車輪の下のC (一ノ原曲利)
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名無しさんとの語らい



ダークサイドマーズで蝶ははばたく





 

 

 

 P.D.0323。

 

 昔々、具体的には約300年ほど昔の話。『厄祭戦』と呼ばれた惑星間規模の大きな戦争があったそうな。『祭』の文字が入っているから、嘸かし賑やかだったのだろうと思うこと勿れ、確かに確かに賑やかではあっただろうが戦争は戦争、火花は飛び散り、銃火器は舞い、血飛沫が上がる、それはそれは『厄』の文字を冠するには相応しい、酷い酷い戦争だったのだとか。

 詳しい記録はあまり残ってないが、後の『ギャラルホルン』と呼ばれる組織によって『厄祭戦』は終結を迎え、地球圏は四分割された経済圏による統治を、テラフォーミングの賜物により人が住める環境を確保していた火星は各地区をその経済圏によって支配されているが、何処もかしこも凡ゆる利益の殆どは地球により奪われている。

 

 故に、貧富の差が激しく地球圏におけるスラム街はまだ優しい方だと言い切っても、過言ではない程だ。

 

 無論、民間警備会社『(クリュセ)(・ガード)(・セキュリティ)』が構える基地で最も近いクリュセ自治区でも、支配下に置かれている地球経済圏の一つアーブラウにより少なからず―――否、存在する住民の殆どは酷い生活を送っている。そして、その大半は年功序列を逆手に取った、力ある大人たちによって虐げられる幼き子供たちである。

 

 しかし、此処で一つ例外が存在していたりする。

 

 夜中、『CGS』の執務室に一人、子供がいる。

 いや、言葉の綾と言ってもいいが、外見年齢を鑑みれば青年ととってもいい。いずれにしろまだ成人には至っていない。

 此処数十年の火星の様相を見れば、ある程度は立場が確立した所謂お坊ちゃまやお嬢さまといった富豪か、若しくは最低限の生活と教養が保証された家庭でなければ文字を読み、その意味を解読することすら儘ならぬ御時世で、青年は迷うことなくキーボードをタイピングし、文字を打ち続けていた。

 

 

 

201 名前:名無しさん[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

つまり、もし盤石な組織の再編を行うならば内側からが望ましいと

 

202 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

まぁそうなりますね。盤石ってことはつまり、外面ではそれなりに影響力があるって訳ですから、外部から大々的に崩して再編を行うより、内部の構成員の意識とか、体制を見直した方がコストもリスクも少ない

 

203 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

まずは、手柄を立てて中枢に意見できる立場になることが望ましい

例えば、汚職を取り上げて組織内の評価を高めるとか

 

204 名前:名無しさん[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

なるほど、興味深い意見だ

 

205 名前:名無しさん[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

いや実はね、私も似たようなことを考えていた

考えてはいたんだが、どうしても他人の意見というものが聞きたくてね

 

206 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

確かに

独りよがりな見方は危険。考え方や思想の違った人と話すとまた別角度からのアプローチも見えてきますよね

 

207 名前:名無しさん[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

まさしくその通りだ。かといって同僚や友人においそれと相談できることじゃあない

こうした匿名性があって、冷やかしのない相談役が欲しかった

 

208 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

まぁ冷やかしさんは即刻BANしますからね。今時だと個人アドレスを変えるにも手こずりますし、そもそも違法ですし

 

209 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

前提としてそういう人は此処には来ないんで

 

210 名前:名無しさん[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

本当に悩める人だけが来る、か

なかなかいいサイトだな、ここは

 

211 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

褒めても何も出ませんよ

 

212 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

そういえば少し前にも名無しさん以外に相談来てましたよ

なんだか訳ありな人と、天然っぽい人と

あと、偉そうな人と

 

213 名前:名無しさん[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

ほう

 

214 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

前の二人は多分こっちの人っぽいけど、後の人はそっちっぽい

 

215 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

名無しさんは地球ですよねわかります

その割には地球の人らしくない考え

 

216 名前:名無しさん[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

よく言われる

そういうキミは火星の住民のような意見を持ち合わせているね。学校には通っているのかい?

 

217 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

はあ

まぁ

 

218 名前:名無しさん[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

歯切れの悪い反応だな

 

219 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

いえ

もし自分が社会人卒業してお腹のでっぷり肥えたおじさんとかだったら、どんな風に憤慨してたのかなと

そもそも自分の年齢言いましたっけ?

 

220 名前:名無しさん[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

いいや?

だがここ数年の付き合いだ、キミの考え方なり、思想なり統合していればまだまだ未来ある若さだと思っているよ。当たりかな?

 

221 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

肯定も否定もしませんよ、どうとでも捉えてもらって構いません

そろそろ落ちますね

 

223 名前:名無しさん[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

おお、あまりに遅くて図星で反応に困ったのかと思ったよ

おやすみ

 

224 名前:ローレライ[]投稿日:????/??/??(?)??:??:??:?? ID:??????

こっちとそっちじゃ少なくとも五分以上は時間差があるって知ってますよね?

落ちます

 

 

 

「なんだこの爽やかスタイリッシュ…」

 

 青年は立ち上げていたサイトを消し、深く溜息をついた。ギギッと、明らかに椅子とは異なる金属音を響かせた背凭れに体重を掛け、それが本人の気苦労の重さを示していた。ディスプレイをオフにして立ち上がり―――はせず、椅子の手摺りに備え付けられたレバーを引く。

 すると、椅子は自動的にテーブルから離れてなだらかな弧を描き、そのまま執務室の扉へ向かった。

 

 そう、青年が座っていたものは椅子ではない。暗がりではよく見えなかったが、青年は車椅子に乗っていたのだ。

 

 火星という決して贅沢のできない星での車椅子。勿論身体障害者への適応は一般の家庭にはされているが火星の貧民街における子供にそれが適応されるケースは皆無と言っていい。況してや『CGS』にいる下働きの子供は、明日の生活も保証されないものばかり。

 であるにも関わらず、青年は車椅子を巧みに操り執務室を出て、手持ちの鍵でドアを施錠した。

 

 そこに、一筋の光が差し込む。

 

「まぶしっ」

「え? シンヤ?」

 

 レバーを握っていない方の手で目元に照射される光を遮る。青年―――シンヤの声を聞いてライトの光力を緩めたのは、少しふくよかな肉体をした、帽子がトレードマークの青年。

 

「ビスケットか。見回りかい?」

「うん。執務室の方で少し光が見えたから気になって。またネット? どやされるよ?」

「大丈夫大丈夫。基本的にあの端末使ってるの自分だし、せいぜいデクスターさんに注意されるくらいだろう」

「またそうやって…いつか痛い目みるよ」

「ビスケットの忠告はいつも身に染みてるよ、感謝してる」

「本当はしてない癖に。あ、ライト持って。代わりに押すよ」

 

 ビスケットは苦笑いしながらシンヤにライトを渡し、背後に回ってハンドルを押した。キィキィとベアリングから小さく響く音が闇夜の廊下に木霊する。

 

「三日月は?」

「昭弘と鍛錬」

「相変わらずだねぇ、過度の運動も不十分な睡眠も体にはよくないぞ」

「それ、前にシンヤには言われたくないって三日月がボヤいてたよ」

「私は運動なんかしてないさ、ただ眠る時間が少なくても問題ない体なだけ。オルガは?」

「今日は見回りじゃないから、多分倉庫で寝てる」

「最近こっちも寒いからね、倉庫はあのMSがあるからあったかいし。そこ連れてっては貰えないか」

「ダーメ。一応シンヤには個室があるんだからそこで寝なよ」

「残念」

 

 そう思ってない癖に、とビスケットは苦笑しながら言った。途中、開けっ放しの部屋があり、シンヤがゆっくりとそこを覗くと寝相の悪い子供たちがぐっすりと就寝していた。

 その子供たちの、丁度首後ろには人間であればまず有り得ない突起物が隆起していた。明らかに人工的にかつ後天的に施術された痕跡である。

 それを見て、シンヤは思わず己の首後ろを摩った。

 

「…」

「どうしたの? シンヤ」

「いや、なんでもない…此処までくればすぐ近くだ、ライト返すよ。ありがとう、遅くまで見回りご苦労さん」

「あ、ああ、またね」

 

 ビスケットはそう言ってライトを受け取り、真っ暗闇な廊下に吸い込まれるように消えるシンヤの後ろ姿を見送った。

 その背中には、ビスケット自身や他の子供たちが施術した後とは異なる施術跡が見られた。それが、シンヤが車椅子に頼らざるを得ない原因であり、同時にそんな状態でも『CGS』に留まれる原因でもある。ただ、ビスケットには未だによくわからないことがあった。

 

「…シンヤは、なんで阿頼耶識の手術を()()()やったのかな」

 

 その疑問は、誰にも聞かれることなく溶けて、消えた。

 

 

 

 

 かつて、シンヤは『CGS』でもその若さとは裏腹に比較的上の立場にあった。それは一重に、年齢には見合わない知識の豊富さと勤勉さ、そして何よりも医師としては申し分のない腕を持っていたことだった。

 

 とはいえ資格を習得した、という程ではない。

 

 「怪我をしたならツバ付ければ治る」か「放っておけ」がスタンスであった『CGS』からすれば、シンヤの処置はまさしく医師そのものであった。

 足を擦り剥けば感染や化膿を考慮し消毒、骨を折れば後遺症が残りにくい処置を、事故で破片が体に刺さればメスや鉗子で取り除く。

 科学が発展しているため大抵はカプセル内におけるナノマシンによる治療(ケア)が常識ではあるが、弾除けにしか思われていない使い捨ての『CGS』の下っ端にそんな高級な措置が取られる訳がない。そういう意味でも、シンヤは『CGS』では有能な医師だった。

 当然、事故での怪我を負って優先して治療されるのは壱番組の大人たちであるが、シンヤは誰彼構わず重傷者から処置を下す。勿論シンヤ個人の独断に社長のマルバが頭を抱えることはあれど、ちゃんと治療している以上はある程度の謝礼も振り込まれる。

 それでも、相場の額には遠く及ばないが。

 

 そのシンヤが、ある日重大なミスを犯した。

 

 シンヤは当時、阿頼耶識の手術も担当していた。(マン)(・マシーン)(・インターフェース)である阿頼耶式は本来であれば無菌状態で専門家の手で行うのが最低限の被術者の生命が保証される条件なのだが火星ではその常識は通じない、なんの資格もない大人が勝手に阿頼耶識を幼い子供の背中に打ち込む。

 シンヤが手術を担当して以来、重い後遺症を残す被術者は格段に減ったが、その矢先にシンヤが()()阿頼耶識の手術を行ったのだ。

 

 実のところ、阿頼耶識の形成外科的手術を自ら行うことは不可能ではない。阿頼耶識埋込式ピストル型シリンジの銃口を目的の部位である脊髄に押し当て、後ろ手で持ち引き金(トリガー)を親指で引くだけで施術は終わる。

 ただし、これをやった人間は(おおやけ)にはではあるが存在しない。そんな試みを行おうとする輩自体がいないのだ。一般の手術における成功確率はおよそ三割。シンヤが来たことにより『CGS』内における成功確率は引き上げられているが、大原則として成長期の子供にしか受け付けられず、適正年齢を超えた場合は体がナノマシンを受け入れず、必然的に手術は失敗する。

 

 つまり、シンヤは失敗するとわかっていて阿頼耶識の手術を行ったことになるわけだ。

 

 ビスケットは『CGS』に入社して以来、先に入社していたシンヤとはそれなりに付き合いがあったため、彼が如何に慎重で賢いかは理解していた。

 ただ、独断専行で自ら阿頼耶識の施術を行なった理由だけはわからなかった。何度も、どうしてあんなことをしたのかと問い続けたが。

 

「あれは成功でもないけど失敗でもなかった」

 

 と笑いながら言い続けるのみで、終ぞその理由を問い質すことはできなかった。唯一そばに居た三日月は、何処か通じるところがあったのか納得したような仕草を見せ、雪之丞は困ったように目頭を押さえていた。

 

「…そういえば、シンヤはネットで何を調べてたんだ?」

 

 執務室がある方向を振り返るが、ドアはシンヤに施錠されている以上は調べられない。それに、いくらビスケットが字を読めある程度機械を弄れたとしても、ログを調べるのは幾ら何でも億劫だった。

 あとで本人に聞けばいいか、と自己完結し、ビスケットは欠伸を噛み殺して見回りを再開した。

 

 

 

 そうやって、いつまでも聞きたいことを聞けずにいる。

 

 車椅子の金属音だけは、暗がりの中で微かに響いた。

 

 

 

 

 

 

 





贖罪か、自己満足か

はたまた、別の目的か

真実を識るは、本人のみ




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依頼人への考察



将来についてわかっている唯一のことは、今とは違うということだ。

―――ピーター・ドラッガー






 

 

 

「シンヤくん、この案件見てもらえるかい?」

「んん?」

 

 後日、執務室でデータ整理をしていたら向かいのデスクからデクスターの声が掛かった。シンヤは僅かに肩を揺らしながら、デクスターの端末から送られて来たメールを読んだ。

 

「…護衛の依頼? しかも差出人のクーデリア・藍那・バーンスタインってクリュセ独立自治区の代表の娘さんの名前ですよね?」

「そうなんだ…どう思う?」

「どう思うと申されましても」

 

 端末の上から顔を出したデクスターの眼鏡が頼り無さげにずれる。依頼内容としては普通だが問題はその依頼先。一介の民間組織如きに依頼するくらいであれば、代表の娘の権力を行使すればギャラルホルンといった安全かつ強力な組織に頼んだ方がよい。

何よりも利益と結果が伴わない。とはいえ、

 

「代表に連絡…は下策でしょうね。普通に儲け話として受け取っておきましょう。マルバさんに話通しておいて下さい」

「いや、でもなんだって指名が参番組なんだろうね」

「…ウチの公式サイトって参番組はどんな紹介でしたっけ」

「『ドブさらい』『使い捨て護衛任務』『家事』『基本何でもやります』あと」

「あと?」

「『生きのいい年若く力の有り余った青年達』がメンバーの欄に書いてある」

「それはそれは、なんともそそる紹介だ」

 

 青年達。そう、青年達である。そしてCGSにおいては最も序列階級が最底辺にある使い捨ての人員。常に欠員と補充が行き来するのが日常茶飯事。

 ただし弾除け代わりとはいえ人間である。誰だって好き好んで死に行こうとは思わない以上、依頼主は何が何でも地球へ行きたいらしい。

 否、我が身可愛さに目の前の危機から逃げる壱番組よりは信用できるということだろうか。

 

「その紹介を読んで、その上で参番組を選んだ以上は、それが依頼主のニーズな訳ですからそのまま通しましょう。護衛は火星から地球までですから…ウチの小汚い輸送船『ウィル・オ・ザ・ウィスプ』に乗って頂いて、あとは地球までのルートを案内してくれそうな団体サマに依頼して」

「そうだね、その段取りでいこう。じゃあこの依頼は社長に通しておくよ」

「お願いします。こっちは参番組の連中呼びますので」

「頼むよ、何しろ期日が明日なんだ。準備は早いに越したことない」

 

 そう言って、デクスターはタブレットタイプの端末にデータを移して執務室を出て行った。

 

「…明日?」

 

 シンヤは端末に残っているデータを今一度確認した。依頼主はクーデリア・藍那・バーンスタイン。送信日は前日の夜。依頼期間は地球到着まで。

 

 開始日は、明日。

 

「…これは、恐らく親にも話通してないかな」

 

 少なくとも従士の一人は伴って来るようである、対象は二人と記載されていることから本人とあと一人。

 再度依頼内容を見て訝しげに画面を睨んだシンヤはキーボードに滑らかに打ち込み、ネットワークからクーデリアに関する情報を検索した。

 

 ノアキスの七月会議。

 

 地球圏で様々な勢力による独立運動を起こす切っ掛け―――と同時に、促進させるカンフル剤となった会議。活動家団体テラ・リベリオニスの代表アリウム・ギョウジャンの推薦により会議への出席を許可。

 クーデリアの目的は火星独立運動の推進。対し、親は若干反対の意見あり。当初は夢のまた夢かと思われたが、その言葉と演説から感じられる純粋さ、何よりも火星から失われた人としての尊厳の主張が耳を打つ。ドルトでは低賃金に喘ぎ苦しむ労働者の希望の光。

 

 ネット経由で送られる情報を監査して、簡易的なプロファイリングを行う。

 

「祭り上げられて、舞い上がったお嬢様? いや違うな」

 

 恐らく本当に実現できるのだと確信しているのだ、とシンヤは考えた。調べてみれば、幼少期に貧民街を訪れその現状をありありと綴ったレポートが提出されている。中途半端に世間を知りつつも、その全容は未だ見えてない。そんな印象を抱かせる人物だった。

 

 そこまで考えれば地雷になることこの上ない人物だった。親はかのギャラルホルンと密接な繋がりを持っている以上、最低一日であっても対応は可能だろう。CGS参番組が殆ど地雷の設置と撤去作業及びMW(モビルワーカー)の戦闘訓練以外に舞い込んで来る仕事がなくて基本的に暇であるように、ギャラルホルンもここ最近は火星に目立った騒動が見られないからである。

 

 最悪、CGS等という組織などギャラルホルンであれば武力で制圧、若しくは壊滅させるだけの力がある。親がその気になって命令してしまえば言葉の通りに実現するだろう。

 

「…自分だったらどうするだろうか?」

 

 ここでシンヤは自問自答する。もし自分がクーデリアの父であれば? 奪還して連れ帰る目の上の瘤を態々生かす必要があるだろうか。答えは否、多少のおイタどころでは済まないだろう。あるいは彼女の死という最高の演出によってあらゆる労働者の希望を断つことができるだろう。

 少なくとも、親に子への情があろうとなかろうとその恩恵に縋っている以上は容赦しない。

 

「くだらない…全部想像でしかない」

 

 思考を断ち切った。

 もしかしたらただの観光かもしれない。

 地球まで行くのは視察目的ではなく青き清浄なる世界を満喫する為であって、本当は親子共々了承済みであって、依頼が急なのは地球で予約している観光スケジュールの関係上仕方ないのかもしれない。ならば成る程ご指名が来てしまうのも無理はない。

 そう自己完結して、シンヤは端末から手を離しデスクの上にある一昔前の連絡端末を操作した。コールを掛け、数回してガチャリという電子音と共に年若い、無機質な声が響いた。

 

『シンヤ?』

 

 シンヤの目的の人物ではない。だが同時に見知った相手でもある。無論、気心の知れた仲ではない。

だというのに、まだ名乗りもしないで掛けてきた人物の名を断定する感性は空恐ろしい。

 

「やあ三日月、オルガはいるかな?」

『こっちにはいないよ』

「じゃあ…あのMS(モビルスーツ)が置いてあるところか。やれやれ、あそこに端末がない訳ではないけどコールで起きるかどうか。態々放送で叩き起こすのは気が引けるんだが」

『話は何? 仕事?』

「そう、参番組へ久方振りのちゃんとした仕事なんだ」

『それじゃ、オレがオルガ呼んでくるよ』

「それは助かる。よろしく」

『任せて』

 

 そう言って三日月は連絡端末を切断した。恐らく文字通り格納庫へ飛んで行ったのだろう。時たま、元気に走る三日月の後ろ姿を見ると自由に動ける足が羨ましく思える。

 確かに手術の失敗例の一つとして下肢の麻痺、最悪のケースとして首から下が動けなくなることまでは覚悟していたが、決してそれは臨んだことではなかった。

 

 そんな気がする反面、()()()()だとよくわからない確信を抱く。

 

 そう、何度目になるかわからない後悔と葛藤の狭間で揺れながら、シンヤは車椅子の車輪を弄り、また端末に視線を戻した。残りの業務を片付ける為に。

 

 

 

 

 

 



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車椅子改造計画



 仁義礼智

 忠信孝悌

 任侠、その心は




 

 

 

「おおシンヤ」

「ん?」

 

 施設内の廊下を車椅子でゆっくり滑りながら進んでいたら、シンヤの背後から声が掛かり振り向いた。

 言ってしまえば餓鬼と侮られる、だが手を掛けると手痛い反撃を喰らうに足る獰猛さを秘めた、野心ある眼に一瞬逡巡した。特に敵対しているわけでも不仲な訳では無い。ただ、野生の狼を匂わせるその風体は到底一組織の下っ端に据えられるには余る身分だと思えてシンヤは仕方がなかった。

 

「やぁオルガ。社長から話は聞いたかい?」

「あぁ、ミカを寄越してくれてありがとうな。危うく夜まで寝ちまう所だった」

「あはは、そんなことしたらまた壱番組の人たちにぽてくりこかされるぞ」

「ぽて…なんだって?」

「ぶっとばされるぞって意味」

「あぁ、違ぇねぇ」

 

 はっはっはと笑い合う。どちらも第三者から見れば自然体に違いない。オルガは本当に気心の知れた友人のように話し掛けるし、シンヤもそこは同様である。

 だがシンヤは未だに三日月に続いて眉一つ動かすことなく阿頼耶識の手術を受けたオルガのことが記憶に新しい。相手が年下だというのに、何一つ安心できない。

 無論、信用していないというわけではない。ただ、いざ対峙すると首の後ろの手術痕から走る痛みが看過できないのである。所謂、条件反射というものだろうか。

 

「これからおやっさんのところに行って持ってく装備の確認と手続きをしてこようと思うんだが」

「それはそれは。奇遇だね、私もちょっと雪之丞さんに用事があったんだ」

「そりゃよかった。押してやるから一緒に行こうぜ」

「身に余る光栄だね、よしなに頼むよ」

 

 シンヤはにこやかに答えるとオルガも苦笑して車椅子のハンドルを握る。MWの待機倉庫へ、オルガは車椅子を押し、シンヤは力を抜いた両手を膝に乗せて進む。

 

「…なぁ、シンヤ」

「なにかな?」

「なんでシンヤはもう阿頼耶識の手術をしなくなったんだ? いや、その身体になっちまったからってのはわかるけどよ…」

「ふむ」

 

 そう、一息ついてシンヤは思案する。

 それは真実を伝えるか、適当に誤魔化すか。

 シンヤは別段下半身が麻痺したところで手術が行えないわけではない。確かに立位を取ることは出来ないが手術台を一般よりも低い高さに設定すれば問題は無いし、助手も叩き上げのお手伝いが二、三人もいれば問題ない。

 

 だがそれはそれとして、阿頼耶識の手術を辞めたことはまた別にある。

 

「ま、流石にもう手術できないと言うには無理があるかな。現に私は現役だ」

「じゃあ何で」

「単純に〝もう充分だ〟と私が判断したからだよ。いや、もう辞めるべきだ、かな?」

 

 実のところ、阿頼耶識の手術を請け負わず、かつCGS内において阿頼耶識手術の禁止令を発布してマルバからは猛反発を食らっている。それが原因でマルバは今もシンヤと顔を合わせようとはしない。それでもまだCGSに留まらせているのは、一重に『医療費の削減』という使い勝手のいいヤブ医者扱いが出来るからだろう。

 マルバからすればうら若き青少年などという労働力は死んでしまっても使い潰しと補充が効く便利な人的資源だ。だが人を買うにも人を雇うにも金が掛かる。ならばくたばってしまうよりも治療という手段で少しでも長く使い回した方がまだ利益が生まれる。

 力のない餓鬼どもが歯車であれば、シンヤはその歯車を削り消えるまで直す整備士といったところだろうか。

 

「辞めるべき?」

「別にね、手術なんてしなくても人というのは真っ当に生きていくことができるものなのだよ。ただ、人は産んでくれる親を選んでくれなければ生まれる場所も選べない。そして力がない弱者は虐げられ、強い者に利用され、使い潰されてしまうのがオチだ」

「………」

「昔は阿頼耶識の空間認識能力の拡張が通常のMW(モビルワーカー)に対する戦術的な優先権の確保として、一人当たり十人分の働きをするからこそ重宝していた。でも人員としては恐らくこれ以上はいいんだ。それに」

「それに?」

「これからの子供達には、痛い思いをして異物を体外から埋め込まなければ生きていけない…そんな考えを、持って欲しくない。ま、執刀医の私が言うのもなんだがね」

 

 この言葉に偽りがないとするならば、シンヤが行なっている行為は偽善に他ならない。

 だがやらない善よりやる偽善。どうせ一度しかない人生を偽善一つで自己満足できるならば、少なくとも偽善一つで報われた気持ちになるなるば、その行いに善悪が問われようとも構わない。シンヤはそういうスタンスになったことによって手術の禁止令を発布した理由を伝えた。

 

「……シンヤは、よく考えてるな」

「思考を停止することが好きじゃないだけだよ。それに、案外何人も阿頼耶識の手術に手を掛けた仕打ちとしてこんな体になってしまったことにビビってやめたのかもしれないよ?」

「それこそ有り得ないな、シンヤはそこまで短慮でもねぇだろ」

「高評価に過ぎるかな? でも褒め言葉として受け取っておくよ」

「…俺も、もっと考えなきゃいけねぇかな」

「何を?」

「……いや、このままでいいのかと思ってな」

 

 心の中ではこのままでいいわけが無いと、分かりきっているにも関わらずオルガはその先の悩みを覆い隠すように前段階の疑問を口にした。だがシンヤは鋭かった。

 

()()()()()()()()()()()()…それはもうオルガの中で答えが出ている筈だよ」

「それは…」

「ま、具体的に何をするかとか、そういう危険な考えを摘発するとかはしないし聞かないから安心していいよ」

 

 民衆という生き物は例え組織や国政のトップが変わろうとも基本的に我関せずを貫くケイスが多い。何故ならばいくら頭が変わったところで自分たちの生活になんの影響もなければ、反対も賛成も存在しないからだ。関心がない―――所謂、無関心に該当する。

 

 だがここ(CGS)で、頭が変わることには大きな意味を持つ。はたから見ればクーデターと蔑まれようとも仕方のない蛮行だが、組織の一員をどう思っているかによっては天と地ほどの差が生まれる。

 

「願わくば、我等の未来に幸多からんことを」

「なんだそりゃ」

「幸せであることを願っている、ということさ。気休めだよ、真の幸福とは己が手で掴み取るものだ」

「…そうやってアンタも、何かを変えようとしているのか」

「私では力不足、いや役不足だね。ヤブ医者らしくカウンセリングはしているが結局のところお悩み相談が限界だ。でも万が一ここCGSの情勢が変化するとなれば、迅速に動けるよう準備はしているかな」

「そんときゃ、シンヤはどっちに付くんだ?」

「それは勿論」

 

 オルガの眼下で見えていたシンヤの頭がぐるりと回った。ミカに負けず劣らず無機質な瞳の奥で、妖しい光を瞬かせながら好戦的な笑みを浮かべている。

 

「私はいつでも力無き者の味方だ。弱者を虐げる強者に阿る心ほど人間として卑劣な事はない。強者を挫き弱者を扶くるを任侠という。人間の美徳である…昔の人の言葉だね」

「任侠ってなんだ?」

「困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるためなら何だってする考え方だね。そういうのは往々にしてメリットデメリットを考えない。有りの侭、心の赴くままに動こうとするものだよ」

「そいつは…いいな」

 

 任侠か、と。オルガは大事なものを貰ったかのようにもう一度その単語を呟く。その真意はシンヤにはわからない。分かろうとも思わない。理解する必要性がないからだ。

疾うにオルガの根底にある渇望は見抜いている。であるならば、これ以上の追求は無用というものだろう。

 

「おお、変わった面子だな」

「ヤァ、雪之丞さん」

「おやっさん」

 

 格納庫に着けば、金属製特有の甲高い音が足の動きと共に響いた。CGSの整備担当ナディ・雪之丞・カッサパである。

 変わった面子、というのは雪之丞の主観的視点限定という訳ではない。端から見れば理性的かつ利己的なシンヤと、度々壱番組から反感を買い反発を繰り返すオルガが並んで歩くというのは想像し難い。組織内における彼らの立ち位置は隔絶している。片や宇宙ネズミの下っ端、片や医師兼会計補助士。下肢の麻痺という欠陥持ちではあれど、後者が決して軽んじられていい立場でないことは明白である。

 それは両名本人とも思っている疑問ではあるが、別段本人同士特に啀み合う意味が見出せない以上、それを公言することは無粋である。

 年齢こそ上ではあるシンヤは、壱番組だろうと参番組だろうと態度に変化は存在しない。皆等しく平等に接している。オルガも、口先だけの目の敵にされている壱番組は気に入らないが、これと言って被害や危害、蔑ろにされている訳ではないのだから態々シンヤと敵対する必要性も存在しない。

 口で言うには易い関係だが、双方の心理的な食い違いから成り立つバランスは筆舌し難い。

 

「オルガは今度の仕事の手続きだよな。んでシンヤは…」

「ちょっと雪之丞さんに許可と手伝いをお願いしたいんだ」

「んん?」

「マァ、私の用事は後でいいから先にオルガの用事を片付けておくれよ」

「だとよ、んじゃ頼むぜ」

 

 

 

 

 

「あーあったあった。コレコレ」

「あぁ?」

 

 シンヤの平坦な声が響き、アイツ禁煙家だったなと思い至った雪之丞は止む無く義足で吸っていた煙草を踏み潰した。ヤブではあれど医師という立場上、百害あって一利なし、語るとなれば一晩明けるまで延々と垂れ流される煙草の悪質性を説くシンヤの心理はわからなくもない。

 

 だが大いに結構。

 

 好きなものは好きなもの。飲まず食わずでどうせ死ぬなら、多少の障害を抱えても死ぬまで好き勝手にさせろというのが喫煙者である雪之丞の弁である。

 

「おや、オルガはまだ居たのかい」

「もう確認は終わったから俺は一足先に帰るぜ、じゃあな」

「おう」

「おやすみ」

 

 聞かれたところで困ることでは無いだろうが、あえて席を外すのはオルガなりの気遣いだった。格納庫からオルガの姿が消えたのを確認して、雪之丞は改めてシンヤを見る。

 その、車椅子の後ろに括り付けてあるものを。

 

「シンヤ、おいそりゃあ」

「前に壊れたMWの一つ。これ貰っていいかな?」

 

 普通であれば多少の破損ならばパーツを交換する方が経費が浮く。だが各パーツにも時として需要次第では高騰するし、今回壊れたMWは以前の仕事で運悪く落盤事故に遭遇してしまい交換は不可、直すくらいであれば新しいMWを仕入れた方がまだマシなものであった。ちなみに中の乗組員であったシノはなんとかシンヤの手により一命は取り留めた。後遺症もなく、療養に一月は掛かると診断したものの一週間後には元気に飛び回っていたという。ヤマギ曰く軽いホラーを見た気分だったらしい。

 

「それ次の廃棄日に捨てようとしてたやつじゃねえか」

「そう。まぁ念のため差し押さえておいたものなんだけれど、一応ね」

「なんだってそんなものを」

 

 そんなものを――は、MWの本体全てを指しているのでは無い。先述車椅子にMWが括り付けてあると書かれていたが、より詳しく説明するならばMWの座席部分である。正確には壊れたMWの座席部分丸々一つをキャリーに乗せて牽引していた。

 その意図が、雪之丞には朧げながら読み取れた。

 

「…お前さんの阿頼耶識は使い物にならねぇって聞いたハズだが」

「まぁね。普通の阿頼耶識であれば適合年齢を過ぎてしまうと殆どの場合は失敗するし、私もよく足だけで済んだと自分の幸運に感謝してるよ」

「言ってろ…待て、普通の阿頼耶識だと?」

「おっと」

 

 思わず口走ってしまった単語を隠すように口を抑える。訝しげに睨む雪之丞をシンヤは猛獣を宥めるように手を振った。

 

「…社長には言ってないし、まだ憶測段階だけど私は阿頼耶識の力が使えない訳では無いんだ」

「…どういうこった」

「マァそれは追い追い話すとして、そんな訳だからこれMW貰ってもいいかな? そろそろいい加減手で動かすのは不便になってきたんだ」

「…あー、成る程な。別に構わんぞ」

 

 段々意図は読めた、雪之丞は半ば確信めいたものを抱く。そして、シンヤの口から飛び出た言葉は雪之丞の予測通りのものであった。

 残念なことに、とてもではないがまともな考えではないが。

 

「…ま、不可能じゃねぇなぁ。それで手伝い、か」

「話が早くて助かる。私一人でやるには時間がなくてね、出来ればヤマギにも手伝ってもらいたいところだけど流石に時間外勤務、雪之丞さんだと気兼ねなく頼める」

「俺には手当なしかよ」

「単純にヤマギよりも手際がいいから時間も短く支払う夜勤手当も少なくなるという打算」

「おめぇさん、見た目以上に腹黒いよな」

「お褒めに預かり恐悦至極にござい」

「褒めてねぇよ」

 

 ちょいちょいと手を招き、雪之丞が先導して作業場へ案内をする。同意を得たことを確認し胸中で小さくガッツポーズをしてから車椅子を動かした。

 

「そういやなんで急にそんな改造を?」

「前から不便だったことは愚痴ってましたよ?」

「その如何にも人間の体はパーツに過ぎないってスタンスの返答嫌いじゃねぇぜ…ってそうじゃねーよ。別に時間は掛かるかもしれんが阿頼耶識への理解はあり、且つそれなりに機械の扱いはお手の物のお前さんなら一人でもできるじゃねえか」

「ああ…ホラ、例のオルガの仕事で同行することになったものでね、なるべく両の手が空いていた方が仕事もしやすい。だから出来れば明日の晩までに完成を急ぎたいもので」

「同行って…こっちでの仕事は」

「この時期ならそこまで数来ることはないだろうってことでデクスターさんへ一任を」

「本当は?」

「社長曰く『視界の端に入って来るのがウザいから、暫く地球への護衛任務に着いてけ。一月も見かけなくなれば直視しても蕁麻疹は出なくなるだろう』」

「左遷じゃねぇか」

「そうとも言う、全く傑作」

 

 

 

 

 

 



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〝Male〟branche


このごろはやりの

噂のあの子





 

 

 

「フ――ッ」

「なんとか…できたな…」

「ありがとうダンテ、臨時収入として振り込んでおくよ」

「よっしゃ!」

 

 正午――太陽が丁度真上を向いた頃、シンヤの個室の一角でダンテは胡座をかきながらガッツポーズしていた。望外の臨時収入に小さな歓喜を隠せない、といったところだ。その周囲には基盤や工具などが散乱している。幸い、作業前に室内にビニールシートを敷いていたおかげで部屋そのものが汚れることはない。

 

「午前にダンテの手が空いていて助かった」

「いやまぁ師匠の頼みとあっちゃあ断れねぇよ」

「師匠とはまた大仰な」

 

 結局、昨晩は雪之丞と共同で車椅子の改造を終えることは叶わなかった。基本的に短時間の睡眠で全快するシンヤと異なり、主に肉体労働に従事する雪之丞にはある程度の十分な睡眠が必要不可欠。よって完成には至らなかったが、それでも車椅子とMW(モビルワーカー)の融合のおおよそは形になっていた。あとは力を必要としない電子系の調整と阿頼耶識との接続だったため、CGSの中でも技術者としての腕は保証されたダンテに仕事として依頼した。

 

「しかし師匠、実は阿頼耶識使えたのか」

「本当に使えると分かったのは最近だがね。それでもどこまで使えるかは、もう少し実験データが欲しかったんだが」

 

 師匠、というのはダンテが勝手に付けた敬称である。CGSの中でも、元々年上であることを気にしていた一人であるダンテはシンヤをどう呼んだらいいか答えあぐねてきた。そこで、電子系列に興味を示していたダンテに機器系統の手解きをし始めて以来、ダンテはシンヤのことを師匠と呼ぶようになった。シンヤが強要した訳ではないし、ダンテ本人が好き好んで呼びたがっている以上は無下にはできない。

 そもそも、シンヤに名前程度で恥じらいを感じるほどの繊細さは持ち合わせておらず、ただ〝匠の師〟と呼ばれるには過ぎた身だと感じているのみ。

 

「肩貸すぜ」

「すまないね」

 

 工具を纏めて片付けていたシンヤは私室に置いてある普通の椅子に腰掛けていた。肝心の車椅子は改造に出しているため座れない。そのため、昨晩は雪之丞に担がれて私室へ投げ込まれていた。

 シンヤはダンテの肩を借り、作業していたデスクに手をついて漸く立ち上がる。だが当然、手術の障害として患った下肢の麻痺により十分な直立はままならない。そんなバランスのまま、危なげなく車椅子へ乗り移り二人は息をついた。そしてダンテの視線がシンヤの手元にある機器に移る。

 

「それがさっき作ってた」

「そうだね、キミらがよく使うピアスの、少し作り変えたものだ」

 

 それは従来のMWに乗る際につけるピアスの、小さなサイズに縮めたものだった。だが唯一異なるのは、ピアスに1mに満たない長さのケーブルが繋がれていることである。

 

「本来であればMWにこのピアスと接続するためのプラグが備え付けられているはずだけど、見た目だけでも一般の車椅子に見せたいがためにそのコードは取り外してしまった。でも車椅子の背もたれをわざわざ長くしてまで首元の阿頼耶識に届かせるくらいであれば、備品として別にプラグを用意してしまえば事足りる」

「師匠お得意の縮小化ってやつか」

 

 こと、シンヤには無駄の排除に尽力している。その一環として既存の機器の縮小化による利便性の向上が挙げられる。無論、何でもかんでも小さく作ればいいという訳ではないが、今回の車椅子の場合は人目に晒される機会が多いため、なるべく阿頼耶識による操作で動いていることは隠しておきたい。

 CGSのメンバーは知らないが、阿頼耶識という技術はこれから向かうであろう地球では否定された技術である。人徳や倫理観に囚われ保守的な思想を守ろうとする彼かの星では、生理的に阿頼耶識の技術を受け付けない風潮があることを知っている。よって、一般的な車椅子とはあまり変わらない形で仕上げることとなった。

 

「まぁ私の髪は長い上にケーブルは黒だから、早々バレることはない。それに、ほらこの通り」

「うわっ動いた!」

 

 首元の阿頼耶識に取り付けた瞬間ケーブルが一瞬生き物のように震え、それから蛇のようにグネグネと蠢いた。先端の端子が様々な角度から浴びた光が反射して鈍色に輝く。

 

「阿頼耶識とは凄い技術だな、間違いなく頭おかしい科学者が一周回って生み出したキチガイテクノロジー」

「それは否定しねぇけど、その技術のおかげで俺たちは食っていけるんだぜ」

「ま、キチガイテクノロジーも使いよう、か」

 

 技術によって被害を被る人がいれば、技術によって助けられる人もいる。どんな技術も適切な人に与え適切に使うことが肝要ということだ。それが技術を生み出して逝った者への最大限の礼儀である。

 

「よし、繋げるか」

 

 プラグの金属部分に触れないように掴み、MWの仕組みが搭載された車椅子の窪みへ差し込む。一応プラグは動かすことができるがまだ始めてでありある程度の〝慣れ〟が必要だった。そのため、最初である今回は目視で挿入する他なかった。

 接続した瞬間、プラグを伝い脊髄に痺れが走る。それはそのままダイレクトに脳に送られ、車椅子の機構の情報が一気に流れ込む。

 だが、其処まで苦しみは少ない。寧ろ詳らかになる機構の情報量が少なく感じられ、シンヤにはやや物足りなさが募る。

 

「師匠? 大丈夫か?」

「―――はっ」

 

 ダンテに声掛けられてシンヤの意識が現実に引き戻される。車椅子に深く腰掛け、首がやや前傾姿勢に折れ曲がっていたことから漸く己の意識が少しばかりトんでいたことに気付く。だがふらつきや意識の混濁は皆無であった。

 

「大丈夫だ」

「ホントかよ…って、おお! 動いてるぜ師匠!」

「ん? オォ―――」

 

 車椅子が、手を使わずして勝手に動いていた。依然として両足に動けるという確信は抱けないが、車椅子の車輪は確かにシンヤの意思の通りに、阿頼耶識を伝い動いていた。

 元来、MWは四つの車輪に二つの銃口を阿頼耶識を介して操っている。ならばその簡易版であり、かつMWと酷似している車椅子ならばできるのではと推測していたシンヤの考えは正しかった。脳への負荷もなく、わざわざ手で車輪を動かすことなく自由自在に私室内を走り回れる。

 

「どうやら、成功のようだ」

「やったじゃねぇか師匠!」

「これで自由に両手を使えて助かる―――そうだ、ダンテ。これの名前を付けてみないか?」

「名前?」

「本来なら雪之丞さんにも意見を請いたいところであるけど、生憎彼は忙しいからね」

「俺なんかでいいのか?そうだな…名前…名前か……」

 

 ダンテは少し考えるようにして、

 

「………マーレ」

「マーレ?」

「あ、あぁ…なんとなく浮かんだ言葉なんだが…」

「よし、ではこれからこの車椅子はMale(マーレ)だ」

「そ、そんな俺が適当に考えた名前でいいのか?」

「善い善い。そもそも名前など初めに見つけた人物の名前か、或いはその人物が直感で思い浮かべた単語だ。エイハブ・リアクターだって発明家エイハブ・バーラエナ氏の名前から取っている」

 

 片付けた工具にあったドライバーを手に取り、車椅子の肘掛けの部分にM.A.L.Eの文字を克明に刻む。こうして、シンヤの考案により生み出された車椅子は『MALE』という名を得た。

 

「ま、師匠がそれでいいならいいか。俺はメシに行くぜ」

「手伝いありがとう、お疲れ様」

「おう! また頼ってくんな」

 

 そう言ってダンテはシンヤの私室を出た。その手には作業の際に出たゴミを包んだブルーシートが握られており、シンヤは苦笑しながらそれを見送る。そうして、一人だけになった部屋の中でキィキィと戯れに車輪を動かし、

 

 e vidi dietro a noi un diavol nero correndo su per lo scaglio venire.

 Ahi quant’ elli era ne l’aspetto fero!

 e quanto mi parea ne l’atto acerbo,con l’ali aperte e sovra i piè leggero!

 L’òmero suo, ch’era aguto e superbo,carcava un peccator con ambo l’anche,e quei tenea de’ piè ghermito ’l nerbo.

 Del nostro ponte disse: “O Malebranche,ecco un de li anzïan di Santa Zita!

 Mettetel sotto, ch’i’ torno per anche a quella terra, che n’è ben fornita:

 ogn’ uom v’è barattier, fuor che Bonturo;del no, per li denar, vi si fa ita”.

 Là giù ’l buttò, e per lo scoglio duro si volse; e mai non fu mastino sciolto con tutta fretta a seguitar lo furo.

 Quel s’attuffò, e tornò sù convolto;ma i demòn che del ponte avean coperchio,

 gridar: “Qui non ha loco il Santo Volto!

 qui si nuota altrimenti che nel Serchio!

 Però, se tu non vuo’ di nostri graf,non far sopra la pegola soverchio”.

 

 

 小さく、歌劇の一歌を口ずさんだ。それは奇しくも、名付け親とその名に少なからず関わりを持つ一つの歌。

 今や、地球でさえもあまり聞かない歌劇の一つ。

 それをシンヤが何故知っているかはさておき。

 

「此れはなんとも興味深い因果だ。然らば、このプラグはFarel(ファーレル)かな。さて、貴女はどちら様で?」

 

 左右のホイールがそれぞれ違う方向に走り、くるりと180°景色が入れ替わる。シンヤの私室のドアには、眩い金色の髪を持つ可憐な少女が戸惑いがちにシンヤを見つめていた。

 

 

 

 

「あ、いえ…」

 

 唐突に訪問したのは少女の筈なのに、さも当然のように声を掛けるシンヤの声音に少女の方が思わず戸惑った。

 

「は、初めまして…クーデリア・藍那・バーンスタインです…」

「これはこれは、どうも丁寧に」

 

 かっくりとシンヤの首が30°に曲がる。一応、例のつもりではあるが首の付け根は見せないように配慮しての角度だ。

 それに応じた少女――クーデリアも慌ててお辞儀をして、流れるように右手を差し出してきて―――其処で、虚空を彷徨った。

 

「ん? あぁ握手ですか。ちゃんとした社会人の対応ですね」

 

 シンヤはそれを躊躇いなく握った。するとクーデリアが何故か酷く狼狽えていた。ガラにもなく解せないという感情がシンヤの中を占める。

 

「どうしました?」

「ぃ、いえ…さっき、三日月には断られてて…それで…」

「あの子また何を言ったのやら…因みに聞いても宜しいかな?」

「……対等じゃない、って言われて…」

 

 

 絶句した。

 

 

 凄い。何一つ言い返せない。

 開けてびっくり玉手箱とは言ったものだが、一目見てクーデリアが持つ独自の価値観とCGSの少年たちの、特に三日月が持つ主義主張が全く噛み合わないのは至極当然のように思えた。自己弁護も甚だしいが、慰めることぐらいはできるだろうと適当な落とし所を見つける。

 

「…まぁ、入りなさい。従者さんには私から連絡を付けておこう」

「あっ、あの! それで」

「どうかしました?」

 

 首を傾げつつ、うっすらと笑みを浮かべて発言をし易いように促す。その効果もあってかクーデリアはホッとしたように一息ついて、落ち着いた声で、

 

「それで、貴方の名前は?」

「シンヤです」

「下の名前は?」

 

 その言葉に思わず息がつまる。最近までこのような社会人の鑑のような対応が無かったことと関係しているが、実際には違う。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()を、()()()()()()()()()()()()()()()という、僅かな嫌悪感が生み出した躊躇いだ。

 

「…()()()()()()()。シンヤ・ギーベンラートです。以後お見知り置きを」

「覚えましたわ。ねぇシンヤさん、先程の歌は何!? とても綺麗な歌でしたわ! 歌もですが、声も澄んでるのですね! もっと聞かせてください!」

 

 存外杞憂だった。

 

 そして穴があったら入りたかった。

 

 

 

 

 

 



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開幕のガン・パレヱド



撃鉄の幕開け

彼のせんじょう





 

 

 

 それは突然来た。

 火星の夜。静寂の暗闇を引き裂くように照らす照明弾。間髪入れずに遠くから唸るように響く機械の駆動音。

 デスクで作業をしていたシンヤは飛び跳ねるように部屋を出た。すぐさま襲撃が行われている方角に最も近い窓に張り付き、デスクから引っ掴んだスコープとインカムを片手に〝敵〟の存在を視認する。

 攻防を繰り返すMW隊。明らかに過剰とも言える止まない砲撃。

 土煙から飛び出した一機から、組織の象徴たる刻印が目に入る。マイクを口元に近付け、声を張り上げた。

 

「ラッパを吹く獅子と七つ星の星条旗を確認、敵の正体は『ギャラルホルン』! 繰り返す、敵の正体は『ギャラルホルン』!」

『ギャラルホルンだと!?』

『何だってそんな連中がウチに!?』

『口より先に体動かせェ!』

 

 館内放送に施設内の団員が慌ただしく叫び始める。外していたインカムを取り出して付けると回線を開き、各部の現在の状況を把握する。数十人分の声が飛び交うが、シンヤはその全員の声と名前、そしておおよその現在地と状況を掴む。

 

『撃て撃て撃て撃て撃『バカヤロウそんな近付いてんじゃね『三機目仕留めたぞォ! って数多す『ダメだ弾数が足りないッ!『痛ェ! ックショウ前輪やられたァ!』

『襲撃は!?『正面からだ、裏口からなら逃げら『おい、アイツ等に何て説明すんだよォ!『挟撃作戦とでも言って適当に誤魔『社長!早くこれに乗ッ『このウスノロがッキリキリ動けネズミ共ッ!『何やってんだ早く行『アホ! 通信切っとけヤツに傍受されるぞ!』

 

 ―――選択的注意の一つとして、大衆の中から特定の声を聞き分ける『カクテルパーティ現象』と呼ばれるものが存在するが、シンヤの場合はこの選択的注意を一括し数十人分を並行処理して情報収集している。かの地球で、旧時代に名高い上宮王(かみつみやおう)も、数多の発言を一語一句聞き漏らすこと無く聞き入れ、理解したという。

 応急処置セットを膝上に置き、車椅子を阿頼耶識を用いて走らせながら、通信チャンネルを切り替える。

 

「オルガ!」

『シンヤか! 負傷者の手当てを…いや、その前に別件頼めるか!』

「何!?」

『壱番組が逃げ出すってビスケットが言っててな、格納庫にあるウチの照明弾を』

「積めってか」

『流石シンヤ話が早い!』

「請け負った!」

 

 偶然にも、シンヤが今現在走っている位置はCGSの裏口に繋がる通路への入り口に近かった。車椅子を走らせて間も無く格納庫に着くと、人間大の大きさの箱に敷き詰められた数発の照明弾と、それを発信させるリモコンが備え付けられていた。転がっていたワイヤーで箱と車椅子を繋ぎ、リモコンを懐にしまい再び走り出す。

 

「うおっ、凄い馬力だ!」

 

 見掛けは車椅子であるが、雪之丞とシンヤの改造によって車椅子は通常のMWに勝るとも劣らない馬力を得ていた。ただその速度が反映されていなかったのは今まで〝この速度が限界だ〟という既存の常識に当てはめたら意識で走らせていたからであった。阿頼耶識は良くも悪くも使用者本人の資質に左右されやすい。その一端を掴んだ。

 ギャリギャリと耳障りな金属音と共にホイールが回転して格納庫を突っ走る。すると裏口から出るであろう一団に遭遇し、丁度偶に話すトドと出会った。

 

「トドさんはいこれ!」

「うおっシンヤかよ驚かせんなってー! って、何だコリャ」

「社長の資産の一部ですって! 積んどいて下さい!」

「おお、わざわざ運んで来てくれてありがとうな…ってお前も乗れよ! 死んじまうぞ!」

「私にゃ怪我した子たちを診なきゃいけないんでー!」

 

 上部の言葉だけだが心配をしてくれるのは有り難かった。その厚意を裏切るのは良心が痛む、と思いながら振り向くと朗らかな顔で手を振る悪い大人の姿が見えて思わず中指を突き立てた。

 廊下を走り抜け、クーデリア達が寝泊まりしていたであろう一室の前で呆然としているササイの姿を横目で捉えては後ろに流れて消えていく。自分でも吃驚のドライブテクニックでドリフトしながら廊下の角を何度も曲がり、タイヤがいつ擦り切れるかヒヤヒヤしながら視線を巡らせる。そして、走っている目的の人物と会った。

 

「ビスケット!」

「サンキュシンヤ!」

 

 すれ違いざまにリモコンを放り投げる。受け取ったことを確認するよりも先にホイールが加速し、襲撃を受けているであろう正面玄関へ移動する。

 

 次第に増えていく団員。悲鳴と叫び声。痛み、苦しむ声。

 

 膝上の鞄が跳ねるように開いた。長い髪を全部後ろに纏めてゴムで縛り、マスクを付け、ボトルから溢れた消毒液を両の手にぶちまけて消毒し、ビニール手袋を装着して叫ぶ。

 

「私が来た! 安心しろ全ての命を救ってやる! 要救護者の搬送こっちに! 動ける奴は全員手伝え!」

 

 予定外の仕事を終え、漸くシンヤはシンヤの〝戦場〟に辿り着く。

 

 

 ――さぁ、治療の時間です。本格治療を開始します、覚悟は宜しいですか?――

 

 

 シンヤの中で思考回路が完全に切り替わり、目の前の患者しか見えなくなる。意識の集中によりそれ以外の一切合切への意識がいかなくなるのが欠点だが、それは何時ものこと。

 腹部に突き刺さったMWの破片を取り除き、破れた血管と皮膚の縫合を済ませて包帯を巻き、次に移る。

 患者は次から次へと舞い込んでくる。シンヤは迅速な判断を下して処置し、それを延々と続けた。

 

「は、速え…」

 

 そして、

 

「すごい…」

 

 既に治療を受け、傍で休み、見守っていた少年たちはその速度に息を飲む。少し動ける彼等はシンヤの言う通り、いつも通りに重傷度が高そうな怪我人から順に並ばせ、車輪付きの担架に載せていた。シンヤが車椅子という固定された位置にいる以上はどうしても不自由という壁がある。そのため、満足に動けないシンヤの代わりに少年たちが上手く怪我人の位置を調整することで、手を伸ばして十分治療行為を行えるようにしていた。形容するならば、工場のベルトコンベアーだろうか。

 無傷であるはずのシンヤが次々に赤く染まっていく。それは単なる言葉遊びではなく、そして同様にシンヤの血ではない、怪我人の血だ。

 本来ならば衛生環境上感染を防ぐために清潔な状態で治療行為に取り組まねばならない。が、肝心な人員が不足し反比例して怪我人が多い以上、仕方のないことだった。

 

「次!」

 

 

 

 

 

 そうやって終わりの見えない治療を延々と続け、遠くで一際大きく、重厚な金属音が響いた。それから銃声と悲鳴が止み、静寂と陽光が差し込む。目の前から患者の姿が消えて漸く全員の処置を終えたことを知る。

 

「ハァ」

「お疲れ様です、シンヤさん」

「あぁ…ありがとう」

 

 目の前の視野が広がり、極度の集中状態から解放されてシンヤは一息ついた。血塗れの手袋を外し、労いの言葉と共にタカキから差し出されたボトルを受け取る。耳に掛かったマスクを引き千切り、ボトルキャップを外し、たっぷり入った水を一気に流し込んで乾いた喉を潤す。気管に入るほど喉頭蓋は衰えておらず、須らく食道を通り抜けて胃を満たし、次第に体内で水分が吸収されていきシンヤに発言の活力が戻る。

 

「労基守れ、スタッフ増えろ」

「おおっと、いつものシンヤさんらしくない口調ですね」

「私だって吐き出したい時は吐き出すさ。ストレスを溜め込むことは体に毒だ。勿論ストレスが無さすぎるというのも問題だがね」

「アハハ…いつものシンヤさんだ」

 

 実際、シンヤはよくやっている方だとタカキは確信している。それこそ、他に医療スタッフがいないにしても数を見れば明らかだった。

 

 浴びた血の数が怪我人の数であり、同時にシンヤを救った数だ。

 

 医療の知識があまりないタカキにはあまり口出しすることが、そもそも口答えすること自体あり得ない。シンヤがいてこそ最低限の医療体制が整っていると言ってもいい。それに誰が文句を付けられようか。

 

「タカキ」

「何?」

「誰が亡くなった」

 

 だから、シンヤのこういう問いは嫌いだった。治療は終わっているため長い髪を纏めていたゴムは外れている。やや俯き加減なこともあり完全に前髪で顔が隠れていて、どんな表情か伺うことができない。

 そんな中での問いが、タカキには重く感じられた。

 

「……シンヤさんは、全員治したよ」

「そうだな、私が処置した全員は、ね」

「……まだ、ちゃんとした人数とかは、出てないけど…少なくとも」

「少なくとも?」

 

 タカキが確認している限りの、亡くなった者の名を告げる。当然、その一人一人はシンヤが診察や怪我の応急処置を施した覚えのある名前ばかりである。

 その数はとてもではないが〝少なくとも〟に該当しない数だった。それだけ、手遅れで間に合わない怪我人が多過ぎた。

夜襲による見回りの狙撃から始まり、雨霰のように迫る砲弾、MWによる数の暴力、極め付けはMSによる蹂躙。中には死体すら確認出来ないほどにMWを潰されているものもあった。

 覚えている限りの全てを読み上げ、タカキはシンヤの様子を伺う。俯きがちの顔には手が添えられていて表情を確認することはできない。

 

 いや、タカキだって見たくなかっただろう。

 

「……そう、か」

「……シンヤさん」

「何かな?」

「シンヤさんには、シンヤさんがちゃんと救った人がいるんです。だからそんなに落ち込まないでくださいよ」

「ハッハッハ、これは一本取られたかな。まさかタカキに励まされるとは。そこまで分かり易く落ち込んでいたかね?」

「それはもう」

「私もまだまだだな、年下に情けない姿を。しかもタカキに、タカキに見られてしまうなんてね」

「なんで今二回も僕の名前言ったんですか!」

 

 シンヤの声に少しばかり活力が灯り、タカキは心の底でホッとしていた。

 人一人救うだけでもタカキたちからすれば大変なことなのに、それを何人もやっているのに肝心の本人が浮かばれないのは、どこか不条理を感じていた。

 シンヤはシンヤなりに頑張っているのに、それこそ死力を尽くして救護に当たっているのに何一つ本人が報われないのは、どこか理不尽に感じていた。

 だからタカキは、言葉を尽くす。話すだけでシンヤの心が晴れるならば、いくらでも投げかける。それはタカキだけでなくてもそうだろう。

 

「そうだぜ先生! 先生のお陰で俺たちまた仕事できるんだからさ!」

「ライド!」

「ハハハ、まるで社畜の塊だなキミは」

「社畜ってなんだよまた難しい単語ー!」

「よぅし、今度は言葉のお勉強でもしようか。そうやって馬鹿にされないようにね」

「主に俺たちをからかうの先生ぐらいじゃんかー!もー!」

「さて、お勉強の前に軽傷者の手当てといこうか。壱番組の生き残りさん達も怪我人いるだろうし」

「ゲェー! あいつらもやるのかよ先生人がよ過ぎ…」

「彼等は良くも悪くも自分一番ッ子だからねぇ。引っ張られるより先に、戦後処理の人手を増やすために弐番組、参番組の怪我人の応急処置を済ませなきゃね」

 

 ありがとう、そういってライドとタカキの肩をポンポンと叩いてシンヤの車椅子は走り出した。その後ろ姿は一人の立派な、男としての背中だった。それを見て、

 

「チックショウ…カッケェなぁ先生」

「やると決めたことをやってるからだよ、シンヤさんが格好良く見えるのは。さ、僕たちも仕事に戻ろう」

「おう!」

 

 

 

 

 

 



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下克上



おとなのみがって

抗うならば、その手に銃を






 

 

 

 

 

「え?睡眠薬?勿論あるけど」

 

 応急処置を終えたいいオトナの壱番組が悪態つきながらシンヤの私室――もとい、仮初めの医務室から出てから暫く、メモ代わりのカルテ云々を整理しているとオルガを筆頭に参番組の連中が来た。突然の、或る意味予定調和とも言える問い掛けにシンヤは嘘偽りなく答え、その返答にオルガ達は破顔した。

 

「貸してくれ!」

「返すのかい?」

「え」

「え?」

「…言い間違えた。それ、下さい」

「いいよ」

「「いいのかよ」」

「いいんだよ」

「いいんだ…」

 

 シノとユージンが顔を見合わせ、ビスケットは呆れたように相貌を崩す。ここで貸してくれなければ、シンヤを拘束してでも薬を手に入れなければならなかった。その手間が省けただけでも、体力面でも精神面でも安堵した。

 車椅子のホイールを滑らせて、薬が保管されている薬棚のガラス戸を開きながらシンヤは言う。

 

「本来であれば薬剤師免許を持ってる人でなければ調合や管理は難しいけれど、そこは気前のいい社長が最低限の種類の薬品を揃えてくれているからね。はいコレとコレと…コレ。ターゲットは勿論?」

「壱番組の連中だ」

「なら、この量で十分だね。それは注射用に既に希釈されているから、水で薄めなくても効果はある。基本的に無臭だけど。因みに今日の晩御飯は?」

「シチュー、だね。今妹たちとアトラが作ってくれてるよ」

「おや、そういえば今日は彼女達が来る日だったか。どれ、後で顔を見せに行くかな」

「…俺には?」

 

 シンヤの問いに答えたビスケットに睡眠薬が入った小瓶を渡す。一方でシンヤの立ち位置に最も近かったはずのオルガ本人は薬を手渡されない理由がわからず片眉を釣り上げていた。

 

 当然、理由はある。

 

「その前に、オルガ」

「あ?」

「いいから、座りな、さいっ、ハイ(痛い)ー!」

「うおっ!」

 

 とても車椅子に座っているとは思えない膂力で引っ張られ、直立していたはずのオルガは体勢を崩し一瞬、空を舞う。

 投げ飛ばされた先には椅子があり、臀部にジーンとくる痛みと共にオルガは自分が診察用の椅子に座らされているとわかった。

 

「全く開口一番に「睡眠薬あるか?」じゃないぞオルガ。まぁまぁこんなに殴られちゃって。あまり私の仕事を増やさないでくれ」

「はは、悪ィ…あイタッ!?」

「消毒だから染みたよ」

「それは事前に言ってくれよ…」

 

 消毒液に浸された綿球を、鑷子で挟んで傷口に押し付けながら、シンヤは小さく溜息をついた。

 

「ハァ…もう此れで最後にしてくれよ、連日怪我人を診るのは私も」

「流石に堪えるか?」

「いいやまったく。寧ろ()()が効かなくなってなりふり構わず誰彼問わず治療したくなる」

「うっわ、すげーワーカーホリック…」

「シンヤの健康指導はカンベンだぜ…」

「最近またお腹が膨らんでて…ハッ!」

 

 シノ、ユージンの両名には心当たりがあるようで軽く引いていた。たわわに実ったお腹を抱えるビスケットがオルガの処置を終えたシンヤの鋭い視線を感じて、思わず身が竦む。

 

「ビスケットくぅん? また必要以上にご飯食べたりしてないかなぁ?」

「あ、あわわわわ…悪い、ボクはこの辺で…」

「後で、建設的なダイエット計画を詰めようか」

「ヒッ」

「大丈夫。安心していいよビスケットくぅん、過程をオミットする確かな実績がある私の手にかかればシェイプアップした理想の身体が…あ、そうだオルガ」

「何だ?」

「デクスターさんは殺さないで貰えると有難い。彼、デスクワーク仲間でね」

「あいよ、他は?」

「殺ってよし」

「気持ちいいくらい爽快な返事だ」

 

 ビスケットの目が死んでいたのは余談である。

 

「…因みに四人とも、一つ質問いいかな?」

 

 瓶の蓋を開けて匂いを嗅ごうとするシノを全員で止めながら、背後から掛けられた言葉に振り向く。

 

「なんだ、シンヤ」

「何故私を襲撃対象にしないんだい? いや、痛い思いをすることも死ぬことも嫌だから御免被るけれど」

「なンだよ、そんなことか」

 

 シノが鼻で笑った。

 

「単純に今辞められるとオレ達が困るってだけだ」

「何度も助けてくれる命の恩人を無下にするほど俺ァ軽い男じゃないぜ? こないだはありがとナ!」

「ボク達がここにいる以上は体調管理を診てくれる人がいないと困るのも事実だしね。あっダイエットの話はまた次の機会にしてくれると…」

「ま、これはシンヤの人徳ってのもあるんじゃねぇかな。ユージンのコレは照れ隠しだ」

「んな訳ねぇだろ! 打算だ打算!」

 

 シンヤは感動も、激怒も、嫉妬も、何も抱くことはなかった。ただ、他者からの厚意は厚意として受け取っておくこととする。何故ならば、

 

「それはそれは、これからも頑張らせて頂きますよっと」

 

 シンヤは彼等を実験対象としてしか見ていなかったことも、一つの事実だからだ。

 

 

 

 

 

「ヤァ、地獄の職場へおかえりなさいデクスターさん。依頼の整理にします? 伝票の見直しにします? それとも退職金の決算? これ全部明日の朝までですけど」

「イヤだぁああああああああああ!!!」

「しかも社長には資産の殆どを持ち出されてウチの財政は火の車です。大変ですね大わらわですね」

「え、ちょ」

「ちょっと私さっきまで働いていたのでお休み頂きますね、まだ薬の入っていない晩御飯食べてないので」

「」

 

 絶句するデクスターから視線を外し、シンヤは車椅子を動かして執務室を出て食堂へ向かう。その道中、オルガ達に拘束されていた壱番組の連中がぞろぞろ重い体を引き摺りながら寝床へ戻っていた。恐らく次に退職金を渡すのが最後の顔合わせだろう。

 無論、退職するのは彼等だけではない。恐らく弍、参番組の中でも何人かは辞めていくと予想される。貴重な人的資源が減っていくことへの寂寥感、面倒を診る人数が減ることへの安堵感、様々な感情が泡沫のように浮かんでは消える。

 

 非情、な訳ではない。

 

 割り切っている、という方が正しい。

 

 人として当たり前の感情は持ち合わせているが、理性と精神が完全にそれらを二分にして掃き捨てている。シンヤにとって考えることは自由だが、思考という脳内における貴重なリソース資源の奪い合いでは実益を伴わない分野は排斥される。

 

「あっお医者さんだー」

「あーシンヤだー」

「ヤァヤァ。クッキーにクラッカー、また大きくなったねぇ。元気にしてたかい?」

「またそれー」

「いっつもそればっかだよねー」

「ごめんごめん、悪かったからぐるぐる回すのはやめて」

 

 ビスケットの双子姉妹たちがキャッキャキャッキャとはしゃいでいる。車椅子に座っていたシンヤはされるがままに姉妹たちの手で車椅子を振り回されていた。遠心力で頭がぐわんぐわん回っているのに酔う気配が無いのは単純な慣れの問題である。

 

「晩御飯あるかい? 実はまだ食べてなくてね」

「あるよーあったかいシチュー!」

「あるよークーデリアが作ったのー!」

「え? お姫さんが?」

「ええっ!? え、えぇ…実はその…」

「ほぅ。これはこれは…とても、大きいです…」

「あの! なんだかその言い方危ないのでやめて下さい!」

「どうしたんですか?」

「おや、アトラも手伝ってくれたのかい? いつも悪いねぇ、お礼に膝の上に座っていいよ」

「シンヤさんそればっかですよね…」

 

 ポンポンと膝を叩いているシンヤにやや苦笑い。昔はよくシンヤの膝の上に座るのが好きだったという赤裸々な過去を、昨日のように繰り返すシンヤに悪意はないのだろうが、アトラの前で見せる人間らしさには頭を抱えていた。

 

「もう! 子供じゃ! ないんですから!」

「それはそれは失礼した。ところで今日もあやとりやろうと思っていたんだが?」

「わぁ! 見たい、見たいです!」

「手懐けられてる…」

「お見事ですね」

 

 クーデリアとその従者・フミタンが頷いた。

 そこでぐるりと、シンヤの首が回りフミタンを視界に捉える。そして、

 

「おや、従者さん」

「どうも、はじめまして」

「シンヤ・ギーベンラートです。以後お見知りを」

「フミタン・アドモスです。此方こそ、宜しくお願いします」

 

 握手。

 この場においては何ら差し障りのない一風景ではあるが、二人だけはお互いに全く異なる解釈をしていた。

 

(アドモス―――調べた通りならばバーンスタイン家を隠れ蓑にした()()()()()()()()か。唯の護衛ではないな、目的は)

(ギーベンラート―――この人が。例の生き残り、そして恒久的人類資産)

 

 この時になり、漸く医者シンヤと従者フミタンの双方がお互いの存在を認知し、意図せずして同時に決定的な邂逅に至った訳だが、それがどんな結果を生むに至るのかはまだ不明である。

 

 

 

 

 

 



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過去の記録



トーテンコップは宇宙の暗闇から覗いている





 

 

 

 

 

「マクギリス? 何を調べているんだ?」

 

 ギャラルホルン火星本部 静止軌道基地『アーレス』にて、地球から派遣されてきたガエリオ・ボードウィン特務三佐は同僚であり、同時に幼少期からの友でもあるマクギリス・ファリド特務三佐の端末を覗き込んだ。

 それは今回の監査対象である時期とはかなり離れた、約六年以上も前の『アーレス』における記録である。

 

「余りにも早く監査が終わったのでな、少し此処での気になるデータを調べていた」

「有能過ぎる上官というのは訂正した方がいいかな?」

「それはこれを見てから判断して欲しい」

 

 それは、コーラル・コンラッド准将が『アーレス』に就任して数年、地球から火星へ向かう民間船の救出に向けた出撃任務の報告であった。

 

「民間船の救助要請に応じるとは、この時のコーラル准将はお人好しだったのか? 若気の至りか、または少しばかりの温情というやつか」

「そんな訳がないだろう。それより六年前の事件は覚えているな?」

「覚えているとも。ギャラルホルン技術開発局本部主任夫妻の突然の死、だろう?」

 

 当時ギャラルホルンの、特に上層部がかなり荒れていたことが記憶にある。実際に顔を合わせたことのない、あくまでもデータ上の顔と名前しか見たことがないガエリオであり、感覚としては近年ではあれど歴史の勉強で学ぶ一幕でしかなかった。

 しかしマクギリスは違う。

 

「アレは確か…故郷であるドイツの病院で急死したという話ではなかったか?」

「ところが、私が調べたところによるとその病院でそんな患者が入院していた記録はないし、ましてや夫妻二人共同時に死ぬのは、些かおかしいとは思わないか?」

「…片方が亡くなればもう片方が自殺するケースというのは夫婦にあるが…それは自殺という不名誉な死因を隠すためではないのか? 仮にもギャラルホルン技術開発局の長、ニュースにでもなればさぞかし騒がれるだろう。勿論悪い意味でだが」

「そうだな、一局員であろうとなかろうとそういう不名誉な報道は規制されている。だが彼等の報道に関しては色々と裏で隠蔽工作がされていたらしい」

 

 そう言ってマクギリスは端末から別の情報を表示した。それは地球から出発された、六年前の民間船に乗っていた乗客のリストとニュースで報道された死亡者のリストだった。

 

「此方に向かう前に調べたものと、ここ『アーレス』に残っていたデータでは、書き方や情報にそこまで誤差はないが決定的に異なるものがある」

「それは?」

「地球における報道では民間船の死傷者数と本救出任務における取って付けたような被害報告を挙げているが、こちらのデータでは民間船における生存者の有無のみが挙げられている。つまり、報道されていた海賊との交戦はでっちあげのデマだ。妙だとは思わないか? マスメディア向けの情報と軍の情報ではこうも違うものなのか? いやそうではない、単純にギャラルホルンでは目的が異なるんだ」

「目的?」

「ああ、ギャラルホルンは彼等夫妻の存命を第一に確認したかったのだ…()()()()()()()()()()()、確認するために。データによると遺体は発見されなかったため行方不明扱いされているが、この損傷具合を見ると存命は不可能だろう」

 

 当時残された画像データを参照するに、民間船の損傷具合は酷いものだった。物盗りや人的資源の強奪以前に、乗組員の殲滅という明らかな殺意を持って破壊されたものだとガエリオも気付いた。

 仮に賊に襲撃されたとしてもこうはならない。とすれば自ずと答えは見えてくる。

 

 ギャラルホルンが、襲ったのだ。

 

「民間船の機体番号を照合すると、それは民間船に用いるような一般的なメーカーのものではあったが、ある個人の購入による船であることが判明した。その人物はギャラルホルンからの休暇という任務で火星へ赴いていたのだが、運悪く火星へ向かう航路を彷徨いている海賊による襲撃で命を落とす…怪しいとは思わないか?」

「…ギャラルホルンから、暗殺命令が出ていたということか。それにしては手が込んでないか?」

「ああ、込んでる。逆に混み過ぎていて暗殺という画策ばかりが前面に押し出されるほど怪しい」

「どういう意味だ?」

「……ここからは私独自の解釈だが」

 

 マクギリスは一息つき、

 

「彼等は、暗殺されると分かっていてあえて策に乗ったのではないか」

「それはおかしいだろう、何故死ぬと分かっていて死地へ赴く。忠義と誇りある戦士としての生き様であれば素晴らしいが、彼等はただの開発者だろうに。そもそもギャラルホルンが暗殺する理由がない」

「ところが、彼等の死によってギャラルホルンが得することがあったんだ。ガエリオ、先日エイハブ・リアクターの話をしていたが、そもそも兵器や技術には付いて回るものがある。それは開発者の〝特許〟だ」

「〝特許〟…ああ、なるほど。だから六年前からギャラルホルンの資金が潤沢になった訳か。つまり彼等には自らが産み出した技術の〝特許〟があり、本人達が死んだことでギャラルホルンが横から掻っ攫っていったのか。如何にも上層部がやらかしそうなセコい手だ」

 

 つまり、彼等にはギャラルホルンという組織の中で数々の開発による特許を取得していたが、問題はその特許により得る莫大な利益がギャラルホルンでは無視できない規模にまで膨れ上がっていたのだ。

 

「組織から睨まれれば、流石の一局員でもわかるか。しかし地球を牛耳っているギャラルホルンの手からは逃れられない…だから、暗殺も受け入れたってか。皮肉なものだな、組織の為を思ってひたむきに開発に取り組んでいたのに、その組織の手で殺されてしまうとは」

「そうだな…恐らく、六年前の時点でギャラルホルンの腐敗の温床は其処彼処に散らばっていたのだろう。だがその一方で唯一、彼等は守るべきものを守れた。つまり、彼等の目的は達せられたと考えられる」

「守るべきもの?」

「彼等には、子供がいたそうだ」

 

 続けて、

 

「そして、この乗組員の名簿には記載されていない」

「…地球に、残ってるっていうのか?」

「いや、恐らくこの民間船に一緒に乗っていたのだろう。だが名簿には残っていない。そこで気になるのが積荷だ」

「積荷…まさか」

 

 端末の一画面をタップする。そこに民間船に緊急時用に備え付けられている脱出艇の小型ポットが映し出された。加えて、当時発見された民間船の各スペースには不可解な空白がある。そう、一介の民間船にしては積荷に割り当てる空間が多過ぎた。

 ガエリオには、マクギリスが言わんとしていることがわかった。

 確かにもし夫妻の子供が地球に残っていたならばギャラルホルンの庭である以上、見つけることは容易だろう。況してや組織そのものが暗殺を企てていたならば、いずれ真相に気付かれるよりも先に子供も殺してしまえばいい。当時の情報を見るに、親戚筋は無く既に断絶していると考えられる。

 

「積荷に乗せて、火星へ送ったというのか?」

「その通り…と言いたいが、殆ど仮説でしかない。この仮説もギャラルホルンの救援部隊の先遣隊の内の一人が民間船から小型のポットらしきものを見かけた、というデータが此方に残っていたからこそだ。成人が入るには些か小さすぎる、所謂廃棄物投棄用のボックスとして認識していて、放って置いたらしい。因みにこの報告は本部には送られていなかった」

「…先遣隊の、それも一人だけの報告とあらば信憑性は低いから、か」

「或いは、当時赴任したばかりであったコーラルが、失態の指摘を恐れて伏せたか」

「100%そっちだな」

 

 此れには流石のガエリオも納得のいく理由だった。マクギリスが部下を過労死させるほどのスピードで監査を続けたことで、あれよあれよとコーラルの汚点が掘り出されていき、既にガエリオの中ではコーラルへの評価は最悪と出ている。十分考慮に値する予測だ。

 

「そうなると…何だ、今回の監査はその遺児の捜索も本部から言い含められているのか?」

「いや、そうではない。我々の仕事は監査だ。つまり、私個人として調べていただけだよ」

「なんだよ驚かすなよ…ハァ、全くお前といると苦労が絶えないな。マクギリス」

「だが、仮にその遺児が火星に無事辿り着いていたとして…どんな人間に育っているか興味が湧かないか?」

 

 資源の出涸らしとまで酷評されている火星は貧富の差が絶えない。もし仮に例の遺児が火星に辿り着き、ギャラルホルンの目を掻い潜って生きているのだとしたらどんな風に生活しているのだろうか。

 

 その遺児は、ギャラルホルンが両親を殺したことを知っているのか、知らないのか。

 

 その遺児は、貧富の格差が広がっている火星では富める者なのか、貧しき者なのか。

 

「確かに、あるな…でも仮に生きてて、それで見つけられたとしたらどうするんだ? もし向こうがギャラルホルンを目の敵にしていたとしたら会った瞬間殺されるぞ」

「それはないだろう」

「何故、其処まで言い切れる?」

「勘だ」

「…お前らしくない答えだな」

 

 

 

 

 



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船出



 赤き星のゴッドマザー

 そして船は希望を乗せて





 

 

 

 

 ギャラルホルンからの単騎出撃及び決闘、旧CGSからの脱退に伴う退職金の清算、CGS改め『鉄華団』への改名、オルクス商会との契約、MS(モビルスーツ)の積み込み等々、粗方の業務を終えたオルガは椅子の背凭れに背中を預け、小さく息を吐いた。

 多忙に積み重なる多忙。倍々ゲームよりも簡単で、鼠算式よりも早く、細菌よりも増殖する仕事に一区切りがつくまで、シンヤ特製のありとあらゆる覚醒剤を混入した違法ギリギリの麻薬まがいを服用して眠気を強制的に覚まし続けた。おかげでデクスター、オルガ以下二名の目の下に軽く隈が出来ていた。ビスケットも圧倒的暴力紛いの仕事量の煽りを受けて少し頰が凹んでいる。

 

「終わっ、た…」

「金がない…」

「休みたい…」

 

 シンヤに加え、ビスケットは中途半端に兵器運用に関する知識もあったため、ギャラルホルンが置いていったMW(モビルワーカー)MS(モビルスーツ)の残骸から使えるものを見繕ったり、売り払う値段の予測からこれからの予算への組み込み、編成、売買業者の選定、その他諸々も業務のうちに入っていた。絶えず執務室と格納庫を行き来してはあーだこーだと相談し、一先ず清算することはできた。

 

「やっぱマルバの野郎に資産を殆ど持ってかれたのが痛いな…もう、火星には居ないのか?」

「二日前に『方舟』で出ているのを監視カメラが捉えていたね、今頃宇宙の大海原で豪遊してるんじゃない?」

「ケッそうかよ」

「今、監視カメラって言いませんでした…?」

「…言ったな」

「…シンヤが、〝箱舟〟の宇宙港にある〝ウィル・オー・ザ・ウィスプ〟の名義変更手続きの予約を取った際に、記録を見たんだってさ…」

「ま、バレなきゃ問題ねぇか。それでシンヤはどうした?」

「ああ、それならこれから暫く火星を離れるとのことなので、例の小遣い稼ぎに―――」

 

 

 

 

 

「はい、これ例のお薬」

「わぁ、せんせぇありがとー!」

 

 薬が入った紙袋を抱えた、年端もいかない少女らはシンヤにそう言って火星貧民街のメインストリートを駆け抜け、そして裏路地にその姿は消えた。

 

「毎度毎度、すまないね」

「謝る姿勢があるなら自分で動かしな、どうせツナいだんだろ」

「おや、解るのかい」

「あぁ解るよ、解るね。アタシをバカにすんな」

 

 シンヤの車椅子を押しているのは細身の女だ。銀髪が覗く頭に民族衣装らしきカラフルなターバンを巻き付け、異性には中々刺激的なダメージジーンズを履き、薄い布切れとしか言いようのない上着を羽織り腰の辺りで余った丈の部分を一纏めに縛っている。そのおかげか元より大きな胸元の肉が強調されていた。

 女は唾を吐き、シンヤの車椅子をやや乱暴に押し進める。

 

「まさかアンタの阿頼耶識がちゃあんと使えたなんてな」

「ははは、私も吃驚だよ」

「ウソつけ、アンタに予想外の三文字なんかねーだろうに。さっきの女の子だって来ることぐらいわかってたんだろ」

「準備というのはやっていて損はない。たまたまその内の一つを渡したに過ぎないよ」

「ハッ」

 

 女は鼻で嘲笑った。

 

 火星の貧民街は回って来る物資も少なく限られた資材でどうにか成り立っている状態だった。昔は路地の至る所に糞尿が撒き散らされ、とてもではないが見ていられない生活環境であったことは確かだ。道端には飢餓に苦しみ抜いた果てに死んだ子供の死体が転がり、それを見て見ぬ振りをして放置する大人たちが人の目を避けるように皆歩く。ライフラインが殆ど閉鎖されていたこともあり、ある意味現世における地獄と呼んでも差し支えなかった。

 

「あのお姫さんの中途半端な手回しは、少なからず影響があったようだね」

「ハンッ。あのいけすかないお嬢様の働きかけで、ライフラインの一部が戻ったのは確かにありがたいけどな。特に水はいいぜ、全てを洗い流せる」

 

 物資が少ない火星において、水は貴重な資源であった。当然少しの量でさえ地球における価格とは比べ物にならないほと高騰している。故に、以前視察に来たというクーデリアの嘆願と尽力によりライフラインとして水道が戻ったとはいえ、安易に使える訳ではないのだが。

 

「そりゃ、何事にもあって困ることはないさね」

「ママ」

「これはこれは、お久しぶりですマザー」

 

 貧民街の一角の、なんの変哲もない一軒家の奥で、ママと呼ばれた女はいた。

 肥満というレベルでは抑えられないほどでっぷりと肥えた腹。火星では珍しい金髪に色白と、この体型になる前はさぞかし美人であったであろう要素を兼ね備えている。鋭い碧眼は年齢による衰えを感じさせないギラギラしたものではあるが、それは凶暴という訳では無く理性と持った獣のそれに近いものだった。

 事務室にも似た間取りではあるが窓はない。代わりに護衛として屈強な体の女が数名、壁際に待機していた。当然皆、拳銃の携帯をしている。

 

「久しぶりだねセンセイ。話は聞いてるよ、ギャラルホルンに襲われたんだって? 大したもんじゃないか、末代まで自慢できるよ」

「私には、子が居ませんので自慢できないですね」

「それなら後ろのクリスとでもどうだい?ウチの一番の腕利きだ、処女じゃアないが技術は保証する」

「と、言ってますけど?」

「却下。こんなカイワレ男じゃ何一つ楽しめねぇ」

「ですって」

「クリスもセンセイも変わらないねぇ」

 

 げらげらとママが笑った。

 ママは、ここ火星の貧民街における一大組織としての統括に務めている。主に捨てられた女子供の保護や売春による金稼ぎ、麻薬の取り締まりなどだ。シンヤとは個人的な繋がりを持っているが、シンヤが医師でありママが組織の長とくれば、その関係性は極めてわかりやすい。

 

「ハイ、これが半年分の薬です」

 

 でん、とテーブルの上にぎっしり薬が詰まった紙袋を乗せる。ママはそれの内の一つを手に取り中身を確認した。あるのは主に、避妊薬だ。

 

「半年とはまた随分と沢山持ってきたネェ、旅行にでも行くつもりかい?」

「仕事で地球まで行くつもりです。暫く此方には来れないので、今のうちに」

「ははァ、地球に、暫くと」

「辿り着いて、また戻るより前に宇宙の藻屑になってしまうケースもありますけど」

「そいつぁ困る。アタシらの専属のお医者さんが居なくなっちまったら迂闊に商売も出来やしない」

「ですから、半年分です」

「アタシとしちゃ、一年分丸々貰ったって困りはしないんだがね」

「それは〝今〟〝ここで〟代金を支払えるということでしょうか?」

「シンヤ」

 

 頭上から鋭い声が突き刺さる。車椅子を押していたクリスの声だ。年中暑い火星で、雰囲気としては豪放磊落にして快活なクリスとは似ても似つかないほど冷たい声だが、此処でタガが外れかかっていることはシンヤにもわかっていた。

 つまりは、キレたのだ。

 

「ママをバカにするのは、赦さねぇ」

「バカにしてませんよ、これは商談です」

「ギャグかます余裕はあるンだな」

「えっギャグ…えっ? ギャグですか? もしかして商談と冗談を掛け合わせたんですか? ごめんなさい正直笑えませんしセンス疑います」

「覚悟は出来てんだな?」

「これ、おやめクリス」

 

 ガチャリとシンヤの後頭部に拳銃の銃口が押し当てられ、引き金に指を掛けたところでママによる待ったが掛かった。その言葉に思わずクリスも踏み止まり、再び引き金を引こうとして盛大に舌を打ったところで漸く銃を下ろす。

 その間、シンヤは避ける素振りも無ければ驚いたような素振りもない。だがこれは予想していた、という言葉では説明できない落ち着きであった。そのことが、クリスをより一層腹立たせる。

 

「金ならあるよ。それよりそっちの方が金が欲しくて欲しくて堪らないんじゃないかい? 鉄華団?」

「…その情報は、些か早過ぎる気もしますが」

「アタシの情報網を舐めるんじゃナイよ。マルバにも逃げられてるアンタ達じゃわからないか」

「返す言葉もありませんね」

 

 ママがパチンと指を打ち鳴らす。すると、顔を布で覆い隠している変わった民族衣装の女が別室から出てきて、布を被せた大皿をテーブルの上に置いた。シンヤはそこに積まれている金の多さよりも布で顔を隠したまま正確に皿を配置できる女に感心した。

 

「一年分の金がここにある」

「毎度ながら、古風な持ち方ですよね。普通はバッグに詰め込んだりしておくものですし、そもそも電子マネーが一般的な現代では時代遅れ感が」

「五月蠅いね、アタシァ演出家なのさ。風情というものを大事にすることは間違いではないだろう? 懐の潤いは金で満たせる、喉の潤いは水で、腹は食い物で満たせる。だが心はそうもいかない、心の潤いは娯楽で満たしてナンボさね」

「至言ですね、受け取っておきます。ですが金は受け取れません、今手元に一年分の薬を持ち合わせておりませんから」

「おうおうおう、デカイ口叩いた割には手持ちが足りないってか? アンタの足元も見えたもんだなぁおい」

「クリス」

 

 再び嗜められて、クリスがゴクリと唾を飲む。流石に調子に乗り過ぎたのか、決まりが悪そうに靴を踏みならして踵を返し、部屋から出て行った。

 

「あの子なりの愛情表現というヤツさね。あまり気を悪くしないでおくれよ」

「毎回突っかかって来ますよね、しかし愛情表現というのはわからない。特に女性に関しては尚更ですね、彼女は正直に話しているのに何一つ満足していないご様子だ」

「気になるかい?」

「残念ながら、微塵も」

「いつもながらそっけないねぇ」

 

 げらげらと、下卑たというにしては澄み切った笑い声が響く。

 

「あの娘はね、まだ愛というものがわからないのさ」

「この火星の貧民街に、愛は生まれませんよ」

「いいや生まれる、そして育んでいくものなのサ。アタシァその間を繋いでいるだけさね、いつか本当の愛を見つければ、その間をね」

「成る程、ではピルは不要では?」

「望まぬ子に愛は見出せない。そりゃあ、アンタが一番よく知ってるんじゃないかい? エエ?」

「……よく、解りませんね。残念ですが」

「そうかい。愛を見つけるというのは、人生の半分を預ける相方を見つけ出すことサ。それは女だろうと男だろうと変わりはしないし別にどっちだっていい。そういう人生における〝半身〟を見つけ出し、共に生きていくことが大事なのサ」

「理想論ですね」

「叶えたい夢だから理想というのサ。センセイには解らないかい?」

 

 その問いに、シンヤは曖昧な笑みを返す。代わりに、車椅子の下から紙袋を一つ。

 

「追加の、半年分です」

「…これは、驚いた。多分クリスも度肝抜かすよ」

「それは重畳、尚更この場に居ないのは残念ですね。彼女が呆気にとられる顔はとても絵になる」

「…アンタ、お人好しと言われないかい? こんなの商売として破綻しているよ。アタシ達がこの場でぶん取って、金も渡さず追い出しちまったら大損だろう」

「でも、しないんでしょう?」

「……大した男だよ」

 

 呆れるようなママの言葉に、恐縮ですと形式通りの答えで応じる。

 

「…降参だ。これは、本来アンタが今までアタシのシマで配っていた〝これまでの取引に含まれない分〟の支払いだったんだよ」

「はぁ」

「はぁってアンタ…それなのに、冗談を本気で取っちまってアタシの面目丸潰れじゃないか。バカにしてんのかい」

「いえ、もし私が帰れなかったら足りなくなるでしょう。ですが一年…いえ、九ヶ月もあれば新しい取引相手が見つかる筈です、マザーの手腕であればそう難しいことでは――」

「冗談も大概にしろってんだ」

 

 ガタリと椅子を軋ませて立ち上がると、ママの巨体がドスドスと音を立てて歩み寄る。その姿はゴリアテに相応しい威容であり、迫るたびに室内の明かりが陰っていく様が他者へ恐怖を植え付ける。

 生憎と、シンヤに恐怖はないのだが。

 

「いいか、半年分と半年分合わせて一年分の薬は貰ってやる。そしてこの一年分の金はくれてやる。だがね、だーがーね! さっきも言ったけど〝これまでの取引に含まれない分〟をアタシ等は払っていないんだ! ソイツを払わせる為に意地でも帰ってきてもらうよ! これは顧客としてwin-winの関係を維持するために必要不可欠な契約だ! わかったね!」

「強引ですね…しかし契約ですか。確かに」

 

 ビシッとぶっとい指を突き出され、額を強かに打ち付けられながら、特に痛がる素振りもシンヤには見受けられることなく感慨深げに頷く。

 

「精々、宇宙の藻屑にならないように頑張りましょうか。私としても貴女達との関係を断つことは望ましくないですね。今後の鉄華団の資金運営に限り、ですが」

「フン、なんでお前さんは一言多いのかね。口は禍の元とは教わらなかったのかい」

「正直、貴女方の面子を維持するためでしょう? そんなプライドは犬に喰わせてしまっても宜しいのでは?」

「必ず帰って来いって〝命令〟なんだが、聞こえなかったかね? その耳剥いちまおうか?」

 

 ガチャリと四方八方から銃の撃鉄を起こす音。流石にこれ以上のお遊びは度が過ぎるらしい。降参(ホールドアップ)の証拠として万歳して了承。ママも深く溜息ついて顎で、先のフードを被った女性に指示を送る。女はテーブルの上の金を全てバックに詰めると、シンヤの車椅子を押して退室する。

 

「ああ、代わりと言っては何ですが」

 

 その直前、何でもないようにシンヤがぼやく。

 

「実は先日旧CGSの壱番組の殆どが退職しておりましてね、申し訳程度の退職金は握らせたのですがどうにも」

「ソイツ等なら早速ウチの子数人見繕ってお楽しみだったよ、それが?」

「あの大人達は……ええ、まあウチの団長の方針で半ば脅しに近い形で辞めさせたんですよ。一応もう一切関係のない間柄でしてね、鉄華団(こちら)としてはあらぬ悪評で貶められては来る仕事も来なくなってしまいますし、即戦力となるメンバーは全員が地球行きですので、火星(こちら)のガードが薄くなってしまうんですよね」

「アタシ等としても将来有望な鉄華団が潰れちまうのは好かない。旧CGSの男共には見張りを付けているから安心しな」

「流石は手が早い…」

「良くも悪くも旧CGSは清濁併せ呑む組織だったからねぇ…普通だったら一発で死刑になるような重罪人も書類審査なしで入社させる。謂わば雇用の終着点だ。そんな組織が、社長がトンズラして壊滅しちまったとなりゃ、荒くれ者共が檻から出て行ったようなものさね」

「それは…」

「いいや、別にセンセイのせいじゃないさ。遅かれ早かれそうなることは目に見えていたさね…マルバの阿呆が、もっと組織の管理はしっかりしていりゃあこうはならなかった」

「お知り合いで?」

「昔馴染みさ、アンタんとこの雪之丞もな」

 

 

 

 

 

 火星にあったのは、貧富の格差に隔絶された醜悪な世界。

 

 弱者を虐げる暴力。

 

 這い寄る飢餓と渇き。

 

 息が詰まるほどの大気汚染。

 

 そして、身の毛もよだつ性産業。

 

 働かされるのは年端もいかない子ばかり、飢えを凌げることを無聊の慰めに、親が業者に売り渡し端金で幼子の未来と引き換えに数ヶ月の命を繋ぎ留める。

 物乞い、売春、◼️(じん)◼️(しん)売買による(しょく)(じん)の合法化。現世の混沌の坩堝と呼んでも差し支えない、実物を見なければ理解できない、人間の生存本能が生み出す獣性。ヒトの尊厳を踏み躙る現実。人類種が限界に達した醜い姿。

 だが見ただけでは伝わらない、その環境に身を委ね、巻き込まれなければ真の現実は理解できまい。そして知る、この世こそが地獄であることを。地獄とは、案外身近にあるものだと。

 

 

 

 

 

 一日、シンヤはマザーの管轄する地区の宿に泊まった。別に泊まる必要は無かったのだが時間が時間、既に商談が終わる頃には陽が落ちていたこともあって宿泊を勧められていたのである。

 宿はシノやユージンであれば鼻の下を伸ばすほどの美人揃いで一瞬娼館か何処かに連れてこられたのかと戦慄した。妙に女達がシンヤに対して甲斐甲斐しかったことが疑問に残る。単に車椅子患者として見られていたのか、それとも薬の提供者であることを知ってのことか。

 明らかに怪しげな手つきで近寄る女性に対しては、フードの女が気配で威嚇して徹底的に露払いをして貰っていたこともあり、特に一夜の過ちということはなかった。

 途中、酔っ払ったらしいクリスが全裸で窓から進入して銃をこちらに向けながら何やら戯言を抜かしていたとの話を聞くが、当時はその姿を確認する間も無く窓に投げられていた。元壱番組の後始末に追われていたのだろうか。

 

 そして現在。

 

「センセイは」

「ん?」

 

 貧民街のメインストリート。先日来た道を帰る中、車椅子を押すフードの女が声をかける。

 懐に抱えた金を虎視眈々と狙う輩に、威嚇代わりの銃をチラつかせながら、シンヤは女を仰ぎ見た。

 フードの奥で、窪んだ眼窩からエメラルドの瞳が覗く。静謐で、しかし気力を削がれるような―――所謂、聞く異性を堕落させるような魔性がその瞳にはあった。ママの髪よりも色素の薄い金髪、火星では滅多に見かけない色白肌。

 

「もう、火星には帰ってこないんですか」

「いや? まぁこれは私の悪い癖でね、常に最悪のケースを予測して動いているに過ぎないよ」

「その最悪のケースとは、貴方のですか? 私達のですか?」

「…少なくとも、私ではないかなぁ」

 

 思わず正直に答えてしまい、失言かと思い暴力の類を覚悟する。良くも悪くもママの護衛に着いている女達は屈強だ。幾人もの男を抱え込んだ体力は勿論のこと、鉄華団にいる昭弘と勝るとも劣らないゴリラ系女子がいる。最初は信じていなかったが、以前目の前で通り魔に襲われた際に腹部の筋肉で内臓への到達を防ぎ、その重厚な筋肉によってナイフを引き抜くことも押すこともできなかった現状を目の当たりにしてリアルアマゾネスの存在を確信した。

 

 しかし、後ろの女はその類ではない。

 

 だが、外見ではとてもではないが考察できない力を感じる。昨晩クリスを投げ飛ばしたということから、少なくともなんらかの訓練を受けていることは容易に知れた。

 

「帰って来てください」

「え?」

「帰って来てください、必ず」

 

 そう言って、女は一枚のカードを差し出した。シンヤはそれを受け取り拝見する。

 黒塗りで文字は読めないが、恐らく透かしやなんらかの機器を用いた読み込み式のカードキーらしきものであることはわかった。勿論、これがカードキーとしての役割を果たすかどうかは別だが。

 

「これは?」

「役に立つものです」

「必ず?」

「…数日前、私の昔の同僚が火星に来てました。貴方の前の上司はその同僚らと共に、この火星を離れた可能性があります」

「…そうでしたか。これはマザーからの指示ですか?」

「………」

 

 帰って来たのは無言だった。恐らく、彼女個人として言えない事情があるのだと察し、受け取ったカードを懐に仕舞う。

 そのままメインストリートの終わり、一直線に行けば鉄華団に辿り着く道へ突き当たり、彼女の手は離れた。

 

「似てたからです」

「ん?」

 

 阿頼耶識の力によりゆっくり回り出した車輪の音に紛れて、フードの女の声が響いた。

 早朝だというのに、周囲は喧騒に塗れて喧しい筈なのに、その声だけはシンヤの耳に突き刺さるように入ってくる。くるりと反転し、後ろ向きになり彼女と向き合う。

 エメラルドの輝きが瞳に飛び込む。それは即ち互いが互いの姿を捉えているということに他ならない。

 

「誰に?」

「私が前に見た、あの人に」

「あの人?」

「貴方は本当にあの人にそっくり。もしあの人と出会うのがもっと早ければ、貴方みたいなこの世を知ったかぶったような偉そうで、達観した性格だったのかも」

「なんだかとても奇妙な誤解をされていませんか」

「でもあの人とは似ても似つかない。だって貴方はあの人より優秀過ぎる」

 

 優秀、という言葉に首をひねる。一体彼女はシンヤという像を通して誰を見ているのだろうか。少なくとも、シンヤは今まで一度として貧民街を訪れた際にこのフードの女に出会ったことは愚か、見かけたこともない。

 それはシンヤに見られないように遠巻きに監視されていたのでは、と仮説を打ち立てた。

 

「そういえば、貴女の名前を伺っておりませんでしたね」

「ビーチェ」

 

 それは、久遠の女性の象徴とも言える名であった。

 

 それは、至高天に至った女性の名であった。

 

 ほんの僅かに目を丸くしたシンヤを見て、悪戯っ子のようにビーチェは口元に弧を描く。長い金髪が風に巻かれては引き、次の瞬間には火星の大地から影も形も断ち消えた。

 

 運命は感じない。偶然を信じない。必然を疑わない。だが後に、シンヤは己が至る未来の確定が此処であったことを確信する。

 それはCGSに就いたことでも、阿頼耶識の手術を行ったことでも、鉄華団に名を改めたことでもない。

 この日この時この時点が、一つの極地であった。

 

 

 

 

 

 同日、火星の空を飛び立つ一隻の船が確認された。人々は様々な思いを抱き、それを仰ぎ見る。

 

 

 

 

 

 

 

 






クリス:ツンデレ。巨乳。銃やロケットランチャー大好きガンマニア。トリガーハッピー。ツンデレ。非処女。

マザー:姉御肌。肥満体質。年齢不詳。火星の影の首領。商売上手。お金好き。

ビーチェ:金髪碧眼。標準より上。二十歳手前。謎。


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第一次静止軌道戦線




 天の光は 星産む輝きと

 戦火の花






 

 

 

「シンヤさん火星だよ火星! うわー本当に赤いんですね!」

「ああ、そうだね」

 

 宇宙港のシャトルに乗り込んだはいいものの、火星からの発進ともなると誰であってもシートベルト付きの座席に座る他ない。となると、シンヤの場合は車椅子が必然的に邪魔になる。漸く火星の重力の縛りから解放され静止軌道上に出たことを確認し、はしゃぐアトラを横目に窓から見える火星を見下ろした。

 

 火星が赤く見えるのは、火星表面の大部分が酸化鉄を含む土や岩で覆われているからだ。人間が移り住むより遥か昔は水が豊富にあったと考えられていたが、当時は大気が希薄で気温は低く、そのままではとてもではないが人が住める環境ではなかった。

 平均気温マイナス58度、大気0.006気圧。この関係もあり太陽光が吸収できず、地球有数の砂漠地帯と呼ばれるエジプトのように気温が上がることがなかった。

 

 時の科学者は、火星の地中に大量の二酸化炭素が凍っていることから、その二酸化炭素を苔とゴキブリの力で大気中に放出し火星の地表を温めようと考えていたらしいことはコラムで読んだ覚えがある。実に滑稽だが発想の仕方は感心するものだった。

 

 現在ではあくまでも資源採掘という目的をほぼ終えてしまった、正しく出涸らしと呼ぶに相応しい惑星ではあるが、移民し、採掘して働いた人々が集まり、コロニーを作り、そこで住む人々が増えてしまったため今に至る。

 

 当時の問題としては、地球から出稼ぎに来た移民がそう易々と地球へ戻る手段が確立していなかったことだ。その頃は地球と火星間の民間船を狙う宇宙海賊が屯っており、同時に未だギャラルホルンによる宇宙航路〝アリアドネ〟が確立する前の黎明期だ、戻りたくても帰れなくては生きて住むしかなく、住めば都の言葉通りになったのだろう。

 

「思えば遠くへ来たものか…これはまだ早いかな」

「何か言いました?」

「いいえ、フタミンさん」

「フミタンです」

 

 火星からまだ見ぬ地球があると思われる方向に視線を移す。するとどうだろうか、本来であれば低軌道ステーションで合流するはずの船が見えた。だが予定時間より早く、おまけに色も違う。カタログで確認した限りでは、旧CGSが保有していた船は赤色だったとシンヤは記憶している。

 

「あれはオルクス商会の船かな?」

「…いや、待って! あのMS(モビルスーツ)ギャラルホルンのだよ!」

「何ィ!?」

 

 よくよく見れば、MSのエイハブ・リアクターが輝くその奥にギャラルホルンの船がこんにちはしていた。そんな挨拶要らないですと丁寧に返しながら、急ぎ車椅子に乗り換えて操縦室へ駆け込んでいたトドを轢く。

 

 轢いた。

 

「ゴハァ!?」

 

 鉄華団の全員がシンヤの剣幕に引いた。オルガ達は知っていた。無闇矢鱈に、日常茶飯事で暴力を与える大人たちよりも恐ろしいのは、車椅子に乗る彼であることを。

 

「トードーさーん? オルクス商会さんと話つけたの貴方ですよね? クーデリアが居ることを教えたのも貴方ですよね? もしかして大人の怖さを教えちゃう! とかそんな動機で私達をハメたんですかハメたんですねそうなんですね…はぁ、ダメな大人ですね貴方は。だからそんなにメタボ認定されちゃう体型になるんですよ、睡眠薬入りスープ飲まされて怖い思いして、少しは改心したと思った私の良心を返して下さい。そうでないと直ちに貴方の頭をツルッツルに仕立て上げますよ」

「いデデデデデデタイヤが! タイヤが髪の毛毟ってる! 頼む、髪の毛だけはやめてくれ! そ、そうやって前に後ろに動かすんじゃねぇよ!」

「髪の毛だけはやめて、だとよ!」

「んじゃ他ンところはやりたい放題って訳だな!」

「ぎゃぁああああー!」

 

 車椅子の下から伸びたトドが、ユージンとシノにしこたま殴られ始めた。結局、此方を嵌めたトドを締め上げたところで現状が変わらない以上、折檻はここまでにしてシンヤは操縦室に入る。

 

「なっ、何を」

「少し失礼しますよ、っと」

 

 首後ろから伸びたQRSプラグ――別名Farelを車椅子から切り離し、シャトルの端末に繋ぎ機器系統を掌握する。その間、僅か3秒。

 

「三日月が出る! シンヤ!」

「はいはいっと」

「ちょっと勝手に、」

「失礼しますと」

 

 言いました、と言うと同時に頭の中に入って来たシャトルの機器系統に准え、操縦席にあるスイッチを押す。同時にレバーを引くことによってシャトルのバックパックに詰め込まれていた酸素と共に煙幕が放たれるはず。

 残念なことに、周囲数キロ先の宇宙領域を眩ます程の量は積み込めていない。

 

 そもそも煙幕如きでシャトルがMSから逃れるというのがどだい無理な話である。

 

 シャトルほど大きな対象であればMSに備え付けられている索敵機能は愚か、メインカメラから逃れることすら不可能である。だが、()()()()()の小細工ではなく()()()()()()()()()の煙幕であれば話は変わる。問題はそれさえバレなければ、正確には逃走のための煙幕は無意味であり息の根を止めるための煙幕であることを見抜かれなければ、初見で看破されなければ確実に仕留められる。

 

 数秒後、がぅいん(MSのコックピットを撃ち抜いた)と鈍く響く振動と共にシャトルに取り付いていたグレイズのアンカーから解放され、迎撃に成功したことを確信した。

 そして、シャトルが本来の目的である〝イサリビ〟の通信をキャッチする。聞こえたのは明弘の声だ。

 

『来たぜ大将!』

「いい仕事してるぜ、明弘!」

「シンヤだ。早速で悪いけど急ぎシャトルの隣に着いて欲しい。襲撃されている以上、迅速に乗り移る必要があってね」

『了解!』

「あ、シャトルの損害請求はオルクス商会にツケておいてください。先方が全責任を持って地球へ送ると契約しておりますので。こちら、その証書です」

「は、はぁ…」

 

 アフターケアに余念は無かった。

 

 

 

 

 

「状況は!?」

「後方からオルクスの船が、まだ着いて来やがる!」

「ガンガン撃ってきてるぞ!」

「こっちからも撃ち返せ!」

「オイ! なんでこの船がここにいる!? 静止軌道で合流するハズだろ!?」

「ヤダナァ、トドさん。貴方の企てを団長にリークしたのは私ですよ?まさかギャラルホルンまで連れてくることは予想外でしたが、オルクス商会がお姫さん目当てに襲撃することまでは読めてましたから」

「んなッ、シンヤテメェ!」

 

 シノに押さえつけられているトドの顔面で、いつも通り変わらない態度で変わらない薄ら笑いのシンヤの顔が上下逆さまに浮かんでいた。艦内のエイハブ・リアクターの重力が不十分な艦橋では、足を動かせないシンヤの格好の領域(フィールド)である。浮遊状態であれば、手を使い反動をつければ推進力は維持される。

 オルガが、戦場を見据えつつ鼻で笑った。

 

「ま、そういうわけだ。この話もハナっからシンヤと俺、ミカ、ビスケット、そしておやっさんぐらいしか知らねぇから無理もねぇよ。獲物を確実に仕留めるなら、味方も騙さねぇとな」

「テメェ… 特にシンヤ! お前ギャラルホルンが最初に来た時だってオレを騙しただろ!?」

「さぁて、なんのことですかね?」

「営倉にブチ込んでおけ!」

「アイヨ!」

「オメェ等赦さねぇからなぁオパッ!?」

「お黙り」

 

 ベシッと痛々しく腫れたトドの顔面を叩く。特に痛い訳でもない筈だが、シンヤの張り手一つでトドの騒音の如き罵詈雑言はピタリと止まった。その様子に抑えつけていたシノが目を丸くする。真っ逆さまに浮いているシンヤは、片手にパーの形のままにんまりと笑っている。

 

「スゲー…トドのヤロー、一瞬で黙りやがった。何やったんだ?」

「どんな人間でも、顎を叩かれれば黙るものだ」

 

 シンヤは、さして威力もない張り手でトドの顎を強打した。人体の構造上、顎に強い刺激が来ると頭部の対角線上にある脳が揺れるのは自明の理である。

 脳というのは本来柔らかく崩れやすい。それらを保護している要素は頑丈な頭蓋骨ともう一つ、脳脊髄液による。つまり、脳は頭蓋骨の中で液中にぷかぷか浮いているのである。本来人間が活動する上での揺れは問題ないが、脳震盪に匹敵する衝撃は外傷性脳損傷を誘発し易く、意識・記憶喪失または頭痛やめまいなどを引き起こすトリガーに成り得る。

 

 人体に詳しいシンヤだからこそできる芸当だ。

 

「さて」

「ペン?」

 

 白目を剥いて黙りこくった(気絶した)トドを連行し、シノに抑え付けて貰いながらマジックペンの蓋を口で噛んで外す。キュポンと小気味良い音と共に黒塗りのペンが晒され、トドの上着を剥がしてでっぷりと肥えた腹部にその先を走らせる。

 

「何書いてんだ?」

「ラクガキ。シノ、確かこの通路の奥に汚物処理用のボックスがあった筈だから、それ持ってきて貰えるかな? 詰めて捨てちゃおうか」

「お、いいアイデアだなそれ! よっしゃ任せろ!」

 

 シノが意気揚々と走り出す。カキカキと悪戯書きを、もとい拾ってくれるであろうギャラルホルンへのメッセージを記す。シンヤは最後の一文を書き終え、ふと偶然、気紛れに思い付いたことがあった。落書きという悪戯の延長線だからだろうか、火星の家々にある壁に塗りたくられた落書きの描き主の気持ちが、少しわかった気がした。

 

 そしてその何でもない気紛れが、悪戯の延長線が、そう遠くない未来で己の首を締めることになるとはまだ誰も思いもしないのである。それは壁に描かれた落書きから解析された筆跡が、主犯格の個人を特定するかの如く。

 

解剖(バラ)さなかったことに、感謝して欲しいね」

 

 

 ―――シンヤは、〝他者〟を正確に認識できない。

 

 

 勿論、誰が誰で誰と違うか外見的特徴からその差異を見極めることは苦ではない。ただ、生来の認識に対する欠損があるのか、シンヤは自分以外の人間(たにん)がどんな考えを持ち、どんな行動原理を持っているか理解をするのに膨大な時間が必要であった。

 合理的な行動の取捨選択は簡単だ。なぜなら合理性とは己が思い、行動していることと同意義であるから。

 であるならば、人間特有の合理性を超越したナニカに突き動かされるメカニズムが、未だに理解できずにいるのである。

 先のトド・ミルコネンに対しても同様だ。最初から仲間であるという認識が無いから、トド本人が鉄華団を売ることは当然であるし、その裏切りによる損害を少しでも減らすためにシンヤ達がトドを騙すことも当然のことだ。

 

 

 だからこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()理解できなかった。

 

 

 だから、目の前で五月蝿く喚き散らすトドの姿を見てシンヤの中で芽生えた感情はただ一つ、〝なぜそこまで怒り狂うのか〟であった。

 わからない。理解できない。ただ、シンヤには目の前にあるモノを理解する唯一の術を持ち合わせている。

 それは至極極端で、その方法を提案すれば万人が狂気の沙汰と疑うであろう手段である。

 

 例えば、富裕層が所持しているテレビという機械は機種にもよるがリモコン一つで動く代物だ。普通の人であれば、特定のスイッチを押すことでテレビが付き、チャンネルを変えることができると実際操作をすればそういう働きをするのだと理解できる。そしてそのまま使うのが一般的で、決してその先の理解に踏み込むことは有り得ない。

 

 しかし、シンヤにはそこで妥協を許さず、そして赦せない。

 

 なぜテレビは動くのか、なぜ遠方の情報が送られるのか、メカニズムは、仕組みは、どんな作用で動いているのか。それを確かめるためにまず分解する。

 気が済むまで、理解するまで、決してその手の中にあるモノを信用し全幅の信頼を置いて満足に動かそうとすら考えられない。

それは人間(たにん)に対しても同様だ。理解が出来ない、ならば()()して確かめるしかない。

 

 ただ、最近は人間を分解することが大衆にとって決して受け入れられない禁忌であるという認識があるため、昨今はそれなりに自粛している。

 

 理解できないならば、理解しなければいい。

 

 シンヤは諦観という一つの答えを持っていたのである。

 

「あったぜシンヤ!」

「ありがとう」

 

 未だ意識が朦朧としているであろうトドに別れを告げ、勢いをつけてシノが投げ出したボックスを片手で受け止めてさっさと箱詰めすると、艦内の廃棄物処理口がある一室に投げ込んだ。

 ペンで一筆一筆書き込むたび、手のひらから伝わる肉感から掻き立てられる解剖への渇望に別れを告げるには、必要な措置であった。

 

「そういえば、最後まで寝ている間に右足の小指と左足の小指を入れ替えていたことは気付かなかったようだね。順調に縫合術は上達しているようだ」

 

 

 

 

 

「あっ、シンヤさん」

「やぁアトラ、状況は?」

「え、えぇー…私に聞かれても…あっ、三日月なら無事だよ! でも危ないの! ねっ、クーデリアさん!」

「え、えぇ…」

「んー、私が欲しい情報としては不十分だけど、まぁ誰も死んでないなら大丈夫かな」

 

 相変わらずアトラはぶれない(三日月ラブだ)なぁと思いながら、QRSプラグ(Farel)の接続を車椅子から外してイサリビの端末に接続し、力の入らない脚を無理やり伸ばして空いている席に座る。

 既に宇宙では複数体のグレイズの残骸が浮いている。それを三日月一人でやったかと思うとさしものシンヤでも背筋に冷たいものが走った。

 施術した首の後ろがキリキリと痛むのを我慢して、プラグを通じ脳へ送られてきた戦闘領域の映像情報を確認する。

 

「グレイズの中に、別の機体が二機あるね。変わった機体だ」

「相当な手練れだ! 多分、隊長機か何か特別なヤツだ…って、それよりオルクスの船を振り切れねぇ! どーすんだよこのままじゃいつかやられる!」

「ふむ…オルガ、アレ使わない?」

「…奇遇だな、俺も同じこと考えた」

「アレって?」

 

 ビスケットの疑問の声に応じて、シンヤがイサリビのカメラから捉えた一つの小惑星をメインモニタに映す。丁度、イサリビの進路上に浮かぶ資源採掘用の小惑星だ。それを見たビスケットは血相を変える。

 

「使うってまさか…やるにしても、問題は離脱の方法だよ。船体が振られた状況での砲撃はオルクスの船に対して有効打を得られない…!」

「アンカーを打ち込んで振り切ったところで、ベストタイミングで外さなきゃならねぇからな…」

「…例えば、例えばの話だよ。誰かが、アンカーの先端にMWで取り付いて、爆破して接続岩盤を破壊できれば…」

「ンなの自殺行為だ!」

 

 シノの言うことは最もである。この作戦のリスクは三つ。

 

 一つ、アンカーがしっかり小惑星に固定されず回頭途中で外れてしまえば機動制御は難しく、敵にとって格好の的にされてしまうこと。

 

 二つ、アンカーの固定が然るべきタイミングで外れなかった場合は小惑星に激突し自爆してしまうこと。

 

 そして三つ、アンカーがイサリビの回頭に耐えられる程度に固定されていて、尚且つMWによって然るべきタイミングで爆破し外すことができたとして、爆発の余波に巻き込まれたMWを無事に回収する保証はないこと。

 

 特に、三つ目に関しては乗り手の命が保証されていない。成功の可否が乗り手一人に背負わされたプレッシャーに耐え、その上で見事完遂するには相応の度胸と技術を持った人物でなければ不可能だ。

 

「それは勿論、俺が」

「いや、ユージンだ」「団長は黙ってろ」

「え?」「あ?」

 

 発言が被ったシンヤとユージンはお互い顔を合わせた。驚きはしたが、すぐに軽度の混乱から回復したシンヤがジェスチャアでユージンに発言を促す。

 

「ゴホン!…大将ってのは、どっしり自陣で構えておくもんだろ! ノコノコ死地に突っ込むような真似は俺が許さねぇ」

「おお、早速空き時間に遊んだ将棋やらチェスやらの知識を使えているようだね、感心感心」

「遊んでた…? ユージン?」

「ビスケット!?そっ、その話は今はカンケーねぇだろうがシンヤァ! だから何でもねぇって! そんな目で睨むなよっ!」

「ま、ユージンの言うことは一理ある。加えて」

 

 シンヤは息を吸い、

 

「鉄華団の門出で(オルガ)が指揮からいなくなっては格好が悪いだろう? そして、本作戦を成功させる度胸と秀でたMWの操縦スキルを持つのはユージン…いや、副団長。キミだ

 少なくとも、今この場でそれを可能とするのは副団長だけと私は確信している」

 

 現状、副団長という肩書きは伊達ではないと踏んでいる。それは単に言い出しっぺの問題ではなく、仮にオルガがいなくなった場合の鉄華団をまともに支えることができるのは、ユージンだと踏んでいるからだ。

 シンヤの真剣な眼差しから、今の発言が冗談ではないことは全員が分かっていた。その通りだと、艦橋にいた全員が頷く。だがその中で、その言葉を一番に受け止めたユージンは胸の内から湧く高揚感を抑えられなかった。

 

 ―――今までの人生で、他者からの賞賛が皆無であったユージンのみならず、現在の鉄華団の団員のほぼ全員が、他者からの承認欲求に飢えている。

 

 誰にも認められず、必要とされず、ゴミのように扱われていた旧CGSにおいて自己の価値を証明する術が無かった。ヒューマンデブリに関しては正にその通りで、端金で売買される自己への価値を見出すことは難しい。

 

 だが、団長(オルガ)がその手を取った。

 

 そして、シンヤが信じた。

 

 色眼鏡のない評価がこれほど嬉しいとは、ユージン本人でさえも予想しなかったであろう。その期待を一身に受け止めたユージンは声を荒げ、

 

「文句はねぇな、団長!」

「…あぁ、任せたぞ!お前等、準備しろ!」

「おぅ!」

 

 雀千声鶴一声とはこのことか、オルガの一声は鉄華団の気を引き締め直すに足るものであった。ユージンは急ぎドックへ駆け出し、ビスケット、ダンテ、チャドは火器管制の調整や艦内制御に着手する。シンヤは彼らの気合が入った顔を視界の端で捉えつつ、小惑星とのアンカーの接続及び切り離しタイミング、そして回頭に至るまでのコースを計算する。

 

「シンヤ! 計算頼む!」

「もうやってるよビスケット」

「あぁ、ありがとう。でも驚いたなぁ」

「何がだい?」

「シンヤがあそこまで言うなんて。今まで事勿れ主義だったシンヤが計画方針に口を挟むだけじゃなくてあんなことを言うなんて」

「それは、どういう意味かな?」

 

 だって、とビスケットは隣でアンカー射出の準備をしつつ頰を掻き、

 

「シンヤって…その、あまり他人を褒めたりすることがないから。その、珍しいなーって」

「………」

「シンヤ?」

「計算は終わったよ。現刻より状況開始、速度は維持、高度を上げ小惑星から距離300でアンカー射出、固定確認後続いてMW出撃、30秒後小惑星の裏側に回り込むと同時にアンカー固定部爆破、アンカーとMW回収と共に敵艦と会敵。閃光弾とチャフを目眩しに戦闘領域から離脱。三日月と昭弘の回収タイミングは戦況に依る。何か問題は?」

「な、ないよ…うん、これなら上手くいく!」

「ならこの作戦ファイルを全員に送ろうか」

 

 端末を操作して鉄華団の全員に本作戦のタイムスケジュールを送った。各メンバーのモニタに秒針タイプのタイマーがセットされ、正確な開始時間を把握することが可能になった。これも、作戦を成功させるための工夫である。

 ビスケットは一息ついたシンヤを横目で見て、

 

「…もしかして、照れてる?」

「百年早い」

「あでっ!?」

 

 頭蓋骨を揺らさんばかりのデコピンが炸裂した。危うく吹き飛ばされそうになった帽子を慌てて掴むと涙目で主犯(シンヤ)を睨む。

 

「痛いよシンヤ」

「軽口叩くのは、この後私達が生き残ってたら言うべきではないかね」

「大丈夫だよ、だって」

 

 ビスケットはズレた帽子を被り直しながら、後ろの指令席に座る団長(オルガ)を仰ぎ見る。オルガは歯を剥き出して、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「鉄華団の門出だ、景気良く前を向こうじゃねぇか!」

鉄華団(ボクら)なら、上手くやるさ」

「…そうだな」

 

 その言葉は、現実となった。

 

 

 

 

 

 

 







This looks like one of yours,(お前らの仲間らしいから) so youdeal with him(お前らでケジメをつけろ)…なんのことでしょうか? それにこのサインは…」
Luenley…ローレライか」
「ローレライ? それなら綴りはLoreleiでは?」
「いや、このサインは古ドイツ語で綴られている。ローレライと聞かれれば、誰しも()の人魚伝説を思い浮かべるが、古ドイツ語では待ち受ける(lauern)の語源でもある…しかし、そうか」
「特務三佐?」
()の者が、あの船には乗っているのか」



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一難去って




 正しい理論は常に実験によって確認される、というのは学問における公認の真理である
―――トマス・ロバート・マルサス






 

 

 

「…これも違う」

 

 カシュッという音とともに器具を引っ込める。ギャラルホルンからの追っ手が確認されず、暫しの休憩時間が設けられたシンヤはイサリビにある医務室もといシンヤの私室であるものの解析をしていた。

 

 デスクの上には、黒いカードが佇んでいる。

 

 火星でビーチェと呼ばれる女性に手渡されたものだが、何一つとして解析が上手くいかない。早々力を込めたところで壊れるものではないことはわかっていたが、例えば折れば光るサイリウム、例えば振れば運動エネルギーを電力に還元するファラデーの法則を利用したレーザーポインタといったものがあるが、平面的なカードにそれらの機構を組み込むには多少無理がある。

 

「特定波長の光を当てるものだと思ったが、間違いだったかね?」

 

 シンヤはイサリビにある機材を最大限利用して可能な実験を行った。現在進行形で行なっているのが異なる波長の光を当てる実験であった。光というのも結構な種類があり、可視光線を主に赤外線・紫外線・X線・γ線などを含め約1nmから1mmの波長がある。

 

 旧時代の物理学者N(ニュートン)の光の波動説に始まり、大学教授M(マクスウェル)の電磁理論によって光の電磁波説が生み出され、旧時代後期に今も名高き理論物理学者E(アインシュタイン)の光量子仮説による光電効果の説明など、光が粒子的性格を持つ現象が発見されて光には粒子と波動の二面性を持つことが明らかになった。他にも光には多くの学者が研究に携わっていたが、今はそれらは割愛する。

 

 最初は医療現場で用いられるX線で何か見えるのではと考え、そこから様々な光を当ててみようと実験を繰り返して今に至る。光の波長とそれを横に引き消した数は実に七十一。だが決して諦めることはなく、シンヤは機材を設定し直して七十二番目の光を当てる。

 

 初めて、変化が、生まれた。

 

「!」

 

 黒いカードの一点を透過してデスクを照らし、その円形状の光に文様が現れる。当てた部分からして何らかの絵の一部分のようだが、恐らくカード一枚に全体的に光を当てなければならないと思われる。

 器具を調整して光量を減らす代わりに投射範囲を広げていく。そして光の投射方向を水平に移行し、黒いカードを介して部屋の壁に光が当たるように、絵が映るようにセッティングした。

 

 

 そこには、死があった。

 

 

「……ドクトル・シューナベル?」

 

 死、というのは適切ではない。だがシンヤが死と連想させるのも無理ないことだ。

 壁に描かれた絵は、奇妙な面を被ったヒトの姿であった。

 鴉のように長い嘴、目の部分に嵌め込まれたガラス球、昔の医師が被るような帽子ハットに外套ローブ。

 間違いなく、旧時代に一世を風靡した黒死病の医師の姿だった。

 

「…Vos Creditis, als eine Fabel,(君は寓話と信じるだろう) quod scribitur vom Doctor Schnabel(嘴医師の物語を).〟…八音節ニ行連句の風刺詩。間違いない、パウル・フュルストの『シューナベル・フォン・ローム(ローマの嘴の医者)か」

 

 かつて、小さな島の海岸線にいた商人から始まり海沿いを伝い、当時百年と名を冠されるほどの戦争を一時的に止めるまでに至った病、黒死病。勢力的に拡大し止まることを知らず、複数の国を含む総人口の三分の一…数にして約二千五百万人を死に至らしめた病である。その力は一つの社会を崩壊させる結果を招いたと同時に、新たな文化を復興の礎とした人類の力を見せつけることにもなった。

 

 風刺詩にある〝君は寓話と信じるだろう〟は時代が進む毎により現実味を増すものである。今や新時代となりナノマシンや遺伝子操作、挙げ句の果てにはクローン開発にまで着手しているとされる昨今、火星ならば兎も角、衛生面においては完璧な管理社会とされる地球で、黒死病程の伝染病が流行ることはないだろう。

 

 四経済圏の何れかによる細菌兵器の性能実験も、秘密裏に行うにしても地球より火星で行っていることはシンヤの耳にも届いている。故CGSには最先端の医療機器はなかったが対症療法はできたし、そういった予告のない細菌兵器の性能実験が行われた暁には、強制的にアーブラルの医療機関が助力を求め後ろ髪を引き抜く勢いで駆り出された。回数を重ねるごとに段々致死率と感染速度が早く思えるのは、気のせいではないはずだ。

 

 閑話休題(それはさておき)

 

「問題は、何故彼女が私にこのカードを渡したか、だ。言いたいことは何だった? 伝えたいことは? この絵が意味するものは?」

 

 阿頼耶識で、ではなく手動で車椅子のホイールを動かし、壁に映し出された絵を近くから、遠くから見る。

 遠近により見方が変わって見えるギミックかと思われたが残念なことに、資料通りの絵であることは変わらなかった。となれば、このペスト医師に何らかの意味が込められているとシンヤは判断した。

 

 ならば番号か?

 

 試した光の種類は七十二。その数字はここ最近よく聞く三日月有するガンダムフレーム・バルバトスから悪魔の七十二柱を思い出すが、七十二番目は。

 

「廃棄孔アンドロマリウス伯爵」

 

 

 だが、それは、ない。

 

 

 何故なら七十二番目というのは()()()()()試した光の種類の数であっても番号ではない。未知数X分の一という確率で、七十二番目に当てたことは何一つとしてメッセージ性を持たない。例えば百回行って一回成功する実験があったとすれば、百回目に成功する可能性があればその一回目に成功する可能性もある。なので伯爵には悪いがご退場願おう、正直シンヤにとっては思考の邪魔でしかない。

 

「…わからん」

 

 そもそもペスト医師の被るペストマスクは、かつて旧時代の古代の医師(ヒッポクラテス)が提唱した『瘴気論』に則り飛沫感染と予想された黒死病の感染源である空気から身を守るために作られたものである。それは決して安全策というわけではなく、被ったからといって生命が保証される訳ではなかった。

 

「確か、嘴には」

 

 嘴には、香辛料が詰められていた。

 当時の香辛料といえば、現代となっては科学的に香りを再現することが可能な没薬、エゴノキ、アヘンチンキ、クローブ、ショウノウ、バームミント、アンガーグリス、そして。

 

「あとは、薔薇だったかな?」

 

 現代こそ薔薇は噎せ返るほど産み出され、観賞用として花壇に植えるなりしているが、旧時代では後期になってから世界的に栽培されるようになった。

 とはいえ、今の火星ではあまりお目にかかれないものである。種類は蔓薔薇と木薔薇、多くは枝に棘があり花の形も大輪・小輪・一重咲・八重咲・剣咲・平咲、色はメジャーな深紅から黄・白と多彩。新時代ともなると青や黒、果てには氷の薔薇も生み出せる、それだけ需要があるからこそ実現したのだろう。種類だけなら約200。色と組み合わせれば更に倍。

 

「…ゲーテかシューベルトか、それとRenaissance(ルネサンス)か?」

 

 ルネサンスとは黒死病により生まれたと言っても良い文化運動の一種である。曰く、ルネサンスは黒死病による人口の減少により人間一人の価値が増えたことで生まれた天災による一つの文化だ。古代思想を理想としつつ、市民の現実的かつ世俗的感覚が、()()()()()()()()()()を生み出し、古典や美術様式が尊重され独自の市民文化として育った。それは多くの詩人、文豪、芸術家を輩出した。

 

 ルネサンスには〝文芸復興〟と訳されることが多いが、旧時代のフランス語での正しい意味は〝再生〟だ。その言葉の通り、多くの人が死に、世界は腐敗し、未来への希望が消え行く中で再生の二文字の意味を込めて生まれたのがルネサンスだ。

 

 仮に再生であったとして、何の再生なのか、それは過去か未来か現在か。

 

「ダメだ、絞り切れない」

 

 今上がってる全てはミスリードかもしれない。

 

 だが同時に全てが正解かもしれない。

 

 一目見れば思いつく、だが正解である保証がない。答えを絞り込むファクタァが圧倒的に不足している。この謎解きは言わば、二つ目のヒントから一つ目の答えを得るようなものだ。そして最悪の場合その二つ目のヒントは三つ目のヒントが必要になる。

 

 つまり、終わりが見えない。

 

「そんな筈は無い」

 

 それは有り得ない。

 シンヤは人の行動原理に答えがないことを知った。だがそれは人間(たにん)という複雑怪奇な存在であり、同じく己も人間ヒトというその複雑怪奇な存在の一人だからだ。

 しかし今回の謎解きは、必ず答えのあるものだ。

 

 ヒトの心ではない。

 

 シュレディンガーの猫でもない。

 

 悪魔の証明、でもない。

 

 ならば、答えは必ずある。

 

「シンヤさーん」

「ん? その声はアトラかい、ちょっと待ってなさい」

「あ、はい…」

 

 扉を開けなかったのは、恐らく作業中であることを察したからだ。以前旧CGSでアトラが無断でシンヤの私室に入ってきた時、火星の荒野で偶々見つけたはぐれの家畜である可愛らしい子豚をローストビーフにするべく加工していたところを見られ、以来トラウマになっているようだ。

 幼い少女にグロテスクなトラウマを植え付けたことへの罪悪感はあるが、そもそも部屋へノックもなく名乗りながら意気揚々と入ることは行儀悪い。アトラに続き参番隊の年少組達も彼女を反面教師に、同じ轍を踏まないようにちゃんとノックして、名乗りを上げて許可を貰ってから入室するように心掛けている。良い習慣である、善き哉善き哉。

 

「お待たせ」

「シンヤさん寝てたんですか? 部屋最初から真っ暗でしたよ?」

「まぁ、そうだね。私にも偶には休みが必要だ」

「それ、消さなくていいの?」

「うん?」

 

 扉を開けた際に、アトラと一緒にいたクーデリアは部屋が暗いことには気付いたが、実験で付けっ放しの光源は見えなかったらしい。観察眼に鋭い割に気付いても普段何も言わない三日月は気付いていたようだ。モグモグと火星ヤシを頬張る風体からは想像もできない洞察力である。

 

「うーん、大丈夫だよ。後でいつでも消せるからね。それより私に何か用かな?」

「は、はい。実は私と一緒に鉄華団の子供達に字を教えて欲しいのです。シンヤさんは鉄華団で医師として、そして会計士として職務に就いていたと聞きました」

「成る程、勉強だね? 旧CGSの頃は数の数え方と遊びくらいしか教えてなかったから、丁度いいかもしれないね」

「遊び、ですか?」

「青年組にはチェスや将棋、あとは賭け事としてトランプのイカサマ。年少組には…アトラは知ってるね?」

「はい! お手玉とか折り紙とか、あやとりとかですよね! コレ、あやとりを見て作ったんですよ! ホラ三日月!」

「ん? あ、あぁ、そうだったんだ。これからはアトラの匂いがするから、いつも安心する」

「アトラなりの贈り物で、お守りみたいなものだね。大切にするんだよ三日月」

「? わかってる」

 

 果たして、シンヤの言葉の真意は伝わったのだろうか。

 

 相変わらず思考の読めない表情のまま、三日月は僅かに首を傾げて間髪入れずに頷いた。

 さて、勉強ともなれば鉄華団の団員達の勝手知ったるシンヤであれば教えることに忌避感はない。寧ろ、長い目で見て、将来を考えればまそろそろ本格的な勉強を行うことは間違いではない。ただ、過去に何度もその時期はあったが社長であるマルバや壱番組の大人組が頑なに妨害してきたこともあり、加えてどうせ教えるのであれば一回で多くの少年たちに教えた方が効率が良い、一人の指導者では教育が偏る等々が危惧され、着手できずにいたのである。

 

「お姫さん手ずから教えてくれるとは心強い」

「そんな…でも、まずは私がここでできることをしようと思うのです。そうすることで、前に進めるのではないかと」

「それはとても良い心掛けだと思うよ。何事もチャレンジすることが大切だ。そしてチャレンジするための勇気も、自分で培っていくものだ」

 

 ―――ここで、三日月の進言を聞き入れれば、多少未来は変わったかもしれない。

 

 まるで家主のいない室内に付けっ放しの空気清浄機が電気代を貪るが如くの些事。

 

 些事の、筈だった。

 

 

 まさか、手渡された黒いカードに光を一定以上の時間浴び続けると、特殊な電磁波を発生させる機構が備え付けられているとは、思いもしなかった。

 

 決して艦体やMS、エイハブ・リアクターに影響を与えるものではなく。

 

 この昏く広大な宇宙から一筋の光明を差すが如く、現在座標を伝える発信機としての役割を果たすものだとは、思いもしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







「阿頼耶識システムは、そもそも厄祭戦時にMSの能力を最大限に引き出すために最初の〝C〟が生み出した技術だ」
「最初の〝C〟?」
「厄祭戦を終わらせたのは、主にギャラルホルンの創始者である始祖アグニカ・カイエルの名が有名だが、彼には一人の友がいた。阿頼耶識システムを生み出した技術者、名をカウプラン・サルサミル。彼の名の頭文字から、〝C〟と名付けられている」
「ふぅん、友ねぇ。俺とお前みたいな間柄だったのかね。しかし、何故()()()と付くんだ? 子孫が生きているなんて話は聞いたことがないぞ」
「実は火星に向かうときに話した技術者夫婦、彼らはギャラルホルン公認の()()()Cだったらしい」
「…彼らが、〝C〟の子孫だったとでも言うのか?」
「いや、〝C〟と呼称されたそれぞれに明確な家族関係はない、血の繋がりではなく驚異的な革新者達の総称とでも言えばいいのか。個人で世界単位の技術を数十年加速させる、何百年も続く戦争に終止符を打つ、盤石な社会構造を引っ繰り返す。どの歴史の教科書にも載るような出来事の裏に潜む、どの文献に残してはならない中心人物を指す」
「なるほどねぇ、しかし〝C〟とか言われても…ホラ、炭素の元素記号とかビタミンのアレとかしか思いつかないぞ…あぁそういうことか、だから〝C〟なのか。確かに知る人ぞ知る、謎言葉(ミステリーワード)な訳だ」
「言い得て妙だな。だが、〝C〟とはローマ字に於ける三番目の文字だ。数秘術において三とは左の峻厳、右の慈悲、中央の均衡という三柱のセフィロトを指し示し、そしてキリスト圏では父・子・聖霊の意味もあるが―――わたしとしては、Calamity(災害)Catastrophe(破局)Chaos(混沌)
Clash(衝突)Collapse(崩壊)Crisis(危機)の頭文字という印象が強いな」
「どれもこれも、物騒な単語ばかりだ…」
「それほど、ギャラルホルンという一大組織において座視できない存在ということだ」




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唯そこには鏡があった



 才能が一つ多い方が、才能が一つ少ないよりも危険である

―――フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ




 

 

 

 停戦信号が来たと聞き、シンヤは車椅子を走らせて艦橋へ急ぐ。途中、私室に戻り例のカードから奇妙な電磁波を発していることが判明し、急ぎ光源を切り胸ポケットに突っ込んだ。

 どうやら阿頼耶識が、その特殊な電磁波を少しばかり雑音らしきものとして受信する媒体としての効果を果たしていたようで、三日月が注意したのはその微弱な電磁波をいち早く感じ取ったからではないかと推測される。

 悪意のない発信機だとは思いたくないが、これほどの技術が込められたカードが一組織のカードキーとして作用するものであったとしても何ら不自然ではなかった。

 

 そして、現在進行形で追跡されている戦艦がその組織である可能性も、捨てきれなかった。

 

「ヤァすまないね、遅れてしまったよ」

「シンヤか」

『誰だアンタ?』

「彼はどちら様だい? オルガ」

『タービンズの頭、名瀬・タービンだ。それでアンタは?』

 

 白帽子に白服の背広、シンヤよりも長い髪の二枚目な青年が映し出されていた。

 

「シンヤ。シンヤ・ギーベンラートです、以後お見知りを」

『オイオイ、少しは話のわかりそうな男がいるじゃあねぇか。お前等、いい大人も部下にしてるのかよ…待て、ギーベンラートだと? それにそいつは…』

「こちらも、御存知で?」

『………』

 

 ピ、と胸ポケットに仕舞ってあった黒いカードを見せる。名瀬は椅子の傍らにいる女性に目を向けてアイコンタクトらしき疎通を図った。スクリーンに映る女性達も皆一様に困惑の表情だ。

 

『おいシンヤァ! なーんでおめぇがそっちにいやがる!』

「おや、元社長。壮健そうで何よりです。聞いてないでしょうけど私は元気ですよ」

『聞いてねーよンなこと!! そもそもお前は共犯者だろーが! お前に居場所を与えてやったのは俺だぞ! 俺の為に働く、そういう契約だっただろうが!』

「共犯者?」

「………」

 

 共犯者という言葉がわからないほど、オルガ達も図太くない。シンヤはマルバの言葉に片眉を跳ね上げるが、

 

「ええ、そうですね。私は故CGSあそこで医師として従事し違法手術を行う。あなたは私に給料と資材と、匿ってもらう居場所、そして()()()()を提供して貰う。Win-Winの関係でした」

『そ、そうだ! わかってんならガキ共を説得して資産を返せ!』

「率直に申し上げますと、無理です。私はもう鉄華団の預かりですので。それに敗走した元社長の下に再び就くのは些か抵抗が……いえ、決して元社長の人柄云々の話ではなくて単純に負け犬に傅くのは人としての尊厳が失われると言いますか。えぇえぇ私は人ですあなたも人です、でも私はあなたを上司として見ることが難しいと言いますか…いやはや、人の(さが)というのは難儀なものですね。それに顔を見たら蕁麻疹出てしまう方を上司にしたくありませんので」

『は、ハァ!?』

「うっわ、辛辣だね…」

『結構毒舌なんだな、アンタ』

 

 名瀬の辟易した表情は、まるで()()()()()()()()()()()()顔だった。

 

 それが何故か、勘に障った。

 

『シンヤァ! てめぇ後で覚えてろよ!』

「ごめんなさいもう忘れました」

『はいはい、喧嘩は他所でやってくれよ。んで、シンヤ――と言ったか? 元社長の顔に免じて、アンタから其奴らガキ共の説得しちゃくれねぇか?』

「資産の譲渡と武装解除、降伏勧告ですか?」

 

 ちらりとオルガ達面々の表情を見る。マルバが来ていることもあるのかもしれないが、彼らの顔には到底降伏の二文字が浮かぶことはなかった。

 

 ゴミの如く、使い捨てのように殺された故CGSの団員には、友と呼ぶに相応しい人も居たのだろう。或いは、家族と呼ぶに値する人も居たのかもしれない。その命令を出した張本人を味方にして、且つ上から目線で一方的に交渉を突き付けられて、ハイそうですかわかりましたと首を縦に振る訳がない。

 

「その件に関しても、お断りします」

『…ほぅ、俺を敵に回すってことか。残念だ、アンタは一番話がわかると思ってたんだがな』

「解ってますよ、解って断ってるんです

 それに――あまり彼らを子供だと見縊っていると、痛い目に合いますからね? 忠告はしましたよ」

『…言うじゃねぇか、雁首揃えて待ってろよ』

「まぁ、見目麗しきレディ達に囲まれて使うにしては下品な言葉」

『そういう意味じゃねぇよ!』

 

 通信は向こうから切られ、同時に決して後戻りはできないことを悟る。

 後悔しているわけではない、ただタービンズの面々が此方を知っているような態度が引っかかった。

 

 だがそれはそれ。これはこれ。

 

 例え知っていようがいまいが、敵対すると決まった以上は老若男女容赦無し。ギャラルホルンに続き、シンヤ達には戦い抗うことしかできない。

 

「シンヤ、さっきの言葉…」

「…すまない、ビスケット。だがこれだけは信じて欲しい」

 

 共犯者、そして研究検体という言葉に、ビスケットは不信感を持たずには居られなかった。戦闘準備で忙しくなる中、シンヤは艦橋から出る一歩手前でビスケットの不安そうな目を見て笑いかける。

 

「私は鉄華団を、そして君達を決して裏切りはしない。使い捨てることも、ゴミのように扱うこともない。其れが、私が私である以上曲げてはならない筋であるし、道理だと思っているよ」

「…本当だね?」

「私が嘘をついたことがあったかな?」

「嘘はつかないけど冗談は言うよね、シンヤは」

「私は箒頭の関西人か」

 

 

 

 

 

 テイワズの傘下、タービンズの襲来。

 狙い澄ましたものではなかったが、大変都合の良いものであった。鉄華団にとって、シンヤにとって。

 急ぎ即席で作り上げた兵器の数々を纏め、MWの準備をしている格納庫へ急ぐ。

 

「オルガ」

「シンヤ? その格好は」

「私も同行しよう」

 

 花京院!

 

 と、叫ばれることはなかった。奇妙な毒電波を受け取りかけたがそれは受信拒否対象である。

 

 その格好、というのは宇宙空間用のスーツである。イサリビに置いてあった大量のノーマルスーツの内の一着を着て、車椅子で私室から飛んで来たのだ。

 団長含む工作部隊は皆全員が重火器を携えているが、シンヤ本人としてはこれから後ろ盾として加わるテイワズの傘下であるタービンズとは、今後の関係を悪いものにしない為にも、なるべく流血沙汰は避けたい。

 

 艦橋での遣り取りは、ご愛敬である。

 

「今回は、弟子ダンテの実戦における手際を確認するためと、万が一ミスった時のリカバリー役として工作部隊に加わるつもりだ。ハイ、即席妨害用催涙ガス弾」

「お、助かるゼ」

「…MWは動かせるのかよ?」

「ダンテのやつに乗っけてもらう。幸いこの車椅子はコンパクトに小さくできるからね」

「オレかよ!?」

 

 車椅子からコードを引き抜いて無重力状態を利用し格納庫内に浮かぶ。弾薬が入った袋を投げてシノに渡し、必死に手を動かして車椅子を折り畳む。

 阿頼耶識との駆動システムを組み込んだ直後の車椅子は一見巨大な椅子に座っているように見えるが、実のところ大きく見えるのは内側へ収納するための機構が備えられているからだ。他にも、本来であれば護身用の武器や阿頼耶識と連動した兵器を積む予定であったが、現在は資材が不足しているため作れないのが現状である。つまり、車椅子を折り畳む離れ業は今此処でしか使えないのだ。それを最大限利用しない手はない。

 

「さぁ、お師匠様に成長した姿を見せる時だよダンテ」

「おおぅ、いきなり先生風吹かせられてるけど結構緊張するな」

「現場というのはそんなものだ、だが同時にチャンスでもある。此処で滞りなくハッキングや艦内図の読み取りに成功すれば現在の実力の証明とタービンズに一泡吹かせられる。期待と緊張、それらを乗り切って現在の最大限の実力を発揮することができるならば、それは確固とした己の技術として自身に結びつく」

「…わかった。団長もいいよな?」

「異論はねぇよ。むしろ心強い、ダンテがミスったら頼むぜ?」

「任務拝領」

 

 ダンテに手伝って貰い、同じMWに乗せてもらう。途中、シノに弾薬をどう使えばいいかと問われたが、「兎に角襲ってくる連中にぶつければいい」と説明してハッチを閉める。

 コンパクトになった車椅子は手提げカバンとほぼ同じサイズのものとなった。小さくなった車椅子を抱え込み、ハッチを閉めたMWの天井に背中をぴったり付けて動けない両膝を畳んで肉体の体積を最小限に縮める。

 

「それじゃあ行くぜ、師匠!」

「頼むよダンテ、私をあの船まで連れて行っておくれ」

 

 

 

 

 

 タービンズが乗る強襲用戦艦ハンマーヘッドとイサリビの交錯時にMWで乗り込むというという荒技は、阿頼耶識の操作技術さえあれば最低限の抵抗で敵艦へ移ることが可能だ。知覚領域を広げることで艦と艦の相対距離と速度を()()で把握し、MWとの接続をより強くすることで己の手足のように動かし、MWによる移乗を実現できる。

 

「ダーンテ、ダーンテ」

「ちょっ、ま、待て、待ってくれ…!」

 

 車椅子に座るシンヤの頭がカッチカッチと、メトロノームのように右往左往する。暗に早くやれよと催促しているのだ、それに焦らないほどダンテのメンタルは鍛えられていない。

 ()()()()()、この場でそのメンタルを鍛え上げる。どれほど事態が切迫していようと身に付けた実力を十全に発揮する―――それが、どれほど難しいことかはシンヤ自身がよく知ってることである。言わば、師匠による愛の鞭。

 

「まだかよダンテ」

「もう2分経つぞー」

「まだ1分経ってねぇよシノ」

「え、マジか」

 

 銃と催涙ガス弾を手の中で遊ばせながら、工作部隊率いるオルガとダンテがボヤく。他の連中は周囲の警戒にあたり、ダンテは端末を操りハッキング、シンヤはニヤニヤ笑いながらそれを眺める。

 出来は、予想以上だった。

 

(以前より早い――お、もう六つも)

 

 艦内の端末は複数ある。それらから一つを接続して情報を引き出し、妨害工作を行うことは間違ってはいないが、同時にそれらがバレてはいけない。その為、手順としては最初にいくつ艦内に端末があるかを把握することで自らのアカウントを複数偽装して作り、相手が対応に追われるよりも早く情報を盗み、ハッキングを行わねばならない。

 

 問題だったのは、艦内セキュリティが予想よりも硬いことだった。まるで()()()()()()()()()()()、大凡の組織が抱える技術者にしては不自然なくらいにセキュリティが張り巡らされていた。それがわかっていながら、()()()シンヤは指示を出さずに見守る。端から見れば、二、三ショートカットできる点はあったが処理速度は及第点、ダンテは阿頼耶識を利用しているが、例えシンヤが阿頼耶識によるバックアップが無かったとしても今苦戦しているセキュリティは突破している。

 

「出来たぜ団長!」

「流石だダンテ! シンヤの一番弟子ともなれば頼もしいぜ!」

 

 だが、それを見過ごしてなくても、及第点。ダンテの技術はシンヤの予想以上に精錬されている。

 端末を手渡すダンテは手馴れたものとばかりに快活に笑っている。受け取ったオルガは急ぎ艦橋への最短距離を見つけ出し、シノ達工作部隊を率いて急ぎ通路を駆けた。

 

 

 

 数刻経過して、未だダンテが端末を操作し隔壁操作と監視カメラの機能停止を断続的に行使している。シンヤは組み立てた車椅子に腰掛け、殺傷性の低いゴム弾を装填したマシンガンを構え、通路を監視していた。万が一、ハッキングの端末が判明された際に急行され排除されることを危惧し、護衛としてシンヤが着任しているのだ。

 

「ヘヘッ、驚いただろ!」

「…ああ、驚いた。もう私は必要ないかもしれないな」

「オイオイそんなこと言うなよ、まだ師匠には教えて貰いたいことがたくさんあるんだからな!」

「…そうだな」

 

 マシンガンの調整をしつつ、通路を見張りながら、

 

「…ダンテ、これが終わったら私の技術の全てを君に継承しよう」

「…師匠、何言ってんだよ。ちょっと死亡フラグっぽいぞ」

「おっと、勘違いして貰っては困る。いつか私かダンテ、君が居なくなった時に鉄華団のプログラミング面をサポートできるのは片方になる。なれば、双方が完全に完成していなければ補填はままならない。私の全ての技術を教えるというのは、今まで教えた全ての数十倍の時間を要してもその全てを憶え切れるかどうかというのが私の判断だ。その意味は…わからないわけではないだろう?」

「ギェッ!?」

 

 潰された蛙のような、鈍い声がダンテの喉の奥から漏れた。

 

「――と、まぁ散々脅してはいるが、あくまでもメカニックの分野に限り、だ。医療関連はチャドとアトラを筆頭に少しずつ教えている。でも覚悟しておくといい。イサリビに戻ったら短時間で、今までの指導が生温いと思えるほどその脳に叩き込んで―――」

 

 と、そこで。

 離さず、逃さず、監視し続けていた通路の奥で人影を捉えた。マシンガンを構え直し、スコープで対象を確認する。

 

 その姿は、異様なものだった。

 

 そう判断したのは、今までダンテがハッキングしていた艦内の監視カメラ越しにここハンマーヘッドの艦内にいる乗組員の姿を確認していたからだ。見た所、殆どというより全てが女性の乗組員。

 だがそのいずれにも、スコープ越しに見えるフルフェイスメットを被った者は存在しなかった。

 

「」

 

 その姿に、既視感を憶えた。

 ライダースーツから浮き出る体のラインは女性。だが少なくとも火星では―――いや、生まれて物心がついてから一度として見た憶えはない。

 そう。

 

 

 生まれてから、ずっと見ている己の姿を除いて、見た憶えはない。

 

 

「―――」

 

 もう一度、今度はスコープから外して肉眼でその姿を捉える。外したことは正しかった、間髪入れずスコープは銃撃により木っ端微塵に粉砕されていたからだ。

 黒光りするフルフェイスメットは、顔を隠す以外に顔面への銃弾を防ぐものであることは明らかである。加えて、地球で時たま見かける競技用のライダーが着用するような黒褐色のライダースーツにも防弾加工がしてあることは目に見えていた。例え、対暴漢用鎮圧ゴム弾を装填したマシンガンを掃射しようとも、殺傷性のある実弾を撃ち込もうとも、傷一つ付けることなく殺されるという確証があった。

 

「…師匠!? どうし」「逃げろ」

「え、」「逃げろ!」

 

 二度目は、シンヤ自身らしくもなく張り上げた声であった。それは事態の悪化を証明することにも繋がった。マシンガンのトリガーを引き絞り一発一発余すことなく迫り来るライダースーツの乗組員へ撃ち込み、同時に端末を操作していたダンテの背を押し奥へ逃す。

 

 だが襲撃者は待たない。

 

「―――」

 

 ずんずんずんと、霰のように水平に襲い掛かる弾幕の中心を突き進み、まるで意に介さないというように前進してくる。一秒二秒と経過するほどその速度は速くなる。ダンテを逃すより先に、接敵することは明白だった。明らかに接近するスピードが早い。弾薬が尽きるより先に、スコープを正確に撃ち抜いたハンドガンの銃口がスローモーションで己の左胸に向けられるのが見えた。

 そして、

 

「、」

「がッ」

 

 ガン、ガン、ガン(三点バースト)

 

 音が。響くのは。完全な無酸素空間ではないからだ。

 だから、音と共に左胸が灼熱の痛みと銃弾の衝撃に襲われるのは、撃たれたからだと理解した。

 

 

 勿論、無力化を狙った殺傷性の低いゴム弾ではなく。

 

 

 確実に相手を殺すことを目的とした、実弾である。

 

 

「師匠ォ!? クソ、もう見つかりやがったか!」

「―――」

 

 彼我の距離は凡そ10m。

 

 ダンテは即座の判断でガス弾をライダースーツの女の足元に叩きつけて無理矢理開封し、通路を白煙で満たす。相手がフルフェイスメットを装着している以上、催涙効果は皆無と言っていい。だが赤外線スコープを除き、フルフェイスメットに外気との遮断効果のみを有するだけであれば、煙幕によるこの場からの離脱は不可能ではない。無論、怪我人であるシンヤを引き連れ、敵が勝手知ったる艦内を逃げ回るというリスキーな賭けではあるが。

 

「師匠! 無事か!?」

「……ァ…」

「ちょっと我慢してくれよォ!」

 

 左胸に真っ赤な花を咲かせてぐったりするシンヤを車椅子に無理矢理乗せて通路をひた走る。時折進む通路の横に通じる通路へガスボールを叩きつけながら、敵乗組員から現在地の補足を防ぐ。特に、フルフェイスメットの女(?)を一番に警戒して。

 端末で逐一確認していた地図を脳内に描き現在地を把握する。丁度、監視カメラで捉えた乗組員が居ないデッドスペースを見つけて漸く足を止め、シンヤの具合を確認する。

 

「師匠!?」

「…カ…ァ…」

 

 幸い出血は少ない。だがそんなことは安心するファクタァには成り得なかった。

 撃たれた部位は左胸。つまり、心臓を撃ち抜かれた可能性が高い。

 

「…おい、こういう時どうすりゃいいんだよ!? まだ教えてもらってねぇぞ!」

「…ィ…ァ…」

「え、何言ってんだよ聞こえ――」

 

 ペシン、と。

 血を流して肌の色が土色に変わりかけたシンヤの平手打ちがダンテの胸元に炸裂する。それは肌に止まった虫を叩く程度の弱いものであったが、シンヤが生きている証拠でもあった。

 同時に、ダンテが一瞬で冷静さを取り戻す。

 

「…車椅子の、下の、板を、」

「車椅子の下だな!? これは…か、鏡?」

 

 シンヤを下ろして車椅子の座席の下を引っ張ると、スライドして別の板が現れた。それは涙で濡れる己の顔を写し出す鏡であった。

 それを見たシンヤはまだ動ける指先で己の目の前に翳すように指示した。それに従いダンテはシンヤを鏡に写す。鏡に反射したシンヤの前身はシンヤの視覚に捕捉され、同時に撃たれた箇所を把握する。

 

「…服、邪魔…」

 

 シンヤの指示に従いノーマルスーツの前部分をダンテが引き裂く。より克明に被弾箇所が晒され、加えて血が球体の塊となって室内に溢れ出る。

 

 さらにもう一つ。

 

 着膨れしたノーマルスーツの内側に隠し持っていたであろう医療器具がばら撒かれた。

 

「…スゥ(術式)――フ――(開始)…」

 

 一度深呼吸し、同時にシンヤの両手が動く。

 大量出血して尚強さを見せる握力で宙に浮かぶ医療器具を確保し、再び鏡に映された被弾箇所を視認する。

 

 

 ――此れより、銃弾摘出術と腹膜及び血管縫合術を開始します――

 

 

 意識が遠くなる中で、針の穴が空くほど、鏡に映る血濡れの己を見つめながら。

 

 その両腕は、本人の怪我を無視するように、のたうつ大蛇の如く躍動した。

 

 

 

 

 

 




「成る程、あの下郎が後継者か。何処の馬の骨ともわからん愚図かと思えば、自己手術を成す程度には腕があるか
 だが医術だけの専門家(スペシャリスト)では全能家(ジェネラリスト)には程遠い。他一つ足してもまだ足りん
 全てが出来なければ、全てを為さねば
 私を棄ててまで接いだ台木に、それが出来ない筈がない。そうだろう? ◼︎◼︎◼︎◼︎」


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最初の邂逅



 ―――出血点の止血開始

 腸管破裂部確認

 腸鉗子 汚染遮断

 弾道調査開始

 DC(下行結腸)脇 腸管破裂確認

 腸管口径切離

 鑷子 ガーゼ…ガーゼガーゼガーゼ

 血糖値上昇確認 リンゲル追加

 吻合部確認

 縫合、完了。手術終、了―――





 

 

 

 

 意識が浮上する。

 人工呼吸器の装着確認。

 羊水の記憶。原点回帰。

 揺蕩う景色、水音、清潔な部屋。

 血圧低下、輸血確認、正常値まであと―――

 

 目覚めると同時に、シンヤは周囲の状況収集に取り掛かっていた。傷に関しては、意識が落ちる寸前で縫合までは行っていたことを覚えていたため優先順位は低い。それよりも気絶後に己が何処に運ばれ、誰の治療を受けているかが問題であった。

 

「早いお目覚めだな、気分はどうだ?」

「…上々ですかね」

 

 目覚めて最初の会話が野郎(名瀬)なのは、現在いる位置がイサリビのメディカルルームではなくハンマーヘッドのメディカルルームであることを暗示しており、同時に乗組員がほぼ女性しかいない本艦において野郎(名瀬)と出くわすのは、酷く残念に思えてならなかった。

 

 声を満足に出せる状況でないから、心の声で叫ぼう。

 

 

 ――お目覚めは女性レディの微笑みが好ましかった。

 

 

「この状況でとても下らないことを考えてやしないか?」

「いいえ? 微塵も」

「…何故か信用できないんだがそれは」

「ソイツを信用するな、名瀬」

 

 メディカルルームに別の声が響いた。勿論その声には聞き覚えがない――だが、シンヤには一つの確信があった。

 

 この声の主は、己を撃った女であると。

 

 ポットの中でゆっくりと首を傾けると、溶液とガラス越しに名瀬と女の姿を瞳の中に捉えた。

 おそらく背中までの長い赤髪。背丈は名瀬の肩ほど、シンヤより拳一つ分小さく思える。先ほどまではフルフェイスのヘルメットをしていたせいで顔は分からなかったが――碧色の鋭い眼光が覗く右目と、額から頬にかけて走る火傷により白く染まった左目と目が合う。頬を一文字に裂く火傷は頬肉を根刮ぎ抉り取られており、左顔面には歯肉と顎関節と筋繊維が剥き出しになっていた。

 

 凄惨。その一言に尽きる。

 

 現代ではその程度の怪我であれば、人工皮膚等による整形手術で外見だけならどうにでもなる筈だが、そのままにしておいているのは何か理由があるのだろうか。

 

「人の顔をじろじろ見るな、穢らわしい」

「それはそれは、申し訳ない。ところで鉄華団とはどうなりましたか?」

「ああ、それについて細かいところは追い追い話すとして、一応話はついた。餓鬼相手だと油断していた俺がまんまと引っかかりあえなく惨敗。歳星までの案内と親父への橋渡し、あと序でに物品の買取手探しを請け負うことで手打ちになったよ」

「――よかった」

 

 ほっと一息ついた。その呼気が気泡となって医療用ポットの中をふわふわと漂う。その様子に、名瀬は苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「…なぁ、お前ならもっと円滑に交渉することもできたんじゃないのか? そんな銃弾喰らうまでもなくよ」

「結果論ですね。銃弾を受け瀕死になったという現実がある以上、どんな過程を辿ったとしても訪れた結末は変わらない。仮に銃弾を受ける人間がいたとして、それが私か、はたまた別の人間であったかの違いですよ。それに」

「ソイツに何を言っても無駄だ、本艦内で唯一人を殺すことができた私と鉢合わせさせたのも、恐らくこの男の策だ」

「…アツコ」

 

 でなければ、その体で撃たれて平気な顔はしないだろう? アツコと呼ばれた女は憎悪を含ませた言葉を投げ掛ける。ポットの中で、シンヤはコポコポと気泡を吐き出しながら、その感情が向けられる意味を理解した。

 

「紹介が遅れたな、コイツはアツコ・アルカ。便宜上俺の養女ってことになってる」

「成程、把握しました。ところで話は変わりますが、MRIでも撮ったんですか。本人に無断で」

「いや、俺は止めようとしたんだがな?」

「どちらにせよ医療用ポットに入れて治療を受けさせるならば患者(クランケ)の容態を把握するのは当然だろう。そもそもなんだ、輸血もなしに手術に強行するとは貴様は天才なのか阿呆なのかどっちなんだ」

「手術する羽目になったお前が原因が言うなよ。お陰でこっちはコイツの治療しなきゃならねぇんだぞ! 女以外は御免だったんだぜ俺は」

「何故だ? 向こうは向こうで死ぬ気でこの艦に攻め入ったんだろう? ならば一人くらい死んだところで文句はあるまい」

「アツコ、俺はそう言うことを言いたいんじゃねぇ」

「…喧嘩は他所でやって下さいよ」

 

 医療用ポットの中でシンヤが呆れる。アツコは色が残る碧色の瞳を此れでもかというほど凄ませて名瀬を睨みつけ、シッシと犬を追い払うように手を振って退室を促した。名瀬は深く溜息をつき、鉄華団の連中に連絡してくると言い帽子の鍔を指先でなぞりながら退室した。

 回転椅子に座っていたアツコがくるりと回り、デスクからカルテを取り出して横たわるシンヤを睨む。

 

Fact is(事実は) stranger than(小説よりも) fiction.(奇なり)――とは旧時代の英国詩人バイロンの言葉だったか? 陳腐で在り来たりな言葉なだけに、不変の現実を突き付けられるよ。まさか貴様、己の肉体が内臓逆位であることを逆手に取るとはな」

 

 手にしたカルテにはシンヤの内臓をMRIによって撮影された画像があった。裏表が分からなければ判断しようがない画像ではあるが、確かに心臓は右側に配置され、肺も本来であれば右に三葉、左に二葉あるはずだが逆転している。

 内臓逆位症――心臓のみであれば先天性心疾患として右心症が発現している筈だが、シンヤの場合は一部分が左右逆になっている訳ではなく内臓の全てが逆位相になっておりいわゆる全内臓逆位症に該当する。人間が火星など他惑星へ進出する以前の旧時代では十万人に一人の確率で発現する特異体質であるが、人間の惑星進出やナノマシン・医療・遺伝子操作技術の進歩が相俟って更に確率は低くなっており、現代ではその特異体質は絶滅危惧に相当する。というのも、こんにち内臓逆位の患者を対応している医療機関は数少なく、事故や病に侵された患者の受け入れは困難で最悪盥廻しにされている間に息を引き取るというケースが多い。

 だが、なにも内臓逆位症の人間を治療できる人間がいない訳ではない。その解決策は先に行った鏡による左右反転である。

 

「内臓逆位であるならば心臓は右寄りなのだから左胸に銃弾を浴びたところで致命傷は免れる。おまけに鏡に映った内臓は逆位が反転して正位置になっているから自ら手術をし易いと。貴様の瞳は旧時代の天才画家(ダヴィンチ)よろしく文字を一目見て鏡文字に書き換えたり、回転処理を行えるとでも言うのか」

「さて、どうなんでしょうね?」

「余り驕るなよ()()()()

 

 アツコの言葉に、シンヤの表情が凍り付いた。

 

 

 

 

 

「…では貴女は、パウラですか」

「ほう、貴様もあの屑の話は聞いたのか」

「…ええ、女の子ならパウラ、男の子ならフリッツ…」

「その通り、奴が自分の子に名前をつけるとしたら、どうするか」

 

 シンヤ・ギーベンラートは、実のところ正しい名前ではない。欠けた名を口にしていない。

 

 正確には、フリッツ・(シンヤ)・ギーベンラート。

 

 アツコ・アルカは、実のところ正しい名前ではない。アミダの養子になる前の名前がある。

 

 正確には、パウラ・(アツコ)・アルカ。

 

 いや、より正しくはパウラ・A・ギーベンラートが本来の彼女の名前である。

 

 フリッツ・S・ギーベンラートとパウラ・A・ギーベンラート。

 この日この時この場所で、同じ名を持つ者同士が出会うに至るわけだが。

 残念なことに、そこまでロマンチックな邂逅には至らなかった。

 シンヤにとっては、やっと兄弟(姉妹?)らしき人物に出会ったな、と思う程度であり。パウラにとっては、何だこいつ気持ち悪い。診てるだけで吐き気がする、と極力シンヤを視界に入れまいと瞼を極限まで下ろしながら、しかし相手が患者である以上注意深く容態を観察する。

 

「だが、内臓逆位まで知っているなら当然その動かない両足の具合も理解しているんだな? 少なくとも、その両足はその首に施術された阿頼耶識のせいだけではない」

「………」

「言い逃れは赦さん。騙しも誤魔化しも私には効かん。悪いことは言わない、すぐに()()()()()()を勧める」

「…まだ」

 

 コポリとマスクの中で気泡を生みながら、一瞬逡巡して答える。

 

「まだ、その時じゃない」

「それが、全身に回っていたとしてもか? 悪いことは言わない、とは動けない両足のことではない、その膝にドス黒く溜まっている()()()のことだ」

 

 骨肉腫、とは。

 いわゆる骨にできる癌のことである。

 旧時代は癌に悩まされる時代といっても過言ではないナノテクノロジー黎明期であり、現代のナノマシンによる腫瘍の除去技術が確立していない頃は須らく悪性腫瘍であり、放射線による治療はほぼ無意味であった。治療方法は外科的手術による摘出及び切断しかなかった。

 現代は初期であれば、高価なナノマシンを投与することで腫瘍そのものを全身から排除する手法が確立しているが、未だその治療は地球でのみ受けることができる。

 放置しておけば、血流によっては肺への転移の危険性がある。

 

「それでも、斬るタイミングは、なんとなく()()()が付いているんです。少なくとも地球に着いてこの仕事を終えるまでは先ずもって無理ですね」

「ほお、その心得は?」

「いきなり足が物理的に無くなっては、足並み崩す人もいるので。急増の組織というのは強く、脆い。解っている人からすれば、薄氷を渡る心地と言ったところですね」

「戯言だな、だが理に適っている」

 

 そう言って、納得したように何度も頷きながら、アツコは手にしたカルテを仕舞っておもむろに羽織った白衣の懐から黒光りする銃を取り出し、医療用ポットの丁度、シンヤの頭部に当たる位置に添える。

 

「あ、あの、心なしか銃をこちらに向けてる気がするんですが」

「理に適っている。言い分も納得できる。だが私という女の手で治療して救えないのであれば、治療を拒否して死ぬというのであれば、手ずからその命を絶ってやるのがせめてもの慈悲だとは思わないか?」

 

 普通は思わない。

 

 だが、アツコもシンヤも普通や一般、所謂大衆向けの、多数派の考えを持ち合わせていない。無論、シンヤはアツコほど医療行為に対して其処まで情熱を持っているわけではない。だがその情熱は理解ができる。

 

 アツコは、自ら診た患者が死ぬことが許容できない。死ぬと解っていればそんな患者など診ようとも思わない、死への忌避感云々というレベルではなく自らのプライドに懸けて患者を救いたい――否、救うべきだという使命感に駆られているのだ。

勿論、自ら医者である限り患者の意思を尊重するのが大原則である。中途半端に医者としての使命を全うしているだけに、狂っているようにしか見えない。

 

 しかし、相手も(オカ)しいのであれば誰一人として異常と感じることはできない。

 

 ただ、生命の危機だけは感じていた。

 

「怖いか?」

「―――え」

「貴様は死ぬのが怖いか? 恐ろしいか? 生きたいか? それとも――」

 

 死にたいのか?

 そう聞かれて、はいそうですとも、いいえ違いますとも答えることはできなかった。

 

 実際のところ、CGSも鉄華団もシンヤからすれば名前を変えたに過ぎず、体感でまだ延長し地続きした組織としか思えなかった。前でも後でも、シンヤがやる仕事の内容に変わりはなく、頭が変わったことや団員の総入れ替えがあったこと程度であれば些末な問題でしかなかった。

 

 であるならば。

 

 シンヤは、何故生きているのか?

 

 いいやそれよりも。

 

 アツコはシンヤを見ていない。シンヤを通してその奥にいる誰かを見て、問うている。

 

 一体、誰を。

 

「アツコ、アンタ何やってる」

 

 何か重要な、核心に近い部分に触れようとした矢先、医療用ポット越しにアツコが床を舐めさせられていた。いや、この表現は些か語弊がある。

 正確には、メディカルルームに侵入した白髪の女性が背後から襲い掛かり、銃を持つアツコの右手と頭を掴みうつ伏せ気味に床に叩きつけていた。

 

「ほう、気取られず私を組み伏せるとは中々だなアジー」

「アンタこそ私如きの奇襲に反応できないなんて珍しいじゃないか。其処までコイツを殺したいのか? アツコ」

「貴様が知ったことではないな」

「なるほど、道理だ」

 

 刹那、組み伏せられたいたアツコが拘束されている腕とは反対側の左腕を、まるで肩甲骨というものが存在しないのかと疑うほど後ろに回り、白髪の女性――アジーと呼ばれた女の頭に伸びる。しかし、先に頭を抑えていたアジーの腕がアツコの首に掛かり頸動脈を締め上げる。喉を潰しかねない圧力に一瞬怯むも、

 

「舐――めるなァ!」

 

 全身を使い発条バネのように床からアジーを跳ね除けようと力を入れる。だがそれよりも早く―――

 

『アーツーコー覚悟ォオオオオオオ!!』

「な――グボぉ!?」

 

 メディカルルームの扉から文字通り跳んできた、恐らくこのハンマーヘッドの乗組員であろう女性達が束になってアツコの真上に躍り出る。それにいち早く気付いたアジーは血相を変えてアツコの拘束を解き即座に真横に跳び這々の体で女性達から逃れる。アジーの拘束が解かれたとはいえ、思いがけない奇襲にアツコが反応するよりも早く、女性達が束になってアツコに次々とのし掛かった。正に圧殺と呼ぶに相応しい攻撃に、さしものアツコもノックアウトされたのか、腹這いにのし掛かる女性達の山の下で捲れた白衣の袖から伸びる腕が小さく痙攣してやがてぐったりと動けなくなった。

 

「ハイハーイ、アツコちゃんいい子でちゅねー」

「あぁーぐったりしてる! 可愛いねぇちょっとおやすみしてようか! あ、起きる? 起きちゃう? じゃあもう一回ポコンと頭打っちゃおうか!」

「全くただでさえ男がポット使ってるだけでもイヤなのに、脳漿ブチ撒けて更に汚くしないでよねー」

「どうもお騒がせしましたーゆっくり休んでねー」

 

 気絶したアツコをロープで縛り上げながら、女の衆が退室していく。その後ろ姿をポット越しに眺めたシンヤと、メディカルルームの扉前で立ち竦んでいた鉄華団の男の衆がドン引きしていた。その様子を見た、メディカルルームに残っていたアジーが照れ臭そうに頬を掻く。

 

「み、見苦しいところを見せて悪かったな」

『いヽえ、まったく』

 

 見苦しいどころか、誤魔化すのも苦しい場面だった。

 

 

 

 

 







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