曖昧男の幻想記 (無法マツ)
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1.ライターと唐傘

 じゃっじゃと砂を踏み締め、暗い暗い丑の刻に田舎道を歩く。とても澄んだ空気で気持ちが良いなと深呼吸し、少し歩いた所にどうぞ腰掛けて下さいと言わんばかりの石を見つけたので腰掛けた。

 一服するかと煙草のケースを取り出す。ふたを開けて軽く降り、ひょいと顔を出した煙草をくわえ、誰に見せる訳でもないのに格好つけてカキンと小気味の良い音をたてながらジッポーライターをポッケから出し、火をつける。周りが真っ暗闇なだけあって小さな火でも辺りに明かりがじわりと染み込んだ。

 煙草に火をつけ、ぷうと息を吐く。綺麗な空気と感心した後に煙草とは矛盾している気がしないでもないが、そこは気にかけないでおく。

 再びライターをパチンッと鳴らすと辺りは闇に閉じられる。そうしてくわえた煙草の紫煙が一寸先で黒く溶けていく様を見て改めて思った。夜って、やっぱり暗いなあと。

 

 遠い昔、闇には妖怪が潜んでいると伝えられ、恐れられていたと聞く。街灯の普及につれて光を厭がった妖怪達は人を襲えなくなり、次々と姿を消したそうだ。

 この現代でも街灯を全て消してしまえば妖怪は湧いて出るだろうか。と言うかこの辺りの様な街灯の見当たらない田舎道ならばいくらでも出そうなものだが。いや、田舎道では人が少なくて食いぶちが稼げないから消滅していったのか。

 だが、待って欲しい。妖怪が現代には居ないという前提が間違えているかもしれない。街灯のせいで表だって人を襲えないので、今までの様に腹を満たす事は出来ないから間接的に襲う為の進化をした可能性も否めないのだ。

 妖怪は人を喰らって腹を満たす他に、人の精神を食い物とする。特に負の感情ほど良い餌となる。精神でどうやって腹が膨れるのか不思議だ。人を驚かせたり苛立たせたりしたら給金が出るのだろうか。

 なんにせよ、食っていく為には妖怪も人間に合わせて上手く進化して生活圏に侵入する必要があり、そうして進化した例が妖怪リモコン隠しである。

 どうでも良い時はやたらと存在を誇示してくる癖にテレビのチャンネルを変えたいと思った時に限ってふっと存在が消えうせるのである。これは鬱陶しい。因みにリモコン隠しと名称されているがリモコン以外も隠す。

 そして妖怪アラーム鳴らない。定時に起きる為に目覚まし時計をセットしたのに何故かアラームが止められている。これは恐ろしい。多くの場合手遅れになる非常に凶悪な妖怪である。スヌーズ機能付きの目覚まし時計が出てから出現個体は減ったがスヌーズごと止める上位互換種も確認されている。奴らは日々進化しているのだ。

 

「うらめしやー!」

 

 成る程、これらの科学では到底説明できない事象も妖怪のせいだと考えると納得がいく。とするとこんな仕事内容なので時給や月給でなく歩合給だから妖怪も大変だ。

 

「うらめしや!!」

 

 すぅ、と煙草を蛍の様に赤く光らせ、喫煙者の持込義務である携帯灰皿に吸い殻を突っ込んで白い息をいっぱいに吐く。そしてこきこきと首を鳴らして振り返って、

 

「表は蕎……」

「蕎麦屋禁止!!」

 

 定番で返そうとしたら早速禁止された。

 背後からわあと現れた暗い色の唐笠を持った少女に思わず答えてしまったが、何者だろうか。唐笠だなんて現代に似つかわしくない古めかしい代物を持っているのはこんな田舎道だからなのか。灰皿を仕舞った後に「誰だ、あんた」と問うと。

 

「侘しい……昔は皆驚いてくれたのに最近の人間はタフになって」

 

 等とぐちぐち言って全く話を聞いていない。裏に飯屋があると来たら表は蕎麦屋だと返すフリだと思っていたものだから、驚いてやるなんて選択肢は露程も思い付かなかった。嘘でも驚いた方が良かったのか。それにしても今時恨めしやで驚けと言われても、なんだ。困る。

 

「あ~あ。やっぱ廃業した方がいいのかなあ」と少女は悲しげだ。

 

 何を廃業するのか知らないが勝手に悲観的になられるのはもっと困る。

 何だか面倒臭いから足早にこの場から立ち去ろうとした時、ぴちゃりと雨粒が鼻先で跳ねた。はっとして鼻先が濡れたのを感じていると、周りで生い茂る葉っぱ達が雨粒のドラムを激しく鳴らしそうな雰囲気になっていた。

 この辺で雨宿り出来そうな所なんて全く見当たらないものだから更に困った。だが、運が良いのか悪いのかそこの少女が丁度持っているのである。窮屈にならない程度の大きさの唐笠を。

 少女に話しかけるのは面倒だし、かと言って濡れるのはもっと厭だ。僕はやむなしと声をかける事にした。

 

「すまん、お嬢さん。良ければ傘に入れてくれないか」

 

 何故か少女は嬉しそうだ。

 

――――――

 

 立ち止まっているのも何だから、相傘で先へ進む事にした。少女に行く道に付き合わせて悪い気もしたが、暇らしく構わないそうだ。寧ろ少女はご機嫌で、先程から何が嬉しいのか、んふふんふふと呟いて傘をぐるぐる回している。その度に赤く垂れた何かが目の前を横切るのだが、何だこれは。

 

「お嬢さん」

「ん~?」

「さっきから前を通る赤いのは何だ」

「舌だよん」

 

 そうして少女はべえと舌を出した。

 唐笠に舌……。そんな古臭いおばけ屋敷を彷彿とさせる装飾の唐笠で夜更けに人を驚かすのが趣味なのだろうか。夜更けと言えば今更ながらであるがこんな時間に小娘が一人で出歩いているとは何事だ。もし僕が悪い大人であればさらわれるかもしれないのだぞ。

 そう思ったが説教するのは面倒なので思うだけに留めておく。口に出すのは体力を消耗するし、また悲観的になられるのも厭だった。

 そうして、相も変わらずにやにやしている横っ面を見て僕は「何がそんなに楽しいんだ」と尋ねた。

 少女は「え?」と間抜けな声を出しながら唐笠を素早く回していた手をぴたりと止め、反動で唐笠についている舌が飛んできてビタンと僕の頬を叩く。質感がリアルで気持ちが悪く、しかもぬるぬるする。

 

「あ。ごめん、拭くもの持ってない」

「構わない」

 

 服の袖で顔を拭って、再度同じ質問を投げかける。

 

「ふふふ、私もまだ捨てたもんじゃないねって」

 

 まあ、捨てられてたんだけどと少女は言う。

 

「捨てられ?」聞き間違えたかと思い聞き返す。

「私は忘れ傘だったの」

「ふむ」

 

 ……忘れ傘だった?

 微妙に話が噛み合わない上に捨てられた等と重そうな言葉を聞いたので追究はしないでおく。重い空気になるのは嫌いなのだ。

 でも、話の締まりが悪いので「つまり、どういう事だ」と要約を求めた。

 

「私を使ってくれて嬉しいのよ」

「…………」

 

 将来駄目な男に引っ掛かりそうな言葉に口をつぐむ。そんな年齢からヒモ男が寄ってきそうな台詞を吐くなんて、どんな経験をしてきたのだろうと想像したら少々物悲しくもなってきた。

 そんな僕の心境を無視して少女は続ける。

 

「茄子みたいでナウくないとか使ってくれないのよね」

「茄子?」

「傘が」

 

 暗くて気づかなかったが、言われてみれば茄子みたいな色である。すると、少女が発した言葉は「私(の傘)を使ってくれて嬉しい」という事だったのだろう。傘を自分と言う程であるからとても大切な傘である事が窺える。

 それほどまでにその傘を親身にしているという事は、少女は幼くして傘職人なのだろうか。だったら、駄目な男が寄ってきそうな台詞を吐いた訳ではないから安心した。

 

「僕は丈夫で風雨を凌げる傘が好きだから、あまりデザインは気にしない」

「そうそう! おじさん中々解ってるじゃない」

「おじさん……」

 

 ショックであった。僕は確かに見ようによれば老けて見えるかもしれないがまだおじさんと言われる年齢ではない。筈である。

 ポッケになんとなく突っ込んでいた手に煙草のケースが当たり、それがきっかけで煙草を吸うと肌年齢の老化が進むという話が頭をついて出て、もう吸うのはやめようかなと考えた。でも恐らくやめない。

 

「おじさんの様な人ばかりならひもじくならなかったのかなあ。しくしく」

「傘の売れ行きは悪いのか」

「売れ行き?」少女は首を傾げた。

「お嬢さんは傘職人なのだろう」

「違うよ」

「おや」

 

 僕の中での少女の評価が深夜徘徊する傘職人の不良少女からただの傘好きの不良少女へと変化した。

 少女はからから下駄を鳴らして走るとこちらを向いて歌舞伎調でいよう~と片手を前に出して傘を担いで名乗りを上げる。

 

「わちきはぁ~泣く子も驚くからかさお化けの多々良小傘よ~」

 

 ででんっと楽器の音まで口で再現しながらカンッ! と地面を踏みしめて決めポーズをとる少女小傘。その間、僕は雨に執拗に虐められている事を忘れてはいけない。

 

「どうだ、驚いたか」

「お嬢さん、下駄を履いていたのか」

「そっち!?」

 

 下駄のからからいう物珍しい音ばかりに反応してしまったものだから仕方ないだろう。

 小傘と名乗った少女は下駄に負けたあと良く解らない落ち込み方をして面倒臭くなっている。

 僕は咳ばらいを一つして、

 

「傘に入れてくれないか」

「ああ。ごめん、ごめんね」

 

 慌ててこちらに駆け寄って傘に入れてくれたものの雨の勢いは強く結構濡れてしまった。もうこうなっては傘にこのまま入れて貰うのも悪いし(面倒とも言う)、雨に打たれながら歩いてもいいかなと考えたがポッケに入っている煙草が濡れてしまってはたまらないので考えを改めた。

 あれこれ考えたが結局小傘に相傘して貰うまま歩き進む。途中、僕の方が背が高いし傘を差したままでは腕がつらいだろうと「僕が持とうか」と気を利かせたが「駄目!」と即座に拒否された。一体、何だと言うのだ。

 そんな調子で止まぬ雨にばかやろうと恨みつらみを心の中で書き綴っていると小傘がううと唸りだした。

 

「どうした」

「腕も疲れてきたし、休もうよ」

「僕が持つと言っているじゃないか」と呆れ顔で言う。

「駄目だってば」断固たる顔で返す小傘。

 

 何故駄目なんだと尋ねるのもやはり億劫なので言われるがまま小傘の指定した大木の下で休むこととなった。

 ざあざあと降る音楽を背景に、小傘が僕に機関銃の様に言葉を放つ。これが僕が歩みを止めたくなかった理由だった。歩いていれば意識がある程度そちらに割かれるので口数は自然と少なくなるが、休むとなると全てが会話に注がれるからだ。

 墓地が占拠されて何処で営業したらいいかだの空飛ぶ家政婦がどうだの内容もたわいないし六割程は良く解らないものだから「へえ」「はあ」「そうか」の三種の神器を用いて流し続ける。

 そのうち、話の内容が僕についてシフトしてきたようで、何処から来たか何をしていたのか名前は何だと忙しない。

 何処からと問われて日本と答え、何をしていたかと問われて何もしていないと答え、そして名前は教えたくないと告げる。すると小傘は頬を膨らませて私だけ名乗って損したとぶうたれた。

 勝手に名乗ったのは小傘の方で、僕が教える義理はないと言ったら小傘は傘を引っ込めて入れてあげないと拗ねてしまった。

 妙に不利になってしまった僕は「わかった、わかったから」と降参して再び傘に入れて貰う。

 

「じゃあ名前だけ教えて」

「……ええと、」

 

 参ったなと頭を掻いてポッケの中をまさぐり、

 

「煙草、携帯灰皿……ジッポー」

「じっぽー?」

「十歩来太(じっぽらいた)

 

 酷く苦し紛れなネーミングである。僕は小傘から目を背けてライターをかきんかきんと鳴らした。

 明らかに名前の元が僕の手にあるそれなのに小傘は満足そうに頷いて銃弾を装填したかの如くぺちゃくちゃと僕に浴びせ始める。

 

 雨とは風情があって感慨深い物だとしていたが、この日だけはざあざあやかましいなと頭を痛めた。

 



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2.かけ一丁ねぎましまし

 うつら、うつらと眠りの船を漕いでいると、じわりと瞼の裏が明るいオレンジ色に彩られる。太陽が、出始めていた。殆どの雨雲は昨夜に雨粒として落ちたのか、薄くちぎった雲しか空には浮かんでいない。

 僕は瞼を開けるとあまりの眩さに目を細め、手で光を遮ってゆっくりと眼を光になじませる。小傘と雨音の喧しい子守唄を聴いている内に、いつの間にやら寝てしまっていたのだ。木に背中を預けて座りながら寝たので、腰と背中が痛い。

 ゆっくりと腰を上げようとすると太腿の辺りに暖かい重さを感じる。小傘だ。

 小傘が僕を枕にしていると気づいた時、意識がそちらにいったせいかそれを切欠にして太腿からビリビリと電流が走る。

 

「小傘。起きろ」

 

 ぺしぺしと軽く頬を叩いても小傘はううんと身じろぎをするだけで起きない。

 身じろぎをするだけ、と言っても小傘の重みのせいで血行の悪くなった僕の太腿をぐりぐり頭で刺激する度にビリビリビリビリ太腿から爪先にかけて痺れるからたまったものではない。

 そんな僕の芳しくない状況と対照的に、小傘は幸せそうな寝顔で涎を僕のズボンに染み込ませているから不愉快だ。

 かくなる上は、と右手をじゃんけんのチョキにして指先を第二間接まで曲げた状態にして小傘の顔に近づける。

 

「ふ、ふががが!」

「起きたか」

「何するのよー!」

 

 効果は予想以上に覿面で小傘はびっくりしながら飛び起きた。直後、締まりがないふにゃふにゃした顔をしてからぶぇっくしょい! とお手本通りの親父臭いくしゃみを披露してくれた。

 

「そんな所で寝るから体を冷やすんだ」

「違う、鼻をつまむから」

 

 ずるずると鼻声で小傘に言われ、そういえばそうだったと考えてすまんと謝る。

 

「大体、おじさんもそんな所で寝ていたじゃない」

「僕は慣れている」

「私もなれてるもん」

「へえ」

 

 生返事する僕に、小傘は聞いてないでしょー、鼻もむずむずするしとぷりぷり怒った。

 小傘は心地良い(?)枕を使っていたから良いかもしれないが、使われていた僕の太腿は電流に苛まれていて、小傘が中々起きないから仕方がなかったという旨を伝えると。

 

「使われるってのは道具にとって幸せな事なのよ……」

 

 と若干遠い目をしてから僕に背を向けた。僕は道具じゃないし、そういう問題でもない。

 そんな訳で手を貸してくれと手を伸ばす。小傘はもったいぶって空を見上げてからゆっくりとわざとらしく振り返って、「わちきで良ければ」と朝日に縁取られた状態でドラマチックに言うものだから一、二回こづきたい衝動に駆られた。

 左手で唐傘を逆手に持って、それを支えにして僕の伸ばした手を小傘は握り締めてはああ、どっこいしょーどっこいしょーと何故かソーラン節に合わせて引っ張りあげる。僕はにしんでもない。

 

 そんなこんなで漸く立ち上がれた僕は不快な痺れを堪えつつ、ぱきぽき体を反らせて深呼吸。雨が明けた朝の空気は、涼しくて心地よい。ポケットから無事濡れなかった煙草を取り出して咥え、カキンッとライターを鳴らすと小傘はこちらをじぃっと見ていた。僕はああ、と思って、

 

「煙草を吸っても良いか」

「いいなあ」

 

 許可を得たのでライターのホイールを回して火花を散らし、煙草で火を吸い込む。フィルターを通して煙となった炎を、肺に入れてから吐き出す。ふぅーと流れた煙は僕の正面でもくもく溶けていくかと思いきや、ちょうど吹いた逆風で小傘の顔を覆った。

 

「げっほ、ちょっと! 煙(けむ)いよ!」

 

 小傘は手で煙を払いながら非難めいた口調で言う。

 

「文句は風に言ってくれ」

 

 事実、今のは風が悪いのであって僕は悪くない。そんな僕の考えは余所に、小傘は僕を諭すように人差し指を突き出した。

 

「煙草を嗜む時はお近くの人に一声かけるのがマナーなのあっつぁ!」

 

 火の点いた煙草に指を近づける奴があるか。

 ほあっちゃあとか言いながら手首をスナップさせる小傘に呆れつつ煙草を摘まんで灰皿に折れないようやさしく入れる。

 

「訊いたじゃないか。吸っても良いかって」

「訊かれてないよ」

 

 僕が健忘症でなければ確かに訊いた筈だが。僕は肩を竦めて、

 

「じゃあ、吸っても良いか」

「いいよ」

「いいのか」

「いいけど?」

「そうか」

 

 駄目もとで訊いてみたが、小傘は別に嫌煙者でなく煙草は構わない様だった。最近、喫煙者の肩身が狭くなっているから少しだけ嬉しい。そもそも、小傘と僕は一緒に旅をしている訳でもないから僕が離れればいい話ではないかと今考えたが、許可を貰ったのでまあ良いとする。

 一時的に灰皿に避難していた煙草を咥えて、ライターで再び火を点ける。すると、小傘が「いいなあ」と呟いた。先ほどはいいなあと呟いていたのかと頭の隅で考えながら、「お嬢さんにゃ煙草は早い」と白い煙を吐いて言う。

 

「煙(けむ)いのじゃなくて、それ」

 

 ライターを指差す小傘。

 

「強請(ねだ)られても、やるつもりはない」

 

 このライターは長く愛用している物だし、結構な年代(レア)物で値段も張る代物なのだ。それにいくら積まれようと売るつもりすら毛頭無い。

 

「そうじゃなくて、使い古されてる」

 

 そう羨ましげに言う小傘に、僕はライターに刻まれている傷を指でなぞりながら得意げになった。

 

「相棒の様な物だ」

「ああ! わちきには眩ゆい響き! 浄化しちゃう~」

 

 なんて言いながら小傘はよよよと崩れて唐傘をばさりと開く。暗い舞台にスポットライトが当たっている風にも見えてしまう程だから、もしかしたらこの少女は芸者なのではないかと考えを巡らせた。

 でもなんとなく腹が立つので足早に退散する。間も無くして僕が立ち去ったと気づいた小傘は「ちょっとー!」なんて叫びながらからから走ってきた。

 

「何故ついてくる」

「旅は道連れ世は情け。道具と人、互いに助け合う精神が」

「暇なのか」

「暇でした」 

 

 はあ、と溜息混じりに息を吐く。それにしても、人懐っこいのはよろしいが初対面の男の足を枕にしたり警戒心が無さすぎやしないか。

 放っておくのも少しだけ心配だから、その旨を伝えてさらわれても知らないぞと脅すと。

 

「万年置き傘がそう簡単に拾われる訳がないのさ……」

 

 傘の話をしているのでは無い。なんだ、その傘を余程誰かに使って欲しかったのか。

 物憂い表情で言う小傘に僕はもういいやとばかりに口から濛々と煙を出した。それからもくもくと紫煙を燻らせては灰を灰皿に落としていると小傘は、

 

「その煙いの、何で吸ってるの? 体に悪そう」

 

 と尋ねて厭味でなく純粋な好奇心に染まった赤と青の異なる双眸(そうぼう)で僕を見つめる。

 

「事実、体に悪い」

「じゃあ、どうして」

「吸うとストレスが吐き出せるから」

 

 煙を吐き出すと心に溜まった鬱憤が可視化して出ていっているようで、精神衛生上は良い。と僕は続けた。

 すると小傘はうーんと考えて、

 

「しゃぼん玉のストローじゃ駄目なの?」

 

 僕は驚愕してくわえていた煙草を落としそうになった。確かに、僕の理論で言うと煙草でなくしゃぼん玉のストローでも良いという事になる。

 小傘の「あ、今驚いた、何で?」という呟きを無視して思考を続ける。

 鬱憤を可視化して吐き出す煙草と、それを泡に包み込んで弾けさせるのではそう大差ない。それどころか煙草は身体に悪いし、しゃぼん玉は儚げで美しいから後者に分がある。

 

「いいや、煙草でないと駄目だ。胸の中でストレスを煙に変えて、吐き出すから意味がある。しゃぼん玉のストローはただ吹くだけだからそれが出来ない」

「ふーん」

 

 そう答えてから、何故必死になっているんだと自身に疑問を持つ。いつもの僕なら、吸いたいから吸うと答えていただろうに。

 

「まあ、ストローでは相棒を使えないもんね」

 

 と小傘に言われてきょとんとした。格好つけて煙草を吸う為の僕のライターの存在をすっかり忘れていたのだ。

 

「うん、そうだ。ストローでは相棒を使えない。それが大きな要因だ」

 

 僕は納得して頷くと同時に、奇妙な喪失感が胸にじわりと染み込むのを感じていた。その感覚は煙草を吸うと次には煙となって消えてゆく。

 それが何だったのかは解らない。だが、煙となって消えたとあれば悪い物が排出されのだから良かったのだと結論付けた。

 

「おじさん」

 

 横並びに歩いていた小傘が僕の顔を覗きながら僕を呼ぶ。

 

「なんだ」

「さっきから歩いてるけど、何処へ行こうとしてるの」

「何処へも行こうとしていない」

「じゃあさ、里に行こうよ」

「里?」

 

 煙草を灰皿に仕舞いながら尋ねる。

 

「うん。人里」

 

 ここの近くに人々が住まう里があるとの事。僕はどうしようかと迷ったが、まあ、大丈夫かと首を縦に振った。

 道を知っているのかと思ったが、意気揚々と先導し始めたから任せる事にした。迷おうが、何処へ行こうが、僕にとっては変わらない。何処も目指していないから。

 

―――――――

 

「ここが、里か」

 

 田舎だと馬鹿にしていた訳では無いが、思いの外活気のある里だ。店が並び、往来に人が行き交い、喧騒に溢れている。

 

「ふふふ、人間達め。わちきの驚かせ百八式で腹を満たしてやるわ」

 

 小傘は僕を案内したきり、そんな台詞を残して走り去る。最後まで慌ただしい奴であった。

 小傘から解放された僕はさも軽くない足でのそのそ里を見て回る。さながら時代劇のテーマパークの様で、なかなかに面白い。

 しかし、腹が減った。それもその筈、昨晩小傘にうらめしやと言われ今に至るまで何も口にしていない。うらめしや、なんて言うから蕎麦が食いたくなってきた。表でも裏どちらでも構わないから良い蕎麦屋がないものか。

 

 ふと、風に乗って良い匂いがしてきたので本能のままに匂いの糸を手繰ってゆく。そうして大通りを歩いて角を曲がった所で、飯屋が並ぶ通りに出る。そこをまっすぐ歩いていると蕎麦屋と書かれた暖簾が垂れた店を見つけた。でも、そうやすやすと暖簾をくぐらない。中の店の雰囲気を見てからそこで食うか否かを定めるのだ。

 

 暖簾をくぐって、何食わぬ顔をしてカウンター席に滑り込んでメニューを読む。蕎麦屋の店主は横目で僕を見て見ぬ振りをして、僕が「かけ一つ。葱多めで頼む」そう注文した時に「あいよう」とやる気が有るんだか、無いんだか曖昧な返事をして初めて僕を客として認識する。そんな空気が、好ましい。

 逆に、暖簾をくぐった瞬間に蕎麦屋店主の「へいらっしゃあい!」と耳を突かれ、蕎麦を待ってる間から食い終わるまで店主がしきりにどう返事していいのか解らない言葉を投げかけてくる店は苦手だ。静かに食わせてくれないかと言う訳にもいかないし、ひたすら生返事をして飯を食うのも辛い。

 フレンドリーだと好感を持つのが普通かもしれないが、とにかく苦手なものは苦手なのだ。

 

 そんな事態に直面するのは避けたいので少し屈んで暖簾の向こう側を覗き見る。

 客の入りはそこそこで、ぼろくて狭い知る人ぞ知る隠れた名店といった程よい寂れた雰囲気。うん、僕が好む案配だ、と暖簾をくぐるとちょうど蕎麦屋の店主が人の良い笑みを浮かべて客達と談笑している姿を見てしまった。

 僕は踏み出した足を軸に華麗な回れ右をしたくなったが、この境界を跨いだからには何かを頼まねばならない。後ろ指をさされて逃げる様に店から離れるのも格好がつかない。

 蕎麦屋は僕を認識すると予想通りに「らっしゃあい!」と耳を突いてきた。僕は澱んだ足付きでカウンター席へと座る。

 

「最近、春めいてきたねい」

「そうだね。かけ一つ」

 

 注文すると蕎麦屋はにこにこしながら「あいよ!」と溌剌に答えた。蕎麦屋に牽制されたので葱多めと頼めなかった。

 

「お客さん、見ない顔だね。うちは初めてかい」

「ええ、まあ」

「ははは。蕎麦多めにしといたげるよ」

「それは、どうも」

 

 すると、お客の一人の厳つい男が、「常連客にゃ何かねえのかよ」と愚痴をいい、蕎麦屋は「るせえ、お前はツケをさっさと払わねえかい」と逆ねじを食わせる。そうして二人で馬鹿笑いして、その波が他の客へと伝播する。僕はその間に挟まれてどう振舞っていいのか解らず、辛い。

 あちらへ、こちらへ視線をやっていると、三、四席ほど離れた女性と眼があってしまった。いや、眼があってしまったというよりも女性が僕の方を見ていたもので、反応してしまったと言うべきか。きりりとした意思の強そうな眼をしていて、真面目そうな女性(ひと)だった。

 そのままさっと視線をはずすのもばつが悪いので軽く頭を下げる。女性もまた、軽く頭を下げる。ただそれっきりのコミュニケーションだった。

 蕎麦屋と客達の談笑の中、必死に僕は案山子だ、そう念じながら待っていると、

 

「おまちどおさま、先生」

 

 蕎麦が来た。はっとして顔を上げると、さっきの女性が蕎麦を受け取っていた。蕎麦屋の師なのか、学校の先生なのかは知らないが彼女は先生と呼ばれている様だった。

 

「お客さんのはもうちょっとで出来るから待っててくだせえ」

「ああ、気遣いなく」

 

 変にはっとしてしまったせいで食い意地の張っている人だと思われただろうかと考えつつ、蕎麦を待ち続ける。

 ずるずるするする言う音に空腹を刺激されながら待つことやや数分、ほかほかと湯気をたてた蕎麦がどんと僕の前に置かれた。飾り気の無い、葱がちらほらと散らされた普通のかけ蕎麦だ。

 

「おまちどお!」

「どうも」

 

 箸を持って、蕎麦をさっと持ち上げてずるずる吸い込む。洗練されていない田舎の味だ。だが、美味い。何故だかわからないが美味い。僕が空腹である事も加味しなくても、この蕎麦は美味い。田舎臭いけれど。

 僕は夢中になって蕎麦をすする。蕎麦がなくなれば、器を傾けてごくごくとだしを全て飲みつくした。先に注文がやってきた女性よりも早くに器を空にしてしまう程の早食いだった。

 

「ご馳走様。美味かった」

 

 そう言ってポケットの中からくしゃくしゃになった千円札を置いた。

 蕎麦屋は「毎度あ……」と言葉を途切れさせ、顔を顰めた。蕎麦屋の様子を見て、確かに美味かったがこんな飾り気ない蕎麦が千円以上するのかと眼を丸くする。

 高いぞ、このやろう。千円以下にしろと言うのも筋違いだし、仕方ないなと千円札を引っ込めて、一万円札を出した。これでどうだ。蕎麦屋は尚も顰め面だ。

 僕はついに、何が不満なのだと訊いた。蕎麦屋は困った顔をして、

 

「なんだい、その紙切れは」

「はあ?」

 

 一万円札を紙切れと申したか。どんな田舎でも流石に一万円札くらい全国どこでも知っているだろう。何だ、ここはユーロ圏なのか。僕はそんな単一通貨なんて持ち合わせてはいない。

 

「貴方の言う通貨は何だ。ユーロか」

「ゆ、ゆうろ?」

「いや、すまない。通貨を見せてはくれないか」

「兄ちゃん。これだよ」

 

 横から厳つい男が小銭らしき物をひょいと放り投げる。ぺしっと乾いた音をさせてキャッチし、握った手の中のそれを見て馬鹿なと目を見開く。銅貨だ。紛れもない銅貨だ。

 予想だにしていない金の問題に面食らっていると、

 

「私が払おう」

 

 ほっぺに葱をつけた他称先生が、良く通る声で言い放った。



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3.職安先生

 団子屋の外の赤い布が掛けられた長椅子で辺りをぼうっと眺める。件の蕎麦屋の他に、ここの向かいにも蕎麦屋があるらしく向こうとは違ってこちらの方はかなり繁盛していた。

 その一方でここの団子屋は店構えは小奇麗なものの客の入りは滅法悪く閑古鳥が鳴いている。これだけ繁盛している蕎麦屋の前にあるのなら食後の甘味を求めて寄ってくる客もいそうなものだが、味が良くないのだろうか。

 手触りの良い赤い布を右手で撫ぜながら考えていると、団子が入っているであろう包みを持った先生が店の中から出てきた。先生は包みを僕の隣において、長椅子に腰掛ける。

 団子を食べて見たいなと思いつつ、先ほど蕎麦代を払ってくれたたばかりであるのでそうそう手を伸ばす訳にもいかず、手を出しあぐねていると先生はひょいと口に団子を放り込んで、「どうぞ。遠慮なさらず」と言う。

 

「すまないね、先生」

 

 僕が先生、と呼ぶと先生はまだ自己紹介をしていなかった、という顔をしてからもちゃもちゃと咀嚼していた団子をぐっと飲み込んで、

 

「上白沢」

「ん」

「上白沢慧音と言います」

「そうか、上白沢慧音先生。僕は十歩来太だ」

 

 僕も名を名乗って、団子を頬張った。繁盛していないものだから味の方はさして期待していなかったものの弾力もしっかりしていてなかなかに悪くない。蕎麦と団子を比べるのもあまり賢い話ではないが、向かいの蕎麦屋は他店の客を奪い取る程に美味いのだろうか。だったら一度食べてみたい。

 そこまで考えた所で、銅貨の件を思い出して慧音先生に訊ねる。

 

「どうして蕎麦代を払ってくれたんだ」

「貴方が外来人と気づいたからです」

「外来人? 僕は日本人だが」

「ああ、いえ。そういう訳でなく」

 

 慧音先生は咳払いをしてから説明をする。

 掻い摘めばなんとここは日本と陸続きでありながら結界で隔絶されている人と妖が共存する秘境の地、幻想郷だと言う。そこで、何らかの理由で僕のように幻想郷に外から入ってきてしまった者達を外来人と呼ぶそうだ。特に、生き延びて里までたどり着く外来人は運が良いと言う。大抵は妖怪に襲われて喰われてしまうらしい。物騒な話である。

 

「蕎麦屋で見た十歩さんは馴染んでいた様に見えたので気づきませんでしたが」

「支払いの時に解ったと」

「そういう事です」

 

 表向き理解しているつもりで話をすすめているが俄かには信じがたい。幻想郷だの結界だの言われても、僕はただ適当に歩いてここに来ただけなのだから。

 顎に手を添えてううん、と考える。

 

「解った事はひとつある」

「なんでしょう」

「先生が頼んだ蕎麦は葱大盛りだった」

「……忘れて下さい」

 

 閑話休題。

 

 慧音先生が嘘を吐いている様子でもないし、疑う訳でもないが突然妖怪だの外来人だの言われても矢張り信じがたい。僕が信じる妖怪はせいぜいリモコンを隠す程度の存在なのだ。

 何か、信じるに値する物でもないだろうかと余所見しながら二つ目の団子に手を伸ばした矢先である。

 

「んん?」

 

 伸ばした手は赤い布を撫ぜるばかり。見れば団子の包みが宙に浮いているではないか。

 恐る恐る浮いている団子に手を伸ばすが、伸ばせば伸ばす程団子の包みは遠ざかる。うっかり手を伸ばしすぎたせいでどさりと前のめりに倒れると、きゃははは、と人を馬鹿にした様な笑声が聞こえ、顔を上げると羽の生やした少女達が団子を持ってどこかへ飛んでいく。

 起こった出来事にやや呆然としながら立ち上がって、

 

「団子を盗られた」

 

 出た台詞がこれである。

 そうじゃない。団子が盗られた事についてどうでも良くない事はないが一先ずはどうでも良い。

 何故団子が浮いたのか、今の少女達は一体何者なのか。まだ多く残っていた団子よりもこの不思議現象について僅かに天秤が傾いていた。

 

「今の少女達は」

「妖精です。悪戯好きの困った連中です」

「団子が浮いた」

「妖精の力です。正しく言えば浮いたのではなく持ちあげたのです」

「それは、どういう」

「簡単です。自分達の姿を消して団子を手で持っただけ」

 

 非科学万歳な説明に僕はついに黙り込んでしまった。呆れてではない。驚いたのである。

 慧音先生は未だ信じかねている様子と見たのか、駄目押しとばかりに僕を呼んで、あちらを見て下さいと指差した。追って見ると、数十メートル先で子供達が集まってわいわいやっていた。……いや、あれは。

 

「……小傘?」

 

 小傘が空を飛んでいた。それだけでなく、「いつもより多くまわしております!」等と言いながら手鞠をぐるぐると唐傘の上で操っているではないか。あの歳で器用な真似を、と感心したがそこではない。空を飛んでいるのだ。

 見た所、ワイヤーアクションをする様な機械も見当たらないし、ハングライダーで飛んでいるわけでもない。と言うか、空中で静止したまま止まるなんて無理だ。まさか、傘でふわふわ飛んでいると言う訳ではないだろうな。何処ぞのミュージカルじゃあるまいし。

 そこまで思考した所で小傘が空飛ぶ家政婦がどうだの言っていた事を思い出す。いやいや、馬鹿なと目を擦っても現在の光景は変わらない。頭が痛くなった。

 

「あれが妖怪です」

「あれが」あんなどこか抜けた少女が、と意味を込めつつ。

「ええ。でも、あれは無害です」

 

 視線の先で、降り立った小傘が子供達に「手毬かえせ」と四方八方からスカートを引っ張られて「やめてえ」とかわあわあきゃあきゃあやっていた。どうやら、奪った手毬で芸をやっていたらしい。

 見事手毬を取り返した子供達はそれを蹴りながらどこかへ行ってしまい、残された小傘はぺたりと座り込んでいた。遠くて表情は見えないが情けない顔をしているに違いない。

 

「だろうな」

 

 いつもの調子を取り戻した僕は煙草を咥えてカキンッ! とライターを鳴らした時である。小傘が音に反応してこちらに振り向いた。しまったと思う暇も無く「おじさああん」とやはり情け無い声を出しながらどべどべ走ってきた。

 

「彼女を知っているのですか」

「まあ、道中で捕まって。里まで一緒に」

「そうでしたか」

 

 慧音先生とそんなやり取りをしている内に小傘は荒い息をしながらこちらに近づいてきて、ぱあと人懐こい笑みを見せた。

 

「駄目じゃない、はぐれちゃあ」

「お前がはぐれたんだろう」

「そうだっけ?」

 

 首を傾げる小傘にそうだと告げる。そもそも、里までの案内で終わりじゃなかったのか。

 

「と。話を戻しますが」先生が言う。

「うむ」

「先ほど言ったとおり幻想郷は結界で隔絶されています」

「その様だな」

「ですが、結界を抜けて帰る方法もあるのです」

「そうなのか」

「……他人事ですね」

「そうでもない」

「帰る気はないのですか」

「気が向いたら」

「おじさん帰るの? 家どこ?」

「ない」

「やあいやどなし……いひゃいゆるひへ」

「こらこら」

 

 小傘のやわい頬を抓りあげていると慧音先生が軽く窘めた。

 

「これからどうする積もりです」

「どうもしない」

「でしたら、丁度空いている長屋があります」

「……そうか」

「一月の家賃も働けば直ぐに払える程度です。仕事の方も今、人手の足りない所が……」

「ちょっと、ちょっとまってくれ」

 

 黙って聞いていれば話があらぬ方向へ動き出したので慌てて声を出した。

 

「僕は人里に住むとは言っていないぞ」

 

 今迄ふらふらしていたものだから、今更どこかに住むだなんて気にもなれない。屋根のある家が厭だと言うわけでもないが、どこかひとつの場所に定住するのはなんとなく厭だ。働くのはもっと厭だ。

 

「そうよ。おじさんはこれから私の助手をして貰うんだから」

 

 むくれた面で小傘が言うが、そんな話もしていない。なんの助手だ。曲芸のか。

 慧音先生は困り顔になって、「でしたらどうするのです」と言う。

 

「どうもしない。適当にやるだけだ」

「寝床は」

「何処でも良い。道端でも何処でも寝られる所なら」

「よくありません。妖怪に襲われたらどうするのです」

「妖怪か」

 

 そこで隣にいる小傘を見る。ふ、と鼻から息が漏れた。「ちょっと、なにさ」と抗議の声が聞こえる。慧音先生が「それは別です」と言う。小傘は「し、しどい」と涙目になった。

 

「兎に角、襲われて死ぬならそういう運命なのだろう」

 

 これ以上話が縺れると面倒になりそうだったのでそう言い残してさっさと立ち去る事にした。背を向けて歩き始めると、慧音先生がぽつりと一言。

 

「蕎麦代」

「それは」

「ええ、私が好意で奢ったまでですから。それでは、お達者で」

「…………」

 

 背を向けて二、三歩歩いた所で良心の呵責に押し潰されて動けなくなった。この先生、真面目な顔をして意外とやり手である。

 空を見上げると、自由の象徴である雲はひとつも浮かんでいなかった。実に良い天気であった。




少し短めになってしまいました。
思い通りに書くのが難しい。


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