魔法少女リリカルなのは~ブレイジング・ルミナス~ (火神はやて)
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0話 プロローグ ※挿絵あり

「    」


 

【挿絵表示】

 

 

 黄昏に溶ける雲の上。

 夜の暗がりが迫る、海鳴市上空。

 空が足元にある世界で、氷と炎が激突し、千切れて溶けた。

 

 

「シュテル、やめるんだ!」

「いいえ、クロノ、どいてください」

 

 二人の魔導師が、空中で己が意思をぶつけあっていた。

 

 一人は少年。

 狼狽を隠せず、しかし努めて冷静であろうとする、クロノ・ハラオウン。

 

 一人は少女。

 今にも泣き崩れそうな瞳を揺らし翔ぶ、シュテルだ。

 

 

 

 ーー彼の寂しそうな横顔が、こびり付いて消えない。

 

 

 

 撃ちだされた火柱は、けれど分厚い氷の壁を突破出来ずに虚しく霧散する。

 

 

 ーーどうして。

 

 

「どいて……どいて下さい……クロノ……! お願いです……!!」

 

 破れかぶれの無茶苦茶な特攻。

 それは理性も知性もない、まるで子どもの駄々そのもの。

 普段のシュテルからは想像もつかない、激情に身を委ねただけの稚拙な攻撃。

 

 

 ーー貴方が、隣にいない。

 

 

 シュテルは右の手首を名残惜しそうにさすった。

 

 

 ーー痛む鼓動が、抑えられない。

 

 

「シュテル……!」

 クロノは悔恨とも、忸怩ともつかぬ表情で、バインドを放った。

 それはシュテルへと絡みつき、動きを完全に封じる。

 

 

「あ……」

 

 ーー何もかも、気が付くのが遅かった。

 

「あ……ああ……」

 

 ーー血に沈む冷たい体の感触が、忘れられない。

 

「ーーあああぁあぁああああああああぁああぁあああ!!」

 

 怒声とも悲鳴とも聞こえる裂帛の叫びと共に、シュテルはディザスターヒートで自身を打ち抜いた。

 高濃度の火炎で強引にバインドを消し飛ばしたのだ。

 

「どいて……下さい……」

 

 シュテルはふらつく体を引きずり、尚も前へと進もうとする。

 痛みに顔を歪め、ボロボロのバリアジャケットを気にもせず、ただ、懇願する様にルシフェリオンの砲塔をクロノへ向ける。

 それは、あまりにも痛々しい光景であった。

 

「お願い……です……」

 その暗澹たる瞳に、シュテルは明らかな敵意を灯してみせた。

 最早憎悪とも取れる、その強く暗い光。シュテルがみせた剥き出しの感情。

 クロノは、奥歯を砕ける程に噛みしめた。

 

「シュテル、冷静になってくれ! 頼む……!」

 

 クロノは魔力を込めた氷塊を放つ。

 普段のシュテルならば目を瞑ってでも避けられる、ただの牽制でしかない攻撃。

 

 けれどそれは、シュテルに直撃した。

 当然クロノは防ぐものと考えており、想定外の事態に明らかな焦りをみせる。

 

 

「ーーーー」

 

 

 地へと滑落する中、シュテルはニコリと目を細めた。

 

 ーーあぁ、これで。

 

 

 大粒の涙を上へと流しながら、笑う。

 

 

 ーーこれで、貴方と同じ場所にいけるのでしょうか。

 

 

 シュテルの影は、雲の下へと、何処までも墜ちていった。

 




とても素晴らしき挿絵は、「んにゃら」様に描いて頂きました。ありがとうございます!
んにゃら様pixiv→https://www.pixiv.net/member.php?id=1437319

6話まで投稿していましたが、色々思う所があり、0話となるプロローグを追加しました。挿絵も0話に移動させたため、2話のあとがきも少々変わっております。精進します。

シリアスかと思いきや、そうでない時もあったりなかったり。
基本的にはシュテルが可愛い感じになる事を中心に書いていこうかなと。

もしよろしければ、お付き合いいただければ幸いです。


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第1話 星空と模擬戦とパンツ男

シュテルのパンツってどんなだ、って1時間くらい討議し合いました。何をしているんだろうなと思いつつ、シュテル可愛いしもうそれだけでいいやって結論に。世界は平和。

ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。



 ーー光弾が空を穿った。

 数は4つ。

 どれもが炎熱を纏い、夜空を焦がし突き進む。

 

 放つは深紫のバリアジャケットに身を包む少女。

 無に近い表情で、しかしその瞳には確かな闘志が燃えている。

 

 相対すは、白のバリアジャケットを纏う少女。

 桜色の魔力光を散らしながら滑空し、追いすがる火球をひらりと難なくかわす。

 

 目測を外れた火球はガラス張りのビルへと着弾し、爆炎と土煙を巻き上げ沈黙した。

 

 やがてガラスを焦がす炎も小さく夜空に溶け、そこには静かに見つめあう二人の少女だけが残る。

 

「ナノハ、避けないでください」

「にゃはは、当たると痛そうだし、それはちょっといやかなー」

 

 なのはと呼ばれた白い装飾の少女は、苦笑を湛えながら頬を掻いた。

 

「それに、シュテルとの模擬戦はすっごく楽しいもん。すぐに終わっちゃったら、もったいないなーって」

 

 市街地戦を想定した演習空間をゆっくり見渡し、のんびりとした口調で話すなのは。

 小さな深呼吸の後、桜色の光球を6つ生成していく。一転し、攻勢の形をみせた。

 

「さ! シュテル、今度はこっちの番だよ! アクセルーー……シューター!!」

 

 可愛らしい掛け声とは裏腹に、抉るような光の破壊が迸る。

 深紫の少女ーーシュテルは、ふ、と小さく息を吐き、迫る6つの光を鋭く見据える。

 

「ーーーー」

 2人の距離は約40メートル、数秒後には着弾だ。

 と、ここで2つの光球だけがスピードを上げ直進。残りの4発を置き去りにした。けん制と足止め狙いだ。

 

「ッ!」

 

 シュテルは防御魔法「プロテクション」を掌にだけ展開。

 2発が着弾するその瞬間、踊る様に体を振るい、魔力壁で弾丸をスルリと滑らせ、はじき飛ばした。

 

 弾着時に通常であれば発生する煙さえ上げさせる事なく、まさに一切の無駄のない動作で、いなしきってみせる。

 

「ーーーー!」

 

 だがそこに間髪入れず、上下左右から4つの光球が湾曲しながら迫る。

 妙技によってもたらされた、良好な視界。それ故に、残る弾丸全ての挙動を看破した上で、

 

「――行きます」

 

 錐もみさせながら一気に前へと翔んだ。

 

 シュテルを中心に収束しつつあった4つの魔弾のド真ん中を見事ぶち抜き一気に距離を詰める。

 攻撃も防御も捨て、加速のみを追求した疾走の姿勢。だが、その先には、

 

「ディバインーー……」

 

 集束砲撃の姿勢を取る、なのはの姿があった。

 

(シュテル、前に出た。ちょっと予想外だったけど、大丈夫)

 

 もしシュテルが足を止めて光弾を防いだなら、なのははそのシールドごと叩き潰す算段だった。

 仮に飛翔し避けようものなら、シュテルはアクセルシューターに追われる形となり、なのはは優位に立ち回れる。

 

 故になのははアクセルシューターを放つや否や、ディバインバスターを撃つべく行動していたのだ。

 

 

 2人の距離は25メートル。シュテルが詰めきる前に、砲撃がくる。

 

(く……!?)

 

 内心低く呻くシュテルであったが、ただ前へ出る。否、出るしかない。

 

 後方からは先ほど置き去りにした4つの魔弾が方向を変え、迫って来ていたからだ。

 

 逃げ場はない。

 前後から挟まれる、最悪の状況。

 

(どういう育ち方をすればこのような悪魔的な……!)

 

 なのはの集束砲の前には半端な防御魔法では対処出来ない。

 とはいえ、後方より飛来するアクセルシューターも無視できる代物でもない。

 

 勝利を確信したなのはの笑顔を一瞥しつつ、シュテルはしかし内心ほくそ笑む。

 

(ええ、けれど。その芸当は、貴女の専売特許ではないですよ)

 

 シュテルは左の手で小さく指をを鳴らす。

 と、先ほどシュテルの火球が爆着したビルから、4つの魔力球が矢の如き速さで急浮上した。

 

 それは初動で放った4発の炎弾に他ならない。

 

 燃え尽き霧散したかのように見せ、着弾点に潜ませていたのだ。

 

 シュテルの放つ魔法は大よそが炎属性であり、暗がりの空では文字通りの篝火の様によく目立つ。

 

 だからこそ、炎の鎮火もまた同時に意識に刷り込まれる。あの魔法はもう霧散したのだ、と。

 

 完全に意識の外からの射撃。虚をつく最善のタイミング。

 

 ーーけれど、狙いはナノハではなく。

 

 シュテルは思考する。重戦車の様な装甲を兼ね備えた魔導士相手に、威力の無いこの弾丸では足止めにすらならないだろう。むしろ、強引に砲撃を完遂されこちらが堕とされる。

 

 ならば。

 

「狙いは1つです」

 

 小さくシュテルが呟いたそのタイミングで、

 

「バスターーーー!!!」

 

 ド級の光柱がシュテルめがけて放たれた。ーー否、それは目測を誤り斜め上への砲撃となった。

 

「え!?」

 

 驚きを隠せないなのは。原因を瞬時に理解し、先ほどの勝利の笑みは強張り、焦りと忸怩が混じる表情へと変わる。

 

 砲撃の瞬間。シュテルのパイロシューターはレイジングハートの砲塔を下から上に打ち抜いていたのだ。

 結果、射出口がターゲットから外れ、必殺の砲撃は虚しく空を切るに至った。

 

 しかも、集束砲撃故の硬直時間に加え、崩された体勢はとてつもない隙を曝け出す。

 

 決定的な勝機に、シュテルはただ疾走を持って行動とする。

 前へ、先へ。もっと速く、限界まで加速し、翔ぶ。

 

 ーー残り3メートル。

 なのはが強引な空中制御で体制を立て直す。だが強引故に最良の姿勢は保てない。

 

 ーー残り2メートル。

 砲撃では確実に同士討ちする距離まで到達。必然的になのはは近接戦闘へ切り替える。

 

 ーー残り1メートル。

 互いの視線が交差しーー

 

「捕らえました」

 

 ゼロ距離。

 シュテルの愛機ルシフェリオンから朱色の光がもたげた。

 

(この距離から砲撃?!)

 

 デバイスから洩れる朱の魔力光は集束砲のそれであり、予想を外したなのは驚愕から思わず一瞬の硬直をみせる。

 

 そのほんの僅かな時間を利用し、シュテルは潜り込む様に下に急加速し、すぐさま直上。

 なのはの後ろへと強引に回り込み、そして、

 

「せい!」

 

 ーーなのはをそのままブン投げた。

 

 後方へ、つまり迫る桜色の4つの弾丸へ向けて。

 

「ブラスト……」

 

 

 シュテルが砲撃の構えを持つ。

 先ほどの魔力集束はブラフではなく、この時の正射の為。

 

 完全に構図が逆になった。

 狙いは完璧。双撃の布陣。

 

「ファイア!!」

 

 一閃。

 

 火柱が星を焦がし波濤となり征く。

 

 が、しかしシュテルが描いた勝利のイメージは、そこになかった。

 

(まさか、よもやあの一瞬で)

 

 シュテルはなのはの技量に改めて感嘆する。

 

 なのはは体勢を崩された状況下で、4発の魔力弾を操作し自分めがけて打ち込んだのだ。

 結果、最小のダメージを持って、墜落必須の砲撃からその身を逃したのだ。

 

 シュテルは内心ため息を吐きつつも、頬が少し緩んでいる事を自覚する。

 

「すごいすごい! やっぱりシュテルと模擬戦するのは楽しいなー!」

「ええ、同感です。やはりナノハは好敵手です」

 

 互いに実力を認め、競い合うからこそ生まれる、一種の信頼関係。

 だがそれ故に、絶対に負けたくない相手でもある事も、意味していた。

 

 頬の緩みをキュッと押さえ、シュテルは宣言する。

「十勝十敗二引き分け、けれど今宵は勝たせていただきます」

 

「うん! 私も負けないよー! 」

 なのはもレイジングハートを構えなおし、にこやかに、だが静かな闘志を漲らせる。

 

 ーー再び、夜空に朱と桜色の花火があがった。

 

 

 そんな夜空の決闘を見上げる2人の青年がいた。

 市街地戦を想定した仮想空間内。

 その廃ビルの屋上に、彼らはいる。

 

「……ねぇ、クロノ」

 クロノと呼ばれたーー黒いバリアジャケットを纏い、S2Uを杖よろしく地面にたてている少年。

 上空で行われる超ハイレベルな空中戦を感心と研鑽の眼差しで見つめながら、顔の向きを変えず声だけで返事をとる。

 

「どうしたんですか、ルイスさん」

 

 ルイスと呼ばれた黒髪を乱雑に伸ばした青年。

 こちらも真黒のバリアジャケットであるが、そこに防御という思想は感じられず、必要最低限の防具しか備わっていない。

 

 忍者装飾を彷彿とさせるバリアジャケットを着こむ青年は、クロノと同様にとても真剣な表情を張り付けている。

 

「うん、いやね。バリアジャケットっていう割には、この角度からだと2人のパンツ丸見えなわけだけど、どう思う?」

 

 

 ーー直後、朱色と桜色の光柱が二人を直撃した。

 

 

「ーー……ッ」

 シュテルはゴミを見るかの様な目線を投げ、

「にゃ、にゃはは……」

 一方のなのはは朱色に染めた頬を掻きつつ、グッとスカートを押さえていた。

 

「こ、殺す気か?!」

 クロノが怒声と共に瓦礫を押しのけ抗議を示す。

 負けじとルイスもブーブーと文句を言葉にする。

 

「そうだそうだ! ただ、『あ、今日のシュテルとなのはのパンツはどっちもピンク色なんだなー』って思ってただけじゃん! ねぇクロノ?!」

「いやいやいや待ってください!! ぼ、僕は見ていませんよ!?」

「はぁん絶対見てたねー! ていうかこの角度からだと確実に視界に入るじゃないか! だからあんな真剣な眼差しをしていたんだろう……?! このスケベ! むっつり! サイテー!!」

 

「ナノハ、共に奴を爆撃しましょう。あ、それとも焼却処理の方がいいでしょうか」

「う、うーん、どっちもダメ…‥じゃないかなぁ……?」

 

「ーーシュテル!!」

 物騒な提案を行う上空のシュテルへ、ルイスは右手をブンブン子どもの様に振り、叫ぶ。

「……なんでしょうか」

 シュテルは低く言葉を紡ぎ、蔑む視線は忘れずに返答した。

 

「うん! 個人的にはね?! 二日前に履いていた黒色レースのパンツが一番好み」

 

 言い切る前に今日一番の集束砲がビルを直撃し、問答無用で倒壊させていく。

 

 よく考えればクロノは巻き添えな気もしたが、しかし彼もパンツを見たのだ。ならば問題ない。

 シュテルはうむ、と内心頷き、倒壊するビルの瓦礫の上をゴキブリの様にカサカサと飛び移るルイスにありったけのパイロシューターを追加しつつ、ふっと思い返していた。

 

(あぁ、そういえば初めて会った時も、似たような事態になりましたか)

 

 それは、ルイスとシュテルが初めて邂逅を果たした、ほんの幾月か前の出来事。

 夏の足音が聞こえだした、そんな時節の出会い。

 

 微かな笑みと共に、シュテルは思いを馳せた。

 彼と出会った、あの小さな公園に。




ご厚意により規約違反に気付きました、ありがとうございます。
0話は削除いたしました、以後、気を付けたいと思います。

誤字脱字、また、至らぬ点も多いと思います、ご指摘いただければ幸いです。

マテリアルが可愛くて仕方なく、気が付けば人生初の執筆&投稿と相成りました。シュテル、可愛く書けたらいいなー、何て思っていたりしますので、どうかよろしくお願いいたします。


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第2話 少女と男と金の枷

物語導入。
2人の出会いです。
ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。


 太陽が空の真上に至るお昼時。

 海鳴市藤見町の片隅に設けられた小さな緑地にも、燦燦と陽の光が注がれていた。

 『藤見町公園』と看板が掲げられたそこは、錆びついたブランコがポツンと設置されるだけの、簡易な公園だった。

 楕円形の公園の周りにはグルリと木々が囲み、日差しを和らぐ影を落としている。

 そんな手狭な避暑地の奥、背もたれのない木製ベンチの上に1つの人影があった。

 

「…………」

 

 無言でペラリと本の頁を捲る少女。

 薄ピンクのカーディガンに青を基調としたスカートを履き、ボブカットの髪をそよ風になびかせている。

 『古代ベルカ式広域攻撃魔法』と題された分厚い書籍を涼しい顔で読み解く少女の名は、シュテルだ。

 

(ふむ、実に興味深い。流石はクロノの推薦書ですね)

 

 表情筋は動かさず、しかし内心で満足げにため息を吐きながら、シュテルは紙面から意識をふっと外した。

 

(しかし、まさかこれほど穏やかな気持ちで読書に耽られる日がこようとは)

 

 一陣の風が、読みかけの頁をパラパラとめくり、シュテルは慌ててそれを押さえる。

 

 

(あれからもう、2か月ですか……)

 

 シュテルは思う。

 『砕け得ぬ闇事件』を。

 あれだけの大事件を起こしながらも安寧とした時を過ごせている事実に、シュテルは心地よい違和感を覚えていた。

 

(管理局委嘱魔導士の道を指示してくれた夜天の主には、感謝せねばいけませんね……)

 

 流石にお咎めなしに放任という訳にもいかず、1つの体裁として管理局付けの委嘱魔導士にシュテル一行は誘われ、許諾した。

 色々と制限はあるものの、こうして平穏とも呼べる時間を手に入れた。その事実をシュテルは噛みしめ、小さく笑みをこぼす。

 

 と、そんなシュテルに近づく影があった。

 

「えーとごめん、そこの君」

「……はい?」

 

 平日の昼間である故にこの公園には自分しかおらず、という事は私に対し声をかけたのだろう、とシュテルは思考する。

 

(はて、しかしどなたでしょうか)

 

 シュテルはまじまじと、見知らぬ声の主へと視線を注いだ。

 

 乱雑に伸ばされたボサボサな黒髪。

 線は細いが良く鍛えられた体躯を持ち、身長は170センチ後半といったところか。

 20歳前半と思われるその顔立ちは、どちらかといえば端正ではある。

 上下共に黒色な着衣は泥汚れが目立ち、とても清潔とは言い難い格好である。

 

 そして、半袖から覗く腕に限らず、体のあちこちに大小様々な傷が見受けられ、中には明らかな刀傷すら確認出来る。

 特に右頬には大きな傷があり、爽やかな笑顔と対照的に浮き上がって見えた。

 

 

 そしてそのような特徴的な男性と自分は知り合いではなく、記憶が正しければ初対面だ。

 見た目は小学生のそれである自分に声をかけるとなると、これは。

 

 ーーなるほど、つまり変質者ですね。

 

 うむ、とシュテルは自分の思考に頷き、目の前の青年をどう撃退しようかと思案する。

 

「ん、あれ、何か凄く失礼な事考えてない?」

「いえ、決してそのような。それで、何か御用でしょうか」

「えっとね、実は助けて欲しくて」

「ふむ……?」

 小首をかしげるシュテルに、青年は飄々と言葉を放つ。

 

 

「あぁ、魔法の事で、ちょっと」

 

 

 ーー瞬間、シュテルはベンチから跳ねるように立ち上がり、短いバックステップで青年と距離を取った。

 

(聞き間違い、いえ、確かに今魔法と……)

 

 地球こと第97管理外世界では、基本的に魔法を扱える者は存在しない。

 渡航者であればまた別ではあるが、シュテルの知る限り現在地球に異世界渡航者は在留していないはずだ。

 

 それであってこの青年は、悪びれる事もなく「魔法」と口にしたのだ。

 

(考えられる可能性は2つ。1つは何かしら良からぬ事を企む悪人。1つは何かしらのトラブルに巻き込まれた一般人……)

 

 シュテルは件の青年を観察するため鋭い眼光を飛ばす。

 

「え……? えぇ……?!」

 

 青年はシュテルの突然の跳躍に明らかに狼狽を見せており、ダラダラと冷や汗を流していた。

 

「…………」

 

 青年の態度から、後者の可能性が高いとシュテルは考えるが、しかしその確証がないのも事実である。

 油断させる常套手段ではあるし、警戒体勢を維持する選択肢しか今の所なかった。

 

「なぜ、私が魔法関連の知識があると……?」

 シュテルは少しでも情報を得んと、青年へと質問の言葉を投げかける。

 

「ん、や、えっと、だ、だってその本読んでたから」

 

 青年が震え指さすベンチには、先ほどまでシュテルが読みふけっていた教本が乱雑に転がっていた。

 なるほど確かに、この本を持ちうるのはこの世界の住人であるはずがない。

 

「納得しました。それで、助け、とは……? あまり穏やかではないですが」

 

「いやえっとね、実はコレの事なんだけど……」

 

 自分の潔白を証明する為か、青年は両手を上にあげ、ゆっくりと近づいてくる。

 その青年の左の手に、ひどく異質なモノがはめられているのをシュテルは見た。

 

(……黄金の、手枷?)

 

 薄く発光を繰り返すソレは、確かな魔力を放っていた。

 デバイスか、はてはロストロギアか。

 少なくとも注視せざるを得ない「何か」であるのは確かだ。

 

 シュテルは尚一層警戒を強くし、軽く身を屈め咄嗟の行動が出来る様に備える。

 

 と、青年とシュテルの距離が2メートル程に近づいたその時だった。

 

「ーーえ?」

 

 手枷が強く輝き、青年の間抜けな声と共に金の閃光がシュテル目掛けて放たれた。

 

(!? 回避を!)

 

 何かしらの攻撃と判断し、シュテルは右後ろへと大きく跳躍。直線軌道で迫る光線の射程から外れるための回避行動をとる。

 着地と同時にシュテルの身体を紅の焔が包み込み、次の瞬間にはバリアジャケットを着こむ姿がそこにあった。

 

「ーーな?!」

 

 完全に戦闘態勢に入ったシュテルであったが、しかし光は直線から歪曲する挙動を見せ、避けるシュテルを追随する。

 

 

(ホーミング……! 回避しきれない……!!)

 

 正体不明の攻撃故、可能な限り接触を避けようと踏んでいたシュテルであったが、それが果たされないと判断し、魔力障壁を展開。

 衝突に備え重心を落とし、身を構える。

 

「ーーーーッ」

 

 直後、()()()()()()()()()()()が、シュテルを直撃した。

 

「ーーーー!」

 

 次々と起こる想定外な出来事に、しかしシュテルは取り乱す事なく冷静に分析を行う。

 

(痛みはありません、遅行性の攻撃の可能性もありますが、今は)

 

 2撃目が放たれる前にと、青年目がけ突進の行動を取ろうとした、まさにその時だった。

 

 

 カチン。

 

 と、乾いた金属音がシュテルの耳に届いた。

 音の発生地点は、自分の右腕からである。

 

(今のは?)

 

 そう疑問符が浮かんだと同時、シュテルの体は青年の方へと強烈な力で吸い寄せられていく。

 

(くっ……!)

 

 奥歯をギリ、っと噛み抗うシュテルであったが、意思とは逆に身体を押し留める事が出来ない。

 

「え、ちょ、え、えええええええ?! なんでコッチ来るのぉお?!」

 

 青年の驚き慌てる大音声が至近で聞こえる程引き寄せられ、ドン、という鈍い音と共に、シュテルと青年は抱き合うように衝突した。

 

「ーーッッ」

 

 かなりの勢いがついていた事もあり、そのまま二人はゴロゴロと3メートルほど転がり、ようやっと静止した。

 

 無理な姿勢で引っ張られ、方向感覚を失ったシュテルは低いうめき声をあげかぶりを振る。

 

「…………」

 

 状況を把握するべく素早く目線を周りに飛ばすシュテルであったが、自分の状態を理解するや否や、スッとその無表情を更に硬直させた。

 

 シュテルと青年は上下逆さに、具体的に言えば互いの股間を見せ合う形で倒れていた。

 おまけに、シュテルのスカートは完全にめくれ上がり、パンツを見せびらかす形となっている。

 

「わぁ、黒とはまた見かけによらず大胆な」

 

 お尻の方から拍手と共に間の抜けた声がしたため、シュテルはスカートを抑えながら青年の鼻っ柱目掛けつま先を叩き落とし、その反動を利用し宙で一回転し着地する。

 

 そのまま距離を取ろうとするシュテルであったが、ガクンと右手が引っ張られ、たまらずペタリと尻もちをついてしまう。

 

「……これは」

 

 何事か、と自分の手を見るシュテルであったが、そこには、青年と同じく黄金の手枷がはめられていた。

 つまりは、二人は完全に手枷で繋がれている状態だ。

 

「……どういうつもりですか、これは」

 

 冷静ではあるが詰問の色を濃く出し、シュテルは淡々と言葉を紡ぐ。

 返答いかんによっては零距離収束砲で自爆するしかないですね、とシュテルは内心覚悟を決め、青年の言葉を待つ。

 

「いや確かに、年齢にそぐわないひらひらレースの黒パンツではあったと思う。けどね、僕はそういうギャップってとても魅力的だと思うし、あえて、そうあえて!! 大変素晴らしい絶景でしたと言わせて貰うね!!」

 

 

 ーー瞬間、全体重を乗せたシュテルの正拳突きが変態の鳩尾をぶち抜いた。

 

 

「私の下着の話しではありません、この状態についての説明を求めています」

 

 あくまで事務的に、しかしほんの少し頬を朱に染めたシュテルが尚質問を続ける。

 

 ぐふ、と空気を吐き出し悶絶していた青年は、言葉を発しようと逡巡しているようだった。

 

 どうやら青年にとっても予想外の出来事だったのか、目を泳がせながら口ごもっている。

 

「たぶんだけど、あー……」

 

 青年は頬をポリポリと描きながら、

 

「うーん、ロストロギアが発動しちゃった、みたいだね」

 

 何の事はない様に、そう言ってのけた。

 

「なん…‥‥」

 

 唖然とするシュテル。

 

 ロストロギア。

 それは、正しく扱う術が確立されていない未知の技術。

 つまりはこの手枷がどういった効力を持つのか分からないという事であり、今この瞬間に命が吸い尽くされてもおかしくはないのである。

 

 それだというのにこの青年は、危機感の欠片もない、どこまでも軽い返事をしてみせたのだ。

 

 

 シュテルは青年にバレないように小さく息を吐き、冷静さを維持するように努めた。

 目の前の青年の言動にどうも調子を狂わされはするが、ここで取り乱してしまえば事態は悪化するだけだと、シュテルは理性的に考えを巡らせる。

 

「それで、私を捕らえた目的は何なのでしょうか」

「い、いや! 僕も何が何だか! 捕まえようなんてそんな?! あ!! でも合法的にいたいけな少女と密着できるのは幸運なのでは?!」

「…………」

 

 ジト目で青年を観察するシュテルであったが、どうにも要領を得ない。とりあえずもう一発鳩尾に渾身の左ストレートをブチ込みながら、シュテルは思考する。

 シュテルを拘束するにしてはもっとやりようがあるだろうし、チェーンデスマッチを仕掛けるにしては害意が無さ過ぎる。

 

 

「どうも貴方の真意を掴みかねます。敵意がどうやら無さそうだとは判断いたしますが」

「よ、よかった、もちろん敵対する気なんてないから!」 

 

 青年は安堵の溜息を大きく吐き、肩を落とした。ふるふると頭を振り、困ったような笑みを浮かべる。

 

「……えぇっと、ごめん。そういえば自己紹介がまだだったね」

 

 落ち着きを取り戻した青年は、ハニカミながら続ける。

 

「僕はルイス。ルイス=シュヴァングだよ」

「……管理局委嘱魔導士、シュテルです」

 

「ええぇえ管理局ぅ?!」とオーバーリアクションするルイスと名乗った青年を横目に、シュテルは、ふっ、と息を吐いた。

 

「とりあえず、ここを移動しましょう」

 

 ロストロギアが発動した以上、自分ひとりの手にはあまるとシュテルは判断し、ゆっくり立ち上がる。

 

(ーーそれに、王やクロノに念話を試みていますが上手くいきません。この手枷のせいでしょうか)

 

 チラリ、と青年への注意はそのままに、視線を金の枷へと落とす。

 

(これは、想像以上に厄介な事態に巻き込まれた、と思っておくべきでしょうね)

 

 シュテルは忌々しく金に輝く手枷に、冷たい目線を投げかけた。

 

 

 何てことは無い平日の昼下がり。

 ひと気の無い小さな公園から、長くて短い、二人の奇妙な束縛生活が始まりを告げたのだった。

 




0話で詳しく書いておりますが、挿絵を0話に移動しました。申し訳ないです。

ゲームのキャラ選択画面で「 私ですか? また物好きな」ってセリフが死ぬほど好き。シュテルに惚れたきっかけ。何か告白された時こういう台詞言ってくれそうって妄想。
少しでもシュテルの可愛さを書けるよう精進いたします・・・。
それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。


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第3話 出会いと誤解とマテリアル

マテ娘登場。
見返すとマテ娘と変態が喋ってるだけ。
シュテルと結婚したい。

ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。



 海鳴市のとある一角。

 ズラリと家屋が並び立つ、絵に描いた様な閑静な住宅街がある。

 

 そんな家々の中でも特に真新しさを誇る、2階建ての新築物件があった。

 真っ白な壁を基調とした洋風建築。縦長の窓枠からは薄桃のカーテンが揺れている。

 

 玄関先にちょこんと置かれたプランターには小さな青い花が揺れており、『可愛さ最強僕の花』とネームカードが乱暴に突き刺さっている。

 大理石の表札に「王」と文字が彫り込まれているそこは、シュテルが住まう住居だ。

 

 そんな玄関先に、二つの人影が寄り添うように立っていた。

 一人はボサボサの黒髪に傷だらけの青年。もう一人は薄ピンクのカーディガンに青のスカートを履いた少女。

 ルイスとシュテルだ。

 

「くれぐれも王に粗相のない様にお願いします。最悪死にます。貴方が」

「え、死?! ままま、待って心の準備が……!! というか王ってどういう事?!」

「いいから行きますよ」

 

 その身長差からして、はたから見れば仲の良い兄妹に見えたかもしれない。

 

「あぁ、ユーリ。ただいま戻りました」

「シュテル! おかえりな……さ……」

 

 だが、ユーリと呼ばれたシュテルの家族たる少女の場合、この光景は少し違って見えた。

 

 

 突然見ず知らずの男と触れあうほどの距離を保ち、帰宅したシュテル。

 

 普段のシュテルなら、他人の接近をここまで許すはずがない。

 少なくともユーリの知る限り、ここまで異性の接近を許すシュテルの姿など、見たことがなかった。

 

 

 つまりは、恋人のソレと見間違えたのも、致し方ない光景であった。

 

 

「すいませんが、ディアーチェを呼んでいただいても構いませんか? 大事なお話がありまして」

 

 ユーリはシュテルの声に反応しようとするが上手く舌が回らず、金魚の様に口をぱくぱくとさせた。

 

「……ユーリ?」

 

 ユーリのいつもと明らかに違うリアクションに、シュテルは心配そうに小首をかしげる。

 しかしユーリは尚も無言で、シュテルと、その横でヘラヘラと困った笑みを浮かべる青年を見比べた。

 

「…………ッ」

 

 そして、徐々にユーリの顔が赤くなり、薄く涙を浮かべながら、

 

「ディアーチェぇぇ……! シュテルがぁ、シュテルが男の人と手を繋ぎながらディアーチェに大事な話があるってぇ……!!」

 

 パタパタと泣き叫びながら部屋の奥へとかけていった。

 たっぷり10秒程の沈黙。ついで、ガシャーンと皿の割れる音が響いた。

 

「ーー何だと!? 我は何も聞いておらんぞ!! ええい! 許さん! 許さんぞ! 嫁ぐのなぞ早すぎるわ!」

 

 カレーの付いたお玉を片手に、エプロン姿の銀髪の少女が顔を真っ赤にしてドタドタと現れた。

 その少女の腰には、先ほどユーリと呼ばれた少女が半泣きでしがみ付き震えている。

 

 お玉からカレールーがポタポタと垂れ、清潔に保たれた廊下を茶色に汚していく。

 

 だがそんな事は気にもとめず、ディアーチェと呼ばれた銀の少女は激昂を止めない。

 

 

「おいシュテル! これは一体どういうことだ?! 納得のいく説明をしてもらおうか!!」

 

「ディアーチェ、少し落ち着いて下さい」

 

「えぇい! これが落ち着いていられるか! どこの馬の骨とも知れぬ輩、我は認めぬぞ!!」

 

「いえ、ですからこの方は私の良い人ではなくてですね。兎に角これを見てください」

 

 シュテルはそっと右手を上げ、金色の手枷を衆目にさらした。

 この場を収めるつもりの行動であったが、ディアーチェは更に顔を赤らめ、お玉をブンブン振り回した。

 飛び散るカレーが壁をも茶色に染めていく。

 

「な、ななな、なななななな?! ユ、ユーリもおるというのに昼間っから盛りおって! ええい! シュテルとて容赦せんぞ!」

 

 ディアーチェは手に持つお玉をカランと床に落とし、わなわなと肩を震わせる。

 シュテルは小さくため息を吐き、横に案山子の様に立つルイスを見上げ、柔らかな微笑みを浮かべた。

 

「ーーではルイス。後はお任せしました。どうかご武運を」

「っえぇえぇ!? ここで丸投げぇ?! うっそでしょぉ?!」

 

 ルイスはゴクリと喉を鳴らしながら、ギロリと睨みをきかせるディアーチェへと向き直った。

 何か言い残すことはあるか、と言葉なくしても伝わるディアーチェの視線を一身に浴びながら、ルイスは笑顔をこわばらせる。

 

 だが誤解を解くためには対話をしなければならない。

そうしないと待ち受けるのはシュテル曰く「死」だ。冷や汗いっぱいである。

 

 最早半泣きになりつつあるディアーチェに、ルイスは頬を掻きながらおずおずと声をかけた。

 

「え、えーと、あのディアーチェ? でいいのかな? えっと、ちょっとお話しがですね」

「……なんだ馬の骨!! 我のシュテルを奪いとりおって!!」

 

 激昂しつつもどこか喜びと寂しさが入り混じった、複雑な表情をディアーチェは浮かべていた。

 シュテルの門出とどう向き合えばよいのか、よく分からないといった様子である。

 

「……どうせ、もうシュテルに手を出したのだろうそうなのだろう!! そんな、エ、エ、……エスエムプレイに興じておるくらいだからな!!」

「とんでもない。まだパンツ見ただけなので」

「いえ、貴方も貴方で何を言っているのですか」

 

 と、声にならない叫びを茹蛸の様な顔で上げるディアーチェの後ろから、ひょっこりと青髪ツインテールの少女が顔を覗かせた。

 

「んもー王様うるさいぞー、せっかくお昼寝してたのにー」

青髪の少女は大きな欠伸をして、眼尻の涙を指でコシコシと拭き取った。

 

「……お? だれだーおまえー」

 

 珍客であるルイスに気付いてか、青の少女は訝し気に顔を歪める。

だが、ふっと思い出したように、ポンと手を鳴らした。

 

「ーーあ! 人の名前を尋ねる前にこっちから名乗るのが礼儀ってオリジナルも言ってたっけ!」

 

 ツインテールの少女はキレのある動きで右手を天へ掲げ、人差し指をズバっと突き上げた。

 よく通る声で「変身っ!」と頭に付けながら、

 

「僕の名前はレヴィ! どうだカッコいいだろー!」

 

 特撮ヒーローの様なポージングをとり、レヴィと名乗った少女はキメ顔で満足げに「ふふーん」と笑みを零す。

 

 どうやら、今彼女がはまっている特撮番組の決めポーズらしく、ディアーチェの腰にしがみつくユーリも、思わず目を輝かせ小さく拍手をしている。

 

 名乗りの礼儀としては問題だらけであるが、ルイスはどこ吹く風でペコリと頭を下げた。

 

「僕はルイス=シュヴァングだよ、よろしくレヴィ」

 

 そしてキラリ、と目を光らせ、レヴィへと強かな笑みを向ける。

 

「ーーそしてその構えは、革命戦隊ゲコクジョウだね?!」

 

「お、お前……! ゲコクジョウを知ってるのか! 見こみあるな!」

「ああ大好きさ! 決め台詞も完璧に言えるくらいに知っているとも!!」

「ほんと?! よぉしじゃあアレやろうアレ! 爆殺する時のヤツ!」

「ーー任せろ!」

 

 レヴィとルイスはそれぞれ、拳を握った状態で親指だけを立て、かと思えばそれを下に突き降ろし、

 

「我ら革命戦士!」

「何をしても許される!」

「俺が正義だざまぁみろ!!」

 

 決め台詞を阿吽の呼吸で決め、満足げに鼻息を荒げるレヴィとルイス。

 ユーリは皆が聞こえるほどぱちぱちと拍手をし、「カッコいいですぅ……」と感嘆の念をこぼしている。

 

 レヴィもぶんぶん両手を振って、興奮気味にルイスをキラキラした眼で見つめた。

「くぅ~かっこいい! シュテルんも王様もこの良さが分かってくれなくて寂しかったんだー。ゲコクブルーちょーカッコいいのに!」

 

「僕もブルー大好きだよ! 第32話『天文乱しちゃえ!』でブルーが嫁さんパワーで超進化して「くたばれ親父殿ガッハッハ」と高笑いする所はまさに名場面だと思うよ!」

「おぉ……! そこをチョイスするとはわかってるね! お前とは友達になれそうだよ!」

 

「ーーレヴィまで取り込みおったぞあの馬の骨!」

 興奮気味に硬い握手をかわす二人を見て、ディアーチェはバンバンと足を踏み鳴らす。

 

 シュテルは右手を額に押し当て、重い溜息を吐いた。

 

「とりあえず落ち着きましょうか」

 果たしてあの番組は子供向けなのだろうか、とシュテルは兼ねてからの疑問を思うが、それどころではないですねと頭を振る。

 

「さて、居間にでも行きましょう。いいですね?」

 

 シュテルの有無を言わせぬ冷ややかな声が、凛と響いた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ーーなるほど、つまり馬の骨とシュテルは古代遺産のせいで離れられなくなった、と」

 

 シュテルの提案で居間へと移動していたが、お茶を含め持て成しと取れる物は用意されておらず、ルイスを歓迎していない事が自ずとうかがい知れた。

 当然と言えば当然ではある。

 

「ええ、私にも落ち度はありますが……」

 ディアーチェの誤解も解けたからか、シュテルはホッとした表情で相槌を打った。

 

「とりあえずぶっ壊しちゃえば? ザッパーンって切っちゃえばいいんだよ!」

 ニコニコと物騒な事を口にするレヴィをシュテルは首を横に振る事で静止した。

 

「駄目ですレヴィ、これは古代遺産です。不用意に刺激してはいらぬ被害が出るやもしれません」

「えー? じゃあどうすればいいんだよー」

 

「この状況、管理局の連中にも伝える事が一番だろう。ふん、そういえば今朝クロノから念話で召集がかかっておったか。丁度良い、その時に報告すればよかろう」

「確かに、彼らならば何か打開策を提示してくれるかもしれませんね」

 

 「クロノって?」とルイスは横のシュテルに小声で確認を取り、シュテルも同じく小声で簡単な説明をする。

 その様子を面白くなさそうにディアーチェは眺めており、イライラした様子で軽く机を叩いた。

 

「ーーで、そこのお前」

 ディアーチェがルイスへと凍える様な視線を向ける。

 腕を組み、虫を見る様な目である。

 

「は、はい! 改めましてルイス=シュヴァングです、どうかよろしく!」

ルイスは負けじと元気よく笑顔でそれに返すが、頬に冷ややかな汗が伝っては落ちている。

 

「よろしくなどしたくないわ馬の骨が」

「えぇー……」

「ずっと気になっておったのだがな。先ほどシュテルのパンツがどうとか言っておった件、釈明はあるか?」

「…………」

 ぶわ、っと発汗量を増やしながらルイスは笑顔のまま固まる。

 シュテルはほんのりと頬を朱に染め、目線を外した。

 

「ーーふん、本来ならこの場で八つ裂きにして畑の肥しにでもしたい所だが」

ちっ、と舌打ちをして。

「クロノとの約束の時間が迫っておる、それが終わり次第改めて問い詰めるから覚悟しておけ」

 

 ディアーチェはリビングの奥、竹の水彩画が描かれた戸襖を見た。

 その扉の先は四畳半の畳敷きとなっており、この家唯一の和の空間が広がっている。

 そしてそこは、「次元空間航行艦船アースラ」に通じる転送ポットが設置されている。

 

 もっとも、普段はロックがかけられており、使用する際にはクロノからの申請許可が必要である。

 けれどその逆、アースラからはいつでも転送ポットを起動出来る仕組みとなっていた。

 

 通常は一方通行であり、明確な目的がある際にのみ、ディアーチェたちは使用できるという寸法だ。

 

 委嘱魔導士として活動をしているとはいえ、ディアーチェ達は監視状態であるのも事実だ。

 アースラとしては「緊急時」に迅速な対応を取るべく、このような変則的な転送ポットの運用を用いていた。

 

 しかしこの処置は、ディアーチェ達を信頼していないという態度が露骨に表れている。

 

 「上の命令」で止む無く取った行動とはいえ、クロノはいたくその事を気にしている様であった。

 

 その為か、以前クロノは頭を下げその事に謝辞を述べていたが、「当然の対応だろう、むしろそれで済むなら安いものだ」とディアーチェは納得をしていた。

 

 そして委嘱魔導士の仕事等でアースラへと渡る必要がある場合、ディアーチェが代表しクロノへ念話を飛ばし申請をする事になっていた。

 今回もその例に漏れず、ディアーチェはクロノへと念話を試みる。

 

『クロノ、我だ。ちと珍客も一緒でな、判断を求めたい』

『あぁ、ディアーチェ。今日は急に呼びたててすまない。それで、客、というのは……?』

『我にもまだよく分からんが、どうも妙な男が現れてな。ルイス=シュヴァングと名乗りおったが、古代遺産を所持しておる』

『ーー、危険性は?』

『件の男と古代遺産共に、皆目分からん。我もまだ看破しかねる状況だ』

『……分かった、すまないが会議の前に今からお邪魔しても構わないだろうか。君たちとならば「大丈夫」だろうし』

 

(ふん、懸命な判断だな。正体不明の古代遺産と謎の人物を艦内に入れるなぞあり得ぬしな。それに、我らならば如何様にも対処出来るとの判断、悪い気はせん)

 

『うむ、問題ない。いつでも来てよいぞ』

『ありがとう、すぐに向かう。まずは僕一人で行くよ』

 

(……ほぉ? 差し当たって馬の骨と古代遺産を見極めに来るか。しかし、おそらくは部下の安全を考慮した故に一人で来るのだろうが、上官の判断としてそれは如何なものか)

 ふっ、とディアーチェは笑みを零す。

(もっとも、それが奴の人望を集める所以か。我もその姿勢は嫌いではない)

 

 

「うむ、話しはついた。すまんがどこぞの馬の骨のおかげで、クロノが今から来る事となった。やれやれまったく……」

 ディアーチェはルイスにズズイと詰め寄る。

「どこぞの! 馬の! 骨の! せいでな!!」

「すすすす、すいません……!」

 掴みかからんとばかりに迫るディアーチェに、ルイスはしどろもどろに謝るしか出来なかった。

 

 ーーと、コンコン、と壁を叩く音が聞こえた。

 

「すまない、怒声が聞こえたので無礼も承知で部屋に入ったが……」

 

 黒い背広に紺のネクタイを締めた少年が立っていた。

 手の甲でノック代わりに壁を叩いたようだった。

 

「何というか、以外に仲が良さそうだな」

 

 醸し出す雰囲気は妙に落ち着いており、とても少年の物とは思えない。

 彼がいるだけで、この部屋に立ち込めていた空気もガラリと変わった。

 

「クロノにしては笑えん冗談だ」

 ディアーチェもクロノの登場で落ち着きを取り戻したのか、椅子に座り直し足を組んだ。

 

 クロノと呼ばれた少年は、ルイスを観察するようにジッと見つめながら、小さくを会釈をする。

「ディアーチェから聞いています、貴方がルイス=シュヴァングさんですね。僕は時空管理局執務官クロノ・ハラオウンです」

「は、初めまして、えっと、管理局の偉い人……?」

 

 ルイスはシュテルから聞いていた情報からして、もっと年配の男性を想像していたが、目の前にいるのは明らかに年若い少年である。

 ルイスの戸惑いを察してか、クロノは優しい笑みをつくった。

 

「はは、まだまだですよ。さて、それが件の古代遺産ですね?」

 

 クロノはシュテルとルイスに絡みつく、金の枷を指差し、口調は朗らかに確認を取る。

 

「はいクロノ、その通りです。今の所、私の身体に異常はありませんが、ただ念話だけが使用出来ない状態です」

クロノの詰問に、シュテルが頷きながら答えを返す。

 

「念話だけ……? それ以外の魔力操作は?」

「まだ全てを試したわけではないですが、バリアジャケットや戦闘系の魔法は問題なく使用できそうです」

「ふむ、なるほど……」

 

 クロノは顎に手をやり、何やら思考を巡らせているようであった。

 数秒後、クロノは考えが纏まったのか、スッと目を開き、ルイスへとゆっくり近づいていく。

 

「さて、ルイスさんーー」

「ーークロノ君ごめん! 町の方で巨大な魔力反応! 現場の捜査官からの報告によると……狗の石像が暴れてるって! 結界には捕らえたみたい!」

 

 突然、宙に慌てる女性の映像が射影され、大音声を響かせた。

 緊急回線からの通信だ。

「幸い町に設置した転送ポットのすぐそばだよ! そっちのポットと繋げたからお願い!」

 

「分かった、すぐに向かう!」

 クロノは表情を一気に硬くし、短く返事をし映像を切った。

「すいませんルイスさん、お話はまた後になります」

「あ、えと、はい……」

 ルイスも事態の急変に、その笑顔を強張らせていた。

 

「ーーさて、我らも行くとしよう」

 

 ハッと息を呑み、クロノは声の主、ディアーチェを見る。

 

「ディアーチェ、いいのかい?」

「なに、ここで一つ管理局に恩でも売っておこうと思っただけだ。レヴィも我と来い」

「ふふ、頼もしい。ありがとう」

 

「ディアーチェ、では私もーー」

 

「シュテル、お前はここで待て」

「しかし……」

「黙れ、我は王ぞ。臣下であれば従わぬか」

「ーー……仰せのままに」

 

 尚も食い下がろうとするシュテルであったが、その一言が決め手となったのか、大人しく引き下がる選択を取った。

 それを見て、レヴィはカラカラと笑いながら、

 

「王様もシュテルが心配ならそう言えばいいのにー。素直じゃないなー」

「う、五月蠅いぞレヴィ! ええい、早く行くぞ!」

 照れ隠しに声を張り上げるディアーチェに、シュテルは暖かい笑みを浮かべた。

 

 古代遺産に繋がれ、尚且つ素性も知れぬ青年と一緒に現場へ出る事の危険を鑑み、ディアーチェは待機という采配を下したのだ。

 シュテルは両の目を閉じ、ゆっくり頭を下げた。

 

「ーーご武運を」

 

 シュテルのどこか嬉しさのこもるハッキリとした声を聞き、ディアーチェは無言で、レヴィは手を振る事で答えとした。

 

 ディアーチェたちが転送ポットの光に包まれる様子を最後までシュテルは見届け、小さくため息を吐いた。

 ディアーチェの采配に納得はしているが、やはり一緒に行きたいという気持ちも確かなものであるためか、ギュッと拳をつくり窓の外を眺めた。

 

(ディアーチェたちであれば、何も問題はないはずです。はず、なのですが……)

 

 

 シュテルは言い知れぬ不安を、その胸に抱いていた。

 ざわざわと心に纏わり付く、朦朧とした疑懼。

 

(王、どうかご無事で……)

 

 ギュッと自分の胸を掴み、シュテルは唇を軽く噛んだ。

 

 

 

 海鳴の音が響く小さな町で、何かが起きようとしていた。

 

 

 




次回あたりからようやっと本筋に入れそうです。3話終わって本筋見えていないってヤバいなって思いつつ。もしよければ、もう少しだけお付き合いいただけたらな、と。


コメント、本当にありがとうございます。素直にうれしく、書く活力になります。キャラぶれてたり誤字脱字が多く読みにくいとは思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。

それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。



そういえば、先ほど友人が教えてくれた温泉卵の作り方を実践した所、電子レンジの蓋がけたたましい音と共に爆散して壁に突き刺さりました。
友人に報告したら「ウケる」って言ってました。


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第4話 酒と女と石の狂犬

オリジナルキャラ回です、なのは成分ちょっと少なめです、すいません。
また、オリジナルの魔法も登場しますので、苦手な方はご注意ください。

ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。


 さざ波が近くにある町、海鳴市。

 兼ねてより漁業を中心に栄えたこの町は、潮の香りが広がる静かな田舎町である。

 

 海に程近い山の頂には小さな社が置かれており、そこには海神が祀られている。

 海と生活が密接に関わる故に祀られたこの神は、古来よりこの町を見守っていた。

 

 そんな「藤見神社」と名を冠するその場所に、隔絶された不可思議な空間が展開していた。

 

 ーー結界魔法だ。

 

 小山の全てを覆う規模で広がるソレの真下、二人の男が狛犬を背にぼやきあっていた。

 

「なぁ、ここって神社って言うらしいぜ」

「ジンジャ? なんだそれ」

「よくわからんが神サマの住み家らしい、んで何でも願いをかなえてくれるって話だ」

「マジかよ、この前振られた彼女と寄り戻せねぇかなぁ……」

 

 小声で会話を交わす30代半ばと思しき二人の男性は、どちらもバリアジャケットに身を包んでいる。

 オールバックに髪を固める男の胸元には「ハロルド」とネームプレートがあり、もう片方の男性は「エリアス」と名が刻まれていた。

 どちらとも、ネームプレートには「次元航空艦アースラ」と文字が躍っており、アースラの捜査官である事が窺えた。

 

 オールバックの方、ハロルドは大きなため息を吐きながら横のエリアスに言葉を漏らす。

「いやでもエリアスさんよ、その子、別れ際お前に呪詛魔法たらふくかけていったろ? なぜか横にいた俺もまとめて。勘弁してくれ」

「な? 呪われるって意外に癖になるだろ? 身体ビンビンして」

「お前は良い相棒だと思っているが、性癖が捻じれてるのは本当に気持ち悪いよなぁ……」

「すまんな頑張って耐えてくれ」

 

 ハロルドとエリアスがいる藤見神社の境内は、朱の鳥居に二匹の狛犬という、正に日本の原風景が広がっていた。

 

 

 ーーだが、そこに明らかな異質な物があった。

 

 

 それは、境内の中央にいる、五メートルはあろうかという巨大な石像だ。

 

 狗の外見をしたソレは何かを探すように鼻をひくつかせており、グルルと低く喉を鳴らした。

 

 しかもその身体は明らかに生物のそれではなく、硬質の岩石で創り上げられているのだ。

 

 石像が一歩を踏み出す度にギギギ、と身体は軋み、その質量を物語る大きな足音と共に石畳に亀裂が走った。

 

「しかしおっかねぇよなぁあの狗……あの巨体で俊敏過ぎだろ、攻撃が当たりゃしねぇ。なぁハロルド」

「全くだ、ちきしょう酒が呑みてぇ気分だぜ」

 

 二人はクロノからとある指示を受け藤見町を哨戒していたが、その折に境内に佇む巨体と遭遇したのである。

 

 遭遇後、マニュアルに則り結界魔法をエリアスが張ったはいいが、当然岩石の狗の注意を生む事となり、戦闘と相成った。

 果敢に攻撃を繰り出す二人であったが、その殆どを巨体に似つかわしくないスピードで捌かれ、いつしか防戦一方となっていったのだ。

 

 現在は辛くも狛犬の陰に身を潜める事で石像の追撃から逃れた形だ。

 

「ーーさて、そろそろ行くか」

「あぁ、エイミィ通信主任にも報告し終えたし、後は野となれ山となれ、だ」

 

 逃げ回っていても、この境内の広さではいずれ見つかる。

 また、結界魔法を破り町に踊り出る危険性も低くは無く、それだけは阻止する必要があった。

 故に、狗の石像がハロルド達を見失っている今こそが、強襲をかけうる最善のタイミングなのであった。

 

「こっちだワンコロ! ハロルド様の肉は美味いぞぉ!! 何たって最近腹が出てきたからな! ビール腹を喰らえ!!」

 中指を立て転がり出たハロルドが、挑発を繰り返す。

 

「グルルルルル……」

 

 岩石の狗はハロルドへと向き直り、グッと前傾姿勢となる。

 

 突撃の構えだ。

 

 一歩、石像が肢を踏み出すその瞬間だった。

 

「ーーいまだ! くらえクロノ執務官直伝のバインド!!」

 

 ハロルドが囮となった事で生まれた死角から、エリアスが深緑色の紐状バインドを放った。

 石床に縛り止める動きではなく、石像の前足を束ねる狙いだ。

 

「グルゥ……?!」

 

 数瞬遅れて石像もバインドに反応を示すが、その遅れは決定的であった。

 

「そぉら!! 地面とはお友だちみたいなモンだろぉ?!」

 

 エリアスの叫びと共に前足を束ねられた石像は大きくバランスを崩し、派手に倒れ伏した。

 

「ーーーー!!」

 

 すかさず、ハロルドは極限まで溜めた魔力をデバイスから解放するべく素早く式を形成する。

 

「ーー信じてたぜ! 触手にしか見えないその卑猥なバインドは伊達じゃねぇって!!」

「ーー色合いと形状は確かに触手だけどその呼び方やめい!」

 

 地団太を踏みながら叫ぶ相方を無視し、ハロルドは懇親の魔力弾を放つ。

 

「……当たると痛いから避けるなよ!」

 

 ハロルドがニカッ、と口を弓にし笑った瞬間、魔弾が石像の顔面を粉々に打ち抜いた。 

 エリアスがバインドを成功させる事を前提としていたからこそ出来た、神速怒涛の二連撃だ。

 

「ーーよし! みたか大吟醸パワー!」

 

 勝利を確信した二人はハイタッチを交わし、高らかに笑声を上げる。

 

「……え、ちょ、まじかよ」

 

 だが、その笑みは一瞬にして氷付いた。

 

「うっそだろおい……」

 

 境内の中央、粉々に砕けた岩石がガタガタと震え宙に浮きあがっていく。

 

 狗の顔があったと思しき場所にそれらはみるみる集まり、僅か二秒と経たないうちに、完全な修復が成された。

 

「ル……ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーー!!」

 

 

 バカリ、と開け放たれた口より響く石像の咆哮に、エアリスとハロルドはやれやれと肩を竦めた。

 

 

「塵も残さず完全に消し去るしかダメかね、これは。どこぞの嬢ちゃんみたいにド派手な収束砲でも撃てたらいいんだけどなぁ」

 

「ーーん、あぁ。そういえば、ここってあの嬢ちゃんたちの故郷なんだよな」

 

「って事は、このまま俺らが倒れたら結界が切れて、嬢ちゃんたちは大迷惑ってわけだ」

 

「あー……、じゃあちょっと、気張らないといけねぇなぁ」

 

「それにこの世界は酒がとにかく美味い。日本酒なんてもうホント最高だね」

 

「おまけに美人も多いときた。ならーー」

 

「「ちょっと、大人の意地を見せますか」」

 

 ハハ、と小さく笑みを浮かべ、お互いの肩を叩く二人。

 

「とりあえず、時機にクロノ執務官が来てくださる。それまで何とか持ちこたえようぜ」

 

 二人は一歩を踏み出し、巨大な石像へと攻撃魔法を繰り出そうとデバイスを掲げる。

 

 

 ーーが、その時だった。

 

 

「ーー……ぁ。すまん、一抜け、だ」

「ーーは?」

 

 エリアスは相棒のらしくない台詞に、間の抜けた声を上げる。

 ふっとエリアスは横を見ると、ハロルドは頭を抱え、力なく座り込んでいた。

 

 ハロルドの身体には黒い靄の様なものが纏わりついており、明らかな異常事態を表している。

 

「ぐ、ぁあ……!」

 

 ハロルドは苦しそうに呻き声をあげた。

 

 突如沸き起こった強烈な吐き気と眩暈に意識は刈り取られそうになり、しかしハロルドは何とか堪える。

 

 これはあれだ、初ボーナスに浮かれて繁華街でたらふく呑んだ翌朝の感覚によく似ているな、と朦朧とした意識でハロルドは考える。

 

 急激な体調の変質は魔力の大きな乱れを生み、遂にはバリアジャケットすら維持できなくなっていた。

 

(ぐ、くっそ、これ、は……マジでやっ……べぇ……)

 

 ハロルドは「まだ呑んでもいないのにこれはないぜ」と悪態を吐き、次の瞬間には完全に倒れ込んでしまう。

 

「おい、くっそ、何がどうなってる! 大丈夫か?! さっき格好つけたばっかでこれはかなり恥ずかしいやつだぞ!?」

 

「う、っるせぇ馬鹿が。これ、は、あれだ。呪い、だ。前に、お前の元彼女にかけられたやつに似てる……あれの100倍くらいヤバイやつだ……」

 

「呪い……呪詛魔法か! くっそ! ちょっと羨ましい!」

 

「…………」

 

 自分の軽口に対し突っ込みがこないという事は、それほど切迫した状況という事か、とエリアスは思考を回転させる。

 

 

 ーー考えろ、トリガーは何だ。

 

 

 呪詛魔法は、その多くが特定の条件下で発動する遅行性の魔法だ。

 呪詛がかかった食べ物を食べた、呪詛がかけられた床を指定秒数以上踏んだ、等々、主に罠として運用する物が多い。

 逆を言えばトリガーさえ踏まなければ一切その影響を受けないという事でもあり、実戦投入はかなりの技量を求められる。

 

 更には、呪詛の効果を持続させるために使用者は常に魔力を供給し続ける必要があり、基礎魔力量の多い者しかまともに扱えないのである。

 

 発動に至るまでの高度な術式の理解、発動条件からして受け身になるしかない特性。さらには持続するための膨大な魔力と、越えるべきハードルは多く、そして高い。

 つまり、暗殺等にはうってつけだが、事直接的な戦闘においては、とても使える代物ではないのである。

 

 多くの場合が普通に攻撃を仕掛けた方がよほど効果的であることも相成り、その使い手は少なく、また、使用者のほとんどは魔女の系譜を継ぐ者である。

 そのため、ミッドチルダ出身である人間には特に馴染みの薄い魔法であった。

 

 

(……だが、俺の場合は何たって彼女が魔女だったからな、多少は知識もある方だ。おまけに呪詛の実験台として毎日こき使われていた玩具のプライドがある!)

 

 エリアスは注意深く過去の状況を整理する。

 

 

 この場所にいる事自体がトリガー? いや違う、同じ環境下で自分の体は健康そのものだ、とエリアスはこの考えを否定する。

 

 

 魔法の使用? 否、確かに攻撃魔法は使用していないが、この結界を張ったのは自分だ。魔力の行使がトリガーになっているなら、とうの昔に自分も地面とキスをしているはずだ。

 

 なら、残る可能性は1つだ。

 

「ーーあの野郎そのものがトリガーか」

 

 エリアスはハロルドを抱えつつ、石像へと鋭く視線を飛ばした。

 

(おそらくあいつを魔力で攻撃し一定数のダメージを与える事が呪いのトリガーである可能性が高い)

 

 

 ーー先ほどのバインドを警戒してか、石像はジリジリと迫り距離を詰めてくる。

 

 

(バインドによる間接的な攻撃では呪いがかからなかった、とすれば魔力による直接的な攻撃に限定されているはずだ)

 

 

 ーーエリアスはぐったりするハロルドを抱きかかえ、少しずつ下がる。

 

 

(術者が人間であるならよくて相討ち、いや、そもそも致命傷を喰らって呪詛をかけ続けられるはずが無い……)

 

 

 ーーだが、エリアスのすぐ後ろには社があり、下がれるスペースはもう、無い。

 

 

(それを可能にしているのが、あのクソったれた再生能力、か。人間じゃあ頭を吹き飛ばされちまったら呪いをかけるどころじゃあないわな)

 

 攻撃は出来ない。理不尽な再生能力を越えうる攻撃力を、エリアスは持ち合わせていない。

 かといって、相対する獣がこのまま見逃す事などあり得るはずもない。

 

 ならば、今起こすべきアクションは。

 

「ーー耐える。クロノ執務官が到着するまで、ヤツの攻撃に耐え続ける」

 

 こちらからは攻撃が出来ず、相手は容易くバインドと防御壁を突破するだけの膂力を持つ化け物だ。

 おまけに、呪詛魔法にかかり手負いとなった仲間が一人。

 ケガ人を抱える故に機動力は無いに等しい。

 選択肢は、1つしか残されていない。

 

「ッチ、滅茶苦茶しんどいじゃねーか。後でいい女の一人でも紹介しやがれってんだ」

腕のなかでぐったりするハロルドを「見捨てる」という考えを一切抱かず、エリアスはギュッと唇を噛む。

 

「……すま、んが、母親しか知り合いにいない、な」

「マジかよじゃあ明日から俺がお前の父ちゃんな」

「ガッデムそれは地獄だ……」

 

 ーーと、石像は弾け飛ぶ様に突進した。

 

 突撃する石像に、エリアスは今使える最大限の魔力障壁で迎え撃つ。

 

「ぐぅ……ぉおおおおおぉおおぉおお!!」

 

 ガリガリと、石像が硬い牙を突き立て、障壁を強引にこじ開けていく。

 

「負けるかバカ野郎ぉーーーー!」

 裂ぱくの叫びをあげ、エリアスは尚も魔力を注ぐ。

 

「もう、いい、俺を置い、て、……行け」

 ハロルドは力なく、エリアスのジャケットを掴み、言う。

「お前じゃ、一分も持たない、だろ……いいか、ら。行け、よ……!」

 

 だが、エリアスは弱々しいハロルドの手を、尚一層強く掴む。

「ッハ、上等! ようは一分もお前を護れるってんだろう?」

 

 一層、魔力を込めて。

 

「ーーやる気出てきたじゃねぇかチクショウ!!」

 

 石像はその巨体をぶつけ執拗にエリアスたちを狙い続ける。

 重く鋭い爪牙は、容赦なくエリアスの魔力を削り取っていく。

 

(クソ、クソ、クソ……!!)

 

 何故俺はこうも弱い、とエリアスは毒を吐く。

 

(クソ!!)

 

 力み過ぎ、鼻から一筋血が流れ落ちた。

 

(ーーーーッ)

 

 完全に意識を失ったハロルドを見て、エリアスは尚叫ぶ。

 

(……--ッ!)

 

 

 バキン、とガラスが割れる様な音がした。

 魔力障壁が、完全に砕け散る音だ。

 

(ーーくそ)

 

 次の障壁を展開しようと試みるエリアスだったが、上手くいかない。

 

(あぁ、もう欠片も残ってねぇ、か……)

 

 悪いな、と意識を失っている相棒に薄く笑みを向け、エリアスは眼前に迫る石像を睨んだ。

 その目を決して閉じる事なく、ただ、強く見据える。

 

 故に。

 エリアスは、それを見た。

 

 青色の魔力光からなる、プロテクションの輝きを。

 

 そしてーー。

 

「すいません、遅くなりました。あとは、僕が請け負います」

 

 幼く、しかしどこまでも落ち着いた少年の声を、聞いた。

 

 真黒のバリアジャケットに身を包むそれは、クロノ・ハラオウン。

 

 その小さな背中が、そこにあった。

 

 突撃する石像を涼しい顔で受け止めるその背中は、ただ、ただ頼もしい。

 

「ーークロノ、執務官」

 

 自分よりずっと年下で、けれど自分より遥かな高みに至る少年。

 

 初めは自分の子供くらいの餓鬼が上官などあり得ない、と負の感情もあったが、今あるのは尊敬と信頼の念だ。

 

 

 ーー守り通したのだと、エリアスは崩れ落ちる様に座り込んだ。

 魔力はとうに底をつき、今すぐにでも意識を失いたいくらいだ。

 だが、まだ仕事が残っていると自分に言い聞かせ、エリアスはクロノへと言葉をかける。

 

「クロノ執務官」

「ーーはい」

 

 クロノもそれを理解し、短い返答を行った。

 

「気を付けてください、アイツを魔力で攻撃すると呪詛魔法が発動します。けれど、防御、そしてバインドには感知しません。万が一……」

グラリ、と意識が揺れるのを感じ、頭を振るう。

「……万が一、あの石像に傷をつけたら」

 ぐったりと腕の中で気絶する相棒を指さしながら。

「こいつみたいになっちまいます」

 

「……了解しました、エリアスさん達はすぐに撤退を。本当に、ありがとうございます」

 

 クロノは思う、ハロルドとエリアスは決して弱くはない。むしろ戦闘においては優秀な方だ、と。

 

 だというのに、一発で彼をここまで追いやる呪いとなると、それは相当強力なものであると言える。

 

 今現在受け止めている石像の力も相当な物で、かなり苦しい状況だったのだろうと、クロノは苦い顔をする。

 

 だが、彼らはクロノたちに繋げる為、危険を顧みず情報の取得に全力をかけてくれた。

 

 足を引きずり転送ポットに向かう二人を見て、クロノは思う。

 

 自分には勿体のない優秀な部下だ、と。

 

 

「ーーレヴィ、ディアーチェ、聞いての通りだ。あの石像に迂闊な攻撃は逆効果だ」

 

「えー?! じゃあ黙ってみてろってことー?! やだやだ暴れたいー!」

 

「ええい駄々をこねるなレヴィ。--で、クロノ。ただ手を拱いているわけではあるまい?」

 

 ディアーチェは「バインド」の式を構築しながら、そう問うた。

 

「察しがよくてなによりだ。壊せないというのであれば、捕らえてしまえばいい」

 

 クロノは、普段は見せない明確な怒りを瞳に宿し、凛と言葉を放つ。

 

「少し気が立っている、悪いが手加減は出来そうにない」

 

 言うや否や、石像は一瞬にして青のバインドでその身を覆われ、完全に固着される。

 

「出る幕がないではないか」とディアーチェが呟く中、一瞬にして闘いは決着したーーかに見えた。

 

「ーーなに?!」

 

 クロノの驚愕の叫びと同時、石像は幾重のバインドを簡単に引き千切り、その赤い目を怪しく燻らせる。

 

「ーーオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 獣の極大な咆哮が、空を震わせた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 静まり返ったリビングの一室には、三人の人影があった。

 

 手枷に繋がれたルイスとシュテル、そしてユーリだ。

 

「ーーシュテル」

 

 ルイスは声を上げる事で静寂を破った。

 その顔はいつもの様に穏やかな笑顔であるが、声はどこか強張っている。

 

「はい、なんでしょうか」

 

 今までと違う雰囲気に、シュテルは気付かれないように身構え、しかし何事もない様に返答をする。

 

「僕は今から、ディーアチェたちの所に行こうと思う」

 

「……なぜそのような結論に?」

 

 どこか攻撃的な声色を持ち、当然の疑問を口にするシュテル。

 ユーリもこの空気を察してか、二人を交互に見てはおろおろとしている。

 

「ーー今、狗の石像が暴れているんだよね」

 

「えぇ、エイミィの話しではそのようですね」

 

 一拍、間を置き。

 

「だから、僕は行かなくちゃいけないんだ」

 

「……すいません、話が見えないのですが」

 

 怪訝な顔をするシュテル。

 だが、ルイスは構わず続ける。

 

「あぁ。なんたって、その石像を連れてきたのは」

 

 

 ニコリ、とルイスは変わらぬ笑みをその顔に灯した。

 

 

 

「ーー僕だからね」

 

 

 

「ーーーー」

 

 

 その表情から何も読み取る事が出来ず、シュテルは困惑を胸に、ルイスをただ見つめ返す。

 

 

 いつもなら朗らかな空気が流れるこの一室は今、時間が止まったかの様に凍り付いていた。

 シュテルは息をのみ、そして、言葉を絞りだす。

 

「……それは、どういう事でしょうか」

 

 

 

 シュテルの問いかけが、冷たく、静かに響いた。

 

 




見返して思ったのですが、殆どマテ娘たちが喋らず、おっさんたちがキャッキャしていましたね……すいません。

次回以降はシュテルたちの出番をもっと増やせたらいいなー、と。

それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。



余談ですが、「先輩ってJCの画像いっぱい持ってそうですよね、ちょっと分けて下さいよ」ってのたまう後輩がいたので、JC(ジャッキー・チェン)の画像を200枚くらい送り付けたのですが、すごいキレられました。世の中理不尽ですね。



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第5話 朱と銀と繋ぐ掌

リアルがバタバタとしており、更新遅れてしまいました、申し訳ないです。
アニメでいうAパートと言いましょうか、しかし盛り上がりに欠ける回になってしまっているかもです、精進します・・・

ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。



「……それは、どういう事でしょうか」

 

 洋風の居間に三人がいる。

 口調を強くし詰問するシュテル、それを受けるルイスに、見守るしかできないユーリだ。

 

「そうだね、どこから話せばいいか……」

 

 ルイスは苦笑を浮かべ、シュテルの目を正面から見る。

 少なからず発せられる疑念と敵意をルイスは飄々を受け流し、続ける。

 

「僕はすぐにでも石像の下に行くべきなんだろうけど、でもまずは、シュテルにしっかり説明をしないといけないよね」

 

「…………」

 

 シュテルは無言で続きを促した。

 現段階でのルイスは、明確な敵になり得る存在だとシュテルは認識している。

 そのため、自分からは極力情報を与えず、「ルイスに多くを喋らせる」という魂胆のもと、言葉数を意図的に少なくしていた。

 こちらは頷きと最低限の言葉だけを用い、相手に多くを語らせる。情報奪取の正攻法だ。

 

 それと同時、シュテルはルイスの腰後ろにあるデバイスを意識する。

 隠すようにベルトに括られるソレをシュテルは気付いていたが、あえて触れずにいたのだ。

 

(……さて、彼はどうでますか)

 

 あまりにも正体が見えないルイスの意図を図る為、泳がせる方策をシュテルは取っていた。

 

 ルイスがデバイスを抜く意思を見せるという事は即ち、明確な敵対行動を意味し、害意の是非を問うに最も手っ取り早い選択であったのだ。

 故に、シュテルは気付かれないように魔力弾を手の内に練り、いつでもルイスを打ち抜ける様に構えた。

 

「僕はね、遺跡の発掘を生業としているんだ」

 

 シュテルの思考を知ってか知らずが、ルイスは言葉を続ける。

 

「発掘、ですか」

 脈絡のない会話の流れに目を細めるも、シュテルは傾聴の姿勢を崩さない。

 臨戦態勢は維持し、ルイスの動向を、ただ見る。

 

「そ。どうにも元来そういった物に興味が湧く性分でね、いつしか生業と言ってもいい程度には日常になったのさ」

 

 ルイスは頬の大きな傷をトントン、と指でさす。

 

「僕が傷だらけなのも、大体が遺跡の罠とか防衛兵器を相手にした時に、ね。まぁ僕は弱いという証明でもあるのだけど」

 

「貴方の稼業は分かりました。それで、今回の件とどう関係が?」

 

 シュテルはあくまで、平坦に声を紡ぐ。

 もとより表情の読みにくい気質ではあるが、意図的に感情を消しているからか、シュテルのそれは最早能面に近い。

 

「んーと、僻地の星で未開の遺跡を見つけてね、小躍りして発掘に乗り出したのさ。いやそれがもう、凄い遺跡でね。宝物庫には数え切れないくらいの古代遺産が貯蔵されていたんだ」

 

「ほぉ……」

 

 話しの流れが見えず若干イラつきを覚えつつ、シュテルは相槌をうった。

 

「……でもね。その宝物庫には、何というか……どこまでも奇妙で不気味なヤツにいたんだ」

 

 ルイスは言葉を選ぶように薫らせる。

 

「何だろう……黒い…‥そう、本当にただただ、真っ黒な獣がいたんだ。毛並みが黒いとかじゃなくてね、暗闇が獣の形をしているというか……少なくても、決して生物ではない『何か』だったのは確かだよ」

 

 一呼吸置き。

 

「はじめは遺跡の守護者か何かかと思ったけど、どうも様子が違ってね。ヤツは遺跡を喰ってたんだ、比喩じゃなく、大口を開けてバリバリと」

 

「…………」

 

「本能的にヤバい、と思ったんで逃げようとしたんだけど……まぁ、普通に見つかってしまってね」

 

「……はい。それでどうしたのでしょうか」

 

「うん、もちろん応戦したんだけどね。それがまぁ、強いのなんの。まるで歯が立たないわけだ」

 

 ふぅ、と息をルイスは吐く。

 

「正直、もうダメだと思った。このまま殺されるんだろう、と覚悟を決めたその時、遺跡全体が急に光り出してね」

 

 

 ルイスは陽光が降る窓を眺め、藤見町をその目に収めた。

 

 

「ーー気が付いたら、この町にいたんだ」

 

「……なるほど」

 

「たぶん、遺跡そのものが長距離転移を可能とする古代遺産だったんだろうけど……」

 

 苦虫を噛み潰したような、けれど笑顔の色は残し、ルイスはじっと机を見た。

 

「だから、この町で暴れているっていう石像は、僕と一緒に転移されて来た可能性が高いと思うんだ。いや、というか、そう、なんだろうね……」

 

 シュテルはルイスの言葉を咀嚼する。

 

(なるほど確かに、筋は通っています。今現在の状況を説明するには、合点がいきますね)

 

 しかし、一方的な情報しかない現時点で是非を問うには、早計でもある。

 

(とはいえ……)

 

 今否定をしたとして、ルイスは自身の証言が真実だと反論を行うしかできないのも確かだ。

 では嘘を吐いていないという証拠が欲しいと詰め寄った所で、如何ともしがたい。

 

(となれば、今は彼の言葉を真実だと仮定するのが得策でしょう。話を合わせる事で得られる情報もまだあるでしょうし)

 

 シュテルはルイスの一足一挙動に目を光らせつつ、方針を固めていく。

 

「……仮にも古代遺産を相手にする者でありながら、不注意で他世界を危険にさらしているのは決して褒められたものではありません。また、迅速な報告を怠った事といい、貴方の非は大きいと私は判断します」

 

 無表情で、シュテルは俯くルイスに続ける。

 

「ーーそこまでは分かりました。しかし、何故、戦場に赴きたいと?」

 

 シュテルは疑問というより、疑念に近い感情を言葉に表した。

 ルイスの話す内容が真実として、実際に今クロノたちが解決に乗り出しているのだ。

 わざわざ危険を侵してまで、何を得ようというのか。

 

「そんなの、決まっているじゃないか。僕がこの状況をつくってしまったんだ」

 

 困った様に眉を下げ、力なく笑いながら。

 

「ーー()()()だよ」

 

「ーーーー」

 

 きっと何かしらの思惑があるのだろうと、シュテルは考えていた。

 古代遺産が高価な物であれば、失うのは惜しいと思う下賤な考えか。

 果ては、知的欲求を満たす為だけのエゴイズムか。

 

(けれど、彼は……)

 

 責任を取りたいというその一点のみの、明快な希望。

 

(……似ている、と感じてしまうのは、感傷でしょうか)

 

 シュテルはグッと、胸が締め付けられる感覚があった。

 それは、シュテルがかつてこの町で、大事件を起こした経験があるからか。

 ルイスの悔恨がシュテルにはよく理解でき、自分と重なって見えたのだ。

 

(私の場合は明確な意思によるものでした、けれど彼の場合は……)

 

 故意であれば、ある種覚悟に似た心持で備える事は出来る。

 

 しかし事故であったならば、その罪悪感は計り知れないものがあるだろう。

 

 そして何より、シュテルは委嘱魔導士という形で贖罪の機会に恵まれているのである。

 許しを乞うわけではないが、割り切る為には最も効果的な行動であるのも事実だ。

 

(彼もまた、同じ。犯した罪と向き合い、贖いの気持ちがあっての行動なのでしょう)

 

 シュテルはあえて放っていた剣呑な空気を解き、手に溜めた魔力弾も、気づかれない様に霧散させる。

 ひとまずは、この珍妙な青年の言葉を信じる方向にシュテルの思考はシフトしていた。

 

「……して、私にまず話す理由というのは、やはりコレのせいですね」

 

 シュテルは互いの手にはめられた金の枷を指さした。

 

 物理的に離れられない以上、基本的に2人は行動を共にする他ない。

 ルイスが戦場へ赴くという事はつまり、シュテルも同伴するという事になるのである。

 

(それ故に、私には打ち明ける他なかったのでしょうね。何の理由も無しに渦中に臨む事を、管理局が許すはずもありませんし。委嘱の身とはいえ、私は管理局付けではありますからね)

 

 ルイスは姿勢を正し、シュテルを見る。

 

「ーーうん。間違いなく、シュテルに迷惑をかけることになるからね」

 

 ルイスは続ける。力を込めた言葉を続ける。

 

「無茶は承知でお願いしたい、僕の我が儘に、付き合って欲しい。力を貸してほしいんだ」

 

 最早懇願に近い姿勢でルイスは頭を下げた。

 声には不安が見え隠れし、微かに震えを持っている。

 曲がりなりにも時空管理局が乗り出している案件である、場違いである事はルイス自身が良く理解していた。

 

「……私は貴方という人間と出会い、まだ数時間ともない薄い関係にあります。正直に言って、心よりの信頼は出来ないでしょう」

 

 シュテルはルイスの心情をよく理解するも、しかしソレを口にしないわけにはいかなかった。

 本音を言えば、協力するのもやぶさかではないと思い出している自分を、シュテルは自覚する。

 しかし、委嘱魔導士の立場にある以上、独自判断で動く事は決して出来ない。

 依然、監視体制にある故に、軽率な行動は家族全員に影響を及ぼす事をシュテルはよく理解していた。

 

「手厳しいね、事実なだけに反論も出来ないよ。つまりこれは、駄目って事かな……」

 

 明らかに気落ちするルイスを見て、シュテルは尚続ける。

 明確な打開策を提示するために。

 

「……ですので。エイミィ、聞いての通りです。もう調べはついた頃合いかと思うのですが」

 

『アハハ、ごめんね、聞いてたのバレバレだった?』

 

 と、テーブルの上辺りに空間モニターが表示された。

 先ごろクロノ達に情報を伝達していた女性だ。

 ついで、額に緑玉の様な印を4つ付けた、青の制服を着こむ女性も顔を覗かせた。

 

『ごきげんよう、シュテルさんにユーリさん。そして初めまして、ね。ルイス=シュヴァングさん』

 落ち着きはらった声で、微笑んだ。

『私は、次元航行艦アースラ艦長、リンディ・ハラオウンです』

 

『え、か、艦長さん?! は、初めまして! そ、その……この度はご迷惑を……』

『ふふ、そんなかしこまらないで大丈夫よ。それで、エイミィ、ルイスさんについて分かった事を皆にも教えてあげて?』

『りょーかいです! えーっと、シュテルちゃんが聞き出してくれた情報から、ルイス君について色々と検索してみたんだけどね。あ、ゴメンねルイス君。これも仕事だからさー』

 

 個人情報を調べていたと、その当人の前で話す若干の気まずさは滲ませつつも、エイミィはサバサバと続ける。

 

『結論から言っちゃうと、ルイス君の発言に矛盾はないね。古代遺産ハンターとしての申請も受理されているし、ライセンスも取得してる。犯罪歴もないし……あ、何度か管理局に古代遺産を届け出ている事もあるみたい。やーご協力感謝なのです』

 

「ふむ、なるほど……」

 

 エイミィの情報処理能力は、シュテルも信頼を置く所である。

 そんな彼女がこの場で否定的な意見を述べないという点は、シュテルにとって非常に大きな意味があった。

 

『だからねシュテルちゃん、私は賛成だよ! 実際、ちょーっとシュテルちゃんの力も借りたいと思っていた所だったんだー』

 

 画面上でエイミィは右手をサムズアップの形にし、ウィンクしてみせた。

 

『そうね、クロノの意見も聞かなければだけど、私もエイミィに賛成よ。シュテルさん、よければ貴女からクロノを口説いて貰ってもいいかしら』

 

『ーー分かりました。感謝します、エイミィ、リンディ艦長』

 

 シュテルがその微妙な立場故、動きかねているのを看破してか、彼女らは背中を押してみせた。

 

(表情が読みにくいとよく言われるものですが、本当に彼女たちはよく察してくれます。それに……)

アースラの重役が明確な肯定をしたとなれば、シュテルは踏み込んだ行動も可能となる事を意味している。

 

(けれど、リンディ艦長がクロノに直に命令をしない理由は分かりませんね……いえ、きっと何か考えがあっての事。私はその責を全うするのみです)

 

 シュテルは逡巡を経て、口を開く。

 

「ーールイス」

「は、はい!」

 

「私は貴方を信じようと思います、一緒に戦いましょう」

 

 シュテルの言葉をルイスは呑み込むも、しばらく意味を咀嚼出来ないのか、固まっていた。

 

「ーーえ、ほんと?!」

 

 と、爆ぜるように前のめりになり、その勢いのままシュテルを抱きしめた。

終始オロオロしていたユーリが、黄色い悲鳴をあげる。

 

「やーーった! いやぁありがとうシュテル!!」

 

「……分かりましたから、とりあえず放して下さい、苦しいです」

 

「え、あ! お、ぉっとゴメン……!」

 

 ルイスは慌ててシュテルから離れ、照れたように頬を掻いた。

 シュテルは咳ばらいをして、話を続ける。

 頬はほんの少しだけ紅に染まっていた。

 

「……それで、自ら戦いたいと言う以上は、何か勝算があるのですよね?」

 

「もちろんさ。あの遺跡はかなり独特な守護獣やトラップだらけだったんだ。もうそれこそ、呪詛魔法のデパートだったよ、見渡す限り一級品の呪いのアイテムだらけさ」

 

 つまり。

 

「もし今暴れてるっていう石像があの遺跡から飛ばされて来たのだとしたら、強力な呪詛がかかっている可能性が高いと思う」

 

「呪詛魔法、ですか。ルイス、貴方の力でそれを無力化できると?」

 

「ーーああ、それは僕の得意分野だ」

 

(ふむ、なるほど……)

 

 シュテルは次いで、クロノの事を思う。

 現在現場で直接戦闘を行っている上官に、どう取り入ろうかと考えを巡らせているのだ。

 クロノは聡明だ。

 故に、半端な説得が通じる相手ではない。それは強い味方であるという事を意味しているが、今この時に至っては、シュテルを悩ませる要因となっていた。

 

(しかし、エイミィは私の力を借りたい、と先頃話していたのは気になります。よもやディアーチェを含めた3人が遅れをとるとは思えませんが……しかし、エイミィの口ぶりからして順調でないのは確かです)

 

 仕える王たる少女と、同志たる少女を思い、シュテルは一抹の不安を感じた。

 

(尚の事、現場へ出る理由が増えました。やはり、私自身がジッとしているのは耐えがたいようです)

 

 ルイスの手助けとなる、という気持ちも本物ではあるが、やはり渦中の家族と上官を思えば、シュテルの性格上、呑気に座っている事は出来なくなっていた。

 

(クロノを説得するためにも、状況を整理しましょう)

 

 シュテルは、頭の中で情報を再構築していく。

 

 現状、クロノたちは苦戦を強いられている。

 石像の特性を知るルイスの話しが真実であれば、それはまず間違いなく呪詛魔法による所が大きいだろう。

 そして、ルイスは呪詛魔法への対抗手段があるらしい。

 

 となれば。

 

「エイミィ、クロノに繋いで頂く事は可能ですか?」

『はいはい了解! ちょっとまってねー!』

 

 数秒のコールの後、音声だけを流す空間モニターが現れる。

 

『クロノ君、戦闘中にごめんね、緊急案件。シュテルちゃんから!』

『シュテルが? 了解した、繋いでくれ』

『クロノ、取り込み中失礼します。率直に申しまして、戦線に加わる許可をいただけませんか』

『…………』

 

 戦闘中故、端的な言葉を選び、交わされる二人のやりとり。

 

(ーーそれはつまり、ルイスさんも一緒という事だが、どういうことだろうか。あのシュテルが無為に訴えをする訳がないだろうけど……)

 

 クロノは訝し気に表情を崩し、シュテルに問う。

 

『シュテル、理由を聞いてもいいか?』

『はい。件の石像とルイスは関係性が見受けられます。そして何より、彼には呪詛魔法の対抗策がある、との事です』

 

『ーー成るほど』

 

 ルイスと石像はほぼ同時にこの町に現れている。クロノの中では、ルイスと石像の関係を疑っている節は最初からあった。

 そしてそれが当人の口から語られたとなれば、とても無視出来るものではない。

 おまけに、呪詛魔法への対抗策という情報は、今に至ってはかなりの重要事項である。

 

『クロノ。誤解の無きように。私はルイスと対話をし、結果として彼を信じる事を決めました』

 

『…………』

 

 

 石像との関係性の明示は、シュテルの望む方向に転がるとは思えない。故に、シュテルはクロノの考えを含んだうえで、あえて「対話」という言葉を選んでいた。

 

(成程。シュテルなりに思う所があっての事だろうけれど。しかし、となれば……)

 

 残る問題としては、ルイスという人物を信頼していいのか、という一点に絞られる。

 

 現場を任されている故の当然の思考。

 敵とも味方とも付かない人物が、ある意味一番厄介な存在なのである。

 

『献言ではありますが、ルイスを()()という点でも、大きな意味合いがあるかと思います』

 

 重ねる様に、シュテルはクロノへ言葉をかけた。

 

(それは一理ある。しかしつまるところ、この短時間で彼を信じる事は僕には到底できない、不確定要素が多すぎる。となれば、シュテルを信じるか否か、という問題になるな、これは)

 

 ルイスという人間を信じるには、立場上クロノは出来ない。

 しかし、シュテルを信じるかと問われればーー

 

(ーー愚問だな。となれば、あとは艦長への確認だ)

 

 クロノはあえて念話を用い、リンディに連絡を取った。

 オープンチャンネルでは出来ない会話、つまりはルイスに聞かせられない内容をすり合わせるためだ。

≪艦長、ルイスさんが戦闘に加わる許可を求めます≫

≪ええ、私も同意見。現場のクロノが問題ないとするなら、反対する理由もないわ≫

≪分かりました、感謝します≫

 

≪本当は私が直接クロノに命令すればすむ話しだったのだけどね。きっと、シュテルさんと彼は、これから長い付き合いになると思うから、ね≫

≪ふむ、シュテルと信頼関係を築かせる目的があると……?≫

≪ええ、損になる事はないでしょう。彼が本当の目的を上手く隠している可能性もまだ捨てきれないし、探りを入れるにしても、シュテルさんがどうしても適任になるでしょうからね≫

≪なるほど、了解しました。では僕も、シュテルの希望だったからこそ許諾した、という印象を強くします≫

≪ありがとう、助かるわ。あと、念のため確認しておくけれど、やはり彼はまだ未知数な所は多いわ。こっちでも監視体制を強化しておくから、もし万が一の時は速やかに無力化して構わないわ≫

≪――了解です≫

 

 念話により、リンディと意見のすり合わせをを終えたクロノは、シュテルの応答として肯定を出そうとしたその時。

 

『ーー待て』

 

 と、そこにディアーチェの声が割って入った。

 念話が使えない都合上空間モニターを用いていたからこそ、クロノとシュテルのやり取りを一緒に聞く形となっていたのだ。

 

『シュテルよ、話しは聞かせて貰った。して、我の言い付けを忘れたわけではあるまい?』

『はい。ここを動くな、との命を受けています』

『ほぉ、ならば先ほどの発言は我の聞き間違いか?』

 

『……王、私は貴女の臣下です。故に、王の危機にこのまま胡坐をかくなぞ、出来るはずがありません』

 

『つまり、我の命令を反故にすると?』

『はい、それが王の為とあらば。いかなる処罰も覚悟の上です』

 

 一瞬の間を置き、ディアーチェは大きなため息を吐いた。

 

『……全く、どこまでも頑固者よ。ふん、臣下に護られるのもまた、王の冥利に尽きるというものか。よかろう、許可する。しかし1か月皿洗いの刑に処す、覚悟せよ』

 

『ありがとうございます、王』

 

『クロノ、というわけだ。お前が気にする所も分からんでもないが、なに、今は我がおる。不足な事態が起きようと、我が全力でどうにかしてやる』

 

『……助かる、心強い』

 

 クロノは石像へとバインドを継続してかけ続けながらも、シュテルとルイスへ注意を向ける。

 

『では、シュテル、それにルイスさん。戦線に加わってください、お願いします。今回はシュテルの希望あっての、特別な措置だと考えて下さい』

 

『やった! 恩に着るよクロノ! そしてありがとう、シュテル!』

『いえ、私自身の希望でもありましたので。ではクロノ、わかりました、すぐに向かいます。』

 

 言うや否や、シュテルは静かに目を閉じ、魔力を練り始める。

 と、全身を紅の炎が包み、衣服が燃え落ちる様に解けると同時、すでにそこにはバリアジャケットに換装し終えたシュテルがいた。

 

 青のロングスカートは深紫のバリアジャケットへと変わり、その手には愛機ルシフェリオンがある。

 シュテルのジャケットは、ある程度の機動性は確保しつつも重厚な壁となる、いわば当世具足の様な仕様だ。

 

「さぁ、貴方も」

「あいあいさー!」

 

 ルイスは弾む声で、口を弓にする。

 ルイスの身体を中心に銀の魔力光が収束し、弾けた。

 

 泥で汚れた黒の服は、漆黒のバリアジャケットに変質している。

 足首から腰辺りまではボディスーツで覆われ素肌は見えず、足袋の様な硬質の靴を履いている。

 首元から胴体は黒い布地で覆われているが、手首から脇辺りは何も無く、バッサリと露出していた。

 両の手甲には金属性の小手があるが、掌と指先部分は外気に触れる仕様となっている。

 

 身軽、といえば聞こえはいいが、本当に必要最低限の装飾でしかないいで立ち。大よそ、護りというものを考えていないデザインである。

 あと何か一つでも欠けてしまえば、バリアジャケットとすら呼べない程に、酷く脆く、薄い。

 最早それは装甲と呼ぶべき代物ではなく、簡易な魔力弾ですら致命傷になる事は、優に想像できた。

 

 そんな忍者装束を思い浮かべるソレを着こみ、ルイスはドン、と胸を叩く。

 

「よし、いつでも行けるよ!」

 

「……一応確認しますが、武装はそれだけで大丈夫なのですか?」

 

 バリアジャケットを見て息をのむ、という感覚を初めて味わい、シュテルは静かに狼狽していた。

 

(以前、ソニックフォームなる物を見ましたが、彼はその比でないですね。それに……)

 

 シュテルは、ルイスの持つデバイスに目をやった。

 件の、腰後ろにルイスが忍ばせていた物だ。

 流石に性能までは確かめられてはいなかった為、改めて観察すると、何の飾り気もないストレンジデバイスであるのが分かる。

 

 特注され、オリジナルの武装としているのであればまだわかるが、明らかに改造の後もなく、紛うことなき量産品のそれである。

 

 それこそ、アースラの捜査官に支給される初期装備よりも劣っていると言っても過言ではないだろう。

 

 よく手入れはされている様に見えるが、クロノたちが苦戦する相手と対峙するにあたって、分不相応であるようにも見える。

 

「言いたい事はまぁ、分かるけどね。大丈夫、僕にとってはコレが最善だから」

「……分かりました、最大限のフォローは致しますので」

 

 シュテルは自分の中に芽生えた大きな不安を思うも、どのようにルイスが戦うのか興味が湧いてきているのを自覚する。

 エイミィの話し通りであれば、ルイスは古代遺産ハンターとして一応の実績はあるのだ。

 このような装備で、どのように戦ってきたというのか。

 

(……いけません、これだから戦闘マニアとレヴィに言われてしまうのですね)

 

 今はもっと優先するべきことがあると自分に言い聞かせ、シュテルは頭を振った。

 

『シュテルちゃん、ルイス君準備はオーケーかな?』

 

「はい、いつでもいけます。ではユーリ、少し行って来ます。今晩はディアーチェ特性のカレーですし、急ぎ戻らねばですね」

「は、はい! いってらっしゃいです! ケガはしないでくださいね……」

 

「よし、じゃあ行こうかシュテル!」

 

 シュテルとルイス、二人が転送ポットへと足を向けた。

 先に待ち受ける、戦場へ。

 笑顔と無表情を持つ2人が、光に溶けた。




次回、シュテル&ルイスのデコボココンビ、初めての共同作業(戦闘)です。

それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。


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第6話 紅蓮と禊とケモノイシ

5話に続いてのBパート的イメージ。
アイキャッチとかを妄想してしまうのは性でしょう。


ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。


「藤見神社」と名を冠するその場所で、魔力による戦いがあった。

 1体の狗の石像と3人の魔導師による、魔法戦だ。

 

 黒と青と銀の色を持つ彼らの名は、それぞれがクロノ、レヴィ、ディアーチェである。

 

 境内は激しい戦闘の為か、石畳のそこかしらに亀裂が生じていた。

 神社を覆う様に植えられている広葉樹も、ほとんどが傷つき折れている。

 魔導師3人にダメージらしきものは見受けられないが、疲れの色が見え隠れしていた。

 

 ーーと、そこに一筋の光が射した。

 

「……来たか」

 銀髪の少女、ディアーチェがそう呟き、苦々しく光の中より現れた二人を見た。

 その先にいるのは、金の鎖に繋がれた、深紫と漆黒のバリアジャケットを着こむ男女。

 シュテルとルイスだ。

 

「お待たせいたしました、ディアーチェ、レヴィ、クロノ」

 ぺこり、とシュテルはお辞儀をしながら微かに笑みを浮かべる。

「よーし! やったるぞー!」

 続いて、鼻息荒く意気込むルイスが口を開いた。

 

「もー遅いよー! さっきから僕ばーーかり頑張ってたんだからなー! 王様とクロノはずーっとお話してるしー!」

「レヴィ、ありがとうございます。後は、私たちに任せてください」

 

 ふくれっ面でテコテコと近づいて来たレヴィの頭を、シュテルは優しく撫でた。

 目を細めて喉を鳴らすレヴィを横目に、ディアーチェはルイスへと攻撃的な視線を投げる。

 

「さて馬の骨。お前はこやつの対処が可能と聞いたが?」

「うん! そのつもり……で来たんだけど、その、ねぇシュテル……」

 気まずそうにシュテルへと視線を降ろすルイスである。

「……そうですね。これは、私たちは必要だったのかと思ってしまう光景ですね」

 

 シュテルとルイスの視線の向こうには当然件の石像がいる。

 いるのだが、その両足はすくい上げるようにバインドを受け、足払いを「され続けて」いるのだ。

 起き上がろうとしたその瞬間を狙い、引っ掛ける様に新たなバインドが絡みつく。

 その為、石像は一向に起き上がれず、陸に上がった魚の様相を呈していた。

 

「いや、実際これは一時凌ぎでしかないんだ。どうにもあの石像はバインド対抗魔法がかけられているらしい」

 クロノの言葉通り、足に絡みついた幾重ものバインド魔法が、まるで弾け飛ぶ様に掻き消えた。

 

「……今みたいに、何度拘束してもすぐに解除されてしまうんだ。どうにも、力で引きちぎるというより、何らかの方法で掻き消している、という感じなんだ」

「全く厄介極まりない代物だ。我らは攻撃も拘束も逃走も出来ん。戦時下であったなら、これほどはた迷惑な兵器もそうないであろうな。最も、最初からそれが狙いの代物なのだろうが」

「……なるほど、それは面倒な相手ですね。そして現時点では撃退に有効な方法がない、と」

 

 クロノは引き続きバインドで足払いをしつつ、ため息交じりにシュテルと会話を続ける。

 

「あるとすれば再生速度を超える大火力で塵にする事、か。僕やレヴィ、ディーアチェも高火力の魔法がないわけではないが、やはりシュテルの集束砲に勝るものはない。この一帯には魔力も十分散っているだろうから、それなりの威力にはなるはずだ」

「成程、確かに。バインド魔法と言えど、これほどまでに重ねて撃って頂いたおかげでしょうか、辺り一帯を焦土に変える事ぐらいは出来そうです」

「怖い事をサラッと言うね君は。まぁ、でもまずは……」

「ええ、そうですね」

 

 クロノとシュテルは頷き、ルイスへと視線を向ける。

「して、ルイス。戦闘準備は万全ですか?」

 

 屈伸やアキレス腱を伸ばし準備体操をしながら、ルイスは答える。

 まるで軽いランニングにでも行くかの様な、そんな仕草である。

 

「オッケー! いつでもいけるよー!」

「成程、わかりました。元気はいいようで何よりです。では、一点だけ確認したいことがあるのですが」

「ん? なんだい?」

「いえ、貴方は飛行魔法は使えますか?」

「え、んー、ごめん使えないよ」

「……そうですか、わかりました」

 

 困りましたね、とシュテルは内心で呟いた。

 どうにも、陸戦という形を取らざるを得なくなったからだ。

 相手はどう考えても陸戦特化の形状をしており、制空権を確保する事は何より重要であった。

 また、ルイスの秘策が失敗に終わった際、大よそ集束砲で塵にする方向に事が進むわけだが、その際に空中にいるか否かは攻撃方法の選択の大きな要因となる。

 

(……ふむ)

 

 シュテルがルイスを抱えて飛ぶという選択肢もあるが、体躯の差は事空中制御においては大きな壁だ。

 普段ならばかからない空気抵抗や体幹のズレ、それらを修正しながら臨むには、あまりにも危険な賭けといえる。

 集束砲を撃つならば「踏ん張る」必要もあり、一朝一夕の修正で済む話しではない。

 

 シュテルの周りには当然の様に飛行魔法を扱える者ばかりがいたが、そもそもが決して簡単な魔法ではない。

 もとより、空を飛ぶ肉体的構造を持たない生物が、飛行するのである。その独特の感覚には得手不得手がハッキリと現れる。

 

 実際、飛行魔法は一般魔導師には困難な魔法と認識されていた。

 

 落下速度を緩和したり、ただ浮遊する魔法であればある大多数が習得できるが、「飛行」を戦闘に用いるとなれば、一気にその難易度が跳ね上がるのである。

 

 また、空に留まる間は常に魔力を消費し続けているという点も、使い手を選ぶ大きな要因だ。

 飛行そのものはあくまで戦略の一環であり、直接的な攻撃魔法を使用するには当然別途魔力を消費する必要がある。

 いかなセンスがあれど、基礎魔力が足りなければ、空をただ飛ぶだけにしかならず、攻撃に回せる魔力が残らないのである。

 魔力量が少ないものにとっては、そこが一番のハードルであると言えた。

 

 飛行魔法を扱えない者は、独自の空中歩行術を編み出したり、そもそも空中戦を捨て、陸戦に特化する魔導師もいる。

 ルイスはどうやら、空中戦を想定した魔導師ではない事が伺えた。

 

(さて、どうしましょうか……)

 

 シュテルは「高町なのは」という、生粋の空戦魔導師の情報を色濃く受け継ぐマテリアルである。

 故に、当然の如く空は彼女にとって第二の世界なのである。

 それは即ち、陸戦の経験が極端に少ないことも意味していた。

 

(一応、陸戦の訓練も行ってはきましたが、いささか不安は残りますね)

 

 空中戦が封じられた時を想定し、陸戦の技術も学んではいる。

 だからこそ、魔力運用の訓練以外にも、走り込み等の肉体的なトレーニングは常に行ってきていた。

 しかしやはり本来シュテルの居場所は空にあるのだ。

 明確なアドバンテージを使えず、あまつさえ相対者の領域である地上戦を行わなければならないこの状況は、あまり望ましいものではなかった。

 

 陸戦魔導師と空戦魔導師。

 その二人が物理的に離れられないという事は、陸戦を強いられるという事であり、どう足掻いてもシュテルにとって不自由な戦闘になる事を意味していた。

 

 

「ーーん、あれ。こいつ急に大人しくなったぞー?」

 

 シュテルが考えを纏めていたその時、レヴィが不思議そうに小首をかしげ呟いた。

見ると確かに、石像はまるで諦めたかの様に動きを止め、完全に静止していた。

 

「……皆、注意を怠らないように」

 

 明らかに先ほどまでとは異なる挙動。

 クロノがするどく目を見据えた、その時だった。

 

 バキ、と石像の背中に大きな亀裂が走ったのだ。

 

「なんだ……?」

 

 そのヒビは徐々に大きくなり、ズルリ、と其処から二本の腕が伸びた。

 長く鋭い爪を持つ双手は人の物ではなく、明らかに獣のものである。

 

「ーー!?」

 

 と、まるでセミの幼虫が脱皮をするかの様に、割れた石像の背中から、二回りは小さい石の獣が現れた。

 

 四足獣の石像から生まれたソレは二足歩行となり、狗から狼とでも言うべきフォルムへと変わっている。

 ずんぐりむっくりとした姿から一変し、かなりスリムに、無駄を削ぎ落した形となっていた。

 また、胸の中心には赤い光が怪しく灯っており、まるで鼓動の様に明滅している。

 

 石の人狼とでも言うべきソレはゆらりと立ち上がり、尻尾を鞭の様に打ち鳴らし、吠えた。

 

「ルォオオオオオ……!」

 

 人狼が唸ると同時、その姿がクロノたちの前から消えた、否、後方にある鳥居の上に移動していた。

 人狼が先ほどまで立っていた石畳には、足裏の形の陥没があり、後ろへ大きく跳んだ事がわかる。

 目にも留まらぬ速さでの、大跳躍であった。

 

「ーーほぉ」

「うおー! び、びっくりしたー! あいつ滅茶苦茶速いよ!」

 ディアーチェが目を細め口を弓にし、何故かレヴィは嬉しそうに大鎌をブンブンと振るった。

 

 闘いそのものを楽しんでいるかの様な彼女らをよそに、クロノは内心確かな焦りを感じていた。

 

(まずいな、速さだけで言えばフェイトといい勝負かもしれない。かろうじて動きは捉えられたが、まだ「次」があるのか?)

 

 クロノは過去に発見された古代遺産を思い浮かべていた。

 それは、一定時間経つと「変質」する特性を持っているものであった。

 初めは豆粒程度だったソレは僅か1日で100メートル超の巨人へと進化を遂げたのだ。

 それは石の身体を持ち、驚くべき生命力を有しており、並みの魔導師では太刀打ちが出来なかった。

 

 後に『キュクロプスの巨人』と名付けられたソレは、集った精鋭魔導師数十人による一斉砲撃により消失した。

 もしあと一歩遅ければ、どうなっていた事か。

 管理局の中でも、非常に大きな衝撃が走った事件なのである。

 

(ーー落ち着け、まだそうと決まった訳ではない。けれど、万が一という事もある)

 

 クロノの推論にはいくつか根拠があった。

というのも、不意打ちとも言える初速を逃げの一手に使用した点が大きい。

 突撃し、致命傷を与えるだけの威力を誇っている事は、その膂力からも容易に想像できる。

 だというのに、何の迷いもなく単純な後方への跳躍を選択した。

 

(それでいて、今はこちらと一定の距離を保ち続けている……)

 

 逃走が主の目的であるのならば先ほどの行動も納得は出来るが、何故いまだに境内に留まっているのか。

 

(この場にいる事が目的であるとしたならば……それはやはり、進化の為に一定の魔力が必要だからか? 集束砲と同じ原理で、霧散した魔力を吸い集めている……? この世界での魔力源といえば、それこそ僕らしかいないわけだし)

 

 もし一定時間ごとに「進化」する性質を持っているのであれば、ここで止めなければいよいよ手だてがなくなる可能性もある。

 

(あくまで推測でしかない。だが、過去に時間経過で成長する古代遺産があったのも事実。コレがその亜種だとするならば……)

 

 クロノは鳥居の上の人狼から片時も目を離さず、シュテルの側に移動する。

 

「シュテル、すまないがゆっくりしている時間はなさそうだ」

「ええ、その様ですね。もし『キュクロプスの巨人』と同じだったならば、非常事態とも言えます」

「……知っているなら話しが早い。いけるか?」

「ええ、問題ありません。ルイス、準備はいいですか?」

「おうともさ、大丈夫だよ」

 

 魔法による攻撃は出来ず、バインドも無力化される。

 おまけに飛行魔法も封じられ、速度すら奪われた。

 となれば、残る方法は一つだ。

 

「ルイス、呪詛魔法への対抗策なのですが……」

「ああ、大丈夫。任せて。あ、でも、んー」

「何か問題が……?」

「いや、大丈夫。でもシュテル、先に謝っておくね」

 

 言うや否や、ルイスはシュテルをヒョイと抱き上げた。

 俗に言う、お姫様抱っこの形だ。

「あ、あの……?」

 大よそ戦闘中に行われるはずもない姿勢に、シュテルは目を見開いた。

 後方からは「あの馬の骨粉々にしてくれるわ」と低い唸りも聞こえてくる。

 

「ルイス、今ふざけている場合では……」

 両手もふさがり、攻守共に行える状態とはとても言えない。

 さらにはそのバランスの悪さから、地上戦において最も大切となる足を自ら封じ、一体何ができようというのか。

 シュテルは身じろぎ、ルイスから離れようとするも、より強い力で抱きしめられた。

「ル、ルイス……?」

 シュテルには珍しい狼狽をハッキリ表し、混乱した瞳を揺らす。

 一方ルイスは、ニコリと晴れやかな笑みを浮かべた。

 

「ーーしっかり掴まってね」

「いえ、ですから……」

「ーーいいから」

 

 有無を言わさぬルイスの言葉。

 シュテルはまだ理解しきっている風ではなかったが、とりあえずルイスのジャケットをギュッと掴んだ。

 ルイスが小声で何かを呟いた、かと思ったその瞬間。

 

「ーーっふ」

 

 息を吐き、一歩。

 

「ーーーーッ」

 

 一歩の踏み込みで、最高速度に到達した。

 

「ーーっく!」

 

 シュテルは予想打にしていない加速による重圧で、小さく呻いた。

(何ですかこれは……?!)

 

 空中で急加速を行った時と同様の、押しつぶされる感覚。

 幾多の空中高速戦闘の経験から、シュテルは既にトップスピードに乗っている事を理解する。

 進路の先にいるのは人狼。ただ一直線に目標に向け、ルイスは走る。

 人狼もそれを把握してか、鳥居より飛び降り、全力の疾走を開始した。

 だがそれは、逃走の意思のみで行われた走りであり、人狼は追うルイスから遠ざかる為だけにその足を使っている。

 

(やはり逃げはすれど、この領域から出ようとはしませんね……いえ、しかし今はそれよりこの魔法です……!)

 

 のんびりとした歩調からの爆発的な加速に面食らったという事もあるが、それ以上の不可思議をシュテルは思っていた。

 

(解せません、この動作には初速という物が感じられませんでした)

 

 瞬間的な速度の上昇といえど、徐々に速度が上がるのが世の理である。

 しかし、ルイスはどうも全てを飛び越え、いきなり最高到達点に至ったのだ。

 

 加速を得意とする魔導師は確かにいる。シュテルの知る限りではフェイトがまさにそれだ。

 フェイトのソニックフォームも、一瞬で最高速度に到達はするが、それでも「速度の出し始め」というものは確かに存在する。

 

 普通車が100キロに到達するのに数十秒を要するとして、レーシングカーがその半分の時間で目標速度に達するのと同じ様に。

 あくまで、最高速度への到達時間が短く、その終着速度の数値が常人より高い位置にある事が、速さを武器にする魔導師たる所以である。

 

 けれどルイスの加速は完全に異質であった。

 終着速度に行きつくまでのラグがなく、文字通り「一発で最高速度」へと至ったのだ。

 

 予備動作もなく、ただ歩くように踏み出した一歩から、最高速の走力を生んだ事は、あまりにも不自然な現象であった。

 

(それに……)

 

 シュテルを抱き上げている不安定な状態をものともせず、ルイス軸のブレない走りを見せていた。

 よく鍛えられ、実戦を持って練りこまれた下半身からなる、鍛錬の賜物である事はシュテルはすぐに察する。

 陸戦に特化しているからこそ成せる技量であり、シュテルにはおそらく真似の出来ない芸当であった。

 

(この体術からも、この速度は肉体強化の魔法によるものかとも思いましたが……しかし、どこか違和感があります。バリアジャケットの気質からして、フェイトと同じ類の魔導士かとも推測は出来ますが……)

 

 訳が分からず、ちらりとルイスの顔を覗くシュテルは、ふっと疑問に似た感覚があった。

(……?)

小さな違和感。

けれど、その正体はすぐに分かった。

 

(髪が、なびいていない……?)

 

 シュテルが思わず身じろぐ程の速度である。

 実際、シュテルのジャケットも髪もバサバサと乱雑にはためいている。

 しかし、ルイスは平常時と何も変わらない。

 加速による風の影響はあるはずなのに、一切の揺れがない。

 まるで、ルイスがこの世界から抜け落ちてしまったかのような、不思議な光景であった。

 

 

「凄いなこれは……」

 クロノは目の前の光景をジッと観察する。

 それはまるで、高速で行われる鬼ごっこだ。

 ルイスが鬼で、人狼は逃げる子だ。

 ディアーチェは腕を組み、レヴィははしゃぎながら観戦の呈を保っている。

 

 人狼は神速であり、追いすがるルイスは僅かにそれに遅れている。

 けれど、間違いなく肉薄している。

 その理由は、ルイスが人狼の動作を予測している所が大きい。

 最短のコース取りをし、時には人狼の進路方向へと割り込むように躍り出て、人狼の動きを制限している。

 

「ーーーーッ!!」

 

 人狼もそれを分かってか、やり難そうに回避の行動をとり続けていた。

 

「ーーシュテル、5秒後にバインドを地面スレスレに撃って」

「ーー分かりました」

 

 突然のルイスの声。

 有無を言わさない凛然とした響き。

 シュテルはルイスの狙いを正確に読み解けてはいなかったが、しかしその指示に従う。

 ルイスの闘いを見て、サポートに徹する事が今は最善だと判断したからだ。

 

 と、きっかり5秒後、ルイスは垂直に跳んだ。

 それと同時にシュテルはバインドを放つ。

 円状の紐型バインドが形成され、収束するその中心。

 

「ーーガァァ?!」

 

 そこに丁度飛び込む様に、人狼が足を踏み入れた。

 当然、人狼は拘束魔法に絡めとられていく。

 

 上位の魔導師と同等の速度を誇る人狼をバインドで捕らえる事は、そもそもが難しい。

 ルイスはそれを誘導と行動予測を用い、見事罠にはめたのだ。

 

「やりますね」

「いやーシュテルのバインドもなかなか頑丈な事で」

 

 宙で滞留する僅かな時、シュテルとルイスはフッと薄く笑みを浮かべ合う。

 

「さーて、じゃあ……」

 ルイスはシュテルを左手のみで抱きかかえる形に変え、右の手でデバイスを握りなおした。

 そしてそのまま、ルイスたちは物理法則に従い、地へと落ちる。

 当然そこには、網に絡まる石の獣がいる。

 バインドを解除するまでの僅かな隙を、狙う。

 

「よいしょ、っと!」

 

 緊迫感の欠片もないのんびりとした声で、ルイスはデバイスを人狼に突き立てた。

 重力による加速に加え、魔力が込められた一撃。

 

「ーーーーッ!」

 

 人狼の胸を正確に捉えた一撃は、しかし小さな亀裂をつけるに終わった。

 すぐさま傷は再生してしまい、人狼はひときわ大きく跳び、距離をとる。

 

「ーー馬鹿者! 話しを聞いておらんかったのか!!」

 ディアーチェの怒号。

 そこには焦りの色も濃くあった。

 ディアーチェの狼狽も仕方のない事である。何故なら、ルイスは魔力の籠ったデバイスで人狼を傷つけたのだ。

 即ち、魔力による一撃。呪詛の発動条件を満たした事になる。

 

 あまりに自然に行われたその行為に、ルイス以外の皆は戦慄する。

 

 と、黒靄に似た魔力がルイスを包み、呪詛をその身体へ染み込ませていく。

 

 強力な呪い、呪詛の魔法だ。

 

 ソレはルイスを浸食せんと迫り、果ては体を全て包みこんでしまう。

 

「ルイス!!」

 

 シュテルの叫び。

 目の前の光景に思わずまろびでた声。

 

「大丈夫だよ」

 

 顔すら見えぬ黒い霧の中、ルイスの声がした。

 シュテルは、何故か微笑んでいるルイスが優に想像できた。

 

 

 

「ーー禊魔法(みそぎまほう)

 

 

 

 ポツリ、とルイスの声がした。

 静かに雄々しく、どこか優しみのある声で。

 

 

 

「……(はらえ)!」

 

 

 

 ーー瞬間、ルイスを覆う黒靄が文字通り吹き飛んだ。

 

 

 

 明瞭な視界。そこには、やはり微笑み立つ、ルイスの姿があった。

 

「ーーーー」

 

 シュテルは静かに息を呑んだ。

(今のは……?)

 

 日頃から魔法技術の研究に熱を入れているシュテルであったが、しかし全く知り得ないルイスの魔法に魅入っていた。

 シュテルの知識のどこにも該当しない未知の魔法。

 

(稀少技能、でしょうか。悪い癖だと自覚はしますが、しかしやはり興味をそそられますね)

 希少技能。レアスキル。その名の通り、唯一無二の希少なスキルである。術者そのものの絶対数が少ない場合も認定され、八神はやての蒐集行使もこれにあたる。

 滅多なことでは出会えない代物であり、バトルマニアを自他共に認めるシュテルが興味を持つのは当然といえた。

 

「……グルルル」

 人狼も完全に予想外だったのか、虚を突かれ一瞬硬直を見せていた。

が、すぐに脚を駆動させ、高速の世界へ入る。

 

「うへぇ、ここに来てまだ速度あがるのかぁ……」

 

 辟易を文字通り感情へのせ、どこまでも気だるげな溜息を漏らすルイス。

 言葉通り、人狼は明らかにそのスピードを上げていた。

 

 今までですら神速とも言うべき速度を誇っていたが、更に磨きがかかり、尚最早姿が見えない程の域に達していた。

 それを見てか、ルイスはピタリと動くのを止めている。完全に直立不動である。

 

「……ルイス、見えますか」

 諦めたように突然足を止めたルイスを心配してか、シュテルはルイスに問いかけた。

 幸い、シュテルにはギリギリの範囲で人狼を追う事が出来ている。

 故に、人狼が逃げの一手から攻める機会を伺っている事も察していた。

 

「いやぁ、全然。というより、正直ずっと前から目で追えてはいないよ」

「……。では、何故?」

 追えているのですか、とシュテルは思う。

 高速戦において、空間把握と敵機の認識は基本中の基本である。

 それが出来ずして、何故先ほどまで闘えていたというのか。

 

「なんていうか、あれだよあれ。気配、みたいな?」

「…………」

 実際、先読みをしているとしか思えない行動をルイスがしていたのは確かだ。

 しかし、気配という曖昧な物一つだけで、今の速度を得た人狼を相手にするのは不安要素でしかない。

(それに、この急激な変化。いえ、進化、ですか。クロノの予想が的中している可能性は高いですね)

 

 となれば、最早ルイスの動向を監視するよりも撃墜の方が重要であると、シュテルは判断した。

 

「ルイス、ここからは私がーー」

「ーー大丈夫、もう終わるよ」

 

 ルイスは飄々とした口調で、前に出ようとするシュテルを押さえた。

 そして、数歩右に移動し、ピタリと止まる。

 その行動の意味が分からず戸惑うシュテルを隠す様に、自分の背中の後ろへと移動させ、デバイスを突き出す姿勢をとる。

 左足は後ろへと伸ばされグッと地面を掴み、ルイス自身が一本の強固な柱の様に固着された。

 

「速いってのはそれだけで武器だけど、急に止まれないし方向転換も効かないのは難点だよなぁ」

 

 ルイスの言葉が終わると同時、それは来た。

 

「ーー衝突注意、ってね」

 

 ドン、という強烈な衝突音。

 そこには、ルイスの突き出したデバイスに貫かれる、人狼の姿があった。

 まるで地面に突き立った杭に刺さる様に、人狼はルイスのデバイスに胸を抉られている。

 極限まで加速した自身のスピードが、そのまま直撃したのだ。

 

 形だけみれば、ルイス自身は一切の挙動を見せず、ただデバイスを突き立てただけである。

 だが、僅かな動作で人狼の行動を誘導し、進路を逆算。

 破れかぶれの行動が産んだ結果ではなく、全てがルイスの思惑によるものだと、その場にいた全員が理解した。

 

 

「大体この手の古代遺産には、核があるもんだ」

 

 ルイスのデバイスの切先。野球ボール程の真っ赤な球体が突き刺さっている。

「これを、こうして、っと!」

 心臓の様な鼓動があるソレを、ルイスはパキン、と音を立て、叩き切った。

 赤い核が真っ二つになったと同時、人狼とその抜け殻はサラサラと砂になり、あっけなく、完全に消滅した。

 

 

「ーーはぁ、よかったぁ何とかなった」

 特大のため息を吐くルイスであったが、それは安堵からくるものであり、その表情も弛緩しきっていた。

「ふぅ、シュテル大丈夫だった?」

「え、えぇ……しかしこれ程とは。正直、想像以上です」

 

 シュテルは素直に感嘆を述べる。しかし、シュテルは内心で真逆の感情が渦巻いているのを感じた。

(……なんと、なんと薄氷を踏む様な闘い方でしょうか)

 

 

 

 防御魔力をその身に纏い、凄まじい衝撃に耐えうるだけの備えは行っていたのは分かる。

 けれど、全ての威力をそれでいなしきれるわけがないのも確かだ。

 事実、受け止めた右腕や軸となった左足。砕け飛び散る破片を受けたあらゆる箇所から、赤い血が滲みでていた。

 

 それでいて、庇われる様に背中で護らたシュテルは、一切の傷を負っていない。

 

(確かな使い手だとは認めますが、しかし、自分の命を勘定に入れていない様なこのスタイル、好きにはなれません)

 

 シュテルは自分が想像していた以上の戦果を見せたルイスを、相反する瞳で見つめた。

 

 優れた魔導師としての興味と、同時に見せる特異な脆さ。

 自分を抱きとめる様に支えるこの青年に、シュテルは明確な興味を抱いている事を自覚する。

 

 禊魔法という聞きなれない魔法技術。

 奇妙な加速に相当な場数を踏んだ事が分かる陸戦技能。

 それでいて、今まで生き延びてきたのが不思議な程の戦闘スタイル。

 

 先ほどまでは疑惑と不都合さを強く感じていたが、この闘いでそれは少し薄らいでいた。

 

 駆け寄るクロノたちに手を挙げ応えながら、シュテルはニコニコといつもの笑みを浮かべるルイスをそっと見上げる。

 

(しかし、兎にも角にも無事撃退出来たのは、何よりルイスのおかげです。今はそれでよしとすべきでしょう)

 

 シュテルの誰にも気付かれない小さな笑みと共に、一陣の風が、人狼だったモノをサラサラと空へと巻き上げていった。

 




ルイスとシュテルの共同作業、これにて終着。
おそらく次回に我らがなのはさんもちょっぴり出たり。

シュテル可愛い!! ってシーンがこれから書けたらなーって思う所存でございます。しかし、師匠も走り回る忙しさと名高き師走が迫っております。ちょっぴり更新遅れるかもですが、その時はご容赦くださいませ。


それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。


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第7話 呪いとトイレとシュテルのパンツ

前回の投稿から遅くなってしまい申し訳ないです。
ゲムマとコミケにサークル参加と12月はてんてこ舞いでした・・・

さてさて、今回はサブタイの通りです。


ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。



 消毒液の臭いが鼻をつく、白を基調とした空間がある。

 次元航行艦アースラの医務室だ。

 薬品が並ぶ戸棚の手前、問診用に区切られた空間に3つの人影があった。

 

「もう、聞いてはいたけど無茶しすぎ! めっ!」

 人差し指を立て頬を怒りで膨らませる金髪の女性ーーシャマルは、傷だらけの青年を介抱していた。

慣れた手つきで傷口を消毒し、合わせて回復魔法を適時使用。その後、回復促進の魔方陣が織り込まれた包帯をクルクルと巻いていく。

 洗練された所作で、細く白い指が包帯をキュっと結び終える。

 

「いやぁ、ごめんなさい」

 シャマルに介抱される青年ーールイスは小声で「役得フィーバー」と呟きながらガッツポーズをしていた。

 

「……どうでもいいですが、鼻の下を伸ばし過ぎではありませんか?」

 

 笑顔で謝罪するのがルイス、そしてそれをジト目で見るのがシュテルだ。

 シュテルはバリアジャケットを脱ぎ、私服に身を包んでいた。

 一方ルイスは上着を脱ぎ、半身を外気にさらしている。先ほどの戦闘で負った傷の手当てのためである。

 シュテルに負傷は見られなかったが、手枷に繋がれる都合上、ルイスと強制的に同伴するはめになっていた。

 その為、シュテルは半裸のルイスの真横にちょこんと座り、デレデレとだらしなく笑うルイスに侮蔑を込めた上目遣いを送っているわけだ。

 

「そそそ、そんな事はなないよ?! い、いやぁそれにしても、シャマル先生が居てくれたよかった! いよ! 女神! サイコ―!」

「もう、おだてるのはいいけれど、本当に自分の身体は大事にしないとだめよ? こんな怪我までして……痛いでしょうに……」

「あははー、いやぁまぁ慣れてますから!」

 心配そうに声を低くするシャマルと対称的に、ルイスはあっけらかんとどこまでも笑顔だ。

 シャマルは優しくルイスの傷口に魔力光をあてながら、唇をキュッと噛んだ。

「……ダメよ、そういう考えは。痛い時に痛いって言うのは、とても大切な事なんだから。痛みはね、どんなに慣れたとしても、決して無くなったわけじゃないの」

 

 シャマルはどこか遠くを、まるで、過去を覗き込むかの様に目を細めた。

 

「痛みに慣れすぎたら、心まで冷えきっちゃうのよ? 生と死の境界がだんだん曖昧になってきて、ただ在るがままに生きて、もっと傷ついて。それはね、とても悲しい事なの」

 

 まるで悪戯がバレた子供の様に、シャマルはばつの悪そうに目尻を下げる。

 ルイスの「昔の傷」を慈しむように撫でながら。

(どんな生活を送ったら、こんな……)

 ルイスの背に、シャマルは昔の自分を重ねていた。今の夜天の主と出会う前の、血と泥と闘争の色しかなかったその時の、自分自身を。

 そして、だからこそ、シャマルは言葉を紡ぐ。

 

「その道を、私も少しだけれど、歩いたから」

 あえて、明るい笑顔をシャマルは作った。

「だからね。自分の痛みに、もっと関心を持って。鈍感になっちゃ、駄目。シャマル先生との約束ね?」

「……はい」

 

 しおらしく、ルイスは曖昧に微笑んだ。

 そしてシャマルは、側にいるシュテルへと、小さくウィンクを投げた。

「……」

 

 シャマルとルイスのやり取りに、シュテルは側で耳を傾けていた。

(……今の話しは、私も肝に銘じて置いた方がいいのかもしれません。いえ、というより半分は私に言い聞かせていたのでしょう)

 

 家族至上主義ともいうべきシュテルの姿勢。

 もし自分の命を代償に家族が助かるというのであれば、一切の迷いなくシュテルは命を絶つだろう。

 もちろん普段であれば自他の生命を優先するわけだが、こと家族となればシュテルの考えは極端になる。

 

(思えば、ルイスの戦闘スタイルを悪く言える立場にはなかった、という事でしょう。私自身、目的のためであれば手段を選ばない質なわけですし)

 

 シュテルは自分への戒めを胸に、改めてルイスへと視線を投げた。

 

(それにしても……いえ、あまりジロジロと見るのは褒められたものではないのでしょうが……)

 

 シュテルは盗み見る様に、ルイスの身体へと注意を向ける。

 それは、酷く歪な身体と表現していいものであった。それこそ、ルイスと初対面のシャマルが、思わず注意に声を上げるほどに。

 

 異常に発達し、大きく硬い二の腕。 

 筋肉でガチガチに固められた腹。

 不釣り合いなほど盛り上がった太い腿。

 切創に裂創、銃創や刺創といった、普通は付かないであろうおびただしい無数の傷たち。

 寸検しただけでも分かる、それは明らかな「戦い」の痕であった。

 まるで歴戦の戦士の様な。

 長い年月、心血を注ぎ戦に明け暮れ辿り着く、死臭に塗れた肉体。 

 そしてそれは、ルイスの年齢からして、大よそにして不釣り合いな物であるのは確かであった。

 

(遺跡の発掘とやらで、果たしてここまで……いえ、これは邪推というもの。少なくとも、彼には彼の矜持があり、成し遂げたい何かがあっての結果なのは明瞭です)

 

 

 つい先ほどまで、ルイスに猜疑心を向けてシュテルは、まるでそれが抜け落ちたかの様に、思想にふける。

 

 

(それに、私はこの背を否定的な目で見る事は出来ません、いえ、むしろ好意すら感じます。意思を貫く事は、それだけで美徳です)

 

 シャマルと話しに花を咲かせるルイスに気付かれないよう、シュテルはそっとルイスの笑みに細められた目をのぞき込んだ。

 

(その手伝いを、私も出来たらしたいものなのですが……。いいえ、だというのに先ほどからシャマルの胸ばかりを凝視してこの男は)

 シュテルは自分の小さな胸にそっと手をあて、起伏の無さに顔を少ししかめた。

(私では、やはり不足だというのでしょうか)

 

 キュ、と口を結んだシュテルであったが、ハッと気が付いたように目を見開いた。

 

(……いま、私は何を考えて? らしくもない、あり得ません。私には今、成すべき事が山積しているというのに)

 

 

「ーーはい、これでもう大丈夫!」

 

 

 シュテルが自身から込み上げた感情に疑問符を投げたと同時、シャマルの溌溂とした声が思考を中断させた。

 

「出血は酷かったけど、傷口はあまり深くなくて良かったわ。完治……とまではいかないけど、もう大丈夫よ」

「おー! ありがとうございます! いやぁこれなら毎日でも通いつめちゃいますねー!」

「もう、ここの常連になんかならないでね。私が暇である方が、本来はいいんだから」

「あ、じゃあ! お茶しにまた来ますよー!」

「ふふ、なら私が焼いたケーキでもご馳走しようかしら。なぜか皆食べてくれないのよね~」

「ぜひぜひ! シャマル先生料理得意そうだし!」

 

(……ご愁傷さまです)

 二人の会話を聞いていたシュテルは、心の中でルイスに合掌をした。

 骨は拾ってあげなければですね、と小声で呟きながら、シュテルはスクっと立ち上がる。

 

「……さて、行きますよ。クロノたちを待たせていますし」

 

 続く雑談を遮るように、シュテルはグイっと金の手枷を引いた。

「っとと、シュテルごめんごめん」

「あ、ごめんなさい話し込んじゃったわね。それじゃあ行きましょうか」

「……はい」

 

 ルイスとシュテルを先頭にシャマルはそれに続く。医務室を出たその先は、ブリッジへと続く広く長い廊下だ。

 担架が通れる様にと幅広になっているそこから、ブリッジはほど近い場所にある。

 と、そんな通路に、三人の少女の姿があった。

 

「ーーふん、ようやく出て来おったか」

「お、シュテルんやっほー! ルイスも死んでなかったんだね、よかったよかったー!」

「ふ、二人とも無事でよかったです……」

 医務室を出た先にいたのは、仁王立ちで腕を組む銀髪の少女、ディアーチェと、ペタリと床にお尻を付いているレヴィ、そして心配そうに瞳を揺らすユーリだ。

 

 ディアーチェはジロジロとルイスを品定めするように見つめ、小さく舌打ちをする。

 

「……行くぞ。皆がブリッジで待っておる」

 ディアーチェは有無を言わさぬ言葉と共に、ズカズカと歩みを進める。

 ルイスたちは慌ててそれに続き、ブリッジへと足を向けた。

 

 

 

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 次元航行艦アースラのブリッジは二層構造となっており、一層部分にはズラリと並ぶ機器やモニターが並んでいる。そこで断続的に情報のやり取りが行われており、機械の淡い明滅が部屋全体を灯していた。

 そこでは幾人もの局員が忙しそうに走り回っており、慌ただしい雰囲気に包まれている。

 一方、上層部分は見晴らしの良い艦長席を中心に、外観が見える様にガラス張りとなっている。飛び込む景色は宇宙とはまた違い、「次元の海」と呼ばれる広域空間だ。

 最も、便宜上「海」と称されているだけであり、いうなれば世界と世界の狭間に位置する場所だ。実際に水で満たされているわけではなく、力の本流が渦巻く、決して生身で渡航の出来ない危険地帯である。

 

 そんなブリッジの一層部分に入室したルイスは、大勢の人が待ち受けているのを見た。

 ズラリと十人ほど、どうやらルイスたちの到着を待っているようであった。

 

「あー! オリジナルがいるー!」

 レヴィはそのうちの一人、流麗な金髪をツインテールに結う少女へととびかかる様に抱きついた。

「わっ、わっ、レ、レヴィ危ないよ……大丈夫、怪我してない?」

「うん! オリジナルも元気みたいだな! ね、今から遊ぼうよ!!」

「もう、フェイトって呼んでって言ってるのに。それに、今はお話を聞く時間でしょ?」

「あ、そっかー! じゃあちゃんと聞くからそのあと遊んで! 新技出来たんだ―! すっごいんだぞー!」

「ふふ、終わったらね?」

「うん!!」

 

 まるで親子の会話をしながら抱き合う二人。

 フェイトの足元で寝そべっていた赤い狼が人間のように「はぁ」と大きく溜息を吐いていた。

 

 と、シャマルがトコトコと手を振りながら車いすの少女へと近づいていく。

 その少女の周りは、3人の女性と1匹の狼がいる。

「はやてちゃ~ん、みんなもお待たせ~」

「お疲れさまやでシャマル、あとでナデナデしたらなあかんな~」

「わーい、はやてちゃんありがとー!」

「主はやて、あまり甘やかし過ぎるのは……」

「ふふ、リインフォースは相変わらず厳しいなぁ」

 はやてと呼ばれた、栗色のショートヘアを持つ車いすの少女。そして、はやての乗る車いすを押すのは、銀髪を澪の様に伸ばすリインフォースだ。

 リインフォースの側では、赤いおさげの少女が手を振り、ポニーテールの女性が軽く会釈をしている。そこから少し離れた位置に、付き従う様に青い狼が姿勢よく立っていた。

 みな、遅れてきたシャマルを暖かく迎え入れていた。

 

「……あ! おーいおーさまー!」

 はやてはふくれっ面のディアーチェを見つけると、ニコニコと元気に手を振った。

 リインフォースに押され、はやてはディアーチェの近くへと移動する。

 大きな舌打ちをするディアーチェの腰には、ユーリがどこか怯えた様子でしがみついていた。どうやら、人の多さに緊張しているようであった。

「王様も久しぶりやなー、元気しとった? 会いたかったで~」

「ふん、我は会いたくなぞなかったわ子鴉めが」

「えー? そんな事いうて、ホントは私に会えて嬉しいんやろ~? 照れんでええんよ~?」

 

「……よかろう、その様な世迷言を言う輩には我のジャガーノートをおみまいしてくれる」

「ちょ、ちょう待ちーや! 冗談やなくてホントにやんのが王様やからなぁ……まぁそんなところも可愛げあって好きやけどなー」

「……子鴉、貴様まだ懲りておらんようだな」

「私は本音を言うただけやで。なー、ユーリちゃんもそう思うやろー? 王様は可愛いよなー?」

「は、はい! ディアーチェはカッコよくて可愛くて、とっても素敵だと思います!」

「……ふ、ふん! ユーリに免じて今日は特別に許してやらんでもない」

「ふふふ、ほんま王様可愛いわぁ、おーきになっ」

 

 それぞれが親しき者と言葉を交わす最中、シュテルの元へと近づく二人がいた。

 

「ーーナノハ」

「えへへ、シュテル久しぶり! 元気だった?」

「ええ、問題ありません。ナノハも、変わらず?」

「うん! 元気いっぱいだよ!!」

「それは何より。師匠もお変わりないようで」

「だ、だから師匠じゃなくてユーノって呼んでってば。相変わらずだなぁシュテルは」

 シュテルと同じ顔を持つ少女ーー高町なのはと、金髪緑眼の少年ユーノ・スクライアは、親しみのある笑みを浮かべシュテルと言葉を交わし合っていた。

 

「……あれ、やっぱりシュテル、どこか調子悪い?」

 なのはが心配そうにシュテルへ声をかけた。どうにも、シュテルが身体をモジモジと気付かれないようによじっていた事が気になったようであった。

 シュテルは小さくビク、と身体を震わせるも、首を横に振る。

「いえ、特段問題はありません」

「そう……? ならいいんだけど……あ、そうだ! 昨日ね、ユーノ君と一緒に新しい戦術を考えたんだ!」

「ほぉ、それはまた興味深い……」

「にゃはは、今日の模擬戦は負けないよー!」

「ええ、楽しみにしています。今日、予定通り模擬戦が出来ればいいのですがね……」

 どこか温かな薄い笑みを浮かべるシュテルと、弾ける様に笑うなのはを交互にルイスは見比べる。

 

「……双子がいっぱい」

 

 首をひねりながら、ルイスは目をパチクリとしばたかせた。

 

「あぁ、決して私たちは双子というわけではないのですが……その辺りの事情はおいおい、ということで」

 シュテルはルイスの疑問に困った様に腕を組み、苦いコーヒーでも飲んだかのような顔をした。

 

「ーーあの、はじめまして、ですよね!」

 シュテルの渋い顔で更に疑問符を飛ばすルイスに、なのはがおずおずと、けれど明るい声で話しかけた。

 チラチラと、視線は金の枷に注がれている。

「ん、あぁ、はじめまして。僕はルイス、ルイス=シュヴァングだよ。シュテル……じゃなく、ええっと?」

「私、高町なのはっていいます!」

 天真爛漫という言葉の通りに、花が咲く満面の笑みをなのはは浮かべた。

(いやはや、同じ顔だけど、全然違うんだな)

 ルイスの意味ありげな視線をシュテルは敏感に感じ取る。

 「……なんですか?」

「いや、どっちも可愛いなと思って」

「……………………そうですか」

 

 いつもより長めの沈黙を経て、シュテルは声を絞りだす。表情筋は微動だにさせない。

 なのはも、にゃはは、照れたように頬をかいていた。 

 

「--コホン」

 大きな咳払いが一つ響き、みなの視線がその主に注がれる。

 音の主は、アースラの制服に身を包む、クロノ・ハラオウンだ。

 その横にはリンディとエイミィの姿もある。

 

「皆、呼び立ててすまない。今日集まって貰ったのは他でもない、海鳴市で現在起きている異変について、情報を共有するためだ」

 クロノは端的に言葉を重ね、趣旨を伝達する。

「内容としては、この町で不特定多数の古代遺産が四散した件について、だ」

 ピり、と周りの空気が張り詰めるのをルイスは感じた。

 古代遺産はそれだけで一級品の危険物である。一般人がどうこう出来る代物でない場合が殆どであり、魔力を持たないこの世界の住人に置いては、特級の危険物なのだ。

 

「こちらが掴んでいる情報を踏まえ、今後の方策を話し合いたい。では、艦長続きをお願いします」

 クロノは一歩下がり、代わりにリンディが前に出る。

「ありがとうクロノ。さて、まずは彼を紹介しなければ始まらないわね」

 クロノから会話を引き継ぎ、リンディは続ける。

「彼の名前はルイス=シュヴァング。いうなれば、この事件の最重要参考人ね」

 

 一斉に、ルイスへと視線が集中する。先ほどより、見慣れない新顔に奇異の視線は少なからずあったが、今は気色の違う物へと変わっていた。

 

「では、ルイスさん。申し訳ないけれど、事の顛末を簡単に話して貰ってもいいかしら。あ、ここにいるのは全員管理局の関係者だから、問題ないわ。各自の自己紹介は追々という事で」

 

「あ、はい! えっと、改めまして、ルイス=シュヴァングと言います」

 一つ、深呼吸をして。

「僕は遺跡の発掘を生業としているんだけれど……いつもの様に遺跡で仕事をしてると、正体不明のバケモノに襲われたんだ。無我夢中で戦っていたんだけど、遺跡が急に動き出して。古代遺産と一緒にこの世界に転移されたんだ」

 深く、頭をルイスは下げた。

「だから、今回の件の原因は僕、にあるんだ。本当に申し訳ない」

 

「はん、確かにな。ようは、テメーがちゃんとしてなかったのが悪いって話しじゃねーか」

 腕を組み、語気を荒げるのはヴィータだ。海鳴市は彼女にとっても故郷と呼べる場所になったからこそ、ルイスの齎した災厄に否定的な考えを持つのは自然と言えた。

 

「ヴィータ、そう言わないでください。確かに彼にも落ち度はあるかもしれませんが、事態の収束を図る為に身を挺したという事実も無視できません」

 割って入る様に、シュテルが声を荒げた。

 シュテルにしては珍しい口調に、ディアーチェが一番目を丸くしていた。

 

「……やけに庇うじゃねーか。ていうか、さっきから気になってたんだけどよ、その手枷は何なんだ?」

「そうそう、私も気になっててん。それ、どうしたんですか?」

 ヴィータの頭をなだめる様にはやては撫でながら、ルイスへと疑問を口にする。

「あー、えっと、これも件の古代遺産の一つなんだ。遺跡から転移する時にハマっちゃって……それで、シュテルと出会った時にこうなっちゃったんだ」

 

「外すことは‥‥…出来たらはじめからしてはります、よね」

「ええ、ハヤテ。残念ながら、今は解除が不可能です」

「それはえらい難儀やなぁ……」

「でもよ、結局それもアイツの自業自得じゃねーかよ」

「…………ッ」

 火花を散らすヴィータとシュテルを制する様に、シグナムが一歩前に出てリンディと向き合った。

「つまり、そこの青年が遺跡で何者かに襲われ、古代遺産と一緒に転移してきたと。そして現在、その古代遺産の一つである謎の手枷でシュテルと繋がれているという事で()()()()()()()()()()()()()()()ですか?」

「ええ、()()()そう考えているわ」

 リンディはシグナムの問いにニコリと肯定する。

 シグナムの問いかけは、ルイスの言葉をまとめたものでもあったが、管理局はその証言を是としているのかという確認の意味も含まれていた。

 リンディの返答に、シグナムは目を細め、小さく頷いた。

「成程。ありがとございます」

「ええ、おそらくシグナムさんの思う通りね。あぁ、さらに言えば、古代遺産はもう一つ発見されたのだけれど、シュテルさんやルイスさんたちの活躍によって討伐されたわ」

「……討伐、ですか」

 その二文字が意味するところをシグナムは理解し、無意識にレヴァンティンに手をかざした。

「そう。おそらく、遺跡の防御機構であったからこその戦闘型だったと思うのだけど……他の古代遺産の幾つかも、同質の物が含まれていると推察すべきね」

「成程。それは、なかなか厄介ですね」

「厄介ついでに言うと、高確率で呪詛が掛けられている可能性がある、という点も、ね」

 

「呪詛、ですか……?」

 なのはが聞きなれない言葉に、疑問の声を上げた。

「ええ、使い手はかなり少ないけれど、呪詛魔法という物があってね。その名の通り、条件が整えば相手を呪う事が出来るというわけ。魔力を封じたり対象にダメージを反転させたり、ね」

「……それ、結構相手にするのは大変なんじゃ」

 

「ええ、正直非常に面倒な相手ね。こちらも支援体制は万全を期して臨むつもりだけど、なのはさんたちにはまた無茶をお願いする事になると思うわ……」

「いえ、そんな! がんばります!」

「ふふ、ありがとう。頼もしいわ。さて、さしあたっては古代遺産の捜索とその回収が目下の目標となるわけだけれどーー」

 

「ーーあ、あの!」

 ルイスの突然の大声。

 一番近くにいるシュテルをはじめ、その場の全員がルイスを注視した。

 

「そもそもの元凶である僕が言うのもおかしいんだけど……」

 口ごもりながら、けれど明確な意思を持って。

 

「僕も……僕も、協力させてください!! お願いします!!」

 

 勢いよく頭を下げ、そのまま続ける。

 

「僕の不注意が招いた結果だし、償いをさせて欲しい……! だからどうか……! 古代遺産を探す手伝いを‥‥…!!」

 

 頭を下げ続けるルイス。数瞬の無音の空間になる。

 

「あの、リンディ艦長。僕からもお願いします」

 ルイスの行動を目にし、意を決して声を上げたのは、なのはの側にいた少年、ユーノだ。

「なんというか、ルイスさんの気持ちはよく分かるんです。僕もその、ジュエルシードの時は似たような状況であったわけですし」

「私からも、お願いします。何も出来ずにただ見守るだけなのは、きっと苦しいと思うから……」

 なのはも一歩前に踏み出し、ユーノと共に頭を下げた。

 

「……私からもお願いします」

 ルイスの真横にいたシュテルも、言葉をあげた。 

「今現在、呪詛魔法への効果的な対抗策を持っているのはルイスだけです。そしてその力は、先の戦闘で十分に証明されたとも思われます」

 シュテルはギュッと拳を握り、弁熱を振るう。 

「我々への敵対を主眼としているのであれば、説明がつかない行動が彼には多く見受けられると判断します。ここは、やはり彼を引き入れるのが得策かと思います。ですので、どうか」

 続けて、シュテルも頭を下げた。

 

(あらあら、大人気ね。実際、シュテルさんがここまで肩入れするのは正直予想外ね。嬉しい誤算であるのは間違いないのだけど)

 そして。

(なのはさんたちからすれば、過去の自分と重なり合う所があるわけで、親近感も湧くでしょうね。いえ、それ以前にはやてさんやフェイトも、放っておくことなど出来ない良い子たちだものね)

 潤んだ目で訴えかけるフェイトに、真剣な眼差しを宿すはやてを横目に、リンディは思考する。

(守護騎士は……はやてさんの決定に従うでしょう。マテリアルの子たちもシュテルさんが巻き込まれている以上、否定的な意見は出しにくいはず)

 腕を組みなおし、リンディは自分自身へ視線を落とした。

(さて、となればあとは私……管理局としてどのような見解を出すか、ね)

 

 リンディはニコニコと笑みを湛えつつ、脳内で思考を回転させる。

 

(古代遺産を放置はできない、これは考えるまでもなく決定事項。問題はルイスさんの処遇をどうするかという事だけれど、今ルイスさんを拘束するとなれば、すなわちシュテルさんを失う事とイコールになる)

 リンディは苛立ちから足を揺らすディアーチェを見る。

(シュテルさんを万が一にも拘束するとなれば、ディアーチェさんは特に穏やかではないでしょう。どの様な行動にでるか、考えるまでもないわ。今この状況下においてトラブルを増やすわけにはいかない)

 

 となれば。

 

(今回の相手は古代遺産であり、更に呪詛魔法という稀少技能に近い特性を備えている可能性も高い。ある種そのどちらともの専門家である彼の助力を乞うのは自然でしょう。この特異なシチュエーションであれば、本局を納得させるには充分ね) 

 仕事とはいえ、打算的な考えは嫌になるわね、と誰にも聞こえないように呟きながら。

(やはりここは彼の提案を受け入れ、民間協力者という位置づけで参入して貰う方が得策でしょう)

 リンディは考えをまとめ、ルイスへと柔和に細めた目を向けた。

 

「ーーええ、こちらからお願いしたいくらいだわ。ルイスさん、正式に民間協力者としてこれからお願いします」

「あ、ありがとうございます……! シュテルも、皆も、その、ありがとう!」

「……いえ、私は最善の判断をしただけですので」

 フッと、少しだが場の空気が弛緩する。

 ルイスにまだ懐疑的な視線も向けられてはいるが、大多数が穏やかな感情を向けていた。

「さて。話も纏まった所で、次は古代遺産に関してだが。まだ詳細や総数も分からない以上、今は情報収集に徹底する事になる」

 クロノはこうなる事が分かっていたかの様に、冷静に段取りを踏んでいく。

「また、繰り返しになるが、対象の古代遺産は呪詛で汚染されている可能性が高い。どのようなタイプの呪いが掛かっているかも不明だ。故に、接触時には最大限留意をして欲しい。基本的に一人にはならず、複数人でのチーム行動を基本にすること」

 一旦区切り、息を吸う。

「次は具体的なチーム編成を決めるわけだが……ここまでで、何か質問は?」

 

 クロノは確かめる様に全員の顔色を伺う。

 

「ーーあの、すいません」

 と、シュテルがおずおずと、クロノのへと伏目がちな視線を送った。

 

「グリーフィング中だというのは百も承知なのですが……その、えっと……ですね……言うべきか非常に悩んでいたのですが……」

 

 シュテルにしては歯切れの悪い言葉で、どこか遠慮がちにおずおずと手をあげている。

 

「シュテるんどったのー?」

 不思議そうに小首をコテンと傾げるレヴィ。

 シュテルは俯きながら消え入る様な声で、

 

 

「……いえその、ですね。トイレに行きたいのですが」

 

 

「ーーーー……」

 

 トイレ。なるほど確かに、言い出しにくい話題ではある。

 今はまさに協議の最中であり、その内容も決して小さなものではない。

 

 

 だが、それにしてはどうにも様子がおかしい。

 

「……あ!」

 

 なのはが何かに気が付き声を漏らし、顔を真っ赤にして俯いた。

 

 数瞬遅れて、みながなのはの表情の意味する所を理解し、何とも言えない気まずさで固まる。

 

 シュテルは今、ルイスと繋がれそしてそれを解く手段がない。

 となれば、必然トイレにはルイスと共に入る必要があるという事である。男と女である、ルイスとシュテルが、である。

 

 

「……やはり、馬の骨は消し炭にしてくれようか」

 

 ディーチェの本気としか思えない殺気とトーン。

 ルイスは額を地面に擦り付け、土下座で応戦する。

 

 

「その、すいません。実は割と前から我慢をしていたので、そろそろ限界です」

 

 消え入る様なか細い声。若干シュテルの目じりには涙が浮かんでいる。

 

 ディアーチェはわなわなと見るからに震え、ひと際大きく足裏で床を踏みしめた。

 

「ーー目隠し! 耳栓!! ええぇいあと猿ぐつわに拘束具!!」

 

 咆哮に近い怒号をディアーチェはあげた。

 

「さっさと持って来ぬか!!」

 

 クロノたちがわたわたと指示された物を探しに駆け出て行くのを、ルイスはサウナにいるかの様な滝の汗を流し、見ているしか出来なかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 『王家』のルールとして、家事は均等に分担する事になっている。

 リビングには当番表が掛けられており、小まめに掃除も成されている事が伺えた。

 

 『王家』の廊下の奥、木製の押戸の先はトイレがあり、例に漏れずそこも常に清潔に保たれている。

 

 ピカピカに磨かれたウォシュレット付きの洋式便器と芳香剤が置かれるそこに、二人の人間がいた。

 

 そもそもトイレに二人で入るという事自体が異常ではあるが、その内の一人は奇妙ないで立ちをしている。

 ガムテープでグルグル巻きにされた上に、目隠しと耳栓に猿ぐつわ、鼻には洗濯ばさみが二つ付けられていた。

 

 簀巻きにさたルイスだ。先ほどからもぞもぞと動いてはいるので生きてはいる様ではある。

 

 そしてもう一人、明らかに顔を赤く染め、便座にちょこんと座っているのは、シュテルだ。

 会議の最中にトイレの為退出する事になり、今に至る。

 

 アースラの女子トイレにルイスを同室されるのはどうかという事で、『王家』に急ぎ戻り、事を成すことで話はまとまったのだ。

 だが、やはりなかなかシュテルはスカートを下せずにいた。

 

(信じられない恥辱です……)

 

 手枷の長さからして、同室に入らざるを得なく、用を足すには服はおろか下着も脱ぐしかない。

 今日出会ったばかりの異性を前にするには、あまりにもハードルが高い行為である。

 

(しかし、限界は限界ですし……)

 今後もしばらくコレが続くのかと辟易した気持ちになるシュテルであったが、意を決してスカートに手をかけた。

 

(…………っ)

 

 腰辺りにあるボタンを外し、シュテルはゆっくりとスカートを下ろしていく。

 シュルシュルと、衣擦れの音が艶やかに室内に響いた。

 

 布に隠されていた健康的なふとももが少しずつ露になり、その白さを外気に晒す。

 鍛えられ引き締まった中にも、どこか幼い弾力を残すそれは、美しいと表現して間違いのないものがあった。

 

(う……)

 

 スカートを脱ぎ終え、ついで黒の下着が現れた。

 完全に視界を奪われているルイスに見られる事はないとはいえ、シュテルは無意識に手で覆い隠す。

 

 下着は黒の下地に小さなリボン、細やかなレースがフリルの様にあしらわれる、少し派手なものだ。

 シュテルの外見は幼く、けれどその雰囲気は妙齢な女性のソレでる為か、見事に履きこなしていた。

 

 シュテルは普段、纏め売りされている無地やワンポイントの下着を履いている。

 機能性と価格重視の結果であるが、周りの女性陣からは渋い顔をよくされていた。もっと可愛い物が絶対に似合うのに、と残念な視線が主だ。

 

 しかし、今日はなのはとの模擬戦が予定されていた。

 まさに文字通り「勝負パンツ」としてシュテルはこの黒レースの下着を選んでいたのだ。

 不思議な風習だとシュテルは思うも、日本通のリンディが言うからには間違いないだろうと、それ以来大事な日にはこの下着を履くことにしていた。

 その事をディアーチェに話すも、複雑な顔をしていたのはなぜでしょうか、とシュテルは思い返す。

 

(などと現実逃避をしていても仕方がありません……ありませんが……)

 

 下着を手にかけたまま、シュテルは先ほどからずっと同じポーズで固まっていた。

 

(このままでは埒が明きません、ええ、それはわかっています。……し、しかし、これをこの状況で脱ぐのはやはり……)

 

 生まれる当然の逡巡に、シュテルは耳まで赤くなる自分を自覚した。

 

 

 しかし脱がなければ何も出来ない。

 

 

 シュテルは生涯感じた事のない、恥じらいが軽い殺意に変わる感覚を味わっていた。

 

「……よい精神鍛錬だと思いましょうか」

 

 自分を納得させるかの様に言い、シュテルは勢いよく下着に手をかけーー

 

 

「ん……」

 

 

 

 ーー数十秒後、シュテルは涙を薄く浮かべた赤い顔で、簀巻きを引きずりながら扉を出た。

 

 そしてはたと気づいた様に足を止め、シュテルは天井を仰ぎ見た。

 

「……お風呂の時はどうしましょうか」

 

 シュテルは右手に繋がれる簀巻き男を眺め、深いため息を吐いた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「申し訳ありません、ただ今戻りました」

「おお、シュテル! 今我が全霊をかけて練り上げた完全犯罪の計画がちょうど出来上がった所でな! 喜べ、馬の骨をこの世から抹消出来るぞ!」

「落ち着いて下さいディアーチェ。若干今は賛同したい気持ちが強いですが。して、他の方々はどこへ……?」

 シュテルはルイスの拘束を乱雑に解きながら、キョロキョロと周りを見渡した。

 先ほどまで人で溢れていたここは、シュテルとルイス、そしてディアーチェとユーリ、クロノしか残っていなかった。

 

「あぁ、皆町へ捜索へ出て貰っている。いつ古代遺産が起動するかも分からないから、先だって動かせて貰っている。シュテルとルイスさんが抜けていた際に決まった事は、追ってレポートとして送付する事になる。また目を通しておいてくれ」

「……その、本当に申し訳ありません」

「あ、いや。その、なんだ。仕方がない事ではある、からな。うん」

 明らかに気落ちするシュテルに、クロノはフォローを入れようとするも、どこか気まずさでしどろもどろになっていた。

 

「ええっと、それから。ルイスさんとシュテルはこのまま残ってくれ。メディカルチェックを受けてもらう、シャマルさんが医務室で準備をしてくれているはずだ」

 小さく咳ばらいをし、クロノは続ける。

「手枷型の古代遺産の解析も急ぎたい所だが、まずは君たちの体に異常がないかを調べなければならないからね」

「分かりました、配慮、感謝致します」

「ありがとう、自業自得の僕は兎も角、シュテルが大丈夫なのかはずっと僕も気になってたから!」

 

 拘束から解除されたルイスが、仰々しくクロノと両手で握手を交わす。

 

「……?」

 

 クロノはそこで怪訝な顔をするも、ルイスは申し訳なさそうにウィンクを返す。

 それで納得したのか、クロノはほんの少し口調を低くし、右の手をポケットへと移動させた。

 

「……いえ、当然の事ですから。では、早速行きましょう」

 クロノのに続き、シュテルとルイスも医務室へと足を向けた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 アースラ内に設置された執務官室内。

 縦長の部屋の奥に大きめの事務机が設置され、大量の資料や書籍がキチンと整理され置かれている。

 中央付近にはソファが置かれ、来客の際に使用する事が伺い知れた。

 部屋の隅には観葉植物が揺れており、唯一の彩りを添えている。

 

「どうしたものか……」

 クロノは使い慣れた机の上に置かれる、シワの寄ったメモに目を落としていた。

 

 

『皆には内緒にしてね』

 

 

 と、だけ書き殴られたソレは、ルイスがクロノと握手を交わした際に秘密裏に握りこませた物であった。

 次いで、クロノは『ルイス=シュヴァング、メディカルチェック報告書』と表された、数ページに纏められた書類へと視線を落とす。

 

「……はぁ」

 

 大きくため息をクロノは吐き、メモと報告書を交互に見比べた。

 

「しかし、これは……」

 

 何度目かのクロノの呟きを、聞くものは誰もいなかった。

 




アップする前、後輩に今回の話しを読んで貰ったんですが、

「最近全然パンツ出さないから正直先輩の頭がおかしくなっちゃったんだと思っていたんですけど、無事だったみたいで何よりです。頑張って下さい」

と、感想なのか何なのかよく分からないメールが送られてきたので、首をかしげるばかりです。

それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。


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第8話 異常と探査と三つのカレー

コミケのシュテル抱き枕が尊すぎて、一緒の布団で眠れなかったですね。わっしょい。


ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。


 事務机に来客用のソファ、そして僅かばかりの観葉植物がある部屋がある。

 次元航空艦アースラの執務官室だ。

 クロノの仕事部屋であるそこには、二つの人影がある。

「その、クロノ君……実は……」

 一人は、その瞳を動揺と寂寞で揺らす女性、シャマルだ。

 彼女は相談がある、とクロノを訪ねて来ていたのだが、そわそわと落ち着かず口籠り、どうも言葉にしていいかを迷っている様であった。

「ルイスさんの事でしょう、シャマルさん」

 シャマルの会話の相手、黒髪の少年ーークロノは、自身の席に腰を降ろしていた。クロノはシャマルを気遣い、彼女が言いたいであろう名を口にした。

「あ……。うん、その……」

「メディカルチェックの報告書を読んだ時は、流石に何かの間違いかと思いましたが……」

 

 チラリと、シャマルがぎゅっと握りしめ皺の寄ったメモと思しきものをクロノは見た。

「どうやら、彼自身には自覚があるようですね。ソレ、僕も貰いましたよ」

「ええ……その、皆には黙っていて欲しいって書いてあって…‥。でも、私、どうしたらいいか……」

「一つ確認をしますが、ルイスさんの状態は例の手枷が関係している、という事は無いんですか?」

 

 クロノは、シュテルとルイスを繋ぐ金の枷を思い浮かべた。

 あの手枷は古代遺産に他ならない。装着者にどのような影響が出ても不思議はなかった。

(もし仮にルイスさんの身体症状が手枷の効果のせいであったのなら、おそらくシュテルも……そうなれば、最悪な展開だ)

 眉間に皺を寄せ、普段より明らかに「仕事モード」なクロノに、しかしシャマルは首を横に振った。 

 

「いいえ、大丈夫。この件に関して、手枷は無関係よ」

「……ふむ。それはつまり手枷の解析が出来た、という事ですか?」

 

 断定とも言えるシャマルの口調。

 彼女は少々ドジな一面こそあるが、しかし憶測で物事を判別し、報告する事は決してしない。

 そんなシャマルが断言するからには、何かしらの確証があるのは間違いがなかった。

 シャマルの性格をよく知るクロノは、当然の思考として彼女が手枷の特性を把握出来たからか、と推測をしたのだ。

 けれどシャマルは力なく、「いいえ」と否定の言葉を発した。

「ごめんなさい。あの手枷の解析は相当手こずりそうなの……」

「では、何故関係がないと言えるのですか?」

「ルイス君から、直接聞いたから」

 悲し気に、シャマルは俯いた。

「『大丈夫、コレは最初からなので』って……」

 

「……なるほど」

 

 クロノは改めてメディカルチェック表を手に取り、深く、重い息を吐く。

 

(つまり、彼にとってこれは触れられたくない秘密、というわけだが……いや確かに、自ら言いふらす物でもないのは分かる)

 苛立ちから無意識に指で机を叩く。

(メディカルチェックを受ければ自ずと露呈するのは分かり切った事。だからこそ、僕とシャマルさんには口止めとしてメモを渡した、という訳か)

 

 クロノがチェック表を机に戻したと同時、

 ーーコンコン、と乾いた音がした。

 執務官室の扉を叩く、ノックの音だ。

 

「……どうぞ」

 部下が報告にでも来たのかと思い、クロノは少し間をあけ、息を整えてから返答する。

 今は厳戒態勢ともいえる状況である。事務手続きや現場報告など、クロノの元へは多くの部下が訪ねてきていた。

 非常時だからこそ部下に余計な不安を与えないようにと、毅然とした態度をクロノはとる必要があったのだ。

 

「おじゃましまーす、うおー! 何か凄い部屋! かっけー!」

「失礼致します」

 現れたのは、手枷に繋がれた二人。ルイスとシュテルだった。

 どこまでも呑気に、まるで異国へ初めて訪れた観光客が如くルイスはキョロキョロ部屋を見渡す。

 一方のシュテルは無機質で事務的に、挨拶だけを行った。 

 

 件の人物の登場にクロノとシャマルは一瞬息を飲むも、努めて冷静に振る舞う。

「ルイスさん、シュテル。どうかしましたか? 検査も終わったので、暫く休む様に伝えたと思いますが」

「あー、えっとね。シュテルとも話し合ったんだけど、今から僕らも古代遺産の捜索チームに合流したいんだけど、いいかな?」

「それは……」

 流石のクロノも言い淀む。その姿を予期していたかの様に、ルイスは今日一番の笑顔をたたえる。

 

「クロノ、()()()()()()()()

「いやしかし……」

「いいかいクロノ、僕にとって古代遺産を追いかけるのは日常茶飯事なのさ。それこそ()()()()()()()()()()

「……本当に、大丈夫なんですね?」

「うん、僕にとってはこれがいつも通りなのさ。それにほら、クロノも()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ルイスの問いは、メディカルチェックの結果を見たうえで、「最前線への参加を管理局として許諾するか」という意味も込められていた。

 意図を隠し、しかし互いに疎通を果たし、クロノへと決断を迫る。

 

(先ほどの戦闘……)

 クロノは思い返す、進化する狗の石像を。

 確かに、ルイスの戦闘に何ら違和感はなく、むしろクロノの評価は高い。だからこそ、本件においてルイスの存在は有効となり得ると判断されたのである。

(実際、ルイスさんはあの状態で戦闘をこなしていたという事になる。となれば、本当に問題がないと考えるべきなのか? 事実、彼は今まで遺跡の発掘に携わってきた実績があるわけだし……)

 ただ笑みを浮かべ続けるルイスを、クロノは見上げる。

(あの闘いは、自分の有用性を伝える一種のパフォーマンスも兼ねていた、という訳か。しかし、事実ルイスさんの力が必要だという事は証明された。となれば今は、彼の行動をよく観察し、これからの為に少しでも情報を得るのが先決、だな)

 

 クロノは大きく息を吐き、立ち上がる。

 

「……分かりました、許可します」

 

「クロノくん?!」

 シャマルにしては珍しい、棘の込められた大声。シャマルの「患者」とも言えるルイスを気遣っての意思表示であった。

「シャマル……?」

 見慣れないシャマルの態度に、シュテルは目を細めた。

 

「あ、えっと……」

 言葉に詰まるシャマルは、メモを隠すように握りしめる。

 この場で吐露したい衝動にシャマルは駆られるも、感情の読み取れないルイスの笑顔を前に、ついぞ言葉は出せないでいた。

 

「あぁ、シュテル。きっとシャマルさんは僕の怪我を心配してくれているんだよ。ほら、君だってさっきまでしつこく僕に『本当に問題はないのですか』って聞いてたじゃない、それと同じさ」

「あ……そ、そうなの! お医者さんの立場からしたら、やっぱり心配だなーって!」

 心を殺し、シャマルはぎこちなく笑みを浮かべる。

 本当にこれでいいのかと、そう自分に問いかけながらも、シャマルはルイスの願いを優先する事にした。

 訴えるように向けられるルイスの視線を前に、どうしても話す事ができなかったのだ。

 

「シャマル、現実問題としてルイスは捜索班に合流しても問題ないのですか? 医師としての見解を求めます」

 シャマルの動揺は、ルイスの怪我が予想以上に深刻であるからなのか、とシュテルは考えているようであった。

 たじろぎながらも、シャマルはたどたどしく口を動かす。

「う……ん、大丈夫、だけ、ど……」

「そうですか。しかしでは何故先ほどからーー」

「ーー全く、シャマル先生は心配性だなぁ」

 シュテルの言葉を掻き消すように、ルイスが言葉で割って入った。

 

「ルイス君……」

「いえいえホント、シャマル先生の治療のおかげですっかりよくなってますから!」

「で、でも……」

「心配してくれてありがとうございます、でも、うん、本当に平気なんです。それに、これはもともと僕が引き起こした問題です、黙って寝ている事なんて出来ません」

「……分かった、わ。でも無理は。本当に無理はしないでね」

 諦めか果ては覚悟をきめたのか、もしくはその二つの感情が混ざっているのか。シャマルは苦虫を噛み潰したような顔を伏せた。

 クロノはシャマルを庇う様にルイスの前まで移動し、真剣な眼差しを向ける。

「ルイスさん、貴方たちが捜索隊に加わる事も含めて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() ()

「……そだね、うん。オッケー分かったよ。民間協力者になったばかりでもあるしね」

 

「…………?」

 三人のやり取りにどこか引っ掛かりを覚えたのか、シュテルは怪訝な顔になった。

 拭えぬ違和感の正体を考えようとするシュテルであったが、クロノは会話を先へと進めその思考を中断させる。

「なのはとユーノの二人が今丁度商店街にいるはずだ、今回は彼らと合流してくれ。君たちは念話が使えないだろうし、僕から連絡は入れておく。落ち合う場所は、そうだな……翠屋の前としよう」

「…………はい、分かりました。それならば転送ポットの近くでもありますし、ちょうどいいですね」

「わーいシュテルとデートだデートー」

「……断じて違います、もっと緊張感を持ってください。移動の際に町の地形や構造を頭に叩き込むつもりですので、そのつもりで」

「ええ、もっと楽しくいこうよー……」

「前線にでる以上、海鳴市を知る事は必須項目ですので。さぁ、無駄口を叩かずに行きますよ」

「うっへぇ、優しくしてねー。さってそれじゃ行きますか!」

「はい。では、失礼いたします」

 

「ああ。よろしく頼む」

「何かあれば、すぐ戻ってくるのよ。ね?」

「はーい! じゃーまたあとでー!」

 

 ルイスは場違いな笑顔と陽気な声をあげ、そのままシュテルと扉をくぐり地上へと向かっていく。

 部屋に残された二人には、重い沈黙がのしかかっていた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 海鳴商店街の中ほどに進んだ所に、「翠屋」がある。喫茶店兼洋菓子店であるそこは、名前の通り緑を基調としたデザインの外観である。

 屋根はもちろん、看板も綺麗な翡翠色に塗られていた。

 店の前にはオープンテラスとなっており、部活帰りの高校生と思しき女学生がケーキとコーヒーに舌鼓を打っている。

 そんな店先の端、邪魔にならない様にと立つ人影が二つ。

 なのはとユーノだ。

 黄昏に沈む時間の為か、その影は長く延びていた。

 

「ナノハ、師匠。お待たせしました」

「お、ここかー……」

 そんな二人の影を踏み、声をかけたのはそれぞれがシュテルとルイスだ。

 何故か肌に艶がある程元気なシュテルと裏腹に、ルイスはどこかゲッソリとしている。

「あ、シュテル! ううん大丈夫だよ! って、ルイスさん、どうしたんですか……?」

 なのはが心配そうにルイスを上目遣いで見つめた。

 

「いやぁなに、ここに来るまでの道すがら、シュテルから海鳴市についての授業をして貰っていたんだけどね……」

「あー……」

 ユーノが何かを納得したのか、乾いた笑みを浮かべた。

「いつまた戦闘が行われるか分かりません。立地を知る事は闘いの基本ですし、海鳴市に来て間もないルイスだからこそ理解しておくべき知識のはずです」

「そうなんだけど、だけどさぁ……」

「……もしや、余計なお世話でしたか?」

「あ、いや、そういうつもりじゃ! ただこう、もっと優しくして欲しかったなーって」

「いえ、十二分に配慮をしたつもりだったのですが」

「いやいやうっそだーー! いきなり海鳴市の海抜とか人口推移とか経済状況とか日照時間とか畳みかける様に言われもさぁ! 覚えられるわけないじゃん!! しかも後半なんて海鳴市内で闘う場合のお薦め戦闘スポットとか物騒なランキング発表しだすし!」

「……え?」

 きょとんと首をかしげるシュテル。どうやら、彼女は本当に分かりやすい説明をしていると思っていたようであった。ルイスの訴えに、理解しかねると瞳が告げている。

 見かねたユーノがフォローの言葉をかけるため、二人に近づいていった。

「まぁまぁ。シュテルは確かに数字には強いから分かりにくいかもしれないけど、普通はなかなか理解できるものじゃあないんだよ」

 ユーノへと向きなおったシュテルは、何かを納得したのか力強く頷きを返す。

「成程、理解しました。つまり、ルイスは阿呆なので相手にする時はもっと会話のレベルを落とせばいいわけですね」

「え、今アホっていった?」

 すごむルイスを無視してシュテルは続ける。

「いいですかルイス、海鳴市はその名の通り海と隣接しています。あ、海というのはですね。大きな水たまりの様なものでして、わかりますか?」

「こ、このー! ほんっとに馬鹿にしてるなー! 知ってるわいそれくらいー!」

「素晴らしいですね。おりこうさんです。はい、では次の問題です。海の水はしょっぱいか甘いか、どちらでしょう」

「いやあのねぇシュテルいい加減に……」

「正解したら一緒にお風呂に入ってあげますよ」

「え、お、うん……?」

 シュテルの言葉を咀嚼し、ルイスは一瞬動きを止める。

「……えぇ?!」

 

 思わず声を上げるルイス。なのはとユーノもきょとんと固まって動けない。

 カフェテラスにいた女子高校生を含め、その場にいた全員が動きを止めていた。

 周りからはひそひそと、「通報した方が」「ていうか手枷してるやばい」「ロリコン」と言った声と鋭い視線がルイスに集中する。

 そして当の本人たるシュテルはどこまでも無表情だ。顔の筋肉が一ミリも動く様子すらない。 

 

 シュテルは周りを見渡し、うむ、と頷きながら親指をグッと立てた。

 

「シュテルんジョーク大成功です。いえい。これで場はとても和んだと判断します」

「果たして成功かな?! 僕今すっごい気まずいし視線が痛いんだけど! それにほらあれよ! 冗談はもっとこうさ、笑いながらしようよ! 淡々と無表情で言われてもさ! ビックリしたわ!!」

「我ながら渾身の出来だと思ったのですが、不満でしたか。現状を皮肉りブラックユーモアを提供したつもりだったのですが……やはり感情とは奥深い。分かりましたルイス、次こそは爆笑の渦へとご案内致しますのでお楽しみに」

「うっそ次もあるんだ?!」

 笑顔と戸惑いを顔に張り付け絶叫するルイスと、それをしれっと受け流すシュテル。

 なのはは二人のやり取りを満面の笑みで見つめる。 

 

「にゃはは、もうすっかり仲良しさんだね」

「シュテルの冗談は本当に笑えないのが多いからね……」

 なのはは二人のやり取りを微笑ましくそう評した。

 ユーノは何か思い出す事があるのか、若干引き気味に頬を引きつらせていた。

 

「さて。いつまでもお店の前にいては邪魔になりますし、そろそろ移動しましょう」

 

 騒ぎを大きくしていた張本人であるシュテルが、しれっと先陣を切って歩き出した。

「うん、そうだね! あ、残りの担当区域は商店街から聖祥学園にかけてだよ」

「成程、分かりました。では、このまま商店街を抜けていくのがいいでしょう」

「にゃはは、シュテルと一緒に登校してるみたいで何か楽しいなー」

「ええナノハ、任務中なのは承知していますが、確かに心が躍ります」

 四人は談笑しつつも、しっかりと周りの警戒を怠らず歩を進めていく。

 先頭をシュテルとルイスが行き、その後ろになのはとユーノが続いた。

 

「あ、そういえば。ルイスさんって遺跡の発掘をしているんですよね!」

 

 なのはが明るく前を行くルイスに話しかけ、ユーノもそれに続く。

「実は僕も気になっていたんです。同業者に出会うのは珍しいですし」

 ルイスは困った様に眉を下げ、苦笑交じりで振り返った。

「うーん、僕の場合はそう褒められたものでもないんだけどなぁ。ほら、君の名前、スクライアっていったよね。確か発掘を生業としている一族、だよね。こっちの業界じゃ有名だから、むしろ僕の方がお会いできて光栄だよ」

「僕は拾われた身ではありますけど、家族をそう言っていただけるなら嬉しいです。それに、やっぱり僕も古代遺産とか遺跡の話は大好きなので、よかったらルイスさんの体験したお話も聞きたいです」

「ん~、そんなに面白い話は出来るか分からないけど……あ、そうだ。丁度この前、塩を砂糖に変える古代遺産を見つけたよ」

「えぇ……何というか、その……」

「言いたい事は分かるよ、うん、まぁ地味の極みだしね。いやでもそれがさ、そいつが勝手に起動して携帯食を全部甘くしちゃったみたいでね。知り合ったキャラバンの人に振舞ったら阿鼻叫喚の地獄さ。干し肉の獣臭さはそのままで砂糖味とか最早兵器だよね」

「それは……ある意味恐ろしいですね。でも確かに、用途が謎な古代遺産って結構ありますもんね。僕も昔、似たような物を見たことがあります」

 可笑しさと苦さを含んだ顔で、ルイスとユーノは笑い合った。

 古代遺産に常人より触れる機会が多い二人だからこそ、それぞれが経験した過去の思い出が頭の中を駆け巡り、それを理解し合える存在に気を緩めたのであった。 

 

「古代遺産にも色んなものがあるんですね……わたし、もっと危なくて怖いものばかりだと思っていました」

 二人のやり取りを聞きながら、なのははかつて自分がしてきた体験を思い浮かべながら、神妙に頷いた。

 ルイスはどこか優し気に目を細め、なのはへと言葉を返す。

「うん、確かに有名な物は殆どがド派手で危険なことの方が多いしね。そういう印象になるのも無理はないさ。ただ、古代遺産っていっても、それはあくまで昔の人が使っていた生活の道具だからね。その使用場所が台所であるか戦場であるかの違いなのであって」

 足を目的の場所へと向けながら、ルイスは続ける。

「確かに危険な物も多いけど、ソレが生まれた事には必ず何かの意味があるんだ。塩を砂糖に変えるに用途しろ、星ごと塵に変える代物にしろ、ね」

 ルイスの言葉に、三人は耳を傾ける。

「古代遺産っていうのは、気の遠くなる程昔に誰かが作り出した物だよね。それこそ名も消え、存在すら忘れ去られるくらい大昔に」

 シュテルが、ルイスの横顔を盗み見る様に見上げた。

 そこには、変わらぬ笑顔がある。

「でも、作り上げた人々は確かにいたんだ。もう会う事も、話す事も、何も……何も、出来ないけれど。僕はね、古代遺産は彼らが生きていたという証だと思うんだよ」

 ルイスの屈託ない笑顔の横で、シュテルは思う。

 古い魔導書の形をした古代遺産の事を。

 その本を作ったであろう、自分の記憶に残っていない故人の事を、シュテルは初めて考えた。

 

「そして、だからこそ、ソレを今度は僕が未来の誰かに託すんだ。昔年の人々が繋いだ証を、これからも残す為に」

 歩みをやめたルイスに、つられて皆もその場で止まる。

「誰からも忘れられるって、僕はとても寂しい事だと思うんだ。せめて一人でも覚えていてる人がいれば、なんかこう、救われるじゃない。もう居なくなったという事実そのものさえ忘れられる事は、残酷だよ。だから僕は遺跡に潜るんだろうね」

 失われたものは決して戻らない。けれど、そこにあったというのは歴然とした事実なのだ。

 全世界の人から存在を忘却されたのだとしたら、それは完全なる死と呼べるものとなるだろう。

 故に、長い時間土の中に埋もれていたそれが誰かの視界に再び収まり、認識されたならば。もう一度、時を刻み始める事が出来る。

 

 古代遺産を見つけるとはつまり。何物でも無くなってしまった存在に、再び命の光を灯す事に他ならない。

 虚像を実像に。幽霊を生者に。忘却を想起に。

 忘れ去られたという事実を覆す、時間の蘇生なのだ。

 

「ルイスさん……」

 

「あ、何かごめん。そんなしんみりしないでよ」

 再び足を動かしながら、ルイスは慌てて口調をもとに戻した。

「厄介なものが多いってのは事実だからね。現にほら、コレだってその一つなわけだし」

 ルイスは誤魔化す様に自分の手にはまる金の手枷を指さした。

 

「あ……やっぱりそれ、危険なものなんですか?」

「ナノハ、それは私から説明しましょう」

 ルイスの横を行くシュテルがなのはを振り返り、説明を続ける。

「実は、メディカルチェックの際に簡易な検査をしようとしたのですが……百聞は一見に如かず、よく見ていてください」

 

 シュテルは手枷の鎖の部分に手を伸ばし、掴もうとするがーー

 

「え……?」

 思わず、なのはが驚きで声を上げた。

 シュテルの手は鎖をすり抜け、空を切ったからだ。

 

「この様に、物理的に触れる事が出来ないのです」

 溜息交じりにシュテルは続ける。

「確かにこの手枷はここにあります。今もこうして、金属の冷たい感触もありますし、僅かな重さも感じます。ですので、先頃までこうして触れないという事実にも気付けない程でした」

「それは……なかなかに厄介だね。二人の身体に異常はないんだよね……?」

 心配しながらも、どこか惹かれるものがあるのか、ユーノがまじまじと手枷を観察する。

 

「ええ、一応シャマルから身体的な異常は見受けられないと太鼓判は頂きましたが……そこも要観察ですね。遅効性である可能性も捨てきれませんし」

「確かに、相手は古代遺産だからね。あらゆる可能性を考えておいた方がいいかもしれない。僕に協力できる事があれば何でもいってね、知り合いにもあたってみるよ」

「ありがとうござます師匠、頼りになります」

 

 触れる事が出来ないという事実には、大きく二つの意味がある。

 一つは、解析を著しく阻害するという点だ。

 基本的に分析とは対象の本質を解明する事にあるが、そもそもその第一歩を踏み出せないのだ。

 どういった方法であればこの手枷の正体を探る事ができるのか。まずその手法から探す必要があり、それは解析するにあたって大きな遅れとなるのは必定である。

 

 もう一つとして、物理的な破壊を行う事も出来ないという点も大きい。

 最終手段として、無理やり外すという選択肢が取れないという事だからだ。

 何かしらの異常をきたした場合、やむを得ず破壊するという、賭けすら取ることが出来ない。

 原因究明には時間を要し、万が一の緊急回避すら封じられる。

 この世にあってこの世にない特異物質である謎の手枷。それそのものが厄介の極みであり、その解決方法は現時点で欠片もない事は明白である。

 シュテルとルイスを繋ぐこの手枷は、相当に厄介な相手である事は間違いがなかった。

 

「おっと、商店街抜けたね。ここまでは異常なし」

 先を行くルイスとシュテルの足は、商店街に面する歩道を踏んだ。

 

 商店街を抜けた先は住宅街となっており、市内へと繋がる大きい道路がある。

 朝方であれば通勤や通学する人々で賑わうが、今は陽も暮れかけた時間という事もあり、そこまで人は多くない。

 海鳴市は中心に行くにつれビル群がその数を増やしていくが、周りは多くの自然が残っている。

 商店街はまだ自然が幾ばくか見られる場所にあり、この大通りを進んでいけば自ずと鉄の色が濃くなっていくのである。

 

 シュテル達は目的地を目指し、そのまま道に沿って歩いていく。

 大きな家々が立ち並ぶそこを越え、さらに少し奥に進むと、聖祥学園が見えてくる。

 なのは達が通う学園であり、小学校から大学までが一緒になった、エスカレーター式の市立学校である。

 目的地である学園までは後十五分少々という距離だ。

 

「あ。そういえば、ルイスさんってしばらくどこで生活するんですか?」

 なのはが歩調を速め、ルイスの横に並び、聞いた。

「え、あー。そうだ、考えてなかった……その辺で野宿、ってわけにもいかないしねぇ……」

 ルイスは困った様に頭を掻いた。

 自分の左隣にいるシュテルを自信なさげに見ながら、「うーん」と迷いを言葉にする。 

「僕一人なら野宿も慣れてるし問題ないんだけどねぇ。流石にシュテルと一緒じゃそういうわけにもいかないし」

「クロノに確認するのが一番でしょう。少々お待ちください」

 シュテルはポケットから小型の携帯端末を取り出した。

 慣れた手つきでクロノの番号をタップする。

『シュテル、何かあったのか?』 

 数秒のコール音の後、クロノの声が端末から響いた。

「すいません、古代遺産関連ではありません。私的な質問になってしまうのですが……」

 今の状況からして、まず探索の成果報告では無い旨をシュテルは告げた。

『成程、大丈夫だ。どうかしたのか?』

 シュテルがただ雑談に興じる為に連絡をしない事はクロノもよく分かっていた。

 その為、声に少し柔らかさを混ぜて疑問を投げる。

「ありがとうございます。実は、今後のルイスの拠点はどこになるのか、という話しなのですが…‥」

『あぁ、すまない、僕とした事が伝え忘れていた。その件については、ディアーチェと話し合いをすませていたんだ』

「ほぉ……して、ディアーチェは何と?」

『彼女の希望もあって、しばらくは『王家』で過ごして貰う事になると思う』

「え、そうなんだ……てっきりアースラで寝泊まりするものかと思ってた」

 クロノの答えが予想外だったのか、ルイスも会話に混ざる。

『ああ、ルイスさん。何でも『我の目が届く範囲に留めておかねば馬の骨が粗相をした時に撃ち滅ぼせぬではないか』という事でして。何というか、色々と気を付けて下さいね』

「あ、ははは……」

「ルイス、忠告しておきますが、ディアーチェはやると言えば本当にやるお方ですので」

「肝に銘じておきます、はい……」

 ルイスは冷や汗を流しながら空を仰ぎ見た。

 と、その時、携帯端末からクロノとは異なる声が微かにした。どうやらクロノを呼ぶ誰かの声であるようであった。 

『ーーすまない、別件が入った。探索の報告はまた後で頼む』

「分かりました、ではまた後程に」

「ーー誰か怪我をしたの?」

 ルイスの脈絡もない言葉。通話を切ろうとした指を止め、シュテルは訝し気に視線を向けた。

 

「いやごめん、今クロノを呼ぶ声が微かに聞こえてさ。医務室に、って聞こえた様な気がしたから。もしかして、狗の石像が関係してたりするのかな」

 新たな古代遺産が発見されたのであれば、間違いなくシュテル達にも連絡が来るはずだ。それも無く、そして直近で行われた戦闘は一つだけ。

 誰かしらが怪我を負う原因となり得るとするならば、間違いなく件の闘いが関係しているだろう。

『……ええ、その通りです。けれど、命に別条はありませんので』

 クロノは一呼吸置き、そうハッキリと口にした。

 言うなれば、ルイスの連れて来た古代遺産により、クロノの部下が怪我をしたという事実を伝えた事になる。

「……ごめん。よく考え得れば、そりゃそうだよね。呪詛が掛かっているっていう事実を知るには、誰かがその影響を受けないとだもの。あぁ、本当に、申し訳ない…‥」

「いえ。故意ではないと思っていますし、こちらの落ち度も確かにありました。勿論、心穏やかというわけではないですが、誰のせいでもないと僕は思っていますから」

 クロノの言葉が真実であったとしても、しかし部下が負傷した事実はそのまま残る。

 ルイスはクロノと僅かな会話しかしていないが、それでも誠実は人物である事は重々承知していた。

 まず間違いなく、部下が傷ついた原因を作った事に良い感情を持つはずがない事も想像できた。

「……それでも、ごめん」

『はい、次はない様にして頂ければそれで。さて、では僕はもう行きますね。そちらも気を付けて下さい』

「ありがとう、それじゃあまた」

 

「えっと、あまり気にし過ぎるのもよくないですし、その……」

「あはは、ありがとうなのは。うん、大丈夫だから」

 気遣うようになのはがルイスへと声をかけた。

 その瞳は僅かに揺れている。

 

「っと、ここがその学園かな?」

「あ、はい……」

 ルイスは会話を強引に断ち切る。

 四人は目的の場所、聖祥学園の正門にいつの間にかたどり着いていた。

「ほら、今は大事な任務中だからさ。僕を気遣ってくれるのは嬉しいけど、優先順位を考えなきゃ」

 重い空気を気にしてか、ルイスは大げさに声を張り、ウィンクをした。

「…………」

 ルイスの気宇を見て、ユーノは頷きを返し、なのはは小さく深呼吸をする。

「ん、特に変わった所はなかったと思うけど、皆はどこか違和感を感じたかな」

「いや、僕もなのはと同じで問題箇所はなかったと思うよ」

「ええ、私も同意致します」

「僕も特に変な気配も感じなかった、かな」

 

 四人はそれぞれ視線を交え、力強く頷いた。

「よし、僕たちの探索範囲内では異常なし、と。報告は僕からしておくよ」

「ありがとうございます、師匠」

「どういたしまして。さて、それじゃあ今日はここまでかな」

「ええ、そうですね。今後も探索任務は続くでしょうし、戦力回復も大事な務めです」

 

 ユーノとシュテルのやり取りに、一転して弛緩した空気が流れた。

 安堵のため息が小さく聞こえる。

 

「それじゃあシュテル、ルイスさんお疲れさまでした!」

「お疲れさまでした!」

 なのはとユーノが同時に仲良くお辞儀をする。

「ええ。ナノハ、師匠またお会いできるのを楽しみにしております」

「おつかれー! またねー!」

 

 手を振りながら、なのはとユーノは並びながら元来た道を戻っていく。

 正門の前には、二人だけが残された。

「それでは、私たちも帰りましょう」

「あー……シュテル、ちょっと寄り道をしてもいいかな」

「構いませんが……しかしどこに行くのですか?」

「うん、ちょっとね」

「……ふむ。分かりました、付き合いましょう」

 ルイスがいつになく真面目に声を硬くしていた事もあり、シュテルは頷き承諾する。

 そのまま、二人は会話もなく歩を進めていった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 白い床に白いベッド、そして白いカーテンが揺れるここは、アースラ内に設置された病室だ。

 病室は合計4室からなり、AからDのナンバリングがされている。

 それぞれの部屋には十五床のベッドが配置されており、災害時には他の部屋も病室として利用できる様に設計されている。

 任務の最中であれば賑わいを見せ、通常航行時には伽藍と化す、そんな場所。

 病室Bのベッドの1つには「ハロルド・オーエン」と名札が掲げられており、三十代半ばと思しき男が横になっていた。今病室を利用している唯一の存在である。

 彼は病室用の寝間着に身を包んでいるが、ボタンを掛け違えている所を見るに、性格が想像できた。

 そんな締まりの無いハロルドその横には同じくらいの年齢と思しく男性が立っており、胸元に「エリアス・インベルト」とバッチが光っていた。

 

「あー、あれか。要するにあの石の狗っころをこの世界に連れて来たのは坊主って事か」

「はい、ごめんなさい。危険な目に合わせてしまったと聞きまして……」

 寝ぐせでボサボサになった髪もそのままに、ハロルドは目の前で謝辞を述べるルイスと面倒くさそうに会話をしていた。

「あー、あれだ。ルイスっていったっけか。まぁ兎に角頭をあげろって」

「いえ、でも……」

「確かに、お前さんの非はあるかもしれんが、諸悪の根源の狗っころを倒してくれたのもルイス、お前だよな。俺にとっちゃ、感謝こそすれど恨むつもりは毛頭ないね」

「…………」

 押し黙るルイスに、ハロルドは乱れた頭を掻き毟り溜息を吐いた。

「はぁ……あー、じゃああれだ。ここの商店街に海鳴酒店ってのがあるんだが、そこの酒は外れがねぇ。そこで良い酒でも差し入れてくれりゃあ、それでいい」

「……ありがとうございます」

 

 ルイスは今一度、頭を深く下げた。

 

(やれやれ、誠実というか生真面目というか。苦労する性格だねぇ、もっと緩く生きりゃあいいものを)

 

 何も罰さない事こそが、何よりも大きな苦痛を伴う。

 罰を欲する人間にとって、何も与えられない事こそが一番耐えがたいものなのだ。

 例え何かしらの形であったとしても、明確な贖罪を行えるからこそ、人は先へと進む事が出来る。

 そうでなければ、永遠に心のささくれとなり、引きずる事になるだろう。

 ハロルドはそれを理解し、故に明確な行動を提示した。

 

(ま、ただ酒呑めるのは素直に嬉しいがな。しっかしこれから先苦労するだろうねぇこの若人は。俺は嫌いじゃないけどもなぁ)

 

「当の本人がこう言っているんだ、甘んじて受けとけばいいってもんさ。いやっていうかよ、お前さん方、その手枷は何だ……?」

 話しが一段落ついたと判断したのか、エリアスはどこかおどけた調子で会話に混ざってくる。

「私から説明しましょう、これは……」

 奇異な目で見られる事にも慣れてきたのか、シュテルはため息交じりに説明をしようとする。

 しかし、シュテルの言葉をハロルドが強引に制止した。

「ばっか! お前それはあれだ、聞いてやるなよ」

「おおっと、そうかこいつは失礼……まぁ、人はそれぞれ。趣味も色々。頑張れよ坊主たち」

 

「あの、非常に不快な誤解をしていると思われるのですが」

「みなまで言うな、大丈夫秘密にしておくから」

「いえですからーー」

 

 シュテルがエリアスと話している隙を確認してか、ハロルドがルイスを手招きした。

 そのジェスチャーは控えめで、まるで内緒話をするかの様である。

 ルイスもその意図を汲んでか、こっそりと近づいていく。

「いいか坊主、SSSには気をつけろよ……」

「えっと、なんですそれ……?」

 ハロルドはルイスにだけ聞こえる様に、耳元で小声で会話を続ける。

 

「『スキスキシュテルん』っていうファンクラブだ、奴らに見つかったら死を覚悟した方がいい。いいか、『合法』って言葉を多用する奴はSSSだと思え」

「えー、と。なんか僕が思っていたより管理局って俗世に染まっているんですかね。いや確かにシュテルは可愛いと思いますしファンクラブは不思議ではないですが……」

「ハハハ、あの子のファンはかなーり多いぞ。それに、結局お堅い職業だろうがやってるのは所詮ただの人間さね。酒は飲むし美女には弱い、そういうものさ」

「うーんそういうものですか。でも、ハロルドさんがまともな人で助かりました、ええっとその、ご忠告ありがとうございます」

「うむ、俺ほどまともな奴はそういまい……。あ、ちなみに俺の所属はNNNだからそこんとこよろしく。我らがなのはさんに手を出したらぶち殺しちゃうぞ?」

「あ、どうやらまともじゃないっぽいですね。よく分かりました」

「アースラスタッフは大体が何かしらに所属していると言っていい。なんせ美人しかいないものでな、正直最高の職場だね。生きててよかった」

「うーん、管理局のイメージが壊れていくなぁ……」

 

「ルイス、お話は終わりましたか?」

 ーーと、シュテルがルイスの袖を引っ張り、小首を傾げた。

「あ、ごめんごめん。うん、もう大丈夫だよ」

「そうですか、ならばそろそろ。仮にもここは病室ですし、あまり長いしてはご迷惑かと」

「ん、そだね。ハロルドさん、エリアさん、今度お酒を差し入れますね」

「おう、期待してるぜー!」

「またなーお二人さーん」

 

 病室を出た所で、二人は同時に安堵のため息を吐いた。

「ふぅ……緊張した……」

「ええ、直接謝りに行くと聞いた時は驚きましたが……よかったですね、ルイス」

「うん、シュテルもごめんね面倒な事に付き合わせて」

「いえ、私は大丈夫です」

 シュテルは気付かれないように、ルイスの変わらぬ笑顔をちらりと見上げる。

(罵詈雑言を浴びせらる覚悟で来たのは明白、ですね。彼の覚悟と誠意は、信頼できる物なの、かもしれないですね)

 心の内ではルイスを褒めるも、しかしそれを決して言葉にせず、シュテルはルイスの手を鎖で引いた。

「ではルイス、戻りましょう」 

「うん、そうだね。行こうか」

「はい」

 

 同じ歩調で行く二人の距離は、ほんの少しであったが、近くなっていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「帰ったか、さっさと席につくがいい。飯が冷める」

 王家の扉をビクビクと開けるルイスの耳に届いたのは、ディアーチェの棘はあるが優し気な言葉だった。

「あ……えっと……」

 予想外のディアーチェの応対に、ルイスは戸惑い思わずシュテルへ視線を逃がす。

「私たちの到着を待ってくれていたのでしょう。早く席に着きますよ」

 

 おそるおそるルイスは、シュテルに促された席へ腰をおろした。

 やはり手枷でつながれている為、シュテルの隣の席となる。

 見ると、食卓にはすでにレヴィとユーリが座り、犬が「待て」をされている様な顔で何かをこらえていた。

 レヴィに至ってはすでにスプーンを握りしめ、ブンブンと振り回している。

「シュテルん! ルイス! おーそーいーよー! 待ちくたびれちゃったじゃんかー!」

「おかえりなさい、怪我はしていないですか?」

 口を尖らせるレヴィと、優しく微笑むユーリ。

 シュテルは今までに見せた事のない、どこまでも柔らかな笑顔を見せる。

 それは、家族にだけ向けられる、特別なシュテルの顔であった。

 

「馬の骨、特別に確認してやろう。今宵はレヴィが五月蠅いので仕方なくカレーになったわけだが、どれにするか選べ」

 

 質問の意味が分からず首をかしげるルイスであったが、台所に並ぶ三つの鍋を見つけ合点がいく。

 

「ああ、味が三種類もあるのか、凄いな。んー、じゃあせっかくだしシュテルと同じのにしようかなぁ」

「……ほぉ、自決するとは見上げた根性だ」

「え、カレーを前にして初めて聞くんだけどその言葉」

「いやなに、止めはせんさ。うむ、そうだな。むしろ存分に食え、そして華麗に朽ち果てるがいいアッハッハ」

 見たこともないディアーチェの爽やかな笑顔に、ルイスは滝の様な汗を流す。

「わーおルイスってばチャレンジャーだね」

「あのその、やめておいた方が……」

 レヴィとユーリのリアクションを見て、いよいよもってルイスは挙動不審になる。

 

「ちょちょちょちょ、ちょっと待って! え、なに、え、え?!」

 戸惑うルイスをよそに、ディアーチェはカレー皿を二つ運び、レヴィとユーリの前に置いた。

 黄の色が強いカレーであり、淡いルーの色からして「甘口だ」と見て分かる。ある意味二人の外見と符合しているものがあった。

 ついで、ディアーチェの席には絵に描いたような茶色のカレーが置かれる。

 特段おかしなところは見受けられない、純粋に美味しそうなカレーだ。見る者の空腹を刺激する、香辛料の特有の匂いが湯気と共に香った。

 

「……えっとぉ」

 そして、最後にルイスとシュテルの前に運ばれて来たのは、赤を通り越して黒に染まるカレーだった。

 もともとは辛さの権化たる赤から構成されている事は微かに伺えるが、最早原型は残されていない。

 バラエティ番組に取り上げられそうな、どの角度から見ても「激辛」の文字が浮かぶ代物であった。

 

「いやしかしシュテルよ、望まれる故に我も作りはするが……それは、本当に美味なのか?」

「ええ、とても。嗜好の一品と言ってもよいでしょう。ディアーチェも一口いかがですか?」

「いや。遠慮しておこう、以前それでひどい目にあったからな。そもそもあれだ、作っている最中に湯気で目が痛いのだ。ソレを口になぞ入れたくないわ。もう次は作らぬからな」

「しかし、ディアーチェはそう言っていつも作ってくださります。心優しき王の従者である私は、やはり幸せ者ですね」

「う、五月蠅いわ戯けめ! 冷めぬうちにさっさと食わぬか!」

 気恥ずかしさを誤魔化す為にスプーンを取るディアーチェを見ながら、しかしルイスは固まって動けないでいた。

「ルイス、無理はする必要はないですよ。食事はそれぞれの好みの物を美味しくいただいてこそです」

 そういいながらも、どこか気落ちしているシュテルを前に、ルイスは天井を仰ぎ見て覚悟を決める。

 

「ーーよし!! いただきます!!」

「待て馬の骨、流石に半分は冗談でな、止めておけ」

「気持ちはありがたいけど男に二言はない!!」

 驚きから制止したディアーチェを振り切り、ルイスは勢いよくルーを掬い頬張った。

「……む、ぐ!」

 一口頬張るルイスであったが、ビクリと体を震わせる。

「ルイス、心遣いは嬉しいですがやはり無理はーー」

「ーー美味い」

 

「「「……え?」」」

 その場にいた全員がポカンとルイスを見た。

「いや、美味いよこれ。うん、うまいうまい」

 ガツガツと、胃に最早香辛料の塊といっていいカレーをルイスは放り込んでいく。

「……そうですか」

 どこか嬉しそうに、シュテルもカレーを口に運ぶ。

 

「信じられん、このカレーをシュテル以外が食えるなぞ。馬鹿な……」

「す、すっごー。僕なんてちょっと舐めるだけでもダメだったのに」

「お、美味しいんでしょうか……わたしも一口……」

「いやユーリ、やめておけ死にかねん。あの二人が特殊なだけだ」

 

 まだどこかぎこちない食卓に、ルイスの「おかわり」の声が響いた。

 

 

 

 




シュテルに搾り取られました(献血ポスターがそれはもう可愛い)。

最近何かと忙しくて更新遅くなってしまい申し訳ないです。
投稿というもの自体が初めてで、お気に入りも最終的に100行けば奇跡だな、って思っていたんですが、気づけばそれも越えていて、感謝の言葉しかないです。
コメントもまさか頂けるとは・・・投稿してよかったなぁって思いますね。


それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。


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第9話 夢と戦と大きな背中 ※挿絵あり

難産でした。
更新遅くなって申し訳ありません。
ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。


(ーーあぁ、これは夢なのでしょう)

 

 シュテルはゆっくりと瞼を開く。

 その先には、見慣れぬ町並みが広がっていた。

(明晰夢、と言いましたか。夢の中で夢と認識する現象ですが、不思議な感覚です)

 シュテルはまるで幽霊の様にふわふわと浮く感覚に違和感を覚えながらも、周りを見渡してみる。

 

(はて、しかし夢というものは詰まる所記憶の反芻のはずですが……この場所に心当たりはないですね) 

 

 そこは、街というより町と評すべき場所であった。

 山間の中にポツリとあり、豊かな自然に囲まれた田舎町。

 陽の光が真上にあり、石畳で舗装された道を燦然と照らしていた。

 

(ふむ……)

 

 おそらく名物であろう、木の実のパイを絵にした看板がかかる店。

 ガラス細工の工房には、煌びやかな調度品が並んでいる。

 道ばたに並ぶ露店の数々には、アクセサリーや熟れた果物が置かれていた。

 広がる光景は素朴ではあるが、だからこそとても輝かしくシュテルには映った。

 

(けれど、これは一体どういう事でしょうか)

 シュテルの疑問。

 それはこの場に立てば誰もが思う問いであった。

(いくら町の入り口付近とはいえ、誰の姿も無いのは妙ですね)

 ゴーストタウンというわけでは、決してない。

 食事処の机上にあるマグカップからは湯気が踊り、明らかに食べかけの料理が残された皿もある。

 蓄音機からは優雅に音楽が鳴り、編みかけの衣類が安楽椅子の足元に散らばっていた。

 先ほどまで、日常の風景がそこに広がっていた事は優に想像できた。

 

(……これは)

 

 町中へと足を踏み入れ、少し行った先。

 シュテルは、路傍や家々、その多くに残される鋭利な傷跡をみつけた。

 石の外壁に削り付けられたそれは、どう見ても獣の爪痕に思える。

 明らかに平穏な町の中で浮いており、害意がある事はすぐに見て取れた。

 不穏な空気を感じながらも、シュテルは町の中心部に向けて足を進めていく。

 

(…………)

 

 進めば進むほど、爪痕の数は増えていく。

 あちこちに獣の痕跡が見て取れ、いくつもの建物から火の手もあがっていた。

 間違いなくそれらは、争いによって生み出されたものだとシュテルは判断する。 

 何かがここで非道を行ったのだ、と。 

 

(……それに、これは一体何なのでしょうか)

 

 シュテルの静かな狼狽。

 それは、不自然に鎮座される人の形をした石像を見てのものだった。

 マネキンの様な石像はそこかしらにあり、まさしくその光景は異常の一言に尽きる。

 

(しかし、何と悪趣味な……)

 その石像は、ほとんどが恐怖と苦痛に顔を歪ませていた。

 痛みで地面をのたうち回る格好のまま固まる者。

 子供を庇う様に抱きしめ、固まる者。

 諦めて呆然としたまま固まる者。

 

 三者三様の、しかし純然たる恐怖がそこに刻まれている。

 美しい石英の材質から美術品を思わせるが、しかしそのリアルさは最早不気味の権化であった。

(これはやはり……) 

 誰もいない町。

 何モノからか逃げまどうポーズで固まる石像。

 シュテルの脳裏に、嫌な想像が浮かんでしまう。

 この石像は、もしかしたらーー 

 

(-ー今、なにか)

 延々と続く凄惨な光景を前に、けれど推察を深めるシュテルであったが、ふっと足を止めた。

 誰かの声が聞こえた気がしたのだ。

 けれど、見渡す限り命の気配はまるで無い。

(ですが、確かに聞こえました)

 シュテルは妙な胸騒ぎを押さえながら目を細め、じっと耳を澄ました。

 

(……!)

 次は、ハッキリと聞こえた。

 シュテルは自然と、音のする方へ足早に進んでいく。

 一歩を踏み出す度、ソレは大きくなっていった。

(これ、は……)

 聞こえてきたものの正体を、シュテルは理解した。

 それは、泣き声の色が混ざった、誰かの絶叫だった。

 

(く……)

 

 シュテルは自分の胸が締め付けられる感覚に襲われた。

 聞いたことも無いはずの誰かの叫び。

 だというのに、シュテルの胸は張り裂けんばかりに痛んだ。

 

(そこにいるのは、誰なのですか)

 

 血反吐を吐き出す様に鳴く声の主を求め、シュテルは行く。

 おびただしい石像の群れを超えたその先。

 大きな噴水のある広場に、誰かがいた。

 石像だらけの町で一人、色を持った人間が、いる。

 

(貴方は、一体……)

 泣き叫ぶ少年の腕には、満面の笑みを浮かべる少女の石像が抱かれていた。

 割れんばかりに強く抱きしめ、少年は怨嗟の雄たけびをあげる。

 

(だめ……)

 泣き止んでほしくて、シュテルは手を伸ばした。

 その姿があまりにも憐れで。

 哀しみから憎悪に変わる少年の声色が、怖くて。

 だから、手を伸ばした。

 抱きしめたいと思った。

 けれど、進めない。

 いくら意志は込めれど、前へと足が進まない。

(どうして……!)

 今までは自由に歩けていたというのに、急に縫い付けられたかの様にシュテルはその場を動けなくなった。

 まるで誰かに拒まれる様に。不可視の力でシュテルは抑えられ、進む事が出来ない。

(お願いです、動いて! 動いてください!!)

 伸ばす手は、しかし届かない。

 一向に距離が縮まらない。

 シュテルは気付けば涙を流し、それでも尚少年へ手を差し伸べようとしてーー

 

「……ッ」

 

 シュテルは、そこで目を覚ました。

 見慣れたいつもの天井に、使い慣れた寝具。

 間違いなく、自分の部屋である。

 

「ーー何故」

 私は泣いているのだろう、と、シュテルは目元をぬぐった。

 

 夢の中の映像が鮮明に脳裏に焼き付いて消えない。

 それがどうしても悲しくて、苦しくて、涙が感情となって溢れ出す。

 

「ーーーー」

 

 自身に渦巻く感情が理解できず、シュテルは膝を抱えて蹲った。

 何故これ程悲しいのだろう。

 何故これ程苦しいのだろう。

 何故これ程怒りが湧いてくるのだろう。

 

「…………っ」

 

 シュテルはしばらく、止められぬ涙を拭い続けた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 シュテルの自室は、シンプルな物となっていた。

 八畳程の広さの部屋に置かれた家具は、シングルベッドと本棚に衣装箪笥、そして読書をするための座椅子に小さなテーブルだけだ。

 基本的に趣味の読書と休息を取る以外の機能はこの部屋にはない。

 

 ベッドのすぐ傍に窓はあり、そこには小さな猫のぬいぐるみがあった。

 以前なのはから貰い受けた物であり、シュテルのお気に入りのぬいぐるみである。

 事務的な匂いのする部屋の中でそのぬいぐるみはどこか浮いてはいたが、ここでシュテルの部屋なのだと確かに告げていた。

 

 まだひんやりとした空気の中、ベッドの横に置かれた目覚まし時計は六時を指している。

 薄紫色のパジャマ姿のシュテルは身震いしながら、チラリと床へと視線を投げた。

「ルイス、起きてください」

 シュテルはベッドから降り、床に置かれた敷布団に乗る物体をツンツンとつついた。

 来客用の敷布団の上に乗るのは、春雨の様に掛布団で体をぐるぐる巻きにされたルイスだ。

「む、むむぅ……」

 もぞもぞと布団の簀巻きお化けが反応を見せたため、シュテルは溜息交じりに拘束を剥がしていく。

 

「ぶっは、息苦しい!」

「おはようございます」

 布団の拘束から解かれたルイスが、ゴロゴロ転がりなが現れた。

 元よりボサボサであった髪はさらに乱れ、ひどい寝ぐせとなっている。

「あ、シュテルおはよう……って、どうかしたの? 目、赤いよ?」

「え、あぁ……欠伸をした時にでも擦り過ぎたのでしょう。問題ありません」

「そう? ならいいけど……」

 

 まるで夜泣きをした子どもの様だと思い、シュテルは気恥ずかしさからルイスに夢の事を言わないでいた。

 実際、夢を見て泣いたなどと羞恥心からも言えるものではなかった。

「えーっと、シュテル、僕の顔に何かついてる……?」

「……あ、すいません」

 無意識にシュテルはルイスを見つめていたらしく、慌てて目線を逸らした。

 

「あ、あぁ……そうです、着替えを行いたいのですが」

「そういう事か、ごめんごめん。んじゃコレを付けるね」

 ルイスは言うや否や、黒色の鉢巻きを取り、自身の目を覆い隠していく。

 昨晩、ディアーチェが「着替えの時はコレをつけろ、もし覗けばその眼球抉り取ってやるわ」とルイスに突き付けた物である。

「はーい、もう大丈夫だよー」

 ルイスの緊張感の無い声にシュテルは視線を戻し、目隠しをしたのか一応確認する。

 しっかりと布が巻かれているのを見て、シュテルは寝間着をはだけた。

 現れるのは、白の下地に赤い小さなリボンがあしらわれたスポーツブラだ。

 下も同じく白を基調にしたシンプルなパンツであり、特売日に纏めて買い込んだ物である。

 当然色気とは無縁の代物であるが、シュテルの外見からして違和感は感じられなかった。

 

「…………」

 シュテルはチラチラとすぐ側で目隠しをするルイスを気にしては、ほんのりと頬を赤に染めている。

 いくら見えないとはいえ、すぐ横に異性がいるこの状況ではどしても羞恥心が掻き立てられてしまうのだ。

 素早くシュテルは寝間着を脱ぎ、昨日のうちに用意していた着替えを掴む。

 檸檬色の少しダボついた上着に、太ももを隠す長さの赤のスカート。黒いオーバーニーソックスを履き、いつもより足早に着替えの服を着込んだ。

 

「お待たせしました、もう大丈夫です」

「おっけおっけー、お。いいねー可愛いじゃん」

「……それはどうも」

 目隠しを取り頭を振るルイスは、シュテルの私服を見てニコニコと褒める。

 一方のシュテルは感慨もなく、ため息で流した。

「貴方も早く着替えを」

 シュテルは無表情に、しかし何故かルイスにそっぽを向きながら男性用のYシャツとスラックスを手渡した。

「ありがと、準備いいね」

「ディアーチェが昨日のうちに買ってきてくださったようですよ」 

「そうなのかー。後でお礼言わなきゃだね。んじゃーさっそく」

 ズボンをおろしだしたルイスからシュテルは慌てて視線を外した。

 シュテルの耳まで真っ赤になっている事に気付かず、ルイスはのんびり欠伸をしながら着込んでいく。

「お待たせシュテル……って、どったの?」

「何でもありません、ええ、何でもありませんから」

「そ、そう? 何か怒ってない?」

「いいえ決して。兎にも角にも、早く仕度をしましょう」

 膨れっ面のままシュテルはスタスタ歩きだし、ルイスは首を傾げながらもそれに続いた。

 

 シュテルの部屋を出てリビングまで続く廊下の左側に、洗面所へと続く扉がある。

 そのまま二人は洗面台で、口をゆすぎ顔を洗った。

 ルイスは来客用の洗面用具を使い、シュテルと横並びで歯を磨く。

 濡れた顔をタオルでふき取り、リビングに向け二人は歩き出した。

 

「シュテル、今日も町の探索でいいのかな」

「まだ分かりません。朝食後にクロノに確認をしましょうか」

 眠気も完全になくなった二人は、そのままリビングへと移動しながら会話を続ける。

「朝食はどうするの?」

「昨晩のディアーチェカレーがまだ残っていますし、それを頂きましょうか」

「うーむ美味しかったけど朝からまた重たい物を……」

「そうですか? ふむ、簡単な物でよければ私が何か作りますが」

「んー、や。ありがと。多分カレーを前にしたら一気に食欲湧きそうかも。カレーってそういう食べ物だしねぇ」

「そうですか、ならいいのですか」 

 シュテルは少し残念そうにしながら、リビングの扉を開けた。

 

「おはようございます、ディアーチェ」

「おはようディーアチェ! この服ありがとうねー!」

「うむ、起きたか。今日は随分と遅かったのだな」

 

 リビングには一人、新聞を片手にコーヒーを啜るディアーチェの姿があった。

 電源の付いたテレビからは、ニュースキャスターが今日の天気を告げる声が漏れている。

 

「え。まだ朝の六時だけど、いつもはもっと早いの?」

「ええ、普段は朝のトレーニングを行ってから朝食になりますので、五時前には。今朝は休息を優先しようと思っていましたので」

「そっかー、確かに今日も町を探索するかもしれないしねぇ」

「ええ、何があるか分かりませんし、昨日は正直疲弊しましたから」

「あー、なんかごめんね……」

「いえ、決してそういう意味ではありませんので」

 

 ディアーチェはコーヒーを啜りながら、二人の会話をさえぎった。

「シュテルに馬の骨。今日貴様らの予定は探索ではない」

「え、そうなの? もしかしてクロノと打ち合わせしてくれたのかな」

「うむ、その通りだ」

「してディアーチェ、では私たちは本日どのような……?」

「なに、簡単な事よ」

 ディアーチェは飲み干し空になったマグカップをテーブルにカン、と置いた。

 

「ーー我と闘え」

 不敵な笑みを湛えディアーチェは言う。

「え、っと?」

「ディアーチェ、どういう事でしょうか」

 予想外のディアーチェの言葉に、二人は明確な戸惑いを見せた。

 だが、笑いこそすれどディアーチェの目はどこまでも真剣だ。

 

「なに、ただの模擬戦だ。そう構えずともよい。兎に角、朝食後にアースラに赴くぞ」

 

 それ以上ディアーチェは言葉を作らず、コーヒーのおかわりを淹れるため立ち上がる。

 

 ディーアチェの背を視線で追いかけながら、シュテルは「ふむ」と小さく呟く。

(無意味な行動をディアーチェがとるはずがありません、有事の際に模擬戦をするだけの理由はきっとあるのでしょう。ともすれば、私は王の判断に従うのみです)

 シュテルはルイスの腕を引き、力強く頷いた。 

「ルイス、本日の予定は相当ハードになるかと思われます。しっかり食べ、英気を養いましょう」

「了解、事情はよく分からないけど、合点承知だよー」

 

 席に着き激辛カレーを頬張る二人を、ディアーチェは眉を顰め眺めていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 次元航行艦アースラ。

 巡航L級8番艦であり、その全長は244.7メートル、全高は64.8メートルにも及ぶ。

 主な固定武装としては対空パルスレーザーとビーム砲塔があり、有事の際にはある程度の戦闘行動を行う事は出来る。

 また、特定の状況下に置いては、管理局が保有する武装の中でも屈指の威力を誇る「魔導砲アルカンシェル」を装着する事も可能となっている。

 

 だがアースラの本質は戦闘ではなく、むしろ魔導師の輸送を主として設計された船である。

 長期哨戒の任に着く事の方が多いため、居住性に対しては秀でた物があった。

 艦内には娯楽施設を始め、航行時にも訓練を行える様にと、模擬戦用の広域空間が設けらている。

 

 強装結界と封時結界を合わせて張られたその場所は、ブリッジの次にアースラ内で防衛力が注がれている場所とも言えた。 

 通常であれば模擬戦や魔法開発に使用され、有事の際は強固なシェルターとして機能する。

 戦場で民間人を救護した際、この空間がそのまま防護目的で使用される事も多々あるのである。

 

 また、設定コンソールを叩けばある程度は空間の内装を調整する事も出来る。

 朝から夜までの時間設定は勿論、様々なオブジェクトを生成する事も訳はない。

 密林でのゲリラ戦を想定した訓練の場合はジャングルを作りだす事も出来、更に水で満たし水中戦を行うという事すらも可能だ。

 現在は市街戦を想定してか、ビル群が立ち並んでいた。

 時刻は朝であるはずなのだが、何故か訓練室は夕日が射している。

 ディーアチェが「どうせなら逢魔時にせよ、その方が闇統べる王である我に合っておる」とクロノに頼んでいた結果だ。

 ディーアチェが訓練室を利用する際は必ず夕方の時間設定であり、アースラ内でも通例と呼べる程になっている。

 訓練室が夕日に染まると、ディアーチェのファンが何処からともなく集まる光景も最早日常であった。

 

「ああ、来たか。いつでも始められるよう準備は終えている」

 ルイス、シュテル、ディアーチェの三人がアースラの訓練室に足を踏み入れると、スピーカーからクロノの声が響いた。

 訓練室の上階にあるラウンジにいるクロノが、備え付けのマイクを手に話す声だ。

 

 休憩室でもあるラウンジにはソファーや冷蔵庫、複数のカメラから流れる模擬戦の様子を映すモニターがある。

 クロノはカメラの位置を微調整しながら続ける。

「今日は一日君たちの貸し切りにしてある、気にせず存分に戦ってくれ」

「すまんなクロノ、礼を言おう」

「なに、僕も同じ考えだったわけだから問題ないさ。さて、シュテル、ルイスさん。検討を祈ります」

「はい、ディアーチェとの模擬戦は久しぶりですので。存分にやらせていただきます」

「うーん、何が何だか分からないけど頑張るよ」

 

 今、ラウンジにはクロノの他にリンディ、そしてシャマルの姿があった。

 いつもであれば自由に観戦出来る空間であるが、今は出入り口に「入室禁止」の立て看板がある。

 また、ある程度の計測機器はもともと設置はされているが、別途複数の観測機が持ち込まれていた。

 ルイス達とディアーチェの模擬戦が、管理局にとっても大きな意味があるのは明白であった。 

 

 やはりその理由としては、ルイスの稀少技能について調べる事にあった。

 呪詛という特異な魔法に対抗するにあたり、ルイスの稀少技能は必ず必要となってくる。

 けれど、稀少技能故にその資料は無いに等しく、本人の言と実際に観測したデータ以外に知る術はないのである。

 

「いよいよですね、艦長」

「ええ、ルイスさんの稀少技能……禊魔法といったかしら。今回の事件は彼の魔法が鍵に成り得るもの。その特性を知っておく事は必須事項よ」

 リンディはしかし、深いため息を吐く。

「それで、ルイスさんについて昨日聞いた報告にも驚いたけれど……この報告書もなかなかに解せないわね」

 リンディが持つのは、ルイスの魔導師ランクが印字されている資料だ。

 メディカルチェックの際に、簡易ではあるがルイスの魔力数値等も検査されていたのだ。

 

 魔導師ランク。

 それはあくまで「規定の課題行動を達成する能力」を示す一種の資格である。

 このランクで直接的な戦闘力を測る事は出来はしないが、それでもある一定の指標にはなる。

 戦闘を主体とする魔導師がSランクを取得しているのであれば、それだけの実力である事は明白であるからだ。

 

 その中において、ルイスのランクは「E-」と記されていた。

 

 一般的な武装局員では、DからCランクが最も多いとさている。逆に言えば、そのランク程度の実力が無ければ務まらないという事だ。

 その点からして、ルイスが示した数字はあまりにも低いものであると言えた。

 

「正直、アースラの武装局員の中でも、数値だけ見れば最弱ね。特に基礎魔力量が異常なまでに低いわ。この数値、魔力訓練をしていない一般人より下手をしたら低いくらいだもの。彼のバリアジャケットが薄いのも、この魔力量故なのかしら」

「おそらくそうでしょうね。防御に魔力を割く余裕すら無いのであれば、全てを避けきる以外に選択肢がない、という事でしょう。だからこそより軽装で動きやすく、またジャケットを維持する為の魔力も少なくて済むように考えているのかもしれないです」

「そして、飛空魔法を使えない、というのもここに原因があるわね。翔ぶだけでガス欠になっていたのでは、闘いどころの話しではないでしょうし。けれど、これだけデータ上は不利な要素しかないわけだけど……」

「ええ、彼の実力は本物です。そういう意味では、今回の模擬戦は僕たちにとっても大きな意味があるでしょう。彼の力の根源を知る事が出来るでしょうし」

 クロノは心配そうに窓から眺めるシャマルへと向き直り、柔らかく微笑みを浮かべる。

「シャマルさん、彼の秘密を知るのは今この場にいる三人だけです。ですから、万が一の時はお願いします」

「ええ、その為に私はここにいるんだもの。医者として、何かあればすぐにでも中断させて貰うわ」

「助かります……さて、始まるようですね」

 

 観戦室の窓から外界を見下ろしていたクロノが、動きをみて腕を組んだ。

 三人はそれぞれバリアジャケットに換装を終えており、すでに臨戦態勢である。 

 

「それでディアーチェ、なんで模擬戦なのかな。そろそろ説明して欲しいかも」

「ふん、無駄口を叩くでないわ。黙って貴様は剣を振るえばよい」

「うーん、正直こんな事をしている場合じゃないと思うんだけど。今この瞬間に古代遺産が暴れ出してもおかしくないわけでさ。やっぱり、探索に加わった方がいいと思うんだ」

「まぁ確かに正論ではあるな。ふん、だが……今の貴様らが戦線に立った所で足手まといでしかないわ」

「いやいやディアーチェ、僕とシュテルはこの前古代遺産を倒してるんだよ? 結構役に立つと思うんだけど」

 ルイスが口を尖らせ、珍しく明確な抗議の意思を見せた。

 だがディアーチェは歯牙にもかけずに鼻で笑ってみせる。

「戯け、あんな猪の様な直線的な輩に勝ったくらいでいい気になるでないわ」

「えーでもさー」

「くどい! 大口を叩くのは我に勝ってからにしてもらおう!!」

 一喝、ディアーチェは苛立ちを魔法として放出する。

「喰らうがいい我が魔力!! エルシニアダガー!!」

 

 会話の最中に密かに溜めていた魔法をディアーチェは炸裂させ、模擬戦開始の合図とした。

 高速で飛来する破壊の鏃を受け、シュテルとルイスは慌てて回避行動を取る。

「ーーあぁもう! いきなりだなぁ!」

「ーールイス! 来ますよ!」

 

 的となった二人は、当然反射的に避けようと行動する。

 シュテルは左に、けれどルイスは右に。

 

「ーーえ」

「ーーな」

 

 結果、鎖で互いに引っ張り合う形となり、二人は踏鞴を踏んで尻もちをついた。

 

「ーーほれ、見たことか」

 ディアーチェの飽きれた声と同時、二人に光弾が激突した。

 

「ふん、非殺傷設定で命拾いしたな。戦場であったならば死んでおっただろうに」

 立ち込める土煙の外、ディアーチェは冷ややかな視線を投げる。

 

「ぐ……シュテル、ごめん」

「いえ私こそ、迂闊でした」

 非殺傷設定であるとはいえ、痛覚はそのままに残る。

 鈍い痛みに顔を顰めつつも、けれど二人は立ち上がった。

 

「どうだ、理解出来たか? 今の貴様らではむざむざ死にに行くようなものだという事を。非殺傷設定なぞ、まさか戦場で拝めるとは思っておるまい?」

 出来の悪い生徒を諭す様に、ディアーチェはどこか優しさを含め言葉をかける。

 だが、ルイスは首を横に振る事で応えた。

「ああ、つまり「今の」僕達でなくなればいいわけだ。早い話がディアーチェに認めて貰えればいいんだろう? なら、案外簡単かもね……!」

 不敵に微笑むルイス。

 ディアーチェは言葉の咀嚼に一瞬の間を置くも、ルイスの挑発を理解し奥歯を噛みしめた。

「ッハ、吠えたな塵芥めが。存外イラつかせてくれる……! もとより加減はせぬつもりであったが、心おきなく潰してやろう」

「こっちこそ、望むところだよ」

 ルイスはディーアチェの殺気を飄々と受け流し、どこまでも笑顔だ。

 と、ルイスはおもむろにシュテルへと向き直り、両肩を掴み真剣な眼差しを送る。

「あの……?」

 唐突な行動にシュテルは当然訝しむが、ルイスは構わず続ける。

「シュテル、以前君から提案された件だけど、うん。この戦いが終わったら、一緒にお風呂に入ろう」

 

 

「ーーは?」

 

 

 観戦席を含め、全員が静寂に支配された。

 シュテルとルイスに、奇異の視線が集中する。 

 

「……いえあの。あれは冗談だと言ったはずなのですが。え、えっと、その、困ります」

 シュテルが何とか立ち直り、驚きと羞恥で混乱の極みに達しながらも何とか答えた。

 顔は俯き表情は見えないが、頭から煙が立ち上っているのは確かだ。

 

「……殺す」

 ディアーチェからドロリとした殺意がルイスに向けて放たれる。

 目は完璧に坐っていた。

「完膚なきまでに殺す。魂ごと殺す。肉を焼き骨まで消し炭にして殺す」

 ブツブツとディアーチェは呟き、まだどこか上の空のようであった。 

 ルイスはそれを確認してか、シュテルの手をギュッと握る。

「いまだ! 行くよシュテル!」

「え、あ。は、はい!」

 

 ルイスは強引にシュテルの手を引き走り出す。

 ディアーチェに背を向ける形で。

 つまり、逃走だ。

 

「き、貴様! 逃げるというのかこの腑抜けが!!」

「戦略的撤退だね! あ、これってシュテルと逃避行してるみたいでちょっといいかも」

「ーーーーッ!!」

 明らかな青筋をディアーチェは額に浮き上がらせる。

 憤怒の炎を瞳に宿し、叫ぶ。

「ーーくたばれこの塵芥めがッ!!」

 

 迸るアロンダイトの光。

 しかし、先ほどまでの冷徹かつ正確な射撃はそこに無かった。

 どこか感情の赴くままに放たれる弾丸。

 故に、ルイス達は辛うじて回避に成功した。

 

「く、この……!」

 すぐに冷静さを取り戻したディアーチェではあったが、すでにルイス達の姿はすでにそこに無かった。

「おのれ……! あの馬の骨ぇ……!!」

 

 ディアーチェの慚愧と怒気が含まれた叫びが空に響いた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 訓練室内で再現されたオフィスビル。

 その一室、『事務室』と看板があるそこに、ルイスとシュテルは滑り込む様に入室する。

 等間隔に設置されたデスクの上には書類の山やPCがあり、室内の中でも更に遮蔽物が多くある場所となっていた。

 二人は身を隠しながらも膝を立て、警戒の形は緩めない。

  

「ふぅ、後でディアーチェには謝っておかないとねぇ」

 ルイスは申し訳なさそうに頭を掻いた。

 ディアーチェから遠ざかる為にある程度の距離を走ってはいたが、一切息も乱れていない。

「……もしや、先ほどの言動はわざと?」

 一方、シュテルはうっすらと額に浮いた汗を手で拭いながらルイスに問うた。

 少し、息も乱れている。

「うん、ディーアチェが家族思いだってのは流石に分かるからね。それこそ、どこの馬の骨とも知れぬ輩がシュテルをかどわかす発言をすればそりゃ怒るわね」

「成程……」

 シュテルは静かに呼吸を整えながらも、幾ばくかの驚きの感情があった。

 

(……抜け目がない、と言えば聞こえはいいですが。躊躇なく弱所を攻める姿勢、闘いに置いて間違いではないですが……予想外といいましょうか)

 ルイスがディーアチェに行った揺さぶりは、シュテルからしても予期していたものでなかった。

 シュテルの勝手なイメージではあるが、ルイスはもっと正面からぶつかるタイプであると分析していたのだ。

 そのしたたかさに理解はすれど、意外であるとシュテルは感じていた。

 

(……むぅ、しかし)

 勝つためであらば正しい選択だとシュテルは理解はしている。

 けれど、先ほどの言葉は作戦の為だけの物だと思うと、妙にモヤモヤとした気持ちが湧いてしまっていた。

(いけません、今は集中しなければ。というか何故私は「残念」などと考えているのですか、ふしだらな)

 頭を振り、シュテルは切れかけた集中力を再び強固に結びなおした。

 

「ルイス、しかしディーアチェの言い分も最もかと思います。私も存外やれぬ事は無いと思っていましたが、やはり考えが甘かったようです。実際、先程とんだ失態を犯しましたし……」

「あれはシュテルのせいじゃないよ、僕の方が悪かった。うーんしかし、ディアーチェに認めて貰うのは一筋縄でいきそうにないねぇ……」

「ですので、ルイス」

 シュテルはルイスと正面から視線を交える。

「貴方の持つ稀少技能、『禊魔法』についての説明を求めます」

 一拍の間。

 ルイスは顔を綻ばせ、頷きを返した。

「うん、確かに。僕の魔法について知らないと作戦も何も立てられない、か。それに僕、禊魔法しかまともに使えないからねぇ」

 チラリと自分たちに向けられる収音機能付きカメラを見ながら、ルイスは笑みを浮かべた。

「えっとね、僕の魔法はーー」

 

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(……さて、どうするか)

 ディアーチェは辺りを俯瞰し、ルイス達の所在を探っていた。

 空から市街地を見下ろす故に、死角の数はあまりにも多い。

 ビルの中に家屋の裏、草が生い茂る公園。

 身を隠すポイントは、そこかしらに無造作に転がっていた。

 建物の中は当然として、遮蔽物に隠れられては見つけることなど出来はしない。

 

 高度を下げればルイス達を探す事は可能となるが、それは逆襲を受ける危険性が孕む行為である。

 ルイス達の本領が発揮されるのは地上戦であり、その事はディアーチェも良く理解していた。

 となれば、地上から最も遠い場所で陣取る事こそが最善であり、事実ディアーチェは高度を上げ、背の高いビルからも距離を置いている。

 

(必ず彼奴らは仕掛けてくる。我はただ待てばよい) 

 ルイス達が逃走し身を潜めてから十分程が経過している。

 その間に、ディアーチェは()()()()()()()()()()()()()

 

 だからこそ、ディアーチェの視線は下へと向けられ続ける。

 当然だ、相手にするのは飛べぬ陸戦魔導師と翼を失った空戦魔導師なのだ。

 ともすれば、襲撃するにしても地上からなのは目に見えている。

  

 故に。

 だからこそ。

 ディアーチェの頭上は完全に意識の外にあった。

 

(……?)

 空より聞こえた壁を踏みしめる僅かな靴音。

 あり得ないと思いつつも、ディアーチェは視線を上げた。

 そこに飛び込んで来たのは、直上から急降下して迫るルイス達の姿であった。

 

「ーーな、にぃいい?!」

 

 本来いるべき所で無い場所に、彼らはいる。

 飛べぬはずの存在が、空より襲い掛かる不条理。 

 例えるなら、戦闘機が空中で戦車に襲われる様なものだ。

 

 あり得る事のない意味不明な状況。

 誰しもが想定していない、完璧な奇襲。

 ディアーチェの思考が混乱の極致に沈むのは、無理の無い事であった。

 

「くっそ、気づかれた! シュテル!!」 

「ーー……はい!」

 ルイスの掛け声から僅かに遅れ、シュテルは最大火力のブラストファイアーを放った。

 迸る眩き炎柱は、大気を燃え散らしながら尚輝く。

 当たれば必滅。まさに一撃必殺のシュテルの砲撃は、しかしディアーチェとは反対方向に射出された。

 

「いっけーーーーッ!!」

 それは狙いを外したのでは、無い。

 強力な集束砲を放つ場合、基本的に自身を固着させる必要がある。そうしなければ、射出時の衝撃で後方へと吹き飛ばされるからだ。

 ともすれば逆に、固定しなければ必然、砲撃先とは真逆に飛ばされるという事に他ならない。

 つまり、外された集束砲からルイス達が得た物は、ロケットの様に突き進む推進力だ。

 高速で落下する二人は、更なる加速を宙で行う。

 唸る風切り音と共に空を焦がし進む彼らは、最早一個の巨大な弾丸と化した。

 

「ぐ、おぉおおぉお……!!」

 避けられないと悟り、ディアーチェは防御の意思を見せた。

 必要最低限の箇所にのみ魔法障壁を展開。

 急造であるからこそ、一点に魔力を集中させ、硬度と強度を高めたのだ。 

 その直後。ルイスのナイフ型デバイスの切先が、寸前で張り終えられたディアーチェの障壁とぶつかりーー

 

「ーーーー!!」

 赫々と火の粉を撒き散らしながら、ディーアチェごと地表に向けて押し進んだ。

 

 

 数秒後。

 地面を揺らす凄まじい轟音が、辺りの建物の硝子を揺らした。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「まるで忍者だな……」

 観戦室でクロノは思わず立ち上がり、ポツリと言葉を漏らす。

 ルイス達の行動をカメラを通して見ていたからこそ、クロノには模擬戦の一部始終が理解出来ていた。 

 

 広域の空間であったとしても、ここはあくまで艦の中だ。

 彼方まで続く街並みも、宇宙へ通じているかの様な空も、全て立体映写された物に過ぎない。

 歩けば果てには壁があり、空を駆け上がればおのずと天井に頭をぶつける。

 故に。

 ルイス達は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 本来であればあり得ない挙動。物理法則を根底から無視した無茶苦茶な作戦だ。

 だが、それを成し得たのはルイスの稀少技能があったからに他ならない。

 

「彼の魔法、面白いわね」

 リンディも唸りながら腕を組む。

 模擬戦中、ルイスがシュテルに語った希少技能の正体。

 収音マイクから聞こえるルイスの解説を聞いていたリンディは初め、何の冗談かと目を丸くした。

 けれど、それが事実だと裏付ける行動を現に彼はとったのだ。

 それらを鑑みて、リンディは続ける。

  

「禊魔法……要するに、この世の理から外れる魔法、といった所かしら」

 クロノは神妙な面持ちで、だがどこか心躍らせ、リンディの言葉に同意を示す。

「ええ、不必要な事象を削ぎ落とし、物理法則の枷から解放される強化魔法……つまり、重力や斥力、自重。そういった法則の影響を受けずに行動が出来るというわけですね」

 

「そうねぇ……例えば、風の抵抗や摩擦といった走る事に邪魔な要素を排除する。そうして結果的に速度を上げる事も可能なわけね。だから、狗の石像と戦った時にあれだけの速さを出す事が出来た」

「そして今回の模擬戦で言えば、重力の影響を無くし自重も調整したのでしょう。だから壁を垂直に走れたし、天井を移動するなんて芸当をしてのけた、と」

 

 クロノとリンディはお互いの見解に相違がない事を頷き、確認する。

 

「狗の石像から受けた呪いも、同じ要領で解除する事が出来たのでしょうね。呪詛を自分には不要な物とし、祓って消した」

「……ええ。全く、正真正銘の稀少技能ね。聞いた事も無い魔法だわ」

 

 ルイスの持つ稀少技能、「禊魔法」。

 実際クロノ達の推測は正しく、云わば自分自身を削ぎ落す魔法であった。

 不必要と選択したモノを祓い、能力を上昇させる。ある意味身体強化の亜種の様な魔法である。

 生きている上で等しく降りかかる自然法則。それを都合の良いように改変が出来るのだ。

 利便性は高く、応用も効きやすい。地上戦を得意とする陸戦魔導師にとって、これ程都合の良い魔法はないだろう。

 

 だが、その範囲が及ぶのはあくまで自分だけである。

 例えば他者にかかる重力を祓い、浮かび上がらせる等と言う芸当は出来ないのだ。

 シュテルと初めて共闘した際、彼女だけは様々な自然法則から抜け出せていなかった点からも、それは伺える。

 今回も、シュテルは浮遊魔法を使用しルイスの壁走りと並走していたに過ぎない。

 だが、果ては因果律さえも凌駕する能力であり、ルイスの力の根底を支えるに足る魔法なのは確かであった。

 

「……しかし、どちらかと言えば補助魔法の系統ですね、これは。確かに面白い魔法ではありますが、禊魔法単体では直接的なダメージには成り得ないですね」

「ええ、確かに。思えば、あの石像へ与えていた攻撃も、単に魔力を付与したデバイスでの近接攻撃だったものね」

 

「となれば、ここからどうでるか……見ものですね」

 クロノ達は再び、目下で起こる戦いに熱い視線を送った。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 地上に叩きつけられたディアーチェは、しかし思いのほかダメージと言えるものは少なかった。

 寸前の所で直撃を避ける事が出来たという点も大きいが、激突の際に背の羽を上手く使い、衝撃を逃す事に成功していた。

 練り切れていない防壁など、本来であればたやすく突破されていたかもしれない。

 けれど、基礎魔力量が著しく低いルイスの決死の一撃は、それでも決定的な打撃にはならなかったのだ。

 

 渾身の一撃は届かず、唯一落下によるダメージはあったが、それすらも上手くいなされた。

「ぐ……! この我を地に墜とすだとぉ……!?」

 しかし、それでもグラつく平衡感覚はすぐには収まらない。

 天地が逆転する程のスピードでの落下に加え、何よりこの状況で動転しない方が難しいだろう。

 濛々と立ち込める土煙で視界は奪われ、尚焦りを助長した。

(まずい、早く…‥! 早く飛ばねば……!)

 地表は相対者が最も優位となるフィールドだ。ディアーチェにとっての最優先事項は、何よりもここより離脱する事にあった。

 その為、黒羽をバタつかせながらディアーチェは真上に飛び上がろうとする。

 その顔は明らかな焦りと忸怩に歪められていた。

 

「ーー逃がさないよ!」

 空からの奇襲は一度目でしかその効力を発揮しない。

 これ以降は地表以外にも注意が行き、最早ディアーチェに近づく事は困難になるのは明白だ。

 つまり、再び空へと上がる事が出来れば、実質的にディアーチェの勝ちが決まってしまう事になる。

 しかしそれはルイスもよく理解していた。

 これが唯一無二の機会だという事を。

 故に、体が無意識に動く。

 己が最善の行動を取るために。

 

「ーーーー!」

 

 だが、ルイスとシュテルの二人が決定的に違う点があるとするならば、それは奇襲が成功したか否かの認識にある。

 ルイスは自分の魔力量の低さからして、仕留めきれない場合も過分にある前提で動いていた。

 一撃で打倒し得る魔法を持たぬが故、如何に素早く追撃に移るかがルイスにとっては必定の行動であったのだ。作戦の失敗、それが彼にとっての前提条件なのである。

 だが、それはシュテルにとって大きく異なる考え方だ。

 恵まれた魔力に大火力の砲撃。

 基本的には一撃必殺。そして何より、失敗する前提で彼女は行動をしない。

 常に最善を探り、如何に失態を犯さぬかで物事を裁量する。

 そもそもシュテルでなくとも、「状況の確認」という行程を必ず挟む事が常であろう。 

 

 だからこそ、ノータイムで追撃の構えをとったルイスの動きに、シュテルが遅れたのは必然と言えた。

 

「……?!」

 

 連携の乱れ。

 不慣れな二人三脚がバランスを崩した先に待つのは、転倒という結末。

 それは戦闘スタイルが真逆故に起きた結果であり、二人の息が合っていない何よりの証となった。

 

「ふん、やはりか!!」

 その隙をディアーチェが見逃すはずもなく、指をパチンと打ち鳴らす。

「っぐ……!」

 

 途端、設置型のバインドがルイスとシュテルに何重にも絡みついた。

 ルイス達を待ち受けている間に、ディーアチェが地表に忍ばせておいたトラップだ。

 姿勢を崩した所を狙い何重にも絡みつくバインド。そう簡単に解ける代物では、無い。

 

「…………」

 

 動けぬ二人に、ディアーチェはエルシニアクロイツを静かに向けた。

 その表情からは、明らかな落胆の色が見て取れる。

 更には、ディアーチェは完全に空に陣取り、制空権を確保していた。

 そこにはもう焦りなどなく、晴れた視界の先には、ただ悠然と佇む王の姿がある。 

 

「紫天に吼えよ、我が鼓動……!!」

 紫天の書がバラバラとその頁を捲り、本の中ほどまで進んだ所でピタリと止まった。

 瞬間、紫の光を発する魔法陣が五つ展開する。

「出よ巨重……」

 その陣全てから漆黒の光弾が飛び、二人を囲う様に空中で着弾する。

 

「ーージャガーノートォ!!」

 

 ディアーチェの怒りの籠った叫びと共に、それは炸裂した。

 

「ーールイス!!」

 

 シュテルがルイスを庇う様に体を前に出す。

 バインドで満足に動けはしないが、それでも必死にもがき、シュテルは矢面に立つ形となる。

 

「ちょ、シュテーー」

 

 驚愕するルイスの言葉を吹き飛ばし、ディアーチェの大魔法が炸裂した。

 

 魔力による超巨大な爆発。

 五つからなる漆黒の魔力弾が弾け、吹き荒れる暴力の渦と成る。

 その中心に立つ二人を滅多打ちにし、それでも尚押しつぶす。

 次第に高濃度に圧縮された五つの魔力の塊は一点に収束し、眩い閃光と共に特大の暴発を引き起こした。

「ーーーッ」

 小さな悲鳴を掻き消し、破壊の嵐はその身を沈めた。

 見ると、あたり一面のビルは軒並み倒壊し、離れた建造物も爆風でガラスを四散させていた。

 土煙が薄まる頃には、爆心地を中心に草木一本残らない焦土の姿がある。

 

「ーーふん、つまらん」

 

 吐き捨てる様にディアーチェは呟き、地に倒れ伏す二人を冷めた目で見降ろしていた。

 模擬戦は、ルイス達の完全なる敗北で幕を閉じた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ーーあ、シュテル気が付いた?」

 混濁する意識の中、シュテルはルイスの声を聞いた。

「ん……」

 人口灯が作り出す夕日が、薄く開かれたシュテルの目を射した。

 どうやら気絶していたらしい、とシュテルは冷静に分析する。

 そして、自分達が負けたのだという事も、同時に理解した。

「……ルイスは、無事ですか」

「あはは、開口一番が僕への心配とは、これまた嬉しいねぇ。うん、おかげさまで大丈夫だよ」

 勝敗も重要ではあるが、何よりもまずシュテルはルイスの身を案じていた。

 ディアーチェの魔法の威力を熟知している事もあるが、気絶していた自身の事よりもまず、ルイスの無事が無性に気になったのだ。

「そうですか、それはなに……よ……り……」

「ん、どったの?」

 尻すぼみするシュテルの声量。

 ふるふると羞恥に揺れる体。

 キュっと、シュテルは左手に力を込めた。

 

「ルイス……その、降ろして頂けないでしょうか……」

 

 シュテルは、自分がルイスにおんぶされる形となっている事に気が付いたのだ。

 おまけに服の所々は破け、あられもない姿となっていた。

 

「えー、だってあんな無茶したんだから。休んでないとダメだよ」

「いえその、確かにそうなのですが……その……恥ずかしい、です……ので……」

「だーめ。もとはと言えば、僕なんかを庇ったのが悪いんだからね。いいから大人しくしてなさい」

「むぅ……」

 

 黄昏の光が仮想空間を染め上げる中。

 シュテルは、諦めた様にルイスに身を委ねた。

(じ、実際、今は一人で歩く事は困難ですし……効率的な行動かと判断します)

 シュテルは言い訳の様に自身に言い聞かせ、体を静かに密着させる。

 

(…‥背中、大きいのですね)

 自分とは全く違う、ガッシリとした筋肉質の広い背中。

 シュテルは胸の鼓動が速まるのを感じた。

(男性ですもの、ええ、私と違うのは当然です)

 だが、妙に意識してしまう自分に、シュテルは驚きと戸惑いを隠せない。

 夕日に照らされるシュテルの顔は、やはり紅く染まっていた。

 だが、どこかその頬は緩んでもいた。

 

 胸の奥が息苦しい。

 もやもやした気持ちがとめどなく溢れてくる。

 シュテルは、苦しくはあれど、けれど何処か不思議と心地よい軋みを感じていた。

 

(この感情は、一体何なのでしょうか……)

 

 救急セットを持ち駆け寄るシャマルと合流するまで、シュテルはルイスの背で微かに笑みを浮かべていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 模擬戦の後、ディアーチェは一人、アースラ内にあるサロンでコーヒーを啜っていた。

 結果で言えば模擬戦はディアーチェの完勝であったが、彼女の表情はすぐれない。

 どうにも苛立っているのか、足を小さく揺らしていた。

 

「やぁディアーチェ、お疲れ様」

「ふん、クロノか」

 ディアーチェは振り返る事もなく、ぶっきら棒に返答を行う。  

「しかし、今日は中々に厳しくしたね」

「たわけ、温いくらいだ。実際、すでに戦いの火ぶたは切られておる。不特定多数の古代遺産がいつ稼働してもおかしくないのだ、これが焦らずしていられるか」

「確かにそうだけど……。随分と熱が入っていたと思ってね」

「ふん、呪詛なぞという魔法のせいで、馬の骨が出撃せねばならぬ状況はいずれこようて。そうなれば必然、シュテルも同席するしかないであろう。しかし今のあやつの闘い方ではシュテルもいずれ巻き添えをくらう。それだけは避けねばならんのだ」

「だから、急ピッチでコンビネーションの向上を?」

「無論だ、そうでなければ我が手を貸すはずがなかろう。全てはシュテルの為でしかないわ」

 

 ディアーチェは紙コップを揺らし、もう殆ど残っていない黒い液体を覗く。

 

「シュテルもシュテルだ、らしくもない。普段のあやつからは考えられぬ言動が多すぎる、一体どうしたというのだ」

 ディアーチェは納得いかないのか、トントンと指でこめかみを叩く。

「何故あのような馬の骨なぞに……ええい気に食わん、気に食わんぞ!」

 クロノは自販機でホットココアのボタンを押しながら、ディアーチェへと疑問を口にする。

「シュテル、どこかおかしかったかい?」

「ああ可笑しい、有り得ない。あのような態度を取るシュテル、初めて見るわ。特に最後に馬の骨の事を身を挺して守っていたが……何故あんな行動に……」

 ディアーチェは模擬戦の内容より、シュテルの言動が気になっているようであった。

 頭を掻きながら、苦々しい顔つきを隠そうともしない。 

 

「家族だからこそ分かる事もある、か……僕にはいつも通りな気もしたけれど」

 クロノはディーアチェの横に座り、ふぅ、とため息を吐いた。

「あ、そうだ。確認なんだけれど、しばらくはこのトレーニングを続ける、という事でいいのかな」

 クロノはココアに息を吹きかけ、冷ましながらディアーチェに問う。

 熱すぎるのか、まだクロノはココアを口に出来ていない。

「無論だ、それ以外あるまい。だがよいか、何があろうと我が納得せぬうちは戦線へ立たせぬからな? これは決定事項ぞ」

 本来であれば、委嘱魔導師であるディアーチェにそのような権限は無い。

 だが、そんな事で遠慮をする彼女ではなく、堂々と物おじせずにそう宣言した。

 

「不服とあらば、我が奴らの分を含め二倍仕事をこなそうではないか。それでもまだ足りぬというのであれば三倍働いてやろうぞ」

「……君は本当に素直じゃないというか。その提案、シュテル達にはどうせ言わないつもりなんだろう?」

「言うてどうこうなるものでもあるまい。臣下は王の為に、そして王は臣下の為に。これすら守れぬ者は王ではない、ただの暴君だ。我は高潔なる闇の王ぞ。故に、やるべき事はただ一つ、だ」

「ふふ、ディアーチェのそういう姿勢は素直に尊敬するよ。大丈夫、仕事については僕が調整しよう。アースラのスタッフも動員する事になると思うし、ディアーチェに負担が無いようにするさ」

「……そうか、すまんな」

「なに、立場上僕は一応上司だからね。君の考えを見習ってみようと思っただけさ」

「ふん、小僧が減らず口を」

 言葉だけ取れば剣呑としたディアーチェの口調であるが、その実どこか顔は嬉しさを滲ませていた。

 クロノはココアを一口飲み、顔を少し緩ませるも、すぐに苦笑いを浮かべる。 

「ただ、今日みたいに撃墜まで追い込むのは出来れば控えて欲しいけどね。もしもの際に出動出来ないと困る、呪詛魔法に対抗出来るのは今のところ彼くらいなのだし」

「ふん、まぁ気が向いたらな」

 くく、と喉を鳴らし、ディアーチェは首を縦に振る事なく受け流した。

 

「それで、ディアーチェとしては今日の模擬戦はどうだった?」

「見込み無し……と言いたいが、それは嘘になるな。正直、陸戦魔導師相手に空中で我が不覚を取るなぞ想像しておらなんだ。ふん、禊魔法とかいう代物、詳細を先ほど聞いたがまた面倒な代物よな」

「実際、客観的に見ても良い内容であったと思う。直接戦ったディアーチェの評価と一致しているならば何よりだ。となれば、後は……」

「うむ、シュテルと馬の骨が如何にして息を合わせられるか、だな。事実、奇襲時に砲撃で加速をしておったが、その際にも若干のタイムラグがあった。あれがなければ我は墜とされていたやもしれん」

「成程……意外に薄氷を踏む思いだったわけだ」

「戯け、ただの言葉の綾であるわ」

 

 ディアーチェは鼻を鳴らすも、その実どこか楽しそうである。

 すでにディーアチェのコップの中には何も残されてはいなかったが、彼女は立ち去る事なくクロノと会話に華を咲かせていた。

 

「あ、でも実際お風呂はどうするんだろうか……」

 暫く続いた会話の中、クロノが何気なく口にした疑問。

 ディアーチェは頭を抱え押し黙るしかなかった。

 

 ある意味模擬戦よりも困難で激しい戦いが、今宵繰り広げられる事になりそうであった。

 

 

【挿絵表示】

 




とても素晴らしき挿絵は、「んにゃら」様に描いて頂きました。ありがとうございます!
んにゃら様pixiv→https://www.pixiv.net/member.php?id=1437319

不定期更新で申し訳ないです、すいません。
停電テメーコノヤローって呪いをここで放っておきます。

次回、お風呂回……に、なるかはわかりません。どうなんでしょう。望みの声があるのならば。
それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。


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第10話 嘘と本音と黒い獣

投稿遅くなりました、すいません。
ポロポロとお話の中核が見えだしてます。
シュテルと密着出来ているのにこれ以上何を望むというのだルイスさん。


 お風呂。

 その歴史は古く、紀元前4000年の頃よりすでに行われていたとされている。

 その目的としては、新陳代謝を促し老廃物を排出する事に始まり、宗教的な側面を多く含む場合もある。

 また、精神面においても向上が期待出来る為、脈々と受け継がれてきた文化なのである。

 

「いいですかルイス、絶対に。絶対に目隠しを取らないで下さい」

「わ、分かってるってば! シュテルの裸を見るつもりは毛頭ないから安心して!」

「…………それはそれで何やら腹立たしい気もします」

「え?! っていう事は見ていいんだやったー!」

「ぶっ飛ばしますよ」

「じゃあ僕にどうしろっていうのさ!」

 

 ディアーチェとの最初の模擬戦から数えて、十日が過ぎた昼下がり。

 ルイスとシュテルは、王家の浴室で共に湯浴みを行っていた。

 シュテルは浴槽に浸かり、ルイスは洗い場で目隠しをされ座っている。

 

「……ふぅ。久方ぶりという事もあるのでしょうが、やはりお風呂はいいものです」

 シュテルはどこまでも幸福な溜息を吐き、湯を掬いうっとりと眺めた。

 一糸まとわぬ細く綺麗な体をグッと伸ばし、シュテルは満足げに目を弓にする。

 

「あ、あのーシュテルさん。今更なんですけど、この状況非常にまずいのではないでしょうか……」

 一方のルイスは、風呂場にいながら冷や汗を流しつつ、おずおずと敬語で言葉をかけた。

 腰にタオルを巻きながら、何故か姿勢よく正座をしているルイスに、シュテルはチラリと視線を送る。

 

「いいえ、大丈夫です。万が一ディアーチェの逆鱗に触れたとしても、危害が加えられるのは貴方だけでしょうし」

「わーい理不尽だぁ……」

 

 ディアーチェに敗北を喫したあの日から、ルイス達は毎日の様に模擬戦に臨むも連戦連敗。

 禊魔法の種が割れた事も相成って、勝ち筋がより一層細くなっていたのだ。

 今日も今日とて、連敗記録を更新したルイス達は早々に帰宅の途についていた。

 いつもの様に泥だらけで自宅に戻ったシュテルであったが、虚ろな目で「もう限界です、お風呂に……」と呟いた事から今に至る。

 

 もちろん、今まで二人は魔法により清潔さを保ってはいた。

 元より戦時下において、不衛生は最も唾棄すべき敵と言ってもよい。

 疫病の原因ともなり、それこそ怪我の悪化へ直接的に繋がるものだ。

 だが、戦の中において、のんびりと湯船に浸かる事が出来ない状況は往々としてある。

 だからこそ、衛生状態を整える魔法はかねてより存在しているのだ。

 衣類はもちろん、身体に積もった汚れも綺麗に落とす事が出来る汎用魔法であり、二人はそれを多用し今日までを過ごしていた。 

 

 理屈だけで言えば、入浴の必要は一切ないわけである。

 けれどシュテルにとってお風呂は、云わば心の洗濯の意味合いが非常に大きかった。

 この家の中で一番の長風呂をするのは彼女であり、リフレッシュの時間となっていたのは間違いない。

 だというのに、ここ最近は一切の入浴が出来ず、おまけにシュテルが経験したことの無い連敗数を叩き出しているのだ。

 精神的な疲労がピークに達していたシュテルが強行手段に訴えたのは、分からない事ではなかった。

 

「あぁ、生き返ります……」

 

 うっとりと両眼をとろけさせつつも、シュテルは洗い場で身を縮こませているルイスをチラチラと気にしている様であった。

 どこか名残おしそうにシュテルは湯船から立ち上がる。

 

「ルイス、交代しましょう。貴方も温まって下さい」

「え、僕もいいの?」

「ええ、もちろんです。そもそも、私だけというのもどこか気が引けますし」

「あ、じゃあお言葉に甘えるよー」

 ルイスはいそいそと立ち上がり、浴槽へフラフラと歩みを進める。

 慣れない場所に視界も奪われている事もあってか、かなり足取りはおぼつかない。

「ルイス、滑りやすくなってますので気を付けて下さい」

「うん、ありが……とおぉおおっとぉ?!」 

 ルイスの絶叫。

 それは、足元に転がる石鹸を踏んでしまった故のものである。そして当然、さしものルイスであってもバランスを崩し前のめりに倒れていく。

「わ、わ……!」

 蹈鞴を踏み、ルイスはすがる様に前へと手を伸ばす。

 人間であれば誰しも、転倒する際には無意識に行うであろう動作。

 だが、当然その先にはシュテルがおりーー

 

「ん、何だ? この小さいけれど、どこか柔らかく心地のよい感触は……」

 ルイスは自分の手に収まる正体不明の物体を、ゆっくり揉みしだいた。

 小首を傾げながら、ルイスはまさぐる様に両手を動かす。

 

「……この!!」

 

 バチーン、と甲高い打音。

 わなわなと震えるシュテルの平手打ちが、ルイスの頬を叩いた音だ。

 

「ちょ、ちょ?! シュテルなにするんーー」

 

 首がゴキリと曲がる程の不意の一撃。

 自然、縛っていた目隠しがハラリと解け、ルイスの視界は開ける。

 

「……あ」

 

 そこには、顔を真っ赤に染めている産まれたままの姿のシュテルがあった。

 身に纏う物など何もなく、その身体の全てを完璧にルイスの前に曝け出している。

「…………」 

 新雪を思わせる美しい柔肌は、湯の温度でほんのりと桜色となり、微かな色気を醸し出していた。

 丸みを帯びた柔らかい肩に、平坦に近いが僅かに主張をするささやかな胸元。

 何もかもが未成熟のその身体は、華奢でいて、けれど確かに女性らしさを見せつけていた。

 

 そして、ルイスの両手はシュテルのその小ぶりな胸をしっかと揉んでいた。

 

「あ、あはは……」

 ルイスは乾いた笑みを浮かべ、けれど視線は一切動かさず、シュテルの裸体に注がれ続けていた。

 手はその動きを止めていたが、今だにシュテルの胸元に置かれたままである。

 

「……それで、どうですか?」

「え、っと。まさかとは思うけど、触った感想を言えってことかな?」

「…………」

 

 こくりと頷くシュテルの目は、いたって真剣だ。どこか期待に満ちた眼差しすら感じられる。

 だが緊張と恥ずかしさから両の手をギュッと握りしめ、不安を押し隠している事も分かった。

 

(……んん?! これってどう答えるのが正解なんだ?!)

 

 問答無用で制裁が加えられると考えていたルイスは、予想もしていない展開にクエスチョンマークが乱舞していた。

 

(どうしよう、柔らかいって言えばいいんだろうか。いやでも正直そこまで柔らかいわけでないんだよね……まだ揉むほど無いというか。うん、でもこれをそのまま言ったらバッドエンドだと流石に分かるね!)

 ルイスは頭を振り、次の選択肢を思考する。

(綺麗だ、と言って流そうか……。実際、そこは嘘じゃないからなぁ。細くてまっさらで、まるで白磁みたいで可憐というか。うん、この方向でいいかな?)

 よし、と口を開こうとしたルイスであったが、寸での所で言葉を呑み込んだ。

 瞳を潤ませながらもおずおずと答えを待つシュテルが、目に入ったからだ。

(……あー、いやでも、話しを逸らしているってシュテルなら絶対分かる、よな。そっちの方が失礼と言うか、うーーん)

 ルイスは深呼吸をし、グッと丹田に力を籠める。

(よし、真実だ。どんな事になっても事実だけを言おう! それがせめてもの礼節というもの! というか正直、全裸で見つめ合ってるこの状況を早く終わらせたい!!)

 決意の意志を漲らせたルイスは、口を開いた。

 真剣に、思い浮かべた言葉を並べる。

「えーっと、その。あれだ。うん、とっても綺麗だとは思うんだけどまだ成長期だものね!! 大丈夫、そのうちバインバインになると思うよ! 気にしない気にしない!!」

 自分が何を口にしているのか途中から分からなくなりながらも、ルイスはまくし立てる様に言い切った。

 

 シュテルはルイスの言葉をゆっくりと咀嚼し、ビクリと肩を震わせる。

 薄く涙を滲ませながら、シュテルは拳を更に握りこんだ。

「小さくて……」

 鼻声交じりの震える声と共に。

「悪かったですね!!」

 放たれた渾身のゼロ距離ボディブローが、ルイスを枯れ葉の様に宙へと吹き飛ばしていった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「今帰った……が、どうしたというのだ」

 帰宅したディアーチェの前に広がる光景は、混沌としたものであった。

 ルイスに背を向け、膝を抱えて座るシュテル。そして五体投地で全霊の謝罪を行うルイスの姿である。

 また面倒な事があったに違いない、とディアーチェは深いため息と共に頭を抱えた。

 

「理由は分からぬが、馬の骨が悪いに決まっておるな。うむ、死ぬがよい」

「酷くない?! いや確かにそうなんだけどさ! ごめんなさい!!」

 ルイスは大地に伏す姿のまま、自分の非を認め吠えた。

 ディアーチェは冷ややかな目線でそれを見ながらも、ルイスに声をかける。 

「して、何があった。いつもと明らかに様子が違うわけだが……」

 シュテルは壁の一点をただ凝視し、ぼそぼそと呪詛めいた何かを断続的に呟いた。

 どうやらディアーチェが帰宅している事にも気付いていないようである。

 その虚ろな目からして、とても平常心とはいえぬ様相であった。

 

 と、ディアーチェは転がるルイスの頬に咲いた小さな紅葉を見つけ、にこやかに微笑みを浮かべる。

 シュテルが思わず手を挙げる程の事があったのだと、そうディアーチェは確信したのだ。 

 

「そこの馬の骨、弁明の機会をやろう。そうさな、折った骨の数で誠意を量ろうではないか」

「あの、冗談に聞こえないんだけれど……」

「ああ、冗談ではないからな」

「…………」

「…………」

 ディアーチェはどこまでも楽し気に笑みを浮かべるのみである。

 怒りの沸点を跳び越え逆に冷静になっているのだとルイスは気が付き、ただ引き攣った笑みを浮かべるしか出来ない。

 

「え、えっとですね。その、一緒にお風呂に、ですね……?」

「ほぉほぉ、それで?」

「あー、んー……と。その、揉んでしまい、まして……」

「ほぉほぉ、なにを?」

「シュ、シュテルの、そ、その、お胸、といいましょうか……」

「…………」

「…………」

 互いに笑顔で見つめ合う、ルイスとディアーチェ。

 たっぷり十秒の沈黙。

 

「ーーーー死ね」

 

 王家のリビングでけたたましい爆発音が響いた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「生きてるって素晴らしいなぁ……」

 ディアーチェはあらゆる手管でルイスの息の根を止めんとしたが、シュテルの制止もあり死人は出ずに済んでいた。

 渋々ではあったが、被害者であるシュテルの言という事もあり、ルイスは半殺しで解放と相成った。

 

「あれは事故ですし、私の方にも問題がありましたので」

 シュテルはルイスの横にちょこんと座ってはいるが、どこか居心地の悪そうに視線を逸らす。

 更には、ギュっと自分の胸を隠す様に腕を組んでいた。

 

「月夜ばかりと思うでないぞ」

 家畜を屠殺するかの如きディアーチェのかつてない視線と脅しの文句。

 ルイスは小さな悲鳴を上げつつシュテルの後ろに隠れる。

 

「よいかシュテル、先の出来事でそう落ち込まずとも良いのだからな。その男は……そうさな、云わば路傍の虫ケラだ。いくら触られた所で数のうちに入らぬ」

「こ、今回ばかりは反論出来ない……!」

 馬の骨から虫ケラに降格処分を受けたが、ルイスは甘んじてそれを受け止めるより他はない。

 シュテルの裸体を弄った上で、こうして生きているのだ。それだけで十分奇跡と呼べる物であろう。

 

「ありがとうござます、ディアーチェ。けれどやはり、私には女としての魅力がないのかと正直落ち込んでしまいます。外見だけで言えばナノハの現身ですので、俗に言う美少女だとは思うのですが……」

「……シュテル?」

 予想外のシュテルの返しに、ディアーチェはピタリと動きを止めた。

 当たり前の思考ではあるが、ルイスに胸を触られ事に対す負の感情があるものだとディアーチェは考えていた。

 だが、どうにもシュテルとの会話が噛み合わない。

 シュテルは触られた事など露程も気にした様子はないのだ。

 ただただ、ルイスの理想と自分のギャップに落ち込んでいる少女そのものでしかない。

 

「定期健診の度にシャマルの胸を凝視していますしこの男は……。いえ、肉体年齢の側面で言えば私も正常な発育だと理解しているのですが。私の胸がもう少しでも大きければ魅力的に映るものなのでしょうか」

「いや、いやいや。待ってくれシュテル、お前は何を言っているのだ。あの男が不愉快であったという話しではなかったのか……?」

「確かに恥ずかしくはありましたが……。別段、不快だとは思っていませんよ?」

「ーーーー」

 顔を顰めるディアーチェに、きょとんと小首を傾げるシュテル。

 ルイス自身もこれには驚愕しているのか、目を丸くしている。

 

(これは……どう考えてもおかしい、決定的だ。最近、シュテルの言動に違和感を覚えてはおったが……)

 先ほどのシュテルの言葉に、ディアーチェは激しい焦りを見せた。

 ルイスという当人を前に、自分がどうすれば魅力的に見えるかを口にする時点でそもそもおかしくはある。殆ど愛の囁きのソレだ。

 だがシュテルは無自覚なのか、自分がとんでもない事を口にしているとは思ってもいない様子ではある。

 その姿は、ディアーチェが今まで共にしてきたシュテルから程遠いものがあった。

 

(この短期間で、あのシュテルがこうまで心を許すなぞあり得るものか? 否、決して否だ。この状況、あまりにも不可解ではないか)

 ディアーチェは、正座するルイスと、それをチラチラと気にかけるシュテルを繋ぐ手枷に視線を落とした。

(もしや。いや、やはりーー)

 

≪王様! 大変!!≫

 ディアーチェは突然の念話に、手枷へと伸ばしていた手をピタリと止める。

 どうにも焦りがありありと伝わる声色であり、仕方なしにディアーチェは体を起こした。

≪どうしたレヴィ、今取り込み中なのだが≫

≪でもでも、僕もちょー緊急事態なんだけど!≫

≪ーー……ふむ。分かった、何があったか話してみよ≫

 いつになく慌てたレヴィの声に、ディアーチェは一旦思考を切り替えた。

 町に出ているレヴィからの緊急入電という事は、それだけで大きな意味を持つ。

 ディアーチェにとって目の前のシュテルの対応も大切ではあったが、優先事項を整理しレヴィとの念話に集中する。 

 

≪えーっと! 今ユーリと一緒に藤波町公園で遊んでいたんだけど、変なヤツを見つけたんだ!≫

≪変なやつ、とな?≫

≪うん、何か黒くておっきな獣がいるんだ! 絶対この世界の生き物じゃないよ!≫

 

「黒い獣……?」

 思わず声を漏らすディアーチェ。

 タイミング的に考えても、古代遺産である可能性は非常に高い。

 そしてそれは、以前ルイスが遺跡で遭遇した生物と、特徴が一致していた。 

 

 

「ーー黒い獣だって?」

 

 

 ルイスの、どこまでも穏やかな声がした。

 ニコニコと、いつもの笑顔がそこにはある。

 

「ーーーーッ?!」

 

 けれど、傍にいるシュテルだけはルイスの笑みに違和感を覚えていた。

 ほんの一瞬、わずかにルイスは異質な笑みを浮かべていた気がしたのだ。

 それは、まるで猛禽の様な。腹をすかせた肉食獣が見せる、残忍なもの。

 すぐにその表情は無くなっていた為か、ディアーチェは気付いた様子が無い。

 

「ルイス……?」

 シュテルはルイスの袖を震える指で思わず引く。

 そこには戸惑いと怯えがあり、自分の感じた鬼胎を否定して欲しいが為の行いだった。

 

「ディアーチェ、そいつは何処にいるの?」

 だが、ルイスはそれを無視して静かに問うた。

 否、シュテルの行為に気が付く余裕すらなかったのか、そこには焦慮が見える。

 

「……何故貴様に教えなければならんのだ」

 ルイスの質問の意図する所を予想し、ディアーチェは渋い顔になる。

 いよいよもって古代遺産が現れたのだ。やはりルイスとしては、自身で解決に乗り出したいと思うのは明白だろう。

 だが、その場合は当然シュテルも危険が伴う現場に出る事になる。

 ディアーチェの懸念を理解しても尚、ルイスは食い下がった。 

「ディアーチェ、多分さっき念話してたよね。つまり、誰かがその獣と相対しているっていう事だと思うんだけれど。だとしたら、それはちょっとマズい」

「……ほぉ?」

 ディアーチェは言葉を切り、続きを促す。

 ルイスが管理局に黒い獣について報告を行っている事は、ディアーチェも当然把握していた。

 つまりは、件の獣と交戦経験があるのはルイスだけだという事になる。

 そのルイスが齎す情報というものは、価値ある事は明白だ。

 ましてや、ユーリとレヴィの安否に関わる可能性が高いとなれば、流石に無下にする事など出来はしない。

 本音で言えば、ルイスの発言の悉くを否定したいディアーチェであったが、一時の感情には流されず、冷静に判断を下した結果だ。

 ディアーチェから否定の言葉が出ない事を確認し、ルイスはホッと息を吐いて説明を続けた。

 

「時間もないし端的に言うと、そいつの攻撃は即死級の呪詛がかかってる。掠りでもしたら、もうそれで終わりなんだ。誰かが交戦しているならあまりにも危険過ぎる。でも、僕には対抗策があるのは知っているだろう?」

「……ッチ、成程な。だから貴様も連れていけ、というわけか」

 舌打ちをしつつ、ルイスの言葉をディアーチェは咀嚼する。

 いまだルイスに対する疑念が完全に払拭したわけではなかったが、それでも頭からこの情報を否定するわけにもいかない。

 もし言葉の全てが真実なのだとしたら、レヴィとユーリに明確な危機が迫っている事になるのだ。

 そして、ルイスの言う通り、有力な対抗策は明らかに禊魔法だけだろう。

 となれば、ルイスが現場へ赴く事は何より重要な案件に当たる。

 

≪レヴィ、そいつに手を出すでないぞ。すぐに我も征く≫

≪……うん、分かった≫

 

 最悪のケースだけは避ける為、ディアーチェは素早く念話を飛ばした。

 いつものレヴィであれば、「ご馳走」を前に御預けとなれば文句の一つでも言う所だが、それも無い。

 つまりこれは、目の前の敵が厄介な相手だという事を、レヴィも感じ取っていたという事だ。

 

(ーー最悪だ。いつの日かクロノ話しておった事が現実のものとなるとはな)

 

 ディアーチェはルイスの言葉とレヴィの言動を鑑みて、内心ではすでに結論を出していた。

 今すぐに、ルイス達を現場へと向かわせるべきだ、と。 

 確かに、シュテルとルイスの連携はまだ合格点に達していない。

 ある程度の動きは出来る様になってはいるが、一撃必殺の技を持つ相手に対してはあまりにも心もとないものであった。

 本来であれば、そんな状態で現場へ赴かせるのはあり得ない事である。

 

 だが、事態がそれを許してはくれない。

 

 レヴィとユーリが今まさに危機に瀕しており、それを覆す手段を持つのはルイスだけである。

 ディアーチェは葛藤に苛まれつつも、苦々しく口を開く。

 本音を言えば、まだ万全とは言えないシュテルを出す事は避けたくはあった。

 けれど、呪詛魔法を相手にするとなれば、必然的にルイスの力に頼らざるを得ない。

 ここで拒否をしようが、どのみちルイス達が戦場へと駆り出される結果になるだろう事は想像が付いた。

 そして何より、『禊魔法』を用いた状態のルイスは、ディアーチェより移動速度は格段に勝る。

 いち早くレヴィ達と合流出来るのは、今は彼らしかいなかった。

 

 だからこそ気持ちを押し殺し、選択肢から客観的な最善を選ぶ。

 

「……藤波町公園だ」

「分かった、ありがとう」

 ディアーチェから受け取った答えに、ルイスは間髪入れず応答する。

 その瞳には、感謝と決意が輝いていた。

 

「いいか馬の骨、シュテルに傷一つでも付けたならば容赦せぬからな……!!」

「ああ、心得ているよ。シュテルは命に代えても僕が護る」

 

(ッチ、即答しおって)

 忌々しくもあり、けれど同時に頼もしさも僅かに感じ、ディアーチェはもうそれ以上言葉を重ねない。

 今は、兎にも角にもレヴィとユーリの元へ向かう事が第一であった。

 

「シュテル、いけるかい?」

 ルイスは窓を開け、一点を見据える。

 くしくも、シュテルと初めて邂逅したあの場所を。

「ええ、問題ありません」

 シュテルの頷きを確認し、二人は同時にバリアジャケットを換装する。

 数秒で戦闘装束へと身を包み、すぐさまルイスはシュテルをひょいと抱き上げた。

 シュテルは振り落とされない様にと、ギュッと両手でルイスにしがみつく。

 

「ーー禊魔法、祓」

 

 次の瞬間には、ルイス達の姿は既になかった。

 開け放たれた窓は数秒遅れで軋み、思い出した様にカーテンが五月蠅くはためく。

 ディアーチェは自分より先に家族の下へとたどり着くであろうルイスに小さく舌打ちをした。

 

「ーー我も征かねばな」

 

 クロノへと念話で状況説明を行いつつも、ディアーチェは即座にバリアジャケットを展開し、飛び立った。

 ルイス達を追う形で、ディアーチェも藤波町公園へと急ぐ。

 

 

 もぬけの殻となった王家のリビングに、一片の黒羽が舞った。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 シュテルを抱きかかえ、ルイスは跳ぶ。

 屋根を踏み移動する、最短距離での走行だ。

 ルイスはシュテルから海鳴市の地理を叩きこまれていた事もあり、一部の迷いも無く目的地へと迫る事が出来ていた。

 

「……あの、ルイス」

 

 ルイスに抱えられたシュテルは、これから実戦が行われると知りながらも思わず声をかけていた。

 

 ディアーチェが「黒い獣」と口にした時、ルイスは明らかに様子がおかしかった。それが、どうしても心に引っかかっていたのだ。

(あれは、いいえ。間違いなく……殺気でした) 

 普段のルイスからは想像もつかない一面は、シュテルを揺さぶるには十分であった。

 恐々と、今自分を抱いているのはルイスで間違いはないのかと。よくにた別人ではないのかと、シュテルは自分で馬鹿げていると感じても、そう思わずにはいられない。

「ん、どうかしたの?」

「あ……いえ、その……」

 だが、飄々と答えるルイスに思わず戸惑い、言い淀んでしまう。まるっきり、ルイスはいつもの様子に戻っている。

 それでも、どうにも確かめずにはいられなかった。

 否。

 確かめなければいけないと心が叫んだ。

 このままでは、ルイスが手の届かない何処かへ行ってしまいそうな、そんな感覚があった。

 

「あの、大丈夫、ですか……?」

「あはは、やっぱり僕じゃあ力不足かな。ごめんね不安にさせてしまって」

 シュテルが絞り出した問いは、ルイスを心配する気持ちが主である。

 だが、ルイスはどうにもその意図とはズレた答えを返した。

 これから行われるであろう戦に対しての不安だと、ルイスは受け取ったのだ。

 慌ててシュテルは否定の言葉を口にする。

「いえ、そういう事ではなく……その、ルイス自身は今、冷静、なのですか?」

「ん? うーん、そうだなぁ。けどまぁ、確かにいつもとはちょっと違うかな。何たって、僕は一度その黒い獣と戦って負けちゃってるからねぇ、そら少しは不安にもなるさ」

 確かに、ルイスの返答は理屈としては通っているだろう。

 一度は敗走を余儀なくされた相手とあらば、平静でいる方が難しい。

 

 だが本当にそれだけなのだろうか、とシュテルは率直に思う。

 もしルイスの言葉が真実であるならば、そこには恐怖の感情があって然るべきだろう。

 だがあの瞬間のルイスには、どうみても歓喜の表情があった。恐れなど微塵も無く、ただ、ただ喜びに震えていたように見えたのだ。

 

「ルイス、何か隠している事は無い、ですよね……本当にそれだけです、よね?」

 シュテルはルイスが何かを隠しているのだと、そう確信していた。

 せめて自分には話てくれるのではないか、とそんな淡い期待を胸にシュテルは問う。

 

「ーーうん、本当にそれだけだよ」

 

 だが、ルイスはあっけらかんと即答した。

 シュテルは眉を僅かに下げるも、口を噤んだ。

 ルイスとの間に明確な壁を感じ、シュテルの心は僅かに軋む。

 受け入れたいという思いを否定され、唇をキュッと噛み締めた。

 

「というか、僕としてもシュテルの言動も気になるんだけどね」

「私、がですか?」

「まぁ、分からないならそのまま気付かず忘れてくれた方がいいんだろうけれど」

「あの、すいませんよく意味が……」

「さ、もうお喋りはこのくらいにしてそろそろ集中しないと」

 シュテルはまだ吐き出したい言葉はあったが、グッと呑み込む。

 頭を振り、無理やりに自分の気持ちを切り替えた。

「分かりました、今はレヴィとユーリの安全確保が第一です。これ以上の問答はよしましょう、申し訳ありません」

 

 ルイスにとって自分とはどういう存在なのだろうかと、シュテルの中で良くない感情が渦巻いた。

 僅かの間とはいえ、共に過ごした時間が否定されたような気がして、心が痛んだ。

 距離は近づいているのだと感じ、喜びを抱いていたのは自分だけだったのかと、寂しさが募った。

 

 目の前の青年の考えが分からず、シュテルはただ、より強くしがみついた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 レヴィはユーリを庇う様に黒い獣と対峙する。

 すでに結界は張り終え、バリアジャケットにも身を包んでいた。後は目の前の異物を討伐すれば事が済む。

 

(ーーなんか、ヤバい)

 

 しかし、レヴィは一歩が踏み出せずにいる。

 もちろん、ディアーチェの命令あっての事でもあるが、それ以上に彼女の警戒心が不用意な攻撃を躊躇わせていた。

 

 普段からして彼女は、戦いの中での強敵を希う事が常である。

 食事、睡眠、戦闘。それがレヴィの三大欲求であり、彼女を突き動かす基本原理だ。

 普段は子供の思考回路とでもいうべき言動をとるレヴィであるが、こと戦闘に置いては卓越した技能を誇る。

 

 彼女は理論や戦術といった物を全く持ち合わせておらず、ただただ独自の感性だけを頼りに行動していた。

 一見すると無茶苦茶でしかないが、しかしレヴィは事実として最上級の戦力と称しても差し支えない存在である。

 それはやはり、ひとえに才能という二文字が全ての答えだ。

 彼女が鼻歌交じりの思い付きで行う戦闘行動は、凡百の魔導師では到達出来ない程高度な物なのである。

 天賦の才を欲しいままにするその姿は、まさに「力のマテリアル」という名に恥じぬものであった。

 だからこそ、戦闘におけるレヴィの勘という物は決して無視出来るものでは無い。

 むしろ、どの様にうず高く積まれた情報であっても、彼女の第六感を凌駕する事はないだろう。

 

(なんだろ、このすっごく嫌な感じ)

 

 レヴィと対峙する黒い獣。

 暗闇がそのまま四足歩行の獣を象ったかの様な、漆黒の体躯を持つ異形の塊。

 狼を思わせるフォルムであるが、優に三メートルはあろうかという巨体を誇っている。

 そして、右前足のカギ爪だけが不釣り合いな程に発達しており、他の爪と比べても五倍は肥大化していた。

 鋭利という言葉がそのまま当てはまるソレは、殺傷のみを目的に携えられたものだと誰が見ても想像出来るだろう。

 

 距離にして十五メートル。レヴィにとっては一瞬で詰められる間合いであり、相手が何をしても対応出来うる距離である。 

 

 黒い獣はゆっくりと、牛の歩みでジリジリと二人ににじり寄っていた。

 ジッと、レヴィとユーリをその闇色の瞳から外す事は無く、ゆっくりと。

 今すぐにでも飛び掛からんと低い唸り声をあげはすれど、一向に襲う気配は無い。

 それが返って、不気味さを際立たせていた。

 

「レヴィ、私も戦います……!」

 ユーリは明らかな怯えを見せつつも、その瞳に確固たる意志を灯し前へ踏み出そうとする。

「ダメだよ、ユーリは下がってて」

 だが、レヴィはそれを制した。

 グッと腕を伸ばし、それ以上ユーリを前へと踏み出させようとはしない。

「で、でも……!」

 尚も食い下がるユーリに対し、レヴィは獣から注意を反らす事無く言葉を返す。

「いいから。ユーリ、まだ力の制御が上手く出来ないんでしょ?」

「うぅ、そうですけどぉ……」

 

 紫天の盟主、ユーリ・エーベルヴァイン。

 闇の書の防衛システムと同等、もしくはそれ以上の力を持つ少女。

 

 体内に「永遠結晶エグザミア」を有し、莫大な魔力を秘めた闇の書の闇をも超える力が彼女にはある。

 彼女とマテリアル達は四基一組からなる独立稼働プログラム「紫天の書」と呼ばれ、もともとは夜天の書を強引に支配する為に作られた存在だ。

 だがその動力炉とでもいうべきユーリ自身に制御機能は無く、幾度となく暴走を繰り返してきた経歴がある。

 かつてより誰一人としてユーリを制御しきれなかったのは、管制人格であるディアーチェやその補助を務めるシュテルとレヴィが一度に揃わなかった為であった。

 だが今現在は四人が一堂に会している為、かつてない程の安定を保っている。けれど、全てが揃った今であっても、暴走の危険性は完全になくなった訳では無い。

 そのあまりにも大きすぎる力は健在であり、しかもまだまともに制御が出来ていないのも事実だ。

 

 以上を鑑みて、管理局は彼女に出力リミッターを掛けるに至った。

 委嘱魔導師として管理局に加わるにあたり、彼女を制御下に置く事は必須だったのである。

 管理局の一部からは、ユーリを含めマテリアル達は即刻破壊するべきだという声もあがっていた。

 だが、エグザミアと紫天の書を完全破壊しようにも、その特性からしてそもそもそれが出来得る物ではないのである。

 例えアルカンシェルによって蒸発させようとも、何十年という時を経ていずれ復元する。エグザミアとデータが消えない限り、何度でも復活する不滅の存在なのだ。

 

 となれば、管理局の監視下に置き抱きこむ形を取るしか残された道はなかった。

 上手くすれば最上級の戦力が手に入るばかりか、彼女が持つ未知の魔力素「特定魔導力」の全貌を解明出来る可能性すらあるからだ。

 管理局にとっても彼女達の持つ力は非常に魅力的であり、まさにハイリスクハイリターンといえた。

 故に、敵対関係では無く融和の手を差し伸べるに至ったのだ。

 もちろん、ディアーチェ達もその狙いは百も承知であったが、ユーリが今の生活を望んだ事もあり、甘んじて受け入れている。

 

 だが万が一暴走の危険性ありと判断された場合、一時的に幽閉処置が施される事となっていた。

 これもまたユーリ自身の提案であった為、ディーアチェも渋々了承をしてはいる。

 自身の力が原因となり、誰かを傷付けたのだとしたら。一番に嘆き悲しむのは、他ならぬユーリだと理解していたからだ。

 

 だからこそ、力の制御が出来る様になるまでユーリは戦闘行為に参加しないという事を取り決めていた。

 訓練室を使い、魔力制御を練習してはいるが、まだ実戦で活かせるレベルでは無く、何らかの拍子で暴走する可能性すらある。

 レヴィもそれはよく理解しており、だからこそ戦闘に参加させる事だけは許諾出来なかったのだ。

 自由を求め勝ち取った先で、また束縛の闇に沈む事は、家族たるマテリアル達は誰一人として望んでなどいない。

 

(ユーリに何かあれば王様が悲しむし、なにより僕もいやだ。ぜったい、やだ! ユーリと一緒に、もっともっと楽しい事をするんだもんね!)

 

 ゆっくりと、けれど確実に近づく黒き獣。

 レヴィ達も近づかれた分だけ距離を開けてはいるが、それでも公園には端というものはある。

 このまま壁際に追い込まれてしまう事は、スピードを戦いの根本とするレヴィにとっては大きな障害であり、生存率を大幅に低下させる行動であると言えた。

 

(王様は待ってろ、って言ったけど……)

 

 レヴィは譲歩できる限界まで後方へと下がるも、いまだにディアーチェ達は到着の兆しを見せない。

 

(これ以上は、さすがにマズイかも)

 

 ならば。

 

「ーー僕が一人でやっつける!!」

 

 レヴィは意を決し、地を抉りながら疾走する。

 初速の一歩目を足跡として陥没させ、音を置き去りにした。

 ただ、黒い獣へと真正面から突き進む。

 ディアーチェの命令に反する事にはなるが、愚直に約束を守り死んでしまっては何の意味もない。

 むしろ、そうなってしまった方がディーアチェは悲しむだろうとレヴィは考えていた。

 

 そして何より、レヴィは明確な恐怖を抱いていた。

 目の前に佇む不気味な敵。腹に重くのしかかる程の嫌なプレッシャー。

 歯ごたえのある戦いに震え喜ぶ気持ちもあれど、同時にユーリだけは守らねばと思いが募る。

 

「ーー?!」

 並の者であれば反応すら出来ない速度で、レヴィは十五メートルを一歩で詰めた。

 だが、黒い獣はレヴィに正確に狙いを定め、右のカギ爪を振りかざす。

 つまりは、神速とでもいうべきレヴィの速度に対応をしてみせたという事だ。

 

(……でも!!)

 

 レヴィはそれを予期していたのか地面を強く右に蹴り、進行方向を大きく曲げる。

 もし仮にスピードに対応出来ないのであれば、そのまま切り伏せ倒してしまえばいい。

 万が一追い付かれたのであれば、その攻撃を避け、生まれた隙を叩く事が出来る。

 どちらの選択を行ったとしても、レヴィにとっては好ましい結果に直結するだろう。

 それに、獣の一挙手一投足はレヴィの挙動に比べてあまりに鈍い。

 獣が一つの動きを見せる間に、レヴィは三つの行動を割り込めるだろう。

 となれば必定、レヴィの多段攻撃に対応のしようも無いというものだ。

 

「ここだぁ!!」

 

 レヴィは黒い獣の真後ろに回り込み、その大鎌を振りかざす。

 相対する獣は今まさに地面を殴りつけた瞬間であり、そこから次の動作へ移行するにしても幾分かの時間を要するのは明白だ。

 速さを生かした完璧な攻撃。

 あとは、そのまま叩き斬って終着となるーーはずだった。 

 

「ーーえ?」

 

 だが、レヴィは視界の中にそれを見た。

 黒い獣の中から、もう一体の獣が踊り出てくるのを。

 まるで水面を掻き分ける様に、闇色の毛皮の一部が霧散し獣の形となったのだ。

 体躯はレヴィと同程度。だが、その右肢は母体の獣と同じく、巨大で鋭利に発達している。

 命を刈り取るには、十分過ぎる凶器だ。

 そして、レヴィが後ろに回る事を予期していたかの様に、ドンピシャのタイミングでその爪を振るった。

 

(あー……やっちゃった……)

 誘導されたのだ、とレヴィは気付く。だがすでにバルニフィカスを振りかざす動作に入っている。最早、軌道の修正を行える状態ではない。

 いかな速さに重きを置く魔導師であったとしても、動作の最中に別の可動を加える事など出来はしない。

 まさに、そのタイミングを狙われたのだ。

 獣は、汚らしく笑みと思しき表情で顔を歪ませた。

(くっそぅ……)

 伏兵の存在を考えず、これ見よがしに見せた隙に飛びついてしまった結果だ。

 ユーリを守らねばという焦りが、本来のレヴィの動きを阻害してしまっていたのだ。

 普段通りのレヴィであれば、不覚を取る事はまずなかったはずである。

 

(僕がケガをしたら王様、泣いちゃうかなぁ。あぁ、それは、いやだな……)

 

 獣の爪牙が、レヴィに向けて振るわれーー 

 

 

(王様、ごめん)

 

 

 ーー赤い、血しぶきが空を舞った。

 

 

 

 




最近何かと忙しく、なかなか書けない日々が続きました。申し訳ないです。
人生初の投稿ですので、平均のアップスピードはよく分かりませんが、少なくとも遅い部類に入ると思います……。
可能な限り早く上げられる様にしていきたいです、頑張ります。

めげそうな時に頂いたコメントを読み返していると、うおーやったるぞーわっしょーいって感じになるので本当ありがとうございます。


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第11話 黒と獣とシュテルの添い寝

シュテルに甘やかされたいだけの人生だった。
シュテルの母性はきっと高い。ワッショイ。


 レヴィは、その光景をただ見ていた。

 もうダメだと観念したその時、凶器と自分の間に滑り込んだ人物を。

 

 傷だらけの体に、優しい微笑み。

 大好きな少女と手枷で繋がれた、我が家の奇妙な居候。

 ルイス=シュヴァングその人の姿を。

 

 シュテルを覆いかぶす様に抱きかかえ、ルイスは背中でその爪を受け止めた。

 凶刃に狙われたレヴィを庇ったのだ。

 

「ルイス……!!」

 

 聞こえるはシュテルの叫び。

 悲嘆の色を濃くした、普段ならば聞けない焦った声色。

 

 ルイスのその薄いバリアジャケットは、まるで紙切れの様に軽々と裂かれていた。

 飛び散る真っ赤な血液は、傷の深さを物語る。

 抉れる様に出来た爪痕から、脈々と血が噴き出した。

 

「あ……」

 

 思考のブレーカーが落ちた状態で、ただ呆けてレヴィは口をポカンと開けた。

 自分を庇う為にルイスが楯となったのだと理解はすれど、思惟が追い付かない。

 ルイスに深々と刻まれた爪痕は、致命傷だと一目で分かる程のものだ。

 痛みを伴う赤色が鮮烈に網膜に焼き付き、レヴィは棒立ちとなる。

 それでも、染みついた経験からレヴィの体は無意識に戦闘に加わろうと動く。

 

「……!?」

 

 だが、その瞬間レヴィは思いきり突き飛ばされていた。

 ルイスが安全圏まで移動させる為、強引に掌底を放ったのだ。 

 吹き飛ばされた先でレヴィは尻もちをつき、徐々に覚醒する思考が、切歯扼腕で染まる。

 

「レヴィ! け、怪我は! 怪我はしていないですか!!」

 ユーリはレヴィに駆け寄り、涙目で抱きしめた。

 九死に一生を得たレヴィの無事を喜び、けれどすぐにルイスの事を思い出し青ざめる。

 百面相のユーリに抱かれながらも、レヴィは茫然とルイスから視線を外せないでいた。

 足に力も入らず、立ち上がる事すらままならない。

 

「なんで……僕……」

 

 闘いこそが至上である彼女にとって、生と死の境は曖昧なものであった。

 希死念慮では決してないが、闘いの中で死ぬ事は摂理なのだと直感的に理解していたのだ。

 だからこそ、レヴィは恐怖こそすれど、それを糧として命の輝きを増す気質を秘めていた。

 死をも恐れぬその精神こそがレヴィの強さの根底であり、「力のマテリアル」として意図的に与えられた構造でもある。

 

 闘いに塗れた日常であれば都合のいい物であるが、今この平穏な日々を送るうえで、この思想はあまりにも危険なものであった。

 命を賭す必要はもうなく、如何に生還するかに比重が置かれる毎日。

 帰るべき温かな場所を勝ち得たからこそ起きる、必然の変化。

 海鳴市での生活は、確かに彼女に良い影響を与えていた。

 

 大よそ初めて得られた平穏な時間は、彼女の心と考えを解きほぐすには十分なものであった。

 であるからこそ、今この瞬間レヴィの足はすくんでしまう。

 そばで泣くユーリの温度から離れ、「アレ」に立ち向かう事が、どうしても出来ない。

 

「…………」

 

 そして何より、レヴィがへたり込み続けているのには、もう一つの大きな理由があった。

 

 それは、ルイスに見惚れていたからに他ならない。

 庇われた事への純粋な感謝はもちろんある。

 元来、最強の一角である彼女は護りこそすれど、逆の立場になる事は稀有だ。

 むず痒く慣れない感情が芽生えたのは仕方がない事とも言える。

 

 だがそれ以上に、苛烈な闘志を剥き出しにするルイスに心酔していた。

  

 言うなればその姿は、かつての自分そのもの。

 まるで、古ぼけた映像を見ている様な。

 命を軽く扱い、闘いの中でこそ幸せを得ていたあの頃の自分がそこにはいた。 

 生と死が混在するルイスの体躯に、レヴィだからこそひと際目を奪われたのだ。

 どこか羨ましくもあり、けれど、この在り方は間違っていると、レヴィは笑う青年にただ見入ってしまう。

 失ってしまった危うき輝きは、甘美でいて、心がざわついた。

 

「ーーオラァ!」

 レヴィの視線の先。

 ルイスはレヴィを突き飛ばす為に伸ばした軸足にそのまま力を乗せ、その場でグルリと半回転を行った。

 それはそのまま右脚を鞭の様にしならせ、小型の獣の下顎を狙う動きとなる。

 もとより、ルイスの登場は獣にとっても虚をつかれた形だ。

 間髪入れずの敏捷な蹴りは、簡単に小型の獣の顎門へと命中した。

 バキ、と骨のひしゃげた鈍い音と共に、獣は空へクルクルと無様に舞う。

 

「ーーまずは一匹」

 大型の獣が大跳躍で距離を開けたと同時、空中にいる獣が霧散し跡形もなく消え去った。

 亡骸すら残らない辺りは、おおよそ生物と呼ぶには似つかわしくないものがある。

 サラサラと、黒い雪が降っては解けた。

 

「ルイス、貴方は……」

 今までにない体術の「キレ」に、シュテルは目を見張る。

 模擬戦で見せてきた時とは最早別人だ。  

 重傷を負いながらもより一層の力強さをみせるルイスに、シュテルは戸惑いしか浮かばない。

 

「ーール、ルイス! 傷が!!」

 だが、シュテルの思考はルイスの身体の異常によって中断された。

「これは……石化魔法……?!」

 シュテルが目にした光景が、叫びとなって現れる。

 ルイスの背中。黒の獣に裂傷を与えられた箇所が急速に石となっていくのだ。

 それは石英の様に美しく、けれど決して生き物が持つはずの無い物。

 傷口からまるで毒の様に広がるソレは、あっという間に背中を覆いつくした。

 

「ーー禊魔法、祓」

 

 しかしルイスは一切慌てる様子も無く、冷静に魔法を放つ。

 瞬間、石は消え去り、肌色が戻る。それと同時、塞がれていた傷が外気に触れ、赤い血が再び滴り落ちた。

 シュテルの声に反応したという素振りは無い。自身の背中に一瞥をくべる事すらしていないあたり、この事態を初めから知っていたかの様であった。

 

「よぉ、久しぶりだなクソ犬」

 

 ルイスは、怪我もシュテル達の事も抜け落ちているのか、ただ獣を改めて見据える。

 呑気な挨拶。だがその声色はどこまでも硬く、どこか夢心地の色を持っていた。

 

「ーーーー」

 

 そこには、目を細め口を釣り上げたルイスがいた。

 その感情をシュテルは読み取れない。

 形の上では笑みを浮かべているが、心の奥底に何か別の思いが首をもたげている事をシュテルはハッキリと認識する。 

 

「ルイス、ここは私が!!」 

 シュテルはルイスの状態を鑑み、前へと出る。

 ルイスにこれ以上戦わせてはいけないと、嫌な汗がじっとりと頬を伝った。

 何より、重傷と称すべきルイスの傷を思うと当然の行動と言える。

 だが、それよりもシュテルの心中には言い知れぬ不安が首をもたげていた。

 このままでは、彼が戻れぬ場所に踏み出してしまう。そんな、言葉に表せ無い不安がじっとりと浮かんだのだ。

 

(……何故、今私は思い出しているのでしょうか。いつか夢にみた、あの田舎町の光景を)

 シュテルは、ルイスの背中に赤黒く彩る爪痕が、どうにも見覚えのある物に思えてならなかった。

 あの燃える見知らぬ町に付けられた、獣たちの痕跡。

 それと、どうにも奇妙にも符号しているではないか。

 思い過ごしかもしれない、獣の爪痕がたまたま似通った物であっただけなのかもしれない。

 だが、あの石像の様に硬く冷たい石になるルイスを思わず空想し、シュテルの肌は粟立った。

 

「……」

 

 だが、ルイスはそんなシュテルの肩を強引に掴み、無言で脇に退ける。

 いつもでは考えられない乱雑さで、煩わしそうにシュテルを押しのけたのだ。

 

「……?!」

 

 あっけにとられるシュテルを無視し、ルイスは低い唸り声を上げる獣と視線を交差させる。

 互いに殺気をぶつけ合い、緩やかに歩みを進めーー 

 

 ーー獣が弾け出す様に走り出した。

 

 大きな爪で土を掴み、その巨体に似つかわしくない速度でルイス達に迫る。

 まさに肉を以て弾と為す、黒い暴力の塊そのものだ。

 

「ーーそら!!」

 

 だが、ルイスは獣めがけてデバイスを全力で投擲した。

 魔力を込められたナイフ型デバイスは、風を切り獣へと突き進む。

 唯一の武装を放棄するに等しい行為であり、通常であれば間違いなく行われないだろう攻撃。

 デバイスは魔法の演算補助を行う、いわばコンピュータが内臓された武器である。

 失えば魔法の処理に多大なロスを生じる事になる為、魔導師にとってデバイスはまさに生命線なのである。

 だからこそこの行動は完全に虚をつき、獣は避ける挙動すら取る事すら叶わない。

 数瞬後、獣の左目へとデバイスは見事に突き刺さった。 

 

「ガアァアァ!?」

 

 思わず獣は怯み、痛みを開いた口から音として表現する。

 崩れた体制は転倒を誘発し、その速度だけ硬い地面に体を打ち付けた。

 

 ルイスはズンズンと足音も大きく歩み寄り、右の拳を握りこむ。

 あまりにも強く力を込めている為か、爪が肉を裂き、文字通り血が滲んでいた。

 

「……!!」

 

 ルイスは息を吐きながら、無言でその黒塗りの口内へ唸る様な正拳突きをぶち込んだ。

 犬歯を叩き折り、自らの左腕を強引にねじ込む。

 獣の咬合力を前には、意かな鍛えられた腕であったとしても小枝を折るが如き簡単な所作で済むだろう。

 ルイスがあえて危険な行為に身を投じるだけの理由は、当然あった。

 

「ーー喰らいやがれ」

 

 ルイスの言葉が切れると同時。

 ドガン、と低く響く爆発音と強烈な閃光が発生した。

 それは獣の口の中からであり、次の瞬間には濛々と黒煙が吐き出される。

 声にならない悲鳴を上げ、獣は頭から派手に崩れ落ちた。

 

 

「ルイス、手が……!」

 閃光で眩んだ視界が戻ったシュテルが目にした光景は、青ざめるに足るものであった。

 無理もない。

 シュテルの目線の先、ルイスの左手は大よそ正常な形を保っていなかったのだから。

 指はひしゃげ、爪も殆どが剥がれ落ちている。

 赤黒く染められたその手は、痛々しく破壊されていた。

 

「貴方、まさか自分で……?!」

 

 シュテルは先ほどの爆発音とこの惨状から、ある結論を導き出していた。

 ルイスは魔力を右手に収束し、故意に暴走させたのだ。

 行き場を無くした魔力は甚大な暴発を招き、結果としてそれは簡易な爆弾となる。

 それを体内で炸裂されたとあれば、いかな強固な鎧があろうと関係がない。

 

 だが、その代償はあまりに大きい。

 当然、爆心地にあるのは他ならぬ自らの手なのである。

 それが、どのような結末を意味するかは、誰の目からしても明らかであった。

 しかしルイスは気にした素振りすら見せない。

 並みの者であれば痛みで気を失っていてもおかしくない程の傷を負っても尚、その意志は揺らがない。

 

「ーーディアーチェ!! いまだ!!」 

 

「ーー我に命令するでないわ馬の骨ぇ!!」

 

 と、獣が地に伏したと同時、ディアーチェが遅れて現れた。

 状況の把握もままならないが、それでもルイスの言葉と周囲の光景を一瞬で呑み込みんだ。

 ディアーチェは瞬時に魔法陣を展開、コンマ一秒の遅れもなく魔法を射出する。

 

「喰らうがいい我が魔力!! インフェルノォ!!」

 

 ディアーチェは数多ある魔法の中から、あえてインフェルノを選択した。

 広域魔法ではルイス達を巻き込んでしまう可能性があるも、生半可な威力では通用しない相手だと看破したのだ。

 インフェルノは、四つの中型魔力弾からなる射撃魔法である。

 射程自体は短いが高い火力を持ち、爆風も比較的拡散するものではない。

 速度は決して速いわけではないが、内側からの爆発で伏した獲物を狩るには十分過ぎるものであった。

 

 今この時に置いては最善の選択肢であり、瞬時にそれを導きだせたのは、まさに経験の成せる技である。

 

「ーーーーッ!!」

 一つでも魔導師を捻り潰すには十全な威力を誇る魔弾である。

 それが同時に四つも直撃したとなれば、誰であろうと無事では済まないだろう。

 おまけに、ディアーチェの激情がそのまま上乗せされた為か普段よりも数倍増しの威力となっていた。

 事の顛末は分からずとも、少なくともユーリが涙している。

 それだけで、ディアーチェにとっては最優先の殲滅対象と成り得るのだ。

 暴力が凝縮された暗黒の球体が黒の獣の全身を押しつぶし、あらぬ方向に四肢が分断されていく。 

 

 ーーゲヒ、と空気の抜けた悲鳴を小さく上げ、獣はついにサラサラと霧散した。

 もともとルイスの自爆で弱り切っていた所に、ダメ押しのディアーチェの大出力の砲撃だ。

 欠片も残さず塵となったのは必定と言えた。

 

 

「ディアーチェ、ルイスが……! ルイスが……!」

「…‥ッチ」

 目尻に涙を浮かべながらシュテルは、地上に降り立ったディアーチェに縋った。

 初めてみるシュテルの狼狽と、ルイスの傷の具合にディアーチェはしかめっ面になった。

 

「ありがとうディアーチェ、おかげさまで皆は無事だよ。いやぁ良かった良かった」

 

 だが、当の本人は獣の完全な消滅を確認してか、いつもの様にニコニコと笑顔だ。

 ポカンと口を開けるディアーチェ。

 そのあまりにも予想外な発言を、上手く咀嚼出来ずにいたのだ。

 満身創痍の人間が朗らかな笑みを浮かべる光景は、筆舌に尽くしがたいものであった。

 やっと言葉の意味を理解したディアーチェはわなわなと震え、エルシニアクロイツで地面をガンと激しく突く。 

 

「ーー馬鹿が! 貴様が無事ではなかろう!!」

 ディアーチェの激昂。

 今までとは比べ物にならない憤怒の色で瞳が燃えている。

 確かに、ルイスの事をまだディアーチェは受け入れていなかった。

 だがそれでも、この惨状はレヴィやシュテル、ユーリを庇っての結果だと理解出来る。流石に無下にする事は、ディアーチェの性格を鑑みるに不可能だろう。

 もしもルイスが人並みに傷の痛みを訴えでもしていたのなら、すぐにでも労いの言葉をかけていたはずだ。

 だがルイスは誰よりも傷ついて尚、いつもの何ら変わらない笑顔を浮かべるだけであった。

 

 それは、自身の命が勘定に乗っていない、というわけでは無い。

 ただただ、傷つく事に慣れ過ぎているのだ。

 彼にとってこれは、最早息を吸う事と同義であるかの様な。

 悲惨ともいえるこの状況が、彼にとっての当たり前なのだ。

 

 ルイスに対し強烈な嫌悪感を抱くと同時、ディアーチェは歪んだ心に歯がゆさも僅かに感じていた。

 その姿は紛れもなく、ほんの少し前の自分達と同じではないのかと、そう思えたのだ。 

 

「あー……僕は慣れっこだから大丈夫だよ、そんなに怒る事でもないでしょうに」

「ヘラヘラと……! そのにやけ顔が一番気に食わん!!」

「あはは、元からこういう顔なんだ。勘弁してよ」

 

 ルイスは、おずおずと事の成り行きを見るしか出来ないでいたレヴィを見つけ、優しく微笑みかけた。

「あ、そうだ。レヴィごめんね、急に突き飛ばしたりして。痛かったでしょ?」

 それは、ディアーチェの追及をかわす意味合いがあっての行動だろう。

 レヴィもそれは理解していたが、命の恩人であるルイスの発言を無下にする事など、出来るはずもなかった。

「ううん! そんな事ないよ! それより、その……ごめん、なさい……そんな怪我までさせちゃったし……」

「レヴィが謝る事なんて何もないよ。あ、ホントに責任とか感じないでね」

「う、ん……」

 レヴィも戸惑いと困惑を胸に、どう気持ちの整理をつけていいのか分からず、口籠ってしまう。 

 その横で、シュテルがギリっと奥歯を噛みしめた。 

 

「ーーいい加減にしてください!!」

 

 大音声。

 とてつもない怒りが込められた咆哮に、ルイス以外の全員がビクリと肩を震わせた。

 その声の主が、いつも冷静で物静かなシュテルであったからである。

 

「貴方は……! 貴方は一体何を考えているというのですか?!」

 

 笑顔でいて、けれど別の感情を抱く青年はただ無言で、ジッと燃ゆるシュテルの両目を覗き込む。

 感情任せに叫び息を荒げる、華奢でいて屈強たる少女はそれを睨み返した。

  

「シュテル、僕はね……」

 静かに話し出すルイスであったが、続きの言葉は出なかった。

 糸の切れた人形の様に、ガクリとその場にへたり込んでしまう。

 

「……あれ」 

 ルイスの足元には赤い水たまりが出来ており、倒れた拍子でペシャと嫌な水音が鳴った。

「あー……流石にちょっと血を流し過ぎたかなぁ……」

 

 完全に支える力を失い、ルイスは前へと倒れていく。

 右手は破損し、左手は手枷で繋がれている故に、ルイスは頭から地面に打ち付けた。

 赤く湿り気のある地面に自身の温度を奪われながら、ルイスの瞳は徐々に閉じられていく。

 

「ーー! ーー!!」

 

 すぐ側でシュテルが叫ぶ声を聞きながら、ルイスの意識は段々と失われていく。

 

(何で君がそんなに悲しそうな顔をするのかねぇ……)

 

 暗闇の中に沈む直前ルイスは、ぼんやりとそう考えていた。

  

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 白を基調とした壁と寝具が規則的に並ぶ部屋がある。

 アースラの病室だ。 

 使用中のベッドは一台だけであり、そこには包帯が巻かれたルイスの姿があった。

 室内灯は消えており、薄暗い空間がそこにはある。 

 今まさにルイスの瞼は薄く開けられ、所在なさげに視線を彷徨わせた。

 

「気が付きましたか」

 

 ベッドの横。

 小さな黒い椅子に座り、心の底からホッと息を吐いたのはシュテルだ。

 ルイスは周りをキョロキョロと見渡し、自分が置かれている状況を把握する。

 誰かが治癒魔法を施したのだろうとルイスは推察するも、軋む体は如何ともし難い。

 例え手術が成功したとは言え、すぐには歩く事が出来ないのと同じだ。

 傷は癒えているとは言え、それはあくまで表面的なものでしかない。

「…………」  

 ルイスは右の手に巻かれた治癒魔法が掛けられた包帯を眺める。

 背中の傷は治っていたが、いまだに右手だけは物々しく治療が施され続けているようであった。

 幸いにも欠損は無く、微かに動く五指が神経の繋がりを証明している。

 満足に動かない己の手を眺め、ルイスは柔らかな枕へと溜息交じりに頭を置いた。

 

「……傷、痛みますか?」

「あぁ、大丈夫だよ。ごめんね、心配かけて」

「そうですか」

 つっけんどな返答をするシュテルに、ルイスは眉を下げる。

 いつもと変わらぬ無表情なようでいて、どこか硬く冷たい物がシュテルにはあった。

「ーーね、シュテル。もしかして、怒ってる?」

「いいえ。ちっとも」

 言葉では否定すれど、シュテルは不機嫌そのものだ。

 拒絶の意志からか、ルイスからあえて目線を外しているようであった。 

 ルイスは罰の悪さから開口が出来ず、ただ曖昧に笑うのみである。

 シュテルも自ら口を開ける事は無く、暫く気まずい無言の空間がそこには広がっていた。

 

 

「……何故、あんな無茶を?」

 

 シュテルは低く小さく、震える声でそう問うた。

 いまだに目線は合わせず、両の手はギュッと強く握りしめられている。

 悔しさと哀しみ、何より憤りの感情が混ぜこぜになり、出口を失った想いを必死に押し殺しているようであった。

 

「…………」

 ルイスは口を開くも言葉は出さずにすぐに閉じ、瞼をおろした。

 シュテルがみせる態度に思う所があったのか、逡巡の後に改めて口を開く。 

 

「……皆が、いたからね。家族思いの君たちなら、きっとそれぞれが無茶をするんじゃないかとおもってさ」

 

 そっぽを向くシュテルへと、初めて視線を向けながら。 

 

「だから、強引にでもアイツをすぐ片づけないとダメだと思ったんだ。誰かが死ぬのは見たくはないからね」

「……貴方と、いう人は」

 

 シュテルは深く、深くため息を吐く。

 それには、やり場のない怒りと快味の色が見て取れた。

 吐き出したい感情が幾つも浮かぶも、多すぎて逆に言葉とならない様に。

 だが、どこか毒気を抜かれたのか、シュテルは向き直り二人の視線が交差した。

 

「いいですか、もう二度とあんな無茶はしないと約束して下さい。貴方は自分自身を、何より大切にするべきです」

「……あはは、そんなに大仰にならなくてもいいんじゃない?」

「お願いです。約束、してください」

 

 おどけて話しを流そうとするルイスであったが、シュテルは決してそれを許そうとはしない。

 ルイスも観念したのか、ハハハ、と乾いた笑みを浮かべた。

 

「……分かった、分かったよ。君の前でもう無茶はしない。約束する」

「はい。ちゃんと約束、しましたからね」

 シュテルはふっと頬を緩め、満足そうに頷いた。

「ん、ってもう夜の七時なのか。しまったな、あの獣の報告をクロノにしなくちゃいけないのに。今、彼は時間あるのかなぁ」 

「ダメです、何を言っているんですか。今は大人しく寝ていて下さい」

 ルイスは病室の壁にかけられた時計が目に入ったのか、驚きを声にした。

 立ち上がろうとするルイスを、しかしシュテルは制する。

 

「いやでも、流石にそういう訳には……」

「クロノには私からすでにある程度の報告はしています。それに、頃合いを見て面会に来て頂く手はずをとっていますのでご安心ください」

「……いやはや、相変わらずそつがないね。ありがとう」

「いえ、当然の事ですから」

 

 ルイスは観念したのか、起こした体をもう一度寝具に沈めた。

 

「お言葉に甘えたい……んだけども、そうなるとシュテルはどこで寝る事になるんだろうか……」

 ここは病室であり、当然ベッドの合間にはカーテンで仕切られている。

 選択肢としては、床で寝るかベッドを無理やり引き寄せて隣り合わせるかーー

「何だったら、一緒に寝る?」

 ルイスは悪戯っぽく笑い、シュテルを手招きした。

 

「そうですね、お邪魔致します」

 

 シュテルは靴を脱ぎ、綺麗に並べた後に布団の中へモゾモゾと入り込んだ。

 その動作に淀みはなく、ぴたりとルイスに密着する。

「……あの、シュテルさん?」

「はい、なんでしょうか」

「いや、さっきのは冗談というか何というか。これって所謂添い寝というやつではないですかね」

「ええ、その認識であっていますよ。貴方から誘ってきたと言うのに、何か問題ありましたか?」

 シュテルは吐息がかかる程の距離で、潤んだ瞳を更に近づけた。

 全身から伝わる柔らかい感触に、ルイスは挙動不審となる。

 

「んや、これってきっと明日の朝に僕はディアーチェにぶっ殺されるんじゃないかなって思ってさ。僕が床で寝るから勘弁してください」

「いいえ、ダメです」

 ベッドを抜け出そうとするルイスを逃がさない様にと、シュテルは薄い胸元にルイスの顔をゆっくり引き寄せ、ぎゅっとうずめた。

 成長途中とはいえ少女特有の柔らかさがちゃんとあり、ふわりと花の様な香りが漂う。

 また、細く折れそうな体躯はガラス細工に似ており、抱きしめる事を躊躇ってしまう可憐さがあった。

 

「こうすると落ち着くらしいのですが……どうでしょうか」

「いやぁ、どう答えるべきなのかなぁこれ……」

 シュテルはくすりと薄く笑みを浮かべ、ルイスの頭をやんわりと撫でた。

 まるで母親が赤ん坊を宥める様に。

 ゆっくり、優しく、髪の毛に手を差し入れ、よしよしと愛撫した。

「大丈夫、今日はゆっくり休んでください。貴方が寝るまで、こうしていますから」

「……何か、今日はやたら積極的じゃない?」

「はて、そうでしょうか。私はただ、自分のしたい様にしているだけですよ」

 ルイスは初め居心地の悪そうにしていたが、今はされるがままになっていた。

 今のシュテルには何を言っても梃子でも動かないと把握したのか、諦めた様子である。

(あぁ…‥でも……)

 ルイスの眼が静かに閉じられていくのを見て、シュテルはどこまでも優艶な微笑みを浮かべた。 

 

「ルイス、お休みなさい。私の家族を守って下さり、ありがとうございました」 

 

 優しく、柔らかく、シュテルはルイスを抱きしめ続けた。




レヴィルートという囁きを友人からされつつ。当初は確かにあったifルート……。
仕事の都合上、次の更新は少し遅れるかもしれません。
戻ってきたらば、またよろしくお願い致します。
劇場版のディスクにヴァイス参戦と、最近シュテル祭り真っただ中なので人生楽しいです。


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第12話 病院とベッドと見舞いの言葉(前編)

大変遅くなりました、申し訳ないです。
活動報告にも載せましたが、今少しバタバタとしております。
なかなか事態が終息はしておりませんが、のんびりと書いていければと思っております。
今回は箸休め的なそんな感じお話です。

ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。


【side クロノ】

 

 次元航空艦アースラ。

 今現在は次元の海に停泊し、海鳴市で発生している古代遺産の収集任務に就いている。

 呪詛を持つ古代遺産が大量にバラ撒かれるという非常事態ではあるが、艦内は活気と賑わいに満ちており、士気も高い。

 それは、過去に何度もこの世界で任務をこなし、アースラスタッフにとっても馴染みの土地となっていた事が大きい。

 また、なのはを含めこの世界出身の者が頻繁に出入りをしているのだ。

 そうなると俄然親近感は湧き、普段の任務以上に熱が籠るのも理解は出来た。

 そして何より、「彼女達に良い所を見せねば」と意気込んでいる男性スタッフも少なくはない。

 

 そんなアースラの内壁には、超薄型の映像投影フィルターがあちこちに設置されている。

 休憩所や通路、場合によっては個室にもそれはあり、通称『窓』と呼ばれているものだ。

 もちろん便宜上そう呼んでいるだけであり、防衛の観点からも実際にガラスがはめ込まれているわけではない。

 あくまで本物の窓があるかの様に設計されたモニターなのである。

  

 アースラはその特性からも次元の海を渡る回数は非常に多い。

 また、長期任務の際には次元の海で停泊する事もあるのだが、そこで一つ大きな問題が浮上する。

 それは、次元の海には朝や夜といった概念が存在せず、常にオーロラの様な光が鈍く照らし続ける、という点だ。

 この環境下で生活をしていると、生物時計と環境時計のズレが起こり、深刻な身体症状となって表れてしまう。

 任務を遂行にあたり健康維持は必須項目であり、その対策として用いられているのが件の『窓』なのである。

 まず、艦内照明を用いて人工的に昼夜を再現し一日のサイクルを作り出す。

 そして、『窓』を介してそれとリンクした仮想映像を流すのだ。

 これにより、時間があやふやな次元の海で確たる軸が生まれ、アースラスタッフの健康維持は飛躍的に向上してのである。

 

 また、アースラではスタッフのガス抜きという観点からも定期的に、『窓』の映像をどの様な物にするか投票するイベントを開催していた。

 一部から「チキチキお次の景色はなんでSHOW」と評されるそれは、スタッフの要望に限りなく添った映像を流すものである。

 もちろん、公序良俗に反しない限りは、という但し書きはあるが、そのギリギリを攻めるチキンレースに挑む者も少なくなかった。

 

 そんな数多の思惑が注がれる『窓』は今現在、海鳴市の街並みを映している。

 これはスタッフの希望映像ではなく、実地任務が入った際には現地の映像を流す規定がある為だ。

 理由としては、緊急時に海鳴市に出動した際、スタッフのパフォーマンスを最大限保持するためである。 

 例えば、煌々と照らされた艦内から海鳴市に降り立ったとして、もしそれが深夜であったならば。

 その微妙な時間のズレが戦闘に影響する可能性は大いにあるのである。 

 実力が拮抗している者同士では、その小さな揺らぎが原因で決着に至る事もある為、出来得る限りの工夫を施す必要があるのだ。

 任務地と時間をリンクさせる事は、長期的な任務をこなす上において、特に今回の様な戦闘に重きを置いたケースでは必須の措置ともいえた。

 

 その為今は、艦内照明その全てが海鳴市と完璧に同調している。

 現在のアースラは、海鳴市に朝日が照らされる頃には明るみ、天気が崩れた際は雨音が聞こえる状態となっているのだ。

 

 そして、今。

 アースラの病室にある『窓』からは、柔らかな朝日が差し込み、三人の人影を包んでいた。

 

「ルイスさんすいません、安静にしていなければならないというのに」

「いやいや、大丈夫だよクロノ。むしろ時間を持て余していたくらいだからね。それで……ええと、例の黒い獣……名前を『黒獣(こくじゅう)』にしたんだっけ?」

 

 一人はクロノと呼ばれた、管理局の制服に身を包む小柄な少年。

 その話し相手は、傷だらけの体躯でベッドの上に胡坐をかく、ルイスである。

 ルイスの右手から伸びる金の手枷の先には、シュテルがいた。

 シュテルは二人の会話を邪魔しない様にと、ベッドの横にある丸椅子に座り、口を噤んでいる。

 

「はい、シュテルやルイスさんから受けた報告を鑑みるに、今後も同型の古代遺産が出現する可能性は高いと思います。名称がある方が伝達は円滑になりますからね、勝手ながら付けさせて頂きました」

  

 クロノはルイスから黒獣について文章での報告を受けてはいた。

 だが、そこに記された一文が大きな波紋を呼んでいたのだ。

 報告書には、「遺跡で出会った個体とは明らかに別の物である可能性が非常に高く、あの獣型古代遺産は分裂し増殖する能力がる」と記されていた。

 それは、レヴィをも出し抜きルイスと痛み分けをしてみせた怪物が、複数体海鳴市に存在している可能性を意味していた。 

 もちろんあくまでも可能性ではあるが、それでも最大限の警戒をするには十分過ぎる情報であはある。

 その為、ルイスの容体が落ち着く頃合いを見計らってクロノは直接聞き取りに訪れていたのだ。

 

「しかし……本当に申し訳ありません。結果的に貴方に怪我を負わせてしまいました、謝罪します」

「やー、これに関しては完全に僕のせいだからねー。気に病む必要はないよ。んじゃま、そろそろ始めよっか。この話し、かなり大事だと思うしね」

「ええ、分かりました。ありがとうございます」

 クロノはルイスとの会話を記録する為、空中にキーボードを展開する。

 今回の事件において、クロノは現場指揮を執る立場にある。その中に置いて、負傷者を出してしまった事は明確な失敗だと言えた。 

 更には、直近として一名の隊員も一時的には床に臥せていた事もあり、警戒を強化していた最中に今回の件は起きたのだ。

 クロノが歯がゆさと後悔の念に支配されるのは言うまでもなかった。

 だが、ルイスはどこ吹く風でケラケラと笑い飛ばしてみせたのだ。

 それはもちろん、クロノの心境を察した上での行為である事を、その場の全員が理解していた。

 クロノはフッと息を吐き、気持ちを切り替える。

 時空管理局執務官の顔となり、クロノは続けた。

 

「早速ですが、やはり黒獣の特性は分裂と呪詛、とみるべきでしょうか」

「んー、多分そうだろうねぇ。実際、レヴィとの戦闘中に分裂したみたいだし、僕が遺跡で遭遇したヤツも同じように増えてたよ」

 ルイスは思い出した様に、「あぁ」と言葉を漏らす。

「あとあれだ。もしかしたら各個体で特有のスキルを有しているのかもしれない」

「ほぉ……?」

「僕が遺跡で遭遇した黒獣、火属性の魔法を操っていてね。海鳴市で戦った奴はそんな気配はなかったし」

「ふむ……遺跡の黒獣が特別であったか、もしくは本当にそれぞれが何かしら固有能力を有しているのか……」

「まだ遭遇した黒獣の総数も少ないから、確証は持てないだろうけど……それぞれが独自のスキルを持っていると考えて動いた方がいいかもね」

 あくまで現状は情報の精査を行う段階であり、互いに断言を避けながらも話しを進める。

 

「そうなると、なかなかに厄介ですね。おまけに、呪詛魔法を備えている可能性が高い、と……」

「うん、十中八九そうだろうねぇ。僕の出会った個体も肥大化した爪があって、そこに呪詛が掛かっていたから」

「ああ、実はそこも確認しておきたかったんです。シュテルから聞く限りでは、普通の石化魔法と相違ないとも思えたのですが……厳密にはやはり違うんですか?」

「そうだねぇ、これはもう感覚の世界なんだけど、うーん。僕は呪詛や状態異常を付与する魔法を何度も経験しているんだけれど、黒獣のアレは完全に別物なんだよ」

 ルイスは名状しがたい感覚をどう伝えるべきかと、言葉に迷う。

 思案しながら左手を遊ばせ、その度に金の鎖が静かに揺れた。

 

「こう……なんだ、命が冷たく固まっていく感覚っていうか……石にするというより結果的に石になってしまうというか……うーん、説明は難しいんだけれど、兎に角普通の石化魔法ではないのは確かなんだ」

 ルイスは拳をギュッと握った。

「これだけは間違いない、断言する。だからヤツの攻撃を迂闊に受ける事だけは絶対にやめるべきだよ」

「ふむ……」

 容量の得ないルイスの説明であったが、それでもその言葉には妙な説得力と熱があった。

 事実、黒獣の攻撃を唯一経験しており、尚且つ呪詛の専門家がそういうのだ。これは留意すべき内容だ、とクロノは強く感じた。

 もし仮にルイスの予想が正しいのであれば、黒獣は相当に危険な相手という事になる。ただのかすり傷が致命傷に成り得るからだ。

 クロノは周りにバレない様、顔を顰めた。

 

「多分だけど、普通の解呪魔法では効力を発揮しないかも。そうなるとやっぱり、禊魔法を持つ僕が対処するべきだと思うんだ」

「それは……」

 理屈の上で言えば、ルイスの進言は正しいだろう。

 だが、今この状況においては、素直に首を縦に振る人間はおそらくいない。

 当然予想していた提案ではあったが、クロノもすぐに答える事が出来なかった。

「大丈夫、次からはもっと上手くするよ。戦う度にベッドとお友だちになっているようじゃあ、クロノも大変だろうしね」

「いえ……」

 だがクロノにとっては、正直な所この提案は受けるべきものであはった。

 そもそもが呪詛への対策としてルイスを招き入れてた経緯もあり、ここで断っては本末転倒もいい所だ。

 

「ま、確かに信頼してくれと言っても、言葉だけでは土台無理だとは思っているさ。だからね……」

 ルイスはウィンクをクロノへ投げる。

「退院次第、ディアーチェと模擬戦をしたいんだ。それを見て、最終的に判断をして欲しい。それと当然、ディアーチェには事前に打診をして承諾して貰っているから」

「……」

 落とし所としては妥当か、とクロノは内心頷いた。 

 この状況では了承を得られない事は、ルイスも理解をしている。

 だからこそ、これは一種の交渉なのだ。

 再び第一線へ立つ為には、戦線離脱という汚名を雪ぎ、信頼を勝ち得る必要があるのだ。

 

「分かりました、それでしたら問題ありません。模擬戦の手筈は僕が整えておきます」

「うん、ありがと! あ、今度は別に皆に観戦して貰っても大丈夫だからね」

「……。分かりました、そのあたりも考慮しておきます」

 指揮官が納得としたとしても、現場スタッフが懐疑的では齟齬も生まれるだろう。

 ボタンを掛け違わない為にも、一般スタッフに観戦させ力を示す必要もあった。

 ルイスの意図をクロノは理解し、許諾する。

 だがそれは同時に、万が一にも敗北したならば、余計に心証は悪くなる事も意味していた。

 勝つ自信があるのか、とクロノは訝しむも、この二人ならば無策にこの提案をしないだろうと内心で首を振る。

 

「しっかし、黒獣ってのは出鱈目もいい所だよね。あんな即死級の呪詛を維持しようと思ったなら、どれだけの魔力が必要になる事か……」

 ルイスはため息いっぱいに、やれやれと首を振って見せた。

 少しおどけた口調であり、眉間に皺の寄っていたクロノも小さく笑みを浮かべる。

 

「ええ、釈迦に説法かもしれないですが、人を死に至らしめる呪詛を常に維持するとなれば、それこそ収束魔法を撃ち続けるくらい膨大な魔力が必要でしょうね」

「うん、その通りだね。到底、普通の人間では出来得る芸当じゃあない」

「それを可能としているのは、やはり古代遺産というべきでしょうね。僕たちが及びもしない超効率的な魔力返還を有しているのか、はたまた独自の魔力素でもあるのか……」

 

 黒獣が次に現れたとして、やはりどうしてもルイスの力が必要になるだろう、とクロノは認識を新たにした。

 ある程度呪詛魔法についての対抗策を講じるつもりではあるが、今回の規格外の相手となればどこまで機能するか怪しい。

 本来、呪詛魔法はここまで戦闘に影響を与えるものではないのだ。

 せいぜいが嫌がらせを行うが関の山、といった魔法であるはずなのである。

 つまりそれは同時に、現時点でまともな対抗手段が少ないという事実も表していた。

 となれば必然、禊魔法を有するルイスが対応の筆頭候補に上がる。

 

 朝日の色が濃くなる『窓』へと目を向けながら、クロノは歯がゆさから両手に力を込めた。

 この一件は、呪詛魔法への考えを改める契機になるだろう、とクロノはこの事件の重要さを改めて感じずにはいられない。 

 

(自分の力の無さが悔やまれる。今の僕に出来る事を最大限、そして全力でやらなければ)

 クロノは内心で決意を固め、更に強く拳を握った。

 

「ありがとうございました、古代遺産は勿論、特に黒獣には最大限の警戒を行います」

「うん、ありがとうね。また現場で!」

 

 クロノは二人に会釈をし、病室を後にした。

 扉をしめた後、はたとクロノは立ち止まり、壁の向こうへといる青年へ見えぬ視線を送る。

 その瞳には、僅かな猜疑が燻っていた。

 

【side ディアーチェ】

 

「ふん、なんだ馬の骨。存外と元気そうではないか」

「あ、ディアーチェじゃないか! もしかしてわざわざお見舞いに来てくれたの?」

「はん、そんな訳がなかろうて。妙な事をくちばしった対価に眼玉を抉るぞ」

「わーい具体的で凄く怖いねその脅し文句」

 

 クロノが立ち去り暫くした後、ディアーチェが小包を片手に病室を訪れていた。

 ルイスは予想外の来訪者に驚きおどけて話すも、いつもの様に一蹴されてしまう。

 そんな中、シュテルは鼻をくんくんと鳴らし目を輝かせた。 

 

「王、この匂いはもしや……!」

「うむ、見舞いの品としてエビフライを持ってきてやったぞ。病院食にも飽きてきた頃合いかと思ってな、感謝するがいい。丁度、朝飯時だろうて」

「……!!」

 シュテルが珍しく鼻息も荒く、隣にいるルイスの袖をぐいぐいと引っ張る。

「ルイス、ルイス! 今日はとても良き日です、ディアーチェのエビフライはこの世のどんな物より美味なのですよ!」

「お、おう……。そんなに好きだったんだエビフライ」

「はい、それはもう。ルイスも絶対に気に入ると思いますよ、美味しいものは人を幸福にするものですから……!」

「……。うん、そうだねぇ」

 見た目の年齢相応にご機嫌な態度をとるシュテルに、ルイスは苦笑いを浮かべた。

 シュテルは普段より無表情で落ち着いている様に見えるが、その実コロコロと小さく表情を変えている。

 殆どの人にその変化を読み解く事は出来ず、最近になってようやっとルイスも分かり出していたのだ。

 だが、今のシュテルは誰がどう見ても「興奮している」と評すはしゃぎっぷりである。

 

「っていうか怪我してるの僕なんだけど、何故にシュテルの好物を……」

「はん、我が貴様の好物なぞ知るはずもなかろう」

「えぇえ、今は同じ家に住んでるんだからもっと興味持とうよー」

「微塵もそんな気は起きぬな、貴様はただの居候にすぎん。あぁでも、我でも知っておる事があるぞ。自身の身を憂う事のない阿呆だという事はな」

「……あはは、痛い所をつくなぁ」

「事実だろう。それ故に貴様は消毒液臭いこの部屋におるのだからな」

 ディアーチェはいつもと変わらぬ悪態を吐くも、苛々とした面持ちで頭を掻いた。

 

「……ッチ、今日はこんな事を言いに来た分けではないのだが。ええい、どうも貴様の顔を見るとムシャクシャする!」

 ディアーチェは顎を上げ、不遜に腕を組む。

 どこか意識的にポーズをつけているようであり、それは気持ちを誤魔化す為の行為であった。

「いいか馬の骨! 一度しか言わぬからしかと聞くのだぞ!!」

「え、あ、は、はい!!」

 何事かとルイスは慄き、思わず正座する。

 シュテルも普段らしからぬそわそわとしたディアーチェに、視線を注いだ。

 

「ーー我の家族を護ってくれた事、感謝する」

「…………」

 ディアーチェは、深く頭を下げた。

 予想外の行動にルイスは目を見開き、隣のシュテルは静かに微笑みを浮かべた。

 シュテルはディアーチェが義理堅く、礼節を重んじる人柄であると知っている。

 だから、ディアーチェがこの部屋に訪れた時から全てを察していたのだ。

 おそらくは、手土産も一種の言い訳なのだろう。

 この部屋にくる大義名分が欲しかったのだ。

 

「……あはは、ありがと。でも頭を上げて欲しいな、君がそんな事をする必要なんて、本当にないんだから。もとはと言えば僕が原因なわけだしさ」

 困った様にルイスは頬を掻き、事実上ディアーチェの意志をやんわりと拒絶した。

 ディアーチェは苦々しい顔で再び腕を組み、小さく舌打ちをする。

「……感謝は素直に受け取るが礼儀だと思うが」

「うん、確かにその通りなんだけど、それでも僕は受け取れないかなぁ。その資格もないしね」

「…………」

 爽やかに笑うルイスに、ディアーチェは無言で眉を上げる。

(……まぁ、この男ならばそう言うだろうと思ってはいたが。しかし、面と向かって言われると妙に腹が立つものよな。多少は受け入れる素振りでもみせれば可愛げのあるものを)

 この状況を微かに予期していたのか、妙な納得の色がディアーチェにはあった。

 気持ちを切り替える為か小さく息を吐き、ディアーチェはいつもの調子で声色を重くする。

 

「ふん、まぁよかろう。我は我の筋を通しただけだからな。それを無理強いでもしようものなら、それこそ不義理というものよ」

「うん。ディアーチェの気持ちを頂く事は出来ない。でも、それでも。ありがとう」

「全く調子の狂う。やはり我は貴様が気に食わん」

 

 ディアーチェは、拒絶される事を分かっていたがそれでも行動を起こした。

 それをするな否かでは雲泥の差があり、例え結果が分かっていたとしてもディアーチェは自分の義を通したのだ。

 だがルイスの言い分も理解出来るからこそ、拒否される方がまだ気持ちの良い反応であるとディアーチェは内心で感じていた。

 もちろんそれを口にする事はないが、何も思考せずただディアーチェの言葉を受け入れるだけよりは余程いい。

 「自分を持っている」人間を好むディアーチェにとって、実はルイスのリアクションは非常に好感の持てるものであった。

 

「……ところでシュテルよ、少し落ち着いたらどうだ」

 ディアーチェは「確認作業」を終え一息ついた所で、ガサガサと音を立てる人物を見る。

 そこには、シュテルがいそいそとエビフライが詰まった弁当箱を開封している姿があった。

「おぉ……ディアーチェ特性のタルタルソースまで……至福です……エビフライ祭りです……」

 まるで恋する少女の様に頬を赤く染め、目を輝かせていた。

 完全に一人の世界に浸っているようだ。

「ねぇディアーチェ、シュテルってエビフライを前にすると毎回こんな感じなの……?」

 くくく、と喉を鳴らしながらルイスは問う。 

 どうにも普段クールなシュテルが年端もいかぬ子供の様に浮かれた姿は、微笑ましくあったのだ。

 シュテルの初めてみせる顔に、ルイスは柔らかな笑みを浮かべた。

「まぁ、うむ。そうだな、大体いつも「こんな感じ」だ。レヴィがカレージャンキーなら、こやつはエビがそれにあたるであろうな。それにしても毎回本当に大袈裟なことよ」

 ディアーチェは間違いなく嬉しさで顔を綻ばすも、必死で我慢しているようだ。

 ルイスが近くにいるという事もあるが、ディアーチェもディアーチェで素直な感情表現は苦手なのであった。

 

「あぁ、そういえば馬の骨。一応確認だけはしておくのだがな」

 エビフライを頬張りふるふると打ち震えるシュテルを横目に、ディアーチェはルイスに向き直る。

「貴様よもや入院にかこつけて、シュテルに不貞をはたらいてはおるまいな?」

「ーー……うん!! 何もしてないよ?!」

 一瞬の間にディアーチェはピクリと反応する。

 ルイスはワザとらしい笑顔をただ顔に置くのみである。

 

「ルイス、ルイス」

 脂汗を背中にかくルイスに気付かず、シュテルはくいくいと袖を引く。 

「はい、ルイスもどうぞ」

「ん、ありがと」

 口を「あーん」と開けて、ルイスはエビフライを頬張った。

 どこまでも自然に行われるその光景に、ディアーチェは唖然と口を開ける。

 お互いに恥じらうでもなく、完全に「慣れきった行為」である事は明白であった。 

 

「ほぉほぉ。仲の良さそうな事で何よりだ。ところで、「ソレ」は毎度の行いなのかな? ん?」

 ルイスは「しまった」と発汗量を増しつつも、咀嚼途中であるエビフライが邪魔で反論を封じられる。

 一方のシュテルは、小首を傾げて何やら考え、「あぁ」と納得の声を上げた。

「はい、ルイスは利き腕に怪我を負っていますので、食事はいつも私が食べさせてあげているのです。傷はもう癒えてはいるのですが、どうにもクセが抜けていないようですね」

 額を押さえながら天井を仰ぎ、ディアーチェはその姿勢のまま続ける。

 

「……シュテルよ、不快に思っておったら正直に言うのだぞ。今すぐコイツの頭蓋を叩き割ってやる」

「いえ、むしろ楽しんでおりますので。犬を飼ったならばきっとこんな感じなのでしょうね」

「え、そういう感覚だったの?!」

 エビフライを飲み込んだルイスが、愕然としながら叫ぶ。

「ええ、食べている時のルイスは随分と可愛らしいと感じていますよ」

「え、あ、うん。そ、そっか……」

 どう反応するべきか困るルイスに、シュテルは「でも思いのほかルイスは小食ですよね」と呟きながら、

「まぁ確かに、私が食べさせられる側になった時は少々恥ずかしさもありましたが」

 ほんのりと頬を染め、俯いた。

 ディアーチェは、口角を吊り上げたまま親指で首を掻っ切るサインをルイスに送る。

「馬の骨、辞世の句くらいは許してやろうではないか」

 涼しげな口調とは裏腹に、ディアーチェは鬼と見紛う形相へと成り代わっている。

 ルイスは滝汗を流しながらシュテルの両肩をガシっと掴み、首を激しく横に振った。

 

「シュテルさんお願い誤解を解いて欲しいな! あれは君が何度も頼んでくるから仕方なくだね! だって上目遣いでせがむんだもん、流石の僕も断り切れなかっただけだよ?!」

「十四回目のアタックでようやく陥落してくれましたよね、えっへん」

「前から思ってたけど威張るポイントちょくちょくおかしいよね君!」

「はて、そんな事はないと思いますが。いえーい、ぴーすぴーす」

 シュテルはどこまでも無の表情でピースサインを作った。所作と裏腹に、その言葉からは感情を読み取る事は難しい。

「あ、でも……」

 何かを思い出したのか、シュテルはルイスへとジト目を送る。

 

「寝相が悪いのは何とかしてください。たまに抱きしめられて寝苦しいですから」

 

「ーーーーおいまて、貴様まさか」

「ちょちょちょちょ、誤解!! 誤解だから!! いやホント、一緒に寝てるのは確かだけどそういう意味じゃないからね?! 僕は一切そんなこと望んでなんかないから!!」

「む。誘ったのはルイスからだったと記憶していますが」

 頬を少し膨らませたシュテルが、感情の読み取れない瞳を揺らす。

 ディアーチェはシュテルの言葉を一字一句咀嚼し、かつてない笑顔を咲かせた。

 だが額には大きな青筋がクッキリと浮かんでいる。

 

「よぉし分かった! あい分かった!! そういえば今度模擬戦をするんだったな!! ぎったんぎったんにしてやろう!! 完膚なきまでに叩き潰す!! そして豚の肥料に変えてやろうではないか!!」

「ぬああああ誤解だぁ!! いや間違いではないんだけどさ!! シュテルも一回黙ろうか?! 火に油を注がないで欲しいな!!」

「あ、ふみまへん。エビフライがおいひふてですね」

 いつの間にか食事を再開していたシュテルが、もごもごと口を動かしていた。

 恍惚とした表情でゆっくりと味わい噛みしめるシュテルに、ルイスはベッドの上で突っ伏す形となる。

「くっそ! 呑気か!! 君そんなお茶目なキャラだっけ?!」

「よいか!! 首を洗って待っておれ!! シュテルの貞操は我が護る!!」

 

 ディアーチェは大いなる誤解をそのままに、足音も大きく病室を飛び出ていった。

「あぁぁ……模擬戦の難易度が増したよ……誤解なのに……」

 

 ルイスは頭を抱え蹲り、シュテルは四本目のエビフライに舌鼓を打っていた。

 

 

【side なのは&ユーノ】

 

「ルイスさん、大丈夫ですか?」

 なのはが心配そうにルイスの顔を覗いた。

 『窓』からは昼光が燦燦と注がれた頃、なのはとユーノが見舞いに訪れたのだ。

 

 面会が許可された昨日の夜から、入れ替わり立ち替わりで何人もの人がルイス達のもとを訪れていた。

 それは二十四時間体制で古代遺産の警戒にあたっているからであり、各自が交代する合間を縫って来訪しているのだ。

 まだ付き合いは薄いとはいえ、それを理由に病室に訪れない人物は彼らの中には誰一人としていないのである。 

 

「わざわざありがとね、もう大丈夫だよ」

「知らせを聞いた時はビックリしましたよ、でもお元気そうでよかったです。あ、お見舞いに果物を持ってきたんですが、ここに置いておきますね」

 なのはの横に立つユーノは、「お返しだ坊主」とメッセージカードが雑に張られた酒瓶の横に、果物が詰まったバスケットを置いた。

 その他にも「合法的見舞いの品」とメモ書きが添えられる合成なフラワーアレンジメントや、様々なお菓子といったお見舞いの品がある。

 どこか嬉しくなり、ユーノはフッと微笑みを浮かべた。

 

「やーありがとうね、後でいただくよー! いやはや、それにしても面目次第もございませんで」

 頭を掻くルイスの左手が揺れ、金の枷がユラユラ揺れる。

 僅かな金属音の出元をみて、ユーノは瞳を僅かに細めたた。

 

「……その手枷ですけど、解析は順調なんですか?」

 ユーノは心配そうに声色を低くした。

 ルイスは朗らかな笑みを称えてそれに返す。

「うーん、残念ながら。どうにもお手上げ見たいだねぇ。シャマル先生が色々と解析を試みてはくれているんだけれど……」

 まるで玩具を扱う様にルイスは鎖の部分を指で弾こうとするも、虚しく空をきった。

「やっぱり、物理的に触る事が出来ないっていうのが最大の難点だよねぇ……いやほんと、どうしたものか……」

「僕たちもあれから調べてみたんですが、すいません。類似する物を見つけだす事は出来ませんでした……」

「私も一緒にお手伝いしたんですけど……ごめんなさい、力になれなくて」

 

「ありゃ、二人とも調べてくれてたのか。ありがとう。んー、しっかし管理局のデーターベースをもってしても分からないとなるといよいよ困ったな」

「一応、スクライアの皆にも事情を話して何か情報は無いか調べて貰っています」

「おお! あのスクライア一族ならもしかしたら……!」

「生きた情報なら、おそらく皆が一番精通しているとは思いますので。今回の古代遺産はかなり特異な物ですし、なにかあればすぐ僕に連絡が来る様になっています。ただあまり期待はしないでくださいね」

「いあいあ、こうして動いてくれているだけでも僕は嬉しいよ」 

 ルイスはカラカラと笑い、ユーノとなのはに感謝を告げる。

 シュテルもそれにならい、どこか嬉しそうに頭を下げた。

「師匠とナノハも忙しいでしょうに、ありがとうございます」

「大変なのは二人だからね、これからも僕達に出来る事があれば何でも協力するよ!」

 ユーノはどこか自信なさげに、けれど瞳には強い光を宿し胸を張った。

「私も! ユーノ君みたいに調べ物は得意じゃないけど……がんばりますっ」

「ナノハ、師匠ありがとうございます。何か変化があればすぐにお伝えしますので」

「あ、そうだ。一応シャマル先生の検証データがあるんだけどね」

 ルイスはユーノとなのはに纏められた書類を手渡す。

「もしかしたら何かの手掛かりになるかもしれないしーー」 

 

 シャマルから口伝された情報をもとに、ルイスは二人に手枷の情報を話していく。

 その様子を横で見ていたシュテルは、突然いそいそとコップにお茶を満たし始めた。

 大体容器の半分くらいで手を止め、それをルイスへと差し出した。

 

「ーーはい、どうぞ」

「ん、ありがとー」

 何の脈絡もなく、シュテルはルイスにお茶が注がれたコップを渡した。

 ルイスはそれに驚くもなく、笑顔で受け取り美味しそうに飲み干していく。

 

「……えっと。なんか、とっても仲良しさんだね」

 なのはは驚きながらも、どこか嬉し気に微笑んだ。

 ルイスは喉が渇いた素振りを一切見せておらず、少なくとも対面していたなのはとユーノは全く気が付いていなかった。

 だがシュテルだけはルイスの気持ちを察して、お茶をだしたのだ。

 二人の関係は最早、以心伝心という表現がしっくりとくるものがあった。 

 

「そうかな、まぁ文字通りずっと一緒に生活してるしねぇ」 

「まぁ、そうですね。しかし、ルイスが何を考えているのか最近不思議と分かる時があるのです」

 シュテルは追加で二人の分もお茶を淹れながら何てことはない様にサラリと流す。

 

(仲の良い兄妹か、いやまるで夫婦みたいだ……って言ったら怒られるかな)

 ユーノは内心で苦笑しながら、チラリと横にいるなのはへ視線を投げるもすぐに外した。

 頬を少し掻き、誰にも気付かれない小さな溜息の後、ユーノは渡されたお茶を流し込んでいく。

 

 一方のなのはは、照れながらも「恋する女の子」を見守る目となっていた。

 瓜二つの顔を持つ者同士、どうしてもお互いに意識をする事は多い。

 その為、なのはは自然とシュテルと接する機会もあり、それなりに彼女を理解出来ていた。

 そんなシュテルが、自分には見せた事のない表情をルイスの横ではよくしている。

 親しい者でなければ感じ取れない些細な変化ではあるが、なのはソレを「恋」と受け取ったのだ。

 もちろん、だからと言って無遠慮なお節介をするわけでもなく、なのは内心「何かあれば一緒に悩んであげたい」という気持ちで一杯だった。

 

 最も、なのはの予想が当たっているかは、当の本人達を含め誰も正解を知る者はいない。

 

「あ、そうです。実は、つい先日新魔法を開発しまして。少々意見を頂きたい事があるのです」

「え、シュテルの新しい魔法?!」

 だが先ほどまでのしおらしさから一転、なのはは燦然と目を輝かせて身を乗り出した。

 シュテルもなのはの反応が嬉しかったのか、薄く口角を上げる。

「その名を『ヴァニシング・ルイス』と言うのですが」

「え、なにその物騒な名前」

 同じ顔の少女が姦しく話す光景を微笑ましく見ていたルイスだが、思わず声を上げる。

 その名の通り素直に訳すと、自身が消える事を意味するわけで、ある意味当然ではあった。

「まぁ無視して話しますと。直接触れている間、対象者の五感を一時的に失わせる魔法でして。主にトイレやお風呂の際に使用する目的があります」

「…………」

 押し黙るルイスの肩にユーノはポンと軽く置いた。

 首を横に振り同情の視線が向けられる。

 

「少々細かな調整が上手くいかなくてですね、助力を頂けるならば嬉しいです」

「う、うん! 私が分かる範囲でなら!」

 

 他でもないシュテルの頼みである。協力する事そのものは何もやぶさかではないが、その理由があまりにもデリケートであった。

 それでもなのはは視線を泳がせながら、ぎこちなく笑みを浮かべ了承した。

「師匠と、あとはルイスも可能ならば手伝って頂けると嬉しいのですが……」

 おずおずと提案するシュテルに、ユーノとルイスはすぐに頷きを返す。

「うん、僕は大丈夫だよ。あともう諦めたけど師匠呼びはやめてね」

「元を辿れば僕のせいですので全身全霊をもって協力する所存でごぜーます」

 

 

 その後、四人は知恵を絞りながらシュテルの新魔法の最終調整にいそしんだ。

 それぞれが扱える魔法の特性が違う事もあってか、途中から魔法戦の談義になっていったが、全員から温かな笑みが零れていた。

 

 

 不思議と居心地の良い勉強会は、その後なのはとユーノの休憩時間が終わるまで続いた。

 




サブタイにもある通り後編に続きます。
もともとは前後編わけるつもりはなかったのですが……。
次はレヴィさんやユーリさんが出てくる予定でごぜーます。レヴィさんメッチャ乙女。可愛い。
あとシュテルと毎晩添い寝とか羨まし過ぎるので代わって欲しいですね。

もしかしたら次もちょっとだけ遅れるかもですが、ご容赦下さい。

それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。


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第13話 病院とベッドと見舞いの言葉(後編)

お久しぶりです、投稿遅くなり申し訳ないです。
猛暑と忙殺のダブルコンボで完全にまいっていました。皆様もお気を付けください……。
さて、ぼんやりとストーリーの輪郭が見えだします。
そしてある意味レヴィ回。

ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。


【side レヴィ&ユーリ】

 

 『窓』から夕陽が差し込み、病室は東雲色に染められていた。

 度々訪れていた見舞客も今は落ち着き、病室には手枷で繋がれた二つの人影があるのみである。

 シュテルは本に視線を落とし、その隣にいるルイスはデバイスの手入れを行っていた。

 二人の間に会話はなく、けれど心地の良い静けさがそこにはある。

 

 

「やっほーー!! ルイスにシュテるんー!! 僕がきたぞーー!」

「レ、レヴィ! ノックも無しに失礼ですよ!」

 だが、二人の少女の来訪により静寂は喧騒に塗り替えられる。

 シュテルは薄く笑みを浮かべ、本をパタリと閉じた。

「レヴィ、ユーリ、元気そうでなによりです」

「うん! 元気いっぱいだぞー! ハッハッハ、シュテるんも僕に会えて嬉しいだろー!」

「ええ、そうですね。とても嬉しいですよ」

「へへー僕も僕もー!」

 レヴィはシュテルに抱きつき、ゴロゴロと喉を鳴らす。

 シュテルもまんざらではないのか、優しく目を細め優しく頭を撫でた。

「うー……」

 一方のユーリは、モジモジと顔を赤らめ俯かせている。

 だが一歩を踏み出せず、ただ羨ましそうにチラチラとシュテルを見るばかりである。

 

「おや、レヴィがリュックを背負うとは珍しいですね」

 シュテルはレヴィの背に珍しい物を見つけた。

 それは青空を彷彿とさせる鮮やかなリュックであり、普段はあまりレヴィが携帯しないものである。

 基本的に手ぶらで気の向くまま、どこへなりとも遊びに行くのがレヴィのスタイルだ。

 それこそ、どこか遠出をする時にしかこのリュックは使われた事はないのである。

 レヴィはシュテルの指摘に「ハッ!」と何かを思い出したのか、ガバリと起き上がった。

 

「ーーあ、いっけない! 今日はルイスを元気づける為に来たんだった!」

 レヴィはピョンとベッドから降り、慌ててカバンの中をガサガサと探し出した。

 以前使用したまま整理されていなかったのか、リュックの中は雑然としている。

 兎に角好きな物を詰め込めるだけ詰め込んでおり、それは最早おもちゃ箱と言っても遜色なかった。

「むぅ…‥あっれーおかしいなぁ……どこにいっちゃったかなぁ」  

 どうにもなかなか目当ての物を引き当てる事が出来ないのか、レヴィはリュックの内容物を次々に出しては並べていった。

 

 シュテルはその光景にため息を吐くも、続いておずおずと頭を差し出すユーリに気付きよしよしと撫で始める。

 眼を細め「えへへ」と頬を緩ませるユーリを、ルイスはホクホクと眺め何度も頷いた。

 

「あ! あったあった! よかったー、忘れたかと思っちゃった!」

 レヴィは目当ての物をカバンから引き抜き、ルイスへと一直線に駆け出した。

 

「ルイス! はいこれ! 革命戦士ゲコクジョウ映像データの14巻! 一緒に観ようよ!!」 

「うぶ、ちょ、レヴィ近い近い!」

 レヴィはルイスの顔にディスクパッケージをゴリゴリと押し付ける。

 興奮しているのか距離感を見誤っているようであった。

「ねーねーいいでしょー!」

「分かった分かった! だから取り合えず押し付けるの禁止!」

「わーいやったー! じゃあ早速ぅ!」

 レヴィはいそいそとパッケージを開け、ディスクを映像機器に取り付けていく。

 ルンルンと擬音が聞こえて来そうなレヴィに、ルイスは素朴な疑問を口にした。

「しかし、レヴィとユーリはよくこの作品を知ってたよね。だってこれ、僕が子供の頃にやってたやつだよ?」

 レヴィはリモコンを弄りながらルイスへの疑問に答えを返す。

「んー、きっかけは王様だよ。結構前だけど、ミッドチルダまで仕事に行った王様が帰りに借りて来てくれたんだー」

「ははぁ、成程。魔法世界の片田舎で流れてた気もするけど、ミッドチルダならレンタルもしているかもね。でも意外だね、ディアーチェが子供向け番組が好きだなんて」

「うーん、王様は僕たちの為に借りて来たんだと思うよ。それこそちょっと前の僕らはね、今よりもっと自由が無かったし、ずーっと検査ばっかで退屈だったから」

「あぁ、成程……。君たちの事情は聞いているけれど、うん。やっぱりディアーチェは良い家長だね」

「うん、だから僕は王様大好きだよ! それに、最近は委嘱魔導師の仕事をしたらご褒美として借りて来てくれるんだー!」

 

 マテリアルという特異な存在であるからこそ、委嘱魔導師になるまでには様々な関門が聳え立っていた。

 ディアーチェは必要な事務手続きや根回しの為、局員に付き添われ各地を飛び回っていたのだ。

 彼女たちの安全性と利便性を伝える為ではあったが、心無い言葉が何度もあったのは確かである。

 ディアーチェはただそれに耐え、ユーリが望む「未来」を目指した。

 そしてディアーチェが奮闘している間、特定魔導力の算出や「いざという時」の為にも、慎重で執拗な検査をレヴィたちは受け続けていた。

 当然その間は魔力戦など出来るはずもなく、特にレヴィの苛立ちは一入であったのは想像に難くない。

 だからディアーチェは無理を承知で僅かな希望を押し通したのだ。

 もともとは外出や模擬戦の要望を出していたが当然却下され、行きついた先が子供向けの映像記録媒体の購入だったのだ。

 当時は外部の情報を遮断する意味も込め、テレビそのものが設置されておらず、件の映像媒体もくまなく検閲が入った。

 せめて気晴らしにでもなれば、とレヴィ達を想っての行動であったが、当時はそれすらも幾多の手続きを要した。

 また、シュテルの為に魔法書を持ち帰れないかという話しも揉めに揉め、結局はクロノが私物を貸し与える事で落ち着いた。

 クロノとシュテルが本の貸し借りをする習慣も、元を辿ればここから来ているのである。

 

 ディアーチェには当初多くの心労が積み重なっていたはずだが、その素振りを一切見せず、ただただ奔走した。

 彼女たちはディアーチェの行動を知っているからこそ、いつ終わるとも知れない長い検査に耐え続けたのだ。

 

「さ、準備出来たよー! 一緒に観よう! 楽しもう!!」

 

 今こうして談笑していられるのもひとえにディアーチェの存在があったからであり、だからこそ彼女たちは王に仕える。

 ようやっと掴んだ未来の端を逃さぬよう。そして誰よりもそれを望むディアーチェの為にも。

 

「よいしょ……っと!」

 

 チャンネルを合わせたレヴィは、胡坐をかいていたルイスの上にポスンと腰を降ろした。

 ルイスを背もたれ代わりに、レヴィは体を密着させる。

 レヴィが完全に気を許している事は明白であり、それこそこれは家族に求める甘え方であった。

 誰とでも仲良くなるレヴィであっても、ここまで懐くのはなかなか珍しいといえる。 

 

 一方のルイスはごくごく自然な笑みを浮かべており、兄妹だと言えば誰もが信じる光景がそこにはあった。

 シュテルは「あっ」と小さく声を漏らし制止しようとしたが、その理由が思い当たらず手をこまねくだけである。

 それでもどうにも収まりがつかないのか、思いついた様にレヴィへと言葉をかけた。

 

「…………レヴィ、その、暑くはないのですか?」 

「ん? べつに平気だよー」

「し、しかしルイスにも迷惑だと思いますが」

「僕は別に大丈夫だよ、シュテル」

「そう、ですか…………」

 一人落胆するシュテルであったがそれ以上何も言えず、仕方なく画面へと目を向けた。

 

「あ! ほらほら! 始まるよ!!」

 レヴィは目をキラキラと輝かせ両手をギュッと握りこんでいた。

 まるで子供そのものであるが、その無邪気さは誰しも頬が緩むというものである。

 また、ユーリはいつの間にかシュテルに膝枕をされながらも、真剣な眼差しを画面に向けている。

 

 けたたましい爆発音と共にオープニングテーマが流れ出し、おかしな鑑賞会はいよいよもってスタートした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「……はぁ。やっぱりこの話しは何度見てもカッコいいなぁ!」

 レヴィは何故か得意気に鼻を鳴らした。

 頬は緩み、感嘆がため息となって口から洩れる。 

「……しかし、やはり私には登場人物の全てが狂人に見えて仕方ないのですが」

 シュテルは自分以外の全員が頷きあうこの状況に戸惑いつつ、映し出される画面に再び向き合う。

 そこには燃ゆる寺で高笑いする男が映し出されており、絵面だけ見るととても子供向けとは思えない。

 

「いやシュテル、ここから次話の展開が急転直下で最高なんだって。『ざまぁねぇぜ三日坊主』はある意味伝説回だからね」

「はぁ……そうですか……」

 興味が湧かないのか、シュテルはどこか退屈そうではあるが、それでも手元の本は閉じられたままだ。

 分からないなりに歩み寄ろうとはしているのか。果ては、自分だけ会話に混ざれないが故か。

 いずれにせよ、シュテルは不思議と居心地が悪くないと感じている自分に驚いていた。

 以前であればにべも無く読書に耽っていただろう事を思うと、自身の変化に首を傾げるばかりである。

 

「そういえば、ゲコクジョウってルイスが子供の時にやってたんだよね。アハハ、なんか子供のルイスって想像出来ないね」

 レヴィはディスクを丁寧にパッケージも戻し、再びルイスの膝の上に座り直した。

 そのまま腕を絡め、ルイスにしなだれかかる。先ほどよりも更に密着し、最早抱き合っている程であった。

 だが、その様は艶やかさとはどこか違い、無邪気さだけが感じられる。

  

「いやいや、これでも玉の様な可愛い子だったんだから」

「自分で言う事じゃないと思うけどなーそれー」

 密着している二人をチラチラとシュテルは見るも、少し頬を膨らませるしか出来ないでいた。

 ユーリはそんなそわそわと落ち着かないシュテルに、驚きが含まれた視線を向ける。

 微かな嫉妬がそこにはあり、そしてそれは少なくともシュテルが今まで見せた事のない感情であるのは間違いなかった。

 

「ねー、ルイスって昔から古代遺産ハンターになりたかったの?」

「なんだい、藪から棒に」

「んー、わっかんない。ただ何となく気になっただけー。それで、結局どうなんだよー」

「うーん、そうだねぇ。まぁ、今の暮らしは正直想像もしていなかったのは確かだよ」

 眼を細め、ルイスは過去を覗き込む。

 その顔には、微かな寂寞があった。

「……本当に子供の頃だけれど、僕はパン屋さんになるのが夢だったんだ」

「え、以外だなー。ルイスって結構味音痴だしさー」

「む、そんな事無いと思うけどな」

「えー? だって、シャマルの料理も美味しいって食べちゃうじゃん。それに正直、ルイスの料理ってあんま美味しくないし」

「は、はっきり言うね君……」

 否定して欲しさに、ルイスはシュテルへと向き直るも、首を横に振られてしまう。

「確かに、ルイスとは料理当番の時一緒に作っていますが……その、味付けは壊滅的ですよね」

「えぇ……シュテルまで酷いなぁ……」

 次いでユーリとも目が合うルイスであったが、気まずそうに目線を逸らされてしまう。

 ユーリからも望んだ反応を得られず、ルイスはガックリとうなだれる。

 

「まぁ……ですが、不思議と調理そのものの腕はあるというか……三枚おろしも出来ますし。その辺りどうにもちぐはぐですよね」

 シュテルは精一杯のフォローと共に、かねてからの疑問を口にした。

 ルイスはそれこそ、塩と砂糖を間違えるベタな失敗すらしでかす事もあった。

 だが、料理の手順や手さばきは素人のものとは思えず、味付け以外はディアーチェと遜色が無いのだ。

 基本以上の事が出来ているが、その実、味には無頓着。

 ここまで極端に料理の技能に差が出るなど、少なくともシュテルにとっては理解が出来ない事柄であった。

 

「んま、確かに僕の味の好みは特殊だというのは認めるけれどもねぇ。それにパン屋は昔の夢だから、今はもう諦めてるさ。良くある話で、子供の時に食べたパンに感動して漠然と僕も作ってみたいと思ったでだけでね」

「ねーそれってどんなパンなの? 青い?」

「アハハ、青くはないよ。雪みたいな白色さ」

 ルイスは遠くを見据え、瞳に映らぬどこかの風景を心に灯した。

「そのパンは僕の故郷でしか採れない特別な木の実を使っていてね。少なくとも僕は、あれ以上に美味しいパンを知らないねぇ。あと名誉の為に言うと、特産品だったから僕以外の人も美味しいって言ってたからね」

 味音痴だと散々言われた後での話題故、ルイスは少し不貞腐れながらも解説をした。

 レヴィも申し訳なさそうにしていたが、それ以上に無邪気にはしゃぐ。

「へー! 僕もそれ食べたい! ね、ね! ルイスそれって作れる?!」

 ルイスの腕をぐいぐいと引っ張るレヴィに、シュテルは微笑みとため息を同時に吐いた。

「レヴィ、あまり無茶を言うものではありません。リコの実がこの世界にあるはずもありませんし」

「ーー……なんだって?」

 

 シュテルの何気ない言葉にルイスは驚きを隠す事も出来ず、ポカンと大口を開けていた。

 普段見せる事のないルイスの表情に、シュテルは訝しみ首を傾げる。 

 

「……ルイス?」

「いや、今シュテルなんて言った?」

「……ですから、リコの実は地球に無いですし作れはしない、と」

 

「……………………」

 ルイスは一瞬息を止め、顔を顰めた。

 誰にも気付かれない様に視線を金の手枷へと移し、ゴクリとつばを飲む。

 だがすぐに表情をいつもと同じ笑顔をに変えた。

 何事もなかった様に、ルイスはレヴィの頭を優しく撫でる。

 

「いや、うん。確かに、シュテルの言う通り食材が無いとどうしようもないか……。ゴメンね、レヴィ」

「むぅ……じゃあ今度、ルイスの故郷に一緒に行って食べようよ! 約束だからなー!!」

「アハハ、うん、そうだね。機会があれば、ね……」

 ルイスに撫でられている事もあってか、レヴィはご機嫌だ。

 ルンルンと鼻歌交じりに体を揺らし、まるで遠足前の子供そのものである。

 

「あ、それでそれで。そのパンってどん味? 甘い? 甘いと僕はとっても嬉しいぞ!」

「レヴィは甘いの好きだものねぇ。それで、えぇっと、味か。えーっと。そうだね、んと、あれ……」

 ルイスは視線を天井へと伸ばす。

 まるで何かを探すように、確かな迷いがそこにはあった。

 

「あぁ、うん、そうだ。とっても甘いパンなんだ。でもリコの実はちょっと塩っ気があって、それがまた絶妙に合うんだよ」

「おお……! うん、甘い物と青い物に悪いヤツはないからな! きっと美味いに違いない! ユーリもシュテルも一緒にルイスの故郷に行こうね!」

「は、はいっ。私も食べてみたいです」

「ええ、是非。ディアーチェも何だかんだ言って来てくれるでしょうし」

 

 ふっと和やかな空気が流れ、誰とも知れず笑みがこぼれた。

 レヴィは立ち上がり、『窓』から洩れる星の光を視界にいれる。

 すでに陽は傾いていた。

 

「あ、そうだ。それかさ、この事件が解決したら海鳴市でパン屋を開いちゃえば? 大丈夫、僕が味見役になるからさ!」

 ドン、と胸を張りレヴィは手足をパタパタと動かした。

 妙案だ、とホクホクと顔を綻ばせ上機嫌だ。 

「あー、うーん、そうだね。ハハハ、まぁそれもいいかもねぇ」

「む……冗談だと思ってるなー? 僕、結構本気で言ってるんだぞ。ちゃんと考えてよ」

「いやはや、まぁそういうのもアリだとは思ってるよ、うん」

「嘘だ、絶対真剣に聞いてないでしょ!」

 

「レ、レヴィ、無茶を言ったら駄目ですよ。ルイスさん困っちゃってます」

 ユーリが慌てて止めに入るも、レヴィは提案を取り合って貰えずに口を尖らせたままだ。

 ルイスは眉根を下げ、「うーん」と頬を掻く。

「ありがとユーリ。でも、レヴィも急にどうしたの?」

 もとよりレヴィは直情的な所はあり、思い付きのまま突っ走る事もしばしばあった。

 だが、どうにも今回は様子がおかしい。

 落ち込み方がいつもと明らかに違い、最早落胆と表現できる程であった。

 

「……だって」

 不満と哀傷を双眸に浮かべながら。 

「この事件が解決したら、ルイスはどっか行っちゃうんでしょ?」

 レヴィは何かを希う様に、グッとルイスを見据えた。

 ルイスは質問の意図する所を理解するからこそ、苦笑を浮かべる。

 

「あー……まぁ、そりゃ当然そうなるけども……」

「僕はそれが嫌なの!! もっとルイスと一緒にいたいの!!」

 殆ど怒鳴る様にレヴィは吠えた。

 自分との温度差に苛立った事もあるが、本人から直接言葉にされるとより現実味が増した事も大きい。

 感情をせき止める事が出来ず、そのままに吐き出したのだ。

 パン屋を勧めたのも、結局はいずれ居なくなるルイスを繋ぎとめたかったからだろう。

 

「……気持ちは嬉しいけれど。いやはや、またえらく懐かれたものだね」

 レヴィを動かす原動力がわからず、ただただルイスは困惑する。

 一緒の空間で生活をしていたとはいえ、何がどうしてここまで思われるのか、どうにも解せないといった風だ。

 

「……だって僕、最近変なんだ」

 レヴィは首を傾げるも、どこかその頬は赤く染まっている。

「遊んでる時も、仕事中も、夢の中も、カレーを食べている時でさえ、ルイスの事ばかり考えちゃう」

 胸の高鳴りの意味も分からず、レヴィは居心地が悪いのか身を捩った。 

「だから、居なくなって欲しくない。ずっと一緒に遊んでいたいって思っちゃうんだ」

 

「レヴィ、貴女……」

 シュテルはあっけにとられポカンと口を開けた。

 一方のユーリはまだよく分かっていないのか、ただ疑問符を浮かべるだけである。

 

 それは、恋というにはまだ幼い、淡いだけの感情。

 おそらくは、黒獣から助けられた時の興味関心が昇華しただけの拙いものだろう。

 だがそれでも、レヴィにとっては本物である事は間違いがなかった。

 だが、外見も中身もまだ未成熟なレヴィにとって、その感情はまだ理解の外にある。

 

(……?)

 胸をチクリとした痛みが刺し、シュテルはその意味が分からず困惑する。

(なんでしょう、この気持ちは……)

 レヴィの無自覚な告白に、シュテルはいまだかつて抱いた事のない胸のざわつきを覚えていた。

 勿論、恋愛感情というものをシュテルは知識として知っている。

 全ては本から得たものだが、人の心にそういった機能があるのだと理解はある。

 だが、実際にシュテルが対面したのはこれが初めてであり、むしろ胸中には戸惑いしか浮かんでこなかった。

 

(……何故、私はこんなにもショックを受けているのですか?)

 自問自答するも答えが出ず、シュテルの心はモヤモヤと影を帯びていく。

 シュテルは、本来なら喜ぶべき家族の成長を素直に喜べないでいる自分が、どうにも信じられない様子でった。 

 他人の感情の機微には聡く、けれど自身の事となるとシュテルは途端に鈍くなる所がある。

 チリチリとした嫉妬と焦りの正体に気づかぬまま、静かな狼狽をシュテルは続けるしか出来ない。 

 

 当事者の悉くに自覚はないが、ルイスだけは何かを察し、どこか悲しそうに眉根を下げた。

「……気持ちはありがたいけれど、僕にも成し遂げなくちゃいけない事があるんだ。だから、この事件の決着が付き次第、僕はいくよ」

 ルイスの口調は先ほどと違い、明らかに真面目なそれとなっていた。

 その言葉には嘘偽りが無いのだと分かる。

 

「………………」

 レヴィは押し黙り、視線を床に落とした。

 誰からも見えぬその顔には、悔しさがありありと滲んでいる。

 鑑賞会の時とは打って変わり、居心地の悪い静寂がその場を支配した。

 

「……ねぇ」

 その沈黙を崩したのもまた、レヴィであった。

「ルイスは、何で戦っているの?」

 顔は上げぬまま、声を下に落としながら。

「そんなに傷だらけになってまで、何をしようとしているの?」

 

「……」

 唐突に放たれた、最早詰問とでもいうべき問い。

 ユーリはレヴィの言う意味が全く分からず、押し黙るしか出来ない。

 だがシュテルはレヴィの問いに得心したのか、静観の構えとなっていた。

 シュテルはレヴィと同じく、ただルイスの言葉をじっと待つ。

 そこにあるのは、「希望」と「怯え」の色であった。

 

「……さてまぁ、そんなに大した理由なんかじゃあないさ」

 ルイスがはぐらかしているのは明らかだった。

 肩を竦め、無言で「事情を話す気はない」と意志を発する。

 だが、レヴィは気にも留めずに話しを続けた。

 

「昔の僕とルイスはよく似てるんだ。だから、分かる事もある」

 悲しそうに、首を傾げた。

「ルイスは、きっと死ぬ為に戦っているんだよね」

 

「……」

 

 シン、と空気が張り詰める。

 レヴィはベッドを降り、『窓』へと視線を向けた。

 囁く星を眺め、レヴィは言う。

 

「目的の為なら、簡単に命を差し出せる。でもそれは命の価値が分からないからじゃあ決して無い」

 レヴィは、ただ無言で笑みを浮かべるルイスへと向き直る。

「むしろその逆。命の重さを理解しているからこそ、それよりもっと大切な事があるって分かるんだよね。だからこそ、自分の命をぞんざいに扱えるんだ」

 レヴィは包帯に包まれたルイスの手に、右手を重ねた。

「……でもさ。ルイスはこの手で、何が出来るの?」

 痛々しく壊れたそこを、愛おしく、まるでガラス細工を触る様に。

「この手で、何を掴もうとしているの?」

 慈しむ様に、優しく、そっと撫ぜた。

 

「昔の僕はね、大切な事を成す為に、その為だけに戦い続けた」

 レヴィは、ユーリへとどこまでも優しく微笑みを浮かべた。

 ユーリは申し訳なさそうに、けれど嬉しさも滲ませ、曖昧に頬を緩める。

 

「でも、ダメだった。当時の僕は何も出来なかった。ただただ、目の前の敵をブッ飛ばすだけで、何も掴めなかったよ」

 目を弓に細めるルイスへと、尚眼光を鋭くしレヴィは言う。

「だから、ハッキリ言うね」

 一度息を吸い、口を開ける。

「ルイス、このままじゃ君は何も果たせない。何も出来ずに終わってしまう。同じ道を辿って失敗した僕が言うんだ、間違いないよ」

 

 ルイスはそれでも何も語る事はないだろう。

 きっと、いつもと同じ笑顔を浮かべるだけだろう、とレヴィは分かっていた。

 だが、それでも言わずにはいられない。

 

(ーーきっと、あの黒獣ってヤツが『理由』なんだよね)

 

 レヴィはルイスの「目的」に薄々感づいていた。

 勿論、具体的な事情は分からないが、何かを「取り戻そう」としている事は強く感じていた。

 まさに過去の自分が辿った道をそのまま行くように。 

 だから、どうしても見過ごす事が出来なかった。

 お気に入りの青年が突き進む未来の先に待ち受ける物を、レヴィは見てきたのだから。

 

「……ッ」

 ギリ、とレヴィは歯を軋めた。

 言葉とは裏腹に、レヴィは心の内から湧き上がる羨望の念を必死に押さえる。

 

 ルイスの有り様は、レヴィがかつて捨てた『強さ』そのもの。

 いつの日か自分が切り捨てた強さを見せ付けられ、心が掻きむしられた。

 それは懐かしくもあり、また甘美な匂いがある。

 だが、その気持ちは決して抱いてはいけないものでもあった。

 

 これから皆で歩んでいこうと誓った時間をーー

 殺したはずの自分自身をーー

 

 その全てを、否定する事になる。

 

 生き方を変えようとも、レヴィが「力のマテリアル」である事に変わりはない。

 彼女が闘いに興じる度、マテリアルとしての本質が本能となり内側から叫び続けた。

 赴くままに壊し、殺し、奪い、果てに自身を塵にしろ、と。

 けれど、それではダメなのだ。

 そんなものは、みなが悲しむ未来でしかないのだ。

 

 けれど彼には、何も無いというのだろうか。

 その在り方を憂う誰かが、本当にいないとでも思っているのだろうか。

(だから、ルイスの居場所はそこじゃない。あっていいはずがない)

 

 焦がれてしまったこの高鳴りを。

 羨ましいと感じたこの眼差しを。

 本当の心を押さえつけてでも、レヴィは護りたいものがある。

 それは、外れた道程の先にあった、想像を超える幸福だ。

 本当に些細なきっかけで勝ち得た、失いたくない「今」だ。

 それ故にレヴィは、ルイスの有り様を憂う。

 彼を思うからこそ、その生き方が歯痒くて仕方がない。

 

「ーーだから」

 ふっと、レヴィは自分と同じ顔を持つ、金髪の少女が浮かんだ。

 真っ向からぶつかり、打ち破られ、そして手を差し伸べてくれた存在。

 優しく気高い、大好きなオリジナルの少女。

 

 --今度は、僕が。

 

「ルイスの夢は僕の夢だ。だから、一緒に叶えたい」

 レヴィは手を伸ばした。

 僅かに震える指を必死に隠し、すがる様に。

 

「…………」 

 

 だが、ルイスはただ微笑みを浮かべるばかりで握り返す事はしない。

 それでも思う所はあったのか、その笑顔は少し歪みを見せていた。

 真正面からぶつかってくれた少女に、どこか感謝の念を抱きながら。

 

「……レヴィは、本当に優しい子だね」

 

 ぽつりぽつりと、口を開く。

 

「僕はね、どうしても取り戻したい物があるんだ。その為なら、僕は何だってやるんだろうね」

 くっと腕に力がこもり、金の鎖が僅かに揺れる。

「……だから、あぁ。気持ちはう嬉しいのだけど、これは僕自身が成すべき事だから」

 

「ーーうん、ルイスならそう言うと思った。でもね、やっぱり一人より皆の方が楽しいよ」

 

 ルイスは、自分の言動が冷酷そのものだと自覚はある。

 それだというのに、目の前の少女は屈託のない笑顔を向け続けていた。

 それは、信頼と慈しみからくる行動であり、完全なる好意そのものだ。

 

「……分かった。少し考えさせてくれないかな」

 ふっと、ルイスの頬は自然な笑みに崩れ、迷いながらもそう答えを返していた。

 言葉を出し切った後に、ルイス自身が驚きに固まっている。

「うん! 僕待ってるから!」

 レヴィは、終ぞ結ばれなかった右手を引いた。

 一抹の寂しがあるも、どこか納得した様子である。

 完全な拒絶ではなく、ほんの少し歩み寄ってくれたのだと感じたからだろうか。

 

「ーーあ、ヤバ! もうこんな時間か!」

 レヴィはハッと壁時計に目をやり、残念そうに口を尖らせる。

 その声はどこか穏やかで、充足感に満たされていた。

「さて、僕らはそろそろ帰るよ。あんまり遅くなると王様も心配するだろうし」

 

「ーーレヴィ」

 リュックを背負い直すレヴィに、ルイスは慌てて声をかけた。

「ん、なーに?」

「……」

 だが言葉が続かず、彷徨う様に拳をどこまでも強く握りしめた。

「……いや、何でもない。気を付けて帰るんだよ」

「うん! それじゃあまたねー! いこ、ユーリ!」

「は、はい! それでは、お邪魔しました!」

 

 レヴィとユーリがバタバタと退出し、病室には再び沈黙が訪れた。

 『窓』から零れる星光と月光が二人を照らし、その影は重ならずに別れたままだ。

 

「…………」

「…………」

 

 シュテルとルイスは言葉もなく、交わらぬ視線を宙に燻らすのみであった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「……レヴィ、どうしてあんな事を?」

 病院を出てすぐの道程で、ユーリはそう声をかけずにはいられなかった。

 戸惑いに塗れたその声色は、僅かに震えている。

 先ほどの話しは、明らかにルイスの心の奥底へ土足で踏み込む行為ではあった。

 レヴィは確かに子供染みた気質はあれど、善悪の判断は間違えはしない。

 ユーリはレヴィの行動にどの様な意味があったのか、聞かずにはいられなかった。

 

「だって……」

 レヴィは、空を見上げる。

 燦然と、星の瞬きがそこにはあった。

 

「だって、僕はルイスに笑って欲しいんだ」 

「……?」

 レヴィの言葉の意味が分からず、ユーリは怪訝そうに小首を傾げた。

「ルイスさん、いつも笑ってません? お家で一緒にご飯を食べる時も、ゲコクジョウを見る時も……ニコニコ笑っています、けど……」

「…………」

 レヴィは立ち止まり、ユーリへと向き直った。

 きょとんとした表情を浮かべ、レヴィは言う。

 

 

「ルイスが笑っている所なんて、僕は一度もみた事ないよ?」

 

「え……?」

 

 

 ユーリは、驚きから固まってしまう。

 言葉の意味は理解できるが、上手く咀嚼されない。

 なぜならユーリにとってルイスは、誰よりも一番多く、そして明るく笑みを浮かべる存在であったからだ。

 笑顔以外の表情を、一度も見た事が無い程に、彼はいつも笑みを湛えていたのだから。

 

「ルイス、いっつも苦しそう。笑っているようで、全然笑ってない」

 レヴィは思う。

 普段から「不動の笑顔」を浮かべる青年の姿を。

 彼はどんな時であれ、絶えず笑顔を浮かべていた。

 それこそどんな状況であれ、その笑顔は決して崩れる事が無い。

 それこそ、まるで能面の笑尉の様に。

 

 表情が変わらぬ事を無表情だというのであれば。

 常に笑顔を張り付ける彼もまた、ソレと同義であると言えた。

 

 レヴィは、それこそ出会った時より何となくルイスの「深み」を察していた。

 理解した上で尚、彼女は躊躇わずにそこに潜ろうとしている。

 その理由は単純で明快だ。

 

 

 彼の「素顔」がみたい。

 

 

 ただ、それだけの為に。

 本当に、彼女の望みはささやかな物であった。

 

「ーーだから」

 

 自分の行いがどういう意味を持つか分かっていても尚、レヴィは止まらない。

 否、だからこそ前へと進む。

 

「僕は決めたんだ、ルイスに心の底から笑って貰うって」

 

 レヴィはそこで口を噤み、拳を握りしめる。

 

「その為になら、僕はもう一度ーー」

 

 その瞳には、確かな決意の灯がある。

 

 覚悟を決めた少女が、そこにはいた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

【side シュテル】

 

「……レヴィに言われた事、気にしているのですか?」

 いつになく静かなルイスへと、シュテルは柔らかく声をかける。

 どう考えてもレヴィとのやり取りが要因であるのは明白だ。

 となれば、このまま触れずにいるわけにはいかなかった。 

 

「……あはは、まぁ流石に思う所はあるかなぁ。効いたなぁ、アレは」

「彼女を責めないで下さい、悪気があった訳ではないのです」

「大丈夫、むしろレヴィの言葉は正論だと思ってるから。だからこそ突き刺さるんだよねぇ……」

「そうですか。なら、良かったです」

「えぇ? どゆこと?」

「私も正直、レヴィに同意する所が無いわけではないですよ? ですが、痛みを感じるのであれば、まだ貴方に言葉が届くのでしょう」

「……。あー、もしかして全部お見通し?」

 

「いえ、流石にそこまでは。ですが、こう見えても私は貴方よりずっと年上なので」

「ま、確かにそう思える時が何度かあったよ。見た目は子供だけれど、時々シュテルはお姉さんみたいに思えるし」

「ええ。だからこそ分かっているつもりですよ。貴方が何かを隠しているという事は」

「……それでも、何も聞かないんだね」

「はい。いずれ貴方はきっと全てを話してくれるのだと、信じていますから。けれど、やはり悲しくはあります」

 シュテルはふっと息を吐く。

 今までずっとルイスに聞くべきか迷っていたシュテルであったが、レヴィの行動がその背を押す形となった。

 その事に感謝をしつつ、同時に小さな嫉妬心が芽生えている事にシュテルは恥じる。

 うだつが上がらない自分より、先んじて行動したレヴィに、どうして妬く事が出来ようか。

 

(ーーおそらくは、「黒獣」と貴方の間には浅はかならぬ『何か』があるのでしょう。ヤツと戦っていた時の貴方は、酷く愉しそうでしたから。そして、レヴィもきっとそれには気が付いているのでしょうね)

 憎悪と愉悦。

 相反する感情は、しかし根本は同一なのだろう。

 心の内より湧き上がる情動はいずれ小さくなり、後は頭が理解するだけとなる。

 怒りから始まった激情は長い時間をかけて変質し、理性の檻に囚われる。

 鮮度を失った怒気は沈殿し、拭えぬ泥となり体を淀ませていくのだ。

 そしてその汚れを取り払うには、根源たる要因を払拭する他にはない。

 となれば、ソレをぶつけるべき相手との出会いそのものが希望となり、快然へと至るのだ。

 

 ルイスは黒獣を追ってこの町に来たのではないか、とそうシュテルは考えていた。

 自分や管理局を欺いているのだろう、と疑念もある。

 だが、何も語らぬだけの理由もまたあるのだろうと、シュテルはそう感じていた。

 理論や理性とはかけ離れた、希望的観測。それは、今までのシュテルならばあり得ない解釈。

 シュテルは自身の結論に激しい違和感を覚えつつも、それでも感情に従い、頷いた。

 

「私は、思うのです。貴方は何かを後悔している、と。懸命に、一人で何かと戦っているのだと」

「……」

 ルイスは押し黙り、シュテルから目を逸らした。

 そこには、笑顔がある。

 どこか、ひび割れた笑顔がある。

 

(……もしかしたら、貴方がこの町にやってきた事も。そして、この手枷すら貴方の計画の内なのかもしれませんね)

 

 突然の出合いに初めは戸惑い、嫌悪すら抱いた事もあった。

 だが、今ではその真逆の感情ばかりが募っていく。

 

(もし私の推測が正しく、この事件と貴方に深い関わりがあるのだとしたらーー)

 委嘱魔導師として、裁くべき立場にシュテルはある。

 頭では職責を全うすべきなのだと理解出来る。

 

(ーーですが)

 

 意志を強く、シュテルは思う。

 決して揺らぐ事の無い、確かな胸懐がそこにはある。

 

(例え事情を話してくれないのだとしても、それでも私は貴方の味方となりましょう)

 

 だから、それを言葉とする。

 言わねばならないと直感が囁く。

 

「これだけはルイスに伝えたいのです」

 

 シュテルはルイスの頬にそっと手を添え、視線を無理やりに交えさせた。

 

「私は……私は、どんな時でも貴方の味方です。そしてこの先何があろうと、貴方の傍にいると約束します。ですからどうか……」

 

 横道に逸れ、おそらくは破滅へと突き進む少年の隣に、それでもシュテルは立ちたいと感じた。

 救おうなどと大それた事ではなく。

 ただ、そこが自分の居場所であるとでも言わんばかりに。

 

「…………」

 

 満月に近づく月の光が、ふっと二人を照らしていた。

 

「…………」

 

 ルイスは、終ぞシュテルの言葉に応える事が出来なかった。

 夜は、更けていく。

 

【side ルイス】

 

 シュテルの静かな寝息をその耳で受け止めながら、ルイスはゆっくりと起き上がった。

 『窓』から見える映像は、夜の闇に溶ける海鳴市だ。

 その空には、満月に近づきつつある大きな明かりがある。

 

「ーーもうすぐ、もうすぐだ。やっと、奴らの息の根を止められる。あぁ、これできっと皆を……」

 

 ルイスは、薄く伸ばした双眸で、それを見る。

 どこまでも柔和な、慈しむ様な笑みに顔を歪め、呟いた。 

「フィリア……」

 少女と思しき名を口から零し、ルイスはただ鮮烈に笑う。

 

「……」

 キュッと、シュテルがルイスの手を握った。

 起きる気配は無く、どうやらまだ夢の中だ。

 ルイスはシュテルの髪を撫でようとするも、寸前でその手を止めた。

 まるで、触れる事を禁じられているかの様に。  

 

「君たちの気持ちは、嬉しい。うん、そうだ。久方ぶりにこんな気持ちになれた気がするよ」

 自分の掌を、ただじっと見つめる。

「あぁ、でも駄目だ。もう、僕はそこには戻れない」

 自嘲気味に笑みを浮かべ、ルイスは言う。

「……残されるのは、もうたくさんなんだ」

 

 独白は誰の耳に届く事もなく、夜の気配に溶けて消えていった。

 




思えば「謎」ばかりを撒いて明確な解答を一つも用意していないとも思いつつ。
ルイスの思惑や金の手枷、メディカルチェックに0話の内容エトセトラ。
察しのいい人には全て見破られているのだろうな、とは思いますが、いつかきちんと明示はするので少々お待ちいただければ。
次回、王様が暴れまわります。
それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。


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第14話 決着と告白とファーストキス(前編)

前回より長い感覚があいてしまい申し訳ないです。
タイトルの通り……ではありますが、甘い感じになるかは定かではありません。
ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。



 黄昏に沈む広大な空間がある。

 そこは喧騒の無い閑散とした廃墟であり、柔らかい茜色が煌々と射していた。

 雑然と立ち並ぶ高層ビルだった物の隙間を、一陣の風が割れたガラスから抜けては何処かへ溶けていく。

 ここは、アースラの訓練室だ。 

 

 そして訓練室に立つ人影は三つ。

 一つは、六枚からなる漆黒の羽を携える少女。 

 

「ーーッハ、なんだその目は気に食わん。貴様ら、よもや我に勝てるつもりではあるまいな?」

「そりゃあ、当然負ける気は無いよ。そうじゃなかったら、僕らはここにいないさ」

「ええ。現状、三戦三敗ですが……今日は勝たせて頂きます」

 相対するは、金の手枷に繋がれた青年と少女。

 それぞれが、ディアーチェ、ルイス、そしてシュテルだ。 

 三人ともにその瞳は自信で満ち、「勝利のイメージしかない」のだと、雄弁に語っていた。

 

「威勢だけは相変わらずだが……まさか、手も足も出ずに負け続けている現実を忘れたわけではあるまいて」

「アハハ、ディアーチェは本当に容赦がなかったよね。でも大丈夫、今日は()()があるからね」

「……ほぉ。面白い、ならばその愚策ごと完膚なきまでに叩き潰してやろうではないか」

 

 睨み合う三人を見るは、観戦室に詰めかけたアースラスタッフの面々だ。

 観戦室は満員御礼、許す限りの人で埋め尽くされている。

 海鳴市の警邏任務は当然継続されている為、観戦券を得るためにシフトの押し付け合いや舌戦が泥沼化し、最終的にクロノの一喝で抽選制となった。

 この場にいないスタッフは血涙を流し、ゾンビの様に町を徘徊している事であろう。

 

 また、VIP観戦室にはなのはやフェイト、はやてに守護騎士の面々といった主戦力は全員が揃っていた。

 当然、レヴィとユーリの姿もそこにある。

 レヴィが「ねぇオリジナル! 僕はどっちを応援したらいいんだ?!」と叫んでは頭を撫でられていた。

 どことなく和やかな雰囲気もあるが、その反面、守護騎士たちの表情は硬い。

 今回の模擬戦の意味する所をよく理解しているからか、特にヴィータとシグナムの視線は鋭いものがあった。

 また、観戦室の幾人かも、同じく「謎の青年」を見定めに来ている。

 今後、自分達の背中を預けるに足るのか。そして何より、実力以前にその本質を知るという目的が大きいだろう。

 

 単純な息抜きとして来る者。

 懐疑的な視線を冷ややかに向ける者。

 己が研鑽の為に全ての挙動を逃さまいとする者。 

 

 それぞれの思惑はどうあれ、眼下の二人には熱い視線が集中する。

 

「ルイス、そろそろアレを」

「あぁ、そうだね」

 シュテルに腕を引かれたルイスは跪く。

 座高が低くなったルイスのその背に、シュテルはヒラリと跳び乗った。

 俗に言う、おんぶの格好だ。

 

「……ほぉ、考えたな。馬の骨を文字通り馬として扱うか、洒落は効いているな」

 

 いよいよ火蓋が切って落とされるというこの場面で、何とも緊張感の無い行い。

 だが、ディアーチェは得心がいったのか、どこか嬉しそうに呻いた。

 観客席の大多数はこのやり取りの意味が分からず、首を捻る者が多くいる。

 

「おいおい、ありゃどういう事だ? 娘の運動会で似たようなのを見た事あるが……」

「いや、あれはあれで理にかなっているんじゃないか」

「む。どういうこった」

「攻撃と移動の役割を完全に別けるなら、あれが一番合理的だ。おまけに合法的にシュテルさんと密着も出来る、そこが重要だ」

「ははぁ、合点。それはガッデムあの小僧許すまじ」 

 観戦席からはざわつきながらも、状況分析の声があちこちから漏れる。

 基本的にアースラスタッフは変態は多いが優秀なのである。

 

「……成程」

 クロノも、観客席からの分析と同じ考えを持っていた。

 

 今までは、基本的にルイスとシュテルが並走する形を戦闘スタイルとしていた。

 ルイスが空戦を一切行えない事を鑑みてもそれは当然であり、如何に陸戦で対抗するかが鍵であったのだ。

 だが、シュテルは生粋の空戦魔導師であり、地に足の着いた戦闘の経験は浅い。

 それ故、どうしても二人の連携に乱れが生じ、未熟な魔導師程度の実力しか発揮出来ないでいた。

 

 そして当然、ディアーチェとしても陸戦は避け、上空から一方的に射撃する戦術を取るは必然だ。

 その為、構図としては遠距離から砲撃魔法と広域魔法がぶつかるものとなった。

 確かに、ルイス達が望んでいた状況に他ならないが、結果は火を見るよりも明らかだ。 

 常にイニシアチブを握られ続ける状況ではまともな砲撃魔法を形成する暇はなく、かといってディアーチェの堅牢な防御力の前に生半可な魔法は通用しない。

 結果として、模擬戦の全てにルイス達が成す術なく敗北を喫するは至極当然の流れであった。

 

 その為に編み出されたのが、今回より起用された騎馬戦スタイルという訳だ。

 ルイスは何より移動に集中し、自ら攻撃するという選択肢を極限まで捨て去った。

 代わりに、シュテルが砲撃に専念出来るよう移動する、補助の役割を得たのだ。

 そしてそれは間違いなく機動力を飛躍的に向上させるだろう。

 これにより、シュテルはより一層攻守の要として集中する事が出来る。

 ルイスの脚力や能力を鑑みてもより三次元的に戦う事が出来る為、手数が相対的に増えるのも大きい。

 まさにそれぞれの長所と短所を上手く補い合った、理想の形なのであった。

 

 更に。

「ーールベライト」 

 シュテルの言葉通り、緋色の拘束魔法が発現する。

 バインド魔法で縛り付けられるはルイスとシュテル。

 さながらベビースリングの様に固定するのは、ルイスの高速移動の際に振り落とされない工夫だ。 

 

「ーー……」

 準備を終えたルイスは立ち上がり、ふっと自分達の後ろを見た。

 ルイス達は丁度、訓練室の真ん中に位置している。

 すなわち、後方を見たルイスの視界にあるのは、立ち並ぶビル群に土煙舞う剥き出しの大地だけだ。

 

「どうした、後ろが気になるか?」

 ルイスの不自然な行動を見逃さず、ディアーチェは鋭く眼光を飛ばす。

「いいや、別に」

 慌てた様子も無く、ルイスはディアーチェへと向き直る。

 だが、僅かに見せた焦りの色を見逃さず、ディアーチェは内心ほくそ笑んだ。

 

「ーー二組とも時間だ、準備はいいか?」

 

 そのタイミングで、マイクを介してクロノの音声が流れる。

 訓練室にいる三人に、一層の緊張感が生まれた。

 

「ーーああ」

「ーーうむ」

 

 視線を外さず、互いの一挙手一投足を見極めながら。

 

「ーーでは」

 

 クロノは声を固くする。

 この一戦はただの模擬戦ではない。  

 今後の任務に大きく影響する、重要な戦いだ。

 いつしか観客席も静まり返り、固唾を飲んで見守っている。

 

「ーー……はじめ!」

 

 一拍の間を置き、開戦の狼煙を上げた。

 

「ーー!!」

 

 開始の合図と共に、それは起きた。

 

「ーー禊魔法、祓!!」

 

 クロノの発声と同時、ルイスは「祓」により得た速さを持ってディアーチェに突進する。

 空を翔ぶ事が出来ないというハンデは変わらずあり、ともすれば、ディアーチェが制空権を手にする前に決着に持ち込みたい。

 短期決戦を試みるのは、確かに選択肢として零ではなかった。

 

「なにぃ……?!」

 だが、ディアーチェはルイス達の行動にワンテンポ遅れての反応となった。

 明らかに困惑の色がその顔にはある。

 

(……上手い)

 

 クロノには、ディアーチェが不覚を取った理由が理解出来ていた。

 この試合だけを観ていたならば、ディアーチェが単純に選択肢を間違えただけにしか見えない。

 だが実際は、ルイス達の明確な策略に嵌った結果であった。

 

 先述の通り、シュテルとルイスの模擬戦全てはまず、ディアーチェと大きく距離を置く所からスタートしていた。

 すなわち、ロングレンジの戦闘距離だ。

 ロングレンジ下では射撃魔法が弾道視認出来ず、威力減衰により決定力を失う位置となる。

 その為、ロングレンジにおける有効魔法は、「高速かつ大威力の砲撃」や「遠隔発生魔法」、そして「広域魔法」といった基本的に大出力の物に限定される。

 ルイス達がロングレンジでの戦闘に固執していたのは、ディアーチェを同じ土俵に引きずり込む事に他ならなかったからだ。 

 射撃戦であればまだ勝ち目は薄くではあるが存在し、そもそもディアーチェの分厚過ぎる装甲を抜く術は、シュテルの砲撃以外になかったからである。

 空の奇襲が通じない以上、どうしても正面突破をせざるを得なく、そうなると必然、遠距離戦へと移行する。

 それはごく自然の流れであり、ディアーチェも違和感なくこの試合運びを受け入れていた。

 

 だがこの一戦においては真逆。

 初手から詰め寄った、短期決戦の構えだ。

 構図は完全にミドルレンジ。

 俗に言う「高速射撃戦距離」である。

 射撃の有効射程内であると同時に、弾道視認は困難という、戦術的にも非常に技量が試される難しい距離だ。

 つまり、射撃の技術が物を言い、同時に術者の高速機動が何よりも求められるのだ。 

 

 騎馬スタイルを取る事で、実質攻撃手段はシュテルに限定される。

 勿論、クロスレンジまで近づきルイスがナイフを振るう事も出来るが、近距離ではシュテルの強みが全く活かせない。

 シュテルは近接専用の魔法、ヴォルカニックブローも扱えるが、体勢的にルイスを巻き込む都合もあり、それも使用出来ないだろう。

 さらには、ルイスの攻撃力ではディアーチェを打倒する事など到底出来ないのは、両者が知る所である。

 となれば、どれほど近付いたとしてもミドルレンジまでだと推測が出来た。

 だが、やはり砲撃主体の魔導師が自ら距離を詰める事は基本的になく、奇策の一種とも言える。

 それ故、開始と同時にシュテルが最も有利な距離に移動するものだと思い込むのは、仕方がない事であった。

 

 そして何よりも、過去の敗戦その全てがこの一戦の為の布石であったのだ。

 開始と同時に距離を開ける、という刷り込み。

 くどい程に遠距離に固執していた今までの戦術。

 接近戦を捨てたと思わせる新しい戦闘スタイル。

 おまけに、試合前に後方へとさり気なく視線を向ける事で、過去三回に及ぶ誘導は確実な勝機となる。

 

 つまりは、今までの模擬戦は『衆人環視の状況で勝つ』為の下準備だったのだ。

 

(おのれ、謀りおったなぁ……?!)

 

 理解した時には、その距離はあまりにも縮まっていた。 

 すでに通常のプロセスでは回避不可能な位置だ。

 ディアーチェはそれを知ってか、強引にデバイスを下方へと振り、エルシニアダガーを地面へ向けて射出した。

 

「ーーッハ! 甘いぞ馬の骨ぇ!!」

 

 その反動を利用し、通常より数段早く空へと駆け登っていく。

 以前、ルイス達が見せた砲撃を利用しての加速の応用だ。

 彼らが虚を突き短期決戦に臨んだという事は、逆を言えばここさえいなし切れば手数が無くなるのだ。

 だからこそ、ディアーチェは反撃ではなく回避を最優先する。

 

 だが。

 

(ーーな、に?)

 

 ディアーチェはソレを見た。

 高速で動くルイスの背に乗るシュテルが、砲塔をこちらに向けているのを。

 

(いや待て落ち着け。この状態で砲撃魔法なぞ使えるはずが無い。あるとすればパイロシューターかヒートバレットか。だがそれでは我の装甲は貫けぬ)

 

 ディアーチェの思考はごく自然なものである。

 『砲撃魔法は移動しながら撃つ事は出来ない』という、揺るぎようのない事実があったからだ。

 何故ならば、砲撃の様な高出力の魔法を使用する際には、必ずインパクトの瞬間に固着する必要がある。

 それはひとえに、威力が高すぎる為、大きな反動が生じてしまう事が要因だ。

 仮に自走しながら砲撃を撃ったならば、術者は踏ん張りが効かず確実に吹き飛ばされ、果ては暴発の危険すら伴うだろう。

 それこそ、魔力を溜める最中から一定の拘束は必要であり、照射のタイミングで稼働する事は絶対的に不可能だ。

 

 となれば、せっかく虚を突き接近に成功した所で、むざむざ足を止める砲撃魔法を選択する意味は薄い。愚の骨頂だ。 

 だからこそディアーチェは、当然の結論として砲撃魔法は行われないと判断した。

 せいぜいが目くらましの小規模魔法だろう、と推測する。

 

 それが魔法戦の常識であり、覆る事のない絶対的な法則なのだ。

 

(だというのに、何だこの悪寒はーー)

 

 ディアーチェの背を僅かな違和感が這いずる中、それは来た。

 

「ーーブラスト」 

 

 ルシフェルオンから、火の粉が巻き上がる。

 それはさながら燃え滾る炉の様な。

 シュテルを中心に形成される巨大な魔法陣も、朱色の輝きを強くする。

 そして口にするのは、単一音声で起動する術式コマンド。

 膨れ上がる魔力量は紛う事なきソレでありーー

 

「……ーーファイヤー!!」

 

 果たして、言葉と共に炎が逆巻いた。

 圧倒的な火力と大出力の砲撃。

 呑み込む者を燃やし散らす、劫火の炎が一直線に射出されたのだ。

  

「ーーバカ、なァ?!」

 

 シュテルに反動が発生した素振りは一切ない。

 物理的法則として存在しなければならないはずの挙動が、無い。

 言うなれば、拳銃を撃つ気軽さでミサイルを放つようなものだ。

 現代魔法のプロセスを完全に無視した『移動しながら大出力の砲撃』という、理外の行為が実現したのだ。

 

「ぐ、ぐぐ、ぅぅうう!!」

 予想すらしていなかった砲撃は当然直撃し、ディアーチェは炎の渦に全身を包まれた。

 辛うじて張った防壁も紙の如く溶かされ、熱波の侵略は止まらない。

 近付くだけで溶ける高温の中心に、ディアーチェは晒され続ける。

 

「ーーっく」

 

 だが、溜めの時間も半端であった事もあってか、致命傷と成り得る前に爆炎の照射は終わりを告げた。

 そこには、白い煙を体全体から立ち昇らせるディアーチェの姿がある。

 けれどデバイスを握る手には力が籠められ、意識も辛うじて残っている事が伺えた。

 最も、それでも十分過ぎるダメージがあったのは確かだ。事実、ディアーチェは片足を折り、膝を地に着けている。

 並みの魔導師であれば十二分に撃墜するだけの威力はある砲撃だ。如何なディアーチェと言えど、一瞬意識が飛ぶだけの負傷を負っていた。

  

「畳みかけるよ!!」

「はい!!」

 

 確かなダメージを負ったディアーチェへと、騎馬は尚も突進していく。

 今の一撃でディアーチェが倒れない事は織り込み済みだったのか、一縷の迷いも無く追撃を行う。

 ルイスの手にはデバイスが握りこまれ、このままディアーチェに突き立てんと迫る。

 砲撃魔法を溜め、射出するよりルイスが駆けた方が圧倒的に到達時間は速い。

 また、本来の力を発揮出来そうもない今のディアーチェには、ルイスの超近接攻撃であっても有効になり得るだろう。

 もうあと一息の跳躍で届く位置に、尚もディアーチェはフラついて留まっている。

 

「ーールイス、受け取って下さい」

 

 そして、シュテルの手がルイスに添えられた。

 ルイスの絶望的に少ない魔力量をカバーする為、シュテルもナイフ形デバイスに魔力を注ぐ。

 朱と銀の魔力光が、簡素なデバイスを覆い尽くし、そして。

 

「ーーーーッ!!」

  

 ディアーチェへと、激突した。

 ーー否。

 

「あまり、我を……舐めるなァ……!!」

 寸前で意識を覚醒させたディアーチェに、受け止められていた。

 ぶつかるデバイスと防壁が、赫々と魔力光を散らし、地上間際に花火を作る。

 

「ーークッソ、流石ディアーチェ!」

 

 華やかな命の削り合いから先に身を引いたのは、ルイス達だ。

 このままぶつかり合えば、間違いなく総合的な魔力量が決定打となる。

 当然、ルイスとディアーチェの魔力量など比べるまでもなく、少しでも消耗を避ける為の行動を強いられた形だ。

 小さく苦渋を言葉にし、けれど流麗な動きで斜め右へと跳躍し、空中でそのまま半旋回する。

 真正面の防壁をすり抜ける様に、死角となる後方へと踊り出たのだ。

 それは、こうなる事を初めから予想していたかのようで、迷いも恐れもない、美しいとまで思わせる華麗なステップだった。

 ディアーチェもそれに呼応し、グルリと向き直り応戦しようとするーーが。

 

「っぐ、この!?」

 

 ルイスは跳躍と同時に地面を意図して削り、靴の上に僅かな土埃を乗せていた。そしてそれを躊躇なく蹴り上げ、ディアーチェへとぶちかましたのだ。古来より使い古された、古典的な目潰した。

 だが、今この時においてはそれも効果的に作用する。

 ディアーチェは咄嗟に右目だけを閉じ、片方の眼球を保護した。

 両目を瞑れば一瞬だが視界が完全にゼロとなる。

 ミドルレンジに追い込まれた状況でそれだけは避けねばならない行為であり、ディアーチェは片目だけを護る選択を取ったのだ。

 だがそれでもほんの一瞬の怯みは避けられず、僅かに体が硬直する。

 

 そして、隻眼のディアーチェが次に見たのは、朱色の魔力光。

 ルイスが半旋回するタイミングと同時、シュテルは「ブラストファイヤー」を発動させるに足る魔力を密かに溜めていた。

 本来であれば立ち止まらねば出来ぬその挙動を、何故か可能としーー

 

「ブラストォ……ファイヤアァアアアア!!」

 

 流れる様な横っ飛びの最中、再びの劫火が炸裂する。

 近距離で炸裂した高密度の魔力柱が、轟音と爆炎を伴いディアーチェを吹き飛ばした。

 

「「「お、ぉぉおおおおおおお?!」」」

 

 息も詰まる攻防に、観客席から遅れて歓声と拍手がこだました。

 




台風の影響でPCが消し飛び、書いていたデータが消滅しました。
おまけに不備でデータ消えたのが2回。

あーーーーって叫びながらふて寝していたら、もう10月でした。いや、マジで遅くなってすいません。思い出しながら書いているので、きっと次はスムーズに投稿できるはずです。多分。頑張ります!!


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第15話 決着と告白とファーストキス(中編)※挿絵あり

前後編にわけるつもりがまさかの中編突入です。
頑張れシュテるん負けるなルイス。

ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。



「ね、ねぇクロノ君……移動しながら砲撃なんて出来るの……?」

 VIP観戦室の一室で、なのは隣に座るクロノへ困惑の視線を向けた。

 はやてもポカンと口を開け、小さく「えぇ……?」と疑問を言葉にしている。

 

 まだ魔法と出会い日の浅い二人は「そもそも可能なのか」という疑問。

 それ以外の魔法を熟知する者は「あり得ない挙動」に眉をひそめる状態だ。

 クロノも目の前で起こる不可解な戦闘に、一魔導師として肌が泡立つのを自覚する。

 

「……通常であれば、不可能だ。君たちだってそれはよく分かっているはずだ」

「う、うん……でもだったらどうして……?」

「考えられるとすれば、やはりーー」

 クロノは、模擬戦中とは思えない微笑みを浮かべる青年を、見る。

「まず間違いなく、ルイスさんの稀少技能だろう」

 クロノの回答に、はやてはどこか腑に落ちないのか口を尖らせる。 

「ルイスさんの稀少技能……禊魔法言うんやんね。確か、あらゆる事象からの干渉を打ち消す魔法やった思うけど……でも、資料を読んだ限りやと、効果範囲は自分だけとちゃうん?」

「ああ、それは間違いない。第三者に禊魔法を行使する事は出来ない……が、恐らく、ルイスさんがシュテルのデバイスに触れているのがミソだ」

 クロノは記録映像を砲撃の瞬間まで巻き戻す。

 

 そこには、砲火を上げるその瞬間、シュテルの代わりにルシフェリオンを握るルイスの姿が映っていた。

 魔術コマンドの詠唱が完了したと同時、コンマ一秒のズレも無く、シュテルはデバイスをルイスへと受け渡していたのだ。 

 確かに、衝撃を受ける主体がルイスとなる事で、強大な反動は全て受け流す事が出来る。

 逆にシュテルはデバイスに僅かに触れ、魔力の供給と調整を行うだけでいい。そして照射が終わると、またルイスからルシフェリオンを受け取る流れだ。

 ルイスが支え、シュテル維持する。まさに完璧なコンビネーション。寸分の狂いもなく、攻撃中にデバイスのバトンを行ったのだ。

 一歩間違えれば魔法が暴発しかねない、危険な行為である事は間違いない。

 それを平然と行えるなど、一体どれほどの信頼関係があるというのか。 

 

「禊魔法は自身へ加わるあらゆる事象を排除する魔法だ。つまり、本来あるべき衝撃を不要な物として祓った、という事だろう」

 クロノは続ける。

「通常は砲撃主であるシュテルが負うべき負荷だ。けれど、魔法が成立し、後は魔力を流すだけとなった絶妙なタイミングでルイスさんがデバイスを代わりに支える。そしてその負荷を祓った……」

 

「なるほど…‥そういう事かぁ。せやから、砲撃魔法特有の硬直が無くなった言うわけなんや。いやでも何ていうか、メッチャ綱渡りやな……」

 クロノの言葉をはやてがリレーし、首を縦に振る。

「せやけど、笑えるくらい息ピッタリやね。わたし、どんだけ練習してもあんな芸当出来る気せーへんで」

「……全くだな、何から何まで無茶苦茶だ。だが、事実それをやってのけているあの二人、相当に修練を積んだのか、果ては……」

 クロノとはやては思わず苦笑していた。

 仮にも魔法に携わる者として、最早サーカスとでも評すべき二人の行いに、ただ関心するばかりである。

  

「んー、けどあの二人って今は念話を使えないんよね? それでよーあそこまで連携とれるわ、心が通じ合っとるみたいで妬けてまうな」

「まぁ、確かに念話を用いていないのは驚異的だな。だけれど、そうだな。シュテルの足を見てみるといい」

「……んん?」

 はやては映像データを、デバイスの譲渡が行われる直前まで巻き戻す。

「……なんや、シュテルがルイスさんを思いっきり蹴っとるな。そういう趣味なんか?」

「君の冗談は笑っていいのか毎度困るな。それで、まぁ手信号……というより、足信号とでも言えばいいのか。おそらく、シュテルが蹴る角度や強さによって、ルイスさんは進行方向や取るべき行動を決めているんだろう」

 ディアーチェがルイスを馬の骨と呼んではいるが、文字通り手綱を握っている状態だな、とクロノは思う。

 しかし、それだけで完璧にコミュニケーションを取れているこの状況は圧巻と言うべきものだ。

 いくら親しい間柄でも、同じ様な芸当が果たして出来る者がどれだけいるか。

 

「ははぁ……驚かされてばかりやな。後学の為にもよー見とかなあかんなぁ」

「ああ、実際ここまでの連携はそうそう見られるものじゃないからね」

 

 解説を聞き終え、再び観戦に集中し始めたなのは達の隣で、クロノは思考にふける。

 言葉にすれば何てことは無い単純明快な戦術だ。

 だが、その難易度はさる事ながら、「移動しながらの砲撃」とは、現代の魔法戦を根底から覆す行いであった。

 まだまだ実戦経験の少ないなのはとはやては理解出来ていない所もあるが、後方で腕を組み観戦するシグナムの表情は険しい。

 ルイス達が行った意味合いに気付いているのだ。実際、観客席の半数以上が応援も忘れ口を半開きにしていた。

 彼らもよく理解出来ているのだ。

 二人の行いが齎す可能性の大きさと、そしてその脅威を。

 

 ミッドチルダ式魔法を大きく分類すると、射撃、砲撃、打撃(斬撃)、魔力斬撃、遠隔発生、広域攻撃の六つに分類出来る。

 この中において、砲撃と広域の魔法は基本的にその威力は群を抜いて高い。

 そしてそれは同時に、術の前後で非常に大きな隙が生じるという事でもある。

 

 つまりは、砲撃特化の魔導師にとって、「如何にして砲撃を当てるのか」が最重要課題なのである。

 当たればそれは勝利に直結するが、策が無ければ掠りもしない。

 だからこそバインドという魔法が生み出され、足止めの役割として射撃魔法に数多くのバリエーションがあるのだ。

 豊富な射撃魔法や、いくつものバインドを駆使する者がいたりと、砲撃主体の魔導師のスタイルは様々だ。だが、結局その全てが「一撃必殺の魔法を当てる」事に帰結する。

 ある意味で彼らは、「相手の動きを止める」スペシャリストとも言えるのだ。

 

 威力の落ちる魔法程、溜めの時間も挙動も少ない。

 威力の高い魔法程、その代償として多大な魔力と隙が生じる。 

 兎にも角にもこれが基本であり、魔法戦における絶対的な定めなのだ。

 

 だが、禊魔法の恩恵を受けたシュテルは、その枷から完全に解き放たれた。

 シュテルは高町なのはを元としたマテリアルである。

 当然、その魔法の殆どが射撃と砲撃だ。

 良くも悪くも、大威力の魔力砲をタクティクスの根本に据えて行動する。

 

 そんな生粋の砲撃魔導師が、欠点を完璧に無くし利点のみを極限まで高めたならどうなるか。

 それは、想像するに容易いというものだ。

 

 今のシュテルはまるで、対艦砲を担いで歩く砲兵だ。

 みなが立ち止まり砲を放つその中で、ただ一人立ち止まる事も無く、どこまでも優位に火を噴き続けるのだ。

 魔法の制約や距離での優劣は、今のシュテル達を前にすれば全て過去の物である。

 どこからでも、どのタイミングであっても。

 当たれば確実に墜とされるだけの炎が、常に牙を剥くのである。

 最早、出鱈目もいい所だ。

 今の彼らは、事実上射撃戦で無敵の存在だと言っていい。

 

 そして何より、ディアーチェが追い立てられる要因はもう一つ存在していた。

 それは、「現代の魔法戦の在り方」だ。

 

 魔導師が編隊を組んでぶつかり合うは過去のもので、現在の戦闘は主に艦隊決戦で雌雄を決すが常である。

 艦隊戦での敗北は同時に、軌道爆撃の始まりを意味している。

 遥か「空」からの絨毯爆撃は根こそぎ地上を薙ぎ払い、決定的な決着へと繋がるのだ。

 

 詰まる所、艦隊戦の勝敗が争いの全てであり、最早個人レベルで銃火器を持つ時代は廃れて久しい。

 それ故に、現在のミッドチルダでは質量兵器の全廃を掲げられ、またそれを完遂しているのだ。

 赤子や老人がボタン一つで世界を滅ぼせる質量兵器を悪とし、「クリーンな兵器」である魔法を導入する。 

 勿論、質量兵器の保持を許可される例外も存在するが、管理世界においては旧世代の武器は何一つ残されていない。

 これが達成できた要因も、やはりは艦隊戦が主戦場に移り変わったからに他ならない。 

 

 だがそれでも、どうしても戦略的に艦隊を派遣出来ないケースは存在する。

 例えば、観察対象である管理外世界上での戦闘行為。もしくは、灰にするわけにはいかない重要拠点がある場合、などが該当する。

 そして、そういった場合において派遣されるのが、やはり魔導師なのであった。

 

 そうなると必然、魔導師が相対する者は、同業者か質量兵器、又は古代遺産という事になる。

 そのため現在の魔導師は、対魔導師と対質量兵器の二つの戦闘スタイルを使い分ける事となるのだ。

 

 いまだ質量兵器を使用する管理外世界や、果ては古代遺産が眠るかもしれない荒廃した星。

 そういった場所で戦う場合は、魔導師の常識が通用しない場合も多い。

 特に古代遺産を相手にする場合は、自走しながらの大出力の砲撃が無いとも言い切れない。

 そういった場合には、対魔導師戦という想定を捨て、対質量兵器戦の動きへと移行する。

 

 だが今回ディアーチェは、当たり前であるが対魔導師戦を想定して臨んでいた。

 魔導師との闘いであれば、最適化された戦闘スタイルというものが幾つも確立されている。

 そうなれば、その選択肢を選ばない者はいない。

 ましてや、でこぼこコンビとはいえ、一級の空戦魔導師であるシュテルの砲撃は無視できる代物ではない。

 その為、「大火力砲を持った陸戦魔導師」と相対する前提で作戦も練っていた。

 だからこそ、その根本に揺らぎが生じた事が何よりも大きい。

 

 そしてそれはどの様な魔導師であっても初見で対応する事など不可能だろう。

 故に、今この場にいる魔導師は、眼下で起こる模擬戦に魅了され、時には恐怖すら覚える。

 

 今この時、この場所は。魔法戦の定理から、大きく外れた位置にあった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ディアーチェは、焦っていた。 

 自身を襲う理不尽な砲火に痛む体。

 冷静ではないと自覚出来ない程に、彼女の意識は錯綜していた。 

 何故だと疑問がある。

 どうして、今自分は追い立てられているのだと、憤りが込み上げた。

 油断も余念もなく、本気で臨んだはずの模擬戦で、確実に後手に回っている。

 自分の力の無さに、ディアーチェはただただ憤慨する。

 

 そして同時に、不可解だと訝しんだ。

 どうして、あのシュテルがここまで危険な戦術を選択したのか、と。

 

 彼女の知る限り、シュテルはいくら戦闘マニアの気があったとしても基本的には安全を第一としていたはずだ。

 余程の緊急性がない限り、こんな強行策を選ぶ事はしない。 

 だが、実際に彼女は魔法が暴発する危険も顧みずに、デバイスのバトン渡しを行ってみせた。

 

(シュテルは変わった。おそらくは、奴と出会ってから)

 

 ディアーチェは、幾多の経験からくる防衛行動を無意識に行いつつ、思う。

 自分の知るシュテルが、段々と薄くなっているのだと。

 それは嬉しくもあり、けれどどこか寂しさもあり。 

 混乱した戦況の中で、どこかのんびりとしたそんな思考が頭を振っても湧いて出てくるのだ。

 

 家長として、王として。

 シュテルの人間らしい成長は、むしろ望む所である。

 これからは一人の少女として、人間として生きていくのだ。

 シュテルがどのような感情を得ようとも、それは歓迎すべき事柄であるはずであった。

 

 だが、そこにどうしても小さな違和感が浮かんでは消えない。

 素直ではあるが人一倍警戒心も強く、どこか達観しているからこそ、他人との間に壁がある。

 そんな少女が、特殊な状況だからといって、こうも簡単に異性に心を許す事があるのだろうか。

 否。ディアーチェの知る限り、それはシュテルから最も遠い心の動きだ。

 

 ディアーチェは、シュテルがルイスに対し抱く感情には気がついていた。

 もちろん、それに口出しする権利は自分には無いと理解はしている。

 だが、漠然とした「嫌な予感」があった。

 この状況を作り上げた、黄金の手枷から感じる気配は、どうにもーー。

 

「ーーーーッ」

 

 降り注ぐ火柱に思考を断ち切られ、ディアーチェは我に返った。

 走馬灯の様なぼんやりとした取り留めのない考えは、外に追いやる。 

 

 尚も続く砲火を寸前で避け、時には受け止め、ディアーチェは滑空した。

  

「この、いい加減に……!!」 

 

 ディアーチェはエルシニアダガーをルイス達へ反射的に射出した。

 それは、執拗に追い立てられるこの状況からの焦りで、ただ咄嗟に放った魔法である。

 可能な限り広範囲にばら撒き、少しでも足止めになれば、という狙いはある。

 だが、それは明確な失策といえた。

 どんなに小さくても、魔法を行使する際は隙が出来る。  

 一呼吸の跳躍で肉薄する距離にルイスを置くこの状況で、その一瞬の隙が致命的である事は間違いなかった。

 当然、ルイス達はそれを見逃さない。 

 踏みしめる大地を陥没させ、跳ぶ。

 勝負を決する為に、空気を切り裂き突き進む。 

 

(ーーあぁ、これで我の負け、か) 

 

 くく、とディアーチェは喉を鳴らした。

 勝敗の行方を察し、僅かに顔を歪ませる。

 恐らく、ルイス達は弾幕を無視して最短距離を突破してくるだろう。

 この場を脱する為、苦し紛れに弾幕をバラ撒いたが、完全に仇となった。

 肉を切らせて骨を断つ。

 あとは強引に体を捻じ込ませ、一気に喉元に食い破られるだけ。

このタイミングであれば、防壁を張る余裕も無い。 

 

(はてさて。存外、清々しいものよな)

 

 冷静でなかったと、今になってディアーチェは思う。

 普段であれば、絶対にしない安易な攻撃であったと。

 

(ふん、認めよう完敗だ。さて、まぁ……今宵の食事は何にしようか)

 

 ディアーチェが内心で惜しみない拍手を送ったその矢先。

 だが、ソレは起きた。

 

「ーーが、あ、ぁあぁああああ?!」

 

 ディアーチェの弾幕に突っ込んだルイスが、突如悲鳴を上げて倒れこんだのだ。

 見ると、ルイスの肩に砲弾が直撃したようだった。

 確かに、衝撃と痛みはそれなりにあるだろう。

 だが、斉射範囲を広げる為にも、ディアーチェの魔法の威力はかなり抑えられていた。

 歯を食いしばれば、それこそ耐えられない事はないはずだ。

 しかも今回は直撃する可能性を見越して突き進んでいたのだ。

 尚の事、ルイスであれば耐えきれる算段は大きかったはずである。

 

 だが、当のルイスは冷や汗が噴き出し、目の焦点も定まっていない。

 撃ち込まれた右肩を押さえ、その場にへたり込み動く事が出来ないのだ。 

 

「ーール、ルイス?! どうしたというのですか?!」

「な、んで、だ……? どうして、ぐ、くそ、痛ってぇ……」

 譫言の様にブツブツと呟き、最早そこにいつものルイスはいなかった。

 痛みと混乱に支配され、飄々とした姿は影も形もない。

 ただひたすらに疑問と苦悶を口から零し、地に蹲って小さな痙攣を繰り返していた。

 

「……………」

 ディアーチェもあっけにとられ、ポカンと口を開けて空に佇む。

 眼下の二人はどうにも、演技をしている様には見えない。

 知る限り、ルイスは致命傷と思しき傷を負っても平然としていたはずだ。

 あの時の公園で、自らの腕を爆破させて尚、絶えず笑みを浮かべていたではないか。

 だというのに、今のルイスはどうだ。

 まるで赤子が如く、痛みでその身を硬直させ倒れ伏しているではないか。

 

(ーー罠か?)

 

 ディアーチェの思考は当然と言えた。

 散々に策を弄す老獪さがあり、しかも痛みに対する耐性は化物並みだという事も知っている。

 ディアーチェの把握するルイスとかけ離れた光景は、好機よりも不気味さしかない。

 

(しかし……)

 

 だが、ルイス達はあのまま突っ込んでいれば間違いなく勝利を手にしていただろう。

 わざわざそれを放棄してまで張る罠とは如何様なものか。

 

(分からん、なんだこの状況は……!)

 ルイス達は、あのままディアーチェを追い立てる以外に選択肢はなかったはずだ。

 一度体制を立て直せさえすれば、ディアーチェとしてもいくらでも戦略を組み立てる事が出来る。

 それを放棄してまで、ここで罠に誘う狙いがどうしても分からない。

 罠だとしても、これは好機ではないのか。

 

 このまま反撃に転ずるか、果ては一旦この場を逃げ切るか。

 

(ーーーーッ)

 

 だが、ディアーチェは、後者を選択した。

 

 観客からすれば、何故ディアーチェが当惑しているのか分からず、ざわつきは大きくなる。

 仮に実況解説の席があったとしても、疑問の弁を述べるばかりだっただろう。

 事情を知らぬ者を置き去りに、模擬戦に黒い雲が立ち込めつつあった。 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ーールイス! ルイスどうしちゃったんだよ!!」

 レヴィはただ青年の名を叫ぶばかりであった。

 ここからでは声も届かぬと理解はすれど、感情は口からまろび出る。

 画面の奥で起きている状況は、明らかに異常だ。

 シュテルとルイスの表情を見れば、レヴィにはそれがすぐに分かる。

 彼らに、不測の事態が起きているのだと。

 そして、このままでは二人が負けてしまうだろうと、レヴィは焦る。

 

「ク、クロノ君……! これって……?!」

 シャマルは何かに気が付いたのか、その顔からは血の気が引いていた。

「……どういう事だ、いやしかしこれは」

 クロノも思わず立ち上がり、苦悶の表情を浮かべるルイスを見る。 

 

「ーーーーッ」

 

 シャマルは外へと繋がる扉へと駆け寄り、取手に手をかけた。

 

「ーー待ってください、シャマルさん」 

 

 だが、クロノは振り返らず、言葉のみでシャマルを止める。

 

「……クロノ君。私、彼を助けにいかないと」

「いえ……。彼らにも何か考えがあるのかもしれないです。もう少しだけ、様子をみましょう」

「でも、でもそんな事を言っている場合じゃあないかもしれないのよ……?!」

「勿論分かっています……。危険と判断出来たならば、すぐに止めます。ですので、彼らの為にも、ここはどうか」

 シャマルが見せる医師としての険しい顔に、その場の皆は息をのむ。

 二人の雰囲気が明らかに切迫したものに変わった為か、傍にいたなのは達も顔を見合わせた。

 何か、事故が起きたのだ、と。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ルイス、ルイス!! しっかりして下さい!!」

 シュテルは何が起きたのか分からず、脂汗をかくルイスに声をかけ続ける。  

 当然、これは演技や計略などではない。そんな打ち合わせはしていない。

 幸いにもディアーチェは警戒してかこの場を去っている。

 

「…‥‥ッ!」

 

 シュテルはルイスの重く大きな体を必死に引っ張り、建物の影に移動する。

 この模擬戦は、ある種のパフォーマンスなのだ。自分達が如何に有用なのかを証明する舞台にしなければいけない。

 逆に言えば、醜態を晒し続ける事だけは避ける必要がある。

 だからシュテルはルイスの安全と当初の目的を果たすため、カメラの死角となる物陰まで無理にでも移動したのだ。

 

「ご、め……シュテ……」

 息を荒げ、ルイスは謝罪した。

 不遜とも言える笑みは見る影もなく、小さく弱々しい青年がそこにいる。  

「……ルイス、これが何本か分かりますか?」

 シュテルは指を2つ立て、ピースの形をつくる。

「え……?」

 だが、ルイスは応える事すらままならない様子だ。

 耳から入った言葉を脳は咀嚼せず、ただ煩雑に踊るだけ。

 簡単な質疑も、最早成り立つ気配は無い。

「ーーっ」

 現状への理解は全く出来ていないが、シュテルはルイスの身に何かが起きたのだという事だけは分かった。

 そして、この状況を打破しなければ自分達に未来はないのだと。

 

「……どう、しましょうか」

 シュテルは考える。

 この状態で模擬戦を続ける事は危険ではないかと。

 今ここで降伏し、中断するというのも立派な道ではないのかとさえ思う。

 

(ーーいいえ、ですがそれは……。今日ここで勝たなければ、ルイスが黒獣捜索の任に着く機会はもう訪れないでしょう)

 

 目の前で震える青年が、何故か黒獣に固執しているのは明白だ。

 なら、シュテルがこの試合を投げだせるはずがなかった。

 ルイスの思いを無下にする事なぞ、今のシュテルには到底出来はしない。

 恨み言を言われても止めるべきと理解はすれど、情動がそれを上回る。

 

 理のマテリアルとして、最も外れた選択を、彼女は取った。

 

(けれど、ルイスがこの状態では勝ち目など‥‥…)

 シュテル達の作戦は、ルイスの機動力あってこそだ。それを欠いた状態でディアーチェと勝負になるはずがない。

 予想すらしていなかったこの状況に、混乱はシュテルにも伝播する。

 刻一刻と、自分たちは不利になっていく。その確かな感覚が、じっとりとした汗となって滴り落ちた。

 ディアーチェがいつまでも彼らを放置するはずもない。

 もし異常を悟られ、このタイミングで攻勢をかけらたならばひとたまりもないだろう。

 

(この窮地、どうすれば……)

 

 打開する方法は単純だ。

 ルイスが正気にさえ戻ればいい。

 それさえ叶うのであれば、まだ「秘策」はある。勝機はあるのだ。

 

「……ッ!」

 故に、シュテルは思考する。

 この状況を打破できるだけの術を。 

 膨大な知識を掻き分け、取るべき方策を探る。

 医学書や民間伝承、果ては戯曲の知識までも総動員して頭を回す。

 

「今のルイスはショック状態にあると判断します。となれば、やはり乱暴ですが別の何かでソレを上書きするのが得策でしょうか」

 頭を引っ叩いてみましょうか、とシュテルは思うも、ルイスはどうやら「痛み」が原因で錯乱しているきらいがある。

 となれば、痛覚を伴う刺激は出来る限り避けるべきだ。

「では……」

 

 シュテルは短いながらも、ひたすらに濃密であったルイスとの生活を思い出す。

 ルイスのリアクションが他より大きかったものは何か。

 つまりは、ルイスの感情を最も昂ぶらせたものは何か。

「…………」

 ただ考え、反芻し、シュテルは過去を覗き込む。

 目の前で苦しむ青年との日々を、我武者羅に思い浮かべる。 

 

「…………分からぬ、ものですね、何も」

 

 だが、シュテルはそれが分からない。

 結局、彼はいつどんな時もただ笑っていただけ。

 食事の時も、朝の挨拶の時も。お風呂に一緒に入った時でさえ、彼はただ変わらず笑みを浮かべていた。

 同様で一律の、愛想笑い。

 表面的には大袈裟に振る舞っていても、その実どこか冷めた目でいた事をシュテルは知っている。

 

「…………」

 悔しい、とシュテルは思う。

 あれだけ傍にいたというのに、何一つとしてルイスを知らないという事実に。そして何より、どうしようもなく悲しかった。許されるのであれば、思うままに叫びたい衝動さえ込み上げてくる。

 

(もし……もし、この場にレヴィがいたならば……)

 ともすれば、あっという間に解決していたのかもしれない。

 恐らく、自分よりもルイスの事を理解している青髪の少女を思い浮かべ、シュテルは泣きたくなる程に胸の奥がズキリと痛んだ。

 

「……ルイス」

 小さく、自分でさえ聞き取れない声で、シュテルは呟いた。

 縋る様に、求める様に。

 痛む胸の鼓動を和らげたいのだと、願う様に。

 潤んだ瞳と、赤い頬。

 シュテルは、ルイスへと顔を近付けていく。

 

 それは、いつか観たメロドラマ。

 陳腐な恋愛慕情だと、溜息をついた行為。

 永遠の眠りを覚ます、魔法の行い。

 

「ーーーーっ」

 

 シュテルは無意識に、ルイスと唇を重ねた。

 

 口を離し、数秒。

 自分のしでかした事実に気が付いてか、シュテルの頬は羞恥に赤く染まり、目は落涙寸前まで潤む。

 

「………………」

 ぼう、っとルイスはシュテルを見た。

 呆気にとられ、ただ、驚きの表情を注ぐ。

 焦点の定まらなかったルイスの視線が、シュテルを捉えた。

 

 しばし、無言で二人は見つめあう。

 どことなく気まずい空気が、重たく、その場を包み込んだ。

 

「……落ち着き、ましたか?」

「え、っと……う、ん……」

 絞り出す様に、シュテルは微かに震える声で続ける。

「ショック療法……です。後でどのような叱責も受ける覚悟です。ですが、どうか今は……」

 それは自分に言い聞かせるように。

 酷い言い訳だとシュテルは思う。

 自分の行為に正当性を持たせ、保身に走っているだけだと。

 恥ずべき行為であると、怒りさえ湧いてくる。

 

「ーーーーッ」

 ルイスの顔をまともに見る事が出来ず、思わずシュテルは背中を向けた。

 罪悪感と、そして確かな嬉しさもあり、感情が混ぜこぜになったシュテルの視線はただ惑う。

 

「……ごめん、シュテル」

 冷静さを取り戻したのか、ルイスはよろよろと立ち上がった。

 自分の不甲斐なさが、シュテルに望まぬ行為をさせたのだと、そう思ったのだ。

 

「……いいえ」 

 悪いのは私です、と続ける事が出来ない。

 ルイスは震えて言葉も出せないシュテルの頭を、そっと撫ぜた。

 

「ーー勝とう、シュテル」

  

 ルイスはディアーチェが飛び去ったであろう方向を見た。

 ここまでシュテルにさせたのだ、勝たねば全てが嘘になる。ルイスの視線には、そんな意志が込められているように見えた。

 シュテルはぎこちなく表情を固め、視線の行く先をルイスと同じくした。

 だがそれでも纏わり付く罪悪感に足は竦み、慚愧の念が意志を蝕んでいく。 

 ギュっと、シュテルは双眸を瞑り、頭を振った。

 ハッ、と小さく息が吐きだされ。

 

 --パン、と乾いた音が続けて響いた。

 

 シュテルが自分を平手で叩いたのだ。

 赤くひり付く頬はジンジンと痛みを伝え、溺れる感情を解いていく。

 スッと息を吸い、そこには何かを振り切る様に決意の意思を燃やすシュテルがいた。

 

「ーーはい。勝ちましょう」

 

 ルイスはシュテルに一瞥もくれず、静かに頷く。

 そして二人は前へ進む。

 ここで終わらせはしない為、前へ。

 ビルの陰を抜け、光の先へと、彼らは足を踏み出した。

 

 

 

【挿絵表示】

 




劇場版公開されましたね。早く観に行きたいでございます。

さてまぁ、知り合いに見せたら「お、あれか?キスするから中編なのか?そこんとこどうよ」って突っ込まれましたけれど、偶然なので悪しからず。確かに「ちゅう編」ではありましたが。

それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。

※挿絵追加しました

この素晴らしき挿絵は、「んにゃら」様に描いて頂きました。ありがとうございます!
んにゃら様pixiv→https://www.pixiv.net/member.php?id=1437319


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第16話 決着と告白とファーストキス(後編)

あらすじをちょっとだけ変えました。
本編はシリアス続き。色んな「決着」があります。

ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。



「……いよいよ、シュテル達は追い詰められたな」

 VIP観覧席のシグナムは、ボソリと呟いた。

「あぁ、しょーじきアレだ、隠し玉でも無い限りもう無理なんじゃねーの?」

 ヴィータもそれに続き、相槌を打つ。

 

 ルイス達の作戦は、移動砲撃による一方的な撃墜にこそ意味があった。

 断続的に理外の攻撃を続けることにより、イニシアチブを常に握り、反撃の隙を与えぬままの決着。

 それこそが、最大にして唯一の勝機であっただろう。

 おおよそ、人が混乱から立ち直る為の時間は二十秒程度とされる。

 そのリミットを過ぎると、冷静な思考が可能となる。

 シュテル達は、その僅かな秒数に死力を注いでいたのだ。

 だが、予期せぬアクシデントにより、遠の昔にその時間は過ぎ去った。

 

 おまけに、ディアーチェという魔導師は、魔法の才能以前に戦いにおけるセンスが突出している。

 的確な状況判断に冷静な分析、緻密さと大胆さを兼ね備えた作戦行動。

 その全てが卓越し、そしてそれに驕らぬ精神力もある。

 そんな魔導師を墜とすとなれば、それこそ同じだけの怪物でなければ不可能だ。

 

 実際、作戦は途中まで上手くいっていたのだ。

 虚を突く一撃は、間違いなくディアーチェの喉元を噛みちぎらんと迫っていた。

 だが、寸前の所で起きたトラブルが、全てを水泡に帰した。

 ディアーチェに同じ手は二度と通用しない。

 それを分かっているルイス達であるからこそ、綿密に伏線を張り巡らせていたのだ。

 その全てが機能しなくなり、だがそれでも、彼らの眼は死んでいない。

 むしろ、より苛烈に燃えている。

 絶望的とも言えるこの状況で、彼らが笑う意味とは何か。

 

「ふん。あのルイスって野郎がヘマこいたのは間違いねーがよ……」

 ビルの陰から現れた二人の顔つきを見て、どこか満足げにヴィータは口角を上げた。

「ッハ。アイツら、まだ諦めてねーな。だったら、お手並み拝見といこーじゃねぇか……!」

「……あぁ、楽しみだ」

 

 シグナムとヴィータは壁に寄りかかりながら、戦いの推移を見守る。

 元々、二人はルイスに対し懐疑的な部分があった。

 だから、この場を借りてルイス達を見極める為に参列していたのだ。

 だがいつしか、二人は試合そのものを熱心に見つめていた。

 幾重もの修羅場を潜り抜けてきた彼女達には、必死とも、決死とも思えるその刃に、少なからず思う所があったのだ。

 理屈では無く、直観に近い物ではある。

 けれど、彼女達は確かな感覚があった。 

 今この時において、彼は確かに「ひたむき」なのだと。 

 

 そして。

 

(あぁ……。なんと、寂しい剣だろうか……)

 

 修羅の道を歩む者特有の「影」を、シグナムは青年から感じた。

 もしも自ら望んで進んだ道なのであれば、それは自業自得というものだろう。

 だが、彼はどうにも。

 そう、どうにも苦しそうに、鬼気迫る様に笑うのだ。

 

(これではまるで、溺死する寸前の様ではないか。抱く夢に溺れ、あてど無い水面を目指す様な……) 

 

 シュテルが入れ込む理由も少し分かるな、とシグナムは表情を変えずに思う。

 

(あぁ、そうだとも。彼の生き様は、どこか私達と似ているのだ。だからどうしようも無く、目を背けたくなるのだろう)

 

 シグナムは真横で苛々と体を揺するおさげの少女を見る。

 

(振り切り、今を生きると決めたというのに。まるで過去の自分が顔を覗かせている……そんな気分、だな)

 シグナムは、同室にいる面々を順に眺めた。

 今こうして笑顔でいられる事が、奇跡そのものだと、改めて思う。

 それだけ、ここにいる者達の過去は「壮絶」であり、暗澹たるものであったのだ。

 

(私以外にも、彼と過去の自分を重ねる者は多いのだろう。こういうのは、直観的に分かるものだ。それこそ、嫌という程骨身に染みているのだから)

 

 シグナムは画面に映し出される、傷だらけの青年を見る。

 何を考えているか分からぬ、光の無い一律の笑顔。

 ギュっと、シグナムは腕に込める力を強めた。 

 

(私達が共感出来てしまう程に、彼の日常は地獄だったのだろうか。普遍の道を生きていたのならば、私達と同じ「空気」を纏う事はなかったはずだ。それだけ、あの青年が進んでいる道はどうしようもなく……)

 

 ふっと、シグナムは目を細める。

 

(あぁ、そうか。シュテルは、私達がこうして笑い合えている場所に、彼を引っ張り上げたいのだな……)

 シグナムは、車イスに座り無邪気に応援する少女に、薄く笑む。

(ここは、居心地がいい。あぁ、そうだ。「これ」を一度でも味わうと、存外に手放したくないと思うものだ)

 

 シグナムは、思う。

 シュテルも自分も、水底から掬い上げられた先で、光を浴びているのだと。

 

(ならば、勝て)

 シグナムは、心の内で眼下の少女にエールを送る。

(ここで負ける様では、その青年を救えはしないぞ、シュテル)

 

 無表情に表情を変える、どこかの少女とよく似た少女を、見た。

 

 

 そして観客席は、二人の再登場で熱いどよめきで揺れている。

 叱咤激励をする者。

 純粋に声援を送る者。

 無言で腕を組み、頷く者。

 

 けれど、青年と言葉を交わした事のある、幾人かだけは。

 どこか胸が締め付けられながら、青年の笑顔を見守っていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 ルイスとシュテルは、姿の見えないディアーチェをあてどなく探すーーーー事はしなかった。

 二人がビルの陰で体制を整えるまでに要した時間は大よそ四十秒。

 一分にも満たない僅かな時間ではある。だが、戦いに置いては致命的なロスに他ならない。

 

「多分、ディアーチェはそこかしらにトラップを仕掛けているだろうね」

「ええ、私達が地上しか移動出来ず、ディアーチェは空を翔ぶ。となれば、一方的に設置型のバインドを張り巡らせているでしょう」

 

 ルイスはガシガシと頭を掻き、どこか嬉しそうに溜息をついた。

 そして、とあるビルディングの一角に視線を流す。

 何かを確かめる様に頷き、にやりと笑ってみせた。 

 

「それで、ディアーチェの耐熱レイヤーは全部剥がれている頃合いかな」

「ええ、それは間違いないかと」

 

 耐熱レイヤー。

 それは、バリアジャケットに搭載される複合防御機能である。

 通常時であれば起動しない機構であり、想定以上のダメージを受けた際にのみ発動する。

 ジャケットの換装と同時に張られる表層レイヤーを消費する事で、特定の攻撃に対して威力の減退をはかるのだ。

 バリアジャケットを四散させて威力を反らす「リアクトパージ」と呼ばれる防御機構を発展させたものだ。

 耐熱や耐冷、耐電といった様々な種類のレイヤーがあり、どの属性にも対応出来るよう基本的には全て張り込まれている。

 今回、ディアーチェはシュテル達と対峙する事が分かっていた。

 そのため、特に熱に対するレイヤーを重点的に仕込んでいた。

 だが、度重なる砲火により、ディアーチェの耐熱レイヤーは全て塵となっている。

 むしろ耐熱レイヤーを厚くしていなければ、すでにディアーチェは撃墜されていただろう。

 幾度の実戦経験から、シュテルはディアーチェが置かれる状況を看破してみせたのだ。

 

「だったら、やっぱりアレをやるしかないよね」

「はい、それしかないでしょう」

 ふっと一拍を置き、

「……ですが、スカートはしっかりと押さえておいてください」

 

「大丈夫、シュテルのパンツは僕が守る!」

「……言い方は気になる所ですが、お願いします」

 

 シュテルは少し躊躇いも見せつつ、仰向きで寝転がった。

 ルシフェリオンは抱える様に構えている。

 そして、どこかホッとした表情も見せていた。

 今まで通り、普通に話す事が出来ている事への安堵が、そこにはある。

 シュテルは先頃のまでのやり取りを今は忘れ、目の前に聳え立つ壁の事を考えた。

 

「では、お願いします」

「はいよ! それじゃ、よい、しょっと!」

 

 ルイスはシュテルの両足を脇に挟み、グッと持ち上げた。 

 スカートが捲れ上がらない様に、しっかりと抑える事を忘れない。

 

「ーーせぇ、のぉ!!」

 

 グッと力の籠った掛け声と共に、ルイスはシュテルの足を掴んだままグルグルと回転していく。

 俗に言う、ジャイアントスイングだ。

 意味の分からない動作に首を傾げる者が多数いたが、その謎はすぐに解ける事となる。

 

「ーーブラスト」

 

 強烈に圧し掛かる遠心力に少し呻きながら、シュテルは魔力を注ぎ、叫ぶ。

 

「ーーファイァアアアア!!」

 

 瞬間、ルイス達を中心に熱線が360度放たれた。

 ジャイアントスイングの要領で、放射線状に破壊の火柱が拡散していき、余すところなく訓練室を燃え滾らせていく。

 

 それは砲撃による、広域攻撃だ。

 本来であれば、砲撃は直線的に進むだけである。

 だが、照射中に回転を加えれば、当然破壊の光は拡散していく。

 誰も見た事の無い、「広域拡散型砲撃魔法」がこの場に体現したのだ。

 禊魔法により初めて完成したこれは、ルイス達の「切り札」に他ならない。

 

 

「ーーええい!! 無茶苦茶過ぎるぞ貴様らァ!!」

 

 ひしめき合うビルは次々と薙ぎ倒され、空を覆う建造物が失わる。

 当然、空中で身を隠す場所は減り、結果としてディアーチェの姿も露呈する。

 そしてそこは、先頃ルイスが隠す様に視線を飛ばしていた箇所に他ならなかった。

 

「っはっはー! 大当たりぃ!!」

 

 ルイスは回転しながら、からからと無邪気にはしゃぐ。  

 両手が塞がっていなければ、ガッツポーズもおまけに付いていた事は優に想像が出来た。

 

 ディアーチェはミドルレンジの距離をギリギリで保ち、様子を伺っていたのだ。

 どうにもルイスの様子が演技と思えず、警戒しつつも確認をしに来ていたのである。

 そのまさにドンピシャのタイミングで、またしても理解不能な砲撃魔法が飛んで来たのだ。

 

 当然、誰もこのような砲撃魔法の対策を知るはずもない。

 砲火にさらされるディアーチェにとってしても、まさに青天の霹靂だ。

 

 それでも当たれば撃墜は必須な炎の柱が、縦横無尽に容赦なく奔り続けた。

 周りのビルは倒壊し、地は抉れ、土煙がスモックの様に充満していく。

 

「ーーだが!! これで我を墜とす事なぞ出来はしないぞ!!」

 

 ディアーチェは魔力を一点に絞り、防御体勢に入る。

 

(恐らく、これが奴らの最終兵器だろう。ならばそれを全て受け切り、我は勝つまでよ!!) 

 

 ディアーチェは僅かにひび割れる障壁に舌打ちをしつつも、決して破れる事はないと確信していた。

 

 一点を照射し続けたのであれば、シュテルのブラストファイアを受け止めきれる者はいない。

 だが今は熱線は拡散するが故に、その威力は激減する。

 魔力が尽きるまで撃ち続けたとしても、堅牢な楯を突破する事は出来ないであろう。

 

「ーーああ、そうだろうね」

 

 ルイスは、笑う。

 

「でも、ラインは整った!!」

 

 ルイスは、見る。

 崩れ落ち空を舞う、ビルの断片を。

 空に現れた「足場」を、見る。

 

「禊魔法! 祓ぇえ!!」 

 

 大音声。

 裂帛の叫びを気合いとし、ルイスは駆ける。

 ルイスが遠心力を走力に上乗せし、足を踏み出すと同時、シュテルは炎の放出を止めた。

 コンマ一秒の遅れも無く、二人は矢の如く「空の足場」を掴み、走る。

 地表に張り巡らされた、ディアーチェの罠の上を飛び越え、征く。

 

「ーーーッぐ!」

 

 巻きあがる土煙がディアーチェの行動を遅らせた。

 物理的に視界を塞がれ、ほんの僅かなズレが出来る。

 だが、それでいい。

 その僅かな隙さえあれば、いい。

 

「シュテル!!」

「ルイス!!」

 

 二人の声が同時に響く。

 そしてそれは、砲撃を推進力としたロケットブースター射出の合図だ。

 ルイス達は自身を弾丸とし、真っすぐに突き進む。 

 

 くしくも、状況は同じ。

 最初の模擬戦で行った、ブラストファイアによる超加速。

 あの時はルイス達の敗戦という決着であった。

 だが今この時は、果たしてどちらに振り子は揺れるのだろうか。

 

「ーーく、ぉぉおおおおお!!」

 ディアーチェは、だがそれでも対応する。

 彼女とて、歴戦の魔導師。 

 命のやり取りを幾度も制してきた自力は、確かだ。

 

「まだまだ、甘いわァア!!」

 

 集中防御を構え、ルイス達の突撃を待ち受ける。

 通常の防御魔法に比べ、攻撃命中箇所に壁を集中させる事で格段に耐久度を上げる技術だ。

 これを突破するには、相手の反応速度を超えた攻撃を繰り出すか、防御力を上回る攻撃をする他にない。 

 

「ーーーー」

 だが。

 ルシフェリオンから放たれる熱線が、突如掻き消えた。

 ディアーチェならばこのタイミングで集中防壁を張るだろう、と予想していなければ行えない、そんな動作。

 そして。

 

「ディザスタァー……」

 次の魔法の名が、くる。

「……ヒート!!」

 

 間髪入れずに、砲撃が華となり空を彩る。

 ディザスターヒート。

 つまり、ブラストファイヤを三連射する砲撃魔法が、咲く。

 

 一度目は斜め下に。

 得ていた速度はそのままに、ルイス達の往く軌道が上を向く。

 

「ーーお」

 

 二度目は、直線に。

 ディアーチェを跳び越えるだけの高さで、更に前へ進む。

 

「ーーおお」

 

 最後は、上空へ。

 そしてそこは、ディアーチェの直上。突撃出来る位置に、来た。

  

「ーーお、おおおおおお!!」

 

 さながら、砲撃による空中での八艘飛びだ。

 ディアーチェの集中防御を跳び越え、防壁の無い上方へと躍り出る。

 

「ブラスト……ファイアァアアアア!!」

 

 そして、ここで渾身の砲撃魔法が炸裂する。

 最後の火薬が弾け、ルイス達は再び一つの弾丸へと姿を変えた。

 文字通り全霊の魔力を賭して、シュテル達は最後の攻撃を開始する。

 

「ーーーーッ?!」

 

 最早喋る余裕もなく、ディアーチェは改めて集中防壁をルイス達へと張り直す。

 

 だが、当然突貫で行われた魔力行使では、その強度はーー

 

「ーーこ、のぉ、おおお……!! この、我が負ける、はずがァ……!!」

 

 継ぎはぎだらけの防壁に、大きな亀裂がはしる。

 それは徐々に防壁全てに広がり、ビシ、と嫌な音を立てた。

 ルイスのデバイスはディアーチェの張る壁を削りながら、前へと進む。

 

 この機会を逃せば、正真正銘もう太刀打ち出来る手段は、無い。

 故に。

 彼らは、全ての力をここに結集する。

 持て得る限りの何もかもを、熱へと昇華していく。

 

 

「「…………貫けぇええーー!!」」

 

 

 --パリン、と乾いた音がした。

 

 

 それは、ガラスのコップを落した様な、どこか間の抜けた乾いた音。

 集中防御が破られた、破砕の音。

 

 そしてそれとほぼ同時。砲撃で加速した一撃が、めりっ、とディアーチェの胸に突き刺さっていた。

 刃が、初めてディアーチェへと到達し、そしてーー

 

 炎の弾丸はディアーチェを貫いたまま押し進み、地表へと叩きつけた。

 ビルの瓦礫が風圧ではじけ飛び、爆散した火の粉が篝火の様に空へ逆巻いていく。

 小さな地震の如き揺れはやがて収まるも、濛々とした煙は訓練室を埋め尽くしたままだ。

 

「ーーーーッ!!」

 

 立ち込める土煙。

 びゅう、と一陣の風がそれを攫う。

 徐々に晴れる視界の中、二人の人影が立っていた。

 ひと際輝く、黄金の手枷で繋がれた、二人が。

 

 魔力の欠乏でフラつきながらも支え合い、

 

「ーーーー」

 

 グッと、その手を空へと掲げる。

 その姿はまさに、ルイスとシュテルが勝者である事を雄弁に語っていた。

 

「「おおおおおおおおおおおおおお……!!」」

 

 数瞬遅れ、観客席からは割れんばかりの歓声が飛んだ。

 

 ここに、模擬戦は決着を迎えた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ーーそれ、味わって食うがいい」

 ディアーチェは、包帯が薄く巻かれた手でカレーを配膳する。

 大きなエビフライが主張も激しくカレーに乗っており、シュテルの皿には三尾もあった。

 今日の模擬戦の結果により、シュテル達は正式に黒獣捜索の任に就くことが出来るだろう。

 いわば、これはその餞別なのだ。

 

「ディアーチェ、私もお手伝いします!」

 ユーリが怪我を負っているディアーチェを気遣い、残りの皿を請け負う。

 レヴィはすでにルンルンと鼻歌交じりにスプーンや飲み物をテーブルに並べていた。

 大好きなカレーが食べられる事は勿論だが、いつにも増してレヴィはどこか嬉しそうである。

「すまんな、ユーリ、レヴィ」

「今日は王様達が主役だからね! 準備は僕たちがやるよ!」

 ディアーチェは照れ臭そうに頬を掻き、ふん、と小さく鼻を鳴らす。

「後は皿を運ぶだけだ。頼んだぞ、レヴィ」

「わかったー!」

 ディアーチェはこうなる事も予期していたのか、事前にカレーの下拵えを済ませていた。

 あとは皿によそうだけであり、その事に気付いているユーリは満面の笑みである。

 

 配膳されたカレーはいつもと同じで、ユーリとレヴィは甘口。

 ディアーチェは中辛で、シュテルとルイスは超が付く激辛である。

  

「うーん。相変わらず、すっごい辛そうだよね」

 レヴィは毎度匂いを嗅いでは、涙目になりながら首を横に振るのである。

 大好きなシュテルの好物である為、どうにかして自分も食べたいというのが理由だ。

 もちろん、一度としてそれが達成された事はない。

「レヴィ、いいから早く自分の席に座るがいい」

「は~い……」

 どこか名残惜しそうに、レヴィはルイスのカレー皿を離し、席に着いた。

 誰が音頭を取るでもなく、自然に全員が合掌し、

「「「「いただきます」」」」

 挨拶の後に食事が始まる。

 

「ふん、まさかこの我に勝つとはな。多少は認めてやらんでもない」

 ディアーチェはカレーを頬張り悪態をつく。

 だが、言葉と裏腹にどこか機嫌は良い様に見えた。

「……だがまぁ、馬の骨。なんだ、身体の方は、どうだ?」

 まるで、思春期の娘を相手にする父親の様に、ディアーチェは遠慮がちに聞く。

 模擬戦での一幕は、やはりどこか気になってはいるようであった。

 

「あぁ、うん! 模擬戦後にメディカルチェックは受けたから、大丈夫だよ。ありがとね、心配してくれて」

「……ふん、なら構わん。それに、明日は貴様が隠し立てている事全て、しっかりと話して貰うからな」

「うん。分かってるさ。明日、ちゃんと話すよ」

 模擬戦後、ルイスは特に念入りにメディカルチェックを受けていた。

 クロノとシャマルはその結果に息を呑むも、ルイスをはじめ模擬戦メンバーは疲れ切っていた。

 その為、明日改めて中心メンバーが全員集まり、ルイスについての話を行う事となったのだ。

 

「よかろう。だが、うむ。今日の所は、まずしっかりと休め」

「…………」

 ルイスは驚きから、カレーを掬う手を止めていた。

「なんだ、その間抜け面は」

「いや……何か、今日ディアーチェやけに優しいなって」

「ほぉ。気に入らんなら、いくらでも鞭で叩いてやるが?」

「や、やや! 王様は優しい方がいいと思うなー! うん!!」

 

 まだルイスを受け入れていなかったディアーチェが、どこか彼を認めた瞬間であった。

 それはレヴィ達家族であれば、すぐに分かる変化だ。

 レヴィとユーリは顔を見合わせ、思わず微笑みを浮かべた。

「うん! 王様のカレーはやっぱ最高だなー! おかわりー!」

「レヴィ、もっとしっかり噛むがよい。食べるのが早すぎる」

 

 王家の食事は、いつも賑やかではある。

 だが、今日はひときわその色を濃くしていた。

 特にレヴィはひとしおで、身体いっぱいを使って美味しさを表現しては、ディアーチェに咎められていた。

 ユーリがその光景に微笑む、緩やかな時間。

 今日もその例に漏れず和やかな空気が流れている。

 

 だが、突然ルイスが椅子をガタンと倒し立ち上がった。

 

「ーーう、ぐ」

 

 ルイスは口元を押さえ、フルフルと肩を震わせる。

 嗚咽に似た悲鳴を零し、ルイスは俯き顔をしかめた。

 身体は小刻みに震え、至る所から汗が吹き出し服はビショビショだ。

 

 ポカン、と全員が唖然とした視線を向ける中、ルイスはカハッ、と息を吐き出し、

 

「ーーえ、ちょ、なにこれ辛過ぎじゃない?! いや、っていうか痛い! このカレー痛いんだけど!?」

 

 思うままに大絶叫した。

 

「……別段、いつもと味付けは変えてはいないが」

 普段のルイスであれば、ケロリと平らげていたものだ。

 実際、途中までは美味しそうにパクパクと口に運んでいたのは確かだ。

 ディアーチェは動揺を隠せずに思わずたじろぎ、首を捻る。

 模擬戦でやはり何かあったのかと、表には出さないも心配しているようであった。

 

「ルイスさん、どうぞ!」

 ユーリが慌てて水が並々注がれたコップを手渡す。

 半分ひったくる様にルイスはそれを受け取り、一気に飲み干した。

「あ、ありがとうユーリ……助かったよ……」

「い、いえ……でも、どうしたんですか? いつもは美味しそうに食べていましたけど……」

「そ、そうなん……だけど……」

 どうやら、ルイス自身が一番驚いている様であった。

 口元を押さえ、茫然としている。

 キツネにつままれた、という表現がしっくりくる、そんな驚き方であった。

 

「ルイス、どうしたの? やっぱり、どこか悪いの?」

 レヴィも驚きと心配が入り混じった様子だ。

 スプーンを握る手にも、力が込められている。

「……その、なんだ。食べられぬなら、我の分と交換してもよいが」

 ディアーチェも流石に動揺を隠せず、自分の皿を突き出した。

 けれどルイスはふるふると首を振り、ひり付く唇で断りの弁を立てる。

「ううん、大丈夫。ちょっと……っていうか、滅茶苦茶痛いけど、これを食べたいんだ」

 ルイスはイスに座り直し、自分の皿に再びスプーンを入れた。

 無理をしている、というようでも無い。本当に、刺激そのものを楽しんでいる様子だ。

 定期的に悲鳴を上げつつも、心の底から楽しんでいるルイスに、ディアーチェは思わず苦笑する。

 

「……まったく、おかしな奴だ。だがどうして、普段よりいい顔をする」

 いつもより楽しそうに食事をするルイスに、ディアーチェは訝しみながらも悪くは思っていないようである。

 兼ねてより、ルイスは笑顔を絶やす事はないが、今この時は確かな「嬉しさ」が見て取れた。

 

「…………」 

 

 だが、叫びながら食事をするルイスの横、シュテルはいたって静かだ。

 チラチラとルイスを気にかけてはいる様だが、話しかける事も無く黙々と食事を続けている。 

 

「…………?」

 レヴィはジッとそんな二人を交互に見比べ、不思議そうに小首をかしげた。

「……ねぇ、ルイスとシュテるん何かあった?」

 

 ピタリ、と二人の手が止まる。

 

「……いいや、何もないけれど。どうして?」

 ルイスが固まったまま動かないシュテルをチラリと見ながら答える。

「んー、何かいつもと様子が違うなって。ルイスがいつにも増して変なのに、シュテるん何も言わないしさ」

 

 ディアーチェとユーリが特にレヴィを静止しないあたり、二人も何か思う所があったのだろう。 

 これはレヴィの純粋さあって出来た質問だ。そうでなければ、どことなく気まずい二人の空気に切り込めはしなかったはずだ。

 内心、ディアーチェはレヴィに感謝を送る。

 どうにも、ディアーチェにはシュテルが必死に気落ちしている自分を隠そうとしている事が分かっていた。

 その為、どう聞き出すべきかと思案を重ねていたのだ。

 

「あー、ほら。あれだ、呆れてるんじゃないかな。ね、シュテル」

「え、ええ……」

 絞り出す様にシュテルは何とか相槌を打った。

 だが、フッと視線がルイスと合うや否や、シュテルは顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 

「ふーん……」

「ほらレヴィ、お喋りしてばっかだとカレー冷めちゃうよ?」

「あ!! ホントだいけない、食べなきゃ!!」

 まだ納得のいっていないレヴィであったが、大好物のカレーに興味が移ったようだ。

 ディアーチェの何か言いたげな視線にシュテルは気が付くも、慌てて目を逸らした。

 

(やれやれ、また何か面倒な事になっておるのか……)

 

 シュテルのどこまでもぎこちない様子に、ディアーチェは誰にも気付かれず溜息をついた。

 ディアーチェが詰めよれば、おそらくシュテルは胸の内を吐露するだろう。

 それが例え、望まぬ事であったとしてもだ。

 だから、シュテルは思わず視線をディアーチェから外したのだ。

 これ以上問われたくは無いのだという、意思表示だとディアーチェは受け取った。

 

(待つのも我の務め、か。なに、シュテルならばいつか打ち明けてくれる時が来ようて)

 

 それぞれに思いが巡る中、食事は続いていく。

 

「うむ、美味い」

 

 ディアーチェは、自分の作ったカレーに頷き、舌鼓を打った。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「……ルイス」

 夜も更け、シュテルとルイスは布団の上で座り向かい合っていた。

 今ではもう、ルイスはす巻きにされる事も無く、普通に就寝している。

 否、入院中に一緒に寝る習慣がついてか、それからはずっと布団は共有していた。

 ルイスはやんわりと拒絶していたが、シュテルはその逆に「一緒の方が何かと効率がいいので」と望んだ結果だ。 

 

「その、えっと……」

 歯切れも悪く、シュテルは口ごもる。

 明日は、ルイスが皆の前で事情を話す事になっていた。

 その為、二人はすでに寝間着であり、支度は万全といった所だ。

 普段より一時間ばかし早く就寝しようと部屋に引き上げた矢先、シュテルが話を切り出したのだ。

 

「今日は、本当に申し訳ありませんでした」

 

 シュテルが俯き顔も赤く謝るのは、模擬戦の中で起きた一幕についてだ。

 今でも自分の行動が信じられず、シュテルは慙愧の念を抱かずにはいられない。

 食事の際も、「あの事」が頭に浮かび続け、まともにルイスを見る事すら出来なかった。

 

「僕は気にしていないよ。というか、僕の方こそゴメン。僕なんかとキスするのは嫌だっただろうし」

 

「ーーいえ! 決してそのような!」

 

 反射的に大声を出した自分自身に驚き、シュテルは思わず俯いてしまう。

 

「……その。いや、だった……わけではありません、ので……」

 堰を切った様に、シュテルから言葉が溢れた。

 強く否定する意味にシュテルは気が付き、カッと顔が熱くなる。

 だが、このまま黙る事は出来ず、震えながらも続ける。

 

「むしろ、私は嬉しささえありました。あんな非常識な事をしておいて。レヴィの気持ちを知りながら、自分の浅ましさに腹が立ちます」

 

 シュテルは、ぽつりぽつりと、続ける。

 気がついてしまった、自分の気持ちを、吐き出す。

 

 ーーこの、胸の痛みと高鳴りは。

 

「最近、おかしいのです。今まで抱いた事のないこの感情の処理が、どうしても出来ないんです……」

 

 ーー心の中から広がるこの気持ちが、目頭を熱くさせる。

 

「初めは、正直貴方を煩わしいと感じていました」

 

 ーー温かく、熱く染まる炎の様な。

 

「でもいつしか、私は貴方が隣にいる事に安堵を抱いていたのです。もっと、ずっと。共にいる事が出来たならば。そんなせん無き事ばかりを考えるのです」

 

 ーー貴方を見るだけで口角が上がりそうになるのを、必死に理性で抑えた。

 

「この気持ちを言葉にする事を、どうか許してください」

 

 ーーいつしか、私は。

 

「私は……きっと私は、ルイスの事を……」

 

 ーー幼い感情は、自覚すれば止まらない。痛みと甘美を伴って、溢れ出る。

 

 ギュッとこぶしを握り、シュテルは意を決して口を開ける。

 自分の正直な気持ちを、伝える為に。 

 

「私はルイスの事をーー」

 

「ーーその気持ちは間違っているよ」

 

 だが、シュテルが続けようとした言葉をルイスは断ち切った。

 笑顔を、ルイスは湛える。

 

「こんな近くに異性がいるっていう状況が、君をそうさせたんだろう。まぁ、よくある勘違いってやつさ」

 

 シュテルが吐きだそうとした言葉は、声にならず宙に溶けていく。

 受け取って貰う事すら叶わず、シュテルの中で重く沈んでいくばかりだ。

 

「……さ、明日は早いんだしもう寝なくちゃ」

 

 ルイスは布団を被り、背中を向ける。

 シュテルは小さく返事をし、電気を消した。

 潜り込んだ布団の中、すぐそばで横たわる温度に、シュテルは触れる事が出来ない。

 

(拒絶されるか、果ては咎められると思っていました。いいえ、あわよくば……)

 

 

『ーーよくある勘違いってやつさ』

 

 

 ルイスの言葉が、シュテルに冷たく刺さった。

 

(初恋は実らない、と何処かで読んだ気もします。あぁ、つまりはこういう事なのですね)

 

 シュテルは、自分の手が震えている事に気が付かない。

 とめどなく溢れる涙を拭えない。

 張り裂けんばかりに胸が痛み、唇をギュッと噛みしめた。

 

(せめて、否定か肯定は貰えるものだとばかり、思っていました……)

 

 だが、齎された言葉がそのどちらでもなく。

 想いその物が間違いなのだと、悟すものであった。

 

(あぁ、その位置にすら、私は立つことを許されないのですね)

 

『ーーーー』

 

 ルイスの言葉がシュテルの頭に再び響く。 

 心地よかった感情も、時には苦しかった想いも。

 名状しがたいこの感覚の正体が、理解出来なかった。

 だが、今ならハッキリと分かる。

 この感情が意味するものを。

 そしてその、名前を。

 

(私は……)

 

 言葉にする事は許されず、心の中で吐露する。

 

(ルイスが、好きです)

 

 

 気付かずにいた自身の想いを知り、けれどその瞬間に最も残酷な結末がそこにはあった。

 爆発した高ぶりは行き場を失い、シュテルの内を駆け巡る。

 そしてそれは、計り知れない痛みとなった。

 

(私のこの気持ちは、間違っているのでしょうか……)

 

 シュテルは必死に嗚咽を隠し、止まらぬ涙を流し続けた。

 

 

 夜空には、満月が輝いている。




まさかこんなにたくさんの人に見て頂けるとは想像もしておらず、ただただ感謝です。
投票していただいた方、コメントしてくださった方、本当にありがとうございます。
続きを書く原動力になっております。


次回ですが、コミケやゲームマーケットにサークル出展する事もあり、遅れると思います。申し訳ないです。
このシーンで一旦止まってしまうのはどうにも……とは正直思うのですが……12月中に更新出来れば御の字くらいですので、今しばらくお待ちいただければ幸いです。
それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。


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第17話 少女と約束と笑顔の理由

気が付けば年が明けて2ヶ月。お待たせしました!!
いよいよと中盤に差し掛かってきました。

ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。


  ーー夢を見ている。

 

 シュテルは、ぼんやりとした意識の中でそう思った。

 

(またこの夢、ですか……)

 

 それは、ルイスと手枷で結ばれてから見る様になった、不可思議な夢だ。

 行った事も無い、小さな田舎町の情景。

 誰もおらず、何も聞こえず、命というものが大よそ消えうせた寂しい世界。

 繰り返し、繰り返し。

 シュテルは、何度もこの夢を彷徨っていた。

 命なき石像たちで埋め尽くされた、寂しすぎるこの場所を。

 

「……ですが、今回はまたどうして」

 

 シュテルは驚きと喜び、そして安堵が入り混じった溜息を吐く。

 

 この世界に、人がいた。  

 

 道端の露店で熟れた果物を買う女性。 

 ガラス細工の工房には、仏頂面の老人が唸りながら調度品と睨み合っている。

 そして、木の実のパイが描かれた看板の下には、多くの人で賑わっていた。

 

 この世界が終わる前の、華々しい光景が、ある。

 賑わう人々で埋まるこの景色は、初めてのものであった。

 

「……しかし、本当に幽霊にでもなった気分ですね」

 シュテルは、ふむ、と頷いた。

 どうにも、道行く人々はシュテルの姿が見えいないようなのだ。

 一度として視線は交わらず、声すらも届いていないようであった。

 

「ーー失礼」 

 シュテルはパン屋に並ぶ初老の男に近づき、そっと背中に触れようとした。

 だが。

「……成程、やはりこうなりますか」

 シュテルの手は男性を潜り抜け、触れる事は出来なかった。

 感触も感覚も無い。ただ、スッと突き抜けてしまう。

 まるで立体映像の世界に紛れ込んでしまったようだ、とシュテルは思った。

 

「せっかく人がいるというのに、どうにも寂しいですね」 

 

 先ほどまで心地よかった喧騒が、今では逆に孤独を感じさせた。

 一人でポツンと佇む孤独より、大勢の中を独りでいる方が心はキュッと締め付けられる。

 

 シュテルが、華やかだからこそこの世界に寒さを感じていた、その時。

 

「ま、まってよぉ……置いてかないでぇ……」

 

 どこか、聞き覚えのある声がした。

 思わず、振り返る。

 振り返らずにはいられない。

 

 それは、聞き間違えるはずのない声。

 傷だらけの身体に笑顔を咲かせ続ける、誰かの声とよく似ていた。

 

 シュテルの視線の先、そこには、一人の少女と少年が、いた。

 

「もー! 何もたもたしてるのよ!! 早くしないとリコの実が売り切れちゃうでしょ!!」

 

 少女はポニーテールに結った亜麻色の髪を揺らし、遅れる少年を待っていた。

 ハツラツとした笑顔は眩しく、日焼けしても尚失われない、少女らしい可憐な細い手が振られる。

 言葉だけ聞くと刺々しいが、その実どこか優しさが感じられる声色だ。

 少年もそんな彼女をよく知っているのか、苦しそうに走りながらも表情は明るい。

 

「全く、相変わらずどんくさいんだからーー」

 

 少女が、少年の名を、言う。

 

「ーールイス!」

 

 シュテルは、小さく息を呑んだ。

 少女の声の先にいる少年の顔を、どうして見間違う事が出来ようか。

 それは、そう、誰よりも愛する者に他ならないのだから。

 

「どう、して……」

 シュテルは、ルイスと思しき少年を見る。

 その背格好からして、シュテルがよく知るルイスよりもずっと幼い。ナノハと同じくらいか、とどこか冷静にシュテルは思う。

 けれど、年齢の差異など些細な物だ。 

 

 何よりまず、その身体に痛々しい傷痕が、無い。

 戦いとは無縁なのだと分かる、どこにでもいる普通の子どもだ。

 むしろ、どちらかと言えば運動は苦手としか思えない様相である。

 

「あぁ……」

 

 そして何より、目の前の幼いルイスは笑っていた。

 いつも浮かべていた、上辺だけの取り繕った目的のある笑顔では、ない。

 優しく自然で、どこまでも温もりのある、そんな顔なのだ。

 何処かが決定的に凍えきっていない、そんなシュテルの知らないルイスがそこにた。

 

 

「フィリアの足が速すぎるんだよぉ……」

 ふらふらとおぼつかぬ足取りで、少年ーールイスは息を切らして走る。

 足元も確認できない程に息があがっており、見るからに危なっかしい。

 目の前に迫る僅かな段差にも気が付いていないようであった。

 

「あ、こらルイス! そこ危なーー」

 少女ーーフィリアの静止も間に合わず、ルイスは出っ張りに足を取られ派手にすっ転んだ。

 数秒の無言の後、すすり泣く声が聞こえてくる。 

 

「う、うぅ……い、痛いよぉ……」

 

 膝を僅かに擦りむいただけであったが、ルイスの目には大粒の涙がどんどん溢れていく。

 立ち上がろうとせず、ルイスはペタリと座ったままさめざめと嗚咽を漏らした。

 

「ルイスっ……」

 

 シュテルは無意識に駆け寄り、手を差し出していた。

 だが、当然その手が取られる事はない。

 ルイスからは視認されていないのだから、当たり前ではある。

 だが、シュテルの胸を確かな悲しさが突いた。

 

 夢の中でも現実でも、伸ばした手は空を切るばかりである。

 

「あーもう! 何やってんのよまったく!」 

 フィリアは悪態を吐きながらも足早にルイスに駆け寄る。

 

「ーーん!」

 フィリアは、そっぽを向きながら左手を差し出す。

 その顔は真っ赤に染まっており、照れ臭そうに唇を尖らせている。

 どうやら、真っ赤に染まった顔をルイスに見られたくはない様である。

 

「えへへ、フィリアはいつも優しいね……」

 ルイスはどこまでも嬉しそうにその手をしっかりと掴み、立ち上がる。

 だが、まだ涙は引っ込まないのか、スンスンと鼻を鳴らしていた。

 

「あぁもう、こんな事でいちいち泣かないの! そんなんだから皆から「泣き虫ルイス」って馬鹿にされるんだから。あ、ほらここも汚れちゃってるじゃない」

 フィリアはルイスの服をはたき、土埃を落していった。

 厳しく叱責したわけではないが、途端にルイスの顔は曇り空に逆戻りしていく。

「う、うぅ……だってぇ…………」

「あ! ほらそうやってすぐ泣く!! まったく、アンタは……」

 

 フィリアは得意気に頬を膨らませ、言う。

 

「ーーいい、何度も約束してるでしょ? 泣きたい時こそ笑うんだ、って!」

 

 ルイスの髪を優しく撫で、フィリアは続ける。

 

「辛い時や悲しい時だからこそ、笑顔になるの。泣いてねだっているだけじゃ、どこにも行けない。だから、笑顔で前に進む! 幸せは自分で掴みにいかなくっちゃ」

「うん……泣きたい時こそ、笑う……」

 

 ルイスはフィリアの言葉を繰り返す。

 それは、二人の間で交わされた約束。

 いつも泣いてばかりいるルイスに、幼馴染であるフィリアが渡した魔法の言葉。

 ルイスは涙を流す度にこの合言葉を口にしていた。

 そうやって笑うとフィリアが安堵の顔になる。それが、彼には堪らなく嬉しかったのだ。

 

「だから、ね。ルイスも笑って! 涙なんか見せちゃダメなんだからね!」

 

 フィリアの言葉に、ルイスはぎこちなく笑顔を作った。

 半分泣き、半分笑う。

 まだ笑顔を作り慣れていない、不格好な物。

 ルイスがそんな拙い笑顔を無理やり作った、その時。

 

 

「ーーふふ、相変わらず仲がいいね」

 

 

 凛、と声がした。

 シュテルも振り返る先、そこには一人の少女がいた。

 

 澪を思わせる、白く透き通った真っ直ぐで長い髪。

 無防備な白にうっすらと薄紅が浮いた、雪と見紛うきめ細やかな肌。

 純白のワンピースからはスラっとした手足が伸び、白磁を連想させる。

 何もかもが白い、玲瓏の少女。けれど、その双眼は紅玉の様に妖しく、美しく煌いていた。

 

「ーーーー」

 

 シュテルは思わず、息を呑んだ。

 

 まるで絵画から抜け出てきた様な、ゾッとする美しさ。

 

 その少女は、この世の者とは思えない可憐さがあった。

 

「ねぇねぇ、フィリアはもしかしなくてもルイスが好きなのかな?」

 ころころと、雪の少女は笑う。 

 人を寄せ付けない雰囲気とは真逆に、人懐っこい笑みだ。 

 

「ば、ばばばば、ばっかじゃないのアイリス! そんなわけないじゃない!!」

「えー? じゃあ私がルイスを貰っちゃってもいいの?」

「え、や、だ、だめ! それはだめ!!」

「あはは、うん、フィリアはやっぱり可愛いなぁ……」

 

 アイリスと呼ばれた雪の少女は、フィリアの頭を愛おしそうに撫でる。

 二人のやり取りの意味する所を分かっていない様であったが、ルイスも柔らかく自然な笑みに戻っていた。

 

「アイリス、あんた相変わらずいい性格してるわね……」

 からかわれていたのだと気付き、フィリアはジトっとアイリスを睨む。

 一方のアイリスはそんな視線を知ってか知らずが、飄々とかわす。

「ふふ、褒め言葉として受け取るよ。ところで、急がなくていいのかな? リコの実は大人気だからすぐになくなるよ?」

「……あ、いっけない! 早くしないと売り切れちゃう!」

 

 フィリアはルイスの手を引き小走りで向かう。 

 アイリスはそんな二人の横に並び、口元を緩ませる。

 

「リコの実、買えるといいけれど。ルイスが焼くリコのパン、正直お店のより美味しいと思うからね」

「そ、そうかな……? なら、嬉しい、なぁ……」

「私は嘘はつかないさ。確か、ルイスは将来パン屋さんになるのが夢だったかな? うん、だとすると納得の味だね」

「う、うん。でも、僕なんかがなれるかは分からないけど……」

「いやいや、ルイスの焼くパンは間違いなく絶品さ。ルイスの料理は何でも美味しいけれど、パンは別格。神に愛された舌を持つと私は思うね」

「お、大袈裟だよアイリス……。でも、ありがと。君にそう言われると、不思議と夢が叶いそうって思えるよ……」

「ふふ、ルイスが毎日必死に料理の練習をしているのは知っているからね。私は、頑張る君を見ているのが好きなんだ」

 

 踊る様に先頭に立ったアイリスは、本当に楽しそうに笑っていた。

 まるで、今まで忘れていた笑顔を取り戻した様に。

 心地の良い安堵に花は咲き、全身で嬉しさを表現する。

 つられて、フィリアとルイスも笑みをこぼしていた。

 

「…………」

 

 シュテルは、その光景にふっと頬が緩んでいた。

 ただ、無性に嬉しかったのだ。

 この夢が、どういった物なのかは分からない。

 本当にただ、自分の欲求が生み出しただけの夢想か。

 だけれど、どうか、せめて。

 ルイスが楽しそうに笑う、そんな世界があった事を思うだけで、たまらなく嬉しかった。

 

「ええ、そうです。例え私がそこにいなくとも。貴方が、貴方がそうやって笑うのであれば……」

 

 

 シュテルは、夢から覚めるその時まで、楽しそうに笑う三人を眺めていた。

 

 ズキリとした、寂しさを抱えながら。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「おはよう、シュテル」

「……ん」

 シュテルを小さく揺すり、ルイスは柔和に微笑んだ。

「珍しいね、シュテルが時間通りに起きないなんて。アラームは止めておいたよ」

「……すいません、ありがとうございます」

 泣き腫らした赤い目に気が付き、ルイスは僅かに眉根を下げた。

 昨晩のやり取りを考えれば、シュテルが泣く理由は一つしかないからだ。

 ルイスはけれど言葉は作らず、くっと手に力を籠めるだけであった。

 

「……さ、て。そろそろ支度をしないとね」

「ええ。ではルイス、失礼します」

 

 シュテルはルイスの気まずさを理解するも、それに触れる事は無くどこか飄々と返す。

 強がりとはまた違い、むしろルイスより今の状況を受け入れている様であった。

 

 シュテルはルイスの手をそっと握り、トリガーとなる魔法名を口にする。

 

「ーーバニシング・ルイス」

 

 なのは達とも協力して製造した魔法、バニシング・ルイス。

 それは、対象に触れている間だけ、五感を奪う魔法だ。

 主に着替えやトイレ、そしてお風呂に入る際に使用してる。

 好意を寄せているとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしいのである。

 

 常に身体の一部を対象と接触させる必要はあるとはいえ、実戦にも応用が出来る魔法といえた。

 もちろん、目くらまし程度の効力しか無いが、それでも十二分に応用の効く有用な魔法となるだろう。

 シュテルは時間を見つけては、この新魔法を戦闘用に昇華出来ないかと、日々研究していた。 

 おそらく、ルイスがきっかけで創造した魔法だからか。使うだけで、どこか胸の奥が温かくなるのである。

 

「ーー終わりました」

 

 シュテルは魔法を解除し、ルイスへと向き直る。

 黒のショートパンツに、白を基調としたディープスリーブのブラウス。

 任務の為に動きやすさを重視しつつも、御洒落もしっかりと残した服装だ。

 普段のシュテルは、どちらかと言えばあまり着飾る方ではない。

 兎にも角にも機能性を尊重し、女の子らしい格好は稀だ。

 それもまたシュテルらしく似合ってはいるのだけれど、周りはやはり勿体ないと言った声が多くある。

 件のこの服も、ディアーチェが強引に買い与えたものであった。

 さらに、今日は。

 

「……ん? 珍しいね、それ」

 

 ルイスはシュテルの右胸の辺りに付けられたブローチに目を止めた。

 四つ葉のクローバーをあしらった、合金製の台座。その中心に、赤くひと際輝くラインストーンがある。

 シュテルが、しかも任務中にこういった装飾品を付ける事は非常に稀だ。否、今までは一度としてなかった。

 

「えぇ。以前、ユーリから頂いた物でして。ディアーチェとレヴィも、同じデザインの物を持っています」

「へー、いいね、可愛いよ。赤の宝石ってのもまた、シュテルによく似合ってる」

「…………」

 うんうん、と頷くルイスに、シュテルは無言で俯いた。

 その顔は真っ赤に染まっており、思わずにやけてしまうその顔を見せるのが恥ずかしいようである。

 

「シュテル……?」

 

 とん、とシュテルは顔を上げずにルイスに軽く抱きついた。

 ルイスは抱きしめ返すわけにもいかず、その手は所在なさげに空に揺れる。

 

「いつの日か……」

 

 シュテルはルイスの戸惑いを知ってか知らずか、ハッキリと言葉を続ける。

 

「いつの日か、貴方に振り向いて貰える様に努力します」

 

 抱く腕に、力を込めながら。

 

「なので、覚悟してください」

 

 表情は変わらず、けれどほんのりと頬は染まる。

 シュテルは一人頷き、茫然とするルイスから体を離した。  

 

「さて、では行きましょうか」

「え、あ、う、うん……」

 

 まるで何事も無かったかの様にシュテルは歩き出し、ルイスもそれに続く。

 

 夢の中で見たルイスをいつか現実でも見たいと。

 シュテルの心に、新たな灯が宿っていた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「おはようございます、ディアーチェ」

「おはよー」

 シュテルとルイスが居間の扉を開けた先、ディアーチェが珈琲を啜りながら新聞を手にしていた。 

 

「……うむ、おはよう」

 ちょうど読み終えたらしく、ディアーチェは新聞を丁寧にたたんでいく。

 ついで、空になった珈琲カップを流しに置く為、ディアーチェはゆっくりと立ち上がる。

 

(……)

 

 チラリ、とディアーチェはルイスとシュテルへと視線を送る。

 泣き腫らしたシュテルの赤い目と、どことなく距離感に違いのある二人。

 ディアーチェでなければ読み解けない極々わずかなシュテルの変化。

 少し顔を顰めるも、ディアーチェはシュテルの頭にポンと手を置いた。

 

「ディーアチェ……?」

「何も言うでない。こういう事は、誰を責めるものでもなかろう」

 シュテルは小さく震え、小さく「はい」と頷いた。

 

 ディアーチェがルイスに鋭く視線を送った、その時。

 

「おっはよーー! 今日も晴天! 快晴! 僕元気!!」

「おはよぅございますぅ…‥」

 レヴィがどこまでも元気な挨拶と共に扉を勢いよく開けた。

 その後ろでは、ユーリが眠気眼を擦りながら小さく欠伸をしている。 

 レヴィが両手を広げてクルクルと踊りながら居間へ入るや否や、シュテルの胸元に光るブローチを目ざとく見つける。

 

「お! シュテルんがブローチしてる! じゃあ僕も僕もー!!」

 

 レヴィはそのまま元来た道を勢いよく戻っていく。

 狭い室内でも何のその。レヴィは可能な限りの速力で廊下を駆けていった。

 

「……全く、少しは落ち着いてはどうだ」

 

 ディアーチェがため息交じりに首を振る最中、器用に走るレヴィが早く戻ってきた。

 その胸には、シュテルと同一のデザインのブローチが輝いている。

 唯一異なる点は、宝石の色が青という点だろう。

 

「ねぇルイス! どうどう? カッコいいでしょー!」

 ふふん、と鼻息も荒くレヴィは胸を張る。

 レヴィは誰よりも早く、ルイスにブローチを見せつけた。

 その事にディアーチェは僅かに顔を顰め、無表情のシュテルへ思わず視線を投げてしまう。 

 シュテルはそれに気が付いてか、寂しそうに頷きを返すだけである。

 

「うん、青はやっぱりレヴィの色だね。凄く似合ってるよ」

「えっへっへ~」

 レヴィは嬉しそうに頬を緩ませ、ほんのりと頬を赤く染める。

 子どもが宝物を褒められて嬉しい、という単純な感情の他に、別の何かがそこにはあった。

 

「ほれ、お前たち。さっさと朝餉の支度をせんか」

「あ、はーい!」

 ディアーチェはそれぞれのカップを食器棚から取り出し、コトンとテーブルに置いていく。

 レヴィもそれに続き、箸と食器を綺麗に並べる。

 

 忙しなく、そしてそれぞれの感情を胸に隠しながら、王家の朝食の準備は進んでいった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 王家では、全員でご飯を食べるという暗黙の了解がある。

 彼女たちが辿った今までを思えば、それは当然とも言えた。

 安全で心穏やかに、思い思いの笑顔で食卓を囲う。

 そういう、「普通の幸せ」を彼女たちは噛みしめながら手を合わせるのだ。

 

「ーーいただきます」

 

 願わくば、この時間がいつまでも続く様にと切に祈りながら。

 

 食卓には味噌汁と白米、漬物に焼き魚とオーソドックスな日本の朝食が並ぶ。

 ディアーチェは和食から洋食まで完璧にこなす腕を持ち、栄養バランスもしっかりと考えられていた。

 委嘱魔導師の任務その全ては、一朝一夕なものではない。

 だからこそせめて体調は万全に、とディアーチェは口にこそしないが、料理に熱をいれるのだ。

 手にした幸福を決して逃がさまいと、掴み続ける為に。

 

「うん! 今日も王様のごはん美味しい!!」

 

 どこかうっとりとしながらレヴィが大きく口を開け、パクパクと焼き魚を頬張る。

 

「そんなにがっつくでない、レヴィ。少しは落ち着いて食べよ」

 

 レヴィの汚れた口元を、いつもの様にディアーチェはハンカチで拭う。

 されるがままで笑顔のレヴィ。 

 この穏やかな時の流れが、ディアーチェは堪らなく好きだった。

 

 だが、それが薄氷の上に存在しているものだと、どこか忘れてしまっていた。

 

「ーーーーッ!?」

 

 それは、何の前触れもなく起きた。

 

 王家を中心に、封時結界が展開したのだ。

 同時に、王家に元より張り巡らされていた防御結界が上書きされ、完膚なきまで破壊された。 

 

 王家の結界は外敵からの防衛機能であり、何よりユーリの暴走を防ぐ措置としてあった。

 当然、生半可な魔法では突破不可能な構造となっており、さしものディアーチェであっても破壊には骨が折れる代物である。 

 それが、いとも容易く壊されていく。

 

「ーーッ」

 

 これには、王家の面々も流石に動揺を隠せない。

 その、僅かな心の揺らぎの最中、ソレは来た。 

 

 バリン、と硝子の割れる音。

 窓を突き破り、高速で射出された「何か」がレヴィ目がけて放たれたのだ。

 それは鞭を思わせる黒の紐であり、先端は肉を抉り取るに足る鋭利さを持っていた。

 

 それが、正確にレヴィの喉元を目がけて奔る。

 

「ーーっく?!」

 

 反射的にレヴィは体を捻り、直線軌道の一撃を辛くも躱す。

 だが、僅かに掠れたソレが右胸に付けていたブローチを吹き飛ばしていた。

 青の煌きを軌跡に、ブローチは床を滑る。

 

「ーー今のなに?!」

 レヴィは翻す体が着地する直前、流れる様にバリアジャケットに換装。

 デバイスも起動を済ませ、臨戦態勢を早くも完成させる。

 戦闘に沈んでいく思考は、だが一瞬停止する。

 

「……王様のご飯が」  

 

 レヴィが避けた先、そこには朝食の乗るテーブルがあった。

 「何か」が命中したテーブルは、中程からボキリと拉げ、当然料理は床にぶちまけられる。

 

「…………許さない」

 

 レヴィの目には、明確な怒りが灯っていた。

 普段と異なる暗い口調を隠そうともせず、「何か」が射出されたと思しき方へ翔ける。

 

 当然、内壁が遮蔽物として立ち塞がるが、バルニフィカスの一振りでそれも紙が如く切り裂かれる。

 

「ーーーレヴィ!」

 

 外へ駆け出るレヴィを追って、叫ぶシュテルとルイスも数拍遅れて走る。

 ディアーチェは万が一に備え、ユーリを背へと隠しシュテル達の後へと続いた。

 

 

「やはり、コヤツか……」

 

 最後に家を出たディアーチェの口が、苦々しく歪む。

 

 そこに佇むは、黒の異形。

 四足歩行でいて、その全てが漆黒で形成された、黒き獣。

 影がそのまま実体を持ったかの様なソレは、揺ら揺らと不規則に揺れている。

 異常に伸びた尻尾が地面にダランとついており、先端には禍々しい矢尻が聳えていた。

 ガリガリと、ソレが振れる度に地面が削れ、耳障りな音がする。

 どうやら、先ほどの「何か」は、黒獣の尻尾に当たる部分らしかった。

 

「ーーーーッッ」

 

 王家の面々を認識して、黒獣が声にならない叫びを上げた。

 咆哮とも、悲鳴とも聞こえる音は、ザラリと鼓膜を震わせる。

 

「……ルイス」

「…………」

 

 シュテルは肌が粟立つ事を自覚する。

 禍々しい魔力の密度が、以前の黒獣とは比べ物にならない。

 かつてナノハと対峙した時以上のプレッシャーが、丹田に重く圧し掛かる。

 そして何より、直観的に分かる。纏う雰囲気が、どこか決定的に異なる、と。

 

(これは、油断など微塵も出来ませんね。いいえ、ですが、何よりーー)

 

 シュテルは、静かに佇むルイスをチラリと見る。 

 変わらずある笑顔は崩さずに、だが僅かに殺気が漏れ出ている。

 かつて、公園で黒獣と対峙した時と同じ。

 どこか嬉しそうに、狂気の炎を双眸に宿す姿がある。

 

(貴方は、またそうやって……)

 

 思い出すのは夢に見た無垢な少年。

 屈託のない澄んだ笑みと目の前の青年が重なり、シュテルの心は寒々しく震えた。

 

「……あぁ、次は此処なんだな」

 

 熱の帯びた目で、ルイスは譫言の様に呟く。 

 隣りで彼を思う少女がいる事などすっかり忘れ、考える事すらしない。

 あるのは、ただ目の前の黒の獣をどう撃ち滅ぼすかという一点のみ。

 

 シュテルもそれは苦々しい程に理解出来ている。

 だからだろうか。

 つい、とシュテルの口は無意識に動いていた。

 

 

「ーー貴方は誰ですか?」

 

 

 シュテルは、じっとルイスの瞳を見上げる。

 自分の言葉に驚きこそすれ、けれどそれが不思議と見当違いだとは思えなかった。

 

 目の前の青年は、そう。

 味音痴だけれど手先は器用で、驚く程に寝相が悪く、意外に小食で。

 律儀で、大雑把で、いつも髪がボサボサで……。

 争いとは無縁の道を歩むべき、どこにでもいる普通の青年であるべき人なのだ。 

 

 だから決して、盲目的に自死に突き進む今の彼が「本当」であるはずがない。

 そんな死に塗れた笑顔をしていいわけがないのだ。

 

「……急にどうしたんだい、変な冗談に付き合っている状況じゃないけど」

「いいから、答えて下さい」

 

 有無を言わせぬ程に、シュテルの言葉は強く重かった。

 そこに「覚悟」を認め、ルイスは静かに口を開く。 

 

「……。知っていると思うけれど、僕の名はルイス=シュヴァングというらしいね」

 

「あぁ、そうですか。ですが、私の知っている貴方とはまるで別人ですね」

「あのねさっきから何を……」

「貴方、今どんな顔をしているか、分かっていますか?」

「…………」

 

 押し黙るルイスに、シュテルは構わずに続ける。

 今この問答こそが、彼女にとっての「闘い」なのだ。

 

「ここで止めなければ、貴方はまた無茶をするのでしょう。いいえ、貴方自身は無茶だとすら思っていないのでしょうね」

 あの夜の公園。

 血の海に沈む彼を思い出し、シュテルはその手に力を籠める。

 

「ですが、忘れないでください。貴方を慕う者にとってそれは、酷く悲しく腹立たしいものであるという事を」

 徐々に語気が荒くなる事をシュテルは自覚する。

 今はこんな問答をしている場合ではないと理解はすれど、言葉は止まらない。

「…………」

 後ろにいるディアーチェも、このやり取りの「意味」を知ってか制止する素振りはない。

 シュテルはそれに感謝し、続ける。

 

「……約束、覚えていますか? 何よりも自分自身を大切にするべきだ、と」

「さて、そんな事も言ったかな」

 唸り声を上げる黒獣からは視線を外さず、ルイスは明らかにはぐらかした。

 うんざりだ、とあからさまに不満を隠そうとすらしていない。

 

「……貴方は、本当に優しい人ですね」

 

 だが、シュテルはどこまでも嬉しそうに、そう返した。

 頬は少し緩み、柔和に赤く染まる。

 

「今のやり取りでそう思うのかい?」

「貴方が多くを語らないのは、必要以上に巻き込みたくないからでしょう? これでも一番近くで貴方を見ていたのです、それくらい分かります」

「……買いかぶり過ぎだよ」

 シュテルは不思議と確信があった。

 肝心な事は何も話さない彼ではあるが、その根底に捨てきれない優しさが隠れているのだと。

 非情であらねばならないと自分に言い聞かせる、不器用な心があると思えてならないのだ。

 

「ルイス、私はもう一度誓いましょう。この先何があろうと、貴方の傍に居ると」

 シュテルは、寂しさを隠し微笑んだ。

「貴方にこの気持ちが届かなくとも、私は味方でありたいのです。例え、そう例え誰を敵に回したとしても、私は貴方の味方であり続けます」

 思わず泣きそうになるのを堪え、言う。

「ですから、ですからどうか……」

 どうしても伝えたい言葉を、遠慮も無く、言う。

「……もっと、私を巻き込んでください」

 

「君は、全く本当に……」

 

 ルイスは、視線を動かした。

 前から、横に。

 すぐ傍で熱を帯びた視線を向ける、少女へと。

 

「…………」

 ルイスは当惑している自分自身にこそ、驚いていた。

 いつもしていた様に、のらりくらりと躱せばいい。ただそれだけですむ事ではないか。

 だが、どうにも口が動かない。

 目の前の「本物」に対し、どうして偽る事が出来るだろうか。 

 それは、長らく彼が触れる事のなかった、純粋な好意そのものだった。

 冷めた目で、思う。

 何故、この子はこんなにも、真っ直ぐな目をしているのだろうか、と。

 どうして、彼女を見ると心がこうも乱れるのか。

 ルイスは、思わず目を逸らす。

 この青い瞳を、自分が見てはいけないのではないか、とそう思えたのだ。

(もしこの子が、本当の僕を知ったら……)

 ルイスはそこでハッと息を吐く。

 らしくない思考だと頭を振り、浮かんだ希望と躊躇いを外へと追いやる。

 いつもの笑みに戻ったルイスは、再び目線を黒獣へと向けた。

 

「……アイツは「僕」が倒す。それは譲らない」

 

 絞り出した言葉は、明瞭な答えになってはいない。 

 けれど、シュテルはそれすら分かっていたのか、強く頷いた。

 

「ーーいいえ。「私たち」で倒すんです」

 

「……君、思ってたより頑固だよね」

「はて、そうですか? 褒め言葉として受け取っておきます」

 

 ルイスの仄暗い炎が燻り続けている事を、シュテルは理解している。

 いくら言葉を並べた所で、止まるはずが無いという事も。

 けれど、今は伝え続ける事しか出来ないのだと。

 言葉と行動で、いつか。

 水底より遙か上で、共に咲ける様に、と。

 

(いつか……いえ、きっと……)

 

 「闘い」を終え、シュテルは小さく息を吐いた。 

 そして対峙すべき漆黒の獣へと、鋭い眼光を向ける。

 

「ーー行きましょう、ルイス」

 

 シュテルとルイスは、同時に足を前に踏み出した。




15話に挿絵を追加しました。
記念すべきファーストキス。やはり絵が欲しかったという個人的な熱が昂ぶりマン。

そういえば、正月早々に体調を崩していた時に書いていた、なのはとシュテルの二人からひたすらに甘やかされるSSあったなとファイルを整理して思いだした所です。投稿するかは分かりませんが。需要あれば。

それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。


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第18話 追憶と安寧と来たる幕切れ 前編

今回はシュテルさんお休みです。
はやく登場させたさ。次回にはきっと。

ではでは、ほんの少しでも楽しんで頂けたなら嬉しいです。


 

「ーーやぁ!!」

 

 

 

 月が夜を照らす遺跡の廃墟で、少年が剣を振る。

 

 少年は泣いていた。

 

 流れる汗と涙も拭わずに、一心不乱にデバイスで空を切る。

 

 型も何もない稚拙なただの素振り。

 

 だが、彼にとっては魔法戦の特訓のつもりなのであった。

 

 

 

 少年の名は、ルイス=シュヴァング。

 

 世界名「リーヴィゲイタ」の小さな村、「リーリオ」に住む、9歳の少年だ。

 

 

 

 いまだ管理局が観測出来ていない数多有る世界の1つ、リーヴィゲイタ。 

 

 リーリオはそんな世界の南の果てにポツリとあった。

 

 海と山に挟まれ、自然の恵みはとても豊かだ。

 

 同時に陸路と海路の往き来がし辛く、どうにも発展していく先のない場所でもある。

 

 だが、リーヴィゲイタでも随一の歴史ある町であり、始まりの正式な日付すら分かっていないのだ。その為、リーリオの人々は伝承や御伽噺を何よりも大切に扱っていた。

 

 また、リーリオ近辺にのみ自生する「リコの実」は特産品として幅広く認知されている。

 

 なかには、長い道のりを経て買い付けに来る行商人もいる程であった。

 

 のどかで、静かで、ゆっくりとした時間が流れる、平和な場所。

 

 

 

 そんなリーリオの外れの岬。今、彼はそこにいる。

 

 そこは、かつて遺跡があったとされる場所。

 

 敷かれた石畳は罅割れ、そのあちこちから草木が伸び、閑散としている。

 

 遙か昔に放置されたその空間には、不自然な程に、何もない。

 

 建造物はおろか、まるで一切合切を削り取られたかの様に、果てしない無が続いているのだ。

 

 

 

 そして、その中心。 

 

 遮蔽物が何もないその場所の真ん中に、巨大な穴が開いていた。

 

 まるで怪物の口を思わせるそれからは時折、風がびゅう、と鳴っていた。

 

 それが得体の知れない唸り声にも聞こえ、誰しもに不安を覚えさせるだろう。

 

 

 

 大穴はどうにも人工的に造られた物であり、綺麗な円形に縁どられていた。

 

 だが、至る所が風化し、崩落している。

 

 単純に危険な場所という事もある。けれどそれ以上に、リーリオの人々はこの場所には決して近寄らない。

 

 

 

 曰く、その下には神が住まう神聖な世界がある、と。

 

 

 

 遙か古より受け継がれ続けているその伝承。 

 

 大人たちは何かに怯え、そして同時に敬い、近付こうとはしない。

 

 

 

 だからこそここは、彼のお気に入りの場所なのであった。

 

 

 

 ここでは泣いても誰にも聞かれない。

 

 惨めな姿を晒す事もない。

 

 約束を破る姿を、見せる心配もない。

 

 ここはルイスにとって秘密の訓練場であり、心を逃がす場所でもあった。

 

 

 

「ーーう、うぅ! くそぉ、くそぉ!!」

 

 

 

 少年、ルイスにはある特徴があった。

 

 それは、「リンカーコア」に関する異常。

 

 生まれながらに運命を縛る、ある種の呪いが彼にはあった。

 

 

 

 リンカーコア。 

 

 それは、魔導師の魔力の源泉であり、魔法世界に住まう殆どの生物が有する物。

 

 大気中に溶け込んでいる魔力素を取り込み、蓄積させる器官である。

 

 また、貯め込んだ魔力を外部へと放出する事も出来、つまるところ魔法を行使するにおいて必須の存在だ。

 

 そして、このリンカーコアの性能が、魔力資質に直結しているのだ。

 

 如何に優れた計算能力や教養があっても、エンジンたるリンカーコアが極小では、十二分に魔法を振るう事など出来はしないのだ。  

 

 また、リンカーコアの優劣は、先天的に決まっている。

 

 それはつまり、魔導師としての根柢の力は、生まれながらに決定づけられているという事なのだ。

 

 どれだけの魔力を蓄積できるか。如何に効率的に変換できるか等々、努力では決して埋まらぬ壁が、出生と同時に定まっている。

 

 

 

 勿論、魔力量の差だけで、魔導師としての優劣が決まるわけではない。

 

 だがそれでも、希っても得られぬ明瞭な「差」であることに変わりはない。

 

 その隔たりを超える為、様々な技術体系が生まれ、魔法は多様化の道を辿ったのだ。

 

 

 

 理不尽なまでの、覆せない才能の壁。

 

 この器官を憎らしく思う凡才もいれば、あるいは感謝する天才もいるだろう。

 

 

 

 そんなリンカーコアに影響を及ぼす、とある病があった。

 

 

 

 名を、「魔力核全失症」。

 

 

 

 リンカーコアを持たずに生まれてしまう、稀代の大病。

 

 そんな奇病を、ルイスは抱えていた。

 

 

 

 絶対数が限りなく少ない病気であり、根本的な治療はおろか、解決の糸口すら見つかっていない。

 

 魔法が全ての基盤となるこの世界において、この病が如何に大きな影響となるかは、想像に難くないだろう。

 

 

 

 例えば、魔力を感知し起動する道具の一切合切を彼は動かす事すらできない。

 

 誰しもが当たり前にできる全ての行動が、大きく制限されてしまうのだ。

 

 

 

 魔法を使える事が「普通」の世界において、例外たる彼を受け入れる土壌は、無い。

 

 その為、彼は常に浮いていた。

 

 揶揄する者、もしくは同情する者、必要以上に庇う者。

 

 

 

 誰も、彼自身を見はしない。「魔力を持たない」というフィルターにかけてしか、理解しようとしない。

 

 魔法世界において魔力を持たないとは、それだけ異端なのだ。

 

 

 

 では、そんなルイスが魔法戦を行う事が出来るだろうか。

 

 否。 

 

 決して、出来るはずなど無い。

 

 魔法が使えないという事は、デバイスの起動はおろか、バリアジャケットを生成する事も出来ないのだ。

 

 相手の鎧を打ち抜く術はなく、それどころかこちらは生身を常に晒す事になる。

 

 こんな状態で、如何様に戦えばいいというのであろうか。

 

 

 

 だが彼は、「そこ」を目指した。

 

 

 

 事実、殆どの人は、彼を肯定する事はしなかった。

 

 危険で、無駄で、無意味な努力だと、諭した。

 

 それでも、彼は魔法の特訓をやめる事はしなかった。

 

 「正論」をぶつけられたとしても、やらねばならない「理由」があった。

 

 

 

「…………ッ」

 

 

 

 ルイスは、吐き出しそうになった弱音と血の味がする唾を飲み込み、再びデバイスを握る。

 

 彼が戦わねばならぬ「理由」を、逃さまいと必死で握りこんだ。

 

 

 

 彼の持つデバイスは、魔力を流し込む事でその威力が増す、簡易なストレージデバイスだ。

 

 だが彼にとって、これはただのデバイスではない。

 

 これは、彼の幼馴染である少女、フィリアとの思い出そのものなのだ。

 

 

 

 フィリア・アルデフィア。

 

 ルイスと同じ9歳の少女であり、幼馴染。

 

 お互いの両親が懇意にしていた事もあってか、ルイスとフィリアは、いつも一緒であった。

 

 活発で明朗な性格をしており、自然と皆の中心となる、そんな女の子。

 

 ルイスとは特に仲が良く、いつもどこへでも、二人は一緒にでかけていた。  

 

 彼女はルイスにとって特別な友人であり、そして何より、彼をそのままに受け止める存在だった。

 

 フィリアは彼を魔力を持たない少年ではなく、「ルイス=シュヴァング」として接した。

 

 意識しての事ではない。彼女にとってそれが「普通」なのだ。

 

 ルイスにとってはそれだけで、フィリアは特別な存在だった。

 

 周りの「普通」が憎らしく、捻じ切れる程に悔しく。壊れそうな時に出会った、唯一無二の理解者なのだ。

 

  

 

 

 

 だが、フィリアとルイスには、決定的な差があった。

 

 

 

 それは、魔法の才能だ。

 

 

 

 高効率に動くリンカーコアに、天性の格闘センス。

 

 そして複雑な術式を理解できるだけの教養。

 

 9歳にして、周りの大人たちを圧倒するだけの魔法を、彼女は誇っていた。 

 

 陳腐な表現ならば、まさに天才。

 

 

 

 いつからか、気がつくとルイスは彼女の後を追っていた。

 

 かつては横にいた少女。初めて、本当の意味で隣にいてくれた少女。

 

 その背を、縋る様に求めていた。

 

 勿論、フィリア自身が変わったわけではない。

 

 才能の有無で、ルイスを想うフィリアの心境に変化は何一つない。

 

 

 

 だが、ルイスは明確な劣等感を抱いた。

 

 それは鬱屈とした感情ではなく、寂寞とも言えるものであった。

 

 自身の境遇と、抗いようのない無力感。

 

 また、隣に誰もいない日々に逆戻りするのかと、心が震えた。

 

 

 

 何年か前に、フィリアと共にせがんで買って貰ったお揃いのデバイス。

 

 複雑な表情していた両親の心境も、今となっては良く分かる。

 

 

 

 それでも彼女の隣に再び立ちたくて、彼はデバイスを握る。

 

 だが魔力を持たない彼にはデバイスを起動させる事すら出来ず、それは最早ただのナイフと同義であった。

 

 

 

 そしてフィリアも何故か、このお世辞にも性能が良いとは呼べないデバイスを、ずっと使い続けている。

 

 どんなに高価なデバイスをプレゼントされても、決して手を離す事はなかった。 

 

 彼女は何も言わない。

 

 それが当たり前の事なのだと、ただ彼を信じて待っているのだ。

 

 

 

「……僕は」

 

 

 

 何時間、ここで素振りをしていたのだろか。

 

 空の真上には煌々と星の光がある。

 

 

 

 ルイスは、ぼうっと手を止め天を仰いだ。

 

 

 

 分かっているのだ。

 

 どこかで、自分は諦めてしまっているのだと。

 

 努力で打破できない壁を前にして、心が折れているのだと。

 

 微かに残っていた、無くしてはいけない何か。

 

 零さないように握りしめているつもりだった。

 

 

 

「あぁ、やっぱり僕は……」

 

 

 

 けれどそれを認めたくなくて。

 

 どうしても、もう一度彼女の隣に立ちたくて。

 

 こうして、出鱈目に剣を振るう日々。

 

 いや、特訓というまやかしの中にいなければ、二度と立ち上がれないと分かっているのだ。

 

 こうして「何かをしている」自分でなければ、停滞し、淀んだ現実から目を背ける事すら出来ない。

 

 前に進んでいる様で、小さな一歩すら踏み出す事すら許されない、そんな自分を忘れる為に、今彼は剣を振るうのだ。

 

 

 

「ーーはは、は……」

 

 

 

 ルイスは、自身の血が刷り込まれたデバイスを見る。

 

 何だか自分がとんでもない間抜けに思えて、ルイスは袖で涙を拭った。

 

 

 

「でも、それでも……」

 

 止まるわけにはいかない。

 

 ここで座り込んでしまうと、もうきっと二度とデバイスを持つことすら出来ない。

 

 意を決し、ルイスがもう一度デバイスを振ろうとした、その時。

 

 

 

 ーーズシン、と地面が大きく揺れた。

 

 

 

「う、わ……!」

 

 

 

 バランスを崩し、ルイスは前のめりに転んでしまう。

 

 同時に大切なデバイスが手から離れ、大穴へと真っ逆さまに滑り落ちていった。

 

 

 

「あっ……!!」

 

 

 

 夢中で駆け寄り、奈落を覗き込む。

 

 だが当然その先には闇があるだけで、デバイスが落ちた音すら聞こえない。

 

 

 

「あ……あ……」

 

 

 

 光さえも呑み込んでしまいそうな暗闇に手を伸ばすも、当然デバイスには届くはずもない。

 

 びゅう、と虚しく風の音がするばかりである。

 

「…………」

 

 

 

 物言わぬ穴の底を眺め、ルイスは言う。

 

 

 

「……行か、なくちゃ」

 

 自然に自分から出たその言葉に、ルイスは驚く。

 

 普段であれば決して行わない思考で、けれどすんなりとそう思えたのだ。

 

 

 

 怖い、と正直に感じる。

 

 底の見えぬ穴蔵という以上に、得体の知れない気配に思わず喉が鳴った。

 

 だが、落としてしまったデバイスは絶対に無くしてはいけないもの。

 

 何があっても、手放してはいけない。ルイスにとってはお守りであり、全てなのだ。

 

 

 

「泣きたい時こそ、笑う……笑う……」

 

 

 

 ルイスはいつもの「おまじない」を口ずさむ。

 

 それはフィリアとの約束。

 

 些細な事ですぐに泣いてしまうルイスを想い、交わされたもの。

 

 ルイスは一向に守れてはいないけれど、それでもこの約束があるからこそ、前を向く気持ちは確かに芽生えていた。

 

 目の前に広がる暗がりの巨大な穴。

 

 生唾を飲み込み、ルイスは大口を開ける暗闇に足を向ける。

 

 梯子や階段といった物は当然ない。

 

 あるとすれば、壁に生い茂る蔦と草花だけ。

 

  

 

 意を決し、ルイスは出来るだけ太い蔦を掴み、下へ下へと降りていく。

 

 

 

「う……」

 

 

 

 手を離すと死ぬ恐怖。

 

 得体のしれない怪物の胃袋に進む恐ろしさ。

 

 ルイスは小刻みに震え、顔も涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。

 

 

 

 この行為は、勇気からくるものではない。 

 

 まだ子ども故の、分別の付かない無謀な行動だ。

 

 だがそれは同時に、純粋なる決意によるものでもあった。

 

 

 

 ゆっくりゆっくりとルイスは降っていく。

 

 最早、真上の丸い入口は小さくなっている。

 

 どれくらい経ったかルイス自身も分からなくなり、後悔の念がよぎった、その時。

 

 

 

 ーーズシン、と大きく地面が再び揺れた。

 

 

 

「ーーあっ」

 

 

 

 マズい、と思った時にはルイスは空へと放り出されていた。

 

 小さな体が意識に反し、下へと向かって落ちていく。

 

 少年の悲鳴は地上に届く事はなく、暗がりの底へと沈んでいった。 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

「ーーぅ」

 

 

 

 痛む体をおさえ、ルイスは薄目を開ける。

 

 体のあちこちが軋むけれど、幸いにも骨に異常はないようであった。

 

 落ちた先には草花が生い茂っており、クッションとなっていた事が幸いしたらしい。

 

 

 

「あ!! デバイスは……?!」

 

 ルイスは当初の目的を思い出し、痛みを無視して地面を這うようにデバイスを探す。

 

 

 

「あ……った!!」 

 

 デバイスは思いのほかすぐ傍に落ちていた。見たところ、大きく壊れている様子もない。

 

 

 

「よかった……本当に、よかった……」

 

 

 

 ホッと胸を撫で下ろし、ルイスはデバイスをぎゅっと握る。

 

 このデバイスを失う事は、ルイスにとって決定的な打撃となっていただろう。

 

 今を生きる目的そのものを、ルイスは二度と離しはしまいと強く抱きしめた。

 

 

 

「……あ、れ、なんだろう」

 

 

 

 緊張の糸が切れたからか、ルイスは鼻孔を擽る甘い匂いに気がついた。

 

 はたと周りを見渡し、それの正体はすぐに理解できた。

 

 

 

「わぁ…………」

 

 

 

 陽も届かぬ穴の底には、不自然な程に白く綺麗な花が咲き誇っていた。

 

 左右対称な花弁が5個からなる、小さくて可憐な一輪の花。

 

 それが、地面を埋め尽くさんと咲き乱れているのだ。

 

 

 

 そして、その花の下にある地面が僅かに明滅しており、妙な温かさがある事に気が付いた。

 

 命を育む謎の光は、けれど決して恐怖を与える物ではない。

 

 むしろ、ひなたの優しさに近い物をルイスは感じていた。

 

 

 

「すごい……フィリアにも見せてあげたいな……」

 

 

 

 痛みも恐怖も、この幻想的な光景を前にしてルイスからは抜け落ちてしまっていた。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 ぼう、っと幾分かルイスはこの光景を眺めていた。

 

 このままずっとこうしていたいと、そう思ってすらいた。 

 

 だがそこで、地上へ戻る手段がない事にはたと気がついた。

 

 ルイスの筋力と体力では、とてもこの高さの壁を昇る事は出来ない。

 

 かといって、この場所には元来人が近づかないのだ。

 

 誰かの助けが来る事は、望めないだろう。

 

 

 

「どう、しよう……」

 

 

 

 幼さ故の猛進に今ようやっと気がついた彼であったが、後の祭りである。

 

 ここで死んでしまうのか、とルイスは鮮明になってきた死の気配に冷静さを取り戻した。

 

 

 

 震えながら立ち上がり、出来る限り花を踏まないようにして壁に向かう。

 

 どこかに出口はないものか、と縋る気持ちでルイスは壁を手にグルリと歩いてみる事にした。

 

 地面の灯りだけでは全容を把握するには頼りなく、何かを見落とさない様にと妙に滑らかな壁にしっかりと触れる。

 

 

 

「……?」

 

 

 

 数メートルほどきた所で、何やら地面と同じく銀の光を発している箇所をルイスは見つけた。

 

 よく目を凝らしてみると、それは扉の形をしているように思えた。

 

「……ッ」

 

 生い茂る蔦を慌てて剥ぎ取ると、銀の光が更に強く漏れ出した。煌々と、まるで朝陽の様な明るさだ。

 

 指先が草で切れ、滲む血も気にせずに、ルイスは夢中で草木をむしっていく。

 

 そしてそこには、子ども一人がやっと通れそうな隙間が出来上がっていた。

 

 

 

「ーーーー」

 

 

 

 やっと見つけた出口かもしれない場所。

 

 ルイスは無我夢中で体をねじ込ませ、扉の先へと進み出た。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 広がる光景に、思わずため息が漏れる。

 

 温かな銀の光が眩しいくらいに照らし出したのは、太古の遺跡だった。

 

 幾何学模様が浮かび上がる壁に、滑らかに削り造られた通路。地下深くであるはずだが、何故か心地のよい気温に保たれている。

 

 ルイスは気が付いていないが、この場所は彼の知り得る遥か先の技術で建造されていた。

 

 未知の技術、つまりそれは、古代遺産。

 

 この遺跡そのものが、巨大な古代遺産なのであった。 

 

 

 

「とりあえず、進もう……」 

 

 

 

 床は埃で汚れてはいるが、思いのほか荒れてはいない。むしろ、経過年数を考えると綺麗過ぎる程であった。

 

 そしてこの道は分岐する事もなく、一本道がずっと続いている。

 

 時折り緩やかに曲がる事はあれど、その道中はずっとなだらかな舗装路だ。

 

 扉なども存在せず、ひたすらに道が伸びている。

 

 

 

 道なりに暫く歩くと、銀の光がどんどんと強くなっていく。

 

 奥へ、奥へ。

 

 ゆっくりと、ルイスは進んでいく。

 

 

 

 ルイスに恐怖は不思議となかった。

 

 代わりに、妙な胸の高鳴りがある。 

 

 住み慣れた場所で突如広がる神秘的な異世界。

 

 まだ幼い彼の感覚は高揚感でどこか麻痺していたのだろう。

 

 

 

 と、そこに重厚な扉が見えた。

 

 ずっと続くかと思えた道であったが、どうやらここが最奥であるらしい。 

 

 

 

「…………」

 

 ペタり、とルイスは扉に触れてみる。

 

 鉄の様でいて違う謎の扉は、しかしやんわりとした温かみがあった。

 

 

 

「……よし」

 

 ルイス意を決し、風化し重く閉ざされた扉を力一杯押す。

 

 ギギギ、と軋みながらも、少しずつ、少しずつ扉は開き、何とか子ども一人が入ることの出来る隙間が出来た。

 

 

 

「……う?!」

 

 扉の向こうから零れる、今までにない明るい銀の光。

 

 思わず目を閉じてしまう程であり、最早、それは真昼の輝きだ。

 

 躊躇いが今さらながら生まれるも、ルイスは中へと足を踏み入れた。 

 

 

 

「なん、だ、ここ……」

 

 

 

 扉の先。

 

 そこには、ただポッカリとだだっ広く開け放たれた空間があった。

 

 ルイスが落っこちた、地上の広場を思わず連想する作りだ。

 

 壁も床も全てが真っ白く滑らかに整えられ、世界が色を忘れたかのようだった。

 

 

 

 明らかに今までとは異なる雰囲気に、ルイスの足は思わず止まる。

 

 厳か、とはまさにこの事を指すのだろう。

 

 煌びやかな光の中にあっても、どこか冷たさのある美しさ。

 

 そこはまるで別世界のようであり、シン、と空気さえも凍り付いたかのようであった。

 

 神の住む世界と町の大人が言っていた事を、ルイスは思い出していた。

 

 まさに、ここはそういう場所に感ぜられた。

 

 

 

 

 

 そしてその中心にポツン、と忘れられた様に奇妙な建物があった。

 

 どうやら、ソレからこの銀の光は各所に広がっているようだ。

 

 

 

 3メートルほどの高さしかない、小さな建物。

 

 だがそれは小屋と呼ぶにはあまりにも質素で、簡易な作りになっていた。

 

 4つからなる土台の柱と床板をベースにした建築物には、しかし本来あるべき天井と壁がゴッソリと抜け落ちていた。

 

 吹き抜け構造に近い建造物には、壁の代わりに御簾がかけられている。その為、奥を覗く事は叶わない。

 

 

 

 そして何より奇妙なのは、金色に輝く鉄鎖が遥か上空より垂れ下がっており、小屋の中心で揺れている点だ。 

 

 気味の悪い事に鎖は微かな鼓動を刻んでおり、まるで生き物の血管を彷彿とさせた。

 

 

 

 そんな小屋の中心。金の鎖の終着点であるそこには、「何か」がいた。

 

 御簾で見えぬその奥に、薄ぼんやりとだが人影が確かに見えるのだ。

 

  

 

「…………」

 

 ゴクリ、と喉を鳴らし、ルイスは進む。

 

 震える手でゆっくりと御簾を上げ、その中を、見る。

 

 

 

「ーーーー」

 

 

 

 ルイスの身体は完全に硬直し、動きを止めた。

 

 だが今度は、畏怖によるものではない。

 

 

 

 目の前の光景に、そう、見惚れていたのだ。

 

 

 

「おん、なのこ……?」

 

 

 

 ルイスの視線の先。

 

 そこには、1人の少女がいた。

 

 

 

 澪を思わせる、白く透き通った真っ直ぐで長い髪。

 

 

 

 無防備な白にうっすらと薄紅が浮いた、雪と見紛うきめ細やかな肌。

 

 

 

 純白のワンピースからはスラっとした手足が伸び、白磁を連想させる。

 

 

 

 何もかもが白い、玲瓏の少女。

 

 

 

 

 

 まるで絵画から抜け出てきた様な、ゾッとする美しさ。

 

 

 

 

 

 その少女は、この世の者とは思えない可憐さがあった。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 銀色の少女の身体のあちこちには、天から伸びる金の鉄鎖がしっかと絡みついていた。 

 

 その鎖の1本1本が血管の様に蠢いており、銀の光を上へと吸い上げているのだ。

 

 まるで、少女から大切な何かを抜き取っているようであった。

 

 

 

 そして件の少女の足元には、朽ち果てた手枷が幾つも散らばっている。

 

 黒ずみ、本来の色を無くしたソレらは、役割を終えた事を告げていた。

 

 そして、唯一その色を無くさず、「黄金に輝く手枷」が、1つ。

 

 少女の白い左手で鈍く妖しく、光を放っていた。

 

 

 

「もしかして、人形……?」

 

 ルイスは、惹きつけられる様にフラフラと近付いていく。

 

 そう、こんな場所に人間がいるだろうか。

 

 否。陽の光も届かく地の底で、生きる人間などいるはずがない。

 

 あるとすれば、精巧に造られた人形くらいなものだ。

 

 

 

 物言わぬ、人ならざる美しき人形。

 

 それだけを思えば不気味ではあるが、ルイスの内側に怖れはなかった。

 

 いやそれ以上に、そう。

 

 美しく固まる少女は、それ程までに、美しかった。

 

 

 

「泣いている、の……?」

 

 ルイスには、その人形が自分と同じように泣いている気がした。

 

 だからだろうか、そっと、その頬を撫ぜていた。

 

 

 

 ――その時、黄金の手枷が星の如き輝きを放った。

 

 

 

「っ!?」

 

 眼を開けていられない程の閃光。 

 

 薄暗闇に慣れだしてルイスは、ビクっと体を震わせ、両手で顔を覆う。

 

 眩さに目を閉じた、まさにその時だった。

 

 

 

 カチン。

 

 

 

 と、乾いた金属音がルイスの耳に届いた。

 

 音の発生地点は、自分の右腕からである。 

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 間抜けな声を上げながら、ルイスはしげしげとそれを見た。

 

 いつの間にか右腕に光る、黄金の手枷を。

 

 

 

 

 

「ーーやぁ、君が私を起こしたのかい?」

 

 

 

 

 

 凛、と鈴の様な声がした。

 

 それは、聞き慣れない少女のもの。 

 

 ルイスはハッと声の主を見る。

 

 手枷で自分と繋がれた、雪の少女を。

 

 いつの間にか金の鉄鎖は掻き消えており、少女の柔肌を縛る物は、もう何もない。 

 

 

 

「き、君は?」

 

「私、かい? あぁ、いや。ちょっと待って欲しい。いやなに、随分と長い時間寝ていたらしくてね」

 

 

 

 銀髪の少女は、ゆっくりと頭を振り、溜息を深く吐く。

 

 

 

「ふぅ……さて、では改めて。私の名は…………そうだね、アイリス。今はただの、アイリスさ」

 

「あ、え、っと。その……」

 

 当然の様に自己紹介を始めるアイリスと名乗る少女。

 

 もしそれが、街中なのであればルイスも当惑する事はなかっただろう。

 

 だが、謎めいた地下遺跡で、しかも人ではない「何か」が相手となれば、誰が混乱せずにいられようか。 

 

 あたふたと思考が纏まらないルイスを理解してか、アイリスは薄い笑みと共に頭をやんわりと撫でた。

 

 

 

「そう怯えずともよい、何もとって喰おうというわけではないのだから。さぁ、よければ少年、君の名を教えてはくれないかな?」

 

「え、と……」

 

 サラサラと指で髪をすかれ、ルイスは胸の鼓動が徐々に落ち着くのを感じた。

 

 どこか懐かしさのあるその感触に、ルイスの眼は細く弓となる。

 

 

 

「ぼ、僕は、ルイス。ルイス=シュヴァングで、す……」

 

「……なんだって? 「ルイス」? 今、ルイスと言ったのかい?」

 

 ピタリ、と髪を撫でる手を止め、アイリスは目を丸くした。

 

 鳩が豆鉄砲を食ったよう、と形容するに相応しいその顔に、ルイスは何かマズイ事を言ってしまったのかと慌て、取り繕う様に続ける。 

 

 

 

「あ、あの! え、っと、はい……! リーリオに伝わる御伽噺に「ルイス」っていう名前の英雄がいるらしくって……お父さんが、誇り高き名にあやかろう、って……」

 

「…………」

 

 尻すぼみになるルイスの言葉を咀嚼し、アイリスはあんぐりと呆けていた口を小刻みに震わせる。

 

 

 

「…………くく、あは……あはは!!」

 

 

 

 そして、堰を切った様に笑い出した。

 

 

 

「はは、あの泣きむし坊やが!! 英雄!? あっはっは……はは……存外とやるじゃあないか、この私を驚かせるとはな。ふふ、長く生きてみるものだな、愉快だ、あぁ実に愉快だ!!」

 

 

 

 笑っている様で、どこか物寂しさをその声色に乗せ、アイリスは続ける。

 

 

 

「あぁいや、すまない。昔の馴染みを思い出していてな。そう、どうしようもなく泣いてばかりで、そのくせ意固地で不器用なヤツでな。だがしかし、これも1つの縁と言うもの。どうかその名、大事にしてやってくれ」

 

「う、ん……」

 

 切に願うその声色に、ルイスはしっかりと頷きを返した。

 

 

 

「あ、の。えっと、それよりも、君は……その……」

 

「あぁ、私の事はアイリスと呼んでくれて構わないよ」

 

「……アイ、リスは、こんな所で、何をしてたの……?」 

 

 

 

 おずおず、とルイスは当然の疑問を口にする。

 

 寸でのところで「君は人間なのか」という質問は何とか飲み込んだ。

 

 

 

「何をしていた、か。そうだね、世界を護っていたのさ」

 

 

 

 軽口を叩くように紡がれる言葉は、しかし相反する重みがあった。

 

 それは冗談などではなく、真実なのだと。

 

 そう思わせるだけの、力強さがあった。

 

 

 

「世界を、護る、って……?」

 

 手枷で結ばれている為、その距離は近い。

 

 驚くほどに精巧なアイリスの顔を直視する事が出来ず、ルイスは視線を僅かに逸らした。

 

 

 

「なに、言葉通りの意味さ。私はずっとこの世界を護っていた「物」さ。そして同時に、力を分け与える機構でもあった」

 

「え、ぇっと?」

 

「……ふむ、どうやら本当にこの私を知らないらしいね。なら、うん。それはとても良い事だ。私を必要としない世界を、私自身も望んでいたのだから。この手枷だって、意志あって付けたものではないのだろう?」

 

 アイリスは金の手枷をしげしげと眺め、どこか嬉しそうに撫でた。

 

「あ、ご、ごめん勝手に……」

 

「なに、怒っているわけじゃあないさ。それに、君がこの手枷で私を繋いでくれたおかげで、目覚める事が出来たんだ。感謝こそすれ、だよ」

 

 

 

 ふむ、とアイリスは唸り、

 

 

 

「……ルイス、しかしだとすると、君は何故こんな所にいるのかな?」

 

 

 

アイリスは、続けて問う。 

 

 

 

「まさか……いや、まさか。『黒い獣』に追われて来た、とは言わないでおくれ?」

 

「……黒い……獣?」

 

 アイリスの声は微かに震えていた。まるで、ルイスの答えに怯えているようであった。

 

 緊張で、目尻に薄っすらと涙すら見える。

 

 確かめたくはないが、それでも聞かずにはいられない。

 

 二律背反の色を濃くし、アイリスは唇をキュッと噛んだ。 

 

 

 

「……ううん、違うよ。僕は大事な物を落としちゃったからで……」

 

「……では、君は黒い獣を見たことは無い、と?」

 

「う、うん……」

 

「……そうか、うん。そうか。なら、いいんだ」

 

 ハッ、とアイリスは貯めこんでいた息を一気に吐いた。

 

 確かな安堵がこもった吐息でいて、けれどその顔は何故だか硬く、動く事をしない。

 

 アイリスは続いて、無意識に細めた目線を遙か天へと向ける。

 

 

 

 

 

「ーーあぁ、姉様。私はやり遂げたのですね……」

 

 

 

 すぐそばのルイスにも聞こえぬ小さな声で、アイリスはそう呟いた。

 

 

 

「すまない、変な事を聞いた。さ、ではそろそろ行こうか」

 

「い、行くってどこに……?」

 

 打って変わってアイリスは、どこまでも元気に声を高くする。

 

 当然ルイスは困惑し、疑問符を飛ばすしか出来ない。

 

 

 

「君は地上から来たのだろう? ならば送り届けるさ。それに、そうしなければあの泣きむし坊やに顔向けできん。さ、付いてきたまえ」

 

 アイリスは有無を言わさず、スタスタと神殿の外へ向けて歩をすすめた。

 

 手枷で繋がるルイスも、引っ張られる形でそれに付き従う。

 

 そしてアイリスが1歩、神殿から足を踏み出した、その時。

 

 

 

 フッと、部屋を照らし出していた銀の光が掻き消えた。

 

 突然訪れた暗闇に、ルイスはビクリと肩を震わせる。

 

 奥に続く通路からも明かりは消えており、視界は完全になくなった。

 

 まるで電源を抜かれた機械の様に、遺跡全体が動きを止めた様にみえた。

 

 

 

「そう怖がらずともよい。もう私が浄化する必要もなくなっただけさ」

 

 だが、アイリスは一切動じる事もなく、飄々と歩を進める。

 

 彼女は暗闇の中でも目が見ているのか、果ては歩きなれた場所だからか。

 

 幸か不幸か、手枷で繋がれたルイスはアイリスに抱きつきながら、二人三脚で歩く事が出来ていた。

 

 

 

「いやはや、しかし出会えた人間が君でよかったよ。悪意が無い事は手枷から伝わったが、無自覚な悪鬼とも限らないわけだし」

 

 のんびりとした口調で話しながら、アイリスは大扉を無造作に軽く押した。

 

 それだけの動作で、重く硬い扉は勢いよく開いてしまう。

 

 ルイスが必死にこじ開けた扉が、呆気なく全開となった。

 

 

 

「ふむ、やはり遺跡のカラクリは軒並み停止しておるな。まぁそうでなければ、力無き者がここまで到達できるはずもないが……ふふ、君も運が良い」

 

 からからと笑うアイリスがあまりにも浮世離れしており、一瞬、ルイスの頭がゾッと痺れた。

 

 だがその考えが酷く失礼な気がして、首を振ることで余計な感情は外へ押し出した。 

 

 アイリスはそれを嬉しそうに眺めるも、特に触れる事もなく、ただ微笑むだけであった。

 

 

 

 2人は、銀の光を失い、真っ暗に沈んだ舗装路をゆっくり進んでいく。

 

 確かな熱を互いに感じ、その姿はまるで寄り添うようであった。

 

 

 

 果てしなく続く通路を抜けた先は、当然、銀の花が咲き乱れる穴の真下だ。

 

 真直ぐな道はここまでで、残すは垂直に佇む壁があるのみ。

 

 だが、それこそが最大の難関である事は疑いようがない。

 

 

 

「……アイリス、どうしよう」 

 

「ふふ、お姉さんに任せておけばいいさ」

 

「お姉さんって……僕と同い年くらいじゃないの?」

 

「見た目で判断してはいけないな。こう見えて私は随分とお婆ちゃんなんだから」

 

 

 

 嘘か本当か判別し辛いアイリスの飄々とした笑顔だ。

 

 

 

 もとより、壁をのぼる事を諦めた故にルイスは遺跡の奥へと進んだのだ。

 

 だがアイリスは事も無げに任せておけと言いきってみせた。

 

 思わず、ルイスが訝しげたのは無理もない事である。

 

 

 

「ーーさて、少し失礼するぞ」

 

 アイリスはそんなルイスの心境を知ってか知らずか、無造作に彼をひょいっと抱きかかえた。

 

 俗に言う、お姫様だっこの形だ。

 

 

 

「え、ちょ、え?!」

 

 気恥ずかしさと驚きで、ルイスは反射的に手足をバタバタと動かしてしまう。

 

 だが、体格の劣るアイリスはよろける事すらしない。

 

「これ、暴れるでない。いいから私を信じて大人しくしておれ」

 

 見るからにアンバランスな光景ではあるが、アイリスは体幹のブレもなくしっかりと歩いていく。

 

 向かう先は聳え立つ真っ平らな壁。

 

 壁のふちでアイリスははたと立ち止まり、

 

 

 

「----」

 

 

 

 ぼそり、とアイリスは何かを呟いた。

 

 

 

 と、アイリスは軽やかな笑顔を添え、当然の様にスタスタと壁を歩いていく。

 

 まるで床と壁が地続きだと言わんばかりの行いだ。それはまさに重力を無視した歩方。

 

 その様は、まさに忍者とでも形容すべきものであった。

 

 

 

「さ、一気に行くぞ」

 

 

 

 予想外なその光景にあんぐりと口を開けるルイスは、返事をする事など当然叶わない。

 

 アイリスはルイスの頭を撫でながら、ぐ、と両足にに力を込めーー

 

 

 

 --とん、と軽やかな音を残して猛烈な速さで壁を駆け上がっていく。

 

 

 

「ーーーーッ」

 

 

 

 大股で翔ぶ様に、それでいて軽やかなステップを刻み、ものの数歩でアイリス達は地上へと到達してしまっていた。 

 

 

 

「ーーふぅ、到着だ。久しぶりだったが、うむ、何とかなるものだな」

 

 

 

 震える事すら忘れ、ぼうっと空を眺めるルイスとは対象的に、アイリスは満足気に鼻息を鳴らす。

 

 

 

 すでに空は白み、薄っすらと朝日が射す頃合いだった。

 

 冷たい朝の空気を吸い込み、アイリスは嬉しそうに、そしてどこか寂し気にリーリオを眺める。

 

 ふっと、アイリスの火照りが冷たく、そして暗いものへと変わっていく。

 

 

 

「あぁ……何もかもが変わってしまったのだな。けれど、間違いなく、ここは……」 

 

 

 

 迷子の子どもが、所在なさ気に視線を燻らせる様に。

 

 アイリスの足は固まり、動く事を忘れてしまう。

 

 

 

「アイリス、どうしたの……?」

 

 

 

 怯えている。

 

 ルイスはそう感じた。

 

 だがこれは、直観的なものではない。何故だか、そう「感じる」のだ。

 

 

 

(……なんだろう、この不思議な感じ。アイリスの気持ちが、僕に流れ込んでくるような……)

 

 怯えと、それに負けないだけの嬉しさ。そして、膨大な自責と寂寞の念。  

 

 目まぐるしく、彼女の感情らしきものが、ルイスの内に流れ込んで来る。

 

 

 

 だがルイスは不思議と、この奇妙な感覚を受け入れ、疑う事はなかった。

 

 何故だか、そう。それはひどく、身近な感情であったからだ。

 

 間違えるはずがない。疑問に思うわけがない。

 

 彼女は、ルイスと同じ「世界」に浸かっているのだから。

 

 

 

「…………なんでもないさ」

 

 痛々しく笑ってみせる彼女を見て、改めて思う。

 

 彼女の笑みは、作り物だと。 

 

 

 

 遺跡の奥で出会った時から、彼女は常に笑顔だ。

 

 だが、それがどうにも、「完成された笑顔」に見えて仕方がない。

 

 その実、彼女の心は冷たく冷え切っているのだから。

 

 それは、そう、今の自分とまるで同じではないか。

 

 

 

「上手くは言えないんだけれど、アイリスは、その、もう笑ってもいいと思うんだ」

 

 だからだろうか。ルイスの口は、無意識に動いていた。

 

 

 

「----ッ」

 

 言葉に詰まり、息を呑む。 

 

 誰からも隠し続けていた奥底を見透かされた、驚愕。

 

 アイリスの赤い瞳が、僅かに揺らいだ。

 

「……ははは、何を。わた、私はずっと笑っておるではない、か。全く、おかしなこと言う」

 

「…………」

 

 じっと、ルイスはアイリスの目を見つめた。

 

 そこには、ありありと確信と理解の色がある。

 

 

 

「……僕もね、同じだから分かるんだ。頑張って……頑張って笑おうとしてる、よね、アイリスも」

 

 ルイスの言葉が、二人の耳に響き、胸へと落ちる。

 

「笑っているけど、ずっと泣いてる……。それは、とても、辛い、よね……」

 

 

 

 アイリスはハッと何かに気が付き、自分とルイスを繋ぐ金の手枷をそっと撫ぜた。

 

 

 

 心の深くを言い当てられ、だがアリスは、何かが溶けていく感覚があった。

 

 その言葉を、ずっと待ち望んでいたのだと、気が付いていた。

 

 

 

「なぁ、ルイスは……「ルイス」は、こんな私が笑ってもいいと、思うかい?」

 

 

 

 自分の名を呼ばれたはずなのだが、どうにも噛み合わない視線にルイスは僅かに首を傾げる。

 

 だからこそ、素直な言葉を選んだ。

 

  

 

「僕も時々、笑えなくなる時があるんだ。だから、一緒に……僕と一緒に、笑ってくれると、嬉しいな」

 

「----」

 

 アイリスは、空を見る。 

 

 星は薄らぎ、青に溶けていた。

 

 代わりに大きな陽が、遠くリーリオへと柔らかな光を注ぐ。

 

 キラキラと輝くそこには、争いの影は、ない。

 

 

 

「ーーあぁ」

 

 

 

 アイリスは、ルイスを見た。

 

 小さな町から迷い込んだ、無垢な少年。

 

 共に笑おうと、そう願ってくれた、彼を、見る。  

 

 

 

「……そう、か。うん、そうか。あぁ、私は、許されたのだろうか」

 

 アイリスは、くしゃっと顔を笑みに崩した。

 

 どこまでもホッとした、まるで遠くの誰かを想うような。

 

 そんな顔で、静かに笑った。

 

 

 

「ーーさ、アイリス一緒に行こう!」

 

 ルイスが今度はアイリスの手を引き、行く。

 

「あぁ、「君の町」を案内しておくれ」

 

 自然な笑みで、似た者同士は前へと進んでいく。

 

 

 

 こうして、手枷で繋がれた少年と少女の、奇妙な共同生活が始まった。

 

 

 

 

 

 




お待たせしました。
リアルのバタバタがおそらく人生の最大瞬間風速記録しています。
あと、少々と書きながら悩んでおりました。
書いては消し、または書けずに白紙と睨めっこ。
でもここまで来たのできっちり書き終えたいのは確かなので、「頑張るぞー!」って届いた劇場版の円盤を観ながら気合い入れてました。
正直、今のところコメントしにくい内容だと思いますが、何か書き残してやってくれると泣いて喜ぶと思います。

それでは、読んでいただき本当にありがとうございました。


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