俺ガイル ふもっふ? (まーぼう)
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やはりこんなシンデレラはまちがっている。

 昔々あるところにとても貧しい女の子がいました。

 女の子は早くにお母さんを亡くしてしまい、お父さんは寂しさから再婚したのですが、その継母と連れ子はひどく意地悪で女の子は毎日いじめられていました。

 ですが女の子はお父さんのために、じっといじめに耐えていました。

 やがてお父さんも病気で亡くなってしまうと、継母たちのいじめはますますひどくなりました。

 女の子は家事をすべて押し付けられ、毎日灰まみれになっていたことから『灰被り(シンデレラ)』と呼ばれバカにされてました。

 

 

「ちょっと、シンデレラ?ウチトマト嫌いって言ってるでしょ?なんで入ってんの?」

「何を言っているのかしらミナミ義姉さん。いい年して好き嫌いなんて恥ずかしくないの?文句があるなら自分で作ってちょうだい」

 

「シンデレラ~?廊下の掃除が終ってないじゃないの」

「くだらない言いがかりはやめてもらえるかしら?さっきハルカ義姉さんがゴミ箱をひっくり返していたのをちゃんと見ていたわよ。自分で汚した分は自分で片付けなさい。出来ないというなら今日は濡れたシーツで寝てもらうわ。ちなみ今夜は雪らしいわよ」

 

「ちょっとシンデレラ!あたしの着替えどこ!?」

「……ごめんなさい。どちら様だったかしら?」

「お義姉ちゃんよ!お義姉ちゃんのゆっこよ!?」

 

 

 意地悪な義姉たちはいつもシンデレラにちょっかいをかけますがこの通り、シンデレラはびくともしません。父親が亡くなって以来いつもこうです。

 シンデレラは義姉たちより遥かに頭が良く、運動もできれば顔も良いというチートキャラ。しかも合気道の有段者で暴力に訴えることもできないため、義姉たちはいつも返り討ちにあって泣かされてました。

 ですが義姉たちは何度ひどい目にあっても懲りません。

 

「……シンデレラ?あんた最近調子に乗ってんじゃないの?」

「「そーよそーよ!」」

「ちょっと美人だからって何様のつもりよ。友達いないくせに」

「ププッ。あっ、ゴメーン、気にしてた-?悪いこと言っちゃったね-(笑)」

 

 学習力の無い義姉たちに、シンデレラは溜め息をつきます。

 

「……どうにも理解できていないようだから言っておいてあげるけれど、お父さんがいない以上、私があなた達に遠慮する理由は無いのよ?捻り潰されたくなかったらおとなしくしてなさい」

「「「ヒイッ!?」」」

 

 シンデレラの鋭すぎる眼光に義姉たちは震え上がります。確実に何人かは殺している眼でした。

 シンデレラは特に友達が欲しいと思ったことはありませんでしたが、やはりそこをいじられるのは面白くないようです。うっかりシンデレラの逆鱗に触れてしまった義姉たちは、義妹の異様な迫力に失禁寸前です。

 

「あーらあらあら、大きく出たねシンデレラ?」

「お母さま……!」

 

 あわやというところで社会的に死ぬはずだった義姉たちを救ったのは継母でした。

 

「くっ……!姉さん……!」

「もー、姉さんじゃなくてお義母さまでしょ?そりゃ-年を考えたらミスキャストなのは解るけど。やっぱ静ちゃんくらいは欲しいところよね-」

 

 この継母はシンデレラが勝てないと思ってしまったこの世で唯一の人間でした。

 あらゆる能力でシンデレラを上回り、シンデレラ唯一の弱点である社交性も完璧という化け物です。加えて他人に嫌がらせするのが大好きという人格破綻者でもあります。

 あれだけひどい目にあってる義姉たちがそれでも強気なのは、この母親の後ろ楯があるからなのです。正直シンデレラは、この人物からあんな三人が産まれてしまったのは世界最大の謎だと思っていました。

 

「さあさあみんな、今日もシンデレラを可愛がってあげなさい?」

「「「はーい!」」」

 

 そうして宴が始まります。さすがのシンデレラもこうなっては手も足も出ません。ただじっと耐えるのみです。

 

「あぁ……なんて可愛いの、雪乃ちゃん……。わたしなんで女なのかしら?男だったら絶対押し倒してるのに」

「へ、変態……!」

 

 なんぼなんでもアレすぎるセリフにシンデレラもドン引きです。ついでに娘たちもちょっと引いてました。

 

 そんなこんなで貞操を守るために日々戦い続けるシンデレラでしたが、今日は久し振りに安心して過ごせそうでした。

 何故なら今夜はお城の舞踏会。王様がお嫁さんを決めるための一大イベントです。前々から王様に熱を上げていた義姉たちも目の色を変えてます。

 

「……姉さんも行くのね」

「まあこういうのに顔出すのもわたしの仕事だしね-。ったく、隼人ってばわざわざ雪乃ちゃんの誕生日にこんなパーティー開くなんて極刑ものよね」

「ところで、私を舞踏会に行かせない理由に納得がいかないのだけど。いえ、行きたいわけではなくて」

「えー、どこが?隼人なんかに雪乃ちゃんをあげる気はないよ?雪乃ちゃんはわたしのだもん」

「姉さんの物になった覚えはないと言っているのだけど」

 

 というわけで、シンデレラは一人でお留守番です。

 舞踏会は夜通し行われるので、今夜は寝込みを襲われる心配もありません。

 シンデレラがお気に入りの紅茶を淹れて、猫の写真集を広げつつパンさんの映画を観賞するという完璧なるボッチの休日を満喫していると、不意に呼び鈴が鳴りました。

 

「ごめんなさい」

 

 シンデレラがドアを開けるなり土下座したのは目の腐った魔法使いでした。

 

「何をいきなり謝っているのかしら」

「いやそんな人殺しそうな目で睨まれたら誰でも謝ると思うぞ」

「あなたに目のことをどうこう言われたくはないわね。とりあえず用件を聞きましょうか。処刑はそれからにしてあげるわ」

「おいなんだ処刑って。俺何の罪で殺されんだよ」

「私の至福の時間を邪魔したのだから当然よ。くだらない用事だったら本当に許さないわよ」

 

 魔法使いは釈然としませんでしたが、逆らうと面倒そうだったのでさっさと用を済ませてしまうことにしました。

 

「あー、俺は大陸魔法協会から派遣されてきた者だ。今回はお前の誕生日らしいから特別に願いを」

「間に合ってます」

 

 シンデレラはドアを閉めると再び至福の時間に没t

 

「せめて最後まで聞けよ」

「……一体どうやって中に入ったの不法侵入谷くん?」

「魔法で……おいなんで名前知ってんだ。まだ名乗ってねえぞ」

「そんなことはどうでもいいの。とりあえず苦しんで死ぬか、後悔して死ぬか、好きな方を選びなさい。希望に関わらず両方味あわせてあげるわ」

「どっちにしろ死ぬのかよ。ていうか両方かよ。選択する意味あんのかそれ」

 

 魔法使いは呆れたようにため息を吐くと、気を取り直して口を開きます。

 

「要らなきゃ要らんで別にいいからとりあえず最後まで説明させてくれ。最低限の義務くらい果たせんと妹に口利いてもらえなくなる」

「……あなたシスコンなの?やはり通報するしかないわね」

「まておい。その論理展開には断固異議を唱えるぞ。シスコンの何が悪い」

「うちの姉が妹に向かって『男だったら押し倒してる』とか言ってるわ。妹さんが不幸になる前にあなたは死ぬべきよ」

「そりゃお前の姉ちゃんが特殊なだけだろうが。俺の小町への想いはもっと純粋な……って、うお?」

「……あなた、何をしているの?」

 

 話の途中でいきなりクネクネしだした魔法使いに、シンデレラはゴミを見るような視線を向けます。

 

「いや、カイロ替わりに使い魔を連れてきたんだけど、こいつ暖かい部屋にいるせいか暴れ出して……おい、大人しくしろ、カマクラ」

「カマクラ……?」

 

 シンデレラが疑問符を浮かべていると、それに答えるかのように魔法使いのローブの裾から一匹の猫が飛び出しました。もちろんシンデレラは、その猫さんを光の速さで捕まえます。

 

「とりあえず話くらいは聞いてあげるわ。感謝しなさい」

 

 優しいシンデレラは、怪しい不法侵入者にも寛大です。

 

「……今、何をどうやって捕まえたんだ?冗談抜きで見えなかったんだが」

 

 カマクラを膝に乗せてご満悦のシンデレラに、魔法使いはもう一度ため息を吐きました。

 

 

 

「……つーわけで、俺はお前の願いを叶えなきゃならん」

 

 仏頂面で簡単に説明を終えた魔法使いに、シンデレラは顎に右手の指を当て、左手でカマクラを撫でながら質問をぶつけます。

 

「とりあえず、どうして私なのかしら?」

「知らん。上には何か考えがあるのかもしれんが、俺みたいな下っぱはただ命令に従うのみだ。ま、ランダムで当たる誕プレサービスとでも思っとけ」

「……大した社畜根性ね」

「ほっとけ」

 

 魔法使いはぶすくれます。どうもそこには触れてほしくないようです。

 

「ま、タイミングから考えると、お前に舞踏会に行ってほしいんだろうな。多分お前に政治の実権でも握ってほしいんだろ」

「……それで私を介してこの国を乗っ取ろうというの?国家転覆が目的と?」

「ちげーよ。うちは一応正義の味方とか真顔で言っちゃう痛い組織だからな」

「そこに所属しているあなたも大概だと思うのだけど」

「うっせ」

 

 おとぎ話にあるまじき単語が次々飛び出しますが、二人は一向に気にしません。

 魔法使いは一度咳払いしてから説明します。

 

「ぶっちゃけちまうと組織が気にしてるのは将来的なことなんだろうな。この国の王は優秀だが、それだけに周りの連中が王に頼り切りになっちまってる。しかも王は王で出来ることを自分で全部やっちまうから補佐役がまったく育たねえ。それで王と釣り合うような能力を持った嫁さんを探してたんだろ」

「……いい迷惑ね。正義の味方が聞いて呆れるわ」

「まあ政府がまともな国ならそんなにムチャなことはしねえんだけどな。今回だってあくまでお前の自由意思に任せる方針だし。ただ、ロクでもない国が相手だと本気で国家転覆やらかす組織ではある」

「まるで実績があるかのような言い方だけど」

「あるんだよ、マジで……。ったく、いい年して『世界を変えてやる!』とか何考えてんだあの年増……」

 

 魔法使いはうんざりしたようにため息を吐きます。なんだかため息ばかりです。

 

「とにかくそんなわけで最終確認だ。舞踏会に行くつもりは」

「無いわよ。結婚なんて冗談ではないわ」

「だよな。……せっかくの誕生日なんだし、行くだけ行って飯だけ食って帰るのもアリだと思うが」

「自分で作った方が美味しいもの」

「さいですか……」

「でも、そうね……」

「あん?」

「ラーメンだったら一度くらいは食べてみたいわね」

 

 

「ごちそうさま。……ずいぶん味が濃いのね」

「お粗末さん。まあラーメンってのはそういうもんだ。インスタントってのもあるけどな」

「だとしても手を加えられる部分はいくらでもあるでしょう?」

「そうかもしれんが最初は『ラーメンとはこういう物だ!』みたいなのを食うべきだろ?」

 

 ぶつぶつ文句を言いながらも、シンデレラは初めてのラーメンにご機嫌です。

 

「さて、長居しちまったな。願いも叶えたし、もう行くぞ」

「そう……。さようなら、今日のことは忘れないわ」

「いや、カマクラ返せって言ってんだよ」

「ちっ」

「女の子が舌打ちとかするんじゃありません」

 

 シンデレラはカマクラを渋々返しました。そのシンデレラの姿があんまりしょんぼりして見えたので、魔法使いはつい声をかけてしまいます。

 

「あー……そんなに猫好きなら、その辺で見つけてきてやろうか?俺一応魔法使いだし、そんくらいなら軽いぞ」

「……いえ、そうではなく。さっきまでがすごく楽しかったから、明日からまた姉さんの相手をしなければならないかと思うと憂鬱で……」

「そんなに嫌なら出てけばいいだろ。お前なら仕事なんかいくらでも見つかるだろ。なんならウチに掛け合ってみようか?職にあぶれたやつらに仕事の斡旋とかもしてるからどうにでもなるはずだぞ」

「嫌よ。まだ姉さんに勝ってないもの」

「姉さんじゃなくて継母な。いや、さっきは俺もうっかり姉ちゃんとか言っちまったけど」

「負けっぱなしで逃げ出すなんて私の主義に反するわ」

「えー、何この娘、超めんどくさい」

 

 別に正面からぶち当たるだけが勝負でもないだろうに……。

 魔法使いはそう思いましたが、考え方は人それぞれ。何よりヘタに反論すると百倍になって返ってきそうだったので黙りました。

 

「……ようするに、あの人に一矢報いられれば良いんだな?」

 

 代わりにそう言うと、懐からスマホを取り出しました。

 

 

 

「呆れた……。よりにもよってこんな方法を採るなんて」

「良いだろ別に。少なくとも悔しがるのは間違いないと思うぞ」

「そうかもしれないけれど……せめて魔法を使いなさいよ。世界観を盛大に無視しないでちょうだい」

「今さら何言ってんだ。お前だってパンさんのDVDとか見てたじゃね-か。つーか俺の同僚なんかメイン装備が魔法のパンツァーファウストに聖なる手榴弾だぞ?」

「そんな規格外と比較してもなんにもならないでしょうに……」

 

 シンデレラは呆れながら、それでもクスリと笑いました。

 

「……なんだか馬鹿らしくなってしまったわ」

「そうか」

「だから……そうね、少し旅でもしてみようかしら」

「そうか」

「それで力を着けたら、改めて姉さんに挑むことにするわ」

「継母な」

「もしかしたら、またどこかで会うかもしれないわね」

「かもな」

「それじゃあ……さようなら」

「おう」

 

 こうしてこの夜を境に、シンデレラはこの街から姿を消しました。

 

 

 

「シンデレラ~!お腹減った~!」

「シンデレラ-!代えのパンツどこ-?」

「シンデレラ-!帰ってきてよー!」

「ほらほら娘たち!口よりも手を動かす!」

 

 シンデレラがいなくなって以来、家事のまったくできない義姉たちは、母親の厳しい監督の下毎日泣きながら働かされていました。おかげで家はかろうじて汚部屋化せずに済んでいました。

 

「それにしても雪乃ちゃんてばどこに行っちゃったのかしら?」

 

 一人だけ余裕で家事をこなしつつ、継母はぼやきます。シンデレラの能力を信用しているので特に心配はしていませんでしたが、やはり気になるものは気になるのです。

 

 そんなふうにして、舞踏会から数日が経ったある日のことでした。

 

「はいはーい、どちらさまで……あら?」

 

 呼び鈴が鳴ったので表に出てみると、そこにはお城に支える兵士さん。お城や街の警備から警察の代わり、その他細々とした使いっ走りまで何でもこなす便利屋さんです。

 継母のところに現れたのは優柔不断そうなデカブツと、童貞臭いちびっこの凸凹コンビでした。

 

「ん-、もしかして、ウチの子の誰かが隼人に選ばれちゃったとか?」

 

 継母の言葉にデカイ方が答えます。

 

「いえ、王は子爵さまのご息女、優美子さまと婚約なされました」

「だよね-。ウチの子らは隼人の趣味じゃないもんね-」

「あの、王様を名前で呼び捨てはちょっと……」

 

 それでは何の用なのかと継母が問うと、兵士は言いにくそうに答えました。

 

「その……実はですね、ネットオークションに女性物の下着が出品されていまして。その……あなた方の顔写真とセットで。もちろん風営法違反となりますのですぐに取り下げさせましたが。お手数ですが、事情聴取させていただけ」

「あああああの!ここここのぱんつってマジでお姉さんのなんでs」

 

 

 

「ふーん……中々やってくれるじゃないの、雪乃ちゃんてば……」

 

 継母は片手でスマホをいじり、もう片方の手で小さい方の兵士が持ってきたパンティをもてあそびながら呟きました。

 オークションに出品されていた下着には見覚えがありませんでした。ついでに言えばどう見ても未使用品でした。

 つまり、本当にただ写真とセットで売っていただけです。ただし、当然ながらそれを見た者がどう考えるかは別問題です。

 継母は笑顔です。笑顔ですが、娘たちは部屋の隅に固まって、悲鳴も上げられずに震えてました。

 

「いいわ、次に会ったら遠慮なくメチャメチャにしてあげる……。処女膜洗って待ってなさい。……とりあえず、この国を乗っ取るところから始めないとね」

 

 継母が不穏なセリフを口走っているその頃、庭ではガタイの良い兵士が、マジックで『勇者ここに眠る』と書かれたカマボコ板に手を合わせていました。どうでもいいですね。

 

 

 

 魔法使いは次の任務のために移動していました。

 空飛ぶ絨毯やテレポートといった便利なな魔法は、下っぱの彼には使えません。ただひたすら歩くのみです。

 そんな彼の前に立ち塞がる影がいました。

 

「お久しぶりね」

「……なんでいるんだよお前は」

 

 現れたのはシンデレラでした。彼女は軽装の旅装束で馬車に乗っています。

 

「あなたの組織に入ることにしたの。とりあえずあなたの手伝いをするように言われたわ」

「マジか……。なんも聞いてねえぞ、おい」

 

 小町のやろう、要らんマネしやがって……、と魔法使いはぼやきますが、特に抵抗したりはしません。社畜根性が骨まで染み付いた彼には、抵抗しても無駄だと分かっているからです。

 

「とりあえず乗りなさい。目的地までけっこうあるわよ」

「……ま、少なくともそれは有難いか。ていうかなんで俺は歩きなのに新入りに馬車が支給されてんだ……?」

 

 魔法使いは文句を言いながら普通に馬車に乗り込みます。楽するためなら扱いが悪いくらい気にしません。

 魔法使いはシンデレラに聞きました。

 

「……お前、なんでウチに入ったの?」

 

 シンデレラは笑って答えました。

 それは小さな、本当に小さな笑みでしたが、とても魅力的な笑顔でした。魔法使いが思わず見とれてしまうくらいには。

 

「世界を変える仕事なのでしょう?面白そうじゃない。私にも手伝わせなさい」

 

 

 その後、世界のあちこちで目の腐った魔法使いと、彼を奴隷のようにこき使う美少女の姿が目撃されるのですが、それはまた別のお話。

 

 また数年後、陽乃という魔王が突如現れて王座を簒奪した挙げ句、全世界に宣戦布告して瞬く間に世界征服に王手をかけてしまいます。

 そして雪乃という名の女勇者が、反乱軍を率いてそんな彼女に戦いを挑むのですが、それもやはり別のお話です。



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彼も彼女も快楽に抗うことはできない

どうしてこんなことになってしまったのだろう。

わかっていたことだった。いずれこうなるであろうことは。
わかっていながら抜け出せなかったのは、単に自分の弱さに過ぎない。
後悔は先に立たず、今目の前には、私が裏切ってしまった大切な友人たちが、呆然と立ち尽くしている。

全てが白日に曝された時、雪ノ下雪乃は涙とともに懇願する。


「お願い……私を見ないで……!」


 その日はたまたま私一人だった。

 由比ヶ浜さんも比企谷くんも、家の用事で部活を休んだのだ。丁度そこに依頼が舞い込んだ。

 依頼人は三浦さん。彼女の話では、最近葉山くんの様子がおかしいそうだ。それでその原因を探ってほしいとか。

 奉仕部は便利屋でも探偵事務所でもない、と突っぱねようとしたのだが、彼女の気弱な態度についつい受諾してしまった。あのように下手に出られると断り切れない。

 ともあれ受けてしまった以上は仕方ない。本格的な調査は明日二人に話してから、と解散した。そしてその帰り道でのことだ。

 

「……葉山くん?」

 

 まったくの偶然だった。街中で件の葉山隼人を発見してしまったのは。

 彼はキョロキョロと周囲を伺いながら、人通りの無い裏路地へと入っていく。

 明らかに挙動不審だった。

 

(確かに、おかしいわね……)

 

 葉山隼人という人間は、光に祝福されたような人物だったはずだ。私個人は彼に対して良い印象を持っていないが、彼の能力の高さと、それに付随する周囲の人物評価は認めざるをえない。

 そんな彼が、人目を避けるようにしてコソコソと。三浦さんが気にかけるのも頷ける。

 私は彼の消えた路地に歩を進めた。

 由比ヶ浜さんと比企谷くんに相談するにしても、情報は多い方が良い。それにここで見失ってしまえば、次に発見できる保証もない。

 

 ……いや、正直に言おう。私はただ、好奇心に負けただけだ。それが致命的な過ちであったのにも気付かずに。

 

 葉山くんは私の尾行に気付いた様子もなく、慣れた調子である寂れたビルディングに入る。

 

「クラブ・C&J……?」

 

 そのビルに取り付けられた蛍光ピンクの看板を、思わず声に出して読み上げる。

 どう見てもいかがわしい店だった。まさか彼はここに通いつめて……?

 予想外の展開に、判断に迷う。やはり二人に相談するべきか、それともこのまま追うべきか……

 暫く考えた末に、一人で踏み込むのは危険かもしれないと考え引き返すことにする。私は振り返って

 

「動くな」

「!?」

 

 突然だった。

 気配も感じさせずに私の背を取っていたその男は、後ろから私の口を塞ぎ、もう一方の手でもがく私の腕を捻り上げる。動くなもなにも、声すら立てられない。

 私は合気道を修めているが、このように組み付かれてしまうとその技能は発揮できない。しかしそれ以前に、まともに勝負したところで歯が立たないのは目に見えていた。

 力のかけ方などで解るが、この男の技量は桁が違う。おそらくは姉さんでも相手にならないだろう。

 私と大して歳も変わらないように見える、頬に十字傷のあるその男がゆっくりと口を開く。

 

「何者だ?あの店を監視していたようだが」

「……」

「話すつもりはないか。まあ良い、俺も久々に寄ろうと思っていたところだ。店長も交えて貴様の処遇を決めるとしよう」

「……!」

 

 思わず抵抗する。が、まるで相手にならない。

 

(助けて、比企谷くん……!)

 

 男は暴れる私を意に介することもなく、件のビルへと引きずっていった。

 

 

 

「やあ、隼人くん。また来たのかい?」

「はい、もうすっかり病みつきですよ。あ、いつものお願いします」

「ハハッ、気に入ってくれたならなによりだ」

 

 そう言ってどこにでも居そうな中年の男性ーー店長は愛想よく笑った。自分がこの店に通うようになってまだ一週間ほどでしかないが、すっかり顔馴染みになってしまった。

 

「それと君が提供してくれたアイディアなんだけど、すごく評判良いよ?」

「! 本当ですか!?」

 

 この店でのプレイが気に入ってしまった俺は、より大きな快感を求めて店長に自分のアイディアを取り入れてくれるよう頼み込んでしまったのだ。

 ただの客でしかない自分には、本来経営に口を出す権限など無いのだが、店長はその辺がかなり柔軟な人間らしい。ものは試しと試験的に実行してくれたのだ。

 このアイディアというのは、実は自分の実体験からくるものだった。正直あまり良い思い出ではなかったのだが、こうして他人に認めてもらえるとそれもプラスに転化される気がする。そういう意味でも非常にありがたい。

 店長は機嫌良く頷くと話を続ける。

 

「うん、大人気だよ。あんなプレイよく思い付くよね。今も総武の子がアレで遊んでるよ」

「うちの?」

「うん。そろそろ終わる時間のはずだけど……」

 

 そう言って店長が通路の奥に視線をやると、丁度プレイを終えたらしい総武校の制服を纏った男が現れた。

 

「やあ、お疲れ様」

「けぷこんけぷこん。店長、いつもながら素晴らしい体験であった……はは、葉山某!?何故ここに!?」

「ざ……材木座くん!?」

 

 現れたのは同じ二年生の材木座義輝くん。あまり話したことはないが、彼の特徴的な姿を見間違えるのは難しい。

 

「おや、お友達だったのかい?」

「え、ええ、まあ」

「と、友達……我が……!?」

 

 えっと、なんで驚いてるんだろう?

 それはともかく材木座くんは、巨体に見合わぬ素早さで俺のそばまで駆け寄ると、コソコソと声をひそめる。ここに居るのはこの三人だけなので意味が無いと思うのだが。

 

「葉山氏よ。かなり慣れた様子だが、もしやここの常連なのか?」

「……まあ。と言っても通い初めたのは最近だけど」

「そうであったか。……その、なんだ。できれば我がここに通っていることは……」

「解ってるよ。俺だって進んで他人に話したいような趣味じゃないからね」

「そ……そうか!では、我らがここで出会ったのは無かったことに!ウム、さすがは友よ!」

「クスッ……OKだ。俺達はこの店には来なかった」

「二人ともヒドイなあ。それじゃあまるでウチが恥ずかしいお店みたいじゃないか」

 

 店長の言葉に三人で笑い合う。

 学校で普段つるんでいる友人たちとではあり得ない、秘密を共有する者同士でのみ成り立つ弛緩した空気。

 しかしその心地好い時間はすぐに砕かれることとなる。

 

「残念だがその契約は無効だ」

 

 突然の闖入者は、頬に十字傷を持った同世代の男。やはりここの常連で店長とも親密らしく、俺にこの店を紹介してくれた人物でもある。

『彼』は一人の少女を後ろ手に拘束していた。その少女は……

 

「葉山、この女は貴様の学校の生徒だな?」

「雪ノ下さん!?」

「知り合いか。この女に話を聞かれた以上、お前たちが黙っていたところで情報はすぐに広がるだろう。機密を保持したいのであれば口を封じる必要がある」

「~っ!?~っ!」

 

 初めて出会った時もそうだったが相変わらず発想が物騒だ。雪ノ下さんも『彼』の言葉に、口を塞がれたまま身をよじって抵抗する。無論、その程度で拘束を緩めるほど甘い男ではないが。

 

「ムウ……随分と物騒な御仁よ……。この気配、修羅か……」

「よく分からんが肯定だ」

 

 材木座くんのよく分からない呟きに、『彼』がよく分からないままに同意する。このあたりも相変わらずだ。

 

「しかし困ったな……。説得が通じるような相手でもないし……」

「葉山氏よ。我に考えがあるのだが」

「どんな?」

「我らはここでのことを他人に話されると困る。しかし雪ノ下嬢にそう頼んでも聞き入れてはもらえまい。ならば、雪ノ下嬢にも話せない理由を作ってやれば良い」

「……つまり?」

「なに、簡単な話よ。雪ノ下嬢にも我らと同じ立場になってもらえば良いのだ」

「なるほどな……」

 

 材木座の案を聞いた『彼』が得心したように頷いた。同時に俺も、その言葉の意味を理解する。そして、おそらくは彼女も。

 

「~~っ!~~っ!」

 

 この先に起こることを想像してか、雪ノ下さんが激しく暴れる。しかし『彼』はびくともしない。

 

「なるほどね。それじゃあ、せっかくだし僕も参加させてもらおうかな」

 

 そんなことを言いながら、店長が立ち上がる。『彼』が店長に驚いたような視線を向けた。やはり珍しいことのようだ。

 

「店長?」

「実はそろそろ新規顧客を開拓しようと思っていたんだよ。それでどうせなら女の子も楽しめるシチュエーションを色々考えてたんだ。それを試させてもらおうと思ってね。どうかな?手伝ってくれるなら今日の分はサービスしとくよ」

「勿論我は参加させてもらうぞ!」

「俺も異存はない。ツイているな、女。初日で店長のプレイを味わえる者など中々居ないぞ」

「~~っ!?」

「そ、そんなに凄いのか……?」

「肯定だ。アレをやられて今まで通りの自分を保てる者など、おそらくこの世に存在しない」

「いやぁ、恥ずかしいなぁ」

 

 拘束された雪ノ下さんを真ん中に置いたまま、三人は談笑を始める。中々にシュールな絵だ。その雪ノ下さんが、目尻に涙を溜めた目を俺に向ける。

 一縷の望みをかけて、というところだろうか。彼女のこんな気弱な態度は見たことが無かった。

 

 

「大丈夫、安心して雪乃ちゃん」

 

 

 幼い頃の呼び方に、少しだけ彼女の気配が弛緩するのが解った。よほど不安だったのだろう。俺にこう呼ばれて安心するなんて。

 その彼女に、できるだけ優しく告げる。

 

 

 

「君もきっと、すぐに虜になるから」

「~~~~~~っ!?」

 

 

 

 絶望に見開かれた彼女の瞳。

 涙に滲んだそこに映った俺は、他の三人と同じような顔をしていた。

 

 

 

「ゆきのん、どうしちゃったんだろ……」

「……わかんねえ」

 

 最近、雪ノ下が部活を休むようになった。今日も俺たちに一言だけ断って先に帰っている。

 ただ用事があると、しかしそれ以外の説明はなく、由比ヶ浜も何も聞かされていないらしい。

 何かがあったのは間違いないとは思うのだが、はたしてそこに踏み込んで良いものかどうか……

 俺と由比ヶ浜がそうして悶々と時間を浪費していると、不意にノックが響いた。

 

「どうぞ」

 

 簡潔に言うと戸が開く。入ってきたのは三浦優美子だった。彼女は部室をキョロキョロと見回している。

 

「優美子、どうしたの?」

「……雪ノ下さんは?」

「ゆきのんなら今日は帰ったけど」

「そうなん?依頼がどうなってるのか聞きたかったんだけど」

「依頼?」

 

 思わず声に出すと、三浦は不安げな視線をこちらによこす。

 

「うん。隼人がなんかおかしいから調べてくれって。アレ、どうなってんの?」

「は?なんだそりゃ?」

「依頼したじゃん。雪ノ下さんもあんたたちに相談するって言ってたけど」

「いや、聞いてねえんだけど。由比ヶ浜?」

「あたしも何も聞いてない……。ね、ねえ優美子。その依頼したのっていつの話?」

「先週だけど……え、なんで知らないの?」

 

 先週……。俺と由比ヶ浜が部活を休んだ時か。雪ノ下の様子がおかしくなった時期とも一致する。

 

「済まん三浦、その時のことをできるだけ詳しく……」

「三人とも、居るか?」

 

 俺のセリフを遮るようにして戸を開けたのは、この部活の顧問の平塚先生だった。

 

「……二人とも、雪ノ下は?」

「ゆきのんは今日は帰りましたけど……」

「そうか……三浦は、もしかして葉山のことで相談に来たのか?」

「……なんで分かったんですか?」

「ちょっとな……くそっ、確認しないわけにはいかなくなったな……」

「……先生、何があったんですか?」

 

 深刻な様子の平塚先生に先を促す。先生は大分迷った末に、覚悟を決めたように口を開いた。

 

「このことは他言無用で頼む。三浦、君もだ」

 

 俺たちはその言葉に顔を見合せると、先生に向かって頷く。

 

「実は先ほど、最近ウチの生徒らしき者が数名、繁華街のある店に入り浸っているという連絡があった。バイトか客かまでは分からんがな。それでだな……どうもその中に雪ノ下と葉山も含まれているらしい」

 

 一瞬、先生の言っていることが理解できなかった。それは由比ヶ浜と三浦も同様だったらしく、三人して固まってしまった。

 

「あ、あり得ないし!」

 

 その硬直からいち早く脱したのは三浦だった。

 

「隼人がそんな、その……変な店にハマるとか、そんなの、あるわけないし!」

「そ、そうだよ先生!ゆきのんがそんなお店行くわけないじゃん!」

 

 由比ヶ浜も三浦に追随して先生に食って掛かる。先生はその反応を予測していたのか、特に慌てることもなく二人をなだめていた。

 

「落ち着け二人とも。私とてあの二人がそんな真似をしているとは思っておらん……と、言いたかったのだがな……」

 

 先生のセリフは尻すぼみに力を失っていった。本当はこの場で雪ノ下本人に否定してほしかったのだろう。

 

「……先生、雪ノ下らしき生徒が目撃されるようになった時期とか分かりますか?」

「正確なところは何も分からん。だが、女生徒の姿を見かけるようになったのは先週かららしい」

 

 先週……。

 三浦の話と重なる。重なってしまう。

 だからといってそれが雪ノ下だと確定したわけではない。しかし否定する材料が何も無いのもまた事実だった。

 全員が黙り込んでしまった。その沈黙を打破したのは由比ヶ浜だった。

 

「先生……そのお店の場所とか分かってるんですか……?」

「ああ、もちろんだ。……なんだ、まさか教えてほしいとか言うつもりか?」

「えっと……はい……」

「悪いが却下だ。そんな店に生徒が近寄る可能性をわざわざ作るわけにはいかん」

「でも……!」

「でもも何もない。駄目なものは駄目だ」

 

 取り付く島もない言い草に、由比ヶ浜も黙ってしまう。

 今度こそ発言する者が居なくなったのを確認してか、先生はポケットから一枚のプリントを取り出して言った。

 

「今日の部活は終了としよう。私はこれからこのプリントに書いてある例の店まで行って話を聞いてくるつもりだ」

 

 先生はプリントを見せ付けるようにヒラヒラさせて続ける。

 

「ことがことだけに他の事案にかまけている余裕は無い。よって、寄り道などを見かけても注意してやることはできん。全員くれぐれも道草などせずまっすぐ帰るように」

 

 ……!

 

「では私はもう行こう。ああ、私は職員室にはいないから、もし私の落とし物なんかを見つけた場合は明日にでも届けてくれたまえ」

 

 ……先生、ありがとうございます。

 スタスタと出て行く先生の背中に、心の中で礼を言う。本当カッコいいよなこの先生。

 

「~~ったく!なんなわけ!?融通利かないにもほどあるし!」

「ホントだよね。こっそり教えてくれたって良いのに」

 

 なんでやねん。

 思わず関西弁(エセ)で突っ込んでしまった。

 

「いや、あれ見ろよ。ホレ」

「あ……?」

 

 言って先生の出ていった入り口を指差す。そこの床には一枚の紙。先ほど先生が見せた、件の店名と住所が書かれたプリントが落ちていた。

 

「なんであれで落とし物できるし」

「平塚先生ってそそっかしいよね」

 

 だからなんでやねん。(二回目)

 

「あのな、先生言ってただろ。今日はもう学校に居ないから明日届けろって。あと道草してても注意できないって。これがどういう意味か分かるだろ?」

「別に机に置いといても良いのにね?」

「つーかメンドくさかっただけじゃね?」

「ていうかこんな時に寄り道なんかしないのに」

「んな心配しなくても迷惑かけたりしねっつの」

 

 ピュアか。こんな状況で要らんボケ挟むなよ。

 

「いやだから、先生って立場じゃ直接教えることはできないから、落とし物って形で店のこと教えてくれたんだろ?見かけても注意できないってのは俺らをその店で見かけても見逃してくれるって意味だし、今から向かえばタイミング的に先生と一緒になるだろうから守ってもらえるしな」

「ああっ!」

「ヒキオ冴えてんじゃん!」

「いや気付けよ。とにかくもう出るぞ。先生の気遣い無駄にすんなよ」

 

 

 

「やあ、いらっしゃい。雪乃ちゃん」

 

 愛想良く微笑む店長に、ペコリと頭を下げる。

 もはや見慣れてしまったカウンター。そこのモニターを覗いて部屋の使用状況を確認する。……良かった、目的の部屋は空いている。

 同時にモニターのある部屋に、使用中を示すランプが点灯しているのが目に入る。ここは確か葉山くんのお気に入りだったはずだ。彼も来ているのだろうか。

 ボンヤリとそんなことを考えていた私に、店長がまた声をかけてきた。

 

「それで、今日はどうする?」

「その……いつものを……」

「うんうん、ずいぶん気に入ってくれたみたいだね。そんなに気持ち良かったかい?」

「っ…………………………は、い…………」

 

 悔しさに唇を噛みしめ、顔を俯かせながらか細い声で答える。

 顔を真っ赤に染め、全身を細かく震わせ、それでも肯定するしかない私に、店長が気の毒そうにため息を吐く。

 

「そんなに恥ずかしがることないのに。人間はみんなこういうのが好きなんだから」

「…………失礼……します」

 

 私は逃げるようにロビーをあとにした。

 この狭い廊下を通るのは何度目だろう?

 この店に通うようになったのは先週からだから、そう回数を重ねているわけではないはずだ。

 しかし私にとって、ここはもはや手放すことのできない場所になってしまっていた。

 そう。初めこそ無理矢理ではあったが、そのあとこの店に足を運んだのは全て自分の意思だった。

 その事実に自己嫌悪に陥り、思わず壁を殴りつける。拳の痛みと情けなさに涙が滲んだ。

 分かっている。これはただの逃避だ。

 ここで味わえる感覚は、確かに何物にも換えがたいほどに心地良い。

 しかしそれは全てまやかし。このビルから出れば何も残らずに消えてしまう幻。

 私が、私たちが嫌悪した、ニセモノでしかない。

 だというのに。

 

 

 顔を上げると目的の部屋。

 元々大して広いビルでもない。普通に歩けば一分もかからずたどり着く。

 そのドアノブを捻ると、微かに軋んだ音を立ててドアが開く。その向こうにはーー

 

 

 こんな行為に意味は無い。意義も無ければ価値も無い。

 人に知られればろくなことにはならず、いつまでも隠し通せるものでもない。それも理解している。それなのに。

 

 私はもう、この快感から逃れることはできない。

 

 

 

「ちょ、ちょちょちょ、何するんですか!?」

「何をするだと?貴様こそウチの生徒たちに何をさせている!?」

 

 その建物に踏み込むと、先生がカウンター越しにオッサンの胸ぐらを掴み上げているところだった。

 

「先生!?」

「来たか、お前たち……」

 

 先生は俺たちを見て気まずげに目を伏せる。

 

「先生、もしかして……?」

 

 先ほどの剣幕に、嫌な予感が膨れ上がる。

 否定してくれることを期待して先生に声をかけるが、返ってきたのは無情な肯定だった。

 

「ああ……残念ながら、噂は本当だったようだ」

「そんな……!」

 

 由比ヶ浜が信じたくないといった風に口元を押さえ、三浦に至っては声すらなくへたりこんでしまう。

 俺は俺で、事態を直視することを拒むように部屋の隅へと視線を向けーーそこに見知った顔を発見してしまった。

 

「ざ、材木座!?」

 

 材木座は頬を赤く腫らし、大の字になって伸びていた。

 慌てて近寄りその巨体を揺する。

 

「お、おい、どうした材木座!?」

「比企谷、そいつは放っておけ」

「いや先生、何言って……」

「雪ノ下をここに引き込んだのは、そいつと葉山らしい」「は、はぁ!?」

 

 い、いったいどういうことだってばよ?いやボケてる場合じゃなくて。ダメだ、全然頭が働かねえ。

 

「混乱しているみたいだな……今は無理に理解しなくて良い。葉山も雪ノ下も、今この店にいるらしい。二人を保護してやってくれないか?私はこの男に話がある」

「は、はい……」

 

 もう何がなんだかわからない。

 俺は先生に言われるまま、奥の通路にフラフラと歩き出す。由比ヶ浜と三浦も俺に続いた。

 後ろから先生と、受け付けのオッサンの会話が聞こえてくる。

 

 

「と、とにかく落ち着いて!あなた何か誤解してますよ!?」

「誤解だと?この期に及んで何を……!」

「まずは話を聞いてください……!」

 

 

 そんな声をBGMに、由比ヶ浜が自失したままポツリと漏らす。

 

「何が、どうなってるの……?」

 

 今の俺たちの心境を端的に現したセリフだった。驚くとか悲しむとか以前に、展開に理解が追い付かない。

 しかし、理解できずとも行動しなければならない時もある。それができる人間もいる。

 

「隼人……!」

 

 三浦は葉山を求め、俺たちを置いて奥へと駆け出す。

 会ってどうすれば良いか、会ってどうにかなるのか、それを分かっているわけではないだろう。それでも確かめずにいられなかったのだ。

 

「優美子……」

 

 ただ呆然と呟くだけの由比ヶ浜に、少しだけ正気を取り戻す。

 俺も、彼女に倣うことにしよう。

 

「雪ノ下を、探そう」

「……うん」

 

 俺の言葉に、由比ヶ浜はどうにか頷いてくれた。

 

 

 

 

 俺の胸ぐらを掴んだそいつが、唸るように吐き出す。

 

「少し、黙れよ……!」

「……はっ」

 

 皮肉げに笑う俺と視線がぶつかり、数秒睨み合う。

 凍りついた空気に固まっていた女子が、焦った様子で止めに入った。

 

「もういい、もういいから!そんな人ほっといてもう行こ!ね!?」

 

 懇願するような彼女に、そいつは俺の胸ぐらを離すと背を向けた。

 

「……早く戻ろう」

 

 そして立ち尽くす俺を尻目に、二人は部屋から出ていく。

 そいつが扉を閉める間際、独り言のような言葉が耳に届いた。

 

「……どうして、そんなやり方しかできないんだ」

 

 一人取り残された俺は、壁に背をつけずるずると座り込んだ。

 先ほどまでのやり取りを思い出し、誰に向けたものでもない声を漏らす。

 

 

「ほら、簡単だろ。ーー誰も傷付かない世界の完成だ」

 

 

 ガチャ

 

 そのセリフと同時に、今しがた二人が出ていった扉が開いた。

 

 

 

「…………何してんの、隼人?」

 

 

 

 そこからひょっこりと顔を覗かせた優美子は、壊れたオモチャを見るような眼で俺を見下ろしていた。

 

 

 

カレッジ(C)ジャスティス(J)?」

 

 おうむ返しに言った私に店長、そして復活した材木座が頷く。

 

「そ、この店の名前。意味は『勇気と正義』ね」

「左様。つまるところ、ここは正義の味方ごっこを楽しむための施設である」

「あ、頭痛い……!」

 

 何この馬鹿馬鹿しいにも程がある展開。

 二人は頭を押さえる私を気にせずにカラカラと笑って続けた。

 

「最初はリアル路線というか、現実にありそうなシチュエーションのプレイばかりだったんですよ。医者の癒着とか政治家の汚職をテーマにしたやつ」

「我のお気に入りは傭兵のやつだな。我欲のためにゲリラと無関係な村の虐殺を命じる上官に、軍法会議を恐れることなく逆らう。たぎる……!」

「あなたは生活指導の先生なんですよね?だったらこれとかどうです?学校の都合で退学させられそうな生徒を庇う役とか」

「これは生徒の設定が細かくて実に良い。友達いないひねくれ者、しかし実は純粋で心優しい少年と。八幡とはまるで違うなw」

 

 その設定は正直ちょっと心惹かれる、じゃなくて。

 もしかしてと思い、店長に恐る恐る聞いてみる。

 

「それ、店長さんが考えたんですか?」

「それが違うんですよ!このシナリオは隼人くんが考えてくれたんです!」

 

 やや興奮気味に答える店長。ああ、やっぱり。

 

「隼人くんが考えたシナリオはどれも人気なんですよ。正義とはちょっと違うんですけど、自己犠牲っていうんですか?己を捨てて他人を救う。カッコいいですよねぇ」

「ウム、ぶっちゃけマジで憧れる。シチュエーションも凝っていてモデルが居るんじゃないかと疑うレベル」

「はっはっはっ、現実にこんなことできる人間居るわけないじゃないか」

「然り、その通りであるな店長。モハハハハッ!」

 

 いや、うん。案外すぐ近くにいるかもしれませんよ、モデル。この店の中とか。

 

「まあそれもあって、リアルさにこだわる必要も無いかなと思ったわけですよ。それで色々と考えてみたんですけど、女の子用のシナリオを雪乃ちゃんに試してもらったんです」

「幸いなことに雪ノ下嬢も気に入ったようでしてな。今日もプレイに耽っておられましたぞ?」

 

 脱力してどうでもよくなっていた私の耳に、何か致命的な言葉が聞こえた気がした。

 

 プレイに、耽っている?

 

 途端、事態を理解する。雪ノ下が危ない!

 

 

 

 

「例え母と言えど、姉さんの仇を赦すわけにはいかない!私は伝説の雪ノ下、アンダースノウ・ザ・レジェンド!私は今こそあなたを超え……!」

 

 ガチャ

 

「ゆき…………のん…………?」

 

「何…………してんだ、雪ノ下…………?」

 

「ぃ……いやああああああああああああっ!?」

 




※冒頭シーンの1週間ほど前


 夜闇の中、塁々と横たわる男たち。
 その骸たち(死んでないけど)の中心に立つその男は、俺と大して歳も変わらないように見えた。

「片付いたか。怪我はないか?」
「あ、ああ。ありがとう、助かった」
「問題ない。この程度は準備運動にもならん」

 頬に十字傷のあるこの男は、事も無げに言ってのけた。

 部活で遅くなった帰り道、ウチの学校の女子達が質の悪いナンパに絡まれているのを目撃してしまった。
 俺は彼女達を知らなかったが、彼女達は俺を知っていたらしい。結局見捨てることもできずにそのDQNを引き付けることになった。
 ケンカなどするつもりはなかった。
 大して経験があるわけでもないし、問題を起こすわけにもいかない。
 体力には自信があったので逃げ切れるとも思っていた。
 だが、彼らは想像以上に執念深かった。加えて恥の概念を理解できない手合いだったらしい。マドハンドのように仲間を呼び、その数はいつの間にか二桁になっていた。
 そして俺はこの公園で追い詰められた。そこにたまたま通りかかったのが彼だったわけだ。
 そこから先はあっという間だった。
 彼は十人以上で武器まで持っていたDQNたちを、瞬く間に『鎮圧』していった。
 俺はその手並みに感心し、端的に感想を述べる。

「すごいな。何か格闘技でもやっているのか?」
「大したことではない。俺より優れた使い手など腐るほどいる」
「そうかもしれないけど、君みたいな人を見かけると、やっぱり少し羨ましくなるよ……」

 自分にはできないことを軽々とやってのける。
 別に特別なことではないはずだった。自分が万能だなどとは思っていないのだから。
 なのに、それがどうしても気に障る。あいつの腐った眼がちらつく。

「何を落ち込んでいる?」

 思わず顔を上げる。初対面の相手にまで見抜かれるなんて、最近の俺は本当にどうかしている。

「よく分からんが、貴様も卑下するような人間ではないと思うぞ。見ず知らずの相手を助けるために自分を囮にできる者などそう多くない。大したガッツだと思うが」
「……見てたのか?でも、やっぱりダメだよ。結局自分の身も守れていない。俺は、あいつには敵わない……」
「フム……」

 彼は少し思案すると、俺の今後を決定付ける提案をしてきた。

「俺には貴様の悩みは理解できん。だが、多少の気晴らしくらいはさせてやれるかもしれん」
「……?」
「貴様を良いところに連れていってやる。無論断るのは自由だが」

 俺は、正直どうかしていたのかもしれない。普段なら、例え恩人の言葉だろうとこんな怪しい誘いに乗ったりしない。
 だけどその時の俺は、その言葉に頷いてしまっていた。
 彼は満足気に首肯すると、くるりと背を向けて歩き出す。少しだけ呆然として、すぐに着いてこいということなのだと気付く。
 どうも重要なところで言葉の足りない人物らしい。まるであいつみたいだ。
 俺は声かけようとして、いまだに名前すら聞いてなかったことに気付いた。

「君は……何者なんだ?」
「俺か?」

 彼は立ち止まって肩越しにこちらを振り返り、端的に名乗った。



「所属部隊は陳代高校2年4組、出席番号42番。相良宗助ーー軍曹だ」


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彼女も彼も彼等の行き先を知る術を持たない

 いつもの奉仕部。

 長机の窓に近いところに雪ノ下と由比ヶ浜が座り、俺は廊下側に腰掛ける。

 雪ノ下が淹れた紅茶で喉を湿らせつつ、それぞれが好き勝手に読書だのメールだので時間を潰し、やがて由比ヶ浜と雪ノ下が談笑を始める。そこから俺に暴言の流れ弾が飛んできて、うっかり反撃して完膚なきまでに叩き潰されるまでがワンセット。これが奉仕部の日常だ。

 そこに一色いろはの姿がごく自然に混ざりこむようになってから結構な時間が過ぎた。そろそろこの状態を『いつもの』と呼んでもおかしくはないかもしれない。

 そんな一色の口から、不意に普段聞き慣れない言葉が飛び出した。

 

「ラグビー部?」

「はい」

 

 問い返した俺に、我が総武校の誇る一年生生徒会長は頷いた。

 一色は紅茶の香りが立ち上る紙コップをテーブルに置き、お茶請けに手を伸ばしながら後を続ける。

 

「で、ラグビー部がどうしたって?」

「だからぁ、今度練習試合するらしいんですよ。その手続きが生徒会に回ってきちゃいまして」

「一色さん、そろそろ仕事が出来る度に比企谷くんを駆り出すのは止めた方が良いと思うのだけど」

 

 そうだそうだ!もっと言ってやれ雪ノ下!

 ことある毎に生徒会、と言うか一色に濃き使われてややげんなりしていた俺は、心の中で雪ノ下に声援を送る。

 

「いつまでもそんなことではあなたのためにならなわ。それに比企谷くんは奉仕部の備品なのだから。彼の使用権、及び生殺与奪の権利は私たちにあるのよ?」

「あ、あはははは……」

 

 ちげーよ。

 雪ノ下のいつも通りの態度にげんなりと息を吐く。由比ヶ浜の乾いた愛想笑いが僅かな救いだった。

 一色はそんな俺たちを気にすることもなく、雪ノ下の誰何 (すいか)を否定した。

 

「あー、違いますよー。そこらへんのことはちゃんと副会長に押し付……引き継いで来たんで、今回は先輩に手伝ってもらおうとかはないですよー」

 

 副会長……。

 下手したら俺以上に苦労を背負こんでるかもしれない優男を思い、ホロリと涙がこぼれそうになる。まあ気のせいだったが。

 当然、一色含め他のメンバーも副会長に思いを馳せることはなく、そのまま話を続ける。

 

「ただ、それでラグビー部が合宿したいとか言い出してきたんですよねー」

「合宿?練習試合にか?」

 

「そうなんですよー」と一色はため息混じりに答えた。

 

「ウチの学校って部活にはあんまり力入れてないっていうか、ぶっちゃけ弱小じゃないですかー。ウチの運動部でマシなのって葉山先輩くらいでしょう?」

 

 頬杖を着きながらポリポリと雪ノ下お手製のクッキーをかじり、他人事のように一色はぼやく。つうか葉山単体じゃなくてサッカー部って言ってやれよ。相変わらず良い性格してんなコイツ。

 

「相手の硝子山高校って結構強いらしいんですけど、ハッキリ言ってウチが戦えるようなトコじゃないんですよねー」

「硝子山高校……確かラグビー部の強豪だったわね。ただ、最近練習試合で負けてからは低迷が続いているみたいだけれど」

「みたいですねー」

 

 一色は紙コップを口元に運び、そのまま雪ノ下の方に差し出す。どうやら空になったらしい。

 

「硝子山って粗暴でプライド変に高くて、ぶっちゃけイヤな奴らでして。今までは練習試合なんてこっちからお願いしても断られてたらしいんですよー。それが今回は向こうから言ってきたんですよねー」

 

 雪ノ下は一色の紙コップに紅茶を注ぎながら考える素振りを見せる。

 

「……つまり、スランプで連敗の続いていた硝子山はなんとかして勝ち星が欲しかった。それで弱小の総武に目を着けた、ということ?」

「そういうことみたいですねー」

「ふーん」

 

 気の無い返事を返しつつ湯呑みを口に運ぶ。少しぬるくなっていた紅茶を飲み干して机に置くと、雪ノ下が殆ど間を置かずに御代わりを淹れてくれた。

 

「そういう狙いってやっぱ分かるじゃないですかー?ウチのラグビー部もさすがに頭にきちゃったみたいで。それで勝てないまでもどうにか一矢報いたいって」

「それで合宿か」

「どうせなら勝つつもりでやれないのかしら。比企谷くん並みに志が低いわね」

「なあ、いちいち俺を一刺しすんのやめてくんない?」

 

 湯呑みを受け取りながら雪ノ下を一睨みする。当然だが防御力が下がったりはせず、逆に睨み返されてこちらが目を背ける始末。俺弱すぎ。

 俺は誤魔化すように一色に話を振る。

 

「じゃあ今回はラグビー部を鍛えて欲しいとかか?雪ノ下に任せると試合前に潰される怖れもあるんだが」

「あなたこそ私をなんだと思っているのかしら……?」

 

 いやだって前例があるだろ。戸塚の時に。なんで練習メニューの各項目にことごとく『倒れるまで』とか着いてんだよ。

 そんなことは知らない一色は、パタパタと手を振って俺の言葉を否定した。

 

「違いますよー。ていうかなんで私が面倒事持ってきた前提で話してるんですかー」

「あれ、違うの?」

「いやそれ酷くないですか?こんなことがあったって話しただけなのにー」

 

 そう言って一色はあざとくほっぺたを膨らませた。が、無論のことハイスペックぼっちにして至高のシスコンである俺には、所詮は劣化小町でしかない一色のポーズなど効かない。ただし年下女子である一色の怒りには無条件でお兄ちゃんスキルが発動してしまい、ふと気が付くとご機嫌取りにクッキーをつまんで餌付けを図っていたりもする。なにこれ超効いてる。

 一色は手鏡を取り出して覗き込み、角度を変えたり表情を変えたり色々やりだした。どうやら俺が(表面上は)態度を変えなかったのが気に入らなかったらしい。

 

「それでそのラグビー部なんですけどぉ、合宿行ってから行方不明なんですよねー」

「ふーん」

 

 百面相しながら話を続けてきた一色に気の無い返事を返す。

 

「って、は?」

 

 そして通常まず耳にすることのない言葉に遅れて反応した。

 

「いやちょっと待て。なんだ行方不明って?」

「そのまんまですよー。合宿行ってから連絡取れなくなっちゃったんです。行き先も判らないし、部員のクラメイトに電話掛けてもらったんですけど全部繋がらなくて」

「合宿先の施設は?電話してねーの?」

「それが宿とってないみたいなんですよ。なんかテントとか用意してましたし」

「普通に事件じゃねえか。警察に連絡しろよマジで」

 

 上目遣いの練習してる場合じゃねーよ。いやホントシャレになってねえぞそれ。少なくとも高校の部活動に任せるような案件じゃねえだろ。

 しかし一色は事態を理解しているのかいないのか、ちょいちょいと化粧を整えながら緊張感のない返事をするばかり。

 

「大丈夫ですよー。連絡取れないって言ってもまだ二日目ですし、葉山先輩も問題無いって言ってましたからー」

「もう二日だろ。つうか葉山関係ねーだろ」

「いえ、合宿の手配してくれたの葉山先輩なんですよ」

「はぁ?」

 

 なんで葉山がラグビー部の合宿を?全然意味が分からんぞ。

 

「なんかラグビー部の部長がトレーナーを雇いたいとか言い出したんですよねー。でもそんな予算無いじゃないですかー。スポーツ関連だと先輩を引っ張るのは難しいかなと思って葉山先輩に相談したんですけど、そしたら心当たりがあるって」

 

 一色の方から巻き込んだのか。つうか元は俺に来るつもりだったの?

 俺は痛む頭を押さえて尚も続ける。

 

「どっちにしろ問題だろ。さっさと確認しろよ。いや、葉山に確認取らせろ」

「ヤですよ。それじゃ私が葉山先輩を疑ってるみたいじゃないですか」

 

 どうやら一色の中では『自分に対する葉山の印象』≧『ラグビー部員の安全(生命に関わる可能性有り)』らしい。

 俺はため息を一つ吐いて立ち上がった。

 

「ちっと葉山に話聞いてくるわ。まだ部活やってんだろ」

「珍しいわね、自分から働こうなんて。どういう風の吹き回しかしら?」

「いや、これほっといたらマジで大惨事になりかねねえだろ。知らなかったならともかく、話聞いた上で見逃したら寝覚め悪いにも程があんだろ」

「確かにそうね。……私も行こうかしら」

「無理しなくて良いぞ。顔会わせ辛いだろ?」

「……お願いするわ」

 

 

 そんなわけで1人グラウンドに向かう。雪ノ下は……まあ、仕方ないよな。あんなことがあったんだし。顔会わせ辛いのは葉山も同じだろうしな。

 この二人に何があったかについては……語るのはやめておいてやろう。俺はあの辛さをよく知っている。傷を抉るような真似はできん。もっとも、俺が語るまでもなく知ってる奴もいるかもしれんが。

 

 グラウンドにたどり着き、練習中の戸部に声を掛けるとウェイウェイ言いながら葉山を呼んでくれた。なんだかんだで良い奴だよな。ウザいけど。

 葉山は戸部に呼び止められて俺の方へ駆け寄ってくる。少し離れたところで固まっているサッカー部のマネージャーらしき数人の女子たちから、葉山へと黄色い声が、俺へと舌打ちが飛んできた。……端の眼鏡の娘だけは鼻息が荒くなってるけど、多分具合が悪いのだろう。

 葉山はそんな彼女らには気付かないのか、はたまた気付かない振りをしているのか、俺に向かって汗と笑顔を爽やかに撒き散らした。

 

「やあ、珍しいな比企谷。何かあったのか?」

「何かあったじゃねーよ。ラグビー部、どうなってんだ」

「いろはから聞いたのか。どうって?」

「合宿行ってから消息不明らしいじゃねえか。お前どこに招待したんだよ」

「うーん……どこって言うか、知り合いを紹介しただけなんだけど」

「知り合い?」

「ああ。最近できた他の学校の友達でね、相談してみたら経験があるって言うから頼んでみたんだ。なんでも弱小だった自分の学校のラグビー部を鍛え直して強豪校に勝たせたことがあるらしいよ」

 

 そりゃまたえらいピンポイントな……。信用できるのかと問いかけると、葉山は軽く笑ってみせた。

 

「大して付き合いが長いわけじゃないけど信用してるよ。そんなつまらない嘘を吐く奴じゃない」

「まあお前がそこまで言うんなら信用できるんだろうが、一度連絡だけ入れさせろよ。問題になんぞ」

「分かった。明日からの土日に俺も参加する予定だからその時に電話するよ」

「あん?なんでお前がラグビーの合宿に?」

「体力作りの基礎トレがメインみたいだからね。それに頼むだけ頼んで投げっぱなしってのもアレだろ?」

「……物好きなこった。好きにしろよ」

 

 俺が言い捨てて背を向けると、葉山も練習に戻っていく。

 一年生に向けたものらしい、柔らかくも力強い葉山の激を聞きながら、俺はグラウンドを後にした。

 

 

 

 

 

「オラ一年!チンタラ走ってんじゃねえぞボケカス!」

 

 

 放課後のグラウンドに葉山の怒声が響く。

 

 

「いいか!貴様らはゴミだ!ウジ虫だ!だが安心しろ!貴様らのような犬のクソにも劣るチ●カス共でも俺は見捨てずに鍛えてやる!感謝しろ!分かったかクソ虫共!分かったなら血ヘド吐くまで走り続けろ!」

 

 

 聞くに堪えない罵詈雑言に、俺たちはただ唖然としていた。

 その間にも訓練とも呼べないしごきは続き、サッカー部員たちは泣きながら走り続けている。え、なにこれ?どうなってんの?

 

 

 半泣きの一色が奉仕部に助けを求めに来たのは週明けの放課後だった。なんでも練習が始まると同時にいきなり葉山が豹変したらしい。

 教室での葉山は特に変わったこともなかったため、俺は半信半疑だった。由比ヶ浜も同様だ。それがしぶしぶグラウンドに来たらこの有り様だったわけだ。

 一色の話でも練習が開始されるまでは本当に普通だったらしく、突然の変化にどうして良いか分からなくなって思わず俺たちのところに来てしまったそうだ。

 尚、マネージャーの女子たちは固まって泣いていたが、単にビビってしまっただけで何かされたということは無いようだ。

 

 葉山の罵声は絶え間なく続いている。よくぞこれだけ思い付くものだと感心するほどバリエーションが豊富だ。

 俺は嫌々ながら葉山に声をかけた。本当に嫌だったが女子にやらせるわけにもいかん。特に一色なんかもうほとんど泣いてるし。

 葉山は俺たちに気付くと、戸部に励まされてなんとか走っているサッカー部員たちに怒鳴りつけた。

 

「俺は一旦抜ける!だが貴様らに休憩などという上等なシロモノは必要ない!サボったら貴様らのその粗末なモノを引っこ抜いて犬に食わすからそのつもりでいろ!」

 

 葉山はそう言って俺たちの方へ走ってきた。

 

「やあ、何か用かな?」

 

 そう爽やかに笑う葉山隼人は、教室でも見たいつもの葉山だった。とてもさっきまで悪口雑言を撒き散らしていた人間と同一人物とは思えん。普通すぎて怖え。

 

「いや、なんつうか、どうしたんだお前……?」

「どうって?」

 

 葉山はきょとんと首をかしげる。俺が何を言ってるか理解していないらしい。その額には汗が滲み、息も乱れて肩が上下している。見た限りでは本人は練習に参加していなかったようだが、あれだけ叫び続ければ当然だろう。

 その普段通りの爽やかイケメンに内心で戦々恐々としつつ、どうすれば刺激せずに済むかおどおどと、しかし結局は普通に話しかける。

 

「どうって、って……。おかしいだろ普通に。なんで練習いきなりこんな厳しくなってんだ?」

「え、厳しいか?」

 

 自覚ねえの!?

 後ろ頭をポリポリと掻く葉山にはすっとぼけている様子はない。少なくとも俺には本心から言っているようにしか見えなかった。

 葉山はさらに変わらぬ調子で続ける。

 

「土日に参加したラグビー部の合宿の影響かな?あっちの訓練がこんな調子だったから感覚が狂ったか?」

 

 いやいやいやいや、どんだけ猛特訓してんだよラグビー部。え、たった二日でこんなんなるとか本家はもう死んでるんじゃねえのか?

 

「まあ少し練習の質を上げたいと思ってたところだったし、丁度良かったかもな。ラグビー部も脱落者はいなかったし大丈夫だろ」

 

 大丈夫じゃねえよ。単に逃げられないだけなんじゃねえのかそれ。

 

「そうだ。ラグビー部の練習試合だけど、俺も助っ人として参加することになったんだ。良かったら見に来てくれよ」

 

 葉山はそれだけ言い残して戻っていった。

 

 

「クソ共!練習は楽しいか!?楽しいだろう!?なら特別サービスで追加メニューをくれてやる!良いか!貴様ら●●(ピー)●●(ピー)●●(ピー)が……!」

 

 

 グラウンドに再び葉山の暴言が響き渡る。

 うずくまって吐いていた一年を、戸部が肩を貸して立ち上がらせていた。見る限り、戸部が部員たちの精神的支柱になってるっぽい。

 

 何もできることがない俺たちは、ただ呆然としながらグラウンドを後にした。

 

 

 

 練習試合当日。俺たちは、件の試合を見学に来ていた。

 普通なら来てくれなどと言われたところで「あ、ああ。行けたら行くよ」と答えてバックレるものなのだが、今回ばかりはどうしても気になってしまった。

 ラグビー部の合宿先は実は大した距離ではなかったらしく、葉山はサッカー部の練習が終わった後にわざわざ参加していたらしい。

 葉山の勤勉さもさすがといったところだが、そんな時間まで練習を続けているラグビー部も凄まじい。学校の部活が終わってからってことは、少なくとも6時以降も練習してるってことだよな?

 

 葉山たち、というかラグビー部はまだ来ていない。一方相手校は既に着いていてアップを始めていた。

 確か硝子山高校といったか。一色の言っていたようにモラルは大分低そうだが(なんでモヒカンとか居るんだよ……)、かなり強そうに見える。低迷中とは言えさすがは強豪校といったところか。

 ただ、彼らの顔に余裕は感じられない。決意というか悲壮感すら見てとれる。どうやら追い込まれているというのは本当らしい。

 

「にしても隼人くんたち遅いね」

「そうね。何かあったのかしら」

 

 スマホで時間を確認すると、そろそろ試合開始の時間だった。チラリと様子を伺うと硝子山の選手たちの表情にも苛立ちが見える。

 俺は葉山と電話をしていた一色に問いかける。

 

「一色、どうだ?」

「途中で交通事故があったそうです。遅くなるけど時間にはギリギリ間に合うって言ってました。私、向こうに説明してきますね」

「大丈夫か?向こうさん、大分イラついてるけど」

「アップは要らないからすぐに始められるって言ってました。遅刻しなければ平気だと思います」

 

 一色はそう言って硝子山の方へ向かっていった。硝子山も女子相手だからか無茶をする様子はなかった。時間には間に合うというのも大きかったのだろう。

 ともかくは待ちだ。

 また少し時間が流れていよいよ試合開始が近付く。

 相手チームは既にユニフォームに着替えてフィールド(で良いのか?ラグビーの場合何て言うんだろ……?)に並んでいる。整列と言うには纏まりがないが、この場に居ない連中よりはマシだろう。

 その無礼者たちが現れたのは本当に時間ギリギリだった。

 相当に苛立っていた硝子山は総武校ラグビー部が到着するなり怒鳴ろうとしたが、その姿を見て息を飲んだ。

 葉山を先頭に入場してきた総武校ラグビーは、ボロ布をマントのように羽織っていた。

 壮絶すぎる猛特訓のためか、部員たちの頬はこけ、しかし眼だけはギラギラとした邪悪な光を放っている。

 彼らは一糸乱れぬ行進でフィールドの中央まで来るとピタリと整列した。一歩前に出た葉山がクルリと反転し、ラグビー部に向き直る。て言うかなんでお前が中心になってんだ葉山。

 

「今この時をもって貴様らはウジ虫を卒業する」

 

 部員たちは葉山の言葉にも微動だにしない。もしかして心が死んでるんじゃなかろうかという疑問は、直後に否定された。

 一体どこから出しているのかというような声量で葉山の激が飛ぶ。

 

「貴様らの特技はなんだ!?」

「「「殺せ!殺せ!殺せ!」」」

「貴様らの目的はなんだ!?」

「「「殺せ!殺せ!殺せ!」」」

「貴様らは総武を愛しているか!?ラグビー部を愛しているか!?クソったれ共!」

「「「ガンホー!ガンホー!ガンホー!」」」

 

「OKだ!行くぞ!」

 

 セリフと共に一斉に纏っていたボロ布を脱ぎ捨てる。その下にはシミ一つ無いピカピカのユニフォーム。

 その輝きに威圧されたのか、硝子山の選手たちは、いっそ憐れなほどに青ざめていた。

 

 

 

 試合は総武校の圧勝に終わった。

 詳しい内容は省くが、試合参加者の半数以上が退場するような試合は史上稀なのではないだろうか。

 尚、退場理由は反則と負傷がほぼ同数である。タックルを喰らって悶絶している硝子山の選手に「チッ、生きてやがる」と吐き捨てていたのが印象的でした、まる。

 

 この試合の審判を引き受けてくださった磯島氏は後に語る。

 

「あれほど非情で凄惨な試合を半年も経たない内に二度も見る羽目になるとは思わなかった」



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