魔術師の宅急便 (トキS)
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神裂火織

 大前提として。

 この世界には魔術というモノが存在する。

 

 様々な事象を非科学的な方法で発生させる世界のもう一つの法則。

 

 事象というと、攻撃、防御、回復などと言えばわかりやすいか。思わずRPGでも想像するかもしれないが、MPを消費して発動するような単純なものでもない。

 

 攻撃をしたければ、何で攻撃をするのか。

 それは剣であるかもしれないし炎であるかもしれない。

 

 防御をしたければ、どう防御するのか。

 盾を呼び出すのかもしれないしバリアを張るのかもしれない。

 

 回復をしたければ、どんな症状を回復するのか。

 切り傷であるかもしれないし火傷であるかもしれない。

 

 と。

 大雑把だが、魔術の種類が豊富であるということには気付いただろう。物一つ浮かせるのにも、北欧神話やギリシャ神話など引用する方式は多岐にわたるというのだから、どれだけの種類があるのかは想像もできない。

 

 

 そんな数多ある魔術のうちの一角に『空を飛ぶ魔術』が存在する。

 

 それこそRPGでもよくある普及された魔術だ。だが、一般的ということは対策も早いということである。意外にも飛行術式は一昔前にとある《魔術》が編み出されてからというもの、退廃が進む一方だった。

 

 魔術の名は《ペテロの撃墜術式》。魔術的飛行物体を絶対に撃ち落とすソレにより、現在魔術師が空を飛ぶことは無くなった。

 

 

 そんな時代。そんな背景。

 しかしながらここに一人……悠々と空を漂う魔術師の男がいた。

 

「次の場所は……」

 

 魔女が被るような黒い三角帽にローブ。オマケに箒に跨っている……その、男と言われなければ気付かないような出で立ちの彼は、自分の周りに浮かんだメモ代わりの文字列を追いながら辺りを見回す。

 

 彼は眼下に広がる雲海の切れ間から街を見下ろすと徐々に、高度を下げて行った。

 

「んーあ〜、あー!あそこかー」

 

 やけに間延びした声は彼の平常運転の証。いついかなる時もマイペースを貫くその姿勢は、ある意味彼の特徴といえるだろう。

 

「えーっと、次の配達先は……」

 

 彼は空を飛んでいる。

 勿論魔術を用いた方法だ。迎撃術式が確立されているにもかかわらず、彼はそれを微塵も恐れてはいないようである。

 

 理由はただ一つ。

 自分の術式に絶対の自信を持っているのだ。

 

「ね、ネセ……《必要悪の教会(ネセサリウス)》か。ややこしい名前だなー」

 

 彼は誰よりも空が好きだった。飛ぶことが好きだった。

 だから彼は、

 

 

 ーー《運び屋》をしている。

 

 

 

***

 

 

 

「こ、この時代によりにもよって飛行術式ですか……」

 

 イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会(ネセサリウス)』所属の魔術師、神裂火織は部下からの報告に頭を押さえた。

 

 それはもう頭だって痛くなるというものである。

 

 いつの時代からタイムスリップしてきたのかと疑うくらいには飛行魔術は廃れているのだ。

 

 魔術の最先端、イギリス清教に向かって超旧魔術で向かってくるとか訳が分からなすぎて頭痛が止まらないということである。

 

「……は、はい。単純に気が違う者なのか、必要悪の教会(こちらがわ)にケンカでも売っているつもりなのかは判断出来ませんが……」

「聖ペテロの術式は試さなかったのですか?」

「それが……」

 

 ーー作用しなかった。

 神裂はその報告に目を見開いた。

 

「派生した魔術の《抜け穴》の確認を急いでください」

「は、はい!」

 

 一体どういうことだ。

 

 ペテロの撃墜術式は魔術的に飛行している物には強力に作用する。

 

 防衛術式を展開しようにも一人の魔術師が扱えるレベルなら簡単に貫通できる。

 もちろん個人で防御出来ないわけではないが、ペテロの術式の前では生半可な防備は意味をなさない。攻撃を捨て自らのリソースの全てを割くような大規模魔術でもなければ防ぎきることは叶わないだろう。

 だがそこまでするなら別の方法をとるのが魔術師というものだ。そしてそれこそが飛行魔術の廃れた理由なのだが……。

 

 

 そんな中、可能性が大きかった術式の《抜け穴》の確認を指示した部下から神裂は再度報告を受けた。

 

「判明している《抜け穴》は全て試しましたが……」

「駄目でしたか……」

 

 敵かはまだ分からないが、イギリス清教の中心部に謎の飛行術式を用いて接近しているというだけで、どちらにしろ相手方に覚悟はあるだろう。

 

 そう判断して神裂は決断した。

 

「私が出ます」

 

 

 

***

 

 

 

「〜♪〜♪」

 

 目的地まで残り数百mともあって上機嫌な魔術師は、鼻歌を歌いながら箒で見事なアクロバットを披露していた。

 

 先程から何やら自分と同種の人間から攻撃を受けている気はするが、そんなことは些細なことである。

 

 

 彼は魔術的な意味合いを歌に乗せ、飛翔速度を少しあげる。このあとようやく休憩して飯を食べるのだ。早く仕事を終わらせて一息つきたいのは空を飛ぶことが好きな彼でも同じだった。

 

「ん、何だアレ」

 

 そんな時だった。

 前方……丁度目的地の建物から飛び出しこちらに向かってくる人影に彼は気がついた。

 

 と、その人影は彼目掛けてーー

 

「ジャーンプ……って、ジャンプ!?」

 

 これにはマイペースな彼も驚かざるを得なかった。

 何しろ、下げたとはいえ高度はまだ百mはある。それをただのジャンプで接近されるとは思わないだろう。

 

 確かに肉体を強化したり軽く飛翔する分なら魔術でどうとでもなる。

 しかし飛行術式同様メジャーな魔術には対抗術式の存在がつきもの。

 視界に捉えた瞬間、彼は鼻歌に乗せる意味をそのまま思いつく限りの対抗術式に変更したが、相手に変化は見られない。

 つまり、

 

「純粋な身体能力……?」

 

 驚きを通り越して恐怖すら感じた彼は、すぐさま狙いを外そうと箒の飛翔スピードを上げ

 

 ーーようとした時にはもう遅かった。

 

 

「こんにちは」

「! ……どうも」

 

 箒の柄の先にシュタッと着地した人影改め女の人(仮)は、長い刀に手を添えながら会釈をした。

 

 動揺して箒がぶれなかったのは彼自身驚きだったが、何とか持ち直し挨拶を返す。

 

「え、えーっと……どちら様でしょう」

「それはこちらのセリフです」

「???」

「あなたこの近くに何があるか分かっていますか」

「ロンドンの時計塔」

「そ、そういうことではありません!」

「じゃあドーヴァー海ky」

「そういうことでもありません! 普通真っ先に必要悪の教会が出てこなくてどうするのですか!」

 

 ーーなるほど! 配達先の!

 合点がいった彼は指を周りの文字の上に置く。すると、いつの間にか彼の手の上に中ぐらいの荷物が現れていた。

 

「受取書にハンコおねがいします」

「……え?」

「あ、聞こえませんでした? 受取書に、ハンコを、お願い、します」

「……え、っと……どういうことでしょう」

「ハンコが無ければサインでも全然構いませんよ?」

「……サイン?」

「ボールペンならこちらに」

「いやそうではなく」

「あ、一応料金は発生しますが今後もご贔屓にしてもらえるよう、初めての方には半額でご提供させていただいてます」

「いやそうでもなく」

「お客さーん、上手いね〜。じゃあしょうがない、出血大サービス! 6割引きで手を打たないかーい?」

「だからそういうことじゃないって言っているでしょう!!!」

 

 とうとうキレた。

 

「あなたは何者なんです! イギリス清教に喧嘩を売っていると理解しておいでですか!」

 

 魔術師は数秒目を瞬かせ首を傾げ、ようやく納得が言ったかのような表情になる。ポンッと両手を合わせて彼は言った。

 

「なるほど、話が通っていなかったんですか〜」

「?」

「では幾つか確認を取らせていただきますが、あなたがイギリス清教若しくは必要悪の教会の関係者であることを証明できる物はありますか?」

「……え、えーっと身分証明書とか……そ、そういうことですか?」

 

 何やら本当の配達業者のような質問にしどろもどろになる女性。

 

 彼女は必要悪の教会だという証拠を外部の者に見せるなど愚の骨頂であると理解しているはずだが、馬鹿正直に答えてしまった。

 

「すいません。今持ち合わせては……」

「いやー、いけませんよ。今のご時世個人情報の価値は高いんです。いざと言う時に有ると無いとではかなり違いますからね」

「……申し訳ありません」

 

 これは困った……と彼は考え込むと周りにフヨフヨしていた文字列を指でなぞった。

 

「あ、そうだー。依頼主から言われてましたね」

 

 うんうん!

 と元気に頷く彼を見て、女性は不思議に思ったが続く彼の言動に自分の侵していた間違いに気づく。

 

「ちょっと厳しいと思いますが頑張ってよけてくださいねー」

 

 瞬間。

 周囲に明確な形を持った風が渦を巻いた。

 

「なっ!」

 

 常人には視認すら難しい速さの風が殺到する。この完全なる不意打ちは普通の魔術師には回避不可能。全方向から襲いくる攻撃に死角は存在しない。

 

 だが、女性……神裂は例外だ。

 

 彼女は魔術師であると同時に〈聖人〉である。身体能力だけで魔術師と渡り合えるほどのイレギュラーだ。

 

 神裂は箒から飛び降りると、急降下。どこまでも迫ってくる風をギリギリでかわし、思考する。

 

(やはり……敵だった!?)

 

 あまりの敵意の無さに、人の良い彼女は完全に油断していた。しかし、魔術によって形作られたであろう風が出現した時の殺気は本物だった。

 

「全く私はいつもいつも……!」

 

 甘さが原因で周りに迷惑をかけてばかり。

 

 今回だって、ここで飛行術式を使う魔術師を止めることが出来なければ仲間を危険に晒すことになる。

 

 必要悪の教会のメンバーはいずれも強者揃いだが、あの魔術師はやばい。

 ペテロの術式が通用しない飛行術式を持ち、得体のしれないーー仲間の赤髪の魔術師が扱うルーンとも違うーー文字の術式。

 

 どれをとっても異常の一言に尽きる。更にパワーによるごり押しとも違う、あの掴み所の無い飄々とした態度。

 

 危険だ。

 そう断じた彼女に、もう油断は欠片ものこっていなかった。

 

「あのー」

 

 隙などなかった。そのはずだ。

 

「なっ」

 

 背後にいたのだ。トンガリ帽子の魔術師が。

 

 それは、幾ら聖人の神烈でも致命的な隙。

 反応から腰の長刀の柄に手を伸ばすまでコンマ数秒、だが唯閃も七閃も発動する前にやられる。

 

 

「やだなーそんな構えないでくださいよー」

 

 

 特大の攻撃が来る……!!

 とか勝手に思っていた神裂を不意打ち気味に間の抜けた声が襲う。

 

「合格です。貴方が神裂火織さんですね。土御門元春様からお届け物です」

 

 え?はい?土御門?

 目を白黒させる神裂を他所に、何やら丁寧に包装された箱を差し出してくる彼。驚きと困惑のモンタージュで絶賛パニック中の神裂は何の警戒心も無くその箱を開けた。

 

 

 この前言ってた堕天使エロメイドのコスチュームだにゃー!

 これで誘ってやればカミやんなんてイチコロだぜぇー?

 

 PS.どうせねーちんの事だから運び屋に切ってかかったりしたんじゃないかにゃ? ソイツにはねーちんの見分け方をそういうギリギリの衣装が好きな、動きが変態(・・)のおんにゃの子だって言ってあるからそこんとこヨロシク。

 

 

「この腐れニャーニャー陰陽師があああああああああ!!!!!!!」

 

 大事な部分が隠れ……ているようでギリギリ隠れていない服と共に添えられた一つの手紙。糞外道妹萌え変態男からのソレの意味するところ。

 つまり、

 

「あの……運び屋ってのはそういうところ割り切ってますから。良いんですよ。全然気にしてないですから」

「引きつった笑顔で言われても説得力ゼロです……」

「今後もご贔屓にお願いしますネ」

「どんなお客さんでも平等に対応しようと心がけているのだと察してしまいましたがそういうリアルな反応をされると私の恥ずかしさがキャパシティーMAX振り切っちゃうので本当にやめてくださいお願いします」

「料金はいらないんで!はい。さようなら」

「え?さっき半額って」

 

 目にも留まらぬ速さで箒に跨って引きかえすーーというより逃げ帰るーー彼を見て、

 

「土御門。貴方覚悟出来てるんですよね」

 

 ボソっと呟いたその言葉に『にゃんだ今の悪寒は!?』と言った暗部で陰陽博士の男がいたとかいなかったとか。




そういえば純粋な禁書二次書いたことねえなって思って前に考えてた奴を仕上げた。最近禁書ss少ないよね。増えろ。

需要ありそうなら連載します(たぶん


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オリアナ=トムソン

「んーっと、次の配達先は……Japanか。それも……」

 

 ──学園都市。

 名前だけ聞いたのなら、学習施設の密集地域という考えに至るだろう。

 しかしことこの世界においては学園都市という言葉が指すものはただ一箇所である。

 

 日本の首都、東京の三分の一を占める世界最高の学術機関。

 世界の科学を牽引する文字通り『最先端』が存在する科学の頂点。

 

「はぁー」

 

 思わずため息が漏れ出た。

 

「あー幸せがにげーるー」

 

 魔術師と科学者というのは基本的に相容れない。

 科学は摂理を解き明かし未知を既知とする学問であるのに対し、魔術は不可思議や奇跡を未知のまま引用する技術だ。

 そんな正反対の存在が上手くやっていけるはずもない。

 

 科学は天敵。

 カエルにとってのヘビ。

 ヘビにとってのナメクジ。

 ナメクジにとってのカエル。

 要するに根本から水と油のようなものなのだ。

 

 ただ、彼にとって理由は別にあった。

 

「はぁー……おっと逃げる逃げる」

 

 逃げた幸せを掴み口に投げ込むような動作をしながら彼は言った。なんとも非生産的な作業だが、魔術師は迷信からも魔術が生まれるという事を知っている。

 

「ああ行けそう。その魔術作ろ」

 

 嫌な事から逃避するかの如く、いつにも増してふわふわした思考だが……ここは高度2000mの上空。

 それも頼りにするには余りにも心許ない一本の箒で軍用ジェット機ばりの高速移動をしている最中だ。下は太平洋ど真ん中、落ちれば当然命はない。

 

「憂鬱ですねー」

 

 さて、そんな剛毅な彼が何故ここまで(箒に寝転ぶかのようにだらけきりながら飛翔中)気後れしているのか。

 

 実のところ彼は魔術師だが、科学は嫌いではなかった。

 つまり学園都市自体は直接的な理由に関係しないということである。

 

「大抵の魔術師は科学嫌いなんだけど……僕は洗濯機だってエアコンだってスマホだって使うし」

 

 そう。彼にとって科学は敵対するものではない。むしろ三食飯付きで歓迎しちゃうくらいだった。

 では彼の憂鬱の原因は何なのだろうか。

 

「はぁー」

 

 深く重い溜息。心なしか顔色も悪い。

 

「いや憂鬱っても宇宙人とか異界人とか未来人とか超能力者相手ならまだ良いんですけどねー。それよりもっと凄い人が丁度いるらしいんですよ」

 

 最早独り言のレベルじゃない言葉を、目が完全に明後日の方向を向いたまま言うのだから魔術師の気苦労は計り知れない。

 

「あ、そうだ。それならー!」

 

 バックレよう!

 だが、

 

「依頼達成率100%を覆す訳には……」

 

 ぐぬぬ……。

 

 

 たっぷり数分をかけて悩んで、彼はようやく結論を出した。

 

「行くっきゃないかー」

 

 配達という仕事には届ける責任と義務がある。そう考える彼は自分の仕事に自信を持ち好いているが、久しくこの仕事を面倒だと思ってしまった。

 

 今日の魔術師は何処までもネガティヴである。

 

 

 

***

 

 

 

「さて、着いたは良いけどどう入ろう」

 

 学園都市は外周をぐるりと大きく壁に囲まれている。高さは5メートルはあるだろうか。

 まあ5メートルなんぞ飛べばすぐの彼にとって屁でもないのだが、ここは科学の総本山。セキュリティは山のようにかけられているだろう。

 そんな場所に侵入するにはそれこそ乗り越える(物理)か、破壊する(物理)しかないわけだ。かといって正規の方法で侵入するには何重もの検査やらなんやらくぐり抜けないといけないと聞く。本当に面倒なことこの上ない。

 

「飛ぶかー」

 

 一言呟いて箒にまたがる。

 瞬間、待ってましたとばかりに浮き上がる箒。一秒とかからず6メートル程の高さまで駆け上がるとゆっくり内部に侵入する。

 正直どんな科学兵器だろうがこの箒にまたがっている間は大丈夫だと確信してはいるが、万が一ということがある。

 

「だ、大丈夫〜。大丈夫〜。一休み一休み。馬の耳に念仏〜」

 

 何やら訳のわからない自己暗示をしながら少しずつ進んで行く。

 しかし一向に学園都市からのアプローチはない。

 

「あっれー? ……何もおこらない」

 

 まるで意味ありげな骸骨に近づいてみたら、ただのしかばねのようだったみたいに。呆気なく壁を乗り越えてしまったことに首をかしげる。

 

「ミサイルとかマシンガンでズバババーンは覚悟してたんだけどなぁ……」

 

 人目がないことを確認して地面に足をつける。

 流石に目的地まで飛ぶ馬鹿はしない。姿を隠す魔術もあるが、科学都市というのならレーダーくらいあるだろう。飛んだら確実に見つかる。生憎、レーダーから何から完全に隠蔽する便利な魔術は持ち合わせていないのだ。

 

「えっと行き先は……」

 

 配達物はただの手紙。

 差出人は……リドヴィア=ロレンツェッティ。御誂え向きに時間指定もしてある。

 やっぱりこの制度見直そうかなぁ。

 そんなことを思った。制度というのは彼が配達物を『届ける』だけで済むように作った方法のことだ。

 

 1、依頼主は配達物を用意。

 2、紙に氏名、宛先、宛名を書く。

 3、見合うだけの金額と共に紙を封筒に入れる。

 3、封筒と配達物を『専用ポスト』に投函。

 

 以上。

 『専用ポスト』は彼が色々な場所で配布している。どんなに頑張ったって彼は一人。届けられる数に限りはあるため客の選定も兼ねているのだ。

 ただ、彼の運び屋としての力は超一流。

 その『専用ポスト』はある程度魔術に精通している者なら喉から手が出るほど欲しいものであることに間違いはない。その為一介の魔術師に渡しても、いつの間にか超がつくほどの魔術サイドのお偉いさんが持っていたなんて良くある話だ。

 しかしその為、顧客の把握が難しくなっている。

 彼が知っている限り、

 

「《10番目》さんや《CKたんprpr》さん、《ローマ教皇》さんに《君の魔術を教えてよ》さん、《HN.機械を壊す妖精さん》さんと《わるきゅーれ》さんと、それから《我らが明け色の陽射しをあまねく世界に》さん《人生(いもうと)》さん等々……」

 

 ……多すぎて個人単位で把握出来ない。

 今あげたのはいわゆるお得意様で、他にも顧客は沢山抱えているのだ。

 

「確かにこの時代個人情報は大事だよ。でもさぁ」

 

 郵便配達に本名を使わないのは如何なものかと……。

 

「依頼主の名前はコロコロ変わるから……僕が楽しみにしている感は否めないけどさ」

 

 一通り脇道に逸れた頭が満足すると、魔術師は思考を本筋に戻して行く。

 

「そうだ、送り先だった。えーっと……『窓のないビル』?」

 

 なんだその漠然とした目印になるのかならないのかすら分からない珍しい建物は。

 

「所在地は……第七学区」

 

 学園都市は東京都の三分の一の面積を誇る。その為学園都市内にも様々な学区があった。そして学園都市は学区によって顕著に違いが出る。

 

「第七学区は学生が多いんだったか……」

 

 そのうちの第七学区は面積が広く学校の多い場所だ。当然そんな場所には必然的に学生寮も多く、学生たちの活動の主な拠点となっている。

 

「魔術の使用は避けたいけど……」

 

 ちょっと魔術の発動の仕方が特異な彼は、普通の魔術師の前でも魔術の行使を嫌う。勿論どんな魔術師でも、分析されることを恐れ魔術師(どうぎょうしゃ)の前で無闇に魔術は使わない。しかしそれよりも、科学(てき)の眼前で魔術を使う愚かさは魔術を志す者が知らぬはずはない。

 

 魔術と科学は平行。絶対に交わることの無い一直線なもの。

 ならばその上で『ちょっと特異』な魔術を目撃されでもしたらどうなるか。

 自分の力を過大評価しているつもりは無いが彼の魔術はそれだけ特殊なものなのだ。

 危うい均衡を保つ両陣営を根元からひっくり返すような、それだけの特異性は持っている。そんな魔術サイドの中でも特異なものが科学サイドの本拠地に侵入したとなれば……。

 

 ……想像して胃がキリキリとしてきた彼は、もう一度覚悟を決めなおした。

 

「人払いでも……」

 

 かなりメジャーだが応用力のある魔術を使おうとして、周りに全く人影が見え無いことに気づく。

 罠か? と警戒するも一瞬。直後視界に入り込んできたとあるポスターによって彼は状況を把握する。

 

*ーー

 

大覇星祭開催中!!!

 

ーー*

 

 魔術師である彼でも聞いたことがある世界的にも有名な行事。かのオリンピックに匹敵するとまで称される大イベント。それが学園都市の体育祭、大覇星祭だ。

 

 何故たかが科学が進んでいるだけのこの都市の体育祭が、視聴率50%を超える人気を誇るのか。疑問に思うのも無理は無い。

 しかし理由は単純明快。

 科学サイドには魔術と渡り合うだけの『才』を持つ者が無数に存在するからである。

 『才』有る者達は、ある者は水を操り、ある者は電気を帯電させ、ある者は車を素手で持ち上げ、ある者は手を触れずとも物体を浮遊させる。

 

 『才』の名は──『超能力』

 科学の町、学園都市が学園都市たる所以。そして、強大な『魔術』というものを扱う魔術サイドと肩を並べる最大の理由である。

 一般人からして見れば『超能力』なんて漫画やおとぎ話の世界。そしてそんな異能を見ることが出来る唯一の機会が、一年に一度開催されるこの大覇星祭なのだ。当然好奇心に駆られ誰しもが注目するイベントとなる。

 

「あー、だから人気がないんだ」

 

 基本的に学園都市の壁から程近い場所には学校なんて存在しない。つまり会場から離れているのだ。その為全くもって周辺は寂しいものだった。

 

「じゃあ無断で飛び越えてもミサイルドカーンって来なかったのは、単純に警戒が緩くなってただけだったのかー」

 

 大覇星祭はテレビ中継だけでなく、一般開放もされる。勿論無制限というわけでは無いが少なく無い数の外部の人間が学園都市内に入ってくる。どうしたって警戒は甘くなるのだ。

 

「まあ好都合なんだけどね〜」

 

 人気が無いのなら行動しやすい。これから向かう第七学区はイベントの主体となる学区だろうが、準備を人に見られることなく出来るのは大きかった。

 ただ、

 

「整いすぎてて気持ち悪いなー」

 

 明らかにおかしかった。

 壁の内部ならまだわかる。それどころかさっきは壁の外にもまるで人気がなかったのだ。

 

「しかも、なんだろこのよくわかんないけど嫌なこの空気は」

 

 見えている景色、吸っている空気。何も異常は無いはずなのにおぞましい何かが蠢いている。そんな言い知れ無い不安感。まるで360度全てから堂々と覗き見されているような……。

 

「でもそんなわけないよなぁ」

 

 念のため予め三重に施した防御魔法は問題なく作動しているし、見えない『ナニカ』がいたとしてもその防御魔法に触れれば存在を知覚出来ているはずだ。

 

「念には念を。人払いは使っておこうか」

 

 

 

***

 

 

 

 道路は歩行者に解放され、脇には屋台が並立していた。辺りには芳しい香りが立ち込め食欲を刺激する。周囲一帯食べ物を買い求める学生によって埋め尽くされていた。

 所々大人も混じっているのは保護者や教師だろうか? しかし皆一様に、表情には喜色を浮かべ、ワイワイと会話を楽しんでいた。

 

「うっ……美味そう……。いやでも駄目だ。今は仕事中。先ずは配達を済ませてから……。いやいや、でもちょっとくらいなら、先っちょだけなら……先っちょだけ食べるくらい別に……」

 

 ぶつくさ言う魔術師。はたから見れば完全に不審者なのだが、そんなことは視界に入らないくらい屋台の食べ物に目を奪われていた。

 さて、そんな彼。現在の格好は上下体操服に運動靴、その他服飾品は何もつけていない状態である。

 しかし視覚操作等の魔術ではなく、すぐそこにあった呉服店で購入したものだ。あくまで魔術は相手の目を誤魔化すだけ。触れられたりという危険がある以上着替えない訳にはいかなかった。

 

 だがその実、

 少しでも彼を知るものならこの異常さは言葉に表せないレベルといえよう。彼がトレードマークとも言える三角帽子と箒をつけていないというのはどう考えても異常なのだ。

 魔術的な面としてもそうだが、仕事以外でもその服装を欠かさない彼の素顔はなかなかお目にかかれない。なにせあのでかい三角帽子を常時被っているのだ。その貴重さはかなりのものである。

 

 ただ今回はそれが裏目に出てしまったと言うべきか。彼の顔立ちは中性的と表現するに相応しいもの。男性が見ても女性が見ても「綺麗」ということ請け合いのその顔は、学園都市では少々浮いていた。

 そんな訳で、

 

「おうおうネエちゃん。今暇だろ?俺たちと遊ばねえ?」

 

 へっへっへと笑う数人の男達。

 爛々としたその瞳は欲望に駆られた男のソレ。

 

 しかしここで確認して欲しいのは彼が歴とした『男』であるということである。いや、確かに間違われることは以前帽子を外した時にあったが、男の彼からすれば同性からの欲望の対象にされていると思うと嫌悪感しかない。それはもう虫唾が走る類いで。

 

 いわゆる壁ドンと呼ばれる体勢まで放置していた責任はあるが、顔の目の前まで迫られ男の息が顔にかかっていた。

 

(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!)

 

 同性愛者でもなければ普通に女性に性的感情を抱く彼であれば、路地裏の不良に近くまで寄られればこうなるのも致し方ない。

「あの……人の目もありますし……」

「おっ、意外と乗り気?」

「じゃあ俺たちのとこ来いよ!そうすりゃすぐにでも可愛がってやれるぜ」

 

 はー? テメエら消し炭にするぞ?

 珍しく青筋を浮かべる彼はキャラじゃない口調で相手に(心の中で)敵意を向けると拳を握り締める。ただ、彼は様々な事を魔術に頼って生きている生粋のもやしっ子である。あくまで拳を握っただけで筋力も無ければ闘いの技量も持っているわけではない。

 

(学園都市面倒だー)

 

 少々危ないくらい機嫌が悪いことに自分で気づいてため息をつく。魔術師というものはいつも冷静であるべき。ちょっと慣れない状況で気が動転しただけだ。そうに違いない。

 男に言い寄られた記憶を忘却の彼方にフライアウェイして彼は気持ちを落ち着ける。しかしながらこの男に囲まれた状況では逃げようもない。

 ──魔術を使おう。

 個人的感情はない。そう。別にちょっと気にくわないから制圧するだけだ。

 いつも絡まれた時に使うレベルの軽い魔術だが、機嫌が悪いからって倍の威力にするなんてことはない。倍? いや三倍でいいかなんて思ったりするわけない。本当に。

 彼がもう少しで不良達の骨、いや下半身の生殖機能が働かなくなるくらいを考えていた時、

 

「あら〜? 寄ってたかって一人の子イジめるなんてイケない子ね」

 

 不良達にとってはある意味最高のタイミングであった。

 数秒遅れていれば彼らは今後男として生きていけなくなっていただろう。

 魔術師からすれば鬱憤晴らし……もとい説教するところに横槍を入れられた形だ。

 当然彼はそちらを睨みつけるように見て、

 

「ぁ……!!! ぃ……!!?」

 

 直後彼を絶望が襲った。

 表情筋が引き攣り、冷や汗が溢れ落ちる。

 

「なんだてめえ」

「まあまあそんな焦らないでよ童貞クン。早漏だからってお姉さん逃げたりしないわぁ」

 

 何やら不良達が微妙な空気になっている中、

 

「その子、お姉さんの連れなの。お楽しみのとこ悪いけど借りてくわよ」

「って言われてもなぁ……この子も乗り気なんだぜ?」

 

 チラと魔術師を窺う乱入者。

 立派な金髪と豊満な胸を揺らしながら、その女性は妖艶に微笑む。

 

「じゃあしょうがないわね」

 

 瞬間。

 不良たちが壁にめり込む。比喩などではなく、まるで壁に吸収されるかのようにのめり込んだ。

 

「ぐっ…が…ぁ……テメエなん……!?」

「『追跡封じ(ルートディスターブ)』」

 

 不良達に分かったのはその女が小さな紙を口にくわえているということ。そして、自分達の意識が手放されるということだった。

 

「さぁて邪魔者はいなくなった事だし……感動の再会と行こうかしら」

「……なんの用だよー」

 

 言って魔術師は平静を装うべく女を睥睨した。

 

「うふふ。そんなに見つめられたら興奮しちゃうじゃない」

「なんの用だって聞いてるんだ」

 

 女の軽口には全く耳を貸さない。つとめて彼は一貫としたその姿勢を崩さなかった。

 

「なんの用って……理由がないと会っちゃイケないっていうの?」

 

 その態度に頭を痛めたかのように手を当てる魔術師。

 その女のソレは彼の『言葉』を待っているのだ。いつもながら呆れるほど面倒臭い。仕方なく彼はソレを口にする。

 

 

「何の用? ──オリアナ姉さん」

「そうそう! でも昔みたいに〈姉ちゃん〉の方が嬉しいわよ? レオナルド」

 

 

 流れる金髪をかきあげて、女……オリアナ=トムソンは、

 帽子を外し、ふわふわの金髪を晒すその弟、レオナルド=トムソンにニッコリと微笑んだ。

 




世界の魔術師訪問形式か(一話)、禁書本編に絡めるか(二話)このss書いた当初からの悩み


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オリアナ=トムソン2

遅くなりましたが禁書三期おめでとう!!
発表聞いたときはまじでなきました。叫びました。


 ファミレスの一角。四人用のテーブルを二人で挟み込むようにして座る男女がいた。流麗という表現を用いて余りある金髪を持った女性と糸のような柔らかい金色の癖毛が無造作にはねている中性的な少年。

 片方は鼻歌まじりに会話を持ちかけ、片方は返事どころか相槌すらうたず目の前のアイスコーヒーをストローで吸っていた。

 

「……それで言ってやったの。ラブレターは自分で渡すものよ? お嬢ちゃんって。でもその子、お父さまに相手の男のコと会うなって言われてるらしくて、涙を流しながら縋り付いて何度も何度もお願いしますって言ってきたの。その女の子可愛いかったし涙目上目遣いで抱きつかれたからもうお姉さんびちゃびちゃよ。それでーー」

 

 ペラペラペラペラとよく話が尽きないなと思わず関心するレベルでマシンガン下ネタトークを連発する()、オリアナ=トムソンにに対し、

 

(何がびちゃびちゃだよー。この変態は)

 

 ()、レオナルド=トムソンは二杯目になるコーヒーの氷をガリガリと噛み砕きつつ話を右から左に流していた。

 

「もぉ……さっきからボケてるんだから、早く突っ込みなさいよ。甲斐性なしねぇ」

 

 そう。例えツッコミが突っ込み(意味深)に聞こえるからってツッコんでは姉からしたら突っ込んでることになるからツッコんではいけないのである。……何を言っているのだろうか。

 

「焦らしプレイが終わったらいつでも来なさい。もう準備完了よ。期待してすごく大きくなっちゃってるわ」

 

 多分(ツッコミを)期待して(ボケが)大きくなってるとかそんな所だろうけど口に出しちゃいけない。絶対に口に出してはいけな──

 

「ほら早く口に出しちゃいなさい」

 

 そんな彼の内心の葛藤を知ってか知らずか、完璧なタイミングのオリアナの発言に、流石の彼もどうしようもなかった。楽しく話すには話し手(ボケ)聞き手(ツッコミ)はどうしたって必要で、彼は元々後者の気質である。

 ボケられたらツッコむのは条件反射というわけで、

 

 

「……──ッッなんでやねーん!!!」

 

 

 騒々しい店内を静寂が包む。

 前には今までに見たことないほどの笑顔を浮かべた姉。

 此方を注視する周囲の目。

 引きつった顔で此方を見る店員。

 

「相席をお願いしてもよろしいでしょうか」

「……はぃ」

 

 断ることはできなかった。

 

 

 

***

 

 

 

 

「もう……相席くらい鷹揚に応じなさい。余裕のある男のコはモテるのよ?」

「だーから気をつかってドリンクバーも汲んできてあげたでしょー」

「それがコミュニケーションを放棄してるってことなんだけど」

「いや会話だって……少し……しただろー」

「小さじ一杯分くらいね。まあ内容は評価してもいいけど……女の子ばかりでカチカチになってて可愛いかったわ」

 

 相席をつつがなくこなし(たと思い込んで)、魔術師は店を出た。

 会計を押し付けて走ったのだが、何食わぬ顔で隣を歩いている姉はやはり一流の同業者だ。

 

「そ・れ・に。きっとあの子たち勘違いしたわね」

「何をさ」

「あなたが女の子だって」

「なっ!?」

 

 レオナルドの整った童顔は儚げで人形の様で、少しウェーブのかかったふわふわの金髪は陽光を反射してまぶしくひかり、きだるげな右目の三白眼の蒼い瞳は吸い込まれそうな怪しい魅力を放っている。

 

(これで男だっていうんだから詐欺にもほどがあるわ)

 

 時折、姉であるオリアナでさえ本当にツいてるのかと勘違いするほどだ。

 

「……いや、いやいや、僕が女の子に間違われることはよくある、というかさっきあったけどー……それはあの男どもが飢えた獣だったからで」

「あら、あなたはもっと鏡を見たほうがいいわね。鏡よ鏡、この世で一番美しいのはだぁれ♪ってね」

「そうですね。あの物語は広く普及していますし十字教との親和性も高い。世界を範囲として鏡に問いかけるという印象的なワンフレーズを神殿形式で再現した場合、神の子などの絶対者と問者を用意すれば簡単に」

「レオ、あなた相変わらずそればっかりね」

「姉さんこそ相変わらず、存在自体がセクハラですね。出家して一生仏門に下って禊を済ませてください」

「私の業は一生程度じゃ落とせないわ」

「……めんどくさー」

「面倒な女の子は内側から突き崩すと簡単にメロメロに」

「そういうとこだよー」

 

 なるほど、姉弟である。

 

「それで……姉さんが僕に何の用ですか」

「つれないなー、用がなければ弟にも会っちゃいけないの?」

「…………」

 

 至極正論である。

 

「ここは日本よ? 家族水入らず、お話を決め込むのもジャパニーズじゃないかしら」

「適当言わないでください。なんでもかんでも日本文化(ジャパニーズ)だなんだって外国人はこれだから……」

「うん、でもそれ外国(イタリア)人がいうことじゃないわね」

 

 至極正論である。

 

「くっ……ぼ、僕は仕事中なんですー。用事がないなら後にしてください」

「ひどく今更な言い訳だけど」

 

 そう前置きをして、

 

「……まあ用ならないわけじゃないのよ」

 

 

 そして。

 沈黙。

 

 いくら国際化の進む学園都市といえど、美形の金髪二人組は目立つ。

 先導するオリアナは人目を避けるようにして大通りを抜け、裏路地を抜け、丁度周囲に人気のない倉庫に差し掛かったあたりで彼女は言った。

 

 

 

「おじいさんは元気かしら」

 

 

 

 単語帳を握る姉を見て、なんでもない口調で彼も答えた。

 

 

 

「うん。元気すぎるくらいだよー」

 

 

 

 二人の言葉は何かが足りていなかった。

 二人の間では共通の認識があって、他者の介在を許さない。

 姉、弟。

 それは姉弟らしく、家族らしい物言いだった。

 

「見せて」

「うん」

「元気ね」

「うん」

「立派よ」

「うん」

 

 そして。

 決意を固めたように弟を見て、姉は言った。

 

「お互いの仕事が終わったら少し話しましょう。きっと良いことがおこるわ」

 

 優しい、非常に優しい顔で姉は笑いかける。

 弟は小首を傾げて疑問を表すも、頷いて了承の意を示した。

 

「じゃあ全て終わった後でまた会いましょう」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 ()は昔から頭の出来が良かった。

 数え8つで大学教育レベルの知識をおさめ、9で最先端の数学理論を学び尽くし、10になるころ家には各国の研究者が入り浸るようになっていた。

 そう考えると頭が良いなんて言葉では言い表せないかもしれない。

 ジョン・フォン・ノイマンの再来、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチなんて偉人の名前を引用するのが弟を表現するのによく使われる。

 そんな風に周囲はよく持て囃すが、弟は別に数学を極めたい訳でも物理学で世界を変えたい訳でもなかった。

 

 空を飛びたかったのだ。

 

 自然が好きで、風が好きで、木々の香りが好きで、そして空を見ることが唯一自由な時間にすること。

 弟は鳥になりたかった。弟は空に焦がれていた。

 ……弟は自由に憧れていた。

 

 だから弟はその優れた頭脳で空を目指した。

 飛行機だとかロケットだとか、そういう窮屈なものではない。

 望むだけの自由さを持つ、まさしく鳥のように空を飛ぶことを目指していた。

 

 だが科学は弟を見放した。

 

 弟自身の頭に設計図があっても周りがついてこれない。

 飛行するためのエネルギーだとか機構、構造は論文にして提出だってした。でもわからないのだ。

 何故その形がその結果を生むのか、現代の科学者では弟についてこれなかった。

 

 現代科学ではソレを再現するのは難しかった。

 それだけの話。

 どれだけ優れた論も認められなければ意味がない。

 

 それでも弟は懸命だった。

 先祖の考えたヘリコプターに似た機構をベースとし個人で空を目指した。

 何度も何度も何度も練り直した。小型化、軽量化、アイデアは無限に湧き、理論上の飛行可能なところまできた。

 やはり弟の才覚は本物だった。

 

 だが、壁にぶつかる。

 いくら案があろうと予算も足りず、人手も足りず。

 弟は個人の限界まで、行き着くところまで行き着いてしまった。

 

 

 結論として、弟はまだ子供だった。図に乗っていた。自分にできないことはないと。

 協調性、弟にそんなものがあれば少しは変わっていたかもしれない。世界でAとされているものをBと書く、それでは理解されないのも当然のことだった。

 

 結果は明らか。

 弟の夢は頓挫した。

 

 弟は段々無気力になっていった。

 

 科学者たちの面会を断り、勉強も辞め、何もかも放棄する弟。

 

 

 

 そんな弟の在り方が変わったのは本当に偶然で。

 あるいは奇跡のようなものだったのかもしれない。

 

 

 ーー見た。

 

 

 空を自在に飛び回る人間を。

 どこまでも自由で自適な人間を。

 

 その人はたまたま通りがかっただけで、何もしていない。

 偶然その人が強力な阻害術式を物ともせず空を飛ぶ人で、偶然弟の視界を横切って、偶然人に見られるくらいまで高度を落としていただけ。

 

 

 科学ではない。魔術。

 その存在に弟は初めて邂逅したのだ。

 

 

 弟はまた活発に活動し始めた。

 幸いにも家は熱心な十字教徒だった。望めばある程度の神秘には触れられる環境だった。

 毎週通っていた教会を足掛かりして魔術にふれれば、そこからは簡単だ。

 ローマ正教の本職魔術師と話す機会を得たり、弟の憧れ、あの空を飛ぶ人の情報だって調べ上げ。

 今までのコネを使って世界の秘匿された蔵書を読み漁り、神話、歴史を紐解いて宗教に浸り。

 

 ああ、でも、世界は甘くなかった。

 

 どうしようもないほど科学に愛された弟では、魔術を受け入れることができなかった。

 神話を理解しても細かいところで理論的になり、歴史を科学から切り離して考えるのは難しく、宗教は元から懐疑的であった分余計にうさん臭く感じた。

 

 魔術は本来才能のない人間が少しでも天才との距離を詰めようと洗練されたもの。

 才能にあふれる弟はついぞ魔術を習得することができなかった。

 

 

 

 ああ、バカだった。

 

 本当にバカだった私は。

 

 

 

 先祖の倉庫で見つけた地下室にあった、本。

 当時の私はすでに、弟を手伝う中で魔術のなんたるかを相当深いところまで理解していた。

 

 いや、幼い自分はわかった気になっていた。

 

 中途半端に知っていたせいで。

 それが魔術の深淵が記されたもの、とだけ認識していたせいで。

 それが弟のためになる、と優しさまで持って。

 

 

 

 私はその本を弟に渡した。

 

 

 

 それが親切な行いだと、人のためになることだと最後まで信じて疑わずに。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「──お前はどちらを選ぶ、オリアナ=トムソン。一回失敗したからって全てを他人に任せておくのか。たとえ失敗しても、その失敗した人達にもう一度手を差し伸べてみるのか!!」

 

 上条の拳が飛ぶ。

 オリアナの想いを超えるほどの決意がその全力を破り、吹き飛ばす。

 

 ──お姉さんは、間違ってたのかしら……ね。

 宙に浮かぶ身体と思考で考えて、衝撃と共にオリアナは意識を失った。

 

 かくして、オリアナ=トムソンによる「使途十字(クローチエデイピエトロ)」を巡る騒動は上条当麻の手によって終結された。

 黒幕であるリドヴィア=ロレンツェッティもまた、様々な想いによって逃亡を余儀なくされる。

 上条当麻の長い一日もようやく終わろうとしていた。

 

「あー痛てて、今回も随分ボロボロになっちまったな」

「ふん、普段不幸不幸と嘆いているくせにキミの悪運だけは人一倍だな」

「まーカミやんは不幸にも巻き込まれる前提で悪運強いだけだからにゃー、この後銀髪シスターとかにどやされて不幸だーと嘆くまでがテンプレですたい」

「うわーやべえよどうしよインデックスのこと完全に忘れてた噛みつきフルコースだ毛根の危機だー!!」

 

 上条、ステイル、土御門の血まみれ三人組はフェンスの前で大の字に横たわりながら会話をかわす。

 大覇星祭のナイトパレードの光で明るく染まる空を見ながら、最近冬に近づいて冷たくなってきた風を受けると身体の熱も少しずつ冷えていった。

 もう動きたくない。

 どうせあれだけ派手にやったのだ。すぐに警備員(アンチスキル)が駆けつけてくる。

 逃げるだけの気力もなし、保護されて病院に運ばれれば後は流れだ。

 

 そう思って上条がため息をついた瞬間だった。

 

「あー、でもまだ気はぬけないようだぜ」

「え?」

 

 土御門の言葉に、遅れて上条もそれを目にする。

 それはナイトパレードの光で見えなくなったはずの星々のようだった。

 それは流星の様に尾を引いてこちらにむかってきていた。

 それはとんがり帽子を被り箒に乗って飛翔する魔女そのものだった。

 幾ら魔術に明るくない上条でも察することができた。

 

 それが魔術師であると。

 

 ドガンッ!! と激しい音を立てて魔術師が着地する。

 コンクリートが割れ、粉塵が宙を舞う。

 

「大丈夫?」

 

 魔術師はオリアナの前に膝をついて何事かを呟いているようだった。

 オリアナが気絶しているだけだと確認して、丁寧に顔の汚れを拭く。

 ゆっくりとオリアナの体を寝かせると魔術師は上条達のほうに歩いてきた。

 

 明確な敵意を持って。

 

「やる気みたいだぞ上条当麻」

「これは交渉の余地なさそうだ。頼んだぜカミやん」

「不幸だ」

 

 上条も重い傷を負っているが、他二名はもっと重症だ。先ほどから喋るのもやっとという状況で戦うなんてことはとても無理だった。

 自分がやるしかないのだ。

 アスファルトによって抉られた全身に力を込めなおして立ち上がる。

 

 ようやく丸く収まったところなのだ。みんなの想いのつまった大覇星祭を、守り切ったところなのだ。

 これ以上邪魔されてたまるか。

 

 上条当麻は決意を改めて拳を握る。

 

「目的が安っぽい? 失敗したから? もう一度手を差し伸べる? 何も知らないくせによくもここまで説教垂れたね」

「確かに俺はオリアナ=トムソンのことを何もしらない。でもな、平和になるために犠牲があってもいいなんて今回のやり方は絶対に間違ってる。正義だとか悪党だとかじゃない。間違ってるんだ!」

「うるさい! その程度の考えで……()()()()の今までの努力を否定するな!!!」

「お前、オリアナの……!?」

 

 練り上げられた魔力が激情と共に渦を巻く。

 そうして魔術師は、名を、名乗る。

 

 

 

「───我は神の仲介人(caritas010)!!!」

 

 

 

 これはもしかしたらあったかもしれない、上条当麻とオリアナの戦いのその後。

 絶対的な正義のヒーローが癇癪を起こした姉想いの子供をなだめる、あえて描写する必要もなかったであろう不毛な戦いが始まった。




連載します。
何年たってんだという話なんで当然ですが、原作読み返すと結構忘れてることが多く。
思い出しがてら次話でオリ主の事やったら短編形式でいろんなキャラのかっこいい・かわいいところを掘り下げていこうと思います。
更新は亀で不定期ですが、よかったら待っていただけるとありがたいです。


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アレイスター=クロウリー

待ちすぎたせいか三期放送まであと二日というところでようやく本当の実感が湧いてきた感


 オリアナと別れた魔術師は学園都市の第七学区まで足を運んでいた。

 正確に言えば、学生あふれる中心部の喧噪からやや離れた人通りの少ない場所である。

 

「ここが窓のないビルかー」

 

 お目当ての建物はここにあった。

 ビルなのに窓がない。現代まで積み上げられた建築技術の研鑽なんて知るか、なんて真っ向喧嘩を売っちゃっているが大丈夫だろうか。

 といらない心配をする程度には珍しい建物である。特に苦労もなく見つけ出すことには成功した。

 ただ、

 

「窓は良いとしても入り口がないなんて聞いてないよー……」

 

 それどうやって入ればいいんですか。

 質量の塊がドカンと鎮座。中は本当に空間があるのか、入り口がないだけで建物かすら疑ってしまう。

 

 周囲を軽く見回って、彼は早々に結論を出した。長くいても良いことなんてない。

 侵入がバレたら魔術サイドと科学サイドどちらからも追われるというのがフリーの魔術師の辛いところ。

 

「はぁ……姉さん……」

 

 いやシレッと次の約束を取り付けてきた姉から逃げたいだけであった。

 こちとら飛行術式使う運び屋ってだけで既に同業者からも腫れ物扱いだよべいべーな魔術師からすれば大手魔術組織の事情など知るかそんなもんである。

 

「壊そー」

 

 故に選択はいつになく直球だった。

 魔術師は手に持っていた箒に跨るとゆっくり空中に浮き上がる。そのまま緩慢な動作で壁に近づいて振りかぶった拳で殴りつけた。

 

 スパンッと綺麗な音がなった。

 

「あれー?」

 

 ジャブ、ジャブ、ストレート。

 スパン、スパン、ズパンッと綺麗な音がなった。

 

「おっかしいなー」

 

 ちょっと離れて、勢いをつけて。

 

「どーん!!」

「待った待った!」

 

 魔術師が数メートルの助走をつけた矢先、遮るようにして飛び込んでくる影があった。

 

「私が案内人だから。その手を下げなさい」

「……ずっとつけてた癖によくいいますよー」

「貴方かどうか確証がなかったから、ごめんなさいね」

「特徴くらい聞いておいてくださいよー。何分待ったと」

「五分程度で女々しいわね」

「めめー???……どこから見てもばーっちしクールなお兄さんでしょー!」

「どこを切り取ってCOOLなんて言葉が出てくるのやら。あー日本語ワカラナイ? それとも男のくせに女々しいって言えばいいかしら」

「日本語英語イタリア語フランス語中国語大抵の言語はマスターしてますー! ちょっと今日はそっちの話題がタブーなだけですー!」

「女々しい上に子供っぽい。ここに来るくらいだから坊やもVIPのはずだけれど普段猫かぶってるでしょう」

「……っ」

「自分でもわかってるんじゃない」

 

 ふうん、男の子……ね。

 金髪の男としか聞いてなかったから判断できなかったけれど。なるほど、これで男の子か。

 

「まあ、いいわ」

「よくないですよー」

 

 胸元を隠す布地にブレザーを羽織っただけというかなり特徴的な格好の女性、結標淡希(むすじめあわき)は色々思うところありつつも案内人としての役割を遂行する。

 

「捕まって」

 

 そうして手を差し出された魔術師だが、こちらもまた色々思うところがあった。

 格好といい雰囲気といい、どことなく姉に似ていて忌避感があることとか。

 害意があると断定できるわけではないけれど、向けられる視線に警戒心を覚えることとか。

 というか根本的に手に捕まってどうするのとか。

 

「……まー、いっか」

 

 今日はペース乱されまくりで諦めたのか、こんな時だけマイペースを発揮して魔術師は案内人の手を握った。

 

 どこいくの?ビルの中?

 それなら隠し扉?別の場所から地下通路?

 魔術師の思考は手を触れた次の瞬間に消えた。

 

 見える景色が一転。

 ビルの外壁でいっぱいの視界はモニターやボタン、機械の塊から伸びるコードやチューブが床を這うひどく『科学』的な光景に変化していた。

 

 

 瞬時に魔術的な考察が頭を巡る魔術師だが、途中で気づく。

 この都市特有の異能、超能力。

 テレポーテーション、そんなものがあったなと魔術師は思い当たった。

 

 そして、()()に出会った。

 

「レオナルド=トムソン」

 

 瞬時に皮膚が泡立った。

 ソレに見られているというだけで第六感的なものが、本能が警鐘を鳴らす。

 なんと形容したら良いだろうか。

 ソレは男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも囚人にも見えるナニカであった。

 上部に蓋をされた大きなビーカーのようなものが赤い液体で満たされていて、液中に緑色の手術衣を着たソレが浮かんでいる。

 

 

 唇が乾き、心臓の鼓動が痛い。

 『獣王』と対峙した時だってここまで身の危険は感じなかった。

 レベルで言えば魔術結社(マジックキャバル)のボスが会うたびに地形が変わる程度の術式を連打してきやがる時くらいの緊張感である。

 

 箒を握る手に汗がにじむ。

 ソレを見てようやく自覚した。急転直下、大ピンチだ。

 迂闊にもほどがある。何の警戒もなしに知らない人について行くなんて。

 

 第三者の魔術師ならこれを『詰み』と表現するだろう。

 通常、魔術はそれがどんなものであれ準備を必要とする。そのため魔術を行使する者の戦闘は自分の『テリトリー』に引き込んで戦うのが定石である。

 あらかじめ必要な記号を揃える。あらかじめ星辰を測り、あらかじめ地脈を測り、あらかじめ儀式殿を形作る。

 そうして準備をした魔術は、かけた時間分強い。

 当然準備を重ねた『テリトリー』に引き込むことが出来れば勝率は大きく上昇するという訳である。

 

 ところで魔術師の『テリトリー』はその術式を見れば誰もがわかる通り、空である。

 

 周囲は出入り口なんてなさそうな密閉空間。テレポートを起点としているせいで逃げようにも不可能だ。後ろに下がっていった女以外この空間を脱するすべがない。

 全く強みを生かせない上に、100パーセント相手の『テリトリー』である。それはもう詰みと表現する他ない。

 唯一残るのは壊すという選択肢だが、ビル内部であろうこの場所はつまり、

 

(───()()()()()()()()()()壊れない素材で出来ている)

 

 壊すという選択肢はとれない。

 大きな魔術を発動する隙があれば別だが、それを許すような相手ではなさそうだ。

 

 いくら魔術師が大宗教組織の本拠地に容易に踏み込むだけの自信を持てる術式があり、それが箒に乗るだけ準備OKのお手軽魔術師とはいえ。

 それはその術式の機動力があれば何があっても逃げ切れると確信しているからであり。

 

 つまり飛べない魔術師はただの的だ。

 

 そんな風に考えをまとめて。魔術師は張り詰めた緊張をほぐすように息を吐く。

 相手も返事を待っているのか何事も発しない。

 

 奇妙な沈黙は魔術師を落ち着かせるには十分であった。

 

 魔術師は考え方を改め、整理する。

 状況的に見ておそらくこの方がお客さま(アレイスター=クロウリー)だ。

 ビリビリと感じるプレッシャー、近未来的な環境と不可思議な風貌、伝説の魔術師(黄金のアレイスター)と同姓同名。

 惑わすのはこれらの要素だが。

 

 もっと簡潔に状況を整理する。

 客と宅急便。

 少し落ち着いてみればそれだけの関係だ。

 

 そもそも運び屋が相手の事情を詮索するのはあまり褒められたものではないし、さっと配達してさっと立ち去ればいいだけなのだ。

 そこに発生するのは物を受け取ったらさようならの浅い交流が精々。

 普通配達したらオーバーオールのお姉さんに『歓迎』されたり、魔術結社のボスに大技連打されたり、ハイレベル魔術師四人組に延々と追いかけ回されたり、魔術結社のボスに爆破術式埋め込まれたり、魔術結社のボスの買い物に付き合わされたり、魔術結社のボスの妹のお守りをさせられたりすることはないのである。お前のことですよドSやろー。

 とにかくただの配達員に好戦的な奴は早々いない。

 仕事に徹する。宅急便のお兄さんになりきれ。

 そのためには笑顔だ。第一印象を大事にしないと。

 

「アレイスター=クロウリーさまですね。お届け物が」

「君の論文は全て読ませてもらった」

 

 満を持して飛び出た言葉は半ばから遮られた。

 それも唐突な話であった。

 しかし、カチリと魔術師の動きが止まる。

 

「80mの機体と時速7000m以上の速度であれば理論上90%のエネルギー削減が可能という研究結果は実にこの都市向きだ」

「…………」

「特に冷凍技術と摩擦力の理論は素晴らしい」

 

 その情報を魔術師は知らない。が、()()()()()

 

「私は君の研究のファンでね。折を見てこの街に招待しようと考えていたのだが」

 

 ソレは表情を全く変えずに言った。

 

()()()()

 

 たかが宅急便のお兄さんを相手にするにはいささか個人情報にすぎる。

 どこまで知られているのかわからない恐怖に身が震えた。

 

「……何とも事情通で。それを今の僕とを結び付けられるくらいなら」

「魔道書の暴走で村一つ地図から消えた、表向きを言っているのか。それとも魔道書を読んだ魔術師がまだ生きているということか。それとも」

 

 それが一番決定的な言葉だった。

 

「記憶喪失か」

 

 コマ送りのごとくいびつな速さで箒にまたがり、浮き上がる魔術師を結標淡希の目は捉えきれなかった。

 明確なアクションはそれだけであるが、おそらくそれが全力の警戒姿勢であることは痛いほどの緊張感から察する。

 

「『おじいさん』は随分と思い切った事をしたようだ」

「……それも聞かれてたか」

「自らの生体情報を記録して後世の子孫に受け継ぐ、いや乗っとると言うべきか」

 

 魔術師の()()()()()を見ながら言う。

 

「魔道書によって血に封じた魔術を解放する。魔術因子を含んだ遺伝子情報が後世に伝わる可能性を考えれば干草から針を探すというものだが、頭脳と性別と似通った記号を持つ先祖返りと考えれば期待値はそう低くはないといえる。特に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 誰に聞かせる訳ではない。ただの確認作業。

 何よりその言が真実であるということに魔術師は何も言うことができない。

 

「発動者の意識、記憶、性格、全てを破壊してでも現界するという死間際の怨念(とっておき)

 

 音は無く、

 

「浅い魔術だ」

 

 何かが通り抜けた感覚があった。

 

「────っ」

 

 左目が焼ける。痛みが上限を超えて熱さとなる。

 掻きむしった拍子に眼帯が落ち、黒い液体が溢れる。

 

「随分と深く癒着している」

 

 魔術師の左目のあるはずの場所にはびっしりと浮かんだ文字列が回転していた。

 

「だが万能の祖にも魔術の才はなかったとみえる」

 

 魔術師は平衡感覚を失った状態ながら歯をくいしばって術式を安定させていく。

 

「発動者に魔力を外部にそらされ、その被害も村が消える程度では所詮10万3000冊に入らない紛い物」

 

 ペテロの撃墜術式が効果なしという看板を見ながら、

 

「この分ではそのイギリス清教の警戒している術式というのも期待できないか」

 

 全てを知られ、全てを否定されている。

 レオナルド=トムソンという魔術師の全てを。

 

「頑丈と聞いていたが脆いものだ」

「これでも自信はあったんですけどねー……僕にピンポイントすぎて対策がありません」

「あたりはつけていたが、魔女の塗り薬にアネモイは疑似餌、つまりシモンマグスと絡めた死霊術書(ネクロノミコン)関連か三位一体転用の位相変更術式か」

「……まあ、自分の魔術のことベラベラ話すやつはいないでしょう」

「違いない」

 

 それから魔術師は自分に(ペテロ)の術式がかかったことを知覚した。

 もうまずいな、なんて思うこともなかった。

 ある種確信をもって自分の術式を破られることを予見していたからだ。

 

 

 

「言うなれば『()()()()()()()()()()()()()()()』か」

 

 

 

 厄介なファンもいたものだ。

 

 

 

「試してみますか」

 

 

 

 そうして魔術師は()()()()()()()()()()()睨みつけた。

 

 

 

 

 魔術師はたっぷり数十秒間相手の出方を窺って、

 

「ふむ。私は君と事を構えるつもりはない」

 

 息をはいた。極限の緊張が徐々にほぐれる。

 

「ただ、私もこれを持っていてね。今後ともよろしくお願いしたいというだけだ」

「まあ持っていらっしゃるでしょうね」

 

 目線の先を見やれば機械の上にポツンとおかれた青い箱状のもの。

 物を入れる穴が一つに、箒に乗った魔女の印が入ったポスト。

 魔術師に依頼をするための専用ポストである。

 

 これは脅迫というか脅しというか、そういうやつだ。

 また面倒な客が増えてしまったと魔術師はため息をついた。

 

「そろそろ向こうも終わるようだ」

 

 どんな原理か、空中に映像が写し出される。

 どこか開けた場所だった。ツンツン頭の見知らぬ男が様々にまくしたてている。

 内容はひどいものだ。

 姉の頑張りを知りもしないくせに上からご高説垂れている。

 

 そしてその男は自分の姉をぶん殴っていた。

 

 ああ、それはもう、盛大にぶちぎれた。

 体はガタガタに崩されているにもかかわらず、歯に力を籠めすぎて唇から血が出る。

 

「僕はいかなくちゃいけないみたいですね」

 

 身内が殴られたという直接的なことより、自分の姉の生き方を否定されることに凄まじい怒りを覚えた。

 これはたかがお偉いさんに秘密がもれただけだ。なんてこのことがどうでもよくなるくらいには。

 

「リドヴィア=ロレンツェッティ様からお届け物です」

 

 しかし仕事は仕事。プライベートとはまた別だ。

 まだ制御のついているうちにやるべきことは終わらせたかった。

 

「ふむ、その紙切れにもう意味はない」

 

 流れから予想はしていた。

 姉の仕事相手ということは知っているし、きっと姉の性質的に僕がここにいるというのが重要な類の術式なんだろうなと。

 

「受け取っておこう」

 

 手の先で燃え尽きた手紙を気にせず、寄って来た女の手を握りしめる。

 

「それでは今後とも『魔術師の宅急便』をよろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、どうかね」

 

 ゴールデンレトリバーがいた。鮮やかな毛並みを持ったその犬は、

 

「木原としては円周とはまた違った方向性に進んだなりそこない。混ざり物が多くて元の質ははっきりせんがね」

 

 よく透る男性の声で答える。

 

「魔導書の形を取っていようとあれは異界の法則なんて一行も記されていなければ、幻想殺しですぐかき消される程度。それに押し込まれた木原もたかが知れるというものだ」

 

 人間は言う。

 

木原(かがく)にも聖人(まじゅつ)にも寄らずでは話にならない」

「随分辛口だな」

 

 それに、今日は普段に増して感情的(よく口が回る)じゃないか。

 

「…………」

「君を怒らせる気はない」

 

 だが、とその人語を解す四足歩行の動物は付け足す。

 

「好悪で言えば好ましい」

 

 ───まるで君を見ているようで。

 



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