ムシウタ - error code - 夢交差する特異点 (道楽 遊戯)
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夢の交差点
夢失いし記憶


過度なネタバレ要素を含みます。原作未読の方は注意して下さい。
13巻までのネタバレ要素をぶっ混みますが、一応未読の方にも分かりやすく描いているつもりでいます。
この作品を読んでムシウタを読み始める方には歓迎の言葉を贈ります。
合言葉は、アニメ化なんてなかった。


虫憑き。

人の願望である夢を喰らう為に人に寄生し、代わりに力を与える異形の虫に憑かれた人間。

虫は思春期の少年少女に取り憑き夢を喰らう。

 

表向きには、存在しない都市伝説や怪談の扱い、裏では、虫憑きを取り締まる政府機関 特別環境保全事務局 、通称特環と、それに抗うレジスタンス組織むしばねが抗争を繰り広げている。

 

虫憑きになった人間は、恐怖の対象として世に忌避され、自分の意思とは関係なく、戦いに巻き込まれる運命にある。

虫を殺されれば自我を失い、欠落者と呼ばれる結末に至る。

虫を酷使すれば夢を磨耗し、やがては夢を食い潰され、成虫化と呼ばれる現象を起こして宿主は死を迎える。

死の時限爆弾つきの苛酷な戦い、否応なしに投げ出される虫憑きに、誰もがなりたくてなるわけでない。

 

虫憑きが生まれる原因、始まりの三匹。

原虫指定とされている始まりの三匹は、夢を抱いた少年少女に接触し、夢を喰らうことで虫憑きにする。

虫憑き誕生のメカニズムは一つの理と化したシステムだ。

少年少女が抱いた夢に始まりの三匹が誘われ虫憑きがうまれ、戦いが繰り広げられる。

 

三匹目アリア・ヴァレィは、自我を喪失した現象になりつつある。

浸父ディオレストイは、妄想に狂った呪いそのものである。

大喰いエルビオレーネは、自らの食欲を満たすだけに夢を喰らい続けている。

 

流星群の夜、五人目の一号指定 槍使いは、大喰いとの戦闘の末姿を消した。

多くの犠牲を払い、虫憑きの不条理なまでのシステムに一つのbugを起こした。これにより大喰いの完全性に一矢報いることに成功している。

されど槍使いが起こした唯一つのbugでは、虫憑きがうまれ続けるシステムに歯止めをかけるまでには至らなかった。

 

虫憑きから生まれたイレギュラー、だけど終止符にならない。

では虫憑きの誕生するシステムはいつまでも変わらないのか。

どうすれば虫憑きが救われるのか。

 

これはbugが起こすイレギュラーではなく致命的な故障error code。

 

虫憑きの世界に訪れた特異点が紡ぎだす不可思議な物語。

 

 

 

 

「ねえ、貴方の夢を聞かせて」

「嫌だ」

 

拒絶の言葉に、紫の輝きが薄まり、気を抜くと何もかも話してしまいそうになる衝動も弱まった。

たった今、大喰いに目をつけられ虫憑きになりそうになっていた少女、月見里(ヤマナシ)キノは転生者と言うヤツである。

前世で読んだ小説ムシウタの原作知識を持ち、虫憑きの事情を知る少女にとって先程の誘い文句は、かなりヤバめの悪徳詐欺である。

うっかり口を開いて、夢を語れば即虫憑きの仲間入り。

しかも精神攻撃で誘われるようにお口が開くサービスなので断れるケースは少ないどころか稀少である。

即答じみたお断りも、二度目の人生で強くなった精神力の賜物なので笑えない。

大喰いエルビオレーネは、僅かに目を見開くと愉悦に微笑を浮かべた。

 

「あらあら、断られちゃったわね。ヤマナシちゃん」

「拒絶されて余裕がないんじゃないの。特環が来る前に消えたらどうよ」

強気発言。

夢を拒絶されることは始まりの三匹共通の弱点である。

挑発じみた発言も、始まりの三匹は虫憑きを生むだけで別に人間に害意があるわけではない、と裏付けされた知識によるものなので別に大した啖呵ではない。

 

「それもそうね。じゃあねヤマナシちゃん」

簡単にその場を去ろうとする大喰い。だが諦めたわけではない。

機会をみてはまた何度でも現れるだろう。

月見里の夢を喰らう為に。食欲に濡れた恍惚した表情が物語っているので嫌気が指す。

無論虫憑きなんかになりたくもない月見里は何度現れても断る心算である。

ふと去ろうとする大喰いがこちらに振り返り月見里に言った。

 

「私に驚かないのはアリアのことを思い出したからかしら月見里ちゃん」

 

去り際にとんでもない爆弾を残して去っていった。

月見里 キノは転生者である。

ムシウタの原作知識を持ち虫憑きの苛酷な事情を知る稀な存在である。

計らずも二度目の生を得て夢抱く少女は来年から中学生になる。

虫憑きになんか関わらず平穏に生きようとして今。

 

「なんですとォォオ」

 

既に自分が虫憑き事情に巻き込まれていた事実が判明して絶叫したのだった。

 

 

 

三匹目アリア・ヴァレィは始まりの三匹のなかで、最も謎の多いとされる原虫指定である。

まず目撃例がない。

これにより姿形が判らず、どのような手段で虫憑きにしているかも不明である。

虫は親である始まりの三匹にならい、それぞれ三つのタイプに分かれる。

最も数の多い、分離型は大喰いに生み出された虫憑き。

次点が浸父の生み出す少ないが珍しいほどではない、特殊型の虫憑き。

稀少性が高く強力な虫憑きが多い、同化型の虫憑き。

これが三匹目アリア・ヴァレィが生み出す虫憑きにあたる。

 

前置きは済んだので本題に入ろう。

アリア・ヴァレィが謎に包まれた存在であることと、稀少な同化型の虫憑きを生み出す存在だと分かっていただけただろうか。

生み出された虫憑きと親である虫憑きは似通った特徴を兼ね備えている。

夢を喰らう時、顕著となる。

大喰いが巨大な蝶の発動体を出すように。

浸父が教会の領域に誘き出すように。

そしてアリア・ヴァレィは同化型の親である。

つまりアリア・ヴァレィは人に同化して夢を喰らう特性を持っているのである。

アハハ。そして何を隠そうアリア・ヴァレィに同化した人間は、役目を終えた後、生み出した虫憑きとアリアに関する記憶のすべてを失うのである。

あははは。目撃例がないことと情報がないのはこの為だ。

ワハハハ。さてと自棄に笑ったところで大喰いの発言に戻ってみようか。

 

どうも自分アリア・ヴァレィに関わったようである。

思い出した発言から察するにアリアと同化した人間と予想できる。

アリア・ヴァレィが取り憑く基準は目標の人物に親しい間柄から選別される。

 

名探偵の要らない推理をしよう。

私はかつてのアリア・ヴァレィで、そのことを忘れて過ごしていたことから、親しい人物を同化型の虫憑きにして、役目を果た終えた後、日常回帰していたらしい。

どないやねん。私なにやってるだよ。マジ意味不明。

 

「どないやねん......」

虫憑きと関わるつもりはなかった。

原作の謎と伏線の多さから明らかにされた真相まで複雑怪奇過ぎて介入する余地がなかった。

無双する要素ほぼ皆無。

一号指定の化物クラス、始まりの三匹、魅車八重子、殲滅班、死亡フラグてんこ盛り。

夢の代償による力の行使。全力出したらそれだけ成虫化が早まる素敵仕様に涙必須。

戦わない虫憑きはいない。力をもてば周りが戦いを強要する。結論関わりたくねえ。

 

「でも既に関わっているんだよなり不本意ながら。しかも罪悪感のある感じで」

そう自分は、自分が陥りたくない虫憑きに、誰かを陥しめたのである。全く思い出せないが免罪符にならない。

寧ろ今もそのことを忘れていて、のうのうと過ごしていることに罪悪感を掻き立てられる。

一体自分は誰を虫憑きにしたのだろうか。

その人は、虫憑きになって何をしているのだろうか。

 

「おのれアリア恨むぞバーカ」

今は自分の中に居ないかつての同居人に対して愚痴をこぼしてみた。

なんだか懐かしい気分がした。

 

 

 

酷く枯れている少年 一 人識(ニノマエ ヒトシキ)は夢を抱いた。

ニノマエは感情の起伏がない冷めた少年である、と自他共に認めていた。

そんな自分が願望を抱き渇望するようになるとは思ってもみなかったことだ。

多分、と言わずに原因はあの少女にあるのだろう。

世界が酷く色褪せて興味を持てなかった自分を魅了し、期待させたのは少女に他ならないのだから。

 

「変な女」

幼なじみと呼ばれる関係なのだろう。目前の少女は掛け値なしの変人だと常々思う。

よくわけのわからない言葉を使ったり、テンションが激しく、同年代としておかしな感性の持ち主である。

何を考えているかわからない自分と対照的な存在として扱われている。

 

「名前で呼べい。月見里キノ。リピートアフターミー」

「変なキノコ」

温度差が激しい二人である。

二人は名前の漢字の読み方で接点を作った仲だ。

月見里は、月の見渡せる里で山がないヤマナシ、一は、数字において二の前、ニノマエである。

ニノマエは月見里キノをキノコ呼ばわりするが、キノは少女らしからぬ捻ったあだ名で彼を呼ぶ。

 

「キノコとはなんだ、イチ。私はキノコタケノコ戦争でまさかのタケノコ派なんだぞこらー」

「キノコとの不毛な会話をヤマナシと呼ぶ」

「なんだと。ヤマナシオチナシってか。私との会話はそんなに詰まんないかイチ」

ニノマエヒトシキ。漢字を宛字にするとニノマエに等しき、イコールイチでイチと呼んでいる。

 

「それで私の何が変なのかハッキリさせようか」

「別に。何も。キノについて考えてトータルさせたらそうなった」

冷めた少年に夢をみせた少女。

自分とは違って世界に映えるように生きていて、色とりどりの鮮やかな表情を浮かべる少女に憧れを懐いたのは少年だけの秘密だ。

 

「普通にショックだよ。特に理由もなく私が変人にされているじゃないかイチ」

「キノについて考えてみたら、そう思ったんだから仕様がない」

「私について考えた。それってあれかな、文面通りに私のこと意識したってことなのかな」

「うん。そして結論が変。今はクネクネしててさらに変」

身体を身捩らせる少女を少し冷めた眼でみる少年。

ニノマエは少女の僅かばかり残念な部分を嘆息しながら、歩みを進める。

置いていかれた少女が追い掛けてくる。

 

足音に振り返ると、少女の髪が碧色に輝いたのを幻視した。

 

 

 

旨そう。

 

それが先程まで帰り道一緒に歩いた幼なじみに抱いた感情。

誤魔化す。誤魔化す。抱いた感情を誤魔化して、必死にアリア・ヴァレィの意識を誤魔化す。

さっきのは正直危なかった。自分と全く同じ声をした同居人が悔しげにうねる。

 

『惜しいもう少しだったのに。勢いが足りない』

「少しは自重してよアリア」

飢餓感が弱まることはないが、自制心を取り戻すことには成功した。

アリアと出会って一週間経つが、イチが持つ夢の芳醇な香りにはクラリと食欲を刺激される。

まだ耐えられる。でもいつまでも耐えられない。

この空腹感には抗えないと分かっているけど覚悟は決まらない。

イチを虫憑きにする覚悟が。イチを忘れてしまう覚悟が。イチと離ればなれになる覚悟が。

 

『覚悟なんて要らないよ。私に全部都合の悪いことは押し付けて、その飢えを満たすことだけを考えればいいのさ。さあレッツトライ』

「私が言うのもなんだけどやっぱり自重しなよアリア」

頭に響く声はキノに同化するアリアそのもので、自分を模した声で馬鹿みたいに夢を喰らうことを催促される。

ちなみにキノ以外に声を聴けないから独り言する痛い子をやっている。イチに見られた時に生暖かい眼というエピソードがあったり、なかったら良かった。

 

『私が自重しない性格って言うなら、それは君が自重しない性格ってことなのさ』

「分かっているもん。アリアのオリジナルの人格はなくて、今ある人格は私のコピー。イチに変人扱いされたから、アリアも変人ってことだよね。ざまあ」

『君って自分のこと省みないだろう。我が宿主ながら残念だよキノ』

非常に仲良くやっているキノだが、イチのことを考えるとやはり暗い。

アリア・ヴァレィは眠りにつく為に夢を喰らう。

目標達成率百%。多くの宿主を鞍替えして夢を喰らってきた、最弱の始まりの三匹。

生まれる同化型は強力だから、戦いの中心に必然的に巻き込まれる。

アリアの好みの夢は質で選ばれる。

大喰いが美食家、味を大事にする気質、浸父が歪んだ夢という偏食家、アリアは自称こだわり派である。

ただしイチがどんな夢を抱いているのかは、キノに知る由がない。

原作に登場しない人物が同化型になる不安を、アリアに悟られないよう思考の隅で考えたりもする。

 

「アリア。私はイチを虫憑きなんかにしたくないよ」

『無駄さ。私が目をつけた時点でイチは虫憑きになる』

「偽悪振らないで聞いて。別にアリアのせいにしたい訳じゃない。私はイチに伝えたい。そして謝りたいんだ。きっと私のせいだ。イチが夢を抱いたのは。それに気付けるぐらいは鈍感じゃないからね」

イチは同年代と比べるとひとつ頭飛び抜けていて、どこか冷めた部分がある。

そんな少年の初対面の印象と今の印象が変わる位にはキノは彼に影響を与えていた。

 

『私が悪くない訳ないでしょ。君は悪くない。私が君に取り憑いたせいだ』

「アリアは悪くないよ、そういうものなんだから。選べない。望んでいない結末で夢を喰らい続けているんでしょ。そういうものに成り果てたとしても、アリアはきっと悪くないんだよ」

『どうしてそんなこと言えるのさっ。君たちはどうして私を責めようとしないんだ。その権利は君たちにあるのにさ!』

「アリアは責めたてるには優し過ぎるんだよ。私に罪悪感を感じないように諭すのは何故なんだい。責めたてられようとするのは何故なんだい。私から言わせるとその優しさが反則だ」

『......恨まれる自覚はあるのに恨まれない。君たちはバカだね。私の優しさが反則だと言うのなら』

「私の優しさが反則と言うことなのかな」

『セリフを盗るなよ』

「明日イチに伝えてみるよ。告白だね。そしたらイチに選んで貰う」

『キノ。やはり私は伝えることは反対だ。忘れてしまってもそれがきっと救いになるから、今感じている辛いことなんてなくなるんだよ』

自分の夢を喰らって虫憑きにしようとする化物。

それを告白するんだ。そしてそのことを忘れてしまう罪を告げなければならない。

イチがどう反応するのか想像するだけで、気分が暗くなる。

 

「私もね意外だったんだよ。無くなるかもしれないって分かって始めて知ったんだ。イチのことが好きなんだ。救いじゃなくて罰なんだよ。私は楽になりたい。飢えに耐えきる自信もないし、夢を喰らう覚悟もない。だから告白するんだ。赦されても、赦されなくても、受ける結末は罰であるべきなんだ」

『それでも私に罪を押し付けないんだね。私の経験からアドバイスするよ。きっとあの子は赦すよ。見てたら分かる、あの子はいい子だ。そしてあの子はキノのことが好きだろうさ』

「マジでっ」

『単純だなっ』

ワイワイやり取りしながら不安を圧し殺す。

私はどうやってもイチを虫憑きにしてしまうだろう。

それに抗うには知りすぎている。どんなに期間を延ばしても解決する手段はない。

 

本当に危惧すべきは、アリア・ヴァレィではなく、食欲にまみれて誘われる紫の蝶々なのだから。

 

 

 

アルバム漁っても中々出てこない人物。

そんな浅い関係ではなく、探せば幾らでも出てくる人物を忘れていた。

アルバムなんてわさわざ見直したりしない親の趣味の様なものだ。

だからこそ誰を忘れていたのかを知り、ショックが隠せない。

 

名前を思い出した。

ニノマエヒトシキ。キノはイチと呼んでいた。

幼なじみで冷めた感じの少年。キノが夢を喰らった少年である。

思い出せたのはそこまで。

アリア・ヴァレィとしての葛藤と、同居人とのたわいのないやり取りを思い出しながらも、肝心の虫憑きにした時の記憶が思い出せない。

この世のものとは思えない、芳醇で甘くて切ない味を咽に流したことは間違いない。その感覚は思い出していた。

 

イチの夢を喰らった。アリアはもういない。私は一人の虫憑きを生んだんだ。

 

「イチ。どうして私は君の夢を喰らったんだろう」

別れは罰で、今まで忘れていたことも罪になるのだろうか。

私は今まで楽しく生きてきたよ。

君のことを忘れてね。だけどーー

戦いの運命に落とされたイチに、罪悪感を感じるよりもしなければならないことがある。

 

「イチ。君は今どうしているのだろうか」

知らなければならない。

イチがどうなったかを。虫憑きの戦いを。

 

少年の結末を。

 

 

 

 

ーーーかつて一人の少女にイチと呼ばれていた少年、ニノマエヒトシキ。

虫憑きの中でも稀少な同化型の虫憑き。

彼は今とある施設で佇んでいる。

その瞳は感情を写し出さない。

表情は人形のように変化しない。

その少年は自らの意思で行動しない。

 

何故なら少年は欠落者なのだからーーー

 

 

自らがかつてのアリア・ヴァレィであることを思い出した少女月見里キノ。

イチと呼んでいた幼なじみの少年と再会するため、日和見した平和な道から離れる決意をする。

まずは完全に思い出すこと。

現在のイチを知ることをしなければならない。

 

今はもう一般人。今はまだ一般人。

切れるカードは鬼札一枚のみ。

反則的な原作知識があるが利用価値があんまりなかったりする。

とりあえず今世の初恋にして初告白の舞台。

小学校の屋上を目指してみる。

両親に別れの文をしたため住み慣れた日常を後にする。

 

軽快な運動靴の足取りの跡に、穢れた鐘の音が響いた。

 

 

 

その遭遇はイチと別れて、アリアとの会話のなかでふいに起こった会合であった。

 

佇む男に異形の生き物。

 

「ねえアリア。私は君から事情を知った時に赦せないことがあったよ」

『これはっ、生まれたての虫憑き。

分離型、エルの仕業か!』

「大喰いエルビオレーネ。ただただ食欲の為だけに夢を喰らう化物」

『キノッ。のんびりしてられないよ。君は逃げるんだ』

「無理だよ。あの虫はコントロールされていない。生まれたてで暴走しているんだ」

『エルは夢の匂いに誘われ出現した。この辺りで一際強い香りを放つものは一つだけ』

「ここで虫憑きが特別環境保全事務局に見つかることだけは避けたい」

『エルは、イチの夢の香りに誘われた』

「私は今覚悟した。エルビオレーネなんかにイチの夢はくれてやらない。特環にイチを見つけさせはしない」

『キノ!』

キノの肩に触れないほどの短い髪が碧色に染まった。

アリア・ヴァレィと一体となったキノは、目の前の虫憑きに挑む。

 

「イチは私たちの物だ!」

「うわあああ」

暴走した名も知らない虫憑き。

典型的な分離型の巨大な虫。キリギリスの近似種コバネヒメギスに酷似した虫である。

虫憑きの男は、錯乱した雄叫びをあげると、虫がキノに反応し襲いかかってきた。

 

「こっちの都合で欠落者にするわけだけど、正当防衛になって気が楽になったよ」

三メートルはある巨体の突進を、キノは開けた空間である左側ではなく、壁際の右に避けることを選んだ。

虫の爪がその身に迫ろうとした時、キノは碧色の輝きを残すように壁を透過して攻撃を避けた。

 

無機質との同化による透過能力。

戦闘力の低いアリア・ヴァレィのもつ技能の一つ。

そのまま壁を透過して虫の背後に回り込む。

キノの姿を見失った虫が辺りを見回していた。

気付かれる前に決着をつける。

碧色を纏った腕を大きく振りかぶると軌跡を描く碧色の輝きが、虫の身体を抉った。

 

『そんなことまで出来ると教えてないはずなんだけど』

「私ってば天才だからね。とりあえず大勝利」

 

虫が虚空に消えていく。

 

虫憑きの男は感情なく佇んでいる。欠落者になったのだ。

服の袖が僅かに破れて怪我した腕が鈍く痛んだ。

 

『危険なんだよそれは。空間に同化したエネルギーを不安定にぶつけた攻撃は、君も無傷でいられない』

「アリア。エルビオレーネの気配はどうなっている」

『ちゃんと聞いてよキノ。エルの気配は感じない。

虫憑きを生んで今日はもう大人しくしているだろうね』

「イチは大丈夫だよね」

『結局はそれか。無事だよ。エルと接触した様子はない』

ほっと息を吐く。

大喰いが顕れた以上悠長に事を構えていられなくなった。

明日の告白が逃れられないものになり、キノは改めて覚悟を決める。

 

「エルビオレーネ。絶対イチの夢は渡さない」

 

 

 

小学校の屋上は鍵で施錠された立ち入り禁止の空間である。

イチはキノに誘われ立ち入り禁止の屋上にやって来た。真冬の寒空が天気良く二人を出迎えた。

厚手の服とマフラーを靡かせ二人は向かい合う。

 

「鍵はどうした鍵は」

「あはは。私に開けられない鍵はないのだ」

お忘れなきよう月見里キノは転生者。職員室の鍵をチョロまかすぐらいどうってことはない。ドヤ顔でキメてみたが反応が鈍いイチ。

 

「キノ。今日はやっぱり変だ」

「変って言うな」

濁してみたがイチは心配そうである。

察しがいいのはこの少年の優しい取り柄だ。

 

「誤魔化されないよキノ。いつもより元気が空回りしてるし落ち着きがない。そしてなんだか顔色も悪い」

「このご尊顔を拝して私を美少女を讃えないとは。

まあ冗談はここまでにして話そうか。私の告白を聞いて欲しい。イチ」

何から話そうか。THEノープラン作戦は行き当たりばったりの体当たりだけど本心をぶつけるのには丁度いい。

 

息を吸って吐くルーチンワーク。

 

 

 

「私はイチのことが好きだ。愛してる」

 

 

 

神妙に言葉を聞き届けているイチは膠着した。

 

幼なじみの少女の異常を違和感を感じ取り必死に取り繕う様から悪い予感を募らせていたイチ。自分こそがこの少女を助けになりたい。

二人きりで顔を合わせ遂に幼なじみの問題を聞き出すところで投げ込まれた暴球。

 

普段澄ませた顔でいる大人びた少年もこの時ばかりは年相応の赤面を見せたのだった。

 

 

 

「それでおれの夢を食べたら虫憑きになってキノから忘れられるのか」

「うん。そうだよ」

滅多に見られない幼なじみの動揺を楽しく観賞したキノであったが本題を忘れたわけではない。

アリアにかなり呆れられていたが。

それにしてもイチが赤面した姿は可愛いかったな。

これがギャップ萌えってヤツか。この記憶を忘れてしまうなんて勿体ない。おのれアリアめ赦さんぞ。

アリア・ヴァレィとしての事情、虫憑きの事情をこと詳しく教える。

原作知識は教えられない。

アリアが不審がるし価値のある知識は戦いの中心にいるものだけだ。なるべく戦いから遠ざかってもらいたい。

とは言っても一般以上というか特環の上層部も知らない知識の倉庫アリア・ヴァレィですよ。ハンターや先生ばりの知識を伝授。

 

重要度が高いのは大喰いの能力そして不死の虫憑き。

大喰いは全ての分離型の虫の能力を使える。そして分離型には不死の虫憑きがいる。

これが大喰いを倒せない絶望的真実。

大喰いと戦ってはいけないと言い聞かせ説明を締めくくる。

 

イチは告白の動揺が収まってアリア・ヴァレィのことを話してもただ疑問を感じたことを質問して聞き取ることに専念した。

 

「事情はわかった。大喰いが来ている以上逃げ切れないからおれに選択して欲しかったんだろ」

「恨まないの?」

それが疑問だった。知りたくて怖い大切なことだった。

イチは手を伸ばしてきた。キノに身構える心算はない。全て受け入れる覚悟だから。

 

だから頭の上に手のひらを乗せて撫でられても身動きができなかった。

 

「恨まないよ。だってキノだもん」

「ジゴロだ。天然のジゴロがいる」

惚れた。マジで。この子タブらかしスキル高過ぎだろ。

ナデポってこんなタイミングで使うのか。

やだ私の好きな人イケメン過ぎる。好きだ。結婚してくれ。

 

『私の予想通りだけどキノ、トリップし過ぎ。戻って来い』

「おおう。アリア居たのかよ。ビビったよ」

『居るに決まっているじゃん。空気にし過ぎだよ。黙っていたらこの扱いかよ』

「アリア・ヴァレィだっけ。キノの独り言はいつもの病気じゃなかったんだな」

『この子言うね。キノが病気なのは認めるけど』

「アリアうっさい。イチが恨まないのは有難いけど虫憑きになるんだよ。いいの」

「キノが苦しんでいるよりずっといい。空腹感でずっと飢えに苦しんでいるんでしょ」

「私はイチのこと忘れてしまうんだよ。今までイチと居たこともイチを虫憑きにしたことも全部」

「赦せる赦せないだと赦し難いけど。そこは割り切る」

「寂しくないの」

「次逢えたらイチって呼んで貰えないかもしれないけど。初めましてでまた仲良くなるさ。そしたらまたイチって呼んで貰えるよう努力する。絶対だ」

『この子は強いね。めげることないひたむきな強さを持っている』

「そうでしょアリア、イチは強いよ。絶対だよイチ。約束」

「約束だキノ。さあお別れをしよう」

遂にきたお別れの儀式。

イチはキノの覚悟が薄れてしまわない内に自分から言い出すことでキノの負担を取り下げた。

言いにくいことを敢えて先に進めてくれる思いやりは分かりにくい優しさをもつ少年の配慮だ。

キノの躊躇は思いを行動にさせない呪縛である。

今も感じるイチの夢の美味しそうな香りに喉を鳴らし自然と吸い寄せられそうだ。欲求を満たそうとする背徳感に一体どう踏ん切りをつければいいのか。

自分をどこまでも受け入れてくれた少年との別れ。

本人は気付いていないがアリア・ヴァレィになっても空腹に耐えられる精神力は歴代のアリア・ヴァレィの中でもダントツである。

転生者であることだけでない少年との絆と恋心がなせる強靭な忍耐がこの時ばかりは仇となって行動を阻害した。

 

『キノ......』

別れはひとつだけでない。今も居る同居人アリア・ヴァレィとのお別れも待っている。

ああ、どうしても出来ないしやりたくない。苦しめと言ってこの平穏が守れるなら幾らでも耐えてみせる。でも平穏を壊す為に楽になれなんて残酷な仕打ちだ。

足は前に進まない。

君を守る為ならこの誘惑を断ち切り幾らでも足を退かせよう、君が好きだ。

イチが見守るなかキノは動けずにいた。

やがてイチは行動を起こす。

 

ポケットの中からカッターを取り出しおもむろに自分の腕を切り裂いた。

 

「なにをしているのっ!」

キノは突然のイチの行動に声をあげる。

 

「どうせ同化型の虫憑きになれば怪我なんて治る。

虫と同化出来る身体に作り変わるから怪我が消えてなくなるって教えたのはキノだよ。キノは苦しまないでいいんだ」

怪我の痛みを感じさせない笑顔すら浮かべて優しげに微笑む。

出血は血に馴れないキノからすればかなりのもので、重症なんてあり得ないのにも関わらず焦りが隠せない。

 

「怪我を治してキノ。それなら君は出来るはずだ」

「無茶をする。イチのバカ。バカバカバカバカ」

『本当に無茶苦茶だよ。痛みを全然恐がっていない。こんな子供が虫憑きになったら一体どうなるの』

アリアの戦慄も今は聞く気がしない。

これ以上は待たせることは出来ない。イチの覚悟を無駄にすることはキノには出来ないことだ。

ゆっくりとイチとの距離を縮め数センチを残して前に立つ。

 

「お待たせっ」

「待ったよ」

「可愛い気がない。赤面したイチはどこに行った」

「忘れられて良かったと思えることが一つあったようだ」

苦虫を潰した顔をするイチと笑い合い髪を碧色に染めていく。

別れを迎える少年と見つめ合う。

言葉以外の伝えたい思いを交わし合った。

 

「そういえば告白の返事忘れていた」

思い出したように言うイチはどこか悪戯めいた表情を浮かべた。

 

突然の話題に思考する前にイチとキノの距離がゼロになる。

 

「これが返事代わり。ついでに忘れられることに対する罰。これだけは赦すつもりはないよ」

ファーストキスは小学生らしからぬディープキスだった。

碧い輝きに包まれ髪を染めたキノとそれに呼応して黄金の輝きを放つイチが抱き合う。

黄金の光がキノに取り込まれ喉を嚥下する甘い味はアリア・ヴァレィとして喰らったイチの夢の味か情熱的なベーゼの味か判らないままキノは最高の至福の美味を味わい意識を遠退らせた。

 

「これじゃあ罰じゃなくてご褒美だ」

瞼を閉じらせながら自身からアリア・ヴァレィが消え去るのを感じた。

 

『全く君たちは少しばかり発展し過ぎだよ。まだ小学生なのに』

愚痴りながらもどこか優しい同居人の声が響いて消えた。

 

 

 

キノは意識を失った。

碧色の輝きも消え失せ今は静かに寝息をたてている。

ニノマエヒトシキ。少女からイチと呼ばれている少年。彼の肩には一匹のムカデが乗っている。

ワインレッドの胴体に黄色い手足十センチ程の大きさから考えられないほどの圧迫感と逞しい力の脈動からダイオウムカデと呼ばれる虫に酷似している。赤い頭部から尾先まで黒とオレンジのラインが走る差異があった。

彼が虫憑きになった最たる証拠である。

 

イチは眠りにつく少女を優しく見つめ屋内の扉に寝かせたあと表情を引き締める。

虫憑きになった瞬間感じた凶悪な視線と存在感に気付いている。

眠るキノから離れて上空を睨んだ。

 

「アリアと競争する前に捕られちゃったわね」

「大喰い。いやエルビオレーネ」

「アリアの獲物を横取りすることは出来ないのかしら」

「お前は危険だ。不死の虫憑きなんて関係ない。これ以上強くなる前に死ね」

イチの身体にダイオウムカデが同化していく。

身体にオレンジと黒のラインが浮かび上がる。アイラインに縦の黒のラインが戦闘民族の戦化粧を思い起こさせた。

 

宙に浮かんだままの大喰いに向かって跳躍する。

人間では考えられない弾道のような勢いで大喰いに飛び込む。

大喰いがイチに目を向けた。

紫の鱗粉が形をつくる。巨大なムカデが顕れた。

イチは構わず拳を固めて突っ込んだ。

トラックがぶつかったような轟音と共に巨大なムカデが吹き飛んだ。イチが拳でムカデを殴りとばした。人間大の大きさで巨大な化物を殴りとばす。

それを可能にしているのは彼が虫と同化し身体能力が増幅しているからである。

だが大喰いとの間に顕れたムカデによって攻撃が届かなかった。

重力に引かれ落下しながらも大喰いを睨む。

 

「イチちゃん。私には勝てないってキノちゃんに教わらなかった?」

「お前がおれをイチと呼ぶな」

またも跳躍。人間離れの身体能力を発揮するイチ。

次はムカデだけでなく、キリギリス、コオロギ、セミに蝶、トンボと次々の虫を作り出し襲いかかってきた。

イチはそれを足場代わりに使った。

迫る爪や牙を掴みとり引き寄せ粉砕し蹴って跳び移る。

 

「流石はアリアの子ね。とても強い。でもこれはどうかしら」

紫の鱗粉でできた蝶。

同じ姿の虫憑きを知ることはないがそれぞれ固有の能力を持っている。

蝶が炎を纏いイチに襲いかかるのを近くにいた紫のゲジをぶつけることで避ける。

雷撃が炎が氷水が衝撃がイチに押し寄せる。

全ての分離型の能力が扱える大喰いは個にして群。

一人で全ての分離型を相手取るのと同義である。

 

「っく」

イチは降り注ぐ攻撃に対して腕を交差させ防御の体勢で耐えていた。じり貧であると同時に攻め手にあぐねている。

 

力が足りない。

足りない力を欲するままマフラーの先を掴み取ると変化が起きた。

身体に浮かんだラインがマフラーを侵食しやがて一本の分厚い板のような剣になった。

柄は無骨であるが刃から鍔にかけて異形の大剣であった。先端はムカデの頭部鋭い顎が大きく切り開いている。

胴体から伸びる短い手足は敵を刈り取る鎌刃であり鍔は頭部の触角のような尾が担っている。

荒々しい両刃の大剣。

同化型の虫は宿主以外の無機物にも武器に形を変えるために同化する。

足りなかった武器が今手に入った。

 

「せいっ」

イチは反撃の為に剣を振るう。

近くにいた虫が抵抗もなくぶつ切りにされた。鱗粉で出来た虫が攻撃を激しくする。

様々な種類の攻撃がイチを襲いかかるがムカデの大剣はものともせず攻撃を切り裂く。

攻撃の中心にいる大喰い目掛けて三度跳躍を開始した。虫を盾にしたり足場に使ったり切り裂いて距離をひたすら縮める。

大喰いを目前にして壁となる三匹の虫。

ここで勢いを殺されたら振り出しに戻らなければならない。

 

「うおおおお。」

横凪ぎで大きく大剣を振るう。

剣は果たして三匹の虫を切り裂いた。

しかし勢いをなくしたイチは落下していた。地上に落ちながらもイチは目の前の戦果を確かめる。

 

大食いが上半身下半身二つにわかれていた。

届かないはずの剣。

届かせたのはイチではなく剣そのもの。ムカデの大剣は今は本当の形である剣鞭の姿をしていた。

まるで獲物を捕らえるムカデそのものの形状をした剣鞭はしなやかにその動きを大剣に畳まれていく。

 

「駄目か」

はじめて入れた攻撃その成果はみるみるうちに損なわれていく。

クマムシを模した虫が大量に蠢いて大喰いのわかれた部位を繋げていく。

 

不死の虫憑き。

その能力は大喰いを生かす為に使われている。

厳しい表情のイチ。イチが大喰いを始末するのはこれからも生まれる分離型の虫が大喰いの力を強めることを危惧した為にある。

 

今のうちに殺す。殺せるうちに殺す。

キノの警告は意味をなさなかった。知ってしまった情報がイチに大喰いの危険性を認識させ殺すことを決意させてしまった。

 

大喰いの反撃が始まる。

先程よりも更に数多く先程よりも更に厚い弾幕の攻撃が開始された。

余りの攻撃に跳び上がることも出来ず地面に縫い付けられる。大剣を盾にして防ぐが攻撃のダメージを確実に通しており既に両手は血に濡れ脚がふらつく。

止めをさすように巨体さを誇る虫たちの群れが大波のような質量をもって呑み込むように降り注いだ。

 

「ふふふ。これでイチちゃんも邪魔出来ない」

沈黙した風景に大喰いは姿を消そうとして背を向けた。光が走る。

振り返ると満身創痍のイチが雷電を纏い立っていた。

 

「何処へ行く大喰い」

ムカデの剣そのオレンジの毒腺の部位から雷が漏れだしている。

周囲を焦がして虫を消す威力を秘めた雷を大喰いの周りに浮かぶ虫たちに降り注ぐ。

 

数百単位の虫の三割が消し飛んだ。

 

「イチと呼んでいいのはキノだけだ」

虫の力を使い過ぎたのだろう。

意識は朦朧とし夢が急激に喰われていくのを感じる。

大喰いはこの時微笑を浮かべるのを止めていた。

イチは既に十分に脅威となっていた。

 

「アリアの子が元気がいいのはよくあることだけどイチちゃんは少し元気が良過ぎるわね。どんどん能力を開花させ成長し強くなる」

イチは生まれてすぐにその能力に目覚め制御し新しい能力を開花させた。

他の虫憑きと余りに違う異例の成長速度。そして強さ。

 

「食事の邪魔になるのなら今ここで潰しておこうかしらイチちゃん」

敵対。

相手を障害と見なし遂には牙を剥く行為を大喰いが決意した。

イチは大喰いに対し剣を構える。交差する敵意が二人を行動させた。次々と生み出した虫が空を埋めつくし紫の軍勢がイチを囲む。

 

何故イチは戦うのだろうか。

 

もはや逃げ出すことすら叶わない圧倒的不利な状況で思考する。

イチは夢を抱いた虫憑きだ。色が無かった世界で一際目立つ輝く少女を見て想った。あの少女のように自分も楽しく生きてみたい。それが抱いたイチだけの夢。

自分の目標であり夢である少女はこんな夢を抱くだけで残酷な運命に翻弄される世界に生きていくのは赦さない。

あの輝く少女が夢を抱く時、この世界は優しくなければならない。その障害が目の前の敵だ。必ず殺してみせる。例えーーー

 

「はああああ」

例え今ここで全ての夢を使い果たしても。

 

捨て身覚悟の特攻。イチが選んだのは単純明快な手段。剣鞭を身体に覆うように展開し自らがカミナリとなったように大喰いに突撃する。

与えた夢の分だけ雷に変換するムカデの大剣はことごとく虫を焼き払い蒸発させていく。

驚愕すら浮かべた大喰いを前にイチは力を使い大喰いに届く範囲に距離を詰めた。

 

「これで終わりだーーー!」

最大火力の電撃を一本の剣に束ねて大喰いを消し去らんとする。その破壊力はまさに大喰いを跡形も残さず消し去る威力を秘めていた。

 

鮮血が舞う。

 

大喰いは消滅していない。

 

眼が顕れる。

 

昆虫の複眼をバラバラにして神経を繋いだ虫の中でも異形の化物。中心に人間の瞳が埋め込められている。

この眼の化物がイチを貫く閃光を放ちイチの攻撃を止めた。あと一歩。足りなかったものは距離か力か覚悟か。イチに知るよしがないが運が悪かった。

眼の化物α(アルファ)と呼ばれる虫憑きには一定の周期があり活動が限られている。

 

しかしイチは元々虫憑きになったばかりの小学生。未熟どころか未発達の身体に無理を重ねての初戦闘。大喰いと渡り合えたのが奇跡だった。

 

何度目になるかわからない落下。

もう思考がままならない。虫の力を使い過ぎた代償は確実に顕れていた。

ムカデは宿主を守ろうと落下に備えた。イチが地面に叩きつけられ受け身をとれたのはムカデの防衛本能によるもの。

更なる攻撃がイチを襲う。

眼はイチに向かって熱線を放つ。

ムカデがイチに覆い身を挺して庇う。

剣鞭はボロボロに撃ち抜かれイチを守り果たして同化が解除された。

 

ダイオウムカデは一鳴きして空気に溶け込むように消えていった。

 

大喰いは結末を見届け姿を消した。

一切の警戒心もなく背を向けてどこかへ向かう。

 

二度と敵が立ち向かうことがないことを知っていた。

 

誕生から激戦そして敗北した虫憑き。ニノマエヒトシキ。

彼をイチと呼ぶ少女は忘却に眠り彼自身その呼び名に応えることはない。

血に濡れ怪我だらけの瀕死の少年はもう感情を写すことはない。かすかな息を繰り返す少年は無表情で心を欠落した人形のようだった。

 

これが虫を殺された虫憑きの結末。

 

誰にも知られることがなかった同化型の虫憑きの最初で最後の戦闘録。

 

 

むくりと起き上がった月見里キノ。

頭が朦朧で何故自分がこんな場所で寝ていたのかわからない。

何か大事なことを忘れているような気がする。

 

咄嗟に誰かに聞いてみようとしたが誰に聞こうとしたのかわからない。

自分以外誰もいないのに誰に聞こうとしたのだろうか。

小学校にいたことが移動してわかったが誰も利用しない屋上に何故立ち寄っていたのか思い出せない。

 

校舎に出ると一人の子供が血塗れで倒れていた。

 

「なんだこりゃ」

あり得ないほどの破壊的跡が周りに残されていた。

訳がわからないまま混乱し倒れた少年に近づくと生きていることがわかった。

すぐに救急車の手配と大人に連絡を考え少年の様子を確認する。

 

不意に頭に衝撃が走った。

 

見たことない知らない子供だった。

なのに異常なまでの動悸と動揺を感じた。頭が真っ白になりその後どうやって大人を呼んで少年が病院に運ばれたか覚えていない。

ただ事情聴衆のあとベットに入り翌日にはそんな記憶はなくなっていた。

周囲の大人も親しい幼なじみが血塗れで倒れたことを目撃した少女が忘却したことに同情の視線だけを残し何も語らない。

 

 

倒れた少年を助ける為に大人を呼びに行く少女を、人形のように見つめる少年イチは感情を宿さないまま静かに瞼を閉じた。

 

 

 




ムシウタの作者 岩井恭平様を尊敬している身としては亀更新をお約束させて戴きます。
こんなに長い文章打てたのはムシウタが逸材過ぎたからと分割するより一気に載せたい私の見栄です。


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夢捧げる再会

今回から行間を直したので読み易くなったと思います。
一話だけで更新停止はないと思ったので急いだ投稿。
私は亀になりたい。いや毎日コツコツよりも前半に勢いのある兎になりたい。途中で怠ける、多分。


小学校の屋上。

誰も立ち寄らない封鎖された場所。

あの日の告白の舞台でありイチとアリア二つの別れの場所にキノは訪れていた。

あの日の寒空と今の光景は違い過ぎる。

イチが居ない。アリアが居ない。

立ち入り禁止区域にされた屋上はイチとナニカとの戦闘跡を舗装し直され美しい思い出の記憶に陰を指す。

 

身を乗り出すことを防ぐフェンスから倒れたイチを見つけた場所を見下ろす。

 

イチは既に欠落者になっていた。

 

それを見つけたのはキノに他ならない。

同化型の虫憑きは強力だ。無指定クラスのザコの虫憑きでなく確実に号指定クラスの強さを兼ね備えていただろう。

イチを欠落者にしたのは誰か。

何と戦えばイチが欠落者に成り果てるのか。

 

あの頃キノは焦っていた。

アリア・ヴァレィとしての葛藤だけではない。

明確な危険が迫りつつあることに焦燥感に追いやられていた。だから間違いない。

 

あの日この街に訪れた脅威大喰いエルビオレーネ。

イチは大喰いと戦い欠落者となったのだ。

キノはイチに教えたことに大喰いの能力についてのことがあった。

大喰いは分離型の虫憑きを生み出しその能力を全て使うことが出来る。生み出された分離型の虫憑きに不死の虫憑きがいるからその能力により滅ぼすことが出来ない。

 

キノは忠告した。

大喰いと戦ってはならない。

それを聞いてイチはーーー戦う覚悟をした。

 

なんて浅慮だったんだろう。

知識を持つが故の怠慢、傲り。半端に与えた情報はイチに大喰いの危険性を知らしめ大喰いを倒す意思を与えた。

 

不死の虫憑きがいるから倒せない。

でもこれからも夢を喰らい虫憑きを生み出す大喰いを倒すのはいつならば可能なのか。当然の疑問、知らなければ強くなり過ぎる前に倒そうと考える。

 

原作知識を持つキノは知っている。不死の虫憑きは流星群の夜 銀槍使いがその身と共に封じるのだ。大喰いの不死性はこれで失われ倒す可能性がそれからうまれるのだ。

知っているキノはそれを重視せず知らないイチはそれを注視し行動した。だから戦ったのだ。

 

虫憑きになった人間は戦いの運命から逃れられない。知っていたのに全然わかっていなかった!

フェンスを力の限り握り締める。金属が肉を食い込む痛みも今は気にならなかった。

虫憑きにした罪を背負う覚悟をした少女は意図しない自らの失敗で自責の念に押し潰されそうだった。

 

「アリア。やっぱり私の罪だよ。イチは私のせいで欠落者になった」

完全に思い出したキノはかつて自分を悪くないと言った同居人の言葉を否定する。

後悔したのは虫憑きを生んだアリアである自分ではなく迂闊な転生者 月見里キノである自分。

驚きの二度目の人生で最も衝撃をうけた絶望だ。

 

「イチ。約束したよね。私はイチをイチと呼べるんだよ」

思い出したのは後悔だけではない。

イチという少年との思い出。

二人はお互い思いを重ねた大切な記憶と約束。

絶望するにはキノは知りすぎている。まだ終わりじゃない。約束がある限り終わりにすることは赦さない。

せっかくの大事な記憶が戻ったのだまた始めよう。

 

イチが記憶を無くしたキノとまた始めようとしたように。

 

 

 

「全てを思い出したのね月見里ちゃん。いえキノちゃん」

 

妙齢の美しき女性大喰いエルビオレーネ。

 

「今の貴女はとっても美味しそうな香りをしているわ」

人の形をした怪人は夢に誘われ顕れる。二度目の会合。二度目の質問が繰り返される。

 

「ねえ、貴女の夢聞かせて」

一般人 月見里キノは転生者である。

ムシウタの原作知識を持つ少女は虫憑きの苛酷な事情を知る稀有な存在である。

そして少女は己がかつてアリア・ヴァレィであることを知り少年イチを虫憑きにした張本人であると思い出し今。

 

「嫌だね。出てこいディオレストイ」

同じ言葉を繰り返し、違う言葉を付け足した。

大喰いの力の気配が弱まった。

 

ゴーーン。ゴーーン。

どこからともなく鐘の音が響いた。

周囲の景色が高らかな鐘の音で穢されてゆく。

不意に景色が変わった。学校の屋上だった場所に見慣れない一本の樹その奥には先のない十字架だったものを掲げた黒い教会が顕れた。

 

『悔いあらためる迷い子よ。さあ中へ』

教会の扉が開かれる。

二度の拒絶を受けたエルビオレーネ。

しかし余裕を崩すことなくことの成り行きを微笑を浮かべて見届けている。

キノは教会の中へと進む。

 

『お前はかつてアリア・ヴァレィとしての役目を全うした』

教会の中の祭壇。

奉るべき偶像はなく蝋燭が揺れうごめくなかでぼろぼろに擦りきれた法衣のようなものを纏いフードで顔を隠した老人が壊れて棒になった十字だったネックレスをつけて立っている。

 

『お前はかつての同胞の忘却の使命から己の記憶を取り戻し自らの行いを知った』

法衣の老人の正体。浸父ディオレストイ。特殊型の虫憑きを生み出す始まりの三匹。

特殊型の虫は実体のない媒体によって身体を構成し領域内で力を発揮する。

強力な特殊型には領域を強めることで隔離空間を作り出し能力を十全に使うことが出来る。

この教会は浸父が作り出した隔離空間の領域である。

 

『お前は罪を侵した。アリア・ヴァレィとしての行いを思い出し後悔を胸の内に抱いた』

厳かに話すディオレストイ。人間らしさのない超常現象的存在。

虫憑きを生み出す化物は的確にキノが抱える悩みを見抜き言葉巧みに誘導する。

 

『さあ己が内をさらけ出し懺悔するがいい』

特殊型の虫ならば大喰いのように利用されない。虫憑きにならなければ戦うことは出来ない。

一般人でありまだ小学生を終えていない子供に何の力もなしにこれから先を進むことが出来るだろうか。

 

「私は罪を侵した」

浸父ディオレストイは夢を歪めて食べる嗜好を持つ。

生まれた特殊型の虫憑きはどこか性格が歪んだ破綻者が多い。

キノはイチのことを後悔している。

焦っていた。万全のつもりだった。言い訳の言葉は意味をなさない。

何故ならキノのミスが招いたイチと大喰いとの戦闘。

結果が欠落者となった一人の虫憑き。

忘却の日常に浸っていたキノ。後悔しない筈がない。

 

 

 

 

「だけどお前にも夢をやれない!」

 

 

 

 

高らかな拒絶が教会を響く。

罪悪感を突け込んだ誘導と精神攻撃。この二つを持ってしてもキノの意思を揺るがすことは敵わない。

 

始まりの三匹のうち二匹が夢を喰らうことに失敗した少女は祭壇に立つ浸父と教会の扉の前で見届けていた大喰いに宣言した。

 

 

 

「私の夢を喰らいたいなら協力しろ。イチを取り戻す為に私が利用してあげる」

 

 

畏れを知らない少女の宣告。

 

多くの夢を喰らう化物を自らの目的の為に利用する少女はかつての自分の過ちを正す為に行動を開始する。

 

 

 

 

「恐ろしいわね。私達を利用しようとする人間なんて」

冗談めいた口調で微笑する大喰いエルビオレーネ。

キノの宣言を聞き届けた後浸父ディオレストイは一度姿を消し鐘の音ともに去った。

次の取引に必要な準備を手伝わせている。

一応確認するがエルビオレーネとは取引しない。

夢を喰われる相手を選ぶならアリアを選びたいが所在不明なのでディオレストイに妥協することはあってもエルビオレーネを選ぶことはない。

 

「お前がイチを欠落者にしたのはわかっている。さっさと失せろエルビオレーネ」

能力云々よりも個人的な感情から大喰いは受け入れられない。

イチはこいつに挑んで欠落者になった。利用するのも嫌な相手だ。

ただ利用しやすさでは大喰いの方が御しやすい相手だったのは認める。

大喰いは味付けの為に人間を利用したり夢を喰らう為に佐藤陽子と協力関係にあったり食欲を満たす為なら行動を操れる存在である。

夢を喰らう為に罠丸出しに待ち構える虫憑きの軍勢に躊躇なく姿を顕すわかりやすい単純さは制御しやすい。

侵父は厳かに神様気取っているただの狂った狂人なので扱いにくさが否めない。

能力的にも大喰いに劣るのでさじ加減間違わないよう細心の注意がいる。

 

自分の夢を餌にしてみたのはいいがここまで大喰いと侵父の食い付きがよかったのは思わぬ誤算だった。

都合がいいのは認めるがけして嬉しい誤算ではないのがみそだ。

エルビオレーネは味に拘るが入れ食いなので無視するがディオレストイが食い付いたのは多分後悔からくる罪悪感で感情がマイナスになっていたのに反応したからだろう。

お蔭で取引相手に選択肢ができたけど微妙に嬉しくない。

 

「貴女の夢を食べてみたかったわキノちゃん。私とは取引してくれないみたいだし。嫌われちゃったわね」

「いーーーっだ」

どこまでも食欲に忠実な大喰いは去っていった。キノは子供のように舌をだし見送った。

 

やれることはやる。手段は選ばない。

欠落者になったイチを助ける為にキノは知識を使い頭をまわす。

欠落者からの蘇生は例がない。

つまり失った感情は戻らず欠落者のまま過ごす末路が虫を失った虫憑きのさだめ。

生きる屍となった欠落者を人為的に治すことが不可能なら人外を頼ればいい。

原作開始と共に欠落者ふゆほたるが復活する。

一号指定のふゆほたるの復活は虫憑きとしての復活である為、戦いの運命からは抜け出せないが、十分な成果だ。

今更一般人の回帰を高望みするほど柔ではない。

イチが欠落者でいるよりずっとましだ。

欠落者の復活方法は未だに謎があるが親である始まりの三匹が条件なのをキノは知っていた。

 

だからキノが必要とする条件とはーーー。

 

 

 

「今は誰になっているのかなアリア」

 

かつての同居人アリア・ヴァレィとの再びの会合を待つ。

少女が抱いた夢を巡り始まりの三匹が翻弄される。

少女はかつてアリア・ヴァレィだった。

少女は大喰いに目をつけられた。

少女は侵父を呼び出した。

 

虫憑きですらない今はただの少女月見里キノ。

 

動き出した夢はもう止まることを知らない。

 

 

 

二十代半ばの研修医の男。一般的生き方をしてきた彼に特別な何かはない。

彼が特別な意味をもつようになるのは不可思議な相棒と出会い、少女に呼ばれた先生という呼称にあるのかもしれない。

始まりは屋上に自分を呼ぶ声、幻聴の声の主 一匹の碧い蛹に触れたことから始まる。

碧い蛹の正体はアリア・ヴァレィ。

アリアの眠りからの目覚めに共鳴した男は先生。

人の命を尊びただ一度の死を覆す力、命の終わりに対する復讐を望む医師の卵は一人の虫憑きを生み出し後悔するさだめにあることは誰もしらない。

とある異例を除けば。

アリアの狙いは資産家の令嬢にして重病を患っている少女 花城摩理。

 

患者と研修医の会合から始まるbugストーリーにerrorが介入を果たす。

 

 

 

「はじめまして、花城摩理さん」

「......髪」

「ん?」

「切ったほうがいいと思うわ」

どこか壁を感じるほど冷たくて儚い患者の少女と研修医の青年。虫憑きと関係のない会合。

 

「彼女の心臓は、いつ停まるかも分からない」

「一度でも停まったら......おそらく、蘇生は不可能だろう」

 

研修医の男は彼女の主治医から言い渡された情報はそんなものだった。死の運命に抗う男は数日後碧い蛹に出会う。

彼は運命をねじ曲げる。

 

その運命はより多くの運命をねじ曲げることも知らずに。

 

「......髪、また切ってない」

「髪を切るどころじゃないんだ。忙しくてぶっ倒れそうだよ」

 

交流を重ねる二人は患者と研修医。どこまで言葉を交えても立場は変わらない。

否、彼女は何かを隠す研修医の違和感に気付いていた。

少女は青年の隠し事の正体を暴く。

 

「ねえ、おしえて。本当のことを......」

「ーーーよく聞いてくれ、摩理」

 

彼は己に潜む虫憑きを生む始まりの三匹アリア・ヴァレィの存在を花城摩理に話す。

 

相棒と思う存分、語り合いが出来る屋上に研修医の青年は居た。

『僕は、無慈悲な化け物だ。それでも良いヤツに見えるなら』

『それは君が良いヤツだってことさ......』

「じゃあせめて祈っておくか。どうかアリア・ヴァレィ様摩理のことを諦めてください」

『それは叶わぬ願いだ人間よ。一度は諦めようと言ったが、あれは嘘だ』

「こっちにも意地がある。僕が摩理の夢を喰らわなければ、君はずっとバカな僕の中に居続けるしかないのさ」

『僕の器になるヤツは、どいつもこいつもバカばっかりだ。何度言っても分かってくれない』

諦めの悪い研修医と、意地っ張りで照れ屋の化け物。

 

うしろ向きな相性の悪い二人の前に突如穢れた鐘の音が響いた。

 

 

 

 

穢れた鐘の音の正体。研修医の男の中に潜む始まりの三匹のひとりはすぐに気付いた。

 

『ディオだ。特殊型を生む始まりの三匹の内の一人ディオレストイ。何でここにっ』

「ーッ。アリア!摩理の夢を狙っているのは君だけじゃないのかっ」

『待ってくれ。どうもおかしい。摩理に反応していない。真っ直ぐここを目指している』

鐘の音は次第に強くなる。遂に耳障りな鐘の音が屋上に鳴り響いた。

 

『ーーーかつての同胞とその仮初めの器よ』

「これが、始まりの三匹」

『どういうことだい。ディオ。僕らはお互い不干渉。同じ夢を欲した時のルールは早い者勝ち。君が僕らに接触する必要はないはずだ』

姿を顕す法衣を纏う老人ディオレストイ。

 

『契約によりお前たちを迎えにきたのだ。かつての同胞よ』

「契約?」

『訳が分からない。一体誰と何を契約して顕れた』

『契約はお前たちを迎えること。そしてアリア・ヴァレィの子を迎えることのみ』

「君の子。つまりは同化型の虫憑きのことか」

『ディオを使い、僕を探しあて僕が生み出した同化型の虫憑きを引き合わそうとする人物......』

『かつての同胞よ。汝がよく知る者だ』

『誰かが......僕の器になっていた誰かが僕を思い出したのか』

屋上から鐘の音が鳴り始まりの三匹であるアリア・ヴァレィと宿主である青年が消え去った。

 

 

 

 

 

鐘の音が聞こえる。目を閉じて耳を澄ます。

耳障りの鐘の音も今だけ幸運の福音に聞こえる。

準備が整った。見えなくても感じることができる。目の前の景色は目を瞑る前の景色とは変わっているだろう。

そのまま一歩進む。

 

それだけで少女は鐘の音とともに姿を消した。

 

 

 

 

 

少年は感情のない人形のまま、とある施設に搬送される予定だ。

事件とも事故とも判らぬ経緯で運ばれた重症を負った少年は病院施設で治療を受けていた。生死をさまよう大怪我を奇跡的な回復を果たし順調に傷を癒した。

意識を取り戻した少年はしかし感情のない人形だった。何度もリハビリとカウンセリングをした。

無反応な生気のない少年に効果はなかった。怪我の後遺症。

知らぬ者はそう考えるだろう。知っている者には欠落者としての症状を思わせるのには十分である。

特別環境保全事務局が管理する欠落者の収用施設。

 

そこに搬送されることが決定された少年はやはり表情を浮かべることはなかった。

 

 

表向きは治療の為の施設に移される為の行為。

しかし特環関係者たちが一般人に思惑を隠す方便でしかない。

欠落者は隔離施設で特別環境保全事務局の下に管理されるのが公然の秘密である。

まだ解明されていない虫憑きの不測の事態に備えた護送トラックに収納される。

特別環境保全事務局の局員の虫憑きはそんな役割で少年の搬送に同行していた。

 

「本当に欠落者になっているなら俺たちに出番なんてないのに」

「連中は怖がっているのさ。得体の知れない俺たち虫憑きに」

虫憑きを管理する組織ですら虫憑きを怖がっている。

何のお笑い草にもならない事実が虫憑きの存在をいかに腫れ物であるかを物語る。

 

「こっちは好きで虫憑きになった訳でもないのに、クッソ」

「当たり前だ。虫憑きになって好きで特環なんかに従うかよ」

毒をもって毒を征す。

特別環境保全事務局は、虫憑きを使って虫憑きのトラブルを解決しているがその扱いに違いはない。

彼らの利害関係は組織に抗う虫憑きとそれを狩ることを目的とした組織に服従した虫憑きの支配関係。

特別環境保全事務局に対する不満は組織に属する虫憑きの大半が抱いている。

 

それでも彼らが特環に付き従うのは強大過ぎる組織の力ともうひとつの原因。

 

「かっこうのクソヤロウが居なければこんな所に」

「あの化け物のせいでどれだけの虫憑きが従わされているか」

特別環境保全事務局 最強の刺客かっこう。

虫憑きから蛇蝎のごとく嫌悪されており、その強さから誰もかっこうに逆らえる虫憑きはいない。

 

「俺らもコイツのみたいにならないよう生きるには特環に従うしかなかったって訳だ」

「欠落者になる位なら特環に従う。それしか道は残されていないからな」

後ろ暗い虫憑き同士の会話。

虫憑きでない特環の関係者は遠巻きに二人を不気味がって近づこうとしない。

収納されるトラックのコンテナには欠落者の少年が一人と護衛を命令された虫憑き局員が二人いるだけだった。

たいして重要でもない危険のない任務。

気が抜けても仕方ない任務内容に緊張は弛緩していた。

 

 

不意に鐘の音が響いた。

 

 

 

 

 

「さあ全ては揃ったんだろ。はやく招待しろディオレストイ」

 

 

 

 

ゴーーン。ゴーーン。

鐘が打ちならされた音が強く響く。

欠落者の少年は人形のような相貌を静かに虚空に向けた。

 

 

 

 

「なんだっこれは」

「ぐわああああ」

局員の強さを測る号指定。

十から一までの数字が与えられていない無指定の虫憑きは鐘の音によるディオレストイの精神攻撃に対処できない。

もがき苦しみ地面をのたうち回るだけでたいした抵抗もできずに倒れていった。

残されたのは欠落者の少年のみ。

また鐘の音が鳴る。

自らの意思を持たないはずの少年は誘われるように歩き出す。感情も思考もない。

 

夢遊病のように歩き出した欠落者の少年は最後に鳴り響いた鐘の音にきえていった。

 

 

 

教会に似た黒い建物、そこに十字架は立てられておらず先の折れた棒があるだけで荒廃とした建築物に退廃を偲ばせる。

 

扉が開かれる。

招かれた人物は一人の少女の思惑によって集められた。

ここに居るのはこの領域の支配者ディオレストイ。

招かれた支配者と同じ存在アリア・ヴァレィとその器 研修医の青年。

 

そしてこの集会の黒幕の少女月見里キノ。

 

 

 

「舞台に役者が揃った。開演開幕の音頭を仕切らせて貰おうか。私が主催の此度の舞台、役割を果たすのが君たちの務めだ。虫憑きでもアリア・ヴァレィでもないただの人間月見里キノの筋書き通りに頼むよ皆」

 

 

 

驚愕の舞台に扉を潜る者が一人、最後の役者一 人識 (ニノマエ ヒトシキ)

 

 

 

イチと呼ばれた欠落者の少年が現れた。

 

 

 

 

 

鐘の音に招かれたアリア・ヴァレィと器の青年。

教会には法衣の老人ディオレストイと一人の少女がいた。

青年には少女が何者であるのか正体がわからない。

しかし彼の中のアリア・ヴァレィには少女の名前が分かっていた。

 

『キノ!何で君がここに!』

「アリア。彼女が君のかつての器なのか」

領域の支配者とは別の存在である少女に青年は声をかけた。

「久し振りだねアリア。私は十三才になって少し大人びたけど君の姿ほど別人にはならないかな」

『しっかり僕を思い出している。ディオと契約したのはキノなのか』

「私はかつてのアリア・ヴァレィとしてアリアの匂いを貴方に感じることは出来ても声を聴くことは叶わないらしい」

少し悲しげに少女は声を聞けない事実を嘆いた。

 

「君は思い出したのか。アリアのことを全て」

「はじめまして。今回のアリアのお友達。私は月見里キノ、キノだよ。よろしくね」

『お友達って......恨んでいないのか彼女は』

あっけらかんに話す少女キノに青年は少し気圧される。まさかアリア・ヴァレィのことをお友達呼ばわりするとは思っていなかった。

「はじめまして。アリアはお友達って言葉に呆れているようだ。そして君に恨まれていないか気になっている」

「通訳か、不便だね。私は恨んでいないよ。イチを虫憑きにしたのは私のせいだからね。アリアは相変わらず意地っ張りだね」

声を聞けない弊害を青年が代弁することで補う。

記憶を取り戻したキノは当然のようにアリアに負の感情を向けなかった。

 

『記憶が戻ってもまだそんなことを言えるのか。君も僕の器になった人間がいかに呆れたヤツばかりなのはわかったかい』

変わらない言葉を聞いてどこか優しい愚痴をこぼす。

 

「僕もアリアが意地っ張りなのは同意するところなんだけど。ああ、アリアが僕らをバカにしているんだ。照れ屋だからね」

「うんうん。アリアは性格が変わってもアリアだね。貴方は白衣を着てるし雰囲気から察するにお医者様?」

少女にはなんと無く目の前の髪が伸びた青年のことに心当たりがあったがそれは転生における知識によるもの。

知識の相違点を確かめる為の確認のための作業を行う。

 

「まだ研修医の駆け出しさ。君はどうしてここにいるんだい」

「それじゃあ先生って呼ぶね。お医者様の駆け出しさん。ねえ先生、そしてアリア気付いたことないかな?」

面白そうに青年を先生と呼び、両手を広げどこか誇らしげに質問する。

アリアと同化した先生には少女のそれに気づくことが出来た。だからアリア・ヴァレィには手に取るようにそのことがわかった。

 

『キノは夢を抱いたんだね』

「君から熟れた夢の香りがする」

「そう。私は夢を抱き大喰いに出会った。その時虫憑きにならなかったけどアリア・ヴァレィだった過去を知った」

夢を抱けば始まりの三匹が引き寄せられる。そこから繋がる過去に隠された真実。

 

「アリアは役割を果たすと器は忘却する。本当のことだったんだな」

「そして私は自分が虫憑きにしたイチのことを思い出した」

『僕が虫憑きにした。そう言っても君は取り合わないだろうね』

「アリア。イチは欠落者になったよ。虫憑きになってすぐに大喰いに挑んで敗れたんだ」

『なんだって!キノはイチに大喰いの能力を話した。勝てないって知っていたはずだ』

「私は目覚めてすぐにイチが血まみれの欠落者に成り果てているのを発見した。そのことをずっと忘れて過ごしていた」

「それが虫憑きなのか......アリアの器の使命なのか......」

『僕は......僕はっ......』

語られる事実、アリアと先生に与えた衝撃は大きかった。

先生はアリアの器としての宿命の大事さにアリアは少女に強いた役目とその結末の重さに。

 

 

 

「だからお願いアリア・ヴァレィ。貴方にイチを取り戻して欲しい」

 

 

『......ッ!?』

「なんだって!?」

だからキノが語る言葉よりも重要な意味合いをもつ嘆願は更なる衝撃として加わった。

 

「始まりの三匹。その一人であるアリアなら欠落者になったイチを救えるはずだ」

「そのために君は......」

全てのお膳立てはイチを救いだすこと。少女は欠落者となった少年に絶望し立ち尽くすことはなかった。

 

「夢に誘い出されたディオレストイに契約を持ち掛けアリアのことを随分探したよ」

『キノ、君は虫憑きになろうとしているのかっ』

「っアリア本当かい!?キノは虫憑きになろうとしているのか」

不明瞭だった契約という言葉の意味をここに来て一端を知る。

 

「そう。それがディオレストイとした契約の一部」

『まだ何かあるのかい。キノはどれだけ無茶をしたら気が済むんだ』

「自分の夢を餌にしてアリア・ヴァレィを探しだす。無謀ですらない蛮行だぞそれはっ」

 

「貴方に何が分かる!」

 

「ッ......!?」

先生の叱責も少女を咎めるには至らない。

何故なら少女は安い感情で動いた軽挙ではなく硬く決意した意思によって行動している。

 

「かつてのアリア・ヴァレィの器として忠告します。誰かを虫憑きにする。そんな覚悟は忘れてしまうその罪を前にすればなんの意味をなさない」

「......」

「辛い別れだよ。私はイチのことが大好きだった。その気持ちの分だけ今は辛い」

『僕が......奪ったんだよ』

「先生、貴方は貴方の役割がある。後悔なき選択はない。せめて背負えるだけの道を見つけることを私は願います」

「肝に命じておくよ」

新旧アリア・ヴァレィの器同士の会話。それは役割に対する戒め。虫憑きを生み出す者達の器に選ばれた人間の交わす言葉。

 

「話が逸れちゃったね。私のことはいいからイチのことを頼むよアリア」

『僕は結局キノの望みを叶えることで虫憑きを生むのか。一体何故こんなことに』

「アリア......」

虫憑きを生み出す罪の連鎖。自分が喰らう訳でなくともキノは虫憑きになる。罪深い業がアリアを悩ませる。

 

「先生?もしかしてアリアは悩んでいるのかな?」

「キノ。アリアは君の望みを叶えることで君が虫憑きになるのを気に病んでいる」

「ああ、そうか。そういう考え方もなくはないのか。それは違うよ先生、アリア」

『キノ?』

即座に否定するキノ。その否定にはどんな意味をもつのか。

 

「アリア・ヴァレィ足るものがなんて思い違いをしているのかな。私が虫憑きになる理由なんて一つしかないのに」

「理由?」

理由とはなんだろうか。イチを救い出したい想いか。ディオレストイと交わした契約によるものか。始まりの三匹と関わったことか。選択した自らの意思か。ただの不幸か。

そしてキノは語る。

 

 

 

 

「簡単なことだよ。それは私が夢を抱いたからだ」

 

 

 

正解はそれしかないのだと疑わない迷いのない答えだった。

 

 

 

「戦わない虫憑きはいない。どの虫憑きも自分が抱いた夢を守るために戦っている。アリアも言っていたことだよ。私は虫憑きになるけど夢を見続けることができる。夢を叶えるために戦うことだってできるんだ」

 

 

少女は夢を抱いた。その夢は始まりの三匹を惹き付けるに値するほど確かなもの。

 

 

 

「私は虫憑きになる。アリアもイチも関係ない。だって夢があるから。誰にも負けない思いがここにあるから」

 

 

夢に輝く少女に同情なんて必要なかった。

虫憑きは苛酷な戦いを強いられる。そんな運命に負けない夢見る少女の強き想い。

少女は契約によって虫憑きになる。だがそれは屈したからではない。

どこまでも貪欲に願いを叶えるための少女の選択に過ぎなかったのである。

 

 

 

 

「アリアはそんな私の夢を手伝ってくれる?」

 

 

 

 

見誤っていたのはアリアと青年の方。

この少女は虫憑きになることを憂いていない。

何一つ諦めていないからここに居るのだ。

 

少女は自らの夢のはじまりを告げる。

 

 

 

 

 

「さあ全ては揃ったんだろ。はやく招待しろディオレストイ」

 

 

 

 

教会の扉が開く。

一年と数ヶ月ぶりとなる少年は以前より髪が伸び女の子のように髪が長かった。

人形のように感情のない顔を張り付けているけどキノはその顔にぶっきらぼうに無愛想な表情を思い返させた。

姿を現した最後の役者に対してキノは声を張り上げ舞台を演じる。

そんなやり取りに全く反応を示さない欠落者の少年に少女は近づく。

 

「約束破るとあとでヒドイ目に遭うぞイチ」

 

教会に鐘の音が鳴り響く。

 

 

この日非公式に一人の欠落者が蘇生されこの日始まりの三匹全てを巻き込んだ一人の虫憑きが誕生する。

 

 

 

 

 

空気を震わせた鐘の音に目が覚める。

 

祝福のようでいてそうではない鐘の音は空気に鳴り響いたあと消えていった。

長い眠り、長い夢を見ていた気がする。

病室で感情のない自分が寝ても起きても変わらない風景。そんな夢をずっと。

何故自分はこんなところに居るのだろう。

病院の前のトラックの近くに人が倒れているのが見えた。覚えのない景色だ。

 

 

 

 

「イチ」

 

 

 

そう呼ばれただけで心臓の鼓動がひとつ高鳴るのを感じた。

 

ゆっくりと振り返る。

聞こえた音が幻聴でないように呼ばれた名前の意味が真実でありますように。

 

果たして、少女が居た。

 

少女の周りに群青のウスバカゲロウの幼虫ずんぐりした胴体に鋭い牙をもつアリジゴクの姿をした異形の虫が空間に形作り姿を消した。

 

少女の周りの異変なんて気にも止めない。

 

イチと呼ばれた少年は少女に向かって駆け出した。

 

これは再会であり、約束である。

 

イチとキノは名前を呼びあった。

 

 

「キノ」

 

「イチ」

 

「約束守れた?」

 

「遅い。私の方が先に思い出しちゃったよ」

 

「守れなかった?」

 

「ん?約束は結局、私がイチを名前で呼んでいるしね。だけどお詫び位は欲しいな」

 

「幾らでも」

 

再会の感動を静かに喜ぶには二人は大人ではない。

思いの丈をぶつけるように抱き締め合い、顔を近付ける。

お詫びの名目の接吻が再会と約束を締めくくる。

 

 

再会を祝う二人に一匹のダイオウムカデが顕れ一鳴きした。

 

 

 

 

 

 

 




ダイオウムカデ「リア充バクハツしろ」


ムシウタで怖いのは虫憑きじゃない一般人。魅車八重子しかり佐藤陽子しかり土師圭吾しかり宗方しかりヤッコしかり。

今回から独自解釈が強くなっています。妄想じみた根拠の薄いものなので悪しからず。


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夢歩み出す歩幅

前回まででシリアス終了。日常パート。
キャラ崩壊な予感がします。キャラが勝手に動く言いますよね。自重しなかったのは私ではないと免罪符を掲げたいと思います。


月見里キノはイチと呼んでいる少年と右曲左折して再会を果たした。

代償として自身も虫憑きになってしまったが得られたものは大きい。

お蔭で欠落者になった少年の心を取り戻すことができたのだから。

 

 

 

 

ファーストキスは何味ですか?最高の至福の味です。

 

比喩なしにそう言えるキノ。

かつてのアリア・ヴァレィとして貪ったイチの接吻と夢の味は、甘くて濃厚で美化する必要がないほどキノに深く刻まれている。

そんなキノは今だらしなく口を弛めていた。

 

駄目だ。口許がにやけて仕方ない。えへへ。また、キスしちゃた。あれだね。リア充バクハツしろとかそんな僻みが全く気にならない位幸せだね。

幸せに満たされたトリップに冷静なツッコミをいれてくれるかつての同居人はいない。

蕩けそうな表情のキノはなかなか現実へと復帰しなかった。

 

 

約束の再会を果たした少年イチは長く伸びた自分の髪を鬱陶しく思いながら、終始口許を弛ます幼なじみキノを様子見る。

体感でもキノと会うのは久し振りの気がする。

前より背が伸びてより大人びた変貌をキノに感じるのは成長期ならでは変化である。短すぎないショートヘアーが快活な少女によく似合っている。

よく整った中性的な顔つきのスクリーンに色鮮やかに変わる表情を映し出すキノをイチは好意を寄せているが、だらしなく弛みきった顔をいつまでも見ているのも何とはなしに居たたまれない。

大胆な行為の後に、この反応。人生経験の少ないイチには気恥ずかしい。

軽はずみではないが冷静になると随分色々とやり過ぎた感が否めないのは若気の至りってやつなのか。

まだ事情や勝手がわからないイチには幸せそうなキノが元に戻るまでの間キノを見続けることしかできなかった。

 

 

 

ただいま。幸せで宇宙に旅立っていたキノは帰ってきました。ずっと見ていたらしいイチの目が少し痛かったよ。

さて取り敢えずの問題解決の方針から決めていこうか。

イチはずっと病院施設内で治療に専念してたらしいから、虫憑きの欠落者なのか怪我の後遺症なのか判断ができなかったみたい。

そこら辺の判断基準が曖昧で医師としての判断材料に困ったのかも知れないね。

ただ大喰いとの戦闘で随分暴れたから虫憑きの可能性を特別環境保全事務局が嗅ぎ付けたわけだ。

イチはあと少しで特別環境保全事務局の管理施設に容れられるところだった。

ギリギリで間に合った今回のタイミング。

ちょーーっとディオレストイさんが暴れてくれたお蔭で特環の目撃者の前後の記憶が曖昧になってくれてるのを期待します。

破壊痕から虫憑きの関与が疑われるかも知れないがしらを切り通す。そして今回の件で、復活を果たしたイチの扱いは欠落者の蘇生ではなく、怪我の後遺症の回復にしてしまいたい。

シナリオは簡単。幼なじみの怪我のショックから記憶を消した少女がアルバムを覗いて思い出した少年と再会し、怪我の後遺症で全く無反応になった少年の心を癒した。

ちょっとクサイが大衆受けのいい感動ストーリーではないだろうか。

都合のいい設定を美談にしてお茶を濁す。

実際大筋は間違っていないし、そういうこともなくはないと納得できる要素もあるだろう。

 

虫憑きかどうか判る感知能力の虫憑きも存在する。

バレてしまったら仕方ない。

問題はイチがどのタイミングで虫憑きになったのかを知られることにある。

欠落者の蘇生例は存在しない。この通説を覆す真似だけはしたくない。

怪我の完治後に虫憑きになった。そう誤解させる必要性がある。

万が一に蘇生者だとバレてしまえばイチの危険度がかなり上がる。欠落者になることを怖れるすべての虫憑きに狙われる羽目になる。それは避けたい。

あくまでも怪我の後遺症。

それを完治できた原因に疑問を感じれば私の虫の力だと嘘を重ねれば問題ない。

今のキノは虫憑きだ。周囲を勘違いさせる要素は一杯ある。バレなければ問題ない。バレてしまっても誤魔化せばいい。

そうしてイチの欠落者蘇生の事実を隠してしまう。

 

そんな訳で、現在お涙頂戴な感動の茶番劇が展開中。

 

いやあ、大人ってチョロイなー。

 

 

 

特に問題なくイチは退院を迎えた。

女の演技力の恐ろしさを知ったイチ。知りたくなかった。イチは確実に大人の階段を駆け足で登っている。

幼なじみの少女キノから聞かされた方針に沿って退院まで演技をし続けたイチ。

院内の看護師さんはその幼い子供の美談にすこぶる食い付きをみせ二人を見守った。イチは内心引き気味だった。

不器用に思える少年が少女を見詰める時、目元が優しくなるとか二人の距離がかなり近いこととかイチも無意識の内にキノの演技に貢献していたのは見守る看護師談の総意である。

ついでに騙し騙されの茶番劇も健気な少女を演じるキノの献身ぶりに砂糖を吐く想いが入院患者談の総意である。

簡単な検査と今後の経過報告の通院を最後に無事退院。

とにかく、どこもかしこも好奇の視線に囲まれる嫌な想いとおさらばである。

特別環境保全事務局に気になる動きはない。常識になった欠落者蘇生不可能の通説がイチが欠落者であることを誤診とみなしたのであろう。

局員の戦闘員も記憶が曖昧なのを気にすることなくことを進めてくれたようでディオレストイ様々だとはキノ談。

 

このまま退院しても完全な日常回帰は望めない。仮初めの日常にどれ程身をおこうともイチとキノは虫憑きだ。

日常と非日常の拮抗が破られた時、逃げることは許されていない。

一段落の節目にイチは戦いの覚悟に身を引き締める。今度はキノも戦いに巻き込まれた。二度と敗北は赦されない。

 

漸く停滞していたイチの夢が動き出す脈動にイチのズボンに絡み付くダイオウムカデが姿を見せた。

 

 

 

 

 

フリーの虫憑きが二人どう身をおくか。

猶予はあるけど見えない時限爆弾はこわいね。私の虫の制御も考えて少しでも時間が欲しいところであるが。

 

メリットデメリットを考えるとむしばねだけは着く気が湧かない。特に旧むしばねは立花利菜のカリスマありきのワンマンスタイル。直情的な彼女はブレインとしての 冷静さの資質に欠けており特環との抗争に熱が強過ぎる。彼女についても虫憑きの本質に迫ることはできないだろう。

メリットは少なく、デメリットの多い選択肢は当然却下だ。

 

特別環境保全事務局。一筋縄でいかないこの組織は地方ごとの特色も考慮しなければならない。

中央本部はあの女、魅車八重子の支配下だから論議すら値しない。

さて、魅車八重子のプロフィールでも聞かせようかな。

虫憑きの黒幕。

大体全部コイツのせい。

ふぅ、説明はこんなものか。

そんな素敵な女性の下で働いている中央本部にはディオレストイを使った人体実験なんかがされており殲滅班なんて物騒な部隊が存在するぞ。

悪よ。滅びろ

 

東中央支部はそんな中央本部に反感を懐く支部長 土師圭吾なんて名前の素敵なお兄さんがいる。超危険人物2号さん。暗躍王である。シリーズ本編初期に意識昏倒していたが最近暗躍していたことが分かりました。コイツは善人悪人呼ばわりするのも面倒なくらい腹の内が読めん。関わりたくないと本能がシャウト。

そんな素敵なお兄さんの下で働く東中央支部のご紹介。

かっこう一号指定の化物。

終了。

兜さんにみんみんさん貴方たちは説明不要ですね。モブですもの。だから泣かないで五郎丸さん。

ふざけたものの一号指定のかっこうと同じ職場はいただけない。彼こそ主人公にして虫憑きの戦いの中心にいる虫憑きの中の虫憑き。彼と同じ戦場を立つということは虫憑きの激戦地区地獄の手前までの出張を余儀なくされる。

原作知識のアドバンテージにわざわざかっこうの隣に居る必要性は少ない。

 

北中央支部は性根が気にくわない連中の巣窟だ。それなりに強力な局員も多い。だけどリスクと安全性を常としたぬるい考え方は虫憑きとして人として受け入れられない。

コイツらといても結局足手まといになるに違いない。

ただの偏見だけど。

メリットはあるがそのメリットが気に入らん。却下。

 

閉鎖的な南中央支部。積極性のないことなかれ主義もある意味面倒な連中だ。

ここは一番可能性があるところかな。

私とイチの住んでいる鴇沢町に近いし。

ただやはり最初のメリットデメリットを考えると微妙。

 

残った西中央支部は物をつくれればそれで幸せの変人の巣窟である。

イチと私が配属されるとは考え難い。

 

特別環境保全事務局。査定結果が出ました。

メリットは組織力とバックアップ。

デメリットは組織のしがらみ。危険人物多数。

地方別の査定結果

中央本部、東中央支部 危険度S却下。

その他 却下。

 

以上を持って結論。特別環境保全事務局はない。

 

まだ残っている勢力?

かっこうと同じ一号指定 世果埜春祈代を中心としたハルキヨ勢力がなくもない。

こやつもかなりのワンマンスタイルのカリスマ勢力でしかも基本自由行動。

メリットもデメリットもない微妙な選択肢だ。

旨みが少ないからやっぱり却下。

しかも本編開始以降、殲滅班別動隊として魅車八重子と利害関係にあらせられる。

 

茶深一味。並べてみたけど意味のない組織だ。

まだ特環に雌伏の時だろう。

まだ何を為すのかキノにもわからない組織。

そんな組織に強力な戦力提供するのは色々と問題だろう。

一番メリットがないし。

 

あれも駄目、これも駄目な選択肢。

 

ならどうするか。ようは後ろ楯があればいいのですよ。

権力に負けない強力なヤツをね。

 

まあ制限時間は虫憑きが身バレする時までなので、それまでは楽しくやろう。

折角の二度目の人生。交際して間もないイチとのイチャラブに物騒な虫憑き事情は持ち込ませない。

バカップルって知っているかい。私とイチとの愛を前に公共の場なんて関係ないぜ。さあ捲るめく愛のラブロマンスに出駆けようイチ。あっ。イチちょっと待っ。逃げるの、はやっ。

 

 

 

 

イチからキノの忠告を無視した大喰いとの戦闘経緯を説明されたキノの反応は意外にも力の入ったビンタだった。

 

予想通りの大喰いとの戦闘経緯はキノにどれだけ負担を与えたかを考えるとそれでも温いだろう。

なにより無謀な行動はイチ自身を欠落者にした。

そのことでキノは約束を果たして貰うどころか一生無自覚の罪を背負うことになるところだった。

奇跡的な記憶の復活がなければ今もイチは欠落者として過ごしていただろう。

少女の機転はイチを救った。だからといってイチの独断を赦すのとは別だ。

怒っているのに泣きそうな顔をするキノをイチは抱き締めながら何度も謝った。

 

 

キノからイチが蘇生するまでの経緯をあっけらかんに説明した時のイチの反応は滅多に見せない素敵な笑顔でのヘッドロックだった。

 

 

 

 

 

先生との約束で一度赤牧市の病院に行かなければならない。実はアリアと先生とはあの後少し話してみたことがあった。

一つが眠りについたアリアと忘却した先生の代わりに花城摩理の様子見することである。

どの時期に花城摩理の夢を喰らうか不明。

あの青年が万が一アリアの食欲に屈してしまった場合に備えてキノに約束を取り付けた。

同じアリア・ヴァレィとしての頼み事を断る訳もいかなかった。

正直言って気が進まない。だけど約束した以上破る訳もいかないのが実情だ。

あの時頼みを断るのは不自然だったから仕方ないと割り切る。

 

イチの蘇生に必要なアリア・ヴァレィを召喚したがその器となってる人間が先生だったとはキノも驚いたことだった。

 

おかげでかなり焦った。

アリアは花城摩理を虫憑きにした後、全盛期の力の大半を失ってしまう。

私が本来存在することがあり得ないerrorとするなら花城摩理はbugである。

身体を作り替えるアリア・ヴァレィの虫憑きの誕生システムからうまれたbugは花城摩理の身体が病に侵されていることが原因とされる。

完全なるイレギュラー。誕生した同化型の虫も破格的な強さを秘めている。

そのことを起因としたアリア・ヴァレィの故障。眠りのルールの異変、マーカー使いなんて不安定な虫を生み出すことになる。

 

原作では大助復活の為に茶深一味がアリア・ヴァレィと同化した鮎川千晴と尽力するが、もしも茶深の謎の増幅能力が必要なら目も当てられない。

 

花城摩理を虫憑きにする前の先生だったのでアリアは全盛期の力で欠落者の蘇生に当たった。

お陰さまでイチは少ない不安要素で無事欠落者からの蘇生が完了した。

もしもアリアでもイチの蘇生が不可能だったらと考えるとゾッとする。

 

 

花城摩理あのハンターと関わるのは予想外な問題だ。

 

彼女に関わることで私の知る物語が書き換えられたらと思うと今まで感じたことのない重さを感じる。

別に原作通りの展開を神聖視している訳ではない。関わることで物語が書き換わってもより優れた結末を迎えられたらそれでいい。

怖いのは間違った結末への誘導。良くも悪くも物語通りに進めば物語は正しく結末を迎えるだろう。

しかしキノはその結末を知らない。すべてのストーリーを知る前に早死にしてしまったからだ。

だから恐ろしい、変えてしまうことが。間違うことが。

救いを得られないことが。

虫憑きの戦いの多くを知りながら誰よりも希望的観測が出来るのは物語の世界を信じるキノの歪み。

自覚しているが故に答えを出している。

そう。それは転生を果たしてずっと悩み続けたことに対する答え。

その時キノは漸く夢を抱くことができた。

 

転生者キノのスタンスは行き当たりばったりだろうが熟慮の行動だろうが関係ない。

 

今は虫憑きのキノだ。

 

抱いた夢に忠実に生きる。それだけだ。

 

もしも、私が変えてしまったら。

 

すべてを私の正しさで埋めつくそう。

 

私の夢。

 

二度目の人生を謳歌することだ。

 

イチと一緒にな。

 

 

 

病室の一室で銀色のモルフォチョウと出会う。

 

 

 

 

 

イチはキノとは別に行動していた。というよりはキノに置いていかれたのが実情だ。

運動不足の入院生活は、イチの手足を華奢に衰えさせ本調子とは程遠い。そんな理由で別行動の訳だがどうもイチを関わらせない建前くさい。

本来ならキノに号指定級の強さを認められているイチを連れていかないのは違和感がある。

キノの虫の強さは不明瞭だ。まだ実戦経験がないし虫の制御訓練も十分とは言い難い。

それでもキノが一人で行動するのを許したのはキノを信頼しているからだ。

キノの行動力には目を見張るものがあるが考えなしの行動はしないので悪い結果にはならないと信じている。

 

一人で行動すると言ったキノに着いていくことが出来なかったのはキノが固さの篭った顔で頼みこんだから。

一体何を思ってキノが行動しているのかわからない。

だけど彼女が望まない選択を選べなくなったのはそんな顔を浮かべた彼女の表情だった。

 

 

 

 

 

 

先生はまだアリア・ヴァレィで花城摩理をしっかり記憶していた。

 

すでに花城摩理は虫憑きだった。

 

矛盾したアリア・ヴァレィのルール。キノの例を含めてもこの事態は本来あり得ない異例の現象である。

虫憑きを生んだのにアリア・ヴァレィは眠りにつかない。先生の中に留まり続けている。

起こり得ない矛盾、bug。

bugから生まれた虫憑き。花城摩理の虫はbugを引き継いだ銀色のモルフォチョウである。

 

 

病室に向かう途中、先生とアリアに捕まった。

そんでbugについてのお知らせが聞けた。

白々しい私の驚きはイチと私の病院ラブストーリーで演技力に磨きがかっていた。

知っていました。貴方たちがそうなることは。

だから関わりたくなかったんです。

貴方と花城摩理。二人は私の知識を持ってして救われないから。

 

 

日をそれなりに開けた再会。

勿論花城摩理が虫憑きになってから出会う意味合いを持たせた期間。

先生は記憶を失っていない。自分が生み出した虫憑きの末路を見守る。罪や罰の話になるならば、虫憑きを生んだことは罪である。罰は何か。それを知るにはまだ早いけど。

 

アリアの忘却のルールは本来なら救いだったのかもしれない。

 

 

 

いやータイミングよかったね。昨日花城摩理さんが心不全の発作を起こしてそれを救うために先生はアリアの力で花城摩理さんを助けたそうです。

私の会いに来た花城摩理さんは同化型の虫憑きになりましたとさ。全く喜べないね。

だけど当初の目的を果たせそうだ。先生とした約束。

っていうか、帰っていいかな?会う必要なくね?

私は知っていたよ。先生が記憶なくさないってね。

だけど忘れてしまう自分の代わりに花城摩理さんを一人にしてしまうことが嫌だったんでしょうね。私に頼んだわけだ。知っている私が知らない先生の頼みを断るわけにはいかなかったので出向いたけど晴れてお役目御免でいいですか。駄目ですか。

 

 

 

強力な渦を花城摩理さんの病室から感じている私です。

コイツ強いぞ。

ってな具合で分かる私の虫の能力。感知能力が備わっておりかなり広範囲に渡る索敵が出来る。

特殊型の群青のアリジゴクの虫。媒体は空間といった所か。

かなりピーキーというか弱点がある虫だ。

レアな感知能力から純粋な力だけの火種ではなく異種にカテゴライズされるべきだろう。もっとレア度の高い、秘匿性のある虫だと秘種に分類される。

イチのダイオウムカデは雷使えるらしいけど特殊能力はないから火種。私がちょっとレアな異種。

元アリア・ヴァレィとしての嗅覚が私の虫の感知能力と合わさって凄い感知力あるんだけどここの病室。

すんげぇ力の脈動感じる訳ね。イチの虫も凄いけどそれ以上。

同じ同化型でも虫の強さが違うのはかっこう、ハルキヨ、リナ三人の一号指定を相手取ることが可能な最強の虫憑きならではかもしれない。

でもおかしいな。イチ以上なのは予想通りなのだがイチの虫はそれでも強い。

比較対象がなかったから今までイチの強さが分からなかった。

一号指定最強の強さを直に感じても計測の目安にするのは難しい。

大喰いとの戦闘の話から推測するに火種三号級はあると思う。

だけどまだ実際のイチの戦いを見てない予測だし私の虫がイチのダイオウムカデの強さを感じ取っている。

かなり強力な虫だった。さすがはアリア・ヴァレィの同化型の虫憑き。

私独自の感覚、渦がこのダイオウムカデの強さを物語っていた。

虫の強さが必ずしも虫憑きの強さにならないが果たして火種に分類されるイチの虫がどんな強さを秘めているか。

私は無意識の内にイチの強さを下へ下へ追いやろうとしていた。必死にそれに気付かないように。

 

 

 

 

病室の扉を開く、病室の個室のベッドに横たわる少女は先生と一緒に入ってきた私を見た。

交わさせる視線。多くの虫憑きを葬るハンターとしての才覚か。私の中の何かを見破り何かを悟り、そして興味を失った。

そう確信するほど彼女は私の深くを覗きこむことを感じたし、彼女は既に私を見ていなかった。

そうだ。認めよう。私はどこか彼女のことが疎ましかった。知るが故に印象を堅めて腫れ物のように感じていた。

だから彼女が察したのはそんな私の失礼な見方。興味を失ったのは当然のことだ。私の失礼な色眼鏡が彼女の気を悪くさせたのだから。

大病を患い死の未来がちらつく孤独な彼女。

そんな少女に私は失望させてしまった。

 

だけどね。

 

私は甘かったがそこまで甘くない。

 

第一印象は最悪だろう。

 

私も貴女と出会うまでは嫌々だったのだから

 

だけど残念。私は貴女が気に入った。

 

だってその反応、初めて会ったイチと同じじゃないか。

 

窓の景色を見詰めて、そっぽ向く花城摩理という少女に近づきキノはーーー

 

少女の頬っぺにチューをした。

 

 

 

 

 

花城摩理は今はまだ名を呼んでいない研修医の青年に、月見里キノのことを教えて貰っていた。

かつてのアリア・ヴァレィの器でありながら記憶を取り戻した少女。そして虫憑きとして生きることを選んだ少女である。話を聞けば呆れることすら難しい。そんな少女が私を訪ねて現れるらしい。

青年がアリア・ヴァレィの眠りに巻き込まれて記憶を失う代わりに少女に私の様子を確認するように頼んだからだそうだ。

お節介だ。本当に。

だけどこの代わり映えのない病室の風景に訪ねてくる少女に興味を覚えなかったと言えば嘘になる。

だから失望した。

訪ねてきた少女は私のことを見る目にはどこか哀れみがあったから。

すぐに目を逸らして窓の外に目を移す。

これ以上、興味はない。

無関心な態度でそれを示す少女はしかし無防備だった。

 

不意に自分の頬にリップ音。

 

悪戯気に笑顔を浮かべる少女の顔が近くにあった。

やがて何をされたか思考が追い付き。

 

「ーーーッ。~~~~~~~!!!」

 

顔を赤く染めて声にならない悲鳴をあげた。

 

 

 

 

 

第一印象で諦めたらそこで終了ですよ。

ならばと挑んだ第二印象。結果はすごいぜ。

花城摩理ちゃんはベッドのシーツにくるまり、こちらを睨んでいる。

大成功だ。

シーツの隙間から真っ赤な顔で睨んでくる摩理ちゃんが可愛くて正義だ。

警戒されてるが問題ない。

にっこり笑顔を向ければより深くシーツに身を丸くする。可愛いいね。

先生はそんな私たちを見守っている。チラリと振り返れば呆然としていた気がするが気にしない。アリアはどう思っているかな。自重しろかな。

そういえば自己紹介がまだだね。ちゃんと挨拶せねば。

 

「はじめまして、花城摩理ちゃん。月見里キノだよ。よろしくねー」

そんな挨拶はキノの好感を上げることはなかった。

 

 

......。

「いやー。ぶっちゃけ?面倒な気はしたんだよねー。病気患っている女の子に会うの」

............。

「同じアリアの器のよしみで請け負ったけどなかなか気が進まなかった訳よ」

..................。

「でも一目惚れよ。まさか同じ同化型とはいえイチとおんなじリアクションされるとはねー」

........................。

「そろそろ会話してくれないと頬っぺにチューしちゃうかも」

ガバッ。

 

丸まったシーツから漸く姿を出した花城摩理。

まだ顔の赤い彼女はキノの脅しに本気で怯えていた。

「あ、貴女一体どういうつもりでキスをしたの!」

「挨拶?」

「ここは日本よ。そんな挨拶あるはずないわ」

「えー。日本でもキスくらいするよ」

病院生活の長い摩理に平気で嘘を重ねるキノ。

あとでこっそり先生に確認する摩理の未来は流石に知らない。

「それに貴女じゃなくて月見里キノだよ。名前で呼んで」

「貴女は」

「キノ」

「......月見里」

「キノ」

「月」

「キノ」

「......。」

押せ押せ作戦は花城摩理の軍配を劣勢に追いやっている。

「キノッ。キノッ。キノッ。キノッ」

「自分の名前を連呼しないで頂戴。ここは病院よ」

押してだめなら引いてみる作戦。期待した眼差しで見つめる。

「わくわく」

「........................キノ」

声にした段階で駄目駄目だったが押し負けたのは摩理の方だった。疲れた。

 

結局摩理はキノに完全に心を許すことはなかった。だけど第一印象に比べて随分と打ち解けたのは摩理も思いもよらないことだった。

 

ずっと病室に籠って過ごしてきた摩理ちゃんはコミュ障だったね。自重しなくてメンゴ。

摩理ちゃんはイチと雰囲気似ているね。主にツンデレが。

あんまり来れないけどまた来るって伝えたらスゲー嫌そうだったけどツンデレなら仕方ない。

面会時間が過ぎるまでたむろしていた。怒られた。解せぬ。

先生はそんな摩理ちゃん見て喜んでいたよ。年相応に見えたんだろうね。あの子のこと。

アリアは文句言っていたらしいが私はもう聞こえません。全然気にならないね。先生は苦笑いだが。

実は赤牧市に来た目的が残っている。それをするのも一人で来たかった理由だ。

 

 

 

 

 

「はじめまして。今日はこの挨拶が多いな。私は虫憑きです」

ある屋敷に忍び込みキノはその人物と会っていた。

 

「アリア・ヴァレィと所縁を持った私は貴方に頼みごとがあって来ました」

男はキノに背を向けたまま振り返らない。

 

「私の目的と要求。その二つをお話しましょう」

キノは男に淡々と語る。

 

「まず私の目的。虫憑きが生まれるシステムの破壊」

キノはただ語る。

 

「これを為すのは現段階では不可能でしょう。だけど夢物語ではない。必ずやり遂げる。それが出来るのは虫憑きである私たちだけ」

事実を語り諦めない。キノは虫憑きだから。

 

「魅車八重子のいる特別環境保全事務局ではそれが不可能。あの女は虫憑きの戦いを終わらせる気など毛頭ないのだから」

それを知っているのは男も同じ。

 

「それに対抗するレジスタンスむしばね。これも実現不可能。何故ならリーダー足る彼女が虫憑き同士の抗争に囚われているから」

これは虫憑きとしての事情。虫憑きは一致団結など出来ていない。

 

「だからこそ私は貴方にお願いしたい。新しい勢力。私たちの後ろ楯になることを」

新しい勢力。現存の勢力で不可能ならば創ればいい。

 

「円卓会ならば特別環境保全事務局に影響されない独自の勢力を創れる力がある」

円卓会。資産家たちの秘密倶楽部であり、虫憑きの誕生に関わりをもつ。

 

「私に力を貸してほしい。虫憑きを見届けるなら私に協力して」

男は何も答えない。

そしてーーー

 

「一之黒涙守」

 

向けた背を振り返らせた。

 

 

 

 

 




うん。頑張った。だからウサギさんは甲羅を背負う奴に追い抜かれてもゆるして下さい。
こんなペースで描くとは思わなかった。
いやね。ランキング載ったり嬉しかったんで調子よく続き執筆してヨイショされてる馬鹿な奴が居たわけですよ。
でも限界っす。更新ペース落とします。
更新は来月を予定しております。
まさか一ヶ月経たぬ更新で三万字越えするとは思わなかった。


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夢入り乱れる円舞曲

来月って言ったのは嘘になった。
兎詐欺した私は焦らすなんて芸当よりも早く上げることにしたぜ。

本来なら描いてる余裕ないけど、アレです。
描いてはいけないのに描きたくなる現象が、禁断症状となって気付いたら描いました。

普通に後悔している。だから公開する。


前回のあらすじ。

花城摩理はツンデレ。一之黒涙守さんと取引交渉。

うーん。間違っていないよね。

伝わるかな。伝わるといいね。

 

 

 

新勢力を円卓会がバックアップする件だけど、概ね成功だ。

制約はかなりあるけど。

一之黒涙守さんが円卓会会長とは言え実権を握れていないからね。

ようは一之黒涙守さん個人に直属している訳でなく円卓会そのものに属することになりました。

無償援助ではなく便利な虫憑きの下っぱをやらせて貰うことになります。

多分荒事とかボディーガードとして働くのではないかと予測。

 

政府が危険視するほど大規模な組織力をもつと問題なのであくまでも少数精鋭。

要らぬ衝突を避けるためメンバーの公開も必要かもしれない。

無論情報を与え過ぎないよう配慮しての公開となるが。

 

イチと私が自由に動けるように他にも虫憑きを引き込む予定だ。

なるべく強力でこちらが主導権を握れるようはな虫憑きが欲しい。

増えすぎても困るが少ないと自由に動けないのでいい駒を欲しています。

殲滅班に負けない部隊を創るぞと意気込む。

 

一之黒涙守。

若くして妻を亡くし娘を溺愛する青年。

そして虫の誕生に立ち会った円卓会会長。

不死の研究を支援していた円卓会が生んだ最悪の産物、虫を生んだ世界を見届けることしかできない男は何を思っていたのだろうか。

その背中は語らず背負いそして大きくも小さくも見えた。

キノを支援すると約束を交わしてもその胸の内を知ることはかなわない。

 

キノとは協力関係になる一之黒涙守。

円卓会の監視役に内側からキノが見張り場合によって動く。

円卓会のパトロンを得るのに必要な契約だ。否はない。

虫憑きの真相の鍵を隠し持つ円卓会が、金儲けの為にそれに手を出すことをキノは許さない。

それは虫憑きが得るべきものだ。

まだ時と条件が整っていないだけで虫憑きがかっ拐うものだ。

利害が完全に一致するキノは当然受ける条件。

 

円卓会のメンバーは一枚岩ではなく入会条件さえ得られれば会員になれる。選定基準がかなり厳しいけど。

入れ替えもそれなりにあるので古参のメンバーでなければ虫憑きの真相を知らないだろう。

彼らから資金援助を受けるにはそれ相応の利用価値を示さなければいけないので頑張って逆に利用してあげましょう。

 

最近何故か悪巧みが上手くなっている気がする。気のせいかな?

 

後ろ楯をGETしたのであとは流れに身を任せようと思います。そんなに策謀ばかりに動けるほど女狐してません。

原作知識をフル活用して十全尽くしてきたキノ。

それでも思い通りにいくとは思えない。失敗する要素は幾らでもある。

 

一之黒涙守と円卓会に取り入ることで派手に動いた。

これだけでもキノの動きを察知する人間がムシウタの世界に何人か居る。

魅車八重子、土師圭吾。

この二人にバレるのは時間の問題だろう。

こいつら早く人間辞めないかな。超怖過ぎるぜ。

 

世果埜春祈なんてお構い無しにちょっかい掛けて来そうだね。マジ勘弁して下さい。

かっこう、むしばねがどう動くか不明。

基本不干渉がいいんだけど。

 

厄介な始まりの三匹はアリア以外いずれ討伐する予定だけど、どうなるかね。

 

そして自身の虫。

今はイイ子ちゃんに宿主に力を貸す虫だが夢を喰らい尽くし反旗の時が来たら宿主の意向お構い無しに動きだし成虫化。

成虫化した虫は無指定の虫憑きだとしても、号指定の局員数名がかりの戦力が必要な位ヤバい。

敵としても厄介だが自己の虫が成虫化したら即死亡の現実にどう抗うか。

 

そんなこと虫憑きになるときに覚悟したことだ。

私の夢を虫ごときに喰らい尽くされて堪るか。生半可じゃないんだよ私たちの夢はな。

 

イチは負けない。私も負けない。

 

挫折なんてしない私たちの夢を、虫に喰われて終わるようなこと認めない。

 

最後の最後まで夢を見続けてやるぜ。

 

 

 

終電に間に合わないから摩理ちゃんの病室にこっそり侵入してお泊まりしようとしたら同化して襲いかかってきた。

あれは完全にマジギレでしたね。

なんとか宥めてベッドにご一緒しようと努力しましたが無理でした。

 

ナースコールは反則でないですか。ぐすん。

 

 

 

 

 

何もかも煩わしい。

そんな感情を抱くようになったのは一体いつ頃だろうか。

家業が道場なんてやってるせいで当然のように道場を通わせられた。

母親はイイとこのご令嬢だったらしくエリート志向の気質の人で、息子である自分に勉学が出来るよう激しく結果を求めてきた。

俺は親に言われるがままにこなして結果だって出してきたつもりだ。

いつの間に道場の息子、跡取り、成績優秀、優等生、色んなレッテルが貼られていた。

その分、しがらみが煩わしくなった。

 

道場の息子としての自分。

跡取りとしての自分。

成績優秀な優等生としての自分。

 

毎日が窮屈だ。

強要されてく内にそうすることが当たり前となって不自由で窮屈な日々をどこか受け入れている自分が居る。

 

それでも、何のしがらみなんて無い自由に憧れた。

だから

 

「貴方の夢を聞かせて頂戴」

 

そんな誘惑の言葉に簡単に口を開いてしまった。

 

 

 

今日まで普通に過ごしてきた。

当たり前の習慣になった朝稽古を済ませ学校で友人たちに勉強を教えて道場の稽古と勉学を両立させていた。

ある日、サングラスをかけた女性の質問に応え、秘密を抱えるようになったがそれまでと変わらず過ごしていたのに。

 

「クソッ。なんだよ虫憑きって!」

悪態を吐いて必死に恐怖の感情を捨て去る。

暗く人通りの無い路地裏は荒い息の男に注目を集めることはなかった。

男は一般的な服装ながらきっちりアイロンがけされたパリッとしたシャツとシワの無いズボンから律儀さと几帳面さが窺える。

生真面目そうな顔立ちが今は焦りと恐怖で歪んでいた。

 

 

 

「特別環境保全事務局だ。これより虫憑きを欠落者にし、拘束する」

突如現れた黒ずくめの人間たちに囲まれ拘束されそうになった川波清太。

いきなりの事態に混乱し冷静さを失った。

 

特別環境保全事務局とは何か。欠落者とは何か。

虫憑きを管理する組織は巷でも噂として流れている。

しかし普段真面目な生活態度で過ごす清太は噂に疎く、与太噺にされる虫憑きの情報を知らない。

だが聞こえた内容は酷く物騒に聞こえ穏便に済むとは思えなかった。

何故特別環境保全事務局などと自称する組織が自分の前に現れたのかも問題だが一番の疑問はこうだ。

 

何故虫憑きであることがバレた。だ。

 

感知型の虫憑きの能力を清太は知らない。

取り巻く黒ずくめに対し清太は咄嗟に虫を出現させ包囲網を突破した。

これにより清太が虫憑きであることは明らかなものになった。

局員は清太を正式に攻撃対象と見なし、清太自身は逃げることに徹する羽目になる。

 

 

 

路地裏を移動し人目を避け行動する。

普段通りもしない細道は今の状況も相まって不気味な通り道に思えた。

不幸中の幸いに逃げ出す時に負傷を負わせた局員が感知型の索敵に特化した局員だったので捜すのに手こずっている。

清太に冷静な行動など一つもなかった。

いきなり現れた黒ずくめ共に怯え逃げる為に虫を使い、宛てもない逃避行動に走り出したに過ぎない。

 

虫憑きとはそういうものなのだ。

虫に憑かれ怯えながらそれを隠し、いざ正体を気付かれたら特環に追われ戦うか欠落者になるかのどちらかしかない。

戦うことを選んだ虫憑きは特環につくか反抗するかで身の振り方もかわる。

 

どちらを選んでも自由とはほど遠いものになるだろう。

 

しがらみを憎んだ清太にとって、これ程皮肉な結末はない。

自由を望んだだけなのに。

しがらみの無い生き方に憧れただけなのに。

どうしてそれを夢見ただけで、こんなにどうしようもない争いに巻き込まれないともいけないのか。

何かを恨まなければ理性すら保てない。

 

だが夢を見たことを原因とすらならば、夢を抱いた自分に後悔すればいいのか。

意味のない思考と後悔や絶望感に嘆き、虫憑き清太は宛てもなくさ迷う。

 

彼の通り行く路地裏の影に、巨大な鎌を担ぐ人影の姿があった。

 

 

 

「見つけたぞ。こっちだ」

黒ずくめ、特環たちに見付かった清太。

クソッと悪態一つ溢して路地裏の道を走り進む。

建物に囲まれた道の角を曲がるとそこには他の黒ずくめが待ち構えていた。

 

「ここまでのようだな」

走る清太に遂に追い付いた四人の特環たち。

逃げ切れない袋小路に追い詰められ、未だ虫を出していない清太は緊張を募らせて身構える。

 

「横暴はそこまでだ特環ッ」

 

突如黒ずくめの局員たちとは違う六人の集団が現れた。

 

「特環だ。やっちまえっ」

集団は少年少女で構成された虫憑きのようだ。

全員が己の虫を従えさせ特環の虫を攻撃している。

特別環境保全事務局の反抗勢力である。

徒党を組んだ彼らはまだ基盤が脆く、同じ境遇に苦しむ虫憑きの寄せ集めでしかない。

 

清太は九死に一生を得た気持ちでこの集団にすがり付く。

 

「君たちも虫憑きなのか。特別環境保全事務局とかいう奴らに追われているんだ。頼む助けてくれ」

グループのリーダー格らしき男が清太に応えた。

 

「ああ。俺たちは特環に対抗する為に集まった仲間たちだ。あんたも特環に捕まりたくないなら俺らの仲間に入れ。助けてやるよ」

追い詰めらた清太に否の答えはない。

いきなり襲いかかってきた特別環境保全事務局よりはマトモに見えるこの集団の方がいくつか受け入れ易かった。

 

「っく、こちら戦闘第三班。目標の虫憑きと反抗勢力と思わしき集団が合流した。応援を頼む」

「させるかよ!」

虫憑き同士の戦いは熾烈を極めた。

分離型の虫は車サイズの大きさをもつ怪物そのもので、それらがぶつかり合う様はまだ一般人の感覚が抜け切らない清太にとってテレビやフィクションのような別世界のことに思えた。

巨体を誇るカナブンに、赤い模様が目立つ蜘蛛とハサミムシが体当たりをぶつけ、その隙にトドメを狙う虫を他の虫が牽制している。

酷くオカシナ風景だった。自分が虫憑きになっても未だ自覚の薄い清太には遠すぎて受け入れ難い現実だった。

数で圧倒していた反抗勢力の虫の一匹が大型のカナブンに吹き飛ばされる。

リーダー格の男のハサミムシだ。

 

「ガアアァ!畜生っ」

虫は足を吹き飛ばされ動けない。

狙いをハサミムシに定めたカナブンを足止めする為赤い模様の蜘蛛が攻勢にまわる。

それを完全に無視するかたちでカナブンはハサミムシに近き鋭い爪で突き刺した。

ハサミムシが悲鳴を上げ絶命した。

反抗勢力はリーダー格の男が倒されたことに動揺し特環たちは攻勢を覆す。

清太はそれに気をとられる余裕はなかった。

 

「なん......だ......?あんたどうしたんだよ。何で急に動かなくなっているんだよぉ」

先まで果敢に戦っていたリーダー格の男は今は表情を無くし、無気力どころか死んでいるのではないかと思えるほど、感情のない人形に成り果てていた。

 

「リーダーが欠落者になった。この場は退くぞ」

「逃がさん。あちらは混乱状態にある。今のうちに叩き潰すぞ」

飛び交う言葉の応酬から気になる単語を拾った。

 

「欠落者......。これが、そうなのか?じゃあ俺も虫を殺されてこうなるのか......?」

茫然と呟く清太は虫憑きの結末の非情さに力無く愕然とした。

 

多数の足音が戦闘の場に駆け寄る。

「我々は増援要請から派遣された。これより戦闘行動に入る」

更なる特環の加勢により拮抗は完璧に崩れた。

 

「このままじゃあ逃げられない」

「特環め!全員バラけて逃げるんだッ」

「それだと個別で囲まれておしまいよ!せめてここで何人か道連れにしてやる。リーダーの敵討ちよ」

悲壮感溢れる特攻を決意する反抗勢力たち。

 

そのなかの一人の少女が苦しみ出した。

 

「ううぁあああアア」

 

丸く膨らんだ艶のある胴体に赤い模様の蜘蛛。セアカゴケグモに酷似した虫が膨張し、より巨体に鋭角に凶悪に変化していく。

目の色が赤く染まり血のように冷酷な目付きに変わる。

 

「何だよ。これ......?」

悲鳴を上げた少女は地面に倒れ付し、仲間である反抗勢力たちも敵である特別環境保全事務局も動けずにいた。

 

「成虫化だ」

 

誰かがそう呟いた。それを皮切りに成虫化した虫が動き出す。

 

「戦闘第三班。反抗勢力の一人が成虫化した。我々だけでの対処は不可能だ。至急号指定級の増援を頼む!」

「アスナが倒れた。今まで成虫化の兆候なんて無かったのに」

「まだ息がある!完全な成虫化じゃない!今のうちに倒せばアスナだって......!」

敵味方関係なく取り乱した場にセアカゴケグモが暴れだす。

特別環境保全事務局は余裕のないやり取りで増援を要請し、反抗勢力は仲間内でもめ出している。

 

清太はこの時一番置いていかれている気がした。

欠落者の男はわかる。虫を殺された。

だから欠落者と言われる生きた人形に成り果てている。

少女は急に苦しみ出し虫が暴走を始めた。

訳がわからなかった。

聞き取れた単語から成虫化と呼ばれるものが関係していることはわかった。

そしてそれがこの場において一番の問題であることも。

 

「まだ完成な成虫化ではないようだ。局員全員でかかれば或いは!」

ハサミムシを倒したカナブンの虫が大きな爪を使い攻撃を開始した。

それに続こうと局員の虫が動き出す瞬間カナブンはセアカゴケグモの足の一撃で吹き飛んだ。

他の虫すら上回る大型の虫が石ころの様に撥ね飛ばされる光景は、何度目になるかわからない驚きの現象だった。

 

セアカゴケグモは赤い目を光らせ夢を食い尽くせていない宿主の少女を前に糸を吐き出し壁をつくり出していく。

実際に目撃した成虫化した虫の恐ろしさにその場の虫憑きは誰一人として何も出来なかった。

 

一人未知の現象に混乱したままの清太は反抗勢力の一人に声を掛けた。

「なあ。あのまま成虫化したらあの女の子はどうなるんだ?」

「......無理だ。こんなの俺たちにどうしようもないじゃないか」

茫然自失した男は洩らした言葉すら力無く消えていく。その様子を見咎めた清太は声を荒げる。

 

「おい!」

「成虫化した虫の宿主は死ぬ」

清太の表情が凍った。

 

「それが夢を食い尽くされた虫憑きの運命だ」

男は清太の様子を気にしてないように言葉を吐き出した。

 

男の言葉にショックを受けた清太はセアカゴケグモを見た。

三次元構造の複雑な不規則網の巣が少女を囲い侵入を防いでいる。

 

これからゆっくり宿主が夢を尽き果たすのを待つのだろう。

虫は宿主に都合のいい生き物ではない。

夢を食らう代わりに力を貸し与えているが夢を尽き果てる時、反旗を翻し宿主に牙を向く。

そして自立した行動を取り危険を撒き散らす。

 

「成虫化まで時間がない」

少女は元々引っ込み思案な性格の持ち主で日々の虫憑きとしての緊張と戦闘行為に精神を磨耗してきた。

ストレスフルな日常の精神的な歯止めとなっていたリーダーの男を目の前で失い遂には成虫化を迎えたのだった。

 

「上からの指示で今ここで成虫化する前に倒せと命令が出ている。撤退は許されていない」

特別環境保全事務局は政府組織として最も危険な成虫化した虫を殲滅目標とした。

しかし与えられた指示とは違い局員は目の前のセアカゴケグモにどう対処するか躊躇し何も出来ずにただ見ている。

 

「うおおオオオオ!」

反抗勢力の虫がセアカゴケグモに突っ込んだ。大型カナブンよりも巨大になったセアカゴケグモの爪を掻い潜り、少女を目指す。

 

「今やらないとアスナは死ぬんだ。どうせならここで仲間の為に戦ってやる」

仲間想いの少年に反抗勢力は全員で戦う覚悟を決めた。

セアカゴケグモの周りに虫が集まる。囲いながら波状攻撃を仕掛ける。

 

「成虫化する前に宿主を狙え。不完全なら虫ごと殺せるはずだ」

新たな指示で虫がセアカゴケグモが守る宿主を攻撃し始める。

蜘蛛の巣とセアカゴケグモ自身が防御し宿主を守った。

 

特別環境保全事務局の方針と反抗勢力の方針は決定的に食い違っていた。

一度戦闘を中断して共通の敵セアカゴケグモを前にしても両者は敵であることに違いない。

宿主を守る為セアカゴケグモを倒そうとするレジスタンスとセアカゴケグモを倒す為に宿主を殺そうとする特環に亀裂が走る。

 

「この人でなしが!特環の狗共は血も涙もねえのか!」

「我々は政府からの命令で動いている。あの化け物が街を暴れだす前に仕留めなければいけないのだ!」

罵倒と主張で場が荒れる。

宿主と完全に切り離されていないセアカゴケグモが防御に専念しているお蔭で被害はまだ少ない。

 

「宿主に攻撃を集中させろ。セアカゴケグモの身動きを封じ込め殲滅しろ」

「人の命をなんだと思っていやがる!絶対に殺させるな!アスナを守れ!」

両者は再びぶつかり合った。巨大なセアカゴケグモを前にして両者は牽制しあい争っている。

 

宿主への攻撃が薄まった隙をセアカゴケグモは見逃さない。

近くにいた虫を爪で砕き局員に向かって投げ飛ばす。

宿主の危険を察知した虫が軌道上に割り込んで防ぐも勢いを殺しきれず宿主もろとも押し飛ぶ。

セアカゴケグモを殺そうと奮起するレジスタンスはその背に噛みつき爪をたてるがダメージを受けた様子はない。

分厚い装甲のような甲殻が虫の攻撃を受け寄せさせない。

身体にまとわりつく虫を叩き潰す。

虫が死んで欠落者になった反抗勢力の男と女の子が倒れた。

 

セアカゴケグモの強さを前に抗争していた特環も反抗勢力も次々倒されていく。

争うどころではなくなった面々に対してセアカゴケグモは無情に攻撃を仕掛け虫を殺していく。

虫憑き同士の包囲網を完全に破壊し糸で絡めた宿主の女の子を抱え路地裏を去っていく。

 

清太はそれを見ていることだけしか出来なかった。

ふと足下を誰かに掴まれた。

反抗勢力の残された一人の少年だ。

側にいた虫が体液を撒き散らし、長く持たないことが清太にも窺えた。

 

「頼む......。アスナを......たすけて、くれ」

自らが欠落者に成り果てようとしているのに少年は仲間の女の子を案じた。

 

掴みかかれている清太は心臓の鼓動が止まるかのような気分にさせられた。

握りしめられたズボンから力無くし倒れゆく少年の眼差しが眼に焼き付いて離れない。

この場に居た虫憑きをことごとく葬ったセアカゴケグモを清太一人でどうしろと言うのだ。

そんな文句一つ思い浮かべることすら出来ない強い眼差し。

その場に居合わせただけの男にしか頼めなかっただけだと言い訳したい。

だけどあんな託すような目で清太を見詰めた時どうしようもない感情が清太を支配した。

 

しがらみだ。しがらみが清太を縛り始める。

 

父親に道場の跡取りとしてこれからも励むようにと言われた時

 

母親に標準の高い高校受験を薦められた時

 

そのどれもが及ばない、圧倒的な鎖が清太を縛りあげた。

 

逃げることは許さない。

 

あの目だけが清太一人の全てを支配した。

 

「何で俺はこんなにも不自由なんだ......」

路地裏を抜け出した先には改装中のアウトレットモールがある。

セアカゴケグモはそこに宿主と逃げ込んだ。

 

「畜生。俺を縛り上げたんだ。やってやるよ」

感情のない少年に向かって清太は言葉を残し路地裏を去っていった。

 

 

 

 

 

少し変わった街並みを見て少年は自分が過ごした時間との差違を発見していく。

改装中のアウトレットモールは多くの店が開店していないせいで人並みも多くない。

女性の悲鳴が上がった。

アウトレットモールの奥から人が逃げ出し騒いでいる。

 

「虫だー!虫憑きが出たぞー!」

パニックを起こした人たちが逃げ惑う中、男が虫という単語を叫びまだ何も知らない人たちに恐怖を伝染させていく。

 

「虫、嫌怖い」

「何で虫憑きなんかがこんなとこに出てくんだよ」

明確な恐怖の対象に畏れ逃げ出す人々たち。

一般的に知られている虫は怪物や化け物扱いされておりその存在は非公開で存在しないものと扱われ情報規制が敷かれている。

 

少年は逃げ出す人々の群れに加わらず開いている紳士服コーナーの店に入るとネクタイを手に取った。

彼はそのネクタイを片手で掴み、いつの間に腕に巻き付いたダイオウムカデの虫と同化させた。

 

 

 

 

 

人の悲鳴が聞こえる。

虫憑きや化け物という声が飛び交っている。

清太は歯を強く食い縛った。

これが虫憑きに対する人の正常な反応だ。

今までノウノウと日常に溶け込んだ振りをしても清太が虫憑きだとバレれば同じ反応が返ってくるだろう。

 

今まで散々窮屈に感じていた日常。

それを投げ棄てて更に窮屈な非日常に飛び込まなければならない。

自身の夢とことごとく相反する現実に清太は悪感情しかない。

それでも清太はアウトレットモールに駆けつけた。

託された想いに縛られる自分を呪いつつもセアカゴケグモに辿り着いた。

 

アウトレットモールは巨大な蜘蛛の巣に支配されていた。巣の中心に捕らわれた宿主の女の子がいた。

清太は反抗勢力にアスナと呼ばれていた少女が、糸に雁字がらめになっているのを見て、自身もあんな風にしがらみに捕らわれている気分になった。

 

巣を作り上げていたセアカゴケグモが清太に気付き動き出す。

糸を伸ばし清太を封じ込めようとする。

 

黒い閃光がセアカゴケグモの糸を切り裂いた。

 

「しがらみが多いのにこれ以上何かに縛られるのは御免被る」

 

清太の虫は黒い大鎌の虫。装備型の珍しい虫である。

棘の付いた円盤状から伸びる鎌の形状がボクサーカマキリと同じ特徴を持っている。

 

セアカゴケグモに向かい糸を切り裂きながら捕らわれの少女を目指す。

まだ生きているのなら意識を取り戻して虫の制御が可能かもしれない。

清太がセアカゴケグモを倒すには荷が重過ぎる相手だった。宿主を奪われることを嫌うセアカゴケグモは清太に襲いかかる。

伸ばした足を大鎌で払うが硬い。逃げ出し時間を稼ぐ内に硬度が増していた。

 

清太は叫ぶ。

 

「君は虫憑きなんだろ!仲間が必死に助けようとしていたのにどうして諦めているんだ!」

硬い甲殻では弾かれるのなら関節を狙う。

大鎌が蜘蛛足を切り落とした。セアカゴケグモは苦悶の声をあげた。

 

「夢をこんな化け物に喰らい尽くされ死んでしまってもいいのかよ!夢があるなら虫なんかに負けるなよ!」

清太の習う道場は剣術の道場だ。

虫憑きとしての経験は浅くとも武器を振るう手付きに迷いはない。

セアカゴケグモは清太を脅威と見なし慎重に攻撃を重ねる。次々くる爪足の攻撃を武道で培った足捌きでかわす。

カウンターに袈裟斬りで反したものの手の痺れが否めない。

顔色を蒼白く染めている少女は目を瞑ったまま反応しない。

 

「夢があるなら叶えろよ!!」

少女に投げつけた言葉の意味を吟味することなく清太は蜘蛛の猛攻を耐えきる。

蜘蛛の巣に捕らえられていた少女がピクリと動いた。

セアカゴケグモの攻撃が一瞬遅くなった。反撃の隙を狙っていた清太にとって十分な隙だった。

 

「うおおおおお!」

大鎌を上段に構える。剣術の基本の素振りを思い出す。

その形状は大きく異なるも自分が扱う武器の特性は考慮されている。

頭上を遥かに越えた溜めは大きな振り幅を作り出した。

セアカゴケグモの目は赤色を揺らして清太を見詰めていた。

一歩踏み出す。地面を蹴りだしたところから始まった一刀の動作は滑らかにセアカゴケグモを縦一文字に切り裂いた。

 

「ギイイィィいい」

虫の絶叫に宿主の少女はビクリと身体を跳ねさせ動かなくなった。死んではいない。清太は反抗勢力の男の約束を果たした。

 

「これで俺はもう約束に縛らないぜ」

達成感と疲労に言葉を吐き出した清太。

無我夢中に叫んだ自分の言葉に自己嫌悪に陥った。

清太の夢は叶わない。

既に虫憑きとバレた身いずれ特別環境保全事務局に追われるだろう。諦めるな言っておいて自分は諦めている清太。

 

感傷に浸る清太にセアカゴケグモが赤い眼差しで動き出した。

完全な不意討ちだった。

虫の生命力を侮った清太の慢心が危険を犯した。

手から離れた大鎌を掴む前にセアカゴケグモの爪が早く届く。

 

執念染みた悪意に目を瞑ろうとした矢先セアカゴケグモは真っ二つに引き裂かれた。

 

「虫の暴走。違うな成虫化しかかった虫か」

 

現れた人物は赤褐色にオレンジと黒のラインが入ったの大剣でセアカゴケグモを切り裂き虫を一瞥した。

圧倒的強者の風貌を携え異様なムカデ剣を持つ人物。

長く伸びた髪と人形のように端整な顔付きで性別が分かりにくいが少年のようだ。少年の目が清太を捉える。

 

「弱らせたのはアンタか。随分と無様だな」

諦めようとした清太に少年は言い捨てる。

少年は清太が少女に叫んだ言葉に反して清太が諦めの境地にいたことを知っていた。

 

「お前は誰だ」

気押さられた少年に振り絞った言葉。

清太は虫憑きになって自分が弱いと思ったことは一度もなかった。目の前の少年を見る前までは。

 

「イチ」

少年の名乗りは簡潔したものだった。

イチと名乗った少年が何者かわからない清太。警戒に大鎌を取り寄せ身構える。

 

「特環の回線にあった成虫化した虫がそれならアンタが戦闘班を一つ潰した虫憑きか」

包囲網を突破したとき清太は特環の局員を返り討ちにしていた。

自力で包囲を突破した虫憑きである清太を特別環境保全事務局はかなり危険視して行動していた。

 

「お前っ特環か!」

握られたゴーグルが黒ずくめたちが着けていたものと同じだった。

清太は目前の少年を敵と見なし攻撃を開始した。大鎌が大剣にふさがれる。

 

「早とちりを。言っても聞かなそうだな」

イチはここに来る途中、特環の局員と戦闘にあった。

虫を殺し欠落者にした後、回線機能を持つゴーグルを奪い大まかな事情を知ったに過ぎない。

戦闘が続き軽い興奮状態の清太は特環に悪感情もあって攻撃した。

今更誤解を解くには隙がなくて危険である。

剣撃と大鎌がぶつかり合う。

セアカゴケグモを真っ二つにしたムカデは強力でも扱う人間は人である。剣術の跡取りとして技術で劣る考えはなく勝算があった。

 

「分離型の虫でも稀少な装備型の虫か。虫の強さだけでなく個人の強さに左右される虫ならば殺す必要もないか」

イチは分離型の強力な虫ならば殺す心算があった。

大喰いに敗れて改めてその能力の強大さを知ったイチ。

大喰いの能力に利用される厄介な虫は欠落者にするのが対処として適切と判断した。

 

「何を訳のわからないことを!」

実際優勢なのは清太の方である。大鎌が止まることなく連撃を放ちイチは守勢にまわっていた。

しかし底知れない目の前の相手に手を止めることができないのが清太の心情だ。

観察するかのように目を向けるイチに恐怖すら感じた。

 

「戦闘訓練を積んでいるのか。いい動きだ」

守勢だったイチから反撃が始まった。先程までの清太の動きを真似た連撃が清太を襲う。

イチは虫憑きとして強力だが戦闘慣れしていないし大剣の扱いだって知識も経験もない。同じ武器を扱う装備型の清太の戦い方に興味があった。

見よう見まねの参考で吸収し実践する胆力に清太は目を丸くする。

 

「出鱈目な奴め!」

技量差を埋めかえされそうになって思わず叫ぶ。長期戦を不利に感じ一気にトドメを刺すことにした。

剣術の戦い方から薙刀の戦い方に変更する。自在に操られる大鎌の動きに再び守勢になったイチ。

 

大鎌の一撃を避け一旦足を退こうと下がると同時に身の危険を感じた。

イチが吹き飛んだ。ショーウィンドウの硝子を割り店の奥に消えた。

避けたはずの大鎌は今まで折り畳まれた形状を伸ばしイチに横凪ぎを喰らわせた。

 

「自在に操る武器の恐ろしさと自在に形が変わる武器の恐ろしさはどうだ」

大鎌が横凪ぎを入れる瞬間、大剣が滑り込み防いだのを知っている。

警戒を高めたまま店に潜むイチに身構える。ムカデの大剣が飛来した。そう錯覚したのを防いだ後思い違いに気付いた。剣が伸びていた。大剣と思っていたそれは別の形状を持っているらしい。

 

「同じ質問を返そうか?」

奥からイチが現れる。硝子で切ったのか血が顔を伝っていた。

ムカデの剣を剣鞭に替えて清太を睨む。

 

「力の温存なんて考えるのは駄目だな。本気でいく」

清太には言葉の意味がわからなかった。

イチの持つムカデの剣鞭から黒とオレンジのラインが伸びイチを侵食していく。

宿主と完全に同化したイチが剣鞭を構えた。

 

「死ぬ気で防御しろ。文字通り死にたくなければ」

冷たい緊張が走った。大鎌で防げたのはまぐれに近い。

先と全く違う速度で剣鞭が清太に迫り、先と全く違う重さで清太を後方に吹き飛ばした。

虫憑きとして力の行使はそれだけで身を削る。

消耗を嫌ったイチが武器だけの同化で挑んだ戦いが怪我を生んだ勝負だった。

 

「ガハッ。なんだよ。それは!」

「同じ装備型だとでも思ったか?俺は同化型の虫憑きだ」

「同化型?クソッ化け物め」

知識が圧倒的に足りていない清太には虫憑きの分類すら知り得ない。

しかし目の前の少年は成虫化した虫に負けず劣らずの化け物だと認識した。

 

「アンタは諦めてたんじゃないのか」

絶望を感じた清太にイチは投げ掛ける。

 

「大層なことをそこの女に言っていた割には諦めきった顔をして自分のことを悲観している」

欠落者になった少女は目を覚ますことなく横たわっている。その少女に激励とも叱咤ともとれる言葉をぶつけていたのは清太だ。

 

「俺はアンタが嫌いだ。自分で言った言葉を自分で嘘にしようとしている」

夢があるなら叶えろ。そう言った清太は夢を諦めている。

嘘と言うなら嘘になるだろう。

叶えられる夢ばかりじゃない。叶わない夢もある。

そうやって自分の夢を身限ったのは清太自身だ。

 

「お前に何がわかる!」

「知るか」

興味すらなく切って捨てられる。

 

「俺の夢はな。しがらみを絶ち切ることだ。生きていたらどんどんレッテル貼られて好き勝手出来なくなる。優等生?跡取り?クソったれだ!俺は自由にやりたい。それなのに虫憑きなんかになって夢が叶うか?叶わないに決まってんだろっ!!」

「知るか」

溜まっていた不満や怒りをイチにぶちまける。そしてイチもまた言葉を繰り返す。

イチは嫌悪よりも怒りを覚えていた。好き勝手言う虫憑きに怒りをぶつける。

 

「お前のことなど知らん。だから夢を叶えろ」

 

本当に簡単に言ってのけた。

 

「しがらみを絶ち切る。叶えろよそれぐらい。何勝手に諦めているんだ。虫憑きだから叶わない。誰が決めた。アンタか」

 

清太は言葉無く沈黙した。

 

「虫憑きになってまで抱いた夢なら諦めるな。諦める理由を自分で作るな。他人が作る理由ならぶち壊せ」

 

強烈な理論で清太の絶望を打ち崩していくイチ。しがらみなんて感じさせない夢見る虫憑きが吠えた。

 

「俺は夢を諦めない!誰にも否定させない!奪わせない!そして必ず叶える!絶対に!」

 

しがらみに捕らわれ続けた清太にとって少年の叫びは魂すら震わす神聖な言葉だった。

 

叶わないと思っていた自分の夢。

敵わないと思い知らされた少年の叫び。

 

感服の至りだった。

 

「俺の夢。叶うかな?」

 

思わず聞いてしまった清太。

 

「知るか。勝手に叶えろ」

 

不敵な少年イチはにべもなく返した。

 

少年の厳しい激励に、やっと張り詰めていた自分の作り出した下らないしがらみが絶ち切れてしまったように感じた。

 

 

 

戦闘が中断し言いたいことも吐き出して、イチはその場を去ろうとした。

 

「待ってくれ。君は特環ではないな。一体何者なんだ?」

冷静さを取り戻した清太にイチが攻撃の意志がないことでその正体に疑問を浮かべる。

 

「何者でもない。ただの虫憑きだ」

何かに所属していないイチはありのままの事実を語る。清太は思い違いに気付き微妙に頭が痛くなった。

 

「つまり、敵じゃなかったんだ。ゴメン」

勘違いで襲ったことに謝罪した。緊張状態での戦闘の連続で視野狭窄だったとしても中々問題だ。

イチは興味なさそうに手を振った。

 

「別に気にしてない」

声をかけるタイミングを誤った自覚がある。勘違いさせないよう配慮する要素はイチにも必要だった。

 

清太は覚悟した。

この一筋縄ではいかない少年に心惹かれ先行く様を見届けたくなった。自分の夢を叶えるのに最も近づくことができるのは少年にあると心から思った。

流され自己主張の少ない生き方をしてきた清太にとって珍しい自発的な行動に緊張する。

 

夢を抱いた虫憑きは夢を魅力する虫憑きに問うた。

 

「頼みがある。俺を君の仲間にしてくれないか」

 

見上げた顔にははっきりと嫌そうなイチの表情があった。

 

 

 

 




更新待ちした人は、前話の後書きを気にしないで下さい。
遅くなる詐欺ではなく、早くなる詐欺は暴走した妄想を抱えることが出来なかった私の落ち度です。


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夢醸す芳香

今回短め。オリキャラの性別と名前に一番手間取りました。
ネーミングセンスが来い。モブに愛が少ない私です。


キノは病院の一室で朝日を迎えた。

 

パイプ椅子のベッドの寝心地はあんまり良くなかった。

起きたら身体の硬さを感じて関節がよく鳴る伸びをした。

昨日寝不足に陥ったであろう花城摩理ちゃんはスヤスヤお休み中。昨夜のベッドを巡る攻防は熾烈を極めた。にぎにぎと両手を動かし迫るキノに同化すら躊躇しなかった摩理。いつでも追い出せるようにナースコールを握りしめられたことがキノの敗因である。

 

おとなしくパイプ椅子を並べ始めた時、さすがに悪いと思った摩理はベッドの隅で寝つき、横に一人分の空きスペースがあったがキノは気付かなかった。

 

摩理の穏やかな寝顔を拝見した後、バレると色々問題なキノは病室をこっそり抜け出した。

 

 

宙に舞う銀色のモルフォチョウだけがそんなキノを見送った。

 

 

 

赤牧市から始発に乗り鴇沢町まで帰宅ナウ。

 

朝帰りになってイチが心配していないか私気になります。

他の女と一夜共にしたことを知ったらイチは嫉妬してくれるのかな。いやー、楽しみですなー。妬いたイチ。是非見たい。興味無さげだったら嫌がらせしよう。そうしよう。

 

朝早から通常運転なキノに誰も突っ込みを入れる人は居なかった。

 

本当に心配をかけないように昨日一泊することを連絡されていたイチは律儀にキノの迎えに早くから駅前で待っていた。

 

「イチー」

鴇沢駅南口から出てきたキノはそんなイチを見つけてときめいた。

 

と同時に横で見知らぬ男がイチに付き纏っているのを見て怒りのボルテージが瞬間で最高値に達した。

 

「ウルトラソウルーっ!」

魂の籠った跳び膝蹴りで不埒な男を蹴り飛ばす。顔面を蹴り上げ一回転し胡蝶のように身軽な着地をきめるキノの一連の動作を見守ったイチ。幼馴染みかつ恋人の奇行は終わらない。

 

「一晩目を離した隙に男連れているとはどういうことなんだようイチ。あれほど男は餓えた狼だと教えた筈なのに。イチ、男同士なんて非生産的だよ。正気に戻るんだよ。可愛い恋人ならここにいるよイチィ」

正気じゃないキノがまくし立てる。

言ってる内容も突っ込みどころが有りすぎて、逆に突っ込めない。

頭痛を感じたイチは取り敢えずキノの故障気味な頭を叩いて壊れたラジオのような剣幕をどうにかした。

 

仲間にすることに消極的なイチに積極的にアプローチしていた清太はそんな不幸の朝を迎えた。

 

 

 

嫉妬される所か嫉妬させるとは流石はイチだな。

 

最高に可憐でジゴロでイケメンでクールビューティーな私の彼氏を付纏う青年、川波清太に攻撃した私ですが、勘違いしないでくれたまえ。

この私、虫の感知能力があるので、すぐに虫憑きだとわかりました。

ガチで不審者だったこの男に裁きの蹴りを入れた私は正義である。

だから暴走した私は悪くない。悪いのはコイツですー。

ワタシ、ナンニモ悪クナイ。

 

「反省しろ」

「あふん」

反省のないキノを叩くイチ。

叩いてまともになるなら幾らでも叩く。

最近キノに女の子扱いされがちなイチは根にもっていた。

髪を切ろうとすると大喰いのことを持ち出してまで妨害するので諦めている。

 

「あー、イチ君。このじゃじゃ馬女が君の彼女?」

年下相手なので敬語は使えないが敬意の対象のイチに対して疑問をぶつける清太。蹴られた鼻が痛かった。

仲間になりたいが反応がよくないイチにセールストークしたり色々試しているが成果は芳しくなかった。

昨日別れて今日再び仲間入りを頼みこんでいた清太。

正直鬱陶しいし朝から付き纏う清太に思うところなくはないイチである。

真面目な気質の人間の空回りな努力はストーカーの如く粘着質だった。

自分の彼女をじゃじゃ馬女扱いされて端正な眉根を微妙にひそめるイチは清太の質問に素直に頷く。

 

「そうだ。キノこの人なんとかしてくれ」

「いいじゃない仲間にすれば」

「は?」

あっさり答えるキノに疑問の言葉を返すイチ。

 

「仲間にするついでに特別環境保全事務局でもない。反抗勢力でもない。新しい虫憑き勢力を作っちゃおうってことだよ」

「......そこまで話を大きくした覚えはないけど」

「言ってなかったけどね。特別環境保全事務局にもむしばねにも着くつもりはないから、新しい勢力で対抗しようということなのだよ。渡り船だねー。いきなり仲間GETで幸先が良いじゃない」

「ちょっと待って。イチ君、彼女は何を言っているのかわかっているのかい」

「まあ。キノにはキノの考えがある。俺はそれを信頼している」

「イチの信頼とは嬉しいね。私たちの目的には特環でも反抗勢力でも成し遂げられないデカイ目標があるのさ」

「それは何なんだ?」

「虫憑きの誕生システムの破壊。この世界から虫憑きが生まれることを無くそうとしているんだよ」

「......はい?」

規模がデカ過ぎて脳内を処理できない清太。呆然と口が開いている。

 

「その為には特環は縛りが多くて駄目。反抗勢力も虫憑き同士の戦いに縛られて駄目。と言うことで自分らで新しく作っちゃおう。大体こんな感じ、わかった?」

「......まあ、キノだからな。俺はわかった」

突拍子のない内容を、悟りを覚えたような諦め顔で理解を示すイチと

 

「えー?ええーー!?」

未だ話の大きさに理解が追い付かない清太だった。

 

 

 

驚いている。驚いている。

でも反応は対称的だなー。

イチの理解力が半端ないだけか?理解ある彼氏を持てて私は幸せです。

呆れ顔じゃなくて諦め顔なのが気になるけど。

 

新勢力とは言っても話付けただけで基盤も人員もまだまだだ。

今月中には円卓会にも話回るだろうから、そこから政府と交渉し不干渉させて貰う。

そんで利用価値のある虫憑き人材の確保。これが大事。

金を流して貰うには便利な能力持ちの虫憑きを見せて利用価値を認めさせることから始めないといけない。

 

分離型よりも特殊型の虫憑きが人材に適しているかな。

実体がない方が表でも動かし易いからね。

イチと清太もそうだが、私の能力も戦闘向きです。

利用価値が荒事限定なのは向こう的には美味しくないだろうから便利な虫憑き探さないと。

 

川波清太。分離型の虫憑きで珍しい装備型。

完全な物理特化。憑いてる虫はボクサーカマキリっぽい大鎌。腕力強化の能力はあるらしい。大鎌の形状変形可能。

扱い難い戦闘要員だと思う。

私の適当な格付けだと火種八号。

条件次第では格上にも勝てるだろうけど、遠距離攻撃特化、実体を持たない特殊型の敵が号指定級の強さを持ってる場合は一方的に負け兼ねない。

純粋な腕力強化だけでは移動性も低く、近距離特化で出来ることも限られる。よって火種八号。

それでも不完全な成虫化の虫を撃退したことから戦闘面に絞ればかなり強い。

 

それだけの強さをもつ清太をキノは知らなかった。

多分イチが助けなければ清太が死んでいた可能性はかなり高い。

キノの原作知識で知らない清太は、あの場で成虫化した虫と相討ちし死亡。故にムシウタ本編で登場できなかったと予想する。

キノが関わったイチが関わることで書き換わる物語。その果ては知らない。

 

しかしキノはこれを好機と判断した。

本来登場しない号指定の虫憑きを特環サイドむしばねサイドに渡せない。

だが強い虫憑きは原作で登場するような名の知られた虫憑きばかりだ。

原作で登場する人物の引き抜きによる戦況の変化を望まないキノにとって、書き換えられた運命の虫憑きは望ましい人材だ。

獅子堂戌子がスカウトと育成に専念するまで、強力で虫の制御が出来ず暴走気味な虫憑きは、捕獲よりも殲滅対象されることが多かったはずだ。

まさにキノが欲する人材に他ならない。

欠落者、死者どちらの運命にあるかわからない虫憑きを引き入れ勢力を築く。

キノの感知能力を使えば不可能ではない。

特環とむしばねの絶妙な戦力の拮抗に変化を与えず虫憑きを確保する。

 

仲間集めにも気を使うキノは結構ハードだ。

同時にわくわくする高揚もある。

イチと一緒ならなんだって出来る気がする。

足並み揃える前に丁度いい仲間を引っ張ってくるイチ。

何だかキノの思い通りに動いてくれているようで少し驚いたし不安があったキノを励ましてくれた。

イチがいればキノは無敵だ。

 

夢である人生謳歌を実現しつつノルマをしっかりこなそうかねー。

 

さて、一丁やってみますか。

 

 

 

 

 

花城摩理の運命。

それはキノの知る通りに進んでいく。

彼女は虫憑きだ。ただの虫憑きではない。

bugから生まれた虫憑き。

アリア・ヴァレィに最強の虫憑きと称された虫憑き。

そんな虫憑きを見守るアリア・ヴァレィの依り代である青年は口を滑らした。

 

君なら不死の虫憑きを倒せるかもしれない

 

大病を患い死を身近にする少女。

生を渇望する少女に向かい、そんな言葉を、失言を口から滑らしてしまった。

 

進む。進む。

知る事実が史実に変わるその先に向かい。

 

進んでいく。

 

キノが知る運命。

 

止める術のない定め。

 

errorは花城麻理に何を起こすのだろうか。

 

 

 

 

 

「元気出して。頑張ってね」

「うん。相談に乗ってくれてありがとう。八千代さん」

友達の相談に乗って励ます長瀬八千代。

ピアノのオーディションの期日が迫りナーバスになっていたクラスメイトにおまじないをして元気付けた。

これであのクラスメイトは緊張で失敗することはないはずた。

相談前の憂鬱が見違えるほど前向きになった女の子の背中を見て笑みをみせる八千代。

 

おまじないの時、一瞬現れた緑色の煙がミントの香りを醸し出し少女に取り込まれ消えていった。

 

 

 

ぴくりとキノは路上で立ち止まり近くの気配を探り始めた。

 

「強いなー。匂い的にはディオレストイの虫かな」

感知能力が虫憑きの存在を知らせている。更にアリア・ヴァレィの嗅覚が種類をかぎ分けた。

 

「欠落者にすることなく撃退。手加減しているのかな。もしも戦闘能力持ちでないとしたら凄いな」

少し前から特環が何度か接触しているのを退けているのをキノは察していた。

おそらく制御の長けた特殊型の虫憑き。

日に何度も渦が活性化することから普段から虫の能力を使っているらしい。

 

「特環が本腰入れそうだな」

何度も任務失敗している特別環境保全事務局が戦力を整え始めているのを鴇沢町に増えつつある虫憑きが発する渦からキノは読み取っている。

 

「潰される前に引き込むか」

気軽に決意するキノの感知範囲は鴇沢町全域に及んでいた。

 

 

 

兄が一人、姉が一人、弟が一人。

結構数の多い兄弟に囲まれ次女として生まれた長瀬八千代は楽なスタンスで生きてきた。

兄は大学卒業して職に就いたし、姉は大学で彼氏と上手くやっているし、弟は皆に可愛がれている。

私は普通に愛され仲良くやっているが次女で裁量が良かったからか放任でも大丈夫と信頼されていた。

不満はないしきちんと愛情も受け取っている。

だけど重荷のない楽な生き方に空虚に思うことがあった。

 

ある日友達に相談事を持ち掛けられた。

楽な生き方しか知らない八千代にとって友達の抱える悩み事にアドバイスするのは重圧があった。

打ち明けられた悩み事に必死に頭を回し助言した長瀬。

翌日、晴れやかな顔で感謝してきた友達に困惑した八千代である。

簡単に悩みを聞いて、自分の視点で助言と励ましの言葉を送っただけの事をしたつもりだった。

その子は八千代に言った。

不安になっていた時に真剣に話を聞いてアドバイスをくれた八千代に感謝していると。

 

その時、感謝され慣れていない長瀬は真っ赤になって手を振って誤魔化した。

始めて芽生えた感情に動揺を隠せなかった。

適当に過ごした八千代は真剣に感謝されて今までなかった想いが駆け巡る。

 

そうして長瀬八千代は虫憑きになった。

 

自分でも単純だと思う。

相談に乗って感謝されて嬉しかった。

だから、こんな夢を抱いた。

 

夢は、皆を元気付けること。

 

そんな単純な夢だ。

 

 

 

「また、特別環境保全事務局ね」

「件の虫憑きだな。大人しくして貰おう」

黒いコートとゴーグルを身につけた虫憑き局員を睨む長瀬八千代。

取り囲む局員は何度も任務失敗させている目標の虫憑きに警戒し様子見している。

 

「大人しく出来るかはそっちの問題よ」

突如緑色の煙が辺り一帯を覆った。

 

「ぐっ、ゲッホ。ガッホ」

強烈なミントの香りに局員が噎せる。

そして虫が暴走し始めた。

 

「な、なんだ!虫が制御できない!」

「うわあああああっ」

「おい!どうした!?急に暴れやがって」

仲間同士で傷付け合い、パニックに陥る局員たち。

虫だけでなく局員も雄叫びを上げ正気を失い混乱を招いている。

長瀬八千代の虫の能力によるものである。

 

八千代を相手にする所ではなくなった特環たちは逃げ出す八千代に気付かなかった。

 

 

遠くから見ていたキノが感心しながら見守っていた。

 

 

 

「ふぅ。上手く撒けたよね」

特環から逃げし、一息吐いて落ち着ける八千代。

 

「お見事だったよ」

賛辞の言葉が八千代の耳に届いた。咄嗟に身構え声の主に警戒する八千代。

 

「はじめまして。ディオレストイの虫憑きさん」

キノはそんな八千代に構わず挨拶した。

 

「誰?」

得体の知れない少女に身を硬くする八千代。

 

「虫憑き」

笑顔で自分を指差すキノ。八千代の対応なんてお構い無しに進める。

 

「そう。ではまたね、虫憑き」

「せっかちだなー」

緑色の煙がキノを襲った。苦笑いのキノが抵抗もなく攻撃を受ける。

キノは強烈なミントの香りを吸い込んだ。

 

「ゲッホ。おっほ。オェー」

噎せるキノが女の子としてに不味い反応をした様子を八千代は見ていたが突っ込まない。

 

「あー噎せたー。キツいなー」

噎せ終えたキノが一言呟いて頭を掻いた。

 

「な、なんで?」

自分の能力の効果が全く効いていないキノに驚愕した八千代。キノは香りに噎せていたがそれ以外は何の変化もなかった。

 

「興奮作用のある匂いを発する虫の力かー。強度を増すと極度の興奮状態から錯乱と暴走を促す訳だ」

あまつさえ八千代の力の正体を見破ったキノに恐怖すら感じた。少女は自分の力が通じない所か見抜いてしまった。

特環相手に何度も出し抜いてきた八千代にとって始めて出会う危険度の高い人物だ。

 

「何故効かないの!?」

「この程度の精神攻撃なら効かないよ」

かつてアリア・ヴァレィだった彼女はひたすら餓えを耐え抜く苦行を物ともしない精神力の持ち主だ。

精神を強制的に高揚させられても自前の精神力で捩じ伏せ自制している。

イチがここに居れば普通に暴走しかねないが。

 

「も、もう一度」

緑色の煙が再びキノに向かい攻め寄った。

今度のキノは無抵抗とはいかなかった。

 

群青の輝きが辺りを支配し始める。

 

緑色の煙がキノに届く前に群青に掻き消された。

 

「抵抗は無駄さ。領域を支配した。この場で君の力は行使できない」

群青のアリジゴクが姿を現し空間に揺らいだ。

同じ特殊型同士の戦い。アリジゴクの支配力が八千代の虫の支配力を上回った。

 

八千代の虫に戦闘能力はない。気分を昂らせて抗鬱作用をもたらしたり、活力を与えたり、興奮状態にした錯乱させたりすること位しかできない。

明かに自分を上回る虫の力を見て八千代は脱力し膝を屈した。

キノの言葉通り抵抗は無駄になると感じてしまった。

 

「あらら。諦めちゃったよ」

罰が悪そうに頭を掻くキノ。いつの間にか悪者になって八千代を絶望させたのは計算違いだった。

八千代は力なくキノに聞いた。

 

「貴女は何者なの?」

「貴女の夢は何?」

質問に質問が返ってきた。それも予想外の質問。

 

「質問に答えるのはそっちー」

先を促されたら答えるしかない八千代。

 

「私の夢は、皆を元気付けること」

「おー。いい夢だね」

なんと無く茶化していない本心で語っていると感じた八千代。

実際キノは感心していた。ディオレストイの嗜好に合った歪んだ夢を持つ虫憑きかと思えば真っ当な夢を持つ少女に。

 

「で、何で諦めたの?」

ピリッとした空気が先程までの緩い雰囲気が消し飛ばした。

キノは真剣である。

何処か愛嬌のあった少女がなりを潜め一切の余計な感情を入れず八千代に問いただした。

思わぬ圧迫感に八千代は息を呑み込み、しかし答えを返した。

 

「私は貴女に勝てないわ。諦めるしかないじゃない」

諦めたと言われて悔しく思う八千代だ。諦める理由になった少女に諦めることを咎められるなんて嫌な感情しか浮かばない。

噛み付くかのように睨み付けキノに返答した。

 

「簡単に諦める様な人に誰が元気付けられるの?」

辛辣に返すキノだった。

 

「夢を途中で投げ出して諦めたら、夢は叶わないし誰も応援できないよ」

言葉なく震える八千代。キノに言われ思い返した。

諦めた八千代には誰を応援する資格があるのか。

誰かを元気付けたいと想いを抱く八千代にとってその資格がないと言われるのは屈辱を上回る謗言だった。

 

「もう一度聞くよ。何で諦めたの?」

問い返すキノに八千代は

 

「私は諦めてなんかいないっ!」

 

大きく啖呵を切った。

 

 

「なら、採用ー」

 

 

満足気に頷くキノ。

 

「は?」

 

呆然とする長瀬八千代だった。

 

 

 

スカウト開始早々大変です。

誤解とは言え敵に回ったせいで色々回り道しまくりですよ。

まさか勧誘相手の心へし折ったなんて誰が予想出来るか。いや出来まい。

少しばかりヒール演じて焚き付けてみましたが、元気な返事が聞けて何よりだ。

やっぱり後ろ向きだったり、鬱屈しているより強かに諦めて堪るかと剥き出しに生きてる方が好感が持てる。

同じ虫憑きとして諦めて欲しくないね。

何よりも自分の夢に負けることをキノは赦したくない。

諦めた先なんてない。

夢を諦めた虫憑きは自身の虫にも負けて力を磨耗し自滅する。

負けん気の虫憑きはここ一番の強さを秘めている。

 

キノも最後まで力強く夢を諦めたりしない。

だって夢は諦めるものではなく叶えるものだからね。

 

 

 

Youウチに来ちゃいなYO!

キノです。勧誘です。不真面目です。

シリアスって長続きするものですか?しませんよね、何故か。

長瀬八千代さんは特殊型の虫憑きでフリーです。

見事に欲しい条件にヒットしました。

興奮作用の虫憑きの能力の用法はキノが思い付く限りで結構あります。

記憶を曖昧にするほど興奮状態にすることも可能なようですし、気分を高揚させるだけでも円卓会が運営するオークションに使えば、それなりに有用性が認められるんじゃないかと画策。

普通に詐欺です。

大人って汚ないよね。

発案者は誰か?知らないなー。

 

長瀬八千代さんは快く、不審気に警戒心バリバリで申し出を受け入れくれたよ。

まだ心に壁がある。が信頼してもいいかなって気持ちもあるらしい。

ちょっとイチの癒しが欲しくなった。信頼って大事だね。

さてと憂鬱なのはこれからだぜ!一人で虫憑き勧誘したのがバレたらイチがお怒りになられる感じがします。

 

紹介がてらに擁護をお願いします八千代さん。

 

こうして、キノの新勢力にまた一人仲間が増えた。

 

 

そしてキノはイチからヘッドロックされた。

 

 

 

 

人生は小説より奇なり。

 

この言葉を残した偉人に座布団を投げ渡したい。

顔面におもいっきり。

八つ当たり願望のキノでーす。

現在、特別環境保全事務局中央本部に居ます。

 

どうしてこうなった。

 

「円卓会独自の虫憑きの雇用制度ですか」

はい。対面の人物は一体誰でしょうか。

一人はお飾りな本部長殿。きーくんの前任。

青播磨島での責任を負わされ不幸に会うただのモブ。

謎かけの人物は、細い目の下のホクロがとってもチャーミングで、える、おー、ぶい、いーなハートマスクが昔は似合っていて、ヤッコなあだ名の過去を持っていそうで、鎖の笑みを浮かべた長身の美女だったりする訳で。

 

「はい。こちらは虫憑きを有用に運営する雇用制度を認めて欲しい訳です」

こちらもお飾りの円卓会メンバー。

金の匂いに騙され、釣られ、否、虫憑きに理解を示してくれたカモです。ふう、誤魔化せたー。

そんで隣が何故か私。お助け下さい神様。

 

「な!さ、さすがに危険な虫憑きを独自で雇用管理されては問題が......」

お飾り本部長が常識的な意見を述べる。

しかし、声の力は弱い。何故ならこっちの方が立場上だから。

円卓会の資金力、人脈、発言力。どれをとってもお役所仕事の連中に勝てる見込みがない。

額に汗を浮かべるいい年したオッサン眺めてキノが発言する。

 

「はははは。これは異なことをおっしゃいます。虫憑きを使う組織が何を危惧しているのでしょう?」

パワーハラスメント最強説を掲げたい。隣にいる人間なのに人外さんが居なければ。

 

「善良な民間人に危険が及ばないよう、私たちは政府公認の下虫憑きを管理し危険を排除しているのです。ご理解戴けたでしょうか」

こっち見んな。その素敵な笑みを向けるな。微笑むな。

強力な精神耐性のあるキノが一瞬心理的束縛に怯む相手。

 

「左様ですか。大変興味深く理解できるお話です。危険な虫憑きは管理されるべきですね。ですから円卓会が危険性のないと保証する虫憑きを雇用し、人権保証することに何の問題ないとご理解されるでしょう」

パワープレイでごり押すぜ。さっきからSAN値直送過ぎて胃が痛い。スマートさなんて捨てて露骨に話を持っていく算段。

 

「虫憑きとは言え、元は一般の少年少女たちです。危険性のないと判断された彼らにも平和に生きる権利が認められると私たちは考えています」

大義名分はこっちにあるんですよ。残念ですね。

批判しようにも虫憑きを扱う組織がどう批判するんですかね。是非聞こう。さあカモン。

 

「わかりました。虫憑きの雇用制度を認めましょう」

「魅車君。勝手にそのようなこと」

「大丈夫ですよ。本部長」

わー、オッサン鎖の笑み向けられてる。御愁傷様です。

ってか名前出たね。

魅車八重子。

特別環境保全事務局中央本部副部長。

虫憑きの黒幕様とのご対面。

 

「彼らは大丈夫です。私がこんなにも愛しているのですから」

ビシリ、キノの琴線に触れた。感動表現じゃなくて誤用表現だけど敢えてね。

ようするにイラっと来た。

 

「納得して戴けて何よりです。こちらが政府機関である特別環境保全事務局に望むことはありません。不干渉の約束をして戴けたら何の問題もありません。約束が果たせなければ......」

語らず。不穏だけプレゼント。

ちなみに続きの言葉は、全力で嫌がらせさせて頂きます。

本部長殿はわかりやすく顔色を青くしているのに変わらない微笑を浮かべるヤッコちゃんに不満を覚えます。

その余裕いつか無くせ。

 

「こちらも問題ありません。不干渉をお約束しましょう」

ニッコリ笑みを向ける魅車八重子に笑顔返すキノ。

本部長はキノが虫憑きであることに畏れを抱いているご様子。こっちに向ける視線が恐々としている。

空気新参円卓会メンバーは案山子役ご苦労様です。

話も纏まったし解散。その前に。

 

「魅車副部長」

 

去り際の魅車八重子に宣誓布告代わりに挨拶しないとね。

 

 

 

 

「私を愛し愛せるのは貴女ではありません。覚えておいて下さい」

 

 

 

 

笑みを浮かべる魅車八重子にキノは遠回しなバカップルのノロケ話をしてやった。

 

 

 

 

 

 

 

 




今回甘くする予定だったんですよ。何故こうなったかは不明です。キノの変態度が増してるのは気のせいですよね?


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夢寵愛の特異点

原作が十三巻にbugシリーズが八巻。
設定探すのに苦労しました。
見付からない設定とか泣きたくなりました。
怒ってbug全巻読破しなおしました。面白かったね。
ちくしょー。


円卓会直属の虫憑き組織。認定成功。

黙認される体制ではなく直談判で公認の権利をもぎ取ってきました。

一時はどうなるかと思いましたねー。

お金に目が眩んだ円卓会メンバーが利益を独占する為、特別環境保全事務局から公式に権利を欲しがった。

そのせいで私は魅車八重子と対談する羽目になったんだよ。

 

さっさと没落して円卓会の会員証のカード破棄してくれないかな。あのオッサン。

 

お金の手応えを感じ、虫憑きに投資するまではよかった。

虫憑きの利権を争い、権利を独占して虫憑きを囲おうとか考える頭沸いた奴が発生したのは不味かった。

 

何で私が対談に参加したかって?

不干渉以上のことされたらヤバかったからです。

下手に情報渡すことになったり、変な便宜を働かれて貸し借りを作ることや、派遣要請等の契約内容を追加されてる可能性だってあった。

もしも、そうなった場合、私はあの特徴的な円卓会メンバーの顎を尖ったコロネからクロワッサンに仕立てている自信がある。

 

おかげ様で美女に微笑まれた。

わーい。素敵な微笑みやね。とても胃が痛ーい。

ようするに最悪だった。

あの双眸がキノを微笑んだ時、得体の知れない恐怖に襲われた。

呼吸すら止まる鎖のような束縛感。

魅車八重子の鎖の笑み。

 

魅車八重子は虫憑きではない。キノの能力と知識が裏付けている。それでも、化け物だと言いたい。

精神攻撃に耐性を持つキノが本能で畏れたのだから。

キノは知っている。

あの女の数々の非道を。元凶たる由縁を。

 

 

だからこそ、負けたくなかった。

 

 

魅車八重子に屈することだけは自尊心が誇りがキノの夢が許さなかった。

 

諸悪の根源である魅車八重子の思い通りにさせることをキノは望まない。

 

最後に勝利するのはキノたち虫憑きなのだ。

 

勝つ為にキノは凶悪な魅車八重子すら敵にまわし戦ってみせる。

 

 

それが夢を叶える為の第一歩となるのだから。

 

 

 

 

SAN値チェックは基本。

そして早急にイチ成分を補給し回復しなければならないと判断された。

ごりごり精神削ったからね。ギブ癒し。ラブイチ。

対談済ませて帰ったキノは早速イチを捕まえ癒しを補充している。

あー、最高。これだよ。コレ。私の癒し。

現在、私はイチの髪を鋤いて遊んでいる。

この為にイチは髪を伸ばしていると言っても過言ではない。

上機嫌なキノとご不満のイチである。

 

「イチの髪で遊ぶのは楽しいね」

「俺は楽しくない。そもそもこう言うのって女の子にするものだろ」

「あっはは。イチは女の子みたいじゃない」

「誰が女顔だ。それならキノが後ろを向け」

くるりと振り返るイチに後ろ向きにされ、奪われた櫛で髪を優しく鋤かれた。

 

「こうやって髪を鋤かれる気分はどうだ」

「悪くないよ。ちょっと気恥ずかしいけどね」

「人の髪を散々弄んだくせに」

「はっはっは。弄んだ責任ならいつでも取る所存でありまするぞ」

「はあー。キノの髪は短いけどさらさらしていて指心地いいな」

「褒められたー。イチの髪の方が、私が嫉妬するほど綺麗だけどね」

「髪を褒めても男の俺は嬉しくない。キノは活発にその髪を揺らして遊ばせているのが愛らしいだろ」

「......イチ。本気でジゴロだよ。私の彼氏が将来女をタブらかせないか心配です」

「何言ってんだか。キノ以外そんな相手居ないよ」

絶句した。

 

イチがデレました。破壊力は抜群。

 

素で言ってるのが本気過ぎてキノは戦慄しました。

結構アレコレ考え行動してきたキノもイチの本気には勝てる気がしない。

 

えーと、あれ?イチってもしかして天然のジゴロ。

今私、顔赤くして乙女なんですけど。なんか胸がきゅんとしているんですけど。言葉が上擦って二の句が出ないんだけど!

 

「......イチのバカ」

やっと出た言葉も甘さの含んだ拗ねた言葉しか出ない。

 

照れて赤くなった耳が髪から覗いているのをイチは気にすることなくキノの髪を整える作業に集中した。

 

 

「......珈琲要るか?」

「砂糖抜きでお願い」

後ろで見守る清太と八千代は甘い空気に当てられ苦味を欲した一幕だった。

 

 

 

 

 

運命の歯車。

 

花城摩理の物語は進む。

 

それはbugへと至る物語。

 

 

 

花城摩理は本来病弱で軽度の運動すら儘ならないほど身体機能が衰えている。

しかし、彼女は同化型の虫憑きだ。

アリア・ヴァレィによって同化型に適した身体に作り替えられた麻理は銀色のモルフォチョウと同化することで超人染みた身体能力を発揮することができる。

夜は摩理の独占場だ。

誰よりも自由に夜空を駆け巡り、建物を飛び越えて行く。

 

「今夜こそ、見つけてみせるわ。ーーー不死の虫憑き」

改造された白衣のコートとマフラーで口許を隠した摩理は、高い建物の屋上から下界を睨み見下ろす。

 

「必ず、さがしだしてみせる。たとえ赤牧市にいる虫憑きすべて、欠落者にしてでも」

病室でのか細い印象を覆すほど鋭い眼差しは獲物を探す狩人だった。

 

「いたーーー」

松葉杖をつかみ、銀色のモルフォチョウと同化し光り輝く一本の槍を構える。

そのまま、建物から飛び降りた。

 

見つかった一人の虫憑きは、突如現れた摩理に驚き、虫を具現化した。

摩理は銀槍を振るう。それだけで虫は両断され欠落者と成り果てた。欠落者となった虫憑きが力なく地面に倒れる。

 

「これも、違うーーー」

冷たい言葉を残し、摩理は去る。目標の不死の虫憑きを見つける為に次の獲物を探し始めた。

そうして夜が更けていく。

 

 

 

「......摩理!」

病室から抜け出そうとする麻理を呼び止めたのは白衣を着た青年だった。

 

「もうよしてくれ、摩理......」

懇願に似た青年の言葉が摩理に届いた。

身体が弱り、衰弱しながら無理を重ねる摩理を必死に止める。

 

「あなたが言ったんじゃない......私なら、不死の虫憑きを倒せるかもしれないって」

しかし、摩理を止めることはできない。

摩理の動機は不死の虫憑きを倒す使命感ではない。

病の進行に死期を悟った少女の憎しみだけが、彼女をつけ動かした。

 

今夜も少女は街を駆ける。

 

いつしか花城摩理はハンターと呼ばれ、虫憑きから畏れられた。

 

 

 

 

 

何度か通う花城摩理の病室に向かうキノは足取りは重かった。

花城摩理はハンターと呼ばれる、虫憑き狩りの虫憑きとして認知され始めた。

 

不死の虫憑き。

死なない。

その存在に生を望む花城麻理は嫉妬した。

花城摩理の夢は生きたい。

ただそれだけの夢。

そして死病を患う彼女には難し過ぎる夢なのだ。

だから、死なない存在である不死の虫憑きに執着した。

そして、分離型の虫憑きに対する狩りを始める。

銀色のモルフォチョウには奇しくも感知能力が備わっていた。

夜を駆け虫憑きを探し出し、虫を殺し不死を探す。

取り憑かれたように盲失に、嫉妬深く執念に。

モルフォチョウと同化した槍を片手に狩りを行う。

 

無理を重ねる花城摩理の身体は日々着実に弱り、目付きだけが鋭く研ぎ澄まされていく。

そんな少女を見守ることしかできないのが先生とアリア、そして歯痒く何も出来ない私。

 

無力感に苛まれも摩理の下を通うキノだった。

 

「摩理はもっと自分を労らないと」

「余計なお世話よ。キノ」

つーん。な摩理に説教を試みるも失敗する。

彼女の心を開くのはキノの役目ではない。

それがわかっているキノは深く踏みいることに、二の足を踏み躊躇してしまう。

出来てお小言を洩らして摩理を説教することだ。

完全に踏みいった説得ができず簡単に流されるのが最近のやりとりになっている。

 

「摩理。無理をして身体を壊したら、顔中キスマークにするからね」

「それは本気でやめて頂戴」

つれない態度にキノは溜め息をつく。

ふー、やれやれ。我が儘なお嬢さんだなー。

と肩を竦めるキノに溜め息を返す摩理だった。

最近わかったことがある。

キノはちょっと変態っぽい。特殊型だからかもしれない。

全ての特殊型の虫憑きに失礼な印象を植え付けたキノだった。

 

「まあいいや。今日はイチも見舞いに連れてきたよ。イチー、入って来てー」

「お邪魔するぞ」

待たされたイチは聞こえた会話に嘆息しながら摩理の病室に入る。

今回は停滞気味なこの病室に変化が欲しくて初めてイチを招いた。

正直、イチと摩理を会わすのはキノの望むところではなかった。

しかし、摩理と会う回数の分だけ、キノは彼女を好きになってしまった。

キノ個人の感情を置いてでも摩理にいい変化を与えたい。

我が儘と妥協による二人の同化型の出会い。

 

そうしてイチは銀色のモルフォチョウに誘われた。

 

人形めいた少年と病に侵された少女は顔をあわせる。

そした、第一声。

 

「ふん。思った通りの甘ったれた女だな」

 

いきなり喧嘩腰にイチが摩理に言い放った。

 

 

 

代わり映えのない病院の一室に、新しい風が入り込みました。

 

テラ不穏な空気です。ワロタ。

 

な、なんでイチ喧嘩腰なの?

すげえ睨みあっているよあの二人。

 

「随分な挨拶ね。イチさん」

「自己紹介は不要だな。

お互いキノを通して知っているだろ、花城摩理」

「......どうしてこうなった」

敵意向けあっている彼氏と友人に困惑中のキノ。

 

「色々と話は聞いている。

要は構って欲しいだけの臆病者らしいな。花城摩理」

「無謀に挑んで勝手に負けた虫憑きが居たらしいわね。イチさん」

「ちょっと待ったー!何で喧嘩腰なのイチ!摩理も挑発に乗ってるし、どういうことなの!?」

仲裁に入るも、お互いを睨みあうイチと摩理にキノは無力である。

 

「一目見てわかった。お前とは気が合わない。

花城摩理、自暴自棄に当たり散らす聞き分けのない子供みたいな女だ」

「一目見てわかったわ。あなたとは気が合わない。

キノと居る為なら手段を選ばない、自己犠牲すら躊躇しない、自分勝手な人だもの」

これはキノの予想通りだった。

同じ同化型同士きっとキノより理解し合う。

そのことに嫉妬するキノはイチと麻理を会わせたくなかった。けど予想外に仲が悪い。

どうしてこうなった。

 

「あなたの存在はキノの為にならないわ。キノは強い。

少なくともあなたに守られる存在なんかじゃない。あなたがそうあり続ける限りキノを弱くする」

「俺がキノを守り続ける。俺が強ければ、何も問題ない」

「それは、あなたのエゴよ」

辛辣にイチを非難する花城摩理に、イチは淡々と言葉を返す。

 

「お前こそ自分勝手だ。

キノやアリア・ヴァレィの男に、身勝手に心配をかけ、自分勝手な理由でそれを増長させている。それがお前の夢の在り方か」

「私には時間がないのよ。最後くらい自分のやりたいことを優先するわ」

「それが、自分勝手なんだっ」

冷静な少年が珍しく感情的になっていた。

イチは怒っている。摩理に。

私が摩理を心配しているのをずっと見てきたからだろう。

しかし、摩理はイチの怒りを受け流す。

自暴自棄に陥っている彼女にとって不死の虫憑き以外二の次だ。

 

「お前はハンターなんかしていないで、花城摩理として過ごしていろ!」

「私にこの狭い病室でそのまま死ぬまで過ごせとでもいうの。あなたに何がわかるというの!」

「知るか!」

言い争う二人に不穏なオーラを纏わせた存在が迫った。

 

感情を昂らせた二人はその存在に気が付いていない。

火花を散らすイチと摩理の二人。

 

至近距離で睨む二人の頭がぶつかった。

 

「痛っ」

「ひうっ」

笑顔を振り撒くキノが、イチと摩理の頭を引いた。

 

「仲良きことは美しきことかな」

 

ズイっと近寄る、能面のような笑顔を浮かべたキノ。

 

イチと摩理は顔見合わせ青くした。

 

「キノ......?」

恐る恐る声を掛けたイチ。

笑顔なままのキノがイチに向く。

 

「イチ。女装を経験してみる?」

ブオンブオンと、空気を切るような速さで首を横に振ったイチ。

 

本気でやりかねない今のキノに顔を青く首だけを横に動かす。

くるりと摩理に方向転換したキノ。

未だに笑顔。口の端を弧に浮かべた笑顔。

今度は摩理が顔を青くする。

 

「摩理。ファーストキスは何味がいい?」

ポケットから様々なキャンディーを取り出して聞いたキノ。

ブオンブオンブオンと、高速で首を横に振る摩理。

 

側にはイチが青から白に近く顔を染めている。摩理も同様だ。

キノの発言と行動力。そのすべてに恐怖した二人。

キノは再び発言する。

 

「仲良きことは美しきことかな」

繰り返される言葉にイチと摩理は顔見合わせた。

 

「な、仲良きことは、美しきことかな?」

「な、仲良きことは美しきこと、かな?」

復唱した二人。あっているか恐々とキノの顔を伺う。

 

笑顔のキノは能面と張り付けまま、二人に説教をしはじめるのだった。

 

「もう、しないわ」

「悪かったよ。キノ」

ゲンナリとした摩理とイチ。

キノの説教は終始笑顔で嫌な脅しつきで行われた。

当分キノの顔色を伺う日々を送るだろう。二人のトラウマになった。

 

一応弁解しとこう。私はノーマルです。

あくまでも冗談の範疇での脅しだったんだよ。

イチと摩理が二人でこそこそ。

やれ、やっぱりソッチの気が。とか。

ただのキス魔だ。とか。

あなた女顔ですもの。とか。

お前嫌いだ。いや、でもまさかそんな。とか。

私聞こえない。

全然聞こえないからねイチ、摩理。

 

なんか、仲裁しただけなのに大事なもの失ってしまった気がする。気のせいにしとけば世界はうまく回転する。

気のせいだな。間違いない。

 

同化型の虫憑き、イチと摩理は会うたびに喧嘩する仲になった。

キノに怒らせないように程々に加減しつつだが。

 

 

 

花城摩理がハンターとして行動しつつも精神は安定していた。

精神的負担をキノとイチが緩和しているのは事実である。

しかし、時間という限られたものが命を蝕む摩理の孤独な焦燥を加速させていく。

形振り構わなくなった摩理は虫憑き狩りに日々を過ごす。

 

ぼろぼろになっていく身体を引き摺りながら。

 

 

 

私は迷っている。

 

花城摩理は無理をして死期を早める。

 

今の摩理に希望はない。

 

生きたいという夢。

 

死に絶望した摩理には重すぎる。

 

死に際、多くの虫憑きを道連れにすることに忌避感なく狩りを行うハンター。

 

彼女にほんの僅かでも安らかな日々を送って欲しい。

 

それが、キノの思いだ。

 

 

 

今夜もまた、虫憑きを欠落者へと変えていく摩理。

キノは夜の赤牧市で摩理と顔を会わせた。

 

「摩理。顔色が悪いよ。虫憑き狩りなんてやめて、当分は外出を控えるんだ」

「いつにない強い言葉。キノも先生と同じことを言うのね」

幽鬼のように佇まむ摩理がキノを見つめる。

 

「元アリア・ヴァレィとしても、虫憑きとしても、今の摩理は見ていられない。

イチが示してくれた。やっぱり摩理を止めるべきなんだ私は」

「貴女はなんだかんだで私を止めきれなかったもの。今更何をしようと言うの」

「懇願するよ。何度だって言い続ける。摩理お願い。もう止めて」

「彼がキノを変えたのね。前まではどこか踏ん切りがつかなかったもの」

「摩理!」

キノの言葉でも摩理は止まるつもりはなかった。

だけど何かを決意したキノを見て摩理は確信する。

違和感があった。今まで見守っていた理由に、摩理を尊重する意思とは違う別の理由を感じたのだ。

 

 

「キノ。貴女何か隠しているわね」

 

 

多くの虫の能力すら観察し分析してきた能力がキノの不審を暴きはじめた。

 

「......何のことか思い当たらないけど」

キノは内心ヒヤリとしながらもすっとぼける。

 

「例えば、不死の虫憑きの居場所に心当たりがあるとか」

摩理の引っ掛けにキノはポーカーフェイスと自前の演技力でうまく表情を隠せた。

自画自賛できるほど完璧に動揺せずに不審に出さなかった。だから

 

「そう。本当に心当たりあるのね」

次の引っ掛けに明らかに動揺してしまった。

 

「まさかっ!本当に!」

驚愕してキノを睨む花城摩理。

確信なんてなかった。ただ思い付いたことを鎌かけしたら引っ掛かっただけ。

予想だにしなかった反応に摩理は驚く。

キノもまた自分の失態を悟った。

キノは虫の能力を使いこの場を去ることにした。

 

「ゴメン。摩理」

夜を塗り潰す群青の蒼が摩理を襲った。

咄嗟に同化した脚力で地面を蹴り群青の光子を避ける。

キノが夜の街を駆けて逃げ出した。

しばらく、茫然とした摩理。しかし冷静さを取り戻しキノを追い掛ける判断を選ぶのにハンターは時間を掛けなかった。

 

「キノ。一体どういうことなの」

追い掛けながらも納得のいかない摩理。

どうして知っている。何故隠す。

そして何よりキノに裏切られたようなショックを受けた。

苛立ちと混乱を抱えキノの背に追い付く。

同化した摩理の脚力に逃げられる人間はいない。

 

蒼渦(ブルーホール)

指を弾いて摩理に虫の能力を使った。

群青の渦が摩理を呑み込まんと迫る。

蒼渦と呼ばれたそれは凄まじい勢いで風を巻き上げている。

地面を削り、土も草も残さない破壊力は目を張るものがあった。

脱け出すことが困難なアリジゴクの巣の特徴を持った、疑似ブラックホール。それがキノの虫の能力。

あくまでも疑似なので出力は劣るがかなり強力だ。

媒体となる空間を呑み込む、超引力の渦は燃費も悪い事ながら弱点が存在する。

 

「キノ!」

モルフォチョウの槍は一枚の羽でできた矛先から銀色の鱗粉を放出した。

放たれた刃のような鱗粉がキノの作り出した蒼渦を相殺する。

キノは小さく仰け反った。虫にダメージが入った。

キノの攻撃は媒体となる空間と虫が同調している。

攻撃を相殺するだけでキノにはダメージが入る。

特殊型に攻撃可能な摩理と相性が悪かった。

 

「媒体となる空間と虫が同調して被ダメージを受ける。実体を持たない特殊型の割には随分と攻撃しやすい的ね」

ハンターはキノの虫を見破った。

更に追い詰めるように、領域を支配するべく銀色の鱗粉をばら蒔いている。

キノの群青の輝きが銀色を必死に追い返している。

全盛期の花城摩理。領域支配でもキノと互角の強さ。

同化型のオマケのような領域支配能力と本職の特殊型の領域支配能力が互角の状況にキノは表情が硬くなる。

 

「キノ。どうして不死の虫憑きを隠すの!」

「語れないこともあるんだよ」

問い詰める摩理に対して逃げることを諦めないキノ。

地面を蹴ると空間に蒼色の足場を作り夜空を駆ける。

摩理は目付きを鋭くキノに駆け出す。

銀色を浮かべ強化された足がキノとの距離を意図も簡単に無くしていく。

 

「蒼渦解放(リリース)

小規模の渦に吸い込まれた空気が圧縮から解放され放出された。攻撃力は殆どないが推進力として摩理との距離を離した。掴みかかっていた腕が空を切る。

 

「キノ!」

本格的に捕まる気がないと察した摩理がキノに攻撃的な意思を宿していく。

苛立ちが限界を迎え荒々しさが増した。

群青を追い掛け銀色が迫る。

 

「摩理......。失敗したな。やはり関わるべきではなかったのかもしれない」

「キノ。逃がさないわ」

後悔を覚えたキノ。

この展開は予想以上の最悪なパターンだ。

今の摩理と不死の虫憑きを引き合わすとキノの知る未来は大きく書き換わる。

けして、よい方向とは言えない。

花城摩理は不死の虫憑きとまだ出会う訳にはいかない。その為にキノは逃げ続ける。

 

蒼渦(ブルーホール)!」

「見飽きたわ」

群青と銀色がぶつかり合い夜を照らす。

摩理は欠落者にしないよう手加減しながらも苛烈に攻撃を加えていく。

キノは防御と回避に専念しながらも夢が削られいく消耗と一撃の重さに耐え兼ねていく。

 

「摩理はまだ知るべきでない」

「隠しもつ情報。洗いざらい吐いて貰うわ」

鱗粉の支配力がキノの力を弱め、あらゆる反撃も槍の攻防が許さない。

接近を嫌うキノは近寄るごとに蒼渦解放を使い回避し、宙を駆けて、蒼い空間な壁で塞ぐ。

キノの戦闘スタイルは安定性に優れているが虫自身の耐性が極めて低い。

虫は徐々に攻撃で削られキノの顔色は悪く息が荒くなった。

 

「これで終わりよ」

群青の壁を銀色の鱗粉が打ち壊しキノを吹き飛ばした。

激しい夢の消耗と虫のダメージがキノを弱らせていた。

近寄る摩理に動けない。

槍の矛先がキノに突き付けられた。

 

「さあ、教えてキノ。不死の虫憑きはどこにいるの」

キノの身体に小さな傷と汚れがあるがそれだけ。

摩理には余裕がある。

キノを仕留めることなく追い詰めることも苦にしない。

わかっていた。ハンターから逃げ出せる虫憑きはいない。

同化型の機動力に私の足で逃げ切れないことは。

 

だからキノはある一点を目指してひたすら走った。

 

「残念だけど、摩理。まだ私を追い詰めれていないよ」

虫にもダメージのあるキノだが気力だけはまだ保っていた。

何の変鉄もない。工業地帯のコンテナ置き場。

目標は既にあちらから近づいている。

アリジゴクの感知能力がその情報をキノに送った。

 

「キノから離れろ。摩理」

 

ムカデの大剣が麻理を襲う。

モルフォチョウの知らせにより奇襲を察知した摩理はイチの攻撃を難なく避けた。

キノから離れた摩理にイチは大剣を真っ直ぐ向ける。

 

「お前はキノを傷つけた。どんな理由でも赦さない」

怒りの大剣使いのイチは、槍使いの少女に宣誓布告した。

 

「あなたまで邪魔をするのね。イチさん」

銀色のモルフォチョウが羽を二枚重ねて矛先に変形していく。

最強の同化型の虫憑きが、新たな挑戦者に迫る。

 

「気にくわないから、ぶっ飛ばす。それだけだ」

bugの生み出した同化型の虫憑きとerrorが生み出した同化型の虫憑きが戦う。

本来起こり得ない激闘が今始まる。

 

 

「先手は貰うぞ。摩理!」

雷を纏った雷剣が花城摩理を肉薄する。

全く動じない摩理はモルフォチョウの槍を片手で回し大剣を防ぎ、銀粉が雷を押し返す。

強力なイチの一撃を簡単に防いでみせた。

 

「さすがは同化型の虫憑きだわ」

そのまま、身を翻すように身体を捻り、後ろ蹴りでイチを蹴り飛ばした。

地面に触れることなくイチはふっ飛びコンテナを壊す。

強力無比な蹴り。

蹴った瞬間、生身の人間が受けていいはずのない衝撃音にイチはなす術なく飛ばされた。

 

「おしまいではない筈よ。イチさん」

同じ同化型の耐久性を知る摩理は、イチを警戒しながら近づく。

破壊とともに舞い上がった土煙から、ムカデの剣鞭が襲った。

しっかりと反応し槍で防ぐ摩理。

その槍をムカデの顎が捕らえ勢い止むことなく摩理をコンテナに押し飛ばす。

 

「っく。突然変異の虫憑きか。本当に厄介だ」

地面を削りつつも止まらない剣鞭の一撃。

真っ直ぐ伸びた剣鞭の先に、黒とオレンジのラインを身体に浮かび上がらせたイチがいた。

蹴られた腹は強化されてるのにも関わらず、しっかりとダメージを与えている。

身体強化の分は麻理にある。

武器まで使われたらイチには厳しい戦況だ。

 

「だが武器は封じた」

ムカデの頭部が、摩理の槍を押さえつけてる内に勝負をつける。

そう動こうとしたイチの目に、槍を手放した摩理が剣鞭の上を駆けているのが映った。

 

「なッ」

咄嗟に雷電を剣鞭に纏わすも、それより速く摩理は剣鞭を蹴ってイチに迫った。

摩理の強化された足がイチを再び蹴り飛ばした。

助走が加わった蹴りにより、積み上げられたコンテナごとイチを吹き飛ばし騒音をたてる。

 

「これであなたも武器なしね」

イチは目の前に迫った摩理の蹴りに剣鞭から手を放して両腕で防いだ。

コンテナを殴り飛ばし埋もれた場所から脱け出して、摩理と向き合う。

腕でガードしなければ、そのまま気を失っていたかもしれない。

そう考えされるほど二度目の蹴りは強烈だった。

 

「素手なら勝てないとでも?」

「強がりを」

お互いが素手同士になったイチと摩理。

武器を失い、強化された肉体のみでぶつかり合う。

お互いが拳を防ぎ、密着から距離をとった。

高く舞い上がった摩理がコンテナを蹴り、上空から踵を降り下そうとイチに迫る。

イチは両腕でガードした。

轟音。地面を深くまで陥没させ、腕にめり込む蹴りに、骨が軋む音が聞こえた。

 

「ぐぅう」

襲った重圧に一瞬グラついたが持ち直し、反撃に拳を返す。

摩理は受け流しつつも体制を整えるためイチを蹴って身を翻す。

逃がさないと追撃の拳が摩理を捕らえる。

活性化する黒とオレンジの輝きはどんどん増し、イチの力を底上げしていく。

 

「っらああ」

衝撃。巨大な質量がぶつかるような音が摩理を襲い、地面に叩きつけられる。

摩理もまた銀色の輝きを強く放ち耐久も強化している。

すぐさま、起き上がり畳み掛けるイチから距離をとった。

 

「お返しだわ」

しつこく迫るイチをかわし、カウンターに掌底を送った。

地面を滑りながらもしっかりと踏み堪えるイチ。

 

「遅い」

顔を上げると摩理の拳が眼前にあった。

ガードが間に合わない。

叩きこまれた拳に、顔が潰されるような衝撃を受け、意識がブラックアウトした。

 

空中に投げたされたイチは遠退く意識を必死にかき集め保つ。

最強。疑いようもない。スペックは摩理が完全に上をいっている。

摩理自身もハンターとしての才覚と戦闘経験からイチの攻撃を徐々に把握しつつある。

 

イチは花城摩理より弱い。否、花城摩理が強過ぎる。

だが、それで終わりか。

果たして敵の強さが、目標の障害が困難だからといって諦めるのだろうか。

否、否否。

その程度では諦める理由にならない。

 

イチは一度敗北した。大喰いとの戦闘を経験している。

 

奪われた。何もかも。

 

夢も、希望も、感情さえも、理不尽に踏みにじられ全てを欠落された。

 

そして二度目。今まさに花城摩理に負けようとしている。

 

それを認めるか。

 

答えは否だ。

 

足りてない要素があるなら足せばいい。

 

 

 

 

もっと力を寄越せ。ダイオウムカデ。

 

 

 

ドクン。

 

 

胸の奥で跳ねる脈動が、ダイオウムカデの歓喜の声に聞こえた。

 

 

イチの身体を覆うラインが生き物のように縦横無尽に駆け巡る。

 

イチの体表に浮かぶオレンジのラインに光電が走った。

 

摩理は瞬時に危険を察知して飛び退いた。

 

「アアァああアぁアあああ!」

 

イチから発生した稲妻が周りを焦がしていく。

同化した肉体のみで雷電を発生させたイチ。

オレンジのラインが夜の闇夜に怪しく光る。

 

「このままだと不利ね」

「逃がすか。花城摩理ッ」

武器がないと鱗粉を扱えない摩理にとって分が悪い。

覚醒するかの如く力を開花させたイチが雷電を放つ。

雷は摩理に直撃した。

モルフォチョウと同化した摩理を僅かに焦がしたものの耐え抜かれた。

 

「威力は武器程ではないようね。イチさん」

「まだ終わりじゃないぞ。花城摩理」

接近したイチが摩理に雷電を纏った拳を繰り出す。

摩理は完全に見切り、お返しに回し蹴りを放った。

新しい能力を開花させても摩理はまだその上をいく。

電撃が摩理に与えたダメージよりもイチのダメージの方が深刻だ。

 

蹴り飛ばされる瞬間、イチは摩理の口許を隠すマフラーを奪った。

奪い取ったマフラーを黒とオレンジが染めていく、ワインレッドのムカデの剣鞭が雷電を帯電して伸び広がる。

 

「せああああ」

イチは雷剣鞭を花城摩理に放った。

しなるムカデの頭部が大顎を開き摩理を襲う。

両手で顎に噛み付かれるの防ぐも電撃に痺れ、剣鞭の勢いを殺せずに押しきられる。

積まれているコンテナを幾重にも巻き込んで、更なる破壊を残していく。

 

「ゲホッ」

瓦礫と変化したコンテナから摩理が駆け出した。

イチとは正反対の方向だ。

背を向け走る摩理を妨害するように剣鞭を振るうイチ。

強化された足で剣鞭を避ける摩理。

 

「まだまだね」

機動力に優れた同化型の本気の回避に剣が捉えられない。

地面に転がる鉄パイプを拾うと、身体から銀色の触手が伸びて槍と化する。

モルフォチョウの羽を三枚重ねた矛先を回し、イチと向き合った。

 

「私も本気を出すわ」

「来い。花城摩理」

嵐のような銀色の鱗粉と大地を轟かす雷鳴の電光がぶつかった。

衝撃が地形を変えていく。

巻き込まれたコンテナは整頓されているかのような並びがメチャクチャにバラけていた。

特に両者の近くには中身がわからない程破壊されたコンテナが散らばっている。

 

荒れ狂う戦闘の中、キノは呆然と二人の戦いを見詰めていた。

 

 

 

何だこれ。

 

二人の同化型の戦いはキノの理解力を越えていた。

 

花城摩理の戦闘力は原作知識からある程度予想していた。

一号指定。

更にその中で最強を称する力は伊達じゃない。

街一つ滅ぼしたとしても不思議ではない力を有する一号指定だ。

キノは勝てると思わないし、イチと合流したのも二人ので隙をついて逃げ出す発想でしかない。

 

初見のイチの本気の戦闘。

同化能力は身体を強化し、超人の戦いを可能にした。

分離型の虫が可愛く見えるほど強力な戦闘力を発揮した同化型のイチと麻理。

 

それだけなら、まだよかった。

 

イチは強い。最強のハンターと劣ろうが必死に食らい付く様に強さを疑問視することはできないだろう。

 

イチは強い。先からキノの感知能力が二人の活性化する渦の波動をリアルタイムに送っている。

 

イチは強い。そして、キノの予想以上に強過ぎた。

 

 

イチは戦いの中、成長している。

 

強力な花城摩理という敵に呼応するかのように、イチの渦の力場がより深く、より強く広がっているのを感じた。

 

新しい能力を開花させた。そんなレベルじゃない。

 

進化している。

 

まだまだ発展途上と言わんばかりに。伸びしろを引き伸ばすかのように。

 

火種三号なんて的外れもいいとこだ。

 

これじゃあ、まるで。

 

 

 

その可能性を、キノは必死に否定する。

 

 

あり得ない。あってはならない。そんな可能性はいらない。

 

それは、特別だ。

 

ただ強いだけでは至らない素質を求められる条件。

 

得ようとして得られるものでない。特別。

 

運命としか呼べない要素。

 

イチはその条件にーーー......。

 

嘘だ。

 

だって偶然、キノが原作知識を持って利用して......。

 

だから、それは......。

 

 

......嗚呼。

 

そうか。

 

運命なんだ。

 

イチはーーー。

 

 

「はああァァアああ」

「うおおォォオおお」

銀槍と剣鞭が残響を響かせ衝突する。

追い付こうと力が増していくイチに対し、寄せ付けないかのように圧倒する摩理。

破壊を振り撒く銀色の鱗粉が、イチを襲う。

イチは剣鞭を巻き戻し、自分の周りに蛇の如く幾重にも巻き付け防御した。

電流が鱗粉を焦がし、軽減された威力を剣鞭が防ぐ堅い護りが攻撃をはね除ける。

 

摩理はモルフォチョウの羽四枚全てを矛先へと変化させた。

銀色の模様を浮かべた麻理は、鋭い矛先から荒れ狂う鱗粉を領域に撒く。

ダイオウムカデから迸る電撃が弱まった。

イチは鱗粉に対抗すべく電撃で押し返す。

 

まだ足りない。もっと力を寄越せ。

 

もっと強く。強く。力を寄越せッ。

 

制御下を離れたがるダイオウムカデは、イチが力を使うことを喜ぶかのように分け与えた。

次第に手に余るように、暴走しかねないように手の中の剣鞭は荒れ狂っている。

破壊衝動がイチの精神に凶暴さを与える。

イチは夢を磨耗する度に喜びをあげるダイオウムカデに薄々気付いていた。

虎視眈々と宿主が力を使い果たすのを待つ虫をイチは睨み付ける。

 

ーーーお前ごときに負けない。

 

ーーーあの時とは違う。

 

ーーーキノとの約束。

 

ーーーそれが果たされた時、俺の夢は

 

ーーー前より、ずっと強くなった。

 

例え、最強の虫憑きでも、不死の虫憑きでも、始まりの三匹だろうとも負けない。

俺の夢を喰らうダイオウムカデ、お前にも負けたりしない。

俺は勝ち残り、夢を叶える。

 

内側から邪魔をするなら、お前も敵だ。ダイオウムカデ。

 

イチの意識を読み取ったのかダイオウムカデが内側で暴れる気配がなくなり、身体の制御が楽になる。

ダイオウムカデの剣鞭は怯えるように、喜ぶように身を奮わせ大人しくなった。

 

そして、イチは更に自身の夢をダイオウムカデに注いでいく。

 

ダイオウムカデの剣鞭が放つ電撃の質が変わった。

紅電。紅く染まる電流が灼熱のような高温を放ち、空気を轟かせた。

 

 

「か、荷電粒子」

 

キノの驚愕の言葉。

 

紅電の大剣が銀色の鱗粉を削り取る。

摩理は厳しい表情でイチを睨み付けた。

ますます脅威になるイチに全力で当たるべく銀槍を構える。

イチは大剣を中段に構え、紅電を収束させていく。

灼熱の荷電粒子砲。

破壊の銀色の鱗粉。

紅と銀の輝きは最高潮に高まった。

 

 

ここで、焦ったのがキノである。

戦いが衝撃的過ぎて介入できなかたったがこれはマズイ。

すでに廃墟より悲惨な工業地帯は、同化型の本気の全力でより悲惨になろうが手遅れである。

イチと摩理の両者。

戦いに熱く集中する余り周りがよく見えてないが、これ以上の惨事は特環をも招きかねない。

それに、お互いの本気を続けていたら怪我だけでは済まなくなる。

なんとか止めるべくキノは大声を張り上げた。

 

「イチィー!摩理ィー!止まってぇえ!!」

 

その言葉が届く前に両者の攻撃が幕を切った。

 

空気が破裂し、轟音が轟き、大地が揺れる。

 

膨大なエネルギーの余波がキノを襲った。

 

「きゃあーーーッ!」

 

吹き飛ばされたキノに向かい。

 

「キノッ」

「キノっ」

 

二つの声が響いた。

 

 

 

イチは.......。

 

一号指定の条件。

魅車八重子の研究テーマ。

虫の始まりの原因。

 

不死。

 

不死身の肉体ではない。

決して死なない宿命を背負う素質を持った不死性こそが、一号指定の絶対条件。

 

例えば、銃弾飛び交う戦場で防具を持たず、散歩するように歩いて無傷。これも不死。

例えば、歴史に残り、死して尚も生きてるかのように語り継がれる偉人。これも不死。

例えば、災害の中自分だけ災いから生き残る運命のように奇跡が生かす。これも不死。

 

キノはこう解釈する。

不死性とは因果律であると。

死なない。

まさに運命。

死ぬことを赦さない奇跡。

あらゆる要素が彼らを生かす不死の因果律である。

 

イチは......。

 

花城摩理のモルフォチョウは特別だ。

そのモルフォチョウに誘われ運命が狂う時。

モルフォチョウは不死の如く復活する。

不死鳥のように蘇る一号指定。

 

かっこう。一号指定を計る試験紙であり、自身もまた幾度の戦場から生き残る一号指定。

 

立花利奈。カリスマからむしばねに深く崇拝される死してなお、生ける伝説の一号指定。

 

ハルキヨ。災禍を運ぶ魔神。産まれた時から災難が彼自身以外の全て灼き殺す一号指定。

 

杏本詩歌。彼女は多くの犠牲を生み、その犠牲が彼女を生かす最も不死に近い一号指定。

 

そして......

 

イチは......。

 

イチ。イレギュラー足る私の介入により運命をねじ曲げられた少年。

私の知識が、愛が、あるいは私と出会わせた運命そのものがイチを生かすだろう。

欠落者から蘇生したように。

私が手段を選ばずイチを助けるように。

偶然と片付けられない。

イチの強さが証明してくれた。

もう、誤魔化せない。

 

私の知識と寵愛により生かされる不死性。

 

イチは......一号指定だ。

 

 

目を開けると先程まで争っていた二人の同化型の虫憑きがいた。

 

「キノ。よかった......」

安堵の声はイチ。摩理も心配そうであるが口を閉じている。

身を起こし溜め息を吐いた。

今日は厄日だ。一度に問題が起こり過ぎてキノの処理能力の限界を迎えた。

イチが一号指定。

この事実がキノを苦しめる。

二号指定でも戦闘能力なら近いレベルを発揮する人間もいる。

それでも一号指定の危険度には比べ物にならない。

何より、魅車八重子に完全に目がいくだろう。

不死の研究を続ける魅車八重子にとってイチは貴重なサンプルだ。

あー、ヤダヤダ。他の女がイチの興味引くなんて最悪だ。

改めて魅車八重子の危険度を高めたキノ。

目の前の問題。花城摩理に向かい口を開いた。

 

「不死の虫憑きは赤牧市にいる」

「!」

思いきってバラしてみた。

 

「どういうつもり?」

「私の降参で摩理の勝ち。隠してた理由は秘密だけど、知ってることを話すよ」

「そう。不死の虫憑きはどこ?」

「知らない」

「......キノ」

「本当だって。前に偶々感知範囲に引っ掛かっただけだから」

摩理の感知能力の精度とキノの感知能力の精度は段違いだ。

摩理はモルフォチョウが虫憑きを察知するのに対し、キノは自分の感覚で広範囲に渡るレーダーのように知れる。

数、距離、強さ、種類。虫憑きだけでない。始まりの三匹の匂いすら辿れる力を持つ。

嘘は語っていないのだ。

不死の虫憑きが赤牧市にいたのも、前に感知したことも、今は知らないことも。

でも、本当のことも言ってない。

今は赤牧市にいない。

おそらく出張中であり、街から離れている。

その情報を伝えると余計に拗れるから話せない。

 

「不死の虫憑きは摩理と同等かそれ以上にヤバかったよ。底の見えない深淵の様に深く、全てを憎むかの様な禍々しい渦を感じた。強敵だよ」

「何故隠していたの」

「言えない」

「どうしても?」

「どうしても。だよ」

麻理はキノの目を深く覗く。

キノは真っ正面からそれを受け止めた。

やがて麻理は視線を反らしキノから離れた。

 

「キノは嘘つきね」

「そうだね」

「病室に戻るわ。抜け出したことが見付かったらいけないもの」

「おやすみ。摩理」

「またね。キノ」

モルフォチョウと同化し地面を蹴って去っていく摩理。

見送るキノは見えなくなるまで見届けていた。

 

「キノは悪くない」

イチがキノを後ろから抱きしめた。

 

「どうして?」

「花城摩理は止まらないし止められない。キノが何を隠そうが、どうにもならないこともあるんだよ」

「私は摩理を救えないのかな?」

「わからない。けどアイツが望んでない以上助けようがないのも事実だ」

「そうかもね」

俯くキノは暖かさに体重を預けイチに甘えた。

花城摩理のストーリーに私は無力だ。

彼女は私と出会い何を変えたのだろうか。

心身ぼろぼろになるまで虫憑き狩りを行う摩理を救いたかった。

生きたいなんて純粋で悲しい夢に希望が欲しかった。

私は彼女を救うことはできない。

 

その事実に

 

少しだけ涙を流した。

 

 

病室の風景。

沢山の本に囲まれながらも停滞した清潔な空間。

誰も訪れて来ない。変化のない病室。

花城摩理の病室の前に、群青の輝きが扉を開くことなく離れた。

 

少しだけ距離を置こうか。そう思案した人物の顔を上げた。

病院の廊下を、病室を確認しながらネームプレートを見て廻るポニーテールの少女が歩いていた。

口許を綻ばす。

微笑を浮かべて少女とすれ違う。

 

彼女をヨロシクね。と小さく囁いた。

ポニーテールの少女は廊下を立ち止まり、振り返ったが誰も居なかった。

 

小首を傾げて、目的地まで向かう。

 

花城摩理の病室に、ドアをノックする軽い音が響いた。

 

「はじめまして、花城摩理さん」

 

快活に挨拶するポニーテールの少女の名前は一之黒亜梨子。

 

一之黒亜梨子が花城摩理と出会い多くの運命が廻る。

 

 

 

 

 

 

 




この作品の荷電粒子砲は私のサイエンスフィクションです。
実在の荷電粒子砲と一切関係ありません。

私の荷電粒子砲。電撃の上位変換で高熱ってことにしてます。ロマンです。原動力も夢なんです。


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夢偽りと守護者

活動報告なく期間あけた投稿、私は亀だと前々から言っていたので納得して頂きたく存じます。

待たせた皆さん、普通にスミマセンっしたー!




生来の苦労性である川波清太はため息を吐いた。

とある少年に惹かれ仲間入りしたものの、何だか予想外な事態に発展し振り回されていた。

 

虫憑きは特別環境保全事務局と呼ばれる政府組織、通称特環によって支配されている。

彼の組織は、日常に溶け込む不確かな脅威虫憑きを欠落者にして管理するか、仲間にして管理するかの方針で動いている。

そして、それに対抗する反抗組織。

虫憑きたちの脅かし支配する特環に仇なす組織。

最近になって徒党を組んだ虫憑きが組織化され纏まりつつある。

これから虫憑き同士の戦いはより苛烈なものと変化するだろう。

 

清太はこのいずれかの組織に属するか、あくまでフリーの一般人に溶け込むかのどちらかなると考えていた。

だが、その予想はどれも外れた。

新しい勢力。

それも虫憑きを根本から変える事を目的とした新勢力の結成。

そんな組織に清太は引き込まれた。

もはや常識という概念がどこかへ旅立ってしまったのではないかと時々考えてしまう。

 

リーダーは少年イチ、副リーダーはその彼女であるキノ。

リーダーの彼はともかく、副リーダーの彼女はかなりの曲者だ。

どこからともなく資産家からパトロンを得て、組織体制を整えた手腕にそれを実行する行動力、実質この組織の要であり方針である。

彼女がいなければ組織の運営も儘ならない。

 

謎が多く不審な少女だ。

そんでもってバカップル。人目を憚ることないバカップル。

わかりやすく甘えるキノに、さりげなく甘いリーダー。

苦味のある珈琲を飲んで、緩和しなければ甘さで噎せかえる雰囲気にやられてしまいそうだ。

 

色々と油断のできない彼らである。

 

意外といえば、この組織に属することで窮屈な虫憑き生活をおくることなくノビノビやれていることだろうか。

 

神経質とまではいかないが、行動を制限されることをしがらみに感じてしまう清太だ。

 

新しい組織に属することになったが、思いの外自分を殺さず、勝手ができてる気がする。

 

夢って案外叶えられるのかもしれない。

そういう希望を持たせる組織ではあるんだよな。

 

馴染んだ自分に苦笑を溢し、仕事をこなす。

 

「こちら。任務完了」

パトロンである円卓会に仕事を与えられている。

資産家たちには敵が多いようだ。

暴力関係のお仕事やってる強面たちが、呻きながら倒れている。

 

「ば、化け物」

「はいはい、おやすみ」

意識が残っていた一人を大鎌で殴った。

黒いことに手を染めている連中だ。その証拠に銃刀法違反の物が転がっている。

武装された集団を清太は一人で鎮圧した。

 

「どこぞの企業関係者か怨みをもった個人なのかは知らないけど。荒事に発展する金持ちの事情なんてものはしがらみが多くて面倒だな」

虫憑きでもない武装した一般人など畏れるに足りない。

以前に比べて虫を使うことに慣れた清太の力量は上がっている。

虫を出した時の動揺から戦闘不能に至るまで5分も掛からなかった。

余りにも一方的な戦いに拍子抜けした位だ。

 

「これより帰還。のついでに珈琲買っていこう」

大鎌をぐるりと回し、人が倒れる事務所を普段通りの足取りで去っていった。

 

 

 

「補助向きの私が一番駆り出されているなんてどういことなのよ」

文句を言いつつ仕事をこなすのは長瀬八千代。

ある日、少女に敗れ、勧誘された虫憑きだ。

最初は少女が警戒していた。

自分以上の実力者であるし、キツイことも言われた。

今は警戒するのが馬鹿らしくなるほどバカなカップルだと思い知らされている。

 

「内輪揉めを発展させて大事になったら取り押さえる。嫌な使い方ばかりだわ」

今やらせれているのは円卓会の仕事。

内部分裂している派閥争いに不祥事を起こさせて取り押さえ潰す自作自演の寸劇。

 

「あーあ。もう暴力沙汰になってる」

少女に誘われた組織で八千代はその能力を本来の目的とかけ外れた使い方ばかりしている。

お陰で能力の応用力は身に付けた。

皮肉だけどね。と自嘲する。

ここ最近は詐欺や犯罪に近い事に能力を使っている。

無論不満の限りだ。

 

私の力は誰かを元気づけるもので、誰かを貶めるものではない。

そう言って少女に詰め寄った記憶は新しい。

 

『まだこの組織の基盤が不十分なんだ。

取り敢えず、後少しで馬鹿してる一人を粛正して手頃でコチラの都合のいい駒と入れ替えるから我慢してね』

 

ぞっとする話だ。中学一年の少女に大人たちが踊らされ手玉にとられている。

この組織は少女の為の組織なのだ。雇用関係にあるパトロンすら支配して意のままに操ろうとしている。

結局、少女の手段に過ぎない組織の命令に従うことも、近いうちに少なくなるだろう。

 

「キノが何者なのか本気でわからないわ」

それだけの力をあの少女は持っている。

あどけない笑顔から見え隠れするトンデモな片鱗に恐怖することも少なくない。

 

「この組織。上手くやれるかしら」

それでも少女に従うのは彼女と交わした言葉が原因だ。

 

「よりによってあんな馬鹿で壮大で出鱈目な目標の応援をしろだなんて」

虫憑きを生まない世界をつくる。

こんなことを、一体誰が考え付くだろうか。虫憑きは自分の虫に怯え、特環に怯え、世界に怯える。

夢を抱いてもその夢を叶えようと努力することすら難しい環境の中、自分のことでも、夢のことでもなく、この世界の在り方に目がいくなんておかしい。

 

でも

 

「これから生まれる夢の為に頑張れ、か。

無茶ばかりの組織だわ、本当に」

夢をもつ全ての人間を元気づける希望となる。

そんな馬鹿な目的に賛同してしまったんだから同じ穴の狢とでも言うのかもしれない。

この世界の夢に希望はない。虫憑きが生まれ続ける限りそうなのだろう。

夢を抱くことを応援したい。

虫憑きになって、夢を必死に守る価値を知っている。

私自身がそれを望んでしまった以上もう後戻りなんてできない。

今の不満なんて目を瞑って本当の夢を実現させてやる。

 

「しかしお金持ってる連中なんて馬鹿ばかりね。

これだから、私たちに利用されるのよ」

人が良さそうな少女は腹黒い笑みを浮かべて嘲笑する。

キノのせいで多少すれてしまった女の子はどこかブラックだった。

嫌々ながら続けた能力で操る内に、達観を通り越して嘲笑を浮かべる少女は、特殊型の虫憑きに倣った歪んだ嗜好を身に付けてしまったようである。

その事に気付いたキノは、逞しくなったと笑いつつも冷や汗を隠して見なかったことにした。

割りと上手く馴染んでいる八千代であった。

 

 

 

 

 

路地裏には人を避けるかのように複雑な道を作っていた。

そんな場所を歩く人間は大抵後ろ暗い事情を抱えている。

今もまた路地裏には一人の人物が徘徊していた。

 

「ど、どうしよう......」

まだ小学生くらいの少女はおろおろと悩み狼狽えていた。

ボブカットのショートヘアーで目尻が下がり気味の内気そうな女の子である。

 

「どうしよう......」

言葉を繰り返し必死に頭を回す。

少女の悩みは極めて特殊だった。

相談したくても誰にも打ち明けられない、危険の孕んだ秘密である。

問題の解決に、自分で立ち向かわなければならない。

それは義務ではなく、少女自身の決意から決めたことだ。

それでも、少女は無力である。

 

「......よ、よし」

虫憑き。世間で知られている噂であるが、それが実在することを少女は知っている。

それを隠蔽する組織の存在についても知った。

ならば、と頭を回して策を弄する。

これが正しいとは思わない。だけど少女にはどうしてもそれをなさなければならなかった。

 

「わ、わたしは、虫憑きだ」

自分に言い聞かせるよう呟くと顔色が悪くなった。

これからすることに大きな不安がよぎる。

小動物のように縮こまりながら目尻の涙を拭う。

 

「うー、特環に接触しないと」

一般人の少女が無理をしようとする理由。

誰にも言えない、その理由の為に少女は動く。

臆病な少女の冒険が始まる。

 

 

 

「何なんだ。このふざけた貼り紙は?」

[虫憑き様→]と書かれた貼り紙は小学校の校門に貼り付けられていた。

珈琲を買った帰り道、清太はこの貼り紙を見つけた。

 

「悪戯か?たちの悪い」

悪戯にしては悪質である。

どんな思惑があるか知らないが、これだと色々厄介を招くに違いない。

虫憑きなんて堂々と書かれた貼り紙がどんなトラブルになるのか。

下手すれば特別環境保全事務局が動くかもしれない。

確認の為このたちの悪い貼り紙の主を探すことにした。

 

「なんだかトラブルの予感だ」

日も暮れはじめた小学校の校門をくぐると人気がない校舎が出迎えた。

そのまま学内を探索するも道中迷うことはない。何故ならご丁寧に貼り紙が案内してくれているからだ。

至る道すがらに貼られた紙は先導するかのように矢印が書かれて標識の役割を果たしていた。

 

「無駄に細かい手間を」

一つの教室の前で清太は立ち止まる。

右の扉には[特別環境保全事務局様]左の扉には[レジスタンス様]と書かれた貼り紙がある。

どちらも同じ教室の入り口だ。

 

「......」

ここまで来たらさすがに、虫憑きのトラブルだと察する。

なまじ馬鹿らしかっただけに嫌な予感がひしひしと伝わった。

清太は近くの[特別環境保全事務局]の扉から教室に入る。

ビクッと動いたのは小学校に相応しい見た目の女の子。

ボブカットの髪が似合っていて小動物みたいだった。

 

「......の、ノックくらいしてくださいよぅ」

見た目通り臆病そうだった。言葉の端が力なく小さい。

 

「君がこの貼り紙の主?」

清太は一応高校生なので小学生の女の子に威圧的にならないよう気をつける。

[虫憑き様→]と書かれた貼り紙を全部回収したのは清太の善意だ。

注意だけに留めて、厄介事には関わらないつもりで話を進める。

 

「あ、あなたは特別環境保全事務局ですか?」

しかし、目の前のトラブルは厄介に巻き込む気満々である。期待に満ちた目で清太を見詰めた。

純粋な期待の目で見られた清太は答える。

 

「違うよ」

「え、えー!?」

見事に少女の期待を裏切った。

少女は驚きの声が教室に響く。

 

「で、ではレジスタンス?」

「違うよ」

「ええー!?」

またも少女の期待は裏切られる。

真面目そうな高校生くらいの少年はことごとく少女の期待を裏切り続ける。

 

「で、では何なんですかあなたは!?」

「君の方こそ何なんだい。

この貼り紙、悪ふざけにしてはやり過ぎだよ。

どういうつもりか知らないがもう止めなさい」

顔を真っ赤にして声を上げる少女に、注意する高校生。

構図としては正しく正論である。

 

「......悪ふざけじゃないもん」

「まだ言うのかい」

「でも、貼り紙を見付けてここに来た。

......あなたは虫憑きですよね」

まるでそうあって欲しい、嘆願するかのように見詰める少女に清太は溜め息を吐いた。

これは捕らわれたな、しがらみに。

諦めと共に関わる覚悟を決めて答えた。

 

「そうだね。そして君は?」

「わ、わたしは、小学五年生の竹内七歌です」

「俺は川波清太、高校二年」

不可思議な出会いから自己紹介をする二人。

 

「わ、わたしは、虫憑きなの」

いまいち要領の良くない不器用な少女は告白する。

 

「そして、わたしを虫憑きから助けて欲しいの」

少女が語り出す。

その内側にそっと隠していたもの解決して欲しくて。

 

 

 

話を纏めると少女、竹内七歌は悪質な虫憑きグループに目をつけられていた。

元々内気な少女は、素行の悪い不良に絡まれていた苛められていたが、その不良が虫憑きになったらしく、同じく虫憑きとなった七歌は目をつけられ欠落者にされそうになったとの話である。

予想外のヘビーな話かと思いきや、今までは七歌を庇う友達のお陰で大事には至ったことはないらしい。

実際嫌がらせの域を出ない中途半端な不良らしい。

虫憑きになって気が大きくなっているのだろうと七歌は語る。

 

「特環を頼って不良退治か。

その場合は君も拘束されていただろうけど」

「うー、で、でもこのままでは大変な目に遭いそうで」

「解決手段としては下策だよ。考えなしの行動と変わらない」

「うー」

唸る七歌は相談相手の指摘に涙目だ。

本当に虫憑きとしても人としても弱そうな少女だ。

 

「そ、それで結局あなたは何なんですか?」

「......虫憑きの平社員かな?」

「な、何ですかそれ?」

「それは置いといて。君の虫はどうなんだい?

稀少価値のある虫ならスカウトしてもいいんだけど、何の役にも立たない虫憑きを無償で保護なんて出来ないからなあ」

頭を掻いて問題点に悩む清太。

首を突っ込んだ以上、最後まで面倒をみたいが組織として役に立たない虫憑きを無闇に拾う訳にもいかない。

目的の為の組織に間違っても無償の保護なんて期待してはいけない。

それを認めたら組織が成り立たなくなる。

 

「わわわわたしの虫は、やや役に立たなくて、よよ弱くて見せられないものなんです」

「うん。全然期待してなかったけど。て言うか舌噛まない?」

呂律が酷いことになってる七歌を見てやるせなくなる清太。

七歌には悪いけど、不良の問題が片付いたら後は自分次第で頑張って貰うことになりそうだ。

 

「それでその不良は?」

「ち、中学生で圓藤緒里グループの末端とか言ってたけど、多分ただの不良だと思うの」

「......確か結構有名な不良が居たっけ」

「わ、わたしみたいな小学生狙いのこ、小物だから有名なのとは違うと思うの」

「君って結構毒舌だろ」

鴇沢町は若者の人口が減りつつある片田舎な地方だが、ギャングのような不良グループが存外する物騒な所でもある。

 

「うー、ほ、放課後になるとこの辺りを彷徨いているから迷惑なの。

さっさと通報したいけど、い、嫌がらせの域だから出来ないの」

「やっぱり毒舌だよこの子」

最近の小学生は容赦ない。案外神経太いじゃないかと疑う清太だった。

 

「よ、四人グループで確実に何人かは虫憑きで最近は危ないことになっているんだって」

「うん?君は狙われたんだろ?」

「そ、そそそうなの。

よ、弱い者虐めが好きみたいでわわ、わたしみたいな虫憑きを欠落者にするとかなんとか」

「ふーん」

弱者をいたぶる虫憑きなら容赦する必要ないな。

雇用するにも性格に難ありは受け入れない。

そういった虫憑きが野放しなのが問題だ。それを取り締まる特環の役割を初めて好意的に見れそうだ。

考え込む清太に七歌は嘆願する。

 

「お願いします清太さん。アイツらだけでも何とかしてください」

両手を祈るように合わせる小学生に、断れない性格の清太。

もとより事情を聞く前に覚悟したことだ。

 

「約束するよ。だけど不良は何とかした後は君次第だ」

「は、はい!」

清太の言葉に始めて七歌は顔を明るくした。

清太と臆病な少女七歌は約束を交わして別れた。

 

 

 

「で、なんで私が呼び出された訳?」

不機嫌な様子の少女は八千代である。

折角仕事をやり終えたのに極めて私情に走った清太に呼び出されてここにいた。

 

「まあ、悪いと思っているけど人助けと思って頼む」

「分離型はお人好しって言うのは本当ね。

余計な事に首を突っ込むのだから」

溜め息する八千代。シビアな意見持ち合わせる八千代には清太の事情は甘いと言わせるものだった。

とは言え八千代自身の夢もそういうものに反応してしまうものだった。

際限のない都合のいいお人好しにならない為にも線引きは必要だ。

 

「貸し一つで」

「ケーキを奢る」

「手を打ちましょう」

女の子は甘いもの好きだよな。しかも無駄に高いやつ。

給料も出る組織だから八千代は遠慮なく高級ブランドを請求するだろうと予想した。

少し自分の財布の中身が不憫に思う清太だった。

 

「それで、その女の子は?」

「ここで待ち合わせの筈だけど」

「せ、清太さーん!」

「来たみたい」

上擦った声を上げる少女は昨日会った竹内七歌である。

その隣に小学生にしては大柄な少年が居た。

 

「お、遅くなってすみません」

「構わないけど、隣の子は誰かな?」

「はじめまして、おれは早瀬タクミです」

「わ、わたしの友達で、い、いつも庇ってくれた親友です」

「......リア充か」

「な、なにか言いましたか清太さん?」

「何でもない。リーダーと副リーダーがバクハツしないかとか全然思っていない」

「そ、そうですか。べ、べつに思っていることとか聞いてないのですが。

そ、そこのお姉さんは誰ですか?」

目のハイライトが消えた清太に水を向ける七歌。

空気を読んで話を替えた。

 

「はじめまして七歌ちゃん。

私は清太さんとは同業者の長瀬八千代よ」

「わー。凄くお姉さんっぽい」

流石は相談役をこなす人望の高い八千代である。

人のいい笑顔を向けて、相手の目線に合わせた挨拶を自然にやってのけた。

七歌は理想的なお姉さんに出会えて感嘆した。

 

「そいつ結構腹黒いから気をつけ......痛っ」

「何か言ったかしら?清太?」

外面のいい微笑を浮かべつつも踵で清太の足を踏みつける八千代。

失言を悟った清太は黙って痛みに耐えた。

きちっり七歌たちには見えない所での犯行である。

一人耐える清太は辛い。

 

「それでどうして早瀬君がいるんだい?」

何気ない風を装い足のダメージを隠す清太。涙ぐましい見栄と努力である。

先ほどからの疑問を七歌に問う。

 

「おれが着いてきたんです。

虫憑きの話は今日聞きました」

「は、早瀬クン」

早瀬巧は真っ直ぐな少年だった。

どうも素行の悪い不良が絡んでいるのを自発的に助けに入る正義感溢れる少年らしい。

大柄な彼は人を圧迫するらしく不良に対抗できるらしい。

今日落ち着きのない七歌を見て、また不良のことで何かあったのではないかと不審に思い問い詰めた。

結果こうしてついてくる状況に至る。

 

「君は虫憑きが怖くないのか?」

疑問に思うのはその事だ。

カミングアウトした七歌にも驚きだがそれに怖じ気付くことのない早瀬も驚きだ。

 

「おれも虫憑きです」

しっかりと答えた早瀬の理由に納得した。虫憑きなら虫憑きを畏れる理由は少ない。

七歌はどこか不安そうに早瀬を見つめる。

 

「君も不良たちが虫憑きだと知っていたのかい?」

「いえ、七歌に言われるまで七歌自身が虫憑きであることも知らなかったです」

「それで一緒に来てどうする?」

「七歌を守ります。それはおれの役割ですから」

「ああ、そう」

短くで返答する清太。

最近の小中学生は進んでいるなー、とか思ったり思わなかったり。

 

「それでこれからどうするの?」

話を纏める八千代。どこかの公害じみたバカップルよりもこの少年少女のほうが数倍微笑ましい。

恋愛相談も受け持つ彼女は清太ほどカップルの害は少なかった。たまに胸焼けでイライラすることもあるが。

 

「た、確か今日襲ってくるとか言ってました」

「それはどこで聞いたの?」

「ま、ま前に襲われた時に偶々立ち聞いて」

「向こうからやってくるなら話が早い。迎え撃つ」

「私はあくまで補助に徹するわ。そこの子たちの守りも兼ねて後衛でね」

「大丈夫なんですか?」

「彼は素人の虫憑きに負けるほど柔ではない、任せておけばいいわ」

「おれの虫は目立つのであまり使いがってはよくないです」

「君も七歌君と一緒に下がっているんだ」

「私と一緒に七歌ちゃんを護りましょう」

「うー、は、早瀬クン」

「わかりました。七歌を護って下がっておきます」

「それでいい」

作戦と言うほどではないが役割を定めておくことで対処を確認し合う。

本来なら、キノと清太、イチと八千代の組み合わせが適切である。特殊型に攻撃手段のあるキノと物理特化の清太。単独で強力なイチとそれを補助する八千代。だけどここにはいない人物を役割に組み込めない。

今回は清太の独断専行なので協力を求めず報告もしていない。

清太と八千代の組み合わせは、攻撃手段に不安な要素が潜んでいる物理特化と補助特化の組み合わせである。

特殊型相手だとじり貧になるかもしれない。

相手の虫を把握しきれてないので出たとこ勝負である。

相手が飛行できずに大鎌の間合い分のスペースがある建造物内での戦闘を計画した。

後は待ち伏せて対応するだけだ。

 

 

 

「欠落者にするって言ってもアイツ何処に居やがるんだ」

「ケッ、本当に虫憑きなら特環にやられているんじゃないか」

「アイツが虫憑きっていうのも最近の話だぜ。前々から気に入らなかったヤツだ。虫を殺していたぶってやろうぜ」

学校も終わり下校する生徒に入れ替わり素行の悪そうな学ランの中学生が現れた。

七歌が怯えるのを早瀬が手を握って励ました。

悪辣な会話内容に清太と八千代は眉をひそめて聞き入った。

 

「オイ居やがったぞ。知らない連中もいる」

「特環か?何にしろぶちのめす」

「ハッ!どうやら俺たちが来るとわかっていたみたいだが仲間呼んでどうにかなると思ってんのかコラァ」

不良たちが七歌たちを睨み付ける。

本格的にたちの悪い連中のようだ。かなり好戦的に挑発した。

 

「ひとまず場所を代えようか。予定通り旧校舎に誘き寄せよう」

「そ、そうしましょう」

「走って!」

まだ人が疎らにいる中、人気のない閉鎖された旧校舎に向かい走り出す。

不良たちも積極的に攻撃する意思を持ち七歌たちを追いかける。

一般の虫憑きたちの争いが火蓋を切ろうとしていた。

 

「何か恨まれるようなことでもしたのかい?執念深い連中だ」

「事あるごとにちょっかい出すのを咎めていましたから」

「逆恨みね」

「あ、あの人たち自分で問題起こして勝手に人を恨む、お馬鹿さんですの!」

「君は彼らの前では口を開かない方がいい。絶対怒らせるから」

「あら素直なのは美徳じゃない」

「だから君は腹ぐ、何でもありません」

睨まれて口を閉ざす清太。自分の周りの女の子って何だかなって思った。

広さのあるエントランスホールで立ち止まる。

 

「逃がさねえぞ」

「大人しく虫を殺されるんだな」

立ち止まる清太たちに追い付いた不良たち。

割りと勝手なことを宣いながら虫を出した。

四人グループの内二人は虫憑きのようだ。

中型犬くらいの黒ずんだバッタと高さ二メートル超えのゲンゴロウの分離型だ。

清太も大鎌を現し構えをとった。

 

「理不尽に虫を殺す虫憑きに容赦はしない。恨みはないがここで果てて貰おう」

「抜かしやがれ!」

黒ずんだバッタが弾丸のように迫るのを清太は大鎌を横に振るうことで弾いた。

追撃するゲンゴロウの巨体が体当たりが清太を肉薄するのを床に転がりながら薙ぎを腹下に刻む。反撃を受けたゲンゴロウはバランスを崩し倒れた。

 

「他愛ないな」

「そいつはどうかな」

二連攻撃と回避した清太の余裕をニヤリと嘲笑う不良たち。

転がる清太が体勢をなおしきる前に黒い弾丸のようなものが清太を襲う。

 

「くっ」

「せ、清太さん!」

七歌の悲鳴が聞こえた。不意討ち気味の攻撃を直感で大鎌を動かし盾にすることで防いだ。

他の虫憑きの可能性に虫を睨むと驚かされることになる。

ゲンゴロウの影に隠れていたのは初撃で防がれた筈の黒ずんだバッタだった。

 

「どういうことだ?」

ちらりと振り返ると弾かれたバッタは床にひっくり返って転がっている。

全く同じ姿の黒ずんだバッタだった。

バッタの同種の虫にしては似通い過ぎている。

虫は個人で見た目の特長も違う。虫は昆虫に似ているが実在のそれとは細部が異なり全く同じ姿の虫はこの世に存在しないとされている。

思わず虫憑きの不良たちを見ると空中に浮かぶ黒ずんだバッタが群れをなしているのが清太の目に写った。

 

「そうか。複数操作型の虫憑きか」

「はははは、ご名答だ」

顔を厳しくさせながら分析した。

分離型の虫憑きには複数の虫を操るタイプが存在する。

清太の装備型に並ぶ珍しい虫憑きだ。

黒ずんだバッタは飛蝗(トビバッタ)と呼ばれる蝗害を起こす相変異のバッタである。

群生行動をとり草類を喰らい尽くす飛蝗現象を起こす虫と酷似して群れている。

 

「不味いわね」

八千代が状況を見て呟く。

相性としては最悪の部類だ。

一対一なら清太に分があるが多対一では分が悪い。飛蝗は誰が操作している虫憑きがわからないように不良グループ全員に飛び交っている。

 

「余所見してんじゃねーぞ」

「ぐおぅ」

不良の一人が叫んだ。傷ついたゲンゴロウの太い腕が清太を突き飛ばす。それでも大鎌で防いだのは流石だが重量に敗けて壁に叩きつけられた。

 

「お前らもだ!」

「ひぃっ」

「七歌!」

群れをなした飛蝗が弾丸となって七歌と早瀬に向かい飛び込んだ。

危険を察知した八千代が飛蝗の軌道に割り込みように立ちふさがり虫を展開する。

音もなく広がる濃度の濃い緑色の煙が飛蝗たちを包み込む。

八千代の虫がミントの香りを醸し出し飛蝗を混乱させ軌道が曲がり壁へとぶつかり落ちた。

 

「させないわよ」

「邪魔しやがって!」

大型のゲンゴロウが脚音をたてて八千代に向かい走り出した。

飛び込む飛蝗を逸らすのに虫を使い続け動けない八千代には厳しい状況だが、そこに頼りになる相方が動いた。

 

「せいッ」

大鎌を担いで接近した清太の一瞬の攻撃が無警戒だったゲンゴロウの脚を切り落とした。

巨体のゲンゴロウが苦悶を上げ怯んだ。

この大きさの虫を切り刻むには時間が掛かりすぎる。

清太は八千代に声を掛けた。

 

「八千代ッ」

「わかっているわ!」

声を掛けられた八千代は応えるように戸惑うことなく虫を清太に使った。

ミントの香りをもつ緑色の煙が清太の大鎌を包む。

手に持つ清太の大鎌の力強い脈動が伝わる。

 

「とりゃあああ」

折り畳まれた節が解放され巨大な大鎌の腕となった清太の虫がゲンゴロウの大きく引き裂いた。

八千代の興奮作用の虫によって強化された大鎌が清太に振るわれるより速く自動に動き虫を刻む。

もぐように脚を引きちぎり、羽を裂いて、腹部を貫き、頭部を切り落とす。

大鎌の腕の凶刃にゲンゴロウはなす術なく倒された。

 

「ハァハァ、消耗酷いな。飛蝗の群なんとかできないのか」

「無理よ。数が多過ぎて全部をカバーなんてできない」

息切れ気味の清太は大鎌を戻し八千代の支援に回った。

飛蝗をいくつか刻み殺すも敵の猛威には少ない成果だ。

仲間の一人が倒されて怒りに染まる不良グループ。

徐々に八千代によってコントロールを乱された飛蝗も数の暴力に押し戻している。

 

「このままだとじり貧ね。虫憑き本人を攻撃した方が早いと判断するわ」

「......仕方ない。だけど誰が宿主かを絞り込まないと」

敵の対処法を決断する。

飛蝗の虫憑きが一番の脅威である。

数が分散している飛蝗を殺し尽くすのは骨が折れる労力だ。虫から宿主へと倒すべき目標を変更する清太たち。

残り不良は三人、三分の一で飛蝗の虫憑きである。

宿主がわからないリスクがある以上下手に動けない。

そこで八千代が決断する。

 

「私が防御に専念するわ。その間に宿主を倒して」

振り返れば後ろにいる七歌と早瀬がいる以上、八千代は動けない。清太が宿主を倒す確率に賭けて八千代は守りの体勢で虫を使う。そう決断した二人に早瀬が意見した。

 

「おれが防御に専念します。どうかその隙に清太さんと八千代さんで倒して下さい」

「だ、駄目だよぅ早瀬クン」

今まで護られていた早瀬。正直虫憑きの戦いに呑まれていたが、護られているだけの立場に歯痒くなっていた。

このままお荷物なのは早瀬にとって矜持にかかわる。

しかし七歌は反対した。現状の戦いで無力で非力な少女には早瀬の決断が不安しかなかった。

年長組も早瀬を心配したが切迫した状況にこの提案を受け入れるしかなかった。

 

「どうする?」

「対人に向いている能力の私なら敵を無力化できるわ」

「なるほど命までとらないで済むならありがたい。

俺も手足を切り落とす程度で済ませられるかな」

「えぐいわね。清太は右。私が左。早瀬君は防御ね」

「お願いします」

清太と八千代が駆け出す中で、早瀬は自身の虫を呼び出した。

先程のゲンゴロウより更に一回り大きいトンボが現れる。

その大きく伸びる羽はハビロイトトンボ呼ばれる虫に近似している。長い尾も羽も巨体さえも守り抜く為にあるかのように早瀬と七歌を包み込んだ。

 

「漸く虫を出したな」

黒ずんだ飛蝗がハビロイトトンボの身体に喰らい付く。

数十はくだらない数の飛蝗の群れがハビロイトトンボの身体を覆い浸くし、黒く染めたあげたかのように纏わりつき顎を突き立てた。

ハビロイトトンボが苦悶の悲鳴を上げ体液を撒き散らす。

宿主の早瀬も膝を着きながらも精神的ダメージを堪えている。

 

「ぐあああアアッ」

「早瀬クン!」

「だ、大丈夫だ。七歌はおれが護る」

「そ、そんなこと......」

後ろの早瀬と七歌は長く持たないと判断した清太と八千代の行動は速かった。

それぞれの人物目掛けて攻撃した。

八千代の狙いは当たり、緑色の煙を吸った不良の一人が錯乱して倒れる。

飛蝗は消えていない。

清太の大鎌の一撃が不良の前に現れた虫に阻害された。

飛蝗ではない。別の虫憑きである。

 

「八千代!残りの奴が飛蝗の宿主だ!」

「遅えよ!」

六匹の飛蝗が八千代に向かい飛来した。

清太は目前の虫憑きに手が離せない。

八千代も訓練に仕込まれた立ち回りで避けるも数が多過ぎた。

避け損ねた一匹の飛蝗の体当たりを右脇からまともにくらう。

悲鳴すらあがらない痛恨の一撃だった。

 

「八千代ッ!!」

比較的に小型の虫の体当たりとはいえ、転がるように飛ばされた八千代に追い撃ちの飛蝗が迫る。

緑色の煙が漂う。

ダメージを受けた八千代がすぐさま起き上がり勝手な方角にぶつかる飛蝗から逃げ出した。

 

「大丈夫なのか!?」

「虫の力を自分に使ったのは初めてよっ

アドレナリンで痛みを麻痺させてるけど後が恐いわね」

やや口調が荒い。自身を興奮させて痛みを上回る活動を可能にした八千代だが怪我を堪えて無理している事実は変わらない。

動揺して集中できていない清太は目の前の虫憑きを手間取っていた。

 

「七歌ッ!」

「きゃっ」

動けないハビロイトトンボの隙間から飛蝗の虫憑きである不良が七歌を掴みあげた。

事態が悪方向に進んだ。

今度の清太は動揺をみせず虫の攻撃を受け流し胴体に大鎌を深く突き刺した。

虫が絶命し宿主が欠落者となる。

 

「後はお前だけだ」

「大人しく投降するなら虫までは殺さないわよ」

「七歌を返せッ」

三者三様に飛蝗の虫憑きに立ちはだかる。

 

「うるせえ!こいつがどうなってもいいのか!」

「は、離して!」

腕の中で必死にもがく七歌を盾に不良は飛蝗を集める。

人質となった七歌に早瀬は動けないで様子を見ている。

 

「テメェらみたいな偽善者には虫酸が走んだよ」

「は、早瀬クンは偽善者じゃないもん。

ぎ、偽善って言うのは正義を語る悪だからアンタたちみたいな奴が語る正義こそ偽善だもん」

「なんだと、糞ガキ!」

「キャー、怒ったー」

「嗚呼やっぱり怒らせたか。あの子本当に素で毒舌なのか」

結構余裕あるんじゃないかと思わせる七歌の発言に感心した清太だった。

 

「やめろ!七歌を離せ!」

「ハッ、テメェは前から気に喰わなかった。虫を差し出せ!殺してやるよ」

「や、やめて!離してよ」

不良は早瀬を睨み付け怒声をあげた。

七歌は不良に抗うも抵抗空しく逃げ出せない。

 

「七歌!虫を出して!隙をつくれば後は俺たちでフォローする」

「わ、わわ私の虫は、虫は」

飛蝗の虫憑きはギョッとするのに対し七歌は焦りだした。

口をパクパクさせながら虫を出さずにいる。

清太は七歌の虫が酷く脆弱である可能性を知っている。

だけど状況打破するのに僅かな隙を必要とした。

虫を出さない七歌と不良に冷たい空気が流れる。

動きを待つ静寂の中、早瀬が口を開いた。

 

「もういい七歌」

 

その言葉にどんな意味があるのか。

早瀬の発言に空気が張り詰めた時、新たに静寂が破られた。

 

 

 

 

蒼渦(ブルーホール)

 

 

突如宙に蒼の螺旋が現れ、飛蝗を呑み込み数を減らす。

急激に数の減らされたことでダメージを受けた不良から七歌が脱け出したのを早瀬が抱き寄せる。

のんびりとした足取りで一人の少女が登場した。

 

「キノ!」

「ちぃーッス」

チャラけた挨拶の少女キノは場を掻き回した。

 

「新手かよ!」

新たな敵の出現に不良は飛蝗をどんどん出現させキノを襲う。

それに対してキノは右手を前に出して指を鳴らした。

 

「蒼渦二重(デュアル)

「ぎゃああ、何だよ畜生めがっ」

二つの渦が飛蝗を呑み込み削り減らしていく。

回転する螺旋は飛翔する飛蝗を強引に引き込み捻り潰す。

飛んで火に入る夏の虫を体現するが如く、群青のアリジゴクの巣は飛蝗を上限なく呑み干している。

 

「どうしてここに?」

「虫の感知能力。虫憑きと清太と八千代さんの気配を察して来たよ」

「あー、あちゃー」

「減俸ものだからね。お覚悟してちょー戴」

「私は巻き込まれただけの無関係だわ」

「セコいな君は!」

既に余裕を取り戻した面々が好き勝手雑談し始めた。

キノにして見たら知らないところで虫のトラブルに巻き込まれている清太と八千代が特環に狙われた可能性も考慮して駆け付けた労力に反省してもらいたいと思っている。

自分の場合はヘッドロックされたのだから罰則は必要だ。

嫌なことは皆で共有したいキノである。

無視されている不良が怒鳴った。

 

「畜生め!誰だテメェ」

「とある勢力の副長って所かなー」

惚けた返事のキノに不良は苛立った。

七歌と早瀬は突然現れたの人物に戸惑っている。

キノはそんな二人に気がついた。

 

「君が新しい候補かな?取り敢えず採用。

後で自己紹介してねー」

「貴女は一体?」

微笑んでいる少女に困惑する早瀬。

七歌がギュッと早瀬の服の袖を握りしめた。

 

「キノ君、彼女は」

「言わなくていいよ。先までのやりとりで事情は察したから」

不安げな七歌を案じた清太の発言を遮り、キノは七歌に振り向く。

その間も能力は常に展開されている。

蒼の渦を背景にする少女から視線を向けられた七歌は緊張に喉を鳴らした。

キノはそんな七歌にニッコリ笑って言った。

 

 

 

「君は虫憑きではないよね」

 

 

驚きの発言に清太と八千代は七歌を見た。

 

バレてしまった嘘。

 

ずっと無理をして怯えていた少女。

 

虫憑きでなく虫憑きに巻き込まれた事実。

 

小さな勇気で行動していた七歌は、俯き小さく頷いた。

 

 

 

少女は別に苛められていなかった。

偶々不良に絡まれたことがあり、少年に助けられたことがあるだけだ。

庇う少年は少女と仲良くなり妹のように大事にした。

少年はその後から不良に目をつけられ絡まれるようになった。

学校の目の前で待ち伏せなんてされていたが教師の前で大人しく引き下がる小心者たちだ。

しかし不良たちは段々と増長し荒れ始める。

良くない噂を聞いた七歌は最近は現れない不良を警戒した。

ある日偶然見つけた不良の溜まり場である路地裏でこっそりと隠れて様子を伺った。

話される内容は虫憑きに関する話と早瀬を標的とした報復紛いの計画。

七歌は焦りながらも話を聞いた。

すると、不良の一人が早瀬が虫憑きだと言った。

耳を疑う話だった。

自分の身近な人が世間では化け物扱いの虫憑きだと知らされたのである。

しかし恐怖したのは、化け物という事実でなく虫憑きと一般人として離ればなれになってしまうこと。

七歌は独自に動いた。

特別環境保全事務局かレジスタンスどちらでもいい。

とにかく早瀬を護る為に不良を始末して欲しかった。

だけど現れたのはどちらでもない清太。

これから話す事情に早瀬を巻き込みたくなくて嘘をついた。

狙われているのは早瀬ではなく七歌だと誤解されるように。早瀬という虫憑きが関わりを持たないように。

虫憑きだという嘘が虫憑きを巻き込んだ。

 

 

 

「でも予想外に早瀬君自身が虫憑きとして関わり、虫憑きの嘘を貫き通すことで関わりを辛うじて保ち続けたと。

弱い虫憑きなら護られるけど一般人なら遠ざけられるから」

以上が今回の真相である。

虫憑きと嘘までついて護ろうとしたのは七歌の方だった。

違和感と言えば、虫を一度も出していないしテンパるように噛んで嘘を重ねた少女の挙動不審を清太が思い返す。

 

「何だよ、畜生。そのガキが原因かよ」

「大人しく観念したら」

「誰が観念するか!」

キノの能力に封殺されている不良は攻撃を止め、自分の周りに飛蝗を集合させる。

小さな飛蝗が次々と姿を消し一匹の大きな黒ずんだ飛蝗が現れた。

 

「テメェだけでも道ずれだ」

肥大化した飛蝗が蒼渦に削りとられながらも飛翔を続け七歌に向かい押し寄せた。

せめてもの道ずれに選ばれた生け贄の少女。

思わぬ反撃に遅れて皆が動き出す。

万事休すかの事態の前に巨大な影が飛蝗を覆った。

 

「お前一人で地獄に行け!」

羽も食い潰され弱りきったハビロイトトンボ。

元々の強さも見た目程のものではなく無指定級の弱い虫である。

但しその重さは巨大に比例し超重量を誇った。

飛蝗を押し潰すハビロイトトンボによって不良の最後の足掻きが阻まれた。

飛蝗が無惨に潰され欠落者と成り果てた不良が静かに倒れ、迫る脅威に腰の抜けた七歌に向かい早瀬は手を貸した。

 

「立てるか七歌?」

「嘘ついててゴメンなさい」

「隠しててもわかったよ。七歌は嘘が下手だからな」

「早瀬クンはいつもわたしを護ってくれた。だ、だからわたしもって」

「わかっているよ。だから嘘をついてくれてありがとう。

君を護れて本当によかった」

「わ、わたしこそ、いつもありがとう。

早瀬クンに護られて本当に嬉しかった」

こうして少女と少年の虫憑きを巡る嘘の話が幕をとじる。

 

 

 

「まあ、機動力のある虫憑きが欲しかったし逃走手段に使えるかな、目立たなければだけど」

「隠蔽能力の虫憑きを確保できれば問題ないと思うんだが」

「そこまでするなら別の手段探したほうが手っ取り早い気もするけどね」

「どちらにしろ完全に下っぱ扱いになるわね。サイズの調整が可能なら円卓会の警護担当に回しましょう。一番楽で暇な役割だわ」

「あの」

勝手に処遇を決めるキノたちに早瀬が声を掛けた。

助けて貰った手前恩人にあたる人物の会話を遮り口を挟む。

 

「あなた方は一体何なんですか」

「んー、そうだね。そろそろ名称がないと不便だもんね」

「キノ?」

キノが思案する。まあ便宜上そのまま円卓会所属と名乗ってもいいけど味気ないので少し捻る。

殆どそのまんまだけどこれでいいやと一人納得した。

 

「私たちは、特別環境保全事務局でも、反抗勢力の虫憑きでもない新しい勢力」

 

一度区切り、息を整えた。

 

 

 

 

「円卓騎士団。これより始動する」

 

 

これが新しい虫憑きたちの始まりである。

 

 




ドヤァァァ

円卓騎士団
どう見ても中二病です。本当にありがとうございました。

ムシウタ作品によくあるミスリード頑張りました。
結構難産。最初に考えたオチは全員虫憑きとかミステリーに凝ろうとした素人が頭抱えたのが駄目でした。
夏だしホラー要素入れようとか何考えているんだ私。
感想に先読み能力高いお客様が多いから引っ掛けて騙そうとか思って書きました。
予想超えできる展開のネタ用意そこまで多くないし、時系列先だからまだ出せないので騙す方向性で頑張ったんです。
予想を外してやると熱くなり過ぎた私は夏風邪とか引きました。皆様は健康に気をつけて下さい。


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夢追跡する悪魔

分割は甘えと叫んでひたすら書き続けた三万五千字。
正直阿呆だと自分で思った。
分割した方がもっと早く投稿できたし編集とか手直し簡単だけど脳内会議ではこう可決されたのである。

四万字越えしたら分割すればいいじゃない。

よって永く苦しい戦いがあったとさ。
罵っていいですよ。


最初からクライマックスってどう思いますか?

 

 

 

ワロス。どうしてこうなりやがった。

以上が私の心中です。お察しください。

 

 

 

イチはダイオウムカデと同化済み。私もいつでも動けるよう構えている。

その姿勢に一切の油断はない。

 

凄くお家帰りたいです。

弱気になりたくなるほど事態は切迫中だよ。

本来イチと私を合わせた戦力なら大抵の虫憑きを完封できると思う。

問題視する程の敵は指折り数える程しかいない。

そいつらが規格外過ぎるのだけど。

 

 

え?じゃあ今、余裕あるかって?

そんなもの全然ないっす。むしろ大ピンチだぜ。

 

 

冒頭の発言通り、私たちはクライマックスと名を呈した最悪の状況にいる。

災難だ。人生の佳境レベルで。

ちなみにこの事態の原因に心当たりある。

 

 

ミッコちゃんこと魅車八重子に嵌められた。

おまけに土師圭吾も関係していると見える。

主犯と便乗犯のお二人である。

とんだ雌狐と狸だ。

 

 

そこらの事情はおいおい語るとしよう。

所詮推測の域を出ない。

だけど絶対に謀られた。ちくしょー。

内心でぼやきながらも目の前の脅威から目を逸らせない。

 

 

黄色い雨合羽姿にホッケースティックを構え獰猛に笑う童顔の少女。

漆黒のコートを羽織り、顔を覆い隠すほどの大きさの無機質なゴーグルで逆立てた髪が悪魔めいた印象を醸し出す人物。

特別環境保全事務局が誇る最大戦力のお出ましである。

 

 

狂戦士の虫憑きの少女と、その相棒たる最強の虫憑きが、キノとイチに立ちはだかっていた。

 

 

 

 

 

 

都市というより町と呼んだ方が適している鴇沢町。

自然が多く残された環境は変化が緩やかであると同時に都市開発の遅れている町でもある。

特に代わり映えのない休日、イチは外を散策することにした。

目的はないが、暇をもて余し家に篭る気分ではなかった。

過疎化が進む田舎とは言え、繁華街にはそれなりの人並みと賑わいがある。

ただ出歩くにしても活気のある場所の方が暇潰しになると思い、繁華街の町並みにイチの脚を運ばれる。

 

 

 

円卓騎士団。

無銘でありながら異端であるこの組織は名称が決まり人員も確かなものになりつつある。

リーダーに抜擢されたイチは円卓騎士団一の実力者だ。

組織としての立場はキノが上役だが、実戦で面立つのはイチの役割になる。

これは当然の既決である。

他の組織の顔役も一号指定の実力者たちだ。

特環のかっこう、レジスタンスむしばねのリナ、身勝手な虫憑き集団のハルキヨ。

どいつもこいつも一癖や二癖ではおさまらない実力者ばかりだ。しかしイチならば彼らに引けをとらない。

 

上に立つことは、それだけで危険度が高まる。

組織の代表、リーダーと聞こえはいいが、戦闘で一番の矢面になるのだ。

それらを踏まえた上でイチはリーダーを請け負った。イチは仲間の代わりに戦闘の最前線に立つことに躊躇しない。

 

あれこれ策略を考え指示できるキノがリーダーになるべきと考えるかもしれないが、この組織をコントロールする為にキノがトップに立つ必要はない。

そもそもキノの方針によって創られた組織である。

相談役、補佐役、ブレイン、キノの役割は事欠かない。

リーダーであるイチがキノの意見を無視しないだろうし、組織体制はこれで問題なく機能する。

 

イチのリーダーの適性は十分ある。

判断力、決断力、統率力、何よりイチには虫憑きを惹き付けるカリスマがある。

心が折れると脆い虫憑きは士気に実力が影響されやすい。

戦況を動かすリーダーの役割はかなり重要だ。

イチの指揮下なら、それに従う虫憑きも実力を発揮できるとキノは確信している。

 

 

こうした事情を経て肩書きが円卓騎士団団長となったイチは目的もなく意味のない散歩に興じていた

 

 

 

 

 

イチの歩く先に、絵に描いたトラブルの渦中にいる少女が居た。

中学生くらいの可愛らしい女の子で、それに付き纏う二人組の少年たちが強引なナンパをして少女を困らせている。

見た手前、無視して放置するのも後味が悪い。

面倒に思いつつもイチは、その面倒事に首を突っ込むべく歩みを進める。

 

 

 

少女は慣れない状況に困惑していた。

見ず知らずと言ったら少女にとっては皮肉になるが、面識のない二人組の少年による強引気味なお誘いを上手く断れずにいた。

 

「だからさ。ちょっと俺たちと遊びに行かない」

「待っている人がいるので......」

「誰も来ないじゃん。大丈夫、俺たち紳士だからさ」

少女は、兄とも関わりのある大切な人物との待ち合わせを放棄して、この場から離れられず、次第に強弁になる二人組の対処をできずにいた。

そんな状況に介入者が現れる。

 

「オイ。女の子を困らせるな」

知らない声だ。少なくとも少女の知っている人物ではない。

それなのにーーー

 

「大クン?」

突如聞こえた声はなぜか知り合いの人物を連想させた。

 

 

「あぁ?なんだぁ?」

「その女から離れろ、迷惑してるだろ」

「男かよ。格好付けんな勘違い野郎。別に俺たち、お茶を誘ってるだけで悪いことしてないんだけど」

「そーそー。ちょっとお誘いの声かけただけだし」

まだ中学生くらいだろうに妙にませている少年たちである。

イチを逆に批難する二人組に内心苛立ったが顔に出さずに憮然と言い放つ。

 

「そうか。だが、そこの女は目が視えていない。おそらく盲目だ」

少女が息を呑む声が聞こえた。事実である。

少女は先天的にものを視ることが出来ず、目に光を写していなかった。

少年たちも今までナンパしていた相手が目が視えないことに気づかされ、驚きながらもイチを睨んだ。

 

「目の視えない障害を抱えた女の子を無理強いで連れ回すのは、この国の法律にどれだけ引っ掛かるんだろうな」

「チッ、行こうぜ」

「あーまた、ナンパ失敗かよ。だせぇ」

法なんてイチも知らない。ただの出任せである。

適当なことを然もしたり顔で騙れば、旗色を悪くした少年たちは去っていった。

 

 

「あ、あの」

「スマン、デリケートなことなのに勝手に盲目をだしに使った。悪かった」

少女と向き合うとイチはすぐさま謝罪した。

お節介ついでの言動は失礼にあたる内容だったと考えたイチは少女に詫びた。

障害を持ち出したことは盲目の少女にとって繊細な問題だったと深く頭を下げて謝る。

 

「ううん。助けてくれてありがとう」

目が見えない相手にも拘わらずわざわざ頭を下げた少年の気配を察した少女は感謝の言葉を送り笑顔を見せた。

長い髪を青色に輝かせ、やや下がり気味目尻を細め微笑む顔が可愛らしい。

しかし焦点が合っておらず目線にズレがある。

手に持っている細い杖の補助道具は目の見えない彼女の足取りを確かめる為に必要なものなのだろう。

 

「ただのお節介だ。最近はたちの悪い不良も多いらしい。待ち合わせみたいだが大丈夫か」

「うん。待ち合わせの時間より早く来すぎたの。でももうすぐだから大丈夫」

「そうか。しかし今は一人なのか?」

「えっと、ここまで連れ添ってくれた人は、お仕事があるから別れて今は一人だよ」

「なら君の待ち人が来るまで俺も待たせてもらおう。面倒は最後まで見ないと気が済まないタチでな」

「ごめんなさい」

「何故謝るんだ?」

「私が貴方に迷惑かけてしまっているから」

「ただのお節介って言っただろう。気にする必要ない。それに謝られるのは気分がよくない。そういう時には別の言葉を使うものだ」

「え。あ、うん。ありがとうだね。ウフフ」

「どうした?」

「ううん、笑ったりしてゴメンね。貴方が今待ち合わせしている人と同じ事を言うのだから、なんだか可笑しくて」

「変な事を言ったな。忘れてくれ」

突き放したような言い方をするのに、どこか不器用な優しさが垣間見えてしまうこの人は、いつも自分を手助けしてくれる少年とよく似ている。

その人の顔を見ることは叶わない少女だが、照れたようにぶっきらぼうな言い方をする少年に、益々可笑しくなって笑い声を上げてしまった。

 

 

 

目が視えない少女の話し相手として、イチは普段より口数多く話した。

学校のこと、恋人のこと、テレビや流行の映画など他愛のない日常的なことで会話を広げていた。

盲目という障害を抱えながらも屈託のない笑顔の少女は、誰からも好かれるような温かい人柄を感じさせる女の子だった。

 

「ーーーそれで、肉食戦隊ケモノマンのケモノポニー回だけはいつも見逃しているのが悔しくて仕方なくてだな。オイ、大丈夫か?顔色が悪い」

少女の顔色が青ざめている様子に気付いたイチ。少女の体調を尋ねているとイチに異変が起きた。

急激な脱力感に襲われ身体がぐらつく。

崩れそうな態勢を壁に手をつくことで持ち直す。

 

「っく、なんだ」

突然の事態に取り乱すことなく、状況の把握に頭をまわす。

この感覚には覚えがある。

夢を喰らわれた時に起きる虚脱感と同じだ。

自分の右肩にいつの間にか姿を顕したダイオウムカデが苦しみ、のたうち回っていた。

小さな火がダイオウムカデの体に纏わりついている。

火は染みのように広がりダイオウムカデを燃やすことなく苦しめていた。

まるで火がダイオウムカデやイチから夢を奪いとっているかのような感覚だ。

 

攻撃されている?虫憑きなのか。宿主は何処だ!?

イチは特殊型の虫憑きによる攻撃だと判断し宿主を探した。

異変はイチだけに起こり周囲に被害はない。

視認範囲に宿主らしき人物の姿なし。

ならば探し出すまでだ。と判断し、不調に苦しむ少女に目を向ける。

体調を崩した盲目の少女がぼんやりとしていた。

視力のない少女は異変に気付いていない。力のない呼吸だけを繰り返している。

 

「大丈夫か!?今、救急車の、手配......を......」

少女の容態が危険な状態であることを察したイチ。

しかし気が付いてしまった。イチの夢が削られるのと反比例するかのように、少女の青褪めた顔色に赤みが戻っていることに。

異変のきっかけが少女の不調と同時であったことに。

 

「まさか、お前......!」

そうでないで欲しい願望と疑念がイチの頭の中で渦巻く。

緩やかに調子を整えていく少女にあわせて、ダイオウムカデを苦しめていた火が消えてなくなる。

同時にイチの夢を削っていた現象がピタリと止んだ。

そして確信する。

 

この女が火の虫の宿主!?

イチはその事実に驚愕した。

人を見る目、観察眼のあるイチは少女の善良性を疑いないものと確信している。

短い時間のやり取りだけで判断を鈍らせる程、少女には人を惹き付けるられる人徳のようなものを感じた。

 

「お前が......」

「あれ?ごめんなさい。私なんだかぼーとしてたみたい。えっと、どうかしたの?」

「自覚......ないのか?」

「え?なんのこと?」

「いや、なんでもない......」

イチは愕然とした。

少女は気付いていない。体調悪化時に虫が暴走してイチに襲いかかったことだけではない。自分が虫憑きであることすら気付いていないのだ。

危険だと感じた。

無自覚に他人の夢を喰らう虫憑き。

始まりの三匹と同じ能力であり周囲に被害を与える。

 

しかしこの少女は善良な女の子だ。

身体が弱く、目がみえない障害を抱える少女。

経緯は不明。自覚のない虫憑き。力の制御できずに暴走する危険性が高い。

果たして彼女に自分が虫憑きだという事実を知らせていいものだろうか。

か弱すぎる少女に残酷な真実を突きつけるべきなのだろうか。

その事実に耐えられる保証がどこにもないのに。

考え込むイチを少女が不思議に思う。

 

「本当にどうかしたの?」

「ああ、先程ぼんやりしていだろう?顔色を悪くしていたからどうしようか悩んだだけだ。どこか身体が悪いのか?いつもどう対応している?」

イチは少女の処遇を決める為に情報を集めることにした。

放置するには危険、管理するには彼女はあまりにも無自覚過ぎる。

もしもの時は全てを話すつもりだ。

円卓騎士団に引き込み、虫の制御をさせる。

それが少女の為になるだろう。

公私を混ぜている訳ではない。

他人の夢を喰らう虫憑きの危険性を考慮してのことである。

少女を見極める為、さりげなさを装ってイチは尋問する。

 

話されたことは少女の処遇を決める重要な話である。

しかしそれは他愛のない話だった。

それらを聞き終えた後、イチは少女と関わらないことを決める。

 

彼女は護られている。

兄や同居人の女性、待ち合わせの少年。

聞いただけでもその人物らは事実を知っていて巧妙にそれを隠している。

兄と少年に至っては望んで少女の虫に夢を喰われている可能性もある。

少女はこの二人に元気を分け与えられていると言っていた。二人は少女に夢を喰われていることを黙認している。

聞き出せただけ範囲でも、それだけのことを知ることができた。

決断を下すには十分過ぎる内容である。

 

この少女を救うのはイチの役目ではない。

少女に事実を教えることは、少女を護ろうとした者の想いを踏みにじる行為だ。

本当に他愛のなく、日常的で、思い遣りがあって、優しさの溢れている少女の話。

少女が多くの人から愛されていることを知れるそんな話。

 

「私はいろんな人に助けて貰っている。お兄ちゃんや大クン、美樹さん」

「そうか。何かあってもその人たちに助けて貰えるなら心配ないな」

イチは同い年くらいの少年が、少女を見つけ駆け寄ってくるのを発見した。

少女の話から推測すると、少女を庇護する一人である少年。

人相は確認できないほど離れた距離だが確実にこちらを目指して歩んでいる。

後は彼に任せればいい、と思い少女から離れた。

 

「どうやらお前の待ち人が来たみたいだ。俺は失礼させて貰う」

「え?あ、待って」

「すまん。知り合いを見つけた。じゃあな」

ついでに自分の恋人を見つけた。

別行動と言われていたので今日は会えないと思っていたけど、多分隣の虫憑きの少女を感知して来たのだろう。

慌てた顔で余裕がないのは何故だろうか。

 

「キノ。どうかしたのか?」

「イチ。可愛い女の子と浮気現場は後で問い詰めるとして、今すぐここから離れるよ」

「誤解だ。弁解させろ。一体どうした」

「いいから行こう。浮気は赦さないからね」

「してないって」

キノに手を引かれてイチは去る。

入れ違いに顔に張った絆創膏以外特徴のない少年が少女の前に現れる。

 

「千莉、待たせてゴメン」

「あ、大クン」

土師千莉。

盲目であり特別環境保全事務局 東中央支部長 土師圭吾の妹である少女。

他者の夢を喰らう稀な虫憑き。

自分が虫憑きである事実を知らない女の子。

 

「千莉。どうかしたのか?」

「ううん。なんでもないよ大クン」

少女は知らない。

己が虫憑きである事実も、目の前の人物が虫憑きであることも。

薬屋大助。目立たない外見と裏腹に別の顔を隠す少年。

その正体、火種一号かっこうとしての素性を隠し鴇沢町に滞在していた。

 

 

 

 

キノです。ご無沙汰しております。

いきなりですが鴇沢町の活動を中止しなければならなくなりました。

現在このホームグラウンドである鴇沢町。なんと一号指定のかっこうが居やがるのです。

かっこうは東中央に所属しながら、短期的に他地方支部まで派遣任務をこなしている。鴇沢町も例外なくいつの間にか現れていました。

 

それは私たち円卓騎士団にとって不都合である。

いくら不干渉を約束している特環とはいえ不測の事態なんて幾らでもあり得る。下手に接触して衝突したら目も当てられない。

かっこうが中学一年に土師千莉と同居して鴇沢町に居るなんて知っていない。確かに原作知識によると土師千莉と薬屋大助は過去何度か同居している。だが時期については記載箇所どこだよ、ってレベルの細部な話で寝耳に水である。

よりによって土師千莉と今が同居時期だったとは。

お陰様で鴇沢町での活動は停止。うわーん。

 

次なる活動拠点の選択しよう。中央は現在摩理が虫憑きハントしてるし特環の本部の所在地だから無いとして、西か南で活動しようかな。

東と北はここから正反対に位置して遠いから却下。

強力な戦闘員が居ない西よりも閉鎖的な南の方が活動しやすそうだ。

厄介な戦闘要員であるかっこうみたいな上位局員に派遣されたら嫌だからね。

 

しかし何の変哲もない田舎町にとんだ人物が現れたものだ。

その原因のひとつ。

土師千莉。東中央支部 支部長 土師圭吾の妹。かっこうとの付き合いは長い。元はその兄である土師圭吾からの交友関係である。

かっこうの上司土師圭吾は厄介なお人である。

頭が切れ根回しが得意で、敵の行動を阻害する。

妨害が原因で円卓騎士団の活動を制限されれば厄介だ。

あの御仁は中央本部と公式に談合したその日に円卓騎士団の存在を嗅ぎ付けていただろう。

なので最初から支部長クラスに情報公開を認めている。

 

どうせバレるなら秘密にするより正体明かして少しでも警戒心を下げたい。

円卓騎士団には関わるな。是非とも知って頂きたい事だ。

バックに強力な権力者がいるので大抵のお堅い連中は煙に撒けるのだけど、どう見てもキナ臭くて怪しい。

やっぱ警戒されるだろうなー。

魅車ちゃんにイチの強さを隠さないければいけなくなっているし此処んとこ儘ならないなー。

 

そうそう。近況報告をひとつ。円卓会一名を蹴落としました。

これで円卓会の仕事の面倒が大きく減る。

いやーねぇー、虫憑きの扱い悪い奴だったんだけど、そいつに裏の仕事まわされたお蔭で出る出る。

大量の不祥事の数々。

情報集めて資金経路と人脈の把握に徹して今までスタンバってました。

期が熟すのを待ちに待った。そして時来たれり。

 

組織基盤の無事安定し節目を迎えた。

彼は最早用なしになったので、綺麗にご退場願った次第です。

遺された人脈、資金、情報については、私が掌握しているので有効活用させて貰っている。

色々黒いから話せないけど、私は泣く泣くイチとのランデブーを置いて暗躍しまくった。

被害を受けた円卓会の彼は突然の大打撃を受け没落。

円卓会メンバーに相応しい家柄とは言えなくなり会員から強制除名。可哀想な結末。叩けば出る埃が悪かったんだと思います。

良い子の皆には些末を教えてあげないぞ。

 

新しい会員は私が選出してあげました。

家柄なんて曖昧な選定条件なんて操作しやすくて助かります。

後釜なる人物は私の影響下にいる。

それなりの名家で、虫憑きの娘さんの保護をキノと取引したお人である。

円卓会メンバーとなり、人脈が広がった彼はキノの認知するコネも使い資産が増えた。Win-Winの関係を築けているので文句はないだろう。

円卓会の席に私の駒が座る。

これで円卓会の意見を内側から操作出来る。

まだ新参一人、だけど時間をかけて全部支配してみせる。

そして何の組織で、誰の組織かハッキリさせよう。

虫憑きの組織で、私たちの組織だ。

 

まあ、一之黒涙守さんが実権握れていたらこんな面倒踏まなくて済んだんだけどね。

意外と協力に関して消極的でもなければ積極的でもないんだよねー。

魅車八重子に警戒されて個人で動けないのか、それとも関わるべきでないと考えているのか不明。いまいち考えが読めないお人である。

涙守さんと複雑なのは協力関係だけでない。

娘さんを含めた人間関係で私の心は複雑だ。

 

 

一之黒亜梨子。

一之黒家直系の一人娘。花城摩理の本来唯一の親友。

彼女は虫憑きたちの運命を紡ぐ、重要な役割を担う。

 

虫憑きを救いたい。

 

その願いの為に彼女は自ら犠牲になるのだから。

 

キノはそれを黙認する。

 

己の為に。イチの為に。全ての虫憑きの為に。

 

だからこそ関わりあわないと決めているし、彼女の犠牲を無駄にしないつもりだ。

 

始まりの三匹のひとり、大食いエルビオレーネを倒す為に全力を尽くす。

 

それがキノが決めた花城摩理の親友に対する償い。

 

 

尤も一之黒涙守が娘を失うことを黙認することに代わりない。

だからこそキノはあの親子に対して複雑な心情をもつ。

キノが手を出す事すら烏滸がましい大役を果たす少女。

その犠牲に罪悪感とも無力感とも言えない感情になる。

考え過ぎないのが一番なのだろう。

 

彼女にしかできない役割は多い。

そのひとつがキノには出来なかった花城摩理を救うことなのだから。

 

 

 

花城摩理は一之黒亜梨子と出会い穏やかになった。

かつてハンターとして虫憑き狩りの日々を忘れ、一人の少女として過ごしている。

補習を受ける亜梨子の為に勉強を研修医の青年から教わり始めた。

夜を駆け出すことなく療養に専念し発作の痛みを和らげはする薬に頼ることなく身体の免疫機能そのものを高めようと努力した。

一之黒亜梨子は本当にいい影響を与えてくれていると思う。

このままずっと安らかな日々を亜梨子と共に過ごしてくれればいいと切に願う。

 

だけど運命とは残酷なのだ。

 

顔色よく体調も優れた日常のなかで、もしかしたらこのまま病気を完治して退院し亜梨子と幸せに生きれるかもしれない。

今までないほど優れた体調と回復していく摩理に先生は祝福の言葉と共に、夢が叶うんだよと摩理に言った。

はじめて花城摩理は一之黒亜梨子に頼み事をした。

彼女の夢が叶う希望に光が照されたところで絶望が待ち受ける。

 

定期検診の結果、心臓の機能は弱り果ていつ停止するかわからないと判断された。

手術を必要とする心臓とそれに耐えきれない弱りきった摩理の身体。

そしてひとつの結論が導かれる。

 

生きたい。その夢は

花城摩理の夢は叶わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中央の駅に着いた時から嫌な予感があった。

気のせいにするには違和感がある。

むしろ、その違和感が予感を与えていた。

 

これはどういうことだ。

虫憑きの反応を複数捉える。

特環による虫憑きの拘束作戦。結構近いけど鉢合わせする距離や場所でもない。迂回までして進路変更する程でもない。

目標の虫憑きは一人。平凡な虫憑きだ。

ただの無指定クラス同士の戦闘なら気にもしないが特環側は違う。

強い。多分上位局員で編成されている。

無駄のない洗練された動きと統率力。抵抗する虫憑きが翻弄されながら追い詰められている。捕獲されるのは時間の問題だ。

 

ただの戦闘班とは思えない。

ハンター対策の特別チームだろうか?

キノの原作知識では、摩理の虫憑き狩りに特環は殆ど関与しない筈だが実際は分からない。

中央本部はかっこうに対し、ハンターと特環が交戦した情報を隠していた。派手には動かないと予想していたが対策くらいしていたかもしれない。

自分で納得させる道理を作り上げてみるが不安は拭いされない。

キノを不安にさせられる明確な理由がある。今日に限って中央にイチに匹敵する戦力が集中し過ぎているからだ。

数ではなく個人の質で、だ。組織の熟練度ではなく実力でイチを倒しうる人材が中央に来て居る。

 

イチに引けを取らない強さの人物。この反応はディオレストイ。もしかしてあの人?

それともう一人の大本命。

貴方は今、鴇沢町で女の子とひとつ屋根の下の筈では?

疑問を抱えたまま、イチと共に花城摩理の病院を歩く道中気づく。

 

無指定の虫憑きが精鋭クラスの特環チームから未だに逃げ延びている?

追い詰められた虫憑きが思わぬ力を発揮することだってある。

しかしキノの能力は相手の渦の力場がたいした反応を示していないと知覚できた。

特環チームも追い詰める寸前手を抜いて留めを刺さないように微妙な力加減をしているように感じた。

いたぶっているのと違う。

 

この場合何か別の意図がーーー

 

逃げ惑う虫憑きの逃走進路がこちらに変更され動き出した。

 

 

「ッッ、イチ!」

「どうしたキノ」

いきなり声を上げたキノに驚くイチ。説明する時間すらもどかしくてイチの手を取り走り出す。

 

「特環の精鋭がここに向かって来てる。今は接触は避けるように動こう。走って」

特環との不干渉の約束。そんなものを過信しない。

何時までも守られる約束なんて存在しないのだ。

精鋭部隊は虫憑きを誘導している。

追われる虫憑きは囮で、本当の狙いは私たち。

駅を降りるところからずっと監視されていた。

正攻法の手段では干渉できないからこそ、野良虫憑きを引き合わせ巻き込もうとしている。

 

「遂に動き出したな。ミッコちゃんめ」

憎むべき相手に心当たりあるのは素晴らしい。

心の中でフルボッコできる。

魅車八重子副本部長。

犯人の心当たりに貴女しか思い浮かばないのは私の想像力が低いからなのかな。

後で必ず報復してやる。

心の内で嫌がらせを誓いイチと走る。

 

 

 

今回の不意討ち、既に相手の術中に嵌まっているなら戦闘は避けられまい。

戦闘回避優先で考えるキノとは正反対に、イチは戦闘を覚悟していた。

 

「キノ。戦闘が避けられない場合は?」

「最悪、実力を隠して交戦、隙をついてまた逃走。相手の狙いは多分こっちの戦力把握。こうなったら徹底的に実力を隠して様子を見る。イチは身体のみ同化だけでの対応をお願い」

「了解」

狙いは円卓騎士団の戦力把握。

キノは今までよくやった方だと思う。

急造の組織を上手く纏めて基盤を安定させた。

その手腕は恐ろしいほど手際よかった。

特環が無視できない組織。手を出せない組織。

それらが瞬く間に力を付けているのだから。

 

 

 

今回の作戦どちらかと言うとあちら側の悪手。

この騒動は確実に円卓会に喧嘩を売る状況にある。

これは当然報復される。落ち度は完全にあっちにあるので言い訳は意味をなさない。

キノは特環の権力、財力、影響力を削ぐつもりだ。

これから低予算で活動する特環局員には同情しよう。

本当の気持ち?勿論、ざまぁだよ。

 

しかし向こうも形振り構わず攻撃する意思を見せたことに他ならない。

強気よりも無茶をしたのが本質の悪手であるが、此方にとっても厄介の種である。

落としどころを間違えば全面戦争になりかねない。

どんな形であれ報復はするが、本気で特環を相手に強姿勢に出過ぎると対立を深め問題になる。

 

現状で最も危険なのはイチの実力が知れ渡ることだ。

同化型の虫憑きが危険視されるのはわかっているが危険度まで教えてやる義理はない。

その実力が一号指定に達するなんて知られたら益々余計な干渉が増す。

 

「あ、ちくしょう、詰んだ。完全に包囲網ができてる。並大抵の手際じゃないぞ。予行練習とかしてたんじゃないだろうな」

「同化した状態で強行突破は?」

「相手に名目を与えそうで嫌だなー。こちら側の正当性を保つの為、能力行使は最終手段にしよう」

「キノ、おそらく戦闘になる」

「あーくそー、せめて監視のない場所に誘い出そう。円卓会の息がかかる敷地とか」

強行突破してもいいけど、向こうに有利な言い訳を与えたくない。

もし、こちらが強引な手段をとったとしよう。

そしたら向こうに付け入られる隙を与えこちらの正統性が失われる。

適当な理由をでっち上げて嬉々として襲いかかってくるに違いない。

戦闘行為の全責任を特環に詰問する予定なのだ。

下手に虫の能力を使って逃げ出さないのも、特環の言い分を後で与えないための手段だ。

 

それにキノは未だ平和的解決手段の模索をしている。

現状それができる可能性が難しくても。

驕りなのかもしれない。甘えなのかもしれない。

だけど下手すれば今日ここで

 

ーーー負けるかもしれない。

 

そんなのは嫌だ。敗北の未来を回避する。キノの頭の中でその事を考え続けた。

 

「駄目だ。追い付かれたや」

「ハアハア、はあ。な、んで特環がぁ」

「イチ。あれは囮の虫憑き。多分今から特環が追い付いて難癖つけてくるから」

汗だくになりながらも必死に逃げている虫憑きの男性。

私服姿だが高校生の年齢だと判断。分離型のコオロギの背に乗っているが精神的にも肉体的にも限界っぽい。

その囮を追う特環の精鋭たち。五人チームと見せかけ、二人ほど隠れている。

 

「目標が他の虫憑きと接触。緊急時の判断として対象全てを殲滅する」

「白々しい。まだ虫も出していないのにどうして虫憑きとわかるのかな?ひょっとして感知能力もちの虫憑きがいらっしゃる?」

「キノ。来るぞ」

「イチ、交戦の前に一応交渉から」

うん。予定調和のように攻撃しようとする特環精鋭部隊。緊急じゃなかったんかい。何の動揺もなく直ぐ様攻撃とかあり得なくない。

取り敢えず、作戦内容がどれだけ行き渡っているか調査しますか。

 

「あー、特別環境保全事務局に告ぐ。我々に攻撃することは特環に許される行為ではない」

「敵の言葉に惑わされるな」

「オホン、我々、円卓会は特環に融資する謂わばパトロン組織。特環が円卓会に攻撃することは禁止事項に値する。攻撃行動は全て処罰に値するものである。円卓会は特環に抗議する権利を持っている」

「なっ!?パトロン組織?」

「出鱈目だ!」

「繰り返す。円卓会に手を出すことは特環の規則上許されていない。これらの事項を確認次第速やかに撤退しろ」

建前とかの確認も必要な作業だ。

正統性、落とし所を測らせてもらいます。

動揺は半分以下。つまり半分以上がミッコの飼い狗たち。

でも知らない局員もいるっと。今回の作戦、ごり押し過ぎないか。

 

「我々にはその様な情報は知らされていない!よって敵の発言は虚偽だと判断する!局員は戦闘行動に移れ!」

「特環局員に告ぐー。虚偽判断は上司への連絡確認によって審議せよー。我々の正統性が判断できるー。その通信機能付きゴーグルはお飾りかー」

投げやりレベルの間延びした言葉で馬鹿にする。

真面目なやり取りをしていたが無駄になる確信が生まれた。

取り付く島がない。やらせって怖えー。

特環の精鋭部隊のリーダーと円卓会代表キノの言葉の応酬は一部の局員に混乱を与えた。

特環の罰則は厳しいとかのレベルじゃない。

何も知らない中央局員はその辺特に厳しいから余計に動けない。

だけど何人かの虫憑きが素早くキノたちを囲んでいた。お前ら、絶対ミッコの狗だろ。

 

「......こちらの通信は妨害されている。これでは貴様の言う確認作業は行えない。虚偽情報の可能性を考慮し戦闘を続行する」

「わーお。本当に白々しいわー。やっぱりヤル気らしい。こちらも防衛行動をとらざるを得ない」

「まどろっこしいなキノ。どうする?」

「逃げに徹するかなー。ヤバい奴が来る前に」

「逃がすな!各員戦闘行動に移れ!」

真面目に面倒臭い。何人かはこの作戦に疑問を抱いたようだけど、多数の意見に流されるのは仕方ないことか。

通信妨害云々は上層部の責任逃れとして、取り敢えず、形振り構わずこちらを攻撃したいのは分かったからさ。

マジで覚えとけよ特環。私の報復は半端ないぜ。

 

「置いてきぼりの俺にも教えろ!」

「あっ。まだ居たんだモブ」

「誰がモブだー!」

囮さんの虫憑きも、この場でずっと膠着していたらしい。

場の空気読まずにトッとと逃げればよかったのに。

コミカルな空気を介さず、イチが虫と同化した。

同化した顔にアイラインのタトゥーが引かれる。

 

「なっ!同化型だと!」

「遅い」

近くに迫った虫を強化した脚で蹴り上げるイチ。

小さなボールを蹴ったような軽さで飛び上がった虫は、その実轟音響かせる蹴りにより巨体の虫の体が罅割れていた。

同化型の強さを知る局員たちに僅かに動揺が走る。

 

「キノ。包囲網を突破する」

「一点突破で脱出したら円卓会の敷地に逃げ込もう」

「マジで何なのさ。お前ら」

「モブAも来るかい?」

「うるせえ。モブ言うんじゃねー」

巻き込まれ系不幸男子モブAが叫ぶ。

一連の不幸、円卓会と特環に巻き込まれた陰謀と知ったらモブAはどんな反応をしてくれるのかとS心が疼く。

オホン。まあ、いいや。折角の出会いだしスカウトするチャンスとしよう。

面接がてらの第一質問。

 

「モブ君の夢は何だい?」

「ああ?俺の夢は......」

巻き込まれた虫憑きが夢を語ろうとしたその時、割り込むように脚の長い虫がコオロギを貫いた。

男は目を見開きやがて支えを失うように倒れた。

欠落者になったようだ。あっさりと夢を失った虫憑きの姿にキノは怒った。

 

「会話の途中で邪魔するとは、無粋なことをする」

「油断するなキノ」

イチも既に武器なし、雷封じの縛りプレイ。

精鋭部隊も甘くはない。その気になれば一撃で虫を倒せる実力持ちがいる。

さりげに蹴り飛ばした虫もダメージ少なく上空を徘徊している。

敵の強さは本物だ。こちらの実力を隠してどこまでやれるか判らないがヤルしかない。

 

「確かに、手強い」

小さく呟き、拳を振るうイチ。

戦闘開始から数分まだ脱落者一人出せないのは流石特環の精鋭と言うべきところだ。

一人一人の虫憑きはイチに及ばない。

しかし、集団による連携がイチの一撃を狂わせ決定打を与えない。

今も宙で撹乱する虫を狙えば、壁に張り付く虫が糸を吐き出し妨害する。

キノは力を温存しながら回避に徹している。

局面を変える鍵はキノだ。

イチは精鋭の虫に囲まれながもキノの動きを待った。

 

まだ、アレは動いていない。

それがキノにとって希望的観測を与えている。

特環の精鋭は強い。実は少し押されている。

イチの縛りプレイが祟って数が減らない。おかげでこちらは消耗戦。

厄介なのは特環の高性能ゴーグル。通信機能だけでなく録画機能も搭載しており実力を隠す私たちの邪魔でしかない。

故に壊す。同時に、全部、打ち漏らさずに。

 

その後少し本気出して突破する。

だから悠長に時間稼いで、動きを捕捉しようとしているのだけど、人数多すぎ。

隠れている奴は動かないから楽なんだけど、イチの相手してる連中は動きが激しくて狙いが定まらない。

じり貧な状況を様子見しつつ虫の攻撃を避けていると、事態が急速に動きだした。

 

ーーー高速で動く反応あり。目的地はここだ。

 

「ねえ」

底冷えする怒りの声が辺りを震えさせる。

特環の精鋭が回避ばかりで危険度が低かったキノに目を向けた。

 

「確か通信妨害がナントカって言ってたよね。なんで上層部に連絡いかないのに応援は来るの?」

動揺するのは魅車八重子の狗。と今まで身を隠していた精鋭も慌てているっぽい。

ああ、感知能力バレたや。失言、失言。

 

「予定変更。イチ、殲滅戦だよ。新しい敵戦力が来る前にコイツらを潰す」

ゴーグルの破壊だけで済ませるつもりだったのに余計なことしやがって。欠落者にするしかなくなったじゃないか。

内心の愚痴とは裏腹にキノは右腕を上空に向けた。

警戒体勢の精鋭たちがキノの動きに注目する。

 

「蒼渦連鎖」

瞬間、特環の特別製のゴーグルが蒼渦の螺旋により歪み破壊された。

イチも隙をついて局員のゴーグルを壊し、虫を叩き潰している。

うち漏らし残り、二人。

 

キノの蒼渦は最大展開数、四つが限界。

後方の局員を先に潰し、次に蒼の螺旋が残りの局員に牙を剥く。

ゴーグルの観測より速く動けたか自信はないけど。

データが送信されてる可能性も考え映らない順に壊した。

 

「どうしたキノ?何を焦る」

「......イチでも危険な相手がここに向かって来ている。精鋭と同時に相手取るのは危なすぎる。とにかく速やかに殲滅して撤退しよう」

事態が最悪に動いている。ゴーグルは壊したけど精鋭は殆ど無傷。キノの恐れる脅威が迫り展開は悪化している。

イチの指摘は正しい。私は今焦っている。

 

「そいつは花城摩理より強いのか?」

「いや。摩理よりは弱いけども」

「なら大丈夫だ。問題ない」

突然の質問によくわからずに答えを返すと頼りがいのある言葉が返って来た。少しだけ冷静さを取り戻す。

まだ取り返しのつかない状況ではない。

まだ挽回の余地はある。

それだけの事実確認で落ち着けた。本当イチは頼りになる。

だけどイチ、最強の摩理ちゃん基準にしたら駄目だから。

 

「さて。時間もないらしいから本気を出す。余り手こずらせてくれるなよ」

イチは不敵に宣言すると、武器をダイオウムカデと同化させ特環に向き直った。

精鋭部隊と本気のイチとキノがぶつかり合う。

 

 

 

 

 

中央に要請され戦闘要員として駆り出され夜を駆ける。戦力としてアイツがいるから俺がいなくても十分だと思ったが、アイツの性格の問題から抑え役に呼ばれたのかもしれない。

そう考えると溜め息が出た。

逃亡する虫憑きが手間取り合流した不確定な虫憑きとの戦闘している現場に向かう。

但し先見は連絡が付かず信号も途絶えているらしい。

ゴーグルが示している応援の要請に指定された最後の場所にたどり着く。

誰もいない敷地に、虫同士が暴れ回った破壊痕が残っている。

局員との信号が途絶えて時間が立った。場所が変わったか、もしかしたら全滅の可能性もある。

敵の危険度を高め、警戒し戦いの痕跡を追った。

程なくして見慣れた中央所属の白コートが倒れた現場に到着した。

 

「オイ」

声をかけるも反応がない。息はしているし意識もある。しかし目に意思を宿していない。欠落者だ。

辺りを探れば特環所属の部隊が何人も倒れていた。

皆一様にゴーグルが壊されいることに気付く。

かなりの戦闘力と用心深さが伺い知れる。

 

「ううっ」

意識がある呻き声がした。

消えかけの虫を従えている特環局員だ。

今にも倒れそうな満身創痍の局員に詰め寄り問いただす。

 

「何があった。敵は何処だ」

冷徹に見える対応に局員は目線を合わせる。消えようとする意識の中、男は伝える為に口を開いた。

 

「ば、化け物。同、化型の虫憑き、それと、」

「同化型だと!?」

息も絶え絶えの中央局員はそれだけ伝えると倒れこむ。力尽きて欠落者になったようだ。

局員が齎した情報に驚いたが呆けている時間もない。

すぐさま仲間に連絡を取り謎の同化型の虫憑きを追った。

 

 

 

 

 

「逃げ切れるかと期待したけど駄目かも」

「敵は?」

「今追って来てる。イチの脚より速い。しかも二手で挟み撃ち」

同化したイチの高機動に追い付けるヤバい奴ら。

絶対に追い付かれたくないけど無理って諦めが襲う。

撃退するしかない。

無理ゲーではないけどハード。

やる気出ねーよ。

夜空を飛ぶように走るイチにしがみつくキノは突然鳴り出したメロディーを聞き端末を取り出す。

 

『もしもし、生きてる?』

「オー。救世主だわ信也君。連絡どうした?」

『円卓会の発信器が途絶えて通信もジャミングされてたから回線の回復次第連絡した。救援いる?』

新しく加入した円卓騎士団のメンバー、特殊型虫憑き信也。

虫を暴走させ自滅しかけた所を保護した虫憑きだ。

戦闘要員ではない。

 

「緊急離脱に早瀬が必要だ。こちらに寄越せ。他は邪魔だ」

『げっ。団長』

「場所はわかるな。念のため八千代に強化して貰ってから来いと伝えろ」

『ら、ラジャー』

イチに苦手意識があるらしい。

返答がたどたどしい。

割と不躾なイチの命令に従う信也。

彼のエピソードはまた今度にして貰おう。

 

「待った。ジャミングされてたって虫の力?機械?」

『僕を誰だと思っているんだ。妨害に気が付いた後、機材を虫の力で破壊した』

「機械の方か。流石は特環のセキュリティに喧嘩を挑もうとしたクラッシャー様」

特環の通信妨害の真相がハッキリした。

信也の力は機械システムの破壊に特化したものだから妨害は何らかの機材によるものだと判明した。

だからどうしたと思うかもしれないけど、通信がまた妨害される可能性を知りたかった。

 

「じゃあクラッシャー様、この辺の防犯カメラを含めた映像記録の破壊よろしく」

『はあ、メンド、』

「バーイ」

優秀な部下を信じて連絡を切った。

ものぐさな彼の真面目な働きを頼りにしよう。

仲間のおかげでこの窮地の状況に希望ができたね。

円卓騎士団万歳。

複数の人員を運べる大きさと圧倒的なスピードを誇る早瀬君のハビロイトトンボなら雲の上まで逃げ込み追手を振り切ることができる。

撃退作戦から時間稼ぎの撤退戦に変更。難易度が幾らか減った。

 

「思った通り、逃げ切れなかったか」

真後ろで高層ビルを駆ける黒づくめの追手。

何で追い付かれたかは予想できてる。向こうもキノと同じ感知能力持ちがいる。そいつと長らく連携とってきた相方がいるのに、鬼ごっこし続けようなんて思わない。

一応目立たないという目標は続行中である。

戦闘になっても他の監視入らない場所で信也にゴーグル壊す作業をさせようと考えている。

奇しくもたどり着いた場所はイチと花城摩理との戦闘があった場所。

コンテナ置き場から距離の離れてない古びた倉庫に降り立つ。

イチから離れ、キノは円卓会製の警棒を取り出し待ち構える。

二つの影が間を開けず到着した。

さてさて挨拶を済ませようか。

 

私が脅威に感じる虫憑きの正体。

最強の称号一号指定を持つイチがいるのに安心できない相手なんて同じ一号指定の敵に決まっている。

しかも一人でなく、二人。

もう片方も一号指定なんてことはないが、その領域に片足突っ込んでいる実力者。

莫大な渦の波長が強大さを物語る。

雄々しく、激しい力場の根源。

瞬く間にに現れた最悪の敵。

 

「はじめまして、かっこう。それとあさぎさん」

黒のロングコートを羽織り銃を構える虫憑きは火種一号かっこう。その相方、雨合羽に身を包む少女が異種二号あさぎ。

最強最悪のコンビ、かっこうとあさぎたち二人組とキノたちは相対する。

 

 

 

 

 

思えば最初からこの任務は不振な点が多かった。

始まりは派遣中の東中央支部所属するかっこうに中央からの要請が来たことから始まる。

 

「やあ、かっこう。調子はどうだい」

「いきなり呼び出されて気分は最悪だ。一体何の要件だ、圭吾」

「気分が優れないなら体調管理を大事にするといい、かっこう。用件は中央本部から派遣要請のことだ」

かっこうと呼ばれた少年の悪態も青年は気にもせず軽口を添えて受け応える。

二十代前半の若さで支部長を勤めるかなりのやり手の青年とお互い長い付き合いをしている。

 

「中央の派遣任務だろ。短期の戦闘要員として。いつもは何も言わなかったのに、今回はどうした?」

「今回の任務は少しばかりキナ臭い。独断専行は極力控えた方がいいと忠告に呼び出したのさ。あくまで中央本部の指揮下と言う形で動けば問題ない」

「どういうつもりだ。圭吾」

予想外の言葉に驚くかっこうに対し、青年土師圭吾は軽薄に笑みを深くする。

 

「なんてことはない。もし問題が起こって責任問題になったら中央の要請だったことに収める必要がある。東中央はもとより君に責任を負わされることないようにね。彼女もふゆほたる騒動以降から現在、中央本部の指揮下にいる」

彼女とはあの破天荒な相方のことだろう。

実力は確かで強力な虫憑きが現れる度に特別チームを組まされてる。

中央本部と東中央支部は折り合いが悪く、お互いを反目している。

実際、勢力争いが水面下で起きていた。

狡猾な上司は取り引きをして牽制している事実をかっこうは知っている。

今回の任務、わざわざ裏であれこれお膳立てする目の前の上司の意図を自分なりに考えてみる。

 

「戦闘被害の責任か?そんなものたいして気にしなかった事だろ」

「確かに君やふゆほたるみたいな虫憑きが暴れれば被害は甚大だ。それをサポートし被害を最小限に留めることが特環の役割でもある。だけど今回は別件でね。まあ、責任というものはどんな時でも降りかかってくるものなのさ」

かっこうにとって土師圭吾の腹のうちなど理解出来ない。考えるのも無駄に思えて思考を放棄した。

性格に難あるが信頼はしている上司だ。

言われたことに従い任務を遂行するだけだ。

 

東中央支部 支部長 土師圭吾は様々な思惑を隠し、かっこうを送り出した。

 

 

 

 

 

敵を見失おうが、まだ手はある。

感知能力持ちの虫憑きに位置を探させればいいだけの話だ。

稀少な能力なので使える人物は限られてくるが今回は丁度適任がいる。

今、その相手と連絡を取っているところだ。

 

「戌子。目標の虫憑きは何処だ」

『今追ってるよ。取り敢えずボクの位置情報を目印にキミは早く追い掛けてきたまえー。それにしても相手は物凄いスピードだねー。ボク一人じゃあ、逃げら切れられる』

「そいつはおそらく同化型の虫憑きだ。特環の精鋭を潰している」

『それは楽しみだねー。精鋭より強く、しかもキミと同じ同化型と来ている。久々に手応えのある任務になりそうだ』

師子堂戌子。

異種二号指定のあさぎの異名をもち、戦士を自称する戦闘狂である。

彼女の悪癖に敵味方関係なく暴れ廻る闘争本能の塊のような衝動があり、自分も散々手を焼かされている。

歯止めの利かなくなった彼女と任務そっちのけで喧嘩して、肋骨を折られた記憶は新しい。

その時は彼女の武器をへし折り、引き分けに持ち越したのだが。

 

「油断するなよ、ワンコ」

『ワンコって呼ぶなっ。キミがその名を広めるから、最近ボクをそうやって呼ぶ連中がーーー』

途中で通信を切った。普段手を焼かされてる分、名前でからかうことくらいしないと割りに合わない。

ゴーグルから送られる信号で戌子の位置情報を探る。

凄まじい速度で移動している。

自分が追い付くには本気で走らなければならない。

自身の虫である、かっこう虫を呼び出し、同化と共に緑色のタトゥーのような紋様を浮かべた脚で地面を蹴った。

都会の空に薄い光の星が浮かぶ中、戦いに呑み込まれていく虫憑きたちが夜を飛び交った。

 

 

 

 

夜間の空を高速で移動する人影。

それは建物から建物へ、瞬間移動じみた速さで紫電を生じさせながら走る。

師子堂戌子は同化型のように身体を強化させる能力はない。特殊型の彼女は虫の力を応用し高速の移動を可能にしているに過ぎない。本来機動力を持たない特殊型の弱点を移動能力の高さで克服している。

戌子自身の戦闘力は一号指定と比べても遜色ない。かっこうとの格闘訓練では全戦全勝に持ち越す程だ。それでも彼女はかっこうに根底では勝てないと内心認めている。

理屈でない強さを秘めている一号指定の悪魔。その実力を信頼し認めている。

自身とかっこうの二人は間違いなく最強のタッグだ。

どんな相手だろうと負けたりしない。

精鋭を全滅させた強力な虫憑きの背を追って相棒の到着を待っていると程なくして自分に並び移動する黒い影が現れた。

 

「やあ、思ったより早かったねー」

連絡後から戌子に追い付くまでまだそんなに時間は経っていない。かなり急いでやって来たようである。

だがこれで敵を追い詰めることができる。

と、考えていたのに反して相手の動きが変わった。

距離を離そうとする逃げの走りから、まるでこちらを誘導するかのような落ち着いた動きに変化したのだ。

罠の可能性もあるが、どちらかと言えば観念して交戦する方向に切り替えたのだろう。

冷静な思考に基づく判断であるなら敵は益々脅威だ。

 

「どうやら相手もやる気になったらしい」

知らず知らずに歪んだ笑みを浮かべていた。

獰猛な狂戦士としての性が戦いを前にして溢れだす。

自身とは違い、冷酷な悪魔と謳われる相棒は敵を冷静に観察しながら相手の後を追う。

付かず離れずの距離を保ち、人気のない工業地帯にある倉庫にたどり着くと相手は動きを止めた。

続くように、黄色い雨合羽にホッケースティックを背負う少女と黒のロングコートの悪魔が降り立つ。

 

相手の顔が見れるように向かい合った状態となり、お互いの姿を観察する。

これまでずっとその脚で逃げていた同化型の少年。

マフラーで口許を隠し、厚手のコートに身を包む様から正確な容姿は掴めない。ただ長めの髪を赤い髪止めで後ろに一括りしており、小柄でもないのに華奢な印象のせいで性別が判断しにくい。

同化型に相応しく強化され紋様を浮かべる身体と、ムカデのような荒々しい大剣が、こちらに向けられている。

 

それとその少年に運ばれていた少女。パーカーを深く被った少女もまた容姿が判明しないが、健康的な柔らかな輪郭が少女らしさを表していた。

戌子の感知能力が彼女が虫憑きであることを感じ取っている。

そうでなくても、警棒を構える姿に敵対意思を伺い知るには十分である。

 

こちらも油断なく、ホッケースティックを構え応戦の姿勢をし相手の出方を見ると、少女が警戒を解くことなく、しかし惹き付けるように語りかけた。

 

「はじめまして、かっこう。それとあさぎさん」

 

星空の明かりさえない閉ざされた空間である倉庫の中、少女の声だけは暗闇に溶け込むことなく不思議な静けさをもって夜に響いた。

 

 

 

 

コミュニケーションは大事です。

つい先どっかの精鋭部隊との交渉に失敗したばかりだが、今回は違う。

最初から聞かん気で殺る気のミッコの狗たちと違い、こちらは幾らか話のわかるお方である。

冷静に判断材料を与え、敵対関係を解除させよう。

相互理解は大事だ。平和的解決をしようではないか。

そんな訳で挨拶の第一声。

 

「はじめまして、かっこう。それとあさぎさん」

 

初対面に対する丁寧な挨拶と親愛を示すかのような名前呼び。

完璧に警戒された。

無駄な足掻きでしたね。もう諦めます。

そもそも話が通じる云々も比較論であって、狂戦士であらせられる師子堂戌子がいる時点で交渉の話は詰んだ。

人選が嫌がらせの域で神懸かっている。

素晴らしい性根の悪さだ。

 

そして思い至る。

今回の事件。査定紛いの戦力把握にしては物騒過ぎる。

こちらをマジで潰そうと考えてるようにしか感じられない。

原因は私かな。

特環でも抗えない高過ぎる権力を実質支配している私に勘づいていやがった。

魅車八重子なら支配者である私を亡き者にした後、円卓会の権威を押さえ込むことが可能かもしれない。

そして一号指定の試験紙であるかっこうが送り込まれたことから別の思惑も伺い知れる。

もうひとつ勘づかれたのだ。

 

新たな一号指定が存在する可能性を。

円卓会のバックアップありきと言えども、時には暴走する虫憑きを抑え、仲間に引き込む手際のよさに強力な虫憑きを疑っているのだろう。

ならば今回の特環の精鋭とかっこうが送り込まれたことも説明がつく。

それこそ死ぬ程ヤバい戦力を送っても、無事に生き残れる不死を見つけ出したかったのだろう。

超迷惑。本気で喧嘩売る気なのか特環は。

それはこちらも不本意だからしないけど、舐められている事実と実力を隠すことの限界に焦燥する。

 

思った以上に早かった。

こんなに早くイチが一号指定と勘づかれるとは思わなかった。

今回の件でほぼ確実にイチの実力が疑われる。

一号指定の最有力候補になる。

一目見て一号指定に任命されたふゆほたると違い、何度か確証を得ようとするだろう。

その時間は余りにも短いと予想する。

 

そろそろ方針を決めようか。

長い思考は、覚悟の為の理論武装だ。

交渉で丸く収まる段階は当に過ぎた。戦うしかない。

かっこうたちには精鋭部隊と同じような主張はしない。その権威が意味をなさない以上円卓会の存在そのものを隠蔽するのだ。

かっこうには余計な知識を与えたくない。

円卓会には一之黒も関わるし、アレの存在もある。

かっこうがそれを知るのは早すぎる。

ハルキヨばりのよくわからない謎の秘密組織 円卓騎士団で話を通してやる。

 

「稀少な同化型の虫憑き、かっこうか。三匹目も厄介な虫憑きを生んでくれたものだね」

「三匹目だと」

「そうさ。君を虫憑きにした張本人、三匹目。当然面識あるし話も聞いたんだろう?」

「なに?まさか三匹目と直接会ったのか!?」

「ここにいる素敵な少年が見た通りの同化型でね。その反応、まるで三匹目を知らないみたいだけど。ああ、そうか。虫憑きに成り立ての頃は記憶が曖昧になるんだっけ。それなら覚えてないのも仕方ないね」

わざと情報を漏らし会話を誘導する。

原作知識もちとしては主人公かっこうの虫憑きになった経緯なんて知りすぎているけど、それを悟らせないように話を進めなければいけない。

この会話きちんと意味がある。

 

「始まりの三匹。謎の多い三匹目について知ってることを話して貰おうか」

かっこうが険しく睨みながらも詰問する。

フィッシュ。釣れた。

これで情報を持っている私たちを問答無用で欠落者にするよりも三匹目について聞き出そうとするはずだ。

お手柔らかに、手を抜けよ。かっこう。

 

「タダでは教えられない。聞かせて欲しければ力づくで聞き出しなよ。かっこう」

心にもない台詞で自らを鼓舞し啖呵を切った。

ダラダラ話し続けて分かりにくいタイミングの開戦よりは、戦いには相応しいだろう。

警棒を握り締める右手を湿らせる汗を誤魔化しながらも戦う姿勢は曲げることはできない。

 

これは夢を守る虫憑き同士の戦いなのだ。

 

 

 

「シッ」

放電と圧倒的速力による無慈悲な一閃。

初撃を狙ったのは、雨合羽の少女、師子堂戌子。

生粋の戦士である彼女は先程のやり取りに、一切の余計な思考を感じることなく敵を屠ることのみ行動する。

戦いの気配を察した獣の少女は口火を切ったばかりのキノを狙ったものの、紫電を纏うホッケースティックの一撃は空振りに終わった。

 

「これを避けるかー」

動いたのは、こちらも同じ。能力発動の前兆により行動を察したキノは後ろにイチに倒れ込むようにして身を預け、強化された脚で後方に飛び下がる。

 

一瞬の気の遅れが勝敗を決めかねない開幕の攻防。

両陣共に厳しい戦いを予感し身を引き締める。

 

「こわっ」

ちょっぴり締まらない人も居る。

 

「キノは後衛に居ろ。同化型のかっこうとホッケースティックの女。両者共に近接に強そうだ。キノと相性悪い」

「わかったよ。それと先の一撃、僅かに放電現象が起きていた。特殊型のあさぎは磁力を媒体にしている。

......気をつけてねイチ」

高速移動の原理は磁力の引っ張る力、反発力。都市ともなれば言わずに知れた金属に囲まれる環境だ。

鉄骨に含まれる金属の磁力を操り自身に磁気を帯びさせ移動している。その際起きる現象が放電である。

 

キノはイチの目を見て、意思を伝える。

この場で最も厄介な敵はかっこうよりも師子堂戌子の方。

キノの能力を同じ特殊型の彼女は防ぐ術を持っているし、イチの雷の能力も磁力を操る戌子と相性は悪い。

言葉の真の意図は、雷の能力使用禁止。

相性が悪いなら切り札を使わず隠し通す。

余念なく徹底した秘密主義。

キノの意図を読み取ったイチは武器を構えることで肯定した。

 

「戦闘中におしゃべりとは随分と余裕あるねー」

「ああ、余裕だ。多少近接が出来る見受けたが同化型と本気でやり合えるなんて本当に思っているのか?」

「それなら問題ないよ。同化型と近接戦なんてやり慣れてる」

「なら試してやろう」

イチと戌子がお互いの武器を打ち鳴らせる。

あのホッケースティックは特環が開発した特殊技術が使われているのだろうか。虫を易々切り裂ける大剣と打ち合えるとか反則だ。

次いでに言えば同化型の強化された身体能力に着いていける化け物っぷりも反則ではなかろうか。

ぶつかる度々衝撃波が起きる二人はマトモじゃないって。

 

「おっと」

踏み込む足音を聞き逃すことなく対応した。

かっこうだ。

私狙いか。弱い者苛めは止めにしようぜ。

くるりと両手を伸ばし、その場を踊るように身を放り換えし避ける。

かっこうは不殺の信念を持ち、虫を殺すのに躊躇しないけど宿主を殺すことはしない。

だから虫を出さない私を殺す気はない筈だが、手加減されているだろう拳は、テレビで見た闘牛を避わすよりも恐怖体験だった。

 

アレ喰らったら普通に死なない?

物騒な思考が過るも身体は行動していた。

 

くるり。またその場を回転し踊る。

キノの足下に群青に渦巻くサークルが現れる。

くるり。真っ直ぐ伸ばされた腕がネジを巻くようにサークルを掻き回す。

 

あからさまに狙われているけど、もしや足手まといだと思われてる?

オイオイ。確かにこの中で一番弱いけど、戦えないお荷物に思われるのは心外だな。

特殊型は機動力もなくて使える力の範囲が限られるけど、私には関係ない。

 

アリジゴクは動かない。

ただ待つだけだ。

 

獲物が自らやって来るのを。

 

キノを中心としたアリジゴクの巣。

群青のサークルは渦巻き、周囲の物を引き寄せる。

勢いづいた一撃を躱されたかっこう。

戦闘に動き回る戌子。イチも例外ではない。

サークルは倉庫の商品、積もる埃、全部関係なく全てを巻き込んだ。

 

「特殊型か」

冷静な悪魔かっこう。引き寄せられたのほんの数メートルだけ。地面に拳を突っ込んで無理矢理引き寄せられるのを止めた。

戌子も磁力を操り金属に引っ付いて引力に抗っている。

そんなに簡単に攻略されたら堪らんね。

竜巻のような空間は歴戦のかっこうたちに通じない。

だけど自由に動けまい。中心に居る私は自由にサークルごと移動可能だが自ら近づく危険を犯したくない。

もう一人引力に抗いながらも攻撃手段をもつ人物が居る。

 

「かっこう!」

戌子の叫び声が響く。巻き上がる埃に隠れて忍び込む影がかっこうを捉える。

特殊繊維で防弾性、防刃性に優れるロングコートが身を守った。

ムカデそのものに刃を生やした不気味な姿の剣鞭がアリジゴクの空間を自在に蠢く。

イチの同化武器がかっこうを凪ぎ飛ばした。

イチ自身はその場を固定されながも剣鞭を振るう手つきに不自由はない。

タッグ戦なんだから私ばかりに気を取られるなんて迂闊だぜ。

キノの余裕はこれが最後だった。

 

私に突っ込んでくる女の子が物騒な件について。

その特殊型でも一刀両断可能なホッケースティックはマジ勘弁。

渦に触れさえすればダメージを与えられるが逆に壊されれば被ダメージを喰らう。

加速する戌子にそれを試すのは危険過ぎた。

 

「特殊型のキミにボクの一撃を受けられるかな」

「あーちょっと勘弁」

引力に引き込まれるのをものともせず、寧ろ加速しながら飛び込む戌子にサークルを解除し警棒を構える。

真鍮と特殊な金属を混ぜ合わせた円卓会製警棒は磁気を帯びない。

群青を纏う警棒はホッケースティックの衝撃を耐えたがキノ自身がその一撃に吹き飛ばされた。

 

「ぐえぇ」

可愛い悲鳴は絶対に上げないキノ。腕に襲った痛みが大き過ぎて、後方に避けて衝撃を和らげた意味があったのかわからなかった。

 

「キノ!」

イチの声が聞こえる。身を守った能力込みの警棒。しかし虫の耐久が低いキノは精神に少しダメージがあった。

つくづく使い勝手が悪い虫だ。と毒づく。

 

「蒼渦」

容赦なく追撃するホッケースティックの少女に反撃を試みる。

迫る蒼の螺旋を避けたり、様子見したり、臆すことなく一撃を振るう。

 

「ん?脆いねー」

蒼渦は一撃で掻き消された。キノにダメージを伴いながら。

割れた渦の中心にアリジゴクの脚が形を崩し溶けて消えた。

キノの能力と耐久の低さの因果関係。

空間との同調云々よりも致命的な問題がある。

虫の身体の一部を実体化させないと能力を使えないのが真実だ。

文字通り、虫を削る戦いは消耗を強いられる。

 

削られた虫のダメージがキノの精神を削る。

戦いの最中だと言うのにぼんやりとした。

 

獰猛な笑みの狂戦士が近づくことに何の感慨もない。

ただただそれが遅く感じられた。

キノは遅延した時間と静止した風景の中ゆっくり思考した。

 

あー。私の虫の一部が実体化するからダメージを余計に喰らうのか。

戌子スゲーなー。特殊型なのに同化型と遜色ない。

普通の特殊型がここまで動けるのは何でだっけー?

嗚呼。磁力応用しているからだ。

物質に直接作用する力は便利だよねー。

私の能力空間を媒体にした擬似ブラックホールは引力を操る真似事は出来ない。

巻き込んだ物を全て破壊するパワーが仇で邪魔なんだよねー。

 

迫り来るホッケースティックを見据えても思考は止まらない。

自身の破滅させる一刀が降り下ろされる。

その動きの完成さを見惚れた。

 

もし、

 

もしも、

 

引力を支配できたのならーーー。

 

無意識に伸ばしたキノの腕が群青の輝き、そして。

 

 

 

「退け」

キノの目前迫った戌子は反射的に離脱を選ぶ。

眼前のムカデの剣鞭が刃を突き立てるのを見て選択の正しさを認識した。

剣鞭の担い手、同化型のイチの接近を察し更なる攻撃を諦めた。

 

「大丈夫か?キノ!」

イチの背に守られながらキノは意識を取り戻した。

精神を削られて意識が朦朧としたらしい。

前後の記憶が曖昧だ。

イチの声で意識がハッキリした。

頭を軽く振って受け答える。

 

「少ししんどいけど、大丈夫」

「無理して前線に立つな。俺一人でやる」

「イチでも一人でなんとなる相手じゃないよ。向こうはまだ全力じゃない」

「なら援護だけを頼む。後ろに居てくれ」

「......私、足手まとい?」

「これから俺は全力でやる。向こうもセーブしたままやり合うのは止めのようだ。本気でくる」

「......わかった」

恐るべきことに同化型であるイチやかっこうはまだ本気を出してない。

以前、摩理とイチの戦闘はコンテナの敷地を更地に変動させる程凄まじかった。

広い倉庫と言えど所詮高校の体育館位の大きさだ。

同化型の戦場に狭すぎる倉庫がマトモに形を保っていることが手加減の証拠だ。

悔しい。だけど足を引っ張るわけにもいかない。

引き際を心得キノは一歩下がった。

戦士、師子堂戌子はホッケースティックを地面に立て能力を解放させている。

特殊型の領域支配能力が放電現象を起こしながらも広がっていく。

不死身のような耐久をもつ、かっこうはイチに受けたダメージを感じさせない姿で銃を構え立っていた。

異種二号局員あさぎと火種一号局員かっこうの二人組の戦いを知ることになる。

 

 

 

師子堂戌子は戦士である。

黄色の雨合羽に雨靴、ゴーグルを首に下げ、背負うホッケースティックと咥えた棒つきのアメ、その風変わりな姿は何処か旅人のように見える。

しかし彼女の本質はどこまでいっても戦士。

戦場を追い求め、駆け巡り、戦火を果たす、生粋にして歴戦、性分であり生き様の全ては戦士以外の何者でもありはしない。

 

そして戦士としての直感が彼女に囁く。

この場で確実に仕留めなければならない。と

 

この場で最大の脅威は少年であり、

この後の最大の脅威は少女である。と

 

戦士しての全神経が囁く。

あの少女を欠落者にせよ。

 

予感はただ一度追い詰めた時の一瞬の出来事によるもの。

最初は能力の使い方がちぐはぐな少女だと思った。

強力な引力。ブラックホールを思わせる程の力は脆くて弱い。

 

破壊を撒き散らした渦は、ホッケースティックで切り裂くと容易く消滅した。

その効果は宿主のダメージに変換される。

予想以上の手応え。

具現化した虫の脚そして媒体の感触。特殊型の少女の媒体は引力などではなく、空間に起因するもの。

少女は能力発動時、虫と空間の同調が激しく具現化し弱点を露出する特徴がある。

 

ちぐはぐだ。酷くムラがあり安定していない力。

成長の余地を残したその力。

 

一連の攻防、警棒での防御は弾かれ、攻撃は無効化され自身のダメージとして跳ね返り、数歩の距離に間合いを追い詰められる。

師子堂戌子は一切の容赦なく少女を倒すつもりだった。

狂戦士は戦いに熱中していた。

 

横合いの少年に邪魔され仕留めることにしくじろうとも戦闘にはよくあることだ。

 

もし師子堂戌子が失敗したとすれば、仕留められる筈の獲物にトドメの一刀を入れようとした時。

迫る一撃を呆然と眼前まで見開いていた少女が腕を伸ばしたと思ったらーーー口の端を吊り上げ笑った。

力場が乱れの観測、これまでにない強力な力の活性。

そして身の危険を感じ退くことを選らばされた。

 

戦士の少女は見誤った。

 

彼女は間違いなく脅威である。少女の怪物の片鱗を確かに垣間見た。

まだ成りかけなのだ。怪物の卵にして開花前の蕾。

孵化して花開く可能性を全身全霊で摘み取る必要がある。

 

ホッケースティックを立てた戌子は能力の全てを解放し目の色を変える。文字通りの意味に。

磁場とは引き合う力と反発する力の二種である。

充血する右目、鉄分濃度が増す左目。

その双眸はまさに狂戦士。

激しい紫電の塊を纏う少女は敵を殲滅する為に動き出す。

 

 

 

一号指定かっこう。彼程戦いに身を投げ出した虫憑きはいない。

その存在はひとつの抑止力であり絶大な畏怖の塊である。

彼程虫憑きを欠落者にした虫憑きはいない。

虫憑きが恐れる結末欠落者。

虫を殺され感情のない人形となり夢を失った虫憑き。

その末路を一人で多く築き上げた化け物。

 

憎まれ、嫌悪される存在。

誰も倒せない恐怖の存在。

だから虫憑きは彼に従い、服従する。

特別環境保全事務局の局員の殆どはかっこうを憎悪する。

彼のせいで従わされるのだ。

彼のせいで反抗は無意味なのだ。

 

圧倒的存在感、凶悪なる抑止力。

それがかっこうの意味である。

 

虫憑きの多くは知っている。

かっこうこそが最強の虫憑き。一号指定。

特別環境保全事務局の最高戦力だと。

 

 

イチの同化型武器ダイオウムカデの剣鞭を防いだ右腕のコートは荒らしい傷痕を残しつつもかっこうの身を守った。

身体強化されたとは言え生身であることは変わらない。

同じ同化型の一撃を傷一つで耐えられたのは優れた装備のお蔭であることに違いなかった。

同化は一時解除している。

 

「迂闊だったか」

同じ同化型との遭遇。そこから少女が語った三匹目の情報。かっこうはらしくもなく動揺していたらしい。

謎が多い三匹目は目撃情報一つありはしない。

そして自身を虫憑きにした張本人の情報を前にしてかっこうは歯を噛み締める。

どうして虫憑きに。そう考える虫憑きは少なくない。

自身の不幸を嘆く虫憑きの心情は大概それを考える。

かっこうもそれについて考えたことある。

答えが出た試しはない。

しかしその答えが今日分かるかもしれない。

 

「倒した後、全てを聞き出してやる」

情報を引き出すからと言って手を抜ける相手ではない。

かっこうがそうである様に現在確認されている同化型の全ては強力な虫憑きに指定されている。

生身の肉体を強化させる同化型は大抵の分離型の虫すら圧倒し強力である。

その同化型を前に力をセーブして戦うようでは勝てない。

拳銃を取り出し水平に構える。

 

「来い、かっこう」

緑色のかっこう虫が拳銃に降り立ち銃身に躯を沈めていく。触手が伸び銃から腕、全身へと目まぐるしく侵食し緑色と黒の鮮やかな色合いに染めた。

僅かに下がった拳銃を持ち直す。

完全にかっこう虫と同化した拳銃は銃口が虫の口器と化していた。

 

「全力で叩き潰す」

ゴーグルにより逆立てた髪と無機質なゴーグルのライトが何よりも悪魔めいた姿を連想させる。

同化し強化された肉体は人間よりも人外である悪魔のごとき性能を発揮するだろう。

火種一号局員かっこうは銃口を定め引き金をいつでも引けるよう構えていた。

 

 

 

 

イチはこれまでの圧倒的強者との戦闘が多かった。

始まりは大喰い。次点に花城摩理。

これ程の強敵を前に一度も臆したり逃げ出したりしたことはない。

何故か。その疑問は愚問に値する。

虫憑きだから。

夢は諦めで終わる。諦めない限り夢は終わらない。

絶対に夢を終わらせない。

戦い続ける理由なんてそれだけでいい。

 

「強いな」

認めなければいけない。敵の強さを。

異種二号局員あさぎですらイチと渡り合うのに十分。

拮抗どころか気を抜けばこちらが獲られ兼ねない強者。

火種一号局員かっこうは不意討ちによる一撃を受けて当然のように立ち上がった。

普通ならその一撃だけで戦闘不能にする威力を持っている。

戦闘服であるコートの強度もあるが受け堪えた肉体の耐久も生半可ではない。

摩理もそうだが同化型のタフネスは脅威的である。

 

「だが、それがどうした」

イチはどちらかと言えば一対多数に向いている。

もし電撃能力の使用解放すれば特環の精鋭を一人で五分以内に殲滅できる。

万能系戦闘スタイル。近接、中距離、遠距離。個人、複数、団体。攻守に優れ特殊型への攻撃手段も持ち得ている。

そして最も恐るべきは発展途上にあること。

まだ限界を迎えていない。

成長し強くなる同化型。

イチのギアが加速するのは後半からだ。

 

「そちらが本気ならこちらも本気を出すまで」

二人の敵。

その両者から生じる覇気は物理空間すら歪めるかのように周囲をビリビリと振動し震わせている。

イチはダイオウムカデの剣鞭を展開し蠢かせている。

地面と鎌刃の脚が擦れる度、火花を散らせ甲高い音を打ち鳴らす。

頭上高く柄を持つ腕を掲げる。

ダイオウムカデの剣鞭が鎌首がもたげ意思ある怪物のように両者を睨み付けた。

 

「名を知るがいい俺の敵。俺はイチ、お前たちの敵だ」

名乗り上げたイチはそれを宣誓に先陣を切った。

ぐるりと回すように振り回し連動するダイオウムカデの剣鞭が顎を開いて獲物を狙う。

最強クラス。

虫憑きたちの頂上戦が幕開いた。

 

 

 

虫憑きでも最強の一角に当てはまる三人の激突は静けさとは無縁な荒々しいものだった。

惜しみ無い力の放出は勿論、宿主の夢を虫に喰われ消耗するに他ならない。

だが彼らは当たり前のように出し惜しまない。

どれだけ宿主の精神と体力を削ろうとも省みない。

夢を終わらせないために、虫憑きたちは戦う。

 

キノの前に立ちダイオウムカデの剣鞭を広げて敵対するイチが一番の障害であった。

イチはかっこう同様の耐久の高さを持つ同化型。

壁役として申し分ない性能である。

それを打ち倒すとなるとかなりの労力を要する。

キノを後ろにすることで役割が安定した。

だがイチが二人の敵を相手取るに近いのも事実。

サポートするキノの特質も考慮すると援護攻撃も危険。それも栓のない話である。既に並みの虫憑きでは踏み入れることさえ不可能な戦域なのだから。

 

「ッッオオオ!」

同化して強化された腕。そのまま振り下ろされただけでも脅威なのに同化武器であるダイオウムカデの剣鞭によって振り下ろされる。

投擲フォームのように投げ出され剣鞭はその進路上にある物全てを引き裂きながら進む。

かっこうと戌子の両者は横に飛ぶことで回避した。

 

されど剣鞭の攻撃はそれで終わらない。

避けきったムカデを模した剣鞭は地面を跳ねると直角に折れ曲がり捕捉するように動いた。

仮にも同化型が扱う武器。

その動きが追尾機能を働こうがおかしくない。

 

狙われたのはこの中で唯一負傷を負ったかっこう。

粘液を垂らすムカデの大顎が迫る。

その様子は武器と言うより生物に近い。

鋭利な棘のある顎をかっこうは掴み捕る。

 

「うおおぉぉ」

足場を削りながら踏み堪える。その衝撃を例えるなら突進するトラックの動きを止めようとするものである。

噛み砕かんばかりの大顎に対しかっこうはその腕力で引き裂かんばかりに力を籠めて抗った。

 

「受け止めるか。ならば力比べだ」

その腕力もさながら猛烈な勢いで襲った剣鞭の突進を両足で踏みとどまる脚力、向上した身体能力の高さは流石である。

武器を押さえたかっこうと無防備なイチの好機を逃さない。

膠着する二人の同化型を置いて戌子は紫電を走らす。

 

「ハアああああ」

紫電を纏う戌子。自然界の法則を書き換えた磁場の歪みは放電を現象させる。

両目の色彩すら変化させる磁場の影響下、催眠効果のようにタガが外れていく戌子。

その膨大な磁場を秘めたホッケースティックを手に持ちムカデの剣鞭の担い手に攻めた。

パリィ。紫電が弾けた音と共に戌子は掻き消える。

初速すら誰にも目で追うことが敵わなかった。

 

「っがアアああああッッ!」

「ッォ」

瞬間移動のように目の前に現れた戌子。

イチは対応の判断を下す間もなく紫電のホッケースティックを受けた。

花城摩理の一撃を連想させる強力な攻撃だった。

後方に飛ばされつつ嘗ての強敵が思い出される。

そしてそれをマトモに受けたイチの肋骨は異常をきたしていた。

不自然な痛み。折れた可能性が高い。

戌子が放った衝撃で倉庫内に散らばる荷物が弾け飛んでいる。

また紫電が走る。今度のイチは冷静に対応した。

 

「速い。がそれがどうした」

攻撃が来るタイミング。紫電が弾け直行する戌子の動きを予想し事前行動する。

磁場の反発や引く力の応用は小回りが効くとは思えない。猪のような直線的弾道で動くなら避けるのも容易い。

予備動作に紫電が働くこともイチには優位な条件だ。

ダメージを隠し以前とは変わらない動きを意識して回避に専念する。

 

「ヒットアンドアウェイの攻撃。反撃されるのが怖いか。幾ら同化型の戦闘についてこれても生身の人間であることは代わりない」

スピードはイチを撹乱させるほど速い。

予備動作の予兆だけで攻略できるほど甘い相手ではなかった。

完全に回避できず、剣で防いでは折れた肋を痛め隙をつくり傷を増やしている。

がしかし、これまでの強敵の特異性を考えればまだまだやりようのある相手でしかない。

大喰いや花城摩理ほどの圧倒的実力差を戌子には感じなかった。

 

「そして眼の色彩すら変調させる力の行使、負担があるのだろう。おそらく長くは持つまい。お前では俺に勝てない」

電光の速度。紫電が嵐のように動くのに対しイチは静かに受け流し分析と攻略を同時に進めていた。

 

「なかなかの観察眼と分析力だねー」

「負け惜しみか」

「戦士であるなら負け惜しみはしない。ついでに言うならボクは一人じゃない。覚えておきたまえー」

暴風のような攻撃を中断し、肉薄していた戌子はイチから離れ上空に飛び下がる。

その背に隠れ入れ替わりるようにかっこうが姿を現す。

その腕に構えた拳銃が灼熱の業火を吹く。

火種一号として惜しみ無い破壊力を秘めた火球は障害を蒸発させる熱量を発しながらもイチを襲った。

巻き起こた爆炎によりイチの姿が埋もれる。

 

「やったか」

接近に特化した者同士の連携は難しい。

攻撃する戌子に混ざることよりも、ずっと力を溜めていた好機を狙い続けていた、かっこう。

渾身の攻撃は勝敗を決するには十分な威力だった。

 

「いや。避けられてるねー」

否定したのは感知能力のある戌子。

その能力が途絶えることない力場により敵の生存を知っている。

それに眼の端で捉えた光景がその事実を裏付けていた。

咄嗟の判断、既に負傷した状態での防御は危険、回避しかない。

戌子の連撃で守りに専念し踏みとどまる体勢のイチは、地面に突き刺さり弓形に折れ曲がる剣鞭を支柱に自分の体ごと引き寄せ移動させていた。

 

まるで蛇行するムカデのように。

 

晴れた爆炎。そこには誰もいない。

離れた場所に移動したイチが立っていた。

剣鞭の柄を確かめるように握り締め、ぽつりと呟く。

 

「反撃させて貰おうか」

追い詰められ窮地に立たされたばかりと思えない発言を当たり前のように言う。

肋骨の怪我がどんどん悪化するのを感じている。

体力的にもきつくなってきた。

虫の行使と消耗は激しく朦朧となる意識は眠気のようにだるい。

だけど諦めない。不屈の精神は今からでも敵を叩きのめすことを望んでいる。

 

今回の戦いで今までと違うことがひとつある。

自分の後ろにいるひとりの少女のことだ。

多少は意地を見せないとやられっ放しは格好悪い。

個人的な理由だが、イチにとってなによりもやる気が出る。

 

「俺たちは生き残る」

元来負けず嫌いのイチ。

ずっと戦っては強さを求め成長してきた。

最初に勝てない相手を知り上だけを見続けた。

 

「お前たちは倒す」

最終的目的。始まりの三匹。

その目的を前にしたら彼らは障害でしかない。

今ここで負けてやる訳にはいかないのだ。

 

「いくぞ!」

剣鞭から大剣となった武器を片手に二人の敵との距離を詰めた。

速力は戌子程ではない。

が人間では考えられない速力だ。

あっという間に近づいたイチをかっこうが迎え撃つ。

 

「同化型。お前や俺を虫憑きにした張本人、三匹目は何処にいる」

「フッ気になるか、かっこう。お前のことは知っている。三匹目から直接聞かされていたからな」

「お前!」

挑発なのだろうが本人すら知り得ない真相を隠し持つ敵に感情的になるかっこう。

リーチは大剣を持つイチに優位だ。

間合いを詰めた攻撃から逃れるように後方に下がる。

構わずイチは追い縋り斬りかかる。

 

「最強の称号一号指定。その程度か」

肋に一撃を受けダメージは確実に受けている筈のイチ。しかし同化型の化け物はそれをものともせず拮抗を作り出している。

絶望的なまでの不利な状況を生み出す実力者との戦いがイチを強くしていた。

 

「負傷は浅くない筈だ。まだそんなに動けるのか」

「かすり傷だ」

誰よりも戦闘経験豊富なかっこうが初めて戦う同化型。そのタフさに戦慄を覚える。

 

「戦闘経験豊富。読み合いは完全に上か」

凪ぎ払い、袈裟斬り、逆袈裟、清太から学んだ剣筋も人外の動きの同化型相手だと捉え難い。

時々剣の腹を拳で殴られ打ち返される。

ムカデの大顎構える突きを放ち壁を穿ったが、大きな動きの隙にかっこうは懐に入り拳を打ち出した。

 

「オオオォォ」

「フンッッッ」

イチは予定通り左手で受け止める。

轟、と肉がぶつかり合った音が二人の同化型から鳴った。衝撃音だけでどれほどの威力だったか察せられる。

受けきったイチは拳を掴まえたままかっこうを逃がさない。

 

「捕まえた。そのまま逃がさん」

「クッ」

突如後ろから破壊音が聞こえ、壁を貫いたままのムカデの剣鞭が顎を開けてかっこうに迫った。

ここまでの一連の流れはわざと隙を作ったイチの思い通りだった。

横合いから邪魔が入る。

 

「忘れて貰ったら困るねー」

ホッケースティックでムカデの頭部を殴り付けた戌子だ。

密着の意味を無くしたイチは行動を切り替えかっこうに蹴りを放つ。

きっちりガードされたが間合いを空けることに成功した。

 

「まだだ」

人数が固まっている今が広範囲狙える剣鞭の出番だ。

しなる剣鞭がズラリと刃を並べてかっこうと戌子を襲った。

しかしこの剣鞭の状態をかっこうたちは待っていた。

イチの剣鞭はその形状の長さから伸ばしきった後引き寄せる必要があり担い手に隙ができる。

一度大きく振りかぶるモーションも隙だらけだ。

 

「戌子!」

「任せたまえー」

自在に動く剣鞭をホッケースティックでぶつかり勢いを殺し、その間にかっこうがイチに肉薄する。

その連携は示し合わしたようなタイミングで行われ、イチを危険に晒す。

 

「させない!」

群青の渦が行く手を阻む。

キノの支援攻撃。かっこうはそれを介することなく突っ込み拳をそのまま破壊の螺旋に殴り付けた。

 

「邪魔だ!」

「なっ!?」

蒼渦と呼ばれている螺旋は攻撃性の高いものである。

生身の腕をぶちこんでタダで済まされるものではない。

事実かっこうの腕は引き裂かれたように血を噴射し肉を潰した。

だけどそれまでだ。掻き消された群青の輝きから現れたかっこうにイチは無防備に見える。キノの攻撃を無効にしイチに攻めいる好機を逃さなかった。

そうしてイチを前にしたかっこうが緑色の輝きを高めながら攻撃の為の一歩を踏みしめる。

 

「追い詰めたぞ。同化型」

窮地に見えたイチはその実余裕を崩していなかった。

接近する同化型に対しイチもまたオレンジと黒のラインを高めていた。

 

ムカデの頭部と尻尾の見分けは素人に難しい。

後退したり前進したりする姿はどちらも頭部であり、二つ頭をもつ二頭の生物を連想させる。

 

果たして、ムカデの剣鞭の先が頭部か、その担い手である身体強化されたイチが頭部なのか。

 

一つ言えるのは、かっこうは同化型との戦闘慣れしていないことだった。

 

「追い詰めただと。甘いな」

かっこうの攻撃は失敗した。

タイミング良く強化された脚で躱されたのである。

渾身のタイミングは十分な隙である。

イチの勢い合わせたカウンターの蹴りがかっこうを捉えた。

轟音。

 

「らあああアアぁぁ」

さらに引き寄せた剣鞭が暴龍の撹乱のようにかっこうと戌子に牙を向く。

天井を傷つけ、壁を穿ち、地面に亀裂を生み出す非公認一号指定級の破壊の嵐。

繊細な動きはなく、面や手数で捉えようとする大雑把かつ恐ろしい攻撃。

のたうつダイオウムカデの震動が倉庫を荒れ果てさせていく。

高速で動く戌子に回収されたかっこうであるが猛威を振る敵のはげしい攻撃から距離をとらざるを得なかった。

 

「イチ!時間だよ!」

そうこれまでの攻防も今の派手な攻撃も時間稼ぎに他ならない。後ろにさがっていたキノから合図が上がる。

キノ自身も能力により先程吉報に気づいたばかりだ。

次に気づいたのは感知能力を持つ戌子。

 

「まずい。敵のお、」

「黙っていろ」

地面を大きく両断させたダイオウムカデの攻撃に言葉を中断した戌子。

この場で唯一事態を把握出来ていないかっこうに悟られる前に成功させる。

 

「蒼渦最大展開!」

天井に現れた蒼渦が上空を破壊しライトや配線等を降らせる。

イチはキノを抱え天井に飛んだ。

そこには待ち望んだ助っ人がいた。

 

「キノさん!団長!」

開けた夜空に浮かぶ巨大な生き物。

早瀬タクミの分離型の虫、ハビロイトトンボである。

普段の状態とは違い力強く滾って飛んでいるのはミントの香りが香る長瀬八千代の能力によるものだ。

新たに二人の虫憑きを乗せた重さを感じさせず浮上させていく。

 

「助かった。サンクス、早瀬君」

「急いで出せ。相手は一号指定かっこうだ」

「ハイ!」

実直な少年はイチの指示に間髪入れず従う。

瓦礫となって落ちてくる天井から身を守り挙動を封じられていたかっこうたちはそれを見逃さない。

 

「逃がさん」

「しつこい」

やりと散々だったキノは救援により、それなりの余裕を持ち直していた。

 

「墜ちろ。蒼渦」

飛行能力のある虫に追い迫らんとするかっこうと戌子の二人。飛び上がった足元に超引力の螺旋が渦を巻く。

足場のない空中から地面に引き降ろされたかっこう。

磁力を利用する戌子は引力に抵抗し迫る。

 

「逃がさない。キミたちはこの場で始末する」

危険度はこれまで見てきた虫憑きで断トツである。

そのまま見逃せる筈がない。

なんとしても討ち取る。

紫電を広げ領域支配を最大まで広げていく。

噎せ返る程甘い蜜の匂いが広がる。

倉庫の外の風景が塗り替えられていく。

あさぎの名の通り、紫に光る大量のアサギマダラの蝶々が舞った花畑の景色が眼下にあった。

戌子が生み出した隔離空間が世界を閉ざす。

 

「いつまでもやられっぱなしだと思うなよ」

群青の世界が広がった。

天井に浮かぶ神秘的な空の螺旋。

闇夜をも染める暗く、輝かしい群青の輝きは全てを飲み込み、景色を再び歪めた。

螺旋はブラックホールと呼ばれる宇宙の空洞にも、銀河系と呼ばれる星々の光にも見えた。

その中で脚の傷付いたアリジゴクが姿を覗かせる。

戌子の領域の支配をしたキノにより夜空が戻る。

 

「ボクの支配領域を奪い返すだと!?」

驚愕する戌子。特殊型の支配能力が覆されたのだから無理もない。

本気で能力解放した反動で肉体を酷使していても、領域で作り出した隔離空間は簡単に打ち破れるものではないのだ。

 

「今のうちに!」

「りゃぁぁぁああああ」

再び上昇を開始するハビロイトトンボに向かって流星が下から飛んできた。

戌子がホッケースティックを投げ槍のように投擲してきたのである。

紫電を纏った流星は磁力による兵器レールガンと似た原理で襲ってきた。

狙いは逸れたのに余波だけで空気を揺らしハビロイトトンボの体勢を崩させた。

 

「っぐ、マジしつこいって、嘘......あれ、」

「キノ引っ込め」

かっこうを乗せた折れた鉄筋の金属塊を戌子が磁気を操り砲撃しようとしている。

馬鹿げ過ぎて発想すらしないことを難なく化け物たちは実践した。

 

「全力回避ーッッッ!!」

「掴まってください!!」

倉庫との距離は離れて小さく見えるのにその下で猛烈な阿呆をやらかす連中が見える距離なのが憎たらしい。

 

「来た」

イチの冷静な一言が突風の中しがみ付いて風を堪えるキノの耳に響いた。

轟。横から抜けていく巨大な塊を見届け顔を青くした。

やりやがった。と称賛とも罵倒とも言えない気持ちに陥った。

貼り付いていたかっこうは追い抜かした鉄塊の影から飛び降り、猛火を吹かせている拳銃を構えている。

標準を合わせ、荒れ狂う業火を回転させる拳銃の引き金を引いた。

 

イチが前に立ちダイオウムカデの剣鞭を展開させる。

 

キノたちを乗せるハビロイトトンボを含めた空の一体が爆音と共に緑色に燃える炎に包まれた。

 

 

 

今度こそ手応えありだ。

情報を引き出すことより脅威を逃すことを嫌ったかっこうは全力で殲滅行動をとった。

先程のやりとりで死んでも死なない強敵であると判断したかっこうは全力の攻撃で仕留めることを決めた。

死にはしない。その確信がどこで生まれたのかは定かでない。

落下する自身をどう着地させるか今更ながら考えつつも成果を確認していた。

 

空中で回避不可能な一撃の結末。

 

晴れた爆炎の炎の中からそれは飛び出した。

巨大な異形の生き物、ハビロイトトンボ。

その背に乗る救援の宿主と特殊型の少女。

そして受けきった同化型の少年イチ。

 

乗り出し落下するかっこうを睨み付けるイチ。

その手にもつダイオウムカデの剣鞭は幾つもの刃が折れていた。

高熱で紅くなり黒々とした煙を上げている。

武器を損壊したのだ。

宿主は確実影響を受けているだろう。

だがイチは不動に立ちかっこうを睨むのを止めない。

大剣に収納された武器を肩に担ぎ眼下を見下ろす。

 

「......」

無言のにらみ合いだった。とうに声の聴こえる範囲を離れている。

しかしイチは一歩前に出ると剣をかっこうに突き付けた。

 

次の瞬間、膨大な夢を注ぎ込まれたダイオウムカデの剣が一瞬に膨張し弾けたように元の形に復元する。

 

墜落の浮遊感にあるかっこうは僅かに目を見開きその姿を目に納めた。

 

言葉なく伝わる敵の思い。

負けはしない。

宣戦布告のような大胆不敵な態度。

その姿を最後に上空の雲を突け破る勢いで飛んでいくハビロイトトンボが消えていった。

 

 

 

「糞ッ!虚仮にしてくれやがって!」

男は毒づく。

円卓会元メンバーの男はいつの間にか自身の築いた富も地位も奪われていた。たった一人の十三の小娘に仕組まれて。

今や彼の手元に残るものに金や人や力などない。

 

「虫憑きはいいビジネスだったんだ。順風満帆だった。それをあの小娘が!」

虫憑きは儲かる。金の玩具を発見した。

そうやって躍進していたらおもわぬところから滑り落ちた。

金が離れて地位も人も去っていく。

そんな耐え難い事態に追い詰められた事情は身から出た錆、自業自得といえるものばかりだ。しかしそれらの後ろめたい事を隠す術は長けているつもりだった。

その管理能力を上回る掌握能力により手足がもがれるように貶められたのが現実なのだ。

 

「このままでは終わらせん。バブル、エンクロージャー、パラダイムシフト、円卓会の隠し持つ秘密。それにより私は再び返り咲くのだ」

男は崖っぷちに立たされて尚諦めが悪かった。

円卓会から掴んだ情報。

資産家たちの秘密倶楽部が金をばらまいて隠していたナニカを偶然知ることができた。

新たな情報が男に希望を与えた。

虫憑きの真相に迫る鍵。

元円卓会の男にとってその隠し玉は金のなる木だと確信している。

それが破滅の災厄と知らずに。

 

 

「ここだ。ここに私の返り咲く為のーーー」

男がたどり着いたのは小さな漁港だった。使われなくなってどれ程の月日が経っているのか、漁船もクレーンも時代から取り残された古い型のものが錆れている。

人気のない放置された場所に潮の香りだけが男を迎えた。

波打つ海に目もくれず目的の一番奥の倉庫に進んで行く。

 

「あった!これだ!」

鉄筋コンクリートの倉庫は古びた塗装が剥げ落ち錆が赤く染めていた。

男は興奮して倉庫に近づくと、コンクリートの壁に手を伸ばす。

再び栄光を己の手に収めるようとして。

 

「クリスティ!不届き者に誅罰を!」

突如低い男の叫び声が漁港に響く。

円卓会の男が驚いて振り向くとイブニングドレス姿の女性が現れ、美しいソプラノを奏でた。

暗黒のルージュをひいた唇が歌声を震わせる。

 

「アァァァアアーーー」

漆黒の貴婦人は地に足をつけることなく、宙に浮いていた。

脚がなく暗闇のドレスがはためき闇と同化している。

悲鳴のような歌声の中、鳥の羽毛のような黒いものが舞い降りた。

空中で静止したかとおもえば鋭い先端が男を向いてピタリと固定される。

そしてクリスティの羽は男の身体を弾丸のように撃ち抜いた。

 

「ーーーぐぷっ」

大量の血が男から溢れ、すぐにショック死に至る。

円卓会の抱える秘密を監視する番人、サザビィはそれを見届ける。

男の始末を終えたクリスティは歌声を止めた。

二人の虫憑きの見張り番は役目を果たし静かに倉庫にもたれ掛かる死体を片付ける。

男の末路は呆気ないものだった。

円卓会から踏み外した者の末路ではなく、虫憑きの真相に何の気構えのない人間が踏み込もうとした末路である。

男が倉庫に向かって掴もうとした手がだらしなく地面に垂れていた。

 

男の死体が背もたれした跡に小さな罅割れがあった。

ピシリと音をたてて倉庫に割れ目が覗いた。

コンクリートの壁から誰にも気付かれずにナニカが飛び出す。

その物体は形容し難い複雑怪奇な異形だった。

一言で表現するならば、それは眼である。

 

円卓会の隠し持つ鍵、α(アルファ)

世界に怒りと破壊を振り撒くαの呪いが溢れ出す。

 

 

 

 




待ってくれた方々、光栄過ぎて感無量です。
specialthanks 特別なありがとうです。
しかし三万五千字の文章は予想できなかったんじゃないでしょうか。
私自身が予想外でした。
一万字越えした辺りで次の更新余裕こいてたのにどんどん増量していく文章の恐怖。膨れ上がればこの結果です。
待たせて本当申し訳ない。
本編どころか一巻の過去編の途中に文庫丸々一冊の文章書いてる阿呆ですが皆様と完結までお付き合いできればなと調子のいいこと思っています。

では次の更新まで。


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夢誘う笛吹男

一足早くご挨拶。
メリー・クリスマス、七星。お前のご主人様は最高に素敵なヤツだったよ

訳文が死ぬがよいに聞こえたら一巻読破済みですよね。暇な人はこの時期読み返すことをおすすめします。新規の人にもおすすめ布教。
貴方に最高で最悪のボーイ・ミーツ・ガールを


なんでこう何度もラスボスみたいな人とご対面しなければいけないんだろう。

見馴れたくない細目の長身の美女が入室する。泣き黒子が色っぽく、美人と言って差し支えない仕事のできそうなお姉さんを見るのは眼福です。でもその鎖の笑みはやめてください。SAN値減ります。

 

特別環境保全事務局の中央本部に正式な抗議の為、足を運んだのは、こちらなんだけど愚痴ちゃっていいかな。

駆け引きとは時間との勝負。

中央本部に言い逃れさせる時間を与えないために、傷を負い疲労困憊の身体に鞭打ち朝早く出向いたのは私の判断によるものだ。

 

中央本部の借を返すのは本意だけど、こんなに早く対応したのは好き好んでじゃない。襲撃を受けた翌日に重い身体引っ張て交渉するのは正直面倒です。

 

私だって戦闘のダメージがあり精神を消耗している。

だからといって日を延ばし出直すのは円卓騎士団の沽券に関わる。これ以上嘗められたくない。

 

イチは脇腹の骨折と打撲や火傷で重傷者一歩手前の状態。独自に創った治療班に手当てを任せているが、念のため円卓会の医療機関で精密検査して安静して貰いたい。

イチはかっこうと戌子との激戦から離脱後、無理が祟って気を失った。

最後の一撃が痛手となった。同化武器を破損したのだから同等のダメージを精神に受けている。

それでも戦闘行為中は気を失わなかったし武器を復元する胆力は流石である。

 

相手があの二人であったのが問題であった。あのまま戦闘が続けば敗北は間逃れなかったであろう。

こうも早く一号指定同士の戦闘になったのは誤算だった。特環がいつか仕掛けてくると思っていたけど組織基盤ができて直ぐのタイミングで嵌められたことは、色々と気が抜けていたと弁解仕様がない。

 

本当に油断していた。まさか私たちが仕掛ける前にやられるとは思っていなかった。

 

「お待たせしました。円卓騎士団、月見里キノ副団長」

「いえいえ、こんな夜分遅くにご足労ありがとうございます。魅車副本部長」

社交辞令だけのやり取り、我ながら白々しい挨拶だと思う。待ったせて貰ったのは他でもない魅車八重子がこの場に現れていなかったからだ。これからの話にそこの中年本部長だけでは務まらない。

 

なんでだろうねー、こんな特環の不祥事事件が起きたその日に都合よく事件と無関係であるかのよう遠くの街まで出張していたのは。

これで彼女に責任追及は押し付けるのが難しくなった。

始めから対策されてるのは折り込み済みだけど。

 

「人が揃いましたので早速ですが本題に入りましょう。これは緊急かつ重大な案件です。

何故、我々円卓騎士団が特環の攻撃を受けたかについてご説明頂きたい」

さあて、女狐との化かし合い。捕って喰われないように気を付けつつも平和的な戦争しよう。

 

「そもそも我々としては、今回の件について未だ事態を把握ができていない状況でありまして。円卓会の抗議を受けて知り得た事故であり、交戦した局員の事情聴衆もまだ終えておらず、今の段階ではなんとも」

「それはそちらの落ち度ですね。情報を速やかに伝達し把握に勤めるのは組織として基本なのでは?交戦した局員の処罰はどうなっていますか」

「御尤もで大変恐縮です。戦闘行為に及んだ局員、かっこう、あさぎ両名の身柄は特環施設で謹慎拘束中です。欠落者となった局員については規定通り施設に搬送。現在、交戦局員の拘束を継続してかっこう、あさぎの事情聴衆をしております」

「そうですか。迅速な対応感謝致します。それでは今回起こった事件の概要を把握して頂く為お互いの情報を纏めましょうか」

本部長との対談からあちらの主張と、特環局員の対応が知れた。彼にとっては本当に局員の暴走による事故だと思っているかもしれない。そんで今必死に対応しようとしている所だと。

貴方を嵌めようとしている人間はそこで言葉を控えたまま微笑だけを浮かべていますよ。

 

中央本部は局員が欠落者になっており、何故か特環局員のゴーグルの映像記録に残されていないので、全容を掴めない。勿論これはキノが破壊するように意図したからだ。

先走った局員の独断行動、上層部が関与していない事故、果たして本当に局員の仕業だったのか。局員が騙されていた、操られていた説など言い訳は作れる。そして特環の責任存在の有無を曖昧にしようとしている。

しかしキノがボイスレコーダーの戦闘記録を保持していたので音声のみのやり取りが明確化された。ボイスレコーダーの所持については元々公式の会談等で行われているやり取りを必ず残る形にするのがモットーであるキノの持ち物だ。

 

大方の事情を纏め、局員が何者かの指示と独断あるいは命令により忠告を無視した攻撃行為を円卓騎士団にしたことが判明した。

これらの証拠で顔を青くする本部長殿と余裕のある魅車副本部長。

どう落とし前付けますかと話を持ってくる前に魅車八重子が話に割り込んだ。

 

「今回の事件此方の不手際としか言いようがありません。申し訳ございませんでした」

事故を有耶無耶にしようとしていた本部長の責任逃れをキッパリ捨てさり、あっさりと責任を認めて謝罪する魅車八重子。毒気を抜かれるなんてことはない。

この女はそんな殊勝な人である筈がない。

 

「過ちを認めると言うことでいいのですね。円卓会としては言葉だけの謝罪で責任追及を逃れられると思われているなら心外なのですが」

「ええこれらは特環の上層部と局員による明確な落ち度ですから。それでは円卓会は私たちにどのような処罰をお望みでしょう?」

微笑の魅車。きっと責任問題を追及して特環の資金の減額や発言力を低下させても彼女自身の立場は揺るがない対策を講じている。

離れた場所からでも上位局員戦闘部隊に指示していたように彼女が痛手を受ける対策は完璧なのだろう。

特環に影響を与えても彼女自身に影響を与えることは難しい。

元々この件の主犯はキノの予想に基づいた推測でしかないのだ。だから証拠もなく彼女を直接追い詰めることはキノにはできない。

 

「今回の事件不可解な点が多く、上層部が関与している事件。あるいは事故だとこちらは断定していますがその人物の特定を円卓会は望んでいません」

キノが言ったのは意外な言葉。

明らかに何者かの意図による円卓騎士団への攻撃の真相を自ら閉ざす。

 

「落ち度、と言うなら特別環境保全事務局全体にあったと私は見ています。正直今回の件で特環は円卓会の信頼を著しく落としました」

私は特環じゃなくて魅車八重子に意旬返ししたいのだ。下手に特環の力削いで暴走する虫憑きを抑えられなくなってもキノが困る。

やっぱ主犯は痛い目みないとね。

 

「特環、引いてはその能力に疑念を持った私たちはこれまでの援助を見直すことにします」

どちらも予想していた通りの資産家倶楽部円卓会直属組織円卓騎士団による援助の見直し。

円卓会はプライドが高い。身内への攻撃を黙って見逃す程生半可ではないし、その影響力を無視できるほど小さな組織ではない。

中央本部長の顔色の変化が面白い。真っ白だ。

 

「あ。勘違いなさらないように。投資額はこれまで同様の援助をお約束しますので」

掌をお返ししましょう。いやあ、早く血の気を治してね本部長。さすがに心苦しくなるから。

さて唇で弧を描く魅車八重子の細い両目を見据え言葉を紡ぐ。

 

「疑念を抱いたのはあくまでその能力です。特環の組織としての必要性は私たち円卓会の認める所です」

先も言った通り、特環の虫憑き管理は必要である。無秩序な虫憑きの暴走など眼も当てられない。

一般人に虫憑きは恐怖される。その存在を隠し続ける特環の活動は認めざるを得ない。

少しばかりお灸を据えてやりたかったけどねー。

 

「ですから見直そうとしているのは円卓会の援助方針そのものです。先程大臣を含めた政府関係者から同意を得て円卓会が援助している欠落者収容施設の共同管理権が認められました」

魅車八重子の表情は変わらなかった。

 

「特環の欠落者の研究、引いては虫憑きの研究。私たち円卓会も大変興味深く支援してきました。惜しみ無い資金の援助をしてきましたが今回の件でそれまでの支援方針に疑問を抱きました。このままで大丈夫なのだろうか、と」

魅車八重子の人体実験、興味深いね。是非見せられる内容なら見せてくれ。

見せられないなら今までより遥かにこそこそと研究すれば。

資金の流れは見張られることになるけど、頑張れ。

 

「今まで特環を信頼しその能力に疑問を感じなかった円卓会の援助する研究費用。しかし本当に有効活用できているのか判断できなくなったのです」

誰かさんがウチらに攻撃してくるから信用できないっす。毛ほども信用していなかったけど。

 

「ですから共同研究の名目で研究成果の確認と資金運用の実態調査をしたいのです。あっ。別に横領を疑っている訳ではないですよ」

お茶目な冗談なのに場は和まない。むなしいね。

 

「それ以外に特環上層部に私たち円卓会が秘書とスタッフ数名を派遣致します。ご安心下さい。彼らはとても有能な者ばかりです。二度と事件が起きるようなミスは起きないでしょう」

下手したら乗っ取られるぜって遠回りに言われているのに気付かされた彼らは神妙になった。嘘だけど。

これが円卓騎士団に手を出したが故の報復。

特環の力は削がない、だけど動きづらくなった。生かさず殺さず。政府としての役割を実行させる能力を持たせながらそれを悪用させないように見張りを立てる。

特環内部に入り込んだ円卓会の影がその役割を果たしてくれる。

これが私を怒らせた結末だ。ざまぁみろ。

 

「以上が円卓会が提案する特環への処置です。ご質問ありますか?」

ニッコリ笑みを浮かべたキノは質問した。

 

 

 

 

 

 

とある住宅街の一角から離れた場所に佇むアパート。

そこには一つの怪談がある。

ある目撃者による怪奇談。

夜も深く空は雨雲で、月を隠し暗い暗い時間帯。

男は仕事帰りの夜道、ポツリポツリと降り注ぐ雨に辟易しながら自前の折り畳み傘をさして、明かりの少ない帰宅道を歩いていると、奇妙な音が聴こえてきた。

それは歌声であった。地面を叩く雨音に掻き消されず暗がりに響く不思議な歌声。

こんな夜遅くに歌を唄う人物を男は物珍しく思うも、その時は不審に思わなかった。

歌声は耳心地良く、こんな時間で、それも雨の中唄う人物の謎も相まって興味を抱いた。

一体誰が歌を唄っているのだろう。

その疑問を究明する為歌声の主を探してみようと好奇心に火が付いた。冷やかし半分興味半分の男は自らの帰路を後にして道を逸れた暗い細道に足を伸ばした。

歌声は移動しているので自分と同じように帰りの途中なのかもしれない、と思いつつも歩みを進める。

隠れた裏道のような荒れた草原を踏みつけ、コンクリートとの道の一角まで通り抜ける。

誰も知らない隠れた近道を抜けたような達成感を感じながらも歌声の後に続く。

漸く人影を見つけると、その奇妙な光景に足を止めた。

人影は一つだけではなかった。

寧ろ数多く、背丈の大きさから大人の自分より低く、未発達な体つきをしており、年端のいかない子供であることが伺える。

彼らは歌声に誘われるようにボンヤリとした歩みで雨の中歩いていた。

傘もささず、雨に打たれ、濡れることに気を留めず歩き続ける。

異常だった。異様とも言える、その光景を目に収めながら男は歌声に立ちすくむ。

パシャり、と。

水溜まりに、足を捕られた男は音を立て血の気を引く。

歌声に導かれる子供たちは、その音に振り返った。

生気のない亡霊のように暗い眼差しの子供たちが一斉に男を見詰めだす。

どの子供たちの眼も闇のように濁っていた。

再び先導して歩く歌声により前に向き直り、亡霊たちは行列を成して歩き出す。

そこから男は必死に走った。

振り返りもせず、道順すらわからない程必死に走り続けた。

男の耳に聞こえてくる、歌声から必死に逃れる為に。

 

子供を連れ去る歌声の怪談が広まり、その性質から子供拐いで有名な童話ハーメルンの笛吹男と同一視されるようになった。

 

 

 

 

 

「ここが噂の出所か」

小さな丘の上にある寂れたアパートを前にして、イチは呟く。

 

「ハーメルンの童話か。真相を考えれば全くもって面白みのない噂話だ」

詰まらなさげに言い捨て敷地に進んだ。

 

「動くな。そこで止まれ」

アパートの敷地半ばで声が掛かった。よく通るハスキーな声である。視線を上げれば二階のベランダフロントに立つ帽子を目深く被った人物が飛び降りた。

 

「虫憑きだな」

確信を持ってイチは聞いた。

 

「そう言うお前は何者だ。特環の局員か」

「俺はイチ。誤解するな特環と関係を持たない。アンタに話があって来た」

「話だと?」

友好的でない態度のハスキーボイスの人物にイチは交渉しに来たのである。

 

「その前に確認だ。居るんだろ」

「......何がだ?」

「取り繕うか。面倒だ」

警戒されているのか、全く気を許す気配もなく刺々しい視線が送られ会話も探り探りになっている。

気が長い方ではないイチは時間をかけて聞き出すよりも、行動で話を進めることにした。

軽く息を吸って声を張り上げる。

 

「命令だ。出てこい!」

二階建てアパートの中からぞろぞろと人が現れ出す。

ゆったりとした動作は生気がない緩慢な動きで亡霊のような足取りであった。

結構な数の人が収納されていたらしく二階のベランダにもそれなりの数の少年少女が顔をみせる。

その顔に感情はなく能面のような無表情が貼り付いているようだ。

イチの言葉で姿を見せた彼らは出て来たまま何をするでもなく佇んでいる。

それを見たイチは驚くことなく集まった人々に目を向けた。

 

「噂の誘拐された子供たちの正体。予想通り、欠落者たちか」

亡霊染みた少年少女は皆一様に欠落者だった。

元は虫憑きだったのであろう彼らは虫が死んで夢を失った末路の者たちである。

名前の通り、感情を欠落してしまった彼らは夢を見ることさえ許されていない。自分で思考することも出来ず、食事等の行動すら自発的に行わない。単純作業の命令のみに従う心を失った人形こそが彼らを表す姿なのだ。

どこを覗いているのかわからない視線がイチとハスキーボイスの人物を取り囲む。

 

「この子たちは欠落者にしたのは特環だ。無慈悲にも特環は、一般人だったこの子たちに宿る虫を殺し、夢を奪い去り欠落者にした。そして何処かの施設に搬送されそうになった所を俺が助け出した」

見られた以上隠す気をなくしたのか帽子の奥から鋭い視線でイチを睨み、饒舌に語る。

大体の事情は調査済みだったイチとしては聞かされた事情に関心はなく、気だるげに視線を合わせた。

 

「助け出した、か。欠落者を保護した所で意味はない。失った夢は二度と還ってこない」

「黙れっ」

目の前の人物に、無情に想える程残酷な事実を指摘する。

虫憑きである以上そのことを知らない筈もないハスキーボイスの人物は感情を昂らせた。

イチにとってその人物の心情に興味は薄い。どの程度の認識で欠落者の保護をしているかを知りたくはあったが、感情的なその姿からキノのような計画性はないと知れただけで、その人物の内情にた気を掛ける気分ではなくなったのだ。

交渉だけを目的に切り替え話を進める。

 

「個人で欠落者の保護することも最初から限界が見えている。人間一人生活を維持するのにどれ程コストが懸かるか身をもって知っただろう」

「個人だけではないっ。賛同してくれている協力者がいる」

「アパートの管理人。欠落者の親族に協力を依頼したのか。それもいいだろう。だけれども一般人による援助など摂るに足らない雀の涙だ。これだけの人数、援助する者もかなりの負担になっているだろう。許容量を越えればどうなるかなど語らずとも知れている」

他に追及するなら欠落者の親族全員から援助は得られていない筈だ。虫憑きは畏れられ忌み嫌われている。そんな存在に人は快く資金を提供してくれるなんて都合よくいかないだろう。

この場所は一般人による破綻しかけた限界のある欠落者収納アパートなのだ。

 

「だったら!どうしろと!?」

「俺たちが引き取ってやる」

「なに!?」

「後はこちらが引き受ける。欠落者の保護、資金の援助、生活介護も、全部な」

それこそご都合主義のような提案をイチは持ち出した。

ハスキーな声の持ち主は突然現れた、イチのその言葉に動揺した。あまりにもオイシイ話に徐々に眉間に皺がよる。

 

「そんな話を鵜呑みに信じられるとでも」

「信じるか、信じないかは、どうでもいい。このアパートは巷では噂になっている、いずれ特環の耳に入るだろう。どのみち限界なんだよ、この欠落者アパートは。だからわざわざ出向いて話を持ち掛け、引き取ろうということだ」

傲慢さが感じ取れる不敵な態度でイチは交渉する。下手に出る話ではない為殊勝な態度はとっていないがそうでなかてもイチは改めない。この欠落者収納アパートが気に喰わないのだ。後先のないやり方しか出来ない人物も。

イチ独自の雰囲気が威圧感を伴わせている。ハスキーな人物も呑まれそうな圧力に抵抗しながら声を高く響かせる。

 

「そんな話、はいそうですかと頷けるか!」

「やはり交渉事は俺には向いていない......」

苦々しそうに呟き、前に進む。険しい表情をしたハスキーボイスの人物はそれに呼応して一気に戦闘体勢に移る。諭された経営問題とは別に感情論だけが欠落者の仲間たちを奪わせないと叫んでいる。

イチは嘆息してから目付きを鋭く変えた。

 

「面倒だ。力強くでも押し通る」

「くっ!仲間を奪われて堪るか!お前は敵だ」

欠落者の引渡し、交渉は決裂し戦闘に発展する。

敵は仲間を取り戻す為に特環に挑み、欠落者の解放に成功した猛者。

もつれた交渉の説得よりも厄介な戦闘になるかもしれないと、イチはこれから始まる戦闘を予想した。

 

 

 

 

「皆アパートの中に隠れろ」

 

ハスキーだと褒められたことのある自分の声を張り上げる。

虫憑きとなり欠落者をアパートで管理する人物、ヒビキは命令を与えた。

意思のない仲間たちはこうした命令がないと自衛すら行えない。命令に従いアパートに戻る姿の仲間たちを見て臍を噛み、敵を睨んだ。

どこか浮世離れした雰囲気の少年だ。不遜でいてそれが似合う人形めいた整った冷たい容姿をしている。

直感で感じた。強力な虫憑きだ、油断出来ない。

 

欠落者となった仲間を奪い盗ろうとする連中は特環と同じ、俺の敵。

激情に支配されたまま、自身の虫を呼び出す。虚空からスラリと棒状の長物が現れる。

無機物のような丸みのある円筒の長い胴体の先に音響を拾うマイクを模した頭部が付いている。四枚の羽が並列に並んでいるトンボをモデルにした一本のマイクスタンドの形をした甲虫が姿を見せた。

 

「マイクスタンドか?装備型の虫憑きだな」

疑念を含んだ問に応えようとはしない。

相手も戦闘に備え、腕にダイオウムカデに似た虫を巻き付けいる。短い足を動かし蛇のように腕を駆け登り姿を消した。見届けることなく自慢の声をマイクに響かせる。これが俺の戦闘スタイル。

 

「いくぜ。ーーーAhaaaaaaa!!」

「衝撃波かっ。ッくは」

ハスキーな歌声は衝撃波となってイチを襲った。

アパートの敷地にある芝生を根こそぎ抉りだしながらもイチを吹き飛ばす。手加減抜きの強力な一撃。

マイクスタンドの能力である衝撃波は広範囲に攻撃出来、指向性を持つ多数殲滅特化の力だ。

虫憑きでも生身で受けて無事ではない。

呆気なくはあるが宙に飛ばされ地面に叩き付けられた人物を介抱すべく近く。

死んではいないと思いつつも、これからどう少年に処置を施すか悩んでいると、動かないと思っていた人影が動いた。

 

「また一段と厄介な虫憑きだな」

起き上がる所作に不具合はなく、痛みや怪我を感じさせない動作だった。得体の知れない敵の状態に驚きと警戒が生まれる。

コイツ、効いていないのか。

ダメージの不審を観察ですると身体に付いた汚れと僅かな傷以外の異変に気付く。

イチと名乗る敵の顔に黒いアイライン、頬にオレンジのタトゥーが浮き上がっていた。

 

「同化型っ!かっこうと同じなのか!」

「そいつの名前を出すな。気に喰わない」

苦々しく悪態する敵は否定しなかった。

つまり確認例の少ない強力な虫憑きと認定されている同化型の虫憑きであると認めたのだ。

自分の甘さに気づいた。敵は思っていた以上であると。

脅威的な敵に攻勢に出る。

 

「Hey!Hey!Hey!」

イチは広範囲に広がる衝撃波を同化した脚力で避けようとする。だが思ったより広い範囲をカバーする衝撃波に捕らえられ撃墜する。

その高い攻撃力は同化した肉体を押し潰し撥ね飛ばした。遠距離からの攻撃は思いの外イチを無力化し一方的なダメージを与えている。

ヒビキはマイクスタンドを握る両手を汗で湿らせつつも声を高く高く響かせる。

 

「Raaaaraaaaaaaa!!」

「耳障りだ」

何度吹き飛ばすしても平然を装い立ち上がってくるイチに戦慄しつつも声を張り上げ続けている。

コイツに敗ければ仲間が奪われる。それだけは絶対に嫌だ。

自身の夢を磨耗しながら必死に攻勢を緩めない。アパートを背に立ち向かいながら、中に控えている自分の最も大切な人を思い出す。

 

『ねえ、ヒビキ。歌手デビューとかしないの?』

『なんだよ。藪から棒に、奏』

 

もう自分に笑顔を向けてはくれない大切な人との思い出がヒビキに力を与えてくれた。

ヒビキにとって大切な人、奏はよくハスキーだと言われているこの声で歌うことを好んでくれた。

バンドやって本格的な音楽の道をいこうとしたヒビキをだれよりも応援してくれたのが他でもない彼女であった程に。

 

『だって勿体ないじゃない。折角色々なところからオファーの声を掛けて貰っているのにデビューしないなんて』

『勿体なくないよ。俺にはまだ下地をつくる余地がある。デビューするのも、もう少し先でも遅くはないさ』

『もう!勿体ぶっちゃって!そんなにノロノロしていたら折角のチャンス逃しちゃうんだからぁ!』

 

幼さの抜けきれない拗ねたように声を荒げる様子をヒビキは苦笑して見守った。

奏は俺にとって大切な存在。一緒に居ると励まされて安らぎと癒しを与えてくれた。

 

その奏を特環はヒビキから奪い去った。

 

虫憑きとなったいた奏を狙い局員を派遣して襲い欠落者にしたのだ。

ヒビキのライブイベント当日の日に。イベントが終わり会場から抜け出した後に待っていたのは搬送しようとする特環局員と感情を失った奏だった。

 

もう、もう二度とあんな想いを味わいたくないっ!

 

「Caaaaaaaaall」

透明な衝撃波がイチの回避能力を上回る範囲の壁となって襲いかかる。吹き飛ばされては立ち上がり、接近するを繰り返すイチは打ち身の傷痕を青く腫らし血を拭うことなく淡々としている。

ヒビキの意図ではないが背後にある欠落者アパートを気にして雷による迎撃を控えの羽目に陥っていた。

純粋な身体能力頼りたいして接近もままならずやられぱなっしである。

一方的な展開に追い込みつつも、機械のように動きを辞めないイチを恐ろしく思えた。

 

「そろそろ飽きたな」

愚直なまでの繰り返しを続けていたイチがポツリと呟いた。

 

「強がりはよせ。手も足も出ないならいい加減諦めて帰ってくれ」

ヒビキも夢を使い続けて精神を疲れさせていた。

一方的な攻撃とそれでも起き上がる敵の不気味さを感じながら本心からの言葉を口にする。

 

「帰らせてもらうさ。用事を済ませた後でな」

「わからず屋め!」

嘆願むなしく拒絶され激昂するヒビキ。

マイクスタンドに音を当てるように近づけ大きく叫んだ。

終わりにしたい。そう思ったヒビキはこれまでよりずっと力を込めた声を衝撃波に変えた。

 

「終わりだああ。shooooouuuuut!!」

「うおおおおおおおおおおお!!」

拳を握りその場で深く腰を落とし衝撃波の壁に正拳を叩き返した。

オレンジのタトゥーが活性化し、迸る雷撃が空気を破裂させる。

僅かに後ろに進むも両足で踏み止まり衝撃を相殺した。

 

「馬鹿な!」

ヒビキにとって信じ難い光景である。

タフな奴だと思っていたがここまで無茶が出来る化物とは思っていなかった。

慌てて追撃に声を振り絞る。マイクスタンドの音響が衝撃波を作り出しイチに迫り来る。

一度突破した攻撃をイチは同じように対処して無効果して前を歩く。

ゆっくりとアパートの広い敷地を横断するイチに恐怖しながら声を枯らして迎撃する。

どれもこれも拳で凪ぎ払われ、接近を阻むことに成功しなかった。

ついにヒビキはイチに追い込まれた。

 

「限界か」

「畜生。諦めるか、諦めて堪るか」

 

奏が欠落者にされたその日はヒビキのライブコンサートの当日だった。

この時すでに虫憑きだったヒビキは奏の様子の異変に気付かずにいた。

思い返してみれば滑稽な話だが、まさか奏が虫憑きになっているとは予想もしていなかったことだ。

虫に怯え、特環に怯えていただろう奏はその時は全てを隠しヒビキに不審に思わせない努力をしていたのだろう。

心配していたのは自分のことではなくヒビキに負担させてしまうこと。そんな優しい子だったから。

 

ライブハウスで控え室でのやり取りに隠し事を秘めた奏。

ヒビキとの会話で何かを伝えようと奏の言葉はいつもより力が篭っていた。

 

『妙にデビューを急かすなあ。なんでそんなに焦る必要があるんだ』

『だってヒビキの歌声は凄いんだもん。さっさとデビューしてくれたら有名になって自慢出来るでしょ』

『おいおい。人をダシにする気かよ』

 

妙な小悪魔っぷりの態度が彼女らしかった。

 

盛り上がり無事終了したライブ。

真っ先に奏の姿を探した。

いつもなら終わったらすぐに近くまで控えてくれた彼女が姿を見せないことが不審だった。

探しまわってライブハウスの裏側を覗けばそこに彼女は居た。

コートとゴーグルを装着した特環局員に搬送用トラック。

確かにそこに奏ではいた。

 

虫を殺され欠落者になって。

すぐに血が登り、虫を出した所までの記憶から先が曖昧だ。

自分が何を叫んでいたのかもわからない。気が付けば虫であるマイクを握り締め、奏を見下ろし立ち尽くした。

 

なんで奏が虫憑きになったことに気付いてやれなかったんだろう。

どうして奏が欠落者にならなければならないのだろう。

 

後悔、悔恨。ヒビキの脳内をずっと埋めつくしそればかりを考えさせられた。

 

何もしてやれなかった。

 

ずっと見守っていてくれたのに。

 

彼女はどうして虫憑きになったんだろう。

 

ヒビキに付き添ってくれた彼女はどんな夢をみて虫憑きになったのか。

 

ーーきっと奏はあの日に全てを伝えてくれた。

 

「もう諦めたか?」

「いいや。大切なことを思い出した所だ」

 

そうだ。彼女は伝えたのだ。自分に。

 

何故なら彼女の夢はーー

 

 

『私は響の最初のファンだからね。いつか大きな舞台に立つ響を見ながらそれを自慢するの。それが私の夢』

 

 

それを聞いて俺はーー

 

 

 

 

 

 

 

「アアアアアああァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーー!!」

 

 

 

 

透明な波動がイチの上空の景色を歪めさせ、空間ごと押し潰すかの様に拡がりをみせる。

ヒビキの咆哮は喉の限界まで音を出し続け呼吸すら忘れてマイクに音響を響かせる。拾い上げた音を何倍にも増幅させ、今にも弾け飛びそうな張り詰めるめたエネルギーが大きく空間を支配してなお肥大化し続けた。

遂に貯まりに貯まった衝撃波がイチの頭上から襲来した。

 

「ウオオオオオおおおおおおお!!」

衝撃波に接触した瞬間、同化型の身体強化能力を凌駕したエネルギーが隕石のような威力でイチの両足を大地にめり込めさせた。

そのまま見えない巨人に踏み潰されたかのように地面に埋め込まれていく。平らな庭に陥没と亀裂が芝地を荒れさせ破壊される。

最初に片足を地面につけたのはイチの方だった。

 

「あああああああああああああああああああああああああああァァァァァァァァ」

怒濤の絶叫はひたすら途切れることなくイチに襲い続けた。重圧は増すばかりで緩まることない。

巨大な山が乗し掛かってる圧力の強さにイチは身動きすらとれずに衝撃波を喰らっている。

必死に抵抗し力む筋肉は所々断裂した熱と痛みを点しており、気圧そのものが圧縮されたかのような内臓も破裂せんばかりに痛みを発している。

噛みきらんばかりに食い縛る歯から血が溢れ出た。

本格的に臓器にダメージを受けている。

このままだと無抵抗に殺され兼ねない。

だがイチの眼には諦めを宿してはいなかった。

 

「ッォ、ォォォオオォ、うおおおおおおッ!!」

ゆっくりと継続して襲い掛かる衝撃波を押し返し、立ち上がる。

立つだけで切れた筋肉から出血が起き生じた激痛に歯軋りする。

血走ったアイラインの引かれた両目を見開きオレンジのタトゥーが輝きを増していく。

そして身を沈ませていたその場所から一歩前に進んだ。

大地を揺らす衝撃と絶叫とイチの歩み。

距離が0になればヒビキの負けだ。

 

「Aaaaaaaaaaaaaaaaaaアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァァァァァァァァァァァァァァァ」

再び迫り出した敵にヒビキの絶唱は喉の痛みも無視して震え続けた。

衝撃波の重圧を受けても歩みが止まらないイチとけして叫びを止めようとしないヒビキの戦い。

欠落者だけが見守る戦いの結末は近かった。

 

欠落者を収用していたアパート。その敷地をステージにした虫憑き同士の戦場。荒々しい破壊音も戦いの叫びもなくなった。静けさを取り戻したアパートの敷地に風が靡く。

静寂がこんなにも耳を焦らすのは歌声が停止したからか。

夢を磨り減らし、喉から声を涸れ果てるまで絞り出したヒビキは両足を着いていた。

先に膝を折ったイチに対し、何度でも立ち上がりヒビキに迫る敵の執念に心が折れた。

 

「結局お前に欠落者は守れない」

「ぃ、もぅとを、家族を、守って何が悪い」

「!お前、女だったのか」

掠れた声でヒビキは吐き出す。妹である奏を守る。そんな当たり前のことをヒビキはしてやれなかった。

帽子がとれて露になった長髪と素顔のヒビキにイチは驚きをみせる。ずっと男だと勘違いしていたようだった。

 

「まあ、いい。お前は負けた。大人しく勝者の決定に従え」

イチの勧告がヒビキの心を貫く。

 

「ただの欠落者の引き渡しが随分と面倒になったものだ。おいお前」

予定外の戦闘。思ったより負傷を負った。それだけヒビキは強敵だった。欠落者を守ろうとする心は本物だったからだろう。

治療班にお世話になる回数は今の所イチがダントツ一位だ。不名誉ながらもお世話にならざるを得ない。

用件を終らせてさっさと帰ろう。

 

「俺たち円卓騎士団は少数による虫憑き集団。最近漸く組織としての形になったが人員は足りていない」

唐突な話にヒビキはよくわからない顔をする。

 

「戦闘班、情報班、治療班、回収撤退班、支援班、調査班。人手に事欠かない組織だ。当然新しく欠落者を管理する人材が必要になる」

その言葉に反応して顔を上げたヒビキ。渋い顔をしたイチは話を続けた。

 

「実力があって面倒見のいい人材の適任者を探している。さて心当たりある該当者がいるなら紹介して欲しい所だ」

ここまで言えば理解できるだろう。本当、面倒になったものだ、欠落者引き取りの用件は。

イチは話すべきことを話し終えたように言葉を待った。

 

「......ヒビキ。俺はヒビキ。絶対に欠落者を守り通す。適任者だ」

声を最後まで振り絞ってイチと戦った虫憑きは言う。

眼の光は強い意志を秘めていた。

 

「採用してやる。必ず守り通せ。約束を違えるなよ」

勝者の決定だ。

上から目線なのはイチの性分だった。

 

「ああ。......ありがとう」

ヒビキは欠落者アパートの玄関を見詰めて呟いた。

視線の先には彼女に似た顔の幼い少女が立っている。

そこに居るのは感情を宿すことない欠落者だ。

だけどーー

 

『いつか最高のステージに連れてってやる』

 

そう言ったヒビキに向けて最高の笑顔を見せたあの頃の少女を幻視し眠りについた。

 

 

 

 

 

一段落した欠落者アパートに電子機器の着信音が鳴り響く。円卓騎士団の通信機だ。

イチはポケットから取り出した通信機を耳に当てた。

すぐに切羽詰まった声が耳に入った。

 

『団長!』

「どうした」

通信の声の主は情報班信也。切迫した声色に一切余計を入れずに聞き出す。

 

『キノが正体不明の虫と交戦中!強力な虫で危険度暫定レッド。一号指定及び、成虫化級と診断されます。キノは応援戦闘員と撤退の拒否。団長の応援申請のみ連絡が入り単独戦闘を続行中、そして通信を拒否しております!』

「なっ!」

『既に早瀬と治療班を団長に向かわせています。至急副団長へ向かって下さい』

「念のため近くに八千代及び清太を待機っ。キノの危険が確認されればレッドの敵だろうと時間を稼げ!」

通信機に怒鳴り付けイチは次の戦闘の準備をする。

最初に感じたのはキノの身の安全の心配、そして疑念だった。

強力な虫ならイチに当たらせればいい。

応援の拒絶、撤退の拒否。どれも自分だけ関わって他は関わらせないつもりなのがわかる。

それでいてイチにだけに応援要請。このタイミング、イチが欠落者アパートに出張していた時間にだ。

イチが間に合うかわからない距離で独断専攻をし自分で対処できない場合の保険扱いだ。

どうしてこんなまどろっこしい事をするかがイチには理解できない。

 

 

 

「何を考えている。キノ」

 

ここに居ないキノを想いイチは呟いた。

 

 

 

 

 

α、それは一言で表すならカラミティートリガー。

解放されれば瞬く間に分裂し増殖して破壊を振り撒く災害を成すだろうとされる虫憑きだ。

彼は世界を憎んでいる。延命させる機器の中で命を繋ぎ、されど自由のない眠りに微睡む生涯。

その経歴は謎が多い

しかし彼の肩書きは重要度は高い。

それもその筈。彼は始まりの虫憑き。

始まりの三匹よりも先に誕生した超常の存在。

原初の虫憑きαなのだから。

 

空高く浮遊する物体があった。

地上から離れ過ぎたその物体は下から視認することは難しい。高々に浮かんだ黒点を人は鳥と思うかもしれないし、飛行機や、風船のような浮遊物を思わせるかもしれない。

しかしそれは眼だった。

昆虫の複眼をばらしたあと神経で繋いだ中心に人間の眼球を埋め込んだ見た目の化物。

それを下から見上げる一人の人物。

 

「α。お前は私が倒す」

覚悟と強い意志を持ったキノがそこにいた。

今回の独断専攻はキノにとって勝手極まる行動と自認しつつ譲れない想いがあった。

誰にも邪魔されない所でキノはある行動を目的としている。

 

「腕試し。それじゃ一丁やってみようか」

災害級の虫αを相手にキノ一人の戦闘が始まる。

 

 

 

 




今年はムシウタがやってこない。大助がクリスマスの約束を果たしていない。つまりクリスマス中止のお知らせだ!サンタ狩りだぜリナ!
でも、やったね!来年2月に新刊出るらしい!

べ、別に待っていなかったんだからね!勘違いしないでよね!


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夢壊す魔眼 "登場人物&用語解説"

タイトルまんま伏線張ったあの敵との対決回。本当は一万字前後に収めたかったのに増えたよ文量
遅筆に研きがかかっていますが読んで貰えれば幸いです


厄介事って追い討ち気味にいらっしゃるのは何故なんでしょうね。

 

主観に基づく短絡的な視野狭窄、または只の邪推かもしれないが、こればかりは疑問視せざるを得ない。

キノの知る原作知識の史実と明らかにズレた乖離が起きている。

その名は

α(アルファ)|。

始まりの虫憑きであり、世界さえも終らせかねない災害である。

そのαの虫が今、無秩序に解放されている。

本来なら三年以上先に起こる出来事である筈なのにだ。

 

由々しき事態である。

 

Q、どれぐらいヤバい?

A、世界がヤバい。

これで説明完了する。

 

ちなみに解放された原因についてはわかっている。

正直わかりたくなかったけど。

行方不明中の元がつく円卓会の没落者。

キノが蹴落とした会員メンバーだった男がαの居場所を突き止め、眼を逃がしたのである。

 

私は悪くなくね? 逃がしたのは元円卓会の男だし。

例えソイツを追い詰めたのが私であって、結果没した元円卓会の男が血迷った行動の末、世界滅ぼす要因を取り逃がす羽目になったとしても、私に責任ナッシング。

うん、私悪くないな。

頼む誰か、私のせいじゃないって言っておくれ。

 

責任追及の話は後に回そう。

ごちゃごちゃ説明したけど実の所、それほど緊急かつ切迫した状況ではない。

世界を滅ぼし兼ねないとされるαであるが、どうやら赤瀬川七那の追跡時と同様、まどろみの状態であるらしく危険度は著しく下がっている。

特に破壊行為をする訳でもなければ、目的を感じさせることもなくフラフラ行動し、宙にプカプカ浮かんでは意味もなく、さ迷ってるだけ。

これで切羽詰まった世界の危機なんて嘘やん。

まどろんだまま、空を遊泳してるα。

言い換えれば怒りをチャージする日はまだまだ先の話なのだろう。

 

本体を隠した倉庫も再度、隔離閉鎖し直すことに成功しているらしい。

何故曖昧な表現なのかと言うと番人、いやオークショニアだっけ?

サザビィとクリスティに面識作らないようにしているからだ。

直接ではなく間接的な報告のみ受けている。

あの人たちがαを売り物にし、史実通り動いてくれると都合がいい。

そうすれば正しい迎え役がαを引き取りに現れる。

一号指定、杏本詩歌。

ぶっちゃけ、αのパンドラの箱を開けて無事なのは一号指定でも彼女しかいない。

円卓会バブル崩壊後の破滅の負債。

そんな厄介だが放置できない爆弾を彼女に押し付けようとしている。

これは非常にデリケートで重要なイベントだから、下手な乖離は起こしたくない。

今回のαの失態で学んだ事だが、私たちが彼らに接触することによる影響力は計り知れない。

慎重に行動し過ぎて損することはないのだ。

 

始まりの虫憑きα。

彼について私が知る事実はそう多くはない。

けれど彼こそ虫憑きの真相を知る重要なキーパーソンなのは間違いない。

どのような動機と経緯を得て彼が虫憑きになったのかは明らかでない。しかし始まりの三匹が誕生する前から虫憑きとして登場していた謎の存在。

 

真の始まりとは一体何なのだろうか。

虫憑きの誕生は始まりの三匹のせい。

始まりの三匹の誕生は魅車八重子のせい。

いや、それはキノが知ってる範囲での解釈に過ぎない。

そもそも始まりの三匹の誕生は魅車八重子のみに原因があったという訳といえばそうではない。

不死の研究に取り憑かれた魅車八重子の父親。

それを支援し続けた円卓会議。

実験体となったそれぞれ不死の適性を秘めた被検体。

そして父を影から操って研究を行っていた魅車八重子。

 

そしてーーα。

 

始まりの真実とは何か。

この世界で生きて物語を物語として知ることができなくなったキノ。

一人の登場人物となったキノには本を読むように全ての真相を知る事ができなくなってしまった。

キノは全知全能の神ではない。

だからこそ個人として知覚できることしか知ることができない。

 

ーーだけど真実を知らずにいるつもりはない。

 

物語を知ることは困難になってしまった。

だけど関係ない。それでも知りたいのだ。

困難だからといって知らなくてもいい理由にならない。

いずれは全てを知ろうと思う。

物語として知ってることも、知らないことも。

全部明らかにしてこの世界を知り尽くしてやる。

手探りであっても遠回りでも着実に真相を目指して辿り着こう。

だってそれはきっと物語のクライマックスじゃん?

エンディングに私たちはお邪魔して何が悪い?

それでハッピーエンドになって何が悪い?

最高のエンディングを物語の主役たちばかりに独り占めさせるなんて勿体ない。

私たちがおいしい所を掻っ攫ちゃおう。

物語の乖離? 知ったこっちゃない。

だって私は虫憑きなんだぜ。

夢の為なら全力を尽くすのだ。

変化を畏れちゃ前に進めない。

 

で、話を戻るのだけど。

このα解放の事件。原因もわかっているし対応もきちんとできている。

残った問題が逃げ出したαの眼の対処だけである。

全力のイチならばまず負けることはないだろう。

箱の中で眠る災害以外のαの脅威度は一号指定を上回らない。

つまりαの解決の目処が立っている。慌てるほどではない。

 

が、これは正攻法の場合だ。

私たち円卓騎士団の最高戦力の投与で事態の解決方法は簡単。力業で捩じ伏せるだけで終わるのだから。

だけど待って欲しい。

これはーー好機ではないのか。

倒すべき強敵α。

それを前にしてキノは思う。

感じてしまった劣等感。何も出来なかった無力感。

最強の虫憑きたちの戦闘で逃走するしかできなかった現実。それは戦術的意味合いよりも敗北の色が濃かったのはキノだけの感慨。

あの日キノは余りにも無力だった。

己の弱さを思い知らされ今までにない力への渇望を抱かされるたあの日。

そして払拭の為の丁度いい試金石がそこにある。

 

現状、キノが戦力バランスを考えず問答無用に倒せる敵がいなかった。

特環に属する相手は下手に手をだせなかったし、始まりの三匹を相手にするには手札が足りてない。

精々、無所属の野良虫憑きとの戦闘位だが、それとて勧誘目的を踏まえると強行に出て倒す必要は存在しない。

一切相手を気にせず、躊躇なく倒す必要性があって、手応えのある都合のいい敵。

その条件に適した相手がαであった。

 

危険はある。

はっきり言って手に余る格上の敵だと認めている。

αは強い。

能力も虫の耐久力も断トツでトップクラス。

かっこうが苦戦し、世界に滅びを与えかねないとされる強さ。

しかも自分一人で戦う以上仲間からの支援は許されていない。

幾つか安全策と保険を掛けるつもりだが、キノ一人で挑まなければならないのだ。

 

強力な戦力であるイチはキノに対して過保護だ。

こんな身勝手は許してくれないだろう。

だからこそ一計を案じて内密にしながらイチにはすぐに追ってこれない距離と時間を必要とした。

万が一の際には結局イチを頼ることになるだろう。

彼の存在そのものがαに対する切り札で保険。

別行動させつつも応援に迎えに来れて更に簡単には辿り着けない距離がベストだ。

最終手段として必要とされる戦力でありながら、戦闘の為に遠ざけなければならないイチ。

コトが終われば絶対怒られるよねコレ?

頭が痛くなるぜ、物理的にな!

 

αは正体が定かではないが一応分離型の複数操作系に分類される虫憑きだ。

逃げ出した眼はその一つに過ぎず、一部を倒した所で欠落者になることはない。

これを理由に遠慮なく殲滅行為を手段として選べるのだけどハッキリ言おう。それでも理不尽に強い。

具体的な号指定は明確にされていないけど、たった一体の眼を相手に一号指定かっこう、二号指定月姫、三号指定火巫女が出番ったこともある。

多少盛ってる要素があるけど、セーブしたかっこうでは決め手に欠け苦戦したのは事実である。

本気出せれば楽にとは言わずともスムーズに勝てただろうけど。

 

とにかく手強い相手、強者である。

相手にとって不足はない。......本音言うと勝てるか微妙、もしかしたら無理っぽい。

最悪イチ頼みに円卓騎士団勢力を使い殲滅する。

キノだけでも最終手段を使えば相討ちに持ち込むことができるかもしれない。

出来るならそうならないよう願いたい。マジで。

良くて欠落者、悪ければ死亡だからね。

αの能力特殊型と相性悪いんだよな。大喰いが司書さんの領域破壊した時に使った能力がαだったし。

 

軽口叩いているけど、本当はわかっている。

これは賢い選択ではない。

こんな無理する必要なんてどこにもないのだから。

だけど理屈抜きに行動したっていいじゃないか。

悩んで、迷って、間違っても、それをしちゃいけないなんて否定する権利はない。

私だって悩んで、迷って、間違う。

だけど立ち止まりたくないんだ。

何故と問われれば意地と返す。

私は虫憑きになって夢を叶える為に努力してきた。

一之黒守子と交渉し、円卓会に取り入り、円卓騎士団を創設した。

だけどそれだけ。

思い知らされた。キノでは入り込めない領域。

強者だけしか立ち入れない絶対領域。

花城摩理、かっこう、師子堂戌子、そしてイチ。

同じ戦場に立つだけで無事に生還できるかわからない強者だけの世界。

その世界にキノは圧倒的に無力だった。

それが、それだけがーー

 

ーー赦せない。

 

負けることが

勝てないと思わされることが

足手纏いになるのが

肩を並べられないのが

 

ーー赦せない。

 

だから戦う。

 

赦せないことが赦せるように。

赦せない自分を赦せるように。

強くなる為に。

 

理由があるなら、戦え。

キノより強いあのホッケースティックの少女は教え子の虫憑きにこう言った。

 

戦え!

戦え!戦え!戦え!戦え!戦え!戦え!戦え!戦え!戦え!

 

虫憑きの運命に抗うこと。それは即ち戦うことなのだ。

逃げ出さずに戦う。

 

そしてキノは、勝つ。

 

覚悟と決意を胸にキノはαを見上げる。

 

ーー虫憑きの戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

ソレはある日暗闇の中で光を得て、飛び出した。

光差すほんの僅かな亀裂。大きさギリギリの隙間を一度通ると自由へと解放される。

暗闇を抜けると海に出た。

懐かしさに感動し、更に外へと動き始める。

 

浮かび上がったソレは海を越え、山を越え、人の住む街へと進もうとする。

明確な目的はなかった。

ただ自由を満喫するのが楽しかった。

 

ソレは解放感を味わい上機嫌のまま、地上を俯瞰しながら飛行を続けていた。

そして自由を過ごす日々は唐突に終わる。

ソレは突如、異変に気がついた。

 

懐かしくも危険な存在の匂いを嗅ぎ付ける。

記憶にはない。というよりソレに備わっている記憶は曖昧であり、思考が正常に働いているのかも怪しい。

だが懐かしい記憶を喚起する、そんな匂いがした。

その匂いの本体が近づいてくる。

それが何なのかはわからないけど目的は自分なのだとソレは直感した。

そしてそれが自分にとって害なす者であることも。

それでもソレは待つことにした。

 

懐かしい何かとの再会を期待して。

それに出会えば何かわかるかもしれない。そんな願望もあり、懐かしい何かの姿を確認したくなった。

出会うことで戦うことも考慮しながら。

それでも思い出すことで得るものに淡い希望を抱いて。

 

待つことどれくらいの時間が掛かったか。

短いようで長くもあるような時の流れを感じ、懐かしい匂いの本体と出会いを果たす。

 

しかしその姿を見て疑問を浮かべた。

 

その懐かしい匂いをする人物は、まだ子供と呼べる少女だった。

髪は女の子としては短めで、白いフードに紺のジーンズと動きやすそうな格好。覚悟を秘めた顔つきは快活な笑顔が似合いそうだ。

やはり少女はソレが知る人物ではない。

だが懐かしい匂いは少女のものだとはっきりとわかった。

そしてその匂いは薄く。まるで少女に宿した残り香がソレに勘違いを錯覚せたようである。

 

ソレは知る人物に出会えなかったことに僅かばかり落胆を覚えた。

おそらく少女はソレの知り合いに関わった存在なのだろう。だけどソレの知る人物本人でなければ意味がない。

気落ちしたことで少女に対する興味が薄れた。

また空を飛び回り、匂いの正体である人物を探すのもいいかもしれない。

そんな思考に埋もれ、地上に立つ少女の存在を忘れ、かなりの高度を保ったまま空に浮かんでいた。

 

次の瞬間、視界に少女が真正面からソレと対峙していた。

 

「こんばんわ、α」

その名前は懐古を呼び起こす懐かしい呼び名だった。

不敵な少女の笑顔がソレを捉えていた。

 

「そしてーーさようなら」

宙に浮かぶソレに対し、少女もまた蒼き輝きを足場にして宙に浮かんでいた。

 

「蒼渦、最大」

目の前に巨大な群青の螺旋が覆い尽くしソレをそのまま呑み込んでいった。

 

 

 

挨拶は最大火力を叩き込むまでが挨拶です。

説明しよう!!

既に感知して居場所はわかっていた、山を越える前のαの眼に遭遇。

不意討ちで先手を獲るつもりが何故か待ちかまえていたので、さあ大変。

感知能力αになかった筈だけど......あっ、赤瀬川七那にディオレストイの気配を察していたような、なかったような。

私アレじゃん? アリアの元宿主じゃん?

その気配を察知されたらバレバレじゃん?

 

じゃん語で脳内推理により真相解明してヤッバイと一人盛り上がって所、いつの間にかこちらに向いていたαの意識が逸れていた。

 

今ですね、孔明。

 

中国史の偉人がヤレとお達ししてくれた気がしたので、蒼歩で空間の足場作って全力で駆け上がり、階段を全速力で駆け登ったような息切れを我慢しつつも、αの前まで接近。

そんで、こんにちは死ねの会話して能力の最高火力で沈めさせようとした所在であります。

 

経緯はこれでわかったよね。

それではピンチについてもわかって貰おうか。

 

キノの能力である、疑似ブラックホール。

その全力は、αを仕留め損ねました。

ピンチッス。

死ぬかも知れないッス。

ってか硬いし反撃喰らって痛いしヤバい。

 

そろそろ真面目にやらんといかん。道化してても反応してくれる敵じゃないし。

お巫山戯で死んだら元も子もない。

 

さ、戦闘、戦闘。

真面目に戦闘。

駄目だ切り替えはもっとちゃんとせん、じゃなくてしないと。

アレだ。

 

ーーこの間僅か三秒。

 

ん、切り替わった。じゃあ、やりますか。

 

 

 

 

予想以上に硬い手応え。

全力の一撃で完全に消滅させるにはもっと時間を掛ける必要性を感じる。

キノの最大火力の攻撃をαの眼によって熱線を放つことで打開された。

連動してアリジゴクの脚が一本吹き飛ばされてキノに精神的ダメージを蓄積する。

開幕の一撃としては余りに重たい一撃を貰ってしまっていた。

 

「普通にピーンチ」

一筋縄じゃいかない。

不意討ち程度では沈まない強敵の対峙にキノは笑う。

そうでなければ意味はない!

空での機動力の性能はαの眼に分があるので、地上戦へと場を移す。

重力のまま落下し、群青の監獄から抜け出したαの眼を睨み付けた。

地面に叩きつけられる瞬間、落下地点に生み出された蒼渦に圧縮された空気の解放により衝撃の緩和に成功し、しなやかな猫のように四肢は使って着地する。

背中越しに青い光がキノを覆った。

 

「ヤッバ!」

咄嗟に横に転がる。土に汚れてもお構い無しだ。

するとキノが居た場所に紺碧の光の柱が降り注ぎ、高熱で地面を焦がした。

上空からのαの眼の攻撃である。

 

「おっおっオオーー」

立ち上がって距離を取ろうとするキノであったが、αの熱線は途絶えることなく仰角を変えながらキノに追い続ける。

背を向け一目散に逃げ出すキノだが、傾きごとに加速する熱線とのデスレースに逃げられそうにない。

少しでも気を抜き、脚を挫けば即死亡。

減速しても背中越しの高熱に焼かれて死亡。

横に逸れるにもその一瞬が命取りになるほど余裕がなかった。

 

「それなら、それでーー蒼渦解放っ」

進行方向に蒼渦を作り到着時にその中で圧縮されていた空気を放出する。

横殴り気味に吹き飛ばされたキノは減速することなく光線の進路から弾き出される。

そして直進する熱線の攻撃が大地に一条の焦げ後を残した。

山肌の森林すら関係なく焼き払い、何もない空間だけの通路が完成される。

喰らっていたら間違いなくキノは焼け死んでいただろう。

 

「まあ、当たらなければいい訳だし」

引き攣りそうな顔を誤魔化してポジティブな言葉を絞り出した。

内心死にかけて冷や汗をかいたキノである。

αの眼の攻撃の的にならないよう動き木々に隠れて様子を伺った。

眼と眼が合った。

またもや嫌な汗をかく。

αの眼が青色に発光したのを確認し、キノはその場から全力で退散した。

紺碧の熱線が遅れて木々を焼き払った。

 

「そういえば気配バレバレでしたねー。しかも始まりの三匹専用。攻撃力高くて感知能力まであったら反則過ぎる、ちきしょー」

予想以上に悪い流れが生じていた。

上空のアドバンテージはαの眼にある。

視界の悪い地上戦に持ち込むことでそのアドバンテージを覆そうにもまさかの感知能力で裏目に出た。

キノも空中戦ができなくもないが遮蔽物がない空中だとαに分がある。

熱線の攻撃を走り避けながらも、考え戦術を練り直す。

 

一方的な現状はマズイ。危険だけど接近してもう一度攻撃を仕掛ける。それしか方法ないしね。

やり過ごすのは無理だと判断し反撃を選択するキノ。

アドバンテージの考えも一度捨て去る。取れる手段が余りにも少なかった。

足場の悪い山地から能力で生み出した足場へと駆ける。

目視するのも難しい透明に近い蒼の階段を走った。

直線的な軌道だと熱線の被害が怖いので螺旋状を描くようにして進む。

 

「坂ダッシュ&デスレースとか拷問なんですがっ」

群青の輝きが空間を支配していても地味な活用法しかできないキノは足を動かしつつも文句をこぼす。

無論αの眼はそれを見過ごしたりしない。

自身のいる場所に近づこうとする敵に熱線を放ち迎撃する。

キノは熱線を宙から落下して足場を作り直したり、蒼渦解放の圧縮した空気を利用しして直撃を免れていた。

接近するキノに対して不動にいるαの眼は熱線の攻撃だけを繰り返した。

 

「次は今までとは一味違うぜ。能力ーー完全開放」

やっとのことで接近したキノがαの眼に渾身の一撃の用意をする。

これまでキノは特殊型でありながらもアリジゴクの一部を出現させてしまう能力がネックとなっていた。

だから思い切って発想の逆転をする。

 

ーーどうせ一部出現してしまうのなら全部出してしまおう。

特殊型は実体が存在しない為物理攻撃を介さない。

しかし能力を全力を扱う際、実体化させてしまうとその道理は通用されない。

キノの場合、通常時でも物理攻撃の影響を強く受けているが、こうして完全に虫を実体化させたのは今回が初である。

リスクが余りにも大きいのだ。

身体の一部ならまだしも全体を実体化するとなると弱点を剥き出しにするのと同義である。

それでもキノは特殊型のアドバンテージを完全に捨てることでより強力な攻撃力を求めた。

 

「蒼渦連鎖」

一本脚を失った群青のアリジゴクがαの眼の前に完全に姿を現した。

それぞれの脚に巨大な渦を生み出しαの眼に襲いかかる。

αの眼は蒼の光を収束させた。

既に学習したようにキノの攻撃を熱線で撃ち破ろうとしているのだろう。

後ろに控えるキノをアリジゴク諸とも。

まるでガンマンの早撃ち勝負。

先に相手を殲滅した方が勝利の危険な賭けだ。

 

「ーーなんて真似しないよ。本命はこっち」

今にも熱線を放とうしているαの眼前から強力な螺旋を束ねたアリジゴクが消え去り、替わりに金属の球体が現れる。

ピンの抜かれた手榴弾はαの眼前で爆発した。

 

「ーー」

爆炎の中αの眼は無傷の姿で生還する。

近接の手榴弾でもダメージを与えることは叶わない。

生半可な攻撃はそれこそ意味をなさないのだ。

曇った視界の中αは熱線を打ち込み煙を吹き飛ばす。

しかしキノの姿はそこになかった。

カッと軽快な音と共にαの眼の上に何かが乗り移った。

 

「下へ参りまーす」

茶目っ気のある声が響いた。

キノは乗り立ったαの眼を下へと蹴りつけるように跳躍する。

本来ならその程度ではびくともしない筈のαの眼が何かに引っ張られるかのように下方へと堕ちていく。

そこに待ち構えていたのは、長い脚を天に向けた群青のアリジゴク。

周りの空間にアリジゴクの代名詞とも言える奈落のような巣が渦巻いていた。

 

「堕ちろ。α」

完全に不意討ちとなったキノの攻撃はαの眼を引力でとらえて離さない。

遂にアリジゴクの脚に抱かれて蒼き破壊の螺旋に呑み込まれた。

 

「やったか」

二度目の落下を体験しつつも今回の成果に期待を抱かずにはいられないキノ。

群青の螺旋は確かにαの眼をボロボロに崩し消滅へと追い込んでいた。

硬質な表面を少しづつ剥ぐように削れ朽ちていくα。

アリジゴクに拘束されているその身体がグニャリとゴムのように引き伸ばされた。

そして二つに分離する。

 

「っ、まさか」

アリジゴクに絡まるαの眼は砕け散り、新たに誕生したαの眼は、アリジゴクから解放される形で宙に浮かんでいた。

ギロリと眼球に睨まれたキノは漸く膠着していた自身に気がついた。

 

ーー簡単に覆されたっ。

落胆するにしてもこうも衝撃を受ける未熟さを実感しながら、穏やかではいられない。

今までの努力を嘲笑うかのような理不尽なやり直しをさせられているのだ。

これを軽く受け流す余裕はキノにはない。

 

「あれで決めきれなかったのかよ!」

キノが少なからず危険な賭けをした代償は無意味なものとなった。

綱渡りでどこまでやれるか、消耗が身体を鈍らせ始めたキノにはわからない。

αの眼はキノの脅威としての認識を入れ替え、積極的な殲滅へと行動に移す。

キノもまた、これ以上の増殖を阻止すべく殲滅を行動する。

 

「ああ、もうっ。最初から仕切り直し! 次で決めてやる」

キノとαの眼の戦闘は第二ラウンドへと突入した。

地上からαの眼を睨め付けるキノだが月が陰った時その姿をしっかりと捉えることに失敗する。

油断していたキノを目掛けてαの眼は接近勝負を仕掛けてきた。

 

「おうふ。マジですか」

地上戦に持ち込むことができたのはキノにとって好都合だが突っ込んでくるのは承諾しかねる。

はっきり言って特殊型のキノには接近戦など言語道断なのだ。

同化型のイチやかっこうのような肉弾戦は無理。

 

「こっちくんな。わりと真剣に」

レーザーみたいな熱線を躱した後に体当たりまで対応できるかは運ゲーである。

実際青い熱線の後横に転がったキノに特攻かましてくるαの眼を蒼渦解放で辛うじて回避に成功した。

これを何度も繰り返す体力はキノにはない。

息が上がり頭も重くなりつつある。

長期戦はキノをどんどん不利へと追い詰めていく。

 

「......仕方ない」

諦めの溜め息を吐いた。

劣勢に抗う気力を失ったかのようにキノから力が抜けていく。

急に立ち止まったキノにαの眼は突っ込み体当たりをする。

諦めを覚えた獲物へと容赦のない一撃が迫る。

 

「仕方ないよね」

そこにアリジゴクの脚が待ち構えていた。

蒼渦にαの眼は掛かった。

それがその生物の生態なのだ。

待ち構えて罠を張り続けている捕食者の性質。

疑似ブラックホールに押し潰されるのに抵抗し熱線を放とうとする所で開放される。

能力を解除したキノが気落ちしたように立っていた。

 

「だから、円卓騎士団を頼ろう」

自力での討伐は無理だと判断したキノ。

αの眼を消滅にはキノの能力で時間を要する。

その間にαの眼の抵抗で突破されてしまうのならその前に解除すればいい。

それならば少なくともキノのアリジゴクにダメージはない。

この手段がまさにキノが単独での討伐を諦めた証拠になる。

今のキノには時間稼ぎ以外無理する必要はない。

 

「あー、あー。キノだけど通信オッケー?」

今まで戦闘の邪魔になるので回線を切っていた通信機に話しかける。

すぐに耳元から怒声が聞こえた。円卓騎士団情報班に任命された信也君である。

が戦闘中であることを考慮して切り替わったように冷静な説明があった。

曰く、イチを応援に向かわせているとのこと。

キノの戦闘を発覚した円卓騎士団の情報力の甲斐あって迅速な対応がされていたようである。

有能な部下ですね。

後αの眼の異常な強さと宿主が確認できないことから成虫化して暴走した虫だと誤認しているらしい。

好都合なので否定はしない。

 

「イチ以外足手まといだから応援の必要なし。私一人でも時間稼ぎ位なら十分対応できる。そう言うことだから通信切るね。バイバイ」

再び耳元がうるさくなる前に言葉通りに通信を切って戦いに専念する。

かなりスムーズに対応してくれた情報班の信也君には脱帽です。

上司に口うるさいのがなければもっとよかった。

 

「どのみち後で色々怒られるのだから後回しにして欲しいよね」

ともすれば開き直る気満々のキノである。

お小言を耳から流してαの眼と闘牛士よろしく回避、カウンター、解除を繰り返す。

決定的なダメージを与えられないものの戦闘のイニシアチブを握ることには成功した。

このままイチの到着を待つばかりである。

 

「ま、そう上手く進まないよね」

αの眼の硬質な表面がまたしても歪みはじめる。

一つの塊を無理矢理見えない何かに引き伸ばされてたかのように歪みが大きくなり分離しようとしている。

αの眼の増殖が始まった。

受動的なカウンターを狙っていたキノもこれを阻止すべくαの眼へと向かう。

 

「お邪魔します」

隙があるから好機に見えるが結構速く分裂が進む。

攻撃が間に合わなければ二体のαの眼から攻撃を受ける状態になり一気に窮地にたたされる。

アリジゴクが蒼い渦を生み出しαの眼を挟む。

ミシミシ音を立てながらも増殖は止まらない。

 

「うげっ。増えた」

片方はひしゃげながらも消滅せず生き残り、分離して誕生したαの眼は殆どダメージなく切り離された。

もう無理ぽ。

早速瀬戸際にいるキノだがそれも当然のことだ。先まで苦戦していた相手に少しばかり上手く立ち回ろうがこちらの方が不利なのは変わらない。

αの眼の攻撃力はキノではまともに受けることは不可能だし、防御力は堅牢すぎて歯が立たない。

無理すればダメージを与えられるがその無理が祟れば即死亡。

そしてトドメの増殖能力。

時間稼ぎを一人で十分って言ったのは本当の事はない。

勝てる見込みはイチしかない。

それでもキノ以外の円卓騎士団メンバーでは相性の問題もあり手に負えないのだ。

 

「このままだとイチが来る前にどんだけ増えるの」

懸念は多い。αの眼一体なら苦戦しても総力を結集すれば殲滅は難しくない。

一号指定かっこうは多くの世界的危機を救ってきたと言えるのは彼以外の虫憑きがその危機を解決できないからだ。

それを省みるとαの眼一体程度特環の二号指定の上位局員数名で挑めば何とかできなくもない。

数という物量の力は歴然だ。しかしαの眼はその物量を押し返す能力を持っている。分裂による増殖能力。

今も隔離された施設で増殖し続けているαの眼。

その全てが本気で災害を齎そうとすればどうなるのかなんて知りたくもない。

 

「私はどれだけの数捌けるかな」

増え続ければイチとは言え危険。それならキノはもっと危険だと言える。

数が増えれば脅威は増す。そして時間稼ぎとは言えそれまでキノが耐えきれる保証はない。

許容量を越えればキノの敗北は必須。

撤退は最初から考慮してなかったから無理だろう元々放置して逃避は許されていない。

 

二体となったαの眼がキノの周りを迂回している。

まだ終わりじゃない。ダメージを受けた一体を潰せば数は減りキノの負担は最初からになる。

 

「第二ラウンドはこっちの攻撃をやり直しさせられた。今度はそっちの増殖をやり直しして第三ラウンドへと洒落混もうじゃないか。ーーα!」

キノが啖呵を切って手負いのαの眼に走り出す。

二つの魔眼がキノを向かい撃つべく青く光を束ねた。

蒼の閃光と螺旋が山を照らした。

 

 

 

 

どれだけの時間が経ったのだろう。

倒すべき敵はαの眼。

最初の目的は殲滅。次が時間稼ぎ。次は増殖の阻止。次は増えた個体を減らすこと。

そうやって目的を変更する度にキノは追い詰められた状況にいて目標達成が困難になる程次策の手段を取らざるを得なくなっている。

 

幾度やり直ししているのだろうか。

こちらの成果は殆ど意味をなさない。

αの眼は完全に消さない限り増殖は止まらず消耗すら見えない。それに対してキノは体力も精神力も削られ、傷を負うごとに身体も鈍くなり終わりの見えない作業に心までも折られそうだった。

繰り返される行為に同じ映画のフィルムを終わったら最初から見直ししているような既視感すら感じる。

 

分裂の隙を突くのは困難だった。

何時どのタイミングで増えるのかもわからないαの眼を相手に休憩すらなく攻撃の回避に専念しているキノは対応が難しい。

例えば距離。増殖の兆候があった時キノはαの眼の攻撃を逃れる為に離れつつあった。

同化型の虫憑きなら強化された脚で距離を詰めることも可能かもしれないがキノはすでに疲弊しつつあり特殊型の虫憑きだ。

それでも何とか阻止すべく攻撃を伸ばし対応するが威力が不十分で増殖を許す結果になっていた。

 

そして僅かばかりダメージを負ったαの眼を叩き、数を減らしたと思えばまた分裂を繰り返す。

破綻は時間と共に表れた。

キノの処理能力の限界。

 

今やαの眼は闇夜の空に四体浮かんでいた。

そして、キノはーー

 

「はあ、はあはあっはあっ」

過度な運動で上がった動悸をおさえながも懸命に生存に全力を尽くしていた。

四つものαの眼の動きを目視していたら判断が遅れる。そう考えたキノはこれまでよりも感知能力に意識を割いて攻撃の前兆を読み取り回避能力を向上させている。

 

「ックーー」

後ろから渦の力場が揺らめいた。

咄嗟に斜め横の地面に転がり熱線を避ける。

αの眼は時々感知しにくくなる。その時動きが鈍く大事になることは少なかったが位置を把握し難く時に予知しない場所から反応があってキノを窮地へと追いやった。

そして一度避けて終わりじゃない。

残り三体ものαの眼がキノに向けた青い熱線攻撃を撃ち放つ。

上空に足場を作り跳んだ。その瞬間に鉄の球体を地面へと投げ転がす。

最後の手榴弾が三体のαの眼を巻き込み爆炎をあげる。

 

「ゲホッッ。っガハ」

腕力も落ちているのか目標より手前に落ちた手榴弾の煽りを受けてキノは後方へと飛ばされる。

身体のどこかを打ち付けて手足を擦りむいた。

キノは見た目服も破けておりあちらこちらに裂傷がたえない。

辛うじて眼だけに意志が灯っているのはまだ絶望をしていない証拠である。

 

「ッッイチなら、こんなことに負けないもんね」

最後の希望を口にする。

でもそれに縋るには消耗が限界に近すぎた。

最終的なαの眼の問題はキノは気にしていない。

イチを信頼しているから、この程度の数のαの眼ならなんとかしてくれると信じている。

でもキノの安否まではどうなるかわからない。

自分自身で始めて招いた自業自得。

αの眼を甘く見ていた自分への罰なのだろうか。

 

「ああ、納得いかねー」

招いた結果次第でキノはただの愚か者になる。

けど生き延びれば何かを得ることができるかもしれない。

どうなるかはキノ次第だ。

足掻いた先の結果で自分の行動を評価しよう。

爆炎に巻き込まれなかったαの眼がキノに突撃してくる。感知能力をフルにしているキノは油断なく備えた。

そして、その結果ーー

 

安堵に胸を撫でおろした。

 

「αーー」

キノは遥か頭上で破壊的エネルギーを光らせているαの眼に言葉を語りかける。

そこに一切の緊張はなかった。

 

「試合には負けたけど」

青く発光した眼球がギロリと睨み付けいるがキノはお構い無しに話し続ける。

気安くそして笑みすら浮かべて。

 

「ーー勝負は私の勝ちだ」

勝利を宣言した。

そして放たれようとしていた破壊の熱線を収束していたαの眼は真っ二つに引き裂かれる。

分裂の兆候はなかった。

そして増殖はしなかった。

その断面は綺麗に垂直を描いておりαの眼は分断していた。

 

ナニカが地面へと降り立った。

かなりの高所から飛び降りたのか着地の音は大きく、土埃を巻き上げる程激しい勢いだった。

αの眼を刻んだ大剣を片手にその人物はゆっくりとキノへと顔を上げた。

 

「キノ」

「イチ」

お互いの名を呼び合い無事を確かめる。

イチの顔には安堵と怒りが浮かんでいた。

キノの顔には後ろめたい苦笑いと疲弊が浮かんでいる。

眼が合えば言いたいことが伝わった。

キノを責めるイチの視線とそれを受け止めるキノの視線。

イチの心配が伝わった。だからキノは言葉にする。

 

「ごめんなさい。イチ」

「反省しろ」

謝罪の言葉に間髪入れずお小言言われた。

まあ謝って看過されることじゃないけどちょっとそのお顔は怖いとキノは思う。

長く語り合うにはまだ危険が去っていない。

αの眼はまだ三体も残っている。

イチは同化したムカデの大剣を上段に構えてαの眼に向き直った。

 

「サポートはいる?」

「休んでいろ。ーーすぐに終わる」

キノに背を向けたまま何よりも頼もしく言葉を発する。安心感がゆっくりキノを緊張から開放してふらつき木に寄り掛かる。

疲労困憊のキノは安心感に包まれた途端に倒れ込みそうになった。

まだ戦闘が終わっていないのにだ。

イチの頼もしさもあるがキノが限界寸前であることも原因だろう。

近くに人の気配を感じた。

 

「キノ君、じゃなかった。副団長」

「オッス。清太さんお疲れ様」

「君の方がね」

ボロボロのキノの姿を見て清太は言う。

助っ人ととして近くに待機していたのにいつまでも応援の拒否をしていたキノに想うことがありそうだ。

何度も救援に来ようとしていた清太を宥め留めていたのはキノの命令。

近接物理の清太と遠距離攻撃のαの眼との相性は最悪に近い。

足手まとい。この言葉が彼の足を止める理由でキノもまた嫌った言葉である。

 

「せめてもの役目として護衛に徹するよ。手伝おうにも今の団長はちょっとばかり怖いからね」

「......怒っていた?」

「見ての通り、怒ってるようだよ」

軽口叩けるのも生きた実感を感じさせる。

上空にハビロイトトンボに乗った早瀬君と治癒能力を持った稀少な円卓騎士団の虫憑きがいた。

彼らもキノを心配した仲間たちだ。

そして一番心配しただろう、イチは激情の発露をする為の生け贄と対峙する。

強力な化物、αの眼三体。

それに囲まれ逃げ場のないイチはしかし捕食者の眼光をしていた。

 

「私かなり苦戦したんだけどなー」

「僕も団長が負ける気がしないよ」

見ている側の気分はボクシングチャンピオンに絡む不良位滑稽だった。

一体のαの眼が青く光る。

それを注意する暇なくαの眼は轟音と共に吹き飛んでいった。

イチは同化した身体能力で接近し殴り飛ばした。

恐るべき速さ。眼で追えない速さである。

 

「......硬いな」

拳で殴り潰す位のつもりだったイチがそう呟く。

木々を倒し地面に陥没したαの眼はそれでも消えなかった。

それでも青白い光がかなり弱まっており、拳だけでも数回殴りつければ倒せそうと言うのが感想だった。

一瞬の出来事で何が起こったか理解できなかった他のαの眼は対処しきれずにいた。

 

「一撃で倒していたし今更突っ込むのもアレだけどチートも大概にして欲しい。何アレ」

「チートって今自分で言っていたから多分それだよ」

かっこうですら苦戦してのにインチキ臭い。

いやセーブしたかっこうと怒り心頭で全力全開のイチを同じように比べるのもなんだけど、人が苦戦していた相手を軽々と殴り倒そうとしないでくれるかな。

唯でも実力差に悩んでいたのにその劣等感が増してしまいそうだ。

αの眼は今度こそイチを倒すべく動いた。

青く発光し熱線が飛び交う。

これを直撃すればイチとて重症を負う。

だから避けた。同化型の脚力で余裕たっぷりにだ。キノのような危うさがそこにはなかった。

 

「この能力。その姿。見覚えがある。ーー大喰いとやり合った時にな」

イチは慢心していない。何せ知ってる敵なのだ。

虫憑きになって最初に戦った敵が操った虫の一つ。

そして決定的な敗北を招いた憎き怨敵の姿だった。

この虫さえなければ大喰いに一矢報いることができたかもしれなかった。

最後の全力の一撃を阻んだ虫、αの眼。

そしてーー

 

「想うことは多々ある。が一番気にくわないのはキノを傷つけたことだ」

人形のように乏しいイチの表情に変化が生じる。

眼がつり上がり怒りを露にしているのだ。

睨まれたαの眼はイチに怯えたように距離を取り始める。

 

「消え失せろ魔眼の虫」

最も大切な人を傷つけた敵。

倒す理由はあれど倒さない理由がない敵だ。

加減も容赦もイチの心中にはなかった。

電光が夜を明るくする。

電を纏った大剣が剣鞭へと変形する。

ありたっけの夢を喰らうダイオウムカデが大きく顎を開いた。そのままαの眼を目掛けて胴体をしならせる。

 

ガキンッッ、と音がし鎌刃の手足がαの眼にぶつかった。

衝突の瞬間αの眼は熱線を放ちダイオウムカデを撃ちつけている。

しかし雷を纏った剣鞭は勢いを削がれたものの熱線ごとαの眼を切り裂こうとする。

硬いもの同士がぶつかりあった音が響く。

威力を失った為切ることまでは叶わなかった剣鞭。イチはそれを気にすることなく腕力任せに振り抜いた。

 

「フンッ」

大地に打ち付けたダイオウムカデの剣鞭。地響きをたてて衝撃を起こし辺りの樹木を凪ぎ払いαの眼を地面に埋め込む。

すかさず何度も剣鞭を打ち付ける。

轟音。轟音。轟音。指揮者がタスクを振るうように剣鞭を振り回すイチ。

地形が変わるほど力の限り打ち込まれ攻撃によりαの眼はひび割れ潰されていた。

淡く透明になって消え行く。

 

「こんなものか」

「いやいや」

αの眼を圧倒するイチに遠くから突っ込みをいれるキノ。自分の中に何か葛藤が生まれていた。

戦闘中だというのに、あんなのアリ?と疑問を浮かべている自分はオカシイのだろうか。

それとも遠いと感じてしまった自分は烏滸がましかったのだろうか。

なんにせよキノはイチが一号指定という事実が紛れもないものだと再認識させられた。

残り二体となったαの眼がそれぞれブルブル震えて出す。柔軟な物体のように柔らかく伸びたαの眼が分裂を始めた。

 

「今度は増えるか......面倒な」

様子を伺っていたイチが嘆息の吐息を吐いた。

焦燥もなく落ち着いた態度で剣鞭を引き寄せる。

減らした数が補充されて攻撃の意味がなくなろうとしている。そしてこのまま増殖が続けばイチの手に追えない程の数まで増え続けるかもしれない。

十や二十では相手にならなくても百や二百あるいは千の数となってαの眼は災害となす。

それがαの本当の恐ろしさ。

 

「だが俺には関係ない」

それでもイチの心に焦りは生まれない。

増えるのならば増えればいい。

どうせその全てを俺は破壊するのだから。

幾らでも増やせても、何度でも増やせてもその元を完全に絶ってしまえば終わるのだから。

本当に簡単なことだ。

αの眼の増殖能力よりイチの殲滅能力が上回っているのなら焦る必要はない。

 

「抵抗の無意味さを知れ」

引き戻したムカデを剣鞭にして振るう。

収納したムカデの大剣が顎を開きうねるように蛇行しαの眼を捕らえ噛み砕かんとする。ミシッと軋むαの眼。もう一体のαの眼は二つに分裂する前の変形した姿となりすぐにでも分離してしまいそうだ。

 

「シッ」

そこでダイオウムカデは鋭利な顎をαの眼に突き立てながら残り一体の分裂中のαの眼も鎌刃足が並ぶ胴体で攻撃する。

顎に意識を割かれてるのかダイオウムカデの一撃でαの眼は凪ぎ飛ばされる結果に終わる。

どちらも嫌な音をたてて激しくもがき苦しんでいた。

顎に掴まれた方のαの眼が分離を果たして自由な三体目が誕生した。代わりにいつまでも解放されなかったαの眼がダイオウムカデの顎に音をたてて噛み砕かれる。

弾き飛ばされたαの眼も二体に分離している。

合計三体のαの眼。

それぞれが増殖の準備を始めた。

「出し惜しみはしない」

イチもまた準備を始めた。

分裂中のαの眼は隙だらけだ。面倒な熱線の攻撃を警戒する必要はない。

だからこちらも力を溜めて強力な一撃の備えに時間を宛がえる。

一本の大剣。この状態の方がイチには力を収束させやすい。雷が放電しイチの同化しているオレンジと黒のラインが活性する。

 

「一気に片をつける」

夢。願い。想いが詰まった結晶を糧にダイオウムカデは力を発揮させる。

イチに眠気のような気だるさが襲う。

力を出し尽くすことは夢を喰われることと同義だ。

代償は確かにイチから損なわれている。

そして代償を経たダイオウムカデのパワーは高まり紅の電流が迸っていた。

荷電粒子が紅く光りを放ちつつもダイオウムカデの顎へと集まる。

 

「俺の夢は尽きない」

虚脱感を大剣を掴む手に力を籠めることで抗った。

イチは夢を注ぎ込むことに留意しない。

虫に負けるつもりも夢を無くしてしまうことも頭の隅にすら存在しない。

ただ夢を叶える為に尽くすのだ。

イチ自身の願いの為に夢を使うことになるなら本望だ。

灼熱の電流がいまにも弾けそうなほど危険なエネルギーを蓄えて空気を揺るがす。

増殖したαの眼が六体。

イチを焼き殺そうと青く光る。

だがもう襲い。イチの準備は終えていた。

 

「消し飛べ」

ダイオウムカデの大剣が紅い荷電粒子砲を放つ。

極大の閃光が三体のαの眼を呑み込みことごとく消滅していく。奔流が途絶えることなくαの眼を逃さず狙い撃った。

辛うじて範囲外にいた残りのαの眼も荷電粒子砲を受けて跡形もなく消しとばす。

二体となったαの眼が荷電粒子砲に抵抗し青い熱線を放った。

 

「おおォォオオおおおッッ」

二つの熱線と荷電粒子砲がぶつかりあう。

青い閃光と紅い閃光。

拮抗すらなくイチの咆哮により勢いが増した紅い荷電粒子砲が青い光りを呑み込んでいく。

力負けしたαの眼はそのまま紅に呑まれ、時間とともに光りが途絶え攻撃が完全におさまると姿形はなかった。

感知能力を持つキノがαの眼の完全消滅を確認する。

イチの勝利だった。

 

「αが消えた」

「終わったぞ」

イチも勝利を確信しているのか警戒することなくキノへと向き直り歩み寄ってくる。

円卓騎士団メンバーの治癒能力により傷を癒したキノはイチを迎えた。

 

「キノ。説明しろ」

「怪我はないイチ?」

「話を逸らそうとするな」

「そんな顔すると綺麗な顔に皺ができるぜ」

「今まさに眉間に皺ができそうだ」

茶化して誤魔化すキノにイチは渋面を作る。

 

「怒っている?」

「怒っている」

「私が勝手な単独行動をしたから?」

「それもある。危険な真似して心配させたことに一番怒っている」

「ごめんなさい。どうしたら許す?」

「理由を先ずは話してキノ。何を考えどうして行動したのかを」

自分に非があるのがわかっているからこそキノはどうしたらいいのかわからない。

愚かな行動だったと思う。

正しくない判断だと思う。

結果が誰よりも大切な人が顔を曇らせるようなものだった。

キノは自分自身が間違ったと思うようなことは一度たりともなかった。

何年も生きて二度目の人生すら歩んでいるけどここまで実感のある過ちを犯したのは初めてのことであった。

本当はどんな顔をしたらいいのかわからない。

でも苦くても自分らしい笑顔を浮かべた。

 

「負けず嫌いなんだよ私って」

「キノ?」

「正直何でこうなったかはわからない。でも」

「......」

「強くなりたかった」

イチは何も言わなかった。

 

「焦っていたし、冷静じゃなかったかもしれない。でも私は自分で考え私の意志を貫いた」

「そうか」

「迷惑一杯かけたし。失敗だったけど。それでもあの時の私は私らしくあろうとした。私は自重しないんだよ」

言葉にすればイチの顔の強ばりがとれた。

納得はしていないだろうし許す気はないだろうけど。

キノのことを理解してくれたような気がした。

だから笑う。キノらしく。

 

「次は上手くやるよ」

不貞不貞しく見えるように笑い強がってみせるキノにイチは嘆息する。

 

「反省してくれ」

笑顔に毒気が抜かれてしまい呆れたように苦言することしかイチにはできなかった。

 

キノの焦りは嘘ではない。

色々なことが起きた。

覚悟を持って虫憑きになった。でもキノの予想を上回る現実はそこにはある。

イチが一号指定の素質をもち。魅車八重子との対面。

一号指定かっこうとの戦闘。そして敗北。

キノには足りない物が焦りを生んだ。

 

でも本当はそんなことすら原因ではなかったのかもしれない。

 

 

 

数日後、花城摩理は死亡する。

 

ーーキノの知る結末通りに。

 

強くなれば

 

こんな結末でも受け入れられるのだろうか?

 

 

 




登場人物&用語解説

公式設定

夢を喰らい宿主に絶大な力を与える昆虫に酷似した超常の存在。思春期の少年少女に取り憑き寄生する。
分離型・特殊型・同化型の三種類存在する。

虫憑き
夢を抱き始まりの三匹と接触されて、虫に寄生された少年少女たち。政府の公式見解ではいないものとされる。世間では噂が広まっており恐怖と忌避の対象である。

欠落者
虫を殺された虫憑きの成れの果て。感情や意思を失い命令で動く生きた人形のようになる。元に戻ることは不可能とされており欠落者からの蘇生例はない。

成虫化
虫が宿主の夢を喰い尽くすことで起きる現象。夢を喰い尽くされた虫憑きは死亡する。宿主の制御下から抜け出し独自に動き出した虫は肥大化され凶暴で危険である。無指定の虫でも成虫化すれば上位局員数名がかりの戦力を必要とする。

分離型
実体をもち虫憑きと虫が離れている。大喰いに生み出され最も数の多い虫憑きの種類。基本的にお人好しで感情的なタイプが多い。珍しい種類に装備型、複数操作タイプの虫などがいる。

特殊型
実体がなく媒体で構成された虫を操る。浸父ディオレストイに生み出され比較的に少ない虫憑きの種類。基本的に歪んだ性格の持ち主や精神の偏った人物が多い。自然系や精神系の能力が多く一定の領域内で力を扱える。
強力な特殊型には領域を強めた隔離空間を生み出すことが可能で空間内で強力な力を発揮できる。

同化型
虫が無機物と宿主自身に同化する。三匹目アリア・ヴァレィが生み出す発見例の少ない稀少な虫憑き。普段は人畜無害だが敵には容赦しない二面性をもつ人物が多い。同化した虫憑きは身体能力が高まり超人的なパワーを発揮する。同化武器は強化された上能力が付加される場合がある。虫憑きとなる時に同化に適した身体に作り替わる為人体の損傷がなくなり傷が治る。数は少ないが強力で性格的に扱い難い虫憑きが多い。

号指定
特別環境保全事務局の虫憑きの危険度を示す階級。
十から一までの数字があり、一号指定には強さ以外の特別な素質が求められる。
号指定されない虫憑きは無指定と呼ばれ実力のない虫憑きを指す。

火種
純粋に戦闘能力に秀でた虫憑き。
異種
極めて特殊な能力をもつ虫憑き
秘種
その他の秘匿性の高い重要な能力をもつ虫憑き。


始まりの三匹
虫憑きを生み出す存在。大喰い 侵父 三匹目のことを指す。夢に誘われ喰らうことを目的とし、その結果虫憑きを生み出す。原虫とも呼ばれ彼らに虫憑きにされた者はその親と同じ分類の虫憑きとなる。
共通の弱点に夢の持ち主に拒絶されることがあり一時弱体化する。

大喰い
分離型を生み出す原虫指定。エルビオレーネの名をもつ。大喰いの名の通り多くの夢を喰らい虫憑きを生み出している。
丸いサングラスに虹色の瞳をした女性の姿をしており神出鬼没である。
能力は生み出した分離型全ての能力を扱えることであり、不死の虫憑きの生み親としてその能力を扱える。
夢を喰らう時、巨大な紫のアゲハチョウを呼び出す。

浸父
特殊型を生み出す原虫指定。ディオレストイの名をもつ。ボロボロの法衣を纏い壊れた十字架のネックレスを身に付けた老人の姿をしている。
歪んだ夢を好み、わざと貶めたりすることもある。
隔離空間の教会に呼び込み虫憑きを生み出す。
虫憑きの王を求めており夢を喰らうこと以外の目的をもつ始まりの三匹。
戦闘時には芋虫を扱う。

三匹目
同化型を生み出す原虫指定。アリア・ヴァレィの名をもつ。目撃情報もなく正体は知られていない。
特定の姿を持たない。眠りから目覚めると夢の持ち主と近しい人物に接触し同化する。
自我を失いその時の宿主の人格ベースに形成される。
役目を果たすと眠りにつき宿主の記憶を消し去ってしまう。
最弱の始まりの三匹で戦闘力は低いが嗅覚に優れている。
始まりの三匹で唯一罪悪感をもつ。
同化能力を応用して透過したり攻撃もできる。
休眠時は碧色の蛹の姿をしている。


特別環境保全事務局
通称、特環。政府が増え続ける虫憑きに対処すべく設立した秘密機関。虫憑きを秘密裏に捕獲・隔離し、また“虫”の存在、虫憑きによる事件を隠蔽している。赤牧市を拠点とする中央本部の他、東西南北を主とした支部を置き全国にいる虫憑きを管理している。

むしばね
特環に反発している虫憑きとその考え方に賛同する一般人らによって作られた組織。リーダーはレイディー・バード立花リナ。レジスタンスとしての活動していた虫憑きたちを立花リナによりパトロンを得て組織化され纏まる。特環を倒し、虫憑きが自由に生きられる居場所を作るという目的の下、特環との戦闘、虫憑きの保護などの活動を行っている。

円卓会
入会条件の難しい、資産家による会員制の秘密倶楽部。歴史は古く経済界で影響力をもつ。一之黒家当主が会長を務めている。
虫憑きの誕生に大きく関わり秘密を隠している。

非公式設定
円卓騎士団
キノが円卓会に取り入り作り上げた組織。
従来のストーリーでは存在しない。キノと一之黒守子で結託している。特環と不干渉の約束を取り付けることに成功した。
団長のイチを始め強力な虫憑きが集まりつつある。
キノはブレインとして補佐役、副団長の身分。
表向きは虫憑きの雇用団体となっている。

オリジナル登場人物
円卓騎士団
月見里
ヤマナシ
キノ
特殊型の異種?号の虫憑き。 夢は二度目の人生を謳歌すること。原作知識ありの転生者。かつてアリア・ヴァレィの器としてイチを虫憑きにした後、一部の記憶を失った過去をもつ。
変態。自重しない。バカップル。
一方、虫憑きでない一般人のころから普通ではない片鱗をみせ、始まりの三匹全てを手玉にとり、イチの蘇生に利用した。
円卓会を後ろ盾に使い独自の虫憑き勢力を創設するほど切れ者である。
憑いてる虫は群青のアリジゴク。
媒体は空間。能力は擬似ブラックホール。感知能力をもち元アリア・ヴァレィの嗅覚と合わさり広範囲で精密な感知ができる。媒体となる空間が攻撃されやすいので実体のない特殊型としては耐性が低いという弱点がある。

一 人識
ニノマエ ヒトシキ
(イチ)
同化型の火種一号の虫憑き。夢はキノのように楽しく生きること。大喰いに挑み欠落者になるもキノの尽力により非公式の蘇生者となる。
感情的にならない冷めた少年だったがキノとの出会いを切欠に変わった少年。最もキノに影響を受けた人物である。その影響力は一号指定としての不死性に及ぶ。
無自覚であるがキノに甘く、天然のタラシである。
人畜無害のようで割りと危険人物。
憑いた虫はダイオウムカデ。
ワインレッドの胴体にオレンジと黒のラインが入っている。同化武器はムカデの剣鞭に可変する大剣。布地の長物などと同化する。雷を使える。

川波清太
分離型の火種?号の虫憑き。夢はしがらみに捕らわれないこと。道場の跡取り息子で剣術を習う少年。
もとは虫憑きの事情に明るくない一般人だった。
特別環境保全事務局に追われながらも成虫化しかけた虫を追い詰めた実績がある。
イチに諭され着いていくことを選んだ。
常識人で苦労人。
虫はボクサーカマキリの大鎌。
分離型では珍しい装備型の黒い大鎌。腕力を強化と大鎌自身の変形攻撃の物理特化。清太の技量は達人級である。

長瀬八千代
特殊型の異種?号の虫憑き。夢は誰かを元気づけること。
一人で特別環境保全事務局の局員を相手していた少女。
虫の制御を独自にマスターした。
普段から相談者に能力を使い有効活用している。
キノから採用されて能力を悪用していることに不満がある。
虫は不明。
緑色の煙状でミントの匂いを放つ実体のない虫。
効果は興奮作用。濃度によって抗鬱から高揚、果ては錯乱させることまで可能。

早瀬タクミ
分離型の無指定の虫憑き。夢は人を護ること。
小学生だが真面目で率直な少年。
虫憑きになったことを気にしていたところ七歌の事情に巻き込まれていく。
最終的に円卓騎士団に引き取られ撤退や回収作戦で活躍する。
虫は巨大なハビロイトトンボ。
分離型としてメジャーなタイプ。大きさに反して動きは素早いが戦闘力は低い。

信也
特殊型の虫憑き。戦闘力はない。情報処理に長けている。クラッシャーを自称しセキュリティの破壊を得意とする。非常にものぐさだがそれ故プログラマーとしての才能があるとのこと。イチが苦手で特環と色々やらかした過去がある。
虫は不明。
能力は機械類に関するものだと判明している。

その他
竹内七歌
?の虫憑き。夢は不明。
小柄で小動物を思わせるボブカットの女の子。とても気が弱く言葉が力ない。嘘をつく時テンパる。毒舌な面をもち周囲を呆れさせることもしばしば。
早瀬タクミの同級生で彼に不良から助けて貰った過去がある。
虫は詳細不明。

アスナ
セアカゴケグモの宿主。夢は不明。成虫化しかけたが欠落者になることで命は助かる。


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原作 ム シ ウ タ 完 結
嬉しかったけど、淋しさを感じた最終巻。
すこぶる面白かったです。

流行れ、ムシウタ。もっと流行れ。

アニメ化はよ。

長く読み続けた感慨もおもしろさには勝てなかった。
寂寥感なんてぶっぱなす興奮と感動のクライマックス。
映像化して欲しい。

原作著者、岩井恭平先生とイラストレーター、るろお先生ムシウタ完走、本当にありがとうございます。



少女の名前は花城摩理。

花道の名家 花城家の一人娘であり、重い病気を患い長期に渡って病院生活を送っている。

長い入院生活、真っ白な病室で一人佇む少女はいつも孤独だ。

家族でさえ回復の見込みの薄い彼女の扱いに腫れ物を感じるような距離感が存在する。

学校の通学が叶わない身体の少女には、中学生に在席しても意味はなく、友達をつくることさえ出来はしない。

無情の孤独と死に蝕まれゆく病弱な身体。

 

そんな彼女には秘密があった。

 

それは世間で騒がれる、虫憑きであるということだ。

 

 

 

 

「摩理」

 

ふと、自分の名前を呼ぶ声に意識が戻される。

ここは華道の名家である花城家が用意させた、病室としては高価な調度品が並ぶ一室。

広く清潔な空間も、摩理にとっては孤独を増長させるものでしかなかった。

いつも死を怖れていた。

誰にも気に留められることもなく、ただ消えるだけの命。

孤独な彼女にとって、死とは最も身近で最も怖ろしいものだった。

 

誰も私を気にしてくれない。

誰も私を覚えていてくれない。

それが花城摩理の生涯だ。一体、花城摩理という少女が亡くなってしまった時、どれだけの人間がそれを気に止めてくれようか。

おそらく一人足りともいはしない。

そうなる可能性が高い境遇に、花城摩理はいた。

 

「もう摩理ったら、ボーっとしちゃってどうしたの?ひょっとして具合悪い?」

 

闘病生活に奪われる人生。

いつか孤独のままに、その生涯は終わってしまうのだと思っていた。

しかし目の前にはポニーテールの少女がいた。

自分のことを摩理と呼ぶ彼女は、花城摩理の在席する学校のクラスメートで、全く登校したことのない自分を気にかけてお見舞したことを切欠に、友達になってくれた少女である。

 

「アリス」

 

彼女の名を呼ぶ摩理の声は穏やかだ。

虫憑きでも、資産家の令嬢でも、患者でもなく親しい友達として接してくれる唯一無二の存在。

この時の摩理は虫憑きでも令嬢でも患者でもなく、年相応の少女としての一面が表立つ。

それでも、

 

「ねえ、アリス。私の夢、あなたに託していい?」

打ち明けることのない秘密を抱いて摩理は微笑む。

 

 

 

 

 

病室の一室にひとつの絵本が存在する。

タイトルを魔法の薬とつけられたその絵本の主人公は病に臥せるパトリシアという名前の少女だ。

 

死期の近い彼女に魔法使いが訪れて言う。

天使の薬を飲めば、大切な人を失う代わりにお前の病は治りいつまでも生きられる。

悪魔の薬を飲めば、お前はそのまま息絶える。だが大切な人がいつまでもお前のそばにいて慰めてくれる。

どちらを選ぶのか。

魔法使いはパトリシアに問う。

パトリシアは選ぶ。

 

悪魔の薬が欲しい。と

そうしたパトリシアは息絶え故人となり丘の上で大切な人に見守られる。

永遠に覚めることのない眠りについた彼女は寂しさとは無縁の存在となった。

死後もなお彼女の下へと訪れてくれる大切な人たちに見守られているのだから。

 

そしてその本を読んだ少女はこう願う。

 

ーー天使の薬が欲しい。と

 

 

「こんにちわ!」

突然の訪問だった。

「私は一之黒アリス」

「ごめんなさい。私、クラスメートの名前も顔もわからなくて......」

「うん。そうよね。だから、はじめまして」

「......はじめまして」

花城摩理とアリスの出会い。

突如訪ねてきた素性も知らない同級生アリス。

彼女は学園で席はあっても空席でしかない花城摩理へと訪れた来訪者であった。

当初はその無邪気な行動力と場の勢いに圧倒され、長く積み上げられた警戒心すら発揮することさえできず狼狽えていた摩理。

 

「友達ができたみたいだね」

二度も摩理の病室に訪れるアリスを見て白衣の青年は言った。

そんな青年の言葉に背を向けて街に駆り出す摩理。

彼女は素直に喜ぶことはなかった。

 

どうせ飽きたら、来なくなるんだから。

長い孤独がただの同情だと決め付け、自ら動揺を隠す摩理。

しかし予想を裏切られる。

 

「......寝てるのかしら......起こしたらいけないわよね。でももしかしたら......」

病室の前でノックが響く。そしてかわされる挨拶。

 

「こんにちは!」

何度でも訪れる来訪者。

それどころかーー

 

「よかった。それじゃあ、また明日ね」

このように去り際には次の再会の約束が交わされているのだ。

そうして繰り返される日常に、孤独に怯える摩理の警戒心は消え失せていく。

裏表ないアリスの純粋な好意を、素直に受けとめることができるようになった時、摩理はようやく信じられるようになった。

 

年頃の少女として気取らない関係。

摩理にとってアリスは親友と呼べる者となった。

アリスもきっと摩理をそのように呼ぶだろう。

二人の相性はよかった。

アリスは勉強が苦手だったが摩理は勉強ができた。

それはアリスの課題を手伝うために摩理が病室で先生に教えを乞い必死に学んだ背景もある。のみこみが早く記憶力のある摩理はいつの間にか学力を追い抜き、アリスの課題をすらすらと解けた。

理性的で物事を深く考える摩理に対し、アリスは行動あるのみといった性格をしている。

そんな性格の違う二人は波長が合った。

 

 

 

アリア・ヴァレィにとり憑かれた人間、先生と呼ばれた研修医の青年は時間を見つけては摩理に色々な話をした。

その秘密を知った時から、彼は虫憑きについても様々なことを摩理に教えた。

虫、始まりの三匹の存在、薬屋大助という虫憑きの話、それから、彼女のこともーー。

そうして知った存在である少女。

摩理は、自分には関係しないと思っていた。

が、しかし物事は思い通りにはいかないこともある。

その例が目の前にあった。

 

「にーく、にっくにっく、なまにくぅー」

「なんなの、その血生臭い歌は......」

「これ?肉食戦隊のテーマソング。にーく、にっくにっく、すき焼きぃー」

「......」

「できた。完成、手編みマフラー。これで私とイチのカップル力はうなぎ登りです。私たちのラブが地球温暖化に貢献して皆様には申し訳ないですな。あっはっはっはー」

「騒がしいわよ、キノ。ここは病室」

摩理は呆れたため息を吐き出し、注意をする。

出来立てのマフラーをニヤニヤと眺めていた少女が、振り向いた。

 

「もう、摩理はそればっかだねー。久しぶりにお見舞い来たんだからテンション上げないと」

「追い出すわよ」

「サーセン」

「......」

反省の色が見えない。

病室のベッドから上体を起こしているだけの摩理だが、手が届いているなら、おしとやかな彼女でも物理的な手段をとりかねないほどの開き直りっぷりだ。

 

「まあまあ、だけど手編みとかすると女子力高い感じがしない?摩理もやってみなよ」

「作るのに手間取りそうだし、渡す相手がいないわ」

体調に波がある摩理にとって、いくら退屈で時間があっても長時間の作業は向いていない。

それに、この手の物は渡す相手がいてやるような趣味だと摩理は考えている。

どこぞのバカカップルのように。

 

「またまたー。先生がいるじゃない。それと最近できたって言う彼女とか」

「彼女っていうのは女性を指しての彼女よね。言っておくけどまた浮気だのなんだの騒いだら追い出すわよ」

「てへペロ!」

「......」

「怖ッ。マジご免なさい」

既に、一騒動したキノと摩理。会話からなんとなく察せるようにキノが馬鹿騒ぎしただけである。

反省の色がなかったキノも、さすがの摩理の剣幕に謝り倒した。

 

「......手編み、難しくないかしら?」

「おっ、興味ある?難しくを感じるなら、手作りアクセみたいな小物からチャレンジしてみようか?それなら、工程も短いし簡単だよ」

「うん。それなら、やってみたい」

意外と興味を持った摩理にキノは提案した。

摩理がその話に積極的に乗っかる。

それをキノは嬉しそうに笑う。

 

「摩理は変わったねー。......このまま、ずっとこうしていられたら......良いよね......」

最後の独白めいた呟きは、摩理の耳に残らず消えた。

 

 

 

 

 

アリスという友人を得た摩理は、無理して病室を抜け出すことを止めた。

無慈悲なまでの虫憑き狩りは、もう行われていない。

アリスと出会い、生きることはできる欠落者でも、夢を失い感情を失うことの恐ろしさは計り知れないと知ってしまった夜に、その罪を自覚してしまった。

それは元アリア・ヴァレィであり、虫憑きであるキノにはできなかったことだ。

常に死に怯えていた摩理は死と比べれば感情を失うことなど些細なものだと思っていた。

 

しかしアリスが摩理を変えた。

そして気づかせた。

感情を、夢を奪う行為に。

 

私が......彼らから、ぜんぶ奪った......?

 

摩理は知ってしまった事実に、がくがくと全身が震え、闇夜の路地を離れ、病室へと戻る。

動悸が激しく胸が苦しかった。

 

「はっ......はっ......っ!」

「摩理......?」

摩理の帰りを待っていた白衣の青年を無視し、ガラス瓶をわしづかむ。

 

「摩理!その薬は......!」

動悸をおさえる錠剤を無数にこぼし、それを一気に飲み下そうと手のひらを口へと運んだ。

群青の輝きがそれを阻んだ。

 

「はい。待ったー」

蒼く光る輝きは虫の力で病室に潜り込んだからであろう。

蒼いその手でおさえた摩理の手から薬を一つ残してガラス瓶に戻した。

 

「用法用量は守ろうか、摩理」

キノが掴む腕を乱暴に振り払うと薬を一息で飲み下してベッドに飛び込んだ。

 

「一体なにがあったんだ、摩理!」

動悸はおさまらず、青年の声も、キノの存在も無視して毛布を深くかぶり続けた。

眠れない、長い長い夜が続く。

 

 

 

「私......このまま、アリスといっしょにいていいのかな?」

多くの夢を奪いすぎたハンターとしての罪の意識が摩理を苦しめる。

摩理は夜を駆けることを止めたその時から、副作用の強い痛み止の錠剤を服用しないことで、体力すら元に戻り始めていた。

アリスが顔を輝かせて笑う傍ら、幸せを享受し、身体の調子もいい。

 

このままなら、もしかしたらーー。

 

「もし病気が治ったとして、幸せになってもいいのかな......?」

淡い期待と罪悪感に、唇を噛み締める摩理。

希望が生まれ期待する心に反した葛藤。

 

「摩理」

それに対し研修医の青年は表情をゆるめた。

 

「それが、君の夢だったんだろう?」

 

ハッとする摩理。

目からは涙が溢れ出す。

 

「叶う......の......?私の夢......本当に......?」

叶わないと夢みながら諦めていた、摩理の夢。

私は......生きたいーー。

望みが実現する。

夢みた理想が願いが叶う。

 

「ありがとう、先生」

はじめて青年を先生と呼び、礼を述べる摩理は先生に見守られながらも声を殺して泣いた。

 

 

 

 

「......ねえ、アリス」

摩理ははじめて入院生活で希望見出だしていた。

「リクエストがあるんだけど......いいかな?」

見舞いの品を断り続けた摩理がアリスに頼み事をした。

快く承諾するアリスは嬉しそうに引き受けてくれた。

そして注文の品は翌日アリスから摩理へと手渡される。

なにもかも順調だった。

けれどーー

 

「今日は遅かったのね、先生......」

「あ、ああ......」

時折、痛む胸の苦しさにーー

 

「ねえ、先生。顔が見えないわ。もっと近くに来て」

心優しい青年の違和感にーー

 

「今日は、昨日の定期検診の結果が出たはずだわ......」

聡明過ぎる彼女の直感にーー

 

「結果を教えて。ねえ、先生......」

いつまでも続く沈黙にーー

 

ーーすべてがまやかしだと気付かされた時に、夢は醒めてしまうのだ。

良好な健康状態。

そう思われていた摩理の身体は既に

手立ては残されていなかった。

 

ーー天使の薬を。

そう願う、摩理に天恵のような思いつきが走る。

そうすれば、摩理は死なない。

永遠に生き続けられる。

そんな滑稽で、恐ろしい内容をーー。

 

 

 

「先生」

「なんだい?」

金色に輝くリングのついた銀色のネックレス。

アリスに頼み手に入れた物が先生へと手渡った。

 

「これを僕に?」

「ええ。私から先生に、プレゼント」

嬉しそうに笑った先生だがすぐに辛そうに変わる。

 

「私が生きていた、もう一つの証拠......」

穏やかな笑顔の摩理は、気まぐれな来客の為の贈り物を先生へと預けてアリスを待った。

 

ーーそして、夢を託す。

 

 

 

 

「見つけ出して見せる......今夜こそ、絶対......」

死を宣告された摩理は、最後の虫憑き狩りに夜へ駆り出た。

不死の虫憑きと出会う為に。

もはや虫の力を行使し夢を喰われることに躊躇いなどなかった。

その日、複数の虫憑きと戦闘。

交戦し何匹もの虫を葬りそして包囲網から抜ける。

力尽きるその寸前、摩理は不死の虫憑きに出会った。

 

「不死の......虫憑き......」

「ほんとう......に......?」

ずっと探し続けた虫憑き。

ようやく出会えた虫憑きに摩理は呟く。

 

「あなたは......死ぬことがないの......?」

「ねえ、教えて......死なないってどんな気持ちなの......?生き続けられるあなたは、何を思うの?私は......私は......」

ーー私は天使の薬が欲しい。

「......夢の続きが......見たいの......」

問い続ける摩理に、不死の虫憑きは応えた。

それからいくつかの会話をし、迷いから醒めた。

 

「私は大切なものを......間違えて......」

「......行かなきゃ......」

最期の力を振り絞り立ち上がった。

そして歩き出す。

 

約束があるのだ。

 

それはーー

 

 

小さな病室に籠っていた一人の少女は大きな屋敷の屋根の上にいた。

心臓の鼓動も荒れ、息遣いも五月蝿さが増すばかり。

屋根の上で一人の少女を待ち続けたまま過去を振り返る。

 

先生に出会う、キノに出会う、イチに出会う、アリスに出会う。そんな日々の名残をーー。

 

いつのまにか呼吸や表情に落ち着きが戻ってきた。

しかし心臓の音は次第に弱まっていく。

それでも穏やかに微笑を浮かべたまま眼下を見下ろしていた。

屋敷の門が開き、中からあわただしく少女が飛び出てきた。

 

「こんにちは、アリス」

アリスは遅刻にならないよう、せわしく家を飛び出していく。

その背中を遠く見詰めながら、摩理はモルフォチョウに最後の夢を込めた。

 

ーーまた明日ね

 

いつも繰り返される約束を胸に、花束を抱えたまま走り出した少女を見守った。

やがて腕から力抜け生気が感じられなくなった。

そして、突如として青い輝きと共に現れた白衣の青年に包まれる。

慟哭が屋根に木霊した。

 

 

 

 

 

そこから、遠く離れない電柱の影に寄り掛かる少女。

その周りには不可思議な群青の光が軌跡を描いている。

不死とbug。その二種の虫憑きの会合の意味を知る少女は急いでその場に駆けつけた。

そして見届けた。

流れる涙は、まだ止まりそうにない。

 

さよなら、摩理。

 

ーーまたね。

 

彼女は花城摩理との再会を知っている。

だけど、今だけは。一人の虫憑きが亡くなった今だけは。涙を流していた。

キノの頬からこぼれゆく滴が、蒼色に染まって地面に堕ちる。

 

 

 

花城摩理は生涯の幕を閉じた。

しかし、それだけで終わる彼女の物語ではない。

彼女は夢をみる。

それは死してなお続く、夢の引き継ぎを。

受け継ぐは、約束を交わした普通の少女。

気丈な振る舞いに、けして手放そうとしない臆病さを隠した少女たちが夢の終わりを引き留めていく。

 

 

 

そして、

 

アリアの役割を果たし、一人の虫憑きを生み。

 

そのすべてを見守り続け終えた研修医の青年。

 

それでも未だ忘却の呪いも、アリアの眠りも訪れてこない。

 

彼が舞台を降りることはまだ許されていないのだ。

 

ーーその身の内に、アリア・ヴァレイ残しているが故に。

 

イレギュラー。bug。

 

狂う運命は、更なる運命を狂わせる。

 

彼が本当に忘れてしまうまでの物語を始めよう。

 




ハイパー言い訳タイム

二次創作って難しいですね。
原文丸写しにならないよう気を使い、地の文を変えながら、ダイジェストに短く内容を纏める。
この時、伏線やら心理的変化、話の流れを分かりやすく伝えるのは至難の技でした。
今回は原作介入ものとして、その流れと話を持ってきてちょくちょくオリジナルの話を混ぜているので、いつもと勝手が違い戸惑いました。
試験的な意味も含めて話全体は短いです。


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error"先生"アリア・ヴァレィ

本当は緩急つけたかったけど、全体的に急展開ばかりです。
いや、元々そんなに緩やかではない回なんですが、それを短く切ってるので余計そのように感じるかもしれません。
では続きをどうぞ。


誰であっただろうか。

随分、前に大切な忠告を受けた気がする。

いつか自分が冒してしまう過ちに対する忠告。

後悔するであろう自分に背負える選択ができるよう忠告した誰か。

その誰かを自分は忘れてしまっていた。

それどころか。

自分がどのような過ちを冒したのかも覚えていなかった。

今は得体の知れない罪悪感だけを感じて忘却の生活をしている。

何かとても悪いことをしてしまったように無自覚の意識に責め立てられているのだ。

もしも、思い出せたら、自分が冒した罪を背負えるだけの選択ができたのだと思えるのだろうか?

 

赤牧市のスクランブル交差点、夏の日差しの中、熱病のように歩く青年。

顔を季節外れのマフラーで覆い隠す彼が意識をなくし倒れる前に、銀色のモルフォチョウを引き連れた少女が視界によぎった。

 

 

 

 

父親は、医者だった。

よく母に連れられて病院の入院患者たちと遊んだ。

彼と近い年齢の小児科患者の友達もできた。

ただ彼らとは唐突な別れがあった。

笑っていた翌日、姿を消していなくなる。

その別れを、"死"と呼ぶらしい。

そんな日常と、患者を救う医者である父への尊敬からやがて命を救うものになりたい、と願うのは道理でもあった。

しかし、多くの患者の命を見送るうちに彼の死生観はチグハグに構成されていく。

死とは、一体何なのだろうーー。

その疑問に悩み続け、答えは解明されずにいる。

 

『僕の名前は、アリア・ヴァレィ。ーー三匹目とも呼ばれている』

「格好いい名前だな。あいにく、僕の名前は平凡すぎるんだ」

「ただ、患者にはーー先生と呼ばれている」

一息つこうと訪れた病院の屋上で碧い蛹に出会った。

そいつは馴れ馴れしく語りかけ、一つの提案を持ちかけた。

 

『そうだな......じゃあ、こうしよう。君は何か、やりたいことはあるかい?これでも僕は、人生経験が豊富なんだ。また眠りにつくまでは、それを手伝ってやるよ』

その提案に思いついたのはーー

 

「誰かの命を救うーーというのはどうだ?」

死は、彼が幼い頃から通っていた病院の患者たちの命を看取らせてきた。だから願う。

 

「人は、死ぬ時は死ぬ」

「僕はーーそれを覆したい」

死という運命を目の当たりし続けた青年が願った想い。

 

『君のその願いは、本当なら夢と呼べるかもしれないね......』

『でもそうじゃないのはーー君がとっくに諦めているからか。医者になろうとしているのは、叶わぬ夢に対する復讐ってところかい?』

「......」

『僕と一つになればーーできるよ』

『たった一回だけ、それができる』

「ほ、本当か?」

そして互いに契約を結んだ。

彼らは一つとなり、青年は身の内にアリア・ヴァレィを宿した。

運命や死の理不尽に対して彼は、せめてもの抵抗をしたかった。

始まりの三匹、同化型の虫憑きを生む原虫指定三匹目の器となったとしてもーー。

 

『僕と一つになれば、君は死ぬほど苦しむかもしれない』

そんな化け物の忠告に、例え悪魔に魂を売り渡すことになったとしてもーー。

 

"死"にせめてもの抵抗を果たそうとする青年は自ら罪深い道へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

セミの鳴き声が聞こえる季節。

青年は少女と出会った。

 

「お名前を聞いてもいいかい?」

「パトリシアよ」

「パトリシア......?」

カルテとは違う名乗りに困惑する青年。少女の対応はあまりにもそっけない。

主治医ですらその心を砕くことない頑な少女。

しかし、青年は本棚に眼を向け、納得した。

 

「君は、パトリシアの気持ちが分かるのかい?」

「......」

「それで、いいんだ。答えはゆっくりさがしていけばいい」

魔法の薬という題名の絵本に眼がいった時、彼は少女に尋ねた。

その絵本は彼にとっても、想い入れのある本だった。

眉をひそめる少女に彼はゆっくり言葉を続ける。

 

「君は彼女と違って、たくさんの時間があるんだから」

「......」

「あらためて、名前を教えてくれないか?」

「ーー花城摩理」

騒ぎ立てるセミの声の中、小さく名乗る少女のことを鮮明に覚えていた。

儚げな少女、花城摩理と先生は出会った大切な思い出。

だけどアリア・ヴァレィと契約した青年はいずれその記憶をなくしてしまう時がやってくる。

夢を喰らい、虫憑きを生み出す化物に選ばれてしまったのだから。

 

それは覆られない絶対の法則。

役割を与えられた青年も例外ではない。

イレギュラーが起きない限り。

運命が書き変わらない限り。

ナニカが壊れて狂ってしまわない限り。

 

起こり得ないはずだったーー

 

 

 

 

『ああ、美味しそうだな。この子の、夢......』

内に潜むアリア・ヴァレィがそんな感想を述べた。

病気に蝕まれ、なお強くある少女の願い。

それが、始まりの三匹であるアリアを引き寄せ、抗い難い食欲を引き立て魅了する。

 

「摩理......!」

患者として出会った花城摩理は当然病に侵されており、そしてそれは明日を保証してくれないほど深刻な病気であった。

激しい咳に、苦しそうに胸を押さえる摩理。

 

「大丈夫か?さあ、薬を飲んで......」

「ーーは何?」

「まだ、喋っちゃダメだ。ゆっくり深呼吸をーー」

「目的は、何?どうして毎日、私に会いに来るの?」

積極的に関わる青年に摩理は疑念をぶつけた。

 

「君をーー助けたいんだ」

「......」

「たった、それだけなんだ......」

本心からそれだけを伝えた。

でも彼は途方にくれるしかない自分に無力感に打ちのめされていた。

 

「どうして、あなたのほうが泣きそうな顔をするの?」

それを見て、摩理は笑った。

 

「まるで自分のほうが助けてほしそうね」

「......!」

頭が良い少女はとっくに青年のことを見抜いていた。

何かを隠して自分に会い続けていることに。

アリア・ヴァレィの飢餓による一瞬の衝動までも。

 

「すごく優しいのに時々、少し怖い目で私を見るのはどうしてなの?」

「ぼ、僕はーー」

「もしかしたら私、とてもひどいことをあなたにしているんるじゃ......」

『ーー絶対、言うなよ』

青年はひどく狼狽した。

そしてアリアが釘を刺す。

 

『どうしても喰いたくないっていうなら、分かった。別の夢をさがすことを考えてもいい』

アリア・ヴァレィは青年とは、もっと別の意味での危機感を抱いた。

青年にとって思いがけない提案をし、始まりの三匹として、矛盾するほどの危機感を。

 

『今、すごく嫌な予感がしてきたんだ。この子はーー花城摩理という女の子は、頭が良すぎるよ。こんな子を虫憑きにしたら、もしかしたらとんでもないことになるんじゃ......』

「ねえ、おしえて。本当のことを......」

二つの声が青年を追い立てる。

やがて決意した青年が、口を開いた。

 

「ーーよく聞いてくれ、摩理」

こうして青年は隠し事の一切合切を少女に打ち明けた。

 

 

 

 

『あーあ、もう!どうして、喋っちゃうかなあ!』

「謝ってるじゃないか。アリアはしつこいな。本当に僕の人格のコピーなのかい?」

『そうさ!僕がしつこいというなら、君がしつこい性格をしてるってことなんだ!ああもう、どうして僕の器になるヤツは、どいつもこいつも身勝手なのかな......!』

アリア・ヴァレィが癇癪するのを青年は受け流した。

 

「本当のことを話せば、摩理が怖がるということも分かっていた。でもーー」

『あの子は、怖がらなかった』

「......」

『それどころか化け物の力を使う君を見て、こう言ったんだ』

『"ーーそう。あなたは私の夢を喰らうために、会いに来ていたのね"』

『僕らのことを信じた上で、安心していた。たった十三歳の女の子が、自分を喰らう化け物を前にして笑ったんだ』

「......」

『化け物の餌。ーーそんな恐ろしい理由に、自分の存在意義を見出していた』

「......これまで誰もが、彼女の顔色を窺ってきたんだろう。家族や、病院の人間、彼女に接してきた人々の全てが」

『金持ちの令嬢っていうのは、大変だね』

「だが君がーーアリア・ヴァレィが狙っているのに、金持ちなんて関係ない」

『そうさ。僕が欲しいのは......他ならない"花城摩理"のという夢なんだからね』

「それを知っても、アリアは摩理の夢を喰らうのか」

『僕には感情がないんだから、慈悲もないのさ。ただ夢を喰らうだけの存在だからね。とんでもなくひどい化けもななんだよ。彼女の夢を喰らって、また眠りにつきたいという欲望があるだけだ』

「そして......僕は摩理のことを、忘れるんだな」

「救いのない話だ」

『救済だよ、これは。少なくとも君にとってはね』

屋上で続く一人と一匹の会話。

ーーそこに、穢れた鐘の音が鳴った。

 

まるで世界を侵食する不協和音のように。

 

予定調和を壊してしまうかのように。

 

物語が上書きされるかのように。

 

『ディオだ。特殊型を生む始まりの三匹の内の一人ディオレストイ。何でここにっ』

「ーッ。アリア!摩理の夢を狙っているのは君だけじゃないのかっ」

『待ってくれ。どうもおかしい。摩理に反応していない。真っ直ぐここを目指している』

 

『ーーーかつての同胞とその仮初めの器よ』

「これが、始まりの三匹」

『どういうことだい。ディオ。僕らはお互い不干渉。同じ夢を欲した時のルールは早い者勝ち。君が僕らに接触する必要はないはずだ』

鐘の音の正体。法衣を纏った老人。

始まりの三匹の一人、侵父ーーディオレストイ。

この場にいるはずのない、登場人物。

彼はとある人物からの使者だった。

化け物の中でも、その生み親である超常的存在。

最悪の化け物を使者と扱う、謎の人物。

ありえない変化に、ありえない事態をやってのけた破格者。

青年は知らない。知る由がない故に。

しかし、彼女はアリア・ヴァレィが知る人物であった。

ディオレストイの領域、朽ちた教会に招かれた青年とアリア・ヴァレィを待つ少女は、祭壇の上で何かに祈るように立っていた。

軽やかに振り返り、強い眼差しの少女は夢の香りを甘く漂わせたまま、笑顔で迎い入れる。

少女の名前は、月見里キノ。

かつて、青年と同じアリア・ヴァレィの器となっていた少女だった。

 

彼女からは大切なことを教わった。

「かつてのアリア・ヴァレィの器として忠告します。誰かを虫憑きにする。そんな覚悟は忘れてしまうその罪を前にすればなんの意味をなさない」

彼女はすでに虫憑きを生んで後悔していた。

罪であると認め、それと向き合っていた。

 

「先生、貴方には貴方の役割がある。後悔なき選択はない。せめて背負えるだけの道を見つけることを私は願います」

役割を知る者の言葉は重かった。

でも僅かに救われた気分になった。

青年が知らなかった虫憑きという存在は、こんなにも夢にあふれており力強い意思を秘めていた。

選択する日がいつか来る。

それでも自分は選ぶのだろう。

そう思えた。

 

 

 

 

 

 

「しっかりしろ、摩理!すぐに担架を呼んでーー」

いつかこうなることはわかっていた。

でも実際は突然のように起きた。

病棟を離れ、中庭を散歩する。些細な日常を壊すかのように。

 

「はぁっ......!はあっ......!」

いつ起こるかわからない発作。

摩理の心臓はたった一度でも発作で停まれば、蘇生は不可能。そんな主治医の言葉を思い出した。

 

「たーー」

呼吸が停まりそうな弱々しい摩理。

傍にいるしかできない憐れな青年の前で、涙をこぼした。

 

「助ーーけてーー」

「っっ......!」

彼は、絶叫すら叫べない。

苦しんでる摩理をおいて彼自身が叫ぶことに意味があると思えないからだ。

医者は人の命を救う人間なのに、彼は無力でしかなかった。

 

「摩理ーー」

はじめて助けを求めた少女を前に青年はーー

 

『何を言っても無駄だろうけど、言っておくよ......この僕ーーアリア・ヴァレィが病人を虫憑きにするとしたら、何が起こるか分からない。今さらだけど、僕が躊躇っていたのはそういう理由もあったんだ......』

独白するように静かに告げられたアリアを無視してーー

 

「君の夢は、なに?」

花城摩理に夢を聞いた。

閉じられた目蓋がピクリと動く。

 

『救えるかどうかも分からない。救えたとしても、何が起こるか分からない』

 

「教えてくれ、摩理」

 

『もしかしたら虫と虫憑きという存在そのものを覆すようなーー君が嫌いな運命ってやつをねじ曲げてしまうような事態を引き起こすかもしれない。そのせいで、この世界が滅んでしまうことだって有り得る。大袈裟じゃなくね』

アリアの懸念。

虫憑きを生む化け物すら畏れる危惧でも青年は止まらなかった。

その時、思い出した。

これは自分が背負うべき罪なのだと。その選択だと。

 

「私は......」

摩理の消え入りそうな声が

 

「生きたいーー」

ーー自らの夢を告げる。

 

「生きてくれーー」

青年よぼさついた髪が、紺碧の輝きに染まった。

 

「二人で、夢の続きを見よう......」

鼓動をやめた摩理の運命を書き換えるように、彼はせめてもの抵抗を行った。

 

 

 

 

 

 

「ねえ」

虫憑きに生まれ変わった花城摩理は、以前と変わらない日々へと舞い戻った。

 

「アリア・ヴァレィは、まだあなたの中にいるの?」

「......」

「私を虫憑きにしたんだから、もういなくなるはずじゃなかったの?」

病室に横たわる姿も変わらなければ、自分を訪ねてくる青年も変わっていなかった。

アリア・ヴァレィの役割を終えた青年は拍子抜けするほど変わらず摩理を忘れずにいる。

 

「だとさ、アリア。この嘘つきめ」

『こんなイレギュラーは、僕もはじめてなんだ!何度も言っただろ!』

「"こんなイレギュラーは、僕もはじめてなんだ!何度も言っただろ!"だってさ」

「イレギュラーだったのは......私が病気だったから?」

「アリアはそう見てるね。同化型の虫憑きになる瞬間、その人間は身体が作り替えられる。だからもとから普通の状態じゃない人間を虫憑きにしたことで、なんらかのエラーが生じたんだろうって。ーーどうせ生まれ変わるなら、君の病気も治せたら良かったのに」

摩理は青年に出会った頃と変わらないまま虫憑きとなった。

 

イレギュラーと叫ぶアリア・ヴァレィが今までにないケースを青年は楽観視していた。

運命を覆す。青年の夢と呼ぶことさえでない望み。

それは皮肉にも叶ってしまっていた。

虫憑きが生まれ、その罪を忘れられない。

歯車が歪んでしまったかのように、運命は軋み世界の理を大きく狂わせてしまったのだった。

 

しかし、それも物語においては予定調和。

本当の軋みは摩理が虫憑きとなった翌日、病室にやって来た。

約束を果たすために現れたキノ。

彼女は、青年とアリア・ヴァレィの異常とも呼べる変化にどこか芝居かかった驚きを示し摩理と出会った。

初対面の少女同士が行うスキンシップには驚かされたが、キノと摩理が仲良くやれそうで喜んだのが青年だ。

アリアはかなり呆れて愚痴をこぼしていたが、キノには聞こえないので青年は苦笑するばかりだ。

摩理もなんだか普段の大人びた調子を忘れたれたように動揺していたけど、彼女のことを嫌いではないようだ。

 

 

 

 

 

 

「ーーもうよしてくれ、摩理」

時計の針が真上を越えた深夜。白衣を改造したコートとマフラーをした少女を引き留める。

青年と花城摩理は向かい合ったまま立っている。

 

「僕と約束しただろう。いっしょに夢の続きをーー」

「自分の身体のことくらい、分かるわ」

街を徘徊し、虫憑き狩りをする摩理を説得できない青年。

同じ虫憑きでありながら、摩理とは違い不死と呼ばれる能力を持つ虫憑きを知った時から変わってしまった。

彼女は嫉妬していた。

青年が与えることができなかったその力を。

 

「最期くらい、私のやりたいことをやらせて」

そして青年は摩理を止めることができなかった。

彼女の身体はまた弱りはじめていた。

虫憑きになる以前のように。

そして、二度目の奇跡を起こす力はなかった。

昼も夜も病気と虫憑きと闘い、死に怯え嗚咽を漏らす摩理を見守るしかできないアリア・ヴァレィの器となった青年。そして同じ虫憑きキノもであった。

 

キノは青年と同じく摩理に肩入れしつつも深い入りしないように一歩引いたスタンスながらも止めようとしてくれた。

イチという摩理と同じ同化型の虫憑きの少年も紹介していた。だがある日を境に彼女は諦めた。

歯痒く思えた。摩理を止めるのに頼れるような人物が他にいない。キノも少年も彼自身も摩理を変えることができない。

それでもなんとか摩理を止めたかった。

そんな彼女を変えたのは、青年でもキノでもイチでもなく唐突に現れた少女だった。

 

 

 

 

 

「摩理って、ちょっと変わってるわね」

「あ......アリスのほうが、変わってるわ」

「え、ウソっ?私、変わってる?なにかヘン?」

摩理は自然に笑っていた。

誰にもできなかったそのことを一人の少女が成し遂げた。

『君の出る幕ナシだね』

一之黒アリス。アリア・ヴァレィは、その名前の人物に少しだけ複雑そうな様子を見せたものの青年と語り合う。

 

『医者の卵の面目が、丸つぶれだ』

「まったくだ。嬉しいよ。僕なんかもう、摩理の前から消えるべきなんだ」

アリスが訪ねるたびアリア・ヴァレィの能力を使い、退散する病室。

今は摩理とアリスの二人きりだ。

彼は自分自身の存在が必要のないことに安堵した。

 

『彼女の前から消えて、どうするつもりだい?』

「さあ、どうしようかな......君はどうしたい?」

『僕?どうして僕に訊くんだ?』

「これでも同居人の意思を尊重するつもりは、あるんだぜ。なにしろ君がいつまでたっても、僕の身体から出て行こうとしないからな」

『そうだな......眠りにつきたいのは当然としてーー』

別れがこない隣人と語り合う青年と化け物。

彼らの不思議な関係も随分と長く続いていた。

 

『その前に、海が見たいかな......』

「海か......悪くないね」

語り合う日々に運命が牙を向けて襲いかかる。

 

 

 

 

 

「先生」

「なんだい?」

「私から先生に、プレゼント」

手渡されるネックレス。銀色の鎖に繋がれた金色のリング輝いている。

嬉しさを感じたが陰りもあった。

 

「私が生きていた、もう一つの証拠......」

摩理の様子は儚さを感じさせるものだった。

検査の結果が彼と摩理とのやり取りに空虚を生んでいる。

夢が叶いそうになった所で、摩理は残酷な現実を突きつけられることになったのだ。

彼女はもう長くない。

青年の変えた運命は、またも摩理を連れ戻そうとしている。

 

「もう一つは、アリスに......私の夢を知ったら、きっとアリスは私を恨むよね」

「恨む......?」

「アリスは優しいから、私のお願いも......」

危うい雰囲気を醸し出す摩理の言葉の意味を、青年は気になっていた。

そして、そのことを本人から確かめることは永遠的に叶わないものとなった。

 

 

 

 

 

屋根の上で、横たわる少女を彼は見守ることしかできなかった。

朝日が、照らす横顔には小さな笑みがあった。

花城摩理という少女。

闘病生活、虫憑きとして生きてーー力尽きた少女のことを青年はいずれ忘れてしまう。

 

「ーーううっ」

抱えた少女があまりにも軽くて

 

「うあああああっっ!」

救えなかった少女を、憶えてもらう人間がいなくなる真実を嘆いて

 

「あああああっっ!」

声を嗄らすことしかできなかった。

 

『......君は、憶えているかなあ』

聞こえる声には優しさがあった。

 

『僕が海を見たいと言ったら......君は、悪くないって言ったんだよ』

哀しい結末を迎えた一人の虫憑きがいた街、赤牧市から先生と呼ばれた青年は去った。

しかし、これは舞台からの退場ではなく

 

ーー物語の場面が切り変わった。それだけの内容が続きを始める。

 

 

 

 

 

『......確かに僕は、海が見たいと言ったよ』

赤牧市での研修医を終えた青年は海の前に立っていた。

 

『でもさ』

潮風が彼の長い髪を揺らし、見渡す限りの海が日射しに反射していた。

 

『極端すぎるよ!海に囲まれたいとは、一言も言ってないぜ!』

「不満かい?僕はけっこう気に入ったよ」

青播磨島という人口も三百そこそこの孤島に彼とアリア・ヴァレィはやって来た。

できるだけ赤牧市から離れた場所を思っていた彼は約束もあってこの島に誘われた。

 

 

 

 

「なにしてるのぉ?」

振り返った彼に髪の長い少女が近づいた。

 

「......きれいな夢をさがしてるのさ」

無警戒に近寄る少女は甘い香りを放っていた。

 

『大丈夫ーー』

その正体をアリア・ヴァレィと先生は知っていた。

 

『この子の夢は、まだ蕾だ。僕らの食欲をそそるほどのものじゃない......』

少女の名前は、白樫初季。奇しくも摩理と同い年の少女だった。

 

『ーーまた、あの子だ。もうすぐここに来るね』

「鼻がいいな、まったく」

『そうさ。僕の鼻は、始まりの三匹の中でもピカ一なんだからね』

「あ、先生。そんなとこいたのぉ?」

『すっかりなつかれちゃったね』

「元気な子だ。彼女を見ていると、ほっとするよ」

元気な少女はよく先生になついた。平穏な島での生活。

 

『花城摩理のことを思い出しているのかい?』

「......」

『初季は、大丈夫さ。あの子は風邪一つひいたこともないそうだし、なにより僕が目をつけた夢ってわけでもないーー』

穏やかな日々に

 

ーー終わりがやって来る。

 

 

 

 

 

「先生!初季を助けて......!お願い......!」

何かの、間違いだろう。

そんな考えを嘲笑うかのように診察台には彼が見馴れた少女が横たわっていた。

 

『ぼ、僕のせいじゃないーー』

現実感のない思考の中でアリアが叫んだ。

 

『こればっかりは、僕のせいじゃないぞ!狙ってもいない夢の持ち主まで、ひどい目に遭ってたまるか!こんなのは、何かの間違いだ!』

小さな診療所で医者の先生をしている青年は、何もできない。

 

「なあ、一度っきりというヤツはーー別の人間ならもう一度、有効なんだろう?」

青年はせめてもの抵抗を忘れていなかった。

 

『一つの器にいるまま、二人も虫憑きを生んだことはないんだ......』

「どうなるか、分からない?」

『ああ、分からない』

「そうか」

いつでも最後に選択するのが彼の役目だった。

 

「初季ーー」

許しすら乞わない。罪だけ背負う彼は祈った。

 

「生きてくれ......」

その呟きには万感の想いがつまっていた。

 

 

 

 

 

「なあ、アリア」

診察室から患者を見送った先生は、摩理から託されたネックレス外しアリア・ヴァレィに話しかける。

 

「鼻が利くんだろ?これの匂いを、憶えておいてくれよ......」

応答すらできないほど弱々しいアリア・ヴァレィはいまだに彼から離れられずにいた。

 

 

虫憑きになった少女白樫初季。

彼女は摩理とは違い特別な力を持たない。

イレギュラーがあり、特殊な状態で生み出された彼女の力は空を飛ぶだけの能力だった。

 

「初季」

彼女を呼び止め、ネックレスを渡した。

 

「なに、これぇ?」

「僕の大切な......大切だった人から貰ったものだよ。君にあげる」

「いいの?」

「君に貰ってほしい。......いや、君が持っているべきだと思う」

「......ありがとぉ」

嬉しそうに笑う初季を見ながら先生も喜んだ。

 

『......いいのかい』

「三日ぶりだな、アリア。もう、そろそろかい?」

気怠い声をしたアリア・ヴァレィに苦笑する。

 

『もう何日も、もたないと思うよ......眠くてたまらない。初季を虫憑きにした瞬間に眠れずに、ズルズルと起き続けるなんて、生き地獄だ......』

二度も虫憑きを生み出したアリア・ヴァレィは、次の眠りを待ちながら青年の中で潜む。

今度の期限は短い。

それほど身の内にいるアリア・ヴァレィは弱まっていた。

 

『ーーなにも、島を出る必要はないと思うけどね』

「僕が初季のことだけを忘れたら、彼女はきっと傷つく」

彼が別れに備えた準備をする。

アリア・ヴァレィとしての役割。

その使命の終わりを、青年は待っていた。

 

 

 

 

 

「ーーあれは、なんだ?」

空に異物が光った。その正体に気付かない彼は立ち上がる。

 

『何かが......こっちに近づいてーー』

「......!」

咄嗟に使ったアリア・ヴァレィの同化能力が彼の身を救った。

真っ青に光る彼の紺碧がその異物を透過していく。

そしてそれは島を揺るがす火柱となった。

飛来した異物の正体。近代兵器、ミサイル。

戦闘機がミサイルを地上に落とし爆炎をつくる。

島には軍艦まで押し寄せいた。

 

『な、なんてことだ......』

「うあああああっ!」

ーーこの日をもって青播磨島は消え去る。

 

絶叫を叫ぶ青年の目の前に燃え盛る炎の光景が焼き付いた。

 

 

 

 

『どうして、島が攻撃されているんだっ?どうしてーー』

気が狂いそうになる炎の地獄の中、アリア・ヴァレィと同化している青年は生きていた。

それは彼が特別だからに過ぎない。

この灼熱は島の住民にも及んでいる。

彼らには生き残るすべはありはしない。

 

『あのーー女ーー』

島を一望できる丘の上に細い影が立っていた。

 

『ちくしょうっ!あの女が戻ってきたのか!ということは、あの男もーーくそっ!どうして今さら舞い戻ってきやがった!あいつがーーあいつの仕業だったのか!』

「あの......女......?」

『魅車八重子だっ!』

アリア・ヴァレィに追っ手が迫ったのは初めてのケースだ。

何故なら、誰もアリア・ヴァレィの正体を知らない。

器を取り替え、記憶を改竄するアリア・ヴァレィの力は事実を隠し通してきた。

だが隔離された孤島で同化型の虫憑きが生まれればどうなるだろう?

その島の中にアリア・ヴァレィが潜んでいるのは明らかだ。

正体はわからなくても存在を確認できたアリア・ヴァレィ。

その存在を殲滅する為、島の住民も含めすべてを焼き尽くすことができる組織。

特別環境保全事務局副本部長、魅車八重子はそこにいた。

 

 

「どうして......どうしてなんだ......ちくしょう......」

『立てーー僕がまた......眠りにつく前に......』

アリア・ヴァレィの能力が自分の意思とは関係なく解除されつつあった。

この状況下で弱まりつつアリア・ヴァレィの声が頭の中で響いた。

 

『立ってくれ......なあ......』

彼は罪の意識に呑まれていた。

大事な何かが折れてしまった青年。

しかしアリア・ヴァレィは発破をかけ語りかける。

 

『君はーー先生なんだろう?』

せめてもの抵抗。支えのない彼を動かしたのはアリア・ヴァレィの言葉だった。

彼を先生と呼んだの少女たちだった。

彼は命を救うために先生になったのだ。

止まることは許されていない。

 

『左だっ、先生!』

『何かが動いた......見間違いじゃないぞっ!』

一人の少年が倒れながらも呻く。紛れもなく生きていた。

 

「うおおおおっ」

少年を抱えたまま爆炎を走った。

地獄の中で、少年の他に赤ん坊の一人だけ見つけ地下の貯蔵庫に隠した。

 

「生きてくれ......どうか、君たちだけでも......」

島中を駆け巡った生存者に言葉を残して地上に出た。

 

 

 

 

 

再び出た地上はもう以前の島と違う炎の光景しか残されていなかった。

最後にやり残したこと。

アリア・ヴァレィを救うこと。

それが先生が果たしたかったことだった。

地獄のような光景でそれすらできそうにない青年はうちしがれていた。

そんな時にソレは何でもないように現れた。

 

「あーあー、ひでぇな、こりゃ。まるで俺が産まれた時みたいだぜ。懐かしき我が故郷、我が産土ってか?」

炎を纏う魔人。この地獄の中でその存在感は圧倒的な威圧感は放っていた。

三匹目、アリア・ヴァレィ掃討作戦を物見遊山できた少年、世果埜春祈代。

先生と呼ばれる青年と魔人は語り合う。

 

「ハンターを捜してる」

この魔人の一言が、土壇場で花城摩理という少女の繋がりの深さを青年に思い知らせた。

 

 

 

 

 

「ーー行け、アリア」

炎の魔人の気まぐれで先生は生き延びることになった。

彼が乗ってきたボートが西にあるらしい。

彼は敵を引き受けてくれた。

花城摩理という少女を捜す少年に彼女が死んだことを隠したままヒントだけを与えた。

中にはとある少女のことをボカしつつも含まれていた。

ひょっとしたら彼女にまで迷惑をかけることになったかもしれない。

結局以前彼女がしてくれた忠告も無駄にした気もして、申し訳なくなってしまう。

彼は今はいない摩理にたどり着くだろうか。

僕は本当に背負えるだけの選択をできたのだろうか。

 

「僕らの罪は、重い......どうやら死ぬ前に、まずは必死に生きなきゃいけないらしい」

『そうか......じゃあ僕は......また眠りにつくとしようかな』

イレギュラーが引き延ばし続けた終わりもそこまでやってきた。

本来なら花城摩理を虫憑きにした時点で訪れていた別れ。

そのはずが随分長いこと別れることなく彼と共に居続けた。

 

「さよなら、アリア・ヴァレィ」

『さよなら、ーー先生』

一人と一匹。アリア・ヴァレィは眠りーー。

彼はーー忘却する。

 

「......どこだ、ここは......」

燃え盛る地獄の中、西に進み船を見つけた。

傷だからけの彼がリハビリを終えたのは一年以上先のこと。

そして忘れたままの彼は、赤牧市へと向かう。

 

 

 

 

 

「報告が入りました、副本部長。三匹目らしき姿は確認されていないとのことです」

炎の上、崖の頂で人の気配が存在した。

スーツを着た若い女性が炎につつまれる島を見下ろしたまま微笑を浮かべている。

丘の上には他にもいくつか人がいた。

 

「いくらなんでもやりすぎだ、魅車くん......!島を丸ごと消すなんて......!」

「本部長。今回の任務の責任は、貴方にとっていただきますわ」

「な......!ど、どういうことだ!」

「ご安心ください。ちゃんと次の後任者は決まっていますから。あの方にすべてをお任せすれば、特別環境保全事務局は大丈夫......」

魅車八重子は揺らがない。すべてを思惑通りに動かし、手のひらで弄ぶ。

 

「もう、怯えることはありません。あなたのようなかわいそうな子たち、すべての虫憑きを、私たちが愛してあげますから」

怯える少女に慈愛に満ちた微笑みで語りかける。

炎から逃れてやって来た崖の上で、先生や島の仇を前にして、初季は恐怖で震え続けていた。

 

 

 

 

 

物語が予定調和を続ける。

虫憑きが生まれ、死に、また生まれ、そして次に引き継がれる。

運命の歯車が回っている。

あたかも、それが正しいかのように規則正しく誰かの知る物語のままで。

ただし知る者には物語の軋みの音が聞こえる。

この音を物語の登場人物で最初に聞いた人間は、虫憑きである花城摩理ではなく、アリア・ヴァレィに取り浸かれた先生と呼ばれる青年である。

彼は確かに、音を聞いたのだ。

病院の屋上。

アリア・ヴァレィと二人きりでの会話の中。

教会の鐘の音をしたありえない軋みの音を。

その原因である少女の姿を。

 

ーー物語にerrorがうまれた。

 

気付かれないように細心の注意を払い、見えない所で準備を重ね、少しずつ侵食してきたerrorが、今。

 

見える形となったーー

 

 

 

「魅車副本部長!中央本部からの緊急の回線です!」

「繋いでください」

予定調和だったはずの物語。

 

『......ッ、......!ーーこちら、中央本部!』

「どうしました?」

切迫した余裕のない声が回線から通る。

それでもなんら変わりなく問い質す魅車八重子。

 

『......緊急事態です!中央本部局員、下位......局員から続々意識不明。近くにいた一般職員にも被害が及んで......』

「落ち着きない。詳細を話してください」

冷静な彼女の様子に感化されることなく、取り乱した声がまくし立てる。

 

『電波障害......ああっ、最深層禁区ブロックの壁が開放され、!......ううっ、頭が......っ!これは、鐘の音......?』

「現状を報告しなさい」

回線にノイズが混じる通信でも魅車の対応は変わらない。

 

『システムが支配され......!局員の無力化......禁区ブロックに侵入者が......、......!現在、特別環境保全事務局中央本部ーー』

 

ノイズ混じりの雑音から飛び出る情報も単語ばかりで言葉の意味を成すものは少ない。

それでも魅車八重子にはある程度状況を掴むだけの情報はあった。

今にも途切れそうな通信の中、最後だけ明瞭に声が響く。

 

 

 

 

『ーー何者かに、襲撃されています!』

 

 

 

 

とある少女が訪れた世界。

ムシウタという物語の世界観。

彼女が関わった変えることのできない物語がそこにはあった。

しかし、少女は変える準備がしてきた。

それは彼女自身の夢の為に。

虫憑きとなった彼女の願いの為に。

変わらない物語で脇役だった少女。

ついに彼女が躍り出る。

それでは変わる物語の話をしよう。

 

胎動するerror codeが動き出す話をーー

 

 




結構過去編では舞台になってる彼処。
それぞれの人物にとって因縁のある場所ですね。
初季、ハルキヨ、先生、霞王も居ましたね。

好きなシーンの多い先生とアリア・ヴァレィ編だけど、泣く泣くカットするシーンは多かったです。

衝撃のラスト?を演出した通り、これまではただの繋ぎ回として時系列に関する話の内容なので、テンポよく進める為色々ハショりました。

名シーン多くて会話のやり取りが深イイのが全部トンでいるので魅力をお伝えできなくて悔しいです。好きなシーン一杯あったのに......


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