胡蝶の夢 鏡と笑顔と (ライフォギア)
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夢の2人

 見上げれば、澄んだ青空が良く見える。

 河原の土手に寝転んで、頭の後ろで組んだ手を枕にした青年がぼんやりと空を見つめていた。

 

 

「ねぇ、貴方、1人なの?」

 

 

 話しかけてきた声の主は青年の隣へと歩いて来た。

 その姿は、雑草が生い茂るこの場所では少々浮いているゴスロリ。

 黒いドレスを纏った少女は化粧も濃く、正にゴスロリのそれだった。

 

 

「……ああ」

 

 

 気の無い返事を返す青年だが、少女がその態度を気にする様子は無い、

 少女は「そう」とだけ口にすると、草がドレスに絡まる事もおかまいなしに、青年の隣に座った。

 

 

「おい、草とかつくぞ」

 

「別にいいわ」

 

 

 青年は少女に一瞬目をくれて忠告してみるが、少女は本当にドレスを気にしていなかった。

 既に地べたへ座ってしまった以上、もう何を言っても後の祭りだ。

 だったらいいか、と、青年は再び空へと視線を戻した。

 

 

「綺麗な空ね……」

 

「ああ……」

 

 

 少女も空を見上げていた。

 しばし空を見つめたまま、静寂と風だけが流れ続ける。

 そんな苦でもない、心地よいとすら感じる沈黙を破ったのは、ゴスロリの少女だった。

 

 

「ねぇ、貴方って笑えるの?」

 

「……なんだ、急に? しかも初対面で年上の俺にタメ口かよ」

 

「いいじゃない。どうせ此処では、そんなこと関係ないわ」

 

「……かもな」

 

 

 少女の言葉に苦言を呈すものの、『この場所』に関して言えばそれが意味の無い事だと知っている青年は、機嫌の悪そうな顔をすぐに普段通りの表情へ戻した。

 そして改めて、青年は質問の意味を問う。

 

 

「今の、どういう意味だ?」

 

「最初の印象から思ってたの。貴方、笑うの苦手そうだなって」

 

「……なんでンな事が分かんだよ」

 

「分かるわ。私は鏡だもの」

 

「なんだそりゃ」

 

「そのままの意味よ」

 

 

 少女の意味不明な発言に溜息を吐く青年。

 不思議な体験や非常識な事には何度も立ち会ってきたつもりだったが、どうもこの少女はその類らしい。

 ただの変人か、本当に深い意味が込められているのか、青年は知る由もない。

 だから青年は普通に、普段通りの自分で返す。

 

 

「笑うのは、まあ苦手な方かもな」

 

「やっぱり?」

 

「今の質問、何の嫌味だよ。俺の知り合いでももうちょい分かり易い嫌味言うぞ」

 

「嫌味じゃないわ。ただ、仲間だなぁって」

 

「仲間?」

 

「そ。私も、笑う事が分からないの」

 

 

 少女の言葉は儚げだった。

 冗談でも何でもない、心の底から「笑う事が分からない」と口にしている。

 青年は口下手で人の感情の機微にも疎いが、何となくそう思った。

 だけど「仲間」と口にした時の彼女が、何処か嬉しそうな声色だったのは青年の気のせいだろうか。

 

 

「そうかよ。だったら鏡に向かって笑顔の練習でもすりゃいいだろ」

 

「合わせ鏡になっちゃうわね。私が鏡に映ったら、何が映るのかしら」

 

「お前に決まってんだろ」

 

「どうかしら? 私は鏡……。偽物だもの」

 

 

 青年は気怠そうな顔で、少女へと視線をチラリと送る。

 そして察した。どうやらこの少女は、何かワケありな種類の奴だと。

 

 

「偽物ね……。意味が分かんねぇ」

 

「そのままの意味よ。私はある人の鏡で、そこに映ったコピーでしかないのよ」

 

 

 憂う表情の少女は視線を空から外して、地面へ向けた。

 偽者。コピー。

 青年には何の事なのか理解できないが、少なくともこの少女は自分がそれである事にコンプレックスを持っている事が分かった。

 

 

「なら、本物を恨みな」

 

「え?」

 

「お前はコピーなんだろ? なら、本物の方も笑うのが苦手だったって事じゃねぇか」

 

「……ううん、いつも笑ってるような子だったわ」

 

「はぁ? なんだそりゃ」

 

「言ったでしょ? 私は鏡。何もかも反対に映るのよ」

 

 

 ああ、それもそうか、と、青年は一瞬納得しかかってしまった。

 青年は普段なら、こんな意味不明な少女の相手なんかしない。

 けれども相手をしているのは、『こんな場所』で出会ったからか。

 他に人もいない、こんな場所で。

 

 

「じゃあ、何か反対じゃない部分を探せよ」

 

「え?」

 

「そうすりゃ、お前はただの鏡じゃない。簡単な事だろ」

 

 

 目から鱗だった。

 少女の中に、自分のコピー元は『目から鱗』という言葉を知っているのだろうかという不安が過るが、今はそれを考えないことにした。

 少女の顔に少しだけ光が差す。

 

 

「そっか。うん、考えてみようかなぁ、あの子と私で反対じゃないこと」

 

「まあ頑張れ。応援くらいはしとく」

 

「ありがと」

 

 

 お礼を言う少女の顔を見やった青年は、その顔を見て、小馬鹿にするような笑い方をする。

 青年の反応の意味が分からない少女はキョトンとした表情だった。

 

 

「なに?」

 

「お前、今笑ってたぞ」

 

「え、ホント?」

 

「ああ」

 

 

 空へと視線を戻した青年の指摘に、少女は驚く。

 自然に零れた笑みだったからか、気付いていなかった。

 自分が笑顔な事が嬉しくて、また笑う。今度は自分でも分かった。

 

 

(そっか、これが、楽しくて笑っちゃうって事なんだ)

 

 

 かつて叶えられなかった少女の想い。

 本物の自分に教えてもらった笑顔が、ようやく自分でもできた。

 それが心の底から嬉しかった。

 

 

「よかった、私、笑えたんだ……」

 

「……なんだ、夢でも叶ったのか?」

 

「夢?」

 

 

 少女の笑顔と言葉に、青年は疑問を口にする。

 ところがその疑問の言葉は、少女の中でも疑問となった。

 けれどその疑問は、少女自身が驚くくらいに早く、気持ちとして纏まった。

 

 

「……うん、そう、夢。楽しくて笑っちゃうとか、独りが寂しいとか、大切な人が大好きとか、そういう事を知りたかった。笑顔も、その1つだったから」

 

 

 少女は何も習っていなかった。

 そんな少女にそれを教えようとしてくれたのは、本物の自分だった。

 

 ――――『大丈夫だよ。きっとわかるよ。だって貴女にも、ちゃんと心があるんだから』

 

 そう言って、手を差し伸ばしてくれた。

 

 

「……夢ってのは、時々すっごい切なくなるが、時々すっごい熱くなる……」

 

「え?」

 

「……らしいぜ。俺の、仲間の言葉だ」

 

「ふぅん。だったら、その人は正しいと思う」

 

「……ああ。俺もそう思う」

 

 

 少女はその言葉が分かった。

 何も知らない、何も教わっていない自分が凄く切なくて。

 本物の自分と出会い、教えてもらった時、そして『大好き』の意味を知った時、凄く熱くなって。

 

 ふと、少女は興味が湧いた。

 夢についてこんな風に語る青年は、一体どういう人なのだろうと。

 

 

「ねぇ、貴方は? 貴方は何か夢があるのかしら?」

 

「……世界中の洗濯物が真っ白になるみたいに、みんなが、幸せになりますように……」

 

「なに、それ」

 

「おい笑うな。……ったく」

 

 

 自分でも少し恥ずかしかったのに、クスリと笑う少女の反応で完全に不貞腐れる青年。

 少女は知ったばかりの笑顔をすぐに戻して、青年へもう1つ問いかける。

 

 

「その夢、叶ったの?」

 

「……どうかな。少なくとも、それを託してきた」

 

「へぇ。自分の夢なのに?」

 

「いたんだよ。これからの世界を、頼める奴が」

 

 

 青年が思い返すのは、あの時の中で出会った仲間達の姿。

 

 お節介でお転婆で、自分に夢を教えてくれた少女。

 極度のお人好しの青年。

 いけ好かない奴だったが、生きる意味を見出していたアイツ。

 少し気が弱いが、迷いながらも決意を固めていった戦友。

 お人好しな青年にとって大切だった、命を散らせた内気な少女。

 普段はおちゃらけているけど、誰よりも仲間想いだったアイツ。

 優しいからこそ激情してしまったが、最後には一緒に戦ってくれた、最も大切な友。

 

 他にもいる。

 正義感の強い刑事と、そのパートナーの婦警。

 明るく軽い印象を受けるが、自己犠牲も厭わないカメラマン。

 クールでぶっきらぼうだが、仲間の為に奔走した時を駆けた青年。

 

 彼等の顔を1人ずつ思い出しながら、青年は空を見つめ続ける。

 

 

「……まあ、そういう事だ。……もういいだろ」

 

「もういい……? 何が?」

 

「見てみろ」

 

 

 青年の目線は未だに空を見つめている。

 青年を見ていた視線を空へと向けた少女の目は、空を舞う1匹の蝶を見つけた。

 青い、青空にも見紛うような羽を持つ蝶が、優雅に空を舞っている。

 その蝶――『モルフォ蝶』に、少女は目を奪われていた。

 

 

「綺麗……」

 

「あれが来たって事は、お前は時間なんだよ」

 

「時間?」

 

「……まあいい。お前は、もし生まれ変われるのなら何になりたい?」

 

 

 唐突な青年の質問にしばらく黙る少女だったが、『この場所』がどういう場所なのかを思い出し、その顔が腑に落ちたような表情へと変わった。

 

 

「ああ、そういう事……」

 

「分かったか」

 

「ええ」

 

 

 少女が理解した様子を見せた後、青年は上半身を起こした。

 同時に少女は立ち上がり、ドレスについた草を軽く払う。

 そんな少女の前にモルフォ蝶が舞い降りて、目の前でひらひらと舞い続ける。

 その蝶へ指を向けると、導かれるように、モルフォ蝶は少女の指にとまった。

 

 

「……そうねぇ、なりたい自分かぁ……」

 

 

 少女はしばらく目を閉じて考えれば、素直な願望がフッと頭に浮かんだ。

 少女は目をあけて、その素直な気持ちを口に出す。

 

 

「本物の、私のコピー元はちょっと勉強が苦手だったから、勉強が得意だと面白いかな。

 他にも運動ができたり、リーダーシップがあったり……あと、やっぱり美人だと嬉しいな。

 纏めると……上品なお嬢様、って言うのかしら? 丁度、あの子にはそういう友達もいたし」

 

「望みすぎだろ」

 

「いいのよ、夢なんだから。

 あとは……独りが寂しい事とか、大切な人が大好きとか、今の私が知らない事を、知りたいな」

 

「……そうかよ」

 

「あ、勿論、笑顔もちゃんとできないといけないわ。今の私ができたんだから」

 

「はいはい」

 

 

 呆れたような表情の青年を見やってクスリと笑った後、また笑えた事を嬉しく思いつつ、指にとまったままのモルフォ蝶へ視線を移した少女。

 少女は穏やかな目でモルフォ蝶を見つめながら、独り言のように呟いた。

 

 

「この蝶や、この空みたいな人になりたい。見た目より、心がとっても美しい人に」

 

 

 優しく、穏やかで、曇りなき鏡のように澄んだ願い。

 鏡である筈の彼女が持った、彼女だけの夢だった。

 

 

「……大丈夫だろ。そう考えてるならな」

 

「うん。……ねぇ、友達、できるかな?」

 

「さぁな。まあ、それは生まれ変わりがどうとかより、自分でどうにかするこった」

 

「そっか。じゃあ、頑張ってみるわ」

 

「ああ」

 

 

 モルフォ蝶は少女の手を離れ、何処かへゆっくりと飛び去って行く。

 少女は知っている。蝶の行く先こそ、自分の行くべき場所であるのだと。

 青年は知っている。蝶に導かれて、少女は行ってしまうのだと。

 

 

「ありがと。短かったけど、楽しかったわ」

 

「そいつはよかったな。まあ、しばらく此処には来るなよ」

 

「ええ。元気でね」

 

「ハッ、『この場所』で元気もへったくれもあるかよ」

 

「フフッ、そうね」

 

 

 蝶を追いかけようと、少女は青年へ背を向ける。

 蝶が向かうは、土手を下った先にある川。

 川の手前には網が張ってある。そしてその網は、人1人が通れるくらいの穴が空いていた。

 それが蝶の向かう場所。それが少女の向かう場所。

 一歩踏み出した少女だったが、二歩目を出す前に止まってしまった。

 そして少女は青年へ横顔を見せて、最後の質問を投げかける。

 

 

「ねぇ、貴方、名前は?」

 

「……別にいいだろ。どうせもう、会う事も無い」

 

「いいじゃない。聞かせてよ」

 

 

 いかにも面倒くさそうな雰囲気の青年。

 青年は溜息を吐きながら頭の後ろを掻きながらも、律儀にその言葉に答えた。

 

 

「巧……『乾 巧』だ」

 

「そう。私は……『ダークドリーム』」

 

「はぁ? それが名前か?」

 

「そう。フフッ、変わった名前でしょ?」

 

「変わりすぎだっつの。外国人でもありえねぇだろ」

 

 

 やれやれ、と、青年は再び寝転がり、土手の草むらに背中を預けた。

 少女は再び青年から視線を外し、蝶の目指す方向へと目を向ける。

 

 

「じゃあね」

 

「じゃあな」

 

 

 最後にしては短すぎるくらいの別れの言葉を交わして、少女は蝶の目指す方向を歩く。

 それきり少女は、青年の方を振り返る事はしなかった。

 土手に無造作に生えた草むらは、少女の通った後に道となっていく。

 

 

 そうして少女は、破れた網の中へ消えて――――――。

 

 

 

 

 

 夢を見ていた。

 自分のベッドから上半身を起こした少女。

 勉強が得意で、運動もできて、生徒会長で、見た目も美しい。

 『青木 れいか』は、今見ていた夢の事をぼんやりとした頭で思い出していた。

 

 

「楽しくて笑っちゃう……。独りが寂しい……。大好きな人が大切……」

 

 

 友達の顔が浮かぶ。

 とても綺麗で、とても純粋で、とても素敵な友達。

 

 友達といれば、楽しくて笑っちゃう。

 友達がいないと、寂しい時もある。

 大好きな友達が、大切。

 

 全部分かる。

 それに気づいて微笑むと、そんな笑った自分の顔に手を触れた。

 

 

「……今なら分かります。どうしたら、笑えるのか……」

 

 

 そうして最後に彼女は目を閉じて、2人の人を思い出した。

 1人は、かつて偽物だった自分にとっての、本物の自分。

 笑顔も、友達も、心がある事さえも、彼女から教えてもらった。

 今でも大切な、一番最初の『友達』。

 

 もう1人は、夢の中で出会った彼。

 話した時間は短かったし、何処かぶっきらぼうだったあの人。

 だけど、自分の言葉をきちんと受け止め、それに対して返してくれたあの人。

 夢――夢かも定かではないあの場所でであった、『友達』を。

 

 

「……ありがとう、『のぞみ』、乾さん……」

 

 

 そしてゆっくりと目をあけた彼女は、ハッと気づく。

 

 

「あ、え? 私は、えっと……そう、目が覚めて……」

 

 

 上半身を起こしている割に、目が覚めて上半身を起こした記憶が無い。

 まさか寝たまま上半身を起こしたのだろうか。

 疑問は湧くが、寝ぼけていたのだろうと自分を納得させた。

 そして彼女は気を引き締め直し、登校の為に支度を始めるのだった。

 

 彼女は今日も学校。

 素晴らしい友達のいる、笑顔の絶えない1日の始まりだった。

 

 

 

 彼女は、かつて鏡に映した少女と同じ称号を持つ戦士になった。

 同時に笑顔(スマイル)美しさ(ビューティ)の名前を持つ少女は、もう知っている。

 笑顔も、夢も。




モルフォ……ギリシャ語で『美しい』


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