【完結】これがわたしの聖杯戦争 (冬月之雪猫)
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第一話『わたしの聖杯戦争』

第一話『わたしの聖杯戦争』

 

 気付いた時、わたしは落ちていた。ドンガラガッシャーンと盛大な音を立てて落下が止まる。

 不思議な事に痛みがない。

 

「……えっと?」

 

 困った。前後の記憶がない。

 

「って言うか……、あれ?」

 

 思考を巡らせる内、事態がより深刻である事に気付いたわたしは悲鳴を上げそうになった。

 口を大きく広げて、いざ声をあげようとした途端、部屋の扉がガチャガチャと鳴り始めてピタリと挙動を止める。

 冷静に現在の状況を整理してみる。

 見知らぬ場所。荒れ果てた室内。浮かび上がる二つの可能性。

 一つは誘拐。一つは不法侵入。いずれにしても、ドアをガチャガチャ鳴らしている人間が入ってきたら大問題になる。

 慌てて扉の前にバリケードを築いた。不思議な事に、重たいテーブルやソファーを軽々と持ち上げる事が出来て、簡単に強固なバリケードを築くことが出来た。

 腕を触ってみる。プニプニしている。自分がゴリラでない事にホッとした。

 

「なんで開かないのよ―!!」

 

 扉の外から怒声が響く。とても穏やかな話し合いを出来そうな相手ではない。

 大急ぎで近くの窓に駆け寄る。留め金を外して窓ガラスを開くと、夜の闇への逃避行を決行する。

 窓から数メートル離れた時、部屋の方から爆音が響いた。

 

「ばっ、爆弾!?」

 

 恐ろしい。どうやら、相手はバリケードを爆弾で強行突破したようだ。一刻も早く離れなくては危険!

 生い茂る草木を掻き分け、柵をよじ登る。

 見覚えのない光景に息を呑みながら、坂道を駆け下りた。

 

「もう! もう、もう! なんなのよー!」

 

 わけの分からない状況に涙が出てきた。

 

「ここはどこなの!? わたしは誰なの!?」

 

 事態はとても深刻だ。なにせ、今のわたしは記憶喪失。前後の記憶どころじゃない。自分が誰で、ここが何処で、どうしてここにいるのかサッパリ分からない。

 自分が女である事、草木を草木と認識出来る程度の常識、手足を動かす人体駆動の基本は幸いにも残っているけれど、それ以外が完璧に抜け落ちている。

 どこかで頭の中を整理しなければいけない。だけど、今はとにかく走る。きっと、あの爆弾女が追い駆けて来てる筈。冗談じゃない。きっと、誘拐されたんだ。記憶喪失もあの女のせいだ。

 病院? 市警? それとも……、ダメだ。これ以上、走る事以外に思考を割いているとスピードが落ちる。

 

「……って、あれ?」

 

 気付けば大きな川の前まで来ていた。わたしが脱出した建物からかすかに見えたものと同じものなら、かなりの距離があった筈。考え事をしていたにしても、この短時間で走破出来る距離じゃない。

 試しに軽く川辺を走ってみる。驚いた事に数百メートルを数秒で走り抜けた。

 

「どうなってんの?」

 

 一般的に考えて、ありえない身体能力だ。

 人体実験という単語が脳裏に浮かぶ。恐怖のあまり、目眩を感じた。

 

「……とりあえず、病院に」

 

 そう思って、再び歩き出した瞬間、どこからか声が聞こえた。

 

『令呪をもって命じる。我が前に姿を現せ!』

 

 その声に思考が働く前に体が動いた。強い引力に引き寄せられて、気付けば元の場所に逆戻りしていた。

 あまりの事に驚いていると、目の前にはわたしと同い年くらいの女の子が立っていた。

 なんだか、怒っているみたいだ。

 

「……確認するけど、貴女はわたしのサーヴァントで間違いない?」

「何いってんの?」

 

 意味がわからない。人を捕まえていきなり召使い(サーヴァント)呼ばわりなんて、失礼にもほどがある。

 態度も高圧的だし……。

 

「っていうか、アンタこそ誰なの!? わたしに何をしたの!? さっきまで川辺にいた筈なのに、どうして戻ってきているの!?」

「……は? えっ、ちょっと待って……」

 

 この少女がさっきの爆弾女だ。声が同じだから間違いない。

 わたしの質問に答えようともせず、いきなりブツブツと独り言を言い出した。

 危ない女だ。わたしは少しずつ彼女から距離を取った。近くに椅子が落ちている。万が一の時は使おう。

 

「……ねえ」

「なによ……」

 

 顔を上げた少女と睨み合う。ものの数秒、硬直状態が続いた後、少女はおもむろに口を開いた。

 

「一つずつ答えてちょうだい。貴女はサーヴァント。それは間違いない?」

「だから、何言ってるのよ! わたしはアンタの召使いになった覚えはないわ! 見たところ、東洋人のようね。中国では人攫いが流行っているのかしら?」

「人攫い……? 待って……。貴女、本当にサーヴァントじゃないの? だって、令呪を使ったのよ?」

「令呪って何のことよ……」

 

 とにかく、隙を突いて逃げ出そう。それでも駄目なら……。

 わたしが決意を固めると、少女は青褪めた表情で後退った。

 

「……聖杯戦争」

「は?」

「聖杯戦争の事もわからないの? なら、魔術師は? 魔術協会や聖堂教会の事は?」

 

 魔術師。その単語の意味が自然と頭に浮かんだ。魔術協会や聖堂教会の事を思い出した。

 

「……それは分かる。けど、聖杯戦争って……、あれ?」

 

 おかしい。さっきまで分からなかった筈の事が分かる。聖杯戦争というたった一つの聖杯を巡って、七人の魔術師がそれぞれサーヴァントを使役して殺し合う争奪戦の情報が流れ込んでくる。

 

「聖杯戦争……」

「……ねえ、貴女は今、どんな状態なの?」

 

 少女は言葉を選んでいる様子だった。さっきまであった高圧的な態度が鳴りを潜めている。

 

「……記憶がない。いきなり、知らない場所にいた。だから、逃げ出したのよ。アンタが誘拐犯なんでしょ?」

「嘘でしょ……」

 

 少女は呆気にとられた表情を浮かべ、そのまま頭を抱えた。

 

「じゅっ、十年待ったわたしの聖杯戦争が……」

 

 今のうちに逃げ出した方が良さそうだ。こっそりとさっき開けた窓に近づく。

 

「――――Das Schliesen.Vogelkafig,Echo」

「は?」

 

 逃げ出そうとした窓に見えない壁が現れた。少女が結界を張ったようだ。

 壊す手段がある筈なのに、どうしたらいいか分からない。歯痒く思いながら、少女を睨みつける。

 

「……別に取って食ったりしないわよ」

 

 少女は諦めたように言った。

 

「多分、その記憶喪失はわたしがミスったせいだわ」

「……やっぱり、アンタのせいってわけね。でも、ミスって……?」

「説明するから、少し落ち着きなさい」

 

 少女は近くに転がっている椅子を立て直すと、そこに座った。

 

「ほら、貴女も適当に座ってちょうだい。立ち話をするには色々と込み入った事情があるから」

「……このままでいい」

 

 結界を壊す手段はある。その方法を思い出す事が出来れば脱出出来る。

 それまで、話に乗って時間を稼ごう。さっきみたいに単語で記憶を蘇らせる事が出来る筈だ。

 

「……まず、聖杯戦争の知識がある事を前提に話すわ。貴女はわたしが召喚したサーヴァントよ」

「証拠は?」

「これよ」

 

 少女はそう言って片手を上げた。そこには真紅の刻印が刻まれている。

 聖杯戦争の時と同じく、情報が流れ込んでくる。サーヴァントに対する絶対命令権であり、三回限りのマスターの切り札。

 一回目はわたしの強制召喚によって消費されたけれど、まだ二つ残っている。その内の一つで自害なんて命じられたら、わたしは……。

 

「ちょっ、ちょっと!?」

 

 少女が慌てた様子で声を掛けてきた。頬に冷たい感触が走る。手で触れてみると、わたしの涙だった。

 

「……わたしを自害させるの?」

 

 恐怖で声が震えていた。

 

「そんな事はしないわよ!」

「でも……、出来るんでしょ?」

 

 体が震える。この女が気まぐれを起こしただけでわたしは死ぬ。

 自分の命を掴まれている事実に立っていられなくなった。

 呼吸もままならなくなる。

 

「落ち着きなさい!」

 

 頬を叩かれた。意識が真っ白に染まり、わたしは呆然と目の前の少女を見つめた。

 

「誓うから! わたしは貴女に不本意な命令は下さない! だから、少しはわたしを信じてちょうだい」

 

 少女の瞳はまっすぐだった。嘘偽りの影は見えない。

 

「……すぐに無理でも、信用してもらえるように頑張るから」

「本当……?」

「嘘は言わない。命令もしない。だから、話をさせて」

「……わかった」

 

 わたしは少女に促されるまま、近くの椅子に腰掛けた。

 

「まず、自己紹介から始めましょう。わたしは遠坂凛。あなたのマスターよ」

「……トオ・サカリン?」

「……中国人じゃなくて、わたしは日本人よ。姓は遠坂で、名前は凛」

「わかった」

「……記憶はないって言ってたけど、どの範囲で? 自分の名前や出身国は分かる?」

「名前は分からない……。ただ、ロス市警の事は覚えてる」

「ロス……って言うと、ロサンゼルス市警察の事? なら、貴女はアメリカ出身で、ロサンゼルス市警察が設立された後の英霊って事ね?」

「英霊……?」

 

 また、情報が流れ込んできた。いや、今回の単語は既に識っていたもののようだ。情報が内側から浮かんでくる。

 過去に偉業を為した人物の魂。世界そのものに使役される守護者。

 

「……え?」

 

 それはつまり、わたしは……。

 

「どうしたの!?」

「……わたしが英霊? じゃあ、わたしは……もう、死んでるの?」

 

 椅子から崩れ落ちた。英霊として、聖杯戦争に招かれたという事はそういう事だ。

 既に死亡して、世界そのものに召し上げられた偉人の霊。自分が偉人である事にも違和感を覚えるけれど、それ以上に自分が死亡している事に衝撃を受けた。

 吐き気が込み上げてくる。目の前がぐるぐる回り始めた。意識が朦朧として、そのまま視界が暗くなった。

 

 ◆

 

「……最悪」

 

 遠坂凛は気を失った少女を前にして呟いた。

 十年待った聖杯戦争。相棒となるサーヴァントと共に勝ち抜いて、聖杯を手に入れる筈だったのに、召喚したサーヴァントは記憶を喪っていて、自分が死んでいる事すら覚えていなかった。

 英霊である以上、過去に偉業を為した人物である事に間違いはないだろう。けれど、彼女の反応を見る限り、戦に慣れているようには見えない。

 

「どうしよう……」

 

 令呪は残っている。だから、記憶を取り戻させる事自体は難しくない。

 問題は彼女の精神だ。記憶を取り戻した事で自分の死をより明確に実感した時、彼女はどうなるのだろう?

 今の彼女の精神が記憶喪失故のものである可能性は高い。本来は勇敢な戦乙女であり、記憶を取り戻しても取り乱したりしないかもしれない。

 

「……でも、確証はない」

 

 罪悪感がひしひしと湧いてくる。令呪で自害を命じられる可能性に身を震わせた少女の姿が瞼に焼き付いて離れない。

 召使いという言葉に憤っていた事も思い出す。

 普通の女の子にしか見えない。そんな子を召喚してしまったのは自分だ。

 

「時間のズレ……。ううん、そもそも触媒を用意しなかったわたしの落ち度だ」

 

 知り合いの神父に散々忠告を受けていた。これは触媒なんて無くても最強の英霊を呼び出せると高を括っていたツケだ。

 凛は少女を抱き上げると、思ったよりも軽い事に驚いた。

 使っていない部屋まで運び込んで、少女の着ていた真紅の外装を脱がせる。どうやら、それなりに力のある聖骸布のようだ。

 

「あれ?」

 

 内側に文字が刻まれている。

 

「……名前じゃないみたいね。掠れてて読めない。召喚直後のサーヴァントの外装にそんな経年劣化みたいな事ってあるのかしら」

 

 よく見ると、継ぎ目のようなものが所々に散らばっている。一言で言って、ボロボロだ。

 マスターに与えられている透視能力で彼女の情報を解析する。

 真名は不明。クラスはアーチャー。クラス別能力は《対魔力:B》《単独行動:C》の二つ。保有スキルは《千里眼:B》《魔術:A》《心眼(真):D》《怪力:C-》の四つ。

 ステータスは《筋力:C+》《耐久:D》《敏捷:B》《魔力:A》《幸運:E》《宝具:不明》。

 

「宝具と真名は分からない。けど、スペック自体は相当高いわね」

 

 特に対魔力だ。このランクなら、大抵の魔術を跳ね除ける事が出来る。ただ、気になるのは魔術と魔力のランクの高さだ。アーチャーのクラスにしては高過ぎる気がする。

 仮に彼女が記憶を取り戻した時、牙を剥かれたら抵抗出来ない可能性がある。Aランクとはそういうレベルのものだ。

 

「何者なのよ……、貴女」

 

 彼女にとって、己は得体の知れない存在なのかもしれない。

 だけど、凛にとっても彼女は得体の知れない存在だった。

 凛は重たい溜息を零す。

 

「……どうなっちゃうのかしら。わたしの聖杯戦争」



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第二話『少女二人』

第二話『少女二人』

 

 目の前には川がある。逆巻く流れは赤い。それが血である事に臭いで気づいた。

 嗅ぎ慣れた香りだ。足下に折り重なる亡骸の山も見慣れている。

 ここはそういう場所であり、わたしはそういう生き物だ。地獄は過程であり、目的はその先にある。

 振り向けば、生者が歩いてくる。苦痛にのたうちながら、想像を絶するありさまでわたしに縋ってくる。

 全身を焼かれた人間。関節を捻じ曲げられた人間。水分を抜き取られて干からびた人間。眼球や四肢を喪った人間。薬物投与によって壊された人間。病魔を植え付けられ、蝕まれている人間。切り刻まれ、内臓を露出させている人間。

 わたしは彼らを迎え入れる。憎悪と憤怒を受け入れる。

 

 ――――それがわたしの原風景(せかい)

 

 もう一度振り返り、川の対岸を見つめる。

 そこには……、

 

 ◆

 

 わたしはベッドで横になったまま、右手を真っ直ぐ天井に伸ばしていた。

 ふかふかの布団のせいなのか、全身が汗でビッショリだ。夢を見ていた気がするけれど、内容は思い出せない。

 ただ、凄く哀しい気持ちだけが胸に残った。涙が頬を伝い、顎から滴り落ち、パジャマに染みを作る。

 

「なんだろ、これ……」

 

 溜息が出た。

 

「っていうか、ここはどこ?」

 

 血が巡り始めたのだろう。頭が冴えてきた。

 眠っていたベッドも、部屋の内装も、着ているパジャマでさえ初めて見る。

 

「たしか、わたしは……」

 

 頭を整理してみると、昨日の事を思い出した。

 聖杯戦争。サーヴァント。英霊。死者。魔術師。魔術協会。聖堂教会。遠坂凛。

 

「……うん、覚えてる」

 

 眠ったおかげだろう。大分心が落ち着いている。

 近くの椅子に折り畳まれた赤い服があった。わたしが着ていたものだ。

 派手だし、見た目も奇妙だ。だけど、袖を通してみると、不思議と馴染む。

 まるで、誰かに抱き締められているみたい。

 

「……あの子は」

 

 部屋を出て、マスターを探す。昨日は見えなかったもの、分からなかったものが視える。これは彼女とわたしの間に繋がったラインだ。

 ラインを辿ると、マスターはリビングの片付けをしていた。

 

「あら、起きたのね」

「……お、おはよう」

「おはよう。どうやら、落ち着いたみたいね」

「……手伝う」

 

 マスターに掃除用具を借りて、一緒に片付け始めた。埃や何かの破片を掃きながら、マスターの様子を伺う。

 どうやら、割れたガラスや破れたソファーの修繕を行っているみたいだ。

 なんとなく、わたしにも出来そうだと思った。

 

「……これを」

 

 壊れた椅子に触れる。すると、みるみる内に散らばった破片が壊れた椅子に集まっていき、一秒後には修繕が完了した。傷跡一つ残っていない。

 

「さすがじゃない。もしかして、記憶が戻ったの?」

「ううん。出来る気がして、やってみたら出来たの」

「そっか……。まあ、昨日の今日だしね」

 

 壊れたモノは直して、汚れた所は掃いて、拭いて、一時間後にはすっかり綺麗になった。

 

「二人でやるとさすがに早いわね。ねえ、ご飯を作ろうと思うんだけど、食べられる?」

「う、うん! 手伝うよ」

 

 話してみると、マスターは優しい女の子だった。それと、料理が上手。

 

「ここでパプリカ投入っと」

 

 わたしも思った以上に料理が達者で安心した。

 

「フードプロセッサーとかは無いの?」

「なにそれ?」

 

 話していると、時々会話が噛み合わない事もあったけれど、そこはサーヴァントと人間の違いなのだろう。

 ソースを作るなら便利なんだけどな、フードプロセッサー。

 

「完成!」

 

 作ったのはオムライス。それと付け合せのサラダ。

 

「マスターの作ったソース、ピリッとして美味しいね!」

「ふふん、そうでしょう。オリジナルなのよ、これ」

 

 掃除をして、料理をして、わたし達は少し打ち解ける事が出来た。

 料理を並べ終えて、席に座ったタイミングでわたしはマスターに頭を下げた。

 

「昨日はごめんなさい……」

「……何のこと?」

「その……、当たり散らした事……」

「それは貴女の謝る事じゃないわ。召喚の不手際はわたしの落ち度だし」

「……でも、ごめんね」

「わたしも悪かったわ。ごめんなさい」

 

 マスターも頭を下げた。二人揃って顔をあげると、マスターはニッコリ笑った。

 

「これでお相子にしない? そろそろ食べないと、料理が冷めるわ」

「うん、食べようか」

 

 食事をしながら、マスターの事をいろいろと教えてもらった。

 聖杯戦争に挑む理由を聞いてみたら、それが遠坂家の宿願であり、挑むべき壁だからって答えが返ってきた。

 聖杯そのものには特に執着が無くて、手に入ったら用途が見つかるまで倉庫にでも入れておくつもりらしい。

 

「マスターは変わってるね」

「そうかしら?」

「うん。いい意味でね」

 

 料理を食べ終えたら、また二人で洗い物をした。

 

「さて、どうしたものかしらね」

「マスター?」

「貴女、魔術はある程度覚えてるみたいだけど、戦闘技術の方はどうなの?」

「戦闘……、うーん」

 

 自分が戦う姿を想像してみる。

 雑多なイメージが浮かんできた。剣で戦う姿。槍で戦う姿。斧で戦う姿。銃で戦う姿。

 

「なんとなく……、だけど」

「……質問を変える。貴女、戦える?」

 

 彼女の意図は明白だ。敵と戦う己を想像すると、不安が過ぎる。

 

「分からない……。怖いと思うし、出来れば戦いたくないって思う……」

「オーケー。素直に答えてくれてありがとう。英霊なんだから、戦う術はあると思ってたけれど、やっぱり、戦闘に意欲的な方では無いのね。クラスがアーチャーである事といい、魔術スキルのランクから見ても、策謀を巡らせるタイプだったのかしら……」

「策謀……、うーん」

「……イメージが湧かないわね」

「って言うか、わたしってアーチャーなの?」

「……そこからか」

 

 洗い物を終えて、リビングに移動しながらマスターはわたしのステータスについて教えてくれた。

 

「アーチャーで、魔術のランクがA……」

 

 たしかに、それだけ聞くと策謀に優れたタイプの英霊に思える。

 

「でも、戦うイメージはどれも近接戦闘だったよ?」

「……うーん、分からないわね。アーチャーで近接戦闘って……」

「わたしって、どんな英霊なんだろ」

「一応、知る方法はあるわよ?」

「え? そうなの?」

 

 そんな方法があるなら、あれこれ頭を悩ませる理由が無くなる。

 さっさと教えてくれたらいいのに、どうして勿体ぶるんだろう。

 

「……令呪を使えば一発だけど、貴女の昨日の反応を見ると、無理に思い出させていいものか悩んでるのよ。だって、これは貴女の死因も同時に識る事になるのよ?」

「あっ……」

 

 どうやら、彼女なりの気遣いだったみたい。

 言われて、体が震えた。

 

「……うん。あんまり思い出したくないかも」

「聖杯戦争は開戦目前だし、あんまり悠長な事も言ってられないけど、わたしとしては自然に思い出す方がいいと思ってる。貴女、メンタル弱そうだし」

「ガラスのハートなの……」

 

 結局、令呪による記憶の復元は必要に迫られるまで延期になった。

 

「とりあえず、今後の方針ね。一先ず、戦闘は極力回避しましょう。挑まれたら受けざるを得ないけど、こっちからは挑まない。貴女の記憶が蘇ったら、その限りでは無くなるけれど」

「……うん。それでいいと思う」

「なら、話し合いはここまでね。街に繰り出すわよ」

「え? こっちからは挑まないって……」

「挑まないけど、ジッとしてるのも性に合わないのよ。貴女には街の地形を頭に入れてもらう必要があるし」

「……分かった」

 

 外にはわたし達以外のマスターとサーヴァントがいる。正直言って、すごく怖い。

 だけど、何もせずにジッとしている事はわたしの性にも合っていないみたい。

 

「とりあえず、服を着替えないとね」

 

 マスターはそう言うと、リビングを出て行った。

 戻って来た彼女の手にはあまり彼女らしくない服が乗っていた。

 

「これはマスターの?」

「ううん、知り合いが押し付けてきたものよ。それと、わたしの事は凛でいいわ」

「リン……うん、わかった。わたしはどうしよう……」

「アーチャーって呼ぶわけにもいかないし……、とりあえずアリーシャでいいかしら?」

「アリーシャ?」

「てきとうに考えたけど、可愛い名前でしょ?」

「……うん。じゃあ、それで」

 

 リンから借りた服を着ると、割りといい感じに決まった。

 白のブラウスがわたしの赤い髪と思った以上に相性が良い。スカートは黒のフレアだ。

 

「うん、似合ってるわ。一応、他にも何着かあるんだけど、わたしの見立てに狂いはなかったようね」

「へへ、ありがとう」

 

 二人で屋敷を出ると、昨夜走り抜けた坂道を今度はゆっくりと降りた。リンの屋敷は周囲の家々と比べると大分大きかったみたい。というか、この国の家は随分小さい。

 途中でレストランや観光名所のような場所も巡って、最後は冬木市一の高所にやって来た。

 ビルの屋上から見る夕日というのも良いものだ。

 

「あー、楽しかった!」

「そうね。誰かとこんな風に歩き回る機会は中々無かったんだけど、思ったより楽しめたわ」

 

 リンはどうやら友達が少ないようだ。

 

「それにしても、ここは高いね!」

「ええ、ここなら冬木を一望出来る……ッ」

「どうしたの?」

 

 リンは急に気まずそうな表情を浮かべて後退った。

 

「ううん、別に。ちょっと顔見知りがいただけよ。それより、冬木の地形は把握出来た?」

「うーん、たぶん」

「たぶん……。そう言えば、貴女って、千里眼のスキルがあったわよね? ここからだと、どのくらい視えるの?」

「えっとねー」

 

 目に力を篭めてみる。すると、思った以上に色々と視えた。

 

「……うん。ここからなら深山町にある家の瓦の枚数でも数えられそうだよ。それに、その下の……地脈の流れも視える。っていうか、ここの地脈って、なんかグニャッとしてるね」

「それは聖杯戦争が原因かしらね。それにしても、さすがはアーチャーね。深山の屋根瓦なんて、双眼鏡を使っても見えないわよ」

「わたしって、結構凄い英霊なのかもね」

「……うーん、どうかしらねー」

「そこは同意して欲しかったなー」

 

 それからしばらく二人でお喋りをしながら夜景を見た。

 

 ◆

 

「さて、夕飯は麻婆茄子よ!」

 

 帰りに色々と食材を仕入れてきた。朝の料理が思った以上に楽しかったから、これから料理は二人で作る事に決まった。

 わたしは茄子の下拵え。少し皮を剥いて、縦に切る。軽く塩水で揉んだら水で塩を洗い流して、油で軽く揚げる。

 リンはその間に合わせ調味料を作っていた。彼女は中華が得意みたいで、手際よく調理を進めている。

 

「こっちは準備オーケーだよ」

「ありがと! じゃあ、中華鍋にじゃんじゃん入れてくわよ!」

 

 油を引いた中華鍋にニンニクと生姜、それに唐辛子を入れる。そこへ更にリンが胡椒と醤油で下味をつけた豚ひき肉を入れる。

 しばらく炒めたら合わせ調味料と牛脂、豆板醤、醤油、オイスターソースを入れて、いよいよ茄子とネギを投入。火を強めて、水溶き片栗粉を入れる。

 

「次はお酢、山椒、ごま油っと」

 

 美味しそうな臭いが漂ってきた。リンが炒めている間に別の中華鍋で作った炒飯を皿に盛り付ける。この屋敷には中華鍋がなんと三つも備えられていた。

 リンが麻婆茄子を豪快に掛けて完成!

 

「美味しそー!」

「ふふん、当然よ! 唐辛子も知り合いから貰った特別なヤツで、パンチが効いてるから絶品よ!」

 

 初日はいろいろとあったけれど、一緒に過ごしていくうちに分かった。

 リンとはきっと仲良くやっていける。だって、こんなに楽しいもの。

 

「いただきます!」

「えっと、いただきます!」

 

 とりあえず、二人で作った麻婆茄子はとびっきり美味しかった。



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第三話『初戦』

第三話『初戦』

 

 心地良い眠りを元気いっぱいな声に妨げられた。

 

「リン! 朝だよ! ご飯作ろうよ!」

 

 アーチャーこと、アリーシャがエプロン姿でベッドの横に立っている。

 

「……わたし、朝は食べない主義だから」

 

 布団を頭まで被る。朝は弱い方だから、そっとしておいてほしい。

 

「そんな事言わないで、一緒に作ろうよ―」

「パス」

 

 アリーシャが黙ってしまった。一秒、二秒……、一分。

 チラリと布団から顔を出して様子を見てみると、下唇を噛んで泣きそうな表情を浮かべているアリーシャの顔があった。

 

「分かったわよ! 着替えてから行くから準備しておいて!」

「わーい!」

 

 しまった! アイツ、嘘泣きだ!

 大きく溜息を吐いて、観念する。演技に騙されたとは言え、一度吐いた言葉を違える事は矜持に反する。

 身支度を整えてキッチンに向かうと、アリーシャがエプロンを差し出してきた。

 

「よーし、作るわよ!」

「おー!」

 

 やると決めたらテンションが上がってきた。

 誰かと一緒に料理を作る。考えてみたら、そんな経験は学校の調理実習くらいのものだ。基本的に学校では他人と距離を置くようにしているから、そういう時に楽しいと思った事はない。

 これは……、いいものだ。

 

「昨日買ったいわし! 夕飯用にって思ったけど、今使っちゃいましょ」

「オッケー!」

 

 二人で肩を並べながら包丁を握る。我が家の台所は広々としていて、二人居ても楽々動き回る事が出来る。

 

「まずはエラより下で頭を切り落としてっと」

 

 昔はこの作業が苦手だった。既に死んでいるモノとはいえ、生き物の首を切り落とす作業はとても残酷に思えた。

 

――――いい? こういうのは慣れよ。

 

 いつか、母に言われた言葉を思い出す。身も蓋もない言葉だったけれど、真理でもあった。

 魔術の鍛錬と同じだ。生き物の死も、積み重ねる業も、魔力を通す痛みも、一人っきりの孤独も、結局は慣れる。

 

「梅肉煮もいいよねー。丁度、材料も揃ってるし」

「なら、わたしの方は蒲焼きにしてみるわね」

 

 こうして誰かと一緒の時間を過ごす事にも直ぐに慣れる。この甘酸っぱい戸惑いも直ぐに掻き消えてしまう。

 ……それは少し勿体無い気がした。

 

「違うの作るの?」

「その方が楽しいでしょ?」

「……うん!」

 

 わたしは楽しんでいる。この少々頓珍漢なところがあるサーヴァントとの時間を。

 完成した料理はいつも作っているモノよりも美味しく感じた。

 

「この梅肉煮、美味しいわね。折角だから、弁当に入れていくわ」

「弁当……? 今日も出歩くの?」

「学校よ」

「……学校? え? 行くの?」

 

 意外そうな表情を浮かべるアリーシャ。

 

「当たり前でしょ。昨日はサボっちゃったけど、聖杯戦争中でもわたしは生活のリズムを崩すつもりはないのよ」

「……わたしはどうしたらいいの?」

 

 どうしよう……。まさか、聖杯戦争中にサーヴァントと離れるわけにもいかないし……。

 

「……あっ、そう言えば、サーヴァントは霊体化が出来る筈よね?」

「霊体化……? あっ、うん。出来るみたい」

 

 そう言うと、アリーシャはパッと姿を消した。

 

『うわー、変な感じ』

「とりあえず、これで問題無さそうね」

『……服が脱げちゃった』

「まあ、当然よね。カバンに貴女の着替えも入れておくわ。帰りにまた商店街に寄る事になると思うし」

 

 夕飯は何を作ろうかな?

 

『はーい』

「それじゃあ、学校に行くわよ」

『ラジャー!』

 

 ◆

 

 学校に到着した瞬間、わたしの浮ついた心は一瞬にして冷えた。

 

『……リン』

 

 アリーシャの不機嫌そうな声を聞いて、少し落ち着く。

 空気が淀んでいるどころの話じゃない。結界が仕掛けられている。それも、とびっきり悪辣な類のモノ。

 

「……学校が終わったら調べるわ」

『わかった』

 

 学校に他のマスターはいないと踏んでいた。だって、わたし以外に魔術師は一人しかいない。その一人もマスターになれるほどの魔力を持っていない。

 おそらく、これを仕掛けた人間は外部の魔術師だ。しかも、三流。第三者にアッサリ看破されるような結界なんて、張ったヤツの程度も知れる。

 魔術師である以上、わたしも綺麗事を並べる気はない。けれど、これを仕掛けた人間には相応の報いを受けさせる。

 わたしの領域(テリトリー)で好き勝手されて、黙っているなんて性に合わないもの。

 

 二時限目の音楽を終えて、音楽室から帰る途中、重たそうに資料を運んでいる一年生の女の子と出くわした。

 

「手伝うわ、桜」

「え? あっ、遠坂先輩」

 

 遠坂先輩。この他人行儀な言い回しにも慣れてしまった。

 彼女が意地悪をしているわけじゃない。わたしと彼女はたしかに他人なのだ。だから、この呼び方は何も間違っていない。

 一方的に寂しさを感じているわたしの方が身勝手なのだ。

 

「……世界史のプリントね。まったく、葛木のヤツ! 女生徒をこき使うなんて!」

 

 とりあえず、わたしの担任であり、桜に仕事を押し付けた下手人である葛木に八つ当たりをしながら桜の持っている資料を半分奪った。

 

「せ、先輩?」

「手伝うわ。桜のクラスまで持っていくの?」

「……ううん。葛木先生のところまでです。誤字が見つかったからって」

「あー、なるほど」

 

 葛木宗一郎とは、そういう男だ。以前、中間試験の問題に誤字が見つかったとか言い出して、試験を中止にした前科がある。

 試験は後日改めて行うって、いつもの淡々とした口調で言った。あの時の事は今でも語り草になっている。

 わたしがその時の話をすると、桜はクスクスと微笑んだ。

 

「葛木先生らしいですね。先生、物を教える立場の人間に間違いは許されないって人ですから」

「度が過ぎてる気もするけどね。融通が利かないっていうか……まあ、そこがいいところでもあるんだけど」

 

 学年が上がるごとに葛木先生の評価は比例して上がっていく。

 最初は近寄りがたく見えても、本人が真っ直ぐだから割りとすぐに慣れる。すると、先生が実はすごく頼りになる人だと言う事も分かる。

 

「それにしても、先輩は葛木先生の事が好きなんですね」

「え?」

「先輩がそういう風に誰かの事を話すところ、はじめて見ました」

「そうね……。もう少し柔軟性があってもいいと思うんだけど……」

 

 そう思っているけれど、葛木は今のままでもいいのではないかとも思っている。

 うちの学校にはひたすら人に親しまれる先生がいて、とことん恐れられる先生がいる。そのバランスは実に絶妙で、だからこそ生徒達は素直に教師を信頼出来る。

 

「……っと、もうここまで来てたか」

 

 いつの間にか、職員室の前まで来ていた。資料を桜に返しながら、彼女の顔を見つめる。

 

「……ねえ、最近はどう?」

「あっ……はい、大丈夫です。元気ですよ、わたし」

「そっか……。慎二のヤツはどう? アイツは限度ってものを知らないから、もし何かするようならいつでも相談しなさい」

「心配いりませんよ、先輩。兄さん、この頃はやさしいんです」

 

 笑顔でそう言われて、それ以上は踏み込めなかった。

 

『今の子って、リンの友達?』

 

 別れを告げて、廊下の隅まで行くと、アリーシャが不思議そうに訪ねてきた。

 

「……似たようなものよ」

『ふーん、リンにも友達っていたんだ』

「失礼ね! わたしにだって友達の一人や二人、いるわよ」

『そうなんだ!?』

 

 心底意外そうな声。

 

「……あとで覚えてなさい」

 

 眉間に皺を寄せながらわたしは教室に向かった。

 

 一日が終わり、生徒達がいなくなるまで待ってからわたしは行動を開始した。

 結界の起点は様々な箇所にあり、それを追うごとにわたしの顔から表情が抜け落ちていく。

 最悪だ。結界はふつう、術者を守るためのもの。内と外を遮断したり、内部の人間の行動を制限するなど、タイプは千差万別。その中でも、もっとも攻撃的なものが内部における生命活動の圧迫だ。

 学校に仕掛けられている結界もこのタイプ。おそらく、一度発動すれば抵抗力のない人間は瞬く間に昏睡してしまうだろう。

 

「……これはマスター(わたし)を狙ったものじゃない。おそらく、この学校の生徒をサーヴァントの養分にする為に仕掛けられたものね」

 

 すっかり空が暗くなった頃、最後の締めとして屋上に出る。アリーシャは不愉快そうな顔で実体化した。

 彼女の目の前には七つ目の起点がある。魔術師だけに視える赤紫の文字は見たこともないカタチであり、聞いたことのないモノで刻まれていた。

 

「わたしには手に負えない……。貴女はどう?」

 

 この結界の構築に使われた技術はまさに桁違いだ。わたしの力では精々呪刻から魔力を消し去る事くらいで、術者が魔力を注げば簡単に復元されてしまう。一時しのぎにしかならない。

 

「うん。この程度なら問題なく破壊出来るよ」

 

 彼女は当たり前のように言った。彼女は近代の英霊の筈だ。だけど、この結界は明らかにそれ以前のもの。下手をすると神代の技術が使われている可能性もある。

 それを破壊出来ると彼女は言った。

 

「……記憶、戻ってるの?」

「ううん。だけど、これを壊したいと思ったら、壊せるって答えが脳裏に浮かんだ。方法も少し集中すれば思い出せると……、リン!」

 

 突然、アリーシャがわたしを抱えて屋上の出入り口まで跳んだ。

 

「おっ、中々やるな! 気配は隠していたつもりなんだが?」

 

 給水塔の上にソレはいた。群青の装い、獣の如き真紅の眼光。一目見て、尋常ならざる存在である事がわかった。

 

「これ、貴方の仕業?」

「いいや。そういう小細工はアンタ等魔術師の領分だろう。なあ、お嬢ちゃん」

 

 男の視線はアリーシャに向けられている。

 

「違うね。これは外道の領分だ。どんな理由があろうと、リンもわたしもこんなモノを仕掛けたりはしない」

「……ああ、違いない。嬢ちゃん、魔術師(キャスター)か? なら、そっちの流儀に合わせてやるぜ」

 

 男は給水塔から降りて言った。

 

「……どういうつもり?」

「遊んでやるって言ってんだよ。それとも、ガチでやり合うか?」

 

 男の意識が切り替わった瞬間、猛烈な吐き気に襲われた。濃密な殺気が直後の死を予感させる。

 そんなわたしの前にアリーシャが立ちはだかった。召喚直後、錯乱したり、怯えたりしていた彼女がわたしを守る為に立ち向かおうとしている。

 そのおかげで頭が冷えた。

 

「……いける?」

「無理」

「……えっ?」

 

 アリーシャは突然わたしの方へ後退した。その直後、わたしの体は宙を舞った。

 

「えっ?」

 

 気付くと、景色が一変していた。

 

「うち……?」

 

 そこはわたしの家のリビングだった。それが意味する事に気付くまで、たっぷり一分も掛かってしまった。

 

「空間転移!?」

 

 魔法の一歩手前にある魔術だ。現代において、これを実践出来る魔術師は稀であり、彼女が下準備をしていた様子もない。

 令呪によるバックアップがあったのならまだしも……。

 

「貴女……、何者なの?」

「……何者なんだろうね。ただ、あの状況だと勝てないって思ったの。だから、逃げなきゃって思って、そうしたら……、逃げ方が分かった」

 

 魔力を持って行かれた感覚はある。けれど、空間転移を使ったにしては妙に少ない。よほど、効率的な術式を使ったのか、それとも……。

 記憶喪失中の段階で、ここまでの魔術を行使出来るのなら、記憶が戻ったら一体……。

 しかも、彼女のクラスはアーチャーだ。キャスターではない。このあり得ないレベルの魔術すら、彼女にとって本来の武器ではない。

 

「頼もしいかぎりね……」

 

 もし、彼女が牙を剥いたら、わたしでは勝てない。おそらく、令呪を使う事さえ出来ない。

 はじめは頼りないカードを引いてしまったと思ったけれど、とんでもない。アリーシャはとびっきりのジョーカーだわ。

 使い方を誤らない限り。

 

「……とりあえず、夕飯作る?」

「……うん!」

 

 ◇

 

「さて、帰るか」

 

 友人に弓道場の掃除を頼まれていた少年は空がすっかり暗くなっている事に気付いて慌てた。

 校庭を横切り、急いで帰宅する。何事もなく、何も見る事なく、街の異常に気付く事もなく、いつも通りの日常へ帰っていく。

 

 ◇

 

 ――――まだ、召喚してないんだ。

 

 遥々異国からやって来た少女は不満を口にする。

 忠告はした。だけど、少年は行動を起こさない。

 

「……まったく、仕方ないな―」

 

 雪のように白い髪を持つ、幼い容姿の少女は踊るように街を歩く。

 

 運命の夜はすぐそこに――――。



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第四話『運命の夜・Ⅰ』

第四話『運命の夜・Ⅰ』

 

 テーブルに並べてあった料理を温め直して食べていると、インターホンが鳴った。

 藤ねえか桜が忘れ物でも取りに戻って来たのかと思い、玄関扉の鍵を開けると、そこには小柄な女の子が立っていた。

 

「えっと……」

「こんばんは、お兄ちゃん」

 

 鈴を鳴らすような声。聞き覚えが在る。

 

「君は昨日の?」

「ええ、忠告してあげたのに、まだ喚び出していないのね」

「喚び出すって……?」

 

 困惑していると、少女の方まで困惑し始めた。

 

「えっと……、もちろん、サーヴァントの事だけど?」

「サーヴァントって?」

「……え? あれ?」

 

 とりあえず、立ち話をしていては埒が明かない気がしてきた。

 

「とりあえず、上がっていきなよ。お茶くらい出すからさ」

「えっ? えっと、いいのかな?」

「あれ? まずいかな?」

「え?」

「うん?」

「……うん。折角のお誘いを断るなんて、レディーにあるまじき事だもの。上がらせてもらうわ」

「あっ、うん。どうぞどうぞ」

 

 そのまま土足で上がろうとする少女に慌てて脱ぐように伝え、居間に案内した。

 

「これがタタミなのね……」

 

 珍しそうに畳を見ている。

 

「えっと、とりあえずお茶とお菓子を」

 

 緑茶と藤ねえが置いていったドラ焼きを少女の前に置いて、対面に座る。

 

「それで、君は一体? 俺の事を知っているみたいだけど……」

「……イリヤスフィール。わたしはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ええ、あなたの事は知っているわ」

 

 イリヤスフィールと名乗った少女はお茶を啜った。

 

「にがっ!? なにこれ!?」

 

 涙目になった。

 

「あっ、緑茶は苦手だったか? ごめん、ジュースにするべきだった……。すぐに用意するよ」

「……いい、飲む」

「え? でも……」

「いいから! 話の続き! っていうか、お兄ちゃんの名前を教えて!」

「え? 俺の事を知ってるんじゃなかったのか?」

「知ってるけど、名前は知らないの! ほら、はやく!」

「し、士郎だ! 衛宮士郎」

 

 ガーッと怒る彼女にあわてて名前を名乗った。

 

「シロウ……、シロウね。うん、シロウ!」

「れ、連呼されると恥ずかしいんだけど……」

「……シロウは聖杯戦争の事を知らないの?」

「聖杯戦争? なんだ、それ」

 

 イリヤスフィールは困ったような表情を浮かべた。

 

「ねえ、キリツグに教わってないの?」

「あれ? 親父の事は知ってるのか……。って言われても、聖杯戦争なんて話は聞いたことが無いぞ」

 

 そう言うと、イリヤスフィールはムッとした表情を浮かべた。

 

「えっと、なんかまずかったか……?」

「べつに! キリツグが聖杯戦争のことも、わたしのことも、なーんにもシロウに教えてなかったんだって思っただけ! ぜんぜんまずくないわ!」

 

 大分まずいことだったようだ。

 

「その、すまない。俺はその事を知っておくべきなんだよな。なら、教えてくれないか?」

「……仕方ないなー」

 

 やれやれと肩を竦めながらイリヤスフィールが話し始めた時、どこからかグーという奇妙な音が鳴った。

 

「あれ?」

「……だって」

 

 イリヤスフィールの目が泳いでいる。

 

「近くにいれば気付いて召喚を始めるかな―っておもってて、ずーっと待ってたのに……、ぜんぜん召喚しないんだもん」

 

 どうやら、インターホンを鳴らす前から近くでスタンバっていたようだ。

 

「……えっと、どのくらい?」

 

 指を三つ立てた。

 

「三時間……? 夕飯は?」

「……たべてない」

「了解」

 

 俺は立ち上がって台所へ向かった。

 

「シロウ……?」

「ちょっと待っててくれ。簡単に摘めるものを用意するからさ」

 

 切嗣を知っている少女の話。気にならないと言えば嘘になる。

 だけど、お腹を空かせた女の子から無理に聞き出す事は出来ない。

 まずは腹拵えをしてもらおう。

 

「材料は……、豚ロースがあるな。生姜、片栗粉、醤油、味醂、お酒っと」

「……なにを始めるの?」

「生姜焼きを作ろうと思ってな」

「ショウガヤキって?」

「美味しいぞ」

「……ふーん」

 

 まずはタレ用の生姜を擦る。これに調味料を測って入れて……。

 

「えっと、気になるか?」

 

 イリヤスフィールはジーっと此方を見つめている。

 

「べ、べつにー」

 

 口振りとは裏腹に視線は釘付けだ。もう随分昔の話だけど、俺も子供の頃に大人が料理をしている姿が気になって見ていた事がある。

 

「一緒に作るか?」

「……シ、シロウがどうしてもって言うなら」

 

 思わず笑いそうになった。

 桜の使っているエプロンを渡すと少しブカブカだった。

 

「うーん。俺が昔使っていたヤツがどっかにあったかな? ちょっと見てくるよ」

「う、うん」

 

 探し当てたエプロンはずいぶん長い間放置していたせいで少し埃っぽかった。

 

「うーん。これなら桜のエプロンの方が……」

「これがシロウの使っていたエプロンなのね」

「あっ、ああ」

「なら、こっちがいいわ」

 

 そう言うと、イリヤスフィールはエプロンを身に着けた。なんだか、妙に気恥ずかしい。どうしてか、藤ねえのことを思い出す。

 

「じゃあ、始めるか。イリヤスフィールは包丁を使えるのか?」

「うーん、たぶん使えるとおもう。あと、わたしの事はイリヤでいいわよ、シロウ」

「そうか? わかった。使えると思うって事は、使った事はないって事か?」

「……うん」

「なら、それも教えるよ」

 

 エプロンのついでに持ってきた踏み台をまな板の前に置いて、イリヤに登らせる。

 

「手はこうやって握るんだ。それで、豚肉の筋切りをしていく。赤身と脂の間に切り込みを入れておくと反り返らないんだ」

「えっと、こうね」

 

 イリヤは筋が良かった。手先が器用なようで、作業を着々とこなしていく。

 

「次は片栗粉をまぶすぞ。ビニールに肉と片栗粉を一緒に入れると簡単なんだ」

「任せてちょうだい」

 

 しゃかしゃかとイリヤが片栗粉を肉にまぶしている間に俺はフライパンの用意をする。

 

「これでいいの?」

「ああ、ばっちり」

 

 油をひかずにそのまま肉をフライパンへ投入。焦げ付かないように気をつけながら焼いていく。

 しばらくしたら滲み出てきた豚の油をキッチンペーパーで拭いて、さっき作ったタレを加える。

 

「いいにおいねー!」

「もうすぐ完成だぞ」

 

 それにしても、不思議なものだ。よく考えると、こんな時間に現れた幼い少女を家に招き入れて一緒に料理をするなんて普通じゃない。下手をすると警察の厄介になりかねない。

 だけど、自然とこういうカタチに収まっていた。

 完成した生姜焼きを皿に盛り付けて、ご飯をお椀によそう。既に夕飯を食べた後なのに、生姜の臭いにつられて俺もお腹が空いてきた。

 

「いただきます」

「えっと、いただきます」

 

 居間に戻って、二人で一緒にたべる。

 

「おいしい!」

 

 イリヤが歓声をあげた。

 

「イリヤががんばってくれたおかげだな」

「えっへん」

 

 お腹がいっぱいになったところで、デザートに藤ねえが持ってきたリンゴを切った。シャリシャリ音を立てながらのんびりと時間を過ごす。

 そのうちにウトウトし始めた。

 

「うぅ、眠くなってきた」

「大丈夫か?」

「大丈夫じゃない……」

 

 その時、玄関のインターホンが鳴った。

 

「今度は誰だ?」

 

 玄関の扉を開けると、そこには異様な出で立ちの女性が二人立っていた。

 

「えっと、もしかしてイリヤの保護者の人ですか?」

 

 そう言うと、女性の片割れが険しい表情を浮かべた。

 

「やはり、まだ始めていないようですね」

「始める……?」

「リーゼリット」

「うん、わかった」

 

 いきなり、もう一方の女性に胸ぐらを捕まれ、壁に叩きつけられた。

 

「何をしているの、セラ! リズ!」

 

 やっぱり、イリヤの家族だったようだ。

 

「ご覧のとおりです、お嬢様。むしろ、何故、バーサーカーを喚び出して、この者を始末なさらないのですか?」

 

 物騒な言葉が聞こえた。

 

「な、んだよ、始末って!」

「言葉通りの意味です。我らアインツベルンを裏切りし、エミヤキリツグの息子。我々は――――」

「黙りなさい、セラ! リズもはやくシロウを下ろして!」

「ですが……」

「わかった」

 

 セラと呼ばれた女は渋っていたが、リズと呼ばれた女はあっさりと俺を解放した。

 咳き込みながら、彼女達の言葉振り返る。

 アインツベルンを裏切りし、衛宮切嗣の息子。彼女達はそう言った。

 

「……ど、どういう事なんだ?」

「言葉通りの意味よ」

 

 イリヤは言った。

 

「キリツグはわたし達を裏切った。だから……」

「その息子の俺を始末しに来たって事なのか?」

 

 イリヤは俯いている。

 

「ごめんな、イリヤ」

「……なんで」

「俺は何も知らないんだ。知らない事に対しては謝れない。でも、何も知らない事でイリヤを傷つけた事には謝る。ごめん、イリヤ」

 

 イリヤは深く息を吸った。

 

「セラ。シロウは何も知らないの。サーヴァントを召喚してもいない。だって、聖杯戦争そのものを知らないんだもの」

「まさか……、エミヤキリツグの息子がそんな筈は……」

「本当よ。シロウは何も知らない。……そのままでいい」

「イリヤ……」

 

 イリヤは微笑んだ。

 

「夜分遅くに押しかけて申し訳ありませんでした」

 

 スカートの裾を持ち上げて、イリヤは優雅にお辞儀をした。

 

「あんまり、夜は出歩いちゃダメよ。あと、変な場所にも行っちゃダメ」

「イリヤ……?」

 

 イリヤはセラとリズの手を握った。

 

「ばいばい、シロウ。ショウガヤキ、とっても美味しかったわ」

「ま、待ってくれよ、イリヤ! 俺のことを始末しに来たんじゃなかったのか!?」

「だって、何も知らないじゃない……」

 

 その声は震えていた。

 去っていく小さな背中を追いかける事も出来なくて、俺はその場に立ち尽くしていた。

 

「なんなんだよ、聖杯戦争って……」



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第五話『運命の夜・Ⅱ』

第五話『運命の夜・Ⅱ』

 

 聖杯戦争。聖杯と言えば、神の子が晩餐の席で『これはわたしの血である』と言って、ワインを弟子達に振る舞う時に使った杯の事だ。その名はロンギヌスの槍と並んで有名となり、様々な冒険譚を生んだ。

 宗教戦争は宗教を巡る戦争。独立戦争は独立を勝ち取る為の戦争。侵略戦争は侵略の為の戦争。その流れで行くと、聖杯戦争は聖杯を巡る戦争という事になる。

 

「聖杯……、か」

 

 いまいちピンとこない。

 

「イリヤ……」

 

 異国から遥々やって来た少女。その目的は裏切り者の息子である俺を殺す事。

 

「サーヴァントは召使いって意味だよな? それを召喚って言ってた」

 

 他にもバーサーカーとか言っていた気がする。

 

「……俺がサーヴァントってヤツを召喚していたら、そのまま始末をつけるつもりだったって事だよな」

 

 サーヴァントは一種の参加資格のようなものなのかもしれない。

 

「イリヤが嘘を吐いていたようには見えなかった。それに、あのセラとリズっていう人達は俺を本気で殺そうとしていた」

 

 深く息を吸い込んで、頭の中を整理してみる。

 現在、この街では聖杯戦争が行われている。それは幼い少女が人を殺す意志を持つようなもの。

 どういう規模で、どういう規範の下に、どういう目的を持って行われているのかは不明だけれど、いつかイリヤが人を殺すことになるかもしれない。

 

「……それはダメだ」

 

 おそらく、彼女は魔術師だ。召喚という言葉や魔術師である切嗣の事を知っている以上、間違いないと思う。

 魔術師は人の死を容認するもの。だけど、彼女は俺を殺さなかった。

 

「あの手を汚させちゃダメだ」

 

 一緒に生姜焼きを作った。一緒に食べた。美味しかったと言ってくれた。

 全部、俺の勘違いかもしれない。本当は聖杯戦争というのも殺し合いなんて物騒なものではないかもしれない。

 だけど、もしも彼女が血に塗れるような事があったら……、なんとしても止めたい。

 

「あー、だめだ。考えがまとまらない」

 

 あまりにも情報が少なすぎる。俺は頭を冷やそうと中庭に出た。

 雲が晴れていて、月が綺麗だ。

 

「……こういう時はアレだな」

 

 そのままの足で土蔵に向かう。結跏趺坐の姿勢を取り、呼吸を整える。

 朝食を作るように、学校に通うように、湯船に浸かるように、俺は日々の日課として魔術の鍛錬を行っている。

 頭の中を出来る限り白一色に近づけていく。

 

同調(トレース)開始(オン)――――」

 

 自己を作り変える作業。人間が本来持たない疑似神経の作成。

 その為に全神経を尖らせる。

 

 ――――僕は魔法使いなんだ。

 

 いつか、切嗣が言っていた言葉を思い出す。

 死と隣合わせの鍛錬を彼の死後も延々と続けている理由は一つ。こんな俺でも一つくらいは使える魔術があって、それを鍛えていけば切嗣のようになれるかもしれない。そう、信じたからだ。

 

「――――っと、よし」

 

 漸く、魔術回路が安定した。ここまでで一時間弱も掛かっている。

 

「サーヴァントの召喚も魔術なんだよな。それって、そもそも俺に出来るものだったのかな?」

 

 切嗣と俺は本当の親子じゃない。だから、彼の魔術刻印を受け継ぐ事も出来なかった。そんな俺に出来る事は《起源》に従って魔力を引っ張り出す事だけ。

 何かを召喚するなんて高等技術は習ったことがないし、出来るとも思えない。

 

「こう……、召喚! って言ったら、召喚出来たりしないかな――――」

 

 軽口のつもりで言った瞬間、異変が起きた。

 空気が揺らめき、眩い光が煌めいた。

 

「うわっ!」

 

 直後、それは魔法のように現れた。

 

「サーヴァント・セイバー、召喚に応じて参上した。問おう。貴方が、私のマスターか」

 

 すぐに返事が出来なかった。まさか、本当に召喚出来るなんて露ほども思っていなかったし、なによりも召喚されたサーヴァントがあまりにも……、あまりにも綺麗な女の子だったから、言葉が見つからなかった。

 凛とした表情を浮かべる彼女に十秒以上も掛けて漸く第一声を絞り出す。

 

「お、俺は衛宮士郎。その……、君は俺が召喚したサーヴァントでいいんだよな?」

「……ええ、ラインを通じて貴方から魔力が流れ込んできている。貴方は間違いなく、私のマスターだ。これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。ここに、契約は完了した」

「俺が……、マスターに……」

「どうしました?」

「い、いや……」

 

 俺は慌てて立ち上がると、改めて自己紹介をする事にした。

 

「改めて、俺は衛宮士郎。よろしく頼む」

「……ええ、よろしくお願いします、マスター」

「えっと、その……」

「どうしました?」

「とりあえず……、そのマスターっていうのは止めてくれないか? なんか、その……気恥ずかしい」

 

 そう言うと、彼女はクスリと笑った。

 

「では、シロウと……。ええ、私としても、この発音の方が好ましい」

「お、おう。えっと、君の事はなんて呼べばいいんだ?」

 

 いきなり浮世離れした美少女に下の名前で呼ばれて、少し動揺してしまった。

 

「セイバーとお呼び下さい。あるいは、アルトリアと」

「アルトリア……。そっちが君の本名なのか?」

「ええ、セイバーはあくまでもクラス名ですから。もっとも、敵の前で真名を口にされては困りますが」

 

 冗談のつもりだったのだろう。アルトリアは薄く微笑んで言った。

 

「そっか……、本名で呼ぶとまずいのか。って言うか、やっぱり敵がいるのか」

「……は?」

 

 アルトリアがポカンとした表情を浮かべている。

 

「えっと、いろいろと事情がありまして……。とりあえず、居間の方に行こう。こっちの事情も説明するからさ」

「え、ええ」

 

 セイバーにお茶を出してから、俺は事情の説明を始めた。

 

「……実を言うと、聖杯戦争とか、サーヴァントについて知ったのはほんの数時間前の事なんだ」

「数時間前……? それで参加を決意したのですか?」

「決意って言うか……。あんまり詳しくは聞いてないんだけど、戦争って言うくらいだから物騒な類のものだろうなって思ってさ。それに知り合いっていうか、まあ、そんな感じの女の子が参加してるっぽくて、あんまり危ない事は止めさせたいなーって思って、鍛錬中にサーヴァントを召喚出来たら色々事情も分かるかなーって思ったら……」

「わ、私が現れたと……?」

「はい……」

 

 アルトリアは愕然とした表情を浮かべている。

 

「確認しますが……、聖杯戦争のあらましはどこまで知っているのですか?」

「名前だけ……」

「……え?」

 

 アルトリアは考え込み始めた。

 

「あの……、マスターは魔術師ではあるのですよね?」

「い、一応……」

「一応というのは?」

「出来ることが強化と解析しかありません……」

 

 尻すぼみになる俺の言葉にセイバーは深刻そうな表情を浮かべた。

 

「えっと……、すまん」

「え?  あ、いえ、貴方が謝る事は何もありません。ただ、私が少し軽率だったもので……」

 

 頭を下げると、アルトリアは慌てた様子で言った。

 

「軽率って?」

「その……、真名を敵に知られる事は大きなリスクとなるのです。なので……」

「未熟な俺には教えるべきじゃなかったって事か……?」

 

 気まずそうに頷かれて、俺は肩を落とした。

 

「……とりあえず、聖杯戦争について教えてもらってもいいか?」

「ええ、構いません」

 

 聖杯戦争。アルトリアの口から語られるその内容は思った以上に血腥いものだった。

 万能の願望器である聖杯を求めて、七人の魔術師がサーヴァントを使役して殺し合う争奪戦。

 聞けば、既に四回も戦端が開かれ、その度に泥沼化して多くの死者を生んだらしい。

 イリヤがその戦いに参加している。

 いや、イリヤだけじゃない。この街に住んでいる人間は誰も彼も無関係でなどいられない。

 藤ねえ、桜、一成、慎二、雷画の爺さん、猫さん、零観さん……。

 親しい人間の顔が次々に浮かんでくる。他にも、商店街の人や近所の顔見知り、それ以外の人達も理不尽に殺される理由などない。

 

「アルトリア。俺はこの戦いを止めたい。こんなバカげた戦いで犠牲になる人が出るなんてイヤだ! その為に力を貸してくれないか!」

 

 彼女の話では、サーヴァントも聖杯に掛ける願いがあって召喚に応じるらしい。

 彼女にも相応の願望がある。聖杯戦争を止めたい俺とは相容れない立場にある。それでも、俺には彼女の力が必要だ。

 

「……頼む、アルトリア!」

 

 頭を下げると、アルトリアは深く溜息を零した。

 

「……私には聖杯が必要です」

「ああ……」

「ですが、貴方の思想にも共感出来る」

「なら!」

 

 顔を上げた俺にアルトリアは険しい表情を浮かべて言った。

 

「貴方は聖杯戦争を止めると言いましたが、その為に取れる手段は一つだ。被害が出る前に、迅速に全てのサーヴァントを打ち破る。それ以外に方法は無く、それならば私の方針とも一致する」

「それは……」

「ええ、それは貴方が戦争から遠ざけたいと願う少女とも戦う事を意味しています。あるいは、彼女に血化粧を施すのが貴方になるかもしれない。それに、それは貴方が厭う聖杯戦争へ積極的に参戦するという事。この矛盾を呑み込めますか?」

「は、話し合いとかは……」

「聖杯戦争に参加している以上、それは殺し、殺される覚悟を決めた魔術師達です。話し合いの余地などない。迷えば死ぬのは貴方であり、貴方が守りたいと願う人々だ」

 

 彼女の言葉に嘘偽りはなく、その瞳はどこまでも真摯だ。

 俺の気持ちを汲み取って、その上で残酷な言葉を突きつけてくる。

 

「守りたいのなら、今ここで選択するべきだ。時間のある内に覚悟を決めた方がいい」

「俺は……」

「すぐに答えを出す必要はありません。迷える内に迷っておいた方がいい」

 

 結局、俺は答えを出せなかった。

 いつかの切嗣の言葉が頭に浮かぶ。

 

 ――――士郎、誰かを救いたいということはね、他の誰かを救わない、ということなんだよ。

 

 そんな事はない。きっと、何か方法がある筈なんだ。

 どこかに……、きっと……。



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第六話『アンノウン』

第六話『アンノウン』

 

 召喚されてから三度目の朝を迎えた。今日もリンを叩き起こして一緒に朝食を作る。

 彼女と肩を並べて料理をしていると幸せな気分になる。他愛ない話で盛り上がったり、料理の味付けを工夫してみたり、聖杯戦争なんて放ったらかして、延々とこういう時間を過ごしていたい。

 それを言うと、彼女は困ったように笑った。

 

「……それも悪くないって思っちゃうのよねー」

 

 正直言って、少し驚いた。また、手厳しいツッコミが来ると思っていたから、彼女が同意してくれるとは思わなかった。

 嬉しくなって、朝食を食べ終わった後にお菓子作りに挑戦した。

 今日は日曜日で、リンの学校も休みらしい。

 作るのはクリームも手作りの本格パンケーキ。

 

「バター20gを溶かしてっと……」

 

 この家に電子レンジがあって良かった。調べてみたら、フードプロセッサーは普通に売っていた。

 単にリンが極度の機械音痴で、調理器具でさえアナログなモノばかり使っていただけみたい。電話でさえ梃子摺ると聞いた時はリンの方が古の時代から召喚された英霊なのではないかと本気で疑いを持った。

 英霊・トーサカ。なんだか、すごい格好をしたリンの姿が脳裏に浮かぶ。ぷくくと笑うと叩かれた。

 

「今、失礼な事を考えたでしょ!」

 

 どうして分かったんだろう……。

 

「ほら、材料加えていくわよ! 上白糖40gに塩一摘み、卵を一個分と牛乳100cc、それからプレーンヨーグルトを100gっと」

 

 ボウルに入れた材料をかき混ぜているリンの手元の上から薄力粉とベーキングパウダーを混ぜたモノをザルに入れて振るう。

 上手く混ざるように三回に分けて加えた後、さらに混ぜる。

 

「それにしても、重曹じゃなくていいんだ」

「どっちでもいいみたいね。重曹なんて滅多に使わないから置いてないのよ。ヨーグルト買っといて良かったわ」

 

 フライパンを少し温めてから弱火で生地を焼く。

 

「泡が出てきたらひっくり返すわよ」

「あっ、それ、やりたい!」

「いいけど、失敗しないでよ?」

「ふふふ、アーチャーを舐めてもらっては困るね」

「パンケーキひっくり返す事とアーチャーのクラスである事はまったく関係無いわよね」

 

 真顔でツッコミを入れてくるリンに思わず吹き出してしまった。

 

「とりあえず、焼くのは任せるわね。こっちはクリーム作るから」

 

 そう言って、リンは練乳と生クリームをシャカシャカと混ぜ始めた。

 

「果物あったっけ?」

「えっと、ミカンならあるわよ」

 

 完成したパンケーキを皿に乗せる。ふんわりとしていて、完璧な出来栄えだ。

 

「ミルククリームも完成したわ」

 

 リンがミルククリームを絞りに入れて、パンケーキの上にトッピングしていく。その周りにわたしは筋を取ったミカンを飾る。

 うーん、ビューティフル。

 

「紅茶淹れるね!」

「じゃあ、パンケーキはわたしが運んでおくわ」

 

 わたし達のチームワークは完璧だ。もはやツーカーの仲と言っても過言ではないかもしれない。

 あったかい紅茶を飲んで、あまーいパンケーキを食べて、至福の時を過ごす。

 

「あー、幸せ。このままお昼寝したい」

「分かるわー」

 

 そのまま、しばらくのんびりしていると、急にリンが表情を引き締めた。

 

「……ねえ、アリーシャ」

「なに?」

「いろいろと聞いてもいい?」

「どうしたの? 藪から棒に」

 

 リンは姿勢を正すとわたしの目をジッと見つめた。

 

「学校の結界。あれを破壊出来るって言ったわよね。どうやるの?」

「……えっと、少し待ってね」

 

 どうやら、平穏な時間はここまでみたいだ。あの悍ましい結界の事を思い出すと殺意が湧いてくる。アレを仕掛けた存在を生かしておいてはいけない。

 だけど、まずはリンの言うとおり、結界の破壊を優先するべきだ。その方法はわたしの中にある。

 今のところ、わたしの記憶は部分的に蘇っている。わたしの過去は空白に近いけれど、一般常識や料理などの日常的な知識と技能は思考と同時に蘇る。

 魔術に関しても、やりたい事を思い浮かべると、出来るか出来ないかの判断がつく。そこから更に発展させる事でやり方も分かる。

 例えば、壊れたモノを直したいと思った時、直った結果をイメージすると、その通りに直る。空間転移も移動したい場所をイメージすれば、後はそのイメージに向かって飛び込むだけだ。

 この話をした時、リンは若干殺気立った。わたしの魔術は《結果》ありきで発動する。だから、どうやって行使しているのかを詳しく説明する事が出来なかった。

 おそらく、結果に対応する過程を無意識の内に処理しているのだろう。空間転移をそのレベルで行使出来る魔術師はまさしく規格外らしく、昨日は機嫌が直った後もグチグチと文句を言われた。優秀過ぎて困っちゃうわー。

 

「……うーん」

 

 それにしても、出来ると分かっているのに、結界を破壊する手段が中々浮かんでこない。

 

「どうしたの?」

「出来る筈なんだけど、どうやるのか浮かんでこないの……」

「……やっぱり、過程は思い出せないってわけね」

 

 実際、やってみたら出来るのだろう。だけど、それは結果として出来るだけで、どうやるのか理解する事が出来ない。

 

「厄介な記憶喪失ね……」

 

 リンは溜息を零しながら言った。

 

「次の質問。貴女、自分がどういう人間だったか分かる?」

「……えっと、記憶喪失なんだけど」

「うん。それは分かってるわよ。ただ、記憶喪失である事を踏まえた上で、自分をどういう人間だと思うのかって話」

「自分をどう思うか……?」

 

 随分と哲学的な質問だ。わたしはどんな人間なんだろう。

 割りと明るい性格だと思う。それに、学校の結界を視て、張ったヤツを殺してやりたくなる程度の正義感もある。

 料理が出来て、コミュニケーション能力も悪くない。魔術の腕は超一流で、クラスはアーチャー。

 顔だって、そんじゃそこらの女には負けない自信がある。まあ、リンと並ぶと票が二分されそうだけど……。

 

「才色兼備のスーパーガールだね!」

「……質問を変える。自分を善人だと思う?」

 

 返ってきた声は想像以上に冷たかった。

 

「……えっと、悪人では無いと思うけど」

「はっきりと善人って言える? 例えば、人殺しについてどう思う?」

「それは相手によるよ」

「……相手って?」

「人を殺す事は悪い事だよ。だけど、悪人を殺す事はいい事だと思う」

「……え?」

 

 リンは呆気にとられた表情を浮かべた。

 

「ど、どうしたの?」

「……悪人を殺す事はいい事なの?」

「当たり前でしょ? って言っても、誰かれ構わずってわけじゃないよ。どうしようもない程の悪党。例えば、リンの学校に結界を張った外道は何としても殺すべきだと思ってる」

 

 おかしい。なにもおかしな事は言っていない筈なのに、リンの表情が引き攣っていく。

 

「……ねえ、わたしはどうなの?」

「え?」

「わたしは魔術師よ。それに、この不特定多数の人間の命を脅かす聖杯戦争の参加者。貴女の定義の中でわたしはどうなってるの?」

 

 不思議な事を言う。

 

「リンは悪い人じゃないよ? だって、あの結界を視て、怒ってたもの。それに、リンは死を容認する事はあっても、死を弄ぶ事は決してしない。そういう人だって事は分かるから」

「……違いが曖昧ね。死を容認して、他の参加者の命を狙うわたしは広義において悪だと思うのだけど?」

「他の参加者の命を狙うのは仕方のない事だよ。だって、相手も命を狙ってくるんだもの。それに、リンはただ勝利したいだけでしょ? 欲望に塗れて、外道に走る真似をするなら悪だけど、貴女はそうじゃない」

「……仮にわたしが欲をかいて外道に走ったら、貴女はどうするの?」

「そうはならないよ。リンが悪に染まりそうになったら止める。もし、それでもダメだったら……、うん」

 

 ――――その時は残念だけど、殺すと思う。

 

「……そう。貴女はそういう性質なのね」

「えっと……、顔が怖いよ?」

 

 リンは溜息を零した。

 

「学校に結界を張ったヤツは相応の報いを受けさせる。そこは賛成よ」

「うん! リンならそう言うと思ってた!」

「……もう一つ、質問」

「なに?」

「貴女の本音はどっちなの?」

「え?」

 

 リンは言った。

 

「わたしとこうしてのんびり過ごしている方が良いのか、学校に結界を張った外道を殺しに行く方が良いのか。貴女が今したい事はどっち?」

「……わたしは」

 

 不思議な気分だ。わたしはリンとのんびりしていたい。楽しい時間をもっと過ごしていたい。

 だけど、同時に早く殺したいとも思ってる。今なら被害を喰い止められる筈だから、一刻も早く行動したいと思ってる。

 

「わかんない」

「分からない……?」

「なんだろう……、変な感じ。わたしはリンと一緒にいたいのに……、だけど、わたしの中には早く外道を始末しに行きたいっていう衝動もあるの」

「……そう」

 

 リンは深く溜息を零した。

 

「……なら、行動しましょうか」

「リン?」

「メリハリを付けましょう。のんびりするべき時はのんびりする。聖杯戦争をする時は聖杯戦争をする!」

「……リン」

 

 リンは快活に笑った。

 

「貴女と過ごす時間、わたしも好きよ。だけど、聖杯戦争もわたしにとって大切なの。だから、どっちも蔑ろにせず、両立するわよ!」

「リン!」

 

 どうしてだろう。嬉しくてたまらない。

 

「……どうしたの?」

「え?」

 

 リンが首を傾げている。頬に冷たい感触が走った。

 手を当ててみると、自分が涙を零している事に気がついた。

 

「あれ?」

 

 それで分かった。さっきまで、わたしは不安だったのだ。

 間違った事を言っているつもりはないのに、自分の本音を口にしたら、リンが離れていくのではないかって、怖かったのだ。

 自覚した途端、頭を掻き毟りたくなった。

 

 ――――悪魔。

 

 誰かの声が聞こえた。

 

 ――――疫病神。

 

 誰かの声が聞こえた。

 

 ――――人殺し。

 

 誰かの声が聞こえた。

 

 ――――誰がこんな事をしてくれって言ったんだ!!

 

 ……誰かの憎悪がわたしに向けられた。

 

「あっ……、そっか」

 

 記憶は戻っていない。だけど、一つ分かった。

 

「リン……」

 

 涙が止まらない。

 

「――――わたしって、おかしいんだ」

 

 涙を拭うと、瞼の裏に一つの景色が視えた。

 それは一つの地獄。血の雨が降り注ぐ、惨劇の舞台。それを造り上げたのはきっと、わたしだ。

 

「わたしって、何なんだろう……」



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第七話『コンタクト』

第七話『コンタクト』

 

「――――覚悟は決まりましたか?」

 

 朝食を終えた後、セイバーがそう切り出した。

 士郎はすぐに応える事が出来なくて、気まずそうに視線を落とす。

 その姿を見て、セイバーは溜息を零す。

 

「シロウ。貴方の迷いは正しいものだ。どう言い繕っても、人を殺す事は悪であり、出来る事なら穏便に事態を収めたいと願う事は善です。それが平時における倫理のあるべき姿であり、理想です」

 

 セイバーの言葉に士郎はパッと顔を上げた。

 

「……ですが、聖杯戦争は……いえ、戦争とはそもそも倫理の及ばぬ場所にあるモノだ。両者共に掲げる正義があり、両者共に背負う悪がある。善悪が入り乱れる矛盾の坩堝。その中で意志を通すのなら、貴方も悪を背負わなければならない」

「俺は……」

 

 悔しそうに拳を握りしめる少年を見て、セイバーは目を細めた。

 

「……貴方は聖杯戦争から降りるべきだ」

「なっ……」

「聖杯戦争は人でなし同士の潰し合いだ。誰も彼も、己の欲望の為に他者を踏み躙る外道ばかり。私も同様です」

 

 セイバーは言った。

 

「貴方は善良だ。このような戦いに関わるべきではない」

「馬鹿言うな! 俺が降りても、戦いは続くんだぞ!?」

「……なら、貴方はどうするつもりなんですか? 敵であるマスターとサーヴァントを倒す事さえ躊躇い、どうやって戦いを止めるつもりなのですか?」

「だから……、話し合えばいいじゃないか! 同じ人間なんだぞ!」

「言ったではありませんか! 話が通じる相手ではないと! 人間同士だから会話が成り立つなど、戦場では世迷い言も同然だ!」

「そんなの分からないだろ!」

「分かります! ……なんども……、なんども経験しました」

「経験って……」

 

 セイバーは自分が苛立っている事に気付いていた。この少年はまだ夢見る乙女だった頃の自分と同じだ。

 正しい事が善であり、善は何よりも尊重され、その果てに理想の世界が広がっている。そう信じていた頃の己がいる。

 間違っているなどと糾弾したいわけではない。出来る事なら、彼の意志を尊重してあげたいと思う。招かれざる客は自分達の方だとも自覚している。

 それでも……、

 

「ケダモノに話など通じません」

「……そんな事は」

「もし、貴方の言葉が通じているのなら、私は諸手を挙げて貴方に賛同している筈でしょう?」

 

 セイバーの言葉に士郎は愕然とした表情を浮かべた。

 

「ほら、自分のパートナーとさえ会話が成立していない」

「……セイバーは誰かを殺してでも願いを叶えたいのか?」

「そうですよ。私はこの聖杯戦争がどういう性質のものか理解した上で召喚に応じている。敵を殺し尽くして、聖杯に手を伸ばす。その為にここにいるのです」

 

 士郎は悲しそうな表情を浮かべた。誰とでも分かり合えると主張した相手とさえ分かり合えていない。

 分かっていた事だ。彼女の言葉は何から何まで正しい。この戦いを止めたければ、敵を倒す以外に手段は無い。

 自分の意志(せいぎ)を通すためには悪を背負う覚悟がいる。

 

 ――――正義の味方っていうのは、とんでもないエゴイストなんだ。

 

 嘗て、切嗣が口にした言葉を思い出す。

 結局、正義の味方は味方をした方の人しか守れない。味方をしなかった方の人にとっては……。

 

「でも、だけど……」

「シロウ……」

 

 その時だった。急にけたたましいベルの音が廊下の方から響いてきた。

 

「電話か……」

 

 重く感じる体に鞭を打って立ち上がる。電話の相手は藤ねえだった。どうやら、弁当を忘れたらしい。急いで作って持って来いとのお達しだ。

 彼女の元気な声に少しだけ救われた。

 

「……唐揚げか」

 

 リクエストされた唐揚げを作る為に台所へ向かう。

 セイバーの顔は見れなかった……。

 

「確か鶏肉はあったよな……」

 

 冷蔵庫を開けてみる。

 

「よし、あった!」

 

 取り出したもも肉を一口サイズに切っていく。塩コショウを振って、うま味調味料を一匙分。

 よく揉んだ後にお酒、醤油、すりおろし生姜、ニンニクを入れる。

 もう一度揉み込んだ後に隠し味として卵と一味を加える。

 

「片栗粉と小麦粉と水を加えてっと」

 

 無心に料理をしていると頭の中のもやもやが少し晴れた気がする。

 

「あんまり待たせると文句言われるし……」

 

 とりあえず、三十分程度置いたら揚げてしまおう。

 ラップをして、冷蔵庫に入れる。

 振り向いたらセイバーがいた。

 

「ど、どうした?」

「……その、何を作っているのか気になったもので」

 

 少し頬が赤い。照れているようだ。そう言えば、今朝の朝食をなんどもおかわりしていた。

 見た目より食欲旺盛なのかもしれない。

 

「唐揚げだよ」

「カラアゲ……、ですか?」

「ああ、三十分くらい置いたら油で揚げるんだ。完成したら、セイバーにも食べて欲しい」

「……あ、ありがとうございます」

 

 ああ、なんだ。難しく考える必要はなかったんだ。

 士郎はセイバーを見ながら思った。たしかに、一つの方向から見ただけで他人を理解する事なんて出来ない。本当に相手の事を知りたいのなら、もっと多方面から見るべきだ。

 凛々しくて、綺麗なセイバー。欲望の為に戦うセイバー。食欲が旺盛なセイバー。

 少しずつ、わかって来た。もっと知って、もっと話して、もっと一緒にいれば、今は無理でも、いつか分かり合える気がする。

 料理と同じだ。理想的な料理を作るためには相応に複雑な工程がある。

 難しくて当たり前だ。だから、諦めたり、意固地になったりする必要はないんだ。

 

「セイバー」

 

 彼女にも知ってもらおう。一方通行では意味がない。互いに互いを知って、少しずつ歩み寄っていこう。

 

「あとで学校に行くんだ。一緒に行かないか?」

「ええ、構いません。元より、外出の時は同行するつもりでしたから」

 

 一歩ずつでいい。セイバーだって、正しいと認めてくれた。なら、分かり合えない筈がない。

 自分なりに歩んでいこう。

 士郎は決意を固めながら、第一歩として唐揚げを揚げ始めた。セイバーには大好評だった。

 

「ちなみに、夜にはもっと味が染み込んで美味しくなってるぞ」

「なんと!?」

 

 案外、セイバーと分かり合える日は近いかもしれない。

 

 ◇

 

 お昼過ぎ、わたしはアリーシャを連れて学校に来た。

 色々とごたつきはあったけれど、最終的な方針は変わらない。この学校に仕掛けられた結界の主に相応の報いを受けさせる。

 

「……とりあえず、先に結界を破壊するわよ。出来るのよね?」

「うん」

 

 アリーシャは瞼を閉じた。

 

「……こっち」

 

 アリーシャの後を追いかける。

 

「どこに行くの?」

「中心部」

 

 アリーシャの眼は特殊だ。千里眼のスキルについて文献を調べたところ、ある一定のランクを超えたソレは透視や未来視すら可能とするらしい。

 ランクBのアリーシャの瞳にはわたしが視ている世界と違うモノが映っている筈だ。

 

「……あれ?」

「どうしたの?」

 

 突然、アリーシャが足を止めた。近くにある弓道場から賑やかな声が聞こえる。

 彼女の瞳は真っ直ぐに弓道場を向いていた。

 

「……リン。あそこに何かいる」

「まさか、サーヴァント!?」

 

 どうやら、弓道部は休日を返上して練習に励んでいるようだ。

 額から冷たい汗が流れる。よりにもよって、あの場所に……。

 

「中の様子は?」

「詳しくは分からないけど、特に暴れまわっている様子は無いみたい。……っと、相手もこっちに気付いたみたい」

 

 弓道場の扉が開く。中から出てきたのは小柄な少女だった。

 着ている服は男物で、なんだかチグハグに感じる。

 

「アリーシャ?」

「うん。彼女はサーヴァントだ」

 

 アリーシャの言葉と共に少女の表情が険しくなる。

 

「……よもや、白昼堂々と仕掛けてくるとはな」

「早合点しないでちょうだい。わたし達はたまたま通り掛かっただけよ」

「たまたま……? 今日は休日だと聞いているぞ」

「知ってるわよ。わたしはここの生徒だもの」

 

 とりあえず、話が通じない相手では無かったようだ。

 

「一応、確認するわ。ここの結界を張ったのは貴女?」

「……結界。ああ、なるほどな。淀んでいるとは思ったが……」

 

 その時だった。弓道場からもう一人出て来た。

 

「おーい、セイバー。どうしたんだ? って、遠坂?」

「え、衛宮くん!?」

 

 名前は衛宮士郎。わたしは彼の事をそれなりに知っていた。

 

「……ふーん。衛宮くんがセイバーのマスターなんだ」

「マスターって、どうして!?」

「どうしてって……」

 

 とりあえず、マスターという言葉に反応した時点でクロ決定。

 

「シロウ。彼女もマスターです」

「遠坂が!?」

 

 本気で驚いているみたい。演技の可能性もあるけど、そこまで器用なタイプにも見えない。

 

「……あっ」

 

 さて、どう切り出したものかと悩んでいると、アリーシャが急に衛宮くんの真横に現れた。

 あまりにも突然の事にわたしは咄嗟に動く事が出来なかった。

 セイバーも咄嗟に動き出したけれど、アリーシャが衛宮くんに危害を加えるつもりなら間に合わない。

 

「待ちなさい――――、」

 

 まさか、躊躇いなくマスターを狙うとは思わなかった。

 たしかに、それは聖杯戦争において、セオリーとも言うべき常勝戦略。なぜなら、人間であるマスターではサーヴァントに決して勝つことが出来ないからだ。

 とは言え、このまま衛宮くんを殺させるわけにはいかない。ここでは目撃者が多過ぎるし、なにより、彼はあの子の……、

 

「――――アリー」

「生まれる前から好きでした!!」

「シャ……って、え?」

 

 令呪へ注いでいた魔力が霧散する。

 

 ――――今、アリーシャはナンテ言った?

  

 セイバーも硬直している。衛宮くんは口をポカンと開けている。

 アリーシャは衛宮くんの右手を両手で包み込んで、熱い眼差しを向けている。

 

「好きです!!」

 

 思考がフリーズした。

 わたし達が凍りついていると、弓道場からどんどん人が出て来る。

 

「おいおい、衛宮! アンタ、道場の前で何をしてんの!?」

 

 わたしの数少ない友人である美綴綾子が呆気にとられた表情を浮かべている。

 

「ちょっ、ちょっと、士郎!? どういう事!? パツキン美少女を連れてきたと思ったら、赤髪美少女に告白されるって、いつからギャルゲーの主人公になっちゃったの!?」

「ギャルゲーって、藤村先生!?」

「いや、マジでスゲーな衛宮!」

「ああっ、間桐さんが固まってる!?」

「さすが衛宮先輩! 俺達に出来ない事を平然とやってのける! そこにシビれる! あこがれるゥ!!」

「いや、衛宮くんは告白されてる方だから……。でも、面白くなってきたー!」

「嘘だろ、衛宮! 間桐だけでも羨ましいのに、外人二人を加えたハーレムだと!?」

「ちょっ、いい加減にしてよ! 間桐さんは秘密のつもりなんだから!」

「いや、気付いてないの衛宮くんだけだし……」

「っていうか、遠坂さんだ! やっほー!」

「そこでいきなり平常運転に戻らないでください、藤村先生!」

「いい加減、収拾つかなくなって来たな」

「あー、腹減ったー。先生に弁当半分持ってかれたからシンドいんだけどー」

「今のうちに先輩が持ってきた先生用の弁当を食べちゃえば?」

「うおい! 聞こえてるぞー!!」

「ギャー、タイガーが怒ったぞー!」

「その首、へし折ったろうか―!!」

「ねえ、そろそろ練習続けない? っていうか、先輩もそういう事は人のいない所でやって下さいよ!」

「衛宮め……。くそっ、羨ましい……」

「……先輩」

「おーい、間桐が復活したぞ!」

「だから、イジろうとするな!」

 

 うーん、混沌としている。さすがは藤村先生の受け持っている部活。

 とりあえず、蚊帳の外で困惑しているセイバーに視線を向ける。

 さすがに抜け目がない。セイバーは呆気にとられつつも、いざとなれば一足でアリーシャに斬り掛かれる距離まで移動していた。

 彼女が動かない理由は周囲に人が多過ぎる事。だけど、アリーシャが行動を起こせば目撃者に構わず動くだろう。

 周囲の混乱も鎮まってきている。わたしは放心状態の衛宮くんの手を未だに握り続けているパートナーに声を掛けた。

 

「アリーシャ!」

「……っと、リン? どうしたの?」

「どうしたの? じゃない! 貴女こそ、何をしているの?」

「何をって……」

 

 アリーシャは衛宮くんを見つめた。蕩けるような表情を浮かべている。

 

「愛の告白」

「……それ、本気?」

「本気だもん!」

 

 プクーっと頬を膨らませて可愛く怒るアリーシャにわたしは頭を抱えた。

 

「愛の告白って、貴女、衛宮くんとは初対面でしょ?」

「……だと思うけど」

「まさか、一目惚れなんて言わないわよね?」

 

 アリーシャは黙ってしまった。顔が赤い。

 まさか、本当に一目惚れをしたとでも言うのだろうか?

 衛宮くんの方はと言えば、突然の事に混乱しているみたい。

 

「……ハァ」

 

 弓道部員達の目がわたしの方に向いている。

 とりあえず、このままここに居ても埒が明かない。

 

「先生」

 

 わたしは藤村先生に声を掛けた。

 

「は、はい!」

 

 おどおどしている。一度復活したように視えたけれど、やはり混乱が収まっていないみたい。

 

「この度はわたしのツレが騒動を起こしてしまってすみません」

「ツレって、あそこでいきなり士郎に愛の告白をかました子?」

「ええ、彼女はわたしの遠縁にあたる子なんです。家庭の事情でしばらくの間、彼女をうちで預かる事になりまして、近場を案内していたんです。それで、わたしの学校を見てみたいと言うものですから……」

「そうなんだ。それにしても、随分と大胆な子ねー」

「……お恥ずかしい限りですが、普段はもっと落ち着いた子なんです。とりあえず、これ以上みなさんの練習を邪魔するわけにもいきませんから、わたし達は場所を移しますね」

 

 周囲に有無を言わさず、わたしはアリーシャの手を取った。

 

「とりあえず、移動するわよ。話はそこで」

 

 衛宮くんにも小声で声を掛ける。

 

「あっ、ああ、分かった」

 

 騒いでいる弓道部員達を綾子と藤村先生に任せて、人気のない場所へ移動した。

 まったく、いきなり愛の告白とか、いったい何を考えているんだか……。



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第八話『同盟』

第八話『同盟』

 

 比喩ではなく、本当に胸を撃ち抜かれたような衝撃を覚えた。

 初めて会った筈なのに、その顔を見た瞬間、居ても立ってもいられなくなった。

 記憶を失う前のわたしは惚れっぽい女だったのかな? いいや、そんな筈はない。だって、男の人なら他にもたくさんすれ違った。

 名前も知らない男の子。純朴そうな顔立ちで、背も高くない。だけど、困った表情を浮かべる彼は誰よりも可愛らしい。

 

 ――――違う。初めてじゃない。

 

 記憶は戻っていない。だけど、見つめている内に確信を得た。

 わたしはこの子と会った事がある。それも、すごく劇的な出会いを果たしている。

 

「――――それで、説明してくれるわよね?」

 

 リンが険しい表情を浮かべて睨んでくる。怒っている理由は分かっている。

 この少年は敵で、わたしの行動は彼女に対しての裏切りにも等しい。

 だけど、だけど、だけど、だけど、だけど!

 

「ダメなの、リン」

「アリーシャ……?」

「止められないの。わたし、多分だけど、この子と会うために生まれた」

「へ!?」

 

 彼は目を丸くした。誰だって、いきなり、こんなに重たい告白をされたら困ってしまう。

 分かっていても、感情に蓋を出来ない。まるで、彼は太陽だ。わたしはその周りをグルグル回る星。いずれ呑み込まれてしまう事が分かっていても、この引力に抵抗する事が出来ない。

 

「生まれたって……、それ本気で言ってるの!?」

「うん! ねえ、教えて! あなたの名前はなに?」

「え……、衛宮士郎だけど」

「エミヤ……、シロウ」

 

 その名前はわたしの魂を揺さぶった。

 

「いい加減、マスターから離れなさい」

 

 殺気と共に彼のサーヴァントがわたし達の間に割って入ってきた。

 

「……シロウって、呼んでもいい?」

 

 だけど、気にしていられない。今のわたしの意識には彼の事しかない。

 シロウ……、ああ、シロウ。

 なんて素敵な響きだろう。頭の中でなんども転がしてみる。愛しさが際限なく溢れてくる。

 

 ◇

 

 頭の処理が追いつかない。セイバーと一緒に藤ねえの弁当を届けに来たら、見知らぬ少女に告白された。

 しかも、セイバーによれば、彼女はサーヴァントらしい。おまけに遠坂がマスターときた。

 

「……シロウって、呼んでもいい?」

 

 冗談や演技とは思えない。

 

「構わないけど、君は一体……」

「わたしの事はアリーシャと呼んで」

「アリーシャ……?」

 

 それは真名だろうか? 隠すべきものだと聞いていたけれど、彼女がそう呼んで欲しいと言うのなら、そう呼ぼう。

 それにしても、不思議な女の子だ。初めて会った筈なのに、どこかで会った事がある気がする。だけど、それはありえない。

 赤銅色の髪、真紅の瞳、色白の肌。まるで、作り物のように可憐な顔立ち。一度会ったら、二度と忘れられないほどの美人だ。

 

「えっと、君もサーヴァントなんだよな?」

「うん、そうだよ」

 

 どうしてだろう。たんなる確認のつもりだったのに、肯定された途端、すごく嫌な気分になった。

 サーヴァント。それは偉業を為して、歴史に名を刻んだ英雄の霊。

 ……既に人の生を終えた死者。彼女は既に滅びた存在であり、その結末は覆らない。

 

「……君も聖杯を望んでいるのか?」

 

 サーヴァントが召喚に応じる理由は自身も聖杯に託す願いがあるからだとセイバーは言った。

 その祈りがどんなものにせよ、確実に分かる事がある。召喚に応じるサーヴァントは己の結末に悔いを残している。

 アリーシャと名乗った、この少女が納得のいかない終わりを迎えたとしたら……、そう考えると酷く癇に障った。

 

「うーん、どうかな?」

「……真面目に聞いているんだ」

「真面目に答えてるんだよ。だって、わたしには記憶が無いんだもの」

「ちょっと、アリーシャ!」

 

 いきなり、遠坂がアリーシャの口を塞いだ。だけど、聞き捨てならない言葉が聞こえた。

 

「記憶が無い……?」

 

 遠坂は顔を顰めた。

 

「このバカ!」

「アイタッ!」

 

 遠坂がアリーシャの頭を叩いた。結構、痛そうだ。

 

「シロウ」

 

 止めるべきか迷っていると、セイバーが話しかけてきた。

 

「どうしたんだ?」

「どうしたんだ、ではありません。相手はサーヴァントです。すこしは警戒して下さい」

「でも、アリーシャは大丈夫だと思うぞ」

「……シロウ。サーヴァントがどういうものか説明した筈ですよ。上辺だけを見て心を許すのは危険です」

 

 セイバーの言い分はよく分かる。だけど、違う。そうじゃなくて、もっと別の理由がある。

 言葉には出来ない。それがなんなのか、自分でも分かっていないからだ。

 言える事は一つ。アリーシャは敵じゃない。

 

「遠坂」

 

 アリーシャに説教をしている遠坂に声を掛ける。

 ギクリとした様子で振り向く彼女にアリーシャへ投げかけたものと同じ質問をした。

 

「もちろん、望んでいるに決まっているじゃない」

「……無関係の人を犠牲にしてでもか?」

 

 そう問いかけると、遠坂の瞳からあたたかみが消えた。

 

「ええ、その通りよ」

「……お前、それ本気で言ってるのか?」

「当然でしょ? 聖杯を手に入れる事は遠坂家の義務だもの。だいたい、貴方だって、聖杯が欲しくて参加した口でしょ?」

「違う! 俺はこんなバカげた戦いで誰かが犠牲になる事を止めたいから参加したんだ!」

 

 俺の言葉に遠坂は冷笑を零した。

 

「……なんだよ」

「犠牲を止めたい。とんだ正義漢ね」

「何が言いたいんだ?」

 

 遠坂は言った。

 

「犠牲を出したくないって言うのなら、もう手遅れよ」

「なっ……、どういう事だ!?」

「昏睡事件。貴方もテレビは見てるでしょ? それに、深山町で起きた殺人事件。それに、この学校には捕食用の結界が仕掛けられている」

「……それ、全部が」

「そうよ。すべて、聖杯戦争に参加しているマスターとサーヴァントの仕業」

 

 怒りで頭がおかしくなりそうだ。聖杯戦争は昨日今日で始まったわけじゃない。セイバーを召喚したのが昨日だっただけの話だ。

 だから当然、既に犠牲が出ている可能性は十分にあった。その事に気づかず、一晩を無駄にしてしまった事が悔やまれる。

 今、この瞬間も苦しめられている人がいる。そんな事、我慢ならない。

 

「平和に暮らしている人の生活を滅茶苦茶にして、そうまでして叶えたい願いって何なんだ?」

「……さあ、知らないわ」

「お前だって、願いがあるから参加しているんだろ?」

「だから、なに? わたしの願いを貴方に教える理由があるのかしら?」

 

 セイバーの言葉が脳裏に過ぎる。

 

 ――――ケダモノに話など通じません。

 

 認めたくない。だけど、既に被害者が出ている。殺された人もいる。

 悠長に構えていたら、また別の人間が殺される。その数は時間を追う毎に増えていく。

 敵とだって、いつかは分かり合えるかもしれない。だけど、それまでに殺された人間はどうなる?

 

 ――――正義の味方っていうのは、とんでもないエゴイストなんだ。

 

 セイバーは再三に渡って忠告してくれた。この事を理解していたからだ。

 時間は決して味方じゃない。迷った分だけ、零れ落ちていく。

 

「……だったら、俺は」

 

 人を殺す事は悪だ。どう言い繕っても、その事に異論を挟む余地はない。

 殺人鬼を射殺する警官も、苦痛に悶える者に安楽の死を与える意思も、自国の為にミサイル発射のスイッチを押す軍人も、等しく悪だ。

 それでも、犠牲を前に黙っている事など出来ない。正義の(ため)に悪を()す。

 ああ、昨夜のセイバーの言葉の本当の意味が今になって漸く理解出来た。

 

 ――――覚悟を決めた方がいい。

 

 それは、矛盾を呑み込む覚悟の事。

 

「俺は……」

「はい、ストップ」

 

 いきなり目の前に現れたアリーシャが人差し指で俺の口を押さえた。

 

「リンも意地悪言わないであげなよ」

「別に意地悪で言ってるわけじゃないわ。わたしが聖杯の為に参加を決意した事は本当だしね」

「遠坂……?」

「シロウ。リンだって、犠牲を出す事に賛同しているわけじゃないよ。むしろ、この学校に仕掛けられた結界に怒ってたくらいだもの」

「それって……」

「素直じゃないって事」

 

 クスクス笑うアリーシャに遠坂は顔を赤くした。

 

「うるさいわね! 余計な事は言わなくていいの!」

「だって、このままだと喧嘩になりそうだったし」

「喧嘩って……」

 

 遠坂は疲れたように肩を落とした。

 

「……アンタ、衛宮くんと戦いたくないとか言い出さないわよね?」

「え? 戦うの? わたしはイヤだよ?」

 

 女の子が浮かべてはいけない形相を浮かべている遠坂にアリーシャは目を逸らした。

 

「なあ、アリーシャ」

「なーに?」

 

 俺が声を掛けると、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「俺は戦いを止めたい」

「いいと思うよ」

「アリーシャ!」

 

 遠坂はアリーシャの肩を掴むと前後に揺すった。

 

「アンタはだれのサーヴァントなのよ!?」

「ヤダナー、モチロンリンサマノサーヴァントデスヨ」

「この色ボケサーヴァント!!」

 

 一気に毒気を抜かれてしまった。

 

「シロウ」

 

 セイバーが声を掛けてくる。

 彼女も少し困惑しているみたいだ。

 

「……あれが油断を誘う為の演技かもしれないってところか?」

 

 驚くセイバーに溜息が出た。

 

「どう考えても違うだろ」

 

 俺を殺す気なら、殺す機会は何度もあった。

 それに、あの二人のじゃれ合いが嘘とは思えないし、思いたくない。

 

「遠坂のあんな顔、初めて見たよ」

 

 学校のマドンナの素顔といったところだろう。

 どこか浮世離れしていて、いつも他人との間に壁を作っていて、誰もが彼女を手の届かない高嶺の花だと思っていた。

 だけど、相棒と喧嘩している姿はどこにでもいる普通の女の子だった。

 

「……捕食用の結界って言ってたけど、どういう意味か分かるか?」

「おそらく、内部の生命を圧迫する類のものでしょう。正直に言って、この結界を仕掛けた者には嫌悪感が沸きます」

「気付いてたのか?」

「いえ、違和感はありましたが、彼女に教えられなければ気付けなかったでしょう。未だ、この結界は準備段階にあるようだ。魔術によほど精通している者でなければ初見で見抜く事は難しい。その点で言えば、あの魔術師(メイガス)は大したものだ」

「……ちなみに俺と比べると?」

「……月とガラス玉を比べても意味は無いでしょう」

「そこまでか……」

 

 項垂れていると、いつの間にか喧嘩を止めた遠坂とアリーシャが近付いてきた。

 

「ねえ、衛宮くん」

「なんだ?」

「……ものは相談だけど、同盟組まない?」

「同盟……? 俺は構わないけど、なんでだ?」

 

 遠坂は眉間にしわを寄せながら溜息を零す。

 

「うちの色ボケが貴方にベタ惚れしちゃったからよ! なんで、どいつもこいつも……」

「えっと……」

 

 頭を抱えだす遠坂から視線を逸してアリーシャを見ると、嬉しそうに手を振られた。

 振り返してみると、さらに嬉しそうな顔になった。

 

「……シロウ。鼻の下が伸びていますよ」

 

 責めないで欲しい。あんな可愛い子に告白されて、嬉しくない男がどこにいるのだろうか。

 

「セイバーは構わないか? 同盟の話」

「わたしが構うと言ったら、あなたはどうするのですか?」

「えっと……、説得するかな」

「つまり、時間の無駄にしかならない。貴方が如何に頑固な人か、嫌というほど分かりましたから」

 

 むっつりした表情を浮かべるセイバー。

 

「えっと、ごめんな」

「誠意のない謝罪はいりません。それに、貴方はあまりにも危なっかしい。いずれ敵対する可能性があるとはいえ、あの魔術師(メイガス)の助力は大いに助けとなるでしょう」

「ずいぶん遠坂の事を買ってるんだな」

「これでも多くの人を見てきました。彼女は人としても、魔術師としても卓越している。一度同盟を結んだら、此方から裏切らない限り、彼女が裏切る事も無いでしょう」

 

 俺に対する評価とはエラい違いだ。

 

「……随分な評価をありがとう、セイバー。期待は裏切らないつもりよ。それと、同盟を結ぶからには当面の方針を決めましょう。わたしから提案してもいい?」

「ああ、構わない」

 

 遠坂は空を見上げた。

 

「まずは結界を破壊する。それから、この結界を張ったヤツを懲らしめる。異存は?」

「無い!」



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第九話『鮮血神殿』

第九話『鮮血神殿』

 

 ――――それは困ります。

 

 目眩がした。猛烈な吐き気に襲われて、地面に転がる。

 頭でも切ったのか、見開いた眼球に赤いベールがかかっている。

 

「なんだ、これ……」

 

 体が燃えるように熱い。

 

「気をしっかり持って下さい、シロウ!」

 

 セイバーの声だ。顔をあげると、意識が急にクリアになった。その代わり、変わり果てた学校に唖然となった。

 天を見上げた先には巨大な瞳が浮かび、世界は赤一色に染め上げられている。

 考えるまでもない。遠坂が口にしていた結界が発動したのだ。

 

「準備段階じゃなかったのか?」

「……おそらく、破壊されるよりは、と言ったところでしょう」

「監視されてたって事かしら……」

 

 遠坂が険しい表情を浮かべながら周囲を見渡している。

 

「アリーシャ。確認するけど、まだ壊せる?」

「……ごめん。発動前なら壊せた筈だけど、今は無理みたい」

「仕方ないわ。未完成の状態でコレだもの。たぶん、魔法の一歩手前まで踏み込んでる」

「魔法の一歩手前って、そこまでなのか!?」

 

 現代の技術では到達不可能な奇跡。魔道に生きる者の一つの到達点。それが魔法だ。

 その為だけに何代の世代を重ねる一族まであると言う。それに匹敵する大魔術。

 内と外を赤で分ける壁を見上げて、言葉を失った。

 

「アリーシャ。サーヴァントの気配はある?」

「ちょっと待ってて」

 

 アリーシャの瞳に魔力が宿る。

 

「……いない」

 

 その解答に遠坂は舌を打った。

 

「サーヴァントにしろ、マスターにしろ、これでハッキリわかったわ」

 

 その声には明確な殺意が宿っていた。

 

「衛宮くん」

「なっ、なんだ?」

 

 その瞳のあまりの冷たさに息を呑む。

 

「わたしはこの結界を張ったヤツを決して許さない。見つけ出したら、殺すわ」

「それは……」

「悪いけど、これは譲れない。わたしの方から申し出た事だけど、異論があるなら同盟はここで終わり。この結界は内部の人間を融解させて、魔力に還元するっていうとびっきり悪辣なモノなのよ。要は、結界内の人間を自らの糧にする為に皆殺しにする為の屠殺機構。人間を家畜同然に思っている外道以下の畜生の所業よ」

「人間を……、家畜同然に……」

「わたし達は魔術師だから無事だけど、今頃は弓道部のみんなも生命力を抜き取られて昏睡している筈。敵が姿を見せず、結界を解除する手段が無い以上……」

 

 彼女の言葉を理解した瞬間、脳裏に藤ねえや桜、美綴の顔が浮かんだ。他にも弓道部のみんなや、休日返上で練習に励んでいる他の部活の生徒達、その指導や管理の為に勤務に励んでいる教師達の姿が浮かんでは消えていく。

 この結界をどうにかしないと、みんなが死ぬ。だけど、その手段がない。

 

「そんな……」

 

 甘かった。まさか、ここまでするヤツがいるなんて思わなかった。

 

「……とりあえず、今は脱出の手段を探しましょう。可能なら、一人でも多く、外に出すわよ」

「一人でもって……」

「全員は無理よ。何処に誰が何人いるかもわからない。魔術師でもない普通の人間がこの結界内でどれだけの時間、生きていられるかも分からない」

「そんな……、でも!」

「迷ってる時間なんて無いの! 一秒でも早く動かなきゃ、助けられる人間も助けられなくなるわよ!?」

 

 何度目だろう。まだ、大丈夫。まだ、何とかなる。まだ、諦めなくていい。

 そんな甘い考えをたった一日の間になんども砕かれた。

 それでも尚、縋ろうとして、また……、

 

「リン。わたしが転移で結界の内と外を往復するっていうのは?」

「さすがに何往復も出来る魔力はないわ。いくら、貴女の転移の燃費が良くてもね」

「……ねえ、セイバー」

 

 アリーシャは少し考えてからセイバーに声を掛けた。

 

「なんだ?」

「この結界に穴は空けられる?」

 

 少し迷った後にセイバーが答えた。

 

「……大きさにもよるが、可能だ」

「なら、たぶんいける」

 

 その言葉に俯かせていた頭を上げた。

 

「助けられるのか!?」

「どうするつもり!?」

 

 俺と遠坂の声が重なる。

 

「説明はあと! とにかく、時間が惜しい! セイバー、頼むよ!」

「ああ、それで罪無き人々を救えるのなら是非もない」

 

 セイバーは俺を見た。

 

「マスター。おそらく、これをやれば私の真名が他のマスターに露見する事になる。それでも構いませんね?」

「ああ、当然だ」

 

 俺はアリーシャを見た。

 

「頼むぞ、アリーシャ」

「任せておいて」

 

 頭を切り替える。今は彼女をサポートする事に集中しよう。

 

「まずは結界の境界に向かいましょう」

 

 セイバーが先導する。あっという間に校門の前までやって来た。

 

「穴を穿った後はどうする?」

「少しでも長く維持して」

「……分かった」

「わたしがサポートするわ」

 

 セイバーが不可視の剣を掲げると、遠坂もポケットから宝石を取り出した。それぞれに高純度の魔力が宿っている。おそらく、それが彼女の魔術礼装なのだろう。

 

「風よ……、穿て!!」

 

 途端、嵐が巻き起こった。

 吹き荒れる風はセイバーを中心に……否、彼女の握る剣から発せられている。

 強大な魔力を帯びた風が鮮血の結界を穿ち、歪ませていく。

 だが、俺の目は彼女の剣に縫い止められていた。封が解かれた剣は黄金の輝きを宿している。

 彼女は言った。

 

 ――――私の真名が他のマスターに露見する事になる。

 

 その通りだろう。彼女の聖剣を見た瞬間、誰もが理解した。

 これこそ、あまねく聖剣のトップに位置する剣。星の光を束ねて鍛え上げられた至高。

 

「穴は空けたぞ、アリーシャ!!」

「後は任せて!」

 

 その声に漸く意識を聖剣から切り離す事が出来た。

 そして、あり得ない光景が目の前に広がった。

 

 ◇

 

 余計な思考は省く。意識するのは結果のみ。必要なモノは時間。

 

 ――――必要情報の検索を開始。

 ――――遺伝情報より、衛宮家の魔術刻印を復元。

 ――――『固有時制御(タイムアルター)』の魔術理論を展開。

 ――――術式に記述を追加。 

 

 少しずつ、わたしの内側が変質していく。いつもと少し違う。今回のコレは少しだけど過程を挟んだ。

 どうでもいい。今、必要な事は人命救助。

 

「時よ……」

 

 セイバーの風に舞い上げられた葉がユラユラと落ちてくる。

 その速度が少しずつ遅くなり、やがて……、空中で停止した。振り返れば、リンやシロウ、セイバーまで固まっている。

 わたしは走り始めた。まずは一番近い校庭(グラウンド)へ向かう。

 一人一人を運んでいては、とてもじゃないが時間が足りない。倒れ伏した陸上部員や球児達を次々に校門へ向かって投げ飛ばしていく。

 手元を離れた瞬間に静止するが、問題ない。 

 

「次は弓道場!」

 

 弓道部員達は全員が屋内にいた。

 

「悪いけど、天井を壊すよ!」

 

 ――――必要情報の検索を開始。

 ――――固有結界『無限の剣製(アンリミテッド・ブレイド・ワークス)』より、宝具『ヴァジュラ』を選択。

 

『ああ、完■だ。■回の■■■である■■■■と■■■を■ぜた。あ■は、 コ■に■■を■■きすれば――――』

 

 耳障りな声が脳裏に響く。

 

『アイ■■ベ■■の■■■■よ、今■■そ、■■に聖■を――――』

 

 うるさい、黙れ! 今は一分一秒を争っている最中だ!

 

「ヴァジュラ!!」

 

 雷鳴が轟く。ヴァジュラが天井をのんびりと破壊している間、弓道部員達に投げ飛ばしやすいように並べる。

 下手をすると粉々になるから、持ち運ぶ時は魔力で保護しながら丁寧に……。

 弓道部を全員投げ飛ばしたら、次は校舎の中だ。 

 意外と言うべきか、面倒と言うべきか、この学校の生徒達は実に真面目だ。予想以上の人数が校内にいた。

 窓を外して、そこからどんどん飛ばしていく。

 

「職員室は……」

 

 これまた大人数がたむろしていた。

 幸か不幸か、窓が校門の方を向いているおかげで学校を破壊しなくて済んでいる。

 次々に教師達を投げ飛ばしたら、今度は用務員室。その次は体育館。その次は体育倉庫でイチャツイていたのだろうバカップル。

 そろそろ時間が無くなってきた頃、どうにか校内の全員を投げ飛ばす事が出来た。

 

「さーて、仕上げね」

 

 校門に戻ってきて、加速を緩める。

 見事、セイバーの空けた穴の先へ向かって順番に降り注ぐ生徒や教師達を外で待ち構えて次々にキャッチしていく。結界のせいで弱っている相手に乱暴過ぎるかもしれないけれど、他に方法がないから勘弁してもらおう。

 全員をキャッチし終えた後、驚愕の表情を浮かべているリン達も外へ運んでいく。

 全てが終わると、丁度魔力が底を尽いた。

 

「アリーシャ……、アンタ」

 

 リンが怖い顔をしている。だけど、もう限界だ。

 

「……あとの事は任せるよ」

 

 そのままわたしは意識を失った。



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第十話『わたしのしたい事』

第十話『わたしのしたい事』

 

 ――――地獄を見た。

 

 人権というものは相互の同意によって初めて成立するものだ。一方が反故にした瞬間、何の役にも立たなくなる。

 その街は麻薬カルテルにとって重要な意味を持っていた。密輸ルートの確保に必要不可欠であり、補給地点としても有用だった。だから、複数のカルテルによる奪い合いが起きた。

 立ち向かった者もいる。街に元々住んでいた人々の中で、殊更勇気のある青年が仲間を率いて自警団を設立した。一時はカルテルに軽くない打撃を与える事も出来た。

 その代価として、彼は親類縁者全てを失った。見せしめの意味もあったのだろう。女性はおろか、少年や赤子も犯され、拷問され、街の中心に吊るされた。

 カルテル達は街の人間が二度と妙な真似を起こさないように、外部からの補給を制限して、内側に残る物資も強奪した。貧しさという抗い難い恐怖によって、街の人々は人のカタチをした怪物に変わっていった。

 生きるため。シンプルで、最も根強い欲望によって、多くの人がカルテルに忠誠を誓った。

 カルテルの命令を受けている間は生きる事を許される。

 その為だけに彼らは喜んで彼らの目となり、隣人や友人や家族を密告した。

 その為だけに彼らは喜んで彼らの手足となり、抗うものを全て処刑した。女子供を売買の為の商品に変えた。役立たない者の肉を解体してリサイクルに回した。

 

 ――――地獄を歩んだ。

 

 その街に救いはなかった。カルテルの手足となった時点で彼らは被害者から加害者に変わり、そうでない者はのきなみ壊されていた。

 悪意は新たなる悪意を生み、儚い善意を食い漁る。理性や倫理や情愛を持つ者は彼らの格好の獲物だった。

 これはメキシコの国境付近で日常的に起きている悲劇。この地獄でさえ、まだ穏やかと言える地獄がある。

 路端で折り重なる死体を見て、吊るされている死体を見て、遊興の為に拷問を受ける人を見て、彼女は世界を真紅に塗りつぶす。

 

 ――――その少女の名前を誰も知らない。

 

 ――――その人物が少女である事さえ、誰も知らない。

 

 ――――それを一人の人間だと知っている者もいなくなった。

 

 血に塗れた大地を彼女は闊歩している。

 助けを求める者。逃げ惑う者。怯えて蹲る者。目に映る全てを斬り捨てていく。そこに浮かぶ感情はなく、ただ作業的に命を刈り取っていく。

 それはもはや現象。人々の悪意が一定の域に達した時、彼女はどこからともなく現れる。

 彼女の姿を目撃して、生き残った者はいない。だからこそ、彼女の名前を誰も知らない。彼女の姿さえ、誰も知らない。

 人を殺し、魔術師を殺し、死徒を殺し、殺した数が万に届いた頃、その現象を人々は『死の恐怖(グリム・リーパー)』と呼んだ。

 

 ――――彼女は語らない。

 

 彼女は強かった。無数の武器を持ち、時を操り、如何なる魔術でも行使する事が出来た。

 悪意を隣人とする魔術師達は現象の根絶を誓い、討伐の為に一つの村を贄にした。

 その村に悪意の種をばら撒き、彼女を誘き寄せた。

 万を超える軍勢が死力を尽くして彼女に挑み、そして、一人残らず死に絶えた。

 

 ――――だからこそ、彼女は自らの名を持たない。

 

 どうしてそうなったのか、いつからそうなってしまったのか、誰にも分からない。

 それが彼女の正体――――。

 

 ◆

 

 目覚めは最悪だった。

 

「……今のって、あの子の?」

 

 あらゆる武器を使い、目に見える全てを殺す死神。

 あまねく悪意を圧倒的な暴力で塗りつぶす魔人。

 

「召喚が失敗したせいじゃない……。彼女は元からそういう存在だったんだ」

 

 英霊となる前から、彼女はすでに人である事をやめていた。

 悪意に対する反存在(カウンター)。言ってみれば、《正義の味方》という現象。

 似たような話ならば聞いた事がある。以前、知り合いの神父が何かの拍子に話してくれた。

 死徒二十七祖に数えられる吸血種。通称《タタリ》は誰も見たことがないけれど、たしかに存在する死徒として知られている。人々の噂や不安という感情を基にそれを様々な形で具現化する現象。人々の特定の想念の下に現れる現象という意味で、彼女とタタリは似ている。

 彼女の正体は誰も知らない。だけど、彼女の足跡に残る無数の死が彼女の存在を肯定する。だから、彼女は英霊になった。

 

「きっと、彼女という個は存在した。だけど、正体不明のまま英霊となった事で、彼女は《無銘(ネームレス)》となった。だから、自分の事を思い出す事も出来ない」

 

 知りたくなかった。

 料理を一緒に楽しんだアリーシャの正体がそんな救いようのない存在だなんて、知らないままでいたかった。

 

「なんで……」

 

 涙が溢れた。

 

「なんで、そんな風になっちゃったのよ……」

 

 彼女は英霊だ。既に生を終えている。あんな救いのない状態のまま、何らかの終わりを迎えた。

 それが納得出来ない。納得したくない。

 

「ああ、もう! 聖杯……、必要になっちゃったじゃない……」

 

 涙を寝巻きの袖で拭う。

 

「……やる事は変わらない。わたしは勝つ。それだけよ」

 

 身支度を整えて部屋を出た。

 今、わたしは衛宮くんの家にいる。同盟を結んだ以上、同じ場所にいた方がいいと判断したからだ。

 昨日は事後処理を監督役に丸投げした後、一旦荷物を取りに遠坂の屋敷へ向かって、そこから衛宮邸に移動した。

 その後、アリーシャに魔力を大分持っていかれたわたしは衛宮くんに部屋を用意してもらって眠る事にしたわけだ。

 

「今は……、うわっ」

 

 時刻は十時三十分。さすがに昨日の今日だから学校も休みになっていると思うけど、十二時間以上も寝てしまった事は不覚としか言いようがない。

 いくら同盟を結んだ相手の家とはいえ、あまりに緊張感が足りなかった。

 部屋を出て、隣のアリーシャを眠らせている部屋に向かう。彼女はまだ眠ったままだった。そろそろ魔力は回復している筈だけど、その穏やかな寝顔を見ていると、起こす気になれなかった。

 扉をそっと閉じて、居間に向かうと、衛宮くんはバッチリ起きていた。セイバーと向き合って、何かを話しているみたい。

 

「おはよう、二人共」

「おはようございます、リン」

「おはよう。ずいぶん疲れてたんだな……」

 

 二人に軽く肩を竦めて見せた後、そのまま台所にお邪魔する。

 

「ちょっと、牛乳をもらうわよ」

「ああ、冷蔵庫の戸の方に入ってる筈だ」

「あったわ。ありがとう」

 

 目覚めの一杯を飲むと、頭の中がスッキリした。

 

「なあ、遠坂」

「なに?」

「学校のみんなは大丈夫なのかな?」

「あとで綺礼に確認してみるけど、おそらくは大丈夫だと思う。結界は未完成の状態だったし、アリーシャが速攻で救出してくれたから」

「……あれは凄かったな」

 

 衛宮くんは昨日の光景を思い出しているようだ。

 わたしもアリーシャの救出劇には目を見張った。彼女の姿が消えたと思ったら、弓道場で雷光が煌めき、学校中の生徒が流星群のように降り注いだ。

 カラクリはおそらく《固有時制御(タイムアルター)》。あの夢の中でも彼女は多用していた。

 

「……ところで魔術師(メイガス)

「わたしの名前は遠坂凛よ。名字でも名前でも、どっちで呼んでもいいけど、メイガスは止めてちょうだい」

「……了解した。では、リン。今後の方針について貴女の意見を聞かせて欲しい」

「聞く必要あるの? わたしの方針は昨日言った通り、あの結界を張った馬鹿を殺す事」

 

 わたしの言葉に衛宮くんは硬い表情を浮かべた。

 

「反対って事? なら、やっぱり同盟は……」

「違う」

 

 わたしの言葉を遮るように、彼は言った。

 

「俺も覚悟を決めた。セイバーとも話したんだ。俺達も遠坂と同じ方針で動く」

「……そう。なら、同盟は継続ね」

「それで、これからどう動くんだ? 相手の目星はついてるのか?」

「残念だけど、犯人の特定は出来ていないわ。まずはアリーシャの回復を待ちましょう。あの子が万全になったら、街の巡回ね」

「……分かった」

 

 頷くと、衛宮くんは立ち上がった。

 

「なにか作るよ。腹減ってるだろ?」

「衛宮くん、料理出来るの?」

「ああ、それなりに」

「シロウの料理は絶品です。わたしが保証しましょう」

 

 セイバーはどこか誇らしげだ。思ったより、可愛い性格をしているのかもしれない。

 

「わたしはアリーシャの様子を見てくるわね」

「ああ、アリーシャの分も作っとくよ」

「お願いするわ」

 

 アリーシャの部屋に移動すると、彼女はまだ眠っていた。

 

「アリーシャ」

 

 声を掛けてみたけど、起きない。

 

「アリーシャ!」

 

 声を大きくしても起きない。なら、これは仕方のない事だ。

 

「起きなさい!」

 

 布団を容赦なく引剥がす。

 

「ギニャアアアアアアアアアアアア!?」

 

 飛び上がるアリーシャにわたしは笑いかけた。

 

「おはよう、アリーシャ」

「リン!? もっと優しく起こしてよ!!」

 

 フシャーと怒るアリーシャに少し安心した。

 いつもと変わらない。わたしの知っているアリーシャだ。

 

「そんな事より、衛宮くんがご飯を作ってくれてるわよ」

「衛宮くん……って、シロウが!?」

「愛するダーリンが待ってるわよ。さっさと支度をしなさい」

「わ、分かったよ!」

 

 からかったつもりなのに、大真面目な返事が返ってきた。

 桜といい、アリーシャといい、衛宮くんはモテモテね。

 もしかして、わたしにとって最大の敵って衛宮くんなのかもしれない……。

 

「準備出来たよ!」

 

 いつの間にか、アリーシャは可愛らしい服装に着替えていた。

 

「……そんな服、どっから出したのよ」

「ふふふ、わたしに不可能はほとんど無いのよ!」

 

 大分、自分の力を自在に操れるようになってきたみたいだ。

 

「とりあえず、行くわよ」

「はーい!」

 

 居間に戻ると、セイバーはみかんを食べていた。

 

「美味しそうだね!」

「……まずは朝の挨拶をしなさい、アリーシャ」

「あっ、うん。おはよう! セイバー」

「おはようございます。……どうぞ」

 

 思ったよりセイバーの態度が軟らかい。

 

「わたしも一つもらうわね」

 

 みかんの皮を剥きながら、テレビに視線を向ける。そこには通い慣れた学校の風景写真が映っている。

 

『――――私立穂群原高校で起きたガス漏れ事故の続報です。巻き込まれた生徒と教師はいずれも命に別状がなく、数日の内には退院出来る見通しとの事です』

『いやー、良かったですよ。それにしても、最近は妙に多く感じますね。一体、ガス会社は何をしているのだか!』

『柳田さんはどう思いますか?』

『そうですねー。冬木市は異人館と呼ばれるような建物が多く、旧い建物だと明治や幕末の時代に建てられたものもあります。それ故、新開発の進んでいる新都と比べると――――』

 

 どうやら、学校で起きた事はガス漏れ事故として処理されたようだ。

 専門家はあれこれと原因を探ろうとしているけれど、無駄骨になる事だろう。

 

「とりあえず、全員無事だったみたいね。お手柄よ、アリーシャ」

「えへへー」

 

 頭を撫でると嬉しそうに彼女は頬を緩ませた。

 

「おーい、出来たぞ」

 

 そうこうしていると衛宮くんが台所から出て来た。

 

「おはよう、アリーシャ。もう、大丈夫なのか?」

「……うん、大丈夫だよ」

 

 アリーシャに熱い眼差しを向けられて、衛宮くんの顔も赤く染まっていく。

 セイバーは苦笑いを浮かべている。きっと、わたしも同じ顔を浮かべている事だろう。

 アリーシャが率先して配膳の手伝いを買って出たから、わたしは大人しく準備を見守った。

 並んだ食器は衛宮くんとセイバーの分もある。

 

「二人もまだだったの?」

「いや、軽く食べたんだけど、少し小腹が空いたからさ。セイバーも食べるだろ?」

「ええ、もちろんです」

 

 嬉しそうな顔をしている。

 食事を始めると、本当に軽く食べたのか疑わしくなる程、セイバーはよく食べた。

 

「おいしい!」

 

 アリーシャが絶賛する。わたしも彼の用意してくれた食事に手を付けた。

 うん、たしかにおいしい。なんだか、アリーシャの味付けに似ている気がする。

 

「……そうだ。提案なんだけど、夕飯は交代制にしない?」

「交代制?」

「ええ、わたしもここで暮すことになるわけだし、家事の一つくらいは手伝わないとね」

「構わないけど、朝食はどうするんだ?」

「朝食は……、うん。朝食も交代制にしましょう」

 

 朝は食べない主義だって言ったら、また一悶着ありそうだ。

 

「というわけで、今夜はわたしが腕を振るうわ。アリーシャも手伝ってくれる?」

「うん! もちろん!」

 

 顔を輝かせる彼女にわたしも頬を緩ませた。

 生前、あんな地獄を歩き続けたんだ。だったら、今は彼女が楽しいと思えることをたくさんさせてあげよう。

 今だけじゃない。もっと、ずっと先まで、彼女は幸福に思える日々を送らせてあげよう。

 だって、それがわたしのしたい事なんだから。



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第十一話『少年と少女』

第十一話『少年と少女』

 

 食事を終えた後、俺達は二手に分かれて街の探索に出た。

 遠坂の話では、学校の結界の件で敵もこちらをマークしている筈だから、単独行動を取れば二組の内、どちらかに接触してくる可能性が高いとの事。

 本命は遠坂の方だけど、此方を狙ってくる可能性も十分にあるから警戒を怠るなと注意された。

 

「……遠坂とアリーシャは大丈夫かな?」

「問題無いでしょう。アーチャーとしての嗅覚、ステータスの差を引っくり返す固有時制御(タイムアルター)。敵に回せば、アリーシャは間違いなく難敵です」

「ちなみにセイバーなら勝てるのか?」

 

 その質問にセイバーは少し考え込んだ。

 

「……情けない話ですが、確実に勝てるとは言い切れませんね。いえ、正直に言えばまともに戦って勝てるイメージが湧かない。おまけに彼女は奥の手を晒していませんから」

「固有時制御だっけ……。アレって凄いよな」

「ええ、アレも魔法の一歩手前まで踏み込んだ領域の魔術ですから……」

 

 あの時の光景は壮絶だった。数えたわけではないけれど、体感で数秒の間に全てが終わっていた。あそこまで速いと、対処のしようが無い気がする。

 

「……たしかに、あっちは心配なさそうだな」

「シロウ。それはわたしでは心配という事ですか?」

 

 失言だった。セイバーはムッとした表情を浮かべていらっしゃる。

 

「いや、別にそういうわけじゃなくて……」

「シロウには一度わたしの実力を知って頂く必要がありますね」

 

 別にセイバーが弱いサーヴァントだなんて思っていない。

 アーサー・ペンドラゴン。その名を知らぬ者がいない、伝説の英雄。

 十の歳月をして不屈、十二の会戦を経て尚不敗、その勲は無双にして、その誉れは時を越えて尚不朽。

 結界に穴を穿つ為、彼女が解き放った風の魔力が隠していたモノ。あの黄金の輝きこそ、彼の王が戦場にて掲げた旗印。

 過去から現在、そして、未来を通じて戦場に散っていく、全ての兵達が今際の際に抱く『栄光』という名の哀しくも尊きユメ。

 清廉潔白の王。騎士の理想の体現。常勝無敗の覇者。それが彼女の正体だ。弱いはずが無い。

 

「本当にセイバーの事を不安だなんて思ってないよ。問題は俺の方だ」

 

 ハッキリ言って、アリーシャの力は俺の理解の埒外にあった。そのアリーシャと同格のセイバー。そして、他のサーヴァント達。

 セイバーが認める程の魔術師である遠坂と比べて、俺は未熟者もいいところだ。

 

「シロウ。貴方はマスターだ。前線で戦うのはサーヴァントの役目であり、貴方の役目は私を信じる事です。貴方が私を信頼してくれるのなら、私はその信頼に必ず応えてみせる。もし、貴方に害が及ぶとすれば、それは貴方のせいではなく、貴方の信頼に応えられなかった私の不甲斐なさのせいです」

「でも、遠坂なら違うだろ?」

「リンも同じですよ。サーヴァントの相手はサーヴァントが務める、これは鉄則です。如何に彼女が傑物であろうと、それは変わらない」

「なんでさ……。セイバーだって、遠坂の事は認めていたじゃないか」

「シロウ、貴方は勘違いをしている」

「勘違い……?」

 

 セイバーは言った。

 

「例えばの話ですが、リンが持てる技術の全てを注ぎ込んだ大魔術を私に撃ち込んだとします。それでも、私には傷一つ負わせる事が出来ない」

「傷一つ……って」

「私を含めて、いくつかのクラスには対魔力というスキルが備わっている為です。私の対魔力は最高位の魔術師のソレをも阻む事が出来る」

 

 セイバーは淡々とした口調でサーヴァントと人の違いを説明した。

 

「つまり、サーヴァントは人では無いのです。言ってみれば、怪物や化け物という呼称が正しい」

「怪物って、そんな……」

「やはり、一度戦いを経験した方が良さそうですね」

 

 セイバーはやれやれと溜息を零した。まるで、俺が駄々をこねている子供みたいだ。

 そのまま、俺達は深山町を歩き回った。

 

「……よく考えたら、昼間から襲ってくる事なんてあるのか?」

「分かりません。相手は真昼にあのような結界を発動させるような手合ですから」

「それもそっか……」

 

 結局、そのまま正午を過ぎても敵とは遭遇しなかった。

 

「あれ?」

 

 道の真ん中に見覚えのある後ろ姿が視えた。

 

「おーい、イリヤ!」

「え?」

 

 振り返ったイリヤに手を振ると、彼女は目を大きく見開いた。

 

「シロウ……?」

「良かった。会いたかったんだ」

「会いたかったって……、わたしに?」

 

 イリヤは一瞬戸惑ったような表情を浮かべた後、セイバーを見た。

 

「……たたかう準備ができたってこと?」

「何言ってんだよ。俺はイリヤと戦うつもりなんて無いぞ」

「……じゃあ、なに? せっかく見逃してあげたのに、わざわざサーヴァントをしょうかんして、たたかう以外になにがあるっていうの?」

 

 イリヤはあからさまに不機嫌な表情を浮かべた。

 

「俺はイリヤを戦わせたくないからマスターになったんだ!」

「……いみがわからないわ。マスターになったいじょう、こんどは見逃してあげない。サーヴァントもろとも、踏みつぶしてあげる!」

「女の子が踏み潰すとか、そういう事を言うなよ!」

「むぅ……、うるさい! うるさい、うるさい、うるさい! なにも知らなかったくせに、なんで今さら!」

「俺はイリヤが危ない目に合うなんて嫌なんだよ! 話なら幾らでも聞く! 切嗣が裏切ったって話もちゃんと謝る! 俺に出来る事なら何でもするから、人を殺さなきゃいけないような事はやめてくれ!」

「うるさい!!」

 

 イリヤの涙を浮かべながら怒鳴った。

 

「なんで……? なにも知らないままでいいじゃない! いまさら、知ろうとなんてしないで! かかわってこないで!」

「嫌だ!! 大体、関わるなって言うなら、もう手遅れなんだよ! 一緒に料理して、一緒に食べて! そんなヤツが殺し合いに参加してるって聞いて、黙っていられるわけないだろ!」

「わからずや!」

「わからずやはイリヤの方だ!」

 

 イリヤが睨んでくる。俺も睨み返す。負けてたまるか!

 

「……だったら、わたしのものになってよ」

「……はい?」

「だから、わたしのものになってよ!」

「いっ、いきなり何言い出してんだよ!?」

「なんでもするって言ったじゃない!」

「それはそうだけど、人をモノ扱いするのはどうなんだ!?」

「いいから! シロウはわたしのものになるの! それなら殺さなくてもいいし、また一緒におりょうり出来るもの!」

「別に料理なんていつでも出来るだろ。それに、イリヤが殺したくないって思ってくれるなら、殺さなくてもいいじゃないか!」

「もう! なんでもするって言ったくせに!」

「だから、俺は――――」

 

 その時だった。どこからかグーという音が聞こえた。

 

「ん? 今のは……」

 

 振り返ると、セイバーが目を泳がせていた。

 

「……セイバー?」

「なんですか?」

 

 キリッとした表情を浮かべるセイバー。色々と手遅れだ。

 

「腹……、減ったのか?」

「……えっとですね、これはその」

 

 その時だった。今度は別の方向からグーという音が聞こえた。

 

「……イリヤ?」

「ちがうもん!」

「いや、今のは……」

「ちがうって言ってるでしょ! シロウにはデリカシーがないの!?」

 

 涙目になって怒るイリヤ。

 

「……とりあえず、うちに戻ろう。イリヤも来いよ」

「だ、だめだよ。わたし、もう行っちゃダメなの!」

「……イリヤは来たくないのか?」

「そうじゃないけど……」

「なら来いよ。また、一緒に作ろう」

 

 俺はイリヤの手を握った。問答無用だ。

 

「ちょっと、シロウ!」

「行くぞ、イリヤ!」

「……もう」

 

 イリヤは観念したように溜息を零した。

 その後ろでセイバーも溜息を零していた。

 呆れたような二つの視線を無視して、俺は歩き続けた。

 

 ◆

 

 家に着くと、遠坂達はまだ戻ってきていなかった。

 イリヤにエプロンを渡して、冷蔵庫を開く。

 

「……シロウったら、顔に似合わずごういんなんだから」

 

 ぶつぶつと文句を言いながらも、イリヤはしっかりエプロンを着てくれた。

 

「あれ? 前のと違う?」

「ああ、少し手直ししたんだ。また、イリヤと料理がしたかったからな」

「……ふーん」

 

 イリヤはエプロンの裾を摘みながら唇を尖らせた。

 

「えっと……、とりあえず始めるぞ!」

「何を作るの?」

「オムライスだ」

 

 家を出る前に炊飯器をセットしておいたからご飯はばっちり炊き上がっている。

 

「まずは玉ねぎを切るぞ」

「しかたないなー……」

「いいからいいから」

 

 なんだかんだで料理をはじめるとイリヤは眉間のシワを取ってくれた。

 玉ねぎを切った時の刺激に悲鳴を上げていたけれど、みじん切りにする作業自体は楽しかったみたいだ。

 前よりも更に包丁の使い方が上手くなっている。俺は具材のカットをイリヤに任せて、その間にコーンの水切りをした。

 

「さーて、焼いていくぞ」

 

 鍋にイリヤがカットした玉ねぎ、パプリカ、ベーコンを入れ、俺が水切りをしたコーンも入れる。

 

「先に具に味を付けるんだ」

 

 塩コショウとケチャップを加えると、なんとも言えない香りが台所に漂った。

 そこにご飯を加える。

 

「イリヤ。卵を混ぜてくれ」

「分かったわ!」

 

 卵に牛乳と塩コショウを混ぜて、そのままイリヤに薄焼き卵を作ってもらう事にした。

 真剣な表情でフライパンに向かうイリヤを横目に鍋の火を止める。

 

「できたわよ、シロウ」

「ありがとう。ここからは俺がやるよ」

 

 炒めたご飯を少し冷まして、一口サイズに丸める。

 それをイリヤに作ってもらった薄焼き卵で包めば完成。火傷しそうなくらい熱いけど、イリヤとセイバーの為に我慢だ。

 

「よーし、完成だ!」

「出来たのですか? シロウ」

 

 セイバーは食卓でそわそわしていた。

 

「ああ、一口オムライスだ。たくさん作ったから、どんどん食べてくれ」

 

 みんなで「いただきます」を言って、食べ始めた。これなら弁当に入れられるから、帰りにイリヤに持って行ってもらうつもりだ。

 イリヤを見る。美味しそうに食べていた。セイバーもコクコクと頷きながら食べている。

 これでいいんだ。イリヤに血腥い戦場なんて似合わない。こうやって、一緒に料理を作って食べていると強く実感する。

 

「イリヤ。よかったら、また明日も――――」

「ダメよ、シロウ」

 

 イリヤは首を横に振った。

 

「イリヤ……?」

「シロウ。わたしは聖杯戦争をとちゅうで降りる気なんてない」

「……なんでだよ。なにか、叶えたい望みがあるのか?」

 

 イリヤは言った。

 

「わたしに叶えたい望みなんてない。でもね、そういう事じゃないの」

「そういう事じゃないって、なら、どういう事なんだよ!? 叶えたい望みが無いなら、こんなバカげた戦いなんて――――」

「シロウ。そのバカげた戦いをはじめたのはわたしの一族なのよ」

 

 まるで諭すようにイリヤは言った。

 

「……イリヤの一族が?」

「そうよ。聖杯を手に入れることはアインツベルンの悲願。だから、わたしはマスターである限り、たたかい続ける」

 

 イリヤの顔はセイバーや遠坂と同じだった。絶対に意思を曲げるつもりが無い事が分かってしまう。

 

「……でも、俺はイリヤに戦ってほしくない」

「シロウ。わたしは郊外の森に住んでるの」

「イリヤ……?」

 

 イリヤは立ち上がった。

 

「もし、どうしても止めたいのなら挑んできなさい。ただし、わたしのサーヴァントは強いわ。今のあなたとセイバーじゃ、絶対に勝てない。言っておくけど、容赦する気もないわ。その時は情け無く、躊躇い無く、確実に殺す」

「……イリヤのサーヴァントに勝ったら、聖杯戦争を降りてくれるのか?」

 

 イリヤは溜息を零した。

 

「サーヴァントを失ったら、もう、わたしはマスターじゃなくなるもの。だけど、あなどらないでね。わたしのサーヴァントはヘラクレス。ギリシャ神話さいだいさいきょうの大英雄。シロウがかてる要素なんて一つも無いんだから」

 

 イリヤはクスリと微笑んだ。

 

「それでも挑むって言うなら、待ってるから」

 

 そう言うと、イリヤは居間から出て行った。

 

「見送りはいらないわ。またね、シロウ」

「……ああ、またな、イリヤ」

 

 イリヤが去った後、俺はセイバーを見た。

 

「ありがとな」

「何の事ですか?」

「口を挟まないでいてくれただろ」

「……彼女が貴方の戦う一番の理由なのでしょう?」

 

 彼女を召喚した時の事だ。俺はたしかに言った。

 

 ――――知り合いっていうか、まあ、そんな感じの女の子が参加してるっぽくて、あんまり危ない事は止めさせたいなーって思って。

 

 あの時の言葉をセイバーは覚えていてくれたらしい。

 

「……イリヤというのですか?」

「あっ、いや、イリヤスフィールっていう名前だったと思う。ただ、ついイリヤって呼んでた。怒ってないといいけど……」

「怒ってなどいないでしょう。彼女は一度も訂正を求めませんでしたから」

「そっか……」

 

 セイバーが立ち上がった。

 

「シロウ。彼女のサーヴァントに挑むのですね?」

「ああ、そのつもりだ」

「……それが貴方の意思なら、私は従うのみです。ただ、相手が彼女の言葉通り、ヘラクレスであるのなら、リンにも相談しておくべきでしょう。相手はギリシャ神話における大英雄。真っ向勝負では分が悪いでしょうから」

「わかった。相談してみるよ」

「では、午後も引き続き街を探索しましょうか」

「ああ!」

 

 イリヤは『またね』と言った。そして、俺も『またな』って言った。

 俺が聖杯戦争に参加したのも元はと言えばイリヤを止めるためだ。必ず、止めてみせる。

 相手がどんなに強くても関係ない。

 

「待ってろよ、イリヤ!」



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第十二話『ガール・ミーツ・ガール』

第十二話『ガール・ミーツ・ガール』

 

 街の中を当てもなく歩いている。

 

「見つからないね」 

 

 アリーシャは目を皿のようにして敵を探しているけれど、見つかる筈がない。

 

「まあ、真っ昼間から襲い掛かってくる筈ないもの」

「え? でも、昼間にあんな結界を発動させるような相手ならって言ったのはリンだよ!?」

「それっくらい考えなしの可能性もあるって話よ。まあ、未だに尻尾を掴ませない辺り、最低限の事は弁えているみたいね」

「……なら、こうしていても無駄って事?」

「無駄ではないわよ。こうして挑発的に出歩いていれば、確実に釣れるわ。日が暮れて、わたし達が人気(ひとけ)のない場所に入り込めば、すぐにでも」

 

 あの結界は発動しても、そこまで旨味が無かった筈だ。アリーシャの救出劇が無かったとしても、休日に登校して来ている生徒の数は百にも満たない。あの規模の結界を発動させる為に必要な魔力を考慮すると、プラマイゼロとは言わないまでも、釣り合うだけのリターンにはならない。むしろ、あの結界によって監督役や他のマスター達に目を付けられるリスクの方が圧倒的に大きい。

 それでもなお、あの結界は発動した。ここから結界の主の性格をある程度察する事が出来る。

 

「あの時、結界が発動した理由は一つ。折角の結界を壊そうとしているわたし達に対する嫌がらせ。きっと、アレを張ったヤツは直情的で短絡的な性格の筈よ。だから、昨日の今日でこうして街中を悠々と歩いてやれば、確実に食いつくはず」

「……すごいよ、リン! そこまで考えていたなんて!」

「ふふん。存分に褒めていいわよ?」

 

 すごいすごいと連呼するアリーシャに気を良くしながら、わたしは新都の中心街に足を向けた。

 

「でも、それだと夜まで暇にならない? 一度、シロウの家に帰る?」

「こうして出歩いている事が重要なんだから、帰っちゃダメよ。それより、折角だからデートをしましょう」

「で、デート? わたし達二人で?」

「他に誰がいるのよ。なに? シロウが相手じゃないとイヤって事?」

「……どこに行くの?」

「とりあえず、定番のコースで行きましょう。水族館は好き?」

「……行ったことないけど、それって割りとガチなデートコースじゃない?」

「いいじゃない。折角ならとことん行くわよ」

 

 アリーシャの手を引きながら、わたしは水族館を目指す。

 はじめは戸惑っていた彼女も水族館に着く頃には観念したのか、ワクワクドキドキの表情を浮かべていた。

 

「うわー、すごいね!」

 

 水族館の中に入ると、アリーシャは瞳を輝かせた。

 

「アメイジング! ファンタスティック! オーマイゴッド!」

「すっごい外国人っぽい感動の仕方ね……」

 

 周りがすごい目でアリーシャを見ている。

 

「わたし、生きている魚は初めて見たよ!」

「そうなの? まあ、見ようと思わないと見れないものね」

「……綺麗だね」

「そうね」

 

 アリーシャは小さな水槽に見入っている。中で泳ぎ回る魚達に目を細めながら、彼女は呟いた。

 

「この子達はこの狭い世界の中で生まれて、生きて、死ぬんだね」

「……そう考えると残酷かもね」

「でも、それは一つの幸福かもしれない」

 

 アリーシャはまるで小さな世界に閉じ込められた魚達を羨んでいるかのように言った。

 

「何も知らなければ、この中だけで満足出来る。むしろ、この子達に外の世界を教える事の方が残酷かもしれないよ」

「……そうかもしれないわね」

 

 少なくとも、この水槽の中で生きる限り、彼らは食料に困る事もないだろう。天敵に怯える必要もなく、次の世代に命のバトンを繋ぐ事が出来る。

 

「でも、この子達は命を他者に握られている。酸素の供給を止められたり、餌を与えられなくなったり、人の気まぐれ次第で死ぬ。わたしだったら、耐えられないわ」

「……リンはそうだろうね」

「貴女は違うの?」

 

 アリーシャは応えなかった。

 

「……記憶、戻ってるの?」

「まだ、少しだけだよ」

「思い出したくないのね」

「うん……」

 

 あの夢は彼女の意識がラインを通じてわたしの中に流れ込んだ結果だ。

 わたしが視たという事は、彼女も視たという事だ。

 

「……次はプラネタリウムでも見ない?」

「見たい!」

 

 アリーシャと過ごす時間はすごく楽しい。

 同世代の女の子と遊び歩いた事なんて無いから、連れ回しているわたしにとっても全てが新鮮だった。

 プラネタリウムの後は映画を見て、その後はショッピングにも手を出した。

 おそろいのアクセサリーを買って、ランジェリーショップを冷やかして、そうしている内に空が茜色に染まりはじめた。

 人気(ひとけ)の少ない方を目指して歩きながら、わたしは言った。

 

「……アリーシャ。聖杯戦争が終わっても、一緒にいましょう」

「リン……」

「聖杯なら、貴女を受肉させる事も出来るわ。それに、聖杯が使えなくても、貴女を維持する方法くらい幾らでもある」

「……リンが許してくれるなら、わたしも一緒にいたいよ」

 

 わたしはアリーシャと繋いでいる手に力を篭めた。

 あんな地獄に返してなんてやらない。アリーシャはわたしのサーヴァントだ。あんな救いのない生前を塗り替えられるくらい、幸福にしてみせる。

 だから――――、

 

「――――ッリン!」

 

 ――――わたしは聖杯を手に入れる!

 

「アリーシャ!」

 

 真上から襲い掛かってきた眼帯の女に準備していた宝石を投げつける。

 光が破裂して、わたし達と敵の間に壁を作る。

 

「――――時よ」

 

 その一秒後――――、眼帯の女は無数の肉片に変わった。 

 やっぱり、直情的で短絡的な愚か者だった。アリーシャの固有時制御(タイムアルター)を警戒して、不意を狙った点は悪くない。

 だけど、こっちは不意打ちが来る事を前提で動いていた。

 

「……アリーシャ。どう?」

「いるね。魔力を垂れ流しているお馬鹿さんが屋上に」

 

 アリーシャは敵のサーヴァントにとどめを刺しながら、近くのビルの屋上を睨みつけた。かすかに声が聴こえる。

 

「行くわよ」

「うん」

 

 アリーシャと一緒に空間を飛ぶ。目の前にはビルの下を睨みながら死んだサーヴァントを罵倒している敵のマスターの姿があった。

 その後ろ姿をわたしは知っていた。

 間桐慎二。既に没落した家の長男。腐っても聖杯戦争をはじめた御三家の一角といった所だろうか、魔術回路すら絶えた身で聖杯戦争に参加するとは恐れ入った。

 一応、声でも掛けておこうかと思ったけれど、その前にアリーシャが動いた。肉体を五十以上の肉片に変えられ、慎二は死んだ。

 

「……終わったわね」

「うん」

 

 アリーシャの瞳には何の感情も浮かんでいなかった。握っていた聖剣を消し、慎二だった肉塊を炎で燃やす。

 

「帰ろっか、リン」

「ええ、帰りましょう」

 

 まずは一体目。残るサーヴァントはセイバーを含めて五体。

 先は長いけど、ようやく第一歩を踏み出した感じだ。

 

「……夕飯の材料を買っていきましょう」

「今日はハンバーグがいいなー」

「いいわね。玉ねぎはあったみたいだし、ひき肉だけでいいかしら。あっ、でもナツメグとかあるのかな?」

「うーん。あるんじゃない? シロウは料理が上手だし、調味料とかも揃ってる気がする」

 

 まあ、ここは衛宮くんの主夫力を信じてみる事にしよう。

 

 ◇

 

「……あれは反則だろ」

 

 刹那に起きた一方的過ぎる虐殺を見て、思わず呟いた。

 あのすばしっこいライダーがまともに反撃も出来ないまま脱落するとは思わなかった。

 おまけに情け容赦無くマスターまでキッチリ仕留めておきながら、和気藹々と帰っていく二人の背中に寒々しいものを感じる。

 

「さすがにアレとまともに打ち合ったら力量を計るどころじゃないぜ?」

『――――ああ、そのようだな。あのサーヴァントに対しては命令を撤回するとしよう。為す術無く殺される事が分かっている相手に特攻させるほど、私も鬼ではない』

「っへ、よく言うぜ」

 

 ツバを吐き捨てながら立ち上がる。あの二人を見逃す以上、次が最後になる。

 

「相手は騎士王か……。楽しめそうだな」



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第十三話『戦う決意』

第十三話『戦う決意』

 

 街の探索の締めとしてやって来た新都の公園。

 十年前に炎で焼かれた土地は自然公園と銘打っているものの、あまり整備が行き届いていない。その為に外灯の数が少なく、陽が沈めば辺りは闇に沈む。

 一通りの探索を終えて、一度家に戻ろうかと話していると――――、そいつは突然現れた。

 

「――――よう、お二人さん。探しモノかい?」

 

 夜に溶け込むような群青の装束に身を包み、血に濡れたような紅い槍を握っている。

 粗野な笑みを浮かべ、まるで往年の友に声を掛けるような調子で俺達を見つめている。

 

「シロウ、後ろへ!」

 

 セイバーが武装して前に出る。

 

「……ランサーのサーヴァントだな。あの結界は貴様の仕業か?」

「さぁて、答えてやる義理なんてねぇな!」

 

 男が動いた。真紅の槍が高速で突き出される。一息の内に十の音が重なった。

 それはランサーの槍が十度繰り出された事を示し、そして、セイバーが十度迎撃した事を示している。

 

「――――チィ」

 

 目で追えぬ二人の攻防はセイバーに軍配があがった。

 踏み込むセイバーの一撃を受けたランサーの槍に光が灯る。それは視認出来る程の魔力の猛り。

 セイバーの一撃一撃には、とんでもない程の魔力が篭っている。

 

「クッ――――」

 

 堪らず後退しようとするランサーをセイバーは逃さない。

 舌を巻くのはランサーの技量だ。おそらく、サーヴァントとしてのスペックはセイバーが上だろう。だが、ランサーは圧倒されながらもセイバーの喉を、眉間を、心臓を、人体における急所を的確に狙い、セイバーに決め手となる一撃を打たせない。

 これがサーヴァントの戦い。セイバーの言っていたとおりだ。この攻防は人知を超えている。

 

「セイバー……」

 

 このまま、何事も無ければセイバーの勝利で決まる。如何に技巧に優れていても、セイバーはあまりに圧倒的だ。

 だけど、どうしてだろう。このままでは終わらない気がする。

 

「……あの槍」

 

 あの槍は普通じゃない。まるで呪詛の塊を見ているような気分になる。

 サーヴァントにはシンボルとなる特別な武器があるとセイバーが言っていた。

 人間の幻想を骨子に編み上げられたソレは宝具と呼ばれ、剣であったり、騎馬であったり、結界であったりと特定の型に嵌らず、モノによっては魔法に匹敵する力を持つという。

 おそらく、ランサーの宝具はあの槍だ。アレが真価を発揮する前に、その真髄へ踏み込む。唯一と言っていい取り柄で真紅の槍を解析する。

 

 ――――魔槍ゲイ・ボルグ。

 ――――偉大なる海の魔獣クリードの頭蓋よりボルグ・マク・ブアインが削り出したモノ。影の国の女王が愛弟子に授けた因果を歪める呪槍。

 

 槍の全貌が明らかになると同時に大きな音が鳴り響いた。空間に文字が浮かび、ランサーとセイバーの間に炎の壁が生まれた。

 ルーン魔術。ゲイ・ボルグの持ち主は武勇に優れ、同時に魔術師としても傑物と聞く。いよいよ手の内を晒し、本気を出し始めたという事だろう。

 

「――――断る、貴様はここで倒れろ!」

 

 ここからランサーの言葉は聞こえない。何かを提案したようだが、セイバーに一蹴され、ランサーは奇妙な構えを取った。

 魔力が槍に集まり始める。心臓を穿たれ、セイバーが殺される未来を幻視する。

 セイバーとランサーの間には距離がある。セイバーの神速を持ってしても、宝具の発動を阻む事は出来ない。

 なら、どうすればいい? 

 

 ――――シロウ。貴方の手に宿る真紅の刻印は令呪と呼ばれるものです。

 

 セイバーの言葉を思い出す。

 

 ――――それはサーヴァントに対する絶対命令権。それを使えば、サーヴァントに対してあらゆる命令を強要する事が出来ます。

 

 あの時、彼女は言っていた。

 

 ――――サーヴァントに意に反する命令を下す事も出来ますが、令呪を使えばサーヴァントの独力では不可能な事も実行させる事が出来るのです。

 

 そうだ。彼女に不可能な事でも、俺なら可能にしてやる事が出来る。

 覚悟はとうの昔に決めた筈だ。聖杯戦争という矛盾の坩堝で己の意思を貫きたいのなら、己の中の矛盾を背負う覚悟をしなければならない。

 正義の(ため)に、悪を()す覚悟。

 人のカタチをして、言葉をかわす事の出来る相手を殺す。それを悪と理解しながら、正義と嘯く己の欺瞞を飲み下せ。

 

 ――――さもなければ、セイバーが死ぬ。

 

 ――――さもなければ、イリヤを止められない。

 

 ――――さもなければ、この街の人々が犠牲になる。 

 

 なんども足踏みをした。なんども間違えそうになった。もう、十分に迷った。

 心を研ぎ澄ます。ゆらゆらと頼りなく揺れ動く意思を鋼鉄に鍛え直す。

 

「――――セイバー!!」

 

 己の意思で一線を超える。

 あの日――――、炎の中で目を背けた無数の魂に新たな命を加える。

 人々を救いたい。人々を救わなければならない。分水嶺は十年前のあの日にすでに超えている。

 立ち止まる事は許されない。背中の向こうから無数の手が押し寄せてくる。

 

 ――――救え。

 

 ――――救え。

 

 ――――救え。

 

 ――――救え。

 

 ――――その為に、殺せ。

 

 人の魂に貴賎などない。ならば、天秤は数によってのみ傾く。

 十を救う為に一を切り捨てる。正義の味方を志すならば、いずれ辿り着く真理。

 

「――――ランサーを斬れ!!」

 

 己の腕から光が一つ消える。

 

「なっ――――」

 

 それはどちらの声だったのだろうか、セイバーは令呪の強制力によってランサーとの間にあった距離を零にした。

 宝具の発動態勢に入っていたランサーに回避する余裕はなく、セイバーの不可視の剣は彼の肉体を両断した。

 

「っち、抜かったぜ……」

 

 光となって消えるランサー。

 込み上げてくる吐き気を押し殺す。

 これが人を殺す感触だ。

 相手がサーヴァントだろうと、直接手を下したのがセイバーだろうと、あの男を殺すと決断し、実行させたのは俺だ。

 

「シロウ!」

 

 セイバーが武装を解除して俺の方にやって来る。

 ……疲れた。今日は帰ろう――――。

 

 ◆

 

 驚いた事にランサーは結界と無関係だった。衛宮邸にはすでに遠坂とアリーシャが戻って来ていて、聞いた話によると、本命は彼女達の方に襲い掛かってきたそうだ。

 ランサーとライダーが脱落して、残るサーヴァントは五体。セイバーとアリーシャを除けば、敵は三体になる。

 遠坂とアリーシャが作ってくれたハンバーグを食べながら、俺達は今後の方針を話す事にした。

 

「……遠坂。バーサーカーのマスターはイリヤだ」

「イリヤ? 知り合いなの?」

「ああ、本名はイリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言ってた」

「貴方、アインツベルンのマスターと知り合いだったの!?」

「だったって言うか、俺がサーヴァントを召喚する前にうちに来たんだよ」

「……どういう事?」

 

 俺はイリヤと出会って、セイバーを召喚するに至った経緯を話した。

 

「……つまり、士郎はイリヤスフィールを戦いから降ろす為に聖杯戦争に参加したわけね?」

「ああ、はじめは……。ただ、セイバーの話を聞いて……、それにあの結界を見て、この戦い自体を止めないといけないって思った」

「……なるほど。それで? 士郎はどうしたいのかしら?」

 

 セイバーとアリーシャに倣ったそうだが、遠坂に士郎と呼ばれると何だか照れくさくなる。

 ゴホンと咳払いをして照れを誤魔化しつつ、俺はイリヤとの約束を口にした。

 

「俺はイリヤのバーサーカーを倒して、彼女も聖杯戦争から降ろしたい。ただ、相手はギリシャ神話の大英雄ヘラクレスらしいんだ。だから……、頼む!」

 

 遠坂とアリーシャに頭を下げる。

 

「力を貸して欲しい」

「いいわよ、もちろん」

 

 頭をパッとあげると、遠坂はアリーシャを見つめていた。

 

「いずれ倒すべき敵だもの。異存なんてある筈がないわ。ただ、本当に相手がヘラクレスなら、一筋縄ではいかない筈よ」

「ああ、セイバーも言っていた」

「……オーケー。作戦の立案は任せてちょうだい」

「頼む」

 

 もう一度頭を下げると、遠坂は「任せなさい」と微笑んだ。

 

 ◇

 

「……どういう事?」

 

 少女は従者の報告を聞いて眉を顰めた。

 新都の二ヶ所で同時に起きたサーヴァント戦。それによって、ランサーとライダーが脱落した。その事を彼女は報告が来るまで知らなかった。

 

「ありえないわ……。わたしが分からなかったなんて……」

 

 何かおかしい。この聖杯戦争に無視出来ない異常が発生している。

 

「あの魔女か……、それとも、マキリが……?」

 

 手駒(ライダー)が脱落した以上、マキリが動く可能性は低い。ならば、キャスターがクロである可能性が濃厚か……。

 少女は二人の従者を見る。

 

「でるわよ、ふたりとも」

 

 折角の大一番を邪魔されてはたまらない。シロウが来る前にゴミを掃除しておこう。

 

「……なにを企んでいるのか知らないけれど、かくごすることね、キャスター」



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第十四話『鮮血少女』

第十四話『鮮血少女』

 

 ――――また、夢を見ている。

 

 見渡す限り、廃墟が広がっている。数日前までは数百万もの人々が暮す一大都市だった。

 ここに住んでいた住民は一人残らず儀式の贄となり、大地に溶けた。

 

『――――ッハ、とんでもねーな』

 

 それはわたしの知っているものとは少し毛色の違う……けれど、それはたしかに聖杯戦争だった。

 一人の錬金術師が冬木の聖杯戦争を模倣して造り上げた『禁忌の祭壇』。

 

『セイバー……』

 

 雪のように白い髪(・・・)の少女が騎士を不安そうに見つめている。

 騎士の顔は兜で隠されていて見えない。怒っているのか、哀れんでいるのか、それとも、喜んでいるのか、なにも分からない。

 

『……安心しろ』

 

 セイバーのサーヴァントは乱暴に少女の頭を撫でた。

 

『守ってやるさ』

『……うん』

 

 戦いは苛烈を極めた。この儀式に参加した魔術師達はいずれも傑物ばかり。彼らが率いるサーヴァントも選りすぐりの英霊ばかり。

 廃墟を無数のクレーターに変え、近隣の都市の人々を贄に捧げ、神秘の隠匿を度外視して、彼らは殺し合った。

 

『――――貴様等は、何度同じ轍を踏めば気が済むのだ!!』

 

 魔術協会から派遣された稀代の執行者は少女に憤怒を向けた。

 

『……貴女に罪は無い。それでも、貴女を完成させるわけにはいきません』

 

 聖堂教会から派遣された埋葬機関の代行者は少女を哀れんだ。

 

『奈落の使徒よ。大いなる破滅を約束する少女よ! すまないが死んでくれ! それが我らの安寧なのだ! それが我らの望みなのだ!』

 

 まるで舞台役者のような振る舞いの魔術師は少女に曇りなき殺意を投げかけた。

 

『……ああ、彼女の言った通り、君には何の罪もない。ただ、存在する事がこの世界にとって脅威なのだ。だから、私達は君を殺す。ああ、恨みたければ好きなだけ恨め。それは正当な権利だ』

 

 執行者のバックアップとして現れた魔術師は感情を押し殺した声で言った。

 

 ――――これは世界を救うための戦いである。

 

 戦いが進みにつれ、少女は変質していった。

 彼女はこの狂気の舞台を用意した錬金術師が造り上げた聖杯であり、サーヴァントの魂を取り込む度に完成へ近付いていった。

 髪の色は赤銅色に染まり、その心は上書きされていく。

 

『怖いよ、セイバー……。助けて……、わたし、いなくなっちゃう……』

 

 セイバーに抱き締められながら、少女は……、アリーシャは涙を流した。

 

『……マスター。オレは……、オレは……』

 

 彼女の悲痛な叫びを聞いても、セイバーに出来る事は彼女を守る事だけだった。

 逃げても、殺されても、生き延びても、彼女に待ち受けるものは破滅の未来のみ。

 はじめから、彼女は破滅する為に生み出された。

 

『ちくしょう……。あの腐れ錬金術師共!! 許さねぇ……、絶対に許さねぇ……ッ』

 

 憎悪が深まる度、セイバーは強くなった。赤雷は全てを呑み込み、一歩ずつ破滅が近付いてくる。

 そして、とうとう彼女は完成してしまった。

 彼女が彼女であった頃の心の断片はセイバーの首を刎ねた瞬間に死に、その肉体は錬金術師が臨んだ通り、救世主として覚醒した。

 

『素晴らしい! 素晴らしいぞ、■■■! これで世界は救われる!』

 

 その時……いや、それ以前から人類の滅びは確定していた。人口爆発と呼ばれる現象が原因だ。

 

 西暦一年頃、人類は一億人に満たなかった。千年後も、その数は二倍の二億人に増えるに留まっていた。ところが、それから九百年後、即ち、現在から数えて百年前、一気に八倍の十六億五千万人にまで増えた。そして、それから僅か五十年で二十五億人を突破。更に五十年後の現在、人口は七十億人を突破している。

 一人の人間が使える清浄な水や食料の数には限りがある。それに加えて、温暖化、オゾン層の破壊、二酸化炭素の増加、森林伐採。それらは人口の数に比例して増加している。

 感情を排し、理論の下でそれらの数値を分析すると、近い未来、聖書の終末など待たずに人類は破滅する事が分かる。

 大災害が起こらずとも、核戦争が起こらずとも、魔王やドラゴンが現れずとも、人類はただ、増え続ける事によって滅亡する。

 生物学において、特定の種がその住環境に対して過剰に増加し過ぎた事を理由に絶滅する事はよくある事だ。

 

黒死病(ペスト)という病がある。アレはその時代に多くの人間の命を刈り取った。故、その名は恐怖と共に語られる事が多い。だが、同時に人類に多大なる恩恵を齎してもいるのだ。黒死病が広がるより以前は、人口過剰による飢饉が世界に暗雲を立ち篭らせていた。黒死病の襲来はまさしく――――、『人類を間引く』役割を担ったのだよ』

 

 錬金術師は熱に浮かされたように語り続ける。

 

『多くの人が死んだ。そのおかげで、食料が行き渡るようになり、経済的な困窮も払拭され、ルネッサンスが花開く切欠となった。著名な歴史学者の多くが黒死病を『必要悪』と謳っている! 魔術世界に属さぬ者達。世界保健機関(WHO)をはじめ、多くの科学者や医師も人類増加の危険性を世に発信している。人類の抑制は必要な事なのだ!』

 

 それが男の狂気の源。彼が所属する組織(ならくのそこ)から抜け出して、形振り構わず聖杯を求める残骸(アインツベルン)を欺き、900万以上の罪無き人々を贄に捧げ、無垢な少女を壊した所以。

 

『だが、間引くにしても無差別では意味がない。悪がのさばり、善人や有能な者達が死に絶えては世界の滅亡を回避する事は出来ない。だからこそ、単なる死神ではダメなのだ! 世界を救う為の死神――――、正義の味方が必要なのだ!』

 

 そう救世を謳い上げる狂人が最初に殺された。

 聖杯戦争の勝者となったアリーシャは奇跡の力で己を『正義の味方』という現象に変え、悪意が一定域に達した地点に出現し、その場の全てを一掃する。

 

 ――――救え。

 

 ――――救え。

 

 ――――救え。

 

 ――――救え。

 

 ――――その為に、殺せ。

 

 この世全ての悪を根絶する。それが彼女の存在意義となり、そして、彼女自身が世界の滅亡の要因となった。

 そして……、紅い騎士が現れた。

 

 ◆

 

 目が覚めた瞬間、あまりの怒りに気が狂いそうになった。

 

「ふざけるな!! ふざけるな!! ふざけるな!!」

 

 手当たり次第に物へ当たり散らし、それでも気が済まなくて、握り締めた拳から血が流れた。

 アリーシャには初めから救いなんて用意されていなかった。だって、彼女は破滅する為に生み出されたホムンクルスだ。

 生まれた時点で900万以上の命を背負わされて、生きたいと願っていたのに壊された。

 この世全ての悪(じんるい)に対する敵対者となった彼女は世界からも疎まれて、最後は排斥された。

 一緒に料理を作るのが楽しいと彼女は言った。

 水族館やプラネタリウムを回って、ショッピングをして、それが楽しいと彼女は言った。

 あれが本来の彼女だ。どこにでもいる普通の女の子だ。それを……、それを……、それを……ッ!

 

「絶対に聖杯を手に入れてやる……。何があっても、絶対に……」



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第十五話『命よりも大切なもの』

第十五話『命よりも大切なもの』

 

 目を覚ましたら土蔵の中だった。日課の鍛錬をこなしていて、そのまま寝てしまったみたいだ。

 起き上がると毛布がずり落ちた。

 

「毛布……?」

 

 どうやら、誰かが気を利かせてくれたらしい。

 

「あれ? でも、こんな柄の毛布、うちにあったっけ?」

「毛布がどこにあるのか分からなかったから、魔術で作ったの」

「そうなのか」

 

 どうりでファンシーな柄だと思った。ウサギがこれでもかってくらいたくさん描かれている。

 なんとなく、アリーシャらしいと思った。

 

「……ん?」

 

 そこでようやく目の前にアリーシャがいる事に気付いた。

 

「アリーシャ……?」

「おはよう、シロウ」

「おっ、おはよう。えっと、いつから……?」

「昨日、シロウが魔術の鍛錬をはじめた辺りからかな?」

「……えっと、一晩中そこにいたのか?」

「うん」

 

 よーし、落ち着け。きっと、アリーシャは俺に用事があったんだ。だけど、俺が眠ってしまっていて、起こすのも悪いと起きるまで待ってくれていたに違いない。

 すまない事をした。俺は居住まいを正して話を聞く態勢を整えた。

 

「……その、何か用事があったんだよな? 起こしてくれても良かったんだぞ。それで、どうかしたのか?」

「え? 別に用事はないけど?」

「……なら、なんでここに?」

「シロウの寝顔が可愛かったから」

 

 脳裏に《ストーカー》の文字がチラついた。

 咳払いをして冷静さを保つ。

 

「えっと、アリーシャ」

「なーに?」

 

 あざといくらい可愛らしい《なーに?》に気勢を削がれる。

 

「……アリーシャは俺の事が好きなのか?」

「うん! 言葉で表現し切れないくらい、シロウの事が好きだよ」

 

 あまりにもストレートな好意に顔が熱くなってくる。

 

「……その、なんでなんだ? 俺って、そんなにかっこよくないだろ。それに魔術師としても未熟だし……」

 

 言葉を途中で遮られた。唇に柔らかい感触が走る。目の前にはアリーシャの顔があった。

 咄嗟に離れようとしたけれど、アリーシャの力は俺如きに抗えるものではなく、そのまま為す術無く口の中を舐められ尽くした。

 たっぷり数分もの間、俺達はキスを続けていた。ようやく解放されると、そのまま床に倒れ込んだ。頭の中は熱に浮かされたようにぼやけている。

 

「シロウ。わたしの全身がアナタを求めているの。アナタが欲しい。アナタと一体になりたい。……アナタになりたい」

 

 その瞳には狂気的な光が宿っていた。

 

「アリーシャ……?」

「ねえ、シロウ。アナタはわたしをどう思う?」

「どう思うって……、その、知り合ったばかりだし……」

「……どうしたら、好きになってもらえるかな?」

 

 その言葉にはさっきまであった狂気は鳴りを潜めていた。

 不安そうに瞳を揺らすアリーシャ。

 

「……アリーシャ。俺は誰かと恋愛なんてしたこと無いんだ。だから、少し時間をくれないか?」

「時間……?」

 

 別にアリーシャのことが嫌いなわけじゃない。ただ、相手の事をよく知りもしないで半端な気持ちのまま応えるのは失礼な気がした。

 

「アリーシャのことを知る時間がほしい。アリーシャが俺の事を好きだって言ってくれたんだから、俺だって、ちゃんとアリーシャを好きになってから気持ちに応えたい」

「……シロウ」

 

 それにしても、アリーシャは本当に美人だ。

 

「……あれ?」

「どうしたの?」

「いや……、なんでもない」

 

 アリーシャの顔を見つめていたら、何故かイリヤを思い出した。

 そう言えば、彼女も瞳が赤かった。それに、色白で顔立ちが整っている事も共通している。

 

「ちょっと、アリーシャに似ている子の事を思い出したんだ」

「……わたしに?」

「イリヤって言うんだ。ほら、昨日話したバーサーカーのマスターだよ」

「イリヤ……」

「どうかしたのか?」

 

 アリーシャはなんどもイリヤの名前を口ずさみ、それから不思議そうに首を傾げた。

 

「……ああ、そっか。たしか、その子はアインツベルンなんだよね」

「アリーシャ……?」

 

 アリーシャは表情を曇らせて立ち上がった。

 

「そろそろ、リンを起こしてくるね。今日の朝食の当番はわたし達だから、楽しみにしててね!」

「あ、ああ、昨日のハンバーグも美味しかったし、期待してるよ」

 

 アリーシャが立ち去った後、俺はしばらく起き上がる事が出来なかった。

 

「……柔らかかったな」

 

 人生で初めてのキスは中々に衝撃的だった。

 

 ◆

 

 リンの部屋の扉を三回ノックすると、中から「今、行く」と返事が帰ってきた。

 

「おはよう、アリーシャ」

「おはよう、リン」

 

 笑顔で挨拶を交わした後、わたしはリンと一緒に居間へ向かった。

 その途中でリンは言った。

 

「……また、夢を見たわ」

「うん。わたしも少し思い出したよ」

 

 予想した通りだった。

 わたしが記憶を取り戻すと、リンにもラインを通じて伝わるらしい。

 

「食事が終わったら、部屋で話しましょう。いろいろと確認しておきたい事があるの」

「いいよ」

 

 表面的にはいつもどおりだけど、ラインを通じてリンの怒りが伝わってくる。

 良くない事かもしれないけれど、それがわたしには嬉しくてたまらない。だって、彼女はわたしの為に怒ってくれている。

 哀れみも、恐れも抱かず、ただ怒ってくれている。

 

「リン」

「なに?」

「大好き」

「……士郎とどっちが上?」

「うーん。悩むね」

「……そこはわたしが上って言っておきなさいよ」

 

 呆れたように溜息を零すと、リンは小さな声で言った。

 

「わたしも好きよ、アリーシャ」

 

 自分の出生について、すべてを思い出したわけじゃない。

 だけど、きっとわたしには家族がいない。

 父も、母も、兄弟も、姉妹も、誰もいない。聖杯戦争を共に駆け抜けたサーヴァントも自分の手で殺したわたしには他者との繋がりが一つもない。

 そんなわたしにとって、リンはかけがえのない存在だ。

 

 朝食を食べ終えると、わたしはリンと一緒に彼女の部屋へ戻った。

 

「……まず、確認。貴女はアトラス院の錬金術師がアインツベルンと結託して造り上げたホムンクルスで合ってる?」

「うん。たぶん、間違いないと思う」

「じゃあ、次ね。わたしは夢の中で聖杯戦争に参加している貴女を視た。崩れていたけど、『HOLL YWOOD(ハリウッド)』の看板があったわ。あの場所はロサンゼルスね?」

「うん。ヴィルヘルム……、あの錬金術師はロサンゼルスに住む全ての人間を大地に溶かして、巨大な魔術回路に変えた。冬木の大聖杯をモチーフに、より彼の目的に特化した聖杯戦争を起こすための基盤とする為に」

「900万以上の命を一つの儀式の為に……」

 

 リンは嫌悪感に満ちた表情を浮かべた。

 

「……彼の目的は《正義の味方》という殺戮機構(システム)の構築だった。人口爆発による破滅の未来を回避する為に人類の間引きを行う為に……」

「狂ってるわね……」

「本気で世界を救うためって考えている辺りが……、本当にどうしようもない」

「……その結果として、貴女はそういう存在になってしまったのね」

「あの聖杯戦争はその為の儀式だったからね。英霊の魂を一つ取り込む度にわたしは《正義の味方》へ変質していった。内側からずっと声が響いてくるの……。《正義の味方たれ》って」

 

 起きている間も、寝ている間も、何をしている間もずっと響き続ける声。

 

 ――――救え。

 

 ――――救え。

 

 ――――救え。

 

 ――――救え。

 

 ――――その為に、殺せ。

 

 強迫観念に近い衝動に常に襲われ続ける。自我が少しずつ削り取られていく感覚に恐怖を覚え、セイバーに何度も慰められた。

 

「眠る度に地獄を視た。炎に焼かれた街の光景……。そこをわたしは歩いていたの。助けを求める手を振り払って、助けを求める声から耳を塞いで、助けを求める人々から目を背けて、そうして切り捨てた人々の怨嗟の声が絡みついてくる。立ち止まる事は許されなくて、戦って……、戦って……、戦って……、そして、最後は大切な人まで殺して、わたしは正義の味方になった」

 

 セイバーはわたしが刃を向けた時、何かを呟いていた。

 だけど、わたしには既に自我が殆ど残っていなくて、何を言っていたのか分からなかった。

 きっと、恨み言に違いない。散々守ってもらった癖に、最後の最後で裏切ったのだから……。

 

「……夢の最後に紅い衣を纏った男が視えたわ。アレは抑止力として現れた英霊?」

「えっと……、ううん。違う……、あの人は……」

 

 朧げだけど、覚えている。わたしに最期を齎した人。

 雨が降っていた。

 

 ――――これを持っていろ。もしかしたら……。

 

「……そう言えば」

 

 わたしは魔力で装備を編み込み、その内側を漁った。

 この装備は正確に言うと、わたしのものじゃない。あの時、あの人が死にゆくわたしの体に掛けてくれたものだ。

 

「これ……」

 

 掠れてしまった文字。

 

 ――――ここに大切な物が入っているんだ。

 

 文字のところを触ってみると、中に何かが入っている事に気付いた。軽く切れ目を入れてみると、中から綺麗な宝石が落ちた。

 

「それって……」

 

 リンは目を大きく見開き、遠坂邸から持ってきたカバンを漁りはじめた。

 しばらくすると、彼女はわたしが取り出した宝石と瓜二つの宝石を持ってきた。

 

「なんで……」

 

 リンは困惑した表情を浮かべている。

 

「リン。これって、どこで買ったものなの?」

「……買ったものじゃない。これは大師父が遠坂家に授けてくれたもので、世界に一つしかない筈のものなのよ! なんで、それが……」

「世界に一つ……?」

 

 リンはわたしの持っている宝石をジッと見つめた。

 

「……魔力が無くなってる」

「えっと、どういう事なのかな……?」

 

 リンは二つの宝石を見比べながら黙り込んだ。

 

「リン……?」

「……ねえ、アリーシャ。もう一つ、確認するわ。貴女が聖杯戦争に挑んだのはいつの事?」

「えっと……、2017年の夏だったと思うよ」

「今年が何年か知ってる……?」

「え? それは……、あっ」

 

 言われるまで気づかなかった。だって、カレンダーなんて気にしてなかったし、今年が何年なのか意識する事も無かった。

 意識すると、頭の中に今年の年号が浮かんでくる。これは聖杯がもたらす基礎知識なのだろう。

 

「2004年……」

「……まあ、予想の範疇ではあったけど、やっぱり未来の英霊なのね、貴女」

「未来って、そんな事あるの?」

「あり得るわ。英霊はそうなった時点で時の流れから外れた存在になるから……。だとすると……」

 

 リンは頭を抱えはじめた。

 

「いや、2017年って、13年後よね。今すぐ子供を作ったとしても……。ええ、じゃあ、あの男は誰なの?」

「リン……?」

「未来の英霊はいいとして、あの男が遠坂家の家宝を持ってる説明が出来ないわ。まさか、平行世界のわたしとか言わないわよね?」

「えっと……、えっ? あの人がリン!?」

 

 そう言えば、リンも紅いコートをよく着ている。

 

「えっ、うそ……」

「いや、無いわ」

「え?」

「……やっぱり、あの男はわたしじゃないわ。それだけは断言出来る」

「えっと……、どうして?」

「うーん。どうしてって言われると困っちゃうけど……」

 

 どうにも曖昧だけど、やっぱりわたしもあの人はリンじゃない気がする。

 何ていうか、リンよりもむしろ……。

 

「……ダメね。わたしが誰かにこの宝石を預けるとも思えないし……。ねえ、その掠れた文字がなんて書いてあったのか分からない?」

「えっとね……」

 

 よーく見ると、掠れた文字の意味が読み取れた。

 

「……え?」

「どうしたの?」

「えっと……、その……」

 

 わたしは信じられない思いで刻まれた文字を読み上げた。

 

「あの……、『必ず返しに来なさい。それまで預けるわ。 遠坂凛』って」

「……は?」

 

 凛が文字を食い入るように見つめる。

 

「……待ってよ。なんで、わたしの名前が……。えっ、預けたって、誰に?」

 

 二人揃って首を捻る。

 

「……もしかして、あの人って、リンの恋人だったりする?」

「いや、わたしに恋人なんていないし……。でも、十年以上も相手がいないってのも想像出来ないわね……」

「リンって、好きな人はいないの?」

「えー、特にはいないわね……」

「誰も? シロウは?」

「えっ、士郎?」

 

 リンは少し考えた後、なんとも言えない表情を浮かべた。

 

「うーん。イメージが湧かないけど、絶対無いとも言い切れないわね。彼、割りといい男だし」

「振っといてアレだけど、まさかリンがわたしのライバルになるとは……」

「いや、今はそんな気サラサラ無いわよ。ただ、もし出会い方が違ったりしたら、そういう関係になるかもしれないってだけの話」

「そっか……。じゃあ、あの人がシロウだったり?」

「それこそまさかよ。彼が貴女に勝てる姿なんて全然イメージ出来ないもの。あの男は貴女と戦って勝ったんでしょ? まあ、人間が貴女に勝ったって時点で想像つかないけど……」

「うーん。あの時の事はまだ正確に思い出せないんだよね……」

「まあ、分からない事は置いておきましょう。それより、貴女に言っておきたい事があるの」

「なに?」

 

 リンは言った。

 

「わたし、聖杯を手に入れるわ」

「え? うん、それは知ってるけど……」

 

 改まったりしてどうしたんだろう?

 

「貴女、わたしと一緒に居たいって言ったわよね?」

「う、うん」

「……その言葉、忘れるんじゃないわよ」

 

 リンは決意に満ちた表情を浮かべた。

 

「リン……?」

「もう一つ確認。貴女……」

 

 ――――わたしが悪人になったらどうする?

 

 その問い掛けにわたしはすぐ答える事が出来なかった。

 そんなの関係ない。わたしはずっとリンの傍にいる。

 そう、断言したいのに、どうしてだろう……、そうなったら……、わたしは……わたしは……わたしは……、 

 

「……そうよね。だって、貴女は正義の味方だもの」

「リン! わっ、わたしは!」

「落ち着きなさい。別に怒ったりしてないわ。ただ、先に言っておくわね」

「リン……?」

「わたし、貴女に殺されるなら、それはそれで構わないから」

 

 その言葉に途方もない怒りを覚えた。

 

「何を言って……」

「……そろそろお昼の時間ね。居間に向かいましょう」

「待ってよ、リン! なんで、そんな事言うの!? わたしは……、わたしはリンを……、リンの事を……」

 

 止め処なく涙が溢れてくる。

 リンを殺す。その事が恐ろしくてたまらない。

 だって、わたしは本当に彼女を殺してしまうかもしれないから……。

 

「……貴女がわたしを殺しても、わたしは貴女の事を嫌わないってだけの話よ。それじゃ、先に行くからね」

 

 リンは部屋を出て行った。

 わたしは立ち上がる事が出来なかった。

 

「なんで……、そんなこと……、そんな……」

 

 薄々、分かってる。リンは聖杯で叶えたい望みを持ったのだ。その為なら、悪に手を染める事も厭わない。

 そして、その願いはきっと……、

 

「リン……。わたしにだって、自分の命より大切なもの……、あるよ。……リン」



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第十六話『魔女』

第十六話『魔女』

 

 昼食を終えた後、俺は道場に来た。竹刀を手に取って、軽く振ってみる。

 昔、ここで切嗣に剣を教えてもらった事がある。剣道とも、実践的な剣術とも違う……、無心になる為の剣。

 

「……イリヤ」

 

 明日の朝、彼女の下へ向かう事になった。なんでも、アリーシャの能力が幾らか判明して、ヘラクレスに対する勝算が生まれたらしい。

 ヘラクレスを倒せば、イリヤを聖杯戦争から脱落させる事が出来る。セイバーとアリーシャが居れば、ほぼ間違いなく達成できる見込みだと言われた。

 喜ぶべき事なのに、なんだかモヤモヤしている。

 

「馬鹿か……、俺は」

 

 モヤモヤの正体には気付いている。俺がしたい事の為にみんなを巻き込んでいるのに、俺自身は何も出来ない。口ばっかりで、俺はどこまでいっても足手纏にしかならない。

 

「……シロウ。悩んでいるのですか?」

 

 いつの間にか、道場の隅にセイバーの姿があった。

 

「悩みって程の事じゃないよ、セイバー。ただ、あんまりにも無力だから……」

「シロウ。貴方は決して無力などではありません」

「……慰めてくれるのは嬉しいけど」

「慰めではありません。昨夜の事、貴方は忘れてしまったのですか?」

「昨夜の事……?」

「ランサーとの戦いの最中、貴方は彼の宝具の正体を看破して、令呪を使った。あの判断は実に見事でした。貴方ははじめ、出来る事は強化と解析だけ、と己を卑下していましたが、敵の宝具の能力を看破する程の解析能力は聖杯戦争において、十分な武器になります」

「……セイバー」

 

 セイバーは竹刀を手に取った。

 

「それでも、己の無力を嘆くのなら、私が貴方を鍛えます」

「いいのか?」

「もちろんです。ただし、やるからには厳しくいきますよ?」

「……ああ、頼む!」

 

 セイバーは稽古をつけながら何度も俺を鼓舞してくれた。

 無力ではない。足手纏ではない。そう言って、真っ直ぐにぶつかって来てくれる。

 

「シロウ。貴方は出会ったばかりの少女の為に立ち上がり、人々の安寧の為に戦い、その為に辛く苦しい覚悟を背負った。そんな貴方だからこそ、私は心から信頼を置く事が出来る。貴方になら、私は躊躇う事なく、背中を預ける事が出来る。……ええ、初めは不安もありました。ですが、それは昔の話です。もう一度言います、シロウ。貴方は足手纏などではない」

「セイバー……」

 

 ここまで言われて、奮い立たない男はいない。彼女と交える一刀一刀に全身全霊を掛ける。

 彼女が背中を預けてくれるのなら、その背中を守れる強さが欲しい。

 気付けば、日が傾くまで夢中になって剣を振っていた。何度も吹っ飛ばされて、何度も叩き伏せられて、それでも彼女に挑まずにはいられなかった。

 もっと強く、もっと速く、もっと鋭く、もっと……、もっと……、もっと! 

 

「シロウ、大丈夫?」

 

 気付けば道場の真ん中でひっくり返っていた。アリーシャが濡れたタオルをおでこに乗せてくれる。ひんやりして気持ちがいい。

 どうやら、体力の限界を迎えたらしい。指一本まともに動かせないくらい疲れ果てている。だけど、心はセイバーとの鍛錬を始める前とは比べ物にならないくらいスッキリしている。

 

「……ありがとう、セイバー」

「シロウ。打ち合ってわかりました。やはり、貴方は強い。そして、これから更に強くなっていく」

「強く……、か」

 

 だけど、セイバーの強さは遥か遠い先にある。手を伸ばしても、とても届きそうにないくらい……。

 

「強くなりたいな」

 

 それでも、諦めきれない。彼女のような力があれば、きっと多くの人を救う事が出来る。

 口だけで理想を語るんじゃなくて、行動で語れるようになる。助けを求める人々の手を取る事が出来る。

 

「シロウ……」

 

 その時だった。急に道場の照明が落ちて、カラカラと音が鳴った。

 

「これは!?」

「リン!」

 

 アリーシャが道場を飛び出していく。セイバーも武装して俺の下へ駆け寄ってきた。

 

「今のって……」

「どうやら、侵入者のようです」

 

 俺は慌てて腑抜けた体に活を入れった。

 

「大丈夫ですか?」

「ああ、問題ない。行くぞ」

 

 セイバーの後に続いて道場を出る。すると、そこにはアリーシャが立っていて、彼女の前には……、イリヤとメイドの姿があった。

 

 ◇

 

「蹴散らしなさい、バーサーカー!!」

 

 柳洞寺へ続く石畳の階段を狂戦士が駆け上がる。頂上の山門では藍色の陣羽織を纏う侍が身の丈程もある刀を構えて待ち受けている。

 イリヤスフィールは佐々木小次郎と名乗ったその侍(アサシンのサーヴァント)を単なる障害物程度にしか思っていなかった。

 所詮、この男はニセモノだ。本来、アサシンのサーヴァントは山の翁(ハサン・サッバーハ)と呼ばれるアサシンの語源ともなった暗殺教団の歴代頭領の中から選ばれる。加えて、冬木の聖杯に招かれる英霊は西欧で名の知られている者に限られる。故、佐々木小次郎などという、実在したかどうかさえ曖昧な日本人の男が召喚される事など、まずあり得ない。

 これはキャスターのサーヴァントが、《サーヴァントがサーヴァントを召喚する》というイレギュラーを起こした事で起きたイレギュラー。

 魔術に傾倒したという逸話すら持たない十把一絡げの剣士風情にギリシャ神話最大の英雄であるヘラクレスが負ける道理などない。

 

「――――あまり、舐めてくれるなよ」

 

 その言葉と共に道理が覆される。鋼をも砕くバーサーカーの渾身の一刀をアサシンは鮮やかに受け流し、その首を切り落とした。

 

「……なっ」

 

 その存在自体があり得ない男は、いとも容易く、半神半人の大英雄の首級を落とす偉業を為した。

 

「さて、これで一つ。残るは十一だったな?」

 

 また、あり得ない事が起きた。

 バーサーカーが十二の試練(ゴッド・ハンド)の効果で蘇生した瞬間、その腕が飛んだ。

 

「なんで!?」

 

 十二の試練(ゴッド・ハンド)はヘラクレスが生前乗り越えた十二の難行が宝具として昇華されたものだ。

 バーサーカーは十二回までなら死亡しても蘇生する事が出来る。加えて、Bランク以下の攻撃を無効化し、それ以上の攻撃も一度受ければ耐性が生まれる。

 一度殺しただけでもあり得ない事であり、同じ攻撃でバーサーカーの肉体を両断するなど不可能な筈だ。

 

「……ふむ、理由を問われても困るな。この刀に細工を施したのは雌狐だ。聞けば、バーサーカーとは同郷であったそうな。なればこそ、その能力も対策済みという事なのだろう」

「魔女メディア……。なるほど、すこし甘く見すぎていたようね」

「老婆心ながら忠告しておくが、あの雌狐を相手に力で押せばいいなどと思わぬ事だ。油断すれば……、そら、この通り」

 

 その言葉と同時に悪寒が走った。

 

「イリヤ!!」

 

 リーゼリットが巨大なハルバードを振り上げる。その矛先にはイリヤスフィールの肌へ奇妙なカタチの刃を持つ短剣を突き刺す魔女の姿があった。

 

「うそっ……」

 

 イリヤスフィールが呆然とした表情を浮かべる。自身の身から大切な繋がりが途切れた事を悟った。

 

「リーゼリット!! お嬢様を連れて逃げなさい!!」

「わかった!」

 

 リーゼリットはイリヤスフィールの体を抱き上げ、主人の制止も聞かずに走り出した。

 残されたセラはキャスターに襲い掛かる。一秒でも撤退する為の時間を稼ぐ為に――――。

 

「無駄よ、お人形さん」

 

 その意思は瞬く間に砕かれた。

 魔女メディア。神代の時代を生きた稀代の魔術師にとって、現代の魔術師が鋳造したホムンクルスを手玉に取るなど児戯にも等しい。

 

「……おじょう、さま」

 

 石畳に転がるセラを尻目に、キャスターはイリヤスフィールとリーゼリットの逃げた方角に視線を向ける。

 あの方角にはセイバーとアーチャーの拠点がある。

 

「……いいわ。今は見逃してあげる」

 

 キャスターはクスリと微笑むと令呪の縛りに抵抗しようと藻掻くバーサーカーに目を向けた。

 

「今はこの暴れ馬を手懐けないといけないものね」

 

 怒りを滾らせるバーサーカーの眼にキャスターは嗜虐心を唆られた。

 

「屈服させてあげるわ、ヘラクレス。時間をたっぷり使って、丁寧に……」

 

 その光景にアサシンのサーヴァントは顔を引き攣らせた。

 

「クワバラクワバラ……」



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第十七話『シロウ』

第十七話『シロウ』

 

 敷地内に飛び込んできた影を迎え撃とうとして、出来なかった。

 その白い髪と真紅の瞳を見た瞬間、頭が割れそうに痛んだ。

 

 ――――バーサーカーは、強いね。

 

 脳裏にノイズ混じりの映像が浮かんでくる。

 鮮血で汚れた雪原。わたしを見降ろす巨人。夥しい数の獣の死骸。

 見たことの無い光景なのに、胸には懐かしさにも似た不安定な感情が広がった。

 物言わぬ巨人に対して、寂しさを感じている。ぬくもりを感じている。

 

 ――――早く呼び出さないと、死んじゃうよ。

 

 これは記憶だ。わたしではない、わたしの過去。わたしの原点(はじまり)

 

 ――――偶然じゃないよ? セラの目を盗んで、わざわざシロウに会いに来てあげたんだから。コウエイに思ってよね!

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンという少女が歩んだ軌跡。

 彼女は第五次聖杯戦争にバーサーカーのマスターとして参加した。そして、自分を裏切った父親(キリツグ)の息子と出会った。

 まだ、何も知らなかった頃の彼。まだ、何も知らなかった頃のわたし。

 わたしにとって、シロウはキリツグが拾った子で、わたしからキリツグを奪った子で、キリツグの子供で、わたしの……、弟だった。 

 

 ――――シロウと話せるのは楽しいけど……。でも、やっぱり許してなんかあげないんだから!

 

 寒空の下、公園のベンチに座って、いっぱいおしゃべりをして、一緒にタイヤキを食べた。

 不思議な気持ちだった。わたしを裏切ったキリツグ。そのキリツグの子なのに、シロウと話していると楽しくてしかたがない。

 でも、やっぱり許せない。もやもやして、胸が苦しくなった。

 

 ――――誓うわ。今日は一人も逃がさない。

 

 公園のベンチで項垂れているシロウを見つけた。セイバーが魔力切れを起こして、今にも消えてしまいそうだと彼は泣きそうな顔で言った。

 だから、わたしの城に招いてあげた。セイバーがいなくなって寂しいのなら、代わりにわたしが一緒にいてあげようと思った。

 優しくして、仲良くなって、ずっと一緒にいてあげようと思った。それなのに、シロウは逃げ出そうとした。

 また、わたしを裏切るつもりなんだと思った。

 

 ――――やっぱり、シロウはお兄ちゃんだー!

 

 バーサーカーが倒された。いつもそばに居てくれたバーサーカーがいなくなって、すごく心細くなった。

 マスターとしての資格を失ったわたしには存在する理由が無くなってしまった。だって、聖杯を手に入れて、天の杯を完成させる為だけに生きていたのに、もう目的を達成する事が出来ない。

 そんなわたしを、シロウは助けてくれた。おんぶをしてくれて、衛宮の屋敷に連れて来てくれた。

 

『イリヤはここにいるべきだ。残りの敵と決着をつけるまで、イリヤはうちで匿いたい』

 

 反対するリンやセイバーに逆らってまで、そう言ってくれた。

 一度は教会の神父に攫われて、死を覚悟したけれど、それでもシロウは助けてくれた。

 言葉を交わす度、一緒に過ごす時間を重ねる度、わたしはシロウの事が愛おしくて堪らなくなった。

 

 ――――シロウ。行っちゃうの?

 

 いつか、この日が来る事を知っていた。

 シロウは正義の味方になりたくて、知らない誰かを助けたくて、その為に前へ進まずにはいられない人。

 泣いて懇願しても、彼の在り方は変えられない。仕方のない事だ。だって、わたしはそんな彼だからこそ愛しく思った。だからこそ、止まって欲しいと心から願う事が出来なかった。

 

 ――――帰ってきてね……。

 

 結局、去っていく背中を見つめている事しか出来なかった。

 残された時間は殆ど無くて、もう二度と会えない事を知っていても、また会える日を望まずにはいられなかった。

 

 ――――シロウ。わたし、シロウのこと……、好きなんだよ。

 

 それから数ヶ月、わたしはタイガと一緒に過ごした。

 元々、聖杯戦争が始まれば遠からず終わる命。いずれ来ると分かっていた破局。

 ある日、わたしは立つことが出来なくなった。

 それまではなんとか誤魔化してきたけれど、タイガに余命がバレて、彼女は泣きべそをかきながら『いやだ……。いやだよぅ……』と繰り返した。そんな彼女を慰める日々に疲れてきた頃、彼らは現れた。

 アトラス院の錬金術師、ヴィルヘルム・デューラーとアインツベルンのホムンクルスがわたしを攫い、仄暗い地下室へ連れて来た。

 

『これからキミには母胎になってもらう』

 

 死の淵に立っているわたしに彼らは延命措置を施し、子宮にとある魔術師の精子を注入した。どうやら、低ランクの淫魔を使役して採取したらしい。まさか、こんな風に母親になる日が来るとは思わなかった。

 残り少ない命を吸われ、わたしの中で大きくなっていく赤ん坊。ヴィルヘルムは錬金術師としてハイエンドな男で、本来なら不可能に近い受精を成功させ、赤ん坊を出産するまでわたしを生き長らえさせた。

 

『……わたしとシロウの赤ちゃん』

 

 自分がここまでバカだと思っていなかった。

 こんな風に利用されるカタチで孕まされて、こんな薄暗い地下室で死を迎える事になったのに、わたしはよろこんでしまった。

 わたしはシロウの子供を産み落とす事が出来た。その事実が心を温かく包み込む。

 

『……名前、何がいいかな』

 

 意識が闇の中に消えていく。それでも、必死に考えた。

 きっと、彼女は覚えていてくれる。わたし達はそういう存在だから。

 

『うん。シロウがいいかな……。パパと同じ名前だよ。わたしが……いちばん……すき、な……なま……え……』

 

 気付けば、涙を零していた。わたしは自分が誰なのかも分からなくなった。ただ、ひたすら悲しくて仕方が無かった。

 

「アリーシャ!」

 

 地面に座り込むわたしをシロウが心配してくれる。だけど、顔を向ける事が出来ない。

 わたしの中の愛情はわたしが生まれる前に芽生えたもの。わたしの中のお母さん(イリヤスフィール)の愛……。

 

「ぅぅ、うっ、ぅぅぅえええええええん」

 

 頭の中がゴチャゴチャだ。わたしが好きになった人はわたしのお父さんだった。

 わたしの彼に対する感情はお母さんのものだった。

 

「アリーシャ!!」

 

 リンが駆け寄ってくる。わたしは無我夢中でリンの下へ向かった。

 抱きついて、声を張り上げて泣いた。

 

「どっ、どうしたの!?」

 

 リンは驚いた顔をしながら頭を撫でてくれる。

 少しずつ、心が安らいでいく。 

 

「……リン。わたし……、わたし……」

「いいから、落ち着くまで泣きなさい。事情なんて後でいいから」

 

 わたしには母がいた。

 わたしには父がいた。

 わたしは母を殺した。 

 そして、わたしは――――、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                    

 

 

 

 

 

 

 

 

 父に殺された――――。



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第十八話『不穏』

第十八話『不穏』

 

 ――――アレはなに?

 

 赤銅色の髪、色白な肌、真紅の瞳、端正な顔立ち。

 そうした外見的特徴を確認する前に、その存在を認知した瞬間に、イリヤスフィールは彼女と繋がった。

 ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンという第三魔法を再現する為に魔法使いの弟子によって鋳造された存在(ホムンクルス)基礎(ベース)にして造り上げられた後継機達には魂の繋がりが存在する。

 目の前の女と繋がったという事は、目の前の女も自身と同じユスティーツァの後継機であるという事。今は咄嗟に防壁を張る事で向こう側からの流入を防いでいるけれど、それを緩めれば、彼女の意思や記憶と共に、その正体も判明する筈だ。

 だが、イリヤスフィールは防壁を崩さなかった。相手は得体が知れない上に、サーヴァントだ。英霊という格上の存在の魂を断片的にでも取り入れた瞬間、イリヤスフィールという個は決定的に破綻する。言ってみれば、彼女の意思と記憶の流入は、猛毒を杯一杯に煽るような暴挙と同義なのだ。

 

「……イリヤ?」

 

 士郎が声を掛けると、イリヤスフィールは思考の海から浮上した。泣き崩れた同朋はマスターと共に母屋へ向かっていく。

 

「えっと、急にどうしたんだ?」

 

 彼女の正体を気にしつつ、イリヤスフィールは事情を士郎に語った。

 バーサーカーをキャスターに奪われた事。セラが囮となり、リーゼリットが自己判断でこの場所に自身を連れて来た事。

 荒ぶる感情はアリーシャと士郎が呼ぶサーヴァントを見た途端に冷めていた。

 

「……大変だったんだな、イリヤ」

 

 士郎は心からイリヤスフィールを気遣い、彼女の頭を優しく撫でた。

 彼にとって、この状況は悪いものではなかった。バーサーカーが奪われた以上、彼女に戦う術はなく、彼女の聖杯戦争は終わった。

 戦う決意を固めても、本心では戦いたくなどなかった。

 

「もう、大丈夫だぞ。イリヤの事は俺が守るから……」

「シロウ……」

 

 その意思は彼女にキチンと伝わった。イリヤは士郎に抱きつき、セラとバーサーカーを失った哀しみを癒やした。

 彼女が落ち着いたのは、それから一時間も経った後だった。

 

「ねえ、シロウ」

「なんだ?」

 

 母屋の居間に移動して、士郎が淹れた茶を口に含み、彼女は頭の中を整理した。

 

「アリーシャと言ったわね。あのサーヴァントはなに?」

 

 整理した結果、彼女がキャスター討伐に動いた理由を思い出し、点と点が一本の線で繋がった。

 

「なにって聞かれも……。アリーシャは遠坂のサーヴァントだよ」

「……バーサーカーのマスター。貴女は何を気にかけているのですか?」

 

 それまで黙したままだったセイバーが問い掛けた。

 

「……あのサーヴァント。わたしと同じなのよ」

「同じ……?」

「きっと、アインツベルンのホムンクルス」

 

 その言葉に士郎とセイバーは驚くと同時に納得した。

 なんとなく、アリーシャとイリヤスフィールは似ていると、彼らも感じていた。

 アインツベルンが生み出したホムンクルス同士なら、似ていて当然だ。

 

「……でも、わたしの前の世代に英霊化したホムンクルスはいない。っていうか、後にも先にもあり得ない筈なのに」

 

 ホムンクルスは人ではない。

 生まれてから自分の役割を自覚する人間とは真逆の存在。初めに役割があって、次ぎに生まれるという工程を経る異常な存在。

 故に、英霊化など、そういう目的で作られない限り、本来はあり得ない。

 特にアインツベルンのホムンクルスは総じて聖杯を手に入れ、第三法に手を伸ばす為だけに鋳造される。英霊化を目的に掲げる事など無い筈だ。

 

「……バーサーカーのマスター」

「イリヤスフィールでいいわよ、セイバー」

「では、イリヤスフィール。……彼女が固有時制御の使い手であると言ったら、推理を先に進める事が可能ですか?」

 

 その言葉に士郎は首を傾げたが、イリヤスフィールは大きく目を見開いた。

 

「……それ、キリツグの」

「ええ、間違いありません。彼女の固有時制御は本来のソレと些か異なる。似ているだけだと思っていましたが、おそらく、アレは切嗣が編み出した独自の魔術だ」

「ど、どういう事だ!? なんで、アリーシャが親父の魔術なんて……。っていうか、セイバーは親父の事を知ってるのか!?」

 

 士郎の言葉にイリヤスフィールは肩を竦めた。

 

「話してないのね、セイバー。ええ、彼女はキリツグを知っている。だって、前回の聖杯戦争でキリツグが召喚したサーヴァントこそ、セイバーだったんだもの」

「えっ、親父が聖杯戦争に参加してたってのか!?」

「……そこからなのね」

 

 イリヤスフィールがセイバーを睨みつける。すると、セイバーはすまなそうに頭を下げた。

 

「シロウに切嗣の事を話すのは躊躇いがあったもので……」

「なんで……」

「食事の席などで貴方に断片的に聞いた衛宮切嗣の人物像と私の知っている彼の人物像があまりにも食い違っていた為です……」

「……セイバーの知ってる人物像って?」

「冷酷無比。一言で説明すると、そうなります」

「冷酷無比って……、親父は何をやったんだ?」

 

 セイバーは少し躊躇った後に口を開いた。

 

「ホテルを爆破し、敵マスターの人質を取り、一名を除いた全ての敵を圧倒しました」

「爆破に人質……」

 

 士郎が顔を顰めると、セイバーは後ろめたそうに言った。

 

「勝利の為には最善でした。決して、卑劣な手段というわけではなく、無益な殺生も避けていました。効率化を突き詰めた結果、最低限の被害で最大限の戦果を得る。彼のそれは王の采配に近い」

「……セイバーは親父の事をどう思ってたんだ?」

「あまり、好ましくはなかった。その在り方、理想、生き様に同族嫌悪にも似た感情を抱いていました。おそらく、彼もそうだったのでしょう。だから、私達の間には殆ど会話が無かった。そもそも、あまり必要でもありませんでした。彼の思考パターンは説明されずとも理解出来ましたから、令呪の発動を除けば、彼の声を聞いたのは三回程度でしょう」

 

 士郎は言葉を見つけられなかった。切嗣とセイバー。二人の事を知っている気になっていた。

 だけど、ホテルの爆破や人質を必要と割り切る姿をまったく想像する事が出来なかった。

 

「……貴方は切嗣とも、私とも違う。だからこそ、あまり話したくなかった。申し訳ありません……」

「セイバー……」

「話を戻すわよ」

 

 イリヤが手を叩きながら言った。

 

「……キリツグの固有魔術を使えるアインツベルンのホムンクルス。つまり、彼女はわたしの後継機ね」

「後継機って……」

「あり得ない事じゃない。英霊は時の流れから外れた存在だもの。未来の時間軸から召喚されるサーヴァントだっているわ」

「未来の……」

 

 イリヤスフィールはさっきの光景を脳裏に浮かべた。

 

「話をしてみたいわ。彼女はわたしを知っているみたいだし」

「そうなのか?」

「あんな風にわたしを見て泣き崩れるなんて、他に理由がないもの。それとも、知らない人間を見たら泣いちゃうような人見知りなの?」

「いや、そんな事はないと思う……。そっか、イリヤの事を話した時、イリヤの名前を気にしてたみたいだけど、そういう事だったのか。ただ、知ってはいても、覚えてない可能性があるぞ。アリーシャは記憶喪失らしいから」

「記憶喪失……?」

 

 イリヤスフィールはセイバーを見た。彼女が頷くのを見て、イリヤスフィールは首を傾げた。

 

「サーヴァントが記憶喪失って、リンはどんな召喚の仕方をしたのかしら……」

 

 イリヤスフィールが不思議そうに呟くと、居間の戸が開いた。

 

「遠坂! アリーシャは大丈夫なのか!?」

 

 士郎が立ち上がると、凛は居間に入らずに言った。

 

「士郎。同盟はここまでにしましょう」

「……は?」

 

 何を言われたのか、士郎は咄嗟に理解する事が出来なかった。

 

「さすがに後ろ足で泥を掛ける気は無いわ。そうね、同盟は無くなっても、三日は休戦にしておく。その間に貴方の方から仕掛けてくるのは構わないわ」

 

 ――――その時は心置きなく迎え撃てるから。

 

 そう、彼女は笑顔で言った。今朝までと、何かが決定的に違う。

 

「ど、どうしたんだよ、遠坂! なんで、急に……」

「士郎。悪いんだけど、わたしはどうしても聖杯を手に入れないといけなくなったの。どんな手を使っても、誰を殺しても、絶対に……」

 

 彼女は微笑んだまま、だけど、目はどこまでも冷たく、その声に一切の迷いもない。

 

「セイバーを死なせたくないでしょ? なら、この同盟はいずれ破綻する。だって、わたしはセイバーを殺すもの。そうしないと、聖杯が手に入らない。貴方はそれを阻止しようと動く。そうなってからドロドロの殺し合いなんて、なんかイヤでしょ? だから、ここで終わり」

「遠坂……、なんで、いきなり。聖杯を何に使うつもりなんだ?」

「教えないわ。教えたところで意味なんてないし、なにより……、一度捨てたヤツにとやかく言われたくないもの」

 

 その瞳には純粋な殺意が浮かんでいた。深い憎悪と怒りを滲ませて、それでも笑顔で彼女は言う。

 

「衛宮くん。貴方との同盟、悪くなかったわ。だから、どうしてもセイバーを死なせたくなかったら、聖杯をわたしに奪われたくなかったら、他に理由が出来て戦う意思を固めたら、その時は全力で殺しに来なさい。わたしは貴方を殺すから、貴方もわたしを殺していい。迷ったりしちゃダメよ?」

「と、遠坂……、なんで」

 

 凛は答えなかった。そのまま、荷物を抱えて出て行った。

 

「なんで……」

 

 呆然と立ち尽くす士郎にイリヤスフィールは言った。

 

「必要になったんでしょ。……たぶん、あのサーヴァントの為に」

「サーヴァントって、アリーシャの……?」

「捨てた……。つまり、あのサーヴァントはシロウと関係を持っているって事ね」

「ど、どういう意味だ!?」

「未来……。遠い先、シロウはあのサーヴァントの生前と出会う事になるのよ。そこで、リンが気に入らない事をする」

「……遠坂が気に入らない事」

 

 まだ、彼らにとっては起きていない出来事。

 彼女達にとっては、起きてしまった出来事。

 それが何なのか、分からない。分かる筈もない。

 

「俺は……、アリーシャに何をしたんだ?」

 

 イリヤスフィールも、セイバーも、誰もその問いに答える事は無かった。

 

 ◇

 

 魔女は嗤う。

 

「この状況下で仲間割れを起こすなんて、どこまでも愚かな子達」

 

 背後には延々と続く責め苦に耐え忍ぶ巨人の姿がある。この偉大なる男を屈服させる為には、もうしばらく時間がかかるだろう。

 

「ええ、しばらくは猶予をあげる。それまで精々、残された時間を有意義に過ごす事ね」

 

 セイバーとアーチャーはどちらも難敵だ。だが、ヘラクレスさえ支配出来れば勝利は揺るがない。

 セイバーの対魔力も、アーチャーの固有時制御も、稀代の魔女たるキャスターのサーヴァントにとって、さして障害ではない。

 

「……これで、ようやく」

 

 聖杯はもう目と鼻の先だ。魔女は華やかな未来を夢想して鼻歌を歌った。

 まるで、夢見る乙女のように、それはそれは幸せそうに……。



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第十九話『黄金の王』

第十九話『黄金の王』

 

「……まさか、そっちから乗り込んでくるとは思わなかったわ」

 

 キャスターのサーヴァントは石段を登ってくる二人の少女を見下ろしながら言った。

 

「想定外だった? キャスターは策謀に長けたサーヴァントの筈だけど、見込み違いだったわね」

 

 挑発的な凛の言葉にキャスターは鼻を鳴らす。

 たしかに想定外だった。たしかに、バーサーカーを手懐けられていない、このタイミングで攻め込む事は悪くない選択だが――――、

 

「なら、どうして坊やと袂を分かったのかしら?」

「どうせ、聞いてたんでしょ?」

「……セイバーとアーチャーで同時に攻めてくれば、そちらの勝率は遥かに高いものになっていたわ。それなのに、貴女は自身の心情を優先したと言うの?」

「その通りよ。わたし、仲間の寝首を掻くような真似はしたくないの」

「だから、戦う前に仲間をやめる……。お嬢さん、あなたは魔術師に向いていないわ」

 

 その言葉と共に階段の上から青い陣羽織を羽織る侍が現れた。まるで、落ちるかのような速度で接近してくる侍を前に、アリーシャは己の中の時を加速させる。

 

「……固有時制御如き、この私の前では児戯にも等しくてよ」

 

 アッサリと、魔女は侍に対抗する術を授ける。

 自己の時を加速させるアリーシャに、同じく魔女の加護で時を加速させたアサシンが迫る。

 枝から外れた葉の落下すら静止した世界で、二騎のサーヴァントは己の業をぶつけ合う。

 

「――――投影開始(トレース・オン)

 

 アリーシャは《無限の剣製》より一振りの聖剣を取り出した。

 これは、彼女の父である衛宮士郎の固有結界。彼女自身のモノではないが、その能力を発揮する事が出来る。

 

「……ほう、剣を使うのか」

 

 嬉しそうに刃を振るう魔人に対して、アリーシャは剣に身を委ねる。

 彼女がまだ、彼女という個を残していた頃、彼女は剣を握った事が一度も無かった。

 彼女にとって、戦いとは相棒の背を見つめる事。彼女の命を、魂を、心を守ろうと戦い続けた英雄に守られる事こそ、彼女の戦いだった。

 

「……憑依経験、共感完了」

 

 生前、彼女が召喚したセイバーのサーヴァント、モードレッドの戦闘技術を、そのステータスごと自身に投影する。

 筋力を、敏捷を、耐久を、軒並み上昇させ、万夫不当の英雄達を一人残らず倒し切った彼女の絶技を再現する。

 

「これは――――ッ」

 

 アサシンの表情から笑みが消える。

 嘗て、騎士王の子として生まれながら、国に反旗を翻し、果てはすべてを滅ぼした叛逆の騎士。

 その力は此度の聖杯戦争で召喚されたセイバーのサーヴァントに匹敵する。

 

「……決めるよ、セイバー」

 

 まるで、彼女の言葉に答えるように聖剣が鼓動する。

 銘は燦然と輝く王剣(クラレント)。王権を示す象徴が、その輝きが増していく。

 

「させると思うか!」

「止まれ」

 

 四方八方に無数の剣が出現する。

 

「この程度!」

 

 その尽くを斬り払いながら、アサシンは宝具の発動態勢に入るアリーシャに迫る。

 

「――――我が麗しき(クラレント)

 

 その姿が掻き消えた。

 

「なっ、に!?」

 

 それは空間転移。固有時制御で時を加速させ、固有結界の派生技術によって無数の剣を撃ち出し、宝具の発動状態で空間転移を行う。それがどれほど規格外の事か、魔術に疎いアサシンにも分かった。

 

「……これが貴様の宝具か」

父への叛逆(ブラッドアーサー)――――ッ!!」

 

 赤雷が走る。剣に宿る、底知れぬ憎悪が剣の力によって極限まで増幅され、その牙はアサシンを呑み込むと、雲を裂き、天上を穿った。

 その光景を見ていたキャスターは即座に転移した。

 

 ――――まずい。まずいまずいまずいまずい!!

 

 アサシンが敗れる事は想定内だった。だが、ここまで圧倒的とは考えていなかった。少なくとも、固有時制御に対策を打てば、後はどうとでもなると高を括っていた。

 そもそも、あの女は現代の錬金術師が生み出したホムンクルスの筈だ。それがあそこまで隔絶した能力を持つなどあり得ない。

 己の技術を全て注ぎ込んだとしても、あんな怪物は生み出せない。

 

「宝具クラスの武器の投影と発動。空間転移。固有時制御。アサシンと互角の武勇。……でも、ここまでなら何とかなる」

 

 問題は、ここで終わるとは思えない事。まだ、あの女は隠しているものがある。

 

「……どんな外法を使ったのよ、あの娘を作った錬金術師は」

 

 ◇

 

 気付いた時には戦いが終わっていた。アリーシャの固有時制御にキャスターは想定通り、対策を打ってきたみたいだけど、アリーシャには傷一つない。

 

「勝ったのね」

「うん。だけど、キャスターを取り逃がした……」

「残念だけど、仕方ないわ。それより、お客さんみたいよ」

 

 階段の上。さっきまでキャスターが陣取っていた場所に一人の男が君臨していた。

 黄金の甲冑を纏い、嫌悪感に満ちた目をわたし達……、アリーシャに向けている。

 

「――――哀れな人形よ。先に言っておくが、これは誅伐ではない。これは慈悲だ」

 

 水面(みなも)の如く、空間に波紋が広がる。

 幾千、幾万もの宝具が顔を出し、主の号令を待つ。

 

「現れたわね、英雄王・ギルガメッシュ!」

 

 アリーシャがイリヤスフィールの記憶で見た男。人類最古の英雄王。間違いなく、バーサーカーを超える最強の敵。

 

「……ここで終わっておけ。さすれば、この一時を安らかなる夢のままに出来よう」

 

 腹が立つ。アイツはわたしを見ていない。

 ただ一直線にアリーシャを哀れんでいる。

 

「出来ない相談だね。わたしはずっとリンと一緒にいるんだ!」

「……ならば、その娘も連れていくがいい。案ずるな、痛みは与えぬ。それを受けるべき罪業の主は貴様等では無いからな」

「誰の事を言ってるのか知らないけど、邪魔をするなら倒すだけだよ、ギルガメッシュ!」

 

 その一秒後、わたしは信じられない光景を視た。

 血の雨を降らせたのは、アリーシャの方。ギルガメッシュは一歩も動かず、アリーシャは倒れ伏した。

 

「なにが……」

「時を止める? 無数の武器を生成する? 如何なる魔術も再現する? その程度では、この身には届かぬ」

 

 デタラメだ。キャスターでさえ、逃げの一手を打つことしか出来なかったアリーシャを一方的に痛めつけるなんて、規格外にも程がある。

 

「アリーシャ、大丈夫!?」

 

 駆け寄ると、辛うじて致命傷は避けていた。だけど、とても戦える状態とは思えない。

 

「……一旦退却する」

「それを許すと思うか?」

 

 気づかない内に接近されていた。腕を捻り上げられ、痛みで声が漏れる。

 

「リ、ン……?」

 

 起き上がろうとするアリーシャ。

 

「に、げなさい……、アリーシャ!」

「……先に黄泉路で待つがいい」

 

 ギルガメッシュは一振りの剣を振り上げる。腕を掴まれている以上、逃げる事は叶わない。

 ここまでだ。アリーシャの力があれば勝てると思い込んでいた。

 迫る死からわたしは目を逸らさなかった。せめて、最期まで笑顔を浮かべておこう。泣き顔や怒り顔で彼女を不安にさせたくない。

 

「……アリーシャ。ごめんね」

 

 そして、わたしは……、

 

 ――――悪いが、もうひと踏ん張りしてもらうぜ。



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第二十話『禁忌』

第二十話『禁忌』

 

「……アリーシャ、ごめんね」

 

 その言葉を聞いた瞬間、時が自動的に加速され、刹那が永遠に置き換わる。

 これまでの加速とは比較にならない。偶然近くを飛んでいた蜂の羽ばたきすら停止している。

 

『……どうした? 見ているだけか?』

 

 声が聴こえる。

 

『このままでは、彼女が殺されてしまうぞ』

 

 分かっている。だけど、あの男は強すぎる。

 

『だから、我が身可愛さに見殺しか?』

 

 そんな訳ない。敵わなくても、わたしが死ぬ事になっても、リンの事だけは絶対に助けたい。

 

『ならば、迷う理由などあるまい。守るべき者が窮地に陥り、眼前には倒すべき悪がある』

 

 そうだ。迷う理由なんて無い。たとえ、それでわたしが消えて無くなっても、彼女を失う事に比べたら断然マシだ。

 わたしにだって、自分の命より大切なものがある。

 この世界の全てを敵に回してでも、守りたいモノがある。

 

『さあ、身を委ねるがいい。そうあれと望まれ、仕組まれた運命を歩み、世を呪い、人を憎み、手に入れた正義の力。今こそ、解き放て――――!』

 

 この声に身を委ねたが最期、後戻りは出来なくなる。きっと、ギルガメッシュはこうなる事を止める為に現れたのだろう。

 たしかに、それは慈悲かもしれない。いっそ、ここで死んでいた方が良かったのかもしれない。

 それでも、わたしはリンを守りたい。彼女のいない世界なんて……、

 

「……リン」

 

 意識を己の中に埋没する。そして――――、空間が割れた。

 わたしは痛みの渦に呑み込まれた。ここがどこだか分からない。わたしが何者なのか分からない。今、するべき事が何なのかさえ、分からない。

 それでいい。ここより先は人の道に非ず。もはや、表層人格(わたし)の出る幕は無い。

 

 ――――目標、英雄王ギルガメッシュの打破、及び遠坂凛(マスター)の救出。

 ――――必要情報の検索を開始。

 ――――失敗。現機能では英雄王ギルガメッシュに対抗する事は不可能。

 ――――能力の拡張を申請。

 ――――規定条件をクリア。

 ――――霊基再臨を開始。

 ――――完了。保有スキル《ネガ・マリス》、《自然の嬰児》、《自己改造》を復元。

 ――――第二段階移行に伴い、一部機能を封印、不要な記録を消去。

 ――――割り込み申請。外部記憶領域にバックアップを作成。

 ――――目標達成まで、感情を一部封印。その他、全機能を戦闘行動に集中。

 ――――タスク形成、処理を開始。

 ――――宝具《第八禁忌・人類悪(アンチ・アンリマユ)》……、起動。

 

 ◇ 

 

 まばたきの間に、世界は一変していた。

 目の前にあった筈の山が消えてなくなり、代わりに彼方まで広がる荒野が現れた。

 曇天の下、歯車が顔を出し、大地には無数の剣が突き刺さっている。

 

「固有結界……。これが、《無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)》」

 

 気付けばギルガメッシュの姿が無くなっている。何が起きているのか、理解が追いつかない。

 

「――――ようやく、会えたな」

「え?」

 

 声を掛けてきたのは、夢で視た鎧の騎士(セイバー)だった。

 モードレッド。アーサー王伝説に登場する、叛逆の騎士。

 アリーシャが聖杯戦争で召喚した相棒。彼女を守り、彼女が殺してしまった大切な人。

 その顔は衛宮くんの召喚したセイバーと瓜二つだ。

 

「なんで……」

「オレがここにいるのかって? それはオレが願ったからだ」

「願った……?」

「ああ、聖杯に願った。結果、オレはここにいる」

「……聖杯って、アリーシャのこと?」

「そうだ。……アリーシャのことだ」

 

 モードレッドは頬を緩ませた。

 

「良い名前だな。アイツも気に入ったみたいだ。オレもそう呼ぶ事にするぜ」

「……わたしはどうなったの?」

「ギルガメッシュに首を刎ねられる直前、この世界に引き摺り込んだ。外の戦闘が終わったら、直ぐに解放してやるよ」

「外の戦闘って……、アリーシャが戦ってるの?」

 

 先刻の戦いで、アリーシャはギルガメッシュに手も足も出なかった。

 外の様子を知りたい。一人で戦わせたくない。

 殺されるなら、一緒に殺されてあげたい。

 

「心配はいらねーよ。今のアイツに勝てる人間は一人しかいない。アイツも、せめて真っ当な状態なら相手になったんだがな」

「……どういう意味?」

「それより、お前に話しておきたい事がある」

「ちょっと、はぐらかさないでくれる?」

「はぐらかしてるわけじゃない。アリーシャはそういう存在なんだ。アトラス院の錬金術師がアインツベルンと結託して造り上げた《正義の味方》という名のシステム。この世全ての悪(じんるい)を滅ぼす為の殺人機構。いずれ、人類悪に至る人造のガイアの怪物。人である限り、アイツには勝てない。まあ、一部の例外を除いてな」

「ガイアの怪物って……」

 

 話には聞いた事がある。ガイアの抑止力であり、人類種に対する絶対的殺戮権を持つとされる存在。

 たしか、知り合いの話では死徒二十七祖の第一位がソレだと聞いた。

 

「生前、アイツはアラヤの抑止力に討たれたが、ガイアが拾い上げた。アイツは他のサーヴァントを取り込む事で、己を作り変える事が出来る。今は第二段階だが、最終段階になれば、完全に《霊長の殺人者》として覚醒して、また人類世界を滅亡させる。今の御時世、大抵のヤツがアイツの殺害対象に該当するからな。しかも、今回はガイアのお墨付きだ。今度こそ、人理を完全に破壊して、人類史に終止符を打つだろうな」

「ばっ、馬鹿言わないでよ! あの子がそんな事……ッ」

「ああ、本心から望んでるわけじゃない。だけど、アイツはそういう存在になっちまった」

「なによ、それ……」

 

 嘘だと言って欲しい。もう、十分過ぎる程、彼女は辛い目にあってきた。

 人の都合で産み落とされて、勝手な理由で戦わされて、理不尽な動機で人間を辞めさせられて、その上、また望まない人殺しを強要させられる。

 そんな事、認められる筈がない。

 

「……リン。お前には二つの選択肢がある」

 

 モードレッドは言った。

 

「一つ、衛宮士郎にアリーシャを討伐させる事」

「……なに、言ってんの?」

 

 怒りで頭がどうにかなりそうだった。そもそも、衛宮くんにアリーシャを殺せるとは到底思えない。

 

「現に、あの野郎は一度アリーシャを殺してる。要は、衛宮士郎がアリーシャにとって唯一の弱点なんだよ。あの錬金術師はアリーシャの目指す姿として、衛宮士郎をモデルにした。血を取り入れたのも、それが理由だ。己の正義の原典故に、アリーシャはあの野郎の事を否定する事が出来ない。悪と認識する事が出来なくて、力を振るえなくなる。だから、衛宮士郎ならアリーシャを簡単に討伐する事が出来るわけだ」

「……巫山戯んな!! そんな事、させるわけないでしょ!! あの子をまた父親に殺させるなんて……、そんな事!!」

「だが、人類史を救う為にはそれ以外の方法がない」

「なっ……」

 

 突きつけられた選択肢に、わたしの体は震えた。

 モードレッドの言う事が真実なら、彼女を衛宮くんに殺させなければ人類が滅ぶ。

 だけど、それはアリーシャを裏切る事。孤独のまま、終わらぬ地獄に戻す事。また、父親に殺される絶望を味合わせる事。

 

「……なあ、リン」

 

 モードレッドは言った。

 

「それでも、アリーシャを救いたいと思うか?」

「当たり前でしょ!!」

 

 涙が溢れ出した。あの子を救いたい。もう、あんな地獄に送り返したくない。

 たとえ、それで人類の歴史が終止符を打つとしても、それでも……、

 

「なら、アイツの為に地獄の底まで付き合えるか?」

「……そこに、あの子の救いがあるなら」

 

 その答えに、モードレッドは大口を開けて笑った。

 

「なっ、なによ、バカにしてるの!?」

「あ? ちげーよ。逆だ! あの野郎の言ってた通りだな、お前」

 

 そう、モードレッドは嬉しそうに言った。

 

「あの野郎って……?」

「アリーシャの親父だ。あの野郎はアリーシャを殺す時、万に一つにも満たない可能性に賭けた。『オレには出来なかった。だけど、彼女なら……』って、あのペンダントをアリーシャに持たせた」

 

 脳裏にアリーシャの身に着けている紅い装束が浮かぶ。アレに隠されていた、この世に二つと無い筈の赤いペンダント。

 

「まさか……、わたしに召喚される可能性に賭けたって言うの?」

「……ああ、情けない話だけどな。オレにも、あの野郎にもアリーシャを救う事は出来なかった。だけど、だけどな! お前なら……、アイツを救えるかもしれないんだ!」

「どういう……、事?」

 

 モードレッドはわたしの肩を掴んで言った。

 

「これは、ほとんど勝ち目のない賭けだ。負ければ、人類史が終止符を打たれる。それでも、お前はアリーシャの為に背負えるか!?」

「……背負えるわよ。あの子を救うって決めた時から、何もかも犠牲にする覚悟は出来てる!! だから、教えなさい!! わたしは何をすればいいの!?」

 

 モードレッドは言った。

 アリーシャを救う為の、たった一つの道筋。

 もはや、賭けが成立していないほど、理不尽な難易度だ。

 それでも、わたしは人類史よりも、あの子の救いを選んだ。

 

「これで、お前も共犯だ。地獄の底までついて来てもらうぜ、リン」

 

 叛逆の騎士と謳われた英雄が手を伸ばす。

 わたしはその手を力強く握り締めた。

 

「……ええ、わかっているわ。これで、わたしも立派な人類に対する反逆者ね」

 

 はじめは遠坂家の悲願である聖杯を求めて参加した戦い。

 だけど、蓋を開けてみれば、召喚したサーヴァントに振り回されっぱなしの毎日。

 それでも、振り返った日々をわたしは尊いものと感じている。

 確実に人類を救える道に背を向けて、父や先祖に背を向けて、この時の為に研鑽を重ねていた過去の己に背を向けて、勝ち目の薄い戦いに挑む。

 

 ――――これがわたしの聖杯戦争。

 

 わたしにだって、自分の命より大切なものがある。

 この世界の全てを敵に回してでも、守りたいモノがある。

 

 ◇

 

 ギルガメッシュは、掴んでいた少女の消失と、目の前のサーヴァントの異変を察知して、顔を顰めた。

 

「……愚かな。これで、貴様は哀れな娘ではなく、滅ぼされるべき災厄に成り果てた。もはや、貴様に与える慈悲は無い。我が全霊を持って滅ぼすとしよう」

 

 それは、最強の英霊が慢心を捨て、すべての力を解き放つ決意を固めた事を意味する言葉。

 サーヴァントという仮初の肉体を得て、一時の遊興に耽るのも悪くなかった。だが、コレが現れた以上、是非もない。

 嘗て、彼は超越者として世界に君臨していた。神々が人の世を裁定する為に地へ使わせた者、それが英雄王・ギルガメッシュ。

 宝物庫の扉を最大まで展開し、秘奥を握る。たとえ、この地を灰燼に帰す事になったとしても構わない。

 

「肉片一つ残らず滅ぼし尽くしてくれよう」

 

 彼が振り上げたそれは、英雄王・ギルガメッシュが持つ宝具の中でも別格である。元々の銘は無く、彼は便宜上、乖離剣(エア)と呼んでいる。

 無銘にして最強の剣。円柱状の刀身を持つ、剣としては歪な形をしたソレは、星を生み出した力そのもの。

 あまねく生命が遺伝子に刻む、世界を破壊し、世界を創った原初の存在。一度振るえば、現世に地獄を現出させる神造兵器。

 

「さあ、乖離剣(エア)よ。目覚めの時だ」

 

 主人の命に従い、乖離剣は軋みをあげる。誰が知ろう。これこそが、あまねく死の国の原典。生命の記憶の原初。

 ソレが齎すはあらゆる生命の存在を許さぬ地獄のみ。

 

「いざ仰げ! 《天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)》を!!」

 

 乖離剣が唸りを上げる。空気が……否、空間そのものが悲鳴を上げる。

 異変に気付いた冬木の人々が見たものは、天と地の始まりの光景。

 これが、天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)。上にある天が名付けられておらず、下にある地にもまた名が無かった時代。この世を構成する全てが母なる混沌より生まれ出でる前。水が混ざり合い、野は形が無く、神々すら生まれぬ原初の光景。

 滅びであり、創造。驚天動地の力。これが人類最古の英雄王の真の力。この宝具を評価出来る存在など天上天下に一人として存在しない。

 故にランクは評価規格外(EX)。如何なる英雄だろうと、世界そのものに勝てる道理無し。その世界すら滅ぼす光に抗える道理無し。

 

「……無駄だよ」

 

 だが、その光が彼女に届く事はなかった。

 なにが起きたのか、それを理解した時、すでにギルガメッシュは致命傷を受けていた。

 

「――――貴様、既にそこま、ガッ」

 

 苦し紛れに飛んできた宝剣宝槍を躱し、アリーシャはトドメとばかりにギルガメッシュの首を刎ねた。

 消滅した彼の魂を取り込み、更に力を強める彼女の前に凛が現れた。

 

「……アリーシャ。終わったのね」

 

 ――――目標達成。感情の一部封印を解除。

 ――――霊基再臨中断。第三段階への移行に失敗。《単独顕現》、《嗤う鉄心》の復元失敗。

 

「……うん、終わったよ」

 

 少女は思う。この世界を敵に回しても、この少女の事だけは守ってみせよう、と。

 少女は思う。この世界を敵に回しても、この少女の事を救ってみせよう、と。

 

「帰りましょう。夕飯、何を作る?」

「……うーん、肉じゃが!」

「渋いわね……。まあ、いっか。じゃあ、帰りに商店街に寄りましょう」

「うん!」

 

 二人は歩いて行く。そこから先が地獄である事を知りながら、それでも前を向いて――――。



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第二十一話『流れ込んだもの』

第二十一話『流れ込んだもの』

 

 シロウの家で一夜を過ごした。

 

「……なんか」

 

 どうしてだろう。胸がドキドキと高鳴っている。こんな感情、わたしは知らない。

 落ち着かなくて、割り当てられた部屋を飛び出した。当てもなく歩き回っていると、廊下の雰囲気が変わった。

 洋室のエリアから、和室のエリアへ移ったのだ。

 

「こういうのをワヨウセッチュウって言うんだっけ」

 

 そのまま歩いていると、なんだか奥の部屋が気になった。障子を開けると、布団で横になっているシロウを見つけた。

 ドキドキが大きくなっていく。

 

「これ……、なに?」

 

 心の赴くまま、わたしは部屋の中に入った。布団の横に立ち、しゃがみ込む。

 シロウの寝顔を見ていると、抱きしめたい衝動に駆られた。

 

「シロウ……」

「……ん。うん……?」

 

 どうやら、起きたみたいだ。ゆっくりと瞼を開いた彼は、ギョッとしたような表情を浮かべた。

 

「イ、イリヤ……?」

「おはよう、シロウ」

 

 そのまま、わたしはシロウの口を喋んだ。考えてした事じゃない。体が勝手に動いた。

 自分がキスをした事に気付いたのは、彼の口を一分近くも堪能した後の事だった。

 頬が熱くなって、わたしは彼から離れた。

 

「イ、イリヤ!? いきなり、何してんだ!!」

 

 真っ赤な顔で叫ぶシロウにわたしは答える事が出来なかった。

 だって、自分でも分からない。

 何してるの、わたし!?

 

「えっと……、おはようのキス?」

「おはようのキスって……。うーん、さすが外国人……」

 

 シロウが外国人に偏見を持っていて助かった。どうやら、納得してくれたみたい。

 

「あー、起こしに来てくれたんだよな?」

「え?」

「え?」

「……う、うん! そうだよ!」

 

 わたしは慌てて立ち上がった。すると、立ちくらみがしてシロウの下へ倒れ込んでしまった。

 

「イ、イリヤ!」

 

 咄嗟に受け止めてくれた腕が思いの外逞しくて、ドキドキが更にパワーアップした。

 今にも心臓が外に飛び出してきそう。なにこれ、わたし、死ぬの?

 

「えっと、大丈夫か?」

「……え、ええ、ありがとう。もちろん大丈夫よ、何も問題ないわ」

「そうか? じゃあ、先に居間に行っててくれ。直ぐに準備をして、朝食を作りに行くから」

「うん。……一緒に、だよね?」

「ああ、一緒に作ろう」

「うん! はやく来てね、シロウ! 待ってるから!」

「はいはい」

 

 わたしはシロウの部屋から飛び出した。

 顔が熱い。もう、どうしちゃったのかしら、わたしってば……。

 

「セラなら何か分かるかな?」

 

 そう口にして、浮かれていた気分が一気に冷めた。

 分からない事があった時、いつも答えを教えてくれるセラは、もういない。

 バーサーカーを奪われて、セラもきっと、殺された。

 

「どうしたんだ?」

 

 立ち尽くしているわたしに仕度を済ませたシロウが声を掛けた。

 

「シロウ……」

「イリヤ!?」

 

 気付いた時には彼に抱きついていた。

 

「ど、どうしたんだよ、イリヤ」

 

 困った表情を浮かべながら、彼はわたしの頭を撫でてくれた。

 やさしくて、大きな手。じんわりと、胸があたたかくなる。

 

「シロウ」

「どうした?」

「……わたし、ここに居てもいいの?」

「急にどうしたんだ? 居ていいに決まってるだろ」

 

 少し不機嫌そうに彼は言った。

 

「……ありがとう、シロウ」

 

 涙が収まった後、わたしは赤くなった目元を見られないように振り返った。

 

「行こう、シロウ」

「あ、ああ」

 

 わたしは漸く自覚した。

 ああ、この感情は……まさしく、

 

 ◇

 

「……それで、今後の事ですが」

 

 朝食を食べ終えた後、セイバーが口火を切った。

 

「今後の事?」

 

 シロウが首を傾げると、セイバーは言った。

 

「ええ、イリヤスフィールがここに居る時点で、貴方が聖杯戦争に参加した目的は達成されました。……そこで、提案があります」

 

 そう言えば、前にシロウにこの家に連れて来られた時、彼が言っていた。

 

 ――――俺はイリヤを戦わせたくないからマスターになったんだ!

 

 わたしを危ない目に合わせたくないって、その為なら何でもするとまで言ってくれた。

 あの時は受け入れる事が出来なかったけれど、バーサーカーを失った今、彼の差し伸べてくれた手を拒絶する理由がない。

 どうしても許せない筈だったのに、いつの間にか、わたしの中に彼への怒りは微塵も残っていなかった。

 

「シロウはここで聖杯戦争から降りるべきだ」

「……は?」

 

 セイバーの言葉にシロウは目を白黒させた。

 わたしも、セイバーの提案に驚いて唖然とした。

 

「なっ、何を言ってるんだ、セイバー! 聖杯戦争を降りるって……、一体」

「そのままの意味です。貴方の目的は達成された。ならば、これ以上身を削る必要も無いでしょう」

「ちょっと待ってくれよ、セイバー。いきなり、どうしてそんな事を言いだしたんだ? たしかに、イリヤを助けたくて参加したけど、俺は――――」

 

 シロウの言葉をセイバーは手で制した。

 

「ハッキリ言います。リンとアリーシャが離反し、バーサーカーがキャスターの手に堕ちた現状、わたしでは貴方達を守りきる事が出来ない」

「セイバー……?」

 

 セイバーの言葉にシロウが戸惑う。

 

「不甲斐ない話ですが、事実です。前にも言いましたが、わたしではアリーシャに勝つ事が出来ない。それに、ヘラクレスとメディアはどちらも難敵です。ハッキリ言って、勝率は零に等しい。だから、ここで私との契約を切り、貴方達は教会へ保護を求めに行くべきです」

 

 それが彼女の下した結論だった。彼女の判断は冷静かつ的確であり、彼女の言葉通りにする事がわたし達にとっての最善だった。

 それでも、シロウは首を横にふる。わたしにも、セイバーにも分かっていた事だ。

 

「それは出来ない。これは俺が自分の意思ではじめた事だ。それを途中で投げ出す事は出来ないし、セイバーを一人で戦わせるわけにもいかない」

「ですが、シロウ。それでは、イリヤスフィールを戦いから遠ざけたいという貴方の願いはどうなるのです?」

「……それは」

「シロウ」

 

 わたしは彼の手を握った。

 

「シロウはシロウが思った通りにすればいいのよ」

「イリヤ……?」

「だいじょうぶ。シロウがやりたい事をやれるように、わたしも協力してあげるから」

 

 わたしはセイバーを見つめた。

 

「セイバー。貴女もサーヴァントなら、マスターの事を最後までキッチリ守りなさい」

「……ですが、イリヤスフィール」

「言ったでしょ。わたしが協力してあげる」

 

 この胸の高鳴りに身を委ねよう。好きな子の為に頑張るなんて、当たり前。そのくらいの事、わたしだって知ってる。

 マスターでは無くなっても、小聖杯としての役目を真っ当出来なくても、出来る事は山ほどある。

 シロウの為に、わたしに出来る事をしよう。

 

 ――――これがわたしの聖杯戦争。

 

 たしかに、わたしはサーヴァントを失った。だけど、生きている。

 そう――――、まだ何も終わっていない。



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第二十二話『幕間』

第二十二話『幕間』

 

 赤い瞳に魅入られた。手足の感覚が無くなっている。

 

「イリヤスフィール!?」

 

 異変に気付いたセイバーが殺気を向けると、イリヤは言った。

 

「これはシロウのためよ。今のシロウには足りないものが多過ぎる。だから、わたしが補ってあげるの」

「補うって……、あっ」

 

 セイバーは何かを察したらしい。何故か、頬が赤い。

 

「……あの、大丈夫なのですか?」

 

 セイバーが心配そうに問い掛けている。

 

「どうかな。知識はあるけど、実践するのは初めてだもの。だけど……、うん。シロウが相手なら、痛くても大丈夫」

 

 何が大丈夫なのか教えて欲しい。イリヤが俺の頬に触れると、ビリッとした感触と共に視界が途切れた。

 意識は継続しているのに、何も感じる事が出来ない。完全な闇の中、強烈な閉塞感にパニックを起こしかけた。

 

 急に、白い光が飛び込んできた。

 体が熱い。五感が戻って来た。だけど、手足はいくら力を篭めても動かない。

 

「……シロウ」

 

 イリヤの声が聞こえた。随分と近い。

 視線が真上に固定されているせいで、彼女を探す事が出来ない。

 せめて、音で状況を分析しようと、耳を澄ませてみる。すると、聞こえてきたのは衣が擦れる音と、何かが床に落ちる音。

 何が起きているのか、さっぱり分からない。

 

「シロウ」

 

 イリヤが視界の中に現れた。

 彼女は……、何も身に着けていなかった。

 

「……戸惑ってる? 大丈夫だよ。シロウはジッとしてるだけでいいの」

 

 全然、大丈夫じゃない。イリヤが手を伸ばすと、まるで直に触れられたような感触が走った。

 おかしい。俺は服を着ている筈だ。

 

「それじゃあ、始めようか」

 

 何を始める気なのか、どうか教えてほしい。

 

「うん。まずは……、キスからだよね」

 

 彼女の顔が近付いてくる。

 なんとなく、嫌な予感がした。これから、なにか、とても大変な事が起きてしまう気がした。

 そして、俺はイリヤと……、

 

 ――――拝啓、親父殿。もう……、正義の味方になれないかもしれません。

 

 ◇

 

 終わった後、シロウは真っ白になって、部屋の片隅で蹲ってしまった。

 思っていたより痛かったけど、最終的には上手くいったと思う。 

 

「えーっと、終わったのですか?」

 

 リズに呼びに行かせたセイバーが入って来た。ベッドを一瞥して、真っ赤になりながら問い掛けてくる。

 

「ええ、バッチリよ。たしかに、わたしとシロウの間でパスが通ったわ。これで、いろいろと出来る事が増えた筈」

「そうですか……。シロウ、大丈夫ですか?」

「……俺は、……俺は、最低だ……」

 

 シロウはブツブツと独り言を呟いている。その態度にカチンときた。

 

「もう、シロウ! わたし、がんばったんだよ! 一言くらい、褒めてくれてもいいじゃない!」

「……俺ってヤツは」

 

 まるで聞いていない。

 

「落ち着いて下さい、イリヤスフィール。さすがに、仕方のない事かと……」

 

 頬を膨らませると、セイバーがやんわりと言った。

 

「まったくもう! それより、セイバーの方はどう? わたしの魔力が流れ込んでいる筈だけど」

「ええ、以前とは比べ物にならない量です。この分なら、わたしも全力を出す事が出来そうです」

 

 言葉通り、彼女のステータスが軒並みAランク以上に上昇している。

 

「なら、後は切り札ね」

「切り札……、ですか?」

「してる最中に確認したけど、やっぱり、シロウの中には聖剣の鞘が埋め込まれていたわ」

「鞘……、まさか、《全て遠き理想郷(アヴァロン)》ですか!?」

「そうよ。きっと、キリツグが埋め込んだのよ。元々、前回の聖杯戦争でキリツグにあなたを召喚させる為に、アインツベルンがコンウォールから発掘したもの。シロウがあなたを召喚した時点で、身近な所に保管されているとは思っていたの。だけど、探してみても無いから、もしかしたらって」

「なるほど……」

 

 聖剣の鞘。アーサー王の助言者であった花の魔術師(マーリン)は、聖剣よりも、むしろ鞘を大切にするよう、王に忠告した。

 担い手をあらゆる災厄から守る魔法の鞘。それは紛れもなく、セイバーの切り札になる。

 

「……問題は、シロウのメンタルですね」

「まったく、シロウにも困ったものね」

 

 シロウは亀のように頭を抱えて丸くなっている。

 三人掛かりでシロウを説得して、なんとか持ち直した頃には夜になってしまった。

 やる事がまだまだたくさんあるのに、困った子ね!

 

 ◆

 

 賑やかな喧騒を掻き分けて、わたしはアリーシャと一緒に遊び歩いた。

 冬木の観光スポットを見て回ったり、海浜公園でお弁当を食べたり、ゲームセンターというものにも、初めて入った。

 わたしは機械が苦手だ。だから、ここに来る事は生涯ありえないと思っていた。

 

「ねえ、リン! 二人でプリクラ撮ろうよ!」

 

 アリーシャは初めて触るものを何でも巧みに操る事が出来た。

 プリクラという小さな写真を、前に買ったお揃いのアクセサリーに貼り付ける。

 

「次は音ゲーやろうよ!」

 

 初めての事ばかりで、戸惑いも多い。だけど、楽しくてしかたがない。

 わたしは魔術師だから、今までは他の人との間に一線を引いていた。だから、本当の意味で友達と言える人間は、誰もいなかった。

 普通に友達と遊んでいるクラスメイトが羨ましくなかったと言えば、嘘になる。だけど、そういう幸せは、わたしじゃなくて、今は赤の他人になってしまった妹にって、そう思っていた。

 

「アリーシャ。負けないわよ!」

「かかってこーい!」

 

 対戦型の音ゲーで遊んだ後は、射撃ゲームに興じた。

 時間を忘れて楽しみ、気がつけば夕方になっていた。

 

「今日も楽しかったね!」

「そうね! さーて、夕食の材料を買いに行きましょう!」

「うん! 今日は何にするの?」

「鍋物なんてどう?」

「最高!」

 

 今日一日は何事もなく終わった。

 いずれ、敵がやって来る。それが、キャスターなのか、衛宮くんなのか、それは分からない。

 だけど、その時が来るまでは精一杯楽しもう。

 それが、今のわたしに出来る事。

 これが、わたしが彼女を救う為の道筋。

 絶対、この日々を絶望で終わらせたりしない。

 

 

 ◆

 

 ――――実に心踊る展開だ。

 

 何もしなければ、人類は終末を迎える事さえなく淘汰される。

 遠坂凛が召喚したサーヴァントは、そういうモノだ。あれは人の皮を被り、人を真似ているだけの獣であり、その在り方を世界に肯定されたモノ。

 

「文明より生まれながら、文明を滅ぼす魔性。人間が、自ら産み出した災厄。人類の自滅機構。それがアレの正体だ」

 

 目の前の女の表情が歪む。

 

「……冗談でしょ?」

「ああ、冗談だ。そう言えば、君は満足するのかね?」

「黙りなさい! 貴方、これがどういう事か、分かっているの!?」

「分かっているとも。人類の破滅は秒読み段階に入っている。ガイアが動く事はない。それは、ガイアに属するギルガメッシュが敗北を見れば明白だ。アレは彼女の存在を肯定している」

 

 そもそも、ガイアは星を守る為の抑止力だ。星にとっては無害な彼女の所業を阻む動機がアレには無い。

 彼女が牙を剥く対象は、人類が重ねてきた罪業。救世主(メシア)が持ち去った七罪とは別の、知恵を持つモノ故の(さが)。全人類が等しく内包しているであろう、大いなる悪。

 ある意味で、彼女のソレは救済を意味している。

 

「……何故、笑っていられるの?」

「おかしな事を聞く。人が己の産み出した業によって焼き尽くされるのだ。これほど愉快な事も、そうはあるまい」

「他人事……って、雰囲気でも無いわね」

 

 顔を顰めて、女は言った。

 

「言峰綺礼。情報提供には感謝します。これは、わたしでは手に入れる事が出来なかったもの。……まだ、打つ手は残っている」

 

 そう言って、女は姿を消した。

 

「ああ、存分に足掻くといい」

 

 その分だけ、絶望は深くなっていく。



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第二十三話『アラヤ』

第二十三話『アラヤ』

 

 その少女が最初に現れた場所は、メキシコの国境付近にある小さな街だった。

 麻薬カルテルによって支配された街は、まさに欲望の坩堝。人間の持つ悪性の具象。

 年老いた者は無価値と判断され、生きたまま土に埋められた。

 男は解体され、新鮮な臓器を金に変えられた。

 女は玩具にされ、死ぬまで弄ばれた。

 子供も、大半は玩具として使い潰され、残された者もカルテルの忠実な奴隷に変えられた。

 

 ――――殺せ。

 

 少女は内から響く声に従って、彼らに殺意を向けた。

 一人目は首を絞めて殺し、二人目は首の骨を折り、三人は頭部を拳で破壊した。

 落ちていた銃を撃ち、落ちていたナイフで斬り、落ちていた机を投げ、落ちていた弾丸を弾く。

 少しずつ、学んでいる。人を殺す方法を――――。

 

 ――――殺せ。

 

 街に居た人間を殺し尽くした彼女は、次に戦場へ移動した。

 兵士が数人がかりで少女を犯している。少年を銃の的に使っている。赤ん坊に爆弾を巻いている。

 一人目を殺した時点で、兵士達は彼女の存在を脅威と認識して抵抗をはじめた。その洗練された連携と技術を彼女は吸収していく。

 銃弾の雨に対処する為に、投影魔術と固有時制御を使い始めた。より確実に、より効率的に殺す方法を確立し始めている。

 次に標的に選ばれたのは、とある小国の独裁者だった。私腹を肥やすために国民から税を搾取し、見せしめに処刑を行う彼を彼女はナイフで斬り殺した。

 そのまま、独裁者の配下を次々に殺していく。

 独裁者の関係者をすべて根絶やしにした彼女は、今度はテロリストの拠点に現れた。

 檻に女子供が入れられ、値札を付けられている。

 新鮮な臓器が保存所へ運ばれていく。

 銃器の扱いを年端もいかない子供が仕込まれている。

 彼らを掃討する内、彼女がそうなってから一月が経過した。

 一月目に彼女が殺した人間の数は3000万人だった。

 そして、彼女は眠る事もなく、二月目(ふたつきめ)を迎える。

 

 ――――殺せ。

 

 戦争を煽る者が殺された。

 武器を売る者が殺された。

 テロに走る者が殺された。

 マフィアに所属する者が殺された。

 政治を悪事に利用する者が殺された。

 そして、二月目が終わる頃には、死体の数が億を超えた。

 

 ――――殺せ。

 

 各国が世界規模で起きる異常事態に気付き始める中、彼女は歩きつづける。

 止める者など居なかった。そもそも、止められる者がいなかった。

 徐々に、彼女の狙う悪の概念が広がっていく。

 刑務所の受刑者を殺し、犯罪組織の人間を殺し、人の世に害をなす魔術師を殺していく。

 三月目(みつきめ)で、あらかたの極悪人は淘汰された。同時に、その極悪人達が抜けた穴によって、社会のシステムにエラーが発生し始める。

 マフィアや極道と呼ばれる人々の不在は、それまで潜んでいた小さな悪意を産み出した。

 そして、四月目に彼らが刈り取られた。

 

 ――――殺せ。

 

 気付けば、総人口の約三割が死滅していた。

 社会は混乱し、物資の不足が各地で発生した。治安も悪化の一途を辿り、それまで暴力と無縁だった人々が他者から搾取する道を選び、そして……、彼女を呼び込んだ。

 巨悪が排除されれば、次なる悪が目を覚ます。それが人間という種であり、彼女の殺戮は止まらなかった。

 大人だけではない。貧困から、食べ物を盗んでしまった子供を彼女は殺した。無垢な赤ん坊も、いずれ悪へ至る存在として排除した。

 その時点で、彼女は人類そのモノを《悪》であると定め、《人類悪》として成立し、人類滅亡の要因と化した。

 

 ――――殺せ。

 

 五月目、総人口が半数にまで削られた時、魔術師達が重い腰を上げた。

 一つの街を悪意で染め上げる事で彼女を呼び寄せ、最大の戦力をもって迎え撃つ作戦を立て、その為にいがみ合っていた魔術協会と聖堂教会が手を組んだ。

 そして、ほとんどの魔術師が淘汰された。

 六月目、残された人類は決死の覚悟を決めて、彼女を討伐する為に団結した。その中には、真祖や死徒たちの大元である二十七の祖の一部も名を連ね、全世界から最新の兵器が動員され、核弾頭の配備もされた。

 だが、その時には既に手遅れとなっていた。もっと、はやくに団結する事が出来れば、違う道もあったかもしれない。

 けれど、ガイアが決断を下してしまった。

 彼女の殺戮によって、世界中の工場が機能を停止し、戦争が終結した。それは、星を傷つける要素の減少を意味した。

 人類という種が刻んできた疵痕。それが、より明確になった事で、ガイアは人類という種そのものを排斥の対象に定めた。

 人類にとって、その時点で敵は彼女だけでは無くなっていた。

 彼女が人類悪として完成した時点で、他の人類悪も連鎖的に各地で出現し、更にガイアの抑止力である英霊達が人類に牙を剥いた。

 それまで静観の構えを取っていた超越者達も動き出すが、全てが遅過ぎた。

 

 ――――ここに、正義は成る。

 

 最期の時、嘗てのパートナーが握っていた宝剣を片手に、彼女は彼の前に現れた。

 彼が逃げ回っていたのではない。彼女が彼から逃げ回っていたのだ。

 彼だけは殺す事が出来ない。そもそも、彼は排斥の対象に当て嵌まらない。なぜなら、彼は彼女の正義の原典だったから――――。

 

『……これが、正義か』

 

 男は握り締めた黒塗りの短刀を振り上げた。

 そして、彼女は抵抗する事なく、その刃に身を委ねた。

 

『……え?』

 

 男は崩れ落ちる少女に目を見開いた。

 

『何故だ……』

 

 困惑する男に、少女は微笑みかける。

 

『おとう、さん』

 

 正義の味方としての役割を終えた少女は、最期の時、わずかに本来の人格を取り戻していた。

 彼女はただ、父親に初めて会えた事が嬉しかった。

 死にゆく体で、痛い筈なのに、それでも無邪気な笑顔を浮かべる彼女に、男は崩れ落ちた。

 

『……オレは、なにをしているんだ』

 

 手を必死に伸ばしてくる少女。その手を掴みながら、男は震えた。

 

『……おとう、さん。わたし、うれしい』

 

 温度が失われていく。死が近付いている。

 正義を謳い、死を振り撒き、世界を滅ぼした魔人。己の血を引くからこそ、己が始末を付けるべきだと考えていた。

 けれど、握った手はあまりにも小さく、その心はあまりにも幼かった。

 彼女が排除するべき敵ではなく、救わなければいけなかった娘である事に、ようやく気付いた。

 

『すまない……』

『どうしたの? どっか、いたいの?』

 

 男は涙を流していた。身につけていた紅い礼装を少女の体に被せる。

 

『これを持っていろ。もしかしたら……』

『おとうさん?』

『ここに大切な物が入っているんだ』

 

 男は礼装の一部を指差して言った。

 

『オレには出来なかった。だけど、彼女なら……』

 

 そう呟くと、男は少女の手を握り締めた。

 

『すまない……。オレは、間違えていた』

『おとう、さん……?』

 

 少女の意識が薄れていく。

 

『すまない……』

 

 そして、彼女は終わりを迎えた。

 

 ◇

 

 目を覚ましたはずなのに、俺はまだ夢の中にいた。

 曇天の下に広がる荒野。空には巨大な歯車が回り、大地には無数の剣が突き立てられている。

 その向こうに、紅い背中があった。

 

「お前は……」

 

 男はゆっくりと振り向いた。

 夢で見た、アリーシャの父親。アリーシャを殺した男。未来の……、俺自身。

 

『……あの夢はすべてが真実だ』

 

 怖気が走った。

 違う……。この男は、何かが根本的に違う。

 

『このままでは、あの夢で起きた惨劇が現実の世界で再現されてしまう。お前には、それを阻止出来る可能性がある』

「……お前は、誰だ」

 

 その声はあまりにも無機質だった。まるで、台本を読み上げているかのようだ。

 

『私はお前だ。貴様がアレを視て、見て見ぬ振りなど出来る筈がない。ならば、力が要るだろう? さあ、契約だ』

「契約……?」

『なに、代価は後々で構わない。今は、己の正義を真っ当するがいい。契を交わした娘を守りたいのだろう? 偉大なる騎士の王と肩を並べたいのだろう? 罪無き人々を救いたいのだろう? それを為せる者は貴様のみ。さあ、正義の味方よ。この力を受け取るがいい』

「……それは、俺にアリーシャを殺せって意味か?」

 

 震えが走る。

 恐怖じゃない。心の奥底から、怒りが込み上げてくる。

 

『何を迷う必要がある。アレは人類を滅する悪の化身だ。他に道などあるまい。それとも、貴様は救う術を持ちながら、人類を見捨てる気か?』

「そうじゃない!! 殺す以外にも方法がある筈だ!!」

『そんなものはない』

「ウルセェ!!」

 

 頭の中が燃えたぎっていて、思考が纏まらない。

 感情がそのまま口をついて出てくる。

 

「消え失せろ!!」

『……真実から目を背けたところで、意味などない。それを、お前もいずれ気付くだろう。貴様がその気になれば、いつでも私は力を貸そう。願わくば、全てが手遅れになる前に決断して欲しいものだがね』

 

 世界が揺らいでいく。視界が黒一色に染まる。

 そして今度こそ、俺は目を覚ました。

 

「……俺とイリヤの、娘」

 

 畳を殴り、立ち上がる。ジッとしている暇なんて、もう一秒足りともない。



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第二十四話『鉄の心』

第二十四話『鉄の心』

 

 朝食を食べながら、士郎は夢で視た内容をセイバーとイリヤ、リズの三人に語った。

 すると、イリヤは拳をテーブルに叩きつけた。

 

「……そういう事ね。まんまと利用されたわ」

「イリヤ……?」

 

 イリヤは水を飲むと、深く息を吸った。

 

「アーチャーがわたしとシロウの娘。……なるほどね。全部、繋がったわ」

「どういう意味ですか?」

 

 セイバーが尋ねると、イリヤは言った。

 

「……シロウ。わたし、シロウを愛しているの」

「え?」

 

 突然の告白に、士郎は目を丸くした。

 

「元々、シロウの事が大好きだった。料理を教えてくれたり、わたしを守りたいと言ってくれたシロウの事が……。だから、それが恋に変わっただけだと思ってた」

「……まさか」

 

 何かを察したらしいセイバーに、イリヤが頷く。

 

「たぶん、アーチャーを通して、彼女の母親になったイリヤスフィール(わたし)の感情が流れ込んできたのよ」

「アリーシャの母親になった、イリヤ……?」

「英霊の魂で汚染されないようにブロックしていたつもりだけど……」

「完璧ではなかった……、という事ですか?」

「違うわ、セイバー。アラヤの意思よ。わたしに、アーチャーの母親の感情と同調させ、シロウとの間にパスを通させた。おそらく、シロウにアーチャーの過去を見せる為に」

「ちょっと待ってくれ! それ、どういう意味だ!? それに、アラヤって、人の名前か?」

 

 困惑する士郎に、イリヤは丁寧に説明した。

 

「シロウも魔術師なら知っている筈よ。集合無意識によって構築された、この世界の均衡を守るための大いなる力。魔術世界において、《抑止力(カウンターガーディアン)》と呼ばれるもの。世界を滅ぼす要因の発生と共に起動するソレは絶対的な力を行使し、その要因を抹消する。その中でも、星を守るモノは《ガイア》と呼ばれ、霊長の存続を優先するモノは《アラヤ》と呼ばれる。未来のシロウの姿で現れたヤツの正体も、間違いなくアラヤよ」

「いや、でも、抑止力ってのはカタチのない力の渦だって聞いたぞ。あんな風に話し掛けて来るなんて事が……」

「ありえます」

 

 士郎の疑問に応えたのはセイバーだった。

 

「たしかに、本質的には無色透明。ですが、言ってみれば、あれは意識の集合体。無でありながら、有である存在です。ですから、必要とあれば言葉を使う事もある」

 

 セイバーは険しい表情を浮かべた。

 

「シロウ。アラヤの誘いを断った事は、正しい選択です。間違っても、アレの言葉に耳を貸してはいけません」

「え? いや、たしかに断ったけど、アレが抑止力なら……」

 

 それは世界を救う為に、世界が臨んだ事。

 アリーシャを殺せと言われて、感情的になってしまったけれど、断る事が本当に正しかったのか、判らなくなった。

 

「――――抑止力を都合の良いデウス・エクス・マキナだとは思わない事よ、坊や」

 

 揺らぐ士郎に声を掛けたのは、イリヤ達ではなかった。咄嗟に、セイバーが立ち上がる。

 

「キャスター!!」

 

 いつからそこにいたのか、全身をローブで覆い隠した魔女が縁側に腰掛けていた。

 

「刃を仕舞いなさい、セイバー。争いに来たわけではないの。……というより、もう争っている場合ではなくなった」

 

 キャスターは無防備な背中を晒したまま言った。

 

「私が消えれば、バーサーカーも消滅する。それは、彼女の完成が近づく事を意味している。それを理解して尚も斬りたいと言うのなら、好きになさい」

「……貴様は、どこまで掴んでいるのだ?」

「おおよその事は把握しているわ」

 

 キャスターは立ち上がって、フードを脱いだ。

 

「もう、いがみ合っている場合じゃない。手を組みましょう。さもなければ、人理が破壊され、人類史に終止符を打たれてしまう」

 

 キャスターの言葉に、セイバーはしばし黙した後、構えを解いた。

 

「……そうですね。もう、聖杯戦争どころではない」

「賢明で助かるわ」

 

 そう言うと、キャスターは居間に入って来た。

 イリヤが彼女を睨むと、キャスターは薄く微笑んだ。

 

「どうぞ」

 

 その言葉と共に、イリヤの目が大きく見開かれる。

 

「……バーサーカー?」

 

 イリヤが見つめた先には、庭の中央で静かに膝を折るバーサーカーの姿があった。

 

「マスター権を返却したわ。彼にも、十全に力を発揮してもらう必要があるから」

「……ふん」

 

 イリヤは不機嫌そうにキャスターを睨むと、そのまま庭へ出て行った。

 

「えっと、キャスター?」

「なにかしら?」

 

 士郎が話し掛けると、キャスターはきさくな態度で応えた。

 

「とりあえず、これからは仲間って事でいいのか?」

「ええ、そう捉えてもらって構わないな」

「……そっか。じゃあ、えっと、よろしくな」

 

 そう言って、手を伸ばす士郎にキャスターは小さく溜息を零した。

 

「キャスター?」

「……ええ、よろしくお願いするわ」

 

 士郎はキャスターの妙な反応に首を傾げながら、気になった事を聞いた。

 

「なあ、さっきのって、どういう意味だ?」

「抑止力の事?」

「ああ」

 

 キャスターは言った。

 

「抑止力を都合の良い存在とは思わないことねって意味よ」

「それって、どういう……」

「抑止力とは、人類の持つ破滅回避の祈り。即ち『阿頼耶識』による世界の安全装置の事。それだけだと、たしかに聞こえはいいわね。だけど、実際には世界を滅ぼす要因の発生と共に起動して、絶対的で要因となった全てを抹消するだけの暴力的なシステムよ。時には自然現象として全てを滅ぼしたり、時には滅びを回避させられる位置に居る人間を後押ししたり……」

 

 キャスターは士郎を真剣な眼差しで見つめた。

 

「坊や、覚えておきなさい。抑止力は機械仕掛けの神じゃない。ガイアにしろ、アラヤにしろ、結果的に人類の破滅を防ぐ事があるというだけの話。必ずしも人類にとって都合の良い希望を与える存在ではないの。仮に、アラヤが手を伸ばしてきても、決して安易な気持ちでその手を取ってはダメよ。確かに得るモノも大きいかもしれないわ。けれど、確実に与えられた以上のモノを奪われる」

「……心配してくれてるのか?」

 

 意外そうに聞く士郎にキャスターは肩を竦めた。

 

「世間知らずな子が、ずる賢い詐欺師に目を付けられている所を見掛けたら、忠告くらいしたくなるわよ」

「世間知らずって……。それに、詐欺師は言い過ぎなんじゃ……」

「いいから、アラヤと契約する選択は最後の最後まで取っておきなさい。そんな力技に頼らなくても、現状を打破する事は出来るのだから」

「策があるのか?」

 

 セイバーが尋ねると、キャスターは頷いた。

 

「とってもシンプルよ。大聖杯を解体するの」

「……大聖杯?」

 

 俺が首を傾げると、戻って来たイリヤが目を丸くした。

 

「そっか、その手があったんだ」

「え? どういう事だ?」

「簡単な話よ。アーチャーが人類悪として完成する前に、聖杯戦争そのものを終わらせるの。大本である大聖杯を解体してしまえば、サーヴァントは聖杯を介する事なく座に戻る事になる。アーチャーも例外じゃないわ」

「それって……、でも、それじゃあ、アリーシャやセイバーは……」

 

 この方法では、セイバーとアリーシャが消滅してしまう。

 たしかに、アリーシャが人類悪になる事だけは阻止しなければいけない。しかし、士郎にとって、アリーシャは未来の娘だ。そうでなくても、彼女と過ごした時間がある。

 彼女が生まれた理由や、彼女が歩んだ不幸な歴史も夢で視た。

 まだ、キチンと整理できたわけではないが、それでも、彼女が救われないままで良いとは到底思えなかった。

 

「……なあ、アリーシャを救う事は出来ないのか?」

「無理よ」

 

 キャスターがきっぱりと言った。

 

「坊や。アレはそういうモノなの。自分でも分かっているのでしょう? だから、さっきも迷った。アラヤの誘いに乗るべきでは無かったのかって」

「それは……」

 

 否定する事が出来なかった。

 士郎は、この聖杯戦争を通して、正義の味方という在り方を見つめ直す機会に何度も巡り合った。

 すべてを救う事は出来ない。大勢を救う為に、切り捨てなければならない少数がある。その事を嫌というほど思い知らされた。

 

 ――――ああ、分かっている。

 

 あの夢が抑止力(アラヤ)に見せられたモノだと知り、心が揺れた。

 あの時、突っぱねる事が出来たのは、アレの正体があまりにも得体の知れないものだったからだ。

 世界を救う為に、己の娘(アリーシャ)を切り捨てなければならない。それを理解し、半ば以上、受け入れてしまっている。

 

「……おい、巫山戯るなよ」

 

 吐き気が込み上げてきた。

 自分を好きだと言ってくれた女の子。藤ねえや、みんなを助けてくれた恩人。未来で生まれる己の娘。

 そのアリーシャを切り捨てる事を、仕方のない事で済ませようとしている自分に気付いて、立っていられなくなった。

 

「俺は……」

「……シロウ」

 

 蹲る士郎に、イリヤが声を掛ける。

 

「……わたしはシロウをきらわない。シロウが世界を選んでも、私達の娘(あのこ)を選んでも、わたしはシロウの味方だよ」

「イリヤ……」

 

 士郎が顔をあげると、イリヤがその頭を抱きしめた。

 彼女の温もりを感じながら、士郎は瞼を閉じた。そして、己の原初を思い出す。

 炎に包まれた街を歩く自分。救いを求める手を払い除けて、救いを求める声から耳を塞いで、ただただ進み続けた果てに倒れ込み、そして救われてしまった。

 ならば、生き残った責任を果たさなければいけない。救わなかった分、救わなければいけない。

 

「どうして、イリヤは……」

「シロウが好きだからだよ。アラヤに利用された事はムカつくけど、それでも、シロウを愛している事は本当だもの。好きな子の事を守るなんて当たり前でしょ。そんなの、わたしだって知ってるんだから。だから、わたしはシロウに味方するの」

 

 誰かの味方。顔も知らない不特定多数ではなく、守りたいモノの味方をする動機を彼女はアッサリと口にした。

 正しい選択がどちらなのか、考えずとも分かる。いや、分からなければならない。

 人という生物を名乗るつもりなら当たり前のように彼女の言葉を受け入れるべきであり、優先すべきものも決まりきっている。

 だけど――――、出来なかった。

 

「……ごめん、イリヤ」

 

 己を生かすモノ。生かしてきてくれたモノに背を向ける事は出来なかった。

 ランサーを殺した時、既に心は決まっていた。

 

「みんな」

 

 立ち上がり、みんなを見る。誰もが痛々しいものを見る目を向けてくる。

 

「世界を救おう」

 

 そうして、衛宮士郎という人間は終りを迎えた。喉元まで迫っていた胃液も、煮え立った腸も、瞼を伝う涙も、なにもかも止まった。

 残ったモノは、枯れ果てた心と、己を突き動かす衝動(りそう)のみ――――。



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第二十五話『決戦』

第二十五話『決戦』

 

「楽しみだね、ハイキング!」

「そうね」

 

 今日は山に登る予定だ。その為のお弁当を作っている。一口サイズのオムライスに、アスパラのベーコン巻き、他にもいろいろ。

 過去を思い出す度に、今がどれほど幸せなのかを実感する。

 

「リン! チキンライスが出来たよ!」

「こっちも卵の準備オーケーよ!」

 

 大好きな友達と料理を作って、遊んで、思い出を重ねる。まさに夢のような日々だ。

 世界を滅ぼしたわたしに、そんな資格は無いと分かっているのに、わたしはこの幸せを手放す事が出来ない。

 もしも、わたしからリンを奪う者がいたら、きっと、わたしはすべてを壊してしまう。

 まるで、宝を守るドラゴンにでもなった気分。奪われる事を恐れて、必死に守ろうとしている。

 

「ねえ、アリーシャ」

「なに?」

「今度、京都に行きましょう」

「京都……?」

 

 随分と急な話に目を丸くすると、リンは言った。

 

「京都だけじゃない。大阪に、東京に、北海道に、沖縄。海外に行くのもいいわね。イタリア、フランス、イギリス、ドイツ……、貴女と行きたいところが山ほどあるの」

「リン……」

 

 嬉しくて、涙が溢れた。

 悲しくて、嗚咽が漏れた。

 

「ありがとう……、リン。でも、わたしは……」

「行くのよ、一緒に」

 

 リンは力強く言った。

 

「わたしは自分で決めた事を絶対に曲げたくない。だから、絶対に行くわよ」

「……うん」

 

 行きたい。わたしが一度壊してしまったもの。その本当の姿を視てみたい。

 それが自分の罪と向き合う事でも、リンと一緒なら乗り越えられる気がする。

 

「さあ、お弁当箱に詰めるわよ」

「うん」

 

 本当なら、わたしは今すぐに命を断つべきだ。それが世界の為であり、リンの為になる。

 だって、このまま行けば、わたしは再び世界に牙を剥いてしまう。あの滅びを繰り返してしまう。

 だけど、出来ない。リンと会えなくなる事が、自分の死よりも、世界を滅ぼす事よりも、父に殺される事よりも、なによりも恐ろしい。

   

「……リン。大好きだ」

「私も大好きよ、アリーシャ。だから、ハイキングを思いっきり楽しみましょう」

「うん!」

 

 二人で家を出て、円蔵山へ向かう。冬木が一年を通して温暖な気候と言っても、やっぱり二月は肌寒い。だから、なるべく二人でくっつく事にした。

 手を繋いで、寄り添って歩く。なんだか、恋人同士みたいで、少し照れくさい。

 

「着いたわね」

 

 前は戦う為に来た場所。壊れかけている石階段を登っていき、柳洞寺の脇を通り抜ける。

 今、この寺には誰もいない。キャスターに魔力を吸われた僧達は、今は新都の病院で眠っている。

 

「歌でも歌う?」

「いいね!」

 

 誰もいない。だから、羽目を外す事にした。

 青空の下、大きな声で歌う。こんな事、初めてだ。彼女と過ごすと、初めての事をたくさん経験する。

 

「――――随分と、楽しそうだな」

 

 柳洞寺の裏手まで来たところで、急に声を掛けられた。

 まるで、冷水を掛けられた気分。

 

「なんで、アンタがここにいるのよ」

 

 リンが嫌悪感を露わにしながら、現れた男を睨みつける。

 山の風景にまったく馴染む気のないカソックを身に着けた大男。

 彼の事は、イリヤスフィールの記憶で知っている。

 

「言峰綺礼……」

 

 人の不幸は蜜の味と言って憚らない、性格最悪の外道神父。

 わたしの中で、この男を殺せという声が響き渡っている。

 

「随分と嫌われているようだな」

「生憎、こっちはアンタの本性を知ってるもんでね」

 

 殺意を走らせるリンに、言峰は笑みを浮かべる。

 

「ならば、殺すがいい。だが、その前に忠告を聞いておけ」

「忠告……?」

「キャスターが衛宮士郎と手を結んだ。奴等は大聖杯を破壊する事で、聖杯戦争そのものを終了させる腹積もりだ」

「……ふーん、あっそ」

 

 リンは苛ついたように舌を打つと、わたしに念話を飛ばした。

 彼女の指示に従って、時を加速させる。リンを言峰の前に運ぶと、彼女は躊躇う事なく、その心臓に刃を差し込んだ。

 己の心臓に喰い込む儀式用の短剣を見て、一瞬目を見開いた後、言峰は笑った。

 

「……なるほど、とうに腹は決めていたか。少々、見誤っていたようだ」

「さようなら、綺礼」

 

 倒れ込む綺礼に、リンはもはや興味は無いとばかりに背を向けた。

 あの短剣は、あの神父がリンに贈ったもの。その剣で彼を殺す事で、彼女は決別の意を示した。

 

「リン……」

 

 声を掛けると、リンは申し訳無さそうな表情を浮かべた。

 

「ごめんね。ハイキングはここまでみたい」

 

 リンはわたしの手を握った。

 

「行くわよ、大聖杯の下へ」

「……リン。わたしは……」

「ほら、はやく」

 

 一緒に走り出しながら、わたしは涙を零した。

 

 ――――ああ、もう終わってしまう。

 

 この先、どんな展開になっても、わたしは消えてなくなってしまう。

 手から感じる彼女の温度を恋しく思いながら、必死に理性を働かせた。

 彼女を死なせたくなければ、選ぶべき選択肢は一つ。

 大丈夫だ。わたしからリンを奪う者は……、例え、それがわたし自身であっても許さない。

 彼女を死なせるくらいなら、わたしは……、

 

 ◇

 

 イリヤの案内で、俺達は円蔵山の地下へやって来た。

 ここに、聖杯戦争の大本である大聖杯がある。

 

「思ったより明るいな」

 

 辺り一面に薄っすら緑光を放つ光苔が生えている。

 

「さあ、あまりグズグズしている暇は無いわよ」

 

 先頭を歩くキャスターが言った。

 一同頷き合い、暗闇の洞窟を歩き始める。

 

「――――にしても、嫌な空気だな」

 

 歩きながら、呻くように呟いた。この空間に漂う空気は異常だ。吐き気がするような生々しい生命力が満ち溢れている。まるで、生き物の臓物の内側に居るかのような錯覚に陥る。

 歩けば歩くほど、その感覚が高まっていく。向かう先こそ、この穢らわしい生命力の源泉なのだろう。

 しばらく歩いていると、大きく開けた空洞に出た。生暖かい空気が体に重く圧し掛かる。

 

 ――――そこで止まりなさい。

 

 空洞を抜けようとした所で、その声に呼び止められた。

 振り返ると、そこには遠坂とアリーシャの姿があり、セイバーとバーサーカーが俺達を庇うように前へ躍り出る。

 

「……遠坂」

「やっぱり、衛宮くんはそういう選択をするのね」

 

 悲しそうに彼女は言った。

 

「ああ、俺は聖杯戦争を終わらせる。アリーシャを人類悪に覚醒させるわけにはいかない」

「……だから、この子を救おうともしないで、あの地獄へ送り返すの?」

「そうだ」

 

 心は決まっている。救うべき者は選んだ。そして、俺はアリーシャを救わない事に決めた。

 万に一つもない可能性に賭けて、人類全体を危険に晒すわけにはいかない。

 

「アリーシャ。俺を恨んでくれて構わない。だけど、俺は……」

「恨まないよ、お父さん」

 

 アリーシャの言葉に、一瞬、呼吸が止まった。

 

「……ここまでだね。大丈夫だよ。わたしも分かっているから」

 

 覚悟を決めた顔だった。嘗ての相棒の剣を取り出して、彼女は自分の首に宛がう。

 

「アリーシャ……」

「リン。今まで楽しかった。ありがとう! わたし、貴女のおかげで幸せに――――」

 

 すると、リンは微笑んだ。

 

「そんな事、させると思った?」

「え?」

 

 誰も止める暇が無かった。まさか、そんな暴挙に出るとは、誰も思わなかった。アリーシャでさえ……。

 

 ――――すべてを解放して、他のサーヴァントを駆逐しなさい。

 

「なんで……」

 

 遠坂は令呪を使った。その瞬間、アリーシャを中心に魔力が吹き荒れた。

 

「リン……。イヤだよ。わたし、リンを殺したくなんてない……」

 

 自分の体を抱きしめながら、必死に呑まれないように足掻くアリーシャ。

 

「……信じて、なんて言わない。だけど、わたしは諦めない」

 

 遠坂は言った。

 

「絶対に、アンタを救ってみせる。例え、何を犠牲にしたとしても!!」

「リン……。リン!! やめて……、逃げてぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 そして、ソレは現れた。見た目は変わらなくても、さっきまでと中身が完全に異なっている。

 こうならない為に動き、キャスターは策を練っていた。それがすべて無駄になった。

 

「……もう、ここまでの力を」

 

 世界が一変する。炎の壁に覆われた荒野。本来、俺のモノである筈の世界が牙を剥く。

 無限の剣が一斉に浮上し、その矛先を俺達に向けた。

 

「走りなさい、エミヤシロウ!! 貴方なら、彼女を倒す事が出来る筈!!」

 

 キャスターの言葉に、俺は最後の一線を踏み越えた。

 聖杯戦争そのものを終わらせる事で、アリーシャを殺さなくて済む筈だった。だけど、こうなっては仕方がない。

 夢を通して理解した力を行使する。両の手に白と黒の短剣を投影して、アリーシャの下へ走り出す。

 すると、目の前に遠坂が立ちはだかった。

 

「そこを退け!! 自分が何をしたのか、分かっているのか!?」

「退くわけ無いでしょ。アンタこそ、自分の娘に何をする気よ!!」

 

 その手には、七色に輝く宝石を切り出した短剣が握られていた。

 その剣を解析した瞬間、思考する前に持ち得る中で最強の守りを投影する。

 

Es last frei.(解放)Werkzung(斬撃)――――!」

「――――熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)!!」

 

 彼女の握る宝石剣から放たれた極光はトロイア戦争で活躍した大英雄の盾を一瞬にして半壊させた。

 宝石剣(キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ)万華鏡(カレイドスコープ)と謳われる偉大なる魔法使いが設計した魔術礼装。その本質は、剣というよりも杖であり、限定的に平行世界から魔力を取り寄せる事が出来る。

 彼女が自力で辿り着いたわけでは無いだろう。だが、彼女の傍には、あの剣を作り出せる存在がいた。

 この聖杯戦争というシステムの構築には、かの魔法使いも関わっているとイリヤが言っていた。ならば当然、イリヤやアリーシャの祖であるユスティーツァも、その礼装と持ち主を直接視た筈だ。ならば、その魂を受け継ぎ、俺の固有結界を継承したアリーシャが、あの剣を投影する事も不可能ではない。

 細かい経緯は分からない。だが、あの剣がある限り、遠坂凛は英霊にも匹敵する力を行使する事が出来る。

 

「自分の娘も救えないようなヤツが、正義の味方なんて語るんじゃないわよ。消えなさい、衛宮士郎!!」

 

 セイバー達はアリーシャの相手で精一杯だ。既にバーサーカーの命がいくつも削られている。それでも抵抗出来ている事が異常なほど、アリーシャは強い。

 だから、この戦いの鍵は俺がアリーシャの下へ辿り着く事。

 人類を救う為に、目の前の障害を排除しなければならない。

 

『――――だが、どうするつもりだ? 貴様の力では、あの娘を倒すどころか、近づく事さえ出来まい』

 

 分かっている。セイバーの宝具にさえ匹敵する彼女の攻撃は防ぐ事さえ難しい。しかも、それが無尽蔵に振るわれる。

 アリーシャはおろか、遠坂の下へ辿り着く事さえ、今の状態では不可能に近い。

 だから、俺は――――、

 

『随分と待たせたものだ。力が要るのだろう? さあ、速やかに契約に移ろう』

「……ああ、俺は!!」

 

 天に向って、手を伸ばす。

 

「ダメよ、坊や!!」

「やめて下さい、シロウ!!」

「ダメ!! それだけはダメよ、シロウ!!」

「シロウ、それダメ!!」

 

 みんなの声が聞こえる。だけど、これ以外に方法なんてないじゃないか。

 俺は世界を救う。その為に、娘を殺す。その為に、遠坂を殺す。その為に――――、死後の己を捧げよう。

 

「契約する!!」

『……それで良い。さあ、これで力は貴様のものだ。存分に振るい、己の正義を貫くが良い』

「……ああ。行くぞ、遠坂!!」

 

 体は剣で出来ている。(I am the bone of my sword.)

 

 ――――エラー発生。

 

 血潮は鉄で、心は硝子。(Steel is my body, and fire is my blood)

 

 ――――ここは既にアリーシャの張った固有結界の内である。

 

 幾たびの戦場を越えて不敗。(I have created over a thousand blades.)

 

 ――――ガイアの加護を受けたアリーシャの結界の方が優先度が上であり、上書きする事は不可能。

 

 ただ一度の敗走もなく(Unaware of loss.)ただ一度の勝利もなし(Nor aware of gain)

 

 ――――他の選択肢を検索。眼前のサーヴァントの能力を参考に、能力変化の可能性を模索。

 

 担い手はここに独り。(With stood pain to create weapons.)剣の丘で鉄を鍛つ(waiting for one's arrival)

 

 ――――アラヤの加護により、能力の変更に成功。形式を刀剣に決定。

 

 ならば、我が生涯に 意味は不要ず。(I have no regrets.This is the only path)

 

 ――――能力名を変更。

 

 この体には、無限の剣を内包する。(My whole life was “limited zero over”)

 

Gebuhr, zweihaunder(次、接続).Es last frei.Eilesalve(解放、    一斉射撃)――――!」

 

 降り注ぐ極光の雨を創り出した一振りの刀で切り裂く。

 如何に敵が強大な力を振るおうと関係ない。そうした理不尽を捻じ伏せてきたからこそ、英雄は覇名を轟かせる。

 この刀は、彼らの魂たる宝具を無限に内包し、その力を束ねる事が出来る。

 これが、アラヤの加護を受けた事で変化した、俺の新たなる力。

 固有結界の結晶化。無限にして、一なるモノ。

 

「……悪いな、遠坂。俺はもう、決めたんだ」

「あっそ。なら、来なさいよ」

 

 遠坂が宝石剣を振るう。遠慮も容赦もない攻撃の嵐だが、もはや俺には通じない。

 刀が内包する、無限の剣に宿る、無限の英霊達の戦闘経験が流れ込んで来る。

 本来ならば、とても耐えられない。魂が壊れる前に、肉体が壊れ、その前に精神が死ぬ。

 だが――――、

 

 ――――アレを排除するまで、壊れる事は許されない。

 

 アラヤによって、俺の崩壊は止められた。だが、それは密閉した鉄の箱の中で、ダイナマイトを次々に爆発させているようなものだ。

 おそらく、この戦いが終われば、俺は瞬く間に崩壊するだろう。

 これが代償だ。己の娘を切り捨てる父親に与えられた罰。恩人に牙を剥く者に与えられる罰。

 ならば、受け入れよう。彼女達を殺すのだ。己が生き残る資格などある筈がない。

 

「遠坂!!」

 

 極光を乗り越えた先、無防備な遠坂が立っていた。

 ここまで接近すれば、もはや彼女に勝ち目はない。その首目掛けて、刀を振るう。

 だが――――、

 

 ――――させねぇよ。

 

 その刀を見覚えのある剣が防いだ。

 

「……お前は」

 

 そこに現れたのは、紅い装束を纏う少女だった。セイバーにとてもよく似た……いや、瓜二つな顔を持つ、アリーシャの嘗ての相棒、モードレッド。

 

「――――さあ、始めるぞ。リン!!」

「ええ、やるわよ、モードレッド!!」

 

 遠坂が令呪を掲げる。それと同時に悲鳴が木霊した。

 振り向くと、バーサーカーが消滅していき、キャスターが肉塊に変えられていた。残るサーヴァントは、セイバー一人。

 そして、アリーシャは……、

 

「――――令呪をもって、命じる!!」



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第二十六話『忌み子』

第二十六話『忌み子』

 

 ――――それは、モードレッドからアリーシャを救う術を教えてもらった時の事。

 

「――――聖杯を使う」

 

 モードレッドは言った。

 

「聖杯……? それって、アリーシャの事?」

「違う。冬木の聖杯戦争における、正式な聖杯の方だ。アリーシャを救う為には、聖杯の奇跡に頼る以外の方法がない」

「待って! それは無理よ……」

 

 たしかに、本物の聖杯なら可能だろう。アリーシャをガイアの鎖から解き放ち、この世界で二度目の生を謳歌した後に、完全なる終わりを迎える。そうした、ハッピーエンドを迎える事も出来たかもしれない。

 だけど、聖杯は穢れている。第三次聖杯戦争の時、アインツベルンの犯した反則行為によって、大聖杯の内部にはこの世全ての悪(アンリ・マユ)と呼ばれる、ゾロアスター教の悪神が棲みついている。仮に、あの聖杯に何かを願ったとしても、その結果は災厄というカタチで具現化する。

 アリーシャを救えと願ったところで、アリーシャが殺すべき対象を先に殲滅するのが関の山だろう。その後の世界を一人で生きるなど、絶望以外の何者でもない。

 

「……ああ、今のままなら無理だ」

「何か、策があるの?」

「ある。アリーシャに、大聖杯に取り憑いている邪神を倒させるんだ」

「アンリ・マユを!? でも、そんな事が出来るの?」

「今のままでは無理だ。だが、アリーシャが第四段階まで覚醒すれば、あるいは……」

 

 モードレッドは語った。

 アリーシャの宝具《第八禁忌・人類悪(アンチ・アンリマユ)》には、五つの段階がある。

 第一段階では生前のアリーシャの能力を扱える程度であり、第二段階に入って初めて悪意に対する特攻能力が付与される。ネガ・マリスというスキルがソレだ。

 更に、第三段階に入る事でマスターが不在でも顕現し続ける事が出来る能力と、ある種の固定概念による精神汚染スキルが付与される。

 そして、第四段階で彼女は人類悪の一歩手前まで状態が進み、悪意に対する反存在として覚醒し、対象よりも強くなるという特性を付与される。

 

「でも、アンリ・マユは人類の括りに入るの?」

「入るわけないだろ。アレは神だぞ?」

「えっ、なら……」

「勘違いするなよ。アリーシャは人類を滅ぼす存在って訳じゃない。結果として、人類を滅ぼしてしまう存在なんだ」

「つまり……?」

「アリーシャの能力の対象は人類じゃなくて、《悪》なんだ。悪という概念自体は人間が創り出したモノであり、それ故に人類という種はすべからく悪を内包している。だが、アンリ・マユも……少なくとも、大聖杯に宿る邪神は人々に《悪であれ》と望まれた存在だ」

「なるほどね。だから、アリーシャの能力の対象になると……」

「……おそらくな」

「曖昧ね……」

「言っただろ。勝ち目のない賭けになるって」

「……そういう事なのね」

 

 なるほど、確かに勝ち目が薄そうだ。アリーシャの能力でアンリ・マユを倒せなければ、その時点で計画は破綻する。

 

「これだけじゃないけどな」

「他にもあるの?」

「当然だ」

 

 モードレッドは言った。

 

「そもそも、この条件を満たす為には第四段階までアリーシャの宝具を解放しないといけない。しかも、その状態だとマスターの制御を受け付けない可能性がある。令呪が効かなければ、その時点で詰みだ」

「……他には?」

「アンリ・マユを滅ぼせたと仮定するが、その後に、もう一度令呪を使ってもらう。そして、ここが大一番だ」

「どうするの?」

「オレがアイツと同化する」

「同化……?」

「ああ、オレはアリーシャが宝具を解放する度に、アイツの人格のバックアップを保存しているんだ。それで、一時的にアイツを本来のアイツに戻してやる事が出来る。その隙に令呪でアイツからサーヴァントの魂を本来の聖杯に返還させるんだ」

 

 アリーシャが生前の最期に一瞬だけ元の人格を取り戻した理由がソレだとモードレッドは言った。

 ただし、元に戻っている時間はそう長くなく、その状態で無ければ令呪を使ってもアリーシャからサーヴァントの魂を解放する事は不可能に近いと言う。

 

「まあ、その状態でも五分五分って所だけどな」

「そこでもリスクがあるのね」

「まあ、そこまで成功出来れば、後は聖杯に祈ってアリーシャを自由にする事が出来る」

「……なるほど。確かに、勝ち目なんて殆ど無さそうね」

「それでも……、他に方法が無いんだ」

 

 分の悪い賭けを何度も繰り返さなければいけない。一度でも賭けに負ければ、取り返しのつかない事態になる。

 震えそうになる体を必死に抑えつけながら、わたしは一つ気になる事を訪ねた。

 

「ねえ、同化した後の貴女はどうなるの?」

「消える。ここに居るオレは、一種の亡霊だからな。役割を終えたら、それまでだ」

「それでいいの!? だって、貴女はアリーシャの為に身を張っているんでしょ! 一緒に居たいんじゃないの!?」

 

 モードレッドは微笑んだ。

 

「一緒に居たい。当然だろ? けど、それ以上に、アイツには幸せになって欲しい」

「どうして、貴女はそこまで……?」

 

 わたしも、モードレッドという英霊の伝承はそれなりに知っていた。なにしろ、アーサー王の伝説を終わらせた存在だ。魔道に生きる者の中で、彼女を知らない者の方が稀だろう。

 叛逆の騎士という汚名で知られる彼女の伝承と、一人の女の子の為に己すら使い捨てようとしている目の前の彼女の在り方がどうにも一致しない。

 まったくの別人だと言われたら、すんなり納得出来る程だ。

 

「……アイツは、そっくりなんだよ」

「え?」

 

 まだ時間があると、彼女は己の過去を話してくれた。

 

「オレも、同じなんだ。父であるアーサー王が知らない間に、母であるモルガンがオレを孕んだ。知っての通り、アーサー王(ちちうえ)は女だけど、母上殿は魔術でどうにかしたらしい。詳しくは知らない。そんで、母上がオレに言ったわけだ。『いずれ王を倒し、その身が王となるのです』ってな。その結果、父上は魔術師の忠言で、オレと同じ日に生まれた子供を殺した。それでも生き残ったオレを父上は決して認めてくださらず、最期には……」

「それって……」

 

 同じだ。他人の都合で生み出されて、多くの命を背負わされて、勝手な理屈を押し付けられて、挙句の果てに破滅した。

 モードレッドという英雄の生涯は、アリーシャの歩んだ生涯とそっくりだ。

 だからこそ、アリーシャは彼女を召喚したのかもしれない。

 

「だから、かな。アイツの事は召喚された時から他人に思えなかった。同じ、ホムンクルス同士だったしな」

「貴女もホムンクルスなの!?」

「ああ、そうらしい」

 

 何から何までそっくりだ……。

 

「……オレには、信用出来る仲間も、信頼出来る友も居なかった。居たのはオレの立場を利用しようと企むゴミばかり。誰の事も信じられなくて、いつも俯いて、鬱屈した事ばかりを考えてたよ。積み重なっていく鬱憤や苛立ちを馬上槍試合などで晴らそうとしても、一時しのぎにしかならなかった。アイツには……、同じ思いをさせたくなくて、必要以上に近く接した」

「モードレッド……」

「気付いた時には、アイツを過去の自分と重ねていた。アイツに降りかかる理不尽が許せなくなった。アイツを生んだ親も、アイツを利用した錬金術師共も、アイツを傷つけようとする敵共も……、何もかもが許せなかった」

 

 その目がまるで燃え盛る炎のようだった。

 憎悪と憤怒が入り混じり、思わず息を呑んだ。

 

「……だから、アイツに殺される前に、聖杯(アイツ)に願った」

「その結果が、この状況ってわけ?」

「ああ、オレは本体から完全に切り離された。今のオレは、アイツが人類悪として完成する度に零れ落ちるアイツ自身を拾い上げる外部記憶領域であり、イザとなればアイツを守る剣であり、そして……、アイツの宝具でもあるわけだ」

「……辛くなかったの?」

「オレは勝手にやってるだけで、辛いのはアイツだ」

「勝手にって……」

「勝手だ。オレは勝手に、アイツを自分と重ねている。自分勝手でくだらない、救い難い愚か者だ。だから、そんな顔をするなよ」

 

 皮肉気に笑うモードレッドをわたしは睨みつけた。

 気付けば、涙が頬を伝っている。

 

「わたし、そういう言い方……、嫌いよ。貴女はあの子を救う為に頑張ってるじゃない! 自分勝手だとか、愚か者だとか、そういう言葉で貴女の頑張りを否定しないで!」

「……へいへい」

 

 呆れたように肩を竦めながら、モードレッドは微笑んだ。

 

「なあ、リン。 アイツを……、アリーシャを救ってやってくれ。それで、オレも救われるんだ」

「モードレッド……」

 

 アリーシャとモードレッドは、その終わりまで似ている。

 アリーシャは世界を滅ぼし、父親に殺された。

 モードレッドは国を滅ぼし、父親に殺された。

 そして、二人はガイアに使役されて、終わりのない地獄を彷徨っている。

 

「……わたしは」

「頼む、リン。オレの望みは、アイツが救われる事だけなんだ。お前だって、いくつも掛け持ち出来るほど、器用じゃないだろ? だから、オレの事まで救おうとするな」

「モードレッド……」

「ありがとうな、リン。お前なら、きっとアリーシャを救える筈だ。信じてるぜ」

「……必ず」

 

 わたしの返事に満足したのか、モードレッドは笑みを浮かべた。

 

「っへ、これで、お前も共犯だ。地獄の底までついて来てもらうぜ、リン」

「……ええ、わかっているわ。これで、わたしも立派な人類に対する反逆者ね」

 

 ◆

 

 彼女のためにも、わたしはアリーシャを絶対に救わなければいけない。

 だから――――、

 

「――――令呪をもって、命じる!!」

 

 ここから先は賭けだ。

 

「大聖杯に宿る、この世全ての悪(アンリ・マユ)を滅ぼしなさい!」

 

 これが第一の賭け。既に、ギルガメッシュを含めた六騎のサーヴァントの魂を取り込んでいる彼女は、人類悪としての覚醒一歩手前まで状態が進んでいる。

 この状態で令呪に従ってくれる可能性があるかどうか……。

 

「……どうにか、第一の賭けは成功だな」

 

 モードレッドの言葉通り、アリーシャは大聖杯に向かって走り出した。

 

「遠坂……、お前は何を……」

「決まってるでしょ。あの子を助けるのよ」

 

 呆けている衛宮くんを尻目に、わたしはモードレッドと並んで走り始めた。

 

「貴様、モードレッド!?」

 

 セイバーは不思議な光に守られていた。アリーシャと戦った筈なのに、傷を負った様子もない。

 

「リン! 父上は霊体化が出来ない筈だ!」

「そっか」

 

 セイバーが困惑した表情を浮かべると、モードレッドが斬り掛かった。

 

「無駄だ!」

 

 モードレッドの剣は彼女の体をすり抜けた。だけど、気にしている暇はない。

 わたしは持ち得る宝石をすべて強化に注ぎ込み、全速力で大聖堂に続く通路まで走り抜けた。

 

「モードレッド!!」

 

 叫びながら、宝石剣で天井を穿つ。崩れ落ちる天蓋を尻目に再び走り出すと、しばらくしてからモードレッドが追いついてきた。

 霊体化出来るモードレッドならば崩れた岩をすり抜ける事が出来るけれど、衛宮くんと霊体化の出来ないセイバーは別だ。

 時間稼ぎにしかならないだろうけど、今は一分一秒が惜しい。

 そうして、わたし達が大聖杯まで辿り着くと、そこには純白の光を放つ柱と、その前に立つアリーシャの背中があった。

 

「……さあ、仕上げだぜ。後は頼むぞ、リン!!」

「任せて、モードレッド!!」

 

 そして、モードレッドはアリーシャの無防備な背中に飛び込むと、その姿を一つに重ねた。

 そして……、

 

「……ああ、思い出しちゃった」

 

 後悔に塗れたアリーシャの声が響いた。




次回、第二十七話『真相』


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最終話『真相』

最終話『真相』

 

 ある人が言った。

 

『――――貴様等は、何度同じ轍を踏めば気が済むのだ!!』

 

 それは、わたしを創り出した錬金術師達に対する怒りだった。

 

『……貴女に罪は無い。それでも、貴女を完成させるわけにはいきません』

 

 彼女はわたしに『罪は無い』と言った。

 

『奈落の使徒よ。大いなる破滅を約束する少女よ! すまないが死んでくれ! それが我らの安寧なのだ! それが我らの望みなのだ!』

 

 彼は己の為にわたしを殺すと言った。

 

『……ああ、彼女の言った通り、君には何の罪もない。ただ、存在する事がこの世界にとって脅威なのだ。だから、私達は君を殺す。ああ、恨みたければ好きなだけ恨め。それは正当な権利だ』

 

 誰もが口を揃えて、わたしは悪くないと言う。それなのに、わたしの死を求めてくる。

 

 ――――わたしに罪が無いのなら、どうして、わたしを助けてくれないの?

 

 罪の無い人間を殺そうとしている癖に、彼らは揃って善人の振りをする。己こそが正義の味方だと言うかのように、勇ましい雄叫びまで上げて、殺意を向けてくる。

 

 ――――ふざけるな。わたしは何も悪くないのだろう? それでも、お前達はわたしを殺す。それを正義と謳うのなら……。

 

 六人目の敵を殺した時点で、わたしは自覚した。

 

 ――――わたしは世を呪い、人を憎んでいる。

 

 怒り、憎しみ、憎悪。それだけが積み重なっていく。

 最後の敵は、わたしが殺した。

 

『……マスター。オレは……、お前を……』

 

 腹部に突き刺さる宝剣を引き抜く。

 彼女はわたしを殺そうとした。だけど、わたしは生き残った。

 彼女の宝剣を聖杯の力で己の者にする。

 

 ――――わたしのセイバー。

 

 信じていたのに、裏切られた。彼女も、あの偽善者達と同じだった。だから、彼女の剣を核に、わたしの理想とするセイバーを作り直すことにした。

 わたしを裏切らない存在。わたしを救ってくれる存在。わたしを守ってくれる存在。

 わたしだけの味方……。

 

 ――――人間よ。そうまで望むのなら、お前達の望むままに正義を行使してやろう。

 

 正義とは、悪を打ち倒すモノ。悪とは、人類という種そのモノ。

 殺してやる。この世の全ての(にんげん)を一匹残らず、駆逐してやる。

 

 ◇

 

 振り返ってみると、気付く機会は何度もあった。

 最初の夜に見た夢。憎悪と憤怒。その二つが交じり合う世界。アレはわたしの過去ではなく、本質を投影した夢だった。

 それに、ギルガメッシュと対峙した時、己の内から聞こえてきた声は言っていた。

 

 ――――そうあれと望まれ、仕組まれた運命を歩み、世を呪い、人を憎み、手に入れた正義の力。

 

 それだけじゃない。なによりも、アサシンを殺す時に使った宝具。我が麗しき父への叛逆(クラレント・ブラッドアーサー)は本来、モードレッドが抱く、父への憎悪を魔力というカタチで燦然と輝く王剣(クラレント)に注ぎ込み、発動させるモノだ。

 ソレを使えるという事は、わたしの中に、彼女に負けない憎悪が宿っていた証に他ならない。

 それでも、自分の本質に気づかなかった理由は……、気づこうとしなかった理由は……、 

 

「アリーシャ!!」

 

 リンの声が聞こえる。とてもじゃないけど、彼女の目を見ていられない。

 こんなわたしを救う為に頑張ってくれた人。

 優しくて、あたたかくて、とてもキレイな女の子。

 彼女の前では、良い子(・・・)で居たかった。

 

「意識を取り戻したのね!?」

「……うん」

 

 満面の笑みを浮かべるリン。

 

「よーし! 後は取り込んだサーヴァントの魂を解放するだけよ! それで、アンタは――――」

「ごめんね、リン」

 

 わたしはリンの言葉を遮った。

 

「アリーシャ……?」

「わたし、その命令には従えない」

「……は? 何、言ってんのよ! あと一歩なのよ!? それで、アンタは救われるの! 馬鹿な事を言ってないで、始めるわよ!」

「リン。わたしは……」

「ウルサイ!!」

 

 リンは怒りに満ちた表情でわたしを睨みつけた。

 

「ガタガタ言うんじゃないわよ! アンタは救われなきゃいけないの! 正義の味方だとか、人類悪だとか、そんなのアンタに似合わないのよ! 良い子だから、ほら!」

 

 その言葉に、わたしは耐え切れなかった。

 

「良い子なんかじゃないよ!!」

「アリーシャ……?」

 

 言いたくない。だけど、言わないといけない。

 

「……リン。わたしはリンが思ってくれるような……、想ってもらえるような良い子じゃなかったの」

「アリーシャ……」

「わたし、流されてただけじゃなかった。最後の最後は、自分で決めたの」

「決めたって、何を?」

正義(じんるい)味方(てき)になる事だよ。……わたし、人間が憎くて仕方がなかった。だから、自分の意志で……、人類を滅ぼしたの」

「アリーシャ……」

 

 大きな音が響いた。視線を向けると、通路の方からシロウとセイバーが現れた。

 

「遠坂! アリーシャ!」

 

 わたしを殺しに来た人。わたしを殺す事が出来る人。

 

「……リン。今でも、わたしは人間が憎いの」

 

 ショックだったのか、リンは何も反応しない。

 だけど、シロウとセイバーは明らかに敵意を増した。

 

「わたしは再び、人類悪になる。そして、世界を滅ぼす。だから……」

 

 シロウが固有結界を結晶化させた刀を構えて、一歩ずつ近付いてくる。

 それでいい。あの時と一緒だ。

 わたしは人間が嫌いだ。わたしの運命を弄んだ錬金術師も、わたしを産んだ両親も、わたしを殺そうとした敵も、何もかも憎くて仕方がない。

 あの時……、《擬・叛逆の騎士(クラレント・モードレッド)》の能力で一時的に自我を取り戻したわたしは父に殺された事を喜んだ。

 大っ嫌いな父親に、己の理想の結末を見せつけて、娘殺しの自責の念を植え付けて、誰もいない世界に取り残してやった。

 こんな事で悦ぶわたしは、やっぱり悪い子だ。それも、とびっきり底意地の悪いタイプ。

 

「……ねえ、アリーシャ」

 

 すぐ隣まで来ていたシロウを手で制して、リンは言った。

 

「言いたい事はそれだけ?」

「え?」

 

 そう言うと、彼女は一歩ずつわたしに近付いてきた。

 

「こ、来ないで!」

 

 咄嗟に剣を投影して射出した。それをシロウが刀で叩き落とす。

 

「いいから」

 

 リンは命の恩人である筈のシロウを押し退けて、立ち止まる事なく近付いてくる。

 

「来ないでよ! わたっ、わたしは!」

「憎いんでしょ? なら、殺しなさいよ」

 

 その言葉に、わたしは呼吸が出来なくなった。

 

「おっ、おい、遠坂!?」

「リン! 貴女はなにを……」

「うっさい! いいから、アンタ達は黙ってて!」

 

 リンはシロウとセイバーに睨みを利かせると、また一歩近付いてくる。

 

「……来ないで!!」

 

 剣を射出する。だけど、リンはわたしを見つめたまま、避ける素振りも見せない。

 

「どうしたの? 憎いんでしょ?」

 

 剣は彼女の両脇をすり抜けた。それでも臆さずに、リンは近付いてくる。

 

「前に言ったわよね? わたし、貴女に殺されるなら、それはそれで構わないからって」

 

 体が震えた。

 

「やめてよ……」

「もう一度言ってあげる。貴女がわたしを殺しても、わたしは貴女の事を嫌わない。だから、どうしても人間が憎くて堪らないのなら、遠慮なく殺しなさい。わたしだって人間よ。それも、とびっきりの悪党よ」

「リンが悪党なわけない!! お願いだから来ないで!! 救おうとしないで!! わたし……、わたしは、リンに救われる資格なんて無いの!! わたしは救われちゃいけない人間だったの!!」

 

 我武者羅に剣をばら撒いた。だけど、一つも彼女に当たらなかった。当てられる筈がなかった。

 

「……随分と、買い被ってくれちゃって」

 

 声は、いつの間にか目の前まで迫ってきていた。

 抵抗しようとして、出来なかった。だって、今のわたしの力だと、手加減が出来なくて、彼女を殺してしまうかもしれない。

 逡巡していると、リンはわたしを抱きしめた。

 

「ほら、殺すなら殺しなさい。簡単でしょ? この状態じゃ、抵抗なんて出来ないわ」

「……出来るわけ、ないでしょ」

 

 震えた声で言うと、リンはクスクスと笑った。

 

「人間が憎いんでしょ? 悪党は許せないんでしょ? わたしはどっちにも当て嵌まってるわよ」

「リンは悪党なんかじゃない!!」

「どこが? どうして、わたしが悪党じゃない、なんて思うの?」

「……だって、リンはこんなわたしを救おうとしてくれた。みんな、わたしを殺そうとするばっかりだったのに、リンだけは……、貴女だけは最後の最後まで……」

「ねえ、アリーシャ。わたしがどうして、アンタを救おうとしているのか、そこの所、分かってる?」

「それは……、リンが優しいから」

 

 わたしの言葉に、リンは深々と溜息を零した。

 

「リ、リン?」

「アンタ……、わたしを聖人君子かなんかと勘違いしてない?」

「わたしは……、だって、わたしにとってリンは……」

「ねえ、アリーシャ。もし、どうしても救われたくないって言うなら、それでも構わないわ」

「え?」

 

 その言葉に胸が痛んだ。なんて自分勝手なんだろう。救わないでって言っておきながら、救わないと言われたら傷つく。本当に度し難い……。

 

「どうしても地獄に戻りたいって言うなら、わたしも連れていきなさい」

「リ、リン!?」

 

 リンは一層強い力でわたしを抱き締めた。

 

「ダメ?」

「だっ、ダメに決まってるでしょ!」

「なんで?」

「なんでって……、だって!」

「ねえ、アリーシャ」

 

 リンはわたしから少し離れて言った。

 

「わたしが貴女を救おうとしているのは、別に貴女の過去に同情してるからじゃないのよ?」

「え?」

 

 戸惑うわたしの姿にクスリと微笑みながら、彼女は言った。

 

「貴女と一緒に料理をするのが楽しかったわ」

 

 その言葉を聞いて、彼女と一緒に作った料理の数々が頭に浮かんだ。

 

「貴女と一緒に買い物をして、水族館に行って、プラネタリウムに行って、ゲームセンターでプリクラまで撮って……。本当に楽しかった」

 

 涙が溢れてくる。

 彼女と過ごした日々を思い出すと、それはまるで……、まるで、宝石のように輝いている。

 

「貴女と一緒に、もっと料理がしたい。いろいろな所に行って、いろいろな経験をしたい。だけど、どうしてもって言うのなら、行き先が地獄でも構わない」

「……ダメだよ、リン。リンは……、リンだけは明るい世界で……」

 

 わたしの言葉を遮るように、リンがおでこにデコピンをした。地味に痛い……。

 

「アリーシャ。アンタ、ちょっと自分勝手じゃない?」

「ええ……、それはリンの方じゃ……」

「アンタ、自分が言ってる言葉の意味が分かってるの? 救うのもダメ、地獄に付き合うのもダメ……。つまり、わたしを一人ぼっちにしたいって事!? それに、わたしはアンタと一緒に居て、最高に幸せだったのよ!! つまり、アンタはわたしを不幸にしたいって事なの!? アンタ、わたしにどんな恨みがあるのよ!!」

「言ってる事が無茶苦茶だよ、リン!!」

 

 思わず悲鳴をあげると、リンに顔を掴まれた。

 

「リ、リン……?」

「ああもう、面倒だからシンプルにいくわ。アリーシャ……、アンタ!」

「は、はい!」

「世界とわたし、どっちが大切なの?」

「……ほえ!?」

 

 あまりにも突飛な質問に、思わず変な声が漏れた。

 

「言っておくけど、わたしはとうの昔に選んでるからね」

「なにを……?」

「世界とアリーシャなら、わたしはアンタを取るって事よ。その証拠に、わたしは世界が滅亡するリスクを背負いながら、アンタを救うためにここまで来たわ!! ほら、次はアンタの番よ!!」

「……リン」

 

 世界とリン。どちらが大切かなんて、考えるまでも無い質問だ。

 だけど、わたしは……、

 

「世界を滅ぼした負い目と、わたしを一人ぼっちにした挙句に不幸へ叩き落とす負い目! どっちが重いのかって聞いてんのよ! はやく答えなさい!!」

「はえ?! リ、リンです!!」

 

 思わず、本音を口走ってしまった。

 そして、言葉にして実感した。

 

「……そうだよ。わたしの中で、リン以上の存在なんていない」

 

 世界に対する怒りも、人間に対する憎しみも、なにもかもどうでもいい。

 リンと比べたら、どれも瑣末なものだ。

 とっくの昔に分かっていた事だ。ギルガメッシュと相対した時、既に自覚していた筈だ。

 

 ――――わたしにだって、自分の命より大切なものがある。

 ――――この世界の全てを敵に回してでも、守りたいモノがある。

 

 それがリンだ。

 

「リン……。わたし、わたしは……、世界を滅ぼしたけど……、いっぱい殺したけど……、でも……、でも………」

「それでも、わたしはアリーシャと一緒に居たい!! 償いたいって言うなら、わたしも付き合う!! だから――――、アリーシャ!! サーヴァントの魂を解放しなさい!!」

 

 その言葉に、わたしは抵抗する事が出来なかった。

 許されない事なのに、彼女と過ごした日々が理性を地の底に縫い止める。

 本能が……、彼女を求めてしまう。

 

「……リン」

「アリーシャ……」

 

 気付けば、わたしの中からサーヴァントの魂が全て消え去っていた。

 

「また、一緒に料理を作りましょう。それから、いろんな所に行きましょう」

「……うん」

 

 わたしは運命と出会ってしまった。決して、逃れられないもの。

 抱き締めあったまま、イリヤスフィール(おかあさん)シロウ(おとうさん)が聖杯を起動させても、ガイアとの繋がりが途絶えても、肉体が実体を帯びても、ずっと……、わたし達は離れる事が出来なかった。




次回、エピローグ『わたしと彼女の歩む先』


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エピローグ『わたしと彼女の歩む先』

エピローグ

 

 あれから、数年の月日が経過した。

 オレは旅を続けている。メキシコの国境近くにある街や、中東の村を巡り、悪人を処理して回っている。

 悪が何処にいるのか、どのような悪が横行しているのか、すべて分かっている。

 オレがやっている事は、アリーシャが歩んだ軌跡をなぞる行為。彼女が殺す筈だった者を殺していく。

 

「ん?」

 

 テロリストの集団を皆殺しにした時、胸元が震えた。携帯電話を取り出すと、液晶に表示された名前に目を丸くした。

 通話ボタンを押すと、懐かしい声が聞こえた。

 

『……えっと、これでいいのよね? えっと、通じてる?』

「ああ、問題なく通じているよ。君から連絡が来るとは思わなかったな。何かあったのか?」

『アンタ、今どこにいるの?』

「フランスだよ。大衆を巻き込んだテロを計画している集団を処理していたところだ」

『……アンタが何してるのか、なんて聞いてないわよ。それより、日本に戻って来れない?』

「次は中国に向かう予定だったのだが……、どうかしたのか?」

『……アリーシャが生まれる』

「は? ……すまない。どういう意味だ?」

『だ・か・ら、イリヤが出産するって意味よ!』

「はぁ!? どういう事だ!?」

『アンタ、身の覚えはないわけ!?』

「無いぞ! どういう事だ!? いや、聖杯で出来るようにはなった筈だが……、本当に心当たりが無いぞ」

『え? でも、アンタの子だって言ってるけど……』

「ちょっと、待ってくれ。イリヤに代わってくれないか?」

『仕方ないわね。イリヤ! 愛しのシロウが代わって欲しいって!』

 

 しばらく待つと、遠坂は疲れたように言った。

 

『電話じゃ、嫌だって……』

「……了解した。とりあえず、日本に戻るよ。幸い、協力者も出来たのでね。中国の方は彼らに任せよう」

『……殺人集団なんて率いて、どっちがテロリストなのよ。正義の味方が聞いて呆れるわね』

「今更だな。己の娘に殺意を向けた時点で、オレに正義の味方を騙る資格など無い」

『だったら、なんで、そんな事続けてんのよ……』

「今日は随分としつこいな。声も聞きたくないのでは無かったのか?」

『うっ、うっさい! 捻くれた言い方するな!』

「はいはい。とりあえず、今はまだ忙しいから切るぞ。明日、日本に向かう。到着は明後日になると思う」

 

 深く息を吐いて、気を落ち着ける。

 正直に言って、何が何だか分からない。イリヤと最後に会ったのは二年も前だ。

 

「……イリヤ、元気かな」

 

 結局、生き方を変えられなかった。アリーシャが生まれた世界と同じように、オレはイリヤを置き去りにした。

 あの時は大変だった。イリヤには泣かれて、遠坂には怒られて、アリーシャには悲しまれた。

 だけど、起きると分かっている悲劇を、止められる力を持っていながら見過ごす事は出来なかった。

 我が事ながら、救いようのない愚か者だ。

 

 翌日、飛行機に飛び乗り、そのまま日本へ向かった。

 一日掛かって冬木市に入ると、思っていた以上に懐かしさが込み上げてきた。

 

「イリヤ……」

 

 海外にいた間に急激に背が伸びたせいか、故郷の風景が随分と違って見える。

 カタチの変わったバスに乗り込み、深山町に向かう。

 衛宮邸に到着すると、懐かしい顔が出迎えてくれた。

 

「おかえりなさい、シロウ」

「ああ、ただいま。セイバー」

 

 彼女は最後に会った時と何も変わっていない。

 セイバーはオレ達の事を心配して残ってくれた。今はマスター権をイリヤに移して、彼女を守ってもらっている。

 

「背が伸びましたね」

「少しな」

「……無茶を続けているようですね」

 

 オレの変色した皮膚に触れながら、彼女は痛ましそうに表情を歪めて呟いた。

 

「私のせいだ。私が貴方に覚悟を迫ったから……」

「これはオレが自分の意志を通した結果だよ、セイバー。君が気にする事じゃない。それよりも、イリヤに会わせてもらえるか?」

「……ええ、奥で休んでいます」

 

 セイバーに先導されながら、嘗て住んでいた家を歩く。なんだか、妙な気分だ。

 

「そう言えば、藤ねえはいるのか?」

「タイガは学校ですよ。今日は平日ですから」

「そっか……」

「今日、シロウが帰ってくると聞いて、喜んでいましたよ」

「そっか」

 

 奥の部屋に着くと、リーゼリットの姿があった。

 

「やっほー、シロウ。ひさしぶり」

「ああ、ひさしぶりだな。イリヤは中に?」

「うん。会ってあげて。イリヤ、よろこぶとおもう」

 

 中に入ると、そこには遠坂とアリーシャの姿もあった。イリヤは目を瞑っている。

 どうにも気まずい。

 

「……久しぶりだな」

「久しぶりね」

「久しぶり……」

 

 最後に二人と会った時は喧嘩別れに近いものだったから、中々会話の糸口が見つからない。

 

「……えっと、イリヤは寝てるのか?」

「さっきまで起きていたんだけど、疲れやすくなっているみたい」

 

 イリヤを見る。前に会った時よりも背が伸びている。妖精のような可憐さは、女神のような美しさに変わりつつある。

 思わず見惚れていると、彼女の瞼が動いた。

 

「イリヤ?」

「……シロウ?」

 

 オレに気付くと、彼女は心底嬉しそうに微笑んだ。

 

「おかえりなさい、シロウ」

「ただいま、イリヤ」

 

 視線を彼女の腹部に向ける。電話で遠坂が言っていた通り、大きくなっている。

 

「……イリヤ。その子はオレの子なのか?」

「そうだよ」

「だが……、君と最後に会ったのは二年前だぞ。それに、君とその……、そういう事をしたのは――――」

「ええ、聖杯戦争中の一回だけ。その時に、わたしの中に保存しておいたってわけ」

 

 呆然としてしまった。

 

「なんで……」

 

 オレはアリーシャを見た。

 不幸な人生を歩ませてしまった娘。一度は世界と天秤にかけて殺そうとまでした。

 とてもではないが、彼女の父親になる資格などない。それはイリヤも分かっている筈だ。

 それなのに、どうして……、

 

「……シロウ。ここに、命が宿っているの」

 

 お腹を触りながら、彼女は言った。

 

「アリーシャを通じて、わたしは彼女の母親であるイリヤスフィール(わたし)と繋がった。彼女は……、この子を愛していた」

 

 イリヤはアリーシャを見つめた。

 アリーシャはその視線から逃げるように顔を逸した。                                               

 

「産まない……、なんて選択は出来なかったの。リンには散々怒られたけど、それでも……」

 

 遠坂を見ると、彼女は気まずそうに視線を逸した。

 

「……あの時はカッとなって、悪かったわよ。母親の気持ちなんて……、あんまり考えた事が無かったから」

「ううん。結果として、アリーシャには不幸な人生を歩ませてしまった。選択肢自体が無かったけど、それでも産むべきじゃなかった事は分かってる。それでも……、この子が産まれてきてくれた事が、イリヤスフィール(わたし)は嬉しくて堪らなかった。本当なら……、幸せにしてあげたかった」

 

 イリヤは涙を零しながら言った。

 

「……今更だって事も分かってる。一度はシロウと一緒に殺そうとしたんだもの。だけど、時が経つに連れて、彼女の母親と意識が重なって……、なんて酷いことをしたんだろうって……」

「お母さん……」

 

 イリヤは大きくなったお腹を抱きしめるように手を回しながら言った。

 

「シロウ。わたし達、間違ってた」

「イリヤ……」

「何があっても、この子の味方をしてあげなくちゃいけなかったの。だって……、母親なんだもの」

 

 その姿はとても弱々しくて、今にも折れてしまいそうだった。

 

「シロウ。少しの間でいい。この子が産まれてくるまで、ここに居て欲しい……」

「……ああ、分かったよ」

 

 安心したのか、それとも泣き疲れたのか、イリヤは再び眠ってしまった。

 

「母親か……」

 

 アリーシャを見ると、彼女もオレを見ていた。

 

「アリーシャ」

「なに?」

 

 謝って済む事じゃない。

 だけど……、

 

「すまなかった」

「……お父さん」

「オレは自分を曲げられなかった。お前に辛い人生を送らせておいて、また、イリヤを置き去りにした」

「酷い人だね……」

「ああ、まったくだ」

 

 クスリとアリーシャは微笑んだ。

 

「わたし、お父さんの事が大嫌いだよ」

「……ああ」

「だから……、今度産まれてくるわたしには、お父さんの事を大好きと思わせてあげて」

「アリーシャ……」

「娘としての、一生のお願い……。わたしは、お父さんとお母さんを愛したかったから……」

 

 涙を零すアリーシャの肩を遠坂がそっと支えた。

 責めるような目で見てくる。分かっている。向き合う時が来たという事だ。

 

「……ちゃんと、父親になるよ」

 

 イリヤを置き去りにしたのも、本当は逃げていただけなのかもしれない。

 己の罪の重さから目を背けて、楽な方に進もうとしていただけなのかもしれない。

 もうすぐ、目の前にいる娘が産まれてくる。一度は不幸のどん底に落としてしまった。二度も同じ轍を踏むわけにはいかない。

 

「必ず、家族を幸せにする。約束するよ」

「……うん」

 

 そして、一週間が過ぎた。

 病院で、元気な産声が響き渡る。

 イリヤそっくりな女の子だ。その無垢な顔を見た瞬間、オレは本当の意味で己の罪を理解した。

 これが父親になるという事。この小さな存在を守る事こそ、己の最大の責務であり、この子を不幸にする事だけは絶対にしてはならない事だ。

 ましてや、この子を殺すなど……、

 

「あっ、ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああ!!」

 

 病室である事も気にしていられなかった。

 湧き起こる感情をひたすら叫び声に変えた。

 オレは……、間違えていた。

 

 ◇

 

 お父さんが赤ん坊(わたし)を抱いている。

 涙を零しながら、心底愛おしそうに……。

 

「良かった……。ちゃんと、愛してくれてる」

 

 わたしの得られなかったもの。

 彼女はわたしが経験した事を知らないまま、わたしが経験しなかった事を経験して、大人になっていく。

 それが、堪らなく羨ましい。

 

「アリーシャ」

 

 リンが呼んでいる。

 わたしは名残惜しく思いながら、病室の窓から視線を逸した。

 

「……あの子だけじゃない。アンタも、これから幸せになるの」

「リン……」

「とりあえず、予定していた温泉旅行に出発よ!」

 

 わたしがあの子の得られる幸せを得る事は永遠に無い。

 だけど、わたしにはわたしの幸せがある。

 目の間にいる、最高の友達との絆。これだけは、きっと彼女も得られない。わたしだけの幸せ。

 

「うん! 行こう!」

 

 いつか、わたしの罪が裁かれる日が来るかもしれない。

 いつか、リンとの別れの日が来るかもしれない。

 それは避けようのないもの。だけど、それまでは……、

 

「ずっと一緒だよ、リン!」

「ええ、逃げようとしても、逃さないわよ、アリーシャ!」

 

 どんな終わりを迎えても、わたしと彼女の歩む先はきっと幸福なものに違いない。

 それだけは確信出来る。

 

 [END]




・あとがき


ここまでのご愛読、ありがとうございました。
今回は、Fate/Grand Orderをプレイしていて思いついてしまった人造人類悪設定を使ってみたくて書いてみました。
あと、メアリー・スーと呼ばれるような主人公で一度書いてみたかったのもあります。
感想でも指摘された通り、もう少し掘り下げても良かったかもしれないな、と反省しておりますOTL
ただ、士郎に対してアンチテーゼな感じになってしまい、書くのが辛くなってしまいまして……。
士郎がアリーシャの味方になるルートも考えてみたのですが、それだと本気で救いのないBADENDにしか行かなかったのでこうなりました。



こちらはアリーシャのステータスになります(活動報告で上げたモノの加筆版)。なんという、メアリー・スー。
ちなみに、彼女の本当の名前はシロウです。さりげなく、彼女の母の方のイリヤが死に際に名付けています。
タグのシロウルートの意味は、凛の視点でシロウ(アリーシャ)ルートであり、イリヤの視点でシロウ(士郎)ルートであり、アリーシャの人生が正義の味方(シロウ)に至る道筋(ルート)であるという意味です。

《キャラクター詳細》
真名:無銘
本来の名前:シロウ
凛が付けた名前:アリーシャ
クラス:アーチャー
身長:158cm / 体重:54kg
属性:秩序・善
性別:女性

《ステータス》
[初期]筋力:C+ 耐久:D 敏捷:B 魔力:A 幸運:E 宝具:不明
[霊基再臨ⅰ]筋力:B+ 耐久:A 敏捷:B 魔力:A 幸運:E 宝具:EX
[霊基再臨ⅲ]筋力:EX 耐久:EX 敏捷:EX 魔力:A 幸運:E 宝具:EX
      ※霊長の殺戮者(悪)によって、彼女のステータスは変動する。

《クラス別能力》
対魔力:B 単独行動:C

《保有スキル》
[初期]千里眼:B 魔術:A 心眼(真):D 怪力:C- 
[霊基再臨ⅰ]
・ネガ・マリス:A
悪意を抱くモノに対する殺害権利。
……この世に一欠片の悪意も抱かぬ者などいない。
つまり、このスキルは悪意という概念を生み出した人類という種、すべてに適応される。

・自然の嬰児:A
世界の裡で生まれ落ちた嬰児たち。
たとえ天然自然の生物ではなく、人の手によって造り出された命であろうとも、時に世界は多くの祝福を与え得る。

・自己改造:EX
内にサーヴァントの魂を取り込む度、彼女の霊基は変貌を遂げていく。
七つの魂を取り込み、満たされた時、そこには……、

[霊基再臨ⅱ]
・単独顕現:B
単体で現世に現れるスキル。このスキルがある限り、彼女はマスターが不在でも顕現し続ける事が出来る。

・嗤う鉄心:B
精神汚染スキル。通常の精神汚染と異なり、固定された概念を押しつけられる、一種の洗脳に近い。
与えられた思考は《正義の味方》という理想の体現者の精神性をモデルにしている。

[霊基再臨ⅲ]
・霊長の殺戮者(悪):EX
悪意を抱く存在を対象として発揮され、対象よりも一段階強くなる特性が付与される。

《宝具》
[第一宝具]
宝具名:第八禁忌・人類悪(アンチ・アンリマユ)
ランク:EX
種別:対悪宝具
概要:一つの目的に特化した聖杯である彼女は、七体のサーヴァントの魂を取り込む事で完成する。
   人類を間引く為に作られ、ガイアによって肯定された彼女は、いずれ人類悪と呼ばれる存在に至る。
   未完成の状態でさえ、人間である限り、彼女に敵う者はいない。一部の例外を除いて……。

[第二宝具]
宝具名:擬・叛逆の騎士(クラレント・モードレッド)
ランク:A
種別:対人宝具
概要:燦然と輝く王剣(クラレント)を核に、聖杯が造り上げた、アリーシャの理想とするモードレッド。
   剣と騎士、二つの形態を持つ。


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