわけでもないし、コラボは断った。

けどあのジジイは諦めず、それから何度もうちを訪ねてきた。

 

『宇治抹の婆さん、試しにここの餡子で作ってみたんじゃ。試食してみてくれんか』

 

『宇治松の婆さん、今度は餡子をコーヒーと組み合わせてみたんじゃがどうじゃろ』

 

『宇治松の婆さん、今度は団子とコーヒーを組み合わせてみた。今度こそどうじゃろ』

 

しかも回数を重ねる度にあのジジイ、腕を上げていった。

それでいつの間にか、アタシもあのジジイと一緒になってメニュー開発をしていたっけね。

 

 

 

この小僧もまた、あの時のジジイとよく似て諦めが悪い。

こっちが何言おうとも引き下がろうともせず、こっちが認めるまで粘り続けられるだけの忍耐力がある。

しかもあのジジイと違って中々の切れ者だね。

今回店の仲間を連れてきたのも、その場の雰囲気を自分に有利な流れを作ろうとしたんだろう。

だがそれだけじゃない。

こちらの意に沿った物を用意するだけの柔軟な思考を持ち、それでいて提供する側である自分達に、そして提供される側である客のことまで考えられる男だ。

悔しいが、認めざるを得ないね────

 

 

 

 

 

「美味かったよ。それにシンプルな割によく考えられている」

 

ゼリーを食べ終え、沈黙していた婆さんはニヤッと笑いながらそう言った。

 

「お婆ちゃん、それじゃあ……!」

 

「いいだろう。うちとのコラボ、認めようじゃないか」

 

「「「「やっ……やったぁ!!」」」」

 

「……よし!」

 

千夜達四人は大喜びした。

有宇も皆に気づかれない程度に拳を握り、ガッツポーズした。

だがまだこれで終わりじゃない。

有宇にはまだやるべきことがあった。

 

「さて、じゃあコラボに差し当たって話し合おうかい。コラボメニューはこのゼリーにするとして……」

 

「いえ、ゼリー以外にも出すつもりです」

 

「なんだって?」

 

「「「え!?」」」

 

有宇の突如として出した提案に四人は驚いた。

もうこれで全部終わったと思っていたからだ。

しかし何故か千夜はこうなることを予想していたように、にこやかな笑みを浮かべていた。

 

「他に出すって、まだ何か作っているのかい」

 

「いえ、僕が作ったのはコーヒー抹茶ゼリーだけです」

 

「だったら他に出せるものなんてないだろ」

 

「あるじゃないですか。コーヒー餡蜜とコーヒー羊羹が」

 

「なに!?」

 

コーヒー餡蜜、コーヒー羊羹……かつてのコラボで出されたコラボメニューだ。

評判は良かったが、それぞれお互いの店の個性が強く出てしまい、互いが嫉妬し合う原因になったメニューでもある。

有宇は何故コラボがようやく出来るとなった今になってその話を持ち出したのだろうとその場にいた全員が不思議に思った。

 

「小僧、お前さんも知ってるだろ。そのメニューのせいでアタシらは……」

 

「コラボがなくなった話は知ってます。だからこそ、それを利用する」

 

「というと?」

 

「コーヒー餡蜜は特製の餡子が美味いと評判になった。そしてコーヒー羊羹はコーヒーが美味しいと評判になった。ならそれぞれ、コーヒー餡蜜は甘兎で、コーヒー羊羹はラビットハウスで提供するんです。一方を食べた客はもう一つを食べたいがためにもう片方の店にも行こうと思えるし、単に同じメニューを互いの店で出すより高い相乗効果が望める。それに、それぞれの個性が出たメニューをそれぞれの店で出せばいざこざもない。まさに一石二鳥というわけだ」

 

これこそが有宇の真の狙いだった。

勿論コラボメニュー作りあってのことではあるが、有宇は初めからかつてのコラボメニューの復活が狙いだったのだ。

 

「なるほどね、あの時はお互い血が上っていてそんな事考えようともしなかったよ。けどそれは無理だ」

 

「何故?」

 

「もう何年も前のことで作り方なんて忘れちまったからね。それに作り方を記したノートはジジイがどっかに隠しちまったよ。アタシも良く出来ていたこともあって、あのノートを捨てるには忍びなかったのさ。それはジジイも同じだったみたいでね。そこであのジジイはレシピノートを街のどこかに隠しちまったのさ。アタシも見て見ぬふりしてたし、あのノートが今どこにあるのかは死んだあのジジイしか知らないってことさ」

 

要はもうレシピを覚えてない。

それをメモしたノートもどこにあるかわからないってことか。

だがそれなら抜かりない。

 

「婆さん、これなーんだ」

 

有宇は一つの古いノートをバックから取り出して見せる。

 

「それは……レシピノートかい!?」

 

『なぬ!小僧、貴様何故それを!?』

 

「ええ!有宇くんどこから持ってきたの!?有宇くんってもしかして魔法使い!?」

 

各々が驚きの声を上げる。

チノに至っては腹話術を使ってしまうほど気持ちが昂っているようだ。

だが僕は決して魔法使いなどではない。

 

「この前、千夜が婆さんの和菓子のレシピノートに挟まってる謎の暗号を見つけたんだ」

 

そして有宇は事情を説明する────

 

 

 

 

 

「……暗号?」

 

千夜にソフトクリームの機械が使えることかどうか確認の電話を入れた後、千夜が突然、家にあった謎の暗号について話し始めたのだ。

 

『ええ、有宇くんのメニュー作りに何か役立てないかって、お婆ちゃんのレシピメモを見てたら挟まってたの。でももうメニューが思いついたなら必要ないかしら?」

 

確かにもうメニューの構想はもう考えている。

だが僕的にはコーヒー餡蜜、コーヒー羊羹、この二つのメニューを復活させてみたいという思惑があった。

……まぁ、正直なことを言えば、僕も伝説のメニューを食べてみたいというのが本音なのだが。

とにかくもし、その暗号がそれと何か関係があるのなら、このまま放っておくわけにはいかない。

 

「いや、必要かもしれない。今からそっちに行くから待っててくれ」

 

そう言って有宇は電話を切った。

 

 

 

それから甘兎につくと、早速例の暗号とやらを見せてもらった。

そして試しに二人して暗号の示した場所へ行ってみたのだが、また次の場所を示す暗号があっただけだった。

 

「こりゃ時間が掛かりそうだな……」

 

「どうする有宇くん、諦める?」

 

「いや、まだ時間はあるし探してみよう」

 

「でもその……私、明日からはお店の仕事が……」

 

「安心しろ。千夜は仕事に専念してくれていい。僕は午後暇だから、その時間で探してみる。ただその……僕は暗号とか頭使う作業は苦手だから、できれば暗号だけ解いて場所を教えて貰えたら助かる……」

 

有宇は頭を使う作業は苦手だ。

それだけの頭脳があったなら、端からこんな街には来ていない。

そして千夜もそれを察して頷く。

 

「わかったわ。学校も期末試験が終わってもうないし、謎は解いておくわ。でもココアちゃん達に頼んだ方が早くないかしら?」

 

「いや、今ちょっとあいつらには頼み辛い……」

 

「? あ、そういえばPV撮影ってどうなって……」

 

「聞かないでくれ……」

 

この前のPV撮影は、成功したといえば成功したが、そのせいであいつら目当ての変な客がやって来てあいつらの怒りを買ってしまった。

そんなこともあって今はちょっとあいつらには頼み辛かった。

 

 

 

そんなこんなで謎解きは千夜、実際に探すのは有宇と役割を分けて、日をかけて謎を順々に解き明かし、全ての謎を解き明かしていった────

 

 

 

 

 

「もう、あの時のことはもう怒ってないって言ったのに。それで、結局どうなったの?」

 

ココアが興味津々に聞いてくる。

すると千夜が答える。

 

「最後に有宇くんが北斗七星の謎を解いて無事見つけられたの」

 

「北斗七星?」

 

ココアが首を傾げる。

 

「暗号の答えだ。この暗号、街中から全部探し出したんだが、最後の暗号が示した場所が甘兎で、結局一周回って戻ってきてしまったんだ。それで千夜が暗号のあった場所を地図でマークしてみたら何か浮かび上がるんじゃないかって言ったから、ペンでこの街の地図にマークをつけていったら北斗七星が浮かび上がったんだ」

 

「へぇ、でも有宇くん、星詳しいんだね。普通気づかないと思うけど」

 

「まぁ……な」

 

「?」

 

妹の歩未が星好きだから自然と覚えてしまった……なんて、ここでわざわざ言うことじゃないな。

 

「ともかく、その北斗七星ってのは柄杓星とも呼ばれ、柄杓の先端に当たる星をつなぐ線を五倍に伸ばすと北極星に行き当たる。だからこの地図で北極星の場所に当たる所を探せば見つかるはずと思い探したところ、案の定こいつが見つかったってわけだ」

 

それを聞くと、ココア達三人は「おぉ!」と納得の声を上げる。

 

『ぐぬぬ、小僧ごときに見つかるとは……』

 

「お爺ちゃん?」

 

『……なんでもないわい』

 

何やらチノがボソボソと一人で何か話しているが、まぁ気に留める程のことじゃないだろう。

 

「……そうかい、まさか見つけ出すとはね……フフ、ハハハハッ!!」

 

すると、突然婆さんが笑い声を上げた。

 

「大したガキだよ。まさかここまでやるとはね。いいだろ小僧、今回のコラボ、お前さんの好きにすればいいさ」

 

「お婆ちゃん……!」

 

「ありがとうございます」

 

よし、これで僕の目的は完遂できた。

するとこのまま婆さんはいつものように奥へと消えていくのかと思ったが、ジーと有宇を見つめる。

 

「えっと……なにか?」

 

「なに、いい男だと思ってね。有宇といったか。どうだい、うちの千夜を貰う気はないかい?」

 

「……え?」

 

「「「えぇ!?」」」

 

有宇本人以上に、ココア達三人の方が驚いていた。

 

「お、お婆ちゃん!何言ってるの!有宇くんはお友達で……」

 

「何言ってんだい。こんないい男、今のうちに貰っておかなきゃ他の女に取られちまうだろ?こういうのは積極的にいくのが大事なんだよ」

 

「も、もうお婆ちゃんたら!そ、そろそろお夕飯の準備だから有宇くん、ココアちゃん、チノちゃん、リゼちゃん、またね」

 

そう言うと顔を真っ赤にした千夜は婆さんを連れて奥へと引っ込んでいった。

まだコラボのこととか詳しく話し合いたかったのだが、まぁもう遅いし後日また来るか。

それに僕も今まともに千夜と顔を合わせられる気がしないし……。

 

 

 

 

 

「にしても、本当有宇くんはモテモテだね〜」

 

帰り道、ココアがそんなことを呟く。

 

「ババアにモテても嬉しくねぇよ……」

 

「でも良かったな。まさか本当に甘兎とのコラボを実現するとは思わなかったよ」

 

「そうだね、お手柄だよ有宇くん」

 

「ふん、この僕が本気になってやってんだ。当然に決まってるだろ」

 

「相変わらずの自信家だなお前は……」

 

するとリゼはさっきからチノが黙り込んでいることに気づく。

 

「おい、どうしたんだチノ。甘兎とコラボできるようになったのになんか浮かない顔してるな」

 

「いえ、別に嬉しくないわけじゃないです。ただ……その……お兄さんはすごいなと思いまして……」

 

「そうなのか?まぁ確かにもう無理だと思ってたのに本当にコラボを実現させるなんて、あいつ、本当大した奴だよな。でもだったらなんでそんな顔してるんだ?」

 

凄いと思っているのなら、尚更何故そんな浮かない顔をしているのだとリゼは余計に疑問に思った。

するとチノが静かに答える。

 

「お兄さんは、喫茶店の店員として働いてから間もないはずなのに、私なんかよりずっとお客さんを呼ぶためのサービスを考えるのが上手くて、それにもう無理だと思ってた甘兎庵とのコラボも実現してしました。この前のサイフォンに茶筅を使うなんてアイデアだって、私だったら絶対思いつきませんでした」

 

「……チノ?」

 

何やらチノの様子が変だ。

そしてチノは本音を漏らす。

 

「……お兄さんと比べて私は、柔軟な考え方もできなくて、もしかしてバリスタに向いてないんじゃないかって思ったんです……」

 

……そうか、チノはプレッシャーを感じていたのか。

まだ働いて間もない有宇が、自分よりお客を呼ぶ知識があったこと。

そして自分にはない、無知だからこそ考えつく独創的なアイディアや、行動に移せるだけの決断力と実行力を持っていて、チノは危機感を感じたのか。

本気でバリスタを目指しているチノだからこそ、自分よりずっと遅く入ったはずの有宇に追い越されたような気持ちになって、焦りを感じているんだ。

でもこればかりは私からは……。

リゼはチノになんて言っていいかわからず頭を悩ませる。

 

「……成る程、チノにとって初めての挫折といったところか」

 

「チノちゃん……そんなこと考えてたんだね……」

 

「うわっ!」

 

いつの間にか前を歩いていたはずの有宇とココアが隣を歩いていた。

チノに返す言葉を考えていて全く気づかなかった。

 

「……お兄さん、ココアさん」

 

ココアの方はというと、リゼ同様チノに何を言おうか頭を悩ませている。

だが有宇の方は、いつものようにニヤリと笑みを浮かべた。

 

「全く、チノ、お前という人間は実にくだらんな」

 

「ちょっ、有宇くん!?」

 

「おい!?少しは言葉を……」

 

だがリゼの言葉を遮り有宇は喋り続ける。

 

「コラボは取り敢えず成功した。だが実際のところ、僕はまだ何も成果を挙げられていない。学生割引もまだそれ程効果を成してないし、PVもなんだかんだで失敗し、甘兎コラボもまだこれからどうなるかわからん。それなのにチノ、お前はもう既に僕のやり方が成功するかのように仮定し慢心している。それで勝手に僕に嫉妬して気を病むなど、実にくだらん!」

 

「お兄さん……!」

 

「そもそも、僕のやり方だって本当に正しいかどうかなんてわからん。経営に成功なんてありはしないだろうしな。だからチノ、お前が気を病む理由なんぞどこにもない。それに、挫折なら僕も負けてないぞ」

 

「えっ……」

 

「かつては東京の超一流校の学年トップクラスの優等生だった僕が、今や中卒フリーターの居候だぞ。全く、お前の悩みなんぞ、人生底辺まで転落した僕から言わせれば実にちっぽけなものさ。あぁ本当、僕も、そしてお前も、まったくもってくだらんな!ハハハハハ!!」

 

そして夜の街中に、有宇の笑い声が響きわたった。

 

 

 

 

 

外の暗い街中に、お兄さんの笑い声が響き渡る。

いつもは周りの目線とか気にするのに、今はまるで物ともしないかのように、お兄さんは笑い続けた。

そんな様子を見ていたら、なんだか本当に私の悩みごとなんてちっぽけに感じてきました。

 

「……フフッ」

 

「お、笑ったねチノちゃん」

 

「……はっ!」

 

つい思わず釣られて笑ってしまいました。

ですがなんででしょう、さっきより気分もなんだか心地良いです。

 

「あの……お兄さん!」

 

「もう大丈夫だな」

 

「はい、その……ありがとうございます」

 

「気にするな。それよりこれから先のことだ。夏が正念場だ。夏メニューに甘兎コラボ、忙しくなるはず……いや、忙しくなるぞ、覚悟しておけ!」

 

「「「サーイエッサー!!」」」

 

ココア達三人は敬礼のポーズで有宇の言葉に答えた。




暗号の設定なんてあったっけって人は『ご注文はうさぎですか?Wonderful Party』をプレイしてみてください。
今までの話の中にも時折Wonderful Partyのお話を混ぜ込んでいましたので、よければ探してみてください。


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第25話、疑心の芽生え

今回のお話はRewriteのネタバレが含まれる内容となってます。
予めご了承下さい。


木組みの街、とある喫茶店にて────

 

「金を出せ!早くしろ!」

 

そう言ってナイフをレジの店員に突きつけているのは、おそらくまだ高校生ぐらいの少年だ。

マスクとサングラスで顔を隠してはいるが、声や雰囲気などからまだそこまでの年齢ではないだろう。

レジにいたバイトは慌ててレジから金を出し、そしてその間に奥にいた店主が強盗に入られていると警察に電話をかける。

そして金を受け取ると、少年は何もせずそのまま店を出た。

幸い誰も怪我することなく済んだ。

 

 

 

通報から十分程で警察が店にやって来た。

警察は早速店主に話を聞こうとするのだが、ここでおかしなことが起きる。

 

「強盗?うちが?いえ、普通に営業していましたが……何かの間違いでは?」

 

強盗に入られたはずの店主は強盗に入られた事実を一切記憶していなかった。

店主に限らず、ナイフを突きつけられたという店員も全く見に覚えがないのだと言う。

更に言えば、強盗が入った時に現場にいた客すら覚えてないのだという。

新手のいたずらかと思った警察は取り敢えずレジの中を確認するよう店主に言う。

店主は警察に言われた通りレジを確認した。

するとレジには金がなく、ようやく店主も強盗に入られた事実を認識する。

強盗事件は警察の言うとおり、確かにここで起きていたのだ。

しかしその事実を、当事者である彼らは何一つ覚えていなかった────

 

 

 

 

 

7月も中頃、ココア達はテスト返却も終わって終業式まで休みということもあって、みんなして午前中からバイトに励んでいた。

有宇はこの日は別にシフトを入れていたわけではないのだが、甘兎とのコラボや夏メニューの試作品を作るため、彼もまた皆と一緒に一階カウンターにいた。

 

「よし、出来た」

 

そう言う有宇の前には、甘兎コラボに乗じて出す新メニュー、抹茶ラテがある。

 

「お〜美味しそうだね〜」

 

「まさかうちで抹茶ラテなんか出す日が来るとはな」

 

「でも最近のカフェには結構あるみたいですし、いい機会かもしれませんね」

 

「じゃあ早速飲んでみよ〜」

 

そして各々が有宇が作った抹茶ラテを飲む。

するとすぐに皆静かにカップを置いた。

 

「うん、上手くできたな。流石は僕が手ずから作っただけあるな」

 

作った本人である有宇は満足気だが、皆は少し微妙な顔をしていた。

 

「どうしたんだお前ら。感動して声も出ないってか」

 

「有宇くん……これ……」

 

「はい、苦いです……」

 

「これ……もしかして抹茶とミルクだけか?」

 

「? そうだけど、それがどうした?」

 

有宇の作った抹茶ラテには、一切の甘味料が使用されておらず、抹茶の苦味が直で味わえる物であった。

 

「どうしてお砂糖とかシロップとか入れないの!?飲めなくはないけどこれじゃあ苦いよ〜!甘兎庵のはちゃんと甘かったのに……」

 

「僕はいつも砂糖抜きで頼んでるし。大体抹茶ラテなんてコーヒー程苦くもないし、そのままでも十分美味しいだろ。甘くしたきゃテーブルの角砂糖を自分の好みで入れればいいじゃないか」

 

有宇は甘い物が苦手だ。

和菓子は好きなようだが、それでも基本的に甘い物は口にしない。

そんな有宇だからこそ、甘い砂糖や、ス○バにあるようなシロップも何も入れなかったのだ。

 

「まぁ、確かにベ○ーチェとかタ○ーズとかの抹茶ラテも甘くないし、この抹茶ラテがだめというわけではないけどな。けど有宇、お前学生を対象にしたサービスとか言ってたのに、これだと若いお客さん呼べないんじゃないか?」

 

「はい、私もリゼさんの意見に賛成です」

 

「はいはーい、私も!」

 

「ぐぬぅ……」

 

確かにリゼの言うことはもっともだ。

若い客が行くカフェといえば、シアトル系の甘い飲み物の多いス○バとかだ。

だから学生にこの抹茶ラテが受けるかと言われればそうではない。

それに甘い物が苦手というのは僕個人の好みの問題であって、客を呼ぶための理由があるわけではない。

今回はリゼ達の意見が正しいと言えるだろう。

 

「……クソッ、仕方ないな」

 

渋々有宇は抹茶ラテを作り直した。

しばらくしてキッチンから出てきた。

 

「ほら、作り直してやったぞ」

 

そして皆の前にカップを置く。

 

「おお、なんかさっきと雰囲気違うね」

 

「これ何かけたんだ?」

 

「黄色いソースがかかってますね」

 

先程までと違い、ミルク上部分に黄色いソースがおしゃれな感じにかかっており、黄色いパウダーがかけられていた。

 

「きな粉のカラメルソースだ。粉はゼリーの時同様に追いきな粉したんだ。まぁ飲んでみてくれ」

 

「それじゃあいただきます……」

 

そして三人ともカップに口をつける。

 

「うん、今度は甘くて美味しい〜」

 

「あぁ、これなら大丈夫だな」

 

「はい。ですがお兄さん、甘味料はなにを使ったんですか?」

 

「黒糖を使ってみた。その方が和風の風味が出せると思ってな」

 

まぁ実際飲んでみた感じ、砂糖とそんな大差はないな。

でも話題作りにはなるだろうし別にいいだろう。こいつらからも好評みたいだし。

すると店のドアが開く。

 

「有宇にぃ来たよ〜」

 

「コンニチワ〜」

 

来たのは客ではなくマヤ&メグだった。

 

「お〜私の妹たち〜!」

 

マヤメグが来た瞬間、ココアが目を輝かせた。

 

「来たかガキども」

 

「へっへ〜、約束だもんね。なぁ〜メグ」

 

「「「約束?」」」

 

ココア達三人が首を傾げる。

そして有宇がわけを話す。

 

「ほら、例の暗号探しあっただろ。実は一人で探すとなかなか範囲が広くて見つけられなくてな。で、探してる途中でこいつらに会って手伝わせたんだ」

 

「それで手伝う代わりに、ここの新作スイーツ食べさせてくれるって約束したんだ〜」

 

「ウン、甘兎庵とのコラボメニューなんですよね。楽しみだな〜」

 

要は暗号探しを手伝わせる代わりに、例のコーヒー抹茶ゼリー(千夜曰く、緑と漆黒の間にそびえ立つ黄金の塔)を食べさせることを約束したのだ。

 

「ま、約束は約束だしな。ほら、もう準備出来てる。食え」

 

そう言うと、既にゼリーがカウンターに二人分用意されていた。

 

「いつの間に用意してたんだ!?」

 

有宇の早業にリゼが驚きの声を上げる。

するとマヤメグはカウンターに座り、早速ゼリーを食べる。

 

「オイシ〜!」

 

「本当美味しいね。これ有宇にぃ作ったの?」

 

「そうだ、どうだ凄いだろ!」

 

「ウン、スゴイ、スゴーイ」

 

めっちゃ棒読みでマヤが答える。

 

「このガキィ……」

 

有宇は軽く殺意を覚えた。

するとその時、ココアがいないことに気づいた。

 

「あれ、そういやココアは?」

 

すると丁度奥のキッチンから緑色のパンを乗せたトレイを持って、ココアがやって来た。

 

「みんな〜私の新作も食べてみて〜。ほら、マヤちゃんとメグちゃんも」

 

さっきから度々キッチンで何やってんだって思ってたけど、パンを焼いてたのか。

そういや甘兎コラボに合わせて抹茶のパン作りたいって、コラボが決まった後言ってきたっけか。

そしてトレーの上を見ると、パンは全部緑色をしているが、何種類かあるようだ。

そして皆、ココアの持つトレーの上にあるパンを取っていく。

 

「お、これ抹茶だな。うん、美味しい」

 

「ココアチャンオイシー!」

 

「この抹茶のラスクも美味い!」

 

「ココアさん、流石ですね」

 

するとココアは頭を掻きながら「いや〜」と言いながら照れていた。

僕もトレーの上から余ったやつを一つ貰い一口食べる。

 

「ん、美味い」

 

「でしょ〜」

 

有宇が手に取ったのは食パン状の抹茶のマーブルパン。

柔らかくモチモチしていて、抹茶と砂糖のほのかな甘みもマッチしており、とても美味しい。

するとその時、更なる来客がやって来る。

 

「あら、みんな勢揃いね」

 

「本当、大集合ね」

 

やって来たのは千夜とシャロの幼馴染コンビだった。

これでいつもの面子が全員揃ったな。

そしてココアがカウンターから二人を出迎える。

 

「あ、千夜ちゃん、シャロちゃん、いらっしゃ〜い」

 

「ココアちゃん、みんなもこんにちは。なんだか美味しそうなものが並んでるわね」

 

「それになんかいつもと違うっていうか……なんか甘兎みたいな匂いがするような……」

 

「えへへ、今抹茶パーティーしてたんだ。二人も食べて食べて」

 

ココアがそう言うと、二人はマヤメグの隣のカウンター席に並んで座る。

 

「あら、これ抹茶のパンかしら?」

 

「うん、色々焼いてみたんだ。今丁度焼けたばかりなの。まだまだあるから試食してって」

 

「ええ、頂くわ」

 

そして二人ともココアからパンを貰って口をつける。

 

「流石ココアちゃんね。美味しいわ〜」

 

「パンも美味しいけど、このクッキーも美味しいわね。これも売るの?」

 

パンを早々に食べ終えたシャロが今食べているのは、ココアがパンと一緒に焼いたクッキーだった。

こちらは緑色と茶色の二色、それぞれ抹茶とコーヒー味だった。

 

「うん、甘兎コラボ記念だし、一袋100円でお手軽に売ろうかなって有宇くんが」

 

クッキーは僕の提案だ。

ここのメニューはそれなりに値段がかかるやつが多い。

だから安くお手軽なやつが一つあれば、お金を使いたくない客達はコーヒーの付け合せに買ってくれる可能性が高まるので、原価安めで美味しいクッキーを提案した。

一袋6枚入りで透明なラッピング用袋にいれて、針金でとめたものを商品として出そうかなと考えてる。

コラボ用以外にも、普通のやつとココア入りのやつも売ろうと思ってる。

ただラッピング代とか原価がそれなりにかかるので、もうちょっと値段を上げようと思っているのだがな……。

するとシャロが言う。

 

「にしても、まさかあの千夜のお婆さんを説得するなんてね。正直驚きだわ」

 

それを聞いて有宇は機嫌を良くする。

 

「ふっ、まぁな。ま、僕の手にかかればこんなものさ」

 

「本当ブレないわねアンタ……」

 

シャロが呆れた様子で言う。

すると千夜が嬉しそうに話し出す。

 

「でも本当にラビットハウスさんとまたコラボできる日が来るなんて思わなかったわ。本当、わたし……わたし………」

 

「千夜?」

 

なにやら千夜の様子がおかしい。

 

「幸せ〜!」

 

すると千夜が椅子から落ちて、そのままバターンと倒れる。

 

「千夜!?」

 

心配して慌てて駆け寄る。

しかしその顔は幸せそうだった。

どうやらココアの『ヴェアアアア!』の亜種みたいなものだったようだ。

 

「……ったく、心配して損したぞ」

 

「フフッ、ごめんなさい。つい嬉しくて」

 

「本当、千夜は大袈裟ね」

 

流石は幼馴染というだけあって、慣れてるといった感じの対応だ。

しかし千夜って普段は結構普通なのにな……何かおかしくなる原因でもあるのだろうか?

 

「……まぁいいか、それより立てるか?」

 

有宇は床に座り込む千夜に手を差し伸べる。

 

「ありがとう、有宇くん」

 

そして千夜が有宇の手を取り立ち上がる。

すると周りのみんながじーっと二人の様子を見ていた。

すると千夜は顔を少し赤らめ、慌てて有宇の手を放し席に座る。

 

「どうした千夜?」

 

「ううん、なんでもないの」

 

「? そうか」

 

すると周りがニヤニヤと笑みを浮かべているのに、有宇も気づいた。

 

「なんだお前ら、ニヤニヤして気持ちわりぃな」

 

「いや〜なんか今の千夜と有宇にぃ、なんかいい雰囲気だったな〜って」

 

「千夜さん美人さんだし、お兄さんもカッコイイからお似合いだよね〜」

 

「お前らなぁ……」

 

確か前にもリゼの時にこんな展開があったような……。

イケメンな僕に彼女がいてもおかしくないと思うのは自然の摂理ではあるが、だからといってそう身内同士でカップリングするのもどうかと思うぞ。

全く、この前の千夜の婆さんもそうだが、迷惑千万極まりないな。

大体千夜だって、その気もないのにそう思われるのは迷惑だろうに。

 

「はぁ……ココア、お前も千夜の親友ならこのガキ共になんか言ってやってくれ」

 

ココアに助け舟を求めてみることに不安がないわけではないが、千夜も迷惑してるし、なんだかんだ親友のためなら協力してくれるだろ。

 

「えっ、私?うーんでも私から見てもお似合いだと思うよ」

 

「やっぱそうだよね〜」

「おい!」

 

この女ぁ……こいつに頼った僕が馬鹿だった。

そういやリゼの時もこいつ、僕らのこと茶化してたっけ。

軽くリゼに視線で助けを求めてみるが、過去に自分が今の千夜の状況に置かれたことがあるせいで巻き込まれたくないのか、助けてくれる様子はない。

 

「でもいいんじゃないかな?千夜ちゃんって有宇くんの初恋の人に似てるんでしょ?それにリゼちゃんの時と違って千夜ちゃんのお婆ちゃんのお墨付きなんだし、くっついちゃえ〜引っ付いちゃえ〜」

 

「くっついちゃえ〜」

 

「ヒッツイチャエ〜」

 

このガキ共……!

確かにそう聞くと、そんなでもない気がして来たが、だがやはりこっちにその気はない。

そもそも千夜が僕を好きでいる前提でできる話だろそれ。

僕は確かにイケメンで、大抵の女は堕とせる自信はあるが、確実に勝てる勝負にしか基本でない男だ。

白柳弓の時だって、あの娘が僕に少し気があるのを知っていたからそれを前提として、わざわざ能力使ってあいつを惚れさせるための裏工作をして、確実にGet出来る状況を作り出したのだ。

……まぁ、カンニングの方がバレて失敗に終わったが。

千夜と付き合うという事自体はそんな悪い話ではない。

千夜自身、頭おかしいところはあるけど、美人で基本お淑やかで料理もできる。

それに千夜と付き合うということは、甘兎の跡取りになれるかもしれないということで、将来的にも安定を図れる。

しかし、千夜が僕に惚れている確証がないのにも関わらずそんな事はできない。

あと僕自身、千夜自身に好意とかは特に持ってない。

第一、前にも言ったが自分に置かれている状況が状況なので、今は恋愛ごっこをする余裕なんてない。

 

「とにかく、千夜とそんな関係になるつもりはない。ほら、この話はおしまいだ」

 

「え〜有宇くんなら千夜ちゃんを任せてもいいのにな〜。あ、ていうか千夜ちゃんと有宇くんが付き合ったら千夜ちゃんが私の妹に……!」

 

ゴンッ!

 

「うわ〜ん、痛いよ〜!」

いつまでも話を続けようとするココアに腹が立って、その頭に一発げんこつを入れてやった。

 

「やかましい!僕がいつまでも紳士でいられると思ったら大間違いだ」

 

「いや有宇にぃ、私達の前で紳士でいた事なくね?」

 

ゴンッ!

 

マヤにも一発お見舞してやる。

 

「なんで私まで〜!」

 

「ふんっ」

 

余計な事言う奴にも容赦はしない。

ていうかそもそもの原因こいつだしな。

 

「……ったく、とんだ目にあったな……」

 

「あの……お兄さん大丈夫ですか?」

 

すると、ココア達の相手をして疲れ果てている有宇を心配して、チノが声をかけて来た。

 

「あぁ……大丈夫。はぁ、本当お前だけがここの良心だよな……」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

やはり少しでもまともな奴が居てくれると、少しは気持ちも楽になるというもんだ。

チノの優しさを身にしみて感じる有宇であった。

 

 

 

 

 

一方、有宇とココア達が話している間、千夜とシャロはというと、隣で俯きながら顔を赤らめる千夜を見て、シャロは少し驚いていた。

 

「……へぇ、千夜がこんな慌てるなんて……」

 

「シャロちゃん?どうしたの?」

 

幼い頃から一緒に過ごしてるけど、千夜がこういう風に顔に出すのって滅多にないのに……。

するとシャロはハッと気がついた。

 

(そういえばこの状況に……いつもと逆転してる!?)

 

「シャロちゃん?さっきからどうしたの?」

 

これは……チャンスね!

するとシャロはいつもからかわれてる腹いせと言わんばかりに千夜に言う。

 

「千夜、恋愛は自由だけど、相手は選びなさいよ」

 

「シャロちゃん!?別に有宇くんとはそんなんじゃないのよ!本当よ!」

 

「フフッ、そういうことにしとくわ」

 

「む〜!」

 

すると珍しく千夜がぷく〜っと頬を膨らませてる。

見事してやったと思い、机の下で見えないようにガッツポーズをした。

いつもリゼ先輩のこととかで、色々からかわれてるし……たまには仕返ししたってバチは当たらないわよね……。

千夜をからかうことに多少の罪悪感を感じながらも、ちょっぴりスッキリしたシャロであった。

 

 

 

 

それからしばらくして、皆一通り落ち着いた。

まったく、千夜と僕にとっては実にいい迷惑だったな。

まぁ、女が恋愛脳なのはどこも一緒ってことだ。

 

「パン食べたら喉乾いちゃったわね」

 

「確かにそうね……」

 

千夜がそう言うと、ココアが千夜にカップを差し出す。

 

「なら、有宇くんが作った抹茶ラテ飲んでみて。美味しいんだよ」

 

千夜はカップを受け取ると、口をつける。

 

「まぁ、美味しいわね〜。うちも負けないようにしないと!」

 

「シャロちゃんもどうぞ」

 

そう言ってココアはシャロにもカップを渡すが、シャロは片手を前に突き出し、拒否のポーズを取る。

 

「いいわ、パンも食べちゃったし……これ以上はカフェインが……」

 

そういえばこいつ、カフェイン駄目なんだったな。

抹茶もコーヒー程ではないが、カフェインが含まれてるし、抹茶のパンも食べてるしで、これ以上カフェインを取ったら酔っ払ってしまうのだろう。

 

「そっか、残念だね……。有宇くん、シャロちゃんにも飲めるようにできない?」

 

「なぜ僕に聞く……まぁいいか。けどノンカフェインの抹茶なんて今うちにはないぞ」

 

「え〜そんな〜」

 

そんな〜と言われてもこればかりは仕方ないだろ。

こればかりはシャロの体質の問題だしな……。

するとその時、机に置いてある先程抹茶ラテで使用したきな粉ソースの入ったビンが有宇の目にとまる。

きな粉か……そうか。

 

「……抹茶じゃなければ作れるが」

 

「本当!」

 

「ちょっと待ってろ」

 

すると有宇は計量カップでミルクの量を測り、その後ミルクパンにミルクを注いだ。

しかしすぐには火をつけず、黒糖、そしてきな粉を入れる。

 

「きな粉と黒糖?」

 

「あぁ、それでこのままラテ同様にしばらく弱火で火にかける」

 

そしてミルクからかすかに湯気が上がり始めると、有宇は泡立て器で一気にかき混ぜ始めた。

かき混ぜ終わると、それをカップに注いだ。

そしてそこに軽く黒蜜でおしゃれな感じに模様をつけ、最後に追いきな粉をする。

 

「よし、出来た。これなら大丈夫だろ」

 

「有宇くん、これってきな粉の飲み物?」

 

「あぁ、きな粉ラテだ。コレならシャロも飲めるだろ」

 

きな粉は大豆から作られており、食物繊維豊富で、一時期健康食品としても流行ったことがある。

なによりこの場において一番重要な要素として、カフェインが含まれていないので、シャロみたいなカフェインに敏感な人でも楽しめるのだ。

そしてシャロは有宇からカップを受け取り、口をつける。

 

「あ、これ甘くて美味し〜」

 

「そりゃよかった」

 

どうやらシャロにも気に入ってもらえたようでなによりだ。

 

「有宇くんさっすが〜。うんうん、有宇くんなら立派なバリスタになれるよ」

 

「いや、別になるつもりはないんだが……」

 

別にここに来てから料理だなんだやらされて来たから自然と覚えただけなんだが……。

それに特別コーヒーが好きってわけでもないし、特にそういうのを目指す気は少なくとも今はない。

 

「でも有宇も最初の頃より丸くなったよな。あの時のお前、面倒くさがりで人のために人手間かけるなんてことしなかったのにな」

 

「確かにそうかもしれませんね。でも私達が慣れただけって気もしないでもないですが」

 

リゼとシャロがそんなことを話している。

丸くなった……か、そうなのだろうか。

自分では正直そこまで自覚がないのだが……。

それに今でも面倒くさいと思うことはしたくないし、人のために行動するより自分のために行動したいと思う。

まぁ、良く見られている分には別に構わんが……。

 

「まぁまぁ、それだけ有宇くんも、私達のこと信頼してくれるようになったって事だよね」

 

「……さぁ、どうだろうな」

 

ココアの言葉に違和感を感じる。

素直に受け入れられないというか何というか……。

確かにこいつらを信頼するようになったかどうかでいえば、するようになったかもしれない。

けど僕からこいつらへの信頼というのは、自分を傷つけない味方という意味ではあっても、俗にいう友達のようなものではないと思う。

一緒にいる方が都合がいい、その程度の信頼だ。

……まぁ、楽しく思える時がなかったわけではないがな。

 

 

 

 

 

それからマヤメグが帰って、シャロもバイトがあるからと帰っていった。

そして千夜も席を立つ。

 

「それじゃあ、いつまでもお邪魔しちゃ悪いから、私もそろそろ帰ろうかしら」

 

「え〜、別にまだいいのに〜」

 

「ありがとうココアちゃん、でもお婆ちゃん一人だと心配だから」

 

「まぁ、年寄り一人っていうのは色々と不安だよな」

 

「それもあるけど……ほら、この前強盗事件あったでしょ。それでちょっと心配で」

 

「「「強盗事件?」」」

 

この街でそんな事が起きてたのか。

ココアとチノも知らなかったようで、僕と一緒に首を傾げている。

しかしリゼは知っている様子だった。

 

「あぁ、確かもう既に喫茶店とか雑貨屋とかが数件襲われてるんだよな。特に怪我人とかは出てないみたいだけど、犯人はまだ捕まってないんだよな」

 

「ええ、だから心配で。ココアちゃん達も気をつけてね」

 

「大丈夫!いざとなったらリゼちゃん直伝のCQCで頑張るから!」

 

「いや……別に教えた覚えはないけどな」

 

CQCって確かヨーロッパの近接格闘術だっけか。

まぁ、リゼなら本当に使えそうだし、ていうか不良数人を相手取れるリゼなら強盗ごとき余裕で倒せそうだしな。

 

「まぁ、どうせ強盗なんてすぐ捕まるだろ。そんな逃げ切れんもんでもあるまい」

 

今時強盗なんて、顔隠してもなんだかんだすぐに素性がバレて捕まるのがほとんどだろ。

もう既に数件やられてるってことだが、相当やり慣れていて手慣れているのか、それともただの偶然か……どの道、そう長くは()つまい。

すると千夜が怪談でもするかのように答える。

 

「それがそう上手くいかない理由があるの。でもこれがね、ちょっと不思議な話なの」

 

「どういうことだ?」

 

「通報を受けて警察が被害にあったお店に駆けつけるとね、そこにいた店員さんもお客さんも誰一人として犯人の顔を……ううん、強盗に入られた事実すら覚えてないんですって」

 

「はぁ?」

 

入られた事実すら覚えてないってどういう事だよ。

そんな人生で1度起きるかどうかの出来事を簡単に忘れられるものなのか?

仮に一人ぐらいはショックがでか過ぎて、その時のことを覚えてないなんていう奴がいても、その場にいた全員がそんな事になるなんて普通あり得ないだろ。

 

「なんか怖いねチノちゃん……」

 

「はい……もしうちに来たらどうしましょう……」

 

ココアとチノも先程までCQCでねじ伏せるみたいな事言ってたのに、謎の怪現象が起きることを聞いた途端に恐怖で震え出した。

 

「でも、防犯カメラとかに犯人が写ってたりとか……」

 

「犯人は防犯カメラがないお店をいつも狙っているの。お店の近くの防犯カメラとかは一応調べられてるけど、犯人のような人影はないって話よ」

 

まぁ、捕まってないってことはやっぱりそうなるのか。

もし仮に犯人が被害者達が記憶を忘れることを前提に動いてるとしたら、被害者達の証言以外の証拠は残さないようにするだろうしな。

近くの防犯カメラを見たところで、姿がわからない以上、余程怪しい格好でもしない限り警察の捜査に引っかかることはないだろうしな。

でもそれってつまりは犯人に被害者達の記憶をどうにかできる力があるっていうことだよな……。

するとココアが声を大にして言う。

 

「よし!じゃあうちも防犯カメラつけよう!そしたら犯人もきっとうちには来なくなるよ!」

 

方法としてはそれが一番の対処法だ。

だがそれは簡単なことじゃない。

 

「防犯カメラなんていくらすると思ってんだよ。今月はソフトクリームの機器とかも導入してるし、これ以上マスターにお願いなんてできないぞ」

 

防犯カメラなんておいそれと付けられるもんじゃない。

そりゃあるに超したことはないんだろうけど、うちじゃ無理だ。

犯人もそれがわかって、個人商店とか狙ってるんだろうし。

 

「うぅ〜これじゃあラビットハウスが襲われちゃうよ〜!」

 

「うちも防犯カメラないから心配なのよね。だからココアちゃん達も十分気をつけてね」

 

そう言って、千夜は店を去って行った。

それから僕は千夜の話を聞いて震え上がるココアとチノを放って、リゼに小声でかける。

 

(なぁリゼ……この事件の犯人って……)

 

(待て……!)

 

するとリゼが僕の口を手で塞ぐ。

 

(盗聴の話を忘れたのか?話は外で聞く)

 

(フガフガ(了解)……)

 

そういえばそうだったな。

なんでもこの店には盗聴器が仕込まれているらしい。

何故かというと、以前リゼから聞いた話によると、超能力組織であるガーディアンとやらを抜けたタカヒロさんが組織の秘密をバラさないようにするための監視の意味で付けらているらしい。

それはまぁ別に良いのだが、僕が超能力者であることをガーディアンのお偉いさんであるリゼの親父に知られると、兵士にされるか記憶を消されるか、あるいは数年に渡る監視がつけられるのだという。

だから店の中で僕が超能力に関わる話をするのは非常にまずいのだ。

なので仕方なく、ココア達に強盗対策でリゼに話があると言って、店を二人に任せて外に出た。

 

 

 

 

 

それから二人で一階フロアから廊下に出て、そこから店の裏にあるいつも洗濯物とかを干している庭に出た。

 

「それで、確か強盗の話だったよな」

 

「あぁ、今回の強盗事件の犯人って能力者なんじゃないかって」

 

その場にいた人間全員の記憶を消し去る。

そんな芸当、一個人がおいそれと簡単にできるもんじゃない。

ちょっとした印象操作や記憶操作なら不可能でもないのかもしれないが、今回のは明らかにその域を超えた現象だ。

そんなことが出来るのは、僕の経験則上、超能力を持つ人間しかありえない。

 

「そうだな……その可能性が高い。現に親父もその線で捜査を勧めてる」

 

やはりそうなのか。

リゼの親父はガーディアンでの地位もさることながら、この街での地位もかなり高いらしい。

しかも表向きでは軍人ということになっている事もあって、この街の治安維持に務める活動もしているようだ。

しかしリゼの親父が動いてるとなると、その犯人が捕まるのも時間の問題だな。

だが、リゼはあまりいい顔をしていなかった。

 

「どうした、なんか問題でもあるのか?」

 

「あぁ、今回の犯人の能力なんだが……」

 

「能力?あぁ、そういや今回の事件の犯人もお前の言ってた三つのタイプには属さない能力だよな」

 

以前リゼが言った話によると、能力は大まかに三つのタイプに分けられるらしい。

近接戦闘向きの伐採系、遠距離戦闘向きの狩猟系、自らの体液を使う汚染系、能力者の能力は数あれど、基本この三つに分類される。

しかし僕の憑依能力はこの三つには当てはまらない能力だ。

以前出会った星ノ海学園の友利奈緒もまた、僕と同じこの三つに属さないタイプの能力者であった。

もしかしたらリゼ達ガーディアンが、そして友利達星ノ海学園が知らないだけで、能力者は大きく二つに別れているのかもしれない。

そして今回の事件の犯人もまた、僕や友利と同じタイプの能力者なのかもしれない。

しかしリゼが言いたいのはそういうことではないようだ。

 

「いや、当てはまらないことはないと思う。お前のようなタイプである可能性も否定できないが、汚染系の能力者の可能性もある」

 

「汚染系?」

 

そういや軽く説明されたけど、体液を使う能力って具体的に何なんだ?

 

「汚染系は体液を操る能力者だ。汚染系能力者は他二つと違い、特に決まった特徴がなく、能力そのものに個人差が出る能力だ。体内で様々な物質を作り出し、それを分泌、及び放出したりとか、血液を固めたりスライム状にしたり……とにかく様々だ」

 

「ふーん、けどそんな危険な感じの能力には思えないんだが……」

 

血液を操ったり、なんか変な物質作ったり……それって凄いのか?

他の伐採とか狩猟とかの能力と比べるといまいちインパクトに欠けるような……。

 

「今言った通り、能力によって差が出る。実際大した脅威にならない能力しか持たないのが殆どだ。しかし、中には強力な毒を生成したり、人を一瞬で完治させたりする物質を生成することが出来る凄い能力を持つ汚染系能力者もいるから侮れないぞ」

 

「それは……確かに凄いな……」

 

もっと軽い感じの物を考えていたのだが、そういうこともできる奴がいるのか……。

それにただ物質を生成するだけ……と考えていたけど、よくよく考えたら戦争の時も細菌兵器が使われたりするぐらいだし、物質を生み出せるっていうのも侮れないんだな。

 

「特にガーディアンジャパンには今、『歩く製薬工場』なる能力を持つ凄い能力を持った新人もいるらしいからな」

 

「歩く製薬工場?」

 

「あぁ、なんでも、毒でも治療薬でも、他にも体を麻痺させることのできる物質や、はたまた記憶を消せる物質など、様々な薬品を自己生成し、それを放出及び自己投与することが出来るらしい」

 

「本当に製薬工場って感じだな……」

 

ほんとうに世界は広いというかなんというか……。

他人に五秒しか乗り移れない能力でイキってた自分が恥ずかしくなるな本当に……。

 

「ともかく、例の強盗犯が汚染系能力者であった場合、そいつは記憶を消せる物質を生成出来るということになる。それだけならまだしも、製薬工場に近い能力であった場合、かなり危険だ」

 

リゼはつまり、強盗犯が歩く製薬工場と呼ばれる能力者と同じ能力を持っていたら危険だと言いたいらしい。

今のところ被害者達の記憶がなくなってることしかないが、他の物質を生成できる可能性があるということだ。

そうなれば犯人を捕まえようとした時に、犯人が逆上して毒をばら撒く危険性もあるっていうことか。

……あれ、これ結構ヤバくないか?

 

「万が一の時には風祭の本部からその『歩く製薬工場』の能力者を呼んで対応する必要もあるかもしれないな。だから有宇、間違っても闘おうとなんてするなよ」

 

「しねぇよ、僕がそんなタイプじゃないって知ってるだろ」

 

なんでわざわざ僕が強盗犯と闘わなければならない。

頼まれたってそんなのお断りだ。

強盗犯に多額の懸賞金でもかかっているのなら考えなくもないが、なくなく自分の身を危険に晒すなんて事、この僕がするわけないだろ。

 

「けど……お前、私が不良達に捕まった時、一人で助けに来たから……」

 

自分でも改めて言うのが恥ずかしかったのか、リゼは顔を真っ赤にしてそのまま押し黙ってしまった。

有宇も咄嗟に慌てて言葉を返す。

 

「あ、あれは別に何もしないでお前を見捨てたらお前の親父に殺されそうだったからで……別にお前を助けたいとかじゃねぇよ!」

 

「そ、そうか……そうだよな……」

 

「あ、あぁ、そうだよ……」

 

「「………」」

 

いかん、気不味い!

クソッ、なんかさっきの千夜の時みたいな雰囲気になってしまった。

なんとか話を逸らさねば……!

 

「えっと……そういえば仮にその強盗犯が捕まったらどうなるんだ。やっぱり兵士にされるのか?」

 

「え……?あ、えっとそうだな……おそらくそうなるだろうな。警察に捕まった時点でガーディアンが警察に手を回して接触を図るはずだ。仲間になる気があるなら引き抜かれ、ならないならそのまま牢屋の中……いや、犯罪者であるならそのまま獄中死にみせかけて……なんてこともあるかもな」

 

「待て、殺すのか?」

 

「仲間になる気がないということは組織にとって利にはならない。いや、不利益にすらなることだ。相手がいなくなっても問題ないような犯罪者とかなら、監視に人員を割くぐらいならいっそ……ってことになる可能性はある」

 

怖えぇよ!

ていうかいなくなっても不利益にならないって……それって僕もじゃないか?

僕も一応家出人ってことになってるし、いなくなってもそのまま処理とかされるんじゃ……。

 

「まぁ、お前に関してはタカヒロさんの保護下にあるし、ココアから聞いたけど、お前、もうおじさんにも居場所が割れてるんだろ?なら万が一親父にバレても殺されるようなことにはならないはずだから安心しろ」

 

だったらいいのだが……。

しかしそう考えると、改めてバイト先にラビットハウスを選んだのは正解だったと思えるな。

他の店で働いている途中で能力者だとバレて捕まったら、入隊か殺されるかの二択になるところだった……。

にしてもあれだな……警察に手を回して……か。

 

『その警察もグルなんすよ』

 

友利の言葉を思い出す。

友利の言っていた科学者とやらも警察に手を回せるだけの力があるようだ。

ガーディアンに科学者……やはり、この二つは同一の組織なのだろうか。

友利はガーディアンについては知らなかったようだが、もしかしたら友利が知らないだけで、真実はそうなのかもしれない。

そして有宇は唾をごくりと飲み込むと、意を決してリゼに尋ねてみる。

 

「なぁ、リゼ……その……ガーディアンは人体実験とかやってたりするのか?」

 

「なんだ突然?急にどうしたんだよ」

 

「いや……その……」

 

因みにまだ友利たち星ノ海学園のことはリゼには話していない。というか話せない。

どちらが本当に僕の味方なのか、まだ見極める必要があるからだ。

別にリゼが信用ならないわけじゃない。

なんせ自分から組織のことを色々と教えてくれるくらいだ、僕をどうにかするつもりがリゼにあるならとっくにそうしてるだろうし……。

だからリゼが僕から得た情報を横流しするとは思えない。

しかしやはり万が一ということがある。

リゼが意図していなくても、何かしらボロを出して組織のトップのこいつの親父に知られたりなんかして、それで星ノ海学園が危機的状況になってしまったら、情報を密告した僕を星ノ海学園はもう助けてはくれなくなってしまうだろう。

だから慎重に行動する必要がある。

とにかく星ノ海学園のことは喋らない方がいいだろう。

 

「……単なる興味本位だ」

 

「そうか?まぁいいけど……」

 

するとリゼの顔が少し強張ったような表情になる。

 

「結論から言うとガーディアンも人体実験をやっていた時もあった」

 

「なっ……!」

 

その言葉に衝撃を受ける。

それだけのでかい組織で闇も深そうだし、ありえそうではあったがまさか本当にやっていたとは……しかしこれで友利の言う科学者がガーディアンである可能性が高まったぞ。

 

「けど本当に昔の話だ。昔はガーディアンの同士である科学者によって人類反映のための数々の実験が、非人道的なものであっても行われていた。組織もそこで起きた事件などから反省し、今は組織内であっても人体実験を行うことは禁じられている……はずだ」

 

禁じられていると言われてもなぁ……。

正直いって信用ならん。

それに『はず』ということは、そのルールも表向きの話で済まされているんじゃないのか?

何よりそこで実際何が起きたんだ?

裏の世界で生きる者達がこぞって禁止を促すほどの何かが起きたんだよな。

それって絶対ヤバイ実験だよな……一応聞いてみよう。

 

「……で、実際どんな事が起きたんだ?」

 

「そうだな……一番新しいのだと、やっぱり『次世代人類プロジェクト』かな……?」

 

「次世代人類プロジェクト?」

 

何だそれは?

なんかネカフェ時代に見た某アニメの人類補完計画みたいな名前で、なんか怖いな……。

 

「有宇は千年後、人類は生きていると思うか」

 

「何だ突然……えっとそうだな……生きてないんじゃないか?」

 

地球温暖化とか今進んでるらしいし、エコとか今色々やってるけど、流石に千年も先の未来に、もう人は生きてないんじゃないか?

 

「ガーディアンの研究によると、お前の言う通り、千年後の地球は人類が生きていける環境ではないそうだ」

 

やっぱそうなのか……。

そう考えると悲しい気もしないではないが、千年も先の未来には僕は生きてないし、正直どうでもいい。

 

「次世代人類プロジェクトっていうのは、簡単に言えばその千年後の未来に人類を残そうっていう研究だ。まぁ、狂った科学者達が始めた研究だよ」

 

人類を……未来にか……。

確か以前、リゼはガーディアンを正義の味方と言っていた。

人類を存続させるための守護者……なるほど、そう考えると正義の味方なのかもしれないな。

だが、正義の味方にあるまじき行為が行われたってことなんだろうな。

 

「それで、プロジェクトはその想定した未来の過酷な環境に耐え得る人間を作り出し、冷凍睡眠装置で眠らせ未来に残そうとしたんだ」

 

「そいつは……なんとも壮大な話だな」

 

理には適っている。

もし本当に千年後の未来がそうなる運命で、その千年後の未来に人類を残そうとするなら、それが適切なのだろう。

だがそれが人道的かと言われれば、そうではない。

 

「プロジェクトは被験者になり得る孤児を世界中から集め実験を行った。そして、結果として集められた孤児の殆どが実験による影響で死亡した。ガーディアン上層部はこれを危険と判断しプロジェクトは凍結された。……だが、この実験の悲劇はこれに留まらなかった」

 

「どういうことだ?」

 

話しぶりからして、被験者になった人間が死ぬ展開は読めていた。

だけど、まだ終わらないというのは一体……。

 

「実験には実は一人、成功し生きて研究室を出れた少女が一人いたんだ。生きて出た彼女は日本のとある孤児院に預けられた。だが、問題が発生した」

 

「問題……?」

 

「プロジェクトは千年後の地球が生物にとって毒となる瘴気が覆われているという前提で行われていた。だから連中は被験者を、毒を当たり前のものとして受け入れられる体にしようとした。たけどそれは逆に、千年後の未来の環境が当たり前になり、今の地球の環境が被験者達によって毒となるということだ」

 

だから被験者となった孤児達は全員死んだということか。

勿論それだけじゃないんだろうけど、今聞いた話からするとそんな感じだよな。

でもだったら生きて生還した少女はどうして生還できたんだ?

 

「生還した少女は体内で千年後の環境と同じ毒物を体内で生成し、自分で投与することの出来る能力を得ることで生還することが出来たんだ。だが、彼女が預けられた孤児院で……」

 

「……その毒が彼女の体内から漏れ出してしまったってことか?」

 

毒を体内で作り出す。

それが出来るなら、先程の製薬工場の能力者同様、体の外に放出することもできるのだろう。

歩く製薬工場の真逆……まさに歩く汚染物質だ。

 

「……そうだ。お前ももしかしたら聞いたことがあるんじゃないか?……アサヒハルカの名を」

 

「アサヒハルカ……!あの有名な都市伝説のか!?」

 

アサヒハルカ……有名な都市伝説だ。

それは呪われた少女、彼女の姿を見ただけで死んでしまう。そして彼女の事を知るだけでその身に災いが降り掛かる……というメリーさんとかと同じ部類のよくある感じの都市伝説だ。

僕が中学の時にクラスの連中がよく話していたのを聞いたことがある。

しかし実在していたとは……しかも今リゼが話してる少女があのアサヒハルカだとは……。

 

「アサヒハルカは体内で自己投与していた毒が漏れ出していると知らず、孤児院中に意図せず毒をバラ撒いてしまった。その結果、孤児院にいた人間はほぼ全員死亡した。唯一生き残って孤児院を出た少年も、転校先の学校で毒に体中を侵され亡くなったそうだ」

 

それは……流石の僕でも同情したくなるぐらい可哀想な話だ。

身勝手な連中の研究のせいで、人を無意識に殺す殺人マシーンにされてしまったのだ。

余りにも理不尽というものだ。

そしておそらく、その生き残って孤児院を出た少年がアサヒハルカの事をクラスメイトとかに話したのだろう。

それで見事、アサヒハルカの都市伝説の完成ってことか。

なんとも皮肉な運命なのだろう。

本人の望まぬ力が引き起こした事件が、更に人を恐怖に陥れる恐怖譚にまでなっているのだから……。

 

「それで、アサヒハルカは今どうしてるんだ?」

 

「ガーディアンジャパンで保護されてるって話だ。孤児院での事件後、毒の抑制剤が作られ、今はそれで抑えられているらしい。ただ、本人の心の傷は相当な物だと思う……」

 

……そりゃそうだろうな。

友達、先生、自分の身の周りの大切な人を自分の手で殺してしまったのだ。

もし僕が大切な人を……歩未を自分の手で殺してしまい、その十字架を背負うことになるなんてことになったら、自殺すら考えてしまいそうだ……。

最も彼女の苦しみなど、僕程度には完全に理解することなど出来ないのかもしれないが……。

 

「まぁ、色々話したが、もう終わった話だ。この事件だってプロジェクトの主任であったバーソロミューと副主任であったブレンダ・マクファーデン司祭は暗殺され、他メンバーも逮捕されてる。今はもうそういった非人道的な実験は行われてないはずだ」

 

そんな事いってるが、昔っていっても、アサヒハルカの話だって確かまだほんの数年前の話じゃないか。

これは……正直友利の言う科学者もガーディアンが絡んでいる可能性は極めて高いかもしれないな……。

できればそうでない事を願いたいがな……。

世界中に同士を持つそんなでかい組織、友利達星ノ海学園なんかじゃ絶対敵いっこない。

こりゃ本当に能力を使わずに大人しくしていた方がいいかもしれないな……。

 

「じゃあ私は戻るぞ、お前と違って私はまだバイト中だしな」

 

そう言うとリゼはリセの方に戻ろうとする。

しかしすぐに振り返り有宇に言う。

 

「あ、そうだ、強盗の話だけどさ、私から親父に頼んでラビットハウスに防犯カメラを付けて貰えるよう頼んでみるよ」

 

「あ、あぁ、それは助かる。色々とありがとな、リゼ」

 

するとリゼはフッと笑う。

 

「気にするな。私達だってこの店のために手は惜しむつもりはない。だからいつでも頼ってくれ」

 

そう言うと今度こそ、リゼは店の方に戻って行った。

あいつのあんな顔を見てると、やばい組織のお嬢様なんて風には見えねぇな……。

今回聞いた話を受けて、ガーディアンに関しては、今後も正直信頼する気は全く無い。

例えリゼの親父だろうと何だろうと信頼なんかするものか。

けど、リゼだけは信じようと改めて思った。

 

 

 

 

 

 

───その次の日のことであった。

 

この日、有宇、ココア、チノ、リゼ、四人とも店に出ていた。

客入りもそこそこで、それなりに店内は賑わっていた。

そんな時だった。

店のドアが鈴の音と共に開き、サングラスにマスクの黒いパーカーを着た男が入店する。

 

「いらっしゃいませ」

 

この時ココアは午後の分のパンの焼き上げの為、奥のキッチンにいて、有宇が代わりにホールをやっていたので、有宇がその客を出迎えた。

すると男は突然、有宇に向かってナイフを突きつける。

 

「金を出せ。俺は強盗だ」



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第26話、二度目の邂逅

クソッまさか本当に強盗犯がうちに来るとは……。

強盗の登場に流石の有宇も焦っていた。

本当に強盗犯がうちにくるなんて思ってもいなかったのだ。

それにまだ強盗犯のことを知ってから昨日の今日だぞ、対策なんかまるで出来ていない。

防犯カメラの取り付けも、まだリゼがリゼの親父と掛け合ってる段階で、当然まだ店には付いていない。

しかもその事を話し合うために、マスターも今店を空けてしまっている。

そして店にいる客達が「キャー!!」と叫び声を上げる。

 

「静かにしろ!ぶっ殺されてぇのか!」

 

強盗が客に威嚇する。

すると客達もピタリと声を上げるのを止める。

だがみんな恐怖に怯えている様子だ。

 

「なになに、なんの騒ぎ?」

 

すると奥でパンを焼き上げていたココアがホールに顔を出す。

 

「ばか!来るな!」

 

「え?」

 

すると強盗はココアにナイフを向ける。

 

「そこの女、両手を後ろに回せ。他の連中もだ。早くしろ!」

 

「えっ、強盗!?うそっ!?」

 

クソッ、犯人は奥にいたココアに気づいていなかったから、ココアが奥にそのままいてくれたら警察に電話することが出来ただろうに……。

しかしそれを今更言っても仕方がない。

取り敢えずその場にいた客を含め、僕ら全員、犯人の指示通り、頭の後ろに手を回した。

おそらく犯人は携帯などで写真を撮られることを恐れているのだろう。

手を上に上げさせておけば、写真を撮るような動作をした瞬間すぐバレるからな。

これは普通に考えたら打つ手なしだな。

するとチノがリゼにコソコソなにか話をしているのが見える。

 

(リゼさん、いつもの銃で犯人を撃てないんですか?)

 

(私の銃はモデルガンだ。致命傷には出来ない。それに、それで犯人を下手に刺激すると客にも被害が出る可能性がある)

 

(そんな……!)

 

顔つきからして、おそらく打開策はないといったところだろうか。

それにこの犯人がリゼのいう通り汚染系の能力者であった場合、能力とは別に身体能力が常人の10倍はあるということになる。

なので不良数人を相手取れるリゼであっても、流石にこの男を倒すのは無理があるだろう。

仮に汚染系能力者じゃなかったとしても可能性としてある以上、下手な行動は取れないだろうしな。

すると犯人は再び有宇にナイフを向ける。

 

「おいお前、レジの金をこの袋に詰めろ。早くやれ!」

 

そう言うと犯人は自分のバックからそこそこの大きさの袋を取り出し有宇に渡す。

このまま金を渡せば今までの事件からして、おそらくこいつはこのまま店を出てくれるだろう。

そうなればひとまず僕らは助かる……だが、取られたお金はもう戻ってこないだろう。

手がないわけじゃない……だが、ここでその手を使うのはリスクが高い。

 

 

 

 

 

打開策というのは当然僕の能力のことだ。

僕の持つ超能力を使ってこの男に乗り移れれば、おそらくこの状況を打開できるはずだ。

しかしそうすると、この店のどこかにある盗聴器からここの状況を盗み聞きしてるリゼの親父達ガーディアンに、僕が能力者であることがバレる可能性が非常に高い。

そうなれば僕は兵士にされるか、記憶を消されるか、数年に渡って監視されるか、いや、もし本当にガーディアンが友利達のいう科学者であるなら人体実験用のモルモットにされるかもしれない。

 

更に以前、僕の能力をリゼの親父に使ったとき、僕の能力はリゼの親父には効かなかった。

もしかしたら能力者には、僕の能力は効かないのかもしれない。

そうなると当然、目の前の男にも僕の能力が通用しない可能性がある。

 

つまり能力を使うにしても効かない可能性があり、尚且つリスクが高いということだ。

どうする……店の為に能力を使うか、それとも……自分が助かるために店の金を素直に渡すか……。

有宇は頭を悩ませた。どちらが最善の選択なのかを。

いや、何を迷ってるんだ僕は!

自分の命の方が大事に決まってるだろうが!

ここで金を渡したって、流石にこの状況で僕を責める奴はいないだろ。

なら別に金を渡したって……。

その瞬間、有宇の頭に、ここ最近の出来事が走馬灯の如く駆け巡った─────

 

 

 

 

 

店を繁盛させるためにココア達と案を出し合ったこと、学割サービスの開始、ホームページ作成、PV作成、そして苦労して実現した念願の甘兎とのコラボ。

その苦労の日々が有宇の頭の中を駆け巡った。

今日だってそのおかげもあってか、客入りも以前より良くなっている。

だが、そうして僕達が苦労して積み上げた物を一瞬で、しかもこんな奴に奪われるのか?

それが仕方ないだと……ふざけるな!

気がつけば有宇はキッと強盗犯を睨みつけていた。

 

「あ゛っ?どうした。さっさと袋に金を入れろよ。殺されてぇのか?」

 

強盗犯はいつまでも金を詰めようとしない有宇に、再び金を詰めるよう要求する。

だがもう有宇に、そんな事をするつもりは毛頭なかった。

一か八かだ、これでダメなら諦めて大人しくレジの金をこいつに渡す。

そして仮に成功してこの先ガーディアンか科学者に見つかるようなことになったなら、リゼでも友利でも頼れるものに頼りまくって逃げきってやればいいさ。

そして有宇は遂に強盗犯に能力を使った。

 

(よし、成功だ!)

 

見事、強盗犯に乗り移ることに成功したようだ。

 

「有宇くん!?」

 

「お兄さん!?」

 

するとココアとチノが突然声を上げた。

なんてことは無い、能力を使って無防備になった僕の体が床に倒れただけだった。

そういえばココアとチノは僕が能力を使うのを見るのは初めてだっけ。

しかしココアはそうとも知らずに僕の体に駆け寄り、必死に僕の体に声をかけ続けていた。

 

「どうしたの有宇くん!?もしかして刺されたの!?ねぇ、しっかりして有宇くん!!ねぇってば!!」

 

少し悪いことをした気もするが、この状況だし説明してる暇はない。

五秒しかないし、とっととやることだけやっておこう。

このまま太ももにナイフを思い切り刺すのも悪くないが、それは周りから見ても不自然過ぎる行動だ。

ガーディアンにバレないためにも、自然な感じで犯人を無力化する必要がある。

そこで有宇は乗り移ったまま思いっきり叫び声を上げる。

 

「うるせぇよ!!いいからさっさと金出せよぉぉぉぉぉ!!」

 

そして思い切りナイフを振り回す。

勿論周りに当たらないように慎重にだ。

そして振り回したナイフがあたかもすっぽ抜けたかのように、誰にも当たらないようにナイフを放り投げる。

そしてそこで五秒が経過し、意識が自分の体に戻った。

体に意識が戻ると有宇は倒れた自分の体を起こし、犯人の様子を見る。

 

「あれ?なんか今意識が……ってええ!!俺のナイフはどこに!?」

 

犯人も戸惑っている。

捕まえるなら今だ!

すると突然、ココアが思い切り抱きついてきた。

 

「有宇くん……!目が覚めて良かった!本当に良かったよ!」

 

「ぐえっ!……ぐ、ぐるしい……!離れろ……」

 

「あ、ごめんね」

 

そしてココアは有宇を解放する。

するとその隙に犯人が、脅す手段を失ってそのまま逃げようとする。

 

「くそっ、逃げられる!リゼ!」

 

「あぁ、任せろ!」

 

リゼに声をかけると、リゼはポケットからいつもの銃を取り出し、犯人に向けて数発撃つ。

 

「ぐわぁぁぁぁぁ!!」

 

見事全弾犯人に命中するものの、犯人は痛みをこらえてそのまま店の外まで逃げてしまった。

 

「仕方ない……リゼ、僕と一緒に来い!ココア、チノ、お前らは警察に連絡を!」

 

「あぁ、わかった」

 

「う、うん」

 

「わ、わかりました」

 

そして有宇とリゼは、犯人を追いかけに走って外に出た。

有宇達が店を出て行くと、チノの頭の上にいたティッピーもチノの頭から飛び上がる。

 

『ワシも行くぞ!どりゃぁぁぁぁぁ!』

 

「お祖父ちゃん!?」

 

そしてそのままティッピーも店の外へ出ていってしまった。

 

 

 

 

 

「ぜぇ……ぜぇ……クソッ、足速えなあいつ」

 

「そうだな、でもそれにしたってお前、体力ないよな」

 

「うっせぇ……」

 

外に出た有宇達は犯人の後を追っているのだが、中々足が早く追いつけない。

既に犯人との距離はそれなりに離れていた。

そして遠くの方で曲がり角を曲がっていくのが見えた。

僕達もその曲がり角を曲がった。

しかしそこは道幅の広い路地で人も多く、もう犯人の姿は見えなかった。

 

「クソッ、見失ったか!」

 

「諦めるのはまだ早い。まだ私達にあいつの記憶が残っているうちは探してみよう」

 

「あ、あぁ……」

 

あぁ、そういえばまだ強盗犯の記憶消えてないな。

能力を使えば逃げ切れるはずなのに、なんで使わないんだ?

 

 

 

 

 

「それじゃあ有宇はまだこの辺りを捜索してくれ。まだ奴が潜伏してる可能性がある。私はもっと遠くの方に行ってみる」

 

「あぁ、わかった」

 

広範囲の捜索のため、ここは二人で手分けして強盗犯を探すことにした。

 

「そうだ、これを渡しておこう」

 

そういってリゼは、僕にモデルガンを渡してきた。

 

「撃つときは脇を締めて両手で構えろよ」

 

いつもだったら断るところだが、今回に至っては使えそうなので素直に借りておく。

 

「あぁ、サンキュー」

 

「よし、じゃあお互い、健闘を祈る」

 

そう言い残してリゼは走り去っていった。

さて、僕も捜索するか……しかしなんか妙だよな。

有宇にはあることが引っかかっていた。

確かに犯人と僕達とでは、それなりに距離は離れていたとはいえ、こうも簡単に見失うものか?

だとしたらまだこの辺りに潜伏しているのか?

いや、でもこんな夏の日にグラサンとマスクなんてしてる奴がいたら普通気づくはず……いや、待てよ。

有宇は何かに気づいた。

そうか……そういうことか。

 

 

 

 

 

はぁ……はぁ……なんなんだよあの店は……。

強盗犯の少年は今非常に焦っていた。

いつの間にかナイフがなくなって、能力使って逃げようとしたら何故か能力使えないし、何がどうなってるんだ。

まぁ、でもなんとか撒けたようだし、取り敢えずは……。

すると後ろから見知った男が現れた。

うっ嘘だろ……。

 

「見つけたぞ、強盗」

 

そこにいたのは、先程強盗に失敗した店の店員だった。

 

 

 

 

 

「ご、強盗?なんのことかなぁ……」

 

目の前にいる男は、白い半袖Tシャツを着て、スポーツバックを持つごく普通の高校生といった感じで、ぱっと見、強盗をするようには見えない。

だがこの男が強盗犯なのは間違いない。

 

「とぼけても無駄だ。パーカーの下の服も、そしてグラサンとマスクで隠した素顔を僕らは知らない。だから撒けるとでも思ったんだろうがそうはいくか。例え格好を誤魔化せてもそのバッグは隠せないからなぁ」

 

「なっ!?」

 

グラサン、マスク、黒パーカーという格好をしていたのは、おそらく念には念を入れてのことだろう。

いざという時には逃走の途中でグラサンとマスクを外し、パーカーを脱いでやり過ごすつもりだったのだろう。

どこまでも用意周到なことだ。

だがまだ爪が甘い。

ナイフや金を入れる袋、そして黒パーカーを入れるスポーツバッグは隠すことは出来ないからな。

バッグには色々と証拠になるもんが入ってるし、何処かに置いておくわけにもいかない。

だから犯人は絶対にバッグを持ち歩いているはずと思い、同じバッグを持ってる人間を探したのだ。

 

「大人しく観念しろ。どの道お前はもう逃げられないぞ」

 

しかし、強盗はまだ観念するつもりがないらしく、また走って逃げ出した。

 

「待て!」

 

そして再び強盗との追いかけっこが始まる。

どこまでも諦めの悪い奴だ。

 

「くそっ……なんでこんな事に……能力さえ使えたらこんな事には……」

 

強盗が何かぶつぶつ呟いているが、よく聞こえない。

すると左の方に小さい細い路地が見えた。

確かあそこの先は行き止まりのはずだ。

あそこに追い込めれば、今度こそ捕まえられるはず……ならば!

有宇は再び犯人に能力を使う。

そして犯人に乗り移ると、そのまま小さい路地に入る。

体に意識が戻ると、僕もすぐにその路地に入っていく。

路地に入ると、行き止まりの前で犯人が立ち往生していた。

 

「ここまでだ、大人しくしろ」

 

そして犯人がこちらを振り向く。

 

「お前……なんなんだよ……一体何なんだよぉ!」

 

すると突然、強盗は有宇に掴みかかってくる。

しかしこの程度であれば、能力を使うまでもない。

有宇はポケットからリゼから借りたモデルガンを取り出し、犯人に向け容赦なく撃つ。

 

「ぐわぁぁぁぁぁ!」

 

さっき見たときもそうだが、モデルガンとはいえ大分改造されてるなこれ。

多分相当痛いだろうな。

そしてそのまま犯人の後ろに回り、そのまま押し倒し取り押さえる。

 

「くそっ!くそっ!」

 

だが犯人は体を取り押さえられてるこの状況においても未だに諦める気がないのか、暴れてこの状況から抜け出そうとする。

 

「くそっ、これじゃあ警察が呼べないじゃないか」

 

両手で抑えないと今にも逃げ出しそうで、片手を離す余裕がない。

これじゃあ電話がかけられない。

するとその時、向こうから白いフワフワした物がやって来るのが見えた。

それがだんだん近づいてくる。

目を凝らして見てみると、何かと思えばうちで飼ってるあの毛玉うさぎだった。

 

「毛玉!?お前なんでここに……?」

 

すると毛玉うさぎは暴れる犯人の頭の上に乗っかり、ドスンドスンと飛び跳ね始めた。

 

「ぐわっ!何だこのうさぎ!くそっ……」

 

毛玉うさぎが暴れてるせいか、犯人の方も暴れられないでいる。

なんだかよくわからんが、ナイスだ毛玉!

よし、今のうちに電話を……。

 

「おや、こんな所にいたんですか。探しましたよ」

 

すると突然、女の声がした。

一瞬その声を聞いてココアかと思い顔を上げてみたのだが、そこにいたのはココアではなかった。

 

「お前……友利!?なんでここに!?」

 

「どうも、お久しぶりです。なんでと言われると、以前そちらのお店で見かけたうさぎがいたので、届けてあげようと思ってうさぎの後を付いて行ったら、ここに導かれたので」

 

友利奈緒───星ノ海学園の生徒会長。

能力者を保護する活動をしており、それで以前僕に接触してきた女だ。

というか、僕が聞きたいのはそういうことではなく、どうしてまたこの街に……?

いや、それよりも今は警察だ。

この女の相手をしてる暇はない。

 

「悪いが用があるなら後にしてくれ。今はそれどころじゃない」

 

「いえ、今回は貴方に用があって来た訳じゃありません」

 

「なに!?」

 

僕に用がないだと?

なら一体こいつは何しに……。

 

「まぁ、ですが貴方にもたった今用ができました」

 

「……どういう意味だ?」

 

「単刀直入に言いましょう。今貴方が取り押さえているその男をこちらに引き渡してください」

 

「なに!?」

 

「その男は特殊能力者です。他人の自分に関する記憶を消せる能力を彼は保有しています。もっとも、一度能力を使った相手には効かないようですが……。ですので、彼を我々の学園で保護します」

 

つまり、今回友利はこの男を保護しにこの街に来たというわけか。

不完全な能力から察するに、この強盗犯はリゼの言う汚染系の能力者などではなく、初めから僕の見立て通り、僕や友利と同じタイプの能力者だったみたいだな。

だから僕同様、この男も友利たち星ノ海学園の保護対象であり、保護しに来たということか。

しかし、今回に限っては大人しく「はいそうですか」と引き下がるつもりはない。

 

「断る!こいつは犯罪者だぞ!こんな奴を保護する必要がどこにある!科学者に捕まろうがどうなろうが、こいつの自業自得じゃないか!」

 

そう、こいつは今まで色んな店を襲って金を巻き上げた正真正銘のクズ野郎だ。

こいつのせいで酷い目にあった人間がどれだけいると思う。

こんな奴を守る必要がどこにあるというんだ。

すると友利は少し目を細め、冷ややかな声で言う。

 

「それを貴方が言うんですか。元カンニング魔である貴方が」

 

その言葉に有宇は動揺する。

 

「それは……」

 

何も言い返せなかった。

法に違反していないとはいえ、カンニングだって褒められた行為じゃない。

考えてみればこの男と僕とでは、行った行為の程度の差があるだけで、能力を悪用したと言う意味では僕もこいつも同じ悪人なのだから。

有宇が黙り込んでしまうと、友利も有宇が何を考えてるのかを察した様で、有宇の意見を踏まえた上で話を続ける。

 

「まぁ、確かに貴方の言う通り彼は犯罪者です。本来であれば警察に捕まって然るべき罰を受けるのが当然です。ですが、彼がこのまま捕まってしまうと、彼は科学者の実験体にされてしまいます。そうなると、彼は不当に重い罰を受けてしまうことになります。ですので、我々は彼を保護しなくてはならないんです」

 

この男がこのまま捕まれば、この男は本来受ける刑罰より重い罰を受けることになるということか。

科学者に捕まればほぼ死刑みたいなもんだろうし、重い罰といえなくもないだろう。

つまり、本来受けるであろう刑罰ではなく、化学者による人体実験という不当な裁きを受けさせないよう、その為に友利達はこの男を保護するというのだ。

納得はできないが、僕自身も同じ立場の人間として否定することは出来なかった。

 

「勿論彼にはうちに来た後、特別な更生プログラムを受けてもらいます。自由も他の生徒より制限されることになります。ですので、彼の身柄をどうか我々に預けてはくれませんかね?」

 

「……わかったよ。お前らに任せる」

 

そして有宇は男から手を離し、男の体から退いた。

男はあまりよくわかっていない様子だが、逃げれると思ったのか、そのまま立ち上がり笑顔を浮かべていた。

正直悔しい……。

僕達の苦労を踏みにじろうとしたこの男を捕まえられないなんて……。

 

「クソッ……能力を使う危険まで犯して捕まえたというのに……」

 

すると、それを聞いた友利は深刻そうな表情を浮かべる。

 

「今なんて……?能力を使ったんですか!?」

 

しまった、そういえば能力を使わないよう厳命されていたんだった。

つい悔しさのあまり、吐露してしまった……。

だがあの状況は危機的状況ともいえる状況だったし、仕方ないだろう。

 

「あぁ、そうだよ。お前との約束を破ってこいつに乗り移った。でも仕方なかっただろ?ナイフ向けられてたし……あのままじゃ下手すりゃ僕の命も危なかったし……だから……」

 

「そうですか……」

 

すると友利は有宇の言い訳に対して怒るでもなく、何かを考え始めた。

そして強盗犯の方を一瞥すると、男を有宇の方に軽く突き飛ばした。

 

「何しやがる!てめぇ、俺を守ってくれるんじゃなかったのか!」

 

「事情が変わりました。貴方を保護する必要はもうなくなりました。ですので、大人しく警察に投降してください」

 

「は!?どういうことだよ!なぁ、おい!」

 

「それでは乙坂さん、あとは頼みます」

 

「え?」

 

なんだ突然?

警察に突き出していいのか?

すると強盗犯は激昂した。

 

「ふ……ふざけんなぁ!この女ぁ!」

 

男は背を向けた友利に襲いかかる。

 

「危ない!」

 

すると友利は横にすっと避けた。

だがそれぐらいじゃ犯人の攻撃はかわせないはず!

するとどうしたことか、男の拳は友利ではなく、友利が元いた場所の空を切った。

外した!?でも何故!?

すると友利は男の腹を思いっ切り回し蹴りした。

 

「ガハッ!」

 

そして最後に男の顎を思い切り蹴り上げた。

 

「グッ……!」

 

そして男は地面に突っ伏して倒れた。

すげぇ……こいつ強いな……。

にしてもなんで男は一方的に友利に殴られていたんだろう。

さっきのパンチだって、別にそんな急に友利が避けたわけじゃなかったし、当てようと思えば当てられたはずだが……。

そこで有宇は思い出す。

そうか……透明化か。

友利の能力は一人の対象から見えなくなる能力。

つまり、男には友利が殴る直前から見えておらず、第三者である僕からは見えていたということか。

有宇が感心していると、友利が声をかけてくる。

 

「それでは乙坂さん、後は任せます」

 

「あ、あぁ……」

 

そして友利はそのまま立ち去ってしまった。

一体何なんだったんだあいつは……。

 

 

 

 

 

友利が立ち去った後、僕は警察に電話し、縛るものもなかったので、男を取り押さえた状態で毛玉うさぎと警察が来るまで待機していた。

するとその間、男が嗚咽を漏らしていた。

 

「クソッ……俺はただ……この特別な力を利用して何か出来ないかと思っただけなのに……!」

 

それを聞いてなんともいえない気持ちになった。

僕も同じだった。

僕も最初、この身に宿った力を何かに利用できないかと思い色々と模索した。

当然それは他人のためなどではなく自分のため。

そしてそれらは到底褒められた使い方じゃなかった。

カンニングに使う前は女の下着を覗いたり、ムカついた奴に乗り移って憂さ晴らしをしたり……どれも碌な使い道じゃない。

もし、僕に宿った力が五秒しか乗り移れないこんなしょぼい能力じゃなく、この男みたいに犯罪に使える力だったら……間違いなく僕は犯罪に手を染めていただろう。

そして僕もこの男のように……最後は誰かに取り押さえられながら泣くことになっていたのかもしれない────

 

 

 

 

 

数分後、警察が駆けつけ男の身柄を引き渡した。

にしてもこれで、こいつは科学者のモルモットになるのか……。

そう考えると自業自得とはいえ、流石に可哀想になってきたな。

かといって僕には何もできないし……。

友利は何故、急に男を保護するのをやめたんだろうか……?

それから警察に事情聴取され、事件が起きたときはまだ昼だったのに、警察から解放された頃にはもう日が暮れていた。

そしてラビットハウスに帰るため毛玉うさぎを抱えながら歩いていると、ポストの前でココアと出会った。

 

「あ、有宇くん!無事だったんだね!ティッピーも無事みたいで良かったよ!」

 

「あぁ……まぁな。お前は何してんだ?」

 

「有宇くん警察で事情聴取されてるっていうから、代わりに買い物。あとついでにお姉ちゃんに手紙出してたの。有宇くんがやって来てからそういえばまだ一度も出してなかったなって思って」

 

「……そうか」

 

「あれ?なんか元気ない?」

 

「いや、何でもない……」

 

「そう?なんかあったら言ってね。お姉ちゃん相談に乗るから」

 

「……あぁ」

 

気持ちはありがたいが、相談は出来ない。

ココアには、能力のことは話せないから……。

 

「よし、じゃあ帰ろっか!みんな有宇くんのこと待ってるよ!」

 

そしてココアと共にラビットハウスへ帰ることとなった。

 

 

 

 

 

店に帰ると、チノとリゼが出迎えてくれた。

 

「おっ、噂をすれば、おかえり有宇!」

 

「お兄さん、お帰りなさい」

 

「……あぁ、ただいま」

 

そして店には何故かチノとリゼだけでなく、千夜とシャロ、マヤとメグもいた。

 

「お帰りなさい、有宇くん凄いわね〜」

 

「本当、強盗を捕まえるなんて大したものね」

 

「さっすが有宇にぃ!有宇にぃの催眠術は本物だね!」

 

「私もお兄さんの活躍見てみたかったな〜」

 

どうやらみんな強盗に入られたことを聞いてやって来たみたいだな。

そしてみんな、強盗を捕まえた僕のことを賞賛してくれていた。

そして一緒に帰ってきたココアも言う。

 

「本当有宇くんは凄いね!やっぱお姉ちゃんの自慢の弟だよ!」

 

「ココアさんも少しは自慢できる姉になってください」

 

「ガーン!あ、でもお姉ちゃんとしては見てくれてるんだね♪」

 

「ち、違います……!別にそんなんじゃありません!」

 

「もう、照れなくていいのに〜」

 

するとみんながココアとチノの様子を見て笑い声を上げる。

いつもの日常、いつものラビットハウス……もし能力を使わなかったらここを守ることは出来なかっただろう。

だから能力を使ったことに対して後悔は特にない。

けど、僕はたまたまあの強盗犯のように犯罪に使える能力じゃなかったから、ただのチンケなカンニング魔程度で留まっている。

もし僕があの強盗犯と同じ力を持っていたら、ここに押し入ってきたのはあの男じゃなくて僕だったかもしれない。

そう考えたら、そんな僕がこいつらから賞賛されてもいいのかという違和感を感じざるには得なかった。

 

「有宇くん……?どうしたの?」

 

「……なんでもない。ちょっと部屋で休む」

 

そして有宇は一人、自分の部屋へと戻っていった。

 

 

 

 

 

夜、風呂を終えた僕はバルコニーに来ていた。

今日はなんだかあいつらも気を使ってくれたらしく、いつも風呂は僕が最後なのだが、今日は先に風呂に入らせてくれた。

あいつらなりに僕を気遣ってくれたのだろうか……。

 

『なんじゃ、何か悩み事か?』

 

「えっ……」

 

声がして振り返ると誰もいない。

今のは確かチノの腹話術の声だったはずだが……。

 

『こっちじゃこっち、下じゃ下』

 

そして声の言う通りに下を向くと、そこにいたのはうちで飼ってる毛玉うさぎだった。

 

『ようやく気づいたか』

 

「うわぁっ!!」

 

思わず驚いて腰を抜かしてしまう。

ていうか今……。

 

「しゃ……喋った?」

 

『驚くことでもないじゃろ。お主、大分前からワシを怪しんでおったではないか』

 

それは確かにそうだが……。

あのチノからあんな渋い声が出るなんて不自然だし、それに独り言も多かった。

だから怪しいと思ったことは何度もあるが、でもまさか本当にうさぎが喋るなんて思わないだろ普通。

 

「お前……毛玉なのか?」

 

『うむ、じゃがワシがティッピーかといえばそうではないがの』

 

そういえば毛玉って確かメスだもんな。

メスなのにジジイの声してるのは変だよな。

 

「じゃあ、お前は一体……」

 

『ワシはチノの祖父じゃ。この店のマスターじゃよ』

 

チノの祖父!?

チノの祖父ってことはつまり、この店を建てた先代マスターだよな……。

でもチノの祖父って確かココアが来る一年前……つまり僕が来る二年前に亡くなったはずだが……。

 

『それよりお主、悩みがあるようじゃの。ワシでよければ相談に乗ってやろう』

 

「えっ!?えっと……じゃあ」

 

そして何故か有宇は自分の悩みを毛玉うさぎに話していた。

 

 

 

 

 

「僕には……その、タカヒロさんと同じような特殊な力がある。視認した相手に五秒間乗り移れる力が。僕はその力を使って過去にカンニングを繰り返した」

 

『なるほど、お主がカンニングの方法を企業秘密だとか言ってたのはそういうことじゃったか』

 

「あぁ……。それでアンタも今日見てたならわかるだろうが、あの強盗犯にも特殊な力があった。その力を使って自分に関する記憶を消していたようだ。だから……もし僕に宿った力があの強盗犯と同じだったら、僕も同じことをしただろうって。そう考えたら、そんな僕があいつらに賞賛されるような立場じゃないだろって思って……」

 

『なるほどのぉ……お主なりに過去の過ちを反省してるといったところか。それはとてもいいことじゃ。しかしなぁ小僧、お主がどんなに反省しようとも、お主の罪が完全に償われる日なんぞ来やせんぞ』

 

「えっ……?」

 

『そもそもお主のカンニングなどの行為で被害を被った人間なんて何人いると思っとる。お主はその全てに頭でも下げに行く気か?』

 

「いや……それは……」

 

そんな事できない。

一番迷惑をかけたであろう白柳さんとかには、いずれ話し合わなければならない日が来るかもしれない。

けど、正直僕ですら把握できてないような被害者だっているはずだ。

それこそ以前タカヒロさんが言ったように、僕が陽野森の合格枠を取ったことで落ちた受験生やら、受験の関係者、カンニングをする為に乗り移った人間……それら全ての人間に頭を下げるなんてことはできない。

 

『ちょっとした悪事であってもなぁ小僧、それで実際に迷惑する人間はお主の思っとる以上にいる時だってあるんじゃ。じゃから、お主自身の中で折り合いを付けて、反省していかねばならん』

 

「けど、そんなのただ開き直ってるだけじゃないか!僕は、もうそういうのは……」

 

『開き直って何が悪い。それこそ、過去ばかりに固執し、前に進めぬ方がワシは問題だと思うんじゃがのぉ』

 

「けど……」

 

『ワシは別に、お主が犯した罪を忘れろとは言っておらん。ただお主が本当に心から十分反省し、同じ過ちを繰り返さぬとお主自身に誓えるなら、もう気にする必要はないというておる。過去に囚われずに自信を持て。そして好きなだけカッコつけていけばよい。男がプライドを失ったらお終いじゃぞ?お主はそういうのは得意のはずじゃが』

 

「得意って……そりゃ僕はカッコイイしイケてると思うが……それとこれとは……」

 

『少なくともワシも、そしてチノ達も、お主がまた同じ過ちを犯すなどとは思っておらん。お主は、また自分が同じ事をしない自信がないのか?』

 

「そんな事はない!もう……あんな事はしない……」

 

カンニングがバレてから本当に酷い目にあった。

今まで築き上げてきた信頼は崩れ、歩未と離れ離れになり、家すらも失い……運良く居候先が見つかったとはいえ、もうあんな事になるのはゴメンだ。

 

『なら胸を張れ!いつまでも過去の過ちやもしもの事なんぞにうじうじするでない鬱陶しい!だから、あの娘達の信頼を素直に受け取ってやらんか』

 

「……あぁ」

 

気に……し過ぎていたのか、僕は。

そうだな……僕らしくもない。

シャロにも言われたじゃないか、僕から自信を取り除いたら何が残るんだって。

勿論、僕がしてきた事と向き合わなければならない場面はこれから先もあるだろう。

でもそれで不安になって、周りに心配かけるようじゃ本末転倒というものだろう。

なら、今は少し開き直らせて貰おうか……。

 

「えっと……ありがとう、爺さん」

 

『なに、年寄りのお節介じゃ。気にするでない』

 

そういや青山さんも昔、この爺さんに相談に乗ってもらったりしてたんだっけ。

今まで聞いた話からだと、へんつくなジジイとしか思っていなかったけど、今なら青山さんがこの爺さんを慕う気持ちもわからんでもない。

 

『それより小僧、ちょっと聞きたいんじゃが』

 

「なんだ?」

 

『……あの星ノ海学園とはなんじゃ。お主はあ奴らとどういう関係じゃ』

 

「……なるほど、初めからそれを聞きたかったってわけか」

 

『で、どうなんじゃ?』

 

今日爺さんには友利とのやり取りを見られている。

あのやり取りで能力者に関わる組織というのはわかってるだろう。

そして爺さんは、かつて自分の息子───タカヒロさんを同じ能力者の組織、ガーディアンに徴兵されたことがある。

だからもし星ノ海学園がガーディアンと同じような組織で、僕がそこの人間だったら、今の生活が壊れることになると思ったのだろう。

そうなればココアやチノにも危険が及ぶと思ったから。だから今になって秘密を明かすことを覚悟して僕に接触してきたのだろう。

まぁ、だがおそらくここは素直に話してもいいだろう。

この人は少なくともガーディアンの味方ではないはずだから。

 

「あいつらは能力者を保護する組織なんだ。それでずっと前に僕に接触してきた。別に怪しい組織じゃない。僕も全容を知ってるわけじゃないが、少なくともガーディアンのような営利組織ではないはずだ」

 

そう簡単には信じえもらえないか……?と思ったが、爺さんはこう答えた。

 

『ふむ……そうか。まぁ、そういうことならいいじゃろ』

 

意外にも案外素直に信じてくれた。

わざわざ正体明かしてまで聞いてくるぐらいだからもう少し用心深いものかと思ってたんだが……。

 

「信じるのか?」

 

『今のお主が嘘をつくとは思えぬ。それにワシもあの場にいたしのぅ。あの友利とかいう小娘が能力者を保護するというのはちゃんと聞いていた。だが万が一のために一応お主に聞いてみただけじゃ』

 

あぁ、そりゃそうか。

あの場にいたなら、あの強盗犯を保護する云々の話も聞いていたわけダモンな。

なんにせよ、疑われないに超したことはない。

信じてもらえたならそれでいいか。

 

『にしてもお主、あまりガーディアンの名を口に出すんではないぞ。あ奴らはお主の思っとる以上に危険な連中じゃ……』

 

「あぁ、そんなのわかって……しまった!」

 

そうだ、盗聴器!

確かこの店に仕掛けられてるとかなんとか。

不味い!普通に能力のこととか話してしまった!

 

『盗聴器の心配ならいらんぞ。あんな物、もうとっくに外されておる』

 

「えっ?いやでもリゼが……」

 

『やはりリゼから情報を得ていたか……まぁよい。で、盗聴器のことじゃが、あれはタカヒロが組織を抜けてから数年で監視が解けて外されておる。じゃから安心せい』

 

「そうだったのか?でもならなんでリゼは……」

 

『天々座の小僧がそのうちこの店でリゼを働かせたいと言うてのぉ。それで、娘が心配じゃから店部分の盗聴器を一つ残してあるんじゃ。その一つもリゼのいるバイト時間の間しか作動せん。ほんと、親バカじゃのぅ』

 

あぁ、それでリゼの親父は娘にバレないように、まだタカヒロさんの監視が続いてることにしてるのか。

なんだよ、心配して損した……。

そして、今度は有宇の方からチノの祖父に聞きたいことを聞いてみることにした。

 

「なぁ、爺さんはなんでうさぎになったんだ?」

 

一番気になるところである。

何がどうなったらうさぎなんかになるのだろう。

それに、チノの爺さんは確か亡くなったはず……。

さっきは聞きそびれたが、やはり気になる。

 

『うむ、といってものぉ……ワシにもわからんのじゃよ。ワシは確かに二年前、病院のベッドの上で死んだはずじゃ。しかし、目が覚めたらワシはうちで飼っておったうさぎのティッピーになっていたんじゃ。じゃから、ワシがなぜこうなったかは誰にもわからないんじゃ』

 

「じゃあ爺さんは幽霊みたいなものなのか?」

 

『そうじゃのぅ、死者であることには変わりないからそうなるじゃろうな』

 

幽霊か……。

にわかに信じ難いが、現に能力者なんてもんが存在してるぐらいだしな……それにこうして目の前でうさぎが喋ってるんだ。

信じるしかあるまい。

 

『それじゃあそろそろチノ達も風呂から上がることじゃろうし、ワシは戻る』

 

そういってうさぎの爺さんはバルコニーからぴょこぴょこと飛び跳ねながら出ていった。

すると最後にこちらにくるりと振り返った。

 

『あ、そうじゃ小僧!お主の使ってる部屋じゃが、あそこは元々ワシの部屋じゃ。今は特別に使わせてやるが、部屋を汚したり、部屋のもんを勝手に捨てたりしたら許さんぞ!』

 

「するか!いいからもう行けよ」

 

『ふん』

 

そして今度こそ、うさぎの爺さんはバルコニーから姿を消した。

するとその時、ポケットの携帯が鳴る。

そういえば、元々日に一回の歩未への電話をするためにここに来てたんだった。

 

「もしもし」

 

『もしもし有宇お兄ちゃん!あゆなのです〜!』

 

「歩未か、元気そうだな」

 

『これぐらい普通なのです!それより有宇お兄ちゃん、そっちはなにかありましたでしょうか?』

 

「あ……えっと、歩未の方はどうだ?」

 

『あゆの方はお変わりなく!あともうちょっとで夏休みなのが楽しみなぐらいです!』

 

「そうか……もう夏休みか……」

 

自分がもう学生ではないせいか、その響きが懐かしく感じた。

 

『それで、有宇お兄ちゃんは今日は何かありましたでしょうか?』

 

「ん?えっとそうだな……強盗に入られた?」

 

『え!?それは大分ショッキングな出来事なのです!』

 

しまった、つい本当のことを言ってしまった。

 

「えっと……安心しろ、リゼがCQCで瞬殺したから」

 

本当のことを言うわけにもいかず、それっぽい言い訳をする。

すまんリゼ!

 

『それって前言ってた軍人さん?それは凄いのです〜!』

 

「あぁ、まぁだからこっちは心配いらないから」

 

『そうなのですか。それで、結局強盗さんの特殊な力は見れたのでしょうか?』

 

そういや昨日、話の話題が特になかったから強盗のこと話したんだっけか。

実際本当に能力者ではあったが、これもまた本当のことは言えないし……。

 

「えっと……特にそういうのはなかったよ」

 

『そうでしたか。やっぱそんなスピリチュアルな事なんて起きないよね〜』

 

すると有宇はクスッと軽く微笑む。

 

『どうしたのです有宇お兄ちゃん?』

 

「いや、なんでもない」

 

歩未、お前が思ってる以上にずっと、世の中はスピリチュアルな事だらけなんだぞ……。

 

 

 

 

 

次の日、強盗に入られた翌日ではあったが、店は通常通り開店した。

すると驚いたのがそのお客の数だ。

 

「なんか今日は忙しいな」

 

「みんな強盗を捕まえた噂を聞きつけて来たみたいだね〜」

 

「なんにしても、お客さんがいっぱいいるのはいい事です」

 

「あぁ、そうだな」

 

まさかこんな効果を生むことになるとはな……。

強盗退治もやってみるもんだ。

 

「それより有宇くん、なんか昨日は元気なかったけど大丈夫?」

 

ココアが昨日の事を聞いてくる。

 

「あぁ、大丈夫だ。単に疲れただけだ」

 

有宇がそういうと、ココアはニコッと笑みを浮かべる。

 

「そっか、それなら良かったよ」

 

それから四人で忙しい一日を乗り切った。

 

 

 

 

 

営業終了後、店を出るリゼを呼び止める。

 

「リゼ、ちょっといいか?」

 

「なんだ?」

 

「ちょっと話があるんだが……」

 

有宇のただならぬ雰囲気を感じたリゼは、それを承諾した。

そして外の近くのベンチで二人で座る。

 

「あのさ……その……結局強盗の男はどうなったんだ?」

 

昨日からあの男の安否が気になっていた。

あの男が捕まるのは自業自得だが、もし科学者に捕まってモルモットにされるようなことがあるなら流石に後味が悪い。

するとリゼは驚きの答えを返す。

 

「それがな、おかしな事にあの男は能力者じゃなかったんだよ」

 

「えっ……?」

 

そんな馬鹿な……!

確かにあいつが能力を使うところは見てないが、友利だってあいつは能力者と言っていたし、能力者でないはずがない。

 

「男が捕まった後、親父達が警察に手を回して男を色々と検査したんだが、能力者らしい証拠は何も出なかったらしい。他に能力者の協力者がいた可能性も考えて男を嘘発見器にかけて調べたが、その線もないとのことだ。結局、今までの超常現象は全て偶然によるものということで片付けられたんだ。なんか納得行かないよな」

 

そんな馬鹿な……。

確かにあいつは能力者のはずなんだ。

能力が消えた?いや、そんなはずはない!

結局何故あの男から能力が消えたのか……それはわからないまま、有宇の中に後味の悪さだけが残った。



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第27話、 arbitration of sister

 木組みの家と石畳の街───この平和な街で一人、血相を変え、ある場所を目指す女性がいた。

 

「前回来たときは寄り道しちゃったけど、今日はそんな事してる場合じゃないもんね」

 

 そんなことを言いながらも、道を歩くうさぎに思わず手が伸びる。

 

「わぁ!うさぎだ〜!もふもふ〜」

 

 そして目的も忘れてうさぎを小一時間モフり続ける。

 

「はっ!しまった!ついつい寄り道を……急がないと!」

 

 再び気を取り直して歩き続けて、目的の場所までたどり着く。

 そこはうさぎの看板がトレードマークの喫茶店、ラビットハウス。彼女はその店の前に立っていた。

 

「あれからまだ四ヶ月ぐらいしか経ってないんだよね……でも、あんな手紙が来たら、流石に行かずにはいられないもの。ココアに男の子なんて絶対まだ早いんだから」

 

 そしてバッグからココアからの手紙、そしてそれに同封された写真を取り出す。その写真には一人の少年が写っている。

 

「さぁ、ココアに相応しい男の子か確かめさせてもらうわ。乙坂有宇くん」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 事の発端は数日前の事だった。

 ここニヶ月、遠い街の学校に通うため家を出て別の街に住んでいる妹、ココアからの手紙が全く来ていないため、実家のパン屋で働く姉、モカは不安でいっぱいだった。向こうで何かあったんじゃないかと気が気でなく、不安な日々が続いた。

 そして数日前、待ち焦がれたココアからの手紙が届いたときは本当に心の底から安心し、大いに喜んだ。そしてモカは届いた手紙を早速読むことにした。

 

 

 

 ────

 

 お姉ちゃんへ

 

 お姉ちゃん、元気にやっていますか。

 私はチノちゃんと元気にやってます。

 このニヶ月、色々忙しくて手紙を書く暇がなくて、遅くなっちゃった。

 心配かけちゃったらゴメンね。

 

 ────

 

 

 

 もう、別にいいのに〜。ココアが元気にやってるならお姉ちゃん、いくらでも待つよ〜。

 デレデレにやけながら、モカはすっかり機嫌を良くする。

 しかし手紙はまだ続いている。

 

 

 

 ────

 

 そうそう、お姉ちゃん聞いて!

 なんとね、うちに新しい家族が増えました!

 

 ────

 

 

 

 新しい家族?

 ペットとかかな?とするとやっぱりうさぎ?

 それとも新しいお友達が増えたってことかな?

 でもホームステイの子が増えるなんてタカヒロさんから聞いてないけどなぁ……。

 モカは手紙の続きに目を通す。

 

 

 

 ────

 

 その子の名前はね、乙坂有宇くん。

 ちょっと色々事情があって、私と同じくラビットハウスで住み込みで働くことになったの。

 時々意地悪なところはあるけどすっごく優しい男の子で、ちょっぴり手のかかる弟みたいな感じかな?

 私、弟なんてできるの初めてで、すっごく嬉しいんだ!

 チノちゃんと有宇くんの二人のお姉ちゃんになれるよう、私も頑張っていこうかなって思ってます。

 それじゃまた次の手紙でね。バイバイお姉ちゃん。

 

 ココアより

 

 あとPS、強盗に入られたけどなんとかなったよ〜

 

 ────

 

 

 

 ピシッ

 

 モカの心の中で何かが崩れそうな音がした。

 

 えっ?男の子?ココアに?

 嘘でしょ!?ていうか強盗ってどういうこと!?

 我が妹ながらツッコみどころが多すぎて……ていうか男の子と同棲!?

 そりゃ一応タカヒロさんもいるけど、でもだからって男の子と同棲なんて……。

 それにココアって姉の私が言うのもあれだけど結構可愛いし……もしその男の子になんかされたりしたら……。

 だがモカはそこで一度冷静になる。

 でも待って、この男の子が同年代の子とは限らないわ。

 弟なんていうぐらいだし、きっとチノちゃんの親戚とかの幼い男の子を預かってるとかそういうのに決まってる!

 モカがそう自分に言い聞かせて納得することにすると、手紙からヒラヒラと写真が落ちる。

 それを拾い上げて見てみると、凄い顔立ちの整った少年の横顔が写っていた。

 あら、カッコイイ男の子。雑誌の写真と同封する写真を間違えたのかしらあの子?

 しかしその男の子の写真の裏にこう書いてあった。

 

 

 

 ────

 

 この子が有宇くんだよ。中々写真撮らせて貰えなくて撮るの大変だったよ。

 

 ────

 

 

 

 ガラガラドッシャーン!

 

 モカの心の中で今、完璧に何かが崩れ落ちた。

 

 えっ……この子が有宇くんなの!?

 もっとこう……幼い感じの男の子じゃなくて???

 

 モカの不安はより一層強くなった。

 弟なんていってるけど、もしかしたらココア、この有宇くんって子を好きになっちゃったりして……。少なくとも外見はカッコイイしあり得なくはないよね……。それとも、もう付き合っちゃってたりとかしてるのかな……。

 お姉ちゃんが妹の恋路をどうこう言うのは野暮かもしれないけど、でもこの手紙からじゃ有宇くんがどんな子かわからないし……。

 それ抜きにしても男の子と一緒なのは、やっぱりお姉ちゃんとしても不安が残るし……。

 

 そしてモカは決めた───もう一度ラビットハウスに行こうと。

 それで有宇くん、君がココアに相応しい男の子かどうか確かめないと……!

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 そういう経緯があって、ココアの姉、モカは数カ月ぶりにラビットハウスにやって来たのだ。

 それじゃあ早速お手並み拝見!

 そしてラビットハウスに入っていった。

 

「いらっしゃいませ、一名様でよろしいでしょうか?」

 

「は、はい……」

 

「畏まりました。お席へご案内します」

 

 入って早々、例の少年、乙坂有宇が出迎えてくれた。

 この子が有宇くんね。うん、中々礼儀正しいていい子そうじゃない。だけど、まだ決断には早いわ。

 そしてモカは有宇に案内されるがまま席に座る。

 それから辺りを見回してみるが、ココア達はいないようだった。

 

(チノちゃんもリゼちゃんもいない……まだみんな学校かな?)

 

 時間は11時ちょっと過ぎ、もうすぐ夏休みだろうから授業はないと思うけど、まだ帰ってくる時間じゃないか。

 それからメニューを眺めると、前回来たときよりメニューが増えてることに気が付く。

 フロートなんて始めたんだ。そっか、もう夏だもんね。でもこの抹茶ラテはなに?甘兎庵とコラボって書いてあるけど、甘兎庵って千夜ちゃんのところのお店だよね?いつの間に?

 取り敢えず以前同様オリジナルブレンドとココア特性厚切りトーストを頼もうとモカは有宇を呼んだ。

 

「すみません、このココア特製厚切りトーストとオリジナルブレンド下さい」

 

「畏まりました」

 

 そして有宇くんはキッチンへ行くと、無駄のない動きでサイフォンの準備に取り掛かる。

 チノちゃんのコーヒーは美味しかったけど、彼のコーヒーはどうなのかな?

 そして数分後、コーヒーとトーストが出来上がる。

 

「お待たせいたしました。ココア特製厚切りトーストとオリジナルブレンドです」

 

 机にトーストを乗せた皿とコーヒーをモカの前に置くと、「ごゆっくりどうぞ」と言い残し、有宇はキッチンへと戻っていく。

 まずはコーヒーに口をつける。

 うん、美味しい!彼もなかなかのバリスタだね〜。

 私もコーヒー淹れる練習してるけど、全然上手くいかないからなんか羨ましいな〜。

 そしてトーストの方も、前よりモチモチしてて美味しかった。ココアの方も成長してるようで関心関心。

 それからしばらくして、杖を持ち、弱々しく歩く一人のお婆さんが入店して来た。

 

「いらっしゃいませ……あっ中村さん、今日もいらしてくれたんですね」

 

「ええ、この時間は空いてるし、それに有宇くんの淹れるコーヒーは美味しいからねぇ」

 

「ありがとうございます。それではお席にご案内します。お手をどうぞ」

 

「いつもありがとね」

 

 そしてさり気なく有宇くんはお婆さんの手を引いて席まで案内してあげていた。

 

(おお、結構ジェントルマンなんだね……!)

 

 そしてお婆さんが席につくと、笑顔を絶やさず声をかける。

 

「ご注文はいつものでしょうか?最近うち、フロートとかも始めてみたんですが、試しにどうでしょうか?」

 

 おおっ、さり気なく新商品を勧めてる。なかなか手慣れてるね。

 

「そうねぇ、うーんでも冷たいものは歯にしみるしね……ごめんなさい、いつものでお願いするわ」

 

「畏まりました」

 

 勧めた新商品を断られたものの、彼はニコッとお婆さんに再び笑いかけるとキッチンへ戻り、私に淹れた時同様、無駄のない動きでコーヒーを淹れ始める。

 そして出来たコーヒーをお婆さんの元まで運ぶ。

 

「お待たせしました。オリジナルブレンドです」

 

「まぁ、いつもありがとね」

 

「どういたしまして」

 

 そしてそのまま、キッチンに戻るのかと思ったら、お婆さんと談笑をし始める。

 お婆さんは有宇くんと楽しそうに喋っていた。話の内容自体は聞いてる感じ、他愛無い世間話やお婆さんの息子や孫のこと、最近はまってることとかみたい。

 そして有宇くんの方はというと嫌な顔一つせず、上手く相槌を打ちながらお婆さんの話を聞いてあげていた。

 やっぱり私が気にし過ぎただけかな……。

 

 

 

 それからもモカは有宇をしばらく観察していた。

 さっきのお婆さんみたいに話したがりの人には話し相手になってあげたり、逆にサラリーマン風の寡黙そうな人が来たときには静かに対応したり、子連れのお客さんにはお客さんに言われる前に哺乳瓶を煮沸消毒し、更に人肌の温度のお湯を入れてあげるなど、有宇くんはお客さん一人一人の身になった接客をしていた。

 きっと彼はお客さんがどうしたら快適に楽しめるか、それを知っているんだと思う。だからこそ一人一人のお客さんに最善の対応ができるのかもしれない。

 でも実際、方法を知っていてもそれを実際に現場で使うのは簡単じゃない。私も今でこそお客さんの対応は慣れてるけど、昔は失敗も多かった。でも彼は、ここに来て僅かニヶ月程の期間でお客さん一人一人に対応した接客を修得している。

 それというのも多分、お客さんを大事にしようとする彼の思いやりが成せることなんだろうな。

 ここまで見せつけられちゃったらもう認めるしかないよね……。

 こんな完璧な接客ができる子なんだもん。彼ならきっとココアのことも……。

 

「たっだいま〜」

 

「ただいまです」

 

 モカがそう思い始めたその時、ココアとチノが帰ってきた。

 

「お帰り。二人一緒だったんだな」

 

「うん、帰りにチノちゃん達と会ったから一緒に帰ってきたの」

 

「はい。まぁココアさんの方も終業式でしたし、帰る時間が丁度重なりました」

 

 そっか、ココア達は今日終業式なんだ。

 じゃあ明日から夏休みか〜楽しそうでいいね〜。

 

「まぁいいや、それよりさっさと着替えてきてくれ。僕はまだ昼も食べてないんだ」

 

 そういえばもう一時になるけど、有宇くんお昼休憩してなかったね。

 あれ?ていうか口調がさっきと違うような……。

 

「はーい……ってお姉ちゃん!?」

 

「モカさん!?いらしてたんですか!?」

 

 すると、ようやく二人が私に気づいたみたい。

 

「やっほ〜ココア、チノちゃん、久しぶりだね」

 

「お姉ちゃん?」

 

 有宇はそう言って首を傾げる。

 そんな有宇に、ココアがモカの事を紹介する。

 

「うん、前に話したでしょ?うちの実家のパン屋で働いてる私のお姉ちゃん」

 

「あぁ、そういや言ってたな。そうか、さっきからやけに見られてたと思ったが、この人がココアの姉か……」

 

 有宇がそう言ってモカの方を見る。

 私もちゃんと挨拶しないとね。

 

「初めまして。確か乙坂有宇くんだったよね。ココアから聞いてるよ。ココアの姉のモカです。よろしくね」

 

「いえ、こちらこそよろしくお願いします。えっと……」

 

「モカでいいよ。あ、モカお姉ちゃんでもいいからね」

 

「それじゃあモカさんで」

 

 ありゃ、お姉ちゃん呼びは恥ずかしいのかな?結構シャイなのかも。

 

「それよりお姉ちゃん、今日はどうして突然来たの?」

 

「だってあんたの手紙に男の子と一緒に暮らすって書いてあったから、心配になっちゃって。でも今日見た感じだと一安心かな?有宇くん良い子そうだし」

 

「もう、心配ないのに〜」

 

 ほんと、来る前はどんな子なのか不安だったけど、あんな完璧な接客が出来る子だもん。

 今だって礼儀正しいし、私の杞憂だったかな。

 

「それよりココア、姉との再会を喜ぶのもいいがさっさと着替えて来てくれ」

 

「あ、ゴメンね。すぐ着替えてくるよ。いこ、チノちゃん」

 

 そう言うとココアはチノちゃんを連れて着替えに行ってしまった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ココアの姉……か。

 ココア達が着替えに行った後、有宇とモカの二人が店に残された。

 姉と呼ばせたがるところとかはココアっぽいが、雰囲気とかはココアと違って頼りがいがありそうだ。

 以前から聞いてた限りでも、ココアよりしっかり者らしいしが……。

 

「ねぇ有宇くん?」

 

「はい、何でしょうか」

 

 取り敢えずココアの姉とはいえ一応歳上だし、素は隠しておくか。

 

「その……さっきはココアがいて聞きづらかったんだけど、実際ココアとどういう関係だったり……?」

 

「は?」

 

「えっとその……ほら、有宇くん男の子だから一応……ね?」

 

 どういう関係って……もしかしてだが、僕とココアがデキてるとか勘違いしてるのか?

 成る程、僕が妹に相応しい男か客のふりして見定めていたってわけか。なんとまぁ姉バカなこった。本当そういうところはココアそっくりだな。

 

「別にそんなんじゃないですよ。ココアとはなんにもありません」

 

「本当に?」

 

「ええ」

 

「あんなに可愛いのに?」

 

「え、ええ……」

 

 よく普通に自分の妹を可愛いだなんて言えるな。シスコンにも程があるぞ。

 全く。ココアといい、こうはなりたくないもんだ。

 

「そっか、それはそれで腑に落ちない気もするけど、取り敢えず安心したよ。あの子、しばらく手紙全然よこさなくて、それでしばらくぶりに来たな〜と思ったら男の子と一緒に暮らすことになったとしか書いてないんだもん。心配になって思わず来ちゃったよ」

 

「そうでしたか」

 

 まぁ、僕が来た頃、リゼなんかも同じような心配してたし、わからなくはないが。

 にしてもわざわざ電車に乗って遠くから来るとは……ココアの姉根性はこの人譲りか。

 

「でも有宇くん、とってもいい子みたいだし安心したよ。あんな完璧な接客ができるんだもん。お客さんを大事にする心がなきゃ出来ない事だよね〜」

 

「えっと、それは……」

 

 あれは僕なりの処世術みたいなもので、普段から周りからいい目で見られるよう猫被ってたから、相手にどうしたら好感を持ってもらえるかなんとなくマスターしてるだけなんだが……。

 その時、店の扉が開き学校の制服姿のリゼが入って来た。

 

「すまない遅くなった」

 

「お、リゼちゃんだ。久しぶり〜」

 

「モカさん!?なんでここに!?」

 

 するとリゼは素早い動きで有宇の後ろに姿を隠す。

 

「どうしたリゼ?お前らしくもない」

 

「いいから隠れさせてくれ!こうでもしないと命までモフられる!」

 

「は?」

 

 モフられる?何を言ってんだお前は?

 するとモカは席を立ち、怪しげな手つきで有宇の後ろにいるリゼに迫る。その姿は傍目から見たら変態のようにも見える。

 

「もう、リゼちゃんはテレ屋なんだから。隠れてないで、おいで〜!」

 

 そしてモカさんがリゼに襲いかかる。

 

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 

 しかしリゼの前には有宇がいる……が、有宇はモカをさらりと避ける。そして有宇が避けたということは、当然リゼが無防備な状態となる。

 おかげで見事、リゼはモカに捕まり、そのままモカの腕の中でモフられることとなった。

 

「有宇〜!この裏切り者〜!」

 

「女同士のスキンシップを邪魔する程、僕は野暮な男じゃないんでな。僕に構わず好きにすればいい」

 

 まぁ単にモカさんの相手をするのが面倒なだけだったのだが。要は貴様らの茶番に僕を巻き込むなという話だ。

 有宇はリゼのことなど放って置いて、自分の昼食の用意を一人淡々と始めていた。

 

 

 

 数分後、ようやくリゼはモカさんから解放された。その間リゼは顔を真っ赤にして、呻き声を上げていた。……そんなに嫌だったのか?

 そしてモカから解放されたリゼは生気を吸い取られたような顔でフラフラと店の奥へと歩いていく。

 

「……それじゃあ私は着替えてくるから」

 

「お、おう……」

 

 そのままリゼは廊下の奥へと姿を消してしまった。

 やはり止めた方がよかったか。少し悪い事したか……?

 

「ふ〜、やっぱりリゼちゃんはモフり甲斐があるな〜」

 

 そしてこの人はというと、リゼに悪い事をしたという自覚すらないようだな。ある意味ココアより厄介かもしれないなこの人……。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 リゼちゃん変わってないな〜。

 でももうちょっとモフモフさせてくれてもいいんだけどな〜。

 そしてリゼが消えた後、入れ替わりで奥からココアとチノが制服に着替えて戻ってきた。

 

「お待たせ有宇くん。……なんかリゼちゃん元気なかったけど何かあった?」

 

「さぁな、それより僕はもう上がる。後は頼んだ」

 

「うん、お疲れ〜」

 

「お疲れ様です」

 

 すると有宇はモカの方を向く。

 

「それじゃあモカさん、僕は上がるのでこれで」

 

 そう言うと有宇は軽くお辞儀をする。

 

「うん、お疲れ様」

 

 やっぱり礼儀正しい子だね〜。

 心なしか接客の時と違ってココア達には砕けた口調だけど、やっぱりいい子だね。

 そしてそのまま有宇は背を向けて自分の昼食を持って廊下へと姿を消して行く。

 有宇が出ていった後、ココアがモカの机にあるカップとお皿をお盆に乗せる。

 

「お姉ちゃん、お皿とカップ下げちゃうね」

 

「ありがとっ♪」

 

 しかしその時、ココアの持つお盆がぐらりと揺れ、お盆に乗ったカップとお皿が落ちる。

 

「あ」

 

 そしてそのままガシャーン!と音を立てて、落としたカップとお皿はバラバラに割れてしまった。

 

「ココアさん……」

 

「デヘヘ、やっちゃった」

 

「ココアー!デヘヘじゃないでしょ!」

 

 すると音を聞きつけてか、廊下から有宇が戻ってきた。

 

「どうした!何があった!」

 

「ココアさんがまたやらかしました」

 

 チノがさらっと容赦なく有宇に告げ口する。

 するとその時、さっきまでの優しそうな雰囲気の彼からは考えられないような鋭い目つきでココアを睨みつけた。そしてズカズカと足音を立ててココアに迫る。次の瞬間───

 

 ポコッ

 

 思いっきりココアの頭を小突いた。

 

(ええぇぇぇぇぇ!?)

 

 あれ!?今叩いたよね!?

 私の見間違い?でも実際ココアが頭を抑えて痛そうにしてるし……。

 さっきまでの優しそうな男の子は何処へ!?

 

「割ったカップと皿は自腹で補填するように」

 

「うぅ……叩かなくたっていいのに……」

 

「アホ、この一ヶ月で何枚割ったと思ってんだ。少しは気をつけろ」

 

「はい……」

 

 どうしよ……これが今のここの日常なのかな……。

 すると奥から着替え終わったリゼが帰ってくる。

 

「なんだ、またココアが皿でも割ったのか?」

 

 丁度いいのでモカはリゼに尋ねる。

 

「リゼちゃん……あの、有宇くんがココアの頭を叩いたんだけど……?」

 

「あぁ、やっぱココアがやらかしたのか。有宇の奴、次割ったらぶん殴るって言ってたからなぁ……」

 

 さも有宇くんならやるだろうなといった風に言う。もしかして私はとんでもない勘違いをしてる……?

 モカは改めておそるおそるリゼに再び尋ねる。

 

「あのーリゼちゃん、有宇くんってもっとこう礼儀正しいくて優しい男の子だと思ってたんだけど……」

 

「あぁ、確かに接客してる時はそんなだけど、素のあいつは紳士でも何でもないからな」

 

 ええ!?じゃあ今までの全部演技だったってこと!?

 

「じゃああの完璧な接客は……?あれは演技でどうにかなるものじゃ……」

 

 すると有宇がモカ達に気付き、近づいてくる。

 

「どうしたリゼ?」

 

「あ、有宇。なんかモカさんがお前の接客の時とのギャップに混乱してるみたいでさ。お前から説明してやれよ」

 

「説明って……んなの僕の知ったことではないんだが……はぁ、仕方ない」

 

 すると仕方無さそうに有宇がモカの方を見る。しかし、そこにはさっきまでモカが抱いていたイメージの紳士な態度の彼はいなかった。

 だって私を見る目がなんていうか……ゴミでも見るかのような目なんだもん!!

 

「で、なにか?」

 

 怖い!怖いからその目やめて!

 取り敢えず改めて本人に尋ねてみよう……。

 

「えっと……有宇くん?さっきまでの紳士な対応はどこへ……?」

 

 すると有宇は「はぁ……」と溜め息を吐いてから答える。

 

「そんなもん接客スマイルに決まってるだろ。大体接客なんてみんなそんなもんだろ?シャロでもやってることだぞ」

 

「それはそうかもだけど落差が……心なしか口調変わってるし……。そ、それにあの完璧な接客対応は?あれは演技でどうにか出来るはずは……」

 

「そりゃ昔から人に良く見られる為に工夫はしてるからな。僕は顔は良いから他を良くすれば完璧だし、その為に自分をよく見せる努力ぐらいはしてるさ。ぶっちゃけ、僕に長時間話しかけてくるババアとか、五月蝿い赤ん坊やガキ連れのババアとかマジでムカつくんだよな」

 

 ええぇぇぇぇぇ!!

 じゃああれは……あの完璧な接客対応はお客様の為にじゃなくて、全部自分のため!?

 ていうか今さらっと自分のことカッコイイみたいなこと言ってなかった?ナルシストなの?

 それにお客さんのことをババアって……まさかあんな笑顔で完璧な接客をしてる裏でそんな事思ってるなんて思ってもみなかった……。

 

「あんなの接客じゃなきゃやってられないし、やる気もない。まぁ、これも僕の完璧なイメージを保つため。ついでに居候してる身だし、一応この店の為にこの僕が一肌脱いでやってるって感じだな」

 

 こ……この子……凄い悪い子だ!!

 なんていうか、まるで自分のことしか考えてない。今までココアの周りにいた子はみんな良い子だったのに、なんでまた急にこんな子が……。

 うちにも二人男の子いたけど、普通にいい子だったけどなぁ……。

 ただでさえ男の子がいることに若干の不安があったのに、なんか今その不安が現実の物になっちゃったんだけど……。

 ていうかタカヒロさん!!有宇くんには言っちゃ悪いけど、なんでこんな子を住み込みで働かせることを許したんですか!?普通こういうのってホームステイしてる子供の家族に教えるものじゃないんですか!?

 モカがそんな事を思ったその直後、タイミングよくマスターが帰ってきた。

 

「ただいま。おやモカ君、もう来ていたのかい?」

 

 するとモカは有無も言わさずマスターに詰め寄る。

 そしてその場で有宇について問い詰めた。

 

「マスター!男の子が一緒に暮らすなんて聞いてないんですけど!」

 

「おや、君達のお母さんには許可は貰ったのだが、聞いてないかい?」

 

「お母さぁぁぁん!!」

 

 知ってたなら私にも教えてよ!

 ああもう!きっとお母さん、変なところ抜けてるから言い忘れてたんだ。それに大抵のことは一秒で了承する人だしなぁ……。

 

「で、ですけど!正直有宇くん見てて私、ココアと一緒に暮らしていけると思えません!有宇くん、なんか全然良い子じゃないみたいだし、ココアのこと平気で叩いたりするみたいだし……」

 

「お姉ちゃん何言ってるの!?」

 

 するとモカの訴えを聞いて、ココアが驚く。

 これ言ったらココア怒るかもしれないけど、でもここはビシッと言わないと!

 

「ココア、これは姉として……家族として心配してるの。元々男の子と一緒に暮らすこともあまり賛成できることじゃないのに、今の有宇くんを見て、ココアと一緒に暮らしていくのは私としては賛成できないの。これは姉として黙って見過ごせません!」

 

 そう言うとココアは顔を俯かせた。それからココアの体がプルプルと震え出す。

 

「お……」

 

「お?」

 

「お姉ちゃんのバカァァァァァ!!」

 

 そう言うとココアは店を飛び出して行ってしまった。

 

「ええっ!?ちょっ、ココア!?」

 

「ココアさん待ってください!」

 

 そしてチノが飛び出したココアの跡を追って行った。

 ちょっと言い過ぎたかな……でも。

 ちらりとモカは横目で有宇の方を見る。

 

「全く騒騒しい。チノまで出ていきやがって。ったく、またあいつらの代わりにシフトに入るなんて御免だぞ」

 

 私に悪く言われてることに関しては全く気にしてないみたい。

 ていうかココアは君の心配をしてくれていたのに、君は自分の心配しかしてないんだね……。

 そしてそんな彼を見て改めて、モカはマスターに言う。

 

「とにかく、私はココアと有宇くんが一緒に住むことには反対です。バイトとして雇うだけならまだしも、住み込みで彼と一緒に住むのには納得できません!」

 

 モカがそう言うと、マスターは少し間をおいてから、こう提案する。

 

「モカ君の気持ちはよくわかったよ。ならこういうのはどうだろう?彼を今日一日観察してみるのは」

 

「え?」

 

「確か今日はうちで泊まっていくということだっただろう。なら今日一日君が彼をしっかり見定めるというのはどうだろうか」

 

「でも……見定めるって言っても」

 

 チラッと再びモカは有宇の方を見る。

 正直今更彼を良く見れる自信ないんだけどな……。それに怒って出ていったココアとも早く仲直りしたいし……。

 するとマスターは更にこう続けた。

 

「もし一日彼を見ていても君の意志が変わらないのであれば、私も彼を雇った身として、そしてココア君のホームステイ先の主人としての責任を果たそう」

 

「え?それはどういう……」

 

「彼の解雇も視野に含めて対処するということだ」

 

「ちょっ、マスター!?なに勝手に決めてんですか!!」

 

 解雇と聞いて流石の有宇くんも焦りを感じたようだ。

 

「モカ君は君についてまだ良く知らない。だからモカ君には君を見定めるだけの時間を与える。しかしそれでもモカ君の気持ちが変わらないのであればそれは君の人間性……ひいては君の責任であるということだ。だから君にもそれなりの覚悟をしてもらいたい」

 

「いや、でも急にそんな……!」

 

「なに、私も君がどんな人間なのかはこの二ヶ月近い期間で十分理解してるつもりだ。モカ君もきっと考えを改めてくれるだろうさ」

 

「マジかよクソッ……。あーわかりました。勝手にしてください」

 

 有宇は観念したのか、諦めたかようにそう頷いた。

 それがマスターに言われたから仕方なくなのか、それとも私に認めてもらえる自信があるのか……。

 どの道私が彼を認めるなんてことは今のところ全く無いんだけどな……。

 

「モカ君もそれでいいかな?」

 

「えっと……」

 

 別に解雇までしなくてもいいんだけどな……でも私の言ってる事って結局そういう事になるものね。

 それにこれもココアのため……少しは心を鬼にしないと!

 

「わかりました。それで構いません」

 

 それからモカは有宇をキッと睨む。そして改めて有宇にビシッと指を指し宣戦布告する。

 

「それじゃあ有宇くん、君の事、バッチリ見させてもらうから覚悟して!」

 

「あぁ、勝手にしてくれ」

 

 え、なんか軽い!?一応君の解雇がかかってるのに、それでいいの?

 しかし彼はそのまま廊下の方へ出ていってしまった。

 

「なんなの彼……」

 

 するとさっきからモカ達の様子を見ていたリゼが、モカに声をかける。

 

「まぁモカさん、私達も最初は驚きましたし、気持ちはわからなくはないですが、あいつ、あれでも結構いいとこあるんですよ」

 

「でも……」

 

 今の彼を見ていても、そんな風には見えないんだけどなぁ……。

 

「取り敢えずタカヒロさんが言うように様子を見てみたらどうです?何か他にあいつに関して心配事があれば相談に乗りますから」

 

「リゼちゃん……!もう、本当に良い子なんだから〜!」

 

 思わずリゼちゃんの優しさに感動して、思い切り抱きつく。

 

「うわぁぁぁ!!近づくなぁぁぁ!!」

 

 しかしリゼの抵抗も虚しく、モカの腕の中でモフられることとなった。

 

 

 

「……で、なんで僕の部屋にいるんだ?」

 

 リゼちゃんを一通り堪能した後、私は有宇くんのお部屋にお邪魔していた。

 

「勿論、君を見定めるためだよ。さっきタカヒロさんが言ってたでしょ」

 

「あっそ、別にいいけど妹に男と同居云々言ってたくせに、男の部屋に一人でよくもまぁズカズカ入って来れるな」

 

「わ、私だって仕方なくだもん!もう、君って本当に意地悪だね」

 

「僕は事実を言ったまでだ」

 

「そりゃそうかもしれないけど……一応私、君よりお姉さんなんだし、もうちょっと気を使ってくれたって……」

 

「はっ、何故敵意剥き出しの相手に気を使わなきゃいけないんだ。大体、僕が敬う相手は僕自身をおいて他にいないしな」

 

 う〜ん、やっぱ捻くれてるというか何というか……。

 まぁ、私は歳の差とか気にするタイプじゃないから別にいいんだけどね。

 でもココアやリゼちゃんがああやって言うぐらいだし、彼にも良いところの一つや二つはあるはずだよね……多分。

 とにかく、そこを見ない限りは判断のしようもないんだけど、でも彼、お昼のパン食べながら本読んでるだけで何もしてないし、これじゃあ見定めようにもできないし、それに何より……。

 モカ達は狭い一室で二人でいるわけだが、そこに会話もなく沈黙だけが流れている。

 何というか……気まずい!!

 なんかお話とかできたらいいけど、共通の話題も特にないし、そういうの出来る雰囲気じゃないよね。さっき大分酷いこと言っちゃったし……。

 で、でも一応向き合うと決めたわけだし、諦めちゃダメよ私!

 そう自分に言い聞かせると、改めてモカは思い切って有宇に話しかけてみる。

 

「えっと……ココアの昔話とか聞きたくない?」

 

「いや別に」

 

「そう……」

 

 モカはがっくりと項垂れる。

 ううん、でもここで諦めちゃダメ、まだ何か共通の話題を見つけなきゃ……。

 モカは話題探しに周りを見回す。すると本棚に興味を惹かれる物を見つける。

 

「あ、これ青山先生の本だ!もしかして有宇くんも好きなの?」

 

 見つけたのは青山先生の著書『怪盗ラパン』だ。

 しかもドラマ化決定記念の新装版ってことは、彼もかなりのファンだということだ。

 

「まぁ、それなりには。あんたも好きなのか?」

 

「うん!大好き!この街に以前来たときもココアが知り合いになったって聞いて驚いたよ!私、麺棒にサインしてもらったんだ〜♪」

 

「サインか……そういえば僕はまだそういうのは貰ってないな。今度来るときに貰ってもいいかもな」

 

「有宇くんは青山先生の作品だと何が好き?私はベーカリークイーンかな。やっぱ同じパン屋として通じるものがあるんだよね〜」

 

「僕はそうだな……うさぎになったバリスタかな?うさぎになっても店を続けていこうとする店のマスターの心意気には感動させられたな」

 

 それからしばらく、二人は青山ブルーマウンテンの作品で盛り上がった。

 

 

 

「いや〜それにしても有宇くんが青山先生のファンだったなんて驚きだよ」

 

「別にファンってわけじゃ……まぁ、いいか。それよりもそろそろ洗濯物でも取り込むとするか」

 

 いつの間にかお昼を食べ終えていた有宇くんは、そう言うと席から立ち上がった。

 

「洗濯物って……まさか!!」

 

 もしかしてココア達のも!?

 更にもしかすると、ココア達の洗濯物でその……言えないような何かを!?

 

「……一応言っておくと、僕がやるのは僕とタカヒロさんの分だぞ。ココアとチノはそれぞれ自分達でやってるし、そもそもあいつらの着た物なんぞに興味はない」

 

 あ、そうなの。

 そういえば前回来たときも、ココアとチノちゃんは自分でやってたね。

 

「そうだ、折角ならついでにあいつらの分もやっておいてくれよ。取り込んで洗濯かごに分けるだけでいいから。どうせ暇だろ?」

 

「え?あ……うん」

 

 そして言われるがまま有宇くんの跡をついていき、洗濯物を取り込みに行った。

 

 

 

 それから有宇くんは淡々と洗濯物を取り込み、自分とタカヒロさんの分を手慣れたものかのように分けてかごに入れていく。

 

「随分と手慣れてるね。お家でもやってたの?」

 

「まぁ、服をたたむぐらいは自分でしてたけど、家事は大体妹がやってたかな」

 

「妹さんいるの?」

 

「ああ、ココアなんかよりずっと可愛い奴でさ」

 

「なっ!そんなことないもん!その子も可愛いかもしれないけど、ココアだって可愛いもん!」

 

「ふっ、姉バカもここまで来ると、もはや病気だな」

 

「それ君が言うの!?……もう、そういう事言う子はこうだ〜!」

 

 モカは有宇くんの後ろに回り、脇に素早く手を入れこちょこちょと擽る。

 

「なっ!くそっ、離せ……はっ……ハハ、やめ……ハハハッ!」

 

 よしよし、効いてる効いてる。

 懐かしいな〜。ココアの上二人に怒る時とかもよくこうしたっけ。あの子達、東京で元気にやってるかな〜。

 東京にいる二人の男兄弟達にモカが思いを馳せている間、有宇はモカのくすぐり地獄を嫌というほど味わわされた。

 

「はぁ……はぁ……くそっ、なんなんだよ……」

 

 しばらくしてようやくモカから解放されると、有宇は膝と手を地面につき、息を整える。

 対するモカというと……。

 

「う〜んよし!スッキリスッキリ!うぉー!」

 

 有宇から1本取った気になって、すっかり機嫌よくしていた。

 にしても有宇くん、結構妹思いなんだね。意外だな〜。

 それにちゃんと話してみると結構話しやすいっていうかなんていうか、もしかしたら思ったより悪い子じゃないのかもしれない。話してみないとやっぱわからないことってあるな……って、駄目よモカ!さっき予想を裏切られたばっかなんだから!まだまだ様子を見ないと!

 少し心を許し始めてはきたものの、改めてモカは自分にそう言い聞かせた。

 

 

 

「で、まだ付いて来るのか……」

 

「うん、だってまだまだ君のことよくわからないし。ココアのためにもちゃんと見定めないと」

 

「あっそ……」

 

 洗濯物を取り込んでたたみ終わると、有宇は休憩がてら千夜の働いている店、甘兎庵に行くことにしたらしい。そしてそこにモカも付いていくことにしたのだ。

 にしてもココア、まだ怒ってたな……。

 モカは甘兎に出かける前、店を出る時の事を思い出していた───

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 甘兎に出かける前、当然外に出るには店の戸口から出るわけだが、そのためには店に顔を出す必要があるわけで、店にはバイト中のココア達がいる。

 因みにココアはあれからすぐにチノに連れ戻されて戻って来ていた。

 

「少し出る」

 

「あぁ、いってらっしゃい」

 

「いってらっしゃいです、お兄さん、モカさん」

 

 有宇が出かけることを言うと、リゼもチノも快く見送ってくれる。

 しかしココアはというと……。

 

「……いってらっしゃい」

 

 一応見送りの挨拶をしてはくれたが、いつものような元気な声ではなかった。

 そんなココアに何か言おうとモカは声をかけようとする。

 

「あの……ココア……」

 

 しかしモカが声をかけようとすると、すぐにそっぽ向かれてしまった。

 

「ゔゔ……」

 

 あまりのショックに、モカは思わずその場で座りこんで泣いてしまう。

 

「えっと……おい、付いて来るならさっさと来てほしいんだが……はぁ、仕方ない。ほら、行くぞ」

 

 このままじゃ埒が明かないと思い、仕方なく有宇はモカの手を強引に引いて店を後にした───

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ココア、もし有宇くんが、私が認めなかったせいで出ていくことになっちゃったら絶対許してくれなくなっちゃうよね……。

 でもまだ有宇くんを信頼できるかっていったらそうじゃないし……どうしよう。

 甘兎への道中、ココアの気持ちを尊重して有宇くんを認めるべきか、それともココアのためにも有宇くんを認めないべきか、モカはそんな二つの感情の間で板挟みになっていた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 有宇とモカが出掛けた後、ラビットハウスの方はというと───

 

「なぁココア、モカさんの事許してやったらどうだ?モカさんだって姉としてお前のこと心配してるだけだろうしさ」

 

「でもお姉ちゃん、有宇くんの事まだよく知らないのに、あんな風に言うなんて酷いよ……」

 

 リゼがココアにモカを許すように言うが、ココアの方はまだモカの有宇に対する態度を気にしていた。

 

「お兄さん、色々と誤解されやすい人ですからね」

 

 チノがモカに同情するようにそう言う。そしてリゼはココアにモカを許してもらえるよう、モカの擁護を続ける。

 

「まぁ、そこも含めてあいつらしさではあるけど、モカさんが誤解する気持ちもわからないではないしな。それにモカさんだって、きっと有宇の事認めてくれるさ」

 

「うん……でも……」

 

 しかしココアはまだどこか不安そうな声でそう答える。

 

「ならさ、モカさんが帰ってきたらちゃんと話してみろよ。ココアがモカさんに伝えたいこと、ちゃんと伝えてみたらどうだ。モカさんならココアの言いたいこと、ちゃんと聞いてくれるだろ?」

 

「それがいいと思います。モカさん、ちゃんとわかってくれると思います。私からもモカさんにお願いしてみますから」

 

「リゼちゃん……!チノちゃん……!」

 

 リゼとチノに、自分達もモカに有宇のことを頼んでみるから、モカとちゃんと話し合うように促されると、ココアも少し元気を取り戻した。

 

「わかった。お姉ちゃんが帰ってきたらちゃんと話してみるよ」

 

「あぁ、頑張れ」

 

「頑張ってください」

 

「うん!よ〜し、それじゃあそれまでお仕事頑張ろ〜!」

 

「「おぉー!」」

 

 モカとちゃんと話し合うことを決めると、ココアはいつもの調子を取り戻した。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ラビットハウスを出てからしばらく歩くと、有宇とモカの二人は千夜の働く店、甘兎庵に着く。

 中に入ると千夜が笑顔で二人を出迎えてくれる。

 

「あら有宇くん、いらっしゃい。あら、モカさん?いらしてたんですか?」

 

「千夜ちゃん久しぶり。ちょっと用があって……」

 

「千夜、いつもの二人分頼む」

 

 すると有宇くんが何かを注文する。

 いつもの?もしかして結構ここに来てたりするのかな?

 

「はいよ、琥珀色の三宝珠二人分ね。にしても有宇くん本当に好きなのね」

 

「まぁ……それなりにな。ほら、こっち空いてるから座ろう」

 

「う、うん」

 

 そう言うと昼間、老婆の客にしてみせたように、有宇は自然な振る舞いでモカの手を引く。

 お客さんにもやってたけど、演技と言いつつなんだかんだで自然にやってるような……。

 でもさっき、自分に敵意を向けてる私には敬う必要はないとか言ってたのに……一体どういうつもりなんだろう。

 そして席につくと、有宇くんは机にノートと教科書みたいな物を広げる。

 

「あれ?息抜きに来たんじゃないの?」

 

「家にいると本とか読んで集中できないしな。ここでやった方が集中できるし、わからなければ千夜にも教えてもらえる。それにあいつらといるより気は休まるし」

 

「そ、そうなんだ」

 

 そして千夜が来るまでの間、有宇は黙々とノートに向かい合っていた。

 見たところ、使ってる教材は学校の教科書ではないみたい。教材のところに高卒認定って書いてあるし。

 そういえば有宇くんってなんでラビットハウスで住み込みで働いてるのかな?ココアの弟って言ってたし、ココアより歳下……高校一年生ぐらいだよね。普通は学校に通ってる歳の筈だけど、学校に行ってる様子は見えないしな……。ココアの手紙にもその辺の事は書いてなかったし、一体どういう事情なんだろう?

 すると、千夜が団子の乗ったお皿を二つ、二人の席に置いた。

 

「お待たせしました。琥珀色の三宝珠二人前です」

 

 団子には醤油色のタレがかかっている。よくある普通のみたらし団子だ。

 いつものってみたらし団子だったんだ。へぇ〜団子が好きなんて有宇くん渋いね。二人分食べるぐらいだし、凄い好きなんだろうな。

 すると有んは皿の一つをモカの前に置いた。

 

「え?これ有宇くんの分じゃなかったの?」

 

「僕はそこまでごうつくばりじゃない……まぁいい、僕の奢りだ。一応ココアを怒らせたのは僕にも原因があるし、その……詫びというかなんというか……これで元気出してくれ」

 

「えっ……!えっと……うん、ありがとう。それじゃあ頂くね」

 

 さっきは気にしてなさそうだったのに、なんだかんだ気にかけてくれてたのかな……?あ、団子美味しい〜。

 有宇の優しさを感じながら、モカは団子を頬張った。そして団子を食べながら目の前にいる彼の事を考える。

 にしても彼、悪い子なのかなって思ってたけど優しいところもあるし……う〜ん、なんだかわからなくなってきたような……。

 

「モカさん、どうかされましたか?お団子美味しくありませんでした?」

 

 すると千夜がモカの様子を気にかけて声をかける。

 

「ううん、そんなこと無いよ!とっても美味しいよ」

 

「そうですか?それならいいですけど、何かあれば遠慮なく聞いてくださいね!」

 

 何かあれば……そうだ、折角なら千夜ちゃんに聞いてみようかな。

 

「それじゃあ千夜ちゃん。千夜ちゃんから見て有宇くんってどんな子かな?」

 

 今日会ったばかりの私より、千夜ちゃんの方が有宇くんについて色々知ってるはずだしね。聞いてみて損はないはず。

 

「有宇くんですか?そうですね……有宇くんはすごく頑張り屋さんだと思いますよ。ラビットハウスさんを盛り上げるためにも一生懸命でしたし、それにうちとのコラボを実現する時も凄い頑張ってくれたんです」

 

「コラボ……?」

 

 それを聞いてモカは、ラビットハウスのメニュー表に書いてあった抹茶を使ったメニューを思い出す。

 そういえばラビットハウスのメニューのところにも書いてあったけど、あれ有宇くんが企画してたんだ。

 

「うちのおばあちゃん、昔ラビットハウスさんと喧嘩しちゃってて、コラボはもう無理だと思ってたんです。実際おばあちゃんがなかなか許してくれなくて大変だったんですけど、有宇くんが新しいコラボメニューを考えたり、チノちゃんのお祖父さんが街のどこかに隠した昔のコラボメニューの作り方が書かれたレシピノートを、街中から探して来てくれたりしたおかげで実現できたんです。あ、そうだ!モカさん試食してみますか?有宇くんの作ったメニュー」

 

「え?えっとそれじゃあ……」

 

 そう言うと千夜は奥へ引っ込んでしまった。

 にしてもラビットハウスを盛り上げる……そんなことしてたんだ。

 モカは団子を片手にノートに向かっている有宇を見つめる。

 ただの意地悪な子だと思ってたけど……でもそういえば私が初めて来たときよりもお客さん来てたような気がするし、それなりに成果も出てるみたいだね。

 まぁ、まだお客様を思いやる気持ちが足りてないけど、でも君も結構頑張ってるんだ。

 すると千夜が何かをお盆に乗せながら奥から出てくる。

 

「お待たせしました。こちらラビットハウスさんとの新コラボメニュー『緑と漆黒の大地にそびえ立つ黄金の塔』です」

 

 そうして出されたのは、カップの下に黒と深緑色のゼリーのような物が敷き詰められ、上にはきな粉と黒蜜がかけられたソフトクリームが乗ったスイーツだった。

 

「おおっ〜!美味しそ〜!」

 

「有宇くんもどうぞ」

 

 そう言うと千夜ちゃんは有宇くんの席にも置く。

 

「いいのか?」

 

「ええ、ちょっと改良してみたから有宇くんにも食べて欲しいの」

 

「そういや餡子と白玉がついてるな。それじゃあ遠慮なく頂こう」

 

 そして有宇と一緒に、モカは有宇が作ったというメニューを試食する。

 

「うん、美味しいね〜。抹茶は合うとは思ってたけど、コーヒーも結構きな粉と黒蜜が合うね」

 

 すると作った張本人である有宇くんも感嘆の声を洩らした。

 

「かける黒蜜の量を増やして、更に粒餡と白玉を追加して餡蜜にしたのか。確かに餡蜜や和風パフェにもやろうと思えばアレンジできるとは僕も思っていたし、うん、いいんじゃないか?」

 

 作った本人も声を唸らせるなんて、千夜ちゃんやるね〜。

 でもすぐ有宇くんは千夜ちゃんのアレンジに対して冷静に批評する。

 

「ただこれだと元々のコラボの趣旨から外れるのと、コストがかかって値段が上がるのが難点だな。やるなら元々のメニューに追加料金を払わせることでトッピング出来るって感じで出してみるのはどうだろう?それなら完全に一新して変えるよりも効果があるし、元々のコラボの趣旨にも反しないと思うのだが」

 

「なるほど、確かにその方がお値段を気にするお客さんも遠慮する必要がなくなるものね。流石は有宇くんね」

 

 おおっ、冷静に分析してる。

 それに適切なアドバイスも入れてくれてるし……なんだかんだでお客さんの気の引き方は心得てるし、この子凄いのかも……。

 これでもうちょっとお客さんを思いやれればなぁ……。

 モカが有宇に感心していると、お店に誰か入って来た。

 

「いらっしゃ……って、あら?シャロちゃん、今日バイトなかったのね」

 

「ええ、リゼ先輩のお誘いの準備もあるし……ってモカさん!?来てたんですか!?」

 

 店にやって来たのは制服姿のシャロだった。そして入ってすぐにモカの存在に気が付く。

 

「シャロちゃん久しぶり。そうそう、丁度いいからシャロちゃんにも聞きたいんだけど、シャロちゃんから見て有宇くんってどんな子かな?」

 

「突然何ですか……有宇?えっと、そうですね……正直口は悪いし、リゼ先輩にもタメ口ですし、金にがめついし、性根も腐ってますし、バカですし……」

 

「いや言いすぎだろ!どんだけ僕のこと嫌いなんだよ!」

 

「うっ、うるさいわね!事実そうなんだから仕方ないでしょ!」

 

「この女ぁ……」

 

 さっきまで黙って黙々と勉強していた有宇がシャロに不満を漏らす。

 まぁ確かに酷い言われようだけど、大体その通りなんだなっていうのは想像つくな……。

 すると「でも……」とシャロは続ける。

 

「でもまぁ、やる時はやる奴だし、偶に優しい時とかはあるし、私が熱出した時もご飯作りに来てくれたりしたし、その……悪い奴じゃないと思います。……まぁ 、別に良い奴でもないですけど」

 

「んだとコラ……」

 

「なによ」

 

「まぁまぁ二人とも、モカさんの前で喧嘩はダメよ」

 

 今にも喧嘩しそうな雰囲気の二人が火花を散らせるものの、千夜が仲裁に入ってひとまず二人とも落ち着く。

 シャロちゃんは有宇くんに対して棘はあるけど、でもなんだかんだ有宇くんのこと認めてるって感じ……かも?

 そしてシャロに続いて、更に二人の客が店にやって来る。

 

「やっほー千夜!遊びに来たよ!それにシャロと有宇にぃと……モカ姉もいる!?」

 

「千夜さんこんにちは〜。あっ!モカさんだ〜!」

 

 やって来たのはチノちゃんのお友達のマヤちゃんとメグちゃん。二人とも相変わらず可愛いな〜。

 

「マヤちゃんメグちゃんこんにちは。久しぶり」

 

「モカ姉、また突然どうしたの?ココアになんかあったの?」

 

「もしかしてココアちゃん、お家に帰っちゃうとかかな?」

 

「ううん、そういうことじゃないの。あ、そうだ。ねぇねぇ、二人から見て有宇くんってどんな子かな?」

 

 折角なのでモカは、二人にも有宇について聞いてみる。するとマヤが答える。

 

「有宇にぃ?う〜ん、そうだな〜有宇にぃはねぇ、ナルシストだし口悪いけどすっごく優しいよ。私、前に有宇にぃに助けられたことあるんだ〜」

 

「助けられた?」

 

「えっとね、前に兄貴に貰った時計が盗まれちゃったんだけど、たまたま街で会った有宇にぃが協力してくれて、探偵みたいな名推理と催眠術で犯人を見つけてやっつけて取り返してくれたんだ〜。なぁメグ」

 

「ウン、あの時お兄さんがいてくれて本当に良かったよ〜」

 

 名推理!?催眠術!?

 えっと……その辺はよくわからないけど、つまりは有宇くんが助けてくれたって事でいいんだよね?

 そして、更にマヤはこう続けた。

 

「そうそう、しかもこの前なんか有宇にぃ、強盗の魔の手からラビットハウスを守ったんだよ」

 

「強盗!?」

 

 そういえばココアの手紙にも書いてあったけど、有宇くんの方に気を取られてまだ聞いてなかったな……。

 

「うん、私その場にいたわけじゃないから詳しくは知らないけど、有宇にぃが捕まえたみたいだよ」

 

「おかげでお店のお金も取られずに済んだみたいですよ。チノちゃん、学校で嬉しそうに話してました」

 

 催眠術っていうのがいまいちわからないけど……でも、有宇くんが強盗を退治したってことでいいのかな?

 本当なのかどうかにわかに信じられず、チラリとモカは千夜とシャロの方を見る。

 するとモカの意図が伝わったのか、二人はモカの疑問に答える。

 

「本当ですよ。有宇くん、警察から感謝状も貰ったんですよ」

 

「まぁ街中で騒ぎになってたものね。なんにせよお手柄よね」

 

 どうやら本当のことみたい……。

 すると有宇くんが突然、クククと笑い声を漏らした。

 

「当然だ!この僕に歯向かう愚か者は容赦なくこの手で潰してやるさ!別に貴様らのためなんぞにやったわけじゃないが、まぁ、好きに感謝すればいい」

 

 そう意気揚々と高らかに言い放った。

 本当になんていうか有宇くんって典型的な俺様くんなんだなぁ……一人称僕だけど。

 そんなことをモカが思っているとマヤとメグが突然笑い出す。

 

「本当有宇にぃはいつも上から目線だよね〜」

 

「お兄さんナルシストだ〜」

 

 そしてシャロも先程のように有宇に毒づく。

 

「本当、あんたって自信過剰よね。ていうか少しは素直に言ったら?褒められて嬉しいって」

 

「ふん、僕はいつだって素直だ」

 

 そしてそんな有宇達の様子を見ているモカに、千夜がそっとモカの耳元に声を落とす。

 

「有宇くん、誤解されがちですけど、根は凄くいい人なんですよ。最初はちょっとしたいざこざとかもありましたけど、今じゃみんな有宇くんともすっかり仲良くなりましたし、有宇くん自身、自覚してるかはわかないけど多分、私達のことを信頼してくれてると思います。勿論、問題が何もないわけじゃないですけど、でもきっと私たち、前よりもっといい友達になれると思います」

 

 千夜ちゃん、もしかして私がこの街に来た目的わかってたのかな?でもそっか……有宇くん、みんなに信頼されてるんだね。

 千夜の話を聞いて、モカは自分の考えを改め始めた。

 最初は口調も荒くて自分勝手な子なのかと思ったけど、なんだかんだ人の事をちゃんと思いやれるところはあるし、人に手を差し伸べてあげられる子なんだな。

 それから目の前の光景に目を向ける。

 有宇くんの周りで楽しそうに笑うマヤちゃんとメグちゃん、それに何か言い合ってるシャロちゃん、私の横で微笑む千夜ちゃん……みんな楽しそう。

 乙坂有宇くん……君は君のやり方でみんなと仲良くやってるんだね。あぁ、そっか……初めから私が口を挟む余地なんかなかったんだ。

 モカは目の前で楽しげに笑う彼女らを前に、そう考えを改め直した。

 

 

 

 それから暫くして、有宇とモカの二人は甘兎庵を後にした。二人が甘兎を出る時には、空はもうすっかり綺麗な茜色に染まっていた。

 

「もうこんな時間なんだね……ってどこに行くの?」

 

 有宇は何故かラビットハウスとは違う方向に向かっていた。

 

「夕飯の買い物するからスーパーに。あんたも来るか?」

 

「え、うん、別にいいけど……」

 

 それから二人はスーパーに向かった。スーパーに着くと、有宇はカゴを持って早速野菜コーナーに行った。そしてアスパラ、人参、ピーマン、玉ねぎ、トウモロコシとどんどんカゴに入れていった。

 

「おおっ……ココアとチノちゃんが苦手を次々と入れてくね……」

 

「別に嫌がらせとかじゃない。あいつらマジで全然野菜食わないからな。特にチノはあれでココアより好き嫌い多いし、作るこっちも苦労してんだよ……」

 

「あはは、それはわかるかも。ココア、昔から野菜苦手だったから食べさせるの大変だったよ。お母さん、あんまココアに怒んないから私が代わりにココアに野菜食べさせてたな〜」

 

「昔から変わらんのかあいつは」

 

「そうだね。そういうところは成長して欲しいけど、でもいつも笑顔で優しくて自慢の妹だよ。好き嫌いはともかく、そういうところは変わらず成長してくれてお姉ちゃんとしては嬉しいかな」

 

「そんなものか」

 

「うん、お姉ちゃんってそういうものだと思うな。君だってお兄ちゃんなんでしょ?わかんないかな?」

 

 すると有宇は少し暗い顔を浮かべる。

 

「さぁ……僕はいい兄貴じゃなかったから……」

 

 あれっ、なんか地雷踏んじゃったかな……。

 甘兎でも気になったけど、彼はどうしてラビットハウスで働いてるんだろう。学校にも行ってないみたいだし、なんかワケアリなのかな。

 聞いてみたい気持ちもあるけど、この感じだとあまり踏み込んで聞くべきじゃないだろうし、取り敢えず話を変えようかな。

 

「そういえば夕飯っていつも有宇くんが作ってるの?」

 

「あぁ、最初は料理を覚える意味も含めてチノ達の手伝いって形でやってたんだが、出来るようになってからはバイトの時間の都合もあって僕が作ることが多くなったな」

 

 なるほど、ココア達は午後に働いてるから、ココア達が働いてる間に有宇くんが作った方が効率いいんだね。

 

「ていうことは君、結構家事手伝いやってるんだね」

 

 洗濯もしてたし、その上料理もしてるんだもんね。結構有宇くん家庭的だよね。

 

「まぁそうだな、居候の身だし、渋々やってる感じだ。ここに来る前まで家事なんて何一つできなかったのにな」

 

「またまた、冗談言っちゃって」

 

「いや、本当なんだが……」

 

 ここに来る前までのことは知らないけど、でもラビットハウスじゃ渋々って言ってる割には結構しっかり家事仕事やってるように見えたけどな。口ではこう言ってるけど根は真面目なんだね。

 なんだか彼との接し方もわかってきた気がするよ。

 

「因みにシェフ、今日のメニューは?」

 

「シェフって……まぁいい、ハンバーグだ」

 

「ハンバーグか。私の得意料理の一つだね」

 

「知ってる。ココアがいつもよく言ってたからな。『お姉ちゃんのハンバーグは世界一美味しいんだ』って」

 

「そっか……」

 

 そういえばまだココアと喧嘩したままだな……。

 明日には帰らないといけないし、ちゃんと仲直りしないとな……。でもココア、大分怒ってたしな……。

 モカが頭を悩ませていると、有宇が言う。

 

「なに他人事のように言ってる。あんたが作るんだ」

 

「え?」

 

「必要なら僕も手伝いぐらいはするが」

 

「え、でもいいの……?」

 

「いいも何も、あんたが作ってくれるなら僕としてもその方が助かる。あ、ただハンバーグにはピーマンと人参は入れてくれよ。そうでもしないとあいつら野菜食わないからな」

 

 もしかして有宇くん、私とココアが仲直り出来るよう御膳立てしてくれてるのかな……。

 

「……ありがとう、有宇くん」

 

「気にするな。そもそも僕が蒔いた種だ。僕が責任を取るのは当然のことだ」

 

 有宇くん、やっぱり君はいい子だね。

 分かり辛いだけで、チノちゃんやリゼちゃん達に負けないぐらい君は優しいし、困ってる人がいれば積極的に手を差し伸べてくれる。

 タカヒロさんの言う通りだったな……うん、もう彼の事は認めてもいいよね。

 彼ならきっとココアやみんなとも上手くやっていけるはずだから。

 

 

 

 有宇とモカが店に戻ると、丁度閉店作業に入っている三人が二人を迎えてくれる。

 

「ただいま」

 

「お帰り、有宇、モカさん」

 

「お帰りなさい、お兄さん、モカさん」

 

 有宇とモカが声を揃えてただいまと言うと、リゼとチノは二人に挨拶を返す。

 そしてココアはというと、リゼの後ろで何やらもじもじしていた。

 

「ほらココア、ちゃんと話すって決めたんだろ」

 

「う、うん」

 

 リゼに促されると、ココアはそのままおずおずと近づき、モカの前で立ち止まる。すると、ココアは辿々しい口調で言う。

 

「あのね、お姉ちゃん、その……さっきは怒っちゃってごめんね。でもね、有宇くんのことなんだけど、有宇くん確かに口悪いし意地悪なときあるけど、本当はすっごく優しいんだよ。私やみんなも凄く有宇くんに助けられたことあって……だから、有宇くんがここで住むことを許して欲しいの……ダメかな……?」

 

 必死にそう訴えるココアを前に、モカは改めて反省した。

 ココアがここまで必死になってまで守ろうとしていたものを、私は奪おうとしてたんだ……本当、私もお姉ちゃんとしてまだまだだな……。

 そしてモカはそっとココアを抱きしめた。

 

「ううん、ダメじゃないよ。ごめんね、ココアの友達を疑うようなことしちゃって。お姉ちゃん、ちょっとお節介焼き過ぎちゃったみたいだね」

 

「お姉ちゃん……それって……!」

 

「うん、有宇くんと一緒に暮らすことを認めます」

 

 モカがそう言うと、ココアの顔がみるみると笑顔を取り戻していった。

 

「やったぁ〜!お姉ちゃん大好き!」

 

「もう、調子いいんだから。それじゃあ一緒に夕飯作ろっか。今日はお姉ちゃん特製ハンバーグだよ」

 

「お姉ちゃん特製ハンバーグ!!やった〜!!」

 

「ただし、今日のハンバーグはみじん切りにしたピーマンと人参入りです」

 

「えぇ、なんで!?」

 

「ふふっ秘密」

 

「秘密ってなんなの!?ねぇお姉ちゃん〜!」

 

 そして二人はそのまま二階のキッチンへと向かっていった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 一方そんな姉妹の様子を、残りの三人は遠目から傍観していた。そして姉妹の様子を見届けながら、リゼが有宇に言う。

 

「どうやら無事に解決したようだな」

 

「みたいだな」

 

 有宇はまるで他人事のようにそう返す。

 

「にしてもどうやってモカさんに認めてもらったんだ?お前のことだからなんか策でもあったんだろ?」

 

「いや全く、もう素が知られてるから上辺を繕ったところで意味はないしな。まぁ、強いて言えば僕の日頃の行いだな。甘兎で他の連中が僕を褒め称えたお陰で僕の印象が変わったみたいだな。ま、これも僕の人徳ってやつだ」

 

「調子に乗るな。まぁ、なんにせよ何とかなったならそれでいいよ」

 

「はい、お兄さんがいなくならないでよかったです」

 

 二人がそう言うと、有宇は嬉しさに似た何かが心の内から込み上げてくるのを感じたが、それは表に出さないようにいつものように平然と振る舞った。

 

「ああ、僕もここを追い出されずに済んで何よりだ」

 

 

 

 それから三人で店の片付けを終えるとリゼは帰宅し、残りの四人で夕食を取った。

 夕食を食べ終えるとココア達は風呂に入り、有宇は彼女達が風呂から上がるのを本を読みながら自室で待っていた。

 そしてココア達が風呂に入ってしばらくして、部屋のドアがコンコンとノックされた。

「どうぞ」と有宇が声をかけると、静かにドアが開く。

 大概いつもは風呂が空いたことを知らせに来るのはココアなのだが、部屋に入ってきたのはモカだった。

 

「お待たせ有宇くん、お風呂空いたよ」

 

「ああ、わかった」

 

 本来ならそこで会話は終わり、モカが部屋を出て行くはずなのだが、まるで帰ってきた時のココアみたいにもじもじと何か言いたげな様子である。

 

「えっと……何か?」

 

「その……有宇くん……」

 

 そしてモカは深々と頭を下げた。

 

「ごめんなさい!私、君のこと色々誤解してた。それで君に色々と酷いこと言っちゃって……本当にごめんなさい!」

 

 どうやら今日一日の有宇に対しての色々な非礼の数々を詫びたかったようだった。

 しかし有宇自身、それ程気にしていなかったので、寧ろこんな謝られても……というのが素直な気持ちで、なんて返せばいいか困惑している。

 取り敢えず自分の思うことをそのまま口に出すことにした。

 

「別に謝まらなくていい。普通素の僕を見たらあの反応が普通だろうし、自分の妹のことを考えたらあの反応は僕からしても妥当だと思う。僕だってそれがわかってるから、普段は人に素を隠して生活してたわけだしな」

 

「でも……」

 

「それに、目の前で妹が殴られていたら、僕だってあんたと同じ反応をしただろう。だから気にしなくていい」

 

「有宇くん……」

 

 しかし有宇がそう言ってもなお、モカは申し訳なさそうにしていた。

 ココアの姉というぐらいだし、元々誰かを非難するような人ではないだろうからな。妹可愛さがために勢いで僕を非難したことを後悔しているのだろう。

 有宇はそう考えると、あまり進んで話したいことではなかったが、仕方ないと思いモカに話す。

 

「えっと……モカさん」

 

「は、はい」

 

「僕はここに来る前、カンニング魔だった」

 

「……え?」

 

 有宇の突然の告白に、モカは目を白黒させる。

 しかし有宇は気にぜず話を続ける。

 

「元々僕は東京の高校に通ってたんだ。陽野森高校っていう都内では有名な進学校なんだけど。えっと、それで僕はそこの入試をカンニングで合格して入学した。入試だけじゃない、中学の時もテストは常にカンニングで満点を取ってきて。でも高校に入ってすぐの中間テストの時にカンニングがバレて学校を退学になってさ、それがきっかけで親権者のおじと口論になって家出をしたんだ……一緒に暮らしていた妹を置き去りにして」

 

 有宇が話し終えると、しばらくその場に沈黙が流れる。

 そして暫くしてモカが口を開いた。

 

「そっか……それが君がここに来た理由なんだね」

 

「……ああ。それから色々紆余曲折あってこの街に来て、この店で住み込みで働くことになったんだ。今話した通り、僕はあんたの言う良い子なんかじゃない。だから、あんたは何も間違えてなんかないし、何も気にする必要はない。寧ろ、今の話を聞いて気持ちが変わったとしてと、僕は別に構わない」

 

 それはつまり、有宇の過去を聞いて、またモカが有宇がココア達と暮らしていくことに不安を感じ始めたのなら、有宇はそれを受け入れるということだ。

 するとモカが有宇に尋ねる。

 

「……一つだけ聞いていい?どうして自分に不利になるとわかってるのに話してくれたの?言わなきゃいいのに」

 

 ココア達とは違い、自分に元から敵意を持っているモカの場合、もしかしたら本当にここにきて認めないなんて言うことは十分にありえる。

 だから本当なら黙っておいた方がいいというのは有宇自身わかっているのだが……。

 

「なに、まるで僕の事をわかってるかのように僕を善人扱いするのが嫌だっただけさ。確かにここに来てから考えを少しは改めはしたが、僕は常に自分のために、自分のしたいようにやる。これだけはどうあっても変えるつもりはない。最も、不正を働いてまでやろうとはもう思わないが……まぁ、つまりはそういうことだ」

 

 モカを励ますつもりで……とは照れくさくて言えず、茶化したように有宇はそう答えた。

 

「そっか……ふふっ、君らしい答えだね」

 

 モカは笑みを浮かべてそう答えた。

 

「うん、大丈夫、君ならココアや他のみんなとも上手くやっていける気がするから」

 

「よく今のを聞いてそう思えるな……」

 

「君がツンデレなのは今日一日で理解したから」

 

「デレた覚えなどない!」

 

 有宇がそう言うと、モカはふふっと笑いながら部屋をあとにしようとする。

 

「それじゃあそろそろココアの部屋に戻ろうかな。おやすみ、有宇くん」

 

 そう言い残すとモカは部屋を出ていった。

 なんというか食えない人だ……。僕という人間に慣れたからなのかは知らんが、なんかこうリードを取られてしまってるような気がする。

 ココアとは違ってこう侮れないような感じ……身近で例えるなら千夜に近い感じがするなあの人は……。

 そして、そんなモカの様子を見て、有宇はふと思った。

 にしてもあの人、わざわざ妹を心配してはるばる遠くから来たんだよな……。ああいうのが本来あるべき姉の姿なんだろうな……。

 僕は姉ではなく兄だが、見倣うべきだと思った。

 本当に歩未のことを思うのであれば、さっさと家に帰るべき何だろうけど、おじさんと話さなければならないのがな……。

 カンニングに関しては僕が悪かったとはいえ、今のあの人の態度には正直納得行かない部分がある。僕と直接連絡取ろうとせず、タカヒロさんを通してでしか連絡してこないところ見ると、僕達を軽視してるところは何も変わってなさそうだしな。

 だからまだあの人と和解する気は起きない……かといって歩未には会いたいし……。

 そんな二つの気持ちの間で板挟みになっていると、突然ひらめいた。

 いや、そうか……わざわざ僕が帰らなくても、歩未に会うだけなら方法があるじゃないか!

 何かを思いついた有宇は早速携帯を取り出し、電話をかける。

 

『もしもし、お兄ちゃん?』

 

「あぁ、歩未か。その、突然だけど夏休み何か予定あるか……?」

 

『予定?う〜ん、友達と出かけたりとかはするつもりだけど……どうしてなのです?』

 

「いや、その……空いてる日でいいんだけどさ、うちに来ないか?交通費とかは僕が持つからさ」

 

『うちって……もしかしてラビットハウス!?いいの!?』

 

「あぁ、その……それで、どうだ?」

 

『行きたいのです!ココアさん達にも会いたいし、お兄ちゃんとも会いたいのです!』

 

 よかった……。歩未の方も乗り気でいてくれてるらしい。

 そう、会うだけなら僕から行かなくても、歩未の方に来てもらえばいいのだ。

 幸い今は夏休み、歩未の予定が許す限りはこっちで一緒にいられるはずだ。

 

「じゃあ日程がわかったら教えてくれ。そしたらマスターに話通しておくから」

 

『了解なのです!』

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 そして次の日、有宇とココア、チノの三人は街の駅のホームに来ていた。モカさんが帰るため、見送りに来ていたのだ。

 因みに店はマスターに任せてある。

 

「お姉ちゃんもう帰っちゃうの……?」

 

「元々有宇くんのこと見に来ただけだから。それにお店の方がお母さん一人で大変だろうから早く帰らないと」

 

 それからモカは有宇の方を見る。

 

「有宇くん、ココアのことよろしくね。ココアが色々迷惑かけるだろうから」

 

「その辺はもう慣れたんで大丈夫です」

 

「ちょっとお姉ちゃん!?私の方が有宇くんよりお姉さんなんだから?さ!!」

 

 するとその場にいたココア以外の三人が笑い出す。

 

「もう!なんでみんな笑うの〜!」

 

 それからチノがモカにコーヒー用の紙カップを差し出す。

 

「モカさん、これ電車の中で飲んでください」

 

「ありがとう。この前来たときのコーヒーも美味しかったよ」

 

「今回はお兄さんが淹れてくれたんですよ」

 

「有宇くんが淹れてくれたの?」

 

「ええ。まぁ、ちょっとしたお礼です」

 

「お礼?」

 

 お礼というのは、歩未をこの街に遊びに来るよう誘うきっかけをくれた事だ。

 最もモカさんは身に覚えがないので混乱しているようだが。

 

「まぁ、いっか。ありがとね有宇くん」

 

 そして駅構内にベルが鳴り響く。もうすぐ電車が出るという合図だ。

 

「それじゃあもう行くね。そうそうココア、昨日話した通り夏休み中、一回家に帰ってきなさいよ。お母さんも会いたがってるんだから」

 

「えぇ……」

 

「ええじゃない!それじゃあチノちゃんと有宇くんもまたね」

 

 そう言ってモカさんは僕とチノに手を振ると、電車の中に入っていった。

 それからすぐにドアが閉まり、電車が動き出す。

 電車はそのまま駅を出ていき、有宇達はその電車が見えなくなるまで見送った。




今回はモカ姉の登場回でした。
次回 第一章、木組みの街編(その1)最終話です。
次回以降新章に突入します。お楽しみに。


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第28話、ココアとの一日

 モカが帰った日の翌日、この日はココアとチノはシフトを入れておらず、夏休みということもあり丸一日何もない休日である。

 チノも休日ということで、完成させたいとっておきのボトルシップキットの箱を手に持ち、自分なりの休日を謳歌しようとしていた。

 

「今日はこの完成させたいボトルシップを完成させましょう。ふふっ、お休みの今日に相応しい相手です。明日はリゼさんのお誘いもありますし、今日中に完成させたいですね」

 

 すると突然、チノの部屋のドアがバタンという音を立てながら勢い良く開く。

 

「チ〜ノ〜ちゃん!あ〜そ〜ぼ♪」

 

 部屋に入ってきたのは、チノの(自称)姉のココアだった。

 

「いい天気だよ〜♪外に出て遊ぼうよ〜♪虫取りなんてどうかな?折角のお休みに一人じゃ寂しいよ?」

 

 そう言いながらココアはチノの周りをうろうろする。正直うっとおしいとチノは思った。

 チノはココアとは違い、元気よく外で遊びたいというタイプではない。それに、折角学校もお店も休みの日だから自分の時間を謳歌したいと思っていたので、思わぬ邪魔が入ってしまったというのがチノの素直な感想だ。

 でもわざわざ遊びに誘ってくれたココアさんを、ただ一方的に追い出すのも忍びないですし……。

 そう思ったチノは頭の上のティッピーをココアの頭に乗せて、それからココアを体良く部屋から追い出した。

 

『ワシを身代わりに!?』

 

 そしてココアを追い出すと、チノはそのままバタンとドアを閉めた。

 

「チノちゃん!?」

 

 

 

 チノに部屋を追い出されたココアは、仕方なく他のみんなを誘って遊ぼうと思い、外に出かけようとする。

 

「なんだココア、出かけるのか?」

 

 ココアが外に出ようと一階のカフェスペースに姿を見せると、バイト中の有宇に声をかけられる。

 

「うん、他のみんなと遊ぼっかなって。チノちゃん遊んでくれないから……」

 

「チノだって一人でいたい日もあるだろ。構い過ぎなんだよお前は」

 

「でも……」

 

「それに今年の夏はチノにとって受験の夏でもあるわけだし、あまり構ってやるな」

 

「うん……」

 

 有宇の言ってることは正論で、ココアに反論の余地はなかった。

 すると有宇は気を使ったのか、こんなことを言う。

 

「にしてもお前その格好、夏スタイルはまってるな……」

 

「そう?」

 

「ああ、いかにも夏場の田舎娘って感じだぞ」

 

 ココアの格好は水色に白い水玉模様のワンピースに麦わら帽子、手には虫取り網と虫取りカゴと絵に描いたような夏スタイルだった。

 

「えへへ……。因みに有宇くんは遊べ……ないよね」

 

「見ての通り仕事中だ。まっ、お前が変わってくれるというなら遊べるがな」

 

 有宇がそう言ってチラッとココアの方を見ると、もう既にココアはそこにおらず、店を出て行ってしまった後だった。

 

「あのヤロー……まぁ、別にいいけど。つかあいつ、明日の準備はいいのかよ……」

 

 すると奥からマスターが出てくる。

 

「どうかしたかい?」

 

「マスター、いえ、大したことじゃ……。ココアが遊ぶ相手がいないって言ってて。それで他の連中誘いに行ったみたいですけど、多分全員明日の準備とかあるだろうし無理だろうなって」

 

「そうかい」

 

 するとマスターはキッチンの方へと引っ込んでしまった。

 しばらくして出てくると、家庭用エスプレッソメーカー、マキネッタを手に持っており、それを有宇に手渡す。

 

「えっとマスター、これは?」

 

「それをココア君に渡しておいてくれないか?」

 

「別にいいですけど、どうしてこれをあいつに?」

 

「チノを笑顔にさせるのが彼女の仕事だからさ」

 

「は、はぁ……」

 

 正直何言ってるかわからないが、マスターのことだし何かあるのだろう。有宇はそう思うことにした。

 

「わかりました。じゃあ帰ってきたらあいつに渡しておきます」

 

「いや、忘れるといけないから今渡してきてくれないか。君はもう上がってくれていいから」

 

「え?でも……」

 

「ココア君も折角出かけたのにひとりぼっちじゃ寂しいだろ?」

 

 あぁ、要はココアのお()りをしてこいってことか。まぁ、毎日バイトっていうのもなんだし、たまにはいいか。

 

「じゃあその……着替えてきます」

 

「あぁ、行っておいで」

 

 そして有宇はシフトを早めに上がり、着替えに自室へと向かった。

 

 

 

 一方ココアはというと、ラビットハウスを出た後、親友達の自宅を訪れて行っていた。

 しかし皆それぞれ理由があって断られ、一緒に遊べそうにはなかった。

 

「シャロちゃんはよくわからないけどなんか遊べそうになかったし、千夜ちゃんと青山さんはお仕事だし、リゼちゃんはなんか忙しそうだし、みんな忙しいんだね。でもせっかくの夏休みなのにな……」

 

 7月ももうじき終わるという時期、季節はもうすっかり夏真っ盛りで、今も外は真夏の太陽がジリジリと照りつけていた。

 

「ふぅ、それにしても暑いね。ちょっとベンチで休もっかティッピー」

 

 虫取りカゴの中のティッピーにそう話しかけると、ココアは近くにあったベンチに腰を下ろした。

 そしてカゴからティッピーを取り出し、腕に抱きかかえる。因みに何故ティッピーをカゴの中に入れていたのかというと、別に特に意味はなく、単に夏っぽいからとかそんな理由である。ティッピーも特に嫌がることなく、寧ろ嬉しそうにしていたのでずっとカゴに入れっぱなしにしていたのだ。

 ベンチに腰を落ち着けると、ココアはティッピーに語りかける。

 

「ねぇティッピー、私もう疲れたよ……。私はただこの街の夏をみんなと満喫したかっただけなのに……」

 

 そしてココアはあまりの夏の暑さに、心なしか耳まで遠くなっていき、うさぎの天使がラッパを吹きながらお迎えに来る幻覚まで見え始め、その場で横になった。

 

「あぁ、暑くて耳が遠くなってきた……お迎えが見えるよ……」

 

 するとその時、突然謎の影がココアを覆った。そしてココアの目の前に現れた影がココアに話しかけてくる。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「有宇……くん?」

 

 よく目を凝らしてみると、そこにはまだラビットハウスでバイト中のはずの有宇が立っていた。

 

「幻覚かな?有宇くんがいるはずないよね……やっぱり神様のお迎えかな?」

 

「いやいや、幻覚じゃないから!」

 

「……本物の有宇くん?」

 

「本物だ本物。それより大丈夫かよ。ほら、水飲め」

 

 そう言って有宇はカバンから水の入った水筒をココアに渡した。

 ココアは体をお越し有宇から水筒を受け取ると、ティッピーにも分け与えながら水筒の中の水を飲む。

 水はキンキンに冷えており、ココアの喉はすっかり潤った。

 

「ぷはー!すっかり生き返ったよ。ありがと有宇くん」

 

「ったく、外暑いんだから水くらい用意しておけよ。ほら、汗もこれで拭け」

 

 更に有宇はココアにタオルを手渡す。

 

「おおっ、至れり尽くせりだね。にしても有宇くん、どうしてここに?バイト中じゃないの?」

 

「マスターにもう上がっていいって言われたから上がった。あと、お前にこれ渡せってさ」

 

 そう言うと有宇は、カバンからマキネッタを取り出しココアに渡す。

 

「これを私に?」

 

「あぁ、よくわからんがお前にということだ。あと渡すついでにお前の相手もしてやれってさ」

 

「ということは一緒に遊んでくれるってこと?」

 

「まぁ、そういうことになる」

 

 それを聞くとココアは、その場で飛び跳ねるほど大はしゃぎしながら喜んだ。

 

「やったぁ!さっすが有宇くん!それでこそ私の弟だよ!」

 

「弟じゃない」

 

「それでそれで!何して遊ぶ?虫捕りとかどうかな?」

 

「虫捕りだと?なんでこんなクソ暑い日に、わざわざ気持ち悪い虫なんぞ捕まえなきゃならんのだ。却下だ却下!」

 

「え〜虫捕りいいと思うのに……。じゃあ有宇くんのやりたい事でいいからさ〜。ほらほら〜なんかないの?」

 

「そうだな……取り敢えず何か食べないか?お前も昼まだだろ?」

 

 時間は昼を過ぎた頃、有宇もココアも昼食はまだだった。

 

「いいね。まずは腹ごしらえってことだね。どこ行く?あ、コーヒーメーカー邪魔だから有宇くんカバン入れといて。あとタオルありがと」

 

 そう言うとココアは、マキネッタとタオルを有宇に返す。

 ココアからマキネッタとタオルを受け取りカバンにしまいながら、有宇はココアの質問に答える。

 

「そうだな、どこに行くか……。あ、そうだ、行ってみたい店があるんだが、そこでいいか?」

 

「うん、いいよ。で、どこに行くの?」

 

「行けばわかる」

 

 そして二人は、その有宇の行ってみたい店とやらに行くことにした。

 

 

 

 

 

 十分程歩くと、その目的の店の前に着いた。

 

「有宇くん……ここって……」

 

「あぁ、まさかこの街にラーメン屋があったとはな。前から行ってみたかったんだよ。この街に来てから洋食ばっかでラーメンなんて全然食べてなかったからさ」

 

 有宇に連れられてやって来た店というのはラーメン屋。しかもこってり系の。

 ラーメン屋を前にして、ココアは少し苦い顔をしていた。

 

「なんだ、ラーメン嫌いか?」

 

「嫌いじゃないけど暑くない?それにこれからまだ外で遊ぶのに、ネギとかにんにくの臭いとか付くのはちょっと……」

 

「さっきまで汗まみれだった奴がよく言うな……。まぁ、だが確かに僕も臭いがつくのは嫌だな。二枚目の僕からにんにくの臭いがするなんて事態は僕も避けたい。だが、この僕がなんの準備もなしに来るわけがないだろ」

 

 そう言うと有宇はカバンからブレスケアと携帯用消臭スプレーを取り出して見せた。

 

「おお、有宇くんのカバン本当に色々入ってるね。なんか女の子みたい」

 

「女の子みたいって……。女だけじゃなくて男も体臭や口臭は気を使うんだよ。それに夏は汗もかくし、外に出る用意は万全にしておくべきだ。他にも制汗スプレーにタオル、ウェットティッシュに日焼け止め、備えは万全だ」

 

 有宇のカバンの中は、そういった臭い対策や身だしなみを整える用品やらがずらりと入っていた。

 流石に自ら二枚目を名乗るだけあって、外での身だしなみや臭いなどには人一倍気を使っていた。

 

「臭いが気になるなら、今回は特別にお前にもブレスケアなりなんなり好きなのを恵んでやろう。それに中はクーラー効いてるだろうし、暑さの心配もないだろ」

 

 それを聞くと、ココアも気持ちが傾いたようで納得した。

 

「確かにそれなら安心して食べれそうだね。よし、じゃあここで食べよっか。私もラーメンなんて久しぶりだし、実は食べてみたかったんだ〜」

 

 そして二人はラーメン屋で昼食を取ることを決め、店の中へと入っていった。

 

 

 

「ラーメン美味しかったね」

 

「あぁ、たまにはこういうこってりした物もいいな」

 

 ラーメン屋を出た二人は、宛もなくぶらぶらと街をふらついていた。

 

「なんか遊べるものないかな〜。虫捕りなら森に入ればすぐなんだけど」

 

 ココアはチラッと有宇を見る。

 

「虫捕りなんぞするなら僕は帰るぞ」

 

 しかしすぐに断られてしまう。有宇は断固として虫取りをする気はないようだ。

 

「もう、わがままだな有宇くんは。虫可愛いのに……」

 

「お前、女のくせによく虫なんか触れるよな……」

 

「虫好きに男も女もないよ。それに私は昔からよく虫捕りで遊んでたよ。うち、自然に囲まれていたから、家のすぐ側に虫捕りできる森とかあったんだ。よくお兄ちゃん達と一緒に取りに行ったよ」

 

「そりゃ結構なことで」

 

「有宇くんは虫捕りとかして遊ばなかった?東京にはそういう場所ないの?」

 

「僕は……」

 

 有宇は昔を思い出す。といっても昔の記憶なんてほとんど(おぼろ)げだ。

 昔の記憶にあるのは僕らを置いて出ていった父さんの姿、そして僕らをおじさんに押し付けて姿を消した母さん……いや、あんな人母さんでも何でもない。あんな人……。

 

「有宇くん?」

 

「……いや、何でもない。そういう遊びは特にしなかったな。昔から無趣味なんだ僕は」

 

「そっか、有宇くんも楽しめる物なんか見つかればいいね」

 

「そうだな」

 

 まぁ、でも今の生活はそれなりに気に入ってる。

 ここに来る以前より、バイトやら家事やらで忙しくはなったが、充実感はある。

 ここで得られた物もあるし趣味はないが、それなりに退屈せず過ごせてると思う。

 

 

 

 それからしばらく二人で街をぶらついていると、ココアがある建物に目をつける。

 

「あ、ここ前にみんなで来た映画館だ」

 

「映画か。今面白いのやってたっけ?」

 

「この『Dear My Rabbit』ってやつ面白いってクラスの子が言ってた気がする」

 

「ふーん、じゃあ見てみるか。外で汗だくになって汚い虫なんか捕まえるより、涼しい室内で映画見てる方が快適に過ごせるしな」

 

 それを聞くとココアが顔をムッとさせる。

 

「ムッ、虫捕りだって楽しいもん!」

 

「あーわかったわかった。取り敢えずチケット取れるか聞いてくるか」

 

 そう言うと有宇は、不平を漏らすココアを無視して映画館の中へと入っていった。

 映画館に入ってスタッフに聞いてみると、まだ席はあと僅かではあるが空いていた。しかも丁度、あと十分程で上映開始だという。

 特にやりたい事もないし、丁度いいので二人はここで映画を見ることとなった。

 売店で、ラーメンを食べたせいか甘い物が欲しかったので、ポップコーンのペアセットを買っていき、一時間半程の時間を映画館で二人で過ごした。

 

 

 

 

 

「面白かったね」

 

「そうか?つまらなくはなかったが、そこまで面白くはなかったな」

 

 映画館を出た後、二人は互いに映画の感想を言い合いながら歩いていた。

 

「え〜そうかな?最後妹うさぎがお姉ちゃんうさぎと再会出来たところなんか私、思わず涙が出ちゃったよ」

 

「再会と言っても、単に姉うさぎが実家に帰省してから帰ってきただけじゃないか。うさぎ共のゆるふわの日常ストーリなんて僕の趣味じゃないな」

 

 映画の内容を大まかに言うと、血の繋がらないうさぎの姉妹のうち、姉の方が姉方の実家に帰省し、普段姉に対しツンケンとした態度を取っていた妹うさぎが、姉がいなくなって始めて姉の大切さを知った……みたいな話だ。

 もっとこう僕的にはシリアスにしてくれた方が楽しめた、というのが有宇の率直な感想である。ココアの方は気に入ったようだが、有宇にとっては今回の映画は少し微妙だったようだ。

 そして映画の話をしながらしばらく歩いていくと広場に出る。広場ではクレープなどの出店、更にあちこちで手品や大道芸などが行われていてお祭り騒ぎだった。

 その様子はまるで、東京にいた頃何回か行った上野公園のようだった。

 

「こりゃなんだ?」

 

「ほら、今夏休みでみんな暇だから、こういう大道芸とかやってる人にとっては稼ぎ時みたいだよ。それにこの時期は観光客もたくさんやって来るしね」

 

「へぇ、やっぱそういうの来るんだな」

 

「うん、特に八月末に行われる花火大会なんかはすごいよ〜。といっても去年は雨で中止になっちゃったから、私もチノちゃん達から聞いた話でしか知らないけど」

 

「そりゃ残念だったな」

 

「うん、だから今年はみんなで行きたいね。今年は有宇くんもいるし」

 

「そうだな」

 

 最も八月末まで僕がこの街にいるとは限らないのだがな。まぁ今のところおじさんから連絡もないし、しばらくは星ノ海学園に行くことはないだろうけどな。

 それから二人で色んな大道芸を見て回った。ジャグリングにパントマイム、アクロバットなやつや風船を使った物、手品やスプレーアートなど色々だ。

 一通り見て回り、そろそろ行こうかと思ったその時だった。

 

「やぁ君達。僕の超不思議術を見ていかないかね」

 

 突然、一人の男に声をかけられた。

 その男はいかにも怪しい風貌をしていた。いや本当に言葉じゃ言い表せないぐらい怪しかった。

 

「おおっ……!なんかすごい格好の人だね」

 

「あぁ……そうだな」

 

 ていうかよくこんな格好して街を歩き回れるな……。

 他にも大道芸人とかはいるが、その格好は目立ち過ぎだろ……。

 

「えっと、何か御用でしょうか……」

 

 思わず有宇も、仕事でもないのに敬語で対応してしまう。

 いや、しつこいかも知れないが本当にそれぐらい怪しい男だったのだ。

 

「いやなに、君達に僕の超不思議術を見てもらいたくてね。どうだい、僕に一万円札を貸してくれないか?」

 

「何に使うんですか?」

 

「僕の超不思議術に必要なんだ。それでどうだい、貸してくれるかな?」

 

 いや……絶対怪しいだろこのおっさん。

 大体紙幣を借りたいなら千円札でいいだろうに、わざわざ一万円札を要求してくるって……貸したら絶対返ってこないだろこれ。

 取り敢えずさっさとこの場を離れようと思い、ココアにその旨を伝えようとすると────

 

「おじさん、一万円札今ないからニ千円札でもいい?」

 

「あぁ、いいとも」

 

 ものの見事に騙されて男に金を差し出していた。

 

「いやお前何出してんだよ!?つか一万円なくて、逆によく二千札あったなッ!?」

 

「え〜だって超不思議術みたいじゃん。有宇くん気にならない?」

 

「そうじゃなくて絶対インチキだろこれ!絶対騙して金取る気だぞこのおっさん!」

 

「え〜そんなことないよ〜。ねぇ、おじさん」

 

「あぁ、お金は超不思議術を見せた後ちゃんと返すとも。約束しよう」

 

「ほら、おじさんも返すって言ってるよ。それに手品ならさっきもお客さんから借りた百円玉で手品してた人いたし大丈夫だよ」

 

 いや額が全然違うだろ……。

 だがココアはどうやらこの見るからに怪しい男を信じきってる様子だ。こうなったらココアは動かないだろうし、仕方なく有宇は男に疑いの眼差しを向けながら見守ることにした。

 

「それじゃあ早速みせてあげよう。ほら、いくよ」

 

 そう言うと男はココアから受け取った二千円札を小さく折って、左手に握りしめた。

 

「今君からもらったお札はご覧の通り左手に握られているはずだ。だが僕の超不思議にかかれば……!」

 

 そして男は左手を開く。

 するとそこにはさっきまで握られているはずの二千円札は無くなっていた。

 

「ええっ!どこいったの?」

 

 すると左手同様握られていた右手を開く。

 そこにはさっきまで左手に握られていたはずの二千札があった。

 

「ええっ!なんで!?すご〜い!」

 

「ただの手品じゃないか……」

 

 これならさっき別の大道芸人がやっていた手のひらに乗せたコインが貫通して地面に落ちたマジックの方が凄かった。

 怪しい風貌の男は更に続ける。

 

「まだまだいくよ。今度は……よっと!」

 

「おおっ!胸ポケットに移動した!」

 

 それもなんかよくある感じの手品だし。

 学生だった頃、よく手品好きのクラスメイトとかがおんなじような事やってた気がするぞ。

 

「では最後だ。今度は今までのとは比べ物にならないぐらい凄いぞ!それじゃあいくぞ、1、2、3、フューチャー!!」

 

 男がそう叫ぶと、胸ポケットに入ってたはずの二千円札が消えていた。

 

「おおっ!?今度はどこにいったの?」

 

「フフッ、超不思議術と言っただろ。お札は君の財布の中さ。それも三日後の君の財布の中にね」

 

「ええっ!?すっご〜い!未来に送っちゃったの!?」

 

「あぁ、そうさ。決して僕がパクったとかじゃないからね。それじゃ、グッバイ!」

 

 男はそのまま立ち去ろうとする。そんな男に、有宇は容赦なく能力を使う。

 男に乗り移り、そのまま体を探りまくると、男の派手な白いスーツの内ポケットの中からココアの二千円札が出てきた。

 

「あれ?どうしておじさんが持ってるの?」

 

 意識が自分の体に戻るとココアに言う。

 

「普通に騙されたんだよお前。このまま姿を消せば、後で金がないって言っても探しようがないだろ?それがこのおっさんの手口だ」

 

 有宇がそう言うと、男は白々しくもこんなことを言う。

 

「ハッハッハ、どうやら少し失敗してしまったようだね。やっぱり一万円札の方が成功しやすいみたいだ。というわけで今度はそこの男の子、君は一万円札を持ってないか?」

 

「……」

 

 

 

 それから有宇は男をその場で取り押さえ、他の大道芸人に縄を借りて男を縛り上げた。

 警察に引き渡す際、『この粋な見物料の貰い方が理解できんとはな!』などとほざいていたが、気にも止めず二人は広場を立ち去った。

 しかもこの男、警察の話だとこの手の詐欺紛いの手品の常習犯だったらしく、前に風祭市という所でも一度捕まっていたという。

 

「ああいう人もいるもんだね……」

 

「全くだ。しかもあのおっさん、バレた後も懲りずに僕からも金を騙し取ろうとしてたぞ。どんな図太い神経してんだよ……」

 

「まぁまぁ、お金は返ってきたからいいじゃん。ありがとね有宇くん、私だけだったら絶対騙されてたよ」

 

「別にいいけど、お前はもう少し人を疑え。マヤとメグといい、お前たちは人を疑わなさ過ぎる。こんなんじゃまた騙されるぞ」

 

「はぁ〜い。でもまた有宇くんに守ってもらうから大丈夫だも〜ん」

 

 それを聞いて有宇の胸が一瞬高鳴る。

 あれ?なんかそれ、なんとなくプロポーズっぽくないか?いや、こいつの言葉を深く考えるな。どうせ思ったことそのまま口にしてるだけだろ。

 一瞬ドキッとした有宇だったが、すぐに冷静になった。

 

「……次は助けないからな」

 

「ええ〜」

 

「ほら、さっさと行くぞ」

 

「うん!」

 

 そして二人はまた次の遊べる場所を探しに、再び街をぶらつき始めた。

 

 

 

 時刻はすっかり夕暮れ、二人は(いかだ)で川下りをしていた。

 以前から川の方を覗くと、川下りしている筏をよく見かけていたので、せっかくの機会だし乗ってみようとココアに提案してみたのだ。

 

「楽しいね、有宇くん」

 

「そうだな。なんかここに来て始めてこの街を観光した気分だ」

 

 ここに来てから、毎日毎日バイトしかやってなかったからな。街をぶらつくぐらいはするけど、観光とはなんか違うし……。

 さっきの大道芸も東京で見ようと思えば見れるし、詐欺にあったしで、これが一番まともな観光らしいことかもしれない。

 

 するとココアが改まってこんなことを言う。

 

「今日はありがとね有宇くん、付き合ってくれて。有宇くんいなかったら私、今日ひとりぼっちだったから嬉しかったよ」

 

 そういえば今日は他の連中が明日の準備に追われてて、こいつの相手をしてくれなかったんだっけか。すっかり忘れてた。

 

「何を今更。それに僕もそれなりに楽しめたしな。……まぁ最後、詐欺野郎に会ったのはあれだか……」

 

 そう返すとココアはニコッと笑みを浮かべる。

 すると急に、ココアは僕がこの街に来た頃の思い出話をしみじみと語り始めた。

 

「思えばこうやって有宇くんと二人でお出かけするのも、有宇くんに街案内した時以来だね」

 

「あー、そういえばそうかもな」

 

「あれからもうそろ二ヶ月ぐらい経つんだね。あの時の有宇くんはまだ私達と距離置いてたよね」

 

「そうだな。まっ、今でも距離置きたいと思うときはあるけどな」

 

「えっ、そうなの!?」

 

 主に朝起こしても起きない時とか、野菜残しまくる時とか、勝手に尾行して来た時とかな。

 

「あの時は確か、お互いに拳を交えて、互いの信頼関係を築き上げたんだよね」

 

「んな青春漫画みたいなことしてねぇよ!」

 

 一方的に僕がお前にチョップされただけだっつうの。いや、でも言葉のキャッチポールならぬ、言葉の殴り合いとも言えなくはないか……?

 

「まぁまぁ、過程はともかく、あれから私達いい姉弟になれたよね。有宇くんもみんなと仲良くなったし、有宇くんもあれから少しは私達のこと信じてくれるようになったよね」

 

「信じるって、別にそんなんじゃ……」

 

 有宇はそう返すも、ココアはただニコッと笑っているだけだった。

 まるで全部わかってますとでも言うように。

 

「はぁ……まぁ、お前たちとの生活に慣れたのは確かだけどな」

 

 以前も同じように聞かれたが、以前と思うことはそう大して変化はない。

 確かにこいつらと共に過ごしていく内に、悪さして東京から逃げてきた僕なんかを認めてしまう程、お人好しな連中なんだなというのは理解できた。

 最も、それが信頼と呼べるものなのかまでは僕自身にもわからんがな。

 

「それは何よりだよ。私やみんなも有宇くんとこうして一緒に過ごすのにも慣れてきたし、私達、これからもっと仲良しになれたらいいね」

 

 仲良し……か。

 僕にとっては縁遠い言葉だとずっと思っていたが、こんな風に誰かに言われる日が来るとはな……。

 僕自身、こいつらとの日々は退屈しないし、それなりに充実したものだと思ってる。しかしそれが友達……なんて呼んでいいものかまだ迷いがある。

 そして僕は、ココアの問いかけに建前だけの空返事で返した。

 

「あぁ……そうだな」

 

 僕の空返事にニコッと笑うココアの顔を見て、少し罪悪感を覚える。

 前まで自分を繕うことなんかに罪悪感など感じなかったのに、何故だろうか……。

 有宇がそんなことを思っていると、ココアがこんなことを言う。

 

「にしても今日はどうしてみんなダメだったんだろ?一人ぐらい暇しててもいいのに……」

 

「え?」

 

 あれ?……もしかしてこいつ、明日のこと知らないのか?

 いや、まさかな。だが、一応聞いておくか……。

 

「なぁ、ココア。そういやお前、明日の準備とかは大丈夫なのか?」

 

「えっ……明日?なんのこと?」

 

 ……やっぱりか。

 思えば明日の準備とかしてる様子なかったし、何よりそういうイベンド事と聞けば誰よりもはしゃぎそうなこいつが、その前日にいつも通りでいるはずがないよな……。

 にしてもちゃんとリゼがメールを全員に送ったはずなのにな……。

 

「リゼがメールで言ってたろ。明日から泊まりがけでリゼん家の別荘に遊びに行くって」

 

「リゼちゃんが……?」

 

 するとココアはその場で思考停止してしまう。

 そしてしばらくしてから口を開く。

 

「私……聞いてない……」

 

「一応聞くが、携帯はどうした?」

 

「携帯……」

 

 ココアはその場でカバンの中をゴソゴソと探し出す。しかし携帯は出てこない。

 

「ない……そういえば最近携帯見てないかも……。お店の制服のポケットかな……?」

 

 そりゃ道理で見てないはずだ。つか仕事中に携帯弄るな。

 

「お前がガラケーだからリゼもわざわざL○NEじゃなくてメールで回してるっていうのに、お前って奴は……」

 

「えへへ、ごめんごめん……あ!」

 

 するとココアがハッとする。

 

「そうだよ!それじゃあすぐに明日の準備しないといけないじゃん!必要なものとか足りないのとかあったら色々買わないと……。うわーん!有宇くん手伝って〜!」

 

「知るか、自業自得だろ」

 

「お買い物付き合うだけでいいから〜!」

 

 ココアが有宇に泣きつく。

 すると橋の上とかから人が、ココアの泣き声を聞いてこちらをみんな見てくる。

 まずい、いつぞやの甘兎の時みたいに変な誤解をされたら……。

 

「だぁもう、わかった!付き合ってやるから離れろ!」

 

 そして筏を降りた後、ココアの明日必要な物なんかを買いに行くのに付き合わされる羽目になった。

 しかも買い終わった頃には外は暗くなっており、帰ったら帰ったらで、帰りが遅いとチノに怒られた。……理不尽だろ。

 

 

 

 次の日、空は昨日同様見事な快晴だった。

 ココアとチノは、店の外で待ってるみんなの元へ向かうため、家の階段を降りながら外へ向かう。

 

「まさか今日のこと知らなかったとは思いませんでしたよ」

 

「えへへ、でも有宇くんがいてくれてよかったよ。携帯もお店の制服のポケットにちゃんと入ってたし」

 

「ほんと、しょうがないココアさんです」

 

 そして一階に降り、二人がそのまま店の玄関から外に出ようとした時だった。

 

「おっそうか、もう出発の時間か。気をつけて行ってこいよ」

 

「うん、行ってくる……よ……」

 

 一瞬流されかけたが、ココアがそこであることに気付いた。

 

「……って有宇くん!?なんでお店の制服に着替えてるの!?」

 

「お兄さん!?今日はみんなでお出かけの日ですよ!?」

 

 有宇がココア達に声を掛けてきたのだが、何故か出かける準備など一切していない様子で、しかも制服に着替えていたのだった。

 そしてココアとチノの二人の声を聞いて、外にいたみんなも店に入ってくる。

 

「おい、どうしたんだ……って有宇!?お前なんで制服なんか着てるんだ!!」

 

「今日はみんなで出かける日でしょ!」

 

「あらあら、今日のこと忘れちゃってたのかしら?」

 

 リゼとシャロと千夜も二人と同様に驚きの声を上げる。

 

「あれ?有宇にぃ来ないの?」

 

「エー!お兄さん来ないの!?」

 

 そしてマヤとメグもまた同じような反応を示す。

 しかし有宇の方は素知らぬ顔で当たり前のようにこう返す。

 

「えっ、僕も頭数に入ってたのか?」

 

「当たり前だ!お前だけ仲間はずれになんかするわけ無いだろ!」

 

 それを聞くと、それは予想だにしてなかったと有宇はポカンとした表情を浮かべた。

 

「そうか、てっきりお前らだけで行くものかと……」

 

「逆になんでそう思ったのよ……」

 

「いや、泊りがけで出かけるわけだから、男の僕は誘わないものかと……」

 

「もう、私達そんなこと気にしないのに〜」

 

 どうやら有宇は、女子達の泊まりがけの遊びに男である自分が呼ばれるはずがないと思っていたようだった。

 しかしこれで一件落着かと思われたが……。

 

「まぁいいや、さっさと準備してこいよ。みんな待ってるから」

 

 リゼがそう言うと、有宇はプイと顔をそらし言う。

 

「僕は行かない」

 

「あぁ……ってはぁ!?なんてそうなるんだよ!」

 

 リゼが驚嘆する。

 何故か有宇は誤解も解けたというのに、この期に及んで頑なにみんなと一緒に行くことを拒んだのだ。

 するとシャロが有宇に食って掛かるように問い詰める。

 

「ちょっとあんたどういうつもりよ!」

 

 シャロが有宇に突っかかると、興奮気味のシャロを落ち着けるかのように、間にココアが割って入る。

 

「まぁまぁシャロちゃん落ち着いて。でも有宇くんどういうこと?行かないって。みんな待ってるよ?」

 

「そのまんまの意味だ。リゼ、確か行き先は近くの山だったよな」

 

「あぁ、けど親父の都合でそっちのコテージは使えなくなったから、街の境にある森のキャンプ場跡にある別荘に行く予定だが……」

 

 それを聞くと、有宇はあからさまに嫌そうな顔をする。

 

「こんなくそ暑い日に、しかも虫が(たか)る森なんぞにわざわざ行きたくない」

 

「お前なぁ……相変わらず自分勝手だな」

 

「ほんと、こういうところは相変わらずねあんた……」

 

「あらあら……」

 

 リゼとシャロと千夜が、有宇の自分勝手な言動に呆れる。

 しかしココアは諦めず粘り強く有宇を誘う。

 

「む、虫なら昨日一緒に買った虫よけスプレーとかあるし大丈夫だよ!それにリゼちゃんちのコテージならきっと有宇くんも快適に過ごせるよ!」

 

 しかし有宇は毅然と聞く耳を持たない。

 

「どうだかな。第一、ラビットハウスはマスターがいるから僕もココア達と一緒に暮らせてるが、泊まりがけで出かけるとなると、マスターもいないし男が僕一人になる。ただでさえ保護者同伴ってわけでもないのに、女子の中に同年代の男が一人って状況で一緒に外泊っていうのは普通に考えてアウトだろ」

 

「ゔっ……それは……」

 

 有宇の言ってることは正論で、然しものココアも口を濁す。

 そして他のみんなもまた同様の反応を示す。

 

「お前、そういうところは真面目なのな……」

 

「僕はいつだって真面目だ。ま、僕のことは気にせずよろしくやってくれ。僕は僕でお前等がいないここでの生活を楽しませてもらうさ。帰って来たら土産話でも聞かせてくれ」

 

 有宇が笑いながらそんなことを言うと、突然シャロが激昂する。

 

「そ……そういう問題じゃないでしょ!このおバカ!」

 

「なっ!お前この僕をバカだと?人が折角気を使ってやってるっていうのにこのアマ……」

 

「あぁ、お前はバカだ。有宇」

 

 するとシャロに続きリゼまでそんなことを言う。

 

「なっ……!」

 

「お前が私達を本気で傷つけるようなことをする奴じゃないっていうことぐらい、この二ヶ月で十分理解してる。そんなこと今更問題にするまでもないだろ」

 

 いや、そこまで無条件に信頼されても困るんだが……まぁ、悪い気はしないが。

 するとリゼに続いてシャロも言う。

 

「それにあんた、私達のことそういう目で見てないでしょ。なら、そもそもそんなこと問題にする必要なんてないじゃない。寧ろ、みんなあんたとも一緒に遊びたいって言ってるのに、それをそんな簡単に断らないでよ!」

 

 それを聞いた有宇は少し驚いた。まさかシャロからそんな事を言われるとは……。

 するとシャロのその言葉に釣られたのか、マヤメグも言う。

 

「そうだー!私も有宇にぃと遊びたーい!」

 

「ワタシモー!」

 

 そして極めつけにチノが言う。

 

「私も……その……お兄さんと遊びたいです」

 

 そして皆ジッと有宇を見つめる。

 何をどう返せばいいかと有宇が困惑してるとココアが言う。

 

「ほら、みんな有宇くんと遊びたいって。有宇くんもこまかいことは気にしないで一緒に遊ぼうよ」

 

 ココアにそう諭されると、有宇も少し気持ちが傾いた。

 正直こいつらと外で泊まりがけで遊ぶとか、何か問題が起こる気しかしないし、クソ暑い中外出たくないし、虫いるし行きたくない。

 が、ここで下手に行くことを拒むほうが後々こいつらとの関係が面倒くさくなりそうだ。そう考えると、なんだか行ってもいい気がしてきた。

 有宇がそう思い直し、キャンプに行くことを了承しようとすると千夜が口を挟む。

 

「それに有宇くん、そういうとこヘタレそうだし大丈夫よね」

 

「確かに!有宇にぃ、結構ヘタレだもんね」

 

「……やっぱ行かない」

 

 千夜とマヤの一言で、一気に有宇は機嫌を悪くしてしまったのであった。

 

『マヤぁぁぁ!!(ちゃん)(さん)』

『千夜ぁぁぁ!!(ちゃん)(さん)』

 

「あらあら♪」

 

「ごめんごめん、つい」

 

 千夜とマヤの余計な一言により、有宇はすっかりへそを曲げてしまった。その場にいた全員がツッコむも、千夜とマヤは悪びれる様子もなく、二人ともいつもみたくニコニコ笑っていた。

 そしてすっかり不貞腐れてしまった有宇は、再びキャンプに行かない姿勢を取り始めた。

 流石にこれはもうダメかとみんなが思ったとき、店の奥からマスターが現れた。

 

「おや、どうしたんだい?もう行く時間だろう」

 

「それが有宇くんが行かないって……」

 

 ココアがそうマスターに告げ口すると、マスターが有宇の方を向く。

 有宇もそれに気付き、マスターに怒られないように言い訳を並べ、自らの正当性を証明しようとする。

 

「いや、シフト表がら空きだったから、てっきり僕が入るものかと思って……。そ、それに、女の中に男が僕一人というのも、やっぱ良くないかなって……」

 

「君に関しては私も信頼している。だから安心して行ってきなさい」

 

「いや、確かに今はそんな気はないですけど、万が一にも……」

 

「それは問題ないだろう。君は自らの保身を第一に考える人間だ。自分の立場を脅かすような真似をするような人間じゃない。それに君はそういうところは結構ヘタレそうだしね」

 

「ゔっ……」

 

 まさかマスターにも言われるとは……。

 正直イラッとしたが、しかし有宇はマスターに対しては何も言い返せなかった。単にマスターの言ってる事は間違いではないというのもそうだが、マスターに反論できる程の威勢を持ち合わせてないからだ。

 最もそういうところが、みんなからヘタレと言われる要因なのだろうが、有宇自身にその自覚はない。

 

「まぁ、ともかく行ってきたまえ。きっと君にとっても、いい経験になる」

 

 それを聞くと、有宇は「はぁ……」とため息を吐いてからみんなの方をチラッと見る。みんなもまた有宇に視線を集める。

 そして、有宇は少し照れくさそうに顔を逸らしながらみんなに言う。

 

「えっとそれじゃあ……準備するから待っててくれ」

 

 それを聞くと、皆表情を和らげ笑顔になる。

 

「有宇くん……!」

 

「はい!お待ちしてます!」

 

「あぁ、待っててやるから行ってこい」

 

「ほんと、手間がかかるんだから」

 

「ふふっ、待ってるわ」

 

「ほんと、有宇にぃってツンデレだよね〜」

 

「お兄さん照れてる〜」

 

 皆に見送られながら、有宇は廊下を出て階段を駆け上がり、自分の部屋に向かった。

 そして結局、有宇も一緒にリゼの家の別荘に行くこととなった。

 

 

 

「……まさか本当に行くことになるとは」

 

 コテージへ向かう車の中で、有宇はそう愚痴を漏らした。

 

「まぁまぁ、きっと有宇くんも楽しめるはずよ」

 

 隣に座る千夜がそう言って有宇を宥める。

 車は人数の関係上二台で行くことになり、ココア・チノ・マヤ・メグと有宇・リゼ・千夜・シャロに別れた。

 そして前の座席にリゼとシャロ、後ろに有宇と千夜が座っている。

 

「楽しめるって何を?クソ暑い炎天下の中、そして虫の蔓延る森の中で何を楽しめと?」

 

 有宇が若干キレ気味でそう言うと、千夜が「ふふっ」と笑いながら答える。

 

「実はね、リゼちゃんの別荘の近くに、有名な心霊スポットがあるの」

 

「心霊スポット?」

 

「ええ、そこにはバスの事故で……ってそれは後のお楽しみね。だから夜、みんなで肝試ししましょ♪」

 

 するとそれを聞いて、前の席に座るシャロが異論を唱える。

 

「ちょっと千夜!私そういうの苦手って知ってるでしょ!」

 

「いいじゃない、みんなでやればきっと怖くないわ」

 

「全く、あんたはそういうの好きだからいいでしょうけど……」

 

 反対するシャロとは正反対に千夜の方は生き生きしているように見える。

 そういえば強盗犯の話をする時も少しイキイキしていたような……怪談とか、そういう怖い系の話が好きなんだろうか?

 因みに僕はそういうの大丈夫かというと……まぁ、ノーコメントで。

 そんな話をしながら、有宇達一行を乗せた車はリゼの別荘へと向かって行った。

 しかし、この時の有宇は知らなかった。

 ───これが新たな冒険への幕開けだと。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 一方、有宇達が向かうキャンプ場跡。そこに一人佇む男がニヤリと笑みを浮かべる。

 そんな彼に、黒い長髪をたなびかせ、どこか大人っぽい雰囲気を漂わせる長身美麗な少女───来ヶ谷唯湖が尋ねる。

 

「恭介氏、何をそんなに楽しそうに笑っているのかね」

 

 来ヶ谷にそう尋ねられると、何か楽しそうに無邪気に笑みを浮かべる中性的な顔立ちの美少年───棗恭介は答える。

 

「なに、今日はいい野球日和だなって」




今回のお話はごちうさ原作4巻11話が元になっています。
因みに話の中で出てきたインチキおじさんは、Rewriteの10月25日に小鳥に付いていくと会えるあの人と同一人物です。
ついでにいうと、以前登場したちゃっきーさんもRewriteにおいて、あの鍵っ子なら誰でも知ってる有名な吉野応援歌を作ったその人だったりします。
さて、次回から新章、リトルバスターズ編がスタートします。
リトバスを知らなくても見れるとは思いますが、初っ端から物語に関わる重要なネタバレを飛ばしていくつもりなので、リトバス知らない方でネタバレが嫌な方は、事前に世界の秘密を知ることをお勧めします。
あと、話の途中からごちうさキャラが登場しなくなりますが、ご理解頂けたらと思います。
新章もよろしくお願いします!


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第2章、リトルバスターズ編
第29話、僕らの出会い


今回のお話はごちうさ原作4巻12話が元になっております。
因みに今回有宇達がキャンプに行ってる場所は原作で行った山ではありません。
さて、今回から新章です。どうぞこれからもよろしくお願いします。



「で、遊びに来たはずなのに何故僕らは釣りなんかしてるんだ」

 

 リゼの家の別荘があるキャンプ地に着いた有宇達一行。本来であればここでしかできないレジャーな遊びを満喫する予定だった。

 しかし何故か彼らは今、森の中にある川辺で魚釣りをしていた。

 

「まぁまぁ、これもアウトドアな遊びみたいなものだよ」

 

 ココアはそう言うものの、有宇のぶすっとした態度は直らなかった。

 

「ったく、だからキャンプなんぞ来たくなかったんだ」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ───事の発端は一時間前。

 コテージに着いた直後、みんなそれぞれの荷物を下ろし、早速遊びに出かけようとしていた。

 しかしリゼがその直後、慌てた様子で空のクーラーボックスを持ってきて緊急事態と言わんばかりにこう言った。いや、実際緊急事態だった。

 

「大変だ!どういうわけか食料が入ってない!」

 

「「「ええぇぇぇぇぇ!?」」」

 

 その場にいた誰もが驚いた。

 そりゃそうだ、今日明日2日分の食料はコテージの方で用意したと聞いていたから、こちらは何も用意していないのだ。それが無いというのだから驚くに決まっている。

 おまけに僕らを送った車は明日また来ると帰って行ってしまったため、今更街に引き返すこともできない。

 

「携帯はこの辺圏外だし、何故か電話線は抜かれてるし、街まで戻るにしても歩くとかなり距離があるし……」

 

 電話線抜かれたって……あり得ないだろ。これってどう考えてもあのリゼのクソ親父の仕業だよな……。

 しかしあのクソ親父がリゼを本気で危険な目に合わせるような事をわざわざするとは思えないが……クソッ、本当に何考えてやがる。

 にしても、これでどうやら外部との連絡とかも完全に絶たれたようだな……。

 するとココアがリゼにこんな事を尋ねる。

 

「でもここってキャンプ地なんだよね。お店とかやってないの?」

 

 ココアにしてはナイスアイデアだ。

 キャンプ地なら薪とかの他にも色々売ってるはずだ。当然食料もだ。少し値は張るかもしれんが、背に腹は替えられん。そこで食料を買えば……。

 しかしリゼはそんな希望をあっさりと打ち砕く。

 

「確かにここはキャンプ地だが、悪魔で元だ。この辺り幽霊騒ぎが頻発して起きて人が寄り付かなくなって、もうキャンプ地としては営業してないんだ。だから店も全部閉まってる」

 

 マジかよ……。ていうか幽霊騒ぎって、車の中で千夜が言ってたあれのことか……?

 とうやら本当に打つ手無しってわけか。

 

「待て、となると僕らの今日と明日の分の食事はどうなる?」

 

 有宇はリゼにそう尋ねる。

 するとリゼは釣り竿とナイフを両手に持って言い放つ。

 

「食料は我々で現地調達となる!」

 

「はぁ!?マジで言ってんのかよ!?」

 

 これには有宇も驚いた。

 なにせ適当にコテージで寝て過ごそうと思っていたのに、いきなりバカンスがサバイバルになったのだから。

 そして動揺を見せたのは何も有宇だけではない。どちらかというと同じくインドアなチノもまた不安そうな表情を浮かべた。サバイバルなんて経験もないだろうし、有宇が動揺してるぐらいだから不安になるのは当然だ。

 しかしそんな様子を見たココアがシャロに何か話しかけ、そのまま二人して何やらコソコソと話し合う。

 二人が話し終えると、二人は腕を組み皆に言い放つ。

 

「みんな、大丈夫!実家の大自然に鍛えられた私と!」

 

「しっ、食費のやりくりに鍛えられた私がいればなんとかなるわ!」

 

 二人が息を揃えてそう言うと、チノの表情も少し和らぐ。全くもって根拠もない主張だが、チノの気休め程度にはなったようだ。

 それから、(自称)サバイバルマスターのココアとシャロが率先して釣り竿を持ち、森へ食料となるきのこを探しに行った千夜とメグ以外のメンバーはみんなココアとシャロに続き釣り竿を持って魚釣りに向かい、今に至るというわけだ。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 それから魚釣りになったのはいいが、率先して釣り竿を持ったココアとシャロも素人で、経験者が誰一人としていなかったのだ。

 まぁ、それでもなんだかんだ二人とも結構釣れているのでそれはいいのだ。

 一番問題なのは……。

 

「全然釣れん!」

 

 ……この僕が一匹も釣れてないことだ。

 

「まぁまぁ有宇くん、諦めない諦めない」

 

「クソッ……」

 

 この僕が釣りとはいえ、ここにいる全員より劣るだと……納得できん!

 しかし場所を少し変えてみたり、餌を付け替えたりしてみるものの、全くかかる様子がない。

 すると、そんな有宇にココアがこんな提案をする。

 

「あ、じゃあ有宇くんにも私のパワー分けてあげよっか?チノちゃんにも効いたし、有宇くんにも効くかもよ」

 

「さっきのあれの事を言ってるのなら断る」

 

「ええ〜。良いと思うんだけどな〜」

 

 さっきのあれというのは、有宇同様釣りに苦戦していたチノが、ココアに後ろから抱きしめられ、一緒に釣り竿を持った瞬間魚が釣れたというものだ。

 ココアは気にしていない様子だが、有宇とて男子。ココアの近すぎる距離には困らされている。

 

(ほんとに、こいつはもう少しそういうのを意識したほうがいいっぞ割とまじで……)

 

 そして有宇はとうとうやっていられるかと釣り竿をその場に放った。

 

「やってられるか。他の事をする」

 

「え、諦めちゃうの?それに他って?」

 

「千夜とメグの山菜採りの手伝いでもやるさ。それじゃあな」

 

 そう言い残すと有宇は川辺を去り、森の方へと消えていってしまった。

 

 

 

 川辺を後にした有宇は、千夜達の山菜採りでも手伝おうかと森の中へと入って行った。

 森に入ってしばらくすると、千夜とメグの姿を無事捉えることができた。

 

「おーい、手伝いに来たぞ」

 

 有宇が声をかけると、向こうも有宇に気づき声を返してくれる。

 

「あら有宇くん、釣りの方はもういいのかしら?」

 

 一人だけ釣れなかったからこっちに来た……とは言いたくないな。

 プライドの高さからそう判断した有宇は、適当な理由をつけて言い逃れようとする。

 

「あぁ、ココア達が結構釣っていたし十分だろ」

 

 我ながらナイス回避だ。

 自分の言い訳を自負していると、千夜の持つかごに目がいく。

 

「おっ、結構入ってるな」

 

「ウン、千夜さんが食べられるきのこ知ってたから、千夜さんと一緒で良かったよ〜」

 

 どうやら千夜が食べられるものかどうか判別して、メグが採取していたようだな。なんにせよ、順調に取れているようで何よ……り……。

 そこで有宇がかごの中身に気づいた。

 よく見るとかごの中身は明らかに毒々しいきのこで一杯だったのだ。

 

「大漁でしょ♪」

 

「全部毒きのこじゃないか!!」

 

「正しいツッコミありがと♪」

 

「ボケてたのかよ!?」

 

 この女ぁ……全力でふざけてかかりやがったな……。

 かごを千夜から引ったくり、中のきのこを全部見て見るも、一つもまともなきのこがなかった。

 

「全部やり直し」

 

「はぁーい♪」

 

 はぁーい♪ じゃねえよ。この女本当に反省してんのか?

 ったくこいつら……いや、メグは千夜に騙されただけだが、この小一時間無駄に過ごしやがって……。

 

「はぁ……まぁいい、僕も手伝うからさっさと終わらせるぞ」

 

「ありがと、助かるわ♪」

 

「お兄さん頼もしい〜!」

 

 今にして思えば釣りを止めてこっちに来たのは正解だったかもしれん。

 一から山菜採りをさせられることとなり、そう思わずにはいられなかった有宇であった。

 

 

 

 それから三人で改めて山菜採りを開始した。

 途中何度かまた千夜がボケて毒きのこを採ろうとしたが、それは全力で阻止した。一応ボケるとき以外は千夜も、ちゃんと食べられる物と食べられないものを判別してくれたので、それは素直に助かった。

 ……これでもっと真面目に取り組んでくれればなぁ……。

 有宇とメグにはそういう山菜の知識はないので、ひたすら千夜に採って良いと言われた山菜を採取した。

 ある程度山菜を採ってキャンプ地に戻ると、もうみんな引き上げており、昼食の準備をしていた。

 

「お、帰ってきたか。もう魚焼いてるぞ」

 

「それはいいけど、なんでお前ら濡れてんだ?」

 

 リゼ含め、釣り組は全員何故か水で濡れていた。

 リゼ以外のメンバーに関しては服が濡れたのか、全員着替えていた。

 

「ちょっと水遊びをな……」

 

 リゼがそう言うと、釣り組が水遊びをしていたことを知り、千夜とメグが羨ましそうに言う。

 

「エーずるい!」

 

「私達も水の掛け合いっこしたかったわ」

 

 いや、千夜がふざけなかったらもっと早く戻れただろ。

 心の中で有宇はツッコんだ。

 一方有宇はというと、別に羨ましくはなかったが、自分達が働いている間に遊んでいると聞き、妬ましく思い嫌味を漏らす。

 

「ふん、食料がねぇってのに随分と呑気なもんだな」

 

「あ、食料なら倉庫に保存食があったから問題なさそうだ」

 

「あったのかよ!?つかあったなら僕達の苦労は一体何だったんだ!」

 

 一体なんのためにこの炎天下の中、森を歩き回ったと思ってるんだ。ということはつまり、僕達のしたことは徒労に終わったってことか……。

 

「まぁまぁ、それよりこっち来いよ。魚もう焼けてるからさ」

 

 よくもまぁぬけぬけと……。

 すると千夜とメグは有宇とは違い、嫌味一つ漏らさず笑顔でリゼ達の方へ向かう。

 

「わぁ〜!お魚美味しそ〜」

 

「私、そういえばおにぎり作ってきたんだったわ。それもよかったら食べて」

 

 「あったなら先に言えよ!」

 

 千夜に思わずそうツッコみを入れる。

 全く、身勝手な連中だ。

 そう思うと有宇は女子達とは離れたところに腰を下ろす。

 

「おい、有宇もこっちこいよ。もう魚焼けてるぞ?」

 

「いい。僕の分は食べてくれて構わん」

 

「けど……ってお前、それはなんだ!」

 

 リゼの視線の先で、有宇が自分のカバンから取り出したのは、コンビニ弁当だった。

 

「見ての通り、僕の大好物のおろし竜田弁当だが?」

 

「そうじゃなくてどうして弁当なんか買ってるんだって話だ!ていうかいつ買った!?」

 

「ここに来る途中道の駅でトイレ休憩しただろ。その時に買った」

 

「あの時か……いつの間にそんなことを。でも食事はここでみんなで取るって……」

 

「仕方ないだろ、僕の大好物のおろし竜田弁当だったんだから。勘弁してくれよ」

 

「どんな言い訳だ!」

 

「あ、でも千夜のおにぎりは欲しいから一つくれ」

 

「はい、どうぞ♪」

 

 千夜からおにぎりを一つ受け取ると、有宇はそのまま皆と少し離れた場所で一人食事をとった。

 そんな有宇を遠目にリゼが愚痴をこぼす。

 

「まったく、どっちが身勝手なんだか……」

 

「あいつ、未だにゲスいとこありますよね。自己中というか協調性がないっていうか……」

 

 リゼとシャロがそう言うと、いつものようにココアがフォローを入れる。

 

「まぁまぁ、それも有宇くんの魅力だよ。……たまにちょっと困るけど」

 

「でも私のおにぎりは食べてくれたわ♪」

 

 どうやら千夜以外のメンバーは未だに有宇の身勝手さに時折頭を悩ませている様子だった。

 しかしココアは続けて言う。

 

「でも有宇くん、少し変わったよね。最初会った頃より優しくなった」

 

 ココアがそう言うと、リゼとシャロも頷く。

 

「まぁ、確かにそうだな。……私もなんだかんだ助けられたし」

 

「そうね、まぁ少しはマシになったんじゃない?」

 

「だからきっと、いつか有宇くんもさ、”友達の大切さ”に気づいて、きっと今より素敵な男の子になれると思うんだ」

 

 ココアのその言葉に、三人とも笑みで答える。

 みんな本当は分かっているのだ。有宇は色々と捻くれているところはあるが、彼自身ここに来てから日々変わり続けていることを。

 そしてみんな信じているのだ。彼がココアのいう素敵な男の子とやらになれるであろうということを。

 

 

 

 昼食を終え午後になると、みんな食料問題も解決したので遊びに出かけた。

 高校生組は拓けた場所で、持ってきたラケットでバトミントン、中学生組は再び川辺に戻り水遊びをしていた。

 すると、川でマヤとメグと遊んでいたチノの目に、一人森の中へと入っていく有宇の姿が映った。

 

「あれ、お兄さん?」

 

「え、有宇にぃ?あ、ホントだ」

 

 マヤにも、有宇の姿が目に入った。

 

「お兄さん、森に何しに行くんだろ〜?山菜採りかな?」

 

「いや、もう山菜はいらないでしょ。でも本当何してんだろ?」

 

 メグとマヤがそんなことを話していると、チノは川から上がり、サンダルから靴に履き替えた。

 

「チノ、どこに行くの?」

 

「ちょっとお兄さんを見てきます」

 

 そう言うとチノは、有宇の後を追って森の中へと入っていった。

 

 

 

 チノが森の中へ入っていくと、すぐに有宇の姿を捉えることができた。

 有宇は何やら地図を片手に、木の枝に赤い布のような物を結びつけていた。

 

「お兄さん、何してるんですか?」

 

「ん、チノか。危ないから一人で森に入るなよ。迷ったら大変だしな」

 

「すみません、お兄さんの姿が見えたもので。それであの、何してるんですか?お兄さんはココアさん達と遊ばないんですか?」

 

「ふん、僕はバトミントンなんぞに興味はない。大体あいつらと一緒にいるのは疲れる。ココアはしつこく誘ってきたが突っぱねてやった」

 

 昼食後、ココア達が有宇に単独行動を許すはずもなく、有宇はかなりしつこくココア達に一緒に遊ぼうと誘われていた。

 有宇は別に一緒に遊びたいなどと思ってここに来たわけではないし、一人でコテージで寝てようと思っていたので、ココアたちの誘いを断固拒否した。

 

「でもあいつも中々引き下がらなくて埒が明かないから、千夜の頼まれごとを引き受けるということで片を付けた」

 

「頼まれごと……ですか?」

 

「ああ。夜、千夜が主催の肝試しをやるんだと。で、迷わないようにこうして今僕がやってるように、肝試しのルートに目印を付けてくれってさ」

 

 本当はわざわざ仕事なんて進んでやる有宇ではないが、ココア達とバトミントンで疲れ果てるより、そっちの方が一人で気楽でいいと思い引き受けたのだ。

 

「き、肝試し……千夜さんらしいですね……」

 

 すると肝試しと聞き、チノの体が少し身震いする。

 

「怖いのか?」

 

「はい、少し……。でも大丈夫です」

 

「そうか、でも無理はするなよ」

 

「はい」

 

 すると有宇がチノに聞く。

 

「にしてもやっぱ千夜って怪談とか肝試しとか、そういうの好きなのか?」

 

 有宇は車の中でも、隣に座っていたということもあり、色んな怪談を聞かされていた。今日の肝試しも凄く楽しみにしていたようだったので、なんとなくそんな事を聞いてみたのだ。

 

「はい、よく私達にも怪談を話されてますよ。とても怖いですが、参考になります」

 

「参考?」

 

「はい、いつかマヤさんメグさんを怖がらせてみたいので」

 

「怖がらせたいって……チノもそういうことするのな」

 

 千夜はともかく、チノは他人を怖がらせて喜ぶような人間ではないと思っていたので少し意外だった。

 

「はい、うちにも怪談あるんですよ?」

 

「そんなのあったのか?」

 

 そんなの初耳だ。

 確かにラビットハウスも幽霊とかいそうな感じはなくはないが……。

 そんな事実に軽い衝撃を覚える。

 

「はい。聞いてみますか!」

 

「そ、そうだな、じゃあまぁ……」

 

 チノが目をキラキラさせて聞いてくるので、有宇は思わず頷いてしまう。

 

「わかりました。お兄さんもうちに住んでいるわけですが、心して聞いてくださいね」

 

「あ、あぁ……」

 

 なんかいつもとテンション違くないか?

 そしてチノは静かにラビットハウスの怪談とやらを語り始めた。

 

「うちのお客さんの何人かが目撃したらしいんです。特にバータイムのお客さんが目撃したと言っています。父も目撃したらしいです」

 

 バータイム……つまり夜か。

 幽霊とかが出る定番の時間帯だな。

 

「最初はゴミか何かと見間違えたと皆さん言うんです。けど本当は夜になると……出るんです」

 

「何が?」

 

 有宇がそう聞き返すと、チノは少し間を置いてから答える。

 

「白い───ふわふわしたおばけが」

 

「……は?」

 

 心からの「は?」だった。

 白いふわふわしたって……それあの毛玉うさぎのことだろ?

 あの毛玉、バータイムによく顔出してるみたいだし、バータイムの客が目撃したのも多分そのせいだろう。ていうかなんでマスターも驚いてんだよ。

 

「本当ですよ?父も見たと言ってるんです」

 

「いや、それあの毛玉うさぎのことだよな」

 

「……はぁ」

 

 すると何故かチノは深く溜め息を吐いた。

 えっ、なんで今溜め息吐かれたんだ僕?

 

「ココアさんもお兄さんも理解に乏しくて困りますね」

 

「いや、だってそれ明らかに……」

 

「もういいです。もうお兄さんには話しません」

 

「えぇ……」

 

 なんでぼくが悪いみたいになってんだ。

 ココアじゃなくても、これは流石にツッコまずにはいられないだろ。

 しかしチノは機嫌をすっかり損ねてしまった。

 

「悪かったって。ほら、機嫌直せよ」

 

「別に機嫌なんて損ねてません」

 

 それは大概損ねてる奴が言うんだよ。このままじゃ埒が明かないな。

 

「あ~えっと、そういえばチノは戻らなくていいのか?マヤとメグと遊んでたんだろ?」

 

 取り敢えず話を変えようと試みる。

 するとぷりぷり怒っていたチノの顔が緩み、いつもの表情に戻る。

 

「大丈夫だと思いますよ。二人とも多分ココアさん達のとこに行ったと思いますし」

 

「けど折角のキャンプだろ?戻んなくていいのか?」

 

 有宇がそう言うと、チノは少し考えたのか、間を置いてから答える。

 

「いえ、お兄さん一人じゃ大変でしょうからお手伝いします。お兄さんも一人じゃ寂しいでしょうし」

 

「いや僕は……まぁ、別にいいか」

 

 正直一人でいたかったので、断わろうとも思ったが、チノの親切を無下にするのも(はばか)られたので、別にいいかと若干諦め気味でチノの同行を許すことにした。

 

「じゃあ地図持っててくれ。僕がボロ切れを木に結びつけていくから」

 

「はい」

 

 そして、チノと一緒に千夜の頼まれごとをこなしていくこととなった。

 

 

 

 チノとともに肝試しルートに目印を付けていく途中、無言というのもあれなので、有宇は話の種のつもりで、なんとなくチノに話を振る。

 

「そういえば、午前中僕が森に入ってる間、お前達の方はどうだったんだ?」

 

 するとチノの体がビクッと震える。

 別に変なことを聞いたつもりじゃないが……確か水遊びをしてたってさっきリゼは言っていたが、何かあったのか?

 

「その……お兄さんってココアさんに怒られたことってありますか?」

 

「何だ突然、藪から棒に」

 

 ココアに怒られたことって……それ聞いてどうすんだよ。

 するとチノが恥ずかしそうに答える。

 

「いえ、その……恥ずかしながら、ココアさんに怒られまして……」

 

「えっ!?」

 

 ココアが?チノに?怒る?

 普段チノには甘々なあのココアが?チノにキレたのか?

 リゼとかならちびっ子相手でもキレそうだが、ココアがか……雪でも降るんじゃないか?

 

「それっていつものプンプンって感じじゃなくてか?」

 

「そんな感じじゃありませんでした……」

 

 そう言うと、チノは自分の額を軽く擦る。

 それで有宇は思い当たる。

 

「もしかしてチョップでもされたか?」

 

「はい、そうです。もしかしてお兄さんも?」

 

「あぁ、まぁな。最初会った頃、お前等に嘘ついたろ?それでな」

 

「そうでしたか……」

 

 すると、有宇は無意識にこんな事を漏らす。

 

「けどなんていうか、怒られるっていうのもそこまで悪くないと思えたな」

 

「えっ……」

 

 自分でも何故こんな事言ってるのかわからなかったが、有宇はそのまま話を続けた。

 

「怒りっていうのはさ、自分の思い通りにならない事への腹いせや、ただの鬱憤を晴らすためのものだと僕はずっと思っていた。けど、あいつの怒りはそれとは違った。本気で相手を心配してるからこその怒りなんだ。あいつは相手を本気で心配してるから本気で怒るんだ。なんていうか……あいつは、誰に対しても本気なのかもな。今回チノに怒ったのだってそうだったんじゃないか?」

 

 チノにそう聞き返すと、いかにも図星だという顔を浮かべる。

 

「確かに……そうかもしれません」

 

 そんなチノに有宇は微笑む。

 おそらくだが、チノは僕に言われるまでもなく、そんな事分かっていたのだろう。付き合いの短い僕にわかるぐらいだ。チノにわからないはずがない。

 ただ確しかめたかったのだろう。共感が欲しかったのだろう。

 だからチノは同じようにココアに怒られたことがあるであろう僕にそれを問いたかったのだ。

 そして今、それは確信に変わったのだろう。

 そんなチノが、何故か微笑ましいと有宇は思ったのだ。

 

「そういえば、なんでココアに怒られたんだ?」

 

 まだココアに怒られた理由を聞いてなかったなと思い、チノに聞く。

 

「その……ココアさんの帽子が流されてしまって……それを追いかけに川へ入ったら深いところがあって……」

 

「溺れたのか!?」

 

「はい……」

 

 すると有宇は鬼気迫る表情を浮かべる。

 

「バカッ!泳げもしないのに何やってんだ!もし何かあったらどうすんだ!帽子なんかより自分の事考えろよ!」

 

 そして言ってからハッと我にかえる。

 いかん、なにをムキになっているんだ僕は。いきなり怒鳴り声出して泣かせてしまったか?と思ったが、チノは泣くでもなく、ただぽかんとした表情を浮かべていた。

 

「どうした?」

 

「いえ、その……ココアさんと同じような事を言われて怒られたので……」

 

 あぁ、ココアも同じ気持ちだったのか。

 普段はあいつの気持ちなんざ理解できないことの方が多いが、今回はココアの怒る気持ちも理解できた。

 妹の歩未がチノと同じことをしようものなら、僕も怒ったはずだから。

 

「その……ご心配かけてすみませんでした。お兄さん」

 

「あ、いや……まぁ、監督するはずの僕達がそこにいなかったのも悪かったわけだし、気にするな。ただその……ココア達は心配するだろうから、もう危ないことはやるなよ」

 

 何だか自分の妹のように怒ってしまったのが今になって恥ずかしくなり、心配する人間の中に自分を敢えて入れずに、有宇はチノの謝罪に対してそう返した。

 

「はい」

 

 すると、チノは少し微笑みながらそう答えると、何故かクスクスと笑いだした。

 

「フフッ、にしても今のお兄さん、何だか本当のお兄さんみたいでしたね」

 

 チノにそう言われ、有宇は今更自分の言った言葉に恥ずかしさを覚えた。

 

「今のは忘れてくれ……。ていうかココア達にはさっき話したこと含めて言うなよ」

 

 茶化されること間違いないからな。

 

「はい、ではお兄さんと私との秘密にしておきますね」

 

「ったく……。ほら、さっさと行くぞ」

 

 有宇は照れ臭そうにそう言う。

 

「はい」

 

 そして二人は更に森の奥へと歩いていった。

 

 

 

 それから二人で順調に肝試しのルートに印をつけていくと、遂に肝試しのゴール地点へと辿り着いた。

 すると、有宇は目の前に広がる光景に感嘆の声を漏らす。

 

「なんだここは、山火事でもあったのか?」

 

 さっきまで、木がこれでもかというぐらい生い茂っていたのに、そこはまるで何かが焼けた跡のように、ポッカリと空間が空いているのだ。

 

「当たらずとも遠からずですね。お兄さんはここで何が起きたか知らないんですか?」

 

「あぁ、千夜が後のお楽しみとか言って話してくれなかった。なんだ、何があったんだ?」

 

 有宇がそう聞くと、チノは何かに思いを馳せるかのように、ポッカリと空いた空間を見つめながら言う。

 

「三年前、ここでバス事故が起きたんです」

 

「バス事故?」

 

 そういえば千夜もバスがどうとか言ってたな。

 

「はい。関東の方のある高校がうちの街に修学旅行に来たんです……いえ、来るはずだったんです。ですが、修学旅行バスの内の一台が土砂崩れに巻き込まれて……。ほら、そこの崖です」

 

 するとチノは、奥に見える崖の上の方を指差した。

 この森は崖の下にあり、どうやらこの崖の上は道路になっているようだ。

 

「この崖の上の道路は、街の外に通じてて、あの日修学旅行のバスはここを通ったんです。ですがあの日、前日の雨で地盤が緩み、土砂崩れが起きたんです」

 

 そして更にチノは続ける。

 

「酷い事故だったと聞いています。バスは落下後火がつき、更にバスから漏れ出したガソリンが火に引火して爆発、運転手さんを含むバスの中の乗客のほぼ全員が亡くなられたそうです」

 

 それで木が焼けて、この辺り一帯だけ何もないのか……。

 でもあれ?その話って確か……。

 

「思い出した。三年前のバス事故、それうちの方でも連日ニュースになってたな」

 

 そう、三年前、確か僕もニュースで見た覚えがある。

 連日ニュースで報道していたものだから記憶に残っていたのだ。なにせニ十人以上の高校生が亡くなったのだ。ニュースにならない方がおかしいってもんだ。

 

「東京の方でもニュースになってたんですね」

 

「あぁ、でも確か全員亡くなったわけじゃなかったよなその事故」

 

「はい、バスの中の生徒さんの殆どが意識を失っており、そのままバスの爆発に巻き込まれてしまいましたが、意識があった二人の生徒さんはバスを脱出して生き残れたそうです。ですが、それ以外の方はお亡くなりに……」

 

 バス事故には二人の生存者がいた。

 僕の記憶が正しければ確か、仲の良い男女だったとか。

 にしても、よくそんな最悪の状況から抜け出せたもんだな。さぞ、ラッキーだと思ったことだろう。

 

「それで、その二人ってその後どうなったんだ?」

 

 するとチノは暗い顔を浮かべる。

 

「……あくまで噂ですが、学校に戻った後いじめに合い転校されたとか……。そこから先はなんとも……自殺したという噂も聞いたことがあります」

 

 いじめか……まぁ、そうなるのは当然といえば当然か。

 負傷しているクラスメイト達を置いて自分達だけ逃げたのだ。咎められても仕方ないといえば仕方ない。

 しかし、そんなバスがいつ爆発するかわからん危険な状況で逃げるなっていうのが無理ってもんだろ。僕なら絶対逃げる。

 まぁ、当事者ではない僕からはお気の毒……としか言えないな。

 すると、重い話をしたせいか暗い雰囲気になってしまったので、有宇は話を変えた。

 

「にしても、木組みの街って修学旅行先に選ばれるような街だったんだな」

 

「はい、結構歴史ある街なんですよ。気になるのでしたら街の図書館へ行ってみては?」

 

「あーまぁ、暇だったらな」

 

 なんとなく興味はあるが、ガチで調べたい程ではない。でも本を借りに行くぐらいなら行ってみるのはいいかもしれない。

 それから二人はゴール地点にも目印を付け、最後に二人で手を合わせ黙祷する。

 するとチノがこんなことを漏らす。

 

「なんか、ここで肝試しするのは不謹慎な気がしてきました……」

 

「実際不謹慎だしな。肝試しなんてそんなもんだろ。まぁ、祟られてもあれだし、花ぐらいは添えてやろう」

 

 そういえば確か、ここに来る途中にあった道の駅で、千夜が花を買っていたから、おそらくはここに備える用の花だったんだろう。

 そう考えると、千夜は千夜で一応は不謹慎であることは自覚していたようだな。

 

「さて、戻るか、チノ」

 

「はい」

 

 そして二人は事故現場を後にし、来た道を戻って行った。

 

 

 

 二人がキャンプ地に戻ると、皆が集まって何かワーワー騒いでいた。

 するとココアが二人が戻ってきた事に気づき、こちらに向かって走ってくる。

 二人のもとに来るとココアは、目を輝かせながら興奮気味に言う。

 

「有宇くんチノちゃん!いいタイミングで戻ってきたよ!聞いて聞いて、みんなでこれから野球やろうって話してたところなの!」

 

「野球?バカか、この人数じゃまともにやれないだろ」

 

 有宇達一行は八人。4人対4人でやれなくはないが、人数がギリギリ過ぎるし、それだったらまだサッカーのミニゲームの方が現実的だろ。

有宇はそう思って顔をしかめた。

 そんな有宇にココアがこう言う。

 

「えへへ、実は私達と野球がしたいって誘われたの」

 

「誘われた?誰に?」

 

 有宇がココアにそう聞くと、他のメンバーも有宇とチノがかえってきたことに気づいた。

 

「あ、有宇達帰ってきたみたいだな」

 

「おーいチノ!野球しようぜ!」

 

 なにがなんだかよくわからないが、二人は仕方なくみんなが集まる方へ行ってみた。するとさっきまでみんなが壁になっていて見えなかったが、知らない顔の一団がいた。

 そいつらは皆男女共に赤いラインの入った黒い制服を着ており、おそらくどこかの高校の一団と見受けられる。そしてその一団の中央にいる有宇に負けず劣らずの端正な顔立ちの男がこう言う。

 

「お、その二人が残りのメンバーか」

 

 それから、その男の隣にいるどこか大人っぽい雰囲気を漂わせる黒髪の女が、やってきた二人の姿を見ると不満を漏らす。

 

「なんだ。男がいたのか。チッ……うら若き乙女達と野球をしながらくんずほぐれつキャッキャッうふふしたかったというのに……」

 

 いきなりなんだこの女は。

 見た目はスタイル抜群で大人っぽく、才色兼備な感じがして僕の好みだったが、出会って数秒で印象が180度変わったぞ。

 有宇が黒髪の女の一言で機嫌を悪くすると、連中の周りの奴らがフォローに入る。

 

「唯ちゃん、そういうこと言っちゃダメだよ。折角みんなで一緒に遊ぶんだから仲良くしないと」

 

「そーですよ姉御!それに男子なら遠慮なくイタズラできますヨ」

 

 おい、お前も何言ってやがるこの変なツインテ女。

 

「葉留佳くん、君は何を言ってる……」

 

 そう言いながら黒髪女はやれやれといった感じで、ツインテ女に呆れた様子で皮肉の笑みを浮かべる。

 お、こいつ、なんだかんだいってやっぱまともなのか……?

 

「イタズラするなら断然美少女にだろ!」

 

 やっぱりまともじゃなかった!

 つかなんなんだよこいつら。変則ツインテの葉留佳って女と黒髪の唯っていう女は論外だし、他の奴らもなんか奇抜な格好してたり、おかしな奴らばかりだし……。

 有宇は黒髪女から他のメンバー達に目を移す。

 頭に星の飾りが付いたリボンした女、制服に白い帽子とマントをしたチビな外人、外で道着着て「マーン!」とひたすら叫びながら竹刀で素振りをする男、一人で「筋肉、筋肉……」と呟きながら筋トレをする男……。

 まともそうなのが、リーダーっぽいさっきの男と赤のカチューシャした女しかいないじゃないか!

 有宇が謎の一団に困惑していると、リーダーらしきイケメンが言い放つ。

 

「よし、それじゃあそちらも全員集まったようだし始めるか!我らリトルバスターズの力、存分にお見せしよう!」

 

 

 

 ───これが僕と、彼らリトルバスターズとの出会いだった。



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第30話、対決!リトルバスターズ!(前編)

野球シーン書くのに手間取りました。元々そんな野球のルールに詳しいわけでもないので、まぁ温かい目で見てやってください。


「バカバカしい、野球なんぞお前らで勝手にやってろ。僕を巻き込むな」

 

 リトルバスターズを名乗る一団のリーダーの一声に対し、有宇はいつもの調子でそう答えた。

 するとそんな有宇に、一番に不平を言うのはやはりココアだった。

 

「えー!野球やろうよ!みんな有宇くんとチノちゃん待ってたんだから」

 

 ココアはそう言うものの、有宇も決して譲ろうとはしない。

 

「そこの頭のおかしい連中とやれってか?はっ、冗談じゃない。やるならお前らだけでやれ。僕はやらないからな」

 

 そう言うと有宇はココア達に背を向け、コテージに向け歩き出す。ココアはそんな有宇の後を追い必死に説得を続ける。

 

「なんだ、彼はいつもあんな調子なのか?」

 

 そんな有宇とココアの二人の様子を見て、仲間から唯と呼ばれていた黒髪の女性、来ヶ谷唯湖がふとそんな事を言う。

 そんな来ヶ谷の疑問に、彼女の近くにいたリゼが答える。

 

「あーまぁ、大体いつもあんな感じだな……」

 

「よくあのような身勝手で傲慢な男と付き合えるな。正直、私はあの男を生理的に受け付けん」

 

 来ヶ谷唯湖が有宇に対し嫌悪感を示すと、リゼが苦笑いしながらも答える。

 

「ははっ……。まぁ、確かにあいつ、勝手なところあるけど、あれで結構いいとこあるんだ」

 

「とてもそうは見えないが……」

 

 来ヶ谷の目先では、未だ有宇とココアが言い争っている。有宇がリゼの言うような男とは、来ヶ谷にはとても思えなかった。

 そして、いつまでも野球をやるかやらないかでココアと言い争う有宇に突然、リトルバスターズのリーダー、棗恭介が言う。

 

「乙坂といったか。要はお前、俺達に負けるのが怖いんだろ」

 

「は?」

 

 突然恭介に投げかけられた言葉を、有宇はまるで意味がわからず思わず呆けた声を出してしまう。

 

「俺達に負けるのが怖い。だから逃げているんだろう」

 

「いや、別にそんなんじゃないんだが……」

 

「なに、それが悪いとは言わないさ。ただな……」

 

「いや、話聞けって」

 

 しかし恭介は無視してそのまま話を続けてしまう。

 

「ただお前はそうやって逃げ続けるのか?逃げてどうする。逃げ続けたところで、いつかは向き合わなきゃいけないときが誰しもやって来るんだ。逃げてるだけじゃだめなんだよ乙坂。つまり何が言いたいかというと……野球やろうぜ!」

 

 そう言い終わると、恭介は決まったと言わんばかりに爽やかな笑みを浮かべた。しかしそれを聞く有宇の方はというと苦い表情を浮かべた。

 こいつ……大方挑発して僕を野球へ誘おうとしたんだろうけど、結論への持っていき方が強引……いや、めちゃくちゃじゃないか……。

 すると有宇は恭介の声を聞いてある事に気づく。

 

(あれ?こいつの声、そういやどこかで……)

 

 それからすぐ、昨日のあのインチキマジシャンの姿が頭に浮かんだ。

 

(あの男か!?)

 

 そうだ、あの男の声にそっくりじゃないか。いや、でも昨日確かに警察に引き渡したはずだが……けど怪しげな仮面を付けていたから顔は見えなかったし、なによりこの爽やかそうに聞こえてどこか胡散臭いこの声は……。

 そして有宇は昨日一緒にいたココアにそっと耳打ちする。

 

(なぁココア、あの声、あの男に似てないか?)

 

(えっ?あの男って?)

 

(昨日の詐欺師だよ。声似てるだろ?)

 

(あぁ、そういえば確かに。でも昨日ちゃんとお巡りさんに引き渡したよね?)

 

(まぁ、確かにそうだが背丈も同じくらいだし。それにあの男なら普通に脱獄しててもおかしくない気がする)

 

 実際、遠く風祭の地でも詐欺を働いていたらしいし、全く懲りないところとかを見ると、普通に脱獄とかしててもおかしくないような気がしたのだ。

 そしてココアも半信半疑ながらも、有宇の言葉に頷いた。

 

(う〜ん、そう言われると、確かにそう思えてきたかも)

 

 するとコソコソ話し合う二人に、すっかり野球を始める気でいる恭介が声をかける。

 

「おいおい、何をコソコソ話してるんだ?早く野球やろうぜ!」

 

 しかし早く野球をしたい恭介の思惑とは裏腹に、有宇とココアの二人は恭介を睨み付けた。

 

(ココアはあいつの注意を引きつけてくれ。その間に僕が後ろから回り込んで取り押さえる。僕が取り押さえた後警察に通報しろ)

 

(了解!)

 

 そしてココアは恭介に話しかける。

 

「あのー、野球やる前にちょっと聞きたいことあるんですけど〜?」

 

「お、なんだ?」

 

 恭介はココアに近づいていく。

 そして、恭介の注意がココアに逸れた瞬間を狙って、ココアの横にいた有宇が男の後ろにこっそり回り込み、そして……。

 

「かくほぉぉぉぉぉ!!」

 

「おわっ!?」

 

 そのまま恭介を地面に押し倒し、取り押さえる。

 どうでもいいが、ここに来てから強盗や詐欺師相手にこんな事ばっかしてる気がする。

 

「ココア、警察に連絡!」

 

「サーイエッサー!」

 

 そしてココアが携帯を手にすると、恭介は慌てた様子で有宇に尋ねる。

 

「待て待て待て!お前らいきなりなにするんだ!?」

 

「黙れこの詐欺師め!昨日に引き続きまた僕らを騙そうとしてもそうはいくか!性懲りもなく脱獄してきやがって。警察に突き出してやる」

 

「待て!なんの事かさっぱりだ!」

 

「とぼけるな!昨日広場で大道芸人に混じってインチキマジックで僕らから金を巻き上げようとしてただろ!」

 

「違う!人違いだ!おい、お前らからもなんか言ってくれ!」

 

 すると男は同じリトルバスターズの仲間達に助けを求める。

 しかし助けを求められた仲間であるはずの筋肉質の男と道着の男は、特に恭介を助けようとする素振りは見せなかった。

 

「恭介、短い付き合いだったな」

 

「まぁ、いつかやると思ってたがな」

 

 筋肉質の男と、道着の男は無慈悲にも地面に押さえつけられている恭介に向けてそう告げた。

 そして仲間の男子二人からだけじゃなく、女子からも軽蔑の視線が送られる。

 

「恭介氏……まさかそんな事をしていたとはな……」

 

 と、来ヶ谷。

 

「わふー……恭介さん、流石にそれは……」

 

 と、有宇(いわ)くチビな外人こと能美クドリャフカ。

 

「恭介さん、いくら就職資金がないからって泥棒はだめだよ……」

 

 と、頭に星の髪飾りをしたリボン娘こと神北小毬。

 

「恭介さん、最低っすね……」

 

 と、変速ツインテ娘こと三枝葉留佳。

 

「……有宇×恭介」

 

 と、カチューシャ女子こと西園美魚。

 

「お前ら!?俺達仲間だよな!?ていうか西園!少しはこっちの話に入ってくれ!」

 

 どうやら仲間達からも信頼されてないようだなこの男は……これでよくリーダーが務まったな。ていうか最後の女の一言は一体……。

 すると来ヶ谷が「さて、冗談はさておき……」と言うと、有宇に向けて言う。

 

「しかし有宇少年、恭介氏は昨日から私達と行動を共にしていた。だから君の言うその詐欺師が恭介氏である可能性はまずないのでは?」

 

「むっ……」

 

 アリバイがあるということか……。

 まぁ、確かによく考えたら普通に考えて脱獄とか漫画じゃあるまいし、しかも昨日の今日であるわけないか。あまりにも声が似ていたため、つい軽率に行動してしまった。

 しかしそれで、はいそうですかごめんなさいと素直に言える有宇ではなかった。

 

「だがお前等はそいつの仲間だ。信用できるとでも?」

 

 恭介への疑いは晴れたものの、こいつらに頭を下げたくはないなと思った有宇はそう返した。

 まぁ、これで適当なところで許してやるとかなんとかいって話を終わせれば……。

 すると来ヶ谷は有宇にこんな提案をしてきた。

 

「ふむ、ならばこれはどうだろう。私達が野球で勝ったら恭介氏は無罪というのは」

 

「は?」

 

「勿論、君達が勝てば恭介氏を好きにすればいい。どうかな?」

 

「いや、僕は野球なんて……」

 

「しないとでも?まぁ、勝負するしないは君の勝手だ。しかし尻尾巻いて逃げるというのなら、それはつまり私達の不戦勝ということだ。そうなれば、君は恭介氏を誤って犯罪者扱いした責任を取って土下座でもするべきだと思うのだが?」

 

「うぐっ……!」

 

 どうやら有宇の考えは来ヶ谷に読まれていたようだ。

 そして、どうしても頭を下げたくないプライドの高い有宇がどうするかわかっているからこそ、それを利用して野球に誘い込もうとこの提案をしたのだろう。

 最早、有宇に頷く以外の選択肢はなかった。

 

「……いいだろう。やってやるさ」

 

「ふっ、物分りのいい少年は嫌いじゃないよ。私は」

 

 こうして今、有宇のプライドと棗恭介の今後を決める木組みの街チームVSリトルバスターズの試合が始ろうとしていた。

 

 

 

 試合は僕らが8人で向こうが7人で行われる。

 向こうも8人いるが、あのカチューシャの西園という女は選手ではなくマネージャーらしい。因みに彼女はこの試合では審判を引き受けるようだ。

 であれば僕らも本来なら一人減らして7対7でやるべきなんだろうけど、向こうは男子が3人もいるし、まぁ8対7でも妥当だろうということでこうなった。いや、実際のところ、こっちにはチノ、マヤ、メグのチビ3人がいることを考えたら、まだ向こうの方が有利かもしれないということで、三人についてもまたハンデをつけさせてもらった。

 そして試合開始前、リゼが有宇に声をかけた。

 

「有宇。この試合、勝てる見込みはあるのか?」

 

「正直厳しいな。向こうは経験者でこっちは素人だ。おまけに男の数も向こうが多く、普段から野球をやっている向こうの方が有利だろうな」

 

 リトルバスターズはなんでも関東のある学校の野球チームだという。野球部ではないらしいが、それでも普段からやってる分、全体的に僕らより強いことは間違いないだろう。

 

「なに、心配するな。手がないわけじゃない」

 

「そうか。まぁ、負けてもお前が土下座するだけだし私はどっちでも構わないけど……」

 

「おい」

 

 この野郎……他人事だと思いやがって。いや、他人事なんだけど。

 

「まぁ、せっかくやるんだ。やるなら勝ちたいよな」

 

 リゼがそう言うと、ココアもバットを高く掲げながら言う。

 

「そうだね!よーし、みんなで勝つぞー!」

 

 すると周りにいる面々も「おー!」と拳を高く掲げた。

 呑気なものだ。この試合には僕のプライドがかかっているっていうのに……。

 そんな呑気な仲間達の試合への意気込みを見て、有宇の試合への不安が増していった。

 

 

 

 そして試合が始まった。

 試合は森に少し入ったところの開けた野原でやることになった。因みにさっきまでココア達がバドミントンで遊んでいたところだ。なんでもここに突然リトルバスターズの面々がやってきて野球をやらないかと誘ってきたのだとか。

 そしてベースはコテージにあったダンボールで作ったお手製ベースを釘で地面に打ち付けたもの。バッドとグローブは向こうが提供してくれた。奇跡的にグローブのサイズはみんなピッタリだった。

 服はみんな一応持ってきていたジャージに着替えた。

 試合は僕らが先行で、向こうが守備でスタート……なのだが。

 

「なに!?」

 

 相手の布陣を見て有宇は驚いた。

 レフトとライトに人はなく、センターに来ヶ谷という布陣だったのだ。いや、確かに二人欠けてる以上、二つポジションが欠けるのは仕方ない。だが、後ろに飛んでいくボールをあの女一人に任せるつもりか?外野が手薄になるぞ。

 だが、おそらくあの女にそれだけの力があるのだろう。なんとなくあの女は只者じゃない気がするし、警戒したほうが良さそうだな……。

 

 そして、試合が始まると早速1番打者のリゼがマウンドに出る。

 

「よし、一発やってくる」

 

 ココア達から「頑張って!」などの声援が飛ぶ。

 相手ピッチャーは、相手チームのリーダー、棗恭介だ。

 

「さて、お手並み拝見といこうか」

 

 そう呟くと、恭介は振りかぶって投げた。

 ど真ん中のストレート、球はかなり速かったようにも見えたが、リゼはこれを余裕で打ち返す。

 

「よし!」

 

 そのまま一塁へと走っていく。リゼの打ったボールはそのままレフトの方へと飛んでいった……のだが。

 

 バシッ

 

 いつの間にか来ヶ谷がレフトのポジションに移動しており、リゼのボールを難なく捕球してみせた。

 

「なに!?」

 

「ふむ、なかなかやるじゃないか。お姉さん感心だ」

 

 思わずリゼが驚きの声を上げるほど、来ヶ谷の動きは凄まじかった。

 フライでもないあの球をセンターの位置から取りに行くなんて……まるで瞬間移動じゃないか。

 始まって初っ端から凄まじいものを見せつけられ、早速こちらのチームに不穏な空気が流れた。

 リゼの次の二番シャロも恭介の球の前に為す術なく、あっという間にツーストライク取られてしまった。

 いきなりツーアウトはまずいと思いと思った有宇は早速奥の手を使おうと考えた。有宇の奥の手というのは、当然自らに宿る特殊能力のことだ。これで相手ピッチャーに乗り移って打ちやすいボールを投げてやろうと思ったのだ。

 そして有宇は恭介に乗り移るべく能力を発動した。だが、ここで予想外の事が起きる。

 

(なに!?能力が効かない!?)

 

 以前、リゼの父に使ったときのように、恭介には有宇の能力が効かなかったのだ。

 リゼの親父はよくわからないが、おそらく僕や星ノ海学園にいる能力者とは違うタイプの能力者だったから効かなかったと思われるのだが、まさかこいつも……?

 理由はわからない。だが、有宇の能力は恭介には能力が効かないのは確かだ。そして試しに有宇は他のリトルバスターズのメンバーにも使ってみたが、誰一人として乗り移ることは出来なかった。

 何だこいつら……全員能力者なのか?いや、来ヶ谷とか男共はともかく、他の女子達はとてもじゃないが能力者のようには見えない……。しかし、なら一体……。

 結局その後、一応シャロは恭介の球を打ち返すには打ち返せたのだがのだが、ショートの宮沢謙吾に捕球され、それからすぐにファーストの能美クドリャフカに送球され、瞬く間にアウトになってしまった。

 そしてその次の三番の有宇も恭介の球の前に為すすべなく、結局三振でバッターアウトになってしまった。

 

 

 

 それから攻守交代し、向こうは一番の来ヶ谷、こちらはピッチャーのリゼが対峙した。

 

「今度はさっきのようにはいかない!」

 

「ほう、それは楽しみだ」

 

 リゼはリゼで燃えている様子だ。どうやらさっきボールを捕られたのが余程悔しかったのだろう。

 そしてリゼが大きく振りかぶる。

 リゼの投げたボールは目にも止まらぬ速さだった。見た感じ来ヶ谷もリゼの球の速さに驚いてる様子だった……のだが。

 

「ボール」

 

 西園審判のコール。そう、リゼの投げたボールはストライクゾーンより思いっきり右にずれて飛んでいったのだ。

 

「……タイム」

 

 それを見て有宇はタイムを取り、リゼに近づく。

 

「おい」

 

「すまん……的に向けて球を当てるのは射撃で慣れてるから大丈夫だと思ったけど、投げると意外と難しい……」

 

 くそっ、あれだけの豪速球が投げられても、ストライクゾーンに入らなければ意味がないじゃないか。かと言って、他にピッチャーに適任な奴がいるわけでもないしな……。

 

「くそっ、仕方ない。リゼ、取り敢えずこのまま投げろ。だがストライクゾーンになるべく入れるよう心がけてくれ」

 

「あ、あぁ、わかった」

 

 それから試合再開、しかしリゼの珠は再び外れ、その次も外し、スリーボールとなってしまった。

 

「リゼ!もっと慎重に投げろ!」

 

 フォアボールになってあの女を塁に進めるのだけは避けなければ!

 

「わかってるって!」

 

 そして4球目、リゼが投げる。ボールはストライクゾーン目がけていく。が、しかし……。

 

 カキーン

 

 打たれてしまった。今度は正確にストライクゾーンを狙うあまり球のスピードが落ちてしまったのだ。サードのマヤがなんとか補給するも、ファーストのチノに送球する際、チノが捕球ミス。その結果、来ヶ谷を一塁へと進めてしまった。

 まぁ、下手すりゃ二塁まで進まれてた可能性を考えるとまだマシか……。

 

 

 

 それから二番、恭介をフォアボールで一塁に出してしまい、三番、井ノ原にデッドボールで再び一塁に出してしまった。

 これにより、一塁、二塁、三塁全てに相手走者を出してしまうことを許してしまった。もしこれで次に嫌なところに打たれたり、ホームランでも取られようものなら大量得点されてしまう。それに対して、まだこちらはワンアウトも取ってない……。

 このままリゼに投げさせたらまずいな……かといって他に投げられる奴が……ん?

 すると有宇の目がキャッチャーのシャロの方にいった。

 そういやあいつ、確か吹き矢の時はリゼよりも正確に的を射ることができたんだっけか。以前お嬢様学校で会った吹き矢部部長が確かそんな事を言っていたはずだ。

 運動神経は悪くないはずだし、リゼほどの球は投げられないにしろ、こいつなら正確にストライクゾーンに投げられるのでは……?

 それに野球初心者の割にリゼの豪速球を受け止められているし、このメンツの中ではそれなりに野球ができる方だろうし、他にやらせるならシャロをおいて他にはないだろう。

 確証はない。が、このままリゼに投げさせたらまずいのは確かだ。なら……。

 

「……よし、ピッチャー交代!シャロ、ピッチャー頼む!」

 

「「え!?」」

 

 二人とも有宇の指示に困惑している様子だ。しかしなりふり構っていられない。やるだけの事はやらねば。

 そしてピッチャーにシャロ、キャッチャーには有宇が入り、有宇のいたセンターの位置にリゼが入った。

 

「ちょっと有宇、私もピッチャーなんてやったことないんだけど……。やっぱりリゼ先輩に代わった方が……」

 

 シャロが弱音を吐く。まぁ、それは確かにそうなんだが……。

 

「物は試しだ。いいから投げてみろ」

 

「わ、わかったわよ……」

 

 有宇に言われシャロは渋々ピッチャーマウンドに立つ。

 そして試合は再開される。シャロに対する相手バッターはあの剣道着の男、宮沢謙吾だ。

 見るからに手強そうだが、ここを抑えないと点を取られてしまう。

 そしてシャロが振りかぶる。ボールは有宇の狙い通り正確にストライクゾーンへ。しかし……。

 

 カキーン

 

 残念ながら打たれてしまう。悪くないボールだったが、この男には通用しなかったようだ。

 そして謙吾は一塁へと向かって行く。同時に来ヶ谷が凄い速さでホームベースを踏んだ。

 ボールはライト、ココアのもとへ。

 

「ココア!全力で取れ!」

 

「任せて!」

 

 しかしボールはココアがグローブを構えた位置を僅かにずれてマウンドに落ちていった。

 すぐにボールを拾ってファーストに送るも、既に謙吾は一塁を超え二塁に着いていた。

 

「ココアァァァ!!」

 

「うわ〜ん、ごめ〜ん!」

 

 しかもその間に恭介にもホームインされ、井ノ原を三塁に出してしまった。これにより僕らは既に2失点してしまった。

 それを受けてシャロが再び言う。

 

「ちょっと、やっぱりリゼ先輩の方が……」

 

「いや、まだ様子を見る」

 

 まだこれだけじゃわからない。それにシャロのボール自体は悪くなかった。コントロールは実際リゼより良かったし。しかしあともう少し勢いがあれば……。

 するとココアがぼそっと何かを言うのが聞こえた。

 

「……ハイテンションなシャロちゃんならイケたかもしれないなぁ……」

 

 ハイテンション?

 

「タイム」

 

 再びタイムを取り、ココアに近づく。

 

「おいココア、今のハイテンションてなんだ?」

 

「え、うそ聞こえてた!?結構離れてるのによく聞こえたね」

 

「優れたバリスタは耳がいいんだよ」

 

「へーそうなんだ」

 

 嘘である。いや、優れたバリスタは耳がいいというのは嘘ではないが。

 有宇の耳がいいのは、単に他人の悪口を聞き逃さぬようにしていたら自然と地獄耳になっただけだ。

 

「それよりハイテンションってどういうことだ?」

 

「えっと……シャロちゃんってカフェイン取ると色々凄くなるから、もしかしたらなって思って……」

 

 ハイテンション……そういえばシャロがカフェイン取らないのってカフェイン酔いするからだっけか。そういえば実際カフェインで酔うところは見たことがないな。

 てっきり体調が悪くなるとか言動がおかしくなる程度の物かと思ったが……。だがココアがこう言うってことはもしかして……。

 有宇はシャロの方をじっと見る。

 シャロは有宇の視線に嫌な予感がしたのか目を逸らす。しかし逃す気はない。

 

「シャロ、ちょっと来てくれ」

 

「嫌よ!私にあれを盛る気でしょ!」

 

「うるさい!いいから来い!」

 

 有宇はシャロの手を引き無理やりマウンドの外へ引きずり出す。

 

「いや〜!リゼ先輩の前で恥ずかしい姿見せたくない〜!」

 

 リトルバスターズの面々は何が起きているのかわからないまま、彼らが森の外へ出ていくのを見送った。

 

 

 

 数分後、二人が戻ってくる。しかし……。

 

「みんなぁ〜!おまたせぇ〜!」

 

 シャロの様子が明らかにおかしい。

 これには流石にリトバスメンバーもツッコまざるを得なかった。

 

「なんだこれは……ドーピングでもしたのかね?」

 

「ドーピングとは人聞きの悪い。ただちょっとコーヒーブレイクしてきただけだ」

 

 来ヶ谷の疑問に有宇は平然とそう返す。

 キャンプ地に戻った後、有宇はココアがマスターに持たされて持ってきたマキネッタでコーヒーを淹れ、それをシャロに飲ませたのだ。

 最初は渋っていたシャロだったが、エスプレッソは意外にカフェイン少ないぞという有宇の言葉に唆され、結局有宇の思惑通りコーヒーを飲んでしまった。

 

「にしてもあのシャロがここまで変わるとはな……。流石に驚いたぞ……」

 

 コーヒーを飲ませた直後、まるで人が変わったかのようにハイテンションになり、あれだけ嫌がっていたマキネッタの中のコーヒーを全て飲み干し、一人で歌いながら踊りだした時は流石の有宇も困惑せざるを得なかった。

 確かにこんな風に痴態を晒すことになるのであれば、カフェインを取りたくなくなるのも無理はないな。まぁ、なんにせよ、これでお手並み拝見だ。

 

 そして試合再開、相手は5番、神北小毬。頭に派手な星の髪飾り付きのリボンをつけたゆるふわ系女子だ。

 

「よ〜し、頑張っちゃうよ〜」

 

 どうでもいいがこの女、この能天気そうな感じがなんとなくココアと雰囲気似てるな。

 そしてカフェインハイテンション状態のシャロが一球目を投げる。すると……。

 

 バンッ

 

 見事に僕の構えるグローブに真っ直ぐ、それも勢い良く入った。

 

「ストライク」

 

「いぇ〜い♪」

 

 西園審判のストライクのコールを聞いてシャロが喜ぶ。

 

「ほう、やるじゃないか」

 

 ベンチに戻っていた恭介も感嘆の声を漏らす。

 ようやくもぎ取ったワンストライク。この勢いを保っていきたいものだ。

 そして一回裏はそのままシャロの独壇場となり、それからは相手に点を取られることなく一回裏は終了した。

 

 

 

 それからお互い膠着状態が続き4回裏、来ヶ谷の盗塁により再び向こうに一点取られてしまった。これにより0対3の3点差となり、勝利からまた更に遠退いた。

 試合はあと5回、その間になんてしても3点取り返し、相手に点を取らせないようにしなければ……。

 有宇がそんなことに頭を悩ませていると、攻守交代の際、向こうのリーダーである棗恭介が有宇に突然声をかけてきた。

 

「なぁ乙坂、お前楽しんでるか?」

 

「なんだ突然」

 

「いやなに、お前はまるで勝ちにしか拘ってないように見えたもんでな。で、どうなんだ」

 

「楽しんでない」

 

 考える間もなく即答する。

 

「僕はお前らみたいにバカじゃない。こんな玉遊びにワーキャー騒ぐ気にはならん。この試合だって、あの来ヶ谷とかいう女との賭けがなければやらなかっただろうさ」

 

 有宇の答えを聞くと、恭介が呆れたような声で言う。

 

「お前、つまらない考え方してるな」

 

「余計なお世話だ。お前にとってつまらなくとも、僕にはこの考えが性にあってるんだ。ほっといてくれ」

 

「そりゃそうかもしれないけどな、もう少し単純に考えてみたらどうだ」

 

「単純ってなんだよ……」

 

 すると恭介はニッと笑みを浮かべる。

 

「勝てば嬉しい、負けたら悔しい。けど、どっちに転んでも仲間とやるスポーツは楽しい。そういうことだ」

 

「意味わかんねぇよ……」

 

「要はなんにも考えず、本能のままに動けばいいってことさ。変に捻くれたこと考えず、その場で得られる感情を素直に受け止めろ。そんでもって俺達に必死こいて勝ちに来い」

 

「……わからん」

 

「今にわかるさ。それじゃあな、お前達の逆転劇、期待してるぜ」

 

 そう言い残すと恭介はピッチャーマウンドの方へと去ってしまった。

 

 

 

 楽しい……楽しいってなんだ?

 5回表、有宇はベンチで恭介に言われたことを考えていた。

 成功を掴めばそりゃ僕だって嬉しい。店を盛り上げ、客が増えたとき、僕は確かに喜びを感じた。でもそれは楽しいとはまた違うものだと思う。

 どんなことにせよ、成功を上げれば嬉しい。けど、何も考えず感情のままに必死になれだと?それが楽しい?バカめ、何も考えずに動くだけで楽しいなどと感じられるものか。

 そりゃ結果的に成功や勝利を収めることが出来るのなら考えなしでもいいだろう。けど、何も考えず失敗や敗北だけ晒すようなことがあったらバカを見るだけじゃないか。

 それも、こんな得られるものもないくだらない茶番の為に必死になるなんて、見ていて無様だし格好悪い。全くもって馬鹿げてる。

 そこまで考えて、有宇は雲一つない青空を見上げ、そしてまた考え込む。

 

 ───なあ……楽しいって一体なんだ?




後編に続きます。


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第30話、対決!リトルバスターズ!(後編)

 あれから試合は進み9回表。

 有宇達は泥酔シャロの活躍などもあり、なんとかこれ以上の失点をすることなくここまで持ち堪えてきたが、未だにリトルバスターズから一点すら取ることが出来ていなかった。もうこの回でなんとしてでも最低3点はもぎ取らなければ有宇達の敗北が決定する。

 奥の手である僕の能力も何故か連中には効かないし、このままじゃまずい!なんとかしないと……!

 この回で巻き返さなければならないことに、有宇は焦りを感じていた。

 

 

 

 そして迎える9回表、こちらのバッターは5番メグだ。

 メグ含むチノ、マヤ、メグのチビ3人(三人曰くチマメ隊?)は年下ハンデとして、相手ピッチャー(この場合恭介)は下投げで投げるという特別ルールが敷かれている。おまけに三人ともチビのおかげでストライクゾーンが狭く、恭介からしたらとても投げ辛い相手なのだ。それらのおかげで、三人は恭介の豪速球を前にしても三振するようなこともなく、比較的打率が高かったりする。実際ここまでの試合では、3人のおかげで結構いいとこまでいけるにはいけていた。一番の不安要素であるかと思われたこの三人が、意外にも僕らの頼りの綱なのだ。

 そして見事、期待通りメグがヒットを打ち一塁へ歩を進めた。

 

「ナイスメグ!」

 

「エヘヘ〜」

 

 マヤの声援にメグは笑顔を浮かべる。取り敢えず一安心ではあるが、点を取れなければ意味がない。なんとかこのままの勢いが続いて欲しいところだ。

 そしてメグの次のバッターは6番ココア。ココアは打率低めなので、死ぬ気で送りバントするよう指示した。

 

「うん、大丈夫!お姉ちゃんに任せなさ〜い!」

 

 などとココアはいつものようにほざいていたが、特に目立った活躍をしていたわけでもないので、信頼など微塵もしていない。塁に進めたらラッキー程度にしか考えていない。

 ココアは決して運動神経が悪い訳じゃないと思うが、腕の力が弱いというか何というか、とにかく振る力が弱い。だからボールが来ると判断してから振っても、いまいち勢いがないので、結果的に振り遅れてストライクになってしまう。

 それでさっきから早めに振るよう意識しろと言ったのだが、まぁ、そう言われてすぐ上手く実行することもできず三振したわけだ。

 そしてココアがバッターボックスに立つ。それから有宇に言われた通り送りバントの姿勢になる。

 一球目、恭介が大きく振りかぶって投げる。ココアは頑張ってバットに当てようとする。しかし、ボールがバットに当たる前に急速に曲がりストライクゾーンに収まる。

 

「うぇっ!?なに今の!?」

 

 突然の変化球にココアが驚きの声を上げる。

 

「ふっスライニャーさ」

 

「いや、スライダーだろ」

 

 恭介のボケに有宇がツッコむ。

 

「いや、スライニャーでいいのさ」

 

「?」

 

 よくわからん……。いや、それよりもまたしてもやられたな。

 さっきまでストレートしか投げていなかったから大丈夫かと思っていたのだが、やはり変化球も投げられたのか……。

 ココアがダメというより、やはり相手ピッチャーの恭介がかなり上手いのだ。単に速い球を投げるだけでなく、状況に応じた変化球を投げれる。相当厄介だ。

 

(やはりだめか……)

 

 有宇がそう思った時だった。

 

「よ〜し、まだまだ!」

 

 ココアは笑いながらそう言って自らを鼓舞する。まだココアは諦めてはいないようで、その目にはまだ闘志が残っている。

 

「あいつ……よくもまぁあんな見事にしてやられたってのに、平気でいられるよな……」

 

 バカなのか?いや、そんなの元々わかってることだが。

 それから二球目、ココアは再びバントの姿勢を取る。そして恭介が振りかぶって投げる。すると……!

 

「当たれぇぇぇ!!」

 

 ココアがバッターボックスギリギリのところまで勢い良く飛び出し、バットにボールを無理やり当てにいった。

 

「なに!?」

 

 これには恭介も驚きの声を上げる。

 そしてボールが曲がる前に見事、バットにボールを当てた。

 ココアはその勢いで地べたに突っ伏してしまうものの、その間にメグが二塁へと歩を進めた。結果的にココアはアウトだが、メグを二塁に出すことに成功した。

 

「エヘヘ、上手くいったかな?」

 

 そう言いながら、服に土と雑草をつけたココアがベンチに戻ってくる。

 

「ナイスだココア」

 

「やるじゃんココア」

 

「ココアちゃん凄いわ」

 

「ココアさん、やりましたね」

 

 ベンチの他の面々が次々にココアを褒める。

 

「ココアちゃーん、アリガトー!」

 

 そして遠くの二塁にいるメグもココアに賛辞を送る。ココアの方は皆に褒められ嬉しそうに「エヘヘ」といつものようにニヤけていた。

 それからココアは有宇の方を見る。

 

「どうだったかな有宇くん」

 

「えっ……?あ、えっと……まぁ、よくやった」

 

 ココアに突然尋ねられたせいか、少しキョドりながら有宇はそう答えた。

 

「やったー!有宇くんに褒められた!」

 

 するとココアは有宇にほめられたのが嬉しかったのか、その場で飛び跳ねながら喜んだ。

 

「楽しそうだな……」

 

 喜ぶココアを傍目につい心の声が漏れる。

 

「うん、だってやっと活躍できたんだもん!嬉しいし楽しいに決まってるよ!」

 

 まぁそりゃそうかもしれないが、お前自身はアウトなんだけどな。それに、メグが二塁に進んだところで不利な状況は未だ変わってないしな。

 

「有宇くんはなんかさっきからつまらなそうにしてるね。楽しくない?」

 

 ココアのその質問でふと、さっき恭介の質問を思い出す。

 

『なぁ乙坂、お前楽しんでるか?』

 

 ったく、どいつもこいつもおんなじようなこと言いやがって……。

 そして有宇はさっき恭介に答えたように素っ気なく答えた。

 

「別に。今負けてるし」

 

 すると予想通りの反応がココアから返ってくる。

 

「え〜楽しまなきゃだめだよ〜」

 

 しかし有宇は依然態度を変えずこう返す。

 

「あのなぁ、スポーツなんて勝負だぞ。勝たなきゃ意味ない。そして今僕らは負けている。楽しむヒマなんぞどこにある?」

 

 楽しむなんてのは余裕のある奴がやることだ。負けてる奴に楽しむ余裕などないし、負けてる奴がヘラヘラ楽しむところなど見ていて滑稽で格好悪い。

 有宇がそう自分の考えを述べると、ココアがいつもの軽い調子で答える。

 

「そりゃ危機感を持つことは大事だけど、でも勝ち負けしか考えないのはつまらないよ」

 

「つまらないって、これは勝負だぞ」

 

「だからこそだよ。勝てば嬉しいし負ければ悔しい、どっちに転ぶかわからないそのドキドキを楽しまなきゃ。勝ち負けはっきり別れるスポーツだからこその醍醐味だと思うんだ」

 

「醍醐味……」

 

「うん、だから有宇くんももっと純粋に楽しもうよ。負けることを怖がってたって勝てるわけじゃないんだし、それだったら楽しんだ方がお得でしょ?」

 

 楽しんだ方が得……そんなものなのか?

 自分とは違うココアの考えに有宇は戸惑った。

 僕は勝てるかどうかもわからない……まして、この今の不利な状況を楽しむなんて……。けどまぁ確かにココアの考えも納得がいく。負けを怖れていたところで勝てるわけではないのだから、楽観的に考えた方が良いということなのだろう。けど、僕にはその楽しむというのがよくわからない。

 勝つという結果を得ること以外に、何をどう楽しめばいいのか、僕にはそれがわからない……。

 

「それにさ、有宇くん、私達だってまだ……」

 

 カキーン

 

 ココアが何か言いかけたその時、7番チノがボールを打ち返していた。

 しかし、チノの打ったボールはサードの三枝葉留佳の方へ真っ直ぐ飛んでいった。

 

「へへ〜ん、貰った!」

 

 これは流石にアウトか……。有宇がそう思った時だった。

 

「あれ?」

 

 三枝が捕れる筈だったその打球を捕逸した。

 

「うわ〜!ごめ〜ん!」

 

 すぐに三枝はボールを拾い上げるものの、既にチノもメグもそれぞれ1塁、3塁に進塁していた。

 

「おおっ!チノちゃんやった〜!すご〜い!」

 

 ココアがまるで自分のことのように喜んだ。他のメンバーもチノに賛辞を送る。

 

「なんとかなったな……」

 

 有宇は一瞬ヒヤッとしたものの、無事二人とも進塁できたことに安堵する。そして今のこの状況に若干の勝利への期待のようなものも見えてきた。

 すると隣に立つココアが僕に向け、さっき言いかけた言葉の続きを言う。

 

「ほら、有宇くん。私達だってもしかしたらまだ勝てるかもしれないよ」

 

 一塁にチノ、そして三塁にはメグがいる。対してまだこの回はワンアウトしか取っていない。次余程のミスが無ければ取り敢えずようやく1点取ることが出来る。確かにココアの言うことも一理あるかもしれない。

 そして次のバッターは……!

 

「メグちゃんもココアちゃんもチノちゃんも頑張ったわけだし、私も負けていられないわ!」

 

 ……そうだった、次は千夜だった……。

 次のバッター、8番千夜が息巻いた様子でそう言いながらバットを構える姿を見て、有宇の勝利への期待が一気に失せていった。

 千夜は正直今回の試合において役立たずもいいところだ。全てにおいてストレート空振り三振、守備もボロボロでメンバーの中でも特に酷い。運動神経が悪いというのは聞いていたのであれだがこれじゃあな……。おそらくまた三振取ってツーアウトだろうな……。

 そして千夜がバッターボックスに立ちバッドを構える。やる気は満ちあふれてる様子だがしかし……。

 

 一球目───ストライク!

 二球目───ツーストライク!

 

 ……見事に空振りしていた。おそらく次もストライクでツーアウトになるだろうな……。

 それから三球目、恭介が振りかぶって投げた……のだが。

 

 ツルッ

 

「ヤバッ!」

 

 ずっと投げ続けて疲れがきたのか、はたまた汗でボールを滑らせたのか、恭介の投げたボールの軌道はストライクゾーンを大きくずれて、千夜の顔目掛けて飛んでいった。

 

「危な……!」

 

 千夜に当たる!有宇がそう思ったその時だった。

 

「きゃっ!」

 

 カキーン

 

 なんと、千夜がボールを避けようと勢いよく振ったバッドが、偶然ボールに見事ヒットした。更に驚くことに、千夜が打ったボールはそのまま天高く遠くへと飛んでいった。つまりこれは……。

 

「ホームラン……」

 

 有宇は呆然とその場で立ち尽くした。まさかの千夜がホームランを打つなんて全く予想だにしていなかったのだ。

 そして当の本人はというと……。

 

「あら〜飛んだわね〜」

 

 飛んでいったボールを眺めて一人ほんわかと和んでいた。

 

「いや走れよ!」

 

 この試合ではとくにどこまで行けばホームランとかは決めていないため、急いて行かないと相手外野手の来ヶ谷がすぐにボールを拾って戻って来てしまう。

 有宇に指摘されると千夜は「そうだったわね」と言いながら走っていった。

 これによりメグ、チノ、千夜の三人がホームインし、有宇達は一気に3点取ることに成功した。

 

「まさかほんとに巻き返せるとはな……」

 

 有宇は驚いていた。いや、一気に同点まで並べたこともそうだが、何よりもその結果を千夜が出したということに驚いた。

 

「千夜って実は運動神経良かったりするのか……?」

 

 たまたまバッドを振って当たったにしろ、ホームランなんてそうそう出せるもんでもないだろう……。

 

「千夜ちゃん、自分の危険を回避するのは得意だから……」

 

 そう言いながらココアは何故か遠い目をしながら自分の額を擦っていた。

 

「? なんかあったのか……?」

 

「色々……ね……」

 

 それからココアは顔面レシーブがどうとかぼやいていたが、二人の間に一体何があったんだ……。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 それからリゼがヒットを出し一塁へ。続くシャロもヒットを出し一塁へ……と行くはずだったのだが。

 

「もうらめ〜」

 

 どうしたのかシャロは一塁へ向かう途中、バタリと倒れてしまったのだ。

 

「シャロちゃん!」

 

 倒れたシャロを見て千夜が駆け寄る。千夜が駆け寄るとシャロはエヘヘとニヤけ顔を浮かべながら幸せそうに寝ていた。

 

「あらら……酔いつぶれちゃったみたい」

 

 どうやら単にコーヒーで酔いつぶれて眠ってしまったらしい。

 そういやあれからも酔いの状態を保つために何度かコーヒーを飲ませたりしたが、逆効果だったか?

 これによりシャロがアウトを取りこちらはツーアウト+シャロが継続不能のため退場。そうなると次のバッターは……。

 

「……僕か」

 

 次は3番バッターである有宇の番だった。

 実際のところ、有宇も偉そうなことは言っているが特別打率が良いわけではない。有宇自身、まさか最後の大勝負に自分が立たされるとは思ってもみなかった。

 既に三点は取ってるからここで負けても負けにはならない……が、ここに来るまで1点も取れなかった僕らが延長戦に入ったところで勝機はない。それ以前に9回裏で点を取られないとも限らないし、やはりここで更に点を取って点差を離して、次の回ではここまで来たように全力で守備を固めて一点も取らせないようにする必要があるわけだが、しかし僕にそれができるかというとそうじゃないし……。

 有宇が点を取らなくてはならないというプレッシャーに頭を悩ませ、ベンチから中々立てずにいると、ココアが有宇の前に来てバットを差し出す。

 

「はい有宇くん、頑張ってね!」

 

 有宇はバットを受け取るものの、立ち上がらずにその場でため息を吐く。

 

「言っとくが、僕が打てる保証はないからな」

 

「まぁ、それはそうかもだけど期待してるよ」

 

 それはそうかもなのかよ……まぁそれはいいとして、今は変に期待されることの方が辛い。

 そんな思いからか有宇はココアに愚痴を言う。

 

「本気で僕にあれが打てるとでも思ってんのか?正直かなり無理ゲーなんだが……」

 

 恭介は強敵だ。さっき変化球を使っていたところを見ると、この回以前のあいつは本気じゃなかったということだろう。そう考えると、本気のあいつの球を僕が打てるかとなると確率はかなり低いだろうな。

 

「まぁ、難しいかもだけど、本気になって挑めばきっと勝てるよ」

 

 ココアはニコニコといつもの調子でそう答える。

 

「んな精神論で勝てたら苦労しねぇよ……」

 

 自信の無さから、ココアの前向きな言葉にそうボヤきながら返す。すると……。

 

「でも、だからといって本気じゃない人が勝てる訳ないじゃん」

 

 いきなりガチトーンで返されたものだから有宇は思わずビビった。しかしすぐにまたココアは先程までのようにニコッと笑みを浮かべ、いつもの調子で続ける。

 

「まぁ、要は何事も本気でやらなきゃダメってこと。時には色々壁にぶつかるかもだけど、諦めちゃったらそこで試合終了だよ」

 

 なんかそれ何処かで聞いた覚えがあるような……。ていうか、怒っていたように見えたが気のせいか?こいつは時々マジになるから分からん。

 ココアは更に続ける。

 

「それにさ、有宇くんさっき野球楽しくないって言ってたけど、それって本気でやってないからじゃないかな?」

 

「えっ……?」

 

「どんなに楽しいことやってても本気でやんなきゃつまらないよ。楽しむにしたって、勉強にしたって、勝負に勝つにしたって、なんだってそうだと思うよ。ねぇ有宇くん、喫茶店盛り上げようとした時みたいにさ、たまには本気で挑んでみたら?」

 

 確かに、今まで本気で物事に挑んだことがあるかと問われたらないかもしれない。僕なりに必死だったかもしれないが、いつも楽をしたり、周りを陥れることしか考えていなかったかもしれない。正々堂々本気になったことなんて、あっただろうか……。

 

「おーい、もういいか?」

 

 するとマウンドの方から恭介が有宇達に呼びかける。

 そして有宇は何も言わずマウンドの方へ向かう。

 バッターボックスに立つと、再びため息を吐く。

 

「……はぁ、こんな場面でガチかよ……」

 

 そしてバットを構える。すると恭介が声を掛けてくる。

 

「良い目になったな。さっきまでとは大違いだ。本気の男の目だ」

 

「ふん、さっきまで手抜いてた奴が偉そうに」

 

 先程まで変化球を使わなかったことを有宇は指摘した。

 

「本気じゃない奴相手に本気にはなれないからな。さて、じゃあいくぞ」

 

 恭介の目も先程までと打って変わり鋭くなる。向こうも本気ってことか……。

 そして恭介が振りかぶって投げる。

 

「ストライク」

 

 西園審判の声がかかる。

 速い……さっきより断然スピードが上がっている……!

 

「これこそが魔球───ライジングニャットボールだ!」

 

「だせぇ!!」

 

 なんてダサい名前だ!もっとこうカッコイイ名前付けられなかったのか!?ていうかさっきからなんで投げる球の名前がニャーとか猫っぽい名前なんだよ!

 それから続く二球目、こちらも空振りに終わる。

 

「ストライクツー」

 

「ちっ……!」

 

 名前はダサいが馬鹿にできない速さの魔球だ。一体何km出てんだよ……。しかし次打たないと攻守交代になってしまう。

 そして三球目、また恭介のライジングニャットボールが炸裂する。すると……。

 

 カッ!

 

 バットに微かにボールが触れた。

 

「!? 当たった!?」

 

 結果的にファール。しかし有宇は何やらコツを掴んできた。

 

 カキーン!

 

「ファール」

 

 カキーン!

 

「ファール」

 

 恭介の魔球、ライジングニャットボールを相手に、有宇は必死に食いついていく。

 

「有宇くん、食いつくね……」

 

「そうね……」

 

 ベンチにいるココア達も、恭介と有宇の攻防を静かに見守った。

 

 

 

 それからも有宇はファールを出しながらなんとか食いついていった。

 向こうも考えて何度か変化球を出してきたりもするが、有宇も負けじとなんとかバットにボールを当てていく。

 そして丁度10球目、投げる前に再び恭介が声を掛けてきた。

 

「中々食いつくじゃないか。正直驚いたぞ」

 

「そりゃどうも……」

 

 疲労から有宇は息絶え絶えに言葉を返す。

 

「正直俺も体力的に限界が来てるからな。次で終わらせてやる」

 

 そう言うと、恭介は大きく振りかぶる。有宇もバットをしっかりと構える。

 

「見るがいい、これぞライジングニャットボールを超える魔球───真ライジングニャットボールだ!」

 

 恭介がそう言った次の瞬間、恭介から凄まじい速さの魔球が繰り出された。ライジングニャットボールの比にならない程速かった。

 有宇もバットを振った。しかし、バットにボールが当たることはなかった。

 

「くそっ……ダメか……」

 

 有宇が敗北を察したその時だった。

 

「まだおわってない!!」

 

 ベンチからココアが叫ぶ。

 

「振り逃げだよ!走って!」

 

 ココアにそう言われ後ろを振り返ると、キャッチャーの真人がボールを捕球できずに落としていた。それを確認すると有宇はすぐさま一塁へ向け走り出した。

 

「真人!何やってんだ!」

 

 恭介がボールを捕球できなかった真人を怒鳴りつける。

 

「仕方ねえだろ!ただでさえお前があんな豪速球投げられるなんて聞いてねぇのに、いきなりサインも無しに投げられて捕れるか!」

 

「兄より勝る妹などいるわけないだろ!いいからさっさとホームにボールを送れ!」

 

 そう、この時二塁にいたリゼが既に三塁を超えホームベースへとすごい速さで向かっていた。

 真人は急いで転がるボールを拾い、ホームベースに移動した恭介に向け送球。しかし……。

 

「うおぉぉぉぉぉ!!」

 

 リゼがそのタイミングでホームベースに思いっきりヘッドスライディング。そして……。

 

「……セーフ」

 

 西園審判の静かなコールがかかる。タッチアウト前にリゼの手がホームベースに触れていたためセーフ。これにより無事+1点加算しこちらは合計4点。ここにきてリトルバスターズより1点リードすることができた。

 ベンチではリゼがココア達に抱きつかれたりと皆から賛辞を贈られていた。

 

「やはり理樹じゃないとあれは受け止められないか。これは俺のミスだな……」

 

 そして相手チームの恭介はというと、何やら自己反省していた。

 

(理樹……誰だそれ?この中にそんな奴いたか……?)

 

 聞き覚えのない名前に有宇は疑問を浮かべる。さっきも妹がどうとか言っていたし、ここに来ていないメンバーでもいるのだろうか?

 少し気になったが、大したことではないと思い、すぐ試合のことに頭を切り替える。

 

(とにかく、これで僕達の1点リード!それで確か次はマヤだったな。その後もチビ二人が続くから、もしかしたらこの調子で5点目もイケるかもしれない!)

 

 有宇は諦め掛けていた勝利への兆しが見えてきたことで、すっかり期待に満ちあふれていた。

 そして次のバッター、マヤがバッターボックスに立つ。

 

「へっへ〜ん、このままリゼと有宇にぃに続くよ!」

 

 そして恭介がボールを投げる。事前に決めた特別ルールによりチビ共相手には下投げをしなくてはならない。

 これなら打てる!マヤ!思いっきりぶちかませ!

 

「とりゃー!」

 

 カキーン

 

 マヤがボールを思いっきり打つ。そして打った球は真っ直ぐ恭介の方へ飛んでいく。恭介はそれを軽々キャッチ。

 

「アウト。チェンジ」

 

 そして西園審判のコール。これにより3アウトで攻守交代。マヤの奴、見事にやらかしてくれた。

 

「マヤァァァァァ!!」

 

「ごめんごめん、次は頑張るからさ」

 

「次はねぇんだよ次は!!」

 

 マウンドに有宇の怒声が鳴り響いた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 そして迎える9回裏、最後の最後でマヤがやらかしてくれたが、今のところ4対3で僕達がリードしている。この回を全力で守りきれば僕達の勝ちだ。

 だが守りきれる自信はある。ピッチャーである、コーヒーでハイテンションになったシャロは、恭介にも負けず劣らずのピッチャーだ。ここまで来たんだ。ラストもシャロに頑張ってもらうか。

 

「よしシャロ、最後も頼んだ」

 

 そう言って有宇は、ベンチにいるシャロの方を振り返る。しかし……。

 

「zzz……リジェせんぱ……い……」

 

 千夜に膝枕されながら、ものの見事に爆睡していた。

 

(しまったぁぁぁぁ!!さっき酔いつぶれたの忘れてたぁぁぁぁ!!)

 

 どうする!?他にまともにピッチャーやれるのなんてリゼか僕ぐらいしかいないわけだが、リゼはいい球投げるがコントロールひでぇし、僕は特に秀でて上手いわけでもない。どうするべきか……!?

 

「シャロ……」

 

 すると、リゼが酔いつぶれたシャロを見つめる。それから何を思ったか立ち上がり、有宇に向けて言う。

 

「私が投げる」

 

「私が投げるって、お前……」

 

「安心しろ、今度は外さない。シャロが頑張ってくれたんだ。先輩として、シャロの頑張りを無駄にはできない」

 

 正直最初の一回表の時の失敗もあるため、リゼを出すのは少し躊躇われたが、リゼから滲み出る熱意とやる気に気圧され、有宇は何も言えなかった。それにどの道投げるとしたら自分かリゼしかいないし、ここは任せてもいいかもしれない。

 そう思った有宇は、リゼに賭けることにした。

 

 

 

 そして9回裏が始まる。相手バッターは6番、三枝葉留佳。

 

「はるちん参上……ってあれ?酔っ払いの子じゃないじゃん。ラッキー♪これなら余裕余裕♪」

 

 相変わらず調子乗ってやがんなあの女ぁ……。

 そしてリゼが振りかぶる。すると……!

 

「ストライク」

 

「……あれ?」

 

 西園審判のコール。

 ボールは真っ直ぐストライクゾーンへと入っていった。それも恭介の投げたライジングニャットボールにも劣らないような豪速球で。

 

「うそー!?だって最初投げたときめっちゃコントロール悪かったじゃん!さては、はるちんを騙したな!?」

 

 別に騙してねぇよ……というか僕も正直驚いている。

 さっきまであんなにストライクゾーンに入らなかったのに、スピードを落とさず見事ど真ん中に入れてきてる。なんでいきなり上手くなったかはわからんが、これなら本当にイケるかもしれない!

 

 

 

 それから三枝は三振、続く能美クドリャフカも三振。これでツーアウト。勝利までもう目前だ。

 だが次のバッターは……。

 

「驚いたな。一回の時に投げたときとはえらい違いじゃないか。お姉さん感心だ」

 

 来ヶ谷唯湖……ここに来てこの女か。だが一回表ではリゼの球の速さに驚いていた様子を見せていた。今のリゼなら、あのときのようにはいかない筈だ。

 そして一球目、見事にキャッチャーミットにボールが収まる。ストライクだ。

 

「うぅ……痛い」

 

 因みにキャッチャーはシャロがぶっ倒れたため、ココアがやっている。キャッチャーができそうなのは、僕かココアかどちらかという話になり、じゃんけんで負けた方がやることになり、結果ココアとなった。

 ココアは当然キャッチャーの経験などないが、真ん中で構えているだけでいいというリゼの指示のもと、取り敢えず真ん中に構えてなんとかリゼのボールをキャッチしている。

 しかし続く二球目、来ヶ谷はもうリゼの球を見切ったのかヒットを打ち、来ヶ谷の一塁への出塁を許してしまった。

 そう上手くはいかないか……あと一回アウトを取ればそれで終わるというのに……。

 

 

 

 そして来ヶ谷に続くバッターは2番、棗恭介だ。来ヶ谷と同じくらい油断ならない男だ。

 恭介はバッターボックスに立つと、僕達にバットを向け高らかに言い放つ。

 

「お前達のここまでの逆転劇、実に見事だった。だが俺達もこのまま黙って負けるわけにはいかないんでな。俺達リトルバスターズの維持と誇りを見せてやる」

 

 そう言い終わると恭介はバットを構えた。リゼもそれに合わせて大きく振りかぶる。

 一球目、見事ストライク!そして続く二球目もストライクを取った。

 

(あともう1ストライク……1ストライクで勝てる!)

 

 そして勝利への期待が高まる中、三球目が投げられる。だが……。

 

 カキーン

 

「……え」

 

 恭介はリゼの三球目を見事天高く打ち上げた。それは、先程の千夜のホームランのような長い飛距離ではなかったものの、中々の打球だった。

 すると、センターで捕手をしていた有宇は、恭介が天高く上げたそのボールを見てすぐに打球を追って走り出した────

 

 

 

 なにを必死になってるんだ僕は。確かにココアにああは言われたが、そもそもこんな試合、今更だが別に負けたっていいじゃないか。こんなところで本気になる必要なんてないだろ。負けて恭介に平謝りして終わりでいいじゃないか。

 何も考えないのはバカのやることだ。必死になるのなんて見ていて格好悪い……そう思っていたはずなのに、それならどうして、今僕は……!

 

 そして有宇は打球に追いつくと、ゲガすることも考えず、落下する打球に向け思いっきり飛び込んで、グローブをはめた左手をボールへと伸ばした。飛び込んだ勢いで地面と体が激しく擦れて、その摩擦で体に痛みが伴い、有宇はそのまま地面に突っ伏した。

 それから有宇は痛みを堪えながらなんとか顔を上げる。───そこにはボールがしっかりと収まっていた。

 

「アウト、ゲームセット」

 

 西園審判のゲームセットのコール。

 有宇はそれを聞いてもまだ呆然としていた。

 

「勝った……のか……?」

 

 するとマウンドの方からココア達が駆け寄ってきた。

 そしてココアが僕の手を取り、大はしゃぎしながら僕の疑問に答える。

 

「やったよ有宇くん!!勝ったんだよ私たち!!」

 

「そうか……」

 

 依然、呆然とした様子でそう答える。

 

「あぁ、お前のおかけだな」

 

 とリゼ。

 

「そうね、みんな頑張ったけど、最後は有宇くんの粘り強さのおかげね」

 

 と千夜。

 いや、それに関してはお前のホームランが一番でかかった気がするんだが……。

 

「さっすが有宇にぃ!最後も一気に持ってくね〜!」

 

「お兄さんカッコよかった〜」

 

「はい、凄かったです」

 

 とマヤ、メグ、チノ。

 すると、ココアが手を平を見せるように差し出す。

 

「ほら有宇くん、ハイタッチだよ!」

 

「あ、あぁ……」

 

 ココアに言われるがまま手のひらを差し出す。そしてパーンと音を鳴らしながら互いの手のひらを叩いた。

 

「おっ、じゃあ私も」

 

「じゃあ私も」

 

 と、それから他の皆ともハイタッチを交した。

 皆とハイタッチを交わすと、有宇は自分の両手を確認する。そこには豆ができており、ダイビングキャッチのときの擦り傷もついていた。

 

「痛てぇ……」

 

 普段なら、こんな風に豆作ったり怪我したりなんて、まっぴらゴメンなんだが、今は不思議とそう悪いようには思えなかった。

 

 バシャッ

 

 すると何やら近くでシャッター音が鳴った。するとすぐ横にカメラを構えたココアがいた。

 

「……何してる」

 

「なんか珍しい表情してるなって」

 

「……消せ」

 

「さらばっ」

 

 するとココアが駆け出す。

 

「待てこの野郎!!」

 

 すぐにココアの後を追おうとするが「おっほん」といういつの間にか近くにいた恭介の咳払いで、リトルバスターズの連中がいた事を思い出す。

 そして恭介が僕達に言う。

 

「見事だ、木組みの街の諸君。俺達の完敗だ」

 

「別に完敗じゃないだろ。最後までかなりギリギリだったし……」

 

「だがな」

 

「聞いてねぇし……」

 

 サラッと無視しやがって……。

 そして恭介は続ける。

 

「俺達はまだ本気じゃない。何故ならそう!実は俺達リトルバスターズのメンバーはまだ全員揃っていないからな!」

 

 恭介がそう言うと、ココア達が驚いたように「えーっ!?」と声を上げる。有宇はさっきからそうじゃないかと思い、特に驚きはしなかった。

 

「俺達にはあと二人仲間がいる。そしてその二人はここにいる誰よりも強いぞ。元々ライジングニャットボールもその内の一人が編み出したものだしな」

 

 あぁ、もしかしてそれがさっき言ってた妹って奴か。この男の妹というぐらいだから、おそらく来ヶ谷のような完璧な感じの女だろうな。

 

「というわけで、今回は負けたが次はこうはいかない。今度戦うときはお互い全力で戦おう」

 

 すると恭介は、僕の方に手を差し出す。握手を求めているようだった。そして求められるがまま、僕も素直に手を差し出した。

 

「次も毛頭負けるつもりはない」

 

「ふっ、やっぱり試合の前よりいい顔をするようになったなお前」

 

「余計なお世話だ」

 

 あ、そういえば……。有宇はあることを思い出した。

 有宇がそれを口にするより先に、来ヶ谷がそれを口にした。

 

「そういえば試合の賭はそちらが勝ったら、恭介氏がお縄につくという話だったが……」

 

 それを聞くと恭介の顔がサッと青ざめる。

 

「……冗談だよな?」

 

 すると真人と謙吾が恭介に告げる。

 

「短い付き合いだったな」

 

「面会ぐらいは行ってやる」

 

「いや、だからやってねえからな!?」

 

 すると周りの連中から笑いが湧き上がる。ココア達も笑い声を上げた。そして有宇もその場の空気に流されてか、それとも本心からかはわからないが、笑みを浮かべた。

 こうして、僕達とリトルバスターとの試合は幕を閉じた。




今回のお話(前後編含めて)は、Charlotteの野球回が元になったお話です。それもあって、リトバスキャラにはあまり焦点が当てられていませんが、ご容赦いただけたらと思います。
それではこれからもよろしくお願いします。


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第31話、あたたかい場所

※お知らせ
気づいた方もおられると思いますが、書き方を少し変えました。それに合わせて一話から書き直しをしております(現在1〜4話まで書き直しました)。内容に関しては多少のプラスアルファを加えた話もありますが、わざわざ読み返して頂くほどの変更は加えておりませんのでどうかご了承下さい。


 目が覚める。

 視界は薄暗いが、窓から差す微かな月明かりでここがコテージの部屋の一室だというのはわかる。

 

「……あ……えっと確か試合が終わってリトルバスターズの連中と別れた後、疲れたから少し木陰で横になっていた筈……だよな?」

 

 有宇は取り敢えずベッドから体を起こし、明かりをつけようと部屋の壁にあるスイッチを押す。しかし明かりはつかない。

 

「あれ、電気通ってないのか?」

 

 そういえば昼間は明るかったから、電気がつくか確認しなかったな。ていうかここ電気も止められてるのか……。

 すると外から微かに女子達の談笑する声が聞こえる。

 どうやら全員外にいるようだな。

 ここにいても仕方ないので、取り敢えず外に出ることにした。

 

 

 

 コテージから出て声のする方へ歩いていくと、ココア達がバーベキューコンロの火を囲んで集まっているのが見えた。

 有宇が近づいていくと、ココアが有宇に気づき声をかける。

 

「あ、有宇くん起きたんだ」

 

 ココアがそう言うと、他のメンバー達も有宇に気づき声をかける。

 

「あら、有宇くんお目覚めかしら」

 

「やっと起きて来たか」

 

「ぐっすりだったものね」

 

 有宇は眠ってしまったために、夕食の準備やその他諸々の仕事を任せてしまったことを皆に謝罪する。

 

「夕飯手伝えなかったな。悪い」

 

「ううん、気にしないで。有宇くんは今日のMVPなんだから。ほら、ここ座って座って」

 

 ココアにそう促されて、側にあるアウトドアチェアに腰を掛ける。

 

「ささ、どうぞどうぞ」

 

 そしてココアに肉の刺さった串を手渡される。

 

「あぁ、サンキュ……」

 

 ココアから串を受け取ると、それにかぶりつく。

 

「うん……普通に美味い」

 

「えへへ、でしょでしょ。マシュマロとかも焼いてあるからどんどん食べてね」

 

「あ、あぁ……」

 

 なんかやけに気を使ってくれているような……。いや、こいつはいつもこんな感じか。

 それから有宇はココアからシャロに視線を移す。

 

「そういえばお前も起きてたんだな」

 

 有宇が寝る前、カフェインで泥酔していたシャロにそう声をかけた。

 この様子だと、どうやら酔いからは覚めたようだが……。

 

「ええ……お陰様でね」

 

 そう答えるシャロはあからさまに不機嫌そうだった。

 まぁ、僕が無理やりコーヒー飲ませたせいで、酔っぱらって恥ずかしい姿を晒したのだ。シャロの怒りは当然といえば当然か。

 取り敢えず軽く謝っておくか。

 

「悪かったよ。まさか本当に酔っ払うなんて思わなかったんだ」

 

「あんたがフェイン入ってないって言うから飲んだんでしょうが!!」

 

「普通のコーヒーよりは入ってないとは言ったが、カフェインが全く入ってないとは言ってなーい」

 

 シャロから目を逸らしながら言う。

 そんな有宇の態度にシャロが憤慨する。

 

「なぁっ!?あんたのせいでリゼ先輩に恥ずかしいところ見られたのに、あんたって奴は……!」

 

 するとリゼが二人を見かねてフォローに入る。

 

「まぁ落ち着けよシャロ」

 

「でもリゼ先輩!」

 

「結果的に試合にも勝てたし、有宇も体張って頑張ってたしさ。許してやれよ。それに……シャロが頑張って投げてくれたから私も最後頑張れたわけだしさ」

 

「リゼ先輩……!」

 

 リゼが褒めてくれたのが嬉しかったのか、シャロは頬を赤らめながらも、恥ずかしそうに、それでいて嬉しそうな顔をしていた。どうやらいきなりリゼに褒められた驚きと嬉しさの間で混乱しているようだ。

 ともかく僕への怒りは収まめてくれたようで何よりだ。

 そして有宇は、さっきから見えてはいたが、特に触れずにいた物について女子達に聞いてみた。

 

「なぁ、そういえば何でお前らテントなんか建ててるんだ?コテージあるだろ?」

 

 有宇の疑問に千夜が答える。

 

「それが……有宇くんも気づいたと思うけど電気がつかなくて……。その上ベッドも足りないの……」

 

 千夜がそう言いかけると、続きをシャロが話す。

 

「それでテントと寝袋があったから、もうこっちでいいやってなったのよ」

 

「なるほど……ってそれならなんで僕はコテージに?」

 

 有宇がそう言うと、みんなが、それ聞いちゃうか〜と言わんばかりの気まずそうな顔を一斉に浮かべた。

 

「なんだその反応は」

 

 一同の突然の表情に、有宇が苦言を呈する。

 するとココアが慌てて答える。

 

「ううん!なんでも……ないよ?」

 

 明らかに何かありそうな態度なんだが……。

 そしてココアが続ける。

 

「えっとね、テントの数もどう詰めても女の子の分しかなくて、有宇くんにはコテージの方で寝てもらおうかなって」

 

「あぁ、そういうことか。けど、それならそうと言えばいいだけだろ」

 

 別に女子達と一緒に寝るなんて事は端から考えていないし、僕の分のテントがないといえば別にそれで納得するというのに、何をこいつらは気まずそうにしているんだ?

 しかしココアは「なんでもないよ」の一点張りで、答えようとしない。

 するとマヤが我慢できなかったかのように、突然吹き出すように笑い出した。

 

「ププ……アハハハハ!!」

 

「マヤちゃん!笑っちゃだめだよ!」

 

 メグが笑うマヤを(いさ)めようとする。しかしマヤは笑うのをやめない。

 

「アハハ、ごめんごめん。だって思い出しちゃったんだもん。有宇にぃがお姫様抱っこされてるの」

 

 ……ん?今なんて言った?

 

 ココアの方を向く。しかしココアはサッと有宇から顔を逸した。

 しかしそんなのお構いなしにマヤはそのまま続ける。

 

「いや〜本当面白かったよね、リゼが寝てる有宇にぃをお姫様抱っこしてさ。シャロは有宇にぃのこと羨ましがっちゃってるし、ココアなんか『チノちゃんのパジャマ着せたら本物のお姫様みたいになるかも!』とか言っちゃっててさ。本当面白かったな〜」

 

 マヤが喋るたびに周りの空気が重くなっていくが、マヤはお構いなしに喋り続ける。そしてそれを聞いて有宇の顔がどんどん赤くなっていく。

 

(この僕が……お姫様抱っこだと……!? )

 

 有宇は自分こそが王子様たらん存在だと思い込んでいる。

 そんな自分がお姫様抱っこを、しかも女子にされ、尚且つ可愛いなどと言われたことにえらくショックを覚えたのだ。

 正直恥ずかしくて今すぐにでもこの場を離れたいところだが、ここで逃げればそれはそれで負けた気がするし、かと言ってこの場にいたら恥ずかしさを紛らわせるために何を言うか自分でもわかったもんじゃない。

 それにリゼは寝てしまった僕を運んでくれただけに過ぎない。悪魔で親切でやってくれたことに対して文句を言うわけにはいかない。

 結局有宇はその場でぐぬぬと歯を噛み締めて、顔を真っ赤にしながら座っていることしかできなかった。

 すると空気を読んだのか、ココアが「まぁまぁ」と言いながら僕にカップを差し出す。

 

「なんだこれ……コーヒー?」

 

「うん、これ飲んで落ち着きなよ」

 

「誰のせいだ誰の……ったく」

 

 そう言いながらもカップに口をつける。

 

「……美味い」

 

 さっきまで顔が真っ赤になるほど興奮していたのに、コーヒーを飲むと有宇はすっかり落ち着きを取り戻した。

 カフェインは鎮静作用どころか興奮作用があるはずなのに、こう毎日飲んでいると自然とリラックスできてしまうのだから不思議なものだ。

 すると有宇が落ち着きを取り戻している間に、ココアの配ったコーヒーによって落ち着きが無くなったのが一人……。

 

「ヘイカモーン!!みんな、火を囲んで踊るわよ!ほら、マイムマイムしましょう!」

 

 シャロが立ち上がりながら手をパンパン叩きながら叫んでいた。

 どうやらシャロが、ココアが配ったコーヒーを飲んでまたハイテンションになったようだ。

 ていうかシャロにコーヒー渡すなよ……。シャロも飲むなよ……。

 そしてみんなシャロに流される形で立ち上がり、手を繋いで火を囲んだ。

 

「ほら、有宇くん」

 

 すると隣のココアが手を差し出す。

 

「お手をどうぞ、お姫様」

 

「誰が姫だ!……ったく」

 

 仕方なく左隣のココアと手を繋ぐ。

 それから右隣の千夜と手を繋ぎ、皆同じように両隣と手を繋ぐと、一つの和になった。

 するとココアが有宇に尋ねる。

 

「そういえばマイムマイムってどんな風に踊るんだっけ?有宇くん知ってる?」

 

「知らん。僕が知るわけ無いだろ」

 

「適当でいいんじゃね?まわれまわれー!!」

 

 マヤがそう言うと、みんな一斉に手を繋いだまま右向きに回り始めた。

 

「凄くバカみたいです!」

 

 とチノ。

 

「それがいいんだよ!」

 

 とココア。

 

 ただ回ってるだけだというのに、みんな楽しそうにしている。

 しかしその中で一人、死にそうな顔をしているのが一人いた。

 

「おい、千夜がヤバイ!!」

 

 ふと右隣を見てみると、千夜がゼーハーと息を切らして今にもヤバそうだった。

 こいつ、そういや体力ないもんな……。

 

「ダイジョウブ……みんなのためにも、死んでもこの手は離さないから……」

 

 千夜は息絶え絶えにそう答えた。しかし既に死にそうだ。

 そして回っていくうちに、回るスピードも段々速くなっていき、少し気持ち悪くなってきた。

 他のメンバーも目を回してるようで、そろそろ皆の限界が近づいてきたその時だった。

 

「じゃあ一斉に手を離すよ!」

 

「えっ!?」

 

 マヤがこの勢いを保ったまま、一斉に手を離すと言ったのだ。

 その瞬間、隣で千夜の顔が青ざめていくのを感じた。

 

「それじゃあせーのっ!」

 

 マヤの合図で皆一斉にパッと手を離した。

 手を離した瞬間、千夜は遠くに吹き飛ばされ、有宇自身もまた回りすぎた気持ち悪さから膝をつき、他のメンバーもみんな地面に倒れ込んだ。

 

「うっぷ……気持ち悪い……ん?」

 

「くるくるくる〜」

 

 すると皆が倒れ込んだ中、ただ一人地に膝をつかず、今も平気そうにくるくる回っているのがいた。

 皆も顔を上げ、彼女を見上げた。

 

「優勝メグ!!」

 

 そしてマヤが目を回しながら、メグの手を取ってそう宣言した。

 

「そもそもこれ勝負だったのかよ!ていうかメグ凄いな!」

 

 思わずツッコんでしまう。

 するとメグが気恥ずかしそうにしながらも笑顔で答える。

 

「エヘヘ、うちバレエの教室やってるから」

 

「バレエ凄えな……」

 

 よく知らないけど、確かにバレエって回ってるイメージあるしな。まぁそこそこ納得のいく答えだった。

 すると突然、シャロが腹を抱えて笑いだした。

 

「あははっ!!こんなに人気も気にせずはしゃぐなんて久しぶり!みんなでサバイバルしたり、野球したり、踊ったり、この休日すごく楽しかったです!先輩!」

 

 そう言うとシャロはリゼに向かって飛びついた。

 普段なら絶対しないんだろうけど、まぁ酔ってる人間の特権だよな。

 そしてチノ、千夜、ココアも口々にリゼの側に来て言う。

 

「わっ、私もです」

 

「リゼちゃんのおかげね」

 

「リゼちゃんありがとー!」

 

 皆が口々に礼を言うと、リゼの頬を涙がボロポロと伝う。

 

「よ、よかった……ハプニングだらけでみんなのんびりできなかったんじゃないかと……」

 

 どうやら嬉し泣きのようだな。

 リゼも突然のハプニングとかで、みんなが楽しめてるのか不安だったのかもしれないな。

 

「「「もっとハードなの想像してたから大丈夫!」」」

 

 するとリゼの不安に、ココア達が口を揃えてそう答えた。

「そうなのか!?」とリゼ本人も驚いている様子だ。

 ……どうやらこいつらにそんな心配は不要だったみたいだな。

 

「あ!有宇くん笑ってる」

 

「ん?」

 

 すると突然ココアが僕の顔を見るなりそう言った。どうやら無意識のうちに微笑んでいたようだ。

 

「えへへ、有宇くんも楽しかった?」

 

 いつもならここで否定するのだが……。しかし今日はなんだかいつもより気分が良い。

 有宇は微笑んだまま言う。

 

「そうだな……まぁ、それなりに楽しかったかもな」

 

 するとみんな意外そうな顔をする。

 

「おおっ、有宇くんがいつにも増して素直だ……」

 

「僕はいつも素直だ!ま、次はもう少しのんびりできるバカンスを期待したいところだな」

 

 そんな風にキザな態度を取る有宇だったが、彼自身楽しかった事を否定はしなかった。

 知らない誰かと──同年代の人間と遊んだり、ましてやキャンプしたりなんてこと、今までしたことなかったしな……。

 ハプニングこそ多々あったが、その時が過ぎてしまえば名残惜しい郷愁に駆られる。

 

「そうか……これが楽しいってことなのか……」

 

「ん?どうしたの有宇くん?」

 

「いや、何でもない……」

 

「そう?ならいいけど。にしてもリトルバスターズの人達もここに泊まっていけばよかったのにね。そしたら人数も増えてもっと盛り上がれたのに」

 

「あぁ、そうかもな」

 

 ココアのその言葉で、昼間野球をしたリトルバスターズの連中のことを思い出した───

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 リトルバスターズとの試合を終えた後、彼らは出立する準備を整え始めた。

 メンバー全員が身支度を終えると、リーダーの恭介が有宇達に別れの挨拶を告げる。

 

「それじゃあまたな。お前たちのおかげで久しぶりに楽しめた」

 

「本当に行くのか。ここうちの土地だし、別に泊まっても大丈夫だぞ。こっちも人数多い方が楽しいしさ」

 

 リゼはそう言って彼らを引き止めるようとする。

 

「そうだよ、折角知り合えたんだからもっとお喋りとかしたいよ」

 

 ココアもリゼに続いて引き止めようとする。しかし……。

 

「気持ちはありがたいが、俺達にもやることがあるのさ」

 

 恭介はそう言って、リゼの提案を退けた。

 

「やることって?」

 

 リゼが尋ねる。

 

「修学旅行の続きさ!俺達だけの、最高の思い出を作りに行くのさ!」

 

 修学旅行?続き?

 よくわからんが、大方修学旅行が何かで中止になったから、夏休み使って仲間内で観光に来たってところか。

 しかし……と有宇が口を挟む。

 

「けど街まで結構距離あるぞ。今から歩いていくんじゃ大変じゃないのか?いっとくが途中宿なんて都合のいいもんはないぞ」

 

 車で街を出てここに来るまで外の景色を眺めていたが、宿らしき建物はなかったと思う。それこそ途中に寄った道の駅があったぐらいだろう。

 今から歩いて行くとなるとかなりの時間がかかるし、もう日も沈みかけている。ただでさえ野球で疲労しているはずなのに、その長距離を夜歩いていくなんて無謀と言わざるを得ない。

 しかし有宇の忠告にも関わらず、恭介は答える。

 

「なに、俺達ならイケるさ!なぁみんな!」

 

 すると恭介の呼びかけに、メンバーは笑顔で答える。

 誰一人として嫌な顔一つせず、運動神経があまり良さそうに見えない西園や神北も顔を曇らせることなく、恭介の呼びかけに答えたていた。

 こうしてリトルバスターズは僕らと別れ、街の方へと消えていった───

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「……あいつら、結局大丈夫なのか?来ヶ谷や男連中はともかく、他の女子とか今頃根を上げてそうだが……」

 

 思い出したら改めて心配になってきた……。

 

「大丈夫だよ。野球だって強かったし、リトルバスターズの人達ならどんな困難でも乗り越えられるよ!」

 

 ココアはいつもの如く前向きな意見を述べるが、有宇はココアの言うように楽観的には考えられなかった。

 これであの連中に何かあったら目覚めが悪い……。

 

「みんな、それじゃあそろそろ行きましょうか」

 

 すると、突然千夜がみんなにそう呼びかけた。

 

「行くって?」

 

「やだわシャロちゃん、肝試しに決まってるじゃない♪」

 

「なぁ!?本当にやるの!?」

 

 シャロが驚嘆する。

 マヤは面白そうという感じの表情を浮かべているが、他のメンバーはシャロ同様青ざめた表情を浮かべている。

 昼間、肝試しにはどちらかといえば乗り気でいたチノも、なんだかんだ怖いようだ。

 

「あんま遅くなっても危ないから、ほらみんな準備して」

 

 しかし皆の反応に反して、千夜はいつも以上にノリノリだ。

 

「じょ、冗談じゃないわ!折角楽しい雰囲気で終われそうだったのに、怖くて眠れなくなっちゃうじゃない!」

 

 車にいたときもそうだったが、どうやらシャロは怖いのが苦手なようで、千夜の肝試しに反対した。

 ていうかこいつ、肝試しと聞いてすっかり酔いを覚ましてやがる。そんなに嫌か。

 

「私は行きた〜い!メグも行くでしょ!」

 

「えっ!?うーん、みんなが行くならいいかな……?」

 

 シャロとは反対に、マヤとメグは行く気のようだ。

 

「私は行きたいたいです。怖いですが、怖い話のネタになるかもしれませんし」

 

 怖がってはいるものの、昼間同様チノも肝試しをやる気でいるようだ。

 

「私は……いや、肝試しは別に怖くないが、ほら、シャロが行きたくなさそうだし私は反対かな?」

 

 怖くないとは言っているが、絶対に怖がっているであろうリゼも、シャロが怖がっているのを言い訳にして肝試しに反対した。

 

「チマメちゃん達が賛成でリゼちゃんとシャロちゃんが反対ね。じゃあ有宇くんとココアちゃんはどっちかしら?」

 

 リゼとシャロとチビ達の意見を聞くと千夜は、肝試しに行くかどうかをまだ決めていない、僕とココアに選択を迫ってきた。

 

「有宇!どうせあんたどっちでもいいんでしょ!だったらこっちにつきなさいよ!それでコーヒー飲ませたことはチャラにしてあげるから!」

 

 シャロがそう言って必死に有宇に懇願する。

 僕としては昼に折角森中を歩いて目印をつけたのが無駄になるのは嫌なんだが……。

 けどだからといって肝試しに行きたいわけじゃない。というか行きたくない。正直僕もそんなに耐性あるわけじゃないし……。

 ここは賛成派に行くと反対派の二人に恨まれそうとかそういう体で……。

 

「じゃあまぁ……反対で」

 

 これで主催の千夜を除いて賛成派3人、反対派3人となった。つまり肝試しに行くかどうかはココアの選択に委ねられた。

 

「ココア、反対よね?また前の怪談のときみたいに寝るれなくなるわよ」

 

 僕のときとは違い、強気な感じではなく、強請(ねだ)るように泣きそうな声でシャロはココアに必死に嘆願した。

 

「えっと、そうだな……じゃあ今日はもう遅いしやめとかない?」

 

 どうやらココアもシャロに流され反対派についたようだ。これにより肝試しは中止……かと思いきや。

 

「そんな……!ココアさん、反対なんですか……?」

 

 チノが頬に涙を浮かべ、捨て猫……いや、捨てうさぎのようなつぶらな瞳でココアを見つめた。

 

(これはまさか……)

 

 シャロも僕と同じ事を察したのか、なんとしても阻止しようとココアに小さい声で囁く。

 

(耐えて!耐えるのよココア!)

 

 しかしそこで、チノが再び涙ながらの訴え。

 

「ココアさん、駄目ですか……?」

 

「いっ、いいに決まってるよ!みんな!肝試しにレッツゴーだよ!」

 

 やはりココアがチノの涙ながらの訴えに勝てるはずもなく、ココアは結局賛成派に回った。

 これにより賛成派4人、反対派3人、よってみんな仕方なく、千夜に付き合い肝試しに行くこととなった。

 

「ううっ……何となくそうなるとは思ったけど、結局クリスマスのときの二の舞になっちゃった……」

 

 シャロが静かにそう嘆いていた。

 どうやら前にも同じようなことがあったらしい。

 まぁ、決まった以上諦めて行くしかないけどな……。

 

 

 

「それじゃあみんな、肝試しを始めましょう」

 

 森の入り口に着くと、早速肝試しを開始することとなった。

 

「みんな知ってると思うけど、ここは三年前のバス事故で亡くなった高校生達の幽霊が出るって噂の場所なの」

 

「バス事故?」

 

 ココアが首を傾げる。

 そうか、ココアも僕と同じ余所者だから知らないのか。最も僕も昼にチノから聞いたばっかりだがな。

 そして千夜が何も知らないココアのために、昼間チノから聞いたのとほぼ同じ内容を改めて語り聞かせた。

 

「……それでその事故以来、ここには幽霊が出るっていう噂が流れ始めたの」

 

 千夜が語り終わると、付け加えるようにリゼが言う。

 

「その幽霊騒ぎが跡を絶たなくて、その結果ここのキャンプ場も閉鎖されたんだ。それを親父が買い取ってコテージを建てたんだ」

 

「ここそんな危ないところだったの!?」

 

「心配するな、親父もここの調査は徹底的にやったけど、幽霊なんて出なかったぞ」

 

「それでもなんか怖いよ!」

 

 流石のココアもビビっているようだ。

 

「それじゃあペアを決めましょ♪」

 

「千夜ちゃん躊躇ないね!!」

 

 しかしビビってるココアなどお構いなしに、千夜は肝試しを始めるつもりだ。

 

「八人いるし、二人一組のペアで行きましょ。ペアになったらペアの代表者がじゃんけんをして、負けたペアから森に入って、森の奥の事故現場まで歩いていくの。着いたらそこにこの花束を置いてもらって後続のペアを待ってもらうわ」

 

 そう言うと千夜は袋に入った4本の花束を見せる。

 

「そういえば千夜ちゃん途中で買ってたよね。でもなんで花束?」

 

「さっきも話したけどここは事故現場なの。私達は肝試しを楽しませてもらうわけだから、せめて……ね」

 

 ココアの疑問に、千夜は先程までのテンションとは違う重々しい雰囲気でそう答えた。

 やはり千夜も、昼間の僕とチノと同じ気持ちだったようだ。

 不運な事故により命を落とした挙句、更には幽霊騒ぎが立ったせいで誰も近寄らなり、当然誰も花なんか供えに来てないことだろう。

 もしかしたらこれは千夜なりに亡くなった高校生達を弔いたかったのかもしれないな……。

 

「さて、それじゃあ早速じゃんけんしましょうか!八人でじゃんけんすると決着つかないから、豆ちゃん達と別れてしましょう!」

 

 神妙な顔してると思ったら、一転して千夜はまたすぐテンション高めの声でそう言った。

 ……訂正する。こいつ普通に肝試しやりたいだけだな。

 重苦しい雰囲気からすぐに一転した千夜の態度を見て有宇は認識を改めた。

 

 

 

 そしてそれからチビ達と高校生組のふた手に別れてジャンケンをした。

 その結果───

 

「お、メグと一緒か」

 

「私達いつも一緒だよね」

 

「負けてしまいました……」

 

 チビ達はマヤとメグがじゃんけんに勝ったようで、チノが高校生組の負けた誰かと組むことになったようだ。

 そしてこっちはというと──

 

「フフッ、よろしくねシャロちゃん♪」

 

「えぇ、千夜となの……。あんた、怖がらせたりしないでよね」

 

 シャロと千夜の幼馴染コンビが最初に決まった。

 

「お、有宇とか」

 

「そうだな」

 

 それから僕はリゼとペアを組む事になった。となるとココアが必然的に……。

 

「やったー!チノちゃんと一緒だ!」

 

「えっ、ココアさんとですか……」

 

 チノとペアになるということだ。

 

「お前、チマメと組みたくてわざと負けたりとかしてないよな?」

 

「もうやだなリゼちゃん、そんなことしないよ」

 

 ココアの反応にリゼが疑いをかける。

 まあ、後出しとかはしてなかったから不正はしてないと思うが、チビ共と組みたがってるこいつならやりかねないというのはわかる気がする。

 何はともあれ、これでペアがきまった。

 

「じゃあ次は森に入る順番を決めましょ♪」

 

 今度は肝試しの順番決めだ。ペアのどちらかが代表として他ペアの代表とじゃんけんをして、負けたペアから森へ入っていく。

 最初に森に入ると、暗い森の中で後続を二人で待たなくてはならなくなるため、一番最初に森に入るということは、一番恐怖を感じるということになる。

 

「有宇、お前に任せていいか」

 

 するとリゼは何故か僕に行かせようとする。

 

「なんで僕が?」

 

「いや、その……お前、なんか心理戦とか得意そうだし……頼む!」

 

 リゼは必死に懇願する。

 どうやらどうあっても一番最初には行きたくないようだ。

 

「得意ってわけじゃないんだが……まぁ別にいいけど」

 

 僕としても一番最初は嫌だし、まぁいいか。

 というわけで仕方なくじゃんけんに参加する。

 他のペアからはマヤ・ココア・千夜が代表として出てきた。

 

「それじゃあ行くわよ。じゃんけん……」

 

「「「「ポン」」」」

 

 有宇はパーを出した。そして他全員はチョキを出していた。

 

「すまん、負けた」

 

「おい!?」

 

 まさか一発目から負けるとは思わなかったな……。まぁ別にじゃんけん強いわけでもないし、こんなもんだろ。

 当然これにより有宇とリゼのペアが一番最初に森に入ることとなった。その後のじゃんけんで二番目がココアとチノ、三番目がマヤとメグ、最後が千夜とシャロのペアの順番に決まった。

 

 

 

「それじゃあリゼちゃん、有宇くん、いってらっしゃ〜い」

 

「うぅ……私もリゼ先輩とが良かった……」

 

 そして、じゃんけんが終わると早速肝試しは開始され、トップバッターの有宇達が皆に見送られながら森へと入っていった。

 それからしばらく歩いていき、みんなが見えなくなるところまで入っていくと、リゼが珍しく弱々しい声で話しかけてくる。

 

「ゆ、有宇……すまん、ちょっと腕に捕まってもいいか……?」

 

「ああ」

 

 有宇の返事を聞くとリゼは有宇の左腕に両腕を絡ませ、体を寄せ腕に捕まる。

 

「親父は幽霊などいないと言っていたが、やっぱ雰囲気あるよな……」

 

「ああ」

 

「でも有宇と一緒で安心したよ。その……なんていうか有宇はこういうの平気そうだし、私がこういうの苦手だっていうのも知ってるし、一緒にいると心強い」

 

「ああ」

 

 すると、リゼは有宇の様子が何かおかしいことに気づいた。

 

(こいつ……さっきから空返事しかしてないような……?)

 

「おい……有宇?」

 

「ああ」

 

 やはり「ああ」としか返して来なかった。

 よく見てみると有宇の腕が小さく震えている。まさかと思いリゼは有宇の顔を覗き込む。

 

「おい、聞いて……ってお前!顔が青ざめてるじゃないか!!」

 

 有宇の顔を覗き込むと、顔が青ざめており、唇が小刻みに震え、冷や汗も出ているようだ。

 

「べ、別に!何でもない……」

 

「いやいや、その反応は何でもなくないだろ!……まさかだけど、もしかしてお前も怖いのか?」

 

「ははっ……そんなことは決してなーい……」

 

 本人はそう強がっているようだが、怖がってるのバレバレである。

 

「しっかりしろ!大体お前、石の街のときは平気そうだったじゃないか!」

 

 どうやら有宇もこういう系は苦手だったようだった。

 するとその時、突然すぐ側の草むらからガサッと音がなる。

 

「「うわぁ!?」」

 

 驚きのあまり、二人とも思わず声を上げる。

 しかし草むらから出てきたのはただの野良うさぎだった。

 

「なんだうさぎか……ビックリした」

 

「そ、そうだな……」

 

 うさぎだとわかり二人とも冷静さを取り戻した。すると二人とも、驚きのあまりお互いに抱きついていたことに気づいた。有宇ですら、持っていた花束を放り出してリゼに抱きついていたのだ。

 すぐにお互いバッと離れて、それから二人とも顔を赤くした。

 

「すっすまない……」

 

「いや、僕の方こそ……すまん」

 

 二人の間になんとも言えない気まずい空気が流れる。

 

「と、とりあえず歩くか……」

 

「あ、あぁ……」

 

 そして二人、互いに森の奥へと進んで行った。

 

 

 

「にしても有宇も怖いのとか苦手だったんだな」

 

 しばらくすると、リゼがそう口を開いた。

 あれから二人とも、互いに怖いのを紛らわせるために会話を始めた。

 

「いや、あれはその……そう、得体のしれないものを怖がるのは人間の本能だ。だから僕が恐怖を感じるのは至極当然の感情だ」

 

「偉そうに言うことか。でもお前、石の街じゃ普通にしてたじゃないか」

 

「いや、そりゃまぁ、あそこはあそこで人気が全く無くて不気味だったけど、それだけだしな。ガチの心霊スポットなんざ誰が好き好んで行くか。というかお前こそ軍人の娘のくせに幽霊が苦手な方がおかしいだろ」

 

「だって幽霊は銃が効かないじゃないか」

 

「お前の恐怖の基準そこかよ!ていうか、本当に幽霊騒ぎだったのか?また能力者が絡んでるとかじゃ……」

 

「さっき言っただろ、親父もその線を考慮してここをわざわざ買い取って調査したけど、そういうのは一切なかった」

 

「じゃあ、まさか本当に幽霊が?」

 

「どうだろうな、誰かのイタズラだったという線もあるし。少なくともガーディアンにおいて今のところ幽霊の存在は確認されてないけどな」

 

 それってつまり、幽霊ってやつは実在しないってことでいいのか?

 裏社会の組織の首領(ドン)の娘が言ってんだから間違いないだろうけど……。

 

「じゃあなんでお前、幽霊でビビってんだよ」

 

「だって、いたら怖いじゃないか……」

 

 シュンとした様子でリゼがそう答える。

 メンバーの中では一番男勝りな奴だが、こういうところはなんていうか……女らしいな。

 すると顔を真っ赤にしてリゼが言い返す。

 

「だっ……大体お前だってそうじゃないか!?」

 

「ゔっ……まぁそうだが……あっ、ほら着いたみたいだ」

 

 有宇が指差す方向に、昼間来た目的の事故現場が見える。

 ゴールが見えたことにより、取り敢えず二人とも、ほっと胸を撫で下ろす。

 

「なんだかんだ、普通に来れたな」

 

「そうだな、大したことなかったな」

 

 大したことないといいながらビビっていたのは、二人とも知らん顔である。

 そして二人は当初の予定通り、その場で後続を待つことにした。

 

 

 

 ゴールについたリゼと有宇は他愛ない会話を交わしながら後続を待った。しばらくして、有宇達の次のペア、ココアとチノがやって来た。

 

「とうちゃーく!」

 

「無事つきましたね」

 

 二人とも特に何もなく来れた様子だ。

 そんな二人にリゼが声をかける。

 

「二人ともお疲れ」

 

「リゼちゃんもお疲れ〜。有宇くんもお疲れ様」

 

「リゼさん、お兄さん、お疲れ様です」

 

 そうして互いに軽い挨拶を交わし合うと、肝試しの話になる。

 

「ココアとチノはどうだった?なにかあったか?」

 

「ううん、な〜んも。暗い森をお散歩っていうのもたまにはいいよね」

 

 ココアは普通に楽しそうにしている。やる前は少し怖がっていたのになんだかんだ図太い奴だ。

 するとチノの方は何か不満げな表情をしている。

 

「せっかくの肝試しなのに、ココアさんがお喋りばっかするものでしたから全然怖くありませんでした……」

 

 そういえば怖い話の参考にしたくてやりたがっていたんだっけな。確かにココアと一緒じゃそういう気分にはなりたくてもなれなさそうだ。

 すると今度はココアの方から僕達に聞いてくる。

 

「そういえばリゼちゃん達はどうだった?なんか声上げてたけど?」

 

 ギクッ!!(×2)

 

 ココアの質問に二人とも動揺のあまり体を震わせた。

 まさかうさぎにビビって声を上げたなんて言えないしな……。

 

「えっと……そう、リゼが石に躓いて転んできてな。それでつい声を上げたんだ」

 

「あっ……あぁそんな感じだ!」

 

 少し無理矢理だが、咄嗟にそう嘘をついて誤魔化した。リゼの方も咄嗟に上手く僕に話を合わせた。

 しかしココアは納得の言ってない様子だ。

 

「そうなの?なんか凄い驚いていたように聞こえたけど。ねぇチノちゃん」

 

「はい、まさか本当に幽霊が出たのかと心配しましたよ」

 

 どうやらココア達だけじゃなくて、他全員にも聞かれていたようだな……。まぁ、あの時まだ入り口に入ってそんな時間立ってなかったしな。

 この分だと多分、後から来る二組にも同じようなこと聞かれそうだな。

 更にチノが追い打ちをかける。

 

「それにリゼさん、転んだ割には怪我とかしてませんし、土がついて汚れているような様子もありませんが」

 

 ギクギクッ!!(×2)

 

 くそっ、いつも簡単に騙されるくせに、なんで今に限ってそんな鋭いんだよ。

 二人が言葉をつまらせると、チノが見透かしたかのように言う。

 

「もしかして、お二人とも怖かったんですか?」

 

 ギクギクギクッ!!(×2)

 

 まずい!このままでは情けない奴だと思われる!!

 リゼも僕同様焦っているようだ。ともかくなんとかしなければ!

 有宇は咄嗟に言い返した。

 

「なっ……何言ってんだ、そんなわけ無いだろ?僕とリゼだぞ?僕らがたかが夜の森を歩くぐらいで怖がるわけ無いだろ?なぁリゼ」

 

 リゼに話を振る。ともかく話を合わせろ!

 

「あ、ああ!そんなわけな、ないぞ!よ、夜の森なんて親父の部下達とのサバイバルな訓練でよく来るしな!うん、私達が怖がるはずないじゃないか!」

 

 リゼも年長者としての意地を守るために、僕に話を合わせて必死に誤魔化そうとした。

 

「必死になるところがますます怪しいですが……まぁいいです。お二人がそう言うならそうなんでしょう」

 

 若干歯切れの悪い言い方だが、一応チノはそう言って納得してくれた。

 ココアも「そうなんだ」と言って一応は納得した様子だ。

 その後、残りの二ペアも到着して、その二ペアからも声を上げたことを問い詰められ、それを誤魔化すのにまた一苦労強いられたリゼと有宇であった。

 

 

 

 全員が到着すると、みんな各ペア一束ずつ持っていた花束を事故現場となった崖の下に供えた。そしてみんなで静かに手を合わせその場でお辞儀をする。

 

「それじゃあみんな、帰りましょっか」

 

 こうして肝試しは終わりを迎えた。

 帰り道、マヤが「これ結局墓参りに来ただけじゃね?」とか言っていたが、実際肝試しって感じではなかった。亡くなった高校生の幽霊とやらも出てこなかったしな。結局まともに怖がっていたのは僕とリゼだけだったし……。

 しかしその割には、主催の千夜に不満そうな様子は見られない。

 結局千夜は肝試しがしたかったのか?それとも亡くなった高校生達を弔いたかったのか?

 そんな事を考えてながら、千夜に視線を移す。有宇の目にはココア達と楽しそうに話しながら歩く笑顔の千夜が映っていた。

 いや、おそらくはみんなとただ何かしたかっただけかもしれない。友達と……普段はしない特別なことをしたい、それが真の理由ではないかもしれないが、そんな想いもあったに違いない。なんにせよ、主催の千夜が満足したならそれでいい。

 楽しそうにしている千夜を見ながら、有宇はそんなことを思った。

 

 

 

 キャンプ地に着くと、夕食の片付けをして寝ることとなった。

 片付けを終えた後、女子達はそれぞれ各テントの中に入っていき、有宇は一人コテージへと戻って行った。

 その後自分の部屋に戻ってベッドに横になった有宇だったが、さっき寝てしまったせいか、はたまたコーヒーを飲んだせいか、全然眠くなかった。

 しばらくは眠れそうにないと判断すると、部屋のベランダに出る。そしてベランダの柵に手をつき、一面に広がる満点の星空を眺めた。

 夜の森を歩いていた時は気づかなかったが、雲一つない星空はとても壮観だった。

 歩未が見たら喜ぶに違いない。星に興味のない僕ですら綺麗と思える程なのだから。

 

「おーい、有宇く〜ん!」

 

 すると下の方から突然声をかけられる。下を見下ろすと、キャンプ場のテントで寝ているはずのココアがいた。

 

「どうした?」

 

「そっち行ってもいい?」

 

「別に構わんが……」

 

 そう返すとココアはコテージへと入って行った。階段を駆け上がる音がして、しばらくするとさっきまで外にいたココアがバルコニーに現れた。

 

「おまたせ〜」

 

「別に待ってない。というかどうした?なんかあったのか?」

 

「ううん、別に何も。ただ眠れなくて……」

 

「珍しいな、いつも早くに寝るくせに」

 

 ココアは夜遅く起きてることは珍しく、普段も一番早く寝ていることが多い。その割に朝起きれなかったり昼寝したりと、昼夜問わず何かと寝ていることが多いイメージがある。

 だからココアが夜眠れないなんて珍しいと思ったのだ。

 

「ん〜コーヒー飲んだからかな?わかんないや。有宇くんも眠れなかったの?」

 

「あぁ、僕の場合夕食前に寝たせいだろうけど」

 

「そっか。そういえばぐっすり寝てたもんね」

 

 するとココアは僕の隣に来て、僕と同じようにベランダの柵に手をついた。

 

「綺麗な星空だよね」

 

「そうだな、木組みの街で見る空もきれいだったけど、ここは格別だな」

 

 ここは街よりも標高が高いし、そのせいか街で見るより星がより鮮明に見える。東京にいたときとは比べ物にならない程だ。

 

「そうだね。うーん……」

 

 するとココアが空を見上げながら何やら目を細めながら唸っている。

 

「何してんだ……?」

 

「夏といえば夏の大三角形だなって思って探してたんだけど、見つかんないね」

 

「ああ、夏の大三角がはっきりと見えるのは8月上旬だからな。今だと……ちょっと待ってろ」

 

 そう言うと有宇は部屋に戻った。しばらくして何やら手に持って帰ってきた。

 

「方位磁針?」

 

「ああ、昼間肝試しのコースの目印つけるのに使ったやつだ。えっと……東はあっちか。ならあそこで一番強く光ってるのが夏の大三角の一つ、こと座のベガだ」

 

 有宇はそう言って東の空に一際強く輝く一つの星を指差した。

 

「他の二つは?」

 

「えっと……確かベガの右下にあるあれがわし座のアルタイルだったか?それで左下がはくちょう座のデネブ……でいいはず」

 

 確か僕の記憶が正しければこれで合ってると思う。自信はないが。

 

「おおっ!凄いね有宇くん!どうしてわかったの?」

 

「夏の大三角は7月は確か東の空にあるはずだからな。それにこの時期、ベガより明るい星はないし、ベガを見つけてそこからの方向で他二つも見つけられる。これが8月の上旬なら真上に見えるはずだ」

 

「へぇ、前も思ったけど有宇くん星に詳しいよね。好きなの?」

 

 ココアにそう聞かれて有宇は少し戸惑った。

 有宇に星の知識があるのは、他でもない妹の歩未からいつも星の話をされていたからである。しかしココアにはまだ歩未のことは言っていない。

 今まで言う必要のない事だとして特に話したりはしなかったが、そろそろ話しておくべきではないのかと、有宇はそう思った。

 夏にまだ計画の段階だが、歩未を木組みの街に招待したいと考えている。だからココア達にも、そろそろ歩未のことを話しておくべきなのではと考えたのだ。

 元々隠すようなことでもない。なら……。

 そして、有宇は静かに口を開いた。

 

「妹に教わったんだ」

 

「へぇ、そうなん……だ……」

 

 するとココアはその場で思考停止してしまったかのように黙ってしまい、そのまま数秒間無言になる。そしていきなり大声を上げる。

 

「うぇぇぇ!?妹!?有宇くん妹いるの!?」

 

「ああ、星が好きな奴でな。いつも星の話ばかりしてる変わった奴だ」

 

「そうじゃなくて!どうして話してくれなかったの!?」

 

「どうしてって、別に話すことでもないだろ」

 

「そんなことないよ!」

 

 ココアが大きい声で怒鳴るものだから、有宇も思わず面食らう。

 なんだ?歩未のことを話さなかったことがそんなにまずいことだったか?

 有宇がココアの予想以上の過剰な反応に戸惑っていると、ココアが言う。

 

「有宇くんの妹なら私の妹でもあるんだから、ちゃんと話してくれなきゃだめだよ!」

 

「いや、お前の妹にはならねぇよ!」

 

 なんかやけに過剰に反応すると思ったらそういうことかよ。無駄に心配して損した。

 

「それで、有宇くんの妹さん、名前なんて言うの?」

 

「歩未だ。歩くっていう字に未来の未で歩未だ」

 

「歩未ちゃんか〜。うん、いい名前だね。私も会ってみたいな」

 

 ココアと歩未か……。ココアは普通の人間とどこかずれているというか何というか……。ともかくあいつのバカさ加減が歩未に移らないか心配だが、歩未も歩未で色々と変わってる奴だからな。変わってるもの同士、なんだかんだ上手くやっていけるだろう。

 有宇がそんな事を考えていると、ココアが尋ねる。

 

「そういえば歩未ちゃんどうしてるの?有宇くんがこの街にいるってことは歩未ちゃんひとりぼっちじゃないの?」

 

 ココアが当然のように疑問に思う。

 答えづらい……といっても答えないわけにもいかないか……。

 有宇は言い辛そうに口を開く。

 

「……ここに来る前に置き手紙でおじさんの家に戻るようには言ったんだが、まだ僕と二人で暮らしていたアパートにいるみたいだ」

 

 話していて正直自分が情けなくなる話だ。

 本当に歩未のことを考えているならさっさと帰ればいい話だというのに、未だに僕はこの街で燻っている。

 何故か……と言われれば、おじさんへの一種の反抗でしかないというところだろうか。

 カンニングして、折角入った高校を退学になった僕へのおじさんの怒りは最もだが、あの人の僕らと関わろうとしないその態度が気に入らない。

 僕と話そうと思えばそれこそ友利が持ってきた携帯にかけてくればいいんだ。あの日みたいに。

 ここで僕が頭下げて帰ったところで何も変わらないんじゃないか。ただまた学校に通って歩未と二人きりの生活。それが悪いってわけじゃない……いや違う、本当は……。

 有宇はそのまま黙り込んだ。そんな有宇に対しココアが優しく諭すように言う。

 

「……帰ってあげないの?」

 

「……お前は、僕に帰って欲しいか?」

 

 ココアの問いかけに、何故かそう無意識に返してしまった。何故か……何故だろう。

 そしてココアが答える。

 

「ううん、私は有宇くんと一緒にいたいよ。せっかくこの街で出会って、仲良くなれたんだもの。お別れなんかしたくないよ。でも、有宇くんはそれでいいの?」

 

「いいって……何がだよ」

 

「歩未ちゃんのこと、心配じゃない?」

 

「……連絡は携帯でほぼ毎日交わしてる。それに、友利……向こうにいる知り合いが歩未の様子は見てくれてるみたいだし、別に僕が心配するほどじゃない。歩未だってもう中学生なんだ。一人でいるぐらい……」

 

「そうじゃないよ。君が……有宇くんが、歩未ちゃんのことは心配じゃないのかって話だよ」

 

「……!だから!」

 

 思わず血が登り声を荒らげる。だがココアは怯むことなく、いつにも増して真剣な眼差しで僕を見つめる。

 

「どうなの」

 

 ココアのいつになく真面目な声色で、血が登った頭を冷やす。

 それから有宇は今にも消えそうな、自信のない力ない声で答える。

 

「……心配だよ」

 

「うん、それで有宇くんはどうしたい?」

 

「出来ることなら帰ってやりたい……けど」

 

 そこで再び黙り込む。

 するとココアが有宇の気持ちを察したかのように言う。

 

「おじさんのことまだ怒ってる?」

 

 有宇は何も答えない。

 

「正直私、有宇くんのところの事情はあんまりよくわからないけど、おじさんと仲直りできないのかな?おじさんにも悪いところはあったのかもしれないけど、でも有宇くんのこと本当に心配してるから、有宇くんに携帯届けたりタカヒロさんと連絡取ったりしたんじゃない?」

 

 そんな事言われなくたってわかってる!

 おじさんへの怒りなんて本当は言い訳で、ただ逃げているだけだってのはわかってる。あぁ、わかってんだよ!けど……!!

 

「……わかってるよ。カンニングしたのは僕が悪くて、おじさんだって心配してることぐらい……でも!」

 

 そこで有宇の声に力が篭もる。

 

「このままのこのこ帰ったって、陽野森の同級生だって近所にいるだろうし、それでそいつらに歩未と一緒にいるとこでも見られてみろ!歩未に変な噂が立つかもしれない!それに帰ったところで僕の居場所がどこにある!星ノ海学園に編入したって、きっとどっかしらから僕がカンニング魔だってことがバレるかもしれない!帰ったところで以前と何も変わらない!そしたら僕は……!」

 

 いつの間にか僕の頬を涙が伝っていた。思いの丈を伝えるその声も、涙で湿っていた。

 わかっていた。おじさんへの反抗なんて家を出た最初のときだけで、本当は言い訳に過ぎないと。ここに来て色々と考え直してから、もうとっくにおじさんの事なんてどうでも良かったんだと思う。ただおじさんの態度を理由に、自分を納得させていただけに過ぎないんだ。

 タカヒロさんに怒られたあの日から考えていた。自分がどうすべきかを。タカヒロさんは自分の犯した罪と全力で向き合えといった。向き合わなきゃいけない。そんなことわかっている。けど僕は……怖いんだ。おじさんなんかどうでもいい。本当は自分が咎められるのが怖い。自分のせいで歩未が傷つくのも怖い。そしてなにより……。

 

「一人になるのが怖い?」

 

「……!」

 

 ココアが僕の心を見透かしたかのようにそう言った。

 図星をつかれ、思わずココアから目を逸らす。

 すると、ココアはそんな僕にニコッと笑いかける。

 

「ありがとね、有宇くん」

 

「ありがとうって……何がだよ」

 

「この場所を好きになってくれて」

 

 どこか温かさを感じるような、そんな優しい声でココアはそう答えた。

 

「有宇くん、最初来た頃と比べると本当に変わったよね。最初の頃は私達と距離取ってたし、みんなにも冷たかったし、それにいつもつまらなさそうにしてた」

 

 そうだな、最初ここに来たときは自分の生活のことで精一杯だった。家を出て、警察の目も掻い潜って、そしてこの街に来て、バイト先も見つけて、住む場所も見つけて、安定した生活を手に入れるのに必死で、ただただ自分のことしか考えられなかった。

 それに、僕は元々人当たりがいい性格というわけでもない。このままの自分では折角手に入れた居場所から受け入れてもらえないかもしれない。そんな不安が渦巻いた。

 だから人当たりのいい自分を演じた。今までしていたように。でも人当たりのいい自分を演じる裏では、こいつらが距離を縮めてくるのが煩わしかった。ここに来てからの日々も学生だった頃と変わらず、ただ本当の自分を偽り続け、自分を抑圧する日々、それは僕にとって苦痛でしかなかった。

 だけど……。

 

「でも、最近の有宇くんは、心なしか毎日楽しそうだよね。なんか前より生き生きしてる」

 

 お前が、ココアが言ってくれた。信じてくれていいと。

 僕がお前達との間にどんなに壁を作ろうとも、お前はその壁をぶち壊して僕にそう言ったんだ。お世辞にも良い性格してるとは言えない本当の僕を知ってもお前は……。

 けど最初からその言葉を信じたわけじゃなかった。ココアの言ってるようなことは綺麗事で、素の僕を晒せばみんな僕を軽蔑するだろうと思ったに過ぎなかった。

 でもいつまで経っても、ここにいる奴等は誰も僕を軽蔑なんかしなかった。素の僕を目にしても、こいつ等は普通に僕と接してくれた。

 ココアの言うような信頼と呼べるようなものなのかはわからない。けど、少なくともこいつ等と過ごす日々は、僕自身を抑圧していた今までの窮屈な日々と比べ居心地が良かったんだ。

 そして有宇は静かに口を開いた。

 

「そうだな……。お前等と一緒に過ごした日々は、そう悪いもんじゃなかった。居心地良かったよ。お前の言うとおりだった」

 

「私の……?」

 

「あぁ、お前僕に言ったじゃないか。素を隠すのは辛くないかって。その通りだったよ。お前達と会うまでの日々はとても窮屈で、周りの理想に振る舞わされるだけのつまらない日々だったさ。でもお前達との日々は何か特別なことがあったわけじゃない……わけじゃないのに素の自分でいられる。それだけだったのに、僕が今まで過ごした時間の中で一番、そう、楽しいって思えたんだ」

 

 言葉にすることで改めて自覚できる。ここが僕の居場所になっていたことを。だけど……。

 

「……だから僕は怖い。またあそこに戻っても今のままでいられるのか。居場所を失って、そしてまた自分を抑圧し続ける日々に戻ってしまうんじゃないかって。それで、また僕は何か過ちを犯してしまうんじゃないか……」

 

 震える声で、有宇は自分の気持ちを告白した。

 あそこに戻ることで歩未を傷つけてるかもしれないのが怖い。僕の犯した罪を咎められるのが怖い。また自分を抑圧する日々が始まるかもしれないのが怖い。居場所を失うのが怖い……。

 結局のところ、僕は相も変わらず自分のことしか考えていないのだ。歩未のところへ帰ることによって、今の自分の平穏を壊してしまうかもしれないことが怖いのだ。おじさんへの怒りを言い訳にして、自分の平穏を守っていたに過ぎないのだ。

 すると、そんな自己嫌悪に苛まれる有宇にココアが言う。

 

「そっか。有宇くんがそんな風に思ってくれてて良かったよ。もしかしたら一緒にいて楽しいと思ってるのは私達だけで、有宇くんはそう思ってないのかな?って心配だったの。だから有宇くんがそう言ってくれて嬉しいよ」

 

 そう言うココアは本当に嬉しそうだった。そしてココアは空を見上げながらまた僕を諭すように言う。

 

「ねぇ有宇くん、有宇くんはこれからどうしていくつもりなのかな。このままずっとこの街で暮らしていくの?」

 

「それは……」

 

 わからない。これからの事なんて、まだ全然考えていない。

 けど多分、ずっとこの街にいるということはないんだと思う。いつかはきっとこの街を離れるときがやってくる筈だ。

 僕が精算しなければならない過去、そしておじさんや歩未のことは勿論、星ノ海学園のことや僕に宿った不思議な力、きっと僕はこれからこれらの問題に直面することだろう。そしてこれらの問題を解決するときには、きっと僕はこの街にはいないはずだ。

 でも、今はそれらの問題から目を背けてこの街に留まっている。いつ向き合うのか……わからない、今の僕にそんな覚悟なんてないから。

 

「この街で有宇くんがやりたいことや、やらなくちゃならないことがあって、それでこの街に留まるのなら、それはいいと思うんだ。でももしそうじゃないなら、有宇くんは決めなきゃならないんじゃないかな」

 

「何を……?」

 

 有宇は恐る恐る聞いた。

 

「木組みの街を出るかどうかだよ」

 

「……!」

 

 ココアははっきりとそう言った。僕が避けていたその選択を、ココアははっきりと僕に突きつけてきたのだ。

 僕はそれに動揺して、咄嗟に言い返した。

 

「出るって……なんで」

 

「わかんない。でも、このままじゃだめなんだって思う。このままこの街にいても、有宇くんは前に進めない。そんな気がする」

 

「そんなことない!僕はこの街で十分変われたさ!前に進めた!きっとこれからだって……!」

 

「タカヒロさん言ってたっけ。逃げた先でも得られる物はあるって。でもね有宇くん、逃げ続けても前には進めないんだよ。いつかは、向き合わなきゃいけないことだってあるんだよ」

 

 ココアは僕の言葉を遮って、そう言い放った。

 タカヒロさん……そういえばあの時、お前も扉越しに聞いていたんだっけな。

 

『逃げた先からすら逃げて、君は何を得るつもりだ』

 

 タカヒロさんの重いあの一言が思い起こされる。そう、僕は辛い現実から逃げてこの街にやって来た。そしてまた、僕は逃げようとしているのかもしれない。けど……。

 

「でも、時間はあるって言った!タカヒロさんもお前も!僕にはまだ時間があるって……」

 

「そうだね。でも時間があることと停滞することは違うよ有宇くん。どんなに時間があったって、何もしなかったらあっという間に時間なんて過ぎていっちゃうよ」

 

「けど……!」

 

「だから今なんだと思う。有宇くんが歩未ちゃんのこと、ちゃんと話してくれたのはきっと、有宇くんが変わろうとする兆しなんだと思う」

 

「兆し……?」

 

「うん、きっと有宇くんの中で、歩未ちゃんのことを思うだけの心の整理が出来たから、だからきっと今になって私に話してくれたんだと私は思うな。だからこそ今、有宇くんは考えるべきなんだと思う。これから君がどうするべきかを」

 

 これからどうするか……。頭で必死に考える。

 でも考えれば考えるほど、そこから目に見えない不安や恐怖が足をのぞかせて、僕の思考を遮ってしまう。

 

「わかんない……わかんねぇよ……僕は……」

 

 僕の声は嗚咽が混じり、涙で湿った濁声はきっとみっともないものだっただろう。涙で崩れた僕の顔はきっと、鏡で見れないぐらい恥ずかしいものだっただろう。

 けど、目の前にいる彼女はそんな僕を優しく抱きしめた。

 

「大丈夫、大丈夫だよ有宇くん」

 

 僕を包むココアの体は温かく、その温かさは先の見えない未来に対する僕の不安や恐怖を包み込み、僕に安らぎを与えた。

 

「きっと君の先には辛い過酷な現実が待ち受けているんだよね。それはとても不安だし怖いよね。でもね、たとえ君が行く先に何があっても私達がいるよ」

 

「……街を出ていくんだぞ。そしたらもうお前等とも……」

 

「そんなこと無いよ。例えどんなに遠く離れたって、私達は友達で、私は有宇くんのお姉ちゃんだよ。辛くなったらまたいつでもこの街に帰ってくればいいんだよ。だから何度逃げたっていい。でも有宇くんも、勇気を出して決断して欲しい。君が後悔しないための決断を」

 

 ココアは優しく、自らの胸に抱かれる僕に向けそう諭した。

 不安を拭い捨てた僕は考える。歩未のこと、これからの僕の事……。

 友利達は僕の力を必要といった。あいつらはきっと今も能力者のために戦っていて、そしてそれは僕にとっても無関係ではいられないんだろう。最も友利達と共に行動することが僕のこれからするべきことかと言われれば違う気もするが。

 歩未の方はどうだろう。やっぱ僕に帰ってきて欲しいんだろうか。

 よくよく考えてみれば、歩未は僕の事を許してくれたが、帰ってきて欲しいとは一言も言わなかったな。

 電話で聞いてみるか、いや、電話口で済ませていい話ではない気がする。なら……。

 そして僕は鼻を(すす)り、ココアの胸から顔を上げ答える。

 

「歩未が夏休み、木組みの街にくる」

 

「そっか…………えっ!?歩未ちゃん来るの!?いつ!?」

 

 ココアはさっきまでのシリアスな雰囲気をぶち壊して、鬼気迫る顔で僕の顔に迫る。そんなココアの様子に思わずたじろぐ。

 

「あ、あぁ……まだ具体的な日取りは決めてないけど……」

 

「決まったら教えて!あ、あとできれば私が実家帰るときには入れないでね!」

 

「わっ……わかった」

 

 なんて必死さだ!というか、いつもながらなんという変わりようだ!

 チマメといい、こいつ、年下には本当見境なくなるな。さっきまで僕に説教垂れてたとは到底思えない変わりようだ。

 しかしすぐに本当に言いたかったことを思い出し、ココアに向け言う。

 

「それでさ、その……そこで歩未とちゃんと話そうと思う。そしたら何か見えてくると思うから。もちろん、それまでにも自分で考えてみる。だから……」

 

 結局のところ、また答えを先延ばしにしたに過ぎない。けど、どの道今すぐにはちゃんとした答えは出せないと思う。後悔しない選択、それを取るというのなら尚更だ。

 僕がその選択をする上で何が最善なのか。何が僕にとっての幸せなのか僕は考えた。

 この街に残りココア達とこうして日々を過ごしていくことか?歩未の元に戻り、僕自身の過去を精算することか?

 どの選択をするべきなのか、歩未と直接面と向き合って話すことで、それが見えてくると思う。だから、まだもう少しだけ時間が欲しいんだ。

 すると、ココアはニコッと微笑み、答える。

 

「うん、いいと思うよ。焦ったって良い答えは出ないもんね」

 

 ココアはそう言って納得した様子を見せた。それから僕の背中をバシッと叩く。

 

「頑張れ、お兄ちゃん」

 

 そう言ってココアは悪戯に微笑みかける。その微笑みに、内心ドキッとさせられる。

 普段のこいつはアホなことばっかしてて、ドジだし能天気だし、こいつの女としての魅力なんて精々外見ぐらいとしか思っていなかったのに、何故かこういう時のこいつの笑顔はその……魅せられるものがある。

 それからココアは「う〜ん」と言いながら肩を伸ばした。

 

「それじゃあ私はそろそろ戻ろっかな。ごめんねお邪魔して。ちょっとお節介だったかな」

 

「いや、そんなこと無い。ありがとうな、ココア」

 

「えへへ、そっか。有宇くんの役に立てたならよかったよ。じゃあお休み」

 

 そう言ってココアはコテージのベランダを出ていった。その後下に降りたココアが上にいる僕に無邪気な笑顔で手を振る。そこにいるのはさっきまでのあいつとは違う、いつもの明るいココアだった。

 僕もココアに手を振り返す。そしてココアはテントの方へと消えて行った。

 

 

 

 ココアがいなくなった後、僕もそろそろ寝ようと思い、部屋に戻ろうとした。その時だった。

 ふわっと目の前を何かが通り過ぎた。部屋に戻ろうとした僕は足を止め、それを目で追う。

 そいつはこの夜の闇の中、ゆらゆらと空中を揺らめきながら小さく光を放っていた。

 

「これは……蝶か?」

 

 その光の正体は光る蝶だ。光る蝶なんて聞いたことないが、木組みの街も含めて、この辺りには日本の他の場所では見ることのできない珍しい動植物がいることでも有名だ。だから僕の知らないような蝶がいてもおかしくない。

 

「これ……もし新種とかだったら高く売り飛ばせるんだろうか?」

 

 ふとそんなエゴ剥き出しの欲が湧き上がる。こればかりは性分だ。仕方がない。

 するとその光り輝く蝶はそのまま僕の元を離れ、コテージの外へと飛んでいく。僕は慌てて部屋を出てコテージの階段を駆け下り外に出る。

 急いで周りを見渡し蝶の姿を探す。すると森の方に微かな光が見える。おそらくあの蝶のものだ。そして僕は懐中電灯片手に森へと向かった。

 

 

 

 光を追って森の入り口に着く。それからまた周りを見渡す。しかしさっきの蝶の姿はない。だが、蝶とは違う別のものを見つけた。

 僕は即座にライトの光を落とし、すぐ側の草かげに隠れてそれを観察する。

 人だ。二人組で、暗くてよく見えないが、一人は髪が短いしおそらく男だろう。とすれば当然ココア達ではない。

 リゼはここら辺はリゼの家の私有地だと言っていた。じゃああいつらは一体なんなんだ?何故こんな時間に森に入る?もしかして幽霊騒ぎと何か関係あるのか?だとしたら危険かもしれない。

 有宇はリゼが昼間言っていたことを思い出す。

 リゼの親父は能力者が関わってるかもしれないと思いここを調査したと言っていた。ならもしかしたらその能力者っていうのが奴らかもしれない。そうなれば万が一のとき、僕一人では立ち回れない。

 そんな事を考えてる内に二人組は森へと入っていった。ここは何かあってもあれだし見逃すか?明日リゼに報告すればいいだろうし……。

 そう思って有宇が引き返そうとした時だった。

 さっきの蝶だ。さっきの蝶がまた僕の目の前に現れた。それから二人組が入っていった森の入り口へと向かって、またひらひらとその淡い光を放ちながら飛んで行った。

 

「……ついてこいってことか?」

 

 蝶の様子から直感的にそう感じられた。

 蝶に意志力などない!と普段なら言うところなんだろう。けど、この怪しげな、それでいてどこか神秘的な蝶なら……と、この時僕は無意識にそう思ったのだった。

 そして僕は蝶を、二人を追って森へと入っていった。

 

 

 

 二人を追っていくのは容易いことだった。彼らの持つライトの光が目印になったし、蝶が僕を二人の後を僕に見えるようひらひらと飛んでいくからだ。

 そして僕はこの二人の行く道に覚えがあった。この二人が通ってる道は僕らがさっきまで肝試しで通った道なのだ。その証拠に昼間僕が目印として木に結びつけた赤い布が歩いていくと時折確認できる。

 つまり、この二人組はあの三年前の事故現場へと向かっているということだ。

 一体なんの目的で?幽霊騒ぎと何か関係が?わからない、だがここまで来た以上はその目的だけでもこの目で確かめないとな。

 そして有宇はそのまま二人を追っていく。

 しばらくして、ようやく事故現場に辿り着いた。するといつの間にか蝶の姿が消えていることに気づく。

 結局あの蝶は一体何だったんだ?

 そんな疑問が残ったものの、今はそれを頭の片隅に置いておき、謎の二人組の動向を見張ることに専念する。

 有宇は二人から少し離れた木の裏に身を隠し、そこから二人を観察する。

 二人は事故現場の目の前に立っている。そこにはさっきの肝試しで供えた僕らの花束が置いてある。それを見て二人は何か話している。

 なんだ……ここからじゃ聞こえん。もう少し近づいてみるか。

 有宇は音を立てないようにゆっくりと二人に近づこうとする。するとその時───

 

 バキッ

 

 運悪く足元の枝を踏んでしまったのだった。

 

「誰!?」

 

 そしてその音に気づき、二人が有宇の方へと振り返る。それから両者は互いに視線を交わす。

 

「君は……一体」

 

 夜の静寂の中、僕らは出会う。そして僕はこれから体験することとなる。

 ────彼らの物語に込められた青春の一ページを。




次話以降、ごちうさキャラがしばらく登場しなくなります。ごちうさキャラの登場はリトバス編終了までしばらくありません。
それに合わせて次のお話から本格的にリトルバスターズ編がスタートしますが、楽しんで読んでいただけたらと思います。
これからもよろしくお願いします。


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第32話、Alicemagic

「つまり、君は友達とここに遊びに来ていて、たまたま僕らを見かけて、不審に思って後をつけてきたってことでいいのかな」

 

「はい、そうです」

 

 謎の二人組に気づかれてしまった後、僕は何をされるでもなく、二人組の内の男の方に自分達をつけてきた事情を聞かれ、僕はそれに答えている。

 男は人の良さそうな雰囲気で、童顔で女に見えなくもないような幼い容姿の若い男性……おそらく大学生ぐらいだろうか?

 もう一人の女の方はその男の隣でもじもじと顔を赤らめていた。人見知りか?まぁいい。おそらくは男の彼女だろう。茶髪のポニーテールの美人なのだが……どこかで見覚えのある顔だ。

 そしてこちらの事情をあらかた話すと、有宇は今度は彼らの事を聞き出すことにする。

 

「それでえっと……」

 

「ああ、そうだったね。僕は直枝理樹、そして彼女は、僕の彼女の棗鈴。ほら、鈴」

 

 直枝さんが声をかけると、鈴と呼ばれた彼女が有宇に恥ずかしそうにしつつも、挨拶をする。

 

「な、棗鈴だ。よ、よろしく……」

 

「はい、こちらこそ……」

 

 有宇はペコリと頭を下げる。

 人見知りなようだが、こちらを拒絶する様子はない。本人なりに頑張っていると見受けられる。というか理樹に棗……どっかで聞き覚えが。

 すると直枝さんが話を続ける。

 

「僕らは普段は東京の大学に通ってるんだけど、夏休みだから二人で日程を合わせてここに来たんだ。本当は昼過ぎには着く予定だったんだけど、列車で寝過ごして街の方まで行っちゃってね。バスも全然出てないし、なんとかレンタカーを借りて来たんだけど、道に迷ったりして結局着くのがこんな遅くになっちゃったんだ」

 

 だからこんな夜遅くに来たのか。いや、それで結局この二人はここに何しに来たんだ?

 有宇はここに来た理由を二人に尋ねた。

 

「それで、直枝さんと鈴さんはここへは何しに来られたんですか?一応ここ友人の家の私有地なんですが……」

 

「うん、それは知ってる。立ち入りの許可はちゃんと貰ってるよ。毎年のことだしね」

 

 毎年のこと?というかわざわざ許可まで貰ってこんな田舎町の森に来たっていうのか?

 すると直枝さんは突然僕に背を向け、後ろにそびえ立つ崖の方を向く。それからまた僕の方を振り返る。

 

「これは君達が?」

 

 これ……というのは、おそらく僕らが肝試しで添えた花束のことを言ってるのだろう。

 

「はい、そうですが……」

 

 僕がそう答えると、直枝さんは「そっか……」と呟き、また崖の方を向いてしまった。

 それからしばらく沈黙して、その後崖の方を向いたまま有宇に向け言う。

 

「ありがとう」

 

「え?」

 

「僕達以外に花を添えに来てくれた人なんて、土地が買われたこともあって、事故が起きた三年前以来いなかったから」

 

「それって……」

 

 どういう意味なんだ。

 有宇がそう言おうとする前に、直枝さんは思いも寄らない事を打ち明かした。

 

「僕達はね、ここで起きた三年前のバス事故の生き残りなんだ」

 

 「えっ……!?」

 

 その事実に有宇は驚きを隠せなかった。

 三年前のバス事故、あの事故に男女二人の生存者がいたというのは知っていたが、まさか目の前にいるこの人達だったとは思ってもみなかった。

 それから直枝さんは語り始めた。

 

「今でもあの日のことは覚えているよ。三年前のあの日、修学旅行に向かう僕らを乗せたバスの目の前に突然、大量の土砂が落ちてきたんだ。前日の大雨で地盤が緩んでいたらしいく、そして僕らを乗せたバスはそれを避けようとした。けど、結局避けきれずにそのまま土砂とともにこの目の前の崖から落ちていったんだ。本当に酷い事故だったよ。バスの運転手さんも、先生も、友達やクラスメイト達も、みんな酷い怪我を負って、全員意識も失っていた。あれは本当に……この世の地獄だった」

 

「二人は……その、どうやって……」

 

「仲間がいたんだ。幼い頃からずっと仲良くしていた幼馴染の友達が。バスが落ちる瞬間、彼らは僕達を庇ってくれたんだ。そのおかげで僕らは少しの間意識を失っただけで、大した怪我をすることはなかった。ただ、そのせいで二人は他のみんなのように……」

 

 そこで直枝さんが言葉を切ると、直枝さんの声が震えるのを感じた。

 

「助けようと思ったさ。でもバスは燃料が漏れ出して、いつ引火してもおかしくない状況だった。みんなを助ける前に僕らもその爆発に巻き込まれる可能性があったんだ……」

 

 震える声で直枝さんは続ける。

 

「それに僕には生まれついての持病がある。ナルコレプシー……眠り病。僕は突然自分の意志じゃどうにもならない程の眠気に襲われるんだ……」

 

 眠り病……僕も自分の能力を誤魔化す際の言い訳に使えると思って、一応の知識として知っている。

 日中に突然耐え難い眠気に襲われたり、感情が昂る際に突然体の自由が効かなくなったり、症状は人によって様々だが、主に情動刺激により引き起こされるケースが多いのだという。

 直枝さんがどんな症状を持ってるかは知らないが、感情が極限に昂るであろう事故現場において、命をかけて救出活動なんて行えば、いつバスが爆発するかもしれない緊張感により感情を昂らせて、ナルコレプシーを引き起こしてもおかしくないだろう。

 

「みんなを助けている最中に突然眠ってしまう可能性が十分にあった。そうなれば鈴を巻き込んでしまう。だから僕達は……」

 

 逃げるしかなかった。

 状況からして救出活動は一人じゃできない。鈴さんの力を借りる必要があるだろう。そしてその状況で突然直枝さんが動けなくなれば鈴さんもパニックに陥るだろうし、そうなれば間違いなく逃げ遅れて二人とも死ぬ可能性があった。

 だから二人は互いの命を優先して、仲のよかったクラスメイトも、幼馴染の友達も、何もかもを捨てて逃げた。そしてバスは爆発し、結局二人を残して他全員が死亡した……というわけか。

 そのまま直枝さんは黙り込んでしまった。

 不謹慎……とも思ったが、僕はチノが話していた噂話のこともあり、その先が気になり聞いてしまう。

 

「……それから、その後どうされたんですか?」

 

「……学校に戻った僕達を迎えたのは、友達を見捨てた僕達への軽蔑の眼差しだったよ。『どうして助けようとしなかったのか』とか『どうしてお前等だけ逃げてきたんだ』とかね。実際その通りだったから何も反論できなかった」

 

 負傷したクラスメイトを見捨てて逃げた二人への糾弾……まさにチノの話していた噂通りってことか。

 確かにその批難は間違っちゃいない。間違っちゃいないが、それはその場にいなかった何も知らない奴の一方的な主観の押し付けに過ぎない。

 こうして直接話を聞いている僕にだって直枝さんと鈴さんが味わった恐怖の全てを理解することはできない。だというのに、なにも知らない外野が正論振りかざして二人を批難するなんていうのはもってのほかだろう。正直そんな身勝手な連中に怒りすら湧いてくる。

 更に直枝さんは続ける。

 

「僕らはその後別々のクラスに割り当てられたんだけど……それから僕らに対するいじめが始まったよ。僕は耐えようと思えば耐えられた。けど、鈴の方は限界だった。元々鈴は人と接することをあまり得意じゃない。そんな鈴が人の悪意に晒されて、耐えられるはずなかった……」

 

 直枝さんがそう話すと、鈴さんが顔を俯ける。

 僕と普通に挨拶をするだけであれだもんな。そんな鈴さんが、いじめに耐えられるはずはないよな……。

 

「だから僕達はまた逃げることにした。県外の学校に一緒に転校したんだ。僕達のことを知らない、悪意に晒されない場所に。それから僕らは互いに助け合って今に至るまでこうして生きてきた。今は僕は大学で経営の勉強を、鈴は獣医学を学んでいて、いつか二人で猫カフェを開くのが夢なんだ」

 

「猫カフェ?」

 

 突然出てきた可愛らしいワードに思わず聞き返す。

 

「うん、鈴は猫が凄い好きなんだ。だから二人で約束したんだ。いつか二人で猫カフェでもやろうかって。いつか……僕達にも幸せになる番が訪れるように……」

 

「幸せになる番……」

 

 幸せになる番───その言葉が印象的で、有宇は静かにその言葉を口にする。

 するとずっと崖の方を向いていた直枝さんがこちらに振り返る。そして僕に微笑みかけた。

 

「勝手かもしれないけどね、あの時───バス事故で僕と鈴が意識を失っていた時、夢で友達に言われた気がするんだ。強くなれって、そして生きろって。もし、みんながあの時僕らを後押ししてくれていたのだったら、僕らは例えこの先どんな過酷が待ち受けていようが、強く生きていかなきゃって、幸せにならなきゃって、そう思ったんだ」

 

 この人達は……強いな。

 直枝さんの話を聞いて、僕はコテージでの出来事を思い出す。

 僕は未だに自分の犯した事に対する罪悪感とその報復を恐れて前に踏み出せずにいる。怖いんだ……とてつもなく。所詮僕は周りから良く見られたいだけの卑しい人間で、自分が危険な立場に陥ることを一番に怖れる臆病者だ。

 けど直枝さん達は違う。二人は何があっても前を向いている。直枝さんの言う夢が例え、自らを正当化するための幻想や妄想の類いであったとしても、それがなんであれ結果的に彼らは過去の罪悪感を振り払い、周りからの批難を超えて、自分達の手で幸せを掴もうとしている。

 それは到底僕には真似出来そうにない、僕にはない強さだ。そんな二人の強さが、僕には少し羨ましい。

 

「なんて、僕がみんなを見捨てたことを正当化するためだけに見た妄想に過ぎないのかもしれないけどね。ははっ……」

 

 直枝さんは冗談めかしたようにそう言って、遠慮がちに笑いかける。

 

「いえ、そんな事ないと思います。ご友人の方達もきっと、直枝さんと鈴さんには幸せになって欲しいと思っているはずです……その、僕が言うのもあれですが」

 

 普段ならこんなただ相手に気を使ったような、僕らしくもないセリフをわざわざ、それも今会ったばかりの人間に言うようなことはないんだがな。

 でもそうだな……多分、僕自身そうあって欲しいと思ったのだろう。直枝さん達が幸せになろうとする努力が、正しいものであってほしい。報われて欲しいって。

 本当に夢でそんなことがあったかなんて僕にも、それこそ当人である直枝さんにだってわからないのだろう。けど、そう信じることで誰かが迷惑を被るわけでもない。

 寧ろそんな事実はないなんて言うことで、残された彼らに幸せになる番が訪れなくなるのであれば、別にもうそれが真実ってことでいいじゃないか。そんな想いからの言葉だった。

 すると、直枝さんは穏やかな表情で笑みを漏らす。

 

「ありがとう。この話は人にしたことがなかったんだけど、君に話してよかったよ」

 

「いえ、そんな。寧ろすみませんでした……。直枝さんと鈴さんにとっては辛い思い出のあるこの場所で、不謹慎にも肝試しなんかやってしまって……」

 

 そう言って有宇は直枝さんに謝罪する。

 ただでさえ肝試しなんて不謹慎極まりない遊びだというのに、それを実際の事故の被害者であるこの人達を前にして、改めて罪悪感から来る申し訳無さを感じざるを得なかったのだ。

 しかし直枝さんは怒るでもなく、にこやかに答える。

 

「ううん、別に構わないよ。丁寧に花まで添えてくれたんだし。それに僕達も昔は肝試しとかよくやってたしね。みんなだって、自分達の死が君達の笑顔に繋がったのなら、きっと喜んでくれると思うから」

 

 それから直枝さんは、僕自身に興味を掻き立てたのか、僕にこんなことを聞く。

 

「ねぇ、よかったら今度は君たちの事を教えてよ」

 

「僕達の事ですか?」

 

「うん、興味があるんだ。君がどんな仲間達とどんな風に過ごしているのかを。ダメかな?」

 

「いえ、別に構いませんが。えっと……何から話せばいいか」

 

 そして僕は直枝さんに語った。僕達が街の喫茶店で一緒に働いていること。ココア達のこと。パン祭りとかで店を盛りあげたり、その他色んな事を多少掻い摘みながら(主に僕自身の事とか)直枝さんに語り聞かせた。

 

「……それで今日はリゼの家のコテージにみんなで遊びに来たって訳なんですが、食料がなかったり色々トラブルが多発しまして。それでみんなで魚取ったり野草やきのこ取ったりで、もう朝からサバイバルですよ」

 

「はははっ、それは大変だったね。それで今日はずっとそんな感じだったの?」

 

「いえ、昼頃に保存食が倉庫から見つかったんで、ひとまずそれでなんとかなりました。その後は野球やったり、キャンプや肝試し……」

 

「野球?」

 

 直枝さんは何故か野球という言葉に反応を示した。

 

「ええ、なんか関東の方から旅行に来た高校生の野球チームに突然勝負を挑まれまして。それで野球をしたんです」

 

「そうなんだ……」

 

 すると直枝さんが少し暗い表情を浮かべた。

 なんだ、野球になんか嫌な思い出でもあるのか?

 取り敢えず話を続ける。

 

「えっと、それでその……あいつらなんていったかな……そう、リトルバスターズ」

 

「リトルバスターズ!?」

 

 直枝さんがいきなり大声で驚く。さっきまで静かに直枝さんの側で一緒に僕の話を聞いていた鈴さんまでもが、直枝さん同様目を見張らせていた。

 僕は二人の挙動に若干引きながらも答える。

 

「は、はい。それでそいつらと野球することになって……」

 

「名前は!その人達の名前!覚えてる?」

 

 なんだ、やけに食いつくな。さっきまで静かな人だったのに。

 あいつらの知り合い?あいつらになんか恨みでもあるのか?

 

「えっと……確かリーダーっぽい男が……」

 

 あいつ……あいつの名前なんだっけか。

 ふと鈴さんの方に目を向ける。棗鈴……棗……そうだ、あいつの名前は。

 

「棗恭介とかいったかな……」

 

「ありえない!!」

 

 僕が恭介の名前を出すなり、直枝さんは突然声を張り上げた。その声に驚き、思わず体がビクつく。

 一体何をそんなに感情的になっているんだ。わけがわからん。

 

「えっと……ありえないとは?」

 

 わけがわからず、そのまま直枝さんに聞き返す。

 直枝さんの表情は張り詰めた雰囲気で、険しい表情を浮かべている。

 さっきまで穏やかだったこの人を、何がそうさせたのだろう。

 そして直枝さんは思いも寄らない事を言い出した。

 

「だって……あり得ないじゃないか……だって───恭介は三年前の事故で死んだんだから!!」

 

「……え?」

 

 直枝さんのその告白に、背中にヒヤリとしたものを感じた。

 死んだ……何を……言ってる?

 有宇はただただ困惑した。

 だって確かに僕らは昼間、あの野原で一緒に野球の試合をした。試合の後だって、互いに交した握手でその体の熱だって感じた。なのに……死んでいる?わけがわからない。

 そして僕がそれを聞き返すより先に、直枝さんが鬼気迫った表情で、僕の両腕を掴み、僕に問いかける。

 

「おかしいよ!だってあの事故の被害者の名前は一般には公開されてないんだ!ねぇ、君はどこで恭介の名前を知ったの?」

 

「いや、僕は……」

 

 痛い。この人、細い身体してるのに結構力あるな……。

 直枝さんは冷静さを失っているせいか、僕のことなんてお構い無しに、僕の腕を掴む力を強めていく。僕もそんな直枝さんの様子と、衝撃の事実にただただ困惑するしかなかった。

 その時───

 

「理樹!」

 

 鈴さんが直枝さんに声をかける。

 その声に、直枝さんが鈴さんの方を振り返る。

 

「そいつ、痛がってる」

 

 鈴さんがそう指摘すると、直枝さんは冷静さを取り戻したのか、僕の腕から手を離す。

 

「ご、ごめん。つい……」

 

「いえ、大丈夫です」

 

 それから直枝さんは落ち着きを取り戻すと、改めて僕に尋ねた。

 

「……ねぇ、他にどんな子がいたか覚えてる?」

 

「他……えっと、確か他に男が二人いて……そう、どっちも筋肉質の奴らでした。あと女子が五人いて……」

 

 それから僕は答えた。

 リーダーの棗恭介は僕に負けず劣らずの二枚目だったこと。あとどことなく鈴さんと雰囲気が似ていたこと。

 そしてその他二人の男の内一人、確か真人とか呼ばれていた学ランに赤シャツの筋肉バカがいたこと。もう一人は剣道着着て、「マーン」とか言うおかしな男であったこと。

 女子の方は、来ヶ谷とかいう頭も切れ、運動神経も抜群だが、頭が少しおかしい女がいたこと。

 他にも葉留佳という変則ツインテの騒がしい女がいたこと。

 星の髪飾りをしたゆるふわな女子がいたこと。

 ロシア系っぽい外人の小さい女の子がいたこと。

 物静かな、そして時々おかしな事を呟くカチューシャの女子がいたこと。

 有宇はリトルバスターズに関する覚えているだけのことを全て話した。

 全て話し終えると、直枝さんは僕の話に驚きを隠せないでいるのか、呆然とただ脱力したまま立ち尽くしていた。

 鈴さんの方はといえば、「小毬ちゃん……みんな……」と涙を止めどなく流しながら、嗚咽を漏らした。

 僕が話を終えてから暫くして、直枝さんは静かに口を開いた。

 

「……そっか、まだみんな、ここにいたんだ」

 

「信じるんですか……?」

 

「ここで幽霊騒ぎがあったことは知ってるし、それに……君が嘘をついているとは思えないから」

 

 そう言うと、直枝さんの頬を一雫の涙が伝う。

 

「あぁ……恭介の言う通りだ。リトルバスターズは、永遠に不滅だったんだ」

 

 正直一番信じられていなかったのは、彼らに会った僕自身だ。

 肝試しなんかするまでもなく、僕らは遭遇していたんだ。

 リトルバスターズ───昼間僕らが出会った彼等こそ、この辺りを騒がしていた亡くなった高校生の亡霊だったんだ。

 信じられないことだが、しかし今にして思えば心当たりはある。

 恭介は確か言っていた。ライジングニャットボールなる豪速球を編み出した妹がいること。そしてそれをキャッチできる理樹と呼ばれるキャッチャーがメンバーにいること。

 てっきりここに来れなかったメンバーの話だと思っていたが、そうか、直枝さんと鈴さんのことだったのか。

 そして顔を俯かせながら、直枝さんは僕に尋ねる。

 

「ねぇ……みんなは何か言ってたかな……」

 

 何か……彼らが言っていたこと……。

 大したことは言い残してはいなかったはずだが……いや、そうだ。直枝さん達に伝えないといけないことが一つあったな。

 

「彼等と試合をしたんです。結果は接戦だったんですが、なんとか僕らが勝ちました。それで、試合の後恭介が言ってました。俺達はまだ本気じゃない。俺達にはあと二人の仲間がいて、二人はここにいる誰よりも強いって。そう言ってました」

 

 それを聞くと、直枝さんは涙に濡らした顔をハッとした様子で上げ、僕の顔を見つめた。それから少しだけ表情を緩ませ、依然涙をしたまま嗚咽を漏らした。

 

「そっか……そうだね恭介、僕達は、これからもリトルバスターズだ」

 

 彼等は決して、自分達を置いて逃げた二人を決して恨んでなんかいなかった。彼等にとって今でも二人は大切な仲間なんだ。

 寧ろ、改めて考えると直枝さんの話も、あながち間違いなんかじゃないのかもしれない。彼等は、今でも二人のことを思っていて、そしてあの事故が起きたとき、確かに二人を後押ししていたのかもしれない。そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 それから暫くして、二人とも落ち着きを取り戻した。そして二人は持ってきていた花束を崖の下にある僕等の花の隣に添え、黙祷した。僕も二人に倣って花に向け手を合わせる。

 それが終わると、二人は荷物を背負った。

 

「もう行かれるんですか?一応コテージの部屋は空いてるのでよろしかったら……」

 

「ありがとう。でも明日の朝に出る列車に乗らないと明後日までに帰れないから。僕も鈴もバイトがあるしね」

 

 腕時計を見ると、時間はもう夜の十二時、今から街に戻るのは無理があるんじゃないのかと思ったが、二人は行く気のようだ。

 

「大丈夫、来るときは道に迷ったりして大変だったけど、もう道も覚えたし、一時間ぐらいで街に戻れるはずだから」

 

 そして直枝さんは改めて、僕に向け言う。

 

「今日は、君に会えて本当によかった。ありがとう有宇くん」

 

 そう言って直枝さん達は森を出て行った。

 僕も一緒に森を出て二人を見送ろうと思ったのだが、まだここに残っていたかった。何故か……と言われればわからないのだが、なんとなくそう思ったのだ。

 直枝さん達が立ち去った後、それを見送ると僕は崖の下に添えられた沢山の花束の前に立つ。

 彼等は───リトルバスターズは何故、僕達の前に現れたのだろうか。

 直枝さんと鈴さんに言伝をしたかったから?それとも単に野球がしたかったから?

 わからない。何か意味があったかのようにも思えるし、そうではないのかもしれない。有宇がそんな事を考えている時だった。

 ひらりと目の前を光る蝶が通り過ぎる。

 

「お前は……」

 

 あの蝶だ。僕をここに導き、直枝さん達と引き合わせて姿を消したさっきの蝶だった。

 蝶はそのまま有宇の目の前を右から左へと通り過ぎ、そしてそのまま空中で羽を揺らしながら停止した。空中で羽ばたく羽がゆらゆらと虹色に瞬く。

 この蝶は一体何なのか。そうさっきまで不思議に思っていた僕だったが、今はなんとなく、この蝶が何なのかわかる気がした。

 

「いいのかよ会わなくて。直枝さん達もう行っちゃったぞ」

 

 蝶に向け僕は言う。しかし蝶は静かに空中で光を瞬かせるだけだ。

 

「お前……一体何なんだよ。なんのために僕達の前に現れたんだ。なぁ!」

 

 何も言わぬ蝶に我慢できず、有宇は蝶に向け手を伸ばす。しかし蝶は自らに伸ばされたその手を拒みはしなかった。

 有宇はそのまま蝶に触れた。何か感触があったわけじゃない。触れても空気のように透けてしまい、その実体に触れることはなかった。

 しかし────

 

「な゙っ……」

 

 蝶に触れた瞬間、頭に何かが止めどなく流れ込んでくる。目の前の景色は視界から失われ、流れ込む情景に頭の中を埋め尽くされる。

 これは……記憶?

 そう、これは記憶だ。僕のじゃない誰かの記憶だ。有宇は漠然とそう理解した。

 どこかの学校の食堂、渡り廊下、教室、校庭、僕の見たことのない学校の風景が頭の中に映し出される。

 だが、どの場面にも共通することがいえた。

 直枝さんだ。さっきまで一緒にいた直枝さんがいる。しかし、さっきまでの彼とは違いまだ学生服を着ている。直枝さんだけじゃない。鈴さん、そして昼間出会った井ノ原真人、宮沢謙吾、棗恭介の姿もそこにあった。

 これは……昔のリトルバスターズの記憶なのだろうか。

 しかし、映し出される記憶は何も、喜びや楽しさだけに満ちたものだけではなかった。

 やがて楽しい日常の情景は黒い(モヤ)がかかったかのようになり、しまいに全てが闇に包まれる。そして段々とそれらを凌駕する程の激しい後悔と悲しみの念が有宇の頭の中に渦巻いていく。

 

 ───ずっと側にいたかった

 

 ───なんで俺達がこんな理不尽な目に

 

 ───どうして俺達があいつらを置いていかなければならない

 

 ───もう……俺達は助からない

 

 ───なら……せめて二人だけでも

 

 頭の中に声が流れる。誰かの心からの嘆き、悲痛なまでの悲しみの声が。

 これは……お前の記憶なのか。

 闇の中でそこにはいない彼に問いかける。

 

 ───お前ならどうする?

 

 すると闇の中から声が返ってくる。

 お前ならどうするだって?そんなの僕が知るわけがない。それを僕に問いかけてどうするつもりだ。

 再び闇の中に問いかける。だがもう返事は返ってこない。その時だった。

 ぐらりと体が揺れる感覚を覚える。そして、僕はそれと同時に現実へと引き戻される。

 

「……へ?」

 

 僕の体は前のめりに倒れようとしている。どうやら頭がごちゃごちゃしている間に、無意識に歩を進めていたみたいだが、石に躓いて転んだようだ。

 意識を取り戻したところでもう遅い。既に体はバランスを崩し、そのまま頭から地面に倒れ込んだ。

 

(痛え……)

 

 頭をぶつけ、激しい痛みが有宇を襲う。痛みが酷くまともに声すら出なかった。そして、そのまま妙な脱力感に駆られて有宇は意識を失った。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「……ん、いて……ここは」

 

 目を覚ます。視界はぼやけてよく見えない。

 なんでこんなところで寝て……そうだ、確か森で石に躓いて転んで……それから……。

 すると手の感触に違和感を覚える。

 あれ?森の砂利道で倒れたはずだよな。なのに、石や土の感触がない……。

 取り敢えず硬い地面から体を起こす。それから辺りを見回す。すると、次第にぼやけた視界が晴れていく。

 

「なっ……どこだここ!?」

 

 有宇がいた場所はどこかの施設の長い廊下、そして目の前には……。

 

「職員室……?」

 

 職員室ってことはここ学校か?おかしい、確かに僕はリゼの家のコテージに来ていて……!

 そこである事に気づいた。制服だ。赤いラインの入った黒い長袖の制服に緑色のネクタイと、僕の着ている服がコテージにいた時と明らかに変わっている。

 

「なんだこれ……こんな服持ってないぞ」

 

 すると職員室の扉が開いた。中から眼鏡でスーツの、黒髪七三分けの中年の男が現れた。

 

「待たせたな乙坂。それじゃあ教室に行こうか」

 

「えっ……いや、僕は」

 

 ここの生徒じゃない。そう言おうとした。しかし戸惑う有宇の反応などお構い無しに、教師らしきその男は歩いて行ってしまう。何がなんだかわからなかったが、取り敢えず有宇はその男の後に付いて行く。

 

 

 

 それから階段を上っていき、しばらく歩いていくと、ある教室の前に着く。教室の看板には1─Bと書いてある。

 やはりここは学校のようで、この目の前の男は教師で間違いないようだ。

 そして男はそのまま教室に入っていった。

 

「おい、静かにしろ。ほら、そこ席につけ」

 

 教師が未だ席についていない生徒達を席に座らせる。生徒達もみんな僕と同じ制服とネクタイをしている。

 そして生徒達が全員席につくのを確認すると教師が言う。

 

「早速だが転校生を紹介するぞ」

 

 転校生?

 すると、転校生と聞いて再び教室がざわつく。更に教師が、教室の外で立ち止まる僕の方を見る。

 えっ……もしかして転校生って僕か!?

 状況が全く理解できない。森にいたはずなのに、いきなり見知らぬ学校に連れてこられ、そこの転校生になっている。一体どうなっている!?

 だが、取り敢えずこの場は転校生として振る舞うのが正しい選択でいいはずだ。

 有宇は戸惑いながらも教室へと入っていく。

 教壇の前に立つと、クラス中から「ちっ……男かよ」「しかも美形とか……」「ねぇ、あの人凄い格好良くない?」「はぁ〜イケメン……//」とかちらほら声が上がる。

 そして、教師からチョークを手渡される。名前を書けってことだろう。

 チョークを受け取ると、有宇は黒板に〈乙坂有宇〉と綺麗に書いていく。

 書き終えると、生徒達のいる方に振り返る。

 ここがどこであれ、最初の自己紹介は大事だ。最初の印象というのは、後々まで付いてまわるものだからな。よくわからん状況だが、印象を良くしておくに超したことはないだろう。

 

「初めまして、乙坂有宇といいます。これから三年間よろしくお願いします」

 

 無難ではあるが、失敗のない挨拶をしておく。経験則、僕みたいに見た目で好印象を持って貰える人間は、変に奇を(てら)った挨拶をするようなリスクなど負わずとも、なんとかなるものである。

 それから教師は一番後ろの窓際の一つ空いた席に座るよう言う。

 席につくと、早速隣の席の女子に挨拶する。

 

「よろしく」

 

 印象良く見せるため、最高の笑顔で微笑む。

 名も知らぬ隣の席の女子は顔を赤らめ、恥ずかしそうに「こ、こちらこそよろしくお願いします……//」と返した。

 最初のファーストコンタクトに成功して、机の下でガッツポーズをする。

 ココア達は僕のことなど、まるで男として見ていないからな。久しぶりに僕と接した女子の素直な反応が見れて嬉しかった。

 すると、それから席についた有宇に、ある物が目に止まった。黒板のすぐ横に黒板の横に掛けられているカレンダーだ。それはなんの変哲もないごく普通のカレンダー。だが、それを見て有宇は驚愕した。

 

「なに……!?」

 

 壁に掛けられたカレンダーの日付は、三年前の五月を示していた。

 それを見て、有宇は自分の置かれた状況をようやく理解した。

 もしかして僕は────三年前にタイムスリップしている!?

 タイムスリップなどあり得るはずがない!

 即座にそう思い直した有宇だったが、現にこの状況からしてあり得ないことであり、現時点では今のところ他に説明のしようがなかった。流石の有宇も、もはやこの状況をタイムスリップで起きたことと信じるしかなかった。

 それに、有宇にはこの状況をそう判断したもう一つの理由があるのだ。

 有宇も含めて、ここの生徒達が着ている制服。ネクタイの色は違えど、棗恭介達リトルバスターズが着ていた制服と全く同じだった。

 僕とこの制服の学校との繋がりがあるとするなら、彼等を置いて他にはいない。勿論まだ断定できないが、この学校にリトルバスターズのメンバーがいれば、それももう疑う余地は無くなるだろう。

 

 こうして有宇は、光る蝶を追っている内に三年前の世界へと迷い込んでしまった。

 それは(さなが)ら───うさぎを追って不思議の国へと迷い込んだアリスのように。



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第33話、ミッションスタート

 僕の自己紹介が終わった後は、教師がその他連絡事項をして朝のホームルームが終わり、そのまま通常通り授業に入っていった。

 教科書は教師から渡された物があるからいいが、授業の内容を書き留めるノートや筆記用具の類を一切持ち合わせていなかった僕は、仕方なく隣の席の女子にルーズリーフとシャーペンを借りた。

 授業の内容はまだ一年の五月ということもあり、知ってる内容ではあった。しかし進学校の陽野森と同じぐらい進んでいるということは、この学校も相当な進学校だと思われる。……直枝さんとかはともかく、他のバカ共はよくこの学校に入れたな。

 さて、それよりも……。

 有宇は軽く自分の頬を(つね)る。そして微かな痛みを感じる。

 

(まぁ、夢なわけ……ないよな)

 

 改めてここが現実であることを思い知らされる。本当に僕はタイムスリップしてしまったのだろうか。ああそうだ、仮にここが過去の世界だとしても、こればかりは確かめないとな。

 有宇は板書をノートに必死で書き留める隣の席の女子に目を向ける。そして───

 

(乗り移れた!)

 

 今のこの状況が本当にタイムスリップなのかは実際のところ定かではないが、このわけのわからない状況において、僕の身を守る上で一番頼りになるのがこの能力(ちから)だ。この能力がなければ僕はただの無力な男でしかない。

 そして五秒経ち、意識が自分の体に戻る。取り敢えず能力が使えたことに有宇はひとまず安堵する。

 

(しかし、能力が使えるってことは……)

 

 それと同時に、有宇の中にある一つの疑念が渦巻いた。

 

 

 

 授業が終わり休み時間になると今度はクラスメイト、特に女子達が僕の周りに集まった。色々質問されたりしたが、取り敢えず適当に愛想を振りまいて応対した。なに、陽野森にいた時とやることは変わらん。

 授業はそれなりに真面目に受けて、休み時間はクラスメイト達を適当に()なしていく。そしてそれを繰り返していくと昼になった。

 昼になるとクラスの女子達が僕を学食へと案内すると言ってくれた。知っといて損はないと思い取り敢えず案内してもらうことにする。

 学食へ行くと、そこは特に代わり映えのしない、どこの学校にもあるような普通の学食だった。メニューも普通のものばかりで特に変わったメニューはなく、見た感じ学食だけでいえば陽野森の学食の方が美味しそうだ。

 それから案内してくれた女子達に一緒に食べないかと誘われたが、いきなりこんなところに放り出されて、金の持ち合わせのない僕はそれとなく誘いを断り、一人学食を後にしようとした。すると────

 

「やんのかてめぇ!」

 

「望むところだ!」

 

 突然、男二人の野太い声が学食に響き渡る。声の方をする方を見ると、既に生徒達が集まっており、声の主の姿は見えなかった。

 僕はその声に聞き覚えがあり、なんとか野次馬の間を掻き分けて入り、人の波で出来た即席リングの中の様子を目にする。

 そこにいたのはコテージの近くの森で出会った直枝さん、そして鈴さん。更に昼間僕らが出会ったリトルバスターズの井ノ原真人と宮沢謙吾が睨み合っていた。

 

(間違いない!あいつらだ!ということは、本当に僕はタイムスリップしたってことなのか……)

 

 大学生である筈の直枝さんと鈴さんがこの学校の制服を着ているし、第一死んだ筈のリトルバスターズのメンバーである二人が生きているってことは、もうそういう事だと認めるしかなかった。

 更にその中に、身に覚えのある顔がもう一人いた。

 

「待て待てお前ら、ルールを忘れるな。お前らが暴れると周りにも被害が出るだろうが」

 

 棗恭介だ。鈴さんの兄であり、リトルバスターズをまとめ上げるリーダーである男だ。

 恭介は手に持っていた本を閉じると椅子から立ち上がった。そして周りの野次馬達に振り返ると、少年のような無邪気な笑顔で呼びかける。

 

「というわけでお前ら!いつものように何か武器になる物を投げ入れてやってくれ!」

 

 すると、恭介の呼びかけに応じた野次馬達が一斉に持っている物を対峙する二人に向け投げていく。割り箸、セロテープ、輪ゴム、更にはボクシンググローブや模造刀まで……模造刀!?

 これは一体なんのイベントなんだ。取り敢えず僕も何か投げたほうがいいのか?

 そう思いポケットを弄ると、休み時間の時にクラスメイトから貰ったうなぎパイが出てきた。ポケットに入れていたせいで既にボロボロになっている。

 もう食えそうにないし、これでも投げるか。

 そう思って有宇はうなぎパイを二人に向け放り投げた。すると有宇の放り投げたボロボロのうなぎパイを真人がキャッチした。

 

「う、うなぎパイ……」

 

 ボロボロのうなぎパイを受け取った真人はそれを見て絶望した表情を浮かべる。ただでさえ武器としては使い物にならないというのに、おまけに細切れに砕けちっている。これで一体どうやって戦うというのだろうか。

 

「なぁ恭介……これ投げてもいいのか?」

 

「だめ、本来の使用法で戦うこと」

 

 うなぎパイの使用法ってなんだ?食べるのか?でも食べたら武器がなくなるし……もうこれ積んでね?

 そんな真人に対する謙吾が手にしたのはテニスラケットだ。これはもう勝負は見えたな。

 

「それじゃあバトルスタート!」

 

 恭介の合図でバトルが開始される。うなぎパイを両手で持つ真人は青ざめた表情で左右を交互に見る。明らかに戸惑っている様子だ。

 そしてそんな真人を、謙吾が容赦無く思いっきりラケットでぶっ叩いた。ラケットで殴られた真人は殴られた勢いで後方へとふっ飛んでいき、大の字で仰向けに倒れた。

 

「勝者、謙吾!」

 

 恭介が勝者コールをする。これにより闘いは終わったようだ。コールと共に周りからは歓声が上がる。

 倒れている真人の方を見ると、伸びている様子だが怪我は特になさそうだ。あの勢いで殴られたら普通は怪我してそうなものだが、随分と丈夫なものだ。周りもそれを知ってか、誰も真人のことなど心配していない。

 そして倒れている真人に向け謙吾が言い放つ。

 

「真人、お前に称号をやる」

 

 

 〈真人は”クズ ”の称号を得た〉

 

 

「嫌だぁぁぁぁ!!」

 

 称号を得た真人が絶叫する。なんというか……哀れだ。

 というか、今なんかテロップが流れたような気がするんだが気のせいか?

 そして闘いが終わると、周りの野次馬達が解散する。皆口々に面白かったのなんだの言う。

 ていうか一体、これは何だったんだ。

 目の前で起きた謎のイベントに首を傾げていると、いつの間にか隣に立っていた男子が有宇に声をかける。

 

「おう、乙坂。お前も見に来てたのか」

 

 確かクラスにいた男子だったと思う。名前は……まだ覚えていない。

 

「まぁ……その、これは一体何事なんだ?」

 

「バトルだよ。井ノ原先輩と剣道部のエースの宮沢先輩、あの二人仲悪いからいっつもああやって喧嘩してるんだよ。それで棗先輩がそれをみんなが楽しめる遊びにして、いつの間にかこんな催し物になったってわけだ」

 

 なんともまぁ迷惑な話だな。それを遊びに変えて、周りを巻き込む恭介も恭介だが。

 

「誰も何も言わないのか?」

 

「何って?」

 

「普通に迷惑だろ」

 

 恭介が遊びにしたなんて言うが、それを周りがそのまま受け入れるとは考え難い。そりゃ面白がる奴もいるだろうが、こういうのを迷惑に思う奴だって少なからずいるはずだし、教師だってこんな乱闘騒ぎ黙っちゃいないだろ。

 

「そんなことないさ、それにあの棗先輩に何か言う奴なんていないよ」

 

「そんなに有名なのか、あの男は」

 

「ああ、校内のカリスマといえばあの人だもんな。ルックスも良いし、面白いしなあの人。棗先輩だけじゃないぜ。剣道部のエースの宮沢先輩は勿論、井ノ原先輩も部活にも入らずに鍛え上げたその筋肉で校内で知らない奴はいないし、棗先輩の妹の鈴先輩も美人で有名だしな。あともう一人、あそこの……あれ、名前なんだっけ?まぁいいか」

 

 直枝さん……まぁ、他の面子と比べると影薄そうだもんなあの人。

 

「ともかく、お前もこの学校に入ったからにはリトルバスターズの名前ぐらいは覚えておいた方がいいぜ」

 

「リトルバスターズ……」

 

「ああ、あの五人小さい頃からの幼馴染らしくて、五人でそう名乗ってたらしいぞ」

 

「五人?十人じゃなくてか?」

 

「? いや五人だけど。なんでだ?」

 

「あ、いや、何でもない」

 

 そうか、まだこの時はこの五人だけだったのか。ということはこれから他の女子達がメンバーに入るのか。

 にしてもあいつら、この頃から滅茶苦茶な奴らだったんだな。学校で周りの奴ら巻き込んで乱闘騒ぎなんて普通じゃない。直枝さんも大変だろうな……。

 そんな事を思いながら直枝さんの方を見る。しかし、クズの称号を与えられ嘆く真人を慰めている直枝さんの姿は、森で会った時より生き生きしているようにも見えた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 午後。この日は午前授業の日で、部活に行く生徒たちは部活へと趣き、自宅登校の生徒たちは自宅へと帰る。僕はというと、寮長に男子寮の自室に案内してもらい、そこから自分の住む部屋に案内してもらって寮の説明を受けている。

 帰宅時間になり、帰る家のない僕はどうすればいいか迷っていると、学食で話したクラスの男子に寮長室へと案内されたのだ。

 

「ここが君の部屋だ。学食は九時まで開いてるから食事はその間にな。夜七時以降は外出もできなくなるから、この時間過ぎちゃうともう食事は出来なくなるから注意してくれ。もし部活とかで遅くなるようなら七時までなら取り置きが出来るから学食のおばちゃんに申し出ること。部屋の中は火気厳禁、夜は静かに過ごすこと。あと異性の立ち入りも原則禁止だから気をつけてね」

 

「しませんよ……」

 

「あはは、ごめんごめん。君結構顔立ち良いからさ。一応注意しておこうかと思って。まぁ、棗なんかは妹連れ込んでたりするけど、妹ならセーフってことで許してるけど基本はダメだからな」

 

 あいつは本当とことんルールを守らん奴なのな。まぁ、元カンニング魔の僕が言えたことじゃないが。

 

「部屋の鍵も誰かに貸したりとか、複製したりとかはダメな。失くした場合はちゃんと届け出ること。その際の費用は君が負担することになるから、それが嫌だったらくれぐれも失くさないように。あと細かい事はさっき渡した紙に書いてあるけど、何か質問ある?」

 

 寮長にそう言われ、部屋に案内される前に渡された資料に目を通す。

 今言われた事の他に色々な注意事項とかが色々書いてあるが、特に改めて聞くことは無さそうだ。

 

「いえ、特には」

 

「そうか。あ、そうそう、もしルームメイトが欲しいなら俺に言ってくれ。募集掲示するから」

 

 ルームメイトか。そういうのもあるのか。だが一人の方が色々と都合が良いし、見知らぬ誰かと一緒の部屋で過ごすのはちょっとな……。一人でいる時間も欲しいし要らないな。

 

「いえ、大丈夫です」

 

「そうか。まぁ、気が変わったら遠慮なく言ってくれ。それじゃあ俺はこれで。何かあったらまた寮長室に来てくれれば相談に乗るから」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 そう言って寮長は寮長室へと帰っていった。

 一時はどうなるかと思ったが、ちゃんと住める場所も用意されているようで一安心だ。

 

「さて……」

 

 そして早速自分の部屋の中を見渡す。部屋にはベッドと学習机、そしていくつかダンボールが中に積まれており、おそらく中に必要な物もあると思われる。

 それから実際に荷解きしてみると、やはり着替えやら何やら色々と必要な物が入っていた。だが……

 

「これ、僕の持ってる服だよな。これも……これも」

 

 ダンボールの中に入っていた服も、その他必需品も全部、三年後の今の僕が持っている物だった。ここは過去の世界なんだよな。この三年の間に身長も伸びたし、当然それに合わせて服も三年前の物とは変わっている。なのに何故三年後の服が、三年前の世界であるはずのここにあるんだ。

 荷物も少なかったので、それから一時間弱で荷解きを終えると、今度は部屋の机の中を確かめる。中には通帳と中学の頃に使っていたガラケーが入っていた。

 通帳はこれもまた僕が家出する前、つまり歩未と暮らしていた頃に使っていた通帳だった。おそらくだが、この中にもちゃんと僕がここで生活していく分の生活費が振り込まれているはずだ。おじさんが振り込んだ……なんてことはないよな。

 携帯電話の方はというと、中には歩未とおじさんの電話番号だけが入っている。当然ココア達や友利の電話番号やメアドとかは入っていない。

 おじさんに掛けるのは少し勇気がいったものの、試しに二人に電話をかけてみる。しかしどちらも出ることはなかった。一応メールを送ってみるが、おそらくだが返信は来ないだろう。

 そしてこれらを通して、有宇はここに来て自分の立てたタイムスリップをしたという推測に疑問を浮かべていた。

 

 

 

 カレンダーの日付、そして何よりリトルバスターズのメンバー全員、おそらく他女子五人も生存している状況から僕は自分が過去にタイムスリップをしたと推測したわけだ。その推測が間違っているというわけではない。ないとは思うがそれはそれで疑問点がいくつか残る。

 

 まず第一に、これが本当にタイムスリップだというなら何故僕は高校に通っている。三年前、僕はまだ中学一年だ。違う誰かとして通っているのならまだわかるが、乙坂有宇として高校に通っているのは不自然だ。そうなると、中学生の乙坂有宇と高校生の乙坂有宇という同じ人間が二人存在することになってしまうからだ。

 

 第二に、何故能力が使える。三年前、中学のこの時期の僕にまだ能力は使えなかったはずだ。僕が能力を使えるようになるのはもう少し先のはずなんだ。

 

 そして第三に、誰が僕の高校入学の手続きをしたんだ。部屋においてあるこの荷物といい、通帳といい、この時中学生であるはずの僕を一体誰がこの三年前のこの高校に入学の手続きをして送り込んだのだろう。誰がこの荷物を用意したのだろう。誰が金を用意したのだろう。

 

 これからを考慮するに、これは単純なタイムスリップではないということだ。

 

 第一、第二の疑問点において考えられるのは、未来の僕がそのまま過去の世界にタイムスリップしたという事態だ。

 しかしそれだと乙坂有宇としてここにいる以上、この時代に当時中学生であるはずの乙坂有宇と、合わせて乙坂有宇が二人いるという矛盾に行き当たる。

 もう一つの可能性として挙げられるのが、過去の僕に自分の意識が乗り移る形によるタイムスリップだ。

 しかしそれだと今度は、当時中学生であるはずの僕が高校にいるという矛盾に行き当たる。それに、それだと第二の疑問である能力が使えることにも疑問が生じる。

 

 第三の疑問に関しては……これにおいては全くわからない。誰がなんのために僕を送り込んだのか。そこにどんな得があるのか。そんなの全く理解できない。

 一つ可能性として挙げるとすれば、過去に飛ばされる前に出会ったあの光る蝶だが……仮に僕を過去に送り込む力があの蝶にあったと仮定しても、必要な荷物やら金を送り込み、あまつさえ高校に通わせるなんてことが出来るのだろうか?

 まぁ、あの蝶自体謎が多いわけだからなんとも言えないが、いくら何でも人を過去に送り付け、更に過去を書き換える程の力を持つ超生命体とは思えなかった。

 

 要は現時点においては、完全に今の状況を正確に判断は出来ないということだ。

 そこで問題になるのはこれからのことだ。当然、最終的には未来に戻ることなのだが、そのためにも未来に戻る手掛かりを探す必要がある。しかし現状を把握しない限り、それも難しいだろう。

 有宇は部屋に置いた時計を見る。時間はもう午後六時近い。

 寮の説明やら荷解きで時間掛かったからな。外出は確か七時までだから今日はもう無理か……。

 それから有宇は一つ決心する。

 今日は取り敢えず普通に過ごそう。そして明日、外に出よう。そして、僕の家がどうなっているか確かめるんだ。チノの話だとこの学校は関東にあると言っていた。なら東京の僕の家に行くのにそれ程時間はかからないだろう。最悪門限の七時までに戻れなくても構わない。

 もしそこに三年前の僕がいれば、今の僕は三年後の世界からそのままタイムスリップしたことになる。

 逆に三年前の僕がいなければ、あるいはいないという確信が持てる何かがあれば、三年前の僕に記憶だけタイムスリップしたか、あるいは別の形によるタイムスリップだと少なくとも確信出来るはずだ。

 それに、歩未に会って話を聞いてもらって、その上でおじさんと連絡を取れば、何か他の解決策も見つかるかもしれない。

 今は何より少しでも手がかりが欲しい。そのためにも少しでも多くの情報を集めるんだ。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 翌日、日曜日。この日は当然授業などなく夜の門限までは自由に行動できる。

 休みということもあり、昼まで寝た後学食へ向かう。休日なのに生徒の姿がちらほらと見える。まぁここは寮制の学校だし、部活の生徒もいるからな。休日でも人がいて当然か。

 昼食を学食でとると、僕がまず最初に向かったのは職員室だ。そこで学校側からおじさんや歩未と連絡が取れないか確かめた。しかし結果はどちらも不在、確かめることは出来なかった。

 次に向かったのは図書館だ。図書館のパソコンを使いここの地理情報、そしてここから家までの電車での行き方を調べる。

 調べた結果、駅は此処からそう遠くない場所にあるようだ。そしてここから家までの所要時間だが、片道一時間二十分程度、門限までには余裕で帰れると思われる。

 それらの情報をメモすると、次に校内のATMで電車賃その他必要なだけの金を下ろした。口座には10万程入っていた。一月(ひとつき)でこれだけと考えれば、普通に生活していく分には多分困らないだろう。しかし来月また振り込まれているという保証はないし、大事に使った方がいいな。

 金を下ろすと早速有宇は駅に向けて出発した。駅につくと、ICカードがないので切符を買い電車に乗る。

 ここから二十分で乗換だったな。そこから更に乗り換えて……。

 電車の中で家までのルートをしっかり確かめながら、しばしの間電車に揺られる。そして最初の乗換えの駅まであと二駅の所に来たときだった。

 

(あれ?なんか眠気が……)

 

 突然、有宇を眠気が襲った。

 そういえば昨日、色々と考えててあんま眠れなかったっけ。まぁ、少しだけ、目を閉じるだけでも……。

 そして、有宇は目を閉じ、そのまま眠りについてしまった───

 

 

 

「……う……ん……」

 

 目を閉じてからどのくらい時間が経っただろうか。ようやく有宇は目を覚した。

 

「やばっ!乗り過ごした!今どこだ!」

 

 慌てて周りを見渡す。そして、今電車が停まっている駅名を見ると有宇は驚いた。

 

「……ばかな、あり得ない」

 

 有宇が今いる駅、そこは彼が最初に電車に乗った学校の最寄り駅だった。

 折り返して戻ってきた?いや、ならどうして行き先が変わっていない。そもそも折り返して戻ってきたにしても、その際の車内点検で駅員に見つかって、そのまま起こされて駅に降ろされるはずだ。なのに……。

 そして駅のホームの発車ベルが鳴る。取り敢えず有宇は一度電車から降りることにした。

 

 

 

 時刻は午後の三時半、一時間半近く眠っていたのか。何が起きたかはわからんがこんなところで諦めてはいられない。門限までまだ時間もあるし、また乗ってみるか。

 有宇はもう一度電車に乗ることにした。そして、しばらくホームで電車を待ち、やってきた電車に乗り込んだ。

 電車に乗っている間、今度は寝ないように目を見開いた。一駅、また一駅と過ぎていき、あと一駅の所まで来る。

 よし、今度はちゃんと来れたな。やはりさっきのは折り返しの電車に乗りっぱなしだっただけだろう。

 そう思い、すっかり気を緩めたその時だった。乗り換えの駅まであと一駅だというのにまた有宇を強烈な眠気が襲った。

 

(あれ……眠い……さっきあれだけ寝たはずなのに、どうして……)

 

 その眠気に逆らえず、有宇は再び眠り込んでしまった。

 

 

 

 目を覚ます。あれからどれだけ時間が経っただろう。電車は停車しており、有宇は眠い目を擦りながら窓の外を見る。そして、そこに書かれていた駅名は……。

 

「やはり、戻されている……」

 

 そこはさっきと同様、学校の最寄り駅だった。取り敢えず有宇は電車を降りた。

 電車を降りると有宇は腕時計を確認する。時刻は午後の五時。

 ここを出発したのが午後の三時半過ぎ。また一時間半程時間が経っている……。

 これはやはり、何らかの力が働いているとしか考えられない。電車に乗って終着駅からここまで折り返してきたとしても、一時間半でここに戻ってくることはまずできない。大体、山手線じゃあるまいし、ぐるりと一周してまた元の駅に戻ってくるなんて普通あり得ないしな。

 つまり、僕は謎の現象によって、この学校から遠くには行けないということだ。これは……いよいよきな臭くなってきたな。

 結局有宇は実家への帰省を諦め、学校周りを軽く散策した後、学校の寮へと帰ることにした。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 寮に帰ってきた有宇は、そのまま学食で夕飯を取り、寮のシャワーで汗を流すと、自分の部屋に戻った。そしてベッドに腰を落ち着けた。

 

「さて……まずは現状を整理するか」

 

 現状、僕がどういった形でタイムスリップをしたのかは不明。更に今日の電車での一件で、この学校から一定の距離以上離れようとすると、睡魔に襲われ学校に連れ戻される謎の現象が起こることが確認された。

 しかも、この過去の世界においては、直接歩未やおじさんと連絡を取ることなどは、携帯があるにも関わらず一切することが出来ない。まだ三年前の時点では出会ってもいないが、ココア達の携帯などにもあれからかけてみたりはしたものの誰一人として出ることはなかった。

 

 僕の元にある確かな情報は、今現在のカレンダーの日付、そしてこれから起こるであろう修学旅行のバス事故により死亡するリトルバスターズの面々が生存しているという事実だけであり、未来に戻る確実な手がかりは一切ないと見える。

 電車での一件もそうだが、行動が制限されており、更には未知の現象が他にもこれから起こると予想される以上、完全に現状を把握することは不可能と推測される。

 しかし、だからといって何もしないわけにはいかない。何もしなければ、このまま三年前の世界に閉じ込められるだけである。この先無事過ごせる保証が確実にあるわけでもない。何かしら手は打たねばならんのだ!

 

 それから有宇は更に今ある情報を整理し考えた。そして、有宇はある事柄に着目した。

 

 昨日提起した三つの疑問、その三番目、僕をこの学校に送り込んだ奴についてだ。当然それが誰かなんてことは今はわからない。

 その時、僕の目の前に現れたあの蝶のことが頭に思い浮かんだ。

 

(まさか……()()()か?確かにあいつに出会った直後にこちらに飛ばされてきた。それに頭に響いたあの声……もし、あいつに何らかの意図があったとしたら……)

 

 あの蝶が僕をこの世界に送り込んだ可能性は十分考えられられる。今のところそれが一番有力だが、この際そいつ(以下X)が誰であろうとどうでもいいのだ。

 問題なのはXが何の意図があって僕をタイムスリップまでさせ、この学校に連れてきたのか。それが分かり、Xの意図に則った行動を取れば、もしかしたら三年後に帰れるかもしれない。有宇はそう推察した。

 ではXの目的とは何なのか。それはもう言われるまでもなくあれだろう。

 何故Xは僕を三年前のこの世界に連れてきたのか、何故この学校に僕を通わせたのか、何故この学校から逃げられないようにしたのか。そこから推測されるのはやはり彼等だろう。

 リトルバスターズだ。謎の現象の中心にはやはりいつも彼等が関わっている。そもそも僕が彼等の亡霊やあの光る蝶に出会ったことだって、今のこの状況と何か関わりがあると考えるのが妥当だろう。

 つまり謎の存在Xは、僕とリトルバスターズを関わらせることによって何かを成したいというわけだ。ではその何かとは何か。

 飽くまで推測の域を出ないが、僕が考えるにXは、僕にリトルバスターズを助けてほしいのではないのだろうか。

 光る蝶に触れ、あいつの記憶を覗き見たとき声が聞こえた。『お前ならどうする』と。僕なら、あの凄惨な状況をどうやって乗り越えさせるのか。もしXがあの光る蝶であるとするならば、Xはそう問いたのではないだろうか。

 つまり、存在Xの目的は───

 

「リトルバスターズを……バスの事故から救い出すこと」

 

 これから修学旅行での悲劇に遭うであろうあいつらを救い出すこと。それがXの狙い……なのか。

 

「いや、無理だろ。これから事故が起きるから修学旅行へ行くのはやめろとでも言うのか?信じてもらえるはずがない」

 

 リトルバスターズの仲間でもない、あいつらと友達ですらない僕の言葉にあいつらが耳を貸すはずがない。

 修学旅行なんて学生の一大イベントだ。行くなと言われてはいそうですかなんてことになるのはまず考えられない。

 そもそもそれが本当にXの狙いなのかすら確証出来るものはない。飽くまで僕の推測でしかないのだから。なのに、そんな無茶なことできるはずが……。

 しかし現状、他にXの狙いがあるとは思えない。つまり未来に帰る手立ては他にないと思われる。無茶ではあるがやらないわけにはいかない。

 まぁいい、取り敢えずこれで事は決まった。まずはあいつら、つまりリトルバスターズと信頼関係を築き上げる。何をするにしても、あいつらと何かしらコンタクトをとらないことには始まらない。

 そして、信頼関係を築いた上であいつらに修学旅行へ行かないよう忠告し、最終的にはあいつらを修学旅行のの悲劇から救う。そして未来に帰るんだ!

 リトルバスターズを救う。ここに今、有宇の一人だけのミッションが密かにスタートした。



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第34話、入団!リトルバスターズ!

「真人、今月末の試合どうしよっか」

 

 休み時間、やることもなく直枝理樹は親友、井ノ原真人にそう声をかけた。

 

「どうするも何もお前らが始めたことだろ。大体、野球なんて甘っちょろいスポーツをするために俺はこの筋肉を鍛え上げたんじゃねぇ」

 

「ははっ、真人はいつも筋肉のことばっかだね」

 

「おうよ、理樹も筋肉の相談ならいつでもしてくれていいんだぜ」

 

「いや、僕が筋肉のことで悩むことは多分ないから。それよりメンバー集めだよ。謙吾はやっぱ入ってくれないみたいだし、あと五人どうしようか」

 

『野球をしよう。チーム名は───リトルバスターズだ!』

 そんな恭介の言葉から始まった野球だけど、僕達幼馴染は五人。そしてその内の一人、謙吾は剣道部に所属していて、エースということもあってとても僕達と野球をしているヒマがない。だから僕達リトルバスターズのチームは現状四人だけ。これじゃまともに試合をすることもできない。

 だというのに昨日、いつものように僕の部屋にみんなが集まった時、恭介から既に今月末に試合を組んでしまった事を告げられ、僕達はすぐにでもメンバーを集めなきゃいけなくなってしまった。だけど……。

 

「三年は受験に就活、一二年だってもう部活入った奴は入ってるだろうし無理だろ。それに、そこから(あぶ)れた筋肉の欠片もないモヤシっ子とチームなんて俺はゴメンだぜ」

 

「真人は何でも筋肉が基準なんだね」

 

「ああ、マッスルメイトになるんだったら、やっぱ筋肉は必要不可欠だろ」

 

「マッスルメイトじゃなくて野球のチームメイトを探してるんだけどね」

 

 でも真人の言い分も最もだ。

 もう五月も中旬、一年生だってもう既に自分の入りたい部活に入っていっただろうし、三年生も進路のことで色々と忙しいはずだ(恭介は平気そうにしてるけど)。

 強いて言えば二年生だけど、二年生もまた謙吾みたいに部活に入ってる人は部活があるだろうし、もう進路のこと考えてる人とかだっているだろうし、はっきりいって今からリトルバスターズに入ってくれる人を探すのは無謀といえるだろう。

 

「はぁ、誰かメンバーになりたいって人いないかな……」

 

 そもそもの話、元々みんなで何かやりたいと言ったのは僕なんだ。

 恭介は三年だから今年で卒業してしまい、僕達四人だって来年にはみんなバラバラになってしまう。これまでずっと一緒だった僕達も散り散りになってしまうんだ。

 だから、みんなでまた何かやってみたかった。昔みたいに、何かを悪に見立てては近所をみんなで闊歩していたあの頃のように、何か思い出になるようなことがしたかったんだ。

 それで恭介が野球をやろうと言い出したんだけど、スタートから出鼻を挫じかれてしまった。

 僕も言い出しっぺとしてなんとかメンバーを集めたいけど、そう上手くいくとは……。

 

「直枝くん」

 

 すると突然、クラスメイトの女子から声をかけられる。

 

「なに?」

 

「直枝くんのこと呼んでる一年生がいるんだけど」

 

「え?」

 

 そう言われて廊下の方を見ると、一人の見知らぬ男子が立っていた。

 整った顔立ち、人の良さそうな雰囲気、初めて見る彼からはそんな印象を受けた。緑のネクタイということは一年生だろうか?

 僕は教室の外で待つ彼の所まで歩いていく。

 

「えっと、僕に何か用かな?」

 

「これ、直枝先輩の生徒手帳ですよね」

 

 彼はそう言って一冊の生徒手帳を取り出した。そこには確かに僕の名前が書いてあった。

 制服のポケットを弄ると確かに僕の生徒手帳がない。どうやら彼は僕が落とした生徒手帳を届けに来てくれたようだ。

 

「ありがとう。わざわざごめんね」

 

「いえ、構いませんよ。それはそうと直枝先輩、何やら野球チームを作ってるって聞いたんですが」

 

「え? ああうん、でもまだ人数が足りなくてね……あはは」

 

「そうなんですか。あの、それでしたら僕入ってもいいですか?」

 

「あはは、そう……………えっ、ほんとに!?」

 

 一瞬聞き間違えかなと思った。ここ数日知り合いに声をかけてみたけど全員に断られたから、もうだめかと思ったのに。

 でも確かに今、聞き間違えなどではなく、彼はリトルバスターズに入りたいと言ってくれたのだ。

 

「はい。実は僕、まだ転校してきたばかりで。ほら、今から部活に入っても既にグループとかできてそうですし。だから新しく出来る部活になら入れるかなと思ったんですけど」

 

「リトルバスターズは部活ではないんだけど……」

 

「何かできるならそれで構いません。せっかく高校に入ったわけですから何かやりたいじゃないですか。それで、どうでしょうか?」

 

 そっか、確かに転校生ならまだ部活とかにも入ってないし、入ってくれる可能性があるかも。すっかり見落としてたよ。

 でも一年生で、それもまだ五月のこんな時期に転校生だなんて……。まぁ、どうでもいっか。新たにメンバーが加わった。今はそれでいい。

 

「うん、大丈夫だよ。歓迎するよ……えっと、そういえば君の名前は?」

 

「はい、一のBの乙坂有宇といいます」

 

「そっか、じゃあよろしく、有……」

 

「ちょっと待ったぁ!」

 

 すると突然、教室にいた真人が声を上げた。そして険しい顔を浮かべながらズカズカ足音を立てて有宇に迫り寄って行く。

 

「理樹、お前こんな筋肉の欠片もなさそうなモヤシっ子をリトルバスターズに入れる気かよ。俺は反対だぜ。こんなのと一緒じゃ、俺の筋肉まで訛っちまう」

 

「何言ってるんだよ真人。それにそれ言ったら多分、僕の方が資格ないと思うんだけど」

 

 多分、見た感じ彼の方が運動神経良さそうだし。

 

「理樹は俺の認めたマッスルメイトだからいいんだよ。とにかく俺はこいつを入れるのは反対だ」

 

「そんな……」

 

 どうしよう。せっかくメンバーが集められると思ったのにこれじゃあ……。

 すると今まで黙っていた有宇が口を開く。

 

「それでも、うなぎパイ手に棒立ちして負ける貴様よりはマシだろ」

 

「ちょっ、有宇!?」

 

 まさかの有宇がここで真人を挑発した。もしかして有宇って結構怒りっぽい……?口調もさっきと変わってるし。

 そして、それにより当然、真人の鋭い視線が有宇に向けられる。

 

「おいてめぇ……今なんつった?」

 

「何もできずラケットでぶん殴られて負けた貴様よりマシだと言ったんだ。ああ、そういえばこう呼んだ方がいいんだったか、クズ」

 

「てめぇ、言うじゃねぇか……」

 

 やばい、真人が本気で怒ってる。このままじゃ有宇はただでは済まない。

 

「ちょっと有宇、確かに最初に言った真人が悪いけど、有宇も言いすぎだよ。ほら、真人もストップ!」

 

 しかし二人とも睨み合うのをやめない。どうしよう、やっぱり恭介じゃないと止められないのかな……。

 いや、でもここはやっぱ僕がなんとかしないと。

 取り敢えず話を聞かない真人は置いておいて、有宇の方を説得しよう。

 

「有宇、見ればわかると思うけど真人は力が強いんだ。喧嘩したら危ないよ」

 

 これでやめてくれるだろう。有宇だって何もこんなことで怪我はしたくないはずだ。これで有宇が引いてくれたら……。

 しかしそんな僕の思惑通りにはいかなかった。

 

「なら例のルールを使ってもらおう。確か周りに物を投げてもらってそれを武器にするんだったか。それなら普通に殴り合うのとは違って僕にも勝ち目があるはずだ」

 

「てめぇ、俺に勝つつもりかよ」

 

「クズに負けるほど、僕は落ちぶれてないんでな」

 

 まずい、火に油を注いでしまった。もうこうなったら恭介を呼ぶしか……。

 

「なんだ、バトルか」

 

「うん……って恭介!?」

 

 いつの間にか横に恭介が立っていた。本当神出鬼没だな……。

 

「真人と……もう一人は一年か?流石に一般生徒が相手じゃなぁ……」

 

 流石の恭介も相手が一般生徒、それも入りたての一年生であるということで、いつものバトルをするのは(はばか)られるようだ。でもこれなら恭介に二人を止めてもらえる。

 すると真人が恭介に言う。

 

「恭介、一般生徒じゃねぇぜ。理樹がメンバーに入れたんだ」

 

「ほう、ならいいか」

 

「いやいや、よくないって!止めてよ恭介」

 

 しまった。せっかく止めてもらえると思ったのにこれじゃあ……。

 そして、結局恭介が携帯で野次馬を集めて有宇と真人のバトルが始まった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 どうしてこんなことになった。

 いつの間にか僕は周りを沢山の野次馬に囲まれていた。

 今朝登校する時に、直枝さんに能力を使って乗り移って生徒手帳を落とさせ、それを拾い直枝さんに届ける。そしてその場の話の流れでリトルバスターズに参加する。これが僕の立てた最初の計画だった。

 わざわざ手帳を落とさせたのは、一応考えあってのことだ。

 いきなり見知らぬ人間である僕がリトルバスターズへ入りたいと言うと不自然だ。当然直枝先輩にも警戒される。だから何かしら、そう、些細なきっかけでいい。そこから何とか話を繋げてリトルバスターズに入りたい意志を伝えればいいのだ。手帳を落とさせたのはそのきっかけ作りに過ぎない。

 幸い野球をする人数もまだ足りておらず、メンバーを探しているという情報を耳にしたので、そこに付け入る形でリトルバスターズに入れた……というのに、つい筋肉バカの言動にイラつき、喧嘩を買ったらこのざまだ。

 まぁいい、入ってから後々喧嘩売られても面倒だし、ここで力の差というやつをわからせるのもいいかもしれん。

 無論、単純な力比べでいえば向こうが断然有利なのだが、僕には特殊能力がある。万が一のときにはこの能力(ちから)を使えば何とかなるだろう

 

「乙坂!」

 

「乙坂く〜ん!」

 

 すると、野次馬に紛れていたクラスメイトの奴等が僕の名を呼んだ。どうやら話を聞きつけて応援に来てくれたようだ。僕は笑顔で軽く手を振り声援に答えた。

 そしてバトルが始まる。次々と野次馬が僕と真人に物を投げ入れる。

 そしてお互い、投げ入れられるアイテムの中、武器となるアイテムを掴みとった。僕が掴んだものは───

 

「……油取り紙」

 

 あれだよな。よく京都の土産屋とかに置いてあるやつだよな。

 しかし有宇が手に取ったのは、どことなく高級感あるケースに入れられた油取り紙だった。

 これ確かシ◯ネルの三千円くらいのやつじゃないか?女子が化粧直しとかに使うやつ。なんで無駄にこんな高級なやつが……。

 野次馬の方をよく見ると、クラスメイトの女子達がグッと親指立てていた。どうやら彼女達が僕のために投げ入れてくれたようだが、正直武器としては全くもって使えない……。

 これはまずい……!そう思って真人の方を見る。そして真人が手にしていたのは────

 

「……プラモ?」

 

「ちげぇよペーパークラフトだよ!それも姫路城だぜ!」

 

「知るか」

 

 真人が手にしていたのは『日本名城シリーズ 姫路城』と表に書いてある縦30cm、横20cmぐらいの大きめの箱だった。

 ペーパークラフトってそんな物まであるのか。誰が投げ入れたんだよそんな物……。

 ていうか本来の使い方で勝負するというのがルールのはずだが、この場合どうなるんだ。

 それとなく恭介の方に視線を送る。すると彼も有宇の言いたい事を察したのか、こう答える。

 

「一年の油取り紙は本来の使い方、つまり肌を擦る以外の使い方はできない。対する真人のは本来の使い方というと鑑賞する以外なくなって勝負にならないからなぁ、まぁ特別に投げつける等の攻撃に使うことを許可する……が、その代わり姫路城をちゃんと完成させてからでないと攻撃はできない」

 

 なるほど、ちゃんと勝負になるように追加のルールは設けられるんだな……っていやいやいや!!そしたら油取り紙だってろくに戦えないじゃないか!?

 

「それじゃあバトルスタート!!」

 

 恭介の開始の合図と共に、周りの野次馬の歓声が廊下中に響き渡る。真人の方は僕に背を向け廊下に尻をつき、早速姫路城作りに取り掛かった。

 ペーパークラフトなんて作り終わるのにそこそこ時間はかかるはずだが、何分僕の武器は油取り紙だからなぁ……。さて、どうやって倒せばいいんだ?

 有宇は手にした油取り紙を見つめながら、武器としての活用法を考える。

 油取り紙をあいつの肌に擦りまくるか? いや、そんなのであの筋肉ダルマが倒れるとは思えない。せいぜい摩擦で少し熱く感じる程度だろう。

 油取り紙の角であいつの目を突き刺すか? いや、いくら筋肉だるまでも目までは鍛えられてないし、流石に危なすぎるか。

 クソッ、油取り紙でどう戦えばいい。そもそも油取り紙なんて化粧直しや肌のケアに使うもので戦うものじゃないしな。あーでも昔中学の頃、修学旅行で京都行ったときクラスの奴等同士がふざけて……待てよ、もしかしてこれ使えるんじゃないか?

 何かを思いついた有宇は、早速真人にゆっくりと歩み寄って行く。そして自分に背を向け必死に紙の城を作る彼の肩をトントンと指で叩く。

 

「あ、なんだよ」

 

 そう言って彼が振り返った瞬間────

 

「よっと」

 

「うげっ!」

 

 持っていた油取り紙で、彼の顔をべっとり擦り付けた。

 

「テメェ……いきなり何しやがる?」

 

「なにって攻撃しただけだ。そういう勝負だろ」

 

「この野郎……。へっ、まぁいいぜ、どの道いくらその紙を俺に擦り付けようと、俺の筋肉には傷一つつけることはできねぇんだからよ」

 

 確かにそのとおりだ。紙ヤスリならまだしも、幾ら油取り紙で擦り付けようとこの男を倒すことは不可能だ。だが、その自慢の筋肉を傷つけずとも、倒せる方法はある。

 そして有宇は真人に擦り付けた油取り紙を一瞥する。

 流石筋肉男、油ベットリだ。それに顔をいきなり擦り付けたせいか、よだれか鼻水か知らん液体まで付いてる。

 それを確認すると有宇は、真人に背を向け歩き出した。

 

「何だ、逃げんのかよ」

 

 なわけ無いだろ。

 真人のそんな安い挑発を無視して、そのまま野次馬の方へと歩いて行く。そして、野次馬の中にいた一人の見知らぬ二年生の男子生徒の前に立つ。

 

「……え、俺?なに……」

 

 いきなり自分の目の前に立たれて、意味が分からず男子生徒は困惑している。

 そんな彼に有宇はニコッと微笑む。すると、有宇は真人の顔を擦り付けた油取り紙を取り出して……。

 

「先輩、パス」

 

「へっ?」

 

 擦り付けた方の面を触れるようにして彼に手渡す。それに気づいた彼はすぐさま声を上げる。

 

「うわぁ汚え!ぱ、パス!」

 

 そして彼はすぐ隣りに居た別の生徒に油取り紙を押し付ける。

 

「うわ、なんか湿ってる!ぱ、パス!」

 

 そこから更に隣りに居た女子生徒の手に渡る。

 

「ちょっと止めてよ汚い!」

 

 更にそこから別の生徒に、そこからまた……と、野次馬達は皆油取り紙を押し付け合いパニックに陥る。そして……。

 

「お、おい、まるで俺が汚えみたいじゃねぇかよ……。や、やめろ……お前ら筋肉いじめて楽しいか!?」

 

 その様子を見ていた真人の顔は青ざめ、自分の油を吸った紙が皆にばい菌のように扱われていることで今にも泣きそうな顔をしている。しかし、そんな真人の嘆きも虚しく、未だ野次馬達は油取り紙を押し付けあっている。

 すると真人は、折れそうな心を保とうと、一人の男子生徒に視線を送る。

 

「り、理樹……俺、汚くないよな」

 

 その相手とは当然、彼の幼馴染であり、ルームメイトでもある親友、直枝さんだ。涙ながらにすがりつくようにそう尋ねる真人に、直枝さんが苦笑いを浮かべながら答える。

 

「えっと……うん、真人は汚く……ないよ……?」

 

「り、理樹……!」

 

 疑問形であるのが気になるが、直枝さんがそう言うと、真人の顔に笑顔が戻る。しかし……。

 

「でも夏場とか筋トレの後汗かいたまま肩組まれたりするのはちょっと……。あと最近ちょっと匂うからいい加減布団ちゃんと干して欲しいかな……?」

 

「理樹ぃ!?」

 

 直枝さんのその言葉がトドメとなった。

 それを聞いた周りからは悲鳴が上がり、野次馬達は更にパニックに陥る。そして親友に裏切られた真人は精気を無くしたようにその場にバタッと倒れた。

 

「弱っ!?」

 

「真人は筋肉は凄くても心は繊細だから……」

 

「筋肉よりそっち鍛えろよ……」

 

 そしてこの混沌と化した状況の中、その様子を見て一人、微妙な表情を浮かべる恭介が言う。

 

「なんだこれ……。あーえっと、勝者……そういやお前名前なんだっけ?」

 

「乙坂です」

 

「わかった。じゃあ改めて……勝者、乙坂!」

 

 恭介の勝者コールによりバトルは終了。しかし、いつもならここで歓声を上げる野次馬達はそれどころではない様子だ。

 中学の頃、修学旅行で土産屋にいたとき、同じクラスの奴等がある一人の男子の顔に油取り紙を擦り付け、それをクラスの女子とかに回して、今の真人みたいな、いや、今の真人よりはマシではあったが、それで周りに似たような反応を取られて、擦り付けられた男子が泣き出すという出来事があったのを思い出したのだ。

 つまり、何も体を痛めつけずとも、心を痛めつけてやればいいということだ。そういうのは僕の得意分野だしな。

 しかしちょっとした嫌がらせ程度のつもりでやったのだが、僕が思った以上の結果になったな……。

 すると恭介が続けて言う。

 

「それじゃあ乙坂、勝者であるお前はそこの負け犬に一つ、称号を与えることができる」

 

 そう言って恭介はショックで倒れている真人を指差す。ほんと血も涙もねぇな……。

 まぁ、そういうルールというならなんか付けてみるか。

 

「えっと、じゃあ『筋肉バカ』で」

 

 そう言うと倒れていた真人がガバッと起き上がる。

 

「へっ、ありがとよ」

 

 そう言って鼻を人差し指で擦り、満足気な顔を浮かべる。

 すると直枝さんが補足する。

 

「真人は筋肉って付けば大体褒め言葉として受け取るから」

 

 なんて単純な男だ……あと復活はやっ!?

 すると恭介が言う。

 

「さて、乙坂。これでお前は晴れてリトルバスターズの入団テストを受ける権利を得たわけだが……」

 

「いや待て……待ってください、これで入団できるわけじゃないんですか」

 

「何言ってんだ。俺達がやろうとしてるのは野球だぞ。こんなので入団を決めるわけないだろ」

 

 こんなのって、お前か始めた遊びだろうが。まぁ、正論ではあるが……。

 

「放課後グラウンドに来い。そこで軽い入団テストをして、それからお前をリトルバスターズに入れるか判断する」

 

 そう言い残すと、恭介は直枝先輩の教室へと入っていき、いつの間にか教室の窓からぶら下がっていた縄を伝って上の階にある自分の教室へと戻って行った。

 

「あれはなんですか……」

 

「有宇は初めてだったね。恭介はああやって僕らの教室によく来るんだ」

 

 直枝さんはそう平然という。

 

「この学校のモラルはどうなってんだ……」

 

 改めて考えると、やばい奴と関わろうとしてるんだな……僕は。

 未だに収まることのない野次馬の喧騒の中、そう再認識させられた有宇であった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 昼休みのバトルからクラスに戻ってからは散々だった。

 『どうして井ノ原先輩と戦うことになったんだ?』とか『乙坂くんリトルバスターズに入るの?』など散々周りの奴らに質問攻めにされた。

 嘘言ってもその内バレることだしと、クラスメイトには一応リトルバスターズへ入る事を打ち明けた。

 筋肉バカとの喧嘩については、適当にリトルバスターズに入るための入団テストと言っておいた。流石に腹立って喧嘩になったなんて僕のイメージに傷がつくからな。

 そしてそれから五、六限を終えて放課後、僕は恭介との約束通り、グラウドにやって来た。

 グラウンドには既に体操服姿の恭介、筋肉バカ、直枝さん、そして昼は姿を見せなかった鈴さんがいた。更にもう一人……。

 

「わぁ〜!私ともう一人新入部員さんいたんだ〜!」

 

 そう言ってキラキラした視線を僕に向ける女子がいた。

 ショートボブの髪型に大きな星の髪飾りと赤いリボンを付けた、いかにもゆるふわ系って感じの女だ。しかし僕はこの女に見覚えがあった。

 確かこの人もリトルバスターズの試合のときにいたメンバーだったよな……?名前なんだっけ?

 

「えっと恭介先輩、この人は?」

 

「あぁ、お前と同じリトルバスターズへの入団希望者だ。名前は確か神北だったか?」

 

「はい、神北小毬です!よろしくね、えっと……」

 

「乙坂です。乙坂有宇といいます」

 

「そっか、よろしくね乙坂くん」

 

 そう言って満面の笑みで微笑む。

 どうやらまず最初にこの女が新たなリトルバスターズのメンバーになるようだな。ということは、これから他のメンバーも次々仲間になっていくのだろうか。

 にしてもこの女、野球なんて出来るのか?僕達と試合をした時もそんな目立った活躍は見せてなかった筈だし、見るからに運動が出来る奴ではないよな……?

 そして、神北小毬との顔合わせも程々に、すぐにリトルバスターズへの入団テストとやらが始まった。

 僕ら二人の前に恭介が腕を組みながら立っている。そして僕らをじっと見る。

 

「さて、諸君らに集まってもらったのは他でもない。これから諸君らをリトルバスターズに入れるのに相応しい選手かテストをさせてもらう。諸君らを審査するのはこの俺、棗恭介だ。よろしく」

 

 なんでそんな畏まった言い方を……。

 大方なんかの漫画か何かの影響だろう。いかにもそんな感じの言い方だ。

 

「さて、ではテストを始める前に諸君らに問う。ずばり、諸君らにとって野球に必要な物とはなんだ」

 

 うわ出たそのよくある意味がありそうで意味なんてない、漫画特有の意味有りげな問いかけ。本当にする奴初めて見た。

 大体、そんな事急に聞かれても答えられるかっつうの。

 しかし、隣に立つ神北小毬は「えっと、えっと……」と真剣に悩んでいた。純粋というか何というか、こんな下らない問いかけに答える必要なんざないだろうに……。

 すると彼女は「……よし」と一言言うと力強く足を一歩前に踏み出す。

 そして───

 

「ガッツと〜勇気!そして〜友情っ!!」

 

 そう言いながら彼女は空に向けて思い切り拳を上げるポーズを取る。

 ……なんだこれ。

 

「合格ッ!!」

 

(ええぇぇぇっ!?)

 

 すると、神北小毬の答えを聞いた恭介が即座に合格を言い渡した。

 待て、野球の素質を見るテストではなかったのか!?僕がおかしいのか!?

 

「ちょっ、ちょっと待ったぁ恭介!?」

 

「どうした理樹?」

 

「どうしたもこうしたも、どうしてそうなるのさ!野球ができるかどうかをテストするんじゃないの!?」

 

「おっと、そうだったな。あまりに的確な答えに思わず感動してつい。悪い悪い」

 

 よかった、直枝さんはちゃんとまともでいてくれて。てっきり僕がおかしいのかと一瞬思ってしまった。

 つくづくこのリトルバスターズに直枝さんがいてくれて良かったと思わずにはいられなかった有宇であった。

 

 

 

 それから早速、ちゃんとした入団テストが始まった。

 最初のバッティングのテストは鈴さんの投げたボールを打つのだが、鈴さんの投げたボールが僕の顔面に飛んできた時は死ぬかと思った。あともう少し避けるのが遅かったら、僕の二枚目の顔が台無しになっていたことだろう。

 てっきりライジングニャットボールの生みの親というものだから上手いのかと思っていたが、とんだノーコン選手だった。まぁ、これから上手くなるのかもしれないが。

 そして鈴さんがノーコンなので、その後はピッチャー交代して恭介が投げたボールを打つことになった。恭介の方はというと可もなく不可もなくといった感じだ。僕らと試合をした時のような豪速球ではなく、普通の球を投げていた。

 あの豪速球と比べるととても遅く感じ、普通に打ち返す事が出来た。おそらく僕の方は普通に合格を貰えることだろう。

 問題は神北小毬の方だ。なんとこの女、金属バットすら満足に持つことが出来ないのだ。

 確かにプラスチックのバットと比べると重いっちゃ重いが、満足に構えることが出来ないほどじゃないだろう。チノとマヤとメグのちびっ子どもだって、それぐらいは普通に持てていたのに。

 彼女も彼女なりに何とか震えながらもバットを構えようとしたが、ふらついてしまい、その勢いで近くにいた真人の脛に思い切りバットをスイングして当ててしまい、真人は阿鼻叫喚、一時その場は騒然となった。

 バッティングテストが終わると次はベースランニング、最後は守備のテストだった。僕の方は卒なく(こな)していったが、神北小毬の方はベースランニングをやればすっ転び、守備をやらせればゴロのボールですら補給できずにトンネル、終いには守備の途中だというのに側に生えていたタンポポに目がいく始末だ。

 

「有宇の方は大丈夫そうだね。小毬さんは……どうかな、恭介?」

 

「ヤバイな……。どのくらいヤバイかというと、眉間に寄ったシワが戻らない……」

 

「あはは……」

 

 様子を見ていた直枝さん達がそんな苦言を呈するのも仕方ない程に、この女は野球というスポーツには向いてないというのがわかった。

 

 

 

 そして一連のテストが終わり、僕らはテストを始める前のように横一列に並ぶ。目の前に立つ恭介は再び僕らを真っ直ぐ見据える。

 おそらく僕は普通に合格できるだろう。一方、神北小毬の方は……無理じゃないか?

 いや、将来的にリトルバスターズのメンバーになってることは知ってはいるが、いくら何でもテストであれだけボロボロだと流石に厳しいんじゃないか。

 まぁ、直枝さん達もメンバー集めに躍起になってるようだし、本来の僕がいなかった過去においては、お情けで入れてもらったのかもしれない。しかし今回は僕がいる。

 別に二人のうちどっちか一人だけチームに入れるというわけではないが、僕と比べられながらテストをやったせいで、彼女一人だけをテストしていた時より彼女の評価が下がっている可能性がある。そうなると彼女が合格できない可能性も否定できないのだ。

 だが僕の目的はあくまでリトルバスターズのメンバーを修学旅行の悲劇から救うことだ。この際この女がリトルバスターズの仲間入りをしていなくても問題ないだろう。

 そして恭介が告げる。

 

「さて、テストの結果だが、その前に最後に一つ、今一度問おう」

 

 今一度?もしかしてさっきみたいな意味のない問い掛けか?

 

「諸君らにとって野球に必要な物とはなんだ?」

 

 またそれかよ!?いいからさっさと結果を言えよ!!

 すると隣りにいる神北小毬が再び一歩足を踏み出す。

 

「ガッツと〜勇気!そして〜友情っ!!」

 

 そして最後にさっきと同じ決めポーズ。ほんと、僕は何を見せられてるんだか。

 まぁ、流石にさっきのようには……。

 

「合格ッ!!」

 

(ええぇぇぇっ!?)

 

「やはり合格だ!神北小毬、君は野球に必要な物を全て兼ね備えている!入団決定!今日から君は我らリトルバスターズのメンバーだ!」

 

 一度ならず二度までも……。

 そしてこの様子を見ている直枝さんと筋肉バカ、鈴さんはもうもはや何か言う気力もないという感じで、ポカンとしていた。神北小毬の方は嬉しそうに喜んでいる。

 結局このテストやる意味があったのか?無駄に汗かいた気しかしないんだが……。

 まぁ、なんにせよこれで僕ら二人は無事リトルバスターズに入れたってことでいいんだよな。

 すると直枝さんが恭介に尋ねる。

 

「てことは恭介、二人とも合格でいいんだよね」

 

「いや、合格は神北だけだ。乙坂は不合格だ」

 

「……は?」

 

 思わず「は?」と心の声が漏れる。

 いやだって……は?今なんて言った? 不合格って聞こえたんだが気のせいだよな?

 

「ええぇぇぇっ!?ちょっと恭介どういうこと!?わけがわからないよ」

 

 恭介の答えを聞いて直枝さんが絶叫する。

 しかしわけがわからないはこっちのセリフだ。何故あの女が合格で、僕が落とされなきゃならんのだ!

 

「そうですよ!どうして僕が不合格なんですか!?」

 

 僕も直枝さんに続いて恭介に食ってかかる。しかし恭介は何も答えない。

 そんな恭介に直枝さんが言う。

 

「恭介、有宇はわざわざ僕らの入団テストに付き合ってくれたんだよ。不合格にするならちゃんと理由がないと僕も有宇も納得できないよ」

 

 更に、意外にも筋肉バカも僕を擁護する。

 

「俺も理樹の意見に賛成だ。恭介、確かに俺はこいつのことは気に入らねぇが、筋肉のテストとなれば話は別だ。公正に判断しねぇといけねぇ」

 

 筋肉のテストって、野球のテストだろうが。別に筋力だけのテストじゃなかっただろ。

 しかしこの男、一応情に流されずに物事を判断するだけの頭はあるようだな。そこは素直に評価できる。

 

「少なくとも、俺の目には神北よりはこいつの方が使えそうに見えたんだが。まぁ、おめえの合格基準がわからねぇから、両方落とすか両方合格か、或いはこいつだけを合格ってんなら俺も何も言わなかっただろうよ。だがよ、こいつより出来なかった神北を合格にして、神北より出来ていたこいつを落とすってのは俺も納得がいかねぇな」

 

 筋肉バカにしては真っ当な意見だ。直枝さんもおそらくこいつと同じ考えだろう。

 ともかく、あの女より明らかに僕の方がテストを上手く熟していたはずなのに、何故僕が落とされなきゃならんのだ!

 すると、幼馴染二人に言われて流石の恭介も口を開いた。

 

「そうだな、じゃあ一つ聞こう。乙坂、お前なんでリトルバスターズに入ろうと思った?」

 

 急になんだ。入ろうとした理由?そんなもの、未来に帰るために決まっている。お前達に取り入り、そしてある程度の信頼関係を築いた上で修学旅行のバス事故の事を警告する。リトルバスターズへの入団はそのための手段に過ぎない。

 だがそれをここで馬鹿正直に言うわけにはいかんしな、ここは適当にそれっぽいこと言って誤魔化すか。

 

「直枝先輩にも言いましたが、僕、まだ数日前に転校してきたばかりで。それで部活に入ろうにも、もうどこも部内にグループとか出来てるじゃないですか。ですから、これから作られる部活なら僕も気にせず入れると思って入団を希望しました」

 

 我ながら完璧な答えだ。ちゃんと理に適った入部理由だし、嘘だとは思われないだろう。

 そして、続けて恭介は僕に尋ねる。

 

「そうか。それじゃあさっきの質問だが、お前にとって野球に必要な物とは何だ」

 

「またそれですか?ていうかその質問なんの意味が……」

 

「さぁ、なんだ」

 

 恭介は僕に有無も言わさず、僕に尋ねる。

 野球に必要な物?普通に答えるならバットやグローブといった必需品となるが、こいつの求める答えはそうではないのだろう。

 さっきの神北小毬の答えから察するに、どうやら青春っぽい答えを言えばいいのではないだろうか?

 さっきから漫画やアニメで出てくるような畏まった言い方をしたり、それこそ神北小毬の答えを良しとしたことからそう考えられる。

 にしても青春……青春っぽいねぇ……。

 

「……仲間……とか?」

 

 恭介の顔を伺いながら僕はそう答えた。

 

「そうだな、チームワークが勝利の鍵となる以上、仲間は必要だな」

 

 どうやら恭介の望む答えを返せたようだ。

 僕がほっと胸をなでおろすと、恭介が言う。

 

「なぁ乙坂、それでお前は何もかもを隠したまま俺達の仲間になるつもりか?」

 

「……え?」

 

 何を言って……隠したままって、まさかこいつ……!

 

「人間誰しも隠し事の一つや二つはあるだろう。それこそ仲間に打ち明けることすらできないようなことだってあるかもしれないし、それを無理に打ち明ける必要はないとは思う。けどな、自分自身をを偽ったままでいるのはそれとは違うだろ。お前は仲間に自分の素顔を見せないまま仲間になれるのか?本当のお前を知らないままで、俺達は真の意味で仲間になったといえるのか?」

 

 こいつ……僕が優等生を演じてることに気づいていたのか……。

 このキャラの方が立ち回りしやすいと思って素を隠していたが、それが逆効果になったか……。

 恭介は更に続ける。

 

「どんな秘密があったとしても、自分自身を偽ってちゃ、俺達は真の意味での仲間にはなれないんだ。だってそうだろ、俺達がこれから仲間になりたいのは乙坂、お前自身であって理想の誰かをを装ったお前じゃない。そして仲間とはある種の共同体であり、そこにはやはり一定の信頼関係が必要だ。だから自分の素顔すら(さら)け出すことのできない、今のお前を仲間としては受け入れられない」

 

 直枝さんと鈴さん、神北小毬は恭介が何を言ってるのかわからないといった様子だ。

 真人の方はというと、こいつの馬鹿さ加減から考えてすべてを理解してるかは不明だが、恭介が何を言いたいかはわかったといった感じだ。おそらく昼休みのバトルで素の僕を見たからだろう。

 はぁ……全く、ココアといいこいつといい、どうしてこういう奴らには僕の演技が通じないんだか。バカのくせに何かと感が鋭い。

 だがこのまま知らぬ存ぜぬを決め込んだところで、この男が譲歩するとは考え辛い。あの時のココアみたく、引き下がる気は更々ないだろう。

 予想外の展開であったが、まぁ何もかも上手く行くなんて端から思ってはなかったがな。

 

「恭介、恭介が何を言ってるのかわけがわからないよ。一体、有宇が何を隠してるっていうのさ」

 

 直枝さんが未だに恭介の言った意味が理解できず、恭介を問い詰める。しかし恭介は何も答えず、僕の顔を真剣な顔でじっと見つめる。

 おそらく、このまま直枝さんに説得を任しても無駄だろう。ならばここは……。

 そして僕は少し顔を俯けて、それから頬を緩ませる。

 

「ククッ……はは」

 

「有宇?」

 

「ははははっ!!」

 

「ゆ、有宇!?」

 

 有宇はそのままけたたましく笑い声を上げた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 いきなりどうしたんだ?

 リトルバスターズへの入団を恭介に断られた瞬間、突然有宇が「ククッ……」と小刻みに笑い声を洩らした。

 明らかに様子がおかしかったので、心配になって顔を伺うと、いきなり笑い声を上げるものだから驚いてつい声を上げてしまった。

 そして先程までの大人しそうな彼からは、とても想像できないような態度に豹変していた。

 

「ったく、わざわざ馬鹿な貴様らにキャラを合わせてやったっていうのに、わざわざ暴きにかかるとかアホの極みだな」

 

 先程までの畏まった丁寧な口調ではなく、昼間真人と戦っていたときのような乱暴な口調だ。

 僕はてっきり怒るとああなるのかと思っていたけど、もしかしてこっちが彼の素の顔なのか。

 鈴なんかさっきまで無関心だったのに「何だこいつ!こわっ!」と彼女なりに有宇の豹変に驚いている様子だ。小毬さんも目を点にして口をあんぐり開けて驚いているみたいだ。

 しかし恭介はというと特に驚いた様子はなく、寧ろニヤリと微小を浮かべ、いつもの表情に戻っていた。

 

「それがお前の素か、乙坂」

 

「ああそうだ。で、これで満足か?」

 

「そうだな、じゃあ改めて聞くが何故お前はうちのチームに入ろうと思った。お前、野球大好きってわけでもないだろ」

 

 恭介が再び問いかける。

 その質問はさっき有宇はちゃんと答えていた。でも今の有宇を見ると、さっき言った答えはもしかして本当の理由ではないかもしれない。

 だって今の有宇は転校したてで、既にグループができてるから他の部には入り辛い、なんて言うような人柄ではないと思うからだ。それどころか多分、進んで部活に入るような人にすら見えない。

 一体彼はなぜリトルバスターズに……。

 そして有宇が答える。

 

「野球なんぞに興味はない……が、リトルバスターズには興味がある」

 

「ほう、野球ではなく俺達にか。それはどういう理由で?」

 

「貴様らは校内のカリスマなんだろ? クラスの奴が言ってたぞ、リトルバスターズを知らない奴はいないってな」

 

「ちょっ、ちょっと待って!」

 

 黙って聞いてるつもりだったけど、流石にツッコまずにはいられなかった。

 おそらく彼は何か勘違いしている。だって僕ら五人はただの幼馴染で、それ以上でもそれ以下でもない、この学校のただの一生徒の一グループにしか過ぎないんだから。

 

「僕達、別にカリスマなんかじゃ……」

 

「あんた方が自覚してるかは知らんが、少なくとも周りからは一目置かれる存在なのは確かだろ。でなきゃ普通、あんな騒ぎ起こしてお咎め無しなんていかないだろ。もう少し周りにどう見られてるか自覚した方がいいんじゃないか」

 

「ゔっ……」

 

 確かにそうだ。バトルをするようになったのはこの前恭介が就活から帰ってきた時からだけど、その前から色々僕らはこの学校で同じような事をやらかしていた。

 周りが自然とそれを受け入れていたせいで忘れていたけど、思えばこれは普通じゃないかもしれない。

 そうじゃなくても僕以外の四人は色々と周りからは注目を集めることが多い。そしてそれが許されているというのも、恭介達のカリスマあってのことなのかもしれない。

 すると有宇がボソッと零す。

 

「まぁ、直枝さんはぶっちゃけ空気でしたから違うでしょうが」

 

 うう……そんなのわかってるよ。本当に今の彼は容赦ない……。

 

「理樹は窓際のもやしっ子だからな」

 

「恭介、今その不名誉な称号で呼ぶのやめて……傷つくから」

 

 恭介まで……。

 確か以前、みんなで新しい学年になるんだから、みんなに覚えてもらえる通り名を付け合おうって話してた時に、恭介に付けられた僕の二つ名だ。

 そりゃ恭介達と比べたら、僕なんてキャラ立ちしないよ……。

 そして僕が落ち込んでいるのもお構いなしに、有宇は話を続ける。

 

「そこでだ、校内から一目置かれる貴様らと一緒に過ごすことで、僕もまた校内で一目置かれる存在になるということだ」

 

「なるほど、乙坂は人気者になりたいということか」

 

「少し違うな。僕はただ自分に見合う評価が欲しいだけさ。僕みたいな二枚目の男にはそれ相応の評価があってもいいだろ?それで、それを手っ取り早く叶えるのに貴様らは使えると思っただけさ」

 

 うわ、プライド高そうとは思ってたけど、有宇ってナルシストなのか。あれかな、男版笹瀬川さんみたいな感じかな。典型的な俺様くんって初めて見た(一人称"僕"だけど……)。

 にしてもそうか、恭介は彼の本質を見抜いていたからチームに入れなかったのか。確かに今の彼はチームワークとか取れなさそうだし、チームプレーの野球には向いていないかもしれない。

 しかし、僕がそうしてようやく恭介が有宇を入れないと言ったわけに納得したところで恭介が言う。

 

「なるほど、己が目的のためなら手段も選ばないその精神、野球に必要な物だな。いいだろう、乙坂有宇、今ここに君のリトルバスターズへの入団を認めようじゃないか」

 

「うん……ってええ!?ちょっとまって、認めちゃうの!?」

 

「なんだ、理樹は嫌か?」

 

 すると有宇がジッと睨んでくる。

 ううっ……年下なのに怖い……。

 

「不満じゃないけど、結局恭介はなにがしたかったのさ……」

 

「言ったろ、俺は本当のこいつが見たかっただけだ。それに中々面白そうな奴じゃないか。これで神北も入れてバランスよく男女一名ずつ入れられるしな」

 

 まぁ、確かに今は一人でも多くのメンバーが必要だし、恭介がいいって言うなら多分大丈夫だろう。

 こうして僕らリトルバスターズのチームに、二人の新人が入団した。

 色々と前途多難な新メンバーだけど、きっと上手くいくよね。恭介やみんなだっているんだ。きっといいチームになる。

 直枝理樹はそんな期待を一人、胸に抱いた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 今日は散々だった。

 夜、一人部屋のベッドで横になり、有宇は今日のことを振り返っていた。

 公衆の面前で見世物にさせるわ、意味のないテストを受けさせられるわ、その上不合格を言い渡されるわ、本当になんて日だ。

 まぁ、結果的に無事入団出来たからよかったものの、これで本当に不合格だったら今日一日の苦労が徒労に終わるとこだったし、また初めから策を考えなければならないところだったぞ。

 なんにせよ、ここからだ。なんとしてでも奴等とそれなりの信頼関係を築き上げ、修学旅行の悲劇の話を信じてもらえるようにしなければならないわけだが、ぶっちゃけ不安しかない。

 あの連中とそこまでの仲になれるのか。そもそも信頼関係を築いたところで信じてもらえるのか。色々と穴が多い計画ではあるのだが……。

 

『私は有宇くんを信じる。だから有宇くんもみんなを信じて欲しいな』

 

 ふとココアのあの言葉を思い出す。

 そうだな、信頼関係を築けると信じなければ何も始まらない。何も得られない。なら、やるしかないんだ。

 それに元々他に選択はない。未来に帰るにはどの道やるしかないのだから。

 だから、僕もあいつ等に歩み寄っていかないとな。素の僕があいつ等に受け入れられるかはわからないけど、それでも信じてみようと思う。僕もリトルバスターズの一員になれるように。



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第35話、昼休みの一時

「……ダルい」

 

 朝のホームルーム前、有宇は教室で机に突っ伏していた。

 

「よう乙坂、なんか元気ないな。折角のイケメンが台無しだぜ」

 

 クラスメイトの男子、もとい谷川蒼士(たにかわあひと)はそう僕に話しかけた。

 転校初日からよく話しかけてくるので流石に名前も覚えた。しかしこいつ、色々教えてくれるのは有り難いが、よく絡んでくるので鬱陶しい。

 ちなみに男子相手なので、特にキャラ作りはしないで接している。

 

「僕はそもそも朝はこのぐらいのテンションなんだよ。それに朝練で疲れてるんだ。寝かせてくれ」

 

「朝練?リトルバスターズって朝練あるんだ」

 

「僕もあると思わなかったよ……」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 今朝、僕の部屋に恭介、筋肉バカ、直枝さんの三人が突然訪れた。寝ていた僕は何事かと驚いて眠気も一瞬で吹き飛び、そのまま目を覚した。

 

「おいおい、初日から寝坊とは感心しないな」

 

 今起きたばかりの僕に対する恭介の第一声がそれだった。

 

「寝坊? なんのことだ!まだ朝の六時だろうが!」

 

 時計は朝の六時を指していた。朝のホームルームが8時半だからまだ全然寝る時間はある。だというのに、何故こんな時間に叩き起こされなきゃならんのだ。

 

「えっと、もしかしてメール見てない?」

 

「メール?」

 

 直枝さんにそう言われ携帯を確認する。

 昨日、入団テストの後に全員とメアドを交換したのだが、そういや必要な連絡はメールで伝えるとか言ってたっけか。

 そしてメールを見ると、恭介から朝練をやる旨を伝えるメールが届いていた。

 

「朝練なんてやるのか……」

 

「ああ、俺達も今朝メール見て初めて知ったぜ」

 

「恭介のやることはいつも突然だからね」

 

 筋肉バカと直枝さんは特になんの不満もなさそうにそう話す。

 何故正式な部でもない、こんなお遊び如きに一々朝練などしなくてはならんのだ。やるにしたって昨日の段階でちゃんと連絡しろよ。

 

「女子ソフトボール部がグラウンドを使っていない時間は限られてるんだ。さぁ、乙坂も急いで着替えろ。青春の朝日が今登る!」

 

 恭介はそう言って手に持ったバットを掲げる。

 部屋でバット振り回すな。危ねえだろ。

 そして有宇の不満など相手にもされず、結局体操服に着替え、朝からグラウンドで練習する羽目になったのだった。

 

 

 

「はぁ、疲れた……」

 

 朝練終了後、僕は野球部部室で直枝さんと道具を片付けていた。

 

「お疲れ、大変だった?」

 

「大変というか何というか……」

 

 練習自体は大したことはやっていない。まだ人数も足りていないし、最初に走り込みを軽くやった後は各自で個人練習といった感じだ。

 筋肉バカはグラウンドの端でひたすら筋トレ、ゆるふわ女は基礎体力を上げるため走り込み、鈴さんはピッチャーなのでピッチング練習、直枝さんはそのためのキャッチャー、そして僕が鈴さんのボールを打つバッターで、恭介が打ったボールを捕る外野、なのだが……。

 

「あの人のコントロールなんとかならないのか……。いつ自分に当たるかと思うと恐怖でしかない……」

 

 鈴さんのノーコンは本当に目に余る程だった。

 今朝の段階でまず一度もキャッチャーミットにボールを入れられていない。いや、コントロールが悪いだけならまだしも、これで無駄に投球はクソ速いから、外した球がこっちに飛んで来て当たると悲惨なことになる。

 しかも僕なんてバッターだから尚更当たりやすいのだ。

 今朝の練習でも一発腰の右側に直撃し、マジで腰椎(ようつい)砕け散るかと思った……。

 

「あはは、こればかりは鈴が上手くなってくれるよう願うしかないよ。なんなら僕とポジション交代する?」

 

「いや、あの人のボール捕り続けなきゃならないとかまっぴら御免です」

 

「だよね……」

 

 そして道具を片付け終わると、授業に出るため部室で制服に着替える。

 鈴さんと神北先輩が先に着替え、その後僕と直枝さんが中で着替える。恭介達は学食で席を取っておくと言って、先に外で着替えて学食へ行ってしまった。

 そして着替えている途中、ふと疑問に思い直枝さんに尋ねる。

 

「そういえばここ野球部の部室ですよね?」

 

「うん、そうだよ」

 

「野球部はどうしてるんですか?ここ使われると迷惑なのでは?」

 

 野球部なんてどこの学校にもあるメジャーな部活だ。活動してないとは考え辛いが……。

 

「野球部はゴタゴタがあってね。それで今は休部状態なんだ」

 

「ゴタゴタって?」

 

「……二年前のことなんだけどね。うちの野球部、地方大会の決勝までいけたんだけど、ある部員のミスで負けちゃったんだ。それで元々部でも孤立していたその部員は誰からも慰められず、一人傷ついていたんだって」

 

「そいつと野球部の休部、なんの関係が?」

 

「そんな彼を慰めたのはね……薬だったんだ」

 

「薬……ですか」

 

 薬というのは、まぁ麻薬のことだろうな。大方傷ついた心を薬で埋めたってとこだろうか。

 

「なんでも大会のことで落ち込んでるところで、先輩から薬を貰ったって話でね。当時、ある大学生のグループが東京の渋谷を中心に安価で新種の薬をばら撒いていたとかで、若い人の間でその薬が出回ってたんだ」

 

「それでその部員はその薬に手を出したと」

 

「うん、それでその部員が薬を使ったことが公になると、そこから芋づる式に薬を勧めた先輩も捕まって野球部は大問題になったんだ。その後は無期限の活動停止処分、今もそれは解けてなくて実質廃部状態なんだ。それでこれ幸いと僕達がこの部室を乗っ取ったってわけ」

 

「ふーん……」

 

 酒で休部処分っていうのは聞いたことあるけど薬か……。

 人間弱ってるとなんにでも(すが)りたくなるからな。最も、後のリスクのことも考えられないようじゃ、何をしても結局同じような結末になっただろうよ。まぁ、他の部員からしたらいい迷惑だろうな。

 

「にしても詳しいですね、直枝さん」

 

「僕も恭介から聞いたんだ。恭介が一年の時のことだしね、僕達は知らなかったよ。でもまぁ、使わせてもらうわけだから何があったか知っておきたくてさ。それで恭介に聞いたんだ」

 

「そうですか」

 

 そんな事を一々気にするなんてお人好しだな、この人も。

 まぁ、そんな人でもなきゃあの頭のおかしな連中とも付き合ってられんか。

 それから着替え終わると二人で部室を出る。すると今まで気づかなかった物が目に留まる。

 

「……犬小屋?」

 

 部室の裏に犬小屋らしき小さな屋根付きの木箱が置いてあった。中にボロ布が敷いてあることからも犬小屋であることが伺える。

 そんな僕の疑問に直枝さんが答える。

 

「ああ、それ。当時野球部で飼ってたらしいよ。グラウンドに捨てられてたらしくてみんなで飼おうってなったんだって」

 

「ふーん、でその犬はどこへ?」

 

「……さぁ。部員の一人が練習の邪魔だからって遠くの街に捨てたらしくて、今生きてるのかどうかも……。足も不自由で貰い手も見つからなかった犬だっていう話だから、もう生きてないのかも。ほんと、酷い話だよね」

 

「そうですか?練習の邪魔になるんなら捨てて正解でしょう。野球部ならスポ推で入って成績残したい奴もいたでしょうし、必死に練習したい奴もいたでしょう。なのに練習ほっぽって犬の世話なんてされちゃ、真剣に野球やりたい奴にとっちゃ邪魔でしかない」

 

「確かにそうかもしれないけど……。結構有宇って容赦ないね」

 

「あいにく動物に情を持つほど僕は優しくなれないんでね。まぁ、飽くまで犬を捨てた部員の気持ちもわからなくはないって話ですよ。僕がその部員なら他の部員から反感を買われない手段をちゃんと取りますね」

 

「そういう問題じゃないけど……」

 

 にしてもさっきの話といい、犬の話といい。まさかと思うが……。

 

「その部員って、もしかしてさっきの……?」

 

「うん、そのまさか」

 

 なる程、そりゃ孤立するだろ。

 何をそんなに必死になってたかは知らんが、ちゃんと他の部員との妥協点は探すべきだったろうな。

 その結果部内で浮いて、おまけに大事な大会で失敗して味方を失くしちゃどうしようもないわな。

 

「で、その部員って今どうしてるんですか?まだ塀の中ですか?」

 

「ううん、もう亡くなってるよ」

 

「死んだんですか?」

 

「薬で錯乱して道路に飛び出したところをトラックに引かれたんだって。それで薬のことが公になったんだ」

 

 誰からも愛されず、終いには薬漬けになった挙句に死ぬとか。そいつ……悲惨な人生だな。

 僕もカンニングのせいで、まともな人生からフィードアウトした身だからな。なんとなく他人事とは思えなかった。

 

「死ぬ直前までずっと言ってたんだって、『天使の羽根が見える』って。なんか不気味だよね」

 

 天使の羽根か。本当にそんなものが見えたのなら、そいつは天使によって天国にでも召されのだろうか。

 それとも、死後の世界で生前の自分の運命を呪って、理不尽な人生を押し付けた神や天使と殺りあってたり……なんてのは少しファンタジーが過ぎるか。

 すると直枝さんは暗い表情を浮かべる。

 

「でもさ、案外僕らも他人事じゃないよね」

 

「他人事じゃないって?」

 

 僕は……まぁあれだが、直枝さんはそんなことないだろうに。

 

「だってそうだろ、ちょっとした何かのきっかけで人間、こんな風になっちゃうんだよ。だから僕らの人生も、ちょっとした何かがきっかけで全部崩れ落ちちゃったりするかもしれないって思えるんだ」

 

 ……確かにそうだな。現に直枝さん達はあと二ヶ月もしない内に、修学旅行の事故に合って、この人は仲間も、周りからの信頼も、全てを失うことになるのだから。

 前日に雨が降った。たったそれだけの事でこの人達はそんな理不尽な運命を突きつけられるんだ。そういう意味ではこの人も決して他人事ではないのだろう。

 

「なんて考えすぎかな……あはは」

 

「……いえ、警戒しておくに超したことはないと思いますよ」

 

「そ、そう?」

 

「それより早く行きましょうか。食べる時間が無くなります」

 

「そうだね。じゃあ行こうか」

 

 そして僕らは朝食を食べに学食へと向かった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 昼休み、蒼士と学食にでも行こうと思った時だ。

 

 プルルルル

 

 ポケットの中の携帯が着信音とともに小刻みに震える。

 まさか昼も練習するつもりか? ったく、昼ぐらいゆっくり食わせろよ。

 僕はチッと舌を鳴らすと携帯を取る。

 

『あ、もしもし有宇? 理樹だけど』

 

「直枝先輩、昼ぐらい食わせてくださいよ。いくらソフトボール部とのグラウンドの使用の兼ね合いがあるからって……」

 

『練習? 違う違う。ちょっと頼みごとしたくて』

 

「頼みごと?」

 

『うん、昼食べに行こうとしたら教室で真人と謙吾が喧嘩しちゃってさ。僕じゃ止められそうにないから恭介呼んできてくれないかな?』

 

「あいつらか……。あーわかりました。で、奴はどこに?」

 

『それが三年の教室にいなかったから、ちょっと今どこにいるのかわからなくて……。電話も通じないし、僕も探しに行きたいんだけど真人達から目離せなくて……』

 

「あーじゃあ適当に探してみます」

 

『ごめんね、それじゃあよろしく頼むよ』

 

 そう言って直枝さんは電話を切った。

 

「クソッ、あのバカ共が。僕の手を煩わせやがって……」

 

「バカ共って井ノ原先輩と宮沢先輩か。乙坂も大変そうだな」

 

 蒼士も今の会話で内容を察してそう言う。

 

「そういうことだから、悪いが飯は一人で行ってくれ」

 

「ああ、それは構わないけど……」

 

 すると何やら蒼士が言葉を濁らせる。

 

「なんだよ?」

 

「いや前から思ってたけど、お前教室にいるときと性格違うよなって」

 

「逆に何故男相手に、この僕が気を使わなければならないんだ?」

 

「お前なぁ……。まぁ、ある意味正直でいいけど。それじゃあ俺行くわ」

 

「悪いな」

 

 教室の前で蒼士と別れると、僕も恭介を探しに外へ出る。

 おそらく僕の予想だと、奴は外の自販機でジュースでも買いに行ったのだろう。携帯が通じなかったのは大方教室の机の中か鞄の中にでも置きっぱなしなのだろう。

 僕らの世代の高校生だと携帯はスマホが主流で、肌見離さず持っていることが多いのだが、この時の学生はまだみんなガラケーを所持しているようだ。

 ガラケーはスマホより機能も少ないし、ゲームだのインターネットだのは出来なくはないだろうが、大したことはできないだろう。基本的には電話かメールしか使えないしな。学校の中にいるのに、わざわざ学内にいる友達に電話やメールをすることもあまりないだろうし、机の中に置きっぱとかもザラにあることだろう。

 今だとスマホでちょっとした連絡もL○NEとかで気軽に出来たりもするから、学校の中でも結構使う頻度が多い。友達同士でゲームするのに使ってたりもするしな。

 たった三年だとしか思っていなかったが、こういうところでジェネレーションギャップというのだろうか? タイムスリップによる時間経過を見に染みて感じる。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 それから僕は自販機のある中庭へと赴く。しかし恭介の姿はない。それならばと今度は裏庭へと向かう。

 この学校では渡り廊下を挟んで校舎側を『中庭』と呼び、体育館側を『裏庭』と呼ぶらしい。全体を指して中庭と呼ぶことが殆どだが、限定的に場所を示すときにはこの呼称が使われるそうだ。

 そして裏庭へと向かおうとした時だった。

 

「少年、こっちだ」

 

 後ろから聞き覚えのある声がしたので振り返る。しかし誰もいない。

 あの声、確かに()()()の声だった筈だが……幻聴か?

 

「どこを見ている。こっちだ」

 

 今度は横から声がする。しかしそこにも誰もいない。

 

「ったく、なんなんだ……ってうおっ!?」

 

 再び正面を向くと、いつの間にか()()()がそこにいたのだった。

 

「はっはっは、驚いたかね」

 

 僕を脅かして、いたずらに微笑んでいるのは、後にリトルバスターズのメンバーになる女、来ヶ谷唯湖であった。過去に来てからは、会うのは初めてになる。

 

「これは横や前ばかりじゃなく前向きに生きろという僅かな示唆を表してみたわけだが……」

 

「いや、さっき全然違う方向から声が聞こえたんだが……」

 

「何だ幻聴か?あまりよろしくない兆候だな」

 

 あいにく耳も精神も至って正常だっての。

 

「まぁ、ただの反響による誤聴だろう。中庭はそういう構造らしいからな」

 

「いや無理があるだろ」

 

 真正面にいるお前の声が後ろや横から聞こえてくるのは流石におかしいだろ。

 この女は相変わらず掴みどころがないというかなんというか……。とにかくこいつのペースに流されたらいけない。さっさと恭介を連れ戻してバカ二人の喧嘩を辞めさせなければ……。

 

「ちなみに棗恭介を探しているのであれば、いつもの面子と体育館に向かっていくのを見たぞ」

 

「何っ!?」

 

 来ヶ谷にそう言われて携帯を取り出す。すると直枝さんからメールが来ていた。

 

 

 

 ───────

 

 有宇ごめん!恭介来たからもう大丈夫。

 探してもらっちゃってごめんね。ありがとう。

 今度御礼に何か奢るよ。

 

 ───────

 

 

 

 なんだよ、見つかったのかよ。僕がわざわざ探した意味ないじゃないか。これだったら電話無視して蒼士と学食に行けばよかった。

 まぁ、直枝さんが何か奢ってくれるっていってるし、それに期待するかな。

 にしてもこの女、僕が恭介を探してるってなんでわかったんだ。

 

「そんなに睨むな。なに、君が昼も食べずに誰かを探している様子だったから予想がついただけさ。君がリトルバスターズに入ったことは噂で耳にしているから、君が探しているのはメンバーの誰かだろうと。そして理樹くんとバカ二人と鈴くんと小毬くんは教室にいた覚えがあるしな。となると君が探している人物は棗恭介だろうと予想を立てたわけだ」

 

 僕の心の内を見透かさしていやがる。この女、やっぱ油断ならねぇな。

 そして、一応僕らは初対面なので、建前としてこう尋ねる。

 

「えっと……ところで先輩はどなたでしょうか?」

 

「ほお、リボンを付けていないのに、よく私が君より先輩だとわかったな」

 

 しまった、僕の方はこの女が直枝さん達と同い歳だということを知っているが、今はまだ初対面。この女の学年を知っているのは不自然だ。しかも学年を判別するリボン(男子はネクタイ)をこの女は付けておらず、胸元を大胆に見せていやがる。

 

「えっと……そう、さっき恭介先輩のことを呼び捨てで呼んでいたので、先輩なのかなと」

 

「ふむ、お姉さんから溢れ出る大人の色香を感じざるを得なかったと」

 

「誰もそんなこと一言も言ってねぇ!」

 

「はっはっは、冗談だよ」

 

 この女ぁ……ぶん殴ってやりたい。

 

「では改めて。理樹くんのクラスメイトの来ヶ谷唯湖だ。君は確か一年の乙坂有宇くんだったかな?」

 

「僕のこと知ってるのか」

 

「リトルバスターズというのは君が思ってる以上に有名なのだよ。彼等は去年から学校中で色々とやらかしているからね。そんな怪しい一団に怪しい転校生が入ったとなれば噂にもなる」

 

 リトルバスターズに入団してから昨日の今日だというのに、こんなにも早く噂になるとは……。有名になり過ぎるのもあまり気持ちがいいものではないものだな。

 僕は知らないのに、僕の知らぬ赤の他人は僕の事を知っている。それは凄く気持ちの悪いことだ。以前僕が陽野森にいたときも、僕の携帯のメアドが他人に漏洩しており、顔も知らぬ同学年の女子から告白の待ち合わせのメールが届いたこともあった。

 当然告白は断ったが、その後僕が学校を辞めラビットハウスに来た後も僕にいたずらメールを送る輩がいたようで、友利から受け取った携帯には大量のイタズラメールが届いていた。メアドはすぐに変えて、陽野森のクラスL○NEや中学までのL○NEのグループなども全部退会して、過去の人間関係をリセットした。

 ちなみに白柳さんからもL○NEが来ていた。他の奴等とは違い僕の事を心配してくれているようで、返信が欲しいとのことだった。だが今更会わせる顔もないので、返信は無視して未だに何も返していない。

 ともかく一方的に個人の情報を知られているというのはあまり気分のいいものではない。実際に被害にあってみるとその恐ろしさがよくわかる。

 出来れば噂にならないように慎ましやかに過ごしていきたいが、あいつ等と一緒じゃそれも叶わないか。かといって辞めるわけにもいかないし……。

 

「おやどうした?顔色が悪いようだが」

 

「いえ、お気遣いなく。それじゃあ僕は失礼します。恭介先輩の場所教えてくださりありがとうございました」

 

 そう言ってその場を立ち去ろうとする。するとそんな僕を来ヶ谷が呼び止める。

 

「まぁ待ち給え。こうして会ったのも何かの縁だろう。昼は私がご馳走するから寄っていくといい」

 

 寄っていくってどこに?ってそんなことはどうでもいい。

 ご馳走するということは何か奢ってくれるだろうか。それ自体は魅力的な相談ではあるが、この女との食事となると話は別だ。

 何かよからぬことになるに違いない。そんな気しかしないのだ。

 

「折角のお誘いですが遠慮しま……」

 

「そうか、ご馳走になってくれるか」

 

「いや、だから遠慮……」

 

「ええいうるさい黙れこの与太郎が」

 

 するといきなり雰囲気がガラリと変わる。

 殺気にも似た空気を漂わせ、細めた目から覗かせる鋭い眼光で僕を睨みつけ、動けなくする。

 

「逃げたら殺す。声を上げても殺す。助けを呼んでも殺す。黙って私に付き合え」

 

「……はい」

 

 流石にこの女には勝てる気がしないので大人しくそう頷いた。

 能力を使ってもいいのだが、たかだか五秒の間にこの女を僕から遠ざけたところで、すぐに追いかけられてやられる未来しか見えない。なんて不完全な能力なんだ。

 ここは大人しく従うのが懸命だろう。

 そして僕は来ヶ谷の強引な誘いに乗り、中庭の片隅に連れて行かれた。

 そこにはボロボロの木箱、美術室や技術室においてあるような背もたれのない丸椅子が置いてあった。

 

「私自慢のちょっとしたカフェテラスだ。遠慮せず腰掛けるといい」

 

 ロケーションは悪くない。校舎裏にひっそりとあるカフェテラス。中庭の歩道からも死角になっているため、人目を気にせずくつろげそうだ。

 

「でもこういうのって、勝手に置いて大丈夫なのか?許可とか必要なんじゃ……」

 

「なに、私はただ学園に皆がくつろげるスペースを作っただけだよ。ちゃんと許可も取ってある」

 

 ほんとかよ。大体こいつの私物らしき物しか置いてないし、絶対あんた一人で使ってるだろ。

 ていうか机の上見て思ったんだが……。

 

「……まさかとは思うが、ご馳走ってのはこの机の上に置いてあるキムチともずくのことを言ってるわけじゃないよな」

 

「君には他に何かあるように見えているのか」

 

「せめて米は……」

 

「こんなところに炊飯器が置いてあると思うのかね」

 

 木箱の机の上にはキムチともずくのビンが置いてあった。

 何故このチョイスなのかは疑問だが、百歩譲ってまぁいいとして、せめてこのラインナップなら米が欲しい。

 食べ盛りの男子にキムチともずくだけで昼を過ごせというのは酷な話だ。こんなもので腹が膨れるわけがない。ただでさえ、三限に体育があったっていうのに。

 

「……帰る」

 

「まぁ待ち給え、ちゃんと飲み物は用意してあるぞ」

 

 そう言う来ヶ谷の手には缶コーヒーが二つ握られている。

 

「飲み物の問題じゃねぇよ!」

 

「なんだ、君はあれか?おかずはご飯と一緒じゃなきゃ食べないタイプの人間か?」

 

「そういう問題じゃない!単にこれじゃ腹は膨れないって話だ!」

 

「全く、君は中々我儘な男だな。仕方ない、ではこれも付けよう」

 

 そう言うと来ヶ谷は制服のポケットからリボンの付いた小さな透明な袋を取り出す。中には茶と小麦色のクッキーが何枚か入っていた。

 ……キムチにもずくにクッキーってどんな昼食だよ。

 しかしこれ以上断るとまた脅される可能性もあるしな……。この女に目を付けられたのが運の尽き、放課後購買で余ったパンでも買って腹を満たすことにして、大人しくここは引き下がるか……?

 僕が葛藤している間に、来ヶ谷は僕の方から見て木箱の向かい側の丸椅子に腰掛ける。

 

「ほら、早く君も掛け給え」

 

「あーえっと……そう、直枝先輩のところ行って一応喧嘩がどうなったか見て行かないと」

 

「そんのもの、あとでメールで聞けばいい」

 

「腹痛が……」

 

「薬ならあるぞ」

 

 あるのかよ!そんなものよりパンの一つでも用意して貰えればまだ諦めがつくんだが。

 すると来ヶ谷も痺れを切らしたのか、不満気に言う。

 

「全く、君は何が不満なんだ。私は可愛らしい女学生であろう?見ろ、私がこうしているとまるで良家の令嬢を描いた絵画のようだろう?年頃の男子ならば喜んで私の誘いを受けそうなものだがな」

 

 そう言いながら来ヶ谷唯湖は足を組みポーズを取る。確かにスタイルもいいし、顔もいいし、性格以外は完璧だから割と様になっている。

 

「まぁ、黙ってれば割とそう見えなくもないが、こんなボロいカフェテラスじゃどこの没落貴族のお嬢様だよって感じだがな」

 

 ついポロッと本音が漏れる。いや、まぁ今更取り繕ったところで無駄な気もするがな。さっきからボロ出しまくりだし。

 

「はっはっは、言ってくれるじゃないか。それよりいい加減掛けたらどうだ?どうせ今から学食へ行ったところで、もう席は全部うまってることだろう」

 

 確かにそれもそうか。それでもまだ購買という手段もあるが……こいつの誘いを断ろうとしてもまたエンドレスでこの会話続きそうで、昼休みが終わるまでに買える気がしないしな。もう諦めるか。

 

「……仕方ない、付き合ってやるか」

 

「うむ、初めから素直にそう言えばいいのだよ」

 

 なんでこいつこんな偉そうなんだ。いや、歳上だからってのもあるんだろうが、おそらく僕以外にも尊大な態度を取ってるだろこいつ。

 取り敢えず丸椅子に手をつき腰を下ろそうとする。だが……。

 

 バキッ

 

「うおっ!?」

 

 椅子に手をついた瞬間、丸椅子の三本の足の内一本が外れ、腰を下ろす体制に入っていた僕はそのままバランスを崩して、そのまま尻もちをつく。

 

「はっはっは、ものの見事に引っかかったな少年」

 

 この野郎……確信犯か。ていうか絶対これがやりたくて僕を無理やりここに連れてきただろ。ふざけやがって……!

 

「貴様ぁ……僕とていつまでも温厚なままでいると思うなよ……!」

 

 もう我慢ならなかった。さっきから我慢して言う事を聞いてやってるのに、なぜこの僕がこんな仕打ちを受けなければならないのだ。

 舐められっぱなしも癪だ。この女を敵にするのは少し気が引けるが、なに、能力を使えばいくらこいつでも僕に勝てまい。

 

「そうか。ところでさっきから思ってたんだが少年、キャラがブレまくっているぞ。どれが君の素顔かな?」

 

「黙れ……この僕を怒らせるとどうなるか思い知らせてやる!」

 

 来ヶ谷を真正面に見据える。そして目を見開き能力を発動する。

 こいつとて女だ。服の一枚や二枚剥いでやれば、羞恥心のあまり僕に屈することだろう。

 だが、力を発動した瞬間、奴は目の前にはいなかった。

 

「あれ?どこに……」

 

「ふむ、思った以上に君は血の気が多いのだな。流石あのバカ共に自ら進んで付き合おうとするだけはある……が、相手は選べよ、少年」

 

 いつの間に背後に!すると次の瞬間、僕の体が180度回転する。そのまま地面に打ちのめされるかと思いきや、直前に来ヶ谷の腕に支えられる。

 

「まぁ、しかし今回は私にも非があるからな。ほれ、大丈夫か少年」

 

 そのまま来ヶ谷に支えられながら僕は体を起こす。

 クソッ、まさか喧嘩を売った相手に助けられるとは。屈辱にも程がある。

 しかし油断しきった今なら、このまま乗り移って……いや、やめておこう。よくよく考えてみれば、服を剥いたくらいでこの女が屈するとは思えないし(胸元思いっきり見せて歩いてるような奴だしな)、それでこの女を本気に敵に回したら今度こそ地面に打ちのめされることだろう。

 それに僕の目的は違うだろ。こいつら───リトルバスターズと信頼関係を築き、その上でバス事故の事を忠告して信じてもらうことだ。だというのにこの女と喧嘩なんかして信頼関係を崩壊させるようなことがあっては、僕の未来に帰る手立てがなくなってしまうではないか。

 落ち着け、感情に流されてはいけない。目的を見据えろ。僕がしなきゃならないことを考えるんだ。今は怒りを沈めろ。

 それから僕は来ヶ谷に新しい椅子を渡され、それに座る。

 

「はっはっは、許せよ少年。別に君が憎くてやったわけじゃない」

 

 来ヶ谷は僕のことなど物ともせず、意地悪く横柄に笑う。とことんムカつく女だ。

 

「しかし理樹くんならこれぐらい笑って許してくれそうなものなんだがな。君はいじり甲斐がなくてつまらんな」

 

「つまらなくて悪かったな」

 

 まさか直枝先輩にも同じような事いつもやってるのか?あの人の事だから許してくれるだろうけど、あの人リトバスでも色々と迷惑背負い込まされてるんだからやめてやれ。

 

「で、あんたは僕を呼んで何がしたい。まさかイタズラがしたかったってだけじゃないだろうな」

 

「勿論理由はあるとも。が、その前に聞きたいが、それが本当の君かね。噂だと女子に優しい紳士的な男だと聞いたが、今の君からはその欠片すら感じ取れん」

 

「ふん、貴様が普通の女子ならそういう態度を取ってやってもいいが、今の僕にはお前が普通の女子にはとても見えんからな」

 

「うむ、私は普通などという枠には囚われたりはしないからな」

 

 皮肉で言ったというのに、やはり物ともしないか。今更こいつを真面目に相手にする気はないがな。

 僕は貰ったクッキーのリボンを取り、中のクッキーを摘む。

 

「結構美味いなこれ」

 

 僕には少し甘いが、キムチともずくの後に食べると美味しく感じる。キムチの辛さに酢漬けされたもずくの後だから、クッキーの甘さがより引き立つのだろうか。

 

「そう言ってもらえるとありがたい。お姉さんお手製のクッキーだからな」

 

「えっ、お前が作ったのか?」

 

「私らしくないかね?」

 

「そうだな、昼をご馳走すると言ってキムチともずくを差し出す女が作るとは思えないな」

 

「キムチともずくも美味いだろ?」

 

「せめて米があればな」

 

 無駄に反論したところで無駄だとわかって話を終わらせる。するとようやく来ヶ谷は本題に入ってくれた。

 

「君は何故リトルバスターズに入った? 見たところ君は進んで集団の和に入り青春の汗を流したいという人間には見えないが」

 

 恭介と同じような事を言うな。まぁ事実だが。

 勿論、ここでも僕は恭介に聞かれたときのように返す。未来から来ただの、お前らが修学旅行で死ぬことになるだの、今話したところで信じてもらえないしな。

 

「あんたがさっき言った通り、リトルバスターズってのはこの学校でもそれなりの知名度があるんだろ?だからその知名度に肖りたい、それだけだ」

 

「君の容姿ならそんな面倒な事をせずとも有名になれるのでは?」

 

「かもな。だが、ただ容姿が良いということだけ有名になってもつまらんだろう?かといって自分で言ってて悲しくなるが、僕には他に武器になるような個性はない。だからリトルバスターズに入って泊をつけたいってことさ」

 

「ふむ、君は承認欲求、取り分け上位承認の欲求が強いようだな」

 

「ナルシストだと言いたいのか」

 

「君の好きに受け取るといい。なに、別に批判はしないよ。そういう考えもあっていいと思うしね」

 

 頭の良い奴ってのは回りくどい言い方が好きだよな。いや、こいつの成績とか知らないけど、頭良さそうだし多分成績上位者だろう。

 もっとも直接言われたところで、マヤとかあの辺の連中に散々ナルシストだの何だの言われてるから腹も立たないし、今更別に構わんがな。

 

「で、それを聞いてどうする。リトルバスターズのことなんざあんたには関係ないだろ」

 

「関係なくはないよ。私も彼等の仲間に入ろうかと今少し考えているのさ」

 

「ふーん」

 

 神北小毬の次はこいつが入ってくるのか。いずれ仲間に入ってくるなんてわかってたことではあるが、こんなすぐとは。

 こいつとは相容れる気はしないし、出来ればもう少し後であって欲しかった。

 

「楽しいか?」

 

「は?」

 

「リトルバスターズは楽しいかと聞いてる」

 

 そんなこと聞いてどうす……ああ、なるほど、リトバスの事前調査のために新規入団者の僕を呼びつけたわけか。こっちとしてはいい迷惑だ。

 まぁ、答えたらもう僕に用はないだろうし、すぐに解放してくれる事だろう。さっさと話して楽になるか。

 

「入って一日だしよくわからんが、運動部ほどガチで運動するわけじゃないし、入団に際して面倒な規則があるわけでもないから、体良く楽に居場所を作れるという意味ではいいんじゃないか。まぁ、あんたに合うかどうかまでは知らんがな」

 

「居場所……か」

 

 僕の話を聞き終えると、来ヶ谷唯湖は黙り込み、何かを考え込む……というよりは、何かに思いを馳せているといった感じだろうか。その黒く艷やかなに光る髪を風に靡かせながら、ただじっと何もない空中の一点を見つめている。

 そんな来ヶ谷の横顔を一瞬綺麗だと感じたが、こいつの中身を思い出し、すぐにそんな雑念を振り払う。

 

「で、これで満足か。なら僕は行かせてもらうぞ」

 

「ああ、充分だ。付き合ってくれてありがとう少年」

 

 来ヶ谷はこちらに目を向けずそう答える。

 僕も大事な昼休みをここで終えたくはないし、寂れたカフェテラスを後にした。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 購買で余ったアンパンを買って教室に戻る。しかし僕の席はクラスの女子が座っていた。

 このまま教室に入って行ったら、女子達の話の和に混ぜられることになるだろう。あの女の相手をして疲れているし、その上教室の女子の相手をする気にはなれない。仕方ないので別の場所で食べることにする。

 学食は人で賑わっている上に席は見た感じ空いていなかったし、部室は不衛生だし、外は食べる場所なんかあったっけか? さて、どこで食べるか。

 食べる場所をどこにしようか迷っていると、ある場所が思いつく。

 屋上ってそういえばこの学校は開放してるのだろうか。陽野森は封鎖していたが、ここは開いてるのか?

 一度考えると気になりだし、折角だし試しに行って見ることにした。

 

 

 

 屋上に続く階段の前まで来る。しかし階段の前はコーンとバーによって封鎖されている。

 どうやらこの学校も屋上には出れないらしい。まぁ、安全面とかその辺のこと考えたら当然か。

 だが食べる場所としては充分だ。ここでなら静かに食事できるだろう

 僕は周りに誰もいないことを確認してからバーを跨いで階段を上がる。

 ドアを引いてみるも開かない。やはり鍵が閉めてあるようだな。

 ほとんど掃除されていないのか少しホコリっぽいが、机と椅子もあるようだし、その周りだけホコリを払っておけば充分だろう。

 僕は階段の踊り場に積み上げられた机を一つ、窓の傍にある椅子のところへ持って行く。するとあることに気づく。

 

「ん?窓が開いてる」

 

 窓が空いているのだ。更によく見てみると窓際にドライバーが置いてある。まさかこれで誰かが開けたのか?

 椅子もそういえば窓から出るための足場として置かれているようだし、もしかして今誰かが屋上に出ているのではないか?

 気になった僕は屋上に出た誰かがやったように、椅子を踏台にして窓へと身を乗り出す。

 

「おおっ……!」

 

 初めて立つ屋上は中々に心地よい場所だった。

 広々とした空間、見通しの良い景色、更に学校の白いコンクリート壁が日光を照り返すため、屋上全体が明るい。まだ五月も中旬なためか外は少し肌寒く感じるのだが、ここは日光のお陰でそれなりに温かい。来ヶ谷のおんぼろカフェテラスなんかよりよっぽど良い。

 しかし、辺りを見回しても人の影はない。もしかしてずっと前から開きっぱなしなだけで誰もいないのか?

 それから背後を見ると、大きな給水塔があったことに気づく。

 もしかしてここか……?

 給水塔に付いた梯子に手をかけ上っていく。すると……。

 

「あ、直枝くん、今日も来たんだ。お菓子たくさんあるから食べ……て……」

 

 給水タンクを背もたれにして腰掛ける神北小毬と目があった。

 どうやら屋上に忍び込んだ犯人はこの人だったようだ。まさか知り合いだったとは。

 

「……あの」

 

「ごごごごめんなさい!あのですね、別にいつも出てるわけじゃなくてですね、今日はたまたま……そう!いつの間にかここにいたんです」

 

 何をわけわからん事を言ってるんだこの女は。

 しかしすっかり怯えてしまって、テンパってるのか僕だとわかっていない様子だ。

 

「世の中には不思議なことが沢山ありまして、お菓子さんとかお菓子さんとかが空から降ってきたり……」

 

「神北先輩、僕です、乙坂です」

 

「ふぇっ?」

 

 ようやくちゃんと目を合わせてくれる。

 

「乙坂くん? 乙坂くんに変装した学校の先生じゃなくて?」

 

「そんな器用なことできる奴は、教師じゃなくてマジシャンでもやってるよ」

 

 それを聞くとようやく落ち着いてくれたのか、胸をなでおろしてホッと一息つく。

 

「なぁんだ、乙坂くんか。ビックリしたよ。でもどうしてここに?」

 

「この学校は屋上に出れるのか試しに来たら、窓が開いていたから誰かいるのかなと。それより窓開けたのあんただよな。あんたこそ何故ここにいる」

 

「乙坂くんは好きな場所ある?」

 

 好きな場所? いきなりなんだ。

 あー好きな場所ね……。

 好きな場所と聞かれ考えると、真っ先に木組みの街のラビットハウスの店内が思い浮かんだ。まぁ、馴染みのある場所っちゃ場所だしな。

 

「まぁ、あるっちゃあるな」

 

「そっか。私、ここベストプレイス」

 

 そう言うと神北小毬は下を指差す。

 

「私の好きな場所、でもここは人に知られちゃうと危険なの。色々とね。だからここは内緒なのです」

 

 そりゃそうだろうな。鍵で閉められているだけじゃなく、わざわざバーで封鎖されてたぐらいだし、学校としては生徒が屋上に上がることをかなり嫌がっていると見える。

 もしこの事も知られたら、厳しい罰を受けることは避けられないだろう。

 すると彼女は傍らに置いてあったパンパンに膨らんだビニール袋から何かを取り出して僕の前に差し出す。

 

「乙坂くんもお一つ如何ですか?」

 

 差し出されたのはコンビニとかで売ってる市販のワッフルだ。来ヶ谷のところで食べた昼も足りなかったし、貰えるものなら貰っておくか。

 

「じゃあ、頂きます」

 

 ワッフルを受け取ると、袋を開けて一口食べる。

 

「うん、美味い」

 

「ふふっ、よかったよ。これで君も共犯者」

 

「えっ」

 

「ここ、バレちゃうと大変だから。秘密にしてね」

 

 なる程、まんまと釣られたわけか。存外強かな女だ。まぁ、言いふらす気は初めからなかったし別にいいけど。

 すると彼女は再び給水タンクに腰掛け、ビニール袋からポテチの袋を取り出す。

 

「まだ時間あるからゆっくりしていっちゃいなよyou」

 

 そう言いながら彼女は自分の隣をテシテシと叩く。

 まぁ、昼食と言うには少しジャンキーだが、栄養価的にはアンパンと大差ないだろう。

 来ヶ谷の昼飯よりはマシだし、ただでくれると言うなら文句はない。

 

「じゃあまぁ、ご相伴に預かります」

 

 僕は彼女の隣に腰掛け、ポテチの袋からポテチを一欠片摘んで口にする。

 

「お茶とチョコパイもありますよ」

 

「コーヒーありません?甘いものばっかだと流石にキツイ……」

 

「あるよ〜。ブラック、それとも微糖?」

 

 あるのか。聞いてみるものだな。

 

「じゃあブラックで」

 

「お〜大人だね。試しに買ってみたけど、私飲めないから助かるよ〜」

 

 飲めないのに買ったのか。というかこんなに沢山全部一人で食うつもりだったのか。太るぞ。

 

「あんた、いつもこんなに食べるのか?」

 

「ううん、いつもはもうちょっと少ないけど。でも直枝くん来るかなって思って少し多めに持ってきたの」

 

 少し……?まぁ、そこは置いといて。

 

「そういえばさっきも僕を直枝さんと間違えてたよな。直枝さんもここの事知ってるのか?」

 

「うん、だからここを見つけたのは君で二人目。直枝くんも野球のメンバー集めで校内を回ってたら、たまたま私を見つけたんだって」

 

「それでスカウトされたと?」

 

「ううん、草で野球ってなんだか面白そうだったから、私もやりたいって直枝くんにお願いしたの」

 

「ふーん」

 

 まさかの志願してきた感じか。

 てっきり人数合わせのために呼ばれたのかと勝手に思ってた。

 

「でも乙坂くんも来るなら今度からはもっと用意してこないとだね」

 

「いやいや、今のままで大丈夫だから!直枝さんも僕もそんな食わないし」

 

「そう?」

 

 別に僕が懐を痛めるわけではないが、勝手に大量に食うことを前提に用意されても、こちらとしては困る。

 善意で用意してくれてるのも承知してるが、それこそ善意の押し付けである。菓子一つでそんな喜ぶ歳でもないし、誰かに不用意に貸しを作るのが普通に嫌だ。

 というより、この人は何故わざわざ人の分まで菓子を用意しようとするのだろうか。貸しをつけておきたいのか?それとも周りからの評価を買いたいのか?

 

「あんたはなんでわざわざ僕らの分まで菓子を用意しようとするんだ? 何か見返りでも欲しいのか?」

 

 率直に聞いてみることにした。

 すると彼女はさも当たり前のように答える。

 

「お菓子を食べると、ちょっと幸せになれます」

 

「は?」

 

「乙坂くんは幸せになれない?」

 

 そう言われて少し考える。

 食事をする時、人は快楽・快感を得ることができると言われている。確かドーパミンとかいう物質が食事によって分泌されるからだったか。

 僕も以前、シャロを食事に招くことで機嫌を取ったことがあるが、まさにこれの応用といった感じだろうか。

 そういう単純な意味では僕もまた幸せになっていると考えられるだろう。

 

「まぁ、それなりには」

 

「うん、そうだよね。だから、乙坂くんが幸せになってくれたら私も嬉しい」

 

「どうして?」

 

「だって、誰かを幸せにすると、自分もちょっぴり幸せになるでしょ」

 

 なるでしょとか言われてもな……。

 人を幸せにするどころか、人を蹴落とし、だまくらかして幸せになろうと生きてきた僕に同意を求められても……。

 

「そして君が幸せになれば、私も幸せになれる。こうして幸せは巡り巡ってほら、幸せスパイラル」

 

「幸せスパイラルか。それなら僕もわかるぞ。他人に恩を着せると優越感に浸れて幸福感を得られるし、恩を着せられた方も無償で他人から援助されることに幸福感を得られる。そして恩を受けた奴は今度は自分が恩を着せて恩を返した気になろうと親切を働き、恩を着せた方はさっきとは逆に無償の援助を受けられる。それが繰り返されてまさに幸せスパイラルだ」

 

「あう……そんなつもりで言ったんじゃないよ」

 

「なんだ、違うのか」

 

「うーん、違くはないけど、なんか言い方がいや……」

 

「言い方なんて事実を曲げて他人を丸め込むための詐術に過ぎない。考えは一緒だ」

 

「う〜ん、乙坂くん、なんか変わってるね……」

 

「少なくともあんたには言われたくない」

 

「私は普通だよ」

 

「えっ、いや……」

 

「普通だよ」

 

 にっこり笑顔で、繰り返し強調しながら言う。

 こいつ……自分が普通だと思ってんのかよ。ココアですら自分が普通じゃないって自覚があるってのに……。

 運動神経は平均以下で、頭には赤いリボンの付いたデカイ星の髪飾り、更には封鎖されてる屋上にドライバーまで持ち込んで侵入して、学校で大量の菓子が入った袋を持ち歩く奇行に走り、更には突拍子もなく自説の幸せスパイラル理論とか語りだしちゃう女を、僕は普通だとは思わない。

 まぁ、自覚を持つ持たないは本人の自由だし、それで僕が迷惑するわけではないし、言い争いをするつもりもないのでこれ以上言及はしないが。

 こうしてこの日の僕の昼休みは、屋上でのこの人との一時で幕を閉じた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 放課後、昨日と同じくグラウンドに集まり練習を開始する。

 すると何やら真人の様子がいつもと少しおかしかった。いや、いつもおかしい奴ではあるんだが。

 なんだか不機嫌そうであり、何かに対する怒りに任せて両手にダンベル、更にはタイヤを付けたロープを腰に結びつけて全力疾走していた。

 

「直枝さん、あいつなんかあったんですか?」

 

「えっとね、話せば長くなるけど、うちのクラスに来ヶ谷さんっていう女子がいてね」

 

「またあの女か……」

 

 その名前を聞いた瞬間、なんとなく事態を察した。

 

「あれ?有宇、来ヶ谷唯湖さんと知り合いだったの?」

 

「知り合いではないですが、昼に絡まれました」

 

「ああ、そうなんだ……」

 

 直枝さんは察したのか、さも「お気の毒に」とでも言いたげで、僕に哀れみの視線を送った。この人もあの女に苦労してるんだろうな。

 

「それで六限の終わりに真人と謙吾が喧嘩しちゃって……」

 

「またか……」

 

 あいつら、一日に何回喧嘩すれば気が済むんだ?

 

「原因はなんです?」

 

「真人が六限の国語の時間に教科書を読まされたんだけど、その時『極寒』っていう字を『ごっさむ』って読んでね」

 

「アホだな」

 

 流石の僕でもそれぐらいは読める。

 ていうかその国語力でよくこの学校受かったな。カンニングまでして受験に挑んだ僕がバカみたいじゃないか。

 

「何でも謙吾にそう教えられたってことらしくて、それで喧嘩になったんだけど、何故かそこに来ヶ谷さんが乱入して真人とバトルになって……」

 

「負けたと」

 

「いや、バトル的には真人の勝ちで終わったんだけど、実質真人の負けっていうか……」

 

 要は負けたんだろ。

 まぁ、僕が勝てない相手なのにこの筋肉ダルマが勝てる筈もないか。

 ていうか、それでこいつ、さっきから無茶苦茶な筋トレやってるのか。こいつに足りないのは筋力以外だってのに、馬鹿の一つ覚えだな。

 

「オレは負けてねぇ!」

 

 すると僕らの会話を聞いていたのか、真人が走りながら叫ぶ。

 

「あれは俺が筋肉を最大限活かしきれなかっただけだ。見てろ、次こそ俺は更に鍛え上げた筋肉であいつを超える!」

 

 なんか言ってるが、負けた事実は変わらんだろう。

 

「なんだ乙坂、お前その顔は。『結局は負けたんですよね。それより暑苦しいのでその邪魔な筋肉引き連れて僕の視界に映らない所までそのまま走り去ってください』とでも言いたげだな!」

 

「うわっ、なんか凄えいちゃもん付けてきた!?」

 

「真人の言いがかりはたまにお金払ってでも聞きたくなるものがあるよね」

 

 こいつ、普段からこんなくだらんこじつけを直枝さんに振ってるのか?

 そういや二人ルームメイトだったっけか。こいつと一日一緒とかやってられんな。直枝さんの苦労が知れる。

 すると真人はグラウンドを走ったまま僕に向け言う。

 

「いい機会だ乙坂!お前とも決着がまだだったしな。今ここで鍛え上げた筋肉でお前との決着をつけてや……」

 

「うりゃっ!」

 

「おふっ……ぐはっ!!」

 

 僕への宣戦布告の途中、鈴さんが投げたボールが鈴さんの右斜め後ろを走っていた真人に直撃する。更にそれにより真人が足を止めると、慣性の法則で腰に結びつけたタイヤが真人の頭目掛けて飛んでいき、勢い良く当たる。そしてその勢いで真人は前のめりに地面に倒れ込んだ。

 

「なんで前に投げて後ろにいる真人に当たんだよ……」

 

「んーわからん」

 

 鈴さんはしれっとした態度で言う。

 今当たったのは真人だとはいえ、当たる方の気持ちも少しは考えてくれ……。

 

「でも凄い球だったよ鈴ちゃーん♪」

 

「うわっ、く、くっつくな〜!」

 

 すると神北小毬が鈴さんに抱きつく。抱きつかれた鈴さんの方は顔真っ赤で恥ずかしそうだが、嫌そうな顔はしてない。

 そういや昨日も入団テストの後、鈴さんに絡んでたなこの人。昨日は振りほどいてまで逃げていたところを見ると、鈴さんの方もこの人との接し方に慣れてきたのだろうか?

 そして、そんな二人の光景を見る直枝さんはどこか嬉しそうだった。直枝さん曰く『鈴が他の女子と話すところ、あまり見たことないから』とのことだ。

 彼女の人見知りを幼馴染として、そして彼氏として心配していたのだろう。

 あれ?でもそういや二人の今この時点での関係はどうなんだ?付き合う前なのか?まぁ、大した問題ではない。どの道時間の問題だろうしな。

 にしてもこの光景どっかで見たことあるような……。

 神北小毬と鈴さんの二人をじっと見る。すると神北の方がココアに、鈴さんの方はチノと重なって見えてきた。

 あー見たことあるような光景だと思ったらあれだ。あいつらの馴れ合いに似てたのか。ココアもよくチノに絡んでるもんなあいつ。チノもココアのこと拒絶してるような素振り見せるくせに、絡まれないと寂しそうにしてるし、今のこの二人の馴れ合いにそっくりだ。

 

「気に食わんな」

 

 すると突然、グラウンドの影からそんな声が僕らに向けられる。

 そこにいたのは紛れもなく奴だった。

 

「何が気に食わないんだ、来ヶ谷」

 

 恭介が奴の名前を呼ぶ。

 黒い髪を靡かせ、颯爽とこちらに歩み寄って来たのは、紛れもなく昼間僕をおちょくったあの来ヶ谷唯湖であった。

 

「お前らだけで楽しそうな事をやっているのが気に食わんと言ってるのだよ、恭介氏。私にも美少女達としっぽりと青春の汗をかかせろ」

 

 いきなり何を言い出すかと思ったら、手前勝手なジャイアニズム全開の主張を言い放ってきやがった。ていうかそれって……!

 すると来ヶ谷は胸に手を当てたかと思いきや、ワイシャツと制服のボタンを外し、勢い良くバッと広げて脱ぎ捨てた。

 突然のことに思わず左手で目を覆う。しばらくして手を退けると、体操服にスパッツ姿の来ヶ谷の姿があった。

 

「リトルバスターズ、暇潰しには丁度いい」

 

 そんな来ヶ谷に直枝さんが尋ねる。

 

「えっと来ヶ谷さん。つまり……?」

 

「私もメンバーに入れろと言うことだよ、理樹くん」

 

 やはりそうなるか。

 近々来るとは思ってはいたが、昼に僕にリトルバスターズのことを聞いて、その日の放課後に来るとは。

 すると来ヶ谷が僕の方に目を向ける。

 

「それよりそこの少年はなに顔を赤らめているのかね?お姉さんが全部脱ぐとでも勘違いしたか」

 

「いや、さっきまで胸元普通に見えてたからてっきり……。ていうかどう脱いだらそうなるんだよ……」

 

「ふむ、つまりお姉さんの胸元から目が離せなかったと」

 

「んなこと言ってねぇ……」

 

「有宇はスケベだな」

 

 僕と来ヶ谷のやり取りを見ていた鈴さんがボソリ。

 

「いや誤解だ!別に凝視してたわけじゃない!ただ体操服が胸元から見えてなかったから、飽くまで不自然じゃないのかっていうことで……」

 

「寄るな、エロス」

 

 鈴さんは容赦なく僕を罵倒する。

 クソッこんな屈辱初めてだ……!

 やっぱりこの女が来るとろくでもないな本当。

 

「で、どうするの恭介」

 

 僕が鈴さんになじられている間に、直枝さんが恭介に来ヶ谷を入れるかどうかの是非を問う。

 

「いいんじゃないか?さっきの教室での一件を見るに、運動神経の方は申し分なさそうだしな」

 

 恭介はあっさりOKを出す。

 こいつ、僕と神北小毬の時は面倒な入団テストなんぞやらせたくせに……。まぁ、運動神経に問題なさそうなのは僕自身一番理解しているけど、なんか納得いかん。

 

「本当にこいつ入れて大丈夫かよ。僕は反た……」

 

「ぶち殺すぞヘタレ小僧」

 

 来ヶ谷の鋭い眼光が僕に向けられる。

 

「……いする余地はないと思うな……」

 

 少しばかり抵抗を図ってみようと思ったが、やっぱこの女怖え……。

 僕の反抗は一瞬にして虚しく終わってしまった。

 なんかさっきから直枝さんが憐れみの眼差しを向けてくるし、鈴さんには変態扱いされるし、この女にはしてやられるし、今日は厄日だ。

 そして、僕以外のメンバー達もすっかり受け入れモードに入ってやがる。

 

「見事に見知った顔ばかりだが、まぁよろしく」

 

「あぁ、期待してるぞ」

 

「まぁ、恭介氏の期待に応える程度のことはやってのけてみせよう」

 

「ほう、俺の期待は相当だぜ?」

 

「なら、それ相応の仕事をするまでさ」

 

「そいつは楽しみだ」

 

 来ヶ谷と恭介の二人がニヤリと笑う。

 こいつら二人ともなんかできる男とできる女って感じだし、ウマが合うんだろうか。ある意味お似合いだな。絶対に相手にしたくはないけど。

 

「よろしくね〜!一緒に頑張ろう!」

 

「うむ、小毬くんは元気があってとってもよろしい」

 

 ゆるふわ系で来ヶ谷とは正反対の女、神北小毬もいつもと変わらない笑顔で来ヶ谷にそう挨拶を交した。

 

「して神北女史、メンバーはこれだけなのか?」

 

「えーと、私、直枝くん、鈴ちゃん、恭介さん、真人くん、有宇くんと………あと唯ちゃんの七人です」

 

「なんだ、まだ野球できるだけのメンバーすら集まってないんじゃないか。てっきり謙吾少年とあともう一人ぐらいいるものかと思っていたぞ。して、唯ちゃんとやらはどこにいるんだ?姿が見えないが」

 

 は?何言ってんだこいつ。唯なんて名前の奴、この場に一人しかいないだろ。

 

「ふぇ?ここに」

 

 すると神北小毬も僕同様首を傾げながら答え、来ヶ谷を指差した。

 

「ん?」

 

 すると来ヶ谷は後ろを振り返る。

 

「誰もいないぞ」

 

 あれ?こいつの名前唯湖じゃなかったっけ?僕の記憶違いか?

 しかし神北小毬は相も変わらず来ヶ谷を指差す。

 

「だから、来ヶ谷唯湖だから唯ちゃんなのです」

 

 神北小毬がそう言ってから数秒の間が流れる。

 

「なにっ!?唯ちゃんって私かっ!!」

 

「気づくのおそっ!?」

 

 思わずツッコミを入れてしまう。

 マジで呼ばれてる自覚なかったのかよ……。

 

「いや、今まで名前で呼ばれたことなどなかったから……ええい普通に反応できん!せめて来ヶ谷ちゃんと呼んでくれ!」

 

「語呂悪いな」

 

 名前ぐらいで何慌ててんだこいつ。ていうかその呼び名で呼ばれる方が普通嫌がるもんだろ……。

 

「ふぇ?だめ」

 

 そして案の定却下される。

 しかし来ヶ谷は引き下がらず、必死の抵抗を試みる。

 

「いや、だからその……そもそもその名で呼ばれることが好きじゃないんだっ!」

 

「なんで?」

 

「なんでって……なんでもだ。人の嫌がることは避けるべきというのは道徳観念の一つだと思うが?」

 

「そうかもしれないけど、名前は大事だよ?だって、名前って自分だけのものだよね。大切にしなきゃ」

 

「だかしかし……」

 

「それに好きじゃないなら好きになればいいんだよ。ほら、きっとみんなに呼んで貰えればきっと好きになれるよ」

 

「ゔゔっ……」

 

 あの来ヶ谷がたじたじになってやがる。

 やはりこの神北小毬という女には、ココアのような謎の説得力がある。ココアと似ている……というわけでもないんだが、妙に前向きなところ、優しく問いかけて人の心の隙間に入ってくるような説得力とか、鈴さんへの対応の仕方とか、そういう人間の本質的な面は似ているように思える。

 そしてそういう奴の前では、あの来ヶ谷唯湖でさえも太刀打ちできないとみえる。

 すると何をトチ狂ったか知らないが、来ヶ谷がいきなりこんなことをシャウトする。

 

「ええい!だったらこれから君のことはコマリマックスと呼ぶぞ!どうだ恥ずかしかろう!?」

 

「うん、別にいいよ〜」

 

 しかし敢え無く反撃されてしまう。

 

「えへへ、ちょっとカッコイイねそれ」

 

 しかも気に入られてしまっている。

 そして来ヶ谷は最後の手段に出る。

 

「だったら唯ちゃんって呼ばれても反応しないっ」

 

 そっぽ向いて来ヶ谷はそう答えた。

 子供じみた手段ではあるが、これが中々効果的だった。

 

「え〜唯ちゃん〜」

 

 無視

 

「唯ちゃん〜」

 

 無視

 

「……唯ちゃん」

 

 無視……って今ちょっと揺らいだな。

 しかし無視を貫き通す。

 

「むぅ〜」

 

 すると神北小毬が目頭に涙を浮かべる。

 なんだかんだ来ヶ谷の勝利(いや、何を勝負してるかは知らんが)で終わるかと思われたが、その直後だった。

 

「いいもん……無視されたって唯ちゃんって呼ぶもんっ!」

 

 上目遣いで放たれたその言葉は来ヶ谷にはグサリと刺さったようで、四つん這いになり、顔を赤らめ息を荒らげて喘いでいる。

 

「はぁ、はぁ……それヤバイだろ」

 

 何がやばいんだよ。どちらかというと今のお前のほうがやべえよ。

 

 結局来ヶ谷が屈服して、大人しく唯ちゃん呼びを受け入れ、この戦い? は神北小毬の勝利に終わった。いやだからなんの勝負だよ!?

 しかし、この女にもまさか名前呼びという弱点があったとはな。……これはいいことを知ったのでは?

 ふとそんな事を考えついた。これを使えばこの女をぎゃふんと言わせられるのではないかと。

 確かに僕のやるべきことは、こいつらと信頼関係を深めること……ではあるが、正直今日はこいつにしてやられてばかりなのでやはり仕返しがしたいのだ。しかもようやく弱点らしい弱点を見つけられたのだ。実行に移さない手はないだろ?

 そう考えると、早速僕は四つん這いになっている来ヶ谷の傍まで近づき、行動に移した。

 

「大丈夫ですか、()()()()先輩」

 

 下衆な笑みを浮かべ、出来る限り嫌味ったらしく言ってやった。

 今日こいつには酷い目に合わされたからな。その仕返しだ。ははっ、ざまあみろ。

 しかしこれが間違いだった。

 僕は一つ勘違いをしていたのだ。この名前呼びは飽くまで来ヶ谷を不快にさせる要因でしかなく、弱点などではないのだと。

 そしてこれを弱点として利用できるのは、彼女が怒りを向けることができない純粋な少女達だけなのだと。

 そして僕の予想に反して来ヶ谷は四つん這いのまま、僕の方をギロリと睨む。その目に宿る眼光はもはや敵意なんてものではない。これは────

 

「ほう……乙坂少年は血を見たいと」

 

 ────殺意である。

 

「えっ、いや……その」

 

「なら存分に見ていくといい───自らの血に染まった貴様の姿をな!」

 

 来ヶ谷は立ち上がると何処から取り出したのか模造刀を手に持ち、僕の方ににじり寄って来る。

 僕は震えながら後退る。

 

「な……直枝さん」

 

 震える声で直枝さんにSOSを求める。しかし直枝さん含め全員既に僕から距離を取っていた。

 そして遠くで直枝さんが右手を顔の真正面に立てて謝罪のポーズをしている。ああ……僕は見放されたのか。

 

「死ね」

 

 そしていつの間にかすぐ目の前まで来ていた来ヶ谷が、僕に向け刀を振り下ろした。

 

「うわぁぁぁぁ!!」

 

 僕の絶叫がグラウンド中に響き渡る。

 こうして、なんだかんだ来ヶ谷唯湖の入団が決まった……僕の血と引き換えに。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「……して、恭介氏、何故あのようなイレギュラーな存在をチームに招き入れたのかね」

 

 その日の練習を終えた後、来ヶ谷唯湖は恭介を部室裏に呼び出しそう問いかけた。

 

「……もうこの世界も長くない」

 

「ほう、それで」

 

「理樹はもう十分強くなったさ。だから後は鈴の番だ。それが終わればこの世界の役目も終える」

 

「それと彼はなんの関係がある」

 

「イレギュラーは排除せねばならない。だがあいつにはこの世界を乗っ取る意志はない。放っておいても大した障害にはならないさ。どうせ最後の繰り返しだ。多少は好きにさせてやってもいいだろ。それに……」

 

「それに?」

 

「俺も、いつまでも憎まれ役でいるのは辛いのさ」

 

 ニッと笑いかけると、恭介はそのままその場を去っていった。来ヶ谷は呼び止めはせず、ただ無邪気に走り去るその背中を目で追っていた。



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第36話、騒がし乙女の憂愁(前編)

大変遅くなりました。
平成が終わるまでには上げたかったんですが、中々モチベーションが上がらず、遅れてしまい申し訳ありません。
令和でもよろしくお願いします。


 昨日は酷い目にあった……。

 来ヶ谷の野郎……いつか絶対泣かす。

 今日は野球の朝練もなく、有宇は起きて着替えるとそのまま学食へ向かっていた。そして学食へ向かう途中、有宇は昨日の出来事を思い返していた。

 昨日の練習で来ヶ谷が新たにリトルバスターズに加入したわけだが、あの女が入ると本当ろくでもない事しか起きんな。

 あの後、あいつがどこからか持ち出した模造刀でボコボコに殴られた。大きな怪我こそないが、僕の二枚目の顔に痣ができてしまった。

 今は湿布が貼ってあるが、顔に湿布ってやっぱ目立つな……クラスの連中に変な目で見られなければいいのだが。

 クソッ顔に傷つけやがって……顔は僕の命だというのに。仕返ししてやりたいが、また殴られるのはゴメンだし、これ以上あの女と敵対して好感度を下げるのも信頼関係を築いていく上ではやっぱりなぁ……ああ、憂鬱だ。

 そして学食へ着き、朝食セットの食券を券売機で買う。それからコーヒーとバタートースト、サラダをおばちゃんから受取り、お盆を持って席を探す。

 

「おーい有宇」

 

 するといつもの席から直枝さんがこちらに手を振っていた。いつもの席というのはいつも直枝さん達五人のために学食の窓際の席が空けられてるのだとかなんだとか。そして今日は新たに一つ、空席が増えている。

 

「おはようございます直枝さん」

 

「おはよう。有宇もこの時間なんだ。てっきりもう食べ終わって教室にむかってるのかと」

 

「せっかく朝練がないので、まぁ」

 

「そうだね、もう少し寝ていたいよね」

 

 神北小毬ほどじゃないが、この人もいつも笑顔で優しいよな。

 笑顔保ってるの疲れないのか?そんなどうでもいいことが頭を過る。

 

「よう乙坂、昨日は散々だったな」

 

 それからムカつくぐらい爽やかないつまの澄まし顔を浮かべながら、棗恭介が挨拶を交わす。

 

「ああ、おかげさまでな。昨日は全員ちゃっかり逃げやがって。この薄情者どもめ」

 

 そう、昨日はこの棗恭介含め全員、僕が来ヶ谷に半殺しにされているところを誰も助けてくれなかったのだ。これぞ仲間の体たらくというやつだ。

 

「昨日は悪かったよ。でも有宇が来ヶ谷さんを怒らせるようなこと言ったのが原因だったから、弁明したくても弁明に入る余地がなかったし……」

 

「それは……」

 

「そうだぞ乙坂、人を撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけさ。踏まなくてもいい虎の尾を踏んだんだ。撃たれる覚悟ぐらいはしておくんだな。まっ、要は自業自得というわけだ」

 

「アホだな」

 

 クソッ、この兄妹。変なところで連携取りやがって……まぁその通りなんだが(鈴さんのはただの罵倒だが)。

 するといつの間にか側にいた真人がポンと僕の肩を叩いた。

 

「俺はわかるぜ乙坂。おめえも来ヶ谷(らいらいだに)にしてやられたんだもんな。俺もいつかまた対決する時が来たら、あいつに特訓の成果を見せてやりたいと思ってる」

 

「いや、まず誰だよ()()()()()()

 

「真人、今年のクラス発表の張り出しで、来ヶ谷さんの名前見て素でそう読んだんだよ」

 

「アホの極みだな」

 

 ほんと、こいつこの頭でよくこの学校入れたな。

 

「お前が乙坂か」

 

 有宇達がそんなやり取りをしていると、端の席にいた藍色の道着に袴という出で立ちの男が声をかけてきた。当然それが誰なのかなんていうのは有宇にはわかっていた。

 

「えっと、初めましてですよね。宮沢先輩」

 

 この男は宮沢謙吾。リトルバスターズの初期のメンバーのうちの一人だが、直枝さんから聞いた限りだと現時点においては野球には参加していないらしい。

 にしても、この世界でこうして直接顔を合わせるのは初めてになるが、キャンプ場であった時と大分雰囲気が違うようだ。

 向こうでのこいつは「マーン!」と意味不明な言葉を口にしながら竹刀の素振りをしており、筋肉ダルマとも仲良さげにしてたし、よく笑う男であった。

 しかし今のこいつは筋肉バカとよく喧嘩しているようだし、顔も険しく、それにクールぶった感じだ。

 唯一同じなのは相も変わらず道着を着ていることぐらいだろうか?だがあの時は着ていた妙なジャンパーは着ていないようだな。

 そして謙吾は有宇の方を見向きもしないまま口を開く。

 

「ああ、だが裏では好き放題言ってくれてるようだな。『バカ共』だとかな」

 

 素はバレてるだろうと思っていたが、そこまでバレてるのか。

 思わず有宇の体がギクッとビクつく。

 

「今のやりとりといい、どうやら恭介から聞いた通りの男のようだな。女子や自分より上だと思う他人に対してはヘコヘコと(へつら)い猫を被り、自分より下と思う人間には強く出る。まぁ、所詮は人数合わせか」

 

「あ゙っ?」

 

 謙吾の喧嘩腰の口調に有宇は憤りを覚えた。

 こいつ……好き放題言いやがって。

 

「理樹、メンバー集めが大変なのはわかるが、付き合う人間は選べよ。お前のためにならんからな」

 

「謙吾、そんな言い方って……」

 

 健吾の口にした言葉を、とっさに理樹は諌めようとする。

 すると有宇が静かに薄ら笑いを浮かべ口を開いた。

 

「付き合う人間は選べか。はっ、よく言うな。自分はそこの筋肉バカと喧嘩して直枝さんに散々迷惑かけてるくせに」

 

「……なに?」

 

「そういえば昨日もお前らの喧嘩のために恭介を呼びに行かされたっけか。自覚もなしに周りに迷惑振りまいてる奴がよくもまあ平然と抜かせるもんだな。厚顔無恥とはまさにこのことだ」

 

「貴様……」

 

「ちょっ、ちょっと待って二人とも!」

 

 有宇の言動に、謙吾は眉間にシワを寄せ、剣幕に満ちた表情を浮かべた。そして謙吾が席から立ち上がる瞬間、ヤバイと感じた理樹が止めに入る。

 

「二人とも落ち着いて。謙吾もほら席ついて。有宇もちょっと言い過ぎだよ。謙吾も有宇のこと悪く言っちゃダメだよ」

 

 謙吾は理樹に諭されると、大人しく席についた。しかし有宇はそのまま理樹達に背を向け歩き出す。

 

「ちょっと有宇、どこ行くの?」

 

「そこの万年道着野郎と一緒に飯なんか食えるか。向こうで食う」

 

 そう言い残すと有宇は理樹達から遠く離れた席へと移動してしまった。

 

「謙吾、なんであんなこと言ったのさ。有宇にバカって言われたのが嫌だったならそういえばいいじゃないか」

 

 有宇が去った後、理樹は謙吾が有宇に嫌味を言ったことを注意した。

 

「確かにあの男の年上に対する態度に関しては言いたいことが山程あるが、そこは別にどうだっていい」

 

「じゃあなんで……」

 

「……あの男が俺達の味方である保証がないからだ」

 

 理樹には謙吾の言ってることの意味が理解できなかった。

 味方である保証?どういうこと?

 僕たちがよく知らない人を入れるのが嫌ってこと?でも残りの野球のメンバーを集めるためにはそれは仕方ないことだし、謙吾だってそれはわかってるはずだ。

 寧ろメンバーが増えればメンバーが足りないからと野球に誘われずに済むし、部活で野球に参加できない謙吾にとっては悪い話ではない筈だ。

 だったらどうして謙吾はそこまで有宇を警戒するんだろう。

 そして謙吾はその言葉の意味を特に説明するでもなく席を立つ。

 

「俺はもう行く。理樹、あの男と野球をするだけなら別に構わんが、あまり深く関わろうとするな」

 

 そう言い残して謙吾は自分のトレイを持って去ってしまった。残された理樹はただ、煮え切らない謙吾の言動に得体のしれない不安を感じていた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 宮沢謙吾め……クソッ、ムカつく男だ。

 放課後、練習のためグラウンドへ向かおうと下駄箱に向かって歩いていた有宇は、今朝のことを未だに根に持っており、機嫌を損ねていた。

 ムカついたからいっそのこと能力で乗り移って素っ裸にひん剥いて、あの済まし顔を崩してやればよかった。

 しかしこれ以上の関係悪化は僕の今後にも差し支える。我慢したくはないがするしかない。

 にしても来ヶ谷唯湖に宮沢謙吾、こいつらと信頼なんて築けるものなのか?この二人とはどうも折が合わない。

 だいたい、仮に奴らに仲間と認めさせるだけの信頼を得られたところで、僕がこれから話す内容はあまりにもオカルト過ぎた話だからな。状況が状況だし、奥の手として僕の持つ特殊能力を披露して最悪認めさせるつもりではいるのだが、本当に信じてもらえるのか?

 あいつら頭良さそうだしな。この手のオカルト話はあまり乗ってこなさそうだし、やっぱこの計画は無理があるか?

 だが他に未来に帰る手立てはない。未来に帰れる保証も、そもそも奴ら全員を事故から救い出せる保証もないが、僕が思いつく限り可能性はこれしかないし、やるしかないんだよな……。

 たが、あいつらと上手くやっていける自身が微塵もないし……うん?なんか騒がしいな。

 すると目の前で、いかにも頭の良さそうな眼鏡男子二人が何やら騒いでいる。

 

「また逃したらしいぞ!」

 

「またかよ!?やばいな……委員長に知られる前に捕まえるぞ!」

 

 すると男子共はそのまま走り去って行った。

 何やら腕に腕章のようなものを付けていたが、何かの委員会か?

 逃したとか言っていたが、まるで怪盗に逃げられた刑事みたいなセリフだよな。なにかのトラブルが発生してるのは確かみたいだが、それにしたって一体なんの委員会なんだ?

 するとその時、有宇の足に何かコロンと転がり当たった。それを拾い上げて見てみると、それは綺麗なビー玉だった。

 

「ビー玉……?なんでこんなもんがこんなところに」

 

「いや〜駄菓子屋さんでビー玉貰ったらね、あんまりにも綺麗だからばら撒いてみたわけなんデスよ」

 

「そうか……って、は?」

 

 さり気なく自然に会話に入られたものだから、有宇は思わず驚いて背後を振り向いた。

 そして、そこには見知った変則ツインテールの女が立っていた。

 

「えっと……どちら様で?」

 

 一応ここでは初対面なので知らない体で接する。

 

「おおっと!?このはるちんを知らないとは君モグリだね」

 

「いや、一応ここの生徒だが……」

 

 この女、確かそう、三枝葉留佳だ。こいつだけやたらうざかったらよく覚えてる。

 来ヶ谷、謙吾といい、次はこいつかよ。マジ勘弁してくれ……。

 

「で、そのはるちん先輩がなんのようだ」

 

「あれ?年下なのになんか当たり強くない?」

 

 現状は理解してるつもりだが、こいつ相手に敬語は使いたくないと本能的にそう思ったのだ。

 

「まぁいっか。それでね、それ返して」

 

「それ?……ああ、ビー玉か」

 

 有宇は手に持っていたビー玉を三枝に返す。

 

「ありがと」

 

「ああ、それじゃ」

 

「あ、ちょっと待ってよ〜!」

 

 そのまま立ち去ろうとすると、後ろから三枝に呼び止められる。

 

「んだよ……」

 

「君の名前教えてよ。今度お礼してあげるから」

 

 いらん!と答えようと思ったが、敬語はともかくあまりつっけんどんにしてると今後に差し支えるか。

 ただでさえ来ヶ谷と謙吾相手にやらかしたばかりだしな。少しは友好的に接しないと流石にやばいか。

 

「一のB、乙坂有宇」

 

「有宇くんか。よろしくね」

 

「ああ、よろし……」

 

「くそっ、本当にどこに行ったんだ三枝め」

 

 よろしくと言いかけたとき、すぐ横の教室の扉が開き、またさっきの奴等と同じような腕章を腕に巻いた男子生徒が出てきた。

 そして三枝と男子生徒の目が合う。

 

「あ」

 

「……あぁぁーっ!?おい、三枝がいるぞ!捕まえろ!」

 

 男子生徒はそう叫ぶと、ポケットから笛を出しピーッ!と鳴らした。

 

「うわ〜連呼しないでよ。はずいじゃん」

 

「なんだ?何が起こってる?」

 

 事態が把握できない有宇はただただ戸惑うばかりであった。

 

「落ち着いて有宇くん、取り敢えず……」

 

「取り敢えず?」

 

「逃げる!!」

 

 そう言うと三枝は有宇の手を取り、そのまま有宇を連れて走り出した。

 

「待て待て待て待て!?なぜ僕まで逃げなきゃならん!?」

 

「一蓮托生!五里霧中!」

 

「答えになってねえよ!?」

 

「捕まったら大変なんだよ?お説教されるわお説教されるわで……とにかく大変なんだよ!!」

 

「だから待てって!まずなんで僕らが追われなきゃなら……!」

 

 その時有宇は先程三枝が口にしていたことを思い出した。

 

「……そういやお前、ビー玉ばら撒いたとか言ってたよな」

 

「うん」

 

「今追ってきてる奴等は何者だ……」

 

「風紀委員だよ。あいつらしつこいよ本当」

 

 風紀委員……?ああ、よく学園漫画とかにいる。実在したのか?いや、今はそんなことどうでもいい。

 

「ちなみにどこにばら撒いた……」

 

「さっきの場所だけど?」

 

「あの教室は……」

 

「風紀委員の委員会室だけど?」

 

 イラッ

 まさかとは思ってたがやっぱり……

 

「お前のせいじゃないか!!」

 

「一蓮托生!五里霧中!」

 

「いや僕を巻き込むんじゃねえよ!それにお前ただ迷ってるだけだろ!ていうか好きだなそれ!」

 

 クソッ、この女ナチュラルに巻き込みやがって……あとで覚えておけよ……。

 

『待てぇぇぇぇ!!三枝葉留佳!!』

 

 後ろを振り返ると、さっきよりも人数を増やした風紀委員が僕らを追っていた。

 やばいやばいやばいっ!こんなことで周りにマイナスイメージ振りまくとかゴメンだぞ。

 既に僕らが走り去って行くところを何人ものすれ違った生徒や、騒ぎを聞いて教室から顔を出す生徒達に目撃されている。こんな悪目立ちは僕の望むものではない!

 

「おい、手を離せ!お前の巻沿いとかこっちはゴメンだ!僕だけでも事情を話してなんとか誤解を解いてもらう!」

 

 奴等の目的はあくまでこの女だ。だからこの女が手を離してくれさえすれば、奴等はそのままこの女を追って行くことだろう。

 だが、一緒に捕まればその限りではない。一緒に捕まればこいつの仲間だと思われ、おそらく僕の言い分なんか聞いてくれなくなるだろう。

 だから今すぐにでも手を解いて、僕がこいつの仲間ではないことを説明する必要がある。

 しかしこの女相手にそう上手くいくはずなかった。

 

「一蓮托生!死なばもろとも!」

 

「このクソアマァ!!」

 

 完全に僕を道連れにする気満々じゃねえか!!何がお礼だよクソがぁ!!やっぱあの時立ち止まらずに立ち去ればよかったんだ!!

 そしてとうとう風紀委員達が僕らのすぐ後ろまで迫ってきていた。

 

「おい!追いつかれるぞ!」

 

「う〜ん仕方ないな。ここは忍びないけど……」

 

 そう言いながら三枝は自分の制服のポケットを弄り始めた。

 

「おい……なにしてる。まさか違うよな……やめろよ!?絶対やめろよ!?」

 

 嫌な予感しかしなかった。そして有宇のその予感は見事に的中した。

 

「秘技!ビー玉転がし!」

 

 ざあああ!!と撒かれた色とりどりのビー玉達は、じゃららら!!と音を立てて、追ってくる風紀委員達の足元に転がっていった。

 

「うわっ!?」

 

「きゃっ!?」

 

「なっなんだ!?」

 

 風紀委員達は三枝がばら撒いたビー玉に足を取られ転んでいた。

 しかも転んだ後、更にあのビー玉でいっぱいの廊下に背中から倒れるんだから凄い痛そうだ。現に後ろから倒れた風紀委員達の悲鳴が聞こえる。

 取り敢えずこの時点でもう言い逃れるのは無理そうだ。

 

「よし、じゃあ今のうちに戦闘離脱!」

 

 そしてひとまず僕らはその場を離れた。

 

 

 

「……はぁ、はぁ……」

 

 マジで疲れた。まさか練習前にこんな走らされるとは思わなかった。

 というより人に追いかけられるなんて、家出したばかりの頃、警察に追いかけられた時以来だな。こんな体験もう二度とゴメンだ。

 有宇と三枝はあれから裏庭まで走ってきてようやく立ち止まった。

 

「ふ〜。いや〜ここまで来れば大丈夫だね。うん」

 

 一方こいつの方は結構余裕そうだ。慣れというやつだろうか?

 もしかしなくてもだが、いつもこんなことやってるのかこいつ。元々おかしい奴だと思っていたが、どうやらそれ以上の問題児のようだな。

 

「お前のせいで酷い目にあった……これ後で呼び出しくらったりしないだろうな」

 

 これで呼び出しくらったりなんかしたら逃げた意味がないし、余計に怒られるし、本当に徒労になってしまう。

 

「心配ご無用No problem!多分呼び出されるのは私だけだと思うよ」

 

「ならいいが……」

 

「まぁ、逆にいえば、君が逃げる必要もなかったわけだけどね♪にゃはは」

 

 イラッ

 さっきまで堪えていたがもう我慢の限界だ。

 

「誰のせいだと思ってんだ誰の!!」

 

 有宇は三枝に思い切りコブラツイストをかける。

 

「ギッ……ギブギブギブ!!ゴメンゴメンって!お詫びに何か奢るから」

 

「奢るって何を」

 

 取り敢えず有宇はコブラツイストを解く。

 すると解放された三枝は、トコトコと自販機の前まで行く。どうやら普通にジュースを奢ってくれるようだ。

 そして三枝は自販機のジュースを指差して言う。

 

「うーん、コレなんてどう?グリーンポーション!!解毒剤みたいな色してて健康に良さそうデスよ」

 

「青汁と書いてあるように見えるんだが……?」

 

「ならこっちはどうだ!レッドポーション!!体力回復しそうデスよ」

 

「紅生姜と書いてあるんだが……」

 

 ジュース一本奢るのも普通にできないのかこの女は……。

 というよりこの学校は、なんでこんなイロモノ自販機で売ってるんだよ。

 

「ていうか僕に選ばせろよ。お前が選ぶものなんてろくなもんじゃ……」

 

「えい」

 

 ピッ、ガコン

 

「っておい!?」

 

 有宇が自分に選ばせるように言う前に、三枝はボタンを押してしまった。

 そして三枝はその正体不明のジュースの缶を有宇の手に握らせる。

 

「ふーっ、はるちんいい仕事した」

 

 三枝は有宇にジュースを渡すと、満面の笑みで汗を拭う仕草をする。

 そして有宇は渡されたジュースを見る。そこには味噌カツジュースと書いてあった。

 

「……これを僕に飲めと?」

 

「飲まないんデスか?」

 

「飲めるかぁぁぁ!!」

 

 有宇は手に持った味噌カツジュースの缶をその場に叩きつける。

 

「クソッ、こいつの礼なんかに期待した僕がバカだった……」

 

「アハハ、何事も期待し過ぎはよくありませんヨ」

 

 小馬鹿にするように笑いながら三枝が言う。

 またイラッとしたので、もう一度コブラツイストでもかけてやろうかと思ったその時だった。

 

「相変わらず騒がしいわね」

 

 僕達の前に一人の女子生徒が立ちはだかった。

 よく見るとその女子生徒は腕に腕章をつけており、風紀委員と書いてあるところからさっきの奴等と同じく風紀委員、いや他の部員と雰囲気が違う。もしかしなくてもこの女が風紀委員の委員長か?

 

厄介者(トラブルメーカー)

 

 長い長髪をなびかせ、その女は一言そう言った。それが誰に向けられた言葉かなんてことはわかりきっている。

 言葉を向けられたその相手はというと、てっきりさっきまでのように笑いながら誤魔化すのかと思っていたのだが、眉にシワを寄せ、表情も暗く俯き、先程までのヘラヘラした態度が嘘のように暗澹(あんたん)とした雰囲気であった。

 そして僕もまた、三枝を睨みつけるように見つめるこの女の目付きから敵意……いや、悪意のようなものを感じた。

 だが、それと同時にある事にも気付く。

 しかしその事について僕が聞こうとする前に、女は三枝に向け言い放つ。

 

「またつまらない事をしているのね貴方は。第一に時間を無駄にしている。第二に気力を浪費している。第三に努力を間違えてる」

 

「……そんなの、私の勝手だもん」

 

 三枝もなんとか必死の抵抗を試みる。

 だが……。

 

「図星だから開き直ることしかできないんでしょ?心配される内が華よ、三枝葉留佳」

 

 女がそう言うと、三枝が歯をグッと噛み締めたのが僕にもわかった。

 うわっ……すげえ気まずい……。

 ぶっちゃけ十ゼロぐらいで三枝(こいつ)が悪いわけだし、口を挟むべきではないと思ったんだが、これは……。

 あまりにも居た堪れないと感じた有宇は、流石に止めに入った方がいいと判断し、渋々二人の仲裁に入る。

 

「えっと、まぁ二人とも落ち着けよ。お互い立場があるんだろうけど、姉妹で喧嘩なんて……」

 

「姉妹!?」

 

 僕が姉妹と言った瞬間、鋭い目つきで女が僕を睨んだ。

 えっ違うのか……?

 有宇は女の反応に困惑した。

 髪型は違うが顔がよく似ているし、同じ髪飾りを付けているもんだからてっきり姉妹なのかと思ったのだが違ったみたいだな……。

 本当に姉妹かどうかやはり一度聞くべきだったか。何事も憶測で考えちゃいかんな。

 にしてもこの女おっかねえな……。来ヶ谷やリゼとはまた違ったおっかなさだ。あいつらのは命の危険に対するものだが、この女の場合、こちらの言いたいことすら黙らせてしまう、周りの空気を凍らせるようなプレッシャーがある。

 すると女は僕から三枝の方へと視線を移す。

 

「……まさか貴方、喋ったの?」

 

「知らないよ。さっき会ったばっかだし」

 

 三枝もテンション低めの声のまま否定する。

 そして女はまた僕の方を睨みつける。

 

「貴方、何を根拠に私達が姉妹だと思ったわけ?ただの嫌がらせと言うなら……」

 

「いやいや違うって!?なんとなく二人とも顔似てるし、あと……そう!同じ髪飾りなんて付けてるからてっきり姉妹なのかと……」

 

 僕がそう言い終わると、女は「はぁ」とため息を吐く。それから再び鋭い目つきで僕を睨みつける。

 

「こんな安物の髪飾りなんてそこら辺でいくらでも売ってるし、誰かが同じ髪飾りを付けてたっておかしくないわ。それに、私の名前は二木佳奈多。そこにいるのは三枝葉留佳。これでわかるでしょ」

 

「あ、ああ……」

 

 女はどうやら自分は三枝葉留佳とは姉妹なんかじゃないと言いたかったようだ。

 確かに姉妹だったら名字が違うのは変だし、その通りかもしれない。だが、それだったらさっきの反応は……?

 すると二木と名乗る女は僕にむけ尋ねる。

 

「貴方、名前は」

 

「は?」

 

「名前はなんていうのか聞いてるんだけど」

 

 クソッ、さっきからこの女偉そうだな。ビジュアルも悪くないし、才色兼備っぽいところは僕好みだが、偉そうなところが気に食わん。

 取り敢えず質問には答える。

 

「乙坂有宇だが……」

 

「三枝葉留佳とはどういう関係?」

 

「行きずりの関係だ。ってさっき三枝(こいつ)が言ってたろ」

 

「年上への口の聞き方がなってないようね。まぁいいわ。でも、これだけは言っておくわ。三枝葉留佳といるだけで内申に響くから止めておきなさい」

 

「……内申……」

 

 有宇は二木が言ったその言葉がやけに引っかかった。

 かつての僕にとって、内申というのはそれはそれは大事なものだった。

 中学の成績なんてのは高校の成績と違って内申が大きく影響する。カンニングでただ良い成績を取ればいいわけじゃない。教師からの心象も良くなければ高い成績は貰えない。なんならテストの点よりそっちを重要視する馬鹿教師もいたぐらいだ。

 僕はレベルの高い高校に入るために必死になった。能力を手にする前までの成績は中の下だったし、レベルの高い。高校の推薦を手に入れるために、それまでの成績から巻き返すためには僕の成績は五以外はあり得なかった。

 教師の手伝いは積極的にやったし、クラスの奴等にも外面を良くして担任の印象を良くした。陽野森に行くのが当然と言わんばかりの人物像を必死こいて作り上げた。

 ほんと笑えたよ。成績は本当は僕なんかより良い筈の人間が、少し教師の反感を買っただけで点数を落とされていく様を見るのは。

 僕みたいな上っ面だけのカンニング魔を見抜けないで何が内申だ。最もそんな当てにならないものを当てにするバカな大人がいるおかげで僕みたいなのが這い上がれるわけなんだがな。

 間違っているとわかっていてもそれが現実。そう思っていた。

 だが───

 

『上にあがれなくたっていいじゃん。認められなくたっていいじゃん。頭が良くなきゃ認めてくれない人なんかに、有宇くんが振り回される必要なんかないんだよ』

 

 心愛(おまえ)はそう言ったな。作られた自分なんかに意味がないと。そんなものでしか人を認めることができない人間なんかに振り回される必要はないと。

 ああ、そうだ。だから僕はこう答えるべきなんだろう。

 

「……悪いが、そんなくだらないもんに振り回されるほど、僕の人生は安くないんでな」

 

「へぇ、内申より三枝葉留佳を取ると」

 

「まさか。あんたに言われるまでもなくこの女とは距離を置きたいと思っていたところだ。ただ、内申なんてもんじゃこの僕は脅せないと言いたいだけだ」

 

 有宇がそう答えると、二木は僕をあざ笑うかのような笑みを浮かべる。

 

「バカね、今はそう言ってられるのかもしれないけどね。将来後悔するのはあなたよ。今はその重要さがわからなくてもね」

 

 そうだな。僕もそう思ってたさ。だが───

 

「言われるまでもなく後悔なら痛いほどしたさ。信頼なんてもんは、日々どんなに周りの顔色伺って築いていっても、崩れるときは一瞬なんだってな。僕に言わせりゃ、風紀だなんだ言ってそんな脆いものの為に必死になってるあんたの方が見てて哀れだ」

 

 有宇もまた二木がしたように嘲笑し、そして、内申に踊らされていたかつての自分を相手にするかのように言葉を吐き捨てた。

 すると、二木の顔付きが険しくなる。歯を食いしばり、腕を振るわせ、静かに有宇に対する怒りを顕にしていた。

 そして怒りを絞り出すかのように有宇に向け言う。

 

「……貴方に……何がわかる」

 

「は?」

 

「貴方に私の何がわかるっ!!」

 

 感情のままに吐き出されたその言葉の圧力に、思わず有宇も気圧される。

 それから二木はすぐに自分が感情的になっていた事にハッと気づき、そのままバッと有宇達に背を向け歩き去って行ってしまった。

 

「なんだよ……喧嘩売ってきたのはそっちだろ……」

 

 二木が去ったその場には気まずい雰囲気が流れた。

 有宇はなんとか沈黙を破ろうと、さっきから黙り込んでいる三枝に話しかける。

 

「なぁ、結局あの女は何なんだよ」

 

「……風紀委員長だよ。凄腕の風紀委員で、教師からも他の風紀委員達からも信頼されてる」

 

 やはり風紀委員長だったのか。するとこいつとはまさに水と油というわけか。

 にしても風紀委員に喧嘩を売ってしまったわけだが、まずかっただろうか……いや、まずくないわけないよな。見たところこの学園内ではかなり力強いみたいだしな。

 本来僕はここの生徒ではないわけだし、内申なんかは問題ではない。いかに成績が良かろうが悪かろうが、そこは重要ではない。

 だが、僕はこの世界をうまく渡り歩いていかなきゃならない。あいつらはその中で最大の障害になりそうだ。あの女は気に入らないが、衝突はできるだけ避けないようにしないと……ってもう手遅れか。

 はぁ、ココア達と過ごすようになってからボロ出やすくなってきたからな。僕も外面良くするの下手になったよな、本当。素でいることに慣れるのも良いことばかりではないな。

 既に来ヶ谷と謙吾との仲は最悪だし、少し巻き返さないとまずいよな……。

 有宇はこれからの事を考えて頭を悩ませる。すると三枝が有宇に声をかける。

 

「ねぇ」

 

「あ?なんだよ」

 

「どうしてあんなこと言ったの」

 

「あんなことって?」

 

「だって、余計なこと言わなきゃあいつに目付けられないで済んだのに、なんであんな事言ったの?私のため?」

 

「バカ言うな。誰がお前なんかの為にんなことするかよ」

 

「じゃあ、なんで……」

 

 なんでって……それは……。

 

「……あそこで頷いたら、僕は何も変わらなかったことになる」

 

「え?」

 

「いや、何でもない。単にあの女が気に入らなかっただけだ。女のくせに偉そうだしな」

 

 変化の証明。僕があそこで二木佳奈多に食って掛かったのはそれが一番の理由だろう。

 周りの評価のために人との付き合いを考え、時に突き放し、時に蹴落としさえする。もうそういうのはやめにしたんだ。

 少なくともココアだったら、自分の損得で人付き合いを考えたりはしないし、まして自分の評価のために誰かとの付き合いをやめたり蹴落としたりなんてことはしないだろう。

 あいつのようになりたい……というわけではないが、周りがどうとかではなく、自分がどうしたいかを考えたあいつの態度や行動理念は見習いたいと思っている。

 それに、自分を偽り、他人を欺くことで評価を得ることは正当なことだと頷くということは、僕を素直に受け入れてくれたあいつらへの裏切りにもなる。そんな風にも思えたのだ。

 最も、それを話したところでこいつには理解できないだろうし、いちいち説明したくもないし、敢えて話はしないがな。

 

「アッハハハハ!!おっかし〜!そんな理由であいつに喧嘩売ったんだ」

 

 すると、有宇の答えを聞いた三枝が突然声を大にして笑い出した。

 

「何がおかしい」

 

「だってさ、あいつのこと怖くないの?みんなあいつのこと恐れてるのにさ」

 

「? 何故僕が女なんぞを恐れなきゃならんのだ?」

 

 確かにあいつの放つ妙なプレッシャーに一瞬たじろぎはしたが、その程度で屈する僕じゃない。

 この僕が恐れる女なんて銃持ったリゼか来ヶ谷ぐらいなもんだろう。あとそうだな、恐れているわけではないが、星ノ海学園の友利もただの女とはいえない何かを感じる。

 そして有宇の答えを聞くと、三枝はまたクスクス笑いだした。

 

「いや〜君変わってるね」

 

「お前には言われたくない」

 

「え〜釣れないぞガイズ〜♪」

 

 どうやらいつものこいつに戻ったようだな。

 やかましい女ではあるが、あんな顔で黙り込んでいるのは正直もう見たくない。

 取り敢えず気まずい雰囲気は払拭出来たようだと有宇は取り敢えず安堵する。

 すると三枝が頭の後ろに腕を組みながら言う。

 

「まぁでも、なんだかんだまた助けられちゃいましたし、お礼しなくちゃね〜」

 

「味噌カツジュースならもういらんぞ」

 

「大丈夫ですヨ、今度はちゃんとお礼するから」

 

「さっきはちゃんとしてなかったのかよ!」

 

 この女ぁ……やはりこいつとは今すぐにでも縁を切ってやりたい。

 そして三枝はそのまま頭の後ろで腕を組んだまま、有宇への礼を考え始めた。

 

「そうだなーんーじゃあはるちんの髪留め上げるよ」

 

 そう言いながら三枝は自分の変速ツインテールの上の短い方を結ぶピンクの丸い髪留めを指差す。

 

「いらん」

 

「付けたら似合うかもよ?」

 

「誰がつけるか!」

 

 やはりろくなお返しか期待できないなこいつからは。

 すると三枝は「あっ、じゃあ……」と続ける。

 

「はるちんが一つだけ有宇くんのお願いを叶えてしんぜよう。あ、エッチなのはダメですよ」

 

「安心しろ。誰もお前にそんなことは求めてない」

 

 有宇がそう答えると「何をー!このはるちんのナイスバディが目に入らぬかー!」と三枝は憤慨していたが、有宇は当然のごとくスルーした。

 にしても一つだけ言うこと聞かせられるってことか。僕に逆らわないようにするとか、僕を巻き込むなとか、言い聞かせたいことは山ほどあるが、さて、どうしたものかな……あっそうだ。

 いい事を思いついたのだが、それに先手を打つように三枝が付け足す。

 

「あ、これからずっと俺の言うことを聞けとかそういうのもなしね」

 

「ちっ」

 

 やはり駄目か。まぁ、でなきゃ一つと決めた意味がないしな。

 しかしだとすると一体何をしてもらうか。よく考えるとこいつにとって悪印象になる命令だと、今後に差し支えるな。要は無理に遠ざけようとするとこいつからの印象が悪くなるということだ。悪くはならなくとも良くもならない。せっかく今こいつの僕に対する評価は悪くないようだし、この調子を保っていきたい。

 じゃあどうするか。この際当たり障りのない感じで────

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「というわけで僕直々にメンバー集めに尽力してやった。感謝しろ」

 

 放課後のグラウンド、練習を中断し遅れてきた有宇の周りに集まるリトルバスターズの面々の視線は有宇の隣にいる女生徒に注がれた。「こいつなんでこんな偉そうなんだ?」と鈴が愚痴り、真人にいたっては何やら有宇に対して不満気である。

 

「あのなぁ乙坂、確かにうちは今人手が足りてねぇがな……少なくともこんな役立たずまで連れてくるこたぁねぇだろうが!!」

 

 そう言って真人は皆から視線を集める女子生徒───三枝葉留佳を指差した。

 その反応を受けて有宇は側にいた理樹に耳打ちする。

 

「直枝さん、こいつ何やらかしたんですか?」

 

「三枝さん、よくうちの教室に遊びに来ててね。そのたびに色々と……ね?」

 

 ああ、こいつ、風紀員だけじゃなくて他でも同じようなことやらかしてるのか。そりゃ筋肉バカでなくてもこんな反応になるよな。

 やはり僕ではなく直枝さんに誘わせて穏便に仲間に入れた方がよかったのではないかと有宇は若干後悔した。

 

「にしても有宇、三枝さんと知り合いだったの?」

 

「いや、さっきこいつの騒動に巻き込まれてきただけで……」

 

「アハハ、ヤクタタズゥー!」

 

「三枝!俺を指差してんじゃねぇっ!」

 

 有宇と理樹が話している間も三枝は真人に向かって笑いながら喧嘩を売っている最中だった。

 三枝のお礼に一つだけ言うことを聞いてもらえるということだったが、有宇は三枝にリトルバスターズに入ってもらうことにしたのだ。

 本来なら直枝さん辺りが三枝を誘っていたのだろうけど、直枝さんの相手は鈴さんだし、二人の出会いはそこまで重要ではないだろう。そうなると三枝に頼める当たり障りのない願い事として叶えてもらっても問題ないだろう。

 そんな思惑から有宇は三枝をリトルバスターズに勧誘したのだった。

 

「取り敢えず、いつもの入団テストをやるんだろう、恭介」

 

 このままこの場を放っておいても埒が明かないので、リーダーの恭介に判断を仰ぐ。

 

「乙坂、特技はあるのかこいつに」

 

「知らん。おい、何か特技はないのか?」

 

 有宇はいつの間にか真人をからかうのをやめてグラウンドにしゃがみこんでいる三枝に尋ねる。

 すると彼女は有宇の質問に答えるでもなく、グラウンドに誰かが脱ぎ捨てたグローブを鼻先に持っていた。

 

「青春の匂いだ〜」

 

「合格っ!!」

 

「だから早ぇよ!?」

 

 以前の神北よろしく、速攻で恭介は入団を受け入れてしまった。

 

「もうぶっちゃけ誰でもいいだろ」と鈴さんがぼやく。すると恭介も「ぶっちゃけるな、鈴」と答える。

 ぶっ……ぶっちゃけやがった。誰でもよかったなら僕の入団のときのあれは何だったんだよ。

 

「と、取り敢えずキャッチボールしようか、三枝さん」

 

 話を切り替えて早速理樹が三枝の実力を見ようとキャッチボールを提案する。

 すると三枝は手に持ってたグローブを放って、素手のまま両手を前に構えた。

 

「……念の為だけど、ボールはグローブで取るんだよ」

 

「おおっ、そうか」と言うと三枝は投げ捨てたグローブを拾い上げ、左手にはめる。

 

「どこ当てると十点?」

 

「ストラックアウトじゃないよ!?恭介もなにベニヤ板にコンパスで円を描いてるのさっ!的当てでもないよっ!」

 

 すると恭介が「ちっ……」と言いながらベニヤ板を下ろす。

 やっぱ直枝さんいるとツッコミ楽だな。

 この様子を見て有宇はふとそんな感想を抱いた。

 

「そうじゃなくて、普通にこう、ボールを投げ合うんだよ」

 

「おお、つまりキャッチボールをすればいいんだねっ。初めからそう言ってくれればいいのに理樹くんったら〜」

 

「いや最初に言ったんだけど……」

 

 本当にこの女は人の話を聞かないな。

 直枝さんもこの女を相手するのは大変そうだ。まぁ、面倒なので手伝いはしないが。

 

「んーっ」

 

 改めてキャッチボールが始まった。すると三枝は右腕をぐるぐる回し始めた。

 

「ほい」

 

 ひょろ〜ん。ぽすん

 そしてハエが止まりそうな球を直枝さんに放った。

 こいつ、キャンプ場での試合でも目立った活躍はしてなかったとは思ってたが、ここまで肩が弱いとは思わなかったな。女子とはいえ、ここまで弱いもんだろうか。神北小毬ほどではないが、これじゃあまり戦力にはならなさそうだな。

 三枝の様子を見て有宇がそんなことを思っていると、恭介が三枝に言う。

 

「えーと、三枝だったか」

 

「んー、あ、はい。確か鈴ちゃんのお兄さんの……棗先輩?」

 

「なんだか投げ辛そうだな」

 

「はい、ちょっとだけですけど」

 

 それを聞くと恭介は「ちょっと待ってろ」と言い残して野球部の部室の中へと入っていた。しばらくしてグローブを持って出てくると、「ほれ、三枝」と言って三枝に持ってきたグローブを投げ渡す。

 

「わっ……っと、とと」

 

「そいつをはめてみろ……右手にな」

 

「了解でーす」

 

 そして三枝は恭介に言われた通り、渡されたグローブを右手にはめる。それからパスパス、と左手をグローブにぶつけている。

 

「おっ、バッチリ指が入るよ」

 

「お前がさっき使ってたグローブは右利き用。つまり左手にはめる。そして今はめているのはその逆、つまり左利き用。三枝は左利きなんだな」

 

「うん、そうだよ……じゃなくって、そうですよ、棗先輩」

 

 それから改めてキャッチボールをすると、三枝の投げる球速が、さっきと比べると断然に上がっていた。

 恭介のやつ、一球投げただけで三枝が左利きであることを見抜いたのか。一度こいつと試合をした僕でも女子の投げる球だからと高を括って見抜けなかったというのに。

 やはりこの男はバカそうに見えるが油断ならん男だな。来ヶ谷同様敵にはしたくないタイプだ。

 

「左利きの選手か。これは戦力だな」

 

 恭介がそう頷くと、突然どこからともなく『ちゃららららーん』とファンファーレが鳴った。

 

「三枝葉留佳は役立たずからジョブチェンジした!」

 

「なんか華麗にジョブチェンジされたーっ!?」

 

 役立たずと思っていた三枝が戦力になりそうだということで、真人ががっくりと膝をついた。

 

「ふっふっふ〜、真人くん、私はもう役立たずなどではないのですヨっ!」

 

 項垂れる真人相手に三枝は、手を腰に当て、胸を張り態度を大きくする。すると理樹がまだ何かあるようで三枝に尋ねる。

 

「……三枝さん、因みにボールが飛んできた後はどうすればいいか知ってる?」

 

「え?打った人に当てればいいんでしょ?こうやって」

 

 ぶん。ゴスッ!

 

「ぐぉぅ……」

 

 何をトチ狂ったかしらないが、三枝は突然手に持ったボールを思いっきり真人の股間に投げつけた。そして真人は声にもならない悲痛の叫びを上げた。

 

「違うの?」

 

「全然違うよ!ああっ真人!!」

 

 理樹は股間を抑えて倒れ込む真人に駆け寄った。

 

「……取り敢えず三枝は外野の守備な」

 

「アイアイサ〜」

 

 こうして、真人の悲痛な叫びとともに、三枝葉留佳がリトルバスターズの仲間入りを果たしたのだった。

 



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第36話、騒がし乙女の憂愁(後編)

 三枝葉留佳がメンバーに加わった翌日の朝のことだった。有宇は自分の教室へ向かう途中で理樹からの連絡を受けて、理樹のクラスである二年E組の教室へと赴いた。

 教室に着くと、有宇は近くにいる二年に声を掛けて理樹を呼んでもらう。それからすぐに理樹が教室から出てきた。

 

「あ、有宇。ごめん朝早くに」

 

「いえ、別にいいですけどなんのようですか?」

 

 有宇がそう聞くと、理樹は言い辛そうに苦笑いを浮かべる。

 

「その……気を悪くしないで聞いてほしいんだけど、朝うちの教室に黒板消し仕掛けたりしてないよね?」

 

「はぁ?」

 

 黒板消し?なんの事だ?

 

「今朝、うちの教室のドアに黒板消しが挟まってて。しかもドアの近くに水の入ったバケツも置いてあったんだ」

 

「それが僕のせいだと?」

 

「違う……よね?」

 

「んなことするわけ無いだろ……」

 

「だよね……」

 

 僕がそんな陳腐なイタズラするわけ無いだろ。ていうかそういう事する奴だって思われてたのか?地味にショックなんだが……。

 

「で、それで誰か引っかかったんですか?」

 

「あーうん、えっと……」

 

 そう言って理樹が教室の方へと視線を移す。視線の方向には誰かと何か言い争いをしている真人の姿があった。

 

「なんだ、またあのバカか」

 

「ううん、そっちじゃなくて……」

 

 そう言って理樹が指を指す。指を指した方向にいたのは、真人と何か言い争っている宮沢謙吾であった。

 その姿は珍しく、普段の道着姿ではなく、学校指定の制服姿だ。いつもと違う格好をしていたものだから気付かなかった。

 するとこちらに気付いたのか、謙吾が真人と共に有宇達のもとに近づいてきた。

 そして有宇を一瞥すると、謙吾は理樹に声をかける。

 

「どうだった、理樹」

 

「違うよ謙吾。今聞いてみたけどやってないって。やっぱ昨日の喧嘩ぐらいでそんなことしないって」

 

 理樹がそう答えると、未だに信用していないのか、謙吾は有宇を睨みつける。

 どうやら僕を疑っていたのは直枝さんじゃなくて謙吾の方みたいだな。昨日のことで僕が逆恨みしてやったと思われたようだ。

 疑われたままなのも癪だし、誤解は解いておくか。

 

「あのなぁ、僕がやるわけ無いだろ。仮に僕がお前に仕返ししようと考えていたとしても、教室に一番でお前が来るって保証もないのにそんなもん仕掛ける意味ないだろうが」

 

 有宇がそう言うと、謙吾もようやく疑いを解いたのか、有宇を睨むのをやめた。

 すると一緒にやって来た真人が、一連の様子を見て愚痴を漏らす。

 

「全くよぉ、謙吾ちんは疑い深くて困っちまうぜ」

 

「なんだ、お前も疑われたのか」

 

「ああ、それで道着の洗濯手伝わされたから、ムカついて頭から洗剤ぶっかけてやったけどな」

 

「そのせいでジャージも洗う羽目になったんだろうがっ!!」

 

 謙吾が突然激昂する。なんかさっきからこいつやけに機嫌悪いな。いつもクールぶってるくせに、今は体裁とかお構いなしにキレ散らかしてやがる。

 そんなに水に濡れたのが嫌だったのか?いやまぁ僕も同じことやられたらたぶんかなり苛つくだろうけどさ。

 なんかよくわからんが関係も少しは改善したいところだし、フォローしておくか。

 

「まぁ、でも制服姿も似合うんじゃないか、うん。……どことなくなんかホモ臭いけど」

 

 つい思ったことを最後にボソリと呟いてしまう。

 それを聞いてしまった謙吾は体をワナワナと震わせ、拳を固めている。

 

「貴様ぁ……人が気にしていることを……!」

 

「えっ、気にしてたのか?」

 

「ああ、俺が制服を着ると違う気がある男に見られるんだ……クソッ」

 

 ああ、制服を着るのが嫌だったからそんなにキレてたのか……。そういえばどうしていつも剣道着姿なのかと疑問に思っていたが、そういう理由からだったんだな。

 そしてよく見ると、教室の一角で数名の女子生徒が謙吾を遠目に見つめながら色めき立っている。「宮沢くん×直枝くん」「いえ、宮沢くん×あの一年生くんも捨てがたい」「棗先輩もいいよね」などと微かに聞こえるところから考えるに、制服の謙吾はそういう目で見られてしまうということなんだろう。

 どうやらフォローしようとして逆に墓穴を掘ってしまったらしい。まぁ、もう面倒なのでどうでもいいか。次に活かそう、うん。

 謙吾をフォローすることを諦めた有宇は、いたずらを仕掛けた犯人のことに頭を切り替える。

 にしても誰がこんな陳腐なイタズラを仕掛けたんだ?仕掛けは教室に一番に入った奴しか引っ掛からないものだし、謙吾が今日早くに教室に来たのも偶然だしな。とするとおそらくは謙吾を狙ったものではなく、無差別犯である可能性が高い。こんな意味のないこと、一体誰が……。

 するとその瞬間、不意にそいつは現れた。

 

「やーやー皆さん、おはようさん。およっ、有宇くんもいるじゃん。おはよーおはよー」

 

 いつの間にか僕らの背後に三枝葉留佳が立っていた。

 そして一番に直枝さんが声をかける。

 

「三枝さん、もうすぐ授業始まるけど教室行かなくていいの?」

 

「休みだからいいのいいの」

 

「休み?先生お休みなの?」

 

「んーつまりなんだ、ぶっちゃけ自主休校?」

 

「ちゃんと授業出なよ……」

 

 こいつ、風紀員へのちょっかいだけじゃなく、サボりとかもやってんのか。本当に如何しようも無い女だな。

 すると今の会話を聞いていたのか、教室の中から男子生徒達が口々に「相変わらず成績のことを考えない恐ろしい女だせ、三枝」「井ノ原並みだな……」などと言う。

 それを聞くと、当の二人は笑みを綻ばせた。

 

「あ、私褒められた?褒められた?」

 

「マジかよ、へっ、照れるな」

 

 二人揃ってアホ丸出しだな。時々こいつらと仲間という事実を頭から消したくなる。

 ていうか、そもそもこの女は何しに来たんだ?どうやら今の話の流れからしてこいつ、直枝さん達とはクラス違うようだし、授業もサボる気でいたならなんでわざわざ登校してまでこの教室にやって来たんだ。

 

「で、結局お前は何しに来たんだよ」

 

 理由を聞くべく、有宇は三枝を問い質す。すると三枝は胸を張ってふんぞり返る。

 

「うむ、よくぞ聞いてくれました。実はここの今朝の様子はどうだったかなーって」

 

 んっ?今朝の様子?

 おいっ、それってまさか……。

 

「お前かぁ!!あのような下らぬ真似をしたのは!!おかげで朝から剣道着を選択する羽目になっただろうが!!」

 

 三枝の発言を聞いて、謙吾が激昂する。しかし三枝に動じる様子は見られない。

 

「およっ、謙吾くん。なんか珍しい格好してるね」

 

「ああ、お前のせいでこの様だ……何だこの格好は、わけがわからん」

 

「いや、普段の道着姿の方がわけわからねえよ」

 

 思わずツッコミを入れてしまう。

 というかいつも道着でいて誰も注意しないのだろうか。謙吾に限らず真人も上は赤シャツに学ランを改造した短ラン、下はジーパンという格好だし、来ヶ谷も制服こそ着てるが胸のリボンを外して胸の谷間を露出させているし、風紀員なり教師なりもう少し生徒の格好注意しろよ……。

 そしてキレたのは何も謙吾だけじゃない。

 

「謙吾だけじゃないぜ。俺も、そしてそこの乙坂も、こいつに濡れ衣かけられて迷惑したんだぞ三枝っ!!」

 

 真人がそう言うと、大男二人は三枝に詰め寄った。普通こいつら二人に詰め寄られたら大概の奴はビビるとおもうんだが、この女に関しては全くもってビビる様子がなかった。

 

「いやー実は昨日仕掛けの実験をしようと思って設置したんだけど、誰も来ないから飽きちゃってさ〜。放置して帰っちゃったのですヨ。にゃはは、メンゴメンゴ」

 

「メンゴメンゴじゃねぇよっ!」

 

「見ろっこの無様な姿を!どうだ、そんなに滑稽か、楽しいか!」

 

 三枝の反省の色ゼロの謝罪を受けて二人が再びブチ切れる。

 

「ぶー冷たいぞーガイズー」

 

「冷たいのはバケツに足突っ込んだこっちのセリフだ!」

 

「やはは、これが本当のク〜ルガイってやつだね。良かったね謙吾くん」

 

 しかし三枝の態度には全くもって反省の色は見られなかった。こいつのメンタルどうなってんだよ。

 しかしその時だった。

 

 ピー!

 

 笛の音が廊下に鳴り響き、その音に背後を振り向くと、ニ・三メートル先にいつの間にか女子の風紀員二名がそこに立っていた。

 

「三枝葉留佳!寮長室からバケツを持ち出したままなの貴方でしょ!」

 

「ヤバッ」

 

 風紀員に気付くと三枝はそそくさと有宇の背後に身を縮めて隠れた。

 

「おい」

 

「しーっ、ちょっと隠してよ有宇くん。バレちゃうじゃん」

 

 いや、もうバレてるだろ。

 

「いませーん、三枝葉留佳はここにいませーん」

 

 三枝が意味の無い抵抗をしている一方で、理樹のクラスの男子達が「あぁ、また三枝が追われてるのか」「いつものことだな」などと話しているのが有宇の耳にも入る。

 ここではいつもの事なんだろうか。僕もこの状況に慣れるときが来るのだろうか……いや、慣れたくはないな。

 

「お下げ見えてるじゃないですか。ほらっ、行きますよ。今朝も清掃のペナルティを受けていたはずじゃないですか」

 

 そう言って二人の内の一人、一年の方の風紀員が僕の背後に隠れる三枝を引きずり出す。三枝も「仕方ないな、可愛い後輩が頼むから行ってあげるよ」と減らず口をたたきながらも大人しく連行される。

 

「理樹くん、有宇くん、あでゅー!あっ、あとついでに真人くんと謙吾くんも」

 

 そう言い残して三枝は風紀員に連れられて消えていった。去り際に三枝を連行する一年の方の風紀員が有宇にペコリと頭を下げる。

 よく見たら僕の隣の席の女子だ。眼鏡かけた地味な女で、名前は確か飛鳥馬美咲(あすまみさき)だったっけか。風紀員だったのか……。

 にしても三枝葉留佳、嵐のように突然トラブルを起こして、嵐のように、颯爽と去っていく。あれが仲間だと思うと本当に頭が痛くなるな。

 

「あいつはいつもああなのか……」

 

「うん、まぁそうだね。何故かいつもうちのクラスに遊びに来て、その度に色々イタズラしていくんだよなぁ。真人のプリントにボールペンで落書きしたり、移動教室の合間に黒板に落書きしたり、僕の椅子にブーブークッション置いたり……」

 

 直枝さんが死んだような顔で、三枝の悪行を羅列する。しかもこれでこのクラスでやったことだけなのだから、他でやったイタズラも含めたら相当な数に違いない。

 現に昨日、僕もあいつのイタズラに巻き込まれたばかりだしな。まさに災難を体現したような女だな。

 そして取り敢えずその場は解散し、僕も自分の教室へと戻っていった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 昼休み、有宇が蒼士とクラスで購買のパンを食べながらダベっていた時だった。

 

「見つけたぞ!」

「捕まえろ捕まえろぉ!」

 

 廊下が何やら騒がしい。数名の男子生徒の怒鳴り声が聞こえる。なんかもう既に嫌な予感しかしない。

 

「なんか廊下うるさいよな。なんかあったのか?」

 

「さあな……」

 

 廊下から微かに聞こえる「待てぇ!三枝ぁ!」の声で大体誰がなにやったかは察したが、関わりたくなかったので黙ることにしたのだが……。

 

「もう、しつこいな……んっ?あれってもしかして……。おーい有宇くーん!ちょっとばかしはるちん先輩を助けておくれ〜!」

 

 廊下から教室にいる有宇に気付いたようで、三枝は教室の外から有宇に助けを求めてきた。

 

「呼ばれてるぞ?あの人お前の知り合いなのか?」

 

「さぁ、人違いだろ」

 

「でもお前の名前、有宇って呼んでたぞ?」

 

「有宇なんて名前の奴珍しくないさ」

 

 とにかく関わりたくなかったので全力で関わり合いになるのを拒む。昨日だってろくな目に合わなかったんだ。絶対行かないぞ。

 すると「捕まえたぞ三枝!」という声とともに二年の男子の一人が三枝の腕を捕まえる。それと同時に他の三枝を追っていた二年男子達も三枝に詰め寄る。

 

「お前のせいで俺の今日の楽しみなくなったじゃねえか!」

「どうしてくれんだ三枝ぁ!」

「俺の怒りはどこへ向ければいい!なぁ三枝ぁ!」

 

 三枝も男子数人に一斉に詰め寄られて、慌てふためいている。何度も教室の中にいる有宇に視線を送ってくるが、それでも有宇は(だんま)りを決め込む。

 すると痺れを切らしたのか、こんな事を喚き散らす。

 

「うわぁん!有宇くんの悪魔!鬼畜外道!足フェチ!」

 

「うぉい!?」

 

 根も葉もない事を言い触らすのはやめてくれ!ああっ、クラスの女子達からの視線が痛い……。

 

「行ってやれよ。あの人、リトルバスターズの先輩だろ?」

 

 蒼士にもそう言われ、このまま無視を決め込むのは無理だと判断し、仕方なく席を立つ。

 廊下に出ると、男子数名に囲まれた三枝のもとに近づく。

 

「で、これはなんの騒ぎだ。先輩方も五月蝿いんで静かにしててください。迷惑なんで」

 

「バカ野郎これが黙ってられるか!?」

「おれ、毎週のあれだけを楽しみにしてたんだぞ!」

 

 取り敢えず有宇は騒ぎを沈めようと、三枝を取り囲む二年男子達を黙らせようと注意を促す。しかし男子達は余計に興奮していきり立つばかりだ。

 これは黙らせるより、さっさと三枝から事情を聞いた方が早そうだ。

 

「本当に何したんだお前……」

 

「えーっ、私が何かしたの前提なのー?まぁ、そうなんだけどさ」

 

 もはやツッコむ気にもならん。

 有宇はただ気の抜けた顔を浮かべるばかりだ。

 

「今日、面白いドラマの最終回がやるんだけど……」

 

「ネタバレしたとかか?」

 

「そんなとこ。さっすが有宇くん、はるちんのことわかってる〜♪」

 

 本当ろくでもない事しないなこの女。ネタバレは余裕で重罪だろ……。

 

「ちっくしょーっ!犯人わかっちまったらもう楽しめねぇよ!」

「おれ、最近はあのドラマが生き甲斐だったのに……」

 

 うわっ、しかもミステリードラマだったのかよ。それなら尚更楽しさ激減だな。ていうかしょうもない生き甲斐だなおい。

 

「いや〜本当は宣伝だけに留めておこうと思ってたんだけど、黒板に書いてるうちにノリノリになっちゃって。でもここまで必死になられると困っちゃうな」

 

 困っちゃうなじゃないだろ。

 この学校は生徒の殆どが寮に入寮している。家から通う生徒よりも日々の生活に色々と制限が設けられていることもあり、寮の各階にある娯楽室のテレビなんかは楽しみにしている生徒も多い。

 僕も昨日、蒼士とクラスの男子何人かと一緒にバラエティー番組を見に行ったが、かなりの生徒が狭い娯楽室に集まっていた。ここに入り浸ってる奴もいるぐらいで、そんな彼等にテレビのネタバレなんてして、怒られるのは当然と言えるだろう。

 そして、再び男子達が三枝に迫り寄る。

 

「どうしてくれんだ三枝ぁ!どう落とし前つけんだよ!」

 

「いや〜だってあれ、わたしが考えた結末ですヨ」

 

「えっ!?」

 

 三枝のその一言で男子達の反応が変わっていくのがわかる。

 

「いや〜まさかここまで信じてくれるとは。はるちん、もしかして将来は名探偵か小説家かもしれませんネ」

 

 三枝はすっかり調子をよくする。

 おい、ちょっと待て。それだったら……。有宇は思ったその疑問をおそるおそる口にする。

 

「本当にネタバレしてなかったんなら逃げる必要なかったんじゃないのか……?」

 

 そう、本当にネタバレしたわけじゃなかったなら、最初からそう言えば逃げる必要なんてないじゃないか。

 

「やだな有宇くん、そう簡単にネタばらししたら面白くないじゃないデスか」

 

 イラッ

 

 この野郎、人のこと勝手に巻き込んでおいてよくそんなふざけたこと抜かしやがって……ぶん殴ってやる!

 三枝の態度に苛立った有宇は三枝を一発殴ろうと拳を固める。しかし(すんで)のところで、今いる場所が自分の教室の前であったことを思い出す。

 いかんいかん。落ち着け、流されちゃいけない。ここじゃクラスメイト達の目もあるし、今殴るのはやめておこう。そう思い直すと有宇は拳に込めた力を緩める。

 クソッ、結局なんのために僕は巻き込まれたんだか。無駄にクラス内に根も葉もない噂を流されただけじゃないか。

 その一方でさっきまで三枝に憤慨していたはずの男子生徒たちは、すっかりと怒りも忘れて三枝の考えたドラマの筋書きに耳を傾けている。その男子達の様子を見て、有宇は少し呆れる。

 こいつらもこいつらで無駄に振り回されたことに怒りはないのか?他にも色々イタズラされたりしてるんだろ?だというのに簡単に心許しすぎじゃないか?女だからか?いや、こいつを女扱いするとか女に飢えすぎだろ……。

 

「何やら物憂げな様子だな、少年」

 

「うわっ!?……ってお前かよ、ビックリさせんなよ!」

 

 すると、いつの間にか背後にいた来ヶ谷に突然声をかけられた。ていうかなんで居るんだよ。二階は一年の教室しかないだろうが。

 

「ハッハッハ、すまないすまない。それで、何か悩みごとかね?」

 

「別に、そこのバカ女に振り回されただけだ。ったく、こんなことばっかやってよく嫌われないもんだな」

 

 毎日かは知らんが、いつもこんな事やってたら周りに嫌われてもおかしくない。だというのに見たところ、三枝を本気で嫌っている奴はあまりいないようだ。もっと疎まれてもおかしくないと思うんだがなぁ……。

 

「皆、なんだかんだで葉留佳くんを認めてるのだよ。彼女に悪意がないことを理解しているからね」

 

「はぁ?あれが悪意じゃないなら何なんだよ」

 

 イタズラっていうのは、誰かを困らせたいだとか、笑いたいだとかいう自分勝手な欲求から他人に迷惑をかけることに他ならない。それが悪意でないなら一体何なんだと言う話だ。

 

「彼女はただ構って欲しいだけさ。誰かに自分の存在を認めていて欲しい、それだけなんだ」

 

「自分を認めて欲しい……?」

 

「要は寂しがり屋なのさ。彼女はあれで周りの関心を集めて、楽しく他人とコミュニケーションを取っているつもりなんだろう。人を揶揄(からか)うという行為は相手に自分を強く印象付ける手段だからな。まぁ、彼女がそれを意図してやっているかはわからないがな。しかし、君なら理解できるんじゃないか?」

 

 来ヶ谷が有宇にそう聞き返す。

 そういえば来ヶ谷が以前僕に言ってたっけか、承認欲求が強いと。三枝葉留佳もまた今の話が本当だとすれば承認欲求、取り分け友人という対等な関係を求めることから対等承認の欲求が強いと見える。要は三枝と僕は同類だという意味で聞いてきたんだろう。

 自分を認めて欲しい、その気持ちは確かにわからなくもない。僕自身、来ヶ谷の言うように誰かに認めて欲しいと思う欲求があり、今となってはその自覚もある。その為に自分を偽り、他人を偽り、不正を働き、他人を蹴落としてきてまで、他人からの事故の過大な評価に合うだけの評価を欲してきたのだから。

 だって惨めじゃないか。誰にも思われず、意識されない、そんな存在になるのは。母さん───あの人に捨てられた時に感じた他人から見捨てられる絶望感、喪失感、孤独感、劣等感、今でもそれだけは忘れたりはしない。もう、あんな惨めな思いをするのはゴメンだった。

 三枝葉留佳もそうなのだろうか。僕と同じ、あの感覚を知っているからこそ、やり方は違えど他人からの関心を引いているのだろうか。

 

「……承認欲求が強い者は総じて幼い頃、自分の親に褒めてもらった経験がないことが多いと聞くが……」

 

 来ヶ谷が何かをボソリと呟く。

 

「あっ、なんか言ったか」

 

「いや、何でもないさ。君達は似た者同士ということだよ」

 

「冗談でもあの女と似た者同士ってのはやめてくれ。多少重なる部分はあるのかもしれんが、僕はあの女のように道化に走ったりはしない」

 

「そうかね。しかし、そうやって憎まれ口を叩く割には、初対面の葉留佳くんを助けたと聞いたのだが?」

 

「誰があんな女助けるか。あの風紀委員長の女が気に入らなかっただけさ」

 

 来ヶ谷が言ってるのはおそらく昨日のことだろう。

 昨日僕は三枝と初対面し、その後すぐ三枝のイタズラに巻き込まれて一緒に逃げ回っていたところ、風紀委員長───二木佳奈多と出会(でくわ)した。

 出会すなり問題児の三枝葉留佳はその場で二木佳奈多に糾弾され、それがあまりにも気まずくて見ていられなくなり間に入ったのだが、今度は僕と二木が言い合いになり、そして見事二木佳奈多を怒らせてしまったのだ。

 結果的に二木佳奈多を僕が撃退した形にはなるのだが、別に三枝を助けようとしたわけじゃない。

 すると来ヶ谷が少し表情を曇らせる。

 

「風紀委員長……佳奈多くんか」

 

「なんだ、知り合いか?」

 

「彼女は一切手を抜かないことで有名でな。端的に言えば融通が聞かないのだよ。まぁ、彼女を疎ましく思う人間も多いが、その手腕は評価されている」

 

「ふーん」

 

 要は三枝に限らず、誰に対してもあの態度ということか。それで周りからも結構恐れられてたりして疎まれていると。けどまぁ僕も別に風紀を守ろうとするその志は否定するつもりはない。ただあの高圧的な態度は非常に気に入らない。

 にしても、三枝とあの二木って女の関係は問題児と風紀委員長というお互いの立場間の関係だけではない気がするが……。

 

「なぁ、三枝とあの二木って女、なんかあるのか?」

 

「何かとは?」

 

「いや、単に風紀委員長と問題児だから仲悪いって感じには見えなかったからさ。二木の方が一方的に嫌ってるならまだしも、三枝の方も他の風紀委員達には普通だったのに、二木相手には険悪な雰囲気匂わせてたし……。何か知ってるんだろ?」

 

「聞いてどうする。君に関係ないだろ」

 

 来ヶ谷の声が少し厳しくなる。

 

「まぁ、そうなんだが……いや、そうだな」

 

 確かに二人の仲が悪かろうが僕には関係ない。

 僕がすべきなのは未来に帰ること。そしてその為にリトルバスターズの全員に、これから僕が話す事を信じてもらえるだけの信頼関係を築き上げること。それだけだ。

 別に三枝が二木とどうなろうが構わない。ただこの先の修学旅行さえ生き抜いてくれれば、それ以上のことに踏み込んでいく必要はない。来ヶ谷の言う通りだ。

 

「彼女達のことは生半可な気持ちで関わっていいことじゃない。それに、それを知るべき時には君は全てを知ることになるだろう」

 

「なんだよそれ」

 

「ふふっ、その時のお楽しみさ。まぁ、葉留佳くんのことは大目に見てあげたまえ。やり過ぎるようなことがあれば私から灸を据えてやるさ」

 

「いや、もう既にとっちめて欲しいんだが……」

 

「はっはっは」

 

 来ヶ谷は快活に高笑いをしながらその場を去っていた。辺りを見回すと、いつの間にか三枝達も教室の前から姿を消しており、その場には有宇一人残されていた。ったく、人の事巻き込んでおいて身勝手な奴だ。

 そして有宇の中には先程の来ヶ谷の話が少し気がかりであった。

 あの二人……一体何があったんだ?有宇には二人の関係が気になって仕方がなかった。来ヶ谷の話し振りから何かあるのは火を見るより明らかだし、気になって仕方がない。

 しかし、先程の来ヶ谷の言葉が思い起こされる。

 

『彼女達のことは生半可な気持ちで関わっていいことじゃない』

 

 確かに二人の関係は気になるが、この(わだかま)りが好奇心でしかない以上は、それが何であるのかは知る事はできないんだろうな。

 そう考えると有宇は自分の好奇心を押さえ込み、教室へと戻った。しかし、教室に戻ると女子達がまだ有宇を見て何かヒソヒソ話している。

 ……取り敢えず誤解を解いておくか。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 放課後、有宇は野球の練習のために体操服に着替えるため野球部の部室前に向かった。部室前に着くと、既に他のメンバーは殆ど来ていた。女子達は男子より先に着替えるので、鈴さんと来ヶ谷、神北も既に体操服に着換えて部室前で待機していた。三枝だけ来ていなかったが、あいつは……まぁサボりかなんかだろう。

 有宇も着替えるため男子メンバー達と共に部室に入る。すると理樹が体操服を忘れたと言って部室を出て行く。どうせ後ですぐ来るだろうと有宇含め残りのメンバーは着替え終えると、部室にある練習道具をグラウンドに出し練習の準備に取り掛かる。

 しばらくして練習の準備を終えたのだが、体操服を取りに行くと言っていた理樹、そして三枝がまだ来ていなかった。

 

「様子を見てくる」

 

 三枝はサボりの可能性があるからともかく、直枝さんは流石に少し遅すぎるな。何かあったのか?

 帰りの遅い理樹が心配になり、有宇は二人を探しに行くことにした。真人も一緒に探すと言ってきたが、行き違いになると面倒なので真人には残って先に練習を始めるように言い聞かせた。

 直枝さんは思ったより早く見つかった。ついでに三枝も一緒だ。二人は中庭にいたのだが、しかし四人の女子生徒に囲まれていた。何やら険悪な雰囲気だ。

 それもその筈、何せ四人の中の一人があの風紀委員長、二木佳奈多だったのだから。他三人も二木と同様に腕にクリムゾンレッドの腕章をしているところを見ると、風紀委員のメンバーのようだ。

 関わると色々と面倒なことになりそうだったので有宇は出て行かず、その場は理樹に任せようと遠目から様子を見ることにした。すると、何やら直枝さんが風紀委員に金のようなものを渡しているのが見えた。まさか……(たか)られてるのか?

 いや、相手は風紀委員だぞ。そんなわけ……。いや、でも本当にあいつらが正義だけを執行するという保証はない。この学園では風紀委員はかなり立場が強いようだし、立場を利用して……ということも考えられなくはない。

 それに直枝さんは気が弱そうだし、三枝は強請るネタがたんまりありそうだし、強請るには最適な相手だといえる。

 面倒くさそうなのでこの場は直枝さんに任せようと思ったが、流石に助けに行ったほうがよさそうだな。

 そう考えると有宇はその一団にズカズカと歩み寄って行った。

 

「あ、有宇。ゴメン、ちょっとお金……」

 

「金なんか出す必要はない」

 

 理樹の言葉を遮りそう言うと、有宇は風紀委員の手から理樹が出した小銭を奪い取る。

 

「帰りが遅いから来てみれば。にしても一般生徒相手にカツアゲとか、お前らクズだな」

 

 そう言って有宇は風紀委員達を睨みつける。すると二木佳奈多が「はぁ……」と軽くため息を吐く。

 

「また貴方なの。貴方には関係ないわ」

 

「僕は一応二人の関係者だ。関係なくはないだろ」

 

「……そう、貴方もリトルバスターズだったのね」

 

 二木佳奈多は眉を細める。そして有宇に向けるその目付きが鋭くなる。

 この様子を見るに、リトルバスターズは去年から色々とやらかしていたそうだし、前から目を付けられていたのかもしれないな。

 ただでさえ昨日のことで僕に対してあまり良い印象がなかった上に、僕がその一団の一人だと知って、敵意を顕にしたといったところか。

 すると、有宇と二木の険悪な雰囲気を察してか、風紀委員の一人が有宇に声をかける。

 

「あ、あの乙坂くん。違うんです」

 

「君は……美咲さんだっけ」

 

 声をかけてきたその風紀委員は有宇のクラスメイトで、隣の席の女生徒である飛鳥馬美咲であった。そして女生徒は頷くと三枝を指差しながら事情を説明する。

 

「はい。それで聞いて乙坂くん、三枝葉留佳が自販機からジュースを盗んだんです。それでそこの先輩が盗んだ分のお金を返すって言って……」

 

「なにっ!?」

 

 それを聞いて有宇は三枝を睨みつける。

 この女ぁ……盗みまではやらないだろうと思ってたのに……。

 

「……何してんだよ、お前」

 

 三枝に向け冷淡にそう言い放つ。それを聞くと三枝は顔を俯かせた。そして有宇は続いて理樹に向け言う。

 

「直枝さん、金なんて出す必要ないですよ。自分の後始末は自分でつけさせるべきです。退学になろうがどうなろうが自己責任だ」

 

 有宇は三枝を横目にそう吐き捨てた。

 しかし、それを聞くと理樹は必死の形相ですぐさま言い返す。

 

「違うんだ有宇!葉留佳さんはやってないんだ!」

 

「やってないって……やったからこうなってるんじゃないのか?」

 

 どういうことだ。風紀委員と直枝さんの方で言い分が違うようだが……。しかしこのままでは埒が明かない。

 

「……取り敢えず事情を聞かせてください。お互い意見が違うようですし、起こった事実だけを話してください」

 

「うん、実は……」

 

 

 

 直枝さんの話によると、体操服を取りに戻った直枝さんは教室にいた三枝と会い、一緒にグラウンドに行こうとしたのだという。すると風紀委員の連中が突然現れ、三枝の荷物を改めさせろと言ったのだという。

 風紀委員が言うには、三枝葉留佳がちょうどすぐそこにある自販機からジュースを盗むところを見たという生徒の証言を聞いてここに駆けつけてきたらしい。そして実際に三枝の鞄を開けると、缶ジュースが四本入っていたのだ。

 それに対して三枝は自販機でジュースを買ったら三回連続ルーレットで当たりが出て、追加で三本手に入れたと言う。

 しかし風紀委員は三枝の普段の素行もあってかそれを信じず、委員会室に無理やり連行しようとした。そこで見兼ねた直枝さんが、三枝が手に入れた分の缶ジュース代を払おうとしてこの場を収めようとしたのだという。そこに僕が現れて、今に至るというわけだ。

 

「信じられません!三枝葉留佳がやったに決まってます!」

 

 風紀委員の一人が直枝さんの説明を聞いて、再び三枝を糾弾し始めた。

 

「何故?」

 

 僕は聞き返す。

 

「だって……あの三枝葉留佳ですよ?やったに決まってます」

 

 まぁ、普段の素行が素行だしな。疑う気持ちもわからなくはない。

 それから有宇は三枝に視線を移す。三枝の表情は昨日二木とあった時のような暗い表情を浮かべていた。

 

「三枝、本当にやってないんだな」

 

 改めて有宇は三枝に問い掛ける。

 

「……やってないよ」

 

 三枝は蚊の鳴くような声で一言そう返す。

 こいつは確かに校内を騒がせる問題児だし、信用ならない奴だ。だが───

 

『彼女はただ構って欲しいだけさ。誰かに自分の存在を認めて欲しい、それだけなんだ』

 

 有宇はその時、来ヶ谷が昼休みに言った言葉を思い出した。あれが本当であるならば───

 

「よし、わかった」

 

「えっ……?」

 

 そこから有宇は再び風紀委員達に対面する。

 

「確認したいことがいくつかある。まずお前らの言う目撃者の証言とやらを詳しく聞かせろ」

 

「乙坂くん。なんかいつもと様子が……」

 

 飛鳥馬美咲が普段の有宇との様子の違いに困惑する。しかし有宇の態度は依然変わらない。

 二木佳奈多は二年の風紀委員に視線を送る。そして二木からの指示を受けたその風紀委員が有宇の質問に答える。

 

「三枝葉留佳がさっき自販機から何本もジュースを取っていったのよ。それを見たって人が居て、こうして私達が駆けつけてきたのよ」

 

「はぁ?それが証拠かよ。僕が聞きたいのはこいつがどう不正を働いて自販機からジュースを盗み出したかって聞いてんだよ。証言があんだろ?それを聞かせろよ」

 

「貴方……それが目上の物に対する口の聞き方……」

 

「あーうるせえうるせえ、いいから答えろよ」

 

 有宇の態度は依然強気で無遠慮であった。風紀委員の方はそれが気に入らない様子であったが、ボスである二木が何も言わなかったせいか、特にそれ以上は言ってこなかった。

 

「それは……あれよ、自販機を叩いたとかしたに決まってるわ」

 

「そうか。で、証拠は?」

 

「だって、あの三枝葉留佳よ。やったに決まって……!」

 

「だから証拠出せって言ってんだよ!僕が聞いてんのはお前の推測じゃなくて、三枝を犯人足らしめる決定的な証拠はあるのかって聞いてんだよ!」

 

 有宇にそう詰問されると、二年の風紀委員は黙り込んでしまう。

 

「んだよ、ろくに証拠も揃えずにそんなこと言ってたのかよ……」

 

 この時点で有宇は風紀委員達が正しいという可能性を頭の中から切り捨てた。証拠があると言い、強気な態度をとっていたから自信があるのかと思いきや、どうやらただのこじつけでしかなかったようだ。

 それから有宇は近くにある例の自販機の前に近づく。すると有宇は自販機全体を万遍なくその目で見て確かめてる。

 

「自販機を叩いたって言ったな。それらしき跡は全く見えないんだが」

 

 例の自販機は外に設置してあることもあり多少汚れや細かな傷くらいはついているが、破損している様子はない。

 

「そもそも、自販機を殴ったくらいでジュースが出てくるわけ無いだろ。頭使えよ」

 

「たっ、叩いてなくたって他の方法で取った可能性だって……!」

 

「自販機からそんな簡単にジュースが盗れるわけないだろ。業者もそんな馬鹿じゃねえよ。業者の鍵を盗み出して使えば、破損させずに盗み出すこともあり得なくはないが、鍵なんてそんなおいそれと簡単に盗み出せるわけないし、そんな派手なことしてたらお前らの言う目撃者の証言とも合わない。鍵開けて盗っていったのならその目撃者から一発で目に見えてわかるし、お前らもそれを証拠として突き出してくる筈だしな」

 

 大体、鍵なんてあったら鞄を改めた時に出てきてそこで終わりだしな。鍵の可能性はこれで完全に否定された。

 

「そ、それ以外の方法で……」

 

「この自販機は校舎の壁に密着して設置されてるから裏から工具も入らない」

 

「そ、それなら前から盗んだのよ」

 

「この自販機はドアヒンジ部分にはカバーもしてあるし、コーナーロックもかけられてるからチェーンによる切断も、工具による抉じ開けも無理だ。それにさっきも言ったが破損がない。あとは自販機の内側の蓋を抉じ開ける手もあるが、それも工具や鉄の棒とかで破損させて内側の蓋を抉じ開ける必要がある。そんなことしたら破損するだけじゃなく警報装置が作動してすぐに警察が駆けつけてくる。大体、これら全てを目撃者の目に止まらないように行うのは無理があるしな。つまり、現状どうあっても三枝がジュースを盗み出すことは不可能だ」

 

 有宇は自販機からジュースを盗み出せる方法を一つずつ列挙し、それらの可能性を全て一つずつ丁寧に潰していき、三枝が自販機からジュースを盗み出した可能性を完全に否定し論破した。

 しかし、それを聞いても風紀委員は必死に反論する。

 

「でも!ルーレットで三回連続なんてあり得ないじゃない!」

 

「確かに確率はかなり低い。が、可能性はゼロじゃない。対してお前らの話には根拠がなく証拠もない。可能性以前の問題だ」

 

 それを聞くと、風紀委員は押し黙ってしまった。

 完全に論破してやった。二木佳奈多も険しい顔を浮かべるものの、何も言ってこない。何も言えないのだ。いくらこいつの頭が回ろうと、事実を曲げることはできないのだから。

 反論できると言うならやってみろってんだ。

 すると暫くして、風紀委員の下っ端三人が声を詰まらせながら有宇に反論を試みた。

 

「で、でも乙坂くん、三枝葉留佳はサボりと遅刻の常習犯なんだよ!」

「仮にルーレットが当たったとして、自販機に当たりを出すなんてちゃんとお金を出してる人に対して失礼よ!」

「そうよ!お金も払わないでこんな娘が手に入れるなんて許せないわ!」

 

 もはや反論とも言えないただの言い掛かりだ。そしてそれを聞いて有宇の背後にいる三枝がギリッと歯を食いしばるのに有宇は気付く。

 無実の罪を着せられて、更に言い掛かりをつけられて苛立っているのだろう。そして、僕にもその気持ちが痛いほどわかる。

 僕も陽野森高校にいた時、僕を疎ましく思う連中に嵌められ、カンニング魔の噂を立てられ学校を辞めさせられたからだ。まぁ、僕の場合は実際にカンニングを働いていたんだ。自業自得だ。

 だが、それは僕がたまたま本当にカンニング魔だから結果的にそうなったに過ぎない。カンニングは僕の持つ特殊能力でやったことだし、噂を流した奴が僕のカンニングを認知して噂を流したとは考えられない。

 あいつらはきっと、成功を収める僕の事を妬ましいだの気に入らないだの、そんな自分勝手な考えから僕を嵌めようとして愉悦に浸ろうとした。それが今でも僕は堪らなく悔しいし、憎くて堪らない。

 こいつらも僕を陥れた奴等と同じだ。自分の思い通りにならないからと自分勝手な都合で他人を陥れ悦に浸り、更にこいつらの場合、自分達こそが正しいと自分を正当化して他人を陥れることに対して躊躇することもなく、なんの罪悪感も感じていない。

 僕にはそれが堪らなく────不愉快であった。

 

「見苦しいな」

 

 有宇は小馬鹿にするように風紀委員達に一言そう言い放つ。すると文句を垂れていた風紀委員達が一斉に黙る。

 

「ルーレットは不公平だぁ?いやそれ三枝と関係ないよな。話逸らすんじゃねぇよ。文句あるなら自販機設置を許可した学校か、設置会社に文句垂れろよ」

 

 それを聞くと風紀委員達は一斉に口籠る。

 

「確かに、三枝は校内で問題ばかり起こす問題児だ。それを疎ましく思い、かつ疑いたくなるお前らの気持ちも理解できなくはない。だが、風紀のためとかほざいて、結局自分達の権威を振りかざして証拠もなく自分達の気に入らない奴を陥れ、(あまつさ)えそれで金受け取ろうとしてたんだもんな。ほんと、風紀とか笑わせんなよ。初めに言った通りだ、お前ら揃いも揃ってクズばかりだな!」

 

 風紀委員達の顔が歪む。二木佳奈多も歯を食いしばって悔しそうにしている。だが同情はしない。三枝もこいつらと同じくらい悔しかったんだ。自業自得だ。

 

「乙坂くん、聞いて!あの……」

 

 すると風紀委員の一人、飛鳥馬美咲が口を開く。しかし考えがまとまっていないのか、すぐに口籠ってしまう。

 そういやこの女、僕に惚れてたっけ。なら、もうちょっと畳み掛けてみるか。

 そして有宇は美咲の元へと歩み寄る。いつものように自分を繕うための女子向けの仮面を被り、まるで本当に落胆しているかのように、悲哀の表情を作る。それから一言こう言ってやる。

 

「美咲さん、正直幻滅したよ」

 

 それを聞くと美咲は悲しみ、そして絶望に顔を歪める。

 

「違うの!?聞いて、乙坂くん!私……ただ」

 

「この期に及んでまだ言い訳するんだ。へぇ、そうなんだ。つまり君はそういう奴なんだね」

 

「違うの……!!私は……!」

 

 大分効いているな。まだまだ僕の演技力も捨てたもんじゃないな。

 にしても、さっきあれほど素の顔を晒したというのに、まだ僕がお前のような普通の女子にも関心を向ける二枚目男子だという幻想に縋りついているのか。哀れを通り越して最早滑稽だな。お前のことなど、今まで微塵も考えたことなどないのに。

 さて、もう今更この女が僕に対してどんな感情を向けるかなんて関係ない。()が出てくるまではとことん付き合ってもらうぞ。

 

「クラスのみんなも、美咲さんがこんな事する人だって知ったら悲しむだろうな。風紀委員の立場を利用して弱い者いじめしてたなんて知ったらね」

 

「お願い!クラスのみんなには……!」

 

 クラスメイトにバラすと言われると、美咲は必死の形相で有宇に懇願する。

 

「そりゃ僕もできればこんな事言いたくはないけどさぁ。僕が言わないことで同じように他の誰かが傷つくかもしれないからなぁ」

 

「違っ……違うの……」

 

 美咲の頬から大粒の涙が流れ落ち、声にもならない嗚咽を漏らした。そしてとうとう膝を地面に付き、手で顔を覆い隠してメソメソと泣き出してしまう。

 

「やめなさいっ!!」

 

 すると事態を見兼ねてか、先程まで沈黙を通していた二木佳奈多が口を開いた。

 

「そこまで追い詰める必要はない筈よ。これ以上続けると言うならこちらもそれなりの対応を……」

 

「それ以上追い詰める必要はない?笑わせんなよ。三枝葉留佳のことは無実の罪で追い詰めておいて、自分達の仲間のこととなると駄目ってか。それが学校の風紀を守る風紀委員長殿の考えか?あっ?」

 

「くっ……」

 

 二木佳奈多が悔しそうに言葉を詰まらせる。

 さて、やっと釣れたか。僕が用があるのは端から下っ端風紀委員共じゃない。お前だ、二木佳奈多。

 この場において風紀委員をまとめる責任者でありながらも沈黙を貫き、風紀委員を指導しきれず暴走を許し、そしておそらくそこに私怨を介在させて自らも三枝を追い詰めようとした張本人であろうお前を屈服させることでのみ、三枝の屈辱は果たされる。

 有宇はポケットに手を忍ばせ、()()を取り出しスイッチを入れる。

 

『……三枝葉留佳がさっき自販機から何本もジュースを取っていったのよ。それを見たって人が居て、こうして私達が駆けつけてきたのよ』

 

「なっ……!」

 

 有宇が取り出した物───ボイスレコーダーからは、先程までの三枝葉留佳の無罪を証明するまでの会話が流れたのだ。それに気付いた二木佳奈多を含む風紀委員達は一斉に顔を青ざめる。

 

「これを一般生徒が聞いたらどう思うだろうなぁ。間違いなく風紀委員の信用は地に落ちるだろうな」

 

 有宇は過去にタイムスリップしてからの最初の外出の際に電器店に寄ってこのボイスレコーダーを購入し、以後肌見放さず常備していた。

 味方のいない世界、身を守れるのは自分自身のみ。何が起こるかもわからないし、使えるものは使った方がいい。それに万が一僕の身に何か起きた時には、こいつは遺書代わりに声を残すことも出来るしな。

 そんな思いから有宇はここに来て、いの一番に防犯グッズの専門店に寄り、ボイスレコーダーを購入したのだ。因みに他にもスタンガンなどのグッズも今は手元にないが、一応購入し部屋に置いてある。

 

「……やめなさい」

 

 二木佳奈多は強気にそう言うものの、もう手がないことは目に見えている。もはや有宇に縋るしかないようだ。

 このままこいつをばら撒くのは簡単だ。だが僕は別に風紀委員を潰したいわけではない。飽くまでこいつらが権力を盾にしてきた時のための保険として録音しただけだ。

 だが、有効打になるなら使わなきゃ損だろう。

 

「音声をばら撒かれたくなかったら三枝に謝罪しろ。私達が悪かったです。許してくださいってな。委員の代表としてお前がやれ」

 

 有宇は下衆な笑みを浮かべて二木佳奈多に謝罪を要求する。

 お前は断れないはずだ二木佳奈多。他の風紀委員があずかり知らぬところで委員長自らが先導して一般生徒に言い掛かりをつけ、無実の罪を擦り付けようとしたなんていう問題を起こしたら、もはや委員長を辞めるだけでは済まなくなるはずだからな。

 音声という物理的な証拠で残した以上、三枝葉留佳が問題児であっても、二木達の所業はそう簡単に許されるものでは無いはずだしな。

 そしてこの場にいる他三人もそうなれば当然糾弾される。自分だけならまだしもと考えても、自分を慕って付いてきた委員達に被害が及ぶとなれば、責任感ある風紀委員長であるお前に断るという選択肢は無いはずだ。

 

「下衆……!」

 

「誰が自己紹介しろっつった!謝罪しろって言ってんだよ聞こえないのか?それともなんだ、お前の新しい口癖か?ゲスゲスってか。ははっ、お前にピッタリだなぁ!」

 

 有宇が嘲笑いながらそう言うと、二木佳奈多はギリッと歯を噛み締め目を伏せる。そして更に有宇は続ける。

 

「大体お前ら爪が甘いんだよ。僕なら予め自販機にそこら辺のパイプとかで一発破損を入れてから、それを証拠だと言いがかりつけて三枝を退学に追い込んでやるのになぁ。他人を陥れるならすぐに論破されないように根回しするとかさぁ、もう少し頭使えよなぁ頭を。で、謝罪はまだか」

 

 有宇の催促を受けると、二木は顔を俯ける。有宇に対する憤り、三枝葉留佳に頭を下げる屈辱、自らの過ちに対する自己反省、それらの感情にもみくちゃにされながら葛藤する。しかし暫くしてようやく彼女は静かに口を開いた。

 

「……今回の件は私達に非があったのは認めます。ですが三枝葉留佳にも……」

 

「言い訳すんな。謝罪だけしろ。謝る気あんのか?」

 

 二木が弁解しようとするのを有宇はそう言って遮った。

 大方、自分達の非を認めつつも三枝にも責任があるとして、責任を逃れようとしたんだろうがそうはいかん。主導権はこちらにある。それを忘れるなよ。

 最後の抵抗すら認められず、そしてとうとう、二木は屈辱に体を震わせながらも、その頭を下げた。

 

「……私達が悪かったわ。ごめんなさい」

 

「初めからそう言えよな。で、三枝、どうする?」

 

「えっ?」

 

 三枝は話を振られると思わなかったようで、いきなり話を振られて戸惑う。

 

「えっ?じゃねえよ。被害受けたのはお前だろうが。許す許さないはお前が決めろ」

 

 有宇にそう言われると、三枝は風紀委員達を睨みながら沈黙する。二木佳奈多は眉を顰めながら目を閉じている。その様子は宛ら天命を待つかのようだ。他の風紀委員二人は飛鳥馬を慰めながらも、不安気な表情で三枝を見つめている。

 そしてしばらくしてから一度目を閉じ、その後三枝は口を開いた。

 

「別に私の無実が証明されたならもういいよ。信用されないはるちんにも非はあるし、心の広いはるちんは許してあげるのだーっ!」

 

 さっきまで暗い顔を浮かべていた三枝は、一変して普段の明るい調子でそう答えたのであった。

 その答えを聞くと、有宇は改めて風紀委員たちに向けて言う。

 

「良かったな許しが出て。三枝の温情に感謝しろよ。ほら、何ぼさっとしてんだ。もう用はないからとっとと消えろ」

 

「……行くわよ」

 

 二木佳奈多がそう言うと、風紀委員達は二木の背中を追うようにその場を離れる。

 

「あ、そうだ。ちょっと待て」

 

 すると有宇はまだ何か用があるのか、風紀委員達を呼び止める。そして二年の先輩風紀委員に肩に手を回され慰められ、未だに涙を流す飛鳥馬に近づいた。

 そして有宇は二年の風紀委員達から飛鳥馬を奪い取り、飛鳥馬の肩に手を回し、更にその耳元に声を落とす。

 

「僕のこと、クラスの奴等にはくれぐれも喋べるなよ。もしバラしたらこの音声はばら撒かせてもらうし、音声を編集してお前らだけを悪人に仕立て上げることも出来るからな。先輩達に迷惑かけたくないよなぁ」

 

 そう言ってから、有宇は飛鳥馬から離れて理樹と三枝の元へと戻る。

 一方飛鳥馬美咲は恐怖で顔を強張らせていた。そんな飛鳥馬に二年の風紀委員二人が駆け寄り、「大丈夫?」「なんか言われたの?」と心配そうに声をかけていた。

 その様子を見て二木が有宇を後ろから睨みつけていたが、有宇は気付きもしなかった。それから風紀委員達は去っていた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 風紀委員達が去った後、三人でグラウンドへ行く道すがら、理樹は羨望の眼差しを有宇に向けて言う。

 

「にしてもすごかったよ有宇、あの二木さん相手にたじろがずに向かっていくなんて。しかもちゃんと三枝さんの無実を証明するなんて」

 

「当然だ。この僕にかかればあんな女の相手、造作も無い」

 

 理樹が目を輝かせて褒めるものだから有宇もすっかり天狗になる。そんな自信過剰な反応に理樹も「あはは……」と若干苦笑いを浮かべる。

 

「でも本当に凄かった。まるで恭介みたいだった」

 

「恭介って、何故ここであの男の名が出てくる……」

 

 理樹に恭介みたいと言われたことが、有宇には若干気に入らなかった。

 

「だって恭介はいつも僕達の予想もつかないことをやってのけるんだ。きっと恭介がいたら、さっきの有宇みたいにあっという間に解決しちゃうと思ってさ」

 

「直枝さんはあの男を偉く評価してるんですね……」

 

「うん、昔から一緒だしね。それに、恭介は僕を救ってくれた。あの一番辛かった日々から……」

 

「辛かった日々?」

 

「理樹くんなんかあったの?」

 

 有宇が聞き返すと、さっきまで黙っていた三枝も気になったのか、二人して理樹にそう尋ねた。

 

「あはは、大したことじゃないんだけど……」

 

 そう言って理樹は立ち止まり、二人に語りだした。

 

 

 

 直枝さんの話によると、幼い頃、直枝さんとその両親は交通事故に巻き込まれたのだという。直枝さんの方はなんとか一命をとりとめたが、両親の方は亡くなられたらしい。

 それから直枝さんは親戚の家に預けられたが、両親を失ったショックから家の中に塞ぎ込んでしまったそうだ。そんな中、()()()が現れたのだという。

 そいつは強引にも、家にいた直枝さんの手を引いて連れ出しこう言った。『強敵が現れたんだ。君の力が必要なんだ』と。まさにこの時、今にまで続くリトルバスターズの初期メンバーが結成されたのだった。

 その敵と言うのはなんでも近所に巣を作っていた蜂のことだったらしい。なんか色々あったそうだが、最終的に真人ごと蜂を焼き殺したとかどうとか。……ほんと何故そうなった。

 それからその一件で地方新聞に華々しくデビューした彼等は、それからもずっとそうして過ごしてきたという。そして直枝さんもまた、その中で自分の抱えてきた両親を失った悲しみを忘れていたという。

 

「へぇ、人に歴史ありっていうけど、理樹くんにそんなことがあったんだ」

 

「うん、だから恭介たちには本当に感謝してる。今だって僕は恭介に助けられてばっかで、そして……今日は有宇に助けられた」

 

「理樹くん……?」

 

 三枝が理樹の様子がいつもと違うことを察する。

 そして理樹は自分の力不足を感じているのか、気が晴れない様子で少し頭を項垂れる。

 

「僕には取り敢えず場を収めようとお金を出すことしかできなかったから……」

 

 なんだ、直枝さん落ち込んでんのか?別に直枝さんが気にする必要なんて無いだろうに。元々はトラブルの種巻いた三枝と、権力利用して言い掛かりつけてきたあの風紀委員達のせいだろう。

 とはいえあれだな、直枝さんにはこれからも世話になると思うし、少し元気付けてやるか。こういうのはココアの領分だが、たまにはいいだろう。

 そう考えると有宇は理樹に向けて言う。

 

「別にいいんじゃないか」

 

「え?」

 

「それが直枝さんにとって最良であったならそれでいいじゃないかって。僕は他人の為に自分の金出すなんてまっぴらゴメンだから絶対しないだろうしさ。そういうことを咄嗟に他人の為にやってのける直枝さんの優しさは僕にはないものだし、それは直枝さんの強さだろ」

 

「有宇……」

 

 有宇がそう言うと、続いて三枝も理樹を元気付ける。

 

「私も、あそこで理樹くんが庇ってくれて嬉しかったよ。ありがとね、理樹くん」

 

「三枝さん……」

 

 それから有宇は更にこう続けた。

 

「それにあの場を収めるということを目的とするなら、直枝さんの方が正しい。穏便に、これ以上話を拗らせないようにするための妥協案としてはあれが最良だ」

 

 そう、事を荒立てずにあの場を収めるということを目的とするなら直枝さんの方法が本来一番いいのだ。向こうが意地を張る要因となったジュース代を支払うことで、これ以上の追求をする向こうの大義を失わせる。そうすることで穏便にあの場は解決できたわけだ。

 

「ならどうして有宇はわざわざ止めに入ったの?」

 

 どうして?最初はてっきりカツアゲされてるのかと勘違いしたからだったが、そうだな───

 有宇はニヤリと下衆な笑みを浮かべて答える。

 

「決まってる。僕が気に食わなかったからだ」

 

 金を払えばその場は収められるかもしれないが、それだと完全に三枝の無実を証明したことにはならないし、寧ろ半分認めたようなものだ。

 無実が無実として証明されることなく問題が片付いていき、当人だけが納得の行かないその結末の気持ち悪さを噛み締めていかねばならないのだ。味わったことがあるからわかる。そんなもの、認められるわけがなかった。

 だから例え穏便に片付くことがなくても、僕は三枝が本当に無実だというなら、その無実を証明したかったのだ。

 そして、それが証明できたと言うなら、言い掛かりを付け三枝を苦しめた奴等に仕返しをしてやりたかった。それは多分、三枝のためではなく、僕自身の自己満足のためだ。僕がやり返すことができなかった、僕を陥れた奴等に風紀委員達を重ねて、そいつ等にやり返した気でいたかったのかもしれない。我ながら本当に性格が悪いな。

 

「……そっか」

 

 理樹は有宇の答えを聞いて、穏やかな笑みを浮かべる。

 取り敢えずは元気付けられたであろうか。直枝さんにはこれからもできるだけ笑顔でいてもらいたい。この先のことを考えると、どうしてもそう考えてしまう。

 

「でもちょっとやり過ぎじゃないかな。二木さんや有宇の同級生の娘とか……」

 

「何が悪い。向こうが先にやってきたのを僕がやり返してやっただけさ。直枝さんは甘いんだよ。ああいうのはこっちが優しくしてれば付け上がってまた言い掛かりつけてくるだろうし、逆らう気を二度と起こさせないように徹底的に痛みつけてやった方がいいんだって」

 

「あはは、有宇は容赦ないね……」

 

 理樹が再び苦笑いを浮かべる。すると突然、三枝が有宇に尋ねた。

 

「ねぇ、そういえばなんで助けてくれたの?」

 

「は?何が」

 

「だって、最初は私のこと疑ってたのに、どうして信じてくれたのかなって。嘘だっていう可能性もあるのに……」

 

「なんだよ、疑ったことまだキレてたのかよ。仕方ないだろ、向こうがさも事実かのように言うからさ。まぁ、もう済んだことだし、いいだろ?」

 

「そうじゃなくて、どうしてあの時私がやってないって言ったのを信じてくれたの?嘘ついてたかもしんないじゃん」

 

 三枝の表情はいつの間にか真剣味を帯びていた。

 こいつ、何にそんなマジになってんだ。

 

「嘘ってなんだよ」

 

「だって私なんか信用ないし、遅刻ばっかするし、言うこと全部嘘だし……」

 

「自覚あんなら止めればいいだろ。ったく、本当に面倒くさい女だな」

 

「有宇」

 

 三枝に毒づく有宇を理樹が窘める。

 理樹に言われて仕方なく、「はぁ」とため息を吐いてから有宇は三枝の質問に答える。

 

「別にお前を信じたわけじゃない。ただ、お前らしくないと思っただけさ」

 

「私らしくないって……?」

 

 三枝が首を傾げる。

 

「お前ってさ、いつも何かやらかしても、犯人が自分だってわかるようにしてるだろ。そうじゃない時だって今朝みたいに自ら名乗り出てくるしさ。だってそうだろ、お前は誰かを揶揄いたいと思っても、嫌がらせがしたいわけじゃない。だろ?……まっ、僕から言わせりゃあまり変わらんがな」

 

 この女が悪戯をするのは、来ヶ谷の話を信じるのであれば、誰かに自分の存在を認めて欲しいという承認欲求からだ。自分を気にかけて欲しい、自分に興味を持って欲しい、たとえそれがマイナスイメージでも何でも。

 結果的にこの女は周りからの信頼?と呼んでいいのかわからんが、それなりに上手くやっていってるようだ。風紀委員のような真面目な奴等には嫌われてるが、まぁこの僕ですら、それこそ人当たりの良いココアのような奴ですら、全ての人間と仲良くすることはできない。自分のコミニティを作り上げただけでも御の字というもんだ。

 そして有宇は話を続ける。

 

「もし本当に風紀委員の言う通りであるならば、お前は自分がやったことを否定はしないだろうしな。そもそも、今回のジュースを盗むとか、そういうただ自分の利益だけを求める盗みという行為には走らないだろう。それはお前のポリシーに反する筈だからな。そうだろ?だって人知れず物を盗んだとこで誰も見ちゃいないんだし、誰も揶揄えないんだからお前にとってなんの意味もないはずだしな」

 

 もし今回の件の犯人が本当に三枝であるはずならば、こいつはいつものように名乗り出るはずなのだ。そんなあいつが今回は強く否定した。

 それに盗みという行為自体、こいつにはなんの意味もない筈なのだ。だって人知れずにものを盗んだところで誰も三枝を見てはくれないし、それこそ盗みなんてやったことを知られでもしたらせっかく周りと上手くやってきたのも全部台無しになる。

 つまり、三枝にはそもそも盗みを働く動機がないのだ。だから、三枝がやったとは僕には思えなかった。三枝をただの愉快犯としか考えてない風紀委員の連中にはわからないだろうがな。

 そして最後に有宇はこう言う。

 

「だから、別にお前自身を信じたわけじゃない。お前の悪戯にかける信念を信じてみただけさ。大体、迷惑はかけられた覚えはあるが、嘘をつかれた覚えはないしな。少なくとも僕は」

 

 有宇がそう言い終わると、三枝ただぼーっと立ち尽くしていた。そこに理樹が耳打ちする。

 

「色々言葉並べて言ってるけど、きっと有宇は三枝さんのこと信じてたんだよ。口は悪いけど優しい奴だからさ」

 

「……うん」

 

 理樹にそう言われると、三枝は瞼に涙を浮かべる。しかし、その顔は先程のような暗い顔じゃなく、笑顔が戻っている。

 

「……がとね、理樹くん、有宇くん」

 

「あ、なんか言ったか?」

 

 三枝の言った言葉が聞こえなかったのか、有宇が聞き返す。すると三枝は涙を腕で拭うと、今度は満面の笑みではっきりとこう返す。

 

「ありがとって言ったの♪」




今回のお話は、私がわざわざこのクソ長くなるであろうリトルバスターズ編を入れてでも書きたかったお話の一つになります。
リトルバスターズ編では今回のような下衆な有宇くんが結構出て来ると思います。ぶっちゃけ、下衆な有宇くんを書きたいが為にリトルバスターズ編を書き始めたまであります。
まだまたまリトルバスターズ編長いですが、どうかこれからも読んでいただけたらと思います


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第37話、二人の兄

 夢……夢を見ている。以前にも見た夢だ。

 陽気な春の季節、僕等は桜並木を歩いている。歩未がいて、僕がいて、そして僕らの間には、あの人がいる。

 見知らぬその人は笑顔で僕に微笑む。けれど、その顔は霞がかっていてはっきりと見ることはできない────

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 朝、目覚ましの音と共に、いつものように有宇はベッドから目を覚ました。しかしまだどこか夢見心地である。

 

「またあの夢か……」

 

 しばらくぶりにあの夢を見た。家出をしてから初めて歩未へ電話をかけたあの日、歩未の突拍子もない一言を聞いて以来、あの人はたまに夢に現れる。

 

『うん、なんか……もう一人家族が居たような……?そんな夢』

 

 あの時の歩未のあの一言。まさかあの人が僕達の家族だとでも言うのだろうか。いや、そんなはずはない。僕の記憶にはあんな人がいた覚えなどないし……。

 わからない。なぁ、貴方は一体本当に誰なんだ……。

 

 

 

 それから有宇は制服の着替えると、いつものように寮から学食へ赴き朝食を取る。朝食を食べ終えるとそのまま学校に行き、自分の教室へと向かった。

 教室に着くと、教室の様子はいつもとどこか様子が違うのに有宇も気付く。教室の窓際、有宇の机の隣の席に四・五人の人だかりができていたのだ。そして、それを見ると、有宇は内心焦りを感じた。有宇にはその人だかりの原因に心当たりがあり、その原因が自分にあることを知っていたからだ。

 昨日、有宇は風紀委員に因縁をつけられ、更にやってもいない罪で追い詰められていた三枝葉留佳の無実を証明してやったのだ。しかしその際、風紀委員の態度に腹を立てた有宇は自らの下衆な素顔を風紀委員達の前に(あらわ)にしたのだった。そしてその風紀委員の中には、有宇のクラスメイトで、しかも隣の席でもある飛鳥馬美咲もいたのだ。

 まさかあの女、昨日のこと話したのか?なんのために脅しをかけたと思ってる。僕が本当にやらないとでも思ったのか?にしても本当にバラしたとなると少し面倒だな……。まぁ、音声は念の為、昨日の内に僕に都合のいいように編集はしておいたし、いざという時にはこれをクラスメイト達の前で流してやればいいか。

 下手に警戒したところでしょうがないと割り切り、有宇はさも何も知らない風を装いながら、その人だかりの所まで歩いて行く。

 

「おはよう。これは何の集まり?」

 

 爽やかな笑顔を浮かべながら、飛鳥馬美咲の席にたむろしている女子生徒の一人に声をかける。

 

「あ、乙坂くんおはよう。なんかね、美咲ちゃんの元気ないの。何かあったのか聞いても何でもないっていうし……」

 

 その女子の視線の先には、朝から暗い顔を浮かべる飛鳥馬美咲の姿があった。傍から見ても、何かあったのかと声をかけたくなるような死んだ顔を浮かべている。これでよく学校に来ようと思ったな。まぁ、どうやら喋ったわけではないようだ。なんにせよ一安心だな。

 そして有宇は外向きの笑顔を保ったまま、さも何も知らないかのように美咲に声をかける。

 

「どうしたの美咲さん、何かあったなら相談に乗るよ」

 

「い、いえ……大丈夫です……」

 

 震える声を殺すように、美咲はか細い声でそう返した。

 周りの女子達は美咲がこうなったのは彼のせいだとは露程にも思わず、「乙坂くんやさしー!」「私も相談に乗ってもらいた〜い」などと(のたま)わっている。そして、その傍らで美咲が、恐怖の根源である有宇に、含みのある笑みを向けられていることに怯えて震えていることなど、その場にいる誰も気付きやしなかった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 昼休み、この日は蒼士と二人で購買のサンドイッチを買って、教室で昼食をとっていた。

 

「そういやお前の席の隣の飛鳥馬さん、風紀委員辞めるらしいな」

 

「へぇ、それで朝から元気なかったのか」

 

 有宇は白々しくも、サンドイッチ片手にそう答える。

 

「あんなに風紀委員で頑張っていくって張り切ってたのにな。確かお父さんが警察官で、自分もお父さんのように規則正しい学園生活を守っていきたいとかクラスの自己紹介の時にも言ってたぐらいでさ」

 

 あの女、地味そうに見えてそんな目立つ自己紹介してたのか。一応それなりに目標を持って風紀委員の仕事をしてたってことか。まぁ、今更同情はしないがな。

 

「やっぱあの風紀委員長怖そうだもんな。すげえ美人だけど、おっかないって噂だし、きっと付いてこれなかったんだろうな」

 

「そんな怖いのか風紀委員長」

 

 当然知っているが、飽くまで知らない体を貫き通す。どこからバレるか知れたもんじゃないしな。

 

「ああ、少しの違反も許さないとかで、停学に追い込まれた奴もいるとかいないとか。その冷酷な態度から氷の風紀委員長なんて呼ばれてるぐらいだ。飛鳥馬さんもあの風紀委員長に厳しくどやされたに違いない」

 

 二木佳奈多の悪評のおかげで、どうやら上手く誤魔化せそうだな。みんな飛鳥馬美咲がああなったのは二木のせいだと思い込んでいるようだ。

 だが油断はしちゃいけない。以前のカンニングのことだってある。バレないと思っていても、変なところからバレたりする可能性だってある。それこそまた言い掛かりをつけられて嵌められることだってあり得るだろう。まぁ、そうならないためにも今度は前回のようにはならないように一応心がけてはいる。

 こうして蒼士や他のクラスの男子達とも関係を築いているのはそのためだ。陽野森では女子ばかりに優しくして、かつ学園のマドンナである白柳弓を独り占めにしようとしたから男子のヘイトを買い、僕は嵌められた。だからここでは男子達からヘイトを買われないように、そしてあわよくば、いざという時に味方になってもらうために蒼士やクラスの男子達とも良好な関係を築いている。

 学園で名を馳せるリトルバスターズにも所属しているんだ。そうそう変なマネしなければ、取り敢えずここでの生活は安泰になるはずだ。

 未来に帰るまでの仮初の居場所ではあるが、ここで生活していくのであれば考えて行動していかなければならないのだ。

 有宇が内心そんなことを考えている間に、蒼士がペットボトルのお茶を飲んでいると、蒼士のお茶の中身が空になる。

 

「あ、なくなっちまった。有宇、悪いけど買ってきてくんね?金出すからさ」

 

「ふざけんな、自分で行け」

 

 良好な関係を築くとはいったが、パシリはゴメンだ。飽くまで対等な関係だ。じゃなきゃなめられて結局都合の悪いときにトカゲの尻尾斬りにされてしまう。

 しかし蒼士は引き下がらない。

 

「いいじゃん、お前もお茶無くなりそうじゃん。行ってきてくれよ。野球やってんだし、体力つけるためにもさ、ひとっ走りしてきてくれよ」

 

「お前だって弓道部だろ。自分で行ってこい。そして僕の分も買ってこい」

 

「なにお前もさらっと俺に買いに行かせようとしてんだよ!じゃあジャンケンで負けた方が行こうぜ」

 

 そういうことで、何故かジャンケンで負けた方が二人分の飲み物を買ってくることになってしまった。

 

「それじゃあいくぞ、じゃんけ〜ん………」

 

 

 

「くそ、まさか僕が負けるとは……」

 

 結局じゃんけんは有宇が負けてしまい、蒼士の分もジュースを買いに行くことになってしまった。

 

「三階にも自販機置いてくんねぇかな……」

 

 自販機は学食と購買の脇と中庭、あと寮の側にしか設置されていない。一年の教室は三階にあるので、ジュースを買いに行くのに結構な距離を歩くことになってしまう。

 取り敢えず有宇は一番近い中庭の自販機へ向かうことにした。そして中庭に着くと、自販機で蒼士の分のお茶と、自分の分の缶コーヒーを買う。するとその時、誰かが言い合っているのが有宇の耳に入る。

 

「なんかもう嫌な予感しかしないんだが……」

 

 聞こえてくるその声には聞き覚えがあった。

 ……昨日のこともあるし、面倒だが一応行ってみるか。

 取り敢えず有宇は声のする方へと向かった。向かってみると芝生の前には三人の人影が見えた。一人はリトルバスターズの一員でもある神北小毬。そして二人目は昨日に引き続き直枝さんだ。そしてもう一人は────

 

「規則に違反しているのは貴方達なのよ。私は風紀を正しているだけ」

 

 ……またあの女か。

 直枝さんと神北の前に立ち塞がっているのはまたしても風紀委員長、二木佳奈多である。神北の顔は今にも泣きそうで、直枝さんの方はといえば二木と何やら言い争っているみたいだが、二木に気圧されているようだ。

 二木の奴、昨日ので懲りてくれると思ったんだが、逆に敵対心を煽ったか。なんにせよ、また変な言い掛かりつけられてるのであれば助けに行かない訳にはいかない。

 そう思い有宇は三人の元へと歩み寄って行った。

 

「どうしたんですか直枝さん」

 

「あ、有宇、どうしてここに?」

 

「いや、僕は飲み物買いに来ただけで……。それで、またトラブルですか?」

 

 有宇がそう言うと理樹はバツが悪そうな顔を浮かべる。そしてそのすぐに神北小毬が有宇に泣きつく。

 

「うわ〜ん!乙坂くん助けて〜」

 

 どうやらこの様子だと、今回の被害者は神北のようだな。そういえばこいつも屋上侵入したり、校則違反とか犯してそうだもんな。おまけに三枝と同じリトルバスターズだし、そのせいで何かしら言い掛かりを付けられたのかもしれない。まぁ、取り敢えず今回も相手はこいつだということだ。

 そして有宇は側にいる二木に視線を移す。

 

「二木先輩、また弱い者いじめですか?」

 

 嫌味ったらしく二木に言う。しかし昨日のことがあったにも関わらず二木は相も変わらず強気の姿勢である。

 

「私は弱い者いじめなんてしません。私は風紀委員として風紀を正しているだけです」

 

「へぇ、言われもない罪で人を追い詰めるのは風紀を正すことだと?」

 

 有宇にそう言われると、二木は眉間にシワを寄せる。

 昨日のことはこいつにとって相当屈辱であったはずだからな。気にしていないはずがない。本当はこの場に僕が現れて、内心バツが悪い思いをしているに違いない。

 さて、じゃあそろそろ本題に入るとするか。

 

「で、今回は何があったんだ?」

 

 二木への挨拶代わりに嫌味を言い終えた有宇は、理樹に事態の説明を求める。

 

「小毬さんがそこの芝生でおやつ食べてたんだけど……」

 

「芝生?……あーそれは……」

 

 それは流石に言い訳できないな。

 直枝さんが指差したそこの芝生は立入禁止だ。昼になるとそこで昼飯食ってる奴もいるが、基本的に立入禁止らしい。どうやら神北がここで飯を食べていたのを二木に見つかって説教くらってたということみたいだな。

 風紀委員が取り締まるのは当然だし、今回はこちらに非があるようだ。ぶっちゃけお手上げだな。

 

「なら、さっさと頭下げればいいだろ。それでこの話は終わりだ」

 

「勿論小毬さんもちゃんと謝ったんだ。でも……」

 

「まだ話は終わってないわ」

 

 すると突然二木が口を挟んできた。そしてその話とやらを長々と語りだす。

 

「貴方達リトルバスターズは最近校内を騒がせています。風紀委員には学園の風紀を正す義務があり、今回も芝生を踏み荒らされたおかげで私達は迷惑してるの。近々委員会でも校則違反者の罰則を強化して校則違反者への取締を強化するつもりです。それに辺り貴方達のような校則違反者をリストアップし、全員に警告を促していきます。警告を無視し、これに違反するようであれば私達も……」

 

「もっと短くまとめろよ。全然話が入ってこねぇよ」

 

 あまりにも長ったらしくウザかったので、思わず有宇は二木の話の途中にも関わらず口を挟んだ。この女、本当に話し方から何から何までくどい。聞いててイライラする。

 そして二木はそんな有宇の態度に嫌な顔しながらも、要点をまとめて続きを話した。

 

「……素行には注意なさい。貴方達は既に私たち風紀委員会では厳重注意の対象にしています。次校則違反をするようであれば厳罰は免れないでしょう。これは最後通告と思いなさい」

 

 要は、リトルバスターズは風紀委員に目をつけられていて、次なんかしたら容赦しねえぞってことだろ。初めからそう言えよな。

 

「わかったわかった。他の奴等にも伝えとく。今回はうちのが迷惑かけて悪かったな。だからもういいだろ?」

 

「まだよ、まだそこの彼女のことが終わってないわ」

 

 そう言って二木は神北を睨んだ。神北の方は二木の視線にすっかりビビっている。

 

「はぁ?もう芝生のことはいいだろ。こっちの謝罪はもう済んだじゃないか。芝生からも出たし、もうお前の要求はちゃんと呑んだんだ。これ以上何を言う必要があんだよ」

 

 有宇がそう言うと、神北が「有宇く〜ん」と再び泣きついてきた。

 

「二木さんにセーター脱げって言われたの」

 

「セーター?」

 

 セーターって、確かに神北は白のセーターを着ている。だがそれはちゃんとした学校指定のセーターだし、別にまだ衣替えってわけでもない。文句を言われる筋合いはないだろ。

 そして有宇は二木を睨みつける。

 

「何故神北先輩がセーターを脱がなきゃならない?まさか学校指定のセーターを着るのは校則違反だとか抜かすわけじゃないよな」

 

「彼女と同じ格好をしている人がどれだけいる?規則に違反していなくても充分風紀を乱しています」

 

「そんなこと言ったら、もうお前らが言えば何でもありになるだろ」

 

「私達は飽くまで風紀を正すためにやってるに過ぎません」

 

「その綺麗事を免罪符にすれば何でもできるって話をしてんだよっ!!」

 

 二木の態度にイラつき、有宇は思わず声を荒らげた。しかし二木は少しも動じることはなかった。その冷たい瞳でただこちらを見つめ返すだけだ。

 こいつはおそらく自分が絶対に正しいと信じ込んでいるんだ。前回だってそうだ。あんなふざけた言い掛かりで三枝に無実の罪を着せようとした時だって、こいつは自分勝手な正義を執行した気でいたんだろうよ。

 今だって、校則に明確な違反規定が無いにも関わらず、自らの判断で生徒を裁こうとしている。それがまかり通れば、風紀委員が言うだけで生徒を処罰できてしまうし、誰もこいつら風紀委員に逆らえなくなるし、こいつらに怯えていかなければならない。それが許されるのなら、この世に罪刑法定主義なんて概念は生まれねえんだよ。

 しかし現状、二木は芝生の件で、この場における会話の主導権を握っている。だからこそ、昨日あんなことがあったにも関わらずこいつは強気でいられるのだ。なら、その主導権を奪い取ってしまえばいいだけだ。

 すると有宇は二木に突然歩み寄っていった。そして二木の前まで来ると、突然膝を折ってしゃがんでみせた。

 

「なっ……!?」

 

 有宇の突拍子もない行動に、流石の二木も驚き、顔を赤らめた。そして下着が見えないよう、すぐにスカートを抑える。

 

「ゆ、有宇!?」

 

「ほっ、ほわっ!?」

 

 有宇の行動に、理樹と神北も驚き声を上げる。

 それから有宇はすぐに立ち上がり、下衆な笑みを浮かべながら二木の前に立つ。二木はというと、今の一連の有宇の行動に激昂した。

 

「貴方、こんなことしてただで済むと思ってるの!女生徒の下着を覗くなんて行為、罰則を受けるだけで済むとでも……!」

 

「大体、膝上二十から二十五センチってとこか」

 

 有宇が一言そう言うと、二木が黙る。

 

「スカート丈、短すぎやしないか」

 

 続けて有宇がそう言うと、二木はバツが悪そうな顔を浮かべる。

 

「その長さじゃ少し風が吹いただけで下着が見えそうだな。充分、風紀を乱す格好だと思うが?」

 

「スカート丈に関する校則の規定はありません。それに他にもスカートの短い生徒は……」

 

 そこまで言いかけると、二木は有宇の狙いに気づいた。だがもう遅かった。その瞬間、罠にかかったと言わんばかりに有宇は目を見開いた。

 

「それはまたおかしな話だな。セーターを着るのは校則に違反してなくても風紀に違反するからダメと言っておいて、自分は下着をチラつかせるスカート丈にして風紀を乱すのはいいのか。随分と自分勝手な風紀もあったもんだなぁ」

 

「くっ……」

 

 有宇の狙いは、二木の掲げたその御高説を逆手に取り、二木自らがそのご高説にある行為と大差ない行動をしていることを指摘し、その説得力をなくすことだったのだ。

 よく後ろに振り返るときとか、スカートが翻って下着が少し見えてたし、前から風紀委員長のくせにスカートが短過ぎると思ってたんだ。セクハラっぽいし、別にわざわざ言うことでもないから黙っていたが、今がその使いどころだろう。

 すっかり会話の主導権を握った有宇は更に畳み掛ける。

 

「別にスカートを短くするなとは言わんさ。お前だって年頃の女子だろうし、色気付く気持ちもわからなくはない。ただ、人にあれこれやるなと言っておいて、自分だけその例外に入れるのは、風紀委員としての権力の私物化に他ならない。違うか」

 

「これは、別にそういうのでは……!」

 

 顔を俯かせながら二木は、先程までの強気の態度と打って変わって、か細い声で答える。

 そういうのではない?よく言えたな。明らかに短いスカートを履いてる理由が他にあるって言うなら言ってみろ。そして、それが風紀のためになる理由があるなら言ってみろよ。言えるはずがない。そんな理由あるはずないからな。

 結局、お前も規則外の自由を謳歌していた他の生徒となんら変わりはないんだ。そんなお前が、神北にどうこう言える筋合いは無いんだよ。

 有宇は更に話を続けた。

 

「お前達風紀委員の掲げる正義はご立派だよ。実際それである程度、規律は守られてるんだろう。だが、目に見えてやり過ぎだし、あまりにも自分本位過ぎやしないか。そんなこと続けたらいつか周りからの信用も失っていくだろうし、それで足元(すく)われるのはお前らだぞ。まさか、昨日に引き続いて、ここまで言われてもわからんほどのマヌケじゃないだろうな」

 

 有宇はそう言うと、目を細め二木を鋭く睨みつける。

 正直、こんな説教臭いこと言うのはキャラじゃないんだが、僕の目から見てもこいつらの行動や態度はあまりにも目に余る。

 確かに風紀委員には学校の風紀を守る立場にある。それは僕とて理解している。だが、こいつらはどこか校則違反者であればどんなに厳しくしても許されると思っている節がある。

 風紀委員達からしたらそういった奴は信用がないと言うのだろう。確かにそうだ。一度道を踏み外した奴は信用を失う。僕自身経験したことだし間違いないさ。だが、だからといってそれを免罪符にどんなに言い掛かりつけようが何しようが許されるとこいつらは思っている。

 信用を失うようなことをしたそいつ等が悪いといえばそれまでだが、だからといってそいつ等になら何をしても許されるというのが正しいかといえばそうではない筈だ。

 だってそうだろ、お前たちの仕事は学園の風紀を守ることであり、校則違反者に罰を与えることではないはずだ。だが、いつの間にか風紀を守るという目的と、そのために罰則を課すという手段が入れ替わっている。校則違反者を罰するために、風紀を守るという建前を手段としているのだ。少なくとも僕にはそう見える。

 風紀委員という場所に身をおいて勘違いしているんだろう。自分達こそが正義だと。自分達は正義を執行しているだけだと。結局こいつらは正義という言葉で自分を騙して、自分に酔ってるに過ぎないのだ。自分に酔うのは勝手だが、その自分勝手さに他人を平気で巻き込み悪びれもしないその態度が、僕には我慢ならない。

 とはいえ、僕に関わり合いのないとこでやるなら僕も文句は言わんさ。僕も正しさからは外れた人間だしな。他人にどうこう言えた筋合いは無い。僕と関係ないとこでやるなら所詮は他人事、僕がわざわざ言うことじゃない。だが、僕の前に立ちはだかるというのであれば話は別だ。容赦なく敵対するし、必要があれば蹴落としてやる。

 すると、二木は反論することもなく、素直に謝罪した。

 

「そうね、余計な口出しだったわ……ごめんなさい神北さん」

 

 驚くほど素直に頭を下げたな。いや、反省したならいいが、素直に頭下げられたらそれはそれで気持ち悪いな。昨日はあれ程頭を下げるのを嫌がっていたのに。

 昨日は頭を下げる対象が三枝だったからか?本当にあの二人、どういう関係があるんだ。

 そして二木が頭を下げると、神北は反応に困りながらも二木の謝罪に答える。

 

「えっと、気にしなくていいよ。風紀委員って大変そうだもんね。私も芝生に入ってごめんなさい」

 

 そう言って神北も同様に二木に頭を下げた。まぁ、取り敢えずこの場はこれにて一件落着したようだ。

 

 

 

 それから二木が去ると、神北が有宇に向かって泣きじゃくりながら思いっきり抱きついて来た。

 

「うえぇぇん!!乙坂くん助かったよ〜!ありがとう〜!」

 

「ちょっ、涙で制服が……!ええい離れろ!制服が汚れる!」

 

 突然のことに有宇も思わずたじろぎはしたが、すぐに神北を体から引き剥がした。

 ったく、こういうところとかココアみたいだ。男子相手なんだからもう少し危機感持てよ本当に。にしてもまぁ、胸はココアより……いやいやいや、何考えてんだ僕は。

 なんだかんだ言って神北に抱きつかれて、内心ドキマギしていた有宇であった。

 

「小毬さん、流石に男子に抱きついたりするのはやめた方がいいんじゃないかな」

 

「うん、私も今更恥ずかしくなってきた……」

 

 理樹が神北に注意すると、神北も顔を少し赤らめて自分の行動を反省する。

 どうやら突発的に思わずしただけで、ココアとは違いその辺のモラルはあるようだ。

 

「にしても流石だね、有宇は。また助けてもらっちゃったよ」

 

「一応、僕もリトルバスターズだからな。まぁ、気にしないでくれ。とにかく、これでもう絡んでこなきゃいいんだがなぁ。目つけられたっぼいし、またその内ひと悶着ありそうだな」

 

 あの女はなんていうか余裕がない。他人を許容できる余裕がないから態度も自然と冷たくなるし、だからああも他人に対して攻撃的になるんだろう。風紀と敵対する校則違反者ともなれば尚更だ。

 おそらくあの様子じゃまたどこかでぶつかり合うことになるだろう。あいつはこれぐらいで挫けはしないだろうし、僕らがあいつの正義に反するようなことをすれば、またあいつは牙を向いてくることだろう。

 そのときはまた僕ができる限りはなんとかするし、それに、あんまりにもしつこいようなら、本気であいつらを潰しにかかるだけだ。できればそうならない事を願うが……。

 

「にしても有宇、今更なんだけどさ、二木さんのスカートの長さを指摘するだけなら、二木さんの前でしゃがむ意味あったの?」

 

「それは私も思ったかも」

 

 すると、理樹と神北が先程の有宇の行動の意味に疑問を呈し始めた。

 

「意味なんてない。明らかなセクハラ行為を誤魔化せるか試しただけだ。敷いて言えば……嫌がらせか?」

 

 有宇はさらっとそう答える。

 

「「ええっ!?」」

 

 二人が有宇の答えに驚いて声を上げる。二人ともてっきり何か意味があるものだと思っていたのだ。

 

「まぁ、怒らせて思考を鈍らせる意味もあったんじゃないか?」

 

「やった本人が疑問形で答えないでよ。明らかに今作ったでしょその理由」

 

 仕方ないだろ。実際意味なんてないんだから。

 あの時僕は、ただあいつの仏頂面を崩してやりたいとそう思ったに過ぎない。実際、奇をてらった行動を取ったことで、あいつも予想外のことに思考停止したのは間違いないだろうしな。

 それに今後またあいつに絡まれたときに、どの辺りの行動まで許されるか知っておいて損はないしな。二人には意味はないと答えたが、意味はあったと思う。

 すると、恐る恐る神北が有宇に尋ねる。

 

「えっと、でも二木さんの下着を見るためとかではないんだよね……?」

 

 気になるところそこなのか?お前、さっきまでその女に酷い目に合わされたってのに、どこまでお人好しなんだか。

 

「当然だ。僕がそんな低俗な理由でするわけないだろ」

 

「よかった。見たわけじゃないんだ〜」

 

 そう言って神北は安堵の声を漏らす。

 

「いや、見るためにしたわけではないけど、見えなかったとは言ってないぞ」

 

「ふぇ?」

 

 有宇の答えに神北は素っ頓狂な声を漏らした。

 

「ピンクだったな。無地の。流石は風紀委員だ。どっかの誰かさんのアリクイパンツよりマシだが、色気無い下着だったな」

 

「うわぁ……」

 

「なんで有宇くんが知ってるの!?」

 

 有宇の発言を聞いて、理樹と神北の二人は引いていた。すると有宇もそれに気付き慌てて否定する。

 

「いやいやいや、見えただけだよ。別に下心じゃない。大体、短いスカートを履くあの女が悪いのであって、僕は悪くない」

 

「げ、下衆い……」

 

 有宇の言い訳を聞いて、更に理樹は引いていた。神北も「ほわっ……有宇くんがエロい……」と嘆いていた。

 くそっ、助けてやったのになぜ僕が引かれなきゃならんのだ。

 そりゃ僕も少し前までは能力使って女子の下着覗いたり、女子の体に触れたりしたこともあったが、それも今にして思えばちょっとした気の迷いだ。僕はそんなに助平ではない。

 さっきのあれだって本当に下着が見えるとは思わなかったんだ。でも見えたもんは仕方ないだろ。僕は悪くない。

 二人の態度に有宇は不満を抱く。するとその時、神北が有宇の後ろにある何かを見て「あっ……」と呟く。

 

「唯ちゃんだ」

 

「なに?」

 

 有宇も背後を振り返る。

 確かに来ヶ谷だ。そしてこっちに向かってきている。

 しかしなんだ?様子がおかしい。何というかただならぬ雰囲気を感じる。僕達に声をかけることもなく、黙って険しい顔を浮かべて近づいて来ている。まるで、何かに怒っているようであった。

 取り敢えず気付いた以上は声をかけるか。

 

「よ、よう来ヶ谷、今お前がいない間大変だっ……」

 

 有宇がそう言いかけたときだった。来ヶ谷が突然有宇の胸倉をつかみ、鋭い目つきで有宇を睨みつけた。

 

「やってくれたな、貴様」

 

 突然なんだってんだ。この女っ、なんでこんなにキレてんだよ。

 憤る来ヶ谷を前に、有宇はなす術がなかった。すると、この様子を見かねてその場にいた理樹と神北が来ヶ谷に静止を呼びかける。

 

「来ヶ谷さん、突然どうしたのさ!?やめてよ、有宇の首が締まっちゃうよ!」

 

「唯ちゃん!有宇くんは私を助けようと……」

 

「悪いが二人とも、黙っていてくれるか」

 

 しかし、来ヶ谷はそう一喝して二人を黙らせる。

 この女、本当に何をそんなにキレてるんだ。そういやこいつ、二木となんか知り合いっぽかったな。まさか僕が二木を言い負かしてやったことに腹を立ててるのか?

 

「そっ……そんなに二木のことが大事か、来ヶ谷」

 

「ああ、大事だとも」

 

 有宇の問い掛けに、来ヶ谷はきっぱりとそう答えた。

 やはりそうなのか。来ヶ谷と二木の間に何があるのかは知らんが、こいつにとってはリトルバスターズなんぞよりもあの女の方が大事ってことか。はっ、こいつにとってリトルバスターズなんてそんなもんかよ。やっぱり仲間なんてもんは信用ならな……。

 

「貴様のせいで、佳奈多くんの……絶対領域が狭まってしまうではないかっ!!」

 

「…………は?」

 

 えっ?キレるところそこ?あんなにガチトーンでキレた理由がそこ?

 来ヶ谷の怒りの理由があまりにも馬鹿らしく、流石の有宇も困惑せざるを得なかった。

 

「二木を言い負かしてやったからキレてたんじゃ……」

 

「ん?あぁ、あれは彼女のやり過ぎは目に見えていたし、君が出てこなかったなら私が止めに入るつもりだったしな。別にそこは構わんよ。寧ろあの佳奈多くん相手に流石と言うべきであろう」

 

 ああ、そこはよかったのか。てっきり二木を味方するあまり僕にキレていたのかとばかり。ていうか見てたなら助けに入れよ。僕だって面倒くさかったってのに。

 すると来ヶ谷はまた急に声を落として、ガチトーンで有宇に迫る。

 

「それよりもだ、何故佳奈多くんのスカート丈について言及した」

 

「いや、何故って。だってあれ明らかに短すぎるし……」

 

「それがいいんじゃないか!!風紀委員というお堅い立場にありながらもあのスカート丈の短さ!!君だって男心をくすぐられるはずだろ!?それを何故わざわざやめさせるようなことをするのかね!?」

 

 こいつ……変態だ!!

 いや、わかりきってたことだけど、なんでこいつ女のくせに女が好きなんだよ!キャンプ場で出会ったときからそうだったが、イタズラするだの絶対領域だの、変態過ぎるだろ。

 大体、女なのに女が好きな奴なんて他に……。

 有宇がそう思いかけたその時、有宇の頭の中に、チノにしつこく抱きつこうとするココアと、リゼを異性に向けるような視線で見つめて顔を赤らめるシャロの顔が浮かぶ。

 いや……割と普通なのか?いかん、何が普通なのかわからなくなってきた。

 有宇は身近にまともな人間が殆どいないことに思わず頭を抱えた。それから二木のスカート丈を指摘した時から気になっていた疑問を口にする。

 

「ていうかなんであの女、風紀委員のくせにあんなスカート短くしてんだ?好きな男でもいんのか?」

 

 わざわざ他人に付け入れられる隙を見せてまで、何故あんな短いスカートを履いている。あの女だってバカじゃないんだからそれぐらいわかるだろうに、なんでわざわざスカートを短くしているのか。単純に疑問だった。

 すると来ヶ谷から意外な答えが返ってくる。

 

「ああ、それは彼女なりに一般生徒へ歩み寄っていった結果だよ」

 

「歩み寄る?」

 

「彼女は去年まではスカート丈も膝まであり、普通の格好だったんだがな。今年風紀委員長に就任する際に周りの風紀委員からもっと親しみやすい感じにしたほうが良いと言われたそうだ」

 

「まさかそれでスカートを?」

 

「うむ、そのまさかだ。佳奈多くんはあれで風紀委員達からカリスマ的に好かれてるからな。そんな風紀委員達が調子に乗ってスカートを短くすることを提案したらしい。おまけに委員の大半が提案に乗ってきたために佳奈多くんも断り辛くなりその話を飲んだというわけだ」

 

「マジかよ……」

 

 あの女、そんなんで自分の信条曲げんのかよ。まぁ、だが風紀委員も組織だし、あいつも所詮は組織の一員。委員長でいられるのも組織の中での信頼あってこそだ。

 その組織の長であるあの女は構成員の期待を背負う立場にあるからな。しかもそれが自分のための提案という体裁があるものだから無下にはできなかったのであろう。まぁ、だからといって同情はしないが。

 

「全く、今までも指摘しそうな輩は個人的に排除してきたというのに、新入りの君に関しては全くの想定外だった。これでもう彼女のお御足を眺めることはできなくなったというわけだ。はぁ、折角の目の保養が……」

 

「知るか」

 

 目の保養だとかいうが、僕はあの女の姿を見るだけでムカついて堪らないのだが。確かに美人ではあるが、僕にとっちゃもう嫌悪の対象でしかない。これから間違いなくあの女のスカート丈は長くなるだろうが、んなこと知ったことか。

 大体、スカートを短く履けば可愛いだとかいう考えそのものが受け付けん。肌の露出は僕とて時にそそられるものはあるが、基本的に女は慎ましく有るべきだというのが僕の考えだ。それこそ白柳弓のように謙虚に美しく、立ち振舞も素晴らしい大和撫子たれと思う。過度な露出で男の気を引こうという低俗な考えには、どうにも僕にはなれんな。

 そんな事を考えていると、来ヶ谷がふとこんなことを言い出した。

 

「しかし、昨日理樹くんから聞いた話も含めると、君は中々下衆なことを平然とやってのけるのだな」

 

「下衆?どこが。僕は普通に三枝の無実を証明してやったに過ぎない。それのどこが下衆だというんだ。寧ろ褒めてくれよ」

 

「勿論、葉留佳くんを助けたその行いは賞賛に値する。褒美にお姉さんが撫でてやろう」

 

 そう言って来ヶ谷は有宇の頭を撫で始めた。いつもなら髪が乱れると言って払いのけるところだが、自分から褒めろと言った手前、流石にそれは憚られた。

 しばらく有宇の頭を撫でると、来ヶ谷は撫でるのを止めて話を続ける。

 

「しかし、些かやり過ぎなところも見えるのでな。お姉さんからちょっと注意しておこうかと思ってな」

 

「やり過ぎってなんだよ」

 

「相手の弱みに付け入るだけならまだしも、そこに加虐性があるようにも見えるということさ。君は君自身が敵と認識した相手であれば傷つけることに躊躇がない。それは、相手を窘めるという行為から行き過ぎた行いではないかね」

 

 要はやり過ぎだって言いたいってことか。おそらく二木に脅しをかけて罵声を浴びせたこと、飛鳥馬美咲を過度に攻め立て脅迫したことを言っているのだろう。この前僕をボコボコに殴り倒した奴のセリフとは思えんな。

 

「はん、弱みを見せた奴が悪いのさ。大体、ちゃんと叩いておかないとああいう手合は図に乗ってくるし後が面倒だ。それに今回非があったのは向こうだ。何が悪い」

 

「正しさを盾に相手を傷つける行為は佳奈多くんのやったことと変わりないのでは?」

 

「あいつのはただの言いがかりさ。そこに正しさも正義もない。自分の下らないプライドで動いてるだけだ。それと比べ僕は少なくとも、ちゃんと物事を秩序立てて理路整然と自分の正しさを主張している。あいつとは違うのさ」

 

「そうかもしれないな。ただ……」

 

 そう言葉を切って来ヶ谷は言う。

 

「他人を傷つけることに慣れてしまえば、いつか君自身を傷つけることになる。君自身、わかってることじゃないかね」

 

「……」

 

 それを聞いて有宇は押し黙る。

 来ヶ谷の言い分は実に図星であった。有宇自身、これまで自分の地位を築くために他人を利用し、蹴落としてきた人間であった。そしてその末にしっぺ返しに合い、傷つき全てを失った。

 ただ、それでも……。

 

「別に、向こうが何もしてこなきゃ僕だって手は出さない。ただ、僕と敵対するのであれば、それが誰であろうが潰すだけだ。それで相手がどうなろうが知ったことか」

 

 有宇は来ヶ谷に睨み返し、そう返した。すると来ヶ谷は呆れ気味で言う。

 

「ふむ、やはり君は中々強情だな。ではそんな君には私からこの称号をやろう」

 

「……え?」

 

 

 〈有宇は" ゲスの極み乙坂 "の称号を得た〉

 

 

 どこからともなくテロップが流れる。

 

「……ってなんでだぁぁぁ!!」

 

 来ヶ谷に称号を与えられると、有宇は絶叫する。

 

「おや、お気に召さなかったか。下衆な君にピッタリの称号だろう。どの辺が気に食わないというのかね」

 

「全部だ全部!特に何だこの不倫した挙句未成年に飲酒強要してそうな称号は!不名誉にも程があるだろ!」

 

「ふむ、よくわからんが君が怒ってるということだけはわかる」

 

「当たり前だ!大体、その称号ってバトルしなきゃ付けられないはずだろうが」

 

 有宇がそう憤慨すると、今まで黙って有宇と来ヶ谷のやり取りを見守っていた理樹が話に入ってくる。

 

「そんなことないよ。鈴もボールのコントロール悪過ぎて恭介に『神なるノーコン』の称号付けられてたし、バトルじゃなくても付けられるみたいだよ」

 

「マジかよクソッ……」

 

 じゃあ何か、この不名誉な称号をずっと背負っていかなきゃならないってことか。そんなの御免だぞ僕は。

 

「とにかく僕はそんな称号認めないぞ。人助けしてやったのに下衆呼ばわりとか不名誉にも程がある」

 

「ふむ、つまり正式にバトルでつけて欲しいと。そういうことかね」

 

「……は?」

 

 来ヶ谷の一言に体が凍りつく。おい、まさか……。

 

「理樹くん、恭介氏を呼べ。さぁ、バトルといこうか、少年」

 

「……マジかよ」

 

 そしてこの後、直枝さんの電話を受けて駆けつけてきた恭介の号令の元バトルが行われた。

 バトルの結果?そんなもん聞くまでもなく僕がボロ負けした。こっちはハサミという割りかし殺意高めの強力な武器を手にしたというのに、僕は来ヶ谷に一瞬でガムテープで簀巻にされて見事ボロ負けした。

 それから教室に戻ってくると、ガムテープでボロボロになった僕を見て、蒼士は「お茶買いに行っただけで何故そうなる」と一言。僕が聞きたいわ。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 放課後、今日は女子ソフトボール部がグラウンドを使うとかで野球の練習はなかった。そして有宇はやることがないので手持ち無沙汰であった。

 暇だな。思えばリトルバスターズに入ってから放課後はずっと練習があったし、放課後暇なときなんてなかったからな。

 さて、どうするか。蒼士達は部活があるし、リトルバスターズの連中は………だめだ、今行ったら昼につけられた『ゲスの極み乙坂』の称号で呼ばれそうだし、普通にムカつくから今日は会いたくないな。

 すると有宇は昼の一件もあってか、ふと神北小毬のいる屋上が頭に浮かんだ。

 昼間助けてやったし、菓子ぐらい貰えるだろうし行ってみるかな。あの女ならぼくを下衆呼ばわりはしないだろうしな。どうせ暇なんだ、一人寂しく屋上で肥え太っているであろうあの女の話し相手にでもなってやるか。

 そう考えると有宇は屋上へと向かって行った。

 

 

 

 ホコリまみれの階段を登り屋上へ辿り着く。屋上はいつものごとく鍵が閉まっていたが、すぐ脇の窓が開いている。どうやらちゃんと居るようだな。

 有宇は以前来たときのように椅子を踏み台に窓の向こう側へと身を乗り出し、屋上へと降り立つ。辺りには当然誰もいないのだが、背後の給水塔に人の気配があった。梯子を上がっていくと、給水タンクに寄りかかって寝ている神北小毬を発見する。

 

「随分と無防備なもんだな」

 

 いくら誰も来ないからと行って、無防備でこんなとこで寝てたら、万が一教師や風紀委員が来たとき対応できないだろうに。そうでなくとも、もし偶然ここに来た男子に、変な気でも起こされたら一環の終わりだな。

 というかよく見てみるとよだれ垂れてないか?女のくせにだらしねえな……ったく。

 有宇はポケットからティッシュを一枚取り出して、神北のよだれを拭こうとする。よだれを拭くと、神北は寝言混じりに何かを呟いた。

 

「う……ん、お……にぃちゃん」

 

「え?」

 

 お兄ちゃん?なんだ、こいつ兄さんがいるのか。こいつの兄さんって、やっぱこいつみたいな男なんだろうか。こいつの男バージョンとかあんま考えたくないな。

 男で「ほわぁ!」とか「うえーん」とか言って、アリクイのパンツ履いてたら気持ち悪いしな。会うことはないだろうが、兄さんの方はまともであって欲しいものだ。

 そんなこと考えている間に、いつの間にか神北の目が開いていた。

 

「おっ、ようやく目覚めたか」

 

「ふぇ……………ふえぇぇぇぇ!?ゆ、有宇くん……!?」

 

 目覚めるなり神北は奇声を発し叫び始めた。

 

「んな驚くことないだろ。うっせえな」

 

「ゴメン……ちょっと驚いて。でも今日はどうしたの?」

 

「練習なくて暇だから、菓子でも貰いにと思ってな。ほら、昼間助けてやったろ?何でもいいからなんかくれよ」

 

「そうだね。まだちゃんとお礼してなかったもんね。ありがと有宇くん。あ、そこの袋のやつ自由に食べていいよ」

 

 大分恩着せがましい言い方だったと思うのだが、その辺は気にしないのな。本当変わった女だ。というかいつの間にか名前呼びになってる。別にいいけど。

 それから有宇は神北のビニール袋からミニバウムクーヘンを取り出すと、それを口にする。

 

「美味しい?」

 

 神北が聞いてくる。

 

「んっ、美味い」

 

「えへへ、なら良かったよ。でも本当今日は有宇くんいて助かっちゃったよ。二木さんちょっと怖いから……」

 

「そうか?僕に言わせりゃあんなのより来ヶ谷の方がよっぽど恐ろしいぞ」

 

「え〜唯ちゃんは可愛いよ」

 

 あれが可愛いと呼べるのなら、この世の大概のものは可愛いに分類されることになるだろうな。こいつはあの女の恐ろしさを味わったことがないからわからんのだ。

 

「そういえばはるちゃんのことも助けてあげたって理樹くんから聞いたよ。有宇くん優しいんだね」

 

「別に見捨ててやっても良かったが、二木のやり方が気に入らなかったからな。それに直枝さんも絡まれてたし、それで手を貸してやっただけさ」

 

「正直、有宇くんちょっと怖いイメージあったけど安心したよ。本当は優しい男の子だったんだね。ちょっとエッチだけど」

 

「エッチではねぇよ……」

 

 この話聞いてそうで聞いてない感じとかも、なんとなくココアを思わせる。もう慣れたからいいけど別に。あと別に僕は助平ではない。

 この流れでまた下衆だとかいう話になってもあれだし、話題変えるか。

 

「そういやあんたって……」

 

 そう有宇が言いかけたとき、口元に人差し指を向けられる。

 

「あんたじゃなくてちゃんと名前で小毬って読んで欲しいな。私も有宇くんって呼ぶから」

 

 ……こういう変なとこ気にするところとか、強引なところとかも、どこかあの心愛(おんな)を思わせる。

 そして有宇は改めて言い直してから尋ねる。

 

「じゃあ……小毬先輩って、兄さんいるのか?」

 

「ふぇ?」

 

「さっき寝言で言ってたろ?お兄ちゃんって」

 

 有宇がそう言うと、神北は再び混乱する様子をみせる。

 

「うえぇぇぇん!!寝言聞かれてたー!?めちゃくちゃ恥ずかしい……」

 

 いや、そうやって叫んで泣き喚く方が恥ずかしいだろ。ていうかこんな喚いてたら誰か来るかもしれないだろ。よくこんな調子で今まで見つからなかったな。

 

「ううっ、有宇くんにものすごい辱めを受けました……」

 

「いや辱めてはねえよ」

 

 なんか前もこんな流れあった気がする。すると神北は落ち着きを取り戻すと僕に向け指を指す。

 

「寝言、聞かなかったことにしよー。おっけー?」

 

「それ意味あんのか?そんなんで忘れるわけないじゃないか。現に直枝さんから聞いたアリクイパンツの話もちゃんと……」

 

 有宇がそう言いかけると、神北は指を有宇の頬にグリグリと突き刺すように指を押し込む。

 

「おっけー……?」

 

「おっ、おっけー……」

 

「よし、私も聞かれなかったことにしよう」

 

 ただならぬ雰囲気を感じて思わず頷いてしまった。

 なんだ、言っちゃまずかったのか?以前の練習のときに直枝さんからこの女と出会ったときの話で聞いたのだが、こいつ的には聞いてはいけないことだったらしい。

 そういやその時も「見なかったことにしよう」と言われてたとかなんとか言ってたな。こいつの中では通例の儀式みたいなもんなんだろうか。まぁ、どうでもいいか。

 有宇は脱線した話を戻す。

 

「で、兄さんいるのか?」

 

「ううっ、めちゃくちゃ覚えてる……まぁいっか」

 

 そう呟くと、神北は少し哀愁漂わせる雰囲気を帯びる。

 

「でもね。私はひとりっ子。つまり、お兄さんとかいないんだよね」

 

「えっ?じゃあさっきの寝言なんだよ。イマジナリーブラザー?」

 

「イマジナリー?よくわかんないけど、その人は夢の中にしかいないの。夢の中だけのお兄ちゃんなのです」

 

「えっ……」

 

 夢の中だけって、それってまるで……!

 それを聞いた瞬間、有宇の中にある人が頭に浮かぶ。今朝も夢の中に現れたあの人のことが。

 そしてそんな有宇に構わず、神北は話を続ける。

 

「いつも日だまりみたいな声で優しく絵本を読んでくれるの。ひよこと鶏さんのお話。ちょっと悲しいお話なんだけどね」

 

「……悲しいお話って?」

 

「それが覚えてないんだよね。夢から覚めると忘れちゃうんだ。だからいつも、夢が覚めると悲しくなる……」

 

 僕もそうだ。あの夢を見た後、なんとも言えない喪失感を覚える。それがなんとも……寂しくも思える。

 

「なんて、変だよね。いもしないお兄ちゃんの夢を見るなんて……」

 

 神北が自虐混じりに笑いながらそう呟く。すると有宇は意を決して神北に声をかける。

 

「神北先輩……僕もあるんだ」

 

「ふぇっ?あるって何が?」

 

「僕も……あんたみたいに、ある人が夢に出てくるんだ……」

 

 そして有宇は神北に語り聞かせた。自分の夢に出てくる男のことを。

 

 

 

「まさか、私とおんなじ境遇の人がいたなんてビックリだよ!私と同じ夢の中にお兄さんが出てくる人がいるなんて」

 

 有宇の夢についての話を聞かせると、神北は嬉しそうにはしゃいでそう言った。

 

「いやいや、僕のは別に兄さんだって決まったわけじゃ……」

 

「でも有宇くんの妹さんも、家族がもう一人いるかもって言ってたんでしょ?じゃあきっとお兄さんだよ。夢の中で宿題教えてくれてたぐらいだし、間違いないよ」

 

「は、はぁ……」

 

 あの人が……僕の兄さん。その可能性を考えなかったわけでもないが、でも僕に兄さんがいるなんて叔父さんからも聞いたことがないし、僕はずっと歩未としか過ごしてない。

 どうなんだろう……わからない。でも、兄と言われればそれに納得している自分もいるし、でも自分に兄さんはいないし……。

 夢の男の正体に一歩近づいていくことに、有宇は若干の困惑を見せる。すると、そんな有宇に神北がある提案を持ちかけてきた。

 

「ねぇ、有宇くん。確かめてみない?」

 

「確かめるって、何を……?」

 

「夢の中のお兄さんが本当にお兄さんなのかをだよ。有宇くんだって気になるでしょ?」

 

「まぁ、そりゃ……」

 

 あの人が本当は誰なのか。別に知る必要はないと言い切るのは簡単だが、やはり気になるものは気になる。

 

「今まで私、夢のことだからって思って放っておいてたけど、これってチャンスだと思うんだ」

 

「チャンスって?」

 

「だって、同じ境遇の人がいれば、何もわからなかったときよりも一歩前進できるかもしれないから」

 

「まぁ、確かに……」

 

 確かに何もわからないときと比べたら一歩前進かもしれない。単純に、この誰にもわかってもらえない(わだかま)りを共有する相手を得たというだけの話ではない。もしどちらか片方が夢の男の正体に近づくことができれば、もう片方の夢の男の正体にも近づけるかもしれない。少なくとも意味がないことはないはずだ。だから……

 

「だから、ね?一緒に夢のお兄ちゃんを探してみようよ」

 

 僕は神北小毬のこの提案を飲むことにした。




こまりんルート突入です


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第38話、失くしものの行方

 神北の提案を呑んだあの後、お互いまずは自分の夢の中に出てくる人物の手がかりを探して報告し合おうということになった。

 しかし、残念ながら僕の方は調べようがなかった。何故なら、僕はこの学校から遠くには行けないからだ。

 僕はこの学校から一定の距離離れると、何故か僕はこの学校に連れ戻されてしまう。そのため、夢の中に出てくる兄と思しき男を調べようにも、男の痕跡があるであろう叔父さんのいる実家に戻ることができないので調べようがないのだ。

 叔父さんの家はここから大分遠くにあるし、実家どころか歩未と住んでいた中野のアパートも僕の行ける範囲外にあるため行くことができない。というか、行くどころか連絡を取ることすら何故かできないのだ。

 なので僕の方はひたすら神北小毬の夢の男の手がかりを探すのを手伝うことしかできない。それでもまぁ一応、あの女の夢の兄のことが分かれば、僕の夢の男の正体にだって近づけるかもしれないし、何もやらないでいるよりはマシだろう。

 正直、過去にタイムスリップするなんていう珍事に見舞われ、夢の男を探してるような状況では本来ないのだが、そっちの方は今すべきことは特にないし、まぁ、サブミッション的に夢の男の正体を調べてみてもいいだろう。そう思い有宇は神北小毬の夢に出てくる兄の調査をすることにした。

 そして、有宇は早速屋上を出て学内の図書室へと赴いていた。図書館に着くと、普段ならまず立ち寄ることのない絵本コーナーにまっすぐ向かい、そこである本を必死に探した。

 

「くそっ、ないな……。まぁ、そう簡単には見つからんか」

 

 有宇が探しに来たのは、神北小毬が夢で兄に読み聞かされたという鶏とひよこの絵本だ。そこに手がかりがあるとは限らないが、何かしらわかることがあるかもしれない。それこそ、その絵本を神北が読んだら何かしら思い出すかもしれない。そう思い図書館へと赴いたのであった。

 しかし有宇なりに頑張って探してみたが見つからなかった。なにせ頼りになる情報が鶏とひよこが出てくるということと、悲しいお話ということだけ。タイトルも作者も何もわからないし、詳しい内容もわからない。見つけるのは至難の業と言えるだろう。

 図書館の絵本コーナーには置いてなさそうだったが、誰か借りてるかもしれないと思った有宇が宇は、一応図書委員に聞いてみる。しかしそういう本は見た覚えがないとのことだった。

 仕方ないので、今度は図書館のパソコンを使って調べてみる。『鶏 ひよこ 絵本』で調べてみる。幾つか候補が出てきたが、どれも悲しいという感じの話ではなかった。取り敢えずそれらの本の名前と作者名、出版名をまとめて印刷して、図書室を後にした。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 次の日、ここに来てちょうど一週間が経過した。午前で授業を終えた有宇は昨日調べたことを報告しようと思い、蒼士の誘いを断って神北がいるであろう屋上へと赴いた。既に神北は来ているようで、屋上に出るための窓が既に空いていた。

 窓から屋上に出て、今回は屋上から見える景色に目もくれずに背後の給水塔にかけられた梯子を登る。登りきると、そこに神北小毬の姿はあった。しかしどこか様子がおかしい。

 ぼーっと空中の何もない一点を見つめており、なんだかいつものこの女らしくない。

 

「なにぼーっとしてんだ」

 

 取り敢えずそう声をかける。いつもなら「ふぇぇぇぇ!?」とか言って慌てそうなもんだが、特に慌てた様子も見せず「あっ……有宇くん」とこちらを見た。

 

「元気ないな。なんかあったのか?」

 

「うん……ちょっとね」

 

 すると神北は顔を俯けながら、儚げな表情を浮かべる。そして一言呟く。

 

「……お兄ちゃん、いるかもしれない」

 

「えっ?」

 

 そう言うと神北は、傍らに置いてあった手提げバッグから何かをを取り出す。それはホッチキスで止めてある市販の画用紙の束だった。表紙には絵の具で着色され、鉛筆で描かれた向かい合う鶏とひよこの絵。どう見ても自作の絵本であった。

 そして神北はそれを有宇に手渡した。有宇はそれを軽くパラパラとページを捲りながら眺める。表紙だけではなく、他のページにもひよこと鶏の絵が描いてあるのが見える。

 

「絵本、見つかったんだ。昨日あの後お家に帰って、何か手がかりないか探したの。お母さん、そんな本ないって言ってたのに、物置の奥探してみたら他の本と一緒にダンボールに入ってた」

 

 絵本を眺める有宇に神北はそう言った。そして更に神北はこう続ける。

 

「市販のじゃなかったんだ。表紙の右隅、見て」

 

 言われた通り、有宇は表紙の右隅を見る。するとそこには『神北拓也』の文字が書かれていた。

 まさか……本当に兄が実在したとでもいうのか。

 

「……父親や親戚の名前っていう可能性は」

 

 有宇は少し動揺しながらもそう聞いた。

 

「いないんだ、親戚に拓也さんなんていう名前の人。お母さんにも聞いてみたの。けれど知らないの一点張りで何も答えてくれない。でもわかるんだ。お母さん、嘘ついてるって。きっと聞いちゃいけないことだったんだよね」

 

 神北小毬の兄は……神北拓也は確かに存在した。こうしてその証拠が残っているのだから間違いない。だが、それを娘にひた隠しにしようとする母親。いなくなってしまった神北拓也。これはつまり……。

 有宇はある最悪の想定に辿り着く。しかし、それと同時にその考えに行き着いてしまったことに恐怖を感じる。

 

「どうして私だけ何も覚えてないんだろう。なんで夢だけ見るんだろう。こんなの……おかしいよね。ねぇ、有宇くんはどうかな」

 

「僕は……」

 

 わからない。何故あの人は夢の中だけに現れる。何故なにも覚えていない。そんなの僕が聞きたい。家族だというなら尚更、何故僕はあの人のことを覚えていないんだ。あの人は今……どこにいる。

 もし、神北拓也が消えてしまった理由が僕の考えてる通りなら、あの人も今頃は……。

 自分の想定が真実なら……。そう考えると有宇は戦々恐々とした。

 

「どこにいるんだろう……お兄ちゃん……」

 

 もうこの世にはいない。一番納得がいき、一番あり得るであろう有宇の行き着いた想定。しかし、それをどこか認めたくない有宇はそれを口にはしなかった。

 

「……家出でもしたんじゃないか。僕も実家から勘当同然で出てきたし」

 

「ふぇ?そうなの?」

 

「まぁな。とにかく家出の線もあり得なくないということだ。だからいないことにされてる。よくある話だ」

 

「じゃあ、どこかに……いるのかな」

 

 下手な希望を持たせてしまっただろうか。じゃあお前の兄は死んだとでも言うのか?

 言えないし言いたくない。もし神北拓也が亡くなっているのであれば、それはつまり、同じく僕の夢に出てくるあの人も……ということになるかもしれないじゃないか。

 有宇は一人、心の中で葛藤した。それは神北のためではなく、自分のため。夢の中のあの人はもう死んでいるかもしれないという可能性から目を逸らすための現実逃避。そのために有宇は、神北の兄がどこかで生きているかもしれないという温かな幻想を守ったのであった。

 

 

 

 今回の絵本の発見により、神北小毬の夢に出てくる男が、神北拓也という実在した人物であることが判明した。その事自体は、思ったより早く事態が進展したということだし喜ばしいことだ。しかし、それと同時にそれ以上突き進んでしまっていいのかという不安も同時に生まれてしまった。

 あの後、神北小毬に「まだ調査を続けるのか」と有宇は尋ねた。調査を続けた結果、知りたくなかった真実に行き着いてしまうかもしれない。それを危惧したからこその問いだった。

 しかし、神北は調査を続けると言った。「お兄ちゃんのことが分かれば有宇くんの夢の中のお兄ちゃんのことだってわかるかもしれないでしょ?だったら私やるよ」と。

 怖くないのか?お前の兄さんは死んだかもしれないんだぞ。そう言ってやりたかった。でもそんなのは当の本人が一番わかってることで、一番怖いはずだ。だから、僕は神北の返答にただ頷くだけだった。

 得体のしれない不安が付き纏う中、それでも僕等は失くした真実を追い求めることを続けることにした。たとえそれが、隠された真実を暴いてしまうとしても……。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 次の日、日曜日であったが、あの屋上に有宇は赴いていた。昨日あの後神北に明日予定はないかと尋ねられ、練習もないし暇だと答えると、昼にまたここに集まろうと言われたのであった。

 昨日のこともあり、神北小毬と会うのは少し気が重かったのだが……。

 

「ふぇ?あっ、有宇くんいらっしゃい。ホットケーキ食べる?」

 

 屋上のいつもの場所にいた彼女はモグモグと口を動かしながら、美味そうにホットケーキにジャムを塗ったものを頬張っていた。心配して損した。

 

「……いただきます」

 

 取り敢えず有宇は彼女の隣に腰を下ろし、ホットケーキの欠片が刺さっているプラスチックのフォークを彼女から戴く。

 

(……甘っ!!)

 

 口にした途端、先程までの辛気臭い気分が吹き飛ぶ程の甘さが口の中全体に広がる。

 甘すぎる!!なんだこれは!?ホットケーキに見せかけた砂糖の塊かと思うレベルの甘さだ!!こんな甘いもの、あの忌々しいピザソース以来だ……。

 ホットケーキを口にした有宇は、ただただその甘さに驚嘆する。

 別にホットケーキが苦手なわけじゃない。ていうか苦手ならわざわざ食わない。ただこのホットケーキが甘過ぎるのだ。

 そういや以前、休みの日にココアパンケーキを作ってくれたときがあるが、あれは甘さ控えめで美味かった。まぁ、あれは僕が甘過ぎるのは苦手だからと僕に合わせて作ってくれたんだろうが、にしたってこのホットケーキは甘過ぎる。砂糖の分量間違えてないか?

 しかし隣にいるこの女は平気そうに、寧ろ美味そうにこの砂糖の塊のようなパンケーキを頬張っていやがる。

 

「どうしたの?もしかして口に合わなかった?」

 

 パンケーキを口に入れてから、固い表情で黙り込んでる有宇を心配して、神北が心配して声をかけた。

 

「あーえっと……そうだな、僕には少し甘過ぎる」

 

 少しどころではないが、ただで食わせてもらってる身だしな。直接的に文句を言うことは避け、オブラートに包んで苦言を漏らす。

 

「ごめんね。私は甘いもの好きだから砂糖いっぱい入れちゃうんだけど、有宇くんは甘いの苦手か〜。今度から減らそっか」

 

「いや、僕のことは気にしなくていい。そもそも先輩のだしな。僕に合わせないで好きなもん食べててくれ」

 

 人のもの貰っておいて流石にそれは申し訳ないし、そこまで僕はわがままではない。最も、その砂糖の塊はもう二度と食わんがな。

 

「ていうかそれ、部屋で作ってんのか?確か寮の部屋って火気厳禁じゃなかったか?」

 

 有宇は入寮の際、寮長に言われたことを思い出した。確か火気厳禁と言っていたような気がしたのだが、女子寮は違うのだろうか……?

 

「うん、カセットコンロ持ち込んでることバレたら怒られちゃうんだよね。だから内緒なのです」

 

 やっぱりか。こいつこの前二木に捕まったばっかだっていうのに懲りてねえな。

 

「この前の芝生のことといい、屋上への侵入といい、あんた結構アウトローだよな」

 

「アウトロー?」

 

「無法者、まぁ要は不良って意味だ」

 

「え〜私不良じゃないよ。でもルールを守ることより大事なことってあるよね」

 

「つまりホットケーキは校則より大事と」

 

「うん、そうなのです」

 

 言い切りやがったよこの女。二木が聞いたらキレ散らかしそうなセリフだなおい。まぁ僕もどっちかというとルールを破る側の人間だし、人のこと言えないけどな。

 すると、神北の傍らに置いてあるビニール袋からあの絵本が見えた。神北小毬の兄と思しき男、神北拓也の描いたあの絵本が。

 いつものこのほのぼのとした平穏な空気を壊してしまうのは若干気が引けるが、神北拓也の真相を掴むために集まったわけだしな。まだその絵本についてまだよく知らないし、聞かないわけにはいかないよな。

 

「なぁ、そういえば昨日の本って今持ってるか?」

 

「……うん、あるよ」

 

 そう答えると、神北はそのビニール袋からあの絵本を取り出し、有宇に手渡した。

 有宇は絵本を受け取ると、それをじっと眺めた。

 結構古いな。鉛筆の線が薄く掠れているし、絵の具の着色も色褪せている。紙も少し傷んでるし、白い筈の鶏も少し茶色く汚れている。

 それから有宇はページを捲る。昨日はパラパラと適当に流し見してただけだし、内容も一応しっかりと見ていく。

 内容はこうだ。卵を産んだ鶏は自分の産んだ卵のことを忘れる。そして卵から生まれたひよこは自分が卵であったことを忘れ、成長したひよこは鶏になり、今度は自分がひよこであったことを忘れる。あとはこの繰り返しだ。しかし最後のページで鶏は卵を見て思い出す。僕は卵だったんだって。

 確かに神北の言う通り、読んだ後になんとも言えない寂しさが残る話だ。しかし正直読んでて意味がわからない。

 この本は何が言いたいんだ。哲学的な内容というのはわかるが、何を伝えたいんだこの話は。覚えることに意味はないってことだろうか。しかし鶏は最後に自分が卵であったことを思い出してるしな……うーんわからん。

 

「よくわかんないよね。私もわからないんだ」

 

 絵本を前に唸っている僕を見て、神北がそう言う。どうやら神北にもこの話の意味はわからないらしい。

 なんにせよ、この話の意味がわかったところで神北拓也の手がかりになるかは微妙だし、もうこの絵本から得られる情報はないかもしれんな。そう思うと有宇は絵本を閉じた。

 すると神北がホットケーキを食べ終えて、立ち上がり「う〜ん」と言いながら腰を伸ばす。それから神北は有宇に向け笑顔で言う。

 

「よし、じゃあお昼も食べたしそろそろ行こっか」

 

「えっ?行くってどこにだよ」

 

「どこって、老人ホームだよ。一緒にボランティアにレッツゴー!」

 

 それを聞くと、有宇は一瞬思考停止する。そして……。

 

「……はぁぁぁぁ!?んなこと聞いてねえぞ!?」

 

 すぐに我に返り、驚嘆の声を上げた。

 

「……あれ、言ってなかったっけ?」

 

「聞いてねぇよ!!ていうかまさか今日ここに来いって言ったのってそれかよ!!」

 

 てっきり僕はまたここに集まって夢の男について話し合うものだとばかり……。ていうかボランティアってマジでどういうことだ!?

 

「老人ホームの人ってね、寂しがってる人多いんだ。だからね、お話ししたり、お掃除したりするのです。お話しすると私も楽しいし、老人ホームのお爺さんやお婆さんの寂しさも紛れる。まさに幸せスパイラルなのです」

 

「お前の御託なんぞどうでもいい。僕が聞きたいのはなんで僕がそんなことしなきゃならないんだ」

 

「え〜だって有宇くんにも幸せスパイラルを分けてあげたくて……」

 

「単にこき使える奴が欲しいだけだろ。それに僕はジジイ、ババアの相手なんざしても幸せになんかならん」

 

 ラビットハウスにいたときも、お客の大半は午前シフトということもあり、ヒマな年寄りが殆どだった。勿論、接客業だし笑顔で丁寧に失礼無いように振る舞ったさ。だが表向きは笑顔であってもそれは飽くまで接客スマイルだし、実際のところ、老人は面倒な客が殆どで相手するのも嫌になる。

 しかしそれは仕事だし、給料が貰えるからまだいい。だがこいつはボランティアと言った。つまり無償の奉仕をしろということだ。何故見返りもないのに僕がそんなことせにゃならんのだ。絶対に嫌だ。

 

「もう、有宇くん。そういうこと言うのはよくないんだよ」

 

 ジジイ、ババアと言ったことが癇に障ったのか、そう言って神北は少し顔をしかめる。

 

「やりたくないことやらせるのはいいことなのかよ……とにかく僕は行かないからな」

 

「それは困るよ〜。もう職員室に有宇くんの分も、参加申し込みの用紙出しちゃったよ」

 

「はぁ!?なに勝手なことしてんだよ!!」

 

「だって、有宇くんならやってくれると思ったんだもん」

 

 一言の相談もなしにこの女ぁ……。三枝と違って悪気もないから余計たちが悪い。

 しかしまいったな。学校で正式に受理されたものをボイコットすると後々面倒なことになりかねないしな。できれば優等生キャラは保っていきたいし、こうなった以上は……。

 

「……わかった、行けばいいんだろ行けば」

 

 渋々、有宇はボランティアに行くことを了承した。

 まぁ、神北と信頼関係を築くいいきっかけだと思えばいいか。この女は人当たりの良さからリトルバスターズの他メンバーからも信頼厚そうだし、仲良くして損はないはずだしな。未来に帰るためだ。多少のことは我慢するか。

 有宇がボランティアに行くことに了承すると、神北は「わぁ!ありがとう有宇くん!」と目をキラキラと輝かせながら喜んだ。そして屋上から降りて、有宇達はボランティアをする老人ホームへと向かった。

 

 

 

 老人ホームへの道中、有宇は神北に尋ねる。

 

「なぁ、いつもこんなことしてんのか?」

 

「ふぇ?こんなことって?」

 

「ボランティアだよ。いつもやってんのか?」

 

「うん、他にも募金活動とか、ゴミ拾いとか。今回の老人ホームも前からよく行ってるんだ」

 

「それも幸せスパイラルか?」

 

「うん、誰かを幸せにすることは自分を幸せにすることなんですよ。ボランティアは幸せスパイラルにうってつけなのです」

 

 まぁ、よくやるよ。そりゃ僕とて他人に恩を着せることはあるが、別にそのこと自体に幸せを感じているわけじゃない。恩を着せることで他人から自分がいい人間だと思われること、恩を着せることでいつか自分にそれが返ってくること、そのためにやってるに過ぎない。

 自分の評判を上げる、何かお返しが貰える。そういった実益のある見返りがなければ他人への奉仕など誰がするものか。

 老人ホームのジジイ、ババアに好かれてもなんとも思わんし、そいつらの評判なんぞになんの価値もない。それに奴等から貰える見返りなどたかが知れてる。僕に言わせりゃ内申点を上げること以外に、ボランティアに意味などないと思うが、まぁ価値観は人それぞれか。

 神北のボランティアに対する考えからそんなことを思いつつ、程なくして有宇達は老人ホームへと到着した。

 老人ホームは学校から離れた静かな住宅街の一角にあった。外観は学校や公民館のような感じの建物だ。

 

「こんにちは〜!」

 

 神北が元気よく挨拶しながら老人ホームへと入っていく。有宇もその後ろをペコリと頭を下げて付いて行く。すると、ロビーにいたお年寄り達が一斉にこちらを振り向く。

 

「ああ、来た来た、小毬ちゃ〜ん!」

「おおっ、小毬ちゃんじゃないか!」

「みなさ〜ん、小毬ちゃん来ましたよ〜!」

 

 そう言って老人達は次々と快く神北を向かい入れた。すると神北は後ろにいた有宇を前に押し出し、有宇を老人達に紹介する。

 

「今日は強力な助っ人を連れてきました〜」

 

 すると老人達の視線が有宇に集まる。

 

「ほぉ、男の子かの〜」

「なに、小毬ちゃんに男じゃと!?」

「あら、可愛い顔してるじゃない」

「それに、なかなか男前ねぇ」

 

 老人達は口々に好き勝手言ってくれる。ある人は「小毬ちゃんの彼氏かい?」なんて聞いて神北を困らせていたりもした。その時神北は顔を赤らめながらも「もう、学校の後輩ですよ〜」と答えていた。

 それから有宇も作り笑いを浮かべながらも老人達と軽く挨拶を交わす。そしてロビーにいた老人達との挨拶も程々に、ボランティアが始まった。

 

「じゃあ、有宇くんはお部屋の方回って、お掃除しながらお爺さんやお婆さんとお話ししてあげてね」

 

 そう言って神北に箒とちりとりを渡される。

 

「僕一人でやるのかよ」

 

「ごめんね、私、二階の方とか他にもやらなきゃいけないから。でも何かあったらいつでも呼んでね」

 

 そう言って神北はエレベーターの方へと向かっていってしまった。

 仕方ない、ここまで来たからにはやるしかない。有宇は渋々一部屋ずつ回っていくことにした。

 

 

 

 老人ってやつにも色々いる。寡黙な爺さん、世話焼きな婆さん、快く出迎えてくれる者もいれば、ムスッと何も言わず出迎える者もいる。中には痴呆が進んでるのか、話が噛み合わないような老人や、耳が遠くてろくに会話もできないような人もいる。

 こうして改めて見てみると、ラビットハウスに来る老人の客は結構元気な人が多い。勿論この施設にもそういう人はいるが、大半が元気の無い生気を失ったような人であった。寝たきりの人も少なくない。

 

『老人ホームの人ってね、寂しがってる人多いんだ』

 

 神北がそういやそんなこと言ってたな。寂しいというか何というか……。

 この老人達はなんのために今を生きているのだろうか。ボランティアなどという偽善者が来ない限り誰にも相手にされず、きっと家族だってろくにここに来てくれやしないだろう。

 元気な老人はまだいいが、中には喋ることすら儘ならず、下手すりゃ寝たきりの老人だっている。こう言っちゃあれだがまるで生きる屍だ。何十年も生きてきた最後がそんななんて、僕にはそれが寂しいというより、酷く惨めに感じた。そして、いつか自分もそうなるのではないかと思うと、少しばかり恐怖を覚える。

 最も、僕の場合は割とマジでそんな歳まで生きられるのかって状況だがな。こんな変な形でタイムスリップしたり、家出して遠い街のカフェで働きながら居候したりで、将来どうなるかなんて幸先がまるで見えんしな。今はこの老人達の相手を適当にして部屋を掃除することに専念するか。

 部屋もだいぶ回り終えたそんな最中、ロビーの方からなにやら歌声が聞こえる。神北の歌声だ。二階の方はもう終わったのだろうか。

 歌っている歌は確か甘兎で聴いたことあるような……そう、『暴れ狼兎右衛門捕物帖』の主題歌って千夜が言っていたような気がする。

 ていうかこの老人ホーム、カラオケなんて置いてあるのか。最近は色々あるな。にしてもやっぱ老人ばかりだから古い歌や演歌の方が喜ばれるのか。

 気がつけば部屋にいた老人達も自由に動けぬ者を除けば殆どロビーの神北の歌声を聴きに出ていってしまった。

 こりゃいい、人がいないと掃除がしやすいからな。今のうちにさっさと掃除を済ませるか。

 そう考えると有宇は次々と無人となった部屋を掃除して回った。そして無人の部屋を掃除して回ると、最後に残った一部屋の前に立つ。

 この部屋の住人はロビーの方には行かなかったようだが、寝たきりの人だろうか。まぁ、なんにせよこれで最後だ。さっさと終わらせるか。

 そして有宇は最後の部屋のドアをノックし、一応声をかける。

 

「こんにちは。ボランティアの者です。お部屋の掃除に参りました」

 

 返事はない。やはり寝たきりの老人だろうか。それとも単に寝てるだけか?ま、それならそれでそっと中に入って、さっさと終われせてしまえばいい。

 そして有宇はドアノブを捻り、中へそっと音を建てずに入る。

 

「すみません、失礼しま……」

 

「なぁんじゃああああきさんはああああぁぁぁぁっ!!」

 

「うぉっ!?」

 

 ドアを開けるなり、中にいた爺さんに大声で一括される。流石の有宇も少したじろぐ。

 

「なんじゃ、男か」

 

 爺さんは有宇の姿を見るなり、一言そう呟く。

 

「いきなりなんなんだよ!!ったくうっせぇな……」

 

「なんじゃと?目上に対する言葉遣いがなっておらんな小僧」

 

「敬われたかったらそれなりの態度ってもんがあんだろ!!生憎、無駄に歳だけ食った枯れ木に敬う礼儀なんてもんは持ち合わせてないんでな僕は」

 

 どうにも有宇にはこの老人を表面だけでも敬う気にはなれなかった。まず初対面の人間にいきなり怒声をあげて食ってかかるような非常識な人間に対して礼を尽くす気にはなれないしな。

 それに自ら自分を敬えだののたまう輩は好きになれん。そういうのは相手が年上を気遣かおうという親切心や敬意から成り立つもので、自らその権利を主張して威張り腐る輩ははっきりいって不快でしかない。

 

「ったく、生意気な小僧じゃのぅ。で、何用じゃ」

 

「掃除しに来た。すぐ終わるからあんたは大人しくしててくれ」

 

「ふん、必要ないわい。わしの世話をしていいのは……わしの連れだけじゃ……」

 

 随分と時代錯誤な考えを持ってるなおい。それに連れって奥さんのことだよな。死別でもしたのだろうか。

 しかし掃除をするなと言うなら別にそれでもいい……だが。

 

「いや、でも明らかに汚えだろこの部屋」

 

 爺さんが読んだであろう雑誌や新聞、それにティッシュや紙くずまでが床やそこら中に散らかっている。施設の人間もこの爺さんに手を焼いて掃除してこなかったのだろうか。

 

「じゃかしぃわぁぁぁぁ!!いらんもんはいらん!!この小次郎、枯れても痩せても小僧に下から物を頼むほど落ちぶれちゃおらんわい!!」

 

 小次郎と名乗る爺さんは強情にも掃除は必要ないと言い張る。

 こっちも別に好きで掃除してるわけじゃないし、このまま出ていってもいいのだが、明らかに汚れているこの部屋を放置すれば何もしなかったことは明白。せっかくここまで順調にちゃんと掃除してきたのに、この一部屋を掃除しなかったがためにサボりだなんだと言われるのは心外だ。

 

「なら別に頼まんでいい。こっちもあんたのためにやってる訳じゃないしな。爺さんなら爺さんらしくそこで大人しく寝てろ」

 

 そう言って有宇は床に散らばった雑誌とかをまとめていく。

 

「なんじゃ、逃げ出さんのか」

 

「先輩に無理やりボランティアに駆り出されてな。一応形だけでもちゃんとやっておかないとな。別にあんたの不利益になるようなことはないんだ。いいだろ?」

 

「あんたじゃなく、わしは小次郎じゃ」

 

「わかった、小次郎」

 

「"さん"を付けろ"さん"を!!ったく、これだから最近の若者は……」

 

「あーもう、うっせぇな。これだから年寄りは……」

 

 そんなことをお互い言い争いながら、その間にも有宇は部屋の掃除をしっかりとこなしていった。

 そして部屋の掃除を終えると、部屋はすっかりと綺麗になる。さっきまでベット付近の床が全然見えなかったが、今はチリ一つない床が綺麗に見え、部屋全体も前と比べれば全然見栄えがよくなった。

 

「ふん、落ち着かない部屋になったな」

 

「僕から言わせりゃあんなゴミ屋敷みたいな部屋の方が落ち着かねぇよ」

 

「こんなもん、一週間もすればまた元通りじゃわい」

 

「あっそ……」

 

 ったく、とことんムカつく爺さんだ。頼まなくていいと言ったのは僕だが、少しぐらい感謝の一言があってもいいだろ。ほんと、こうはなりたくないもんだ。

 依然、偉そうな小次郎の態度に有宇は若干腹を立てる。しかし、小次郎はさっきまでのムスッとした表情から一転、笑顔を向けて有宇に言う。

 

「よし、小僧。また掃除しに来い」

 

「……え?」

 

「『え?』じゃない。また掃除しをしに来いといったんじゃ」

 

 小次郎の言葉に、有宇は呆気にとられる。

 聞き間違えかと思ったが、どうやらそうじゃないらしい。

 

「なんだ、てっきりもう二度と来るなとでも言われんのかと……」

 

「なんだっていいじゃろ。年寄りの願いは聞き入れるものじゃ」

 

 なんだ、いきなりデレ始めたぞ。年寄りのツンデレとか誰得だよ。

 にしてもあれだな、この爺さんもなんだかんだ孤独なのかもな。この調子じゃ施設の人間とも馴染めてないんだろうし、家族だってろくに見舞いには来てないんだろう。僕みたいなのでも自分と臆せず話せる相手が欲しいってことなんだろう。

 二度とくるかと言い残して去っていくつもりだったが、まぁそういうことなら少しは優しくしてやってもいいのかもな。

 

「まっ、気が向いたらな」

 

 二度とくるかと比べたらオブラートに、有宇はそう言って小次郎の部屋を出た。部屋を出ると、ダンボールを抱えて小走りしている神北と鉢合わせる。カラオケは終わったのだろうか。

 

「あれ?有宇くん今そこの部屋から出た?」

 

「ん?そうだけど」

 

「へぇ、凄いね。私、ここに来てからこの部屋のお爺さんと一度もちゃんと話したことないよ。いっつも部屋に入ろうとするとコラーッて怒鳴られちゃって、それで怖くて逃げちゃうのです」

 

「あー僕もいきなり怒鳴られたな。まぁ、偏屈な爺さんだが根気強く相手してやればそうでもないぞ」

 

 そうはいってもあまり相手にしたくない部類の爺さんではあるがな。まぁなんだかんだいって声がデカイだけだしな。二木の相手するよりかよっぽどマシだ。

 

「ふむふむ、なるほど。よ〜し、じゃあ私も頑張ってみよう」

 

 有宇の話を聞いてやる気を出しなのか、神北は持っていたダンボールを床に置いて、小次郎の爺さんの部屋のドアノブを握った。そして意気揚々とドアを開ける。

 

「こんにち……」

 

「くぅおらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 予想通り、神北がドアを開けて入った瞬間に小次郎爺さんの怒号が響き渡る。

 

「ひゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 神北の方もよく伸びる叫び声を発して、床に置いたダンボールのことなど忘れて一目散に逃げて行った。まぁ、やはりこうなるか。

 それから有宇は開きっぱなしのままになっているドアから再び小次郎の部屋の中へと入っていった。

 

「女子高生相手に何やってんだよ大人気ない」

 

「ふん、ワシは女子供は好かん」

 

 やはりとんでもないジジイだな。女子供相手に大人気ない。

 大体、子供はともかく、女には上っ面だけでも優しくしておくもんだ。怒鳴る癖といい、こいつはもう少し紳士な態度っていうのを学んだほうがいいな。

 まぁ、逆にその歳で、子供はともかく女に執着してたらそれはそれでキモいだろうけどな。そう考えると寧ろこれぐらい硬派な方がいいのか?

 

「とにかく、頼むからあんまうちの神北先輩泣かせないでくれよ。あの人ピュアなんだから、あんたみたいな顔怖い爺さんに怒鳴られたら泣くって」

 

 そしてまたこの施設に来るであろう神北のために、一応小次郎に注意を促しておく。

 すると、それを聞いた小次郎はなにやら神妙な顔付きになった。

 

「神北……」

 

 どうしたんだ。何か気に触ることでも言ったか?

 すると小次郎はボソリと有宇に尋ねる。

 

「……あの小娘」

 

「は?」

 

「あの子娘の名前はなんていうんじゃ」

 

 なんだいきなり。いい歳して神北に惚れ込んだか?そりゃ爺さん受けはいいようだが、歳の差ハンパないだろ。しかし、さっきも神北のカラオケには見向きもしなかった上に怒声で怖がらせてたしな。本当に一体何なんだ。

 しかし別に隠すことでもないので素直に答える。

 

「小毬だよ。神北小毬先輩。僕より一つ上の野球のクラブの先輩だ」

 

「そうか……あの子が小毬じゃったか……」

 

 それから小次郎はボソッと呟いた。

 

「……大きくなったのぉ」

 

「えっ……」

 

 小次郎のその呟きは有宇を驚かせた。

 大きくなった?なんだよそれ。それって……神北の小さい頃を知っているみたいじゃないか。

 その疑問の答えはすぐに出た。小次郎が有宇に廊下の方を指指しながら言う。

 

「ワシの部屋の表札を見ろ」

 

 有宇は小次郎に言われた通り廊下にかけられてるこの部屋の表札を見る。そこには────

 

 〈神北小次郎〉

 

 と書かれていた。

 

「ワシは……あの子の祖父じゃよ」

 

 表札の前に立つ有宇に小次郎はそう答えた。

 それを聞いて有宇の思考が一瞬止まる。それから色々と生じた疑問が溢れ出る。

 

「いやいやいや……え?あんたがあの人の爺さん?おかしいだろ、だったらなんであの人は自分の爺さんがこの老人ホームに来てることを知らないんだよ!?」

 

 もし、小次郎が本当に小毬の祖父だというなら、何故家族である小毬が自分の祖父が自分の学校の近くの老人ホームにいることを知らない。

 それにあの人は以前からもここには顔を出しているという。一度ならまだしも、何回もここに来ていて、何故何も知らないんだ。

 

「ワシから言ってあるんじゃ。あの子をワシに近づけさせるなと。じゃからあの子はワシのことなど知らん。ワシも昔会っただけで、ある一時を超えてからは顔も合わせておらん」

 

「どうしてそんなことを?」

 

 有宇がそう聞き返すと、小次郎は黙り込んでしまう。要は話したくないってことか。まぁ、爺さんの事情なんてどうでもいいがな。

 そして、小次郎はここにきて改めて有宇に尋ねる。

 

「お主……名前なんじゃったかな」

 

「有宇だ。乙坂有宇」

 

「ほぉ、平凡な名前じゃのぅ」

 

「ほっとけ」

 

 そりゃ"ゆう"なんて名前はそこら中にいるが、漢字で"有宇"と書く奴はそうそういないっつうの。

 そして小次郎は続けた。

 

「有宇、あの子を……ワシに近づけさせるな」

 

「それも、さっきの言えない理由ってやつかよ」

 

「余計な詮索はするでない」

 

 そう言って小次郎は顔をしかめる。

 小毬と小次郎、孫と祖父の関係っていうのは普通の一般家庭じゃ良好なのが普通だと思うが、一体この二人に昔何があったんだろうか。

 そう思った瞬間、有宇はあることを思い出した。

 そうだ、神北の過去で思い出したが、もしかしてこの爺さんなら神北拓也について何か知ってるんじゃないか?

 神北の夢の中に出てくる神北の兄さん……と思しき男。汚い絵本を残したことぐらいしかその手がかりがなかったが、この爺さんなら神北拓也の行方について知っているかもしれない。

 そう考えると、早速有宇は小次郎に聞いてみることにした。

 

「なぁ爺さん、神北拓也って知ってるか?」

 

 すると予想通りといえば予想通りだが、小次郎は再び神妙な顔つきになる。

 

「お主……どこでその名を」

 

「あんたの孫がよく話すんだよ。夢の中に兄さんが出てくるって。それで実家から夢に出てきた兄さんが作った絵本が出てきて本当にいるかもって」

 

「そんな話をお主は信じるのか?」

 

「まぁ、現物が出てきてるわけだしな。それに僕も似たような夢をよく見るからな。他人事には思えなかったからその兄さん探しを手伝ってやってるんだ。で、絵本に書いてあった神北拓也って男を今僕らは追っているってわけだ」

 

 そう説明し終えると、小次郎は目を閉じ、そのまま黙り込んでしまった。

 やはりこの家族は神北に何かを隠している。そう思わざるを得なかった。でも同時に違和感もある。それは───。

 そしてしばらくして小次郎が口を開いた。

 

「お主は……どこまで知っている」

 

「何も。兄さんの名前が神北拓也で、その存在がお前ら家族に隠蔽されてるってことぐらいしか知らない。けど……まぁぶっちゃけ僕はもう神北拓也は死んでるんじゃないかって思ってるけど」

 

 神北拓也が死んでいる。それは飽くまで僕自身の推測でしかなかった。

 もしかしたらただなんか悪いことでも仕出かして勘当されて、家族からいなかったことにされてる。そんな可能性もあるのではないかとも思っていた。しかし……。

 

「お主の想像してる通りじゃ」

 

 小次郎のその一言でその淡い幻想は容易に打ち砕かれた。神北拓也はもう……この世にはいない。

 

「小僧、この事、あの子には話さないでくれ」

 

「あっ、ああ、わかった」

 

 話さないでくれと言われるまでもなく話すつもりなんかない。自分の家族の死、それもそれが大切な人なら尚更悲しいことだろう。神北がそれに耐えられるような人かって言われたら、そうではないだろう。

 僕は人を傷つけることに躊躇がないと来ヶ谷に言われたが、別に不用意に無遠慮に傷つけることを良しとするわけではない。僕だってそれなりに配慮する。必要もないのに他人を傷つける程、僕は鬼畜な男ではない。

 だから、この事は僕の胸の内に仕舞っておくべきことなんだ。できれば神北にも、兄さん探しはやめるように言ったほうがいいかもしれないな。

 もう知りたいことは知れた。しかしまだ疑問が残る。

 

「なぁ、にしてもなんで神北先輩は兄さんのことを覚えてないんだ?それになぜわざわざ隠す必要がある。そりゃ悲しいことだけど、家族の死は普通知らせるもんだろ」

 

 家族が死ぬこと。それは確かに悲しいことかもしれない。僕とて両親に対してはどうなろうが知ったことではないと思っているが、歩未が死んだらきっと気が狂うほど悲しむことだろう。

 だがそれは隠すことなのか?家族の死は悲しいものであっても、それは乗り越えるべきものであるともいえる。人間いつかは死ぬのだから。

 それに死んだことそのものも悲しいことではあるが、自分の家族の死を知らないことは、それ以上に悲しいことではないのだろうか。

 そして一番聞きたいこと、神北と同じだから疑問に思える。なぜ神北は何も覚えてない。僕はそのわけを知りたい。僕自身が、夢に出てきたあの人のことを覚えてない理由もそこにあるのではないかとそう思っているから。

 しかし小次郎はその問いには答えなかった。

 

「小僧、これ以上は関わるな」

 

 小次郎は口を割らなかった。小次郎たち神北家が隠したいことはどうやらそこにあるらしい。

 僕自身、一番知りたいところはそこなんだが、まぁもういいか。神北拓也の行方は掴めた。といっても、もう会うことはできないが。

 

「わかった。色々ありがとな」

 

「ふん、つまらん話をさせてくれるわ」

 

「まぁまぁ、こんな話をすることはおそらくもうないだろうさ。じゃあな爺さん」

 

「誰が爺さんじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「ワシはいつでも心は十代じゃ」とかなんとかその後もグチグチ言っていたが、有宇は無視して部屋を出た。

 

 

 

 神北が置いていったダンボールを抱えながら廊下を歩く。その間にも有宇はさっきの小次郎との会話について考えていた。

 神北拓也は死んでいた。なら、僕の夢に出てくるあの人ももしかしたら……。

 神北にとって兄さんは……きっと大事な人だったのだろう。じゃあ僕の夢に出てくるあの人は?あの人は、僕にとっての何なんだろう……。



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第39話、少女の哀哭

「今日は実践を意識するためにカウントを取るぞ」

 

 日曜明けて月曜の放課後、いつものようにグラウンドで野球の練習をする。今日はどうやらカウントを取りながら練習をするらしい。

 今はカウントがわからない連中(まぁ、鈴さんと神北のことだが)のために、恭介が説明している。

 カウントっていうのはボール・ストライクの記録のことだ。ストライクなら三回でアウト、ボールなら四回でフォアボールで出塁って感じだ。

 

「四つボールが溜まるとダメなのか……」

 

 恭介からカウントの説明を聞いて、鈴さんが声を唸らせる。

 この人ノーコンだからな。最近少しは良くなってきたけど、未だにまともにストライクゾーンには入らないからな。カウントを取るってことで焦っているんだろう。

 すると鈴さんはとんでもないことを言い出す。

 

「じゃあ倍の八球までOKにしてくれ」

 

 なに無茶なこと言ってんだこの人は。ていうか実践意識するためにカウント取るのに、それじゃあ意味ないだろ……。

 しかし流石は兄妹、兄もとんでもなかった。

 

「じゃあ代わりに四振制な」

 

 マジかよ……当初の実践意識するためっていう目的どうしたんだよ。

 妹の主張をあっさり受け入れやがった。妹想いなのか、ただのアホなのか……。

 結局その後、エイトボールが続き、時々四振になったりで、皆のルール理解が深まったかどうかはわからない。

 

 

 

 カキーン

 

 真人が思いっきりボールを校舎より上へと高々とかっ飛ばした。

 

「流石だな」

 

「へっ、俺の筋肉は伊達じゃねぇってことよ。乙坂、お前も俺より強えってんならやってみろ」

 

 そう言って真人は有宇にバッドを手渡す。

 鈴さんのボール怖えからあんまバッターボックス立ちたくないんだが。まぁ、練習だし仕方ないか。

 

「おい、ボールが切れたぞ」

 

 すると丁度そこで恭介が、空になったボール入れのカゴを見せながらそう言った。

 

「じゃあ集めようか?」

 

 直枝さんがそう言って、各自グラウンドやグラウンド外にいってしまったボールを拾い集めてくることとなった。

 

 

 

「有宇くん」

 

 グラウンド外の中庭で球拾いをしていると、神北に声をかけられ、有宇は少しドキリとする。

 昨日、老人ホームで僕は知ってしまった。神北の兄、神北拓也が亡くなっていることを。だからなんとなく顔を合わせ辛くて今日は屋上にも行ってなかった。

 

「今日屋上来なかったよね。どうしたの?やっぱ昨日老人ホームに連れて行ったこと怒ってる?」

 

「いや、別にそんなことない。ただ今日はクラスの奴と食いたい気分だっただけさ」

 

 まぁ、嘘ではないよな。うん。神北と顔を合わせたくなかったからクラスメイトと食べたかったって意味ではあるがな。

 

「それよりどうしたんだよ。何かあったのか?」

 

「ううん、別に何も。あっでもまた昨日の夜もお兄ちゃんの夢見たよ」

 

 兄と聞いてドキリとする。兄の死に感づかなければいいんだが……。

 念の為夢の内容を聞く。

 

「それっていつもの夢か?」

 

「うーん、場面が違うから多分違うかな」

 

「場面?」

 

「うん、白いひらひらがいっぱいあったな〜」

 

「白いひらひらって?」

 

「よく覚えてない。でも場所はいつもいる学校の屋上みたいな感じだったかも」

 

 何かの建物の屋上、それに白いひらひら……シーツ?

 そうだ、それだ!!夢の場所はおそらく病院の屋上。白いひらひらはおそらく干されていた病院のベッドのシーツとかだろう。

 そう考えると納得もいく。なぜ神北拓也は亡くなったのか。おそらくなんかの病気で神北拓也は病院に入院していたんだろう。そして治療の甲斐無く亡くなった。そんな感じだろう。

 もっとも、わかったところで神北には言わない。というか言えない。言えば神北は悲しむだろうし、小次郎の爺さんにも言わないように厳命されている。なぜ言ってはいけないのかという理由はわからないが、他家の面倒事には巻き込まれたくないし、言わないでおくに超したことはない。

 

「あ」

 

 すると神北が何かを発見したようで、声を上げその方向を指差す。

 

「美魚ちゃんだ」

 

 有宇も指差された方を見る。するとまず目に入ったのが白い日傘だ。中庭の端、大きなケヤキの木の下に彼女はいた。

 この女は審判をやっていた……名前は確か……そう西園だ。赤いカチューシャに陰気臭い感じ、間違いない。顔見てないなと思ったらいつもこんなところにいたのか。

 にしてもこの女、キャンプ場にいたとき日傘なんか差してたっけ?

 

「私のクラスメイトなの。ちょっと声かけてくるね〜」

 

 すると神北はそう言い残して西園へと近づいていく。有宇もなんとなくその後ろを付いて行く。

 

「美魚ちゃ〜ん、こんにちは」

 

 神北が声をかけると、西園も読んでいた本から顔を上げてこちらを見る。

 

「こんにちは神北さん。それと……」

 

 西園は有宇の方へと視線を移す。そういやここではまだ初対面か。

 

「彼はね、有宇くん。私の後輩なのです」

 

 神北にそう紹介されたので、取り敢えず頭を下げる。

 

「どうも、乙坂有宇といいます。初めまして」

 

 勿論、初対面のときはいい笑顔で。好印象を持たれるようにする。

 しかし西園に特に反応はなく、そのまま視線を神北の方へと戻してしまった。

 

「後輩がいるということは、神北さんは何か部活をやられているんですか?」

 

 あまり仲のいい同級生同士の会話とは思えないな。普通クラスメイトの、それこそ全員とも言わずともそれなりに親しければ、部活何やってるかぐらいは知ってるもんじゃないのか?

 そんな有宇の疑問を横に、神北は笑顔で答える。

 

「うん、今私リトルバスターズに入ってるんだ」

 

「リトルバスターズ……」

 

「うん、草で野球をするのです」

 

「草野球だ草野球。草で野球なんてしねえよ」

 

 まだそんな勘違いしてたのか。直枝さんと出会ったときにした勘違いらしいが、未だにそんな認識で練習に参加してるとは。こいつ、真人並みのバカなんじゃないか?

 すると西園は「野球ですか……」と何やら困惑した表情になる。

 

「どうしたの美魚ちゃん?」

 

 神北が間髪入れずに尋ねる。

 

「いえ、大したことは。ただ今日はいきなり野球のボールが飛んできたんです」

 

 そう言って西園は自身の背後から白い野球の球を取り出した。その瞬間、二人は固まった。

 そのボールってもしや……。

 

「いきなり飛んできたのでびっくりしました。しかし見たところソフトボールではないようですが……」

 

 ちらっと西園は有宇たち二人を見る。

 まずい、おそらくそのボールはさっき真人がかっ飛ばしたホームランボールだろう。まさか人に当たってたとは……。

 おまけに僕等はさっき草野球をしていると自分で言ったところだ。西園もおそらく僕等のだと疑っているに違いない。なんとか誤魔化せねば……!

 しかしそう思った矢先だった。

 

「おい乙坂、ボールまだ見つかんねえのか?」

「小毬ちゃん、手伝いに来たぞ」

 

 ちょうどタイミング良く、いやタイミング悪く真人と鈴さんが登場した。

 そして真人は西園の手に持つ白球を見つける。

 

「おっ、西園の持ってるそれ、俺がさっき打ったホームランボールじゃねえか。んだよ、二人とも見つけたんならさっさと戻って来いよ。ただでさえボール少ねぇんだからよぉ、とろとろしてんじゃねえよまったく」

 

 こいつぅ、ベラベラといらんこと喋りやがって!!

 有宇と神北はおそるおそる西園の方を向く。

 

「あの、西園先輩……」

 

「ごめんね美魚ちゃん。その、黙ってたわけじゃなくて、言い出せなかったっていうか……」

 

 二人して西園の様子を窺う。しかし西園はひたすら沈黙している。

 これは……やはり怒っているんだろうか。

 すると、西園は突然有宇に、その手に持っていた白球を差し出す。

 

「責任、取ってくださいね」

 

 そう言われ有宇は西園からボールを受け取った。

 

「責任っ!?」

「なんか、エロいな」

「ほわっ、有宇くんがまたエロい!」

 

 三人とも似たり寄ったりの反応を示す。

 

「なんでそうなるんだよ!ていうか神北先輩は全部見てたろうが!」

 

 ていうかまたってなんだまたって。本当に心外だ。ていうか責任って何だよマジで。

 

「痣になってたりしたら……困ります」

 

 西園はボソッとそう呟く。

 そういう意味ならそうとはっきり言ってくれ。あらぬ誤解が生まれるところだったぞ。

 しかし、こちらに落ち度があるのでツッコミを入れるのはやめておく。ていうか怪我したのか?

 

「えっとすみません、湿布とか持ってきますか?」

 

「いえ、お気になさらず」

 

「いや、でも……」

 

 そっちが良くても、こっちは引き下がり辛い。ていうか僕がぶつけたわけじゃないんだけどな。

 

「おい、もう行こうぜ」

 

 当の犯人である真人は先にグラウンドに戻って行ってしまった。鈴さんと神北も真人について行ってしまったため、有宇だけその場に取り残された。薄情な連中め。

 

「えっとじゃあ、今度持ってきます」

 

「はい、お待ちしてます」

 

 そして有宇も取り敢えずその場を離れてグラウンドへ向かった。

 

 

 

 グラウンドに戻る途中、グラウンドの方から何やら誰かが言い争う声が聞こえる。その中からふと聞き覚えのある声がした。その声を聞いた瞬間、有宇は戦慄した。

 まさか……あいつがここに来てるのか!?

 有宇はダッシュでグラウンドへと向かった。

 今微かに聞こえたあの声……間違いない。まさかあいつも僕同様三年前の世界に送り込まれていたのか!?

 有宇は焦りを感じていた。てっきり自分一人しか送り込まれていないとばかり思い込んでいたからだ。

 まさか自分より歳下のあいつがこのわけわからない三年前の世界に送られていたとは。くそっ、なんであいつがここに。僕一人で十分じゃないか。あんなガキンチョまでこんなところに送り込まなくたっていいじゃないか。

 そしてグラウンドに辿り着くなり有宇は叫んだ。

 

「マヤッ!!」

 

 条河摩耶、木組みの街で有宇が出会った中学三年の少女。有宇の下宿先であるラビットハウスのマスターの一人娘のチノの親友でもあり、ラビットハウスにもよく顔を見せる顔ぶれの一人だ。それこそ有宇がこの三年前のこの学校にタイムスリップする前にしていたキャンプでも一緒だった。

 そして先程グラウンドから聞こえた声の中に、彼女のものと思しき声が聞こえたから有宇は焦ったのだ。有宇とは一つ差とはいえ身長的にも精神的にも色々と幼い彼女が、タイムスリップなんていう意味不明の事態に自分同様巻き込まれてしまったのではないかと思ったのだ。

 だからこうして急いで駆けつけたわけだが、その肝心の彼女の姿はグラウンドにはなかった。代わりに長髪の両サイドに黒い猫耳のようなリボンを結んでいる体操服姿の女子の姿があった。

 

「……誰?」

 

「それはわたくしのセリフですわ!!貴方こそ誰ですの!?」

 

 しまった。ついそのまま心の声が出てしまった。にしてもその声、マヤだと思ってた声の張本人はもしかしなくてもこの女か。取り敢えず無難な自己紹介を……。

 

「えっと、初めまして。一年B組の乙坂有宇といいます。今はリトルバスターズの皆さんとこちらで野球の練習をしているのですが……ところであなたは?」

 

 有宇はマヤと声の似た女子に聞き返す。するとその女子は有宇が聞き返したことなど無視して、傍らにいた連れと思しき女子三人と話し始めた。

 

「貴方たち、この男知ってるかしら?」

 

「はい、確かこの前私の隣のクラスに編入してきた男子だったと思います」

「なんか凄いイケメンだって学年中の女の子が騒いでましたよ」

「私の友達も彼のファンとか。確かに顔はいいですね。まぁ佐々美様の方がお美しいですけども」

 

 このモブっぽい女子三人はどうやら僕と同じ一年のようだな。するとそこのマヤと声の似た猫耳女は三人の先輩ってとこか。ていうか最後のセリフなに?

 すると佐々美?とやらは有宇の顔を見ながら言う。

 

「ふーん、まぁ確かに顔立ちはそこそこ整ってるようですが、宮沢様には遠く及ばないですわね」

 

 あ゙っ、今なんて言った?僕があの万年道着野郎に遠く及ばないだとぉ?

 イラッときたものの、有宇は怒りを抑えた。

 落ち着け、下手に感情的に動くな。相手は一応先輩だし、険悪になってもいいことなんかない。ここは我慢だ。

 取り敢えず相手のことを知ろう。有宇は再び尋ねる。

 

「ところで先輩はどちら様でしょうか?」

 

「あら、わたくしを知らないなんて。そういえば編入したばかりと言っていたわね。いいわ、では耳をかっぽじってよくお聞きなさい」

 

 どうでもいいが、この女の喋り方、なんかお嬢様言葉っぼいよな。リゼとシャロのとこのお嬢様学校の連中の喋り方のそれだ。マヤがもう少し大人っぽくなってお嬢様学校に入ったらこんな感じになるんだろうか。

 

「わたくしは笹瀬川佐々美。女子ソフトボール部のホープにして次期キャプテン候補ですわ」

 

「さささ……えっと、すみません、もう一度お願いします」

 

 余計な情報が入ったせいで名前が上手く記憶できなかった。それに『さ』何回入ってたっけ?

 

「さ・さ・せ・が・わ・さ・さ・みですわ!!あ……貴方といい、棗鈴といい、馬鹿にしてるんですの!?」

 

 有宇としては悪気はなかったのだが、笹瀬川としては大変ご立腹だったようだ。とはいえ、そんな『さ』ばっかついてるややこしい名前をしている方が悪い。僕は悪くない。

 ていうか女子ソフトボール部がうちに何の用だよ。こっちは一応練習中だっていうのに。

 

「と・に・か・く!貴方達は我がソフトボール部がのびのび練習できるよう、グラウンドを明け渡すべきではなくて?」

 

 笹瀬川はそう言って、鈴さん達に詰め寄った。

 ああ、元々そういう事情でここに来てたのか。確か女子ソフトボール部は僕等がグラウンド使ってる間は反対側で練習しているんだっけか。一応日によってはちゃんとグラウンド全体を譲ってうちは練習休みにしたりもしてるが、向こうから言わせれば、正式な部でもない連中がグラウンドの貴重なスペースを横取りしているわけだからな。そりゃ気に入らないよな。

 しかし鈴さんは「その発想はないな」ときっぱり断る。そしてあっさりと断わられたことに笹瀬川が「キーッ」とキレる。そんな笹瀬川を「まぁまぁ、さーちゃん」と神北がなだめた。

 

「あれ、神北先輩、ささs……笹瀬川先輩と仲いいのか?」

 

「うん、実はルームメイ……」

 

「神北さん」

 

 神北が言いかけた瞬間、笹瀬川がそれを遮った。もう大体聞こえたが、どうやら笹瀬川的には秘密にしたいらしい。まぁ、敵であるリトバスメンバーと仲良しなんていったら、部で示しがつかないんだろうな。

 更に笹瀬川は続ける。

 

「大体、神聖なグラウンドを猫まみれにするっていうのはどういうことかしら。グラウンドとは、高みを目指し、汗を流すスポーツマンのためのトレーニングの場所。それを猫とじゃれ合うために使うなんて……!」

 

 鈴さんは「ちゃんとトンボみたいなのかけてるぞ」と言うがそういう問題ではないんだろう。大体、猫については僕も少し物申したいと前から思っていたところだ。

 鈴さんのノーコンに継ぐ練習での問題点。それが猫だ。

 なんでも鈴さん、この辺りの野良猫に餌あげたり遊んであげたりと世話をしているらしく、それで猫が懐いて寄ってくるのだとか。まぁ、猫への餌あげとかはここの女子寮長とかもしてるし、そこは別にいいんだが、猫が鈴さんの周りを練習中もうろつくものだから練習がやりにくいったらありゃしない。

 仮に鈴さんのノーコンボールを打てても、猫に当たりそうになったりすると、鈴さんは物凄くキレる。そのくせ自分では追い出そうとはしないし、本当に困ったものだ。野球ボールは硬いし、危ないからマジで練習中ぐらいはどこかに置いてきて欲しいものだが……。

 するとその時、猫の一匹が空気も読まずに笹瀬川の足元に擦りつく。

 

「「「佐々美様のお御足に無礼な!」」」

 

 そう言うと、笹瀬川の取巻き三人が猫にヘッドスライディングを食らわす。すると猫は「ニャー」と鳴きながら宙を舞った。

 

「テヅカ!?」

 

 猫はそのまま見事に一回転してから無事足から着地した。しかし「んなぁ」と弱々しく鳴いてうずくまった。

 笹瀬川は申し訳なさそうな顔を浮かべていた。おそらく笹瀬川にその気はなく、後輩三人が勝手にしたことなのだろう。

 一方鈴さんの方はというと、顔に影を落としていた。明らかにキレている。そして笹瀬川の方をゆらりと睨む。

 

「な、なんですの……」

 

 その目に笹瀬川は怖じ気づいていた。それだけ鈴さんの気迫に圧倒されたのだろう。

 

「勝負だ」

 

 すると恭介がこんな時にも関わらずそんなことを言い出した。

 

「笹瀬川だったか。聞けばあんた、二年でソフトボール部のピッチャーと四番を張っているらしいじゃないか」

 

「え、ええ……」

 

「鈴と一打席勝負しろ。あんたが勝ったらグラウンドから去ってやるよ。但し、鈴が勝ったらあんたは後輩の非礼を詫びて大人しく自分の練習に戻るんだ」

 

 まぁ、確かにこの場は言い争っても収まりそうではないし、恭介の言うとおり、いっそ勝負事で決めた方がいいかもしれないな。それでお互い後腐れなくこの問題は片がつく。あとは笹瀬川がこの勝負を飲むかどうかだけだ。

 

「ふ……ふふっ、おーほっほっほっほ!いいでしょう!受けて立ちますわ!このわたくしが草野球に興じてる程度の輩に負けるはずありませんもの!」

 

 笹瀬川は自分の得意分野の勝負事ということで、高笑いをしながら喜んでこの勝負を引き受けた。

 

「ボールは軟式。バッドは好きに持ってきてくれ」

 

 恭介にそう言われると、笹瀬川は一度、反対側の自分の練習しているグラウンドに戻って行く。

 一方、鈴さんはマウンド上で俯いたまま、ただ不機嫌そうに突っ立っている。

 

「おい恭介、いいのかよこんな勝負。今の鈴がソフトボール部の四番に勝てるわけねえじゃねえか」

 

 真人は心配そうに恭介にそう言う。

 確かにそうだ。今の鈴さんのコントロールじゃ、まともにストライクゾーンに投げることだって難しい。球速も速いといえば速いが、それも女子にしては速い方ということであって、ソフトボール部のエースに勝てる程かと言われると微妙なところだ。

 しかし恭介はまるでバトル漫画で主人公を見守るコーチのような目をしながら言う。

 

「確かに、鈴の実力じゃ難しいかもしれない。でも俺は賭けてみたいんだ。鈴が新たな力を引き出す……そんな可能性に」

 

 どうせいつもの漫画の影響だろうとは、このときの有宇には思えなかった。

 僕は知っている。鈴さんが、()()魔球をいつか投げることが出来るようになることを。もしかして、今がその時なのかもしれない。

 そして笹瀬川が数人の取り巻きを引き連れて戻ってくる。

 

「俺はスピードメーターの動作確認するから、真人はジャッジ頼む。理樹はキャッチャー頼む」

 

 恭介がそう指示すると、直枝さんはキャッチャー防具を身につけ、真人がその後ろに立つ。それから笹瀬川がバッターボックスに立ち、バットを構える。

 

「素人が佐々美様とサシで勝負してもらえるなんて、それだけでも羨ましいです」

「佐々美様っ!大きいのかっ飛ばして、格の違いってものを見せつけてやってくださいっ!」

「佐々美様なら棗鈴ごときの相手、余裕に決まってます!」

 

 取り巻き三人は口々に笹瀬川を応援し始める。

 こいつらわかってんのか?お前らのせいでそもそもお前らの愛する佐々美様はこんな面倒事に巻き込まれてるってのに、気楽なもんだな。

 

「準備はOKですわよ。とっとと始めましょう」

 

 笹瀬川がそう言うと、それを合図に鈴さんが大きく振りかぶる。そこには、いつもの鈴さんにはない気迫のようなものを感じた。そして次の瞬間───

 

 ビュン

 

 ボールは物凄い速度でキャッチャーミットの中へと収まっていった。笹瀬川に至ってはぴくりと動くこともできずバッターボックスに立ち尽くすばかりである。

 

「な、なんですの今のは……」

 

 笹瀬川だけじゃない。おそらくその場にいた全員が呆気に取られたことだろう。更に恭介のこの言葉である。

 

「ひゃ……百三十キロ……」

 

 恭介がスピードメーターの数値を読み上げたのだ。軟式で百三十キロなんて物凄い速さだ。まさかここまでだったとは。しかも女子でこれってかなり凄くないか?

 続く二球目、今度は笹瀬川もバットを振ったが完全な振り遅れであった。

 

「ちょっ、今のさっきよりも速かったんじゃねえか……?」

 

 真人がそう呟いた後に恭介がスピードメーターの数値を読み上げる。

 

「百三十五キロ……すげえぞ、更に速くなってやがる」

 

 一方笹瀬川の方は最後の一球ということもあり、焦りと苛立ちが目に見え始めた。

 

「このわたくしがっ……掠りもせずに終われるものですかっ……!」

 

 そう言ってバットを短く持ち直す。

 

「ファイトです!佐々美様!」

「佐々美様が負けるはずありません!」

「最後に目にもの見せてやってください佐々美様!」

 

 応援の声も悲痛だ。流石に不安になっている様子だ。

 そして運命の三球目。鈴さんが振りかぶって投げた!……が。

 

 ぴろろ〜ん

 

 ボールは力の抜けたような球速で、明後日の方向へと飛んでいった。笹瀬川もまさかそんなボールが来ると思わず、先程までの豪速球に振り遅れないようにとバットを勢いよく振ったせいで、空振ってしまった。

 

「チェ……チェンジアップ。しかも馬鹿にしたような素っ頓狂な暴投……こっ、このわたくしがここまで舐められるとは……」

 

「いや、集中力が切れただけだ」

 

「なぁっ!?」

 

 鈴さんの答えに笹瀬川は絶句した。

 その後真人が鈴さんにもう一度投げるよう言い、笹瀬川を押しのけ自らがバッターボックスに立ち、鈴さんの豪速球を再び見ようとしたが、何球投げても百キロを超えることはなかった。まぁ、それでも八十キロ出てたし十分凄いと思うが。

 

「くそっ、なかなか上手くいかねえもんだな。どれっ、もう一回猫蹴っ飛ばしてみっか」

 

 バキッ

 

 当然、やる前に鈴さんに蹴飛ばされた。

 

「恭介、鈴のこれってなんなの?」

 

 鈴さんの豪速球について未だに信じられないのか、直枝さんが恭介に尋ねる。

 

「火事場の馬鹿力みたいなもんだろ。意識しては出せない……正に鈴の中に疼く潜在的な力が引き出されたみたいな感じだろう」

 

「それだけ鈴にとって、あの猫達が大事だってことだね」

 

「つまりあの球には鈴の中にある猫の魂が宿った魔球ということになるな。よし、あの魔球をライジングニャットボールと命名する」

 

 〈鈴はライジングニャットボールを修得した!〉

 

 なんかテロップ出てきた。ていうかやはりこの豪速球がライジングニャットボールなのか。

 恭介が確かキャンプ場で試合したとき、ライジングニャットボールの生みの親は鈴さんだと言っていたが、正に今僕はその場に立ち会ったのだ。

 だが、キャンプ場での試合には鈴さんは不在、代わりにピッチャーを努めた恭介がこの魔球を投げていた。こいつもそのうちこの魔球を投げる特訓でもするんだろうか。それとも実はもう既に投げれたりするんだろうか。

 こいつの実力はとにかく未知数だ。一応味方ではあるし、警戒する必要はないんだが、なんとなく警戒してしまう。それだけこの男の力を僕自身、認めているのかもしれない。

 もしこの男が敵だったら、僕は勝てる自信が正直いってあまりない。正攻法を取らなければワンチャンといった感じだろうか。いや、それすらこの男は読んできそうだ。なんにせよ敵にはしたくないな、本当。

 そんなことより、笹瀬川と鈴さんの勝負だが、一応これって鈴さんが笹瀬川から三振取って勝ちってことになるんだろうか。最後が最後なもんだから微妙なところだが、ルールに照らし合わせれば鈴さんの勝ちのはずだ。

 

「貴方達、帰りますわよ」

 

 すると笹瀬川は取り巻き三人にそう言うと、僕等に背を向け、自分達の練習場であるグラウンドの反対側へと去っていく。

 

「棗鈴!」

 

 そして去り際に鈴さんに声をかける。

 

「今回はわたくしの後輩が迷惑かけましたわ。でも、次は負けません。必ず勝ちますわ!」

 

 そう言い残すと今度こそ笹瀬川達は去っていった。

 一応約束は守ったようだな。なんだかんだ律儀な奴だ。口調とか高飛車なとこは気に食わんが、そういうところは二木と違ってしっかりしてるし、僕はそんなに嫌いじゃない。

 すると笹瀬川の去った後、恭介が言う。

 

「まっ、うちにもなんだかんだ落ち度はあるし、女子ソフトボール部とあんま険悪になると今後もまたグラウンドについて争うことになるかもしれないからな。明日の午後練は休みにして女子ソフトボール部に譲るか」

 

 恭介はそういうが、笹瀬川は二木と違ってそこまでしつこく敵対はしてこないと思うけどな。鈴さんは今回の件で完全にライバル視されただろうが、リトルバスターズ全体にケンカを売られることは今後ないと思う。でも休みにするっていうのなら僕も楽でいいし、別に構わないけどな。

 すると、「有宇くん、有宇くん」と神北が声をかけてきた。

 

「ん、何だよ」

 

「明日の午後、お暇ですか?」

 

「まぁ、練習無くなったし暇っちゃ暇だな」

 

 そう返すと、神北は顔を赤らめながら恥ずかしそうにモジモジしだす。

 

「それじゃあ私と……デ……デート行っちゃう……?」

 

「……へ?」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 次の日の放課後、有宇は教室から急いで自室に戻って、制服から私服に着替える。着替え終わるとショルダーバッグだけ持って校門へと向かった。

 なにをそんなに急いでいるかというと、今日の放課後、神北と出かける約束をしているのだ。なんでも湖に行くとかなんとか。少し遠いらしいが門限までには帰れるということなので、やることもなく暇だし付き合ってやろうということで行くことになった。

 そして校門に着くと、既に神北は来ていた……のだが。

 

「神北先輩、お待たせしまし……た……」

 

「あ、有宇くん。大丈夫、今来たところ〜」

 

 有宇は神北の私服を見るなり絶句した。神北はそんな有宇の様子にも気付かないで「えへへ……一度このセリフ言ってみたかったんだよね〜」などと一人で浮かれている。

 

「先輩……それ、私服だよな……?」

 

「うん、変かな?」

 

「いや、似合ってるけど……」

 

 校門で待っていた神北の服装は、私服というには些か派手なものだった。

 こういうのってゴスロリとかロリータっていうんだっけか。服は上が白をベースとしたブラウス、下が黒をベースとしたスカートなのだが、どちらにもレースやフリルが多用されていて、極めつけは胸元のリボンである。更にソックスもただの黒のハイソックスかと思えば、上の方に白のフリルが付いていやがる。これはもう私服というよりコスプレに近い。

 服の好みは人それぞれだが、正直普通からは離れた格好と言わざるを得ない。やはりこの人変わってるよな。

 似たような性格のココアだって、僕やチノに勧める服は変なのが多いけど、あいつ自身の服は意外にも普通なデザインなのが殆どだったりする。空気読めないとこもあるが、たまによく周りを見てるところとかもあったりするし、こうして改めて見ると、なんだかんだココアは常識ある奴だと思えてくる。

 同じプラス思考の明るい女子同士でも、服装とかこういう所で変わってくるもんだな、本当に。

 対象的に有宇は、上が黒のジャケット、インナーは白のシャツ、下はベージュのパンツというシンプルな格好だった。随分と対象的になってしまったが、これで二人並んで歩いて大丈夫だろうか……。

 しかし時間もないし、気に入ってるであろう服装を変えてこいとは言い辛いので、このまま湖に向かうことにした。

 

 

 

 駅に向かう途中、神北がこんなことを聞いてきた。

 

「そういや有宇くんは女の子と二人きりで出かけたことってあったりするの?」

 

 そう言われて改めて思い返してみる。白柳さんとカフェ行ったり、ココアやリゼとも何回か出かけたりしたっけ。お嬢様学校の女子達とも……いや、あれは二人きりではなかったな。なんかみんなギスギスしてたしなぁ。出来れば複数の女子とのデートはもう二度とゴメンだ。

 あとそうだな、友利とも出かけたことはあるが、あれはなんかデートとかそういう感じじゃなかったな。あいつ、あん時猫かぶっていやがってたし。肉親も入れると、歩未とも二人で出かけたことは何度かあるな。うーん、そう考えると割と回数だけはあるな。

 

「まぁ、それなりに何回かは」

 

「おおっ、有宇くんモテモテだね」

 

 ああっ、本当にモテモテだったらどれだけ良かったか。本命の女子とは結ばれる前に離れ離れにはなるし、今は住み込みで働くフリーター状態だし、周りにいい女はいないし、当分はまともな恋愛は出来そうにないな。

 

「私は初めてだから、今日はエスコートよろしくね」

 

「いやいやいや、僕今日行く場所知らないから。寧ろ僕をエスコートしてくれよ」

 

 そんなこんなで学校のすぐ近くの電車へと僕等は乗り込んだ。

 そういや電車に乗るのは、この学校に初めて来たとき以来か。あの時は中野のアパートに戻ろうとして失敗したんだっけか。今日は大丈夫なんだろうか。

 そんなことを心配しながら電車にしばらく揺られる。電車内は有宇たち二人の他に客の姿もなく、ガラガラである。

 平日の午後なんだし、もっと下校中の生徒とかいてもおかしくないんだが普段からこんな感じなんだろうか。

 すると、電車で席につくなり神北がカバンからクッキーを取り出して食べ始めた。

 電車で食べカスが落ちる食べ物とか、普通にマナー違反だろ。こいつ、やっぱり常識ないな。ココアがどんどんまともに見えてくる。

 そんなことを思いつつも、神北から差し出されたクッキーを有宇も一枚貰ってかじっていた。まぁ、でも誰もいないしいいかなって。

 

 

 

 しばらくして電車は見知らぬ駅のホームに停まっていた。

 前に電車に乗って眠気に襲われた駅よりも、ずっと先の駅だったのだが、変な眠気に襲われることなく無事来ることができた。

 おそらくだが、僕を三年前に送り込んできた謎の存在Xの意に背く移動でなければ、どうやら妨げられることはないらしい。かといって、ここで僕がいきなり中野へ向かおうとするならば、おそらくXによって妨げられることだろう。

 試してみてもいいが、時間の無駄な気がするし、今は神北と一緒だからな。変に迷惑はかけられないしな。ここは大人しく神北に付き合おう。

 それから駅を出てバスに乗る予定だったのだが、バスはしばらく来ないようなので、二つ先のバス停らしいので、僕等は歩いて向かうことにした。

 そして道中で、有宇は今回の目的について尋ねる。

 

「で、先輩。今日はなんでまた湖なんかに行くことにしたんだ」

 

 そう聞くと、神北は少し神妙な顔つきになる。

 

「私ね、昔ここに住んでたの」

 

 それを聞いて有宇ははっとする。まさか、これも神北拓也絡みなのか?

 

「でも私、ここに住んでた頃のこと、あんまり覚えてないの。いっぱい思い出、あるはずなのに……」

 

 この人は、兄さんのことだけじゃなくて、それに関わる全てを忘れてしまったのだろうか。一体……なぜ。

 

「忘れたくないことや、忘れちゃいけないことまで忘れちゃうなんて、悲しいことだよね」

 

 それが本当に忘れたくないことならそうかもしれない。けど、あんたの場合はきっと、忘れていたいことなのかもしれないけどな。

 僕はどうだろう。言われてみれば僕も昔の記憶、中学に入る以前の記憶は結構あやふやだったりする。単に物忘れが少し激しい程度のものかと思っていたが、これも僕の夢に出てくるあの人と何か関わりがあるのだろうか。

 

「湖はね、私が唯一覚えていた記憶なの。だから、そこに行けば何かわからないかなって」

 

 その時、遠くの山間から白い建物が見えてきた。おそらく病院だろうか。

 神北拓也は亡くなっている。親族である祖父の小次郎爺さんが言ってたんだ。間違いないだろう。

 そして昨日、神北が言っていた白いひらひら。もしかしたら、神北拓也はあの病院で亡くなったのかもしれないな。

 有宇は一人でに、そんなことを考えていた。

 やはり真実を伝えるべきなのか。悲しいことかもしれないけど、家族としてやはり知るべきことにも思えるし。けどなぁ……小次郎爺さんのこともあるし、それにそんな重たいこと僕の口からわざわざ言いたくないな。

 有宇がそんな葛藤を抱えながらも歩いていくと、二人は更に奥まった林道に入り、そこから五分程歩くと、林道の先が見えてきた。

 林道を抜けると、空から眩しい太陽光が差し込む。そして目の前には広大な湖が見えた。

 

「着いたようだな」

 

 すると少し離れたところに見える小屋から神北が有宇を呼ぶ。

 

「有宇く〜ん、ボート屋さんがあるよ」

 

 いつの間に先を歩いていたんだろうか。そして目の前には確かにボート乗り場がある。まぁ、折角だし乗っていくか。

 有宇も小屋の方まで行き、おじさんに百円を払って、二人はボート乗り場に置いてある白いボートに乗り込む。

 ボートは当然、男である有宇が漕ぐ。まぁ、ここで女子に漕がせるようじゃ男じゃないよな。

 神北の方は鼻歌まで歌ってご機嫌の様子だ。喜んでくれてるようで何よりだ。こっちも付き合ってやってる甲斐があるってものだ。

 

「貸し切りみたいだね」

 

「そうだな、人気が全くないな」

 

 割と綺麗な湖なのだが、僕等以外にボート客もいないし、湖の周りを散歩しているような人の姿もない。まぁ、平日ってこともあるんだろうけど、ここまで人がいないと少し不気味だな。でもあれか、穴場ってやつなのかもしれない。なんにせよ人がいないに超したことはないか。

 しばらくして、有宇がオールを漕ぐのに疲れを感じ始めた頃、きゃっきゃとボートと景色を楽しんでいた神北は飽き始めたのか、水面をじーっと見つめている。

 

「何見てるんだ?」

 

「うん、お魚さんが沢山泳いでますよ〜」

 

 確かに水面を覗くと、水奥に鯉ぐらいの大きさの魚の影が何匹か、水中を泳いでいた。

 

「本当だ。何匹かいるな」

 

「ほわ〜」

 

 神北は心ここにあらずといった感じで、水面に見入っていた。どうやら飽きたからぼーっと眺めていたわけではないようだ。

 すると神北は水面から顔を離さずに、こんなことを呟いた。

 

「でも、湖の底は見えないんだよね」

 

 まぁ、結構深そうだもんなここの湖。底の方は見えないだろうな。僕もこのボートから落ちたらと思うと少し背筋が寒くなる。

 

「透き通るぐらい綺麗な水なら見えたかもな」

 

 そんな風に適当に言葉を返す。すると彼女は突然こんなことを言い出した。

 

「……貴方の目が、もう少し、ほんのちょっとだけ見えるようになりますように」

 

「突然どうした?ていうかなんだそれ?」

 

「ううん、なんでもないの。ただ、よく見えるようになったらいいなって」

 

「なんだそりゃ。それに僕一人見えても意味ないだろ」

 

 別に僕は湖の底なんかに興味はないしな。よく見えるようになりたいのはお前だろうが。

 有宇がそう言うと、神北は微笑んだ。

 

「そうだね、私の目も、見えるようにはなって欲しいな……」

 

 そして神北は再び湖の水面へと視線を移した。水面の底を見ようとするその目が、有宇には自らの記憶の底を覗き込もうとしているように見えた。

 

「なぁ、やっぱり兄さんのこと思い出したいのか?」

 

 有宇は神北に尋ねた。やはり聞いておくべきだと思ったから。そして神北は答える。

 

「うん、思い出したいよ。だって、失くし物は寂しいよ。使い古しの消しゴムを失くしても、私はきっと一晩しょんぼりしてしまいます。だから、失くし物は探すんだ。お兄ちゃんの記憶も……」

 

 その気持ちは理解できなくもない。僕とて自分の中にある失われたものを取り戻したいとは思うからだ。昔のこと、それに関わっていると思われる夢の中のあの人のこと、僕だって思い出したい。

 けど、もしそれが探した末に悲しみしか残らなかったらどうだろう。僕だって内容の如何を問わずにきっと探すのを躊躇することだろう。

 知ることは死ぬこと。少し前に僕が読んだ藤島とかいう作家の小説にそんなフレーズがあったっけか。知ることとはなにも得るものばかりではない。

 知るということそのものは、何かしらの知識や情報を得るという行為ではあるが、得たことそのものが自分のその先の人生においてプラスに働いてくれるとは限らない。結果次第では僕等は知ることによって何かを得るどころか失うことだってある。

 今回だってそうだ。確かに神北は兄さんの死を家族として知るべきなのかもしれないし、それは当然の権利なのかもしれない。

 ただそれは、今背負うべきものかといえばそうではないし、別に知らなくたって、この先の人生でそう困ることもないだろう。寧ろ、兄さんの死を知ることで神北は悲しみ、嘆き、今ある生活の平穏を脅かすかもしれない。

 本来なら兄さんの死によってそれが知られるべきだったのに、神北が何故か全てを忘れてしまったこと。そして小次郎の爺さん含め神北家がそれを隠蔽しようとしたことにより、知るべきタイミングを失ってしまったのだ。

 神北の気持ちはわかるが、やはり僕はもうここまで来たなら神北家の思惑通り、兄さんのことは思い出させないで隠しておくのがベストなのではないかと思えてきた。

 

「見つけなくて……いいんじゃないか」

 

 そして気が付けば僕はそんなことを口走っていた。

 

「兄さんは夢の中にいる。それで、いいんじゃないか」

 

 有宇がそう言うと、神北は寂しそうに聞く。

 

「有宇くんの方は、その、それでいいの……?」

 

 僕の方というと、僕の夢のことを言っているんだろうか。

 正直、あの人が誰か知りたい気持ちは今もまだある。だが、同時に神北拓也のようになっていたらと思うと、探す気も少し失せてきたのも確かだ。

 

「僕も、あの人は夢の中だけの人ってことで割り切ることにするよ。結局僕の夢に関してはなにもわかんなかったし」

 

「そっか……。有宇くんがそう言うなら、そうしよっかな」

 

 どうやら神北の方も兄さん探しは諦めてくれるようだった。しかし神北はこう続けた。

 

「でも……それなら、有宇くんが私のお兄ちゃんの代わりになってくれないかな?」

 

「…………えっ?」

 

 なんだって……?僕があんたの兄さんの……代わり???

 有宇が放心状態になってると、すぐに神北はクスクスと笑い出す。

 

「えへへ、ビックリした?冗談だよ冗談」

 

 冗談……そうだよな、流石に本気じゃないよな。身内に、血も繋がってない赤の他人だというのに、やれ妹になれだとか弟になれだとかいう女がいるからつい本気にしてしまった。

 大体、兄さんになれって言っても、血の繋がり以前にこの人より歳下だもんな。弟ならまだしも兄になれっていうのは無理があるしな。

 

「う〜ん、ずっと座ってると腰が痛くなっちゃうね〜」

 

 そんな婆臭いことを言いながら、神北は立ち上がって腰を伸ばした。すると、いきなり立ち上がるものだから、ボートが揺れ、神北がバランスを崩した。

 

「うわぁ!?」

 

「危なっ!?」

 

 前のめりに倒れる神北を、有宇はしっかりと抱きかかえるような形で受け止めた。すると神北は、恥ずかしいのかすぐに有宇の胸からばっと離れる。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「ったく、いきなり立つなよ。危ないからさ」

 

「えへへ、でも有宇くんがしっかり支えてくれて助かったよ」

 

「あんま頼られても困るけどな」

 

 神北はそれからもずっと楽しそうに笑っていた。

 そう、それでいい。あんたは空気も読まないでずっと笑ってるぐらいがキャラに合ってるんだ。変に辛い過去を掘り返してその笑顔を曇らせるようなことなんかしなくていいんだ。

 修学旅行のこともある。僕が本当に修学旅行の悲劇からこいつらを救えるのかといわれると、正直いってあまり自信はない。

 だから、仮に僕が失敗してもいいように、人生を生き抜く最後の瞬間まで、あんたはそうやって笑っていてくれ。

 有宇は笑顔の神北を見てただそう願った。だが、運命というのは中々そう上手く事を運ばせてはくれないものだ。

 

 

 

 ボートから降りた後、僕等二人は湖を出た。それから電車に再び乗り学校へと戻る。電車に揺られている途中、外では雨が振り始めた。

 

「雨降ってきちゃってるね。有宇くん傘ある?」

 

「折りたたみが一本あるけど、先輩は?」

 

「私、持ってきてないや……」

 

「じゃあ一緒に入るか?」

 

「おおっ、相合傘だね」

 

「ただ一緒の傘に入るだけだろ」

 

「え〜そうかな。有宇くんはちょっとドライな気がするな」

 

 そんな下らない会話をしているうちに、学校前の駅に着く。そこで有宇は折りたたみ傘を開き神北を中に入れる。

 

「有宇くん、もうちょっと中に入らないと濡れちゃうよ?」

 

「どうせすぐだ。別に構わない」

 

 湖でゆっくりしてたこともあり、時間はもう門限の七時間近だ。さっさと学校に戻らないとな。

 するとその時、突然()()が有宇の目に入った。

 

「げっ……」

 

 有宇は思わず足を止める。

 

「有宇くん?どうしたの?」

 

 神北に言われて、有宇は道の端の下水を指差す。

 

「猫の死骸だ。くそっ、嫌なもん見たな。気持ち悪ぃ」

 

 有宇の目に入ったのは猫の死骸。力無く下水の中で倒れていて、ピクリとも動かないからおそらく死んでいるんだろう。まだ小さい子猫のようだ。

 一応気持ち悪いと思いながらも近づいて見てみる。

 うちの学校にいるやつではなさそうだな。白猫だがよく見ると黒い小さな模様がついてる。目の周りにも黒い模様がついてて特徴的だし、こんな猫は確か鈴さんの周りにはいなかったと思う。うろ覚えだが。

 まぁ、なんにせよ違うならよかった。もし学校に来てる野良猫なら鈴さんが名前つけた猫かもしれないからな。もしそうだったら鈴さん悲しむだろうしな。

 違うなら別に放っておいても構わんだろう。死骸だって行政の職員とかが片付けてくれるだろう、きっと。

 さて、変な寄り道してしまったな。さっさと行くか。

 有宇はその場を離れた。しかし、神北は猫の前から動かなかった。

 

「先輩?もう行くぞ。門限まで時間がない」

 

 門限過ぎても特に誰か確認してるわけではないが、門限過ぎてるところを教師とか風紀委員に見られると面倒だしな。出来ればさっさと帰りたいんだが。

 すると神北は無言で下水道の中で力無く転がる猫の死骸を撫で始めた。

 

「先輩、それ汚いからあんま触らない方がいいぞ」

 

 猫の死骸なんてどんな病気がついてるかわかったもんじゃない。猫を撫でたきゃ鈴さんの周りにくっついてるやつを撫でればいいのに……。

 そして神北は静かに口を開いた。

 

「ねぇ、猫さん動かないよ……?」

 

 なにをおかしなこと言ってんだこの人は。死骸だってさっき言ったばかりじゃないか。

 有宇は呆れながら言う。

 

「動くわけ無いだろ」

 

「どうして……?」

 

「死んでるからだ。ほら、汚いしあんま触らない方がいいって。いいから帰るぞ」

 

 そう言って有宇は神北に帰ることを促す。しかし、神北は黙ってそこを動かない。

 何か様子が変だ。そう思った有宇は神北の顔を伺う。

 表情がなく全身が強ばっている。目もなんか虚ろだし、一体どうしたんだ。

 

「神北先輩……?」

 

 もう一度呼びかける。しかし返事はない。それから不自然な間が空く。

 さて、どうしたもんかと有宇が頭を悩ませた次の瞬間だった。

 

「ううっ……」

 

 神北が喉を締められるような呻き声を漏らし、その場に膝をついた。更に……。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 神北は子猫の死骸を前に、身を震わせ絶叫した。

 

「おいっ!?どうしたんだよ!?先輩っ!!」

 

 有宇は突然の出来事にどうしたらいいかわからず、神北の肩を揺すって呼びかける。しかし肩はがくがくと震えており、神北は泣きじゃくるのをやめなかった。

 日も沈み雨曇が空を覆う夜の暗闇の中、電灯だけが明かりを照らすその場所に、雨音と少女の泣き声だけが響き渡った。



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第40話、たった一つの冴えたやり方

 雨の中、猫の死骸を見つけ突然泣き出した神北だったが、泣き出してからしばらくすると、ようやく泣き止み、そして沈黙した。しかし時間はもう門限の七時を過ぎてしまっている。

 

「先輩、立てるか」

 

 有宇がそう声をかけると、神北はようやく立ち上がった。

 高そうな洋服もずぶ濡れだな。こんな雨の中膝ついて座りこんで泣いてたもんだから、ソックスもスカートもぐしょぐしょだ。

 なんにせよさっさと帰らないとな。もう校門はしまってるだろうし、学食で夕食も始まってることだろう。風呂の時間とかもあるし、とにかく急がねば。

 しかし神北は立ち上がったものの、そこから動かなかった。

 

「おい、まだなんかあるのか?」

 

 有宇は神北の視線の方向を見る。

 ああ、猫か。くそっ、こんな猫の死骸ほっとけばよかったな。ていうかあれか、こいつがここにいるから神北のやつ、ここから動かないのか。あぁクソッ、仕方ないなぁ……。

 有宇は一度手に持っていた傘を神北に持たせて子猫の死骸を下水から抱きかかえてやる。

 うげぇ……ぐちょぐちょに濡れてて気持ち悪ぃ。だけど臭いとかはそんなにしないな。多分、死んでからそんなに経ってないんだろう。

 それから左腕で猫を抱えて、右手で神北から傘を受け取る。神北は有宇のジャケットの裾を掴み、ようやく有宇と神北は学校へと歩を進めた。

 

 

 

 帰路に着く間、有宇はただただ苛ついていた。

 神北は相変わらず虚ろな目をして黙り込んでるし、猫の死骸なんか抱えて歩かなきゃならないし、門限には遅刻するし散々だ。

 あークソッ!こんな日に出かけるんじゃなかった!結局門限の時間過ぎたし、今日じゃなくて休みの日とかに出かければよかったんだ。こんな放課後のちょっとした時間で遠出しようってのがそもそも間違いだったんだ。

 一番の間違いは猫の死骸なんか見つけてしまったことだ。こいつを見つけなきゃ神北がおかしくなることもなかったんだ。

 ていうかマジで神北はどうしたんだよ。猫の死骸なんて割とよく見るもんだろ。そりゃ女子には少しショックかもしれんが、こいつは死骸の割に結構綺麗で、生きたまんまの姿をしている。痩せてるしおそらく栄養失調だろう。親猫に見放されたか?

 なんにせよ、交通事故で轢かれて血まみれになったのと比べたら全然マシな方だ。だというのに、あんなに泣き叫ぶほど何がそんなに悲しかったんだ?

 すると、ずっと黙っていた神北が口を開いた。

 

「思い出した……全部」

 

「あ?思い出したって何が?」

 

 苛ついてたこともあり、有宇はつっけんどんに聞き返す。しかし神北は動じずに答える。

 

「失くしたもののこと……」

 

「失くしたもの?それってまさか、先輩の兄さんのことか?」

 

 有宇がそう聞き返すと、神北は小さく頷いた。頷いたものだから有宇は少し驚いた。

 まさか……今のショックで兄さんのことを思い出したっていうのか?

 

「お兄ちゃん……体が弱くて入院してたの」

 

 そして神北は語り出した。

 神北と神北の兄さん……神北拓也は八つも歳が離れた兄妹だったらしい。そして神北が幼稚園の頃、神北拓也は血を吐いて病院に入院した。

 隣町の病院だったにも関わらず、神北はいつも自転車を漕いで兄の元へと見舞いに行っていたらしい。それを聞く限り、兄妹仲はやはり良好だったようだ。

 神北拓也とはいつも病院の屋上でかけっこやら隠れんぼをして遊んだり、絵本を読んでもらってたりしたそうだ。時々、神北拓也は画用紙で自作の絵本を作ってくれたりもしたらしい。あの鶏とひよこの絵本もその一つだろう。

 だが、神北拓也の病状は次第に重くなっていった。そして遂にその最期のとき、神北拓也は神北にこう言い残した。全ては夢なのだと。悲しいことなど何もない。例え自分がいなくなってもそれは夢なのだと。

 そうして神北拓也は病院のベッドの上で息を引き取った。だが神北はすべてを忘れてしまった。兄さんのことも、それに関わるもの全部の記憶を。

 つまりあれか、この人は兄さんに言われた言葉が暗示みたいになって、それで全部を忘れてしまったってことなのか。そんなスピリチュアルな……。

 だが有宇はすぐに思い直す。

 僕は知っている。この世の中は僕が思う以上にスピリチュアルな事で溢れていることを。超能力、世界を裏から牛耳る組織ガーディアン、超能力者を引っ捕らえて人体実験をする科学者、光る蝶々の亡霊、タイムスリップ、僕はそんな非現実を知っている。

 それに僕自身もまた、夢の中のあの人のことを覚えてないし、中学入学以前までの記憶があやふやだ。僕もそうなのか。何らかの暗示がかけられてたり、或いは辛い現実から逃避するために忘れているだけなのか?

 なにはともあれ、神北が神北拓也の最期の言葉が暗示となり記憶を失ったという話も、あながち嘘ではないかもしれないということだ。

 

 

 

 神北の話を聞いてからしばらくすると、ようやく学校に辿り着く。しかし、当然学校の校門は閉まっていた。

 周りに教師や風紀委員がいないことを確認すると、取り敢えず猫の死骸と傘を置いて、校門の向こう側へとよじ登る。それから門を開けて猫の死骸と傘を回収した。

 さて、まずは神北をどうにかするのが先か。女子が服を濡らしてるっていうのはいかんだろうし、取り敢えず女子寮へ行くか。

 そう思い有宇は女子寮へと向かった。女子寮へ着くと、見知った顔が丁度いたので声をかける。

 

「来ヶ谷」

 

 来ヶ谷が丁度女子寮へ入るところを見つけたので声をかけた。来ヶ谷はすぐにこちらに気付き、やって来る。

 

「おや有宇くん。こんな時間にどうしたのかね……って、小毬くん?」

 

 来ヶ谷はすぐに、有宇のジャケットの裾を掴んで立ち尽くす神北の異変に気付いた。

 

「……何があったのかね」

 

「僕にもわからん。取り敢えず、さ……笹川先輩呼んで貰えるか?」

 

「誰だねそれは。笹瀬川佐々美くんじゃないのかね」

 

「そう、その人。呼んできてくれ。先輩のルームメイトらしいから」

 

 いかんいかん、また間違えてしまった。ややこしいんだよあの人の名前。

 取り敢えずルームメイトに押し付けちまえばなんとかなるだろう。笹瀬川だっけか、あの人結構面倒見は良さそうだしな。ルームメイトなぐらいだしなんとかしてくれんだろ。

 そして来ヶ谷は「わかった」と言うと、笹瀬川を呼びに行ってくれた。あいつも神北の様子を見て動揺したみたいだが、あいつでも動揺することってあるんだな。それが少し新鮮に思えた。

 しばらくすると、笹瀬川がタオルを手に持って女子寮前に姿を現した。

 

「神北さん!?一体どうしたんですの!?」

 

 来ヶ谷からも聞いていたんだろうが、神北のただならぬ様子を見て心配して、笹瀬川は現れるなり駆け寄ってきた。そして濡れた神北の体を、持ってきたタオルで拭いてやっていた。

 それから有宇の方をキッと睨みつける。

 

「貴方……まさか神北さんになんかしたんじゃ……」

 

「誤解だよ!僕は何もやってないって!」

 

「なら、一体何があったらこうなるんですの!?」

 

「だから知らないって!!一緒に外に出かけた帰りに猫の死骸見かけて、そしたら急に泣き出したかと思えばこうなって……僕だってわかんねぇよ!!」

 

 有宇は若干ヒス気味になって、そう答えた。有宇自身、今のこの状況に困惑している一人であった。有宇のその様子に笹瀬川も敵意を引っ込める。

 

「落ち着きなさい、わかりましたから。とにかく、神北さんはこちらでなんとかしますわ」

 

「ああ……頼む」

 

 取り敢えず誤解は解けたようでよかった。すると笹瀬川は、有宇が抱き抱える猫に目をやる。

 

「それがその猫なんですのね……」

 

「ああ、こいつの側から離れなかったから、仕方なく一緒に持ってきた」

 

 すると笹瀬川は猫の死骸をそっと撫でた。

 

「そう、可哀想に……まだこんなに小さい……」

 

「汚いから触らないほうがいいぞ」と言いかけたが、笹瀬川の様子を見てその言葉を引っ込める。そういやこの人、鈴さんの猫に擦り寄られたときも、取り巻きが勝手に追い払ったとはいえ、決して自分からは追い払おうとはしなかったよな。

 

「猫好きなのか?」

 

 笹瀬川の様子を見てそう聞くと、笹瀬川は何やら浮かない顔を浮かべる。

 

「嫌いですわ。だって、勝手にいなくなってしまうんですもの……」

 

 何か昔あったんだろうか。飼ってた猫が家から脱走したとか、早死にしたとか。でも、嫌いというのはおそらく嘘だろう。本当に嫌いだというなら、猫の死骸を見てこんなに心を痛めることはないだろうしな。

 そして笹瀬川は猫の死骸からそっと手を離す。

 

「それじゃあ早く神北さんをこちらに」

 

「ああ、ほら先輩」

 

 有宇は神北に女子寮へ戻るよう促す。しかし、神北はジャケットの裾を掴む力を強めて、離れようとしなかった。

 

「……いや」

 

「いや、嫌って言われても困るんだよ。ほら、笹川先輩待ってるぞ」

 

「さ・さ・せ・が・わですわ!!わざとですのそれ!?」

 

 おっと、いかんいかん。また間違えた。

 しかし神北は依然、有宇のジャケットの裾から手を離さない。そして神北はこんなことを言いだした。

 

「ここにいる……お兄ちゃんの側がいい」

 

 お兄ちゃん?何言ってるんだ?幻覚でも見えてんのか?

 

「馬鹿なこと言うなよ。あんたの兄さんなんてここにいないだろ」

 

「何言ってるの……ここにちゃんといるよ。ねぇ、()()()()()()

 

 神北はその虚ろな目を有宇に向けながらそう言った。

 まさか……お兄ちゃんって僕のことを言ってるのか……?

 それを聞くと、再び笹瀬川が有宇に疑念の眼差しを向ける。

 

「あなた……やっぱり……」

 

「違うよ!だからそんなことしてないって!あとそういうプレイ的な意味でもないから!」

 

 どいつもこいつも、僕のことをなんだと思ってるんだ。苛立ちから有宇は自分の髪をくしゃくしゃする。

 あぁもうっ!!ていうか神北のやつ、マジでどうしたんだよ本当に。もしかしなくても、僕と神北拓也を混同してるのか?なんにせよ、迷惑極まりない。

 クソッ、とにかくこのままじゃ埒が明かない。有宇は神北に必死の説得を試みる。

 

「なぁ神北先輩、服だけじゃない。腹だって減ったろ?行きの電車の中でクッキー食べただけだし。だからもう寮へ帰れって。笹……瀬川先輩も心配してるから。ほら」

 

 有宇がそう言うと、神北はすぐ側にいる笹瀬川に目を向けた。それから有宇の顔を見る。

 

「お兄ちゃん……どこにも行かない?」

 

「ああ、行かない行かない。だからとっとと行けって」

 

 そう言うと「わかった……」と言って、ジャケットの裾から手を離し、笹瀬川の元へとおぼつかない足取りで歩いていく。そして二人で女子寮の中へと帰っていった。

 帰り際、神北は有宇の方を見て再びこう言った。

 

「じゃあね……お兄ちゃん」

 

 そして神北は笹瀬川に連れられ、女子寮の中へと消えていった。

 

 

 

 はぁ、どうしてこんなことに……。

 神北を笹瀬川に預けた後、有宇は猫の死骸片手に女子寮の前で立ち尽くしていた。

 取り敢えず過ぎたことを考えても仕方がない。さっさとこいつをどっかに埋めて僕も寮に帰るか。

 しかし、猫の死骸を埋めるにしても、どこに埋めたらいいものか。あんまり生徒がよくいるような場所に埋めると、誰かしらがいたずらに掘り起こして、また神北の目に触れる可能性もあるし、できれば人通りが少ないところがいいよな。

 そんな風に猫の死骸を埋める場所を探し歩いていた時だった。

 

「おいっ!」

 

 誰かに後ろから呼びつけられる。有宇が振り返ってみると、そこには鈴の姿があった。

 

「鈴さん、なんでここに……」

 

「さっき女子寮でさささに会って聞いた。小毬ちゃんのこと」

 

 ああ、そういうことか。神北と鈴さん、この一週間ぐらいでだいぶ仲良くなってたしな。鈴さんはチノとは違いその辺素直だから、自分に好意的に接してくれる神北に懐くのも時間の問題だったわけだ。

 そしてその神北の異変を知って、異変の原因を知るであろう僕の元まで来て、傘も差さずにこうして駆けつけてきたわけだ。

 あとどうでもいいが、さささって笹瀬川のことか?なるほど、いつも鈴さんに名前間違えられるから、名前間違えられると怒るのかあの人。いや、それ関係なしに名前間違われたら普通怒るか。

 そして鈴は有宇に神北のことを問い質す。

 

「お前、小毬ちゃんになにをしたんだ!?」

 

「何もしてないって。道に落ちてたこいつを見たら、急にあの人泣きだしてああなったんだよ。僕だってよくわかってないんだ」

 

 そう言って有宇は、腕に抱えた猫の死骸を見せる。

 

「死んでるのか……?」

 

「ああ」

 

 すると鈴は悲しそうな表情を浮かべる。

 無理もない。この人、猫好きだもんな。だが変な誤解されたくないし、見せるしかないだろう。

 でも鈴さんは、決して神北のように泣き叫ぶようなことはしなかった。これが普通だ。どんなに悲しいと思っても、あそこまで絶叫して泣き叫んだりは普通はしない。やはり神北には何かがある。

 そして鈴は有宇に背中を向けて言う。

 

「有宇、ついてこい。こっちだ」

 

 鈴にそう言われると、有宇は言われるがままに、鈴の後ろを追っていく。そして隣に並ぶと、持っていた傘の中に鈴を入れた。

 しばらくして辿り着いた場所は、裏庭の一角であった。そこに地面から土が盛り上がっているのがいくつか見られる。これは……。

 

「今まで死んでいった猫たちの墓だ。こいつも、他の猫たちと一緒なら寂しくないと思う。それにここは寮長が守っていてくれるから墓も荒らされないし安心して眠れるはずだ」

 

 なるほどな。そりゃあれだけの猫の世話をしているんだ。歳だったり病気だったりで死んだ猫もそりゃ今までいただろう。この猫が初めてじゃないってことか。

 それに確かここの女子寮の寮長、名前は確かあま……あま……なんだっけ?まぁ、ここの女子寮長も猫好きみたいだしな。寮長の権限とかもあるし、そんな彼女が守るこの場所を荒らそうとする輩はいないだろう。

 そして有宇はそこに猫の死骸を埋めた。それから二人で墓に向けて手を合わせる。

 猫の埋葬が終わり、寮へと戻る帰り道、鈴が再び有宇に尋ねる。

 

「お前、小毬ちゃんがああなった理由、本当に知らないのか」

 

 直接の原因は猫の死骸を見たこと。けど鈴さんが聞きたいのはそこではないんだろう。神北がああなった背景が知りたいということなんだ、おそらく。背景というのは、言うまでもなく神北の兄の死にまつわることだ。

 しかし、それを素直に話していいか躊躇われる。一応これって神北のプライバシーだし、僕が勝手に話していいものなのか。

 だが、かといって僕一人で解決できる問題でもないし、まして神北本人が自分で解決できることでもない。それに鈴さん含めリトルバスターズの連中は、神北のプライバシーを勝手に言いふらしたりとかはしないだろうし、話してもいいのかもしれない。

 

「知ってる……全てじゃないですけど。えっと、話すなら他のみんなにも話しておきたいから、今から神北先輩以外のリトバスの全員集めるってことできます?」

 

 鈴にそう言うと、鈴は一言「わかった」と返した。それから学食に集まることを約束して、有宇は鈴と女子寮の前で別れた。

 

 

 

 男子寮に戻ると、風呂に入り体を温める。それから着替えると、有宇は鈴との約束のため、学食へ向かう。

 学食につくと、時間ももう九時近いこともあって、学食に他の生徒の姿はなく、学食のおばちゃんが後片付けをする音だけが響いていた。

 だが、いつもリトバスメンバーたちが食事を取る机の一角、既にそこにリトバスメンバー全員が揃っていた。

 有宇が近づいていくと、全員がこちらを見る。席には理樹、鈴、真人、来ヶ谷、三枝、そして謙吾が座っており、側の柱には恭介が寄りかかって立っていた。

 そしてまず最初に理樹が声を上げた。

 

「有宇!来ヶ谷さんと鈴に聞いたよ!一体小毬さんに何があったのさ!?」

 

 理樹は鬼気迫る様子で、席から立ち上がり有宇に尋ねる。

 

「落ち着いてください直枝さん。それをこれから説明しますから」

 

 有宇がそう言うと、理樹は大人しく席につく。こんな焦った様子の直枝さん、あのキャンプ場で恭介たちと会ったことを話したとき以来だ。

 そして有宇は全員の前に立つと、ここ最近神北と何をしていたのか話した。

 自分と神北は夢の中に、兄と思しき男が出てくることが多々あったこと。そして二人してその夢の男について調べていたこと。それから神北の兄、神北拓也が絵本の発見により実在したことが発覚し、更に調査の過程で神北の祖父と出会い、神北拓也が亡くなっていたことが判明したこと。

 そのことを神北には隠すことにしたものの、今日、猫の死骸を見たショックから突然おかしくなり、更にそのショックが元で神北が忘れていた兄のことを思い出したこと。そして何故か、自分のことを兄だと思い込み始めたこと。

 有宇が全てを話し終えると、皆暗い顔を浮かべていた。まぁ、こうなるよな……。

 あまりにも重すぎる展開だ。こんなこと聞いて、一体自分達はどうすればいいんだって感じだ。

 すると来ヶ谷が有宇の話を聞いて、神北が有宇を兄と呼ぶ理由について、こう持論を語る。

 

「もしかしたら小毬くんは今、有宇くんを兄だと思い込むことで、兄の死を知った悲しみから身を守ろうとしているのかもしれんな」

 

 だとしたら本当に迷惑極まりないんだが。今日だけでもかなり迷惑被ったっていうのに、明日以降も迷惑かけられることがあるってことじゃないか。

 もし同級生の前でお兄ちゃんなんて呼ばれてみろ。一つ上の先輩に兄と呼ばせているところなんざ見られたら、他の奴等は僕のことを、そういうプレイをする奴と思い込むに違いない。

 実の妹の歩未にだって、周りからシスコンと思われたくないから、学校に行くときは別々にしてるぐらいなのに……ほんと、最悪だ。

 

「そんなの小毬ちゃんが可愛そうだ!!なんとかしてやれないのか!?」

 

 来ヶ谷の話を聞いて、鈴さが感情的にそう叫ぶ。

 そりゃなんとかしてやれるなら、してやりたいけどなぁ。だがこればっかりはなぁ……。

 理樹も有宇と同じ考えなのか、暗い表情で鈴さんにこう答える。

 

「今の小毬さんには、何もしてあげられないよ……。知りたくもないことを知らずにいられたなら、小毬さんはひだまりみたいな笑顔のままだったのに……。僕だってそんな真実知りたくなかった。知らないままでいられたらどんなによかったか……」

 

 直枝さんの言う通りだ。これは神北の問題であり、僕等にはどうすることもできない。

 何かしてやれるなら、同じリトバスの仲間として、してやらんこともないが、この問題を解決するには神北自身が兄の死に向き合い、その悲しみを克服する必要がある。それを外野である僕等がどうこうしたところで、解決できるものでもないだろう。

 理樹の言葉を受け、再び場が沈黙に包まれる。すると、この沈黙を破ったのはあの男だった。

 

「だが、神北は既に知ってしまった。知ってしまった以上、逃げることはできない」

 

 恭介であった。そして有宇を含め、皆が恭介に視線を集める。

 

「もし世界が知りたくないことで溢れていても、できることは逃げること、目を逸らすことだけなのか。いや、そうじゃない筈だ」

 

 そう言うと恭介は閉じられていた瞳を開き、有宇を見据えて更にこう続けた。

 

「今の神北には乙坂が特別な存在になっているんだ。乙坂、神北に寄り添い、救ってやれるのはお前だけだ」

 

 恭介がそう言うと、その場にいた皆の視線が今度は有宇に向けられる。

 

「はぁ!?ちょっと待てよ!僕一人であいつをどうにかしろっていうのか!?無理に決まってるだろ!!」

 

 冗談じゃない!今日一日付き合うだけでも大変だったのに、今度は神北を救えだぁ!?

 ふざけんな!!んなことできないし無理だし、それに僕の負担がでかすぎだろ!!

 

「勿論、俺達にできることがあれば、俺達はそれを全力で手伝う。だが、主となり神北を救ってやれるのはお前だけだ」

 

 恭介は冷静にそう返した。それからその場の全員を見据える。

 ここで断ることもできなくはない。だが、かなりの顰蹙(ひんしゅく)を買うことになるだろう。

 それに僕がリトルバスターズに入ったのは元々、ここにいる全員の信頼を得て、これから起こる悲劇を信じてもらうことにある。ここで顰蹙を買えばその目的からかなり遠ざかるだろう。だが逆に言えば、これを解決できればその目的に大きく近づくことができる。

 そして有宇は決心して、皆の前でこう答える。

 

「わかったよ。ったく、取り敢えず明日、神北先輩の爺さんに今日のことを話してみる。それから神北先輩をなんとかできるか、色々やってみようと思う。自信はないが」

 

 有宇がそう言うと、その場にいた皆は安堵の様子で微笑む。それからこの場は取り敢えず解散となり、有宇も部屋に戻った。

 部屋に戻ると、有宇は先程の集まりのことを少し考える。

 なんか大変なことになったなぁ……。僕があの状態の神北の目を覚まさせる?無理だろ……今日だってあの人、まるで話が通じなかったぞ。そんなあの人に、僕の言葉が届くのか……?

 なんにせよ既に引き受けてしまったわけで、後戻りはもうできない。まぁこれも未来に帰るためだ。これもなんかの試練と思ってやるしかない。なんとしても神北には正気に戻ってもらわないとな。

 にしても、他人のことなど考えず、常に自分のことしか考えてこなかったこの僕が、他人の救いになる……か。

 有宇の頭にココアの姿が思い浮かぶ。出会って間もない頃、自分に手を差し伸べるココアの姿を。

 まるであいつみたいだ。他人を放ってはおけず、救いの手を差し伸べるなんて。なに、結局は自分のためさ。自分らしさなど、考えなくていい。

 そして明日に備え、有宇はそのまま眠りについた。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 次の日、昼休みになると有宇は早速いつも神北と会う屋上へと向かう。予め二年B組に顔を出し、直枝さん達から神北がどこかへ行ったことは確認が取れてる。あの人が昼休みにどこか行くとしたら、屋上しかない。

 屋上前の扉まで来る。そしてドアの脇にある、いつも屋上を出入りする窓は既に開いていた。どうやら既に神北はいるみたいだ。

 有宇は窓の向こう側へと体を乗り出し、いつものように屋上へ侵入する。辺りを見回し神北を探す。いつもならこの上の給水塔のところにいるはずなのだが、今日は屋上のドアのすぐ側で座っていた。

 神北もこちらに気づき声をかけてくる。しかしその瞳は昨日と変わらず虚ろなままだ。

 

「あっ……お兄ちゃん」

 

「違う。僕はあんたの兄さんじゃない」

 

「ふふっ……お兄ちゃん変なこと言うね」

 

 やはり駄目か。まるで話が通じない。完全に僕を死んだ兄さんだと思い込んでいやがる。こりゃ一体どうしたものか……。

 有宇がそんな風に頭を悩ませていると、ふと神北の隣に目をやる。するとそこには、昨日の雨でできた水たまりに浸かった神北拓也の絵本があった。

 

「何やってんだお前!?大事な絵本じゃないのかよ!?」

 

 有宇は慌ててすぐに絵本を水たまりから拾い上げる。しかしもう大部分が浸かってしまっており、絵の具で描かれた絵が滲み出している。

 

「ごめんねお兄ちゃん、さっき落としちゃったんだ……」

 

「こんな大事なもん落とすなよ!死んだ兄さんの形見だろうが!」

 

「死んだ……?おかしなお兄ちゃん。お兄ちゃんならここにいるのに。そうだお兄ちゃん、絵本だめになっちゃったし、また新しい絵本描いてよ。次はちゃんと小毬、大事にする」

 

 狂っていやがる。それが今の神北を見て正直に抱いた有宇の感想であった。

 人間こうも簡単に壊れるもんなのか。大切な人とはいえ、たった一人の人間の死で、こうも変わってしまうものなのか。話も通じず、現実も見えていない。こんな奴相手にどうしろってんだよ。

 ぐちゃぐちゃになった絵本を手にして、神北を救おうとするやる意が削がれていくのを、有宇は身に沁みて感じた。

 

 

 

 放課後、鈴に神北を寮に預けて休ませるようにお願いし、有宇は学校を出て、以前神北と行った老人ホームへと向かった。

 神北小次郎は何か知っているはずだ。神北がああなった理由を。それを聞き出さねばならん!

 有宇は正直焦りを感じていた。現時点で、神北をどうにかできる自信が全くなかったのだ。一日経てば落ち着くだろうと思ってたが、どんどん酷くなっていく。あれは兄の暗示とか、そんなレベルじゃないぞ。

 正直軽く考えていた。しかし実際に目のあたりにすると、やはり無理だと思えて仕方がない。

 なんとかしなくちゃならない。そんな焦りから、老人ホームへと向かう有宇の足取りも急ぎ足になり始めた。

 老人ホームへ辿り着くと、老人ホームのスタッフに神北小次郎に会いたい旨を伝える。するとスタッフは快く中へと通してくれた。

 あの爺さん、スタッフにも好かれなさそうな頑固ジジイだし、きっとそんな爺さんの世話をしてくれた僕が来て、スタッフも内心嬉しいんだろうな。

 そんなことを考えている内に、小次郎の部屋の前に着いた。そしてノックを二回、ドアに向けてする。

 

「おい爺さん、この前あんたの部屋を掃除しに来た乙坂だ。入るぞ」

 

 そう言ってドアを開け部屋に入る。

 

「くぅおらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

「うぉっ!?」

 

 部屋に入るなり、以前来たときと同じように大声で一括される。

 

「なんじゃ、小僧ではないか」

 

「あんたは一々叫ばないと話ができないのか!?」

 

「なに、挨拶のようなもんじゃ。挨拶は大きく元気よくじゃ」

 

「あんたは元気過ぎるんだよ……」

 

 相変わらずとんでもないジジイだ。さっきまで色々考え込んでたのも吹き飛んだわ。まぁ、おかげで冷静さを取り戻せた気もするが。にしても……。

 有宇は部屋を見渡す。雑誌やら何やら色々と散らかっているのが目に入る。

 

「一週間と言わず、三日でこのザマかよ……」

 

「この方が落ち着くんじゃ」

 

 その発言からしてダメ人間だな。こうはなりたくないもんだ。

 とはいえ僕も木組みの街に来るまではろくに家事もしなかったし、掃除もしてこなかった。そもそも物がなかったからあまり散らかったりはしなかったが、だらしない人間であったことは確かだろう。

 あの時の僕とこの爺さんの違いといえば、掃除してくれる人間が側にいるかどうかだろう。あの時の僕には歩未がいたからあれだが、この爺さんは掃除をしてくれる人がいないからこうなるんだろう。

 老人ホームのスタッフも手を焼いてるみたいだし、家族もろくに来てないみたいから部屋は汚れ放題。おまけに孫である神北にも何らかの理由で会えないというし、以前も思ったことだが、この爺さん本当に孤独だな。

 もっとも、掃除だけでいえば、そんだけ元気なんだから自分でやれって感じだけどな。僕だって今は歩未が側にいない上に居候身分だから、自分以外の家事だって担ってるというのに。

 それから有宇は前来たときみたいに部屋を掃除し始める。その最中に小次郎が尋ねる。

 

「で、小僧。今日はなんのようじゃ。またあの子に言われてボランティアか」

 

「いや、今日はあんたに聞きたいことがあってここに来たんだ。掃除はついでだ」

 

 有宇がそう返すと、小次郎の顔が少し険しくなる。

 

「あの子のことか」

 

 さっきから言ってるあの子とは、当然神北のことだろう。有宇は頷いた。

 

「ああ、なんかあんたの孫、おかしくなってさ」

 

 そう言うと、小次郎の眉がピクッと動く。なにか心当たりでもあるって感じだな。有宇はそのまま話を続ける。

 

「昨日あの人、急に自分の兄さんが死んだことを思い出したんだ。僕が話したわけじゃないぞ。それからなんか様子がおかしくなって、僕のこと死んだ兄さんだと勘違いし始めるし、わけわかんねぇよ」

 

 かなり掻い摘んだが、小次郎に神北がおかしくなったことを伝える。すると、小次郎は特に焦ったりすることもなく、冷静に、有宇にこう尋ねた。

 

「……発端はなんじゃ」

 

「は?」

 

「小毬が見たのは血か?それとも何かの死か?」

 

 血?何かの死?

 いきなりそんなことを聞かれて困惑する有宇であったが、すぐに冷静になって小次郎の質問に答える。

 

「猫の死骸だ。それを見てあの人はおかしくなったんだ」

 

 有宇がそう答えると、小次郎は「そうか……」とまるでわかっていたかのようにそう言った。

 そして小次郎はこう続けた。

 

「わしが最初にあれを目にしたのは、わしが喀血したときじゃ」

 

「え?」

 

 喀血?あんたそんなに体調悪かったのか?

 

「喀血って、血吐いたってことだろ?大丈夫なのかよ爺さん」

 

「大したことないわい!とうに胸掻っ捌いてデキモン取っておるわい!」

 

 なんだ、そうなのか。心配して損した。まぁ、でなきゃこんな元気あるわけ無いか。

 

「じゃがそれを見たあの子は……泣き叫び、崩れ落ちていったわ。見るに耐えない姿じゃったそうだ」

 

 同じだ。昨日、猫の死骸を見てからのあの人と。

 

「次の日、そのことはすっかり忘れ、今を兄の死んだ頃と混同し始める。じゃがそれもしばらくすれば再び兄のことすら忘れ、いつものあの子に戻っていく」

 

「えっ、戻るのか?」

 

「ああ、じゃが、根本的な解決ではないがな。他にも飼っていた金魚が死んだときも同じ状況になったと、せがれ達からは聞き及んでおる」

 

「じゃあ、今までこんなこと何回も繰り返してきたのかあの人は」

 

「そういうことじゃ。じゃから老い先短いワシもまた、わしの死をあの子の目に触れさせぬよう、小毬には内緒でこの施設に入ったというわけじゃ」

 

 うへぇ、戻るっていっても、また何かの死を見る度にあの状態になる可能性があるってことか。あの人、何度も何かの死を見る度に兄の死をフラッシュバックして苦しんで、そして兄の暗示によって全てを忘れていく。その繰り返しってわけだ。

 神北拓也、あんたの言った言葉は確かに神北をあんたの死という悲しみから守ったのかもしれない。だがその結果、神北はあんたを失った悲しみからいつまでも逃げ出せず、その苦しみの中に幽閉されてしまったがな。

 あんたの言葉は結果的に呪いにしかならなかったよ。ほんと、あんたのせいでこっちは迷惑かかりまくりだ。あの世にいなかったらぶん殴ってやりたいぐらいだ。

 ていうか小次郎がこの老人ホームへ入ったことを神北が知らなかったのはそういうことだったのか。小次郎が死ぬところを目にすれば、神北は今回みたいにおかしく……いや、自分の祖父が死ぬとなれば、その悲しみは猫の死骸を見たときの比ではないはずだ。

 だから小次郎の爺さんは神北の目の届かないところで死んでもいいように、この施設に入ったってことか。家族も小次郎がいつ消えても神北に悟られぬように、小次郎の存在自体を神北から隠した。

 どうやら根本的になんとかする方法はないっぽいな。けどまぁ、別に根本的な解決でなくてもいいよな。元に戻りさえすれば、一応リトバスの連中との約束は守ったことになる。リトバスの連中だって、完璧な解決を求めたりはしないだろ。取り敢えずほっときゃ一応は治るって連中には伝えておくか。

 有宇は教えてくれたことに対して、小次郎に礼を言おうとする。すると、その前に小次郎が有宇に言う。

 

「ところで小僧、今小毬はお主を兄と呼ぶのであったな」

 

「えっ?あ、ああ」

 

 そういやその話はまだ聞いてなかったな。でもそれだってアレだろ。今を兄のいたときと混同するって言ってたし、それの副次的な効果だろ。どうせ、それもほっときゃ治るんだろ?

 そんな楽観的なことを有宇は考えていたが、小次郎はこう続けた。

 

「小僧は小毬に相当好かれていたと見える。それで、お主は兄の代わりになるつもりか?」

 

「は?代わり?なんで?そんもんなるわけ無いだろ。そこまでしてやる義理なんかないって」

 

 有宇がそう平然と返すと、小次郎は拍子抜けた顔をする。

 

「お主は……小毬が好きなわけではないのか……?」

 

「まさか、飽くまで後輩として心配してやってるだけだ。別にそんなんじゃない」

 

「なんじゃ、他に好きな女でもいるのか」

 

 他に好きな女……。

 小次郎にそう聞かれたその時、有宇の頭の中にココアの姿が浮かぶ。

 いやいやいや、あのココアだぞ!!なんで今あいつの顔が浮かぶんだ!?ないない、絶対ない!!

 有宇はすぐにそんな雑念を頭から振り払った。

 

「いや、別にいないけどさぁ。ていうか仮に僕があいつの兄さんの代わりになったところで、あいつは元に戻るのか?」

 

「いや、兄の代わりを求めたところで、今回みたいなことが起きたとき、早く忘れるようになるだけじゃ。特にあの子は何も変わらんじゃろ。さっき言った引き金に触れれば、また同じようになる」

 

「意味ねえじゃん……」

 

 そんな意味のないことのために、あいつのお兄ちゃんごっこなんてやってたまるかっての。ココア辺りなら喜んでお姉ちゃんにはなるだろうけど。

 ていうか爺さんはなんでそんなこと知ってるんだ?そんな話をするということは、過去に神北が代わりを求めたことがあるということになる。つまりはあいつに付き添える彼氏がいた事になる。

 あいつに元カレがいるとは思えんのだがなぁ。確かに顔も性格も悪くはないが、ちょっと変わり者だしな。にわかに信じ難いな。

 その辺のとこ、少し疑問に思ったので、小次郎に聞いてみることにした。

 

「なぁ、神北って昔誰かと付き合ってたのか?」

 

「そんなもん知らん。ワシはあの子と長い間会ってないと言ったじゃろ。息子達からもそんな話は聞いたことがない」

 

「じゃあ今の話は何に基づいて話してたんだよ。まさかあんたの単なる推測ってわけじゃないだろうな」

 

 それを聞くと、小次郎は押し黙ってしまった。

 えっ、なに、図星?それともなんか言っちゃいけないこと言ったか僕?

 しばらく沈黙した小次郎だったが、静かにその口を開いた。

 

「ワシの……連れもそうじゃった」

 

「えっ?」

 

「ワシの連れ……"こまり"も、あの子と同じだったんじゃ」

 

 何を……言ってる?

 小次郎の放った言葉に、有宇はただ困惑するしかなかった。

 連れって……爺さんの奥さん……だよな?つまりは神北の婆さんも、神北と同じだった?ていうか名前が"こまり"?神北と同じ名前?なんだ、情報が一気に入り過ぎて意味がわからん!?

 とにかく、一度ちゃんと確認するか。有宇は小次郎の言った言葉を自分なりに整理してから、それを小次郎に聞いて確かめる。

 

「えっと……つまりは神北先輩の婆さんも"こまり"って名前で、しかも同じようなトラウマを抱えて同じような症状で苦しんでいたってことでいいのか?」

 

「……そうじゃ」

 

 マジかよ。ていうかなんだよその偶然。名前も一緒で、さらにおんなじような事が起きるとか、どんなミラクルだよ。神北の親も、自分の親の名前なんか名付けんなよ。そのせいで余計不吉に思えてくる。

 そして小次郎は語り始めた。

 

「ワシの兄は、拓也と同じ血を吐いて死んだ。"こまり"は兄を好いておった。"こまり"は悲しみ、泣きながら兄を探していた。そんな日々が続いていき、ワシは……もう見てられんかった。兄の死に嘆く"こまり"を助けてやりたかった……」

 

 そこで有宇はさっき小次郎に聞いたことを思い出した。何故前例もないのに、小次郎は、神北の兄の代わりになるとどうなるのかを知っていたのかを。

 

「まさか爺さん……あんた」

 

「ワシは……兄の代わりになることにした。そうすることで、"こまり"が少しばかりでも、いつもの平穏を取り戻すことができるのであれば……と」

 

 それを聞いて有宇は激昂した。

 

「なっ……ふ、ふざけんな!!」

 

 有宇の突然の怒号を前にしても、小次郎は特に驚くこともなく、顔を俯けている。

 有宇の方も、自分でもなんでこんなキレたのかわからなかった。けど喉の奥から溢れ出る言葉の氾濫を止めることはできなかった。

 

「そんなことしてなんになんだよ!?なぁ爺さん、あんたその"こまり"さんのことが好きだったんだろ!?なのに、自分じゃなく、兄さんとして"こまり"さんに愛してもらうことになんの意味があんだよ!!あんたはそれでよかったのかよ!?そんなもん、虚しいだけじゃないか!!」

 

 さっき言った話は神北のことじゃない。この人と"こまり"さんの話だったのだ。この人自身が死んだ兄の代わりとなって、"こまり"さんの側に寄り添い続けたんだ。愛するもののために自分を犠牲にしたのだ。この人は……。

 小次郎として"こまり"さんを愛する気持ちも、神北小次郎としての時間も、人生も、その全てをこの人は、その"こまり"さんの為に捧げたのだ。

 だがそれは一方的な愛でしかなく、向こうは小次郎のことなど眼中にない。ただずっと小次郎の兄が生きているという幻想だけに囚われている。

 そんなもん……虚しいってレベルじゃないだろ。自分のことなど見向きもしない女と家庭を築き、何十年もの何の意味もない時間だけが流れていく。けど、どんなに時を重ねても、小次郎と"こまり"の二人の距離は出会った頃から何も変わらない。

 

「くだらない!そんな自己犠牲、実にくだらん!僕ならそんな意味のないことはしない!僕は……あんたみたいにはならない!!そんなことして、誰が幸せになれるんだよ!?誰も幸せになんか……なれないじゃないか」

 

 自らのありとあらゆるものを犠牲にしてきた結果がこれじゃ、あまりにも報われなさ過ぎる。"こまり"さんは小次郎の爺さんおかげで平穏を保てたんだからいいだろうさ。けど、その代わり小次郎の爺さんはなんにも報われてないじゃないか。

 普段は人に好き好んで干渉しない有宇ではあるが、小次郎があまりにも哀れに思えたのだ。だからこそ怒りを覚えた。

 だが、有宇の抱いたこの怒りは、"こまり"の代わりとして生きていくことを選択した小次郎への怒りでもなく、ましてや"こまり"への怒りでもない。小次郎と"こまり"の二人を苦しめるこの理不尽への怒りであった。

 そんな有宇の怒りを受け取ると、小次郎は相も変わらず下に顔を俯けて、再びその口を開いた。

 

「そうじゃ、そんなことになんの意味もなかった。そんなのワシが一番よくわかってる。結局それから何年経っても"こまり"が元に戻ることもなく、"こまり"のために捧げたこの人生は何だったのか。ワシは何のために兄の代わりとして生きてきたのか。ワシはずっと考えてきた。答えが出たのは……"こまり"が亡くなる三日前だった」

 

 答え?答えってなんだよ……。

 

「あれだけワシを、ワシの兄だと疑わなかった"こまり"が、ワシの名を呼んだのじゃ。『小次郎くん』と。"こまり"が全てを思い出しのじゃ。兄が死んだことも、ワシが兄ではなく小次郎であることも。だがいつものようにパニックに陥ることはなかった。昔の……兄が死ぬ前の"こまり"に戻ったんじゃ……」

 

 "こまり"さんは……戻れたのか?

 そのことにまず驚く有宇であったが、そのまま小次郎が話を続ける。

 

「正気を取り戻した"こまり"はワシに優しくこう言った。『ありがとう。貴方を愛してます』と。ワシは悟った。ワシは……ワシはあの瞬間の為にこの人生を捧げてきたのだと。ワシの幸せになる番はこの時、ようやく訪れたのだと……」

 

 小次郎の声はいつの間にか涙声になっていた。

 小次郎は、"こまり"さんに愛していると言われるその一瞬の為に、この人生を捧げてきたと。それが……小次郎が兄の代わりとなり、兄の代わりになる意味を自問自答し続けてきた結果、得た答えだったのだ。この老人は、それだけのために、その人生を捧げてきたんだ。

 小次郎は泣いた顔を見せたくないのか、窓の方を向く。そして一言こう言う。

 

「見苦しいところを見せたな」

 

「いや……」

 

 僕にはわからなかった。小次郎がしたことが正しかったのか。それでなかったのかも。

 さっきまでは間違っていると思っていた。けど、最終的に小次郎の苦労は最期には報われたのだ。それが本当の幸せであるのかはわからないが。

 そういや以前、まだココア達と会って間もない頃、シャロに言われたっけ。有宇はリゼ・千夜・シャロに自分の身の上を偽っていた事を明かしたときにシャロに言われたことを思い出した。

 

『本当に好きだったら、そんなぞんざいに接したりする?あんたもどうせその子のことなんか本当に好きじゃなかったんじゃないの?』

 

 白柳弓に対する僕の姿勢に対して、シャロがそう言って僕を叱りつけたときに言ったことだった。

 結局僕は白柳弓のことが好きだったんだろうか。見た目は好きだったし、中身もそんな悪くないと思う。けど、もし白柳が"こまり"のようになっても、僕は小次郎のようにしただろうか。

 愛するもののためにそこまでする気持ちが、僕にはわからない。だから、小次郎がしたことが正しかったのかそうでなかったのかなんてわからない……。

 

「いずれお主にも好きな者ができれば、ワシの気持ちも少なからずわかることだろう。それで、お主はどうするつもりじゃ」

 

 小次郎が再び有宇の方を向き、問いかける。

 

「どうするって……」

 

 けっきょく話はそこに戻るのだ。僕は神北に何をしてやれる……?

 

「答えなどない。ただ、何もしなければ何も変わらんのは確かだ。だが、あの子の祖父として頼む。あの子を……救ってやってくれ」

 

 小次郎はそう言って頭を下げた。あれだけ年下に下からものを頼みたくないと言っていたあの小次郎が。

 だが、救ってやってくれなんて言われても……どうやって?そんなのが無理なことだっていうのはあんたが一番わかってるだろ。

 小次郎は"こまり"さんに何十年という時間を捧げた。だが結局"こまり"さんが正気に戻ったのは死に際の三日前だった。そこまでしないと無理なものを、あいつと特別な関係でもないこの僕がどうやってやればいいっていう……!

 そんなことを考えたそのとき、有宇はあることに思い至る。

 待てよ、神北の祖母であるその"こまり"さんは死ぬ三日前ではあったが、一応は正気に戻ったんだよな。つまりは不可能ではないってことだ。

 小次郎は長い時間を投じることで"こまり"さんを正気に戻した。なら、その長い時間に値するだけの何かを神北に与えることができれば、神北を正気に戻せるんじゃないか?

 そう考えると有宇は、早速その何かについて考え出した。

 考えろ……小次郎がかけた長い時間に匹敵する何かを。今の神北を変えるだけの何かを。

 その時、有宇の頭の中にココアの姿が再び浮かぶ。ココアだけではない。チノやリゼ……あの木組みの街で出会った者達。そんな彼女達と過ごした日々が、走馬灯のように思い浮かんでくる。

 そうだ。僕自身、変わっていったじゃないか。あの街で、あれだけ自分本位であったこの僕が、あいつらとの出会いで変えられてきたじゃないか。なにも異性へ向ける愛情だけが、人と人との繋がりではない。そうだ、それだよ……!!

 有宇は遂に、神北を正気に戻す何かを考えつく。そして、そのための作戦もまた同時に思い浮かんだ。

 

「ふふっ、はははは……」

 

 ようやく神北を正気に戻せるかもしれないと気分を良くした有宇は笑いを漏らす。

 

「小僧、何を笑っておる」

 

 突然笑いだした有宇に、小次郎は少し気分を悪くしたのか、声を少しいつもより落として有宇に尋ねた。

 

「いや悪い。でも爺さん、神北先輩のことだが、なんとかできるかもしれない」

 

「なに、本当かっ!?」

 

「ああ、それに差し当たって爺さん」

 

 そう言うと有宇は小次郎の前に手を差し出す。

 

「金、出してくれないか?」




そういえば今日はごちうさ単行本8巻の発売日ですね。
さて次回、こまりんルートいよいよ完結です


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第41話、魔法のアンサンブル(前編)

「きっ……貴様っ!!ワシを強請るつもりかっ!!」

 

 有宇の突然の要求に、小次郎は激昂した。

 当然といえば当然である。いきなり金をよこせといって、金を出すバカはいないだろう。しかも孫を救えると言った直後に言うもんだから、「孫を救う代わりに……」と言って強請られてると捉えられても仕方のないことだ。

 しかし有宇は落ち着いた様子で小次郎を窘める。

 

「まぁ落ち着けって。別に報酬が欲しいわけじゃない。ただ少し金がかかるから経費をあんたに持って欲しいだけだよ」

 

「経費じゃと?そんなに金がかかるのか?」

 

「まぁ、二・三千円くらいかな?いや、もっとか?まぁ、ともかく高校生の財布事情的にその額の出費は少し厳しいんで、あんたに持ってもらいたい。もちろん、領収書も持ってくるし、それをなんのために使ったかの報告は入れる」

 

 そう言うと、小次郎は落ち着きを取り戻す。

 

「うむ……して、お主の考えたあの子を正気に戻す案というのは……?」

 

「それはな……」

 

 有宇は小次郎に、自分の考えた作戦内容を伝えた。

 

 

 

「なるほどな。正直そう上手くいくとは思えんが……」

 

 作戦内容を聞いた小次郎は内心、半信半疑の様子だ。

 

「何事もやってみなきゃわかんないだろ?とにかくやるだけやってみる。失敗したら、またそんとき考えればいいだろ」

 

「うむ、それもそうじゃな……じゃが、お主はそれでいいのか?」

 

「何がだ?」

 

「聞いた限りじゃお主、悪者を買って出るようじゃが……」

 

「あんたのやってきた自己犠牲よりかはよっぽどマシさ。言ったろ、僕は意味のない自己犠牲はしないって。こんなもん、屁でもない」

 

「そうか……わかった。経費はワシが出そう。その代わり、あの子をよろしく頼む」

 

「ああ、任せろ」

 

 こうして有宇は小次郎から出資を取り付けた。小次郎への配当は孫と祖父の対面と来たもんだ。

 やってやるさ。孫と爺さんが、また笑い合えるようにするためにも。そのためにも僕は手段を選ばない。

 帰り際に小次郎から「一応お主にも教えておく」と言って紙を渡される。そして小次郎の部屋を出て、小次郎から貰った紙を見る。

 それはとある場所を示した地図であった。地図によると、ここら辺ではないようだが、別に行ったことが無い場所ではない。

 有宇は老人ホームを出ると、早速駅に向かった。

 

 

 

 しばらく電車に揺られて、とある駅で降りる。そこは昨日、神北と一緒に行った湖の最寄り駅であった。神北は昔ここに住んでたというし、ここにあるというのも納得だ。

 ちなみに今回も特にここに来るまでの間に、眠気に襲われる等の妨害に会うことはなかった。これも存在Xの意図に沿った行動として認められたってことだろう。

 

 小次郎のメモに沿って歩いていくと、とある墓地に着いた。そして、沢山の墓石が並ぶ中を歩いていくと、ある墓の前にくる。そこには、『神北家之墓』と刻まれていた。ここに、神北拓也が眠っているのだ。

 有宇は誰もいない墓地で、その墓石に一人話しかける。

 

「よう、一応はじめましてになるのか?最も僕はあんたを知っているが」

 

 墓石は何も答えない。しかし有宇は話を続ける。

 

「僕はあんたの妹の後輩でね。今あの人大変なことになってんだよ。あんたのせいでな。あんたのかけた呪いのせいで妹さん、相当苦しんでるぞ」

 

 嫌味ったらしく、有宇は墓石に言葉を投げかける。散々迷惑かけられたんだ。嫌味の一つでも言わせろってもんだ。

 そしてすぐ自信に満ちた声でこう続けた。

 

「だが安心しろ。この僕があんたの不始末を拭ってやるんだ。精々あの世で感謝しろよ」

 

 有宇は墓石に向かってニヤッと笑いかける。しかし、当然墓石は何も言わない。

 

「言いたいことはそれだけさ。じゃあな亡霊、お前はもう死んだんだ。神北の前に二度と現れんなよ」

 

 そう言って有宇は墓地を立ち去ろうと、墓石に背を向けようとした。その時だった。

 

「ん、あの道着姿、謙吾か?」

 

 遠くに見える人影。謙吾だ。外でも道着なんか来てる奴、あいつを置いて他にはいない。

 なんでこんなところにいるんだ?こいつも神北のために、神北をなんとかする方法を見つけに来たのだろうか?それともここの墓地に家族の誰かが眠っているとかなんだろうか?

 前者ならともかく、後者だったら気まずいしな。ただでさえ険悪な関係が更に悪くなるし、声をかけるのはやめておくか。

 有宇はそのまま墓地を去っていった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 学校に戻ると、有宇は携帯で各人に連絡を入れる。部室に集まるようにと。

 連絡を終えると、有宇は一足先に部室の方へと向かう。そしてしばらくすると、リトバスメンバーが続々と集まってきた。

 

「よし、全員集まったな」

 

 連絡を呼びかけた全員が揃ったところで、有宇がそう言った。すると、直枝さんが頭を傾げる。

 

「あれ?鈴がまだだけど」

 

「鈴さんはここには呼んでない。あと、これから話すことについても、鈴さんに伝えるのは無しだ」

 

「え、どうして?鈴だって小毬さんのことを心配して……」

 

「そんなことわかってる。いいから話を進めさせてくれないか」

 

 有宇がそう言うと、全員が鈴をここに呼ばなかったことを疑問を持ったが、取り敢えず何かあるんだろうと皆それに頷いた。

 

「して、有宇くん。小毬くんのお祖父様からは何か有力な情報は聞き出せたのかね」

 

 そして、来ヶ谷が今日の老人ホームでのことを聞いてくる。

 

「ああ、何でも神北先輩は大量の血や何かの死を見ると、兄の死をフラッシュバックして今みたいな状態になるらしい。今回はあの猫の死骸ってわけだ。もう何度もこういうことはあったらしいな」

 

「なるほどな。して、元の小毬くんには戻せるのかね」

 

「取り敢えずほっとけば元には戻るらしい。けど、また兄さんのことを忘れて、またきっかけがあれば今みたいになるようだがな」

 

「つまり根本的な解決方法はないということか……」

 

 来ヶ谷がそう呟くと、その場にいた全員が暗い顔を浮かべ始める。そんな最中、有宇はこう言った。

 

「いや、解決方法なら……ある」

 

 その一言に、一同全員が有宇の方を振り向いた。

 ここまで来たら後には引けない。そして有宇は覚悟を決めて、話を続ける。

 

「爺さんの話によると、神北先輩の婆さんも同じようなことになっていたらしい。なんでも爺さんの兄に想いを寄せていて、その死と同時に、今回の先輩みたいな状態になったんだとか。それで爺さんは自分の兄の代わりとなり、その生涯を支えてきた。その結果、婆さんは死ぬ三日前に、正気を取り戻したらしいんだ」

 

「つまり君がこまりくんの兄の代わりになるとでも言うのかね?」

 

 来ヶ谷が今の話を聞いて有宇にそう尋ねた。

 確かに今の話の流れからすると、そう思われても仕方ないがそうじゃない。

 

「まさか、生憎と僕はそこまでお人好しじゃないんでな。僕がこの話で言いたいのはそんなことじゃない。つまりは爺さんがかけた時間に匹敵する何かを神北に与えることができれば、神北を正気に戻せるんじゃないのかって僕は思ったのさ」

 

「何かって……?」

 

 理樹が、有宇のいう何かについて尋ねる。

 

「それはこれからわかることさ。さて、本題はここからだ。その何かを与えるためにも、これからお前等にはやってもらいたいことがある。やってくれるか?」

 

 有宇がそう呼びかけると、一同の顔が少しずつ明るくなっていく。そして一同が頷くと、有宇は早速指示を出した。

 

「まずは恭介、まずはこいつを見てくれ」

 

 恭介にとあるチラシを渡した。

 

「期間限定……ロイヤルプリンセスパフェ?」

 

「そう、なんでも今人気のカフェがこの側にあるらしくてな。そこで普通のパフェの三倍の値段はする超高級パフェがあるらしい。だが人気で平日でも超満員でな。明日先輩と行くからそこの席取っておいてくれ」

 

「まて、お前何するつもりなんだ」

 

「何ってデートさ。神北先輩と僕で明日一日デートする。そんでそこのカフェ、確かこの前先輩が行きたいとか言ってた気がするし、ちょうどいいかと思ったんだ」

 

「デッ、デートってなんで?」

 

 突然出てきたデートという言葉に、理樹が疑問に思い有宇に尋ねる。

 

「必要なことなんだ。いいからやってくれ」

 

 有宇がそう言うと、恭介はニヤッと笑い頷いた。

 

「わかった。店の予約は任せろ」

 

「ああ、頼んだ。ちなみにその店予約制じゃないから、なんとかしておいてくれよな」

 

「は?」

 

「じゃあ次直枝さん」

 

 後ろで「おい、乙坂!?」と恭介が文句を並べていたが、有宇はそれを無視して理樹に指示をする。

 

「直枝さんにはこいつを頼みたい」

 

 そう言って有宇は、持ってきていた神北拓也の絵本を理樹に渡す。

 

「これって、昨日有宇が言ってた小毬さんのお兄さんの絵本?」

 

「ああそうだ。だが今日の昼、あの人水たまりに落としてぐしゃぐしゃにしちゃったんだ。直枝さんにはそれの修復を……いや、そうだな。それとあと、絵本の続きを直枝さんなりに考えて描いてほしい」

 

「ええっ!?僕が描くの!?でも僕絵なんて……来ヶ谷さんとか絵上手いし、来ヶ谷さんの方が……」

 

「来ヶ谷と三枝は、絵は上手そうだが、ふざけたイラストと話描きそうだし、筋肉二人と鈴さんは絵とか全くダメそうだし、恭介は少年漫画みたいなの描きそうだしな。消去法で適任なのが直枝さんしかいない」

 

 来ヶ谷はなんでも出来そうな奴だし、絵もおそらく上手いだろう。三枝も直枝さんの話を聞いた限りじゃ、なんでも整備委員とかで器用そうだし、絵もそれなりにかけると思う。だがこの二人は色々と普段からふざけたことするし、そんな奴等に大事な神北拓也の絵本を預けるわけにはいかない。

 

 筋肉二人と鈴さんは論外。恭介は来ヶ谷同様なんでも出来そうな奴ではあるが、なんか僕の描いてほしいものとは違うもの描いてきそうだしな。それに、人と話す話術に長けた恭介だからこそ、店の予約の方をやって欲しかったというのがあるしな。

 というわけで直枝さんにやってもらうことにした。それに直枝さんなら、僕の描いてほしいストーリーを描いてくれることだろう。

 

「えっと、わかったよ。でも絵本の続きって?いきなりそんなこと言われても……」

 

「そうだな……じゃあテーマは友情。あとは直枝さんの自由に描いて欲しい」

 

「友情?うーん、そんなこと言われても……」

 

 突然絵本を描けと言われ、それも明日までという期限付きだ。責任も重大そうだし、絵本を描いた経験もなく不安に思うことだろう。引き受けるのを躊躇するのも無理はない。僕が直枝さんの立場なら絶対文句たらたらだっただろうしな。

 

 けど、どうしてもやってもらわなければならない。また神北が兄さんのことを忘れるまでにやらなきゃならないんだ。引き受けてもらわなければ困る。

 そして有宇はずるいと思いながらも、理樹にこう言って決断を迫る。

 

「神北先輩のためです。お願いします」

 

「……うん、そうだね。わかった、やるよ」

 

 神北のためと言われたらやらざるを得ない。僕が昨日、恭介にやられたことを、今度は僕が直枝さんにしたのだ。こっちも手段を選んではられない。引き受けてもらうしかないんだ。

 更に心苦しいことに、有宇は更に理樹にこう頼み込んだ。

 

「あと直枝さんにはもう一つ、明日芝居を打ってもらうことにも協力してもらいます」

 

「芝居?」

 

「直枝さんが適役なんです。詳しいことは後でメールします。こっちに合わせてくれればそれでいいので、特にセリフ覚えたりする必要はないので安心してください」

 

「う、うん、わかった」

 

 明日、直枝さんには軽い演技をしてもらう。本当に大した演技ではないんだが、絵本の執筆までやってもらう上に、こんなことまでしてもらうなんて、流石の有宇も申し訳無さを感じていた。けどこれも適役が直枝さんしかいないんだ。仕方あるまい。

 理樹への指示を終えると、今度は来ヶ谷、三枝の方に目を向ける。

 

「続いて来ヶ谷、三枝には鈴さんの誘導を頼みたい。明日当日に所定の時間、場所に鈴さんを連れてきて欲しい。もちろん、作戦のことは話さずに」

 

「鈴くんを?それは一体……」

 

「一番重要な仕事だ。頼んだ」

 

 来ヶ谷が疑問を口にするも、それには答えず有宇は二人に頼み込む。来ヶ谷と三枝は不思議そうに思いつつも、すぐにニコッと笑いかける。

 

「よくわからんが了解した」

「はるちんもりょーかい♪」

 

 二人は快く了承してくれた。さて、後は……。

 

「おい、俺達は?」

「ああ、俺も明日は部活を休んで協力するぞ」

 

 真人と謙吾への指示だが、特別こいつらにして欲しいことはないな……いや、でもそうだな……。

 

「真人、謙吾は直枝さんのサポートだ。絵本作成は一番手間だろうしな。協力してやってくれ。直枝さん以外にも、他のメンバーから手伝いを頼まれたらやって欲しい。あとさっきも言ったが鈴さんには今回の作戦は秘密にしなくてはならない。バレそうになったら、そのときはお前らで何とかしといてくれ」

 

「おう、任せた」

「ああ、任せろ」

 

 真人と謙吾は快く引き受けてくれる。こいつら直枝さん大好きみたいだからな。直枝さんの手伝いといえば当然断らないだろう。本当、男の友情通り越してホモ臭くて気持ち悪いな。

 さて、真人と謙吾はいわば雑用である。他のメンバーの補佐。あと万が一鈴さんに作戦がバレそうになったときの誤魔化し役だ。まぁ、こいつらに頼めることなんて限られてるし、こんなもんでいいだろ。

 そして全員に指示を終えると、理樹が有宇に聞く。

 

「それで有宇は何をするの?」

 

「さっきも言ったが、神北先輩とデートだ。あの人の兄さんのふりをして明日一日あの人と過ごす」

 

「それって小毬さんのお兄さんの代わりになるってことじゃ……」

 

「確かにそうだが、小次郎爺さんのしたこととは違う」

 

「違うって……?」

 

「それもまぁ、当日になればわかることだ。とにかくそういうことなんで、内容は詳しくは話せない。直枝さん達はやるべきことをやってくれればそれでいい」

 

 僕のすることに関しては、詳しくその内情が話せない。鈴さんのことも含め、今この時点でそれを知られれば、直枝さんのことだからこの作戦に反対する可能性がある。だから話すわけにはいないんだ。

 そして最後に、有宇は皆にこう言った。

 

「それと最後、来ヶ谷と三枝以外のメンバーにも、鈴さんを連れて行く所定の時間、場所を一緒にメールで伝えるから、行ける人は行って欲しい。そして合図が見えたら神北先輩の側に行ってあげて欲しい。そこからは各自思い思いに頼む」

 

「えっ、なにそれ!?色々とアバウト過ぎるよ!?それに合図って一体……」

 

「悪いが作戦概要は直枝さん達にも秘密にさせてもらう。今回の作戦、演技臭さが出るのは出来るだけ避けたいしな。ただ言えるのは神北先輩のことを考えた行動と言動を頼む」

 

 今回の作戦の鍵となるものには演技臭さはいらない。だからぶっつけ本番、その場での皆の神北への思いやりを込めた行動が必要になってくる。演技だと神北にバレれば、神北が正気に戻らない可能性が出てくるしな。

 

「それと合図だが、これも今は伏せておく。まぁ、とてもわかりやすい合図だ。神北先輩と僕が見える位置にいれば問題ないはずだ。敷いて言えば、鈴さんが何かしら動きを見せるはずだから、鈴さんの動きに注目しててくれ」

 

 有宇は理樹の質問にそう返答する。

 みんな、作戦の意図も目的も、何もわからなくて疑問に頭を抱えていることだろう。だがやってもらうしかない。無茶なのはわかってるがやってもらわなければならないんだ。

 みんなが困惑に沈黙する中、やはりあの男が声を上げた。

 

「作戦に必要なことはわかった。しかしその概要は俺達にも話せないことで、俺達にもわからないとはな……乙坂、信じていいんだな」

 

 そう言って恭介はジッと有宇の顔を見据える。その鋭い目つきにたじろぎそうになるが、ここで日和るわけにはいかない。

 

「ああ!」

 

 有宇は強く返事する。

 この作戦、一番必要なのは準備などではない。作戦準備は本番を形作るための舞台作りに過ぎない。これは……お前等の神北に対する思いが鍵となる。そこに、演技や準備は必要ない。

 何もわからないことだらけで不安かもしれない。お前達に作戦を話さないこの僕が言うのもあれだが、それでも、お前達が本当に神北のことを思うのであれば、僕を……信じて欲しいっ!!

 有宇の返事を聞くと、恭介は真剣な顔付きから一転、いつもの少年のような笑顔に戻る。

 

「わかった。じゃあお前等!これより、悲しみに暮れる神北に笑顔を取り戻させる、乙坂の作戦を開始する!ミッションスタート!!」

 

 恭介が皆にそう呼びかけると、その場にいた皆も「おおっ!!」と返事する。

 作戦はこの時を以て開始された。色々と不確定な要素もあり、また僕自身の考えが正しいとも限らない。作戦実施が確定した瞬間に少し弱気になる。

 

『要は何事も本気でやらなきゃダメってこと。時には色々壁にぶつかるかもだけど、諦めちゃったらそこで試合終了だよ』

 

 するとここに来る前、キャンプ場での野球の試合でココアに言われたことを思い出す。

 そうだな、何もしなければ何も始まらない。壁はあれど本気でやらなきゃ結果なんか残せない。そうだろ、ココア。

 

 ここにはいない彼女に向かって、心の中でそう語りかける。

 そして有宇は部室を出た後、早速部屋に戻り、皆への作戦指示の詳しい概要をメールした。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 翌日、作戦は朝からスタートする。寮を出て学食へ向かう神北に、有宇は早速接触を試みた。

 

「小毬」

 

 いつものように神北先輩呼びではなく、年上の知り合いが呼ぶように、馴れ馴れしく名前でそう呼んだ。

 

「お兄ちゃん!」

 

 やはり未だに有宇を兄と錯覚しているのか、神北は有宇の元へと駆け寄って行く。そしてそのまま兄にしていたように、有宇に思いきり抱きついた。

 

「どうしてここに?いつも別々に登校してるのに」

 

「なに、たまには小毬と一緒に登校するのも悪くないかなって思ってさ。朝まだだろ?お兄ちゃんと一緒に行かないか?」

 

 有宇が朝食に誘うと、神北は喜んで頷いた。

 

「うん!お兄ちゃんと一緒に食べる!」

 

「よーし、じゃあお兄ちゃんと行くか」

 

「うん!」

 

 そして神北は嬉しそうに、兄と錯覚した有宇と共に学食へと向かっていった。そして神北のその瞳は、昨日までの虚ろな薄暗いものではなく、光が戻っていた。

 いつもの神北のようだ……そうか、小次郎の爺さんはこうすることで、仮初の平穏を取り戻そうとしたのか……。

 こうして兄さんの代わりとして接することで、改めて小次郎爺さんの気持ちに共感できる。確かにこうしていると、神北拓也の死を知る前の神北と接してるような気分になる。

 

 にしても、神北の中で兄さんの設定はどうなってるんだろうか?確か神北と拓也の年の差は八つ違いだから、本来神北がこの年のときは、拓也はもうとっくに高校を卒業している年齢なんだがな。

 まぁ、その辺は都合よく神北の頭の中で設定が作られているんだろう。狂人の頭の中など考えたところで無駄だ。僕はただ、この一日、神北拓也として神北と一緒に過ごせばいい。そして……。

 

 隣で自分の腕に抱きつく神北を横に、有宇はこれからすることだけをただ考えていた。

 神北は、自分が兄だと思っている男が何を考えてるかも知らずに、ただ嬉しそうに笑っている。その笑顔を、隣にいる兄だと思っている男が壊そうとしていることも知らずに……。

 

 

 

 学食で神北と食事を取るときは本当に恥ずかしかった。食券を買うときも「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」、食券を学食のおばちゃんに渡す列に並ぶときも「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」、席で並んで食べるときも「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」ときたもんだ。恥ずかしいってレベルじゃない。

 

 周りからの視線がとにかく痛いのだ。きっと一昨日の笹瀬川のように、そういうプレイをしているように見えてるに違いない。だが一応、この学校全体に影響力を持つ恭介の手のもと、これは今度老人ホームのボランティアでやる演劇の練習ということにしている。それを信じていてくれればいいんだが……。

 

 そんな恥ずかしさでいっぱいの朝食を終えると、神北と共に校舎へと登校する。そして校舎で靴を脱ぐときのことであった。

 

「あれ、お兄ちゃん。そっち一年生の靴箱だよ?三年生の靴箱はあっちだよ?」

 

 有宇が一年の靴箱の前で靴を脱いだことに、神北が疑問を抱いた。

 どうやら神北の中では、今兄さんは高三ということになっているらしいな。確かに自分の兄が自分より年下なのはおかしいもんな。まぁ、寧ろ都合がいいか。

 有宇はにんまりと笑みを浮かべ、胸を張ってこう言った。

 

「実はな、お兄ちゃんは頭が悪くて留年してしまったのだぁ!」

 

「ええっ!?」

 

 神北が目を見開いて驚きの声を上げる。

 そりゃそうだろうな。神北拓也は、神北の話を聞いた限りだと、二年も留年するようなバカな男ではないようだからな。けど、だからこそ好都合というものだ。

 更に続けてこう言う。

 

「だから今、お兄ちゃんは小毬より一つ下なんだ。だからここがお兄ちゃんの靴箱で合っている。ほら」

 

 有宇は自分の靴箱を指差した。そこには確かに神北拓也の名前が書いてあった。シールを見た神北は「本当だ……」と呟いていた。

 一応、靴箱の名前のシールを予め貼り替えておいたんだが、役に立ったようだな。

 

 昨日恭介にメールしたとき、兄になりきるのであれば、持ち物とかの名前も念の為、神北拓也の名前にした方がいいのでは?と恭介に言われたのだ。

 そこまでする必要あるかと思ったが、今にして思うとやっておいて正解だったな。心の中で恭介に感謝する。

 

 それから神北と一年の僕の教室の側まで来る。授業があるので、ここで一度神北と別れる。

 

「じゃあ、お兄ちゃんはここだから。じゃあな、小毬」

 

「えっ……いや、小毬もお兄ちゃんと一緒にいる」

 

 やはり駄々こねてきたか。おかしくなったあの日も中々離れようとしなかったもんな。クラスメイトもいるし、さっさと自分の教室に戻って欲しいんだが。

 しかし有宇はそんな不満を抑えて、神北に優しく微笑みかける。それから神北の頭を撫でながらこう言った。

 

「そりゃお兄ちゃんも小毬と一緒にいたいけど、小毬までお兄ちゃんみたいに馬鹿になったら困るからな。小毬はしっかり自分の教室で勉強しないと」

 

 有宇がそう言うと、神北は不満気な顔を浮かべるものの、納得したようであった。

 

「……わかった。じゃあね……お兄ちゃん。お兄ちゃんも勉強頑張ってね。もう留年しちゃ駄目だよ」

 

「ああ、また後でな」

 

 そしてここで一度神北と別れた。神北と別れてすぐ、教室の側にいた蒼士が、気不味そうに声をかけてきた。

 

「よ……よう、有宇。今のは……なんだ」

 

 蒼士だけではない。クラスの連中までもが有宇に疑惑の眼差しを向けている。

 恭介の人望も、入学してすぐの一年までには届かないか。今後にも響くし、なんとか誤魔化さなくてはな……。

 

「なに、今度リトルバスターズで、老人ホームのボランティアに行くんだ。今の神北先輩の発案でさ、そこで劇をやることになって、僕が妹思いの優しい兄の役。神北先輩が後に兄の死を知る悲劇の妹役をやることになったんだ」

 

「そ、そうか。でもそんな話あったっけ……?」

 

「オリジナルだよ。リトルバスターズだぞ?既存の話でやるわけ無いだろ。で、その劇の練習も兼ねて、役になり切って過ごそうということで、今もこうして兄妹ごっこをしてるってわけだ」

 

 そう言うと、蒼士含めクラスメイト達も納得の様子を見せる。

 

「確かに、あんな往来で変なプレイするわけないよな……」

「それに乙坂くんがそんなことするわけないよね……」

「そういえば、あの先輩が町で募金してたの見かけたし、ボランティアに決まってるよね……」

「私も乙坂くんの妹になりたい……」

 

 皆口々に勝手にそう言っていた。……最後の言ったの誰?

 

 なんにせよ、クラスメイト達もなんとかできたようだ。そして教室で真人からのメールを開けると、鈴さんについても、こっちに勘付かないよう誤魔化したとのことだ。

 あれだけ学食で注目を集めていたからな。鈴さんにも僕と神北の異変に気付かれただろう。だがどうやらあの筋肉二人がなんとかしてくれたみたいだ。

 

 それに直枝さんの方も無事、絵本が完成したらしい。徹夜で作ってくれたそうだから、本当に感謝しかない。

 恭介の方も予約が無事取れたらしいからな。もっとも、その代わりあいつは今日一日タダ働きするらしいがな。取り敢えず前準備の方は完璧のようだ。後は僕が事を上手く運ぶだけだ。

 

 

 

 昼になると、いつも神北と会っている屋上に向かう。窓を乗り越えて屋上に降り立つと、既に来ていた神北が満面の笑みで有宇を出迎えた。

 

「お兄ちゃん来てくれたんだ」

 

「ああ!お兄ちゃんはいつも小毬のことを思っているからな!小毬がどこにいるかもお見通しなのだぁ!」

 

 お見通しというと、神北は「すごーいっ!流石お兄ちゃん!」と言っていた。けど本当はお見通しとかではなく、いつも二人でここに来ているから来ただけだ。

 なぁ、あんたは本当に全部忘れたのか……僕とここに来ていたことも……全部。

 兄と見られることで、乙坂有宇としての存在が神北から消えてしまったことに、有宇は若干の寂しさを覚えた。

 

「お兄ちゃん、それじゃあお昼食べよ」

 

「ああ、食べよ食べよ。で、小毬。今日のお前のお昼は?」

 

 有宇がそう聞くと、神北は何やら大きなタッパを取り出した。

 

「じゃん!ホットケーキ作ってきたんだ。お兄ちゃんも食べて〜」

 

 神北が取り出したのは、ホットケーキだった。昼飯……だよな?それに、そのホットケーキってもしかしなくてもいつかの激甘ホットケーキじゃないのか?

 神北拓也を完璧に演じるというのであれば、本来であればこれを食べなくてはならない。だが、僕の狙いは神北拓也を演じることではない。

 そして有宇は手に持っていたビニール袋を見せつける。

 

「悪い、購買で弁当買ったんだよ。これ食べるから」

 

「ええっ!?」

 

「まぁまぁ、僕の大好物のおろし竜田弁当だったんだ。仕方ないだろ?」

 

 なんかこんな会話、前にもした気もするが。……まぁいいか。

 すると神北は「お兄ちゃんとお昼……」と涙目になる。

 

「なに、ホットケーキは小毬が全部独り占めにできるんだぞ。いいじゃないか」

 

「うん、でも私、一人で食べるよりお兄ちゃんと食べたかった……」

 

 その言葉に、有宇は若干心を動かされる。それは、自分で独占するのではなく、他人に自分のものを快く分け与える神北の優しさの表れであった。

 そうだ、まだ残ってる。この人の心は、まだ残っている。

 兄のことを思い出す前の本来の神北。その一面が今まさに垣間見えたのだ。取り戻してみせる……なんとしても。

 そして有宇は神北に微笑みかける。

 

「まぁまぁ、食べるものは違くても、一緒に食べればいいじゃないか。なっ?」

 

「うん……」

 

 そして有宇は神北と共に昼食を取った。

 ここからだ、ここからが大詰めだ。これまでの僕の行動を見て、神北の中での神北拓也像は揺らぎつつあることだろう。二年も留年するアホであり、妹の作った昼食を食べるのを拒否する。神北の中での神北拓也はそんな男ではないはずだからな。

 

 だがこんなものはまだ序の口だ。こうして少しずつ神北の中での神北拓也と、今現実で自分が神北拓也として認識している僕との間に齟齬を(きた)し続ければ、きっと……。

 

 

 

 放課後、帰りのホームルームが終わると早速、有宇は神北のいる二年B組の教室へと向かう。そして教室に着くと、躊躇せずにそのまま教室に入っていき、神北の席の元まで行く。

 

「小毬」

 

 名前を呼ぶと、神北は嬉しそうに顔を上げる。

 

「あ、お兄ちゃん!向かいに来てくれたんだ!」

 

「ああ、勿論だ。お兄ちゃんは小毬が大好きだからなぁ。それよりどうだ、これからお兄ちゃんと一緒にいいとこ行かないか?」

 

「いいとこ……?」

 

 神北が小首を傾げる。すると有宇は昨日、恭介にも見せた、あのロイヤルプリンセスパフェのチラシを見せる。

 

「ここだよここ。小毬、前に行きたがってたじゃないか。昼は一緒にお昼食べられなかったからな。お兄ちゃんと一緒に行かないか」

 

 すると、神北はチラシに目を輝かせて頷いた。

 

「うん!行く行く!わぁ、美味しそう!」

 

 よしっ、食いついたか。

 別にここじゃなくても一緒に出かけるぐらいならしどこでもいいんだが、万が一があるからな。神北の心を確実に動かせるものでなければならなかった。どうやらデートの誘いには成功のようだ。

 あと、この店を選んだもう一つの理由、それは……。

 すると、神北が「あっ……」と呟くと、心配そうに言った。

 

「でもこのパフェ、普通のパフェの三倍のお値段するよ。小毬、こんなにお金ない……」

 

 そう、この期間限定ロイヤルプリンセスパフェは値段が普通のパフェの三倍もの値段を誇る豪華なパフェとなっている。神北拓也のことを思い出す前の神北も、同様の理由でここに行くことを断念していた。だが……。

 有宇はニヤリと笑みを浮かべる。

 

「安心しろ、小毬。お兄ちゃんがお金を出すから、小毬が心配する必要なんてないんだ」

 

「えっ、でも……」

 

「まぁまぁ、お兄ちゃんに任せなさい!」

 

 そう言って有宇は、左腕を直角に曲げ、右手をひじの内側に添えるポーズをとり、にっこり微笑む。

 まさかこの僕がココアの真似をするとは。つい頭に浮かんだからしてしまったが、これ思ったより恥ずかしいな。他の二年達もクスクス笑ってるし。

 しかし恥ずかしがってる場合ではない。とにかく予定通りの行動をしなくてはな。

 

 ココアのお姉ちゃんに任せなさいポーズをしてしまった恥を捨ておき、有宇は理樹の座る机へと向かう。さて、それじゃあ打ち合わせ通り頼みましたよ、直枝さん。

 有宇は机の前に立ち、そしてダンッと思い切り音を立てて机に手をおいた。そしてニヤリと怪しげな笑みを浮かべる。

 

「直枝せんぱぁい、ちょっといいですかぁ?」

 

「えっと……何かな拓也」

 

「いやさぁ、うちの小毬がパフェ食いに行きたいらしくてですね、それでちょっとお金借りたいんですけど、貸してくれます?」

 

「えっと、ごめん。今そんなお金なくて……。そ、それにこれから野球の練習が……」

 

 理樹は必死に断ろうと、言い訳を並べる。しかし言い訳の途中であったにも関わらず、有宇は理樹の胸ぐらを掴んだ。そして思い切り理樹を睨みつける。

 

「僕は金貸せって言ったんだよ。いいから出せよ」

 

「わ、わかったから、は、離してよ……」

 

 理樹が苦しそうにそう言うと、有宇は手を離す。それから理樹は財布を取り出し、そこから千円札を三枚、有宇に差し出す。

 そして有宇はそれを力任せにバッと奪い取った。

 

「最初からそうしろよな。ったく、手間かけさせやがって」

 

「ご、ごめん……。た、拓也、えっとそれで今日の練習は……」

 

「あ゙っ?行くわけ無いだろ。誰がそんな面倒なことするかよ。それじゃあな直枝センパイ、金はその内気が向いたら返すから」

 

 そう言って有宇は理樹の机から離れた。クラス中がその様子をただ黙って見守っていた。

 そして神北の元まで来ると、有宇は先程理樹に見せていたような険しい顔ではなく、ニンマリと笑顔を浮かべる。

 

「待たせたな小毬、それじゃあ行こうか。お金結構入ったからパフェ以外にもなんか欲しいのあったら買ってやるぞ」

 

 機嫌よくそう言う有宇に対し、神北は少し困った表情を浮かべる。

 

「お、お兄ちゃん。それ……理樹くんのお金……」

 

「ああ、これ?借りただけだよ。その内返すから。だからそんなこと気にするな。それより早く行こう。予約した時間に間に合わなくなるから」

 

「う、うん……」

 

 有宇に強引に促され、神北は有宇と共に教室を出た。教室を出る間際、教室にいる理樹の方を心配そうに振り返って何か言おうとしていたが、結局何も言わずに有宇の後を追って行った。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 有宇と神北が教室を出た後、理樹は心配そうに不安を漏らす。

 

「予定通り演技はしたけど、本当にこれでいいのかな……」

 

 確かに有宇は小毬さんにとって良き兄を演じていると思う。でも神北拓也さんに似ているかといえばそうじゃない。体の弱かった拓也さんが人に乱暴な言葉遣いでカツアゲするような人とは思えないし、一体有宇は僕にこんな事をさせて何をしようとしているのだろうか。

 理樹が不安そうにしている中、今の一連の演技を見ていた来ヶ谷が理樹に声をかける。

 

「なかなかの名演技だったな、理樹くん」

 

「はは、ありがとう来ヶ谷さん。鈴の方はどう?」

 

「うむ、葉留佳くんと一緒に猫と遊んでいる。時間になったら私も合流して一緒に例の場所に連れていくつもりだ」

 

「そっか」

 

 来ヶ谷さん達もちゃんと仕事をこなしているみたいだ。恭介もこれから有宇達が行く店の予約はできたって言ってたし、今のところ有宇の作戦は順調に進んでいる。けど……。

 

「不安かね?」

 

「えっ?」

 

「有宇くんの作戦だよ。不安に思っているのではないかね」

 

 来ヶ谷には理樹の考えはお見通しであったようだ。理樹も特に否定せず頷く。

 

「うん、だって小毬さんのお兄さんを演じるって言ってたのに、なんか無茶苦茶だし。こんなことして本当に小毬さんが戻るのかなって。来ヶ谷さんは不安にならないの?」

 

「そうだな。確かに私も未だ彼の作戦の全てを理解したわけではないが、だが今君にさせた演技の意味ぐらいはわかる」

 

「えっ……?」

 

 来ヶ谷さんには、有宇の意図がわかるの……?

 理樹にはそれが理解できなかったため驚いた。

 

「君もわかってると思うが、彼は兄として形だけは一応振る舞っているが、端から小毬くんの兄を演じる気など更々ないのだよ」

 

「ならどうして……」

 

「それは言えないよ。それでは彼が隠した意味がないからね。まぁ、一つ言えるのはそこが君と、あの乙坂有宇という少年との違いなのかもな」

 

 そう言って、来ヶ谷は理樹にその理由を教えはしなかった。わざわざ作戦の意図を隠した有宇に気を遣ったのかもしれない。

 しかし、そんな来ヶ谷もこう疑問を口にした。

 

「しかし、私の考えてる通りだとして、彼はその先をどうするつもりなのか。今のままでは、まだ不完全だと思うのだが……」

 

 来ヶ谷さんにもどうやらまだわからないことがあるらしい。でもなんにせよ、僕等は予定通りの行動をするしかない。それで、小毬さんを正気に戻せるんだから。有宇、頼んだよ。

 理樹は静かに神北の運命を改めて有宇に託す。するとこのとき、理樹には聞こえていなかったが、来ヶ谷がはっと何かに気付き、こう呟いていた。

 

「……そうか、まさかそれで鈴くんを……」

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 私服にお互い着替えた後、校門を出た有宇と神北の二人は、恭介の予約したカフェに向かうべく、河原を歩いていた。すると神北は膝を降り地面に目を向ける。

 

「見てお兄ちゃん、シロツメクサだよ」

 

「シロツメクサ?……ああ、クローバーか」

 

 神北は土手に咲いていた一群の白い花に夢中になっていた。そして神北はこんなことを言う。

 

「ねぇ、お兄ちゃん。昔みたいに四葉のクローバー探そう?」

 

 四葉のクローバー探しか。僕も昔歩未とやったっけな。あんま覚えてないけど、確か、誰かが探すの上手かったんだよな……誰かって誰だっけ?

 まぁ、そんなことよりもだ。別にクローバー探しはやってもいいんだが、悪いが今回は遠慮させてもらう。その方が後々都合がいいはずだしな。

 

「いや、店の予約あるしさっさと行くぞ。四葉のクローバーなんていつでも探せるだろ」

 

 そう言って神北を冷たくあしらった。

 

「うん……」

 

 神北は不満気であったが、大人しく立ち上がり、また二人で駅前を目指して歩いていった。

 それから駅前の広間に到着すると、有宇は店を探し始める。暫く辺りを散策していると、一軒の喫茶店を見つける。平日だというのに、もう四・五人の列が出来ていた。

 

「……ラビットハウスもいつもああだったらな」

 

「お兄ちゃん何か言った?」

 

「いや、何でもない。多分あそこの店だろ。行くぞ、小毬」

 

「う、うん」

 

 そして二人は列を抜かして店に入る。すると……。

 

「いらっしゃいませ。二名様ですね。こちらへどうぞ」

 

 店の制服に身を包んだ恭介が出迎えてくれる。

 

「きょーすけさん!?どうしてここに!?」

 

 突然の恭介の登場に神北が驚く。

 

「さて、なんのことやら。私はウエイターの斉藤と申します。恭介という方はご存知ありませんね」

 

 斎藤と名乗る通り、確かに胸の名札には斉藤と書いてあった。徹底して役になりきってるな。ていうかなんで偽名使ってるんだ。こっちは指示してないぞ。大体、明らかに顔が恭介なのに、誤魔化せるのかこれ。

 そして神北の方をちらっと見る。

 

「ほぇ〜そうなんですか。ごめんなさい、人違いでした」

 

 騙されたよこいつ!?明らかに恭介じゃないか!!なんで騙されるんだ!?アホなのか!?

 いや、でもそうだな、今回の騒動をすっかり忘れかけていたが、この人結構アホだったな。確かにこいつならこんなんでも騙せるかもな。

 すると恭介は有宇達二人を席に案内する。そこで恭介に耳打ちする。

 

(おいっ、なんでわざわざ偽名なんか使ってんだよ。支障はないと思うがあまりふざけたことするのはやめてくれ)

 

(ふざけちゃいない。これからすることを棗恭介としてやると、それこそ神北に演技と思われるかもしれないだろ。だからこうして、ただの普通のウエイター斉藤を名乗ってるってわけだ)

 

(まぁ……一理あるかもしれん)

 

 今回、恭介には店の予約をしてもらうだけのはずだったのだが、恭介が席を予約させてもらう代わりに一日働くことになったと聞いて、恭介にも一芝居打ってもらうことにしたのだ。

 そしてこれからするその演技は、確かに仲間内でやると本当に演技と捉えられる可能性がある。別人ということにした方が確かに都合がいいのかもしれない。だがそれにしたって、もう少しちゃんと変装できなかったのかと言いたいが。

 そして有宇達は、恭介に案内された店の端の方の席に着く。それからすぐに、神北の分のロイヤルプリンセスパフェを恭介に注文する。

 

「パフェ楽しみだな♪でもお兄ちゃん、コーヒーだけでいいの?」

 

「ああ、僕は甘いのが苦手だからな。僕のことは気にせず小毬はパフェを楽しんでくれ」

 

「うんっ!ありがとうお兄ちゃん!」

 

 それから暫くパフェが来るのを待つ。その間、有宇は貧乏ゆすりをし、更には机を指でトントン叩き、落ち着かない様子を見せる。神北はそんな有宇の様子を見て少し顔を曇らせる。

 そしてようやく、十分ほどして有宇の分のコーヒーと、神北のロイヤルプリンセスパフェがやってくる。持ってきたのは、もちろん恭介だ。

 

「お待たせ致しました。ロイヤルプリンセスパフェとコーヒーになります」

 

 そう言うと、恭介はパフェとコーヒーを二人に提供する。すると……。

 

「うわぁ……!美味しそ……」

 

「遅えよ!いつまで待たせてんだよ!」

 

 神北が感嘆の声を漏らすのも遮り、突然有宇が恭介に向け激昂する。すると恭介はすぐに頭を下げる。

 

「申し訳ございません。只今店内混んでおりまして。提供に時間がかかってしまい、お客様には大へ……」

 

「言い訳してんじゃねえよ!こっちだって暇じゃねぇんだよ!ざけんな!!」

 

 有宇はまるで厄介客の如くキレ散らかす。すると、そんな有宇の様子を見ていられなかったのか、神北が必死になって止めに入った。

 

「お兄ちゃん、小毬別に気にしてないからいいよ!だからもうやめて!」

 

 そう言いながら有宇の怒りを鎮める神北の目は、今にも泣きそうだった。すると、有宇は落ち着きを取り戻した様子を見せる。そして舌打ちをしてから、恭介に向けてこう吐き捨てた。

 

「妹がいいっていうからいいけど、次遅れたらただじゃおかねぇぞ」

 

 すると恭介は「本日は誠に申し訳ありませんでした」と口にし頭を下げて、厨房の方へと戻って行く。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 それから暫くして有宇と神北の二人はカフェを出る。しかし、帰路につく神北の足取りは重かった。目も再び光を失ったように虚ろになりつつあり、顔を俯けている。

 

(お兄ちゃん……なんか今日おかしいよ。私にはいつもみたいに優しいのに、理樹くんや店員さんに酷い態度取るし、それに小毬のホットケーキだって一口も食べてくれなかった。頭も悪くなっちゃったみたいだし、一体どうしちゃったんだろ……まるで、お兄ちゃんじゃないみたい……)

 

 しかし、そう思ったところで神北は首を横に振る。

 

(ううん、なに変なこと考えてるんだろ。お兄ちゃんがお兄ちゃんじゃないはずなんてないのにね。でも……)

 

 チラッと有宇を見る。最も、今の神北には兄である拓也に見えているのだが……。

 

(やっぱりお兄ちゃんだよね。でもなんでだろ……お兄ちゃんじゃない気がしちゃうのは)

 

 すると、神北は帰りの途中、駅前の広場のところに一軒の本屋を見つける。表には児童用の雑誌等が並んでいる。

 

(そうだ!お兄ちゃんならきっと……)

 

 そして神北は有宇に声をかける。

 

「ねぇ、お兄ちゃん」

 

「ん、どうした」

 

「小毬ね、お兄ちゃんの新しい絵本が読みたいな。また新しい絵本作ってよ。また可愛いペンギンさんとか鶏さんとかが出てくるの。あっ、でも今度は鶏さんのお話みたいな悲しいお話じゃないのがいいな」

 

 お兄ちゃんはいつも小毬に絵本を描いてくれる。どんなにお兄ちゃんが変わっても、小毬のために絵本を描いてくれるはずだよ。

 私が悲しいお話や誰かが死んじゃうお話は嫌だよって言ってから、お兄ちゃんは小毬に絵本を自分で描いてくれるようになった。そうだよ、きっと楽しいお話しを描いてくれるはずだよ。お兄ちゃんならきっと……!

 しかし、兄だと信じて疑わなかった男から発せられた言葉は、神北の期待を裏切った。

 

「絵本?やだよ、面倒くさい」

 

「えっ……?」

 

 なんで……どうして……?

 神北は絶望に身を打ちひしがれる。

 

「どうして……小毬何か悪いことした?」

 

「いやいや、別にそういうわけじゃないぞ。けどなぁ、僕絵とか描けないし、描けっていわれてもなぁ……。大体、小毬だっていい歳だろ。絵本はそろそろ卒業したらどうだ?そんな幼稚なもの」

 

 幼稚なもの……?絵本が……幼稚なもの……?違う……お兄ちゃんはそんなこと言わない……。

 神北の中で何かが芽生え始める。

 

「あーそんなに欲しいなら、あそこの本屋で買ってきたらどうだ?ほら、お金渡すから、好きなの買ってこいよ。ちゃんとした絵本作家の人が描いたやつの方が面白いと思うぞ」

 

 嘘だ……そんなこと言わない……お兄ちゃんはそんなこと言わない。小毬に悲しいお話を見せないようにって絵本を描いてくれたお兄ちゃんがそんなこと……言うはずないッ!!

 

(違う、この人は……お兄ちゃんじゃないッ!!)

 

 その時だった。神北の視界に変化が訪れる。兄、神北拓也として見ていた人影がその姿を変えていく。そして────

 

 

「……有宇くん?」

 

 

 神北は遂に、幻想から目を覚した。




一話にまとめようと思ったんですが、長くなってしまったので前後編に分けます。というわけで後編に続きます。


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第41話、魔法のアンサンブル(後編)

「小毬さんが……正気に戻った……?」

 

 広場の方を見渡せる狭い路地の影、直枝理樹はそこにいた。有宇に午後の五時半より前ぐらいに、駅前の広場に集まるように言われていたからだ。

 僕だけじゃない。向こうの路地には来ヶ谷さんと三枝さん、そしてまだ今回の作戦のことを何も知らされていない鈴もいる。真人と謙吾も姿は見えないが何処かにいるはずだ。恭介は席の予約と引き換えに店で働いているため来れないようだ。

 

 にしても流石だよ有宇。今まで拓也さんらしくない、人として残念な行動を取っていたのは、小毬さんに自分が拓也さんではないことを気付かせるためだったのか。

 でもこれからどうするんだろう。ここでこのまま本当のお兄さんが死んでしまったことを思い出してしまったら、結局また振り出しに戻っちゃうんじゃないか?それにこれ……。

 

 理樹は昨日自分の考えたオリジナルの展開になるように書き換えた、神北拓也の絵本に視線を落とす。

 持ってくるように言われたけど、これどうするつもりなんだろうか。

 これから有宇がどうするつもりなのか気になりつつも、理樹は二人の先行きを静かに見守る。

 

「ようやく気付いたか」

 

 正気を取り戻した小毬さんに向け、開口一番有宇が言い放った言葉はそれであった。

 

「有宇……くん、なんでここに?あれ、お兄ちゃんはどこ……」

 

「死んだよ。お前の兄さんは病気で死んだ。忘れたのか?」

 

「死んだ……何言ってるの?お兄ちゃんはここに……」

 

「だからいねぇって。よく見ろよ。僕がお前の兄さんに見えるか?」

 

 有宇がそう言うと、小毬さんは有宇の顔を虚ろな眼差しで見つめる。すると次の瞬間、小毬さんがお兄さんが亡くなった真実を思い出したのか、苦痛に顔を歪めた。

 

「ううっ……」

 

 嗚咽を漏らし、その場に膝をつく。そして思い切り泣き叫んだ。

 

「うっ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!嫌だよ!!そんなの嫌だよ!!」

 

 始まってしまった。一昨日、有宇から聞いた話の通りになってしまった。

 何やってるんだ有宇、これじゃあ振り出しに戻ってしまう。

 更に、小毬さんはその場に踞り「全部夢だよ……」と呟き始めた。

 いけない小毬さん!またお兄さんの幻想に囚われては駄目だ!

 どうしよう、出ていくべきか。でも有宇には合図が出るまで来るなと言われているし。でも……。

 するとそんな時だった。

 

「うっせぇなぁ……」

 

 泣き叫ぶ小毬さんに向けて、有宇が言い放った言葉がそれであった。神北さんもそれを聞いてピタリと泣き止み、有宇の顔を見つめた。

 そして有宇は、そんな小毬さんの胸ぐらを突然乱暴に掴み、強引に小毬さんの体を起こさせる。それから目を見開き、怒りの形相で小毬さんに詰め寄った。

 

「夢だなんだ現実逃避しやがってよぉ……いい加減にしろよ!てめぇのせいでこっちは迷惑してんだよ!いい加減現実見ろよッ!」

 

 有宇!?何やってるんだ!?

 確かに今回、小毬さんのことで有宇には負担を強いたけど……でも小毬さんに当たってもしょうがないじゃないか!!

 でもこれも有宇の演技なのか……わからない。僕達は何も教えられてないから、今の有宇がただ怒っているだけなのか、それとも演技なのか、僕には……。

 そして小毬さんは有宇に怒鳴られても泣き叫ぶのをやめない。寧ろ有宇に怒鳴られたことによって、更に追い詰められてより酷くなっている。

 

「助けて……助けてよお兄ちゃん……」

 

 小毬さんは有宇のことが怖いのか、幻想の中のお兄さんに助けを求める。だが、当然お兄さんが助けに来てくれるはずなんてない。ただ有宇が怒りを収めることなく怒鳴り続けるだけだった。

 

「助けてじゃねえよ!!もうそいつは死んでんだよッ!!死んだ人間にいつまでも縋りついてんじゃねぇよッ!!」

 

 もう見てられない。あんなに苦しんでる小毬さんを見るのは耐えられないよ……。

 止めに行くべきか……でも……。

 有宇の作戦の可能性だってあるのに、もしここで割って入ってしまうことでその作戦が台無しになってしまったら……。わからない。こういうとき、どうすればいいのか。僕は……。

 理樹が有宇を止めるべきか悩んでいるそのときだった。理樹の視界に、矢の如き速さで何かが通り過ぎて行く。

 

「コラァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 

 聞き覚えのある怒声が辺りに響き渡る。そして次の瞬間、有宇の体が二、三メートル先へと吹っ飛んでいった。

 

「弱いものイジメはめっだ!!」

 

 有宇の顔面に思いっきりドロップキックを食らわし、小毬さんの前に現れたのは鈴だった。

 

「大丈夫か小毬ちゃん!!あいつにいじめられたのか!?」

 

「鈴……ちゃん?」

 

 小毬さんは何が起きたのかわからないといった感じの様子だ。正直、僕も突然のことにびっくりしている。だが、そこで有宇が昨日言った言葉を思い出した。

 

『それと合図だが、これも今は伏せておく。まぁ、とてもわかりやすい合図だ。神北先輩と僕が見える位置にいれば問題ないはずだ。敷いて言えば、鈴さんが何かしら動きを見せるはずだから、鈴さんの動きに注目しててくれ』

 

 もしかして、合図って今のが……!

 これが有宇の言っている合図なら、僕が今すべきなのは……!

 理樹は神北の元まで走っていく。そして来ヶ谷と三枝、何処かで見ていた真人と謙吾も理樹に続いていく。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「小毬さん!」

 

 鈴ちゃんが突然現れたと思ったら、今度は理樹くんが現れた。

 

「小毬くん!」

 

「こまりん!」

 

「神北ぁ!」

 

「神北!」

 

 そして理樹くんに続いて唯ちゃん、はるちゃん、真人くん、謙吾くんもも一緒に現れた。

 

「みんな……どうして?」

 

「どうしてって、小毬さんが言ったんじゃないか。助けてって」

 

「でも……」

 

「僕達はリトルバスターズだから。だから、友達が困っていたら助けに行くんだ」

 

 理樹くんはそう言ってニコリと微笑む。それから理樹くんは一冊の絵本を取り出す。

 

「これ……お兄ちゃんの……」

 

 そうだ、お兄ちゃん……死んだ……死んじゃった。嘘だ……そんなの……。

 神北が再び顔を悲しみに歪める。しかし理樹はそっと神北の手に、自分の手を添える。

 

「大丈夫、もうこれは、悲しい絵本じゃないから」

 

「えっ……」

 

 悲しく……ない?

 

 理樹のその一言で兄の死を知った悲しみから現実へと引き戻される。そして神北は絵本に目を落とす。それからページを捲って読んでいく。

 途中までは元々のものと変わらなかった。卵を産んだ鶏は自分の産んだ卵のことを忘れる。そして卵から生まれたひよこは自分が卵であったことを忘れる。成長したひよこは鶏になり、今度は自分がひよこであったことを忘れる。この繰り返し。そして最後のページで自分が卵であったことを思い出す。

 そこまで神北が読むと、理樹が神北にこう持論を話し聞かせた。

 

「小毬さんはひよこが前のことを忘れるのが悲しかったんだと思うけど、でもそうじゃないんだ。ひよこや鶏は悲しいから忘れるんだ。もう戻ることもできないから、ひよこや鶏は忘れることで悲しみを和らげた。でもそれじゃあいけないんだ。どんなに悲しくても、受け止めなきゃいけないときは必ず来るんだ。だから鶏は最後に、自分が卵であったことを思い出すんだ」

 

 有宇がどんなに読んでもわからなかった、拓哉がこの絵本に書き込めた想いを、理樹は絵本を作る過程で自分なりに解釈し、そして拓哉が絵本に込めた想いを理解したのだ。

 兄、拓哉は神北にただ自分の死によって生じた悲しみの記憶を忘却することだけを望んだわけではないのだ。いつかこの鶏のように悲しみを乗り越えられるぐらい神北が成長したら、自分の死を真正面から受け止めて欲しい。そんな想いを込めてこの絵本を書いたのだ。

 しかし理樹の話を聞いても尚、神北の顔は晴れることなく、こう泣き言を漏らした。

 

「無理だよ……こんな悲しいこと……乗り越えられないよ」

 

 そう、神北は未だ鶏にはなれていないのだ。兄を亡くした悲しみを忘れられないからこそ、こうして神北は兄に関わる記憶の忘却と想起を繰り返して苦しんでいるのだから。

 だがそんな神北に、理樹は優しくこう声をかける。

 

「次のページを見て」

 

 理樹にそう促されて、神北はページを捲った。そこには兄の絵本にはなかった新たなページが描かれていた。新たなページには、主人公のひよこの周りにも、沢山のひよこがいる絵が描かれている。周りのひよこ達は何処かリトルバスターズのメンバー達の面影を感じさせるイラストで、そして主人公のひよこに笑いかけていた。

 

「辺りを見回すと、ひよこの周りには……沢山の仲間達がいました。そして気がついたのです……ひよこはもう一人ではありませんでした。どんなに悲しいときも、楽しいときも……仲間達が側にいたのです」

 

 神北は最後のページに書かれたその文章を、涙声で読み上げた。

 

「僕達がいるよ。一人で乗り越えられないなら、僕達と一緒に乗り越えよう。だから笑って小毬さん。辛いときも、悲しいときも、僕達が側にいるから」

 

 理樹がそう言うと、周りのメンバー達も口々に神北に声をかける。

 

「そうだ、今みたいに小毬ちゃんを悲しませる奴がいたら、あたしが蹴っ飛ばしてやる」

 

 と鈴。

 

「うむ、小毬くんを悲しませる輩はお姉さんが断罪してやろう」

 

 と来ヶ谷。

 

「私は姉御や鈴ちゃんみたいなことはできませんが、こまりんの側にいて笑わせてあげるぐらいならお茶の子さいさいデスよ」

 

 と三枝。

 

「俺達の自慢の筋肉が必要ならいつでも言ってくれ」

「おうさっ!!」

 

 と言いながら腕を直角に曲げ、腕の筋肉を強調する真人と謙吾。

 

 神北は自分に声をかけてくれる仲間達の顔を順に見回していく。それから手元の絵本に視線を落とす。

 

 ────笑って……小毬

 

 その時、神北の頭の中に誰かの声が響く。

 

 ────また太陽みたいな笑顔で、笑って欲しいんだ。

 

 神北は顔を上げる。そこには、自分を心配する仲間たちの姿があった。

 その時、神北の頬から涙が伝い、手元の絵本に落ちた。だがそれとともに、神北の瞳に光が宿り、顔に笑顔が戻っていく。

 

 お兄ちゃん。

 今までごめんなさい。でももう大丈夫。

 辛いことも、悲しいことも、みんながいるから乗り越えていけると思います。笑っていられると思います。

 だから……ありがとう。そして……さよなら、お兄ちゃん。

 

「ありがと……みんな……ありがとう」

 

 そう言って神北は泣いた。だがその頬を伝う涙は、もう悲しいものではなかった。支えてくれる仲間達に対する、嬉し涙であった。

 それから神北は近くにいた鈴に思いっきり抱きつく。そこにはいつもの彼女の笑顔があった。そんな様子を見て、周りの仲間達も嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 こうして、めでたく大団円を迎える一方で、一人寂しくその場を後にする影があった。しかしながら皆、神北が正気に戻ったことに喜んでいたため、それに気付く者はいなかった……ただ一人を除いては。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「どうしたんだよ有宇、その頬。殴られたりでもしたのか?」

 

 有宇が学食でクラスの男子達と夕食を取っていたときのこと。蒼士に腫れ上がった頬について聞かれた。確かに有宇の頬は指摘された通り少し腫れており、赤くなっていた。

 何故こうなったかといえば今日の夕方、神北を正気に取り戻させる作戦をしていたとき、作戦通り現れた鈴さんに、顔面に思いっきりドロップキックを食らわされたのであった。作戦通りといえば作戦通りであったが、まさか顔面を思いっきり蹴られるとはな……。

 僕的には、神北に詰め寄る様を見て、鈴さんが止めに入るぐらいの軽い感じのを予想していたんだがなぁ。くそっ、こんなことならもっと別の策にしておくんだった。

 取り敢えず本当の事を説明するわけにもいかないし、誤魔化しておくか。

 

「ああこれ?演技に熱が入った鈴さんに蹴られたらこうなった」

 

 有宇は昼間の演技の練習という嘘を使って、演技の練習で怪我をしたことにした。

 

「あれ、お前優しい兄貴の役じゃなかったか?」

 

 ああそうか、確かに優しい兄の役だったのに、他のキャラに蹴飛ばされるような立場なのはおかしいか。

 

「正確には死んだ兄貴のふりをしてヒロインに近づき、ヒロインを殺そうと企てている殺人鬼の役だ。それで、鈴さんが殺人鬼を倒すヒーロの役だ」

 

「全然ちげぇじゃねぇか……」

 

 事前に聞いていた話と違い、蒼士が不服そうな顔を浮かべる。そんな蒼士と相対的に、一緒に食事を取っていたクラスメイトの四辻(よつつじ)(りく)の二人は有宇に羨ましそうな眼差しを向ける。

 

「けどいいよな、鈴さまに足蹴にしてもらえるとか。そんなのご褒美じゃん」

 

「ああ、ほんとな。やっぱイケメンはこういうとき得だよな」

 

「おい待て、別に僕が頼み込んでやってもらったわけじゃないぞ。それに足蹴にされたとかそういうレベルじゃないからなほんと。マジで痛いからなこれ。あとお前ら普通にキモいんだが」

 

 二人の反応を見て、有宇はドン引いていた。しかし二人は変わらず鈴の話を続けていた。

 足蹴にされたいとか、蹴飛ばされたいとか、変態だろ。それに様付けで呼んでるのが更にキモさを増してるんだが。

 そして、そんな二人の様子に疑問を持ち、有宇はこっそりと蒼士に耳打ちする。

 

「おい、なんだこれは……」

 

「ん、ああ、前にも言ったろ?鈴先輩、男子の人気高いって。一年にもこの二人みたいなファンがいるんだよ」

 

「みんな……こうなのか」

 

「ああ、外見以外にも、あのSっ気が人気の秘訣なんだとか」

 

 マジかよ。この学校の奴等、リトバス以外の連中も大概変なの多いよな。科学部や生物部も変な研究してるらしいし、お嬢様言葉の女もいるし、そして蹴飛ばされて喜ぶドM共ときたもんだ。ここほんとうに進学校だよな……?

 

 

 

 夕食後、男子寮へと戻る蒼士達と別れた有宇は、裏庭へ一人缶コーヒーを買いに行っていた。

 夜にコーヒーっていうのは眠れなくなりそうなイメージがある。だが個人的には飲んだところでそんなに眠れなくなるってこともなく、割とすんなりと眠れるし、特に気にしていない。

 

 それに日本人はカフェインへの耐性が強く、眠気覚ましとしての効果はあまり望めないんだとか。コーヒーにはリラックス効果もあるし、ラビットハウスにいたときは、よく夜に本読んだり勉強しながら飲んでたしな。飲まないと寧ろ落ち着かないというものだ。

 そして自販機の前でコーヒーを買っていたときだった。

 

「やぁ有宇くん、こんなところで奇遇だね」

 

 突然後ろから声をかけられる。振り返ってみると、そこにいたのは来ヶ谷であった。彼女は足音も立てずに後ろから有宇に近づき、不敵な笑みを浮かべながら悠々とそこに立っていた。

 

「なんのようだ。こんな夜遅くに」

 

「なに、君と同じだよ。コーヒーでも飲もうかと自販機に買いに来たら君がいたというだけさ。にしても、酷い顔だな」

 

「ほっとけ」

 

 来ヶ谷は有宇の腫れ上がった頬を見てクスクスと笑う。そんな来ヶ谷に内心腹立つものの、今日はもう疲れていて、一々こんなことで怒る気にはなれなかった。かといって、このままこいつのお喋りに付き合う気もないがな。

 

「ま、それじゃあな。僕はもう寮に戻るから」

 

 そう言って有宇は買ったばかりの缶コーヒーの蓋も開けずに、そのまま寮へと戻ろうとする。しかし、来ヶ谷の横を通り過ぎようとしたとき、来ヶ谷が一言こう言った。

 

「今日の君の作戦、見事だったよ」

 

 有宇は足を止める。そして来ヶ谷の話に耳を傾ける。

 

「最初の君と小毬くんのデート、あれは小毬くんを現実に引き戻すためだったわけだ。あの状態の小毬くんには何を言っても無駄であろうと考えた君は、まずは小毬くんを現実に引き戻さなくてはと考えた。違うかね?」

 

「まぁ、そんな感じだ」

 

 有宇は素っ気なくそう答えた。

 

「だから君は小毬くんの兄になるふりをした。あえて小毬くんの幻想の中に入り込み、小毬くんの望む兄を演じた。そして、そこから小毬くんの兄らしからぬ行動を積み重ねていくことで、現実と小毬くんの幻想との間に齟齬を生じさせ、無理やり彼女を現実へと引き戻させたんだ」

 

 そうだ、僕の今回での最初の作戦の狙い、それは神北を兄が生きているという幻想から引き剥がすことにあった。説得しようにも、あの時の神北では話にならないからな。

 だが引き剥がそうにも、僕はお前の兄ではないと言ったところで、そういった神北にとって都合の悪い展開は一切通じない。それは昨日の屋上での一件でわかっていたことだ。

 

 だから僕は最初は神北の理想の兄さんを演じてやった。敢えて神北の幻想の中に取り入って、そこから引き剥がしてやろうと考えたのだ。最初から神北を毛嫌う兄を演じる案もあったが、それだと最初から兄ではないと否定するのと大差ないし、意味がないのではと思った。だからまずはあいつの理想通りの優しい兄を演じたのだ。

 

 そしてそこから徐々に崩していった。直枝さん協力の元、カツアゲをするところを見せつけたり、店員に横暴な態度をとる姿を見せたり、また神北自身にも少し冷たくしていったり、そうしていくことであいつの中の優しい兄さん像と現実との間に矛盾を生じさせていったのだ。

 

 そしてあいつを見事、兄が生きているという幻想から目を覚まさせるまでは成功させた。最も、僕の本来の予想案では、店員に横暴な態度を取った辺りで正気に戻ってくれると思ってたので、内心ヒヤヒヤしていたのだが。

 そして来ヶ谷の話は次に移る。有宇も缶コーヒーの蓋を開け、話に聞き入る。

 

「そして、小毬くんを正気に戻した君が次にしたこと、それは今回の作戦の本題でもある、小毬くんに兄の死の悲しみを克服してもらうことだ。いくら正気に戻しても、また彼女が悲しみを抱えたままでは繰り返すだけだからな」

 

 そうだ、確かにデート作戦は神北を正気に戻させるところまでは成功した。だが結局、目を覚した神北が再び兄の死を知って現実逃避をしてしまえば、振り出しに戻ってしまう。

 言うなればデート作戦は、今回の作戦全体の前哨戦に過ぎない。本題はそこから先なんだ。

 目を覚まさせて話ができるようになったあいつを、再び現実逃避させないようにし、そして兄の死の悲しみを乗り越えさせてやること。それをして初めて神北は完全に正気に戻ったといえるのだ。

 

「それに当たって君が取った方法。それは君が作戦のときに話していた、兄の死に悲しむ小毬くんを変えるだけの何かを与えてやることだった。今ならそれが何かわかる。そしてそれは作戦実行前にも、理樹くんへの指示で既に君が口にしていた言葉だ。君の言う小毬くんを正気に取り戻させるための何か、それは()()ではないかね」

 

 来ヶ谷がそう言うと、有宇は「ククッ……」と笑いを漏らす。

 

「友情か、まぁ、そうなんだけど、そんなクサイ言葉を言うつもりじゃなかったんだけどな」

 

「と、いうと?」

 

「そうだな、僕が言う何かってのは、言うなれば人と人との繋がりといったところだろうか。僕は基本的に他人は信用しない質の人間だが、ときに人との関わりが変化をもたらすってのは嫌ってほど身に沁みて感じてきたからな……」

 

 有宇は微小を浮かべ、染み染みとした様子でそう答えた。

 

 他人など、自分を目立たせるための引き立て役。その程度にしか思わず、これまで他人を(ことごと)く蹴落とし、利用してきた。

 そんな僕が、ココアや、木組みの街の人々と関わり過ごしていく上で、他人へと無関心さ、過去にしてきた自分の行いを改めてきた。そして他人に対して損得勘定で図れない優しさってやつも、ほんの少しだけだが身についたかもしれない。

 

 あれだけ頑なに他人との深い関わりを拒絶し、自分こそが正しいと疑ったことのなかったこの僕が、少しは他人に歩み寄るようになった。自分の行いを省みるようになった。

 

 他人から言わせれば大した変化ではないのかもしれない。現に、未だにおじさんとは和解せずに色々とウジウジ悩んでいるのだから。でも以前の僕なら悩むまでもなくおじさんが悪くて僕が正しいと決めつけて終わっていただろうしな。それと比べれば変化はあったと思う。

 なんにせよ、ココア達との出会いは、僕に大きな変化をもたらしたと思う。

 

 根拠なんてこんな僕のくだらない経験則だけだ。それでも僕は、この人と人との繋がりってやつが、小次郎爺さんのかけてきた時間に匹敵するものだと信じて、今回の作戦を立案したのだ。

 

 すると、来ヶ谷もまた、有宇の話から何を感じ取ったかは知らないが、微笑ましそうに微小を浮かべる。

 

「なるほど、君自身が大切な誰かと過ごして変わっていったといったところか。素敵な仲間がいたようだな、少年」

 

 仲間……か。

 そうだな、離れたくないような温かな居場所。それを形作る彼女達のことを呼ぶとすれば、その言葉が一番相応しい。

 

「ああ、そうかもな」

 

 ぶっきらぼうに、けれどどこか満足気に、有宇はそう答えた。

 そして、それから来ヶ谷は今日の有宇の作戦の話に戻した。

 

「して、君の狙いは、小毬くん自身と我々リトルバスターズとの繋がりを改めて小毬くんに認識させることにあったわけだ。その繋がりこそが兄の死の悲しみをも乗り越えると信じて。そして、その為に、君は何も知らない鈴くんをけしかける事を思いついたのだな」

 

「ああ、そんな感じだ」

 

 そうだ、それこそが神北を救い出す鍵となる。そして、その最初の合図となるのが、あの鈴さんの登場にあった。

 

「何故鈴くんだけに内緒にするのか、最初はわからなかったよ。てっきり鈴くんは演技は苦手そうだから作戦から外した程度にしか考えていなかった。しかし、それもあったのかもしれないが、君の狙いはそれだけではなかった。君と理樹くんの茶番を見て、君が小毬くんとデートした目的を理解してから全てが繋がったよ。何も知らない鈴くんがあの場面を見たら、鈴くんは小毬くんが君にいじめられているとしか思わないだろうからな」

 

 そう、あの場に来ヶ谷達に鈴さんを連れて来させ、そして鈴さんに作戦について一切伝えなかったのはそのためだ。

 理由の一つとして、最初に来ヶ谷の言った通り、鈴さんは演技が苦手そうだということだ。一週間近く過ごしてわかったことだが、あの人は純粋すぎる。自分を包み隠さず、思うがままに行動するタイプだ。

 

 なので芝居を打ったり、そういうのは苦手そうだと思ったのだ。勿論、大事な神北のためとなれば鈴さんも頑張るだろうが、それが余計に空回りさせそうで心配だった。

 不安要素はできるだけ消したかったし、だから何も伝えなかった。だが、それでも鈴さんの協力は必要だった。それで……。

 

「だってああすれば、正義感の強い鈴さんはきっと飛び出して僕を止めに入るはずだからな。神北は、助けに入ったそんな鈴さんの姿を見て、兄から気持ちが離れるだろう。そうして、こちらの言葉を聞き入れる隙を作ったところで、お前を含む他の連中を神北に差し向けて励まさせた。するとどうだ、神北はリトルバスターズとの間に友情を改めて再確認するに違いない。そしてそれが、神北が一人ではないこと、兄がいなくても仲間がいることを気付かせてくれるはずだからな。その思いこそが神北自身の後押しとなって、兄の死の悲しみを乗り越えさせてくれるはずと僕は考えたんだ」

 

 そうだ、それがあの場に何も知らない鈴さんを連れてきたもう一つの理由。それは僕の真の狙いである、神北に人と人との繋がり、即ちリトルバスターズとの絆を再確認させること。そのためには神北のことをメンバーの中で一番大切に思っている鈴さんの力が必要があった。

 

 人との絆を再認識させられるときとは、自分は一人ではないと認識させてくれるときとは何か、僕は考えた。考えた結果、自分が本当に辛いときに、手を差し伸べてもらえるときだと思ったのだ。

 

 僕がココア達に心許すようになったのも、まさしくココアが手を差し伸べてくれたあのときからだった。直枝さんだって、両親を失って辛かったときに恭介に手を差し伸べられたからこそ、両親を失った悲しみから立ち直れたのだ。

 あのときの僕や幼い頃の直枝さんのように、神北もとても辛いときに手を差し伸べてもらえたら、何か変わるのではないかと思ったのだ。

 自分のことを支え、寄り添ってくれる友人の存在を再確認して、兄がいなくとも自分は一人じゃないと認識を改めてくれるのではないかと考えた。

 

 じゃあ、そんな状況を作り出すにはどうすればいいか。簡単だ、まずはひたすら神北を追い詰めてやればいい。

 あの人のことだ、人の悪意ってやつに触れたことないだろうしな。ただひたすらに敵意を向けられ、怒鳴られ、詰め寄られたらあの人は何もできずに、ただただ心をすり減らし、相当追い詰められることだろう。自分じゃどうにもできないから、誰かに助けを求めるはずなんだ。

 

 あのときの神北にとって、助けに来てくれる存在は兄しかいなかった。兄しか意識していなかった。けれど今はその兄はいない。けど、もしこの状況で兄ではない誰かが助けに来てくれたら、神北は兄以外のことにも意識を向けてくれるようになるはずだ。

 

 それで次に必要なのは手を差し伸べてくれる人間、つまりは鈴さんだ。助けに来たそのヒーローが自分の知る友人であるならば、神北も友情に心打たれることだろう。

 では何故鈴さんなのか。それはこの配役が誰でもいいというわけではないからだ。

 ここで現れるヒーロー役はただ純粋に神北に味方し、容赦なく敵となる者を蹴散らしてくれる。そんな純粋にただ神北のために颯爽と現れるヒーローである必要がある。

 

 鈴さんじゃなくて直枝さんでも、もしかしたらよかったのかもしれない。けどこの作戦は一度きりしかない。直枝さんだと僕に躊躇してしっかり神北の味方になりきれない可能性、はたまた遠慮が出るあまり、演技臭さが強く出る可能性があった。

 あの人は優しいからな。僕を強く否定し、容赦なく蹴散らし敵対する存在にはなれないと思ったのだ。この場に相応しいのはただひたすら神北の味方になってやれる人間なのだから。

 

 だからこそ、この役に相応しいのは、神北とただ行動を供にしてきただけの僕でも、誰にでも優しい直枝さんでもなく、嘘のつけない純粋な、そしてただひたすらに神北の味方になってやれる鈴さんこそが相応しいと考えた。

 

 ただ肝心の鈴さんは演技が苦手そうだし、色々と事前にすることを決めたり、作戦を立てて実行するとなると不安が付き纏う。それに、それでは鈴さんの純粋に神北を味方しようとする行動に支障が出る。だからここは敢えて鈴さんを信用して何も伝えずに、鈴さんが自然と神北の助けに入る行動に出るように色々とお膳立てをしたということだ。

 

 つまり、後半の作戦を要約すれば、まずは神北を追い詰める敵を作り出す。そしてその敵によって神北を追い詰めて、苦しみのどん底に叩き落とし、誰かに手を差し伸べてもらえる状況を作る。そして自分を思い遣ってくれる仲間、つまり鈴さんが助けに現れて、敵を蹴散らす。

 こうした明確な敵を作り出し、それを仲間達が排除するシチュエーションを作り出すことによって、仲間達との絆をより際立たせることができると僕は考えたのだ。

 

「なるほどな、では理樹くんに描かせたあの絵本は?」

 

「あれは説得の材料さ。仲間への思いやりが強い直枝さんなら、神北が悲しいと言ったあの本を上手く描きあげてくれると思ったんだ。そこに直枝さんの神北へのメッセージを込めて伝えてやれば、神北も心動かされるんじゃないかって思ったんだ。それに絵本にして聴覚だけじゃなく視覚でも訴えてやれば、より神北にこちらの思いが伝わるんじゃないかってな。そして、そういう気持ちを上手く言葉にして伝える役は鈴さんより直枝さんの方が適任だと思ったんだ」

 

 もしかしたら絵本なんて必要なかったのかもしれない。でもやるならやはり万全を期して望みたかったからな。だから直枝さんには絵本を描かせた。

 例え口で上手く言葉にできずとも、文字と絵でなら自然と神北に自分の思いを伝えることができるはずだしな。つまりあれは説得の材料であり、万が一直枝さんが言葉に詰まったときの保険だった。

 しかし、今日の直枝さんの様子を見た限りでは、もしかしたら絵本なんてなくても、直枝さんなら神北にうまく伝えられたことだろう。

 

「ま、以上が僕の神北救出大作戦の全貌というわけだ」

 

 そう言って、有宇が自信満々な様子で最後にそう閉める。すると来ヶ谷はクスクスと笑い出す。

 

「ふふっ、にしても、改めて聞いても君の作戦は不確定要素に頼るところが多いな」

 

 笑う来ヶ谷を見て、有宇はムッとする。

 

「だって元から正攻法なんてないだろ?なら賭けに出るしかないだろ。そりゃ穴だらけといえば穴だらけかもしれんが……」

 

「ああ、そうだな。結果的に君の作戦は成功した。小毬くんが兄の死を乗り越えることができたのも、君の尽力のおかげだよ。有宇くん」

 

 そう言って来ヶ谷は微笑みかける。なんかそう素直に褒められると、どう反応していいのやら……。

 まぁいい、話すべきことは話した。有宇は手に持った缶コーヒーを一気に飲み干す。

 

「で、満足か。もうお前が聞きたいであろうことは全部話したし、答え合わせはもういいだろ?」

 

 こいつはおそらく、初めから今回の作戦における僕の意図を知りたかった、はたまた確認したかっただけなのだろう。そのために大方、僕を学食辺りで待ち伏せて、二人きりになれるところを見計らっていたといったところか。

 なら、もう話すべきことは全部話した。さっさと部屋に戻ろう。有宇が来ヶ谷に背を向けたその時、来ヶ谷がその背中に声をかける。

 

「いや、答え合わせならまだあるぞ、少年」

 

 そう声をかけられて、有宇は面倒くさそうな表情を浮かべて振り返る。

 

「なんだよ、これ以上何を話せば……」

 

「何故君は鈴くんだけではなく、我々にもその作戦の意図を隠したかについてだよ」

 

 そう言うと、来ヶ谷は真っ直ぐと真剣な眼差しで有宇を見つめる。どうやら、来ヶ谷が真に聞きたいことはこれのようだな。

 そして有宇は言い訳でもするかのように、来ヶ谷から視線を反らしながら話す。

 

「それは……あれだ、下手にあれこれ決めておくと、演技臭さが出るだろ?それに事前に決めたセリフを話そうとして言葉を詰ませたりするかもしれないし、自然な方が神北に気持ちが伝わると思って……」

 

「それもあるだろう。けどそれだけじゃない。答えるつもりが無いなら私が当ててみせようか。君は……()()()()()()()()()()()()()()()()()、我々に作戦の概要を話さずに隠したんだ」

 

 有宇は図星を付かれたのか、苦い表情を浮かべる。

 やはり……バレていたか。

 言ってしまえば、さっきまで話したことは、作戦が終わった今であれば、来ヶ谷でなくても誰でも気付けることだ。三枝や筋肉とかはともかく、直枝さん辺りもおそらく気付いてることだろう。

 だから、端から来ヶ谷が聞きたかったのは、僕の本心からしか聞き出せない、作戦にかける僕の意図や考えだったのだろう。

 そして来ヶ谷は続ける。

 

「この作戦の後半、大事なのは小毬くんを助けに来るヒーロー役である鈴くん。そしてその後、小毬くんを優しく説得する役である理樹くん。そしてもう一人が、小毬くんの前に立ちはだかる悪役、つまり君だ。君は……自ら悪役を買って出たんだ」

 

 この作戦で重要なもう一つの役柄、それは神北を追い詰める悪役だ。では、これは誰がふさわしいか。

 この役に相応しいのは、あの心優しい純粋な神北に非情に接することのできる人間だ。躊躇してるような奴では演技であることもバレるし、鈴さんが助けに入るときのインパクトに欠けてしまう。

 そして、それができるのは……僕だけだ。

 

「……別に僕のことなど誰も気にしないとは思ったけどな。けど、直枝さんなんかはあの人、お人好しだからな。僕みたいなのが、たかだか演技でも悪役を買って出ることに何か言ってくるんじゃないかと思ってな。けど、作戦はこれしか考えてなかったし、反対されると面倒だった。だから言わなかったし、別に言う必要だってなかったはずだ。どの道、こうでもしなければ神北は救えなかっただろうしな」

 

 この作戦には悪役が必要だ。所詮は演技ではあるが、嫌な役であることは確かだ。そんな役割りを必要とするこの作戦に、心優しい誰かは反対するかもしれない。それこそ、直枝さんとかな。

 けれど、僕にはこの作戦以外に神北を完全に正気に戻せる作戦は思いつかなかった。いや、考えれば他にもあったのかもしれない。けどこれが一番成功する可能性が高いと踏んだ。だから反対されたくなかった。

 

 どの道、作戦を反対されたところで、他に案がなければやるしかないだろう。けど、そうなると作戦に対する皆の意識の低下が表れる可能性がある。

 不安要素は少しでも取り除きたい。だから僕は、皆にやって欲しいことだけを伝えて、作戦の意図や詳しい概要を説明しなかった。

 そして有宇は更にこう続けた。

 

「それに、こういうのは僕が適任だと思ったんだ。神北に対して非情になることもでき、かつ兄の演技の後そのまますぐに悪役に入れるし、この役の適任は僕しかいないんだ。他の奴等じゃ、ああはいかなかっただろ?」

 

「確かにそうだな。君しか適任はいなかったのかもしれない。でもな有宇くん、確かに私達は小毬くんをなんとしても助けたかった。けれど、君を傷つけてでも助けようとまでは思っていないよ」

 

「傷つく?僕が?何言ってんだ。この作戦は僕自身が提案したものなんだぞ。わざわざ僕が僕自身を傷つけるわけないだろ。あんな悪役演じる程度で傷つくほど僕は(やわ)じゃ……」

 

「今回の作戦で悪役を買う者は、鈴くんからも嫌われるだろうし、それに小毬くんとの関係も悪くなるかもしれない。それに、演技とはいえ仲間に冷徹な態度を取ることに、少なからずの心を痛めることになる」

 

 確かにその通りだ。少なくともこの役をやる者は、鈴さんに敵意を持たれることになるからな。

 神北だって、いくら自分を救うためとはいえ、あんな風に詰め寄られた相手に良い印象は持たなくなるかもしれない。あれだけ怒鳴りつけて、乱暴に接したんだ。後で演技だとわかってても複雑なことだろう。けど……。

 

「そんなもの、後でどうにでもなる。全部演技だったとちゃんと説明すればいい話だし、それでも関係が悪くなったとしても、時間なんていくらでもある。挽回なんかいつでもできるだろうし、神北があのままでいるのと比べれば、全然マシだろ。それに、僕はそんなことで心を痛めたりはしない」

 

 何もこれで終わりではない。リトルバスターズである限り、僕達の関係は続いていく。だからこそ気不味いのかもしれないが、逆に考えれば、今でなくとも名誉回復のチャンスはいくらでもあるということだ。

 対して神北を完全に正気に戻すチャンスは、兄の記憶のある今しかない。今を逃せば、次はいつになるかわからないしな。なら、少し嫌われることぐらい、どうってことない。

 

 それに、二人に嫌われた程度で僕は心を痛めたりはしない。今までどれぐらいの人間に嫌われて生きてきたと思ってる。信頼してる家族に捨てられたり、同級生に陥れられたり、それ以外にも色々ある。あれらと比べたらこれぐらいどうってことない。

 すると、来ヶ谷は何処か悲しそうな顔を浮かべ、有宇にこう尋ねる。

 

「本当にそうかね?君は確かに痛みに慣れているのかもしれない。けれど、なんの痛みも感じていないわけではないだろ」

 

 そう言われると、有宇は動揺したのか、少し心臓がドキリと高鳴る。

 

「今回の一番の功労者であるにも関わらず、その君が一番報われていないわけだしな。それに、ここ最近、君は小毬くんと行動を共にしていたな。彼女に恋愛感情がなくとも、一緒に過ごしていくうちに、それなりに信頼関係を築いてきたはずだ。そこにひびが入ることに、何も思わないわけではないだろ」

 

「それは……」

 

 確かに何も感じないわけではない……かもしれない。

 別に神北に恋愛感情があるわけではない。けれど、ここ最近、あいつとはずっと一緒にいたからな。変わった奴だけど、悪い奴じゃないし嫌いじゃなかった。仲良く……ってわけではないかもしれないが、それなりに良い関係を築いていたと思う。

 そんな彼女との関係が壊れるかもしれないと思うと、確かにそうだな……少し、寂しくなるな。

 有宇が少し顔を俯けると、来ヶ谷はこう語り始めた。

 

「私は最初、君のことを身勝手な自意識の塊のような男だと思った。けれど、君とこうして仲間として過ごしてきてわかる。君はなんだかんだ優しい男だ。葉留佳くんや、小毬くんを佳奈多くんから助けたときもそうだった。関わる必要もないのに誰かに手を差し伸べてしまう。それこそ、自分を犠牲にしてでも、他人に手を差し伸ばしてしまう程に」

 

 来ヶ谷のその言葉に、有宇は複雑な感情になる。

 優しいと言われたのは何もこれが初めてではない。ココアやその周りの連中にも言われたことがある。けれど、それというのも、少しあいつらの助けになってやったりとかしたときに言われたとか、その程度のものだ。

 

 人間、誰しもそういうちょっとした気まぐれのような優しさはあるものだ。そこだけを切り取って優しいとか言われても、素直に喜べない。

 そんな複雑な思いが心の底から競り上がって来ると、有宇はぶっきらぼうにいつもの調子でこう答える。

 

「……勘違いするな。別に僕は優しさや慈悲を持って他人に施しを与えているわけではない。僕の行動原理は常にそれが自分の利となるかどうかだ。神北があのままじゃ僕自身の生活に影響を与えかねなかったに過ぎない。それだけだ」

 

 別に優しさとかそんなんじゃない。そうだ、僕は常に損得勘定で動く男だ。

 こうして作戦を立てて行動した理由の一つは、恭介たちに、お前がやれと言わんばかりに頼まれたからだ。あの場じゃ断りにくいし、断れば今後の関係に差し障ると思ったからだ。

 

 まぁそれについては、本当に嫌なら「そんなの脅迫だ!」とか、「僕に押し付けるな!」とか「僕には無理だ!」と粘り強く反論すればよかったのかもしれない。

 実際簡単にどうこうできる問題じゃないし、それはあの場にいた皆だってわかっているだろうしな。断ったところでリトバスの連中も僕を非難したりはしなかったのかもしれない。だから、実際断ったところで大して問題は起きなかったかもしれない。

 

 でもそれだけじゃない。神北を正気に戻すことに成功すれば、こいつらからの信頼を得て、この先こいつらに話すバス事故の話を信じてもらうという目標に近づけると思ったからだ。

 神北を救いたいという気持ちがなかったわけではないけど、これは優しさとかそんなのではないのだ。だから───僕にそんな期待するな。

 すると、それを聞いた来ヶ谷は優しく微笑むと、有宇の頬に手を伸ばした。

 

「お、おい……」

 

「君が本当に私が初見で思った通りの男であるならば、ここで否定したりはしないよ。君は少し意固地になっているだけなんだ。君は自分で自分をそういう人間なんだと決めつけているに過ぎない。だって、君は小毬くんに嫌われることに痛みを感じると言ったばかりじゃないか。君は自分のしたことの重みをちゃんとわかっている。そしてわかった上で誰かを救うためにその手段を選んだ君が、ただの利己的な人間だとは思えないよ」

 

 僕が決めつけてる?違う、自分のことだから自分が一番理解しているだけだ。自分がそういう人間じゃないということを。

 否定しようと思えばいくらでも否定できた。けれど、今はその優しいという言葉を否定しようとは思わなかった。

 

 自分の思うような期待とは違うとはいえ、わざわざこの僕に期待してくれているというんだ。その事自体は決して悪い気はしないしな。

 それに、今まで見せたことのないような表情でこう言われるとな……流石にわざわざ否定する気も失せるというものだ。

 すると来ヶ谷は有宇の頬から手を離す。それから依然、有宇の顔を見つめてこう言う。

 

「だがな有宇くん、これだけは覚えておいてくれ。君にだけ辛い役目を負わせてしまうことに、負い目を感じる者もいる。少なくとも私は、君のおかげで取り戻した空間なのに、一番の功労者である君がいないことに心寂しさを感じたよ」

 

 そう言うと、来ヶ谷は本当に寂しそうな儚げな表情を作り、顔を一瞬俯ける。そしてすぐに顔を上げ、有宇を見据えるとこう続けた。

 

「最初、恭介氏が君に協力は惜しまないと言ったね。でもそれはね、何も君の作戦に協力することだけを指して言ったのではないよ。君が小毬くんを背負う過程で負う痛みもまた我々も共に背負うという意味もあるんだ。だから、今度は我々にも相談して欲しい。そして、君の痛みを分かち合わせて欲しい。それを断る人間は、このリトルバスターズにはいないはずだよ」

 

 おそらく、これが来ヶ谷の一番言いたいことなのだろう。一人で全て背負わないで欲しかった。やるにしても一言欲しかった。仲間なのだから相談して欲しかった。そういうことなんだろう。

 僕は不安要素はできるだけ取り除きたかったからこそ、この作戦におけるデメリットともいえる部分を隠すために皆には作戦の概要を説明せずに黙っていた。今でもそれが間違いだったとは思わない。あれが確実なんだ。

 

 でも、神北を救う事ばかりを考えていて、他の奴等の気持ちなんてものまでは考えてはいなかった。人の気持ちを理解していたつもりでも理解しきれていなかったのかもしれない。

 作戦に誰か反対するだろうというその場での人の心理は読めていても、読んだ上でそれを無視する行動に出たら、皆がどう思うかという皆の感情の動きまでは読み切れていなかったのだ。その辺のところで、やはり僕は他人の気持ちを理解しきれていないということだ。今後の課題だな。

 そして来ヶ谷は「話は終わりだ。また明日な、有宇くん」と言うと、早々にその場を去っていった。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 来ヶ谷が立ち去った後、有宇も寮に帰ろうと男子寮に足を向ける。すると、すぐ近くの木の後ろに隠れているそいつと目があった。

 

「あっ……えっと……」

 

「何やってるんだあんたは……」

 

 木の後ろにいたのは、他でもない神北であった。目が合うと慌てた様子を見せたが、すぐに落ち着きを見せる。しかし、そこからしばらく沈黙が流れる。

 気不味いな……この人にあんなことした後だし……とりあえずなんか話すか。

 

「あ……えっと、今の話聞いてたのか」

 

「えっと……うん、聞いちゃった。でも知ってたよ。有宇くんが私のために頑張ってくれたこと。あの後、理樹くんやみんなが有宇くんのおかげだって教えてくれたの。鈴ちゃんは納得してないみたいだけど……」

 

「そ、そうか……」

 

 まぁ、鈴さんは何も知らなかったわけだしな。さっきまで神北に酷いことしてたのが、実は演技でしたなんていきなり言われたところですぐには信じないだろう。

 

「でも、言わなくたってわかるよ。確かにあのときの有宇くん、ちょっと怖かったけどね。でも、口は悪いけど有宇くんが優しいの知ってるから。だからきっと、私のために頑張ってくれてたんだろうなって。だからお礼が言いたかったの。ありがとね、有宇くん」

 

 そう言うと、神北は少し微笑んで、有宇の顔を見つめる。

 優しい……か。またそれか。まぁ、神北なりの感謝だろう。誤解されていなかったというのなら、それでいい。

 すると神北は突然有宇の左手を手に取り、そして自らの両手で優しく包んだ。それから目を閉じてこう呟く。

 

「……あなたの目がもう少し、もうちょっとだけ見えるようになりますように」

 

 その言葉はどこかで……ああ、確か。

 

「それって、湖で言ってたやつだよな」

 

 湖で神北が言ってやつだ。あのときは突然言われて驚いたが、今のはちゃんと意味があるんだろうか。

 

「有宇くんもお兄ちゃん、見つかればいいなって」

 

「え?」

 

「有宇くんの夢のお兄ちゃん。もしかしたら有宇くんも、私みたいに悲しいことがあったのかもしれない。でも、今度は私が力になるから。だから、有宇くんも見えるようになったらいいね」

 

 そう言うと、神北はまた優しく微笑んで見せた。

 

「……ああ、そうだな」

 

 そうだな、そうだと……いいかな。

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

 ───ようやくテレパシー能力者を見つけた

 

 頭の中に突然声が響く。視界は朧げだが、髪の長い男の後ろ姿が見える。

 誰だこの男……見たことないけど。

 

 ───お前は俺達にとって唯一の希望だ

 

 だから誰だよ。ていうかここはどこだ。何かの施設?なんでこんなところに?

 するといきなり場面が変わる。何かの警報アラートが鳴り響き嫌な感じだ。目の前には血まみれの老人がいる。

 

 ───立ちすくんでいる場合か。妹さんを助けたいんだろう。

 

 妹……歩未?歩未がどうしたんだよ。

 

 ───お前の真の能力……を使えば……。

 

 真の能力?なんだよそれ、聞こえねぇよ……なぁ。

 

 また場面が変わる。警報に続いて、エリア閉鎖だとかのアナウンスが流れる。そして知らない誰かの悲痛な悲鳴が頭に響く。

 

 ───何が起きてるんだよッ!?

 

 ───出して!!出してよ!!

 

 ───うわぁぁぁぁぁ!!

 

 なんだよ……何なんだよこれ!?

 すると次の瞬間、施設の中が赤い警戒色の光に染められる。同時に銃声のような音も施設内に響き渡る。何が起きてる。これは何なんだ。

 

 場面が変わる。今度はさっきまでの場所とは違い、何やら異質な空間だ。薄暗く、何かの実験装置が置いてあり不気味なところだ。

 だが、そんな部屋の中央に……あの人がいた。

 

 ───ご無沙汰だな、有宇

 

 兄さんなのか。貴方は……僕の兄さんなのか。

 

 ───未来のために、みんなのために、俺は……。

 

 未来?みんな?なんだよそれ。答えてくれよ、なぁ!?

 

 ───世界を変えるッ!!

 

 あの人がそう叫んだ次の瞬間、後ろのドアが開き、銃を手に持った武装した男達が部屋に雪崩込む。そして男達は一斉にあの人に銃を向けた。

 おい……嘘だろ……やめろ……。

 

 ───処分ッ!!

 

 やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!

 

 

 ◆◆◆◆◆

 

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」

 

 目を覚した瞬間、有宇は叫び声を上げながら、寮のベットから飛び起きた。

 何だ今のは……夢?

 取り敢えず息を落ち着けようと呼吸を整える。それから自分の両手を見る。すごい手汗だ。いや、手だけじゃない、全身から汗が噴き出している。

 そしてようやく息を落ち着ける。そして右手で頭を抱え、今見た夢を思い出す。

 

 今のは……一体何なんだ。




これにて神北小毬ルートお終いになります。しかしリトバス編はまだまだ全然続くのでよろしくお願いします。


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