鬼剣の王と戦姫 (無淵玄白)
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外伝
「虚影の幻姫は傷つかない-Ⅰ」(×機巧少女は傷つかない)
やったねオルガ、表紙が貰えるチャンスが増えたよ!
そしてヴァレンティナ及びフィーネ退場の危機が迫りつつある中―――予定通りに7月で終わる作品とのクロスオーバー外伝を投稿してみました。
よろしければご一読どうぞ。
ある晴れた日―――としか言いようがないのだが、まぁその日は特に何事も無い日のはずであった。
起き上がると同時に隣にいた姫君にせがまれて数十分ほどの接吻をしたり、建造中の『砕氷船』に関して滞りがないかを聞きに行ったり、帰りの道中にて現れた盗賊団を壊滅させたりと、人によっては波乱万丈の限りだと言われても仕方ないほどのものだった。
しかしながら、オステローデの食客にして自由騎士リョウ・サカガミにとって、これは日常茶飯事だったはずなのだ。
その日常茶飯事が崩れたのは―――その盗賊団を壊滅させた後に起こったことだった。
「馬車どころか馬もやられるとは―――失態だよ」
「領内に密告者がいるのでしょうね。ここまで周到にやられると……まぁ何人か当たりはついていますが」
自由騎士が嘆くも隣の謀略家の戦姫は『チンコロ』した人間の炙り出しを早速も始めていた。
未来のことは、ともかくとしてここから公宮まで帰るにはどうしたらいいのか迷ってしまう。
「何とも中途半端な距離だな」
御稜威を使っての韋駄天の術もどきでも、ティナの竜技でも、何というか使った技に対しての距離が合わない。
「磔の為の木々も早めにもってこさせませんと、死体を漁りに獣たちがやってきます―――」
言うや否や大鎌を円状に振るって、空間を歪曲させる準備をする虚影の幻姫。片手に大鎌、片手を差し出してきたので、その片手に手を乗せようとした瞬間。
「死ねぇ自由騎士っ!!!」
死んだフリをしていたと思しき盗賊の一人が、その手に隠していた投げナイフをこちらに放っていた。
「リョウッ!!」
完全な不意打ち。迂闊だったと思う間もなく投げナイフを『撃ち落す』形で、『投げ返した』。
その手に持っていた鬼哭を使ってのフルスイングが盗賊の眉間目掛けて撃ちだされて、絶命。
しかし、完全な不意打ちであり一瞬持ち手を掠めたことで手から出血をする。
その血が、『紅の翼』のように飛沫を挙げた―――それが原因だったのかティナの竜技『虚空回廊』が、巨大な圧を発する。
『んなっ!?』
侍と姫君。両者にあるまじき言葉が、出てしまうほどに状況が切迫する。圧は明確な形で強まる。
円状の転移『空間』から閃雷が迸り、何かを捕まえようとする。何かとはもはや―――明確すぎる。
圧力から逃れるべくティナは虚空回廊の停止をしようとして、リョウはクサナギノツルギを使って大地に己の身体を縫い付けようとしたのだが―――。
「ぶぎゃっ!!」
「プラーミャ!! もうタイミング悪すぎです――!!」
虚空回廊の圧が最初に捕まえたのは壊れた馬車の上で飛んでいた幼竜であり、幼竜としても自分達を助けようとしたのだろうが、本当にタイミング悪すぎて―――。
腹にダイブ決められて、圧に捕まった自分が吹き飛ばされて、その途上に居たティナもまた吹き飛ばされて―――虚空回廊は二人と一匹を飲み込んだことで、その空間からは消えた。
後に残るは、盗賊どもの死体ばかりであり……、その二人と一匹の行方を探すべく、少しばかりオステローデの公僕たちは動くことになってしまうのであった。
そして、それを耳にしたルヴ-シュ、ポリーシャ、レグニーツァの戦姫達は『来るべき時が来た』と思って、嫉妬心丸出しで、オステローデに使者を送り出して動向を探ることにするほどだった。
◇ ◆ ◇ ◆
つんつん。何かで突かれるような感覚を覚える。
木の枝か何かで死体かどうかを確認するような動きだな―――己の感覚。五感と六感が告げるものを素直に受け入れつつ、どうしたものかと思う。
呼吸は正常。脈拍も大丈夫。欠損部位なく骨折もない―――己の肉体に関しての『支配』を強める『論理』を叩き込むということは、神流の剣客にとって標準的な作業である。
そうしてから―――起き上がる。
多くの者を眼下に収めるような動きで距離を取ると、そこには―――着崩した着物を羽織った黒髪の15.6歳程度の少女がいた。
黒髪はティナほどに長くその髪に様々なリボンを付けた何ともけったいな恰好ながらも『洒落てる』と思うぐらいには似合っていた。
「すごい動きです! まさか『オートマトン』いえ『バンドール』!?」
「……いまいち意味合いは分からないが、とりあえずオレは正真正銘の人間だよ」
「!?―――お、お兄さん―――そ、そんな『声音』で『ヤヤ』を惑わそうとしてもダメなんですからね! ヤヤのまっさらな体は『ライシン』だけのものなんですー!!」
いまいち要領を得ない会話。思い当たる節があったのかこちらを『規定』しようとした少女は、次の瞬間にはリョウの『声音』に何か思う所があったのか自分抱きをして悶えるようにするそれを見て、そして聞いて―――。
(何か……いろいろ『似ている』……)
ただ一点。違う点と言えば『発育の良さ』であろうか……少女は年齢のことを考えても、少しばかり『不良』であった。
「突然の来訪で申し訳ないが、ここは何処なんだ? 君の着ている服から『ヒノモト』出身者であろうことは分かるんだが」
「ずいぶんと古風なものいいですね。今では『大日本帝国』って言うのが一般的なんですよ」
古風―――その一言でいくつかの可能性が浮かび上がる。問われたことに素直に答える辺り、本質的にはいい子なんだろう。
まぁ死体を突くようにされたのは少し傷ついたが―――。
「ここは大英帝国が誇る機巧都市リヴァプールにあるヴァルプルギス王立機巧学院。多くの『マキナート』の学徒が集まりつつも、各国の思惑なんかが絡み合うドロドロとした代理戦争の場なんです」
「なんてところだよ。つーか、よく覚えているもんだな」
「えへへ、実は雷真の受け売りでしかないんですけど、そしてこの学園の一室は、雷真と夜々の愛の巣なんです!! 口八丁手八丁の砲弾が飛び交う男と女の直接戦争の場なんですよ!!」
何でだろう。それに対して猛烈に『つっこみ』を入れなければいけないというのに、具体的な言葉が出てこない。
照れた後に、勢い込んで言う夜々という少女に対して言ってやりたい言葉が色々とありつつも、それを押し殺して、今まで聞こえてきた単語の中に何か一つでも、思い当たるものがあるかといえば殆ど無かった。
唯一、『リヴァプール』という単語にアスヴァ―ルでは聞き覚えがあったりもしたが、こんな『デカい建物』があるなど聞いたことが無かった。
それらに対して、色々な推測を立てていくと恐ろしい『想像」が出てきた。憶測と当て推量でしかないが―――。もしかしらと思えていたのだが、唐突に夜々という少女は怪訝な顔をして見せた。
「こ、これは雷真の匂い!? しかし、何だか女の匂いがします!! またもや夜々以外の女狐とお楽しみを―――……う、う―――ん?」
「どうしたんだ? いきなり言葉が萎んだぞ」
「何だか……雷真の隣にいる『女性』だろう人物をあれこれ言うのは夜々にもダメージが来そうなのです……何か『己』に対して蹴りを入れてるみたいで痛いです……」
近づいてくるだろう気配。達者な武芸者ながらも、それを『殺している』。有体に言えば武士の癖に「忍び」のような動きをしているとでも言えばいいだろう。
それこそが、この少女の言う雷真なる男だろうと理解出来て、その隣にいる女―――。夜々が言う女狐の匂いが自分にも感じられた。
「夜々、すまないが硝子さんかいろりを呼んできてくれ。こっちの人に――――」
「我が覇王愛人―――♪ ようやく会えましたわ―――♪」
「意味は分かるが、もう少し節度を弁えて!!」
少し薄汚れた感じのドレス。
まぁさっきまで殺劇を繰り広げてきたので当然なのだが、それのままにこちらに素早く抱きついてきたヴァレンティナ・グリンカ・エステスの姿に心底安堵する。
しかしよく見ると、ここが鬱蒼とした森の中だけに賊共の血以外にも、土と木の葉にも塗れており貴人の様相が少しだけ残念になっていた。
心細かったのか自分の胸板に顔を埋めるティナの頭を優しく撫でてあげる。
「なぁ夜々……すっごい羨ましいんだけど……」
「雷真、夜々もいつか硝子に頼んで、改造を受けて巨乳のボインボインになってみせます!! だからそんなに羨ましそうな顔しないでください!!」
そんな自分達を見ていた少年少女の会話が耳に入ってきた。
それを聞きながらもティナが落ち着くまで、撫でていたのだが、状況に変化が起こる。
「ちょっと待って―――!! そっちは危ないわよ!! 生徒達が無造作に施した魔術が何かしか発動しちゃうかもしれないんだから!!」
『シャルよ。どうもあの幼竜は『こちらにおとさんとお母さんがいる』などと言っている。親子の対面を邪魔するのは無粋かと思うぞ』
「黙りなさいシグムント!! あんなマキナートで制御されていない『真正の幻創種』なんて、他の学生が見つけたらすぐに改造とか非道な実験されちゃうんだから! 私が守ってあげないといけないんだから!!」
『君の過保護も、その域にまで来たか。その性向、いつか『恋愛』で損するものだぞ』
「お昼のチキンを『ラッカセイ』にするわよ!!」
変化。どうやら雷真と夜々の二人にはなじみのものらしく、少しだけ苦笑した顔をしている。そして森の向こうから木々を越えて朱い鱗の幼竜が、自分達を見つけて―――自分の頭に乗っかった。
赤い幼竜―――プラーミャの後に、金髪の少女と鈍色の鱗の―――何か『生物』とは思えぬ小竜が少女の肩に乗っていた。
「………何かしらこの状況?」
「よう。何かお互いに色々なことが起こり過ぎているようだな―――だから全員言いたい事は言っておこうぜ。そちらの剣士の兄さんもいいかな?」
「ああ、構わん。君には―――何か親近感を覚える」
女難の相が出すぎていると言われそうな二人そろって苦笑する。
金色の少女の姿を確認した男―――雷真という少年に同意しつつ―――、口を開いた。
『『何が起こっているんだよ?』』
『『何が起こっているんでしょう?』』
「シグムント、私の耳はおかしくなったのかしら? 変態の声が二重に聞こえながら、夜々の声も二重に聞こえたわ……この作品(?)はいつからステレオ配信になったのかしら?」
『シャルよ。君の耳は至って正常だ。そして君が異常だと言うのならば私の耳もまた変になっているはずだ』
雷真とリョウ、夜々とヴァレンティナ。
双方が同時に発した声は見事に同調して唯一の『部外者』であるシャルロット・ブリューを困惑させた。
「まぁとりあえずお互いに状況確認といこうぜ。どう考えても兄さんとミス・エステスは、『この時代』に似つかわしくない『格好』をしているからな」
「雷真、いつの間に名前を聞いたんですか……そこまで、そこの大鎌持ったお姉さんに興味津々の色事万歳マンなんですか!?」
「複合技でオレを貶めてくれるんじゃない! 第一、ヴァレンティナさんはそこの男性に完全にホの字だろうが! オレ勝ち目無いよ!」
「寝取りが趣味……!? まさかオルガと婚約したのもヴェイロンから―――」
「別方向から射撃するな! あの『事件』の顛末はお前も知っているだろうが!?」
わちゃわちゃわいわいしながらも女子二人からの言葉攻めを受けて陥落寸前の『雷真城』に対して―――仕方なく援軍として飛び込んでやることにした。
「悪いな。右も左も分からぬ彼女をここまで連れてきてくれたんだ。雷真君には感謝してるよ。だからあんまり攻めてやってくれないでくれよ」
二人の少女に対して『決めつけ良くない』と言外に含めつつ言ってやると―――効果はあったようですぐに反応してくれた。
「うっ、お兄さん卑怯です。そんな風に言われると夜々が雷真に在らぬ疑いを懸けたみたいで痛いです……」
「その通りだからな!」
「ま、まぁそういうお人よしで優しい所があなたの長所よね」
そうしてリョウの仲裁というほどではないが、話術で二人の少女の『牙』を斬りおとすことが出来た。
それによって、二人は大人しくなりつつあったというのに――――生来の悪戯好きか、それとも他の理由があるのかヴァレンティナが口を開いてきた。
「けれど、こうして私をリョウの元に連れてくれるまでライシン君の視線は私の胸に集中していましたわね。大きい乳が好きなんですの?」
そうして腕で双丘を上げる仕草を取って、いたずらっぽい視線を向けるティナに対して、それを凝視していた雷真はあからさまに呻いた。
その様子が、二人の少女を激昂させる。
最初に怒ったのは夜々と言う少女でありどういう原理なのか本当に怒髪天を衝くと言わんばかりに長い黒髪が上昇していく。
「らーーいーーーしーーーーんんんん!!!!」
「お、落ち着け夜々! 仕方ないだろ! 男ならば、あのるろお氏(?)では殆どありえない片桐雛太氏(?)な巨乳に眼を奪われちまう!! まさしく魔性の女!」
「この変態! 彼氏持ちの女性にまで色目を使うなんて!」
先程のシャルロットと同じく、メメタァなことを言う雷真に、二人の少女の一度は収まった怒気が吹き上がる。そして、ものの見事にまぜっかえしてくれたティナにリョウは半眼を向ける。
「混ぜっ返すなよ」
「他人の人間関係ほど私にとって興味深いものはありませんから♪ それに―――事実ですからね♪」
その言葉に対して『待っている言葉と行動』を察するも、そう簡単に『エサ』をやらない。
別に主導権争いをするわけではないが、こんな少年嫉妬するような小さい男だと思われるのも癪だったからだ。
「そうか」
「嫉妬しないんですの?」
いたずらな視線と探る様な言葉の混ぜ合わせに苦笑し、頭を撫で梳きつつ答える。
「君が美しくて可愛らし過ぎて茶目っ気がありすぎる姫君であることは、俺が一番知っている『秘密』だが、そんな風な巷間の人が知らないティナを皆に知ってもらいたいという俺のワガママがある以上、嫉妬はよほどのことが無い限りは無いよ」
「……ずるいです。そう言われたならば、何も言えないじゃないですか……」
「それ以外にも君の『魅力』を知っている俺だ。表面的なものだけじゃないヴァレンティナ・グリンカ・エステスを俺は『独占』している―――それが嫉妬しない理由だよ」
「リョウ………」
感極まってから、静かに『自由騎士』の胸に、そっと頭を預ける妖精のような少女。その心根にあるもの―――『己』だけのことを考えていた女の子の心に留まれたことを嬉しく思うのだ。
そんなこちらの様子に――――。少年少女は興味津々ながらも少しだけ落ち込んだ様子であった。
「雷真……」
「なんだよ? 言いたい事は何となく分かるけど」
「私、とてもおこちゃまな気分です……」
「奇遇だな。実はオレもそんな気分だ……」
攻めていたはずの夜々と攻められていたはずの雷真であるのだが、こちらの様子に対して少し落ち込んだ気分になったようだ。
本質的にはいい関係なのだろう。似た者同士ともいえるかもしれない。
「お、大人な関係ね……何だか見ているこっちが恥ずかしくなっちゃうわよ……」
「シャルよ。君もいつかはああいった関係になれる伴侶を見つけたまえ。そしてこちらのプラーミャ君のような珠のような子を作るのが摂理というものだよ」
いつの間にか自分達から離れてシグムントなる竜に纏わりついているプラーミャを見て、順応性高すぎる我が子の未来を少しだけ案じる。
というよりも、あんな風に人語を介して同属を解する竜がいるなど、フラムミーティオ……に関してはあれはまた別口である。
可能性の一つがますます現実味を帯びてきた。
「鋭意努力するわよ。それよりもミスター・ブシドー、ミス・フェアリー。申し訳ありませんがご同行願えますか? 実を言うと学園の『結界』を越えた存在がいて―――まぁお二人とプラーミャちゃんのことだと思いますので……」
「なんだ。もう学園側は感知していたのか」
「まぁね―――詳しい話は校舎内で―――どうでしょうか?」
雷真の言葉に、シャルロットなる少女は少しだけ困ったような顔をして、こちらに下駄を預けてきた。
もしも断れば―――鈍色の竜から、『何か』されるだろう。
明確ではないが、そういった『意』と『力』を感じつつも、それに気付かないフリをして気楽に同意しておいた。
「ではエスコートお願いするよレディ」
「はい。こちらへ―――あなたも一応着いてきて」
「言われなくとも―――首を突っ込みまくるつもりだったしな」
「雷真の悪い癖ですよね。そして己がトラブルの中心人物になっている……そして、また一人女狐が近寄るという悪循環……!」
三人の会話を聞きつつ、こいつらいつもこんな調子なのかと何だか親近感を覚えつつ―――先導に従い歩き出したのだが……。
「フェアリー……妖精だなんて、わたしもう二十歳なのに恥ずかしすぎますっ」
「言葉のわりには嬉しそうだねー。まぁ妖精は妖精でも人をかどわかす、
アスヴァ―ルでギネヴィアに教えてもらったこと。「しゃれにならないイタズラ」をする妖精のことを思い出したのだが―――。
「もうリョウってば、かわゆい妻のことはきちんと褒めるべきですよ♪ この照れ屋!」
「この喉元に突きつけられたエザンディスさえなければ、その言葉も普通に受け入れられたんだけどなー」
笑いながら差し出された血のような色をした双葉の刃の煌めきに肝を冷やしつつも、とりあえず自分達よりも少しばかり若いものたちの先導に対する歩みは止めないでおく。
そんな自分達の様子も三人にはばっちり見られていたようで、先程自分が思ったように『いつもの調子』を知られることとなった。
――――そして、今回。このような状況を作り出した元凶は、その様子を見て―――『マズイ連中』が関わったと焦りつつも何とか計画を実行しようと動き出すのであった……。
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第一章「東方剣士来訪」
プロローグⅠ
世界を見てきなさい―――――。
その言葉は、自分を動かすに足りた。己が修めたものが広い世界でどう役に立つのか。それが知りたかった。
武者修行といえばそれまでだ。だが何故今なのだ? 己の主君に問いを放った。
『かつて我が国に多くの「妖」が跳梁跋扈した時がありました。彼らはその姿を人間に変えて世界に溶け込み大なり小なり人間社会を混乱させていました』
『その「妖」と同じ波動を遠き異大陸にて感じるのです。「桃」にも匹敵する波動が幾つも―――。そこにてあなたは運命を自覚しなさい』
『いまよりあなたの役目は私を守ることではありません。世界を――――』
瞬間。言葉が途切れて映っていた景色も違ってしまった。
あの桜舞い散る庭園ではなく無味乾燥な木の室内。一際大きくこの「船」が揺れたことで、夢から覚醒したようだ。
故郷―――この辺りでは「ヤーファ」と称されている場所とはまた違う。寝室。畳もなければ、布団もまた違うそれにも最早慣れてしまった。
望郷の念は無いが、それでもここまで来れば少しの寂寥感もある。「ベッド」という寝台から起き上がると同時に部屋を出て甲板に出る。
多くの水夫達が忙しく動いていたのは、目的地が近くなりつつあったからだ。
陸地が見える。大きな港町だと思い、賑わっているのを見ると先刻まで滞在していたアスヴァールという国の悲哀が分かる。
二人の継承者による継承戦争は、どちらであれ国にとって悲劇をもたらす。唯一といってもいい救いは、平民からのし上りつつある王聖をもったものがいることだ。
彼は自分を誘っていた。遠く異郷の地の剣士の腕は彼の革命の一助にはなっただろう。だがまだだ。酷い話ではあるが自分はまだ世界の全てを見てはいない。
それを見てからでなければ自分は彼の力にはなれない。まだ―――この西方の地における善悪、正邪の区別がついていないのだから。
「珍しいですかな港が?」
「―――そんなことはありませんよキャプテン・マトヴェイ。ただ単におもいがけず遠くまで来たものだと我が身の置き所に思いを馳せていただけです」
「郷里の港に似ていますかな」
「活気という意味では」
逞しい肉体に日に焼けた赤銅色の肌が映えるこの船の最高責任者。
「ヤーファからのお客様にも私の故郷を気に入ってくれてうれしい限りですよ。しかし、ここでお別れかと思うと少しばかり寂しいものですな」
「いずれは帰る時には、あの港からの船を使いますよ。それまでこの船が存命だったらの話ですけど」
「言ってくれますな」
こちらの冗談めいた言葉に挑戦的な笑みを浮かべる船長。話によれば彼はこれから行く港町の領主―――のような人間の部下でもあり、騎士階級にも当たる人物だと。
奇特な客。遥か遠い地からの剣士に彼なりに探りを入れてきたのだろう。その領主に牙を向く存在なのではないだろうかと、しかしどうにも違う空気である。
素性明かしはその意図だったろうが、こうしてやってきたのは違う目的のはず。
「しかしそれが現実のものになるかもしれませんな」
「どういうことです?」
「アスヴァールでの戦乱がこの地にも飛び火しているのです。つまり海賊です」
「港が襲われているのか」
それは隣国の影響もあったが、何より海運都市ならではの問題でもあった。だからこそ問題は即座に解決しなければならない。
「海賊どものねぐらがどこにあるのか分かっているのか?」
「いいえ、ただ近いうちにリプナなどのレグニーツァの各港町が襲われるだろうことは分かるのです」
「夏だからな―――どんな生活をしているかは知らないが、何かしら必要物資があるんだろう」
陰鬱な顔をしているマトヴェイ。それを見て何気なく理解した。せめて海賊討伐の間までは彼の国であるレグニーツァ。もしくはジスタートに居てほしいということなのだろう。
「―――傭兵部隊の選抜は?」
「! 近いうちに行われます。それでは引き受けてくれるのですか?」
「まぁ海賊討伐はタラード卿の助けにもなるでしょうし、何より路銀も稼がなければいけない」
自分の武勇がこの海の男に知れ渡っているのは今更だ。何より海賊を許しておけるほど自分も寛容ではない。手に携えた黒塗りの鞘に収められた剣。
その剣を振るう理由は、穏やかな日々を送る人々を脅かす存在を斬るためにある。
(剣は凶器。剣術は殺人術。されどその魂までも狂気に侵されてはならず、己の行いに高潔を求めよ)
あの賑やかな街から悲鳴をあげさせるような輩は許してはおけない。
・
・
・
船から下りる際に、再会をマトヴェイと誓い合う。自分のような小僧とも対等に話してくれた船長。
感慨を少しだけ残してそうしてジスタートの公国の一つレグニーツァへとヤーファの剣士は降り立った。
公宮はこことは別にあるそうだが、詳しいことはよく知らない。よく知らない国によく知らないまま降り立ち曇りなき眼で真実を見据える。
剣の奥義にも通じるそれを実践して街道を歩いていこうとした時に、一人の女性に声を掛けられた。
「こんにちは」
目の前に突如現れた。―――そうとしか思えないぐらいに気配は突然放たれた。周りの人間は誰もいぶかしんではいないが、自分だけは分かる。
この女性は―――いきなりこの街に現れたのだ。
「こんにちは、何か御用ですか?」
「用事といえば用事です。女性が男性に声を掛けるからには色々と考えられると思いませんか?」
「格好だけ見れば真昼間から客引きをする娼婦にしか見えない」
「不敬罪で死にたいのですか?」
もうしわけない。と謝りながらも彼女の格好はいわゆる普段着というやつではない。いくら異国からやってきたとはいえ、こんな格好しているのがただの平民とは思えない。
様々な色の薔薇の模様を縫い込まれた純白のドレスは、街道を歩けば数刻で裾がぼろぼろになることは間違いない。
青みがかった長い黒髪といい、どこかの貴人だろう。だがどこかの貴人が持つには不釣合いすぎるものが彼女の手にある。
(
心中で言ってから、何者という感覚が拭えない。
「まぁ許してあげましょう。そしてこちらも非礼を詫びましょう。私はこのジスタートにて商会の一つを代表していますヴァレンティナです。その腰に携えている剣は東方国家ヤーファの「カタナ」とお見受けしますが如何?」
「良く気づきましたね。その通りですよ。しかし……商人のあなたに何か利益を出せるようなものを私は持っていないのですが」
畏まった対応にこちらも少し畏まった対応を余儀なくされる。
「ご心配なく。情報一つ、風習一つ、技術一つからも金銭を作り出すのが私達のポリシーですので、ご安心を―――、立ち話も何ですから適当な店に入りませんか? もちろんお金は気にせず」
裏を感じさせない笑顔でいて、本当は裏を感じてしまう笑顔。無論、商人というのはそういうものといえばそれまでなのだが、どうしたものかと思う。
「ではお言葉に甘えさせていただきますヴァレンティナさん」
「承知しました―――と言いたいところですけど、私はあなたの名前を教えられていません」
・
・
・
「――――
彼の字はジスタートにおける神聖生物と同じであり、その時より王位を目指す少女は、かの国にて神聖視されている竜と同じ字を持つ剣士と出会ったのだ。
入った店は猥雑な港町に違わず様々な人間が飲み食いをしていた。多くは船乗りなのだが中には帯剣した傭兵らしきものもいれば、ヴァレンティナと同じく商人らしきものもいる。
だが、それにしても彼女は目立っていた。その姿があまりにもこの店に不釣合いなのもさることながら、その美貌に誰もが息を呑んでしまうから。ついでにその手に持つ大鎌にも息を呑む。
しかし誰も声を掛けようとしない。ヴァレンティナに伴われてやってきた黒尽くめの剣士。その手にある剣はこの辺りでは見かけぬものであり、容姿もザクスタン人ともムオジネル人とも違うからだ。
ヴァレンティナよりもはっきりした黒髪に、この辺りの人間とは少し肌の色も違っていた。
「何だか視線が痛いですね。きっとこれはリョウのせいですね。ヤーファ人は珍しいですからね」
「それだけじゃないと思うけど……とあの辺りが座れそうか」
空いてる席とテーブルを見つけて、そこに腰掛けるとウエイトレスが注文を取りに来た。給仕服の女性の声が少し震えているのを少し不憫に思いながらも、注文を言っていく。
「君のその大鎌どうにかならないのか?」
「帯剣する男や女がいても何も言われないのに、なぜ大鎌を持つ女が警戒されるのでしょうか。差別です」
抜き身の状態が良くないのだということを告げてもこれに合うだけの長布も無い。頬に手を当てながら困った風に言うヴァレンティナには水掛にしかならないだろう。
ほどなくしてまずは麦酒と果実酒が陶杯に入れられテーブルに置かれる。
「では私達の出会いを祝して乾杯」
「乾杯」
打ち合わせると同時に、中身を飲んでいく。数年間の内に西方大陸の味に舌も慣れたが今日は何かと故郷のことを思い出してしまうので、酒の味もこんなものではなかったなと考える。
「美味しくありませんでしたか?」
「いや、故郷の穀物酒を思い出してしまっただけだ。これはこれで美味しいからな」
「穀物酒……麦酒とは違うのですか?」
「郷里にて取れる米という主食を発酵させて作る酒でね。まぁ麦酒ともまた違う製法で澄んだ水のような色をしている」
「それは興味深いです。いずれ武装商船をヤーファに向ける際にはかならず仕入れさせてもらいましょう」
果実酒をこくこくと飲んでいく彼女を見ながら、何気なく彼女の正体は、商人ではないのではないかと思ってしまう。
先程の言葉は一種の探りでもあった。アスヴァールにてヤーファの噂を探ったが、せいぜいが竹が弓の素材として最高という程度。
本当の商人であれば、それ以外の特産物にも興味を示すはず。無論彼女の商会が取り扱う商品の性質にもよるだろうが
「ヴァレンティナさん『さんはいりません。呼び捨て、もしくはティナ、ティーナとでも呼んで下さい』―――ならヴァレンティナ。ジスタートの歴史について教えてくれないか?」
「歴史というと……どういったことを? 隣国との征服被征服とかいう話ですか?」
首を振り、自分が聞きたいのはそういうことではないと言う。
「英雄アルトリウスと円卓の騎士―――それに準じた建国神話というやつだ」
「……実を言うと私、その話一番好きなんですよね。本当に好きなのはゼフィーリア女王の話なんですけど、アスヴァールの神話は私の人生の指標です」
「いずれは君も女帝とか覇王とか呼ばれたいのか?」
「卑猥な想像は厳禁ですよ」
今の言葉のどこに卑猥な想像があったのかは分からぬが、これ以上藪をつついて蛇を出すのもあれなのでヴァレンティナからジスタートの建国神話を聞くことにする。
約三百年前―――ジスタートの地には五十以上の部族が存在していてこの部族は、土地の問題や食糧の問題で争い続けていた。
増えすぎた人口を養うための戦いは結局のところ収まらずに百年続いた。
百年の間に戦いの結果として部族は三十ほどにまで減ったところこの地に一人の男がやってきた。男は自らを「黒竜の化身」と称して自分を王と戴くのならば、その部族を勝たせると約束した。
その言葉に応えたのは七つの部族であり、その七つの部族は忠誠の証として美しくかつ武芸に長けた娘を男の妻として差し出した。
七人の妻たちに男は「竜具」という力ある武器を与えて彼女らに一つの称号を与えた。
「
「嘘か真か、
建国神話の最後に、この男は本当に竜なのではないかという意味で燭台の炎によって作られた影に映るは竜のそれに見えたとして締めくくられている。
「竜が建国した王国か……」
姫君に言われたことの通りならば、この戦姫とか竜の化身とやらこそが妖なのではないかと思ってしまう。かつてヤーファ―――いや『
一人の『英雄』と巫女の少女によって退けられたそれを連想してしまう。
連想してしまうが、結局のところ建国神話でしかない。第一、その妖どもは人間を殺戮したが、ヴァレンティナの語る黒竜の化身はまがりなりにも人間に協力している。
「それにしても……港町だからか魚が美味しいです。ほらリョウも食べないと冷めてしまいますよ」
「ああ、旨いな……アスヴァールの料理はなんと言うか大味すぎたが、この料理はそうじゃないな」
遠い眼をして思索していた時に、目の前の彼女に急かされる形で食事に没頭する。平目のムニエルは柔らかくて舌の上で蕩けていく。味の方も繊細なものであり手を凝らしている。
だが、それはどこか話しを逸らすような動きに思われたが、とりあえず彼女も食事を楽しんでいるようなので、自分もそれに倣う。
(戦姫ね……)
器用に宮廷式のテーブルマナーでムニエルを食べ終えてからロブスター煮を食べる彼女の顔と後ろの壁に立て掛けられてある
ちなみにリョウが次にヴァレンティナに聞こうとしたのは、その竜具なる武器の「形状」はどんなものなのかということだった。
・
・
・
「そうか、では良い旅だったようだねマトヴェイ」
「ええ。大王イカを仕留めた時などみんなして『これを戦姫様に献上して報奨金で俺たちの船を改修しよう』などと息巻いたくらいです」
「大王イカか……大きい魚は大味じゃないかなぁ。まぁマストを新調するぐらいの金子は融通しようかな」
「これは手厳しい。いえ、恩情ですかな」
リプナに帰還したマトヴェイは所用を済まし、リプナの責任者である『市長』ドミトリーに取り次ぐと同時に戦姫アレクサンドラ=アルシャーヴィンとの謁見を頼み込んだ。
『お前が帰る報は受けていたから既に伝えてある。アレクサンドラ様の下に急いで出仕しろ』
旧知の港町の長の言葉を受けると同時にリョウ達よりも先に馬を飛ばしてレグニーツァの公宮へと出仕した。
そして寝台の上で上半身のみを起こした女性の様子が船出する前に会った時よりも細くなったと思えた。
それも本当に不味いものを感じるほどに、マトヴェイは死神が彼女に迫っているように思えた。
ゆえにこれまで彼女の気持ちを晴れやかにする話をしてきた。そして戦姫に生きる希望を与えるためにも『彼』の話をする。
「良い旅には良い友も出来るものでして、今回リプナの街に珍しい客人を降ろしたのです」
「客人?」
「遠く東方の地よりやってきた剣士です―――」
「ヤーファの剣士―――侍とか武士とか呼ばれているものか。彼の目的は?」
先ほどとは違い、少しばかり乗ってきた彼女に詳しく話すことにする。
「恥ずかしながらそれに関しては口が堅く知ることは出来ませんでした。ただ彼は武芸と知勇に秀でアスヴァールの戦乱に一時の平穏をもたらしました。そして彼は今回の海賊討伐にも協力してくれると確約してくれました」
「そうか……ならば、僕は前線に出なくてもいいかもしれない。恥ずかしながら最近、更に身体が重くなってきた」
「その病を治す手助けが出来るかもしれません。彼―――リョウ・サカガミの力を使えば」
マトヴェイは、レグニーツァに帰るまでに起こった出来事の中で本当の窮地を話した。今までの楽しい話とは違うものを。
船が難破しかけ生水がなく原因不明の喀血を起こす船員も出る中、ヤーファからの客人は薬を処方し、海水から生水を精製し、喀血を起こす船員に対しての処置も完璧であった。
「リョウ・サカガミはこう言っていました「ジャガイモやキャベツに含まれるある成分が症状を緩和すると」無論、だからといってアレクサンドラ様の病を治すことにつながるとは限りませんが」
「………分かった。報告ありがとうマトヴェイ。下がっていいよ」
自分の言葉は届かず。話を打ち切られる。自分の病が治ることを期待する戦姫の姿は無く、どこか虚無感を感じさせる女の姿があった。
老いた従僕と共に公宮の外への道を歩く。歩きながらアレクサンドラのあの様子はいつからなのだと聞く。
「つい最近じゃな。自らの体は自らが知っているからだろう……侍医には伏せさせてあるが、察しているのだろう」
「しかし、あれでは!」
「戦姫様の本当の意味での病とは―――気の病。絶望とも言える。例え、残り少ない命であっても気を強く持ち生きようとする意思のものは長く生きる。逆に明日にも死ぬことを恐れているようでは、長く生きることはあるまい」
従僕の言葉は重く、そして真実を突いていた。彼女自身が本当に死にたがっているわけではない。それはこちらの話を聞いていた時の態度で分かる。
しかし話が病のことになると彼女は、どこか虚無を顔に出す。生への希望―――。それが無くなる。
「そう言えば、アレクサンドラ様はレグニーツァに封ぜられてから何も欲を出しておりませんな。一つでも何か要求はなかったのですか?」
欲望こそがある意味では人間の生きるための希望だ。戦姫であってもそれが無いわけではないはず。一縷の望みを託して老従僕に問いかける。
「非道な領主のように贅を凝らした何かというものをあの方は好まれぬ。この公宮を見れば分かるとおりにな。食事も聞けば子供の頃から豪勢なものは好かなかったそうだしの……ああ、そういえば侍女長がこんなことを言っていた」
老従僕の思い出した話は彼女の世話役である侍女長からの話であった。
女同士の内緒話だからなのかその時のアレクサンドラはいつもとは違う面持ちで、目を輝かせて子供がどれぐらい可愛いのかを聞いてきた、と。
この公宮に勤めている侍女の中でも侍女長は古株であり、結婚をし子供を儲けてもいる。その子供を育てていくということの難しさなど、その難しさを超えた先にある幸福を教えてくれと言っていた。
「つまりは……戦姫様は、なんといいましょうか……その……」
「そんな歯に物が挟まっているような言い方をするな。失礼だぞマトヴェイ。つまりはアレクサンドラ様は「恋をして好いた男性との間に子供を作りたい」そういうことに終着する」
改めて言われると、なんと言うか乙女な欲である。つまりは酷な話だが順番が逆でなければならない。
アレクサンドラを夢中にさせるほどの異性が現れ、その異性との未来のためならば己の命を延ばさなければと努力をする。
「お前が連れてきた客人というのはどんな若者だ?」
「とりあえず娼館のご婦人方からは人気でしたな」
果たして戦姫アレクサンドラの御眼鏡に適う相手かどうか―――。それだけが気がかりであった。
食事を終えてヴァレンティナと共に食堂を出ると同時に、この後にどうしたものかと思う。
「レグニーツァの公宮へと赴くのでは?」
「確かにそうだが……君も来るのか?」
「無論、リョウから十分な報酬も頂いておりませんし、何よりこのままでは私の気がすみません」
ヴァレンティナの言葉に少し考える。確かに彼女には世話になったし、彼女の望むことつまり商談の類に協力するのも吝かではない。
だがこれ以上。彼女に深入りするのは危険な気がする。可憐な容姿に、貴人のような所作。それらが―――まさに自然な「擬態」であると認識出来るほどに、ヴァレンティナからは危険な香りがする。
自分の嗅覚が、何かを告げている。だが―――それでも彼女の人格が最悪なものではない。海千山千の狐狸の類だろうが、それはこちらが胸襟を開いていないからだ。
(仕方ない……)
「ティナ。馬に乗る前に少し寄るべき所がある」
「? どこですか?」
本当に怪訝に思った彼女の表情は、擬態でも何でもない素のものだろう。だからこそ―――その表情を留めておきたかった。
「―――で、これがリョウの目的なのですか……まぁ悪くないとは思いますけど」
そこまで気にするものか? と言ってきた彼女には構わず話を続ける。
「君が気に入ったのを買ってくれ。金は出すよ」
「路銀が心許ないのでは」
「服ぐらいは軽いものだ」
流れの旅暮らしなどをやっていると路銀が心許ないの本当の意味というのは、つまりは宿に連泊するだけの資金が無いということだ。
無論、野宿という手もあるが……役人に一度通報されて拘束されかけたことから出来ることならば街の宿に泊まるようにしていった。
そして自分がティナのために寄った場所というのは言うなれば衣料屋―――つまり服飾店であった。
彼女の着ていた服というのは控えめに言ってもこれからレグニーツァまで行くには相応しくない格好である。
何よりこんなに立派な服を塵芥まみれにしてしまうというのはよろしくない。
現在ヴァレンティナの着ている服は、短いズボンに靴擦れを起こさない丈夫なブーツ。最大の特徴はやはり上に着こまれたシャツなのだが―――
「市井の町娘でもこんな風にお洒落を楽しむものなのですね。少しばかり新鮮です」
シャツ自体は簡素なものだ。白さだけがそれの特徴なのだが―――上衣として薔薇の模様が縁どられた赤色のベストを着こむ。
(美人は何を着ても似合うって本当かも……)
清楚な貴人が一瞬にして、街から街へと旅立つ女の旅人のそれに代わり、見様によっては女盗賊にも見える。
「似合っていますか?」
「ああ、色んな意味で美人の定義を更新させられたよ」
くるりと一度回ってこちらに見せつけてきたヴァレンティナに対してそう言う。何の世辞も含まれていないその言葉に、ヴァレンティナはきょとんとした顔を見せてくる。
「どうした?」
「……そこまで真っ直ぐに言われると正直、恥ずかしいですよ」
「社交界なんかで言われなれていそうだけど君の場合は」
彼女という華の美しさに吸い寄せられる男は多いと思うのだが彼女は頬を紅潮させている。
迂闊な言葉だったかと自戒しつつも、彼女と―――自分はこの後に―――。
(刃を向け合う。場合によっては―――)
そういう予感を感じながらも、今だけはこの異国に咲き誇る可憐な華との一時を楽しんでいたい。
・
・
・
「では、やはり海賊共はやってくるのですね」
「はい戦姫様。夏の季節ともなれば、やつらも備えをしなければなりませぬ」
夏という季節は様々な意味で消費が多くなる。特に日中の温度次第では様々なものが腐敗しやすい。
それにつけても衣料、食糧、酒など船上で暮らすにしても多大なものが必要となる。無論、海賊共にとっての寄港地がどこかにあるというのは分かっているのだが、それが分かればこちらから仕掛けてやったというのに。
ままならない世の中だ。自分が貴族の落胤として生れて、その父親の処罰を一番委ねたくなかった相手に殺されたことも含めて。
戦姫エリザヴェータ=フォミナにとって、この世界は自分を祝福していないのではないかと疑ってしまいかねない。
力を手に入れれば全てが変わると思っていた子供の頃から―――何が変わったわけではない。
従うべき部下も出来て責任も増えた。その分、不自由さからは解放されたかもしれないが……。真なる意味での自由を自分は手にしていない。
部下たちの報告を聞きながらレグニーツァのサーシャはどう動くのかを聞く。
「アレクサンドラ様もまた戦力拡充をするために傭兵を雇いだしているようです。そこで少しお耳に入れたいことが……」
「何か問題でも?」
間諜を仕切る部署の担当官の報告に凶報とも吉報とも取れる情報が挟まれた。
それは隣国アスヴァ―ルにおいて、有意の行動によって戦争を一時的に止めた男。その者―――遠く東方の地よりやってきた剣士とのこと。
ヤーファの剣士。リプナの街に降り立った。と
「―――サーシャの軍列に加わると思いますか?」
「恐らくは、傭兵というのは戦の匂いを感じると集まりますので」
考えてみれば「あの女」もそうだった。無論、彼女の意向で自分の村に来たわけではないだろうが。
あの頃の彼女と自分は立場も身分も違っていた。
「何を目的でジスタートまでやってきたのやら……一応、ヴィクトール陛下にも報告を入れておきなさい」
「承知しました」
担当官がいなくなると同時に窓の向こうに広がる自分の領地を見渡す。自然と気鬱が生じる。
(自分にこの領地を統治する資格があるのか?)
それは昔から思っていたことだ。自分は為政者としては些か「情」に向く部分が多い。
疫病が発生した時に、自分は多くの人を救う方法がほしかった。本当は隔離政策など取りたくなかった。
だがその疫病は性質の悪いことに、多くの人に伝染していった。
天秤の傾きで深い方を救うのが、正しい領主の務めだ。だが自分は少ない方を切り捨てるなどということを認めたくない。
他ならぬ自分がその少数の中に含まれていた時があったからこそそんな事はしたくなかった。
大勢であるということで少数の存在を無視する―――。自然と自分の瞳を手で覆う。これが自分の為政者として向かない原因だ。
「それでも私は負けない。本当の意味で真なる領主になってみせる―――そして」
紅玉の剣士―――エレンをあらゆる面で上回るものになることで、自分を確固たるものにする。
そういう決意で彼女は今回の戦いにおいて容赦をしないことにした。海賊共に戦姫という存在に手を出せばどうなるかを完全に思い知らせる。
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プロローグⅡ
夕焼けが落ちつつある。夏の季節は日が暮れるのが遅いのが、この世界の共通認識だ。
そんな遅い夜の帳が、平原を覆いつつある。整備された街道と闇との境が見えなくなる前に本来ならば宿場町まで行くのが普通だが……少しばかり馬を走らせるペースを落とした。
「どうかしましたか?」
「後ろから五人―――騎兵がやってきている。着けている鎧の割には馬の速度が速いな」
「……それでどうしますの?」
「君から言ってやってくれないかな。俺には特に害意は無いとね―――君の『部下』にだ」
瞬間。彼女は持っていた鎌を振るってこちらを落馬させようとしてきた。馬の毛が何本か夜風に攫われるも馬も無事。そしてリョウ自身も空中に「飛び上がり」斬撃から逃れていた。
馬に跨ると同時に頭を翻させて後ろにいるヴァレンティナに向かう。竜の爪のようなその鎌を馬の上に立ちながら振るっていたようであり、その不安定な足場を崩そうと取り出した短刀を足に投げつけるが、刃の向かった先に彼女の足は無く、主を失った馬が一頭であった。
そうして五人の騎兵の叫び「ヴァレンティナ様!!」「戦姫様!!」が近くに聞こえ。その騎兵の後ろに彼女が現れた。
「なんというか今更だな」
「いつから……気づいていましたか?」
主語が要らない会話がどこか訳ありの男女のようにも感じられるが、そんないいものではない。
「最初からだ。出会った時からお前の気配がいきなり現れたんだ。何かしらの妖術を使ったと思ったりするのが当然じゃないか」
自慢ではないがリョウは、気配とかそういったものには敏感なのだ。特に自分に何かしらの接触を果たそうとするものに対してはその五尺前から何気なく分かる。
戦場で培われた気配探知とでもいえばいいものを街中でも行っていた。
「お前は―――ジスタートの七戦姫の内の一人だな」
確信を持って言い放った言葉は彼女には予定調和程度でしかないようだ。
「では改めて自己紹介させていただきますわ。黒龍の王国が誇る公国の一つオステローデを治めております。ヴァレンティナ・グリンカ・エステス―――口さがないものには
騎兵を二つに割る形で彼女が前に出てきた。そして本当の自己紹介を行われる。笑う彼女はそれが面白い冗談であるかのように言ってくる。
冗談ではない思いはこちらのみであり、鞘込めの得物をいつでも引き抜ける位置に足を動かしつつ、間合いを測る。
騎兵の得物は突撃槍ではなく剣だ。つまりは。
(すれ違いざまの斬撃がこちらを襲う!!!)
ヴァレンティナは指を弾き、騎兵たちに突撃を命じた。気配は感じていた。ゆえに騎兵の突撃に合わせてこちらも飛び出した。
後退をするならともかく前進をするなど馬鹿かという目をする。だがこちらも「魔剣」を晒す。正確には見えないだろうが、それでもリョウは己の魔剣でもって、騎兵を無力化した。
右に左にと五人の騎兵とすれ違ったと同時に、走り抜けてから数秒後に落馬をした。悲鳴が後ろで聞こえる。
甲高い音が響く。己の刃を鞘に納めた際に鳴る音。
そして――――鎧が地面に叩き付けられる音だ。
「一瞬にして馬の手綱と鎧を斬った……!? オルミュッツ製の鎧は軽いけれど決して、脆弱なものではないはず!」
「確かに軽くて、かつ斬打射突の攻撃の全てにおいて耐久ある鎧だった。けれど決して万能じゃあない」
万物には破断を宿命づけられた部分がある。そこに刃を入れる。リョウからすれば剣の極意とはその作業でしかない。
ティナの驚愕には悪いが、相手が悪かったとしかいいようがないのが現実だ。
「どうやら一筋縄ではいきませんわね。その力―――危険でありながらも全容を知りたく思います!!」
「なんでこうなるのかね!! 俺は争いたいわけじゃないんだ!!」
腰を落として飛び掛かると同時に体全体を回して、鎌を斬りつけてくるティナの技量と膂力は、こちらの予想を上回っていた。
クレッセントエッジと鞘込めの刀がぶつかり合う。火花が一瞬弾け、夜の帳を明るくする。
そのまま連撃の形でティナは腰を回す容量で何度も鎌を振り回してくる。
(左右の連撃。誘われてるな)
大振りの攻撃の連続は、明らかに何かを狙っている。左右のリズムの攻防に慣れたところで―――
鎌の軌道が変化する。それは同じく右からの回転攻撃からであったが、軌道が上に伸びた。掬い上げるかのような攻撃がリョウの体を後ろに押し流す。
追撃するかのように、振りおろしの一撃が加えられる。受ければ剣は砕け自分の体も壊されかねない。
そうして彼女の一撃を待ち構えた。一刹那にも満たない時間の間に、リョウは体を後ろに向けた。構えはそのまま。
死を振り下ろす女の前からの愚かな行為の結果は、再び起こる金属音で驚愕へと変わる。
(予測していた!? そんなことありえますの!?)
ヴァレンティナの心は表情と同じく驚きでしかなかった。
竜具の一つ「エザンディス」の能力―――空間転移は、まさにこの手の奇襲攻撃に使われる。
他の戦姫達には、長距離の跳躍しか出来ないように思わせているがヴァレンティナの集中力次第では、1チェートにも満たない距離での微細なことも出来る。
且つ「そのままの状態」でだ。攻撃状態のままに転移をすれば、まさに最強の奇襲攻撃が出来る。先ほどのリョウへの攻撃などはその最たるものであり、これで幾人もの不逞の輩を屠ってきた。
「首に回っていれば別だったよ」
「その武芸、惜しいですが……ただの剣で
鞘を鍔競りから置き去りする形で刀を抜くと同時に、ヴァレンティナから離れる。瞬間―――鞘が木端に砕け散った。
判断を誤れば、こちらの得物が無くなるところであった。刀を構えなおして、ヴァレンティナの動きを窺う。
「それがヤーファの武具、カタナですか」
ヴァレンティナは、その魔剣こそが鉄を斬った正体だと思っていた。
銀色の剣は月光を受けて怪しく光る。だが超常の武具である竜具のまえでは、それはただの「鋭い鉄剣」でしかない。
ヴァレンティナは、その剣を砕くことでリョウの意気を削ぐことを考えた。殺すつもりはない。
ただ単にサーシャの所に行く前に自分の懐に引き込みたいのだ。
いままでとは段違いの動きでヴァレンティナはエザンディスを振るう。豪風のごとき連撃。縦横無尽とでもいえばいい連撃に、リョウはその豪風の中に飛び込んだ。
(後ろではなく前進、死ぬ気なの)
しかしヴァレンティナの心中とは別に、リョウは既に一つのことに没頭していた。
剣が何かを斬れるのは、「何か」の中に刃を入れる始点があるからだ。始点があれば終点もある。起こった事象・事物に際限が無いことはない。
竜具がヤーファでいうところの神宝の類であることは分かっていた。破邪を司る神々の武具と出自を同じくするものだ。
ならばその竜具には「何か」を挟む隙は無い。あれは「砕けない」。入れるべきはヴァレンティナの斬撃の「軌跡」に対してだ。
振るう剣と剣がぶつかりあおうというその一瞬に太刀筋の変化を促す。
竜の爪にも似た三日月の刃が刀と触れ合うまえに身を低くしてリョウは逃れながら剣を振るう。長柄を握りしめている両の手。
その甲に刃を走らせた。一瞬のことでありヴァレンティナには何が起こったのかわかるまい。
だが甲から迸った血が、握力を失わせて長柄を離させることになった。ありえないと思うヴァレンティナではあったが、それが結果だ。
回転しながら草原に突き立つ竜の爪。そうして呆然として手の出血を見ているヴァレンティナの喉に刀を突きつける。
「私の……負けですね。まさか超常の力を持つ
「俺が勝てたともいえないな。最初から手加減されていたんだから」
「本気でしたよ?」
「君が本当の本気で俺を殺しにかかれば一瞬だっただろう」
引いただけで首を落とせる位置に転移していれば、自分は確実に負けていた。首と刃の間に刀を差しこんだとしても、恐らくやられていた。
この「刀」では―――――。
ヴァレンティナの部下が遠巻きにこちらを睨みつけている。大事な姫君を傷つけてしまったのだ。たいそう恨まれているだろう。
喉から刀を引いて地面に突き立てる。
武器を離してから俯いている彼女に近づく。敵意が無いのを示したのだが、やはり彼らからの敵意は止まない。
血を出している甲に手を当て言霊を呟く。
「其は祖にして素にして礎―――」
その言葉はヴァレンティナには完全に異国の言葉でありはっきりとした意味は分からなかった。だが何かを請い願うような響きはあった。
自分たちが信仰している女神や戦神、軍神のようにそういう高次の存在に何かを訴えるかのような文句に聞こえてきたのだ。
「え」
リョウの手から放たれる緑色の光がヴァレンティナの手に着けられた傷を癒す。完全に出血が止まり、傷が塞がった。
「リョウ……あなた呪術師だったの?」
「俺の国ではこれを呪術とは言わないが、まぁ似たようなものだ」
『ミイツ』と言う。と前置きしたリョウは、視線でヴァレンティナに要求をする。
「武器を納めなさい。この人にもはや敵意はありません。これ以上の敵対は私の名誉を汚すものだと知りなさい」
◆ ◇ ◆ ◇
「つまり君は、アスヴァ―ルにて自分の情報屋から俺がここに来るのを知って待ち伏せしたというのか…」
「本当はもう少し偶然を装った出会いにしたかったのですけれど、あなたがリプナの方に行くから計画が狂ってしまいましたのよ」
唇を尖らせて髪を掻き上げるティナには悪いがプシェプスの港行きの船に乗ろうとした際にマトヴェイに誘われてしまったのだ。
彼にはアスヴァールに滞在中にいろいろと迷惑を掛けてしまったので、最後ぐらいは彼に迷惑を掛けずにジスタートに渡ろうとしたところで、呼び止められた。
そういうことだ―――。
夜道において馬をゆっくり走らせながら、ヴァレンティナの愚痴と本当の所を聞くことにした。部下の騎兵達は後ろで従容とついてきている。
彼らの心境がいかなるものかは察しようがないが、まぁとりあえず今はこの令嬢にして姫君の相手をすることに。
「私が何故、あなたと出会いたかったのか分かりますか?」
「君はいずれこの国の最高権力者になろうとしているんだな。恐らく女王になろうとしている」
「まさしくその通り―――。そのためにも私は力を欲した。リョウ、あなたが私の腹心になってくれるのならばそれは大変に魅力的なものだったのだけれど」
「国捕りなんてたいそうなものに使える人材かね俺は」
嘆きを呟きながら、アスヴァールでも似たような勧誘を受けたときのことを思い出す。
タラードにも「自分はいずれこの国の王になる。力を貸せ」などと言われたのだが、御免こうむるとしてここまで来たのだ。
「その剣の技量、惜しいですわ。そして『ミイツ』という神秘の力、ゼフィーリア女王の側仕えであった『魔法使い』のように、私の下に居てほしい」
「ちなみに聞くが、その場合俺の待遇はどんなものなんだ?」
「我が領地の見目麗しき娘達を集めたリョウ専用の
「そんなものは要らないよ」「もちろん正妃であり女王は私。あなたには大公の地位ですけど」
微笑みを浮かべながら言う彼女には悪いが、自分はこの地であることを成さなければならないのだ。
「本当に要らないのですか?」
「……そういう聞き方はずるいな。というか近い近い。そして上目使いはやめてくれ」
馬をとにかく近づけてこちらを下から見てくるティナに流石に色々と不味いと思っていたが、以外にもティナはすぐに離れて胸を撫で下ろした。
いったい彼女は何に安心したのだろうか。
「よかったわ。リョウは男色家というわけではないのですね。本当に安心しましたわ」
「おい、そこな大鎌女。言っていいことと悪いことがあるぞ」
「冗談ですわ。まぁもしもそうならば後ろの騎兵達をあてがうところです」
びくっ!と震えた気配がして少しばかり申し訳なくなる。そして自分は衆道の道は無いんで安心してくれ。
という思いでいたらば、やっとのことでこのレグニーツァに到着する。
「ここに戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィンがいるのか」
「なんでそんな感慨深そうに言うんですか?」
「君のような美人だったら本当に困ってしまいそうだからさ」
「むぅ……」
先ほど、からかわれたことに対する意趣返しをしたのだが、頬を膨らませる彼女を見て言い過ぎかと自戒する。
しかし反応から察するにここの戦姫も見目麗しき美女のようだ。せめて一人ぐらいは筋肉ムキムキの醜女とまではいかずとも、武芸者な女性の戦姫はいないものかと思う。
ヴァレンティナの筋肉の付き方はどう考えても、そういう修羅戦場を駆け回るようなものには見えない。
恐らく彼女に戦う力を、本当の意味で与えているのは竜具という神宝の類なのだろう。
「ではあなた達は一足先にオステローデに戻っていなさい。私はとりあえずまだこの剣士殿と一緒におりますので」
「しかし戦姫様。サカガミ殿を全面的に信用するには―――」
「失礼な口を閉じなさい。私はこの剣士によって命を繋いでいるのです。そして何よりまだ恩を返せてはいません。私に恩知らずの領主という汚名を被せたいのですかあなたは」
ぴしゃりと騎兵隊長の言葉を閉じさせて反論を許さないティナ。
別にそこまで気にしなくてもいいと思うのだが、ティナはどうやら自分にまだ付いて回るらしい。ジスタートの世情に明るくない自分としては彼女の同行は有難いが、彼女には治めるべき領地があるのだ。
そこに帰らなくていいのだろうか。
「……承知しました。しかしながら戦姫様。男というのは狼なのです。寝所を一緒にすることはなりませんぞ。あなたはジスタート王族にも連なる
「はいはい。その辺はご心配なく」
微笑みながら、騎兵隊長の言葉を受け取ったティナ。新たな馬に変えて彼らが公国へと向かっていく姿を見送った。
そうして街の中に入ると同時に宿の部屋を取ることになったのだが――――――
「なんで君がここにいるんだ?」
「きっとエザンディスが気を利かせてくれたんですね。今夜が勝負だと」
何の勝負だ。という思いを発しながら自分が取った部屋のベッドに腰掛けるティナに話しかける。
一応、自分たちは二部屋取ったはず。やむを得ず自分が角部屋。代わりにティナはそれなりに良い中部屋をということだったはずだが。
それぞれの部屋に入り数分経ったと思ったら後ろには彼女がいた。
「それで何の用だ? というか明日は傭兵採用の試験があるからさっさと眠りたいんだけど」
「あなたの目的を――――」
「……目的か……そんな大したものではないとは言えないが、こんな話を信じるか少し疑わしいな」
アスヴァ―ルでも、感じた気配。タラードの陣営。ジャーメイン王子のところで感じたそれを下に怪しい存在を斬ってきたが、どれも影武者の類で浸食された屍兵の類だった。
「とりあえず―――郷里の酒でも傾けながら話そう」
「あら私を酔わして何するつもりなのかしら? なんて冗談は言えそうにないですね。話してくださいリョウ」
お猪口を二つ出して、それに「冷や」を注ぎながら言葉を紡ぎだす。
―――人の世界には時として闇が訪れる。その闇は神話の時代から続くおぞましきものであり邪神の眷属だったり善神に敵対した悪神。
様々な呼び名が付けられて禍をもたらしてきた。「八つ首の大蛇」「九尾の妖狐」「イザナミ」そして……「鬼」と「桃」。
彼らはその神々に敵対していたころの絶大な力を人の世に向けて解き放ち、世界を邪悪に染めていくという時代遅れな所業を度々はた迷惑にやってくる。
ヤーファにおいても度々こういった類の存在が現れては混乱をもたらしていた。知り合いの「生臭坊主」によれば、かつて一国が「桃」の妖魔に支配されかけてしまいオオヤシマが終わりかけたそうだ。
「この大陸においてもそれの脅威があると……?」
「戦神トリグラフや嵐と風の女神エリス。豊穣の女神……なんだったっけ?」
「ヤリーロ」
「ああそれだ。そういった具合にここでも神話は語られている。そしてヤーファの神話も似通っている」
神々の王「ペルクナス」そしてその妻にして夜と闇と死の女神「ティル=ナ=ファ」。
最初の男神にしてオオヤシマの王「イザナギ」その妻にして死の国の女神「イザナミ」。
「十柱の神々の中で何故、このどうにもいただけない夜と闇と死の女神が未だに居座っているのか、ティナ分かるか?」
「神官達には悪いけど、簡単ですわ「夜と闇」そして「死」は万物にとって必要なものだからです」
首肯してから喉を潤してから言葉を紡ぐ。
夜がなければ人はいつまでも働き続けて動きを止めることが出来ない。
闇がなければ作物はただ太陽の光だけを受け止めて焼けてしまいかねない。
死がなければ―――この世はただ「生きている」というだけの腐ったものだらけになっていたはず。
始まりがあり終わりがあるからこそ全ては輝くのだ。そういう意味ではこういう死を司る神というのは有難いのだ。
人間に「休み」というものの大切さをある意味では説いているのだから。
「しかしながらこういう神様達は、あまり性質がよろしくないんだよな」
実際イザナミは炎の神を生み出した後、焼け死にそれゆえに死の世界「黄泉の国」の支配者に封ぜられて、イザナギの迎えで光の下に出ようとしたが―――
「出られなかったんですか?」
「ああ、情けないことにイザナギは腐り果てて屍となりながらも生きているイザナミを見て恐ろしくなって逃げ出したらしい」
「愛するものがどんな姿形であろうとも構わないと思えないんですかね」
憤慨しながらティナは穀物酒―――清酒をぐいっと煽る。リョウは苦笑しながらもイザナギには何か深い考えがあったのではないかとも考えている。
その一件を境に昼の世界の支配者であるイザナギと夜の世界の支配者であるイザナミは完全に敵対し、その戦いはいまだに続いている。
「リョウは、この地にそういう魔の類がいると思っているのですか……」
「俺の主は、そういうのに『敏い』方でな。この地にいるもの達に始末を着けさせるのも一つだろうが……と前置きした上で、武者修行ついでに殺してこいと言われたんだ」
突拍子も無い話と言われればそれまで、だがヴァレンティナは既にこの話を信じていた。
自分たち王家連理の者たちに密かに伝えられてきたもの。
世界の闇であり、お伽噺に出てくるような魔の眷属。錫杖の戦姫と槍の戦姫も似たような話を知っているだろう。
そしてそれを抹殺しに来た東方の剣士。
(これは運命とも言えるのかしら……)
とても澄んだ水のようなお酒を飲みながら、リョウがここに来たのは運命だと言える。しかし竜具のような特殊な「神器」をもたないで勝てるのだろうか。
そういう質問を投げかけると、リョウも酔ってきたのか微笑を浮かべて。
「女だけでなく男も秘密の一つや二つあった方が、魅力的だとは思わないかな。まぁあの刀が俺の本当の得物じゃないさ。機会があれば見せてやる」
話をはぐらかされてヴァレンティナは少しばかり不満を覚える。こちらはその全てをリョウに晒したというのにリョウはまだ教えてくれないことが多い。
信頼されていないとかではないのだが、どうにも厭だ。
「さて、これ以上は明日に差し支える。ティナそろそ「ここで寝ます」え``っ。それは不味いんじゃないかな……」
言うが早くティナはベッドの中に潜り込んで布団を引っ掴んだ。どうやら本気でここで寝るようだ。これでは何のために二部屋を取ったのかが分からない。
なので少しばかりティナをいじめることにする。布団で眠ることを邪魔された腹いせだ。
「言っておきますけど私の部屋に行ったらエザンディスで転移します」
「女の子の部屋に許可無く入ろうとは思わないよ。ただ……襲われても文句は言うなよ」
「お、襲うのですか?」
「危機感を持っているのならば十分だ。それとティナ安心していいぞ。俺は――――どちらかと言えば短髪の女性の方が好みだ」
「~~~~!!!」
布団の中に潜り込みながら、顔だけ出して膨れっ面を見せるヴァレンティナを見ながら、椅子の上で安眠を出来るように身体を緩めていく。
体調は万全とは言えないが、それでも傭兵として雇われるだけのパフォーマンスは出来るだろう。
そして今日一日で様々なことがありすぎた。
ジスタートという国で一番最初に出会えた人間が、とんでもない美女でとんでもない野心家であった。
それは自分の運命がこの地で試されているということなのかもしれないが、果たして本当に出会えるのだろうか。
(『サクヤは言った。俺にはない『才能』を持つ人物こそが約束された宿命を与えられた―――「王」なのだと』)
東方剣士・坂上 龍に無い才能。それが際立った人物。タラードがそうだったのではないかと信じそうにはなったが、何かが違うと思って彼の誘いを断った。
(『弓―――それも流星の如き輝きで相手を一撃で殺す―――魔弾の射手』)
そんな人物に出会った時に、この地での自分の運命は決まると――――。時代が求めた英雄に会えることを願いつつも、眠気はあっさりやってきた。
◆ ◇ ◆ ◇
・
「ティグル様、風邪ですか?」
「いや、花粉が鼻に入っただけだろう。ティッタの家事が行き届いているならば埃はありえないだろうからな」
「もしくは……王宮の美女が噂をされたことも考えられませんか?」
「無いな。所詮、俺は弓だけが取り柄の狩人領主だ。宮殿のご婦人たちが噂するのは剣や槍の豪傑無双たちだけだよ」
出仕を終えて、館に戻ってきて胃に入れたメイドのシチューの旨さは礼儀ばかり要求される宮廷料理よりも上に感じられた。
そんな時にくしゃみをしてしまった。ティッタが家事をさぼっていたわけではないだろう。そのフォローを入れたのだが、彼女の顔が曇ってしまう。
「心配するな。俺はこのアルサスを無事に治めていく。今回の納税減額に関しても滞りなかったからさ。領民達も安心して生活してくれるように―――」
「もう! そういうことではありません!! 今、ローストチキンを持ってきますので少し待っててください」
怒ってしまった年下の幼なじみにしてメイドに途方にくれつつも、仮にティッタの言う通り噂をされたのだとしたらば、どんな人物なのか少しばかり興味を覚えた。
無論、ティッタの言う通り女性であればティグルも嬉しいが、男であっても少し嬉しい。自分には同年代の親しい男の友人がいない。
同じく領地を治める貴族の子弟はいるが、その殆どは弓しか使えず小貴族であるティグルなどには見向きもしないのだ。
特に大貴族の息子―――ザイアン・テナルディエの影響と彼の取り巻きに目を付けられることを恐れるのだから、自分の交友関係は狭く父の友人であったマスハス卿ぐらいが、親しい貴族だ。
自分の弓という武芸を認めてくれる同年代の男の友人。彼と共であるのならばどんな戦場でも自分は駆け抜けていけそうだ。
例え、どんなに絶望的な状況であっても――――。友人がいてくれるのならば。
(―――考えても詮無いよな)
出来上がった夢想を振り払いつつ、ミトンで鉄板を掴んだままローストチキンを持ってきたティッタを笑顔で迎えてから今日のメインに舌鼓を打ちつつ、ティグルヴルムド・ヴォルンはティッタを褒めていった。
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「煌炎の朧姫Ⅰ(前)」
その日、彼の姿はとても輝いて見えた。
公宮の中に設置されている練兵場。彼の姿はそこにあった――――。
レグニーツァの騎士達は、ここにて日々戦いの技法を磨いている。故郷である公国が何かしらの戦火に見舞われた時のために、彼らはそれを怠ることは許されない。
そして何より決戦の日は近づいていた。傭兵募集の触れ込みで集まった有象無象。山の者とも海の者とも知れぬ様々な人間達の中で彼は異彩を放っていた。
黒い異国の衣装に黒塗りの鞘に込められたレイピアとも、長剣(ロングソード)とも取れる得物。だがそれ以上に、彼は集まった人間達の中では若造だった。
その有象無象の実力を知るために設けられた丸太人型とでも言えばいいものをどれだけ斬れるかで受験者の技量を確かめていた。
「彼でしょうな。マトヴェイが乗せてきたヤーファ人というのは」
「うん。しかし……あれで丸太の人型が斬れるのか……」
カタナという武器はエレンなどから見せてもらったこともあったし、自分も何度か見たことがあったが、彼のは自分たちが見てきたものよりも―――細く、かつ薄い刃をしている。
傭兵達は前に出てきた若造を見てあざ笑う。矮躯とも言える彼に、携えた得物でその丸太が斬れるとは思っていなかったからだろう。
『それをもしもお前が斬れたならば、金貨十枚をくれてやるよ』
そんな挑発の言葉に、苦笑をしてから抜き放った刃を再び鞘に納めて腰だめに構える。
遠くから見ている自分にもわかるほど生と死の狭間に放たれる気が充満していき、抜き放つと同時に煌めく剣閃が、袈裟懸けに丸太を斜断した。
その上で抜き打ちの動きに連動して反対の手に握られた鞘が、丸太を殴打し木端に変えた。
(双剣―――いや、二刀流というものか!?)
文献でこそ知ってはいたが、ここまでの技巧とは思っていなかった。
一連の動作を終えた剣士―――リョウ・サカガミは嘲っていた傭兵に、手を差し出し。
『金貨十枚』
と短く催促をしていた。その様が少しだけおかしく思えた。先ほどまでは緊迫した闘気を発していたというのに、今では年相応の少年のような彼のギャップが本当におかしく思えた。
本当に同一人物なのかとおもうぐらいに、おかしかった。
だが丸太人型を叩き壊したのも彼ならば、いたずら少年のような表情をしているのも彼なのだ。笑みがこぼれる。
腹を抱えて笑いたくなる。あんな様を見れば隣の老執政官のように青ざめるのが普通かもしれないが、自分にはそうではなかった。
「東方剣士―――リョウ・サカガミか―――」
久しぶりだ。このような感覚は、他人に深くかかわりたいと思ったのは、本当に久しぶりだ。母の言から自分は少しそういうのを遠ざけていたが今は違う。
アレクサンドラ・アルシャーヴィンは何年ぶりとも言える初恋のような感覚で、見下ろした所にいる黒髪の少年とも青年ともいえる男の子の全てを知りたいと思ったのだ。
そんな風なアレクサンドラ・アルシャーヴィンの独白より時間は遡っていた時間。リョウ・サカガミは起き上がると同時に、何でこうなっていると疑問を感じていた。
「ティナ可愛いよティナ可愛いよ。世界中で一番美しく可愛い女の子だよ。その美しさの前では、華すらも恥じらいの蜜をこぼす―――」
「ていっ」
色んな所に謝らなければいけないことをする目の前にて押しかかっていた女性のでこを指で弾いた。悶絶というほどではないが、おでこを押さえるティナ。
「ちょっ、そのでこピンは少し痛いですよ。というか……リョウによって今、傷物にされてしまいました。責任を取って結婚してもらわなければ―――」
「はいはい。さっさと朝食に行こう。そして人の精神を支配するな」
「むぅ……」
身体を拭くのは後にしてティナと共に階下の食堂へと行く。というか色んな意味で朝は女の子の顔を間近で見ることは、不味いと思う。
「リョウの剣は、随分と立派でしたね。あれで貫かれる淑女に少し同情してしまうぐらい」
「やらしい表現するな」
「ああ、けど私には同情しなくてもいいですよ。望んでされることなんですから」
笑顔を見せながら、そんな事は言わないでほしいものだが、彼女に言うのはあまりにも無駄であった。
宿屋の女主人に軽い朝食を要求しながら水を杯に注ぐ。二つ分のそれを飲みながらさてどうしたものかと思う。
「今日、傭兵選抜が行われるそうだが―――君はどうするんだ?」
「ふむ、身分を隠してアレクサンドラの陣営に潜り込むのも一興かと思いますけど、どうしたものですかね」
「仲悪いのか?」
「戦姫同士は確かに個人的に仲の良いものもいるし、領地経営の際の商売関係など様々です。最悪なのは―――顔を見るたびに、罵詈雑言の掛け合いから竜具を持ち出しての刃傷沙汰に発展するようなのも」
槍と剣の戦姫というものは領地を王直轄領を挟んで隣どうしでいがみあっているという。
その争いは時には兵士同士のぶつかり合いにも及ぶこともあるという。だが、これがリョウにとっては少し変に思えた。
「戦姫達は、忠誠心が厚くないのか?」
ヤーファのように封建領主制度ではない国家などいくらでもあるが、仮にも公国として封ぜられている領主が、好き勝手なことをするなどあらゆる意味で変に思えた。
「確かに序列としては王が一番であり、その下に戦姫というこの枠組みを超えることは憚られる。しかしながら、その下のことは各戦姫達に委ねられる。建国以来、戦姫達の争いも収まらなかったそうで」
「もともとは敵対していた部族だもんな」
「ところが、事実というのは小説よりも奇なり――この竜具という武器。実を言うと血筋とかではなく武器そのものが「主」を定めるのです」
「なんだって」
驚嘆しながらも大きな声を出さなかったのは、褒められてもいいと思う。だが確かに驚きの事実だ。
「女性が選ばれるのは当たり前なのですが、先代の戦姫が死ぬか死ぬ前に後継者を定めて武器が、主の下に赴くのです。私は元々は貴族の娘でしたが、他の戦姫はどれも血統という意味では妙なのですよ」
騎馬民族の幼い子供が選ばれることもあれば、傭兵団の剣士、流れの旅人、貴族の落胤、その一方で「血統」に拘る武器もある。
意思を持つ武器。そう紹介されたエザンディスが少し揺れて蜃気楼のようにぶれるのを見た気がする。
「本人が知らないだけで建国王の妃の血が流れているという可能性は?」
「それは確かめようがないことです。どれだけの月日が流れていると思っているのですか」
仰る通りだ。としてスープを一口啜る。しかしそう考えると神宝というよりも呪具の類ではないかと思ってしまうほどだ。
「それで当代のレグニーツァの領主―――アレクサンドラ・アルシャーヴィンは、どんな人なんだ」
「年増です」
「一言で言いすぎだ。そして年増って……失礼だろ」
「しかし事実、戦姫の中では一番の年上ですし、まぁ私も三番目に上なのですが……最年長なのですよアレクサンドラは」
本人が聞いたらば竜具を持ち出しての闘争も厭わないほどに失礼千万なことを宣うティナ。
「まぁ歳のことはいいとしてどんな容姿なんだ?」
「それこそ言いたくありませんわ」
途端に不機嫌になりぷいっ、とそっぽを向くティナ。どうにも彼女の少女らしさが、野心家なところと相まって自分にはアンバランスな魅力に思えてならない。
物語の英雄達に憧れて、自らも伝説に語られる存在になろうとする子供らしさとでも言えばいいのか、それらが全てリョウにはティナの魅力に思えてならない。
とはいえ、今はその感慨を横に置いて彼女に理由を聞く。
「? 何でだ?」
「ご自分の胸に聞いてください。昨夜、私のプライドはひどく傷つけられましたから」
その言葉で、ああ。と納得してしまう。優雅に髪を掻き上げる仕草をするティナに苦笑してしまう。
つまりはアレクサンドラ・アルシャーヴィンという戦姫は短髪の装いの女性なのだということだ。
「ですが、彼女は見られないかもしれません。あまり身体が丈夫とは言えませんし、今回の海賊討伐も代官を立てて行われるでしょう」
「そんなか弱い女性も戦姫に選ぶのか、
「エザンディスが心外だ。とでも言わんばかりにあらぶっていますわ」
残像を何回も発生させる彼女の大鎌。封妖の裂空という二つ名を持つ大鎌。確かにこの武器には意思がある。
自分が持つ「 」と同様なのだろう。
「まぁお目通りは叶わないでしょうし、サーシャはあなたの目的に関しては何一つ知らないですよ」
「そうか。となるとここでの海賊討伐を終えたら君の領地に厄介になるのもいいかな」
「来てくれますの!?」
「行くあては無いしね。君の所で食客をやるのも一つだ」
プリューヌ、ムオジネル、ザクスタンなどに行くにも準備が不足している。目の前で大声と同時に身を乗り出した貴人の厄介になるのも一つだ。
「ただ、マトヴェイの依頼をこなしてからだ。彼の願いをこなさなければ俺はヤーファの剣士として情けなくて腹を斬りたくなる」
自分が持つ神宝ほどではないが、業物として知られる「鬼哭・真打」に誓ったのだ。
手に携えた黒い鞘込めの刀は、自分が元服と共に陛下より賜ったものなのだ。ある意味では神宝よりも大切なものだ。
「分かりました。では私は色々と情報を探ってみましょう。今回やってくる海賊の間諜などもいるかもしれません」
彼女は謀略を好む。というよりも謀略をめぐらすことを得意としている。無論、武芸も達者ではあるが、彼女の本領はこういう間諜戦に活かされるのだろう。
「頼む。それじゃ俺は傭兵に選ばれるように頑張ってくるよ」
「はい♪ いってらっしゃいませ。あ・な・た♪」
「なんか微妙にニュアンスが違うような気がするぞティナ」
「気のせいです。そしてお気をつけて」
言われるまでもないが、絶世の美女に言われるとどうしても張り切ってしまうのは男の悲しい性だ。
朝食を終えて、宿を出ると同時に方向を二つに分けて歩き出す。お互いにお互いの後ろ姿を気にしてしまうのは、どういった所でお互いに興味を持ってしまっているからだ。
だが、やるべきことをやらねばならない。公宮は質素な造りというか少なくとも領主が己の権威を示すためのものには見えなかった。
とはいえ、それなりの広さを持ったそここそが戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィンの居城なのだ。
「傭兵志願の者たちはこちらに並んでいただきたい」
勤めの兵士の一人が門の前でさし示していたのは、練兵場の一つであってそこでどんな試験が行われるかは知らないが、そこで振るいにかけられるはず。
「結構、広いんだな……」
何気ない感想を漏らしながら周囲を見ると色んな人種の傭兵がいた。肌が浅黒いムオジネル人が曲刀(シミター)を、ザクスタン人が槍を、人種の坩堝の中。見知った顔がいないかと見たが、どうやらアスヴァールで見た連中の殆どを上手くタラードは繋ぎとめているようだ。
そしてそんな人種の坩堝の中においても、やはりヤーファ人は奇異に見えるようだ。敵意でもなし、さりとて好意でもない。あえて言うならば興味の視線。
四方八方からの視線には既に慣れてしまったが、それでも良い気分はしない。
「坊主、得物が立派なのは結構だが……お前みたいなのが来るところじゃねえよここは」
「あんたは?」
そんな気分でいた所に声を掛けてきたのは、一人の傭兵。古傷を多く刻みこんだ顔に歴戦の古兵者と思しき武具で身を揃えた男だった。
歳は三十前半だろうか、見るものによっては後半か四十にも見える。
「ドナルべイン。お前は?」
「リョウ・サカガミ」
こちらの言葉に眉を少し上げるドナルべイン。その反応だけでどうやらこちらの名前を知っているものはいたようだ。
「お前が……騙りということは無いだろうが、それにしたって若すぎる……いくら傭兵とはいえ、お前ぐらいの歳で俺はまだ芋剥きぐらいしか任されてなかった」
「実力があれば歳は関係ないだろ。それにどんな噂も尾鰭が付くものだ。あんたが俺に関して何を聞いているのかは知らないがな」
アスヴァールでは大立ち回りしすぎたかもしれない。あの地に陛下の言う「妖」がいると思って、タラードに協力した。
それはその「妖」を焙り出すための行動だったのだが、狡猾に立ち回りこちらに影武者を斬らせるだけ斬らせて、斬ることが出来なかった。
(俺の勘じゃ、あのハゲ将軍こそがそうだと思うんだが、なかなかこちらの太刀の範囲に入ってこなかったな)
無論、それ以外にも理由はあったが、仕方なくここに来る前にリョウはタラードに「今すぐにでもジャーメインの首を取れ」と進言するに留まった。
もしくは第三勢力として独立すべきだ。ということを言うだけ言ってきた。
焚き付けるだけ焚き付けておいて、無責任かもしれないが本気で王位を欲して本気で人々の為に剣を取るのならばまずは、ジャーメイン程度の首は、真正面から切り捨てるべきだ。
そうして一年間の休戦をもぎ取った。一年間の間に、タラードがどう動くかで自分も再びあそこに行くことになるだろう。
「間接的に手助けをしてやるんだから、お前もさっさと―――動けよな」
ドナルべインは疑問符を浮かべたようだが構わない。所詮は独り言だ。そしてその独り言の内容を実現するためにも、今は前に出る。
列を作っている傭兵達。どうやら試験内容は、丸太で拵えた人型をどれだけ斬れるかということらしい。
所詮は正規兵ではない雇われ兵に求められることなどどれだけの腕力があるのかということぐらいだ。
重い剣を力いっぱい振り回す腕力があれば、それだけでも戦力になるだろう。もちろんそれ以外の試験もあったようだが、リョウはこれを選んだ。
抜き身の状態で刹那の呼吸で振るえば恐らく一刀だろうとして他の連中と同じく抜き身の状態にした途端、視線を感じる。
上からの視線。公宮の執政館であり居城館であろう場所からの視線。それを感じながらも無視した。しかし、次には無視できぬものを聞いた。
「それをもしもお前が斬れたならば、金貨十枚をくれてやるよ」
嘲笑いの声。ドナルべインがあからさまにその嘲笑をした傭兵を馬鹿にしていた。愚か者を見るようなそれ。
名を売るつもりはない。だが、自分の実力を侮られるのも癪だ。抜き身を止めて鞘に込めた刀。
腰を落とし抜き打ち―――抜刀術の構えを取り丸太人型に相対して鯉口を滑らせる。鞘から閃光のごとき光が走ると同時に、袈裟懸けに崩れ落ちる丸太人型、だがそれだけではなく、動くと右手とは別に鞘を押さえていた左手。
左手に握られた鞘を動かして追撃を仕掛ける。
「素は重、背に野槌―――」
「御稜威」を使い己の身体に荷重を掛けた。本来的には相手に掛ける妨害のための術なのだが、使い方次第では、このように己の一撃の重さと速さを増すことも出来る。
鞘を振るう速さと重さが増して、横殴りの一撃が残っていた丸太部分を木端に変えた。風に攫われる木片の一つ一つを見ながら、残心。
一連の動きは数秒足らずで行われた。剣を鞘に納め、一際大きな金属音が静寂の練兵場に響いた。そうしてから後ろにて嘲笑いの声を上げた傭兵に手の平を差し出して。
「金貨十枚」
と短く言い己の言葉の責任を取らせることにした。呆然としていた男は気付き、震える手で金貨十枚を寄越してきた。
「己の言葉には責任を持たなければ、その身に納めた武も軽くなるぞ。眼を養いな」
――――その後、係の兵士から合格通知を貰うまで、たっぷり二刻。今度は少し恐怖を交えた視線に晒されることになった。
そうして帰ろうかと思った時に何やら騒がしくなっていた。先程まではいなかった老官の一人が兵士達に、何かを問いただしていた。
「いえ、我らも見ておりませぬ。しかしここから以外で出るとなると裏口など―――」
「料理人達も見ていないのだ。となると正面からなのだが―――」
「こんなむさ苦しい連中の中に戦姫様が来られればいくら我らとて気付けますよ」
何やらトラブルのようだが、あまり関係の無いことだと思って公宮の外に出る。
城下町には様々な人々がいる。異国人の中ではやはり自分は目立つのだろうが、少しの視線を浴びつつもこの後はどうしたものかと悩む。
合格通知を貰った傭兵は、後日様々なことを軍議にて決めるという。恐らく自分はただの一兵士という立場ではないだろう。
名前を聞いてきた時の兵士の驚愕の表情は、目に焼き付いていた。だが次の瞬間にはまた違うものが目に焼き付いた。
「まぁ適当に露店を歩いてみるか―――」
「君、ここは初めてかい?」
後ろから声を掛けられ振り向くとそこにいたのは白い上下の単衣―――この辺りではワンピースという名称のそれに身を包んだ―――女性がいた。
自分と同い年か一つ二つは上かという彼女の姿に一瞬、幻でも見ているんじゃないかと思う心地になった。
姿形もそうだが、その雰囲気が――――
「かあさ―――……いきなりだな君は、というか……あーその何というか危なくないか? いきなり帯剣している男に声を掛けるなんて」
己の出そうとしていた言葉を悟り、それをごまかすために声を掛けてきた女性の身を心配する。
質素な白のワンピースに身を包んだ黒髪を短く切りそろえた女性。見様によっては少女にも見える人は、心配いらないとでも言うように腰に下げている双剣を示してきた。
黒革の鞘に納められた双剣の刀身こそ見えないが鍔と柄から―――相当な業物であると見えた。
そんなものを下げた女性は旅人とも取れるし商家の淑女にも見える。アンバランスな人物だ。
「それよりさっきの見ていたよ。戦姫様の公宮であれだけの事をするなんてさ。あんまり目立つと暗殺者に間違われかねないよ」
「神殿には司祭や神官もいただろう。それに公宮にいる連中全員を殺して戦姫までいけるそんな離れ業を手際良く出来るわけがない」
「泥臭くならば出来るのかい?」
まるでそれが笑える冗談であるかのように、手で口を押えながら微笑を零す女性。白いワンピースと肌の白さとの境目が分からなくなるほどに白い肌だ。
病的といってもいい。そんな雰囲気がリョウの母親を思わせてならない。
「それで案内をしてあげようと思うんだが、どうだい? これでも自分の容姿にはそれなりに自信があるんだが」
美人の
彼女を全面的に信用するのはどうかと思うのでリョウは『探り針』を入れることにした。
「俺はサカガミ・リョウ。ごらんの通りヤーファ人だ」
「僕は『アレックス』だ。一応言っておくけど……男じゃないからね」
「流石に、名前がそうだからといって間違うわけがないな」
そんなことを言いながら「アレックス」と共に街の通りを歩く。彼女は自分に何で声を掛けてきたのだろう。
疑問を隣を歩くアレックスにぶつけた。
「にしても何で、俺に声を掛けてきたんだ?」
「ヤーファ人は珍しいというだけでなく……君のことを良く知りたいんだ。とりあえずご飯でも食べないかい? リョウ」
適当な料理屋が見えてきたので、そこに入ろうと言うアレックスの言葉に、「まさか」という思いだ。
だが今はそんなことを言うつもりはなかった。とりあえず美人と食事を共にするという大概の男にとっては至福の時間を無くしたくなかったからだ。
料理屋に入ると、そこには先程まで同じところにいた傭兵達もちらほらと見えたが、彼らはこちらに注意を払っていなかった。
着席は淡々と行われた。昨日と違うのはどちらも流れの旅人と思われているからだろうか、それとも貴人とヤーファ人という組み合わせだったからだろうか。判断は着かないが、とりあえず注文をするとアレックスは酒を遠慮してきた。
「すまない。どうにも苦手でね」
「では果汁水をお持ちしますので、お待ちください」
「ごめん。君と祝杯を「俺は気にしないぞ。そんなことを気にされる方がいやだ。言いたいことは遠慮せず言ってくれ」―――ありがとう」
色んな人に気を使って自分にも気を使って、身体が丈夫でなかったというのに、それゆえに早死にしてしまった母親のことを思い出してしまう。アレックスを見ていると、そんな気持ちが湧く。
果汁水と麦酒の入った杯と共に軽食―――油をそんなに使っていない料理がやってきた。
「では僕たちの出会いが良きものであることを願って」
「乾杯」
杯を打ち鳴らしてから口を付ける。一口一口ゆっくり飲む彼女に、安堵する。しかしあまり見ていると、変な意味での望郷の念に駆られかねない。
あら汁―――この辺では「魚スープ(ウハー)」というものを飲みながら、昨日とは違い少しばかり家庭的な食事にほっとしてしまう。
「君のことは知っていた。アスヴァールにおいて万にも匹敵する軍を一人で食い止めた鬼のような剣士とのことだったのでね」
「実態はこんな人間だということだ。オーガ―のような大男でもなければ、化け物のような外見をしているわけでもないよ」
にしても万は言いすぎだ。第一、一人でそんなことが出来るものか。せいぜい乱戦で百を相手取る程度だ。
無論、神宝を使えればその限りではないが、それでもそんな噂が流れるとは、やりすぎたかと思う。
「他には娼館のご婦人方から人気だったり……随分と、『色んな意味で』英雄な人間だと、僕の誘いを簡単に受ける辺り本当にそう感じたよ」
笑う彼女に何とも言えぬ気持ちにさせられる。黒パンを口に放り込む彼女アレックスに自分はからかわれている。
「彼女たちにも生活というものがある。英雄を相手できたということが一種のステータスになるのならば、別に俺は彼女らに伽をお願いするのも構わないさ」
「ならば僕も相手してもらえば良かったかな。今みたいに剣士として大成する前は、色んなことをやって旅していたからね。ああ、けれども母親に似ている女の子を抱くのは君でも無理かな?」
見抜いてらっしゃる。せめて聞かなかったフリをしてもらいたかった。が、彼女はこちらをからかうネタが出来たとして喜んでいる。
「一応言っておくが、僕は生娘だ。いろいろ思うところあって男性には抱かれていないよ」
アスヴァールでもジスタートでも、何というか女性が積極的すぎてリョウとしては戸惑うばかりだ。
無論、貞淑な女性がいなかったというわけでもないのだが、それにしたってジスタートに降り立ってからというもの女性関連のことが多すぎて色々と堪らなくなってくる。
「君は何を求めてジスタートにやってきたんだ?」
「ただの武者修行だよ。免許皆伝を師範からもらったから、見聞を広げるためとして西方までやってきた。アレックスは何故、旅をしていたんだ?」
「想像してみたらどうだい? 僕は他人が受けるイメージ通りの人間だと思われるのが、すごく嫌なんでね」
肩を一度竦めてから、挑戦的な笑みを浮かべて、こちらを見つめてくるアレックス。それに応えるためにこちらも、本気でかかる。
「……住んでいた所を追い出されたという風ではないな。君の積極性から察するに自分で出て行ったな」
酢漬けの野菜を摘まみながら、アレックスに対する観察を開始する。
「双剣を持つ辺り、自らの非力さを自覚している。男の一人称を使うのは―――舐められないためだ。目的――は、正直わからないな。ただ君は必要に迫られて旅に出たわけじゃない」
「確かに努力すれば村にいることも出来ただろうけれども……僕は―――私は、長く生きられないと分かっていたから、目的のために故郷を出たんだよ」
思わず動悸が跳ね上がるのを感じる。先程とは違うアレックスの艶とでも言えばいいものが発せられる。
一人称を変えただけで、ここまで変わるものなのか。というよりも彼女の姿はこちらなのだろう。
「私の目的は私を力いっぱい抱きしめてくれる男性との間に『愛』を作りたかったんだ。それこそが私の生きた証になると思っていたから」
「今は―――違う。と」
「そうでもないかな。やっぱり当初の目的を果たしたい―――素敵な男性と恋をして子供を作りたい」
彼女の美しさや可憐さは、雨に濡れる紫陽花を感じさせるものだから引く手あまただと思う。しかしアレックスは長く生きられないと言った。
儚さと気丈さ。強さと弱さ。両極端な魅力を持つアレックスは、どうしてもリョウの母親を思わせて、そうして母性というのは原初の恋心ともとれるのだから。
―――このまま彼女を放っておけない。そういう気持ちにリョウはなっていた。
(ご先祖様―――『双葉』様と『梓』様もこんな出会いだったのかもしれない)
遠き日の自分の系譜―――「鬼剣の王」とその王の姫巫女であった女性の出会いを想像してから、目の前にいる女性に
「アレックス。俺が君の相手に相応しいかどうかは自信がないが……とりあえずこの街の案内を改めて頼むよ。俺は君と歩いていたい」
「――――、リョウ。君は自分のことをもう少し理解した方がいい。そんな真っ直ぐに見つめられて真っ直ぐに言われたら女の子は誰でもその気になってしまうんだ」
特に君みたいなかっこいい男の子には。と内心でのみ付け加えた「アレクサンドラ」は、どこに連れて行こうかと想像して、少し嬉しくなっていた。
こんな風なことが自分に起こるなんて思わなかった。アレクサンドラは恋というものを知らずに少女から女性になった。
その過程において、アレクサンドラは炎の双剣に選ばれてこの地の領主―――戦姫になるということもあり、その過程で青春時代というものが無かったようにも思えた。
だからこんな風に気になった男の子と一緒に街を見て回れるとは思えなかった。とても嬉しい。
(けれど……リョウが私のことを好いてくれているとは限らないんだよね)
そこを勘違いしてはならない。けれどもその嬉しさだけはアレクサンドラの気を軽くして彼女に付いて回る「血の病」を忘れさせてくれた。
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「煌炎の朧姫Ⅰ(後)」
「東方剣士リョウ・サカガミ――――、随分とその子にぞっこんなのねヴァレンティナ」
「年甲斐もないとか思われたくないのですけど、ちょっと知り合う機会が出来まして、今はその剣士のお供をさせてもらっているわ」
ジスタートの王都―――シレジア。その王宮には贅と美を両立させたいくつもの庭園があった。その内の一つ、色とりどりの薔薇の美術品と花壇が作られた庭園。
そこはヴァレンティナ・グリンカ・エステスと戦姫ソフィーヤ・オベルタスが、お茶を飲みあう場所として何も言わずともそう取り決めていた。
庭園の中でも奥まった場所でソフィーヤの竜具の能力を使えば、盗み聞きは出来ない。
つまりはあまり人には聞かれたくない会話の場所ということだ。
「それにしても体力が無いあなたにしては頑張ったわね。サーシャの領地からエザンディスを使ってシレジアまで飛んでくるなんて」
「愛ゆえに、東方の格言の一つに「愛は万里を超える」というものがありまして、私はリョウのためならば、今すぐにでも海賊の首を千は献上しますよ」
「そ、そう……」
身もだえするように自らの身を掻き抱くヴァレンティナの様子に若干、引きつつもソフィーははぐらかされた感覚を覚えた。
だが彼女が、その剣士に何か思うところがあるのは事実だろう。ここまで感情を露わにしている彼女は初めて見る。
「なんとリュドミラご自慢のトリグラフ・アーマーを五つ叩ききったのですから、尋常な実力者じゃない。私はその水飛沫のような剣の冴えに英雄を見たと言っても過言ではないです♪」
「はいはい。リョウ・サカガミの噂は聞いているわ。万の軍を一人で食い止めたとか、アスヴァールに現れた邪竜(イビルドラゴン)を殺したドラゴンスレイヤーとか、神秘の術を使う魔法使いとかね」
「それは全部事実です。疑うならば直接見るといいでしょう」
ソフィーはここまでヴァレンティナが入れ込むほどに、その剣士は超絶した実力なのだろうか。疑わしくも少しばかり信じてしまいそうになる。
「それであなたは、何を聞きに来たの? 私が知っていることならば教えられるけれど、知らないことは教えられないわ」
「エリザヴェータとアレクサンドラの領地を襲おうとしている海賊―――それに対する王宮の対処と各戦姫達の対応を」
飲んでいた
オステローデは、ジスタートの北東部にあり、賊がヴァルタ大河を朔上でもしなければ彼女の領地に直接の被害は出ない。
オルガや自分の領地も同様である。だからこそ彼女の本気が分かった。
「まずは、王宮としても―――援軍を出す構えはあるわよ。二人の領地はジスタートにおいても大きな貿易港を備えているから、ここに被害が出すぎるのはまずいでしょう」
海賊が王都にまで攻め込むことは無いだろうが、それでも荷卸しの場所として二人の領地は大きいのだ。
あまり被害が出ては困る。ヴィクトール王としては、公国の事は公国のこととして処理させたいが、事はジスタート全体の経済にも及ぶのだ。討伐軍を出すことも吝かではあるまい。
「他の戦姫達―――行方知れずのオルガは置いておくとして、エレンやリュドミラは―――救援する動きを出していたんだけど……ね」
「エリザヴェータはエレオノーラの介入を良く思わず、かつアレクサンドラもエレオノーラに来られて連携を崩されるのを嫌った。そんなところですか?」
ソフィーとしては呆れつつ首肯をするしかない。もっとも二人とも海戦になれていない陸の戦士を揃えているのだから、アレクサンドラが嫌うのも分かる。
確かに救援はありがたいが、慣れない戦場の兵士を揃えられるよりも気は合わなくても、熟練の兵士を揃えられる相手と共闘した方がいいだろう。
「そのエリザヴェータなのだけど、件の東方剣士殿が来ていることを陛下にお伝えしたらしいのよ。特に陛下は今は何も言っていないけど、今後次第では何か言ってくる可能性は高いわ」
次に紅茶を置いたのはティナの方であった。今後というのは現在、始まろうとしている海戦の結果如何によっては彼は、何かの駒にされる可能性があるということだ。
「私としては、二人の厄介ごとが済んだならば我が領地に来てほしかったのですけど……そうはいきそうにありませんね」
「ええ、隣国にも色々な火種ができつつある。アスヴァールも休戦してはいるもののどちらかの体制が整えば条約は破棄されるでしょう。そんな中、東方からやってきた剣士は良くも悪くも台風の目になるでしょうね」
エリザヴェータが言わなくても、もしかしたらば気付かれたかもしれないが、その前に雲隠れという形でヴァレンティナの領地に来させることも出来たはずだ。
厄介なことをと、内心でのみ歯ぎしりをして、今後に関してどうするかだ。
(アレクサンドラは、どうせ体が重くて出てこれないでしょうし。彼女が、必要以上にリョウを歓待することもない。その点は安心。問題はエリザヴェータね)
あのコンプレックスの塊のような異彩瞳女のことである。自分の領地の安定と繁栄のためにリョウを誘うこともありうる。
色々あるが自分の人脈と策略を以てすれば穴など無くなる。まさに完璧な謀略が完成する。
「ところでソフィーヤ。あなたまた胸大きくなっていないかしら、私が王宮にあまり来ないからそう感じるだけでしょうか?」
「私からすればあなたをそんなに見ていないから、あなたのスタイルも良くなっていると感じるのだけど」
そんな風な殿方拝聴拝見禁止の会話をすることで、会話の質を変えていくことにした。
この時のヴァレンティナにはどうすることも出来なかったが、彼女の謀略は、チーズも同然―――既に穴だらけのものとなっていた。
◆ ◇ ◆ ◇
「本当にいい日だった。ここまで楽しかったのは本当にいつぶりなんだろうかな」
「大袈裟な。いつだってこんな事出来るだろ」
「そうとは限らないよ。それに君は本当にレグニーツァを気に入ってくれたみたいで本当に嬉しかったんだ」
リプナの街に降り立った時から感じていた。あの戦争ばかりを行っていた国とは違って色んな人々が泰平の世を謳歌しているとわかる。
本音で言えば、アスヴァールの争乱は人心を荒れさせて娯楽というものが壊滅的だった。花魁、夜鷹の類以外は―――と付くが。
レグニーツァの首都を一望できる山まで上がり、夕焼けに染まる世界を二人して眺めていたのだが、本当に彼女は晴れやかな笑顔をしている。
風で飛ばされそうになっている麦藁帽を抑えているアレックスの表情は本当に可愛すぎて―――正直、ヴァレンティナに対してものすごく後ろめたくなってしまう。
だが本当に後ろめたくなってしまうのは、ここからだった。いきなりに手を握られる。驚愕してしまう。
そして彼女の生きる目的を思い出す。この行動の意図を。
『子供が欲しい』
待ってくれ。それはいくら何でも早すぎる。俺はまだ君のことを全て知っているわけじゃない。リョウの内心の叫びに反比例するかのように。
熱っぽい視線がリョウを見つめてくる。寄り掛かってきたアレックスの表情に、どうしようもなくなり、そしてそのまま―――――彼女は肩で息をしていた。
熱っぽいどころか熱がある。反対に自分の体温が下がるのを感じる。
「―――『戦姫アレクサンドラ』殿!! しっかりしろ!!」
「な、なんだ……分かっていたのか。結構、ウソは上手いと思っていたんだけど……君は最初から分かっていたのか……」
身体を支えながら、意識の有無を確認するとしっかりとした返事が返る。
すぐにでも山を下り、公宮へと向かわなければいけない。かかりつけの医者もいるはず。急がなければならない。
リョウの判断は早く、そして行動も早かった。
「首に手を回していろ。怖ければ目を瞑っていろ。ついでに言えば、口も開くなよ。舌を噛むぞ」
「……!!」
軽すぎる身体に、悲愴を感じながら戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィンの身体を抱きかかえて、山を下りる準備をする。
先ほどよりも顔が赤くなっているアレクサンドラの顔を見て、本格的に不味いと考えて更に身体を密着させて彼女の身体を離さないようにしなければならない。
途中で弛緩されると、正直彼女を『振り落してしまいかねない』。
「意図は分かるんだけどさ………本当に君は、自分が分かっていないよ。ずるいよリョウ……」
その言葉を最後に意識を飛ばしたアレクサンドラを見て山を下りる
『素は軽。肩に風実―――』
己の身体に軽量化を果たして地面を蹴り、そのまま跳躍をする。するとその跳躍は普通のものではなく、山から飛び立つかのように空中に上がった。
腕の中で意識を無くしたアレクサンドラを見て、彼女に気遣いつつも早く公宮へと向かわねば。焦燥と不安を混ぜながら街へと降り立つとその足を尋常ではない速度で早めていったのだが――――。
その姿を多くの人に見られてしまい、色々とレグニーツァの住人達には誤解を招いていくことになるのだが、それはまた別の話である。
† † † † †
「鬼剣の王? 初めて聞くねぇ。それに関しては―――」
「他の事ならば何でも知っているような口ぶりはやめろ。お主には口利きをしてもらいたい」
「その鬼剣の王を倒すためにかい? 随分と慎重じゃないか、そいつは今はジスタートにいるんだろ。ならば、まだ手は下さなくてもいいはずだけど」
緑色のバンダナを垂らした短い黒髪の「青年」は、話し相手である「占い師」に対して疑問を呈する。
軽い調子で聞いてくる青年とは反対に、その疑問に重い空気を含ませながら占い師は語る。
「最初は、わしもただの東方剣士が分不相応なものを持っているだけだと思っていた。だが「将軍」の報告で危険性を認識した。剣士自体もまさしく「妖刀」一度抜けば眼前の魔は斬られるが道理の真の鬼剣だ」
「そこまで。けれどどうやって殺すんだい? 直接対峙すれば「将軍」みたいになるんだろ?」
感嘆とも驚嘆とも取れる反応をする青年は、暗い部屋の中で聞かされた通りならば将軍は当分の間。動きを封じられたようなものだということを思い出していた。
直接斬られたわけでもないのに将軍は、鬼剣の王によって牙と爪を叩き折られたようなものとなっているのだ。
「だからこそ「人間」を使う。『屍兵』の玉と海竜(パダヴァ)の船をジスタートを襲う海賊に与えろ。首尾よくいけば戦姫の一人と共に潰せるはずだ」
自分たちは人間ではないといわんばかりの占い師の言葉に特に反論せずに青年は続ける。
「邪竜を殺した相手に通じるかねぇ。まぁ所詮、死ぬのは人間だしね構わないか。それで、あんたがさっきから机に揃えている『果実』は何なんだい?」
「わしも雇われの身だ。仕えている方の勝利を願うもので、閣下には少々毛色の違う兵士を用意してやろうと思っているのだよ」
欠片もそんなことを願ってもいない口調で言う占い師に対して若者は占い師の新たな「実験」に対しては興味を無くして渡された礼金を「胃袋」に納めてから早速動き出す。
(鬼剣の王ね―――またの名を「神剣」。一度ぐらい戦っておきたいよねぇ。戦姫とも戦いたいけど――)
今回に関してはそこまでのものを望めないだろうということを青年は己の身を水に『溶けさせ』ながら思っていた。
◇ ◆ ◇ ◆
目が覚めた。暗い室内に自分はいて、見慣れた天井がそこにあった。公宮の自分の寝室だ。
先程まではとてつもなく熱くて幸せな気分を味わっていたのだが、今はそんな気分が無かった。
抱きしめられた胸板の厚さも無く、回した腕から伝わる硬さも何もかも夢だったのではないかと思っていて、不意に泣きそうになったが、嗚咽を零しそうになる寸前に自分の手が握られた。
「気が付いたか。気分はどうだ?」
握りしめていたのは、自分に戦姫としてではなく女としての行動を起こさせた一人の男の子だった。
「それなりに良いよ。なんていうか夢ではなかったんだと思えたから―――すごく幸せだ」
起き上がりながら自然に笑顔が出来たが、今はこの嬉しさだけに浸っているわけにもいかず、あの後どうなったかを聞くことにする。老従僕を呼んで来ようとしたリョウを引き留めてリョウに説明させた。
「君はどんだけの健脚なんだ。そんな事が出来るなんて」
「御稜威という一種の呪術を俺は使えるんだ。詳しいことは省くがそれを使って移動速度を速めた」
何気ないことのように語るリョウではあるが、それを使えば自分を手際よく暗殺することも出来たのではなどと邪推する。
だがそんなことはしないだろうとサーシャは思えた。リョウの人格はそんなことをしないと思えた。
(まぁ少し「旺盛」ではあろうけど…それも年相応かな?)
姫抱きをされた時にそれとなく腰と尻の辺りに手が回ったことを考えるに、少しばかり「男の子」らしいと感じた。
「なんか不愉快なことを考えていないか?」
「さぁ? まぁとにかく改めて自己紹介させてもらうよ。ジスタート王国の公国が一つレグニーツァを治めている戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィンだ。周囲の人間からは
(戦姫達には初対面の相手には自らの素性を隠すとかっていう約束事でもあるのか?)
自己紹介をしてきたアレクサンドラには悪いが、少しばかり悪態を突きたくなるというもの。
「にしてもリョウ。君はいつから僕が戦姫だと気づいていたんだ? 何もボロを出した覚えは無いんだけど……」
「名前だよ。西方では己の名乗りにおいて「名」を先に「姓」を後にするのが習わしなんだろ。俺は君に自己紹介をした時に、東方式の名乗りをしたんだ」
姓であるサカガミを先に、名であるリョウを後に。そうして語ったというのに、この戦姫は何の疑問もなくこちらの名前を呼んできたのだ。
無論、彼女が事情通でそれなりに東方文化に対する教養を持っていたというのならば別だが。
「失態だね。浮かれすぎていたよ。名前の呼び方だけでそれを看破するなんて」
「そのぐらいの茶目っ気があった方が女の子は可愛いと思うけど、完璧すぎる女の子はスキが無さ過ぎて男が近づけない」
「身持ちは固くても男への門戸は開け放つか、まぁやってみようかな―――とりあえず私のことはサーシャと呼んでほしいよリョウ。アレクサンドラなんて呼び方はいやだ」
まだ熱があるのか、少し頬を紅潮させているアレクサンドラもといサーシャに対してティナもそうだが、こうして見るとやはり普通の女の子にしか見えない。
何故このような乙女達に戦う宿命をこの武器は与えるのだろうか。ティナはいい。彼女には最初から確固たる野望があった。
それに対してエザンディスは、それを実現させるだけの力として彼女の手元に来たのだから。だが目の前で茶目っ気を出している彼女は違うだろう。
炎を上げる金と赤の双剣は何を求めて彼女を選んだのか――――。
「煌炎バルグレン―――討鬼の双刃という名を持つ戦姫の武器だ。知っていたかい?」
「一応はな……建国神話を最近教えてもらったから。サーシャが持つ武器がその一つだということは知っていた」
「どうにもこの子は悲しんでいる。どうやら君に嫌われたことが、ひどく嫌なようだ」
「朝にも似たようなことを言われた」
サーシャの掛け布団の上に置かれた双剣の炎の揺らぎはどことなく不規則だ。エザンディスは自己主張が激しかったが、どうやらバルグレンは楚々とした性格のようだ。
(『鬼』を討つ刃か)
皮肉な名前だ。『自分』、リョウ・サカガミにとってはである。
「ここからは真面目な話をするがいいかな。東方剣士リョウ・サカガミ。君は何を求めてジスタートに来たんだ? ヤーファには西方進出の野望でもあるのかい?」
「俺もやんごとない方と話す機会があるが、とりあえず今の最高権力者にそんな意思は無いな。そして俺の目的は昼間に語った通りただの武者修行だ。アスヴァールであんな大立ち回りをしたのは…まぁ気紛れだ。戦争ばかりやられていると嫌気が差すんだ」
「それも君の本心なんだろうけど、本当のことを言っているようには思えない」
細い目でこちらを見抜いているサーシャに、どういったものかと悩む。誰にでも言える内容ではないし、場合によっては彼女を無用の危険に晒すかもしれないのだ。
ティナに対して言ったのは、あちらもそういったことを知っていそうだったからだ。神秘的な所が陛下と似ていたから自然と口が滑っただけかもしれないが。
「まぁいい。君にも語れないことがあるだろうことは理解しておく」
「すまない。ただ俺の剣は人の為に振るう剣だということだけは信じてくれ。俺が君の領地の傭兵選抜に参加したのもマトヴェイの依頼もそうだが、俺自身、そうしたかったからだ」
「それは信じる。そして僕はこの通りの身体だ。情けない話だが戦場には出られないかもしれない。リョウ―――僕の民達を守ってくれ。頼む」
「言われるまでもない。依頼を受けたからにはそれをこなす。ただサーシャお前も戦場に出ろ。ここはお前の土地だ。どんな経緯があれどお前が治めてお前が繁栄させてきた土地だ」
無責任とまでは言わない。ただ戦場に出て、味方を鼓舞することだって出来るはずだ。それすらも彼女には無理な注文かもしれないが―――。
「今日見た光景は全て君の治世の賜物だ。その輝きを失わせたくなければ君は戦姫として戦場に出ろ。実際に動くのは俺だけでもいい」
握りしめた細い手。その手で敵を殺さなくとも、その声で味方の戦意を上げることは出来るはずだ。彼女が本気で生きようとするのならば、己に課せられたものを全うさせなければならない。
「マトヴェイから聞いたはずだ。一応、君の病に対する処置はある。完治は『今』は難しいだろうが海賊討伐の日には五体満足で動けるようにしてやるよ」
「……ありがとう。嬉しいな。ここの文官、武官も私を戦場に出したくないというのに、君は逆のことを言うんだな。私自身も領民の危機に対して動けない領主であることに情けない思いでいたところだ。力を貸してくれ。私が領主としての責務を全うするためにも」
大切な姫君だ。そう考える人は多かろう。しかしそれ以上に戦姫と共に戦場を駆けたいと思っているものも多い。マトヴェイや老従者のように。
「それじゃゆっくり寝といてくれ。侍医の方の指示には従ってくれ。色々と苦い薬も出るだろうが耐えられるか?」
「君が側に居てくれるなら―――なんてことは言わない。ただ……また僕に会い来てくれるか?」
不安げな顔をする年上の女性。その顔を晴らすためにも虚言は交えずに、ただ誓う形で言葉を吐いた。
「必ず。お休みサーシャ」
「お休みリョウ」
振り返ったサーシャの顔は安堵に満ちていて、それに安心して彼女の寝室を出た。
またここに来る。それだけは確かだ。その約束だけが彼女を安らげる良薬であるというのならば、何度でもここに来る。
◇ ◆ ◇ ◆
「随分と遅かったですねリョウ」
「すまない。夕飯食べていて良かったんだぞ? 別に待っていなくてもよかったのに」
「一人で食べるご飯ほどさみしいものはありません」
もっともともいえるし、それに慣れるのも旅だとも思えるが、サーシャはそれを何年間もやってきたのか。
少しさみしいものではないかと思う。宿屋の女主人が温めなおしてくれたシチューとパン。それと果物数種類を部屋で食べる。
「そうだな。ありがとうティナ」
「お気になさらず。ところでどうしてここまで遅くなったのですか?」
ティナは邪気の無い珍しく裏が無い顔で、聞いてきた。純真な少女の如き問いかけに、内心冷や汗ものだ。
という刹那の思考の後には。
「―――って聞くまでもありませんね。リョウほど卓越した剣士様であれば、色んな武官・文官にあれやこれや言われて遅くなったのですね。ここの領主は病床で動けませんから、そのぶん本当の意味で官僚制が生きています」
ティナが、そう勝手に解釈してくれた。ここで正直に「アレクサンドラ・アルシャーヴィン」と会っていたと言えば―――。
(まぁ宿の人に迷惑を掛けるわけにもいかないよな……。うん、そういうことにしておこう)
女というものは嫉妬深い生き物であることは、身を以て知っているので、とりあえず黙っておくことにした。
「それで明日はどうするんですか?」
「傭兵選抜には合格した。そして、海賊共は殲滅出来る。俺も「遊撃剣士」として自由に動ける立場にしてもらえたからな。問題は……ルヴーシュの方だと言われたよ」
「自信満々ですね。ただエリザヴェータの方に問題ですか、何かするようにでも言われましたか?」
「いや、そちらとの連携などは武官・文官でやってくれるそうだ。ただ機会があれば準備の間に行っておいてもらえるかとも言われた。ティナはどう思う?」
サーシャが目覚める前に、城の武官・文官に一通り挨拶をすると同時にそれらの諸々のことを詰めていく過程で出来た問題。
それは河を挟んだ先にある違う戦姫に関してであった。話によればかなり好戦的な性格のようで、場合によってはこちらの領地を侵すこともあるし、領海に関しても色々とあるそうだ。
「薦められただけでしょ。あなたは今はレグニーツァに雇われている立場なのですから、ルヴーシュに気を遣わなくてもよろしいかと、第一行ったところで何を話すのですか? 戦いは船上。即ち海戦なのですから」
「まぁそう言われればその通りなんだが……何事にも万が一というものはあるだろ。その際に俺の自由行動を咎められたくないな」
シチューに浸したパンを咀嚼してから、このまま海賊退治が順調に行くとは思えないのだ。何かしらの盤のひっくり返しがあるのではないかという疑念もある。
しかし、ティナの意見ももっともだ。下手に雇われ兵ごときがその協力者に会いに行くというのも間が悪い。
(騙されたかな……)
病床のサーシャが戦場にいないという仮定であの武官たちは、自分を万が一止める存在としてエリザヴェータを利用したかったのだろう。
これがサーシャの意思を代弁する使者としての立場だとしたらば、ルヴーシュの戦姫も無下にはしないだろう。
「優れた英雄とは見方を変えれば冷酷な殺人者ですからね。武官たちの危惧もわかります―――全く、リョウをそんなことで害するなんて、せめて私が王位を獲るまではそんなことされては困ります」
「王位を獲ったら俺は殺されるのか……」
「もちろん剣士としてのリョウではなく私の夫として生きてもらいますが」
「……本気なのか?」
その言葉に一笑してから、人差し指を自分の唇に持って行ったティナに何も言えなくなる。その艶めかしさは彼女のドレスと相まって、本当に魅力的になってしまう。
とはいえ、明日の方針を打ち出さねばなるまい。ルヴ-シュに行かずともとりあえずやることはある。サーシャの身体のための薬や様々な戦支度。
この辺りの植生を見てからでなければ決められないが、一般的な薬草程度ならば作れるだろう。故に――――、
「明日は山に行こうか。どうせ数日後には腐るほど海を見ることになるんだからな」
「バイキングを殺す前にハイキングとか洒落が利いてますね」
そういうことではないのだが、まぁとりあえず方針は決まり食事も終わったので寝るという段になって、やはりティナは自分のベッドに入り込んできた。
「今日ばかりは、ベッドで寝たいんだけどなぁ……」
「ではどうぞ」「だからどいてくれ。そして自分の部屋で寝てくれ」
昨日と同じ様な問答。しかし今回ばかりは彼女の瞳と顔に怯えは無い。ある意味、覚悟を決めているとも言えるが、そんなことを軽々しく出来ない。
「女性の身体は最高のクッションなのです。それを使って寝るは男の本懐。さぁ、私は逃げも隠れもしません。どこからでも―――」
「素は夢、微睡の中に揺蕩う―――」
呪言を全て唱え終わると、いきなり来た睡魔にティナは行儀よく眠りに着いた。
昨日からそうしておけばよかったなどと後悔先に立たずではあったものの、何とか自分が寝るスペースを確保して、ティナの整った顔、長く整えられた睫毛で彩られたそれを間近にしながらも眠りに着く努力をする。
背中を向けて眠れば眠ったでその大きな胸の感触が否応なしにリョウの体温を上げる。仕方なく正面にする形で眠ることにした。
(胸板ならば、まだ理性を保てると思っていたんだけど……)
ティナの美貌と発育良すぎる身体に見当違いの悪態を突くと、リョウにも睡魔がやってきた。眠りは近いようであり、その流れに身を任せていった。
「リョウから……違う女の匂いがします……酷いですよ……あんまりです……」
―――だから、眠りに着いて悲しき涙混じりのティナの寝言を聞くことは無かった。
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「虚影の幻姫Ⅰ(前)」
拙作を読んでくれた皆様方のお陰です。更に言えばそんな中、多大な評価を下さった13名の方々には感謝感謝です。
「山はいいものですね。死んだ母にもこんなところを見せたかった」
「そんな余裕かましていていいんですかね? 現実逃避しても現状は変わらないんですよ」
「分かってるよ。そんなことは」
幻想主義者にして現実主義者な戦姫の言葉に答えながらも、足を動かす速度は変わっていない。
サーシャの時とは違う意味でとにかくその健脚を動かしていた。動かさなければ―――死んでしまうからだ。
姫抱きで抱えているティナを気にしつつも後ろを振り向くと、どんな獣を数百まとめても届かないであろう遠吠えを上げるトカゲに似て非なる生き物。
百チェートはあろうかという朱色の鱗をした竜。一歩でこちらが数百歩を踏破する生き物相手に遁走をするなどあまりにも無謀ではあったが、現状。この山という地形が自分たちに利していた。
乱立する木々を利用して時に直角に、時に水平にと縦横無尽な動きをすることで竜を翻弄してきたが、そろそろ限界だ。
「人里にまでいけば竜とて下りてこないんですけどね。深入りしすぎましたよ」
「同感だ。とはいえ、そろそろ決着を着けるとするか―――」
言った瞬間に朱色の竜―――「
山の斜面を必死に下りてきたのは、ここに誘導するためであった。
「木は無く、岩もなく、あるのは土と草の平地―――。ここで決着を着けてやる火吹き竜」
木々の間からこちらを怒りの目で見てくる竜を挑発する。背中にはティナがいるのだ。負けられない。
(前にもこんな事があったな……)
思い出すのは昔のこと、死を覚悟する前にこんなことを考えるのは、まだ死ねないと考えているからだ。
後ろに幼い姫君。前には人食いの熊。引き抜くは当時の自分には重すぎた剣だ。自分の命だけではない重さ。
それでも守らなければいけないものがあるというのならば、男は戦わなければならない。
「其は、祖にして素にして礎 はじまりにしておおもとにしていしずえとなる。高天原に神留まり坐す其の神より生まれ出ずる幾十もの神々、其は戦神、素戔嗚之神」
唱える呪によってリョウの周囲が明るくなる。緑色の光が彼の姿を照らすその緑色の光が集まりリョウの前に一本の剣を作り出した。
「それがリョウの―――、本当の得物」
後ろにて呆然としたティナの声に応える形で、その剣を握りしめて一振りすると周囲の草の殆どが、一薙ぎで倒れていた。
しかし斬れてはいない。「倒れた」状態のままでいる。
武骨な鉄剣。リョウの持つ刀に比べれば斬ることに特化していていないように見える。柄尻に何かを埋める穴のようなものがあるが、今は空洞のままである。
だがその剣を手にしたリョウを見て、目の前の巨獣は一歩退いた。だからこそ―――ヴァレンティナには、本当にこれがリョウの本気の剣なのだと実感できた。
「いざ参る」
構えたリョウが飛び出すと同時に、巨獣もまた意を決して飛び出した。
その姿は、ヴァレンティナにとっては自分が大好きな物語の中から出てきた
「で、お客さんの部屋を空けるようなんだよ。まぁ恋人同士なんだから一緒の部屋にいた方があたしゃいいと思ってるよ。というわけで四十秒で支度しな」
そんな無茶な。と思いながらも、自分の私物はそんなに無いので、部屋を空けるだけだったら自分が出ていき……ティナの部屋に行くことになる。
朝も早くから朝食を終えた途端に宿の女主人に言われたことは、「部屋」を空けてほしいということだった。
「こんなボロ宿屋に千客万来とかありえないような」
「今日の夕飯は覚悟しときなよ。塩っ辛いのと激甘のを用意してやるから」
怒られてしまった。とにもかくにもお金が心許ないのでやはり主人の言うことに従うほかなくなる。部屋の私物。旅袋一つを持ちティナの部屋をノックする。
「どうぞー。私たちの愛の巣にノックはいらず「おかみさん、少し金を高く積むからやっぱりその部屋、俺が使うよ」ちょっと!」
早くも掃除用意をし始めた主人にそんなことを言うと同時に、襟を掴まれて部屋に引きずり込まれた。
引きずり込まれて最初に見えたのは、怒った顔をしているティナの顔であった。こちらを見下ろしている彼女に悪いと言いながらティナの部屋の内装は随分と変わっている。
恐らくエザンディスの転移能力で色々と自分の城から持ってきたのだろう。だが一番には様々な衣装がクローゼットに納められていることだ。
一番手前に折りたたまれているは自分の買った服であることが嬉しい。
「一緒の布団で寝た仲なのに、何で嫌がるんですか?」
「変な言い回しするな。山に行く前に寝袋でも買った方がいいかな……いや、すまん。だからその大鎌の石突で喉を押さないでくれる」
笑顔のまま怖いことをしてくるティナに対して、両手を上げて降参をする。
「全く、ここまでの美女が誘っているというのに手も出さないなんて本当に……実は男色家なのでは」
「そんなわけあるか」
真面目な顔でこちらをのぞき見てくる戦姫に言いながら、今日の予定の準備をする。
その中でも標準的な装備として、山に行くのならば弓を持つのが相応だろうが……。少し考えてそれをやめにした。
だが、こちらの準備を見てティナは疑問を感じたようだ。
「弓は持たないので? 短弓程度ならばこの辺の武器屋でも売っていますよ」
「……まぁその色々あるんだよ。俺の秘められし過去というやつだ……」
「心底嫌そうな顔で言っていなければ影のある美形として見えましたけれど、そんな風には見えませんね」
ティナの言葉は間違いなく、今の自分は本当に思い出したくないことを思い出した顔。苦虫をかみつぶしたような顔をしていると認識出来た。
実際、それは自分の武士としての汚点の一つでもある。
「それじゃ山への道中はそれを話しながら行くとしましょうか。リョウの昔話を聞かせてください」
「ああ、それはいいんだけど……せめて向こうを向けとか色々言ってくれ。男に着替えを見せるな」
色んな意味で彼女と一緒にいることは自分の理性を試されるということだと今更ながら理解してきた。
◇ ◆ ◇ ◆
「おかみさん。それじゃ俺たちはちょいと出るから」
「あいよ、気を付けて、そんじゃお嬢ちゃん。この台帳にサインをお願いできる」
「わかりました」
宿の逗留客だろうか。フードを重く掛けていてこちらからでは容姿の仔細はわからなかったが、二人の男女が自分の後ろを通って外に出て行ったようだ。
その時、少しだけ自分の持つ小さな戦斧が震えたような気がしたが、気のせいだろう。
「しかし一泊でいいのかい? 嬢ちゃんがどうしてそんな旅がらすをしているのか探る気はないが、それでもゆっくりしていけばいいのに、御代は勉強させてもらうからさ」
「……色々と事情があるんです。ごめんなさい」
「いいよ。こんな稼業だと色んな人を見てるから余計なお世話をやきがちになってしまうんだよ」
女主人の気遣いは嬉しい。だがここに長居することは出来ない。ここは戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィンの土地でもあるのだから。
自分は自分の領地を捨ててこんなことをやっている。己に課せられたものを投げ出して、他の戦姫の恩恵ある土地に泊まることはあまりにも不敬だ。
だから、こんな放浪の旅をしている。一泊だけなのはそういう後ろめたさもあったからだ。
(次はブリューヌにでも行こう。その後……お金を貯めてヤーファにでも行けば何かが掴めるかもしれない)
フードを外して、その
案内された部屋は上等とは言えなかったが、それでも自分の路銀ではこんなもんだろうとして、納得させることにした。
「注意点としてはこの階には騒がしい男女がいるんだけど、きっと身分違いの駆け落ちだろうからさ。あんまり気にしないでくれると助かるよ」
「問題ありません。親しい男女が騒がしいのは自然な流れですから」
「いやそういう意味じゃないんだけど……っていうか嬢ちゃん随分と耳年増だね」
宿泊するうえでの注意点に付け加えてさり気に失礼なことを言われたような気もするが、それよりも早くベッドに入って休みたいと―――戦姫オルガ・タムは思った。
◇ ◆ ◇ ◆
「? なんでしょうか? どっかで見た顔を見たような気がしたのですが……気のせいでしょうか?」
後ろを振り返り宿の方をしきりに見返すティナを少し急かす。レグニーツァの城下町を歩きながら、街道へと抜ける道へと足を向けていると自然と公宮の方へと目は向いてしまう。
ここからでは無論、見えないのは当たり前なのだが、それでもあそこには病床に伏せた一人の女の子がいるのだ。
(血の病か……呪いの可能性もあるが、やはり一番には内科処置からやっていくべきだろうな)
重い病人を治すには、まず粥を与えて穏やかな薬を飲ませ五臓が整い、体が回復するを待って肉食をもって元気をつけ強い薬を与えれば病気は治る。
現在、サーシャに処方しているのは苦いとはいえ穏やかな薬だ。これから山に入り取る薬草などは、全て劇薬とも取れるものだ。
(呪縛を解くにしても体の変調を解かなければいけないんだ)
そう考えていたのだが、考えを読んだのか不機嫌な面構えでティナがこちらを睨んできた。
「なんか凄く嫌です。何で公宮の方を見ていたんですか?」
「いや、まぁ色々と考え事を……というか近い近い」
上目使いに睨んでくるのが男であればこの上なく嫌であるのだが、絶世の美女がそれをやるとどうしても怒る気も起きない。
しかし「他の女の事を考えていました」などと正直には言えない。さすがに自分とてそのぐらいのデリカシーはある。考えていた時点でデリカシーも何もあったものではないのだが。
「にしても弓を持たないなんて本当にどういうことですかリョウ? シカなどが現れたらどうするのですか?」
「はっきり言おうティナ。俺は弓が大の苦手なんだ。武芸の師からも『お前は弓による射戦の際には射るな。その後の突撃戦で如何なく力を発揮しろ』とか言われてしまうほどだ」
げんなりしつつも、ティナに言うべきことを言う。少し呆然とした顔をするティナには悪いが、事実なのだ。
「それでも遠くの敵から矢を射かけられた時にはどうするのですか? アスヴァールには長弓の兵団もあったはずですが……」
「確かにあれには苦労させられた。エリオットなんて愚物にはもったいない腕前の集団だったから良く覚えている」
ヤーファが誇る弓の名門『日置流』の弓術士にも負けぬほどの弓の腕前だった。しかしながら馬上から射る流鏑馬(やぶさめ)が一般的な武士との違いでもあるのだが、接近してしまえばそれだけで終わりだった。
第一、一発引くごとにあれだけの時間がかかってしまうと、多くの部隊を組織出来ていても――――。
「正面ではなく側面に回り込んでしまえばいいだけだ。騎兵の機動力を活かすわけだ」
「そんな簡単にいきますかね?」
「狙いを付けた時点で、弓を引っ張った。その間に照準を外せばいいだけだ」
短弓などによる面制圧の矢ではないのだから躱すのは容易だ。一発を打ち落とせば次の行動に対する余裕が出来る。
もっともそれを実践しただけだ。などとタラードに語ったらば、「言うは易し、行うは難しとはお前の故郷の格言だろう」などと皮肉を込めて言われた。
三百、四百アルシンの距離を踏破して側面に躍り出る。それが出来なければ打たれるだけだ。
「弓が使えないから剣や槍の腕を磨いた。もっともやっぱり一番使えるのは剣だな。だから弓上手には羨望を覚えてしまう」
正直怖いのだ。どんなに勇気があってもそんな遠距離から殺意の意思が飛んでくるというのは。けれど自分の弓は、十チェートも真っ直ぐ飛ばないお粗末なものだ。
「なんでそんな風なんでしょうね? 私もエザンディスに選ばれる前はサーベルや槍も使っていましたから、武は全てに通じると思うんですけど」
ティナの言葉は真理だ。だが世の中事実と理だけが全てを決めるわけではないということもままあるもので。
「予想はあるんだよ。俺の遠いご先祖様というのはヤーファともまた違う国の王族だったそうで、その先祖曰く『槍や弓は兵の武器であり、剣は王の武器である』とのこと」
「随分と狭量なご先祖様ですね」
「全くだ。それ以来、連綿と坂上よりも前の家の血が凝縮されて俺は弓が全く使えない器用貧乏になってしまったんだ」
タラードの技量に羨望を覚えたし、エリオット配下のハミッシュなる弓兵にも羨望を覚えた。
だが彼らではないとも思えた。この西方の真なる光は――――。自分の剣が閃光だとするのならば、その閃光に勝るとも劣らぬ弓技を見せてくれなければ困る。
「まるでブリューヌ王国の思想ですね。あの国も弓を蔑視して剣や槍での大乱戦こそが戦の正道としていますからね」
ジスタートとは山脈を挟んで隣り合っている王国。ブリューヌ王国の戦の作法とはそういうものらしい。
ティナに言わせればジスタートも蔑視とはいかずとも、戦の勝敗を決める要素ではないとしている。
「この西方では戦いとは手段であり儀式でもありますから、戦神トリグラフや神王ペルクナスなど天上の神々に対して恥じることのない戦いをせよという意味でも長距離兵器による蹂躙戦を忌避しているかと」
「なるほど」
ティナの説明は明快であり真理の一つであった。だが人死にを夥しく出すよりはいいんじゃないかと思うのだが、それが彼らのメンタリティなのだから、それに対しては特に何も言わない。
「けどそれだけならばただ苦手でいいじゃないですか? 何でそんな嫌そうな顔をしていたんですかリョウは」
「そこをツッコむのか君は……、様々な上役との付き合いの通例行事として王族や貴族なんかが集まっての獣狩りというものがあるだろ」
「この辺りでは狩猟祭などと言いますね。それがどうしたんですか? 本当に苦そうな顔をしていますよ」
その言葉と同時に門兵に見送られながら街道へと出た。空の色は変わらず晴天。あの日もこんな天気だったと考える。
―――坂上 龍がまだ十になった頃の話。武士の息子の殆どは己の武芸の鍛錬のほどを仕えている大名や将軍の前で晒す場を与えられる。
その場において龍は負け知らずであった。三段の斬りつけも、一太刀に全てを掛ける斬も、平突きも。同年代の卓越した剣士はもちろんそれよりも上の剣客相手にも勝てていたのだ。
剣術においては天賦の才があったであろう龍は、天狗になっていたのだろうか、いや今でもあの時の自分は天狗になっていたと思っている。
結果として、その後にもっと上の「帝」の狩猟会に招かれた際に―――失態を犯してしまった。失態というほどではないが、それでも得手があれば不得手もあるという好例となってしまっただけなのだが。
「俺の弓が射抜けたものは土と草だけだった」
「……悲惨な話ですね」
「野兎なり雉でも狩れればよかったんだが……というかそんなに同情した目で見ないでくれ」
思わず目を背けて穴があったら入りたい気分だ。いまのアタイを見ないで。
ティナはそれで納得してはいたが、続きを話そうかどうしようかという気分だ。
この話には続きがあった。失意の中、大人達が酒宴を開き慰めてくれるということを子供ながらの反発心で飛び出した龍。
そんな龍は「神熊」の住む山に入り、野生の熊を仕留めてやろうかという時に―――彼女が現れた。女とも男とも言える格好をした人。
今だから彼女と言えるが、当時の自分はその判別が出来なかった。そんな彼女は山に入ろうとする自分に問いかけをしてきた。
『その剣で熊を仕留められるのか?』
『仕留められる。俺はこの剣だけでなく他にも剣を持っているから負けない』
■■の剣客は不敗であり絶対必殺を誓っていると得意気に話し、これは「帝」様を守る剣だと自慢していた。
『そうか。ならばその剣で私を襲うだろう熊を撃退してくれるな』
と言い放つとその子は自分より先に山に入っていった。言葉の意味を斟酌していた龍であったが、それよりも先に危ないと思い、その子の後を急いで追った。
―――後にその女の子が自分が守ることになる「御館様」であり、ヤーファの最高権力者になることなど当時の龍には全く理解出来るはずもなかった。
そうして心の中で、陛下のことを思い出すとその姿が前を歩くティナの姿に重なって似ているような気もしてくる。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない。さてとこのジスタートの山にはどんな獣がいるんだか」
視線を感じたティナに応えてから鹿か熊、猪の類でもいるかと思っていたが、一瞬にしてティナはこちらの予想を崩してきた。
「竜がいます」
「……は?」
呆然としたこちらに再度念押しするようにティナは繰り返す。
「ですから竜がいますよ。お隣のブリューヌにも度々現れるのですが、この西方では野生の竜が山に棲んでいるのです」
なんでもないことのように言うティナだが、つまりはあの巨大な獣がこの西方大陸では珍しくないとのことだ。
アスヴァールでは腐敗の吐息を吐く邪竜を殺し思いがけず「竜殺し」の称号を得たが、この地ではそうでもないのだろうか。
「ああ、別に竜を頻繁に見るわけではないですよ。ただ山を入っていくとそういうのを見てしまうんです。ただ竜は街までは降りてきません。だから出会ったら不運としか言いようがない天災です」
「恐ろしいな。まぁ我が国でも神代の狼や猪を見ることもあるが、それでも竜か……」
武芸をするものにとってどんなものよりも恐ろしいのは、己の武器が全く通じない相手と戦うことだ。
「ちなみにこのジスタートでは黒鱗の竜と幼い竜は殺すことは許されません。とはいえ鋼の武器を通さぬ身体の前では殺すことも至難なのですが」
建国王の化身であったであろう黒竜を害することを許さない風習は根強い。だがそもそも黒竜自体見掛けることはない。
「まぁよほど運が悪くない限り、そんなことは無いですから安心してハイキングに行きましょう。青空の下で食べるご飯は美味しいですから」
「それはもっともだな。運が悪くない限りそんな不運はないだろうさな」
不安をかき消すようにティナと笑いながらレグニーツァ近郊の山の一つに入っていったのだが―――つくづく、自分は不運なのだとこの時ほど実感したことはない。
その山はこの辺りでは「火竜山」と言われ、レグニーツァの先住民族発祥の地であり、かつ「活火山」から「休火山」になっている山。
火の影響を受けたその土地は肥沃な穀倉地帯を形成しつつも、火竜にとっても住みよい土地だったのだ。
† † † †
「で、これが死体を兵士に出来る玉というわけだよ。これさえあれば君たちは無限の兵力を得たことになる」
笑いながら語る青年の周りには、ムオジネルから買い入れたもしくはムオジネルの商船を襲って手に入れた奴隷達の死体が山と出来ている。
その中には自分の部下もいる。ぞっとするほどの手際であった。海賊船のまとめ役。船長フランシスは現れた男に恐怖していた。
だが本当の意味で恐怖するのは、その玉―――磨き抜かれた宝玉(オーブ)が光り輝くと同時に、死体は動き出した。
生気の無い目で死んだときの有様のまま動き出すそれは正に死体の兵士。オーブを持った相手に従っている様を見ると、確かにそうだ。
「お前は死神か……もしくはティル=ナ=ファが暗黒をまき散らすための使いか……?」
「女の使いっぱしり扱いされるのは性分じゃないね。ただ嫌いな女を殺すのは好きかな。そしてその女が泣き叫ぶ様もね」
ぞっ、としながらも自分に投げ渡されるオーブ。そしてそのまま気楽な様子で塒としていた祠から去っていく青年。
そして更に祠の外の砂浜には大量の食糧と―――青色の鱗の細長い蛇のような獣が三頭ばかり鎖に繋がれていた。
大量の食糧の内訳としてはこの獣のエサの割合の方が多い。どうあってもこちらがジスタートを襲うように必要な量を運んできたのだろう。
「待て、ここまでするお前の目的は何だ。俺たちに味方して何の利益があるんだ」
「だから言っただろ。女の泣き叫ぶ様が好きなんだよ。特に戦場に生きる誇り高き―――戦乙女のね」
つまりこの男は、自分たちが戦姫達の領地を襲うと踏んでこれらのものを寄越したのだ。
振り返りながら言ってきた男は、その後―――小舟でどこかに去って行った。おぞましき気配を身に沁みこませたその男が消えるまで安心は出来なかった。
「不気味な男でしたね頭ァ」
「だが有用なものを寄越してくれたのは間違いない。ジスタートの戦姫は一騎当千の存在。それを相手取るのに無限の兵士と竜というのはいい手段だ」
もっとも死体とてもとは人間なのだから、その人間の死体をどこから調達してくるのかが問題であるが、殺した敵の兵士も含めればいいだけだ。
更に言えば骸骨も死体なのだから、墓場を荒らすのも一つだ。
「食料は何日もつ?」
「五日は全員が腹いっぱいくえますぜ」
「ならば、それを一週間に絞れ―――適度な飢えを抱いた状態で勝利と欲求の発散の為に全員に禁欲令を発する。その上でジスタートを襲う」
「女はどうします?」
「それも禁止だ。どうせ一週間後には、もっと上等の女を手に入れられる。場合によっては戦姫も手に入れられるかもしれんぞ」
いやもしかしたらば領地そのものすらも奪えるかもしれない。それほどまでに今、自分たちの戦力は充実している。
「ムオジネルの火砲に、ザクスタンの新型投石器―――俺には勝利と栄光しか見えんよ」
風が、運が向いてきた。そうとしか言えないと思って黒髭海賊団船長フランシスは高笑いを上げた。だが、その運命は容易く一人の剣士によって覆されることになる。
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「虚影の幻姫Ⅰ(後)」
「で、どうしてこんなことになっているんだか……」
「本当、あなたって騒動とか不運とかそういう星の下に生まれているんですね」
「野望に塗れた腹黒女に絡まれたりとかも加えとけ」
と言った瞬間にこちらの頬を笑顔で引っ張るティナ。だからといって痛いだの何だの言うわけにはいかない。
後ろを振り返ると、そこには轟音を上げる獣の王。獅子ではなく―――竜が迫ってきていた。
しかも朱色の鱗。ティナの説明によれば、火竜(ブラーニ)という種類であり、その炎は―――。
竜の口中に溜め込まれていた炎が一気に吐息と共に辺り一面に広がり、木々と岩が炎に包まれていき――――。
「岩すらも溶かす―――か」
残ったものは炭一つ無かった。焼け焦げた大地一つだけがその熱量を物語る。
こちらからの有効な手段は無い。山の斜面はこの竜にとっては独壇場だ。逃げ切れるか逃げ切れないか。
掛けていた御稜威の力を解き、竜の方に御稜威を及ぼす。
「素は重、背に野槌、十重の大岩、二十重の大山、火圧し、地歪め、風鈍る」
媒介こそ無いものの、あれほどデカければ特に苦も無く重圧の負荷がかけられるだろう。しかしながら、行き足が少し鈍っただけでそれほどの影響は無かった。
(こういうのはどっちかといえば道士や陰陽師の領域なんだよな)
己の身体を変革することには慣れているが、他のものに対して影響を及ぼすのは苦手だと言い訳をしておいてから、再び軽量の御稜威をと思った瞬間に浮遊感が襲った。
「リョウの御稜威をもう何種類か見ておきたいところですが、まぁ命の危険には変えられませんね」
「ありがとう。おかげで距離が稼げた」
このまま下山できるかと思いたいが、この山の中ではなかなかにティナも集中力が削がれるということらしい。
どこを見ても同じ光景だからなのか、それともこの土地の霊力が関係しているのかは分からないが。
一番に考えられるのは「磁場」が狂っているのだろう。
「にしても随分と追ってきますね。余程気が立っているんでしょうか?」
木々に身を隠しながら木々の奥でまだ何か巨大なものが這いずっている音が聞こえてくる。どうやら追うのを諦めていない。
諦めていればその音が山頂の方に遠ざかっていくはずだからだ。
「竜にも繁殖期とかあるのかな」
あそこまで凶暴になるというのはそういう時期なのかもしれない。もっとも竜の生態というのはこの西方でもまだまだ分かっていないことが多いそうだが。
「リョウってば野外が好みだなんて趣味が危ないですよ」
この女の脳内でどれだけの意訳がされたのか若干興味がありつつも、どうしたものかと考える。
周りの木々は青々と生い茂っており、夏の季節に恥じない育ちっぷりだ。同じくあの竜も久々の肉の味に飢えているのかもしれない。
「とはいえ、いつまでも付き合っているわけにもいかないな。薬草も十分採ったし、これ以上はいる意味が無い」
「ごめんなさい。エザンディスの転移がここでは何故か短距離しか出来ないんです」
「気にしてないさ。ただティナその短距離転移を何回か繰り返して、何とか平地に出ることは出来ないか」
「平地……ですか?」
「ああ、見える範囲に収まればそこに転移は出来るだろう。そこで―――決着を着ける」
あの巨大な竜から完全に逃げることは不可能だ。どこかで痛撃を与えておく必要がある。それが出来れば安全に逃げられる。
出来うることならば殺したくないのだ。だがそうはいかないだろう。そしてティナに語った自分の本当の得物を晒すときかもしれないとして気を引き締めた。
「そうですね。このエザンディスは集中力もそうですが何より体力をかなり使いますので」
「ので?」
その続きは、ティナはこちらの首に手を回してくることで言葉の代わりとした。耳元に吹きかけられる甘く切なげな吐息が、言葉を代弁しているように感じた。
――――私を物語に出てくるヒロインのように姫抱きしてください――――。
◇ ◆ ◇ ◆
「では、この内容でよろしいですね」
大きな机を境に、瞳の色が左右で異なるドレス姿の少女は、取り決めにサインをした書状を見せながら了解したかどうかを聞いてくる。
「僕としても異存はない。ただこの場合、君達の割り当てが少しばかり多くなるのだけどいいのかな」
机の境の片側にていつもの平服ではなく戦装束。何年も着ていなかったのではないかと思われるぐらいに、久しぶりな服に袖を通した黒髪の少女が疑問を呈する。
ジスタートが誇る七戦姫の内の二人。エリザヴェータ・フォミナとアレクサンドラ・アルシャーヴィンは、この時、海賊討伐の戦場での取り決めに関して喧々囂々(むしろエリザヴェータのみ)の争いをしていた。
「ルヴ-シュの兵は精強であり何より私に心より従ってくれる信の兵です。傭兵募集をしているあなたの領地の軍よりもよく働きますわよ」
鮮やかな赤い髪を掻き上げながら言うエリザヴェータ。それはあからさまな挑発だった。
公宮務めの武官の一人が顔を赤くしてサーベルに手を掛けようとしたが、その武官を振り向かずサーシャは手で遮る形で抑えた。
一触即発の状態を手の平一つで鎮めたサーシャであったが、彼女が態々苦しい戦いをしてくれるというのならば、レグニーツァにとっては不利益は無い。
だが、それ以上に何かしらの事情が見え隠れもする。実際、彼女も当初は傭兵募集を掛けていたはずなのに、一度雇った連中に違約金まで払って、追い返したのだ。
(間諜でもいたのかな。どうにも焦っているように見える)
詳しい事情は分からないが、レグニーツァ側としては作戦行動に不満もない。戦利品の分配にかんしても異論は無い。不測の事態が起きた場合はお互いに協力してこれを打ち払う。
不測の事態というものが、どのようなものかと仮定する必要もあるが、海賊が邪神と契約していて訳の分からん呪術を使ってきたり、海の竜がいきなり現れて襲って来たりと。
考えれば馬鹿馬鹿しいものから、ありえそうなことまで何でもござれである。そんなことまで考えていては何も出来ない。
「ところで起き上がっていて大丈夫なの?」
「心配してくれるのかい?」
エリザヴェータの言葉に、微笑を零しながら言う。自分が起き上がって、しかも戦装束で現れたことが彼女にとってはとても想定外だったようである。
「病人は病人らしく寝ていた方がよろしいかと」
彼女の言葉は挑発もあるが、心配も含まれているだろう。彼女とエレンに起きた顛末は何気なく聞いている。だからこそだろう。
「苦い薬ばかり飲まされてね。良薬は口に苦しという言葉の通りで―――今は、この通りだ」
戦場に出れるかどうかは分からないけれどね。と含みを持たせた言葉でエリザヴェータをけん制しておく。心配を少しはしてくれた彼女には悪いが、自分とてこの土地を治めている領主なのだ。
甘い考えばかりではいられない。
(リョウが何かしら良い薬を取ってきてくれるらしいからね。にしてもここまで身体が動くとは)
無茶をすれば剣を振るえるだろう。だが無茶をしなければ普通に生活することは可能となっている。
「……あなたの雇った傭兵には随分と毛色の違うものがいると聞いているけれど、彼が余計なことをしてくる可能性は無いのかしら」
「誰のことだい? 申しわけないが君の軍と違って僕の軍はいい加減でね。どんなに卓越した腕でも傭兵風情は傭兵風情として雇わせてもらっているよ」
「………」
こちらのはぐらかしに怒りの表情で押し黙るエリザヴェータ。十七歳の少女に対して少し意地が悪かったかと思いながらも、自分に仕えてくれている武官を侮辱されたのだ。この程度の仕返しはさせてもらう。
そうしてからこちらの少しの器の大きさを見せつける。
「冗談だよ。東方剣士リョウ・サカガミのことだね」
「彼がヤーファの意を受けた間諜の可能性は無いといいきれますか?」
琥珀色の右目の眦を上げながらエリザヴェータは問いかけてくる。
「言葉から察するに彼は、故郷ではそれなりの地位にいるようだ。ただ彼の言葉を信じるならばヤーファにはそんなつもりは無いらしい」
西方侵略という脅威の可能性をサーシャも考えたが、彼の言葉にはそんなつもりは無さそうだった。
それならば、アスヴァールの争乱を完全に納めた上で親ヤーファ政権を樹立させて西方侵略の橋頭保にしただろう。
「額面どおりにそれを受け取ったのですか」
「まだ断定は出来ない。ただ彼が暴走した時は、僕が責任を以て食い止めよう。彼を雇ったのは僕だからね」
言葉でそう言いながらもそんな疑うようなことはしたくない。彼には大きな借りもあるし、何よりどこか好きになってしまったのは事実だからだ。
「……いいでしょう。ではお互いにどちらかが敵を発見したならば、これを撃滅するために全力を尽くす。お互いの物見の目と間諜の実力に期待しましょう」
「同感だね。見送りはいるかい?」
「結構です。ではアレクサンドラ、出来うることならば戦場で武を競い合いましょう」
踵を返して己の武官と文官を伴い退室をするエリザヴェータ・フォミナを見ながら、あれぐらいの歳のころの自分はこんな感じだったろうかと思う。
自分としてはもう少し落ち着いていたかもしれないが、それはただ単に自分の運命を自覚していたからだけにすぎない。
(考えてみたらばわざわざ他の戦姫に自分の実力で黙らせるなんてことをやっている時点で僕もエリザヴェータと変わらないのかもしれない)
苦笑してから、現実に対処をする。地図に記されている近海の島々。この中に海賊共の塒があるはずなのだ。
それを発見出来ればいいのだがという思いで見入ろうとした時、文官の一人が声を上げた。
「しかしアレクサンドラ様、よろしいのですか? このような条件をお受けになられて」
「なんだみんなそんなに血に飢えていたのか? それは気付かなかったな」
「人をまるで殺人鬼のように言わないでください」
「わざわざ大変な役目を他の奴が率先してやってくれるんだ。後方支援だけはきっちりやれば文句は無いよ」
文官にその旨を伝えると渋々ながらも引き下がる。本当の所は戦利品の分配なのだろう。
海賊共が何を持っているのかは分からないが、金銀財宝を溜め込んでいた場合。あちらが多くを持っていくことになるだろう。
「僕が戦場に出る以上。第一の軍規を定めるとしたならば「利得」よりも「命」を大事にしろ。それだけだ」
どんなに財貨を大量に得たとしても心臓ひとつ人間ひとり失えばそれは財貨以上の損失となるのだ。
用兵上手の将が一人失われればそれは金貨一千枚でも賄えまい。兵士一人にしてもそうだ。
公国の兵は「常備軍」でありブリューヌなどのように、領民を徴兵しているわけではないのだ。
練度もそうだが、かかった金の額が違う。だが、それ以上に―――命を大事にしなければ戦には勝てない。
「死んでは勝利の美酒も何も無いんだ。それが承諾できないというのならば、この場を辞してくれ」
故郷を蹂躙する蛮夷を倒す義憤は結構だが、それで死んでしまっては元も子もない。
だからこその言葉であることはこの中にいる全員が理解している。そしてこの戦姫が示した軍規がどういった心情で発せられたのかを理解しないものはこの場にはいなかった。
頭を低くして改めて自分たちの領主を拝跪した部下たちに頭を上げるように言うサーシャ。
「さて、では現実に対処するとしようか。場合によっては上陸作戦もするようだからね」
地図にあるどこかで海賊共が英気を養っていると思うと腸が煮えくり返る思いだ。
「マトヴェイに一時的に海軍総督の地位で探らせますか?」
「それはいい。しかし見つからないだろうね。彼は何度もあの辺りの航路を取っているから海賊がどこら辺にいるのかを探っているそうだ」
アスヴァ―ルとジスタートまでの航路の間にもある全ての小島をまさか探るわけにもいくまい。
「こういっては不謹慎ですが楽しそうですな」
紙の報告書を携えた老従僕がいつの間にか自分の側に来て、そんなことを言う。
「まさかマトヴェイが『連れてきた特効薬』がここまでアレクサンドラ様に効くとは思いませんでしたな。心身…いえ、心の部分だけでもあなたを全快させたことは勲章ものですよ」
「……そういうのは下種の勘繰りだと思いませんか?」
平素の小娘な感覚で発した言葉に老従僕は、『竜具で蜃気楼を作ってまで、男に会いに行くなど年頃の乙女にしか思えませんよ』と小声で言われて顔が赤くなるのを隠せなくなる。
紙の報告書にさっと眼を通してから老従僕が言う心の部分を全快させた特効薬は、今何をしているのだろうかと思い窓の外の景色に眼を移した。
◇ ◆ ◇ ◆
体当たり。その重量と質量を活かした攻撃に特に何をするわけでもなく前に出ながらリョウは体捌きで躱す。だがその速度は尋常ではなかった。
横で見ているティナはそう感じた。土砂が吹き上がって世界が茶色に染まった。それを遠吠えで消そうとしたのかそれともただ単に吠え猛りたかったのかは分からないが、火竜は轟音を上げた。
鼓膜が砕けそうなそれを前にしながらも、リョウの動きは変わらなかった。火竜の尾が接近しようとする剣士を打擲しようかという時に、その尾が宙に舞った。
(尾を斬った!? あの剣で……)
だがリョウの目は尾には向いていない。まるで鬱陶しい虫を追い払ったかのように、剣を振り上げていた。そのままに火竜に接近している剣が腹を斬ろうかという時に、身体を回転させてリョウに牙を向けて噛もうとする。
巨大な頤に生える太すぎる牙がリョウに食い込む。そんな予想は一瞬で無くなった。身体を回転させてリョウを視界に納めようとした竜からは消えていたのだ。
また横かという時に、リョウは空から降ってきた。その剣―――直刀、太刀というものを下にしながらの急襲。巨大すぎる竜の首の付け根。そこを狙ったのだろうが、身じろぎした時に外れて背に突き立ち盛大に血液を流す火竜。
痛苦に身を捩り、背中にいるリョウを振り落そうと滅茶苦茶に動く火竜。粉塵が舞い上がり時折吹かれる火炎が草を燃やしていく。
だがリョウはそんなことに頓着せずに、背に刃を突きたてながら尾の方まで走っていく。
「はっ!!!」
途中で固い何かに当たったのか、気合い一声で背開きの作業を終えて刃を抜いて地面に降り立つ。
火竜は復讐の好機として、遠吠えを上げながら火炎を吹いた。
「リョウ!!」
その火炎は完全にリョウを包み込んだ。最悪の想像がヴァレンティナに過った。その火炎の過ぎた後に―――リョウはいた。
「大丈夫だ。問題ない」
「いや、問題ありますよ!! 何ですかその剣は!?」
思わず突っ込まざるを得ないのは、その剣の形状が少し変形していたからだ。直刀を基点にして大きな刀身―――氷で出来たものが形成されていた。
その剣が炎を無力化したのだと気づくと同時に、良く見ると空洞であった柄尻の穴に何かが埋め込まれていた。
「氷蛇剣と俺は読んでいる。これが俺の持つ神宝にして神剣―――「クサナギノツルギ」の力なんだよ」
血振りをするように氷の刀を下にしたリョウ。その様子に火竜はたじろぐ。
まさか自分の火炎攻撃が無にされるとは思っていなかったのか、だがその答えはリョウが出してくれた。
「そうだな火竜。お前にとっちゃこいつは同胞みたいなものだな。黒竜の化身が与えた竜具と何が違うかは分からないが、こいつはお前と同類だ。だからお前は―――恐れている。オロチの力を」
言葉に舐めるなとでも言わんばかりに火竜は爪を振るってきた。リョウはその攻撃を受け止めて、受け流す。力の移動が絶妙だ。
武を嗜むティナだからこそその動きの精妙さ技術の高さに惚れ惚れしてしまう。だが、なぜリョウは先ほどのように体で捌かないのか少し気になった。
これに関しては火竜の作戦勝ちであった。先程までの一連の攻防は火竜が無謀な突撃をする「前」からの読みで動いていたのだ。
リョウの剣とは始点から終点までの道筋を描くのと同様であり、それが成されなかった時に再び始点を作ることが必要となる。
神速にも思われたリョウの速さとは「剣速」「身速」「読速」の三つを以て行われる。左右の竜爪の攻撃は単純だが、それが竜の膂力を以て行われれば必定リョウでも難儀する。
(豪剣の使い手を何度も相手しているようなものだ。だがまぁ力だけに頼った動きでは俺を倒すことは出来んよ)
氷の剣の面積が減っていく。ヴァレンティナは飛び出し、援護をしようかと思ったがリョウが目で制してきた。
(私の方の動きも読めている―――リョウにとってこれは窮地ではないの?)
竜具に選ばれた戦姫には、人間を超えた超抜能力とでも言うべきものが与えられる。中でも己の体力などを消費して放たれる竜技(ヴェーダ)は、放たれれば尋常の者には容赦なき死を、超常の者にも痛撃を与える。
(百チェートを超える竜相手では一撃では無理でしょうけど私の竜技とリョウの刀でなんとかなるはず)
けれども、危機感が無くなる。リョウはここで死ぬような人間ではない。そんな直観が存在している。だから本当に彼が窮地になった時に自分のとっておきを晒す。
ヴァレンティナの決意と共にリョウの動きに変化が起きた。爪の鋭さと手の大きさを利用した叩き付けに負けて剣が地面突き刺さる。
狂える巨竜は、そのままに体を動かそうとしたがそれは為されなかった。身体が動かないという現実の前では―――。
(凍っている!)
見ると朱色の鱗の竜手が青く変色して、そして、突き立った爪の地面には霜が降りていた。
「氷の剣の面積が減っていたのは、溶けていたのではなく火竜を凍らせるためだったのね」
「そういうことだ!」
最後の仕事として地面を凍らせたクサナギノツルギを引き上げたリョウは「剣速」「身速」で首を横に移動しながら斬ろうとしたが、炎を自分の手に吹き付けた竜はそのまま――――「空」に飛び上がった。
「んなっ!?」
「びっくりですよ。こればかりは流石に……私も見たことありません」
あの火竜は―――混血だったのだ。「飛竜(ヴィーフル)」と「火竜(ブラーニ)」の二つの特性を持つ竜であったのだ。
「あの時、斬れなかったのは――――翼の骨。―――肥大化した肩胛骨から伸びる翼だったってわけか」
迂闊とはいえ、これを予測出来るという風なのが難しい。何せ、あの竜の翼は今しがた生えたような気もする。
「しかし不味いことになった。あの竜だがどうにも正気じゃないっぽい」
「わかるんですか?」
遥か高みまで上昇を続けていく火竜を前にしてティナもこちらにやってきて詳しく話を聞く。
「原因は分からないが、何かしらの施術をされて狂わされている。このままだとレグニーツァに被害を出すかもしれない」
だが、火竜は既に空高く舞い上がり、こちらを睥睨している。その顔がこちらにだけ向いていればいいが、もしも街の方に向かえば。
「ここで仕留めなければいけない―――けれど……」
弓でもあれば、いや弓でも届かない距離だ。あそこまで高く上がってしまった存在を倒すものはない。せめてこの剣を撃つことが出来る「魔弾の使い手」がいてくれれば。
無いものねだりは出来ない。一か八か軽量化の御稜威で地面の縛りから解放されてあの竜に肉薄するのも一つ。
「エザンディスの転移で空中に出ますか?」
「まだこの山の影響から逃れられていないんだろ。下手すれば激突死だ」
「じゃあどうするのですか? このままでは大勢が死にます。そんなことは容認出来ません。私は戦姫である前にジスタートの貴族なのです」
彼女の悲痛な叫びに、最初の案で何とかしようとした時に、甲高い音が響く。何かが鳴り響く音。それはどんどん高くなっていく。
「これは……」「鳴り響いているのはお互いの武器か」
こんな現象は初めてだ。そして埋めていた「氷の勾玉」が外れて、「虚無の勾玉」が自動的に剣に嵌め込まれた。
瞬間。自分たちの脳裏に「出来ること」が直接伝わった。頭痛すら伴うそれを行うのに迷う暇は無い。狂える火竜は今にも街に向かいそうだ。
視線でのみお互いに応答しあい空中にいる火竜をはったと睨みつける。お互いにお互いの攻撃が出せる間隔を置いて、行動を開始した。
同時にエザンディスが光輝き、またクサナギノツルギも光を発する。
光り輝く得物を手に、お互いに虚空に向けて見えぬ敵。悪霊を打ち払うかのように凄烈な斬撃を放ち。お互いに虚空に居ない観客。祖霊を称えるような剣舞を披露する。
ヴァレンティナとリョウの舞は光の粒を周りに振りまきながら終わりがないかのように思えたが、終焉はあっけなく来た。
今まではお互いに周囲を付かず離れずの踊りを披露していた男女はお互いを正面の視界に納めた瞬間に、ヴァレンティナは上段からエザンディスを振りおろし、リョウは下段からクサナギノツルギを振り上げた。
鎌刃と刀身がぶつかり合い、甲高い音が鳴り響く中、二人はこの剣舞に対する名称を叫んだ。
『天之瓊矛=天之逆鉾』
上空を飛ぶ火竜にとってそれは予想外の「攻撃」であった。
二人が斬を虚空に向かって放つ度に、火竜の身体は切り刻まれた。それだけでも致命傷ではあったが、最後―――天空より放たれる光柱の圧力と地上より放たれる光の砲撃は既に致命傷であった竜にとってとどめの一撃となった。
自分たちの後ろに落ちた火竜の音で夢を見ているような心地から解放されて現実に戻る。
「今のは……いったい…」
「とにかく今は火竜の方を見に行こう。死んでいるとは思うが……」
呆然としつつも自分たちが先ほどまでやっていたことの結果を見なければならない。離れた所に落ちた火竜の身体はやはり鋭利な刃物で切り刻まれていかのようにずたぼろであった。
(斬撃を「転移」させたということか……)
自重で出来上がった穴の中に落ちている火竜はそれでもまだ生きているようだ。この山の主としての貫録かそれとも。
「リョウ……どうします?」
「介錯するのも吝かではないけれど」
ティナもここまでの「技」であったとは想像していなかったようだ。何より自分たちがこれをやったという感覚が無い。
しかし、自分たちの行いの結果であると認識して、この竜を楽にさせることに――――。
『その必要は無い。いずれ我が肉体は滅びるだろう。この苦痛もまた生きている証拠だ』
「ッ!!」
「竜が喋った!?」
『頭の中に直接伝えているだけだ。我がヒトの言葉を介しているわけではない』
まさに驚きである。ここまでのことが出来るとは、やはりこの剣が何かをしている。クサナギノツルギをみやると同時に、竜が言葉を発している。
『そうだ。その剣。我らが始祖の一つでもある八つ首の大蛇の現身ともいえるその剣が、汝らに言葉を伝えている』
「……そうか。何というか色んな意味で驚きだぞ。黄泉の国に行く前にいくつか質問させてもらってもいいか?」
『構わん。人と話すなど我にとっても初の事だ。冥途の土産を作らせろ』
随分と人間的な事を言う獣だと苦笑しながら思うが、とりあえず今は質問を優先する。
「お前を狂わせたのは何者だ?」
『気付いていたか……だが我は狂わされたのではない。支配から逃れようとして狂ってしまったのだ』
「支配?」
不穏な言葉にティナも眉を顰める。古来よりどの国でも竜というものの調教及び騎馬とした例は無いのだ。そんなことが出来るやつがこの巨竜を従わせようとしたのならば、それは大変な脅威だ。
『そうだ。黒ローブの「老人の擬態」をした邪の者に同じく「青年の擬態」をした魔の者―――この二人が、我を支配しようとしてきた』
竜の思わぬ言葉に背筋が寒くなる思いだ。探し求めた忌むべき者の存在を確認出来たのだ。
『黒い巨大な鎖だ……それを嵌め込まれた竜は、二人に従わされた。事実この「火竜山」の火竜の一頭は、奴らに連れて行かれた』
だが、この巨大な竜は山の主であり、そのような醜態は晒さなかったそうだが、呪いを掛けることで自分を衰弱させてきた。
『その強力な呪は私を蝕み、灰や炭という食糧ではなく山の獣を全て食い尽くさんとする強烈な飢餓感であった』
この竜が山の主でありそのような行動を起こさないということを分かっていて、そのような呪いを掛けたのだ。
悪辣な。と吐き捨てたくなる。その後、随分と衰弱したところで再び来てとらえに来る手筈だったのだろう。
『さて、どうやら我の命もここまでのようだ―――死に行くものの言葉を聞いてくれた礼だ。これをこの地の焔の姫にくれてやれ。無論、お前たちが使っても構わないがな』
死力を振り絞った遠吠えの後に火竜は、口から紅に輝く綺麗な球形に磨かれたオーブを寄越した。
体液に塗れたそれは、形見分けのつもりだろうが正直もう少し幻想的に寄越せないのかと見当違いの悪態を突く。
その時、竜の幼生が小さな羽を動かしながら、こちらにやってきた。朱色の鱗をしたそれは、死に行く巨竜の頭に頬を撫でつけている。
「あんたの息子か?」
『そんな所だ。次のこの山の主として育ててきたのだが……その責任は果たせなくなってしまったな』
己の炎が燃え上がり荼毘に付していく巨竜の命はもう終わるのだろう。頬を撫でつけている幼竜に炎を移さないために、身じろぎして押しのけた巨竜。
「……あなたを殺したのは私たちです。だからこの子は我々が立派に育て上げましょう」
未だに親に頬を撫でつけようとしていた幼竜を抱き上げたティナ。その腕に爪が入りながらも構わずそれを宣言した。
親から引き離された幼竜の切ない鳴き声が耳に辛い。
『すまない。そしてありがとう―――良い山の主となれ』
その言葉を最後に、巨竜の身体が完全に燃え上がった。その炎は誰かを害することも山を焼き尽くすこともなく数刻後に消え去り、その焼け跡に多くの獣たちがあつまりつつあった。
「……そろそろ行こう。ここからは彼らの見送りだ」
「ええ、では行きますよ」
親の死骸を見ていた幼竜は、その羽をはためかせてティナの腕の中に再び納まった。
「気に入られたな」
「どうでしょう。ただ単に、寝首を掻く機会をうかがっているだけかもしれません」
「それはそれで将来有望だな」
からかいながらも、考えることは一つ。この地にいる邪なるもののこと、あの肥満将軍だけでなくジスタート、もしくは大陸のどこかにその存在はいたのだ。
見過ごすわけにはいかない。となると、今のままでは我を通して様々なことは出来ない。タラードの時と同じく、自分に必要なもの。それは実力をみせつけることで作られる地位。
もしくはそういう高い地位にいる人間の力で何とかこちらの思惑を通すことだ。今後の方針を定めると、その高い地位にいる人間がため息交じりに言う。
「何というか早く沐浴がしたい気分です。山を下りたらば一気にメザンティスで帰りますよ」
「俺もそんな気分だ。風呂に入ってさっぱりしたい」
「一緒に入りますか?」
ティナのからかい混じりの言葉に、何と返したらばよいやらと思いながら、疲れる身体を引きずりながら下山をしていくことになった。
そして自分たちが下山をすると同時に、ここに入山していく連中がいたことは、この時のリョウたちには全く気付けぬことであった。
そのことが後々に禍根を残すことになるなど、その時は思いもよらなかったのだ。
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「雷渦の閃姫Ⅰ」副題『羅轟の月姫、ブリューヌへ』
そして何より多大な評価及び登録、一読してくれた皆様方に感謝感謝です。
本当にありがとうございました!
「まさかアレクサンドラが起き上がっていようとは……想像だにしていませんでした」
「やはり例の剣士の仕業でしょうか?」
馬車の中に入っていた文官の言葉で、信じたくないがエリザヴェータもそう信じつつある。
あれ程の病人を一時的に普通の生活する程度に回復させられる術を持っている医者などこの西方の名医を全員集めてもいないだろう。
無理をしているわけではないことは、はっきりと見て分かった。となると考えられるのは、何かしらの新たな医術がレグニーツァにもたらされたということだ。
その源としておそらく、東方辺りの技術が流入したと見て間違いない。
「こちら側としてはあれこれ難癖をつけていざという時の侵略の口実にしてしまおうと思っていたのに……」
「戦姫さま。今の我々にとって優先すべきはアレクサンドラ様との競争ではありません。『内側』の問題の解決を優先すべきです」
「分かっています。その為に兵力を抑えてルヴ-シュ兵だけで事に当たることにしたのですから」
文官の言葉でため息が漏れる。アレクサンドラには、ああは言ったが本当に「戦利品」の分配が問題なのだ。
身内の問題でまたもや失態を演じるなど、あまりにも無様。しかし、無事では済まないぐらいは分かっていそうなのに。
(それでも案じるのは、肉親だからなのでしょうか……)
何かが自分の胸に突き刺さるのを感じてから外の景色に眼を移す。ジスタートの夏は短い。その中でも懸命に陽光を浴びることで木々の青さが煌めいていくのはどこでも同じだ。
左と右、どちらの目で見てもその景色は変わらない。とエリザヴェータが、感想を述べた瞬間に見ていた景色に混ざっていた山の裾野の辺りから「光の柱」が伸びて、更に「光の柱」が落ちてくるのを見た。
御者もそれを確認したのか、少しの間だけ馬車の動きが雑になる。良く見るとその光は、一体の獣を打ち据えていた。
竜だ。それも巨大な竜。それが光の柱の攻撃で落ちていく。
山中に落ちてしまった巨竜の地響きがこちらにも伝わったかのように現実に戻る。無論、距離がありすぎてそんなものは響かなかったのだが。
現実に戻ると同時に行動を開始する。
「あの山まで行けますか?」
「街道が整備されてるわけではありませんが、とりあえず近くまで行きます。そこからは騎馬でいった方がよろしいでしょう」
御者が馬を宥めてから、こちらの質問に対して行き方を提案したが、自分としても同意見だ。
八頭立ての馬車のスピードはとんでもないが、山道を行くには不適であった。とはいえルヴ-シュの戦姫の頼みゆえに御者はもてる限りの技術で馬を飛ばして火竜山の麓へと到着した。
「エリザヴェータ様。お気をつけて」
「あなた達も、何がいるか分かりませんからね」
あんなことが出来るのは戦姫か、それに匹敵する武具を持った存在。ある男を調べた情報からもはやエリザヴェータは連想してしまっていた。
鞍を付けて手綱を加えさせられた一頭の馬に跨り駆けていく。あれだけ走ったというのに今跨っている馬は、疲れ知らずだ。
しかしながら、間に合うだろうか。あそこにあの剣士がいる可能性は――――。
「入山しているのならば下山するはず。そこで――――」
ようやく山の麓。入山口が見え始めてきた。風で目が乾きながらもエリザヴェータは入口に注目していた。
はっきりとは見えない。如何な軍馬とはいえ、まだ距離がありすぎる。だが誰かが出てきたのは分かった。
男と女だろうか。木の陰で良くは見えない上に運悪くもその時、日光がエリザヴェータの眼を焼いた。
眼を細めて何が何でもと思っていたが、女が長柄の槍のようなものを持っているのを確認したところで姿が消えうせた。
幻だったのではないだろうかと思われるぐらいに、すっかり消えていた。いつもの癖で左目、右目の単眼で見たところで世界は変わってはいなかった。
自分の見間違いだったのだろうか。そう思い少し落胆しながら、最後に確認出来たところまで赴く。
「ご苦労様。少し休んでいなさい」
粗末ながらも入山者用の厩舎に馬を止めてから、そこへと向かう。己の武器。雷を振るう鞭を手にそこまで行くと変わらず誰もいなかった。
苛立ちまぎれに地面を鞭で打とうとした瞬間。その地面の跡に気付く。
足跡。人間二人に―――幼竜一頭といった足跡が残っていた。
「ここにいたのね。そしてあの光の柱を作ったのも、この足跡の持ち主。間違いなく―――いた」
だが、それが件の東方剣士とは限らない。それでも、この山に戦姫に匹敵する超常の力を持った存在がいて竜を殺したのだ。
「かならずや、その顔―――拝見させていただきます。そしてその時は私に無駄足をさせた代価を払わせましょう」
言葉と同時に光の鞭が、地面を焼き払い、それだけに止まらず周囲の木々すらもなぎ倒した。
雷渦ヴァリツァイフを振るう戦姫エリザヴェータ・フォミナは、戦場にてこの代価を支払わせると誓い、踵を返した。
(それにしても一緒にいた女性は……もしや、いやそんなわけはないでしょう)
ここから一瞬にしていなくなる。『瞬間移動』とでも言うべき能力には心当たりがあったが、それが使える女性は自分と同じ戦姫だ。
そして治めている領地も違う。そして何より彼女が傭兵程度に構っているとは思えなかった。
そんな勝手な納得をしてから彼女はやってきた武官達を迎えながら、再びルヴ-シュへの帰途につくこととなった。
◇ ◆ ◇ ◆
目の前に飛び込んできたのは、木の床であった。ありがたいことに視界に収めていたのが床であれば後頭部を打つことによる怪我は無い。
受け身を取ることは可能だろうと思い、もう一つの懸念事項である同伴者の姿は、同じく空中にあった。
しかし彼女は集中が途切れたのか朦朧としている。落ちながら意識を失っているのは控えめにいっても良くない。
こちらが先に落ちることは間違いなく、即座に床に手を突き彼女を受け止めるべく振り返りながら立ち上がったのだが―――。
「ぶげらっ!」
間抜けな言葉を上げてしまったのは、視界を覆う形で幼竜が顔に伸し掛かってきたからであり、幼竜が退くとそこには薄目を開けつつも何とか意識を保っているティナの顔であって、その体重を支えるには少しばかり時間が足りず、こちらは後ろに倒れこむ形で何とか彼女を迎えることが出来た。
「なんだいなんだい!? 何の音だい……」
「た、ただいま帰りました。えーと騒いでしまってすみません」
恐らく色々ととんでもない音がこの宿に響いてしまったのだろうか、ティナの部屋に飛び込んできたのは宿のおかみであった。
ティナを寝ながら抱きしめるという格好は控えめにいっても色々と間が悪い。だからなのかおかみさんは――――。
「まぁ……ほどほどにしておきなよ。この宿には今、成年してもいない女の子も泊まっているんだからね」
「は、はい。色々と騒がせてしまってすみません……」
ティナも気付いて、苦笑いを浮かべておかみさんに言った。そして、最後に幼竜―――「プラーミャ」が、小さく吠えながら頭を下げた。
情けない主人に代わって謝ったかのような行動を褒めるべきなのか、それともそもそもはお前のせいだというべきなのか分からずに、とにもかくにもそれは終わった。
「というわけでだ……ティナどいてくれない」
「ヤです♪」
このまま固い床を敷布団にして寝ていろということか、という視線での抗議が通じたのか立ち上がるティナ、やれやれと思うと同時に色々と状況を確認しなければならない。
色々とティナも聞きたいことがあるだろう。水差しから水を杯に注ぎながら、それをお互いに二回飲み干してから、喉の通りを良くする。
尋問をされるわけではないのだ。これから語ることは、今回、自分たちに起こったことへの理解を深めるためなのだ。
「まずは俺から語ろうか……」
「お願いします」
プラーミャを膝に乗せながら彼女はベッドに腰掛けて、聞く姿勢を整えた。そして、自分はクサナギノツルギを持ちながらその来歴を語る。
―――古代の時代に天上より追放されし一柱の神あり。彼の者の名―――素戔嗚尊(スサノオノミコト)。
祖神イザナギの息子であった彼は、母であるイザナミに会いたいと言い泣き喚きながら、天上の他神達に多くの迷惑をかける暴神でもあった。
結果として彼はその後、父に離縁を言い渡され、姉にも愛想を尽かされて天上に生きること叶わず地上の世界に降りることになった。
その後、地上にてある一人の姫と出会う。姫の名前は櫛名田比売(クシナダヒメ)。
姫の眼には涙が溜まっており、荒ぶる戦神であっても母を慕う優しき子であるスサノオにとってクシナダヒメの涙は見過ごすことは出来なかった。
『何が悲しくてあなたは泣いておられるのですか?』
『私には八人の姉がおりました。しかし八年の間に八人の姉様は、ある蛇に食われてしまったのです』
クシナダヒメにいた八人の姉は、八つの鎌首と八つの尾を持つ巨大な蛇。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の腹に納まったという。
スサノオが訪れたその年はクシナダヒメがオロチの生贄にされる年だったのだ。
クシナダヒメの両親の土地を荒らす「荒神」「祟神」でもあるヤマタノオロチに逆らえるものなどおらず、遂に姉と同じく生贄になることを若い身空のクシナダヒメは嘆いていた。
『ならばその大蛇を私が退治しよう。クシナダヒメ。それが成ったならば私の妻になってほしい』
優れた剣士であったスサノオは、自分が天上の神イザナギの息子であることも伝えると両親も賛成を示し此処に天神と地神との間で初の婚約がなった。
そして生贄であるクシナダヒメを食らいに来たヤマタノオロチに絞りに絞った「強い酒」を飲ませてよっぱらったところを、スサノオは「トツカノツルギ」にて八つの首と「七つの尾」を切り落とすことで退治した。
最後に残った尾が、スサノオを背後から突き刺そうとした瞬間。女装してクシナダに見せかけていたスサノオの髪にある「櫛」に姿を変えていたクシナダヒメの言葉で難を逃れたスサノオ。
最後の尾を切り裂くと同時に出てきたのが――――――
「その剣ということですか?」
「伝承によるところでは、そう伝えられている。ジスタートの建国神話と同じく嘘か真か分からぬ話だよ。後はお決まりの通り、クシナダとスサノオは地上に自らの国を作り地上世界を治めていったのさ」
ティナの質問に答えると同時に、その鉄剣を少し鞘から抜き刀身を光に翳す。
「八つの首を持つ「竜」ですか……というか我が国とは違って、竜が敵なのですねリョウの国では」
「俺の字名である龍と竜の違いはあるけれどね。そしてこの剣の使用法だが、俺が知っていることは、各八つの『勾玉』を柄の穴に埋めることで属性を付与することが出来るといったところだ」
詳しい神話によれば八つの首はそれぞれで違う「鱗」の色をしていたたしく「朱色」の首は「炎」を吐き、「藍色」の首は「冷気」を吐いたらしいのだ。
勾玉がどういった経緯で作られたかは分からないが、伝承の通りにこのオロチの現身ともいえる剣は、八つの勾玉の『自然力』をその剣に宿す。
「全部を使ったことがあるんですか、その勾玉は」
「一応は、な。反応を示したものもあれば反応しなかったものもある。君のエザンディスと反応した『虚無』の勾玉は、斬った物体を完全に「消失」「消滅」させるものだったから、あまりにも危険すぎてそうそう使わなかった」
もしくは隠されたものがあるかもしれないが、と心中でのみ言って「炎」「氷」「雷」「風」の四つの勾玉のみ全容を明らかにするぐらいには使っていた。
首輪の形で繋がれている勾玉の数は八つで色も八色だ。
それを見せてから、何故それが竜具と反応したかである。実際、虚無の勾玉自体をティナの持つエザンディスに近づけても反応は無い。
「危ないから、気を付けてくれ」
神鉄の鞘にいつでも納められるようにしておきながら、虚無の勾玉を嵌めたが―――やはり反応は無い。
「少しだけどエザンディスが喜んでいる感じはしますが、あの時のような充足感はありませんね」
「そうか……」
実際、あの攻撃の際に聞こえた声も無かった。声はこう語ってきたのだ。
『形無きものを形有るものとして扱い『創造』しろ―――己の世界を創れ』
指示は抽象的な癖に出来ることが伝わるなどおかし過ぎる。結果、『世界創造の槍』という『技』を放つことが出来た。
「実を言うとああいう超常の能力というのは戦姫にとっては珍しくありません。リョウには話していませんでしたが、竜具には己の体力などを消費して放つ
「竜技?」
問い返すと、プラーミャの喉を撫でながらティナは説明をする。戦姫達の持つ竜具にはその属性を最大限に活かした一撃「千」殺の技があるのだという。
「竜の技、そのままでありますが、そのぐらい強力な攻撃なのです――――飛翔する風の刃が竜巻のごとく荒れ狂い竜すらも塵芥に返すこともあれば、氷柱(つらら)よりも凶悪な氷の棘が、凍てつかせながら臓腑を貫くことも」
(彼女にもそれが出来るのか――――)
ティナの説明を受けながら考えることは、ここの領地の戦姫のことであった。彼女がもしもそんなものを使えば身体がどうなるかは分からない。もしかしたらば最悪死ぬかもしれない。
「俺の攻撃が竜具と同様の効果だったか?」
「それよりも上でしょう。どちらかといえばリョウの持つクサナギノツルギは戦姫の持つ竜具の「負担」を減らしかつ「倍増」させているのでは?」
「負担は分割だろう。あれをやった後の疲労感は君と同じく結構なもんだ」
事実、下山するまでにティナの休憩の時に自分も体を休めていたのだから。
「まぁそんな超常の剣なんかよりもリョウが、己で納めた剣術の方が、私にとっては魅力的に思えますよ。竜具なんてのは結局、当人の武に色眼鏡をさせかねないんですから」
「……そうかな。まぁ褒められて悪い気はしない」
実際、クサナギノツルギ―――アメノムラクモとも呼ばれるこの剣の本来の使い方とは、その戦神の「もう一つ」の武器を用いた時に発揮される。
だからこそ陛下は、「王」を探せと命じて西方に送り出したのだ。だが自分の剣技が賞賛されて悪い気はしないのだ。
「では、そろそろ湯浴みをしますか。この宿唯一の美点と言えばそのぐらいですからね」
「プラーミャの住処だった山は休眠期とはいえ火山だからな。その影響なんだろうな」
小首を傾げながら「なんのことー?」とでも言っているような幼竜の頭を撫でてから、「温泉」に入る準備をする。
準備をする前に少しばかり考える。元の部屋をおかみさんが掃除してくれたとはいえ、何かしら不具合を生じさせてしまったかもしれないと思い、今の宿泊客に一度挨拶をしていくことに。
「私はプラーミャと一緒に先に行ってますので、早くしてください」
「別に混浴ってわけでもないだろう……」
男湯、女湯に分かれていることはティナも理解しているだろう。そうして行動を別々にして部屋を出る。
(風呂を浴びて一眠りしたらば、公宮の方に行った方がいいかな。あの宝玉の詳細も知りたいし)
あの火山の竜が、何かしらの守護者であった場合、サーシャに責が及ぶかもしれないのだから。
譫言を考えながらノックをすると、声が聞こえた。幼い声だ。確かにまだ成人していない―――女の子の声であった。
「失礼、この部屋の元住人だ。少しいいかな?」
「すみません。おかみさんから聞きました。この部屋は元々あなたが使っていたそうなんですよね」
「ああ、別に追い出されたことはいいんだが、何か気になるようなことはあったかな。手荷物を広げることは無かったけれど、君の不快になるようなことが無ければ尚のこといい」
出てきた薄紅色―――桃色とでもいえば言い髪色の女の子の姿は―――とても奇抜であった。
(ティナもそうだが西方の娘の間ではヘソを出す格好が流行ってるのかな?)
もう一人、いるにはいるが彼女は、自分の身体の関係上、そういった服を着ないだけで機会があれば着るかもしれない。
「問題ないです。特に匂いが籠っているわけでもないですし、危険物が落ちているわけでもありませんでしたから…けれど……ヤーファの方……ですか?」
「珍獣を見るような目は、もう慣れたが……」
何故にこの女の子は俺の下半身を凝視しているのだろうか、と疑問が出てきてしまう。少女にそんな風に見られて興奮する趣味はあのハゲ肥満将軍のようにはない。
恐らく腰に差している得物を見ているということは、分かる。
「それじゃ俺はこれで、邪魔をしてすまない」
「いえ、ただその前に一つ質問してもいいですか?」
真剣な言葉に振り返ると、彼女は少し奇妙な質問をしてきた。
「あなたにとって王と民、そして領地とはなんだと思いますか?」
「何で俺みたいな流れの傭兵に聞くのか分からないが、まぁ答えてやる。より良き治世を求めつつもその心を「人間」として留めることだ」
「―――どういう意味ですか?」
「民も人間であるならば王も人間だ。その持ってしまった巨大な『力』の前に自分は超越者だと思いがち、いや錯覚してしまうが、それでも人心を人の域に留めることだ」
この国の建国王は黒竜の化身だったかもしれないが、と付け加えると彼女は少し眉根を動かした。
自分の国の王。陛下は先祖返りをしたかのように「血」が濃く、人間としての域が脅かされているが、それでも彼女は「人間」なのだ。
人間として同じ世界に生きるならば、時に非情な決断を下そうとも人間として「悲嘆し」「激怒し」心を人としていなければならない。
「領地というものは―――先祖代々生きてきた場所だ。開墾をし、治水をし、生きていく術を得る場所。そこに生きる人の作るもので王は生きている」
だからそれを常々忘れてはいけない。王の「血」と「肉」は、民の作るもので出来ているのだと。
「仮にもしも蛮夷や王の敵がやってきたならば、どうするのだ? それを捨てざるを得なくなった時には―――」
「取り戻す。何年掛けてもな。まぁ現実にはそんな事態にならないよう努力するべきだよ」
真剣だ。彼女の言葉は、それに応えた。言葉を感じるに彼女は「旅人」という以前に、そういう「定住生活」というものを「知らない」ような気がする。
サーシャとは別だ。居つくべき場所にいられず出て行った彼女と、居るべき場所に馴染めず出て行ったこの子とでは、少し気が合わないのかもしれない。
「……ありがとう。参考になった」
「お節介ついでだが、君はこれからどこに行こうとしているんだ?」
「………遠くに行き、そして結論を出したい。私には「資格」がありながら逃げ出してしまったから」
抽象的な言葉ながらも彼女なりに、何か負い目を感じているらしい。それがどういったものかは分からないが。
「なら、ブリューヌに行った方がいいな。君の「相」を見る限り、星の位置としては「尚早」ながらも、西に「求めるべき光」があると思われる」
その「光」は、自分にも通じているかもしれない。彼女に「占」を働かすと何故か、自分にも通じるものが出てきたのは驚きだが。
「ブリューヌ王国……またもや他の方の領地を通るのか……気が重い…」
「実行するもしないも、君次第だ。俺の忠告が「吉」と出るか「凶」と出るかは分からないのだしね」
正直、余計なことを言ってしまって厄が増えるということもありえるのだ。ちゃんとした卜占が出来るのならばともかく自分では逆の結果を招きかねない。
「ありがとう。名前を聞いてもいいかなヤーファのお兄さん」
「リョウ・サカガミ―――また会う時が来たらば、その時は君の名前を教えてくれ」
後ろに手を振りながら、浴場へと向かう。彼女の悩みは尽きないだろうが、それでも何かしらの指針にはなっただろうと思いつつ、自分自身の悩みはどうすればいいのか悩んでしまう。
◇ ◆ ◇ ◆
「で、何で君がいるのかな……」
「それは夫婦たるものお互いの背中を流しあうとかいうのがヤーファの伝統とか聞きましたけど」
東方文化が間違って伝わっていなくもないことを喜ぶべきか、それとも嘆くべきなのか。
タオルで身体を隠しているとはいえ、ティナの身体の美しさが目の毒ともいえる。その色々と起伏がありすぎる女神像にも似た彼女は、自分の側に寄ってくる。
そして幼竜であるプラーミャは、故郷と似た硫黄の匂いが嬉しいのか風呂場で寛いでいた。
湯気で見えないという幸運が発生しないので、色々と不味すぎる。
「……気持ちいいですね。身体から疲れが取れていくようです」
「同感だ」
その一方で、身体の一部がどうしても熱く発熱するかのようになってしまう。こんな美女に近くにいられて「立たない」男はいないだろう。
しかしその現場を見られるのは、やはり不味い。
「なぁティナ……確認しておきたいことがあるんだがいいかな?」
「なんなりと」
「俺はさ……そんなに君に好意的に思われるような人間かな……こんな知り合って三日程度しか経っていない相手にそこまで入れ込むなんて……ちょっと…困る」
「それは私の気持ちの問題であってリョウには関係無いのでは? とはいえ、そう思われるのも普通かもしれませんね。けれど別に理由が無いわけじゃありませんよ」
自分から離れて浴場の真ん中でこちらに背中を向けて彼女は語り始める。リョウ・サカガミという剣士のことを聞いた時のことを、そしてそれらを全て聞いた後で、自分が抱いた想いを。
「私にとって物語に出てくる伝説の騎士や王というのは、とても憧れるものなのです。幻想の物語に語られる存在。貴族の女子として生れた以上、誰かの下に嫁ぐ人生しか無いと思っていた私にとって本当に世界を変えてくれるものでした」
中でもアスヴァール建国の女王ゼフィーリア『甲冑こそが我が夫、戦場こそが我が宮殿』という女傑はティナにとって衝撃だった。
戦場に立つことは無くとも、非力な女性でも戦える術が無ければ暴漢に襲われた時に、何も出来ずに凌辱されるかもしれない。
そんな風な言い訳がましいことを言って、ティナはレイピアなどを与えられて、護身の術―――というには、かなり苛烈なものを己の身に修めていった。
同時に貴族として様々な教養を身に着けていく数年の間に、竜具が自分の目の前に現れた。
「戦姫に選ばれオステローデに赴いた時、人生が開けた瞬間に思えましたの。だって私の人生には自由意思が無いままに好きでもない相手の下に嫁ぐかもしれなかった」
こちらに背中を向けているから分からないが、ティナは晴れやかな笑顔をしているはずだ。そのぐらいに弾んだ声に聞こえた。
ティナの実家、エステス家は確かに王家連理ではあるものの、その実態としては領地も無く、度々の禄を与えられて生活しているだけの―――いわば貧乏な臣籍降下した王族のようなものらしい。
そんな彼女が実家の不遇を感じて、そうしてきたのは―――何となく分かる気がする。
「戦姫としてオステローデの土地を治めることになってから、更に色んな事を知った。そんな風に日々を過ごしつつ策謀を巡らす日々にアナタのことを噂に聞いた」
憧れの
異国の剣を持ち、異国の装束を身に纏いし剣士――――名を「リョウ・サカガミ」という。
赤竜の化身アルトリウスの再来なのではないかと恐れられるほどに神がかった武勇の彼によってアスヴァールは一時の平穏を得た。
「どんな人なのだろう。どんな声をしているのだろう。どんな顔をしているのだろうと色々と想像を膨らませていきました―――本当に傍から見たらばあなたは、英雄譚の主人公ですよ」
「そんなたいそうな人間じゃない。本当にそこにいる人々のことを考えるならば、俺は―――エリオットもジャーメインも殺して、あの国を救っていた」
恋をする乙女のようなティナの告白には悪いのだが、それが出来なかったのは、結局自分は異国の人間であり、「陛下」の剣だと思っていたからだ。
気持ちが沈んでしまうのは、あの国の人々の思いを裏切ったからだ。タラードがいるから大丈夫だと自分を宥めても、自分の為したことで救ってきた人は納得できなかったのではなかろうかと。
「それも含めて会いたいと思っていました。実際に会ったあなたは確かに二枚目の類ではありましたけど、英雄というには少しのんびりしすぎではないかと思ってしまいました」
「覇気も何もなかっただろ?」
「ええ、だからああいう風に騎兵を使って実力を測った。リョウは本当に英雄と言える人間なのかと―――」
結果、自分はティナの策略を全て退けた。その結果なのか自分は彼女に好かれた。努力の結果と言ってしまえばそれまでだが、そこまでとんでもないことをしたわけではないはず。
「ゼフィーリア女王には伴侶となるべき人はいなかった。ただ逸話の一つとして『魔法使い』が、彼女を支えていたというのが私は好きなんです」
「だから俺に側にいてほしいのか……」
「私はまだまだあなたのことを知らない。故郷で仕えている方も、婚約者の有無も、どんな生き方をしてきたのかも、知りたいし教えてほしい。リョウは私にとっては
いつの間にか自分の側にやってきたティナの身体の軟らかさが伝わる。彼女を止める暇もないままに抱きしめられる。
自然な抱き着かれに、どうしようもなくなる。
「ティナ……だったら俺は謝らなきゃならないことが一つあるんだけど……」
真摯な告白。未だ見ぬ自分に過大な期待と好意を抱いてくれたティナを疑い、その上で秘密にしていたことの一つを言わなければならない。
これからどんな形であれ彼女と付き合っていくというのならば、苦衷の思いでそれを吐き出そうとした瞬間。
「アレクサンドラと会っていたのでしょう? 更には意識を失った彼女を姫抱きで街の中を駆け抜けたとか」
「何で知っているんだ!?」
思わず大声を出してしまう。その言葉に微笑を零しながら、ティナは―――それはもう怖い笑顔を浮かべながら、こちらに迫ってくる。
多分、祖神イザナギもこのような形相のイザナミに追われたからこそ必死で逃げたのではないかと、そう思わせるぐらいに怖い表情だ。
「私がシレジアから帰ってきてそれとなく話を集めると、町中その噂で持ちきり。戦姫に拝謁する機会が少ないとはいえ、みんなして分かってしまったのでしょうね」
ティナの背後で炎が上がっている風に見える。無論、プラーミャが火炎を吐いているわけではないのだが、何でそんなものが見えるのだろう。
とにもかくにも言い訳をさせてもらいたい。弁解の機会を――――。
「けどまぁ……彼女も戦姫として危険人物かもしれない相手を知るためには懐に入るしかなかったのでしょうね。そのぐらいは理解しておきましょう」
「それはそうだけれども、ティナと同じく俺に好感を持ってくれたような気がするんだよ。だから余計に心苦しい」
昨夜と同じく、少し余計な勘違いをしたティナに今回は、真実を話す。だがしかし彼女は色んな意味で「強い女性」だった。
「ご心配なく。例えリョウが戦姫を複数惚れさせたとしても私は許してあげます。『戦姫穴姉妹』も想定の範囲内ですよ!」
「お前のその言動が既に俺の想定の範囲外だよっ」
英雄色を好む。と前置きした上で、自分が正妻、アレクサンドラ第一妾妃、などと滔々と語るティナに頭が痛くなる思いだ。
そう言いながらも不安げな声が耳に届く。
「………私も髪を切った方がいいですか?」
「あんまり母さんに似た女性ばかりというのは、俺の心理に良くないかな。それにティナの手入れの行き届いた長い髪は、故郷では美人の証だから―――切らないでいてくれ」
上目づかいに聞いてくるティナの頭を撫でながら、陛下にもこんなことを聞かれたなと思い出して苦笑する。
しかし頭を撫でられたティナは不敬罪云々を言ってくるかと思えば黙って身を委ねてくれている。そうして―――身体を洗い髪を洗い流すという更なる「苦行」が待っていながらも、美女との穏やかな時間を過ごすことが出来た。
◇ ◆ ◇ ◆
「あら上がったのかい? 風呂の湯加減はどうだった?」
「とても燃え上がりましたわ。肌の火照りが、心の火照りになるかのようで♪」
「おかみさん。頼むから今後は「混浴」なんて東方文化参考にしないで」
違う意味でお互いに赤くなりながら、風呂場から出るといつも通りのカウンターにいた人に声を掛けられる。
「二人が燃え上がっている中悪いけど、リョウ。あんたに明日公宮に出仕するようにって兵士さんたちが来たよ」
「何かあるんだろうな。時間の程は?」
「昼前には来てくれると助かるってさ」
こちらの了解も取らずに帰るとはその兵士は少し失格ではないかと思うが、ここのおかみを信頼しているということかもしれない。
そしてサーシャは俺を信頼してくれているのだろう。
「おかみさん。この幼竜用のご飯もお願いします。今は本当にお腹が空いていますから」
「あいよ。さっき他のお客さん達は夕飯済ましたから、気兼ねなく話しながら食べなよ」
あのロリータも食事を済ませたのだろうか、もう少し話しておきたかったような気もするが、そこは彼女との縁がなかったのだろうと思い直して、部屋着のままに食堂へと入った。
―――食事を終えて、部屋に戻ると同時に今後の方針を話し合う。そこでティナは少し興味深い話をしてきた。
「ムオジネルの武装商船が襲われた?」
「その他にもザクスタンの軍船が襲われただの、結構色んな話が入ってきまして……それらには共通するものがありますの」
シレジアにいる情報通であり、王の使者としても何かと使われているポリーシャの戦姫によれば、剣呑なものが海賊に渡ったかもしれないとのことだ。
もともとは、王都に対する海賊討伐の陳情であったのだが、烈火の如き抗議であり一時、またもや侵略戦争でも起こす気か今度は二国が同盟を結んでと宮殿には緊張が走ったが、間諜などの様々な報告によればそうではない。
いや「戦争」のためのものを奪われたので、怒っているのだが、その理由は「新兵器」を奪われたからということだった。
「ジスタートの戦姫はもとより、ブリューヌの黒騎士など一騎当千の輩を倒すために隣国は様々な新兵器を投入しているのです。その中でも今回はムオジネルが少々厄介かもしれません」
「……火薬兵器か……」
それは何も目新しい技術というわけではなかった。様々な燃焼物を使って「反応」を意図的に起こすことで延焼を起こす。どこの国でもそれなりに開発しては、その煩雑さに兵器としての転用を諦めるほど。
「反応」する薬品の配合もそうだが、配合作業の段階で場合によっては多くの死人を出す。事故の規模によっては、とんでもない損失だ。
「硫黄はともかくとして、「硝石」なんて大量に手に入るものじゃないだろ」
「それがそうでもないんですよ。特にムオジネルのような国では」
ティナ曰く、四季はあれどもどちらかといえば寒冷なジスタートとは逆に一年を熱帯として過ごしているムオジネルとでは、条件が違う。
あの国ではそれが大量に、そして「天然」で産出されている。
国土も広く、それに応じて人口数も周辺国とは比べ物にならないムオジネルは一度に二万、三万もの兵力で周辺国を威圧してくる。
「なのにそんなものを開発していたのかよ」
「ジスタートを守護する戦姫にはどの国も苦渋を飲まされてるから、いい加減借りを返したいとかって思いなのでしょう」
迷惑なことです。と言う本人がその戦姫なのだが、その辺は言わない方がいいだろう。
しかしそんなものをムオジネルやザクスタンはどこに運ぼうとしていたのか……いやもう見当はついていた。
不安定な新兵器を試すのにいい実験場。休戦条約こそ取り付けたが、いまだに争い収まらぬ国。
アスヴァールに持ち込まれようとしていたのだ。無論、どちらの陣営も今すぐというわけではないだろう。
だが小競り合い程度の戦いで試す機会はある。そうして、得られた結果から更なる改修を施して、やがてはこの国に向けられるのだろう。
この「砲口」が――――。ティナやサーシャに向けられるというのか。
「長距離兵器の怖さは弓を使えない俺が一番知っている。こんなものが君やサーシャに向けられるなんて……冗談じゃない」
「心配してますの?」
「駄目か?」
「いいえ、とても嬉しいです」
目を閉じて、こちらの言葉を刻んでいるようなティナの様子に少し軽率だったかと自戒する。
とにもかくにもこの情報は、既にサーシャもルヴ-シュの戦姫もつかんでいるはず。それに関することでの話し合いなのだろう。
「君は明日、どうするんだ?」
「さぁて、どうしましょうかね……一度領地に戻るのもいいかもしれませんし、アレクサンドラに土の味を覚えさせるのもいいかもしれません」
「おおーい。あんまり過激なことはよしてほしいんだけど」
「心配いりません。リョウの隣が誰のものかを教えてあげるだけです」
それはつまり―――自分の故郷で言うところの「痴情の縺れからの刃傷沙汰」という行為に他ならない。
嫣然と笑うティナに最初出会った時の印象を思い出す。戦姫の中では最年長というサーシャの冷静さに賭けるようだ。
そしてまたもや来てしまったのは色んな意味で緊張を強いられる就寝時間である。
「とりあえず俺、もう一枚布団を―――」
「どうぞ♪」
用意が良すぎるというぐらい階下のおかみさんに布団を要求しようとしたのにティナが二枚目の布団を出してきた。
しかも敷いたところが、彼女のベッドである。まぁそもそも一人部屋だからしょうがない話なのだが……。
「プラーミャ来い」
掛け布団を上げて、敷布団を叩いて来るように促すティナへの「防波堤」としてプラーミャを間に入れて布団の中に入った。
幼竜は左右に何度か首を振ってから欠伸をするかのように口を開けてから眠った。「小型犬」程度の大きさであるプラーミャを間に挟むと彼女との密着状態は無くなる。
「むぅプラーミャ。ママはパパに抱き着きたいのに、そんな風に邪魔しちゃいけません」
「誰が誰の母親と父親なんだよ」
まさかこの歳で一児(竜?)の父親になるとは……とはいえ、自分がこの幼竜の親代わりであることには変わらない。
ティナと自分はこの子の親を殺してしまったのだから。朱色の鱗を撫でながら、お互いに自分たちの子供を慈しむ。
この子が成竜になった際に、どんな結末を迎えるのやら。食い殺される未来もあるし、再びあの火竜山の主になるかもしれない。
野生に帰るこの子を見送る日まで自分たちがこの幼竜の保護者だ。
「お休みティナ。今日は本当に助かった」
「だったら―――せめて手ぐらいは握ってほしいです」
「こうでいいか?」
今日は、随分と甘えてくるティナに弱りながらも、色々なことがありすぎて彼女も不安なのだろうと考慮して、その願いに応える。
驚いた顔を一瞬見せた後に、穏やかな顔でこちらを見返してくる。
「お休みなさいリョウ。明日またアレクサンドラの匂いを着けて帰ってきたらば、切り落としますからね♪」
何を切り落とすのか、少し怖くなりつつもあまり怒らせない方がいいだろう。ティナは陛下にとても似ている「情熱的な女性」なのだから。
「注意しておくよ。ただ……ちょっと難しいかもしれないからさ。勘弁してくれ」
「努力してください」
話をしながらも眠気が途端にやってくる。見ると、ティナも船を漕ぎ出しそうになっている。
実際、今までのことの疲れはかなりのものであった。自分も今日は色々ありすぎた。話から察するに明日、彼女は自分の領地に一度戻るようだ。
少しだけ気が楽になりつつも――――寂しいなという思いがやってきて、この手の温もりや軟らかさは忘れないように考えながらリョウもまた眠りに着くこととなった。
◇ ◆ ◇ ◆
「お世話になりました」
「何もこんな早朝に出なくてもいいのに……何か急ぎの用事でもあるのかい?」
宿を出るといまだに太陽も完全に上りきっていない時間帯。薄明の時間に、戦姫オルガ・タムはここを離れることにした。
戦姫アレクサンドラに悪いというのもあったが、それ以上に―――あの剣士の言が真実であるかどうかを確かめたかった。
西のブリューヌ王国。そこに自分が求めている何かがあるのだとすれば、自分はそれを早く知りたかったからだ。
本当は、この戦斧を持つ資格を喪失するための放浪の旅ではあったのだが、少しだけ違うことも知りたくなる。
「急ぎでなくても早くに知ることは良いことだと思いましたから―――だから私は行くんです」
「そうかい。気を付けて、これは餞別だよ」
「―――ありがとうございます」
渡された日持ちする携行食の中身を見て、本当に感謝してもしきれない。そのぐらいにこの女将には世話になった。
深く深く一礼をしてから西へとオルガ=タムは歩いていく。まず目指すはヴォージェ山脈。
そこに整備されている街道を通ると同時に、ブリューヌへと赴く。
そこで何が起こるかは分からない。そこに何があるかは知らない。
けれども、あのヤーファの剣士の言は自分の運命を言い当てているような気がしてならなかった。
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「煌炎の朧姫Ⅱ(野望編)」
評価投票及び一読してくださった皆様方、感謝感謝です。
「助かるよ。まさかこれだけの鎧を用意してくれるとはね。リュドミラには感謝してもしきれないよ」
「アレクサンドラ様の支援をするためにリュドミラ様はこれを運ぶように言いました。兵も自分も要らぬならばせめて装備だけでも融通したいと」
海戦において、重い鎧は過重なものであり不要なものと思われがちだが、それでも身を守る鎧が必要となる場合がある。
その中でもリュドミラが治めるオルミュッツ製のアーマーは、海戦においても有効なものだ。
凡そ五十ものそれを選抜した手練れの騎士に使わせることで、生存率を上げる。だがそれでも足りないかもしれない。
火砲という武器がただの攻城兵器というだけでなく戦姫やそれに対するだけの戦士に対抗するために作られた兵器でないなど言い切れないのだ。
書かれている情報だけならば、人間の肉体を五十人単位で木端微塵にするだけの威力があるようだ。
(問題は射程距離だ。そんなに遠くまで打てないようだが……)
長距離兵器としては「トレビュシェット」が、こちらを滅多打ちにするはず。これまたアスヴァ―ルへと運ばれるはずだったその投石器の威力と射程もまた脅威だ。
これらに対抗するためには、どうしたらば良いのか。
「では私はこれにてアレクサンドラ様。ご武運をお祈りしております。あなたに黒竜と戦神トリグラフの加護があるように」
「ありがとう。彼女にもよろしく伝えておいてくれ」
リュドミラの領地の武官が自分の執務室を出ていくと同時に、頭の中で考える。これらの兵器を「無効化」する方法を―――。
一つは思いつく。だがそんなことは許せない。第一、武官達は海戦をするつもりで動いている。即ち水際での防衛戦である。
となると操船でこれらの兵器を無効化せねばならない。
(いざとなれば竜技(ヴェーダ)を使うことも考えるようか……)
あれだけエレンやリュドミラなどにも言ってきたというのに、自分がその戒めを破ろうとしている。
しかし、それもまた仕方のないことだ。そもそもこれらの兵器の開発目的はどう考えても自分たちに敗北させるためのもののはずだ。
(彼ならば……どうやって無効化するのだろうか?)
足音が聞こえる。去っていく武官とは違いこちらへと向かってくる音だ。その気になれば足音を消すぐらいは出来るだろうに、それをしないのは自分に敵意が無いことを示すためだろう。
何とも気回しの良い。だがそれは自分の部下たちを安心させる良薬だ。
「起き上がっていていいのかな?」
開け放たれた扉から姿を見せる黒髪の剣士。その姿を見た時に、胸が高鳴るのを抑えられない。
「問題ないよ。というか同じような質問を昨日もされたから少し興ざめだな」
「それはすまない。しかし帯剣していても咎められないというのは少し不味くないか?」
入ってきた姿を見ると彼の腰には、愛刀である鬼哭があった。普通ならば少しは警戒させられるところだが、彼にはそんな気は無いのだ。
みんながそう思っているのだろう。それ以前に戦姫がそう簡単に負けるとは思っていないのだろう。
「リョウがそんな人間ではないというのはみんな分かっているのさ」
「そうか………」
「な、なんだい? そんな僕の身体を凝視して、欲情したならば夜になるのを待ってくれないかな……色々と心の準備が僕にも必要だよ……」
「言っちゃなんだが俺も同じようなやり取りをつい先日やったような気がする」
自分の身体を抱きしめて顔を赤らめているサーシャには悪いが、リョウが考えていたのはそういうことではなかった。
昨日のロリータ娘から続く西方の娘の間にはヘソ出しの衣服が流行っているのかという疑問であった。
しかし、サーシャの戦装束というのはそういう範囲ではなく、動きやすさを重視した結果なのだろう。
それにしたって布で覆われた部分が少ないのと彼女自身の色香が扇情的すぎて、どうにも居心地が悪い。
「話したいことがあるそうだが、何かあったのか?」
「うん。実を言うと少し厄介なことがあってね。君の知恵を借りたい」
「俺の力が役に立つかは分からないが、まぁ全力を尽くそう。俺も君に聞きたいことがあるんだがいいかな?」
「もちろん。僕の知っていることならば答えるよ」
そうしてサーシャとリョウは、広げられた地図を前に様々な軍略を話し合う。
若い男女が話す内容としては、色気も何もなかったが、それでもサーシャは楽しかった。
◇ ◆ ◇ ◆
「ヤーファへの商船の手配ですか?」
「ええ、後々でいいのですが、とりあえずそうですね「水稲」の苗と「竹」の苗などを輸入出来るのならば交渉してもらいたいのです」
執務室に陳情に来ていた領地の商会の代表者にそういったことを言うとやはり怪訝な顔をされる。
「無論、ジスタートとヤーファの気候の違いなどは私も分かっております。ですが、だからといって出来ないことでもないでしょう。栽培などに関してはこちらで一任させてもらいます」
「戦姫様がそうおっしゃるのでしたら異存はありません。それと、この氷を利用した産業というのはよいですな」
「ええ、考えてみれば我々ジスタートの民というのは氷雪を忌みものとしてしか捉えてきませんでしたからね」
寒冷なジスタートにとっては温暖な気候というのは、一種の憧れでもある。四季はあれども夏よりも冬が長いジスタートの人間にとっては、どうやって寒さを凌ぐかのみの観点しかもっていなかった。
食糧保存程度ならば無論あったのだが、まさか雪の下に生野菜をしくことで「甘味」が増すなど考えたこともなかった。
また氷を「売る」ということなど、考えてなかった。西方でも氷を嗜好食品として食べるという文化が無いわけではないのだ。
「街道の整備・氷室の製造はこちらでも行います。あなた方はこれらの準備をお願いします。ジスタートの夏は短い。冬はそこまで来ていると思ってください」
「承知しました。ヴァレンティナ様」
一度こちらを拝跪した商会の代表者が、退室すると同時に溜まっていた政務を見てサインを押すことにしていく。
「そういえば東方の紙文化というのも面白いものだと聞きましたね。『和紙』と言ってました……それも見習いたいものです」
西方では紙は貴重なのだ。安価に調達できる方法があるというのならば、それも手に入れたい。
世界は広い。遠き東方よりやってきた剣士も、そう語って西方の文化に珍しくしていたのだ。
好奇心であり冒険心―――伝説の英雄に憧れる気持ちには、そういったものも含まれているのだろう。
「失礼しますヴァレンティナ様。裁可をいただきたい案件と共にお客人の来訪をお伝えします」
「……どちらか一方というわけにはいかないのでしょうね。仕事をさぼっていた罰として甘んじて受けましょう」
「ではお通ししてもよろしいので?」
文官の言葉に、誰が来たのかを聞こうとした時に、彼女は許可なく部屋にやってきた。
「遠いところからようこそ。今は執務中だからお茶も出せないけれど構わない?」
「どうやら今度ばかりはいたようね。少し安心したわ」
こちらの言葉を意に介さず現れたのは錫杖を手にした金色の髪の色々と豊満な女性であった。戦姫ソフィーヤ・オベルタスだった。
「領地をほったらかしにしているとでも密告するつもりですか?」
「そこまで意地の悪い人間に見えたかしら――――――――――」
皮肉に言葉を続けようとしたソフィーの口が開かれている。呆然と口に手を当てている彼女の視線の先には―――。
「ああ、納得しました。というかそろそろ硬直から解放されてもいいのでは」
「何ということでしょう……私の目の前に偶像などではなく質量を得た神が……」
竜を神扱いとは、この女性の趣味は既知であったとはいえいきすぎではないかと思う。とりあえず神官達に謝れ。
ソフィーの視線の先にはプラーミャがいた。自分の執務机にて丸まって日向ぼっこをしている幼竜は、欠伸をしてからまん丸とした目をソフィーに向けた。
「ヴァレンティナ。この子はどうしたの? どこで飼いならしたの? 名前は? 種類は? ついでにいえばもらっちゃダメ?」
興奮しながらこちらに詰め寄ってきたソフィーに少しばかり辟易しながらも、一つ一つの質問に答えていく。
「……質問が多すぎますよソフィーヤ。とりあえずその子はあげられません。なんせその幼竜は火竜山の主の子息にして将来の山の主である私とリョウの「子供」です」
ソフィーと話している内に集まっていた文官や武官達の何人かの顔が固まる。まさか戦姫が「竜の子供」を生むとか本気で考えていたのか。
人知を超えた力を持っていても身体機能は人間と変わらない。斬られれば血を流すし、「月のもの」も発生するのだ。
不敬罪で死刑にしてやろうかと言う考えの前に古株の老官が、「戯けたことを考えてないで仕事に戻れ」という言葉に、そりゃそうだという顔で全員が散って行った。
部下を殺さずに済んだという安堵をしてからソフィーヤの質問に答えることにする。
「名前はプラーミャ。種類はおそらく火竜、羽根があるから飛竜の血も入っているでしょうね」
「プラーミャちゃんでいいのね? プラーミャちゃ―――ん♪」
荒く鼻息を鳴らしながら、こちらに確認してきたことは名前だけだ。そして自分の机にいたプラーミャを抱きしめようとしたのだが、一瞬早く自分の膝に移動してきたプラーミャに間合いを空かされて、執務机に頭をぶつけるソフィーヤ。
頭を抑えながら、蹲るソフィーヤ。どうやらかなりいたかったようだ。
そして机を荒らすなという思いと憐みの思いで見ていたら回復したソフィーは立ち上がると同時に―――。
「や、やるわねヴァレンティナ。私の弱点を突いてこのような攻撃を仕掛けてくるなんて、流石は『虚影の幻姫』。恐ろしき力だわ」
「今のは貴女の自爆でしょ。第一こんなことで私の異名を出してほしくないんですけど……」
涙を目に溜めながら怒りの緑眼で見てきたソフィーヤに、呆れる思いである。
竜が好きなのに竜から少し恐れられるのが彼女だというのは聞いている。ライトメリッツの戦姫のところにいる幼竜とのやり取りもこんな感じなのだろうか。
膝の上で丸まった竜の喉を撫でてあげると余計に殺気をぶつけてくる。
「思うんですが、あなたのその猫かわいがりみたいなのが悪いと思うんですよ。エレオノーラの所にいる幼竜はどうか知りませんけどプラーミャは山の主の子息、つまり誇り高き竜王の血統ですよ」
「だ、だからこそ建国王の時代から竜と関わりの深い戦姫として精一杯愛情を注ぎたいのに! 何で!?」
「……つまりですね。彼らの尊厳を少しは尊重してあげましょうよ」
プライドというものが、どんな生物にもあるのだから、それを理解した上で、接したらどうかというこちらの意見に彼女が耳を傾けるかどうかは分からない。
『鬼女』とかいう言葉が似合いそうな面構えになりつつあるソフィーヤにそれが通じるだろうか。
「プラーミャ、あの無駄に胸が大きい女の人は別に怖くありませんよ。プラーミャが可愛くてそれを表現したいだけなのです。どうしても嫌になったら戻ってきていいですよ」
仕方なくプラーミャの方に事情を説明する。今にもこちらに竜具で攻撃してきそうなソフィーヤを宥めるにはこれしか無さそうだ。
言葉が通じたのか、首肯してから自分の膝から飛び立ちソフィーヤの方に行くプラーミャ。
腕の中に収まった朱色の幼竜は、ソフィーヤを見上げる。
「そこで頬ずりしない。ついでにいえばきつく抱きしめない。ただされるがまま、あるがままの自然体で接しなさい」
見上げると同時に何かしようとしたソフィーヤにすかさず機先を制する形で、忠告と助言を放つ。
「うう……それはそれで苦行ね。けど……暖かいわこの子……」
来客用の椅子に座り、ソフィーヤの膝で丸まったプラーミャ。そうして落ち着いたところでプラーミャの全身を撫でていくソフィーヤ。
「猫と同じですよ。竜は少しきままなところがありますから、そこを理解して接してあげてくださいな」
「ああ……幸せ。正直ここに来た目的なんてどうでもよくなってきたわ」
恍惚とした表情をするソフィーヤ。まぁ本人が幸せならばよいだろう。
「ではプラーミャを存分に撫でたらお帰りください」
「持ち帰り出来ないならば、目的は果たさないとならないわ」
内心、このままここに来た目的を忘却して帰ってくれないかと思っていただけに舌打ちを隠せない。
回されてきた書類を机に置きながら、彼女の用件を聞くことにする。
「客船クイーン・アン・ボニー? 聞いたことありませんわね」
「ある貴族の行っていた事業の一つ。上流階級のお遊びの遊覧船だったんだけど、これが少し厄介なことになっているのよ」
「海賊に襲われたというオチですか」
首肯をするソフィーヤに、それが今回の事に関して何の関係があるのか……どうせ、既に色々と終わっただろう。
「男子の貴族の子弟は殺されたり奴隷として売られたそうなんだけれど……そこからが問題なのよ」
「残された女の方は海賊の慰み者となっているということかしら」
「その通り。更に言えばその中にはかなりの有力貴族もいるということ……彼女らの親は陛下に救出の嘆願をしようとするところだったのよ」
「………止められましたの? その嘆願」
ソフィーヤの言い方が引っ掛かり聞き返す。つまりその嘆願は国王の耳に入らず、どこかで差し止められた。
国王に言わずともそれだけのことが出来るものは宰相―――いや、それ以上の地位のものが、遠ざけたのだ。
「エリザヴェータが、それを止めたのよ。有力貴族の領地はルヴ-シュに属していたから」
「………前から想っていたのですけど、どうにもあの子は自分の身の丈以上のことをやろうとしますよね。戦姫としての務めは少し現実的にすべきだと思いますよ」
ヴァレンティナとしては本当に頭を抱えたくなる。つまりエリザヴェータは、その有力貴族の子女を救出する腹なのだ。
それが彼女の軍単独で行われるならばともかく、他の戦姫などとの共同作戦の時にやるというのならば、連携行動を乱しかねない。
「いっそのこと、オステローデ軍を動かした方がいいんでしょうか」
「それをしたらば、サーシャが困ると思うのだけど……」
「大丈夫ですよ。リョウがいれば風の女神の如き神速で敵船に乗り込み、軍神・戦神のような剣劇殺劇を披露出来るはずです」
困り顔のソフィーヤに、自慢げに答えながら場合によっては自分もこの海戦に参加する必要があるかもしれない。
第一、アレクサンドラなどにリョウを渡すつもりはないのだ。
「それであなたとしては私にそれを話してどうしてほしいのですか?」
「さぁ? 私が何か頼んでもその通り動くかはあなた次第。私としてはその東方剣士のためならば何でもすると言ったあなたの心意気に賭けてみようと思う」
「分の悪い賭けをして破産するタイプですね。ソフィーヤ・オベルタス」
「本当に? ヴァレンティナ・グリンカ・エステス?」
短い言葉ながらも真剣な顔で名前と共に問いかけてきた金色の戦姫に何も答えられなくなる。
つまりは……アレクサンドラを助けてほしいということなのだ。ソフィーヤとアレクサンドラの間には少しばかり友情が存在している。
年長の戦姫同士の共感とでもいえばいいのか、そういったものだ。
だからといって自分に言うのは少しお角違いなのではないだろうかと思っていた時に、武官の一人が執務室に入ってきて急報を伝えた。
「戦姫様、ジスタート沿岸部に不審な船団が現れまして、我が方の商船が襲われかけました……って、あ、あれ?」
「どうやら随分と入れ込んでいるようね。どこが分の悪い賭けなのかしら」
嘆息しつつ、既に執務室から消え去ったヴァレンティナ。もはや理解した。あの戦姫は、自分たちを謀っていたのだ。
長距離の転移すら苦も無く行い、そして身のこなしの速さ。武官が瞬きする一瞬で――――。
「私の膝の上で微睡んでいたプラーミャちゃんを連れて行く敏捷性、あなたが病弱なんてのは完全な嘘ね」
二重の意味でソフィーは怒りを覚えた。一つは幼竜を連れて行ったこと、もう一つは自分の友人であるアレクサンドラを意図せずとも馬鹿にしていたということ。
「だからまぁ……少しはあの子の助けになってくれると嬉しいわ」
その後でならば、自分は許さなくもない。そうしてから執務室を出る官僚たちが恭しく敬礼をする中、ソフィーは公宮を後にした。
慌ただしくも、対処を過たず行い領地に関することを決めていく彼らを見るからに彼女が、いきなり消え去るのは今に始まった話ではないのだろう。
「それにしても……プラーミャちゃんか……少しやんちゃなところがあるルーニエちゃんとは対照的に育ちが良い感じがするわ」
二匹の幼竜は、それぞれの魅力を持っていてソフィーとしては本当に困ってしまう事態だ。
頬に手を当てながら先程まで撫でていた幼竜の暖かさが残っている感覚を覚えて名残惜しかった。
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「煌炎の朧姫Ⅱ(演舞編)」
「よし、大体はこんなところか」
「上手くいけばいいがな。いや、上手くいかせるしかないな」
地図上に示された事柄の多く。書き記してきたことを全て実行出来れば確かに自分たちは勝てる。
「だがまぁその前にそんな試作兵器は、使い物になっていないかもしれないしな」
「楽観的な考えだね。けどまぁ未だに見えない兵器におどおどしてもしょうがないか」
案ずるより生むが易しという言葉もあるのだ。その原則に従えば実際に行動してから何かを決めた方がいいには決まっている。
「考えごとばかりしていて少し体が鈍ってしまったかな……少し運動に付き合ってもらえるかい?」
一度伸びをして、その身体を見せつけるかのようにするサーシャに少し戸惑いつつも、まだ病が全て治ったわけではないと伝える。
無茶をするなという言葉に、サーシャは平気だ。と答える。
「僕が出るのは修羅巷の戦場だよ。そこで動けないようじゃ、君の処置の甲斐が無い。今の僕がどれだけ動けるのか確認させてほしい」
「……分かった。だが無茶だと思ったらそこで止めるぞ」
体技室へと向かう道で多くの官僚たちから微笑ましげな視線を受ける。自分が受け入れられているのを喜ぶべきか、それとも綱紀の緩みを嘆くべきなのか判断に迷う。
「そういえば君が聞きたかったことってなんだい? 僕のことばかり話してしまっていたから君の来訪の目的を知らなかった」
「うん。君や俺が使う薬などの材料を手に入れるために山に昨日入っていたんだよ」
「山? もしかして火竜山か?」
後で聞いたらば、あの山はレグニーツァの先住民族発祥の地であったらしく神性をもった霊山だったそうだ。
聖域に立ち入ってしまったことを謝るべきなのかそれともと思っていたらば、そこは構わないと言ってきた。
「あそこはいい草が自生しているからね。けれど……近隣住民たちには入山制限を掛けていたんだけど……暴れ竜がいたから……まさか…」
「そのまさかだ。件の暴れ竜を倒したらば―――。こんなものが出てきてな」
驚いた顔をしているサーシャに赤い宝玉を差し出す。
磨き抜かれたその珠のようなオーブには、何の紋様も刻まれていないが、それでも炎の霊力を感じる。
「フラムミーティオを君が倒したのか……いや疑っているわけではない。このオーブが何よりの証拠だから」
「それは何なんだ? あの火竜が―――燃え尽きた後に、それが出てきたんだ」
言っている途中で、まさか竜と意思疎通をした上でこれを譲り受けたなどという一種の与太話まで付け加える必要は無いとして一部脚色をした。
体技室に入る手前。サーシャは立ち止まり、話を始めた。
「私よりも前のここの領主―――つまり先代以上前の戦姫との話だ……」
神妙な様子でサーシャは語り始めた。
建国王の妃であるバルグレンを持った戦姫は、入植したそのレグニーツァの領土内において、一つの不穏分子を発見した。
それは活火山の麓にある肥沃な穀倉地帯を開拓していたころ、一匹の火竜が現れた。その火竜は、「自分達」の縄張りに入り込んできた人間に完全なる敵対を示し、入植者たちを殺しつくした。
事態を重く見た戦姫は、その火竜を討伐すべく山狩りを行い、かつ平地での戦いが出来るように火竜山を囲い込んでいった。
「赤炎の流星フラムミーティオが今でも生きていたってことは討伐は失敗に終わったのか」
「その通りだ。山の獣達は狡猾であり主である竜の指揮の元、多大な犠牲をレグニーツァに強いた」
結果としてその麓への入植は諦めて、沿岸部での生活が主となっていた。しかしその建国王の妃から数代あとの戦姫が、己の身を生贄にして火竜山の麓への入植を求めた。
『いと気高き火の竜王よ。我が身を食らいて怒りを鎮めよ。我らは汝らが域を侵さぬ。しかしその代わり麓の集落は、人間達の糧となるものを作るのだ。だから汝らも我らが域を侵さないでくれ』
その訴えに応えて、山から一体の巨竜が麓の集落に作られた祭壇にやってきた。そして、バルグレンを置いた戦姫を己の炎で焼き尽くした。
レグニーツァ軍は怒りを抑えてその光景を見ていた。自分にどんなことがあってもその巨竜を害するなという命令であったからだ。
灰と化した戦姫―――の後に、誰かを喰うわけでもなく、その祭壇の後に―――、一抱えもある赤い宝玉が出来ていた。
それを飲み込んだ後に、山へと入っていく火竜―――その時、この巨竜には「フラムミーティオ」という名前が付けられた。
かの巨竜は、火竜でありながらも羽根を生やして、文字通り流星のように戦姫達の下にやってきた。
「その後、入植しても彼らからの襲撃は無くなった。それどころか、夜中になると山の獣達が薬草となる草を麓の集落に持ってきていたとか、眉唾な話ばかり伝わっている」
「何でどこでも生贄に選ばれるのは女なんだか」
良くある話といえばそうなのだが、それにしても洋の東西を問わず神話・逸話で必ず女が生贄になるのやら。リョウとしては女の子にはどちらかといえば生きていてほしいから、そんな考えになる。
「いや、戦姫は志願したのだそうだ。そしてその代の戦姫の名前も『ミーティア』というらしくて、そこからも巨竜の名前が付けられたらしい」
「若い身空で何でまたそんなことをするかね。そこまで食糧事情は逼迫していたのか?」
「それもあるけれどミーティア様は死病に掛っていたんだ。死期も悟っていたらしくて最後に戦姫として何が出来るのかと考えて、生贄に志願したんだ」
戦姫ミーティアの最後というのは、この辺りではポピュラーな逸話らしくて女も楚々とした一面の他に気風の良さというか、強い女性である一面がある。
そういう意味では宿の女将などは典型的なレグニーツァの女という感じだ。
「俺に山の守り神を殺したことに対する咎は無いのか?」
「元々、そういった陳情は受けていた。如何な竜王とて事態次第では討伐しなければならなかった」
しかし、戦姫アレクサンドラにそれは難しかった。今の自分の病状。そして討伐軍を編成しても犠牲を増やすだけだとして入山制限を掛けた。
幸いにも、今では違う穀倉地帯を持っており、何より貿易での交換で手に入れることも不可能ではなかったから、あえて藪を突かなくてもいいだろうという判断だった。
「竜は人間の匂いを嫌う。だから街に被害が出ないのならば放っておいた」
「私見を申させてもらえば不味い判断だったな。あれは疫病か何かにかかっていたんだ。一種の狂犬病といえば分かるかな?」
「いずれは街に下りてきた……?」
「可能性の話ではあるけれど」
サーシャの判断そのものは間違いではない。しかしあの竜があのまま「呪」に侵され続けているようであれば、確実に災禍がレグニーツァに降り注いでいた。
その前に倒せたのは僥倖としか言いようがない。
「―――甘かったかな。少し病床に伏せすぎて動くことに億劫になりすぎていた」
「そんなことはない。ただ他の戦姫に頼むことも出来たんじゃないのか?」
「エレン辺りだったらやってくれたかもしれないね。まぁ結果論だよ」
気にしないでおこうという言葉に同感だとして、ようやく体技室へと入る。
体技室の床は木でできており、故郷の道場を思わせる。訓練をする上で、怪我や事故の可能性を少なくするための配慮だ。
ここは戦姫専用の体技室らしく他に使っているものは見えない。壁に立てかけられている武器は数多い。
大鉈、戦斧、矛鎚、槍、斧槍、杖、剣、そして―――。
「数打。特に銘は無いな」
鞘から抜き放ち、検分しても特筆した代物ではないことは分かる。ただそれでも悪いものではない。
業物ではないというだけだ。郷里の武器を見ながら、つぶやく。
「やはりこの辺りまで来るカタナは業物ではないのか」
「そりゃそうだろ、刀匠が己の魂を込めて作ったものは、そうそう他国までいかないよ」
その前に、国の名将などの腰に収まっている。
興味深そうにしているサーシャに自分の持つ業物を見せる。いいものがどんなものかを知らなければ、物の良し悪しなど分からないのだから。
剣そのものの重みで斬ることが多いこの辺りの武器とは違い鋭さをとことんまで追及して、追及した結果の魔剣。
鬼を哭かせるほどの切れ味という意味で、刀匠はこの銘を付けたのだろう。
「キコク・シンウチ―――何というか……吸い込まれそうな輝きがある」
「業物だからな。元々は元服―――成人した時に仕えている方から受け取ったんだ」
抜き放った刃を光に翳しながら、サーシャは陶然とした呟きをする。それに応えながらそれは、使わないと伝える。
「ならば、僕も竜具は使わないでおこうかな」
お互いに数打、小剣二刀を握りしめてから距離を取る。
「判定はどうする?」
「有効打を与えた方の勝ちとしよう。判定員はいないからお互いに自己申告になるけれどっ!」
言うと同時に身を低くしてこちらに接近してきたサーシャ、双剣が左右から迫る。刃の範囲に収めると同時に締められるそれを前に二歩の後退。
締められた刃圏よりも狭めて双剣を自分の腹辺りまで交叉させる。今度は締められた状態からの交叉斬撃が来た。
足捌きを早め、サーシャの目測を騙してから、交叉の中心点に刃を入れる。下から跳ね上げる逆袈裟を放つ。
しかし彼女もまたそれを読んでいたのか、武器の喪失の前に斬撃を変化させて下から来た剣を抑えつけた。
驚きの眼でサーシャを見ると、どこか楽しそうな眼をしてこちらを見てくる。引くことも押すこともできない状態のつばぜり合い。
数秒程度のそれを終わらせたのはこちらだ。膂力が足りないのならば、膂力を上げる。剣の峰を足でけり上げる形で均衡を崩した。
その蹴り足の勢いのまま―――彼女は宙を舞うようになっている。そこに自分も飛び上がるつもりでいただけに、少し目論見を外される。
しかしそのままならば彼女の空中からの斬撃を迎え撃てない。ならばこちらも飛び上がるのみ。
蹴り足の勢いを借りてそのまま宙に上がりサーシャを斬るべく、構えなおすが取り回しの良さは彼女の双剣に軍配が上がり、舞うように振るわれる斬撃に防戦一方のままに後は自由落下しつつ後退をした。
もはやサーシャの実力は、疑いようがない。20チェートほどの距離を取りつつ、サーシャを見る。
「どうだい? 結構やるもんだろ?」
微笑を浮かべる炎の戦姫。それにこちらも微笑と称賛の言葉を返す。
「見事だよ。剣技もそうだけど、何より読みが良い」
まさかこの西方の地で「読速」「身速」「剣速」の三つを使いこなす剣士がいたとは。なかでも読速は、相手の心の動きを読むことで「先」を取るために必要なものだ。
サーシャのここまでの連撃は自分の剣の奥義に通じるものがある。しかし、なぜこのようなことが出来るのか。
「旅をしている時に、僕は自分の非力さを理解していたからね。暴漢と対峙した時に相手の行動を読むことで先手を取ることに慣れていったんだ」
「『先手必勝』後に動いたとしても行動の主導権を握ることで相手を圧倒する剣の真髄。サーシャ。お前が生きるためにしていたことは自然と剣の奥義となっていたよ」
分が悪い―――。という心中の感想が出る。自分のは教え伝えられたものであり教書でしかない。
しかしサーシャのは、完全に天然のものだ。
生きるために剣の奥義を体得した彼女と自分では、力量に差がありすぎる。
にしても舞うような軽業師・舞踏家のような「身速」の動きからの「剣速」は、中々に難儀する。
(踊り子とかでも食べていたんだろうな。それがサーシャの変則的な攻撃に繋がっているんだろう)
となれば、それに通じるものが自分に無いわけではない。思わぬ苦戦にリョウも少しだけ動きの質を変える。
臍の下。『丹田』に力を込めて「気」を練る。
足捌きを変えつつ、サーシャへの接近を果たそうとする。剣を肩掛けにして捨て身の一撃を放つような構えのまま移動する。
対するサーシャも、待つことは愚策として動く。舞うような足捌き―――見えぬ一輪の花を持った舞い手が闘志を燃やしてこちらにやってくるのだ。
一輪の花の幻影は剣へと姿を変えてこちらを突き刺そうとしてくる。舞い手の突きの動きを体で躱す。
肩掛けの剣は、振り下ろすのではなく横薙ぎの形で振るわれる。双剣一本でそれを捌けないと悟ったサーシャは、身体ごと回転させてこちらの刃圏から逃れていく。
しかしながら、リョウもまた回転するかのようにサーシャの影を追っていく。
(動きの質が変わった。いや、違うな。捌き方を変えたのか)
それが自分の回転剣舞に付いてこれる理由だ。サーシャの
相手の正面に立たずに、斜め斜めへと入っていくそれは一見しては正面からの斬りあいをしているように見えて、その実、自分にとって最適のポジションを取っていた。
全盛期に三人の戦姫を相手取れたのも、一見すれば、複数を相手取っているように見えて一対一の状況を巧みに作り出し、作った時点で自分の方が戦いやすい位置で剣戟を繰り出していた。
そして今、目の前の東方剣士がやっているのもそれだった。
全身の骨の動きと筋肉の動きを理解した「三次元」の動き。ヤーファに於いて「武芸」における「なんば」そして大衆演劇「歌舞伎」の「六方」という動き。
するりするりとこちらの懐に入り込もうとするそれは、重心が揺らがないそれはまやかしのようでありながらも、鋭く切り込んでくる。
「どうした。剣の捌きが乱れてきているぞ。この程度じゃ一騎当千の戦姫の名が泣くぞ」
剣戟の間に声を挟む、それは彼女の本気を見たいと思う心からの言葉だ。
「君の踊りに合わせていただけだよ。そう言うんならば速度を上げさせてもらおうかな」
事実。その言葉の後にはサーシャの
旋律に合わせて縦の動きを行うのが「踊り」であり、すり足による旋回運動こそが「舞」である。
合わせて舞踊。身体の全ての動きを把握した上で、自分を中心にあらゆる方向への「円運動」を行う。
それこそが舞踊であるサーシャの見事な神がかったものを前に「踊り」の相手であるリョウは振り回される。
魂鎮めの祈祷を行う白拍子が、舞台で己を中心として昂揚しているのと同じだ。
刀と双剣がぶつかっては、その都度離れていく。小気味よい金属音が、どこまでも響いていく。
お互いの呼吸が聞こえるぐらいの距離まで近づくこともあれば、お互いの身体全部を目に収めることもある距離まで離れることも。
そうして、数刻もしたのではないかという時間の終焉は、お互いの走り抜けの斬撃を最後に訪れた。
「これ以上はやめておこう。剣が乱れるし変な癖がついたら困る」
「同感……だ」
情けないことに息切れをして、倒れこみたいのはこちらのほうだった。振り返ってみる限りでは、汗を流しているもののサーシャは、まだ動けそうな雰囲気だ。
座り込みながら、サーシャの剣戟を受けていた刀を見ると柄に罅が入っていた。目釘も外れかかっている。
「無銘などと言って申し訳なかったな。お前は名無しの「業物」だよ」
懐から新たな鉄製の柄を取り出して、柄と鍔を交換する。目釘もしっかり嵌めた上で、鞘に納刀する。
「そんな風に使うものなのか……今まで知らなかった」
「我が国の貿易商に少しばかり商品説明の重要性を説く必要性がありそうだな……」
こちらがやっていた最後の締めの行いを見ていたサーシャが感心したように言ってきた。如何に数打ちの代物とはいえ、これに命を預ける人間もいるのだ。
でなければこれから西方との取引など覚束ない。伝書を飛ばす際の報告事項が増えた思いつつもサーシャを直視出来ない。
「どうかした?」
「いや、別に……」
目を逸らしつつも、汗に女の匂いが混在して、その汗で張り付いた衣服がサーシャの肢体の詳細を今まで以上にこちらに知らせてくる。
しかも座り込んだリョウを窺うように膝を折って屈みながら見てくるので、ティナに劣るとはいえその胸の豊かさが強調されて、更に言えばカモシカのような細い脚がサーシャの色香を倍増させていた。
「変なリョウ。僕の顔を見れないような何かやましいことでもあるのかな?」
言葉と同時にサーシャの顔を少し盗み見ると、イタズラが成功したような顔をしている。
もうこの女わかってやっているだろ! という内心の叫びを聞いたのかサーシャは肩を竦めた。
「これ以上年下の男の子をからかうのも悪いね。ごめんリョウ」
「初めて会った時に俺をああだこうだと言っていた割には、お前も自分の魅力をわかっていな―――いや分かっているからこんなことをするんだな」
頭を抱えながらも、サーシャの女としての顔にどうにも困惑してしまう。きっと今日、自分のモノはあの大鎌の戦姫によって切り落とされるのだ。
だがそれも自分の罪なのだと自戒して、汗を流したいと思いながらもサーシャの体調を聞く。
「本当に東洋の神秘だよ。どういう薬なんだい?」
「侍医には製法も教えておいたんだが……」
「うん。だから不思議に思う。僕の血の病は親から子へと受け継がれる宿業みたいなものなのに」
遺伝する病。そういうものが自分の国にもある。しかしながら、完治は出来ずとも人並に生きるだけの施術はある。
貧血症のようなものだ。だが、本当に病であるかどうかも少し分からない。
「その内、少し強い薬も出す。それまで出来るだけ無茶はせずに……とはいかないな」
もはや海賊との決戦を決意した戦乙女の決意を汚すことは出来ない。
「だったらば、事が全て済んでもまだここにいてくれないか?」
「……考えておくけれども先約があることは、覚えておいてくれ」
抽象的な言葉だがサーシャが言わんとすることは分かった。しかし、その前にティナの方に色よい返事をしてしまったのだ。
不義理は犯せない。無論、サーシャの病状に関しても放置は出来ないことも確かだが。
「そうか……少し残念だ……さて水を浴びようか、君も一緒に―――」
「失礼、アレクサンドラ様。火急の用件故―――礼は省略させていただきます」
老従僕―――。サーシャの側仕えである人物が現れた瞬間に、サーシャは顔を引き締めて何用かを問う。
「外洋にて海賊旗を掲げた一団が現れてリプナへと舳先を向けているという情報が入りました」
「被害は?」
「―――商船が「燃える鉄球」によって破壊されかけたとのことで……」
間違いない。要領を得ない答えであっても、それがどういったものかは分かっている。
遂に来たのだ。海戦の前に陸戦となる構えも見せているこの展開は予想の範囲内でしかない。
しかし次にサーシャは少しびっくりする判断を下してきた。
「リプナの駐留軍の数は?」
「凡そ二百。船乗りを含めても三百といったところです」
「分かった。支度が出来次第こちらの軍も出発させてください。プシェプスの方には急使を―――リプナの方には私が向かいます」
「アレクサンドラ様自ら!?」
本来ならばここにて将兵達に激励を飛ばしてから軍団を率いて向かうのが筋ではある。それが旗頭としての将の役目だ。
だが、いま本当の意味で兵を必要としているのはリプナなのだ。そしてリプナの兵、そして民達は不安を覚えている。彼らを安心させるためにも今は戦姫が疾く駆けつけなければならない。
老官とアレクサンドラの視線がぶつかり合う。戦姫の判断を諌めようとしている視線と、決意を秘めた懇願の視線がぶつかり合い。
折れたのは―――老官のほうであった。
「仕方ありませんね。しかし、着替えと旅支度はしていってもらいますよ。汗臭い姫君など海の男の理想を崩さないでください」
準備をしてあったのか、予想をしていたのか。直ぐに侍女や女官など多くが扉の向こうから現れて、清潔な布を何枚も持ってやってきた。
「今からアレクサンドラ様はお召替えになりますので殿方には出て行ってもらいますよ」
恰幅の良い侍女長の言葉で体技室より出ることを余儀なくされる。そして老官と二人となった。
「用意がいいですね」
「予測はしていたのでな。お主がマトヴェイが語る通りの人物であるというのならばアレクサンドラ様を頼む」
「言われずとも、しかし―――俺も着替えだけでもしておきたいのだが……」
一度宿に戻ることは不可能だろう。刀は持ってきているし、いざとなれば「具足」も「召喚」出来る。
だが肌着を何とかしたいと思っていたらば、老官は着替えは用意させてあると言ってきた。
「ヤーファの衣服もあるが、お主はアレクサンドラ様の恩人であり想い人だ。悪いがそれに応じた衣服を着てもらうぞ」
案内された部屋にあった衣服は、紅のガーブであった。武官が着るような宮廷服のそれには金色の複雑な刺繍が施されており、確かにサーシャの隣に立つべき人間が着るような衣服だ。
「なんかこんな立派な服拵えてもらってありがたいやら申し訳ないやら」
「この服に見合った活躍を期待する。それだけだ」
素っ気ない老官に苦笑しつつ、和服を脱ぎそれを着こんでいく。着心地は悪くない。自分の身体にもぴったり合うようでいて、少しゆったりもしている。
袖の部分に余裕がある。恐らく夏という季節に合わせたのだろう。ズボンを履いてから、海戦陸戦。どちらにも対応できるように頑丈なブーツを締め付ける束帯(ベルト)を嵌めていく。
「成程。ベルトの多さがサーシャの戦装束と似ている」
感想を一つ言ってから、鬼哭と名無しの「業物」を腰に差して自分の準備は完了した。
「リョウ・サカガミ―――アレクサンドラ様をティル・ナ・ファの国などに赴かせないように頼む」
「絶対の確約は出来ない。だが、尽力する。サーシャは俺にとっても大事な人だからな」
部屋を出て行こうとする自分に声が掛けられて、その言葉に自分の想いを吐く。
そうして部屋を出ると、サーシャもまた準備は終えていた。先程と同じ衣装ではあるが、変更点としては髪飾りが少し華美なものに変更されていた。
だが決して悪くは無い。ルビーで出来たそれは彼女を魅力的に魅せていた。
「準備は出来たかい?」
「ああ、いつでもいいぞ」
リプナまでここからは飛ばすだけ飛ばせば二日もかからない。場合によっては御稜威を使うことも辞さない。
公宮の外に出ると二頭の軍馬が既に用意されていて、馬飼いが拝跪していたのに対して、サーシャはご苦労様と言って顔を上げるように言う。
「戦姫様がご出陣なされる!!!! 道を開けよ!!!!」
馬に乗り館外へと出ると同時に、衛兵が声を張り上げて町中に響き渡らせるかのようにした。
「レグニーツァに住む私の民全てに伝える!! これより私は海賊共を討つためにリプナへと向かう!! だが、この戦いはレグニーツァの民全員でやるものだ!! 男たちは、武器を持てるならば武器を使って誰かを守れ。出来ないのならばその職に関わらず己に出来ることを精一杯に行い戦うもの達に勇気を!! 女たちは、男たちを助けると同時に戦うもの達の胃袋を満たすことを行え!! 子供たちは兵士・騎士の親を持てばその無事を祈りながら大人を手伝うのだ。そうでない者もその子供たちの親の無事を祈って大人を手伝ってあげてくれ!!!」
一拍置いてから、サーシャは息を吸い込んで、再び演説をする。
「戦姫ミーティア様が己の身を犠牲にして竜王の怒りを鎮めたように私も己の身を燃やし尽くして、レグニーツァを守って見せる。だから―――皆の力を貸してくれ!!」
太陽に金色の小剣を翳したサーシャの言葉に民達は絶叫して礼賛した。そして兵役を行っていただろう男達は公宮に向かったりもしている。女達は保存が利き、日持ちをする食糧を造る作業に入る。子供たちは、神殿に入り避難をしつつ無事を祈る。年長の者たちは大人の手伝いに入っていく。
民達の出陣の凱歌を受けながら街道へと出ていく。街道に出ると同時に、何故あんな演説をしたのかを聞くことにする。
それをしながらも馬のスピードは落とさない。
「場合によっては僕が逃げ出したと思われるかもしれないからね……。それともしも…「私」が死んだ場合に備えて、レグニーツァの民達には己の故郷を守る意思を発揮させてもらっていたいんだ」
「弱気になるな。大将が弱気になるとそれは軍全体に伝染する」
「弱気じゃないよ。ただ万が一に備えただけだ……それに話によれば八十隻以上の大船団って話だからね。一度は引き返すことも考えた……ああ、そうだよ。弱気にもなるさ。そんな大勢に未知の兵器なんだから」
「認めたな」
言い訳がましいことを先程から言っていたサーシャの緊張を解す意味でも一人ぐらいは心情を吐露させた方が良かろうというのが自分の考えだ。
今のうちから固くなられても困る。
「まぁ俺ぐらいには縋ってもいいぞ。ただ他の将兵達の前ではそれを出すなよ」
「いいのかい……?」
呆然としながら、こちらを見返してきたサーシャに不敵な笑みを浮かべながら言う。
「弱気になった女の子に胸を貸すぐらいはお安い御用だ」
どんなに武芸に秀でていても、サーシャも女性なのだ。彼女を安心させる役目は引き受ける。
それが老官との約を果たすことにもつながるはず。
「ありがとう。少しは……気が軽くなったよ」
「それは良かった。サーシャの緊張も解れたことだし少し急ぐとするか―――素は軽、肩に風実、八重の浮羽、十八重の雲。火吹き、地流れ、空渡る」
御稜威を唱えて、馬と自分たちを軽量化させた。馬は一瞬びっくりしたがそれでも一歩の幅を理解すると同時に、騎手の手綱に従って走る。
「これが僕を抱きしめて公宮に飛んで行った際に使った呪術か……異国の言葉で分からないが、それでもリョウの声には呪術とは違う何か超然としたものを感じる」
「良い感性しているよサーシャ。今のは「神様」への嘆願みたいなものさ。さて神様の加護を得た馬でリプナに急ぐぞ!!」
「ああ。こんなことも出来る君とならどんな困難にも打ち勝てそうだ!!」
速度を上げた馬の風音に負けじと大声でサーシャと言い合いながら、リプナへの道を突き進んでいく。
強大なる敵との決戦は近づきつつ一抹の不安もあったのだが、焔の戦姫は笑顔を浮かべて自分たちが負ける想像など今では無くなっていた――――。
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「虚影の幻姫Ⅱ」
端的に言って町は混乱に陥っていた。肉眼でも確認出来るほどの距離に、髑髏の旗を掲げた海賊船が四隻も現れたのだから。
レグニーツァ海軍・ジスタート海軍も巡洋を怠っていたわけではない。だが、それでもこの接近には目を剥くしかないぐらいに唐突であった。
リプナの船乗り達は、恐らくこちらの警戒航路を完全に読んだうえで航海してきたのだと、理解してはいた。
だが、そんな理に疎い市民たちは、警備兵達の誘導に従いながら避難を始めていた。
「さて、どうしたものかな」
「不審な動きをしているなあの船は……マトヴェイ。舷側を見せる意味は何かあるのか?」
「それが分からないから迂闊に動けないんだよ。我が友」
誇り高き白イルカ号(ゴルディ・ペルーガ)の甲板にてリプナの『市長』と共に、その不審な動きをしている海賊船を見る。
これ以上入り込まれたらばこちらも海戦を仕掛けるというギリギリの線を遊弋しているのだから忌々しい。
舷側には『穴』が空けられている。櫂を出して漕ぐというのならば、もう少し下に穴がなければならない。
だが、次の瞬間。その空洞から何かが迫り出してきた。巨大な壺―――としか表現できないそれは、鉄で出来ているのだろう。単眼鏡から見える限りでは、黒く光っているように見える。
瞬間。その壺が火を噴いて―――何かを打ち出してきた。かつて活火山であった火竜山の「噴火」という現象。今ではそうそう見ないそれは、こんな感じであったのではないだろうか。
そんな想像と共に、噴火で打ち出されたものが一隻の船を直撃した。次の瞬間には盛大な火炎を上げて二つに割れて海に沈んでいく様を見て気付く。船底の「竜骨」をその一撃で叩き割ったということだ。
「投石器の威力じゃない……! 火薬兵器か!!」
外れたものですら、周囲で巨大な水柱を作って船列を乱していくのだ。
噂にだけは知っていたが、それでもここまでのものであるなど誰が想像出来ようか。夏の季節であるというのに、背筋が冷たくなっていく。
鼻には強烈な刺激臭が漂ってくる。
「負傷者を救助しろ!! 出せる軍船は出してしまえ!止まっていては狙い撃ちされるだけだ!!」
市長の命令で、船乗り達は同胞を救うべく海へと入っていく。そして船が出ていく。
四隻の船は、黒煙を棚引かせながらも次弾を装填しているように思えた。連射が出来るというのならば、不味い。
「お前は陸に戻れ!! ゴルディ・ペルーガは海賊船に白兵戦を挑む!!」
「待てマトヴェイ!」
奴らは故郷を蹂躙しに来たのだ。船乗り云々以前にレグニーツァの民としてこれ以上は許せぬ。
「キャプテン!!!」
メインマストの上にいた物見が何かを見たらしく警告が発せられた。だが、次の瞬間には黒煙を散らして再び「噴火弾」が放たれた。
真っ直ぐにこちらに向かってきている。狙いは自分の船だと実感すると同時に死の実感が―――。
向かってきた鉄の球が自分の船に影を作っていくと同時に、その影にもう一つの影が差しこんだ。
◇ ◆ ◇ ◆
―――リプナの住人達は、避難をしている最中に街中を馬で駆け抜けていく男女を見た。
疾風のごとく駆け抜けた彼らは港の方まで一気に走り抜けた。誰もが彼らを見ていたが、それを無視して彼らは港へと急行する。
「あれは……戦姫様だ! アレクサンドラ様が来られたのだ!!」
避難誘導をしていた若い騎士が、喝采を上げるように駆け抜けた人物が何者であるかを伝えた。呆然としていた避難民たちは、ならば戦姫様と駆け抜けたあの若者は何者なのだという疑問に捕らわれた。
そんな疑問もなんのそので走り抜けた男女。リョウ・サカガミとアレクサンドラ・アルシャーヴィンは、風で視界を少し遮られながらも、目当ての船を見つけ出していた。
そして目当ての船に、殺意の圧が向けられていることも分かっていた。
「君が左、僕は右をやる!!」
「承知!!」
短い指示だが言わんとしていることを理解して、やろうとしていることも理解した。
港の縁で馬をギリギリ止められるように調整しながらも勢いを殺さず馬の勢いのままに飛び出して飛び上がった。
合計四つの殺意の球がマトヴェイの船を直撃しようとした時に、空中で鉄の球を真一文字に切り捨てて、「二」刀両断して火砲の鉄球を無力化した。
勢いを殺された球が海中に落ちて、「それなりの水柱」を「八つ」上げた。その水柱で出来上がった虹の向こう、船の舳先に二人の男女が、整然と降り立った。
「私は夢でも見ているのか……」
「夢なんかじゃないさ。来てくれたんだ。アレクサンドラ様が……」
呆然とした友人の言葉に応えながら、マトヴェイはアレクサンドラの隣にて「カタナ」を携えた東方剣士の姿を見て嬉しくなった。
「やれやれ。帰りの船が無事だったのは本当に僥倖だ」
――――明日の天気が晴れでホッとした程度の言動は、先程まで超絶の武芸を行っていた者とは思えないほどのんびりしたものであり、船の水夫達は肩を落とすしか無かった。
◇ ◆ ◇ ◆
「無事のようで何よりだが、すぐに出航させた方がいい。俺とて何度も「斬鉄」が出来るほど体力が有り余っているわけじゃない」
「だね。不測の事態ながらマトヴェイ。君の船はレグニーツァ軍が徴収させてもらう。以後、この戦いが終わるまでは僕の軍船ということになる。理解したかな?」
平然としたリョウの言葉の後にはアレクサンドラが必要なことを述べた。言わんとしていることを理解するまで数秒かかり、船員たちは驚きの声を上げた。
「いや、戦姫様の戦いに使うにはいささかこの船は手狭なのでは、無論。我々とて光栄ではありますが……」
「戦うのは僕とリョウだけでも構わない。今は―――あの四隻の船を黙らすのが先だ。その為に足が重い軍船じゃ駄目なんだよ」
つまりは足が早い船で「火船」を無力化するということだ。既にリプナの軍船が出て、四隻の船はそれぞれに得物を見定めようとしている。
本来ならば、停泊していた船を滅多打ちにした後に、街を襲おうとしたのだろうが、その目論見は容易く崩れ去った。
「頼むマトヴェイ。力を貸してくれ」
「――――承知しました。但し、我々も戦います。サカガミ殿達だけに働かせるわけにはいきませんので」
アレクサンドラの懇願に首肯をしてから行動に出る。市長が港に降り立ち出航を見送る。港に繋がれていた白イルカは、海の大敵をうつべく大海へと身を泳がせていく。
その背中に焔の戦姫と東方の剣士を載せて―――――――。
概算にして―――五百アルシンの距離で、海賊船とリプナの海軍は相対しあっている。
あちらは四隻―――。恐らく、その四隻全てに火砲が装備されているのだろう。
こちらはその四倍の十六隻―――。内訳としては軍船十隻に、民間船六隻。それでも接近が出来ないというのはもどかしいが、場合によっては、一方的に叩きのめされると思っていただけに、この展開は嬉しい誤算だ。
「連中戸惑っているな」
「うん。必中の火砲を無力化されたわけだからね。慎重にもなる」
先程までは港の停泊船に砲撃の限りだったが、現在は巧みすぎる操船でこちらと相対している。
舷側を見せつつということが、彼らの航海術の高さを物語っている。
「いや見事な操船ですよ。その腕をどうして真っ当なことに使えないのか疑問に思えてなりませんよ」
「食い詰めた浪人のやることは決まってこんなことなんだよな……」
だがそんなものだ。剣術も弓術も突き詰めれば殺人術なのだ。それを扱うものの性格次第で結果が異なるだけだ。
マトヴェイのような客船の船長がいる一方でドクロを掲げて海賊船の船長をやるものもいるだけ。
(最大射程は―――七百アルシン―――だが、それは風も無く安定した地面の下での計測だ)
波に煽られる船首近くに陣取りながら、敵船を睨みつける。
ムオジネルから奪った火砲の数は凡そ三十門。敵船の穴の数は、四隻の船に四つずつで十六門。
―――こちらから見える範囲ではだ。舷側を片方しか見せつけていない。それは砲口が、向けられている方にしかないからなのかそれとも。
「帆船の構造ってものは、どこでも同じなのかな?」
「まぁ造船技術というのは、ここ数年発展しておりませんから―――いずれは風だけでなく人力でもなく思いのままに海原を行く船が欲しいものです」
人の想像の赴くままに「帆走」する船。そういうものがあれば世界中で色んな取引が出来そうだ。マトヴェイの思い描く船というのは、なかなかに面白そうだが、今はどうしよもない。
軍船は全て櫂で漕ぐ「ガレー船」だ。一応帆はあるにはあるのだが、走力の殆どは、漕ぎ手にかかっている。
「問題は……あの火砲をどう無力化するかだ」
今は静寂を保ってはいるが、いずれはあの穴から突き出た砲が火を噴く。敵の観測手が無能なのを祈るのみ。
「何を考えている?」
見ると、同じく敵船を睨んでいるサーシャは唇に手を当てて考え込む仕草をしていた。彼女なりに、この状況を打破しようとしているのだろうが、何か嫌な予感がする。
「あの船を――――乗っ取れないかと思ってね」
海賊と同じことを行うと言ってはばからないサーシャに、ため息が出る。しかし有効な手ではある。
「怖いことを考えるお嬢さんだ……だが、あれを取ることが出来れば、本隊との戦いを有利に進められる」
「その為には……どうすればいいか……そうだね。投石器で前をけん制しつつ、反対の舷側に回り込む。これだな」
しかしもしも、舷側の両方に穴が付いていれば作戦は変更となりかねない。ましてや火砲を反対の舷側に移動させて来れば片手落ちだ。
「だが火力を分散させられれば、無力化するチャンスはいくらでもある」
「……包囲戦か……ならば船に切り込む役は俺がやる」
いっそのこと「水練」で、敵船に乗り込んでやろうかと考えていたが、サーシャがそういう考えならば自分はそれに従うだけだ。
「―――風を受けて、敵船の逆舷側に回り込むのだ!!」
「伝文を軍船に届けてくれ。ってあれ? リョウ。何で、無視するの?」
「………すまないけど、俺、本当に弓が使えないんだ……代わりと言ってはなんだけど…」
自分の情けなさの代償として、「柏手」を打ち―――、一羽の「鷹」を出現させた。一瞬だけ飛んで羽をはためかせてから、自分の腕を止り木とした鷹は嘶いた。
「!? それも御稜威か?」
「いや、これこそ本当の意味での呪術だな。こいつは伝書を届ける獣―――「伝書鷹」と言ったところだ。耳が遠いが、与えられた任務は必ずこなすよ」
知り合いの生臭坊主に教えてもらった「呪」の一つを披露して弓による伝書の代わりとした。
「……耳が遠いの?」
「『小鷹』の頃から面倒見てきたからね。さっさと子供を作れと俺は常々言っている」
聞く耳持たないが、と付け加えて、ひとしきり驚いたサーシャから文を受け取り、足に括り付ける。
「あの黒竜紋を船腹につけたガレー船でいいんだな?」
頷いたサーシャを見てから、伝書鷹を飛ばす。風を受けて大空へと舞い上がっていく様子を見てから、本格的な戦準備へと入る。
取り出した手甲―――軽い鉄甲を付けたものを装着して、得物を取り落さないように気を付けた。
(鎧は……いいか……軽い装備のままに戦いたい)
帆の動きで風を掴んだ白イルカは、段々と敵船の逆方に回り込みつつある。マトヴェイの操船技術は確かだ。
同時に、サーシャの伝文を見たリプナ駐留軍と武装商船による一斉射撃が始まった。
投石器(カタパルト)と大弩(バリスタ)による攻撃は、火砲よりも射程に優れていた。だが負けじと、敵船も火砲を叩きこむ。
有効打こそお互いに与えてはいないものの膠着状態を崩したそれによってどちらも一気呵成の攻勢となる。
「――――サカガミ殿! あなたの鷹が戻ってまいりました!!」
新たな伝文を足に付けられた鷹が自分の腕に止まった。外すと同時に、サーシャに投げ渡す。
「……『武運を(ウダーチ)』だそうだ」
軍船の指揮官は、随分と諧謔を知っている男のようだ。芸能を嗜む男を死なせるわけにはいかない。
微笑を浮かべたサーシャに同じく微笑を返す。その時、一隻の船のマストが叩き折られた。直撃ではなかったが、それでも火砲の威力を存分に見せるものであった。
「マトヴェイ急げ!」
「馬とは違うのです。勘弁してください」
急げと言われて急げられるのならば船乗りの仕事などあってないようなもの。そんなことは分かっているのだが、やはりこちらがやられつつあるということが、焦燥を生む。
続いて二隻目の不運な犠牲者が生まれた。武装商船ではなくガレー船である。櫂の何本かが投げ出されている。
「一列の陣形で火力を集中させて回り込みを許さないか……」
「だがこっちとて何もないわけじゃない。火薬なんて湿気れば使えなくなるのだから」
そう言ってカタパルトの水柱が「攻撃」だと慰めても、段々と十五隻の船団に多くの犠牲が増える。
サーシャへの支援のつもりか、それとも指揮官の強気が伝播したのか、あまりにも大攻勢だ。
「風を捕まえました!! これより敵船舷側500チェート付近に進出します!」
既に舵輪が動き、回頭作業に入った白イルカが風を受けて走る。
その時には、四隻の内の一隻が接近するこちらに気付き舳先を向けようとするが、それを狙ったかのように、カタパルトの攻撃が集中する。
もはや理解した。今までの船団の無謀すぎる戦いぶりは、サーシャへの支援なのだ。そして一隻の船。武装商船に火砲が集中されて、轟沈した。
歯を噛みしめながら、犠牲者の冥福を祈り―――鬼哭の鍔と鞘を打ち鳴らすことで、「金打」を叩く。
無言の誓約を己に課してから舳先を向けようとした船と最接近する。殆ど横づけする形だ。
「すみません戦姫様! 風が思ったより強くて―――このままだと40チェートまで接近してしまいます!」
「構わない。そこから先は僕とリョウで切り込む! 準備は良いかい?」
「ああ、どうやら敵はこっち側に、火砲を向ける余裕はなさそうだ。もしくは本当に湿気ったか」
ありえそうなのは無駄打ちをしすぎてしまい、既に砲弾が無い可能性もある。
マトヴェイの船が轟沈してしまうのは、避けたかっただけに僥倖だ。何より、40チェートならば―――。
遂に敵船と並列する形になった。ここまで火砲を撃ってこなかった理由は分からないが―――。
「遅かったな!!!」
不敵な笑いを浮かべてから熊手をロープに結んだうえで敵船の縁に食いつかせた。しっかりとした手応えと張力を感じて、それをひっぱっているようにマトヴェイに最後の頼みとする。
「ご武運を!! リョウ・サカガミ!!」
親指を立てて船の主に感謝を示して、リョウはロープの足場を「走っていった」。
半ばまで来ると瞠目した海賊共の顔が見える。自分が来るまでに矢でも放っていれば違ったろうが、近くにいた三人の海賊を三日月のような居合の軌道で、腹から臓物を麺のように出した。
割腹をすると、それだけでショック死したようだが、構わずリョウは次の獲物に斬りかかっていた。居合と共に走り抜けた勢いそのままに、返す刀が再び上と下とに体を分けた。
「な、なんだテメェは!?」
「通りすがりのサムライだよ。この中にアスヴァ―ルのエリオットに与した奴がいるなら俺が何者かすぐに分かるはずだ」
生き残っていた海賊共に言の刃を返す。その挑発の言葉と血ぶりをした刀に、何人かの海賊の顔は真っ青になった。
「死にたい奴から前に出ろ! 嫌だったら投降しろ!! それでも向かってくるならば念仏でも経文でも神への聖句でも何でもいい。唱えてから来い!!」
どてっ腹から力の限りの声を出したリョウの威嚇に、もはや海賊共は戦意を失っている。
「お、お前たち、敵はたかだか一人だぞ。向かわんか! 首を獲ったものには、恩賞を与えるぞ!!」
「し、しかし……敵はあの「リョウ・サカガミ」なんですよ……お、俺は抜ける。もう嫌だ!! 竜殺しの英雄なんぞと戦えるかよ!」
一人の海賊が甲板から身を投げて逃げだす。その行為に続いて、甲板にいた海賊数名は逃げ出す。
上手くいけば、港町に辿り着くだろう。もっとも無事な人生ではないだろうが。
「十人か……結構残ったな。砲撃が止まっているのは、もはや砲弾が無いからだな……」
強烈な振動が感じられないのは、砲撃をしていないからだ。波に揺られるほど軟な鍛え方をしていない。
「いけよやぁ!!」
訛りが強いアスヴァール語で、突撃を指示されて海賊刀(カットラス)、斧、小剣を持ったものと雑多な武器集団が向かってくる。
(真っ先に無力化するのは――――)
小剣を持った相手の腕を跳ね飛ばした。踏み込むと同時に切っ先の返しだけで小剣ともども手が無くなった。絶叫を聞きながらも、その手を蹴り飛ばして小剣を斧持ちの相手に投げつけた。
斧を持った相手はこの中では大柄であり、小剣を丸太のような腕で払った。
馬鹿め。という内心の嘲りの後には目に見えて動きが鈍くなる斧持ち。先程の小剣には―――「毒」が塗られていたのだ。潮の匂いと火薬の匂いの混合の中でもその匂いを感じて、先に無力化したのだ。
斧を振り下ろすこともままならず、飛び込みの勢いのままに平突きを見舞う。心臓を確実に止めると同時に。
「馬鹿が!!」
斧持ちの後ろに隠れていた海賊刀持ちの男が、死体を押し倒し重量として見舞ってきた。
だが―――海賊の言葉よりも前に、リョウは既に空中に飛び上がっていた。空で「鬼哭」を抜き放つと、刀身を逆さにして、振り仰いだ男の眉間に突き刺した。
赤い衣装で助かった。血しぶきがかかっても目立たない。眉間の刀を抜くと同時に大男からも「無銘刀」を回収する。そして小剣持ち「だった」海賊が這いずっていたので、心臓を一突きして動きを止める。
「化け物か……貴様……」
「いい勘しているよ」
実際、自分は「化け物」だろう。伝える通りならば自分は―――「■■■」の血も混じっているのだから。
「六人で叩き潰してしまえ。周囲を囲むんだ!! おいお前!! あれを!!」
一人を船室に急行させた海賊船の船長。良い指示ではあるが、包囲戦を仕掛けるには―――。
「人数が足りないんじゃないかな?」
船の縁にいつの間にか来た―――双剣士が、飛び上がり落下の方向で三人の海賊の後ろに降り立ち、炎の舞を食らわせた。
斬られながら焼かれるという二重の苦痛に死に絶えていく三人の海賊。
それを見届けながら、振り返ると同時に自分の背後の敵に斬りかかる。首に走る輝線の如き剣閃で呆然としていた海賊一人が死に絶え、反応が遅れていた右の海賊に斬りかかる。
カトラスと刀が打ち合わされて、一撃では無理な辺りなかなかな戦士だと思う。しかし――――。
「腰が退けてる!!」
足払いをすると簡単に転ばされ、体が崩れた所で首を跳ね飛ばす。そしてもう一人を無力化しようとしたが、その前にサーシャが剣閃を放ち海賊が無力化された。
「君ひとりの実力を見ていたが、本当に容赦ない」
「峰打ちでいいっていうのならばそうするが?」
「無駄に捕虜を捕まえてもね。食わせるご飯が無駄だ」
改心する可能性を信じるほどお互いに善良ではないな。と納得してからこの船の船長に向き直る。
「さてと、後は船室の砲手を無力化するだけだ。大人しく投降した方がいいんじゃないかな?」
「ふざけるな……! アスヴァールの英雄に、まさか病床の戦姫が来るなど……話が違うぞフランシスめ! あの騎士崩れがぁ!!」
「錯乱しているようだな……お前は捕虜には―――――」
瞬間。下の船室から―――大きなものが迫り出してきた。それは―――この船一番の戦利品の一つ。火砲であった。
「キャプテン!! 装填終わっていますぜ!! ぶっぱなしますか?」
既に着火するだけの状態になっているそれは、車輪を付けた完全な状態で存在している。
「演技か……。騙されたな」
「動くんじゃねえぞ!! お前たちに向けると同時にお前たちの船にもこいつは向けられてることは分かっているな!?」
立ち位置が悪かった。そして、ここまで逆上した行動に出られるとは思っていなかった。
そして―――何よりこの場面で、彼女が現れるとは思っていなかった。多くの薔薇を模した飾り模様を配したドレス姿の―――戦乙女が。
笑いながら、自分たちの目の前に―――――。
「随分と過激な行動ですこと」
言葉と同時に、海賊二人の首筋に刃が「出現」した。双葉を広げる華のような大鎌が引かれる。
断頭台による処刑のように海賊の首が飛んだ。彼らは何が起こったのか分からぬままに死んでしまっただろう。
そんな様子に死神が現れたと思ったのは、既にこちらに乗り移ってきていたゴルディ・ペルーガのクルーだった。
サーシャとリョウを自由にするために船を捨てる覚悟をした彼らの意気は見事に崩されたが、彼らは現れた死神―――が頭上で特徴的な武器を一回転させたことでいくつかの可能性に辿り着いた。
そして、その答えをサーシャは驚愕の表情で告げた。
「
「いつも余裕の表情でいたアレクサンドラの表情を崩すのは結構面白いものですね。とはいえそんな趣だけのために来たわけではありませんよ」
「王家の意向での援軍のつもり―――――――」
誰何の声をあげようとしたサーシャよりも早くヴァレンティナ―――ティナは、飛び掛かる形で自分に抱きついてきた。
彼女を受け止めることは、軽いのだがそれでも一瞬躊躇してしまった。それは隣のサーシャに対する気遣い半分。抱き着くティナの汚れに対する気遣い半分だ。
「つまりはこういうことです。お分かりいただけました?」
流し目で隣のサーシャに言うティナ。さっきまで命の危険がありすぎた修羅場だったというのに、違う意味での修羅場の方が命の危険を感じる。
「ちょっとティナ。俺さっきまで切った張ったの殺劇を繰り広げていて、血飛沫だらけだから抱き着くとその立派な「おべべ」が、汚れぶっ!」
口を最後まで利けなかったのは、ティナが抱き着いたのを真似たのか、幼竜―――プラーミャが首に抱きついてきたからだ。
「あらあら、プラーミャもパパに抱きつきたいんですね? 大丈夫ですよ。家族のスキンシップはやり過ぎて悪いことは無いんですからっ!!」
金属音が聞こえた。それは四つの刃物が、ぶつかり合う音だ。見るとティナにバルグレンを向けたサーシャ。そしてそれをエザンディスで受け止めるティナ。
その二つの境界で悲鳴を上げるは自分の鬼哭であった。持ち主も悲鳴を上げたい気分だ。
「どういうことなのかさっぱりだよ……!」
「分かりませんか? 全くこれだから。流れの旅人風情の教養では、男女の親密さの何たるかが理解出来ないのでしょうね」
「むしろ、そういうのって貴族にこそ理解が無いと思うんだけど……というか今、戦闘中だろうが、こんなことをしている場合かよ」
「だったら事情を説明してくれ。―――海賊共を殺しながら」
目が据わっているサーシャの怒りの表情と言葉。状況を確認すると船尾からこちらの船に乗り込もうとしているのか、ターザンロープや縄梯子を掛けて船と船を飛んでやってくる海賊の集団が見える。
「ここが一番端の戦列で助かりましたね。場合によっては、挟み撃ちにされてしまっていたんですから」
「俺は何一つ助かっていない。とりあえずティナ離れてくれよ」
流石に状況が状況だけにティナも自分から離れた。プラーミャは何故か火砲に跨った。
「マトヴェイ、船室の海賊を無力化してこい。僕たちで侵入してくる海賊を倒すから」
「承知しましたが……そこの戦姫様を信用してもよろしいので?」
マトヴェイの言葉に、その据わった目をティナに向けるサーシャ。何でそうなっているのかは分かる。要は嫉妬しているのだサーシャは。
「……というかティナ。何で君はここまで来たんだ?」
「リョウが心配で―――、何かの間違いで今生の別れになってしまったら嫌です」
寧ろ、君が来たせいで死にそうだとは言えない。だが、どこまでの事情を説明したものやら、と思っていたらこちらを見つめてきたティナが視線をサーシャに向けてから告げる。
「とりあえずアレクサンドラ。詳しい事情は後々話します。無論、私も同席しますよ。今は―――東方剣士リョウ・サカガミの心意気を信じてあげてくださいな。何もワザと謀っていたわけではないのですから」
先程までは少し茶化していたティナの真剣な言葉にサーシャも何も言い返せなくなる。先程までの自分の剣が嫉妬ゆえの恥ずかしいものに思えたのも一つだ。
「……分かったよ。リョウもそれでいいのか?」
「ああ……俺がジスタート、いや西方にやってきた本当の目的を話すよ。でなきゃ君の信用を損なったことに対して申し開きが出来そうにないからね」
若干、先程よりも落ち着いてきたサーシャの眼と言葉の問いかけに、リョウも答える。
そうしてから、今の自分はただの剣鬼であると、心を鎮めてから刀を構えなおす。同じくサーシャもまた双剣を構えなおした。
他の敵船から乗り込んできた海賊共。その様子に気付いたのかリプナ駐留軍船もまた白兵戦を挑むべく、接近をしてきた。
「『弩』が敵船に乗り込んで来るまで持ちこたえる。そうすれば挟撃出来るからね―――体力に気を付けて」
「承知」
見ると海賊船は縦一列の陣形となっており、その陣形を利用してこちらへと来るのだ。無論、ここで自分たちが船を動かせば彼らの目論見はついえるだろうが、せっかく四隻の火砲船を手に入れられるチャンスなのだ。
船尾に到達した海賊共が展開しようとする前に、双剣が、刀が、大鎌が、彼らに血飛沫を上げさせながら海へと叩き落とした。
(守勢だけじゃ駄目だな。こっちからも攻め込まなきゃならない)
船尾は広くもなく狭くもなく作られており、戦闘するには問題ないが、それでも敵船からの侵入者が多すぎた場合。押し込まれる可能性もある。
ボートで乗り込んでくる輩も出るかもしれないとして海面にも注意を払わなければならない。
考えているその時、飛来物がやってきた。刀で打ち払うと正体はわかった。矢だ。
海賊たちは、こちらが接近戦で無類の強さを誇ると分かって遠距離からの矢打ちに切り替えたようだ。
五十人もの弓隊の攻撃はなかなかに厄介だ。櫓に上がり指揮の下一斉射撃をしてくる。
思わず距離を取り、矢の脅威から逃れる。射程はおおまかだが100アルシン。そしてあちらの船首とこちらの船尾との距離が概算で70チェート。
弓の射程の境界にて、大鎌を風車のように回転させて、矢を打ち落とすティナ。それに倣うように双剣と刀で矢を打ち払う。
このまま矢によって距離を離されると、乗り込んできた不逞の輩にやられる可能性もあったからだ。
「ちっ、このままじゃ……」
矢とて無限ではないだろうが、それでもこのまま滅多打ちにされていては精神的に不味い。
「リョウならば切り込めそうですけど」
「確かに100アルシン程度ならばとも思うが……」
船尾から船首に乗り移る際に打たれるだろう。空中というのは一番無防備な状態なのだから……。
「仕方ない……ティナ「お三方!! こちらへ!!」―――」
自分がティナの転移で彼らの後ろに行こうという考えを伝えようとした時に、後ろでマトヴェイが叫んでいた。
後ろを振り返ると、プラーミャの周囲にゴルディ・ペルーガのクルー達が集まって火砲を見ていた。
その様子に―――自分の血の気が引いていくのを感じる。
「――――全員、耳を塞げ!!!」
焦げ臭い空気が感じられるところから察するに、何が行われようとしているのかが分かる。
脚力の限りを以て彼らの周囲に加わるのと同時に――――火砲が火を噴いた。
火炎と共に吐き出される鉄の砲弾が―――真っ直ぐに飛んでいき敵船の甲板を木端微塵にした。櫓にいた弓隊など吹き抜けとなった船室に叩き落とされて死んだだろう。(運が良ければ生きているかもしれない)
向こうの船尾でようやく止まった砲弾によって、敵船の戦闘力は完全に喪失された。その様たるや、これが火薬兵器の真の威力かと驚愕する。
「まさか―――使うとは思っていなかったぞ」
木端の粉塵と火の粉の舞う中、鼻を抑えながらマトヴェイに突発的な行動の理由を聞くことにする。
「いや申し訳ない。というよりもこちらの幼竜が「導火線」に炎を吐きつけまして……」
鉄の砲の上て直立するプラーミャは、どこか誇らしげだ。そしてマトヴェイに謝りなさいという思いで言葉を掛ける。
「お手柄だなプラーミャ。けれど次からはもう少し考えて使ってくれ」
「もうリョウってば不器用ですよ。こういう時は子供の行いを黙って褒めるものです。パパとママを助けたくてやったんですよねー?」
プラーミャの頭を撫でて、喉を撫でるティナ。嬉しそうにしているところを見ると、この幼竜なりに自分たちを助けたかったのかと思う。
だが、危険なものだったことを教えていなければいつか取り返しのつかないことになってしまう。
プラーミャが誇り高き竜王になるのか人食いの暴虐竜となるか……本当に責任重大である。
などと二人して子育てに関する方針を擦りあわせていると、わざとらしい咳払いが聞こえて、そちらを向くとサーシャがいた。
「そろそろ戦闘も終わりそうだ。弩(ルーク)の騎士団が後方の二船を追いつめている――――リプナに着いたら色々と聞かせてもらえるかな?」
「もちろん。私とリョウのなれ初めを聞くも涙。語るも涙なヒロイックサーガの如く語ってあげるわよ♪」
「変な脚色をしないように、俺も口を開くから……あんまり不機嫌にならないでくれよ」
何というか色んな意味で不機嫌が最高値なサーシャに少し困惑してしまう。
弩というガレー船から敵船を制圧しにかかった騎士達の怒号が聞こえて、確かにこの戦いは終わりそうだが、自分の戦いはこれから始まるような気がして気持ちが重くなるのを隠せなかった。
戦闘の結果としては申し分が無かった。だがそれは軍隊としての戦果という意味であり、リプナの商船・客船は幾つも叩き壊されていたのだ。
たかだか四隻の船相手に、十六隻で立ち向かい―――八隻の損害を出してしまったのだ。総合的な被害としてはかなりのものだ。
敵船の内、損傷が酷い二隻は海に沈めて残りの二隻をけん引しながらリプナへと戻る。
簡単な尋問を行った結果ではあるが、どうやらこの四隻の船団は―――呆れたことに「本隊」だったのだ。つまりは―――レグニーツァ軍はなめられていた。
「つまり残りの七十隻以上もの大船団はルヴ-シュ沿岸部に展開しようとしているというのだな?」
「そうだ。俺たちはレグニーツァの戦姫は病床で動けないことを知っていた。だから……こうして、火砲装備のキャラベルで打って出たんだ」
縛り上げられた海賊の一人は進んでぺらぺらと詳細を語る。一応、偽証の可能性を疑って脈を取ってもみたが―――どうやら語ったことに嘘は無さそうだ。
「フランシスの奴も、体の良い厄介払いのつもりだったんだろうな。俺たちはどちらかといえば捨て駒みたいな任務しか任されていなかったから」
反逆も考えていたという海賊の内情にはさほど興味は無いが、大胆不敵な大将だ。
しかし―――それだけで、本当にジスタートを征服するとか考えられるのだろうか。
火砲も、投石器も強力な兵器だ。だが、それだけで一国を征するなど甘い考えだとも考えられる。
「ああ、そう言えばフランシスから奇妙なことも命令されていたな。死体や白骨があれば俺のところに持ってこいなんて……ありゃ邪教にでもはまってやがると思うんだよ」
「貴重な意見ありがとう。後はレグニーツァの法務官の沙汰を待って臭い飯でも食っているんだな」
最後の意見を無視してから、白洲に引っ立てた罪人というわけではないが、どこでも罪人なんてこんな扱いだなと兵士達に連れて行かれる様を見てから、今後の方針を考える。
「レグニーツァの軍は、首都から既に出発している。兵站の補給に関しては既にリプナに積み上げていたから、そこはいいんだ」
『市長舎』の市長室を借りて、今後の方針を決めていく。判明したことといえば海賊共の塒と、お隣の領地に危機的な状況が迫ってきているということだ。
「恐らく客船クイーン・アン・ボニーの貴族共がジスタートの内情を話したのでしょうね。全く舌を噛み切って自害するぐらいの気概は欲しいものです」
サーシャとティナの言葉と海流の関係から、自分たちがルヴ-シュの沿岸部での決戦に行くには、二日と半日の猶予があるということだ。
その間に、どれだけの事が出来るかは分からないが、やれるだけのことをやるしかあるまい。火砲の整備と「砲弾」の補給。
「火薬の量はどれだけある?」
「凡そ……二十五発撃てるだけはある。もっとも砲弾以外であれば、その限りではないが」
驚いたことにこの火砲という兵器。鉄の砲弾だけでなく詰め込んだ金属製のものならば何でも打ち出せるとのこと。
試してはいないが、金属のフォークやナイフなども「弾」として利用することも可能。回収した火薬の量と砲弾の関係上。それをすることもありえる。
兵站を管理する武官がそう言ってくるが言葉は明るくない。部外者である自分がいるということが、気に食わないのか。
「いや、失礼サカガミ殿が云々というわけではないのです。私としてはこのような安全性を担保出来ない兵器になど頼りたくないのですよ」
「だが海賊共も同じものを装備している。そして今回の戦いで多くの犠牲が出たんだ」
二十五発であちらに大損害を与えられれば御の字だ。出来うることならば同じく火砲を装備した船を撃沈させたい。
「……致し方ありませんね」
そうして、この未知の兵器に対する有効な使用方法を模索するとして、弓使いや投石器などの砲手・観測手から話をきくとして退室した。
「海流の関係。海賊共の証言から察する時間の逆算―――、こちらが上手くいけば挟撃することは可能か」
地図に載せられた赤い石、青い石、黄色の石。それらこそが彼我の戦力を示していた。
赤い石は三つ。青い石は七つから八つ、黄色の石も三つ。大まかなものであったが、分かりやすい。
青石は、赤石と黄石の間に挟まれて海上に存在していた。上手くいけばそうなるというだけで本当にそうなるかは分からない。
そしてただの石が―――ヴァルタ大河に存在している。これに関しては動くかどうか分からない。「ジスタート水軍」というもの。つまり国軍である。
「せめて戦場が混乱しない時に来てほしいね」
「指揮官の賢明さに期待するしかないな」
「そして僕は君の懸命な説得を今から聞くわけだ。さぁ何でも聞くよ。もちろんそちらの『お客様』も語って構わない」
そんなもはや軍議とは無関係な話。言うなれば痴話喧嘩の類の匂いを感じたのか全ての武官・文官達が我先にと市長室から退室していった。
(裏切り者が)
内心での罵倒も何のそので出て行った彼ら。そして市長室には戦姫二人と、異国の剣士一人が残った。
その状況はもはや逃げ場なしであり、覚悟を決めてサーシャに向き直った。
「―――とりあえず俺が西方に来た本当の目的を語るよ」
ため息一つを突いてから、自分の西方に来た本当の目的を語る――――。
自分が仕えていた主。『帝』より西方の魔と邪悪を打ち払うように言われたこと。そしてそれに類するものを感じてアスヴァ―ルの戦乱にも参加していたことを。
「ティナと会ったのは、リプナに着いてすぐだったんだ。俺としてもジスタートは初めてだったから案内が欲しかった」
「私はドラゴンスレイヤーと語られるリョウが、ジスタートにやってくると知ってスカウトする為に待ち伏せしていたの」
もっとも最初はプシェプスにいました。と語るティナも嘘は語っていない。
「……怪しいと思わなかったのか君は?」
半眼で尋ねてくるサーシャ。それは自分とて思っていたことだ。だから本当の所は彼女に語っていなかった―――その時は。
「思ったさ。まぁその後、公宮へ向かう道で正体を明かされた。自分がジスタートの七戦姫の一人だとね」
「何でその後もヴァレンティナ。君はリョウに着いていったんだ?」
質問を向ける方向を変えたサーシャに対してティナは、微笑みながら口を開く。
「私はリョウに戦いを仕掛けました。英雄と語られる彼には色々と思うところがありましたのでね。しかし、そこで私は負けまして―――リョウは怪我を負った私に御稜威で癒しを施してくれました。戦姫として貴族として、礼に対しては礼を返すのは当然でしょう?」
「……確かにそうだ。そして……全然落ち度が無いなんてひどくないか……」
ここでティナが国盗りのために自分を求めてきただの何だの言うのはサーシャを利するはずだが、聞かれてもいないことを話すこともなかろう。
落ち込むサーシャには悪いが、本当にその時はそれだけだったのだから。
「そして君が僕の軍の選抜試験に来たのはマトヴェイとの約束を果たすためだった。それは間違いないんだな?」
「ああ。それに関してはティナは無関係だ。俺自身の心で決めたことだ」
「――――――最後に聞くけど……二人は……いわゆる男女の仲なのか?」
「私はリョウを女として好いていますよ。あなたと同じく―――」
ティナの言葉にサーシャは頭を抱えながらも、頬を紅潮させる。先程のリョウの言葉を疑うわけではない。
だが嫉妬してしまうのだ。自分より先に彼と知り合い彼の信頼を得ていたヴァレンティナ・グリンカ・エステスという同輩に対して。
第一、自分は今年で既に二十二。まだまだ女盛りであろうが、結婚適齢期かと聞かれれば東方の風習でも微妙な顔をされるはず。
「けれど愛されている確証はありませんね。悲しいことにプラーミャ。あなたのパパは帰る家が多すぎる人です」
「だからそういう風な虚飾をするんじゃないよ。お前の虚影の幻姫っていうのはそこから来ているのか!?」
「ヴァレンティナ……確かに君は虚飾をしていたね……君は、身体が弱いはずだった」
「あれは嘘です」
あっさり認めるヴァレンティナ。しかも笑顔で言ってくるものだから自然とサーシャの視線が厳しいものになってしまう。
「王を謀り、尚且つ君は僕の矜持すらも辱めた―――同じ戦姫として、何も思うところは無いのか?」
「御大層なことを言いますけれど、
忠誠心。仲間意識。その二つが自分たちには欠けている。だがそれでも礼を失することはないぐらいには話し合うことも必要のはず。
サーシャの考えはそれであって、ヴァレンティナは己の野望達成のためにそれをしてこなかった。
「変な例えだが、リュドミラとエレンが不倶戴天の敵である理由が何となく分かるよ……己と正反対な思考と行動の人間ほど認めがたいものはない」
椅子から立ち上がり、ヴァレンティナに近づいていくサーシャ。
「そう。私も―――、己の欲であり理想を民に対して語らない支配者ほど認めがたいものはいませんわ」
同じく立ち上がり、サーシャと正面から相対するヴァレンティナ。お互いに睨みつけ合うその姿は正直言ってみていられない。
見目麗しき美女二人がガンつけあっている姿など控えめに言っても見苦し過ぎる。
「喧嘩はやめろよ。ティナ、お前にとっても海洋拠点を抑えているレグニーツァは重要な取引相手だって言っていたろ。サーシャも、そんな人間でもジスタートを守る要の存在なんだ。主義主張に対する批判は抑えて協力し合えよ。とにかく止められるうちは喧嘩はやめろ。そんなことは当たり前だ」
諌めるために一息に言葉を発する。火に油を注いでしまうかもしれないが、それでも二人が険悪でいることはよろしくないはずだ。
「……分かりましたわよ。こちらも二十歳を過ぎた「年増」の煩いお小言に付き合う必要はありませんでしたね」
「……僕も同感だな。二十歳にもなって年甲斐もない「若作り」な衣装を着ているイタイ女の戯言に付き合う必要はなかったよ」
半眼で、お互いを見てからそんな言の刃を出し合う二人に、げんなりしてしまう。
「お前ら、全然やめる気ないだろ。そうなんだろ?」
戦姫二人の他愛もない争いは収まる気配は無い。だが、しかしこの地に起きている戦乱は治まる。
リョウ・サカガミは人知れず決意を固めて――――何やら言葉から察して自分にまで責が及びだした後ろの現実から逃げ出した。
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「虚影の幻姫Ⅲ(前篇)」
空は快晴。波穏やか。海の様子はただただ穏やかであり平素のものだ。
だが、その海を走っていく船――――その船員たちも穏やかなのだが、一人だけ気分も胃の中も穏やかではない人間がいた。
青い顔をして、波を見ながら胃の中のものをもう盛大に吐き出していた。『オロロロロ』という声が嫌でも耳に入ってくる。
背中をさする幼竜プラーミャは吐いている女性。ヴァレンティナ・グリンカ・エステス―――ティナを本気で心配している様子だ。
「盛大に嘔吐するMFレーベル(?)の女性キャラってどうなんだよ……ついこないだは、大丈夫だったはずだろ」
「つまりこれは酔ったからではなく、悪阻(つわり)というものですね。はてさて私のお腹にいる赤ちゃんの父親は誰なのでしょうか?」
「あっ、やめて。そういう色んな意味で寒気がすること言わないで」
呆れながら言うも仕返しするかのように、口元を拭いながら、こちらに笑いかけてくるティナが本当に怖い。
しかし、それ以上にティナは辛いのだろうと思い、口を吹いてからもらってきた野菜―――汁気が多いトマトなどに塩をたっぷり振りかけてパンで挟み食べるようにいう。
「あー……なんか塩気が利きますね。空っぽの胃に沁み渡る感じです」
「塩は貴重なんだからな。ゆっくり食べろ。まぁとにかく落ち着いたならばなによりだ」
「そうですね。お腹の中のもう一つの命のためにも死ねませんし」
「そういう風な冗談、本当にやめてくれ」
リスのように野菜サンドを頬張るティナは、先程から冷視線を感じないのだろうかと嘆きたくなる。
その視線の元は、御厄介になっている軍の最高責任者である。無論、船長は他にもいるのだが、それでもティナの同輩である相手が最高責任者だ。
レグニーツァ軍の総大将。戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィン―――サーシャは、険しい視線をこちらに向けてくる。
仕方なく弁明のために彼女の近くに歩いていく。
「何というか悪いな。色々と騒がせてしまって」
「もう慣れたよ。君が来てからというもの僕の領地はお祭り騒ぎの連続だ」
「お前もその片棒を担いでいるの分かってる?」
皮肉に皮肉で返すとサーシャは、痛いところを突かれたかのように顔を固くする。
事実、こうして出征する前にもそういうお祭り騒ぎを彼女は起こしたのだ。ティナとサーシャの言い争いから市庁舎から逃げ出した自分。
それから数刻リプナの街を適当に歩いていると、まるで賞金首を見つけたかのような騒ぎが巻き起こった。
何事と思いながら、見ると――――お触れが出ていた。
「まさか俺を捕まえると金貨百枚だなんて……」
「ご、誤解だよ。僕は金貨千枚と言ったのに、文官が『そんな余裕はありません』って言うから仕方なく百枚で手を打ったんだ」
「そこは重要な問題じゃない。そこが問題じゃない」
恥じ入るように顔を伏せるサーシャには悪いが、そういうことではなく―――まぁつまり捕り物騒ぎの大騒ぎは市民、兵士、全てを巻き込んでのとんでもないこととなり。
火つけをしようとしていた海賊共の斥候を見つけたり、誰かの飼い犬を探したり、野外で逢引きしようとしていた恋人達を注意したりで、一日中走り回っていた。
市民たちは海賊騒ぎで暗い気分であったのが晴れたり、兵士は「鈍った体を鍛えなおせましたよ」などと、いい気分転換になったようだが、追われた側はたまったものではなかった。
「でも結局、リョウを捕まえたのは私でもアレクサンドラでもなく、プラーミャなのですから世の中分かりませんね」
近くまで来たティナが抱きかかえた幼竜を撫でながら、そんなことを言う。
そう。結局この捕り物騒ぎの勝者はレグニーツァ住民にとって馴染深いフラムミーティオの息子であるプラーミャであった。
どこかの路地裏で息を整えている時に、この幼竜が空からやってきて自分の頭に乗ったのだ。
今のティナのように抱きかかえるようにしたらば、その目は寂しそうに見えたので帰るために仕方なく路地裏から出ると捕り物騒ぎの勝者が決まった瞬間となる。
「金貨百枚分の骨付き肉は美味しかったかな?」
サーシャの問いかけに対して、プラーミャは言葉を理解したのか首肯してくる。
その姿にふと考えることがある。あの巨竜。火竜山の主フラムミーティオは、サーシャという戦姫に戦姫ミーティアの「四魂」を与えた。
それはもしかしたらば、プラーミャとサーシャとの間で友誼を交わせという意味なのかもしれない。
事実、「四魂」のルビーを持ったサーシャには何となくプラーミャの言いたいことが分かるそうだ。―――栓もないことを考えていたらば、美女二人から少し変な視線を感じる。
「僕が魅力的なのは分かるけれど、戦場で美女に見とれるというのはどうかと思うよ。一瞬の油断が君を捕虜にしてしまうかもしれない」
「私の魅力を再認識するのは、構いませんけれどそんなに見つめられると色々と濡れてしまいそうです」
何がだ。ということを言わずに、美女二人の戯言を無視して周囲の軍船を見る。かき集められるだけかき集めたレグニーツァの船団の数は四十二隻。有志を募った武装商船なども含めたその威容の中央の旗艦に自分がいる。
たかだか傭兵風情である自分がいるということに場違い感もある。むしろ傭兵集団の中で動きたかったのだが、これに関してはサーシャが頑として譲らなかった。
旗艦が先陣を切るなんてありえないというこちらの言葉に対して、『それならば旗艦が多くの敵を担うべきだね。僕の船には、火砲を全て搭載するつもりだから』
その言葉通り―――この甲冑魚号というガレー船の威容は従来の船の装備とは一線を画していた。
両舷側の火砲八門に船首にも砲を着けて、それよりも目を引くのは―――甲板を拡張するような形で作られた大きな円形の台座である。
船首付近に一つ、左右に二つ。どでかい車輪か円形の小屋のようなそれからも火砲を叩きこむための装備であり、舷側からでは打てない射角に対応するためのものだ。
「投石器にせよ大弩にせよ。射角は変えられませんからな。そういう意味ではこの兵器は革命的ですよ」
「敵陣に突っ込み―――至近距離から砲撃を叩きこむ―――それがこの「ガレアス船」の役目なんだけど……それを旗艦にするのは不味くないか?」
「おや? サカガミ殿は我らの力を侮っているので?」
「そんなことは無い。ただ戦姫に乗り込ませなくてもいいんじゃないかってことだ」
指揮船と攻撃船の区別ぐらいはあってもいいと思うのだが、船長であり軍団の指揮官でもあるパーヴェルキャプテンは、その強面な面構えで微笑を浮かべている。
彼とて自分がやろうとしていることがどういうことなのかぐらいは分かるはずだ。
「だが、戦姫様はそれをやろうとしているのだ。敵陣に突っ込むということはこの船が一番危険に晒される。必勝の策があれどもな」
「……誰も死なせない。俺の目の前に見える範囲でならば、俺は俺の剣を振るうことで全員を守る」
「ありがたいよ。我が船には生ける伝説が三人もいる。負ける気はしない」
「やっと見えてきたか」
船首に向かうと、燦々と輝く太陽の下でおぞましき髑髏の旗を掲げる大船団が見えてきた。それに遮られてはいるが、向こうに三十隻程の軍船が見えた。
掲げる旗が違うのを見れば、あれこそが件のルヴ-シュ軍なのだろう。
「背後を取れたことを喜ぶべきかな。それとも陽光で目を焼かれかねないことを嘆くべきか」
「前者に決まっているよ。決めていた号令を発しろ。ルヴ-シュ軍と歩調を合わせて海賊を殲滅する」
角笛と銅鑼、太鼓をリズム良く発する騎士達。だが―――攻撃は始まらなかった。返事として出されるべきルヴ-シュ軍からの応答が無かったからだ。
いや、応答はあった。だがそれは決めていた発令暗号では「否」というものでしかなかったからだ。
唖然としながらも、海域には沈黙が降り立つ。海賊からの攻撃も、ルヴ-シュ軍の攻撃もない静寂な海がある。
狐に化かされたような気持ちで、海賊船からの不意打ちを警戒していると、戦場を迂回してきたのか一艘の小舟がやってきた。
甲板にやってきたルヴ-シュ軍の使者であると名乗った戦士に警戒をしつつも、此度の仕打ちの内容を聞くことにする。
「その前にこちらを、アレクサンドラ様にと」
懐に隠していた文をパーヴェルはダガ―で封を切ってから、サーシャに渡した。
内容を一読したサーシャは、ため息一つ突いてから、こちらに読むように言ってくる。
「いちいちぐだぐだと長ったらしい修飾文だな。書いたやつの人間性が透けて見える」
「要約すると……『人質交換』まで待てということですか……ったくあの子は、こっちは準備万端でやってきたというのに!」
「怒るなよティナ。というか海賊がこんなことに応じるのか?」
「分からない。だが、今は一刻の猶予というものを信じるしかないね」
ティナを宥めつつ、サーシャに聞くと彼女も少し怒っている風に見える。
「何か異変があればそれは交渉失敗ということでこちらは戦いを仕掛けてもいいんだね?」
「はい。戦姫エリザヴェータ様も、そこに関しては特に何もおっしゃっておりません。ご迷惑をおかけしているのは重々承知です。ですが御寛恕いただきたく思います」
平伏しているこのルヴ-シュの兵士の言を疑うわけではないのだが、何故ここまでするのか理解が出来ない。
特にこの男の態度もだ。頭を甲板に着けて、平身低頭のままでいるこの男が戯れに首を刎ねても構わないとも付け足してきたので、少し理由を聞くことにする。
「……捕らわれているものの一人は私の妹なのです。馬鹿なことをしていたとしても、後先考えなかった者だとしても……助けたいのです」
泣き出さんばかりのこの男の言葉に違う意味でのため息を船員一同漏らさずにはいられなかった。
だがこれで、士気が少し砕けたのも事実だ。即座にこちらとしては初のガレアス船による戦闘といきたかったのだが、それを台無しにされたのだ。
全員の士気に影響が出なければいいのだが。
「果たして上手くいくかな」
「その前に人質を返すつもりがあるかどうかということだ」
「殿方の獣欲というものは際限がありませんからね」
単眼鏡の向こうに見える細身のガレー船の船団。その内の一隻が進み出て、海賊の船と接舷するのが見えた。
だが、その人質交換は順調には見えない。剣呑な雰囲気が完全な闘争になるまで時間はかからなかった。
進み出たルヴ-シュ軍のガレー船に火砲が吹かれた。三つの砲弾がガレー船を海に沈めていく。
「交渉は決裂だ。海賊共は、最初から人質を返すつもりはない」
「戦闘開始! 打ち合わせ通りに動け!!!」
こちらの言葉にサーシャは即座に号令を発した。これら一連の流れに怒りをぶつけたのは、ルヴ-シュ軍であった。
卑怯な不意打ちによって自軍の兵達が殺されたのだ。すぐさま報復を願う絶叫が聞こえていた。
それに構わずレグニーツァ軍は、戦闘行動を開始していく。
◇ ◆ ◇ ◆
「私の判断が兵士達を無駄な死に追いやってしまった……」
「しかし如何に戦姫様といえどもあの火砲という兵器の前では足場を無くしてしまいます」
「だからこそ……彼らは、向かってくれた。その死に報いるためにも―――海賊共を殲滅します」
海に沈んでいくナターリヤ号の船員を救助するための小型船を派遣するためにも目の前の―――壁を壊さなければならない。
ルヴ-シュの戦姫、エリザヴェータ・フォミナは、報復の声を願う兵士の声を聴きながらも現実に対処しなければならない理不尽に苛まれていた。
(八十隻もの船団を打ち破る策なんて)
目の前には八十以上もの船の壁だ。ナターリヤ号はその陣地の奥深くまで進出してしまっている。
レグニーツァ軍には大見得を切ってしまったのだ。動かざるをえまい。だがそれは壮絶な消耗戦にルヴ-シュ軍に巻き込まれるということだ。
「戦姫様!!!」
物見の声が聞こえて何事かと問い返すよりも先に、こちらからは4ベルスタは離れているはずだったレグニーツァの旗を掲げた船が海賊の船団の真ん中に進出してきた。
力ずくの突破に、誰もが何も言えなくなる。次の瞬間には―――さらに何も言えなくなっていった。
楽の音のように小気味の良い破裂音が、自分たちの耳に届いた―――。
海賊の船団の真ん中にいきなり突破を仕掛けてきた船に、海賊達は一瞬呆けてしまった。
その船の異様さもそうだが、常識を無視した行軍に本当にこいつらは軍人なのかと思ったのもある。
「周りは敵、敵、敵だらけだ。こんな中にいきなり出てくるなんて正気の沙汰じゃないな」
「
そしてその船のクルーたちは至極まっとうであった。この船はそれだけのことが出来るのだ。焔の戦姫は、甲板の中央にて黄金の小剣を振り上げて声を上げる。
「『砲戦準備』――――」
声に従い『砲列甲板』の船員達は砲弾を入れて火薬を仕込む。火種を導火線に着ける準備も完了している。導火線は発見されたものよりも短く次なるサーシャの声と同時に、放てるだろう。
突破を掛けられた海賊船達も、ようやくその船に自分たちと同じような装備があることを知って、顔を青ざめる。
遅ればせながら同士討ちを考慮しながらの遠距離攻撃の準備がされようとした瞬間に、サーシャは見透かしたかのように、黄金の小剣を紅蓮の小剣に振り下ろすことで最後の合図とした。
「赤炎の流星(フラムミーティオ)!!!」
声と同時に燃える鉄球は小気味よく船尾から船首の方に向けて、順番に吐き出されていく。
大音声の打楽器をいくつも打ち鳴らしたかのような音は出来の良い交響曲のようだ。もっともそれは海賊にとってははた迷惑な葬送曲であったが
それぞれの射角にいる敵船に正確に叩き込まれた砲弾の数々が、凡そ十隻の髑髏船を航行不能に陥らせた。
運が悪い船は一撃にして竜骨を叩き折られたのか二つに割れて海に沈んでいく。ほかの船も沈没する時間を遅らせているぐらいだ。
「ルヴ-シュ兵達を助けるためにも小舟を何艘か出すんだ。砲撃は続けろ!! 見えるのは全部敵であり的なんだ遠慮はするな!! 火竜山の竜王のご子息が作った炎を武器に海賊に煉獄の苦痛を味わせてやるんだ!」
「了解ですアレクサンドラ様!!!」「戦姫様をミーティア様のような悲劇の姫にはするな!!!」
指揮官であるサーシャの熱気が伝わったのか、意気を上げた甲冑魚号の砲兵達の攻撃は苛烈を極めて、十隻以上もの損害を出していった。更に言えば火砲を充填する前の弓、弩による矢や投げ槍が、海賊共に吸い込まれていく。
「まさか無理やり蹂躙戦に持っていくなんて……ちょっと印象を変えられてしまいますね」
「とはいえ、有効な策だ。さて―――このままこちらの思惑通りになってくれるかな」
船縁の射壁から周囲を覗き見ると、陣形を乱して勝手な行動を繰り返す連中と冷静に戦隊行動を取るのと半々だ。
奇襲の効果としては、不満ではあるが、それでも戦っているのは自分たちだけではない。
こちらの盛大すぎる合図と同時にレグニーツァ軍は背後を見せていた海賊船達に襲いかかっていた。
更に言えば自分たちが突破を仕掛けた時点ですら混乱が起こっていたのだ。もはやこいつらは烏合の衆となり果てている。
「戦は確かに数だがね。それを有効活用出来なきゃ何の意味も無いな」
怒号の音楽に、あちらも反撃を繰り出してきた。至近距離からの火砲の一撃が、甲冑魚号に当たろうかというのだが、既に回避行動を取っていた船には何の被害もなく側に盛大な水柱が出来上がった。
「―――火砲船は残り七隻だな」
「見えるんですか?」
「何となくだがな。それよりもルヴ-シュの人質がいる船がどれか見つけなきゃならない」
「……別に一緒に撃沈しても構わないのでは?」
「俺も正直賛同したいが……寝覚めが悪いだろ」
ティナの情け容赦ない言葉に視線でルヴ-シュの使者を示すと同時に、どの船かと考える。こういう場合。人質は軍団の指揮官の側か一番安全な場所にいる。
「一つ聞く。こちらから人質の姿は確認出来たのか?」
「はい。――――、その後こちらが接舷していた船に乗り込んだと見えたのですが……」
矢を防ぐ盾を空に構えて防御行動をしている使者の言葉に加えて、最初にどの船に見えたのかを聞く。
「あの黄色い髑髏船です」
それはここからも見えていた。至近ではないが、それでも赴けない「距離」ではない。概算ではあるが六百アルシンというところか。
丁度よく「八艘跳び」の進路が出来ている。他の連中には出来ないだろうが、俺ならば出来る。
「よし、このままじゃルヴ-シュ軍も思い切った行動出来ないだろう。俺が動いて人質を救出しよう」
「じっとしていられないのは分かりますけれども、まさか海中を行くわけではないですよね?」
「昔、俺の国の武士の一人は鎧を着けたまま船から船を飛んでいき、最終的には「神器」の奪取に成功したという伝説がある。それと同じことが出来るかな」
もっともその船はこのような大型船ではなく小型・中型船だったようだが、それでも弓の名手である宿敵との戦いに勝利するためにそのようなことが出来た東国武士の伝説はティナほどではないが、英雄譚に憧れる気持ちとしてあるのだ。
「サーシャ勝手な行動悪いけど俺は他の船を片付けるついでに、人質を助けてくるよ。いくら混乱しているとはいえ、数は海賊が多いんだからな」
「ルヴ-シュ軍を自由にするためですから、ご安心を」
面白がるようなティナの言葉にサーシャは驚きの顔をこちらに向けてきた。
「ちょっと待―――」
サーシャの戸惑った言葉を聞きながらも、甲冑魚号の船縁に足を掛けて、百アルシン先にある船―――もはや沈没する寸前のそれに向けて跳躍をした。
丁度よく甲板に着地をすると残っていた連中が驚愕していたが構わず沈没寸前の船縁に足を掛けて再びの跳躍。
今度は百五十アルシンほどはあるか、そして次なる船は五体満足だった。そして火砲船である。いきなり空から降ってきた男に甲板中から奇異の視線が注がれる。
「お初にして―――おさらばだ!!!」
名乗りとしては陳腐だったかもしれないが、次の瞬間にはこちらが振るった乱刃のそれによって命が絶たれたのだから。
十数名を切り殺すと同時に、やはり冷静さを取り戻した船長の一言で行動が再開される。
「て、敵だ!! 殺せ!」
「味方殺しの汚名を着たくなきゃ慎重になるんだな」
一人を相手に集団が一斉にかかってくる人数というのは素人であれば三人が精々である。こちらの警告を受けた海賊が止まった。
思考という停滞の時間が一刹那生まれる。その瞬間にリョウは斬りかかっていた。疾風神速という言葉の体現かのように前方の集団の合間を駆け抜ける。
駆け抜けると同時に、リョウが船首の舳先にまで到達すると前方二十数名が既に息絶えて倒れこんだ。
何が起こったのか、周りは分からなかっただろうが、見るものが見ればすれ違いざまに全員の急所を一撃必殺して殺したのだと理解できる。
痛みも感じさせぬ死撃を食らって倒れた仲間達の死体を踏みながら、他の海賊共がやってきたが、その時点で敗着の一手であった。
斬ったのは何も―――人だけでは無かったのだ。殺到した海賊共の重みは通常ならば支え切れていただろうが―――斬られた「甲板」には無理だったようで船首の半ばから崩れ落ちて海へと落ちる。
それに巻き込まれないように既にリョウは退避するように飛び跳ねて、海賊の後ろに降り立った。崩れる甲板と共に海へと落ちていく海賊。
船首が半ばから無くなり、既にバランスを欠いた船の沈没はまつばかりだが―――それを許さないかのように、プラーミャが炎を吐きつけている。
外からも見えている船内の砲列甲板の連中に対してだ。火薬に引火したらしく船のあちこちから火柱があがり、沈没の時間が早まったようだ。
「全く早すぎますわ。追いかけるにも体力いるんですからね」
「君だったら追っかけてくれると思っていたんだ。信頼しているんだよティナ」
同じく沈みゆく船の縁に立つ貴人の姿を確認すると同時に、次なる船の姿を見る。今度は味方の船だ。五十アルシン先にあり、接舷した敵船と格闘戦を挑んでいる。
そこに足を向けようとしたが、ティナがこちらの袖を引っ張って、何かを要求してくる。表情から何を要求されているのかは分かるのだが、今いるのは船上であり戦場なのだ。
場違いではないかという気持ちでいながらも、女一人の重さを守れず何かを守ることなど叶わないだろうな。と思い直して、ティナを抱き上げる。
「アレクサンドラがいたらば嫉妬で斬りかかってきてますね」
「勘弁してくれっ!!」
笑う彼女の言葉に応えながら再びの跳躍。碧海、碧空を切り裂き戦姫と侍が飛んでくるなど誰も予想はしていなかった。
サムライ―――鬼の剣士は無邪気に、されど確固たる意志を以て飛翔し、運命を切り裂いていくのだった……。
(後篇へ続く)
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「虚影の幻姫Ⅲ(後篇)」副題『魔弾の王、少女誘拐す』
鬼の戦士が飛び来たり、多くの敵船を潰すのは何気なく見えていた。敵も驚くが―――それは無論、味方であっても同様だった。
海賊共と戦っていた
「何か頼みたいことはありますか?」
甲板に下したティナが、エザンディスを構えながら、こちらに報酬の内容を聞いてきた。
少し遅れつつもやってきたプラーミャから刀を受け取り、答える。
「戦姫の異名を轟かせる戦いぶりを優雅にそして残酷に行ってくれ」
「承知しました」
言うと同時に、船首と船尾まで走っていき途中で乗り込んでいた海賊を切り殺しながら到達する。カムルティの戦士達は精強であり、海賊共を乗り込ませないようにしていたが、如何せん数に差があった。
船首付近の縁から敵船に乗り込み船尾からティナが乗り込んだ。
背後を取られた海賊達は、鮮やかすぎる手並みに驚く限りであり行動を遅らせている。
接舷から乗り込もうとしていた海賊達は、横からの襲撃にあっさり倒れていく。カムルティの戦士達の剣がこちらにも届いて来るが、それはこちらを掠めるだけで致命傷にはならない。
白刃が水飛沫のごとき輝線を描くたび、双葉の大鎌が赤黒の軌跡を虚空に刻むたびに血飛沫が上がっていく。
無心のままに振るった乱撃兵術が終わったのは、ティナのエザンディスと鬼哭がぶつかりあった時だった。
「敵甲板戦力は沈黙しましたよ。内部戦闘をお任せします」
「承知しました。オステローデの戦姫様」
流石に軍団長はこちらの素性を理解していたらしく、疑問も何もなく敵船を完全に制圧しにかかっていく。
「状況は?」
「いいですよ。もっとも私たちは全滅の危機でしたが」
鬼哭に付いた血を拭いながらカムルティの軍団長に詳しい戦況を聞く。
ガレアス船による中央突破は、敵を完全に混乱に陥らせて陣形も何も無くならせていた。しかし中央の危機に際して、右翼左翼のいくつかの船が舳先を翻して向かってきた。
今、自分たちがいるのは左翼側であるが、混乱しきった海賊船を仕留めるのは簡単だ。もっともそれは―――ルヴ-シュ軍も積極的にせめていたらばの話だ。
挟撃をしているとはいえ、一方が手控えていては、どうにもならない。
「流石に数の厚みも違いますからな。不運なものが何隻か出ました……何故、ルヴ-シュ軍は積極果敢に攻めないのか理解に苦しみます」
軍団長の不満は、戦おうとしなかったルヴ-シュ軍に向かっている。その事情は連絡船を通して全船に伝えられていると思っていたが、戦場に絶対は無いなとひとりごちる。
「その事なんだが――――――ということなんだ」
「サカガミ殿は、そのことを伝えにここまで?」
「いや、俺はルヴ-シュ軍を動かすには人質を取り返すのがいいと思って独断でここまでやってきたんだ」
カムルティの軍団長に説明をすると、彼は自分たちもそれに参加すると言ってきた。
「あなたの健脚でも残り三百アルシンを跳ぶのは苦痛なのでは? いや、それ以前に戦姫様の友人にそこまで苦労を負わせたくはありません。雷魚号はこれよりリョウ・サカガミ―――あなたと共に人質救出作戦を行わせていただきます」
「いいのか?」
パーヴェルキャプテンよりも若輩の自分より二、三ほど上だろう若い騎士の言葉に若干驚いてしまう。
「戦姫様がいれば、そのようなことを命じてくるでしょうから、それに……こんなことで勝ち戦の目を崩したくはありませんので」
確かに、これ以上まごついていると海賊共に立て直しのチャンスを与えかねない。激を飛ばしたところで他の国の軍が動くことはありえない。
やつらの後顧の憂いを断つことで動かす。
「リョウ。件の海賊船―――二隻に護衛されています」
「種類は?」
「ガレー船ですが、火砲装備が一隻に投石器装備が一隻」
「トレビュシェットか……」
横一列―――少し左右の二隻が前に出ている形の海賊船を相手に一隻で挑むには――――。
「投石器装備に接近しろ。火砲の方に無理に接近すると不味い」
「だが投石器も脅威です……」
「あれは長距離型だ。間合いが詰まっていれば、打っても当たらないよ」
ザクスタンから提出された資料を諳んじてアスヴァ―ルのラフォールの話から察して、投石器装備のガレー船に真正面から突っ込むように言う。
「臆していては何も出来ん。流れ弾は臆病者に当たるなんて格言を知っているならば、恐れず進め」
「怖くないのですか?」
「怖い。俺は弓が苦手過ぎて長距離兵器というものを上手く扱える連中は天性の殺人者だと思っているクチだ。だがそんな連中と戦う時も来るんならば、せめて虚勢でも何でもいいから進むしかないんだよ」
情けないことを告白しながらも、睨みつけるはトレビュシェットを装備したガレー船。あれから石弾が飛んできたとしても自分はそれを切り捨てなければならない。
鋭利な銛のような返しを着けたカムルティの船首と船底の衝角は丁度、雷魚の顎のようになっておりこの船の由来を想起させる。
その雷魚の突撃噛み砕きの前に、投石が行われた。遠い耳鳴りのような音が響く。大きな物体が高速で飛んでくる際に起こる音だ。
雷魚号ではなく後続にいたルヴ-シュ軍に放たれたものだ。普通ならば見過ごすところだが、当たればどんなことになるか分からない。
自軍の被害と同盟相手のことを考えれば―――あれを無力化すべきだ。
よってリョウは、船の上を擦過しようとした瞬間、帆柱を駆けあがりマストの頂点で跳躍して上空を飛んでいた石弾を「斬る」。
斬られた石弾は、途端に慣性を失いルヴ-シュのガレー船とこちらの船尾との間の海域に着水した。
一瞬のことであり誰もが目を疑っただろうが、それでも、必殺の石弾は効果を上げずに沈んだのだ。
「斬り捨て御免」
甲板に落ち鞘に刀を戻しながら、鍔鳴りと共にそう言うと全員が歓声を上げた。
「我らには勇者が着いている!! 戦神トリグラフの如き現人神がいるのだ!! 恐れず突き進め!!!」
雷魚号の船員たちは意気を上げて進んでいく波を掻き分けて進む雷魚は文字通り電光石火のごとく海を逝く。
「まさかあんなことをするなんて無茶も過ぎますよ」
「リプナの沖合での戦いを思い出したんだよ。あの時もサーシャと一緒に火砲の砲弾を切り捨てたらば連中、呆然としていたからな」
敵方の行動停滞を目論んだ結果だがまさか現人神などと称されるとは、味方から化け物扱いされたいとかはないが、それでも持ち上げられると困る。
鞘で肩を叩いて照れ隠しをしていたが、ティナはこちらの内心を機敏に察しており。
「可愛いですわねリョウ。そんな風に恥ずかしがらなくてもよろしいでしょうに」
からかうように頬を突いてくるティナに、どうにもこうにも言えなくなる。そんな風にしている間にも、海賊船との距離が縮まる。
雷魚の顎が海賊共に食いついた。正面からの激突に船は盛大に揺れたが混乱はあちらの方が大きい。
片やこちらは、既に戦闘状態だ。簡易的な縄梯子や釣床(ハンモック)を敵船に掛けることで足場とした。
怒号と共に騎士達が足場を渡っていき海賊の甲板に躍り出る。血飛沫と共に臓物が飛び出ていくさまは正に戦場のそれだ。
遅ればせながら海賊船に降り立つと同時に、一人の海賊を見つけて歩いていく。近づいてくるこちらに顔を青ざめるが、抵抗は無意味だとして武器を捨てた。
「一つ聞くぞ。客船クイーン・アン・ボニーの連中。特に貴族の娘達はどの船に乗っている―――正直に答えなければ」
船縁十チェート分が木端に変わった。丁度海賊の後ろだったその箇所を脅しの意味も込めて、居合抜きと共に千断した。
更に顔を青ざめた海賊はペラペラと喋ってくる。あの黄色い髑髏船はルヴ-シュ軍を騙す「サギ船」とのことで、既に人質でありいずれは自分たちの夜の相手である女は護衛の火砲船に全員乗せられている。
「撃沈される可能性もあっただろうに、随分と豪胆だな」
「ふ、フランシスの頭は、国すら乗っ取るつもりでいたんだ。ここでジスタートの戦姫を降して、その後に街をおもうまま―――」
「取らぬ狸の皮算用。というやつだな。考えが甘すぎる―――黒髭も、そしてお前も」
「ひっ!」
殺されると思い怯んだ海賊の延髄に手刀を叩き込み意識を落とす。流石に白旗を上げてここまで喋った相手を殺すのも忍びなかったので、慈悲として気絶させた。
「捕虜はいるかな?」
「罪人を全員殺していては国家が破綻しますわ。更生の見込みがあるかどうかは……レグニーツァの法務官に任せましょう」
「それが最善か。目的地は定まったが……逃げるよなぁ」
見ると二隻の海賊船は付近から逃げ出し遠くに見える十数隻に合流しようとしている。
不味いと思いながら、せめて伝書でルヴ-シュ軍に人質がどこにいるのかを伝えようとした瞬間に、轟音が聞こえた。
いかんと思ったのも束の間、追撃を仕掛けた後続のルヴ-シュ船に砲弾が直撃してしまった。失態だ。こちらが火砲船を叩き潰すべきだったのだ。
火煙を上げて、砕けていくガレー船。その間にも該船が遠ざかっていく。
「リョウ! あれに乗りましょう! カムルティの皆さんは、トレビュシェットで該船に牽制を」
「簡単に仰らないでください。我々にとっては未知の兵器なのですよ」
「未知の兵器ってもやり方は普通の投石器と同じだ。なんでもいいから救出作業を行いつつ該船への砲撃頼む」
そうして、追撃船の内の一隻、波濤を掻き分けて海原を往く細身のガレー船に飛び乗る。
甲板に飛び乗ると同時に、誰何の声と剣呑な武器を突きつけられる。
「レグニーツァの使者だ。あんたらもそれなりに知っているだろうが、あの火砲船に人質が乗っている」
「……そうなのか?」
どうやらここまで戦闘をしていなかったのか捕虜の尋問もしてなかったのか、いずれにせよ彼らは髑髏船を追う予定だったのだ。
「黄色い髑髏船を追っていたらばやられるぞ」
呆然とした言葉で再度問いかけてきた兵士に答えると、耳鳴りのような音が響いた。
回頭をした海賊船の投石器が空の詐欺船の周囲に盛大に落ちる。水柱の大きさが威力を物語っている。そして二撃目。波を掴んだ雷魚号をクルーの正確な石弾が詐欺船に叩き込まれた。
悲鳴が聞こえる。その中に―――女の声は無かった。次いで三撃目を火砲船に「わざと外して落とす」と、確かな声が聞こえた。
「当たりですね……!」
「カテリーナ号、全速前進!! 目標・敵火砲船!!」
ティナの浮かべた笑みの後には、ルヴ-シュ軍の船―――カテリーナ号とやらの速度が上がる。
如何な火砲船と言えども舷側さえ晒していなければ、そうそう当たりはしない。背中を見せて遁走へと入っている海賊船に衝角を向けて突進する軍船。
「シュトゥールム・プラルィーフ!!!」
「意味は?」
船長の発した号令の意味。聞きなれないジスタート語だったので隣のティナに聞く。
「『疾風の如く突破しろ』。
「最初はともかく二回目の通訳が悪意に満ちているように思える」
「リョウの剣を私の鞘に込めますか?」
「それはまたの機会だな」
その時、火砲船の船尾に体当たりが食らわされて先程と同じく白兵戦となる。衝撃で船体が揺れるが、そんなことで身体を揺らす鍛錬不足はこの船にはいなかった。
しかし海賊とて今度はそれなりに準備していたらしく矢に投槍などが投じられて、水際で乗り込むことを防ごうとしているが―――。
「無駄な抵抗だな!」「同意です!」
言うと同時に駈け出して、船首から船尾へと乗り移る。
投じられたハンモックを斬ることで兵士を落とそうとしていた海賊を一刀両断。橋頭保を確保すると共にルヴ-シュ軍が展開するまで守備をする。
「あらぁっ!!」
無論、海賊もそれを許さないとばかりに、かかってくるが、鈍い攻撃を食らうほどこちらも暇ではないので、急所を正確に斬っていく。
五分の間にルヴ-シュ軍は火砲船に乗り込み戦列を成して海賊に襲いかかる。
「この船にいる人質―――アデリーナ殿達を見つけるんだ!!」
声を聴きながらも、恐らく船内にいることは間違いない。怒号が響きながらも、斬音が静寂を齎していく。
「東方の奇剣――――やはり、お前は!!」
隊長格の言葉が耳に届きながらも、無心のままに殺劇を繰り広げていると、海賊はまだいるにも関わらず静寂が降り立つ。
鎌の一撃が、海賊の身体を上下に分けたティナも気付く。船室から幾人もの令嬢―――と見られる薄汚れた女達が出てくる。
下着だけの格好のものもいれば、ドレスが裂けているのもいる。数にして十数名。中には轡を掛けられているものもいた。
そして彼女らは鎖と縄で繋がれており、人間の扱いではない。その現状に絶望しきった顔のものもいれば、気高さを忘れないものもいる。
「剣を捨てな!! こいつらがどうなってもいいのかよ!?」
彼女らの背中に槍や剣を向けている外道共の言葉が届きルヴ-シュ軍は歯ぎしりをする。
しかしながら、ルヴ-シュ軍が剣を捨てる中、自分たちはそれをしなかった。
「サカガミ殿、義憤は我々も同じです。ここは一先ずあちらの要求を」
「残念ながらその必要は無いよ。悪いが俺はそのつもりはない」
後ろのルヴ-シュ兵の諌める言葉を聞きながらも、そんなつもりはリョウには無かった。
「聞こえなかったのか!? 武器を捨てろ!!」
「断る――――というか、その女達とて覚悟を決めているだろうさ―――いざとなれば死ぬ覚悟がな」
「……何だと?」
「轡を嵌めているのは自決されることを嫌ってだろう。そして轡をしている令嬢は随分と目が輝いている。たとえこの場で死んだとしても構わないという目だ。その覚悟を汚すことは俺には出来ないな」
言葉を連ねながら、御稜威の言霊を合間に挟んでいく。他者―――特に十数人分への「負荷」を掛けるとなると時間も必要だ。
「だったらどうするってんだ? そういう女以外もいるんだぜ」
「確かに―――ならば覚悟を決めろ。あんたらも貴族(ノーブル)の娘だってんならば、辱めを受けるよりも死を選べ。誇りよりも命が大事ならば、俺が助けてやるよ」
横にいるティナに眼で合図をした。こういった場合の対処は事前に話していた。そうしてから前方の全員を威圧する。
摺り足で一歩を踏み出すと同時――――東洋の神秘が令嬢に刃を突きつけている外道共に降りかかる。
「素は重、背に野槌、十重の大岩、二十重の大山、火圧し、地歪め、風鈍る!!」
外道の身体全てが重くなり、突きつけていた武器が下がる。しかしこちらがそいつらを一掃することはどう考えても遅すぎる。
呪術を受けたと感じた全員の奇異の視線がこちらに向けられた。注意が数秒こちらに注がれた瞬間。
彼らの背後に死神が現れた―――――。
可憐にして妖艶なる死神。彼岸花を思わせるその死神はその手にもつ大鎌を振り回し、首を斬りおとした。
それでも三人が残っていた。三人が後ろに眼を向けた瞬間に人質三人に繋がれた鎖をリョウは斬りおとした。
錠を外された令嬢三人に、
周囲にいた海賊達もあまりの早業に呆けていたが人質全てが奪われると思い、出てきたがあまりにも遅かった。武器を持たない令嬢達の前に進み出てリョウは剣戟を放つ。
殺す必要は無い。得物を全て破壊することで威圧する。流石に防戦においてそこまでリョウも強気には出れない。
刃を砕かれ鳴り響く甲高い金属音で、殺到しようとしていた海賊共が静まり返る。「鬼」の「哭く」声にも似たそれを聞いた一人が騒ぐ。
「こ、こいつ! ま、間違いない! 竜殺しだ!! アスヴァ―ルで、み、見たぞ! 百人殺しの現場で、こいつは―――」
喚いていた海賊の一人の首を一瞬で跳ね飛ばして更なる沈黙を要求する。
「俺が何者であるのかを察するとは、頭の血のめぐりが良すぎたな」
噴水のように血を流す死体を冷たく一瞥すると、もはや海賊達の戦意は失われていた。
寧ろ、戦意があったのは人質である令嬢の中でも轡をされていた連中であり、その手に持った剣が海賊を一人、また一人と殺していくと白旗を上げた。
「ぶ、武器を捨てる!! 投降する!!! だから殺さないでくれ!!!」
全員が殺される前に平身低頭してもう素っ裸になることで敵意を示さない行いは清々しいまでに白旗だった。
所詮、軍人でもない連中の意思などこの程度なのだ。
「久しぶりだなぁ。こういう化け物を見るかのような視線は、お陰で無駄な血を流さずに済んだよ」
「お互いにね。それにしてもリョウってば本当に戦いとなると冷静ですよね。ちょっと怖いくらいです」
「十人ほどの首を笑いながら刎ね飛ばした女に言われてもなぁ」
血に塗れた二人の姿に海賊は更に肝を冷やして甲板に額を打ちつけて、敵意の無いことを示す。
「全員を拘束しろ。この船の装備品は全て奪ってしまえ――――と、本当に助かりましたよ。ありがとうございますサカガミ卿、北東の戦姫様」
「お気になさらず。――――色々と不安になることを言って申し訳なかった」
敬服する騎士隊長に軽く言ってから人質となっていた令嬢たちに頭を下げる。自分の言動が彼女らの不安をあおったのは事実ですから。
「顔を上げてくださいサカガミ卿。縁も所縁もない私達を助けるために、ここまで来て下さったあなたを責める気持ちなど私達にはありませんから」
「そう言ってくれると助かる」
保護した女性達にティナが布を包ませていく。混乱している人はいないが、それでもこういう所では女性の方が色々と都合がいいだろう。
自分に礼を言ってくれた轡を嵌められていた令嬢たちは、視線で何かをこちらに訴えている。
「? 何でしょうか?」
「何故、私たちが―――武芸を嗜むと分かったのですか? 参考までにお聞かせ願えますか?」
どうやら彼女らは自分が、レイピアを渡したことが怪訝なようだった。説明をするのは簡単だが、まぁ言ってしまっていいものかどうか、少し悩む。
「筋肉の付き方、手にあるタコとかからそれ相応の術法は嗜んでいるように思えたのでね。細剣を渡したのは護拳がついている武器がそれしかなかったんだ」
扱いに苦しんだようには見えなかったが、選択を間違えたかと思っていたのだが、どうやらそうでないようだ。
「ありがとうございます。私達はこれから様々な者たちに色々言われるでしょうが、それでも―――あなたのような勇者の食指を動かしたともなれば、まだ女として捨てたものではないと生きています」
「ちょっと待て、先程の言葉のどこにそんな要素があった? いやまぁ強く生きてくれと言うことは可能だが、それでもいやしかし……」
確かに人質の身体を凝視して、武芸を扱えるものに当たりを付けていたのは事実だが、その最中にティナやサーシャと同じく女らしい身体に色々思ったりしなかったり――――。
「すごく心の中であれこれ思い悩んでいるのはわかりますけど、はっきりとそんなことは無いと言ってあげればいいじゃないですか」
「これから彼女らだって色々あるだろ。もしかしたら出家させられるかもしれないんだ。だったらアスヴァールで懸命に生きていた遊女たちみたいに自分の名前を貸すのもいいと思っていたんだよ」
心の中の葛藤を見透かしてきたティナは、少し怒っている様子だ。しかし本気で嫉妬はしていない。
彼女も元は貴族なのだから彼女らのこれからの苦境が想像は出来るのだろう。
完全に戦意を無くした海賊共を連行する作業を見ながら周囲の状況を見るとルヴ-シュ軍は元気を取り戻して今までの鬱憤を晴らすかのような攻勢に打って出ている。
それに対してレグニーツァ軍は小休止。というか同士討ちを避けるための再編成作業に入っていた。
「マルガリータ号が来られるぞーーー!! 元気があるものは戦姫様の船に乗れよーーー!!!」
一艘の小舟に乗ってきたルヴ-シュ兵が海面に漂いながら、こちらに戦姫が乗る船がやってくると伝えてきた。
よってどうしたものかと考える。この場に留まるか、去るか。
「なぁティナ。エリザヴェータ・フォミナって戦姫はどんな人なんだ?」
「ヒス女です」
「……君のその人物評価を一言で断じるのやめた方がいいと思う」
余計なお世話かもしれないが、と付け加えてティナの言葉を検討する。
彼女の評価が正しいかどうかはともかくレグニーツァとの軍議における約定の感触、そして文の内容から察して、あんまりお近づきにはなりたくないかもしれないと感じてこの場は辞することにした。
「行かれるのですか? せめて我々でレグニーツァ軍までお送りさせていただきたいですし、エリザヴェータ様にもお会いしていただきたいのですが」
「上手い事言い訳しといてくれ」
「―――
少し焦っているカテリーナ号の責任者に言ってからティナの手を握りしめると一種の浮遊感を感じて、その後には――――船から二人と一匹はいなくなった。
遅れて到着したドレス姿の女性。戦姫エリザヴェータは、カテリーナ号の責任者と話して、事の顛末を聞くと少し不機嫌な顔になった。
「女性たちは丁重にエスコートしなさい。その上でカテリーナ号は捕虜を連れて戦線の離脱を許可します」
不機嫌な顔を消してから決然と命じるエリザヴェータ。
既にルヴ-シュの港町にはムオジネルの奴隷商人が待機している。この海賊共で損害を被ったのはザクスタンも同様なので捕虜がどのように扱われるかは、彼らに任されている。
「これから色々あるというのに海賊共が安堵した表情なのが気に食いませんね」
「万軍を相手にして勝利を収めた英雄の威光と畏怖ゆえかと」
恐れながら言ったカテリーナ号の責任者は、主への忠義と、戦士としての礼儀の狭間で揺れながら語った。
その言葉を聞いてから、指示を全て出し終えてから旗艦へと戻る。そうして遠くのレグニーツァの旗艦の方を見る。
「二度も姿を見せないとは、よほどやましいことでもあるのかそれとも彼女が会わせないのか、どちらにせよ。その顔は絶対に今度こそ拝見させていただきます」
宣言をしてから、この戦場はまだまだ続くと予感をしている。一度は算を乱して最新技術を披露することもなく終わるかと思っていた海賊団も反抗に出ているのだ。
この灼熱と閃雷鳴り響く戦場で――――出会う可能性はある。そう確信をしてからエリザヴェータは五隻ほどの塊となってやってきた海賊船。
おそらく人質を奪い返しに来たのに向き直り敢然とした様子で戦闘再開を告げた。
◇ ◆ ◇ ◆
その噂を聞いたのは、領地の巡回をした際のジスタートとの国境近くにある村でのことだった。
最近、夜な夜な動物たちの悲鳴が響き渡っており、また山に入った村人達が恐ろしい姿をした怪物を見たと証言してきた。
見間違いの可能性は無いのか? そうジスタートとの国境近くのブリューヌ領土アルサスを治めるティグルヴルムド・ヴォルンは尋ねたが、それが数十人単位ともなればもはや見間違いではすまされない。
「竜の可能性もある。みんな申し訳ないが暫く山には入らないでくれ」
「承知しました。ティグル様お供はいらないのですか?」
「ああ、夏の季節に男手は必要だろ。俺は暇をしている領主だ。こういう時にこそ動かなければならない」
父・ウルスとの会話は今でも覚えている。それを思い出して山に入っていく。
愛用の弓―――家宝の黒弓ではないが、それでも自分が信頼している得物と矢筒を多めに持った。
山はティグルにとって一番の戦場だった。平原での一騎打ちこそが戦の主流と言えるブリューヌにとって異端であることは分かっている。
しかし、そんなことはティグルには関係なかった。普通の貴族ならば害獣駆除などは領民を徴兵して山狩りをして莫大な費用がかかるところだろうが、自分ひとりで為せるというのならば、それは良い費用節約になる。
(竜の可能性と言ったが、どちらかといえば浮浪者の類なんだろうな。食い物がなくて、山で生活をしているというところか)
山賊であれば、目撃者を殺して金品を奪っていたりするだろう。ティグルはそんな当たりをつけて山の半ばほどまで登っていった。
証言によればこの辺りのはずだ。矢を番えて何か動くものがいないかと視界を広げていく。弓手にとって目の良さというのはただ単に「見える」ものだけではない。
空気の流れ―――触覚。匂いの強弱―――嗅覚。目に見えるもの―――視覚。
それらを総合して放つのだ。強く引っ張るだけでなく己の全てを矢に込める。そういう作業なのだ。
ティグルの「眼」が、何かが動くのを感じた。照準を合わせるとその先にいたのは――――鹿だった。大きな鹿が、木々の間から飛び出してきた。
だが、その鹿がただ単に出てきたのではないことは理解していた。怯えている。何かから逃げているという感じだ。
そして鹿に遅れて何かが飛び出してきた。目を爛々と輝かせて、鹿を追う「ナニカ」、昼間だからこそ分かる。夜ならばお伽噺に出てくる怪物を思わせただろう。
しかしその正体は―――人間だった。薄汚れた旅着を着けて鹿を追っているものに警告の意味を込めて足元に矢を放つ。
「待ってくれ。こちらはブリューヌ―――」
警告の後の名乗りは最後まで言えなかった。旅着の裾から剣呑なものを取り出した人間―――少年は、こちらに向けて走ってきたのだ。
三百十アルシン―――あちらからして仰角であるからさらに距離はあるだろう。その距離を踏破して少年はこちらに斧を振り下ろそうというのだ。
「風と嵐の女神エリスよ……」
祈りを捧げて、必中の矢を射掛ける。耳鳴りのような音を響かせて矢が空間を走った。少年の持ち手を狙った矢は少年が二百六十アルシンに達しようという時に当たるはずだった。
だが―――――――。ばたん!と少年は、前のめりに倒れた。後には山の地面に突き立つ矢が一本と鳥と虫の鳴き声だけの普段の山の中に戻る。
しかし、鳥と虫の鳴き声以外の音が聞こえてきた。それは盛大なまでの腹の音だ。
無論、ティグルのものではない。まさかと思いながら、少年の近くまで下りていくと更に大きく聞こえてきた。
「大丈夫か……?」
「お……」
「お?」
「お腹が空きました……」
その言葉の後には少年は、動かなくなってしまった。死んだわけではないだろう。なんせ腹の音は未だに鳴り止まない。
沈黙を破ってティグルはため息を一つ突いてから、少年を担ぐ。良く見ると少年が持つ斧が木こりが持つようなものではなく煌びやかな装飾を施した戦斧の類だと気付かされる。
そして旅着が担いだ拍子に外されて―――少年ではなく―――「少女」なのだと気付かされる。
「女の子……」
自分より二つは下かもしれない身長、薄紅色の髪に、閉じられた瞼の睫毛の長さ、身体の軟らかさが性別を告げる。
「人騒がせな……とはいえ、どうしたものかなぁ……」
この旅人の処遇をどうしたものかと考える。人的被害を出したわけではないし、金品を強奪したわけではない。
行き倒れではあるが、今の村々は種蒔きの時期であり、こんな行き倒れを食わせる余裕は無い。無論、下の村に余裕があれば別だが領主としてそんなことを命じたくは無い。
「ティッタには迷惑を掛けるかもしれないけれど、仕方ないよな」
アルサスにおいて一番余裕のある家は自分の家なのだ。
不審者を下の村に預けるのも悪いと思ってティグルは、少しだけ気を重くしながらも―――下山を開始した。
その出会いが一つの運命であることなど露知らず―――。王は運命を拾ったのだった……。
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「煌炎の朧姫Ⅲ(前章)」
まぁ副題が副題だからなー(苦笑)ただあまり期待しないでご覧なってください。
戦闘は散発的に行われているが、それでも圧倒的にこちらが優勢だ。
既に海賊共の数的有利は覆されている。旗艦による中央突破に端を発する火山噴火の如き攻撃で既に十隻打ち崩されていたのだから、その時点で大体同数にさせられていた。
更に言えば、レグニーツァ軍へと攻撃を集中させようと再編成している最中に、足止めしておいたルヴ-シュ軍が遂に果敢に戦いだしたのだから、海賊の焦りたるや察する。
「それを行ったのは、リョウなんだろうね」
「彼は何と言うかやはり英雄ですね……いや、私が言っているのは戦場における勘というものです」
「言いたいことは分かるよ。彼はどんなに困難でも戦うべきポイントを見誤っていない。海賊が強力な兵器を持っているならばそれをまず叩く」
えげつないものを最初に潰す。敵の強みをまず最初に叩く。何事でもそれが戦いの「軸」ならば、たとえどんなに困難でも目を逸らさずにそれを叩き潰す。
それがリョウ・サカガミが敵から恐れられ、味方からは英雄と称えられる所以なのだろう。
結果として、海賊は追いつめられている。既に四十前後の編成と化している。これはもはや戦力が半減したようなものだ。
だが―――――。
(再編成して、まだ戦う気か……)
敗走する構えでも見せるかと思えば、そんな気配は全くない。
中央突破の陣形ではない。
右翼十五隻、左翼十五隻。中央十隻前後の数の艦隊陣形を見ながら、どうしたものかと思う。
こちらも陣形を整えて海賊と真正面から相対している。
ここまでの戦いで火砲は十門壊れてしまった。
使いすぎが原因であると報告は受けており使えるものに火薬と砲弾と砲弾もどきを集中させても、残り十発が限度だとのこと。
「数的優位は、こちらにある……だが何でだ?」
パーヴェルは、隣接しているルヴ-シュ船団の長との合議に出ている。エリザヴェータは、数隻を率いて人質達を奪い返しに来ただろう五隻の船団を叩き潰している最中。
残りの軍団は、自分たちに従うようにと言って、彼女は自分たち連合軍の斜め後ろにて戦っている。
思考の坩堝に嵌っていて、平素ならば気付けたそれにその時だけは気付くのが少し遅れた。
怒号と喧騒の中でも何かが聞こえてきた。自分を愛称で呼ぶ声が―――、その声の方向は上からだった。振り仰ぐとそこには一人の男性が戸惑った様子の顔で――――落下していた。
あまりにも急なことで、どうにもこうにもならず間抜けな顔をしたままに彼を受け止めることとなったのだが、同時に彼も何とか受け身を取ろうとしたのだろうが、間の悪いことに、幼竜と女一人が彼に伸し掛かり結果として、自分はリョウに押し倒される格好となってしまった。
木板の甲板の丈夫さを実感しながらも、落ちてきた男性の意識の確認をする。
「リョウ大丈夫か……ひゃん!! ちょっ……ちょっと待っ―――」
「悪い。今退く―――」
その時になってようやく自分の手が掴んでいたものを認識したのか、至近距離の位置で彼の驚いた顔を見る。
「も、申し訳ないっていたいいたいたい! ちょっとティナ、エザンディスが俺の背中引っ掻いている!」
手の置きどころを変えようとした瞬間に、リョウの背中に乗っかっているヴァレンティナの竜具が丁度よく彼を制裁していたようだ。
しかし、それは反射的にもう一度彼に自分の―――胸を触らせる機会を与えたのだが、それでも立ち上がったリョウは、少し朦朧としているヴァレンティナを抱えながら自分に手を差し出してきた。
その手を掴みながら、最初に会った時の手だと思いつつも、この手が自分の胸を何回も揉んでいたのだと思うと何とも微妙な気持ちにさせられてから――――。
「君って結構助平だよね」
少しばかりイジワルを言いたくもなった。
「今のはどうしようもない事故だと思うんだけど……いや本当にごめん……」
怒りたいのに本格的に怒れない自分を認識する。これが惚れた弱みというやつなのだろうかとも思ってしまう。
「状況は?」
「海賊共も陣を整えている。散逸した敵船は分団で叩きのめしている」
その分団も五隻で二隻を叩きのめしているので、大勢は決している。にも関わらず―――何かがあるのか。
2ベルスタの距離を挟んで対峙しあう海賊とジスタート軍。海賊共の横っ腹にはヴァルタ大河があり、ここでジスタート水軍が出てきてくれれば戦闘は終了のはずだ。
「つまりは……まだ俺たちを倒すだけの秘策が黒髭海賊団にはあるということだ」
「火砲に新型投石器だけでないということかい?」
「でなければ逃げるしかないと思う」
そんなことを話していると、2ベルスタの距離を詰めようと海賊団が動いてきた。どちらにせよ―――やってくるならば、戦うだけだ。
「数はこっちが圧倒しているんだ。正面から受けて立つ」
サーシャが出した号令に従って、連合軍が動いていく。血で血を洗う戦い――――第二戦が始まる。
◇ ◆ ◇ ◆
前進を開始した連合軍―――、ティナの転移で飛ぶ前の場所であったルヴ-シュの戦姫の戦いの場を見てみると閃雷が迸って、五隻の海賊船の内の二隻が叩き潰された。
(あれがルヴ-シュの戦姫の持つ竜具の属性―――「雷」)
落雷が落ちた大木のように真っ二つにされた二隻の運命の後には三隻も怯んでしまう。威嚇としては最大の使い方だ。
なかなかに戦い慣れていると思うと同時に……何故、そこまで人質に拘ったのか、ふと気になる。
「情が深いのですよエリザヴェータは、だから困難なことでも少数を切り捨てたくないのでしょう」
「人間としては好感は持つが、為政者としてはどうなんだ?」
回復したティナがそんな風に言ってきて返すが、肩を竦めるのみ。突き詰めた話、人間の性分など立場で変わりはしないのだろう。
まぁ好感は持てる人物ではある。
そんなことを話しながらも2ベルスタの距離が詰まっていき、遂にお互いにそれぞれの長距離兵器が当たるという射程に入っていきつつある。
1ベルスタ無い―――900アルシンに至ろうとした瞬間、中央の突出していた三隻が速くなった。
「風が吹いた? 潮流かな?」
指を舐めて風の動きを確認するサーシャを見てから自分は単眼鏡で、900アルシンまで倍率を上げて、その船の動きを注視する。
正面からでは上手くは見えない。メインマストの上。物見の場所へと赴いて、覗き込むと―――船首に縄が括り付けられていた。
その縄の括り付けられているものは水中にいる。水中―――水面に何かが浮かぶのではないかと見ていると、甲冑魚号の火砲が中央に噴かれた。
狙いは―――更に速度を上げた船の動きによって外された。
その時だ。何か海蛇を大きくしたようなものが見えたのは。既知ではないがその正体に閃きが走る。マトヴェイによってレグニーツァに着くまでに聞かされた海の伝説。
海に住まう竜のことを……。
「サーシャ! あの船、竜によって曳かれてる!!」
「えっ?」
下にいるサーシャの呆然とした言葉の後には、つんざくような音と共に一匹の蒼鱗の竜が身をくねらせるように出てきた。
風雲昇り竜を思わせる登場ではあるが、神聖さが無いと思いながら、更に早くなっていく。
「
声は驚愕へと変わって、代わりに砲弾の音が響く。水面に出てきた竜を狙ってのものだが、いかんせん射角が合わない。
「竜じゃない。船の方を狙い打て!!」
サーシャの命令に従い、火砲と大弩、投石器の長距離兵器が雨霰と三隻に吸い込まれていく―――かと思われた。
しかしながら高速で複雑に動く物体には、照準を合わせきれずにその大半が海へと落ちて行った。
そして敵船の船首全てに巨大な槍や金属の銛が突き出ているのを見て、最初から特攻攻撃をするつもりなのだと理解する。
針鼠のように、棘だらけの海賊船の船首が旗艦にやってこようとする寸前に一隻の船が前に躍り出た。
―――盾になるつもりだと察したサーシャが、退くように声を上げるが、聞かずに正面からぶつかり合う。
他二隻も中央の護衛船に突撃を繰り出して三隻が拘束状態になる。
「すぐに三隻に増援を出せ。海竜がいるかもしれないから気を付けろ」
「いや、どうやら海賊船に戻っていく」
単眼鏡を覗く限りでは、海竜三匹が八百アルシンの辺りで停止した船団に戻っていく。
「俺の予想が正しければ、この攻撃は波状となってくるんじゃないかな」
「だが、こんな特攻攻撃なんかで何が変わる。あの船に火薬などの燃焼物が大量にあったとしても無力化する手段なんていくらでもあるんだ」
確かに混戦になったとしても、こちらが数が多いのだ。別働隊を、海竜に構わず編成することも―――という思いは悲鳴の如き絶叫で霧散した。
「何だ?」
聞こえたのは正面の盾となった船からのものだ。どうにも剣呑すぎるそれを前にして、船首を足場に飛び移る。
船尾に辿り着くと怯えた表情をしているレグニーツァ軍の兵士の顔が、こちらに向けられる。
「何があった? 話せ」
「せ、戦姫様! 幽霊船です!! 悪霊の船が―――」
質問をしたのは、遅れてついてきたサーシャであり、要領を得ない回答を耳に入れつつも既にリョウは主戦場に眼を向けていた。
肌がひりつくような気配。久しく覚えていなかったそれは、「妖」の波動。いや、低級ながらもその手の「陰術」の匂いだ。
何かが叩き壊される音と共に、正体が分かる。船首から乗り込んできたそれは―――「屍」だった。
「死体が……動いている?」
サーシャの声を聞きながらも、リョウは走り出して、そのあらゆるところが既に死に体となっていた屍を切り捨てていた。
「胸糞悪いものを、まだ太陰は浮かんでいないんだぞ。なんで動ける」
刀の腐血を拭いながら、特攻船にいる屍兵の数を見る。数え切れなかった。
「リョウ、これは?」
「死体を兵士にする呪術といったところだ。目的は生者を亡者に変えて仲間を増やす。その為には、生前では出来なかった」
言葉が途中で途切れる。ぼろぼろの身体、骨すらも見えるそれでいながらも構わずに飛び掛かってきた。
通常の鍛えではあり得ない肉体の動き。上からの襲撃に対して、双剣と刀が閃き、死体の兵を返す。
「こんな超絶な動きすらもやってのけられるというわけだ。筋肉が通常以上に使えるんだから当然だ」
そして断裂を起こしたとしても、それはすぐさま「修復」される。まさに無限に死なない兵士だ。だが戦における最大の左道である。
「対策は?」
「一番には、徳の高い坊主の説法が有効なんだけど、ジスタートでは従軍司祭はいないんだろ」
「ヤーファではどうだか知らないけれど、ジスタートの神職の方々はそんなに「奇跡」を起こせないんだ」
「次善の策としては、銀製の武器で攻撃する。もしくは強烈な炎で火葬する」
その言葉を聞いていたのか後続の騎士団が伝令に戻っていく。恐らく右翼・左翼に突撃してきた船にも屍兵がいるのだろう。
「これは出し惜しみしている状況ではないのではリョウ」
自分の隣にて見上げながら言ってきたティナ。その表情はどこか面白がるかのようであり、秘密を知りあう関係ゆえのものであることは理解出来た。
だから反対隣のサーシャが不機嫌そうにしながらも応えて、御稜威を唱える。自分が正当の「弓」使いであるならば「祓い」の御稜威で一掃も出来たのだ。
「当然だ。プラーミャ。お前は転んだ死体や地に伏せた死体に炎を吹きかけてくれよ。サーシャ、お前の武器がこいつらには一番有効だ。刃の舞姫としての力。存分に見せつけてやれ」
必要なことを指示しながら、唱えた御稜威に従って一本の太刀が現れた。驚いた焔の戦姫に構わず、太陽にその剣を翳した。
「黄泉平坂より来たりし死霊たちよ! 高天原より来たりし戦神が振るいし、クサナギノツルギの輝きを恐れぬならばかかってこい!! 恐れ震えるならば死人は死人となりておとなしく帰るが良い!」
腹の底からの声。それに反応を示す屍兵、これ以上の被害を出さないためにも自分が囮となって引き付けなければならない。
奇声を上げてレグニーツァ騎士達を押しのけて自分に殺到する死体の兵士達を見ていても、リョウは怯んではいない。
(俺が万軍殺しの英雄などとタラードにまで言われた理由を存分に知ってからあの世で語れ!)
意思を込めて振るわれたクサナギノツルギが、緑色の軌跡を描くたびに死体は砂に還っていく。十人を斬り捨てるとすぐさま、五人の海賊(死体)が得物の長短バラバラながらも豪剣の勢いで振るってくる。
しかし振るう前に決着は着いていた。海賊の「斬打突」の前に、リョウは間合いを詰めて、得物の短い順から斬り捨てていた。
傍目には、真一文字に振るわれた剣戟程度にしか見えなかっただろうが、その実、細かな変化を付けて、相手の攻撃をすり抜けて打ち鳴らさずに殺したのだ。
(神流の剣客は絶対不敗、戦鬼―――「温羅」の敵であった妖魔にして「神」の一柱でもある存在に対抗するためにも作られた剣術なのだ)
再びそのような存在が現れた時のためにも、自分はこの剣術流派を修めてきたのだ。人の世にあってはならぬ力を始末するために。
次から次へと殺到する屍兵達を斬り捨てながらも動きは止めない。後ろに斬りかかってきた眼窩が窪んだのを「視ながら」斬り捨てようとした時に気配が消えた。
同時に自分の背後に現れた黒赤の衣服を身に纏った戦姫。彼女が目が無い死体を斬り捨てたのだ。
「手伝うよ。いくら君が万軍殺しの勇者だとしても手伝いは必要だろ?」
「嬉しいけれどもさ、その場合他に被害が出るんじゃないかな」
「ジスタートの兵士を舐めないでもらいたいね。倒し方さえ分かれば、後は実践するのみだ―――」
双剣を正面で交差させ、左右に振りぬいた。自分との練習の時にもやっていた技だが、威力は段違いだった。
死体一つを交叉斬撃で殺すと同時に、それが導火線の役割でも果たしたのか、火柱が数十本出来上がり、炎の範囲にいた死体達が火葬されていく。
灰と砂に還るそれを見てから、周りにも目を向けると確かに、自分の言ったことを正しく実践している。
松明を作り上げて、それで威嚇しながら、銀製の短剣で心臓を突き刺していく。一人では駄目だとしても二人、三人で組になり一匹の死体を確実に仕留めていく。
ティナはどうしているかといえば、身を低くして大鎌を円状に振るって死体の足を刈り取っていき、その円状の軌跡をなぞるようにプラーミャは、死体を炎上させていた。
「皆が戦っているんだ。君一人で何でも抱え込もうとしないで、僕―――私にもその重さを分けてほしいんだリョウ」
「ならば俺の背後は頼むよサーシャ」
「承知したよ。リョウ」
そうしてサーシャが自分の背後を守ってくれるという安心感を覚えながらも、彼女が炎ならば自分は風となりて、その浄化の炎を広げようと思い風の勾玉を柄尻に嵌め込む。
クサナギノツルギにとって一番相性がいいのはこの風の勾玉だ。乱風が一瞬巻き上がりながらも、それが刀身に纏わりつき風の刃となる。
踏み込みと同時に、屍兵の間合いの外から振るうと、生前に着ていた服が千切れてそこから破壊は始まり、最後には身体全てが砂へと変じていき風に攫われた。
「風蛇剣、こいつは問題児だ。主人が斬りたいときに斬れるのが名刀の意義だってのに」
こいつは一太刀浴びせると同時に、斬りつけたもの全てを塵芥へと変えてしまう。
「竜具に似た武器だとは思っていたが、風を操れるのか」
「使える属性は色々とあるが、今はこいつがいいだろうな」
先のことを考えると問題があるとはいえ、一太刀で済むことが出来る風が一番適している。
構えなおした剣を手にリョウとサーシャが前の屍兵達に斬りかかっていくと、それが号令であったかのように全ての兵士達が意気を上げて戦いを継続させていった。
† † † †
「第二波を出せ。その後、立て続けに第三波をぶつけろ」
「―――フランシス船長、このままで勝てるんでしょうかい?」
「勝てる。今奴らは増え続ける死体の兵士達に手を煩わせているはずだ。そこに残った火砲船と油樽の投射でやつらを火炙りにしてやれ」
ここから見える限りでは船団全ては未知の恐怖に戦意を上げているが、それもそこまでだ。
戦姫は竜も殺せるそうだが、戦姫を抑え込むには無限に増える雑兵で疲労させることがいい。そうあの協力者である青年は言ってきた。
事実、竜を恐れて別働隊も動けないようだ。戦姫だけでなく多くの兵士達が疲労したところで、必殺の攻撃を食らわせる。
「……未確認の情報ですが、ジスタート軍には戦姫以外にもとんでもない戦士がいるということで、そいつが女共を救出しに来たという話ですが」
「アルフの船を落とした人間。誰であるか分かるか?」
フランシスもかつてはアスヴァ―ル王家に仕えていたが、エリオットとジャーメインの戦いに何も感じることが無く、国を捨てた。
王家に仕えていた頃、様々な英傑達の名を聞くことがあった。ジスタートと言えば七戦姫もそうだが、王家連理に連なる将器のもの「イルダー=クルーティス」も有名だ。
その他にも様々な将星のものたちがいる。そいつらがやってきたところで自分は勝てるだけの力があるはずだ。
だが、手下が言ってきた言葉に背筋に氷柱が入れ込まれたかのような緊張感に晒される。
それは本当の意味での『死神』の登場でもあったからだ。
「………確認したのか?」
「未確認だと言いました。しかしながら、東方の剣を携えた剣士が、船から船に飛んで行くのを何人かが目撃しておりやす」
そして飛び乗っていった船が海賊船であった場合は、容赦なく沈められていった。戦姫側の船であれば必ずや勝利をもたらしている。
大なり小なり尾鰭が付く戦士の逸話の中でも、その男だけは自分も見たことがある。
エリオット王子の陣営にいたころの話だ。
まだ少年と呼んでも差し支えないその戦士が一番槍となりて幾人もの戦士達を切り殺していた。
目が覚めるような蒼色の鎧、黒金色の縁取りが成されたそれが、真っ赤に染まるほどに少年は多くの兵士を切り殺していた。
タラードという将軍の指揮下において彼こそが最強の称号を得ており、一つの村を守るために襲い来る万もの海賊・兵士どもを斬り捨て、一人で守りきったなどという眉唾ながらも信じられる話もあった。
戦をするための鬼人。戦場の全てを死で塗り替える
「……命令変更だ。遅くてもいいから竜に第三波の死船も曳かせてぶつけろ、ぶつけるのは――――中央旗艦、金色と朱色の刃が交差した旗を掲げている船だ」
「承知しました」
あそこにあの竜殺しがいるという確証は無いが、あの騎士は総指揮官が危険に陥ると確実に守護をするために舞い戻るのだ。
事実、ジャーメイン配下の有力将軍を狙って、長弓部隊を差し向けたこともあったが、その闇より来る暗器のような武器から彼らを守ったのも、戦鬼だ。
「―――別働隊に備えて竜だけは手元に置いておく必要があるかもしれんな」
その考えはある意味では敗着の一手ではあったが、無理からぬ話だ。フランシスは読み間違えたわけではない。
ただ単に脅威に備えただけなのだから。しかし、その考えそのものが盤の対面にいる相手には敗着であっただけだ。
破滅の時は着々と近づいているのを知らせるかのようにフランシス・ドレイクが持つオーブが怪しく光り輝いてるのだった……。
◇ ◆ ◇ ◆
「
姿が揺らめき、海に見える蜃気楼のようになったサーシャ。死人達がどのようにして自分たちを認識しているのかを確認するためであり、その上で、攻撃の為の算段であった。
死人達が戸惑う様子になるのを見ると、どうやら視覚で認識していたようだ。もしも熱量に対してだったならば、同時に発生させた人肌と同程度の火柱に反応するはずだったから。
「
陽炎の壁の向こうから拳大の炎の弾を、放っていき、そうしながらも移動を開始していた。
リョウと視線が合う。こちらの意図を理解した剣士は、その神秘の剣を一度鞘に納めてから、柄を走ってきた自分の足元に差し出した。
「素は軽―――」
御稜威を掛けたらしく、自分が少しだけ軽くなる感じを覚えて、その柄に足を掛けると同時にリョウは、持ち上げて親指の弾きで剣を撃ちだした。
剣に込められた風に乗ってサーシャはマストよりも上まで飛んでいった。
視線はまだ空にある。自分がこんなことをした意図は、空にある多くの長距離兵器の投射物を炎の壁で防ぐ。だがバルグレンの炎をどれだけ伸長させたとしても、全ては防ぎきれまい。
しかし、それを助けてくれたのは下にいる東方よりの剣士だった。
クサナギノツルギから放たれた一陣の風が炎の壁をどこまでも広げていく、もはや天空を覆う炎の天幕は船団全てを保護するかのようになっていた。
火の粉が鳥の羽根のごとく落ちてくる。その火の粉は亡者に触れた途端に、どこまでも燃やしていく。そして亡者の軍団と戦う勇者達の剣には、炎の力を与えていく。
炎の天幕は鳥のような姿となりて、サーシャの双剣の炎の続く限りどこまでも戦士達の守護を司る。
「亡者の軍団と戦う勇者たちに加護あれ、神々が創りし世界を守る守護者達に万雷の喝采を―――」
御稜威ではない、しかし韻律を込めた言葉と腹から出した声でレグニーツァ軍およびルヴ-シュ軍の戦士達を鼓舞する。
一種の「神術」と化したそれは挫け掛けた士気を持ちなおさせて、全軍に元気を与えていく。
郷里では「鳳凰」「朱雀」とも呼ばれる霊鳥を作り出した「不死鳥(フェニックス)」の女性を抱きとめる。
上から落ちてきた彼女の様子を詳細に見る。ここまでかなり戦っており、何かしらの身体の変調があるのではないかと思って見ていたが、傍から見たらば誤解されそうだと思った。
そんな自分の内心を知ってか知らずか、サーシャはこちらの視線での問いかけに答えた。
「問題ないよ。大丈夫」
「そのようだ。少し熱があるように見えるのは……俺のせいかな?」
自意識過剰だろうかとも考えるが、一度だけ微笑んでからこちらの胸板を一撫でしたサーシャが甲板に降り立ち、戦姫としての顔を取り戻して命令を発した。
羽根のような火の粉が落ちる戦場において彼女の姿は神秘性を増している。その命令もまた何か厳かなものを持っていた。
「海賊共の無粋な攻撃は無効化した。上からの攻撃が無い今、亡者の群れを掃討しろ!」
命令に従って、屍兵の群れに炎の剣を叩きつけていく連合軍の奮戦を見ながら、この分ならば勝てるかと思った時に第二波、そして第三波の特攻が始まる。
見ると五隻ほどの塊が、中央に向かってくる。二隻ずつが右翼左翼に向かってくる。
「さてと―――生きてる人間がどの船にどれだけいるかだな。生きた死体ばかりを家臣にして何が国盗りだ」
そんなことをやろうとしていた輩―――桃の化生を知っているだけに、目の前の海賊船団の手口に嫌悪感を感じるしかない。
「どちらにせよ。やることに変わりはないよ。手を伸ばして叩き潰すだけだ」
「にしてもこの船が邪魔で甲冑魚号の火砲が使えませんね」
「申し訳ありません!!!」
もはや旗艦の邪魔にしかなっていない「亀甲号」の船長が半ば泣きながら、ヴァレンティナの容赦の無い言葉に答えた。
特攻を仕掛けてきた亡者の船に生けるものはいない。恐らく中央に突撃を仕掛けてくる五隻の船も殆どは死体だろう。
その時、亡者の戦闘に苦心しながらも、兵士達が後ろの旗艦から火砲を運び出してきた。
「やれやれ、苦労させられましたよ」
「言えば手伝ったのに」
「あれだけの剣舞をした身体で、この上に輜重部隊の手伝いなどさせては我らの沽券に係わります」
どこかから合流してきたのかマトヴェイとパーヴェル船長が、部下を率いて本来ならば岸壁につけるはずの頑丈な桟橋を使って火砲七門を亀甲号に持ってきた。
特攻船との距離は、残り六百アルシンといったところか。ここまで弓などが降り注いでいないのは、上にある炎の天幕だけではなくそういう行動にあれに乗っている乗員たちには出来ないのだろう。
一般的に亡者の兵というのは単純な行動しか出来ない。弓弦を引いて何かを飛ばすという行動よりも斬る。叩く。かみつく程度しか出来ないのはそれが肉体の直接的な行動に繋がっているからであり、弓射ちというのは二次的なものだからだ。
波に揺れる船体に苦心しつつも狙いを付けていく殆ど真正面からやってくる船団相手に七つの火砲が順序良く吹かれる。
最初に沈んだのは亀甲号の衝角に半壊していた最初の死霊船だった。盛大に爆散するところから油もあったのだろうが、亀甲号の船体には異常はない。
揺らめく火炎の向こうに新たな死霊船を見つけた砲撃手の一撃が相手方の船首を叩き折りながらも内部に砲弾を叩き込んだ。
それでは必殺とはならなかったのか、三発目が吹かれた。これまた必中し、竜骨が叩き折られたのか、真っ二つになって沈んでいく。
しかし竜はそれで少しの重みを無くしたのか速度を上げてこちらにちかづいてくる。残り四百五十アルシンに迫ったところで、四、五と吹かれる砲弾。
黒煙を上げて、砕け落ちる砲一つを見て限界を超えた一撃の結果を見届けるが、マストが砕けるのみだった。しかし後を次いだ攻撃が舷側に盛大な穴をあけて、そこから浸水するのみ。
「残り一隻ぐらい沈めてみせろ!!!」
命令に答えて慎重に照準を定めて、発射までの間隔とを考えながら砲撃手は、三百アルシンに至った時に、放たれた。
「撃てぇ!!」
言葉と共に二発の鉄の弾は一隻を確実にしとめてみせた。そして爆散しても残る三隻の死霊船を引っ張る海竜の姿が見えてきた。
「これでもはや打てる火砲はありません。残る敵を倒すは――――」
「己の血と鉄―――そして己の意思を武器に載せて戦うのみだ」
砲撃手のやり遂げた感のある言葉を引き継いだサーシャの言葉に全員が得物を構えなおす。それと同時にルヴ-シュの細身のガレー船もこちらに向かってきた。
どうやら人質の護衛と奪還船の大半は駆逐しおえたようだ。
「海賊と海竜を滅ぼし―――、我らが海を守るんだ!!」
その言葉と薙ぎ払った双剣の軌跡に全員が意気を上げて、怒号を響かせて亡者の船を睨みつける。
三隻の船は沈んだ船の残骸などお構いなく、こちらに体当たりを仕掛けてきた。右翼左翼にも同じく死霊船が叩き付けられながらも、目の前の敵だけに集中する。
前左右を亡者の群れに囲まれながらも後ろに退くことなど考えてはいない。
骨だけの亡者の兵士、肉と骨の半々の腐乱死体、殆ど生者と変わらずも生きてはいない乱雑な亡者の群れたちが飛び掛かってきた。
炎の花弁が舞う中、戦場の雄々しき踊り手達は己の武骨な踊りを華麗な踊りを用いて、亡者をあるべき場所に還していく―――――。
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「煌炎の朧姫Ⅲ(後章)」副題「初めての共同作業」
そんなレグニーツァ軍の姿は、やっとのことで残敵を掃討し終えたエリザヴェータの眼にも入り込んできた。
ルヴ-シュ軍の配置に入り込む前に中央を見ると一隻の船の甲板において、アレクサンドラとヴァレンティナの姿を確認する。
炎の軌跡を双剣で刻み付け亡者を殺して、残像の軌跡だけをそこに後ろに回り込んだ大鎌が首を跳ね飛ばす。
戦姫二人の戦いは予想通りでありながらも、予想外だった。どっちも病弱という話であったが、そんな話は嘘だと言わんばかりに戦姫としての役目を果たしている。
そしてそれ以上に予想外であり、予想を超えた存在の姿を見た。
西方で使われている剣とは違う得物を振るう剣士。遠くから見てもその技法が、周りより頭一つ追い抜いていることが分かる。
例えば――――三体の亡者の死体が前にいる。立ち位置も一列というわけではない。しかし、それが一刀の下に斬り伏せられる。
三体同時にだ。走りながらの斬撃。しかし接近する剣士に対して得物を突きだした時点でほぼ一列となってそこで、真一文字に剣の軌跡が描かれた。
武器の威力もそうだが、それ以前にそのような誘いを掛けて亡者の意気を釣っていたのだ。
かつてイルダーに武芸を教えられていなければ、エリザヴェータには、それが分からなかっただろう。それぐらい見事、コロシアムであれば拍手喝采を送りたくなるほどの剣士である。
亡者の三体を斬り捨てた剣士―――リョウ・サカガミは、そのままの勢いで、戦斧を振り下ろしてきた相手に斬りかかる。
戦斧と刀がぶつかろうかという軌道だが―――その軌道が変化をした、いや加速をして亡者の肘を叩き打つ。足さばきを早めて剣速を上げたのだ。
(エレオノーラと同等……? もしかしたらば――――)
それ以上かという思いで見ていると亡者の手から離れた戦斧に構わず、返す―――「カタナ」で胸郭を斬る。
既に還った亡者。しかし斧だけは現世に留まり、それを足元で蹴り集まりつつあった亡者の足元にやると意識がそちらに向いた。
その時には、背中に担ぐように構えて弓で狙いを付けるかのように指で何かを測った後に一回転するかのような斬撃が周囲の亡者を斬った。
「―――状況はどうなっているのですか?」
「はい。現在ルヴ-シュ軍にも―――亡者の軍勢がやってきていますが、この火の粉によって我らは亡者と戦えております」
「優勢なんですか?」
「少なくとも絶望的な戦いを演じているわけではありませんな」
副官であるナウムに各船団の状況を教えてもらうと同時に、あの中央の戦場が一番の激戦だという確証を持つ。しかし海竜がいるという本隊を強襲するということも出来る。
海竜三体を倒すのに、少なくとも竜技三発は必要だろう。幾ら病身がそれなりに回復したとはいえ、サーシャをこれ以上消耗させるのは不味いだろう。
「戦姫様、何を考えていらっしゃいますかは、恐れながら察せられますが、亡者の相手を彼らに任せて我らは本隊を叩かねば片手落ちになる可能性もあります」
「つまり私に必死で戦っている戦士を見捨てて、戦果の横取りをしろと?」
「有体に言えば、亡者の軍団は恐らく控えているでしょうし、まだ生きている人間による船を叩く方が我々の使命でしょう」
確かにあれだけ色々と約定に難癖をつけて、しかも実際は自分たちが主力を務めたわけでもないのだ。
海賊船残り三十隻近くを撃滅する。
「竜に対する対処はありますか?」
「海賊船から奪った火砲と投石器、それらを用いれば何とかなるかと、時間稼ぎ程度ですが」
「―――分かりました。ではルヴ-シュ船団をレグニーツァ軍から引き離します。その上で本隊を叩きます」
これもまた失敗したならば、自分は無能という誹りを受けるだろう。けれども構わない。兵士さえ生きていてくれれば、ルヴ-シュ軍はどうともなる。
いざとなれば竜技の連発使用も辞さない。
その結果、自分が死んだとしても――――。エリザヴェータ・フォミナの決意は、一方的に対抗意識を燃やされている剣士にとっては、『馬鹿』と罵ってやりたくなるほどに的外れなものだった。
† † † †
「ルヴ-シュ軍、本隊に向けて走っていきます」
「戦場から逃げ出したわけじゃないんだ。彼らに本隊を任せろ!」
伝令の言葉を受けながらサーシャは、怒り交じりに亡者の首を跳ね飛ばす。しかしながらどれだけ亡者の軍勢を組織してきたのか少しばかり嫌気が差してくる。
(死んでも尚、安息を与えさせない。こんな人の道を外れた行いが許されていいものか……)
奥歯を知らずに噛みしめる。嫌気が差してくるのは、それ以上に死者を冒涜するような真似を平然としてくるからだ。
遠くの国ではこんなことが許されているのかもしれないが、少なくともジスタートもといアレクサンドラ・アルシャーヴィンの価値観からすれば断じて許せない悪行であった。
死を身近に感じてきた人生だった。そうだからこそ、どんなものであれ死んでしまえば、その後は安らげるものだと思いたかった。
例え苦痛を一身に感じながらの死であったとしても、誰にも死んだあとまで己のことを利用されるなど堪ったものではない。
サーシャのそんな内心の激情に反応したのかバルグレンが赤と黄の炎の勢いを上げる。それと同時に―――、ルヴ-シュ本隊を避ける形で、三隻ほどの死霊船が竜に曳かれてやってくる。
「まだ来るというのか……! やつらはティル・ナ・ファとでも契約を結んだのか!?」
邪教の徒―――という考えが、さすがのレグニーツァ軍にも絶望を与えつつある。必死に放たれた弩や弓が死霊の船に吸い込まれていくが、生きている人間がいないので、あまり効果は無い。
「戦姫様、亀甲号は終わりです。後方の旗艦へとお下がりを」
「駄目だ。このままじゃ亡者の群れにみんなやられてしまう。ここで退けば後は押し込まれるだけなんだ」
もはや亀甲号には衝角による沈没を待つのみだ。如何に亡者だけとはいえ船体の体当たりを何発も食らって無事なわけが無かった。
そしてやってくる死霊の船は三隻。体当たりはかませないだろうが、後ろからの追突で、亀甲号は沈没するだろう。そしてその後は、空いたスペースを利用して亡者達は右翼・中央のレグニーツァの兵士達に襲いかかる。
言うなれば亀甲号はこれまで、蛮夷の侵入を防いでいた砦の役目を果たしていたのだ。如何に、様々な要素があったとしても被害は拡大する。
「船員及び傷病兵達は後ろに下がらせているね。それをしつつ順次、みんなも下がってくれ。殿は僕が務める」
「それはなりません。総指揮官が下がらないなどこの後の指揮をどうするのですか? 身を大事にしてください」
「分かっている。けれども僕の代わりはいずれ現れてもみんなの代わりはいないいたっ!!」
「失礼、正直聞いていてあまり気分が良くなかったので「でこピン」一つさせてもらった」
そんな自分の言葉を最後まで言わせてもらえなかったのは、傭兵でありながらも一角の傑物として知られる男だ。
悶絶してしまうぐらいの痛みに先程までの自分の決意も砕かれたような気すら起きてしまう。
「サカガミ殿、いくら卿が戦姫様のご友人とはいえ少し砕けすぎではないか?」
「こんな時に鼎の軽重を気にしてられるか、サーシャお前は自分の「私的」な考えでみんなを戦わせたくないとか考えているだろ。お前は―――多分、必殺の竜技で亡者の軍勢全てを焼き払おうとしていたんじゃないのか?」
「何で分かったんだ!?」
血相を変えた騎士の一人に瓢と答えながら、自分には真剣な声色で問うてくるリョウに驚きしかない。
「というわけでいざとなれば俺が責任を持ってこのお嬢さんを姫抱きで後方に連れて行くからお前たちは下がれ」
「殿をあなたも務めるのか?」
「それならば少しは安心できるだろ? ほらさっさと動け。今は小康状態だがすぐに戦闘なんだからな」
こちらの言葉を完全に信用したわけではないだろうが、サーシャが折れず、真っ先に退いてはくれないと分かっていただけに、全員が命令に従う。
従わないのはオルミュッツの戦神鎧を着こんだ精鋭十数名と、マトヴェイなどの有志たちだ。ティナとプラーミャは言わずもがなでここにいる。
「君たちは一番無謀な選択をしたんだぞ、分かっているのか?」
「無謀な選択結構。己の意思で選択出来ないのならば、無茶だと分かっていても困難な道を選ぶ」
暴虐の海賊達を退けるために村一つを捨てるなどという選択を強要されるぐらいならば、己で精一杯やってから諦めるのみだ。
万の軍に勝てないことが問題なのではない。万の軍に勝とうと思わないことが問題なのだ。
それは確かに無謀な選択かもしれない。けれども意思を示さなければ再び蹂躙されるさだめは変えられない。
「どんなに弱い生き物でも生きようとする意志が、強い生き物を怯ませる。そう俺は師匠から教えられた」
―――恐れを持つことは必要だ。だが恐れから逃げていては、ナニモノにも勝てない。
師であった男性の言葉を胸中で繰り返して、「九字」を唱える。
「お前が単純にあの亡者を敵と見れなくなるのは分かっていた。だが、それでも己の事を省みない戦いだけはしてくれるな」
「……何でリョウはそこまで言ってくれるんだ?」
「俺としては女の子にはどんな苦難に陥っても生きていてほしいんだ。自己犠牲を持ってほしくない」
特にサーシャは見ていると自分の母親を想起させる。だからこそ死んでほしくない。
そんな想いで言った言葉に対してサーシャは一度だけ顔を伏せてから、前を向いた。
「分かったよ。もう四の五の言わない。君が僕を助けたいならばその手を僕は掴む。死神の鎌が無慈悲に振り下ろされるならば、それを受け入れる。僕の無謀な選択に君達を巻き込むよ。それでいいんだね?」
先程とは違い少しだけ意気を取り戻したサーシャの宣言に全員が承諾を返す。
「ならば全員でやるべきことを伝える。まずはこの亀甲号に全ての亡者を曳きつける。そのままの状態で僕が竜具で巨大な炎を焚くことで亡者を一掃する。その前に――――こういうことを皆でやってくれ」
「やはり戦姫様が最後になりますか……?」
「すまない。大きな火種を点けるにはやはり僕が最後になるしかない。けれど―――僕を抱きかかえて安全な所まで連れてってくれるんだろ?」
「望みとあらば月まで送り届けてやってもいいぐらいだ……って、この辺には「輝夜」の逸話は無いんだったな」
微笑を浮かべた挑戦的な言葉に返した際のセリフがヤーファでしか通じないものだと気付いて失敗した感を覚える。
「生きる希望が湧いたよ。ヤーファのお伽噺、聞かせてもらうまで死ねないな」
言葉を最後に、伝えられた指示を全員が実行していく。亀甲号の油樽何本もを見つけた全員がそれにロープや要らない布きれを浸していく。
油で手が汚れながらも、構わずに十分に浸した後には、それに銛や大釣針などを結んでいく。リョウもまた一本のロープに熊手取り付けてからもう一本かなり長めのロープを油に浸す。
敵船が既に二百アルシンまで迫っている。しかしそれはそれで好機だ。
「急げ!!!」
騎士隊長の言葉に全員が用意したものを構えて投げるタイミングを測る。
リョウもまた亀甲号のメインマストの中ほどにに長ロープをしっかり巻きつけてから、柏手を叩き鷹を呼び出して、やるべきことを伝える。
長ロープの片方を加えて何処へと飛び去っていく。
そうして二百チェートまで迫ってきた時点で振りかぶって回していた引っ掻け道具を――――。
「放て!!!」
敵船に放った。船縁や甲板に突き立つそれらはしっかりとした張力を与えつつこちらとあちらを紐で繋げる。
亀甲号の左右に進出しつつあった二隻に凡そそれぞれ二十本近くのロープが掛かった。
全て油が滴っており、接近すれば弛んだロープが更に敵船の甲板を濡らすだろう。
そしてリョウの放った鷹は、亀甲号に追突してきた船のさらに後ろに突撃してきた敵船のメインマストにロープを巻きつけた。
器用なことをさせながら、全ては揃った。後は――――どれだけ大きな火種が出来てとどれだけ多くの死霊を呼び寄せられるかということだ。
「では始めるよ。
確認した戦姫は亀甲号のメインマストの周囲で多くの火柱を出現させた。
それをきっかけにしたのか何なのか死霊達は、生きた人間がいる沈みゆく船に飛び掛かってきた。
「邪魔は!!」「させない!!」
リョウの剣とヴァレンティナの大鎌が、両舷から乗り込もうとしていた死者達を海洋に葬る。
しかし数は圧倒的であり、切り払えなかった箇所から死者達が乗り込んでくる。もはや天幕と化していた炎は無く自力による戦いのみが、この死者達を葬る手段だ。
精鋭二十数名は流石に、単騎でも死者と渡り合えている。その動きも一般兵士とは隔絶しているものがある。
戦神トリグラフの名に恥じぬものだ。ゆえに――――。
「サカガミ殿、オステローデの戦姫様、あなた方はアレクサンドラ様への最後の壁、近衛として付いていてくれ」
「でなければ我らがいる意味を疑われかねない」
「同感だな」
絶望的な状況でいながらも誰もが苦悩をにじませてはいない。まるで本懐だとでも言いたげな表情で笑い合っている。
この場で死ぬことは恥ではなく「誉れ」だ。亡者の軍団と戦う姫君の盾として死ぬことは騎士として英雄譚に焦がれるものとして戦わせろ。
そういう意識を感じさせる。
リョウ個人としては出来うるだけ死人を出したくないのだが、それでも男の意地を張らせろという意気を挫くことも出来ない。
何より状況は両舷だけでなく前方からも死者はやってくるのだ。サーシャの舞が終わるまではここを死守せねばならない。
三十人ほどの死者の群れが殺到してくる。最初の特攻船にいたのも含まれているのか、それは分からないが、それでも刃向うならば斬り捨てる。
(目を曳き付ける)
サーシャの邪魔だけはさせない。走りながら殺到する死者の群れとぶつかる前に、リョウは飛び上がっていた。
飛翔―――。そんな言葉が似合うぐらいにその姿は宙を歩んでいた。見えない足場を渡り切り、死者達の後ろにまで飛んだ時点で鞘から剣を抜き払い、滞空しながら五人の延髄を斬りおとす。
回るようにして剣劇が鮮やかに放たれる。
その回転力を利用しながら返す刀で、一人の首を刎ねた。
その時点で、ようやく宙から地へと足を着けるが、その時点ですら死者はこちらにやってくる。いや、もはやサーシャの方には目が向いていない。
引き寄せるという策は功を奏した。そしてこのまま包囲されるのは不味い。死者には同士討ちを考えるだけの気遣いなど無いのだから。
前方の敵を袈裟切りにして消滅させると同時に、回るような剣戟が後ろから迫ってきた相手の首を刎ねる。
「
呼気が、剣戟の音と同調する。平突きのそれは甲板を踏み抜くほどの踏込と共に放たれて死者の群れを吹き飛ばす。
その平突きを行った得物は、サーシャからもらった数打であり、死者の心臓を止めると共に、真っ二つに割れた。
(さらば)
一時だけの持ち主であったが、それでも別れを告げると同時に、鬼哭を抜き払う。
どこから打ち掛かられても斬りかかる姿勢を見せつつ、再び剣戟を放つ。一撃ごとに死者を殺していく。
どんな角度からも放たれる攻撃はさしもの死者でも難儀する。神流の剣客は、太刀の変化を要訣とした剣戟を放つ。
それは、「三速」を極める過程で習うものであり、それが出来なければ死ぬだけだ。
サーシャに殺到させなければいいのだ。俺が一番の強敵だと認識しろ。そう念じながら、攻撃を放つ。
そうしている内に、メインマストが燃え上がり巨大な炎の尖塔を作り上げる。
「今だ。全軍退却しろ」
声に従い死者との戦いを切り上げつつ、後退する。しかし背中は見せられない。こちらも戦闘を切り上げつつ、サーシャの側に寄るととんでもない熱気が伝わる。
「後は僕の竜技で最後の着火となる。それまでたの―――――――――」
油まみれのロープを伝い、炎がそれぞれの船に燃え移りながらも最大火炎を放つと言うサーシャの言葉が途切れた。
様子がおかしいと思うと同時に、彼女は胸の辺りを押さえていた。
瞬間、自分たちの「仲間」を感じたのか、それともただ単に「好機」と見たのかは分からないが、死者達の殺到が早まった。
押し込まれると感じて「風蛇剣」の斬撃を伸ばす。扇状の軌跡が拡大されて、安全圏が元の形になる。
しかし文字通り死体が死体を踏み越えてやってくるのだ。その安全圏が脅かされるのは即だ。
「まいったね。こんな時に……」
「下がれ。作戦は失敗だ」
短い進言に、彼女は顔を上げて苦笑で以て答える。
「駄目だよ。それだけは出来ない……押し込まれたら、皆が死んでしまう」
そうとは限らない。という言葉を吐くことは問題ない。しかしながら、この状態のサーシャを目にしてレグニーツァ軍が平静で戦えるだろうか。
そんな疑問が首をもたげながら、構えと警戒は解かないで前方を睨みつける。
「プラーミャの炎でならば」
「違うんだよヴァレンティナ。そうじゃないんだ。―――これは僕の誇りを賭けた戦いだ。邪魔しないでほしい」
同輩の意見を退けてサーシャは答える。
「僕は死ってものは、どんな人間にも訪れて然るべきものだと考えている。その人間の行状ってものを考えれば安らかなものとも考えたくないときもあるさ」
一回だけ言葉を切ってから彼女は言葉を吐き出す。その言葉の一言ごとに何かが鳴り響いている。サーシャの言葉を耳にしながらも遠くでそんな音が聞こえているように感じるのだ。
「けれども人間の善悪に関わらず。死ねば体一つ、魂一つのものが天上や冥府に赴く。だから――――その摂理を無視してこのような人間の尊厳を踏みにじるような外道の所業を許しておけないんだよ」
それこそが死を身近に感じながらも懸命に生きてきた戦姫、いや一人の乙女の儚い願いなのだとリョウが理解した時に――――朱色に光り輝く勾玉が懐から飛び出した。
輝きは殺到しようとしていた死者達を慄かせるに足るものであった。破邪の武器―――クサナギノツルギに自動的に、焔の勾玉が嵌め込まれた。
「これは……!」
「発動条件は……そういうことか!」
驚愕するサーシャとは対照的に、リョウにはこの武器が竜具と反応する条件を理解した。
しかし今回はヴァレンティナとの時とは少し違っていた。クサナギノツルギが焔を纏った二刀へと変化して、サーシャのバルグレンと対になり、そこから溢れ出した炎がサーシャが持っていた四魂のルビーと反応した。
四魂のルビーは、彼女の両手首、両足首に宝環となって装着された。そして彼女の顔色が健康なものへと変化を果たす。
「あら? プラーミャ?」
ヴァレンティナの少し驚くような声を聞きながらもサーシャとリョウの頭の中に響く声。
そして――――やれることが伝わる。頭に響く指示こそがこの窮地を脱する最後の手段だ。
サーシャとリョウ。お互いに交叉させていた双剣を勢いよく解き放つと、熱風が周囲に広がり亡者の群れにたたらを踏ませた。
そして、左右から円を描くように、丁度メインマストを軸として動いていく「時計針」のごとくリョウとサーシャは、双剣を絢爛豪華な舞扇の如く振るっていく。
亡者とて何もしていないわけではない。しかし彼らが動く度に、炎の壁が円形に放射状に広がっていく。攻撃と防御を兼ね備えた炎壁であり円壁の内部にて落葉の如く火の粉が舞い散る。
左右から丁度一周して元の位置に戻ると、安全圏であった場所は船の甲板殆どとなっていた。
しかし、もはや立ち位置は関係ない。炎の落葉の中でリョウからまず先に動いた。双剣の重ねから一振りの剣に戻すと同時に、天へと突き刺さんばかりに掲げる。
そしてサーシャもまた双剣を一振りの剣にして、天に掲げた。剣は巨大な炎の柱となり、天で混ざり合い一つの巨大な炎の珠を作り出して、リョウとサーシャの狭間に落ちる。
『火之夜藝速男神=火之炫毘古神』
お互いに神々の名前を詠みあげると同時に、その炎の珠に向けて剣を振り下ろした。
『終曲―――火之迦具土神』
炎の珠から巨大な光があふれ出る。その光は、熱であり火炎の放射でもあった。ロープを伝って極大の火炎が敵船に燃え広がり、降り注ぐ炎の弾が敵船を砕きながら焼いていく。
死者の全てはその炎に焼かれて、本当の意味で死んでいき解放されていく彼らの姿は全ての船から飛び立つ炎の鳥から察することが出来る。
瞬間、サーシャの思惑。全ての敵船を「延焼」させる以上の効果「誘爆」。爆散して沈んでいく敵船と――――今、現在の足場としている亀甲号。
本来ならば、この技は陸の上で放ち、絶対安全圏を作った上で、巨大な火炎で敵を焼き殺していく技なのだろう。
術者の周囲の敵諸共だが、足場の固さに対して技の威力が過ぎた。ティナの時と同じく昂揚していた精神状態から解放されると同時に、不味いという思いで、御稜威を唱えようとした時に、何かに襟を掴まれる感触。
同じくサーシャは、何かに巻きつかれて、捕えられていた。敵かと思ったが、その時には逡巡する間もなく彼らはどこかへと連れて行かれ――――その数秒後に亀甲号は二つに割れて沈んでいった。
・
・
・
・
「オルガちゃんは、何か食べられないものとかありますか?」
「いえ、お構いなく。特に好き嫌いは無いですし、スープ一杯、パン一切れでも――――」
「そうですか。では腕によりをかけて作らせていただきます。ティグル様、お客様とご一緒に少々お待ちを」
ツインテールのメイドはこちらの言を聞いてか聞かずか、一礼をして食堂から出て行った。
「すみません。ご迷惑をおかけして……」
「気にしないでくれ。この館には客が来ることなんてそんなに無いんだ。ティッタもアルサスの名誉の為に料理の腕を振るうことが出来て嬉しいんだろ」
こちらの恐縮した態度を解すように、微笑を浮かべながらそんな軽口を叩く。
着席した自分の椅子の体面にいる赤毛の若者。自分より二つか三つは上だろう男性。名をティグルヴルムド・ヴォルンと言いアルサスという領地を治める貴族と名乗った。
「ティッタも言っていたが果物でも食べながら繋いでいてくれ。こちらとしてもお客人にそこまで恐縮されっぱなしでは―――俺もつまみ食いが出来ない」
「それではいただきます……」
手本をするかのように皿のリンゴに手を伸ばしてこすってから食べるティグルに倣うように、こちらは葡萄を食べた。
一房食べ終わると同時に、ティグル(ここに来るまでに略称しか呼べなかった)もまたリンゴを芯だけ残して食べ終わった。
「ティグルは、何故私があんなことをしていたのか気にならないのか?」
「あんなことって山で原始の民のような生き方をしていたことか?」
「……そこはかとなくバカにされてる気がする」
「すまない。けれどまさか交通税を払いたくないとかいう理由で、山道を越境しようなんて少し考えが足りないじゃないか」
確かに、そういわれればその通りだ。しかしオルガとしてもその理由はあったのだ。ここアルサスと隣り合うジスタートの公国ライトメリッツは、自分としても足を向けるのもおこがましかったからだ。
有体に言えば、会わせる顔が無いのだ。だからこんな無茶な密入国のようなことをした。
「仮に、私がジスタートが放った「草」だったらどうなのだ。ジスタートと国境を接しているアルサスの内情を調べるためにそんなことをしていたかもしれない」
「だとしたらば俺はそのジスタートの「密偵(スカウト)」の実力と頭を疑うよ。この国においてアルサスという領地は辺境だ。中央の実情や内情を探るならばともかく、このアルサスから何かが得られることはない」
言いながらティグルは少しだけ悲しくなってきた。仮に目の前の童女がジスタートが放った「草」だとしたならば、それで自分はジスタートおそるるに足らずなどと中央に進言出来るかもしれないが、それすらもブリューヌを油断させるジスタートの策略かもしれない。
穿った見方、疑った見方をしていけば、きりがない。それならば、最初から自分の持ち物を少なくしていればいい。自分にとってはアルサスですら大きすぎる領地なのだ。
他の人々がどうだかは分からないが、ティグルとしては平穏な生活が続いていけばそれでいい。父の友人であるマスハスならば嘆くかもしれないが、それがティグルの価値観なのだから仕方ないのだ。
「ティグルには野心が無いのか……?」
「まだ世俗に明るくない時には、王権に近くなることを少しは求めていたよ。けれど遠すぎる。ここから―――ニースは」
「……ごめんなさい。変な事を言ってしまって。私は確かにジスタートの近くの生まれだ。こんなことをしているのは―――武者修行と見聞を広げるためなの」
相手の真実を引き出すために自分も胸襟を広げる必要があった。その為の本音での告白だったが、どうやらうまくいった。
「私もティグルと同じく責任ある立場だった。けれど私は、少しだけその責任が重すぎて、こうしている」
「そうか……」
オルガの話を聞いたその時点で、ティグルとしてはジスタートの貴族の子女なり騎士階級の姫という程度の認識でしかなかった。
持っている武器が外連味たっぷりな斧であったとはいえ、まさか音に聞こえしジスタートの『七戦姫』の内の一人であるなどとは夢にも思わなかった。
オルガもそこまで言えば流石のティグルも警戒してしまうかもしれないと思って、あえて言葉は伏せた。
何故、そうしたのかは明確に言葉に出来ない。
しかし自分と同じく若い身でそういった責任を何とかこなしている彼をもう少し見ていたいと思った。
だから―――ティグルと一緒に居たいがためにそんな風にしてしまった。
「私がブリューヌに来たのは、ある占いを受けたから」
「占い?」
少しばかり奇妙なとはいえ、ちょっとだけ興味を惹かれる単語であった。
マスハスもまた忘れたい思い出だとか言いながらもそういうものに凝っていたそうだが、彼女が語る内容は、どうにも「本物」を思わせてならない。
「オルガは、その占い師が語る「光」とやらを見つけるためにここまで?」
「うん。けれどもう見つけた」
首肯して目を輝かせながらこちらを見てくるオルガに、ティグルの表情は苦虫をかみつぶしたように変化をする。
「まさかと思うが、それは俺とか言わないよな?」
「間違いない。ティグルこそが私の悩みに回答をもたらして、更に私を導いてくれる光」
少しばかり鼻息荒くなっているオルガをどう宥めたものかと思う。だが追い返すのも悪い気もするし、何よりこのままいけば門前で首を縦に振るまで待っていそうな気すらある。
「私を―――配下に加えてください。護衛だろうが暗殺だろうが何でもします」
「いや俺の領地では将を募集はしていないんだ。それに戦争とかそういったことも殆ど無い」
しかしながら、中央に近くないティグルの耳にもある『二大貴族』が王権を狙おうと様々な後ろ暗いことをしていると入ってきている。
この二大と王権の三つ巴の戦いになる可能性を考えて、その際にアルサスがどういう立場になるか分からないのだ。
というティグルの真面目な考えとは裏腹にオルガは更に言葉を募って―――――。
「ならば、わ、私はまだ初潮を迎えたばかりだが、その……よ、夜伽の相手も務めさせてもらうから――――」
「そんなのダメに決まってるでしょうがっ!!!」
思わず吹き出してしまいそうになるぐらいに絶妙のタイミングで、ティッタが現れた。
片手にスープ皿を持ちながら、怒りの表情で轟音を上げながら扉を開けたのだ。
「ティッタ! いやその……これはだな……」
流石にこの幼なじみである侍女に、見損なわれたくないので言い訳をしようと思ったのだが。
「ティグル様の夜伽の相手は私が務めるんです!!」
「違うだろ! そこは怒るポイントじゃない」
頭が少し痛くなりつつも、幼なじみに言いながらオルガにフォローを求めるも、更におかしなことになってしまった。
「ティッタさんが調子悪い時でいいです。その時にご相手させてもらいます」
「それは……どういう意味だオルガ?」
「? ティグルとティッタさんはそういう仲じゃないのか? 貴族の子息が侍女を持つのは日常の世話といずれ来る伽の練習のためと聞いている」
半眼で問いかけたこちらにオルガはどこか偏見混じりながらも真実の一側面を突いた考えでいたようだ。
頭を乱暴に掻いてから、とりあえずそんな事は求めていないし、ティッタも自分で言ったことに対して赤くなっているので、慰める。
「仕方ないな。とりあえずティッタと同じく侍女として働いてくれ。無論……夜伽は無し。睡眠中の護衛も要らない。後は俺の領地経営は―――」
「教えてください。そして何よりあなたを見習って、私は今後のためにしたいんだ」
「……こんな小さい領地で、君の今後に関わるものがあるかどうかは知らないが、まぁいいか。それと呼び方は普通でいいよ。変に畏まらなくていいから」
他国の「姫」であるのならば関係としては対等なものなはずだ。中央にて自分があまり重視されていなくても彼女との関係は対等のはず。
「分かった。ならばこういう場ではティグルと呼ぶ。けれども公的な場ではヴォルン卿と呼ぶ」
「オルガの中で分別が着くのならばいいさ。では改めてよろしく。ティッタも色々頼むな」
「承知しました。ではオルガちゃん。調理場からパンを持ってきてくれるかな?」
「心得ました侍女長様」
少しだけおどけた返答をするオルガに微笑を零してから、気になり彼女を呼び止めた。一つだけ気がかりなことがあった。
「オルガ、君に占いをした人って誰なんだ?」
「ヤーファの男性です。名前は忘れてしまったけれども―――少しだけティグルに似ている気がした」
そうしてからオルガは、調理場へと赴き―――全ての用意された料理を両手に掲げて持ってこれる力持ちであることに驚いて、その「占い師」のことをティグルは忘却してしまった。
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「雷渦の閃姫Ⅱ(前)」
炎が降り注ぐ。炎が焼き尽くしていく。前に広がる風景はそうとしか言えないほどに、圧倒的なものであった。
こちらにまで熱気が伝わるほどの火力。亡者の軍団は――――海亀の船と共に消え去っていった。自分たちの眼にも見えるぐらいに、亡者たちは戦姫の炎によって浄化された。
己の灰の中から再び孵る。炎の鳥――――不死鳥。嘶きこそ聞こえないが、焼き尽くされた敵船から幾つもの炎を身体とした小鳥が天空に飛んでいくのだ。
しかし――――その炎は、予想を超えて自分たちに結果のみを見せて、過程が分からない。
つまり―――この炎が戦姫アレクサンドラによるものであることは分かるのだが、彼女が如何なことになっているのかは分からないのだ。
亡者たちが、戦姫達の周囲に集まったところまでは見ていた。そこから先は―――殆ど分からない。目も眩むほどの赫光が輝いた後には、炎が舞い踊っていた。
そして、炎の柱が天空に二つ伸びた後には、太陽が作り出されそれが下に落ちた後には、現在の状態になったのだ。
「アレクサンドラ様……」
誰かの悲しげな声が耳に届く。この炎の中でも彼らが生きていると思っている存在が居ない。既に沈みかけている亀甲号が沈むと同時に――――何かが炎の中から飛び出した。
幻想的な炎の鳥ではなく、もっと大きな物体だ。朱色の鱗をした――――竜。
「
誰かの悲鳴のような驚愕の声が重なり聞こえたが、しかしその驚愕はすぐさま呆然としたものとなる。
何せその竜は四十チェート程度の大きさの身体を空に投げ出しながら、その爪に東方剣士を抱えて、尻尾でアレクサンドラを巻きつけて、背中にヴァレンティナを乗せていたのだから。
盛大な炎の焚火から離れていたレグニーツァ船団。その旗艦、甲冑魚号の甲板にその火竜とも飛竜とも取れる竜は、降りてきた。
爪から逃れたというよりも下されたリョウは、甲板に降り立つと同時に、その竜を見上げた。眼にはやはり驚きが満ちていた。
そして戦姫アレクサンドラもまたこの竜の正体を測りかねていたのだが―――――。
「プラーミャってばこんなに大きくなって……ママは感涙が止まりません」
「そうじゃないだろ。そこは問題じゃない。それにしたってデカくなりすぎだ」
目頭を押さえながら言う大鎌の戦姫ヴァレンティナの言に返すリョウ・サカガミの姿を見て、「ああ、いつも通りだ」という安堵が全軍に伝わる辺り色々と深刻であった。
「というか本当にプラーミャなのか? いきなりこんなに大きくなるなんてどうしたんだよ?」
甲板にて、こちらの視線を受ける竜の身体の大きさは先ほどの幼竜のそれではなかった。皆からの奇異の視線を受けながらも、ティナに頭を擦り付ける様子を見て、やはりこれはあの幼竜なのだと実感する。
「リョウとアレクサンドラの竜技の炎、最初に放たれたその炎を食べたプラーミャが大きくなった。そうとしか言えない現象を私は見ていましたので、これはプラーミャです」
記憶を辿ると自分たちが「カグツチ」を放つ前に聞こえたヴァレンティナの言葉は「成長」したのか「変化」したのかどちらにせよ体躯を増大させたプラーミャに対するものだったのだろう。
しかしながら、再び聞こえた声―――。「アメノヌホコ」の時にも聞こえた言葉を実行するためだけに動いていた自分たちには、それを見ることは無かった。
「子供の成長を見ずに、他の女にうつつを抜かすなんてひどい父親ですね」
「うーーーん。何というか真実の一端を突いているだけに迂闊に反論出来ない。まぁとにかく一時的なものなんだろうな。脱皮したわけでもないんだから」
父としてはプラーミャにはもう少し小さいままでいてもらいたいよ。と嘆くように言ってから首筋を撫でてあげると今度はこちらに頭を擦り付けてきた。
「…………ところで、君ら今の状況がどうなっているのか良く考えた方がいいよ」
「そんな冷たい目で見ないでくれ。ルヴ-シュ軍が、本隊を叩いているんだ。おまけに―――正直これ以上レグニーツァ軍は動かせないだろ」
焔の戦姫の異名とは正反対なサーシャの視線と言葉に答えながら、遠くを見る。1.5ベルスタ程まで離れてしまった海賊船団とルヴ-シュ軍の戦いを見てから、レグニーツァの戦士達を見返す。
皆の表情はやはり優れない。疲れ切っているのだ。今までの戦いに亡者の軍団との戦いがいつもの人間相手の戦いとは違い疲労度を格段に上げていた。
「それに……そろそろ動くんじゃないでしょうか。『狼』の懐刀が」
「アレクサンドラ様、ヴァルタ大河の水軍部隊が動き出したそうです」
ヴァレンティナの言葉が予定調和だったかのように、若い騎士が進み出て援軍が向かってきていると知らせた。
「国軍が動いたか……ならば僕らは待機しつつ捕虜や奴隷の移送に回っても構わないのかな」
「そういうことです、今のところは私たちは錨を下していてもよろしいかと」
「それでも海竜相手じゃ彼女も手こずるんじゃないかな?」
「積極的に援護したいのですか? 先程まで病人の身体だったのに」
ルヴ-シュ軍を放っておけ、少しは手伝うべきだという戦姫達の意見の不一致を見せながらも各船は、この場にて留まる形で休息を取ることになった。
元気のあるものたちを再編成して二、三隻を向けることも可能だろうが、とりあえずは休みだ。そしてヴァレンティナの言葉に気付かされたようでサーシャはこちらに向き直る。
「君とヴァレンティナのいちゃつきでイライラしていて忘れていたよ。リョウ、僕の四肢に嵌められたこの宝環……何なんだ? そしてあの竜技以上の威力の術は……」
「そこまで嫉妬されていたことに対して男冥利に尽きるとでも言えばいいのかもしれないが、まぁそれはともかく宝環に関しては、少し憶測を交えて説明する」
遠くの戦況のほどを見ながらサーシャにヤーファが規定した「魂」の有様を語る。
この世にある万物には魂が宿る。それは木でも石でも、人だろうと獣だろうと同じことだ。万物に宿る魂は四つの有り様に分けられる。
勇気の魂「アラミタマ」和合の魂「ニギミタマ」親愛の魂「サキミタマ」智恵の魂「クシミタマ」
これら四つの魂が正しく働き「一霊」となり、身体は「心」を持つ。
「『心』を持つものが悪行を行えば「マガツヒ」となり四魂は穢れていく、逆に善行を尊べば「ナオビ」となる。つまり人の心は悪にも善にもなる。ここまで理解できているかい?」
「まぁ何とか……それじゃこの宝環は「四魂」を分けたものなのか?」
戸惑った表情のサーシャに首肯をする。
元々、あのルビーは戦姫の魂が凝固したものであると理解はしていた。しかし、それがこのような形になるのは―――。
「死にかけだった俺のご先祖を生き返らせたのは、神々の持つ神器だった。それは四肢に嵌められた「雷」を放つ環だったと聞いているよ」
「同じくこれもそういう類のものだとリョウは見ているのか?」
「正しくは分からないが……聞こえてきた声によればそうなんだろうな」
言いながら、クサナギノツルギに眼を向ける。この嵌められた勾玉と聞こえてきた声。全てはそれを伝えていた。
『神々にも生と死を与えた始まりの炎。火の赤子を創り砕き「神産み」を行え』
「その宝環はお前の病を「魂」の方面から癒しているんだろう。何にせよ道具は道具。使い方次第だよ」
「変なしっぺ返しがなきゃいいけど、というか外れないんだなこれ」
流石に人知を超えた竜具を扱う戦姫と言えども、二つもそんな道具を持つことには戸惑いを隠せないのだろう。
もっとも、これがあの竜王の意図した結果であるというのならば、知能において人間は負けたということでもある。少し屈辱だ。
「何はともあれサーシャの病が悪化せずに良かった。とはいえ、薬の治療は続けるからな。お前の言う通り変なしっぺ返しがあったら困る」
「とか言いながら、「私」に会いに来る理由が無くなるという心配をしていないのかな?」
「あんまり年下の男をからかわないでくれ綺麗なお姉さん」
猫のような半目でこちらを見てくるサーシャに顔が赤くなるのを隠せない。そうして火の赤子という単語に考えを巡らせる。
本当はカグツチとて母親を殺そうとは思わなかったのだろう。
だからサーシャに生きる力を与えたのかもしれない。己の死を自覚しながらも子供を欲するサーシャの両手足を保護するものは、そういうものに思えていたから。
「さてともう少し詳しい話は、帰ってからするとして……これからどうしたものやらだな」
「リョウとしてはどうしたいのですか?」
「見捨てるのも寝覚めが悪いな。上手くあの戦姫がやってくれるのならば、何も心配することは無いんだが」
二十隻程度と三十隻以上の戦い。それが上手くいくかどうかを見ていたのだが、やはり海竜に、苦慮していることがこちらからも見てとれる。
今も海中から突撃を掛けられたと思われる船が右側に傾く。舵を切ったわけでもないのにそうなるのだから、海竜がどれだけ脅威なのかが分かる。
だが何となくルヴ-シュの戦姫の人物評から察するに、余計な手出しをすればしたで何だかめんどくさい感じもする。だからと言って、このまま傍観も出来ない。
結局の所――――リョウとしては人命優先の気持ちが勝って、そこに赴くことにする。しかしながらレグニーツァ船団は、現在動ける状態ではない。
かといって流石に1.5ベルスタを跳んでいくことは無理だ。ティナのエザンティスの転移で赴こうとしたのだが。
その前に火竜の首が自分に擦り寄ってきた。それはいきなり大きくなり過ぎた自分の子供であった。
生りは大きくなっても行動は幼竜の頃と変わらないんだな。と思いながら……プラーミャを見て気付かされる。
「プラーミャ、ちょっとだけ父の頼みごとを聞いてくれるかな?」
「?」
首を傾げてきた火竜に軽い頼みごとをする。それを傍から聞いていた周りの人間を代表してサーシャが呆れるように言ってきた。
「君の勇名は、これ以上なく轟いているというのにこれ以上高まらせてどうするんだい?」
「無論、見目麗しき女ばかりのハーレムを築くための一歩―――」
「そんな野望は欠片も無い」
熱を込めた口調で戯けたことを抜かすティナの額を連続で小突き話を中断させたのだが、なぜかその様子をサーシャが恨めし気に見ているのが少しだけ気にもなりはした。
・
・
・
・
「イリーナ号中破。離脱を求めています」
「許可します。場合によっては乗員だけでも生かしなさい」
旗艦の甲板に立ちながら、戦況に対して正しき手段を講じる。海賊の船はもはや三隻しか無い。今にも沈むのを待つ船が何隻も周囲にあるが、それに関しては放っておく。
問題は、生き残った三隻だ。恐らく海賊船団の中でも近衛であり旗艦であろう大型のガレー船は、味方を多く失ったというのにまだ降伏もしていない。
当然だ。ここからの逆転は場合によっては可能なのだから。
海竜は、恐ろしき速度でこちらの船に体当たりをかましては、多くの船を沈没させていって、また敵味方の区別もなく海に落ちた人間を食っては、その血液が海を真っ赤に染めていった。
竜技『天地撃ち崩す灼砕の爪』を当てられれば、竜などものの数ではない。しかし当てるには確実に水面に出てきた瞬間を狙うしかない。
そしてそれを打つのに何も容赦しない場所。つまりは味方の船以外の船に食らいついた瞬間に放つ。
頑張っても『二発』が限度なのだから、無駄打ちは出来ない。仮に「通電」したとしても、その瞬間に水深いところまで潜り込まれては、完全なる勝利は得られまい。
思案している最中にも、また一隻の船が海竜の突撃を受けた。こちらから右斜め上というところに位置していた船。そこに首を突っ込んだまま動けなくなる海竜を見て好機と見る。
先ずは一匹を処理する。船首に乗りながら、雷渦と呼ばれる鞭を振り上げる。
一つから九つに分かたれた鞭身は、それぞれが雷光に染まる。そして、味方の船に当てずに雷撃を海竜に当てる。
その瞬間は――――――。
(首を出した瞬間。放された魚が、水に潜ろうとする刹那の時に)
「
まともに食らえば何百年と生きる大木一つを真っ二つに出来る雷光、雷撃が再び海に潜ろうとした海竜を撃った。
海面に流れる落雷は、何度も拡散収束を起こし、その度に海竜を襲う。確実に攻撃は入ったはず。だというのに―――――。
海竜に入ろうとしていた落雷は、まさに雲散霧消という言葉が似合うように、かき消された。
内心の驚愕を言葉に出すことはしないが、それでも現象の不可解さに顔が変化する。どういうことなのか分からないが、あの海竜には何かがある。
竜技を相殺する何かが、あの海竜にはある。そして見ると、その竜には首輪と鎖が括り付けられていた。
まるで馬に装備させる
だが、それを知ったところで、どうにか出来るわけではない。逆に絶望感が増しただけであった。
三匹の海竜は羊の群れに飛び込んだ狼の如く次なる獲物を求めて周囲を泳いでいる。水面に突き出た背びれでどこにいるかが分かるのだ。
唇を血が滲むほどに噛みしめながら撤退という言葉が出かけた所に更に追い打ちをかけるかのように、全員が絶望する事態が起きた。
雲がかかり陽が隠れた。と錯覚してしまうほどに大きなものが旗艦の上空に現れた。四十チェート程度の朱色の鱗を持った竜が現れた。
船員の何人かが神に祈っていたが、然もありなん。それは当然だ。
しかし――――その朱色の竜の背中には三人の男女が乗っており、背中からこちらの甲板に降り立つ。
見事な着地を見せつつも警戒は解かないでおくが、現れた人間は―――とりあえず援軍と呼んで差し支えないだろう。
「手こずっているようなので援軍にきたんだぎゃっ!!」
降り立った人間の内、男が―――真面目な顔で話しかけてきたのに、それが中断されたのは、男の頭に朱色の竜が乗りかかってきたからだ。
流石の竜殺しでもこのような不意打ちには弱いのか、意外な一面を見つつもその朱色の竜が見る見るうちに幼竜の体躯へと戻ってしまった。
甲板に倒れこんだ英雄は、起き上がりながら幼竜を抱き上げて、大鎌を携えた女に預ける。大鎌を携えた女は「あんまりパパの頭に乗っちゃダメですよ」などと幼竜を嗜めている。
その言葉に怪訝な思いを起こしながらも、目の前の男と連合相手の女はこちらに話しかけてきた。
「中々に手こずっているようだから助けに来たよ。流石に海竜相手に、君一人じゃ荷が勝ちすぎるだろ?」
「……それならば、あなた達が旗艦を襲えば良かったのでは?」
海賊船から響く笛の音のようなものは多分、竜を操っているものの正体だ。それを察していないわけではないだろう。
「なるほどお前たちルヴ-シュ軍を囮にした上で俺たちが施術者を倒すか。中々に斬新なアイデアだが……そういうのは俺は好かん」
「僕もだ。だからこうして、海竜を倒すためにやってきた」
「それで何か策はあるのかしら? 東方剣士」
アレクサンドラと共に前に進み出たカタナ持ちの剣士に聞き返すと彼は、首肯をしてから話し始める。
「君も同じことを考えていると見えるが話す。とりあえず空船を利用する。空の船ならばどんなことになっても構わない。それが海賊の損傷深いものだったらば構わない」
空船に――――目立つ「敵」を見させたうえで、おびき寄せる。その上で、火薬や可燃性の気体、粉塵などを充満させて火を点ける。
体当たりをかましてくるとしてもまだ「水素」を充満させられれば、水素爆発は可能だ。というリョウの意見に全員が瞠目する。
「つまり船自体を大きな……焼き釜にするというのですか……?」
「そんなところだ。ただ体当たりの威力次第では沈没させられる可能性は高いからな。出来るだけ手練れだけで動きたい。その他の人員は、火点けの役目として後方から火砲をぶっ放せ」
「馬鹿げてるわ……そんなことが本当に出来ると思っていますの?」
エリザヴェータとしては、そこまで乱暴な手立てを考えていなかった。無論、損傷を考えずに戦うために沈没させずに足場として残していたのはあるが、まさか船を投網にしたうえでそのまま焼き殺すなど「技術的」に不可能だ。
「出来るか出来ないかじゃないな。やるかやらないか。全員あの海蛇の腹に収まるか全員が五体満足で納まるかだ。決断するしないは戦姫エリザヴェータ・フォミナ。あなたに委ねる」
百か零か。
とんでもないことを行う英雄の発言に、戦姫エリザヴェータを始め全員が不安を覚え―――はしなかった。
「戦姫様やりましょう。仮にサカガミ卿が、旗艦を叩いたとしてもそれはもはや目の前の現状を、変える手立てではないと思います」
仮に施術者を倒して操っているものを崩したとしてもそれで現状が変わる可能性は分からないのだ。
場合によっては誰にも操れない人食いの暴虐竜がこの海域にて暴威を振るうかもしれない。一番の脅威を叩くことで、打開する。
それを進言したカテリーナ号にて戦いを共にした騎士の一人は進言した。その結果、自分が打擲を食らい死んだとしても構わない。
その位に、意思を込めた言葉を聞きながら勝算が無いわけではない。相手はこちらの竜技を無効化するものを持っているのだ。ならば、人間の英知によって全てを決した方がいいだろう。
「……分かりました。その提案お受けします。ですが私はあなたを全面的に信用しているわけではありません。信用させたければ――――行動で示しなさい」
「何の真似か……なんては聞かない。ただ一太刀で済んだらば、その時は―――こちらの提案全面的に受け入れてもらうぞ」
言うと同時にエリザヴェータは竜具を腰に差してから、隣にいた女性から長剣を受け取り抜き払う。
逆にリョウは己の剣を飛んでいる幼竜に預けた。
「舐めているんですか?」
「いいから何でも打ってこい。時間が無いんだからな」
無手となったリョウ・サカガミの姿。どう考えても一太刀では終わるまい。もしくは拳闘によって戦姫を昏倒させる腹なのかもしれないが、それにしては構えも取っていない。
半分は戦姫への気遣いと半分は目の前の勇者のその常人離れした術法を見れるのではないかという期待。
それらを思いながらも、状況は動いた。身長に差があるというにも関わらずエリザヴェータが放ったのは上段からの振りおろしだった。相手を兜ごと叩き割るほどの斬撃の程は、疾風にして大打のもの。
振り下ろされる長剣。それを前にして手が伸びた。盛大な音が響く、振り下ろしの際にエリザヴェータが移動した甲板がしたたかに叩かれた音。
その後に響く―――甲高い金属音。振り下ろした剣身が半ばから無くなり、肉を切り裂くことも骨を砕くこともなく甲板が叩かれた。
半分の剣身は、リョウの手元にあった。掌に収まる血に濡れたそれを驚愕の眼でエリザヴェータは見上げた。
「我が国に伝わる「活人剣術」の秘奥、「白刃取り」の極みの一つ「白刃断ち」力任せでは至れぬ術理。如何かな戦姫エリザヴェータ・フォミナ?」
勝鬨を上げるでもなく淡々と技の理を話すリョウ・サカガミを前に、エリザヴェータは敗北を悟る。
例え、こちらが竜具を使ったとしてもこの男は勝利を獲れる。そんな想像は夢想では終わるまい。
「リョウ!!!」
「問題ないよ。剣を握るのにこのぐらいの傷。支障は無い」
同じく淡々と心配して駆けつけたヴァレンティナに言いながら、己に御稜威を掛けて治癒を施す。
正直、強がりではあった。本来ならば技としてはこちらも無傷で済むところであったのだが、予想外の膂力を感じて刃が掌に食い込みながらも一刹那の内に砕いた。
今の怪力を見るに竜具による付加効果以外を感じるが、それ以上は特に何も言わない。
己の驕慢で怪我を負ったのだから内心での自戒はしておくが。
「戦姫様、空の船にサカガミ殿が言う準備は済ませました。如何なさいますか?」
「予定通りに、ナウム。あなたが退却の指揮をしてください。私と―――リョウ・サカガミとで囮の役目をさせてもらいます。よろしいですね?」
「是非もない」
短時間の決闘の間にもルヴ-シュ軍は、リョウの指示を実行していた。そしてエリザヴェータも目の前の剣士の提案を受け入れた。
「……あなたは何故、ここまでしてくれるのですか?」
「見捨ててほしいのか? それとも本当に協力はいらなかったか? 俺は俺の出来る範囲のことをあえてやらないほど意地の悪い人間じゃあない」
怪訝な顔をするエリザヴェータに対して、本当に余計な手出しだったかとも思うが、だがその一方で本当に断らない辺り、人格的にはいい子なんだろう。
特に我儘を言われたわけでもない。何が何でも自分だけでこなそうという気概は買うが、それでも現実を直視出来るようだ。
「余計な事だけど君が色々と秘密にしていたせいで、こっちも苦労させられた。何でもかんでも自分ひとりでやろうという気概は、この場においては失策だよ。力を貸してほしければちゃんと言う。手伝ってほしければ差しのべられた手を取る。でなければいざという時にだれも助けてくれない」
「ちなみに聞きますけど、あなたにも苦手なこととかあるんですの?」
「弓は大の苦手、不得手とか優しく言える類じゃない。だからここから海賊船長の額を打ち抜けと言われても無理だな」
「近づけても四百アルシン―――それが出来る『人間』もそうそういませんけれど……、その顔から察して嘘では無さそうですね」
今の自分はとても人には見せられない顔をしているに違いない。子供の頃からの色々な苦い思い出が頭を過ぎて、苦虫が千匹いても足りない。
そうして軽い話をしながら海竜の動きを誘導しつつ、後方に避難船が移動していく様を見てから――――、即座に動き出す準備をする。
ルヴ-シュ軍が仕込んでくれた「爆雷」の一つ目は、先程体当たりをかまされた味方の船の船首から斜め上に存在していた。ここからは百五十アルシンと言った所か。
「ティナ、いざという時には頼む。俺よりもルヴ-シュの兵士達を」
「ええ。御武運を、その後でしたら迎えに行ってもいいですよね?」
微笑を少しだけ零してから、足場を使って飛んでいく。海竜―――というよりも、海賊達は、戦姫二人と剣士一人が移動していく様子を見たらしく、吹かれる笛の音の音に従い並走してくる。
ここまで思惑通りに行くとは、思わなかった。その間にもマルガリータ号は、移動していく。三隻の船が精一杯漕ぎ出されていく。
足の早いガレー船が、予定通り動いていく。海賊船には既に矢玉も何もかも無くなっているのだろうか、投擲兵器の一つも飛来しなかった。
「損失を埋められるかしら……」
走りながら少し嘆くようなエリザヴェータの声を聞く。それも仕方あるまい。このままいけば計「四隻」の軍船が藻屑と消えるのだ。
答えずにまずは最初の船に辿り着く。既に無人になっており、人の気配は無いが硫黄の匂いが鼻を突く。
ここから先は―――釣りをするようだ。釣り針はリョウ、釣り糸は戦姫エリザヴェータ、そして釣り上げた後の「締め」はサーシャに任せる。
「―――来たぞ。手筈通りに」
緊張感からなのか、誰かの唾を飲む音が聞こえた。もしかしたらば自分かもしれないとしながらも、リョウはやってきたガレー船と海竜の位置を測ってから、海面に飛び込んだ。
真下に、蒼鱗の生物を見ながら、丁度首の付け根にクサナギノツルギを突きたてた。一撃では斬れない。剣の半分も埋まらないが、確かな肉を切り裂く感触。
痛苦に身を捩ろうとした海竜の身体に黒鞭が纏わりついた。その黒鞭が雷撃を発すると、傷口からの電気に昏倒したのか抵抗が無くなる。このまま切り裂ければいいのだろうが、先程の竜技の不発を遠くから見ていただけに、そこまで冒険は出来ない。
サーシャとの共鳴技も、海の中にまで通じるか分からぬし、発動するかも不明だ。確実な死を与えるためにも。
「引っ張れ!!!」
指示をすると同時に、海竜の身体が海面から持ち上げられる。しかし、持ち上げるといってもそれを甲板までは無理だ。
船の内部に収めるためにも、船腹に風穴を開ける。海竜全ての身体を寸分違わず入れられる穴を空ける。
首から尾までの穴を空けて船の中に収める。ここでその穴をふさぐためにも、足の早いガレー船を横付けするというのが、この作戦の要だが、その前に自分としても出来るだけのことをする。
斬った船の木材―――確かな形を保ったままのそれを再び―――ガレー船に嵌め込んだ。
(『戻し斬り』―――試してみるもんだな)
斬るも戻すも決して楽な作業ではなかったが、先程までの作戦よりは、確実性が増したと思いながら、船に爪を引っ掻けて、甲板まで飛び戻る。
「相も変わらず非常識な剣腕だね。けれど確実性は増した」
言い終わりと同時に、サーシャはメインマストに火を着けて更に甲板全てに炎を走らせていく。
同時に、次の爆雷船に向けて走った時に、ルヴ-シュ軍のガレー船が横付けさせられた。
瞬間。四つの燃える鉄球が、爆雷船を直撃すると同時に――――強烈な爆風が自分たちを襲った。断末魔の絶叫が火爆ぜる中でも聞こえて、その海面で燃える炎から血の紅が広がっていき、竜の首が水死体として浮かんだ。
「上手くいったが……威力が過剰すぎたか」
「ルヴ-シュ軍の人間達も無事なようだ……爆発に巻き込まれる前に海に飛び込んだり、ヴァレンティナの転移で逃げたようだしね」
「海竜はこっちに向かっている。この調子でいければいいんだけど―――そうなるよなぁ」
海賊も馬鹿ではない。今度は片方の舷側ではなく両側から襲わせるような指示を出している。
正直言えば、それでも始末出来そうだが、少しばかり難儀しそうだ。
そして―――今度こそ犠牲が出るだろう。
作戦の要である三人が三人ともそう認識した後に、エリザヴェータ・フォミナは、一度だけ眼を伏せてから、こちらに向き直って、決然とした面持ちで言ってきた。
「……ここまでやってくれれば、もう十分です。ありがとうございました戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィン、ヤーファの剣士リョウ・サカガミ、不才の身である私にしてくれたこの御恩、生涯忘れません!!!」
言うと同時に振るわれる雷渦ヴァリツァイフの一撃が船を二つに分けた。この船に爆雷は無かったが何かの引火物があったのか、二つに分けられた船の境界で炎の壁が、出来て自分たちと戦姫エリザヴェータを分かつ。
それはまるで、冥府に流れる河の境界にも思えて、あの雷の戦姫が何をやろうとしているのかが、分かる。
「アントニーナ号及びペトルーシュカ号の船員に伝えます!!! 必ずやレグニーツァの戦姫とヤーファの剣士を無事に陸に送り届けなさい。これは厳命です!! 私は、海竜に決戦を挑みます!!! その後は後詰のビドゴーシュ公爵の指示に従いなさい!!」
声を張り上げて、言いきったエリザヴェータ・フォミナは出来上がっていた爆雷船への道を飛んでいく。
瞬間、完全に真っ二つになった足場の船から横に並列していたガレー船。どっちがアントニーナ号でペトルーシュカ号か分からぬそれにサーシャと共に、乗り込む。
甲板に降り立つと同時に、一人の戦士が進み出て己の名と船の名前を告げた。
「ペトルーシュカ号の船長、セルゲイ・ディアギレフです。只今よりこの船は、反転をしてルヴ-シュ沿岸、もしくはレグニ」
「待ってくれ。あんな命令を唯々諾々と受けるのか?」
セルゲイの言葉を途中で遮りながら、言い募る。こちらの言葉に少しばかり、眉根を動かしながらもセルゲイ船長は語る。
「戦姫様のご命令です。何より厳命なのですから従う他ありません」
「ふざけるな。お前たちは主の命令ならば死ねと言われればそれに従うのか? 犬になれと言われれば犬になるのか? それが臣としての態度か? 答えろ!」
「……現状、これが一番の策でしょう。戦姫様が海竜二匹を始末した後に我々が本拠を叩くのが……エリザヴェータ様がこの作戦の前に言っていたことです」
「その際に出るだろう死者と生者の勘定の中に自分を入れなかったのか?」
「はい。それこそが我々が本来承っていた命令です」
櫂を漕がずに前へ向かおうともしないペトルーシュカ号とは反対に雷の戦姫は海面に浮かぶ木材なども利用し、時に鞭をロープとして使うことでどんどん進んでいく。
二隻目をもう少し近場に設定しておくんだったという後悔をしつつ、唇を噛みしめてその姿を見ているセルゲイの姿を見てから、声が掛けられる。
「ヴァレンティナの転移による救出はまだかかる。どうするんだい?」
「敵の眼を欺く。海賊共もこっちの動きを分かっているから竜をこちらに向けていない……だったらその後で、『馬鹿』を連れ戻すことぐらい容易い」
「どうやって? もう五百アルシンの距離があるんだよ?」
確かに初動が遅れたことで、もはや彼女との距離はかなり離れている。背水の陣のつもりか自分の渡った通路を砕いていく戦姫の様を見て、ならばやるべきことは一つだと思う。
「泳ぐ――――」
一言で斬り捨てたこちらの言葉に、全員が呆然としたのにも構わずリョウは、海に飛び込んで遠泳を開始することにした。
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「雷渦の閃姫Ⅱ(後)」
――――後方の船団と合流を果たそうと離れていくペトルーシュカ号の姿は、海賊、エリザヴェータ共に見えていた。
(良かった……どうやらごねずに行ってくれましたのね)
安堵を半分に、失望を半分と言った面持ちでエリザヴェータ・フォミナは、爆雷船の甲板の中央にて来るべき時を待つ。
それにしても分からぬものだ。自分の死にざまが海の上になろうとは。嘆息してから少しだけ物思いにふける。
戦姫になってから自分は自分だけでやってきたはずだった。
無論、従うべき意見があれば、それには従ってきたが……周りにいるものは、能力が高く信頼出来たとしても、自分と同じ視点でものを見てくれる人はいなかった。
先代の戦姫は随分と優秀な人間だったようだ。武官はともかく文官は、自分の能力よりも高いものを求めていた。自分と同じく「少数」の視点を持ってくれなかった。
色の異なる双眼で世界を二回「隻眼」で見てから……決意をする。例え、周りに不満があっても己の責からは逃げない。
瞳の色で世界は変わらずとも、自分の気持ち次第で世界は色を変えるはずだから――――。
「さて、では始めるとしま――――――」
瞬間、何かが海から飛び上がるように飛沫を伴いながら甲板に乗り込んできた。
「!?」「凄く驚いているのは分かるけれども、まぁ生きた人間なんで安心してくれ」
張り付いた前髪を掻き上げて、乗り込んできたものは己の素性を明らかにしてきた。
「あ、あなた何でここに!?」
「泳いできた。そして馬鹿なことをやろうとしている女を止めに来た」
ずぶ濡れの身体に服を絞っている様子は、男のいつも通りな行動にも思えた。見たことは無いが。
「ルヴ-シュ軍の最高責任者は私です。アナタは私の命令に従えないんですの」
「だから俺が来た。海の者とも山の者とも分からぬ人間ならば君があれこれ気を回さなくていいだろ。最初にも言ったが……何でもかんでも自分一人でやろうとするな。今の君には助けが必要だろ」
青年は、海竜の速度よりも早く海を泳いできたと言う。疑問は尽きぬが、それでも先程までの失望が無くなる。少しだけ嬉しい気持ちもある。
「二体を倒す術……ありますの?」
「君の
「私のヴァリツァイフで動きを止めるというの? その前に体当たりを仕掛けられたらどうするの?」
「その時は、二人そろって海の藻屑だな。その前に海竜の腹に収まるか、まぁどちらにせよ楽しい未来ではないな」
速さが肝要だ。というこちらの意見に頷くルヴ-シュの戦姫。エリザヴェータ・フォミナに言うが早く海竜はこちらの両舷側を漂う。
先ほどの轍は踏まないという意識が見えてくる。しかしながらそれは敗着の一手だ。船縁を飛び、眼下にいる竜の頭上に飛ぶ。
鎖環で武装した「鎧竜」は上に向けて口を開いた。落ちてくる間抜けな獲物を食らう意図だろうが、それをリョウは裏切った。
空中で回転をして頭から背中に飛び、その身体に―――鎖を避けて剣を突きたてた。身を捩って抵抗する海竜だが、それに負けじと、先程よりも深く剣を突きたてる。
眼が眩むほどの衝撃を浴びながらもリョウは、斬撃を身体に落としていく。再生力も考えて深く深くされど正確に斬を放つ。
身体の半分までを切り裂いた時点で耐えかねたのか、海竜は海に潜った。この小さき生物が海の中では呼吸出来ないことをしっての行動だ。
なにくそと思いながらも、決して離れはしないという思いで、柄を押し込んで足場の安定を図る。この剣に捕まっていれば問題は無い。
そして、ここからが本当の釣りだ。エリザヴェータの黒鞭が黄色く発光しながら、水中に潜り込んできて軟体生物の触手のように海竜に巻き付いた。
最後に先鞭が、自分の剣に巻きついて身体の内部に電撃を送り込む。同時に勾玉を雷に変えていたお陰で、その効果は一層極まって、海竜を感電死させた。
しかし、生き残っていた一匹は、仇討のつもりかそれとも電撃に気付いたのか水中にいる自分、焼け焦げた海竜の身体に乗っているこちらに突進を仕掛けてきた。
逃げるにせよ立ち向かうにせよ剣を引き抜かなければならない。そう思って剣を抜いた瞬間に、黒鞭が自分の身体に巻きついて水中から引き揚げていき、間一髪のところで竜の頤から逃げれた。
海の青の後に空の蒼を見ながら受け身を取るべく下を確認するとそこには戦姫エリザヴェータの安堵した姿が。
「死体を引き揚げなくてよかったですわ」
「そういうことか――――――ッ」
甲板に着地すると同時に、大きな振動が自分たちを襲った。自分を釣り上げて少し力を使い果たしていたのか、よろめいたエリザヴェータの腰を手で支える。
「二体目も同じくいきたいが……、もう船が砕かれたな」
足場を気にせずに戦うことは不可能ではないが、失敗すれば終わりだ。俺一人の命だけで済むのならばどうとでもなるが、今この場には守らなければならないものがある。
「……最後にいくつか聞いてもいいかしら?」
「最後とか不吉なことを言うな。まだ手はある―――」
と言いたかったが見ると状況は悪化していた。
死んだはずの海竜達にまで有効なのか、死体となり邪竜となったものが生き残りの海竜に加わり三匹の竜が、この船を周回して食らいつく瞬間を待っている。
しかも……かなり離れている。それはエリザヴェータの鞭が届かない範囲だろう。「詰みだな」という言葉が心中に出てくる。
ヴァレンティナの救助を待つのみかという気持ちで腰を甲板に落ち着かせてから彼女の言葉に答える姿勢を取る。
倣うように彼女もスカートの裾に気を付けながら甲板に腰を落ち着かせてきた。
「アナタは……何故そこまでして私を助けたがるの? 人質といい今回のことといい……」
「俺にとっては女が死ぬという現実は何よりも耐え難い。それを回避出来る方法を俺が持っているのならば、別に躊躇う必要は無い」
侵略だのなんだのという他意は無いとエリザヴェータに言いながら、彼女の瞳を見る。今更だが彼女の瞳の色は左右で違っていることを認識した。
「女性が死ぬことが耐えられないの?」
「お袋が死んでからだな……色々と苦労していたというのに、それを表に出さずに死んでしまった。だからかな……最初は君を助けたいとは思わなかったけれども……お袋みたいに苦労している女を助けないわけにはいかない」
「無理しているように見えました?」
頬を一掻き、髪を一掻きして赤くなっているエリザヴェータ。
ティナの人物評価とかを真に受けていたわけではないが、何というか普通の子だなと思えた。
肩肘張り過ぎた生き方は、この子には似合わないとも思える。だがそれでもそんな生き方をしなければいけない理由は何となく分かる。
「ティナでもサーシャでも同輩に協力を求めるのを嫌がっている風だったからね……同輩というには少し年上なのかもしれないが、他の戦姫には君と同年代いるんだろ?」
「……白状しますけど、私は友達が少ないのです。友達は欲しいですけど、何というか上手くいきません」
「その眼か」
間髪入れずに言うとエリザヴェータ・フォミナは、片方の目を手で覆いながら少し陰に籠った声でエリザヴェータは言う。
「ええ、今はそんなに関係ありませんけど地位が上がっても、誰かとの関係が上手くいくとも限りませんね」
その人の人間性を知らずに外見的な特徴などで、相手を敬遠する。そんなことはどこの国、地域でも変わらぬものだ。
自分もそんな風な経験あったし、何よりそんな相手と接することも多かった。エリザヴェータ・フォミナの話を聞きながら、思い出すは故郷でのことだった。
『坂上の若殿は鬼の血が濃い―――』
そんな陰口をたたかれることもあった。だが、自分の周りにはそれ以上に友が多かった。
何よりも、正式にお仕えすることになった時にも言われた。陛下―――咲耶の言葉が耳に蘇る。
『幼時の頃より知っていたけれども、あなたがそんな風だったなんて初めて知りました。リョウがそんなことを気にする必要は無いです。生まれや血だの出来る出来ないだけで人を区別することは、私の治世においてはもっとも愚か―――』
求められるのは、己の人間性と力のみ。力だけでは心は歪になり、心だけでは何も守れない。
『リョウ、あなたの力と心を私に下さい―――』
そうして捧げていた「刀」と「魂」をこの地に向けろと言われた。
「君は随分と繊細みたいだが、自分が思うよりも他人はそんなことに関心を抱かないと思うぞ。地域によって差はあろうが、それでも……まぁ誰か信頼できる相手の前でぐらい普通の女の子でいても構わないと思う」
思い出すは初めて会ったとき、山の中で「サクヤと呼ぶがいい!」などと敬意を求めない感じで言ってきた女の子だった。
「ならばリョウ・サカガミ、その……私と……」
「サーシャとティナとの仲を取り持つぐらいはするぞ」
中でもサーシャは三人ぐらいの戦姫とそれなりの友誼を結んでいると聞くので、悪い友人を作るよりはよかろうと思って提案したのだが、彼女は意気込んだ様子でこちらに食って掛かる。
「違いますっ!! 私には領地経営などでの相談できる相手がいません。そういうわけでヤーファからのご客人であるあなたは私と友人になってもらいます!! いいですか!? 返事は「『はい』、もしくは『応』」で!!」
「逃げ道が無い……こんな一方的な交際申し込まれたの初めてだぞ……というか近い、近い」
勢い込んでこちらに近づいてきたエリザヴェータ・フォミナの顔の美しさも然ることながら、その紅の髪の豊かさに見とれる。
そして何より自分の胸板に当たる胸にどうしてもエリザヴェータ・フォミナにいけない感情を抱いてしまいそうになる。
そんなティナに見られたならば「刈り取られたいんですか?」などと怖い笑顔で問いかけられそうな場面の終焉は、遂に痺れを切らした海竜三匹の突撃によって訪れた。
「こりゃ覚悟を決める時だな……」
「最後にもう一つ聞いてもいいかしら?」
「いくらでも聞け。俺の命運は尽きようとしているんだからな」
「私の瞳を見てどう思いました? 素直に言ってください」
「そんな人間もいる。それだけだ」
正直言わせてもらえば、自分の元職場には色々と『びっくり人間』ばかりだっただけに眼の色云々などどうでもいいのだ。
陛下など『見ろリョウ、私の眼を左右違う色に輝かせられるのだぞ。すごいと思わないか!?』と言ってきたので『人間一人、五体満足に二つの眼しかないのです。それで遊ぶんじゃありません!!』と何故か自分が彼女を怒る羽目になった。
「むぅ………」
「君は眼に関して褒められたいの? それとも蔑まれたいの?」
「邪険に扱われるのも嫌ですけど、常のものとして扱われるのも嫌なんです」
特に自分の領地では吉兆のものなのだという彼女に対して、「めんどくさい女」という感想が出かかったが、何故か彼女は笑っている。
何かおかしかったのだろうか。
「ごめんなさい。まさかそう返してくるとは思わなかったから……あなたの故郷では私の眼は特に珍しくないのね。私もヤーファに生まれたかったです」
「その場合、俺は叱らなければならない女が二人に増えるから勘弁してほしい。まぁ猫にはまれにある瞳の色だな」
金目銀目の猫は確かに吉兆を呼ぶものだ。そういう意味ではヤーファとルヴ-シュは似通った地域なのかもしれない。
となれば吉兆を呼ぶものを死なせるわけにはいかない。せめてティナが来るまでは時間稼ぎをしなければならない。彼女だけでも守る。
そうした想いは――――エリザヴェータも同様だった。今までは自分の命一つで全ての人間を守ろうとしていた。
それは自分の誇りを賭けたものであり、自分などいなくても後に代わりは出るという捨て鉢な想いもあった。
幼少期に自分を助けてくれたのも傭兵であったが、この歳になってからの自分を和らげさせたのも、傭兵であった。
この青年ともっと話がしたい。自分のことをもっと知ってもらいたい。
死にたくない。もっと生きていたい。先程までの自分の想いを捨て去るほどに、この青年と話がしたいという思いが出てくる。
強い想いに応えたのか――――握りしめたヴァリツァイフが黄雷を自然発生させて、甲板に落ちていく。それだけで誘爆しそうであったが、その前にクサナギノツルギが黄雷を纏め上げている。
既に自分の頭には響きつつある声、どうやらまだ彼女との信頼とか情とかが自分と繋がっていないようだ。
利用するわけではないが、彼女の想いを引き出すためにも、リョウはとにかく艶っぽい言葉を吐くことを「強要」された。
「エリザ「リーザ、いつまでもそんな風に長い名前やら君だの呼ばれたくないので、これからは私をそう呼ぶことを許可します」―――リーザ」
「なんでしょうかリョウ?」
「君は、絶対に死なせない。ヤーファの騎士……サムライは『姫』を守ることを至上の命題としているから、君を守る」
彼女の金目銀目を見つめながら語った言葉に嘘偽りはない。だが少し恥ずかしかった。しかし―――反応は即であった。
雷の勾玉が反応を示し、刀身を倍以上にまで延伸させる。そして、己の身体に戦鬼と称された先祖「温羅」と同じく八種の雷神器が装着される。
リーザもまた己の頭に響く声に反応して、軟鞭を天空に掲げて直立させ硬鞭となる。「
天空より落ちる雷が船を砕き石を頭上から落とされ散逸する魚のようになろうとしていた海竜達は、動けなくなっていた。
不可視の力により海から中空に持ち上げられていく様は遠くにいる敵味方問わず全ての船員達が見ていた。
輪のように閃雷が舞っている。その輪に捕らわれているのが海竜であり、そして輪の中心にいるのがリーザとリョウだった。
もはや動くこと叶わぬその様を前にしても戦姫と戦鬼は容赦しなかった。
戦鬼は雷の神剣に己の四肢から発せられる雷を載せて斬突を生きている海竜に雨霰と放ち、戦姫は己の持つ硬鞭に己の雷気を載せて斬打を肉ある死んだ海竜に凄烈に放った。
黒環と鎖ごと焼き叩き斬る様は、それを託した相手からしても恐らく驚きであったはずだろうが、それは今は関係ない。
完全に死んだ竜を戦の神への生贄とした後に、海に落とす。10アルシン下へと落ちた竜の後を追わせるかのように骨だけの死んだ海竜を落とす。
『神薙神威・建御雷神』
言い終わると同時に、逆手に持った剣と硬鞭を手に勢いよく落ちながら10アルシン下のボーンドレイクに対して、突きたてた。
苦哭すら上げられぬほどの威力と死者すら消却する冥獄の雷が海上を光り輝かせて、その後には海竜がいたという痕跡は全て無くなっていた。
ただ一つだけ証拠を上げるとすれば、その瞬間。雷が当たり海面で燃えていた船が、完全に沈没を果たしてその上空には白雲から雷が数刻放たれていたことを全員が見ることとなる程度――――。
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「鬼剣の王Ⅰ(渦中の人達)」
これからも、この作品及び他の無淵の作品をよろしくお願いします。
――――最初に見えたのは、光であった。まるで自分を包み込んで癒すかのようなそれは、いつも願っていたものだ。
その光の向こうに自分と同じく赤い髪をしている角を持った青年の姿を見る。
幼い頃から願っていた何者にも負けぬ光。その姿を紅玉の剣士に見た時もあったが、だが目の前の人物は自分以上に異彩を放っていた。
何かが見える。隣に立つ黒髪の女の子。女性と言うには幼すぎるその人の手を取り微笑みあう姿。
手から雷を放つはずだったその手を握り合う彼らの姿を見た後に、何かが聞こえた。それはお互いの名前だ。
アズサ、ウラ……フタバ。この辺りの言葉ではない名前を言い合う彼らの姿はとても仲睦まじいものは唐突に見えなくなった。
何かの幻視は終わって、本当の意味での目を見開くと、そこには彼らの姿は無く人質とされていたルヴーシュの貴族の娘……アデリーナが心配そうな眼を安堵のものに変えてこちらを見返していた。
「よかった。気が付かれましたのですね戦姫様」
「ここは……?」
どうやら自分は眠っていたようだ。着替えをさせられたのか、いつものドレスではなく、女物の平服を自分は着ていた。
そして敷物があれども、ここは船内ではなく甲板のようだ。つまり船の上に自分はいる。そして掲げられた旗から察して、ルヴ-シュ軍の船であることは間違いないようだ。
「アデリーナさん。私はどうして……! あの人は!? サカガミ卿は……!?」
自分の無事は確認出来た。だが同じく行動を共にしていた東方剣士の無事は確認出来ない。周りを見返しても人の壁があり、何人かが動いているのみであり
まだ起き上がることが少し億劫な自分では現在の状況が確認できない。
「………命の危険にさらされています………非常に危険な状態です」
「そんな……」
こちらの質問に対して眼を伏せて、悲しげな様子でいるアデリーナに対して絶望的な思いが湧きあがってしまう。
まだ色々なことを話してみたかった。自分の話し相手になってくれると思ったというのに、彼と同じく自分も少数の犠牲を容認できない人間だったのだ。
だから――――リーザともっと呼んでほしかったのに、その願いは無残にも散らされそうだった……のだが、何やら騒がしい。
ざわめいたとでも言えばいいのだろうか、何か凄く船が盛り上がっている。
主人である自分の無事を見たのもいるが、それは少数であり人だかりの中心にどうにも皆が注目している。
「…………って! なんだってこうなるんだよーー!?」
「自分の胸に問い質してみるんだね!!!」「理解したからといって納得できるとは限らないんですよ!!!」
……という、どうにもどこかで聞き覚えのある声と共に何かが打ち鳴らされる金属音が聞こえた。
そしてそれは人だかりの中心にて聞こえる。二本の足で立ち上がるも、どこかおぼつかない。その様子を見たアデリーナが肩を貸してきた。
「ご自愛ください。あなたは海の中で溺れていたのですから、まだ体は本調子ではないはずです」
「すみません。お手数お掛けします」
「そこまで畏まらずとも……」
そうして、何とか人だかりを割って皆が見ているものを自分も眼に収める。そこには――――。
戦姫二人の竜具を剣で受けて鍔迫り合いをする侍の姿だった。
一進一退の攻防は中々にいい勝負だ。いい勝負ではあるが……どういう状況だ。
それに対して何故か全員が騒ぎ立てている。これが原因かと思うと同時に、何故こんなことになっているのだろう。
「ですから言いました。『命の危険にさらされている』『非常に危険な状態』だと」
「想像していたのと違うのだけど……」
だが同時にイイ性格しているなと自分に肩を貸す女性に対して、感想を漏らす。
しかし自分を不安な気持ちにさせたことに対して、反感を覚えもする。
「よろしければ、こうなった原因をご説明させていただきますけど、よろしいですかエリザヴェータ様?」
「……お願いします」
何だかこの人も少し怒っている。と感じつつも、この状況を説明させてもらうためには、この人に頼むしかないと思いお願いした。
そうしながらも、戦姫二人の悋気を受け止める侍の苦労は終わっていなかった。
† † † †
三匹の海竜は消滅した。完全なまでの勝利を収めた。その感慨に耽る暇も無く、喉に塩辛さを感じた。
海水を飲んでいると認識した後に上を目指す。方向感覚が分からなくなるほどに弛緩した身体だが、とりあえず己の無事を確保しなければならないと思った矢先に、下の水底に眠るように堕ちていく紅の髪を持つ少女の姿を見る。
自分とは違い完全に意識を飛ばしている。ヴァリツァイフは己を発光させてこちらに助けを求めているように見えた。
水を蹴り、彼女の下へと急ぐ。下には岩などの漁礁が無く砂だけだが、それでも安心は出来ない。己の呼吸を計算しながらも習った泳法でエリザ……リーザの下へと急ぐ。
その豊かすぎる髪が水中に漂う様は幻想的で、伝説に語られる人魚や乙姫などを思わせるが、そんな感想を出す暇も無く彼女を救出すべく急ぐ。
足を動かし何とか彼女の身体を捕まえると、ヴァリツァイフは安心したかのように発光を終えた。
こちらとの接触で意識を取り戻すかとも思えたが、意識は依然ない状態だ。急いで海面に顔を出さなければならない。
(南無三)
祈りをすると同時に、光の方へと向かっていく。それまでに何も苦難が起こらないでいてほしい。
そうして海面に出ると同時に荒い呼吸をする。予想外に身体は疲労していた。そしてリーザの身体も筋肉の状態から極度の疲労であると感じた。
荒い呼吸を終えてから周りを見渡す余裕も出ると、この哀れな遭難者を見つけてくれる船は無いかと目を向ける。
万が一、海賊船がやってきたならばリーザを抱えてでも全員を殺すという意思でいたのだが、幸運は過分にあったようであり、左を見るとマルガリータ号がこちらに来た。
「戦姫様~!サカガミ卿~~!」
こちらに気付いたらしく船縁から身を乗り出して、こちらに手を振っているのはあの時助け出した人質の内の一人だ。
良く考えていれば、あの時リーザの傍にて長剣を差し出したのも彼女だったか。
(保護された後に従軍をしたのか、剛毅な女だな)
今更ながら、ジスタートに生きる女性は誰もが強いんだなと思う。そうして櫂に気を付けながら、こちらまで船を寄せてきた。
縄梯子が下されて、力を振り絞る。片手でリーザを抱えながら、片手で縄梯子を昇っていく。その速度は驚くほど速かった。
もっとも殆ど無意識の呼吸での動かし方だったので速度など認識出来なかったが、およそ人間一人を抱えた状態での運動力ではないと船員全員が認識していた。
「エリザヴェータ様」「戦姫様!」
「呼吸をしていない。外傷こそ無いが……とにかく手当を……」
見ると既に用意されていたらしく甲板の中央部。一番陽光が当たる場所に簡易的な寝台が用意されていた。
着替えはともかく今は脈を取ることの方が重要だ。従軍医師は他の船に折り悪く乗っているらしく治療は自分たちでやらなければならない。
横たえると同時に、戦う姫という異名にそぐわぬ細い腕を取り胸の辺りに手を当てる。
「脈はある……心臓も鼓動している……息だけが無いか……」
「休まなくてよろしいんですか?」
「まずは彼女の安全が優先。リーザの状態は俺のせいみたいなものだ」
鼻と喉を押さえると同時に、そのリップを施したわけなく紫色になった唇に口を着けて酸素を送り込む。
心臓が動いているのは確認している。後は呼吸のみだ。そんな意識で救命活動をした時に周りにいる騎士達が狼狽したのだが、リョウも疲労をしていて、そんなことに気付くことも出来なかった。
彼女に何度も呼吸を送り込み六度目になって―――。
「―――ごぶっ!」
咳き込んだように海水を吐き出した。すぐさま寝違えないように首を横にして海水を全て吐き出させた後には、リーザは自発呼吸をして正常な寝息を立てる。
その顔に張り付いた前髪を払ってから彼女の顔を見て、全身が脱力していくのを感じる。
「着替えは頼む―――――、俺は少し休ませてもらって構わないか」
安堵が全身を包むと同時に、太陽の暖かさで甲板に足を投げ出して休みの体勢を取る。
「しょ、承知しました…………」
少しだけ頬をひくつかせながらも船内に、着替えを取りに行った貴族の娘の姿を見た後に、甲板に寝転がる。
「―――――今ならば俺を殺せるぞ」
「それをすれば私共は戦士としての礼儀を失した上に、レグニーツァ軍に報復を仕掛けられるでしょうな」
第一、「眠り姫」によって首を刎ねられるだろうというナウムという「眠り姫」の副官は答えてくる。
冗談ではあったが、いっそのことそんな風に警戒されるだけのことをされたかったのだが、そんなことは無かった。
そうして青空と太陽を仰いでいたのだが、メインマストの尖塔。そこに二人ほどの人影が見えた。
どうにも見覚えあるものであったが、完全に弛緩しきった頭ではそれ以上の思考は無理だったのだが、鮮明になっていく度に嫌な汗が背中を流れていく。
「君のエザンディスの転移って移動先自由じゃないのか?」
「目測を見誤ることもあります。そこまで便利に思われましても困りますよ」
上にいるというのにそんな風な会話が聞こえるのは、全員がそこに注目していたからだ。
そしてその帆柱を倒してどこかに行くわけもなく下に降下してきた二人が自分の顔を覗き込む。
「……どの辺から見ていた?」
『人工呼吸四回目の時から♪』
声も表情も全てが怖い。たとえどんなに人命優先だとはいえ、これは彼女らにとってはどうにも許せないことだったのだろう。
一刹那後にはマルガリータ号の甲板に双剣と大鎌が、突き刺さった――――。
◇ ◆ ◇ ◆
「そしてその後、あの大立ち回りが起こっております。いつの世でも女の嫉妬が争いを起こしますね」
伝えられたことを聞いた後に、エリザヴェータは己の唇に手を当ててそこに残っているかもしれない温もりを探っていたのだが、肩を貸している女性から少しだけ冷たい視線が寄越される。
「あ、あのどうかしましたか?」
「いえ別に、そんな純で乙女な顔をされると私としても嫉妬してしまいます」
「アデリーナさんも、もしかしてリョウのことを……」
「海賊共から私を助けてくれた男性に対して特別な感情を抱いて、何か不都合ありますか?」
無表情に見えて、頬を赤らめる彼女を見て
公的な立場に則るならば、彼女の行為はあまり褒められたものではない。
何せどう言ったところでリョウ・サカガミという傭兵はヤーファからの異国人なのだ。彼女の生家、すなわちジスタートの公職にあるものとしてもそういったことは、色々な禍根を残しかねない。
しかし、そういったことを言うほどエリザヴェータも無粋ではない。第一、自分が言うこと自体、本末転倒だ。
(これでもしもリョウが記憶喪失で、ただの卓越した剣技を持った素性不詳のヤーファ人だったらば、一も二も無く雇っていたところです)
その時の出会いでも自分は彼を友人―――以上の男性程度には見るはず。そんな風な「あり得ない出会い」を想像してから、とにもかくにも目の前に広がるそれを止めるために黒鞭を振るう。
鍔迫り合いをしていたリョウの身体に巻き付かせ、一挙に引っ張ってこちらに引き寄せる。攻撃を空かされた二人は身体をこちらに向けて険しい視線を向けてくる。
いくら同輩とはいえ年上の女性だ。まだ十七歳の小娘にそれは正直厳しかったが、エリザヴェータはこの「御局」共に勝たなければならないのだ。
と……若干失礼なことを思いながら口を開いた。
「『ウラ』は私の命の恩人です。たとえそれがあなた達であっても、危害を加えること私が許しませんよ!!」
「何処でその名前を………!?」
抱き寄せて捕まえた彼は、驚愕した表情をこちらに向けてきたが、それに対して今は多くを語らぬ微笑で以て返しながらその後には彼女らを睨む。
「ウラ? 何の話ですか? その人はリョウ・サカガミ、ヤーファの剣士であり現代のサーガに謳われる勇者にして私の伴侶です。変なこと言って誑かさないでください!」
ヴァレンティナの言葉に同調したかのように、飛んでいる幼竜が悲しげな声を上げている。まるで親を引き留める子供のように本当に切なげだ。
「その東方剣士は、レグニーツァが雇った傭兵にして僕の恩人である坂上龍だ。彼が望むならば僕の身体も差し出す位に恩義を感じている。だからその無駄な脂肪を後頭部に押し付けるな!」
サーシャの言葉に同調したかのように、朱い炎と黄金の炎が吹き上がり、若干やっかみのような想いが嫉妬のように燃え上がった。
一触即発。とはいえどちらも決闘のお題目としては馬鹿らしいもので、ルヴ-シュ兵は例え主であっても味方をする気にもなれなかったが、戦姫二人と戦うかもしれない主の動向を見守る。
海賊共を完全討伐していないというのに、こいつら何やってるんだ。という空気を読んだのかリョウは、エリザヴェータから離れて彼女らの対峙の中央にて両者を手で制した。
「待て待て、三に……四人とも武器を収めろ。今はまだ戦闘中だろ。ティナ、サーシャここはルヴ-シュ軍の船なんだ。一応俺たちはお客なんだから静かにしていよう。リーザとアデリーナさんも騒がせて申し訳なかった。けど、俺はレグニーツァの傭兵だからそこまで礼を重ねなくていいよ。雇い主から勝手に動いたのは俺だし、気持ちは嬉しいけど彼女らの懲罰は当然なんだよ」
上手い―――。四人の乙女たちとは別のマルガリータ号の船員達はこの男の話術に舌を巻く思いだ。
お互いの立場や礼節を再認識させることでお互いに牙を強く出させないための話し方であるが……見方を変えれば、気の多い男のその場しのぎの言い訳にしか聞こえない。
そんな風な哀れみと嫉妬の半分ずつを東方剣士に向けながらも事態が円満に収まることを願う。最初に動いたのは、エリザヴェータ曰く「御局」達であった。
「……申しわけなかったね。ただ……一つ言わせてもらうならばそこの銀髪の人に人工呼吸をやってもらうっていう選択肢もあったんじゃないかい?」
「女の唇に遠慮が無かったと今は思う。けどリーザが気を失ったのは俺の責任だったから、その時は俺自身の手で救い出したかったんだ」
拗ねるような声で言うサーシャに、確かに今考えればそういう選択肢もあったと感じるが、緊急事態だったからゆえだろう。
「『温羅』、あなたの想い嬉しいです。けれどあなたはレグニーツァの預かりだったこと忘れてはしゃいでしまい申し訳ありません。しかし、この御恩は忘れませんし、交わした友誼も覚えておきますわ」
「君に必要なのは、同性の友人だと思うけど、それでも俺で良ければ話し相手になるよ」
胸の前で手を合わせて言ってくるリーザに想われて悪い気もしないし、彼女が何故俺の『隠し名』を知っているのかということに関しても、色々と聞きたいような気もするが。
今は……置いておこう。何でもかんでも気を回しても散漫になるだけだ。そうして残った問題に対して、向き直る。
「それでどうします? エザンディスで転移しても構いませんけど」
「ビドゴーシュ公爵という人物はどんな人なんだ?」
海賊船三隻と戦闘に入っているジスタート国軍の指揮官の人物評価を聞くことにする。
もはや虐殺の体すら見せつつあるも、抵抗も無く白旗も無く波に漂う船に長距離兵器が吸い込まれていく。
「武勇に文治に優れていますが、少しばかり短慮な方ですね。そして王位継承権はかなり高いです」
「……君と同じかな?」
言わんとすることを理解したヴァレンティナは微笑を浮かべながら言ってくる。
「さぁ? ただ相応しい相手でなければ膝を折るということをされないプライドが高い殿方にも思えますよ」
ティナはやはり人を良く見ている。その人の能力や性格を完全に掴んでいる。
謀略家であるのは理解しているが、俺の前で俺以外の男のことを……こう……少しだけ嫉妬もする。
「私も嫉妬したけれど、あなたも嫉妬するんですね。嬉しいですよ」
「別に嫉妬したわけじゃない。他国の人間に「はいはい。そういうことにしておきましょう」―――」
猫のような顔をしながら、こちらの苦い顔を見てくるティナから目を逸らしつつ、敵船に眼を向ける。
しかしティナはまだ言ってくるので観念する。
「ならばビドゴーシュ公爵=イルダー・クルーティスに己の力を見せつければいいんです。そうすれば私の下した人物評価に「ただしリョウ・サカガミより劣る」と付け加えますから」
「君ってどちらかといえば悪女の類だよな。まぁそんな人間こそが俺には必要なのかもしれない」
どう考えても操作されていると思いながらも、それに抗するだけの力がありつつもそれに抗しない。
ある意味では野心的な人間でなければ自分は何も出来ないとも理解しているから――――。
「んじゃ、今回の次第を聞くためにも黒ひげは生け捕らなきゃならないな。ティナ、海賊船の旗艦まで転移頼む」
「仰せのままに―――
再び、何やらこちらに言い募ろうとしたサーシャの声に二人ほど加えながらもティナによる転移は、滞りなく行われた。
一瞬の浮遊感の後には、同じく甲板に降り立つ周囲を見回すと、そこかしこに矢やめりこんだ巨岩や樽弾の類によって滅茶苦茶になっている。
古戦場―――という表現が似合うほどに壊されつくした船に生きるものは、ただ一人だった。
ジスタート水軍も、怪訝に思ったのか攻撃を中止している。当然か、何の抵抗もなく逃げることもしないのだ。何かの罠を勘ぐっても仕方ない。
だが船室から現れた男が一人。左手に酒瓶を持ちながらやって来た『海賊』らしい格好の男。
面識こそ無いが、それでもこの男だと理解出来た。
「あんたが黒髭か?」
「そうだ。どうやら本当だったようだな。最初は部下の見間違いも見当していたが、本当に貴様だったとはな」
こちらはあちらを知らないが、あちらはこちらを知っている。
名乗りがいらないことは幸いだ。何よりこの男は既に「諦めている」。
「この船にはお前以外の生きるものはいないな。度を越した屍術の使いすぎは、お前の周りにも降りかかるのさ」
「このような副作用があると話さなかったのは俺を利用するためだったな。いいだろうさ。尋問されるぐらいだったら全部語ってやる」
言うと同時に、右手が腐り落ちる。既に半分この男も死につつあるのだろう。そして三隻にいた人間達は黒髭のしっぺ返しを諸共に食らって、既に死に絶えたのだろう。
そうして死につつある男の喉から怨嗟混じりの告白が続けられる。
自分たちにこれらの武器を与えたのが普通の「若者」にしか見えないバンダナを着けた人物であり、その男は不気味な気配を与えていたとのこと。
海竜もまたその男から譲り受けたものだと言ってくる。
「考えてみれば色々と今回は不可解なことがありすぎた。アスヴァ―ルの軍船はともかくムオジネルの商船の人間は乗り込んだ時には殆ど死んでいた。奴隷や人足を得られたのも全て裏で糸を引いていた連中がいたんだろうさ」
「それを不審に思わずにここまで来たという時点でお前の敗着だ。まさに悪魔に唆されたな」
「一番の悪魔はお前だリョウ・サカガミ。少なくともお前さえいなければ二つの領地は手に入れられた……いや、それもまた天運か。エリオットとジャーメインのどちらにもアスヴァ―ルを統べる天命がないようにな」
皮肉と共に手に持っていた酒瓶を煽るも、喉に血が出ない穴が出来てそこから酒が零れる。もはや残された時間が少ないものの、酒の味だけは残していきたいのか。
「何にせよ……俺は負けた。戦姫にではなく、東方より来た悪魔によってな」
悪意を隠さぬ言動だが、既に声も枯れつつある。そして、片手で腰のサーベルを抜き払い、何をするつもりなどとは言わずにこちらも構える。
「最後に言い残すことはあるか?」
「無いな。ただかつて仕えていた主家の為にも……貴様に傷を着けてやりたいものだ!」
言葉と同時に、酒瓶を投げ捨てて、走りながらサーベルを振るおうとするそれを前に、リョウは前に出ながらの居合抜きを放つ。
黒髭フランシス・ドレイクとて騎士として剣の覚えはあり、それなりの使い手ではあった。
だが剣と剣の戦いとは即ち、理による叩きあい。偶然やら運やらが絡むこともあれども、それらが介入しない場合にはより高度な理によって叩き潰される。
そしてフランシス・ドレイクにはそれが無く、水飛沫のような輝線が走ると同時に、首と胴が離れるという現実が突きつけられた。
「見事」
言葉を最後に、砂になって風と攫われていく。胴のいた場所には怪しげな気を放つ宝珠が落ちた。
「これが……」「死者操術の玉……」
ティナの呆然とした言葉を聞きながらも、鬼哭の刃を下にして、その宝珠を砕いた。
瞬間、全ての人間の魂が解放されたかのように思える一陣の風が吹いて、後には、これまた砂粒のような粒子に変じて宝珠も風に攫われた。
こうして―――全ての悪夢は、終わった。
「それでどうしますか? この後の処遇は」
「取りあえず。三隻の船は沈めた方がいいな。如何に死霊を解放したとはいえ、船に残る残念が新たな死者を呼ぶ可能性もある。沈めた上でここの神官・巫女達に、魂鎮めをさせるのが献策だな」
「ということは……ようやく終わりましたのね」
「ああ。ただ……プラーミャの親の仇を取れなかったのは残念だ」
安堵の表情を見せるティナに言いながら、未だにこの地にいるだろう敵の姿が見えないことに焦りもある。
だが、急いては事を仕損じる。まずは一歩ずつだ。
――――その後は、主に語ることは少ない。レグニーツァ軍とルヴ-シュ軍の損傷著しいこともあってか、海賊の本拠地。
ジスタートよりも遠洋に位置する場所を知った国軍に後処理は任せた。
本拠地である群島諸島はアスヴァ―ルやブリューヌの領海にも跨る可能性があり、いずれは領有権問題も出てくるだろうが、一先ずはそこを制圧し、拠点化せねばならない。
イルダー・クルーティスなどは、敵がいないことに不満を言っていたそうだが、軍の目的は本来こういったことなので粛々とやるはず。
不満だったのは恐らく俺と競えなかったからだろう。場合によっては排除も目論んでいたかもしれないが、イルダーは武人としてただ単純に剣を競いたかっただけに思えた。
そして今回これだけのことをやったのだ。ジスタート王宮にいずれ自分は召喚されるはず。その時にはサクヤの渡してくれた書状をアスヴァ―ルの時と同じく見せるだけだ。
三隻の船は火砲で沈没させた上で、簡易的ながらも念仏を唱えて死者の魂を鎮めた。信じている宗教は違うからどれだけの効果があるかは不明だが、とりあえず簡易的に行った。
戦利品は捕まえた海賊の奴隷化などを除けば、大きなものとしては投石器と火砲だ。これまた所有権問題が出てきそうだが、ルヴ-シュとレグニーツァの職人達は優秀だ。
模倣は可能だ。火薬の製法もご丁寧に見つけたらしく、半年以内には量産化できるだろう。
そしてリプナの街に戻ると同時に――――――。
住民たちから熱烈な歓迎を受けた。近海を荒らしまわっていた海賊が完全に討伐されたのだ。嬉しくないわけが無い。
そして小さいながらも被害が出たが、概ね犠牲者なしの大勝利と言っても構わないのだ。
ルヴ-シュの方は違うだろうが……それは今後のリーザの手際にかかっている。
「で、何で俺は……ここにいるんだろうなぁ」
「宴に参加したいのは僕も同じだ。けれども今は、色々と事情説明をしてほしい」
「私も同感です。ヴァレンティナにだけそういうヤーファの神話事情を説明して何故私達には言わないなんて選択がありますか?」
リプナ「市長」―――ドミトリーの執務室にて、何故かまたもや尋問というか一種の質問攻めを食らう羽目に。
しかも今回は戦姫三人である。逃げ場は無いと見て間違いないだろう。昼間を過ぎて夕刻へと向かおうとしている時間。
何故かこのリプナへの帰還にルヴ-シュの戦姫は着いてきた。それ自体は構わないのだが……。
(いや、構うか)
まだ色々と処理が残っているだろうに余所の領地に押しかけてきていいわけがないのだ。どんな言い訳をしたのかは分からないが、まぁとにかく紅髪の戦姫はここにいた。
とはいえ自分も彼女に聞きたいことはある。そういう意味では武官であるナウムやアデリーナさんには少しだけ同情もするが、それは些末事だ。
「まずは……ティナとの……あれらの技に対する固有名詞を着けないか?」
「竜技とは似て非なる『技』……あれらはリョウの故郷の神々に関するものなのですよね? ならば『神技』とでも呼称すればいいのでは?」
「仰々しくないか? 一応それで今は通すが……『神技 アメノヌホコ』に関してだが……」
最初に虚無がありて、その虚無に降り立ちし二人の神『イザナギ』『イザナミ』の兄妹神は己の持っていた一振りの矛を使い虚無を掻きまわして、『オノゴロ島』を作り上げた。
ヤーファの創生の地―――オノゴロにて、契りを結び夫婦となった二人の手によって様々な『神』という『大地』が作り上げられ、今のヤーファが形作られた。
「ティナとの神技はつまり「原初の世界創造」というに相応しいものなわけだ。あの声の語る通り」
「成程。つまりリョウと私は一杯子作りして、二人で精一杯 国を造れということですね」
「すごい読解力。おまけに超訳!! どんだけ自分に都合のいいところだけ抽出しているのさ!」
自分抱きをして何を想像しているのか身体をくねらせるティナに頭を抱えてしまう。
「で、カグツチってのは何なんだい?」
「分かった説明するから、その双剣を俺の喉に突きつけないで、バルグレンが気を利かせて炎を抑えてくれているからさ」
『しーしーどーどー』とサーシャを宥めながら、『神技 カグツチ』に関して、説明をすることに。
ヤーファ……オオヤシマを国産みしたイザナギとイザナミは次いで多くの同胞を産み始める。
つまり子作りである。様々な子供を産んできたイザナギとイザナミであったが、何度目かの時に炎の赤子を生み出す。
イザナミの産道を焼きながらこの世に生まれ出でた炎の神の名前こそ『カグツチ』
その赤子によってイザナミは死に絶え、それに激怒したイザナギは、手に持っていた「トツカノツルギ」にてカグツチを斬り砕いたとされている。
「神々にも生と死を与えた炎の赤子……ゆえに『原初の炎』という表現なんだろうな」
「成程。つまり僕の産む子供はすごくやんちゃなんだね。たとえ僕が死んだとしてもリョウは怒らず殺さず強い子に育てて」
「なんで相手が俺と言うことで固定なのさ!! そして育児の為の教書を作るな!」
お腹をさすりながら、頬に手を当てて朗らかに笑うサーシャに顔を覆いたくなってしまう。
「で、タケミカヅチってなんですの? この二人並に良い神様なんですよね!?」
「……期待に沿えるかどうかは分からないが話すよ。だからこの鞭で喉を縛り上げるのやめてくれ」
ヴァリツァイフも気を利かせて、帯電率を下げているのだが、それでも密着している分びりびりと痺れる感覚を覚えてしまう。
イザナギ、イザナミの時代から少しだけ時間を進めて、ある所にオオクニヌシノミコトという神が国を造り上げていた。
そんなオオクニヌシノミコトという神の前に天上の神様―――タケミカヅチという雷神にして剣神という神が現れて、国を譲れと言ってきた。
「タケミカヅチという神様は元々はトツカノツルギで砕かれたカグツチの欠片から生まれたそうだ。まぁ武神にして軍神というのがこの神様だけど……ってリーザ。どうしたの?」
「何か……二人の説明より凄く色気が無さ過ぎますわ。何で私の神技だけそんなのなんですか……」
神話に対して色気って何さ。と思いながらも……まぁ二人のものと比べれば女の子の神様に関わりは無いと考える。
「そんな落ち込むなよ。ただ俺はあれに関しては、「不完全」なものだと思うな。もう少し上の威力があったはずだと思う」
フォローを入れつつ思い出す。リーザとの神技に際して、語られた言葉はあったが……その言葉通りならばあの程度の威力なわけがない。
確かに鎧竜を一刀両断も出来たがそれ以上のもののはずだ。しかしどういう所で差が生まれたのやら……。
「それはもちろんリョウとの愛の深さでしょう。最初から邪険に扱っていたあなたでは、リョウとの繋がりも完全ではないのでしょう」
「だ、だけどそれは当然じゃない。私はルヴ-シュの領主なのよ。もしかしたらば国に害意を齎したかもしれないんだから」
ティナは今回の事に関して凄い怒っている。それを止めようともしないサーシャも、思う所はあるのだろう。
俺の為に怒ってくれているのは嬉しいが……。
「まぁリーザの気持ちも分からなくもないよ。俺は色々と問題ばかり起こす素性が知れぬ東方人だからな。俺とてヤーファでそんな噂を聞いたらば警戒心を持つ」
「その場合、リョウはどうするの?」
「とりあえず話を聞きにいくかな? 別に言葉が通じない獣や植物じゃないんだ。己の眼でその人物を見る。それだけだな」
「だから私はリョウに対する認識を改めました。リョウ……温羅(ウラ)は私にとって大事な人です。ルヴ-シュに来てくれれば最高位の賓客として持て成します」
リーザもそういう少数を抹殺するような考えは本当は好かないのだろう。しかし、彼女にとって第一はルヴ-シュの民を守ることだ。
そういう意味では間違いではない。リーザの信頼を得たのは……結局、自分が胸襟を開きすぎているからなのだろう。
ヤーファには害意は無いが、それでも「余計なお世話」を焼きに来たことをどう思うかは、その土地の人次第でしかない。
ため息を突きつつ、自分もリーザに対して質問をする。自分の『隠し名』であるものを何故彼女は知りえたのか。
「私にも分からないのですよ。ただ眠っている最中にみた夢とも幻視とも取れるその中に出てきた青年の姿が……少しだけあなたに似ていました」
「黒い肌に、赤い髪の―――」
「双角を持った人でした……その人が黒髪の、これまたあなたに似た女の子に『ウラ』と呼ばれていましたので、迷惑でしたか?」
「いや、ただ俺の隠し名でしかないからな。リョウでもウラとでも好きに呼んでくれていいよ」
リーザがみたものは、想像では補えないものだ。間違いなくご先祖様のことだろう。
多分だが「雷」という属性が、彼女との間に少しだけの深い繋がりを与えたのかもしれない。これに関しては想像でしかないのだが。
「ではウラと呼ばせていただきますよ。それにしても発動条件がリョウとの親密さにも関わるならば、これから仲良くしましょう♪」
「いや、それだけじゃないと思うけど……まぁ多分、うら若い乙女の真摯な願いとか、強い想いに俺の剣は反応するんだろうな」
それが本当の意味での発動条件だ。笑顔を見せながら言うリーザに自分の推測とかを語ると―――。
『うら若い乙女?』
「そこのドレス女二人は、何で僕を指さしながら疑問符を浮かべるんだい?」
余計な油を注いでしまったと思うぐらい次の瞬間には、息ぴったりに年長者を指さすティナとリーザ。それに対して年長者であるサーシャは、笑顔で怒るという器用なことをする。
演出なのかそれともサーシャの意思なのかは分からないが、背後でバルグレンの炎が燃え上がっている。
「だ、大丈夫だってサーシャはまだ若いよ。今年で二十二だったら別に気にするなよ」
「だったら結婚してくれ」
「直球だなオイ……異国人の俺がこの国で立場ある君と結婚するのは不味くないか?」
「子作りしよう」
「同レーベル(?)で打ち切られた作品を思い出すワンフレーズ。だからあんまり焦るなって……これから俺よりいい男に出会えるかもしれないだろ。焦ったっていいことないって」
真剣に言ってくるサーシャはサーシャで色々とあるのだろうが、自分とてそんな短絡的な行動には出られない。
などと三人の女性から交際を求められるという状況は、この部屋の本来の主であり、リプナの長であるドミトリーの登場によって、終わりを告げた。
「アレクサンドラ様、そろそろ宴の準備が出来ております。ルヴ-シュや王宮の方々もご到着しつつありますので、そろそろお召変えを……」
「もうそんな時間か……仕方ない。この話の続きはまた後ということで…リョウは礼服あるかい?」
「アスヴァ―ルで仕立ててもらったものと、ヤーファのものがあるが、どっちがいいだろう?」
「郷に入っては郷に従えという格言は君の国由来だよね。ただ君の考え次第だ……ムオジネルの賓客もターバンを外さないからね」
「承知した」
とりあえず王宮のものもいるのだ。自分がどこからやってきた人間かを良く示すためにも、「烏帽子」ぐらいは着けておくかという考えを固める。
そうして―――違う「戦場」へと赴く用意をすることに……
「一人で着替えられます?」
「とりあえず君の助けはいらないな」
笑顔でヴァレンティナの茶々入れを断りつつ女性陣とは違う着替え場所へと向かった。
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「鬼剣の王Ⅰ(蚊帳の外の人達)」
「そうか、サーシャは無事だったんだな。いや安心したぞ。さっきまでは本当に気が気じゃなかったからな」
「ええ、リプナの市民たちにも元気な姿を見せていたそうです。無茶をしたわけではないですよエレオノーラ様」
椅子から腰を浮かせて、その報告を受け取った銀の戦姫は、胸を撫で下ろす。
最初は、彼女自身が戦場に出るとは思っていなかった。代官を立てて行われるものだと思っていたのに、出立の直前に届いた伝書で知った。
だが使者曰く「ご心配なさらず。戦姫様は別に無理をしたわけではありません。寧ろ元気なぐらいです」と朗らかに言われたので、病気はどうしたのだろうという疑問が残るばかりだった。
疑問が氷解したのは、戦場に赴いたのちに聞こえてきたある男の噂。その男が、恐らくサーシャを癒したのだ。
その男に関して、考えると公国ライトメリッツの戦姫『エレオノーラ・ヴィルターリア』の表情が苦いものになる。
「……噂ではオステローデの戦姫もこの男に関わっているそうだが、何というか……好かないな」
「好かない?」
金髪の副官であるリムアリーシャ……リムの疑問に対してエレンは答える。
「巷では『戦姫の色子』などと呼ばれているそうだ。そんな男がサーシャの周りにいるなどサーシャの評価を下げるではないか」
「ですが相当に腕も立つそうですよ。今回の海賊討伐においても常に前に居て友軍の危機を救ってきたという話ですし」
「それも好かん理由だ。本来ならば、サーシャと共に戦場を駆け抜けるは私の役目だったというのに……」
どうにも納得がいかない答えだが、リムは目の前の主人がそこまで不機嫌な理由を何となくは察していた。ようは尊敬していた「姉」が「男」に熱を上げる姿など「妹」としてはあまり見たくないのだろう。
特にアレクサンドラは、そんな恋や愛に溺れるタイプには見えなかったので、エレンは少しだけ神聖視していた節がある。
そんな人を夢中にさせる男が、いくら人格的に且つ武芸者として優れていたとしても認められないだろう。
そしてその男は―――エレンと同じ剣士だ。得物の長短、形状の違いはあれども同じ存在を尊敬すべき相手が頼っているなど受け入れられない。
「私的な感情を公的に向けるのはどうかと思いますが」
「分かっている。どちらにせよ……リョウ・サカガミと会うことになるだろ。一度ぐらい会って礼を言ってやらなければならない」
礼と言うのが「御礼参り」のことでは無いかとリムは考えながら一応釘をさす。
「喧嘩も売らないように」「それは相手次第だ」
リムに返しながら、今頃リプナの街では戦勝の祝宴が続いているのだろうと思って―――酒の一本でも送ってやるべきだったかと夕焼けから夜へと変わろうとしている窓の外をエレオノーラは見る。
† † † †
宴と言っても宮殿内部における祝宴ではなく一種の立食パーティーを野外で行う。リプナは港町なので港に近い所では多くの飲食店が、明日のための英気を養うための料理を作っている。
またレグニーツァの公宮においても主はいなくともささやかな宴をしているらしい。しかしその殆どはこちらの街―――もはや祭も同然の所にみんなしてやって来た。
思い思いの相手と飲みあい、それぞれの相手とダンスを踊り、そして情が通いあえば「愛」を睦みあう。
「それがこういう無礼講の宴のいいところですよね。ということでリョウ、私をエスコートしてくださいな」
「別に構わないけど……ヒールが高すぎないか?」
ドレス以外には装飾品は着けていない。いつも髪に乗せていた赤薔薇も無く、その青みがかった長い黒髪こそが最高の装飾品であり、それを映えさせるのが着ている衣服。
純白のドレス。いつも着ているものとは違い白薔薇だけの意匠を適度に盛り込んだそれを着ているティナ。
野外ということもあってかあまり裾が長いものではなく、どちらかといえば短いスカートタイプのものになっている。
そしてその美脚を映えさせるための靴の高さが、少しだけ不安になる。
だが、自分にあまり腰を落とさせないために履いているのだということは分かったので、それ以上は言わないでおく。
怪我をしたならば、自分が何とかすればいいだけだ。腕に腕を絡ませて、パーティーの中心。多くの上流階級が少しだけ毛色の違う宴を催しているところを赴く。
現れた自分とティナの姿に両公国の関係者と王宮関係者達は様々な視線を絡ませてくる。それを風と流しながら、リーザとサーシャ、そして王宮に近いと言われている「交渉役」パルドゥ伯の前に向かう。
「この度の海賊討伐見事でした。アレクサンドラ様、エリザヴェータ様」
「白々し過ぎるよ。けど……ありがとうございます。サカガミ卿。あなたの助けもあって無事に終わりました」
サーシャが苦笑をしながらも、それが礼儀だと理解して紅いドレスの裾を摘まんで一礼をする。同じくエリザヴェータも、紅紫(マゼンタ)のドレスを同じくしてこちらの礼に応えた。
「で……何で、ヴァレンティナはひっついているのかな?」
「もちろん『妻』たるもの『夫』のエスコートで社交界に出るのが儀礼じゃないですか、だから雇い主であるあなた達にも同じく礼をしたでしょ?」
「いつからそんなことが決まったのかお聞かせ願いたいものです」
剣呑な睨みあいになろうとしている三人から、抜け出す形でもう一人の賓客に挨拶をすることになる。
「ヤーファより参りました。リョウ・サカガミと申します」
「堅苦しくならなくて結構ですよサカガミ殿。王の代行として参りましたユージェン・シェヴァーリンです。とりあえず一献どうぞ」
灰色の髪を長く伸ばして、同じく顎鬚も灰色の―――四十を超えていると見られる男性にお酒を薦められて、グラスを打ち合うと同時に、飲み干す。
「この辺りのお酒はどうですかな?」
「なかなかにいいですね。ただ私には少し甘い気もします」
そうしてとりあえずこちらも持参した酒を注ごうとした時に、機先を制してパルドゥ伯は、違う酒を薦めてきた。
「ではこちらはどうでしょうか? なかなかに強いですから倒れられぬように」
そうして挑戦的な笑みと共に注がれた酒は―――澄んだ水のような色をしている―――、一気に煽ると喉を焼き尽くさんばかりの熱を感じる。
「これはなかなか……」
「火酒(ウォトカ)というものでして、この辺りでは身体を温めるにはこれが一番なのです。郷里の酒とどちらがよろしいですか?」
「いやこれは凄いです。とはいえ私だけ酌をされるのも失礼なので、こちらをどうぞ」
取り出した酒枡―――檜で出来たそれに、同じく澄んだ水のような色をしている『清酒』を注いでいく。
「閣下、まずは自分が毒――――」
「失礼なことを言うな。サカガミ殿は、何も疑わずに飲んでくれたのだ。私が疑うわけにいくか」
側で控えていた従者の言葉に申しわけないと頭を下げながら言ってきたユージェン殿に、こちらこそ恐縮する思いだが、それを一気に煽るこの人は自分が暗殺されるという意識が無いのだろうか。
そして飲み干すと同時に、感嘆の声を上げた。
「これは……旨い。いや、私としては火酒よりも好きになりましたよ。もう一杯いいですかな?」
まさか手酌をさせるわけにもいかないので、ユージェン殿にお注ぎしますと一言いってから、枡に三分の一そそぐ。
「コメから作ったものですから口に合うか心配でしたが、その様子では良さそうですね。とはいえ冷(ひや)だけでは身体を冷まします」
「ほう、つまりこれは温めても飲めるのですか?」
「火酒は無理ですか?」
「ここまで酒精が強すぎると、火にかけただけで燃え上がりますよ」
確かにと思いながら、お互いに持ち寄った銘酒を飲み干すと同時にパルドゥ伯は切り出してきた。
お互いに胸襟は開き切ったからだ。
「―――ヴィクトール陛下は今回の事で、あなたと会いたいと申しています」
「先に断っておきますが、私はヤーファにおいては今のところ官職とはほぼ無縁です。仕えていた女皇陛下から暇を出されてしまったので」
「ええ、あなた自身は知らなかったからかもしれないが、ジャーメイン王子の政体こそがジスタートが支援していたのですよ。サカガミ卿のことはそれなりに知っていましたよ」
眼を鋭くしながら言ってきたパルドゥ伯の言葉にため息を突きたくなる。
「……あの陣営の防諜がザルなのは知っていたが、まさか俺のことまで知られていたとは……」
ジャーメイン陣営で、それを言ったのは戦争も終盤に差し掛かっている時だっただろうか。如何に兵力に於いて上回っていても情報戦で負けたらば何の意味もないと。
自分にも「忍者」としての技能があれば、一も二も無く教えていたのに。
「だからこそ王宮としては、あなたの思惑を知りたかった。あのままジャーメイン王子をアスヴァ―ルの政体に乗せていれば、あなたの国にとってもジスタートにとってもよかったはずですが……」
「パルドゥ伯爵、いえユージェン様。あまりリョウの事を疑わないでください。リョウはただ単にそこに戦火があったから止めたかっただけです。まるで国益だけのためにそんな介入したかのような口ぶりはやめてください」
「ティナ。ユージェン殿の疑念はもっともだ。君だって王位継承権があるのならば、俺を疑うべきだ」
自分の為に怒ってくれているのは嬉しいのだが、それでもこの人の疑念には自分で答えなければいけないのだ。少しだけ気色ばんでいるティナを慰めてから、パルドゥ伯爵に向き直る。
「いや、すまない。ヴァレンティナ殿の言うことも本当は一つの可能性として掴んでいたのです。ですが今、少しだけあなたの人間性を垣間見た気がしますよ」
「戦姫の色子と呼ばれていることですか?」
自嘲しながら巷での嫌な噂を言うと伯爵は微笑を浮かべながら口を開く。
「そこまでご自分を卑下なさらずとも、口さがないものには勝手に言わせとけばいいのですよ。私も昔は「王に嫌な進言ばかりする厄介な側近だ」などと言われましたが、そんなことは己の行いに自信があればどうとでも撥ね退けられますよ」
「……とりあえずヤーファに西方侵略の意図も無く、その上で俺は武者修行の一環として西方に来たのです。その事はいずれ言いますし、女皇陛下の書簡も渡します」
「承知しましたよ。東方剣士リョウ・サカガミ。では―――若い者は若い者どうしで楽しまれるとよいでしょう。良い夜を」
失礼をするとしてここから退こうとしていたユージェンを引き留めてティナは、一応酌をすると言う。
「私も失礼な事を言ってしまったので、とりあえず一杯だけでも酌をさせてください」
「ありがたいが、私も妻と娘がいる身なので正装した若い娘から酌をされたなどと言えば……嫉妬されそうなので勘弁してくれるかな」
後でティナに聞いたのだが、ユージェン殿の奥さんと娘さん。特に娘はやんちゃな女の子らしく、礼儀作法を教わるくらいならば剣を振るっていたいとかいうタイプらしく、そんな家族の父親の悲哀を少しばかりその顔に見た気がした。
堅苦しい挨拶もそこそこに、様々な催しを戦姫達と見回っていく。
サーシャと流れの楽団の演奏を見ていた時に、気になることを言われた。
「三絃琴か……懐かしいな」
サーシャの言葉で視線の先を見ると、三つの弦が張られた楽器を見ている。自分の国にも似たようなものがあるが、それでもやはり国が違えば音色も違うのか見事なものだった。
「この辺ではどんな田舎にも一つはある楽器でね。僕もむかし母親に習わされたよ。こんなことが生きるために必要なのかと思っていたけれども今思えば何一つ無駄なことは無かった」
「俺も昔は剣だけを習っていればいいと思っていたが、それだけじゃなく色々と本も読めと言われた。唯一、弓だけは身に付かなかったが」
母親からは御稜威や文字の読み書き、外国の言葉も習い、師の一人でもあった父からは剣だけでなく色々なことを習った。
「違う領地を治める戦姫もこれに関しては自信があるとか言っていた」
「その戦姫って、前に言っていた人か?」
頭を飾るルビーのティアラを少しずらしながらサーシャは答えてくる。
「エレオノーラ・ヴィルターリア。ブリューヌとの国境近くのライトメリッツという公国を治めている戦姫だ。リョウとは長剣使いどうしだし、仲よ―――くならないでほしいなぁ……」
そのティアラの輝きが色あせるほどに暗い表情を見せるサーシャに苦笑をする。
「出しかけたものを飲み込むような真似はやめろよ。ただまぁ多分だけどその戦姫と俺は……合わないんじゃないかな」
言葉と同時に、楽団の演奏が終わりを告げた。
サーシャの言葉を疑うわけではないのだが、何となくそんな気がする。楽団の楽器はそれぞれ違うもので音色も違うが奏であわせると見事だが、弾いている人間どうしが仲良しとは限らない。
楽団の三絃琴を扱う女性と、名称は分からないが同じようで違う弦楽器の男性が睨みあっていたように――――。
―――――リョウ・サカガミとエレオノーラ・ヴィルターリアとの仲は良くないものになると予想をしていた。
† † † †
「ティグルは何か事業を始めないのか?」
「事業……それをやるにはやはりお金が必要なんだ。何とか溜め込んでいるんだが、その後が問題なんだ」
セレスタの居館の執務室において、対面に座りジスタート文字の翻訳をしてくれている女の子の言葉に答える。
手を組んでため息を突きたくなるのは、何度となく考えては実行に移す段になれなかったもの。
しかしながら、何とかして実行に移したい事の一つである。
「馬を買う相手がいない……放牧をするための農耕馬だから、本当に信用ある相手じゃないと駄目だ」
「牛や羊じゃ駄目なのか?」
「それも考えたが、やはり馬だ。いざという時に乗り物としても使えなきゃいけないものは馬なんだ」
戦争の際の騎馬、旅人や商人の買い付けの際に使うものとしてもやはり馬が一番なのだ。
「ただでさえ平地が少ないアルサスなんだ。一つの家畜で様々なことが出来なければ、儲けが出ない……ただ馬を買う相手を探さないと……」
「―――幾らあるんだ?」
「これぐらい……オルガの領地ならば『ティグル、これだったらば番いの馬を三百頭は買える』え?」
こちらの言葉を遮って資料を読んだオルガは、どんぶり勘定だが、そのぐらいは買えると言ってきた。各村に十頭ずつ与えたとしても、二百頭ぐらいは使えるとあっさり言うオルガ。
彼女の領地には、どれだけの馬がいるのだと思うがそうではないと言ってきた。彼女のコネである。
「私の―――領地と親しくしている部族はいわゆる遊牧民なんだ。騎馬民族と言えば分かるかな」
「話だけならば、けれどいくら何でも三百頭を……こんな額で」
彼らとてジスタートの従属民族として税金も納めているだろうに、自分が求めるような駿馬を三百頭も出せるのだろうかと感じる。
「私が話を通せば割引が利く」
少しだけふんぞり返るオルガ。ティグルとしても嬉しいことではあるが、少しばかり不安要素もある。
「顔が広いのは理解したが……それは正しい取引なのかな?」
「商売の鉄則は正しい相手と交易をすることだ。その上で騎馬の民族ほど馬に関して詳しいものはいない」
そして、ティグルは少しだけ考え込む。自分の領地にはマスハス以外のコネは無いと言っても良い。
彼を伝って良い商人を紹介してもらうのも一つだろうが……何でもかんでも父の伝手を使うだけでは自分は本当の領主とは言えない。
そして目の前の女の子も、領主として何かを出来ないかを手探りなのだ。
「ものを直に見ることが出来ればいいんだけど……。とりあえずここを通る「隊商(キャラバン)」に伝言を頼めばいいかな?」
「その書状は私が書く。無論、連名ということで構わなければだけど」
「ああ、……やっぱりジスタート方面に行ってどんな馬か見たいな。いやオルガを疑っているわけじゃないんだ」
「分かってる。これはティグルの父上の代から興そうと思ってきた事業。それを失敗させたくないという思いがあるということも、けれども私を信用してほしい」
眼を輝かせてこちらを見てくるオルガ。とはいえ、ここまで連れてくるだけでも重労働なのだ。駄馬では海路、陸路ともわたりきれまい。
あからさまに悪いものを掴まされるわけは無いだろう。と思って―――オルガの一計に乗った結果。
――――――ティグルは予想以上の良い商いをすることになって、同時に彼女がただのジスタート貴族では無いのではという疑念を持つが、それはまた後々の話である。
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「銀閃の風姫Ⅰ(前編)」
「一目見た時から認識した……お前は間違うことなく敵だ―ーーー!!!!」
「どんな認識でそんな判断がなされたってんだ……!」
王宮内部に関わらず腰の鞘から竜具―――特徴的な長剣を抜き払う風の戦姫の斬撃を同じく剣で受け止めることになった。
紅の瞳が怒りで燃え上がりながらも、どうしようもなく彼女の怒りを受け止めることになる。
それこそがあらゆる意味で終生のライバルとなりえる少女エレオノーラ・ヴィルターリアとの初会話であった。
もっともそれを本当の意味で認識するのはリョウ・サカガミが「魔弾の王」と面識を持った後のことであるのだが―――――。
◇ ◆ ◇ ◆
ジスタート王国の首都シレジア。
そこは端的に言えば都会中の都会としか言いようがないほどに賑わっている場所だった。吟遊詩人が英雄譚を歌い上げ、踊り子が音楽に合わせて舞い、威勢のいい掛け声で商品を紹介していく店主。
時代が求めたものに従った職業の人間達が活気を上げて今日と明日の糧を得ていく。その様子を見て、本当に遠くまで来たと実感する。
「ここに来るのも本当に久しぶりだ……けれど初めて来たときといる人間に劇的な変化はないね」
「それだけ世の中が平和ってことだろ。喜ばしいことじゃないか」
「ミネストレーリが歌う物語に『邪竜殺し』が加わるも遠くない話だろう」
隣にいるサーシャの言葉に、アスヴァ―ルで出会った変な「吟遊詩人(バード)」の事を思い出す。
あいつが、こっちまでやってくる事も考えられたが、その時はその時だと思った。こっちに来たらば他の英雄に向かうかもしれない。
「ヴィクトール王は何を求めて俺と会いたいなどと言ってきたんだろうな……」
往来に見える笑顔の全てを目に収めてから隣のサーシャに聞く。馬車の中にいた彼女は、少し考え込む。
「いくつか考えられるが……やっぱり自国にとって脅威かどうかじゃないかな」
「ヤーファからジスタートを征服するとしても兵站の問題がある。仮にアスヴァ―ルと同盟して大陸制覇などという考えを持っていても、ブリューヌを素通り出来ないだろう」
ジスタートに危険を遠ざけたければ、その時点でブリューヌと同盟すればいいだけだ。
「そこすらも同盟に加えて大陸制覇を考えるってのもあるよね。ヤーファはともかくとしてリョウにはそういう野望は無いの?」
「正直無いな。王になりたいと思ったことも無い。冠を戴けばそれだけで今みたいな自由さは無くなるんだ」
サーシャの言葉を笑って返しながら、何人かの皇家の方々から「王配」を薦められたことがあった。しかし、サカガミ家の男子は自分しかいないのだ。
従兄でもいれば話は別だったが、そんなものはいないので自分はそんな大層な地位に就くことは出来なかった。第一、「王」になるというのは今までのように村一つを守るために無謀な戦いをすることも出来なくなるのだ。
必要な犠牲と割り切れるほど、自分は非情にはなれない。戦で死ぬのは武士だけであってそこに民の犠牲を上乗せするなど出来ない。
(結局、俺もリーザと同じだよな……)
少数が必要な犠牲だからといってそんなことを容認出来ない。もしもサーシャの陣営でなくリーザの陣営に雇われていたならば、最初からそういう行動に出ていたはずだ。
「後は……やはり戦姫に余計な力を付けさせたくないといったところか」
「? どういうことだ?」
「歴代の王に仕えてきたのが戦姫というものだが、全ての王が戦姫から信頼を得ていたわけではない」
「………色々と複雑そうだな。まぁ……分からなくもない」
「ああ、人知を超えた力を持つ僕らは普通の人間からすれば脅威だからね。今の王もそれを警戒している」
「ジスタート王室に廃嫡を求めてきた戦姫もいそうだな」
自分たちにとって都合の良い王を立てて、国内政治全てを意のままにする戦姫。
ティナの目的は、それに近い―――。しかしそれは確実にこの国に混乱を招くはずだ。
(いっその事、どこか誰も知らぬ他の土地で二人だけの国でも建国するとか提案した方がこの国にとっては、健全かも)
しかし、それを行うには―――全てを捨てなければいけない。益体も無い妄想だとしてその考えを破棄する。
「まぁ何にせよ……君はこれから礼賛されて自由に動けなくなる可能性もある……場合によってはジスタートの官職に取り込まれるかもしれない」
「まさか、それは無いだろう」
深刻に言ってくるサーシャに笑いながら否定するも、彼女の表情は硬いままだ。
そこまで自分は敵視されているのだろうかとも思う。異国の人間を取り込むためには色々な手があるが、自分たちの陣営に引き込むことが一番だ。
そして自分たちと同じ存在にしてしまう。
「とにもかくにも出方次第だ。俺は俺自身の我を通すためにも、ここに来なければならなかったんだから」
「だったらば一人だけ味方を教えておくよ。ソフィーヤ・オベルタスという戦姫は確実に君の味方だ」
「謁見の間に入れば分かるんだろうな」
サーシャの言葉と同時に城門前にて馬車が止められて誰何の問答が行われる。ここから先は、本当の意味での謁見が行われる。
この国の支配者との―――――。
◇ ◆ ◇ ◆
「何でお前までいるんだ」
「ここは私に宛がわれた部屋よ。あなたこそ何でここにいるのよ」
「同じく宛がわれた部屋だからだ。三代も続いた家の癖に別荘を持っていないのか」
「いたとしても長期に滞在しないならばお金の無駄だとか考えられないのかしら、これだから傭兵上がりは」
椅子に座りながら紅茶を飲んでいる女の侮蔑の視線に同じく侮蔑で返す。そんな睨みあいを一度切り上げてから、青髪の女に問いを投げる。
「お前は今回の召喚どう思う?」
「仰々しいとは思う。ただ一人の剣士相手に戦姫を何人も呼び出すなんて」
エレオノーラの疑問に対して紅茶を飲んでいる女―――戦姫リュドミラ・ルリエは、目を細めながら言う。
気は合わないが、こういったことに関しての見識は一致する。気に食わないが。
「けれども目的が分からないのだから万が一に備えているんでしょ? しかし……仰々しい。いざとなれば暗殺しろと言われている気分だわ」
「私ならば迷うことなく賛同する。礼を一言述べてからだがな」
「野蛮な。陛下の下知さえあれば己の竜具を暗殺者のダガ―に貶めるというのかしら?」
「道具は道具だ。それを扱う人間次第でしかない。第一、話によれば竜具でもその男に勝てるかどうか分からない」
そこまでの実力だからこそ、王宮も警戒している。件の男。リョウ・サカガミがヤーファの寄越した暗殺者である可能性もあるのだから。
「何はともあれ、そんな事態になったらあなたは下がっていなさい。無様を晒す前に」
「お前こそ己の力不足を露見する前に領地にひっこむがいい」
言葉による応酬から険悪な視線がぶつかり合い、お互いに剣槍を抜き放つという前に、部屋に圧倒的な光量が投げ込まれた。
思わず視線を外して光に対して手で覆いを作るほど、光が収まると同時に部屋にいままでにいなかった人間が現れる。
金色の髪をして緑色の衣装を身に纏った錫杖の戦姫。名をソフィーヤ・オベルタスといい、二人にとっては頭の上がらない姉貴分とでもいったらいいだろう。
「全く、あなた達二人は顔を突き合わせる度にコブラとマングースのように牙を出し合って、そんなに喧嘩がしたいの?」
「ソフィー、それは違う。私はサーシャを拐かした男を殺すためにその邪魔をしそうなこいつを排除したかったんだ」
「エレオノーラがあまりにも短慮な行いで、ヤーファのご客人を害する前に排除したかったのよ」
その言葉に、困ってしまうのはソフィーだ。正直言わせてもらえば、二人とも理由はどうあれリョウ・サカガミと一戦交える覚悟でいるようだが、王宮としてはそんなことは困るようだ。
仕方なく、二人に王宮の意向を伝える。でなければどんな行動に出るか分かったものではない。
「事前にパルドゥ伯が、彼と会ったらしいから、そういうことは無しで、寧ろ東方からのご客人なんだから失礼のないように」
「つまり……ジスタートとしては、リョウ・サカガミを歓迎するのか?」
「ええ、今回の海賊討伐は本当の意味でジスタートを長年悩ませてきた問題を終わらせた。彼がアスヴァ―ルの関係者としてやってきた可能性を考えたんだけど、それは無いという結論よ」
海賊……アスヴァ―ルのエリオットの主戦力ともいえるこれらをある意味一掃したことから、リョウ・サカガミは「草」としてやってきたのではないかという考えもあった。
だが結論としては、そんな深い思惑は無い。ただ今まで味方をしていたジャーメイン陣営の保全のためにも海賊を一掃したということらしい。
義理と人情を重んじる青年―――そういう評価が下された。そして、官職を追放された経緯こそ不明であるが、武者修行と任官の旅をしているのでは……という予測がなされた。
「任官とはいうが、アスヴァ―ルでは駄目だったのかという疑問が出てくる」
「好みの問題もあったんでしょ。ただそれは予測だけ。本当の目的を知るためにも今回の召喚命令だった。私達も呼び出されたのは万が一のため。けれどそうはならないと思っているわ」
「何でそう思うんだ?」
エレオノーラの疑問に対して金色の戦姫は微笑を零しながら、自分の考えを伝える。
「サーシャが信じるほどの男の子よ。その人間性が酷いものとは考えたくないわ」
その言葉を聞いた瞬間のエレオノーラの顔はとてつもなく苦いものであり、反論したくても反論しきれない理屈でどうしようもなかった。
そうして、自分たちが居る目的を告げられた後に、そろそろ時間だということを察する。
立ち上がり出ていく準備をするリュドミラとソフィーを見送りながら、エレンは人知れず決意をする。
(ソフィーはああ言っていたが、サーシャは病気で弱っていたからそれを治してくれた男に騙されているだけだ。私の眼は誤魔化されない)
その時は力を貸してくれという思いで腰の鞘に納められた剣―――アリファールを叩くと、どこか気弱な感じの風を出してきた。
気乗りしないといった感じの微風で、諌める感覚を覚える。それでも自分は、親友である女性のためにも斬らなければならない。
† † † †
「頭を上げて構わぬ。他国からの賓客相手にそこまで拝跪されてはむずがゆい」
「失礼いたします」
多くの者が見守る中、東方国家の礼服を身に纏って特徴的な帽子―――エボシというものを頭にしている騎士―――「サムライ」がジスタート国王を見上げる。
再び見るとその顔は、王者のものとは思えぬものであるようでその実、様々な苦労を背負わされてきたというものを感じる。
だが、それでもこの人こそがジスタート国王、ヴィクトールなのだと認識しておく。
「此度の海賊討伐に対する協力、深く感謝をする」
「ありがたきお言葉痛み入ります」
「そう畏まらずともよい……サカガミ卿、此度のことでそなたに恩賞を与えたいと余は思っている。何か望むものはあるか?」
そう問われれば、普通の傭兵であればこの国の貴族や騎士にしてくれと頼んだり、莫大な金銭を要求するだろうが、リョウにはそんなものは無かった。
「滞在許可を頂ければ、それだけで構いません。具体的には私が戦姫様方の土地で御厄介になったとしてもそれを咎めないでいただければ」
「そうか……余としては、イルダーの副官として着けたかったのだが」
それは聞かされていたことだ。手伝うことは吝かではない。だが、そこまで多大な地位を与えられては旧臣達は気が気ではないだろう。
そのぐらいは自分でも、分かる。北方の蛮族に対する備えもしなければならないとのこと、ならば一時でもイルダー殿の手助けはする。
恐らくそうしなければタラードも困るはずだから。
「手助けはいたします。戦士の役割とは戦うだけでなく戦った後の始末にもあります。それは――――私にとってはアスヴァ―ルの頃からの責任ですから」
「助かる。北方の蛮族に対しては……パルドゥ伯。そなたが交渉役でいってもらえるか? 妥協点を探ってくれ」
そうして、側にいた重臣に対して言うと心得たとして、頷くユージェン殿にその際の護衛は自分が務めると言うと横やりが入る。
「失礼します陛下。その際の護衛は私が行います。何もかも外の人間ばかりを使う必要はないはず」
「エレオノーラ、そなたの領地から北方は離れていることを分かっているのか……この場に、エリザヴェータとヴァレンティナがいない理由を考えよ」
「私はそこの男に構って領地を放り投げることはありません。何よりパルドゥ伯は私に宮廷作法を教えてくれた教師です。その人を守る上で私ほど適任はおりません」
いきなり横やりを入れてきたエレオノーラという銀髪の―――戦姫の険悪な視線と言葉に、予想は当たってしまう。
誰からも好かれる人間というのもそうそういないということぐらい、自分は知っているのだが、それでもこの対応はかなりきついものがある。
「……とりあえずまだ先の話だ。一応頭の隅程度に入れておけという類のな。その際にはサカガミ卿に我が朋友を守ってほしい。願望だ」
苦しい言い訳だな。と思いながらも、まさかアレクサンドラと仲が良い戦姫から、そのような横やりが飛んでくるとは思えなかったのだろう。
「とりあえず……どの戦姫の所に行かれるか?」
「まずはアレクサンドラ様の病状を見なければなりませんが、その後にはヴァレンティナ・グリンカ・エステス様の所に御厄介になろうかと、彼女はこの国に来て出来た初めての友人ですから、その友誼に応えたい次第です」
自分の願望を言うと、残念そうな顔をしながらもそれも一つかという不承不承の納得をしてから、ヤーファ女王サクヤの書簡を受け取り、謁見は終了となる。
ヴィクトール王としては、恐らく自分を取り込みたかったという印象は受けた。
それは恐らく戦姫に対する抑えなのだろう。一騎当千の人知を超えた力を持った存在に対して、いざという時に御せられる存在。
(まぁ……態度から察するに、戦姫全員の忠誠を集めている感じではないのは分かるが、そこまで反抗的でいいのかな?)
余所の国には余所の国の事情があるとして謁見の間から出て、宛がわれた私室に向かう途中でサーシャと、もう一人の女性を連れ添ってこちらにやってきた。
やってきた女性は金色の髪を長く伸ばして、踊り子のような衣服に身を包んでいた。そして同じく黄金の錫杖を持っており、どういう人物なのかは理解した。
しかしながら、その服は……やはりというかへそが出た衣装であり、戦姫という存在は全員、こんな衣装しか着ないのかと想いながら寒くないのかと勘ぐる。
「お初にお眼にかかります。ポリーシャの戦姫 ソフィーヤ・オベルタスです。この度は私の友、アレクサンドラ・アルシャーヴィンを助けていただき感謝しております」
「ご丁寧にどうも。しかし、そこまで感謝されることではありませんよ。余計な手伝いだったかもしれませんし」
「それだけでなく彼女の病状を回復させたことに関してもですよ……ちなみに私もあなたのことをリョウと呼んでいいかしら?」
微笑を浮かべて、そんなことを言うソフィーヤに、そんなことを気にする奴がいるんだろうかという気分だ。
「構わない。俺もあんまりしゃっちょこばった話し方ばかりしていると肩が凝る」
「私は普通にしていても肩が凝るわ……今更気付いたって顔しているわね」
「ああ、何というか女性的な魅力云々よりも戦姫の服というものに注目してしまっていたから」
確かにソフィーヤの身体は、隣に立つサーシャよりも出るとこ出て、引っ込む所は引っ込んでいるが、それよりも自分は衣装の奇抜さと髪の方に目が向いてしまっていた。
もっともソフィーヤと同格だろうティナの方を見慣れてしまっていて、それに注目しなかっただけかもしれないが。
「あんまり性的な目で見られるのも嫌だけど、無視されるというのもそれはそれでプライドが傷つくわ」
頬に手を当ててため息を突くソフィーヤに、一種の面倒さを感じる。まさか彼女のアイデンティティが胸の大きさだのだけとは思っていないが、それでも少しは女性として見られたかったという所か。
「ソフィー、あんまり僕の『色子』を困らせないでくれないかな? 彼はそういったことをあんまり気にしないんだ」
「ごめんなさい。けれども安心したわ。サーシャの側に居る男の子が、そこまで色欲に狂いそうな人じゃなくて」
「僕としてはもう少し発情した獣のように色欲を出してくれてもいいんだけど、具体的には襲ってくれてもいいぐらい」
「ちょいとお姉さん方、一応男の前でそういう生々しい発言やめてくれないか。正直いたたまれない」
自分よりも年上だからなのか、そういう会話に彼女らは抵抗感が無いようだ。しかし聞かされている側は、「玉無し」とか蔑まれている感覚を覚えてしまう。
そうしてこちらの動揺に気を良くしたのか、微笑を湛えてソフィーヤは提案をしてきた。
「さてと……それでは少し三人だけになれる所に行きましょうか。謁見の際のあの様子だとエレオノーラが突っかかってきそうだもの」
「あの銀髪の戦姫……何であんなに怒っているんだか……」
何となく合わないだろうとは思っていたが、まさか何の挨拶もしない内から突っかかられるとは思わなかった。
「それも含めて色々と説明してあげるわ。だから行きましょうリョウ♪」
こちらの腕に腕を絡めて自分の胸を押し付けてくるソフィーヤ。流石にそこまでされては自分も赤くならざるを得なくなる。
(ボリュームではティナの負けだが、軟らかさは……って何を考えているんだ……)
下種な考えを上塗りするかのように、反対側の腕を取って絡めてくるはサーシャ、リプナの宴でも同じようなエスコートをしたが、表情はその時とは正反対に悪い。
二人の美女に腕を取られながら色んな葛藤を胸中で押し込めて辿り着いた先は、庭園だった。
様々な薔薇の装飾で彩られた景観鮮やかなそこに円卓と椅子が用意されていた。
「お茶は自分で淹れるようなのだけど、私達戦姫たちにとって内緒の話をする場所だから、ここの防諜は完璧よ」
そうして竜具である錫杖を一振りしたソフィーヤは、椅子に腰かけて、倣うように自分とサーシャも椅子に掛ける。
「それでは私たちの出会いを祝して―――」
淹れられた紅茶を掲げて打ち合う。厳かな音の後には会話を滑らかにするために三人とも喉を潤した。
ムオジネル産のこれらは、アスヴァ―ルの頃から嗜んでいたが淹れ方が違うのか非常に旨く感じる。
少しだけお互いの緊張をほぐす意味で薫り高いものを淹れたのだろう。それは目の前の金色の戦姫の気遣いなのだろう。
「それにしても、予想よりも普通の青年で少しびっくりしたわ。あなたがここで何て呼ばれていたか知っている?」
「色々とよろしくない感じで伝わっていたり、よろしい感じでも脅威としか認識されてないかな?」
「概ねそうなんだけど、ただ今回の事で警戒感を強めた貴族は多い。一方であなたを頼る人も多くなる―――、一番には陛下だけど」
戦姫という存在を抑えるための人間と言うことで自分を頼る。それ自体は構わないが……そこまで彼女たちを脅威に思うか。
「仕方ないわよ。私たちはどう言ったところで、この武器を手にした瞬間から竜の一部なのだから」
竜具(ヴィラルト)というものが、どういった経緯で作られたものかは不明だ。しかしながら、一つだけ分かることがある。
自分のクサナギノツルギと同様に、人間世界に過剰な力―――これらを作り出した時代や世界の人々には、「これ」でなければ倒せない「敵」がいたということだ。
ヤーファの人間達はその「敵」を「鬼」「妖」と称して畏れた。そしてそれを倒す存在もいた。
「どちらにせよ。俺は己の目的―――陛下に言われた決して人の世と相容れぬ邪悪を撃ち滅ぼすために、この地に来たんだ」
「………それがあなたの目的なのねリョウ?」
意外なことにサーシャは彼女に話していなかったようだ。一度だけ首肯をして謝意を示す。手を上げて気にするなというサーシャに安心してから話を続ける。
「ああ、光明は見えている。どこにいるのかは分からないが、この西方に潜んでいることは分かっている」
己を神として崇めよとしてきた反乱の「王」である存在のように明確に見えているわけではない。
しかし確実にいるのだ。今回出てきた屍兵など良い証拠だ。空を仰ぎながら嘆くように一つの結論を言う。
「俺がしていることは余計なお世話だ。この地に戦姫がいる以上、そうそうこの地が魔窟になることはないだろうさ」
剣は何かを斬るためにあり、何かの対象は、その剣の鋭さに関わる。ただの人間を殺すためだけに「竜具」という武器の鋭さはあるわけではない。
つまりは本当に余計なお世話だ。しかし、ソフィーヤはそんなに卑下するなとして言ってくる。
「けれどもあなたが余計なお世話を焼きに来なければ、サーシャはいつまでも病床にいたわ。そういう意味ではあなたの来訪に私はとても感謝をしている」
「それ以外では疎んでくれて構わないよ」
嫌われたいわけではないが、それでも必要以上に近づかれたくない。それは無用な心配という波風を立てるから。
そんな自分の内心を読んだのか、少しだけ微笑みを深くしたソフィーヤ。
「手ごわい男の子ね。攻め方を変えた方がいいわよサーシャ。でなければ一途に一人の女の子だけに焦点を絞ってしまう。具体的には付き合いの長いヴァレンティナ辺りに」
もっとも付き合いの長いのは故郷である陛下サクヤなのだが、そのことを言うと要らない波風を立ててしまう。
本人を目の前にして身体を使って甘えろだの、弱々しい儚げな演出をしろだのと言っていると作戦倒れではないかと思いながら、紅茶を一啜りしてから、ため息を突いておくことにするのだった
† † † †
回収されたものを検分しながら、占い師は怪訝な顔をする。
海竜の遺骸の全てを並べながら、その内の骨の一つに触れると、再生中の「妖魔」が震えるのを感じるのだ。
部屋の一角を完全に占拠した上で、「水溶液に満たされた透明な棺桶」に入っている「四つ」の欠片が。
「ヤーファにいた『我々』の同胞は、鬼剣の王の一族によって殺されたと聞くが、もしや鬼剣の王とは……だがそれであるのならば、此度の鬼剣の王とは……」
我々と近いものを持っている。まだ「冥府」にて「女神」に接触をしていないとはいえ、「初代」に近いはず。
「恐らくパダヴァを殺した時にだけ、その影響が強く出たのだろうが……、何故屍兵の時には出ていないのだ?」
分からぬことは多いが、それでも今は雌伏の時だ。恐らくブリューヌにあるだろう「弓」のために国内最有力のテナルディエ公爵に取り入ったのだ。
如何に、弓蔑視の国とはいえ「魔弾の王」ほどのものならばこの目端の利く強欲な貴族ならば取り込むだろうとして、ここに来た。
「ガヌロンと対決するフェリックスを本当に勝利させるならば、こやつらを使わなければなるまいな」
ガヌロンも出来ることならば弓を取り込みたかったのならば、やはり大きな戦争を起こすしかない。
そういう意味では上手くやったものだと考える。いずれ全てを支配した上でこのブリューヌの地面全てをほりつくすものでやるはずだ。
他人のやり方などには特に非難するつもりはない。どちらにせよ我々の手に最終的にあればいいのだ。
「まぁいい。今は鬼剣だ……」
現状、こちらの尻尾を掴ませる真似はしていない。しかしこれ以上介入を続けていれば、鼻を利かせてこちらにやってくる。
「放置しておくが、今は得策か……迂闊であったな」
余計な手出しをしてしまって火傷を負うのは、良くない。
蜂の一刺しが人間一人を殺すこともあるのだ。それを考えれば、占い師―――ドレカヴァクは、得られた「瘴気」をそれぞれの棺桶に込めていく。
完成までまだかかるだろうが、それでも完成した暁には、戦姫すら圧倒する魔物が完成する。
その日になれば――――かの「キビノカジャ」など、諸共に潰せるだろう。
ドレカヴァクに不敵な笑みが浮かんだ瞬間であった―――。
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「銀閃の風姫Ⅰ(後篇)」副題『エレンちゃん大暴走の巻』
「有意義な時間だったわ。ありがとうリョウ」
「そこまでかなぁ、俺からすれば居た堪れない話ばかりだったんだけど」
「ごめん、ソフィーがここまで開けっ広げだったなんて僕も初めて知ったんだ」
サーシャの申し訳なさそうな顔には悪いが、その女子の会話の生々しさに乗っかっていったのも彼女なので、こちらの視線の険しさは変わらなかった。
「とか何とか言っても、庭園から逃げ出そうとはしなかった辺り、あなたも興味があったんじゃない?」
「こんな広い王宮で俺一人ほっぽりだそうってのかい」
薔薇の庭園から抜け出て宮殿内部を見ながら、絶対に迷子になると確信できる広さだ。ヤーファの王城のように平屋建てならばともかく、キャッスルの広さは苦手だ。
「それはそれで面白そう。貴婦人とかに誘われたりとかするかもしれないわ」
勘弁してくれ。という内心での言葉と同時に、前方にて何かの気配を感じる。曲がり角から出てきたと思われる人間二人。
どちらも青系統の衣装を身に纏った少女である。そして片方は名前と顔が一致している。
「エレン、リュドミラ……珍しい組み合わせだね」
呼びかけるようなサーシャの言葉であちらもこちらに気付いたようだ。回廊の向こう側に、こちらの姿を確認した紅玉の剣士の怒りが飛んでくる。
「一目見た時から認識した……お前は間違うことなく敵だ―ーーー!!!!」
怒りはそのままに剣戟という形でこちらに襲いかかってきた。
「どんな認識でそんな判断がなされたってんだ……!」
抜き払われた長剣―――「竜具」を召喚した「草薙の剣」で受け止める。サーシャ以外の全員の驚きの視線がこちらと剣に向けられるも構わずに
鞘込めのままに振るった剣が、あちらの竜具とぶつかり合うと――――――。
「なっ!?」
「っ!!」
剣戟のぶつかり合いで生じた風とは違う剣そのものの「風」がお互いにたたらを踏ませた。
勾玉を装備していないとはいえ、己の剣から風を出すムラクモに何なんだという思いであるが、どうにも向こうの竜具も……乗り気ではない感じがする風を主に当てていた。
「戦いたくないから自分を使うなだと!? アリファール、お前いつからそんな我儘言うようになったんだ」
「武器に拘るのは、戦士の常だが……武器に当たるとは、エレオノーラ・ヴィルターリアという女は戦士としては三流のようだな」
「なんだと……!」
「こんな所でそんな剣呑なものを振り回すなと言っているんだ。戦士には戦士の場があるんだ。それを弁えろ」
同意したのか、アリファールという特徴的な鍔を付けた長剣が主に優しげな風を当てる。その流れを受けて、やむを得ずエレオノーラは鞘に込め直す。
憤懣やるかたない顔でこちらを見てくるエレオノーラに、彼女が何故怒っているのかは先程までのソフィーヤとの話で理解している。
仲良しになろうとまではいかずとも、そこまで敵視してほしくない。
「……改めて確認するが、お前が東方剣士リョウ・サカガミだな」
「そういう君がライトメリッツ戦姫エレオノーラ・ヴィルターリアでいいんだな」
睨みつけの視線と険のある言葉に同じく返す。
「何で二人ともそんなに剣呑なんだい? いやまぁ人間合わない人っているけれども……リョウ、一応エレンは君より年下なんだからもう少し大人の対応を、エレンも僕の恩人にいきなり竜具で斬りかかるなんて真似やめてくれ」
悲痛なサーシャの言葉に対して申し訳ない思いがあるが、自分としては降りかかる火の粉を払っただけなので、そこまで責められたくはない。
しかしながらエレオノーラは、サーシャを心配する様子で肩を掴んでくる。
「サーシャ、お前は騙されているんだ。この男は確かにサーシャの病を癒す術を持っているかもしれないが、それは別の目的があるに違いない!!」
「り、力説するねエレン。だったら僕を介して、リョウは何をしようとしているんだい?」
「具体的にはサーシャを食い物にするんだ。男慣れしていないサーシャに近寄って身の毛もよだつような行為を要求して快楽に溺れた所で、金銭の類をむしり取るだけむしり取って、その後はボロ雑巾のように捨てられてしまうんだ!! そんなこと私は許せない!!」
身振り手振りを加えて表情豊かに表現するエレオノーラに想像力豊かだなと感心すべきなのかどうか、まぁ取りあえず本人の前でそんな罵倒聞かせるんじゃない。そして何よりサーシャを馬鹿にしすぎだと思う。
しかしながら、それに対して――――。
『本当にそんなことするの?』
「しません!!!」
蒼髪の戦姫と金色の戦姫が、朱い顔をしながら聞いてきたので、こちらも完全否定をする姿勢を取る。
ソフィーヤとは違い少し初心な反応で聞いてきた蒼髪の戦姫……確か名前は……。
「失礼しましたサカガミ卿、ジスタート王国が公国の一つオルミュッツの地を治めているリュドミラ・ルリエと言います。以後お見知りおきを」
一礼をしながら、名乗りを行ってきたリュドミラに対してこちらも一礼をしてから握手をしあう。
「エレオノーラが不作法をして申し訳ありませんでした。けれども、私達だって少しだけ嫉妬もします……理由は分かりますか?」
「サーシャが頼ったのが、君達でなく俺だからだな……」
「―――それ以外にも、病床を回復させたとはいえ戦場に彼女を立たせたからですよ。だから……場所を改めて私の挑戦を受けていただきたい」
持っていた水晶のような拵えの槍の穂先をこちらに突きつけたリュドミラの視線を受けながら―――決闘の日時と場所を聞く。
彼女の怒りは正当なものだ。自分に対して不作法な妄想で、悪者にしてくれたエレオノーラよりも好感が持てる怒りだ。
「待てリュドミラ、その男に戦いを挑むのは私の―――むぐぐ……」
「はいはい。あなたは黙っていなさいな」
エレオノーラの口を手で塞いで言葉を閉ざしたソフィーヤに若干の感謝を示しながら、リュドミラにそれを聞く。
「日時は今すぐ、場所は、この宮殿の鍛えの間にて―――」
「承知した。準備が出来次第赴く」
見届け人は、要らないだろう。ここにいる戦姫全員が、自分とリュドミラ・ルリエとの戦いを見にくるはずだ。
踵を返して鍛えの間に向かって歩いていくリュドミラ、自分も着替え次第向かおうとしたのだが、サーシャの少し怒るような顔が自分の目の前に現れる。
「どうした?」
「何でそう向かってくる相手に対して真正面から噛みあうのさ……あんまり女の子と喧嘩しないでほしい」
「別に俺もそんなに喧嘩したいわけじゃないさ。ただエレオノーラはともかくとして、彼女の怒りは分かる気がするし」
そういう意味では自分とエレオノーラは似た者同士とも言える。もっとも自分は彼女のように偏見を持つことは無いのだが……。
「そうじゃなくて、そんな風に戦姫全員と戦っていたらリュドミラまで君に懸想するかもしれないじゃないか」
「いや、その仮定はおかしくない?」
不満たっぷりな顔で言ってくるサーシャに対して、あり得ないという想いだ。
第一、どうやっても懐かない聞かない猫が一匹いるのだからあり得ない。そしてその猫はサーシャに近づくなと言いたいのに、ソフィーヤに口をふさがれ傍から聞けば何と言っているのか分からない。
「なんにせよ。挑まれたからには戦うさ」
それが戦士としての礼儀なのだから―――――。
◇ ◆ ◇ ◆
やってきた馬の数々。そしておまけと言わんばかりの、牛や羊も数十頭ずついた。目の前の光景は当初思っていたものとは上方修正する形で広がっている。
しかしながらティグルとしてはこれだけの家畜を……こんな金額で買い取れたことに対して、何だか釈然としない思いだ。
離れた所ではここまでキャラバンを率いてきた恐らく騎馬の民族の商人と雇った護衛(?)であり侍女といえる女の子が話している。
少しだけ呆れた顔をしている商人に対して女の子―――オルガは恐縮しっぱなしだ。しかしながら仕方なしと言った感じにため息一つを吐き出した商人が拝跪をしてから、こちらにやってきた。
「我らが族長の継嗣をよろしくお願いします」
ただ一言。それの後に一礼をして商人は、馬車に乗り込んで再び商旅を開始していく。
「―――やっぱり君は騎馬の民族の関係者だったのか……」
やってきたオルガに何気なく問い返すと彼女も普通に返してきた。
「血筋的に私は今の族長の孫に当たる」
ジスタート貴族に縁戚として己の一族の娘を嫁がせたというティグルの想像は――――違うのだが、オルガはそれを訂正することはしなかった。
とにもかくにもモルザイム平原に牧場を設定しているのだ。とりあえずそこに馬や家畜を離すようだ。
家畜責任者なども募っておいたので、その内、募集が来るだろう。しかしそれまではティグルが見ておくようだ。
何より耕作馬を欲している村の要求を精査しなければいけない。
「ティグル様ーー!! マスハス様がこられましたー!!」
大声で丘の向こうから呼びかけてくるティッタの言葉に、招待していた客人がやってきたことに気付く。
「俺の後見人ともいえる人なんだ……父上の友人で、こことは違う領地を治めてらっしゃる」
「どんな人なんだ?」
「会えば分かるさ」
オルガを連れ添って丘の向こうに行くと、そこには白い髪と髭で覆われて老齢に差し掛かった大柄な男がいた。
「マスハス卿、ご無沙汰しています」
「息災で何よりだティグル。そして我が友ウルスが行おうとしていた大事をやり遂げるとは、この老体をあんまり感動で震えさせるな」
差し出した手を握り合うと、ティグルにも分かってしまう。初めて会った日からどれほどの年月が経ったのか。
目頭に涙が浮かびつつあるマスハスにティグルは恐縮してしまう。今回のことは本当に幸運だっただけだ。
「まだまだです。今回は思わぬ幸運と思わぬ良友との出会いで買うことが出来ただけですので」
「それもまたお前の善事が招いた神の思し召しだ。ありがたくそれを受け取っておけ……良友というのは、そちらのお嬢さんかな?」
「初めましてティグルヴルムド・ヴォルン卿にお仕えしておりますオルガです」
「マスハス・ローダントだ。ティグル、こちらのお嬢さんはお前の―――」
何なのかという問いに自分が答えるよりも早くオルガは答えた。
「私はティグルの客将であり護衛であり夜伽の相手です」
瞬間、マスハスが固まった。そしてティッタは素早くオルガの後ろに回り込んで頬を両側から引っ張る。
「いたたたたた。ちょっ、ティッタさん。それは本当に痛いです」
「全くオルガちゃんってばお茶目さんなんだからー♪ そんな冗談、お客様に言っちゃだめだよー♪」
バタバタと手を動かしてティッタに抵抗するも流石に背丈に差があってか、それも無駄な抵抗だった。そしてティッタが若干怖い。
そんな二人のやり取りをみつつマスハスは一言真剣にティグルに問いかけた。亡き親友の一粒種の将来を心配しての言葉は若干失礼だった。
「今の言葉のどれが真実だ?」
「真ん中以外は全て嘘です」
真剣な問いかけに、少し憤慨しつつ答えた。もっとも真ん中にしても、護衛されるほどの脅威はこの領地にはないのだが……。
こちらの憤慨を理解したのかマスハスは話題を変えてきた。内心はともかくとしてあんまり父の友人を怒りたくもないのでティグルもそれに乗る。
「しかし、この馬たちは海路を渡ってやってきたのだな……良い馬だ。海が穏やかだと交易も豊かになるな」
「南海からやってくる行商人達がまさかアルサスを通るほどですからね。何かあったのですか?」
「うむ。近海の海賊達が掃討されたとの話だ。それを行ったのはジスタートの戦姫と―――、一人の自由騎士」
戦姫という言葉にオルガは、背中がざわつく思いがしたが特に疑いの目がこちらに向くことは無かった。
「一騎当千の噂があるジスタートの戦姫は知っております。ですが……その自由騎士というのは?」
興味を惹かれる単語が出てきたのでティグルは、マスハスに詳細を聞くことにしたのだが、その前に盛大な腹の音がモルザイム平原に鳴り響いた。
その音は、ティグルとオルガから出ていた。正直、穴があったら入りたい気分だが、助け舟はティッタから出た。
「お昼ご飯は多めに作っておりますので、マスハス様もどうぞ」
「ではご相伴に預かろう。昼と同時に自由騎士の詳細を話そう。よろしいかなヴォルン伯爵?」
「からかわないでくださいよ」
そうして聞かされた自由騎士の話にティグルは、興味を覚えて、その相手がヤーファから来た人間だと知り尚の事興味を抱いた。
ヤブサメという馬上での弓術を修めるのがヤーファの騎士の第一とも言われているぐらいだ。相当な弓の名手なのだろうと思って、何より竹で出来た弓を見てみたいとも思った。
「竜殺し―――リョウ・サカガミ……凄い人間がいるものですね」
「お主の弓も相当なものだと思うがな。その竜殺しの功績に関して一度、全ての貴族を王都に召集するということも考えられている」
「何故、そのようなことが?」
疑問に対してマスハスは少しだけ苦い顔をしてきた。
「英雄と言うものには正の側面もあれば負の側面もあるのだ。覚えておけティグル、どんな英傑や聖者が私心無くともその後には様々なものが残される」
マスハスの重い言葉に、聞かされている三人が息を呑んだ。
今回の海賊討伐の結果として海賊達の本拠地であった群島諸島の類に関してジスタートは、そこを完全に拠点化するという行動に出ており……それは色々な意味で不味かった。
「今までどこの国にとっても領海が跨る微妙な地域であったからこそ海賊共が塒としていたのだろうが、リョウ・サカガミと戦姫達の行動はその海賊共を完全に壊滅させた」
領海の安全というものと引き換えにジスタートにとって新たな領土が増え、結果としてそこにもしも軍船が常駐するようになったならばブリューヌやアスヴァ―ルなど沿岸に面している国にとって脅威だ。
「ジスタートとは交渉をしているのですか?」
「一応な。宰相ボードワンは堅実に粘り強く話を続けている。感触ではどうにも拠点化が難しいという話も聞かれるが、果たしてだ」
戦争になる可能性もあるのか……。ティグルの脳裏に不安が過る……一応、自分の土地はジスタートとは山脈一つ挟んで隣接しているが、それでもここにそこまでの影響は無かった。
それは街道が整備されていないからというのもあるが、それにしてもこのアルサスが貧相な土地だからだ。
「ティグル様……」
思案を続けていた時に、ティッタに袖を掴まれて険しい顔をしすぎていたかと反省して彼女の頭を撫でて安心させる。
横にいたオルガが少し不満そうな顔をしたが、ティッタの不安も分かるので彼女は抑えた。
「何にせよ。いずれは召喚状が届くはずだ。その前にどうするか、そして始めたものをちゃんと軌道に乗せてから王都に向かうべきだな」
「もしもの時には書状をお願いします。ですが……なるたけ赴くようにしますよ。それがブリューヌ貴族としての務めでもあります」
親友の顔を、目の前の青年に重ねて目頭が熱くなりながらも今回、青年が自分を呼んだ理由を聞いていなかったことを思い出す。
「頼もしいな。それでお主が今回ワシを呼んだ理由は何だ? すっかり忘れてしまっていたが」
「ええ、これだけ多くの家畜の世話となるともう少し広く多く人材を募集しようと思いまして、マスハス卿の領地でも、この牧場の管理者募集のお触れを―――――」
そうして王都に召集されるという将来の予定を考えつつも、今は自分の領地のことで手一杯だと思いつつマスハスの伝手を頼る算段を着けていた。
同時刻――――ブリューヌ王都ニースにて皇太子レグナスが、宰相ボードワンに渡された書類の今回召集される貴族の中に『ティグルヴルムド・ヴォルン』の名前を見つけて、寂寥感を少しだけ薄らげたのは『彼』だけの秘密であった。
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「凍漣の雪姫Ⅰ」副題『天空の城のレギン』
「ティグル、空から女の子が」
「はい?」
突如、空を見上げたオルガの言葉に従って行動を同じくすると、確かにそこには一人の女の子がいた。
短い金色の髪が宙に舞いながらも、何とか地に落ちようとするのをこらえようとするも、どう考えても間に合わないだろう。
このままではどう考えても、激突するのは防げない。下が草であれば、まだやりようはあったのだが―――――。
「ティグル、『土』を動かす。だからあの人を助けてあげて!!」
瞬間、オルガは己の斧で地面を思いっきり叩いた。そして次にはニースの路面が『波』となって動いたのだ。
波の上に乗るティグルは奇妙な経験と現象に驚きつつも、このままいけば彼女が激突する前に何とか助けることが出来るはずだと思ったが、目算するとこのままでは少し時間が足りないと考え直す。
一寸の時間だけでもいいということを考えて、ティグルは背の弓を掴み矢をニースの家に翻る国旗の内の一つに放った。
支えるもの無くなる国旗は風に流されて、彼女の下に「予想通り」滑り込んだ。
一寸の時間を稼ぐクッションとなったそれの下にティグルは走りこんで落ちてきた彼女を抱きとめた。
「――――大丈夫か?」
走りこんだ勢いのままこちらも尻を着いたので呼びかけるのが少しだけ遅れた。
そしてブリューヌ国旗に包まれた少女―――その可憐な顔がこちらに向けられて、思わず動悸が上がるのを隠せない。
「あ、ありがとうございます……」
それは少女も同様だったのか、それとも先程までの命の危険からまだ緊張しているのかは分からないが、紅い顔が向けられる。
年頃の男女の視線の交わしあい―――をするには、少しばかり現在の状況は騒がしくなり過ぎた。
(不味いな)
衛兵たちは、自分がブリューヌ貴族ティグルヴルムド・ヴォルンであったとしても職務に忠実だ。
でなければ、彼らはこの職に就いてはいないだろう。
しかしながら、彼女がいきなり空から落ちてきたのはそれなりに理由があるようにも思える。
この場合、ティグルのやるべきことはただ一つであった。
「逃げるぞ」
「分かった」
応と答えたのはオルガだけであり、ブリューヌ国旗に包まれた少女は戸惑っていたが、こちらの手の導きに従い、走り出す。
(俺はただ単に国王陛下の召喚に応じただけだというのに、なんでこんなことになるんだか…)
だが、それでもここでこの女の子を見捨てるのも寝覚めが悪い。何か訳ありなのは流石に分かる。
「すみません……その迷惑をおかけしてしまって……」
「というか何故に君は空から落ちてきたんだ?」
「えーと……その色々と見込みが甘かったんです。何とか狙い通りに辿り着けると思ったのに、思ったよりも早く落下しまして……」
つまりは、彼女は何らかの目的があって、空を落ちてきたようだ。
だが、彼女は『何処から』落ちてきたのかを語っていない。この城下町のどんな建物よりも高い建物といえば王城しかない。
もしも彼女が天空に浮かぶというお伽噺の場所から落ちてきたというのならば、どうしようもないが
現実的に考えれば、彼女は王城から身を投げて、ここまで落ちてきたのだろう。
「君の名前は?」
彼女の手を取り走り抜けながら尋ねると、少しだけ戸惑った表情をしつつも彼女は己の名前を語った。
「レギンです……」
「レギンか。俺はティグル、よろしくな」
「私はオルガ、ティグルの愛妾兼客将」
「―――――!? こ、こんな小さい子供が趣味だなんて、は、恥を知りなさいヴォルン伯爵!」
絶句してから、叫びだすレギン。しかしティグルとしては疑問が浮かんだ。
オルガのかなり妄想混じりの自己紹介に対する弁明を忘れてしまうほどに、手を取っている少女に対して疑念が湧いてしまう。
何故この女の子は自分が―――ティグルヴルムド・ヴォルンだと分かったのだろう。
家名を名乗った覚えは無いのだが……。
「……その、私は王宮の行儀見習いをしていますのであなたのことを知っていたのです」
こちらの疑惑の視線の意味を理解してか、彼女はそう説明してきた。
疑う要素は無いわけではない。
しかし、彼女は自分に悪意があるようには思えない。
だったらばこのまま見捨てるのも気分が悪い。故にティグルは、その手を握りしめながら衛兵を撒くために走り続けた。
◇ ◆ ◇ ◆
鍛えの間には一種の男特有の匂いが籠っていた。
女騎士がいないわけではないが、それでも依然どんな国でも男が戦場の主力だった。
王宮に勤めている騎士の多くはここで己の腕を落とさず更に上げるために鍛える。
ゆえにそこに年頃の娘達が四人も入ってきた時には何事という思いがあった。そしてその娘達が自分の国の誇る一騎当千の存在であることを確認してから敬服する。
戦姫が四人とも剣呑な表情で入ってきたのだ。これから何が起こるのか少しばかり恐ろしくもなる。
「失礼ですが戦姫様……ここに何の用でしょうか? 不躾ですがここはこの城の騎士達の鍛えの間ですので……少しご遠慮してもらいたいのですが」
一人の勇気ある騎士が、仲間からせっつかれる形で四人の人知を超えた竜の姫達に来訪の目的を尋ねた。
それに対して四人が四人とも異なる答えを返してきた。
「鬼退治だ。女を誑かす鬼を殺す」
「トリグラフの鎧を斬れる戦士と決闘するの」
「竜殺しの実力を検分したいの、戦うのは私じゃないけど」
「僕の色子が殺されないように、ここに来た」
返した順番は、風、氷、光、焔であった。要領を得ない回答であったが、それでも何人かの聡いものが、何のことかを察した。
つまり邪竜殺し―――リョウ・サカガミと彼女らの中の誰かが戦うということなのだ。
何にせよ、これは一大事と思いながら急いで椅子を用意して観戦の様を整えようとした時に、彼は現れた。
謁見の間で見たような礼服ではない平服に見えてヤーファの戦装束を身に着けた男だ。
「随分と早かったわね。私を焦らすことも出来たんじゃない?」
「女との待ち合わせには遅れたくないんだ。一度酷い目に合わせられたからな」
郷愁を感じさせる顔。恐らくここではないヤーファでのことだと察せられた。
リュドミラとしては何にせよ、この男の実力の程を測りたかった。自分の領地の職人が作り上げたトリグラフの鎧すらも叩き斬る最強の戦士の一人ともいえる存在。
ならば、握るべき得物は尋常のものでない方が良いだろう。握るべきは氷の槍。
竜具ラヴィアス。それを確認したリョウ・サカガミは腰に差していた刀とは別に、もう一本の剣を取り出した。
先刻エレオノーラのアリファールを受け止めた剣――――。銘を「クサナギノツルギ」という異国の剣だ。
「勝敗の基準はどうする?」
「自己申告制でいいでしょう。私はエレオノーラと違って引き際は弁えているので」
挑戦的な笑みにも彼は答えない。ただ淡々と己の作業を精密に行おうという表情だ。
しかしながら始まりの合図は彼から出してきた。
「そうかい。ならば――――始めようか」
黒鋼の鞘から引き抜かれたクサナギノツルギが一陣の風を出しながらも収まり、その刹那に走りながらの斬りつけが見舞われる。
しかしながらラヴィアスの間合いを理解していない。薙ぎ払いのごとき剣閃は反対側から走ってきたラヴィアスの薙ぎ払いによって止められた。
そこからがリョウ・サカガミの剣の神髄だ。防御していたはずの剣と槍の境目からいきなり攻撃に転じる。
下に潜り込む形から剣を振り上げるリョウの動きに対して、リュドミラは槍を回転させて石突を顎に直撃させようとしたのだが、それも読まれていたのか、剣で防御されながら横に逃れて行った。
(硬いな……)
(疾いわ……)
お互いにお互いの実力に対して感想を内心でのみ述べる。離れた位置で構えなおしながら、相手の動きを探る。
飛び出してきたのはリュドミラの方であった。防御を戦術の核に据えているとはいえ、己から動かないことなど無い。
膠着を嫌う辺り、彼女もエレオノーラと似たような気性なのだ。それに対してリョウは、己の剣を胸の高さまで水平に上げて突きを待つような構えに変えた。
(こんな所で捨て身―――安い手を―――)
腰を落として放たれた穂先が一直線にリョウ・サカガミを貫こうとしていた。動きが無い。貫こうとした刹那の時にリョウは後退しつつ回転をしてリュドミラの側面に躍り出た。
超速とかいうレベルではないその動き方から、剣がリュドミラの腕を叩こうとした時に、氷の籠手が彼女の腕に出来上がって斬撃の勢いが殺された。
重圧の御稜威をかける暇も無くリュドミラの背後に大きく移動していくことにした。
判断を誤れば――――。
「俺も氷漬けになっていたか……」
「そういうことよ。それにしてもまさか……こちらの間合いを測るための構えとは…」
氷が貼り付いた剣に仕方なしと嘆くリョウとは対称的にリュドミラは先程の攻防に対して恐ろしい思いだ。
先程の水平の突きのような捨て身の構えの目的とはラヴィアスの間合いを測るためだった。
「いきなり「短槍」の間合いが変化したんだ。まずは仕掛けを理解しておくのが最初だろ」
見るとリュドミラの槍は決闘当初のように、短い柄ではなかった。長槍の類にまで伸びたそれはつまりこの竜具は間合いを変化させられるということだ。
こんな武器もあるんだな。と思いながらも警戒は解かない。穂先を地面に突き立てて、あちらも仁王立ちしながら更なることを問い返してきた。
「あの構え……本来は防御に徹するものね?」
「というよりもどんな攻撃であっても対応できる構えだ。今回は己の眼を補強するため物差し替わりに使った」
言いながらリョウは懐より赤い石を取り出した。気付いたサーシャは苦笑しつつも、大人しく何も言わないでいる。
「破邪の穿角の異名を持つ「凍漣」ラヴィアス。相手に極寒の冷気を叩きつける氷の竜の吐息を凝縮した槍よ―――その異名を存分に教えてあげるわ」
酷薄な笑みを浮かべたリュドミラの言葉の後には、鍛えの間の地面を突き破るように大きな氷柱の波が真っ直ぐにラヴィアスの穂先から放たれていく。
しかしそれだけでなくそれに呼応したかのようにリョウの四方八方から氷柱の波が襲いかかってきた。
殺到する氷柱の豪撃に終わりを誰もが予感していた。リュドミラも、殺すまではいかずとも一部でも氷漬けになれば、その後には降参の言葉が聞こえると思っていた。
だが、予想は裏切られた。誰もの予感を超えて勝利を掴む勇者こそが―――彼なのだ。
「ここからだよソフィー、エレン。リョウ・サカガミの力の神髄は―――」
「けれど流石にあれを食らっては――――」
「……サーシャ、あれは「芋女」が放った氷柱による「塵煙」じゃないな」
戸惑うソフィーと対照的に冷静なエレンの言葉の通り今リョウの居た辺りには、煙が立ち込めている。最初は石床を砕けた際のそれだと思っていたが、明らかな熱を感じる。
「!?」
瞠目したリュドミラの驚きは、サーシャを除いてこの場にいる全員が同じ思いであった。
殺到した全ての氷柱の切っ先から下を斬り捨てて綺麗な断面を見せている。
煙を切り裂いて現れた侍の周囲には氷柱は無く開けた小島のような空間を作り上げていた。その手に握られるは、先程の剣と同じ形状に見えて微妙な変化をしている剣だ。
何よりの変化は形状の変化ではなく、その剣が炎を纏っているということだ。
揺らめく炎の剣。サーシャのバルグレンを思わせる剣が侍の手に握られていた。
「クサナギノツルギの形状変化の一つ「炎蛇剣」―――これの前には、極寒の冷気も無に帰る」
宣言と同時に、剣から大きな炎の鳥が飛び立ち実体のない炎の剣をもう片方の手に握らせた。
「鳳凰剣といった所か、まさか……異国にて「覇炎紋」を帯びるとはな」
独り言のようにつぶやいた直後には、氷柱の切株を足場としてリュドミラに迫っていくリョウ。
「くっ!!」
まさか自分が作り上げた氷柱を利用されて高い所からの攻撃を受けようとは思っていなかったリュドミラは後退する。
(いい判断だ。そのままならば首を落とされていたぞ)
攻勢よりも守勢に重きを置いた彼女の技術はたいしたものだ。だが、それでもこういった場合に対する対処が遅い。
同じ戦姫と本気で戦うこともそんなに無いのだろう。
だが―――――。
(俺相手にそれは敗着の一手だ)
二刀の剣を振りかざしながら迫り槍の間合いを踏み越えて剣の間合いに入り込む。長柄を利用した攻撃がこちらの攻撃を弾く。
その合間合間に氷の礫などが降り注ぐも振るう剣の熱が水へと変わり、そのまま大気に溶け果てる。
「亡者共を倒した焔……サーシャのものだと思っていたけど……あなたが、そうだったのね!」
槍の穂先がこちらの切っ先を跳ね上げる。そのがら空きの腹に槍が吸い込まれる寸前に、槍の横に水平に移動する。
「彼女の炎と俺の火が合わさり―――「火炎」となり亡者を還しただけだ」
彼女の薙ぎ払いよりも前に体を低く落として下段である足を狙うも長柄の回転が剣を押しとどめる。
「つまりあなたも!! 『私』と同じということね!!!」
言葉と同時に膂力の限りでこちらと鍔競り合うリュドミラの表情はどこか楽しげだ。
リュドミラの言いたいことは分かるようで分からない。しかしながら、攻防の終着は見えつつあった。
彼女の頭上高くに形成されている氷の結晶―――その巨大さから彼女が何をしようとしているのかは分かる。
炎蛇剣の熱に溶かされることなくあるそれは間違いなく、彼女の必殺の前兆だ。
槍の間合いを活かして距離を離されてしまいながらも注意は怠らない。読速が全てを悟らせる。
「これで最後よ。この技はいかにあなたの破邪の炎でも切り裂けない。今ならば降参出来るわ」
「降参するほど絶望的な状況ではないな。ヤーファの剣客として負けられぬ」
緩く剣を握りながらも、剣速・身速の全てを最大限駆動させる準備を整える。
この時間に題を付けるとしたならば、「決する時」といったところだろう。
全てが一瞬で決まる―――お互いに視線で隙が出来ていないかを探る。
間隙の一つが生じた瞬間に全ては―――――《氷晶から水滴が落ちて》―――――――動く。
「
言葉が始まりの合図であったかのように氷晶が弾けて氷の棘がリョウの前方の空間を埋め尽くす。
しかし―――『完全に埋め尽くされているわけではない』。隙間はどこにもある。
足の駆動と手の駆動が連動して、炎剣が氷の棘を大気に溶かしていきつつも、止まることは無い。
その超反応と迫りくる剣士の絶技にリュドミラは肝を冷やしつつも、ここに来るまでに放った仕掛けが順調であることに成功を確信する。
直線ではないが、それでも最短でリュドミラに迫るリョウ。その距離が20チェートに迫ろうとした時にリュドミラは更なる秘術を用いて、決着の時とした。
「――――
床に着いていた槍の穂先から冷気が放たれて闘技場の床が凍っていく。
だが、そのスピードは尋常ではない。まるでもともとあった水が凍るかのようだ――――。見ていたエレンが気付く。
(そうか、あの男が斬っていた氷の水――――、それを凍らせたのだな)
如何に気体に変ずるといえ場所は外ではない。この空間には水蒸気が溜まっていた。天井の結露からの落水。それも一役買っていた。
結果として、リョウ・サカガミの足は氷の上に縫い付けられた。
「終わりよ―――ヤーファの退魔剣士!!!」
氷の足場を滑るようにして迫りくるリュドミラ。氷を扱う彼女にとってこの程度の動きは造作もない。
不得手なものであっても転倒する場所を彼女は難なく渡り歩く。
一方のリョウは、彼女の強襲を躱せる体制ではない。――――氷を溶かせる炎の実体亡き剣はナイフ程度のサイズに、クサナギノツルギも強烈な冷気の叩き付けに凍り付いていた。
刹那の数瞬さえあれば、炎が再発し氷を溶かせるはずだ。だがその数瞬は接近し巨大化させた槍を突きつけるリュドミラによって奪われている。
ゆえにリョウは、その数瞬を―――抜刀に使った。腰に差していた「鬼哭」を抜き放ち―――柄を口に「結わえた」。
行動の奇異さにリュドミラは瞠目するも氷槍は既に止められぬ。何よりここまで来れば決着。しかし、リョウはまだ遠いとして「鬼の牙」で氷の穂先を受け止めた。
「――――凍―――」
「遅い!!」
受け止めた後に上体だけを後ろに逸らすことで突進力を受け流すと同時に刹那の数瞬を稼ぎ、炎が己に纏わりついていた氷を溶かしきった。
円を描くようにしてリュドミラの圏内から逃れて彼女の背後に躍り出る。動揺が消せぬ表情。
槍を戻そうにも、リョウの奇策により完全に逸している。何より巨大化させた槍は、バランス悪すぎで突進を仕掛けたので重心が崩されるとどうしても反応が遅れる。
必勝を期して得物の強化に走ったのが仇となった。実体なき炎の剣と実体に纏わせた炎の剣の二刀になった「戦鬼」が、リュドミラに―――実体なき炎の剣を足元に投げつけた。
縮小させた槍でようやく振り向いた所に投げつけられた炎が彼女の足を止めた。刹那の時間が生まれて、その刹那の時間にリョウは走った。
斬るべき始点―――そして終点は見えている。かつて長柄の鎌を振るった美しき死神に対して放たれた刃と刃が合わぬ必殺の交差斬撃。
それが「
リュドミラの後ろに走り抜けながら放たれた斬撃の結果―――二つの武器が宙にて回転しながら落ちてくる。
主の手元に戻るは、「剣」であり―――主の手元に戻らぬは「槍」であった。
闘技場の床に突き立つ氷の槍。その結果は誰の眼にも分かっていた。
「――――参ったわ。いえ、参りました」
「潔いな。少しだけごねると思っていた」
手の甲からの出血で握力を失ったリュドミラに近づきながら剣を二刀とも納める。
呪言を唱えながら、彼女の表情を見るとどこか晴れ晴れとしていた。
「あそこまで手加減された上に、とどめすら加減されていては―――怒る気力も失せるもの。おまけに……傷まで癒されては……」
御稜威を唱えて彼女の手の甲の傷を癒してから、周りを見渡すと表情はそれぞれであった。
(まぁ普通の人間があれだけの動き出来たらばそうなるよな……もしかしたらリュドミラの領地出身の騎士もいるかもしれないし)
そんな中で、サーシャは遊び暴れすぎた子供を見るような表情であり、ソフィーヤは深刻そうな顔。
……一番、問題なのはアリファールではない大剣を持ち上げて、こちらを爛々と見てくるエレオノーラだ。
「私は負けたわけだけど……何か要求することある?」
「とりあえず喧嘩しないでくれ。今にも俺に斬りかかりそうな女ともだ」
神妙な様子で尋ねてくるリュドミラに対して決闘の対価を話す。とりあえず避けられる喧嘩は避けてほしい。
本当に譲れぬことであるならば喧嘩もやむをえまいという意思で言ったのだが……。
「委細承知しましたリョウ
「………はい?」
何だかリュドミラの様子が少しばかり変であった。こちらに向けられる視線がどうにも……尊敬のそれに代わっているような気がする。
一番に「
「義兄様の実力、このリュドミラ感服しました。あれだけの剣腕であるならば、我が義姉アレクサンドラが信ずるに足ると確認出来ました。何よりその精神に私は武人としての義兄様の本質を見出しました。だからミラはこれからリョウ・サカガミ殿のことを義兄として慕わせていただきます」
胸に手を当てて、そんな事を滔々と宣うリュドミラの様子に戸惑う。
内心、少し嘆きたくなるほどの変節。ただそういう風に思われて悪い気はしない。しかし何なのだろう彼女のここまでの変節の原因は。
「というわけでエレオノーラ、義兄様に向けているその無粋な剣を下げなさい」
「貴様にそんなことを指示される謂れは――――」
こちらの願いを無駄にするかのように、早速も喧嘩をおっぱじめそうな二人から離れて、他二人の戦姫にどういうことなのかを聞く。
「多分だけど、彼女は女系の家の生まれだからね。そういう家に生まれた女の子って……分からないかな?」
「同年代の自分と同じような男を下に見がちだな。おまけに父性というものが欠如しているんだろう」
しかしながら、何か一つの切欠があれば、その人物の評価を改める。要は本質的にはいい子なんだろう。
自分は最初からそれなりの評価を受けていたからこそこうだが、もしもリュドミラが最初から侮っている人間であれば、その時はその人間に純粋な好意を寄せるだろう。
「そういうことだね。僕としては彼女を懸想させなかったから結果オーライ。良かったよ」
とりあえず自分は汗かいているので、あまり抱きつかないでほしい。出仕用の礼服が汗臭くなると思いながらも、サーシャの気遣いというか柔らかな感触は、まぁ悪くない。
「貴様! サーシャから離れろ!!」
「僕はリョウから離れたくないんだ。エレンは僕の意思は尊重してくれないのかい?」
サーシャの言葉にそれはもう盛大な歯ぎしりして「ぐぬぬ…」とでも言いそうなエレオノーラに少し同情しつつも、その態度に感謝もする。
彼女の敵対はある意味では、自分にとっては好都合。全てが味方という状況よりも油断ならぬ敵の方が信頼出来るということもある。
「お前はそこまで俺が信じられないか?」
「……剣技だけは認めてやる。お前は噂以上の剣士だ。だがその人間性は好色な男と変わらん」
辛辣な言葉に内心泣きそうになりながらも、言葉を重ねる。
「言っちゃなんだが、お前もいつか女誑しな男に入れ込む気がする」
「ありえんな。だが、ありえたとしてもそいつはお前のような剣士じゃない。お前とは対極の武を修めた武人だ」
エレオノーラに関する星を見てみると、そんな風な結果が出たので伝えると、彼女は妙な所で勘が冴えわたるのかそんなことを言ってきた。
その考えは――――ある意味では正しかった。
自分が西方で探し求めた光。その光を最初に見つけたのはエレオノーラだったからだ。
◇ ◆ ◇ ◆
城門を潜ると同時に、思わぬ人物の登場にティグルは緊張を強いられた。
ブリューヌ王国の文官の頂点。その権威と権力は大貴族とそん色ないことで知られるピエール・ボードワン宰相が現れた。
「城下での騒ぎは聞き及んでおります。もう少しご自分の立場を理解して、ご自愛下されますか?」
「……すみません。けれども私は―――」
「……ジャンヌ殿が待っておられます。お早く」
まるでレギンの言葉など何の意味も無いかのように、そして自分とオルガを無視する宰相に腹立たしく思いながらも、今は黙っておかなければならない。
そして宰相の言葉にやはり思う所があったらしく、レギンは振り返りこちらを向いた。
「ヴォルン伯爵、オルガさん、私の少しの我儘に付き合ってくれて本当にありがとう。城下の食べ物が暖かくて本当に美味しいものだったなんて私は初めて知りました」
「大袈裟な……もう会えないのか?」
「ごめんなさい。けれども……また会えたらば、その時は……また私の隣を歩いてくれますか―――『ティグル』」
意を決してこちらを愛称で呼んでくれたレギン、レギンのそんな様子にボードワン宰相は少しばかり驚き、こちらとレギンを交互に見返していたがティグルは気付かなかった。
それよりも、これから何か大変なことになってしまうかもしれないレギンを安心させるためにも嘘偽りのない言葉を言わなければならなかったから。
「約束するよレギン。君の小さな我儘に付き合うぐらいは、俺のような男でも出来るんだから、何でも気兼ねせずに頼ってくれ」
「ありがとうティグル。また会える日を私は心より待っております」
胸を抑えて城内に入っていくレギンを見送り、振り返る彼女の顔が見えなくなるまでティグルとオルガは動かなかった。
そして見えなくなると同時に、猫顔のボードワン宰相はこちらに質問をぶつけてきた。
「ヴォルン伯爵だったかな……お手数掛けた……が、あまり彼女にはかかわらないことをお勧めする」
「別に宰相閣下の懸念されるようなことはありませんよ。私はまだそういったことを考えてもいられませんので」
ここに来るまでにティグルもレギンという王宮の行儀見習いという少女が、ただの貴族の娘ではないのではないかと懸念させていた。
一番に考えられるのは今のファーロン王の辺りに出来た
基本的にブリューヌにおいては、男子の王族のみが尊ばれて、女王という例は殆どない。
あるとすれば、何とかという騎士が王の娘、つまり王女を娶って王になったという話。
「―――とにもかくにも王宮の危機を救ってくれたのだ。感謝する。陳情があればヴォルン伯爵―――あなたの番を優先しよう」
「これといっては無いのですが……あれば、その時は国王陛下によろしくお願いいたします」
「伝えておきましょう」
淡々と事務的な口調で決められた手順を踏むかのようなボードワンは一礼してからレギンと同じく王城の中に入っていく。
自由騎士リョウ・サカガミ及び、ジスタートが新たに獲得した島に対する会議は、明日だ。
それまで―――――。
「鼻の下伸びすぎだティグル、あとでティッタさんに言うことが増えた」
この不機嫌最大の小さな斧闘士を宥めるために、少しだけ豪華な食事をとることにした。
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「光華の耀姫Ⅰ」
まぁ特に何かキリ番特典があるわけでもないんですが、多くのお気に入り登録ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
「海はいいものですねぇ。前回のアレクサンドラの戦いの際には全然、いい気分ではありませんでしたから新鮮な気分です」
「こちらとしても、嘔吐する女性に気を遣うよりはいいな。まぁ気分が悪くなったらすぐ言えよ」
「あっ、気分悪くなりました。肩を貸してください」
こちらに寄り掛かって来るヴァレンティナは、どう見ても気分が悪くなっている様子ではない。
どう考えても演技であるのだが―――まぁ悪くない感触であり、彼女の頭を撫でつつ海のむこうを二人で眺めつつプラーミャは自分の頭の上にいたりする。
家族三人無事に海洋にて、船に揺られていた。
その理由は――――。
「それにしてもまさか、ビドゴーシュ公爵を「公王」に任じるとは……少しばかり予想を外されました」
「公国があるんだ。それに準じて公爵閣下を公王に格上げすることは別に悪くないんじゃないかな?」
「そうですけど、これで公爵様は二つの領地を持つことになるのですし……私としてはあなたに任命が下ると思っていたのに」
「勘弁してくれ。その場合、俺は故郷から後ろ指をさされてしまう」
今回の公王就任の命をクルーティス卿がどう思っているのか、それを探るのが自分が今回派遣された理由だ。
もしも不満に思っているようならば、それをどうするかは自分に委ねられている。
ありのままを伝えてヴィクトール王に領地を取り上げられるか、それとも公国を繁栄させていく道筋をつけさせるか。
つまりはイルダーの格を見定めろという命を受けながらも、それをそのままにするか改善させる道を伝えるかは自分の裁量ということで、この使命を受けたのだ。
見えてきた未だに名無しの公国。かつては海賊島などとも呼ばれていた群島諸島。
船縁から見えるその公国の運命が自分の手にかかっていると思うと責任重大である。
だが、その一方でこれも使命を果たすための一つの手なのだ。
仮にもしもこの西方に「桃」の妖魔のごとき存在が現れた時に、自分や戦姫のような存在なかりせば、その時人々が生きていくためにも―――。
力を蓄えなければいけない。それは来てほしくない時の為の万が一の保険だ。だがそれでも……基本的に戦争が起こるのは好まないリョウとしては人々の生活を豊かにすることで礼節を弁えるというのならば、その方が良かろうとも考えていた。
決意を新たにしながら、それらを見ていたのだが―――――。
「どうでもいいのだけど、一応わたしがいるのも認識しているかしら?」
不機嫌な言葉を吐き上機嫌なプラーミャを抱きしめながら光の戦姫が、今回の同行者として着いてきている。
そんな美貌が一際輝く彼女の正反対なその雰囲気に周りの水夫達は背筋を正して緊張を強いられて、申しわけない気分になった。
「というかですねソフィーヤ、家族三人水入らずの旅行だったというのに、あなたが着いてくる方が変なんですよ」
「ただの視察だろ。そんな大層なものかよ」
ただまぁ久々にプラーミャをどこかに連れて行きたかったのも事実だ。
ティナの領地であるオステローデはどちらかといえば寒冷だが、火竜であるプラーミャにとっては己の熱でどうにもなるし、場合によっては暖を自分で取ったりもする。
賢い竜だなと思っていたが、それでもどこかに連れて行った方がいいとも思えた。あんまり部屋に籠って人なれしすぎると野生に帰りづらくなってしまうかもしれない。
そんな考えもあった。そこに厄介になっていた家主であるティナが同行すると言ってきて、自分を信じてくれてはいるもののティナの事に関しては少しばかり疑いを掛けているヴィクトール王の保険と言う意味でポリーシャの戦姫を付けてきた。
「本当に行き遅れの小姑も同然ですねソフィーヤ。男女の出歯亀なんかをやっていて空しくないですか?」
「そんなことは無いわ。私は元々、ジスタートの騎士階級の子女よ。まぁ領地があるわけではないのだけど―――それでも、お父様の仕事やユージェン様のような仕事こそが、本当の意味での平和への道筋だと思っているもの」
「米神をひくつかせながら言っていなければ説得力あったんだがな……」
リョウとしては頭を掻きながら、二人の言い争いが収まるのを見るしかない。
こちらに来てから分かったこと。ジスタートの戦姫に関しては、仲裁というものは肉体的な苦痛を伴うことは間違いないからだ。
とりあえず海洋に浮かぶ諸島が見えてきたので、降りる準備をしなくてはならない。
もっとも船に積載されている燃料から食糧にいたるまで、自分たちが荷運びを手伝うことはないので、やはり降りる準備だけは迅速にしなければならない。
自分の頭の上に乗ったプラーミャは、潮風を浴びながらその島を同じく見ながら少しだけ鳴いた。
「? どうした?」
お腹を抱えるように掴んでプラーミャを見るも、やはり目線がその群島諸島に眼が向く。
そこまでこの幼竜の興味を惹くものが、あそこにあるというのだろうか。
「本当に何でしょうね? 火竜山からかなり距離があるから山に郷愁が感じたのかしら?」
見ると確かに群島諸島の一つ一際大きな島には巨大な山がある。「海底火山」が隆起したから出来た群島諸島だろうということは知っていた。
しかし、ここが噴火したのは記録に残っている限りでは、六百年前。ジスタート建国以前の記録だから確かなものはないが。
「まさかとは思うが……あそこにもジスタートの竜王の一つがいたりするのかね?」
「……だとしたらばイルダー殿達は、全滅していると思うのですけど」
火竜山の主であった巨大な竜。プラーミャの父親のような存在があの山なり海の洞窟にいるのかもしれない。
戦姫であるティナや自分が竜殺しだなんだと言われていても、あれだけ巨大な竜との戦いは二度と御免である。
一撃を当てるのも一苦労なのだ。という二人の共通の苦労を嘲笑うように――――。
「プラーミャちゃんのお父さんぐらい大きな竜がいるかもしれないの? 幼竜もいいけれど竜王にも一度は会ってみたいわ」
純粋に好奇心だけのソフィーに少しばかり竜王との対峙がどれだけ精神をすり減らすものなのかを懇々と説明してあげたいところだが、フラムミーティオがああだったのは狂わされていたからであり、平時であれば賢い竜として振る舞っていただろう。
「戦姫様、自由騎士殿。そろそろ港に着きますが……何ぶん不安定なものでしてかなり揺れるかもしれませんがご容赦ください」
「分かった。しかし、海賊共はどこに船を停泊させていたんだ?」
船乗りたちの警告の言葉に疑問が一つ出てしまうのは仕方ないぐらいに急ごしらえの桟橋などの港が見えている。
石垣を使ったものをいずれは整備するのだろうが、それでもこの大型船を泊めるにはおっかないものもある。
故に―――これと同型程度の海賊船はどこに泊めていたのかが疑問だ。
「海賊共は砂浜から何海里か離れた所から小舟で上陸することもあり、更に言えば表向きは見えない洞窟の停泊所がありました。ここに多くの船を隠すことで、我々の眼を欺いていたのでしょう」
船乗り―――ジスタート水軍の若頭という男の少しばかりの苦衷を鑑みつつも、なぜそこをイルダーは使わないのかを問いかける。
「閣下は、諸外国に敵意が無いことを示すためにもそのような隠した場所に船を置くことを嫌っているのです。他にも色々と理由はありましょうが、正々堂々を旨としている人なので」
「成程」
戦術家ではないが戦略家ではあろう。そして猪突猛進の猪武者というわけではないだろう。
イルダーの評価を改めながら、接岸が行われる。宣言通りやはり揺れた。しかしそれでバランスを崩すものもそうそういなかった。
その辺りは、日ごろの訓練の賜物であった。
急ごしらえの桟橋に降りるために、昇降口が展開されると先に文官や職人達が降りていき、その中に自分たちも紛れる。
「手を―――」
「はい。エスコートよろしくお願いします」
「私には無いのかしらリョウ?」
「いやウチの息子を抱きしめているならば、そっちに注意していてくれよ」
とはいえ、それが本当の理由ではなく結局の所、ティナに手を貸しつつ他の女の子にまで手を貸すと絶対に嫉妬されてしまうからだ。
強欲な彼女のことである。そんな風な情景がありありと見えてくる。
しかし、彼女がそれを望んでいる以上はこちらもそれ相応にエスコートをせねばなるまい。
両手に華―――という割には随分と剣呑な二人を船から下しつつ、担当者がどこにいるかを見る。
だが担当者は本当に予想外の人物であって、正直一瞬何を考えているのかを疑いたくなった。
港の水夫に武官・文官達がざわめくのも当然だ。現れたのは、予想外の人物だったからだ。
ビドゴーシュ公爵にして、この名無しの島の公王に任ぜられたジスタートの二人目の王。
イルダー=クルーティスが数名の手勢を引き連れてやってきたのだ。
畏まった衣装ではなく軽い平服であるところから察するに休憩中だったのだろう。しかしながら、自分が思ったのは故郷での破天荒な友人のそれに似ていたからだ。
領内に争いあれば即座にそれを見聞きしに行く。その迅速さと即断。従来の価値観を覆す世間では「魔王」と呼ばれながらも、その異名に似合わず繊細な内面の男―――。
「このような衣装で失礼する戦姫殿、そして―――我らが自由騎士」
「政務が立て込んでいたとみるが、休んでいなくていいのか?」
「来客をもてなすのが領主の役目だ。まだあばら家程度の領館だが、とりあえずそこまで案内させてもらおう」
「いきながらでいいから現在、どんな状況なのかを説明してくれないか? 口頭で説明されるよりもそっちの方が速いと思う」
この島の状況を知るために自分はここまでやってきたのだ。てっとり早く知るためにも、彼に全てを案内させてもらった方がいい。
それに対して、自虐的な笑みを浮かべたイルダー。予想外に上手くいっていないと思われる。
「酒だけ飲ませて追い返すという策は無理そうだな」
「んなことを考えていたのかよ」
「望みとあらば女もつけたが……そちらは必要無さそうだな。これは困った。自由騎士リョウ・サカガミを籠絡する手立てが俺にはない」
「イルダー・クルーティス、戯れもその辺にしておいてほしいんだが」
「―――承知した。では、参ろうか」
こちらの少しだけ怒りを混ぜた言葉に流石にイルダーも表情を締めて、三人分の馬を用意したのだが――――。
「なんで二頭しか使わない結果になるんだよ……」
「いざ参りましょう! 家族旅行に!!」
「とりあえず公王陛下の居ないところで言いなさい」
ソフィーから離れて自分の頭に乗るプラーミャに自分の前に座るティナ。正直、積載過多ではあるが、先程のイルダーとのやり取りがあっただけに、今更問答も出来ないのでそのままに領内視察へと向かう。
後ろのソフィーの冷たい視線と苦笑するようなイルダー公王の視線に耐えながら、とにもかくにもこの島の実情を知る―――。
◇ ◆ ◇ ◆
円卓の上座に座る一人の王、先程からの貴族たちの喧々囂々のやり取りに対して、王は一つの質問という「結論」を投下した。
「ならば、この中で自由騎士リョウ・サカガミに勝てるものはいるか?」
ブリューヌ国王ファーロンの言葉に即座に反応したのは、王権を狙い暗躍している男。その野望を隠しもしないでこの場に現れた賊臣。
「実際に見ていないものを恐怖するは愚かなことだと思いますよファーロン国王陛下、なればジスタートと戦えば彼の竜殺しの実力を見ることも可能でしょう」
明らかな侮蔑を含んだ黒髪の小覇王の言葉に、何人かの貴族たちが気色ばむ。そのような言葉は既に臣下の域を超えている。
だが、それはテナルディエの権勢がとんでもないことを意味している。しかし、今回ばかりはファーロンも返す。どんな心境の変化があったのか。彼は今回退かずに返す。
「テナルディエ公爵、汝はジスタートと要らぬ刃を向け合うというのか、そのようなことは余が許さん。それは完全な外征だ。汝の勝手な思いでブリューヌを火に包むなど許さん」
「では、何故このような会議を開かれたのですかな? 私には陛下が臆病風に吹かれたとしか思えませんな」
テナルディエとは別の貴族。ガヌロンがテナルディエの言葉を直接的に言うことで国王に忠誠を誓う騎士達と貴族達が剣に手を掛けようとする。
円卓の議場が流血のものとなり果てる前に、国王陛下の傍にて石像のように佇立していた黒騎士が鞘込めの大剣を一度床に叩き付けた。
城全てが揺れたのではないかと思うぐらいに、とんでもない振動だった。それの効果なのか黒騎士の行動に全員が注目した。
「お歴々、国王陛下が恐怖するは当然です。リョウ・サカガミなる騎士のことを我々は知らないのですから、そして彼がヤーファの間者である可能性もある。ジスタート、アスヴァ―ルを同盟に加えて大陸制覇を考えている可能性も」
その言葉にテナルディエとガヌロンに従う貴族も現実的な恐怖が降ってきたようであり、青ざめながら彼らの盟主を不安げに見る。
「なればこそ我々は国王陛下に忠誠を誓うブリューヌの剣よ盾よとして彼の野望を食い止めなければならない。無論、彼に「も」そのような野望があればの話ですが……」
言葉の後半で、二人の大貴族を睨みつける最強の黒騎士。黒騎士に負けじと視線を還すも、テナルディエの腕ではロランに及ばぬ。
ガヌロンは苦笑してから少しだけ酷薄な笑みを浮かべた。しかしそれも一瞬のみで、その後には苦笑だけに留めている。
「父上、私から提案があります」
議場の安定を見計らったのかもう片側に佇立していた皇太子レグナス殿下が、ファーロン陛下に進言する。
「………言ってみろレグナス」
少しだけの沈黙をしてから、ファーロンは皇太子に発言の機会を与えた。
「はい。確かにリョウ・サカガミはジスタートの賓客ですが、ジスタートの臣下ではありません。精々が戦姫の―――個人的な友人というのが実際です」
言葉の後半で少しだけ言いよどんだレグナスだったが、とにもかくにも言い切ったレグナスの姿に少しだけ未来の王の姿を思う。
テナルディエとガヌロンの横暴によって、領地を脅かされている貴族たちは、文人肌の皇太子のありようこそが、未来のブリューヌの礎なのだと信じている。
「うむ。言われてみれば確かに彼が重要な位置にはいないことは事実。しかしそれだけで判断はできまい」
「ええ、ですから我々の最強の黒騎士と武術大会にて手合せさせるのです――――ロラン、その間だけザクスタンの国境要塞から出られますか?」
「オリヴィエという副官がおりますゆえ可能です。なによりリョウ・サカガミに対抗できるのは自分だけでしょう。他の者たちでは荷が勝ちすぎるでしょうからな」
瞑想しながら言うロランの姿は頼もしく思える。既に彼の中でこれは既定路線だったのだろう。
「ならばロラン、リョウ・サカガミの真意探れるか?」
「殿下と陛下のご杞憂、そしてブリューヌに要らぬ火の粉となるか否かの見極めは武の頂点に立つものの視線で悟りましょう」
「そのほかのことは我々でやろう。諸侯達も軽挙妄動は慎むように、ブリューヌの方針としては、そういうことだ。彼を一度招く。それまで余計なことはせぬように」
――――手温い。という顔をするのが、テナルディエ公爵の派閥であったが、それでも先程までリョウ・サカガミを侮っていたのは、彼らなので強くも言えない。
何より現実的な恐怖が彼らを包んでいたからだ。
(たかが
この円卓の議場で一番リョウ・サカガミに関して詳しいガヌロンは、思案に耽る。
恐らく自分とテナルディエは戦うことになる。それは「弓」を見つけることもだが、それ以上にかつて桃の「神」が行ったことを自分もやりたくなったからだ。
そして、そんなテナルディエとは別の敵であるファーロンは最初からテナルディエと自分に釘を打ちこみたかっただけだ。
(愚かな)
自分ならば釘ではなく「杭」を直接打ち込む。まずはジスタートを内部から浸食するためのものを使う。
手筈は既に整っている。腹心であるグレアストに命じて直接自分がやっていることではないのだと、何重にも偽装した上で、それをばら撒く。
それと同じものをいずれはファーロンの口にも含ませる。
(私は私を支配しようとするものを許せぬのだよ)
立ち上がり議場を後ろにしながら考えていたが、一人の男の姿が眼に入る。
赤毛の髪の若年の貴族、未だに少年と言っても申し分ない男。確かアルサスとかいうジスタートとの国境沿いの領地の公爵。
(そういえば戦鬼は、あの少年やレギンと殆ど変らぬ年齢だったな……)
妙な符丁を感じるとも言えなくもないが、それはとりあえず置いておくことにした。
たかだかあんな寸土の領主のことなど構ってはいられない。敵になるというのならば叩き潰す。味方となるというのならば相応の貢物を要求する。
それだけだ。と結論付けてガヌロンは議場を後にした。
◇ ◆ ◇ ◆
「ふむ。つまり農業で利益を上げることは不可能ということですね」
「はっきり言い過ぎじゃないかしらヴァレンティナ。公王殿下に失礼だわ」
「いやソフィーヤ殿も忌憚なき意見を申してください。この公国を任された以上、現実にはいつか直面するのですから」
二人の美麗の姫の言葉にイルダーは手を組み合わせて机にて沙汰を待っている。対面に座るイルダーから完全に目を離しつつ、測量士による島の全景を見つつ、風や潮の流れを見る。
「真水は十分に確保できます。燃料も可能ですし、塩の精製に関しても海があるのですから可能。問題は食糧です」
特に主食である麦の生産に完全に適しているとはいえないのだ。小さい島ではないのだが、それでも耕作地に適した所が少ない。
これからこの公国に住んでいく人たちの数を考えれば全然に足りない。
「私としてはここは完全に軍港・寄港地として栄えさせた方がいいと思っていますが……」
それでも結局の所、レグニーツァやルヴ-シュに完全に負けてしまう。
航路上の都合と言ってしまえばそれまでだが、それでは公王としては失格だ。
「つまり……この国の特産品が必要ということだな」
「その通りだリョウ・サカガミ。食糧は自給できる程度あればいい。となれば工業製品の利鞘で公国を栄えさせていく」
食糧は輸入しつつ、その他の公国特産品を輸出することで不足分を買っていく。
しかし具体的に何が出来るかだ。ヤーファにおいてもこういった問題を解決してきたことはあったが、その時は母の「薬師」としての知恵が役に立った。
「この国は今まで周辺諸国の毒だった。だがその価値を毒として見出すか薬として見出すかは、また使うものの知恵次第だ」
薬なんてのは殆どが毒なのだ。それに関して正しい知識を有するからこそ毒は薬となる。
健全なものに薬を与えれば毒に変じ、不健全なものに毒を与えれば薬に変じる。
毒を以て毒を制すという言葉は、この辺りからも来ているのかもしれない。
「工業製品か……果たして、この国で―――」
「あらあらプラーミャちゃん、どうしたの?」
深刻な悩みを打ち明けるかのようにしていたイルダーを遮るように、ソフィーの腕に収まっていたプラーミャが居館の窓に張り付く。
「外に出たいのかな? あんまり遠くに行くなよ」
窓を開けると同時に、そんな注意をするも窓枠から出ようとせずに、こちらの袖を掴んで引っ張ってくる。
それなりに鋭い爪が食い込むも、そんなことで目くじらは立てない。しかし、どこか必死な様子でいるプラーミャ。
話に飽きて遊びたいのか、それとも何か伝えたいことがあるのかは分からないが、とにもかくにもこのままプラーミャは、自分を連れてどこかに行きたいようだ。
「どうですかイルダー様、このまま館でうんうん唸っていても妙案なんて思い浮かびませんし、ジスタートの聖獣が、外に出たがっていますから、その導きに従ってみては」
「ソフィーヤ殿、あなたはただ単に幼竜と戯れたいだけでは?」
苦笑交じりの嘆息をしたイルダーの言葉に、舌を出して悪戯を咎められた少女のような仕草を取るソフィー。
「女はいつでも心は少女なのよ。失礼なことを考えないでほしいわ」
「俺の心の感想に茶々入れないでくれ」
今にも竜具の錫杖で叩いてきそうなソフィーに冷や汗が出てしまう。しかしながら、正直サーシャよりもソフィーの方が俺には年上に見えて――――。
「えいっ」
「いたっ! ちょいと俺なにかした?」
身に覚えのない打撃に抗議するも、どうにも今のソフィーには何を言っても無駄そうだ。すっごい怖い。
なんせ次は『股間』に叩き付けるぞ。とでもその眼は語っているもんだから。
「リョウ、プラーミャ行ってしまいますよ」
全員が行く準備を整えたからなのか幼竜はその翼を使って飛んでいく準備をしていた。
「うちの子は家に籠りがちなのにこんな時だけ冒険心ありすぎだ」
居館は平屋建てであり、門どころか玄関みたいなものしかないのだが、そこから出ると同時に、プラーミャがどこまで行くのか分からないので、馬を使うことにする。
どこかへと飛んでいくプラーミャ。この島は元々の先住民もおらず街道といえるほど上等なものもないのだが、それでも海賊などが踏み歩いて固められた道が存在しており、それを拡張することが街道整備につながるだろう。
「このままいけば……山の方に行くか……」
「本当に竜王がいる可能性も考えなければいけませんね……」
その場合、イルダーを逃がす手筈を整えなければならない。ティナのエザンディスならばそれは可能。問題はソフィーの持つ竜具がいかなるものかだ。
先程の打撃から察するに、杖自体の強度はかなりのものだ。恐らく自分の知る竜具の例にもれず竜の鱗を叩き割るぐらいは出来るだろう。
出来るだろうが―――――。
「何とか和平交渉出来ないかしら? この国の守り神になってくださいとでも言えば」
滔々と語りながらも落馬をしないソフィーに感心しつつ、プラーミャの親を思い出す。
「まあ話が通じないわけじゃないと思うが期待薄だな」
「リョウ・サカガミ、完全にこの島に竜がいるということで話を進めているが大丈夫か?」
「とりあえず最悪の場合を想定しているだけだ。そこまで気に病まないでくれ」
イルダーとて何の準備も無しに竜に挑むことだけは避けたいのだろう。事実、この中で一番対抗手段が無いのが彼なのだから。
不安を煽っておいてなんだが可能性は低い。仮にもしもこの島に竜王が生息しているというのならば、海賊共は何人かは胃袋の中だろう。
そもそも自分たちのアジトの内情を完全に把握しないでいるわけがない。
となると最大の疑問はプラーミャが何を思って、山の方まで飛んで行ってるのかだ。
「何かがある………」
火竜の習性とでもいえばいいのか、あの幼竜は火に関わるものに興味を示すことが多い。船の衝角作りの際の炉の温度を上げるために火を吐き出したり、火砲の導火線に炎を吐きつけて砲弾を放ったり。
火に関わる物品を欲している。海底火山が隆起してできたこの国の山には何かがあるのだろう。
険しき森林地帯を鉈などで切り裂きながら幼竜の導きに従って突き進んだ先には――――、地肌を見せた険しき山の連なりであった。
土が重なったものではない岩山―――プラーミャの故郷とは少しだけ趣が違う火山だ。
「立派なもんだが……何があるというんだか―――あれ?」
「変な声を上げて、どうしました? まぁこの山では岩塩も望めそうにありませんけど…」
オステローデの開発事業の一つとして岩塩鉱床を見つけたというティナは、この山の連なりにそれなりに考えが至ったようだが、リョウが考えていたことは別だった。
その地肌の中に赤が多く含まれているからだ。その赤色の正体にリョウは天啓が閃いた。
かつて討幕運動の立役者となった一人の土豪。正式な武士ではないが、それでもその破天荒な戦い方が時の幕府を倒す原動力になった。
土豪の財の源。悪党「楠木一族」が持っていた財産。
山の地肌に浮かぶ赤を見ていたプラーミャの視線がこちらに向けられた。
「これを俺たちに見せたかったと同時にお前は、もっと見たいんだな」
プラーミャの願いを理解した後には、クサナギノツルギを召喚して「地の勾玉」を装着させる。斬るべきは赤に含まれている岩の数々。
岩肌に近づいていくとそこにあるものの正体が知れる。これを利用すれば恐らくこの島特有の陶器が創れるだろう。
海賊共によって悪徳と退廃がのさばったであろうこの島に秩序と理想を与えるためにも、この一振りで盛運を呼び込む思いで最上段から振り下ろした。
山肌に滑り込む斬撃。地の勾玉の影響を受けた一振りはそれぞれに岩に干渉をして、その岩は自壊を果たして砂礫となって風に攫われていった。
そうして岩肌に現れた朱の塊の絢爛さと巨大さに全員が息を呑んだ。
「紅玉……違う。リョウ、これは一体……」
現れた朱石の塊の多さと正体を掴みかねているヴァレンティナに、これが何であるかを説明する。
「『シンシャ』という鉱物だ。詳しい説明は省くが俺の国では、これは釉薬や口紅になるんだ」
「つまり……この島で特有の陶器が作れるのか…!?」
「ええ、無論ただの鉱物として輸出するだけでも、かなりの利益になりますがやはり加工した上で沿岸諸都市に輸出するなり、この島に職人を招き作らせるのがいいでしょうが」
眼に見える形ですら『辰砂』の量は膨大だ。この鉱脈は当分の間枯渇することはないだろう。
後は職人たちの芸術性にかけるしかあるまい。もっとも辰砂のように良い釉薬を使えば、どんな駆け出しの職人であってもいいものになる。
「色んなものに色合いをつける意味でならば、他にもありそうだな。この鉱山は―――」
地肌に見える赤以外にも青色もあったり黄色も見える辺り様々な鉱物があるかもしれない。
「凄いものがあったわね……けど海賊達は何でこれを掘ろうとか思わなかったのかしら?」
「ああいう連中ってのは多かれ少なかれ一次産業というものの低賃金を理解しているからな。第一、てっとり早く稼ぐために略奪稼業についたというのに、そんなことをしようとは考えないだろ」
ソフィーの疑問に答えつつ、イルダー・クルーティスに向き直る。いきなりの視線のそれにイルダーが顔を引き締める。
「これをどう扱うかはあなた次第だ。だが、なるべくならば全ての人の幸福に繋がる使い方をしてほしい」
「……とりあえず鉱夫達には作業中に起きる様々な危険がある。それを考えれば低賃金はありえない。そして―――それには今回の海賊討伐で捕虜となっている賊達を使おう」
「公王閣下、本気ですか?」
イルダーの大胆な発言に、ソフィーは質問をする。もしも彼らが公王に反旗を翻してここが再び政情不安になれば、彼女の親しい人間が再び戦場に出るかもしれないのだ。
しかしそれに対してイルダーは疑念を理解した上でソフィーに説明をする。
「捕虜にした海賊の大半の連中というのは若者ですソフィーヤ殿、彼らが何故そのような行動に移ったのかは供述から知っております。それはアスヴァ―ルの内乱です」
アスヴァ―ルの内乱は多くの問題をあの国に起こしていた。戦争に関する貧困が人心を悪化させるというのは本当であり、村や町の大小に関わらず、大人達は無気力となりその日の糧だけを得ることにのみ腐心する。
結果としてそんな大人達ばかりを見ていた少年というのは結局の所、そんな体制に反発する。
「あの年頃の若者と言うのは周りの環境次第でどうにでもなります。彼らが無気力な大人達に反発してそういう反動的行動に出るというのは仕方ない。それは言うなれば何かをしたいというのに何も出来ないというジレンマ」
この人も昔はそんな感じだったんだろうなと感じられた。リョウからすれば益々あの野郎に似ているなと思わせた。
「―――それを更生させて、この国の国民にならせられますか?」
「それこそがこの悪徳と退廃が蔓延った島の公王に任ぜられた私の使命だと思いますよ」
何を目指せばいいか分からない。何をすればいいのか分からない。だからといって刹那的な快楽主義に流されていてはいつまでたっても一人前にはなれない。
「フランシス・ドレイクが国を造るなどと言って略奪を是とするならば、私はペルクナスのように法と秩序を敷きつつも、戦神トリグラフのように生きることは戦うこととする国を造ろう」
若き公王の決心と理想のそれを聞きながら、これ以上俺が何かやれるとすれば精々、遊郭などの世話だろうか。などと考えていたらばイルダーが、ソフィーから向き直ってこちらに視線を向けていた。
「リョウ・サカガミ―――あなたにこの島の騎士隊長になってもらいたいが、それは固辞するだろうから言わない。しかしこの島はあなたがアスヴァ―ルに続いて「征服」した国だ。だからこそ―――あなたが、この島の名前を付けてくれ」
言葉の前半で苦笑しつつも言葉の後半で真面目な口調で語りかけるイルダーの言葉に少しだけ考え込む。ヤーファ人ならば、オノゴロ島やオオヤシマなどと付けるかもしれない。
だが、それでもリョウの胸中に過ったのは己の先祖であったという鬼のことであった。その鬼が収めた国においては人と鬼は仲良く暮らしつつも、少しの問題もあった。
しかし少しの問題も出ていた。今まで悪行を働いていた存在と平穏を愛していた人々が同化できるかどうかが問われると言う意味では、その名前の方がいいだろう。
鉄ではなく辰砂をどう活かすかで公王の素質が問われる。「鬼」と「人」を結び付けられるかどうか、そういう意味も込めて自分は口を開いた。
戦鬼―――温羅のルーツであった吉備国のかつての名前を―――。
「ならば―――「オニガシマ」、そういう風に名づけてくれ」
「承知した。たった今より俺は公国「オニガシマ」の公王だ。先王リョウ・サカガミの禅譲により今日より真なる意味で俺はこのオニガシマの公王になる」
大袈裟な。と思いながらも先程まで館で唸っていたイルダーよりは覇気が出てきたと思いつつ、これならばヴィクトール王にも良い報告が出来るだろう。
そして今回の本当の功労者であるプラーミャがこの朱色の石に興味を示した理由を察せられた。
辰砂の巨塊を見上げているプラーミャを抱き上げて撫でるティナもその理由を察している。
「まだ子供ですもんね。朱い色に親を思い出してしまうのは仕方ないです」
だが、プラーミャの導きが無ければこのような結果は催せなかったのだ。この幼竜の心に応えるためにも自分は、全てをやり遂げなければならない。
自分もその辰砂の塊を見ていると、その形が――――誇り高き竜王の姿に一瞬見えて、心臓が早まるのを感じたが錯覚でしかなく、それでも自然と口を衝いていた。
「必ず―――」
多くの具体を言わずとも、それでも成し遂げるという意味をその一言に込めた。
◇ ◆ ◇ ◆
有望な鉱脈、鉱床を見つけたという知らせは居館にいた武官・文官達、イルダーに従うもの、王宮から派遣されてきたもの全てに喜びを与えた。
この島をただの軍事拠点にするのならば、それは近隣諸国と対立を招く結果になってしまうからだ。武官はともかく文官はそういう安堵。
武官は、この島がただの枯れた土地となりイルダーを厄介払いさせられたという懸念を払拭できたからだ。
(場合によってはここが反乱の目になったかもしれない)
ヴィクトール王の感触から察するに、イルダーを少しばかり「教育」したいという気配を感じていた。もしも彼が次代のジスタートの玉座に着くというのならば、この地で己の国のあり方を示して見せよ。
そういう無言のメッセージを受けていただけに今回の視察は良い方向に向かうはずだ。
しかしながら懸念を示すものもいるわけで公王陛下の鶴の一声で開かれたささやかなれども明日への活力を得るための酒宴。様々な人から酌をされて疲れたリョウの下にソフィーがやってきた。
彼女もこういう宴の席においては滅多に見られない華なのか様々な人間から秋波を送られていたが、それを流しつつされど冷たくせずに高嶺の華として咲き誇っていた。
相好を崩して涼んでいた自分だが、やってきた彼女はどうにもそういった感じでは無い。何か深刻な話があるようだ。
「何か用か?」
「そうね。用と言えば用だわ。リョウ―――あなたは故郷を捨てているの?」
「いいや、何故そんなことを聞く?」
ソフィーには自分の事情を一応話している。仕えている女王からこの地にて魔を討ち果たせと言うことを。
だが今更ながらそんなことを疑問に思われるとは、果たして何が彼女を不安に陥らせているのか……。
「リュドミラとの戦いを見た時から少しの疑念が私にはあったわ。あなたが本当に故郷を捨ててこの西方を征服してきているんじゃないかと」
「そこまでの野心は無いな」
「ただそれでもリョウ、あなたを慕う人間は多くなるばかり、仮に彼らがあなたを王にと推挙してきた時にあなたは断れる?」
「断るさ」
ソフィーの疑念をあっさり否定すると彼女はきょとんとした顔をする。珍しい表情に悪戯心が出てきそうになるも、今は真面目な話なので置いておく。
「俺自身に王位に興味が無いというのもあるが、場合によりけりだ。ただこの地にはこの地に根差した王が存在するのが自然の生業だと思うよ。所詮俺は外様なわけだしね」
本当にその争いが民の想いを無視した権力闘争であるというのならばアスヴァ―ルの時の如く自分は介入しつづけた。
ただあの地には民を無視した偽王二人とは別に清濁兼ね備えた「亡国王」が存在していたので、そいつ次第だとして途中から彼を立てることにした。
「今回の事でジスタートは更なる強国になったわ。その食指がヤーファに及ぶことも考えられない?」
「その時はヤーファを守るために俺は「鬼」になるだけだ」
第一、ソフィーは侮っている。ヤーファには自分に伍するだけの武者などかなりの数がいる。
それを前にすれば如何に、ジスタートとてそうそう勝てはしまい。
「それ以前にどうやってアスヴァ―ルやザクスタン、ムオジネル……ブリューヌの全てを平らげるかが問題だと思うが、それが出来なければヤーファを直撃出来ない。第一……そこまでの野心家かねヴィクトール王もイルダーも」
リョウとしては、戦なんてのは嫌いである。嫌いだからこそ国を豊かにしたい。衣食「住」満ち足りて礼節を知るという言葉がある通り、貧すれば鈍すなどということを招きたくないのだ。
「武士である自分が言うのもなんだけど、戦なんてのは起こらない方がいいさ。剣は好きだけど戦なんてのは起こらない方がいい。だからこそ……不満の種は消していきたい」
豊かな国を狙って貧しい国が戦いを挑むよりは、豊かな国にとって必要なものと交易することで争いを起こさせない。
「それでも貧しい国や地方なんてのはあるさ……ティナのいるオステローデもそんな所だったらしいな?」
「ええ、けれども彼女は努力してオステローデを開発していった。それも見据えて……」
「というわけではないが……まぁ俺としては、そんな国でも食えるぐらいにはしておけば、反乱を起こそうとは思わないだろうさ」
このままいけば寄港地としては、ルヴ-シュやレグニーツァが選ばれることが多いだろうが、オステローデ方面にまで行きたいという定期便も出るはずだ。
寒冷な土地にて暖を取る術、火を扱う術を知っていた彼女の領地の職人達が招聘されることが多いだろうし、辰砂の扱いも恐らく上手くいくだろう。
必要なことは自分が伝えればいいだけだ。
「それでも、それでもリョウ。ヴァレンティナが野心を捨てなければどうするの? ジスタートに反旗を翻した時、あなたは彼女の敵になれるというの?」
真剣な表情でこちらに質問してきたソフィーの眼が揺れると同時に夜風が彼女の金色の髪を揺らした。
―――それがソフィーの本当の疑念か。如何にリョウ・サカガミが卓越した剣士だとしても戦姫を圧倒できるとは考えていなかったのだろう。
特にリュドミラは三代にわたって戦姫であった家系だけに彼女はラヴィアスの扱いに関しては熟知していた気配がある。武器の伸縮もその一つだ。、
それを圧倒できる「戦鬼」は、ヴァレンティナにとっては最高の切り札になるかもしれないから
こればかりは俺を信じてくれというしかないが……。
「たらればばかりで申し訳ないが……、まぁあの失礼千万な銀髪の戦姫が言っていた通り快楽の坩堝に落として無理やり言うことを聞かせるよ」
「そ、それは予想外の返答だわ……とはいえ少しだけ分かったわ。あなたは本当の意味で―――「自由騎士」ね」
呆れたような表情と安堵の表情の混ぜ合わせの後には彼女なりの納得があったようだ。
しかし次の瞬間には悪戯猫のようなことをされてしまう。
「けれども私はあなたの夜の供をしてきた人みたいに手練手管を知っているわけじゃないから、どれほどの「腕前」なのか知らなければ安心できないわ」
こちらにその魅惑的な身体を寄せながらの誘い文句だが……本気ではないからかいの言葉であることは分かっていたので、こちらもそういう対応で躱すことにした。
「……今度レグニーツァに行ってサーシャにでも聞いといてくれ」
「!?」
大きく開かれた口に手を当てて、驚きの表情をしたソフィーを置いて再び宴の中に身を投じることに。
(自由騎士というのも辛いものだ――――確固たる「価値観」が国や宗教によらないからな)
それもまた試練だと思いつつも、この――――。
「リョウ、そんなにしたらば双子どころか三つ子、四つ子、五つ子とプラーミャの弟妹が一挙に出来てしまいますよ」
「盗み聞きは感心しないな」
―――自分抱きをして、何を想像しているのか分からない努力家にして野心家の姫君をどうしたものかと考える。
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「凍漣の雪姫Ⅱ」
「で、どうなんだ?」
「どうなんだって聞かれてもね……幾ら君でも僕の色恋にまで口出されたくないんだけど」
応接室にてこちらにずずいっ、と顔を近づける銀髪の戦姫に黒髪の戦姫は困ってしまう。
銀髪の戦姫の横には対応するかのように金髪の戦姫がいて、紅茶を優雅に啜っている。彼女が今回の原因でもある。
しかしそれ以上の原因は――――黒髪の戦姫―――アレクサンドラ・アルシャーヴィンの想い人にあった。
(何もエレンに言わなくてもいいのに……)
彼女に言えばどんなことになるか分かっていそうなものだが、いや金髪の戦姫ソフィーヤ・オベルタスは分かっていてやったのだ。
こういうプライベートな事を態々話すという辺り、彼女は面白がってやったわけ……がないと言い切れない笑顔を見せるソフィーに苦虫を噛み潰した思いだ。
「何を言うんだ。事はジスタート全体にも及びかねない問題だ。あの男を私は陛下やユージェン様ほどに信用はしていない。戦姫に取り入りとんでもないことを行おうとしているに違いない」
「嘘はいけないよエレン。そういう他人に吹き込まれたことを自分の意見のように言うのはよくない」
こちらの言葉に体を少しだけ硬くした妹分。恐らくソフィー辺りからそんなことを聞いたのだろう。
「そしてソフィーもそんな風に正面切って自分で聞けないならば、そんなことを吹きこまないように」
「ごめんなさいね。それじゃ実際の所どうなの? シレジアでは一緒の部屋だったじゃないあなた達」
そう。シレジアへの召喚の後に自分は、王都を少し遊びたいと言って地元の宿屋に二泊ほどしたのだ。
その際にリョウは、二部屋取ろうとしたところを、「色々」と聞いていただけに「一部屋」として泊り込んだ。
「そ、それは私は初耳だぞ……」
「まぁ何とかヴァレンティナの優位性を崩したかったからね。僕も年齢が年齢だから少し余裕が無い」
「何を言っているんだサーシャ。サーシャはソフィーよりも若々しいぞ。寧ろソフィーの方が老け―――」
最後までエレンが言えなかったのは、ソフィーの竜具「ザート」が頭に叩き込まれて硬い床に突っ伏したからだ。
とはいえ、親友とも言えるソフィーにまで黙っていたのは悪かったかと思う。
よって――――――――。
「実際の所どうなのかしらサーシャ、リョウは優しかった?」
ソフィーの直球な質問に対して。
「それに関してはノーコメントだよ。ただ女として―――何で十年以上もこんな熱い交わりを知らなかったんだろうと後悔はしたね」
『!?』
少しだけ虚実織り交ぜた話をすることにした。
しかし頬に手を当てながら滔々と語る自分の姿が、目の前にいる二人の戦姫を更に狼狽させたのは紛れもない事実である。
◇ ◆ ◇ ◆
リュドミラ・ルリエは、国内ではかなり珍しい戦姫である。そもそも戦姫という存在も珍しいのだが、それはともかくとして彼女らは竜具によってさだめられた為政者であり、竜具の選定は本当に突然なものであり唐突なものだ。
騎馬民族の幼い娘が選ばれたことから竜具の選ぶ戦姫というものには規則性があるのかどうかすら不透明になっている。
ジスタート人のみが選ばれるというわけでもないということを鑑みるに血によるものが選定の条件とも言えなくなっている。
国内の識者によれば、そういうことらしい。そんな中でルリエ家は三代続いての戦姫の家系であり、ちょっとした名門貴族以上の権勢を誇っているともいえなくない。
ルリエ家の領土ともいえるオルミュッツは、彼女の竜具の属性ゆえにかそれとも何かしらの要因があってか、南部に位置しながらも寒冷な土地である。
歩きながら思うことは何故にブリューヌ王国は自分を招待したいのか、ということだ。
イルダー公王の公国運営に一段落着いたところで、ジスタートに帰ってくると同時に王都からの急使がやってきた。
内容としては―――ブリューヌ王国にて武祭が行われるとのことで、それにゲストとして招きたいとのことだ。
疑問は尽きない。何故自分なのか。戦姫を招くことも出来ただろうし、イルダーだって今は忙しいがかなりの豪傑であり剣上手だ。
(まぁ色々あるんだろう。国境を隣接している国がブリューヌは多い……不安要素に対してはいち早く正体を掴んでおきたいのかもな)
ジスタート、ムオジネル、ザクスタンという三国と国境を接しているブリューヌはある意味不幸なお国柄だ。
東西南北どこを向いても侵略国家ばかりだ。そんな中でもジスタートは、そんなに頻繁に侵攻を行わないことで安心もしていた。
そんな中で自分が現れたことが本格侵略の前段階だと疑われるのも無理からぬ話だろう。
だからこそ今回、オルミュッツに来たのはそんなブリューヌの事情に詳しく色々と知っているリュドミラに知恵を乞いたかったからだ。
ティナやソフィーでもよかったのだが、それでも期日としては差し迫っている色々と忙しそうな二人と別れて、そのままジスタート南部に向かって、リュドミラとの話で今回の招待に関してとブリューヌという国の内情に迫りたかった。
オルミュッツの戦姫の居館の前に着くと同時に門番に何者かということを告げて、次に用向きを話す。
数分もすると、文官の一人がやってきて案内をしてくれる。その文官曰く、リュドミラは少し準備があると少し待たされるようだ。
「忙しかったですかね?」
「いえいえ、戦姫様が良いお茶を提供したいとのことで少しだけ気合いを入れているだけですのでお構いなく」
そこまで気を使わなくてもいいのに、という思いで待合室で数十分待っていると。
「義兄様、お久しぶりです」
「久しぶりだなミラ。元気にしていたようで何よりだ」
「ええ、この前もサーシャの所に来ていたエレオノーラを完膚なきまでに叩き潰してきましたから♪」
笑顔でそういうことを言うんじゃないと思いつつもリプナの街に来ていたサーシャから、事の顛末は聞き及んでいた。
結論としては、仲良くケンカしなという辺りだろう。本当はどっちも仲良くしたいのだろう。どちらかといえば歩み寄ってきたミラをエレオノーラが邪険に扱ったという感じだが、サーシャによれば、彼女もまた余裕が無かったようでもある。
「急な来客で済まなかったが色々とお前と話したくてな。構わないか?」
「ええ、私もブリューヌ関連のことであろうとは予測していましたから、どうぞこちらへ」
案内された部屋は豪勢ともいえるし質素ともいえる。何を言っているのかは分からないとは思うが、そういった印象を持つ部屋だ。
客間ではなく……。
「ミラ、年頃の乙女が簡単に私室に男を招くものではないよ」
「大丈夫ですよ。義兄様はあんまり私に女として見てはいないというのは分かってますから」
そういう意味での信頼は有難いのだが、それでもそういうのは自分を安売りしすぎだ。
「それに内密の話をする上では、ここの方がいいでしょう」
隠すことでもないとは思うが、ミラの家はそれなりに古い名家であり、古桶の底のように思わぬ穴が開いている可能性がある。
つまりはブリューヌの間者がいる可能性が高いのだ。そう考えればそこから桶屋が儲かるなどということは勘弁願いたい。
ミラの出してきたソファに腰掛けてから彼女の淹れる紅茶の香りが部屋中に籠る。
それにジャムを入れるのが彼女の飲み方であり、品のある苦味と甘味が舌に広がり、気持ちが弛緩していく。
張りつめたものが無くなるのを感じているとミラの微笑が眼に入る。
「先程までの義兄様は少し尖った細剣の如き張りつめ方でしたけど、少しは落ち着きました?」
「一本取られたな……。ならばミラ、少し真面目な話をしようか、ゆっくりと穏やかにな」
「よろしいですよ義兄様。ではどのようなことを―――」
彼女も一口紅茶を含んでから、笑顔のままに会話が進んでいく。
◇ ◆ ◇ ◆
「成程、王都では随分と楽しそうでしたねティグル様」
「そんなことは無いよ……アルサスの、ティッタの手料理が恋しかった……いや、本当だぞ」
闇の女神を信仰しているわけではないのだが、ティッタの様子が色々と不味いものに見える。
そんなティッタの様子を意に介さずに、シチューを食べるオルガの様子がとことん憎らしく見えてしまう。
「大体、レギンは大貴族の娘だと思う。俺みたいな小領主なんかに手が届く相手じゃない」
「色々と王都を見て回りながら、飲んだり食べたりいちゃついたりしていたそうじゃないですか」
「色々と誇張がありすぎる……」
「けれどレギンさんは、明らかにティグルに好意を抱いていた」
弁解しようとして、一部の事実を認めつつも語弊を解こうとした瞬間に、オルガからの追撃が加わり、もはや詰みとなってしまった。
「とにかくレギンは大切な友人だ。そこまで干渉されたくないぞ俺は」
「け、けれども……げ、現地妻とかダ、ダメですよ」
どんな想像をしていたのかは分からないが、現地も何も自分はまだ誰とも結婚していないのだ。
「そんなことをするにはこの領地に於いての妻を迎えなければいけないな。とはいえ俺と親しい同年代の女の子なんてティッタぐらいじゃないか」
呆れつつも、近隣の領地には貴族の子女なんていないのだから、政略結婚の可能性は低い。となると可能性としては恋愛結婚。自分の親しい相手と結婚するしかない。
過疎化及び高齢化が著しい村などだとそういう風なのが、通例となっている。小領土の貴族にすらそういう通例が適用されてしまうのは仕方ない話だ。
「そ、そんなティグル様ってば、そこまで情熱的に求められると困りますよ」
「オルガ、どうしようティッタと会話が成立していない」
身をくねらせながら顔を赤らめている幼なじみの少女の様子に助けを求めるもアルサスの客将の返答は、冷たいものでありティグルには少しばかり理解が及ばなかった。
「安心していいティグル。ティッタさんは全てを理解している。そしてティグルは己の言葉の重みを理解していない」
訳が分からない思いに囚われつつも、ティッタからアルサスにおける自分がいない間の報告を受ける。
「変化というほどのものはありませんが、そうですね。とりあえず管理者募集の触れに何人かが応募してきました。一応どこそこの誰というのは記しておりますから後で目を通しておいてください」
「早いな。それはアルサス領内の人間なのか?」
「ええ、ただ職にあぶれたというわけではなくて、大きな仕事をやってみたいといった感じの方ばかりですね」
領内の風邪通しを良くするために、これまでなるたけ失職者や失業者を出さないようにしてきたので、そういったのでないだけ少し心落ち着く。
本当に食い詰める前に、男ならば騎士となるためニースに、女であれば踊り子や詩人になるためムオジネルへといった感じになるのだが税収を落としたくないので、出来ることならばアルサスに落ち着いてほしいのがティグルの意見だ。
しかしそれでも……胸に大望を抱いている有志であれば、ティグルもそれを送り出したい。国内最強のナヴァール騎士団ではないが、現在はカルヴァドス騎士団に所属しているオーギュストのように。
「大望を抱くか……東からやってきた「竜」は何を求めて西方にやってきたのか……」
あの円卓の会議の後に何気なくヤーファに関して更に知りたかったので図書館にて調べものをした際に、東方見聞録というタイトルの本によれば、「竜」という言語は東方に於いては「リュウ」「リョウ」とも呼ばれるらしい。
リョウ・サカガミという剣士――――。その名前を聞いた時から自分はその男に嫉妬をしているのだと気付かされた。
自分も弓蔑視のブリューヌを捨て去り、弓を重視する国。彼のヤーファのような所に行けたならば我が身の窮屈さも少しは解消されるのではないかと――――夢想して意味のない想像だと感じた。
「生れの責任からは逃れられないな」
「ティグル様はアルサス以外に生まれればよかったと思っています……?」
「ブリューヌ国家ではない「アルサス」であればよかったとは思っているよ」
ティッタの不安げな視線におどけた回答をしたが、その答えにティッタは笑って自分たちもどちらかといえば「アルサス人」という意識だと言ってきた。
そうして一しきり笑った後に、ここまで殆ど口を挟んでいなかったオルガが口を開いた。
「そういえばティグル。先程山道沿いの村から山に竜が出たという報告が来ていた。被害は無いが、どうする?」
「やれやれ……リョウ・サカガミの事を考えていたらば違う「竜」が出てくるか」
頭を掻きながら考えるも緊急を要するものではない。竜はあまり町や村には降りてこない。放っておくのも一つだが、あまり村の蓄えが無くなるのは困る。
何より――――。
「ティッタの作る「ベックオフ」は絶品なんだ。材料の熊や猪をたっぷり食い殺されてはたまらない」
「ティグルは大物だよ。食欲の為に竜退治を決意するんだから……」
呆れつつもティッタのシチューをお代わりしているオルガに言えた義理ではなかった。
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ミラから聞かされた話は聞き及んでいたことと大差なかったが、それでも王宮の識者よりも一歩踏み込んだ内容を自分に語って聞かせた。
テナルディエとガヌロンの二大貴族の覇権争い。それに王宮の三つ巴の戦いでありながらも……そこを狙って近隣諸国が食指を伸ばそうと牙を研いでいるという。
「戦争が起こるのか、ブリューヌで」
「多くの人間の認識はそうです。ただそれがいつ、どんな形で引き起こされるかについては不透明というだけ。無論、現在の皇太子であるレグナス王子を廃するだけの事態が起きれば即座に王位継承権を持つ親族を御輿にして二大は争うでしょう」
暗殺者を利用しての謀殺であるならば必然的に疑いはこの二大に向くのが普通だ。即ち現在の主流、ファーロン国王とレグナス皇太子の二人を抹殺した上でしかこの二大は戦えない。
「王宮としてもこの二大貴族が相争って、力を無くすことで復権を望んでいるようですが、その一点に関しては共同歩調をしていますよ」
言う度に伏し目がちなミラに少しの疑問を抱きつつも、頭で整理すると……ブリューヌの状況は正に一触即発である。これではジスタートもあまり手を出したくはなかろう。
無論、領土を増やすチャンスがあれば参戦もするだろうが、今の状況では正直言って余計な火傷を負いかねない。
場合によってはいらぬ敵を増やすこともありうる。つまりムオジネルやザクスタンという違う餓狼とエサを巡って戦うことにもなりかねない。
「ジスタートとしては余計な飛び火さえなければ静観したいでしょうね。義兄様の活躍で海洋の領土が増えたのですから」
「だが食糧事情を改善するという上ではそんなによろしくは無いと思うが、肥沃な土地に温暖な気候のブリューヌはジスタートにとっては喉から手が出るほど欲しくなるもののはず」
「そこで貿易というものですよ。リョウ義兄様とて同じ考えのはず」
試すような意地の悪い質問だったかと思いつつも、少しだけミラの表情が和らいだのに喜びながら、紅茶をもう一杯飲もうとしたところに。
「お注ぎしますよ」
と言って茶葉を取り換えたミラの表情はこちらに少しだけ挑戦的な笑みを浮かべていた。
(何か企んでいるな……)
義妹のそれを見ながらも、黙って成り行きを見守る。そうして出されたものは紅茶の色では無かった。
「これは……」
「ご試飲を、私は結構気に入りましたけど人によっては砂糖が欲しいのではと思いました」
心地よい苦味が口の中に広がりつつもその後には清涼感を感じる。
「本来は甘い菓子と一緒にすることで引き立つんだよ……緑茶は」
これだったらば何か茶菓子を持ってくるんだと思ったが、だんごも煎餅も作れない。何せこの地には「米」が無いのだから。
ここにサクヤの作ってくれる和菓子が欲しかった。という女々しい思いを打ち消すべくもう一口入れて口中を苦くする。
「ああ、それとムオジネル商人やヤーファ商人などが最近、米を輸入・輸出する計画を立てているそうで」
余剰生産が出来ているのかもしれないが、それでもまさか嗜好食品として米を求めるとは、どんな心境の変化か。
「まぁその辺りは我が故郷の施政方針次第だ。俺が態々口に出すことじゃないな」
「冷たいですね」
「信頼しているんだよ。サクヤも和紗のことも―――みんながいたから……俺はこうしていられる」
緑茶の味わいに故郷での多くの思い出が脳裏を過る。自分の旅の節目……それは恐らくだが、このブリューヌ王国で始まるだろう事変で決まる。
そんな予感がある。それが終われば一度は故郷に帰るのも悪くないかもしれない。
「それじゃ最後の質問なんだが……ミラ、お前はブリューヌに関して「どちら」と繋がりが深い」
こちらの探り針にミラは少しだけ眦を上げる。いかに尊敬する義兄とはいえ、そこまで干渉されたくはないのだろう。
だが、それと同時に少しだけの落ち込みも見せる。
「ルリエ家が何代も前から付き合いを深くしてきたのは間違いなくテナルディエ公爵家です。しかし……私としては……正直、これ以上付き合いたくは無い人物です」
確かにテナルディエ公爵はブリューヌを代表する大貴族であり、それに違わぬ財力と政治力を持ち合わせ取引の決済において信頼は高い。
しかし、遠く離れたこのオルミュッツの地にすら彼の小覇王の悪逆無道と奸賊の程は、誇り高き彼女の肌には会わないのだろう。
「……けれど、私の私的な感情だけで物事の取捨選択を決められはしません」
手を組み合わせて胸の前で宙を漂わせている弱々しさは戦姫という異名には似合わない。
良友と誇りを尊ぶ彼女からすれば、テナルディエのような悪人かつ大逆を旨としている人間との付き合いなど斬りたいのだろう。
悪漢を信ずればその人間も悪漢と見られてしまうかもしれないのだから。
「だが商売の鉄則とは本当の意味で相手が信頼できるかどうかだ。ミラがその人間を信ずることが出来なくなれば付き合いはやめた方がいい」
取引をする相手が取引相手に不実を行わなくとも、自分の身内に不実を行い続けていればその矛先がいつか取引相手に向かわないとも限らない。
例えその相手がどれだけの財力や権力を持っていたとしても、己の力を不当に行使し守るべき相手にすら不実を行い続けていればそいつはどうあっても取引の相手として失格だ。
「商人ムオネンツオだったか……俺はあの話には重大な落ち度があると思っている。家族にすら非道を行う奴が、赤の他人に非道を行っていない訳がない」
その中には恐らくムオネンツオと取引をして損をさせられていた同業者もいたはずだ。ただの損ではなく大損であり、破産にも匹敵するものが。
「けれど義兄様、全ての人間が幸福を得ることは限りなく難しいと思います。無論……目指すべきだと思いますけれど」
「ああ、ミラは賢い子だ。だから……あんまり視野狭窄にならず――――多くの相手と友誼を交わすべきだよ。つまらぬ特技しか持たぬ相手であってもそれがどんな利益につながるかは分からないのだしね」
『鶏鳴狗盗』ではないが、一人の相手とだけの取引ではなく多くの人。多くの可能性を探るべきだ。というミラに対する助言の回答として旅袋の中から一抱えもする鉱物を出す。
土が机に乗らないように布を広げた上で、鉱物を置いた。その石の塊にミラは眼を丸くしていたが、それが鉄に似ているようで、銅とも銀とも金でもない鉱物だと知り、興味を示す。
「リョウ義兄様……これは?」
「俺がオニガシマの開発事業を監督しているのは知っているな。今はイルダーに任せているが、あそこの鉱脈には色々と面白いものがあってな。その中でこいつが出てくるとは思わなかった」
退魔金属―――この辺りでは「ミスリル鋼」などと呼ばれているものだ。
「今までは陶器生産だけだと思っていたが……まぁこれを使えばそれなりの武具が創れるはずだ。その先駆者としてオルミュッツのトリグラフアーマーを生産している職人達の派遣を要請したい」
無論、無料とは言わない。と言いながらもミラ自身は、こちらの言葉よりも金属そのものに対して興味を抱いているようだった。
「確かにこの金属は竜具に通じるものを感じますが……何故、義兄様はこれを知っていたのですか?」
「それの来歴という意味で言うならば俺のご先祖由来としか言いようがないな」
鬼の一族は冶金技術に長けており、自分の家でもその技術は伝わっている。
「これが新たな公国においてあるのですか……?」
「パッと見だがオステローデの鉱脈にもありそうなんだよな。まぁこれを使って武器なり鎧を作ってみることをお勧めするよ。俺の剣技に耐えられぬ鎧では、いずれヤーファの剣士が大挙すればやられるよ」
「そんな気なんて無いでしょうに……とはいえ、面白い金属です。少しだけ……取引相手を見定める前条件にはしていこうと思います」
もしもテナルディエとの付き合いをやめた場合でも良き取引先としてイルダーの国を示すことで、ミラの気を休めることぐらいは出来るだろう。
それともう一つには、オルミュッツの武具の良さを上げることで、何かがあった時に即座に戦力を増強させたい。
言うなれば万が一の時の保険である。保険が用をなさない時にはオルミュッツ、オニガシマ、オステローデが軍備に於いて頭一つ上になるだけの可能性もあるが……。
(そん時はそん時だ)
「さて可愛い義妹からのお茶も尽きそうだ。そろそろお暇しようかな」
「もう行かれるのですか?」
立ち上がり、荷物を持った自分に言うミラだが、召喚状に示された期限とニースまでの距離を考えれば、そうそう逗留しているわけにもいかない。
第一、一番近いルートであるライトメリッツを通るわけにもいかないのだ。
(あの女のことだから交通税とかとんでもなく吹っかけてきそうだし)
『お前は金貨千枚置いていけ』
などと言いかねない。エレオノーラに見つかる前に関所を突破すればいいだけの話だが、どうなるかわかったものではないので。
こちらのルートを通ろうとしたのだ。
もっとも海路を使いオードからニースへ向かう手もあったのだが、それはミラに会うことは出来ないルートだったので最初から考えはしなかった。
第一、最近海ばかり見ていたので山が恋しくなってしまった。それが一番の理由であった。
「義兄様は色々と気苦労を抱え込みますね。あまりあれこれ気を回さなくてもよろしいのに」
拗ねた事を言うミラの気持ちは分からなくもない。もう少しだけ確かにミラと一緒にいて武芸や様々な事を話したかった。
「自分で出来ることはなるたけやりたいんだ。まぁ領主としては頼りがいはあっても王としてならばあまり部下を信用していないと見られかねない」
自分が王に向かないのはそういう所にもあるのだろう。
居館を出ると同時にひりつくような気配を覚える。殺気の類だとミラも理解すると同時に体を硬くする寸前に小声で警告を発する。
(気付かれるな。ここで流血沙汰はまずいだろ)
(……ご武運を)
そうして居館の外まで仲睦まじく歩き、再会の約束をすると同時に、門番に一礼してからミラの屋敷を辞して借り馬の場所に向かう。
そこまで襲撃が無かったことを考えれば、こちらにそれを向けている襲撃(予定)者は、オルミュッツ内で襲うことはしないのだろう。
それはリョウにとってもありがたいことだったが、『技能』から考えるに、愚策ではないかとも考えた。
† † †
(間違いない。テナルディエ公の放った暗殺者―――七鎖(セラシュ)に通じる相手だわ)
テナルディエという貴族は真正面からの戦いにも長けているが、それ以上に謀殺も得意としている。
特別に育てた暗殺者や雇い入れた暗殺者も多数存在しているという話だ。
何故、テナルディエの暗殺者と分かるかと言えば、単純な話―――彼はこちらの居館に間諜を放っているのだろう。
そして自分も、ブリューヌの情勢を大きく知るためにそれなりの情報屋から買っている。
それによれば、テナルディエはリョウ・サカガミをあからさまに排除したいという情報だった。
場合によってはブリューヌ国内で暗殺してしまうことで国王の失点にしようとしているとの話だ。
「義兄様が負けるとは思えない……けれど……」
胸を押さえて、義兄の去った方向を見つめ続ける。胸騒ぎがする。だからと言って簡単に自分も離れられない。
それは義兄の誇りを汚す行為だと知っていたし、何よりこのままではブリューヌまでついていってしまいかねない。
そこまで出来ないのだ。自分とて責任ある立場なのだ。だからこそ―――――――――。
「あら? 思ったよりも早く会えたわねリュドミラ。少し尋ねたいことがあるんだけど、いいかしら?」
門番も思わず敬礼を忘れる形で、思わぬ人物が目の前に現れた。ミラは言わずもがな門番も既知の人物であった彼女は、自分が望んだことを行ってくれるだろう。
何せ彼女の目的もまたブリューヌに向かうことのはずだから。
木々が乱立をして街道に少しの気持ちよさを与えながらも、リョウの気持ちは晴れない。
適当な所まで来たところで馬を停めて待つように、適当な木の脇に着かせた。これで仮に自分が死んだとしてもこの馬は逃げ出せるだろう。
そうしてから―――林とも森とも取れる街道の脇に入っていく。
小便をするという形を取り、脚絆に手を伸ばしながら入っていけば隙だと見てくれると思ったのだが。
乗ってこない形を見るや否や、振り向きざま、低い跳躍走行を行いながら目星を付けた大木に抜刀術を放った。
神速の居合抜きが、木を切り倒す前に何かが大木の枝から飛んで行くのを見た。再び振り返り、今度は懐から短刀を取り出しながら飛んで行った相手に投げつける。
突然のスローイングだが、飛んで行った―――鳥獣ではない「暗殺者」は打ち落とすと同時に、地面に落ちてきた。
黒い装束。全身を包み込みながらも一点だけ怪訝に思う。頭巾の額に当てられているものの珍しさに、一瞬ここがどこだか分からなくなった。
(鉢金……「忍」か……)
しかし逆手に持った両手のダガ―ナイフに、やはり分からなくなる。この人物は本当に―――どんな来歴なのか。
「何者か―――って答えるわけないよ「我が主の命によりあなたの命を頂きに来た」―――」
驚く。答えを気にしていなかったが、意外なことにその忍は、更に口を開いてきた。
「貴方は、神流剣士にして「皇剣隊筆頭 坂上 龍」で間違いないか?」
「元だよ……今は、流れの浪人も同然だ」
そこまで知っているとは間違いなくこの忍、ヤーファ人だ。しかし……何故にここにいるのだ。
ヤーファで政変が起きたとも考えられなくもない。しかし海を越えてまでここまでやってくる理由が分からない。
「一応言っておくが私の主はブリューヌの然るお方とだけ言っておく……」
「俺の心の杞憂を取り除くとは随分と優しいな。けれど―――甘いんだよ」
彼我の距離を一挙に詰める形での斬撃を放つも後ろに逃げた忍者の口から何かが放たれる。
頭巾の下をはぎ取りながらの一瞬の攻撃は勢いよく放たれた呼気ゆえ。その攻撃の正体は一瞬で知れる。
(含み針……古典的な…!)
とは言え、大人しく受けてやるわけもない。口に含まれていた以上、毒ということは無いだろうが、それでも痺れ薬の効果ぐらいはあるかもしれない。
大きく回避すると同時に向かおうとした所に、再び投擲物が投げ込まれる。
棒手裏剣と車手裏剣の交錯暗器七連だ。
小癪なという思いで、全てを一刀で斬り捨てると同時に、間合いを詰めていく。あちらも再びダガ―を両手に握って待ち構えている。
金属と金属がぶつかり合う音。力の移動を完全に考えた上での受け太刀だが、いつまでも付き合ってはいられないとして、二合目は、受け太刀を虚として逃げる太刀を実とした交差斬撃を放とうとしたのだが、再びの金属音に驚愕してしまう。
この地にいる戦姫達に見極めること不可能であったその斬撃の二つ目が受け止められた。
(何故だ……!)
「簡単に言わせてもらう。神流の剣士は人間以上の存在を相手する故に―――人間の間合いを理解していない」
反対に突きこまれるダガ―ナイフ。身体全てを伸長させた攻撃は、中々に体に響く。
しかしそれだけだ。言われると同時に、その事実を忘れていただけだとして神速の斬撃を叩きこもうとした時に体が痺れる。
「なっ……」
「どうやら回ってきたようだな私の仕込んだ毒が」
いつだ。という視線を向けながらも、恐らくここまでに仕込まれたのだろう。
一番考えられるのはミラの居館での飲食物だ。あの居館の中で殺気を感じていたのだから、あそこで何かの毒物を仕込まれていた可能性が高い。
「ここまでの攻防は全ては、あなたの中にあった毒を回すためだ。流石に「鬼」の一族は毒の廻りが遅い……何度死にそうにになったことか」
頭巾で表情は見えないが、今までの余裕ある態度は虚偽であり、こちらの斬撃を喰らう度に肝を冷やしていたようだ。
「この場で殺すにはもう少しかかるだろう。しかし……別命により「捕えろ」という指示も受けている」
膝を突きそうになるほどの痺れを受けていながらもそれだけは出来ない。御稜威を封じる思惑もあったのだろうか声も出せなくなりつつある。
しかしながらもう少しだ。もう少しで「動ける」のだが、その前に鎖が放たれ自分に巻きつこうとした時に、陽光とは別の圧倒的な光の塊が自分と忍の間に投げ込まれた。
その光に眼を灼かれながらも、リョウは勝機を見出した。
「―――ッ! 何故うごけ―――」
二十チェートの距離、それを一瞬で走破するほどの歩法。全身に雷が纏わりつきながらも、その雷が自分の身体を動かす燃料であった。
戦鬼「温羅」の身体を動かした雷の神器、それと似て非なる方法で、雷の勾玉を使うことで己の身体を動かす。
そういう考えの下での斬撃は驚愕で防御を忘れた黒ずくめの忍に「峰打ち」で決まり肩から腹に掛けての斬撃となった。
大打の斬撃に吹き飛ばされて、大木に叩き付けられながらも、逃げ出す体制を取る忍。
「これでも手加減してやったんだ。これ―――以上の―――戦闘は無理だろう」
「何故……私を殺さない」
言葉と同時に頭巾が破れ風に攫われる。そうしている内に光を投げ込んだ「女」が、こちらにやってきた。
「それは―――お前が「女」だからだ」
頭巾と破れ千切れた衣服の向こう側には女の顔と女の裸体が晒されていた。驚くべきは忍の技を受け継いだ女はヤーファ人ではなくどう見てもこの地方の人間の髪色と瞳の色をしていた。
金色の長髪に藍色の瞳。ヤーファに詳しいことから来歴を予想していたのだが再び予想を覆された。
「帰ってお前の主とやらに伝えな……俺を倒したければお前自身で向かって来いと」
言葉の半ばで忍―――くノ一は、逃げ去っていった。正直、こちらも限界だ。痺れ薬と雷の痺れとが同時に襲いかかり、身体の回復に努めなければならなかった。
「あなたも人の子なのね。あんな風に苦戦するんだから―――、何かしてほしいことはある?」
「俺の荷物を持って―――来てくれ。解毒薬が入っているから」
言葉が途切れ途切れでつらそうなのを理解したのか急いで、光を投げ込んだ女。戦姫ソフィーヤ・オベルタスは街道の方に戻っていった。
同時にソフィーが来てくれなければ自分は負けていた可能性の方が高いと認識して自戒をしておく。
西方での戦いの仕方に慣れ過ぎていたなど言い訳にもならないし、女であったことも今更苦戦の理由にもならない。
(愚か者とは俺のことだ―――この事は肝に銘じなければならない)
歯ぎしりをしたくなるほどの苦衷と身体の苦痛とを一身に浴びていると、ソフィーが戻ってきた。
何はともあれ生きることは出来そうだ。
◇ ◆ ◇ ◆
「それじゃあ君もブリューヌに行くのか?」
「ええ、本当はあなた一人の予定だったけれども、色々と面倒な事態を考慮して顔が広い私があなたの同行者になったわ」
先程の暗殺者―――忍との戦いから数刻経った現在、まだ昼間ではあるが、急がなければ次の宿場町まで着けないという時間。
回復した以上、長居は無用として街道にて馬を走らせながらソフィーにここにいる理由を聞いたのだが、概ね予想通りであった。
「ただ単に招待されて武芸大会を観戦しにいくだけだぞ俺は」
「それがブリューヌの本当の『目的』ならば私も手を振って送り出していたわよ」
違う理由があるというのは何となく分かっている。先程の暗殺者の襲撃とてそうだ。とはいえブリューヌ全体がそういったことではあるまい。
「まぁ取り込んで利用したい『六割』、排除したい『三割』といったところね」
「残りの一割は?」
「静観してどちらかに着くってところね。もっともその排除したい三割が厄介なのだけど」
排除したい三割というのにはミラが話してくれたテナルディエ公爵が含まれているのだろう。
「そんな訳で、ブリューヌは不慣れだろうリョウを手助けするためにサーシャやティナの挙手を制して私が今回の旅の同行者♪」
「嬉しそうな顔をして何ではあるがプラーミャはいないぞ」
恐らく最初に自分の旅のお供として二人が挙手したのだろう。リーザは今、色々とイルダーの公国経営に関して手伝っているので、こっちには来れない。
『ウラが征服した国は私にとっても守るべき大事な国です。だから私はイルダー様のお手伝い懸命にしますわ』
気心の知れた相手の方がいいだろうとしての協定締結であったが、そんな風に意気込んでいるリーザは本当にいい子すぎて自分としては衝動的に頭を撫でてしまっていた。
その様子をリーザの副官となったアデリーナさんに見られて―――
『私も頑張っています。すごく頑張っています。よってサカガミ卿に頑張っている女の子として頭を撫でてほしいです』
と泣きそうな顔で迫られて、交互に頭を撫でることになり、その様子が色んな意味でルヴ-シュの文官・武官達に衝撃を与えたのは言うまでもなかった。
「というか何で二人を差し置いて君が? 正直言えば気心が知れている二人の方が俺は良かったんだけど……それも理由か?」
「察しが良くて助かるわ」
彼女ら二人では、恐らく自分に手玉に取られるなどよろしくない想像もあったのだろう。とはいえどちらにせよ戦姫の色子という不名誉だか名誉なんだか分からぬ称号返上はまだ先になりそうだ。
「そういうリョウこそ予想通りの進路を追いつけたけど、ライトメリッツではなくオルミュッツに遠回りをする辺り、そこまでエレオノーラに会いたくなかったの?」
「察しが良くて助かるよ」
ため息と共にそう言ってから、出発してからまだそんなに時間が経っていないというのに襲撃を受けたのだ。
金髪の―――異国人のそれでいながらも忍者の技を使う女。その来歴こそ不明だがそれでも穏やかならざるものを自分は感じてしまう。
そしてそんな手段に簡単に出る相手が出る時点で、もはや確信を得ていた。
ブリューヌには確実に数か月以内に争いが起きる。それも―――恐らく最初には他国を巻き込んだものだ。
(見つけなければならない―――サクヤの……陛下の仰った「王」を)
風と草原の王国ブリューヌ。その地にいるだろう魔弾の王を―――自分は見つけなければいけない。
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「光華の耀姫Ⅱ」副題『あなたが落としたのはこのザイアンですか?』『いえ、もっときたないの!』
ザイアンは犠牲になったのだ……。この作品の妙な改変に―――!
今話は、場面転換が多すぎるのと、少し推敲したいので、とりあえず分割した5500文字程度をどうぞ。
土地肥えて、人豊かになれども、悪漢の類は数を増すばかり。
周辺国に比べて豊かなこの王国でも、その手の輩はどこにでも発生するものであり、その対処に土地の領主及び騎士軍は悩まされる。
しかし治安維持という観点からこの手の輩は放ってもおけず、殲滅するのが常である。
「つまりだ。こんな風に街道を歩いていてもその土地の領主が完全に賊を討伐していなければ、こんなことにもなるわけだ」
「成程。それで結果として―――この死屍累々たる惨状をどう説明したものかしらね」
街道に倒れる野盗の群れ―――凡そ五十人を前にため息を漏らすソフィー。
「殺さずに峰打ち……何で手加減を?」
「いろいろ理由はあるが、まぁ他人の家で騒ぎをあまり起こしたくなかったんだ」
刀を鞘に収めながらソフィーに理由を説明する。
自分とソフィーを狙ってやってきた野盗の群れを前に正直、いつも通りの殺劇で殺すことも出来た。
しかしながら前回の忍者。どこの手の者かは知らないがそれでもあのようにこちらの術理を理解している連中に再び見えることもありえるのだ。
生かさず殺さずの感覚で技の錆落としがしたかった。こちらの剣舞に付きあわされた野盗どもの大半は筋肉痛で三日はまともに動けまい。
更に言えば、最初の理由と同じく他人の家で騒ぎを起こしたくなかった。
しかしながら騒ぎは拡大を続ける。自分の噂が風のようにこの国にも駆けて行ったように。
「私の身体をいやらしく見てきた野盗共を殺すだけの義憤は無いのがリョウなのよね」
頬に手を当てて平素で言うソフィーだが、こちらとしても色々と事情があったのだ。
「五十人の死体を大規模戦争でもないのに拵える方がよっぽど嫌だよ」
街道を歩けばそこには腐乱死体が転がっている現実などこのテリトアール領の領主にとって嫌がらせ以外の何物でもない。
そして野盗共を拘束しに来たと思しき完全武装の騎馬兵団。その先頭にて馬を操る老人ながらも他の兵士とは装備が違う人がテリトアール領主なのだろう。
老人の右側には一人の青年もいた。彼も少しばかり装備に金がかかっている。
砂塵を上げながらやってきた騎馬兵団を前にどうしたものかと思う。
「とりあえず私も事情説明に付き合ってあげるから同行を求められたら行きましょ」
「それしかないなぁ……」
隣にいるのが虚影の幻姫であれば、転移でどこかへと行けたというのに。色んな意味でティナの全てが恋しい。
だがいたらいたでどこぞの自動人形(?)のように色々と発言の倫理性に苦言を呈していただろうが。
「失礼、テリトアール領主ユーグ・オージェだが……この先のベルフォルという街にご足労願えるかな自由騎士リョウ・サカガミ殿」
(何であっさりばれるかなぁ……)
「父上に代わり少し言わせてもらえばそこまではっきりした異人の装束に異国の得物。そして彼の自由騎士の隣には戦姫がいるというのが最近のあなたの評判ですから」
しれっと言うユーグの息子と名乗った男の言葉に迂闊すぎたとも思えた。
今度から普通のロングソードでも持ち、そしてこの辺の装束に着替えて、更に言えば絶対に一人旅にしよう。
そんな機会が訪れたならば絶対にそうしようと心に決めた瞬間だった。そのぐらいその息子の言葉に打ちのめされたのだから
・
・
・
その日、ザイアン・テナルディエは酷く落ち込んでいた。
父の側近達からの白眼視。まるでフェリックスの種から生まれたとは思えぬほどに無能な自分に対する視線にはもう慣れた。
何故、自分には兄弟がいないのかと疑問に思っていた。父とて自分をそう見ているということはザイアンとてもはや知っているのだ。
その一方でザイアンを愛してくれていることも知っている。だからこそザイアンは父の真似をして大貴族としての態度を養ってきた。
しかしそれは周りの人間に対して劣等感だけを感じているザイアンにとって苦痛だった。実を伴わぬドラ息子。
そんな目は領内の人間からも向けられていたからだ。そんなザイアンを救ってくれる存在はいた――――。
その存在―――少しだけ年上の姉とも言える女性こそが、ザイアンの本当の胸の内を吐ける相手だったのだ。
「……サラが怪我を負っていた……父上がサラを暗殺者として使っているという話は本当だったのだな……」
サラは自分が「買った」人間だ。言葉としては不穏当であるが、彼女はムオジネルの奴隷商人の商品の一つであった。
嘘か真か彼女はヤーファからやってきたということであった。
最初、奴隷商人の話は嘘であろうと思えた。何故ならば彼女の眼も髪も肌の色もこの地方の一般的な人民のそれであったからだ。
ヤーファにおいても奇異の目として見られ、結果としてここまで流れ着いたとの話を聞かされた瞬間に彼女を―――側に置きたかった。
彼女は自分と同じなのだと理解出来たからだ。
侍女としてサラを置いて数週間したころに彼女から感謝されたが、自分はただ単に彼女を憐れんだだけだとして突き放したが彼女は退かなかった。
『それでも若様は私を助けてくれた恩人です。若様の為にこの身の全てを使って恩を返します』
その後、サラは何か「荒事」が起こるたびに、姿を晦ましてその後、何事もなく帰ってきていた。
最初は自分が逆らえぬ父がサラを慰み者として使っているのだと「怒り」を覚えたがそうではなかった。
自分が野盗討伐を任された時に彼女は首領の特徴とそして罠の存在を教えて自分を勝利に導いてくれた。
「密偵としてだけでなく暗殺までなど聞いていない―――」
ただの異国人の侍女に対する感情の動きではない。ザイアンは彼女に優しくする分、他の領民達にも少しだけ優しくも出来ていた。
もしもこれで劣等感だけを感じて非道を行う領主の息子であれば、ザイアンはいつか領内にて不審な死を遂げていただろう。
「これはこれはザイアン様、随分と気落ちしたようで……何かお困りごとでも?」
領館の廊下。窓の外を眺めていたザイアンの前に一人の薄気味悪い老人が現れた。父であるフェリックスの気に入りの存在。
「ドレカヴァクか……悪いがお前に―――待て、お前は確か占い師としてだけでなく薬師としての教養もあったな?」
「ええ、ええ。ですが……どのようなことでその話を? 籠絡したい女でもいるのですかな?」
「そういう冗談は好かんな。お前とて分かっているだろう。サラの怪我だ……!」
もはや答えなど分かっている癖に、そういうことを聞いてくるドレカヴァクという老人に嫌悪感を感じる。
しかし質問をしているのはこちらであり、激発のままにこの老人を殺すことは出来ない。
「異国人の侍女相手に―――「どんな来歴であれもはやサラはテナルディエ領内の領民だ。関係は無い」これは失礼―――」
自分がテナルディエ領を継いだならば、まずは今の苛烈な政策を改めさせる。人種差別も無しだ。
そもそも自分と父の髪の色こそヤーファ人のそれと同じでないか。
「であるならば私に対する態度も改めていただきたいものですな………」
「……テナルディエ家の金を何に使いこんでいる……? そしてお前の部屋から漂う匂い……知られていないと思うな」
正直言えば何故このようなものを父が重用しているのかが分からない。しかしながら今はそれを聞くわけではない。
不穏な空気を察したのか、ドレカヴァクも不敵な笑みを変えずに、話の転換を図る。
「これ以上からかって斬られてはたまりませんからな。侍女サラの傷ですが普通の火傷ではありませんからな。少々希少な薬草が必要なのですよ」
「……どの山に群生している? 俺が採ってきてやる」
人任せには出来ないことだとしてザイアンは自ら一人で向かうことにした。
「ではご足労願いますか―――」
内心での笑みを隠せぬドレカヴァクは、この人間がそう言ってくることを予期していた。そして彼が向かう山には手筈通りのものが用意されていた。
鬼剣との決戦をするというのならば今は雌伏の時だ。使える手駒は多ければ多いほどいい。使える「捨て駒」も多ければ多いほどいい。
そうして、目の前の未熟な貴族の小僧の感情を利用して惨たらしいことをドレカヴァクは画策した。
・
・
・
・
「つまり俺たちにネメタクムを経由して王都に向かえと仰る?」
「そういうことです。あなたにはこの国の実情を知ってもらわなければなりません」
「オージェ殿には悪いのですが、ジスタートとしてはこの国の事に干渉するつもりはありません。例え「内乱」が起きたとしてもジスタート全体としては動きたくないのが現状です」
自分の怪訝な質問に応接室で、深刻な顔をしているオージェに対してジスタートの大使の役目も担っているソフィーが厳然と告げて、自由騎士としての自分を政治的に利用するのを防いできた。
助かることといえば助かるのだが、だからといって見て見ぬふりが出来るようなことではあるまい。ミラから聞く限りではその街を治めている人間こそが反乱の眼になるかもしれないのだから。
「気が向いたら、という辺りでご勘弁願えますか。ソフィーヤが言うように私はジスタートに厄介になっている身なのでそこまで不義理は犯せません」
「それで結構です。では今晩は―――」
「気遣いありがたいですが急ぐ旅路ですのでお茶だけで結構です。ごちそうさまでした」
本当に急ぐ旅路である。彼らも事情は分かっているだろうに……有名すぎるというのも考え物だ。
「そうですか……ジェラール、街道までお送りしなさい」
「心得ました父上」
褐色の髪の青年。少しばかり神経質な印象を受けるも、それは物事を冷静に見ているからこその物言いだ。
領主の子息としては、どうかと思う。何かの上に立つということは物事を冷静に見ているだけでは駄目だ。無論、彼とて自分の領地の保全などを考えた上で、自分たちに接触してきたのだろうが。
(組織の参謀としてならば力を発揮できるタイプなんだろうな)
父親の性格か性分なのかは分からないが、ジェラールという貴族の子弟は、何も言わずにエスコートをしてくれている。
何か一言でもあるのかと思いつつも領館を出て街道の入り口に馬を進めた時に彼は言葉を発してきた。
「この国は既に乱れているのですよサカガミ卿」
「―――それを知るにはあなたの父親の言う通りテナルディエ領を見た方がいいのか?」
見送りの言葉としては剣呑なものであるが、自分が知りたいことを彼は知っているのだろう。
「この領地にすら彼らは容赦なく食指を伸ばしてくる。己に付き従わなければ叩き潰すという態度は感じるだけで不愉快ですな」
どんなに家格に差があるとはいえ、同じブリューヌ貴族なのだ。同盟を結ぶという態度ならばともかくまるで奴隷のような扱いを強要してくるそれは、どんな貴族でも不愉快だろう。
封建制度においては、王の下の家臣は全て平等のはずなのだ。無論、実際には違うのだが……こういう若年の貴族の子弟からすれば世の中の道理というものの不条理を投げ捨てたくなるもの。
意識が高い男だ。と思いつつもこの男ではその二大を倒すほどの「頭」とはなり得まいと結論付ける。
「西方の自由騎士として知られている貴方だ。その際にどう動くのかを私は知りたい」
「その考えがある意味、あんたが毛嫌いしている男と同じだと理解しているならばいいが……俺個人としては、まぁ流れに身を任せるのみさ」
どんなに強い覇王であっても天の道理には叶わぬ。天運尽きる前に王聖を持ったものが必ず現れる。
悪徳・大逆を旨としているものが栄えたためしなどこの世にはあり得ないのだ。
「そういえば―――ジェラール卿。弓は得意か?」
ふともはや街道に出る直前になり後ろを振り返りながら一つの質問を投げかける。それは自分にとって一番の「懸案事項」だ。
もしかしたら、この国の行く末と「魔」の存在よりも――――
「……得意と言えるほど達者ではありませんよ。嗜む程度です。このブリューヌで弓は重要な武芸ではありませんから、どの『武芸者』でもそんな回答でしょう」
「そうか非常に残念だ」
ため息と嘲笑混じりの回答に、本当に残念な思いだ。青空を一度見上げてからソフィーと共に馬を全速で走らせる。
目指すはニースだが少しばかりの寄り道をしなければならない。
故に軽量化の御稜威を唱えて馬の速度を上げたのだが――――並走するソフィーの「揺れ」が激し過ぎて、失敗した想いだった。
† † †
自由騎士と戦姫の二人を見送ってから領館の方にジェラールは足を向ける。結局の所、あの自由騎士の心根は正道のもので正当を旨としていることは理解出来た。
風聞から伝わっていたことに間違いは無かったが、それでも自国で争いが起きた場合にどう動くのかが分からなかった。
出来うるならば官軍。レグナス王子を頭としたその軍に居てほしいと思った。その時は自分は参謀としてどこまでも力を発揮してゆくゆくはこの領地の拡大も目指したかった。
しかしながら彼の完全な協力は得られなかった。テナルディエとガヌロンの二大に着くことはあり得ないだろうが。
「弓……そういえば……」
自由騎士の言葉に少しだけ思い出すものがあった。それはまだ自分が少年の頃の話であった。
父と付き合いのあった貴族の息子が、得意という話だ。
その息子も自分と同じような年頃になっているだろう。父の寝具に涎を垂らしたと言う少年貴族。
『あやつはいつか大うつけか、儂も従える大物になるな』という意味によっては同じ評価を降されたティグルヴルムド・ヴォルンという男こそが、弓を得意としていたはずだ。
「教えてあげればよかったかもしれないが、これ以上道草食わせるのも悪いだろう」
第一、今更思い出してもどうしようもない。ジェラールとて色々と忙しいのだ。
王都主催の武術大会はともかくとしても、この土地とて色々とあるのだ――――――――。
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「羅轟の月姫Ⅰ」副題『受け止めて! 私の想い!!』byオルガ・ソフィー
山の木々をなぎ倒す様はまさに怪物の一言。その巨体が暴れ狂う度に、命の危険は増していく。
黄銅色の鱗を持った全身凶器の存在。「地竜(スロー)」は、自分に盾突いた小さき存在を喰らうべく探して回っている。
「やれやれ……飛竜や火竜でなかったのを喜ぶべきなのかどうか迷うな」
「鋼では砕けぬ鱗に強靭にして巨大な身体―――ティグルどうするんだ?」
地竜から500チェートは離れた位置に隠れながら従者である少女の質問に答える。
「山ならば様々なものが利用出来る。鋼が効かないとはいえ、生物である以上大質量のものを無効出来るとは思えない」
つまり―――巨岩・巨木などを落として、衝撃で竜の内腑を痛めつける。そうして軟らかくなって隙間が出来た鱗と肉の間に―――。
既に500アルシンを離れていった竜の身体は少しぼろぼろだ。ここまでの道程における踏破とティグルの仕掛けた罠で黄銅色の鱗も禿げ上がっている箇所もある。
弓弦を引き絞り狙いを定めるは尾と胴の境目。そこは既に竜にとっても弱所だ。見定めた場所に矢を放つ。
空気を引き裂き向かったそれが竜の弱所に突き刺さった。深く射貫いた矢の先端から血があふれ出る。
しかしそこまでだ。痛苦に身を捩る地竜だが、それだけではやはり倒せない。
(やはり頭蓋を貫かなければならないか……しかしそれも少し厳しいな)
無論、ここまでの戦いで頭蓋の鱗も禿げ上がっている箇所もあったが、少しばかり体力にも余裕が無くなっている。
「……ティグル、私があの地竜の攻撃を抑え込む。だからその間にあの竜の頭蓋を貫いてくれ」
「! 無茶だ。確かに君は普通の女の子よりは強いかもしれないが―――」
「私がどんな存在であってもティグルは私を信用してくれる。だから私は―――ちゃんと戦って見せるの」
構えなおした戦斧。オルガは問答を切り上げて、向かってきた地竜の突進を「受け止めた」。山の土砂が吹き上がり一瞬彼女の姿が見えなくなったが、それでも彼女は竜の突進を受け止めて、そこにいた。
一度だけ振り返り、こちらを見たオルガ。それを見てからティグルは己に出来ることを、精一杯やることにした。乱立する木々の取っ掛かりを利用して木の頂を目指していく。
何本もの木々を獣のように飛び跳ねて丁度最後の蹴り足で竜の全身を見渡せる木の頂にあがるとオルガはその戦斧を器用に利用してその場に地竜を留めていた。
彼女の正体が何であれ今は彼女の信頼にこたえる。自分のような弓ぐらいしか取り柄のない男を信じてくれたオルガの心意気に応えるためにも―――
木の頂から飛び上がり空を足場として弓を引き絞る。特注で作った若木の鏃と鋼の鏃を交互に五連としたそれを下にして竜に向けて引き絞る。
己の身体が落ちる感覚を覚えながらもティグルの弓射に淀みは無い。身体が落ちる前に矢は放たれる。狙い定めた脳天の鱗と肉の隙間に滑り込むように矢は突き刺さっていった。
苦鳴を上げる地竜だが、それでもまだ動いている。宙に投げ出していた身体から枝に手を引っ掻けて、着地をするべく落下の衝撃を殺していく。
地竜の声と怒りの視線がこちらに向けられる。突進が来ると思いつつも、既に次の一手を打つことは出来る。体勢を立て直しながら弓を引き絞る。
「
瞬間、オルガは己の持っていた戦斧の形状を変化させて、地竜の尾を地面に縫い付けた。
斧の両刃が上下に伸び、鋸状に変形するとそれはまさしく竜にとっては、最大級の拘束となった。
痛覚は尾にもあるのか、火花を散らす斧と尾の擦過が、竜の頤を最大級に開けることに―――。地に足を着けて狙いを絞っていたティグルは束ねられた矢を竜の口内目掛けて一気呵成に射抜いた。
狙いは付けられていた。地竜に最初に与えた脳天を貫いた矢の煌めきそれが、口内に見えていた。
(硬い外殻の生物ほど内部は脆いもんだ……)
上顎から頭頂部に突き抜け脳髄を撹拌した一撃の下では、流石の竜であっても生命の終わりを与えられるしかなかった。
「凄い……ティグルは最初からこれを狙っていたのか……」
「まぁもう少しだけ時間はかかる予定だったが、オルガのおかげで早く終わったよ」
本来ならば毒矢なども利用する手筈だったが、動きを鈍らせてくれたのはオルガのおかげだ。そしてそれと同時に本当に彼女は何者なのだろうという思いが湧く。
考えてみればレギンを助ける時の地面を波打たせた行為といい尋常ならざる力だと思える。そして今回の地竜との戦いでの「押し相撲」の強さ。
「……ティグル。私がいままで隠していたことを教える。その上で……私をどうするかを決めてくれ」
「深刻な顔をしているところ悪いが、少し緊急事態だ……」
こちらの視線の意味を理解してオルガが少しだけ悲しそうな顔で独白をしようとした所に、ティグルは見逃せないものを見てしまう。
怒りの表情をしてこちらを見てくる黄銅色の幼竜が山の斜面からやってきたのだ。
どう見ても先程殺した地竜(スロー)の子供、親族といったところだろう。精一杯の威嚇をして生えそろわぬ牙を剥く幼竜にやむを得ないという思いで鉈を持とうとしたが―――。
「待ってくれティグル! いくら領内を荒らす存在だからと幼い子供にまで手を掛けるのか!?」
「ここでその幼竜を殺さなければいずれはアルサスに禍根を残すかもしれない。第一人間への復讐を誓うかもしれないんだ」
ティグルとてそんなことはしたくない。しかしティグルも王国貴族の慣習で育った人間だ。戦いで負けた方の一族……特に男子が生きていればそれは将来勝った方への復讐を誓うかもしれない。
そういった禍根を残さぬためにも一族郎党は全て処断するという流れもある。無論その前に王国などからの要請があれば、それが中止されることもあるが。
身を盾にして幼竜を庇うオルガ、彼女の国では幼竜は殺してはならないという掟はここまでの道すがら聞いたが、それでも何か違う感情の動きも見受けられる。
しかしながらオルガの挺身を無にするかのように幼竜は彼女の肩に爪を突きたてる。
「オルガ!」
「大丈夫……ごめんね……君の親を殺したのは私なんだ……ごめんね……」
顔を引き攣らせながらも、その後には穏やかな顔で幼竜の背中を撫でて宥めていく。涙を流しながらオルガはそれを懸命に続けていると、その行いと気持ちに気付いたのか爪を引き抜き、舌でオルガの傷を舐めていく幼竜の姿が―――。
「ティグル……この子は私が育てる……きっといつか山を無暗に荒らさない良い竜となるように教育する。だから……そんなことしないでくれ」
「……分かった。但し俺もその幼竜の世話をするよ。どんな理由があれどもその子の親を殺したのは最終的には俺なんだ」
生きると言うことは難しいことだ。今まで自分は多くの獣を狩る度にこういった……ある意味では自分と同じ存在を出していたのかもしれない。
だがそうしなければ領民に対して多くの犠牲が出ていたこともありえるのだ。
(父上……)
記憶の中での父。いつも思い出すのは大切なことを語ってくれた時の姿だ。
そんな父にはもっと自分は側に居てほしかった時もある。自分の成長を褒めてほしくもあったのだ。
(けど、今の俺はアルサスの領主なんだ)
とりあえずはオルガの手当をせねばなるまいとして、幼竜が爪を立てた箇所に薬草を塗りこみ、包帯を巻いていく。その作業を受けながら彼女は自分の来歴を話してきた。
「オルガは、ジスタートの戦姫の一人であり、そして騎馬民族の族長の孫……随分と複雑な人生を送っている」
「ブリューヌ貴族でありながら弓が得意なティグルには及ばないよ」
「耳に痛いことを言う……」
頬を掻きながら、彼女の皮肉に苦笑してしまう。
彼女の経歴の複雑さは少しばかり同情をしてしまうぐらいに、苛烈なものだった。何せ彼女には今まで自分が生きていた世界から違う世界に放り込まれてそこで「領主」になれと言われたのだから、その苦労は自分とは比にはならないだろう。
「私にとって今まで生きてきた広大な草原は「公国ブレスト」、「ジスタート王国」から見ても、とても小さなものだと理解した。理解した時から……怖くなった」
十二歳の少女にとってそれはとてつもなく大きな問題に思えたはずだ。自分が領地を継いだのは十四歳。それでもやっていけると思ったのはそこが生まれ育った所であり、父ウルスの教育あってのものだったからだ。
領地を周り、アルサスという所がどういう土地なのかを理解していなければ、もしかしたらば自分もこの少女のようになっていたかもしれない。
「ごめんティグル。こんな重要な事を今まで黙っていて……けれどティグルには……私を嫌ってほしくなかった。素のままの私と接してほしかった―――」
「ありがとうオルガ。俺みたいなつまらない男に乙女の秘密を教えてくれて―――だから、そこまで気にするな。俺は君が君だからこそ登用したんだ。同じ悩みを持つものどうし知恵を出し合い助け合えればと思ってな」
俯いたオルガの頭に手を当てて撫でながらそう話す。見上げてきた彼女の姿。それはかつての自分と父のそれに似ている気もしたが、少しだけ違う気もした。
「私を……追い出さないのか? だって私はジスタートの一騎当千の戦姫なんだ……ティグルは怖くないのか?」
「怖さよりもおかしさの方が先に目立つよ。君は色々と俺に恥ずかしい姿を晒しているんだ。いまさら印象は変わらないよ。密入国のお姫様っていう」
「なんだろう。ものすごく納得しづらいのに納得しなければ水かけ問答にしかならない気がする……」
頬を膨らませて怒った様子のオルガ、そんな姿ばかり自分に見せているから、ティグルとしては戦姫だなんだということよりも年頃の乙女というイメージでしか見れないのだ。
戦となれば違うが、それでも本当の彼女は年頃の乙女でしかないのだろう。しかしそれは自分だけで他のみんなは違うかもしれない。
「ティグル。ティッタさんやバートランさん達には……」
「とりあえず伏せておこう。余計な心配をさせるわけにもいかないからな」
その位は弁えているので、そういう風に……変な話であるが秘め事のように秘密としておくことにした。
「おいでカーミエ」
オルガが腕を広げ膝を曲げて幼竜を受け入れる体勢を取ると……少しばかり戸惑いつつも幼竜は己の短角を気にしながらオルガに抱きしめられた。
少しだけ鳴いてから、自分たちが殺した地竜の方に器用にも頭を下げてから再びオルガの無事な方の肩に頭を預ける幼竜カーミエ。
「俺が憎いなら俺を殺せるぐらい強くなってから俺に挑めカーミエ。それまでは俺とオルガが君の『親』だ」
頭を撫でながらそんなことを言うもカーミエは、最初に会った時のような表情はしていない。寧ろ心地よさそうな顔をしている。
「そろそろ行こう。それにしても……まぁ俺に「竜殺し」なんて異名は似合わないな」
しかしリョウ・サカガミにはいつか会いたいとも思っている。そう考えれば王都主催の武芸大会に出席すれば良かったかもしれないが……いたらいたで嘲笑の的にされてしまう。
だから今はこれでいいのだろう。
・
・
・
「すっかり夜だわ。とはいえ一日でネメタクムに着けるなんてあなたの「ミイツ」という術は随分と応用が利くのね」
「他にも風の勾玉の呪力をつかったからな。エレオノーラも似たようなこと出来るんだろうな」
考えたくないが、と付け加えてから馬を門番に預けてから、ネメタクムに入る。
門番もその日はこれにて閉門する予定だったのか、自分たちが入ると同時に重苦しくも扉が完全に閉められた。
閂を使い閉じられた門を見て、ここの治安は完璧なのだろうと考える。別に敵地に来たわけではないのだ。そもそもこのブリューヌにおいて自分たちは外様だ。
敵も味方も無いだろうに――――。しかし……。
「人相書きを持っていたわね」
「だな。とりあえず宿を取ろう。まさかそんな所まで手を回しているとは考えにくいが」
街区を見回る衛兵の何人かが紙を持ち、こちらと紙で視線を往復させたところから考えるに、内容は瞭然である。
もしかしたらソフィーは光の屈折を利用して竜具で盗み見たのかもしれないが、とにもかくにも宿を取る。
扉を潜り、部屋が空いてるかどうかを聞くと―――。
「申し訳ありません。現在一部屋しか空いておりませんので……二部屋となると用意は……」
見ると様々な人間が出入りを繰り返している。ムオジネル人もいればザクスタン人も、ブリューヌ王都の武芸大会は広く門戸を開けているらしく、異国人であろうと様々な人間を登録できる。
それゆえだろうか、武器を持ち酒場に繰り出すと言っている連中が大半だ。
「他の宿の『それでいいじゃない。今更他の宿に行くのも面倒よ』……それじゃ男女二名で……」
金を支払い、部屋の鍵をもらう。宿帳に名前をどう書くか悩んでいると―――。
『プラーミャ』『ルーニエ』と達筆に「偽名」を書き記すソフィーに内心呆れてしまう。
「ちなみにどっちがどっちだ?」
「どっちがいい?」
階段を上がりながら隣のソフィーに聞くと、こちらの顔を覗き込むようにしながら聞いてきたので―――。
「とりあえずライトメリッツの幼竜を名乗れば角が立つな」
「そこまでエレンを毛嫌いしなくてもいいのに」
「あっちが俺を嫌っているんだろ。そこは間違えないでほしい」
錠を開けて、部屋の中に入ると―――寝台は一つ。そして枕は二つという頭が痛くなる内装であった。
それなりに豪奢なものではあるのだが、その一点だけが自分にとって気がかりなものだったのだ。
「あらあら。どうしようかしら?」
「何で笑顔で聞いてくるんだ。普通に考えて俺が床で寝るべきだろ」
というかそれ以外に何があるというんだ。
「ニースはもう目と鼻の先よ。それなのに主賓であるあなたを疲れさせて出席させたらジスタートの沽券に関わりかねない。というわけで一緒に寝ましょリョウ」
「武芸大会に間に合うだろうけれども、その前にここの内情を調べるようなんだ。一日ぐらい床で寝ても問題ない」
ソフィーのあまりにも唐突な誘いを理性で断りつつ、窓の外を窺う。賑やかな町だ。それでいながらもどこかきな臭いものを感じる。
上手くは言えないが豊かになっている街特有の―――負の側面に蓋をしつつも、その匂いがここまで漂ってくる。
「早めに知りたい理由は分かる。けれども……今は休まない?」
「―――疲れてはいるな確かに。分かったよ……けれども本当にいいのかよ?」
既視感を覚えるほどに手早く着替えたソフィーがベッド半分に横たわり、もう半分を叩いて自分に眠るように迫っている。
プラーミャを連れて来ればよかったと思いつつも、もう半分に横になりながら、何でこんなことをするのかをソフィーに尋ねた。
「そうね……サーシャに当てられたかしら。女の悦びを知ったなんて言われれば」
「……本当に聞いたのかよ」
悪戯っぽい問いかけのソフィーから目線を外し天井を見てから顔を覆う。シレジアにての一夜のことを思い出すとどうしても顔が赤くなるのを隠せない。
「そしてサーシャも素直に言わないでほしかった……」
「女子特有の情報網とか出歯亀根性を舐めないでほしいわ」
「偉そうに言えることじゃないだろ」
「それ以外にも色々あるわよ……少しだけ私はあなたに興味があるの。剣士・英雄などとしてではなく……男性という意味で」
オニガシマにてソフィーは自分を疑っていたのだ。そこからどうしてそうなったのか分からない。それを視線で問うとソフィーは破顔一笑してから、朗らかに言う。
「それが恋とか愛とかであるのかは分からないわ。ただ戦場にいない時のあなたはどちらかといえば私のお父様や祖父様に似ているから、そういった意味で少しだけ親近感を覚えているだけかもしれない」
「俺だって故郷に帰れば領地がある武者だ。猪の如く武器を振るうだけでは食っていけないさ」
むしろ武士の仕事とは領地の安定の為に筆を執り、多くの書状・決裁に裁可を出していきつつ、その筆を持たない片手で刀を振るうということだ。
ザクスタンの昔の有名な宰相の一人に「片手でサーベルを振るい、片手にペンを持った」という宰相のように本当の武者・英傑とは文武を兼ね備えていなければならないのだ。
「だからあなたはどんな国の言葉でも流暢に喋れるのね」
「お袋に言われたんだよ。剣だけを学んでいてはいつか争い無き時代が来た時に生きるすべが無くなる。諸国を渡り歩いた「鬼」の一族であるのならば、世界の言語を全て自在に喋れなければならないって」
母の教えに、都での教導。剣を振るいつつも筆と声を鍛錬することにも力を注いだ。
結果として西方に来てから自分が言葉に完全に不自由した時は無い。座学だけであったがその後は傭兵稼業を通じて、様々な人間と会話をすることで自然な発音を獲得できたと思う。
文化が違えば言葉も違う。しかし相手の言葉を完全に理解していれば誤解や不幸な擦れ違いも然程起きない。
陛下が自分を選んだのもそういう所があるのかもしれない。
「サクヤ女皇陛下は、それ以外にもあなたの人たらしな所も見込んでこの西方に送り込んだのかもしれないわね」
「あの女にそこまでの考えがあったとは考えにくい。寧ろ女とばかり仲良くしていたらば、『神気』を込めた拳を叩き込んでくるぐらいだ」
あれは痛い。嫉妬されているのは分かるのだ。しかし、だからといって簡単に王配になれる人間ではないことは存じているはず。
そして『魔王』と呼ばれていた女性の事も気になるのだ。
二君に仕え、二君から女性として思われる―――嬉しい限りではあるが、素直に想いに応えられないのも、また事実なのだ。
詮無い考えを打ち切って、ソフィーに向き直って告げる。
「まぁこの国においては、今のところ君と俺は運命共同体だからな。少しは信頼関係を築いておくか……ただサーシャを泣かせたくないからこんなことは今回限りにしてくれ」
「私としては別に構わないのだけど、第一……本命でなくとも気に入った男性との間に多くの子を成すのがあなたの国の姫のありようじゃないの?」
「『源氏物語』の読み過ぎだ。というか読んだのかよ……」
というかジスタート語の翻訳版などを売っていたことが驚きだ。ソフィーの誤解を解こうかという時に―――眠気がやってきた。
「お休みリョウ、明日も寝台を共にするけれども気にしないように♪」
「お休み……絶対に明日は違う寝台を使うから、覚えておくように」
そうして不意の眠気に抗えず……眠りに就く寸前にソフィーが悪戯心からなのか自分の頭を胸に掻き抱くようにしたのを認識しながらも眠気には逆らえずにそのまま眠ることになってしまった。
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「光華の耀姫Ⅲ」
朝―――起きると同時に布団を除けて、己の身体の調子を測る。
どうやら大分いいようだ。不調は無い。しかしながら隣の光景に身体が熱くなってしまう。余計な熱だ。風邪ではないが―――風邪より厄介なものである。
前が開けられたシャツから零れる豊かなそれらは彼女の特徴でもある。金色の髪が丁度よくその豊かな丘にかかり妖艶さと神秘さを増している。
正常な寝息を立てる隣の美女―――ソフィーヤ・オベルタスを起こさないように寝台から這い出つつ、窓の外に広がる光景に、一先ずは安心だ。
(まさか朝っぱらから死体が路上に置いてあれば一大事だが……そこまで乱れているというわけではないか)
想っていたのと少しばかり違うが、そんなことばかり起きていればこの領地は遠からず人がいなくなるだろう。
治安維持に関しては問題ない。つまり領内における不穏分子は全て潰している。そこまではいい。問題は内政だ。
繁栄している街だ。多くの商人たちが今日の糧を得るべく準備にいそしむ様子から見ても、とてもではないがそこまでの悪逆無道が蔓延っているとは思えない。
「見える限りでは普通の街よね」
「そうだな……これ以上を知るためには街に下りなきゃいけないわな」
「ところで何で頑なに私の方を見ないのかしら?」
寝姿と寸分変わらずな格好のソフィーはイタズラっぽい顔でこちらの顔を覗き込んできた。先程までは後ろにいたというのに今では自分の隣に移動してきたので、その肢体の見事さに心奪われそうである。
「頼むから前ぐらい閉じてくれ」
「流石に温暖なブリューヌだから秋の季節が近づいていてもまだまだ暑いわね」
そういう問題じゃないだろ。と思いつつも暖簾に腕押し。この女性に対して倫理性などを説いても無駄だろうと思って朝食は、外で取ることを伝えると苦笑しつつため息突いたソフィーが着替え始める。
「それにしてもリョウって寝相良いのね。全然私の胸に顔を埋めなかったもの」
「お前の双丘には引力でもあるのかよ? というか男ならば誰しもお前の胸に魅力を感じると思うな」
具体的にはアスヴァ―ルでの禿将軍が筆頭だろう。あの男(?)の趣味は完全に病気である。いっその事、疑い無くても「倫理上の問題で遠流」とか進言すべきだった。
タラードが今でも将軍職にいるのならば、恐らくあの男は僻地に飛ばされており監視がかなりきついものとなっているはず。
それも絶対ではないことを考えるも―――当分の間は大人しくせざるをえないだろう。
「屋台とかでご飯にするわけだけど何を食べるの?」
「ブリューヌの料理がどんなものか分からないからとりあえずお勧めをいただこう。君が知っているならば君に任せるけど」
自分の後ろで着替えをしている女。衣擦れの音が生々しく聞こえながらも平静を装いながら返せた。
「いいわよ。それじゃ出ましょうか」
「ああ」
女は色々と用意が必要なのだと思っていたが、ソフィーの支度は意外と速かった。化粧の類も最小限にしたからだろうが。
対する男の方。自分はといえば新しい肌着に着替える程度だったので、簡単に終わった。
腰の脇に刀を差して、準備完了となる。後は旅袋を持ち部屋を後にするだけ―――。
「惚れ惚れする胸板だこと」
「そういう表現やめてくれ」
こちらはソフィーの着替えを見ていないのに、ソフィーはこっちの着替えを見るという理不尽を受けながらも―――ネメクタムの街に降り立つことになる。
† † †
執務室で門番の上役から報告を受けたフェリックスは、上役を下がらせてからどうしたものかと思う。
ザイアンの側仕えであり、テナルディエ家の秘蔵の「毒手」とも言えるサラは、現在の所、自由騎士の攻撃によって動けぬ状況だ。
そしてサラの知っている知識通りであるならば、自分の手持ちの駒であの男を倒す術は無いと見た方がいいだろう。
『大旦那様。無礼を承知で言わせてもらうならば、あの男に個人の武勇で挑むなど愚です―――西方であの剣客に伍するはナヴァール騎士団のロラン、そして七戦姫ぐらいでしょう』
そう恭しく言ってきたサラに重ねて問う。倒す術はあるかと―――。
『個人の武勇で叶わなくとも、如何な英雄であっても「一人」ならば多くの連携の前には敵わないはず』
つまりは組織戦を展開すれば、あの自由騎士は倒せるということだ。だが、それをやるには小規模であっても五十人規模の隊を結成する必要がある。
「見過ごすしかあるまい―――しかし何故こちらにやってきた? オルミュッツからならばそのままニースに向かえばいいものを」
推測は色々出来るが、何はともあれ去ってくれるのを待つばかり……いっそ招待すればいいかもしれないが、何が起こるか分からない。
無論、いきなり斬り捨てられることはあるまいが、それでも……全容分からぬ剣士相手にフェリックスも強気は出来ない。
「……ザイアンはいるか?」
「いえ、昨夜から帰っておりませぬ。何でも山に行くとか……」
「――――何故、知らせなかった?」
側に控えていた従者の一人に冷たく問いかける。激発するかのような問いかけでなくともこちらの心情は分かっただろう。
「……閣下に申し上げれば、ザイアン様は己の「宝」を大事にするなと言われた気分になるでしょうな」
少しの怯えを含ませても抽象的な言い方だが、言いたいことは理解出来た。つまりサラ・ツインウッドの為にザイアンは山に入っていったのだ。
その事に対して怒りを露わにも出来ない。しかしながらザイアンは次なるこの領地の領主だ。
フェリックスからすれば最近のザイアンはこの領地の領主には似つかわしくないほどに穏やかになった。更には自分に反抗するようなことまで言うほどだ。
変化は嬉しくないわけではない。だが……それが今の時代に合っているかといえば合わない。いずれ内乱が起こった時に最終的に玉座につかんとして就いた後の後継者はザイアンだ。
「もしかしたらば……ブリューヌには新しい風が吹いているのか?」
自分が生を受けてから今に至るまで、西方は争いやまぬ呪縛にでもかけられたかのように戦いと混乱の時代だ。
しかしながら今、新しき芽が出ているのかもしれない。だとすれば自分はその芽を摘み取っているだけなのでは?
政(まつりごと)にかんして何も行わなかった皇太子―――「レギン」があのように、発言をしているところからも―――
「いいや、だが未だにこの西方は呪縛に囚われている」
仮に若者達の時代が来たとしても、今はまだこの西方は争いばかりだ。
アスヴァ―ルでは、東方剣士去った後にタラードなる将軍が王女ギネヴィアを立てて第三勢力として自治村群を中心としてジャーメインに圧力を掛けている。
ザクスタン、ムオジネルなどこのブリューヌの人的・物的資源を狙って何度も侵攻をしているほどだ。
ジスタートにおいては沿岸諸都市に海賊が軍団を指揮して襲いかかった。
「今の時代に秩序をもたらすのは力なのだ。力無くば何も守れぬ―――ザイアン、お前が好き勝手出来るのも所詮は私が目こぼししているだけだ。それをいずれは教えてくれる」
執務室から出て、ドレカヴァクに進捗を聞く。決戦の日は―――近づいている。
・
・
・
「………それがテナルディエ領の政治の仕方か……」
「感想は聞くまでも無いわね」
事情通だろう人間、当たり障りのない人間というのは結局の所どこでも酒場の主人なのだ。
隣にて平素の顔をしていながらも憤慨を隠せぬソフィー、喉を湿らせるためなのか果汁水を一気に呷るソフィーに先んじて酒場の主人に聞くことに。
「弱者は喰らわれるだけの存在? ふざけている。碌な教育や機会も与えない癖に、その運勢すらも人の価値として決めるのか」
「それこそがネメクタムの在り方です……まぁ私も今では酒場の主人に修まっていますが、村から奉公人として出された後に―――村は重税を課されて離散してしまいました」
自分の故郷はもはや無いのだと語る酒場の主人の言葉は虚無的だ。それを見てリョウも憤慨を少しだけ収める。本当の悲劇に晒された人の前で憤った所で、その人物の感情を逆なでするだけだ。
「お客様の憤慨はありがたいですよ。しかしながら公爵様のお陰で私は多くの酒や食材を扱えているのも事実ですから、恩もあれば恨みもあります」
こちらの感情を理解したのか、そんなことを言ってから骨付き子羊肉のローストを出す。その肉を食うのを少し躊躇いつつも食材には何の罪も無いとして豪快にかぶりつく。
「にしても何でそんな政治を行ったのかしら? 寧ろ、そんなことばかり行われていたらば民衆の蜂起も起きかねないわ。減税を課された地域があるといっても大半は貧しく暮らすしかないのだから」
「一つにはテナルディエ公爵が治安維持には完全であり容赦が無かったからです。更には領内の不穏分子にも同じく行ってきたからですな」
野盗の類は完全に殲滅をして残酷な処刑の様を見せて、同じく反乱者達もであり、その恐怖と暴力による支配は人々に不安を与える一方で安心を与えてもいた。
飴と鞭というやつだなと思いつつも鞭の比率が強すぎる。だというのに反乱が起きないのは各地に間諜の類が多いのだろう。
ブリューヌ全体がこうだったらばともかく他の貴族の治めている各地域の評判が届いていないわけではないのだ。逃げ出そうとするやつだっていないわけない。
「そしてもう一つは公爵様の人間性にあります―――」
聞かされた長い話―――その中に聞き逃してはいけないものがあった。
「『蠱毒の壺』か……」
「コドク?」
聞き返してきたソフィーに先代テナルディエ公の行いはある意味では、自分の知っている故事の一つに似ているという。
蠱毒とは一つの器の中に数多の虫や蛇などを入れて食い合わせることだ。狭い器の中で強制的に生存競争に晒された畜生共は、怨嗟を上げてお互いを食い合う。
「そうして出来あがるは一匹の「毒」……」
「おぞましいわね」
「本当だよ。そして本当におぞましいのは、生存競争を勝ち抜いたその「毒」を用いて「呪い」を掛けるという点にある」
呪術の類の話だ。と顔面蒼白のソフィーに言ってから皮肉が思い浮かぶ。
今の話に例えるならば、そんな兄弟同士の血みどろの争いを嗾けた先代テナルディエ公は、最高の毒であるフェリックス卿を用いてネメクタムに「呪い」を掛けたとも言える。
その「呪い」は未だにこの土地を汚染している。
それにしてもそんなことまでやっておきながら王政府は何もやっていないのだろうか? 民の不満は確かにここの領主に向けられるだろうが、あまりにもやりすぎるとその上の王族にまで向けられかねない。
その果ては反乱・革命・処刑のお約束ごとである。そうはならないように地方の動きにも目を向けていなければならない。
「恐らくだけど自治権を盾にして突っぱねたのね。そして王政側も処断するのは可能不可能でいえば不可能でなかったはず。けれどもーーーテナルディエ公という悪樹にある多くの枝葉が落ちてしまえばどうなるかわからない」
良く言えば乱世の奸雄とでもいえばいいのかもしれないが、それでもこの男とガヌロンの二人が出てくるまでブリューヌに乱は吹いていなかった。
そう捉えればただの逆賊でしかない。天に仇なす恐るべき蛇蝎である。
「……しかしそんな人間とはいえ、激情のままに斬り捨てるわけにもいかんわな」
「そんなことをしようと思っていたの?」
「場合によっては……俺が反乱軍を組織してこの領地を叩き潰してもいい」
実際、タラードに密かに打診された事をジャーメインに無断で行ってきた。
アスヴァ―ルでは自国の騎士が自国の領地で略奪をおこなうなどと言う下種の行いが起こっていたので、自治村の若者中心に自警団を結成させて、訓練をさせてきた。
例え、その村で騎士の死体が見つかっても知らぬ存ぜぬで通させる。無論、タラードはその戦力に自分の子飼いの連中を含めてジャーメインを落とすつもりなのだろう。
今の情勢がどうなっているのかは分からないが、予定通りならばそろそろだろう。
「過激な事を言うわね………とはいえ、今は王都に向かうのが先よ」
「分かっている」
こちらの言葉に射抜くような視線と妨げるような言葉を投げたソフィーに還しながら苛立ちまぎれに、最後に出てきたデザートともいえるフルーツの果肉がたっぷり乗ったケーキを喰らう。
糖分の補充が自分の頭を冷静にしていくような感覚を覚えながら、義憤はある。しかしながらそれを起こすには……大義名分がいる。
段平掲げて斬奸、仇討、平和を叫ぶには確実な義がいる。口上を述べるには確実な義勇が必要だ。ただ単にそれ無く人を斬っていては本当に剣はただの凶器に成り下がる。
「……仕方ない。ただ……何か出来ないもんかな」
「ならば、あなたはこの国の豪傑無双達全員に勝ちなさい。そうなればこの国でもあなたは自由騎士になれるわ」
「? 自由騎士?」
店主の怪訝な視線に忘却の御稜威を掛ける。忘却と言っても完全に記憶を消すわけではない。意識的にこちらの顔を思い出させないようにするだけだ。
いわゆる精神に対する干渉は完全に呪術・妖術の類だ。自分では出来ない。少しだけ呆然とした店主に勘定を頼みながら、嘆息しつつソフィーの顔を見ると舌を出して可愛らしく謝っていた。
それに対して特に感想を述べずに、勘定を終えて店を出る。
「むぅ、そんなに私は魅力ないのかしら? リョウってば本当に手強すぎる」
「……ティナは操られても構わないのさ。ただ君に操られるとなるとなんかそれはそれで嫌なんだよ」
「ちょっと悲しいわね。『
「その果てに待っているのが破滅だとしても俺は満足できそうなんだよ。武士として三人の「姫」の剣という誉れを得たのだから、というか微妙に語呂の良いこと言いやがって」
半眼で横を歩くソフィーに言いながらネメクタムの王都側の門まで着くと俄かに騒がしくなっていた。
「ザイアン様……ッ!」
「こんな恰好で通ってすまないな……悪いが今は急ぐんだ。この薬草を……サラに……」
人だかりの向こう側には山行きの軽鎧を身に着けた男……年頃は自分と同じくらいかの黒の短髪にそばかすの浮いた顔をしたのが、薄汚れた姿を市民に晒しながら、剣を杖として歩こうとしていた。
その姿に肌がざわつく。ひりひりとした感覚は間違いなくその男が……何かを「施術」された証拠だ。今は「発現」していないが、遅効性の何か呪術的なものを施されている。
腰の得物に手を伸ばしつつ、その男の素性が―――領主の息子であることが市民達のざわめきから分かった。
だとすればいかに魔のものになりつつあるとはいえ殺せない。もっとも屍兵とは違って深刻なものではなさそうだ。―――今のところは。
得物を下げつつ、殺気を押し殺すと―――上空から殺気が飛んできた。
しかし殺気の正体は―――家屋の屋根に着地をすると同時に、驚異の身のこなしでザイアン・テナルディエの前に現れた。
「若様、お怪我は!? なぜそのような姿になってまで……」
「サラ……傷はいいのか……いいわけない。まだ包帯は取れていないじゃないか! 早く家に戻るんだ! 寝ていなきゃ駄目だ」
慈しみの視線と焦燥の言葉でお互いにお互いを気遣う領主の息子とメイド服の女。その身のこなしと傷の程度から正体ははっきりした。
(あの時のくノ一……、テナルディエ公爵の「草」だったのか……)
侍女である女よりも領主の息子の方が疲労が酷かったのか侍女は自分が峰打ちした袈裟懸けの一撃とは反対の肩に領主の息子を乗せて空を走っていく。
重症の人間にとってはそちらの方が不味かろうが侍女であるサラの気持ちは既にザイアンを早く屋敷に還すことだけに向いていた。
かつてレグニーツァにて自分がサーシャを居館まで運んで行った時には、彼女の意識が完全に飛んでいたから出来たのだ。
「韋駄天の術……」
「? どうしたのリョウ、私の金髪よりさっきの侍女の金髪の方が気になるの?」
「いや君だって分かってるだろ。あの女は―――」
「ええ、まさかあんな早くからこちらの動向を探っていたなんて、あれがブリューヌ全体の密偵のレベルならば防諜体制を刷新しなければならないわ」
おどけた表情からいきなり真剣な顔になるソフィーの百面相に少しだけ黙りつつも、恐らくあのレベルなのは彼女ぐらいなものだろう。
第一、大規模戦争の一騎打ちを戦いの作法の第一としているブリューヌだ。そこまで間諜の類に力を入れているとは考えにくい。
「……とにかく急ごう」
「なにかをされる可能性もあるものね」
だが領主の息子の一大事なのだ。しばらくは大人しくしているだろう。第一、あの陰術が発生するにはまだ時間がかかる。
(助けてやりたいが……まぁ近づくことすら出来ないだろうな)
場合によっては手遅れということも考えられる。冷酷かもしれないが……。
星の巡りが悪かったということだ。あの男は近い将来命脈尽きる。それがどういった原因でなのかは分からないが―――。
馬を走らせる。目指すはニース。立つ鳥跡を濁してばかりだが、まだ自分でどうこう出来る問題ではないのだ。
歯がゆい思いなどを持ちながらも、今は出来ることをするしかない。
† † †
「それじゃカーミエちゃん。これお願い出来るかな?」
居館の中にて一人の侍女と一匹の幼竜の話が通じている様子を見ると、何となくだが変な気分である。
竜というのは多くは人になつかない。第一、生態もあまり分かっていない。生殖方法しかり卵生なのか胎生なのかも……そんな幼竜はティッタの持っていた洗濯物の籠を器用に二本の角で支えながら持って行ってる。
そんな我がアルサスの新たな住人であり、セレスタの居館の家族の一人となったカーミエに対して―――。
「ううっ、カーミエ酷い。私よりも継母の方がいいだなんて……」
「ママハハ」ってどういう意味だよ。と思いながらも涙目で我が子を取られた母親のようなことをするオルガを見つつ、最近の領地に関する報告事項をまとめる。
牧場の事業はまだ軌道に乗せたばかりだが、様々なことを想定している。一つには仮にここが戦場となった場合だ。このアルサスは背面を山にする形で裾野に平野が広がっている。
山を越えた先はジスタートだ。そのジスタートの侵攻ルートとしてはアルサスは一般的ではない。第一、整備もされていない山道なのだ。
違う所から来るはず。後ろからの侵攻を考えないとすると考えられるのは近隣領主や大貴族達による領地侵攻。つまり内戦による被害。
その場合、ブリューヌの伝統的な合戦礼法からするに牧場を設定したモルザイム平原が主戦場になる可能性が大だ。
馬の避難ルートや、人員の誘導なども確実にやる。もっとも……あまりしたくないのだが、そのモルザイムの前にはこのセレスタの街がある。
まず確実に、セレスタを焼き払った後に村々を襲いかかるはず。つまりはセレスタに被害が集中している間に牧場を完全に無人・無獣としてしまえばいいだけ。
「あまりやりたくない手だな……」
領土の保全という意味でならばマスハス以外の近隣領主と連携を取れればいいのだが、あいにくティグルはそこまで付き合いたくない領主らしい。
マスハスの後ろ盾が無ければ会うことすら出来ないものもいる。
「戦か……」
数週間前に行ってきた王都での議場での顛末を考えると、その可能性は現実味を帯びてきた。あそこまで王政側と二大貴族との軋轢が表面化しているとなると、ティグルとしても考えなければならない。
リョウ・サカガミが来ても来なくても、内乱は起きると今では思う。帰り際マスハスに言われたことが耳に残っている。
『お主はあまり中央に出てこないから知らなかったろうが、最近では頻繁にみられる光景だ。儂も何度腰の得物に手を伸ばしかけたか分からぬ』
次にはレグナス王子からの言葉が再生された。
『ヴォルン伯爵、事業の成功を期待しています。それと同時に……出来うることならば武芸大会にも来てください。待っています』
柔らかな微笑と共に言われた一言。どこか不安げな顔をしているレグナス王子の言葉に臣下の礼を以て応えたが、正直弓上手が来ていい所ではないと思えていたので、レグナス王子もそんな風な言い方だったのだろう。
その笑顔が一日前に見たレギンの顔に似ていることはやはり彼女の出自とはそういうことなのだと察することが出来た。
色々なことを考えていると、少しばかり小腹が空いてきた。とはいえ今はティッタも忙しそうだ。となると―――。
「ティッタ、俺も洗濯物を干すの手伝うよ。今はそんなに仕事も溜まっていないしな」
「私も手伝う。だからティッタさん。私とティグルに小腹を満たす料理を」
「うーん。オルガちゃんはいいんだけど、ティグル様が洗濯物を干すと皺だらけになったりしますから……オルガちゃんだけお借りしますね」
主の申し出を悉く却下してくるティッタの逞しさをある意味心強く思いながらも、女衆に邪険にされたことを悲しみながら、ティグルは再び書類仕事に舞い戻ることにした。
(今頃、宮廷は大忙しだろうな。正直、ああいう場に憧れないでもないが、俺では主賓が務まらないだろう)
色んな意味で悲しい思いでティグルは空腹をやり過ごそうとしたが、それでもお腹は減る一方であり仕方なく……書類の一枚に眼を通しながら時間が過ぎゆくことだけを願っていく。
† † † †
訪れた王都は盛大なお祭り騒ぎと言ってもいいだろう。街中にはありとあらゆる所にブリューヌの国旗がはためき、更に言えば楽団や吟遊詩人達が喧騒というオーケストラに加えて快活な楽の音を与える。
ブリューヌの武芸大会は、ムオジネルにおけるコロッセオなどのような生と死の狭間にいる人間の様を見せるような興行ではなく一種の儀式なのだろう。
(御前試合みたいなもんだが……それと違うのは民衆の注目度かな?)
ヤーファにおいてもこういったことはよくあった。自分も参加して多くの剣士と戦ってきた。そしてその剣士達に勝ち、サクヤの剣という立場に就けたのだ。
「賑やかねぇ。流石は王都―――本当に都会だわ」
「ポリーシャやシレジアも似たようなもんだろう」
とはいえ、やはり豊かな国は違うとでもいえばいいのか、都としての格が倍ぐらい違う気もする。神殿の規模もシレジアよりも大きく見える。
この国が狙われる理由も分かるというものだ。
だというのに挙国一致で外敵を追い払おうとせずに内乱ばかりをしているなど、正直理解に苦しむ。
中央の通りを歩きながら露店を冷やかしつつ、何かいい土産物はないかと目星をつけておく。
買っていく相手は様々だ。ティナ、サーシャ、リーザ、リーナ、ミラ、マトヴェイ、ドミトリー、ナウム……浮かんでいくジスタートでの自分の朋友の類に似合うものとなると土産物にも迷いが出てしまう。
「リョウ、ちょっと見て」
「? ―――ああ成る程。結構売れてるか?」
悪戯っぽい笑みを浮かべたソフィーの指が示すものを見て納得する。納得しつつ。その商品をさばいている店主に売れ行きを聞くことにする。
「お陰さまで、偉い人たちはジスタートの海軍基地だなんだと騒いでいるがあっしら商人にとっては綺麗な細工物や鮮やかな陶器類を扱ういい取引相手ですんで」
笑顔で濡れ手に粟だとでも言いたげな商人。
「オニガシマ陶」の数々。赤・青・黄―――最近では緑の釉薬も作りつつあるオニガシマの名産品は皆が興味を示して尚且つ買っていくものだ。
「ヤーファの陶器でしか出ていなかった色合いをまさかこの西方で見られるとは思わなかったな」
「この皿一式買わせてくれ。レストランの上客が所望なんだ」
暇な冷やかしから目を外して露店の商人は、会計作業に入っていく。
珊瑚を使った細工物や貝殻を使ったそれらに、乾物の類にもイルダーの公国の品物が数多くあり、これならばうまく行くだろうとしている。
しかもそれらは高値で取引されているのだから。「三割値付け」されていたとしてもオニガシマも潤っているだろう。
「本当に良かったわよ。おまけに海賊共の中でもどちらかといえばなぁなぁで着いてきた罪人達も真面目に働いているようだし……リョウが、アスヴァ―ルから呼び寄せた遊郭の女の子達も頑張っていたし」
「いつまでもそんなこと出来るわけないだろ。だったら新たな道を示すのも一つだ。そして情を交わしあえる男が出来たならば足抜けさせる。それが遊女の道だよ」
半眼で見てきたソフィーには悪いのだがイルダーの施策にアスヴァ―ルの現状を覆す手を加えさせてもらった。如何にジスタートの女達を連れてきても領民の大半が元は罪人では上手いことはいくまい。
男と女が情を交わし、子を成すと言うのならばちゃんとお互いにお互いを真っ直ぐ見つめられるものの方がいいだろうと―――過去に様々な傷を持つアスヴァ―ルの難民どうしあの公国で幸せになってほしいのだ。
やってきたアスヴァ―ルの開拓船の中にタラードの姿を確認したかったが、残念ながらおらず遊女の代表と船団船長が一枚の紙をそれぞれ渡してきた。
『武運を祈る戦友』『俺は俺の道を行く』
二枚の紙にはそんな短い文言しかなかった。何かの暗号か符丁というものだろうと思いつつも、何となく理解はしていた。
近いうちにタラードは反乱を起こす手筈なのだ。そしてそれが成功した場合に備えて、オニガシマとの交渉を成功させておきたい。
そういうことだ。
「だったらば来いと言いたいところなんだがなぁ」
「あなたの耳にはまだ入っていないかもしれないけれど、恐らくタラード将軍はクーデターを起こしたわ。まだ不確定情報だけど」
「ギネヴィアを旗頭にしてか」
「―――知っていたの? 王女殿下が生きていたのを」
「あの野郎が口説くのを手伝えと言ってきたからな。彼女自身あんまり乗り気じゃなさそうだったけれど」
そして何よりタラードはいい男なのだが、何というか……女心の機微には疎そうだった。
自分もそんなに敏感ではないが、それでもギネヴィア王女からすればタラードは自分を助けに来た白馬の王子という感じには見えなかっただろう。
自分を利用して成り上がってやろうと言う野心家の眼では身内同士の争いに心を痛めている女性の心をつかむことはできまい。
「で代わりにアナタが口説いたのかしら? 戦姫の色子さん?」
「可愛らしく首を傾げながらそんなこと言わないでくれるかな―――まぁ一応為政者として取るべき責任は説いたよ。サーシャを戦場に立たせるのと同じように」
苦い思い出を吐き出すようにして、リョウは口を開く。
『戦場に立てとは言わん。だがこの戦いに義が無いのは重々承知のはず。そして何よりこの戦いで犠牲となっているのは多くの辱めを受け死ぬような目にもあっているあんたと同じ『女』だ。それでも生きている人もいる多くの傷を負いながらもな。そんな風な人間を見捨ててここで安全に守られながら生きているあんたを軽蔑するよ』
こんな風なことを言ったはずだ。とてもではないが一応肉親同士の戦いに心を痛めている女性に掛ける言葉ではなかっただろう。
しかしながら、多くの女が恥辱に塗れ死にたくなるような凌辱を受けていたのだ。それでも生きている。生きて明日を信じているという人達もいた。
それなのにそこにいた女は喪服を着こみ亡き父親を弔うだけだと言わんばかりの態度だった。
「けれどどうして……? 今更?」
「さぁな。当初の予定では、そんな風にした後でタラードに優しい言葉でも掛けさせる予定だったんだがな」
「あなたのことだから本気の言葉だったんでしょ。進んで憎まれ役をするとしても己の胎にある思いを込めたんじゃない」
「仰る通り。事実、腹が立っていたわけだしな」
横目で通りの一角で情熱的なムオジネル式のダンスをする女性を見てから話を続ける。
だが彼女はこちらの言葉に憤慨した。流石に異国人である自分に何故そこまで言わなければいけないのか、という怒りだった。
しかしこちらはあちらと同じ言語で素早く反論をした。
彼女としても論で叶わず情で叶わないと理解していたのか、こちらの言論を抑え込む算段だったのだろうが生憎、こちとらそんじょそこらの剣客・論客ではないのだ。
『あんたがとりあえず安心してタラードを頼れるぐらいの状態にしてやる。それまでこんな所にこもっていないでとりあえず従軍看護師として動いてみろ』
その後に語ることは殆ど自分の武勇伝だ。ギネヴィアは自分をかくまってくれていた村民達に別れを告げてから従軍医師の手伝いをしながらアスヴァ―ルの現状を知っていった。
「ギネヴィア王女ね……それでその後はどうなったの?」
「どうもしないよ。まぁ彼女は彼女で思う所はあったようだな――――――。休戦条約を取り付けた後は、反乱準備なり謀殺状況が整うまで隠れてろと言っといたか」
「長い沈黙が問わずとも語るに落ちてるわよ」
だが本当に艶っぽいあれこれがあったわけではないのだ。ただまぁ―――「私ともう一緒にいてくれないのですか?」そんな言葉を目を濡らしながら言うのは卑怯だ。あまりにも卑怯である。
それに対して冷たく突き放せるほど、自分とてギネヴィアが嫌いなわけではないが―――それでも、「たぶんね」。と再会があるかどうかを期待させない言い方で終始しておくことにした。
「まぁ彼女は次期女王だ。タラードを王配として迎えれば、盤石だろう」
彼女が真に信頼できる人間はもはやいない。
タラードに全てを託すしかない彼女の現状を分かっていても自分にはもう一人の姫から託された大きな使命があるのだ。
それを放り出すことは出来なかった。そして自分は彼女の側にいつまでもいられる人間ではない。
「じゃあもしも私が苦難に陥って落ち込んだならば……リョウは助けてくれる?」
「ジスタートの戦姫様たちはか弱き女性とは正反対すぎて守り甲斐が無いんだが、まぁ状況次第だな」
「確約しなさいよそこは、私だって女なんだから頼れる男性に縋りつきたくなる時もあるのだから」
「君に何か危難が訪れたならば万難を排して、疾く疾く駆けつけてやる―――。こうして側にいる時に限ってだが」
憤慨して自分の腕に抱きついてくるソフィーの策略に対抗しながらも目的地が見えつつある。ニースの王城が見えてきた。
跳ね橋の向こう側に見える城には果たして何があるのか、城門の前には衛兵三人、その三人に渡されていた書状を晒す。
「確認を取らせていただきます。―――それと腰の得物も預からせてもらってよろしいですか?」
恭しく一礼をした後に、城の方に走っていく衛兵一人。残った二人も警戒心を解いていない。その二人にソフィーは魅力的な笑みを見せて警戒を解こうとしているが難しい。
彼らもこの城を守る第一の関門として、どんな人間であろうと警戒しておかなければいけないのだ。
職務に忠実であり誇りを大切にしている人間というのは往々にしてそういうものだ。自分とてそういう人間だった。
しかしそれだけでは駄目な時もあった。主の不義を諌めるのも忠節の道なのだと。
もっともサクヤは暗君ではなく名君であった。仕えるに値する人であったが……やはり年頃の乙女なので、悪戯心満載であった。
「ブリューヌの跡継ぎは、王子だけなんだよな?」
「あら? ここでも姫君を口説き落としたかったのかしら、本当に色子なんて不名誉付けられるわよ」
諌めるようなソフィーの視線と言葉に肩を竦めながら答える。
「違うよ。ただ単に……まぁ俺を騒動に巻き込む女がいなくていいなと思っただけだ」
「どちらにせよあなたは騒動に巻き込まれると思うけれど」
詰所の一角にて待機しながら言い合い考えていると、衛兵が戻ってきて敬礼をした。
「ジスタート大使ソフィーヤ・オベルタス殿とジスタート客員剣士リョウ・サカガミ殿ですね。確認が取れましたのでご案内させていただきます。どうぞこちらへ」
預けていた鬼哭を受け取りながら、衛兵の案内を受けながら歩き出す。ブリューヌの王城を見上げる。
見上げると同時に、鋭い視線を感じる。視線の方向は真正面。歩き出して見えてきた城門の前に一人の男。黒い甲冑に黒髪。全身を黒くしつつも、その心胆たるや正に武人という巨漢の男が立ちふさがっていた。
男の姿に英雄譚の忠臣の一人を思い出す。その男は何本もの矢を受けても主の為に門を通さぬとして「立往生」した武僧であった。
それと同じものを男に見る。かつては神仏を敬いつつも一人の君主の為に己の力を振るった「生臭坊主」。
「ロ、ロラン卿……!?」
「―――あんたが黒騎士ロラン?」
衛兵の驚愕した声にてブリューヌの英雄を思い出す。この男を倒すためだけに、ザクスタンとムオジネルはあのような兵器を作り出した。
睨めつけるような視線と険のある言葉にも関わらず男は淡々と返す。
「そうだ自由騎士リョウ・サカガミ、お会いできて光栄だ。ファーロン陛下は貴殿の来訪を心待ちにしていた。ここからは私が案内しよう。ケニーここまでご苦労であった。お前たちは陛下と殿下の第一の盾にして最強の盾だ。誇りを持って職務を全うしろ」
「……! はいっ! それでは失礼いたします!!」
感極まった声で震えつつ答えたケニーなる衛兵は、一礼してからもと来た道を戻っていく。
ケニーという男が完全に見えなくなると同時に、ロランは言ってくる。それは彼の忠節の在り方だった。
「―――案内する前に言っておく。俺は陛下に危害を加えるものならば何人であろうとも斬り捨てる。例えそれが隣国にて英雄と称えられている男であろうともな」
厳然たる宣言と共に、一つの予感を感じる。
この男とは剣と剣を使った闘争で分かりあうしかないのだと――――。そしてそれをこのブリューヌ王国は狙っているのだと。
つまりは―――ただの武芸大会の観戦で終わることはあり得ないのだ。
闘争の予感を感じながらもリョウは不安に駆られることはなかった。目の前に立つ男もまた最高の「剣客」の一人だ。
最高の剣客と最高の闘争が出来る―――久方ぶりに武と武の極みを目指せる戦いが出来るのだとリョウは、剣客としての本能が目覚めるのを自覚していた。
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「鬼剣の王 Ⅱ」
―――黒騎士ロランが西方国境砦から出た。
その報がもたらされたのはその西方の小競り合い相手ザクスタンであった。戦神テュールを信仰し、西方からブリューヌを侵さんとする国は、その戦神の加護も無く幾度となく敗走を繰り返してきた。
何故、ザクスタンから「自分たち」に報がもたらされたのかは分からない。しかし「軍神ワルフラーン」の加護として、自分たちはその報に有難さを感じた。
「つまり上はザクスタンと組んでいるということだなアスラン」
「それは我々の考えることではないなマジード。要はこの好機を利用できるかどうかということだ」
ザクスタンとの間でどんな密約があったのかは分からない。しかしながら、ブリューヌの重要な戦力を削ぎ落して侵攻をしやすくさせるための好機なのだ。
しかしながら正面からは無理だとしてどうやって倒すのか―――。
「如何なロランとて無差別の武芸大会にて多くの挑戦者達を降した後では疲労は相当なものだ……出場しているのは我が国の有力剣闘士達もいるのだからな」
その為に傭兵に偽装した上で多くの武芸者達を出場させた。その剣闘士達の指揮者は「赤髭」のお気に入りの戦士の一人、「這い上がる者」ダーマードなのだから。
「その後に、我々が―――暗殺者として雪崩れ込みロランの心臓に―――」
短刀を埋め込む。上手くいくかどうかではない。上手くいかず故郷に逃げ帰れば恐らく処刑は免れまい。
そして他国に逃げたとて自分たちと同じ「アサシン」「ハシーシャン」の全てが、自分たちを殺しに来る。
自分たち以上の「殺しの技」を使ってだ。
マジード、アスランがいるのは王都ニースの酒場・風俗店の一つ、奇特なムオジネル人の兄弟主人を装い、ここを拠点として間諜としてやってきたのだ。今までは荒事ではなく様々な手法で王都の事情などを人と接触することで、情報を得てきたのだが、本国からの指示は今までの自分たちの活動を褒め称えると同時に完全なる破壊活動を起こせということだ。
この時が来るのを心待ちにしていた―――。というわけではないが、来るときが来たという心地だ。
「十三人の同志達を集めて―――やるぞ」
「ああ、勝つにせよ負けるにせよ。我々はやるべきことを―――」
言葉が途切れたのは気配が訪れたからだ。殊更に路面を足で叩きながら歩いてくる人―――なのだろうか。疑問符は尽きないが、それでも「客」が来たようだ。
「いらっしゃーい。今日は年に一度の武芸大会だ。サービスするよお客さん」
人好きをする笑みを浮かべて、店員として客の対応をしたのだが、客は―――あまりにも不気味だった。どう不気味であるかを言われれば言い表せない。
ただの青年にしか見えない。今は秋だが温暖なブリューヌだ。ここまでの厚着をしなくてもいいのではないかと思うほどに毛皮がそこかしこにあしらわれた衣服を着こんで、扉を開けてきたのだ。
数年間に渡って客を見てきたアスランとマジードだから分かるのだが、どうにもこの男―――女と楽しんだり、酒を飲んだりという客には見えないのだ。
「爺さんは手出ししないなんて言っていたけれども、こんな近くまで来たんだ。俺は俺でやらせてもらうだけだな―――――さて、悪だくみをしている「異国の暗殺者」達に協力してあげようと思うんだが、どうかな? 俺の話に乗れば黒騎士ロランは首尾よく倒せるよ。もう一つの密命―――東方の「龍」に関しても、僕の手を借りれば倒せるはずさ」
前半は独り言だったようだが、後半は完全にこちら側の事情を看破した上での言葉だ。それに寒気と同時に冷静な感覚が武器を握らせていくのだが―――、男の眼はこちらに反抗を許さない。
嗤っている顔が自分たちの全てを握っている。ここで自分たちは生きるも死ぬもこの男に握られているのだ。もはや覚悟を決めるしかない。頭だけを下して恭順の意を示すと、満足げに何度もうなずく男。
「素直でよろしい。では―――まずは他の連中を呼んできたら、婆さんの施術と、俺の施術は全員そろった状態が都合いいんだからさ」
こちらの事情などお構いなしの横柄な言葉。調子だけは軽薄そのものなのだから余計に不遜さが際立つ。
しかし――――もはや自分たちはそうすることでしか生きられない。
そんな恐怖の感情しか残っていなかった。
◇ ◆ ◇ ◆
多くのブリューヌの有力者達が自分に挨拶をしてくる。その顔と名前を一致させながら、この場には二大貴族がいなかった。
片方は息子の容体芳しくないということで真実だと気付いていた。憤慨する貴族や文官もいたが、一応彼の名誉の為にも道中で見たことを伝える。
「確かにその男はザイアン・テナルディエでしょうな……ネメクタムに寄ったのですか?」
「一晩宿を取っただけです。ただの浪人相手に何もすることは無いとは、いや公爵閣下はなかなか先見の明がありますよ」
「ご謙遜を、あなた一人味方にいるだけで千人力、万人力だということはこの西方で知らぬものは居りません」
皮肉と共に奸賊との接触は無かったと告げるが、それよりも踏み込んでくるはピエール・ボードワンなる宰相だった。
そこに割り込んでくるものもまたいる訳であり、これまたブリューヌの有力者であった。
「ボードワン少しばかり失礼ではないか、この青年は公爵の世話にはなっておらんと言っているのだ。それを信じられぬのか?」
「マスハス、私とて信じていますよ。
猫顔の宰相と熊みたいな印象を受ける老貴族。この二人のやり取りは少しだけ私情という感情を交えたものに感じられる。旧友といったところなのだろう。
そんなやり取りの後にこちらに頭を下げてくる老貴族にこちらも恐縮してしまう。
「我が国の宰相が無礼をしたサカガミ卿―――。しかし……若いですな」
しげしげと見られては居心地の悪さもあろうが、どうにもこの老人からはそんな気分は無い。
そうされながらも言うべきことを言っておく。
「若造ですから、どうしようもなく若造なので侮ってくれていると助かります」
「いやそういう訳にもいきませんな。友人の息子もあなたと似た年齢なので……少し親近感が湧いたのですよ」
マスハス・ローダント伯爵という貴族が語るところによればその友人の息子も最近「大事業」をやっているらしく、自分を馬鹿には出来ないと言ってきた。
そういう意味での凝視だったかと理解すると同時に、その友人の息子とやらに少しの興味も出てくる。貴族の友人が貴族だとは限らないが、「放牧」をやるようなものがただの商人であるわけがない。
つまりはこのブリューヌにおける有力者。貴族の青年であると理解出来た。
「そのご友人の子息はどちらに?」
出来うることならば多くの人間に会うことで、この地にいるかもしれない「王」を探したかったのだが、マスハスが語る自分と同年代の「貴族の息子」とやらと会いたかったのだが……
「いえ、来ておりませぬ……ったくあやつは、気にせず来いといったのに……」
少しの憤慨と共に嘆息するローダント伯爵は、その青年のことを本当に気にかけているようだ。故郷にいる老官の一人を思い出させるほどに。
「私としては安堵していますよ。彼は……殿下の心を乱しかねない」
横から宰相の正反対な意見。その男はどうやらレグナス王子と親しくても、このような場には出られない男のようだ。
何とも人物評価が定まらない人間だと思いつつも、興味が湧いてくる。この国に来てから奸賊の話ばかり聞かされてきたので物珍しい感覚を覚えているだけなのかもしれないが。
どういった人間なのか―――を問う前に、下の闘技場にて大きな音が響いた。
「勝負あり! 勝者ロラン!!」
闘技場の観戦者達は、拍手喝采の大嵐である。黒騎士の健在ぶりはこのブリューヌが外敵に侵されないことの証明だ。
彼が膝を突くことあれば、それはこのブリューヌが終わる時とも思える。
「如何ですかな「我が国最強の騎士」の武勇の程は?」
観覧席の最賓客席からこちらまでやってきたのはこのブリューヌの最高権力者―――ブリューヌ王「ファーロン」だ。王子殿下を連れて準賓客席までやってきた。
流石のボードワンとマスハスもこの人間の登場には頭を低くして道を譲った。こちらも少しばかり頭を低くして言う。
「流石ですね。私とて勝てるかどうか分かりませんよ。「ファーロン陛下の騎士」には―――」
こちらの言葉の皮肉に気付いたのか、ファーロン王は苦笑しつつ語る。
「ロランには騎士として私にではなく「国」に忠節を誓ってほしかった。その上でレグナスも盛り立ててほしかったのだが……私の言葉が彼の忠節の道を決めてしまったかもしれない」
「始祖シャルルに仕えし豪傑無双にして私心無き騎士―――ロラン」
ここに来るまでに知ったブリューヌの建国神話。始祖シャルルに仕えし神官から譲られた「剣」を使いシャルルを助けた最強の騎士。
眼下にて一人の大柄の剣士を討ち果たした黒騎士の姿にそれを重ねるは無理からぬ話だ。
武芸大会の全ての試合は終わった。形の上ではそうだ。思うにムオジネル系の人間が多すぎたような気もするが、それも無理からぬ話かもしれない。
剣闘士が多いのはあの国なのだから、しかし武芸大会はまだ終わらない。
―――あの男の次の相手は恐らく―――。
「よくぞ全ての挑戦者を倒したロラン、汝が剣と汝が武勇に今一度の拍手喝采を皆にお願いしたい!!」
最賓客席に戻り、観客であり主に自国民たちに顔を見せながら、そんなことを言うファーロン国王の言葉通り、再びの大音声に包まれる闘技場。
「ロランよ。全ての挑戦者を倒したそなたに余は褒美を与えたい。何か望むことはあるか?」
一しきりの拍手喝采が終わり、静寂に包まれた闘技場にてファーロン国王は、拝跪した状態のロランに声を掛ける。
その言葉の後には恐らく――――。
「陛下、恐れながら私は―――自由騎士リョウ・サカガミに決闘を挑みたくあります!!」
戸惑いが観客席に生まれる。自分が来ていることの驚き半分、そしてそいつは誰なのかという疑問半分といったところか。
「まだまだあなたの名声も轟いていないわね―――それで受けるの?」
前半は少しおどけながらも後半は真剣に聞いてくるソフィー。いままで多くの人間の相手をしていたのは彼女も同じだったが、事態の急変に勢い込んでこちらにやってきたようだ。
「君も言っていただろ。ブリューヌでも自由騎士として振る舞いたければ、俺はこの国の豪傑無双達に勝たなければならないんだ」
そして何よりあれ程の剣客と立ち会える。己の「格」を確かめるにあの男は最適だ。
同時にロランの忠節の道を少しばかり正したい気にもなる。彼には彼なりの忠義というものもあろうが、主の意に添わずに剣を振るうは主に対する最大の不敬である。
「刀を―――」
「はい、どうぞ。武運を祈るわリョウ」
恭しく得物を差し出してきたソフィーから受け取って、そのまま手摺に足を掛けて、どてっ腹から出した大音声で応える。
「俺が自由騎士リョウ・サカガミだ!! ブリューヌ最強の戦士、「黒騎士ロラン」その挑戦受けるぞ!!!」
このコロシアム全体に聞こえるほどの叩き付けの文句に全員が姿勢を正される。そうして闘技場に降り立つ。観覧席から闘技場までの距離十アルシンはあろうかというところを落下しながらも着地を成功させると動揺が走る。
こちらの技量の程はコロシアムの観客全員にも分かったのだろう。そして―――目の前の男にも―――。
何も言わずともロランは手にした大剣を構える。鉄で出来た巨大な大剣。それを竹竿でも振るうかのように操るこの男の技量は―――並ではあるまい。
同時に自分もまた半身を向けて抜刀の体勢を取る。既に判定を下す審判役はいなくなっている。
つまりは―――そういうことだ。仕組まれた舞台。しかしそれでもその「イタ」を踏むと決めたのは自分なのだ。
互いの間に見えぬ火花が飛び散る。相手の隙を窺いながら己への隙を誘う。
想像と空想の間での闘争が現実のものとなることは――――数十秒後のことだった。
◇ ◆ ◇ ◆
閃光と轟雷がぶつかり合う。そうとしか表現できない剣戟であった。
黒騎士が振り下ろした大剣を侍が横薙ぎに払った刀で迎撃した。お互いに踏込と同時の必殺の打ち合い。それだけで力量は知れる。
(俺とて負けないだけの自信はあるが……正直、砕け散りそうだな)
ムオジネル人の男は人知れず嘆息しつつ、奇態なことをするヤーファ人とこの国の最大の障害とも言える男を見比べる。
ダーマード。それが男の名前ではあった。ムオジネルの王弟クレイシュの側近として動くようになって様々な仕事をしてきたが、その中でも今回は難事中の難事といっても過言ではない。
どさくさまぎれの「破壊工作」「要人暗殺」など、今まで任されてきた仕事以上だ。
「何事もその通りに動けばいいのだが、不測の事態というものはどんな時にでも起きるものだな」
「確かに、まさか用意してきた剣闘士全員が汗一つかかせられなかったというのは驚き以外の何物もありませんよ」
「そっちはそんなに期待していなかった。ロランの記録は暗唱するまで読まされたからな。あの程度の連中では無理だったろうさ」
部下の一人の言葉に還しながらも、ロランは「人」ではないのではとも思いたくなった。
そしてそのロランと真っ向から剣戟を叩きつけ合えるヤーファ人。この男は眉唾な情報が多すぎる。アスヴァ―ルの諜報員達の情報全てを鵜呑みにすればこの男を手に入れることは千、万の軍を手に入れたようなものだ。
しかしその情報が全てまことの真実なのではないかと思わせるほどの戦いぶり。
「まぁ今回の狙いはロランだ。それでアスラン達はどこにいる?」
「連絡はありません。十三人のアサシン達は置手紙一つを残して行方知れずです」
その十三人のアサシン達の塒にあった置手紙の文面は全てが同じであることを既に確認している。これだけ見ればブリューヌの間諜共に既に見破られている可能性もあるが、そういった気配は感じられない。
露見せず尚且つ行方知れず……アスラン、マジード達が居なくなったのは三日前。その三日前に何かが起こったのだ。
奇怪な匂いがする。こちらの道理が通じぬものが動いているとでも言い知れぬ不安が包んでいる。
「予定ならばそろそろのはずだが……」
剽悍な顔を歪ませながら他の観客同様に、その闘争剣劇に熱狂できないことを恨めしく思う。
(剣ならば負けるが『弓』ならば負けないだろうさ)
そう悔し紛れの言葉を内心で呟きながら、マジード共を探すよう指示しながら自分も動く。
闘技場の周囲でマジード達の姿を確認出来ないかと思い、走り出すと同時に奇妙な男を見て、その奇態さに目を奪われた。
「暑くないかい?」
一言気軽に聞きながら、様子を仔細に見ておく。ある意味では、今のダーマードは怪しげなもの全てに問い質したい気分でもあったから。
「いずれ暑くなるよ。いま以上にね」
求めた答えとは違う的外れのそれを聞きつつも、その奇態な男―――厚手の服を温暖なブリューヌでも着ている男から目を離して走ることにする。
副官が呼んでいたからだが、呼ばれていなければその男ともう少し会話をしていただろう。
(まぁ肌の色・髪の色だけで出身国が分かるとも限らんな)
恐らく自分と同じく熱帯気候の出身なので少しばかり厚手の服を着ているのだろう。ブリューヌの気候が温暖といってもそれは、ジスタートなどと比べた際のものでしかないのだから。
そうして観戦をしていた奇態な客―――回廊の柱に寄り掛かっていた男の事をダーマードは完全に忘却した。
その男の『舌』がカエルのように、口元から垂れていることに気付かずに……
◇ ◆ ◇ ◆
豪風が殺意の圧と共に叩き付けられる。閃光が必殺の意と共に奔る。
両者が剣を振るい合撃にいたる様は、一般の客からすればそうとしか見えないものだった。まるで二人の間にだけ雷雲があるかのように―――。
二人の超常の剣客どうしが死線を渡らせんとすると必定、そのような画が出来上がる。
黒い軽鎧。いわゆるブリューヌ式合戦装備ではないロランだが、この男はあの重鎧を纏っていても同じような動きが出来るはず。
剣客としての勘は間違いなくこの男の技量を隈なく探れていた。
同時にロランも目の前の男が最強の剣士の一つであると理解していた。ブリューヌ程ではないがヤーファの戦鎧もまた同じような重量であることを知っていた。
鎧を着けていてもこの男の剣戟の速度は落ちまいと理解すると同時、今は自分よりも防御力が無い平服の姿だ。剣戟の応酬でところどころ破れてきたものの、致命傷には程遠い。
重さで優る大剣をこのようにしていなすとは―――。
「見事だ自由騎士。この俺とここまで剣を合わせられたものはいない!」
「だろうな! あんたの剣の三太刀まで受けられればそれだけで英雄の資質ありだろうさ!!」
言葉を返しながらも剣戟は止まらない。大質量のものを軽々と扱い短剣も同然の手数で振るってくるロランの技量の程は、『現実』というものを軽々と超えてくる。
(大型の武器は『一撃必殺』か『後の先』を狙ってしか使えないはずなんだよな。だというのにこの男は―――)
しかしながら自分とてそういった相手を倒すための「剣術流派」を修めてきたのだ。
意気を込めてロランに必殺を込めて挑みかかる。水流の如き剣の流れが閃く度にロランは驚愕をする。
リョウ・サカガミの剣のそれは自分の術理―――いやブリューヌを含めて西方全体とはまるで逆のものだ。
相手の攻撃に剣を絡めて、攻撃の方向をずらしていく。
重さで優り膂力で超えた一撃とはいえ狙いを外されればそれは必殺とはなりえない。
そして相手の攻撃が逸れた間隙を突いて、防御不可能の必殺の一撃が叩き込まれる。刃と体の境界に擦り抜けるように入り込んでくる白刃の軌跡。
しかしそれはさせんとロランも神速の捌きで己の剣を引いて防御する。その攻防の応酬が見える形での絶え間ない剣戟のそれだ。
(このままでは千日手だな―――という考えなのは黒騎士も同じか)
読速が黒騎士の意図を読み解いた。恐らく次の瞬間にロランは太刀の動きを変化させてくるはずだ。
剣の火花が散る中でも、それは読み取れた。ロランの次の動き――――攻撃の応酬を切り上げる形で弾かれて距離を否応なく取らされる。
その間にロランは足を開き、剣を最上段に構えた。
どのような打ち込みがやってきたとしても迎え撃つ。一太刀に全てを賭ける構え。それを前にしての逃走は剣士として出来ない。
背後に回っての打ち込みは不可能。となれば――――こちらはこれに賭ける。
鬼哭を納刀し、腰を落とした半身をロランに向ける。最初の攻防の再現と同じく抜刀術の構えを取る。
「それがお前の最高の剣戟か、だが俺とて簡単には斬られない」
「そうだな。お互い本当の全力で戦うためにもこの「勝負」には勝つ」
――――殺気が黒騎士と自分との間に満ちる。
――――闘気が自由騎士と己との間に揺蕩う。
お互いの殺気が、闘気を突き破る形で顕現する。
踏込と同時の神速の抜刀撃が、向かってきた自由騎士を迎え撃つ振りおろしの一撃が、交差しあう一瞬。
ロランは、「虚撃」を交えた。振り下ろしの斬撃が止まる。これだけの質量を完全に制御しきれるロランだからこその芸当。
ヤーファ式剣術で言うところの正眼に完全に止まったロランの大剣。その隙間に本来ならば交差必殺が入るはずだが、リョウは抜刀術の力を完全に空かされた形となり、剣は空を斬り身体は流れたままだ。
(獲った!)
歓喜と共に自分と打ち合える好敵手の不在を嘆くロランだが剣の術理は構わず自由騎士の生命を奪うはずだった。
それは―――あり得ざる結末だった。正眼から最上段と同じく力を込めた振りおろしが、行われていく。
しかしそれを止めるものがあった。
受け止められるロランの剣。受け止めたのは――――鬼哭の鞘であった。抜刀の動きと同時に腰から抜いていた鞘が二撃目としてロランの振りおろしを受け止めた。
「ぬっ!」
受け止めた鞘を支店にして振り子の要領で返す刀として鬼哭が振るわれる。狙われたのが首であることを理解してロランは剣を引く。
それこそがリョウの狙いであったのだが、交差する大剣と刀。二重の力点を加えられた大剣は破断する。
鋼の破断と同時に振るった刀の動きと共に身体がロランの背後に移動されていく。
ざわめきが広がる。当然だ。ブリューヌの最強の騎士がある意味では敗れたのだから、しかしながら勝鬨を上げられぬ。
この男の本来の武器でなければ―――勝てたとは言えぬからだ。
「『本当の得物』を取れロラン。本来の力を制限された状態での勝敗など勝てたとは言えぬ」
「理解していたか……鍛冶師には苦労させた大剣だが……こうなっては仕方あるまいな」
振り向かずに、ロランに本当の剣を握らせる。この男が初対面時に持っていた剣と自分が壊した―――否、ロランの使用に耐えきれなかった剣とは違っていた。
ロランの持つ「絶対不敗の剣」がいかなる武器なのかを知るまでは自分は勝鬨を上げることは出来まい。
「クロード! デュランダルを!!」
「はっ!」
観客席、若い騎士達が護衛と観戦をしていた一角に大声で呼びかけて一人の騎士が恭しく宝剣を携えてロランに向けて投げた。
半ばまで刀身を無くした大剣を捨ててから、鞘は無く布が巻かれた大剣。空中で掴み取りそのまま剣身を衆目に、そして自分に晒すロラン。
(神宝……? いや、確かに近いが……)
どちらかといえば「魔剣」に近いのかもしれない。恐らくは「ムラマサ」に近いのだろう。
「俺はデュランダルを手に取ったぞ。自由騎士―――貴様も『本当の剣』を抜け」
切っ先をこちらに向けながら威嚇するように言う黒騎士の言葉にどうしたものかと思う。
無論、自分から言い出したことだ。あちらが本当の得物を出したからといってこちらも馬鹿正直にアメノムラクモを出すのはどうかと思う。
あれは抜くべき時に抜く秘剣だ。あれを使わずとも自分は自分の剣術全てを出すことが出来る。
「六人のサムライ」の技巧を余すことなく鬼哭で繰り出せる。
だがロランの言葉は―――こちらに響く。万の軍から一つの村を守ったという剣を見せてみろという彼の言。それに応えなければ、俺はこの「黒騎士」に「負けた」ままだ。
意を決して御稜威を唱える。自分の目の前に現れた一振りの太刀。その出現に観客全員が驚くも、ロランだけは感情を表に出さない。
掴み取り鞘から振り抜き一閃すると、風が会場全体を走る。
「クサナギノツルギ、アメノムラクモ―――様々な銘が付けられているヤーファの神剣の一振り。サクヤ女皇陛下より賜りしこの剣―――抜いたからには、ヤーファの剣客として負けられんぞ『黒騎士』」
「始祖シャルルの時代より今にも伝わるブリューヌの守護の剣。銘はデュランダル―――私が敬愛するファーロン陛下より賜りしこの剣―――抜いたからには、ブリューヌの騎士として負けられぬ『自由騎士』」
お互いに意気と決意を示してから構えを取る。お互いに負けられぬ理由の語りは終わった。後は絶技繚乱の限りで以て応えるのみだ。
二度目のぶつかり合いは―――轟音と渦巻く空気の乱流が始まりだった。
† † † †
「見ろグレアスト、あれこそが東方の化生を打ち破ったという「鬼」の子孫だ」
「どうやら閣下にとっての最大の障害はあの男になりそうですかな?」
「さて分からぬな。あの男はこちらの眼前に来ることすら不可能かもしれないのだから」
とはいえ、そんなことを本気で信じているわけではない。闘技場での戦いのそれは、鬼剣が真実―――自分たちを打ち倒す可能性を秘めていた。
だがそれ以上に、魅力的な『力』であった。弓の使い手はそうそう生まれるわけではない。しかし鬼剣はあのようにヤーファで常時生まれる。
ある意味戦姫と同じように武器が己の持ち主を選定しているようなものだが、そこに「温羅」としての力が加わるとこうなるのか。
「奴と対峙すれば五分五分……いや、こちらが三分で分が悪いか、「奴ら」のように使える『手駒』が少ないというのが我々の弱みだ」
『捨て駒』の間違いではないかとグレアストは、目の前の老人の言に異を唱えながらも、それを素直に言うことはしない。
言ったならば如何にグレアストといえども、このマクシミリアン・ベンヌッサ・ガヌロンという「怪物」に殺されているだろう。
無論、この貴族お得意の拷問処刑ではなく「握り潰す」という非現実極まりない行為でだ。
「奴らと言えば……連中の内の「一匹」がここに紛れ込んでいるのでは?」
「だろうな。金喰い蛙だ。奴が何をするのかは分からぬが……まぁ見届けるに越したことはあるまい。ともすればデュランダルの担い手として不完全なロランを排除できるかもしれぬ」
どちらが勝っても自分にとって有利な状況になるだろう。蛙が死んだとしてもそれを「取り込み」。鬼剣が死んだとしても「神剣」は自分の手に。
「今は静観するが吉だ。機を見て動くも動かぬも臨機応変に対応する」
「承知しました。ではそのように―――」
盟主に一礼をしたグレアストは、再び闘技場に眼を向ける。
そこには自分ではまず不可能な絶技の数々。あらゆる剣士に技の閃きを与えるであろうものを繰り出す騎士と侍の姿があった。
† † †
黒剣と―――「雷剣」が噛み合う。稲妻の如き剣戟のぶつかり合い。しかし片方が完全に稲光を纏っているにも関わらずその効果は黒騎士には与えられない。
理解はした。この剣は「呪力」の全てを遮断するものだ。恐らくこの男の前では戦姫の持つ竜具の効果は十分に発揮できまい。
(あの海竜に装備されていた鎖環と同じか)
結局の所、あれは回収することは出来なかった。相当な重量があり海底から回収することも不可能であったというのもあるが数日後に捜索隊が調べた時には忽然とその姿を消していた。
強烈な海流によってどこかにいってしまった可能性も考えたが、現実的ではない。恐らく持ち去られた。
それ自体は蛇足だ。問題はその鎖環と同じもので出来ている以上、勾玉の効果は期待できないはずだった。
だというのに雷の勾玉を装備したのは、長尺の武器に対応するためにこちらも長尺の武器を振るう必要があった。
そして―――六人のサムライの技巧を繰り出すにはこの武器が適していた。
「その剣―――何で出来ている?」
「蛇の骨の一部なのかもな。もしくはその蛇自体「神」みたいなものだったから神の肉体で出来ているのかもしれない」
「面白いことを言う。だが確かにお前の剣技は「神懸かっている」」
言葉の応酬の間にも剣の応酬は止まらず「黒剣」と「雷蛇剣」は、鋭音と空音を奏でる。
その絶技繚乱の程に観客は熱狂をし、剣士・騎士達は己の武芸を磨くために瞬き一つせんとばかりに見ていく。
(それにしても……この男の型は変幻自在だ……いや、まるで一人と戦っているというのに、七人と戦っているかのようだ)
ロランは目の前の剣士の絶技の程の深淵を既に探れていた。
本来、どんな武芸者、いやどんな職種に就くものであっても「一定の型」というものが存在する。それは多くは師であるものから伝わるものが主なのだが。
この男の型は、今は違う。刀の長尺の太刀を逆手・順手に持った二刀自在の巧手あれば、体重で劣りつつも、自分の頭を割り砕かんとする大打の斬撃を両手で放ち、長尺の太刀を槍のように見立てて、突撃の乱打を放つこともある。
それら全てが、まるで違う剣士から繰り出されているように感じられるのだ。
「はぁあああ!!!!」
その変幻の型に惑わされんと、全体重を乗せた振りおろしの一撃を気合い一発。しかしそれを自由騎士は受け止める。いや―――受け流した。
太刀と刀を頭上で交叉させて鍔部分の重ねで受け止めた。一瞬の沈み込みの後には刃を滑らせて、身を低くしながらこちらに接近してきた。
顎を撃たれると感じてロランは―――頭を低くして予想外の攻撃を放つ。
鈍い音が響く。額に鈍痛を感じて、敵の姿を―――お互いに見失った。
「頭突きだと……お前、予想外にもほどがある……」
「兜があれば、それもまた武器。我がブリューヌの騎士の誉れ重装鎧は、それだけで一つの武器なのだよ」
「じゃあ何か、ここの騎士達は全員頭突きの鍛錬を常にやっているってのか?」
「いいや全くそんな教練は無い」
額を押さえながら、四チェートは離れた相手に聞くも真面目な様子でそんなことを言われるので、面くらう。
頭突きのダメージを逃がしながら、回復を図るためにも話を長引かせなければならない―――が意外にも話を伸ばしてきたのはロランの方であった。
「あれが……貴様の万軍殺しの秘儀か?」
「というわけではないが……確かにアスヴァ―ルでペレス村を守った際の技ではあるが……あれは俺にとって形見みたいなもんだ」
「形見?」
「先程の絶技―――それを使えた武士の内四人は死んだんだよ。その四人は、同じくのぶせ……野盗共から村を守るために集まったサムライだった」
「何故、それを見せた? こちらの挑発に乗らなくてもお前自身の剣で挑めば良かった」
その言葉に内心での笑いが出てくる。この男の忠節の道を少しばかり曲げるためにも、使って良かった。
「お前は『ブリューヌを守る騎士』なんだろ? だったら俺も、お前と同じく『守るため』の技で応じたかった。それだけだ」
『国』と『村』そこに大小の違いはあれども、そこに住む人々には何の違いも無い。
たった七人で「羅刹」の集団と戦うと決めた自分と六人の武者。その来歴はそれぞれ違えども、目的は一つだった。
「あんたの忠節の道が全てにおいて間違っているとは言わない。ただその忠誠をただ犬のように盲信しているようじゃ、いつか正邪の区別、正義と悪徳の区別も無く段平振りかざす結果になるぞ」
「俺の剣が間違っていると……騎士として俺は不適だとお前はいいたいのか?」
少しだけの憤怒がロランから吹き上がる。しかし、それでもこの男は―――もっと大きな意味で「ファーロン国王」の「剣」になれるのだ。
「さぁな。ただ俺は大きな者の為に剣を振るう道と同時に小さな者の為に剣を振るう道を教えられた」
言葉と同時に思い出すは死に行く四人の「師」。
己の剣は大きなものの為に振るうものだとしても、小さなものの為に戦う道もあると父以上に教えてくれた至高の剣客達。
二刀の変幻繚乱なりし必殺の絶技を披露した父以上の剣客。
斬馬の大剣をものの見事に振るった巨漢の剣客。
長尺の槍を振るい目にも止まらぬ斬突を見せてくれた武僧。
ありとあらゆる飛び道具と剣戟を受け流し必殺を放てる同心侍。
皆に死んでほしくなかった。例え生きる望みが薄い戦いだったとしても、生きていてほしかったのだ。戦士である自分がこんなことを言うなど不覚だろうが。
「あんたが剣を使って守るのはブリューヌに座する王という「存在」だけか? それともブリューヌに生きる多くの「人々」か?」
最後の問い。その意味をロランは思考する。答えは出ないのか再びの激突の予感を思わせる構えを取る。
「俺は、お前と戦うことで陛下を害するものかどうかを知りたかった。結果は―――どうとでもいえる。しかしながら……お前の剣は俺とは違い自由であり「真っ直ぐ」だ。だからこそ羨ましくも思う」
「あんただってなれるだろ? 自分にとって守りたいものが本当の意味で「守りたい」と思っているものを守ってやればいいだけなんだから」
「ややこしいな。だが自由騎士―――お前の言いたい事は理解した。だからこそこの激闘にも決着をつけなければ―――俺は「前」には進めない」
激怒は止み清廉なる闘気がロランより発せられる。
最後の戦い。それを以て終幕となる。両者が決意を決め剣を振るおうとした瞬間。
轟音が響き、悲鳴が上がる。
惨劇が―――闘技場の外―――そして中で繰り広げられんとする号砲であった。
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「光華の耀姫Ⅳ」(前)
ラストがどうなるかを期待していきましょう。
6月4日追記 改めて読み直すと場面転換が多すぎると思い分割することにしました。ご理解いただけると幸いです。
その時、皇太子レグナス―――もといレギンは、この観客席の中に一人の男子がいないことに不満と後悔を抱いた。
後悔してしまうのは、もしも自分が「レグナス」としてでなく「レギン」としてならば彼は来てくれたのではないかという後悔だ。
自分に暖かさを教えてくれた一人の狩人領主。多くの貴族騎士達は嘲笑する武芸しか持っていなくてもレギンには、どんな武人よりも優れた武芸にも思えるのだ。
白刃の恐ろしさを真に理解して生き死にを賭けてまで、「生き残る」武芸。でなければ、あれほどまでの弓射は出来ない。
そんな彼が居ないことがレギンにはとても不満だった。そして、眼下にて繰り広げられていた試合の終わりは近づいていた。
瞬間―――、寒気が走った。背中に氷柱を入れられたのではないかという―――凍れる痛みが。
「殿下、身を伏せて!!」
側に居たジャンヌが自分の頭を無理やり下げて観戦机の下に潜りこませてきた。護衛としてだけでなく女騎士としての彼女の判断は正しかった。
その後には、何かの爆発音が響いた。耳を塞ぎたくなるほどの轟音。側に居た父もまた護衛によって守られていた。
観客達の混乱が広がっていく。轟音の後には闘技場の縁―――円形の傘に立つ黒ずくめの連中がぐるりと存在していた。
誰から気付いたわけではないのだが、轟音が響いたのが外からだったので自然と全員が外の方を向いたから気付いたのだ。
しかし黒ずくめの連中は、その視線を意にも介さず、
いずれ起こる惨劇が広がる気配に恐怖の絶叫が響いた。
† † †
その黒ずくめの登場。それに本当の意味で混乱していたのは、ムオジネル人の男だ。
ダーマードはそれが母国のアサシンの伝統衣装と、伝統武具であることを理解していた。
だが、こんな派手なことをしては暗殺の「意義」が無い。
つまり真正面からの対決となることは間違いない。ダーマードは、それにどう対応するかに苦慮するも―――、判断した。
「ブリューヌの重要諸侯の首を獲るぞ。テナルディエ、ガヌロン、ファーロンに近い連中の首をあげたものに『ワルフラーン勲章』と『土地1等」をくれてやるとクレイシュ様から言付かっている」
集まって下知を望んでいた部下の全てに目標を伝えると、全員の顔が輝く。先程までは絶望的な戦いになるかと思っていた。
黒騎士と自由騎士の二人に勝てると豪語出来るものはいないことを嘆くべきなのか、それとも全員の士気が上がったことを喜ぶべきなのかを悩む。
だが当初の予定通りだ。『粉塵に紛れて「真紅馬」を討取れ』その符丁の意味を考えるまでもなく多くのムオジネルの工作員達は戦闘行動に入っていった。
(賓客席の場……そこは全て騎士共が両脇を固めていた……つまり騎士共の壁を超えなきゃならないということだ)
何とも憂鬱な気分になりながらも、獲るべき首ぐらいは見定めなければならない。
そうして自分は這い上がってきたのだから―――――――――――。
† † †
混乱は広がるばかり、しかしながら事態の推移は既に承知済み。そして、狙われているものも自ずと分かっている。
「ロラン、あんたは「客席」にてたむろっているムオジネルの鼠共から「守れ」―――こっちに向かってくる黒ずくめとあいつらは「別口」だ」
「……何を守るか、そして本当の意味で守るべきものは――――今ならば分かる――――しかしお前ひとりで……」
一度だけ賓客席にいるファーロン国王に視線で問いを発したロランの思いは分かる。もしも自分との問答無くばこの男は確かに「守っていた」だろうが、それでもそれは忠節の道とは別だ。
そして戦士の礼儀としてロランは自分一人をここに置いていくことを躊躇っていたが、自分たちに影が差して、上から何かがやってきたことが分かる。
「リョウ!! 私を受け止めなさい!!」
(辞退したい……)
垂直落下する形で落ちてきた女―――戦姫ソフィーヤ・オベルタスのとんでもない行動は「変人戦姫列伝」に列されて紹介してもいいぐらいだろう。
もっとも彼女とて受け身ぐらいは取れるだろうに、と思いつつもとりあえず男子として武士として姫の頼みを無下にするわけにもいかず金色の姫君を落下する所から自分の腕の中に納める。
「成程、お前にはもう一つの「仇名」があったな」
「そっちに関しては不本意極まりないんだから言うんじゃない」
皮肉るような笑みを浮かべたロランに苦虫を噛み潰しながら、ソフィーを地に下す。
「ならば、あの暗殺者共は任せた。俺は俺の主の守るべきものの剣となりにゆくよ――――」
そうして、暗殺者の殺到する波を掻き分けながら観客席の方へと戻っていくロランは今にも激突の様相を見せ始めた騎士達に下からも通る大声を掛けた。
「忠勇なるブリューヌの騎士よ!! 我らが本懐を思い出せ!! 我らは国に生きる民全ての守護の剣!! 民一人にでもムオジネルの刃の傷一つあれば我らが負けと知れ!! 誇りを以て「務め」を全うしろ!!」
それはかつて門衛に対してロランが語った発破の言葉。それを今は本当の意味でファーロン国王の剣という自覚を持ったロランが言うのだ。
賓客席の両脇を固めていた騎士達に光を与えた。民を守るか、王、貴族を守るか。
民を守る――――ムオジネルの狼共は最賓客席を狙ってきているが、それでも民達に狼藉を働こうとしている連中も見受けられる。
彼らを守ることこそが本当の意味での自分たちの戦う理由なのだと気付く。
ファーロンの満足そうな顔と視線を騎士達は理解する。この文人肌の王の本当の剣となるならば自分たちは、凶賊を打ちのめさなければならない。
『了解です!! 黒騎士ロラン!!!』
騎士達の決意と同時の応答と同時にムオジネルの餓狼と騎士達は決戦に入る。
そしてリョウとソフィーもまた戦闘準備に入る。黒ずくめ達はロランにはわき目も振らずにこちらにやってきた。
ロランの隙のなさに攻撃できなかったというのもあるが、それよりも―――分かってしまうのだ。
「こいつら既に施術されている……」
「サーシャが言っていたけれど亡者の兵士かしら?」
こちらを取り囲もうと円状に迫ろうとしているが、それをさせないと移動しつつ、相手の出方を待つ。
暗殺者相手に「待つ」など悪手だが、それでも敵の全容がしれない以上、まずは相手の一手を見る。
周辺をぼうっと見るようでいて集中した視線の全てが細部まで暗殺者の全てを見透かす。
起こった変化は即だった。
数が―――「十二」人になっている。もう一人はどこに行ったのか―――。
殺意が―――下から注がれる。刃が殺意に向けて振るわれるが己の影のみ。
しかし影から―――暗殺者が飛び出してきた。一歩退いて、下方から突き出される刃を躱す。躱すと同時に前進をして暗殺者の体に拳を重ねる。
距離が一歩にも満たない距離からの打撃。臓を砕くほどの殺人打を放ったにも関わらず、圧でたたらを踏んだ後には平然と佇立をしていた。
「防具は無い。こいつらの軽さは元々だが……厄介だな」
「影から影へと渡った……そういう理解でいいのかしら?」
頷いてから、対策は一つとして実践をする。ソフィーと背中合わせとなり、視線を八方に散らす。
まずは連携を崩す―――。
瞬間、ソフィーの竜具ザートから無数の光の粒子が迸る。ソフィーの前面から襲いかかろうとしていた暗殺者はそれで眼を焼かれて幻惑される。
そして次の瞬間には全身が焼かれる。光の粒子の後を追うように閃雷(さきいかずち)が暗殺者二人の身体を焼き尽くしたのだ。
「その剣―――雷を放てるの?」
「雷蛇剣の機能と俺の微妙な妖術適正で放てる唯一の道術だ」
とはいえ、背中合わせになっていたソフィーがそんなことをするとは思っていなかっただけに、対応が少し遅れたのもある。
雷は一番自分にとって相性がいいのだ。歴代のアメノムラクモの所有者は、豪雲雷雲を呼び寄せたオロチの力の中でも風は相性よく使っていた。
しかし雷はその特性上、己の身すらも焼きつくしかねないということで使うことをためらうものも多かった。
だが戦鬼「温羅」はその身にイザナミより与えられし四つの雷神器を纏っていた。
その為か歴代の所有者よりも自分は雷を利用することが出来た。ゆえに―――。
「ならば私が光で攪乱するから、あなたはその雷剣で全ての暗殺者を殺して―――もちろん私の珠のようなお肌に傷をつけないように♪」
「分かった。お前さんの光の技ならば影を一定にすることは出来ないだろうしな」
相手も判断を即にして、こちらの連携を崩そうと挑みかかる。
しかし一度に挑みかかれるのは精々、二人―――己の怪我を考えなければだが。
一人が影に潜り、二人がジャマダハルを掲げて襲いかかる。
(上下の連携攻撃―――)
頭上へかざしたザートの先端から白銀の光が生まれて無数に拡散する。
リョウの前から来ていた暗殺者は眼を焼かれながらも覚悟を決めてこちらに挑みかかる。しかし本当の理由は―――。
「素は軽、肩に風実、八重の浮羽、十八重の雲、火吹き、地流れ、空渡る」
御稜威をかけるは伸ばされた己の「影」に対してだ。瞬間その影から勢いよく飛び出してきたのは暗殺者だ。
現れた同胞の存在に二人の暗殺者は、瞠目する。
本来は前後からの必殺の交差殺術だったのだろうが、その連携はソフィーの光によって自分の前に出来た影によって崩された。
「出てくるのが人の影だってんならば対処は簡単なんだよ!」
入口は無数に固定されているが、出口は無数に変化させられる。こちらの都合によって、こんな屋外で襲いかかった時点で失着だ。
正面からぶつかり絡み合った暗殺者三人。数瞬あれば解くことは出来ただろうが、その数瞬は鬼の振るう剣によって命ごと奪われた。
残りは八人。その内三人がいなくなっている。
「入り込まれたわけではなく―――後ろに隠れているだけだな!!」
こちらの頭の良さを利用したものだが、ソフィーの竜具の光は、八つの影を暗殺者に作らせていた。
微妙に角度を調整させた上での照射は、人影を確実に作り出していた。
しかし暗殺者は、散逸をして縦横無尽に動き回り狙いを付けさせないように動いてきた。
「動くと言うのならば好都合というものよ―――私にとっても」
襲いかかる暗殺者のジャマダハルを躱し、己の錫杖で叩き落とし、回すように振るわれた石突の部分が暗殺者の喉を潰して吹き飛ばす。
上方より襲いかかる暗殺者に関しては、躱さず―――受け止めもせずに「虚空」を貫いた。
「!?」
「光の屈折で虚像を作り出すか」
実体のソフィーは居らずに、虚像のみを貫いた暗殺者が自由騎士の剣により刎頸させられる。
残りは六人。ことここに居たり既に追いつめられた暗殺者は、こちらの動きを窺いながら、手首の辺りに何かを装着した。
(何かあるな……毒か?)
己の腕の無事を考えずに、腕から滴り落ちる毒が刃を纏い、そのままに攻撃の手段となる。
考えられる手はいくつもあるが、こちらの思考を破る形で一人が「影潜り」をして、こちらの影に移動してきた。
ソフィーの光の方向で正面から出ることは分かっている。
瞬間、出てきた暗殺者を斬ろうとした瞬間に、不穏な匂いがした。一種の刺激臭から毒かと思ったが違う。
刃と手甲を擦りあわせる暗殺者。つまりは―――。
眼前で、何かが爆発をした。その爆発は連続して起こり、自分の身体が痛めつけられるのを実感する。
(火薬か!)
正体を察すると同時に、全てのアサシンが自傷を厭わずにこちらに「発破攻撃」を仕掛けてきたのだった。
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「光華の耀姫Ⅳ」(後)
分割後篇です。
ブリューヌ騎士団の中でも精鋭と呼ばれるはナヴァール騎士団だろう。
騎士審問は厳しき門だ。それを乗り越えて精鋭たる存在になったとしても、それを超える存在もいた。
一般には知られていないが、それでも若き騎士候補は彼らの事を故事に準えて「パラディン」と呼んでいた。
そのパラディンの殆どはロランと同じく団長格になっているのだが、一人の女騎士は未来の国王の守り手としてその細腕で「大剣」を振り回していた。
「ば、化け物め!」
「そんな風に言われたのは初めてではないですが、少なくとも女性に言う言葉ではないですね」
その手に持っていた小剣を大剣に「変化」させて小剣の手数で振るっていた彼女の技量にムオジネルの工作員及び奴隷剣闘士達は慄く。
そんな驚愕に震えていた集団の中を軽快に滑り込み、剣を振るっていく若き騎士二人。
早業の限りの抜刀。最短での剣の突き立て。
殺人術としては正に比類なき術技の程は、ロランにも劣らない。しかしながらブリューヌ騎士としては邪道の術法でもある。
しかしながらクロードとセレナはそれを行いムオジネルの鼠共の息の根を止めていったのだ。
「それでどうしますか? 部下の命をこれ以上無くしたくなければ撤退してもらえると助かります。殿下の御前を下郎の血で汚したくありませんので」
「逃げ出した所で既に展開した騎士団共が俺たちを捕縛するという算段だろう……どちらにせよ犠牲は出るさ」
口減らしの為に兵士にさせられたようなものである男は剽悍な顔を歪ませながらも逃げ出す機会をうかがう。
せっかくここまで上り詰めたのだ。しかしながら報奨も魅力的だ。
自分の上役である「赤髭」ならばどんなことが最善手なのか分かるはずだ。
故に―――男。ダーマードは、即座にルートを設定し逃げることにした。こうなった場合に備えての街中での混乱だったのだ。混乱の最中、門番たちが自分たちを見失うだろうことは予測済みだ。
あのお方ならば無駄な首を置いて、敵への口実を作らせることはすまい。第一、アスラン、マジードというブリューヌの工作員共との連携が破綻した時点で、こんなことをすべきではなかったのだ。
三人の騎士、そして迫りくる黒騎士の圧力で包囲をされる前にダーマードは四方八方に煙幕を張る玉を投げつけた。
足元から広がる白煙と黒煙の限りがムオジネル人達を覆い隠し逃走を許す。
(全ては無意味に終わったな……とはいえ、全てが無駄に終わったわけではないか)
この国の主要な人物達、その手強さ。そして―――東方剣士の実力の程は既に分かったのだ。収穫が無いわけではない。
(後は……内乱が起こるのを願うだけだ)
その時にこそあの男との戦いが起こるはずだ。もっともダーマードとしては絶対に一対一では相対したくない相手であった。
憂鬱な気持ちを持ちながらも、煙の中を抜けて人ごみの中を紛れながら逃走を続けていく。新たなる闘争の幕開けを感じながら、生きて帰れたらばと再び憂鬱な気持ちが湧きあがるのを隠せなかった。
† † †
顔が煤で汚れながらもリョウは相手の攻撃の意図を読んでいた。だからこそ既にアサシン達の攻撃は無にされていたようなものだ。
一度に一人へと殺到できる人数というのは限られている。それでも自傷、同士討ちというものを考慮しなければ、いくらでもかかれる。
既にこのアサシン共の施術の程は見えている。そして斬るべき線も――――。
姿勢をとにかく低くする。腰を落として地に伏せるかのごとくまでの伏せりに暗殺者の攻撃が空かされて、そこに足元の影から現れたアサシンを踏み台にして、飛び上がる。
幾重にも絡まる「剣衾」を擦過しながらも上空に飛び上がり眼下に広がるアサシン全ての身体を視界に入れながら上空から落ちながらの斬撃を見舞う。
落雷と共にの斬撃がアサシンの手甲に仕込まれていた火薬を誘爆させながら斬り捨てて、影から出てきたアサシンの脳天に剣を突き刺して終わりとなる。
「神流の剣客にとって必殺の好機とは相手の「必殺」にあり。勝利を確信した相手程、間隙というものは出来やすいからな」
冥途の土産として覚えておけと焼死体と化したアサシン共に言っておき、残った二人のアサシンに眼を向ける。
恐らく―――この二人こそがこの集団の最強格。
「見事なり東方剣士」「その絶技しかと見た」
「驚いたな―――正気を保っているとは」
剣を向けながら威圧していたが反応が返ってくるとは予想していなかっただけに面食らう。
「我らアサシン教団の中には服薬をすることで身体能力を上げる存在もいる」
「中には身体精神を狂わせる術もある。そんな訓練を受けてきた我らを侮ってもらっては困る」
「死ぬ前に、お前たちの――――」
「御託はいいんだよ。さっさと殺し合いなよめんどくさい」
今回の黒幕に関して聞こうとした瞬間。声のした方向に眼を向けるとそこには厚手の服を着た―――青年に見えるが「魔」そのものの存在がいた。
完全に抑制が効かなくなるほどの衝動を押し殺しながら、青年を凝視する。
「お初だね少年。けれど僕は色々と君の事を知っている―――よって今回そこのムオジネルの工作員共を使って君とブリューヌの要人共を襲った」
「べらべらと喋ってくれてありがたいね。このアサシンの魂を解放したらば次はお前の首だ」
十を言わずともこの男は探し求めた仇。自分の息子の仇だろう。流星の称号ありし竜王の言っていた外見に酷似している。
「そこまで分かるとは―――では―――闘争するといいよ!」
言葉と同時に二人のアサシンは地に伏せるかのような疾走でこちらに近づいてくる。縦一列となり近づいてくる。
そして影から潜ると見せかけての後方のアサシンが前方のアサシンを踏み台にして飛び上がり、こちらの上を取ろうとする。
させるかと短刀を投げつけるも、さしたるダメージもなく突き立った短刀そのままに制空権が奪われた。
そして前方からアサシンが斬りかかってくる。この挟撃が厄介だ。上方のアサシンは四方八方に暗器を投げつけてきてこちらの足場を奪っていく。
「リョウ!!」
長柄の錫杖を回転させてあちらの攻撃を無にしているソフィーの呼びかけに答える暇もあらば、斬りかかってくるアサシンを始末しなければならない。
甲高い金属音を響かせながら、打ち合うアサシンとサムライ。その膂力の程からやはり普通ではないのだと分かる。
しかしながらあちらもこれ以上打ち合っても勝てないと悟ったのか、
「アスラン!」「やるぞマジード!」
打ち合いから離れて、二人のアサシンは何かを唱える。呪法の類は即座に効果を発揮して二人のアサシンの肉体を増強させて―――合成させていた。
百チェートはあろうかという巨躯となり襲いかかってくるアサシン。
「ま、まさかこんな非常識なことが出来るとは……何で今まで戦場に投入してこなかったのかしら?」
「まぁ何かしらリスクがあるんだろ。火砲の方が安定しているんだから―――来るぞ」
驚愕しているソフィーに答えた刹那。闘技場を圧倒する形で迫りくる巨人の腕力から逃れつつ、ソフィーと左右に分断されて離れる砂塵の向こうにソフィーはいると思いつつ気配を探る。
すると今度は巨漢から一転して一人のアサシンとなったものが普通の体躯で斬りかかってきた。
砂塵を切り分けて進んできたマジードというアサシン。そして甲高く響く金属音からソフィーもまたアスランというアサシンと切り結んでいることが分かる。
「その力、惜しいね。もう少しまともなことに使えれば良かったのによ」
「命を削るこのアサシンの秘儀はムオジネルにおいては秘中の秘。そうそう日の目に当ててはられんのだよ。貴様の剣術とて同じだろう」
事実、その通りだ。しかしながらそれでも公僕として仕え、武士として生きている自分とこのアサシン達とでは境遇が違いすぎた。
「どのみち、私は死ぬ。あの男に何かを施された時点で既に手遅れなのだからな。ならばせめて最強と呼ばれた自由騎士の首を携えて軍神ワルフラーンの旗下に納まってやろう」
ムオジネルの軍神ワルフラーンは死後においても戦士の魂を守護するものとして信仰されている。
そこに加わるために俺の首を携えるか。なかなかに面白い発想だと思いつつも首一つになっても生きていられるかもしれないと言ってやろうかと思ってやめた。
刃と刃が打ち合わされる音は、この男の手強さを物語る。必殺の好機に仕掛けようとしても、その瞬間を狙って間合いを空かしてくるのだからどうしようもなくなる。
(暗殺者との戦いにおいて読みの速さは使えない。彼らは感情を押し殺して冷静に動くのだから三速の内の一つが無くなる)
しかしこの男の自棄な考えは一種の読みを自分に与えてもいる。それでもそこは職業的な殺人者――――必殺の好機は空かされて、再び距離を取られる。
「どうするリョウ? このままじゃやられはしないけれど、千日手よ」
「君の竜具でもあいつらを砕けないのか?」
「どこに隠し持っているのか次から次へと得物を取り出してくるの。あなただってそうでしょ」
ここまでにアサシン共の得物を叩き壊すこと五度。その都度ゆったりとした黒い服から様々なムオジネル製の暗器が出てくるのだ。
「―――致し方ない。風蛇剣で決着を―――」
「ならば私との共鳴技で決着を着けましょう」
自分の思惑を外す形でソフィーは意外な提案をしてきた。色んな事を話しているのは良いとしても、発動条件をクリアできているとは思えない。
そもそも今回の相手に対してソフィーはそこまで感情的に―――。
「あの観客席の縁で嘲笑っている男はプラーミャちゃんのお父さんを破滅させた相手なのよね。私は私の好意を抱いている相手の敵を許しておけるような人間ではないわ」
なによりソフィーの怒りは、そのように人の運命を弄び死出の旅路を強制的に行うものに対する怒りだ。
戦士であれば、その怒りはお門違いだと思うかもしれないが、それでも彼女の友人はその運命に抗いながら生きてきたのだ。
そして今は生きている―――――。だからこそ魔性の運命を強制的に受け入れさせた存在に対する怒りがソフィーに発生する。
「軍神の所に送ってやるよ―――ただし
「いいや、首を貰うぞ!!!」
「二体」の巨人と化したアスランとマジード。一方は影に潜り込み一方は正面から迫ってくる。
二面同時攻撃のそれは本来ならば必殺であったはず。
しかし既に声は聞こえていた。そしてソフィーもまた聞こえているようであり、アメノムラクモに光の勾玉が嵌め込まれた。
瞬間、光の粒が闘技場を覆い尽くす。ソフィーのザートからもあふれ出た光の粒は巨人と巨人が潜り込んだ影に入り込んでいく。
その光を受けた巨大な影は水のようなものとなり流体のようになってしまう。その流体となった影にアメノムラクモを突き刺して刺さったものを「釣り上げた」。
宣言すると同時に釣り上げた影に潜った巨人を光の拘束を受けていた巨人に投げつける。
その一連の動作の最中にソフィーは―――踊っていた。いやただの踊りではない。白拍子よりも激しくムオジネルのソードダンサーよりも過激な神懸かった動き。
彼女自身の妖艶さも加わり、見るもの全てを魅了する踊りはいつの間にか彼女の周囲に五つの大きな光の珠を作り出して―――。それらが巨人二人に投げつけられた。
彼女の宣言と同時に、光の珠は柱となって巨人の動きを完全に束縛する。
そうして、ソフィーの下に光の剣を携えて近づく。一方ソフィーもまた光の塊となった錫杖を持ちながらこちらに近づく。
空いている方の手。武器を持たない方の手と手を合わせて面を見合う。
神話の再現のようで少し違うそれを行いながら身動きとれぬ「クニツカミ」の方に同時に向き直りながら宣言した。
そうして巨人の頭上。いや天空から光の柱が降り立つ。その光の柱は巨人を消滅させていく。
まるで意に沿わぬ神を消していくようで残酷なようで、しかしながら――――天上へと召し上げられるかのように厳かなものであった。
神技の発動の終わり。ムオジネルのアサシン集団との戦い終結と同時に、その男は闘技場へと降り立った。
どことなく―――カエルの跳躍にも似たそれによってやってきた男に自然と険のある視線は向く。
「やるねぇ。しかも「光華」の力を倍加させて技として放つとは、評価を上方修正しなければならないね」
「秘密の一つをくれてやったんだ。笑い声でも上げながら陰謀を暴露するぐらいの報奨あってもいいと思うが」
「あったとしても俺の計画ではないしね。今回はただ単に君の力の程を確かめるだけだった……けれど気が変わった」
最後の言葉で、気配が変わる。目の前の魔性が戦闘態勢に入ったのだ。
「ソフィー下がっていろ。もう援護は要らないというより……戦えないだろ?」
「全く、確かにエレンやエリザヴェータ程、戦っていないとはいえ……これだけで動けなくなるなんて我ながら情けないわ」
自嘲するかのように、笑ってから自分から遠ざかるソフィー。自分の背中に一言が掛かる。
「勝てるわね?」
「勝つさ。俺が誓った全てに賭けても―――名を聞いておこうか、魔性の眷属」
「ヴォジャノーイ、仲間内ではそう呼ばれてる―――よ!!!」
同時にヴォジャノーイの口から何かが飛ぶ。それは―――「舌」だ。赤黒い舌は槍のようにこちらを突き刺そうと向かってきた。
それを間一髪で躱し、神速の足捌きでヴォジャノーイに向かっていく。
舌こそがこの魔性の武器であると分かっている。舌を斬りおとすことは容易いだろうが、それの操作に集中させておけば必定、そこから離れた――――。
「真芯ががら空きだ!!!」
体を上と下に分けんとした斬撃。それが受け止められる。
「!」「そんなに驚かなくても、いいんじゃないかい!!」
手で受け止められた剣。アメノムラクモをそのままに至近距離から何かを放つ。
再びの舌槍かと思いきや口から放たれるそれは含み針よりも強烈なものだ。
(酸、いや毒か)
御稜威を使いヴォジャノーイから逃れる。しかしヴォジャノーイから放たれる「毒弾」の連射は一直線にこちらに放たれる。
勾玉を炎に変えて、毒を蒸発させる。ここが屋内だったらば凍結させていたが、屋外であれば「熱消毒」した方がいいだろう。
距離を取ってから、ヴォジャノーイの特性を思い浮かべてから思いつくは――――。
「お前、カエルか」
「確かにカエルと言えばカエルだね。けれどもただのカエルではないよ」
あっさり肯定してくる魔性に対して肯定されたことで―――簡単に勝機を見出した。
瞬間、アメノムラクモを地面に突き刺して、鬼哭を鞘込めのままにヴォジャノーイに相対する。
行動に不審を覚えつつもヴォジャノーイは、強力な武器を捨ててまで向かうこちらに挑発された気分を覚えただろう。
目の前の相手は如何に魔性のものとはいえ感情があり、そして「2本の足で立っている」。倒せない相手じゃない。
「死んでもらおうか神剣!!!」
言葉と同時に、ヴォジャノーイの舌が身をくねらせる蛇のように地面を何度も叩き砕きながらこちらに迫ってくる。
落下する「槍」の目測を見誤らせる策であるのは分かっている。自分に迫った槍を一歩前に出ながら躱し、更に一歩で砲弾のような跳躍を行いヴォジャノーイに接近する。
瞬間、ヴォジャノーイの舌は翻り、自分を後ろから突き刺そうと迫る。
(獲った!)
歓喜がヴォジャノーイを満たそうとした時に、砲弾は回転をしてヴォジャノーイの
異常なる世界で生きてきた魔性の眷属が明らかな驚愕で動揺する。
回転をすると同時に引き抜かれる刀。剣士の超絶な反応からのその姿が、ヴォジャノーイには――――双角を持った―――「赤竜」に見えた。
そしてその後には、赤髪に黒い肌をした―――「鬼」の姿に。
(お前は!!!)
「鬼」の眼が輝き哀れな獲物を喰らおうと迫る。それはただのイメージでしかない。だというのに、ヴォジャノーイの脳裏から離れない「恐怖」の「象徴」だ。
引き抜かれる刀がヴォジャノーイの首に迫ろうとした瞬間。反射的に防御行動をしていた。
両手が刀の軌道と斬撃を無にしようとするが、既にリョウはヴォジャノーイの手の秘密を解き明かしていた。
掌で押し込まれる寸前に斬撃の変化を施し、掌の「皮」を手首の付け根から切斬していた。
皮一枚を斬り捨てると同時に伸びきった体の勢いのままに飛び上がり、落下しながら切っ先を向ける。
流石の「蛙」でも、上方向から襲いかかる「鳥」の強襲からは逃れきれない。
落下しながらの斬撃は勢いもあり、ヴォジャノーイを袈裟懸けに切り捨てた。しかし真に死んではいない。
しかし―――重傷ではある。
怯えた目で3アルシンの距離で見てくるヴォジャノーイに声を掛ける。
「お前が自分をカエルと称した時点で俺はお前の身体の構造を理解した。その身体は変幻自在だろうとね」
カエルという生物の詳細は良く知っている。そしてヴォジャノーイという生物が武器を無効化できるという理由も自ずとさっせれた。
「ならば何故俺を斬れる。あり得ない。それがただの鉄の剣「剣じゃない―――刀」―――それがどうした?」
「この西方の剣―――両刃、片刃に関わらず、直刃のそれは重量を乗せることで切れ味を再現するが、俺の国の剣―――刀は違う」
鋭利さ、如何に力を使わず「体」を切り裂けるかだけを追求してきた正真正銘の魔剣だ。
本来的に人の肉体の支配範囲とは然程広がらない。何かを持つという行為でもせいぜい食器ぐらいなものであり、自由に全てを動かせても箸程度。
しかしながら武器を持ち、誰かを攻撃するとはその範囲を無理やり広げると言うことだ。
肉体が本来持たない動きの論理を鍛錬によって教え込むことで、それを実践できる。箸の扱い方と同じく。
だが箸と違い武器とは重量の大小あれど他者を傷つけるだけの重さはあるのだ。それを扱うだけでも苦慮するというのに更に重みに対する支配までとなるともはや容量を超えてしまう。
「ゆえにだ。重量はそれなり―――されど一度肉体の
「そこまで読んでいたとはね―――歴代の戦姫の中には、こちらの秘密を知った相手はいたけれども殆どは熱や大質量で、こちらの「細胞」を死滅させる道を選んでいた……しかし、お前はその尋常の世の剣でこちらを切り裂いた。恐ろしき剣腕だよ……爺さんと将軍の言っていた『妖刀』の意味理解した」
怪物が怪物を見るような目で、こちらを見ながらも構えを崩さずに睨みつける。
「いつ頃から存在しているのか知らないけれど、あんまり人間サマ舐めるんじゃないよ。お前たちみたいなのを倒すために殺人技巧を極めつくしてきた一族もいるんだからな」
歩みを止めるものと、止めなかったもの。その違いとは―――カエルの手から滴り落ちる紫色の液体にある。
「さてと種明かしはここまでだ―――全て吐いてもらう。お前たちの組織体系、人数、特徴―――そして住処。何を目的としているか―――全て語ってから―――死ね」
地面に突き刺さるアメノムラクモを回収してからヴォジャノーイにゆっくりと近づきながら、これから行うことを語る。
「怖いねぇ。恐怖心なんてとっくの昔に無くなっていたと思っていたというのに……けれど、甘いね!!」
瞬間、蹲っていた蛙の足が撓むのを見る。飛び掛かりを警戒して防御をするが違った。
飛び上がりこちらの跳躍以上の高さと距離で闘技場の端にまで移動した蛙。その行動の意図を察すると同時に追うとするも、舌を観客席の縁。丁度出っ張っている部分に這わせて盛大な落石を人為的に起こした。
「ここは帰らせてもらうよ。次会う時は―――こちらが真に「最強」である「月夜」だ」
残酷な笑みを浮かべながら、そんな事を言い落石を目晦ましにして、その粉塵の向こう側に消え去る蛙。
仕留めそこなったと思うと同時に、状況も一段落していた。
ムオジネルの連中も煙の向こう側に消え去った様子であり、城下においても騒動は収束していく。
しかしながら自分の中では何も収まらない。寧ろ嵐がやってきたままに、今後の自分の戦いにあれらが関わってきて、更に戦姫達に関わると思うとどうしても焦燥感だけが募る。
あれは自分の知己達を尋常から魔性の戦いに引き入れていくものだ。そう思うとここで仕留められなかったことがどうしても後悔としてのしかかる。
だが終わってしまったことは終わってしまったことだとして――――ブリューヌ騎士団達に合流することにする。
何にせよ自分の手はまだまだ必要なのだから……。
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『後に繋がるもの―――』第一部終了
騒動は概ね終わりを告げた。城下での騒ぎはただの陽動であり、後に判明したことだがムオジネル人達のアジトを発破した故のものだった。
そして回収したアサシンの遺体の検分からムオジネルの工作活動の長さが際立つ。
人的被害は殆ど出ていない。ただ奇妙なことも少し見受けられていた。一つにはこの工作活動が本当に予定されていた通りなのかどうか。
これに関してリョウは、魔物の横槍があってこそだったと認識していたが、もう一つありそちらに関しては分からなかった。
賓客席とは別の客席の一角にて、遺体の判別出来ぬものが三体ほど出ていた。最初は民衆の犠牲者かと思っていたが、持ち物からムオジネルの工作員であると判明した。
奇妙なのは彼らの殺され方だった。その死に方は―――「圧殺」「潰殺」という単語しかつけられないような死に様だっからだ。
身体の四方八方から圧力を掛けられたとしか思えぬそれを前にしては―――殆どのものが奇妙さを覚えるしかなかった。
(あそこにいたのか――――ヴォジャノーイという怪物以外の魔性が―――)
考えても分かることではないが、それでもいたのだと断言は出来た。
「何を考えているの?」
「いや色んなことをな……というか何でここにいるの?」
「城内の騎士達から夜のお供を誘われたけれどもあなたの名前を出して断ってきたからよ」
二刻前まで行われていたブリューヌ王城の宴席で繰り広げられていたパーティーにおいて彼女は様々な男性から誘いを受けていたのだが、自分から離れずにその誘いを断ってきたのだ。
自室に戻る際にも自分に結局同行してきたソフィーの姿は宴の際の豪奢と艶っぽさを両立させた衣装のままなのでどうにも目のやり場に困ってしまう。
「俺を口実にしないでくれる」
「嫌だった?」
「城内の女騎士にも妙な目で見られたぞ俺は」
儀礼的な軍衣を纏ったロランのエスコートでやってきたジャンヌという女騎士に、クロードという若武者を共にしてやってきたセレナという女騎士。
その二人から『これが戦姫の色子か』という目で見られた時にため息を突きたくなったのだ。
だが仕返しとしてではないが、談笑しつつもブリューヌの脅威として『頭突き』を広めるという旨を伝えると三人の視線がロランに向いた。
流石の黒騎士も同輩一人と後輩二人から責められては弱りきった様子であったが、まぁそのぐらいは勘弁してもらいたい。
『お前とはもう一度戦いたい。今度こそ水入りなしでな』
そう言って自分たちの前から去っていったブリューヌの四騎士達を見送った後には、葡萄酒で喉を湿らせる暇も無く様々な人間達に挨拶を受け続けていた。
「しかしまぁブリューヌの宴ってのはジスタートとはまた違うんだな」
「ご飯を食べる暇も殆ど無かったものね」
それが上流階級の務めといえば務めなのだが、少しは腹に入れたいとは思えないのだろうかと考えた。
「それぐらい内情が逼迫しているのね。私の知る限りでリョウに接触してきた人はガヌロン派が「二」テナルディエ派「三」中立貴族「五」といったところね」
「だからといって他国の人間にそこまで―――」
言葉は途中で途切れる。扉が叩かれる音で廊下を歩いていた人物が自分の部屋を目指していたのだと知れた。
「宴の疲れを取っている所、失礼するが―――サカガミ卿に少しご足労願いたい」
声から何者であるのかが分かる。そして何かしらの行動があると分かっていたが、ここまで早いとは思っていなかった。
しかしながら―――
「承知しました宰相閣下。君は―――」
「ここで待ってるわ。仔細も聞かないし、夜伽の際にも聞きださないから安心してくださいボードワン閣下」
ベッドの上に寝そべりながらそんなことを言うソフィー。
「後半はそもそもあり得ないので安心してください」
そんなやり取りをしながら、扉を開けるとそこには一礼した状態の宰相閣下がいて、手招きで案内される。
お互いに無言のまま。リョウとしては当たってほしくない予想をしつつ歩いていく。
しかしその一方でそうなった場合の話も出来上がっている。受けるかどうかは先方次第であるが
そうして宰相に案内された扉のレリーフ。バヤールという真紅馬に跨った勇壮な騎士の姿が描かれたそれから―――この中にいるのがどういう人物なのか分かった。
「お連れしました」
「通してくれるか」
声の主の言葉の取り決め通りに開かれる扉、近衛騎士達が開いた扉の向こうには月光を差し込ませて灯り要らずの夜の部屋が存在していた。
「宴席では話をせずに申し訳なかった」
真ん中に立っていた男性。部屋着ではなく礼服な辺りにこの場で話される内容にも察しが着いた。
「お構いなく。この時の為にあなたは俺という剣にこの国の有力者達が何を求めているのかを探っていた。それだけは分かります」
ファーロン国王が宴席にて自分に話かけてこなかったのは自分を警戒していたわけではない。
自分を探り針にしてこの国の貴族たちがどんな反応をするのかを観察していたのだ。
起こってほしくない事態が起こった場合の為に――――。
「貴方を我が子の近衛騎士として就かせたい」
「お断りします。ですが……その前に、貴方にはやらなければならないことがあるはず。そうしてからでなければ私はそんな大層な地位にも就けません」
「私がやらなければならないこと………」
とぼけているわけではないだろうが、それでも自分の慧眼を馬鹿にされた覚えもある。
「女の身で王位を継ぐには相応しくないという発想は我が国とは相いれませんので」
「―――気付かれておられましたか、陛下。もはや彼には胸襟を開くことでしか対応出来ませんよ」
続けたのは、後ろに自分の後ろで事の成り行きを見守っていたボードワンであった。
そんな宰相の言葉に国王も遂に観念したのか、ソファに座り込み葡萄酒。それも最上級のものをグラスに注いだ。
自分に対面に掛けるよう促されて、二つ目のグラスを手前に引き寄せる。
まるで神殿の神官に懺悔するかのような心地だろうファーロン国王には悪いが、今やるべきことは多々あるのだ。
そうして話された内容は特別珍しい話ではなかった。ただ王位を狙う奸賊共にとって最大限の弱みとなってしまったのが、この男の運の悪さだった。
「最初から王女として発表していれば事態がややこしくならなかった。それは結果論でしかないですが、運が悪いですなファーロン陛下。一度我が故郷でお祓いを受けたら宜しいかと」
『梓』という姫巫女と『川揚』という道士の先祖の建てた『陰陽寺社』のお祓いはとにかく効果覿面なのである。
しかしこの人にそこまでご足労願うわけにもいくまい。
「全くだ。この国の神職がヤーファの神職のように「奇跡」を使えていれば、建国王の側仕えであった神官のようであったならばと何度も願っていた」
その建国王の側仕えの子孫というのが、「奸賊」の片割れというのが何とも哀れな話だ。ここまでに聞いた話の限りではあるが。
「だが事態は逼迫している。レグナス……いやレギンにはかつてのブリューヌ救国の英雄であった
月光差し込む部屋でそのような話をしたのは、なんてことは無いファーロンの演出だった。しかしうっかり了承してしまいそうな雰囲気ではある。
しかし、そこをリョウはぐっとこらえる形でワインを一杯飲みほした。
「……ファーロン陛下。やはり私にはお受けできない話です。ですが……このままこの国が暴虐に蹂躙される様は見たくはありません」
「自由騎士リョウ・サカガミ―――」
「そこでです。私はこの国において救国の存在を見つけ出したいと思います。仮に奸賊共が国王の名代、王を僭称した場合に真なる大義を示せるものが欲しいのです」
玉璽、錦の御旗、様々な呼び名がある己の大義名分・官軍であることを示す物品。それをこの国にいる「王聖」持つものに託したい。
無論、レグナス及びレギンが何か王位の正当性を示すものを持っていればそれでいいのだが。
「
「承知いたしました」
そうして、ボードワンはこの部屋の中にある棚の一つを丁重に開けて、高価でありながらも少しだけ汚れたビロードに覆われた短剣を持ってきた。
柄は黄金でありながらもその鞘は簡素な鋼鉄、されど微細な意匠が拵えられたもの。
「これは?」
「今、そちらが語った玉璽、錦の御旗に通じるものだ。多くの者に知られるものではないが、それでも我が忠勇なりしパラディン騎士・王宮に近いものならば知りえるもの―――建国王の第二の剣とでも呼べばいいものだ」
受け取りつつも気軽に引き抜けないものだとして、腰に差さず懐に納める。
「これを身に着けたものこそ、官軍であるとここに私は自由騎士リョウ・サカガミに宣言する。ボードワンそなたが証人だ。内乱起き、王子死すともこの「剣」持ちしものを支援してくれ」
「……承りました。ですが、そのようなこと起きない方が良いに決まっています」
内乱は止められない。それは分かっているが、それを未然に防ぐことも必要だ。特に今回奸賊二人は出席をしなかった。宮廷主催のイベントでありながら理由なく欠席をしたのだ。
もちろんあれこれ釈明はあろうが、ある意味、力を削ぐチャンスでもある。ファーロンもボードワンもここで出来た隙を狙うだろう。
「分かっている。私も最大限努力しよう。そして自由騎士―――あなたにはもう一つ依頼したいことがある」
そうしてファーロンから語られたのは依頼というよりも願いに近いものであった――――
・
・
・
「まぁそんな感じだな。俺がブリューヌにおいてやってきた事は」
「成程、ブリューヌにいる間、終始ソフィーヤの乳に見とれていたということですね。リョウの色魔」
「何でだよ!?」
テラスにて世話になっている戦姫、大鎌を携えた戦姫に詳細は伏せて特に秘密にしなければならない部分を隠しつつ、どういったことがあったのかを話した。
話したのだが、どうにも意訳が悪意に満ちている。
「まぁそれは冗談だとして……リョウはこれからブリューヌに行くと言うことですか?」
破顔一笑した戦姫は紅茶にブランデーを少々垂らしつつそんなことを聞いてきた。
「そういうことだ……まぁ何かしら転機になるだろ。「戦」は」
その言葉に戦姫ヴァレンティナは紅茶を口に含みつつ、眉を動かした。どうやら彼女の耳にも入っていたようだ。
内々の話であるのだが、ジスタートとブリューヌは二十数年ぶりに刃を交えることになりつつある。場所はここからかなり南下したブリューヌとジスタートの国境。
レグニーツァに近くライトメリッツにも近い「ディナント平原」。そこにて戦いが始まるのだった。
「止められない戦いだろうな。ユージェン様が疲れていたからジスタートとしては交渉で何とか止めたかったんだろ?」
「それはそうですよ。利益の無い戦いほどしょうがないものはありませんから」
とはいえ元々、オニガシマの領有権などあれこれと騒動の種はあったといえばあったのだ。
それに対してジスタートはオニガシマで出た利益還流をしていたのだが、どうにも上手くいかなかった。
陶器製造や特産品などに関してはリョウ・サカガミのお陰ということで責任をこちらに持ってきたかったが、それを両国は認めなかった。
ジスタートは義理と損得勘定によって、ブリューヌは最終的にはジスタート海軍のせいだとしてこちらのことを認めなかった。
「リョウに悪名を負わせたくないんですよ。もしもヤーファと正式に国交を結んだ時にあなたには各国の知己として誤解無きものを伝えてもらいたいんですから」
「どちらにせよ……戦争は止められそうになかったしな」
ある意味やる気があるのだがブリューヌ側だ。レグナスの初陣ということもあって最低限国境を疎かにしない形でパラディン騎士達を招集しているらしい。
そして諸侯達にも多くの兵力を出させている。無論その家の実力にもよるのだが……。
「ただ……私としては悪名負ってもリョウには行ってほしくないです。確かにあなたの使命は理解していますけど」
拗ねた口調で、そんなことを言うティナ。本当に申し訳なくなるのだが、それでも託されたものから逃げ出すことは出来ない。
「すまない。けれども頼まれたんだ。『見定めてくれ』ってさ」
ファーロン国王からの依頼というよりは願い。それは情勢の変化に対応してブリューヌ全体の事を考えた行動を取ってほしいということだ。
官軍云々という王宮側からだけの側面では状況が悪くなるだけかもしれない。そしてファーロンは己が王宮だけの利益で動いている可能性もあるとして、一つのことを考えた。
『自由騎士、そなたに頼みたいことは『ブリューヌ人民』の為になる最適の行動を全て取ってくれ。仮にもしも王宮がその混乱を助長しているとすれば、その剣の切っ先を向けるべき相手はお分かりだろう』
もはや一人の傭兵に頼むようなものではない。ファーロンは情勢次第ではガヌロン、テナルディエを黙認しろとも言っている。そしてそれが駄目であれば「ヤーファ」に軍の出動を求めたのだ。
『守るべきは民。本当の意味で人民に多幸が訪れるというのならばブリューヌという国家の解体も止むをえまい』
権力の最高位に当たる人物がここまでのことを覚悟を決めて言ってきたのだ。戦士として男として、その依頼を断ることは出来なかった。
「まぁ何にせよもう少し先の話だよ。しばらくはティナとプラーミャの側にいるよ。二人は俺の家族なんだから」
「本当、今の私にとっては遠い野望よりも愛しい人との甘やかな一時の方が魅力的になってます。ずるいですよリョウ」
椅子を移動させて自分の隣にやってきたティナの髪を撫でつつ、拗ねるような言葉を安らかな表情で言われてはどうにもならなくなる。
(良かったわ。リョウが「王女」殿下に気に入られなくて―――これ以上、リョウを好く女の子が増えてはたまったものじゃないです)
リョウは秘密にしていたがヴァレンティナはレグナスの正体を知っていた。そしてこれから始まる戦もファーロンがどういった目的で行うかも。
しかしヴァレンティナはそういった権謀など抜きにこうして安らげる時間が好きになっていた。隣にいる人の温かさと我が子である幼竜の暖かさを寒冷なオステローデで感じるこの時間が―――。
そんな男女の時間が過ぎながらも、全ての始まり―――後に語られる数多の英雄の伝説の先槍となった『ディナントの戦い』は始まろうとしていた。
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第二章「ブリューヌ動乱編」
「魔弾の王Ⅰ」副題『始動する運命』
剣呑な空間だ。こちらが気を緩めているというのにあちらは険しい顔でこちらを見ているのだからしょうがない。
あちら―――相手方の副官・男女両名は、何度目かになる嘆息をしてから申し訳なさそうな顔でこちらを見てくる。
「成程な。事情は分かった。どうせならばお前、ブリューヌ側に雇われてみたらどうだ。諸共に潰してやる」
「意気込みはいいのだがな。二万五千にも上る軍団だ。そうそう簡単に打ち破れるかよ。第一、パラディン騎士を侮ればお前でも命は無いぞ」
前半はやり方次第だと思いつつも、後半は金星、兜首を上げられるものはそうそういまいという思いで放った。
執務室に備え付けられているソファーに腰掛けつつ、そう言って書状を渡した相手―――ライトメリッツ戦姫エレオノーラ・ヴィルターリアは、こちらの言葉に少しだけ考え込む。
「ではお前ならばどうやって二万五千を五千で倒す?」
「夜襲の背面突きだな。ディナントでぶつかるとしても海洋でぶつかるとしても―――あちらは負けるとは思っていないだろうからな」
勝ち戦を信じている軍隊程、士気が低く動揺が発生しやすい軍隊は無い。かつてヤーファで起こった戦でも水鳥の羽音にいないはずの軍隊を見て勝てるはずの戦から逃げ、来るはずがない方向からの奇襲というもので敗れ去った一大勢力はいた。
「その他には?」
「まぁ色々だな。火殺でも封殺でも―――問題は、その通りに動けるかどうか」
「忌々しいことに、お前と殆ど考えが同じだ。なぁリム。もっとこの男でも実行出来ぬ奇策・強策というものはないか?」
「エレオノーラ様、人類が文明を築いてからどれだけの血と共に多くの戦略・軍略が開発されたと思っているのですか」
「つまらん。ムオジネル商人から手に入れた火砲もまだ試験段階だから今回は使えないというのがまたつまらん」
諌めた方、諌められた方も微妙な顔をしている。エレオノーラは、このような気が乗らない戦をするのだから少しは面白みというものを求めている。
リムと呼ばれた副官リムアリーシャは、如何に戦費を使わずに勝てるというのならば、それを実行したいと思って、無茶振りに困惑している。
「ともあれ、お前さんの実力もライトメリッツの騎士達の実力も疑っちゃいない。だが一つ付け加えるならば、出来るだけ遺体の確認と貴室の人間は捕虜にしろよ」
「聞き捨てなりませんなサカガミ卿。我々は理性無き獣ではありません。戦場における道理と人道を守ることが出来る戦士です。そのような事は言われずとも行いますよ」
「申し訳ないなルーリック殿、ただ俺もヴィクトール王に言付かったことを言わなきゃ手落ちの責任を取られかねない」
黒髪を伸ばした美青年という表現が似合う男に返しながら、まぁそんなことは無いだろうなと思っておく。
それはこの部屋にいる「人間」には共通の認識であったようだ。もっとも視界の端で、丸まっている幼竜二匹には関係ない話だ。
「全くルーニエにはライトメリッツの竜としての自覚が無いのか、そのように敵と和睦するなんて主人に対する不義理だ」
視線をこちらから離して、絨毯の上にて寝転がっている火竜と飛竜の幼子を見たエレオノーラがそんなことを言い、それに対して反論をしておく。
「棲んでいる所が違うからといって何もかもが違う訳じゃないんだ。竜であれ、「人」であれな。なるたけ血を流さずに済むならばそうしていく。この場で一番賢いのは俺たちじゃなくてこの幼竜二匹なんだろうさ」
初めて見た同族に対してこの地にいた幼竜の取った行動はとりあえず無視であった。しかしながら自分よりも少しばかり大きい―――言うなれば「兄」のような存在に興味を覚えるのは即であった。
プラーミャが行儀よくしているのを見てルーニエもまたプラーミャを見習う形になった。しかし本当に興味あるものであれば二匹そろってそれを知ろうとしていた。
(だが真似っ子して俺の頭に二匹同時に乗ってほしくなかったな)
プラーミャの憩いの場所となっている自分の頭。そこに乗ると同時にもう一匹分の重みはなかなかに首の維持がしんどかった。
「……事情は分かった。だがお前、何か隠していないか?」
「色々とあるさ。もっともこの戦いが懸念していることの『起爆剤』となってしまうのが一番嫌だな」
険のある視線を向けられつつも瓢と受け流しつつ事情の一つを話しておく。
エレオノーラの側に問題は無い。元々心配など一つもしていなかったのだが、それでもロランと一対一になればどうなるか分からないのだ。
「そろそろお暇するよ。そして今回の戦いに俺は加わらない。細かな事に関してはサーシャが監督役として付いていくそうだから、そっちに従え」
「最後に吉報をくれて感謝する。ではとっとと出ていけ♪」
「客人を遇する態度一つでお前の器が知れるんだから自重しろ♪」
笑顔で言葉の殴り合いをするとやはりというか何というか副官二人は嘆息五回分ほどをしていた。
立ち上がり、エレオノーラの執務室を出る。言うべきことは言った。これ以上は余計なお世話だろう。
そうしてプラーミャを連れてライトメリッツを出る。
それはディナントの戦いの五日前の話だった―――――。
† † †
「駄目だ」
「何でだ。私はティグルの客将なんだ。ここでこそ働かなければ私がいた意味が無い」
もはや出征まで二日と迫った時に、ティグルは目の前にいる斧使いの客将に対して頑として譲れぬことを話した。
それは向こうも同じで譲れぬとして迫ってきた。
「俺は君を将として雇ったわけじゃない。言っただろ相談役及び侍女としてな」
「そんな詭弁を言うなんてティグルらしくない……」
「……この戦はブリューヌとジスタートの戦いだ。オルガ、下手に君を連れて行けばどんなことになるか分からない。第一、君の国の兵士だぞ。それを斬れるのか?」
どんなに彼女が今の自分はジスタートと無関係だとしても、それを信じるもの、理解あるものだけではないのだ。
無論、自分は彼女の事を信じている。しかしながら人とは自分の考えと視点でしか物事を見れないのだ。
如何に在位期間が少なかったとしてもオルガの事を知っている人間が皆無だとは考えられない。ブリューヌ貴族の中には戦姫と取引をしているものも大勢いるのだ。
何より―――オルガにそこまでの責を発生させたくなかった。ただでさえ流浪の放蕩をしている領主なのだ。これで同族殺しなどという罪科まで背負わせたくない。
「公国ブレストにいる民は、今でも君の帰りを待っている。それなのに帰ってきたらば責任と懲罰を負わせるだけ負わせるなんていう事、君の心証は最悪だぞ」
「……待ってなんかいない。ブレストの民は私のいた
不貞腐れるオルガ、しかしながらこればかりはティグルも譲るつもりはなかった。
彼女が帰るにせよ帰らないにせよ、同胞殺し。内戦や領土争いでもない。国同士の戦いで彼女を―――戦姫を使うわけにはいかない。
「心配するな。こちらは二万以上の大軍だ。確かにジスタートの兵は精強で知られてるし、君で戦姫の力も存じているけれど俺は生きて帰る。正面に出るのは、大貴族ばかり小貴族である俺やアルサス兵の出る幕じゃない」
「けれど相手の戦姫は、戦上手で知られる女だ。けしからん乳でも知られる相手で一度は見たことがある」
「その身ぶり手振りがまさか胸の大きさを示しているわけじゃないよな…」
オルガの大袈裟な表現に真面目に考えながらも、そんな大きさで剣を振るうなんて、伝説に謡われるアマゾネス一族でもあるまいし、などと余計なことを考えてからオルガを止めるための方策はあるのだ。
「……ならば俺にもしものことあれば、オルガ君が俺を助けに来てくれ」
「ティグルのことだ。捕虜になるのも簡単だろうな」
ブリューヌの貴族でありながらも、ブリューヌの合戦礼法を出来るわけではないのだ。
「命あっての物種だ。それにマスハス卿も言っていたがこんな戦いに命を張るのは馬鹿らしい」
臣として禄を頂いている以上は、相応のつとめは果たすが、それでもやらなくてもいい戦いで命は落としたくない。
「俺に何かあれば、このアルサスは空白地帯になる。その際に信頼おける人間に何とかしてほしい……マスハス卿にも言っていたがオルガ、君にも動いてほしいんだ」
ここの領主は確かに自分だ。だがもしも自分が帰ってこれない時があれば、その時は……自分が帰れるまでここを守れる人に託したいのだ。
「オルガ、客将として君に頼むことはそれなんだ。頼めるか?」
「……分かった。けれども私は私の最善を尽くす。けれどティグル―――いや、ティグルヴルムド=ヴォルン伯爵、あなたがこのアルサスの領主なんだ。ティッタさんもバートランさんも、みんなあなたの家族なんだ。だから……絶対に帰ってきて」
潤んだ瞳で、泣きそうな顔をしてオルガは、言ってきた。
戦に絶対はない。だからオルガの不安も良く分かる。
これ以上は、決意が鈍る。しかし、ブリューヌの貴族としての務め以上に皆を死なせたくない。ティッタやオルガのいるここで過ごしていきたい。
「だが、男子として戦いから逃げることは出来ないな」
そうしてディナントでの戦いは始まろうとしていた。
† † †
ディナントでの戦いの経緯は、聡いものいれば本当にくだらない理由で始まると見る者は数多かった。
しかしながらこれを好機と見るものもいた。
あるものは皇太子に武人としての箔をつけようと―――。
あるものは戦闘の最中に重要人物を害そうと―――。
あるものはこの戦いで盟主に対して顔を売ろうと―――。
様々な思惑が渦巻くのがブリューヌ陣営であり、それを敏感にティグルは察知していた。
(なんだろう戦の前だというのに、この浮かれきった気分と殺意のごちゃ混ぜは……)
周りにいる貴族達が口々にガヌロンとテナルディエの人道外れた所業を羨ましそうに言っている。それすらも耳に入らぬほどに、ティグルは緊張感に曝されていた。
「若、どうしたんですかい?」
隣の老人。自分の側仕えをしてくれているバートランが、聞いてきた。
「まぁ緊張しているだけだ。初陣以来だからなこんな戦いは」
「なぁに、我々は我々の役目をこなすだけですよ。ウルス様も仰っていたでしょう?」
「別に武功を立てたいわけじゃないさ。ただ―――」
バートランの笑いながらの言葉に救われる思いでいながらも、言葉が途切れたのは何人かの護衛。特徴的な細剣を携えた女騎士を伴った貴室のものがやってきたからだ。
思わずバートランも平伏して自分の後ろにて佇まいを正した。
「御変わり無いようで安心しています。武芸大会に来られなかったので何か重病の類いにかかったのではないかと心配しておりました」
「格段のお心遣い、臣として感極まります」
内心、何故このような場に、おまけに自分にレグナス王子が、挨拶をしに来たのか疑問もさることながら、いきなりな高室の登場にティグルは余裕を無くしてしまった。
こんな時に天幕の一つも用意してこなかった自分の浅はかさを恥じて、後ろにいるバートランは更に混乱しているだろうと思い、直ぐに領主としての応答を行う。
「殿下、幕舎の一つも用意出来ず申し訳ありません。ですがブリューヌの臣下として全力を以て挑む所存です」
「お構い無く。今日は顔を見れただけで十分です。ですがヴォルン伯爵、どうか身を大事にしてください。私は私のために己の命を賭けてまで戦われてはそなたらの先祖や私の先祖に申し訳が立ちません」
殿下も今回の戦いの目的を存じているのか―――。
当然か。この方が自分のことを分かっていないわけがない。同時にそうして畏まっている殿下に対してやる気の無さを見せていた自分を恥じておく。
しかしながら、それ以上にレグナス王子は自分の身を案じてくれていた。
「だからヴォルン伯爵、生き残ってください。そして私に再び野鳥の料理を食べさせください」
「……お咎めなければ、ただ出来ることならば私の事業で出来た乳製品を召し上がっていただきたい」
あの時のことを覚えていてくださったとは……という感慨あったが、それ以上にレグナス王子の近づけてきた顔の端正さに違う人間を思い出してしまう。
だがそれでも男相手に内心、紅潮してしまうなど気恥ずかしすぎて周りに知り合いがいなくてよかった。
そうして、諸侯に対する激励だったのかレグナス王子は、自分から去っていった。
名残惜しそうな王子の姿にやはり胸を締め付けられながらも、臣下としての礼を忘れずに叩頭しつづけた。
「若、いつの間に王子殿下とそこまで親しくなられたのですか?」
「いや、俺にも分からないんだ。ただ王都に行った時に殿下の御親族と少し話をしたからじゃないかな」
バートランの疑問に答えつつ再び歩きだそうとしたところーーー。またもや客が来る。
今度のは招かれざる客人というに相応しい。
「王子殿下と話したぐらいでいい気になるなよヴォルン」
「―――何故、こんな所にいるザイアン?」
ここは陣の中でも後ろの方だ。ザイアン……テナルディエ公爵ほどの軍勢ともなれば、ブリューヌ騎士としての威名を轟かせるために前の方で『たむろっている』はずなのだが、取り巻きの何人かの若手領内騎士…以前にみたのとは違うそいつらがザイアンに従容としているのを見て少しばかり怪訝な思いに囚われる。
今まではザイアンと同じ増長した貴族子弟がいたものだが、その取り巻きがいないことに不自然な思いを感じる。
何よりティッタと同じくメイド服を着た女性が一人ザイアンに従っている。妾か何かだろうかと怪訝な想いを出した瞬間。ティグルは身構えた。
殺気を出していないようでいて、その実こちらを油断なく睨み付けている侍女だろう金髪の女性に―――先程とは違う緊張感に曝される。
「お前を笑いにきた。そういえばお前の気は済むんだろう」
狩人領主を嘲笑いに来たと白状するザイアンだが、それでもそれが真実であるとは信じられなかった。
「以前、お前は言ったな民を大事にすることでこそ初めて領主としての資質があるのだと……」
「……ああ」
苦手でかつ嫌な相手のいきなりな発言。先程のレグナス王子と同じく昔の言動であり行動を持ち出されて、ぶっきらぼうな対応をしてしまう。
「……全面的に承知出来るわけではないが、お前の言いたいことは理解した。今回は己の分を守って領民の元に帰るんだな」
苦々しそうな顔の後には、隣にいる侍女を見て少し穏やかな顔をするザイアンを見て、本当にこの男はザイアン・テナルディエなのかと疑問に思う。実はザイアンには双子の弟で『ジャイアン』とかいうのでもいるのではないかとすら空想を逞しくしてしまう。
「心配してくれてるのか?」
「勘違いするな。おまえがいなければ色々と面倒になりそうだからだ。如何にお前がブリューヌ貴族として弱卒であっても国の禄で暮らしている以上、勤めは全うしろ」
おっかなびっくりの質問に鼻を鳴らしながらザイアンは捨て台詞のように言ってから去っていった。
その背中が見えなくなると同時に呟く。
「変わったなあいつ……」
「全くその通りだな。王宮でも度々話題に上がっているよ」
「マスハス卿!」
この陣の中で一番、親しい人物の登場にティグルは内心、救われた思いだ。自分にとってもう一人の父親とも言える存在だ。
「にしてもティグル、お主いつからあそこまで殿下と親しい間柄になったのだ」
「親しくはないでしょ。陣中激励の類なんですから」
同じくマスハスのからかうような言葉に返しながら、配給されている「果汁水」に手を伸ばす。
三人で乾杯をしてから焚き火の前で話を進めることにする。
「先程のザイアンが噂になっているとはどういう意味なのですか?」
「悪評・不評の類ばかり上がっているテナルディエ領ネメクタムだが、少しばかりいい噂もあるのだよ」
そうしてマスハスが語ってくれたのは、重税を課せられた村や街が離散したとしても、それをそのままにせずに他領に入植させたり、もしくは見舞金などを与えることで、彼らを流浪させないようにしているとのこと。
離散・崩壊させているのが父であるフェリックスならば、それを何とかしているのは、その息子という噂だ。
「儂も驚いているよ。あれが傲慢などら息子であったザイアン・テナルディエなのかとな」
「以前のあいつならば俺が弓を使うことをあからさまに嘲笑してきたでしょうからね」
もしくは自分の弓を踏みつけることもしてきた可能性がある。
そのぐらい嫌なヤツ。そして短慮に過ぎる男だったのだが…
「まぁ何はともあれ戦だ。ところでお主、今回のジスタートの主力が国軍でないと知っているか?」
「七戦姫の公国の一つとは聞いております」
「うむ。その中でもアルサスに近いライトメリッツだそうだ。こんな戦さえなければ、お主といい取引が出来たであろうに」
嘆くようなマスハスの言葉に反応したのは意外なことにバートランだった。
「マスハス様、お言葉ですが若の事業で出来たアルサスのチーズやバターはブリューヌで一、いや西方でも一番だと思いますぜ。それを考えれば、そんなことは些細だと思われます」
ライトメリッツという公国一つと取引するよりは西方全体での販路拡大を目指すべきだとするバートランの意見に成る程と感心しつつも、自分も確かにアルサスの食品は美味しいと思っている。だが、それでもそれは故郷故だからとも感じる。
やはり郷里の味というものが、一番肌にしみるのだから、ただの贔屓目にならないようにもしていきたい。
だが、そんな事を考えていると、この西方に拠るべき土地を持たぬ一人の騎士、英雄のことを考える。
彼はこの西方の文化と東方の文化を融合させた。否、故国の文化をこの西方で認めさせたのだ。その人物に対して知りたい思いが出てきたのだ。
「マスハス卿、俺は出席しなかった武芸大会で自由騎士リョウ・サカガミを見たのですよね? どんな人物でしたか?」
「普通の青年じゃのう。剣の腕は氷雪のごとき凍てつくものだが、心根はお前さんと変わらんよ」
それになんというか緩むときは緩む。と言われるとまるで自分が怠け者のようではないか。
「もっと言い方があるじゃないですか、泰然自若とか神色自若とか」
「小難しい言葉を使ってもお主よりはサカガミ卿の方に似合ってしまうよ。そんなサカガミ卿の異名に関連してだが、今回のジスタート軍の総指揮官が戦姫であること――――――」
言葉が途切れたのは、大音声が響き渡り、そして馬の嘶きがマスハスの言葉を消してしまったからだ……。
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「魔弾の王Ⅱ」副題『再起する運命』
上機嫌な様子で馬を進める。行軍の様を気づかれないようにするのは簡単では無いのだが、ブリューヌ陣営は、馬鹿ばかりなのか、それとも楽勝だとでも想っているのか、斥候の一人も放ってくること無かった。
それさえあれば、こちらの動きも少しは掴めただろうに…
「だが勝てる戦というのは嬉しいな」
「まだ一戦もしていない内から、そんなこと言っていていいのかい?」
「大丈夫だ。サーシャがいてくれるならば、私の力は十倍にまで膨れ上がる。逆にあの色魔がいると十分の一になってしまう」
どういう精神構造してるんだ。という目で隣で馬を歩ませている白銀の戦姫を見ると、少しばかり浮かれているようだ。
まぁ気持ちが上がっているのは、いいことだ。指揮官が弱気でばかりいたならば、どんな作戦も成功はしない。
そしてエレンには慢心は無く、油断もない。
遠回りをして、ブリューヌ軍の後ろを取った。前進を開始すれば簡単に背後を突ける位置にまで来て、エレンは姿勢を正して、大声では無いが張りのある声で連れてきた千の軍勢を前にして宣言した。
「突撃だ。我々は一本の槍、一陣の風となりて、二万以上もの軍勢に痛打を与えなければならない。だが恐れるな―――我々は勝つ。ライトメリッツの騎士達よ銀閃の風になれ!!」
符丁と宣言の数々後には、全軍が戦闘態勢に入る。
「シュトゥールム・プラルイーフ!!」
「エレン、女の子が使う言葉じゃないよ」
たしなめつつも軍隊が男社会である以上、そういった同一化も戦姫には必要なのかもしれない。
サーシャの感想を余所にライトメリッツの別動隊はブリューヌ軍の背後を突いていき、その攻撃は呆気なく全てを食い尽くしていった。
背後に混乱巻き起こる現状で、前線でも混乱が起きた。
正面の四千の軍勢が動き出したのも一つだったが、一番にはーーー総指揮官であるレグナスの幕舎で血飛沫が待っていたからだ。
お飾りのような総指揮官とはいえ、此処こそが、全ての諸侯に号令を発する場所なのだ。
ここが潰されては、各前線指揮官も各自の判断で動くしかなかった。
中でもザイアン・テナルディエは、襲いかかるジスタート軍と刃を合わせつつ、愛しき一人の女性の名前叫んでいた。
そしてその女性こそが、この混乱の一端を担っていた。
レグナス皇太子の幕舎に現れた黒ずくめの暗殺者集団。その中に彼女はいたのだから。
「ブリューヌ王家第一『王女』レギンだな?」
重装鎧の戦争装備の騎士三人を床に死臥せた暗殺者の中でも中央にいたくノ一の言葉に言われた当人と、護衛である女騎士ジャンヌは、身を震わせる。
敵は外ではなく内にいた。迂闊だったのだ。このような状況下での襲撃こそが暗殺者を使う好機だったのだ。
「何処の手の者だ。テナルディエか、ガヌロンか?」
「外敵であるジスタートの刺客を疑わない辺りに、同じ女として尊敬しますが……これから死ぬものが知るべきことか?」
言うと同時に、短い得物を構えるアサシンの集団、この王族専用とはいえ、狭い幕舎の中での戦いを心得た選択。
そして見るものが見れば、そのアサシン、特にくノ一が持つ得物はクナイの中でも業物の類いであり、ジャンヌは小剣『ドゥリンダナ』をそのままの状態で、アサシンと正面から向かい合うことになった。
(レギンだけでも、ここから逃がす!)
決意を込めて、ジャンヌはテナルディエ家最強の暗殺者サラ・ツインウッドに挑みかかった。
―――ディナントの戦いは夜明けと共に、終結していた。
夜襲の奇襲。五千の兵で二万五千が打ち破られるという惨憺たる有り様は、総指揮官である王子が死んだという『報告』が闇の戦場に飛び交うと共に、重要諸侯は勝手な行動を取り、それに同調するものも多く……結果として、潰走の敗走。
ジスタートの兵士の白刃による殺害よりも逃げ回る味方に踏み潰される方が多かったなどというぐらいだった。
平原に死屍累々と横たわる鈍色と赤色を墓標とした死体の数々の中から一人の『英雄』が立ち上がる。
傍から見れば幽鬼が死体から出来上がったのではないかと思うほどの立ち上がり、粉塵で薄汚れた身体を持ち直して、遠くを見つめる。
『英雄』は男だった。ありとあらゆる重要な場面で『女』が主役であったこの戦いにおける終幕を告げる男。
知己の名前を叫ぶも、応答は無い。味方は全員死んだのではないかと思うほどに、とびっきりの悪夢を想像しつつも男は歩みを進めた。
前に出なければならない。生きるならば止まっていては駄目なのだ。
そうして見ると、目の前―――300アルシン先を悠然と横切る一団がいた。
七人の騎馬兵の一団。その中に目立つ人物を見る。銀色の輝き。鈍色の空の中でも燦然と輝く白銀の戦姫。
長い銀髪を振り乱して、何かを探している彼女こそ―――敵方の総指揮官。思わず見とれてしまうほどの美しさは、武器を持つよりも、社交界で花束でも受け取っていた方がいいのではなどと思ってしまう。
(オルガの言う通りならば戦姫の持つ竜具は超常を司る神秘の武器だ……)
相手にしようなどと考えてはいないが……この後に、同じく騎馬兵。特にもしも今以上の集団に見つかれば自分の命はないだろう。
つまりは幸運を求めようとすれば失敗する可能性もあるのだ。
七人の中から誰か一人だけでも出てきて打ち落とせれば、馬を奪える。
(賭けに出るしかない……)
周りに味方は居らず、これ以上留まっていては、どうなるか分かったものではない。
まずは相手の意気を釣る―――。こちらから見える最初の騎馬兵の馬に矢を放つ。
狙い通り空気を裂いて相手の馬を狂乱させることに成功する。振り落される仮面の騎士の正体が女騎士であることを確認した後にーーー予想外のことが起こった。
こちらを警戒して手勢を最初に寄越すと思ったというのに、爛々とした顔。まるで面白いものを見たかのような目をして、真っ先にやってきたのは戦姫だった。
もはや覚悟を決めて、戦姫を打ち落とすことで馬を手に入れるしかない。
弓弦を引き絞り、剣を握らない手綱を握る手を狙う。
(風と嵐の女神エリスよーーー!)
御加護を、という内心の言葉と同時に放たれる銀色の矢は銀色の長剣によって「斬り払われた」。
だが、それは織り込み済み。相手の動きを予測しての二射目を放つ。既に弓弦を引き絞られている。英雄の眼が斬りはらい伸びきった腕の、手甲を狙っていた。
甲を貫き、剣を落とすと思っていただけに次の瞬間に驚いた。
風が吹いた。まるでこちらに加護を与えずに戦姫に加護を与えたのではないかという程に、その少女の周囲に風が吹き荒れて、矢を在らぬ方向に飛ばした。
そしてその風の加護は馬に通常以上の跳躍力を与えて伝説にある天馬のようなそれを見せつつ、二百アルシンを跳んできた。
もはやこちらとの距離が五十アルシンあるかないか……。
(終わりなど呆気ないもんだな……)
死ぬつもりは無かった。だが、これ以上はどうしようも無い。
五十アルシンの距離を再び跳んでこちらの目の前にやってきた戦姫。弓を下げて一応の降伏をしておく。もはや生殺与奪はあちらに委ねられた。
「どうしたもう抵抗しないのか?」
物語の続きの読み聞かせをねだる子供のようだ。と戦場に似つかわしくない感想が生まれた。
そのぐらい彼女は面白がるように言ってきたのだ。
「俺の距離での戦いは終わった。あの必殺の二射を止められたら抵抗する気も無くなる」
「周りにある槍でも剣でも使えばよかろう」
「これは俺も知らぬ戦士達の墓標であり誇りの証だ。おいそれと使うことは出来ない」
第一、自分は剣も槍も苦手だと……自分の末期の言葉を聞くだろう相手に答えていく。
それにしてもすらすらと答えられるものだ。
恐らくこれで終わりだと思っているからだろうか。それとも―――彼女の美しさを前にして頭がおかしくなったかだ。
「ふむ。ブリューヌの戦士としては失格かもしれないが、その弓の腕は正に天地に並ぶものはないだろうな……。私はライトメリッツ戦姫 エレオノーラ・ヴィルターリア、お前は?」
殺すまでは行かなくとも自分を狙った相手を賞賛するなど、少しばかり予想外だった。そして名前を聞いてきたことに関しては観念する思いでティグルは全てを答える。
「ブリューヌ王国アルサス領、領主ティグルヴルムド・ヴォルン……国王陛下から賜りし位は「伯爵」だ」
「いいだろう。先程の勇戦に応えて―――お前の身柄は私が預かる。―――。今日からお前は私の『モノ』だ」
まるで新しいおもちゃを手に入れたように言ってくるエレオノーラの笑顔に何も言えなくなる。
―――お前は私の『モノ』だ。どうとでも解釈出来る言葉を吐かれながらも、自分には選択肢など無いのだと諦めの境地に達しつつ、エレオノーラに『自分に色子の真似事は出来ない』と伝えるべきかどうか少し悩んでしまった。
もっとも、言えば彼女の逆鱗に触れていただろうと後に思えたので、ティグルはこの時の自分の幸運を心底感謝した。
こうしてディナントの戦は―――大きな利益を生むことなく、ただ多くの人死にを出したままに終結を迎えた。
だが後の戦史研究家はこう述べている。
「この戦いこそが後の西方の戦役全ての発端であり、そして英雄ティグルヴルムド・ヴォルンが起った日なのだ」と―――。
そして戦史研究家は知らないが、この戦争には多くの英雄の友人であり、ティグルヴルムド・ヴォルンが、生涯を通じて『盟友』として信じた男が来ていたのだ。
兵どもが夢の跡を見に来た一人の男。東方の刀を携えて、戦跡を俯瞰するように見ながら―――目的のものが無いかと探る。
それを見てからでないと男は戻ることは出来なかった。明確な痕跡を探すべく男―――リョウ・サカガミは戦跡に降り立った。
戦跡を去っていく英雄。戦跡を探っていく英雄。
二人が邂逅する時――――全ての運命は幕を開けることとなる。
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「魔弾の王Ⅲ」副題『二つの想い』
ブリューヌ軍敗走。
何のことはない地域紛争、その戦場において多くのことが動こうとしていた。未だにムオジネル、ザクスタンなどには詳細な情報は届いていないものの、風聞で一つのことがまことしやかに囁かれていた。
ブリューヌ皇太子レグナス戦死―――。あるものにとっては訃報。あるものにとっては吉報。あるものにとっては偽報の類が、多くの人々に伝わっていく。
何かが起きる。明確な予感ではないとはいえ、ブリューヌに生きる多くの人々が、この平原の王国に起こるだろう不穏なものを感じ取っていた。
そして国王は、唯一の直系を亡くしたということから鬱ぎこむことになっていった。
表向きは―――。
「レグナスの幕舎はかなり荒らされていた。近衛騎士三人の遺体は、そのままだったが……レグナス本人の遺体と、ジャンヌの遺体は見つからなかった。無論、首検分のために持っていかれたというのならば、どうしようもないが、跡地にいた兵士連中にも聞いたがレグナスらしきものはいなかったそうだ」
「…………全ては不確定ということか、生きているかもしれぬし、死んでいるかもしれない…………」
国王の私室。かつて、多くのことを託された場所に再び舞い戻った。
調べてきたことを全て話しておきながら、断定出来ないのは、自分とエレオノーラの仲が最悪だからだろう。
だが、どうにも不可解なことがあった。レグナス…レギンの幕舎に撒かれていた血飛沫。
その様子から察するに、何かがあった。騎士達は抜刀もせずに死体となっていた様から暗殺者の類いによるもののはず。
エレオノーラが使った可能性もあるが、まだ事実確認の最中だ。
第一、王子の殺害が早すぎた。二万五千を五千で打ち破る。確かに電撃作戦としては成功の部類。
しかしながら、陣の最中央。一番防備が強かっただろう場所にそこまで早く侵攻出来るだろうか、今の所、記録官によるまとめが上がるのを待つようだが……。恐らくレギンは生きている。
確信ではないが予感、天文の星の位置を見るに、まだレギンの命脈は尽きてはいない。
「とにかく暫くは、鬱ぎ混んでいる様子でいた方がいいでしょうな。色々と誤魔化しも効きますし」
と言葉の後半で、部屋の隅に目を向けると、一人の人間、給仕衣装の男が簀巻きにされている。正体はこの王宮の内膳司の一人。そんな人間が何故、部屋の隅にいるのかを事情を知らなければ誰もが訝しむはずだ。
「戦争が終わると同時にまさか一服盛ってくるとは……」
戦争をするというのならば、確かに早さは肝心要のものだ。エレオノーラが背後からの奇襲を成功できたのも決断の速さと迅速な行軍あってこそだ。
だが、ガヌロンもしくはテナルディエ。どちらの手の者かは分からないが、レギンを失うと同時に、王宮にまで手を伸ばしてくるとは
「どちらにせよ目的は王都の機能を麻痺させることだろう。如何にボードワン殿たちが献策講じても、最終的な決裁を取り仕切るのは、ファーロン陛下だからな」
その言葉にボードワンは溜め息を吐き出す。まさか王宮にまで両盟主の毒手が回っているとは思わなかったのだろう。
こちらの言葉に、ファーロンは少し考え込みながら、その思案の顔から、結論を出した。
「内膳司を解放してよいな。そして毒は通常通り私に与えたまえ」
とんでもない結論。王は本当にレギンが死亡したと思って狂ってしまったのではないかと部屋にいる下手人含めて思った。
「……理解出来ませんぞ陛下。何ゆえそのような凶行を……」
「我が王宮のコックは優秀だ。そして今まで彼の人格を尊重して、毒味役などを設けてこなかった。そんな忠臣にすら、このようなことをさせる以上、もはやテナルディエ、ガヌロンを止めるには武力しかあるまい。辛い役目、申し訳ない」
ファーロン陛下は、この内膳司が脅されてやったのだと気づいていた。恐らく人質でも取られているのだろう。
王宮の料理人ともなれば、その給料はちょっとした貴族よりも高いはずだ。
だというのに、こんなことをするということ……そういう事情が見え隠れする。
だが、それだけでファーロンが自ら毒を煽る理由にはならない。
「へ、陛下、ご寛恕いただいてありがたいですが、そのようなことなさらないでください……」
「そなたの作る料理はいつでも、我が腹を心地よく満たしてくれた。それを忘れるわけにはいかぬし、そなたの家族に迷惑をかけるのも我が心にしこりを残す」
温情でありながらも、そのようなことをしては確実に体を害する。
ファーロンとしては、今後起こるだろう争乱終結まで、命があればいいという公算なのだろうが……何事も計算通りにいかないのが、世の中というものだ。
この国王の思惑はことごとく外れてここまで来たのだからーーー。
「一応、中和剤も渡しておきます。但し量もそこまでありません……そして、今から私は王宮には近づけません」
それは前々から言われていたことだ。調査報告の後の連絡員なども用意出来ていない現状だったので、今回はやむを得ず王宮に来たが、今後ここに自分は来れない。
恐らくガヌロン、テナルディエは本格的に戦争を始めるまえに、王宮の権利を掌握しに来るつもりだろう。
玉璽なども場合によっては奪いに来る可能性もある。
それが終わってから漸く、奸賊は刃を交えるつもりだろう。
そこに自分がいてはどうなるか分からない。無論、暗殺者程度は退けられるだろうが、それでもジスタートの食客である自分は、寄り付かない方がいいだろう。
「まずはどこに行きますかな?」
ボードワンとしては、レギンが生きていれば早くに戻ってきて偽報、虚報の類であったと喧伝することで大貴族を騎士団の勢力などで追い落としたいだろう。
扉に体を翻しながら、語る。
気は進まないが、リュドミラの領地からライトメリッツよりも、直接ライトメリッツに入れるルートの方角。
確か、そのライトメリッツ領に近いブリューヌ領はーーー。
「アルサス、まずはそこを目指そうと思います」
† † †
「それじゃ、君はそんな経緯で捕虜になったのか?」
「ああ、何だか随分と聞かれるが、そんなに変なのかな?」
「君じゃなくて、エレンの行動が可笑しかったのさ。彼女は今までどんな戦を行っても捕虜をあまり取らなかったんだ。身代金目的のものは騎士たちだけに任せてね」
戦姫の個人的な捕虜というのは、かなり重要な意味を持つ。彼女らはその超常の力を持つが故に大半の戦士達を下に見る。
昔の話だが、戦姫の捕虜となった剣士の一人は彼女の薦めもあってムオジネルの前身国家の闘技場において、戦姫御抱えの剣奴となって最終的には時のチャンピオンを打ち破り自由を勝ち取った。
「自由を勝ち取った剣奴がその後やったことは、まずその戦姫に求婚することだった。その頃には彼女とその剣奴との仲は知れ渡っていたんだけどね」
最初から最後まで面白がるように話す黒髪にして、短髪の女性。アレクサンドラという戦姫は、変人戦姫列伝・外典に書いてあることだと告げてきた。
「それじゃ俺には無理だな。俺は剣も槍も苦手だ……剣闘士となって自由を勝ち取ることも出来そうにない」
公宮の廊下にティグルの力ない嘆きがこだまする。こんな時は剣を上手く使えない我が身が悔しい。そんな武勲詩(ジェスタ)にまで伝えられるような存在、例えばリョウ・サカガミのようであれば、如何様にも出来たかもしれないのに
そんなティグルの嘆きは、当の本人が聞いたらば「俺は弓を執らせれば遠雷、天下無双になりたかった」と言うだろう。
アレクサンドラは、そうしてお互いに無い物ねだりをしている似た者同士な男の子たちと結論つけておいた。
「だからエレンは君に違う道を示すだろうね。それを受けるかどうかは君次第だ」
アレクサンドラは、自分に示されるだろうことを半ば予想しているようだ。
エレン……エレオノーラの執務室に入ると同時に、鋭い視線が向けられる。自分に対してだけであり、アレクサンドラにたいしては敬服しているようだ。
そして呼び出したエレオノーラは、目を通して決裁を押した書類から目を離してようやくこちらを見てきた。
「ようやく来てくれたな。リムが起こしても寝てばかりだったからサーシャにいってもらって正解だった」
「リョウで慣れているからね。もちろん一緒の布団に入っていても得意だけど」
「……前言撤回だ。リム、今度から何が何でも起こせ。具体的には剣の切っ先を口に入れても構わん」
……やけに具体的かつ、猟奇的な起こし方を提案するものだ。
「承知しました。今度からはそうします」
しかも了解されてしまっているし…。明日からは絶対に早起きしようと心に決めつつティグルは表情を引き締める。
「俺を呼び出したのは何でだ?」
「色々とあるが、まずはお前に今後の身の振り方を決めさせようと思ってな」
そうしてエレオノーラは、話してくる。自分の今後に関わることだけにティグルもこれには真剣に応じなければならない。
「まずはお前にかかる身代金だが……こんな所だ」
示された金額に眩暈がする。しっかりしようと思っていたところにいきなり衝撃的な一撃だった。
「な、七万ドゥニエ……何でこんな金額が設定されているんだ!? 言っていて悲しくなるが俺は伯爵だし、王家連理でもない。ついでに言えば弓ぐらいしか取り柄がないんだぞ」
「うむ。しかしこれがブリューヌとジスタート側との戦時約款というやつでな。まずは一つずつ答えていこう」
そうして麗しい戦姫の声が響く。その麗しさなど目に入らぬぐらいに衝撃的な答えが突きつけられる。
どの国でも優秀な将軍や騎士……つまり剣や槍の豪傑無双は得難い。そして今までは、それを捕えれば身代金は多く取れたが、しかしそれは同時に相手国の経済をとにかく疲弊させることとなっていった。
戦争とは外交の一つであり、相手国を完全に征服できるならばともかく、持ちつ持たれつの関係を持続出来るならば、あまりにも疲弊させるのは、得策ではなかった。
そこで―――例え、剣や槍の豪傑を捕えたとしてもあまり高い金額を設定することはお互いにやめた。
しかし、それでも身代金という制度を持続させて、かつどこかに高い金額を設定しなければ名誉と契約の神ラジガスト、戦神トリグラフに申しわけがないだろうと、二国の高神官達が反発したのだ。
特に戦神トリグラフに仕えている神官は、その性質上―――剛毅なものが多く、メイスやモーニングスターを持ち、己の勇者と信じた戦士と共にいることもあるのだ。そんな連中ばかりなので、そんな風に弓使いにとばっちりが来た。
「結果として弓使いという貴族位のものには、このような金額が設定されているのだ。理解出来たか?」
「ああ、これからはトリグラフを祀る神殿には寄進しないことに決めたよ」
戦というものは時の運だ。しかし勝算のある戦いであったのを崩されたばかりか、一人の男の運命までもここまでかき乱すとは。
だからこそせめてラジガストの加護を信じて交渉を開始する。
「……負けてくれないか?」
「駄目だ」
「せめて二万ドゥニエ程度に」
「駄目だ♪」
びた一文負けてやらんという笑顔。ここまでの面白がるかのようなやり取りのそれにティグルはとりあえず降参しておく。
蓄えはこれからの事業の投資に回してしまった。つまりそんな金額を払える計算は無いのだ。
春になれば、何とかなりそうだったというのに時期が悪かった。オルガから教えてもらった騎馬民族特有の馬乳食などを参考にした酪農製品の生産体制が整いつつあったというのに。
「五十日以内にこれに対する回答及びそれに類するものが無い場合、ティグルヴルムド・ヴォルン伯爵。あなたの身柄は正式に私のものとなる。それを前提として―――今のうちに良い条件で何とかしてもらいたいと思わないか?」
何とかとは何だろうか? アレクサンドラという女性はすでに察しているようだった。
リムアリーシャという女性は、ため息を吐いている。
「エレオノーラ様、その誘いをする前に、まずは公宮の兵士達、全員の前でティグルヴルムド卿の腕前を見せるべきです」
リムアリーシャという女性が、ため息からそんなことを言ってきてティグルも察しがつく。
「お前の馬を一射で当てたのだぞ。ティグルヴルムド……長いな。これからは私のことはエレンと呼んでいいから、お前も愛称を教えてくれ?」
「ティグルと皆からは呼ばれている。それでエレン、俺は何を『射れば』いいんだ?」
流石に早くも愛称で呼んだことにリムアリーシャは少し怒っているようだが、話が進まないと思ったのか、流れのままにさせていた。
―――そうしてティグルは練兵場の中でも弓使い達の訓練場に連れて行かれて、その実力を披露した。
結果として一人の青年の毛髪全てと驕慢を奪い取り、公宮の女性達に多大な嘆きをさせるのだが、それは彼の大いなる戦果であり、青年一人を英雄の道へと進ませる切欠にもなった。同時に青年の新たな魅力(毛髪を奪った男と一緒の時)に女性達は違うため息を吐くこととなった。
それは後の未来においてもそうなのだが、当時を生きる者たちにとっては知るべくもないことであった。
† † †
鯨油に灯された灯りの中、上がってきた報告を見ながら青髪の少女が目を細めて言う。
「そう。ブリューヌとの戦争はこちらの完勝……エレオノーラも侮れないわね」
「それで……どうするのかしらリュドミラ・ルリエ?」
呟きに対して、青髪の少女の対面に座っていた紅髪の少女が返す。
「どうもしないわエリザヴェータ・フォミナ、私達に何か影響があると思っているの?」
無いわけがないだろう。だからこそこうして緊急の会談にも応じて、氷の戦姫と雷の戦姫はお互いに提供できる中立地帯で話し合っているのだ。
紅茶を飲みながら、別荘の一室にて話し合っていた。
「これを機にブリューヌでは内乱が起こる。それは同時に私達二人の取引相手との決済が増えるということよ。私はウラの事業で出来たものを戦争に使ってほしくないわ」
「……あなたがオニガシマからミスリル鋼や希少金属を私の領地に届けてくれているのは分かっている。エリザヴェータ、あなたの尽力は有難いわ」
目の前の紅髪の戦姫の懸念は分かる。そしてそれはミラも分かっていたことだ。
義兄として慕っている男性は、いずれ起こるだろう大いなる戦いの為に、これを渡してくれたのだ。
それは人の世にあってはならぬ「邪悪」との戦いだ。
あの後、ソフィーから聞いた話ではブリューヌにおいて、蛙の魔物が現れて義兄と戦ったそうだ。
その時は結局、逃げられたそうだが―――。恐らく今後起こるだろう西方の争乱においてこの魔からの被害は出てくるだろう。
「義兄様ならば、出し渋りはしないで稼げと言ってくるでしょうね」
「リュドミラ、貴女―――」
「落ち着いてエリザヴェータ、いえリーザ。私にも考えはあるわ」
腰を浮かせた雷渦の戦姫を手で制しつつ、自分の考えを同世代の戦姫に話す。
「義兄様ならば、この力を使っての混乱はよろしくないとしつつも、これが多くの人間に行き渡らなければ、その方が多くの災厄を招くとしているでしょうね」
力を制限するとしても、いざそれが必要な所になければ、その方が多くの人死にを招く。
義兄もまた長き時の中で、破邪と退魔を統べる一族は、世界と関わることを無くすわけにはいかなくなったのだから。
「結局、テナルディエ家だけでなく多くのブリューヌ貴族と付き合えということでしょうね。まぁ多角的経営を行っていければ、いざというときのリスクを回避できるでしょう」
「お互い、昔からの付き合いしか持っていないものね私も……ミラも……」
俯き加減にして、こちらの名前を呼んだリーザに少しだけ顔を綻ばせる。
(別にエレオノーラだけじゃないわよね……)
昔、年が近く仲良くなろうとした少女とは義兄のことが無くても今でも不仲だった。
しかし少し遠い領地には、自分と同じ年頃の戦姫がいた。それと仲良くすることも重要だったのではないかと今では思う。
「これから私達はお互い色々と助けあっていきましょ。リーザ、戦姫若い方組として」
「ええ、ミラ。よろしくお願いするわ。ついでに言えば私とウラの仲を進展させるために協力してくれないかしら? 具体的には戦姫お局組を遠ざけるためにも」
こうして同じ取引相手を持っていた少女二人は変な所で意気投合し、今後の西方情勢に深く関与しつつも、見極めて新たなる販路開拓も共同で行うことを了承しあった。
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「羅轟の月姫Ⅱ」
片桐先生で表紙が貰えたよ。やったねオルガ♪
というわけでオルガメインという訳ではないのですが、オルガも出ている所まで投稿します。どうぞ。
「結局の所、俺を部下にしたかったのか……」
「ああ、私はお前のその弓の腕に惚れた。だからこそお前が欲しいと思ったんだ」
弓だけか。と思いつつも、自分の良さなどもう少し長くいなければ理解されることはあるまい。
もっともそんな器用に女性を口説けるタイプではないことは分かっている。戦姫の色子などと称されている英雄とはどんな人物なのだろうか。執務室のソファーにて対面にいるエレンに聞くことにする。
「一言で言えば、女を騙す詐欺師だ。女を食い物にして次から次へと籠絡して自堕落な生活を送る最低最悪の人間だ。自由騎士などと名乗っていてもその実態はろくなものではないな。ヒモというにふさわしい」
「……個人的な意見入っていないか?」
どうにもこの手の話題になるとエレンはとても感情的になる。まさかそうして「籠絡」された女の一人が彼女なのかと思いつつも、それはないと思った。
「まぁあの男のことはどうでもいい。とにかく私はお前の弓の腕前に惚れたんだ。私に仕えないか? 爵位とて同じく伯爵で迎えよう。望むならば公爵でもいいぞ」
「ありがたい申し出だが断るよ。すまない。そこまでの好条件を出してもらってありがたい気持ちはあるんだ」
こんな話、ブリューヌではありえない。自分の価値を認めてくれた女性。そんな人の側で立身出世を求めてもいいのではないか。
そんな誘惑の言葉をティグルは、即座に打ち消した。確かにエレンは戦場において、自分を認めてくれた。だが、それ以外にも自分を認めてくれた人間はいるのだ。
屋敷に住みこんでいる巫女の家系の幼なじみ。密入国してきた聡明ながらも少し幼いエレンと同類の竜の姫。素性を隠しながらも自分を男として頼ってきた王宮の行儀見習い。
彼女らに「そのままのあなたでいてほしい」と言われたのにそれを裏切ってしまうことだけは出来なかった。
「だがこのままいけばお前はムオジネルに奴隷として売られるのだぞ? それを認識しているか?」
冷静な斬り返し、エレンの言葉にどうしようもない現実が降りかかる。まだ身代金を払えないと決まったわけではない。
場合によっては王宮の方で動いていてくれる可能性もあるのだ。とエレンに言うと少し口ごもってから彼女はブリューヌの内情を話してくれた。
「レグナス王子が戦死された……?」
「ああ、まだ検分の途中だが、我が軍の符丁で『総大将を獲った』という言葉が聞こえたのだ。事実、捕えた捕虜に実況見分させたが王子殿下の天幕は荒らされ放題に、騎士の死体が折り重なっていた」
何という事だ。嘆きが自然と嘆息のカタチで吐き出された。それでは王宮もそんな余裕無いではないか。つまり―――身内からの手助けのみが現状の自分を救う手段となるだろう。
「恨んでいるか?」
「無いと言えば嘘になる。あの方は最近、俺に声を掛けられていたからな。ただ期待と約束を果たせずに恨みつらみより申しわけなさの方が多い」
そしてその言葉の意味する所は、自ずと知れた。ブリューヌは二大貴族が好き勝手やる狩猟場になっていくのだと―――。
アルサスに帰らなければならない。想いは募りつつもどうしようもなくなる。
こんな時、武勲詩にある英雄であるならばどこからともなく忠勇長けし武人が現れ、さっそうと窮地を救ってもら――――。
「あ」
『あ?』
こちらの言葉に怪訝な思いを同じく間抜けにも口に出したエレンとリムアリーシャ、何となく考え付いたこと。
彼女がどちらで動くか分からないのだ。多分、最初は相談するはずだが、その後どうなるか。
仮にもしも戦斧携えここに来るとしたならば……。
(俺は色々と謀っていたと思われる……!)
せめてエレンに対しては義理立てしたいと思っていただけに、告げるか告げまいかという悩みを打ち切る形で「今日は寝ろ。色々と疲れたように見えるからな」と可哀想なものを見るかのように言われてとりあえず勧めに素直に従うことにした。
(オルガに頼んだこと。それでどっちを実行するか……彼女次第という所が賭けだな……)
明確にどっちかにしておけば良かった。客将としてアルサスを守ってくれ。客将として俺を連れ戻してくれ。
自分がアルサスの為を思った答えと、オルガがアルサスの為を思った答えとが矛盾してどっちを選ぶかが不明確だ。
「まいったな……どうすればいいんだ?」
星詠みによって、どうやればアルサスに帰れるかは大方の検討は着いている。
公宮の人達は概ねいい人ばかりで、自分が捕虜であることを忘れてしまいそうになるほどだ。
だが自分の身分は変わらずーーー。このままではアルサスに帰ることは出来ない。
(いや、諦めては駄目だ。まだ身代金を払えないと決まったわけじゃない)
他力本願かもしれないが、マスハス卿にバートラン、ティッタにオルガ。みんなが協力してお金を集めてくれているかもしれない。
それの結果が出るまでは……。しかしそれなく自分の身が奴隷になってしまうと、アルサスに帰るのは、かなり未来の話であり、第一帰れるかどうかすら分からないのだ。
寝台に仰向けになりながら虚空を掴む。この手で掴めるものを求める人生。ブリューヌが嫌いなわけではない。
だが、こんな形で自分の力を認められてもしくは、それによって道が開けるとは思っていなかった。
(駄目だ。これ以上考えていても俺にはどうしようもない)
今は寝ることだ。脱走するとしても、それまでに体力温存及び警戒体制を緩ませるために自分は脱力していなければならない。
そうしてティグルは深い眠りに就くことにした。考えてもどうしようもないことなのだから。
† † †
明け方の時間帯。そんな時間に黒髪の女性は己の部下数名を引き連れてライトメリッツの街門の前に立っていた。
彼女は己の領地に帰るべく、この時間を選んだ。そしてそれを事前に知っていたライトメリッツの主は居なくなるレグニーツァの主を見送るべくそこにいた。
「それじゃ僕はそろそろ失礼するよ。いい加減レグニーツァに帰らないと執政官に怒られるからね」
笑いを含んだそれを見ながら、エレンは世間話をするように彼女に語りかける。
「ヴィクトール王への報告は頼んだ。それにしてもサーシャに傷を負わせるなんて、随分とその女騎士は凄腕なんだな」
ディナントでの戦い。その中で一つの戦いがあった。それは広大な戦場における一角での戦いではあったが、当人達にとっては真剣勝負のそれだった。
まだ闇が戦場に満ちている中、サーシャはエレンとは別行動を取り、ブリューヌ軍を探っていた。
そんな時だった。ブリューヌの騎士。それも有名なパラディン騎士の衣装をした女が現れたのは―――。
抜き放つ双剣、変化をして大剣となった「小剣」。
両者の交錯は一瞬にして行われた。噛み合う鋼と鋼の応酬。二十も打ち合った後には、お互いに続けるか否かの判断となった。
「彼女は何かを探しているようだったね。けれども―――、あっさり僕から去っていったよ」
肩を竦めるサーシャ。考えとしてはもう少し打ち合っていたかったのだろう。浅く斬られた手の甲が、それを物語る。
「それじゃ達者でな。あまり無茶をしないでくれよ」
「君に言われるとはね。けれど少し頑張らないと、リョウも心配してくれないんだよ」
少しだけ眉をひきつらせつつも別れ際でまであれこれしたくないとして、エレンはそれを飲み込んだ。
しかしサーシャは人生の先達として言うべきことは言っておくべきだろうとして、一言忠告しておく。
「彼をもしも本気で欲するならば強気な態度だけじゃ駄目だよ。あんまりにも独占欲強すぎると他の女の子になびいちゃうからね」
「私は男としてのティグルには興味がない。いやまぁ長いこと一緒ならばそれ相応の魅力というものにも気づけるのかもしれないが…ともかく、私は弓使いとしてのアイツが欲しいんだ」
色子はいらないというエレン。そんな風でありながらも硬軟使い分けての懐柔策もありかと考え込む辺り、本気で彼を欲しているようだ。
そうして少しだけ悩みのままのエレンに挨拶一つをしてから、サーシャはレグニーツァに帰っていく。
(リョウは、まだブリューヌにいる。自由騎士が起こす風は多くの人間を巻き込み、やがては世界を席巻する)
それは分かっているのだが、サーシャとしては少しだけ自分の所に来てほしいとも思っていた。
どうしても会えないようならば……。
(その時は、こっちから会いにいってやる。僕が待っているだけの女だと思うなよ。リョウ)
決意と共に今は国の大事をこなすことが先だとして、馬を走らせることに専念した。
† † †
その少女が現れたのは、戦に行った男たちが帰ってくる一刻前といったところ。
旅着が汚れた少女。しかしその髪の美しさからどこかの貴室のものではないかとアルサス領の中心。セレスタの街に現れた。
またもや領主であるティグルの関係者かと思うのは街の住民たちだった。
夏の時期にも、彼は一人の少女を山の中から連れてきた。その時は領主同道であったが、今はその領主は不在だ。
未だに男衆が帰ってきていないことに不安を覚えていた住民は警戒しつつも、その少女がティグルの館に向かうのを見た。
少女は扉を叩き鈴を鳴らした。平時ならば来客として対応しただろうが、今は戦時中だ。
館の主人が帰ってきたと思って中にいた侍女二人と幼竜一匹は喜ぶようにそれを迎え入れた。
「お帰りなさいませティグル様!!!」
「お帰りなさいティグル!!!」
勢いよく扉を開けたのだが、そこにいたのが、領主ではないことに気づく。
「……レギンさん?」
知り合いがいて安堵するレギンだが、様子から察するに領主は不在のようだ。そして、何故か自分と同い年か少し下の少女が睨むように見てきた。
「レギンって……ティグル様の王都での愛人!?」
大声で言ったので、館の回りに何事だろうと集まっていた野次馬たちの耳に入り、領主様も枯れているわけではないと少しだけ安堵しつつ、ティッタ、オルガ頑張れという内心の声が発生することになった。
領主不在のままに来客に対応する。ティッタも流石に恋敵とはいえ、領主の悪評を巻くわけにもいかず、茶をいれ菓子を出す。
「すみませんティグルヴルムドがいない時に訪れてしまって……」
「いえ、それは構わないのですが……あのレギンさんは何故、あんな格好でここに来られたのですか?」
頭を下げるレギン、その姿はまるで長い旅をしてきたかのようだったからだ。聞いている限りでの王宮の行儀見習いという風体ではなかったからだ。
「レギンさんもディナントに行っていたのか?」
「……はい。ジャンヌ様の世話役として着いていきましたので、ティグルに伝えたいことがあったのですが、まだ帰られていない……」
「はい…」
レギンの問いかけに、二人の侍女は気を落とす。幼竜もどことなく落ち込んだ様子だ。いるべき人がいないからだろう。
そうして三人と一匹が、落ち込んでから…一人が勢い込む。
「大丈夫、ティグルは帰ってくるって言ってた。だから帰ってくる」
その言葉を信じたからこそ、竜の姫はここに残って帰りを待つことにしたのだ。何より今、このアルサスにおいて大事をなそうという男が死ぬわけがないのだ。
天は男を死なせるために、そんなことまでさせたのではない。そうオルガは信じている。
「そうだね。オルガちゃんの言う通り、ティグル様は帰ってくる。天上の神様はここであの人を死なせるために戦にいかせたんじゃないんだから」
ティッタは神殿にて祈り続けてきた。一人の若者の命運絶やさぬように、ティル・ナ・ファに彼に無慈悲な鎌を降り下ろさないように嘆願し続けた。
何より幼い頃からティグルは自分の前から完全にいなくなることはなかった。かくれんぼしていても最後には泣きだしそうになる前に自分の前に出てきてくれる人だ。
「私はあなたたちほど付き合いが長いわけじゃない。けれども彼を信じています。……王子殿下も信じられた彼の心根とこの地にて皆に慕われているティグルヴルムド・ヴォルンという青年領主の人間性を」
レギンは知っている。かつてのニースの休日とも言うべき男女の一時、その際に語られた彼の全てを―――。多くの貴族達がガヌロン、テナルディエに組みして悪行を良しとする中、彼だけは民と同じ目線で語れる人だった。
だからこそレギンはどんなに財も、知も、武も轟くものなくともティグルのその心こそが明日のブリューヌの礎なのだと気付けた。
「彼は帰ってきます。私もあなたたちも信じましょう。そして出来ることを今は全力で行う。それだけです」
レギンは決意して立ち上がる。そして馬を一頭貸してくれと頼む。
「どこかに行くのかレギンさん。暫く滞在していてもいいんじゃないか?」
「そうですよ。ティグル様が帰ってくるまでここにいても―――」
「お気遣いありがとうございます。ティッタさん。オルガさん。けれどやるべきことがある以上、私も私に出来ることを行い、いざという時ティグルを助けたいのです」
そうして彼女は二人のティグル思う女の子二人に告げる。
「私はアルテシウムにて待つ。それこそがレグナス王子の遺言だと伝えてください」
仮にもしも王家の力借りたくば、自分を探しだしてくれ。とそう伝えるように二人に言ってから、レギンは去っていった。
「レギンさんも託されたものをこなそうと必死なんだな……」
「そうだね……」
街道に出て、馬を使い去っていくレギンを見送りながら、オルガも覚悟を決めた。このアルサスに本当に必要なのはティグルなのだ。仮に自分が代理として治めていたとしても、それでは駄目だ。
頼まれたこと。その内の一つを破棄する。そして何がなんでもティグルをここに戻すしかないのだ。
決意の後にアルサスに歓声が沸いた。どうやらアルサス兵とオード兵が帰ってきたようだ。
つまりはティグルとマスハスが無事であったという証明なのだと歓声の沸いた方に赴くも、そこに片方はおらず、ティグルの無事は確認出来てもーーーマスハスとバートランからその帰還がかなり困難だと知らされた。
しかし一人だけ困難だとは考えなかった。成る程、確かに戦姫は強力な存在だ。一騎当千というに相応しい。
だが、同じ戦姫どうしならば、条件は対等だ。
(私がライトメリッツに行けばいい。あのエレオノーラ・ヴィルターリアを自分のムマで打ち倒せばいいだけだ!)
しかしまずは正攻法だ。とにかくお金を工面する。そうすることがまずは第一だ。正規の取引でティグルを取り返せるならば、それに越したことはない。
それがダメだった場合、契約そのものを反古にする。無論、そんなこと本来ならば許されるものではないが、泰平の世に見えても、戦国の世である西方諸国なのだ。こんなこともある。その認識を持っていない方が悪いのだ。
(ティグル、待っていてくれ! 今度は私がティグルを助けてみせる!!)
得体の知れない自分を拾ってくれたあの時のティグルの恩に報いるためにも羅轟の月姫(バルディッシュ)は、銀閃の風姫(シルヴフラウ)と戦うことを決意したのだ。
「で、どうしたんだ。その頭?」
「剃りました。東方では敬服する時は、髪を刈り取りそれを出家の証とするとも聞いておりますので、それに倣いこのルーリック、テイグルヴルムド卿の見張りを務めさせていただきます」
「そ、そうか」
見張りというよりも、何だか部下にでもなったかのように敬ってくるルーリックに半ば気圧されつつも、ティグルとしては敵対的な人間が監視役でなくて少しだけほっとした。
そうして、ティグルの思惑とティグルに関わる全員の思惑が決定的にずれつつも様々な邂逅の時は近付きつつあった。
そして、闇に潜むものたちも……己の願いを叶えるために動き出していた。
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「魔弾の王Ⅳ」
この話の最後の方は、すでに最新刊を手に入れた方には無情なものに見えると思われるが、まぁどうぞ。
計算が狂う。そんなことはよくあることだ。
例えば本来決済すべきであったというのに代金不足で不要な違約金を支払わされたり、本来用意すべき品物を供せずに、得られる金銭を得られなかったり、まぁ大なり小なり計算違いというものは発生する。
問題は、それが発生した際に損が自分に発生しているとううのをどうやって埋め合わせするかということだ。
どんなに懐に余裕あり、持ち物が多量にあろうとも、埋め合わせは必要である。
でなければ、いずれは尽きるものだからだ。
「どうやらやつも同じ考えか……人間風情にしては胆が据わっている。いや、それは前からだったか今更だ」
「それで、ここまで来て私だけをムオジネルに派遣するとはどういったことでしょうか閣下」
王都を目前にして、着いてきた一人の青年貴族の質問。独り言に対応したものではなく、寸前に話していたことだった。
しかし、青年貴族、グレアストは然程疑問にも思っていなかった。
此度に起こる戦い。本当の目的とは王権の奪取ではない。いや、あればいいのだが、それでも自分が欲しいのはそういうことではない。
女神に見初められし「花婿」、それがほしいのだ。前回の武芸大会にて、剣を手に入れるにはあまりにも自分は、弱体だ。
しかし、自らを強大化させるには他の「魔」を取り込まなければならない。
つまり先程の独り言に則して言うならば欲しいものがあるというのに、それを手に入れるには自分という財貨はあまりにも不足なのだ。
馬車の中で対面に座るグレアストは、自分の言いたいことを分かっているのだろう。
「閣下の先祖に倣うならば御自身で『秘術』を取得した方がよろしいのでは?」
それはあからさまな皮肉だった。しかし言われた方は特に腹もたてずに、返す。
「私の存在はジスタートの貴族連中などならば詳細には、分からないだろうが、流石にムオジネルの頭目とも言える赤髭クレイシュならば、分かってしまうだろうーーーしかしだ。混乱を起こす計画を持ち込んで、その間に『蛇王』を手に入れるぐらいは容易いだろう」
「ついでにアサシン集団の秘術も掠めとると……」
「呪術に関しては一日の長があると思っていたが、あそこまでのことが出来るとは私も知らなかった」
影に潜るは蛙の仕業だろうが、巨人化の秘術はアサシン固有だ。それを手に入れられるならば、己を強化出来る。
そして、西方にはまだ甦らぬ眷族は多い。中でも最大のものを頂く。
「しかし、つまりませんな。従わぬ貴族連中を脅しつけて我らが下に就かせる役目は私のものだと思っておりましたので」
「お前ならば確かにそれは容易いだろう。例え歓迎の宴などを催されいい気分で帰ってきたりはせぬだろうしな」
そう言う人物ーーーガヌロンは、そんな風な人間をその役目に就けようとしているのだ。もっともそれを理由に殺してしまうこともできる辺りが、この人物の悪辣な所だ。
「そちらには、あやつを向ける。まぁ不足も甚だしいが、味方が多くても面倒なのが戦争というものだ」
それは贅沢な悩みでもあった。元々、ガヌロンの戦力というのは強大なのだ。それなのにこんな時だけ味方をして同じ死肉を食もうという鴉の類は邪魔だ。
しかしかといってテナルディエに組まれても困り者。本当に贅沢な悩みである。
案外、こんな風な覇権争いの際に最終的に勝利を得るのはーーー元々の持ち物少なく、味方が少なかったという武勲詩(ジェスタ)にも出てきそうな英雄なのだ。
しかしーーーそんな英雄のような存在が出てくるだろうか。いや、一人だけいた。もしもあの男が、国内の王都派を纏めて挑みかかれば、自分とテナルディエは追い落とされる。
しかし、そんな英雄、豪傑、将星ありしものすらも纏めあげるーーー「英雄王」の気質持ちしもの現れれば、追い落とされるだけではない。
文字通り「滅ぼされる」だろう。
「まぁそんなものいてもらっても困るのだがな……」
「閣下は度々、現実味の無いことを仰いますな。今までご自身の行状を英雄のようなものが止めてきたことありましたか? 無いのですよ。全てはーーー」
人のなすことによって決められるだけだ。
そういうグレアストは、闇に魅入れられたと言っても過言ではない。
「そうであったな……ならば私の為にもお前にはいっそう働いてもらわなければならない」
「御意、ではまた会うまでーーー」
お互いの命脈尽きないようにーーーと言ってグレアストと数名の配下は、ニースに入らずに、ネメクタム方面を過ぎるように、ムオジネルに入り込もうとする進路を取った。
相手方の様子を知るためでもあったが、二人が激突するまではまだ時間はあるだろう。
まずは国内の地盤固めだ。そうして起こるだろう戦争に間に合うだろうかという考えを持ちながら、グレアストは、馬を走らせた。
◆ ◇ ◆ ◇
公宮の弓の全てを見る。あの時、ルーリックに渡された弓を除けば、どれもいいものだ。
中にはアスヴァールで使われている長弓もある。それを見て、ふと知り合いの貴族、ティグルの父の友人であった人物を思い出す。
恐らく彼を筆頭に皆が自分を助けるために動いてくれているだろう。だというのに、自分はここで太平楽とまではいかなくとも安穏としていていいのかという気分になる。
実際、今日に至るまでティグルは公宮の城壁とライトメリッツ全体の壁を検討していた。
脱走出来るかどうか、そのことを考えて緩むように見せて考えていた。そうして壁に目をやると間が悪くルーリックがやってくる。
「ティグルヴルムド卿は、やはり弓には拘りますか?」
「そりゃ悪い弓よりは良い弓だろう。俺にとって戦場で身を守る術はこれだからな」
「では素材にも拘りがあるので?」
「適度な張力と弾性を持っている素材、竹なんかがいいらしいが、あれはヤーファでしか採れない、第一ここまで来るわけでも無いらしい」
一度、アルサスを通る行商に注文したのだが、そこまでの商人ではないらしいし、何より大商人でもそうそう取引出来るものでもない。
この西方で有名なヤーファ人を思い出してルーリックに聞く。この男は一応、あの英雄と面識があるそうだから。
「ヤーファ……ルーリック、何でエレンはあそこまでサカガミ卿を嫌うんだ? 何て言うか世間で言われていることとエレンの評が釣り合わないんだが……」
確かに戦姫の色子と呼ばれているのは自分も知っている。しかしあれほど卓越した武芸と超常の武器を扱う戦姫の側にいることが出来る存在なのだ。
何よりマスハスの前で猫を被り、エレンの前では違うのか……本当に分からぬ人物だ。
脱走を警戒してきたルーリックを緩ませるためにも話題の転換を図る。
「私見でよろしければ……」
そうしてルーリックは語る。語られた内容は、結局の所、エレンにとってそれは嫉妬のそれだった。
「先日までこちらに滞在してくださった戦姫アレクサンドラ様、彼女の下での戦いがその原因なのですよ」
曰く、リョウ・サカガミがジスタートにきた際に初めて訪れたのが、アレクサンドラの領地レグニーツァらしく、そこで諸々の誘いを受けて彼女の海賊討伐に一傭兵として参加することにしたらしい。
しかし、アスヴァールにおける武功は彼をただの傭兵としてではなく戦姫の側近として重用させることとなった。
「アレクサンドラ様は本来、身体が丈夫ではなかった方なのですが、これまたサカガミ卿のお陰で元気になりまして……もっとも回復したとしても戦場に出るべきではなかったというのがエレオノーラ様の意見なのですよ」
それでもリョウ・サカガミは彼女を戦場に送り込んだ。ただティグルは聡明に思えたあのアレクサンドラが、例え英雄の言葉とはいえ従うだろうかと疑問に思えた。
「まぁこればかりは私の人生経験ですが恋は盲目というものでして、アレクサンドラ様もそうしたのでしょう」
「成る程、エレンにとっては確かに女を騙す詐欺師だな。それが自分の慕う人物ならば、感情的にもなるか」
「間の悪い事に、そんな一大事だというのにアレクサンドラ様は、エレオノーラ様に何も知らせずに戦場に立ったので、何よりこれでサカガミ卿が剣上手ではなく、貴方のように弓上手であれば当たりも強くなかったでしょうね」
総評すれば、どちらかが大人になるしかないのだろう。エレンからすれば「姉を奪った悪い男」、サカガミ卿からすれば「口うるさい小姑」といったところか。
「さらに言えば自由騎士を個人的に慕う人間は多いのですよ。それがエレオノーラ様的には面白くないのです。まぁこんな所ですかね」
「ルーリックはどんな人物だと思った?」
その言葉に一度考えてから、言葉を選んで話し出す。
「個人的には大きすぎる人物だと思いますな……その考えは国とか領地とかいうものが小さいと感じられる。何か大きなものの為に剣を振るっている感じがしますな」
その一方で小さなものを見捨てられない心情も持ち合わせている。そういう人間だろう。
「俺も……考えたことあるよ。アルサスだけに関わらずブリューヌ全体が良い方向に向かえば、全ての国家が善導出来ていれば……昼寝しほうだいなのにってな」
「あなたらしい。しかし歴史に名を刻んだ英雄ももしかしたらば、そんな理由で立ち上がったのかもしれないですな」
「持ち上げても何も出ないぞ」
「アラムとの賭けで大勝ちしたのは聞いておりますよ」
にっこり笑いながら奢りにあやかろうとしているのかと気づく。まぁ賭けの資本はルーリックからもらっているので、吝かではないのだが……、そこに一人の騎士がやってきて用件を伝える。
「どうやら私への葡萄酒よりも先に、御婦人方の用事を済ませた方がよろしいでしょうな」
「悪いな。とはいえ、今さら何だろうな?」
騎士が伝えた用件とは、エレンとリムアリーシャが呼んでいるから来るようにとのことだった。
まさか身代金が支払われて、自分が自由の身へとなるのだろうか、淡い期待を寄せて執務室へと向かう。
「ティグル、少し鍛練に付き合え」
入って開口一番に、そう言われて少しだけ肩を落とした。
「お前は剣も槍も苦手だといった。だがそれが事実かどうか分からない。もしかしたらば隠していた実力を発揮して私の首を獲りに来るかもしれないーーーと、リムが五月蝿いのでな。お前の弓以外の実力を見せてほしい」
隣のリムアリーシャが苦い顔をしているのは、恐らく違うからだろう。
つまりは部下にならないのならば、さっさと奴隷としてムオジネルに送る準備、もしも身代金が支払われるならば、捕虜に相応しい待遇にすべきだといったところか。
「分かった。だが練習相手になれなかったからといって、怒らないでくれよ」
「大丈夫だ。確認するだけなのだから、失望もしない。ただもしも嘘だったらば……あの男を殺す可能性が高まる……」
言葉の後半はもう悪党も同然のものであり、悪い顔をしているぞ。と言ってやりたかった。
それにしても……。
「部下になったらば最初の仕事が英雄殺しとは大役だな」
「おおっ、やっとその気になったか!」
「仮の話だ。第一まだ決まったわけじゃないだろ」
「期日は迫る一方、されど届かぬ金銭、お前に残されるは私に骨の髄まで捧げることだけだ」
女の子の使う言葉と表情じゃないと言ってやりたい。同じ感想は隣のリムアリーシャも同様らしい。
しかしこれは前奏に過ぎず、彼女にとっては次のセリフこそが本番だったようだ。
「の、望むならばお前も私を骨の髄まで、と、蕩けさせてもいいいいいのだが、ど、どうだ!?」
いや、どうだと言われても……机を動かすほどにこちらに身を乗り出しながら聞かれることであろうが、真っ赤なエレンを見て、顔を凍りつかせながら剣を引き抜こうとしているリムアリーシャ。
その前に自分の骨身が無事にすみそうにはない。
そうして、鍛練に付き合い自分の実力を知られるのだが、問題はその際に起こった事故で、やはり自分の骨身が無事で済みそうにならなくなってしまったことだ。
† † †
「分かっていたこととはいえ、随分と早いわね」
「分かっていたことだからです。第一これだけならばエレオノーラはブリューヌの陰謀、謀略の片棒を担がされたようなものですよ」
憤慨することであろうか? だが視点を変えれば、戦姫の力をダガーに変えられたようなものだ。
国同士の戦いがただの謀略戦になってしまったのだ。何よりこの先、ブリューヌの覇権争いで自分達にも様々な影響が出るだろう。
「帰ってこない我が夫を待ち、枕を涙で濡らす私ってば何て健気な悲劇のヒロイン」
「嬉しそうに言われても説得力無いわ。そんな自分に酔っている大根役者さん」
黒い長髪の戦姫のおどけた言葉に金の長髪の戦姫は返す。
バチッ、という音でもせんばかりに火花が散ったように感じる視線と視線の交錯は終わり、お互いに紅茶を一口してから、再び話し込む。
のどかな庭園のもとにいる乙女たちの剣呑な話し合い。即ち、ディナント平原での戦いの結果として起こり得ることを全て書き起こしたものだ。
それだけのもの。王宮にあげられたものだが、その写しの資料。目の前にあるものは、損得全てに関わるものばかり。
「これだけならば、まだいいでしょう。所詮他国の御家騒動。問題はこれに戦姫が関わった場合です」
話の転換を感じてソフィーヤは何事かと思い、質問する。
「? あなた何か知っているの?」
金髪の戦姫ーーーソフィーヤの言葉に、黒髪の戦姫ーーーヴァレンティナは一つの不確定情報を話す。
つい最近の話だ。情報戦というものの重要性をリョウに言われて態勢を見直しつつ、少し多くの情報を精査した結果、浮かび上がった事実。
ブリューヌのある貴族とジスタートの従属民族―――騎馬の民が、大きな取引をしたという事実が浮かび上がった。
それだけならば、何も普通のこと。ただの商売上の関係だけで済む話だが、どうにも相手方の資産状況を鑑みるに不透明な取引であった。
事実と推測だけをまとめていけば、いわゆる賂(まいない)の類にも感じる。
「つまりこの領地の領主は騎馬の民と繋がりを持っている。けれどこの取引の前にそんな風な事実は無いです」
「……読めてきたわ。にしてもまさかブリューヌに足を伸ばしていたなんて」
十を語らずともこれだけで事足りた。ソフィーヤも理解したのだ。しかし、アレクサンドラの報告書には斧の戦姫の事に関しては語られていない。
「一応、そこは義理立てしたのね。まぁ本音は分からないけれど……」
付き合いをする前に去っていった人間なので、その人物像は不明だが、そう好意的に解釈することにした。
アルサス領領主ティグルヴルムド・ヴォルン伯爵の所に公国ブレストの戦姫オルガ・タムはいる
そして、そんなアルサス領主を今回の戦争で人質として奪ったのはライトメリッツの戦姫エレオノーラ・ヴィルターリアなのだ。
かかわり合いになりたくなくても関わってしまう場合がある。その事だけは念頭に入れておかなければならない。
根回しが必要だ。として二人の調整型の戦姫は、王宮における御意見番に様々な話をしていくことで合意した。
非戦、参戦どちらに傾いたとしても対処できるように―――。
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「羅轟の月姫Ⅲ」
ここ数日、公宮と町並みのそれを眺めながら、どうしたら脱走できるかを考えてきた。
その間に起こったことは、一つはカーミエ以外の幼竜と出会えたこと。ルーニエという飛竜の幼子は、自分に突進をしてきた。しかし突進をして抱きつきこちらを見た後には興味を無くして去っていった。
『この間、朱い鱗の同族と出会ったから勘違いしたんだろ』
エレンの説明で、竜の視界とはどのように広がっているものなのか考えつつ、素肌を晒しているエレンから目を逸らすことを必要とされた。
今、自分の目の前に広がる光景はかなり幸せなものではあろうが、見ればあれこれと喧騒を巻き起こしかねない。
そんな自分の気遣い空しく、副官でありティグルに厳しいリムアリーシャの見事な肢体を存分に見てしまい―――。
『俺の事は気にしないでくれ』
聞きようによっては変態でしかない。というか変態である発言を聞かされたリムから打擲のそれを受けることとなった。
(まぁ興味が無いわけではなかったが……)
エレンの二割増しかと言わんばかりのその肢体の美しさは目の毒である。
第二には、やはり公宮において監視役を務めるルーリックの警戒そのものは落ちなかった点だ。
今のように四六時中一緒というわけではないのだが、それでもルーリックの監視は聡く抜け目がない。
そして、どんなに尊敬されても彼にはライトメリッツの騎士であるという意識が強い。
『もしもティグルヴルムド卿が戦姫様の家臣になれば私はその下に就いて第一の家臣にもなりたいものです』
自分には老いた従僕と、幼い女の客将しかいないので、嬉しい限りではあるが、それは困難な道だ。
―――やはり自分は故郷に帰らなければならない。
「となるととりあえず街に出て情報収集しなければならないな」
ガヌロンとテナルディエの動向も気になる。あれだけ覇権を奪い合っていた二大だ。王子殿下が死んだとすれば、ろくでもないことを行うために早速動くだろう。
その際にアルサスがどうなるかを考えた結果、やはり狙われる可能性は高かったのだから。
エレン及び公宮の兵士達に見つからないように慎重に公宮の外に出るルートを辿る。高い屋根を伝い、その上で安全に降りられるルートを探る。
公宮から出るのは大丈夫だ。しかしそこから先のルート、つまりライトメリッツの城門となると、飛び越えることは難しい。
(エレンのあの風を使った跳躍―――竜具によるものなんだろうけれども、それと同じことが出来ればな)
そうして街に至ろうとした瞬間に、一人の娘の姿を見る。市井の町娘な衣服を着こんだ―――銀髪の少女がこそこそと、自分も知らない所から出ようとしていた。
公宮の外に出ようとするのに、まさかその人物が真正面からではなく隠し通路を通って出るとは思っていなかったから、気になり声を掛けることにした。
「何をやっているんだ?」
「ど、どうしてここに……!?……まさかお前、だっそ―――」
「いや町娘姿の暗殺者か『草』かと思ってな。一応世話になってる身だから警戒したんだよ」
話の転換というにはあまりにも不自然だったらしく、怪訝な目をしてくるエレン。
しかし彼女としても色々と準備してきたと見えるだけにやむを得ず同行しろと言ってくる。
「何でこそこそ出ていくんだ?」
「色々と訳はある。言うなれば―――身分を隠して、市井の噂を集めてどういったことなのかを知る」
「やっぱり草と変わらない」
「動乱の芽は早めに潰さなければならないからな」
だが少なくとも何回か出て行った限りでは城下町の様子は悪いものとは言い難かった。寧ろ活気があふれて商売盛んないい街に思えていたのだが……。
つまりは建前だ。ただ単に遊びたいだけなのだろう。
そうしてエレンの導きに応じてライトメリッツの公宮。今までは城門までの距離を測るそれだったのだが、遂に城下の殆どを見て回るということになる。
落ち着いてみると様々に珍しいもの、食べ物がありティグルだけでなくエレンも目移りしているようだ。
適当に買い食いをしていると、ふと一人の少女のことを思い出す。王都でのこと。自分は王宮の私生児だと思っている一人の女の子のことを思い出す。
王子殿下が死んだとすればあの子はファーロンの直系だ。彼女がその身分さえ明らかであったならば、自分は少しだけアルサスに関して気を病まずに済み、他力本願ではあるが、彼女の助力で自分は助かったかもしれない。
けれども不確定な事実ばかりであり、今はどうしようもなかった。
「なぁ、戦姫になる前は何をしていたんだ?」
「? お前、誰から聞いた?」
腸詰めはさみのパンを食い終わったエレンに質問に質問で返される。そうして失言に気付く。自分はオルガから戦姫の選定条件や、様々なことを聞かされていたのでエレンもこのライトメリッツ由来の人間ではないということには気づいていた。
その正体も真正の令嬢ではないということに関しても―――。
「アレクサンドラさんから聞いた。彼女も前は諸国を放浪する旅人だったって聞いたから」
何とか繕って、そんな事を話すと一応、彼女は納得したようだ。
「ふむ、まぁいいだろう。私は傭兵だった―――とりあえずジスタート国内全てで転戦する傭兵だった。私の親は当時の傭兵団の団長だった。団長の言葉だけならば私はジスタート人かどうかすら分からない―――赤子の時に拾われたからな」
失言に対して彼女は、そんな風に自分の来歴を明かしてきた。「白銀の疾風(シルヴヴァイン)」という傭兵団で生きるしかなかった彼女の―――壮絶な人生だった。
語り終えると同時に空に向けて己の眼を向けた。
「だからかな。サーシャがどうこうという以前に、あの男が気に入らないのは―――、あいつは帰るべき土地がありながらも自由騎士などと名乗って、様々な武功を立てている。おまけに本当はヤーファの官職に復帰しようと思えばいくらでも出来るんだ―――。正直、羨ましかった」
そうしてエレンは雑貨商の品物の中にある美しくも売れ行き良いオニガシマ陶を遠くを見る目で見ていた。
「同じ剣士、戦士でありながら―――ここまで、差が出るものなのか? けれど実際会って気付けた。リュドミラ…ああ、私と同輩のじゃがいものような戦姫のことだが、そいつが惹かれるのも分かるほどだった」
彼もまた誇りと意地の為に戦っているのだと―――。それがエレンと比べるとリョウ・サカガミは大きいのだ。国や領地ではなく―――世界全体の為に動く。例えそれが大勢に影響を及ぼす戦いでなくとも全力を以て戦うことが多くの人を動かす。
そんな英雄なのだと、だからこそリョウ・サカガミには多くの武功と成功が付いて回る。
「そんな風な人間にも通じるお前にも、そういう道を歩んでほしいんだ」
「俺に……自由騎士のような?」
「そうだ。お前は自分の弓がブリューヌで通用しないと評価されないと分かっていながら、認めてもらえる相手を探さなかった。いや、ブリューヌで努力することもまた道ではあるが、それでも―――お前が身に覚えた武、その力を誇りとして何かを成してほしい」
エレンの言葉が染み渡る。
アルサスを守る。それは今でも胸にある。
けれども自分の誇りを大事にして尊大にならず、されど多くのものが「自分はティグルヴルムドの領民だ」と誇られるような領主であることも大事だったのではないかと思っている。
「リョウ・サカガミは大きなものに拘っていたが……俺は小さなものに拘り過ぎていたのかもしれないな……」
「そんな大層なものがあるものか、あの男はただ単に女ったらしなだけだ」
「お前、さっきと言ってることが真逆だぞ」
「改めて考えるとやっぱり違うと思えた。あいつはただ単に虎視眈々とジスタート及び西方全体を侵略して統一王になろうという野望を隠し持っている!! 今の奴は羊の皮を被った狼だ!! いや犬のふりをした狼だ!!」
その際に出来上がるだろう後宮(ハーレム)にサーシャが入れられるという考えを披露して、怒り心頭なエレン。どうやらこちらが一人考え事に浸っている間に、考えの変遷があったようだ。
もしくは……こちらが脱走の考えを持っていたことを思い出して、話をはぐらかしたか。
「ティグル、あの射的屋、あれで品物全て取ってくれ!」
そうして話をはぐらされた思いでいながらも、次なる露店に赴き、弓の腕前を見せてくれと言われて仕方なくそれに付き合うことにする。
今だけはこの楽しさに浸るのも悪くないと思えたから―――。
† † †
窓の外には活気が満ち溢れている。だがその活気は正しいものとは今は思えない。父が戦費調達の為に若い娘を狩り出して娼婦、奴隷にするなどという計画が出た時に、それを慌てて理屈で以て止めたが……恐らく、自分はフェリックスの後継者にふさわしくないと思われただろう。
「若様、どうかなさいましたか?」
「ちょっとな……ディナントでの戦が終わってまた戦の為に、戦費を調達する……こんなことをしていて人心が治まるのか? どう考えても俺も父も縛り首になる。領内の騎士達にだって守るべき領民がいるのに……」
ディナントでの戦いは大敗だった。ザイアンとて正面からの敵と切り結びつつ、軍団を展開出来れば、固まっている二万五千を広くすること出来れば、五千の兵などものの数ではないと思い、戦っていた。
しかし、その命令は発せられず闇に光るかがり火を頼りに戦いつつも、望んでいた命令は無く変わりに聞こえてきたのは王子の死という声だけ―――。
自分の監督役を務めてくれたスティード卿の進言なければ自分は死んでいたかもしれない。
「ですが、大旦那様は既に戦うことを決意なさっております。ガヌロン公と戦うことでどちらが王権を握るかを」
「滅多なことを言うな。ファーロン国王とて存命なのだよ……」
無表情でともすれば不遜な態度で言う侍女に、やはり全ての人間がそういうものだと理解している。
戦争が終わってまだそれほど日数が立っていないというのにすぐに次の欲を満たそうとする。
この平原の王国はいつから「獣の王国」になったのだ! という怒りを覚えると―――胸が苦しくなる。
まるで心臓を掴まれているかのように早鐘を打ち、全身に痛みが発した。
「!? 若様!」
崩れ落ちた自分を心配したサラに大丈夫だと告げて、立ち上がる。
最近こんなことばかりだ。病気の一種だろうが、心配をさせまいとして、今は平静を保っておく、ドレカヴァクに言われて薬草を採りに行った後から、こんなことになっているので何かしらの毒草を口に含んだのかもしれない。
後でドレカヴァクに薬を――――――。
「ザイアン様、お父上がお呼びです」
「陰陽師殿……!」
そうして考えていた矢先に、その当人から父の下に行くようにと伝えられる。自分の私室に音も無く入ってきたドレカヴァク、それに怪訝さを覚える間もなく、父フェリックスの下に行くと驚くべきことを伝えられた。
巨大な竜の彫像、頭のみの下に玉座のごとく拵えた椅子に座る父。その姿と示す態度を鑑みるに、この男は元々そういう野望を持っていたのだと察せられる。
まるで地下牢にでもいるかのような灯りの下で命令されれば気の弱いものであれば誰しも応じてしまいそうな雰囲気すらある。
そういう部屋の主にして、この領地の主。自分の父親に対して口を開く。
「お言葉ですが父上……まだディナントからそれほど日は経っていません。兵士に騎士達と休息を必要としているものも」
こちらの言葉を遮る形で目の前の覇王は言ってくる。
「その戦果及び何も得るものが無かったディナントの補填として―――お前にはアルサスを奪い、焼き払ってもらう。兵士、騎士達には思う存分略奪させよ。よいなザイアン」
遠方まで赴き略奪する。そこに至るまでの燃料及び兵站を考えるに、他の思惑があると思えた。
風の噂でヴォルンが捕虜となったことは知っている。
いっそ死んでしまえば後腐れはなかったかもしれないが、現実に領主が存命だが不在という微妙な空白地帯が生まれてしまっている。
そこは先日までの戦相手ジスタートとの国境に存在しているのだ。
「取るに足らぬ領地とはいえ、放っておけばガヌロンが奪うやもしれぬ。かといってジスタートが来たらば面倒だ」
「……」
ザイアンは黙って聞いていながらも父の思惑とはそこにあるのだと察せられた。しかし、領主不在の地を奪うというのは信仰にはあまりよろしくはないのではないかとも思う。
「お言葉ですが、そのような事をすれば神官達のネメクタムへの畏敬は無くなります。トリグラフの作法にも反しますし、戦の神を侮辱すれば――――」
「問題は無い。いつも以上に寄進をして、坊主どもは黙らせておけばよい。ただし神殿に対しての攻撃は禁ずる」
その辺りを気にする辺りはまだまだフェリックスも胆が足りない。と後ろで聞いていたドレカヴァクは思っていたが、とりあえず黙っておいた。
しかし黙っていないのはザイアンであった。
「父上、ここはご再考を、例えブリューヌに覇を示すためといえど、力による現状変更のみを与えればいずれにせよ人心纏まらず、例え権力の頂点に上り詰めたとしても、その地位は盤石ならず、己の命を危ぶむ危険にたえず晒されます! なにとぞご再考を!!」
弱腰ではなくザイアンは、自分が村で一度殺されそうになったことを踏まえて話した。しかしそれでも彼らを助けねばならないとしてこれまで――――。
「ならぬ!!!」
…だが、そんな息子の訴えをフェリックスは一言で封じてきた。
「ザイアン、貴様がそう考えるのは理解しよう……だが、貴様とてその力による保護あってこそ生きているのだ!! お前が勝手に離散した村の若者を近衛騎士として雇うも、見舞金支度金を渡すも!! それは全て、私が目こぼしをしているから出来ていることにすぎん!!! 貴様に何が出来ているのだ! 答えろザイアン!! 貴様が意見を唱えたければ己で何かを成してから言え!!」
一切の反論を許さぬ大声、しかし軟弱なバカ息子の道楽と言われて少しばかりすっきりした想いすらある。ザイアンとて許せぬこともあるのだ。
「ならば、あなたが私の大切な者を凶手に仕立てているのはどうなのだ!? サラは私の侍女だ! あなたの野望の為の道具ではない!! 例え金の出所があなたにあれども、私が選んだ侍女だ。それを暗殺者にして血に塗れた手にして息子の世話を焼かせる。こちらに渡してあなたは何も感じないのか!?」
もはや理解している。この男が皇太子を害したということも、そしてその主犯が誰であるかも。
意見のすり合わせなどあり得ぬほどに、もはやザイアンとフェリックスは違えた。しかしながら貴族の責務として、ザイアンはそれでも最終的には命令を受け取った。
「ですが、もしもこれを成功させたならば―――父上、あなたには退位していただきたい」
「お前が……このネメクタムを治めるというのか」
「たかが寸土一つの功績でと仰いたいのでしょうが、私にも意地と誇りがある。王権に刃向う片棒を担がされるのだから、それ相応の何かをいただく。そういうことです」
先程とは違い嘲笑うでもなく、憤怒するでもなく淡々と問う父上。それに捨て台詞のように吐きながら部屋を出て言われたことを実行する。
内心、フェリックスは―――それを喜んでいた。自分の息子の成長を、もしかしたらば来るかもしれぬ新たな時代を―――。
しかしこれに面白くないものがいた。後ろに控えていた老人。ドレカヴァクである。
もしもフェリックスが退位したとしても、戦争は起こる。しかし……だ。こちらの思惑としては不味い。
狂い落ちるほどに全ての人間が暗黒の時代を感じさせるための役者として、フェリックスには絶対に先頭に立ってもらわなければならない。
そして、桃の「化神」を使い―――己が野望を果たす。人の世を覆す。それだけだ。
(殺すしかなかろうな……)
アルサスを焼き払おうがどうだろうが、ザイアンには死んで貰う。
しかし只で死んで貰うわけではない。漸く回りきった「障気」がザイアンを魔体へと変貌させるだろう。
そしてザイアン・テナルディエという人間を魔に落とす。
その為には―――、悪い考えでドレカヴァクは口を開く。
「閣下、ザイアン様は些か気が弱くなっております。ここは一つ竜を与えてはいかがでは?」
「貴重な竜をアルサスごとき寸土攻略に使うというのか」
この男も所詮は器ではない。自分の息子が少しばかり成長したことに喜び、侮るドレカヴァクに気分を悪くする。
「ご懸念通り、ジスタートの介入あればどうなるか分かりませぬ。そして何より……閣下の武威を示すためにも必要かと」
「…………ならば
「大盤振る舞いですな」
「戦姫の介入を考えたのだ。何より息子の成長を喜ばぬ親がいようか……」
だから貴様は甘いのだよフェリックス。
せっかく出来上がった「蟲毒」がこの調子では戦争に勝つことは出来まいとして、内心で嘲りつつも馬鹿息子の為に―――竜を与えることにした。
それこそが最後の毒であり最大の魔体の完成の鍵だとも知らずに―――。
† † †
もはや待ったなしの状況が出来上がりつつあった。
身代金は用意出来ずに、ティグルが虜囚のままに好きにされてしまうという現状。そしてこの領主不在という状況を狙ってか、二大貴族がここを狙ってきているということだ。
行軍して己が威を示さんとしてやってきているそれを前にしてどの貴族も恐れおののいているそうだ。
「……マスハス様……わしらはどうしたらば……」
「まさか領主不在の地を代理として心穏やかに治める……などという心は無いじゃろう」
だとすれば軍団を率いてやってくるわけがない。完全武装して全ての補給物資も自分たち持ちである以上……。
「これは完全な侵略行為じゃ……とはいえ、どうすれば……」
王宮は完全な機能不全状態だ。ガヌロンが王の名代というわけではないが、塞ぎこんだファーロンに代り、幾つかの案件を仕切ろうとしているという話もある。
既知である猫顔の宰相を思い出して、マスハスは歯ぎしりしつつも、この状況。即ちアルサスの民を落ち着かせて適切な判断と戦うための大義として―――領主の帰還。
ティグルがここにいなければならないのだ。
思案するもそれしかないと思う。不安そうな顔をしているティッタとバートラン、そんな中、一人だけ決意をしていた少女がこの場にいた。
この館の主人が召し抱えた客将。しかし来歴不明な幼い少女のそれは―――自分の考えを代弁した。
「マスハス卿、わたしがティグルを連れてくる。この事態は……わたしが招いたようなものだから……」
「いやオルガ嬢ちゃんがいても変わらな―――」
「バートランさん。ティグルを連れて行ったのは戦姫って言っていた。だから……これはわたしの責任なんだ。戦姫に対抗出来るのは―――戦姫のみなんだ」
バートランの言葉を否定して、そして己の戦斧を見せながらオルガは自分の来歴を話した。
その言葉はまるで懺悔をするようでありながら、自分がしてしまった悪事を話す子供のようであった。
全てを話し終えて、誰かからの罵声を覚悟していた。
一番には自分によくしてくれた侍女長ともいえるティッタであったが、それは無く―――彼女から頭を撫でられた。
「ありがとうオルガちゃん。私……本当はね。知っていたんだ……オルガちゃんがジスタートのお姫様だってこと」
「え」
見上げると、撫でてきた姉貴分のティッタの顔は優しく微笑んでいた。そしてティッタも語ってきた。時折、自分とティグルが内緒の話をしていることを知り、その内容を隠れて聞いていたことを……。
「最初は本当に…オルガちゃんは間諜の類かと思って、警戒していたの。けれども……出征の数日前にティグル様を本気で心配している声と言葉を聞いて、ううん。その前からそんな心配は無いってわかっていた」
「だったら……ティッタさんも…わたしに味方してティグルを守るように……」
言ってくれれば、自分ひとりでは駄目でも、彼女の言葉もあれば、ティグルは自分を連れて行ったかもしれない。
「それでも……ティグル様の言う通り私もオルガちゃんに無用な責を負わせたくなかった。私にとっても、もう『妹』なんだよオルガちゃんは、私たちのために真剣にやった結果として、誰かに怒られたり、怒鳴られたりなんて見たくないよ」
涙がふいに溢れる。こんなに良くしてくれていた人を自分は裏切っていたのだ。
自分達の身と主が危ない状況だというのに、自分に気遣いしてくれたアルサスの人々。そして自分の『姉』の想いがとてつもなく自分を熱くさせる。
「それでも……こればかりはわたしが行く……戦姫エレオノーラ・ヴィルターリアを破り、ティグルをアルサスに帰す。例えどんなに困難であってもわたしが全身全霊を以て、ティグルを―――「家」に連れ戻す!」
あふれ出た涙を乱暴に拭いながら、オルガは決意する。今度こそ、誓いと義務を果たす時だと思った。それこそが自分がここにいた真の目的なのだから
「決まったようじゃの……バートラン、お主は万が一に備えて避難を、奴らとて山狩りまでして非道を行うまい。その上で余裕あれば戦闘準備を―――儂も何とかガヌロンとテナルディエをぶつけるように仕組んでみようと思う」
現在、やってきている二大勢力の内、ガヌロンの遠征軍はマスハスのオードを通る形で進軍しつつある。そこで歓待して、うまいこと乗せることでテナルディエにぶつけること出来れば労せずして領土保全を狙える。
そして仮にティグルが帰ってこれなくてもマスハスは無き友、ウルスの愛したこの地を両名の好きなようにはさせたくなかった。
「戦姫オルガ・タム―――どうか私の『息子』をよろしくお願いいたします」
一通りの指示を終えてから、マスハスは向き直り頼むべき相手に頼む。
「頭を上げてくださいマスハス卿。わたしにとってもティグルヴルムド卿は大切な人、かならず―――ここに帰します」
決意の目でこの屋敷からも見える山脈を見る。
その向こうにいるだろう赤髪の青年。それを連れ戻す―――あの時は無茶な密入国でここに来た。
そして今回も同じく、しかし出し惜しみする気はない。
今、義理立てするべきはライトメリッツではなく、アルサスなのだから―――。
―――そうして羅轟の月姫は再び旅立った。
無くしたもの、失われるべきではないもの全てを取り戻すために―――。
己を導いてくれた光を取り戻すために、戦姫は戦姫を倒すことを決めたのだった。
そうして、主不在、将星ありしもの達無くなりし、その領土に一人の戦士が近づきつつあった。
朱い鱗持つ幼竜を供にして、東方の剣を携えし―――鬼の侍が。運命と邂逅すべく――――――。アルサスへと足を進めていたのだった。
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「魔弾の王Ⅴ」副題『女の戦い(嫉妬の章)』
夜中、一人物思いに耽っていた頃に音もなくメイド姿の女性がザイアンの私室に現れた。
「出征なされるのですか……若様」
「ああ、気が乗らないが……このままでは、俺がやってきたことを、無にされかねない」
問いかけの不安げな言葉に明朗には答えられない。情けない男だ。こんな男が、これから他国を侵略しようというのだ。馬鹿げた話だ。
だが万事を順調にこなせれば、このネメクタム及びランスの全てを善導出来る。そして王軍の一員として忠節の道を貫く。
しかしアルサスの民は、ヴォルンのものだ。それを奪うというのはなんとも気が乗らない。
「……しかし、やらなければ父上は納得しないだろう……」
アルサスの民よりも自分にとってはネメクタムの民の方が重要なのだ。博愛主義ばかりではやってられないのだ。
「お供いた―――」「いや、お前はここにいてくれ。もう……人殺しをせずに、俺の側に……ダメか?」
侍女の言葉を遮りながら、ザイアンは覚悟を決めた。
サラが来れば確実な勝利はあるだろう。仮に近隣諸侯が妨害に来たとしても勝てるだけの謀殺が出来るだろう。
だがそれはザイアンにとって、助けではない。男として―――もはやこの女性には血にまみれてほしくない。
「俺が……テナルディエの領主となった時に改めて話がある。サラ、君と生きていく本当の道を…」
語りたい。その時に、渡すべきものを今のうちに渡しておく。そうしてから抱き締める。この歳上の姉貴分に相応しい男ではないのに、
「ザイアン様……それは―――」
「頼む。俺に全てを背負う覚悟をくれ」
身分違い。もしかしたらば、サラ自身はザイアンを男と認識してなかったかもしれない。
けれど勇気が欲しかった。父と対決をしてでも戦い抜けるだけの覚悟が―――。
そうして翌日の早朝、ザイアンは多くの騎士兵士……そして巨竜五頭を引き連れて、ネメクタムを出発した。
多くの人間がその戦いを楽な戦いであり、ただの略奪程度と考えていながらも、ザイアンは出来うるならば、人民だけでもなるたけ死なせたくはなかった。
(ヴォルン、貴様の弱さがこの事態を招いたんだ……!)
民が弱いのは罪ではない。しかし領主が弱いのは罪だ。武でも文でも牙を研ぎ澄まし、いざという時に突き立てられなければ、このようなことになる。
怒りは戦場から帰れなかった同輩の貴族に向けられる。
「ザイアン殿、これからの日程は?」
「他領を威圧するように行軍する。そうしていればアルサスには妨害なく着けるでしょう……スティード卿」
馬を横に着けてきた父の腹心に返しつつ、アルサスに着けばスティードが「取りもの」の指揮を取るのだろう。
それはいい。しかし総指揮官としての鼎も気にしてほしいものだ。
「竜を前に出せ―――」
そういうことだろう。と思いザイアンは伝令を出しつつ、ドレカヴァク……あの胡散臭い占い師より渡された薬を飲んだ。
身体が楽になるという触れ込みだが、確かにそうだ。まだまだ死ねない身。そう考えつつもザイアン破滅は近づいていた。
それは―――、二つの方向からだった。
† † † †
遂に期限まで二日と迫っていた。
アルサスよりの使者も来ない。王宮からも連絡なし。というよりもここ数日エレンは、自分に公務に関わることに近づけないようにしていた。
嫌な予感がする。ティグルは不安掻き立てる胸騒ぎを覚えていた。何かをしなければならないというのに、何も出来ない焦燥感も相まって、夜の庭に己を投げ出していた。
公宮の監視はここ数日強くなっていた。だからこそ窓から身を投げた。万が一見つかっても夜中の散歩だということは可能だ。
着地して少し歩く。公宮をぐるりと囲む塀は高く、そして今は出ていく手段がない。
たった数枚の壁なのだ。それを打ち破ることができれば……。
ぼこっ、ぼこっ、何か音がする。ティグルの武人としての感覚は本人の気性の割に鋭い。
この夜中、誰もが寝静まり、その一方で酒盛りの叫び聞こえる中でもそれは響いていた。
どこから……。下、地中からだ。まるで地下水が吹き上がる前兆のように……、土が盛り上がった。
「なっ……!?」
盛り上がった土を押し退けて現れたのは、黄銅色の蜥蜴に似た生命。地竜の幼子。
もぐらのように土から這い出てから、地竜はこちらを見て直ぐに寄ってきた。そして―――その這い出た穴からもう一人が出てきた。
汚れた旅着、土まみれになったそれを纏いつつも、別れたころのままの姿だ。
こちらを見たそれは涙を溢れさせながらも、這い出て幼竜と同じく抱きついてきた。
「ティグル!!!」
「――――オルガ!?」
腰に抱きつかれて思わず身を縮める。彼女が何故ここにという疑問もさることながら、とんでもない潜入方法である。
しかし、それを無しにしても、彼女は泣きながら自分を抱き締めている。その想いが嬉しい。
ティグルの家で過ごしてきた家族との再会が自分の涙腺を緩ませる。
その頭を撫でながら、ここにいる理由を訪ねる。涙を乱暴に拭いつつもオルガは説明してくれた。それは予想通り、いや予想以上の危急の事態を告げてきた。
「テナルディエ公爵の軍団がアルサスに向かっている!?」
「三千以上もの大軍で、こっちにやってきている。他領を通過するようにして真っ直ぐアルサスに侵攻しているんだ……」
そして詳細をしたためた手紙を渡される。そこにはマスハスの字で多くのことが書かれていた。
身代金を用意出来なかった謝罪、そしてティッタが神殿にて祈りを捧げて自分の安全を願っていたこと、バートランが避難を指示しつつ、勝てぬだろう戦いに挑むことを…。
(何をやっていたんだ俺は…………俺は、本物の愚か者か!)
歯ぎしりをして、拳を血が出るまで握りしめる。
先程までの甘い考えを捨て去る。皆が自分の帰りを待ってくれている。それなのに……。
「ティグル、アルサスに戻ろう! 今度ばかりは私も戦う!!」
言葉と同時に気配が生まれた。いや違う。その時気付いた。ルーリックやアラム達が痛ましそうな顔で、自分達の後ろにいたことを……。
威嚇するように声を上げるカーミエ、そこに厩舎から出てきたのかルーニエがカーミエの前にやってきた。
しかし、ルーニエ本人(?)は、カーミエと争う気はないのか、首を傾げるようにしてたりする。その様子を見てから、もう一度、ここに来てから友誼を結んだといえる人々に目線を移した。
「ティグルさん、気持ちは分かるが、あんたは戦姫様の捕虜なんだ。部屋に戻ってくれ……」
海狸なる生物に似ているとからかわれている公宮の兵士の一人であるアラムが不安げに言う。
賭け事をよくやる関係でティグルとは勝ったり負けたりの関係だ。その日々を思い出しているだろうアラムだが、構わずティグルは進んだ。
出るというのならば……正面から出る。その決意でティグルは足を止めない。そのティグルを守るように、オルガは隣に座した。
「ティグルの邪魔をするならば私が相手をする。エレオノーラ・ヴィルターリアに伝えろ……ブレストの戦姫、『羅轟の月姫』が、やってきたと」
竜具である戦斧を月明かりに翳しながら、威圧するようにルーリック達にオルガは言った。
「アラム、戦姫様を呼んでこい……!」
「分かった……」
事情を察したルーリックがアラムに言うと身を翻して、公宮内に入っていった。
そして、ティグルは正門まで進む。自分の行いを突き通す為には……出ていく時には正門から出る。
そこにどんな困難があって、これ以上の困難があると分かっていてもティグルは進む。
公的には脱走だというのに堂々とした歩みに思わずルーリック達は道を譲り、その背中を追うように同じ道を歩く。
だが脱走を咎められない。まるで見えぬ……霊力、運命力とでもいえばいいものが、ティグルを止めることを阻ませた。
そして正門に赴くと―――予想通りの人物がいた。人物……エレンは戦衣装でなく、普段着、町娘姿でもなく執務を行う際の衣装だ。
顔が上気している辺り、急いでここまでやってきたと思われる。篝火の向こう側にいるエレンの姿は、どこか泣きそうにも見える。
「……色々と言いたいことはあるが……ここは通さん……!!」
「ティグルは連れて帰る…例えあなたでもティグルの歩みは止めさせない!!」
宣言と同時に超常の武具を抜き払い構える戦姫。お互いに相手を睨み付ける羅轟の月姫と銀閃の風姫。
瞬間、斧と長剣が神速の移動と共にぶつかりあった。火花を散らして何合も打ち合う。戦姫どうし。
しかし最大技は振るえない。竜技を使えばティグルを巻き込みかねない。
そんな考えはエレンだけであり―――、オルガは地面を叩き、土砂を巻き上げて飛び道具として放ってくる。
(位置関係が悪すぎる……! あちらは脱走したい。こっちは脱走を止めつつ出来るだけ傷つけたくない…)
門を背中にしている限りやられっぱなしだ。土砂を風で押さえつけながら、エレンは己に風を纏わせた。
「
高速で移動してオルガの後ろに回り込もうとするも、あちらもそれを理解してか、体で捌きながら戦斧を伸ばして、移動を制限する。
「
そのまま石畳を叩き礫として放つ戦姫。身体をしこたま叩く礫に風を防御に回さなければならない。
とんでもない幼女だ。こうなれば言葉で動揺を誘うしかない。
情けない話だが先程までは己の武威で、この若輩の戦姫を討とうと思っていたが予定変更である。
飛んできた石畳を切り刻んでから、再び鍔競り合う。
「大体、お前今まで出奔していながら、こんな時にだけ来るというのか?」
「私はティグルの客将であり愛妾だ。何よりアルサスの禄で今まで食べてきた。義理を果たすは今だ」
「せ、戦姫が客将で……あ、あ、愛妾だと!? ティグル!! お前の趣味はこんな幼女なのか!?」
前半を問題視するのではなく、後半を問題視する辺り、エレオノーラの作戦はもはや失敗しつつある。言葉で押されつつ、武芸で押されている現状がそれを物語る。
「そもそもそれだけ大きいのに、それを己の器の大きさとせずに、アルサスに七万もの大金を要求する時点であなたの器が知れる。そんな人に大敗ありしディナントで天命により生き延びた我が主ティグルヴルムド=ヴォルンを置いていくわけにはいかない」
続く言葉で自分を馬鹿にしつつ、ティグルを立てるオルガに何でこいつが先に―――ティグルを知っているんだ。という感情が溢れた。
「お前の下でならば満足だというのか……そもそもジスタートの戦姫が雇われ傭兵のような真似をするなど…………」
もしもティグルが立ち上がり、己の領地と誇りを守るために立ち上がるならば―――、エレンは戦姫としてではなく―――。
それなのに、その前にティグルの力となっていた女がいた。しかもそれは自分と同じ竜の姫。戦姫ヴァナディースだった。
嫉妬心が膨れて、剣の精細が乱れる。
「私はある占い師の予言でブリューヌにて己の光を見つけられると言われた。その予言に従って私はティグルの部下になったんだ」
誰だ。そんな余計なことを言った占い師は、エレンの中でその占い師に対する罵詈雑言が溢れだそうとして―――。
「思い出した……! あれは、あの占い師はヤーファの人で「自由騎士リョウ・サカガミ」だった!!」
「あの好色サムライぃいいいいい!!!!!!」
その時、閃いたというよりも、思い出したようにオルガは言った。
本人としてはエレオノーラを止めるためでもあったのだろうが、逆効果であり、火に油を注ぐ結果となった。
先程までの乱れた剣より苛烈に下ろされるアリファール、それを受け止めるムマだが、既に勝敗は喫したようなものだ。
城門は、戦姫二人の激突によって砕けて病葉も同然になっている。
逃げに徹すれば、どうやってもティグル達が優位だ。
しかし……。
「待ってくれ二人とも」
いくらアルサスに帰るためとはいえ、これ以上はティグルとしては不義理が過ぎると思えた。脱走しようとしている時点で不義理千万ではあるのだが……。
「ティグル!!! お前は私を謀っていたんだな!! この貧乳ロリ娘がやってくるって分かっていたから……! ううっ……!」
「それは違うんだ。落ち着いて聞いてくれないかエレン?」
もはや泣きながら、お前ら二人して私をいじめてくるなどと言わんばかりに、見て言うエレンだが、自分としても言わなければならない。
「確かにオルガを雇ったのは俺だ。けれど考えてみてくれ―――」
そうしてティグルは今回こうなったのは偶然でしかないという説明を懇切丁寧に行った。
ディナントに連れてこなかったのは、オルガを思ってのこと。そして、こういう行動を取らせたのは別に示し合わせたわけではないと。
「つまり偶然が重なった結果ということか……?」
「俺だってまさか名高き戦姫の捕虜になるとは思っていなかった。せいぜい貴族位の人が俺を捕虜にすると思っていたんだ。…何より……テナルディエ公爵が、ここまでの王権を踏みにじった行為をするなんて」
それこそが最大の盲点だった。だからこそ自分は帰らなければならない。
「……ならばティグル。お前はどうするんだ。相手は三千を越える大軍なんだぞ。死ぬと分かっていて―――」
「ティグルは私が守る。竜技を使ってでも三千を打ちのめす」
「ええい。お前は黙っていろちびっ子! と、とにかく確かにやりようかもしれないが、お前は勝つ見込みの無い戦いに無策で挑む気か?」
そう詰るように言うエレン。しかし自分を心配しているような声音だ。
その問いに対する答えはある。それは目の前の銀閃の姫が教えてくれたことだ。
「俺は……今までどこかで自分なんてという捨て鉢な感情を抱いていた。多くの人の憧憬を集められる人間でありたいという男としての有り様すらも無にして…けれど今は違う」
「どう違うのだ…?」
「君に誇れる男でいたいんだエレン」
『!?』
戦姫二人の驚愕の表情。意味合いはどちらも違うが、そんな言葉の後にティグルは語る。
「君は言ったな。意地と誇りを賭けて戦うと、例えどんな状況に陥っても、俺にとっての誇りは、アルサスを大事にするという意思を讃えてくれたオルガ、ティッタ、レギン―――その三人、そして俺の弓を讃えて自由騎士にも通じるものと言ってくれたエレン。君なんだ」
「な、なんで……今更……」
戸惑うエレンに構わずティグルは己の覚悟を話す。
「だからこそ俺は自由騎士リョウ・サカガミに通じることをすることで、己の誇りを全うしたい。それが今、アルサスに向かう理由だ」
目の前の銀髪の戦姫。彼女が教えてくれた戦うための最大の理由。それを行うためにも自分は、アルサスに帰らなければならない。
地上に生きるもの全てに遅かれ早かれ死は訪れる。
ならば先祖の遺灰、神々の『神殿』のため『巨人』に立ち向かう以上の死があるだろうか。
かつて自分をあやしてくれた母のため、赤子に乳をやる妻のため、永遠の炎を灯す清き乙女らのため、恥ずべき悪漢から皆を守る以上の死にざまがあるだろうか。
―――かつてこの西方の一国家で行われた英雄譚の一節を用いてエレンに語る。一千の敵を三人で防いだ。
『隻眼の英雄』。
彼の如く戦い、そしてリョウ・サカガミのように戦うことで自分は誇りを全うしたい。そうエレンに伝える。
一呼吸置いて彼女は―――短い言葉を発した。
「―――――そうか」
穏やかな微笑。それを浮かべたエレン。もはや決した。眼を瞑り、剣を収めるエレン。
感謝の念が湧きあがる。
道は開けた。この道を行くまでだ。その先にこそ己の通るべき道はあるのだ。
「行こう! ティグル!」
「―――ああ」
オルガの言葉で駆けだすように、砕けた扉の向こうへと向かう。
自分の矜持を守るためにも、今は向かわなければならな―――。
「―――――――って、ちょっと待てぇ!!!!」
がしぃっ!!!とでも擬音が出そうなぐらいの力で肩を掴まれたティグル。
驚き振り返ると、焦った様子でいるエレンの顔が見えた。
「ど、どうしたんだエレン!?」
「見事な演説に思わず道をゆずってしまったが、何でそうなる!? ティグル! お前、何か私に言わなければならないことが無いか!?」
エレンに言わなければならないこと、それは……。
「いま実施している事業でいずれ身代金は支払う。春まで待ってくれ」
「違うっ! それよりも何よりもまだあるだろ!? 何の為に私がここにいたと思ってるんだ!?」
何をエレンは怒っているのだろう。早くアルサスへと向かいたいのだが、エレンは離してくれない。
というか周りの連中は『もう一声!』的にティグルに視線を向けている。その言葉から察するに―――。
「見送り」「引き留め」
オルガと同時に言った答えで更に頭を抱えるエレン。何が不満なのだろうか?
「何でちびっ子の方が正確な答え出てるんだ。ティグルお前少しこの場面で行動がおかしいぞ! もういい。ティグル! 私はお前に貸しを作りたいんだ! というか作らせろ!!」
「貸しって…身代金を待ってもらっているのにそれ以上の借りは、申し訳ないな……」
「謙虚になるタイミングがずれてる!! だからつまりだ。ティグル、お前に軍を貸してやる。私が指揮するライトメリッツ軍を、アルサスの援軍として出動させるんだ!」
その言葉に、何でそこまでしてくれるんだ。という驚きの思いだけだ。
これ以上、彼女に迷惑をかけることはしたくなくて脱走という手段を取ろうとしたのに…。
しかし脱走という時点で既に迷惑千万だったな。とティグルも考え直す。
「一応言っておくがあの色魔が村一つを守ったという逸話、百人殺しの万人殺しだって、援軍が到着するまで獅子奮迅したのが鬼の如くだったからそう伝わっているだけだ……お前は、何のあてもなく戦って果てるなんてことをして、誰かが喜ぶと思っているのか……私だってその一人だ」
だが、この戦いはエレンには関係ない。言うなれば内戦なのだ。そこに彼女が軍を率いてやってきては余計な嫌疑を招きかねない。
そう言うとエレンは、短く息を吐いてから呆れるように伝える。
「もうブレストのおちびが、お前の客将として戦うなんて言っているんだ。今更戦姫の一人、色魔の一匹増えたところでどうとも思わん。お前は私のモノだ……無駄死にはしてほしくない―――リム、いいな?」
言葉の前半でオルガをむっ、とさせてから副官に了承を取り付けるエレン。
「今更でしょう。それにテナルディエ公爵が軍をアルサスに向けたという情報を知った時点でエレオノーラ様は戦支度を進めておくように言っていましたし、集めた燃料、兵站、荷車それらの準備が無駄にならずに済んで私はほっとしています」
淡々と裏事情を話すリム、その言葉に最初から、エレンはそうするつもりだったのだと気付かされる。
もしも自分が、最初から兵を貸してくれとか言えばエレンはそうしてくれたのかもしれない。
「もしくはティグルヴルムド卿が『部下になるから、アルサスを守ってくれ』と言うのをエレオノーラ様は期待しておりました。その目論見はオルガ様の登場でかなり下方修正されることになりましたが……」
「ティグルはいずれは王様にもなれる器だ。そんな人間が簡単に人の下に降ることはない。王道歩むものは例え一度は膝を折ったとしても心の中ではそんなことにならないんだ」
「お前にとってのティグルとはそういう人間に見えるか……長い付き合いをしている同じ戦姫がそう言っているんだ。ますますお前が欲しくなったぞ」
リムの言葉はエレンのたくらみ全てを暴露するものだ。それに対してオルガは買いかぶり過ぎなことを言って、先刻までは打ちのめされていたというのにその言葉に興味を持って怪しげな眼でこちらを見るエレン。
三者三様な見目麗しき女戦士たちに見られてティグルも眼をそらさざるを得なくなる。
「というわけでだルーリック、この辞表は既に無効だ。我らは忌々しくもあの自由騎士と同じく苦難に陥る民の為に戦いの園へと向かう。お前はティグルの護衛として動け。それが望みだったんだろ?」
辞表という言葉と同時に、十枚ぐらいの紙を破り捨てて剣で風化させて塵として風に攫わせるエレン。
ルーリックは、エレンの言葉に膝を折り再びの忠節を誓う。
自分如き虜囚のためにそんなことをしようとしていたルーリックに申し訳なくなる。と同時に自分などに着いてきてもろくに給金は出せそうにないのだ。
(それでもいいなんて言わないでほしいけれどな……)
ルーリックは、この公宮でもかなり高い地位の武官だ。そんな人物に辞められてはエレンもリムアリーシャも困るだろう。
「さてとまずは戦支度だ。戦姫オルガ・タム、お前はまず私と共に湯浴みだ。そんな恰好でまさか戦姫として戦場に立たせるわけにはいかないからな」
首根っこを掴むようにして、捕まえられたオルガだが、不満げな顔を見せつつもそれに一応従う。
戦姫同士、ジスタート人として言っておかなければならないこともあるのだろう。として、自分も一応の支度をしようとした所、リムアリーシャがやってきて、一枚の紙を渡す。
「では、こちらが我々ライトメリッツ軍を使った場合の戦費です。オプションで対要塞攻略戦、火砲装備戦などによっては二倍ぐらいに膨れますが、まぁ貴方に対する好意的勘定で、この値段です」
クマ賄賂―――という項目を見つけて、あのグラナート(ザクロ色の憂い奴)を射的屋から獲った甲斐があったものだとしていたが、その紙に走り書きのように、城門修復代というものが付け加えられていた。
「これも俺の費用に含まれるのか……?」
「納得いかないかもしれませんが、あなたが戦姫オルガ様を焚き付けることをしなければ、こんなことにはならなかったのです。穴の埋め直しまで含めていないのですから、受け入れてください」
ため息突きつつも、仕方ないと思い廃材の如く砕けた城門、何枚も巻き上げられた石畳と土砂の残骸を見る。戦姫どうしの戦いで出来上がる被害とはとんでもないものがある。
彼女ら神話に出てくる英雄のような存在。それが戦うのは、人間どうしの戦争ではないのではないかとも思う。
無論、竜などもあるが、もしかしたら……英雄達の敵であった『邪神』や『魔王』などのような悪鬼羅刹こそが戦姫の振るう武器の斬るものなのではないかとティグルは感じる。
「ティグルさん、こっちに弓と矢筒のいいやつ用意しているから選んでくれ」
「お前、ティグルヴルムド卿だとあれだけ言っているのに」
アラムの威勢のいい声。その際の呼び名を諌めるルーリック。それを止めるためにもティグルは思考を止めて、武器を選ぶために親しくなったライトメリッツ騎士達の輪の中に入ることにするのだった。
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「鬼剣の王Ⅲ」副題「邂逅前」
そんな、ティグル達が出立をする前日に―――。アルサスに一人と一匹の客人がやってきた。
「ここを超えればライトメリッツだな。もう少しでルーニエに会えるぞプラーミャ」
こちらの言葉が分かったのか、頭の上からこちらを覗き込む幼竜、そしてアルサスなる領地の中心には入るも、随分と慌ただしい。
ディナントからニース、そしてまたニースから直でアルサスに向かったので各諸侯の動向を把握していなかった。馬を預けつつ、宿を取ろうとする前に……ここの領主に挨拶をしておいた方がいいと思えた。
「多忙な所すまないが、ここの領主の館はあそこでいいのかな?」
適当な町人の一人に尋ねると怪訝な顔をされながらも、そうだと伝えられる。
そして詳しい事情を知らされた。
「あんたティグル様に用事かい? 悪いけれどもティグル様は今ここにいないんだ……そして何より早くセレスタから出た方がいいよ」
「何でだ?」
「……テナルディエ公爵の軍がここに迫ってきている…バートラン…アルサスの兵士長さん曰くそういうことらしいから皆で、避難と一応の戦準備をしているんだよ……」
暗い顔で言われて目を見開く。まさかそんな事をしてくるとは、それに対して―――、ここの領主は何をやっているんだ。と少しだけ苛立ちながら質問する。
領民にこのような顔をさせて己は何もしていないのか、という思いを一度だけ感情のままに吐き出したのだが……。
「ティグル様の悪口を言わないでください!!」
その時、自分の後ろに栗色の髪を二つに結っているメイド服の女の子がいた。先程の言葉は彼女だろう。
「ティグル様は、ジスタートに捕虜として捕まってしまっているんです! けれど法外な身代金を払えなくて王宮もそんな事してくれなくて……本当はここにいるべき人なんです。だからそんな風に言わないでください!!」
「ティッタやめなさい。……申し訳ない旅の人。ですが、この子が言った想いはここにいる者全員の意見でもあります。知らぬ方にあれこれ言われるのは正直、いいものではありません」
いい領主なんだろう。そう感じられた。民を想い善事を尽くしてきた人間。
しかし運の悪いことに彼は捕虜となって此処にはいない。恐らくディナントで捕虜になってしまったのだろう。
(俺が言った所で、あの女が解放するとは思えないな。第一、この様子から察するにテナルディエがやってくるまで日にちはないだろう)
「すまない。何も分かっていなくて……しかし、それでも民を想うならば領主はやってくると思うな。あなた方の気持ちから察するにここの領主は、良い男なんだろう」
例え不自由の身であっても男は立つべき時に立ち上がる。悪逆を行う武家一門を滅ぼすために、供のもの数名で金色の都にて金剛の武士とも言われた八艘跳びの男の如く。
帝に政権を取り戻すために立ち上がった五芒星のもの達の如く。
「男が牙を向けるべきは己の大切なものが脅かされた時だからな……帰ってくるんだろうな。そのティグルヴルムドなる領主は」
「……こちらこそ申し訳ありません。あの旅の方、ひゃうっ!」
「こらプラーミャ、やめろ。ってなんでそこまでこの娘に引っ付くんだ!?」
何かを言い掛けたティッタなる侍女にいきなり擦り寄る火竜。頬を寄せて甘える仕草を取るプラーミャだが驚くほど懐いている。引き剥がそうとしても離れようとしない。
「こいつは驚いた。オルガちゃんのカーミエといいティッタは竜に好かれるんだな」
「それと同じぐらいティグル様もティッタに好意を持って擦り寄ってくればいいのにな」
「か、からかわないでくださいよ! ……旅の方、お名前は?」
一度だけ咳払いをしたティッタは、こちらに名前を聞いてきた。それに対して何と答えるべきか。
「ウラ・アズサ―――ウラと呼んでくれれば構わない」
まさか正直にリョウ・サカガミと名乗るわけにもいかない。ここで武威を明かす名前では、余計な心配だけを与えることにもなりかねないのだから。
「ではウラさん。ご覧の通りの状況で宿も営業は出来ない状況ですので……ティグル様の館で一拍してください。お客様に何もせずに帰してはアルサスの品位にも関わりますので」
何よりプラーミャは、当分彼女から離れそうにない。となると彼女の側にいた方がいいだろう。
「すまないな。こんなどたばたしている時に……」
「いえ、それに……もしかしたらばもう今頃、ティグル様は向かってきているかもしれません。私の妹と一緒に」
彼女は自分の希望的観測とは別に何かあるらしい。領主ティグルヴルムドがここに帰還するだけの何かが―――。
そうしてティッタの案内で、館の方に足を向けたその時、館から何か……邪気ではないが、とんでもない霊力が吹き上がる。
(……!?)
それなりに大きな館の一角から吹き上がったそれは、常人の目には見えないだろうがリョウには確実に見えていた。
(まさか……ここにいるのか?)
ヤーファより持ってきておいた「王」への「献上品」が輝きを発している。まるで霊気と共鳴するかのように―――。
館の主であるティグルヴルムドなる貴族はどのような男かを館に入りながら聞くことにする。
「いつも暇さえあれば寝てばかりいるような人です。けれどやるべきことはきちんとやって領民みんなが慕っています。ブリューヌの武士としては『弓』ぐらいしか取り柄が無い人で中央にいけば、馬鹿にされるけれども私たちは立派な領主様だと―――ウラさん?」
「……ああ、すまない。ちょっとだけ呆けていた…そうか、ここの領主は弓が得意か、もしかして俺と同じぐらいの」
ティッタの言葉で、まだそれだけでは確信が持てないのだ。弓が得意だというだけならば、タラードだってそうだった。しかし……リョウの中では既にここだと思えた。
「ええ、まだ若輩ですが、マスハス様などの助けを得て立派に務めを果たしていますよ」
ティグルヴルムドなる領主に本当に心酔しているのだと分かり、マスハスの言う友人の息子、ボードワンの言うレギンの心乱す男。
全てのピースがぴたりとはまるかのように一致する。少し詳しく聞けばすぐに会えたかもしれないのだ。だが、ここに至るまで自分は「魔弾の王」と会えずにいた。
しかし今こそ間違いなく使命を果たす時―――。
「お部屋ご案内しますね。こちらです」
「―――ありがとう」
ティッタに返しながら、自分の胸に小さな炎が揺らめくのを感じる。まだティグルヴルムドなる男の技量を見ていないというのに確信が持てる。
部屋に入るとティッタは、ごゆっくりとだけ言ってから、扉を閉めた。
プラーミャも一度だけ、名残惜しそうにしつつもティッタから離れて、部屋の中に入る。
「其は、祖にして素にして礎 はじまりにしておおもとにしていしずえとなる。高天原に神留まり坐す其の神より生まれ出ずる幾十もの神々、其は戦神、素戔嗚之神」
虚空に手を翳して出すべきものを出す。アメノムラクモではない。同じ戦神が握りし武器。それは自分が握っては真価を発揮出来ない武器だ。
「間違いない……『アマノノリゴト』が発動している……」
宙に浮かぶそれは、ここにいるだろう主の元へと飛んでいこうとするかのごとく光っているのだ。
確認だけをしてから、戻す。
「しかし、持ち主はエレオノーラの虜囚か……せめてもう少しだけ早く着いていれば違っただろうに……」
もっと言ってしまえば、あの時マスハスの話を良く聞いておけばよかった。
儘ならない運命。この場にティナがいればライトメリッツまで空間転移で向かえたのだが、彼女は王宮でディナントの雑事全体に首を突っ込んでいる。
迎えに行くか、それともこの場で待つか―――。
待つとしてもただ待つだけではない。テナルディエ公爵の軍団と敵対する。まずファーロン国王から言われていた候補からあの小覇王は除外された。
(王聖持つものであるならば、この危難の時に来ないわけがない。そして、俺は……ここを見捨てられない)
ペレス村での戦い。あの時、自分はエリオットの所業を許せなかった。だからこそ撤退の命令に背いて、それを行ったのだ。
そしてヤーファにおける七人の侍で、村を守った際のことを思う。まだ若輩の若造でしかなかった自分を立派な侍だと言ってくれた六人の師匠。
『刀を執れリョウ。我らは米を食いそして羅刹どもを斬らねばならない。農民が弱いのは罪ではない。しかし我ら武人が弱いのは大きな罪だ。―――人斬り、斬魔が出来ぬ神流の剣客など、生きる価値はない。だからこそ今は食い、そして多くを斬れ』
初めて人を斬った自分に掛けられた父の厳しき言葉。覚悟が足りなかった自分に掛かる言葉。そしてそんな父に負けず劣らずな剣客達の言葉が甦る。
(簡単な話だ。百だろうが千だろうが万だろうが―――斬り捨てるのみだ)
決意を込めて、再び小さなもののために剣を振るうのみだ。
だからこそ今は寝るのみだ。そして明日になればここの義勇兵として動こう。ただ不安なことは一つ……。
(ここの領主が弓上手だからといって弓が使えないやつは仲間外れにしてこないように願うのみ……)
頼むから戦わせてくれることを願う。それが叶わぬ時には自分の名を語ろう。嘘だと思われても、自分は戦う。
ベッドに眠りこみながら、明日の予定を立てる。己の意地と誇りを通すための戦いが、この地の王の礎となるというのならば、リョウはどこまでも戦えそうだった。
† † †
浴室には湯気が立ち込めていた。外から入るものには、詳細分からないだろう状況。中にいるものにとっては、誰がどこにいるかを簡単に分かる。
湯船に沈みながら戦姫オルガ・タムは、目の前にいる銀髪の戦姫を睨んでいた。先程まで―――、銀髪の戦姫と刃を向けあっていた時には自分の方が優位だった。
「どうした? そんなに見つめられるとアイツに裸を見られた時のことを思い出す」
「アイツとは……?」「推測してみろ。言わずもがなだろう」
両腕を組んで胸の下に潜り込ませたエレオノーラにオルガは、浮力で浮き上がる島に恨めしげな目を向けつつ、少しの仕返しもする。
「別に……ティグルが大きな胸が好きとは限らない。第一今からそんなに膨れていたらば、数年すると「垂れてくる」から見るに耐えぬものになっている。若い身空でご苦労察する」
険悪な視線二つが光線とかすようにぶつかり合う。しかし折れたのはエレオノーラの方からだ。
「ちゃ、ちゃんと腕立て伏せをやっていれば、そうはならな―――」
「風を使えば重いものも軽く持てるはず。寧ろ己の重量すらも誤魔化して生活していれば余計に早まる」
覚えがあるのか、表情が固まるエレン。確かにアリファールを使って空中で寝るというのはいいものだが、それ以外にも確かに色々と重みを感じずに過ごしてきた。
言われればその通りだ。エレオノーラを現実的な恐怖が襲い、身を凍らせた。
(勝った)
声に出さずに、オルガは勝利宣言をした。しかし、それは前哨戦であり、エレオノーラは話の転換を図ることで、第二ラウンドに移行させた。
「……話を変えるが、オルガは何故ティグルを信じたんだ? リョウが東洋で言うゴギョウハッケに通じる神職に連なることを出来たとしても、それだけでティグルを運命だと何故信じられた?」
「……情けない話だが、私は怖かったんだ。国というものが……」
そうして、オルガは語る。ティグルのアルサスに至るまでの道程と何故ティグルが自分の「光」と信じられたのかを。
「……そうか、しかしお前がディナントに来てくれなくて良かったよ。あそこにはサーシャもいたからな……何を言われたか分からないぞ。お前は何だかんだ言っても私やサーシャと違って権力者の嫡流なんだからな。そんな奴がやらなければならないことをやっていないなんて、いずれにせよ怒られることは覚悟しておけ」
「そんなこと分かっていなければあなたの館で騒ぎを起こさない」
言われてみればそれもそうか、と思う。オルガにとってティグルは己を導いてくれた存在だ。ある意味、オルガにとっての「王」はティグルなのだ。
羨ましいと思う気持ちが出てくる。自分が白銀の疾風の傭兵として彼の土地に行くことあったならば、自分も「愛妾兼客将」として置いてくれとか言っていたかもしれない。
エレオノーラはある意味、そういう自由に主君を選べることを羨ましく思えた。
しかし、現実に自分は自由な剣であることを辞めて、依るべき土地で主でいることを選んだ。
傭兵であった頃とは比較にならない生活。責任も多いが、それでも充実した生活だった。その一方で不満もあったが、それを甘んじて受け入れてきた。
「その不満がお前にはないんだもんな……」
「私はティグルの為に戦う。あなたはこの戦い何のために戦うんだ?」
「私を信じてくれたティグルの誇りに応えてアルサスを守る。それだけだ」
先のことはどうなるか分からない。恐らく勝っても負けても王宮から何かを言われることは間違いない。
しかし、今は彼の心に応えて戦うのみだ。
「では後の事は、戦場に着いてからだオルガ・タム。お前の放浪生活中に身に付けた戦姫としての実力、存分に見せてもらうぞ」
湯船から立ち上がり、オルガを見つつ挑発する。それに対してオルガも立ち上がりエレオノーラを見ながら答える。
「エレオノーラ・ヴィルターリア。あなたは私にとって為政者としての憧れだった。けれど今だけはティグルの執着を得るためにあなたよりも手柄をあげて見せる」
自然な言い合い。お互いに戦う理由の一致を見た。戦姫二人が暴れる戦場がどういうものかをブリューヌの奸賊どもは思い知ることになるのだ。
着替えてエレンとオルガが戦陣作った中に進むと、真ん中にティグルとリムアリーシャがいた。
「諸々のことは道中にでも、今は神速でアルサスに向かった方がよろしいでしょう」
「だな。見る限りでは問題なさそうだ」
副官であるリムが全てを準備していた。後は号令を発するだけだ。一千の兵で足りるかという視線―――一度周りを見回してからティグルに問う。
「勝てる。奴らはアルサスなどの辺境には殆ど来たことが無い。俺には自領の地図はあるし、牧場事業の際に正確な測量もした。道中お前にも伝えるよ―――何より俺が信頼している竜の姫が二人もいるんだ。負けるわけがない」
「そ、そうか、わ、わたしも姫と呼ばれるぐらいか、改めて言われると恥ずかしいな」
「ティグル、今度は絶対に守る。そして勝つよ」
恥ずかしがるエレン、勢い込むオルガ、二人の反応を見てから―――ティグルも覚悟を決める。
己の武威で以て誇りを守るために戦うのだ。
この二人の姫が誇れるような戦士になろうと。
「
エレンの声と同時に黒竜の旗が翻る。
夜明けのライトメリッツより、黒竜の軍団が出発した。その先に待ち受ける戦いの苛烈さを予想しつつも誰もがこの戦いに赴けることをどこかで待ち望んでいた。
かつての剣奴王と戦姫のような英雄譚の戦士の如き戦いに赴けることに―――。
全ての戦士達を祝福するかのように日は上がり、戦士達の胸に火は灯りつづけていた。
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「三美姫会合」
朝の目覚めは唐突だった。ティッタというアルサス領主の侍女が起こしに来る前に目が覚めた。
大軍が近づいている音、まだ距離はあれどもそれでも近づいてきている。
それを耳にした時から起き上がった。窓の外からは見えないが、間違いなく近づいてきている。
身支度を整えて、戦支度をしておく。かつてペレス村で戦った時は余裕が無さすぎた。しかし、今は少しだけの余裕もある。
(止めるヤツもいないしな……まぁこれでタラードが残ると言えばあいつの革命を助ける理由になっただろうが……)
お前の片腕にならなかったのは、そこだ。と此処には居ない相手に言う。
「ウラさん! えっ……どうしたんですか? その格好……?」
勢い良く開けた扉の向こうにいた男の格好にティッタは疑問が出る。
「ここを襲う鼠賊を切り殺すための格好だ。君は早めに避難した方がいい。若い娘が戦においてどうなるかぐらいは知っているだろう」
手甲と脚甲を着けて、肌に鎖帷子を着込んで羽織を纏いて全てを切り裂く覚悟を決める。
そんな格好を見たティッタは、呆然としつつも……拒否しようとする。
この問題は、アルサスの問題だというのに、旅人……それなりに武芸にも達者だろうが、それでも傭兵一人で何かが出来るわけがない。
しかし、何故か止められない。この人はどうやっても止められぬ戦で勝ち抜けるのではないかと―――戦の神トリグラフの託宣を受けたかのように、ティッタはその人間を止められなかった。
「私は避難しません―――ティグル様が帰ってくるまで、この館は侍女である私が守るんです」
心意気は買うが……と思いながら、リョウはティッタを止められないと感じていた。彼女は何処かで自分の母親同じく神奉る家系の人間であろうと感じていた。
恐らくその領主の帰りを受け止めるまで彼女はここを動かないだろう。
「分かった……だが、この家が一番大きいから狙われる……これを持っておくといい」
瞬間、取り出したのは守り刀。短刀に近いが女でも振るえるだろう重量の武器。
「これは……?」
「俺のお袋の形見なんだ。そいつでやってくるだろう賊を殺してやれ……酷かもしれないが、陵辱されそうになったらば、それで自害するぐらいの気概は持て……ただここの領主が帰ってくるまで生きようとはしてくれ」
この栗色の髪持つ侍女が想い寄せるものが誰かは分かっていた。だからこそ彼女を守ることは、ここに座していた王を守ることにも繋がる。
「そんな大事なもの……!」
「バターナイフよりはマシだろう……それでは行ってくる。行くぞプラーミャ」
ティッタに一礼したプラーミャは、己のやるべきことを分かっている。領主不在だからと船倉に巣くう鼠のごとくやってくる鼠賊共を殺すのに何の躊躇いもない。
館を出ると、やはり混乱が起こっている。避難も予定通り進んでいるとは言えないだろう。
そんな中、革鎧を着込んで鉄槍を持っている老人が、普段着……少しばかり素材良い服を着ている老人二人と話し込んでいる。
「……失礼、ここの兵士長とお見受けする。私を――――――」
そうして鬼の侍は、「魔弾の王」の「国」を守る「騎士」として戦うこととなった。
† † † †
紅茶の馥郁たる香りが充満する。己の心身を緩ませるほどのものでありながらも、その場において二人の女性はぐったりして、すっかり貴人としての相好を崩して椅子に体重を完全に預けていた。
何とか入れた紅茶だが、どちらも口を付けない。というかそれをする余裕も無いというのが現実だ。
「まさか……ここまで疲れるとは思っていなかったわ…というよりもどれだけこの国はブリューヌと取引をしているのかしらね……」
「裕福な国ですからね……なによりここまで両公爵の動きが早いとは……」
金髪と黒髪の女性二人がここまで疲れたのは、簡単に言えばブリューヌの政変の動きが早すぎたというのもある。一つの国が二つに割れて、覇権を奪い合う。
それがジスタートまで波及した。しかし……どちらにせよ動けるようにしたのは大きかった。
ティナとしても、己の野望の為にブリューヌを利用するというのは考えていたからスムーズに行った。
特に自分の傍に「自由騎士」がいるのが気に食わないという連中の多くにはブリューヌを割譲することで、そこの太守にリョウを就かせようという意見を出すことで動かした。非戦派には、ブリューヌを手に入れるメリットを話す。
また参戦派には、ブリューヌという火中の栗を手に入れることのデメリット、具体的には…反乱貴族、盗賊、現体制への不満分子―――特にガヌロン、テナルディエの政策の苛烈さによって生まれている反動勢力の大きさを話すことで、仮に両公爵に肩入れ、もしくは共倒れしたとしても後に残るは、ゲリラ共ばかりでまともな取引も出来なくなる。
そんな風な話でブリューヌに介入するデメリットを話した。
一見、逆の手法に見えるかもしれないが、これは人を動かすうえでの話術の一つだ。どちらも「利」を得て「損」をしたくないというのだから同じ穴の貉。
そんな彼らを自由に動かすには己の主意見の他に『そういうこと』もあるとして自由に動かすことだ。
そうなった時に話し方次第では反対勢力は同調勢力となり、逆もまた然りである。
(けれど……リョウを手元に置いておきたいんですよね。特にカザコフ様は、随分と熱心でしたわ)
理由は分かる。いまやオニガシマはもう一つの公国にして国だ。今の所イルダーはこちらにかかりっきりであり、領地であるビドゴーシュに対しては代官を立てて統治しているぐらいだ。
オニガシマが自由騎士リョウ・サカガミの領地にいずれはなり、彼がヴィクトールのもう一つの懐刀になると思っていた貴族は多い。
しかし彼は自由騎士の名に恥じぬようにブリューヌでも友好を結び、ヤーファの大使という枠を超えて動いている。
結果として得られた領地は、イルダーの公国として繁栄している。
その隙を狙ってカザコフはビドゴーシュ及び北部地方に対して大きな影響力を得たいと思っている。無論、それを許さないのはエリザヴェータと自分である。
(イルダー様がいなくなるだけで、ここまでとは……あんまりにも度が過ぎるようでしたら)
自分の大鎌が遠慮なく振るわれる。それだけの話だ。無論、その際に出るものは残さず自分が「保護」しようとは思っているが。
「ところでソフィーヤ、外は任せてましたけれど、そちらは大丈夫なんですか?」
「ご心配なく。商会、組合、神殿……全て押さえてあるわ。残るは私が直接ブリューヌなど各国に向かうしかないでしょうけど」
後は大使としての動きだけだ。内部調整は、ここで大半は行われるが、外部調整は直接王宮などに向かわなければならないのだ。
しかしここまでお膳立てしておきながらも、どこかでこれを「壊してくれないか」という欲求がティナにはある。謀略・策略―――そんなものを全て無にしてしまう。
チェス盤をひっくり返すほどの何かが……。それをもたらすのは東方より来た「昇竜」
「――――――おや、随分と疲れているようだね。まぁ苦労は察するけれども淑女の威が欠片も無いよ」
「殿方が見ていないところでぐらい、こうしていてもいいでしょう。というか何をしに来たんですか?」
ソフィーヤとヴァレンティナ。二人が良く利用する王宮の執務室に入り込んできたのは、彼女らの同輩。数週間前までディナント平原での戦いの主役に同行していた焔の戦姫でる。
「知っている相手とそんなに知らない相手がもしかしたらば接点があるかもしれないなんて聞いたからね。少し意見具申しようかと思って」
知っている相手というのは恐らく「ティグルヴルムド・ヴォルン伯爵」、そして知らない相手とは「戦姫オルガ・タム」だろう。
丁度いいと言えば丁度いい。どうやら彼女はヴォルン伯爵をそれなりに知っているようだ。
人柄、知略、武芸の程……それらを知れば、どう動くのか何となく分かるだろう。
「人柄は……リョウに似ているかな? まぁ彼の場合、与えられた環境が人格形成に影響したんだろうけれど…」
アルサスなる土地は山林多く、平地少ない所らしく村三つに街一つという場所だ。そんな辺境に住んでいれば、落ち着いた性格ではあろう。しかし、リョウの場合は牙を向けるべき時に向けるのだから少し違うような気もする。
「とはいえ彼も一角の武芸は持っている。そして領地を守るためだったらば、どんな手も使うだろうね」
大敗したディナントで生き残った一人の男。その男が、どう動くのか……。
「出来うることならばエレンには彼を解放してほしいわ。何せオルガの身柄預かり人だとすれば粗相があっては、どうしようもないでしょうし」
ソフィーヤが、そんな風に言ってくるものの、エレオノーラはアレクサンドラの言葉によれば、弓の武芸に惚れこんで彼を捕虜にしたとのこと。
可能ならば部下にしたいという思惑が見える。エレオノーラの思考をトレースするに、どうにも……不器用なスカウトをしているはず。
そんな相手が爵位や金銭で動くものか。そういう男が動くのは―――己の誇りを守るためだけだ。
「リョウをハーレムで釣れなかった私が思うに、その男性―――何が何でもアルサスに戻ろうとしているでしょうね」
「エレンのスカウトは不発か……けど、オルガがいる以上あまり拘束しているのも悪いだろう。働きかけも必要かな?」
執務室の椅子に座りながら、アレクサンドラは言う。しかしその前に事態は風雲急を告げそうなのだ。
三日前、カザコフに働きかけた時に…情報役の人間が、気になる話を持ちかけてきた。
テナルディエ公爵の軍勢がジスタート方面に向けて進軍してきていると…。
決戦を行うならばアルテシウムのガヌロン公にありもしない咎を着せて南下するはずだが、ランスに終結した軍勢は、真っ直ぐ北上しているとの話。
「……そう言えばヴァレンティナ、リョウはブリューヌにいるんだよね? どの辺に今いるかとか知らない?」
「知っていたとしても貴女には教えない…などと意地の悪いことは言いません。こちらも掴めてませんよ。ただ王宮とディナントを往復したところまでは把握しています」
アレクサンドラの質問に紅茶で喉を湿らせながら応える。しかし、確かにリョウの動きが把握出来ていない。
しかし、何かが一致してくるような気がする。
ブリューヌの内乱、領主不在の地、エレオノーラ、オルガ、ヴォルン伯爵、機能不全の王宮、自由騎士――――進軍中のテナルディエ公爵の軍団。
勢いよく立ち上がり、予想以下の推測の妄想……が自分を熱くした。このままでは……もしかしたらばという想いだ。
(……リョウは、アルサスに居る!)
しかし確信として言い切れる。何というか分かるのだ。自由騎士の考えが―――、彼が教えてくれたファーロンからの期待が。
――――――彼を戦に向かわせるのだ。
「どうしたの?」
何か探られるような目でソフィーヤが見てきたので、自然な笑顔を作り『急に花摘みしたくなりましたわ』と色々と台無しにしながらも、執務室を出る。
こちらの心の動揺を押し殺しながら回廊を歩いていく。王宮にいる人間達はこちらの早足に少しだけ驚いているが、そういう目は後で弁解出来る。今は不名誉を負ってでも向かわなければならない。
エザンディスの転移は、長距離を行くとしても……その場所の正確な所を思い浮かべなければならないのだが……。
(アルサス……というよりも、リョウのいる場所をイメージする……プラーミャも思い浮かべつつ…)
それしかない。
人目に付かない所を見つけると同時に、大鎌を呼び出す。封妖の裂空を杖のように持ち集中する。
己の髪も浮かび上がり、光が円状に広がる。ここまでの集中では、着いた時にはかなり消耗しているのではないかと思うも、眼を瞑りイメージするは一人の男性の姿。我が子の姿。
(見えた―――――!)
変化したのか巨竜となった我が子が街の前で門番のようにふさがり、それより前、500アルシンの所に、今まで見たことない東方の鎧を身に着けたリョウの姿。
かつてアスヴァ―ルにて「
「待ちなさいヴァレンティナ!!」「抜け駆けとか随分と姑息―――」
刹那、聞こえてきた声に集中が途切れつつも王宮から彼女は即座に姿を消した。
彼女がいたのは、華の匂い漂う庭園の一つであり、少しだけ散らかる花弁が彼女の痕跡である。
執務室を出て行ったヴァレンティナを最初から、二人とも安穏と見送ったわけではない。
最初から疑っていたソフィーとサーシャだったが、彼女の転移能力の程が分からないので、少しだけ放っておいたのだが、探し当てた庭園にいたヴァレンティナが、今にも転移しそうになっていたのを見た時には―――。
「間違いない……リョウはアルサスにいるんだ! ヴァレンティナはそれを何かで理解したんだ!」
叫ぶサーシャを尻目に、犬か。という感想が卑しくもソフィーは思い浮かんだ。しかし、考えてみれば彼女の勘の良さと情報精査能力を考えれば、予想できた事態ではある。
それにしても、何たる行動の速さ。
「どうしようかしら?」
「今から僕たちが向かった時には、開戦には間に合わない……こういう時に彼女はずるいんだ……」
「拗ねないでよ。まぁとにかく一度はリョウも王宮に戻ってくるでしょ。その時―――いっぱい甘えたら?」
涙を浮かべ、少女のようにいじけるサーシャに言いながら、考えるに本当に忙しいのはアルサスでの戦いの後だ。
ティグルヴルムド・ヴォルン―――、リョウ・サカガミ―――。
二人が邂逅してどうなるか。それを考えつつソフィーは何か運命のようなものを感じていた。
一方とはまだ会ってもいないというのに、それでもこの二人の出会いが、この西方を席巻するものを生み出すと思えるのだ。
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『虚影と鬼剣の輪舞曲』副題「アルサス前哨戦」
何とかアルサス領民のそれなりの『信用』を得たリョウはバートランの苦衷の想いの話に付き合いつつも、この街を完全に守るのは無理だろうと思っていた。
「時間を稼ぐ。その間に神殿や山に逃げ込んでください。ティグルヴルムド・ヴォルン閣下がどうお考えかは分かりませんが、命さえあれば、この土地は生き残れる……なるたけ鼠賊共に痛撃を与えるつもりですが」
「……何故、わしらに御助力してくれるんで?」
一応、バートランには己が何者であるかは語った。信じてくれるかどうかは五分五分だったが、オードの貴族マスハスは、この老兵士とはかなりの世間話をしていたらしく、自分が自由騎士だと信じてくれた。
そして昨夜考えていた懸念は、ただの杞憂であった。これが一番の安心ごとであった。
「一宿一飯の恩義と……まぁ、俺の誇りが、奴らの所業を許しておけないんですよ。それだけです」
言うと同時に、鬼哭を握りしめる。
「……では予定していた通りで?」
「ええ、俺が裏切ることあれば、城門を閉ざしてしまって構いません。後ろから矢を射かけてしまって構いませんよ」
というよりも最初から門は閉ざす予定だ。そして門の前には人質として「息子」を置いておく。
最初に自分は軍使として奴らの幕舎へと赴く。最初はこの街の有力者が向かう予定だったが、最初から乱捕りをする予定の連中にそんなものは無意味だとして、自分が向かうことにした。
「……申し訳ない。わしらがやらなければならないことなのに……」
「本当に気にしないでください兵士長殿、あなた方はヴォルン伯爵の領民、それを自覚して今は動いてください」
バートラン以下、宿舎に集まったアルサスの兵士達を前にして、何も恐れは無かった。
この一戦で果てるつもりはない。しかし、ここの領民は伯爵閣下を本当に愛しているのだと理解して故郷を思い出させた。
義を見てせざるは勇なきなり。武士としてやるべきことをやる。
「じゃあプラーミャ、ちゃんと留守番しつつティッタさんを守るために頑張るんだぞ。父さんは、鼠共を駆逐してくる」
頭を撫でながら言い含める。不安げな視線を、自分に向けつつも頷く竜王の子息。
「いい子だ」
もう一度頭を撫でてから、焔の勾玉を渡しておく。
「では行って参ります」
兵士宿舎を辞してから、外に馬を走らせる。
大軍であり、噂通り―――竜を引き連れている。普通の人間であるならば恐慌してしまいそうな軍勢を、街から一ベルスタの所に見る。
「やれやれ我ながら神経がどうにかなってしまいそうだ」
しかし―――戦意は衰えない。己の使命はまだここで終わらない。
それが分かっているのだ。
† † †
幕舎では、今すぐにでも街を襲わせろという意見が飛び交う。それを聞きながらザイアンは心臓が思うように動かないのを自覚していた。
まるで自分の意思を持たないかのように……自分が無くなるかのような感覚を覚える。
「失礼します。セレスタの軍使と名乗るものがやってきていますが……如何しますか?」
「軍使だと……ヴォルンは、虜囚の身だと聞いている。何者だ?」
平静を装いながら幕舎に入ってきた兵士に尋ねる。旅の傭兵だと名乗り……蒼い鎧を着こんでいると言う。
「要求は何だ? 裏切り略奪の手伝いでもしにきたのか?」
「いえ……『軍を退かせろ』……『さもなければ無駄な死人が出る』と言っております……」
兵士の怯えたような、その言葉に、幕舎に大笑が湧き上がった。たかだか旅の傭兵風情が……英雄気取りか。そういう考えでのものだ。
ザイアンもそれには同意であり、笑いこそしなかったが殺して武器を奪い死体は街に投げ入れろと指示をした。
その指示を受けて兵士は戻った。誰もが勝利と獣欲を満たすことしか考えない場所。それに辟易しつつもザイアンは、次なる命令を出そうとした瞬間、悲鳴が聞こえた。
幕舎の外にて絶叫が上がる。悲鳴が上がる。しかしそれは一瞬、悲鳴も絶叫も一瞬で終わる。
「なっ……!?」
竜が制御出来なくなったかと思うもの、何か幻覚でも見て狂乱した兵士いたかと思うも、その考えは無くなる。
幕舎の中に投げ込まれる十の飛来物―――。それは兵士の生首であった。
兜をつけていなければ分からなかったが、確実にテナルディエの兵士であった。中には先程伝令しに来た兵士の顔がある。その顔は死相で染まりきっている。
そして生首の後にやってきたのは蒼金の鎧を身に纏った黒髪の男。
まるで幽鬼のような、人ではない雰囲気を感じさせる。しかしその男の持つ剣が紅に染まっており、下手人がこいつであると理解出来た。
「やれやれ生首十を放り込んでようやく幕舎に行けるか……難儀なことだが、話し合おうじゃないか、平原の鼠共」
「貴様ッ!」
入り込んできた凶手くずれ。近くにいて激高した騎士一人が剣を手にしようとした瞬間、首が吹き飛んだ。
斬撃が見えぬほどに早かった。閃光が走ると同時に命脈は尽きた。
全員の血の気が引く。何たる早業。招かれざる侵入者は死神かと思うも一人の騎士が正体を見抜いた。
「じ、自由騎士! 東方剣士リョウ・サカガミッ!!」
全員の視線が一度だけ正体を見抜いた騎士に向けられてから、再び自由騎士に向けられる。
その視線は全て恐怖に彩られている。当然だ。何故そんな大人物がここにいるのだと……。
「お前が、鼠賊の親玉か……見たことあるな……」
真っ直ぐに総大将であるザイアンの方を眼で射抜く、見る者すべてを「ヒト」ではないとする眼。
声は謳うように軽い。僅かな殺意すら無い、殺す相手を「ヒト」として認識していない声。
「何故、あなたのような人物が……アルサスにいるのだ……!」
「それは、どうでもいいな。俺は言ったはずだ。軍を退かせろ。でなければ無駄な死人が出ると……こいつらはその代償だよ」
生首を毬のように蹴飛ばして机の上に乗せると、更に血の気を引かせる幕舎の人間達。
先程までの勢いなどどこに行ったのかだ。
「さて既に十一人死んだ。怪我人含めれば五十は下らんな。こちらの要求を受け入れるか否か。それだけだ。アルサスに一歩でも踏み入れてみろ。その時は全員がその死に様となるだけだ」
「あなたは……アルサスに雇われたのか!? ならば今からでもいい。そちらの要求するものを用意する! だから我々に雇われ―――」
ザイアンの近くで、そんな『愚言』を吐いた騎士の首が、再び吹き飛んだ。血の噴水が幕舎を再び濡らす。刀を鞘に納める音が再びの静寂に甲高く響く。
「鼠賊の親玉……ザイアン・テナルディエだったか。要求を呑むか否かだ。お前たちが侵略行為としてここにいるのは分かっている。そして俺はアルサスを守るだけだ。今、退くならば俺は死体二つ分の金銭ぐらいは払ってやる」
十の死体は正当防衛だと主張する自由騎士。その絶技を見た後では、誰もが何も言えなくなる。
だがザイアンは納得いかずに怒りの言葉をぶつける。
「ふざけるな……ヴォルンのアルサスを守るために自由騎士が立ち上がるだと!? ヤツに何があるというのだ! あんなヤツのために……あなたは剣を捧げるというのか!?」
「―――そうだ」
余人には分からぬ理屈だとして即答すると同時に、激昂していたザイアンは驚愕の表情のままに、椅子に座りなおした。
座り直すと同時に、睥睨するように命令を出した。怒りの感情が全てを塗り替える。
「……殺せ……殺してしまえ!!!」
言葉の後には幕を突き破って槍衾が出来上がる。しかし、それを躱しつつ、御稜威を唱える。
「素は軽―――」
天幕を「上」に突き破りながら、飛び上がる。陣営を全て確認しなければならない。
どれだけの軍団陣容なのかを知る。
「飛竜が一、地竜が三、火竜が一。兵士の陣容はブリューヌ式。たかが領地一つに大層なものだが……!」
それで『鬼』を殺せるものか! 心の叫びと共に混乱している陣の真ん中に降り立つ。剣も構えず、槍も構えず頭上を見ていた連中の脳天に刀が突き刺さった。
その後は殺劇の開演である。混乱から立ち直りこちらに剣を向けようとした連中だが、既に「心の速度」で勝っていたこちらの剣の方が次から次へと遅すぎる相手の息の根を止めていく。
如何に剣の速度、身の速度で勝っていたとしても心の速度だけは変えられない。
得物を振るうと決めた瞬間にはリョウの剣は、のろまな敵を斬り捨てていた。しかも、御稜威の軽量化は、そのまま剣と身の速度を上げているのだ。
神域に達した剣客の絶技が、術理を知らぬ愚か者共を次々と斬り捨てる。
百人が死んだ所で攻撃が止んだ。次の一手は分かっている。恐らく弓による射殺である。
それを分かっていただけに、出来上がった死体の中でも屈強な人間を剣で突き刺して―――
「放て!!」
声と同時に人の壁として利用する。そしてその死体に矢が突き刺さりながらも、それを盾として突撃をする。
裂ぱくの気合いと共に弓隊の一角に突進をした。盛大な音と共に混乱が再び起きる。
「ば、化け物!!」
死体の圧で死んだ弓兵二人を見た誰かが叫んだが、構わずリョウは――――逃げた。
包囲網は、お粗末なものであった。そもそも幕舎が奥では無く前面にあった時点で、敗着の一手だった。
後ろに掛けられる罵声を聞きながらも、すぐには追ってこれないはずだ。
「火だ! 何処かに火を点けられたぞ!!」
そんな風な声が罵声の中に紛れるのを聞いて、作戦が上手くいったのを気付く。同時に口笛を吹いて馬を呼び寄せる。隠れていた馬が自分に並走してきたのを見て、それに乗り込み所定の位置に向かう。
バートランと示しあわせた場所は分かっている。鼠賊共の陣営は混乱続きだ。
(やれやれ彼女から贈られたものが、ここまで役立つとは…)
それはブリューヌに再び来る前に、オステローデにおいて渡されたものだった。
『リョウ、これを私だと思って懐にでも仕舞っておいてくださいな』
そうしてティナから渡されたものは造花の束、彼女が好んで服に着けている薔薇の意匠のものと分かった。
生花であれば、直に枯れてしまうから確かに贈り物としては最適だが、何か裏がありそうな気もしていたので、どういう用途のものであるかを聞くことにした。
『これは、二つの芯で花びらを挟んで擦りあわせると良く燃えるのです。もしもリョウが、ブリューヌの馬の骨と懇ろになったらば私の嫉妬の炎が、心臓を焼くでしょうね♪』
懐から荷物袋に移動させることにした瞬間だった。入れておけ、危険すぎるという押し問答の末に、何とか服に縫い付けることで了承させた。
自分が『薔薇の炎』を仕込んだのは幕舎に投げ込んだ生首、脳天突き刺した死体、斬撃の死体の山の中に点在させておいた。……それは流れ出た血に混ざる黄色の液体、人体の脂を燃料として燃え盛る。
「ここで突撃でもかませれば最高なんだが……生憎、そういう戦術は取れないな」
街から500アルシンに一人陣取り、軍神の気持ちを取りつつ、考えるは最後の一手を与えてくれた女性のことだ。
「後でティナに礼をしなきゃならないよな。結局、彼女のお陰で何とかなったんだからな」
焔の勾玉の力で成竜となったプラーミャを一度見てから呟く。脳裏に浮かべるは黒髪の女性の姿だ。
「そうですね。私としてはまたリョウの郷里で出来たお酒が飲みたいです。あと猪を使ったボタンナベでしたか、それも食べたいですね」
「ああ、そんぐらいお安い御用だ。にしてもそんなに気に入った――――――あれ?」
おかしい……。独り言の呟きに返事がある。
声のする方向を見ると、大鎌を握った黒髪の女性の姿、自分の隣にいるのが不自然なようでいて自然な感じだ。
約一か月ぶりといったところだろうか。その美貌になんら変じることは無いも少しだけ疲れているようにも見えるは、先程まで脳裏に浮かべていた女性。
「ティナ!」
「はい。あなたの可愛く美しい妻のヴァレンティナ・グリンカ・エステスです」
「いやいや、あまりにも唐突すぎるだろう。というか結婚の事実は無いだろ!」
可愛らしく小首を向けつつ言う虚影の幻姫。何故、彼女がここにいるのか正直混乱してしまう。
「あの熱く想いを通じ合った一夜だけで私はリョウのお人形さんみたいなものです」
頬に手を当てながら、滔々と語るティナ。しかしそれであれこれ喚いても意味は無さそうだ。
取りあえず色んなものを飲み込みながら最初の疑問を解消する。
「どうしてここに……?」
「それを言うならば……先に言わせてもらいますが、どうしてこんな無茶をするんですか!」
こちらが冷静になるも、ティナは激昂する。正反対な応酬。正直、怒られる理由が分からない。
とはいえ、彼女の怒りを一度受け止める。
「あなたが万軍殺しをやったのはタラード将軍の部隊が駆けつけるまでの時間稼ぎだったのでしょう。今、あなたは何の援軍の当てもないのに、あんな大軍に戦いを挑むんですか?」
「いや、一応援軍の当てはある。アルサスの領主が帰還を果たすまで、自分が頑張ればいいだけだ」
それは遠い話ではない。今、領主はここに向かってきているのだ。
「だとしても……一人で戦うなんて……!」
後ろのセレスタの街を睨むティナ。彼女の怒りは嬉しい。けれどそれでアルサスの人に無駄な咎を負わせたくない。
「アルサスの人を恨まないでくれ。彼らは……領主がいなくて不安なんだ。近隣諸侯を纏める人も援軍として向かっているから、それまでの時間稼ぎを俺が引き受けたんだ」
「………」
沈黙しているティナ。その頭に手を当てて撫でる。
「ありがとう。ここに来てくれて……そして俺の為に怒ってくれて、だから……俺を助けてくれ戦姫ヴァレンティナ。俺はアルサスの人達を見捨てたくない。テナルディエの暴虐に晒したくないんだ」
こちらを見上げるティナの目が何回も瞬きされる。そうしてからため息が漏れた。
「そう言われると断れないです。リョウが私に頼みごとしてくるなんて、本当に……嬉し過ぎるんですから……」
「ありがとう。とはいえ今まで、宮廷であれこれやっていたんだろ? あまり勢い込まなくていいよ」
疲労があるにも関わらず、自分の為にここまでやってきてくれた一輪の華。それに楽な戦いをさせるためにも自分は気合いをもう一度入れる。
朱い顔をしているティナ。とりあえず彼女には馬に乗っていてもらう。彼女の疲労を取るためだ。
「―――動きありましたね」
「少し下がっていろ。五十人規模の騎兵で俺を相手取るなんて舐められたもんだ」
幕舎の混乱が治まりようやく兵を出すことなったテナルディエ軍。どうやら先程の挑発でむかっ腹を立てさせることには成功した。
全軍で押し立ててくればいいものを、報奨目当てで各隊の先手争いとするなど愚の骨頂だ。
「ではリョウ、あなたの万軍殺しの程……見させてもらいます。適度な所で私も参戦しますが……無茶せずにご武運を」
100チェート離れた所に移動したティナを見送る。そして正面からやってきた騎兵五十を見る。
槍を構え突進力を活かしたもの、しかしそれで一人を全て殺せるとは……愚か。
「もらったああ!!!」
突撃槍が身を貫かんとする前に、振るわれた斬撃が腕を落として落馬をさせた。何が起こったか分からぬ騎兵だろうが、構わず延髄を斬りおとして馬を奪う。
(流石は奸賊の騎馬……鍛えられている)
一人から馬を奪った後は簡単である。リーチに差はあれども、振るわれる剣戟の重さはこちらの方が上であり、擦り抜けるようにして五十全てを切り裂いていく。
騎馬に乗りし侍が刀を振るう度に血飛沫が飛び散り命の華が散りゆく。
全ては一瞬のこと。遠目から見ていた連中も何が起こったのか分かるまい。しかし五十の騎馬が全て死に絶えたのは分かった。
「どうした!! 俺はまだヤーファの剣術奥義の半分も出していないのだぞ!! 我が首欲しければ全力で、決死の覚悟を抱いてやってくるがいい!! 従軍の誓いを立て戦場に居ながら、その意志無くば今すぐ立ち去れ!!!」
どてっ腹から出した声は、向こうまで届いただろう。こちらの挑発に向かってくるは、百人規模の歩兵部隊。槍やポールウェポンの類だが、それでこちらをどうこう出来ると思っているのだから愚か。
馬の突進力。そして御稜威の力を利用して歩兵部隊を纏める。先頭にいた長槍持ちを引っ捕まえて槍を奪い取ると同時に切り裂く。
神流の術法は、剣を基本としているが何も槍に関して不得手というわけではない。長柄の武器こそが騎馬の突進力を活かせるのだから。
突撃、払い、反転。騎馬鎧を活かした体当たり。乱戦となりながらも、向けてくる長柄の武器だが、それを喰らうほどこちらものろまではない。
一連の動作を繰り返すとただでさえ重い鎧を着せられている歩兵なのだ。蹄の一撃が、衝撃を予想以上に与えて、打撃武器も同然になる。
完全鎧の弱点だ。そして何より槍を使った交差必殺。交わらず切り裂かれるだけの歩兵集団。
ただでさえ略奪だけを目的としていただけに士気も低かったのか七十を殺した時点で、陣に逃げ帰る。悲鳴を上げていく歩兵集団。撤退の合図を出しているのに、投槍をして絶命させた。
避けることさえ出来ぬそれはいとも簡単に、生命を奪う。
(戦力を小出しにすれば俺が勝つだけだ)
もっともこれで弓、騎、歩の三連一体を繰り出して来れば対応にも苦慮する。
鼠賊共が全員、馬鹿であることを願うも、流石に組織戦を展開しつつあるのを見て、リョウは「アメノムラクモ」を使うことにした。
「そろそろ私の出番ですね」
「大丈夫なのか?」
「ゆっくり休ませてもらいましたから」
馬を並べてくるティナの様子を見ながら整列し、進撃の時を待っているだろうテナルディエ軍。
あちらにもどうやら有能な人間がいるようだ。
そうしてこの戦いにおいて予想外の事が起きた。いずれはやってくるだろうと思っていた竜を使う戦術。
それは―――――――。
「突撃せよ!!!!」
叩かれる銅鑼、太鼓の音。中央に地竜を押し上げて、騎兵と共にやってくる集団。
しかしそれとは別に―――大きく迂回する形で地竜二頭が左右から―――セレスタを狙ってきた。
そしてその地竜の背中には多くのテナルディエ兵。単純。しかし考えてこなかったわけではない。
「プラーミャ!!!」
呼びかける前から息子は動いていた。まずは左の地竜を仕留めるべく翼を動かして上空から火を掛けた。
地竜の鱗と甲羅のような外殻はそれに耐えられずに、燃え盛る。当然、それに乗っていたものも炭となり、運よく生き延びたとしてもその熱量と延焼の速さに生きながら焼かれ死んだ。
敵をそれで仕留めたプラーミャは右に向かうも、城門及び柵を打ち破り侵入する兵士がいる。
(ギリギリまで竜を近づけて、その上で侵入か……考えやがる!)
如何に人馴れしていないとはいえ、最大の戦力をただの輸送手段としたのはある意味あっぱれである。
だが妙ではある。奇妙な点がありながらも、それが分からない。
「アルサスの兵士達は、応戦しないんですか?」
「……!」
騎兵を切り殺したティナが質問をぶつける。確かに本来ならばあの時点で、弓を射かけているはずだが……。
同じく騎兵を殺したリョウは街から火が上がるのを見て、別働隊がいたのだと気付く。
「やけに慎重なことを……挑発に乗っていると見せかけて、騎兵や歩兵の略奪部隊を迂回させてやがった……!」
自分達を越えても、火竜にして飛竜がいる以上、潜入工作をするというのは常道だが……。
なりふり構わない戦いに、少し意外な気分だ。今までの楽な戦いというのを改めたな。と思いつつも、対策は一つ。
(神速で全て切り殺して街に向かう!)
既に中央の地竜を引き戻しているテナルディエ軍。そして三軍連携の攻撃が放たれる。
「弓、放て!!!」
声と同時に放たれる矢の数々を風蛇剣で打ち払い、やってきた歩兵の群れを風蛇剣で瞬殺する。
「自由騎士に接近戦は挑むな!! 遅滞戦法でここに留めろ!!」
声が響く。総大将である男が三軍を指揮してこちらを街へと反転させない戦法に出た。
「随分と消極的ですが……有効な戦法ですね!」
「こちらに近付いてくるでもなく、離れるでもなく……仕事が分かっている連中だ!」
ティナの感想に、同意する。
完全な足止め。テナルディエ軍からすれば奪うもの奪って即逃走という手筈に変更しただけだ。
もっとも……人的資源。即ち娼婦などにする女を奪うことは不可能だろう。人間はものと違って動く。
時間は有限なのだ。時間を掛ければ自由騎士の超絶な剣技が軍団全てを終わらせるかもしれないのだ。
そういうことをザイアン・テナルディエは厳命していた。後は街に火を点けてしまえ。そういう指示を出していたのだが…それが完全に守られるとも言い切れないのが戦場なのだ……そして破滅の時は近づいていた……。
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『王の帰還』副題「東西両雄邂逅」
セレスタの街に入り込んだテナルディエ軍の兵士達は思う存分の略奪を開始した。それは正に獣の所業であった。
金品を奪い、雄叫びを上げながら物品を荒らして、神殿を威嚇する。無人の街を想うまま荒らすその様に、スティードは辟易する。
自分とて戦においてそういうことがあることは理解している。とりあえず仕える相手が、それらを良しとしている以上は、それを実行する。
何よりここをジスタートが奪いに来るとも限らない。いや、既にジスタートの食客が、ここにいる以上、アルサスはジスタートの領土になってしまったかもしれない。
「あれがヴォルン伯爵の屋敷か……誰でもいい。あそこに行ってモノを奪って来い」
見あげる先には、この街では一番大きな家があり、そここそが虜囚の身となった貴族の居館であると分かった。
スティード自身は兵達が神殿に手を出したりしまわないように見張っていなければならない。
この中に神を畏れぬ罰当たりがいないとも限らないからだ。
髭面の男が居館に向かうと同時に、時間はそれほどないことは理解していた。
(……何だ。馬蹄の音がする……)
外ではまだ人外魔境な英雄の殺戮が繰り広げられている。それの音だと思うが、ザイアンの戦法は遅滞であり、騎馬兵は温存されているはず。
伝令の兵士を物見に向かわせる。裏ではアルサスの兵士達の頑強な抵抗が行われている。そちらの方向から来るのだから変化が起こったと見るのが普通だ。
しかしその判断をスティードは後悔する。やってきたのは自由騎士に次ぐ懸念していた通りの「本隊」とも言えるものだったからだ。
† † †
外では大音声が響いている。その音はティッタの身を竦ませる。これが戦いで蹂躙される街の運命なのだと嫌でも知らされる。
(ティグル様……!)
守り刀……あのヤーファ人の男性からのものを握りしめながら思い出すは、自分の想い人。脳裏に現れた男性を迎えるためにも自分は、ここを離れなかった。
そしてその想い人の為になるならば―――『宝』を守らなければならない。
「家宝の弓……あれは奪われてはならない……!」
ティグルがそれに祈りを捧げているのを自分は見ている。それぐらい重要なものなのだ。直に弓を取る。瞬間―――ティッタの意識が遠くなるのを感じた。
(えっ……)
まるで自分が無くなるかのような感覚。何か見えぬものの手で首筋を撫でられたような感覚。それが、ティッタを自失させた。
しかしそれから覚めるような音が響く。扉を乱暴に破られる音。遂にテナルディエ公爵の略奪の手がこの屋敷に伸びたのだ。
階下を窺うように見ると、そこには髭面の男。鎧で覆われた中年の男が剣を乱雑に振るいながら入り込んできた。
「ふん。やはりテナルディエ公爵ほどではないか。貴族の館だから何か金目のものがあると思っていたが―――」
階下を見上げた男とティッタの目が合う。瞬間、生理的嫌悪感をティッタは感じた。
「とはいえ、侍女にこのような娘を据えるとは……流石は貴族の子弟……」
舌なめずりをしながら上がってくる男。身を翻して小刀を抜く。両手で握り……切っ先を階段を上がってきた男に向ける。
「出て行って下さい……」
「俺は略奪をしに来たのだ。出て行けと言われて出ていくわけが無い……ザイアン様は女は捕える暇はないといったが……これはいい褒美になる。その小刀も中々の業物のようだからな」
「出て行け!! ここはアルサス領主の館だ!! 留守を狙ってやってくる鼠賊にくれてやるものなんてない!!!」
「小娘がっ!!!」
こちらの意気を込めた言葉の後に、激昂して斬りかかってくる中年男。しかし、その剣がティッタを切り裂くことはなかった。
見えぬ壁。透明な光の壁がティッタと中年男の狭間に降り立ち、剣は届かない結果となる。
「なっ!! き、貴様……ええいっ! 妖術師がっ!!! 斬り殺してやる!!」
その時、中年男の脳裏には街の外と陣で、『怪物』のように何人もの兵士をあっという間に斬り殺したサムライの姿と同調していた。
この女もその一人かと思い、厳命及び売り物になるかどうかすら考えず殺すことだけを考えて振るう。
ティッタも、その現象に眼を丸くしつつも、逃げなければならない。この壁がいつまで続くか分からないのだ。
バルコニーに出ると同時に、壁が砕けた。
「……!」
「逃がさんぞ……!」
逃げ場が無い。今度こそ小刀を向けて凌辱されるというのならば自害、もしくは殺すのみだ。
しかしティッタにはどちらも―――。
振り下ろされる剣、しかしそれが下されることは無かった。
飛来する閃光―――銀の一矢が、男の腕を貫くだけでなく、消失させた。
「飛べティッタ!!!」
声が聞こえる。あの人が帰ってきたのだとバルコニーの下に身を投げた。馬を走らせて自分を受け止めるべく、駆けるティグルの姿が見えた。
受け止められた。受け止めてくれたと同時にその首に抱きつく。
「ティグル様……ティグルさまぁ!」
「ごめん……本当にごめん。怖かったよな……ティッタ」
抱きついた自分を抱きしめてくれる男性。その暖かさが忘れられないほどに、抱きつき自分の匂いと感触を与えつつ彼の匂いと感触を忘れられないようにしたい。
そうして、二人の無事を確認すると同時に後ろをついてきたオルガは驚異的な跳躍で、バルコニーに飛び上がった。
「あ……あ……」
失われた腕を見て、呆然自失しているテナルディエ軍の兵士。中年の男をオルガは冷たい目で見降ろしつつ身を上下に断ち、見える範囲にいたテナルディエの兵士に投げ捨てた。
悲鳴が聞こえる。賊の位置が分かったライトメリッツ兵士が、向かう。
ティグルの屋敷と庭を下郎の血で汚してしまった。という後悔の念を感じつつも、オルガは次の指示を仰ぐべく屋敷の前に向かう。
「賊は街中に展開して更衣兵になる可能性がある! アルサスの兵士を助けつつ見つけるんだ!!」
エレオノーラの張りのある声が響く。指示を受けたライトメリッツの兵士達が、整然と賊を追い落していく。
指示を出した後に、やってきたのはメイド服の少女を抱いた赤毛の貴族だ。
「すまない。先行してしまって」
「気にしていない。それにしても……この娘、一人で屋敷に居たのか?」
ティグルの謝罪を聞きながらもエレオノーラは、少女が怯えた目でこちらを見ているの確認した。
「ティグル様、こちらの方は……?」
「詳しく話せば長いんだが……ジスタートで雇った姫君だ。アルサスを守るために力を貸してくれる」
「公国ライトメリッツ、戦姫エレオノーラ=ヴィルターリアだ。色々と私の同輩が世話になったそうで」
自己紹介をされてオルガの同僚なのだと認識しつつも、何たる美貌だとティッタは場違いにも嫉妬心を感じた。
しかしその後には雇ったという言葉でティッタも話さなければならないことがあるとして、口を開こうとした時に銀光が、走った。
矢が放たれてそれはエレオノーラに向けられていた。しかし、それをアリファールが砕く前にティグルは手で掴み取った。
返礼として弓に番え、引き絞り向かってきた下手人を貫こうとした時には、その下手人の気配が消え去る。
何者かが下手人を殺したのだ。短い悲鳴が聞こえる前に、何かが走り込んだのを見ている。
「なっ……!」
そんな次の瞬間には、影が自分たちを覆い尽くす。まるで巨大なものの下に隠れたかのように日陰に入る自分達。見上げるとそこには竜がいた。
朱色の鱗の飛竜。それを見て全員が恐慌しつつも、その飛竜から一人の女性が下手人のいた茂み。今は刺客のいる場所に落ちてきた。
そして飛竜もまた体躯が小さくなっていき……カーミエ、ルーニエと同じぐらいの幼竜となって、茂みに落ちた。
『なんで二人してここに落ちてきた!?』
男性の声が響く。声色だけならば自分と同じような年齢だろうか。
『出る時は、家族揃って出たいんです。仮面でも持って来れば良かったですね。正体不明の助っ人とかミステリアスでいいです』
面白がるような声、それは女性の声だ。飛竜から落ちた人だろう。
『なんて名乗るんだよ、そん時は?』
『そうですね。以前お会いした二人の男女―――『ライシン』とその妻『ヤヤ』とでも名乗りますか』
最後には非常にメメタァな言動が聞こえてきたので、エレオノーラは茂みをアリファールで吹き飛ばして、そこにいる人間二人と一匹の幼竜を確認する。
「ティグル様! あの方…男性が先程までテナルディエ軍と戦ってくれていた方、ウラ・アズサさんです!」
「自由騎士リョウ・サカガミ! ティグル、あの人が私をティグルに導いてくれたんだ!!」
「好色サムライ! 遂にその野望を向けて統一王になる手始めにティグルの領地を奪いに来たか!」
三人三様の答えが向けられて、さしものティグルも混乱してしまう。しかし、何故か同情するような視線を向けられつつ、こちらに近づいてくる血塗れの鎧を着ている男性と女性に幼竜一匹。
「あなたがティグルヴルムド・ヴォルン伯爵?」
真っ直ぐな視線。射抜くようで全てを見通す目がティグルに向けられる。
「ああ。そちらが……東方剣士にして『竜殺し』リョウ・サカガミなのか?」
生ける伝説となり、この西方を席巻する人物は、確かにマスハスの言う通り、自分と同じ若造だ。
「巷ではそう呼ばれているな。大したことはしていないつもりなんだがっ」
兜を脱ぎながら、そんな風に言うリョウ・サカガミの姿にティグルは緊張ではなく、何故か親近感を覚える。
「ティッタが言っていたが、本当にありがとう。ここを守るために戦ってくれたみたいで」
「結局、俺は賊の侵入を防げなかったんだ。礼を言われる筋ではないな」
「けれど、あなたが獅子奮迅してくれなければ被害はもっと増えていたはずだ」
ティグルの言葉に、被害の程を見たリョウは、どちらにせよ負け戦だった。と言う。
「自分に厳しいんだな」
「別に……そういうわけじゃない。それより怪我しているんじゃないか?」
言われて、ティグルは手を見ると手袋を裂いて先程掴み取った矢ゆえの血が滲んでいた。
「問題ない。それよりこれから―――」
「戦わせてくれ。俺は伯爵閣下の為に戦いたいんだ。俺に使命を全うさせてくれ」
全員が驚愕の表情でリョウを見る。ここにいる全員がリョウ・サカガミの武功を知っている。
だからこそ何故―――ティグルだけの為に戦うのだと考える。その思いは言われた当人も同じだ。
「何で、俺に」
「詳しいことは後で話す。だが俺にとっても貴卿は、『光』なんだ」
先程と同じくまっすぐな視線がティグルに向けられる。その視線を逸らすわけにはいかない。
そうして自分の下に就くと言った騎士に「頼み」をする。
「……分かった。まずはテナルディエ公爵の軍を追い落とす。俺に力を貸してくれリョウ・サカガミ」
「了解した。ティグルヴルムド・ヴォルン」
こそばゆい。そんな感覚をティグルは覚える。自分と同じような年齢の若武者だ。そんな人間が自分をまるで「今生の主」であるかのように敬ってくるのだ。
(もうちょっと明け透けな事を言える関係になりたいんだけどな……)
そんなティグルの願いは、すぐさま叶えられてしまう。お互いに無い物ねだりをしていた二人の若者。
だからこそお互いに尊敬して、友誼を深めてしまうのは――――普通の友人よりも早かったりしたのだから……。
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『開戦準備』―――モルザイム平原に至る前
これからも気軽に読んでいただければいいなと思っています。
戦の準備が行われる。それは、別に兵隊だけの仕事ではない。郷里……ヤーファでも城内に入らせた女性陣が、戦場に出る連中の為に塩たっぷりの握り飯を握ることある。
戦に一番消費されるのは食糧よりも何よりも兵士の身体にある水分と塩分だ。それを補うためにも普段作る握り飯よりも、塩分が多い方が兵士は良く働ける。
つまりは、セレスタの街では現在、戦闘糧食が作られている。アルサス領兵士及び援軍としてやってきたライトメリッツ兵士達のための食事作りだ。
その光景と作られているメニューは郷里とは無論違うが、大鍋で汁物を作る辺りはどこでも同じなのだとしみじみ思う。
「こちらお使いになってください。いま必要なのは兵士達の塩分補うためのものですから」
広場の一角で大鍋を用意していたセレスタの女性陣に貴人の女性が差し出したのは、華の彫刻一輪どころではないもの。
その正体は土塊ではない。
「これ……岩塩ですか? こんな高価なモノ……」
「私の領内で採れた特産品です。彫刻にして税金逃れもしていますから、塩が足りないとあれば公国オステローデを御贔屓に、お安くしておきますよ」
さりげなくセールストークを行う雇われ先の領主。彼女の逞しさに感心しつつも、あっさり裏事情をばらすんじゃないと思う。
(まぁ商法の整備が少し遅れているのは、ジスタート特有だからな……)
厳密な罰則規定が無いのは問題だが、余所の国の事情なのでそこまで進言しない。ユージェン様辺りにそれとなく言っていそうだが……。
「冬が厳しいジスタートですから、商いのそれに関してはあまり罰則しないんですよ。リョウの国でもそんな風だと聞きましたけれど?」
「そりゃ商業や歓楽街を規制しようとしても完全には無理だからな。規制してもそれをすり抜けたものが、出回ってしまう」
故に商法も厳格なものではないものとした。無論、あまりにも街の風俗を乱したり、儲けに対する税金隠しに関しては厳罰する。
白洲にて様々な裁きはされている。それでも自分の領地は持ち込まれる沙汰は深刻ではない。それでも巧妙な偽装隠ぺいあれば、それを見つけるために市井に行くこともある。
「遊び人の「リョウマ」「リュウさん」とか言われてるんでしたっけ?」
「市井を知るには市井に紛れるのがいいのさ」
ただ単に遊びたいだけだろ。と隣を歩く―――別の姫(サクヤ)に言われた時には、反論出来なかった。
そうして、外に対する支援的なものと見回りを終えて、ここの領館に戻る。ここに来るまで目立った混乱は無く、次の一戦のための準備を全員がしていた。
未だに鼠賊共は、この辺りにたむろっている。
「お帰りなさいませ。ウ……じゃなかったリョウさんにヴァレンティナさん」
「構わないよウラでも、どちらも俺の名前だからね。ただいまティッタさん」
入り込んで最初に挨拶をしてきたアルサス領主の侍女に礼をしてから、館の中央に行く。
「すまない。遅れたかな?」
「いや、今からだ。テナルディエ軍に追撃を掛ける―――。軍議に参加してくれ」
歓待されながらも真剣なまなざしを受けて、館の中央のテーブルまで進み出る。
そこにはこの辺りの正確な地図があった。テーブルを覆うほどの大きさは、何故ここまで正確な測量地図があるのか疑問も出た。
「ティグルは私の部族から馬を買って牧場事業を展開していたんだ。その際の測量地図だ」
答えを示したのは同じく軍議に参加している若輩の戦姫―――あのリプナでの出会いから、ここまでやってきた女の子だった。
自分の言葉でティグルヴルムドを光とするほどだったので、何というか色々と人と人の出会いはどんな形で繋がるか分からないものである。
その一方でエレオノーラはいつも通りだ。いつも通り「油断ならぬ敵」として「信頼」出来る。
卓の反対側―――。ティグルヴルムドの両隣にはオルガとエレオノーラ。それを正面に見据えながら、自分も卓に広げられた地図を見る。
「頼む。みんな―――俺に力を貸してくれ」
数で劣る自分達がテナルディエ遠征軍に勝つための策―――それを出すことをティグルヴルムド・ヴォルンは頼んできた。
言われるまでもなく、自分は自分の策をこの男に授けようと思う。それを実行するかどうかは彼の判断だが……。
円卓に並べられたこの辺りの地図を見ながら勝利の方程式を組み上げてゆく。
† † † †
テナルディエ陣営は暗く沈んでいた。自由騎士の参戦によって当初から逃げ支度は完了していたが、そこにまさかジスタート軍が襲いかかってくるとは東洋の格言で「泣きっ面に蜂」といったところだ。
サラから教えられたそれを思い出させるほどに敗北であった。何より略奪も殆ど出来なかった。
「ヴォルンが……帰還しただと!? そうか!……ジスタート軍の派遣を決定したのは最終的には奴だな……ふん。傀儡になってまでも、領土が惜しいか…!」
吐き捨てつつも、気持ちは分からなくもない。あの地にはヴォルンの大事な人間がいるのだろうから。
「自由騎士を足止めしていたのは良かった……だが、その後のジスタート軍の突撃が予想外だった」
返す返すも、日が悪いとしか思えない不運続きだ。しかし、このまま逃げ帰ることは考えていない。
この一戦には、自分の進退と自分がやってきたことの決算が待っているのだ。それを考えれば逃げることは出来ない。
「セレスタを焦土にする為にも、やはりヴォルンには決戦を挑まなければならない。第一……このままいけばガヌロン遠征軍ともぶつかる」
奇襲を受けて逃げてきたので武器などはともかくとして燃料や兵糧の類は、あの幕営内に置きっぱなしだ。
そんな所を適当な理由をつけて攻撃されたらば自分たちは壊滅だ。退く道なく、前に進むしかない。
「戦力確認は?」「兵二千と百です」
三千を超える大軍の内九百が自由騎士によって殺されたようなものだ。無論、それはどんぶり勘定で、実際はジスタート騎兵軍による攻撃やアルサス兵達による反撃もあったのだが。
全ては自由騎士が、こちらの戦力展開を阻んだ結果だ。
(英雄かもしれんが……あれでは化け物ではないか!)
ザイアンにとって、それは恐怖だ。生首十を放り込んだ後に、獲ろうと思えばあの男は、自分の首を獲れたかもしれない。
血飛沫舞う中でも輝く目を向ける神域の剣士。まさに「死神」だ。
知らずに親指を噛みながら、考える。考えなければ負けるだけだ。現状確認の為に近くにいた従者に聞く。
「それとどこからともなく現れた自由騎士の隣にいた女……あれは戦姫だな?」
「確証ありませんが、そう考えて良さそうでしょう。実際、我が軍の中の多くはディナントで戦姫から命からがら逃げ延びてきましたから…」
奇態な大鎌。自由騎士の振るう刀とは違い、実用的でない武器が自由騎士に負けず劣らず兵士達をアルサスの大地に死伏せた。
(戦姫が最低二人はいると考えて行動した方がいいだろうな……もしも自由騎士と同―――)
閃きがザイアンを動かした。ついぞなきその戦術のそれは、言われたディナントでも思っていたことだった。あの戦い。確実に勝てる芽はあったのだから。
「……作戦を立てる。スティード卿を呼んできてくれ」
ザイアンとしては、それは最良の作戦であった。
もしもそこに「戦鬼」「虚影の幻姫」「羅轟の月姫」など多くの要素あってこその「戦場」でなければ勝てたかもしれなかったが、それでもその男に運は向かなかった。
破滅と破局の日は―――確実に近づいていた。
† † † †
「―――――足りないな」
地図上に展開された軍移動の様を見ながら、リョウは一言発した。それはある意味、この会議場を凍りつかせることとなったのだが、構わずリョウは自分の意見を発する。
「? これ以上なく最良の作戦だと思いますが……ご不満ですか?」
ライトメリッツの女将軍であり軍師でもあるリムアリーシャが、眦を上げながら、問い詰めるように言う。
「ああ、敵は予想外に粘り強い。そして何より工夫もある。俺がザイアン・テナルディエだとしたらば……俺とティナを最大限警戒するはずだ」
自分達を最大の脅威と認識した後のザイアンの変化は早かった。それはこの国の貴族としてはかなり柔軟な発想ゆえのものであった。
あちらが採った戦術の内容を話すと、ティグルヴルムドは「変わったな……」と呟き、それからこちらに意見を求めてきた。
「サカガミ卿、ならどうすれば勝てる?」
「勝つことは容易い。卿とリムアリーシャの作戦においては、俺かオルガ、ティナが最大の脅威を排除すればいいだけだからな」
「私を含めろ! 別に総指揮官だからと『役目』を他に押し付けん。寧ろ、お前こそこれ以上戦って武功を重ねるな」
エレオノーラの言葉を無視しつつ地図上の駒を移動させる。ティナが持ってきたチェス盤の駒だ。それを移動させていく。
ティグルヴルムドとリムアリーシャの作戦ならば勝てる。しかし―――自分の予想通りならば被害が大きくなる。
被害を少なくして完全に勝つ。こちらは少数なのだ。如何に強兵でもっていても少しの損害が継戦能力を減じる。
「……これの意図は?」
「完全に壊滅させる。その為の作戦だ。それと開戦時刻は今から一刻半後がいいだろうな」
敷いた布陣の意図を完全に読めなかったティグルヴルムドに言う。
そしてこちらの考えを駒を移動させながら話す。一言ごとに質問が飛ぶがそれに明朗に答えて反論を消していく。
語り終えると―――――静寂のみが、部屋に残った。
「―――あなたは……軍師としての才能もあるのか?」
オルガの呆然とした言葉。確かに自分には個人の武勇のみが際立ち、指揮官としてのそれはなかったなと思う。
「そりゃ俺も剣だけの猪武者じゃないからな。そして何よりあちらさんには「ディナント」での恐怖病が多い。だろうエレオノーラ?」
「……色々と認めたくないが、その通りだ。逃げていく賊の中には私が「ディナントの悪魔」であると分かった連中もいた」
腕組みのまま、一番反論してきたエレオノーラが不機嫌そうに言う。苦笑しつつも、これを採用するかどうかは総指揮官であるエレオノーラとティグルヴルムド次第だとして視線を向ける。
「エレン、作戦の主力は君達ライトメリッツ軍だ。だから指揮権は君にある。けれど俺はあまり犠牲は出したくない。サカガミ卿の言う通りならば無用な犠牲が出る。……ここを守るために君の兵に多くの死人が出るのは俺も君も承服出来ないだろ」
「……分かった。というよりもその可能性を私も考えていたんだ。竜を使った戦術―――それを聞いた瞬間から多くの犠牲が出るだろうとな」
それに対してエレオノーラは、己の竜技で始末しようとしていたのだろう。しかし敵は―――大勢であり、巨大だ。
「すまない。ティグル……私はお前に無用な責を負わせようとしていた……リョウ・サカガミ……お前は、どこにいるんだ?」
「中央だ。火竜は俺が始末する。お前は地竜を始末―――飛竜に関してはまだ未知だ。しかし出てくれば俺とお前で始末する。いいな?」
「言われるまでも無い。というか嫌なことにお前と協力することになってからアリファールがとんでもなく嬉しそうだ。だからさっさと竜を殺すぞ」
戦いの「ツボ」を見誤らない。敵の強みを一直線に叩き潰す。それこそが自分の役目だ。そしてそれはエレオノーラも同じだろう。
「では私とオルガは一隊を率いて右翼と左翼に展開ですね。将としての才には不安ですが、騎馬兵として突撃は得意でしょうし」
「言われれば反論は出来ない……。けれど、全力でやるのみだ。ティグルの為にも」
皮肉を言われながらもオルガは戦意が衰えない。寧ろ燃え上がるほどだ。
オルガとティナの役目。それは右翼と左翼の撃破である。オルガには「アラム」などのジスタート兵とアルサス兵を率いてもらい、ティナにはジスタート兵を率いてもらう。
これはティグルの気遣い故だった。オルガが戦姫であることは知れ渡っていても、アルサス兵の多くは気心しれる人間に率いてもらった方がまだ信用できるからだ。
「そして私とルーリックは……後方で待機ですか………」
彼女としてはまさか、そんな役目だとは思っていなかったし、何より副官としての立場を奪われるとは思っていなかったのだろう。
「不満なのは分かるが、最後のとどめの為にも元気があり、馬も最良、武器は最上の部隊が必要なんだ」
「リム、勝利の栄誉と花道はルーリックと分け合えよ」
だから最後の攻撃の為にも―――何があっても動くな。そう言外にエレオノーラは含めた。
「ところでサカガミ卿……何と呼べばいいんだ?」
「何を?」
まさかこの作戦に気取った名前でも付けようという考えでもあるのだろうか。と思ったが、この「王」は意外な事を言う。
「いやあなたのことだ……俺としては、あんまりしゃちほこばった態度で居たくないし、拝跪もされたくない……同年代の男子なんだからな」
「変態色情狂とでも呼んでやれ」「エレオノーラ、私の夫に罵詈雑言吐かないでもらいましょうか?」
剣呑な言い争いが始まろうとしているのを察しつつも、自分としてはこの青年領主に何と呼ばれたいのか分からない。
『弓』が大得意。それだけでリョウとしては羨まし過ぎて「爆発しろ」と言いたくなるほどだ。しかしティグルからしても同じだった。
自由騎士の噂を聞いた時から、その武勇に自分は羨望を抱いていた。しかしそれに勝ることが出来ない我が身に窮屈さを感じていた。
しかし……こうして相対すると――――何故か、嫌悪も羨望も無くなる。リョウとしては「魔弾の王」が、この青年であろうと確信はしている。
だがそれと相手を真に敬えるかは別のことだった。彼を助けて魔を討ち払うぐらいはしていただろうが。
あんまり深入りするのは危険だ。そしてリョウも親近感と気安さを感じつつも今はまだ線引きしなければならない――――。
「勝手に呼べ。何でもいいさ。ただし俺は俺なりの理由でそちらをまだティグルヴルムド卿と呼ばせてもらうが」
「分かったよリョウ」
その笑顔にこれ以上の悪態は突けなかった。こちらが突き放しても彼は、こちらに近づいてくるのだ。
別に節度を守っているだけだというのに……。逃げるようにして、目の前を辞することにした。王になれる人間ではあろうが、それでもまだ俺はこの男を見定め切れていないのだから……。
「俺は全ての準備を一刻半後までに用意しておく。お前たちも諸兵に号令しておけよ」
「私も指揮する兵士達に挨拶しておきますか、では少し失礼いたします」
「私もトレブションさん達に改めて挨拶してくる。ティグル、ティッタさん。ちょっと出てくる」
―――――屋敷から三人がいなくなると同時に、ティグルは力なく声を吐く。
「フられたかな……?」
「お前「そっち」の趣味があったのか!?」「ティグル様!!」「非生産的ですね」
「そっち」って「どっち」だよ? と不機嫌に思いつつもティグルとしては本当に残念だった。
別にこれからも彼を利用しようという考えではなかったのだが、それでも何か彼なりに思いとどまるものがあったようだ。
最初の出会いの時に、もしかしたらば―――盟友となれると思えた。それは打算では無くティグルにとっては求めていた友人だからだ。
自分の弓の全てを認めてくれる相手。そんな人間と友になれれば自分は多くの戦場を駆け抜けられると思っていた。
(俺を……「光」としながらも、それに「惹かれる」ことはない……俺に何があるんだ?)
リョウは全てを知っている。全てではないが、それに近いことは知っているはずだ。それがオルガをここに導き、彼自身もここに招いた。
我が身の流れるままのそれが、全て運命であるというのならば、それを教えてほしい。
何より―――――。彼に完全に認めてもらえないことが自分にはとても不満だ。
「リョウの言う通りならば中央には厄介な部隊が出てくるはず。剣が届かぬ距離ならば俺の弓で認めさせてやる」
「その意気だ! むしろそのつもりで奴を這いつくばらせろ!!」
自分の意気はそういうことではないのだが、なんでこんなにもエレンはリョウの事を嫌うのやら―――。
出来うることならば仲良くしてほしいのだが。
「弓……ティグル様……戦にはこちらを持っていくべきです。ウルス様の遺言の「時」は「今」です」
そうして、思い出したかのようにティッタは家宝である「黒弓」を携えてきた。
愛用の弓は、既に張り直しが利かなくなってしまった。それを考えれば、これを持っていくべきだろう。
何より父ウルスの生前に語っていた「時」―――――。それは今だろう。そして何より自分はリョウ・サカガミに負けたくない。
(認めさせてやる―――本当の自由騎士に―――俺の誇りは―――負けないんだと)
領民を守る。そして何より男として憧れた人物に自分の全てを認めさせてやるのだと―――ティグルは、その弓を持ちながら心で決意した。
そして一刻半を過ぎた時―――モルザイム平原において、両軍は対峙することになった。
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『モルザイムの戦い-Ⅰ』
二千百と九百の戦い。数の上でならば確実に前者に軍配は上がる。だが寡兵で以て戦う術ある以上、それは盤石ではない。
それを一番認識しているのは―――――二千百の方であった。
「前進!!」
二千百の軍勢が馬陣を揃えて平原を進撃してくる。
その威容と、並び方に指揮官たちは――――目を丸くした。作戦前に言われた通りの陣容と戦術のそれだ。
あまりの嵌りっぷりに、何か妖術……いや妖術に近いことを出来るのは知っていたのだが、それでもここまで読み切るとは、頭のキレも大したものだ。
「正直、話半分でしたが……本当にサカガミ卿の言う布陣で来ましたね。しかも、竜の上に居ますよ」
「中央三百、右翼二百、左翼二百、後方二百。この布陣で完全勝利を目指す……か」
件の自由騎士より渡された「望遠鏡」で所定の位置にて確認したリムアリーシャは、隣にいるルーリックと共に主戦場にいれないことに少しだけの不満も覚えていた。
だが、これを『覆す手』が都合よくあらわれるのだろうか。
それは――――――。
『二百の兵を三倍に増やす――――『疾風』―――』
そう聞かされていただけに、自然と左翼を率いるオルガは空に視線を向けた。確かに今、この平原に吹く風はこちらにとって追い風だ。
騎馬の民の馬は強壮であり、優秀だ。ありとあらゆる風に乗ることが出来る。
ティグルはこの事態に際して、全騎兵の馬をモルザイムにて放牧していた馬に替えていた。それはただの放牧馬ではなく、いざとなれば、いやすぐにでも軍馬になれる馬だ。
それをオルガは分かっていただけに、自分たちが右翼・左翼を突破していく要なのだと理解出来た。
† † †
そんなオルガが感心していた理屈を察して、尚且つリョウの軍略も知っていた右翼を率いるティナは何も不安を覚えていなかった。
慢心している軍は一度追い落とされただけで『水鳥の羽音』にいもしない大軍勢を見る。
闇夜に焚かれる篝火の多さとそれを『角』につけた「獣」に進軍を止められる。
何より彼はここに吹く風を知っていた。天文と土地の者とに聞き、この辺りの地形を見たからこそ今、この「時」に―――戦いを挑んだのだ。
『偽』を『真』として、『真』を『偽』とする。相手の頭脳の程を察していなければここまでの策は打てまい。そんなティナの不安ごとは―――戦いの後である。
† † †
戦いの後に―――何が起こるか、まだ勝ち負けも決まっていないというのに、それを望みつつも、もはや自分はこの戦いに関わるしかなくなる。
ティグルヴルムド・ヴォルン伯爵。馬を横に並走している男こそが求めた光だ。しかしそれは魔を討ち払い、この西方の王となるべく運命付けられたものだからだ。
だが……そればかりに肩入れ出来る人間とも言いきれてはいない。この男を俺はまだ見極めきれていないのだから。
「前進か」
呟くティグルヴルムドに答えを出す。まだ戦闘距離ではない。奴らの不安感が最高点に達する位置まで、誘いを掛ける。
「突撃じゃない辺りが、奴らの不安感の正体だ。奴らは今、後ろから来るのではないかという奇襲を恐れている」
生憎ながら伏『兵』はいない。これから奴らが受けるのは奇襲では無く「強襲」だ。そうしているとティグルヴルムドが、再び話しかけてきた。
「なぁリョウ……俺に何か求めたいことあるか? この弓だけが俺の武芸なんだ。それで俺はお前に借りを返したいんだ」
彼もこちらの態度の悪さを軟化させたいのだろう。あちらがどう思っているかは勝手だが、それは借りでも何でもないと思う。
しかし―――リョウは少しだけ、この狩人領主の実力の程を知りたくて無茶な注文を出す。
「………ならば俺の『速さ』に合わせて弓を射かけてくれ……正直、援護射撃もなく前に出るなんて怖くてしょうがない」
「そうなのか?」
心底びっくりした顔をするティグルヴルムド・ヴォルンに、先程までのイジワルさを無くして、やはり何故か正直な気持ちを吐き出してしまう。
「俺はヤーファでも射戦の後の突撃戦で存分に暴れろと言われる。けれども俺にとって突撃戦、乱撃戦ってのは本当に怖い」
心底いやそうな顔をしながら語るリョウ・サカガミに、本当の意味で親近感が湧いてしまう。
「外れそうな矢でもどんなに俺を殺しそうなほどに自分を擦過する矢でも「護矢」は俺にとってはありがたい「護矢」なんだ」
「若はそんな矢は放ちませんぜ。サカガミ卿、その矢はみんなを守る本当の光なんだ」
バートランさんの言葉を聞きながらも、自分はティグルヴルムド・ヴォルンに「挑戦」をしなければならない。
この男が本当に王だというのならば、俺に閃光を見せろ。俺に神速の先を見せろ。俺に―――――――。
「俺は何処にだって翔ぶ。どんな援護だって生かす。だから……俺に「魔弾」射ってこい!!」
その時浮かべた―――互いの顔は、いつまでも忘れられない。お互いに得るべきもの、お互いが欲しかったものが一致した時だったからだ。
そして―――最初の激突が始まる。中央突破と見たテナルディエ公爵の弓、騎、歩の三軍九百が中央の三百とぶつかる。
「突撃!!」
最初に号令をかけたのは、エレンであった。中央と言ってもリョウとティグルと少し離れた所にいたエレンの号令は中央で三倍の敵とぶつからせた。
もっともエレンの中央軍は全て騎馬兵であり、その突破力はとんでもないものだ。無論、負けじと公爵軍側も騎兵を歩兵と共に押してくる。
それでも先手を獲ったのはこちらだ。勢いはこちらにある。
エレンの反対側ではリョウとティグルの率いる中央軍がいたのだが……。その時、エレンは――――信じられないものを見た。
この場に吟遊詩人がいれば、その様を見て全ての人間の心を打つ最高の武勲詩が唄えて一生を喰うに困らないかもしれない。
(言いたくないが……言わなければならないかもしれない……私は―――――伝説を、神話を見ている)
そうしながらもエレンは迫りくる騎兵に対してアリファールを向けて鎧袖一触をしていく。そんな彼女もそれに近い存在ではあるのは間違いなく敵を恐慌させていたのだから。
† † †
中央から躍り出た黒髪の侍は騎馬から一度降り立ち、飛ぶようにして地面すれすれを跳びながら、剣を振るった。一撃にして隊五十の騎馬全ての脚が止まる。
その五十の騎兵に対して次から次へと矢が奔る。己に近い順、二百五十アルシン先の距離を時間差で撃っていたからなので、タイムラグはあった。
だが傍から、それはまるで『同時』で突き刺さったように見えた。飛来した『閃光』が落馬した騎兵全ての眉間を正確に射抜いた。
面頬の隙間から突き刺さるそれは、ただ一人の所業だ。
騎馬の壁が崩れてそこから次の敵。今度は歩兵だ。長槍などを翳してこちらに近づけないような戦法。
気合いを込めて放たれるそれを前にして侍は跳躍。歩兵百の頭上を飛んでいく。そうして頭上を見た瞬間の隙を狙って、後ろにいた弓兵―――騎馬を操りながらも見事に矢を放ち、歩兵を一矢で三人まとめ殺す。
前の恐慌が伝わると同時に、後ろにいたサムライは神速の乱撃を繰り出す。歩兵集団を一刀の下で殺していきながら、弓矢の位置が分かる。
変な話だが―――「お互いの呼吸」が分かるのだ。
弓は、ヤーファの弓術―――ヤブサメ(流鏑馬)のように歩兵集団をぐるりと回りながら撃ちぬいていく。しかしそれは歩兵集団を中から斬り殺している刀には当たらない。己の位置を理解して、相手の呼吸が分かる。
それが戦場の絶技を生み出していた。殺しつくすと同時に弓の前に出る刀。それはまるで『王』と『王』の狩りの成果を見せ合うかのように一致したものだ。『示しあわせた』わけではないが『示しあわせてしまう』
そんな少しの待機時間に、背後を狙う狼藉者の矢が飛ぶ。歩兵の後ろにいた弓兵部隊の矢だが―――それを刀―――リョウは回転するようにして得物を一回転させて打ち落とした。
自分と弓――――ティグルヴルムドを狙ったものだけを正確に打ち落とし、リョウが落とした矢を空中で受け取り弓に番えるティグル。
三矢―――扇状に狙いをつける。
「リョウ!」「―――ティグル!」
何でもない呼びかけ。だがそれだけで意は伝わった。弓隊は一列に並んでいる。それを前にしてもティグルは自分に覆うように撃つ。背中に迫る矢、残り二十アルシンに迫る所で、身を屈めてやり過ごすだけでなくその矢の軌道を追う。
「ひっ!!!」
悲鳴を聞きながらも、手を貫かれ弓を落とした一人の首を落とす。もはやここまで迫った時点で弓隊は混乱に陥っていた。
胆で睨みつけながら、弓隊に停滞を促す。それこそが最後の敗着であった。
(俺ならばもう一度試すね! 『魔弾の王』が照準を合わせる前にだ!!)
先程放たれた矢の軌道を逆回しにするかのように、混乱して止まっていた弓隊に絶命の矢が突き刺さる。
弓隊の死体の前まで来たティグル、その弓隊の無用となった矢筒を投げ渡してから、口笛を吹き馬を呼び寄せる。
「たかだか三十人ばかりの弓隊で援護射撃が出来るわけがない……本命は竜の上か!」
「エレオノーラの方を支援する。横っ腹を突き破る―――――もっとギリギリでも構わないぞティグル。俺の速さを舐めるな」
と言いつつも、原因は分かっている。こちらの言葉に苦笑するティグル。
「矢のストックが追いつかないんだ。しかしお前は、あんな戦陣の中をいつも援護射撃なしで戦ってきたのか?」
「あっても俺の速度に合わせられるほどの天下無双の弓取りがいないんだよ。だから俺は―――一人で戦ってきた」
無論、自分よりも速く重い剣士がいないわけではない。それでも俺の「意」を汲み取れる存在はいなかった。精々、サーシャのような三速ある剣士ぐらいだろうか。
「―――俺は、俺の弓の「意」をリョウが完全に読み取っていることが嬉しい。そして何より―――俺を必要としてくれる剣士が―――いたことが」
矢が思い通りの軌道を描けば、その先の道を切り裂いてくれる剣士。剣が主役でもあり、弓が主役でもある。
どちらが欠けても「先」にはいけない。神域の絶技―――。
「行こうぜ。話してる間にも作戦は推移しているんだ――――」
話を打ち切り、そっぽを向くような形で、馬をエレンのぶつかっている方向に向けるリョウ。
「クサかったか?」
「恥ずかしいんだよ」
それをクサいというのではないかと思いつつもティグルはあえて言わなかった。先程までのどこか硬かった態度が軟化していたからだ。
多分、リョウに自分は試されていたのだ。だが、認めてもらえた。それが嬉しい。
まだ自分はリョウ・サカガミの事を全て知っているわけではない。けれども―――いつかはお互いの全てを曝け出せる友になりたいと思えた。
† † †
そうして中央での鬼と魔弾の悪魔的な活躍は戦場での予想外の展開を誘発することになる。
確かにこうして中央で受け止めて火竜と地竜を釣る作戦ではあったのだが、それ以外の効果として、元々の恐怖心も合わさって歩兵部隊は恐慌状態になったのだ。
騎兵を操る殆どは騎士という「職業軍人」であるのだが、歩兵の大半は兵士、領民を徴収した「市民軍人」である。
彼らにとっては略奪出来るからこそ着いてきたわけで、何より従軍して俸給が出ると言っても、上司である領主次第でどれだけ出るか分からぬし、彼らからすれば、生まれた土地を守る防衛戦でもなし、何故こんな辺境に来て死ななければならないのだという感覚が出てきた。
そして血臭に混ざって風に乗って香るこの匂い。恐らくアルサスの料理の匂いが、鼻に突く。何故自分たちはここで無為に死んでいるのだと、郷里に似た匂いの料理が作られているというのに……何であんな非道な領主の為に戦わなければならないのだと。
これに関しては、ヴァレンティナの策略であった。
彼女は、各国の軍人の錬成と来歴の程から、ブリューヌの騎士団以外の貴族軍の殆どが市民軍人であることを分かっていた。
そこで各地方の味わいある料理の特徴を察してそれぞれの地方の特徴で「燻製」した「塩」を開発することに成功していたのだ。
アルサスの野戦食に使わせたのは、効果があるかどうかの実験でもあったのだが――――。
(試しにやってみましたけれど……まさかここまで効果覿面とは)
エザンディスの刃で顔を隠しながらほくそ笑む。これを利用すれば間諜達を現地人として紛れ込ませることも容易になる。
しかし謀略の類は、今は置いておく。目の前の戦いに集中しなくてはならない。
右翼左翼の部隊は未だにテナルディエ軍と矛を交えていない。
テナルディエ軍の陣容は中央千、右翼四百、左翼四百、本陣に三百である。
おまけにここからでも見えるが、どうにも後ろをしきりに気にしている。戦力を広く展開していれば確かにディナントでも勝てたはずだ。それは自分も分析した。
ザイアン・テナルディエはそれに従軍していたのだろう。そしてエレオノーラがそのディナントでの軍勢であることは既に知れている。
故に寡兵で以て来る以上、伏兵を気にしているのは当然だが……。
そんな風に考えを巡らしていた時に――――遂に待ち望んでいた疾風が吹いた。
羅轟の月姫と虚影の幻姫が、己の武器を掲げる。風にも負けず掲げた武器。そして示される指示で遂に―――戦端が開かれる。
『シュトゥールム・プラルィーフ!!!』
符丁に従い右翼と左翼の騎兵は、飛び出した。モルザイム平原を怒号と共に蹴って迫る四百の騎兵。
それは風の勢いもあり、まるで神話に出てくる怪物のようにも思える突撃であった。
リョウがこの右翼左翼の軍団に願ったのは――――中央と同じく強襲である。相手の攻撃を弾きながら、進撃に次ぐ進撃で防衛線に穴を空けることであった。
『一回通過したならば、そのまま敵本陣を下がって背後を突く形になれ――――』
丁度、テナルディエ軍は丘を背にする形で離れて陣取っていた。なだらかな丘は、大体主戦場から450アルシンといった所か。
『斥候がしきりに丘の向こうにいるだろう伏兵を探しているだろうが……意味は無い。オルガ、絶対にお前は丘までいけよ』
変化させて長斧と化したムマを振るいながら、オルガはこれが将としての戦いなのだと自覚していた。多くの策を成功させることは、全員の活躍あってこそ成るものなのだと。
疾風の勢いで右翼の部隊を食い破って距離を離す形で、左翼の部隊と共に丘まで疾走する。
抵抗が弱々しく歩兵の殆どが戦わずに、武器と鎧を捨てて去っていくと、神速の突破をティナとオルガに与えた。
敵騎兵達は、向い風で動けぬ所を簡単に撃破された。勢いに乗った軍隊の行軍とは止められることなき風車のようなものだ。
「トレブションさん。ティグルに伝令を!」
「了解だよオルガちゃん!!」
示された通りに伝令役のアルサス兵士が騎兵軍から離れて、元来た道を大きく迂回する形で、陣営に合流することになる。
―――――それを見送ってからオルガは馬笛を吹いて、銅鑼を鳴らすように言った。
† † † †
そんな背面を取られたことに対するテナルディエ軍の動揺は激しかった。
ザイアンは慎重に、四方八方に斥候を飛ばして伏兵がいるかどうかを慎重に探るようにしていた。しかし見つかるはずの伏兵は居らず――――疑心暗鬼を生みつつも一つの結論を生み出していた。
「前にいる戦力が全てなんだろう! 奴らを突破する! 如何に自由騎士と戦姫が強卒であろうと戦力は我らが上回っているんだ!!」
結論して、行軍させてきたのだが―――。予想外の事態ばかりが起こっていた。
まずはこのモルザイムに吹く風だ。追い風を受けた敵方の騎兵の突破力は通常以上だ。これには馬の種類の違いも大きい。
何せアルサス及びライトメリッツ軍の騎馬の殆どは、騎馬民族のものであり、その勇壮さは他国も買い求めるものだからだ。
そして戦力の散逸が風の効果を生み出した。中央の突破力は恐ろしく如何に竜を擁していても、兵士達の多くは恐慌、及び風に乗る飯の匂いが彼らを戦闘不能とした。
これでもしも通常のブリューヌ式の突撃陣形であれば、激飛ばしも効果あっただろうが、騎士という「上役」なく「兵長」程度の連中が率いては、その激が飛ぶ前に戦場からの逃走を生み出した。
「くそっ!! 兵士達に逃げ出せば厳罰だと告げろ!!!」
「無理です。自由騎士と戦姫―――それと弓の閃光が煌めく度に、恐怖が上回ります!!」
「奴らが最初から我々を壊滅させる意図だったのはこれが理由か!!」
寡兵で以て、真正面から受けて立つという姿勢でいたこと―――それは、後方司令部には疑心暗鬼を生みださせて、前線には二千百を壊滅させるという意思表示をすることで兵士に脅しをかけたのだ。
何より兵士の動揺だけはどうしようもない。死人に口なし―――。そうであるというのならば最初から厳罰も何もあったものではない。
テナルディエからの懲罰よりも、命無くば意味は無い。こちらの勝ちの目を見せないことで、戦力を無効化させた。
「ザイアン様、中央を撃破する―――それしかありませぬ!」
「……分かった。我らが出なければ兵士達も戦わぬだろう……! 『地空の合一』で中央の自由騎士と戦姫を撃滅する!!」
背後から攻められても前に突っ切ればいいだけだ。重臣の一人の言を聞きながら、ザイアンは決意した。
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『モルザイムの戦い-Ⅱ』
束ねられた矢の全てを一斉射する。ただの乱射でしかないはずのそれだが、ティグルにとってそれは乱射ではない。
「おおお!!」「はぁっ!!!」
ティグルが放った矢の「援護」をすべく「矢の意」を受けた剣士二人が、必要な「壁」全てを斬りはらう。
開かれた「壁の向こう」イメージされた通りに騎士の兜を貫いていく「閃光」。剣と弓の豪撃で都合百四十の騎士が、物言わぬ死体となり、モルザイムの大地に沈む。
「若っ!」
投げ渡された矢筒、従者であるバートランが担いできたものは既に八割がた使い切った。
しかしまだ足りない。エレンはともかくとしてリョウはもっと早く切り刻み俺の矢を活かせるはずだ。
次をやろうとした時にアルサスの兵士―――トレブションが、伝令として自分の傍にやってきた。
「ティグル様! 万事順調! 仕込みも完璧です!!」
「オルガは無事なのか!?」
「ええ、自由騎士の奥方と共に合図を待っています!!」
大声で問い返さなければならないほどに、怒号が響く。あちらも必至だ。
「竜だ! 竜が出たぞーー!!」
来た! 待ち望んでいた声だ!! ここからは如何に竜を無力化出来るかだ。
最前線に立っていたエレンとリョウは、その声を発した騎兵などを下がらせながら、対峙するに良い場所まで下がろうとするも――――――。
まるで高矢倉から放たれるかのように凄烈な一斉射、弾き飛ばしながら馬を操り中央部隊の後退を支援する。
「成程! 柔軟な発想だ!!」
「絶対に落とせない「
感想を交互に述べながらも、矢弾は降り注ぐ。
どちらも千チェート近い巨躯であり、その背中に器用にも「弓兵」達が弩やボウガンの類を持ちながら、絶え間ない射撃を行ってくる。
(惜しいね……その智謀…!)
これを指示しただろう鼠賊の親玉の事を思い浮かべる。その立場さえ違い義により味方と言わずとも、こちらと協調出来ていれば、一角の英傑にもなれただろうに。
だが残念ながら、親は「奸賊」。王権狙う不忠の蛇蝎である。本人の人格がどうあれ――――それはこの戦国の世において考慮されるものではない。
決意を込めると同時に思考を巡らす。このままならばそろそろ、回り込んで側面から騎兵を回してくるはずだ。
火竜の炎を受け流しながら、遂に大体の連中は撤退出来たことを確認する。しかし何人かは逃げ遅れて、地竜の突撃、火竜の息吹で圧殺、焼殺された。
――――ここで潰す。その気持ちでアメノムラクモに「地の勾玉」を着ける。瞬間、周囲から岩塊を集めに集めて刀身を形成する。
柄の短さで違うと言えば違うが「斬馬刀」が出来上がった。そして後方にて飛竜が飛び上がりそうなのを見て、「最悪」の一歩手前だと気付く。
「やるぞ!」「ああ!」
決意を込めて騎馬による突撃をしながら、剣を向ける。並走するエレオノーラの剣に風が集まるのが分かる。
放つものは分かる。それは鎧袖一触の一撃だ。近づかれては不味いと矢の圧力が強まるも、こちらの移動ルートを察したティグルの矢が全てを打ち落として、その射線から位置を算出して、竜の上に跨る弓兵を打ち落とす。
(とんでもない実力者だ。遠雷、弓聖(きゅうせい)なんて称号でも送りたくなる!!)
陛下の見立てならば王は西方において「救世」を行うもの。「救世王」にして「弓聖王」たるべき男。そんな男と戦えることにもはやリョウの心意気は上がるばかりだ。
しかしそれはティグルも同様だった。
西方の術理とは違う流れるような剣の動きが閃く度に、血飛沫があふれる。そしてその動き。リョウの心の速度が「分かる」のだ。
そして自分の弓を最大限活かしてくれる剣友―――――。
(剣匠なんて称号じゃ足りない……闘神、剣聖を俺は見ている!)
彼の剣は自由だ。自由であるからこそ新しき世の訪れを感じられる。
「建世」を行うもの。「建世王」にして「剣聖王」たるべき男。そんな男に巡り合えたことにティグルは神への感謝をする。
『あの不死鬼の子に感謝をするならば――――あなたは、飛竜を「撃ちなさい」』
そうして熱くなっていた時にティグルの頭に―――――声が響いた。
背中が粟立ちながらも、その言葉は何故かティグルを従わせる。どこから響いているのかは分からない。しかしそれでも怒号響く中、涼やかに聞こえる声は、真実を見抜いた。
矢が飛ばない。しかし決着は着いていた。
決着の程を見てから―――残った脅威であるものを見た。ティグルは上空に向けて『狙い』を付けていた。
エレンは、己のアリファールに風が巻きつくのを感じながら、その調子がいつもと違うのを認識していた。
悪くは無い。寧ろいつもより良いぐらいだ。その調子の良さは―――まるでいつもの竜技の威力を越えそうなぐらいだ。
圧縮されていく風と大気の塊、絡みつく剣の輝きが増す。その原因は分かっていた。
(つまりリョウの持つアメノムラクモとアリファールは相性が良いということか?)
打ち落とされていく矢。ティグルの援護をいつまでも受けているわけにはいかない。考え事を打ち切ってエレンは剣を最上段から下段に振り下ろしつつ、言葉を紡いだ。
「
解き放たれる「嵐刃」が地竜を引き潰し、撹拌して肉と骨を完全に砕いていく。無論、背中に乗っていた弓兵もろともである。
リョウは、火竜が息子の同胞であろうことを理解していた。あれは恐らく火竜山から連れ去られた竜。
それをテナルディエ公爵が従えていることは、テナルディエ公爵ないし、公爵の近くにいるのだ――――。魔なりし者が。
神流の剣客として、それは打ち滅ぼすべき邪悪だ。息子の故郷に帰してやりたい気持ちが無いわけではない。
(だが―――それは出来そうにないな……せめて一太刀で決めてやる!)
だから最後まで抵抗してみせろ。貴様も竜王の眷属であるというのならば、その意気を見せろ。
吐かれる炎。身を包む炎の猛りに合わせて、剣を流麗に動かして―――炎を吸収しつくして溶岩のように赤い亀裂を刀身に見せる「土蛇剣」を振り上げて、裂ぱくの気合いと共に振り下ろした。
百チェート以上の「大剣」など生ぬるい「巨人の剣」が振るわれて、身を真っ二つに裂かれる火竜。その時、逃げようとしていた弓兵達だったが、あまりの早業に逃げられるわけも無く、竜と同じく二つに両断された。
(待っていたぞ!! この時を!!!)
ザイアンの心中で喝采が湧く。竜が殺されることは織り込み済み。そもそもあの初戦でも自由騎士と戦姫の持つ武器が竜に傷をつけていたことは分かっていた。
あわよくば的の遅滞戦術を潰されたことに対する煮えかえり、殺された弓兵に対する恨みはこの後の「攻撃」で払わせる。
情報の正確さを要求していたザイアンならではの狡猾さが発揮された。それは本来ならば勝利の方程式だった。だが、それを覆すは―――価値を認めつつも、どうしても和解する機会なかった狩人領主の一矢によって砕かれた。
「突撃だ!! やつらとてここまでの化け物ぶりを見せて―――飛竜との連携で戦えるわけがない!!!」
自分達が中央の自由騎士と戦姫を討取れば、未だに恐慌状態の連中も前に出る。勇気を持って進撃する。
(サラ! 俺に勇気をくれ!!! 俺はこの戦いに勝ち!! 新しき世を―――本来の公爵家の道を!)
ザイアンとて怖いのだ。それでも自分が前に出なければどうにもならない。それでも戦わなければ―――
上空を飛びながら突撃を開始しようとする飛竜。2ベルスタの高さから曲射で突撃しつつ、その背に積み込まれた樽弾を、ヴォルン達の陣に叩き込めば奴らも混乱する。
何よりそんな「戦術」は古来よりあり得ない。ここにはあの化け物のような飛竜と火竜の混血もいないのだ。
それがあれば変化させただろうが、ここにいない以上―――勝利は目前だ。
飛竜の攻撃とほぼ同時の突撃。攪乱させた上でのブリューヌ合戦式の突撃は如何に精強なジスタート軍とて壊滅させられるはずだ。
飛竜から樽弾が落とされれば、
粉塵が舞い上がれば、
敵陣に混乱が起きれば、
閃光が地上から上空に走った。
飛竜の支援あるはず、
四百アルシンの半ばを中央の部隊の残りに本陣部隊を加えた七百兵の大突撃が―――――。
もはや目前に迫りつつも飛竜の支援が無い―――。しかし勢いは殺せない。空からの支援という協力のみが、テナルディエ軍を支えていた。
予定より遅れているのは、ただ任された騎兵上手でも飛竜を操るのは難しいからだ。
―――――もう少しで、飛竜の攻撃が始まるはずだ。
そんなテナルディエ軍の考えは―――その突撃の真ん中に落ちてきた飛竜と騎兵の骨と肉の雨霰で砕け散った。
閃光が地上から上空に走った。
それを見ていたはずのテナルディエ軍は、気付けなかった。
「閃光」は―――、「魔弾」は―――、テナルディエ軍の最後の希望すらも堕としたのだ。
「――――銅鑼を鳴らせ! 最後の仕上げだ!!」
「奴らは死に体だ。徹底的に打ちのめせ!!」
現実離れした光景に呆然としていたが、覚醒を果たしてエレンは指示を出す。リョウもその言葉に重ねるように声を出した。
こちらの言葉で呆然から覚醒したのは、テナルディエ軍も同じだった。
兵士達は既に命令を無視して逃げている。鎧も武器も何もかも投げ捨てて、恐怖から逃れようと走り去っていく。
「待て!! 逃げるな! たたか―――」
突撃部隊の中で命令を発しようとした騎士の一人を兜の上から矢が貫いた。届いた約250アルシンという距離では、何も自慢にならない。
しかし今まで待たされていた鬱憤を晴らし、何より「弓聖」の戦いに同行出来なかった不満を晴らすようにルーリックは騎兵を操りながら、最後のとどめの号令を『一矢』で掛けていた。
リムもまたここまで力を溜めに溜めていたものを解放できる喜びを感じていた。最大の力を発揮できる最上の騎兵部隊による強襲。
まさに先程までテナルディエ軍が思い描いていた攻撃がモルザイムに展開される。
それが敵であり他国人であるジスタート軍によって行われているのだから皮肉も極まれりだ。
中央700から100が散逸して、600がどうしたらいいのか途方に暮れる。しかし目の前には怒号を響かせて迫る騎兵軍団。
そして後方からは―――――。
「スティード様! ザイアン様!! 後方より伏兵500が出現!! 騎兵で以て迫ってきます!!!」
それらは後方に走り抜けた部隊と合流して、こちらの背後を貫こうとしているとのこと。
進退窮まった……。その感想は両名に出た。そしてザイアンよりも早くスティードは指示を出した。
「馬を翻せ!! 我らは左方より脱出する!!」
そちらは、ガヌロンの領地近い。しかしそれでもネメクタムに帰るためにもニースに寄らなければならない。
「ザイアン様。ここは一時的に戦域を出るべきです!」
「あっ……ああ……て、撤退しろ!!」
呆然自失していたザイアンに気付けをしながら、スティードは、どこにあれだけの伏兵を隠していたのだと睨みつける。
右翼左翼の残存部隊は中央軍から離れていたので、伏兵に合流した部隊に滅多打ちにされている。
そして自分達も逃げなければ―――壊滅させられる!!
このままでは全滅は確実だと、スティードは思った。
「逃がすな!! 背後を見せて馬も疲れている鼠賊共を生かして帰すな!!」
600の中央軍の背中に遂に追い縋ってきた最強の部隊。
目の前には、ジスタートにも風聞伝わっている忠節踏みにじる奸賊だ。これで戦意が生まれないものがいようか。
「見ろ! 家の麦を浅ましく齧っていた
「入った家が獅子の住処ならば逃げ帰るのか! 腰抜けめ」
次々と浴びせられる罵詈雑言に馬を翻そうとするスティードと同じ騎士達だが……。
「言いたい奴には言わせておけ!! 今は逃げて!! 生き延びるのだ!!!」
見もせずに、スティードは厳命する。それでも逃げ遅れた200が壊滅させられる。
そして逃げていた方向の一角で、何人かが落馬をする。それに巻き込まれる形で、更に落馬が出てくる。
(罠だな……こちらの動きを読み切って……いや誘導させられていた……!)
この状況は全てあちらの思惑通りのはずだ。
左右のどちらに逃げ込むか、分かっていたのだ。徹底的に追い落とされる恐怖がスティードを慄かせる。
しかし今は逃げるしかないのだ――――――。この屈辱は忘れない。そうスティードは決意して、今は生きることを最優先にした。
† † † †
「派手にやったものだな」
「同感だが、まだ終わっていない。ザイアンを殺さない限り終わりではないんだから」
既に潰走して逃げていくザイアン及びテナルディエの残兵。しかしティグルはここで終わらせるつもりは無かった。
ヤツを殺さなければアルサスに再びテナルディエ公爵は兵を向ける。その時―――今以上の策をやられて勝てるかどうかは分からない。
何より―――アルサスの住民を不安に陥れた元凶を逃すつもりはないのだ。
「よく言ったティグル。それでこそ私の見込んだ男だ。リム、元気のあるもの三百を組織してテナルディエを徹底的に追い落とす。馬も装備もいいものにしろよ」
「それならばすぐですよ。私とルーリックの部隊は殆ど出番が無かったのですから」
「言われてみればそうか」
最後のとどめとして動いたルーリックとリムの部隊だが、生憎殆ど戦うことは無かった。本来ならば最後のとどめとして後方部隊と連携した上での交互突撃で終わるはずだったのだが。
「暴れすぎたな……正直、誤算だったのはテナルディエ軍のディナントでの恐怖が根強かったことだ」
そうして話していると、幾つかの指示を出していたリョウが自分たちに合流してきた。その傍にはオルガとヴァレンティナもいた。
「流石は自由騎士、貴様の恐るべき剣技と色欲っぷりがテナルディエ兵の肝を冷やすだけ冷やして逃げさせたな」
「お前、前線の兵士が自分に向けて「銀髪の悪魔」とか叫んで小便ちびっていたの見聞きしなかったのか?」
そんな風に剣呑な感じになるエレンとリョウ。しかしリョウの話すことはティグルも聞いていた。
テナルディエ軍の恐慌の原因としては半々といったところだろう。
「逃げた兵士達が盗賊となって近隣に跳梁するかもしれない。残兵がいたらば投降するか、武器と防具を渡して帰るように言ってくれ」
「承知しました。ということは……またもやティグルヴルムド卿の闘いには同行出来ないのですな」
やるべきことを願うと肩を落として落胆するルーリック。別に仲間外れにしようというわけではない。ただ単に、信頼できる武官にそういう敗残処理をお願いしたいのだ。
ましてや捕虜なんてのを食わせる余裕は無いし、この一戦の後も、自分がどうなるか分からないのだから。
「すまない。そういう処理に関しては「清廉」なる「騎士」であるお前だけが出来る仕事だろ?」
「お任せを、アラムなどにも厳命しておきますのでご安心を!」
乗せられていることに気付かないのか。と少しだけ不憫に思いながらもリョウは、『伏兵』の馬に取り換えるように指示をする。
「まさか、無人の馬をザイアン達が伏兵だと思うなんて……。よっぽどディナントでの敗戦が利いているんだな」
テナルディエ軍が後ろから来ていると見た伏兵。それは―――ティグルが偽兵として威嚇しようとしていた替え馬であった。
しかし四方八方に斥候を放っていたテナルディエ軍が見つけられなかった理由。それは単純明快に、ティグルの策である。
このモルザイムに牧場を設定するとした時からティグルは、ここが狙われる可能性を考えていた。
牧場を作った時点で、それら家畜や馬を隠せられる避難場所と指示を責任者にしたためていた。
「それゆえ、騎馬の駿馬は無事だった……しかし、そこが伏兵の隠れ場所になるとは考えたもんだ」
「旗を馬に多く掲げさせることで大軍にみせかけたのはリョウの戦略だろ。それがなければあっさり露見していた可能性もある」
二人ともが馬に乗り換えながら、全ての策を露見する。偽を「真」にして、真を「偽」とする。その策略は二人の若武者の働きあってのものだった。
互いに手柄を称賛していたのだが――――。
「ティグル! 私が馬笛を吹いたからこそタイミングよく馬がやってきたんだ。褒めて!」
「怖かったですリョウ。だから抱きしめながら私を次の戦場まで連れて行って下さい♪」
二人の戦姫が、そんな若武者の馬に自然と乗り込んだ。姫として殿方癒してあげますという自然な様に、エレンは青筋を立てる。
ヴァレンティナはともかくとして、ティグルの馬に自然と乗り込んだオルガはいかんともしがたい。
馬を寄せつつ、ティグルの眼前に迫り報酬を要求する。
「ティ、ティグル! 私も頑張ったぞ! すっごくがんばったんだから、何かやれ!! とにかく褒めてくれ!!」
「なにかって………ありがとうエレン。まだ一働きしてもらうけれども、俺に力を貸してくれ」
そうして手を伸ばしてエレンの頭を撫でるティグル。その後には、年相応の少女のように赤くなるエレンであった。
本当にふやけた表情をするエレンだ。ティグルは当分、頭撫でを止めることは出来そうにないだろう。
捕虜にした時は、懐柔するつもりだったのに、懐柔されてどうするとリムは思いつつ、リムも少しだけこの青年貴族の評価を改めた。
自分の策であった落馬のための紐集めの際の様子。そして設置さえ何も文句を言わずやってくれたアルサス領民。
この青年貴族が本当に領民から愛されているのだと実感できたのだが……。
(まぁいいでしょう。それにしても問題なのは……)
リムがそう納得してから視線を向けたのは、青年貴族が、どういった『存在』であるかを認識していた―――エレンの様子に苦笑をしている自由騎士である。
リョウ・サカガミはティグルが飛竜を「貫いた」ことに何の疑問も抱かなかった。後方から望遠鏡をのぞいていたリムは分かっていた。
呆然としていたエレンとは別に飛竜が落ちたことを、何の疑問にも感じず追撃の号令を掛けたのだから――――。
詳しい話は道すがらでいいだろうと思っていると、追撃部隊が出来上がったのを伝令役から聞く。
「戦姫様! リムアリーシャ将軍! 準備整いました!」
「むっ、よしティグル分も補給した。先回りのルートを取って完全なる勝利を得るぞ!!」
『ティグル分』って何だよ? とエレン除いて全員が思いつつも、後一手なのだ。大将の首を獲り、それで終わりだ。
「追撃を掛ける!! 伯爵閣下の土地を布告も無しに奪おうとした賊を完全に追い落とすぞ!!!」
エレンの掛けた号令に対して、剣を、槍を、弓を高く掲げて、意気を天にまで衝かせようとしているライトメリッツ兵士達を見てから行軍を開始する。
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『モルザイムの戦い-Ⅲ』
日が沈もうとしている。落日がモルザイムを赤く染め上げていた。そんな中を力無き放浪の民の如くテナルディエの軍勢は進んでいた。
その歩みはとてもではないが、栄華栄達を誇る公爵家の軍勢とは思えなかった。
「何なんだ……あんな風なことあり得るのか……俺たちは悪魔の土地に攻め込んだんだ…」
「ちげぇ。天罰だ。ペルクナス様の教義とトリグラフ様の教義に違えたから……神様が人間に乗り移って罰を与えに来たんだぁ」
歩兵達の力無き声が響く。しかし誰も指揮官ですらも、それを止めようとしていない。
徹底的に痛めつけられた上に多くの兵達が罠にかかり完全に憔悴している。
もはやザイアン達に従うもの達は、二百に届くか否かだ。
(いなくなったものは……罠にかかったふりをして逃げたのだろうな……これがあれだけの威容を誇った軍隊か……)
ザイアンはどこを読み違えたのか分からなくなった。最大限の警戒をしていた。自由騎士と戦姫が立ちふさがった時点で、最上の策を放てたはずだ。
一時はそれで追い込めた。あそこで―――閃光が飛竜を殺していなければ、否。もしくは自軍の被害を少し鑑みず、飛竜による「落撃」を仕掛けていれば。
それでも―――、勝利出来ていたとは思えない。ザイアンは思い出す。あの黒弓―――、ヴォルンだ。ティグルヴルムド・ヴォルンが放った矢が―――飛竜を殺したのだ。
その時―――幻かもしれないが、ザイアンの目には、天空に向けて怒りの咆哮を上げる黒竜に見えたのだ。それで己の身が震えるのを感じた。
ゆっくりと行軍するしかない。後ろを気にする気力も無い。そして―――、落日の下に自分達とは違う威風堂々の軍が立ちはだかった。
朱き落日を受けて黒い影も作る。図らずも日を背中にしている軍団。
その強壮なる軍の中に巨大な赤竜と黒竜のイメージをザイアンは見て―――己の破滅を自覚した。
† † † †
ライトメリッツ追撃部隊。三百人規模の軍団の中から先行して進むは、指揮官位にあるもの達だ。
ティグルは多くの者がいなく、バートランなどもいない状況であることを確認出来たことが幸いである。
バートランやアルサスの兵士達にはルーリックと共に、敗兵処理に参加してもらうことにした。
これ以上の作戦にアルサスの兵士はいらないというのと、追撃戦に参加できるほどの体力が残っていなかったのもある。
秘密が多くに知れる状況ではない。故にティグルは、思い切って自分の力に関して理解しているだろう人間に聞くことにした。
「そう言えば……リョウ、『フシキ』って知ってるか?」
「ああ、俺の遠いご先祖様だ。不死の鬼と書いて「不死鬼」と俺の国で呼ぶ」
ぱからぱからっ、という軽快な馬の音の中で、ティグルはとんでもないことをあっけらかんと言われたような気がする。
いや実際、とんでもないことだろう。ヴァレンティナを除く聞こえていた全員が、その発言に驚く。
「俺の国では仙人、妖怪、神獣との混血という家系が多いんだ。遠い昔―――まだ神と妖と人の境界が『未分』であったころの名残だよ」
その頃に鬼の頭領の息子だったのが坂上家の直系
「あっさり言うな……。それじゃこの弓がなんだか分かるか? この弓から響いた声がリョウをそれだと差していた。お前とこの弓の声は関係あるのか?」
「質問が多いが、一つずつ答えていく。その弓は恐らく神器の類だ。神々や精霊というものが人間に与えた武器―――お前もブリューヌに伝わるデュランダルは知っているだろ?」
そう言われて、ティグルもブリューヌの建国神話を思い出す。
真紅馬バヤールと神々より与えられし宝剣デュランダルを携え、ブリューヌの霊山リュペロンにて、神託受けし英雄王シャルル。
シャルルの剣は確かに現存している。実際に見たことは無いが風聞で、ブリューヌ最強の騎士ロランの剣としてザクスタンの国境を血に染めているという。
「だがこれは弓だ……。弓の英雄なんて――――」
「いえ、ティグルヴルムド卿。ブリューヌであるかどうかは分かりませんが、弓を持つ英雄の話ならば―――私は知っています」
エレンの隣で馬を走らせる―――自分とリョウより少し前方にいるリムが話しかけてきた。
「ある男が女神より必中の弓を授かり、あらゆる敵をその弓で射抜き、遂には「王」になりおおせた英雄―――人は彼を「魔弾の王」と呼んだそうです」
ジスタートの建国神話ともまた別のどんな時代の話かも分からぬものであるが、と付け加えたリムアリーシャ。
その続きを担う形でリョウの馬に同乗していたヴァレンティナが指を一本立てながら、出来の悪い生徒に含めるようにして口を開く。
「―――魔弾の王は、女神の意志を地上に顕現する代行者なり。
ときに人の世にあらざるものを滅し、ときに人の世を終わらせる者なり、王道、覇道、英雄道を歩きながらも、魔道、鬼道、修羅道を歩く『勇者』にして『魔王』となる者である」
「女神の……意志……?」
滑らかな口から放たれたどうにも不吉な言葉の羅列に呆然としたティグル。それを見つつ、リョウは考える。
―――女神代行者―――『魔弾の王』。
死と闇と夜を司る女神より渡されし、この世に非ざる武器―――冥府魔道の底とも言える場所より作られたそれは―――自分にも関係が無いわけではない。
「それじゃ俺の聞いた声は……女神の声だってのか……!?」
「『女神』とやらが自分をどう思っているかは『神のみぞ知る』という感じだが」
出来の悪い冗談だ。としながらも、驚愕したティグルの話をリョウは単純に信じられた。自分も似たような声を聞いたことがあるからだ。もっともその声は―――――。
「私やリョウの神技。その時、頭に響いた声は女神というには野太かったですよね」
ティナの言葉にリョウは少し考えてから言葉を発する。
「女神じゃないんだろ。ヤーファの死の神も女神だが……もしかしたら「ツクヨミ」ということもありえるか。詳しい話は後にしよう。いずれにせよその弓は―――俺たち全員を壊滅から救ってくれたんだ」
一先ずは感謝しておこう。それがあまり性質がよろしくない神様だとしても、人を救う以上は感謝しておかなければ罰が当たる。
そうして落日が朱を作りつつあるモルザイム―――、先回りをしてテナルディエの敗残兵―――その中の首魁を捕えるか殺す。
それで全ては終わりである。馬を停止させていると前の方から一団がやってくる。モルザイム最後の闘い『討魔』は始まった。
神業、妖術のごとく自分達の先回りをしたアルサス・ライトメリッツ連合軍の姿は最後の戦意を打ち砕いた。
決戦など望むべくもない。観念した想いでザイアンは身と共に喉を震わせて、副官であるスティードに頼みごとをする。
「これまでか……、スティード卿……頼みがあります。ここにいる者達を全員、ネメクタムまで返してください。そして父に厳罰課さないようにお頼みします」
「……何を考えてらっしゃる?」
「一騎打ちを挑みます。誰が出てくるかは分かりませんし、誰であっても勝てる気はしないですが……せめて私の首一つでこの忠臣達を生かしてもらいたい」
「弱気めされるな。まだ勝てないわけではありますまい」
「先回りされていた。そしてもはや戦う気力ない兵士達……我々が生きる術はただ一つ。そうではありませんか?」
ここにいるものの中には自分が引き取った村の若者もいる彼らを近衛騎士として鍛えてきたのは、この日のためだった。
しかし勝利の栄誉無く、敗北の土だけに塗れさせた以上は―――、一軍の将として責任を取るのみだ。
もしもヴォルンが出てくれば、自分は徹底的に挑発しよう。そうすることで彼らの安寧を図る。
「そこにいるはザイアン・テナルディエか!?」
そんな威容の中から進み出たのは、憎むべき「障害」。己の人生において交わることないと思っていた相手だ。
最後に賽を投げて出た幸運はこれだけだ。これで自由騎士や戦姫が最初に声掛けしてくるようならば、どうしようもなかったが、己の幸不幸の天秤の揺れが分かったような気もした。
「ああ、そうだ。狩人領主が多くの英傑に担ぎ上げられて、一角の将軍のつもりか? 思い上がるなよヴォルン!」
「なんだと……?」
「自由騎士にジスタートの戦姫、それらの力を借りて勝利を得たというのに、落ち武者狩りすらする所業。おぞましき悪魔と契約でもして、我が土地の兵を更なる生贄にでもしようというのか!?」
「そんなつもりはないな。もしも俺たちが悪魔に見えるというのならばお前たちの中に、何かしらの疚しさがあるからだろう。何の由縁があってアルサスを襲った。答えろ」
会話に乗ってきたな。こういったことに関してはまだ自分の方が上だ。愚直なまでの青年。民を大事にして明日の糧に感謝する領主。
(俺もそんな風になりたかった……)
だが、それでも結局の所、力を持ちながら最後までフェリックスに従っていた自分とこの男とでは器が違ったのだろう。
「お前がアルサスを守るために武器を執るというのならば、俺は俺を慕ってくれたものの為に戦うのみだ……その為にはアルサスには犠牲になってもらうしかなかったのだよ」
「意味が分からないな」
「理解は求めん。だが、俺の最後を飾る相手として貴様に一騎打ちを挑む!! お前は俺の首が欲しいのだろう? ならば、それ以外は眼を瞑ってもらおうか、ここにいる敗残兵までも殺しつくすというのがお前たちの方針ならば、窮鼠猫を噛む一身で挑ませてもらうが、どうだ!?」
その提案を跳ね除けて、全軍で殺しつくすことも出来た。しかしティグルには、この男が恐らく自分なりの責任を取ろうとしているのだろうぐらいには感じ取れた。
ティグルの心が揺れる。だからといってザイアンを許すことは出来ないだろう。
「ティグル、どうする?」
質問をしてきたのはエレンだった。彼女もまさかここまで敵軍が憔悴しきっているとは思っていなかったのだろう。
精神的な疲労に加えて肉体的な疲労。それら二重の労苦が、彼らを無残な敗残兵に仕立てていたのは全員にとって予想外だった。
「ここで提案を受けない道もある。どうせモルザイムで早々に逃げ出した連中だっているんだ。こいつら二百足らずを殲滅しつくすことで、アルサスへの手出しのデメリットを首謀の奸賊に教えることも出来る」
「リョウは、結構怖いこと考えるなぁ……」
「戦は勝ちすぎては恨みが残ります。ほどほどに勝って従わせるのも手ですが……従うような輩ではありませんね。殲滅しましょう」
「反対意見を出しながら、ヴァレンティナもリョウと同じ意見だ……」
本質的には似た者夫婦。と結論付けておく。
しかし、敗残兵全てを殺すという意見を出されてティグルはどうしたものかと考えていたのだが、その時――――胸を押さえるザイアンの姿が目に入る。
喘ぐように口を開いたままでいたザイアンに従者が近寄るが、その従者を払いのける。その払いのけた腕が―――従者の身を砕いた。
臓物と骨の微塵の様子。あまりにも現実離れした様、それらに似た光景を、この一日で嫌になるほど見てきたテナルディエ兵の恐怖心は―――遂に最後の堤防を越えた。
蜘蛛の子を散らすように逃げていくテナルディエ兵。しかし何人かは残りザイアンに呼びかけている。来るなと叫ぶザイアンだが―――何かおぞましいものに見えてくる。
肉が膨張して身体が拡張していく様が、この上なく嫌悪感を催す。
「いかん。この場で発現するか……!」
「! リョウ!?」
瞬間、事態の急変を知った自由騎士が、ザイアンに走りながら鯉口を滑らせる。
「! ザイアン様を守れ!!」
リョウの接近に気付いた十人ほどの近衛騎士達がザイアンの前に出て、武器を向けてくる。
こいつらに構っている暇はないとして、リョウは―――武具全てを『風』で斬り捨てた。
「それで言い訳つくだろ! 帰っちまえ!!」
武器も鎧も形無く塵となって攫われた。その現象に敵味方全員が呆然としつつも、自由騎士の急変が、事態の緊急を示していた。
「
一騎打ちの作法ではないと分かっていても、ここで首を跳ね飛ばさなければならないとして、アメノムラクモが―――。
いつの間にか、ザイアンの後ろに転移したヴァレンティナのエザンディスが―――。
同じく首を交差しながら刈り取ろうとしたのだが、止められた。
ザイアンの首が肉の瘤で盛りあがりきっている。その硬さは、通常の人体のそれではない。
瞠目する暇あらばこそ、次の瞬間。
「――――!!!!!!!!!!!」
もはや人の声ではない獣のような叫びがザイアンから発せられて、肉から刃物を引き抜き二人はこちら側に引き返す。
モルザイム全体に響くのではないかと言う叫びは周りを威嚇して、圧倒する。
「リョウ! ザイアンはどうしたんだ!?」
「―――簡潔に言えば先程の魔弾の王に出てきた―――「人の世にあらざるもの」に落とされた。もはやあれはザイアン・テナルディエというヒトではない」
馬を下りてこちらに近づいてきたティグルの言葉に答えながらザイアンの変化は止まらない。既に、ザイアンと認識できる部分が無く四足の獣のようでありながらも醜悪に肥えた豚にも似たものになっている。
「ティグル、どうする?」「今日は驚くことが多すぎたが、最後に世がひっくり返るほどに驚くことが待っていたとはな……」
同じく馬を下りてきたオルガとエレンが、問いかける。この事態に対して一番対処出来るだろうリョウが動かずにいる以上、今できることは待つことだけだ。
5アルシン、あるかないかの距離を保ちながらザイアンの変化は止まらない。その境界の向こう側は威嚇の声で動けなくなる「結界」だ
その雄叫びが止まり――――肉体の変化も終わっていた。
「変化……止まりましたか?」
「よし、ティナ。やるぞ」
「はい、私とリョウの
「頼むから弁えて!」
と言い嗜めていたが、ついに音による威嚇も無くなった。今、あの肉の獣は無防備だ。破邪の使命を知ってかアメノムラクモとエザンディスも輝くのだが―――――。
『もう少し待ちなさいな。いまあの魔体を殺せば、この西の大地全てが黄泉路迷子になるわよ――――』
声によって発動が止められた。その声は神器をもつもの全員に響いたようだ。そして夕焼けのモルザイムに少し早い闇の帳が落ちていた。
恐らく何かの「空間」に囚われている。
「痛っ!!」
「なんだ今の声…!!」
オルガとエレンには、頭痛伴う形で聞こえたようだが、リョウ、ティグル、ティナには、滑らかに頭に響いた。
「……誰だ?」
『そこの神鬼の子の言葉を借りれば―――まさに『神のみぞ知る』といったところね。誰でもあるし、誰でもない―――そんな存在よ。何より私を形容するには「ヒト」は幼すぎる―――あんな像が私だと思われてもねぇ』
饒舌な『女』だ。この口調で男ということはあるまい。しかし今はこの『女』の正体を置いておく。どこにいるかも分からぬのだから。
だが……
神職の血も引いているリョウに乗り移ってこない辺り、やはりこの『女』……。黒弓を媒介にして、声を上げている。
『手短に言うわ。今から最後の変化が起こる。炎と土と空の遺骸を食らいてあの『魔』は完成するわ。その時―――破邪を司る『矢』であの子を私の下に送りなさい』
「意味が分からない。さっきの『魔弾』とも違うのか!? あれでは『ザイアン』を殺せないのか!」
『滅ぼすだけならば簡単。けれど私の力では怨念を吸い取りきることは出来ない。後はそこの神鬼の子に聞きなさい―――この土地を死なせたくなければ』
その会話。というよりも一方的な事を言いたいだけ言って―――打ち切られる。その注文の際に出来上がっていた「空間」が無くなる。
「エレオノーラ様、どうしますか?」
「……リム、時間はどれだけ過ぎた?」
「え?」
寄ってきたリムアリーシャの声に、どうやら自分たちは―――空間に囚われると同時に時間の歩みからも遮断されていたようだ。
そして、あの『女』の言う通り、火竜の首と、地竜の鱗、そして飛竜の翼が主戦場から飛んできて『ザイアン』に集まる。
「……リョウ、どうしたらばいいんだ? あの『ザイアン』を倒すには?」
きつい目で変異した『ザイアン』を睨みながらティグルは聞いてくる。それに対する答えは、当然ある。
「破邪を司る矢……つまり、俺がティグルの矢に「力」を込めるということだろうな。しかしそれをするには時間がかかる。その間―――俺は無防備だ」
御稜威を唱える。そうすることで『破邪の矢』が創られる。それを叩き込むことで、あの『女』の言うことが実現するのだろう。
清め祓いの御稜威は、時間がかかる。祝詞の長さもそうだが、集中して一言ごとに霊力を込めなければならない。
「エレオノーラ、兵士達は下がらせろ―――ここから先の戦いで彼らに無駄な犠牲は出させたくない」
「リム、サカガミ卿の言う通りに、あの化け物は我々で討つ。生物としてはちょっとばかり珍しい竜といったところだろ」
自分を罵倒しないエレオノーラに少しだけ不安を覚えつつも、それは仕方ないだろう。これから始まるだろう戦いは本当に人外魔境の全てだ。
「作戦を伝える―――俺が御稜威を唱える間、戦姫様方には―――あれの動きを止めていてもらいたい。頼む―――皆の命、俺に預けてくれ」
「やれやれ、そんなところだと思っていましたが、結構、無茶いいますねリョウ……けれど悪くないですよ。気分が乗ってきました。ティグルヴルムド卿、私の夫が信じた貴方を私に信じさせてくださいな!」
大鎌を担ぎ直し、苦笑してから意気を込めた顔で戦いに挑むヴァレンティナ。
「ティグル……大丈夫。これを倒して、みんなで帰ろう! ティッタさん、バートランさんがいるティグルの家、アルサスに!!」
戦斧で大地を一度叩いてから、全てを割り砕くという決意を秘めたオルガ。
「お前は私のモノだ。勝手に訳の分からん女神だか魔物などというお伽噺のものに唆されたり、殺されていなくなるな。お前と―――明日を見るぞティグル。お前という男の果てを見せてくれ!」
長剣を振りかざして、切っ先を倒すべき相手に向けるエレオノーラ。
この場に集った戦乙女が―――ザクスタンの「ヴァルキリー」のように「二人の勇者」の援護をしてくれるのだ。
黒髪の東方剣士。その目は大きなものを見据える。それを収めながらティグルは思いの丈を吐き出した。
この男がどんな思惑でここに来たとしても、そんなものは関係ない。この男に多くの人間が夢を託したくなる気持ちが分かる。己の力を出し惜しみすることなく多くのものを救うために動く「王」の道。その隣に並びたい。己の夢を託したい。
「リョウ、今のおれは、ただの『ちょっと弓矢が上手くて小細工だけの小領主』だ。国を背負えるような人間、お前の隣にふさわしい人物になんかなれない。でもお前がいれば俺は最強だ! 誰にも負けたくない!
誰にもお前の栄誉を汚させたくない!! だから―――俺を信じてくれ。どんな遠く―――地平線の果てにいても俺はお前に矢を飛ばす!!! 俺は俺を信じてくれたリョウを信じる!!」
赤毛の青年領主。その若武者としての目は輝く。それを見ながらリョウも想いの丈を吐き出す。
予言なんて知ったことではない。この男の果てを見てみたい。下から這い上がろうという気持ち。下にいる人間のことを真に理解している「王」の道。その器の行きつく先を見てみたい。
「俺はお前をこういう戦いに利用するためにこの西方に来た。けれど今は違う。ティグルと共に歩みたい。この戦乱だけの世の中において、お前がどこまで翔んでいくか、夢の果てを見てみたい! お前に俺の全てを賭ける!
誰にもお前の歩みを止めさせない!! だから―――俺に何でも頼め。どんな高く厚い壁でも、どんな困難だろうと、お前を阻むものを切り裂く剣になる!! 俺に『先』を見せてくれたティグルを信じる!!」
リョウとティグルの宣言の後に一際大きな咆哮が聞こえる。
「其は、祖にして素にして礎」
その後には朗々と謳われる言霊。ティグルは矢を持ち―――番える前段階だ。
言葉に合わせて、三人の戦姫達が飛び出した。初めに掛けられるは、火竜の炎だったが、ヴァレンティナはそれを前に大鎌を回して、どこかにそれを飛ばした。
何処かへと消えてしまった火炎。それを見てから、エレンとオルガは左右で一直線に「ザイアン」に向かう。左と右からの同時攻撃を意図したもので、身体ごと振り回すことで、体当たりをかける。
平原の土と岩が回転するようにして飛び道具としてぶつけられつつも、エレンは風で受け流して、オルガは斧で吸収して巨大な斧とした。
粉塵突っ切り飛び出した戦姫二人の斬打が、「ザイアン」の肉を切り裂き砕く。狙ったのは前肢、まずは動きを止める。言わずとも戦闘における鉄則は心得ていた。
しかし浅いのか構わず大地に直立する「ザイアン」。次は尻尾の打擲。おそよ五十チェートはある尾が鞭のように乱雑に大地を叩く。
その乱打をある時は武器で受け流し、体で捌き接近のチャンスをうかがう。
一際大きく振り上げて、勢いよく叩き付けられる尻尾―――のはずだったが、次の瞬間にはその尻尾は焼け焦げていた。もはや炭にもなろうかというもの。
打擲によって尻から切り離される。振り上げた瞬間にティナのエザンディスで飛ばした炎が空間の終点で吹かれたようだ。
(こんな応用があるとは……あの女、隠していたな)
恐らく自分たちと戦うこともあるとしての今まで隠していた。エザンディスは本人の転移だけでなく「現象」すらも転移させる。
その間、その現象がどうなっているのかは分からないが……。エレンは仮に「竜技」の放出すらも「転移」させられたらと思うと……、ぞっとしない。
自分と交代して、「ザイアン」に斬りかかっていくヴァレンティナを見ながら、エレンは今後のことを想って、少しだけ不安を覚える。
戦姫個人の武勇のほどは、まちまちだが……それでもサーシャのようなのを除けば、『どっこい』であり、あとは竜技の応用と属性法の相性だ。
「はぁっ!!」
腹の下に入り込んだヴァレンティナは大鎌を一回転させて前肢と後肢を斬りつけた。
流石にこれの前にはバランスを崩して支えきれず大地に伏せる。土砂と粉塵が巻き上がりながらも、再び空間転移を果たして「ザイアン」の背中に移動する。
「無様ですね」
縦横無「刃」とでもいいような様子で、優雅に歩きながら鎌を振るって、背中を切り裂き「ザイアン」に血飛沫を上げさせる。
通り魔じみた戦闘が、どうにも彼女の性格を表している。
次に狙ったのは翼の付け根、しかしそれを許すまいと身体を乱雑に振り背中の女を振り落そうとしてくる。
それに―――諦めて素直に降りてきたヴァレンティナ。今度は転移を使わぬ優雅な跳躍であった。
「リョウのように上手くはいきませんね」
「いやもう少し頑張れよ! お前が踏ん張れば飛竜の翼を落とせたんだぞ!!」
「そうはいいますけど、ここまで再生が早いと無意味ではないかと」
暖簾に腕押しなヴァレンティナの言動。それに食って掛かりながらエレンは気付く。
―――再生。なんとも不思議な単語が出て、改めてエレンは「ザイアン」を見ると―――自分とオルガ、そしてヴァレンティナが付けた傷が既に塞がっている。
「どういう生命体だ。あれは……」
「クラゲと同じようなものでしょうね。リョウに言わせれば「単細胞」の生命体といったところですか」
エレンとオルガはともかくヴァレンティナの攻撃はかなりの深手だったというのに、それが塞がっている。
異様な化け物の正体におぞましさを感じながらも、オルガが年長を残す形で決意する。
「とにかく動かさないようにしないといけない。お兄さんとティグルの攻撃までまだかかるんだから」
「……考えるより実践せよといったところか」
オルガの単純明快な言葉にエレンは結論付けて再びの攻撃開始に参加する。
「はじまりにしておおもとにしていしずえとなる。高天原に神留り坐す其の神より生まれ出でし幾十もの神々、現世にあまねく在られる幾百もの神々」
リョウの二言目にしてティグルは矢に「力」が込められていくのを感じる。そうして―――「ザイアン」の急所はどこなのか、目を凝らす。
戦姫三人が戦い、「弓聖」と「剣聖」が最後の一矢を作り上げる作業の中、ここまで来ていた兵士達は、何かを出来ないかと考える。
「投石でも弓でも、何でもいい。あの化け物を側面から撃てるものを!」
「承知」
ライトメリッツ軍の兵士達は即座に行動を開始する。このまま立ち尽くすだけでは案山子と変わらぬ。
迂回する形で、馬を走らせる。これでは自分よりもルーリックが来た方が良かったな。とリムは考えながらも、やるべきことを行う。
戦姫三人の攻撃は苛烈を極める。「ザイアン」は殆ど動かずにティグルとリョウを見据えながら戦う。その鈍重すぎる身体は動くには不自由すぎるのか、それとも考えていることがあるのか。
強烈な一撃を放ち、火炎を放ち、短い当たりの数々で、こちらに中々に痛撃の機会を与えない。竜技の集中も許さぬそれだ。
「放て!!」
声が響いた。「ザイアン」から十アルシンは離れた距離。左右から飛び道具というにはバラバラなものが飛来物として飛ぶ。痛苦を感じるようなものではないだろうが、それでも動きが止まった。
斬る! 砕く! 裂く!
三者三様の意志が飛び道具の後に武器の攻撃と共に「ザイアン」にぶつけられる。
裂ぱくの気合いと共に、振るわれた剣、斧、鎌の攻撃が血の噴水を上げさせる。その血が黒煙のように変化して―――周囲の植物を枯らせた。
それを見て、リョウは「御稜威」の言霊を切らさないようにしておきながらも、まずいな。と本能的に感じていた。
あの体積から察するに、あれをただの魔弾なり竜技で殺せば、「瘴気」が西方に「死」を撒き散らす。あの女の言は正しかったのだと知り、いっそう声を震わす。
「幾万もの神々に祈り、禱り、訴える。神直毘神を奉りて広く地を清め、大直毘神を奉りて一切の瘴気を吹く」
矢が光り輝くのを見ながらティグルは何も疑問に思わなかった。
弓弦に番えるまでの作業時間。刹那の数瞬であった。
そして狙いを付けながら、弓弦を引き上げる―――それを見た瞬間に「ザイアン」は―――翼を使って空へと飛び上がった。
(脅威だと認識したな……そしてあの時の雪辱でも果たそうとしているんだな……ザイアン)
空へと逃れていく「ザイアン」の姿を見つつ照準を変えていく。
「祓い給い、清め給え。守り給い、幸え給え」
リョウの御稜威は、それで完了したのだろう。矢の先に一切の力が籠められるのを感じながら、「ザイアン」を狙う。
もはやザイアン・テナルディエという男の脳すら無くなる中、男であり怪物である男の頭にあったのは、最後の戦いの相手のことだけだ。
蔑んでいた狩人領主。その相手こそが自分に破滅を与えた。空飛ぶ飛竜にすら死を与える―――「英雄」。奸賊の息子として生を受けた以上、自分がこの役目だったのだろう。
仮にもしもこのまま生き残って帰ったとして自分が自分で無くなると認識出来ていた。そして自分がもはや戻れないのだとも―――。
ならば最後まで抗う。
これが運命だとしても英雄の倒すべき怪物として脅威でいつづけてやろう。自分が自分で無くなる前に、英雄が自分を倒すか、それともこのまま生き残るか。
(最後の勝負だ。ティグルヴルムド・ヴォルン!!)
自分が絶対の自信を持って行った攻撃。飛竜からの「弾道攻撃」と「質量攻撃」その二重を今度こそ行う。
『ザイアン』の攻撃、「黒い炎の砲弾」が『ザイアン』の口中から雨霰と放たれる。
それは全ての人間を殺す攻撃だ。アメノムラクモを引き抜き上空から放たれるそれを飛び上がり斬り捨てていく。
瘴気が、自分を――――『強化』しつつもそれに呑みこまれずにティグルの射線を確保すると同時に落下をする。
「最後の勝負だ。ザイアン・テナルディエ!!」
ティグルの矢の先に、黒い光が螺旋を巻きながら、吸い込まれていくようで拡散している。
しかしその光が―――蒼白のものになっていく、しかし力の多さにティグルの姿勢がぶれようとしている。
不味いと思うと同時に、アメノムラクモとアリファールが共に『風』でティグルの弓を安定させていく。
瞬間、『ザイアン』は咆哮を上げた。大気が震えて再びティグルの姿勢を崩れようとしているが、揺れる大地から分断するように、ティグルには不動の大地が与えられた。
見るとオルガのムマとティナのエザンディスが光を放ち大地を虚空に浮かばせ、されどティグルを逃さずつっかえのように足場を固定する土の押さえが出来上がっていた。
『ザイアン』との距離が、800アルシンに至ろうかという時に、ティグルは矢を天空に放った。
爪弾かれる弓弦、流麗な音の後には他を圧倒する轟音と共に矢が放たれた。破邪の矢は風の力を吸い過ぎて、物質としては無くなっていた。
しかし目にも見える「光の矢」は、『ザイアン』を一直線に貫いた。天空に放たれた矢は過たず『ザイアン』の額から入り込み、尾部へと突き抜けていく。
再生することもなく、二つに分かれる『ザイアン』の身体。あふれ出る瘴気は入り込んだ矢によって浄化され白い光となって『ザイアン』の中を満たしていた。
夕焼けの中に白光が満ちて、破裂して――――上空にて轟音を撒き散らした。
轟音にモルザイム平原が揺れながらも、それは一瞬のことであり、いなくなった『ザイアン』、肉片一つすらない死に様によって悪夢は―――終わったのだと全員がゆっくりと認識していった。
† † † †
勝鬨の声を上げるものは誰一人いなかった。落日の下――――先程まで怪物との戦いに従事していた人間の殆どは座り込むなり倒れ込んでいた。
赤に染まる草原に、大声は無かった。ただ誰もが粛々とやるべきことをやっているといったところだ。
そんな様子を見てからティグルは声を掛ける。
「ザイアンは……あれで死んだのか?」
「恐らくな。ああして変異したものは、死んだとしても骸は残らない……首を手に鬨の声を上げられないのは残念だがな」
ちっとも残念そうに聞こえないリョウの声を背中越しに聞きながらティグルは、弓からあの声が聞こえないことに不信感を募らせる。
「あの自称・女神サマからの声も聞こえない以上、あの鼠賊の魂がどこにいったかは知らないが……親しかったのか?」
「いや、ただ……少しだけ、理解しあえた部分もあっただけだ。本質的には交わらない相手だったんだろうな」
「そうか」
気に病んでいないならば、それでいい。と思いつつ漸くリョウは立ち上がった。支えを無くしつつもティグルはバランスを崩さず立ち上がる。
向き合いながら問いかけるは、ただ一つのこと。
「ティグル、お前は―――王になりたくないのか?」
「………それが、リョウの使命に協力する対価か?」
黒弓を手にしながら険のある視線をぶつけるティグル。だがリョウは、それとこれとは別の話だとしておく。
「今後お前は「私戦」とはいえ、王権の片割れと「敵対」していく。それはつまり図らずもブリューヌの玉座を巡る戦いに巻き込まれるということだ。その際に経験上そういったことからは逃れられないということを教えておいただけだ」
リョウの放った現実を見抜いた言葉にティグルも考え込む。
嫡男を失ったテナルディエ公爵家は必ず復讐に出てくる。つまりアルサスは未だに平和になったとはいえない。
そしてまたテナルディエに対抗するガヌロン公爵、レグナス王子失いし王宮、ジスタート側の動向。
全てが絡みつき、もはやティグルも今まで通りの田舎貴族というわけにはいかないと思っていた。
しかし不安は無かった。
どんな困難や苦難が待っていたとしても、それは一人では片づけられないものかもしれない。けれど―――。
「二人ならば、どこまでも飛べる。西方に新たな風を巻き起こした「剣聖王」の戦いに俺も付き合うさ」
「ならば俺もこの乱世を吹きとばすほどの一矢を放つ「弓聖王」の戦いに同行させてもらうよ」
お互いに皮肉のような礼賛を行うも、お互いがお互いの価値を認め合っているからこそ、こんな風な掛け合いが生まれてしまう。
そうしていたら、ティグルとリョウは誰かに小突かれた。やったのは銀髪の乙女であった。
「ったく闘い終わって男二人でベタベタして、気持ち悪いぞ。お前ら」
『ベタベタしてない』
重なる言葉が半眼のエレオノーラに掛る。しかし女四人全員が、そんな風な表情で見ていたので、そう見られていたならば仕方ないとはしておく。
「ティグル、おまえに言っておくことがある。そこの好色サムライを男娼としようが、斧のちびっ子を愛妾としようが構わない。けれど―――お前は、私のものだ。それは覚えておいてくれ」
頬を掻きながら照れるように言うエレオノーラを見て、リョウは自分の称号である「戦姫の色子」の襲名(?)も間近だなと思う。
「リョウ、何か結構失礼な事を考えていないか?」
「いやいや。今まで俺に突っかかってきたエレオノーラにも女らしい所があったんだなと感心していただけだよ」
今度はティグルが半眼でこちらを見てきた。勘の鋭い王様だと思いつつ、誤魔化しておくリョウ。
躱されたと感じたティグルは、苦笑いを一度してからこういったことでも負けたくないなとも感じていた。
「さてと、色々と考えること、やることは多いが……一先ずセレスタに帰ろう。みんなにティッタ達が作ったアルサスの御馳走を振る舞うよ」
「宴があると知っていれば社交界用のドレスを持ってきましたのに、残念です」
「お前の格好じゃ区別はつかないだろうが、というかそんな暇は無い。……まぁ私も三弦琴を弾くぐらいはしてやるが」
「ライトメリッツに軍楽隊は無いのか? だったら私も馬頭琴を奏でる。宴には音楽が必要だから」
「そう言えばサカガミ卿は「二胡」が弾けるんでしたね。よろしければエレオノーラ様と共に戦勝の音楽を奏でててください」
次々に宴を盛り上げる案を出されつつリョウは、「弦楽器」ばかりで協奏曲が出来るだろうかと疑問に思っていると―――。
ふと後ろに視線を感じた。モルザイムから撤退をしていく一団から少し離れる形で歩みを止めて後ろ―――五アルシンほどの所に、ヒトの輪郭をした蒼白いものがいた。
その輪郭は、詳細には分からなかったがそれでも―――こちらに『一礼』すると同時に煙のように消えた。
正体はなんとなく程度には理解出来ていた。ただそれを言葉にはしない。
進んでいった一団から早く来るよう促されて、そちらに向けて走り出しながら一度だけ眼を瞑る。
(彼の魂に安らかな眠りあれ―――)
心中でのみ祈っておき、決して引きずらない。それこそが生き残ったものの礼儀でもあるからだ。
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『覚醒と革命――双王のそれぞれ』
朝の光―――それを受けて、『剣』は主を起こすことにした。柔らかな風が顔をくすぐる。
「んっ――――」
ライトメリッツの寝台とは柔らかさが違うが、それなりに寝られたのは長い傭兵時代のたまものだろう。
起き上がり、硬くなっていた肢体を解すように伸びをしてから、立てかけられている『剣』に話しかける。
「おはようアリファール、良い朝だな」
その言葉にアリファールは己に風を纏わせて応答としたようだ。それを見てから、着替えをする。いつもの軍装に身を包みながら外の景色を見る。
昨日の宴の効果は抜群であった。ジスタート軍という外国の軍が常駐するという状況がアルサス住民に受け入れてもらうためにも、多くの酒と美味な食事―――そして、流麗な音楽は、アルサス住民とライトメリッツ騎士達の不信感を洗い流して、今後の礎となっただろう。
久々に三弦琴を弾いてみたが、我ながら実に良い音色が出たものだと思う。その音に合わせるように二胡を弾き鳴らす東方剣士に負けじと様々な曲を奏でた。
『びっくりした。すごかった。聞き惚れた』
とこちらを見ながら言うこの館の家主である赤毛の青年のことを思い出す。顔を上気させて何とも直線な感想を述べてきたティグル。
思い出すと同時に、エレンも少しだけ顔を赤くする。剣の腕よりも楽器の腕を褒められて嬉しくなるなど戦姫失格かもしれないが……。
「ティグルは朝が弱かったはず。仕方ないな。リムは外で寝ているだろうから、私が起こしにいってやろう。うん、それが上策だ」
ちっとも仕方なさそうな口調ではない持ち主にアリファールはため息突くように、風を吐き出してから持ち主の腰に収まる。
館の主人であるティグルがどこで寝ているかは理解している。どうやら侍女であるティッタは、階下で朝食の準備をしているようだ。
軽快な包丁さばきが聞こえている。それを聞きながら―――何となく忍び足でティグルの寝室に入り込む。
寝台にて正常な寝息を立てる男性。その姿に少しだけ心臓を高鳴らせながらも、どうしたらば起きるだろうかとエレンは考える。
捕虜である彼をサーシャが起こした手筈は覚えている「揺すり方にコツがあるんだよ。どうしてもだめならば耳元で甘い言葉でも吐く」。そんな事を現在、ヴァレンティナと同室の男にしていたのかと思うと、エレンは複雑な心境になる。
サーシャが婿を欲するというのならば、いくらでも見合いの相手はいただろう。けれど彼女の場合、血の病もありそういった話は断ってきた。
その事を憐れむのは仕方ない。それを承知でどこかにサーシャの病を知った上でも彼女と共に生きて行こうという男性はいないものかと―――――。
そんなエレンの努力を無にしたのは東方の剣士。異国の仁術、製薬などを用いて彼女に再び世界を歩かせることに成功したのだ。
それだけならばただの恩人程度で済むのだが、年頃の男性剣士、完全な二枚目ともいいきれないがそれでも二枚目半ぐらいの剣士はサーシャの心をつかみ取り、そのまま女性としての恋慕へと変化させてしまった。
何より、単騎にて戦乱ありし国を駆け抜けた英雄である。その意志の強さは巷の女性達を熱狂させるだろう。
(……認めたくないが、サーシャにとって必要なのはリョウなのだな)
悔しいが、そういう事だ。最初の諍いからどうにも感情的になりすぎていたが、サーシャの幸せがあの二枚目半の腕の中だというのならば、仕方ない。
ため息ついてから、リョウとは別の男を起こすことにする。それはエレンにとっては―――英雄の姿であり、求めていた男性の姿かもしれない。
「ティグル、おき―――――あれ?」
ベッドの脇に近づき、ティグルを揺すって起こそうとした時に、その掛け布団がティグルを真ん中にして両側が少し盛り上がっているような感じがする。
「……ん―――、あれだな。プラーミャとカーミエが入っているんだな。まったくいたずらっ子な幼竜どもめ」
しかしその膨らみは人間大なものを包んでいるようにしか見えない。予想している現実から少し逃避しつつもエレンは掛け布団をめくろうと――――。
「ティグルさまぁ……」「ティグル……」
くぐもった艶っぽい声が聞こえた時に、思わずエレンは固まらざるを得なかった。
そして意を決して、掛け布団をめくるとそこには―――――――。
シャツが半分はだけている青年。その両隣にはこのアルサスの侍女二人の姿―――日に透けて下着が見える寝間着姿が眩しい。
「なっ……ナニやっているんだーーー!!! 起きろティグル!!」
思いっきり力を込めて掛け布団をひっぺがすエレン。その様に流石のティグルも覚醒したようだ。
「!? なっ……! お、おはようエレン……。豪快な起こし方ありがとう。と言えばいいのかな?」
「ゆうべはずいぶんとお楽しみだったようだな」
「いや宴は楽しか――――あれ? 何でオルガとティッタが、俺のベッドに……!」
起き上がると同時に初めて見た顔が自分であったことを喜べばいいのか、それとも状況に対して怒ればいいのか分からないが、エレンは―――とりあえず皮肉を口にする。
「どうやらお前は楽器の三弦琴は演奏できないが「女」の三弦琴を震わせるのは得意なようだな……」
「いや、これは誤解だ。そして、とんでもない嫌味だぞエレン」
「分かっている。だがそれでも……何で『三人組手』をするというのに私を除け者にする……酷いじゃないか」
戦の後で男の状態がどうなるかぐらいはエレンも長い傭兵団暮らしで知っており、その都度雇われ先の「ヤリーロの娼館」などに行くのだ。
義父であるヴィッサリオンにも『そういうものだ』とだけ言われて納得しておいた。初潮を迎えて女性として「性行」を出来る歳になってからは、同じ戦場にいた男に誘われることもあった。
その度に誘った相手を硬軟の手段使い断ってきたが……。そういった風な経験がティグルの寝屋に入れなかった原因だとすると非常に悔しくなる。
「本当に俺も分からないんだよ! そして残念そうに言わないでくれ!」
そしてティグルとしては本当に身に覚えがなくて、誤解を解くのに必死にならざるを得なかった。
そんな二階の喧騒とは別に食堂にて朝食の準備をしていたリョウとヴァレンティナ、そして竈に火と石を入れていたプラーミャとカーミエの幼竜二匹は、騒がしいなぁという感想を漏らすしかなく。
「私は戦の後の殿方の鎮め方を教えただけなのですが、まさか即座に実践するとは思いませんでしたわ」
「お前が原因かよ」
やれやれと言わんばかりにコンソメスープの灰汁取りに卵白を入れたティナにツッコミを入れながら、リョウは卵黄とチーズを入れたオムレット…郷里で言えば「玉子焼き」に近いものを作ることにした。
◆ ◇ ◆ ◇
その日、一つの王政革命が為されようとしていた。
奇しくも、ティグルヴルムド・ヴォルンがモルザイムにてザイアン・テナルディエとに決戦を挑んだ時間から始まった戦。――――それは今、この瞬間に全て決した。
そういう意味では、その戦いの勝者はティグルヴルムドに「劣っていた」とみられるかもしれない。
しかし勝者―――『男』は、王政の打破を行ったのであり、かの青年貴族とは戦の大小で比較すれば、無論だが「男」にこそ軍配が上がった。
男―――タラード・グラムは、バルベルデの王城にて捕えられた男を睥睨する。
「無様なものですな。ジャーメイン殿下。まさかこんなにまでも早く陥落するとは思っていなかったですか? それとも私に負けるわけがないとでも思っていましたか?」
「農村部の支持と都市部の支持、それだけで貴様がこのアスヴァ―ルを収めていけるものか! お前に従わない貴族・騎士も多いのだぞ。平民上りがのぼせるな!!」
「それも―――本来あるべき「支配者」に返すだけであれば、何も問題はないでしょう?」
睥睨されて、膝立ちに服されている男。アスヴァ―ルの「正統」な「王」であるはずのジャーメインは屈辱に耐えつつも、何故ここまで簡単に自分が捕えられたのかが分からなかった。
太った体で、この体勢は辛いが、それでもジャーメインは、平民の男を睨みつける。
「ギネヴィアか、あのような姫ごときに何が出来る。貴様を王配として迎えたとしても無能の女王の烙印を押されるだけだ。ならば―――」
「そう。だからといってあなたを生かしておく理由にはならない。民を顧みない王族など百害あって一利なしだ。連れて行け」
兵士達に引っ立てられていくジャーメインとそれに従う重臣達。彼らの末路はとりあえず良いものではない。
とりあえずジャーメインは死刑だ。絞首台の用意は出来ており、ギネヴィア姫殿下もそれを了承している。
「貴様は―――ただ単に王になりたいだけだ! 私と何が違う!!―――貴様が例え噂通りにカディス王国の―――――――」
連れ去られながら、未だに喚き、訴えるジャーメインだが、謁見の間からいなくなると遂に静寂が部屋に満ちた。
これが自分が望んだ結末だろうか。問いに答えてくれる『男』はいない。
「ジスタートでは随分と大活躍だったようだな。羨まし過ぎる。勇ましくも可憐な姫君連れて英雄道を歩くかよ。お前は……」
それに応える人間はいない。いるならば『そこまで大層なことはしていない』『俺は俺に出来ることをやっただけだ』などと言ってくるだろう。
空の玉座。そこを目指して歩いてきた。今までも、そしてこれからも……だが、いざ事の半分を成し遂げてしまうと空虚感を感じる。
何故ならば―――自分が、ここに至るまでにいるべきはずだった騎士がいないからだ。
東方よりやってきた昇竜。あの男は、自分からすれば半端なままに此処を抜け出した。けれども―――そんな恨み言よりも、何故自分を選んでくれなかったのかが悔しく思える。
たかが傭兵一人という損失、そう捉えるものは、自分の周りにはいない。愛想を尽かされたといえばそれまでだが……。
「嫉妬とは醜いですな」
「―――ルドラー、状況はどうなっている?」
「……まぁいいでしょう。現在バルベルデにおける抵抗は収まりつつあります。ギネヴィア様が正面切って凱旋したきたのが利いたようです」
赤い髪をした部下の一人に誤魔化しながら問いかけると無駄だと悟ったのか状況を教えてきた。
詳細を聞いていくとルクス城砦にいたレスターが寝返ったという話も聞く。クーデターの誤算というわけではないが、全国を支配していないと、こういったことは確実に起こる。
「サイモンじゃ流石にレスターを押さえられなかったか」
「多く見積もって五千の兵士が籠っていますからね。無論、兵糧攻めをせよというのならば、そうしますが」
「エリオットが支援の動きを見せれば一瞬で蹴散らせてくる程度では無理だろう」
「休戦条約がありますからね。そこまで大々的に動くことは出来ないでしょう。ただコルチェスターに逃げるぐらいは出来るかと」
「亡命か」
大陸と島との間で休戦条約が結ばれたのは、そんな昔のことではない。そんな状況を作り上げた男は現在ジスタートにて「色子」をやっているという話だ。
そしてこの分断状況。統一政府が無いという状況での革命はベストであった。あちらも軍を立て直す時間が欲しく、何より雇った海賊団を食わせていくのは容易ではなかったからだ。
休戦条約と同時に一部の『雇い止め』をした海賊団が、ジスタート付近に出回り、これらを倒したのもまた「リョウ・サカガミ」だとのこと。
「イルダー公王ならば、コルチェスターからの不審船を拿捕出来るだろうか」
「さて、レスターなど寝返った連中が、どうやってコルチェスターまで行くかにもよりますが」
頼むだけ頼んでおいてくれ。と言ってルドラーを下がらせる。謁見の間から出ようとしたルドラーだが、立ち止まり呟く。
「閣下は、王として『見捨てなければならない犠牲』を容認する方。無論、それを悔やんでいるかどうかにもよりましょうが、それがリョウをあなたから離れさせた一因でもあるんでしょうね」
「俺はあいつじゃない……何としてでも全ての犠牲を減らす方法をひねり出せる人間じゃない」
村一つを見捨てるという判断を下した夜。その際に喧嘩別れしたのを思い出す。
『ならば俺一人でもここを守るだけだ。俺は依頼を受けたんだ。あの麦畑を守ってくれとな』
それに対して、補償もするし何よりお前にもそれ以上の財貨を渡すと言った。だが、それでも彼は聞かなかった。
『お前は、ここにあるものが無くてどう食っていくつもりだ。俺たちが食っているパンはどんなものから出来ているんだ。ここで撤退すればあいつらは明日も明後日も襲ってくるぞ』
金の問題ではない。矜持と意志の問題だと言う―――リョウに、止むを得ず自分たちは一度引き下がった。
だが、それでも彼一人失えば折角盛り返した勢力図がまたもや変化すると思い、『援軍』を出すとだけいっておき、避難民の移送に準じた。
そして―――ようやく援軍を組織して向かうことになった時には、もう死んでいるのではないかと思っていた。
だが違った。彼は村の有志と共に二日に渡って守り抜いたのだ。その時の事は語り草になっている。
「万軍殺しにして邪竜殺し―――リョウの伝説ですな」
「……俺は玉座が欲しかった。だというのに今ではあいつに認められない方が悔しいぞ」
明後日の方向を見ながら言うタラードに、ルドラーは原因が分かっていた。
リョウは恐らく「王」なのだろう。どんなに善政を心掛けても出てしまう犠牲を許せず己の力を出し惜しむことなく使うあり得ざる「王」の姿。
現実は無情にもそういう小さな犠牲をどこでも生んでしまう。しかしリョウは、その小さな犠牲を許せずに動いて理想を実現する王なのだ。
そんな姿に保身と立身出世を目指すだけになっていた戦士達は焦がれてしまうのだ。少年の頃に憧れたジェスタの英雄のようなそれに―――。
副官のルドラーとしては、『それ』で良かったではないかと思ってしまう。最悪の場合、このアスヴァ―ルにおいて王位に就いていたのはリョウになったかもしれないのだ。
求心力において彼はタラードを上回っていた。暗殺するとまではいかなくても、遠ざけるぐらいは進言すべきだったが、上官であるタラードが、この調子なのだ。
(下手をすれば私の方が遠ざけられていたかもしれない)
だが結局の所、彼自身のタラードへの評価が辛かったのと、一応の戦争終結を見せた時点で、彼はアスヴァ―ルを出て行くことにした。
――――アスヴァ―ルにてもらった禄の九割九分九厘を復興予算や、村々に送ったりしてからだ。
『あんな金貨『樽』何個も持っていけるかよ。重すぎる。だからくれてやっただけだ』
ならば何の為に傭兵をやっているんだ。とルドラーは真剣に尋ねた。それに対して彼は一言だけ答えた。
「王様探し……か……」
廊下を歩きながら出した呟きに、ルドラーは嘆息する。
それは皮肉であるからだ。彼は武人としての務めを全う出来ればいいとだけ思っているのだろうが、それでも彼の頭上には王冠が煌めくのだから。
ともあれ、今考えるべきことではない。ルドラーは国を想って己の務めを全うする。
一先ずは、戴冠式の準備。ギネヴィア王女―――、いや女王へと就いてもらい、各国からゲストを招く。
その上でこちらにこそ正統アスヴァ―ルがあるのだと訴える。ジスタートはジャーメインを支援していたが、革命勢力である自分達では打ち切ることもありえる。
それを繋ぎとめるためにも、ジスタートには様々な便宜を図らねばなるまい。
ザクスタン、ブリューヌ……この二国も重要だ。しかし……ブリューヌは来ることはないだろう。
「先王ザカリアスが生きていれば、これ幸いと出兵していただろうが……運がいいのか悪いのか」
ディナントから既に一月あまり経っている。状況の程は他国にも知れ渡っており、抜け目ない連中は着々と軍備を整えている。
仮に自分たちが、この内乱に乗じて侵攻したとしても、これ幸いとエリオットは後ろから攻めてくるだろう。
(今は……様子見に徹するしかないか……)
その様子見の中には自由騎士の動向も含まれている。彼がもしもブリューヌにおいても「王様探し」をしているようならば、彼が従う軍にこそいるのだから。
「しかし更なる問題としては……」
『ルドラー、リョウはどこにいるんですか? あの失礼千万なヤーファ人には、王位に就いたらば言ってやりたいことがあるんですよ! 何としても探し出しなさい!! そして戴冠式に―――』
引っ立てろ! と言わんばかりに猛っていた我らが「ブレトワルダ」の言葉を思い出してルドラーは嘆息をした。
結局の所、タラードとギネヴィアが結婚したとしても、とんだ仮面夫婦になるのではないかと思って先が思いやられた。
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『決意の前』
「ったく朝は酷い目にあった……」
チーズ多めのオムレットを食べてから、ティグルは一言を発した。口に残る美味な感覚とは逆に顔は苦々しすぎた。
「しかめっ面で朝食をとるな。幸運が逃げるぞ」
「寧ろディナントと前回の戦いで使い切った可能性もあるのでは?」
リョウとヴァレンティナからそう言われると顔は苦々しいままでしかない。というか二人してひどい言いようである。
食堂のテーブルには現在、リョウ、ヴァレンティナ、エレン、オルガ、ティッタ、そしてティグルの六名が就き、足元ではオニガシマ陶の丈夫な皿に盛られたご飯をカーミエとプラーミャが勢いよく食べている。
カーミエは、生に近い肉と雑穀の粥だが、プラーミャは良く焼かれた鳥肉とこれまた良く焼かれたライ麦パンを食べている。
我が家の幼竜は二度目の同族との邂逅で、目の前で違うご飯を食べている同族に首を傾げるように見ている。
訳すれば『おいしいのー?』といったところだろう。プラーミャ……火竜の幼竜は『ぼくにとってはごちそう』とでも言うように一度首を縦に振ってから、横に振った。
幼竜達が人間同士の微妙な朝食風景を気にしていない辺りに色々とあれではあるが、とりあえずリョウが作ってくれた朝食を取る。
流石にティッタ程ではないが、中々に味わい深い料理で舌と共に心も弾む。
そうして腹も満たされた辺りで、ティグルは話を切り出した。
「ありがとうな。ティッタの代わりに食事作ってくれて」
侍女が疲れていることを察して、彼らが、代わってくれたのだとは分かっていた。
「気にするな。息子の朝食のついでだ」
そう言うと、ご飯を食べ終えた火竜の幼竜はヴァレンティナの膝の上で丸まっていた。そんな幼竜に対して『食べてすぐ寝るとソフィーヤみたいな牛になりますよー』などと言いつつも止めさせるつもりはないのか、鱗を触り慈しむようにしている。
その姿を見て、ティグルも少しだけ疑問も浮かぶ。ライトメリッツの公宮にいたアレクサンドラの恋焦がれたのが、テーブルの対面に座る男であるならば、彼女は失恋したみたいなものではないかと……。
「詳しい話は省くが、プラーミャの親を殺したのは俺とティナなんだ。だからこの子が「成竜」になるまでは親代わりなんだ」
「帰る家が多すぎるパパでも、ママはちゃんとプラーミャを立派に育ててあげますよ」
「真実の斜め上の一端を突いたこと言うのやめてくれない。まるでダメ親父みたいに感じてしまうから」
そんな夫婦(?)のやりとりを見てティグルも納得する。つまり自分とカーミエとの関係と同じなのだろう。そして恋の鞘当ても行われている。
片や、我が家の幼竜はオルガではなく、ティッタの膝の上で微睡んでいる。
「何でティッタさんの方にばかり懐くんだろう? 私は母親として見られていないのか?」
「そんな恨めし気な視線向けないでよオルガちゃん。多分だけど暫く会っていなかったから、私に甘えたいんだよ」
半眼でカーミエを見るオルガ、その視線を笑って受け流しつつカーミエの肌を優しく撫でていくティッタ。
我が家の幼竜も他家の幼竜と変わらないのだと思いつつ……今度は変わることに関してティグルは、エレンに問いかける。
「エレン、君は今後どうするんだ? 一応アルサスは平和になった。君にとっての対岸の火事は収まったわけだが……」
「お前、今更そんな事を言うのか。随分と薄情だな。何の為に一昨日まで飲めや歌えやの宴会をやっていたのか分からなくなるぞ」
嘆息したエレンだが、ティグルとてそこまで鈍いわけではない。
つまりエレンは、今後も自分の戦いに付き従うということだ。テナルディエ公爵との私戦に付いてくる彼女の考え。
心強いと共に申しわけなさも出てくる。しかしエレンは構わないようだ。
「とりあえずお前の借金の担保として、このアルサス及びティグル、お前は私のものだ。その保全を行うというのならば安い投資ではあるまい」
不敵に笑うエレン。そんな彼女の言に口を曲げるオルガとティッタ。
彼女の深謀がどこにあるかは分からないが、とにかく今は彼女の言う通りだ。
しかし同時に……勝ち目のある勝負なのかということも考えてしまう。
アリが「竜」に踏みつぶされるような戦い。そこにエレンのライトメリッツ軍が居てくれれば、「猪」ぐらいにはなるだろう。
だが、それでも公爵家はモルザイムでの戦力の十倍は出せる名門だ。勝ち目の無い戦いに恩人を巻き込んでいいのかという気分になる。
「とりあえずリムを代官として置いていく。詳細はあいつに聞いてくれ。そして私は国王陛下に謁見しなければならない……お前の『愛妾』に対する判断も含めてな」
言葉の後半で、面白がるかのように言うエレン。その言葉でオルガは急に固くなった。
固くなるのは当然。彼女はこれから「里帰り」をして、その上でどんな事になるか分からないのだ。
「あの……オルガちゃんをあんまり怒らないでください。色々と事情があったんですから、そこを考慮してください」
「私も出来るだけ弁護はする。そこの自由騎士と同僚にも弁護させるが……どう判断するかは、国王次第だ。分かっているな。戦姫オルガ=タム」
ティッタの遠慮がちな言葉を受けてエレンも別段遠ざけたいわけではないと言う。言葉の後半、呼びかけられたオルガは意志を込めた瞳でエレンを見る。
「分かっている。これは私の「戦い」だ。悪言、苦言、辣言を言われても何としても「勝つ」。けれど……ティグルに客将として雇われた以上、その務めは最後まで全うしたい。この戦いが終われば、きっと私はブレストに戻っても……戦姫としてやっていける気がする」
オルガもまたテナルディエ公爵との戦いに付き合うと言ってくれる。その為にも目の前の問題を解決しなければならない。
つまりは、正式な参戦許可を得るためにも―――彼女は里帰りをして、己の意志を示さなければならない。
だが、予定通りそうなるかは分からない。寧ろ、彼女の今後を考えるならば、正式にブレストに封じた方がいいかもしれない。
「何か色々と気にやんでいるようだが、どの道お前の選択肢は多くない。そして私やオルガのことはあまり気にするな。私達がお前の力になりたいから、そうしているんだ」
当然、オルガもそうだと言うエレン。
ならばもう一方は―――。
視線をこのテーブルにいるもう一人の男に向ける。視線を受けた人間は、微笑をこぼすのみだ。
反対にリョウの隣に座る戦姫、リョウのジスタートでの「雇用主」は口を開いた。
「私の方は難しいかもしれませんね。ただ私の夫を貸すぐらいはしてあげますよ。無論、武具兵糧も幾らかは融通してあげます」
無事に返してくださいな。と微かに笑うヴァレンティナ。彼女も支援はしてくれるようだ。
多くの味方がいて、ありがたいが……自分には返せるものが無い。
「次にまた会う時までに考えておけ。そして―――私達に答を聞かせろ」
エレンの発言から、五つの視線が自分に向けられる。
決意は……着いている。心も決めている。あとは―――勝算があるかどうかだけだ。
それを話すのは、今はまだ時期尚早に思えたし、何より勝算ある戦いでもないのに、せっかく出来た―――『友人』達を巻き込みたくもなかった。
† † † †
朝食を終えて、二階に戻りながらもティグルは、自室に戻らなかった。
家宝である黒弓を安置している部屋にそれはあった。弓も弓弦も黒一色である。赤い天鵞絨に包まれた台座。
そこに置かれたものを見つつ、いつもの礼をしながらも、その心中に敬意だけでなく怖れもあった。
あの時のような声も聞こえず、さらに言えば鼓動もしていない。飛竜を落とした時に「女神」は、初回だけだと言わんばかりに、力の大半を制御してくれていたような気がする。
事実、本来ならばろくな狙いもつけられないほどに力が溢れてザイアンとの戦いのときのようになっていただろう。
「―――魔弾の王か……」
リムの言葉だけならば、ただ単に不思議な武器だとだけ思っていただろう。
だが、続いて響いたヴァレンティナの言葉の不穏さに自分は緊張をせざるを得なかった。
女神代行者―――魔弾の王。
それを求めてきたのはヤーファよりやってきた剣士。自分が憧れていた人物でありながら、彼は自分にこそ憧れていたと言う。
「それがお前を選んだのか、それとも逆なのか……分からないがな」
「家宝の部屋に勝手に入らないでくれよ……今更だけど」
気配を隠してやってきたのは、自分が考えていたヤーファの剣士だ。そして彼は自分の考えを読んでいたようだ。用件は何なのかを聞く。
「そろそろ俺も発つからな。暇乞いというやつだ」
「そこまでかしこまらなくてもいいよ」
「経緯はどうあれ、私情あれども俺とお前は君臣の間柄だ。その辺を弁えとかなければならない」
「けれどもそれだと俺は自由騎士を束縛していると世間から見られる。もしかしたらば……胡乱な想像をされるかもしれない」
「ごめん。その辺は考えてなかった」
お互いに心底嫌そうな顔をすることで言いたいことを疎通する。
昔から歴史に残る偉人、英雄、豪傑というのは、『変な想像』をされることもままあるのだから。
具体的にはアスヴァ―ルの覇王が結婚しなかったところから実は『同性愛者』だったのではなどと言われたり。
「オルガの参戦だが、確実に降りるだろう。ティナともう一人の戦姫は、ここにいると予想して様々な口利きをしていたみたいだからな」
リョウの情報はエレンよりも一歩先んじている。情報源は彼自身ではないのだが、多くの者から助力を得られるのも自由騎士の特権かと思う。
「彼女にこのままブレストに治めさせたらば人心は落ち着かないだろう。それならば、まずはブリューヌにて武功を積ませて、諸国で見てきたものを活かせるようにした方が建設的だ」
彼女のブリューヌ来訪は出奔ではなく、諸国見聞であり、それはブレストを治める上での必要な処置だったのだということになるはず。
そう言うリョウの言葉は自然と信じられた。彼もそういう人間だからだろう。
「大海を知らずに全てを背負わせるわけにはいかないか……俺は海を見たことないんだが、そういうことにしたのか、策士だな」
「本当の策士は俺じゃない。ティナだよ」
自分はそれに乗っかるだけだ。と嘆くように言うリョウ。二人のやり取りがどことなくヴァレンティナ有利に進む理由が分かった瞬間だった。
「あと言うべきことあるか? エレンの代官はいるけれどリョウの代官はいないから今のうちに言って欲しいこと、やるべきことを言って欲しい」
「そうだな……ティグル、こいつを弾いてみてくれないか?」
「―――弓、ヤーファ製か!?」
「嬉しそうで結構だ。持ってきた甲斐があったよ」
笑い呆れるように言われて、どうにもはしゃぎすぎたと自戒する。咳払いしてから、その朱塗りの弓を手に取る。
アスヴァールにあるという長弓に比肩しうるほどの長さだ。三日月状に張らせるだけでも、かなりの力を要するはず。
だが、弓使いとしてのティグルはそれの要訣を一瞬で分かったのでさしたる苦も無くそのヤーファの弓を弾くことに成功した。
「アメノノリゴト―――、別名として『生弓矢』という名称もあるんだ」
こちらのやったことに満足そうな笑みを浮かべながら、どういう銘の武器であるかをリョウは知らせてきた。
「イクユミヤ―――、これはどういう弓なんだ?」
「弓にもなるし『無限の矢』を与える矢筒にもなる」
少し興奮しながらも、聞くべきことを聞く。得られた答えから察するに、これもまた神器の類なのだと気付く。
「一番の特徴は……まぁ後々分かるだろうさ。ただ俺には扱えない神器なんだ。道具は道具。それを使うものの心情によって殺戮のものになるか生与のものとなるかが決まる。それだけだ」
言葉から察するに、どうやら自分の悩みは完全にばれていたようだ。自分にとっての策士は、どちらかといえばこの男かもしれない。だが、それが嫌なわけではない。
やってやろうという気分になる。持ち上げてくれることが悪い気分ではない。
「ありがとう。何だか心配してくれたみたいで」
「覚えがあることだからな。いらんお節介にならなくて良かったよ」
破顔一笑しているリョウ。そして階下からヴァレンティナの声が響く。どうやらそろそろ帰宅するようだ。
朱色の矢筒の形にしたアメノノリゴト。その中に一本の「短剣」が入っていた。気になり取り出してみると、鞘こそ簡素なものだが、鍔にかなりの細工がなされており、何だか竜具のような武器にも見える。
「弓に関しては俺の使命に関わるものだ。元々お前のために献上するものだった。短剣の方は俺からの―――「個人的」な餞別だよ」
「ティッタに渡した短剣もだけど、いいのか?」
何だかリョウからは色んなものを貰いすぎて申し訳なくなる。それが「人ならざるもの」との戦いに対する対価だとしても大盤振る舞いしすぎではないかと思う。
しかしリョウは構わずに短剣の説明を行ってきた。
「そっちの短剣は預かりものだ。『気に入ったヤツ』に渡してやれ。と知り合いの『おっさん』から言われている」
「何者だよ。その『おっさん』って、気前良すぎないか?」
苦笑しているリョウだが、正直こちらとしては笑えない。鍔の作りからして相当な業物だろうに、剣の心得が不足している自分には過ぎたものだ。
「鉈よりはマシだろ。果物剥いたり、適当に使え。道具なんて先程いった通り、持ち主次第なんだからさ。ではティグルまたな」
そうして自由騎士は、こちらに軽快な手振りをしてから階下に下がっていった。
見送りをすれば、何となく未練がましくなってしまいそうなので、ティグルは降りなかった。
入れ替わるようにティッタが上がってきた。
「ウラさんと何を話していたんですか?」
「悩みを聞いてもらっていた」
具体的に語ってもティッタを怖がらせるだけだと思っていたので、事細かに語りはしない。
「ガスパール様が聞いたらば嫉妬しそうですね」
「義兄さんが……そうかな? 何か想像がつかない」
ガスパールというのはマスハスの息子の一人で、自分も親しくしていた人間だ。兄弟同然の関係。確かに彼に一度自分の貴族…いやブリューヌの男子としての在り方で少し救われたこともある人間だ。
もしも親しいガスパールからも「恥知らず」などと言われていたらば、自分は酷く屈折した人間になっていたのではないかとさえ思う。
当時のティグルにとって「弓」が得意ということが、ここまで嘲笑されるとは思っていなかったからだ。
「それでティッタ、何か用があったんじゃないか?」
「あっ、そうでした。実はティグル様が帰ってくる前に……屋敷に王都の愛人様が来まして」
「ちょっと待て。愛人って何だ。そんなもの作った覚えは無いぞ」
言葉の後半で暗い空気を出しつつ言うティッタ。変な話だが同時に黒弓からも寒気を覚えた。
抗議したティグルに構わずティッタは話を続ける。
「いえ、愛人でないならばいいのですが、レギンさんが来たんですよ」
「レギンが? どうしてまた」
意外な来客というわけではないが詳細を聞くと……何とも間の悪いという感想が出てきた。
しかしレグナス王子が亡くなられたのだから、彼女が、そういった風なことを考えるのも分からなくもない。
「その後、彼女は……アルテシウムに行ったと……ガヌロン公爵の本拠地か…」
会いにいくのも困難だな。という感想をティグルは心中で漏らしつつ、ティッタの言葉は続く。
「はい。ブリューヌ王家の力を借りたければ、私に会いに来てくれとレギンさんから言伝を受けています」
その時、リョウから渡された「短剣」が日に当たり輝きを増した。丁度よく日光が当たった形であったのだが、ティグルもティッタも気付かなかった。
知り合いが、努力していくということを聞いただけであり、その剣の「意味」を知るものと「レギン」の来歴の詳細を知る「自由騎士」がいなかったことが、不幸な擦れ違いを生んだ。
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「煌炎の朧姫Ⅳ」副題『弔う者と結ぶ者』
最終巻―――ああ、終わるんだなーなどと感じつつも、ソフィーは果たして生きているのか死んでいるのか……それが気がかり。
画集の方も買わなければならないのだが―――果たしてどこが一番いいのやら(とら、メロン、ゲマ、メイト)…続報が待たれる。
執務室に腰掛けながら、目の前にいる蒼白な男の報告を受けている。目の前の男スティードは、もともとどちらかと言えば無表情を蝋で固めたような男だが、今の彼はそれ以上に蒼白な顔をしている。
三十三歳にして自分―――フェリックス・アーロン・テナルディエの副官を務めている男だ。その男の報告は事実を述べているとは到底思えないほどに荒唐無稽なものだった。
しかし、そんなことを言わぬ男であるというのは自分も分かっている。何よりそんな風なことをいう男を自分は用いない。
「……アルサスには自由騎士と戦姫がいたのだな?」
「はっ、彼らさえいなければ我々が敗走することも無かったでしょう」
自由騎士リョウ・サカガミがどれほどの実力者なのかはテナルディエも理解はしていた。あのロランと互角かそれ以上の剣士がいたなど俄かに信じがたいが、事実はそうなのだから覆せまい。
「―――下がってよい。領地で英気を養え」
「……懲罰はよろしいのですか?」
無表情で聞いてきたスティードだが、それに対して答えない。ここまで何とか逃げてきた兵士騎士達。それらに「懲罰」を与えるなというのが息子の「遺言」だったのだ。
それを守らないなど出来なかった。例え怒りで腸が煮えくり返っていたとしてもだ。
スティードが退室すると同時に闇に潜んでいた「女」に問いかける。
「聞いての通りだ。ザイアンが死んだ以上、お前は自由だ。好きに生きろ」
「―――大旦那様は、復讐を為さらないので?」
テナルディエですら、一瞬怯むぐらいの声音だった。闇にいた女は怒り狂っている。
「お前の言う通りならばザイアンは負けるべくして負けたのだ。勝敗はいつでも紙一重。兵家の常であり一戦で死ぬことあれば一戦で命からがらということだ」
そして自分の息子には運が無かったということなのだろう。そしてヴォルンには天運があった。そんな戦士としての理屈は「暗殺者」であり「女」であるサラには通用しないものだった。
「ザイアン様は、「人間」として殺されたのではありません。「怪物」として殺された―――。やったのが誰かぐらいは想像付いているのでは?」
「……問い詰めた所で証拠はあるまい。そして何より私の野望にあの「魔性」は必要不可欠だ。だが……最終的に殺したのは、アルサス及びジスタート軍だ」
低い声音で問いかける侍女姿の「暗殺者」。この女とザイアンの関係は知っていたが、ここまで執着されるとは、あの息子にも見所はあったのだと悲しくもなる。
「私は―――自由騎士とヴォルン伯爵を『暗殺』します。これは私にとっては最後の主家に対する御奉公です。それをしてから私は自由の身となりましょう」
「―――『七鎖』と『八蜂』を連れて行け。どちらもお前が「仕込んだ」暗殺者集団。如何様にも使うがいい。これが私からお前に対する最後の支援だ……それを成したならば……ザイアンのことなど忘れて新たな幸せを掴め」
答えは無く、そのままに闇に消えていく侍女。
彼女が失敗しようが、成功しようが構わない。命令を聞けないものなどテナルディエにはいらないのだから。
そうして侍女がいなくなると同時に、入ってきたのはドレカヴァクであった。
「浮かない顔をしておりますな」
「―――ドレカヴァク、次の竜の用意までどれだけかかる?」
怒りで我を忘れそうな頭と手を必死で押さえながらテナルディエは、必要最低限の用件だけを問う。それに返答した後にドレカヴァクは続けて言い放つ
「閣下に朗報を一つ。私は今、竜以外の戦力も用意してあるので、それは恐らく戦姫と自由騎士への最大の抑えになるかと」
「何だと……?」
竜を殺したのが自由騎士と戦姫であることは報告で知っている。そしてザイアンを殺したのも連中だろう。
聞く限りでは、ロラン並の戦士ばかりであるとして、幾つかの策を練っていたが、そこにドレカヴァクの「提案」が入った。
「戦姫が持つ竜具、これは地上に無い物質で出来た武器。自由騎士の持つ『神器』もまた天地の理から外れた武器であります」
「それが竜を殺した原因か。ならば、それを押さえるものとは何だ?」
「魔人―――と言って通じるか分かりませぬが、そういったものを用意しましょう。それは閣下に必ずや勝利をもたらす無限の「軍」を組織出来るものです」
笑みを浮かべながら話す老人。俄かに信じがたい話だが、この老人がそれを用意すると言った以上は、用意出来るのだ。
自分の軍は決して弱卒だけで組織されているわけではない。しかしディナントでの惨状を鑑みて、更に自分に比肩しうる人材がスティードしかいないというのが痛い所だ。
アルマン、ソーニエールなどは、それなりではあるが、及第点をつけられない。
ジスタートとブリューヌでの泣き所は、前者が『職業軍人』を大半として組織しているのに対して、こちらは『市民軍人』を使わなければならないところだ。
無論、『騎士団』などの王宮直属軍は完全な『職業軍人』だが、それはテナルディエが使えるものではない。
要請という形での派遣程度ならば使えるだろうが、自分の指揮下に組み込めぬものを数に入れるわけにはいかない。
「つまりは数で圧倒するしかないわけだ。その数を何とか出来るのか魔人は」
「かつてその魔人は『不死の鬼』を殺しつくし、多くの『獣』を従えて一国を支配しつくそうとした男です―――聡明な閣下ならばその意味、分かるはずですが」
その獣の中に、果たして『竜』が含まれるのかが疑問ではあったが、それでも……自分の敵は寧ろ、同じ権勢を誇るガヌロンだ。
ガヌロンを圧倒するためにも、今は多くの「力」が必要なのだ。ヴォルンなど片手間程度で倒せれば、それでいいぐらいだ。
「分かった。仔細は任せる。必要なものあれば、即座に言え。成果が出なければ―――」
お前は殺す。
視線でそれを告げるもドレカヴァクは不敵な笑みを浮かべたままに退室した。
一人になった部屋。豪奢な椅子に深く座り込みながらフェリックスは、今更ながらの喪失感に気付かされる。
あんな親子喧嘩をするべきでなかった。例え、どんなに自分の信条と反するからといって、それに対して怒りつけるなどするべきでなかった。
怒りが持続しないのは、後悔ばかりが先んじるからだ。だからと言ってアルサスの小僧を許せるわけもなく、自由騎士に対する復讐心無くなるわけでもない。
そうしてフェリックスは―――取り出した銀杯二つに秘蔵の「
「お前と対等に酒を飲めなかったな」
酔いつぶれるまで飲もうとは思わない。いずれ大なり小なりザイアンが功を上げた時に開けようと思っていた酒だ。
銀杯で一口ごとに口中で温めながら胃に下していく。
酔うよりも、その味わいを長く残すようにフェリックスは一瓶、亡き息子を弔うかのように―――時間を掛けて飲み干していった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
公宮は大忙しである。如何に優秀な文官多く居たとしても、それが全ての案件を処理できるわけではない。
多くの武官・文官の頂点に立つ公宮の主。朱い衣装、何でもヤーファで言うところの「ヒトエ」という装束を身に纏った女性は、挙げられてきた案件一つ一つを精査していく。
そして謁見者に対しても同じく執務室にて多くのことを聞く。それは王宮からの訪問だろうが、他国からの人間だろうと同じであった。
夏に行われた一つの大戦。今では「プロビデンスの海戦」などと題されている戦いにおいて海賊共を撃滅したことが影響している。
多くの戦利品。得られた土地。新たな戦術―――海洋都市を多く有するレグニーツァにおいて多くの変化を余儀なくされた。
かつての病身の身であれば、少しは気を利かせて文官達は重要案件だけを持ってきていたが、今の彼女―――アレクサンドラ・アルシャーヴィンは何かに没頭していたかった。
今、自分が着ている衣装は、多くの者には「かぶれている」などと誹りを受けそうであるが、それでも見せたい相手がいたのだ。
その見せたい相手は―――、考えるほどに苛立ちが募る。
「アレクサンドラ様、急な謁見希望者がいるのですが、よろしいでしょうか?」
「―――明日にしてくれないか。流石に疲れたし、何より手続き無視はどうかと思う」
黒髪を乱雑に掻きながら、入ってきた老従僕に言う。謁見予定者は、先程で最後だったはずだというのに間の悪い。
疲労もそうだが、何より自分にとってのやる気を上げる「薬」が欲しいというのに、それが無いのだ。自然と言葉も厳しくなってしまった。
それに構わず老従僕は言葉を重ねる。
「本当に追い返してもよろしいので?」
「例え、王宮・大貴族・大商人・大神官だろうと、規則破りは『やってきたのはリョウ・サカガミなのですが』―――」
言葉の前半で苛立たしげにしつつも、後半では完全にしてやられた形だ。
無言を貫きながら半眼で老従僕を見るが、それに対して笑みを浮かべるのみであり、暖簾に腕押しである。そんな
老従僕の後ろに現れたリョウの顔を見ただけで何か癒しの奇跡でも掛けられたかのような気分だ。
「疲れてるようだったならば、あし『いや、我が公宮の恩人を追い返すわけにはいかない。何より「外国の大使」は別だ』……言い訳が苦しいぞサーシャ」
そう言われて、バツの悪い顔をするしかなくなる。今、言ったことはただの方便だ。そして老従僕は形式を守っただけだ。
これに関しては自分が全面的に悪いだろう。ただもう少し言い方があったのではないかと思う。
「内密の話もあるでしょうから、私はこれにて」
頭を下げて、辞していく老従僕。どちらかといえば「お若い二人にお任せしておきますので、どうぞごゆっくり」とでも言われた気分だ。
それはリョウも同様だったらしく、見合いの席かと思わんばかりだ。
間の良いのか悪いのか、サーシャの着物姿がどうにも似合いすぎて、リョウとしても居た堪れない。
「まぁ……何というか久しぶり」
「――――久しぶり」
言葉と同時に、抱きつかれてしまう。執務机を飛び越えて抱きついてきたサーシャの重さ。
受け止めた彼女は以前より重くなっていると感じて健康であることを確認した。
「女性に対して重いとか言うのどうかと思う」
「読心術の心得でもあるのかよ?」
「好きな男性の心の変化を読み取るぐらいは、加えてリョウは分かりやすすぎるからね」
抱きつかれたままに抱き返しつつ頭を撫でる。お互いの感触や熱を移すように忘れぬように長く抱きしめあう。
百を数えるぐらいの時間が過ぎてから、どちらからともなく離れる。
「飲み物を用意するよ。話したい事もあるんだろ?」
「個人的に寄っただけだ。などと言えばただの女ったらしだからな。まぁ用事が無くても寄る予定ではあった」
「アルサス―――ティグルヴルムド・ヴォルンに関してだね」
首肯して、サーシャの招きに応じてテラスに移動する。それと同時に茶請けと言うには少しばかり、毛色が違うも、アルサスの名産品を取り出す。
清潔な布に包まれた円形の白いものが、何であるかをサーシャは察する。
「チーズ……。良い匂いだね―――もしかして山羊の乳で出来たものか?」
「御名答。シェーブルチーズってやつだ。ある戦姫の入れ知恵もあって作られた第一号らしい」
「オルガか、彼女の功績の一つだね。それを他国でやっている辺りが、彼女のずれた所だよ」
アルサスにて、ティグルとオルガが行ってきた事業の一つ。その成果を示しつつも、サーシャの評価は辛い。
山羊チーズは普通のチーズでは身体にもたれる人間にとっての救いだ。切り分けて、小さい三角形にカットしてからテーブルに乗せる。
陶器はオニガシマ製の瑠璃物。透き通った器の中に様々な色味が加えられており、目で楽しませてくれる。
一切れを口の中に放り込んで咀嚼するサーシャ。その表情が硬いものから段々と軟らかくなっていく。
「まさか……こんなに美味しいとは……いやビックリした」
「一応つけあわせとしてクラッカーやらもある。アルサスの侍女の一人が焼いてくれたものだ」
「野菜とか魚卵も欲しいね。いま持ってきてもらうよ」
呼び鈴を鳴らしてやってきた侍女に用意するものを言ってもってこさせる。
六十秒ほどで全てのものをもってきた侍女にお礼としてリョウは、残りのシェーブルチーズを持たせる。
「こちらは皆さんでどうぞ。わたしからの土産ですので」
「あら、自由騎士様からの贈り物だなんて、アレクサンドラ様に申し訳ありませんわ」
と言いつつもシェーブルチーズ三個を持って下がっていく侍女。多くの人間に「知ってもらう」ことが販路開拓に繋がることは知っている。
これから一緒に戦う相手の懐を温めてやらないと、家臣として失格だ。そうして再びサーシャの方を向く。
「これがまさかただのお土産というわけではないよね?」
「そうだな。サーシャにやってほしいことの一つだよ。意味は分かるよな」
「予想された事態ではあるしね。その辺りはソフィーと協調しあっているよ。問題はエリザヴェータとリュドミラだね」
クラッカー二枚にシェーブルを挟んで食べたサーシャ、実を言うと今度の王都シレジアでの召喚命令、それにおける最大の懸念事項は、二人の戦姫にこそある。
誇り高き戦姫。リーザは己が戦姫であることを誇りと思い、その務めを放棄して諸国を回っていたオルガに対して当たりは厳しい。
ミラもまたそういった人間に対しては厳しいだろう。折角の参戦許可も彼女ら次第では覆りかねない。
無論、ティナやソフィーの言に対抗できるほど二人は口が達者ではないのだから、杞憂かもしれない。
クラッカー二枚にシェーブル。その間に『キャビア』と『トマト』を挟んで食べる。
口当たりに変化が表れて、これまた美味なものである。
そうして口が渇いてきたので果汁水(クヴァース)を、含んでから話を続ける。
「やれやれ。愛しい男性からのお願いが「他の女」を助けてくれだなんて、随分と酷くないかい?」
「戦姫オルガ・タムは、どうやらティグルに個人的な好意を寄せているようだ。第一、俺はあんな年下に興味は無いよ。俺としてはティグルを助けてほしいからこその要請なんだけれど」
苦笑しつつのサーシャの言葉に、同じく苦笑しながら答える。彼女も青年貴族とは面識あったらしく、その言葉にすぐに了承の意を出してきた。
「了解したよ。久々に七人の戦姫が集まるんだ。色々と話し合わなければならないだろうね……アスヴァ―ルも情勢に変化あったようだし」
道すがら、聞こえてきた言葉。どうやらタラードは上手くやったようである。
これを以て休戦条約を破棄する―――とまでいかないだろうが、新政権になったバルベルデ側に、エリオットがどう出るのかが、気がかりだ。
「そんな所だな。俺としては頼みたい事と言うのは」
「ならば―――僕としてはお礼が欲しいな……女の子に頼みごとするんだ。男ならば何が……代価になるかぐらい分かるだろ?」
手を組み合わせて上目遣いで言ってくるサーシャ。頬は上気して、何とも艶っぽい空気を出してくる。
要求されていることは理解している。ティナもそうだったが、要求の言い方が婉曲的ながらも仕草などで直接的に分かってしまう。
「俺としては願ったり叶ったりというのも変だけれど、身体は―――大丈夫なのか?」
「体調に変化は無いよ。寧ろ、君と会えなくてイライラしていたぐらいだ。欲求不満ってやつだね」
一番に気を使うのは女の子の身体の方だ。男性の場合は特に日を選ばないが、女性の場合は違う。
そこを気遣ってあげるのは男の役目だと教わってきただけにリョウは、サーシャが、あっけらかんと笑顔で語る以上は、安心することにした。
とはいえ、まだ夜になってはいない。彼女の自然なしなだれ方に熱くなりながらも、抑えなければならない。
月明かりの下でこそ、『煌焔の朧姫』アレクサンドラ・アルシャーヴィンという姫君の肌の白さ。闇に溶け込まぬ黒髪の艶やかさは映えるのだから―――。
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「鬼剣の王Ⅳ」
―――謁見前―――
ソ「悪いのだけど、竜具エザンディス―――あまり私の前に出さないでくれないかしら」
ヴァ「なぜですの?」
ソ「……なんだかそれを見る度に、こう……左胸から脇腹に掛けて痛い感覚を覚えるのよ…」
ヴァ「この『無駄な乳』がですか!? この無駄な『肉』が!?」
ソ「左胸をいきなり揉まないで―――!(泣)」
リョ(平和だなぁ―――いや逆かも)
王宮は一種の騒ぎになっていた。何もヴィクトール王が崩御しただの、ムオジネルが侵略しにきただの、剣呑なもので騒いでいるわけではない。
ジスタート王宮が、騒ぎになる時―――それは、大抵は戦姫絡み。戦姫個人の判断が問われる時が大半だ。
今回の議題に上がるのは、ライトメリッツの戦姫とブレストの戦姫に関してである。
事情を理解しているものもいる一方で何も理解していないものもいる。
この謁見の間において行われる質疑応答にどれだけ明朗に答えられるかで全ては決する。
「ティグルヴルムド=ヴォルン伯爵―――彼の目的は何だ?」
「一先ずはテナルディエ公爵の遠征軍を打ち倒すことでした。次にやることに対して今のところ伯爵閣下の考えは聞かされておりません」
「仮にもしも、まだ協力を要請されたならば、そなたは彼と共にテナルディエ公爵との戦いに着くのか?」
「はい」
膝を折りながら語るエレオノーラに、頭を抑えつつヴィクトール王は隣にいた己の「書」に視線でのみ意見を求めた。
「書」は国王との縁戚関係にあり、こういった案件に関わるのは不味いのだが、それでもこういった大事においては頼りにされること多々ありである。
やむを得ず「書」―――ユージェン・シェヴァーリンは口を開き質問をすることにした。
「ヴィルターリア殿、現在我々は多々の案件を抱えている。大きなもの一つにはアスヴァール、二週間ほど前に革命成ったこの国は、まだいい。もう一つは其方とも関わりあるブリューヌに関してだ」
そうしてユージェンは現在の状況を事細かに語り、そしてそれに対するジスタートの対応を語る。
「つまり……我が国はブリューヌには関わらないとおっしゃる?」
「そういうことではない。今は静観するという意見が多いというのが現状だ。無論…今後の情勢しだいというのは分かるな。わざわざ火中の栗を広いあげて大火傷というのは控えめにいっても間抜けではないか」
「……ガヌロン公爵とテナルディエ公爵がぶつかりあうことを望んでいるのですか」
エレンとしてはあまりしたくないが、ユージェンの抜け目ない意見に少し噛み付きつつ、その後を次いだのはヴィクトールだった。
「今後とも両公爵が、伯爵を狙うというのならばお前の外征にも一理あろう。だが、果たしてその懸念があるかどうかだ」
そう言われるとエレンも、あまり強くは言えない。一番分からないのが公爵側だ。あの後でティグルに聞いてみたが、テナルディエ公爵には、遠征軍指揮官ザイアンしか跡継ぎはおらず、その怒りは察するものがある。
しかし……公爵がアルサスを狙ったのは自分たちの介入を嫌ったからであり、そのジスタートの国境の一つにアルサスがあっただけというのも考えられる。
「お前がこれ以上、伯爵の要請に答えてブリューヌの覇権争いに関われば、要らぬ勘繰りをさせること必定だ。それを理解した上で申しているのだな?」
とどめの一撃であった。ティグルはおそらく領土の安定の為にテナルディエ公爵と戦うだろう。
それは恐らく、多くの中立貴族との協調での話しだ。彼らもまた己の領土を脅かし、テナルディエにもガヌロンにも組しないという勢力を合してのものとなるはず。
だが、それらは全て未定だ。もしかしたらば万が一、王宮が機能を回復して両公爵を成敗するなどという話もありえる。
未定の上での行軍。これがせめてティグルが「義のための戦い」などと口先でも言ってくれれば、まだいいようはあったというのに。
そんな問答に詰まったエレンだが、それを二人の男女が、玉座の方に進み出て口を開く。
「恐れながら申させていただきます」
口火を開いたのはソフィーからだった。そうしてソフィーが語るは参戦した場合の利とエレオノーラの行動の正当化である。
それは理路整然としたものであり、かつヴィクトールの「懸念」を払拭させるものであり、重臣達を納得させるものであった。
そうしながらも第三者の意見をヴィクトールは求めてきた。
「ーーーサカガミ卿はどう思った?」
「ヴォルン伯爵には野心は無いですな。王宮が権能を二大に奪われつつある中、彼がネメタクムに軍を向けるのは自明の理かと―――」
リョウは自分の私見を語りつつ、素性分からぬ「伯爵」が、進軍するのはやむをえない判断だと語る。それを信じたわけではないだろうが、ヴィクトール王は重ねて問いを発する。
「仮にそこまで行けたとして、ランスは卿の城となるか?」
何も轟くものが無い貴族の進軍は途中で頓挫すると考えているのと、行けたとしてテナルディエ公爵の「力」は「誰」が所有するのかを尋ねてきた。
それに対して答えられる範囲で答えておく。戦を仕掛けて、まだどうなるかは分からないのだから。
「自由騎士の矜持として悪漢の城を砕くことは出来ても奪うことは出来ませんよ」
一言を簡潔に述べてから、ブリューヌで起こるだろう騒乱が収まればヤーファに一度帰ることを伝えると、臣下達は戸惑った表情だ。
当然か、自由騎士にとって、ブリューヌでの戦いは己の依るべき土地を得るための戦いだと思っていた者もいるからだ。
中でもテナルディエ公爵の領土はとてつもない。仮にその力を受け継ぐものがジスタートに近しい人間であれば、打ち倒された場合の懸念は無かったはずだから。
ヴィクトール王は、目を瞑り考えてから口を開く。考えはまとまったようだ。
「分かった。これは国と国の戦いではなく……私戦として処理すればいいのだな?」
「それが賢明かと、第一……ジスタート全体で見れば、彼は恩人なのですから、そこまであれこれ言うのも義理と国としての度量を欠きますよ」
その言葉に、ユージェンもヴィクトールもため息突いてあきれる様な笑いを返すしかなかった。
次に現れる人物には流石に二人も強くは出られないのだろう。この二人からすれば、タイミングを見計らって進み出た桃色髪の幼女は、孫であり娘と近い年頃なのだから。
「長い間、お暇しておりまして申し訳ございませんでした」
儀礼服に着替えた幼い戦姫の言葉に、ヴィクトールも強くは出られない。しかし、それでも国を守る要として言うべきことは言わなければならない。
王とは法の体現者でもあるのだから。その王が時々によって都合よくなっていては国を思うもの達は酷く落胆する。
「その幼き身に重責であったのは察して余る。しかし務めを放棄した責任は重く、余は汝を処断せねばならない」
「はっ」
「戦姫オルガ・タム―――、汝はブリューヌにて旧恩ありしティグルヴルムド・ヴォルン伯爵に助力せよ」
予想外すぎるその言葉に、予め聴かされていたもの達以外は動揺を隠せなかった。聞かされていなかったものの一人。紅髪の少女が拝謁しながら問いを投げる。
「陛下、どういうことですか? オルガ姫を……ブリューヌに派遣するというのでしょうか?」
「不服か、エリザヴェータ?」
「ええ、まずやるべきはブレストに帰り臣下達を安堵させることだと思います。でなければ何のための戦姫なのですか?」
竜具に選ばれた戦姫は、ジスタートにおける戦乙女なのだ。その務めを放棄して他国の争いに介入させる意図が分からない。
そういう意図で現れた戦姫エリザヴェータ・フォミナの言葉に追随するように、また違う戦姫が進み出てヴィクトールに質問をぶつける。
「私もエリザヴェータと同じ意見です。陛下のご意見とお気持ち教えていただきたいものです」
二人が、このように言ってくるのは織り込み済みであった。しかしそれをどうにかするのもまた王としての責務だ。
「我が国の姫達が選ばれるのは、成人してからのものが多い。そういう意味では少しばかり配慮が足りなかった。エレオノーラが宮廷儀礼を習うためにパルドゥ伯に世話になるのと同時に、少しだけ教育期間を設けるべきであった。騎馬の族長の言葉を額面通りに受け取った余の短慮であった。どんなに賢く強くと言っても、まだ十二、三の娘であることを失念していた」
傭兵暮らしであったエレオノーラの教育役であった人は苦笑するようにしている。本来ならば確かにそういった猶予期間が必要だった。
本来ジスタートが、やらなければならないことをやってくれたのが―――。件の伯爵である。
「ティグルヴルムド・ヴォルン伯爵は自国の禄で我が国の姫を養った上に領地を収める領主としての教育もしてくれた。その恩義を忘れて、何もさせぬというのは如何にも恩知らずではないか」
「先程はエレオノーラの外征を問題視しておりましたが?」
リュドミラも、簡単に引き下がりはしない。彼女にとって大きな取引先は、ティグルが戦おうとしている相手なのだから。
「勘違いをするな。余が問題視したのは「軍」を率いて事を構えたのは、何の意図があったのことかであり、オルガが恩ある伯爵のために戦うは自然の流れだ。それともリュドミラ、お主は、この国は義を重んじない裏切りと謀略の王国と諸国に喧伝したいのか?」
「そのようなことは……」
言われてリュドミラも窮する。
つまり、エレオノーラの「私情」を以っての「出動」よりは、オルガの「義理」を以っての「助力」の方が、よっぽど格好がつく。
それを世間が、どう見るかは分からない。それでも対外的には、「私的」なものより「公的」な理由にしておいた方が色々と便利ではある。
そして何より―――これは、オルガへの教育でもあるのだ。
「羅轟の月姫オルガ・タム。そなたはヴォルン伯爵の私戦に終着が見られるまでは、ジスタートに戻ることは許さぬ。恩義を返してから―――ブレストに戻りなさい。それが族長の言葉でもある」
「祖父様のお言葉。ヴィクトール陛下よりの多大な恩赦いただきありがとうございます。務めを必ずや果たしてみせます」
再び深く頭を垂れたオルガの姿と言葉が謁見の間に響き渡る。
ここに一応の議論の終結を見た。結局の所、ガヌロンとテナルディエと多くの付き合いがある連中にとっては確実に多くの遺恨が残るかもしれない。
それを慰撫するために、自由騎士の外征であるということになったが、どれだけの人間が、それを信じているかだ。
「諸侯に様々な意見・取引あろうが、だがそれでも余はブリューヌに対して仁義を通そうと思う。それが一応の余の意見だ―――無論、最善かどうかは不明だから、その辺りは各々の判断に任せよう」
そうヴィクトール王は、宣言することで、場に蟠る異論・反論を封じ込めた。
議決が終わると同時に人の波にまぎれる形でリョウも出ようとした所に侍従長が呼びかけて、後ほど国王の私室に来るよう言われる。
用向きのほどが分からないわけではないが、随分と早いものだ。
だが、ヴィクトール王には伝えておかなければならないこともある。先ほどのオルガの例で言うところの食客として雇われている以上、雇用主に不義理は犯せない。
◇ ◆ ◇ ◆
案内された部屋には二人の男がいた。男といっても自分の家ならば家老の類だろう年齢だ。
先ほどまで謁見の間にいた二人の男。ヴィクトールとユージェンの二人。
案内された部屋の内装は豪奢であり、中央に小さいテーブル一つに椅子二つであった。
王が椅子に腰掛けていたが、ユージェンはその側にたたずんでいる。空いた椅子に座るのは非常に申し訳ない気分だ。
「掛けたまえ」
「失礼いたします」
そんな自分の心情に気づいてか気づかずにか、ヴィクトールは対面の椅子を示して、掛けるように促してきた。
「結局そなたのやったことはブリューヌへの侵略なのだ。ライトメリッツとそなただけの問題ではない。わしはブリューヌとことを構える気などないというのに―――などと言えばどうなったであろうな」
悪戯のような問いかけ。それに対して―――
「反感は強かったでしょうね。特にあの銀髪は」
答えと思い浮かべた姿が一致した。
お互いに苦笑を浮かべて、あのどうにも短慮であり、私情を捨てきれない女のことを考えた。
同意を得た後で、そんな風な議場にならなくてよかったとして、次なる話題に進む。
「慕情を以って軍を動かすなど、有り体に言っても国民感情よろしくないものだ。もっともアルサスに協力するのはそれだけではないだろうが、な」
と言って机に放り出された書類の一枚を手に取り、黙読する。
題名は『ブリューヌ方向開発計画及びヴォ―ジユ山脈街道整備計画―――エレオノーラ・ヴィルターリア』と署名された紙を見て、彼女の目論見がやっとわかった。
つまり交易路をライトメリッツまで伸ばしたいということなのだ。
現在の所、ムオジネル商人などが手近なオルミュッツでの販売からの王都への進路を取る点からいってもエレオノーラは、それを何とかしたかった。
だが、その交易路の拡大には国境線を跨いでいる山脈開発が必要となる。そして片側には違う王国が存在しており、王国としてもそのような開発が「軍路」となられては、嫌だったのだろう。
「成程、これが彼女がティグルに協力する本当の目的か……その為にも辺境伯を使ってブリューヌに一定の影響力を持ちたい」
「見えるところでは、そんなところです。しかしまぁ……今の事態となっては、これが本当に必要になりそうですよ」
ユージェン殿の懸念は分かる。今の所ムオジネルやザクスタンの目は豊かで国内混乱真っ最中のブリューヌに向いている。
しかし、このままブリューヌが征服されてしまえば返す刀で、ジスタートにすら刃が向いてくる可能性もある。
そう簡単に負ける事もないだろうが、昨今、開発された火砲の威力は凄まじく近隣諸国に脅威を与えている。
「鉄やら鉛だのの合金はともかく、火薬の量ばかりはどうしようもないですからね」
「そういうことだ。つまりどちらにせよ我々はブリューヌのどこかの勢力を支持しなければならなかった」
アスヴァールにおけるジャーメインに対する有形無形の支援と同じく、それをする予定ではあったというヴィクトール王。
第一候補としては、やはりガヌロン、テナルディエが大半であった。第二候補として王宮とパラディン騎士団―――。などと選定していた所にダークホースというわけではないが、戦姫と深い縁をもった貴族としてティグルがやってきた。
最初はただ単に「出奔」していたオルガがいるから、それなりの義理を果たそうという時に、彼の土地にテナルディエ遠征軍が向かってきて、そこに駆けつけたのがライトメリッツ軍だったということだ。
そして数々の援軍を得たアルサス軍は、それらを撃退してしまった。
「痛み分けどころか、壊滅に近い惨状であったことは聞いているよ。恐らく嫡男を失ったテナルディエ公爵は目の敵にする」
「仕方ありませんな。もっともこれで怒りだけで自分達に刃を向けてくるようならば公爵には王である資格はないですよ」
つまり……ティグルを障害とみなすかどうか、私情だけで軍を動かすものに王たるべき資格は無い。
もっとも―――それこそが自分が王になれない人間だろうな。と思っていたのだが。ヴィクトールの次の言葉に揺さぶりを掛けられる。
「玉座が欲しくは無いのか?」
「――――どこのでしょうか?」
唐突な質問にこちらの心中を見抜かれたような気分だ。だがそういうわけではあるまい。
「ここでもブリューヌでも、アスヴァールでも」
本気か、と思うもその目は真剣にこちらを見据えてきた。ユージェン様も瞑目して、こちらの言葉を待っているようだ。
「西方においては流浪の将である自分に、お気遣い感謝いたします。しかし先に語った通り、私は故郷に帰れば大将軍の地位を貰い受けるはずです」
言いながら若干の嘘を交えた。皇剣隊の筆頭であれば「征夷大将軍」とまではいかなくてもそれに近い立場なのだ。
それよりも自分が悔しいのは親父から家督を禅譲されていないこと。ティグルとの差はここだなと感じる。
「死ぬぞ―――と思うも、お主が死ぬところが想像出来んな。しかし王の資質もつものが、その地位に就かず放蕩していては人心は乱れるばかり、現にアスヴァールの全土はいまだに混乱している」
「時間はかかるでしょうが、タラード・グラムとギネヴィアならば上手くやれるでしょう。何事も早期の改革だけがいいとは言えませんよ」
「だがサカガミ卿、あなたならば全土を治めた上でエリオット王子のいるコルチェスターを襲撃していたでしょう」
ユージェンの計画は自分が考えてはいたことだ。ジャーメインを「退位」させた上でギネヴィアを旗頭に
ブリューヌ語で言うそれを行っていただろう。
だが、それは自分がアスヴァール人で、タラードに近い立場であったならばの話であり、ありえない仮定だ。
結局の所―――少しばかりタラードのやり口が気に入らずギネヴィア自身も、自分としては、あまり側にいたくない女性だったので、かの地から此処に来た。
私人としてはいい人間だとは思う。ただ公人としての二人が少し気に入らなかった。好きになれなかった。そういうことだ。
「お前が今、依るべき人間としている二人は違うのか?」
そういった旨を伝えるとヴィクトール王は更に食い下がる。二人とは―――。
「そうですね。俺はまぁでっかい夢を追ったり、勝ち目の無い戦いに挑む連中が好きなんですよ。ティグルヴルムドなんて小貴族、国内の有力者が、その気になればさっさと潰れましょう。普通ならば」
だが、そうではないといえるものがある。本来ならばあのモルザイムの戦い。いやその前のディナントですら彼は死ぬはずだった。
しかし天の采配は彼を生かし、多くの力を与えて奸雄の放った卑劣なる奸計を覆した。
「二千の兵で二万五千の「頭」を打ち破る。そんな『無謀で馬鹿』をするやつを俺は知っている。そいつと似た匂いがするから俺は伯爵閣下の戦いに従事したいんですよ」
「ならばヴァレンティナはどうなのだ?」
「彼女もまた俺にとっては好ましい人間ですよ。あまりにも謀略が過ぎるところはありましょうが……無謀なる夢、果て無き欲……されどその心は「乙女」のそれと変わらぬ。そういった人間の行く末ぐらいは見届けたいですね」
思い出すのは「魔王」と呼ばれつつも、「ヒノモト」を一つにするべく戦うことを決めた魔王と呼ばれし『将姫』。
「現人神」と見られながらも、甘味を食べては頬を緩ませ、民を食べさせるために「神仏」焼き払うことも辞さない『神女』
「二人はまだ天に昇ることすら無い『魚』でしょうが、いずれは己の力で『激流』を渡りきり―――霊力を抱き龍となりましょう。我が国の故事の一つです」
自分は所詮、ただの武人だ。確かに多くの人は自分を王に推挙するだろう。だがその心に義侠の精神がある以上、無理だろう。
天秤に自分の「大切なもの」を乗せることが出来ないのだから。そんな自分の言にヴィクトールも説得を違う方向に向けることにした。
「……やれやれ暖簾に腕押しだな。ならば、ヤーファに於いて官位に復帰してからも、我らの「自由騎士」になってくれるだろうか?」
「無論、サクヤ陛下はジスタートとブリューヌとの友好条約に前向きですよ。私も、それを望みます」
しかし官位に復職しては、自由騎士ではないのではないかと思うも、結局ヤーファにおいてはそれで良くて「西方」に於いては「自由騎士」でいてくれということなのだろう。
「先程の言葉で、もしも二つが「対立」することあらば……その時はどうなさるかな?」
ユージェンが王の書といわれるゆえんは、この深謀なる文人気質にあるのだろう。頼もしい「国王候補」だと思えた。
ヤーファと西方が敵対することあれば、前ならば自分は「ヒノモト」の武士になるだけだと言えたが……今ではそんなこと言えそうに無い。
「仮定でしかありませんが、ユージェン様の懸念に更なる懸念を呼び込み「第三軍」として、二つと敵対しますよ」
ここに来て、自分には大切なものが出来すぎてしまった。仮にそんな現実が来てしまえば、自分はどちらにも着けない。
やり方は分からない。ただそれでもどちらかの犠牲を必要にするなんてこと―――出来ない。
「そうなった時こそが、余は汝が「建世王」という「統一王」として立つべきときだろうと思う。そうなった時が来てほしくないが」
「同感です。俺は王よりも武人として死にたい。王にならざるを得なかったヴィクトール陛下には申し訳ありませんがね」
「若造が、ほざきよる」
老人が笑いを浮かべ、言うと悪罵も悪罵ではない意味になる。
「支援は、その内に出そう。もっとも王宮の感触を掴んでからだが……あまり当てにはするな」
「ありがとうございます」
取り合えず手形だけでももらっておけばいい。自分がティグルに授けた『玉爾』が明らかになるまで彼が官軍とみなされる可能性は低いのだから。
「私からは、実を言うと伯爵とエレオノーラの連合軍に行く前にアスヴァールに行ってほしいのですが」
「―――何で俺なんですかね?」
自分はジスタートの客分でしかない。アスヴァールにおいてはただの傭兵将軍でしかなかった。一を語られて十を知る結果となってしまう。
そんな人間を「戴冠式」に呼ぶ意味が分からない。対外的な行事においてそこまで影響力があるわけではないのだから。
「モテる男は辛いな。ユージェン、そちらにはイルダーを向かわせよう。今後バルベルデにとって必要なのは近場の同盟者だろう」
「我が義兄では代理を嫌がりそうです」
「勅命だと伝えろ」
簡素な受け答え。二人が友人のようなそれで答えてから全てが定まった。
「では若い娘たちの相手は任せよう。私のような老人にはあの手の女達は手に余る」
肩を回してから脱力するヴィクトール王。気苦労察しつつも、そういった意味でも自分を手元に置いておきたいのだろう。
戦姫と同じ目線を持つもの―――そういった意味では「若君」であった「後継者」が「喪心」したのが痛すぎる。
一度、神殿に行ってきたが、ルスラン皇太子のあの様は呪術と薬物のどちらか、あるいは両方であり、手元にある薬とここの植生ではどうしようもなかった。
そういう意味でも一度ヤーファに帰ったほうがいい。母の残した記述とサカガミの領地にある秘薬と薬師ならば、彼を元に戻すことも可能のはずだ。
そんな風にリョウと王宮との話に決着が着いた頃―――、アルサスにおいても一つの話が持たれていた。
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「魔弾の王Ⅵ」
ああ、終わってしまった。
そして、『彼女』は、そんな最後か―――、まぁ一応、今作のメインヒロインなので外伝的なものを後々書きたいと思います。
人によっては『煌樹まみかお別れ会』の如く白けたものかもしれませんが、(苦笑)まぁ気軽に待っていてくれれば幸いです。
「……そのご面倒をお掛けしました」
村を見回った後に、セレスタの領館に戻ってくると、そこにはライトメリッツの副官であるリムと自分の後見人であるマスハスが剣呑な目線で睨み合っていた。
色々と言いわけをして、どういった経緯でそうなったかを説明した。マスハスもオルガが戦姫であることを既知であったことに驚きつつもその辺りの説明も含んだ。
「そうか、オルガはお主を無事に助けたのだな。それで何故、彼女の公国の軍でなく、捕虜とした公国の軍がお主を助けているのだ?」
「それに関しては私から、エレオノーラ様は、ティグルヴルムド卿の身代金。それをアルサスを担保として保護し、義理人情を以ってアルサスを救済する軍を出動させたのです」
「つまりアルサスを征服するためにライトメリッツ軍はテナルディエ公爵の軍を討ったと」
「征服というよりは、様々な状況と偶然からですが、とりあえず行軍のための資金はいずれティグルヴルムド卿から支払ってもらいます」
嫌な現実が、ティグルを襲う。ただこれから宣言することに比べれば屁でもない。人によってはそれは無謀と蛮勇だと馬鹿にされるかもしれないからだ。
「分かった。疑って申し訳なかったリムアリーシャ殿、ティグルに用立てできないようならばワシからも資金を出そうと思うが」
「お心ありがたいですが、エレオノーラ様と……ティグルヴルムド卿も、そういったことは望んでいないはずですよ」
言葉の後半で、こちらを一瞥するリム。彼女に見抜かれてしまっていることは、どうしようもない。事実それはあまりにも申し訳なかったからだ。これから行うことに父の友人を巻き込むことは出来なかった。
「ところでマスハス卿、ガヌロン公爵の軍はどうなったのですか? テナルディエ公爵が派遣すると同時にこちらに向かってきたそうですが……」
「ワシもそれに関して聞きたいことがあるが、とりあえずどうしたのかは教えておこう」
そうして聞かされたのは少しだけ予想外な話であった。
ルテティアから縁者であるものを「将軍」として出立させたガヌロン遠征軍ではあるが、それを止めるためにマスハスは近隣の小貴族と共に彼らを歓待した上で、様々な交渉を行った。
結果として、アルサスに援軍を出すことは不可能となってしまったのが失策ではあったが、それでも彼らはアルサスへの行軍をぴたりと止めた。
その後は―――知っての通り、テナルディエ公爵軍が敗走したという報を聞いた後、さっさと退散を始めたようだ。
「理由は分からん。テナルディエ公爵の竜を恐れていたのも一つだろうが、それを撃退したという報に対しても動きは早かった……恐らく自分達に味方する人間がどれだけいるのかを探りたかったのだろうな」
つまりガヌロン公爵の目的は、「偵察」であったということだ。積極的な「交渉」もあちらからは無かったというマスハスの言葉。
テナルディエ公爵の軍が竜をどう扱うのか、それを見ることも含まれていたはず。
「ティグル、テナルディエ公爵の軍にあった竜、それを打ち破ったのは誰だ?」
「協力者であるエレン……エレオノーラ・ヴィルターリアと……自由騎士と呼ばれている男です」
「なんと……まさかあの青年が来ていたとは……」
「マスハス卿、あんまり俺のこと持ち上げないでくださいよ。そんなに大層なことしていないんですから」
驚くマスハスに悪いのだが、リョウが聞かされていた自分の人物像とかなりの乖離がありすぎたのだから。勘弁してほしかった。
「何を言う。ウルスの代からの計画、それを行ったものを讃えることが悪いわけあるか」
とりあえず竜を屠ることが出来る存在として一番有名な存在を出したことで、マスハスは納得をして、それ以上の追求はしてこなかった。
そして口休めとして一口チーズをつまんだリムが、酪農製品に現在のジスタートの状況を絡めて語る。
「同感ですね。このシェーブルチーズなどその最たるものでしょう。サカガミ卿はこれらを手土産にしてオルガ様とあなたへの支援を引き出すはずです」
「先祖代々のものを守って作っていただけなんだけどな」
そこに騎馬民族の馬乳食などの文化を融合させただけだ。試作一号を提供して販路開拓を行う考えであったのだが、まさかその販売員として「自由騎士」を使うことになるとは考えていなかった。
『安心しろ。モノが悪ければ、どんなに口達者が売ってもいずれは客は離れる。だがモノが良くて、信頼できる販売者が語れば客の関心は掴んだままだ』
などと言って、『投資資金』集めに奔走してくれてはいるだろう。しかしそこまで手広くやろうとは考えていないのだが……まぁ、やりようだなと考えてそれらに関する考えを終わらせてから、これからの事に関して語り合う。
「マスハス卿。遠征軍を倒した日から考えていましたが、ようやく決心が着きました。俺は―――テナルディエ公爵と戦います」
父の友人であり、自分の後見人である貴族に自分の決意を語る。それを聞いたマスハスは目を瞑り、十ほど数えてから問うてきた。
「それはガヌロン公爵の傘下に入るということか?」
「いいえ、俺はそちらには就けません。ここを狙ってきた以上、同類ですから」
「―――第三軍となるということか?」
「そこまで大層なことは……ただ俺の目的はアルサスの保全です。それを達成するための障害になるならば両公爵は俺の敵です」
「それがどれだけ困難な道であるか分かっているのか? そして望むと望まぬとに関わらずお主を取り巻く状況は複雑になっていくことを」
再び厳しい質問、それに明朗に答える。自分の意地と意思を以って、行うと決めたのだから。
「同じ事をリョウからも言われました。けれど決めたんです。―――アルサスの保全もそうですが、二大公爵の行状を俺自身許せないのです。何より俺の「友人」ならばどんな当てが無くても義勇忠孝果たすために立ち上がるはず」
もしも自分が立ち上がらなければリョウは一人でも立ち上がり義の為に戦うはず。同じ若者として同じく義憤を持っているブリューヌ人である自分が何もしないでいいわけが無い。
自分は「伝説の英雄」ではないかもしれない。伝承にあるような「魔王」かもしれない。けれども……もう黙ってみていることは出来ないのだから。
「出来ると思うのかティグル?」
「出来る出来ないではなく、やり遂げたいのです。俺みたいな辺境領主に多くの期待を寄せてくれた皆のためにも」
こちらを見てくるマスハスの目。彼は恐らく自分を通して父であるウルスを見ているのだろう。
かつてのウルスはどうだったのだろう。もしもこの光景を父が見ていたらば愚か者と罵倒してくるかもしれない。だからこそティグルは言葉を重ねた。
「だからマスハス卿が、もしもどちらとも争いたく『見くびるなティグル』―――」
こちらの言葉を遮ってマスハスは言ってきた。その目は少し怒っているように見えた。
「お主のような若造が、そのように義の為に立ち上がろうとしているというのに陛下の臣として長かったワシが、立ち上がらないわけがないだろうが、その戦いオード領主として参加させてもらうぞ」
「マスハス卿……」
威勢よく言われたマスハスの言葉に感極まってしまった。
ここから先の事は本当に険しい道になるのだ。二大公爵の力は大きすぎて、如何に顔が広いマスハスでも抗しきれるものではないのかもしれないのだ。
父の友人であり、自分にとっては第二の父親だ。そんな人を困難な闘いに巻き込みたくは無かった。だからこその突き放しだったのだが、どうやら要らぬ気遣いだったようだ。
「良いお父上ですね」
「義兄さん達は、隠居を求めていそうだし、俺もあまり無茶してほしくないんだけど」
リムの柔らかな微笑の言葉に、ティグルとしては苦笑をするしかない。だが、そういってくれる以上、もはや無下には出来ない。
そして次の話に移る。理念は分かった。問題はどうやって行動していくかだ。
「具体策はあるのか?」
「いくつかは……まずジスタート軍を招きいれた正当性を確保するためにも王宮に嘆願書を出したく存じます」
「令旨を得るか……だが、お主も知っての通り、王宮は機能停止に至っている。無論、全てにおいて何もしていないわけではないが」
そうなのだ。このようにテナルディエとガヌロンがすき放題出来るのは王宮がそれに歯止めをかけていないからだ。
しかし、それでも一応言ってみなければならない。でなければどんな目で見られるかも分からない。
「二つ目は味方を作ろうと思います。全ての貴族たちが公爵に靡いているわけではないでしょう。俺のように意思あれども勝ち目が無いと思って尻込みしている方もいるでしょうから」
「堅実だな。だがティグル、それでも勢力としては弱体にしかなりえんぞ」
そうしてマスハスは数枚の硬貨を出して、現在の勢力図を示してきた。冷茶を飲み老貴族の言に耳を傾ける。
このブリューヌ全土を百とした場合、二大公爵を三十ずつとすれば、自分達は残りの四十に属していると語った。
「それならば十分勝てそうな気もしますが」
リムの質問が飛んできたが険しい表情を崩さずマスハスは語る。
「単純に考えればな。だが四十の内の三十はパラディン騎士団。本当の意味ではわしらは残りの十に属している」
パラディン騎士―――ブリューヌにおける十二の勇将達に送られる名誉称号であり、彼らは国王直属の戦力である。
彼らとて大貴族の行いに怒りを燃やしていないわけがないのだが、彼らの大半は国境警備の任務についている。
「それらを纏めたところで十でしかない……しかし、お主は幸か不幸か二人の戦姫、そして自由騎士という戦力を得ている。もっともどこまでご助力してもらえるか分からぬがな」
そう言ってリムを見るマスハス。それに鉄面皮を作って応対するリム。ここからはただの話し合いではすまされそうにないからだ。エレンはこういった事態のためにも自分を置いてくれたのだとしてリムは務めて硬い口調で言い放った。
「オルガ様とサカガミ卿は分かりませんが、我がライトメリッツの側は、ティグルヴルムド卿がエレオノーラ様に愛想を尽かされることなければ、助力しましょう」
「努力するよ」
「具体的には戦姫の色子と呼ばれるぐらい頑張ってください」
「それはちょっとエレンの悋気に触れないかな……」
そうして、国内だけでない戦力を手にしている自分の優位性をマスハスは話してくれた。
「三つ目は、最終手段として、リョウがヤーファから援軍を連れて来るそうです。あいつ曰く『自分に勝るとも劣らない
「それは、まぁ何というか最終手段だな。そこまでするとリムアリーシャ殿やエレオノーラ殿に申し訳が立ちそうに無いじゃろう」
「同感です」
あえて口にはしなかったがマスハスとしては近場のジスタート軍を引き入れるよりは遠方の縁もゆかりも無い軍隊の方が、色々と面倒が無いような気もしていた。
ボードワンやファーロンがリョウ・サカガミを通じてヤーファとの連携を模索していたのは何気なく察していた。
正式な国交を結び、同盟国となる前に、このような事態となってしまった。
しかし、何の因果か彼はティグルと友好を結び、これから始まる戦いに同行すると言っているのだから、運命とはどうなるか分からない。
「とはいえ、テナルディエ公爵の主敵は我らではない。意味は分かるかなリムアリーシャ殿」
「五頭の竜が、戦姫と自由騎士がいたとはいえ、打ち破られたのです。下手に藪を突いてガヌロン公爵との決戦に疲弊させたくはないと」
「ワシが公爵の立場ならばそうする。かといって矛を収めはせんだろうな。あの苛烈な奸賊のことじゃからな」
一時休戦なり賠償金を支払うなども無いだろうとするマスハス。当然だろうとティグルは納得出来た。
王位を取るためならば、そこをこらえるだけの心もあるはずだが……そうはならない。
嫡男を殺されたのもあるが、あの男にとって自分など手を取り合える相手ではない。無論、こちらにとっても同じだが。
「まずは……王宮への嘆願書だが、誰にやってもらう予定だった?」
「間に合えばリョウに、間に合わなければトレブションにでもと」
「前者はともかく後者では入ることも儘なるまい。その書状、ワシが届けよう」
「―――――ありがとうございます。王宮に知人の多いマスハス卿ならば心強いです」
ティグルのどこか頼もしい姿。それがどうしてなったのかは察しが着いた。やはりこの青年貴族にとって必要だったのは同じ年代として語れるものだったのだと。
そうして、マスハスが王宮に行っている間に地盤固めとして他の中立貴族―――その中でも力ある「テリトアール」のユーグ・オージェを尋ねるように助言する。
時間は有限なのだとして、ティグルにも行動させるように促す。王宮への嘆願と同時に、それぐらいはやっておかなければなるまい。
立ち上がり何気なく本当に頼もしくなった「息子」の姿を目にもう一度収めるとマスハスの目が一点に集中してしまう。
「ティグル、その短剣どうしたのだ?」
「リョウからの貰い物です。剣の心得が不足しているとはいえ、接近された場合に護身の武器ぐらいは持っておけと言われて……」
苦笑しつつ語るティグルだが、マスハスとしてはその『剣』にどうにも見覚えがあるような気がする。
しかし『業物』などよりは珍しい武器、長弓などを集めているマスハスなので、自由騎士であれば、そんな『業物』も持っているかとして納得をしてしまった。
後にその剣の『銘』が明らかとなりマスハスを仰天させることになるのだが―――その時点では、ただの業物でしか無かったのだから。
「リムアリーシャさん。こんな汚れたぬいぐるみでいいんですか? なんでしたら同じもの作りますけど……」
「ぜ、ぜひ、ただあまりにも用事が立て込むようならば、そちらで構いませんので」
ティッタが作ったクマのぬいぐるみ。リョウからの贈り物である短剣。
どちらも、見るものによってしか「価値」は決まらないのだから―――――。
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「戦姫と戦鬼の会合-Ⅰ」副題『ルクス城砦の怪』
特にフィーネ姐さんのメイドコスでの赤面顔とか、BBA結婚してくれ―――などというタグが付いてもおかしくないね。(失礼)
アシオ先生GJ!
国王の私室から出ると同時に、女に捕まえられた。相手は知らぬ相手ではない。しかし何故にわざわざ腕を捕って歩く必要があるのだろうか。
事実、王宮の回廊を逆方向に歩く人間達には様々な意の視線を向けられてしまう。大意としては羨望が多いだろう。
「ソフィー、自力で歩けるから腕取らないでくれるか?」
「私が自力で歩けないからリョウが支えてくれると助かるわ。ヴァレンティナが王宮から転移した後は私一人で雑事を取り仕切っていたのだから」
「ご苦労様、色々とご迷惑かけたようだが……もう何日も前の話じゃないか」
二の腕「全体」に感じる感触は、まぁ悪くない。悪くないが、だからといってそれを容認していいかどうかの判断ぐらいは着けなければなるまい。
だというのに、この女性は……からかっているのだと分かっていても、あまり慣れるものではないなと思う。
「まさかエレンが捕虜とした貴族の下に出奔したオルガが居て、更にそこに折り『良く』、西方の自由騎士が通りがかるとは何かしらの運命を感じるわ」
「無いともいいきれないな。恐らくティグルは将星持つものを自然と集めて己の力として使える男なんだろう。歴史の変わり目にはそういう人間が確実にいるのだと俺は信じている」
「人はそれを―――『英雄』と呼ぶのでしょうね」
「同感だ」
(あなたもそうでしょうが)
と、ソフィーは心中でのみそう言っておく。どうせ言ったところでリョウは認めようとしないだろうから。
だがリョウの価値観では、ティグルの方が英雄に思えるのだから仕方ない。他人の話を良く聞き、他人を理解して、その心を掴み己の言葉で動かせる。
個人の武勇ばかりが際立つ人間などよりも、ティグルのようにいざとなれば武威を以って立てる人間の方が、一世の英雄に思えるのだ。
「それで今から向かう場所―――何人いるんだ?」
「私を含めて七人全員。目的はそれぞれ違うけれども、まぁ話し合いたいこと多いんでしょ」
「集まりいいね」
まとまりに欠ける女性陣ばかりなので、正直、何人かの参加を期待していなかった。ただ、それだけティグルに対する関心が高いという現れである。
ソフィーに腕を引かれてやってきた扉の前。話し声一つもしないのが不気味に感じられる。
サーシャやヴァレンティナがいるから喧々囂々が鳴りを潜めているのか、それともやってきた哀れな獲物を食らうべく息を潜めているのか、どちらとも言える空気だ。
決意して扉を空けて入る。そこには円卓の椅子に掛けている竜の姫六人が様々な表情で座っていた。
印象的なのはリーザとミラが少し不機嫌な面をしている。反面、ティナとサーシャは笑顔ながらも怖い空気を出していた。
反面そんな同輩、先達の異様な空気にさしものエレオノーラとオルガも呑まれかかっている。
「私の求めに応じて集まっていただいて感謝に堪えないわ。ゲストであるリョウもやってきた所だから思う存分話し合いましょう。色々と聞きたいことはあるでしょう?」
ソフィーが議長として、場を取り仕切っていたので、それに応じて―――書記役で行こうと思ったのだが、強引に椅子に掛けさせられた。
両隣にはミラとリーザ。二人揃って少し泣きっ面みたいなものを見せてくるので居た堪れない。
口火を切ったのはミラからであった。
「義兄様、長いことお目通り出来なくて大変にミラは心苦しかったです。身の安全を確認出来て幸いですが―――何故なのですか?」
「何故とは?」
質問の意を掴みかねる。しかしミラの言葉は、予想通りといえば予想通りであった。
「このリュドミラ、義兄様が己に依るべき土地を得るためとして動くというのならば、これまでのブリューヌの諸侯との付き合い全て切り捨て、一身に支援しました。だというのに……!」
「不満か。俺がティグルヴルムド・ヴォルン伯爵の旗下に収まることが」
「当然です。何があるというのですか、そんな弓しか取り柄が無い小貴族に」
それに対して腰を浮かそうとしたオルガとエレオノーラ、口を開こうとしたエレオノーラを視線で制してから、反論を行う。
「まずは俺がブリューヌに所領を持つこと、これは完全に無い。ブリューヌ王国はヤーファとの国交及び軍事同盟を模索していた。そんな中、俺がそんな行動に出れば故郷と他国関わらず不義不忠の蛇蝎と見做すだろう。俺には家督を継ぐ家があるのだからな。二つ目には、伯爵閣下の力は大きなものではない。だがそれは己の強みを理解しないで精力的に動いてこなかったからだ。ブリューヌのような硬直した政体の中では彼を活かすことは出来なかったのも一つだが、動けば―――それだけのものも出来る」
視線で、テーブルにある酪農製品を示す。その製品は恐らく多くのものが求める味であるはず。諸注意あるだろうが、山に牛などを放ち自生している草などを食べさせれば独特の味の製品も出来上がるし山林保護にも繋がる。
「三つ目には今のブリューヌは完全に無政府状態にあるといってもいい。テナルディエが右向けと言ってガヌロンが左向けと言って王宮が待てと言う状況。人民にとって確実なのは自分の領地の諸侯の判断だけ―――ならば多くの人々を思えば、義理を通して義憤に燃える俺と同じ志持つやつの夢に投資するだけだ」
「ヴォルン伯爵には……それがあると?」
俄かには信じられない話だとしてミラは少し疑いの眼差しを向けている。これが長い付き合いのオルガやエレオノーラの言葉であったならば、一笑に付していただろう。
男に絆されて私情に走る戦姫が。などと切り捨てて、この議場が流血のそれになっていたかもしれない。
「俺を助けるのと同じくティグルを助けてやってくれないかな?」
「―――私は、その伯爵のことを知りません。その言葉に即答は出来ません。故にいずれ―――格を見定めさせてもらいます」
「それに不合格であったならばどうする?」
「リョウ義兄様とは敵となる道も有り得るかと」
それもまた戦国の世の常だなと感じる。「是非もなし」、その返答にミラが少し落ち込む様子になった。
動揺してくれると思っていたのだろうが、親兄弟であっても反目すれば殺しあう世の中なのだ。
自分を慕ってくれた義妹に対して酷だと思いつつも、信念を曲げるわけにはいかない。その信念を曲げる時は―――それに代わるものが出来た時だ。
(ミラはテナルディエ公爵と付き合い多い。恐らく―――最初に敵となる戦姫は彼女だろう)
果たしてティグルはこの凍てつくように高貴なる蒼の公主の心に『矢』を放てるだろうかと、英雄への試練を夢想する。
そうしていると反対隣のリーザが髪を掻き上げつつ言ってくる。その様が高貴なるままであり、彼女の美貌を減じさせていない。
「ウラ、私もミラと同じくブリューヌの重要諸侯と付き合いが多いです―――。それでもいいのですか?」
「ヴィクトール陛下も何も言っていないんだ。その辺りは任せるよ。個人としては二人と敵対はしたくない」
ただ世に大義示すための戦いでもあるのだ。そんな意見ばかりも言えない。しかし状況次第だとなる。
所詮、どれだけ言葉を尽くしてもティグルの剣だけでもいられない「自由騎士の剣」なのだから。と考えていると、そんなリーザやミラの懸念を払拭させる形で、サーシャが提案をしてきた。
「それなんだけどね。いずれは僕達が持ち回りで監督役としてアルサス・ライトメリッツ連合軍に就こうと思うよ。特にリーザ、君はそうしたいだろ?」
「む……」
「ヴィクトール陛下にも言っておいたけれど、エレンに親しい僕やソフィーばかりが軍監では報告が偏る可能性もある。その懸念はジスタート全体に燻るだろうからね。それを一掃して尚且つ、オルガの将としての采配や成長を見るためにも、この提案どうだろう?」
上手い提案だなと思った。しかしそれを両名が納得するかどうかだ。視線が自然と二人に向けられる。
「私は構わない。ティグルこそが私の王。私を導いてくれる光だから皆にも知ってもらいたい」
「…致し方あるまい。皆の懸念が分からぬほど私も道理を弁えていないわけではない。ただ移動手段はどうするんだ?」
勢い込むオルガと渋面のエレオノーラ、そしてエレオノーラの最大の懸念の解消は早かった。
「疲れること甚だしいですが、私が皆さんを連合軍の元にお送りしましょう。リョウを思えば移動距離は万里を越えましょうから」
この中で一番ブリューヌに遠い領土を持つオステローデの戦姫であるティナの提案を断るものはいなかった。
彼女ならば特にどんなしがらみも無いだろうと思えたからだ。
「にしても連合軍か、味気ない名前だな……」
ぼそっ、と呟くエレオノーラであるが、その呟きが後々に騒ぎをもたらすことになるのだから、何事も分からぬものである。
「一つの議論に決は着いたわね。では次の議題いいかしら?」
「君からあるならばどうぞ。まぁ何であるかは分からなくもないがな」
ソフィーの言葉を促す形で、次なる話題に入る。
「魔物という存在に関して―――――――みんなの意見を聞きたいわ」
金髪の戦姫の口から放たれた言葉に関して全員が一様に表情を引き締めた。
† † † † †
どうやら大勢は決したようだ。このルクス城砦を攻略すべく多くの兵士達が圧力を掛けてきていることは身に分かる。
明日になれば、合流してきた連中を率いてこの砦は陥落するだろう。
心理戦の一つとして、この辺りの民謡が夜闇に響いている。恐らく城砦の連中に変節を促すためのものだろう。
大陸側において覇権を握ったのは、あの男だ。恐るべき妖刀、神剣を使う―――鬼のサムライ無くともここまで出来るとは正直見縊っていた。
(さて後々、ここを砕くべく攻城兵器を使ってくることも予想される。寝返った旨は出したし、コルチェスター側からも色よい返事はもらった)
問題はどのようにして、『島』の方に向かうかである。
(抜け出すことは容易いな。そして海竜を使えば、行くことは容易い。問題は怪しまれるかどうかということだ)
小船一艘で出てきましたというのをエリオットが信じるかどうかだ。
そして、砦の兵士が騒がしい。恐らくだが総大将である自分の首を取ることでタラード軍に開門をしようとしているのだろう。
「ならば―――――――」
殺しつくし、焼き払うことで己の行方を偽装する。まずは扉の向こうにて突入の算段を整えている連中からだ。
久々に己の「真の姿」を曝け出しての殺戮に出られることにルクス城砦の将軍「レスター」は、喜びを感じていた。
「―――レスター将軍! お命頂戴―――――――」
扉を蹴り破って言って来た兵士の一人の顔が驚愕に染まっていた。
そこにいたのは禿頭の人間ではなくおよそ人間には思えない短角の牛が人間になったような化け物。
二十チェートを超えた体躯に盛り上がるだけ盛り上がった筋肉―――白い肌に「三本角」の東洋における化け物「鬼」を連想させる存在であった。
休眠期でありながらも発現させた己の五体の確認として、まずは扉を蹴り破った兵士達を血祭りにする。
『将軍としての最後の指導だ……貴様達に真の恐怖というものを教えてやろう!!!』
レスター……ならぬ『トルバラン』という魔物は、雄叫びを上げながら殺戮を開始していく。
ルクス城砦に止まぬ悲鳴と絶叫が上がり、包囲をしいていた傭兵部隊の隊長であるサイモンは就寝から飛び起きた。
無論、音全てが聞こえたわけではない。しかしここからでも聞こえる大音声であった。幕舎に入り込んできた男の報告を聞きつつ指示を出す。
「サイモン殿、ルクス城砦が―――」
「篝火を強くしろ。それと精鋭部隊を結成させて、ルクス城砦の様子を見に行くぞ」
五百アルシンの辺りに陣取っていたタラードの軍団。それを率いるサイモンは、事態の異常性を感じ取っていた。
(ラフォールがトレビュシェットを持ってくれば終わりだったろうに……自棄になりやがったか、あのハゲオヤジ)
心中でのみ軽口をたたきながらも、それ以上の何かを感じ取る。事実、レスターに対しては元同僚と言うには格が違いすぎた剣士が注意を払っていた。
その注意とは、こういった事態に対してのものだったのではなかろうかとも感じる。
そうして――――サイモンがルクス城砦に向かった時には砦のあちこちから煙が上がり、それが火柱となって燃え上がっていた。
黒い花崗岩を積み上げて築いた城砦であり、ここを破るには質量をぶつける兵器が重要であった。
いつぞや、そういう砦に火攻めを行った将軍がいたが、あいにく「土」などを焼いた壁ではない故なのか燃え上がることはなく、火攻めは難しいという判断。
しかし――――中で小火が起こり、それが大火となれば―――熱を逃がすには不合理な「家」だ。
火の勢い次第では中の人間は蒸し焼き状態になってしまうだろう。
「サイモン隊長どうするよ?」
「……城門開け放ってくれれば逃げた人間を保護出来るんだがな……判断に困るぜ」
傭兵部隊の副長が、火を上げて燃え盛るルクス城砦を見ながら、言ってきたがサイモンとしても困ってしまう。
「仕方ない。とりあえず裏門ぐらいは開けるぞ。丸太持ってきただろうな」
「へい!」
北側にある裏門は、南側の正門と違って作りが小さい。更に言えば裏門の隣にある第二の門は、鉄の扉としかいいようがない代物だ。
抵抗ないならば、そこをぶちやぶるぐらいは出来るはず。
「用水確保出来ました」
「よし、破れ!!!」
騎兵が左右に展開しながら丸太を紐で持ち上げている。それを騎馬の進行方向の勢いそのままに、扉に当てる。
非常に原始的な攻城兵器であり、今では殆どの国で使われていないものだ。それは馬も人間も守備力無くすものであり、「特攻」としか言えないものだからだ。
しかしそれが今回は採用できた。砦の中からは助けを求める声ばかり―――妨害は無いのだから。
―――そうして夜を照らす大きな火は朝になると同時に、消し止められた。
サイモンは怪我人の治療の後送。実況見分をする羽目となりレスターの首で一攫千金とはいかないことに酷く落胆した。
助けられた兵士達の証言によれば狂乱したレスターにより火付けが行われ、俄かには信じがたいがレスターの驚異的な膂力によって多くの兵士達が殺されていったと。
曰く巨大化した将軍の腕が五十人を吹き飛ばし、曰く将軍の咆哮が兵士達の体を砕いただの……およそ信じられるようなことが一つもない。
ともあれ、その後レスターは火に巻かれながら死に絶えたという証言が多数有り、自暴自棄ゆえの「自殺」という結論となった。
炭化しすぎた死体のどれかを判別することは出来なかったが、レスターが先王ザカリアスから下賜された宝剣。それを握り締めている体格ほぼ同一の死体が見つかり、レスターの死亡が「確認」された。
後に、この事件は「ルクス城砦の怪」と称されていくことになり、様々な諸説が流れていくことになる。
中には、こんな証言もあった。包囲していたアスヴァール軍の証言には『砦の正門方向から、何か巨大な
それが夢か現かは分からぬが、それでもこのルクス城砦が落ちたことにより、ギネヴィア率いる正統アスヴァールは大陸側全土を支配下に置けた。
かくして――――アスヴァールに関する騒乱は一旦の落ち着きを取り戻して、西方情勢は全てブリューヌ側に移っていくことになる。
それは新たなる戦乱の幕開けでもあった。
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「戦姫と戦鬼の会合-Ⅱ」副題『化神覚醒』
その時、「それ」は覚醒を果たした。自分は死んだはずだ。いやもともと生きてもいなかったかもしれないが、それでも己が己であることを認識したそれは、目覚めたことを外のモノに伝えた。
驚愕しつつも、外に居た老人の姿をした『同類』は、急いで自分を透明な容器の中から出した。
己の周りを満たしていた水に似た液体が少し部屋に溢れつつも、男は構わず立ち上がった。
「お目覚めの気分はいかがでしょうか?」
恭しく聞いてきた老人の擬態の同類、その手に黒い衣を持っていたので奪い取るようにしても、それは感情一つ見せなかった。
「最悪ではないが、最高でもないな……俺を蘇らせたのは貴様か?」
「はっ、この『地』ではドレカヴァクと名乗っているものでございます」
敬服している老人。それを聞きながら衣を着込む。悪くはない。むしろいいぐらいだ。そして太陽の光が無い暗い部屋であるのが気に入った。
胸元まで届く長い髪を流した一人の若者は、何故自分を復活させたのかを聴くことにした。
「単純に申せば暇つぶしでありました。しかしながら、その身を再生させていく内に、その身は我らが主に近いものであることを認識してからは……この通りですよ」
「嘘偽りを言わなかったのは感心だ。殺し食うことだけは簡便してやろう。そもそも俺にとっては貴様らよりは人間の生き血の方が美味なのだが」
膝を折り、館の主人にすら見せない敬服の態度を取る老人。そんなことは知らないのだが、それでも若者は満足した。
己は本来、破邪を司る存在だった。イザナギと呼ばれる主神によって「神」と称することを許されていたはずだ。
だが――――投げ込まれた先に漂う瘴気と闇が、己に自我を目覚めさせたときに―――その性質を反転させられていた。
「褒美をくれてやる。俺を蘇らせてどうしようというのだ?」
しかし、いまとなってはそんなことはどうでもいいこと。己を使って成し遂げたいことがあるというのならば、それを達成させてやろうと思い、問いかける。
既に滅んだ故郷を取り戻すために、己に協力した比売巫女(ひめみこ)のように一応は目的を聞いておく。
「人の世を覆したいのですよ―――。かつてあった我らが「世界」のためにも」
そうしてドレカヴァクは語る。自分達の理想世界―――それは『若者』にとっても理想ではあった。
「俺にとっても太陽の女神を祖とする連中は忌むべき存在だ。ドレカヴァク、貴様の願い―――曲がりなりにも、神の一柱として聞き届けてやろう」
「ありがとうございます。しかし、その為にも……」
「まずは軍団を組織する。山野の虫獣を「妖」としてお前の仮初の主の軍団の一つとして参加させてやろう。あれから幾らの年月が流れたかは分からぬが、世界には人が鼠のように溢れ、それ以上に獣達も多くなっていよう」
言葉を吐き出す度に溢れ出る瘴気が、妖気が、この男の格を教える。まさに我ら■■の眷属とも違う力の限りだ。
「我らが母と類縁にして、全てを闇に覆い尽くすもの―――オオカムヅミノミコト」
拝礼をしたドレカヴァクに対して、苦笑をしながらその「魔人」は語る。
「その名前は既に喪われている―――俺を呼ぶならば――――」
――――桃生(モモウ)とでも呼べ――――。そう言った若者の姿をした「同類」の眼は暗く、それでも妖しく輝いた。
† † † †
「つまりその『モモウ』なる邪神を殺すために、あなたのご先祖様は戦ったというの?」
「そういうことだ。もっとも俺はここまで大事になる前に決着を着けたかった。こんな話、人に聞かせたって怖がらせるだけだしな」
果汁水―――桃を潰したものを飲んで、リョウは、口を湿らせる。ここまで話したことで少しだけ緊張もしていたのだから―――。
それに対して各々が反応を示してくる。
「だが現実には、そういう連中は人の世に紛れ込んでいる。モルザイムにて人間をああいう存在に変えたのが、公爵家に近いところにいるんだろ?」
「確証は無いがな」
エレオノーラの言葉に推論を述べておきながら、彼らの目的が何であるかが分からない。
「この辺りでは神話・御伽噺の類はどんな風に伝わっているんだ?」
「家事の精霊キキーモラ、湖の精霊ヴォジャノーイ、碾臼の魔女バーバ・ヤガー、漆黒の妖猫オヴィンニク……まぁ色々居るわ。実在するかどうかで言えば一つしか知らないけれども」
「名前がそうだからと、それそのものである確証も無いしな」
もっとも、あのブリューヌでの武芸大会で襲ってきた蛙男は、確実にヴォジャノーイだろう。ソフィーの唸るような言葉に推定を付けたしておく。そうしていると―――、一人様子が違うのを確認した。
「……バーバ・ヤガー……」
「リーザ?」
虚ろな目で虚空を見るリーザだが、こちらの言葉に気づかされたようで、何でもないと言ってくる。
何でもないわけがないのだろうが、とりあえず今の追求は止しておく。そうして議論は進む。
「お前はティグルをそんな戦いに巻き込むために、わざわざ海を渡ってきたのか。気に食わん」
「ウラは、人知れず決着を着けたかったと言っているでしょうが、第一この問題は西方の人間である私達の問題」
「義兄様はヤーファの人間にも関わらず、それをしてくれていたのよ。恩を感じることあれども恨みを言う道理?」
「この男がやって来たから、その魔物とやらは動き出したという可能性もある」
怒りながら庇い立てしてくれている二人には悪いが、エレオノーラの可能性は自分も考えていたことだ。
そう考えれば、自分は西方と中原を無用な騒乱に巻き込んでいる元凶なのかもしれない。
「けれど―――リョウが来てくれなければ、僕はいなかった。ここには、もしかしたらば「この世」からもね」
「―――それはずるい意見だサーシャ」
サーシャの言葉はある意味、エレオノーラに反論をさせない切り札である。結局の所、ティグルを危険なことに巻き込みたくないエレオノーラだが、それでもそこを突かれると反論しきれない。
まさか東洋の医術に、彼女を癒す手法があったなど誰も分からなかったのだから仕方ない。
そうしてヤーファという国が自分を送り込んできた目的は、そこなのではないかとソフィーは聞いてくる。
「サクヤ女王陛下はあなたにそれを滅ぼせと命じたの?」
「少なくとも俺の国の経験上、生かしておいていい類の存在ではないな。ただサクヤもその辺は『お前に任せる』としか言ってこない」
サクヤの神託は「魔弾の王を探せ」であり、魔物は「そんな気配がするから殺して来い」。魔物の方がついでなのだ。
寧ろ、魔弾の王がどの「道」を歩くかが、焦点となるかもしれない。
「この西方の魔が何を目的としているかは分からない。だが人の社会に魔性の力を用いるならば、それは俺の敵だ」
結局の所、魔物という存在に関しては何も分からなかった。しかしそういう存在がそこかしこで何かしら暗躍をしているのは確認しあえた。
とはいえ『会議は踊る。されど進まず』で終わってしまったのが、なんとも間抜けな結果だ。
「一番歴史が古い当家が魔物に関して直接、間接でも何も無いのが申し訳ないです」
「出会わなければ、それでいいと思うぞ。何かあればお互いに確認し合おう」
ミラの落ち込むような言葉だが、そんなもの無い社会の方がいいのだ。
人が神を自称していた時代は終わりを告げた―――。よくサクヤが言っていた言葉だが、その言っている当人こそが『先祖帰り』しているのだから、何とも皮肉な言葉だ。
そうして魔物に関しては、特に明確な対策は無かった。ただそういった存在が出てきたならば、一般兵士達にそこまでの対応が出来ない。矢面に立つのは自分達だと確認しておいた。
「義兄様……やはりお心は変わりないのですか?」
集められた部屋から出ると同時に、ミラから声を掛けられる。ミラの心が分からないわけではない。
だが決めたのだ。だから曲げられない。
「――――承知しました。では―――これを」
部屋に入った時から目にはしていたが、それでもここまで触れなかったもの。
丈夫な布に包まれた物干し竿以上の「長物」。それをミラから渡される。中身をさっ、と検分すると注文どおりのものであった。
「確かに受け取った」
そして、今後もしかしたらば敵に回るかもしれない自分にこれを渡すということは……一種の決別状といったところか。
落ち込みつつも気持ちを切り替えたミラの相貌を見て、視線で意を伝え合う。
「それでは―――どんな形であれ、ご武運祈っております」
一礼をしてから、言葉少なく彼女は回廊の向こうに去っていく。彼女にも通すべきものがあるのだろう。それは理解している。
その小さい背中に背負うものの大きさ、それを支えあえるのは―――――恐らく俺ではないのだから。
「彼女も辛い立場だね」
「分かっている。それで二人はどうするんだ?」
次なる話の相手はサーシャとソフィーだった。
「そのうち、向かうさ。ただ積極的な支援は出来ないよ」
「私としては、エレンが惚れ込むほどの男の子に早く会いたいわ……けれど直接的な評価は下せていないから」
サーシャは海の情勢が穏やかではないことから、ソフィーは、まだティグルと会っていないからゆえ。
それぞれの思惑を理解はしている。だが、二人はブリューヌの二大公爵に着くことはないと言ってくれた。それだけで十分だ。
最大の問題は―――――。サーシャとソフィーから目を離して、反対側に目を向ける。そこにいたのは紅髪の戦姫。
その顔は、やはり落ち込んでいるようだ。いい加減に罪悪感が出てきてしまう。まさかここまで二人が落ち込むとは思っていなかった。
戦姫だなんだといっても、所詮は自分と変わらぬ年齢の少女なのだ。それで言動や気持ちを抑えきれるまでには達観できないのだろう。
「君はどうするんだ? リーザ」
「……分かりません。けれどテナルディエ公爵との付き合いは先代戦姫からでミラよりは融通が利きます……」
「けれど君には唯一の取引あるブリューヌ貴族だから、どうにもならないといったところか?」
「そういうことです……。それとウラ……いえ、何でもありません……」
どうにも口ごもりがちだ。彼女にしては歯切れが悪いというか、ブリューヌのあれこれなどよりも心配事があるのだろうか?
だとしたらば……そちらを優先することもありえる。
「何でもないというのならば、もう少し明るく振舞ってくれればいいんだがな。ヴァリツァイフのように」
失礼な。とでも言うように何回も明滅をする黒鞭。それに彼女も少しだけ笑う。微笑といったところであるが、それでも彼女の暗い表情が晴れる。
「ごめんなさいウラ、心配事は私で解決してみせます。だからご武運お祈りしています」
務めて明るく振舞った様子のリーザ。その無理やりながらも振り切った笑顔を見ながらも、安心など一つも出来ずに、『保険』をかけておくことにして見送る。
彼女の無理無茶ほど俺のお袋を思わせるものはないのだから――――。
そうしているとタイミングを見計らったかのようにモルザイムで共闘した戦姫三人が出てきた。
既にサーシャとソフィーもいなくなっていたのを考えると実際、見計らっていたのだろう。
「私はこれから一度ライトメリッツに帰ってから、所用を済ませて別荘にて合流する。お前達はどうするんだ?」
「直接向かうさ。―――疲れるだろうが頼むよ」
「本当、あなたの前では尽くされるタイプというより尽くすタイプになってしまう自分に少しおかしい気分です」
「私も同乗させてもらって構わない?」
オルガの言葉に笑顔で諾と頷いたティナを見てから、出発は半刻後にと頼んでおき、他の所用を済ませることにしたのだが―――今度はエレオノーラが少しバツが悪そうな顔をしていた。
どうにも今日は年下か同年のものに不幸な顔をさせがちであり、何か言いたいことがあるならば聞くと、エレオノーラに言うと、意を決して彼女は口を開いた。
「すまなかった――――そして、ありがとう」
「何のことだか分からないな。特に謝罪も礼も言われるようなことあるか?」
「一つ目は、先程の議場で、あのような言い方をしたことだ。お前は、そういった人間でないことは分かっていてもティグルを巻き込んだ風に思えて仕方なかった」
それに関しては仕方が無い。自分も半分そんな風にも思っていたからだ。
しかし殊勝なエレオノーラというのは貴重なもの。それを茶化さずに今は聞いておく。
「ありがとうというのは?」
「ティグルの「力」を黙ってくれていたことだ。これに関しては二人もそうだが」
「無闇に話すものではないと示し合わせたのはあなたのはず。信頼しろとは言いませんがもう少し信用しては?」
と言うのが、謀略家として内心ばれているヴァレンティナでは、どうにも言葉が薄っぺらい。
しかし彼女としても通すべきものぐらいはあるようだ。彼女の野望がどこに行くのか分からないが、その信用ぐらいは信じてもよさそうだ。
そんな風なヴァレンティナの言葉に、一応の納得をしたのか、エレオノーラは苦笑をして去っていく。
(問題は山積しているな―――いっそのことティグルに来てもらった方が良かったかもしれない)
議題が全て未決だったのは正直言えばティグルの人物像を誰もが正確に知りえなかったからだ。
ミラ、リーザ、ソフィー……含めればサーシャ。彼女らの協力無ければ、挙国一致とはなりえない。
「問題多すぎるかな?」
「とりあえず君の処遇ほどではないな」
真面目な顔で悩むオルガには悪いが、彼女に比べれば解決できない問題ではなかった――――――。そう楽観出来る何かがティグルにはあるのだから。
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「東方戦姫の始動」
遠き西方の地にて、魔人が覚醒を果たした時、それを感じたものがいた。
魔弾の王の覚醒と、大きな魔の気配。それは一日で終わってさほどの心配もなく消え去ったが、魔人はいまだに蟠っている。
すぐに動き出す様子こそ無いが、自分の勘が正しければ、どうやら―――少し緊急事態だ。
瞑想から醒めて、襖の向こうに控えていた女官に「剣」を召集するように伝える。そして一刻もしない内に全員が部屋に集まる。
御簾の向こう側にいるこのヤーファ……ヒノモトにおける選ばれし最強の武将十二の内の十一振りが揃った。畳にて一応姿勢を正している連中を見ながら、集めた者―――ヤーファ女王「サクヤ」は告げる。
「桃の化神が蘇った。場所は恐らく西方―――ブリューヌ王国だ」
「ブリューヌ……確か、そこは筆頭が赴いている国では?」
眼帯をした紫髪の女、東は奥州藤原氏の類縁にも繋がる武将が怪訝そうに聞いてきた。それを聞いて、誰もが思う。
『ウチ』の隊長が向かってるのだから、簡単に解決しそうなものだが――――。と、これで自分達の内の誰かを派遣するならば、二人か三人で出張らなければならないだろうが。
しかしサクヤは構わず続ける。
「そうだ。だが桃の化神(けしん)、モモウはまだ祖神信仰多かりし時に現れた邪神だ。その力はとてつもないものだよ―――伝承どおりならば、鬼の頭領「温羅」を討ち、万にも上る朝廷の軍勢を退けたほど」
その戦いの詳細こそ正確に語られてこなかったが、神宝を奪い取ったとはいえ桃生の力は普通の人間には倒せなかった。
故に鬼の息子を従えた媛巫女により、桃生を討伐させた。というのが……一応、公に伝えられているものだ。詳細は違うのだが、それで良しとしていたのが、媛巫女と鬼の家系である坂上家なのだから仕方ない。
「それで、こうして呼び出した以上、用件は察せられるぞ――――サクヤ」
「ああ、我が親友にして我が好敵手カズサ―――あなたの理解を頂けて感謝に耐えぬよ」
魔王とヒノモトから言われている南蛮かぶれの女と、神王と宮中と一部の権力者から恐れられている女の視線が御簾越しとはいえぶつかり合う。
意見は――――「相違」であり「一致」であった。
「魔王としての力を使ってリョウを助けろということだな。私が援軍として向かうよ」
「神巫としての力で伝説を再現する形でリョウを助けに行く。だから当分お前達総出でヤーファを守護しろ」
互いに互いの出した言葉に切れた瞬間だった。
「お前なぁ!! この国の霊的守護を担うお前がいなくなるなど以ての外だ!! こういうことは武将に命じろ!!」
「五月蝿い! この給料泥棒どもめ!! たまには私とリョウのいちゃラブの為に身を粉にして働け!!」
先程までの畏まった受け答えなど無かったかのように年頃の娘な会話を繰り広げる二人。
会話と同時にとんでもない圧力が謁見の間に吹き荒れる。
もはや御簾と敷き詰められた畳を吹き飛ばし無にするぐらいの「気」が吹き荒れる。場を圧倒するだけの気が全員にたたきつけられるも、それに動じる人間はここにはいない。
一騎当千、豪傑無双、万夫不倒の異名を取る人間ばかりなのだ。しかしながら、その実力差は確実に出ている。
もしも現在の所、きゃんきゃんと言っている二人が本気でかかれば「自分達」は苦戦させられるのだ。一人一人ではなく、「全員」でかかっても。
(この無駄に力を持て余し気味なモテアマ共の重石というか抑えとなる男は、異国の地で勇戦中か……)
他の隊の連中も、どちらかとえいばリョウの元にて戦いたいという思いだ。そして自分も――――眼帯に手を当てながら、脳裏に浮かぶ男の姿を思い浮かべる。
「仕方ない……カズサもサクヤも落ち着く……ここは公平に――――「じゃんけん」で雌雄を決して、リョウおにいちゃんの所に行ける「剣」を選ぶ……」
そんな風に、みんなして得物を引き抜こうか、抜かまいかという時に、眠そうな表情で「虎娘」がそんな風なことを言ってきた。
どうやら今の彼女は「山」の状態のようだ。彼女がもしも「火」や「風」であったならば、争いは際限なく広がっていた可能性もある。
とはいえ、平和的な「争い」の手段を提示されて、それに全員が従う様子を見せていたので、二人もこれ以上の気を出すことはせずに収まった。
「まぁ虎娘の意見も一つか」
「そうだな。このまま宮を破壊するのも財政的に無駄の限りだし」
ここを壊すことも厭わずに戦うつもりだったのか。という思いで二人以外の全員が白い目で見る。
そんな風にしながらも、モモウとやらは自分達の国の魔なのだから、「全員」で行って始末を着けた方がいいのではないかと思う。
独眼竜『紫苑』は、そんな風に思いつつも、自分だけが西方に赴き、もう一匹の竜として『双竜乱刃』として西方に伝説を築きたくもなる。
それが、好いている男ならば尚のことであった。というより会いたい。あなたの腕の中で抱きしめてくれ。と言いたくもなっている。
決意すると同時に拳を振り上げ、振り下ろすことで決まる刹那の戦場に赴く。
「最初はグー! じゃんけん――――」
そうしてヤーファの『戦姫』達の剣呑な争いは始まったのだった。
誰が来るにせよ。それは大きな力であり――――西方にとっては「ヤーファに手を出すべからず」というメッセージとなることになっていく。
西方の人間にとってリョウ・サカガミに伍するだけの剣士など、そこまで多くいるなどと考えていなかった。
彼らはそれまでリョウの言の中でも語られていたそれを「謙遜」だと思っていたからだ。
† † † † †
転移した先―――、変な話だが帰ってきたという実感がわいてしまうぐらいに、そこに馴染んでしまった。
同乗していた若輩の戦姫からすれば、自分以上のものがあるだろう。目算が狂ったのか、それとも重かったのかは分からないが、セレスタの街から五十アルシン離れた所に自分達はいた。
「ありがとうヴァレンティナ、お陰で助かった」
「礼ならば、ティグルヴルムド卿と同じく私の夫を助けることで返してください……にしても静かですね?」
エザンディスの転移に同乗していた人間二人の内の一方が礼を述べ、それに返してから礼を言われた方は街が静まり返っているのが気になっていた。
静まり返っていたという表現は妥当ではないが、エレオノーラがアルサスに残した戦力が、ごっそりいなくなっているような印象だ。
セレスタの街の活気自体は喪われていない。駐留していた軍がいない印象を受けるのだ。
「野盗でも出て征伐に出たのかな?」
街に入れば分かることとしても、一応の予測を着けてからセレスタの街に入ろうとしたらば、馬蹄の音が聞こえてきた。
単騎で駆けてきた兵士は、一応見知った顔であった。その様子から少しばかりの緊急事態ではあろうと予測は出来る。
こちらを確認した軽装の男は、馬を止めつつゆっくり歩くようにこちらにやってきた。
「トレブションさん。ライトメリッツの駐留軍は?」
男の名前と顔を一番知っているオルガが呼びかけて、これはどういうことだろうかと、聞く。
「おお、オルガちゃん、それにサカガミ卿にエステス卿まで、何とも都合のいいタイミングで――――」
自分達をつれてこようとしていたというアルサスの兵士―――親戚に騎士団の騎士がいるという男性は、己が君の急報を知らせてきた。
予想していなかったわけではないが、それにしてもそんなことになるとは、厄介な敵でもいたのかと思い、戦地に駆けつけることを約束する。
「成程、承知しました。我々も荷を下ろしたりしなければならないので、それが済み次第、至急向かう。とティグルには安心するように言っておいて下さい」
「助かります。では―――」
馬を翻し、再び伝令として「テリトアール」に向かうトレブションを見送りつつ、セレスタの街に向かう―――前に――――。
「リョウお兄さん、私がセレスタに荷を置いてくるから、ここで待っていてくれ」
桃色髪の幼女は、殆どひったくるようにして、自分の荷を持ってセレスタに走っていった。
別段、日用品の類ばかりなのでそれは良いのだが……オルガが、そんな風な行動をしたのは、まぁつまりだ。
「気を遣わせたかな?」
「本当。耳年増な幼女ですこと」
頬を指で掻きつつ、手を頬に当てつつ、二人が呟いてから、正面にお互いの姿を収めつつ、その姿を忘れ得ないようにしておく。
「今生の別れではないのですから、そこまで熱い視線で見つめないで下さいませ……と言えれば武将の妻として合格なのでしょうけれど…」
「そんなに拘らなくていいと思うけれどな。思いの丈を全て吐き出すことも時には必要だと思うけれど」
この西方に来る前にサクヤや知り合いの女性達に言われたことは「武将」の「良人」を自称している身としては、言ってはいけない言葉であったはず。
しかし、その言葉は自分をここまで生きてこさせた。されどティナは自分の妻を自称している女性なのだから。
言ってほしい言葉があるのだ。そうでなければ自分は彼女に対して少しの幻滅もしてしまいそうだ。それはお互いに戦乱の世に生きる人間同士の共感でもあるのだから。
「私は夫と共に戦場を駆け抜ける女傑という姿にも憧れますが、それでも武人の姫なので言わせてもらいますよ―――『ご武運お祈りしています』―――」
「―――ああ、行ってくる」
口付け一つしてから、簡単に返す。その一言にどれだけの「思い」が込められているのか分からぬわけではない。
その見つめる濡れた瞳に、込められた心を理解している。
そうして少しだけ名残惜しそうにしていても、彼女は再びエザンディスで己の国へと帰っていった。
「さてと……まずは、ティグルを助けに行くようだな」
場所はテリトアール。
かつて別の戦姫と共に立ち寄った場所であり、今回に至って何かしらの縁も感じる。
そんな風に感慨に耽っていると、一刻経つか経たないかで、オルガが馬二頭を連れてやってきた。どうやら、準備は全て済んだようだ。
今から全力で飛ばせばトレブションにも追いつくだろうと計算しつつ、馬に乗り込み、戦地へと向かうことにした。
テリトアール領は、ある意味ではアルサスと似たような地でありながらも、その所領の豊かさ領土の広さは比較にはならない。
「山を背にしているアルサスとは違うんだな」
「そういうことだ。このテリトアールとアルサスの違いは山―――ヴォージュ山脈との距離だ。山と競っている形で平原が広く拡大して、そこで取れる作物の多さが、ここの豊かさを表している」
レグニーツァのかつての入植地でもあった火竜山の環境にも良く似ている。しかしながら、こういった土地ならではの問題というのも多くある。
「何だか分かるかオルガ?」
将として、領主として地形を見て何が利点で何が弱点かを―――見えてきたベルフォルの街に馬を向けながら尋ねる。
怪訝な視線を四方八方に散らしながら、オルガは考える。考えた末に出た結論は―――。
「やはり山から敵がやってくる点かな……ジスタートとの境目でもあるから、どんな不逞の輩がやってくるか分からない」
「正解だ。とはいえ簡単過ぎたな」
「お兄さんは敵は山に巣くっていると考えているのか?」
古来より賊は自然の要害を好んで住処を作るものだ。故郷の近隣国の英雄譚―――百八の宿星に導かれた英雄達が、悪徳政府に立ち向かうために天然の要害を住処にしたのと同じく、「山賊」というのは大体そんな所に生息している。
「テリトアールの平原の広さはモルザイムの比じゃない。街や村を占拠するならともかく天然の要害は、あそこだけだ」
ヴォージュに指を向けながら、考えるが……腑に落ちない点もある。
「何でここだけを狙うんだ? アルサスはともかくとして、ジスタート側にも跳梁していてもおかしくないのに」
「いい所に気付けたな。俺もそれを考えていた」
もっともジスタート側に下手に跳梁すれば戦姫が出てくる。知らぬものならばともかく知っているならば、そこには手を出さない。
しかしだからといってテリトアールの兵士・騎士達が弱卒であるというわけではない。
寧ろ、その資金力から装備に金を掛けて、家臣団の中にも有能なものは多い。息子がどちらかといえば「兵站参謀」的な人間だとしても武威が無いわけではないのだから。
「
「昔、騎馬の民がジスタート領域を脅かしていた時にも、そんなものを作っていたりしたそうだが……防げるものでもないんじゃないかな」
万里は夷を防げず―――、当然でありながらも、どうにかしなければならない問題だ。
(オージェ殿達が梃子摺るということは、ただの野盗じゃないな。鍛えられた戦士が盗賊になっている)
内情こそ未だに分からないが、山地、高地での戦い、誘き寄せ方というのは、自分の故郷でさんざっぱらやってきたことだ。
平地での戦いよりも高地に対する攻城戦こそ自分がもっとも得意とする軍略だ。
そうしてベルフォルの街に入り、早速も領主の館に向かうと、どうやらティグル達はもっとヴォージュ山脈に近い所に陣地を構えたとのことで、ここにはいないと告げられた。
「お怪我の方はよろしいので?」
「まぁ、これしき。ただ報告によればジスタートの女将軍殿が、毒を食らったそうで、そちらは少し重いかと」
屋敷に入り、面会を希望するとすぐさま領主であるユーグ卿の私室に案内された。平服で椅子に掛けながら話す老子爵は少し怪我をしているようだった。
当人は客室でのものを希望していたが、家人の人間達に阻まれて、ここに来ることになった。怪我人の自己申告ほど当てにならないものはないのだから。
そして現在の状況が少し悪いものであることを告げられていてもたってもいられなくなる。
「リムアリーシャが毒を受けた……。申し訳ありませんが、早速向かわせていただきます」
「やれやれ、初めてここに来られた時も、金色の戦姫殿を連れて王都へと急いでおりました。あなたとこの領地は相性悪いのですかな?」
笑みをこぼしながら言う老子爵の言葉に、応える言葉はない。しかし、賊は壊滅させると告げて、子爵との面会を打ち切った。
「……リムさん大丈夫かな?」
「ティグルは狩人の技能を持っている。毒矢に対する対処も既知だろうさ」
不安そうな顔をするオルガ。その顔を完全に晴らすにはティグルでなければ駄目なのだろう。
――――馬を走らせて数刻すると、ライトメリッツ軍の陣地はすんなり見つかった。
歩哨を顔パスし、多くの兵士達に歓待されながら指揮官の幕舎を目指す。
瞬間、怪我人として心配していた数刻前のことなど忘れてオルガはティグルの名前を大声で叫ぶのだった。
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「羅轟の月姫Ⅳ」
追記・誤字指摘感謝です。
「成程、俺がジスタート王宮であれこれやっている間に、お前は愛のままに我がままにリムアリーシャのわがままボディを思う存分まさぐって、僕は君だけを離さないな状態だったと。そういう認識で大丈夫か?」
「大丈夫だ。問題ない――――なんて言うわけないだろ。まぁとにかく野盗から受けた毒を何とかしなければならなかったんだよ。怪我人として見ていただけで、そんな疚しい気持ちは無い」
幕舎の中で、薬草の類を調合しつつティグルがあんなことになっていた弁解を受けていたのだが、まぁそれは仕方ないのだろう。
しかし、看病する際に胸を揉んでいる辺り、この青年の趣味が分かった瞬間でもある。苛立たしげに赤毛を乱雑に髪を掻きつつも顔が赤い。
「サカガミ卿、そのあたりで」
「失礼、まぁ俺もあんまり人のことどうこう言えないしな」
リムアリーシャの窘めの言葉で、最後の作業―――後遺症を残さない類の成分を入れて薬草をお湯に溶かす。
「苦いだろうが我慢しろ―――その前に、『其は、祖にして素にして礎―――』」
御椀に入った「薬湯」。寝台で上体だけ起こしたリムアリーシャに渡す前に、御稜威の中でも『身体復調』の類を掛ける。
手に出来上がった緑色の光がリムアリーシャに移っていく。
これならば治りは速いはずだ。としていると興味深そうにティグルの侍女であるティッタが見ていた。
「ウラさん。今のは……?」
「何と説明すればいいのやら……まぁ簡単に言えば「奇跡」ってところだな。昔から修行を積んだ巫女や神官の類が出来るものだ」
「神職に就いていれば出来るものなんですか?」
「――――覚えたいの?」
興味深いどころではなく、むしろ学べるならば学びたいと言わんばかりに、身を乗り出してくるティッタ。
ブリューヌの神々に対する正確な知識がない自分では、それに相応した呪言を教えられるかどうか微妙なところではあるが、ティッタが覚えたいのは「回復・解毒・解呪」などの「癒しの秘蹟」のはず。
それぐらいならば、特に問題ないだろう。しかし実践出来るかどうか……未知数だ。
「君もどうやら行軍に付き合うみたいだからな。戦う術はともかくとして、そういったことを覚えておくのは悪くない」
「お願いします!」
意気込むティッタ。その姿に一応ティグルの了解はどうなのかと思うが、彼は特に止めないようだ。
「とりあえず今は、山に篭っている連中を叩き潰すことだな。詳しい状況教えてくれるか?」
「ああ、とりあえずここより外で説明した方がいいだろうな。ティッタ、リムの看病頼む」
「はい。お気をつけて」
そう言い残し、幕舎から出てヴォージュ山脈の全体が見れるところまで歩いていく。幕営全体は慌しいようで整然としている。
次に攻め入る時が決戦であると誰もが認識しているのだろう。
連れ立って歩きながら、状況も良く見ておく。皆それほど悲観はしていない。特に不平不満もないようだ。
「まずはどこから話すか……」
「一当てしたんだろ。その際の状況から」
思案したティグルに、聞くべき一番は野盗共と一戦やらかした時、その状況などからだ。
それによるとこういうことらしい。ユーグ卿の要請で野盗征伐に出た「ライトメリッツ軍」は、『巳の刻』の半ば辺りで山道から降りてきた山賊達と戦うこととなった。
ユーグ卿の時のように誘い込まれないように平原での戦いに終始しつつ、防御で後退しつつ、敵を平原側に誘い込んでいって―――、伏兵で挟撃することが出来た。
壊滅と言っても差し支えない状況だったのだが、壊走する山賊たちの中に一人手練れの「人間」がいて毒矢を放った。それは運悪くリムアリーシャの甲冑を砕いて、胸の辺りに突き刺さった。
「処置は早く出来たんだが、少し不安になってな。リョウは薬師としての技量もあるって聞いていたから、トレブションに行ってもらったんだ」
「成程、ただ処置は完璧だったぞ。ベルフォルの街の医者にも見せただろうに、お前は心配しすぎだ」
失態というか甘えだと思っているのかティグルは髪をかき回しながら言ってくる。
そうして山賊共は未だに立てこもっている――――住処は既に割れているとのことだが。
「朽ち果てた城砦か。そういう廃墟とか所有者なしの建築物は取り壊せと言いたい」
「だよな……いずれにせよ。そういう所に篭っている。それでどうしたものかと思案の最中だ」
「予備兵力もあると見た方がいいな……流石に一戦した時に、砦を空にしているわけがない―――とするとだ」
最低でも五十人、多くて六十人以上がいまだに立て篭もっている。しかし城砦にいるということは……。ティグルが広げていた地図を見て考えを巡らす。
一つ、城砦から野盗を追い出す方法を思いつく。恐らくあちらも復讐戦をしたいと意気を上げているだろう。
場合によっては窮鼠になるかもしれないので……もう一つの策で、あちらの戦意を下げることも必要だとしていたのだが……。
『何か奇策でも思いつきましたかな?』
同時に呼びかけられる。方向は後ろからだ。
見ると美男子二人がいた。しかし、お互いの言葉が調和したのが気に入らないのか互いに険悪な視線を向け合う。
ここの領地の後継者である男と、この軍の次席武官である男。
髪の多寡は――――勝敗が着いていた。
「リョウ、こちらは」
「紹介は無用ですよ。お久しぶりですね。まさか―――と思っていましたが、本当だったとは」
「言いたいことは分かるがな。俺は伯爵閣下に忠孝を尽くすと決めたんだ」
髪の多い美男子―――ジェラールを紹介しようとしたティグル、それを制して含みのある言葉をかけてきた。
それに対して、言外に余計なことを言うんじゃないと含めておく。
「心得ておきましょう……さて、どうしますか? あまり日にちも掛けられないのではないですかな?」
軍と言うのは策源地にいるわけでもない限り、一日待機しているだけでも金がかかるのだ。
何より借金まみれの主に更に借金を負わせるわけにもいくまい。そしてユージェン様から頂いた「花代」はこれからの戦いに必要なものだ。
「山を登って戦うってのは、かなり犠牲が出るからな。こっちから打っては出ない……よし、『水の手』を切ってしまえ」
「水脈を断つのか? けれど山にあるんじゃ意味が無いんじゃ……」
「いや、地図を見ると野盗共の水は山頂から引いているわけじゃない……『ここ』と『ここ』を人を使って掘らせろ―――その上で、奴らを―――『ここ』で待ち伏せる」
地図を指で示しながら、作戦の概要を話す。これを採用するかどうかはティグル次第なのだ。
「捕らえるのか……その後は?」
「内部分裂を起こさせる―――お前の武功は減るが構わないか?」
「……同じようなことリムが言っていたな。けれど、もう犠牲は出させられない。兵を無傷で生かし、奪われたものを無事に取り返す―――その術あるんならば、それで頼む」
ティグルが望むかどうかであったが、彼にとってはそれで構わないようだ。
「あとはそうだな……絵心ある奴―――詳細な人物画が書けるのいるか?」
無ければ無くていいのだが、いればそれだけ「簡単になる」。
・
・
・
「くそがっ!」
火酒の入ったグラスを壁に叩きつける。ガラスが砕けるその音に驚き、身を戦かせる村から攫ってきた娘達。
貞節を汚し、陵辱をすることで慰みとするためだけのものとしてきたが、今はそんな気分にもなれない。
恐らくジスタート軍は、こちらの食糧事情を掴んでいるはずだ。包囲を解かずにいるのは、後々近隣諸侯の援軍が来ると分かっているからだ。
流石に奴らも山の上にいる自分達に戦いを挑む愚は冒してこない。
何よりも腹立たしいのは……。
「どうなっていやがる! 支援は出ないってのか!?」
「さぁな。我々はただ主家と頭領である「ソウジュ」様の求めに応じて貴様に協力しているだけだ」
「だが分かることもある。お前が閣下の支援を受けたければ、この領地の貴族―――オージェ卿を討ち取るべきだったのだよ」
歯軋りをして山賊の首領―――ドナルベインは、その男女の―――暗殺者共を睨み付ける。
自分がここで山賊をしているのは、言うなればテナルディエ公爵の要請によるものだった。彼にとって自分達に従わない連中を従わせる術はいくつかあるが、領内に反乱勢力、反動勢力を作り上げる。
どれだけ関与しているかを偽装しつつ、自分達を使っている辺りにあの男の能力の高さが伺える。だがしかしその分、彼は己の手下にすら多くのことをこなすように求める。
たとえ傍目には大戦果であろうとも、公爵の物差しが長すぎれば「功なし」などと言われるのだ。
「……水を切られた以上、これ以上の篭城は不可能だぞ」
要塞という名ばかりの廃墟における唯一の自給出来る兵站を止められた。恐らくこの廃墟の井戸はヴォージュ山脈から引いていたものではなかったのだ。
持ち主の所有分からぬ場所だったから、そういったことが出来るとも考えていなかったのも一つ。
今現在、副頭に指揮をさせた上で、川に水を汲ませにいかせている。だが成果はあがるまい。しかし……明日、もしくは明後日になれば何とか一戦して囲いを突破できるだけのことは出来るだろう。
そう考えていたのだが予想外のことはいつでも起こるものである――――。
「頭領、大変です! 副頭が下の連中に捕らわれました!!」
屋敷に入り込んできた下っ端の焦った言葉で予定を少し変更せざるをえなくなった。
† † † †
「……上手くいくと思うか?」
「いかなきゃ予定通りお前の鳩を使った虚兵手段でやるだけだ。既に別働隊は向けている」
既に丑三つ時ともいえる深夜。そんな時間の前。山に送り出した『酔っ払い』がどうなるか次第だ。
「離間の策の一つとしては、上手くいくさ。あの副頭ってのは心底から頭領に信頼されているわけじゃない」
「まぁ話から俺もそう感じたが」
くすんだ赤毛を掻くティグル。それを見つつ考える。第一に首領の名前が判明したのは僥倖であった。
『あの男』がどういう人間であるか詳細には知らないが、レグニーツァでの金銭授受の際の様子から猜疑心が高く己以外は信用していないタイプに思えた。
そして『傭兵団』のような組織に属していないところから察するに、集団の頭としては使えなさそうな人間である。
「まぁ俺達は合図を待ちつつ一杯やっておこう」
「俺はいいよ。オルガやルーリック達が別働隊という危険任務に就いているんだ。俺だけでも身を正して報告を待っていたい」
「そうか」
山の上を佇立しながら睨み付けるティグル、とりあえずその姿を見つつ、胡坐をかきながら故郷の酒を一杯呷っておく。
彼の立ち居に既視感を覚えつつ、二刻半もした辺りで変化が訪れた。山の上から『三本』の色付きの火矢が飛んでルーリックの合図を確認する。
「―――作戦は成功だ」
流石は魔弾の担い手、一瞬自分は『二本』で失敗かと思えたが、ティグルは見間違うことなくそれを見れたようである。
聞いてから、立ち上がり幕舎内に腹からの声を響かせる。
「閣下が出陣される。選抜された者たちは手筈通りに動け!」
盛大な銅鑼を鳴らす必要は無い。太鼓の音もない。ただ馬を使って山道を上がる。それだけだ。夜明けは近づきつつあった……。
――――そんなティグル達が出陣する前、山道ではなく獣道のような場所を上がることで野盗共の館を見下ろせる位置に来た別働隊は、眼下で行われている風景を見ていた。
それは拷問風景である。外に連れ出された見知った男が、首領と思しき黒髪の男に吊るし上げられながら、数々の悲惨極まりない行為を行っている。
「離間の策とはいえ、ここまで上手くいくとは……正直予想外でしたな」
「だが、ここからだ。副頭が何を言うかによる……それ次第で作戦の成否が決まる」
後ろで話している禿頭のライトメリッツ兵士と長髪ながらも縮れている褐色髪の貴族の言葉を聴きつつ、オルガは耳を澄ませる。
自由騎士リョウ・サカガミがとった手段は兵糧攻めによって奴らが「窮鼠猫を噛む」形を消すことにあった。
川に水を汲んでくると踏んだ自由騎士は、その際に捕らえた男が指示を出している所から幹部に相当する人員であると理解してからは早業である。
一人を捕らえると同時に、周りの部下達をティグルの矢で適当に殺しつつ、何人かを生かして返した。
「あちらは水も禄に飲めない貧窮状態―――、そんな中で一人だけ呑気に酔っ払って帰ってくれば……」
「粛清のためにもああなるか。とはいえあそこまで歓待する意味は見出せないな」
感心するような言い方をするも最後の方には、あの副頭に費やした食事と酒の量を嘆くようなことを言う。
ついでに言えば心にもないおべっかを使って上機嫌にさせたことを思い出しているようだ……。
しみったれたことを言う人だ。とオルガは、ジェラールに対して思いつつ『兵站管理』もまた軍にとって大切でもあるとリョウの言葉で思い直す。
「それもまた連中を分裂させるための策だ……お前はティグルヴルムド卿が信じた戦士を信用出来ないのか?」
「そういうあなたこそ自由騎士を信じている風には聞こえないな。寧ろアルサス伯爵の武威を高める機会を奪ったぐらいには考えているはず」
――――少し声が大きくなりつつある二人だが、それ以上に副頭の悲鳴が甲高く響き、自分達の声を掻き消すほどだ。
「ならばオルガ様がどう感じるかだ。ご裁決いただきたい!」
「公平な裁決をお願いしますよ」
勢い込むルーリック、気障ったらしく言うジェラール。こんな個性的な連中をまとめるのも「将」に必要な素質だとしてあの自由騎士は言ってきた。
とはいえどう言ったものかと少し考えながら……別に贔屓目があってもいいと思って、考えをまとめた。
「リムさんには悪いけれどティグルには特別な武功は必要ないと思う。今回もどう軍を動かすかだけを理解すればいい」
オルガの言葉にルーリックは酷く落胆する。反対にジェラールは、少し得意げな顔だがそれもまた違うとして言葉を続ける。
「けれどそれはティグルが将をまとめる『王』の器だからだ。お兄さんも言っていたけれどティグルはブリューヌでは弱小貴族で弓が得意で馬鹿にされることも多かった――――だから下にいる人間のことを真に理解出来ているって」
そこからのし上がろうという野心は無くとも、様々な人間を理解して、活かすことに長けている。いざ立ち上がれば、彼は多くの人間を動かせるだけの器を持っている。
「勇気もあるし、行動力も、人望もある―――それら全てがティグルの器なんだと思う。だから私もお兄さんもティグルの放つ「矢」の先にある障害を切り崩す「木こり」でいいんだ」
「……それがあの伯爵の魅力であり、あなた方が虜になる理由だと……?」
「付き合いが短いジェラールさんにはまだ分からないかもしれない。けれどそれでいいと思う。私やルーリックさんやお兄さん達がティグルの虜なだけで、冷静な判断が出来なくなった時に鋭い一言で諌めてくれれば、それは最良だよ」
「―――私は別にあの伯爵の部下になってはいません」
「おまえはっ」
しれっ、と言うジェラールに拳を振り下ろさんばかりのルーリック、しかし次の一言でそれも収まる。
「ですが、あの伯爵と行軍することあれば、時には辣言吐くこともしましょう。私とてこの領地を継ぐものとして、あの青年がどんなことをするのか見ておかなければならない」
結局の所、ジェラールがこうなのは性分でしかないのだろう。立場の違いでしかないといえばそれまでだ。
アルサスの保全としてネメタクムへと向かうティグルは様々な目で、これから見られる。そして味方となる貴族達も己の領土をテナルディエ公爵及びガヌロンに脅かされないように動く。
それが第一義である以上、ジェラールの態度は当然である。だからこれ以上は今後のティグル次第だとオルガもこれ以上は言わないでおいた。これ以上は自分の言葉を尽くしたとしても無意味だと思えたから
「うん。存分に見てくれ。私とお兄さんが王様だと感じた男はすごいんだってことを後世にまで伝えてくれ」
「オルガ様、私も含めてください。弓聖王の偉業の語り部となりますから」
「けれどあんまりティグルに傾くとエレオノ――――――――」
言葉が途切れたのは状況に変化が現れたからだ。拷問受けていた副頭の懐から出た「指名手配書」―――五千ドゥニエと頭領ドナルベインの似顔絵が書かれたそれを下っ端が拾い上げたからだ。
『全員聞け!! このままじゃおれらは破滅だ!! ブリューヌ国軍は、ジスタート軍との同盟でおれたちを殺すつもりなんだ!!』
追い詰められた副頭は、教え込まれた情報をペラペラと声を張り上げて叫ぶ。
その指名手配書にはドナルベインの罪状も書かれており、それこそがジスタート軍との同盟理由にもなっている―――はず。
『おれは西方の自由騎士と呼ばれるヤーファ人からそれを受け取った!! 今ならばそこの裏切りのよう―――――』
甲高い声が途切れたのは、頭領でもあるドナルベインが澄んだ青色の刃を振るって絶命させたからだ。
だがそれはあまりにも短慮な行動だった。これでは既に「馬脚」を現したも同然だったからだ。しかし追い詰められていた野盗共である疑いの視線がドナルベイン及び幹部連中に向けられる。
幹部もまたドナルベインに疑いの目を向けていた。一触即発―――全員が得物を引き抜いたのを確認して作戦は最終段階だと感じられた。
「手はず通りに、ジェラールさん達は裏口に回って女性達を安心させると同時に、内側から扉を閉じてください――――それとルーリックさん。あの―――中央の篝火台消せるかな?」
「成程、同士討ちを誘発するのですな。お任せを、奴らが蹴飛ばしたと見せかける形であの巨大な篝火を落としましょう」
見せしめの効果と燃料節約のためなのか城砦外の火を一箇所に集めたそれのみが、この場所の明かりだ。
それを無くせば惨劇はもっと悲惨になるはず。夜目が利いたとして目の前に「敵」がいる以上、刃は振るわれ放題である。
例え敵が同一であっても「目の前」にいる人間が殺しにかかれば―――――。
月明かりも朧な三日月すらも長く尾を引く暗雲に隠れた時に、野盗同士の切りあいが始まった。
頭領派と副頭派がきり合いする中、怒号が響き鈍い金属音が鳴り響きながら、誰か一人が篝火台に近づいていく。
首領であるドナルベインだ。そしてルーリックは下っ端三人ほどがまとめてドナルベインとぶつかる寸前を狙って矢を放ち―――ドナルベインに処理させる形で、篝火台を消させた。
不審に思ったドナルベインだが、しかし自分の首を取ることで恩赦を得ようとしている連中の前では、あまりにも無駄な思考だった。
無駄な思考の間に殺されることも考えられる。
「くそがあっ!! フェリックスゥウ!!!!」
堅い地面に落ちて炎は燃え広がるもの無くなり、更に言えば多くの人間が篝火の燃焼物を踏んでいくので三十も数える前に完全な闇の帳が落ちた。
闇の帳の中、誰が敵で誰が味方かも分からぬ中、己の剣のみを振るうドナルベイン。
この中では一番の「業物」を持っているだけにドナルベインの繰り広げた惨劇は恐ろしいほどに進んだ。
悲鳴が加わり怒りの声がそれを上塗りしていき―――――――。
―――――半刻もする頃には、城砦の外には動く人間は一人だけとなった。
多くの裂傷、打撲跡を全身に負って、もはや死に体である歴戦の傭兵という―――肩書き虚しい敗残兵。
「どこだ! かかってきやがれ!!! おれのくびを取ったところで、てめえらの罪が許されるわけじゃねええ!!!」
「そう。だからあなた以外は全員死んでるよ―――その剣、随分な業物だ」
もはや出血のしすぎで、目も見えなくなっているドナルベインの耳に、涼やかな音色を転がしたような声がした。
陵辱の末の嬌声を上げさせてきた女共とも違う声だ。初めて聞く声ながらも、ドナルベインは察していた。
この女―――というよりも小娘だろうが下手人の関係者なのだと……。恐らく自分の前にて「大型の武器」が軋む音が耳に届きながら、最後を覚悟する。
「自由騎士リョウ・サカガミからの伝言だ――――『最後ぐらいは全てを話して死ね。』と」
「――――あの野郎……はっ、はっ……ちくしょうがぁ―――俺を使ったのは―――」
目の前の野盗の「雇い主」の「名前」を聞きながら小娘――――オルガは、怒りを強くした。
「ちくしょう……あいつと俺とでなにが――――違うってんだぁあああ!!!!」
耳に届く音を頼りにドナルベインは突進していた。音の中に「戦姫様」「オルガ様!」というものがあり、目の前の存在を察していながらも止まらず―――ミスリルソードを振るっていたが。
その前に上半身と下半身が分かたれた。突進からの落下―――底なしの地獄に落ちていく感覚にも似ていて、その顔は絶望に染まっていた。
「お兄さんの伝言の追加だ。『力なき者の剣と盾となる―――自由な翼―――それが
――――おれには出来ない―――生き方だ――――。
既に死んでいた男の口から出るはず無い言葉だったが、オルガはそんな言葉を聞いたような気がした。
やはり幻聴の類だろうと、笑みを浮かべて動かなくなった死体を一瞥してからルーリックに合図矢を出すように指示を出す。
夜明けは近づきつつあった――――。
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「魔弾の王Ⅶ」
夜明けになると同時にヴォージュ山脈に入り込んだティグル達は、そこでの予想外の光景に一度面食らうこととなってしまう。
野盗共のアジトは廃墟のような城砦と、城砦の周りに岩で作られた質素な塒―――そして死屍累々たる野盗共の死体の山であった。
様々な戦利品。中でも―――内部分裂が起きた時点で鎧も着ていなかった人間ばかりだったらしく、修理の必要性が殆ど無い武具を入手出来たのは大きかった。
今後も使えるもの、使えないもの。オージェ子爵に渡すべきもの、そして死体の処理などを手分けして指示していたところ。
やってきたのは、別働隊であり女性陣救出部隊であったジェラールである。表情に変化は無いが、少しだけ……疲れているようにも見えるが、特に指摘しなかった。
指摘しても逆鱗に触れるだけな気もしていたからだ。
「ではここはお願いします」
「承知した。オルガ、ルーリックもジェラールと一緒に下ってくれ……彼女達に必要なのは、お前達だろうからな」
「……分かった」
野盗共の慰みものとなっていた村の女性達は、ジェラールの保護で山を下ることになっていた。
それの護衛であり、安心のためにも女と「二枚目」が一緒にいた方がいいだろうとしてティグルは、そう指示した。
少しの不満を見せつつも、オルガは従って馬車の御者となった。
「ご婦人方の扱いはお任せください。サカガミ卿―――お願いいたします」
「承知した。ティグルは無事に凱旋させる」
そこまでの危険は、もはや無いはずなのだが、もしかしたらば山の獣が血の匂いに惹かれてやってくる可能性もある。
ルーリックの懸念をリョウは察しているのだろう。そうして後方移送の馬車数台を見送ってから―――惨状の程を見る。
「まさかこんな欺瞞情報を信じるとはな……馬鹿が、お前がもう少し「自由」にやってればこんなことにならなかったんだよ」
野盗の首領ドナルベインの死体。そして血と土に塗れた偽の「指名手配書」。その二つを見比べたリョウが嘆くように言う。
「リョウの国では、こんな風な計略も行うのか?」
「基本的にヤーファは平地よりも山地が多くてな。防御の要害である山城を落とすには、こういった離間工作、調略の類は多いよ」
もっとも山にある以上、よほどの備えなくば兵糧攻めされるだけだがと付け加えるリョウ。
「コンスイボギョ―――、水をかき混ぜて、魚を誘導することに似ていることから、名付けられている。――――卑怯だと罵るか?」
「命じたのは俺だ。……この乱世で『戦』の作法にこだわる意味がどこにある。何より敵は野盗だ」
「オルガの話ならば、奴はテナルディエ家の客将だったようだが―――それでもか?」
確認するように視線で問いかけてくるリョウ。試しの言葉であることを理解しながらもティグルは心のままに吐き出した。
「ああ。今回の事で確信したよ。味方でないならば、味方にならないならば同属、同民にすら非道を行う。様々な斟酌無く行うやつ玉座に就けば、ブリューヌ全土がどんなことになるか―――」
今まで、ティグルには確かにアルサスを守る。それが第一義であり、会談の時のマスハスほどの義憤は無かった。
しかし城砦より出てきた様々な指令書、手紙の類などを一読してからティグルは、一種の怒りを覚えた。それは人間として正しき「怒り」であった。
「何で燃やさなかったんだろうやら、あるいはこの事をどこかに密告するぐらいは考えていたのだろうかな」
「どちらにせよ……馬脚を現したな。王になるとかまでは考えないが―――」
そんな奴に玉座を与えることは有り得ない。泥臭くても、例えブリューヌの戦の作法を逸脱したとしても――――。それだけは心が許せないのだ。
「俺の心が正しいと思えたことを必ずや成し遂げる―――これから出るかもしれない悪名は俺が引き受けていく。鬼となり魔王と呼ばれようとも構わない。冥府に落ちるは俺だけだ。だからリョウ、――――平和が訪れ、皆に笑顔が戻るまでは、どんなことあろうともその刀を鈍らせないでくれ」
そう言って来るティグル。そんなことを言われたのは「三度目」である。
一人は神王。一人は魔王。
二人ともが、『お前のカタナは私の『言葉』だ』として、そんな風なことを決意して言ってきたのだ。
「お前はお前の心のままに命じろ。それに俺は応えるだけだ――――お前が斬れと命じたもの守れと命じたものの為にカタナを振るうさ」
全てを背負うと決意した王様。その為に働けるというのならば、これ以上の武士としての誉れは無い。
何より恐らくティグルの心は俺と同じはず。たとえ困難な戦場に民を助けに行くなどという無謀をも、この男は行うはず。
それは―――俺と同じ道だ。だからこそ戦える。
「詳しくは後に話すが、まず行軍する前に……お前は、この「武器」をテナルディエ公爵に供給した『戦姫』に会わなければならない」
決意の言葉の後には現実に引き戻す。とりあえず当面の問題としてドナルベインの得物に関して決着を着けねばならないと告げる。
剣の心得不足しつつも、その剣の良し悪しを感じて、豪奢な鞘から軽く引き抜くティグル。
夜明けの光に透けて刀身に見えるのはこの辺りの戦神の紋章である。
「トリグラフの紋章の……ショートソード」
「オニガシマより産出せし神鍛金属ミスリル、火竜の炎により溶けて鍛えるは、氷結の土地の鍛冶職人」
「……近いのか? ここから」
ティグルの質問に首肯で答えてから、件の戦姫の名前を告げる。
「公国オルミュッツの蒼の公主 リュドミラ=ルリエ。まずは彼女と話を着けるべきだ」
† † † †
テリトアールにおける戦いは大勝利となり、ティグルはベルフォルの街にて、拍手喝采に包まれることになる。
大したことはしていないはずだが、それでも総指揮官は自分なのだと、リムに諭され胸を張って凱旋。その足でオージェ子爵の館に挨拶に向かう。
広間に通されて、ささやかな酒宴を開くと言われて特に断る理由も無いので受けることにした。
こちら側からは、主だった将達が出席をしている。初めて来た時にはいなかったオルガ、リョウも含んでのそれとなる。
「いやはや感謝するティグル―――いや、ヴォルン伯爵。息子から詳細は聞いておるゆえ、その武功と完全なる勝利に感謝は絶えぬよ」
「俺一人だけではありません。首領を討ち取ったのはオルガですし、水脈を辿ったのはリョウです。俺一人では何も為せませんでしたよ」
その言葉にリョウとオルガは少しだけきつい目で見てきたが、それでも嘘偽り無く申告せねばならないことだ。今、兵を欲しているのは自分たちなのだ。
自分の武功自慢などよりも、これだけ有能な将がいることを紹介することで、オージェの信用を得なければならない。
「やれやれ……ウルスは良き後継者に恵まれたものだ。そこまで言わなくても、もはやワシは決心しておるよ」
前半の言葉に少しだけ含まれたものを感じたのか同席していたジェラールは、むっ、としていた。
後半の言葉は自分の狙いを看破されたゆえだ。
「では――――」
「うむ。お主の義戦、テリトアールは全力を以って支援しよう。とりあえず一千の兵をお貸しする。そして策源地としてここを使うがよい」
そして近隣貴族への交渉も自分がやると言われて本当にありがたく思う。しかし、こちらの笑顔に苦笑をするは老子爵であった。
「一軍の総大将たるものが、そこまで簡単に喜ぶでない。寧ろ忠節を詰るぐらいでいるべきだぞ。ワシは此度の戦―――、いやこれ以上は言わないでおこう」
老子爵の言葉が途切れるは当然だ。この戦は、言うなれば最終的にはテナルディエ及びガヌロンの横暴を止めるための戦いになろうとしている。
彼らが中立貴族に対して、そのような行いをするを止めるには結局の所、義がこちらにあることを示さなければならない。
つまり王権に対しての不義・不忠を諌めるためのものだ。
「さてと、では乾杯をする前に一つ提案をさせてもらいたい」
「何でしょうか?」
「我が息子ジェラールをお主の「旗本」として就かせてもらえぬか?」
「父上!?」
どうやら事前に通していたことではないようだ。驚いたジェラールの顔がユーグに向けられるが老子爵は淡々とそれを受け流しつつ、どういうことなのか驚くこちらに説明してきた。
「リムアリーシャ殿にそれとなく聞いていたことだが、どうやら現在ライトメリッツ兵の何人かは残ったアルサス兵士と一緒に練兵されているとか」
「ええ。こちらと戦闘合図などが違うことも有り得ますし、いざ行軍という段になって共同歩調できないでは意味がありませんので……」
「それを知るためにも、こちらとしても誰かを派遣することで、合図矢や号令のそれを知っておきたいのです。無論、軍機であるというのならば諦めますが」
「……ティグルヴルムド卿のお心次第です」
リムの発言で殆ど全員の目が自分に向けられた。
特に裏がある提案ではない。確かに事前にそういう伝令や合図のそれなどが分かっていれば、行軍及び戦の仕方は統率取れたものとなるだろう。
指示を出すのは隊長格の役目。大体は代々の領地の家臣が10から100の指揮官となって動くというものだから、そこまで神経質にならなくてもいいはず。
決断次第では、どうなるか分からぬものだ。下手したらばジスタートとブリューヌの軍団同士での分裂にもなるかもしれない。
(現にルーリックは、ジェラールを睨んでいる……)
しかし、そもそもこの寄せ合わせの軍団を繋げるのは結局、自分なのだと気付かされる。ジスタートにも理解があり、ブリューヌの臣として動くこともある自分が、この軍の楔なのだと。
ならば―――起こるだろう問題はさっさと起こって早めに解決してしまえばいいだけだ。
「分かりました。同盟相手との迅速な行動のためにもそれは必要でしょう。ジェラール殿には、私の協力者がどういう用兵をするかを理解していておいてもらった方が手っ取り早い」
「感謝をする。ジェラール、私に孝行するのと同じように、伯爵閣下に忠節を行え。でなければお前は絶対の親不孝者である」
「……承知しました父上」
諌めるような老子爵の言葉に、どう見ても不承不承という顔のジェラール。
しかし、それだけならば……ジェラールではなくこの地の武官でも就かせればいいはずだが……そんなティグルの疑問に答えるものは宴の席の段ではいなかった。
答えたのは―――宴から一夜明けての、アルサスはセレスタの街へと帰る際の行軍中のリョウであった。
「なんだそんなことを考えていたのか。言うなればあの男をもう少し教育したいんだろ」
「教育って……少なくとも、俺には足りない所は無い人間に見えたんだけど」
馬を並べて言ってきたリョウ。後ろの方ではジェラールが連れて来た家臣十人ほど、それを併走して見るのはルーリックだった。
示すように首を後ろに向けたリョウだが、疑問が増えただけだ。
「確かに、けれどあの男は父親から見れば少しだけ次期領主として失格扱いなんだろう」
そうして語るリョウの言葉には一理ありつつも、誰もが武人としての栄達が出来るわけではないのだから、それは仕方ないのではないかと思う。
兵站参謀であることが不名誉役職なわけあるまいし、だがそういうことではないというリョウ。
「時に領主ってのは効率だけを優先していては駄目だし目先のことだけに囚われていては駄目なんだ。もしも自分一代だけでその後の己の土地など知らんというのならば、あの男のようなやり方でもいいさ―――通じれば、それはテナルディエ、ガヌロンにも」
―――なりえるものだと語るリョウ。だが、それが自分に就けることとどう関係するのだろう。
「そいつは今後のお前次第だ。だが―――アルサス、己の民を守るためになりふり構わぬお前の姿にあの老子爵も何かを感じたんだろう」
「そういうもんかな……」
自分としては精一杯やっただけだ。結果として勝利が出来ただけだ。そこに己だけの力で何か出来たとは思えない。
「うん。ティグルのやり方を批判する人間がいるかもしれないけれど、それでも真実を知れば誰もが納得する。誰もが己の力だけで何かをこなせるわけじゃないんだ」
「まぁ己の身を慎んでおきたいな。多くの綺羅星の如き将星、将兵達、忠義の家臣が俺に身を寄せている以上は、その振る舞いには気をつけたい」
オルガに対する返答に、周りの人間全員がそれぞれの反応を示す。――――多くは照れのそれであり、オルガなどは体を揺らすようにしていた。
簡潔に言えば体を『もじもじ』させていたのだ。
「俺もああだこうだと言われるがお前の人誑しも相当だな」
「自由騎士と同じ技能があって嬉しく思えばいいのかどうか微妙だ」
リムですら明後日の方を向いて諌めないような現場において、リョウだけは冷静を「一応」は保ってそんなことを言ってきたのだが、彼はそれはそれとして忘れていたことを今、告げるとしてきた。
「何だ未報告のことって?」
「ティグル。親父さんの交友関係に関して知っているか? それならば話は早いんだが」
リョウの報告で出てきた内容。父であるウルスの関係者としてユージェン・シェヴァーリンなる人間を知っているかどうかと尋ねてきた。
自分は知らなかったが、ウルスの代からの家臣であるバートランは知っているとして、どういう人物なのかを語ってくれた。
「話半分ですが、ジスタートからの派遣役人で御自分では「下っ端役人」だと名乗っておりましたよ」
「論客、説客……外交官みたいなものか」
知らぬことであったが、ユージェンなるその方はブリューヌへと入るルートでヴォージュ山脈を超えたものを選んでいた方だった。
その道中で父と母がまだ健在であった頃のアルサスに立ち寄ること多かったとバートランは思い出に浸るように言ってきた。
閉じた目の向こうには恐らくその頃の父母の姿と幼い自分などが映っているはず。
「事実、その頃のユージェン様は、ただの王宮勤めの役人でした―――もっともいずれは「宰相」にもなれるだろう方でしたが」
宰相でなくなったということは出世街道を外れてしまったのだろうかと思うも、そうではないと―――当人と面識があるリムアリーシャは語る。
「領地を貰い姓をいただき、ヴィクトール王の姪を嫁にいただいた。つまり「王の遠戚」となったのです」
「―――それは大出世じゃないか」
少なくともただの役人でなれる限りでの、栄達ともいえるかもしれない。宰相となることと、どちらが良かったかは本人の心次第だろうが。
「成程、だから最近お会いしなかったのか」
「バートランさんが最後にお見掛けした数年前後は、ユージェン様=現パルドゥ伯となられた辺りのことですね」
その後のユージェン殿は、身を正して一介の貴族として王にあまり意見しないことで「文官」としての自分を封印してきた。
ただの貴族ならばともかく「王の遠戚」関係では、世間がどう見るかは分からないからだ。
もっともヴィクトール王は度々、王の名代として使っているらしく、その辺りがユージェンの優秀さを語る。
「ウチの国とは大違いだな。王の血族となったからと増長している人間が、俺たちの敵なんだから」
「見習ってほしいもんだが、結局、こういうのは己の気性が問題なだけで立場云々というわけじゃないんだろう」
リョウと共にため息を突くように言うと一同揃って苦笑いであった。
「で、そんな方がどのような用件なんだ? 申し訳ないが墓参りなどの案内は出来そうに無いぞ」
「ああ、家督相続及びご両親のご不幸を教えると――――今は伺えないが、一応「花代」だけでも渡しておいてくれってさ」
花代―――つまりは墓に供える葬花のことだろう。そうしてリョウはムオジネル製の細工で出来た袋を渡してきた。
袋だけでも結構な値打ちのはず。そんな袋には、何かが詰まっているのか大きく膨らんでいた。
何より重量が相当なものである――――――、一瞬バランスを崩してティッタを落としそうになってしまったが、持ちこたえつつ中身を検分する。
検分してからまたもや再びバランスが崩れそうになった。中身が衝撃的だったからだ。
「おいリョウ、中身に関して何か聞いていないか?」
見た瞬間に、何故にこんなものが「大量」にあるのだと思う。半眼で隣にいる侍を見ると―――。
「さぁ、「花代」とだけ聞いているよ。まぁ金の使い方に関してあれこれ言いたくないが、あまるようなら「戦費」の足しにすれば、いいんじゃないか?」
こいつ絶対に知っていたな。と面白がるような口調で言われて理解する。
「め、目が焼かれそうです……!」
「ティッタさん!」
日を浴びて袋から出た「金色の光」に目を回すティッタ。その身体を慌てて馬を寄せて支えるオルガだが、その反応は当然である。
そこにあったのは富の象徴である「黄金」30枚が―――、こんな時だけは自分の目のよさを呪いたくなるぐらいに輝きの全てを正確に数えられた。
「お前、これ!?」
短い問い掛けに対して自由騎士は構わず口を開く。
「ジスタートにも色々あるのさ。旧知の方からの遅めの家督就任祝いとご両親への香典だと思っておけ」
「香典って事はいずれお返ししなければならないんだが……」
「戦争が終わってからでもいいからシェーブルチーズを送ってくれと言っていたよ」
こちらの驚きだらけの言葉に飄々と答える自由騎士。どんな話術を使ったのかは分からないが、それにしてもとんでもない戦費確保方法である。
正直、詐欺の片棒を担いでいる気分にもなりかねないが、リョウがいればどんな誇大なことも不可能ではないように感じられるのだから、完全な詐欺ともいえない。
「お前という男に「投資」したいと思っている人間は結構多いんだ。それに応えられるかどうかは今後のティグル次第だがな」
「―――リョウはどうなんだ?」
その辺の事情はエレンから知らされるだろうと思い、とりあえず一番の「投資家」に問い掛けることにした。もしかしたらば、この男が担保しているからこそ誰もが自分に投資してくれているかもしれないからだ。
自分の危惧などどこ吹く風なリョウは破顔一笑して言ってきた。
「俺は既にティグルに賭けた。生きるも死ぬもどこまでも付き合う―――望むならば、前に言っていたとおりだよ」
黙ってお前に全額賭けると笑う自由騎士。
「本当に俺は慎まなければならないよな……分かった。立派な花を捧げ―――土地の安寧、国の安泰を父母に伝えるさ」
自由騎士という西方最大の「昇竜」を得た自分なのだ。果報者であることを常に身に締めておかなければ戦の神であるトリグラフから天罰を受けそうだ。
「使い道だけど、どんなことに使おうかな……」
そんな自分の嘆きに、バートラン、ティッタ、オルガは「身代金」を払えと言いかねない。それは戦後のことだとして今を戦う自分達に必要なものに使うべきだ。
やはり「兵糧・武具・輸送車」など軍事的なことに使うべきだと思う。こういう時に知恵を乞うべきは―――。
「リム。君ならば、どんなことに使う?」
「ユージェン様からの支援ですが、やはり堅実に武具・兵糧でしょう。後は「人」を雇うべきですね―――」
「人を雇う……傭兵か?」
自分の怪訝な言葉にリムは首肯をしてきた。やはりというか何というか絶対的に戦力が足りないのだ。
如何にライトメリッツの兵が強兵とはいえ、二万の兵を簡単に繰り出せる相手に最大でも五千でしか当たれない自分達では、どうにも不安なのだ。
「今後の情勢次第かもしれませんが、やはり金銭で雇った兵が居てもいいと思いますよ。それは―――ライトメリッツの意向では動かないティグルヴルムド卿の「近衛」として置くべきです」
「……傭兵か。どんな人間が来るか分からないし、何より俺ではどんな人間かもしらないんだけど」
現に野盗の首領であるドナルベインの来歴をティグルは知らなかった。それに対してリムとリョウは知っていた。名うての傭兵であっても自分には無名でしかない。
それにしたって傍目では敗色濃厚でしかない自分に着いて来てくれる傭兵がいるだろうか。もしかしたらば間諜の跳梁を許すかもしれない。
「傭兵にしても色々といますから、人材の一応の見極めは私のほうでもやっておきます」
「ああ。ということは、エレンへの報告に来ないのか?」
この後のルートとしてはアルサスに戻った後にエレンが逗留している別荘に向かうというものだった。
それは全軍で向かうというよりも密会に近いもので、何人かだけで向かうということに決めていたが、まさか副官自ら辞退するとは……。
「医者の判断に従え。何が何でも命を賭してもっていう場面でもなければ、止めさせる」
「―――とのことです。後ろのルーリックとジェラール殿の仲裁。その他、残留軍の統率のためにも私が残っていたほうがいいですよ」
女将軍の睨みあれば、そこまで大層なことは出来まいという言葉だったが、どこから聞いていたのか、ジェラールは別命を任じてくれと迫ってきた。
いきなりな馬の勇み足に自分の周りが戸惑うも、構わずジェラールは、言ってきた。
「先程から話を聞かせてもらっていましたので、伯爵、私に兵站参謀としての活動を許してもらえませんかな?」
「―――どこから兵站を輸送するんだ?」
「北部一帯の商業都市からです。友人である人間も多いので交渉は何事も無く行えましょう」
ブリューヌ南部の港湾都市の多くはテナルディエ公爵の影響下に置かれている。となればマスハス卿のオード付近からの兵糧買い込みは悪くない。
しかし、その辺りはガヌロン公爵のルテティアも影響力を得ている。
「確かにガヌロン公爵もそれなりでしょうが……私としてはオード、アルサス、テリトアールの直線輸送ルートを確保すれば行軍はスムーズに行くと思っております」
「港湾都市の分断か、確実に敵に回るというわけではないからな。今の所はいいかもしれないが……」
下手をすれば、マスハスのオードが潰されるかもしれないのだ。そんなのは杞憂であることを一応の事情通は知らせてくる。
「だとしても、ガヌロン公爵は簡単に軍を動かせないでしょうね。現在の両公爵の動きは王権の補佐だけに回っていますから」
何より自分もジェラールも知るマスハスは、それほど弱い存在ではない。その顔の広さと「質実剛健」な様は、あの辺りの貴族の中では大きいものだと言って来る。
「リョウはどう思う?」
「いいと思うぞ。策源地をテリトアールにする以上は、そのルートを確保するのは正解だよ」
行軍においてもっとも重要なのは補給である。策源地が如何に豊かで要害険しい場所であっても、どこかで貿易輸送は必要になるのだから。
「行商人達は嗜好物を売りに来ることはあっても、主食類に関しては、軍が責任持って輸送すべきだ」
従軍経験多々在りしものたち全員が、その意見に特に反対意見を述べない中、一人反対意見を申すものが―――内容は少し違うのだが。
「私は反対です。確かにその輸送路を確保するのはいいでしょうが、それにこの男を任すのは如何なものでしょうか?」
「やれやれ、私はこの軍において新参だからこそ信任を得るために献策したのだが……こうも反対を唱えられるは、狭量だなジスタート人」
ルーリックの反対意見にジェラールは瓢と受け流しつつも、どこか嘲るような様子だ。
二人の争いというか仲たがいのほどは既知だった。皆が少し呆れる中でオルガは微笑を零している。別働隊であった時に何かあったのだろうか。
そんな争いを止めたのは―――リョウだった。
「喧嘩はやめろよ。みっともない―――とにかくリムアリーシャ将軍も言っているんだから決定事項だ。それとジェラール、仮に現在膨れ上がるだろう全軍を食わすのに金子がいくら必要だ?」
「試されていますね……では私ならば金4枚で6千ほどの軍を三ヶ月は行軍出来るだけを用意しましょう」
その言葉に、リョウはこちらを見てきた。言葉を待つというわけではなくこちらの表情を見たといった感じだ。
その後、身と表情を正して戒めた。そうしてから褐色髪の青年に言う黒髪の侍。
「ジェラール。金10枚で六ヶ月『全力』行軍出来るだけを用意しろ。兵站には余裕がなければ、軍は途端に行動出来なくなる。閣下の戦いがテナルディエ公爵だけに矛先を向けていればそれで十分だろうが、情勢というのは常に流動的だ」
言われればその通りだ。場合によっては自分達はどこと敵対するか分からないのだから、やはり兵站には余裕なければいけない。
自分ではそういう計算は難しいし、そこまで顔は広くない。適材適所ということだとして、ジェラールに任じる。
「分かった。兵站補給は、ジェラールお前に任せるよ。金『12』枚で頼む―――、余分の二枚は、それぞれの担当官達に聞いて、便宜を図ってやってくれ。ルーリックには目付け及びジェラールの業績を正しく報告する役を任す。頼んだぞ」
「ティグルヴルムド卿……仕方ありませんな。軟派なブリューヌ人。私は長弓と大弩を要求する―――二百人分のアスヴァール製の上質なものだ。出来るか?」
「あからさまな挑発ありがとう禿頭のジスタート人。最上のものを商人どもから買い付けた暁には、そのゆで卵のような頭で『ドゲザ』でもしてもらおうか」
挑発の笑みと嘲笑の笑みを浮かべあう『二枚目』たちのある意味、「見苦しい」争いを他所に帰路を進む連合軍であった。
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『東方よりの影響』
私もすぐに追いつきたい!!(涙)
海猫の鳴き声が響く。今日もまたそんな声を聞きながらも波をかき分け、己の港を目指すは客船にして運搬船にして、はたまた軍船にもなったことがある白イルカであった。
航海士の声で帆を張り、柁輪を動かして舵を取る。行くべき先は、ジスタート王国が公国の一つ「レグニーツァ」である。冬の季節近づきつつあるジスタートではこの時期は冬篭りをする熊のように多くの商業活動が活発になる。
ジスタートの冬は長く厳しいものだ。場合によっては悲惨な凍死者が出るものだ。それを抑えるためにも「燃料」「食料」「衣料」など様々なものを各国から輸入していく活動が多い。
多くの取引を終えて少しだけ荷足が鈍った白イルカだが、そこはクルー達の不断の努力によっていつもの速度を出している。
そんな白イルカには今回も多くの客人が乗り込んでいた。人種・国籍・信教・職業、それぞれ違うだろう人間の群れ。
群れは船室に篭ったり、甲板に出て船旅を満喫している。そしてそんな船旅を満喫している人間の中に一際目立つ人々を見つける。
それは三人と一匹といったところだろうか。
船べりの方で、仁王立ちするように腕組みして、波間と遠くの水平線を見ているは、長い黒髪―――知っている人間よりはストレートではなく跳ねていたりするが、そんな髪をまとめずに流している女は様になっていた。
黒い鎧と白いドレスの中間のような格好をして、短扇を持っている人間。その腰には見知った人間が良く使っている得物二振りに、金属製の何に使うか分かぬもの「二つ」
剣呑な姿だが、それで恐れていては船乗りなど務まらぬ。事実、この船にはそういう剣呑な仕事をしている人間も多くいるのだ。
しかし得物が得物であった―――。
そんな女の隣というよりも船べりに腰掛けて「尻尾」を振るは―――猫であった。もう徹頭徹尾「ネコ」なのであるが、そのネコは時に直立歩行をしていたりするのを自分達は見ていた。
見たときには知らずに変な薬でも飲んだのかと思ってしまったのだが、それは当の「本人(?)」によって否定されてしまった。
『いや船長、お構いなく。我が細君の掛けた呪いの弊害なので、あなた方が見えている姿は、幻ではないですぞ』
渋い声を出してきたネコの流暢なジスタート語に、更に困惑してしまった瞬間であった。しかしながら人間の慣れというものは恐ろしいものである。
コートを着たネコの背中にある得物もまた見知ったものであり、その得物を扱い、見知った人間と同じような運動能力で、近づこうとしてきていた海賊船が沈黙させられた時には、驚きつつも『ヤーファ』って何なんだろうと思ったほどだ。
そんな風に威風堂々とした一人と一匹とは別に、蹲っているものもいた。
銀髪というよりも白髪に近い女が、船酔いに苦しみながら、顔を真っ青にして金色の「ひよこ」のような毛色をした女の子に介抱されていた。
この二人はヤーファ語で喋っていたのだが、どうやら終始白髪の女はひよこのような毛色をした女の子に申し訳無さそうだ。
二人は先の二人のように大した装備を見受けられなかった。精々、こちら側で言う「はたき」のようなものと、「瓢箪」のようなものを腰にしている。
しかしながら、白イルカの船の長であるマトヴェイは、この三人と一匹に、見知った人間と同じ空気を感じていた。
可憐ながらも、その手に握った「運命」が血塗られたものであるような姫君と、武神のような力を見せ付ける若武者と――――。
深入りしてしまうのは危険そうではあるが、もう少しでレグニーツァなのだ。主君である姫に報告を入れておくためにも、この人間(?)達を、知っておくのもいいだろう。
「どうですかな? ヤーファからここまでやって来た感想は?」
「これはどうも船長。我がことながら遠くまでやってきたものだと思っていましたよ―――親父殿も同様かな?」
「ああ。ワシもこうして外国に来ることが出来て嬉しい限りだ。それがドラ息子の様子見ということでなければ、もっと楽しめたのだがな」
女の割には自分の主人よりも男らしい口調の女性がジスタート語をしゃべるネコに問いかけた。
二人ともどうやら目的は観光であり、それと同時に誰か親族を見舞うようにやってきたようだ。ネコの出身地がどこだかは分からないが、隣の女性と同じと考えると―――少しだけの引っ掛かりもある。
「船長は、ヤーファ人が珍しいのかな?」
「いえ、ここ一年経つか経たないかの間に、あるヤーファの騎士殿と友人になりましてね……珍しさという意味では、薄れてしまいましたかな」
マトヴェイの笑いながらの言葉に、一人と一匹は表情を引き締めた。些細な変化程度のものであるのだが、それでも変化は変化だ。
探り針にあっさり食いついたことに、マトヴェイは早まった思いも感じていたが。杞憂であった。
「その話、詳しくお聞かせ願えませんか?」
扇子を開き、口元を隠した女。それだけでもこの釣り針にかかったと確信できる当たりであった。
だが、その前に確認しなければならないことがある。
「その前にお名前、教えていただけますかな?」
「一応、乗船名簿に書いておいたのですが……」
怪訝な顔をする黒髪の西方・東方混ぜ合わせ衣装の女性だが、マトヴェイとしても退く事は出来ない。
「まぁ、あれがどれだけ信用出来るものかというのにも疑問はありますからな」
正直、今の時代の乗船名簿、身分証明というやつは幾らでも偽装しようと思えば偽装できてしまうものだ。故に船長の航海日誌というものが一番の信用できる書類とも言える。
それゆえに船長は時には目立つ客人には自ら接触をすることで、名前と顔を一致させておく必要もあるのだ。
そうして扇子を器用に閉じた女は一度だけ目を閉じてから、こちらに名前を告げる。
「織田和紗信『那』―――カズサと呼んでいただければ結構です」
「坂上十葉官兵衛―――通称はジュウベエと申す浪人侍でござる」
異国の名前と名称混ぜ合わせゆえにはっきりとは聞こえなかったが、それでも流暢な声に見知ったヤーファ人を思い浮かべるのは仕方ない話であった。
次に自由騎士リョウ・サカガミに関する話をしようとした瞬間に――――。
「自己紹介の途中ですが、船長……酔い止めの薬を飲みたいので真水を―――ひよの様にお手数かけさせたく――――」
「ちょっ、カグヤ! むしろ船長さんに迷惑かける方がだめだってば、アタシが取ってくるよ!!」
などと後ろの方で息も絶え絶えな声をした声。まるでいつぞやの亡者の軍団を思わせる顔面蒼白な人間が一人すがるようにして見てきて、少しだけ肝を冷やした。
それを制した金髪の女の子の快活な様子に、一人と一匹は苦笑しつつのため息を吐いた。どうやらこれはいつものことのようだ。
「――――では船長、改めてリョウ・サカガミに関してお聞かせ願えないかな?」
優雅に髪をかき下げるカズサという女性に思わず見惚れつつも、マトヴェイは自分が知る「自由騎士」の姿を語ることにした。
マトヴェイは語りつつも、船は一路リプナ、レグニーツァの港町に向かっていったのだが、この時、レグニーツァにとっての幸いとは、この三人と一匹が戦姫と出会わなかった点にあるだろう。
現在、アレクサンドラは王宮にて諸々の案件に携わることを余儀なくされていたからで、ヤーファ……オオヤシマ、ヒノモトとも言われる国の『魔王』と出会えば、激突は必至であったからだ。
ヤーファにおける一つの争いを制して、鬼の侍―――リョウ・サカガミの元に行く権利を得たのは「魔王」であった。
「魔王」は向かう。乱の時には自分の下で戦ってくれた鬼の侍の下に、今度は自分が助ける番なのだと――――、海の向こうに見える大陸の入り口を見ていたのだった。
† † † †
「そうか、ではドナルベインの装備品などは回収出来なかったのだな?」
「はっ、申し訳ありませんサラ様」
侍女服のままにその報告を聞いていたテナルディエ家の毒手は、どうしたものやらと思う。
月明かりのみが照らすテナルディエ家の庭園にて、その姿は両名共に異彩を放っていた。
しかし、そんなことは些事であり、歩き巫女は考える。
(やはり戦姫と自由騎士が厄介だな―――何より……)
自分の気掛かりは「ザイアン」を殺したのが「誰」なのかということだ。
無論、主家に対する礼節として「伯爵」は殺すつもりではいるが、復讐者としての自分の標的が誰なのかにもよる。
こうなれば直接の接触あるのみだとして、膝を突き頭を下げていた部下に命じる。
「分かった。後のことは手筈通りにしろ。場合によっては――――戦姫を動かす」
「しかしサラ様、大旦那様の動かせる戦姫―――リュドミラ・ルリエ、エリザヴェータ・フォミナ。両名は共に、自由騎士と親しい存在ですぞ」
七鎖の内の一人の報告。それに対して一方を確実に動かす算段はつけてあると伝える。所詮は―――戦姫といえども人間でしかないのだから、それを動かす手などいくらでもあるのだ。
「そちらは私で何とかしておく。お前達は予定通り「森」で迎え撃て」
『はっ!』
これ以上は無用な問答であり命令を聞いた15人の暗殺者達が伯爵家からいなくなった。庭園から館の方に戻ると、そこには予想外の人物が佇んでいた。
「復讐はやめないのですねサラ」
「大奥様……騒がせてしまって申し訳ありません」
先程までは、多くの人間をかしづかせていた女が、現われた貴賓の女にかしづく。
その人こそが自分の主であった男の母親だからだ。
名はメリザンド。ブリューヌ王室に連なるものとしてこの家に嫁いできた言うなれば政略結婚の「道具」である。
どんな国でもそれは代わらぬものだとして、少しだけ「女」というものに考えさせられる人だ。
「フェリックスはあれ以来、抜け殻になったようです……だというのに、未だに王権を握ろうとしています」
あれ以来―――というのはアルサス侵攻によって嫡男を失った以来ということだろう。己の手を握りつぶしたくなるほどの噴気が起こる。
何故あの場に自分は着いていかなかったのだろう。己の力さえあれば全軍とまではいかなくてもザイアンだけでも助けられたというのに……。
(女として生きてくれと言われて、それに甘えた私の落ち度だ……)
だが、もしもザイアンが魔体になったとして、それを解けるほどのことは出来ただろうか―――。しかし、自分の全力で「陰陽師」を脅すぐらいは出来たはずだ。
「私はフェリックスが玉座を得られるとは思っていません―――ならば、ザイアンに喪を弔うぐらいは心穏やかにしておかなければいけないはず」
「若様の葬儀には下手人の首級を捧げなければなりません。でなければ家の面子に関わりましょう……その為にもアルサス伯爵以下、ザイアン様の死に関わった者全ての首をあげます」
「……分かりました。もう何も言いません。私も全てを喪えばあなたのようになってしまうような気もします……そうならないように気をつけたくはありますが……無理でしょうね」
この人が家に嫁いできた時、どんな気分だったのだろうか。それを問いただしたい気分にもなったが、それでも……それを聞けば何も出来なくなりそうな気もしていた。
翻り、決戦の場へと向かう。闇夜に再び死神が踊る時がやってきたのだった。
† † † †
「其は祖にして素にして礎、母なる大地に芽吹きし癒しの光、暖かな光持ちし大地母神モーシア」
精神集中したティッタ。いつもの侍女服ではなく、薄い巫女服を着た彼女が精神集中すると同時に、唱えられる祝詞。
一応の場として神殿にて様子を見ていたのだが、既に癒しの光が彼女の身体から溢れ出ている。
中央の台座には、枯れ果てた花束差された花瓶。それに対して――――ティッタが手を翳した時に、一挙に変化が現れた。
既に花弁も色彩を喪い、枝も朽ち果てていたというのに、まるで枯れるまでの過程を逆回しのように見せられた。
そして花瓶には立派な花束があった。その花瓶を詳細にみるべく台座に近づき花に触れると―――、特に何事もなかった。
「ど、どうでしょうか?」
「いや見れば分かるとおりだよ。成功だよ。君の御稜威は十分に奇跡として通じるものだ」
「―――よかったぁ」
安堵して胸を撫で下ろすティッタだが、指導したリョウとしては一挙に教えることが無くなると同時に、一抹の杞憂でしかないような不安もあった。
(才能がありすぎじゃないか?)
一応、家系図的なものでも無いかと思ったが、ティッタ自身は特に何か出生に秘密めいたものはない平民だと言われてしまった。
今では引退してしまったメイド長であるモーラ女史にも聞いたが、これといった話は聞けなかった。
ただティグルの御母堂―――ディアーナという奥方は、神話や御伽噺に関して教養ある方であり、不覚にも自分の母も思い出させた。
九歳まで生きていた御母堂とティッタも面識あったならば、そういった話を聞いて、子供の頃から親和性を発揮させていたのかもしれない。
それが巫女の家系としての血を発させて―――この結果を与えた。と考えれば、それなりの納得は出来た。
「怪我の程度にもよるが、君の治癒ならばかなり重篤なものも治せるだろう。だがあまり無理はするな」
「無理といいますと……?」
「ティグルが大怪我を負ったからと、それを全て御稜威で治そうとはするな。ということだ」
こちらの言葉に少し口を曲げるティッタ。彼女がこれらを覚えたのは、まさしくティグルのためなのだろうが、下手に使えば――――。
「その辺は任せよう。言っても聞きそうにないからな」
結局、問題を伏せた上でこの侍女の心意気に賭けるしかなかった。自分もそこまでの傷を負った友人を見て、そんな風に冷静でいられるとは思えなかったから、これ以上は木阿弥である。
――――着替えがあるティッタを神殿に残した上で外に出ると、待っていたティグルが成否のほどを聞いてきた。
「成功だよ。正直嫉妬してしまうほどの精度だ」
「そうか……」
ほっ、と胸を撫で下ろすティグル。似たもの主従というよりお互いに想いあっているのだろう。想いの方向性が少しずれているだろうが、それはあえて言わないでおく。
「なぁリョウの母さんってどんな人なんだ?」
「いきなりだな」
何気ない質問だが、どうしてそんな質問をしたのかは何となく察しはついていた。自分がモーラなど領民達にティグルの来歴を聞いていたのを誰かが言ったのだろう。
「まぁ俺もお前のご両親に関してあれこれ聞いて回ったからな。教えてやる」
神殿の壁に寄りかかりながら気のない調子で己の来歴を答えていく。
坂上の領地にて巫女頭、姫巫女を勤めていた我が母。領地の若君であった自分の親父と色々あって結婚したことを。
珍しいことではあるが、とりあえず恋愛結婚であり「室」を持つこともなく、すんなり俺が生まれたという辺りを。
「ウチの父親も恋愛結婚だったそうだが、それでも珍しいな。巫女と結婚するなんて」
「無論、俺の国でも早々無いよ。武士の結婚相手はどこそこの貴室の姫ってのが普通だからな」
ただ色々なことは推測できる。それが様々な要因あってのものだろうということも……ただ結局親父は「後添え」「後妻」の類を持つことなかったので、相当な大恋愛だったことは推測できる。
(応仁の頃からの乱世で出来た愛だから大事にしたかったんだろうな)
お袋の「嫉妬」で「猫又」に時々なってしまう父を見ながら、悲しい納得をすることにした。
「お前は結婚の予定とか無いの?」
「―――今から戦争だっていうのに、それを聞くか?」
あきれ果てるようなティグルには悪いが、これは重要事項でもあるから表情を変えずに問い掛ける。
「誰かと婚姻関係や婚約関係ならば、そういう相手からの助力も可能だろ―――まぁ絶対に力を貸してくれるとも限らんが」
そんな風に言いながら「謀反」を起こしたはいいが、当てにしていた縁戚の相手に袖にされた「親友」であり「好敵手」のことを思い出した。
(あの時……『フジタカ』殿が、あいつに味方していたらどうなったんだろう……)
手組枕を回して空を見上げる。嫌な思い出だ。あの時もこんな青空の下での戦いだった。しかし、その戦いは火に巻いたと思っていたカズサの出現で一気に形成は覆された。
無駄な感傷だとして、ティグルに問い掛けるも芳しい答えはない。
「俺の土地の程を見れば分かる通りだ。好きでここに嫁いでくる人もそうそういないだろ」
「自虐的だな」
「否定しようが無いからな」
しかし場合によっては、ここがジスタートとの交通の要衝になるかもしれない。貧乏な辺境伯と見るか、それとも将来性ある男と見るか。
ただ情勢が変化しなければ、確かに前者で終わる可能性でしかない。それだけでブリューヌの有力者達の目を推し量ることは出来ない。
「そういうお前こそどうなんだよ? ヴァレンティナにアレクサンドラさん……他にもどこかの戦姫に慕われているそうじゃないか」
「戦姫の結婚というのは特殊なんだ……まぁそれを抜きにしても大事にしていきたいとは思うよ。仮に誰か一人となっても上手くやれそうな気がする」
仕返しするような表情のティグルには悪いが、これでも天下人の偉業に付き合ってきた人間なのだ。
女の二人や三人、心の底まで慈しめなくては、やつの偉業に泥を塗りかねない。
「お前もそういう時が来るんじゃないか。オルガは騎馬民族の継嗣、ティッタだって昔からの幼馴染なんだろ?」
「いや、あの二人は……まぁただの妹分だとも言っていられないか」
「着替え終わりました!」
そんなティグルの紅潮しての頬掻きを見計らったようにいつものメイド服でティッタが神殿の扉を開けて、言ってきた。
驚くティグルだが、神殿の壁の感じから「聞き耳」を立てていたのは、理解していたので、そんな風な質問をしたのだ。
「それじゃ帰るとするか」
「あっ、ああ……なぁティッタ、今の―――」
「? 何ですかティグル様?」
そこまで鈍感ではないのかティグルも言い募るが、満面の笑顔で聞き返すティッタに毒気を抜かれたのか、ため息一つして「なんでもない」と言うに留まった。
遠回りしすぎる二人を見て、一笑してから共に館へと戻ることにした。
セレスタの街では現在、復旧作業と並行して戦支度も進められていた。今回のことでもはやアルサスが、ただの辺境という位置づけではないと思った領民達は多い。
国乱れて多くの人間が往来するようになると、危機感からの連帯により、村から集まった若者の多く。彼らは練兵に積極的に参加するようになっていた。
そんな領民達に囲まれて、人気者の性でもみくちゃにされている二人を置き、主人に先んじて館に入ると武官三人の合議が行われていた。
「ではこれが目録になりますので、くれぐれも間違いないようにお願いします」
「―――リムアリーシャ殿、このクマの毛皮というのは―――必要なのですか?」
軍需物資の目録を一読して、ジェラールはそんなことを怪訝そうに聞いたが、椅子に座るリムアリーシャは愚問とばかりにため息を突いた。
「いいですかジェラール卿。私の見立てでは、この行軍は確実に冬を迎えます。その際に必要なのは兵士達の身体を温める毛皮の防寒着です。仮に長時間野晒しの状態を耐えての弓射を行う部隊に装備させるは、獣と間違うものならば、尚のこと良いのです」
ヤーファでは地走りなどと言われる狩人がいるそうです。と締めくくるように言うリムアリーシャだが、地走り、マタギなどは別に熊の毛皮だけを使うわけではない。
しかし……敢えて何も言わないでおこうと思った。この女将軍の唯一の趣味はサーシャから教えてもらっていたから。
「考えには同意ですが……承知しました。このオニガシマの紅釉薬というのは……サカガミ卿からの注文で?」
白熱する女将軍の言葉を聞きながらもジェラールはこちらに気付いていたようだ。
ジェラールとルーリックを対面に立たせたリムアリーシャ。そのどちら側でもない所に立ちながら、首肯しておく。
「ああ、頼んだ」
「理由を伺っても?」
「何故ムオジネル軍の大半が「赤い軽鎧」を身に着けているか……考えておけ」
答えは簡単に教えないという態度でいると、ジェラールも致し方ないとばかりに全ての目録を読み終えてから、懐に入れて館を出る準備をする。
「では行くぞ禿頭のジスタート人。ここからは速度が肝要だ。商人の腰を上がらせるにも時間が必要だからな」
「舐めるなよ小物のブリューヌ人。ティグルヴルムド卿の為にも山吹色の如き波紋疾走を見せてやる」
「我がテリトアールの意地を見せるのだ!」
「風の戦姫の戦士として、迅速且つ正確にこなすぞ!」
無論、たかだか二十人程度で全ての物資を輸送できるわけはないが、オードでも護衛部隊を組織するとなると、とりあえず第一陣は、間に合いそうだ。
勢い込んで出て行くルーリックとジェラール。そんな二人を見送ってからリムアリーシャに向き直る。
「エレオノーラの居留別荘は?」
「キキーモラの館で待つそうです。これが報告書の類ですので、確実にお願いいたします」
ライトメリッツの副官である彼女の仕事の早さは、連合軍にとって欠かせないものだ。だからこそ無理をせずに養生するようにとした。
そうしてジェラールに続いて自分もお使いを頼まれる身となった。
「思うにあなたとティグルヴルムド卿は不思議な人ですね」
「藪から棒に、何だよ?」
唐突な感想を金髪の副官から述べられて、少しびっくりする。
「アスヴァールの英雄でありエレオノーラ様の宿敵であり、戦姫の色子であり、ブリューヌでも礼賛される「ヤーファ」の剣士―――、こんな人物がいたらば誰もがあなたを総指揮官にしたがるはずなのに……」
「『自分』も含めて何でティグルの虜になっているんだろう? ってところか?」
「殴りますよ。殴れるとは限りませんが」
一瞬にして茹でタコのようになるリムアリーシャ。この女将軍にとって男など所詮は戦場での競争相手か身体を狙う下衆な人種程度に考えていたのだろう。
それが、一緒に行動してオルガ、ティッタと同じく女性として扱われている内に、心が絆されつつある。
最終的には献身的に看病してくれて、そして自分をエレオノーラへの義理とか何もなく全ての手を打つ男の姿に思うところ出来つつあるという感じか。
その辺はティグルの貴族としての「礼節」の良さの勝利だろう。エレオノーラもリムアリーシャも、「男」を対等な競争相手という場所でしか見てこなかったから、淑女や姫として扱われ、いざとなれば武を以って立てる有様が心に響いた。
それ以外の場所では、貴族らしくもなく、のんびり屋なところがありすぎる。日常とのギャップがアンバランスな英雄に「がんばろう」という気持ちを喚起させられる。
「ざっくり言えば、そんなところだろ。まぁ俺としては弓が得意だなんて本当に羨ましすぎるし、家督を相続しているだけでも武士として負けている……俺を上手く使ってくれる人間に俺は全力を出せるんだよ」
「そうでない時には、アスヴァールの時の如くあなたが動くと―――」
「まぁ最初はそういう考えだったが、ご存知の通りタラードという人間がいたから、そっちに賭けた。今回はティグルになったってところだ」
自分から動くときには動く。しかし、自分以上に義憤を持って戦う人間いればそれに従う。それが自分の「侍」としてのあり方なのだろう。
場合によっては主体性が無いと言われるかもしれないが、それが自分のあり方なのだから仕方ない。
―――――しかしリムは少し考えが違っていた。思うに、タラード、ティグルの心がリョウ・サカガミと同じくだからこそ、そこまで動くのだろう。
(まぁこの方が自由に動こうと思えば、それは最上の結果かもしれないが……)
それだけを国や社会は求めていない。多くの課題が残りつつもそれを一つ一つ皆で解決していくことも必要なのだから。
「―――ティグルヴルムド卿を頼みましたよ」
一言だけ、そう言っておくことにした。
「仰せのままに、リムアリーシャ将軍」
「長いでしょうから私のことはリムでいいですよ。畏まられてもこそばゆいだけですし」
苦笑しつつの言葉を吐くと同時に手荷物一杯のティグルとティッタが帰ってきた。
そうして館の主人が戻ってくると同時に、いろんな所で「人気者」な英雄の姿に、二人して「心からの微笑」を零すこととなった――――――。
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「決意の人々―Ⅰ」
キキーモラの館というのは、ジスタートにおいてフォーマルな別荘名である。
そんな訳で館の主に指示された場所に行くまでに、それなりに時間がかかってしまった。
こういった別荘が作られる背景には、様々ある。一つは休養のため、これは別に分からなくもない。領主たるもの偶には、仕事など関わらずにいたい時もあるのだろう。
それ以外の理由としては領地の様々な「間諜」に聞かれたくない話をするため、あまり表ざたに出来ない人間との会合。
領主の裏の顔としての都合を付けるためのものである。だが……この館には「裏の顔」どころか「表の顔」だけで突っ張りあう人間が二人いた。
この二人の仲の悪さは、ジスタート王国の醜聞と言っても過言ではなかろう。
「二人とも睨めっこもいいけれども、お茶が冷めちゃうよ? せっかく僕が焼いたお菓子の為のお茶なんだから」
「案ずるなサーシャ、とりあえずこの女を黙らせてからでないと心穏やかにお茶会出来ないんだから、速攻でケリをつける」
「随分と大言吐いたものね。あなたがここで竜具を出した所で義兄様と私で抑えつけられるわよ。状況が見えていない女」
苦笑している炎の戦姫。そんな炎の戦姫に勢い込んで宣言する風の戦姫。宣言に対して冷ややかな態度の氷の戦姫。
いつ爆発するかも分からぬ状況の中で男二人はそんな女同士の争いにある意味、我関せずで、お茶を飲み茶菓子に手を伸ばしていた。
(あの二人って何であんなに仲が悪いんだ?)
(昔はミラは仲良くしようとしたらしいが、色々あってこんなことになっている)
小声で尋ねてきたティグルに返しつつ、詳細を語れば誰の悋気に触れるか分からなかった。
立派な屋敷に相応しい華三輪―――その華は少し触れればハエトリソウのように「捕食」をするとんでもない「植物」なのだ。
綺麗な薔薇には棘がある。とかいうレベルではなく綺麗な薔薇は実は「食虫植物」でしたという話である。
話の発端は――――二刻前ほどに遡る。
† † † † †
アルサスにてティッタ、オルガ、バートラン、リムアリーシャなどの見送りで、ヴォージュ山脈を越えて一路ライトメリッツに向かうこととなった。
それは同盟者の伝言ゆえであり、彼女にも何らかの事情があるのだろうとは思えた。
「何でエレンは直接に戻ってこなかったんだろうな?」
「考えられるのは、まぁ密会目的か……邪魔ならば、俺帰ろうか?」
「何で密会でリョウを除け者にするんだよ。胡乱なこと考えるな」
こりゃ失敬。とばかりに舌を出してはぐらかしときながらも、真面目に考える。
王都でのあれこれに関してはオルガにも語らせたし、俺も報告したのだ……後は彼女がライトメリッツから軍を移動させればいいだけだったのだ。
それが覆るとは何かしらの予定外のことがあったか、別荘での会合が表ざたに出来ない「ゲスト」との密会であるということも考えられる。
考えつつリムの渡した地図でクマのサインで示された目的地を目指すのだが、流石に土地勘の無い自分達だけでは迷う。
参ったなと考えていたらばティグルが指で遠くを示した。――――その先には語るとおり、確かに立派な建物があった。「望遠鏡」で確認すると間違いない。
あの口撃から攻撃に変換するのが早い女のことである。テリトアール領のように持ち主の所有分からぬ城砦などを己の領土内に残しているわけがない。
「あれだな。リムが教えてくれた特徴とも合致する―――しかし、流石だ。全然分からなかった……」
「目の良さは、弓使いの必須技能だから。あんまりエレンを待たせても悪いだろうし、行こうか」
ティグルに促されて、目的地へと急ぐ。
近づいていくたびに、その屋敷の立派さが見える。ティグルはそれに少し圧倒されているようだったが、リョウは構わず進む。
屋敷の厩舎に繋がれている馬は―――二頭。リムがいれば、それがエレオノーラの馬かどうかぐらいは分かるのだろうが、自分では分からなかった。
しかしもう一方の馬は少しだけ見覚えがある。というか間違いなく彼女だろう。リプナの街に急ぐために並走した「戦友」だ。
「ティグル、馬の方は俺がやっておくから、お前は先にエレオノーラがいるかどうか屋敷に訪問しろ」
「分かった。荷物は全部俺が持っていくから、こっちは任せた」
お互いの馬に乗せていた荷物全てを担いだティグル。その姿を見送りつつ、馬具、鞍を外して馬を楽にさせて餌である飼葉と水を与えていると、一羽の鳥が自分の肩に止まった。
鷹だ。その鷹の足の根元にある書簡を取り出してから、己の手の中に「納める」。返書を出すまでは休ませといた方がいいだろうという判断だった。
書簡にさっ、と目を通すと―――衝撃的な事が二つほど書かれていた。
一つは……最近になって桃の「化神」の気配を「西方」で感じたというサクヤの文言である。文章の前半にあった恋文のようなそれを一旦無視してのそれを見て、衝撃的である。
(死者を操る存在がいるんだ……しかし、「神」を復活させるか……どこのどいつかは知らないが……)
余計なことを、と歯軋りしたくなる。
もう一つは……その桃の化神討伐の援軍として「魔王」を送ってよこしたとのことだ。こちらは文章の前半でカズサに対しての罵詈雑言がとてつもなく書かれており、それを無視して見た結果であるが。
書簡を懐に収めつつ、順序を立てておく。とりあえず当面の敵は「テナルディエ公爵」だ。魔物は公爵の近くにはいるのだ。まずはそいつを締め上げてからである。
第一、もしも邪神が動いたとしても、それはこの西方の魔のように隠れ潜んだものにはなるまい。公然と権力の奪取及び領地の「死国」化ぐらいは平然と進めてくるはず。
全てにおいて、あちらに優先行動権が与えられている事態を苦々しく思いながらも、出会ったならば容赦はしない。捻り取り、引き裂き掴まなければならない。
拳を硬く握り締めてから、瞑想一つ。気持ちを切り替えてからキキーモラの館に入ると―――。
「いらっしゃい。ご飯にする? お風呂にする? それとも―――僕にするかい?」
「抱きつきながら、そういうこと言うの卑怯だな。というか後ろの人がとっても怖いから離れてくれ」
「やだ♪」
そうして深く抱擁をしてくる女性だが、そんな行為の結果として、自分からすれば正面に当たる人物は、鬼の形相でこちらを見てくる。
抱きついて言ってきた女性アレクサンドラ=アルシャーヴィンの髪を自然と撫で梳きながらというのが、エレオノーラにとっては、不機嫌の原因だったと分かるのは後の話である。
† † †
「やれやれ本当に暑い国だな。冬も間近だというのに……さっさと目的を達して、帰りたいものだよ」
見渡す限り熱砂と荒野の枯れた土地である。そこまで故郷に愛着があるわけではないが、グレアストとしても草原が恋しくなってもくるぐらいに嫌な風景だ。
「王弟クレイシュは動くことを決意したと聞いておりますが?」
そちらは表向きのものだ。と無言で問うてきた従者の一人に語りながら、白―――というよりは熱砂で黄色く色褪せたムオジネルの普段着の裾で汗を拭いながら、目的のものがある場所を目指す。
裏側の目的―――即ち、我が主の力を増大させるための「モノ」が欲しいのだ。
かつて始祖シャルルに仕えていた神官ガヌロンは、己の足で深き森、大いなる聖域、魔境の類に入り込み妖術、魔術、祈祷術などに類する技能を精霊・悪魔・神々から教えてもらっていたという話だが……。
今代のガヌロン公爵は、人を使って秘術を得るという、何とも罰当たりな男である。
(しかし、あの方は本当に「人」であり「魔」である……このムオジネルの前身国家の終王である「悪政王」の如き御仁だ)
そして今から自分達は、その悪政王の遺体を漁らなければならない。墓荒らしなどは、国が変わるたびに新興国で行われるものだが……悪政王の墓は未だに荒らされていない。
そこはムオジネル王国にとっても忌まわしき「呪われし場所」であり手出しすることは……不審死を幾つも出す結果に終わっていたからだ。
一刻で三ベルスタも歩いてきた所で、ようやく見えてきた……巨大な石の「山」――――かつては黄金細工、銀細工などが施されていたという四角錐の巨大な建造物。
例え墓荒らしが容易に手出ししなくとも、長い風雨と吹き付ける砂嵐が、それらを吹き飛ばしていったのだろう。
それにしても……何故にこのようなものが必要になるのだろうか……。
王墓というものがブリューヌにも無いわけではない。ただそれはもう少し厳かであり簡素なものである。
ましてや、このような高さだけでも二百五十アルシンあるような巨大な建造物―――。何のために作ったのやら。
「グレアスト様、どうなさいますか?」
「さてさて頼まれ、所在は判明し、されど取りに行くは難し……どうしたものやら……」
部下達に命じて中に入って来いというのは、簡単だ。しかし地元民からの情報ならば全員が五体満足で生きて帰ってくることはあるまい。
第一、この巨大な四角錐の建造物は一種の迷宮でもあるのだから。死なせるには無駄すぎた。
「おまえたち―――何者だ?」
仕方なく地元住民達の盗掘屋を金で―――と思考した時に、どこにいたのか自分達と同じくムオジネル風の服を着込んだ人間が、現れた。
武芸に達者というわけではないが、グレアストもそれなりに納めていただけに、その人間が―――自分など及びもつかない「手練れ」だと気付けた。
王墓の階段――――六段目とも言うべき所にいきなり現れた。フードを目深に被った人間。
従者達が、腰に差していた長剣を抜こうとする前に―――手から放たれた何か―――甲高い音と共に剣帯を吹き飛ばした。
見ると、当たり所が悪かったのか……手を押さえているものもいた。見ると、三人のうち一人は指が吹き飛び血が流れている。一瞬の早業。
(魔術師か……?)
呪術ということも考えられたが、詳細に見ると人間の手には金属製の何かがあった。それから煙が棚引いている。
太陽を背にしていたので暗くて上手く見えなかったが、どうやらこれが――――。思考を進めようとするも次の攻撃が続けられようとするのを確信して、口を開く準備をする。
この場は口八丁で切り抜けなければならない。
「質問に答えろ」
「いやはや、まさか観光に来て、このような不思議な体験が出来るとは思いませんでしたよ。私、ブリューヌの貴族で伯爵位を戴いておりますカロン=アクティル=グレアストと申します」
「ブリューヌの貴族……観光と言ったか――――それは真実か? ここに来るまでに何も言われなかったのか?」
階段から着地音一つさせない跳躍。そして早業のように抜かれる―――「カタナ」。フードを目深にしている人間の出身が分かった瞬間でもある。
「グ、グレアスト様……!」
従者の一人が呻くように周りを見て戦いている。首にカタナの切っ先を向けられながらも注意して周りを見ると――――背格好がバラバラな同じく砂漠の民の衣装に身を包んだ人間達に囲まれている。
大柄というには巨躯過ぎる人間もいれば、盟主であるガヌロン以下の矮躯の人間もいる―――年齢・性別こそ判別出来ぬが、全員がとんでもない殺気でこちらを睨み付けているのだ。
「疑いはもっともだが……私の主は残虐非道、悪辣無道を旨としている人なのでね……蛇神をその身に宿したという王に詣でて来いと言われたのですよ。いずれ始まるであろう戦争で勝利するには、我が国の戦神ではどうにもご加護が薄そうなのでね」
「邪神の加護で戦うか、馬鹿げてるな」
「その他にも、邪神の力を手に入れたいと言ったのですよ――――、あなたには蛇王の力を取り戻す秘術があるのでは?」
こちらの探りの言葉に、圧力が変化する。既に首からは一筋の血が落ちて黄砂に吸い込まれていく。
黄に紅が混ざった時に―――、言葉が変化をする。
「どこでそれを知ったのだ?」
「二年ほど前から―――『極東』から流れ着いたある人間が神秘の力を用いてアサシン教団に現れた。その人間は己の力を誇示して当代のムオジネル国王に取り入ったという話ですが、その「男」――――軍事総責任者クレイシュ=シャヒーン=バラミールに冷遇されて、今ではしがない王墓の守番をしていると」
知っている話は、そんなところだと言いながら次なる対応を待つ。
「そうか。ではそのしがない守番が出世をするためにも貴様の首は献上した方がいいだろうな。何せこの国にとって、ブリューヌは弱くも豊かな家畜なのだからな」
言葉だけ聴くならば、今すぐにでも殺されそうだが―――分かるのだ。この男も自分も―――己が主を食い殺すほどの「狼」を飼っているのだと―――。
黄砂に落ちた紅は既にかなりの広がりをしている。だがグレアストには分かっていた。この男も「逆らう者」なのだと……。
「―――いいだろう。話ぐらいは落ち着いて聞いてやるカロン殿―――治療を」
「承知しました」
カタナを引き、鞘に収めた男―――側に控えていた人間―――ゆったりとした衣服ゆえやはり性別年齢分からぬが、それでも女であろうものが従者の指と―――自分の首を癒した。
「我ら外からの流れ者の住居など粗末なものでしかないが、茶ぐらいは出してやる」
「ありがたい。ちょうど喉が渇いていたところなので―――どうか我が主のお心、ご理解戴きたいものです」
「話次第だ。無条件に協力出来るわけではない」
素っ気無い返事だが、それでも交渉の椅子には着けた――――そして、そこで一つの疑問がわいた。
極東より流れ着いた人間の名前は知らなかった。そういう男がいることは知っていたが、それでもその男の名前は知らなかった。
「ところで御仁、お名前伺ってもよいかな? 私だけが名乗るというのは不公平だ」
フードを下ろした男の髪色は―――予想していた人種の割には、奇抜な色だった。銀色というよりも―――光沢が無い白髪、老人のようなそれを思わせながらも、その眼は炯々と輝いていた。
瞳が狼のそれに思えるぐらいだ。
「名前か……ならば「■■■■■■」とでも呼んでくれれば構わぬ」
その名前は、この西方においては微妙に呼びづらい名前であり、略称としてグレアストは彼のことを「カイ」と呼ぶことにした。
こちらの呼び名にあちらは「憎悪」八割と「親愛」二割の入り混じった表情で見てきたが、所詮、そんなものだとして、何も言わずに住処へと案内されることとなった。
† † † †
エレオノーラは先程までの仏頂面を少しだけ収めて、リムアリーシャから挙げられた報告書を精査に読んでいる。
その真剣な様に紅茶を飲むティグルも姿勢を正している。片やリョウとしては、美味そうな焼き菓子に飛びつきたくもなっていた。
だがそれでも同じく姿勢を正して椅子に座っていた。主であるティグルがそうしている以上は、自分も身を正しておかなければならない。
「―――いいんだな。ティグル? 今ならばまだ踏みとどまれるぞ」
「そこに書かれている内容に関しては察しが着いている。だけど己の口で君に宣言するよ。俺はテナルディエ公爵と戦う。彼の横暴に苦しむ多くの人と俺を信じてくれた同盟者に筋を通すために」
書類―――紙束を机に放り出したエレンは、手を組み顎を乗せてティグルを伺うように見ている。
その微妙に女らしい仕草に、ティグルは「鼓動」を早めたようだ。だが自分はお菓子が食べたい。というか食べさせろ。
「良い目をしている。どうやら―――色々あって覚悟はついたようだ」
「おかげさまで、ご覧の通りだよ。それじゃ食べたり飲んだりしながら話そうか」
そうして「紅茶陶器」を持ち上げて乾杯となった。
「何度食べても、やっぱり西方の菓子は美味いな」
「当然だ。サーシャが作ったんだからな。特にこのクッキーが美味いな」
「こら二人とも行儀が悪いよ。というかもう少し落ち着いて食べなよ」
両手に菓子を持ち咀嚼する様子にサーシャが苦言を呈するも、苦笑するにとどまっているのはやはり美味しそうに食べているからだろう。
恐らくエレオノーラは、自分にサーシャの手作りを食べさせないための行為だろうが。本当にこの女は……と少し恨めしく見ていると。
「リョウ―――――落ち着いて食べなよ。頬に欠片付くぐらいに食べてもらって嬉しいけどね」
「そういうこと自然とやってこられるとどう反応していいか分からなくなる……というかせめてこの二人がいないところでやってくれ」
隣にやってきて、頬に付いていたクッキーの欠片を取って食べたサーシャ。悪戯っぽい笑みを浮かべて「してやったり」な顔をしているサーシャだが、「してやったる」と言わんばかりに睨むエレオノーラ、正直怖すぎる。
「本当に戦姫の色子なんだな……褒めてるから怒るなよリョウ」
「褒められてる気がしないなティグル。エレオノーラに同じことしてあげたらどうだ?」
こちらのティグルに対する仕返しの言葉にエレオノーラは真っ赤になって、ティグルを見ていたが、視線への返答。手を上げて首を横に何度も振るティグルを見て―――「不機嫌」な顔をした。
バートランさん曰く、出来ることならばティグルにはティッタを娶ってほしいし、「室」を持つとしてもオルガのようにティッタと上手くやっていける子の方がいいとのことだ。
考えるに、確かに戦前のティグルにとって親しかった女の子はこの二人だけらしいから、その気持ちを大事にしてほしいとは思う。
詳細こそ聞いていないが、父母の関係の如く王都で親しくなった「女の子」もいるそうだが、まぁそれは詳しくは聞かなかった。
「と、とにかく―――サーシャの菓子も堪能した。今から私もお前に報告すべきことを言う。オルガやそこの「色子」から聞いたかもしれないが、私からも話してやる」
そうして、袖にされたことを誤魔化すかのように、エレオノーラは、王宮で言われたこと、各情勢の程を話し始めた。
エレオノーラが話し終えてから、ティグルは喉を湿らせるように紅茶を一口啜ってから、言葉を発した。
「エレンは俺の私戦で何を欲しているんだ? 俺としてはそれが知りたい」
「教えてやってもいいが、今はまだだ。とりあえず今はお前の意見を通すためにもブリューヌの悪奸と戦う」
各諸侯の思惑は一致していない。ジスタート王室はとりあえず「義理人情」で「オルガ」を貸してくれた。
そしてエレオノーラの戦もまた大義こそ不明確ながらも、それなりの理由付けで参戦が認められた。
「ジスタート王宮は何も決まっていないのか?」
「そうだな。どこがブリューヌの正統な政体となるか分からない状況。無論、各々で取引ある貴族は違うし、仮にどこかが倒れて損をする人間もいる。そういう状況では意見の一致は難しいから、好きにさせたんだろう……あの老人にしては随分と思い切った判断だが」
そんなエレオノーラの言葉に自分とサーシャは苦笑いである。この戦姫がヴィクトール王に対してあまり良い印象を持っていないのは知っていたが、そこまで見くびっていたとは。
「ただ王宮としては貸し付けた「モノ」が返ってくればそれでいいだけだ。もしもお前がテナルディエをお家断絶としたりせずに矛を収めれば、それでどちらに貸し付けたものも返ってくる。一番最悪なのはやはり独り勝ちだけが先行することだ」
それはガヌロンと縁深い人間であっても同じだろう。つまりは……ブリューヌは他国人から見れば「混沌」としか言えない状況に陥っているのだ。
「ティグル、ここで明確にしておいてくれるか? お前の戦争の「勝利条件」を、それ次第では状況が良くも悪くもなる」
「……難しいな。今の俺にとっては他の中立貴族などと同じく領土保全。つまり安堵だけなんだ。けれども、公爵がどこで矛を収めるかが分からないんだ」
エレオノーラに語れるほど多くが決まってはいない。ティグルもまだ状況に対して流されているだけだ。
「ただもしも王宮が、此度のことでテナルディエ家を賊と見做せば、それで全ては終わりだ……とはならないんだろうなぁ……ジスタートにいる君にだってテナルディエ公爵の人格や行状は伝わっているんだし」
「やはりお前の勝利条件は―――テナルディエ家を追い落とすこと。それでいいんだな?」
「ああ。ガヌロンもまたそうだ。俺にとっては二大公爵は信用出来る人間じゃない……王子殿下が望まれた王国の未来は、あの二人の心で思い描いていけるものじゃないはずだ」
そうして同盟相手であり戦友である戦姫に決意を述べたティグル。そう言えばレグナス、もといレギンに関してのことを聞いていなかったな。とリョウが考えたところで、戸が叩かれる音がした。
「客、それとも伝令か、全く無粋な……少し待てばロドニークに降りるというのに」
折角のティグルの男前な話を台無しにされたという感じで、嘆くエレオノーラ。
その姿に仏心を出して、リョウは己が出ることにした。
「俺が応対するよ。サーシャは俺が信用した若殿の言葉―――ちゃんと聞いておいてくれよ」
「了解」
笑みを浮かべて言って来たサーシャに安堵しつつ、勢い良く叩かれる扉。よっぽど急用なのだろうかと思いつつ、広間を出て玄関に向かうことにした。
そこにあった『顔』を見た瞬間に―――リョウは、その顔を何とかどこかにひっこめたいと思う程に、今の状況はどうしようもないと思えたのだ……。
氷青の公主が、そこにいたのだった……。
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「決意の人々―Ⅱ」
リョウが玄関まで出て行くと同時に、ふと考えが少し脇に反れる。
死んでしまった王子殿下。彼のことを思うと、本当に申し訳なくなる。約束を果たせずに、国を割る戦いに挑んでしまう罰当たりなので、せめて遺体だけでもと思った。
ブリューヌ貴族として身を正して戦場に赴く、ということでエレンに懇ろに葬ってあげたいという旨を伝える。
「そういえばエレン。レグナス王子の遺体とかは、どうしたんだ? 出来うることならば丁重に葬ってあげたいんだが―――」
「あー……そのことなんだがなティグル。すまない。あれはもしかしたらば誤報かもしれないんだ」
手を合わせて何とも言いがたいことを言うエレンにティグルは面食らう。誤報と言うのはどういうことなのだろう。
「良く分からないんだが、王子殿下を討ち取ったという声を上げた兵士は―――いなかったんだ」
「いないってどういうことだ?」
頬を掻きながら話すエレン。まるで自分の失敗談でも話すかのようであり、詳細を聞くと、あの晩の戦いは敵味方で混乱の極地にあった。
無論、ライトメリッツ兵士の損害は殆ど無かったが、夜襲の奇襲ゆえに「戦勝報告」の類も混乱の極みにあった。
「私は背後を突く『決死隊』を選抜したから、生き死に関わらず莫大な恩賞を与えると約束していた。しかしそれでも更なる恩賞を求めて討ち取ったり人質にしたりという輩も出るかもしれないとして、「追加褒賞」に対して規則を緩やかにしていたんだ」
だが、それがもたらしたのは戦勝報告の曖昧さであった。ブリューヌ陣営が混乱するのと同様にエレン率いる決死隊の報告も混乱はしていた。
一先ず彼女は「目に見える敵は打ち倒せ」と指示していただけに―――あちこちで上げられる報告に統一性が無くなっていた。
「結論から言えば王子殿下の遺体と思しきものは見えなかったし、報告した兵士も分からなかった。どちらも死んだ可能性もあるけれど」
「そうか……何とも奇妙な話だな……」
エレンはそう前置きした上で王子殿下の幕舎にてブリューヌ近衛騎士の遺体を見つけたことで王子は戦死した可能性が高いと結論付けた。
とはいえ、殿下が生きていれば、テナルディエ、ガヌロンの専横は起こらならなかった。何より王宮に帰って誤報だったと伝えているはずだ。
やはり……王子殿下は死んでしまったのだ。そしてその跡を継ぐべく王の私生児と自分は見ている少女―――レギンは動いているのだと思った。
「まぁ王宮の話はいいんだ。今の所、吉と出るか凶と出るか分からないからな」
「お前が逆賊だと言われても私はお前の判断に従う。誇りを以って戦いに挑め」
マスハスの王宮での仕儀がどうでるか分からない。それを考えればエレンの言葉は頼もしかった。
「一応、聞くがサーシャはどうするんだ? 無論、積極的な支援をしてもらえれば大助かりだが?」
「残念ながら交易のお膝元としてそこまで大っぴらに肩入れは出来ないかな。今は海も最後の買出しと売り出しで大忙しになりつつあるからね」
ジスタートの冬は厳しく長い。それを何とかするために冬篭りをするクマのように、この時期の商業活動は流氷で海が閉ざされる前に全てを終えるために動く。
それを何とかするために丈夫な鋼で出来た船を建造したという話もあり、それは冬には流氷で閉ざされるオステローデの地で密かに就役することになっている。
計画の立案者は自由騎士リョウ・サカガミ。事実、海に沈まぬ鋼鉄「艦」の威容は、視察に来たジスタート各関係者を大いに驚かせた。
元々、海水というのは淡水に比べれば浮力が働くものだが、それでも重量には限りがある。鉄に関しては一日の長があるというリョウの鍛造技術の口伝及び書は、オステローデの戦姫へのプレゼントなのではないかと巷では噂される。
慣熟航海や様々な問題解決の為ゆえ正式な就航は、来年になるだろうが。
「敵にならないでいてくれれば、それで良いよ。もしもテナルディエ、ガヌロンに攻められることあればいつでも援軍を出す。頼ってくれ」
援軍と言ってもリョウを送るぐらいだろうが、彼が自分の「言葉」であるというのならば、彼にはそれをこなしてもらわなければならない。
自分の敵が誰かを無差別に襲うことを許せない。多分、これからの行軍でもそこまで自分は卑劣にはなれないだろう。
だが、そこにある他者のものを奪うことを是とする人間とは違う道を示す。それしか自分には出来ない。
そんな自分の考えを感じたのかアレクサンドラ・アルシャーヴィンは苦笑しての嘆息をした。
「分かった。その内、様子見に行くから、君の決意が口だけでないことを証明してくれよ」
「厳しいな。君の愛人は俺をからかいつつも、全力で力を貸してくれるのに」
「僕はヴァレンティナと違って、色子が頼っている主家への評価は厳しくしていく。それだけだ」
強力な力を持つ戦姫それぞれで考えが違い、独自で動く。
そこには様々な思惑がある。戦姫に関わらず戦乱の渦中には様々な人間がいる。義理人情や理が全て罷り通らぬからこその戦乱の世なのだ。
逆に言えば、それだけ多彩な人間を「束ねられる」傑物がいれば、この西方の戦乱は収まり平和が訪れるはず――――。
ティグルの考えでは、それは自由騎士だと思っていたのだが、彼自身はそこまでの考えは無いらしい。
そうしてリョウに対して考えた所で、玄関から本人が戻ってきた。その顔は少しだけ戸惑ったものである。
「どうした?」
「来客なんだが、通していいものかどうか少し考えてしまってな……」
困惑しているリョウの顔に気分を良くしたのかエレンは、底意地の悪い笑みを浮かべて口を開く。
「お前が困惑するほどの相手だ。よっぽどの人間なんだろうな。出っ歯に髪は脂ぎっていて、性格は「傲慢」にして「卑劣」。芽の伸びきったジャガイモのように煮ても焼いても「毒」にしかならないような―――――」
よくもまぁそこまでの毒舌吐けるものだとして、いっそ感心してしまっていたが、「来客」はそれを聞いていたようであり、玄関を乱雑に開けて、入ってきた。
蒼い衣装に蒼い短槍を持った自分と同じか下ぐらいの背格好の蒼髪の少女。何となく来歴に関して予想は着いてしまった。
そしてどこまでも透けるような透明感ある氷や水晶のような「蒼」が印象に残る女の子だ。
「誰が煮ても焼いても『毒』な人間よっ! 随分と悪罵がウィットに富んできたわねエレオノーラ=ヴィルターリア!」
「―――とまぁ、許可を得る前に来たが彼女だ。ああ、あんまり会わせたくなかったのは分かるけれど、入ってきたからには仕方ないだろ」
リョウの反応から察するに、この戦姫とエレンはあまり仲が良くないようだ。無言とジト目で問うアレクサンドラに対して嘆くように前髪を掻きながら答えた。
「義兄様が謝る筋ではないでしょう。そもそも来客が来たと言うのにその人物が誰かも知らずにそこまで言えるこの女の人格にこそ問題があるわ」
「安心しろリュドミラ=ルリエ―――例え知っていたとしても、同じような文言が出てきて門前払いだった」
「私は正式な使者よ。―――最高位の待遇で以って答えなければライトメリッツの品位を疑われるわよ」
「使者は時と場合によっては切り捨てられることを知らないのか? リムからの報告を見る限りではお前はここで殺した方が良さそうだからな」
何でここまで鼻先突きつけて、悪罵をしあえるのか……しかし既知の二人からすれば、これはいつもの光景のようだ。
「まぁとりあえず―――用件ぐらいは聞いてあげたらどうだい? ティグルもリュドミラと話したいことあるみたいだからね」
先程までエレンだけが読んでいた報告書を流し読みしたアレクサンドラが提案することで、少しだけ場は収まった。
紅茶を入れなおして、再びのお茶会となり―――。『冒頭』に至ったのである。
お茶を飲みアレクサンドラの菓子で落ち着いたのか、戦姫は口元を拭いてから交渉の開始を告げるように―――自己紹介をしてきた。
「改めて、ご挨拶させてもらうわ。「破邪の穿角(ラヴィアス)」が主、公国オルミュッツの戦姫リュドミラ=ルリエよ」
自分の机の対面に座ったリュドミラの顔は端正で可愛いし、その眼はいつでも自信に満ちていた。
この少女こそが自分が話さなければならない相手だとして気を引き締める。
「ブリューヌ王国領土アルサスを治めている伯爵ティグルヴルムド=ヴォルンだ。あなたは使者だと言ったが何の使者として赴いたんだ?」
「停戦勧告の使者よ」
しれっ、と言うリュドミラ。もう少し何かあるかと思ったが、単純に彼女はこれ以上の戦いは無駄だろうとして言ってきた。
その居丈高な主張を一先ずは聞いておく。
「正直言えばあなたがテナルディエ公爵に勝てるとは私には思えない。ライトメリッツの助力を得たとしても、公爵の力はそれを上回る。無謀な戦いをしてまでも己の領土の安堵を守るというの?」
「それが領主としての務めだからだ。君は己の領地を荒らすものが自国の貴室のものや他国の要人だからとそれを認めるのか?」
「――――あり得ないわ」
「ならば俺も同じだ。俺はテナルディエ公爵が矛を収めて王室の臣として身を正すならば、それ以上は何も言わない。けれどそれは有り得ない」
先にエレンに語ったことを今は違う戦姫に語っている。そして、何故か―――この少女には感情的になってしまう。
同時に彼女も少し感情的になっている。
「君はテナルディエ公爵の負けが自分にとっての不利益になると考えているのか?」
「そういう人間は多い。そして場合によっては公爵の敵を「叩く」ことも有り得る。陛下の言葉を捉えればそういうこと。あなたは―――ジスタート王国を混乱に巻き込んでいるということでもあるわ」
そういった人間の一人が自分だとするリュドミラ。
意見の不一致がある以上、各々の判断に任せる。言葉としては確かにどうとも言えるものであった。
その中でも公国の戦姫こそが、どう動くかによって貴族・商人・神殿の立場が決まる。王の下にいる彼女達の行動如何によってその下に据えられている貴族の動きも決まるのだから。
「だから、野盗の首領にミスリルの武器とトリグラフの鎧を与えたのか?」
「……どういうこと?」
怪訝な彼女の顔。とぼけているわけではないようなので詳細を語る。
先日、ヴォージュ山脈において野盗の集団が討ち取られて、彼らの装備にオルミュッツの武具があったことを教えられたリュドミラ。
野盗の首領ドナルベインは、恐らくテナルディエ公爵と通じていたということを。
「―――武器に対する管理義務まで問われるとは驚いたわ。確かにテナルディエ公爵はそれらの大口の取引相手よ。けれど私はそれ以外のブリューヌの要人にも売りつけているわ」
「俺はその事に対して、そこまで追及するつもりはない。ただ―――出来うることならば、テナルディエ公爵との取引を一時止めてほしい」
リュドミラからすれば居丈高すぎた要求なのか、それとも伯爵風情がという思いなのか、彼女は激怒し、立ち上がってこちらに短槍を突きつけてきた。
その様に思わず自分以外の三人が得物に手をかけて抜く寸前になったが、視線と手で制する。
これは――――俺の戦いだ。この少女を動かすこと出来なければ自分は、ここから先に勝てるとも限らないのだから。
そう、得物を手にかけたリョウにも言われたことだ。
国を動かすのは、最終的には総大将である自分なのだと―――――。
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「なぁ、やっぱりお前がそのオルミュッツの戦姫を説得してくれないか?」
「駄目だ」
キキーモラの館へと向かう時に道すがら話していたことの一つ。それはもしもリュドミラ=ルリエなる少女に交渉を挑んだ際のことを馬上で話していた。
一種の井戸端会議の話題は自然と、今後の軍議に関することであった。しかし、こちらの言葉を袖にするリョウ。
聞けばその戦姫とリョウはそれなりに仲が良いらしいので、出来うることならば親愛の契でもって説得してほしかったのだが。
「俺はお前に就くと決めた時に、ミラと決別したようなものだ。それなのに今度はお前の土地のために「あれこれ」言うのは如何にも忠節違いじゃないか」
「言いたいことは分かるんだけどな。一国の姫を動かせるほど俺は口が上手くないから、得意な奴に任せたい」
こちらの自信なさげな言葉に呆れるリョウ。
ライトメリッツはどうなんだと聞いてきたリョウだが、あれはエレンにとってご近所の火事であったからであり、そこから彼女は損得考えた上で動いてくれただけだと思う。
「どう言ったところでお前はエレオノーラの心を掴んで今でも協力させているんだ。それはやっぱりお前の戦果だよ……ただまぁ、ヒントぐらいは与えてやるか」
ミスリルソードをがんがん売って行けと言ったのは自分だと白状したリョウ。それを聞いてもあんまり怒る気にはなれない。
多分、何かしらの深謀があるのだと自分でも分かる。この男は矢の届く先や現実の遠くを見ることは不得意だが、国や人の命運などの「先」を見据えて行動出来る人間であることは知っている。
「リュドミラはプライドが高い女の子だ。同時に……そのプライドと義理人情に捕われやすい人間でもある」
「つまりテナルディエ公爵に味方しているのは、付き合いの関係上だけではないと?」
首肯したリョウの話によれば、彼女は戦姫の中でも異例な三代続く家系の戦姫であるとのこと。公爵との付き合いは祖母の時代、当時のテナルディエ公爵は現在のフェリックス卿のような悪行大逆を良しとする人物ではなかった。
ゆえに良好な関係であったのだが、先代辺りから、少し状況が変わりつつあった。
「説得するためには、懇々と人として為政者としての道理を説くだけじゃ駄目だな……道理と同時に納得させるだけの「利得」を表示させる必要があるのか?」
再び首肯するリョウ。そこから先は自分が考えることだとしながらも、各国情勢をリョウから聞いて、広げた『西方全図』とでも言うべきものを見ながら、どうするかを考える。
彼女の全てを折りつつも立て直すための策を――――。
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「どういうことかしら? あなたがブリューヌの王権を握るとでも言うの? ブリューヌで次の王権に近いのは、テナルディエ公爵よ。あなたが、それにとって代われるというの?」
ミラの考えでは次なるブリューヌの支配者に対しての支援と言う意味もあったそれを、やはりただの伯爵に止められるとは思っていなかったようだ。
しかし、ティグルは憤激するミラに構わず「二の矢」を放つ。
「違う。君はもう少し遠くを見据えるべきだ。特に自由騎士の深謀のそれを――――今、この西方全体での最大の脅威は「商」「軍」の両面から侵略を仕掛けてきている熱砂餓狼のムオジネルだ。特に君の国はムオジネルと国境を接しているからこそ、それをひしひしと感じているはずだ」
そんなティグルの「正鵠」を射た言葉に戸惑う様子のミラ。しかしティグルは構わず瞳をまっすぐ見据えながら、話す。
これはティグルの戦いだ。だから、まだ手出しも口出しも出来ない。この氷の姫の心に矢を放つ―――ティグルを待つ。
「だがすぐさまそちらに行くとは思えない。ムオジネルが欲しいのはブリューヌの肥沃な大地だ。しかし次に狙うのは山野険しく森林多きザクスタンではない。ジスタートだ。その際に一番目の被害を被るのはオルミュッツ」
「ならば、尚のこと! 南部に強い影響力を得ているテナルディエ公爵を―――」
「他国の介入を退けるために自国の領土、他者の土地を焼き払うなんて考えの人間が、仮にそちらを先に攻略してきた時に、「支援」すると思うか?」
槍が放つ冷気がティグルではなくミラの方を撫でる。冷気に当てられて、その言葉の可能性を考える。彼女は―――フェリックス卿の人格を嫌っているのだから。
「……あなたならば、支援するというの? 私に、何の縁も無い私を助けてくれるというの?」
「必要であり、君が望むならば。俺の目的はブリューヌ全土の安定だ。意に沿わぬからと野盗を使って自国貴族を脅す相手が、他国をそこまで安堵させるわけが無い」
「それでも……あなたには何も無いわ。土地は狭く、ジスタートとの国境に位置しているだけの辺境伯。財力も軍事力もテナルディエ公爵に劣っているというのに……よくもそんな大言壮語を」
「だが、それこそが俺を信じてくれたリョウの深謀だ。テナルディエ公爵に君の国の武器の有用性を広め、ブリューヌ全体の「力」を底上げして、その後、テナルディエ公爵を「退位」させた上で……ムオジネルに対する軍事同盟を二国、いや『三国』で結ぶ。俺の力は信じなくてもいい。だが自由騎士リョウ・サカガミの心だけは信じてくれ」
「………」
ティグルの言葉、それに対してミラは考えを纏めきれない。だが、彼女を動かしていることは確実だ。
「商人ムオネンツォの話を聞かされた。俺は……家族に非道を行う人間の『天秤』が、どれだけ偏っているか分かる気がする」
その言葉にミラは苦々しげな顔で、此方―――義兄と慕っている自分を見てきた。その視線に対して自分は口角を上げた。
これが「ティグルヴルムド=ヴォルン」という若武者なのだと―――。
「アスヴァールに平和をもたらし、ジスタートの近海を治めて、ブリューヌ王宮に接触をして安定を願う。未だに途切れぬリョウ・サカガミの『道』。それを天下人の所業と言わずして何と呼ぶんだ。これに協力しなければ、君の家名に恥を塗ることになるぞ」
「……あなたはその傀儡でも良いというの?」
拳を握り締めて語るティグルに、戸惑いつつも問いを発するミラの心は大きな波に揺れている。
ティグルが放つ『大波』に―――。乗るべきか、否か。
「俺は―――俺を信じてくれた人の為に戦う」
先とは違い短い言葉。
信じてくれた人。それはティグルが思っているよりも多い。多いからこそこの男は止まらない。
短い決意は――――多くを語った。
「どうだリュドミラ―――これが、ティグルヴルムド=ヴォルンだ」
まるで、名刀を自慢するかのように語るエレオノーラ。そんなエレオノーラに心底苦々しい顔をしてから溜め息を吐くミラ。
「―――あなたの深謀ゆえの行軍に関しては考えておくわ。けれどもあなたの要求は全て呑めない……手形を受け取った取引もあるもの」
溜め息と同時に、ラヴィアスを引っ込めてそんなことを言うミラの顔は申し訳無さそうであった。つまり今後の取引においては―――既にテナルディエ公爵に対する絶縁を考えているということだ。
「ならばブリューヌ内戦での中立を宣言しておくだけでいいよ」
(こいつ、最初からこれだけを狙っていたな)
平凡な辺境領主ではない強かな面を覗かせたティグルに対してリョウは感心するかのように内心で喝采を送った。
最初に誇大なことを言って相手を信用させた上で、相手を現実に引き戻すほどの高い要求。
そこから交渉相手に突きつけるは、最初の要求よりも一段階低い「本来の要求」を通す手段。
俗に交渉術で言うところの「ハイ『アロー』交渉」というものだと気付けた。
これならば俺の助言いらなくね? などと半ば捨て鉢な気持ちになっていたリョウであったが、サーシャが人差し指で頬を突いてきた。
「頼りになる―――主家の殿様だね。これでリョウが一国一城の主となれば、ちゃんと僕を妃として迎えてくれよ」
「そんな風な主殿だから……荒事に関して功を挙げていこうとは思う」
そして―――笑顔なサーシャの頬突き刺しが終わり、人差し指が広間の天井を冷たく指した瞬間に―――――、動いた。
腰からバルグレンを引き抜き臨戦態勢を取る。同時に一つにまとめられていた荷物。それにリョウは飛ぶように移動して己の「新しい得物」とティグルの弓を取って投げ渡す。
既にティグルも察していたのか表情を引き締めて、握った弓を手にして、矢を番えていた。
「出番だぜ。新しい相棒!」
得物を包んでいた布を裂いて出たのは長柄の槍。ミスリル製で鍛造された「十字」の刃を持つ「槍」を天井に向けて突き上げた。
鼠などの獣では有り得ない悲鳴が―――天井から響くと同時に―――――
「
エレオノーラの竜技の発動によって天井が吹き抜けとなって――――『戦闘』の開始となった。
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「恋する戦乙女達」
―――あなたは中々に無理難題を仰いますな―――
訪れたオルミュッツ工房の中でも最高の鍛冶師を集めたもの達を前に放った言葉に対する反応である。
正直予想通り過ぎて、自分はこの後に言う言葉に苦労はしなかった。
オニガシマで見つかった稀少鉱物の塊―――これを溶かすには、「火の国」の「始原の炎」が必要だったが、それを解決したのはタトラとは違う山に住んでいる竜王の炎だった。
更にその火を持続することが出来る炉の設計を見せてオルミュッツの鍛冶師達を納得させた。
もっとも産出量がそこまで多くないわけで、作られるものは、炭素や他の金属と混ぜ合わせることで、売りつける予定であるが、自分が求めたのは純粋に―――。
「このミスリルだけで打ち鍛えた槍―――柄も刃も石突きすらもとは……贅沢なものを所望しますな」
慣れない敬語を使っているだろう鍛冶長に、二人の名工を思い出しつつ、俺も手伝うと言う。
それにこれは、其方にとっても夢の具現化であると伝える。
「あんたらジスタートの職人にとって超えたい理想があるはずだ。―――『竜で作られた武器』などという言葉で表現された『理想』」
『不可能なこと』の例えとして言われたものでありながらも、それを実際にジスタート人達は知っていた。
特に公国住人達は、それこそが外連味溢れる儀礼のものでないことを。
『竜具(ヴィラルト)』
詳しい事情は知らないだろうが、建国王が七人の妃に渡したという神秘の武器の伝説を。
そしてそれは現存している。見たことがあるものもいるだろう。だからこそ職人であるならば誰もが求めるはずだ。
目に見える限りでの最強の武器を越えたものを。
『竜具に匹敵する武器を―――作りたい、と』
一連の説明を聞かされた職人達は腕組みしながらも足を震えさせたり、拳を握り締めて震わせていた。
それは恐らく怒りではなく―――歓喜だろう。
「剣だけでなく口も上手いようですな自由騎士殿は……」
「しかし親方、戦姫様からも言われておりますから便宜を図りましょうや。それにレグニーツァやルヴーシュの連中だって似たようなもの作ってるはず……話によれば燃える鉄球を吐き出す兵器を作っているとかいう話も」
他都市に負けてられないとして、若手の職人が立ち上がり年配の人間達に詰め寄っている。
それに対して、鍛冶長も観念したのか了承をした。そして、要求をすると―――とりあえず実物を見せろといわれた。
『刃』だけであるが、それは彼らの考えの慮外にあるものであった。似たものとして斧槍などもあるが、それとも似て非なる武器。
ヤーファにおいては、勇将、猛将が愛用せし戦士の武器であった。
その名は―――――――――――。
・
・
・
屋根が吹き飛ぶと同時に、窓の方に移動して外の様子を窺う。予想通りというか何というか既に展開が果たされていた。
屋敷の外、庭先である牧歌的な雰囲気の庭に黒ずくめの下手人が見える限りでは、七人展開していた。
エレオノーラの竜技で吹き飛んだのを含めれば八人。しかし格好から察するに、暗殺者だろうが――――。
思考を終えてから、二階の窓をガラスごと吹き飛ばして―――三人が躍り出た。
三つの窓から出てきた自分達に驚く暗殺者達。
ダイヤモンドダストにも似たガラスの雨にも構わず、暗殺者に得物を向ける。注意が自分達の落下店に向いた所で―――。
「くらいなさいっ!!」
先手を取ったのはミラであった。ガラスの雨に紛らせていた本物の「ダイヤモンドダスト」が、凍漣から放たれて落下点から外れていた一人を襲う。
完全な奇襲であり、降り注ぐだけであったはずのガラスが方向を変えたと見えただろうが、その中にあった氷の刃が一人を地面に縫い付けた。
そこを狙い済まして同じく長柄の武器が襲う。ヤーファ鍛造の達人武器―――3アルシンを越えた『槍』の石突を暗殺者の心臓―――背後から撃つことで気絶させた。
気は早いがまずは口を割らせるための捕虜を確保すると同時に落下点を読んでいた一人の暗殺者が、無手で向かってきた。
自信家かそれとも何かあるのかと思ったが、とりあえず風を切るほどの「突き」を放つ。
紙一重で躱して、自分に肉薄する前に槍を手前に「引いた」。
すると暗殺者の首は落ちて、持っていただろう毒物が死体ごとエレオノーラの庭園を濡らした。
そういう手か―――と思うと同時に、暗殺者たちの視線が、自分の持つ蒼黒の槍の―――形状に向けられた。
一本の槍刃、その根元から両側に枝葉のように三日月のような刃が出ていたから当然だろう。
ヤーファ銘『千鳥十文字槍』オルミュッツ銘『クローヴァ』と命名されたもの。
それが引くと同時に首を落としたのだ。
槍の要訣の一つ、『突く』からの『斬る』への変化が剣よりも予想できないからこその攻撃である。
(後ろの奴からしても鎖帷子を着込んでいる―――狙うべきは首元だ)
もっとも戦姫の竜具ならば、そんな事は杞憂だろうが『千鳥』を構えなおすリョウは手近な相手に再びの突をかける。
「ぐっ!!」
「重さはあまり無いんだが、切れ味がいいからな―――速さと切れ味の良さで死ね」
重さ自体は己の「五体」を十分に生かして発揮させればいいだけだ。ダガーで受け損なった一人はバックステップで逃げ、そこに左右から二人の暗殺者が迫る。長柄の武器の弱点を突こうと懐に入り込もうとしているが、横に構えて待ち受ける体勢を取ると、暗殺者の「意気」が分かる。
こちらの悪手を嘲笑っているのだろうが、しかし――――平行に持った『千鳥』の両端に重みが乗る。
赤と青の戦姫が同時で、槍に脚を乗せた。
女性二人の重みを受けても一瞬だけの重圧であり、槍を足場にして飛び上がると瞠目する暗殺者。己たちを飛び越えた赤と青に動揺する。
バックステップで逃げていた暗殺者も驚き、その一瞬の虚を利用して地面がめくれて土が吹き上がるほどの踏み込みと同時の突きは、喉元を真っ直ぐ貫き、血を噴出させる。
絶命した暗殺者から槍を抜くと同時に、着地した赤と青は背後から左右の暗殺者を襲う。
「しまっ―――」
失態を悟った暗殺者の声に、燃え上がる『斬音』と凍てつく『薙ぎ音』が重なって焼死体と凍死体が出来上がる。
見える限りでは残り二人、庭園の一番外側にいて殊更警戒してくる―――こいつらは、先とは違いレベルが違う。
されどリョウは自分に意識を向けさせた。構えを取り先の高速突を放つという意識を向けて一歩を踏むと同時に、聞こえる風切り音。
飛来した矢は、暗殺者の鉢金ごと頭蓋を貫き絶命させた。上から飛来したそれは完全に無警戒であったらしい。
崩れかけの天井の梁に乗り、不安定な足場でも放った矢が一人を打ち倒すと同時に、もう一方にも殆ど時間差無しで向かうが、『矢捌き』をして暗殺者に掴み取られた。
ティグルの仕事は、ここまでだとして最後の一人に近かったサーシャが向かうも、暗殺者が懐から出した『何か』がサーシャに投げつけられる。
飛来物の形状に見覚えあり過ぎて、サーシャを制止しようとするも―――。
「べっ!」
「サーシャ!!」
飛来物を切った瞬間に吹き荒れる『煙』。シノビが持つ『鳥の子』という道具であり、いわゆる煙幕玉である。
原理としては単純な発煙装置なのだが、この鳥の子は恐らく『火薬』も多く使っているらしく、鼻を突く臭いがとんでもない。
煙を突っ切って、彼女の身の安全を確認する。もしも罠であったとしても問題は無い。
「アリファール!」
単純な呼びかけで、一陣の風が吹き荒れて煙が吹き散った。散った先には―――見える限りではなんら変哲の無いサーシャ。
肩を抱き、黒真珠の瞳や肌に変化が無いかを確かめるのだが……。
「そんなに見つめないで、濡れてしまいそうだよ……」
何がだ? という疑問はさておき、恥ずかしがる声を聞けた時点で、確認事項は全て終わった。
「さっきの煙玉に毒物でも入っていた可能性を探ったが、瞳孔に変化もないし、声も大丈夫みたいだ。ただ火薬を近場で吸ったから刺激臭で鼻がやられてると思う」
「そうだね。けどリョウの匂いだけは記憶に残っているよ」
熱っぽい瞳が、こちらに向けられたが、とりあえず離れて後ろでフォローを入れてくれた戦姫に礼を言う。
「お前を助けたわけじゃない。サーシャを助けたんだ」
「それで構わないさ……死んでいる……!?」
いつも通りなやり取りの後にエレオノーラの後ろ、口を割らせるための暗殺者一人が死んでいた。
「首横に毒針が刺さっていた。恐らくお前達が他の連中に構っている間に、こちらからの死角に潜んでいた人間が口封じの為に。といったところだろうな」
嘆息して示すエレオノーラ、見える限りでは七人の内の六人が死んだことになる。一人を取り逃がしたこと。そしてこんな「こちら」に有利な戦場で戦った事と言い、お粗末な襲撃としか思えない。
「しかしまぁ派手にやったもんだな。この別荘どうするんだ?」
「柱はまだ大丈夫だろうが、まぁ燃やしてまた作ればいいだけだ。サーシャ頼む」
金持ちを羨むような目をするティグルの肩に手を置きつつ、自分達は死体処理だとしてスコップを渡すことにした。
必要なものやまだ使えそうで持ち出せる調度品を出していく女性陣を見つつ、自分達は埋葬。一応、身分を示すものを持っていないかと持ち物を探る。
「毒物が多いな……そして―――」
「腕に刻まれた鎖の刺青―――、蜂の紋様か……」
屋敷から離れた所に穴をこしらえると共に遺品整理をすると出るわ出るわと―――、蜂の紋様を刻まれたものは女であった。
そして女の大半は毒筒を持っていた。一舐めして芥子と附子を用いた調合だと分かる。調合の比率は一番覚えがあるもの。
(甲賀忍……歩き巫女か……)
母国の間諜の二大里の内の一つを思わせる調合毒であり、下手人の正体を看破した瞬間でもある。
あのザイアン・テナルディエの侍女が裏にいると分かった。
埋葬を終えると同時に盛大な焚き火になっている別荘の方へティグルと共に戻ると、この後にどうするのかを聞く。
「再びの襲撃があると見ていいだろう。その前に山を下りてロドニークの街に向かう」
ここはあまりにも暗殺者にとって有利な戦場だ。どこかの森からの不意の襲撃も有り得るので、さっさと人の集まる場所に赴くことで、襲撃を難しくする。
エレオノーラの提案は最適ではあったが、それならば調度品を持っていくのは落ち度になり得ないかと思う。
「安心しろ。お前の『ミイツ』とやらで馬の速度を上げてもらう。輸送作戦の要だ。頼むぞリョウ」
「満面の笑みでとんでもないこと言うね。おまけに個人の力におんぶにだっこだし」
それは作戦とはいわない。と内心でのみ愚痴る。
嫌になるほどの笑みを浮かべるエレオノーラを半眼で見ながらも、それが最善だろうなと感じてその提案を受けた。
「何か悪いなリョウ」
「もう諦めたよ。あの年下からの意地悪に対抗するのはさ」
溜め息突きながら、荷物を馬に下げていく。そんな中、ティグルは先程の武器は何なのかを聞いてきた。
「義兄様が我が領地の鍛冶師達に特注で頼んだミスリルスピア、形状はヤーファで使われてきたものらしいけれど、私たちは「クローヴァ」と呼ばせてもらってるわ」
「何でそんなものを、刀だけじゃ駄目なのか?」
ティグルは純粋に聞いてきている。特に嫌味でもなく本当の疑問として聞いてきた。
結局の所、確かに刀は良い武器だ。
達人が使えば馬上でも難なくだが、やはりどんなに戦術や防具が優秀でも古代から現代にいたるまで戦争において優秀な装備というのは、槍などの長柄武器なのだ。
時と場合にもよるが、多対一が発生することもある戦争において多くの者を相手取るには相手に近づかせない武器が必要になる。
「ゆえに俺は欲しくなったんだよ。それ以外にも原因はあるが……」
自分は「有名」になりすぎた。刀を差している武芸者、それもヤーファ人が珍しいからなのか、簡単に身分が割れることが多い。
ジェラールが自分を知っていたのもそれだとして、出会いの経緯をティグルに話す。それこそが最大の原因でもあるとして―――。
馬に乗り込みミラのラヴィアスで鎮火された別荘を後にしつつ、そうしたことを話すとティグルは考え込む様子を取る。
「槍か……」
思うところあったのか、ティグルは考え込んでからエレオノーラを見て、少し紅くなっていた。
何があったのかは知らないが、セクハラじみたことを考えたことは間違い無さそうだ。
同様にエレオノーラも紅くなっていたのだから。
「僕としては槍だからと何でその形状にしたかが気になるよ。ヤーファの槍だって直刃が殆どなんだろ? 何でそんな「三枚刃」にしたのさ」
「言いたいことは分かるが、あまりにも胡乱過ぎるぞサーシャ」
千鳥の形状は、丁度どこぞの両刃の大鎌に対になるよう両端の刃の切っ先が上向いている。
これは、確かに鎌と同じく引いて首を掻き切るという「突」からの「斬」を容易にする機構でしかないのだが、サーシャのふくれっ面の原因が察せられないわけではない。
柄に使われるミスリルの軽さ故に、バランスを崩してもいいから大型の「十文字刃」を頼むと頼んだが……そこは埒外であった。
「僕も『反射炉』で作ったレグニーツァ製の特殊武器贈るから絶対受け取ってよ。約束だよ」
「分かったから、あんまり顔近づけないで、愛しくて抱きしめたくなる」
「馬上でサーシャといちゃつくな!! ほらロドニークが見えてきたぞ!! というかお前の御稜威は便利だな。馬が速すぎ軽すぎて殆ど時間がかからなかった!!」
「怒るか、褒めるか、どっちかにした方がした方がいいと思うぞエレン。語気が混ざっている」
そんなこんなしつつライトメリッツ領の一つ。ロドニークの街が見えてきた。
入って見ると、そこは街というよりもすこし大きめの村といった感じであり、露店も並んでいるが数は少ない―――しかしそれなりの活気には溢れている。
何か主要な産業でもなければ、ここまでの賑やかさは生まれないはずだが……。
「ここは温泉が湧き出ているんだ。街道から外れた湯治場といったところであり、宿場町としても賑わっている―――要は、観光産業で成り立っている」
ティグルも同じ疑問を感じたらしく、エレオノーラに問い掛け、その答えが自分の耳にも入ってきた。
それを聞いて、温泉と言えば、「甲斐」と「越後」だよなと考える。
最初に考えたのは甲斐の方であった。
『色んな温泉に入れば、『天上天下』しなくても「ぼいんぼいん」になれるはずー。だから私の目的は『天下湯一』といったところー』
などとのたまっていた女の子を思い出すと同時に――――。
『ふふん! 私のところの温泉は弘法大師が見つけた由緒正しき名泉なんだから、身体の発育でアンタに勝つのも当然よねー♪』
などと身体をくねらせて挑発した女を思い出して――――。
その後の戦いが怖かった。伝説に語られる
今更ながら我が国の『姫将』達の実力とは『神器』の力に己の『血』の力を重ねるからこそなのだろうと考える。
余計なことを考えていた自分に老人―――昔は吟遊詩人だっただろう人物の古びた「翼弦琴(グスリ)」の音が響き、この後どうするのかをエレオノーラが話す。
「私は、あの別荘の管理をしてくれていたものに給金、退職金を支払ってくる。その後、再びの工事の手配をしておく」
ライトメリッツに帰ってからでもいいだろうが、荷物である調度品を適当な所で換金してそこに己の路銀を加えるといったところか。
別荘を建て直せば再雇用の旨も告げるはずだろう。
エレオノーラの決断の早さと行動の早さは、いずれ来るだろう「魔王」を思わせる。
「荷物持ちが必要だな」
「俺が着いていこう。ティグル、お前とミラは『旅館』まで私物を頼めるか?」
「ああ、けどそれならば―――」
自分が調度品を持つのが筋ではないか? というティグルの躊躇いを切り捨てたのは、ミラの言葉だった。
「いいわよヴォルン伯爵。あなたに私をエスコートすることを許可するわ」
「俺もこの町は初めてなんだけど……まぁ目的地は分かるしな。ゆっくりしながら向かうか」
お腹減ったと言わんばかりに腹を鳴らすミラ、それに付いて行くティグル。三人が分かれて目的地へと向かうルートを取る。
まだティグルのミラへの交渉は続いているのだから、それは当然だが……やはりティグルを女の子と二人っきりにさせるのは独占欲が強いエレオノーラにとっては容認しがたいものなのだろう。
睨み付けるようなエレンを促す形で歩き出すサーシャの苦笑を見つつ、果たしてどうなるやらと考える。
† † † † †
戴冠式は順調であった。
円卓信仰の神官達を招き、全土の貴族達を招集して飾り立てた戴冠式。
そして各国のゲストを招いたそれは、冬が近づいているにも関わらず、暖かなものであった。
既にエリオット陣営は見限られたようなものなので、この反応は有り難かった。
しかしながらそんな戴冠式において非常に冷めた人間が一人いた。
各国の人間から様々な挨拶を受けながらも、その顔は朗らかながらも心はとてともなく冷めた人間。
これならば、いっそのことタラードのみが、あいさつ回りを受けていればよかったのではないかとも考えてしまうほどだ。
その冷めた人間―――女性は正統アスヴァール継承者「ギネヴィア」であった。
玉座に座りながら各ゲスト達の様々な秋波や要求をそれぞれ聞いている彼女の様はまさに女王と呼ぶに相応しい。
しかし纏っている蒼―――というよりは冷たい氷のような透ける様な白青のドレスが、彼女の心情を物語っていた。
「機嫌悪いねぇ姐御」
「分かっているならば口に出すな」
「こりゃ失敬……しかしまぁ気持ちは分からなくもないぜ。心は少し違うがな」
傭兵部隊の隊長であるサイモンは渇いた笑みを浮かべる。
今夜は盛装をして騎士風の衣装で宴会にやってきたが、どうにも歴戦の傭兵としての顔とのギャップで場に馴染まない男である。
ルドラーは、そんなサイモンに対して少しの同意をしておく。
あれだけ苦しい戦いの現場で共にやってきた仲間、同士だったのだ。そしてようやく一つの安定を取り戻して全土「島」奪還へと動こうとしている自分達。
それなのにあの男は―――来なかった。
招待状を出して一応、ジスタート王宮にも「出来うることならば自由騎士を」と念押ししたのだが、彼は今、ジスタートの代表として動ける立場にいなかった。
そしてやってきたのは「戦姫の色子」のいないオニガシマの公王閣下達だ。
「寂しすぎて、何より薄情すぎないかよ」
愚痴るような声を出すサイモン、その声の責任は自分にこそあった。
「……恨むなら私を恨め。あの男を遠ざけたかったのは私なのだからな」
「結果として、その紅葉は姐御の打擲ゆえか」
「言うんじゃない」
今でも頬に残る掌の形から残る痛みがぶり返してきたかのように感じる。笑うサイモンから目を離して、半眼で明後日の方向を見る。
見た方向では様々な話をしているタラードとイルダー、どちらも武人として身を立てる王―――武成王なだけに話も合うのだろう。
そんなタラードとイルダーの話の中にそれとなく出てくる男の話題にギネヴィアの耳が大きくなっているような気がする。
話が一段落した辺りでイルダー公王は、玉座にいるギネヴィアに向かって歩いていく。
警戒するほどではないが、女王の侍従が用向きを聞いていた。ダンスの誘いには少し早いが、予約(リザーブ)ぐらいはしにきたのかもしれない。
ギネヴィアもイルダーも独身なのだから、そういった用向きもあり得たが公王閣下は実直であった。
懐から出した便箋一枚。少し膨らんだそれを侍従に渡しながらギネヴィアに小声でどういったものであるかを伝えた。
瞬間―――ギネヴィアは、華が綻んだような笑顔を浮かべてから侍従に便箋であり彼女にとっては『恋文』に近いものを寄越すようにいってきた。
(分かり易すぎる……!!)
アスヴァール家臣、特にタラードと共に革命軍の中核を担ってきたクレスディル、ラフォールなどは内心呆れてしまうほどの変化である。
「やれやれ、ラブレターのメッセンジャーとして公王閣下を使うとは、やっぱりあいつは大物だな」
「……笑い事ですか? まぁ誰に言ってもしょうがない話ですが……」
諸国の物笑いの種になるのではないか? という質問をやってきた美麗の青年―――タラード・グラムに投げかけるが、それに対しても呵呵大笑している。
「これはある意味では脅しにも使える。正統アスヴァールを今後狙うことあらば、自由騎士は想いを寄せる姫君のためならば、駆けつけるという、な」
「……それ本当ですか?」
「いいんだよ噂なんて尾鰭が付く形で流言させればいいんだからな。そんな噂でびびっている所を強襲させればいいんだ」
事実、彼もそんな風なことがあったそうだ。
ヤーファでの主君の危機―――謀反を起こした逆臣を倒すために、残った主君の家臣と共に敵対勢力などに「主君」は生きていると調略で信じさせることで、逆臣の行動を封じ込めたそうだ。
結果として天下分け目の決戦―――『天海軍団』と『温羅軍団』の総力を結集させた闘いにて、一進一退の実力伯仲した合戦。
それの趨勢を決めたのは―――現れた主君である「魔王」の一軍の登場が、逆臣を壊滅に追い込んだ。
「あいつ曰く、『虚報や偽報というのは姿なき軍団』だって言っていたからな」
「それを有効に使えるのだから、あいつが率いてくれれば傭兵軍団は常勝だったんだよ」
「情けないと思わないのですかサイモン」
タラードの感心するような言葉、それに追随するサイモンを諌めるがルドラーも、それは無駄だろうと思えた。
しかし正統アスヴァールを包む問題はまだ多い。休戦条約の後も不気味な沈黙を続けているコルチェスター。
無論、傷が深いのはあちらも同じだが、革命の混乱期に襲ってくると思っていただけに、肩透かしを食らった気分だ。
(本当にリョウの影に怯えて震えてくれればいいんだが)
既にコルチェスターからこちらへの亡命者は多い。あちらも一応はエリオット配下の貴族・将などで統率を保っているが内部での瓦解は始まりつつある。
要請次第では、こちらから条約を破ることで宣戦布告することになるかもしれない。亡命者の中には、あちらに親兄弟を残してきた人間も多いのだから。
「まぁその前に内部崩壊が起こってくれればいいんだけどな。間諜は潜り込めているんだろ?」
「ええ、後々まとめた報告も上げますので―――今は、ギネヴィア女王の機嫌を取ってきてくださいよ閣下」
「一度ふられたってのに未練がましく誘えってのかよ」
「正統アスヴァールの柱はあなたとギネヴィア王女なんですから情けない男でもいいからやるんですよ」
私情など知ったことではない。王になりたければそこを飲み下せと言外に伝えると、本当にしぶしぶな表情でタラードは玉座の女王に踊りの誘いを掛けていき、それに上機嫌な様子で応じるギネヴィアである。
周りの人間は、その変節をどう取るかは賭けである。タラードの求婚が実りつつあるのか、自由騎士の恋文に機嫌を良くしたのか。
「半々で良いんじゃないか? 姐御だって本気でリョウと結婚出来るなんて思っていないだろうし」
王族としての責務であり戦乱の世における姫の運命を彼女だって知らないわけではないはずだ。としてお前の心配など杞憂だとするサイモンに、ルドラーは呆然とする。
「姐御だって年頃の女だからこそ好いた男性にまだ恋に恋したいだけだ……熱病みたいなもんだろ」
時と共に忘れるものだとするサイモンに、何故そこまで詳しいのか問い掛ける。
「―――聞いたのか?」
「それなりにな。ただアスヴァール全土を治めるまでは、一人の『ブレトワルダ』として『昇竜』を共にして戦いたいとは言っていた。あんまり気を張りすぎるなよルドラー、仮にもしも黒髪の子が姐御から生まれたとしてもそれはアスヴァールの血の継承者なんだからよ」
小姑かお前は。と呆れるように言ってからサイモンは火酒を口に含む。ジスタート製の上等なものだ。
話題に出ている人物は現在、ジスタートからブリューヌへと動いている。アスヴァールに近い位置に来てくれたといえばそうだが、来ることは当分無さそうだ。
「しかし、リョウが頼りにしているとかいうブリューヌ貴族……どんな人間なのか興味あるね」
「傀儡ということもありえるが」
「そんな奴をあいつが立てるわけ無いな」
つまりは、その貴族は後のブリューヌの指導者に近い人間ということだ。
興味がありつつも、当分は見ることが出来ないだろうとして―――その場はそういう結論で自由騎士の話題は終わった。
何よりあの男だけに構っても居られない。
自分達にとって必要なのはこれからのアスヴァールに支援してくれる人間なのだから―――。去っていった人間はどうあれ、頼るに頼れないのが普通なのだ。
(そう言えばあの
ラフォール以上に技術屋な人間でありながらも、実用性よりも趣味的なものばかり作る人間であったが、その技術力は惜しかった。
そして彼にとっては現代の英雄のサーガを作り上げていく方が故郷の大事よりも重要だったのだ。
去るもの、残るもの、来訪するもの、と様々な人間が入り乱れるアスヴァール。それをまとめるのは自分達、残るものなのだから―――。
ルドラーは決意してから、
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「三陣営の戦略」
熱砂の砂漠に駱駝に跨る騎兵が雲霞の如く散っている。その手に持った摸擬刀―――それに似せた鉄の棒などで軍事演習を行っているのは、黒い肌色の人間達である。
この熱砂の国における標準的な人種の人間達が、摸擬戦をおこなっては、その都度戦う相手が入れ替わる。いなくなった人間達は怒号と土煙が上がるところから逃げていく。
判定撃破されたからだ。時間を置いて―――再びの演習となる。
ともあれ実戦形式というには、程遠いが、それでも乱戦となった際の動きの良し悪し、指揮の明暗ぐらいは分かる。
「カシムは良さそうだな。ブリューヌに入った際には先鋒を任せてもいいだろう」
「カシムはそこまで大軍を動かせるほどの将であるとは思えません。奴は一度、土に塗れると冷静な判断を下せないと思われます」
「経験させればいいだけだ。第一、あの男が言う限りでは、そこまで余裕があるとは思えんからな。そうでなくても手に入れた情報だけならば、進入口の戦力は減らされているはずだからな」
あの男―――ダーマードは、つい二週間前に謁見してきたブリューヌ不平貴族「ウルリシュ=スカルポン」なる人間の顔を思い出す。
最初は交易目的での謁見及び、ムオジネルに対する間諜もしくは一種の反乱煽動の為の調略行為だと思った。
ブリューヌにおける復権を遂げるためにムオジネルの力を利用したい。そういう追い詰められた人間特有のものを感じつつもダーマードは、胡散臭いものを感じていた。
平民の出ゆえの妙な嗅覚とでもいえばいいのか、その男から感じられるのは没落したがゆえのものではなく栄華を享受しつつも、更なる欲を求めているように感じられた。
王家に対しての忠誠などは感じられなかったが、それでも自分達に対する完全な仲間ともいえないだろう。
「まぁ嘘であろうな。嘘であろうが一応聞いておいて悪い話ではない。恐らくブリューヌ南部には然程の影響力を持たない貴族なのだろう。察するにテナルディエや王宮とは別―――、恐らくガヌロン公爵ゆかりのものであろうな」
「そこまで分かっていながら、何故に切り捨てなかったので?」
「意味が無い。出自が明らかでないブリューヌ人を殺したところで金銭がさほど取れるわけではないからな」
物盗りと同じことをさせる気か。と言外に含みながら再びクレイシュは演習現場をつぶさに見る。
「ふむサラディン、カシュー、ケイド、シャダム、ルーファス……そんな所かな。軍団指揮に適した人間というのは」
どれだけの数の方面軍を作るか分からないが、大軍指揮が出来る人間の選定は済んだ。そんな中、ふとダーマードは思い出す。あの男―――まだヤーファに放った工作員から人物像を知られていないが、それでも中々の戦略戦術を知っている人間であった。
彼にも出世への道があれば、寧ろ―――彼が連れて来た家臣団には有能なものが多いのだ。それさえあればブリューヌを奪い取るぐらいは出来るかもしれない。
「……閣下、あの者を使わないので? 王墓の守番だけではあまりにも無体が過ぎませんか?」
「ダーマード、それは温情で言っているのか? それとも純粋に戦術的な見地に立って言っているのか?」
「半分半分といったところです……ただ、あまりにも左遷が過ぎるとどんな激発が起こるかわかりませぬ」
剽悍な顔を少し歪ませながらダーマードはクレイシュの無表情の言葉に肝を冷やしつつも応える。
確かに情もある。彼は自分と同じく距離の「近長」を選ばぬ戦いが出来る男だ。ヤーファ人の実力者としては、以前見た「化け物」に及ぶかもしれないが、それでも親近感沸いてしまう。
それ以外にもあの男を自由にさせておくのは不味いとも思えるのだ。そんな懸念はクレイシュとてあるだろうに。
「確かにな。だが、あの男を一度戦場に出せば―――出世は容易のはず」
「だから捨て置くと?」
「ワシとて実力は理解している。その才知・勇気ともに明敏にして素晴らしいが――――あの男、心に『狼』を飼っておる。確かに戦わせれば大きな益を齎すだろうが、それと同じぐらいの災厄も齎すだろうよ」
冷静に、こちらに懇々と理解させるようにクレイシュは言う。
ならば暗殺者でも向ければいいのではと思うが、アサシン教団全てを圧倒出来るだけの「忍者集団」を家臣としているので、全て退けられた。
「しかしお前の言うことも一理ある。兄君が気に入っている以上、一度は戦ばたらきさせねばなるまいな……遠ざけるのも限界だ」
王弟クレイシュはムオジネルの軍事総責任者であり、兄である王に忠誠を誓っている。それはいずれ反乱を起こすためではなく、当人が「政事」よりも「軍事」に重きを置いていたからだ。
そして何より二人とも求めていたものが一致していた。兄は「領土」を、弟は「戦争」を。
この西方における傍迷惑極まりない『金銀』兄弟のそれに誰もが頭を抱えていた。
「にしても陛下はなぜ、彼を召抱えたのでしょうな?」
「アスヴァールでのことが一番だろう」
アスヴァールの内乱。これにはかなりの国々が関わっていた。それぞれの思惑で二つの陣営に協力することで自分達に負い目がある政体を作ろうとしたのだが、東方よりやってきた龍は、それらの思惑を全て覆した。
そして片方の勢力は完全に自分達のあずかり知らぬ第三勢力に取って代わられた。ムオジネルにとっての関心事に変化が起こった瞬間だった。
それ以来、ヤーファという国が特殊なのか、それともその男だけが特殊なのか、それを確認したくて件の男の素性調査とともにヤーファに人を放ったが、どうにも滞っている。
流石にヤーファという国に溶け込むには、ムオジネル人は異端すぎたのかもしれない。
「何にせよ今の所はブリューヌ侵攻だ。それが先か――――」
クレイシュの嘆息と共の言葉を引き継いでダーマードが言った。
「アケチ=『テンカイ』=ミツヒデの素性が判明するのが先か―――ですな」
男の名前を告げながらダーマードは、その人間の姿を思い出していた。
「そういうことだ。まぁとにかくミツヒデにはそれとなく言っておけ。客将として出番がくるか分からぬが、出陣時期ぐらいは教えておいたほうがいいだろう」
「承知しました」
そうしてダーマードは頭を下げながら、恐らく『ミツヒデ』を使うことは確実だろうと思えていた。
自由騎士を抑えられるだけの剣士は――――彼しかいないのだから―――――。それぐらいの剣の冴えを、あの武芸大会の後に見ていた。
† † †
現れた男は、さなきだに気に食わない男であった。
黒い衣装に黒い長髪―――女のような男だが、その面貌は確実に男であった。
格好だけ見れば、街中で気取った色事師にも見える。しかし、その面構えは女どころか男も食うようなものだ。
まるで隙の無い蛇のように、昔、どこかで聞かされた壷の中の「毒虫」を思い出させる男であった。
「お初にお目にかかるフェリックス閣下、ご助力したく馳せ参じました―――」
「そなたが、魔人か……。一応、聞くが何が出来るかな?」
「剣を少々に妖術を少々といったところです」
妖術―――、何とも不気味な響きだ。そして言葉だけは丁寧ながらも慇懃無礼極まりない所が、どうにもフェリックスには気に食わない。
だが、その緩やかな所作ながらも蛇のような隙の無さが―――武人としてのレベルを物語る。
使える手駒、特に自由騎士と呼ばれるヤーファ人を倒せるだけの武人を欲していたのも事実なのだから。
「名は何と言う?」
「モモタロウとでも呼んでもらえば」
澱みない回答。まるでこちらが出す質問を分かっていたかのような速さ。それを感じながらも、まずは一つやってもらいたいことがあるとして伝える。
「南部の商業都市と縁深い貴族にして私の政敵の一人であるマルセイユというものがいる」
その男はテナルディエとは違い商人の不正な取引やそれらにまつわる目こぼし。賄賂の類を受け取らない男として有名であった。
清廉潔白な男といえばそうであり、ボードワンなどの王宮の臣からも信頼厚い老公である。
一部の商人からの受けは最悪ではあるのだが、その反面、テナルディエの保護している商業都市に比べて海賊からの襲撃も少ない。
それはマルセイユが、領土内の海洋都市に海洋騎士団を組織して航路守備を徹底させてあるからであった。
無論、こちらとてそれなりの軍備は整えているものの、元々の領土ではなく傘下に治めているだけなのでマルセイユのように直接指揮を取れるわけではない。
大きな襲撃あれば、その限りではないが……何にせよ治安維持を完璧にしている貴族なので商人も安心して商売出来るという側面もあった。
「大まかには分かった。だが被害はどれほどだ?」
「焼き払ってしまえ。無論、女は売り払い、貨幣あればそれは全て奪うことだ」
一瞬、一刹那にも満たないはずだが、モモタロウなる男が呟いたような気がした。聞こえぬほどの小声で「つまらん」と聞こえた。
しかしながらその後に聞こえてきた言葉は、従容としたものであり颯爽と身を翻して出て行くモモタロウ。
姿が見えなくなってから、隣に控えていた老人に問う。
「―――あの男、使えるのか?」
「ご安心を、それよりも先程モモタロウ殿が言っていた一兵も着けなくていいという約定は守られた方がよろしいかと」
「魔人とやらの実力を知りたかったのだがな」
「お戯れを」
言葉を最後に下がるドレカヴァク。マルセイユの領地を詳細に教えるためだろう。その様子は―――テナルディエには終ぞ見せない「配下」としての態度に近かった。
やがてそれでもマルセイユの辺りに潜り込ませていた斥候の知らせでテナルディエは知ることとなる。
魔人とは本当に化け物であり……自分はとんでもない悪魔と組んでしまったのだと思い知ることとなった。
† † † † †
ガヌロン支配するアルテシウムは厳重な警戒態勢で支配されていた。正しく来て欲しくないもの達を拒むような様だ。都市自体に入るのですら、厳重な顔照合と割符の照合が行われており、ちょっとした長蛇の列が出来ていた。
ここで生活している者たちにとって、これはとても不便なものだろうが、領主であるガヌロンが王宮に行っている間に間諜の一匹でも入れては、自分達が殺されてしまうのだから衛兵達もそれらを厳にしなければならない。
表向きの理由はそれだったが、裏向きの理由としてはそうではなかった。
そもそもアルテシウムは歴史ある都市である。詳しくは知らないが建国王シャルルが、ブリューヌ建国以前より存在していたこの都市を守るのにガヌロン家を登用したという話。
同時に、建国王は代々の王族にアルテシウムでの戴冠儀式を行うように言ったのだ。
それらの伝統が廃れてから、かなりの時間が経っている。どういった事情があるかは知らないが、それでもこのルテティアの都市アルテシウムには自分がブリューヌ王族として認められるべきものがあるはずなのだ。
「ただいま帰りました」
「ご苦労様」
木陰で休みながら、待ち人を待っていたのだが様子から察するに芳しくは無さそうだ。
この都市での名産である林檎酒(リンメー)を水で割ったものを、木陰に入ってきた自分と同じような旅着の女性に渡す。
駆けつけ一杯を飲み干した彼女。美麗な女性でありながらも、腰にあるべき得物が彼女をただの美人ではないと示していた。
「都市は言わずもがな。モーシアの神殿、共同墓地全てに厳重な警備を敷いていますよ」
もう一杯を注いで渡すと女性―――ジャンヌは飲み干した。
ジャンヌの報告を聞いてから、レギンは考える。これはつまりテナルディエ公爵への備えというよりも、自分を近づけさせないためだろう。
つまりガヌロンは自分達が生存していると知っているのだ。ディナントで幕舎に入ってきた手のものは、ガヌロン配下だったのかと思いつつ、これからどうしたものかと考える。
「このまま北部地域に留まるのは拙いですね。いつまた刺客を差し向けられるか分かりませんから」
少し視線を話した先にはアルテシウムがある。しかし、精々300アルシン先にある街。そこに入ることは至難の技だ。
五つの門全てが厳重な警備を敷いている上に、自分はそこまで卓越した運動能力を持っていない。
「王宮はガヌロンが居て重要決済に関して取りまとめようとしている。そして南部はテナルディエの支配地域……逃れるとすればそちらですか」
「南部……ならば私の故郷に行きますか。そこで『奸賊討つべし』で義勇兵を募りましょう」
「いいんですかジャンヌ?」
「私すらも死んだことになっているのです。パラディン騎士の偽者として追われた以上、汚名は濯ぎたいのですよ」
腰のドゥリンダナを鳴らして宣言するジャンヌのはしばみ色の目が闘志に溢れる。
彼女はあのディナントでの戦の後にある女剣士、黒髪の双剣士と打ち合って生き残った。
ロランのライバルが自由騎士であるのならば、自分のライバルはあの炎の双剣握る剣士―――恐らく戦姫だとしてきた。
「それとレギンの調べて欲しいこと『アルサス領主』。彼は生きていたそうです」
「!? 本当ですか!?」
そうして自分の懸念の一つを解消してきたジャンヌだが、その後には何とも「はらはら」するようなことを報告してきた。
生きていたアルサス領主。ティグルヴルムド=ヴォルンであるが、彼はジスタート戦姫の捕虜となっていた。
その後、アルサス領主は自領に迫るテナルディエ公爵の軍勢をジスタート……自分達がディナントで戦った戦姫の公国軍の力を借りて退けたという話だ。
「民衆の反応はどうなんですか?」
「……賛意が二、反意五、不明三といったところです」
どんなに裁量権ある戦姫の公国とはいえジスタートは外国なのだ。そんな連中が他国に踏み込んできたのだから、不安がる気持ちは分かる。
しかし公爵が何の理由も無く自国の貴族の土地を踏み荒らしたのだ。それに対する反発もある。
だが、アルサスなど辺境もいいところであるのだから人々の関心も薄い。
しかしながら、テナルディエ遠征軍がディナントでの国軍と同じく敗残の兵となって帰ってきたことは伝わっており、ジスタート恐るべしという意見もある。
「……どうにも要領を得ませんね」
「同感です。しかしながらこの後のアルサス伯爵の考えは分かります」
「ネメタクムへと兵を向ける……」
自分の領土に土足、鉄靴で入り込んできた賊に対してティグルは行動を開始するはずとしてきたジャンヌの言葉を否定できない。
あの伯爵に、そこまでの覇気があったとは少しだけ見くびっていた面もある。
しかし彼の心に従う強軍あれば公爵と戦うことは可能だろう。
「どうします? 今からならばアルサスに行けますけど」
「―――恋敵に啖呵切って出てきたんです……そんなかっこ悪いことできません……」
いじけるようなレギンにジャンヌも掛ける言葉が無い。溜め息を明後日の方向に吐く。
「とはいえ……状況が動けば、もう一度サングロエルに潜り込むチャンスがあるかもしれません……ティグルヴルムドには悪いですがジスタート軍と共に両公爵を引っ掻き回してもらいましょう」
「悪女ですねレギン。そんな方にお仕え出来て私はとても嬉しいです」
笑いながらの皮肉に口を曲げつつも、それぐらいしか今は出来ないのだ。
そして、この混乱状況の中で動く可能性がある国がある。
ムオジネルだ。あの砂の狼達が、南部から侵攻する可能性もあるのだから、そちらに対する対処も必要になるはずだ。
民に認められるためにも武功なども必要だ。何より南部には頼れる人間がいるのだ。
「マルセイユ公は、私のことを知っていますからね。ドンレミで義勇兵を組織しつつ接触しましょう」
レギンは自分の近親者以外で、公式に「知っている人間」の一人だとして身分保障は可能のはずだとした。
そして後々にティグルヴルムドの軍に入ればいいだけだ。
そこで己の身分を明かして、ティグルヴルムドを官軍として認めさせればいいだけである。
上手くいくかどうかはわからないが、今の自分にとって出来ることはそれぐらいだ。
休ませていた馬はどうやら回復したようであり、鼻を鳴らしてきた。
出発して向かう所は―――ブリューヌ南部。そこでこそ運命を変えるのだ。変えるためにも戦う―――未来の女王は、そう心に決めて馬に跨った。
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「凍漣の雪姫Ⅲ」
「ありがとう」
「何に対する礼なんだ?」
「色々よ。今食べている
大きなものはもう一つあるのだろうと考えられるリュドミラ・ルリエの言葉。
露店から離れた所にあるテーブルに掛けつつ、麦粥を食べる彼女の様子を見る。
熱いものを良く冷ましながら食べるリュドミラのそれはやはり年頃の少女にしか見えなかった。
「女性の顔をまじまじと見るのはどうかと思うわ」
「いや美味しそうに食べてくれるんで、買ってきた甲斐があったと思ってね」
取らないからゆっくり食べてくれと言うと、顔を少し赤らめつつも麦粥をスプーンで掬って食べていく。
そうして何度目かで掬った麦粥のスプーンをこちらに差し出してきた―――リュドミラがだ。
「え」
「あなたのお金で買った麦粥なんだからあなたにも食べる権利はあるはずよ。ほら『あーん』しなさい」
いきなりな行動と年頃の少女な言動に呆気に取られつつも、リュドミラも少し恥ずかしいのだろうと思いつつ早めに口を開き近づく。
(というかこれって間接的な接吻―――)
胡乱な考えに思い至った時すでに遅し、樹のスプーンごと白濁の粥を飲み干した。
「美味しい?」
「―――ああ、美味かった」
今ならば、土塊を放られても食えそうな気がする。至近に迫ったリュドミラの顔の端正さに見惚れてしまったのも一つだろう。
ティグルは通常以上の美味さをその麦粥に感じていた。そんな様子に満足したのかリュドミラは語りだす。
「こうして知らぬ街を見て回るのも良いわね。少しだけオルガの気持ちが分かった気がするわ」
意外な人物の名前が出てきて、少し驚くがお互いに何度かの「咀嚼」を終えてから、皿とスプーンを店主に返そうとするリュドミラの立ち上がりに同じく対応する。
「ご馳走様。美味しかったわ―――チーズを入れてリゾット形式にするともっと美味しくなるかもしれない」
「仰るとおり。しかしこの辺りに良質なチーズを提供できるブリューヌ貴族がいないもので……」
リュドミラは店主に気軽な提案をすると、店主もそれは考えていたらしく肩を竦めつつ返した。
「春先には良いものが入ってくるわ」
その言葉の意味は分かる。つまりはまぁそういう事だ。
ちょっとしたお礼を受け取ってからロドニークの町の主要産業―――大浴場に行くことにした。
「行きましょうティグルヴルムド卿」
「ティグルでいいよ。呼びにくいだろうし」
「まだあなたの格を私は定めてはいないわ。だから節度を守らせてもらう」
手強いな。と思いつつも姫君のエスコートをしていく。
だが、陰謀とかそういう生臭いもの関係なく、この少女と一緒にいることが悪くないと思う自分がいることにティグルは―――戦姫の色子リョウ・サカガミに感化されすぎだろうかと真剣に悩んでしまった。
† † † † †
「待てと言っていたはずだが……何故動いた?」
「も、申し訳ありません! サラ様が一度だけ自由騎士を地に伏せさせたということを聞いていたので、功を焦りました!!」
森の中で待てと言ったにも関わらず、その命令を無視して戦いに赴いた愚か者の生き残りを睥睨して言うサラの形相は命令を忠実に実行した連中をも戦かせていた。
しかし、戦姫が三人に自由騎士一人に弓持ち一人……恐らく最後の弓持ちが件の「伯爵」だろうが。
問題は『誰』がザイアンを『殺した』か、だ。
それに辿り着いたとしても、どうやって殺すかだ。正直、戦姫が三人もいるなど予想外だ。戦力の厚みが違いすぎる。
「連中はロドニークに逗留しているのは確かだな?」
「も、もちろんです!
「分かった。ならばロドニークからライトメリッツに戻る街道で仕掛ける。木々の枝の如く、森に住まう獣の如く襲撃まで気配を殺す」
その言葉を受けて、生き残った暗殺者集団は今度こそ失敗など出来ないと感じた。そして散らばる。ロドニークの近くの森から最適な襲撃場所へと「鎖の蜂」は向かう。
そうしつつ、合流までに時間がかかったものの、上手くいったこともある。
『剣士には暗殺者、戦姫には戦姫をぶつける』
大旦那の言葉を脳内で再生させつつ、戦姫に戦姫をぶつける手筈は整った。あの別荘とロドニークでどれだけ懇々と論を説いたとしても、『彼女』は確実に自分達の思う通りに動く。
いや動かなければならない。動かなければ喪われるものがあるはずなのだから。
「情というものは時に力にもなりえるが―――時に、弱点にもなりえる」
冷たい言葉を吐きながら、情を捨て去った女忍は決戦の時を待つことにした。その行動理由が―――『情』によるものだという矛盾を抱えたままに――――
† † † † †
「やれやれ、こんなに立派ならばオルガ達も連れてくるんだったかもな」
「今のアルサスからの山道だとヴォージュの行きと帰りでチャラになりそうだけどな」
汗を流したはいいがまたもや汗を掻く結果になってしまえば意味は無さそうだ。もっとも湯治の主目的は故郷と同じで療養目的だが。
そして―――三つある大浴場がちゃんと区切られていることに安堵する。レグニーツァのようなことにはなりそうにない。
安堵もそこそこに旅館に泊まれるかどうかを確認する。部屋数をどうするかという段で―――。
「エレン。僕がリョウと同部屋になるから、後の二部屋は君らで決めなよ」
「いや待て!! 何でそうなる!? とりあえず私とサーシャで一部屋、ティグル一部屋、リュドミラと色魔で一部屋でいいだろう!」
「普通に考えて俺とリョウが同部屋。女子は……まぁ部屋割りは任せるけど二部屋取ればいいんじゃないかな?」
私欲満々なサーシャの提案。
それを閃光のような言で封じ込めたエレオノーラ、それに対して男同士で楽にしようぜ提案をするティグル。
まともな提案はティグルだろう。一応、義兄と慕ってくる女の子がいるので、そういった『豊かな場面』は見せたくない。
多数決及び人間関係を重要にした結果、変則的ながらもティグル案が採用されることになった。
「一人で大丈夫かい?」
「問題ないわ。自分のことは自分で出来るわよ」
サーシャの気遣いはそういうことではないのだが、とりあえず彼女のプライドを気遣ってそれ以上はサーシャもいわなかった。
そうして三部屋取り、男二人でとりあえずリラックスする風になれたのは幸いだったのかもしれない。
「しかしまぁエレンとリュドミラの仲の悪さはとんでもないな」
「王宮にも伝わっているよ。あの二人の犬猿っぷりはな。触らぬ神に祟りなしとばかりに皆諦めている」
事実、仲裁することはあれども改善させようという気はサーシャにもソフィーにもない。
こういうのは当事者間で行うことでもあるからだが、まぁこれ以上は憶測である。
「襲撃は―――テナルディエ公爵の手のものと考えていいのか?」
寝台二つの内の一つに己の荷物を置きながらティグルはそう聞いてきた。
推測を交えながらも、それで間違いないとする。敵と同じような装備、同じような戦い方の人間が公爵の家にいたことを伝える。
「だが戦姫相手には不十分だ。如何に妖術、呪術にも精通しているシノビだとしても……奇襲で先手こそ取れても勝てはしない」
問題はないはずだとして、ティグルを安心させる。問題は、どうしてここが分かったかである。
「―――リュドミラが尾けられた可能性は?」
「有り得る。俺が襲撃されたのも彼女の屋敷から出た後だったからな……まぁ間者なんてどこに紛れているか分からんよ」
街の大小に関わらず、居るところには居るのだ。それが分かるかどうかは勘でしかない。
もっともティグルの領地にそんな奴はいないだろう。セレスタの街の住人の結束は強く余所者を独特の嗅覚で見つけ出して、報告するぐらいは出来るはず。
今から放ったとしても、ろくな活動は出来ないだろう。
「んじゃ早速、風呂に行って『モノ』の大きさ勝負でもするか?」
「何でだよ!? というかリョウ、お前そんなことするの!?」
「ジスタートに来てからは殆ど女の子としか主要な関わりなかったからな。こういう明け透けなことが出来る男友達が出来て嬉しいよ」
「そんなことで嬉しがられても……」
おどけるようなこちらの言葉に驚き苦笑するティグルだが、アスヴァールではそんなことばかりであった。
男として絶対に持っている「剣」がどれだけの「業物」であるかを示すは男子の沽券の一つだ。
単純に―――男同士でバカをしたいというだけだが……武士というよりも貴族なティグルは乗り気ではないのかもしれない。
「気が向いたらというか、本当に男だけの時にしよう。流石に女の子と一緒の宿泊でそれは拙いと思う」
「……言われてみると似たような経験がある……」
アスヴァールでのことを思い出して自戒する。ただあの姫君はそういったことに興味津々すぎて逆に引いてしまった。
「そして俺は、リムに全裸を見られたことがある」
「んなことがあったのかよ……」
どういう状況でそうなったのかは不明だが、顔を真っ赤にしているティグルを見るに、かなり「良い思い出」のようだ。
にやけてなければ真逆の感想だっはず。
「それじゃ俺は先に風呂頂いとくよ。ちゃんと窓は開けて匂いが篭らないようにしておいてくれ」
「おい待て。別に一人になったからとそんなことするわけないだろ」
「溜め込まない内に吐き出しとけ。魅力的過ぎる女性三人ともう少し一緒にいるんだからさ」
こちらの笑いながらの言葉に不貞腐れるように『弓の手入れをしている』と応えたティグル。からかいすぎたかと思うも、時折、顔を真っ赤にしてにやけたりするのを見ると、「発散」はするだろうと確信出来た。
バートランさん達、セレスタ住人の切なる願いという『依頼』。
ティグルが勢い余ってエレオノーラと『にゃんにゃん』という状況は回避できたはずである。として部屋を本当に出て湯治場へ向かうことにした。
―――もっとも、そんなやり取りの最中に黒弓が「歓喜で震える」ように見えたのが、幸か不幸か自分だけであったのは秘密である。
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「鬼剣の王Ⅴ」
温泉と言うのは本当にいいものだ。越後の竜と甲斐の獅子が愛するのも分かるほどに己の体の疲れが取れていくかのように感じる。
だが今後のことを考えれば休んでもいられない。
なんせ『魔王』が来る。きっと来る。あいつが来ると『勝ちの目』ばかり拾う羽目になりそうだと、少しばかり苦悩していたのだが……。
「むつかしい顔してどうしたの?」
「いや、その疑問に答える前に、何でここにいるの?」
湯船の中に身を沈めていた自分の横に現れたのは、桃色のバスタオルで起伏に富んだ身を包んだ黒髪の女性。となりのサーシャちゃんといった感じに現れた姿に驚く。
「色々と疲れただろうから背中流してあげようと思って」
他の客が居ないとはいえ、もしも誰かが来たらばどうするんだといった感じで、頭を抱えるも、その場合の対策はあるようだ。
「君と初めて会った時の事を忘れちゃったの? 僕は結構頑張ったんだけど」
「ああ。その手があったか。けれどそんなことに使われてバルグレンは不満じゃないのか?」
思い出してから問い掛けると、手桶に入れられた短剣二振りが、それぞれの炎を横に振ることで否定の意を示したように見えた。
せめてそこは不満に思って欲しかったのだが、どうやらこの双剣は予想以上にサーシャに懐いているようだ。
そうしてから、しっとりと濡れて切り揃えられた髪を掻きあげると同時に見えるうなじの艶を見ていけない想いを抱いてしまいそうになる。
「僕と一緒の部屋に泊まれなくて少し後悔している?」
「一応、正式な外交の場なんだからそういう男女のあれこれってどうかと思う……私人としては凄く後悔している」
本音を最後に付け足すと、微笑を零す美女がそこにあった。
「今度二人っきりで来よう。もしくはヤーファの温泉に連れて行ってくれると嬉しいな」
「ああ、けど基本的にヤーファの温泉は男女混浴だから……まぁいつか貸切で使うか」
目聡く、心に聡くそんなことを言ってきたサーシャ。こうしてやってきた理由がそれだけだとは思えないのだが、果たして何だろうかと思う。
「まぁ、風呂から出てからでも良かったけれども……こうして君に寄り添いたかったから」
「―――」
本当に後悔の連続ではある。
艶っぽくしなだれかかってくるサーシャの柔らかさに理性を崩されそうになりながらも抑えておかなければならない。
あれだけティグルにあれこれ言っていたというのに本末転倒も同然に自分がこれでは示しが着かない―――などと焔の姫との混浴状態でのぼせそうになっている最中に、戦姫専用の大浴場では、氷の戦姫がティグルと一緒にのぼせそうになっていたことなど知る由もなかった。
† † † † †
思い出すに、どうにも熱くなるもの。それは先程、部屋にいた時にやってきた風の姫であった。
濡れて透けたローブで、「戦姫専用の浴場」を使えと言って来たエレン。自分の「剣」に自信が無かったが故にリョウの誘いを断ったが、誰にも見られない浴場ならば大丈夫だろうと感じる。
(まぁ自分が男子の標準なのかどうかすら分からないしな……)
実際、ライトメリッツでの虜囚の日々の中でも水浴びは隠れてやるしかなかったことも多かった。
それは、そこまで開けっぴろげになれなかったのも一つだが、自分が標準以下であったらどうしようかという恐怖でもあった。
つくづく、自分の交友関係が狭いことを呪った時だ。しかしながらエレンの提案はある意味では渡りに船。リョウに「失望」「落胆」されたりするよりはいいだろう。
そんな考えで濡れて透けたローブのエレンを頭から追い出そうとしていたのだが、どうにもやはり落ち着かないのは……。
(リョウが変な事を言うからだ)
自分とて健全な男子。ここまで魅力的な女の子に囲まれて、弱小貴族だからと高嶺の花として世俗を捨て切れてもいない。
されど貴族としての礼節でそんなことも出来なかった。
結局の所、今までの自分は、同年代の「馬鹿」をやれる友人がいなくて、枯れた「フリ」をしていたのだろう。
苦笑をする。そんな目で自由騎士を見るやつなどそうそういないのではないかと思って少しの優越感を感じたからだ。
とにもかくにも湯浴みをしようと思う。
そうして言われた戦姫専用の湯治場というのは、その人間しか使っていないというのに、立派にしてあった。
あの焼けつくされた別荘といい、経済規模が違いすぎる。吝嗇が、ある意味上流階級の勤めというのも分かる気がした。
こういった「無駄」を出すことでも下の経済を回しているということなのだろう。脱衣場で服を脱ぎながら、正直今からでも男湯に向かうべきなのではと考えつつも、エレンの厚意を無駄にも出来ないな。と考え直す。
籐で編まれた籠に衣服を放り込んで、湯籠を持ち立派な造り―――贅を凝らしつつも、様々な調度「バーニクの像」「黒竜の壁画」などが配された浴場だ。
もうもうと立ち込める湯気の向こうに湯船があるだろうとして、入ろうとした瞬間に――――。
「戻ってきたの、サーシャ? あなたと義兄様の仲は知っているけれど……も、もうちょっと節度を弁えた方がいいと思うわ。そ、そりゃあ、私のお母様とお父様も一緒の風呂―――――」
どもりどもりの言葉が途切れる。色々と衝撃的な事を吐き出した彼女だが、現れたのが見知った戦姫ではなく、最近知り合った男子となれば、言葉を途切らせて固まるも当然か。
彼女のアイスブルーの髪と相まって、暖かさ云々よりも氷雪の精霊。リョウの国で言う所の「雪女」を想像させた。
湯船には先客がいた。裸身を晒すオルミュッツの戦姫「リュドミラ=ルリエ」が、そこにいた。
「……冷えるわよ。さっさと入ったら」
「いやいや、えーと、お、男湯『今の話を聞いて、出歯亀しにいくとは随分とスケベね』……どうすりゃいいんだ」
「いいから入りなさい。どうせエレオノーラ辺りから使っていいとか言われたんでしょ。もう少ししたら私も上がるから」
絶望しきったティグルとは対称的にリュドミラは肝が太いのか、それとも自分など男として見られていないのか、湯浴みを推奨してきた。……とりあえず今、男湯に行ったらば色々と『あれ』な場面に出くわすのは間違いない。
よってティグルの選択肢は一つでしかなかった。掛け湯をして腰にタオルを巻いてから、湯船に入る。
静寂の中で自分が入った時の音が奇妙なほど大きく響いたように思う。
如何せん、そんな風な状況だというのに温泉に入った瞬間に身体が緩むのを抑え切れない。リョウの国でも温泉は療養のために使われているそうだが、その理由が分かる。
魅力的過ぎる心地よさだ。
「随分と疲れていたみたいね」
「んっ、まぁ何というかディナントから始まって、どうにも血腥いことが多すぎたからな」
伸びをした自分の弛緩した様子に感想を述べたリュドミラ。
捕虜としてライトメリッツにいた時にも、何とか脱走出来ないかと色々とやってきたことを考えれば、あれ以来、自分の日常は戦いの日々に変わってしまった気がする。
そう考えれば運命とはどうなるか分からぬものだ。
「ただ、それでも本当に絶望した時は無かったかな……何とかなるだろうと考えていた」
「暢気ね」
「言われれば否定しようがない。ああ、けれども身代金の額には絶望したかな」
あれは衝撃的だった。戦の神を呪いたくなるほどの衝撃だったのだ。幸いにもその後は自分には軍神のような人間ばかり集まってくれたので、やはり諦めぬものに神の加護はあるのかもしれない。
「少しだけ感謝しているわ……義兄様の主が、義兄様の剣を汚いことに使わない人間で」
「加えて、自分の仲を取り持ってくれてって、ところかな?」
「寂しかったわ。これから私と敵対することも辞さないなんて言われて……」
「それに関してはすまないと思っている。ただあいつは……真の武士だから節度を守りたかっただけなんだ。それは理解してやってくれ」
自分の戦いに着いて来る。それはつまりリョウ・サカガミが今までこの西方で培ってきた縁を断つ行為にも直結していた。
身じろぎして湯船の中で姿勢を正しつつ、口を開く。
「あいつが、君や君の親しい人間などとの縁を切ってまで、俺に味方してくれている以上、俺はあいつに報いたい―――リョウが求めていることをかならず成し遂げたいんだ」
「……意思だけではその道は途切れるわよ。多くの味方を作りなさい。公爵の逆道で以ってブリューヌに仁と礼を取り戻す。その意思で戦うことが一先ずは義兄様の求めよ」
「助言ありがとう。リュドミラ」
結局の所、まだ分からないことだらけではあるが、それでも……戦うと決めた。その決意に揺るぎは無いのだから。
顔をリュドミラの方に向ける。ピンク色のバスタオルで包まれて、とりあえずまじまじと見ることはせずとも、礼自体は彼女の方を見ながら言わなければ失礼に当たる。
「……ある意味、あなたが私から義兄様を奪っていきながらも、その仲を取り持ってくれたわ。だから―――お礼に後で紅茶(チャイ)をご馳走してあげる」
「リョウから聞いている。リュドミラは「可愛い茶娘」だから、仲良くしてやってくれって」
「!!!……訂正するわティグルヴルムド卿。あなたと義兄様は似たものどうしだわ……」
会話の前半は、笑顔であったのだが、会話の後半になってからは、少しのふくれっ面を見せるリュドミラ。
湯に顔を半分沈ませて泡をあげる少女らしい仕草を行う姿が、可愛らしく思えた。
茶娘という言葉が気に障ったのだろうか、と思いつつも湯に当たり過ぎたのか顔を紅くしているので、そろそろどちらかが上がったほうがいいだろうと感じる。
感じていた時に――――、「脱衣場」の方から変化が―――発生しつつあった。
† † † † †
おかしい。おかしすぎる。あれから何分経った。ティグルをからかってから、何分たったんだ。
濡れた浴衣から楽な客服に着替えて、結構な時間が経った。最初は戦姫三人で入っていた浴場。そこにてリュドミラの胸の「慎ましさ」をあれこれやっていたのだが、やりすぎてサーシャに怒られて、そのまま湯船から揚がってティグルをからかうという方向にシフトした。
一応、悪戯気分でティグルと二人が鉢合わせするようにしたのだが……、幾らなんでも遅すぎる。
サーシャはともかくとして、リュドミラは怒って自分を怒鳴りつけてきそうなものだが……天啓が降りる。
まるで砕かれた時計塔を見て相手の能力を察したようにエレンに最悪のシナリオが降りてきたのだ。
「落ち着け……落ち着いて考えるんだ。私の辞書にパニックという言葉は無い……! そうだ! たしかルーリックも前にこんなことを言っていた……!」
―――そういう時は、そうですな。無理に引き剥がそうとするから必死に抵抗されるのです。逆に―――あげてしまってもいいやと考えるのです。―――
女性関係が色々とあれなルーリックの人生体験談の教訓を思い出して、エレンは……絶え間なき波紋が発生する如き心を静めるべく―――考えることは無理だった。
「ティ、ティグルは私のものだーーー!!! 例え親友であろうと、ましてや不倶戴天の敵などにくれてやるものかーーー!!!」
立ち上がり、脇に置いてあったアリファールを手に取り向かうは、脱衣場。
廊下に出て脱衣場への道をとる。周りの客の大半は先程の戦姫であると気付いたようだが、その視線に構うことなくエレンは大股で歩いていき、目的地に辿り着いた。
そして其処にてとんでもないものを見てしまったのだった……。
そうして……一刻ほど経ったころには、戦姫専用の大浴場には砕かれた氷と砕かれた調度などが散乱することになった。
「成程、『私は人間をやめるぞ!!ティグルーー!!』と言わんばかりに襲撃してきたエレオノーラによって、あの惨状に成り果てたと……」
「今回ばかりは弁解の余地が無いし、二人を止めてくれたアレクサンドラとリョウには感謝している。で、エレンは?」
「サーシャが正座させて、お説教しているよ」
そんな騒動が起こったのを収束させた後には全員お互いの部屋に戻ることになった。不幸中の幸いというか深刻な怪我などは起こらなかったが、湯冷めする可能性を考えて二人にはそれぞれの湯で暖まるように言った。
その間に、エレオノーラをサーシャと二人でしょっ引いた後に、暖衣を用意させたので今のティグルの格好は浴衣のような薄着ではない。
換えの下着なども多めに用意したのだが、まぁ二人とも相応に鍛えているしミラはラヴィアスの効果であんまり寒さというものを感じない。
要らぬ心配ではあろうが、総大将に風邪引かせるわけにもいかず一応そうしておいた。
「しかしまぁミラと裸の付き合いするなんてやるじゃないか、戦姫の色子の襲名も間近かな?」
「そんな屋号にもならんものを頂きたくないな……第一、隣の浴場にも戦姫はいたわけだし。暫くはその称号はお前のものだリョウ」
皮肉を言い合うと同時に、テーブルの対面で「歩」を動かしたティグルに対して、「香車」を指す。
温泉の後に、飯を食べるは少しばかり騒動が大きくなりすぎてさりとてやること無くて暇だというティグルの為に郷里での「遊戯」を教えることにした。
別に『チェス』もティナの相手で知らないわけではないが、ヤーファの盤上遊戯が知りたいというティグルの要望に付き合う形で、『将棋』を指すことに。
「にしてもこの将棋ってのは、思考が複雑になるゲームだな……」
「チェスと違う最大の点は……奪った駒を自分のものに出来るという点にある。まぁ現実には、奪った「兵」を完全に自分達のものに出来るとも限らないがな」
「桂馬」を中央にまで進めてきたティグルに対して、「飛車」を「王」の前に置くことで、威圧する。
現在の所、盤上は整然と動いている。ティグルも自分も乱戦というものをあまり好まない。
動くべきときにはプレデトリー(猛獣的)に噛み付きにかかるが、それまで整然と動く。
取りあえずどうやって駒を動かすかを知ることであり、負けてもそこから何を得るかが将棋の肝だと伝える。
よって――――、
「四十七手で詰だ」
「結局、リョウの陣地に入城することすら叶わないのかよ……、しかも全ての駒が成ってないなんて」
頭を抱えて落ち込むティグルに苦笑してしまう。事実入城したこちらの駒を成らせることをしなかった。
そしてティグルには『そちらが入城すれば成りの『動かし方』を教えてやる』と言っておいたのだ。
「落ち込むことは無いぞ。最初は飛車角金落ちでやってやろうと思っていたぐらいだ」
初心者教習というわけではないが、実際ティグルの読みは鋭くて、こちらとしても全駒動員しなければならなかった。
流石に超一流の「弓士」ともなると、その読みは『ずば抜けている』。
「まずは一手ずつ、俺の陣地で駒がどう変化するか知ることだよ」
「長い道のりだな……しかし、この『角』っていう駒は気に入ったよ。何ていうか……うん気に入った」
幼い感想ではあるが、それでも言わんとすることは分かる。そして彼が気に入った理由も何となく分かった。
結局、ティグルが武人として動く時にその役目と言うのは敵を真正面から断ち切ることではなくて斜めから切り込んで寸断することにあるからだ。
だからこそ角というのに惹かれるのだろう。
そして、角が成ることでどういう『役目』になるかを知るリョウとしては、それを伝えられる日が来る時には、きっとティグルがどう呼ばれているかが、何となく分かる気がした。
そんなリョウの勝手な評価に構わずティグルは「飛車」はリョウに似ていると感想を内心で漏らしていた。
† † † † †
ブリューヌ領地マルセイユ。その領地の中でも港町として栄える『マッサリア』は、その日―――歴史を転換させられた。
始まりは港町へと入る前の『野』に多くの野犬、野狼が跋扈している所からであった。野に蔓延るそれらは気味が悪く明らかに人間に敵対的であった所から、すぐさま領主であるピエール・マルセイユ公爵に伝えられた。
若き日には王国の先槍『武のピエール』と呼ばれて、ボードワンと対比させられることありし老いてなお精強な武人貴族であった。
ピエールには一人の息子と一人の孫が居り、二人ともがピエールと同じぐらいに武人として優秀で、その野犬殺しに同行させることにした。
とはいえ野に跋扈する害獣などに武人を動員するなどとんでもないというのが普通の感覚、せいぜい狩人を向かわせるのが普通なのだが……ピエールは報告が上がった時から嫌なものを感じていた。
この害獣達は恐らく―――自然のものではないだろうと……。足跡はテナルディエのネメタクムから続いていたのだから……。
「弩、及び―――場合によっては火砲も使うだろうな。弓兵部隊、期待しておるぞ」
「はっ、領主様のご期待に応えたく存じます」
老公マルセイユはブリューヌ貴族でありながら、伝統というものに拘らぬ人間であった。
彼の戦いの部隊が平原よりも海、河と水軍を率いることが多かったからだ。更に言えば貿易の要衝であり、様々な文化の交流地点でもあるのだから、そんなことに拘って命を落とす方が馬鹿らしい。
そういった考えの戦士ばかりであるから、戦となれば本当に強力であった。
館にて、息子と孫の出陣準備が整うのを待っていた老公にとって気がかりなのは王宮のことである。
ディナントはマルセイユにとって遠すぎた。それゆえ出陣見合わせを願ったのが後悔の始まりだ。
『王女殿下が殺された』
その事実が深く胸にしこりとなって残っていた。
『レギン』を殺されて塞ぎこんだ国王、両公爵の覇権争い、自由騎士の来訪と言い、このブリューヌに―――何かよからぬ気配が漂っている。
その良からぬ気配の一つが―――もしかしたらば自分に降りかかりつつあるのかもしれない。
ただのテナルディエ公爵の脅しではない何か―――。それを考えて、13歳になった孫である「ハンス」に一つの言伝を残した。
「―――何を弱気になっているんですかおじい様。ただの害獣狩りではありませんか……」
「そうですよ父さん。たとえここに来るのが奸賊テナルディエであったとしても我々は討ち取るだけの力はあるはずです」
孫が嘆くように、子が窘めるように言ってきたが、それを介さずにピエールは絶対にそれらを『万が一』の時には実行しろと伝えた。
自分の気迫に押されたのか、二人はそれを了承した。
とはいえ、それが杞憂に終われば、それで良い。そうであったならば威圧したことを謝る形で、ムオジネル料理の一つをご馳走するのも一つだろう。
もしそうでなければ―――レギンに野鳥を食べさせたあの若者の所に孫を行かせるだけだ。
そうして――――一世の英雄ピエール・マルセイユ老は、闇の如く塗りつぶされた「黒の軍団」によって敗死することとなった。
その凄まじい死に様は後世に語り継がれるものであり、同時にブリューヌに現れた『怪異』のおぞましさをも強調するしていく。
タッチの差で難を免れつつも、頼れるものがまた一つ喪われたことを嘆く王女の姿が破壊され焼き尽くされたマッサリアの港にあった。
「酷い有様ですね……住民の方々は?」
「縁故を頼ったり近隣の港湾都市に逃げ込んだそうです。それらを「手厚く」テナルディエ傘下の貴族たちは養っているそうですが……」
隣に居たジャンヌの声が苦痛に響く。
これによって、南部は全てテナルディエ公爵のものとなってしまったようなものだ。
住民達がマッサリアに戻ってくるには、テナルディエの影響を消すしかない。その道のりは容易いものではないだろう。
しかしわからぬのは……誰がこの『襲撃』を行ったかだ……。
状況から考えてもテナルディエの手のものがやったに違いないのだが、襲ってきた敵には―――殆ど「人間」はいなかったとのことだ。
唯一と言ってもいいのは、マルセイユ老が最後に戦いを挑んだ『人間』。黒い衣装で己を包み込んだ剣士。
周りを敵だらけの中、総指揮官とでも言うべきものに挑みかかったマルセイユは全身から血を出しながらも一矢―――報いることも出来ずに殺されたそうだ。
(……私に……もっと力があれば、私が死んでないと喧伝出来ていれば……ピエールお祖父さんが死ぬことも無かったというのに……)
勢力図のあれこれよりも親しい人間が死んでしまったことにとても、嘆き悲しみが発生する。
だが絶対に負けない。例え、どんなに絶望的な状況ばかりになっても、自分を生かすために死んでしまった者たちに報いるためにも、戦わなければならない。
立ち止まることは―――許されないのだから―――。
「それでヨハン卿とハンスは?」
「ヨハン様は、既にドンレミ近くまでやってきています。協力を申し出ればいいですよ。ただ……ハンスは分かりませんね」
生きてはいるでしょうが、と言うジャンヌの表情はあまりよろしくない。
まぁ『オバちゃん』などと言われて良い感情を持っていけるわけがないだろうが、それとてまだ7.8歳の頃の話だろうに……。
とはいえ、あの二人の武者達を仲間に引き入れること出来れば、これからかなり楽になる。
だが……それでも不安は尽きないのだ。
「敵の正体が掴めないのが……少しばかり怖いですね」
「―――黒い獣の軍勢―――」
焼き尽くされて黒く朽ち果てた木材と石壁の中に、恐らくその獣の色が混ざっているだろう。
嫌な予感を感じながらも――――レギンとジャンヌは、ドンレミに戻ることにした。
その帰り道に草木は無くただ朽ち果てて黒く塗りつくされた大地が、行きと同じく広がっていた――――。
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『復讐の闘争』
ロドニークでの滞在は色々ありながらも、それなりに心地よいものであったように感じる。
この後、エレンはライトメリッツで兵を組織して、アルサスへと出発させる予定。サーシャは取りあえず領地での諸々が終わると同時に、支援を約束してくれた。
「それじゃ僕はこの辺で、四人とも―――気を付けるんだよ」
それぞれの領地へ至るための街道の分かれ道。そこで焔の戦姫と分かれることになった。
色々と理由はあるのだが、ロドニークの街にレグニーツァの使者達がやってきていたことが、彼女にこれ以上の同行を許さなかった。
数十人でのそれを前に、どうしたのかと思っていたのだが……どうやら彼女は無断で公宮を抜け出したらしく、それを連れ戻すためにこれだけの兵士・騎士達がやってきたのだと思い知らされた。
レグニーツァ方面の開けた街道―――そこへ向かうサーシャを見送りつつ、自分達は少しばかり脇にて草木が生い茂り遮蔽物多い街道を進む。
ライトメリッツ及びオルミュッツ方面への街道。何気ない調子を装いつつ、エレオノーラとミラがきゃんきゃん言うのを見ながら、それが来るのを平然と待ち構えていた。
腰には鬼哭とアメノムラクモ、千鳥は―――取り回しが悪いので仕舞っておいたが……もしかしたら自分が『臨戦態勢』を取っているのを見て警戒しているのかもしれない。
しまったな。と感じるたのも束の間―――太陽が隠れたかのように陰が上空から差してきた。
(あっちも痺れを切らせたな……)
陰―――上空を飛んだ黒ずくめは囮。それに気を取られた隙に―――森の中、街道の両側から放たれる投擲暗器。
剣と刀、縦横無尽に振るわれるそれで撃ち落される暗器。
両側からの投擲をやり過ごしつつ、エレオノーラの後ろに陣取って弓弦を引き、エレオノーラの脇から森に通される矢。
返礼のように返された矢で悲鳴が聞こえる。そうして矢筒からもう一本を引き抜き、引き絞り放たれる銀の矢。
刀を振るう自分の顔の横を通った矢が、やはり悲鳴を森の中から挙げさせた。
「見事」
「……『見えてるの』?」
上方に氷の壁を作り上げていたリュドミラの驚愕の声が賞賛の声を上げたリョウの声と重なった。
その一言には、『森の中の下手人』と『二人の超戦士』の『動き』が見えているのかというのが含まれている。
それに対してティグルは何も言わないが一瞬だけ、弓持つ手の親指を立ててミラへの返事としたのを見た。
「行くぞ!」
エレオノーラの短い言葉で、前方へと馬を翻す。暗殺者に対して待ちを行うなど愚の骨頂。
釣り上げた上で叩ききる。そういうことだ。と全員が判断できた。
最前を走るはエレオノーラ。そこから少し遅れて両脇にミラとティグル―――殿は当然。俺である。
後ろを見ながら、鬼哭を納めてからアメノムラクモを握る。
使う勾玉は、光である。刀身が黄金色に光り輝くのを見ながら、後ろに向けて一振りする。
すると自分達の頭の上を飛び越える形で、五人の暗殺者達が現れる。それぞれの得物を手に、人が対処しにくい頭上からの襲撃。
タイミングも完璧の一言。正しく殺しのわざとしては一流。
しかし――――――。
瞠目する暗殺者にティグルの矢が飛び込む、が―――。
バルナグとジャマダハルが輝き、矢を斬り飛ばした。
「!!」
気功、妖術の一種だと気付けたのも束の間。『幻』を貫き、矢を弾いた暗殺者に追撃を掛ける。
「
馬から飛び立ち自分を追い抜いて暗殺者に負けぬほどの跳躍力で暗殺者に斬りかかるエレオノーラ。体勢を立て直して、待ち構える暗殺者だが、如何に強化された剣とはいえ―――。
砕け散るバルナグとジャマダハル。鎧袖一触の言葉の通りに風の戦姫の斬撃は二人の暗殺者を断ち切っていた。
「成程―――、やはり一筋縄ではいかないな」
5アルシン程度の距離を取り、こちらに姿を現した暗殺者集団。一人には見覚えがありすぎた。
総勢七人の暗殺者。統率者としているのは……忍装束の女である。
「甲賀ものが、何ゆえテナルディエ公爵に味方するかね」
「依頼を明かす忍はいない。だが……これは依頼ではないのでな。私怨で以って私はここにいる」
馬を下りて自分とエレオノーラの近くまでやってきたミラとティグル。
ここで決着となるはず。しかし……これで終わらぬものも感じている。
「私怨と言ったな。何ゆえの怨みで俺たちを狙う」
ティグルの言葉。それに対して、黒ずくめの女―――あの時の金髪の忍者が頭巾を捨てながら言い放つ。
「この中に、ザイアン・テナルディエを殺した人間はいるか?」
短いが、先程までの声とは違いどこかに「怒り」を感じる。その声を聞きながら―――、この怒りがティグルに向けられるのは不味いと思い、名乗り出ようとした瞬間に―――。
「―――俺だ。俺がザイアンを殺した。恨みをぶつけるべきは戦姫エレンでもなく、自由騎士リョウでもない―――俺に恨みをぶつけろ」
馬鹿っ。と罵ろうと目を向けることを許されなかった。前にいる忍者からの圧が増す。
「魔体と化したザイアン様を貴様が……どういう手品かは分からぬが、どちらにせよ気様らは全員ここで殺す」
ならさっきの問答なんて意味無かったじゃないか。という文句を言う暇も無く再びの戦闘となる。
「ふん。暗殺者風情が戦姫の前に出てきたことをあの世で後悔しろ!」
「お前、それ悪役の言うセリフだぞ。まぁ正義を気取る気も無いけれど」
エレオノーラと同時に飛び掛る。忍の後ろにいた連中は散って―――「印」を斬っている。
あれは―――、服部の『忍将』が使っていた妖術にして「忍術」―――。
火球が飛び大地が隆起し、風がこちらにたたらを踏ませた時に、直線の雷が飛ぶ。
「妖術!? アリファール!!」
「祖は解、世界の律崩せし音の唱和、十重、二十重に響き、無人の野に吹き荒べ!」
エレオノーラも百戦錬磨の戦士、目の前の現象への疑問を捨てて、それに対処する。
風が吹き荒び火遁の乱打が止まり、岩礫が砂礫となって大地に還った。敵の風と雷は、こちらの御稜威に勢いを殺され、こちらに届く前に霧消した。
だが、それは囮であり本命は正面に居た女忍の攻撃であった。
逆手に持った両手の忍刀で獣の如く斬りかかってくる。
捌くたびに金属音が何度も響き、少しばかり難儀する剣戟だ。サーシャほど圧倒的な読みがあるわけではない。
しかし、四肢全てに「気息」を充溢させた剣戟は、必定こちらの膂力の予想を超える。
「くっ……何合も打ち合っているのに―――武器が砕けない。どういう手品だ」
「簡単に説明すれば、武器そのものを強化させている。見えぬ砕けぬ「力場」みたいなものが付与されていると思え」
剣戟を一度終えてエレオノーラと共に離れて答える。忍の秘術としては珍しくは無い。だが、それでもここまで取れないとは……。
『ハンゾー』のような熟達した忍でもなければ、ここまで戦場で持つはずは無い。
「お前も似たことが出来るのか?」
「生憎、ああいったことが出来れば「コイツ」はいらなかったな」
持っているアメノムラクモを掲げながらエレオノーラに言う。
自分の場合、己の「妖力」「霊力」を肉体強化のみに使っている。器用貧乏というか身体が「外」向きになっていなかったのだろう。
そんな自分の思考を切り裂くように―――手裏剣が「乱」で飛んできた。
同時に、忍術による攻撃が自分達を襲う。手裏剣の方向は―――自分達の後方。つまりミラとティグルのいる方向にある。
「お前が先程から後ろの二人に攻撃させていなかったのは―――――『位置』をばらさないためだな」
斬りかかってくる人間が三人―――火遁、土遁、雷遁の支援の元でやってきた一人にネタばらしされてしまった。
先程からティグルとミラを攻勢に出させなかった理由は、何のことは無い。仮にもしも何が何でもティグルを狙われたらば、守りきれなかったからだ。
無論、ティグルが弱いから言っているわけではない。投擲という分野に限って言えば、この忍の技はティグルと相性が悪すぎた。
ゆえに『光蛇剣』によってティグルの位置を目測させずにいた。ティグルとミラのいる位置は忍達からは幻惑されており―――――。
「ラヴィアス!」
しかしながら、振るった氷の槍が手裏剣を弾き飛ばすと同時に、位置が割れてしまった。
ミラの行動は正解でありながらも不都合極まりなかった。
不味い―――。扇のように手で一杯に広げた手裏剣全てがティグルとミラの位置に飛ぶ。
エレオノーラも風で吹き飛ばそうとするも、斬り合いに興じた二人の忍で拘束される。
やむを得ず無理やり身体を入れる形で、手裏剣の軌道に「割り込む」。
「疾ッ!」
気合一声。襲い掛かる投擲武器を、全て撃ち落そうとする。
しかし無理な体勢と無理な動きから、落とし損ねた二枚のクナイ手裏剣がティグルに飛ぶ。
ミラもまた奇襲の形で、街道の脇から出てきた暗殺者に気を取られている。
躱せば、その隙を突いて女忍は一も二もなく飛び掛る体勢だ。食い止めるには―――。
(前に出るしかない!!)
ティグルの内心の叫びが聞こえたかのようで、そのままティグルは『ジョワイユーズ』を引き抜きクナイの間の鋼線を切り裂いた。
クナイを大きく躱さずにやり過ごす形でいたならば、その鋼線が首を切り裂いていたはず。
忍の『二手』先を読んだティグルは、短剣ジョワイユーズを戻す動作と同時に背中の矢筒から一本の矢を取り出して早業一閃で弓弦に番えた。
流れるような『射』の姿勢作り。思わず見惚れてしまうほどだ。
「俺の仲間に―――これ以上、『手狭』な戦いさせられるか」
ティグルの言葉。それに答えるようにミラのラヴィアスから氷の力。自分の光蛇剣から光の力が―――ティグルの矢に纏わる。
二重螺旋として光と氷の粒が無限に回転する形で矢に付与された。そうして、力を受け取った矢が―――「上空」に向けて放たれる。
「どこを狙っている」
走りながら『印』を斬る女忍。それを食い止めんと、暗殺者を切り伏せたミラが立ちふさがる。
しかし――――上空に放たれた矢から光と氷の礫を辺り一面に撒き散らす。幻想的なダイヤモンドダストの煌きに目を奪われつつも、何が為されたのかがはっきりと分かる。
「ち、力が練れない!?」
「さ、サラ様! これは一体!?」
動揺する暗殺者達。だが、それは決定的な隙でしかない。
どうやらティグルの矢は、こちらに悪意ある「呪力」全てを遮断したうえで――――。暗殺者達の足元全てを氷で縫い付けた。
その隙を狙い、後ろにいる忍術を使う連中に斬りかかる。
「おいリョウ!?」
「そっちの「双子」は任せた!」
双子と切り結ぶエレオノーラを置き去りにする形で、後方へと跳ぶ。ティグルが「己の身は己で守る」と宣言した以上、もはや防戦ではなく、攻勢に出る。
靴を脱ぎ捨てて裸足でかかる暗殺者四名。それぞれの得物を見る余裕で動きが緩慢に思える。本来ならばその殺しの技は何者にも負けぬはずだろうが、今の自分にとっては……意味は無い。
鬼哭を抜き去り、得物を絡め取るようにして、されど武器と武器が交錯しない『すり抜けて斬る』―――「交差必殺」が四名同時に放たれて首と胴が離れる結果だけを与えた。
「っ! あとは私たちだけ……!」
「あんまりお前ぐらいの歳の女を殺したくは無いんだが、どうする?」
双子達は既に得物を喪っている。呪力を練ることももはや出来なくなり、戦姫相手に対して無力だ。
双子の絶望的な声音が切り結んでいたエレオノーラに届いた。
それを悟ったのかエレオノーラも半分ほどやる気がそがれている。
毒とて放っていたのだろうが、予備知識としてエレオノーラに教えておいたので、己の身体に粒子物質を吹き飛ばす程度の風を彼女は与えていた。
そして女忍と斬り合うリュドミラ。既に呪力を喪った刃では―――竜具には無力だ。
「くっ!」
「諦めろと言って諦めてくれれば嬉しいんだけど、今ならば不法侵入の罪も不問にしてあげるわ」
リュドミラは言いながらも女忍に対する攻撃を緩めていない。ラヴィアスの払いで弾き飛ばされた忍刀が氷付けになった。
こういう場合、一番不味いのはやけっぱちでティグル一人を狙われることだ。
その可能性を考慮しつつ……注意を全方位に向ける。一番には、ティグルに向かおうとしている『くノ一』
しかし立ちはだかるは氷雪の竜姫。その壁は透明でいかにもすり抜けられそうであるが、分厚すぎる氷の壁だ。
それでも―――やはり向かってきた。不味いと思いつつも、双子の暗殺者が立ち向かってきた。
仕方無しに峰で延髄を打とうとするが―――――――――。
双子の暗殺者は、とんでもない跳躍力を見せて自分達を飛び越えるように去っていった。
そして―――女忍もまた去っていく。
しかしティグルはそれを見逃さずに矢を引き絞って、膝を狙おうとしたが、振り返った女忍。
その顔を見た瞬間に、ティグルは一瞬止まった。その顔はこちらからも見えていた……だからこそティグルの動揺が完全に分かった。
動揺したティグルの隙を狙って去っていく三人の暗殺者。全てが終わりを告げたと分かるには、何とも後味の悪い決着である。
「どうやら、あなた……ただの「貴族」というわけではなさそうね。ティグル「さん」?」
「笑顔でそういう風に威圧するのどうかと思うよ」
いきなりな敬称に対してティグルは溜め息を突いたが、それも一瞬であり、一応の事情説明をティグル含めてする。
秘密の一つをばらすティグルに対してエレオノーラは少し不機嫌ではあった。しかしいずれは知られてしまうことであると思っていたから自分は特に何も感じなかった。
「成程、テナルディエ領で蔓延る噂の一つはあなただったのね……」
「噂?」
「地上から放たれる流星の弓撃が―――テナルディエ公爵の飛竜を撃ち落したという噂よ」
流石に自分のブリューヌ訪問の際のとき以来、ミラも公爵の土地に間者を紛れ込ませていた。
そうして集めた情報の一つを彼女は吟味していたようである。
どうやらザイアンの魔体の話は流布されてはいないようだ。しかしその噂一つだけでも、かなりのものだ。
最初は戦姫、もしくは自由騎士の仕業だと思っていたというミラの言葉にティグルは買いかぶりすぎであり、己も詳細が分かっていないと告げた。
「詳細は分からないとはいえ、とてつもない力よ。竜具が一振り増えたようなものだもの」
「リョウだってアメノムラクモを使っているんだ。それに関してのあれこれは無かったのか?」
「まぁ……その辺は人柄(周知)の差よね」
「傷ついたよ」
ぐっさりと心に矢を放たれたティグル。とはいえ、自分の場合は一応オステローデの食客であり、オニガシマの臨時騎士総監だったり、王宮特使だったり、ヤーファの大使だったりと……色々な立場に括りつけられている。
ぶっちゃけると「ティナ」という「敵」が「多すぎる」女に世話になっている限りは、そういう「野望」云々に関する目論見は微妙なのだろう。
もしくはティナに対する抑え・重石として多くの裁量権を与えてくれたということでもあるかと思う。
「何はともあれ暗殺者の脅威は去った。戦力が半減どころか壊滅みたいなものになった以上、暫くは大人しくしているんじゃない?」
「だといいがな」
嘆息すると同時にティグルは苦虫を噛み潰した顔をしている。その理由は自分にも分かった。
あの時―――逃げ去ろうとした女忍は「笑み」を浮かべたのだ。
まるで『事は成れり』とでも言わんばかりのそれが目に焼きついているのは、勝ったのはこちらだというのに、
「それじゃ、色々あったけれど本当に有意義ではあったわ。義兄様の主家も頼りになる人だって分かったもの」
「リョウは必ず帰すよ」
「あなたも―――この戦いの後に、必ずもう一度、私に会いにきなさい。お礼に紅茶ご馳走するから」
「毒を入れられるかもしれない。やめておけ」
「エレオノーラ。そういう悪罵は品性を損ねるよ」
そんな風なやり取りでリュドミラと街道にて別れた。名残惜しそうな目を「ティグル」に向けるミラを見つつ、これならば。と思っていた矢先である。
ライトメリッツに帰って来て、数日で諸々の用を済ませて遠征軍をブリューヌ駐留軍と合流させようとした二日ほど前のこと。
公宮に急報が飛び込んできた。
それはそこにいた誰もを仰天させる情報であり、どんな変節だと怒り、不安、疑義のそれを三者三様で感じながら聞くこととなる。
『公国オルミュッツ軍―――ライトメリッツ国境付近にて集結―――国境砦への攻撃姿勢を見せている』
―――そういった報告が飛び込んできたのだった。
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「乱刃の隼姫Ⅰ」
執務室は色々な空気であった。いざ鎌倉ならぬ、いざ「アルサス」などと考えていただけに、出鼻を挫かれた形である。
リョウ・サカガミはそう考えてから、エレオノーラの執務机から資料を読み上げた。
「―――三千の軍団か、さてどうする?」
「動かなければいけないだろうが……この場合の決断を下すは私でもお前でもない」
渡された資料を半ばエレンからひったくり読み上げていたリョウの視線が、エレンと同時にティグルに向けられた。
その視線の意味は分かる。つまりは、戦うかそれともさせるがままにしておくかは、自分に委ねられたのだということ。
「俺にこんな重要な決断をしろってのか?」
「重要な決断だからこそだ。私はお前に協力することを決めた時から、一種の契約を結んでいるんだ。お前が、我がライトメリッツの兵を雇ってくれている以上は、お前の判断に私の兵を任せるとな」
「それは元傭兵だからこその言葉か?」
「契約の神ラジガストにそむくわけにもいくまい。そして戦う相手はそのラジガストの契約を反故にして中立を破った女だ」
水掛け論だな。と感じつつ、とりあえず此度の外征理由を聞くために使者をオルミュッツ軍に送ることをティグルは提案した。
そうしておきながら、幾らの兵ならば動けるのかを聞く。遠征前に消耗させたくないのはお互い同じだ。
「とりあえず残していく兵…予備兵力の二千ならば、確実に動かせる」
エレンの言葉に対して、一瞬だけ考えてから、戦を避ける手段も考える。リュドミラの「変節」の原因を知るには、「間者」の報告が必要だ。
「分かった。二千の兵に戦支度をさせてくれ。それと、ここに来るまでにオルミュッツに立ち寄ったものがいて、今回の遠征に何か「裏」「オルミュッツの現状」を知っているものがいれば、何でもいいから教えるように立て札を立ててくれ」
「文言はどう書く?」
ティグルの矢継ぎ早の指示に毛筆と紙を取り出したリョウが清書する姿勢を取っていた。
それに対して頭の中で言葉を組み合わせていく、修飾語句などは任せつつ、分かりやすい文言で……頭の中で出てきた言葉を脚色しつつ、見事なジスタート文字で書かれたそれをリョウはこちらに渡してくる。
事前報酬の額が安すぎやしないかと思うが、それにリョウは付け足してきた。
「場合によっては『ガセ』ばかりが集まる可能性もある。質問は俺がぶつけるから、お前は裏づけ出来た場合の報酬を書け」
「お前ほど達筆じゃないから―――金二枚と書いてくれ」
「大盤振る舞いだな」
「金二枚で、もしかしたら二千の兵に死傷無くせるかもしれないんだ」
安いものだろう。と同意を求める。金二枚と清書した男は首肯をした。
しかし、あちらの理由次第ではどちらにせよ「ぶつかり合う」道しか残っていないのかもしれない。
そう考えて、この公国の責任者に視線を向けると、エレオノーラ・ヴィルターリアは真面目な顔で首肯一つをして、それらを承認した。
† † † †
新雪というには、まだ速すぎるものの気候の関係上、降雪が早いジスタートの一公国「オルミュッツ」を抜けてきた女は、そこが少しだけ暖かいことに気付く。
まだこの公国は「秋」の季節なんだなと考えて、深い息を吐いた。
白く日光の影響で銀色にも見えた己の息に―――痛み混じりの郷愁が混じる。
白銀という色が嫌いな訳ではない。寧ろ見るもの全てを躍らせる。それは冬が長く厳しいジスタートにとっても同じことだ。
ヒトの感性というものは、生まれた国で違うとはいえ、その色が忌避されるのは少ない。
女個人の問題である。
(そろそろ新しい外套でも新調するかな……)
郷愁を打ち払いながら、そんなことを心の中で呟いた時、ふと前方に己が歩いている街道の脇。そこに何かを刺している男の姿が見えた。
男は女と同じ黒髪。衣装もどちらかといえば自分と似たような黒系統のものだ。
何か―――立札を刺しているのだと気付きながら、その所作のぶれの無さに、目を惹かれた。
それが契機であったかのように、男―――女からすれば少年とも青年とも言える若造の目がこちらに向いた。
自分の服のけったいさと腰に差しているもの、片目を隠したその風貌は初対面の人間に、幾ばくかの不審感を与える。
しかし、そんな奴は見慣れているのか、それとも食指の一つも動かなかったのか、直ぐに作業の方に戻り、近く遠くと距離を置いて、その立札が注目されるかを確認していた。
そんな男の後ろを通る形で街道を抜けようと思い、ついでに男の努力に報いてやるかと思ってその立札を見ると……なかなかに興味深いことが書かれていた。
「ねぇ―――この金二枚って本当? 金貨二枚の間違いじゃなくて?」
「……ああ。もっともガセが集まる可能性もあるから、報酬は、裏を取って、こちらで判断してからだがな」
話しかけられることは想定していなかったような声音だが、直ぐに平静を装ってくる男。
「だとしても気前いいもんだね。ガセかもしれない情報でも、この金子なんてさ」
「人の命が失われるのに比べれば安いもんだ―――俺の雇い主の考えだが、俺も同意見なんだよ―――それで本題だが……話しかけるからには、何か知っているのか?」
空気が変わったのを感じた女は、苦笑をしつつとりあえず一つの探り針を吐いた。
「宿屋の従業員の家族、そして宿屋の主人達―――総数十人以上が人攫いにあったって話だよ」
こちらの吐いた言葉に男は眉を少し動かした。詳しく話してもらえるか? と尋ねてきた男だが、それだけで動くとは余程の事情なのだろう。
しかし、口封じの為に殺されるのも嫌だし、何より向かった先で駄賃がもらえるとも限らないとして、この場で金子を寄越せと言う。
「金二枚を棒に振るのか?」
「殺されるよりはマシだよ」
猜疑心の塊と見られかねないが、生まれてこの方、そこまで人間を信頼して生きてきたわけではない。本当の意味で信頼出来たのは―――ただ一人の夢見がちなバカだけだ。
そんな自分の言葉は、黒髪の男をむかつかせるだけのものがあったらしい。
「……今のは少しむかついたぞ。俺のことを疑うのはいい。しかしここに書いてあるライトメリッツ戦姫は、一応……もしかしたら……あるいは、友人の人間なんだ」
「随分と自信無さそうだね」
言葉の後半には、段々と自信なさげにトーンが下がってくる。意外とこの男はライトメリッツ戦姫のいい「友人」なのかもしれない。
「あいつは信義は曲げない。たまに暴走するが、そりゃあいつがまだまだ経験浅いだけだ……。冷静なだけ、計算だけの為政者なんかよりはまだ信頼できる」
知っているよ。と言葉に出さずに同意しておく。
しかし……会って穏やかでいられるのだろうか。傭兵同士であった頃の事を持ち出されれば、何と言うか金二枚では済みそうにない。
「……一手仕合ってもらえる?」
「何のために?」
エレオノーラに会う前に、この男がエレオノーラを止められるというのならば、まぁ謁見するぐらいはいいだろう。
「あんたが私の護衛として使えるかどうか」
「何か因縁あるのか、エレオノーラと?」
言外の意図を読み取った男に苦笑しつつ街道の脇、人目に着かない所まで歩いていく。
立会いをするのに上等な場所まで着いた。周囲には休憩所か何かの『まじない』として置かれたであろう地面に突き立つ巨岩数個。
広くも無く狭くも無い程度の場所、枯れて茶色になった足元の草を踏み鳴らしつつ、男と対峙する。
見るものが見れば美形と言えるし、普通とも言える。だが、人の見え方などそいつの能力次第でどうとも言える。
無能であれば、美形でも不細工に見えるし、有能であれば、不細工が美形に見える。
結局―――顔の良し悪しで人間の美醜は決まらないのだろう。
「そういや名前聞いていなかったね。教えてくれる?」
「ウラ・アズサ」
「ヤーファ人?」
質問に首肯で答える男。嘘は突いていないのだろうが、どうにも偽名臭い。
いや所詮、自分が知っているヤーファ人の名前などそんなに無いのだから、何とも言えないのだが。
「そちらは?」
分かっていたとはいえ聞かれるか、それに対して挑戦的な笑みを浮かべて―――何年も前に新調して以来、そんなに使っていなかったヤーファの『小剣』二振りを引き抜く。
手入れは怠っていなかったとはいえ、それでも何かしらの不調があると思っていたが、濡れ光る剣の輝きはあの日以来だ。
「アタシに勝ったら教えてやるよ」
瞬間、女―――『フィグネリア』は、『金二枚』のヤーファ人に向かっていった。
その女の手並みが通常ではないことは所作から分かっていた。リョウは、引き抜いた「銘刀」に瞠目する暇も無く、突きこんできた『小太刀』の切っ先を、鞘で受け止める。
受け止められた鞘を軸に横なぎの一撃。相手を空かすために後ろに二歩下がる。体勢を崩された女だが、構わず振り切った。
―――(ここだ)―――刀―――鬼哭を構えなおして、抜刀の体勢を取る。
女の追撃、振り切った勢いを利用しての返す刀が踏み込みと同時に振舞われる。その一点を狙っての抜刀術―――。
振るわれる『小太刀』を狙った武器破壊。しかし―――予測は外れる。抜刀の勢いが殺されたわけではない。
鈍い金属音。一刀だけで振るわれていた返し太刀に加われるは、もう一つの小太刀。
「くっ……」
流石に膂力、交点での力押しで勝るか、それならば膠着を抜け出すために。足払いを掛ける。
斬り合いを終えて、大きく退く女。しかし―――足払いを掛けた足に少しの痛みが走る。
(あの一瞬で浅いながらも踏み抜いたか)
靴の尖ったヒール。それを退くと同時に振るったのだろう。評価を改める必要がある。
などと、こちらの勝手な値踏みに構わず―――遮蔽物―――岩に隠れる女、狙いは容易に知れる。
全てのものに始点と終点がある以上、何でも斬れることは剣士の究極の理想だ。
何の呪鍛も施していない剣で―――岩を斬ることは―――今の自分ならば出来るか。
(試す価値はあるか)
だが、そんな夢想を無にするように、女は岩を登って上から飛び掛ってきた。
その鳥―――猛禽のような襲撃に反対に岩に回り込むことで避ける。
右か左かという逡巡を打ち切ったその攻撃の思いっきりの良さに、もはや間違うことなく一流の使い手だと断じる。
(悪いが―――夢想に付き合ってもらうぞ)
岩を背に―――岩の鼓動を知る。岩にこそあるべき始点。それはかならずあるはず。そこから終点に至るまでの死への道筋がある。
心臓の音をリズミカルに刻みつつ、呼吸を整えて丹田に力を込める。気合が刀に乗り―――振り向きざま、自分と共に羅刹と戦ってくれた侍。
大剣で、大羅刹を真っ向から断ち割った男の気持ちで―――鬼哭を一刀両断で岩に放った。
左右二つに割れる巨岩。右から回り込もうとした女はそれを躱すために大きく躱すしかない。
「!!」
「遅い!」
瞠目した一瞬、崩れ落ちた岩の平らな面を踏み台に、先程の意趣返し、上方からの襲撃。
両腕を撓めての突きの姿勢。これをどうやって―――返す。
膂力では勝てず。かといって完全な奇襲。それを相手には―――。
(受け太刀は無理だね)
判断したフィグネリアは大きくステップして、リョウの剣戟を躱す。虚空を貫く閃光。
そうとしか表現できないものがフィグネリアのいなくなった空間を貫き、光の軌跡を残す。
しかしリョウの横に躍り出て襲撃を、と思った瞬間に突きの姿勢でいた剣が、身体ごと風車のように回り、フィグネリアのわき腹を撃とうと狙う。
早業の限りを見ながらも、フィグネリアの身体は反応する。小太刀の一刀で受けようとしたが―――、それをすり抜けるかのように変化した刀の軌跡。
防いだはずの一撃が、自分のわき腹を止まらずに叩いた。
(未熟……!)
内心の声は、リョウの方であった。プロテクターを叩いた衝撃であえぐフィグネリア。そうしながらも、苦虫を噛み潰すのは自分だ。
先程の攻撃、読んでいたとはいえ、あまりにも行動が早すぎて返し技がただの「棒振り芸」になってしまった。
もちろんそれなりの「力」と「理」はあったが、交差必殺の一点での透かしが、あまりにもお粗末であり、そこから再びの力込め。
親父が見たならば、同じく「未熟」と言ってきたぐらいに神流の剣客としては、お粗末な技だった。
とはいえ……その一撃で女は戦闘不能になってしまっていた。峰で叩いた脇腹を抑えて蹲っていた女に手を差し出す。
「俺は合格かい?」
「―――ああ、そしてよくも私を騙したな。リョウ・サカガミ」
ばれてしまったか。と舌を出しつつも、こちらの手を取ってくれる女、よく見ると背も高い―――リムぐらいあるだろうか。
ヒールの関係かもしれないが、少し野暮ったい外套さえ無くせば、民族衣装を着たエキゾチックな美女と言ってもいいかもしれない。
肌もジスタート人の割には日に焼けており、少し黒い。ムオジネル人の血も混じっているのかもしれない。
そういった美女に少し見惚れるのは仕方ない。しかしそれも一瞬であった。
「別に騙してはいない。どちらも俺にとっては俺を指す名前ではあるんだから」
詭弁ではあるが、あまり初対面の人間に、己の表名は警戒感を出させるから出さないようにはしている。
面が割れている場合などは、どうしようもないが。
「それで―――来てくれるか?」
「……仕方ないか。ただし一つ条件がある」
「条件?」
「あんたが偽名を名乗ったんだから、私にも変装と偽名でエレオノーラの前に出させて、その資金はあんたが持つ。これでいいならば行くよ」
「分かった。呑もう」
まさか呑まれるとは思っていなかったのか、驚いた顔をする女。
せめて俺にだけは本名を教えてくれと言うとそれに関しては嘆息しながら、答えてきた。
「フィグネリア」
素っ気無い返答だが名前を知れたのは僥倖である。
「ライトメリッツの服の仕立て屋に着くまでに偽名を考えといてくれ」
そんなことを言いながらフィグネリアと共に元の場所に戻る。
馬はどうやら奪われていないようで元気に草を食っていた。
美味そうに食っている所、申し訳ないが―――といった感じで、気付けをする。
「馬乗れそうか?」
「少しわき腹が痛いけれどね……まぁ問題ないかな」
苦笑するフィグネリア、痛みが引くまで時間はかかるかと思い、御稜威を仕掛ける。
聞こえぬように呪言を吐き出してから、フィグネリアが鞍に乗れるように身体を支える。
「下心ありすぎるのも嫌だが、下心なさすぎるのも嫌な気分だ」
めんどくさい女だな。と内心でのみ言いながら、苦笑をしておく。
「特にあんたは女と見れば見境なく手を出す色情英雄だって話だし」
「んー、かなり語弊と誤解を招く発言だ。ただ…もう否定はしない。世の中に俺にとっての最高の女が多すぎるんだよ」
ヤーファでもそうだが、西方でもそうだ。別に女性に責任を求めるなどというわけではない。
しかし、ティッタやオルガ、ついでに言えばエレオノーラがティグルに対して一線を思いとどまる所を、何故か俺の周りの女性は自重してくれない。
「それじゃしっかり頼むよ。こんななりでも女なんだからさ」
「当たり前だ。それ以外の何だってんだ」
そんなことを言いながらも、こんな時に限って外套の前を開けて、薄い上着に包まれた胸を自分の背中に押し付けるのは勘弁願いたい。
「あんまりナマいうんじゃないよ。坊や」
「……行くぞ」
わざとだな。と耳元で艶やかに言ってきたフィグネリアに結論付けてから馬を走らせる。
ただその柔らかさはまぁ心地よかったのは、間違いないのだが、ライトメリッツに着いてからも、このフィグネリアなる女性の諧謔に付き合わされることになる。
変装というには多すぎる「お着替え」に付き合わされて、少しからかわれるのは、自分にある女難の相ゆえだろうか。
真面目に考えつつも、その艶やかな姿と衣装の連続は、まぁ自分の眼を楽しませたのは間違いなかった。
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「凍漣の雪姫Ⅳ」
魔弾新作小説!! 別レーベルにて出版―――だが、なんであの姫? ぶっちゃけウチのメインヒロイン(?)でもよくなかったんですか先生!!
あんまりだぁああああああああ!!……などなどしきりにいった所で、川口先生的には堅実な作戦を取る彼女の方が戦記モノとして有用とか考えたのかも。
あれは、本当に有意義な日であった。
ブリューヌ貴族としては、確かに異端ではあろう。だが、その腕は悪くない。国が変われば、弓聖の称号だってもらえるだろう腕前だ。
そのくせ、それを何でもないことのように扱う。まぁそうでも思わなければ、あの硬直した国家では生き辛かったのだろう。
エレオノーラがしきりに「所有権」を持ち出すわけだ。
それ以外の理由は―――――。
(ま、まぁ100人見れば50か60人は美形と見る顔よね……目が肥えてない人間ならば80から90人は―――)
はっ、とする形で無駄な思考だと考え、誰もいないところで咳払いをするリュドミラ・ルリエ。
どうにもこうにもあの伯爵のことばかり考えてしまうのは、まぁ色々と衝撃的だったからだ。
エレオノーラの別荘では心に揺り動かされ、ロドニークの湯治場では身体を揺り動かされ―――そういった意味でも義兄に似ている人間である。
とはいえ、彼の言と行動は少なからず切りたかった「悪縁」を切る好機だ。
確かにフェリックス卿は、ブリューヌを代表する豪傑智将だ。
だが彼のようなやり方だけが罷り通れば、いずれは「ブリューヌに人なし」となり隣国からの侵略を容易にしてしまう。
そうなれば最終的には一番の取引相手がいなくなることになる。
何より重要なことではあるが……彼が王権に辿り着いたとしてもそれを「継ぐ」者がいないのだ。
(仮にザイアン・テナルディエが生きていたとしても、後にはそういったことになるわよね)
一代でしかありえない王権など、魅力も何もあったものではない。彼が多くのものに支えられ、その物差しをもう少しだけ長めにして合格のラインを緩くしていれば、それはなったはず。
どちらにせよ……先代テナルディエの頃から、あの領地は少しだけ変わってしまった。その結実がフェリックスという「短命の巨人」であるならば、既に取引するべき相手からは除外するべきだ。
「後はティグル達が、どうなるかよね……」
勝つとまではいかずとも、せめてフェリックスを「引退謹慎」させるぐらいの成果は欲しい。
現実的に考えれば、それが辿り着ける「勝利条件」だろう。
だが、もしもそれを超えることあれば―――その時は、ブリューヌ北部に対して色々と便宜を図ってもらえてもいいはずだ。
などと将来のことを考えているとオルミュッツの城門に辿り着いた。衛兵達は、やってきた自分を見て―――急いで駆け寄ってきた。
「せ、戦姫様! よくぞお帰りになられました!!」
「どうしたのピピン? そんなに慌てて」
「申し訳ありません。とりあえず中へ……今はお早く大公様の所へ母がいますので、事情は母から―――」
言葉がどこか真剣さを伴うものであり、何か焦っていることを感じる。ピピンは、普段は衛兵長をやってはいるが、戦時には100人隊の隊長を務めてくれる優秀な槍使いだ。
そんな彼がこんな風に言うからには、何かしらの危急の時なのだと感じる。
大公―――つまり自分の父だ。父は亡くなった母の代の『文公』であり、今はオルミュッツで宿屋を経営している。
影響がありすぎる父が公宮にいては不味いということから父は、あまりこちらには顔を出さなかった。
だが、自分が宿に来れば、色々と話してくれるし、自分が知らなかったことも教えてくれる。
自分にとっては家庭教師でもあり、存命中だった際の母に怒られたときの避難場所でもあった。
『もしもミラが普通の女の子として生きることになったとしても、ちゃんと食べていけるようにしたかったんだ。もちろんミラのお母さんに何かあった時にもね』
ならば、その時の為に自分は父の淹れる美味しい紅茶を覚えてウェイトレスとして働きたいと言っていたのが、自分の「チャイ」に対する執着にもなった。
三つの国の交わる土地―――オルミュッツ。その利を覚えるに宿屋での人間観察は勉強以上の実践にもなったのだ。
見えてきた宿屋には人だかりが出来ていた。その中にピピンの母親であり、この宿屋の給仕長でもある女性の姿を見る。
「マーサ! 何があったの!?」
「お嬢様!? お帰りになられたのですね!」
普通ならば、戦姫様や公主様などというのが普通だが、この女性からすれば自分は、父の娘であるのだ。だから彼女は「お嬢様」と呼んでくる。
それが―――少しだけ嬉しい。戦姫ではなく、畏まりつつも一人の少女なのだという意識が。
しかし、そんな喜びに浸るのも束の間で、そのマーサが泣き崩れる。他の従業員達も泣いている。混乱しつつも何があったかを聞くと、それは予想外の事態であった。
自分がロドニークなどに赴いている間に、何者かがこのオルミュッツで人攫いを行ったらしい。しかもたった一日で二十人近い人間をだ。
「そんな早業で―――従業員の家族を……攫ったの!?」
「はい……従業員の家族を攫った賊。それとの取引の為に―――旦那様が赴いたのですが……」
「お父様は……!?」
長めの沈黙の後に、マーサは語りだす。従業員の家族達は、「大公」の身柄と引き換えに開放された。だが、その様子はよろしくないのだ。
何かしらの病でも患ったかのように徐々に衰弱しだしていくのだから、そして大公は、未だ帰っていない。
「……お父様が赴いた場所は何処?」
「タトラの中腹ですが、そこは既に蛻の殻です……ピピン達、百人隊が救出に向かって誰も居なかったのですから……」
人攫いを行った賊の狙いは恐らく最初から大公である父だけであった。責任感が強い父のことである。
領主不在の時に、おまけに自分の経営する宿の従業員の家族だ。
槍一本を携えて、赴いたに違いない。
「……とにかく今は、現状に備えましょう……マーサ、予約のお客様はいるの?」
「いえ、ここ数日はいたとしても他の宿屋に協力してもらっていましたから……」
「分かったわ。ならば、みんなの家に公宮の薬師と医師を派遣する。今はご家族の看病をしてあげて」
「はい……申し訳ありませんお嬢様」
「謝らないでマーサ。私こそこんな時にいなくてごめんなさい。けれど大丈夫よ。お父様だってただの文官じゃなくてお母様と一緒に戦場を駆け回れる人間だったんだから」
あんまり沙汰事で心配し過ぎなくていいはずだ。そう言って皆を安心させる。だが、自分の心は落ち着かない。
公宮に戻り、それらに関する報告を文・武官から受けながら執務室に入る前に私室で着替える旨を伝える。
とにかくこんな心身ではまともな思考は不可能だ。
状況を整理しようと思ったのだが――――ソファに座り込もうとした自分に気配を晒す者が現れた。
(―――侵入者!?)
その姿を、検めると――――あの時、ティグルを見て笑った女だと気付く。
「状況は読めているな?―――やめておけ。その氷の槍で私を殺したとしても何の事態解決にもならない」
「………」
咄嗟にラヴィアスを握った自分を牽制するように言う女。その言葉が正しいかどうかは分からないが、それでも聞いておくに越したことはないだろう。
状況のコントロールは、あちらにこそあることを認めざるを得ない。
「お前の領民、及び監禁しているお前の父親に投与した毒及び呪術を解く鍵は私だけが持つ―――その気になればいつでも、呪力を上げることも出来よう」
「それが真実であるとは限らないわ。あなたを殺せば―――それで解けるかもしれない」
「否定のしようがない。だが―――そうでなかった場合、私の『残念』『怨念』は、彼らを取り殺すぞ」
奥歯を噛みながらリュドミラは考える。仮にもしもそうでないとしても、この女だけが父の居場所を知っている。
多くの人間ならば、ともかく父ひとりとなると移動は容易い。もはやタトラに篭っているとも言い切れない。
焦燥と動揺の中で女は用件を伝える。
「間もなくテナルディエ公の使者がここにやってくるはずだ。用向きはヴォルン伯爵の同盟者であるライトメリッツ戦姫エレオノーラ・ヴィルターリアの排除―――受けなければ領内で30人分の葬儀を上げる必要が生じるだろうな」
「卑怯な……!!」
「生憎、私のようなシノビは正面から正々堂々などというのとは縁遠くてな……精々、マツダイラの『ニンショウ』といったところか……」
後半は殆ど独り言のようであったが、それでもラヴィアスが警告を発するように鳴り響く。
それは、まるで女の手に纏わりつく何か茨のようなものの束の光が増した瞬間にである。
「後は事後報告を聞いてみろ……恐らく私の右腕と同じものが攫われた者たちに『憑いている』はずだ」
そう言い残して消え去る女。それが現実のものとなるように、女の言うことが―――全て的中した。
この事態を打開するためには、色々と手段はある。義兄に助けを求めることも出来るだろうし、もしくは他の戦姫にも―――だが、恐らく女は見張っているはず。
自分が早馬の使者を出せば、それを殺すはずだ。そして自分が行けば一人一人殺そうとするはず。
『ミラ、仮に私が死ぬような危急の事態と領民の命がかかっている時には、かならず領民の命を優先しなさい』
短い言葉。恐らくその後にはあれこれと言いたいことがあったのだろうが、父は、母の思いも知っていたのでそれ以上は言わなかった。
(今、かかっているのはお父様と皆の命なのです……どうすれば―――)
逡巡しても時間はそれほど無いのだと分かっている。だからこそ……とりあえず動くことで状況を整理しようと思った。
「―――別室で待機しているテナルディエ公爵の使者を呼んで、要請に応えるわ」
「承知しました」
まだ武官・文官たちにはアルサスとの交渉内容を話していなかったのがある意味幸いした。
表向きの事情も裏向きの事情も曝け出せぬものを抱えて―――リュドミラは、まずは要求の一つをこなす。つまりは戦うことにしたのだ。
(話さずにはいられないことを、木の洞にぶちまける―――そんな昔話もあったわね……)
仮にもしも、それをどこかで聞き届けたものがいたとしたらば……自分をこの苦悶と懊悩の狭間から救い出して欲しい。
† † † † †
「と、そういうことを聞い、聞きましたので耳に入れたく思いました」
慣れない敬語を使ったのであろう女の様子に苦笑しつつも、その姿を見る。
大陸風の艶な衣装『長衫』の変形―――袖がかなり広がった腕部分と二の腕と肩は繋がらず剥き出し。
更に言えば鎖骨と胸元が開いて豊かな胸の上が見えている状態ながらも、そこから下は長衫の通りだが、動きやすさを追求して両側にスリットが入っている。
金繍をそこかしこに配して豪奢さを演出。首元には金色の鳥を模したと思しき、ペンダントなども下げた―――『桜色の髪』をした美女がいた。
そうしてエレオノーラとティグル(少し見惚れている)に説明する前の『サフィール』の様子を語ることにしよう。
あれは二刻前の話だろうか……。
「そんな衣装で大丈夫か?」
「一番いいやつを頼んだ。問題ないよ―――後は髪型と髪色だね……」
そんなにまでも変装をするというのならば、俺の護衛はいらなくはないだろうかとも感じる。
ここまで来るといい加減。この女を連れて行かなくてもいいのではないかとも思えてくる。
しかし……何と言うかこの女性からは一種の離れられないものもある。別に色香に絆されているとか、そういうわけではない。
荷物の中から、櫛と染め粉を出しつつ、女に語る。
「その辺りは俺にも心得がある。任せろ」
「男の癖に髪染めと髪結いも出来るとは、本格的に色子だね。アンタ」
「色々あって慣れちまったんだよ」
フィグネリア……通称「乱刃のフィーネ」なる女に悪態を突くように返しつつ、こんなことに慣れてしまった自分の事情を話すか話さないかと思う。
先ず髪結いに関しては、これはサクヤのせいで覚えたといっていいだろう。
自分が宮殿、もしくは彼女が我が家に泊まると、お付の侍女を差し置いて、髪を梳いて結うという『嗜み』を自分にさせてくるのだ。
サクヤとしては自分の髪の艶やかさとかを自慢したいのだろうということは分かる。事実、侍女からもそういったことだと伝えられた。
サクヤの長い髪を結うのは、如何に自分の手先が器用だとはいえ、それなりに気を遣う所業であった。
もっともそれに熟達するためにお袋の髪を練習台にしたりもした。―――今ではいい思い出である。
髪染めに関しては、「従姉」のような存在に行う際に覚えた。父によれば本当に遠い親戚みたいなものらしいのだが、あちらは「弟」扱いしてくるので自然と、そうした関係が染み付いてしまった。
貧乏お嬢みたいなもので、たびたび和紗やサクヤからはいじめられつつも挫けず生きる公方様である。藤孝殿からすれば、主君でありながらも「娘」みたいなものであった。
しかし、本当に不幸な手違いなどで「将軍かよォオオオオオ」などと叫びたくなるほどのことが起きたりするのだ。
もう彼女の「不幸属性(偽)」は、どうしようもないのだろう。あの白髪はきっと生来のものだけでなく苦労したが故の若白髪でもあったはず。
――――そんな無駄な事を考えつつも、フィグネリアの支度は全て終わる。
「どうだ?」
「……あんた本当に色子だね。アタシが養ってあげようか?」
手鏡を渡して、仕上がりのほどを見せると感心したように、そんなことを言うフィグネリア。
それを丁重に断り、もう公宮に向かってもいいかと聞くと首肯する。
「そういえばさ、全然聞いていなかったけれど、何で隣国の事を探ろうとしているの? 私なんかよりもよっぽど事情通かもしれない間者もいるだろうに」
「オルミュッツとの間で戦争はしたくないんだ。おまけに俺の殿は、これからジスタートではなくブリューヌで戦うことになるんだから」
言葉に対して眉を動かすフィグネリア。恐らく「商機(ビジネスチャンス)」だと思っているのだろう。
傭兵というものの嗅覚は鋭い。ただ勝ち目がある戦いかどうかは分からないとも伝える。
「傭兵なんてのは雇われれば勝ち目のあるなし関わらず雇われるもんだ。負けそうだったらば、適当に逃げる―――あんたみたいな『変態』もいるけれどもね」
「変態ってどういう意味だよ」
「麦畑のために万の軍勢に立ち向かう「変態」ってことだよ」
「別に勝ち目が本当に無かったわけじゃない。あの村は元々野盗に狙われること多かったから自警団の連中の練度と士気が高かったんだよ」
工夫すれば勝てる状況だというのに、タラードはエリオットの軍勢を縦深陣地に引き込むためだけに、村を見捨てることにしたのだ。
確かに自分が幼かった頃の『サムライ七人』と『村の人々』とも違うが、それでもあの頃『羅刹』を殺すためだけに命を落としたサムライの言葉が自分をそこに留まらせた。
そしてその判断こそが自分とタラードの亀裂だったのだろう。あちらはそれをどうとも思っていないが、こちらはそれをはっきりと「汚点」だと結論付けた。
「国王は国を防いで、民を安んずるもの―――、民を流離させるなど敗戦の策だからな」
たとえそれが、勝算ある作戦であったとしても己を食わせてくれる人間のものを失わせるなど、意味が無い。
公爵となり、ギネヴィアを娶り王となったとしても、あの男のやり方は気に入らないのだ。
「甘いこというね」
「良く言われる」
「……けど、悪い気はしないよ。そういった理想や夢を語る甘ちゃんは……」
遠い目をして語るフィグネリア。そんな今までと違う殊勝な様子のフィグネリアを見て一言。
「昔の男にそんな風なのでもいたのか?」
―――――返事の代わりとして、尖ったヒールで足を踏まれる。
そんなこんなをしている内に、ライトメリッツ公宮が見えてきた。
これだけの変装をしているというのに、まだ緊張をするのか少しぎこちなくなるフィグネリア。
苦笑してから覚悟を決めてくれと言ってから背中を押す。そうすることで何とか一歩を踏み出したフィグネリアとエレオノーラの因縁とやらに興味が尽きない。
† † † † †
……とまぁ、そんなこんなの末に、サフィールならぬフィグネリアをエレオノーラとティグルの前に立たせて説明させている状況。
全てを聞き終えた後に、エレオノーラは嘆息しつつ、自分に推論を聞いてきた。
「そうか……それでお前はこの事態、どう見る?」
「恐らく宿屋の主人―――ミラの父君を攫ったのは、あの忍たちだ。あれがテナルディエ公爵の手のものだというのは既知だからな」
「人質を使っての交渉か、下衆な……だがリュドミラもリュドミラだ……戦姫ならば、父親云々なんて情に囚われるとは弱さの証拠だ」
苦々しいとも、嘲っているとも、何ともいえぬ顔を見せるエレオノーラ。
そんなエレオノーラの調子に対して、フィグネリアも少し暗い表情を見せていた。
「それならば、リュドミラの領民と父君を救えば終わりか……簡単そうだが……」
「だが……今のオルミュッツに潜り込むのは難しいぞ。まぁお前一人ならば面が割れてないから、警戒無く入れるだろうが」
この中で一番オルミュッツに潜り込んでも良さそうなのは、ティグルだ。方策はある。
「俺たちは数日すればオルミュッツ公国軍とぶつかり合う。その後に彼女は勝敗関わらず「タトラ」に潜り込むはず」
「タトラ?」
ティグルの疑問に応えたのは、エレオノーラであった。現在ブルコリネ平原に展開して宿営しつつあるオルミュッツ軍は、そこをライトメリッツ軍との合戦場と定めているはずだ。
地図上では、その平原の東側にタトラ山脈があり、そのタトラの山上には要塞が存在していた。その城砦はオルミュッツ軍にとって堅牢なものだ。
「そして篭ったままで、決戦を回避して私たちが退くと同時に、再びブルコリネに展開するはず……忌々しいことにな」
退陣と同時の侵攻ほど忌々しいものは無い。まぁそれが戦のやり方だということは分かっているのだが、「リン」と「ナガト」が叡山に篭った時のことを考えて、何とも言えぬ顔になってしまう。
そんな自分の苦悩はエレオノーラと同じだったが、ティグルはからかうようなことを言ってくる。
「なるほど、彼女も考えているな。エレンのからかい方を分かっている」
「殴るぞ」
「悪い。となると、やはり山城攻めになるのか?」
「そうなる……しかし、彼女の戦う理由を失わせられれば、それで終わりだ」
オルミュッツ領民と大公閣下という人質さえ取り戻せれば、彼女の戦う理由を無くすことが出来る。
そしてそれをやるには、ティグルしかいないのだ。矢筒にしかしていなかった『生弓矢』を『弓』に戻せと言う。
赤い朱塗りの和弓に戻った『矢筒』に、フィグネリアは驚いていたが、構わず説明を続ける。
その和弓は、戦の神として名高い男の神器にして国造りの神の持ち物でもあった。
「戦の神は人の生死を司るゆえ、傷を与えることも傷を癒すことも出来る。つまりは、そういうことだ―――オルミュッツに入ったらば、こいつを街の中心で二、三回鳴らしてみろ」
「そうすれば、領民は助かるのか?」
下手をすれば眉唾物だとしかねない話だが、ティグルは、もはや「慣れてしまった」ようだ。
「ああ。あの忍は恐らく『呪い』を掛けた。呪いを解いた後は―――――こいつをオルミュッツの薬師・医者に渡しておいてくれ」
察しておくべきだったのだ。忍術を使える以上、毒や呪いを撒き散らすことでリュドミラに脅しをかけてくる事態を―――。
フィグネリアの聞く所、大公閣下の代わりに戻ってきた領民の衰弱の症状は―――甲賀『鈎の陣』で「足利将軍」を殺した『毒』だろう。
解毒薬を取り出して、ティグルに渡す。結構な量であるが、何人分必要か分からないのだ。大目に持っていかせる。
「それで領民は問題無いとして……未だに帰ってきていない大公閣下というのは、どうすればいいんだ?」
「――――探し出すつもりか?」
「山登りは得意なんだ。まぁ街中に潜伏していたらば意味は無いがな」
最後に大公閣下が人質を救出に行ったのは先程も話題に出たタトラ山である。そこから移動してアニエス、ヴォージュ方面に居を構えている可能性も有り得るが……。
「リュドミラにとって人質の無事が確認出来なければ意味は無いんじゃないか? となるとリョウやエレンが「定まった事」として言うぐらいだ。一戦した後に『篭る』タトラ山脈で人質が生きているかどうかの確認をさせるはずだよ―――大公閣下は、タトラにいる」
―――鋭い分析だ。そして納得してしまえるぐらいに、もっともである。
「分かった。軍団の方は俺とエレオノーラで何とかしよう……リムがいないから不安の限りだがな……ただ出来るだけ戻ってきて欲しいね。なんせ―――」
「はっはっはっ。遂に戦場で謀殺できる機会が訪れた! さらば自由騎士、貴様の墓石の碑文は『女を堕落させた愚か者、此処に眠る』でいいか?」
「―――お前がいないと多分この調子だ」
半眼でティグルに訴えかけると、頬を掻きつつも「頑張ってくれ」と苦笑いで言われる。
とはいうものの、そんなことを本気でやられるとは思えない。リムが居ない以上、彼女が総指揮官として後方で指揮を取る。
前線で指揮を取るのは自分になるだろう。もしくは遊撃兵として各戦線で働かされるかだろう。
そんなリョウの様子にティグルとしても、どうしたものかと思う。リュドミラ陣営にどれだけの人材がいるのか分からないが、少なくともリムが欠けたライトメリッツ軍よりもいいはずだ。
ふと、ここまで殆ど話しに絡んでこなかった女性の事を思い出す。彼女は旅の傭兵だと名乗った。所作からティグルも剣に明るくないとはいえ武人としての技量ぐらいは読める。
となれば……。
「サフィール殿、よければ金二枚ついで―――もちろん追加報酬は出すが、それで俺に雇われてくれないか?」
「道中聞いた、聞きましたけれど、テナルディエ公爵との戦いも控えているとか、それも含めてですか?」
もはや言い直す必要も無さそうに言ってから敬語で言い直すサフィールに苦笑しつつ、ティグルとしてはとりあえずリョウを手伝って欲しいという意味で依頼を出す。
その後どうするかは、そちらで決めて欲しいと言っておく。
「……分かった。そちらの戦姫殿。アタシみたいな素性知れずを入れるのは、どうなのかな?」
「サフィール殿、一つ聞きたい―――『
「………名前は知っているよ」
瞬間、サフィールの表情が少しだけ歪むのをティグルは見届けた。しかしそれは一瞬のことであり、直ぐに冷静な様を取り戻す。
「分かった。ならばリョウの副官として着ける。異論は無いな?」
「構わないよ。勝率良さそうだしね」
この女性の調子は、こっちが普通なのだろう。エレンにそんな普通の調子で言うサフィールに、何処と無くエレンは寂しそうな表情をした。
どうにも両人の様子に、不吉なものを感じなくも無いが、それでもお互いにやるべきことは定まった。
―――ティグルはオルミュッツに行き、「清め祓い」、エレンとリョウは「戦」。互いに全てが定まり―――
……決戦の時は目前であった。
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「鬼剣の王Ⅵ」
暑い そんな時にはミラの竜具が良いんでしょうね。きっと川口先生もアリファールかラヴィアスが欲しいとか思っているに違いない(twitterより)
ではでは6月最後の更新どうぞ
タトラにある山小屋の一つ。普段ならば、どんな余人にでも見えているはずの小屋は現在、あらゆる人間の視覚に入らない『結界』の中に存在する。
その中には二人の少女―――双子と中年男性がいた。簡素な山小屋。登山者や行商人のための一時休憩場所にて、―――馥郁たる香りが充満していた。
ムオジネル原産の紅茶の香りは鼻腔を刺激し、双子の顔を緩ませる。
「紅茶の淹れ方にはコツがある。普通に入れてもいいのだが、本当に美味く入れるためには水にも拘らなければならない。タトラの雪解け水をブレンドした井戸水ならば―――この時間でいいだろう」
「ふむふむ」「なるほど」
適度な時間に火にかけていた湯かんを開ける。網に入れた茶葉。そこから篩いにかけるようにして湯を落としていく。
湯を入れるのではなく「落とす」。肩の高さから勢いよく放水することで、茶葉と湯に対流攪拌を起こさせるのだ。
あまりこういったパフォーマンス的なことを店でやるのは好まないが、本当に美味しい紅茶が飲みたい「通」のお客が来てくれれば出す。
そういった通好みの紅茶を振舞うのは、自分をここに閉じ込めた一味のメンバー。
しかし人攫いをするには幼すぎる12、3歳の少女で、寧ろ攫われるほうではないかと錯覚しつつ自分の娘と同じものを思わせて敵意だけを持つことが出来なかった。
「それでおじさん。この後にはどうするの?」
「ああ、ジャムを入れるのも一つなんだ。お好みでどうぞ。一先ずは紅茶自体の味をご賞味くださいお嬢様」
おどけた口調で言って双子の暗殺者風の格好の少女達に紅茶を勧める。本当は攫われた従業員家族に振舞う予定であって、こんなことになるならば、眠り薬でも持ってくれば良かったと思う。
暗殺者として訓練されただろう少女達に効くかどうかは賭けであるが。そんな大公の考えとは裏腹に紅茶を飲む少女達の顔を見ると、そんなことをしようという気持ちが薄れる。
「君たちは、何故こんなことをしているんだ? 余計なお世話かもしれないが、こういったことをするにはまだ時期尚早だと思うが」
「これしか生きる道が無かったから仕方ないの、何より拾ってくれたサラ様にご恩を返すのは当然だよ」
「お姉ちゃんの言うことは私も同意なの」
ジャムを入れた紅茶を飲んだ双子―――赤茶色の髪、銀色の髪に―――尖った長い耳を持った少女は語る。
彼女らはアスヴァールとザクスタンの国境の辺りで生まれたある貴種の庶子であったとのことだ。
庶子とはいえ、闘争が激化する二国の境に生まれた子供である。その運命は定まっていた。
そういった混乱続きの国で跡継ぎにもなりえるだろう双子に対して教育を行うのは当然であり8.9歳の頃まで彼女達は、それぞれの適正に準じた「将官教育」を施されていた。
ザクスタンにおいては、そういった「戦乙女選抜」が行われる地域もあって、彼女らはそれに推挙されるはずだった。
もっとも今代の王であるアウグストは、女性士官登用に積極的ではない人間であった。
それでも双子の父親はそれを行っていたのだが、やがて政争の果てに殺されてしまった。
「お父さんがどういった考えなのかは知らないけれど、逃げて逃げて、とにかく『生きろ』って言われた。その後―――色々なことをしている内に盗賊団に捕まりそうになった時があった」
ザクスタンから越境する形でブリューヌにまで逃れた彼女達は、テナルディエ公爵領ネメタクムで盗賊達に出くわした。
その時には、もはや彼女らには抵抗する術が無かった。それでも生きようと願った彼女らの前に黒衣の女暗殺者が現れて、盗賊団を一息に殺していく。
ある者は絶息、ある者は斬殺、ある者は焼殺で―――そうしてから金髪の暗殺者は、自分達を見て一言、言ってのけた。
『生きたければ―――着いて来なさい』
本人は自分も売られた身だからこその気まぐれだと言っていたが、それでも双子にとっては嬉しかったのだ。
やがて彼女らは、生来の教育もあって双子もサラの選抜する暗殺者集団に加えられることとなった。
「だからサラ様が復讐を求めるならば、私たちはそれのお手伝いをするの。それだけ」
「……故郷に帰ろうとは思わないのかい?」
「お父様が攻め滅ぼされたのは私たちのせいだもの……『悪魔の子』を育ててるって……」
銀髪の子の言葉の後の問いに応えた赤茶色の子が耳を触りながら悲しげに言う。
この地域でも「
耳の長さなど別に人の特徴程度ではないか、特定の他人にとっては重要になってしまうのかもしれない。
あるいは、それを『在らぬ咎』として攻め立てたか……恐らく後者なのだろう。彼女達の父親が滅ぼされたのは―――。
「私にも君たちぐらいの娘がいる。少しばかり年は離れているが……父親としては、あまり荒事、裏事をしてほしくないと感じてしまう」
「戦姫の父といっても普通の親なんだ……」
「立場だけで肉親の情を超えられれば、それに越したことは無かったがね……」
そうして、もしも自分の存在がリュドミラを縛り彼女の行動を強制することになってしまうならば、舌を噛み切ろうという思いを持つ。
しかし……この双子に自殺した自分の死体を処理させるというのは、あまりにも酷すぎるような気がしていた。
そんなことを考えているときに、小屋の窓に見えてきたものは―――雪深いタトラを更に埋もれさすような風と共に落ちる雪。
風と共に雪が降り積もる様に何か不吉なものを感じてしまうのは――――先代「雪姫」と共に戦った敵が「風姫」だからだろうか……。
その強風に混じって戦の怒号が響いているような「幻聴」が耳に届いた――――。
† † † † †
「前進!」
凛とした声が後方から聞こえてきた。同時にライトメリッツ軍は、歩を進める。
ブルコリネ平原に二つの軍団が対峙して、幾ばくかの使者のやり取りの末―――遂にぶつかり合う。
しかし簡単に突撃は命じない。リュドミラはエレオノーラが騎兵の突破力で出てくると見て重装歩兵を前に出している。
全身鎧を身に纏い大型の盾に鋭い槍を前に出して待ち構えた密集陣形(ファランクス)。
ぶつかり合うか否かの段で焦らしつつ、100アルシンで相手の隙を窺う。リュドミラもまさかいつも通りの突破を掛けて来なかったことに少しだけ評価を改める。
(義兄様に言われたからなのか、それとも副官がいないからなのか随分と慎重ね)
如何に色々と訳ありで生臭い戦とはいえ、リュドミラは戦うとなれば全力を尽くす。己の指揮が兵達の命を生かすか殺すかかかっているのだから当然だ。
100アルシンの距離で両軍が弓を打ち出しあう。多くの兵士達は無為に放たれるそれを鎧や盾で防ぐ。まぐれ当たりが出ることもあり落馬、落命、兵だけでなく馬自体が死ぬこともある。
しかしそれは微々たる被害であり、まだ10人も出ていない。こうして弓を撃ち合っている所、その中に「ティグルヴルムド」らしき恐るべき矢が放たれていない辺り、使者の言葉は間違いないようだ。
(ティグルヴルムド・ヴォルンは、今ライトメリッツ陣内にいない―――帰ったのか、それとも……別件か)
幕営内にいたのは「自由騎士」「風姫」、この二人だけだという使者の言葉に断を下しつつ、騎兵隊を前に出すように言う。
「縦列で突破を仕掛ける。歩兵部隊、壁の一角を開けなさい!」
悟られぬようにどこから仕掛けさせるのか分からせずに、各部隊が等間隔で密集に「隙間」を作らせる。
(義兄様―――どう受けますか?)
『歩』を退けて『香車』『飛車』の道を作ったミラの動きに対して前線指揮を任されたリョウは直ぐに前衛「弓騎兵」を両翼に広げる準備をするように伝える。
「蟻の一穴作りのように堤防を砕いてくるはずだ。側面に対して攻撃を加えろ。矢筒一つ撃ち終えたならば、即退却」
「矢筒一つだけでいいんですか?」
「奇襲のコツは『早撃ち』『早逃げ』だ。厳命しろよ」
弓騎兵部隊長の不満げな言葉にどれだけ効果があるかは分からないが、ティグルのような『
「騎兵部隊は弓騎兵の撤退と同時に、あちらに突撃をかける。手負いはともかく五体満足で漏れ出た連中は歩兵部隊に処理させる」
「サカガミ卿は?」
「俺は何に乗っているんだよ? そういうことだ」
苦笑するライトメリッツ歩兵部隊長。どうせ自分が離れればエレオノーラが後方でやりくりしなければならなくなる。
それに恐らく向かってくるだろう騎兵の中にはミスリル製の武器鎧のものもいるはずだ。そいつを倒す。出来るだけ歩兵部隊の負担を減らすのみだ。
決意すると同時に、物見から報告が上がる。
「作戦開始!」
同時に重装騎兵が、縦列で突進してくる。その突進力は普通ではない。ブリューヌ軍がその威力を信奉する気持ちが分かる。
このようなものの前に戦意は落ち込むは当然だ。180アルシンの距離を踏破しようとする前に、十字に広がっていた前線の内の横一文字が崩れて突出する。ちょうど縦列突進の側面に躍り出る弓騎兵集団。
それに驚いたのは重装騎兵達だ。何故ここまで早くに展開できるのか。側面攻撃は予測していたとはいえ速すぎると。見れば分かったこと。
馬は騎馬鎧も何も無く、弓騎兵の鎧もそこまで重たくないもの―――レザーアーマーという無いよりは『マシ』程度のものだけを纏っている。
『
左右両部隊の隊長からの号令で側面から矢の豪雨が騎兵を襲う。山なりに届くものと直射連ねを左右交互に行う。
展開の速さから少しだけ対応が遅れた。
縦列突進の数は5列で200といった所か。本来ならば一点を次から次へと強襲する作戦だったのだろうが平原決戦というものにおいて側面に回りこまれるのは敗着の一手だ。
(姉川の時と違うのはナガトの信頼していた「十一段崩し」の「カズナミ」がいないことだ)
感想を述べつつ、こういう平原決戦の悲惨さを思い出す。
とはいえ200の内の70程が五体満足で向かってくる。その中に20人ほどのミスリルアーマーにミスリルスピアのものが見えた。
「騎兵部隊! 待ちくたびれただろうが突撃だ!!」
エレオノーラは『速力』を重要視するが故に騎兵突撃を標準的な戦法にしている。だからなのか少しばかり騎兵部隊もこの遅滞戦法にはくたびれていた印象がある。
しかし、此処に来てようやく膠着が解けて自分達の仕事を出来ることに意気を上げる。
「騎兵隊長、陣地攻撃は任せた。俺は出来るだけミスリル装備の連中を討ち取る」
「承知しました。では後ほど」
『千鳥』を持ち上げつつ、向かってくる白銀色の鎧の騎兵に目を向ける。飛び出しつつ、20人が一塊となっていることに気付く。
(最初から強力な武器を持っている連中を一纏めにして運用したか―――狙いは、俺かエレオノーラ)
下手に分散させて動かすよりはいい使い方だと感心しつつ、中央方面から迫る騎兵に馬を飛ばす。
先頭にいた騎兵に威嚇の言葉を放つ。
「いきなり『玉』は取れねえだろ!!」
「オルミュッツ騎兵長フォンサ! 尋常なる一騎打ち願おう自由騎士!」
敵の騎兵が構わず陣地に向かう中、そんなことを言う兜で面が見えぬ男に千鳥を向ける。
威勢がいい。しかし―――。フォンサの槍と打ち合う寸前で穂先はフォンサの前から消え去る。
「惜しいなっ!」
馬上での薙ぎ払い。真一文字にブレストを砕かれたミスリルアーマー、内側に何も着ていないのが仇となり、薙ぎ払った槍を返す動作で石突を胸郭に叩き込む。
衝撃で呼吸が困難になり、骨を砕かれてそのまま馬から落ちるフォンサ。フォンサの次に来たのは同じく騎兵長と名乗った男だ。
「馬上槍が甘い!」
「ぬっ!」
しかし、残念ながら自分の相手をするには力量が足りない。薙ぎ払いの姿勢で来た相手に一合することなく、肩を砕くようにして半月刃を上から叩きつける。
肩部分を砕きつつ血を噴き出す相手に横薙ぎで馬から叩き落す。
フォンサと次の相手は恐らく20人の中でも凄腕だったのだろうが、彼らが一合もせずにやられたのを見て少し怯えているのだろう。
「同じ武器を持ち一対一ならば、俺の方が力量は上だぞ―――」
面倒だからまとめてかかってこいという意味で言うと、三人ばかりが勇気を振り絞って出てくる。
馬を操りつつの騎兵槍舞、前、横、後ろからかかってくる相手だが、リョウとて集団で一人を囲んだ場合の対処法は分かる。
(連環に囚われぬように絶対にかかる相手全員を視界に収めるべし)
両手で千鳥を振り回しつつも三人を絶対に己の視界から外さない。連携の精度は悪くないが、いくらでも綻びは見える。
前の人間を突こうとする構えを見せて、それを偽攻として横の相手の顎を頭の上で一回転させた石突で叩く。
下からたたき上げるようなそれを喰らい気絶するのを見届けると同時に、前にいた騎兵につっかかる。
後方から仕掛けてくる相手は、横の男の様を見て馬を放した一瞬を突いてのこと。
先程までの円舞の如き武を見ていただけに直線的に来るとは思っていなかったようだ。
「くっ! ラムサ! はさみ撃つぞ!!」
「合わせろよケール!」
呼びかけに応えて前の騎兵は盾を構え短いミスリルナイフを持つ。一撃をこらえた後に後ろの奴と挟撃するのだろうが―――。
前方との間合い5アルシンあるかないかのところで、リョウは馬から消えた。
瞠目するラムサとケール。だが、それは必定。リョウは馬を足場に己だけを飛び上がらせていたからだ。
「なっ!!」「俺たちのうえ―――」
跳躍の終わりはラムサなる前方の騎兵の背後になる。刃を寝せて延髄を千鳥の穂先は叩いた。予想だにしない打撃と攻撃方法は、こらえようとしてもこらえきれるものではない。
鎧武者が飛び上がるなど、どんな戦士であっても予想することすらできまい。八艘飛びのそれを行いながら、落馬したラムサ。着地点の馬に「立ち」千鳥でケツを叩き狂奔させる。
狭間にいた自分の馬は既に横にそれて退避していたが、真正面にいて挟撃する形を取ろうとしていたケールにとってそれは、驚き以外の何者でもない。
「うわっ!! くっ舐めるな!!」
「生憎―――終わりだよ坊や」
ケールの後方よりやってきた目立つばかりの桜色の軍套を羽織った女。女はケールの鎧の隙間に小剣を突き入れる。
関節部など動きを邪魔せず、さりとて動くようにした両腕部分から血を出す。騎兵相手によくそんな器用なこと出来るものだとしつつも、リョウは馬から跳躍。
矢のような直線跳びでケールの前に出て鎧の胸部分を石突で叩いて気絶させる。
「くっ! ひけぇ退くんだ!!」
ミスリル装備の兵士20人は自分と一騎打ちする以外にも他に攻めかかっていたようだが、既に6人ほどに減っていた。
六人の内の階級が上だろう人間が退却を指示。追撃をかけようにもあちらは再びこっちとの距離を離していく。
700アルシン程の距離まで下がってタトラを背にするオルミュッツ軍。
一過性の攻撃で帰ってきた騎兵集団の数、怪我と武具の損傷の具合を見るに、こちらだけが大勝したわけではなさそうだ。
とにもかくにも戦場の後始末を着けなければなるまいとして落馬した連中を見つつ、歩兵達に人質としてエレオノーラに突き出すように指示する。
「ミスリル装備の兵士だ。たいそう身代金取れるだろうさ。腕前もかなりだったしな」
「……それを狙ってあえて「殺さないよう」にしていたのか?」
「まぁ―――やりすぎても不味いだろうからな。テナルディエと違ってオルミュッツは場合によっては、同盟することも出来る」
戦というのは面倒なものだ。相手が完全にこちらと相容れない存在であれば、とことん殲滅してしまってもいいのだが、今回の相手は数日前までライトメリッツ及びアルサスと一応の「口約束」を交わした相手なのだから
フィグネリアの質問に答えながらミスリルの武器を拾い上げる。大半は槍であるのだが、ラムサなる男の落としたミスリルナイフもある。
鞘に収めてから、気軽にフィグネリアに渡す。きょとんとした様子。とりあえず―――戦利品の類を回収しつつ、惨状のほどを見る。
「歩兵部隊の被害はあれでも軽微だよ。アンタがあの特殊騎兵を抑え付けてくれなければ、後方部隊はどうなっていたか」
フィグネリアの言葉で、彼女の言と共に示す視線の先にあるものを見る。
歩兵30人ほどの死体の手前にあるのは血に塗れたミスリル装備の兵士。死体を回収しに来た同部隊だったろう人間は40人ほど。全員が結構な重症だ。
つまりは―――ミスリル騎兵は一騎で70人分の標準的な歩兵を封じることが出来るという事実。
場合によっては、更に被害が増えていた可能性がある。
分かっていた事実。故郷でもそういう特殊な装備をした兵士が、それだけの戦力であることは分かっていたのだが、運用と地域によってここまでの被害が違うとは
「まぁ何にせよ……痛みわけだ。オルミュッツ軍は、更に深く後退している。恐らく野営するだろうね」
ただ引き上げるだけでなく前進するとみせかけてもいる。退陣すると見せかけて、「かかる」つもりを見せてもいる。
行軍の進行方向をあえて真っ直ぐ見せない辺りが彼女の優秀さだ。
そう感心していると伝令がやってきてエレオノーラの方針を伝えられる。
「戦姫様は、オルミュッツと5ベルスタ開けて野営するそうです」
「となるとタトラの山風を受けない方向に転進するのか?」
「そうなります。とにかくここは他のものに任せて転戦に付き合え。とも言われました」
頭を掻きつつ、仕方無しに馬に跨り1500の追撃軍に合流することにした。
しかしながら―――結局、その日は最初の一戦のみで、日没に至りエレオノーラの宣言どおり5ベルスタの距離を置いて野営することとなった。
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「雷渦の閃姫Ⅲ」―――東方より来たりし魔王
新作概要がようやく来たぁああああ!!
完全にミラルート、おまけにまだティグルの状況がちょっといい。具体的には、今までが武田信玄だったのに対して、ようやく織田信長ぐらいにはなったというところか。
実情としてはまだまだですが、家督相続までにどれだけのことが出来るか―――実に期待!
そして何よりミラが『増量』されてる……だと……。では新話どうぞ。
その日、老婆は恐怖した。最初は、あの鞭の娘がやってきたかと思っていただけに、それは急な来訪であった。
だが似たような匂いを感じて、神殿から出た時に―――そこにいた黒髪の―――女に声を掛けた。それこそが失敗であったことを後に思い知る。
「何か用かえ…破邪と魔性の両極の乙女よ……」
「いや用は無いな。ただ観光ついでにこの地の信仰なるものに関して検分を広めていただけだ」
神殿に蟠る闇から出てきた自分に驚きもせずに、邪神像―――自分を模した祖霊信仰の像を顎に手を当て唸るように見ている黒髪の乙女。
少しだけの落胆をしつつも話を続けるが、やはり無視の連続である。
「うーーむ。やはり世界は広いな。我が国に劣らず優れずとも―――そういった原始信仰はあったんだな……世界は広い! やっぱり国に帰ったらば大船団開拓事業を行おう!!」
「以前は、この地にいる者たちも、わしを信仰してくれたものじゃ。今では十神信仰に変わられたがの、わしに信仰を捧げ、願いを乞うものを救ってきたというのに」
薄情極まりないな。と続けた自分に構わず次は煤だらけの調度品に目を向ける乙女。コイツが一番薄情だなと感じる。
老人の言葉を無視して家を漁るなど盗人も同然だ。少し箒で叩いてやろうかと思った時に―――。
「そうして無様な願いを乞うた人間の全てを―――破滅させてきたんだろう? それじゃ信仰が廃れるのも当然じゃないか」
「………」
氷のような真実を射抜いた言葉で老婆―――バーバ・ヤガーは行動を止めた。
同時に、闇から這い出た自分を今度こそ視界に納めた女。長い黒髪が―――闇の奔流にも見えながらも、その中に無限の光を感じるものだ。
全身から出る「気」は、自分達と同質にして正逆のもの。
「神、仏、霊とはその本質においては、何もしない。『ただあるがまま』……というのはウチの『竜剣』の言だが、まぁ概ね正しいよ。神様なんてでっかい『存在』が、何かを与えるのに何かを奪うなんてのは、本質はずれだからね」
「代償なくして、褒美だけを与えよというのか……?」
「それが―――『神』というものだからな。まぁ清らかな乙女だけを喰らう神もいたそうだけど、それは悪神、祟り神の類だし―――それじゃ、精々黴臭い所で、長生きしなよバアサン」
そんな風に気楽な調子で出て行こうとする乙女だが、ここまで言われて妖魔として黙っているわけにはいかない。
箒を取り出し、石臼を呼び出して戦闘の姿勢を取る。最初は奴を惑わす。奴の平静を崩すことで操ってやろうと考える。
ローブの切れ端を使い、廃神殿ごと乙女を闇の帳に閉ざす。
「失礼極まりない娘じゃ―――お主にとっての最大の悪夢を見せてやろうかの……ほう、お主……実の弟を殺しおったのか、他にも坊主を殺し、義妹と実妹すらも―――」
「黙れ」
幻覚にして幻惑の術が力ずくで破られる。バーバ・ヤガーの撒いた術が、まるでガラスが砕けるような音と共に砕かれた。
廃神殿の中にて、ばらばらと地に落ちる黒い固形化した『術』の残骸。
何をされたわけではない。力ずくで「掴まれ」「引き裂かれた」のだ。
「なっ!?」
「よくもまぁぺらぺらと、私の頭を覗いてくれたなババァ―――身の塵一つ、魂の一欠けに至るまで、砕いてやるぞ」
輝く蒼い眼が、バーバ・ヤガーに向けられると同時の宣言。一刹那あるかないかで、固形化した術の残骸を踏み砕きながら剣を振るう女。
バーバ・ヤガーに知覚できぬ神速の斬撃。しかしヤガーに知覚出来ぬとも己の持ち物であり、乗り物である石臼はそれよりも先に剣から逃れる。
「おのれ!」
箒を回して、火球を放つ。あの剣では自分を斬る事は出来ない。『斬』の範囲内から逃れることが出来る廃神殿の屋上近くに陣取りながらの攻撃。
これが鞭や、杖ならばともかく、あの剣では―――と思っていた時に、黒光りしつつも金色の輝きも見える―――何かが、『二つ』こちらに向けられていた。火球を躱しながらの見事な動きの末に―――。
盛大な音と共に、何かから『何か』が発射された。高速で飛んできたそれは妖魔である自分の体を深々と貫いた。
焼けるような熱さが内部から伝わってくる―――それで、正体が何であるのかが分かる。
「『霊』薬兵器……!?」
「正解。発射機構はバネ仕掛け、本来ならば炸薬及び弾丸に『火薬』を用いること出来れば、もうちっと良かったんだけど……妖魔相手ならばそれで十分だ」
『瑠璃弾』の『摩擦』で上がる『銃口』からの煙を吹きながら―――『カズサ』は、天井に浮かび上がるババァを殺す算段を着ける。
(『スプリングガン』は連発式じゃないもの持ってきちゃったし、びっくり兵器としては御の字だ)
飛んでいる敵を殺せないわけではないが、他国であまり騒ぎを大きくするのもどうかとおもっ――――。
「生まれよ。土精人形!!」
などというこちらの怒り交じりの計算を無駄にするように、土塊で出来た人形がごろごろと出てきたときには……正直、こいつ隠す気ないなと感じた。
五十体も出来た造形美なしの出来損ないの土の巨人。2間―――こちらの単位で300チェート過ぎた巨人の群れに溜め息を吐く。
「例え、貴様がどれだけ術を無効化し、わしを痛めつける武器を持とうと、それだけならば壁で圧しつくすのみ、斬撃が効かぬ再生する土塊で疲労させて―――」
長い口上が途切れる。五十体の土の巨人の群れの中に入り込んだ闖入者。それの正体は――――連続して土の巨人に走る光の軌跡で知れた。
『斬魔の斬撃』を喰らい、ぼろぼろと崩れて、元の土と砂に還る巨人たち。その本来いた巨人の中心に一人、否、一匹の猫が抜き身の刀を持って佇んでいたのだから。
「ふむ。帰りが遅いと思えば、とんだ寄り道だな。ろくでもない婆さんに付き合う必要はないと思うぞ。面倒だしさっさと黄泉に送り返してやれ『魔王』」
「……まぁ、それもそうか……」
窘められて、我に帰る。何もここで感情を爆発させんでもいいはず。こんな『小物』相手に大人気なさすぎたと考え直す。
弟の死も、義妹、実妹。それらに降りかかった悲劇も、全て飲み下してここにいるのだ。今更、誰に知られたとて構わないことだとして、天下を、狂った世の中を正してきたのだ。
その自負を―――他国でも持っておかなければならなかったのだ。
「すまんな婆さん。――――遊びは終わりだ」
「娘―――貴様!!」
言葉と同時に発現した『魔王』の力。己の『神器』を呼びかねないが、それは要らない。ただ力を―――適切な形で『放出』するのみ、だ。
銃弾が無い空の『銃』の『口』を上空にて動けず固定されていた老婆に向ける。銃の内部で溜まっていく『力』が、老婆を吹き飛ばすだけ溜まったその時に、カズサは放つ。
「第六焦熱『破戒』砲―――発射」
銃口から放たれるそれは熱と光の奔流。廃神殿の天井全てを吹き飛ばすほどの恐るべき破壊の波は止まらず天まで届いた。
中心にて破壊の頂点を味わっていたバーバ・ヤガー。
カズサは、放った光の結果を見ること出来なかったが……感覚で、どうやら仕留めそこなったことを感じた。
『霊銃』を腰に戻し、吹き抜けとなってしまった廃神殿。その青空を仰ぎ見る。
「しぶといな」
「というより仲間がいたのだろうよ。連れ去ったみたいだが、追うか?」
正直言えば、始末しといた方がいいだろうが、小物で手負いとはいえ二匹の魔を相手取るのはちと面倒だ。
あまり面が割れるのも避けたい。いずれはどこそこの国との交渉になるとはいえ、今はまだ、可憐な『美少女銃剣士』カズサでいたい。
「いや、いいでしょう。正直面倒ですし……私の落ち度でこんなことになったんですからさっさとリョウの所に行った方が面倒が無い」
「ふむ、気になることもあるが、所詮我らは外様……とりあえずはどら息子の手伝いが先決と言うのは同意する」
真正の猫の如く己の体を舐める親父殿に苦笑しつつ、やってきた「ひよの」と「かぐや」からあれこれを聞く。
「ふむ、つまりリョウは、現在、件のブリューヌ王国なる所にいると、そういう認識で構わないのだな?」
「とはいえ詳しいことは分からず。どの辺にいるかも少し判別できないそうです」
風聞こそそういった事が聞こえつつも、詳しいことは不明との事。
しかしまとめると、現在の状況と目的に合致するものが無いわけではない。
「政情不安の王国か―――面白いな」
「カズサ様、今、ものすっっっごい悪い顔してますよ。そりゃもう「いっそ奪ってやる」ぐらいの顔でアタシには怖すぎます」
「だが、聞けば元々その王国は内に憂いありすぎるらしいじゃないか―――衣食住に困らない国でありながら、王に忠誠を誓わぬ輩ほど、「度し難いもの」はいないぞ「ひよ」」
心底嫌そうな顔をするヒヨノに返しつつ、これでもカズサは「帝」の力を認めていないわけではない。近年、武家にやられ放題だった所を、何の因果か、発現した先祖帰り。
宮中の力を盛り返し、かつ宮に仕えた武家の一つ「坂上」を使って武家とのパイプも繋げたのだから、サクヤとそのお父君は、優秀だ。
「私はサクヤ以外の公家の連中なんて、つっかえ棒にも使えんと思っているが、その政治力はまだまだ衰えぬ。そんな中、私が国一つ奪ったとなれば、あいつらは目の色変えるぞ」
「やれやれ、どうやらお館様の諧謔にも困りますね……まぁやれないとも言い切れませんが、その場合かなりの時間がかかりましょうよ。最大の敵は恐らく……」
「ああ、だが……一度ぐらい何かを賭けて我が「愛人」と一戦やらかすのもいいかもしれない」
「ミツヒデ殿の愚を今度はお館様が繰り返しますか、それはいけないことだと思いますよ」
カグヤの言葉に今度こそ詰まる結果になる。確かに、奴とは戦いたい。だがしかしそれは……あいつにとっての心の痛みを誘発するだけだ。
頬を掻きつつ軽率だったかと自戒しておく。
「とはいえ、現在のブリューヌに陛下のおっしゃる妖魔がいることも事実、ここは一つ静観しつつ「官軍」「賊軍」の別を見極めるが吉かと存じます」
「つまり……『上洛』を遅らせろと?」
「そういうことです。何故かはわかりますか、ひよの様?」
カズサに言いつつ、ひよに問題として出すかぐや。度々この軍師はこういったことを主君であるひよのに言うことがある。いわゆる主君試しというやつだろう。
「ふふーん。かぐやってばいじめっこー! 流石にアタシだって分かるよ。要するに『影響力』強すぎるからでしょ。一応、アタシもカズサ様もヒノモトでは一国一城の城主だもんね」
正解です。と従容に言うかぐや。
事実、詭弁も同然であろうが、リョウが官職を辞してここに来たのは、その影響力が強すぎることを懸念してのものである。
国外は、地続きでない国の人物のことなど気にも留めないだろうが、国内の権力者達は、どう見るか分からない。
そういった疑念を払拭する形での派遣であったので、まぁ国内からはあまり生臭いことは言われていない。
情に深いことは皆して言っているのでそれで、相子といったところだろうか。
「では竹中殿、どういった順路でいくかな?」
「剣聖殿、ご子息の安否が分からずともご了承願えれば、お教えします」
「構わぬ。わしはこの面子では一介の浪人みたいなものだからな。お主らの指示に従おう」
そう言われて、かぐやも説明をする。現在いる「ルヴーシュ」を北上しつつ東部に足を向けて、最終的にはブリューヌ南部に行く形になるだろう。
「つまりこの『アニエス』なる所からブリューヌに入ると」
「ええ、かかる日数を数えましたが、その間にあれこれが決まると思います……その間に、所在も判明するはずですから」
別段入ってから合流するのは簡単だが、その間に「賊」崩れの貴族軍にいいように使われるのも嫌だ。
「ポリーシャ」「ブレスト」「オルミュッツ」からの「アニエス」……といったルートを通ることが最適のはず。
「いいんじゃない。隊長のことは気がかりだけど、あたしも西方観光したい!」
快活に言ってのけるひよのに誰もが同意し、出て行こうとした時に不意に何かが出てきた。
老婆が這い出た闇から、同じく這い出た―――大型犬ほどの大きさの蜥蜴に似た生物。
『龍』ではない『竜』、その幼生。しかしその様態は少し変わっていた。その竜は一つの身体を二つの頭で共有する存在であり、どうにも苦しげだ。
「何か苦しそうだね。どうしたのー?」
返事などあるわけがないが、問い掛けつつ『双頭』の頭を撫でるひよの。
赤灰の鱗の頭、蒼金の鱗の頭は項垂れつつも少しだけ和らいだ様子だ。ひよのの持つ「神力」が、双子を和らげたのだろうと思いつつ、何であるかを考える。
「鵺―――のようなものかな。どうやらこの竜、望んでこの身体になっているわけではないようだ」
あの老婆の「使い魔」のようなものなのだろうかと考えつつ、どうしたものかと―――カズサが思う間もなく、ひよのは神器『日輪瓢箪』を振るい、その瓢箪から溢れた「森然五穀」を、餌のように幼竜に与える。
特に訝しげもせずに、それを食う幼生。
喰らっていくと、その都度段々と光り輝く双竜―――咀嚼して数秒もすると光の塊となりて、その光の塊が二つに分かれて廃神殿の床に下りる。
光の塊が輪郭を取り戻して、形作り彩色を取り戻すと、そこには―――赤灰の竜と、蒼金の羽根持つ竜が現れた。
どちらも幼生ながら、将来は「竜王」と呼ばれるであろう片鱗を見せる存在が、バーバ・ヤガーの神殿に現れる。
己の体を「取り戻した」幼生達は、喜んでいるのか走り回り、飛び回り、己の感覚を確かめている様子。
「もうあんな腐れたババァに捕まるんじゃないぞ」
何となく程度の事情を察して幼生達にカズサは語る。それに首を頷いてからヒヨノにも一礼した幼生達は野に帰っていった。
手を振り居なくなった幼生達が完全に見えなくなると、誰からとも無く足を向ける。
目指す先は―――東。そこに至った後に隣国の南に至る。
予定通りにいかなくとも、それはそれで面白いものだとして、一行はルヴーシュを離れることになっていく……。
・
・
・
・
余談であり、且つ核心とも言えることだが、そんなルヴーシュでの一幕を起こした日、その日の公国の戦姫の寝つきはいつになく良いものであり、後一ヶ月ほどはその状態が続くこととなる。
どういうことなのかは、分からないが、数日たって聞こえてきた報告。
十神信仰ではない原始信仰の廃神殿の一つが完全に崩れ落ちていた……という報告が少しだけ、ルヴーシュ戦姫「エリザヴェータ・フォミナ」の耳と目を吊り上げたが、その報告は後の報告によって忘れ去ることとなってしまった。
「で、戦姫様……こちらの幼竜どうしましょうか?」
「愚問ですわナウム。我がルヴーシュ公宮で養います」
武官頭であるナウムに脇を持ち上げられても平然としている幼竜。
姿は蒼金の鱗にして、それらの色を持つ双色目の飛竜。
示し合わせたかのように来たその幼竜の姿に、目を輝かせる。別にソフィーヤ程、竜に対して憧れがあるわけではない。
しかしながら、どんな因果なのかやってきたそれを育てることに迷いは無い。
「しかしこんな鱗の竜がいようとは、いやはや驚きです……」
「世界は広いですわね。来なさいスヴェート」
既に名前を付けたのか。というナウムの内心の言葉。ルヴーシュ国民全員投票『幼竜の名前付けよう!』など提案せずに良かったと思う。
そんなナウムの内心など知らず、呼びかけに応えたスヴェートという飛竜は、差し出されたエリザヴェータの「右腕」に乗りながらテラスへと出て行く。
「ここが、これからあなたの『家』です。あなたを苛めるものあれば、私は容赦しませんし、あなたもここに暮らすものとして、同胞であるルヴーシュの民をいじめるものあれば、一緒にやっつけるのですよ。私たちは―――家族なのですから」
エリザヴェータはそれに対して返事は求めていないものの、それでも首肯した竜を見て「賢い子」と思っておく。
そうしてテラスにて眼下に見えるルヴーシュの公都。それを守護する決意のように幼竜は、叫びと共に―――――雷撃を吐き出した。
空気を帯電させる吐息がルヴーシュの空を一瞬だけ輝かせた。
びっくりしつつも、こんな幼竜もいるんだなと少しだけ感慨を深くしておく。
自分のような「人間」もいる一方で、こんな竜もいる。世界は広く、どこにどんな人がいるかなど、些末事としてきた人物を思い出す。
『そんな人間もいる。それだけだ』
何のことは無い。自分の
(良いことが続きすぎて……少しだけ怖いですよ。ウラ……)
蒼い空の下にいるだろう一人の青年の姿を思い浮かべる。
多幸を感じる一方で、ツケを払うんじゃないかと言う不安を覚える。彼女を完全に救うための日は、――――刻一刻と近づいていた。
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『母娘の会話』
つーか今更ながら美弥月先生と言えば、渋にてティナのいいイラストを描いてくれた人か。
あああっ!! 最近の今作にはヴァレンティナ分が足りない!!(泣)
2018年7月19日 修正
宿営の中は寒さを凌ぐために篝火の数以上に、多くの暖が取られており、食事も暖かいものを全員が作っている。
「サカガミ卿、そちらの女性はどこで引っ掛けたのですかな?」
「いやはや剣だけでなく槍も冴え、女を殺す技術も冴え渡りますね。よっ天下御免の色サムライ!」
「うるせ。酒は飲んでも「呑まれるな」だ。あんまり飲み過ぎんなよ」
気楽な調子で騎兵部隊の連中に返してからフィグネリアと共にエレオノーラの幕舎を目指す。
見えてきた幕舎の中に入ってもいいかどうかを呼びかける。
「俺だが入っても構わんか? サフィール殿も一緒だ」
『ああ、構わん。食事もあるから構わず入れ』
失礼する。と一言だけあってからエレオノーラの幕舎に入る。
ライトメリッツの軍旗と黒竜旗が飾られた幕舎内。そこで彼女は報告書を見ながらシチューを飲んでいた。
簡素な机の上でのそれを見て、どうしたものかと思うがエレオノーラは存外真剣な顔で言ってくる。
「ミスリル装備とやらの運用を考えていた。回収した装備を採用するにしてもリュドミラ以上の運用方法を思いつかないと負けてしまう」
「対策を練ったほうが無難だと思うがな」
生産者があちらである以上、どうやっても装備の利はオルミュッツにあるのだから。こちらが奪って修繕した装備では対等にはなりえない。
火砲の生産がムオジネルにあることでの優位性と同じなのだ。
「お前が侵攻を止めなければどうなっていたか分からんな。8人で300人の被害を与えられたようなものだ」
空恐ろしい数字である。しかし分散して運用していたならば、その数字は出ない。
やはり集中運用の一点突破というものを思いついたリュドミラの勝利と言って過言ではないだろう。
「オルミュッツの戦姫は随分と攻撃的なんだね。あんな戦術思いつくなんて」
「いやサフィール殿、実を言うと私は結構驚いているんだ。リュドミラがこんな戦をしてくることに」
エレオノーラはそうして、リュドミラの事をサフィール、もといフィグネリアに話し始める。
リュドミラの戦術は基本的には堅実な防御でかかる。如何にライトメリッツ騎兵が強卒でオルミュッツの壁を砕こうとも即座に壁を塞いで、戦線の拡大を防ぐ。
背後や側面を突いたとしてもそれで壊乱するほど間抜けではない。
オルミュッツ兵士の防御戦術の優秀さは装備優良品というだけでなくジスタートの中でも雪深く寒冷な土地であるが故の忍耐強さからも来ているのかも知れない。
故にそういった攻撃こそ最大の防御的に突っかかるエレオノーラ相手に対しては更に堅実に守りを固めるのだろう。
「今回の戦は、本当に色々と考えさせられる―――特にお前が「余計」なことをしてくれたせいだ」
「望みとあらば、お前の領地にも炉を作ってやったのに、まぁサーシャとの取引を待つことだな」
強力な武装を考案し与えた自分を半眼で見てくるエレオノーラに肩を竦めながら、そんな風に返す。
「まぁ野戦に引き込めれば私の方が強い―――問題はどうやってあいつを引きずり出すかだ。いっそ貧相な乳娘とでも罵ってやるか」
「おまえねぇ、そういうことをして出てくるとか彼女を侮りすぎだろ。とりあえずお前はまだ後方で総指揮を取っておけ」
「ねぇ聞きたいんだけど……エレオノーラ…様と、相手の戦姫って仲悪いの?」
「サフィール殿……私と奴との間には深く暗く深海の如き因縁があるのだ…」
聞く限りでは、そんな後ろ暗いものがあるとは思っていなかったが、それでもエレオノーラの意見を聞くことにした。
彼女とリュドミラの出会いは他の人間からも聞いていただけに、改めて当事者から聞かされても、そんなに驚かなかった。
ライトメリッツとオルミュッツは元々仲が良くないとはいえ、リュドミラは同年代の戦姫として、自分と同じような時期に戦姫となったエレオノーラに対して、これからは友誼を持っていけると思って祝いで挨拶に向かった。
結果は―――まぁ、色々あって仲たがいに終わった。
そういった話をエレオノーラから改めて聞かされても、自分としては喧嘩両成敗としか言えなかった。
しかしサフィール、もといフィグネリアは納得していないようだ。葡萄酒で湿らせた喉から猛禽の嘶きよりは、白鷺の囀りのような声でエレオノーラに問いを投げた。
「私もこの稼業長いから傭兵であった戦姫殿のこともそれなりに知っている。白銀の疾風(シルヴヴァイン)のエレオノーラと言えば、団長ヴィッサリオンの自慢の娘だったと聞くよ。腹が立つような侮辱でもすぐさま手を上げるとは思えないんだが……」
「―――リム以来だな。こういったことを話すのは……確かにその時の私はリュドミラの態度に腹は立てた。それ以外にも他の戦姫に舐められないように、いい様に言いくるめられないようにして警戒していたんだ」
ああ、こいつの喧嘩犬っぷりは昔からだったんだな……と内心で苦笑しつつ思ったのも束の間、少しだけ印象を変えられることを口にした。
「それ以外にも―――親父を馬鹿にされたような気がしたんだ……」
伏し目がちになって悪いことを懺悔するように気落ちするエレオノーラに吃驚する。そんなエレオノーラを見てもフィグネリアは優しげな目を向けてどういうことなのかを問い掛ける。
「なんでだい? 言ってみな」
「そりゃ私は傭兵暮らしだ。市井の平民以上にそういったことに疎かったさ。宮廷儀礼なんてユージェン様から習うまで殆ど知らなかった……けれどヴィッサリオンは私に人間として生きる術を、人としての在り方を教えてくれたんだ。人と人が仲良くなるのに型通りの礼儀よりも『本質』を掴めと言われたんだ。それなのにアイツは、祝いで来たくせに礼儀を習えといってサルを見るような目で見てきたんだ。だから―――反発した。父さんを馬鹿にされたような気がして腸が煮えくり返った……」
頬を一発はたかれたい気分であったので、デコを一回だけ叩いてから、そういうことかと思う。
サーシャやソフィーですら気付けなかったエレオノーラの深い内心。それを知らずに少しだけミラに同情的な見方とエレオノーラに厳しい評価を下していたことを心底自戒する。
二人に知られず恥じ入る自分に構わず話は続いていた。
「それでも―――そこをこらえるべきだった。傭兵だって腹が立つ雇い主もいれば、ろくでもない仕事を押し付けるものもいる……そんな人間にだって、事情があってそんなことを頼んでいるのかもしれない……言う割にはあんたも人の本質を掴めていないよ」
しかし、そんなエレオノーラの述懐に対しても、フィグネリアは甘い態度は取らなかった。しかしどこか―――母親のように諭していく。
「むっ……」
「ただ私の知る限りアンタの父親は、そんな相手でも根気強く話していたよ。いずれは国を作るためにも交渉術や顔を売ることも必要だからね―――本当に非道な人間であれば、貴賎に関わらず殺す気概はあったけれど―――そこの自由騎士みたいにね」
「ヴィッサリオンを、そこの色欲全開な人間と一緒にしないで欲しいなフィ―――サフィール殿」
やはり顔見知りであったかと察して、これ以上の「立ち聞き」は悪いと思って幕舎をクールに去ることにした。
もっともそこで正体を明かすかどうかは別であるのだが……と思いながら外気の変化。雪が降るか降らないかを感じつつ適当な所でスープとパンを貰って、腹につめる。
そうして腹ごしらえと身体の暖かさを取り戻しているとサフィールならぬフィグネリアがやって来た。
「積もる話は終わったかい?」
「別に、ただ単にヴィッサリオンの話を聞いていただけだ。四方山話の類だよ……あの子、他の戦姫とも仲たがいしているんだって?」
「同じく「父親」絡みでな……ルヴーシュっていう公国の戦姫だ。俺も良く知っている」
返しつつフィグネリアも、自分の隣に座りながら焼けたパンを頬張る。時に人のスープに漬けて食う辺りめんどくさがらないで欲しいとも思う。
しかしそれが傭兵としての処世術でもあるということぐらいは察せられる。
女として扱うなということを示すには乱雑に男と同じ釜の飯を食うことが必要なのだと。
そんなフィグネリアに問い掛ける。
「エレオノーラの育ての親とやらは、あんたの昔の男か?」
「殴るよ小僧」
「18の男を小僧扱いとは、よっぽどだなあんた……」
余計な一言が結局フィグネリアからの懲罰を食らうこととなってしまった。
「………傭兵として同じ仕事している時に、あれこれ理想や世間のことを語られただけだよ……その中には、娘の自慢話もあった……父親として振舞っている相手に男を感じるもんかよ」
いじけるようなフィグネリアの様子。その内心に対してあれこれ言うことは出来るが、とりあえずもう一回頭を殴られるのは勘弁願いたいので、言わないでおいた。
ただ秘蔵の日本酒を取り出して彼女のグラスに注ぐことにした。
寒い時に「ひや」というのはどうかと思いつつも、生憎熱燗は持ってきていない。それでもフィグネリアは一杯飲み干し「いい酒だ……」として、気に入ってくれたようだった。
そんな風にしていると見張り番の一人が、こちらにやってきた。
「どうした?」
明らかに自分宛ての用事だと察し立ち上がって問い掛ける。
「ヴォルン伯爵がやってきたのですが、通していいものかどうか少し戸惑いまして……」
「何故だ?」
歯切れの悪い報告に疑問を呈する。
「オルミュッツ騎兵長の一人ピピン殿を連れてきたもので……通すべきか否かの判断を仰ぎたかったのです」
「分かった。俺が対応する。とはいえ一人の兵士にびびるなんてどうなんだよ……」
騎兵長とはいえ、ただ一騎の兵士だ。偽降だとしても、エレオノーラは埋伏の毒に引っ掛かるような人間ではないはずだろうに、と思い急いで野営地の入り口で佇むティグルを迎えに行く。
急いで向かった先にいたティグルは少しばかり疲れ果てている様子であった。とりあえず中に入れつつ、暖まるように言う。
「すまない。大公閣下を救出しそこなった……」
「後で報告は聞く。とりあえずピピン殿と一緒に身体を拭くなりなんなりしてこい。案内頼む」
「はい。閣下、ピピン殿こちらに」
騎士見習いの男数名に二人を預けつつ、何気なくタトラ山脈の方角を見つめる。夜襲を警戒するのも一つだが……。
だが、今のライトメリッツ軍が動けるかどうかの判断で言えば……動けないだろう。
ライトメリッツ軍とは少し違う勝利条件を設定しているだけに、もどかしさを感じながらも、今はこの流れに身を任せるしか無いままに夜は過ぎていった。
† † † †
翌日―――昼近くになり、オルミュッツに動きが無いことを怪訝に思ったライトメリッツ軍は斥候を放ち、オルミュッツ陣を走査。
幕営や消えた篝火台などだけが残された陣営内は無人であり、奇襲も受けずに帰ってきた斥候部隊の報告を受けたエレオノーラは確信した。
オルミュッツ軍は「穴熊」に入り込んだ―――タトラ山脈の城砦に篭られたのだと。
戦いは厳しい局面に移っていった――――。
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『タトラへの道』(前編)
新ビジュアル公開。そしてヴァレンティナの消失。なんてことだヴァレンティナが死んだ! この人でなし!!(嘘)
はい、ダッシュエックス文庫版ではティナは『戦姫』ではないそうで、それにしてもミリッツアの衣装が微妙にアジアンテイストというかジャポネスクな感じを受ける。
先生―――あなたの心意気に感謝だぜ(失礼千万)
とはいえ、ぶっちゃけビジュアル的にはFGOのおっきーにしか見えない。まぁああいったキャラは無くは無いよな……。
そんなこんな思いつつ、新話をお送りします。
「それでそのヤーファの客人とやらは何処かへと旅立ってしまったのかい?」
「ええ、一応引き止めてはいたのですが『面倒なので失礼する』として―――去っていかれましたよ。これが人相書きになります」
自分が居ない間に、レグニーツァにて起こったことの報告を受けていた
その絵が鮮明であり写実的であるかは分からないが、絵の中には三人の女性と……一匹のネコがいた。
自分より長い黒髪に独創的な衣装をした女性。格好は普通というか身軽な印象で金色の髪を頂点で結っている女の子、長い白髪を腰まで伸ばした女性、衣装はどこか重そうな着物を着ていた。
そんな三人のインパクトが薄れるぐらいに……直立したネコ……外套を着込んで眼帯をしているのだ。
体格こそ人間サイズではないものの、やはりこの絵を描いた人間の精神状態を疑いたくなる。
「けれど……このネコさんは、喋ったあげく「サカガミ」と名乗ったんだねマトヴェイ?」
「はい。航海中は色々と悩みましたが、やはり喋りもするし、自由騎士と同じような剣術で海賊船を沈黙させました……字は「ジュウベイ」。『坂上十葉官兵衛』とヤーファの文字で書くそうです」
海の男であるマトヴェイの言は偽りが無い。船乗りの掟として、不義理は犯せないのだろう。
サカガミの姓を名乗り、リョウと同門であろう……ネコ。
頭に引っ掛かるものを感じながらも、サーシャはその旅人達と一度会っておくべきであったかと、少し後悔する。
そんな自分の苦悩など知らぬのか……朱灰色の幼竜は、机によじ登り机に投げ出された絵を見て―――喜ぶような表情を見せた。
その絵を取って頬に撫で付ける様を見せていた。自分がリョウに甘える時の仕種のようなそれを見て――――サーシャに天啓が降りてくる。
「思い出した!! このネコは間違いなくリョウのお父上だ!!」
「何故そこまで断言できるのですか?」
老文官の言葉に頭に浮かんだことを『そのまま』伝える。
そう。あれはいつぞや夜伽の後の『後戯』の際に聞きだした話の一つだった。
リョウのご両親、武士である父君と巫女姫であった母君の出会いの話とその後の――――顛末の一つ。
それを怨念の話と見るか悲恋と見るか……人によって評価が分かれようが、それでもその時は話半分に聞いてきたことの一つだった。
語り終えると同時に、サーシャ以外の全員が何ともいえない表情をしていた。
目の前の女性の「生々しい話」を聞かされて、文、武官一同。どんな顔をすればいいのか分からなかった。
しかし一堂の中で勇気を出して、リプナ市長ドミトリーは話の続きを促した。
「では戦姫様、このお客人たちの目的をご存知ですかな?」
「マトヴェイに語ったとおり、観光とリョウの様子見じゃないの?」
「まぁそう考えるのが当然ですが、ヤーファ人の全てが自由騎士のような人物なわけはないでしょう」
「―――ドミトリーは、この中に『不審』な人間がいると見たんだね?」
リプナに着いた後に、この客人たちの接待の相手をしていた男の証言。それを今までとは違い、為政者としての態度で受けるサーシャ。
頷いたドミトリーは、中でも「カズサ」「ヒヨノ」なる女性は、普通ではないと感じた。
ただの武士ではなく……恐らく戦姫などの「国」持ちの領主であろうと見えたと伝えてきた。
「まぁヤーファの詳細な政治体制は僕も知らないからね。しかし……仮にもしも、そんな『人間』を派遣するなんて、何かあったんだろうか?」
自分とリョウが戦姫エレオノーラの別荘で会っていた時に彼は、この事を知っていたのだろうか?
仮に知っていたとしても伝えるべき事項でないと考えたのか、それとも……数週間前に会ったというのに再び会いたくなるのは……この黒髪の「カズサ」なる女性が、もしかしたらばリョウと色々あったご主君である「サクヤ」なのかもしれないからだ。
サーシャの心の中に明確な嫉妬心が芽生えてしまう。もしも知っていて教えなかったということも考えられる。
国公事に関わることだったらば簡単に自分にも教えられないはず。
(けれど私的なことで、今回の来訪を黙っていたのかな……?)
胸が締め付けられる思いだ。ヴァレンティナやエリザヴェータ相手ならば、ここまでの事は無い。
まだお互いに知り合って一年も経っていないのだ。けれど、ヤーファから来たこの人たちはリョウと同じ「長い時間」を過ごしてきた人なのだ。
(駄目だな……弱気になりすぎだよ……)
と気持ちを諌められたのか、腰に差している双剣が炎を出していた。それは特に自分を害するものではないが、それでも尻に火を点けられた気分だ。
見ると、レグニーツァの入り口で彷徨っていた幼竜も自分の胸に飛び込んで見上げてきた。
名前はまだ付けていないが、いずれ立派な名前を付けてあげようと思う。
「成るように成るしかないね。彼の行動を全て知れるほど僕らも大きな木々じゃないからね」
「『鳥』というには大きすぎ、熱すぎますからな」
『不死鳥』の止まり木になるには、レグニーツァ及びジスタートは、まだまだかもしれない。ただ彼はどこそこに留まっていられる人間でもないのだろう。
苦笑してから気持ちを切り替える。付き合いの長さで情の深さが決まるわけではないのだから
「いずれ直接会ってみたいね。それで奇態なヤーファのお客様の話題は兎も角として、他の大きな報告事項は?」
「大きいというわけではありませんが、ライトメリッツとオルミュッツが不穏な空気を見せております。報告が数日前なので戦になった可能性もあるかと」
「穏やかじゃないね。ザウル」
あの会談でティグルヴルムド・ヴォルンは、リュドミラ・ルリエの心を掴んだはずだが、どんな変節があったのだろうか。
そうして考え込んでいた自分にもう一つの話が上がる。諜報官というか、間者の頭というか、まぁそんな部署の武官からの報告に少し耳を疑った。
「―――カザコフ卿がプシェプスにやって来た? ……目的は?」
「私的なものだろうと思われます。供のものも殆ど居らず、妻子を伴った私的な旅行だと思われますが……」
「まぁ比較的近場のルヴーシュの戦姫との仲が最悪なのは、聞き及んでいるけれども……」
ただの観光であれば別に領主として、そこまであれこれ言う立場にない。
客人としてお金を落としてくれるならば、それを拒めるわけではないのだ。
とはいえ、用心しておくに越したことはないだろう。
(まずはリュドミラだね。彼女は最後まで手強く立ちはだかるよエレン、ティグル……)
ここからは見えないものの窓の外の景色。その向こうに見えるはずのタトラ山脈。
凍てつく冷気と険しき山々、それらを想像して何気なく寒気を覚えてとことこと着いてきた幼竜―――火を象徴して暖かい子を抱き上げて、再び窓の外の景色―――城下町の様子に目を遣る。
この景色を砕くようなことがあれば、その時は再び戦場に立つ。
そこに――――またリョウ・サカガミという自分だけの「騎士」がいてくれれば嬉しい。と思ってサーシャは、再び仕事に邁進することにした。
† † † † †
「こちらオルミュッツの騎兵長であり衛兵長でもあるピピン殿、今回のことで色々と世話になったんだ」
「こういっては何ですが、このような形では、お初にお目にかかります風の戦姫殿」
戦士として鍛え抜かれた身体。槍のような、壁のような印象を受ける長身でありながらも筋肉を程よく付けた中年の男性が挨拶をする。
衛兵でありながらも、恐らくその鍛錬は騎士の時代から衰えたことがないだろう人間だ。
「あなたの噂は色々と聞いている。先代、リュドミラの母の時代には冷壁将軍と呼ばれた人物だと聞いている」
「私は戦姫様の騎士でありますが、同時に大公閣下の一番槍でもありましたから、大公様が隠居されると聞いた時に同じく閑職に退かせていただいたのです」
鍔の長い帽子を幕舎に用意された机の上に置きながらピピン殿は、苦笑して身の上話はその辺でいいのではないかと伝える。
彼の武勇伝でも聞きたかったのかエレンは、一度だけ肩を竦めてから経緯と結果のほどを聞くことにした。
自分―――ティグルも交えたその説明は、まずオルミュッツに入った時から始まる……。
公国オルミュッツに入ったティグルはまず指示された通り、中央広場にて人目を少し気にしつつも「イクユミヤ」を三度ほど打ち鳴らした。
矢を番えられていない弓を引っ張るティグルに少しだけ住民や広場の商人達は訝しむ思いであったが、それでも打ち鳴らした弓の音が響くたびに身体の芯に響くようであった。
その後、少し目立つもののティグルは、そそくさと広場を退散してから街の薬師の下へと向かうことにした。
オルミュッツの薬師……というよりも施療院の人は院内に居なかったものの奥に呼び掛けるとやってくる辺り、ここのご家族も、あの「シノビ」にやられていたのだろうと察せられる。
薬師―――女性の方は疲れている様子であった。リョウの言葉を信じるならば広場での「祓い御稜威」で何とかなったはず。
それとなく探りを入れることにすると、寝込んでいた息子、薬師の義母が容態の急変を伝えたとの事。
「悪くなったんですか?」
「いいえ、苦しげな様子が無くなったんですが……、今度は熱が出てきて、ただ喋れるぐらいにはなったので、義母に呼ばれていたのです」
どういった呪いを掛けたかはリョウでも分からなかったので、そこは推測に過ぎないが、回復に向かったと見ていいだろう。
そうしてから、手紙一通と『薬袋』を取り出す。
院内にある植物は、薬に関しては素人なティグルから見ても見事なもので、『生成』は可能だろう。
「!? これは……!?」
「西方の『自由騎士』より託されたものです。私の事は信じられないかもしれませんが……どうかリョウの事は信じてください」
「―――少しお待ちいただけますか?」
深く一礼をして、薬師殿は匙を使い、袋の中の『特効薬』を適量測ってから二階に上がっていく。
(後は……天に任せるのみだ……)
説客というのは、こうした『説得工作』が通じなかった場合、殺される運命にある。リョウの渡した薬が、快復させるのか、それとも悪化するのか……。
信じるしかないのだ。そうして静かに心穏やかにして、半刻ほど経とうとした頃に、薬師の女性が降りてきた。
少しだけ泣いているような様子。どちらなのか分からないが、それでも結果を問う。
「ありがとうございます。旅のお方……! 息子の熱が下がって起きあがれるようになりました……!!」
「リョウ・サカガミが渡したのは、まず特効薬だそうです。手紙の中身にあると思いますが、時間をかけて『毒』を抜く解毒薬の精製をお願いします」
「オルミュッツの医者全てを使ってでも生成させます。となると……これを皆の所に届けなきゃいけない」
薬師の女性は少し動転しているようだが、リョウもまさか最初からこの展開になるとは読んでいなかっただろう。
本来ならばこの女性―――オルミュッツの「騎兵長」の奥さんの信用で、全ての患者の快復をするはずだったのだが……この家の子供までが、そんなことになっていようとは……。
少し予定違いながらも、自分が全ての人間に届けてくるのが肝要だろう。
しかし自分で言っておいて自分のような信用あるかどうか分からぬ男を招きいれてくれるとは限らない。
と考えていると、二階から一人の老女という割りには腰がしっかりした女性が降りてきた。
「それならば私が付き添おうか。孫も私の様なババアよりは、母親の手で看病してほしいはずだよ」
「お義母さん……」
「若いの、エスコートを頼もう」
「喜んで」
この街で自分など外様も同然だ。自由騎士の伝言役と言っても、それに信用がつけられるかどうかなど別の話だ。
―――そうして二刻するかしないかの内に、老人―――何でも、宿屋の侍女長をやっている女性の言葉が全ての患者の家族に伝わり、全てが終わった。
特効薬を全ての家に回って渡すよりも、広場に来させて持って行かせた方がいいという、老女の献策は実ったのだった。
予想外に早い仕事。しかしながら、少しばかり騒ぎになりつつあるので、即座に次なる行動に出る。
「ありがとうございました」
「礼を言うのはこちらの方だよ……これからどうするか?」
一礼をして、身仕舞いをしたティグルに問い掛ける老女。その言葉をはぐらかすことも出来たが、とりあえず協力してくれた人物なのだ。
真実を語らなければ、恩知らずである。モーラに窘められる気分を思い出しつつ、一応の事情を話す。
自分はライトメリッツと同盟関係にあるブリューヌ貴族の一人で、戦姫リュドミラ=ルリエとも話したこともある。
そして―――今回、ライトメリッツとの戦争になった原因も知っていると―――。
「なるほど、道理でお嬢様らしくない対応だと思ったが……そういうことだったとは……それで伯爵殿は、これからどうする?」
「タトラに向かおうかと、大公閣下―――戦姫殿のお父上も同じく取り返すこと出来れば、無駄な血を流さなくて済む」
「……ならば私の息子を就けよう。存分に使いなされ」
そうして老女は二階から降りてきた時と同じくしっかりとした足で街門の方へと歩いていく。
驚きつつも荷物をまとめてティグルもそれに続く。そうして衛兵詰め所に入っていく老女。
少しすると、―――20代後半だろう人間、軽装の騎士風の男が槍一本を持って出てきた。
その後に老女も出てきた。
街に入る際には見なかったが、この男も衛兵なのだろう。しかし何故出てきたのやら。
「大公閣下の捜索に協力するピピンと申します。伯爵閣下、どうかよろしくお願いします」
「え?」
言われたことの意味が、少し分からなくなってしまった。だが老女は得心したように頷くのみだ。
そしてピピンなる男の規律正しい敬礼に驚くのみだ。
「では皆、後は頼んだぞ。私はヴォルン閣下と共に再びタトラに大公様をお救いに行く」
『はっ! 隊長もお気をつけて!!』
この男がオルミュッツの公都の門番の中でも一番に偉い人なのだと思い、何故そんな人が自分に協力してくれるのだろうと思う。
「私の一人息子を救ってくれたのは、閣下だと母から聞きましたので、それに大公様は私にとっても尊敬すべきお方でしたので、今度こそ―――お救いしたいのです」
その目に決意の程を見てから、旅の供をこちらからもお願いする事にした。
「礼には及びません。詳しい事情は、道すがら―――旅支度もありますので」
慌てるピピン殿だが、こちらとしても分からぬ旅路であったのだ。道案内してくれる人が現れて本当にほっとしていると、先程の薬師―――関係から察するに、ピピン殿の奥さんがやってきた。
手には旅道具らしき一纏めの荷物。受け取ったピピン殿は準備完了したと言ってきて、出立を促す。
「よろしいんですか、奥様と一言なくて……」
「昔から心配掛けっぱなしなので、今更です。今は、両閣下のお命を守ることが私の使命ですので」
心残りを置いて生きたくないと言うピピン殿の決意は固く、だからこそこの人は絶対に生きて返してあげようと思った。
何が何でも、自分の黒弓の力を使ってでも―――成し遂げることが増えた瞬間だった。
そうしてオルミュッツ国民の見送りの元、その時は知らなかったが、かつて『冷壁』と呼ばれた将軍と共にタトラ山へと赴くことになった。
† † † †
一息つく形で話が途切れる。その間に暖めておいた葡萄酒(ヴィノー)を二人の前に差し出す。
喉を湿らせるそれを口にして一心地突く二人、日数から考えるに自分達がぶつかる三日前には、彼らはタトラに上がり大公閣下の再捜索にかかったはず。
「それで大公閣下を取り返せなかったってのは……『見つける』ことは出来たんだな?」
「ああ、近くに行けば見えなくなる変な「まやかし」でもあったのか、まぁそれは何とかなったんだけどな」
苦笑しつつ語るティグル。『結界』を解いた術も含めて説明を求めていく。
それは一つの冒険譚も同然で少しだけわくわくするものがあったのは事実である……。
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(後篇に続く)
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『タトラへの道』(後編)
というわけで後篇です。
――――タトラに入った後に、山師的な嗅覚でティグルは、大公の居場所を探していく事にした。
如何に、人質にしているとはいえ、排泄や食事は欠かせないし、監視役の人間の『補給』なども必要なのだ。
人質は生きているからこそ意味があるのであって、特に戦姫のような激発すれば万の人間も鎧袖一触な人間の縁者なのだから、扱いは慎重になっているはずだと当たりをつけて捜索を開始した。
下手人があの「忍者」であるならば、ティグルは確実に大公は五体満足で生きているはずだとして―――タトラにある人の痕跡―――それに目を点けて探索して言った。
山に入って二日目になって―――遂にティグルとピピンは遠くにある―――山小屋を発見した。
降り積もる雪に隠れきれず残るものを元にして、見つけたそれに間違いないと確信するも……。そこに近づけなかった。
「おかしいですな。道は正しいはずなのですが」
「まるで幻でも見せられているようだ……」
400アルシンあるか無いかの距離。無論、雪山に建てられた小屋、可能な限り雪崩で流れないなだらかな傾斜ではない所に、作られているのだが……険しいわけではない。
元の山道、最初の出発点に戻るとやはり目指した所に、山小屋はあるのだ。
おかしな限りだが……ここまで来るとティグルもそれとなく察しが着いていた。
恐らく、ロドニークからの帰り道で自由騎士リョウが使った「光の勾玉」による幻惑と、捕虜生活の時にエレンが副官である女性の部屋に潜りこんだ際の「空気の屈折」などによるもの……そういった「まやかし」の類が使われているはず。
山に登る前のブルコリネ平原の様子から察するに、そろそろ両軍がぶつかり合う頃だと思うので、助けを求めるのも一計だが……そもそもそのぶつかり合いを止めたくて、ここまでやってきたのだ。
山を降りる事はありえないとして『イクユミヤ』に矢を番える。あの黒弓と同じ要領で力を込める動作をする。
朱色の和弓はティグルの技量全てを費やしても更なる「先」を見せるかのように、扱いに「楽苦」する。
四百アルシンの先すらあるのではないかというほどに、楽しめる。
踏足、組足の取り方。弦の引っ張り方。姿勢の変え方。
それら全てをどこまでも改良して「先」が、あるかのように思える。
リュドミラの父や、今にも山の下で命の華を散らしあう戦士達には、不謹慎かもしれないが、ここまでとは思っていなかったのだ。
山小屋に対して照準を合わせる。鏃の先端に黒弓とは違う色の力が集まる。
『黄金色』のそれらが十分に集まった瞬間に、それらを飲み下すと同時。ティグルは弓弦を離して、番えていた矢をタトラの山に飛ばした。
黄金色の軌跡を残しながら、目測四百アルシン先の山小屋に進む―――少し上向いた所にあるそれを目指した矢は―――途中で何かを砕きながら、山小屋への真実の「道」を白日の下に晒した。
「まさか戦姫様以外に、このような事を出来る方がいるとは……いやはやお見事です」
「俺としては、こんな力よりも山小屋にまで届かなかったことが不満だ」
ティグルとしては山小屋の屋根を吹き飛ばして、敵を混乱することも目論んでいたのだ。
しかし、これにて四百アルシン先の山小屋に突入をかけることが出来るようになった。声を掛けつつも山の険道を進みながら、山小屋を目指す。
大公閣下を移動させるとしても、あちらも思い切った行動が取れないだろう。
希望的観測にしか過ぎないかもしれないが、下手人がどこから「まやかし」を突き破ったか分かったならば、その方向からの襲撃を警戒するはずだ。
全てが憶測任せの行動だ。だが最後に全てを決するのは、その憶測を「現実」のものとするための「勇気」。
ピピンと共に山小屋に突入を仕掛ける。残り3アルシンという所で、林の中を突っ切ろうとした瞬間に、クナイや「シュリケン」なるものが飛んできた。
「ティグルヴルムド殿!!」
瞬間、自分の前に立ち塞がったピピンが、ミスリルの槍を振り回す―――というより風車のように振るった。
飛び道具の類がそれによって封じられると同時に、ティグルは林を出て己の身に雪が積もるも、ようやく辿り着けた山小屋に安堵する。
「っ! あの時の弓使い!!」
「アルサス領主ティグルヴルムド・ヴォルン!」
山小屋の屋根に立ちながら、こちらを睥睨する―――同じ顔の女子。襲撃の時、果敢にエレンに斬りかかった双子だと気付く。
見ると歳はオルガと同じぐらい、背も似たほどだろうと改めて気付かされたが、それ以上のものが見えた。
「大公様!!」
ぐったりとした様子で、双子に「担がれた」中年の男性。それに気付いたピピンの声で身じろぎする大公。
見た瞬間に和弓が「鳴る」感覚を覚える。イクユミヤが伝えるものとはつまり……、あの大公の身にも呪いが掛けられているということだ。
ピピンに見えているかどうかは分からないが、ティグルの目には大公の身に茨のようなものが何重にも巻き付き、自由を奪っているように見えていた。
リョウの言うとおりならば、イクユミヤの弦を鳴らせば―――と思うも、流石に現在そんなことは出来ない。
双子による攻勢は止まらない。飛び道具を躱しつつ矢を番えるも……百戦錬磨のティグルですら、狙いを着けるのは容易ではないのだ。
下手をすれば、大公閣下に当たると思いつつ、短剣を抜きつつどうしたものかと思う。
あちらも、こちらの腕を知っているだけに山小屋の屋根から降りようとはしていない。
「ティグル殿! 私が突破を掛けます。数秒でいいからあの女子達の攻撃を止めさせてください」
「危険だ。俺はあの双子がどういったことを出来るか知っている。二人がかりならば戦姫と打ち合える人間だ」
とはいえこのままでは千日手だ。こちらでもあちらでもいいから何か膠着を抜けるためのアクションが欲しい。
などとどこに隠し持っていたのかと言いたくなるほどの飛び道具の乱舞を避け続けていると、あちらに変化が現れた。
林を抜けて、影のようなものが飛びながら、山小屋の屋根に降り立った。
『サラ様!』
「結界を崩され、見に来たら……お前か、ティグルヴルムド・ヴォルン」
双子の言葉でやってきた人間の正体を知る。金髪の忍。ザイアンを殺したのが誰かと問いを発した女だ。
「エルル、アルル。貴様らは大公を連れて城砦に行け……人質の無事をリュドミラ・ルリエに見せてやるようだ」
「戦は―――どちらに微笑んだの?」
「決着着かずだ。戦乙女として祈りを捧げるのは、まず城砦に行ってからにしておけ」
どちらが『エルル』で『アルル』なのか分からないが、一方が神妙な面持ちでそんなことを聞いてくると、即返すサラという忍者。
しかし警戒は緩んでいない。隙の一つでも出来ると思っていたが、予想外にこちらを見てきているのでティグルとしても何も出来なかった。
やり取りの終わりと同時に、エルル、アルルなる―――耳の長い双子達は、屋根の上から去ってしまった。
「っ!」
即座に後を追おうとしたピピンとティグルの眼前に立ち塞がる忍者。
リョウがいないから舐められているのか、それとも秘策でもあるのか、既に必殺を放てる距離ではある。
前衛にはピピン。倒そうと思えば倒せないわけではない。
「ティグル殿……あの女が全ての黒幕ということでよろしいのですかな?」
「ああ、知る限りではテナルディエ公爵の暗殺者……狙ってきたのは俺のはずなのに……」
「如何に戦姫と言えども、所詮は人の子だな。情に付け込めば……ブルコネリで命を散らした将兵も、まさか主君の親の為に戦っているなど思いもしまい」
嫌な笑いをする女。視線も自然ときつくなるのを避けられない。この女は領民とリュドミラの親を人質にして、戦争を誘発した。
裏側の事情を知ってしまえば、人によっては馬鹿馬鹿しくなるかもしれないが、だが親兄弟、己の子供の為に戦うことほど戦士としての誉れは無い。
ザイアンとて敗走する自軍の将兵を守るために自分に一騎打ちを挑んだのだ。
(その気持ちが分からないのか)
女というものは総じてそういうものなのだと、分かっていても……。ティグルは歯軋りしたい気分だった。
「何を言うかと思えば、そんなことか、オルミュッツの騎士達は、長くルリエ『家』に仕えてきた騎士だ。先代戦姫様が心底惚れられた大公閣下は我らにとっても尊敬すべきお方だ。戦士の覚悟を舐めるなよ暗器使いごときが」
「ならば……貴様も、ブルコネリで死んだ連中と同じくなるだけだ」
クナイを取り出すシノビと槍を構えるピピンが対峙しあう。一瞬だけ、ピピン殿がこちらに視線を向けた。その意味を知れないほどではない。
しかし……刺し違えるなどという結果を齎したくないとして、それに頷くことだけはしなかった。
「姫様の心を乱して、我が子に災いもたらした貴様を―――我が槍に賭けて倒す!!」
轟っ! という音と共に、突き出される穂先とクナイが打ち合う。何合もの打ち合い。その距離で打ち合う限りは毒を撒き散らすことは出来ないだろう。
隙を見出してティグルはピピンを援護する矢を放つ準備をする。雪が撒きあがり、踏み込まれる足と共にその下の土も噴きあがる。
騎士と忍びの土俵違いというには拮抗している戦いの間隙を縫って、ティグルは――――――矢を放った。
ピピンはそれを見ながら『後ろ』に倒れこんだ。ピピンの後ろより放たれた8アルシンの距離を進む矢。
斬り合いを中断させられたサラは考える。恐らくこの男のことだ。躱した所で上体だけを起こして、槍を突き刺してくるに違いない。
しかし飛び来る矢を完全に躱すことは、不可能だ。
(ならば!!!)
望んだ仇敵が、そこにいる。というのならば―――――数瞬の思考。高速での考えの下での行動を甲賀忍者「双樹沙羅」は、実行に映した。
後ろに飛び退きながら手を突き出す。得物を滑らなくするための手袋一枚。布一枚のそれを前に出して矢を―――『受け止める』。
鏃が薄布を突き破り、掌を貫き手の甲に突き出た一矢。その痛みが……心地よい。
ザイアン様も、この男の矢に貫かれて死んだのだ。ザイアンと同じものを共有しているのだと気付くと同時に恍惚と同時に沙羅は、噴き出る血とヴォルン伯爵の念を下に―――呪いを「放った」。
「死ね!! ティグルヴルムド・ヴォルン!!!」
言葉と共に―――ティグルに呪いの「波動」が放たれた――――。それは硬直するように、弓を放った体勢のままのティグルを直撃した――――。
† † † † †
「―――以上が経緯だ。その後、サラなるシノビはタトラの城砦に向かったと思われる」
「ちょい待て。かなりはしょったぞ。何でお前は五体満足なんだよ?」
葡萄酒の三杯目を呷ったティグルの説明に誰もがツッコミを入れざるを得なかった。そこまで怨念強い呪詛を受けて何故、ティグルは無事なのか……。
そんな自分達の疑念はティグルからすれば、更に疑問だったようだが、それでも追加の説明を受けていく。
「あれ? リョウからすれば不思議じゃないと思っていたんだけど……、もう少し言うと、慌ててそれを『弓』で受けて払ったんだよ」
「呪詛返しか……咄嗟によくそんなこと出来たもんだ」
思わず感心してしまう。聞く限りでは本当に避けられない奇襲だったはずなのに。とはいえティグルは忍の放った呪詛をイクユミヤで返したそうだ。
人を呪わば穴二つ。相当な呪詛の反射だったはず……だというのに、まだサラという忍は生きているのだ。
その場にいれば適切な解説が出来ただろうに、もどかしい限りではあるが、詳しく聞くと……「祓った」呪詛は、そのまま忍に返されたのだが……。
「消え去ったか……」
「すまないな。色々と手を回してくれたのに、満足行く結果を出せなくて」
「別に謝ることじゃないだろ。俺達だって完全な勝利を得られなかったんだから」
だが、消え去った呪詛というのが気になる。確証こそ無いが……もしも、サラなる女忍がザイアン・テナルディエと深い仲であり、それが―――。
思いついた推論でしかない事がリョウの中に重くのしかかる。その推論が真実であった場合が……重すぎる。
(重い決断を再びティグルに強いるかもしれない。もしくは、何も知らせずに俺が斬り捨てるか?)
知らなくてもいい深い事情にまでティグルを突っ込ませなくてもいいはずだ。城砦内部に対して大公閣下の呪いを解く「祓い」を行いつつ、その双子と「くノ一」を殺してしまえば、それで万事解決だ。
「ピピン殿には悪いが、城攻めをする必要もある。恐らくだが、ネズミ一匹すら入れるなとか言われているはずだからな」
完全な篭城作戦。それを破らなければならないのだ。それは少なからずピピンの同僚にも再び殺傷を与えるだろう。
「その辺はお構いなく。ただ、タトラの城砦はライトメリッツの戦姫に対抗するために築城されたものです。下手に攻撃を仕掛けるのはいたずらに犠牲を増やすだけなのは、ヴィルターリア殿がよくご存知のはず」
「忌々しいことにその通りだ。あの砦は厄介の一言に尽きる」
挑戦的な笑みを浮かべたピピンに対して腕組みをして、語るエレオノーラ。
山城攻めというのは面倒なものである。叡山にて「羅刹」に魅入られていたとはいえ、生臭坊主を殺した時のことを不意に思い出してしまった。
「なぁリョウ、もう一度、大公閣下の救出を出来ないか?」
そんな風に苦い思い出に浸っているときに、ティグルはそんなことを言ってきた。
呆れるでもなく、それが一番だと思うのは、自分とて出さなくていい犠牲をもう出したくないからだ。
「捕らえたオルミュッツの人質変換に紛れて砦に入るってのはどうだい?」
「サフィールの意見も一つだが、二度目の轍を踏むかね? 第一、まだ戦時体制なんだから交渉に応じるとは思えない」
「俺自身が入れなくてもいい。とにかくタトラの城砦に『矢』を入れられればいいんだ」
サフィールの意見を取り下げると同時にティグルはそんなことを言ってくる。諦め切れないのは分かる。
そして……、ピピンの心意気に彼は応えたいのだ。
「タトラの城砦を見下ろせるだけの高い所、そこから矢を放ち―――あのシノビの呪いを無効化させた上で、要塞内に入り込み、決着を着ける――――こんなプランしか思いつかないぞ」
「最上じゃないか。エレンの風とリョウの風を使った上で城砦に入り込めば、後はピピン殿に説明してもらった上でリュドミラの杞憂は取り除けるはず」
「………お前も言うようになったよな。褒めてるから怒るなよ」
てっきり正面の門をぶち破って入るとか言うと思ったが、それ以上の奇策を用いてきたものだ。
「だが正面を威圧する部隊も必要だぞ。誰が指揮するんだ?」
「指揮しなくても旗だけかざしていれば、そこにエレオノーラがいると思うんじゃない?」
偽兵として砦正面に陣取らせる。というサフィールの意見に、隠し道を見つけておいたというティグルに抜かりが無くなってしまった。
そこから100人いるかどうかの決死隊を引き入らせて、リュドミラと忍達を釣り上げる。
決まった計画。確実性があるかどうかは、分からないが、恐らくこれが一番、犠牲を出さないで終わらせる戦いだろう。
「では偽兵部隊を率いるためにもサフィール殿には、――――私の衣装に着替えてもらうので男共は出ていけ」
衣装箱から予備の戦姫衣装を取り出して笑顔でそんな事を言うエレオノーラ、言われたサフィールならぬフィグネリアは、面食らったのか口をあんぐり開けてエレオノーラを見返している。
「やれやれ、そこまで徹底する以上、文句は言えんわな。ティグル、ピピン殿一度出ようか」
「そうだな。少しリョウと話たいこともあるしな」
「私は捕らえられた騎兵達を見舞ってきていいですかな? 逃がしはしませんのでご安心を、万が一の時は躊躇わず殺してしまってよろしいですよ」
男三人がフィグネリアを見捨てる形で幕舎をそれぞれの理由で出て行く様子に、当のフィグネリアは心底焦っている。
「ま、待て男三人、特にリョウ! あんたは―――」
「さぁサフィール殿、この衣装に着替えてもらえるかな? 私の気に入りの衣装なんだ。だからリュドミラやオルミュッツ兵達も騙せるぞ」
「ちょっと! この歳でこんな若い格好出来ない! スカート短すぎ、装飾が若すぎ―――」
エレオノーラの笑顔での『悪ふざけ』に絶叫交じりの言葉が後ろに聞こえている。
幕舎を出てもフィグネリアの言葉は続いていた。いつもの戦姫衣装を手にフィグネリアに迫っている様子がありありと思い浮かぶ。
『だ、だからこんな格好しなくてもいいって、というか他にあんたが戦姫として着ている衣装無いの!?』
『大丈夫だ。私の知り合いの戦姫達も「黒パンツ丸見えミニスカ」「華をあしらったドレス」「乳強調ヘソだしシースルー」と歳に関わらず着ているからな! 大丈夫。問題ない!』
『説明になっていないんだけどエレオノーラ!! た、助けてヴィッサリオーーーン!!! あんたの娘がアタシをいじめるーーー!!!』
あいつ絶対にサフィールがフィグネリアだと気付いて、そんな事しているな。と分かる会話内容である。
まぁそんなこんなで何となくフィグネリアの状況に対して合唱して『冥福』を祈る。
そうしてからピピンとティグルを案内した騎士を見つけて、捕虜としたオルミュッツ騎兵にピピンを案内するように頼む。
ピピンと分かれると同時に、ティグルは案内するように幕営内で一番人気の無い所まで歩いていく。
「同伴小便」というわけではないが、何かを察したのだろうかティグルも無言だ。
「―――何か、聞きたい事がありそうだな?」
「お前が言い辛そうな顔をしていなければ、何も聞きだそうとは思わなかった」
タトラの冷風が吹きすさぶ幕営の端、少し足を平原に向ければ幕営の外に出られ、男連中ならば用を足そうとする場所にてティグルは風を受けながら真剣に聞いてきた。
髪をなびかせながらタトラ山を向きながら、話すかどうかを真剣に考える。
自分の胸の内だけでどうにかなることであれば、特に話す必要も無かったこと。それだけだ。
だが『可能性』に気付いてしまったばかりに深刻な顔をしてしまったのが失点だ。
「聞かなくてもいいことかもしれないんだが」
「それを判断するのは俺だ。第一、友人と信じている人間なんだ。隠し事はしてほしくない」
「………」
嘆息をして、自分が伝えるのを躊躇った事の詳細を伝える。『もしかしたら』、『あるいは』、『不確定だが』などと散々前置きした上で、ティグルの呪詛返しが「サラ」に通じなかった原因を伝えた。
「―――そんなことがありえるのか?」
「聞いた話だけならば、な。人を呪うってのは結構、リスクが高いんだ。相手の『霊力』が高すぎると効かないことも多い……特に『命』が「一つ」じゃなければな」
「……なんて事だ……。しかし、そうだとしたらば、あの忍を殺すことは出来ないぞ」
「生かしておくつもりなのか? あの女は絶対にお前に厄をもたらすぞ。―――それはあの女の『後』を継ぐものでも変わらない」
戦国の世の常としてザイアン・テナルディエは殺した。自分もそれを最良とした。
もしもあの時、約定どおり一騎打ちが果たされたとしてザイアンを捕らえたとしても、その首を刎ねていただろう。
捕虜としての身代金支払いぐらいには応じるかもしれないが……。
「だからこそだ。あの時、俺はザイアンに対してあの結末が相応だったかどうか分からない。ただ、あいつの心ならば、フェリックス卿とは違う『道』を示していたかもしれないんだ」
「……本気か?」
「―――『生まれた』後に、どういう判断をするかなんて分からないし、俺だってそんな未来の『心』まで責任を持てない―――だが、ネメタクムに「テナルディエ」がいなくなるような事態は避けたい……あの土地は、家の者が継ぐべきものだ」
それに対して代官を立てる。自治都市化、共和制など多くの意見を述べる事は出来る。ティグルとてそれぐらいは検討しているはず。
フェリックスと対決すること出来れば、勝敗に関わらず……あの家は次第に没落するだろう。縁故のもの全てを殺し尽くした先代の行いが呪いのように響いている。
「自由騎士リョウ・サカガミ、―――サラ=ツインウッドの『未来』を『生かしてくれ』―――もちろん俺が決着を着けること出来れば、それが一番だが、もしもの時は……頼む」
「もしもの時とか言うんじゃない。恨みをぶつけるのがおまえ自身だと言って『未来を生かす』ならば……お前が絶対に決着を着けろ」
もしもの時、それはティグルが負けてしまった場合を考えてのことだとは分かった。
そんな時は、絶対に来させない。この男が恨みも何も全て呑み下して、『未来』のために行動するならば……自分もそうするだけだ。
ここからも、見える険しき山の上にいるべき囚われの姫君「二人」を救い出す。
因果と言う『魔物』を殺して未来の為に生かすのだと――――。
そして若者二人の決意を含めて、その日の内に、タトラ城砦攻略戦が開始された――――――。
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『タトラ城砦決戦』(1)
新作が発売したので久々の投稿。
前回(MF文庫版)がムリゲーすぎたティグル―――反動なのかすごく恵まれている。
おおっ! なんだこの誰もかれもが虜になる秀吉系統の主人公は……、まぁ少し環境に余裕があればティグルも王道をそれとなく目指せるはな。
チートという程度ではないが、アルスラーン系主人公として多くの武将を味方にしてダリューンなロランも味方に着きそうだし。
ああ、けれど代わりに敵もとんでもないことになりそう……。
赤髭「15万でダメだったから今度は30万で挑ませてもらうぞよ♪」
最近、どうにもこのアルサスにて良くない噂が上がっている。留守を預かる身としては、こういった事態に対してちゃんと対処しておかなければならない。
とはいえ、良くない噂と言えるほどに殺伐不穏なものではないのだが、それでも怪談話に変じそうなものでもあった。
この間、オードから帰還したルーリック、ジェラールからも同じような報告が上がっていた。(二人してタッチ半分ぐらいの差で同時に報告)
「どこからともなく夜になると聞こえる楽器の音色ですか……気取ったミネストレーリでもいるんでしょうか?」
「やはり調べた方がいいんじゃないか? もしも敵の間者でアルサス領民から何かを聞き出していたら不味い」
「私も聞きましたけど、良い音色でしたよ。ただどこからだろうと窓を開けると、終わっちゃうんですよね」
リムアリーシャの疑問に対して、机の対面で勉強していたオルガ、そして二人にお茶を持ってきたティッタが答えた。
言われてどうしたものかと思いつつも、やはり流しの歌詠いであるならば、堂々と音色を奏でて欲しいもののだ。
別に商売の邪魔をしようというわけではないのだから……。何も後ろ暗いことが無いならば出てくればいい。
「今夜辺り、その音色の正体を掴みますか。オルガ様の言葉も一理ありますから、場合によっては兵を使うことも考えます」
リムはそう決意して悟られないようにセレスタの街の住人にも協力を願って、気取った音楽家の正体を知ることにした。
ティグルの館の庭に潜んで件の音楽家の登場を待つ。どうにもその音楽家と言うのは、ティグルの館の周辺まで歩を進めていくことまでは分かっていたからだ。
月明かりだけが輝き、街唯一の酒場すらも閉まり、後は闇夜の帳に落ちて静謐の中に沈んだセレスタの街のみだ。
そうして―――二刻経つか経たないかという時に、それは現れたのだ。
張り詰めた弦が震えて、音を吐き出す作業のそれが静謐の中に心地よく響く。まるで静謐を深くさせようとするそれの前に―――眠りこけそうになるも、それをこらえる。
(き、来ましたよリムアリーシャさん)
(ええ……見える限りでは……男性ですか―――)
(またもやルーリックさんやジェラールさんみたいなティグルの小姓希望者だろうか……ティグルが色んな意味で『危ない』)
((失礼なこと言わないで頂きたい!))
言葉の裏に隠れた心こそ逆だろうが、オルガの言葉に隠れていた二人の男騎士達は小声で怒るという器用な真似をした。
そうしつつも、今回の音楽家は少し違っていた。今までは楽器の演奏だけで済ませていたというのに、今回に限っては、口を開いたのだ。
要するに詩を吟じ始めた。それはアスヴァール語での詩だ。
あまり知らない言語であるが、それでも―――アルトリウスと円卓の騎士の伝説を歌い上げているのだろうということは理解できた。
歌い上げる吟遊詩人は―――おそらく三節程度を歌い上げた後に、何かを呟く。
「うーーーむ。どうやらいないかいるのか微妙な所であるが、僕としてはこのまま帰るというのは情けないことこの上ない……ギネヴィア様とか絶対に怒るだろうしねぇ」
独り言を呟く吟遊詩人。軽い調子でいながらも、その身体はゆるぎない所作だ。
「それで今夜こそは聞きたいことがあるんだがいいかな? そのように闇の中で見つめられては、私も少々冷や汗を掻いてしまう」
「気付いていましたか」
リムが先んじて立ち上がると一斉に全員が潜んでいた所から立ち上がった。その様子に少し驚いている吟遊詩人であったが、落ち着いたのか、こちらに寄ってきて自己紹介をし始めた。
何か妖しい動きをすればティッタを除いて誰もが切り捨てることが出来る体勢でいたのだが、構わず吟遊詩人は口を開く。
「私の名前はウィリアム……アスヴァールにて伝説の英雄達のサーガを歌いながら、新たな「英雄」のサーガを作ることを目指すものです」
「何故ここに来られた? 何となく用向きは察せられますが……」
「流石は胸の大きな美人は言うことが違う。その度量に完敗してしまいますよ」
若干、怒りを起こしながらもとりあえず本人の口から用向きを聞きだす。それによれば目の前の吟遊詩人は元々アスヴァールにおいてタラード将軍に重用される人間だったそうだ。
タラードなる人物を直接見たことなく、知っているだろう人間からも聞いたこと無いから本当かどうかは分からないが、まぁ自己申告によれば、そういうことらしい。
しかし、かの陣営において赤竜の騎士アルトリウスの再来なのではないかと思うほどの卓越した剣士を目にした時から、彼の心……吟遊詩人としての『火』が点いた。
「つまり、リョウお兄さんの『伝説』を完結させたくて、ここまでやってきた、と……」
「その通りです桃色のお方。タラード将軍及び胸の慎ましやかなブレトワルダの革命が成るまでは、私は義理立てしてジャーメインを打倒するために戦ってきましたが、先においてそれらが成り、私は晴れて自由の身となり、自由騎士の伝説を紡ぐためにブリューヌにやってきたのです!」
芝居がかった言い方と大仰な身振り手振りをする吟遊詩人である。どちらかと言えば「道化師(クローウン)」か「劇作家」にも思えるのだが、本人はそういっているので、まぁそうなのだろう。
「……あなたが本当にサカガミ卿の既知の人間であるのならば、それなりの信用もありますが、今ここにはあなたの身分証明をする人間もいない。何よりある意味このアルサスは戦争真っ只中なのです。妖しげな、ともすれば間諜の変装でもある職業の方を滞在させるわけにはいきません」
リムの言葉に対して全員が頷く。かき鳴らしたハープの音色が物悲しく響く。だが、そう言っておきながらリムはある提案をしてきた。
「ですが、タラード革命軍にいたということは、それなりに武芸にも通じているのでしょう。我が軍は大変な人手不足です。伯爵の近衛兵を常に募集しております」
「まぁ剣も槍も弓も―――一流には届きませんが、それなりです……そして私の一番の武器は……こちらになります」
持っていた荷物、その中から―――金属製の陶器とでも言えば良いのか、何とも言いがたいものが出てきた。
壷と言えば壷だし、瓶といえば瓶にも見える。取っ手のようなものがついていたり、見れば見るほどに分からなく、リムもそれなりの洞察力を発揮するには時間がかかった。
「それは?」
「我が盟友ラフォールとの共同開発によって作られた手持ち「投射兵器」―――私はこれを、古式に則り「フェイルノート」と称しました」
「思うに、それはもしや小型の「火砲」……のようなものなのか?」
「不毛の方。なかなかの洞察ありがとうございます。動力機関や機構は少し違うのですが、それに類するものでして……まぁ日が出ている時にでも威力の程をお見せしましょう」
ルーリックにそんな風に言いながら、続けて今夜見せるには遅すぎるし、何より結果はそんなに見れないはずだとするウィリアム。
とりあえずセレスタの町の宿に一拍させることで、明日の昼にでも、その「投射兵器」とやらの威力を見せてもらうことにした。
そしてその日の昼に「タラード革命軍」の「『銃』士ウィリアム」は、連合軍の初の雇われ兵となることとなった。
彼曰く、その「複合投射『銃』」というもののアイデアはリョウ・サカガミの故郷で使われているある兵器が元であるらしい、更に言えば「自分の武器は、詩です! 詩で皆様の戦意を彩ってあげましょう!」と言うウィリアムに、どういえばいいのやらであった。
後にその男―――雅号「ウィリアム・シェイクスピア」と名乗り多くの伝説をジェスタ、サーガとして読み上げて多くの人間に「二人の勇者」の実像を見せていくこととなるのは、正しく運命としか言えなかった。
† † † †
剣が振るわれる。斬撃の鋭い音が、狭い室内に響き渡る。
疾風、突風のそれが剣だけで吹いていたのだ。まさしく自由騎士の剣に通じるほどのものだ。
縦横無尽に振るわれる剣の舞が、厳かさなど欠片もない不吉な闇を孕んだ風を吹きわたらせる。しかしながら、その剣嵐が都合30回も吹きわたると―――、風の音とは違う甲高い音が響いた。
高い金属音。それは振るわれ続けた剣が砕けた音である。
振るっていた黒い長髪の男は半ばで砕けた剣を振り下ろした状態で静止していた。
状態から回復し、直立しながら砕けた剣を見定める。
「この剣では駄目だな。俺の技術と『力』を受け止めきれない」
「申し訳ありません。何分、この辺りの製鉄技術は低いものでして…」
「そういう問題でもないのだがな。神器と言われるような武器はないのか?」
男。桃生は室内にて瘴気ごとの剣風を浴びていた老人に問いかける。
かつて、帝という神の血が薄すぎる支配者より神器を奪ったこともある桃生としては、砕け散った部屋の武器全てが、有象無象の類に思える。
八つ首の蛇の尾より生まれたという剣。それは自分の手にありながら最後には、自分を刺し貫いた剣だ。
鬼の小僧、不死鬼の息子という死者と生者の混じり物の手に最後は渡った。
その後は分からない。支配していた巫女の話では、神器を取り戻すために帝が送り込んできたというのも聞いていたので、その後は再び宮に戻ってしまった可能性がある。
しかし、ドレカヴァクは面白いことを言ってきた。それは自分にとっても正しく僥幸と呼べるものであった。
「まさか…あの鬼の混ざりものが生き延びて後世に子孫を残したとはな……奇妙奇怪も極まっている」
面白がるような声を出す桃生。神と人と妖の境界が未分であった時代を生きた魔人は、そのことを思い出しているのだろう。そして、その剣を奪うことを考えているのだろう。
「とはいえ、今の俺は所詮雇われの身……だが、だからと行動を制限されるのは気に食わんな」
「お待ちください…今はまだ、あの男は必要な存在…」
「構わぬ。今のフェリックスは、息子の仇を討つべしと凝り固まっている。そういう『執念』だけで、動いている人間ほど操りやすいものだ」
言いながら、開いた手のなかに闇を凝縮させた玉を出現させた桃生。その闇の濃さに、ドレカヴァクですらもおぞましさを感じる。それを用いれば、恐らくフェリックスの精神を支配は出来るだろう。
無論、傍目には正気に見えるだろうが、寸前での判断で割り込みをかけることも出来る。
恐るべき精神支配を行おうとしている。如何に魔道邪道を極めたとしても、ここまでのことが自分に出来ようか。
「とはいえ、この国での神器というものがあれば、それを手にいれるのも一興だ」
「では……お教えしましょう。この国の人間どもが愚かにも破邪の剣と崇め奉っている『魔剣』デュランダルを―――」
この男ならば、この国を闇に沈めるには容易いとは思うのだが、それでも万にひとつの可能性も残したくはなかった。
特にあの剣が、元の神官の家に戻るというのは、あまりいい気分ではなかった。
手元にあっても使える人間など『将軍』程度しかおらぬのだが、この男の手にあれば、それは違う結果になるはずだ。
そうして、場合によっては自分ですら滅ぼされてしまうぐらいの闇に恐れを抱きながらも、ドレカヴァクは話すことにした。
それがどのような結果になったとしても、忌まわしき神剣の売り捌いた『退魔銀(ミスリル)』によって、一種の結界を構築されつつあるブリューヌに魔の影響力を取り戻すことになるのだから……。
† † † †
ライトメリッツ陣内は少しのどよめきに包まれていた。それは総攻撃をタトラにかけると思っていただけに気合いを空かされた気分になったからだ。
しかし、それだけではない。この男だらけの陣における二輪の華が、昨日までとは『色彩』を変えていたからだ。
まるで朝顔の変化のように、二人の『衣装』が違っていたからだ。
「どうだティグル? こういう衣装もいいだろう?」
「あ、ああ似合っているよ…けど、何だってサフィール殿の衣装を着る必要があるんだ?」
「用心のためだ」
なんの用心かと言われれば、想像がつかないほどティグルも鈍くはない。
そうして、もう一方の方。桃色の長い髪。オルガよりも癖のない艶やかな髪。それを片方の目を隠すようにして前に垂らしている女性は―――昨日までエレンが着ていた衣装。
そんな『若すぎる衣装』をしたエレンよりも年上の傭兵サフィールは、何かに耐えるようにふるふると震えていた。
気持ちは分からんでもないが、それでも別にその衣装が似合っていないわけではない。ただ本人としては、そういった歳に似合わない衣装をイタイと思っているのだろう。
短いスカートを必死で押さえている様子に、同情してしまう。
お洒落に失敗した女の気分でいるだろうサフィールに近付くリョウ。
口が上手く、女の扱いに長けた自由騎士ならば、何かしらのフォローがあるだろうと、任せて見ていた。
そうして剥き出しの肩を叩いて、慰めるようにしていたのだが……突然、地面に向けて吹き出した。
腹を抱えて笑い出したリョウの様子に、笑顔で怒りをためるサフィール。30秒ほどの大笑の後に、サフィールは、その背中に鋭いヒールで蹴り出した。
「な、何するだぁー!!」
「五月蝿い黙れ!!! 私だって分かってるんだよ!! この格好の痛々しさぐらいな!! とにかくこんな恥ずかしい格好を終わらせるためにも必死でエレオノーラの真似をしてやる!! だからさっさとあんたらは大公閣下を救ってきな!! ―――野郎共!! あたしらは決死の覚悟で、タトラ城塞の門前で耐え抜くんだよ!! 出来なきゃあっちは戦姫がいないと思って、一気呵成に挑んでくるよ!!」
『ヘイ、姐さん!!!』
特殊な趣味の客を満足させる娼婦のように、リョウを蹴りたぐって満足したのか、それとも自棄っぱちなのか、サフィールはそのように言って、百人の決死隊を統率した。
恐らく両方だろうな。と結論して、いい傾向だなと感じる。そんな鋭いヒールで蹴られたリョウはさしたる痛痒を感じていなかったのか、平然とした様子でこちらに近づいてきた。
「一匹狼の傭兵だったって割には、随分といい統率の仕方じゃないか」
「当然だ。サフィール殿は、いずれは私の母親になってくれなかったかもしれない女性だ」
どういう意味だろうと疑問を口にすると、後で教えてやるとエレンは笑いながら言って来た。
ともあれ、偽兵部隊を率いるサフィールが、あの様子でいれば、ばれることはあるまい。
髪型、髪色に関してはオルミュッツ斥候部隊の不明さにかけるしかない。
「よし! 準備出来たな。ならば出陣!!」
全員の戦支度が終わったことを確認したエレンの声が幕営内に響く。目標は見えている。やるべきことも分かってるのだ。
為すべきことを為す。それだけだ。
((やれるだけ、やってみるさ))
奇しくもフィーネとティグルの心のなかでの言葉は同じであったが、その心は少しばかり違っていた。
だがやるべきことが定まり、それに対して全力で取り組める。それは、ある意味では幸せなことであった。
世の中には、そうではない人間もいるのだから――――――。
† † † † †
「……つまり、ティグルヴルムド・ヴォルンを殺せば、お父様を解放すると…?」
「そうだ。あの男は弓一級品であり、神器も操れるが、所詮は弓使いだ。距離を詰めれば貴様の距離だろう―――、もしくはエレオノーラ・ヴィルターリアを抑えておくかだ」
無茶な注文であるが、この女は聞かないだろう。それこそ決死で挑めとか言いかねない。
「どちらも難題ね……一つ聞きたいわ。何故そこまでティグルに拘るの? あなたにとって、ザイアン・テナルディエとはそこまでの人物なのかしら?」
「それに答える義理があるか?」
「私は自由騎士と戦姫に殺されるかもしれないのよ。死ぬ前に全てを知っておきたいぐらいのことはあるわ―――同じ女として狂気に駆られたあなたの動機ぐらいは―――、知らなきゃ死に損よ」
戦姫専用の部屋。タトラの中に設けたそれなりに豪奢な場所で、紅茶を飲みながらそんなことを聞いた。
いい加減うんざりして、殺したくなるような気分だが、それでも賭けに出る前に、理由の一つでも知っておきたい。
そういう心地で、一応の平静を保つ形でリュドミラは尋ねた。
自分に対して、説得を試みたティグルもこんな心地だったのか、そういう境地に思い付くと同時に、サラ=ツインウッドは己の事を語り始めた。
最初は自分が、こんな西洋までやってきた理由からだった。それは自由騎士ほど崇高な目的があったわけではない……しかしヤーファの事情を知ることに……。
この辺ではヤーファと呼ばれる故国ヒノモトでは、争いが絶えなかった。その原因は遡っていけば様々なものはあったが、結局の所、旧来の勢力の衰退であった。
そんな中、自分はある試みの下、作り出された「忍の子」であった。旧来の勢力、公家、没落した武家など多くの「出資者」達が銭を出しあって、異国の情勢を探り出す諜報機関の成立を目指した。
いずれは自分達が、ヒノモトの頂点に立つために、情報を制するために。
そうして、異国。まだ人権意識が低かった頃に西方よりやってきた奴隷。特に学位のあるものたちを雇い入れて地元の語学に関する発音を学ばせた。
双樹沙羅の母親もそのような人間であったらしく、ヒノモトの名前にもあり、母国にもあった名前を付けてくれた。
金色の髪のヤーファ人。しかし父と母は、そういった目的意識だけで一緒になったわけではない。
―――それこそが、沙羅の不幸の始まりであった……。
忍びであった父は、このままいけば母子は辛く困難な道に従事させられると知り、甲賀の里を抜けることを決意した。
甲賀忍者は伊賀のような雇われ集団とは違い、職人ではなく、一子相伝の継承伝統。即ち武家などのような性質で成り立っており、事実、大口の出資者は「六角」という武士の家であった。
裏切り者、里を抜けるものは容赦なく切り捨てる彼らの追撃は執拗であり、沙羅の両親は、その逃避行の果てに死んだ。
この髪と肌の色ではヒノモトでは、目立ちすぎる。両親の亡骸を丁重に弔った後に、残された金銭で外国船に乗り込み……両親の遺言通り、西方に行き……己の生きる術を見出したかった。
「その後は、あえて奴隷に身を落として……いずれ現れるだろう信じられる主君の下で己のシノビとしての技を利用したかった……」
「聞く限りではザイアンという男は、凡庸どころか愚物にしか思えない人物だけどね」
「何とでもいえ。世間がどうあれ、私にとっては、信じられる方だったのだ―――」
あえて怒らせる形で、リュドミラも言ってみたが、少しだけ良い噂もあったといえばあったのだ。
それで、人格者と伝えられる曽祖父の代のテナルディエ公爵家を再興出来るかと言われれば……可能性はあったのだろう。
そして、その可能性を摘み取ったのはティグルということだ。恐らくこの女性とザイアンは深い仲だった。
全てが結果論ながらも……巡り巡って因果が、彼に巻き付いたのだ。
「ティグルヴルムドを殺せば、貴様の父親の呪いは解いてやる―――それとも、貴様も「愛」に殉じるか?」
「有り得ないわ。己の領民以上に守らなければいけないものなんて―――支配者には無いのよ」
言いながら、リュドミラは氷のような言葉が自分に突き刺さるのを感じていた。だがやらなければ、己の領民である父が死ぬ。
今回の戦の事情が分かっていない兵士達まで、多く死んでしまうかもしれない。
(野戦に持ち込むしかない!!)
これ以上は、心の均衡が保てない。殺し殺されるの決着は―――あの『弓聖』につけてほしいのだ。
結末がどちらに転んだとしても……。
† † † †
―――そんなリュドミラの心と乖離するように、ライトメリッツ決死隊100人は、タトラの隠し道を通り、タトラの城砦に辿り着くまでの防御陣地をすり抜けて、山頂まで至ろうとしていた。
「少し変な気分ですな」
「全てが元通りになったならば、あいつに教えてやれ。間が抜けた相手に戦いを挑むなんて気が抜けることこの上ないから」
わざわざ主敵が強くなるようなことをしてどうするんだ。という思いを何人かが持ったものの厚手の外套に身を包んだ戦姫の言葉に異を唱えるものはいなかった。
とは言うものの、どうせこの道は今回しか使えないものだろうというのは分かる。幾ら何でもこんな奇襲を一度受けて、調査をしないわけがないのだから。
「しかし、今更ながらアルサスが心配になってきた……」
「戦争準備というのは時間がかかるとはいえ、ジスタートに足を留まらせ続けていたからな」
ピピンの言葉を皮切りに、ティグルがそんなことを言った。確かにオルミュッツに対する『調略』が終われば、その後はアルサスに向けて出陣であったはずなのだが、それを崩してきたのはテナルディエ公爵の『調略』であった。
同盟者の背後を突くことで、こちらを行動不能にしたあの男の智謀に今更ながら感心する。
ここから先は手を変え、「武器」を変え、ティグルには使えない「手」で、あの男は自らが動かずにティグルを排除しにかかるだろう。
だが、戦うしかないのだ。自らの想いを乗せて手に武器を取り戦うものにしか、望むものは手に入らないのだから……。
(武将と忍の違いというのは、そこなんだよ)
如何に心を縛り付けて、戦いを強要させたとしても、そこに己の「本当」の「想い」が無ければ負けるしかないのだ。
『坂上 龍』はそう考える。
そして想いの強さこそが―――戦いの局面を変えるのだ。
「ティッタさんの料理が恋しいのは理解できるさ。その前に―――お前は「囚われの姫君」を助ける事だな」
「詩人だなリョウ、言わんとすることは理解できるけどさ」
外套に付いた雪を払う。木々から降ってくるそれらを避けつつ、どこかに斥候がいないかと少しばかり探る。
しかしやはり隠し道らしく、そんな人間は一人とていないわけで……。
そんなこんなの雑談を低い声でやっていると、遂に眼下にタトラの城砦を見下ろす形の場所に出る。
「身を低くしろ。歩哨がいるかもしれない」
「ああ」
ある種の感慨が自分達を包んでいたが、流石に一度は来ていただけにティグルは、注意を鋭く言い放った。
全員がそれに従うと同時に持ってきた軍旗を広げる。
「手筈どおりだ。山道の連中が、翻すまでに決着を着ける―――もしも間に合わなければ」
「アタシだって死にたく無いからね。素直に白旗上げるさ」
「まぁ、そんな格好で死んだらあれだしな」
「とっとといけっ!」
サフィールに注意を出したリョウだが、蹴られる形で、二手に分かれた。
山道を滑り落ちる形で決死隊とエレンに扮したサフィールが城門から離れた所に陣取り、鬨の声を上げた。
タトラ城砦の連中はそれに面食らったはず。
どこからともなく現れた連中が掲げるその旗に、そして―――エレオノーラ・ヴィルターリアらしき女がいることに。
「竜具は召喚すれば、いいだけだ。それまではサフィール……いやフィーネに預ける」
「何だ分かっていたのか?」
「当たり前だ。―――私の養父の「最後」を知っている相手なんだから……フィグネリアは……」
外套を脱ぎ去り桃色の衣服を晒すエレオノーラ。混乱の状況に陥っているタトラ城砦。
一応、分からぬ程度に御稜威で「探り」を入れると、やはり大公閣下はタトラにいた。
その呪詛の色もかなり不味い領域にまで広がっているのを感じて、ティグルの『矢』に清め祓いの御稜威を掛ける。同時にティグルにどの辺りに矢をやればいいのかを伝える。
それはここからでは見えていても、届けるのは容易ではないほどに城砦の奥まった場所であったのだが、彼は笑みを浮かべながら、一言だけで済ませてきた。
「容易い」
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『タトラ城砦決戦』(2)
―――来たな。と沙羅は感じていた。同時に、最後の戦いになるだろうと感じていた。
だが、その前に片付けなければいけないことがあった……。
オルミュッツ兵に見られないように、気配と姿を消して部屋を移動する。もっとも城門前までやってきたライトメリッツ兵達に動揺していて、自分などに気付かないかもしれないが……。
それでも用心して沙羅は部屋を移動して、そこにいる三人の内の二人に声を掛ける。もう一人は、掛けた呪いで苦鳴を上げていた。そんなもう一人を、二人、双子の戦乙女は心配そうに見ていた。
「エルルーン、アルヴルーン」
「……サラ様」
「少し早いが、お前達に暇をやる……長い間、私の元で窮屈なことをさせてしまったな」
「そんなことはないです」
アルルの否定の言葉を聞いた。だが事実なのだ。
この二人は霧の国 ザクスタンの未来の将軍として教育されてきた女子なのだ。
自分のような密偵作業よりも母国の「姫将」。この国の戦姫の如き存在であった。
それを聞いてから、すぐさま大旦那に推挙したのだが色好い返事がなかった。確かに武芸で瞠るものはあるだろうが、それでもまだ12,13の若い女子では、戦場に出てどんな目に合うか分からない。
大旦那はそういう人道の観点からではなく、そうなった場合、拷問などで簡単に口を割るだろうとして、第一他国人を起用することを彼は嫌がった。
(結局、私では二人に相応しい戦場を与えられず。若様の護衛としても置くこと出来なかった……)
だが、この後を考えれば色々出来るだろう。西方は未だに安定せずどこにでも火種はあり、火種を大きな大火にする連中ばかりだ。
そういった仲で、二人組の傭兵として頭角を表して行けばいいだけ。それが出来るぐらいのことを教えた。
火や水の属性術は、不得手だが彼女らが一番、得手とした「呪力付与」は確実にこの戦い収まらぬ西方にて大きなものとなるだろう。
だからこその――――言葉であったが、双子は聞かなかった。
「このおじさんの呪いを解くのは……サラ様の復讐が終わりを告げてからなんですね?」
「ならば、私とお姉ちゃんであの銀髪の戦姫を倒すの、それで―――美味しい紅茶のご恩を返す」
赤茶の姉アルヴルーンが問い、それに銀髪の妹エルルーンが舌足らずに答えた。
「……本気か?」
「それならばサラ様がアルサス領主を倒す可能性は上がるの。だから戦う」
「―――分かった。負けそうになれば即座に逃げろ。無駄に死ぬな」
頷かないものの戦乙女の『鎧』を着込んで、暗殺者ではなく「戦士」として戦うという意思を固めた二人。
自分が真にこの子達すらも、「道具」として扱うことが出来れば、勝率は上がっていただろう。
だが、それは出来なかった。自分と同じ者を殺せるほど―――最後まで、サラは情を捨てきれなかったのだから……。
† † † † †
眼下にて、砦にいるオルミュッツ兵達を野次るライトメリッツ兵達の姿が見える。
彼らの汚い野次を指揮するように前に立つのは、エレオノーラに扮したフィグネリア。
オルミュッツ兵たちは顔を真っ赤にして、門を開けろ、あんな野次無視しろというので、意見は二分されているだろう。
ただそう簡単に判断は下せまい。
その思考停滞の時間こそが――――自分達の必勝の機だ。
矢が届かない範囲から、野次を飛ばしているフィグネリアに報いるためにも、リョウは御稜威を完成させた。
「祓い給い、清め給え。守り給い、幸え給え」
ザイアンを殺した時と似て非なる矢が、ティグルの弓に番えられる。この矢は生かすための矢だ。
殺すためではなく未来の為に―――放つ矢。
大公閣下のいる場所は、こんな所からは見えるわけがない。しかしティグルは見えないはずのものを見る心地で『照星』を合わせる。
見えぬはずのものを見るような心地に現実感を失いつつも、城砦の中に『矢文』を解き放った。
それを見届けたものこそいないのだが……光が、閃光が、流星が城砦に落ちた。
瞬間、浄化の光。誰も傷つけない癒しの光が、破裂する。
「どうだ、リョウ!?」
「―――あの要塞内に呪を掛けられたものは既にいない。再び掛ける前に――――」
「飛び込むんだな!! 任せろ!! アリファール!!」
こちらの説明を遮るようにエレオノーラが言う。一を知って十を察してくれたので何も言うことは無いのだが、どうにも勢いごんでいる。
「ここまで何とも邪道な戦いばかりが続いたからな。やっとあの女と直接対決になれて嬉しいんだよ」
「邪道って……まぁ、オルミュッツ兵にもなるたけ犠牲を出さない戦いばかりだったからな……」
「お前は回りくどい。まぁ今回ばかりは有無を言わさず戦える事情ではなかったから仕方ないとは言え、ぶつかる時は、徹底的にぶつかるべきだぞ」
「心得ておくよ」
言いながらも、こればかりは個々人の用兵戦術の違いなのだから、どうしようもないと思う。
もっとも戦略的な勝利においては両者は一致していると、傍から見ていてティグルは思うのだが、それを言えば面倒なことになるだろうからあえて、そこは指摘しなかった。
同時に十分すぎるぐらい風の力を溜め込んだと思われるアリファールとアメノムラクモによって足場が浮かび上がる感覚を覚える。
―――準備は完了した。無言でそれを伝えて、四人の男女が風を受けて最後の戦いに赴くことになる。
いざ行かんとした時に、ティグルが一言を伝えてきた。
「―――実を言うとな」
「?」
「リョウが、ジスタートで『七軍船叩き』なんて無茶苦茶なことやったから、それを俺もやってみたかった」
その言葉に、思わず笑ってしまう。こんな無茶な作戦をやった背景は、ただ単にティグルの―――英雄的願望であったようだ。
それに巻き込まれて嫌な気分は無い。自分とて義経に憧れた。その義経のように弓の名手になりたかった。
あの『八艘飛び』で、自分は和弓を使った戦いがしたかったのだ。
「いいんじゃないの。俺はあのレグニーツァの合戦で、お前みたいな弓の名手だったらばと臍を噛んでいたんだ」
伝説を体現したいというのは男の無謀な願望ともいえる。
だがそれを持っている限りは、死ぬ事は無いだろう。
そして今から戦うのは―――英雄でもなく、悪鬼でもない……一人の『女』なのだから……。
† † † †
―――いったか。この一言を吐き出すまでに本当にフィーネとしては、一苦労であった。
形の上だけとは言え一匹狼であった自分が軍団を鼓舞して、かつ出てくれば殺されるだろう大砦に相対するなど、傭兵人生においてもそうそうない体験であった。
(ヴィッサリオンだったらば、団を指揮してそんぐらいはしたかな?)
苦い思い出と同時に、少しの甘さが自分の胸に蟠る。
少年のような顔をして己の夢を語った一人の男。
そして―――、自分が殺した男。
どちらも同じくエレオノーラの父親だった。
「ヴィッサリオン……あんたの娘は、生かして帰すよ……」
もしも、あの二人の若者でどうにもならない事態になれば、自分はとりあえず砦内に入り込もうぐらいには考えていた
だが、リョウ・サカガミの伝説を全て信じるならば、勝利しかないはずなのだ。
砦内に入り込んだ流星にして竜星。それらが全てを決するはずだ。
「サフィール殿。 我々はどうしますか?」
「とりあえず後ろの警戒をしつつ逃げ準備。今更砦に入り込もうとしても無理なんじゃない?」
決死隊の隊長が聞いてきた事に予定通りのことをフィーネは話す。その顔は少しだけ落ち込んでいるようにも見える。
「その通りですな」
「エレオノーラの心配は、とりあえず杞憂だろうさ。あの三人ならば問題なく姫様を守ってくれるさ」
決死隊に選ばれただけあって彼らの戦姫に対する忠誠心は高い。それがライトメリッツの戦姫としてのものなのか、それともエレオノーラ個人に対するものなのかは分からない。
だが、いざエレオノーラが危機に至れば、彼らは一も二もなく動くだろう。
「アタシも一応、エレオノーラから兵を預かっている以上は、アンタ達を生かす必要があるんだ。何かあれば私が先に動く。報を待っていな」
一匹狼の傭兵であった自分に、軍団指揮など出来やしない。しかし、彼らを無駄に殺さないための策ならば自分にもある。
彼らの懸念を晴らす一番の薬は、一番強い兵士がエレオノーラを助けにいくというだけだろう……と思っていると、怒号が内部で響き始めた。
(始まったか……)
どうやらかなり派手にやっているようだが、本来ならば『シノビ』という間諜崩れだけを殺す計画だったろうに……なぜこんな風になるのか。
「下の連中の動きを探りな。いざとなれば、逃げ出すよ」
「了解です。姐さん」
おどけた言葉に答えず砦を睨みつける。そこで行われている戦い如何で、全てが決まるのだから……。
† † † † †
「
「
氷が風とぶつかり合う。猛烈な闘志で吹く吹雪のそれに周囲の誰もが固唾を呑む。
放ったのはどちらも―――16,7の乙女である。己が持つ武器から氷を放ち、風を放つその戦いは正しく神話の再現であろう。
タトラの城砦の中でも開けた場所。そこにいきなり「一人」で現れたエレオノーラ・ヴィルターリア。それに対してオルミュッツ兵が挑もうとする前に機先を制したのは、リュドミラであった。
オルミュッツの騎士達が弱卒だとは思っていないが、それでも戦姫を相手にして、戦えるとは思っていなかった。
ましてや影武者まで用意して自分達を出し抜いたのだ。直ぐにでも砦を破壊する竜技が放たれると思ってリュドミラはエレオノーラに対して一騎打ちを仕掛けた。
それは―――エレンにとっても願ったり叶ったりの展開であったのだ。
「随分とまぁ、とんでもない手を使ったものねエレオノーラ!! 風で砦に侵入して首を取りに来るなんてね!!」
「くだらない理由で戦おうとしている奴に、私の兵士の命を奪わせるわけにもいかないからな。貴様は知らんかもしれないが、オルガもこんなことをやったんだぞ」
槍と剣を打ち合わせながら、そんなことを言ったエレンは、あの時の再現と言えば再現だなと想いだした。
もっともあの時のオルガはティグルを取り戻すためだけに、穴を地竜と一緒に掘ってきた。あれよりは泥臭くないと思い直して、リュドミラを風で押し返す。
「ッ!」
たたらを踏むリュドミラ。先程から激しい戦いの応酬ではあるが、こんな「手」で、リュドミラ=ルリエが簡単に体勢を崩されるなど有り得ない。
つまりは……そういうことだ。知ってしまえば白けるばかりである。
「今のお前は斬る意味が無いぐらいに、張り合いが無いな」
「―――だからといって手加減しようっての!? おまけにそんな大陸風の衣装で!!」
「いいだろう? ウチの仕立て屋が改良して作ったものだ。サーシャの港辺りから輸入された最新のドレスらしいぞ」
喧々囂々と言いながらも剣と槍が乙女の声と同じぐらいに響く。銀色の乙女の格好がいつもの動きやすい戦装束ではなく、どちらかといえば「遊興」のための衣服であったことがリュドミラの火種を再燃させる。
如何に気乗りしなかった闘いだとはいえ、ここまでやられては、流石のリュドミラも誇りを傷つけられた思いを覚える。
何よりその艶やかなドレス姿を「ティグルヴルムド」にまで見せようと言うのならむかっ腹も立とうというものだ。
その桃色の豪奢な「ドレス」。全て氷柱で切り裂いてやるという思いで戦いに挑む。
―――そんなリュドミラに対して会話に『乗ってきたな』と感じたエレンは、時間稼ぎを続行する。とはいえ時間稼ぎなどという舐めた態度でかかって戦える相手ではない。
(急げよティグル!)
槍を突き出すと同時に矢のように飛んでくる氷柱を豪風で、いなしながらエレンは一騎打ちを続行する。
この一騎打ちでリュドミラを倒すことが目的ではない。しかし、あまり暴れすぎても退けなくなってしまう。
面倒なことだと思いながらも、それでも戦いでふざけたことはない。全身全霊を以って戦い、相手に対する畏敬の念を忘れない。
如何に鼻持ちならない同輩だとしても、エレンはそれを曲げたことはない。
だからこそ―――この戦いが終われば、エレンは自分の「母」になってくれたかもしれない「姉貴分」に対して、もう気に病むなと言いたかった。
自分に会うのが億劫だからと変装もしてきた女性。傭兵であった頃は憧れの一つでもあった「乱刃」に対して、言いたいのだ。
(その為にも……今はお前を倒させてもらうぞリュドミラ!!)
† † † †
体よく「桂馬」の如き陣地突破で、タトラ要塞に入り込めた四人は、予め決めていたわけではないが、エレオノーラを囮にして、要塞内部に入り込む事にした。
要塞内部の生活空間であり、整然とした様、篭城するのに全て揃っている様子を見るに正攻法で破ろうとすればどれだけの時間がかかるか分かったものではなかったなと感じる。
自分達の横を勢い良く飛び出すように走って行った『騎士達』。金属音を鳴らしながら廊下を走っていった騎士達に複雑そうな顔をするのは、この中では同輩であるピピンである。
「エレオノーラはこんな事をして、何やっているんだ?」
「色々だな……俺の時には……言えない。ちょっとした悪戯気分なんだろう」
空気の層を利用した透明化。エレオノーラから「感覚的」なもので教えてもらったが、存外多くの人間にばれないものである。
ティグルは、頬を掻いてこれに「同乗」させてもらった時のことを想いだして、直ぐに口を噤む辺りに何をしたのやらと思う。
人の秘密を覗き見し放題……リムの部屋にでも入ったのかと問い掛ける。
「な、なぜ分かったんだ!?」
「おい、大声出すなよ」
「すまない……まぁその通りだよ……人間、意外な趣味があるものだ…表面的なものだけ見ていちゃいけないなと思ったよ」
何を見たのやら、まぁ何となく程度には推察は出来る。恐らく「クマ」のことだろうなと思う。
彼女の趣味はサーシャから聞いていたので、その辺は察する事が出来た。
しかし、今、察するべきことはティグルの心情ではなく、大公閣下の居場所である。
ここまで騒ぎが大きくなっていれば、自然と連中もそっちに行くかと思うのだが……そうは行かないだろうと感じるのは、完全にエレオノーラの方に向かったオルミュッツ兵達とは別に、この城砦に残った者達。
廊下の突き当たりに立ち塞がる双子。顔は相似の少女、耳は互いに長いが、髪は赤茶と銀髪の二人が―――暗殺者というよりも、どこかの女騎士の如き衣装でいたのだ。
見覚えというか、サイモンから聞かされた話ならば、その衣装はザクスタンにおいて『戦乙女(ブリュンヒルデ)』と称されるものだ。
「―――見えているのか?」
「下らない小細工はやめなよ。私達二人はサラ様から身体強靭の術を習得したんだから」
「見え見えなの」
ティグルの何気ない呟きに答える双子。70チェート程の距離で答えてくる双子。
「大公様は無事なのだろうな!?」
「心配ないよ。けれど―――あんたを殺さないとサラ様はおじさんの呪いを解かないつもりだ。ティグルヴルムド・ヴォルン」
ピピンの質問に答えた後に、ティグルを睨みつける双子の内の一方、赤茶色のサイドテールが言う。
その視線と言葉はどこかティグルに全ての責任があるかのようだ。しかし、逆恨みも同然であり、どんな理由があれども大公を攫ったことを正統化できはしないだろう。
「一つ聞いてもいいか? 何でお前達はあの甲賀忍者に従うんだ? ザクスタン人ってのは独立心が強いもんだと思っていたんだが」
「拾われたご恩を返してるだけなの。けれどサラ様の身の上は私達と同じく思えた。だからサラ様に暇を出されても、これだけは決着を着けるの」
アスヴァールにおいて、ザクスタンから流れてきた傭兵将軍サイモンが何故、そこまで協力するのかを聞いていただけに、彼女らの戦う理由を知りたかった。
サイモンは『金のためだ。』なんだと言っていたが結局、タラードを気にいっていたのだろうとは推察できる。
もしもタラードの計画において「ザクスタン」を平らげるなどと話されても嬉々としてとはいかずとも、それに協力するぐらいはするのではないだろうか。
その後で『国の一つもくれ』とか言いかねないのがサイモンという男である。
そういった見知った人間を知っているだけに、リョウはこの双子の意思の固さを測ってみた……。
「ティグル、この双子は俺一人で何とかする。お前達は―――左に抜けろ。その先に……大公が幽閉されているはずだ」
「―――やれるのか?」
「やれないこともないな」
言うや否や身の丈に合わない大剣を構える赤茶、特徴的な双剣を構える銀色。
廊下の幅は、十分だ。ピピンとティグルがすり抜けられるぐらいはあるだろう。
故に――――――双子の抜き撃ちの如き攻撃を刀で受けると同時にティグルとピピンは左側に駆け抜けていった。
「待て―――『ここから先は通すわけにはいかないな』―――」
身体を入れ替えるようにしてティグルとピピンの進行方向に陣取る。
「自由騎士! 負けるわけにはいかない……私達が未だ見ない勇者達のためにも!」
「お、お姉ちゃん大変だよ。噂どおりならば、私達が万が一、倒されたらば『華』を散らされちゃうの!」
「どんな噂だよっ!」
とはいえ、隙を見出さない双子を見て「手強い」と感じる。忍びの邪流剣ではなく、正統の剣術。サイモンとの立会いを思いだし、リョウはそのイメージを重ねつつ、切りかかってきた双子を「いなす」と決めた。
―――別にそういう卑猥なことをするためではなく、殺すには少しばかり白ける相手だったからだ。
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『タトラ城砦決戦』(3)
それにしても二次創作者として色々と考えさせられることがあったもので少しだけこっちもどうするか考えてました。
―――リョウと双子が後ろで斬り合い金属音を響かせているのを聞きながら、ティグルとピピンは進んでいく。
部屋はあちこちにある。扉の全てを見つつも、そこにリュドミラの父親がいるとは考えられない。
迷い無く進むのは―――自分の放った矢が「何処」に当たったかが分かっているからだ。
不思議な感覚ではあるが、それでも安心感がある。黒弓を使った際には不安感しか残らないというか倦怠感が最終的に出てくるのだが……。
東方の弓は、そんな感覚を与えないのだ。
「―――あの部屋だが……ピピン。大公閣下の救出は、あなたに任せたい」
「ティグルヴルムド殿?」
「―――俺は別件がある」
指で示した部屋、そこに行くよう頼みつつ、差した指の反対方向にすかさず向き直るティグル。
ちょうどよく影となった廊下の向こうから、一人の女が現れた。
格好こそ少し違うが、それでもあの時の女―――サラ・ツインウッドが来た。
「……勝てますか?」
「勝つさ」
「頼もしいお言葉……あなたのご武勇は必ず皆に、お伝えします」
走り大公の部屋に向かうピピン、その手には解毒薬が握られている。
後は……予定通り、この忍びに勝てれば、それで終わりだ。
とはいえ……接近戦に持ち込まれれば、正直どうなるやら。機動力で上回れる騎馬戦ではない……だが、ティグルは勝つつもりだった。
条件さえ満たせば……。勝てない相手ではないのだから。
「―――ザイアンは、貴女の良人だったのか?」
「……そんな心ある関係ではないな。ただ……私に向けた一欠片の優しさは、いずれネメタクム領内をいつか善導出来ていたはずだ」
「俺が、その機会を奪ったんだな?」
答えこそ無いが、その怒りこそが彼女をここまで追い詰めた原因だ。だが、言わなければならないこともあるのだ。
「あの方が、魔に落ちた末に殺されたのは知っているよ。だからといって恨みを捨てろなどと臭い事を言うわけでは無いだろうな?」
「いいや。違う。ザイアンが最後に望んだ事を……俺はあなたに返したいんだ」
「何だと?」
「あいつが望んだことはただ一つ……己の領民の安寧のみ―――、それを守るための一騎打ち―――。結局、それはあいつが人でなくなった時点で出来なかったけどな」
空間、高さ6アルシン、幅10アルシン。普通の城砦と考えれば広いほうではあるが、それでもこの空間は彼女にとって、一番の戦場だ。
だが勝つ。ティグルにとって、これこそが本当の意味での戦いなのだから……。
「ふざけたことを……!」
「俺はあなたを止める! ザイアンが望んだことはあなたに、そんな修羅の道を歩ませることじゃない!! あいつの変わろうとした意思は、あなたが変えたザイアンの心根は、正しかったと伝えていくんだ!!」
今ならば分かる。きっとあいつも必死だったのだ。抗えぬ敵を相手に気付いた時には、こんな道しか取れずに矛盾した行動をとってしまう自分に……。
アルサスを襲ったことは許せない。だがティグルとて、非情な決断を迫られた時にどうなるか分からない。
『それ』を覆す「昇竜」は、ザイアンに在らず自分に在ったことは……運命の皮肉だ。
だが、あいつの『心』は持っていく。清濁兼ね合わせつつも、全ての人の思い描いた国のために戦うと……。
「全ての怨みを使ってかかって来い。その全てを手折って、俺は―――あなたをザイアンの望んだ「あなた」に戻す!」
「!!!」
これ以上の「戯言」を聞きたくなかったのかティグルに向けて、暗器が交錯しつつ放たれる。その勢いたるやリョウの斬撃に負けないものだ。
しかしティグルにはそれが見えていた。己の身を抉るものだけに視線を向けて躱すために身を捻りつつ、矢を番える。
狙い澄ました一矢は撃ち終わりの姿勢でいたサラの―――手を狙ったものだ。
しかし手で払われ、撃ち落とされる。手にはクナイが一本、だが続いてはなった矢はクナイの柄を叩き、彼女からクナイを手放させる。
お互いの距離が10アルシンあるかないかの距離を保ちつつの、射の円舞が生まれる。互いに位置を変えつつの射撃の舞踊は城砦の廊下から離れつつも、決して外の人間に知らせること無い静かにして壮絶なものだった。
手数では無論サラに軍配が上がるも、威力はティグルの方が上だ。飛び道具という観点だけで言えば手だけで投げる「達人技」と弓という補助道具を使った「達人技」。
傍で聞かされるだけならば、小細工の応酬にも聞こえかねないが、見る者が見れば、その二つの立会いがどれだけ緊迫し、白熱した怒涛のものであるかが分かる。
お互いに必殺を撃ち合うそれは、一つでも躱し受け損なえば、それで終わりを告げるものだ。
ティグルが今、使っているのは家宝の黒弓である。矢筒に戻したイクユミヤから供給される「無限の矢」でサラ=ツインウッドの交錯暗器と撃ちあっている。
時には、ジョワイユーズを使うこともあるがティグルは、この『女神の弓』で以って倒すことにした。
あの時、ザイアンとの決闘で使ったはずなのは、この弓だ。この弓で勝利しなければならないのだ。
流石に女の体力か、それとも山小屋での手の傷が響いているのか、サラの動きに乱れが見えてきた。
『嬉しいわ。あの女の命を奪うために私の『力』を使ってくれるのね――――』
黙れ。という思念の声と共に「太矢(クォレル)」。本来ならば弩などに使われるはずの矢を番えて、サラの真芯に向けて放つ。
―――それはザイアンを貫いた時と同じく「女神」の力を借りた矢であった。
「呪矢!!」
ジュシ。というヤーファの言語と思しき言葉で驚愕するサラだが、クォレルは元々、砕けやすいように細工していたので力を受けて破裂する。
投石器の樽弾の破裂のように四散する。木で出来た箆。太いものが木片となって勢い良くサラの全身を討つ。
しかし……、その結果はサラが思ったほど無かった。己に降り注いだはずの木弾の破片で血塗れになっているはずなのに……殆ど傷を負っていなかったからだ。
だがティグルは結果を最初から分かっていた。リョウの話を聞いた時から、「そうなる」と思っていた。
だから予想が「当たって」安堵する。
そして予定通り飛び退いてくれたサラ―――お互いの距離が、15アルシンにまで開いた。
「これで最後だ。――――ザイアンを貫いた矢であなたを『殺す』―――」
番える矢は一つ。されどこの一撃で、彼女の戦う意思全てを叩き折るのみだ。
「この距離ならば、私とて貴様を殺せるほどの忍術を編めるさ……印を切るだけの余裕がある……!」
『忍術』。もしくは『妖術』と称される戦姫の竜具と同じ超常現象を引き出す「技術」。
リョウから聞かされたことを思いだしたが、ティグルとしてはそんな馬鹿なという思いだけが、当初はあった。
しかし現実に、それが出来る人間を目の前にしたのだから、詳細を改めて聞きだした。
(妖術なり忍術には一定の動きが必要……それは口訣、もしくは剣訣を切ることによって―――為されるもの)
どんな印で、どんな術が発生するかはティグルには分かるわけが無い。この場にリョウがいれば分かるかもしれないが、それでも不安は無かった。
番える矢。それに込められる力。それこそが全てを決するはずだからだ。
そして――――これは命を奪うためのものではないのだから……。
『甘いことを……やれるならば、やってみせることね……加減を誤れば―――『二つ』の魂が飛ぶわよ』
随分と今日は饒舌である。まぁ女神の普段と言うものを知らないから、どうとも言えないのだが力を入れる前から話しかけてくるとは……弓弦を引く手から血が滴りつつも、照準は淀みなく着けられる。
「火遁!! 油の地獄!!」
言葉と同時に、サラの大きく開いた手から放たれる熱波は、廊下全てを埋め尽くすほどの―――天井すらも舐め尽くす炎の限りだ。
熱で己が焼き尽くされる未来か、それともと考えていた時に―――――。
――――ティグルのいる位置から遠くで戦っていた二人の乙女の狭間から氷風が消え去り、それが、全てを悟らせた。
まるで己達の戦い以上に大切なものがあるかのように―――竜具から一瞬だけ力を失わせた。
エレオノーラが、会心の笑みを浮かべ、リュドミラが、視線を城砦内部に向けた瞬間―――。
―――――タトラの城砦の一角が、轟音と共に盛大に崩れた。
崩れ落ちる岩や木などの城砦の建材。何年もここを守ってきたものの、その呆気ない様に事情を知らぬもの達は、呆然とする。
知るものは少ないが、それでもそれこそが戦いの終焉の合図となった………。
† † † † †
「随分と遠回りしましたわね。とはいえ、伯爵にとっては、そこまでする意味があったのでしょうね」
「得心しているようで何よりだが……まぁ、知っていても知らなくても後味が悪すぎるだろう」
「リョウだったらば、問答無用で殺していた?」
「―――汚れ役をいざとなれば、務めるのが俺だ……第一、『ソウジュサラ』の存在の根っこは俺の国に元凶があったんだからな」
「……さらっ、といつの間にか、帰還隊に入っているが、リョウ。その女は誰だい?」
現在、タトラ山を最短で下っている最中であり、怪我を負ったものや、疲れ果てたものを乗せて『大怪獣』は『のしのし』と山を下っていた。
大怪獣ことプラーミャの背中に乗るものの一人。まるで馬車にでも乗るかのように座っている女とそれなりに真剣な会話をしていたのだが、それに対して、疑問を抱くのは当然だ。
フィグネリアの疑問に対して答える前に―――女、ヴァレンティナ・グリンカ・エステスは答えた。
「自由騎士の妻です。そして子供です♪」
言葉の前半で己の胸に手を当てて、言葉の後半で朱色の鱗を撫でて視線で示した。
胡散臭げな顔で、自分とティナを見比べるフィグネリア。何か疑問……というか疑問だらけなのだろうが、まぁ自分も疑問はいくつかあるが、この女性は時々「美味しいところ総取り」をやってくるので、タトラでの一件を知っていてもおかしくなかったのだが……意外な答えが帰ってきた。
「ソフィーをブリューヌに?」
「ええ、そちらの無理しすぎな格好の女性に簡潔にお伝えすると、公務のついでに単身赴任の夫の仕事ぶりを見ようと思ってアルサスに向かったらば、未だに帰ってこないと聞き、まぁ着いて見ればああいった状況になっていました」
「……それも竜具(ヴィラルト)とやらの効果?」
ティナの長々とした説明に対して気にしたのは、それだけであった。それに対してティナも特別の変化も無しに問われたことに対して答える。
「あまり大っぴらに言うことではありませんが、私の鎌はそうしたことが出来るのです」
「それでここまでやってくるとはね……」
「まぁ来て早々に、気絶したテナルディエ公爵の間諜を連れて転移しろと言われるとは、思っていませんでしたけど……」
言葉と同時にプラーミャの背中で一番、安定した所にいる三人の外様の女と、その横に立ち上がっているティグルとエレオノーラの姿が見える。
三人の内の一人は昏睡したままではあるが、その周囲には不可視の結界が張られており、誰にも害されることは無い。
「親を思う子は強いですね……」
「同時に、子を守る親こそこの世で一番危険な生物だ」
その結界の生成者は―――、甲賀抜け忍「双樹 沙羅」の胎の中にいる「子供」であった。
自分とティナの呟きに思う所でもあったのか、少しだけ悲しげな表情で、そちらに目をやるフィーネ。
視線を感じて起き上がったのかどうかは分からないが、女忍びとの最後の舌戦が、行われる。
(さて、どうまとめるのやら……)
睨み合うティグルとサラの姿に昔を思い出す。それは―――、自分にとっても覚えがある光景だった……。
† † † † †
「―――殺せ。ここまでされて生き恥を晒すつもりはない」
「断るよ。ただ…シノビというのは武士のように『死ぬ事』を本分とせず『生きる事』を本分としている。とリョウから聞いたが?」
「だとしても三度も殺されかけた相手の命を奪わないなど正気ではないな……」
「ザイアンから聞いていないのか? 生憎、剣とかは不得手なんだ」
捨て鉢な感情のままに、そんなことを言ってきたサラ・ツインウッドは、こちらのはぐらかしの言葉に段々と苛立っている様子だ。
本当に自暴自棄な人間というのは、こんな反応にはならないはず。
説得の為の言葉を上手く吐こうとした瞬間に、横槍が入る。
「死にたければ、舌でも噛み切ったらどうだ?」
その言葉に、銀髪と赤髪の従者は、エレンを睨んだ。だが構わずエレンは言う。
「お前は、私の同輩に余計な心労を負わせ戦いに水を差して、更に言えばティグルを余計な戦いに巻き込んだ。遺族慰労金は出すが、それでも私の兵達にも余計な死を出した」
「……恨んでいないのか?」
「兵士個人の感情は、ともかくとして、ティグル一人を殺すためだけにここまでの計略をめぐらすとはいっそ見事と言いたくなる。だからこそ……もう三度も退けられたならば、ティグルの勧めに応じてくれないか……お腹にいる『赤子』のためにも」
エレンの言葉に俯くサラ・ツインウッド。彼女も本当は分かっていたのだろう。自分の命の他にもう一つの命があることを……。
それは恐らく彼の豪傑無き後の、ネメタクムを継ぐべき人間なのだろう。血筋だけで言えば―――その筈だ。
「一族郎党を全て殺さなければいずれは、お前の禍根として残る……何故、私を生かすというのだ……」
「言っただろう……俺はザイアンの望みを叶えたいんだ。その為にもあなたには――――生きていてほしい」
どんな結果が、訪れるかは分からない。だが、それでも「友人」の後を継ぐものを生かすことは間違いではないと信じたい。
戦いの後、モルザイムで見つけた刀身が半ばで叩き折れた剣。これだけが、ザイアンという男の生きていた証であったものを言葉の合間に差し出した。
見覚えがあったのか泣いて、剣の柄を抱きしめるサラという女性。それを見守る「アルル」「エルル」という双子。
「――――ここまでされては、もはや私に自由意志など無い。そして我が子を活かす為にも、テナルディエ公爵家の全てをお話します」
ザイアンの剣を使って長い金髪を乱雑に切り落としたサラが意を決して、口を開いた。
仏門に入る際の『剃髪』というやつなのだろうな。と思い付く。これ以後この女性が自分達に害となることは無いだろうと感じて、その話に耳を傾けることにした。
そんなサラ・ツインウッドの独白に対してプラーミャの背中によじ登ってきた野次馬三人ほどもそれを聞くことになる――――。
ザイアンが魔体と化して、テナルディエ公爵家が竜を使役出来ているのは一人の「占い師」の仕業だと伝えられた。
占い師としてフェリックス卿に召抱えられているそれは、「陰陽師」「妖術師」の類だとサラは伝えてきたが、それは少し違うだろうなと野次馬『二人』は感じた。
「占い師ドレカヴァク……どんな人物だ?」
「大旦那様に唯一不敬を許されている野暮ったいローブを被り、髪の毛は手入れされていない老人だ……格好が格好ならば浮浪者と見られてもおかしくない」
「そいつが公爵家に召抱えられたのは、いつだ?」
「正確には知らない。私がザイアン様に拾われた頃には既に居た」
三年前ほどのことだと伝えてきたサラの言を疑う術はあるまい。プラーミャの背中、不安定な所でも構わずハサミを使いサラの髪を出家した尼の如く切り揃えていくティナ。
疑問は尽きないが、それでもあちらの「力」の大元を知る事が出来たのは僥倖だ。
「これからどうするんだ?」
「大旦那様からは解雇を伝えられた。故郷は既に無い。甲賀の里は、風の噂によれば潰されたらしいからな」
ティグルの何気ない質問に対し、子供を養うぐらいの金子はあると伝えられて、とりあえずきままに諸国を歩くと伝えられる。
全面的に信頼出来るものではないと想いつつも、それでも憑き物でも落ちたかのように晴れやかな顔をしているのは、結局の所……彼女の復讐が失敗に終わったからだろう。
いや、最初から「成功」するわけがないものが予想通り失敗に終わってしまったからだろう。
「サラ様……私達は……」
「―――私は既にお前達の頭領ではないよ。ただ一つ、頼めることがあるならば、大旦那。フェリックス・アーロン・テナルディエの暴走を止めるためにも―――伯爵閣下に協力するべきだ。お前達の『勇者』も、伯爵閣下の幕営にて見つかるかもしれないのだから……」
諭すような言葉で言われた耳の長い「森の精」のような双子は、こちら―――ティグルとエレオノーラを見上げる。
不安げな眼差しを受けつつも、ティグルは微笑を零して首を縦に振った。
「ウチの殿は、広く賢者や戦士を募集している。その来歴に拘りはないさ」
「何でお前が言うんだよ。その通りだけどさ……『アルヴルーン』『エルルーン』、二人ともそれでいいのかな?」
その言葉に……双子は「双樹 沙羅」の身の安全を保障してくれるならば、と言ってきた。
こちらとしては、これ以上彼女をどうこうしようとは思っていない。ただもしも、テナルディエ公爵家に何かあれば、戻ってきてほしいとだけ含めておく。
「分かったの王様、私のご飯のため、私達の勇者を見つけるためにも従うの」
「……ヴァルキリーとしての意地をブリューヌの皆様方に見せてあげます」
強壮で知られるザクスタン傭兵が、自分達の幕営に加わったことは戦術の幅を広げるだろう。
スカウトにしてファイターにしてセージでもあるべき彼女らの加入は大きい。
だが、そういった打算的な考えとは別に、双子の様子に「……似ているな」と同時に呟いたのは、フィーネとエレオノーラであり、二人とも己の胸中に対して苦笑を漏らすしかなかった。
―――そんなこんなしている内に、タトラ山を下りた所で―――双樹沙羅はいなくなった。
『すまなかった』
そんな一言と同時に『韋駄天の術』で去っていった。彼女の座っていたプラーミャの背中には、丈夫な袋が三つ。
中身は金銀財宝の限りであり、それが色々な意味を持った『謝礼金』であることは分かっていた。
「これで全て終わったかな?」
「アルサスに戻るにはもう『一仕事』あるが、そちらは戦いではなく戦後処理みたいなものだからな」
疾風の如く強襲して、疾風の如く撤退した自分達の功績をリュドミラがどのような形で、落とし所を着けてくるのか、それ次第だ。
プラーミャの背中に立ち、地平線の彼方に目を向けながら、ティグルに対して、そんな事を言う。
誰にも知られず姫君の杞憂を除き、誰にも知られず戦いを終わらせた自分達に対して人質返還含めて、どんな話が持たれるか……。
それが終われば……遂にアルサスに戻り、テナルディエ公爵との戦いに全力を注げるだろう。
人からは遠回りであり、迂遠な道のりだと思われかねないだろうが、大きなことを成し遂げるものは多くの困難を突破していかなければならない。
……それこそが「英雄」としての「試練」でもあるのだから。
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『後始末―――そしてブリューヌへ』
長らくお待たせしました。
来客用の部屋。様々な人間が訪れてきた場所に馥郁たる香りが充満する。
ライトメリッツのそんな外交交渉の最前線に似つかわしくないものだ。もっとも戦姫であるエレンの気質からいって、あまり好かない人間はいれたくないだろう。
そういう意味では目の前の人間はかなりの偉業を成し遂げたといっていいだろう。
なんせエレンが好かない人間の筆頭とも言えるのだから―――。
「その高さから淹れることに意味はあるのか?」
「ジャンピングと言って、対流を起こさせる事で茶葉を攪拌させるのよ―――今まで呑んできた紅茶との違いを楽しみにしておきなさい」
「ああ、楽しみにしておく」
この場での目的は、本来ならば人質の身代金に関してのあれこれであったのだが、それに関しては現在エレオノーラとライトメリッツの文官、そしてオルミュッツ側の大公閣下とが首っ引きで交渉している。
時々、そのもう一つのテーブルでの交渉の合間にこちらを見てくるエレンの恨めしげな視線が、交渉をオルミュッツ有利に働かせようとしていた。
自分とリュドミラがこうして違うテーブルで紅茶に関してあれこれやっているのは結局の所、大公閣下の「気遣い」であった。
結局、今回の戦いにおいてティグルの武功は無いのだ―――。裏方であれこれやって戦争を止めた。
実利無き名誉の勝利。それを知るものは少なく、ならばということでオルミュッツは最高の『姫』を用いてのおもてなしをすることで過不足なくすることにした。
それは分かるのだが、何もいまこの時にやらなくてもいいのではないかと思う所存であった。
自分が見ている所で、『いちゃいちゃ』と触れ合う二人を見て交渉に身が入らない。
(しかもこんな時に限って、あの男はいやしない!!)
ヴァレンティナと逢引でもしているのだろうと分かっているからこそ、両方に苛立つ。
この場に、もう二人ぐらいいれば、あのお茶会の邪魔をしてくれていただろうに、という思いだ。
そんなこんなしつつも、人質交渉はスムーズに終焉へと向かおうとしていた。
それは目の前のリュドミラの父親からの気遣いであることに気付けないほどエレンも馬鹿ではなかった。
† † †
「それじゃ彼女は、ブリューヌ王宮に向かったのか?」
「ええ、途中までは送り届けましたが、その後は―――野となれ山となれって感じですね」
言葉こそ失礼千万ではあるが、道中で様々なことを知りたかったのだろうと推測は出来た。
ソフィーヤ・オベルタスが何を見聞きしてくるのか、そしてそれがティグルにどんな影響を及ぼすのかは分からないが、まぁ一先ずは様子見だろう。
「この後のご予定は?」
「遂に出立だろうさ。奸賊討つべしとしてな」
すぐさま、ネメタクムとの戦争状態に入るとは限らないが、一先ずテリトアールに宿営してから南部を目指す。
それが一応の目論見である。
「予定通りといえば予定通りですわね。ただ……一つよろしくない噂が出てますの」
ティナの深刻さを伴った言葉で知らされることは、『予定外』でありながらも『予想外』のことではなかった。
「南ブリューヌの貴族ピエール・マルセイユ『敗死』……誰にやられたかなんて聞くまでも無いな」
「ええ、ただ―――それならば流石の王宮も黙ってはいないはず。後は分かるはずでしょうリョウ」
アルサスにもあり得たかもしれない運命が反対方向に降りかかった。
しかし、そのやり方は尋常なものではなかったということだ。尋常ではない手口。
『ヒトの軍勢』ではないものを使役して何者かがマルセイユ公を殺したのだ。
ティナの語るところによればマルセイユの港を襲ったのは黒い獣の軍勢と黒い長髪の剣士『一人』
そしてマルセイユと『公然』と敵対をしていたのは―――テナルディエ公爵である以上は関与は疑われる。
だがそんな余他話で、嫌疑を向けるわけにもいかず王宮としては何処に剣を向ければいいのか分からない状況であるとのことだ。
「マルセイユ様は両公爵ほどではありませんが、ブリューヌの古い有力者。しかもムオジネルに対する壁も担っていたのですから、これらに関してもジスタートは聞きたいのですよ」
「俺はテナルディエ公爵じゃないが、彼としては勢力図をすっきりさせるために、南部の「たんこぶ」を落としたんじゃないかな?」
こういう風に誰が敵で誰が味方か分からない状況ほど勢力を整理するために戦いは起きる。
ティグルのアルサスを狙ったのも、長じればジスタートの介入をさせないための焦土作戦だ。
「一理ありますね。ただ今でなくてもいいはず」
「確かに、国内状況が定まっていないというのに、拙いやり方だな」
だが、その黒い剣士とやらが、自分の想像している相手ならば、信用を得るために「国」一つを滅ぼすだろう。
ぞっ、としない話だが……ここで軽々しく動けない。
願わくばかつての川楊家の国―――出雲の顛末のごとくならないことを願うのみ。
(何百年経っていると思っているんだ……それでも倒さねばならないだろうな)
それこそが神流の剣客としての本来の務め。この地を瘴気まみれにしない為にも……、桃の『魔神』は自分が殺さなければなるまい。
「竜殺しの次は『神殺し』ですか―――リョウの武勲が増えるたびに私の胸は高鳴ります」
「女王になるための準備がまた一つ進んでか?」
「もちろん♪ ―――それ以外の理由は、語らずとも私の胸の中だけで温めておきましょう」
掛けていたソファー。広く大きく余裕ある作りのものだというのに態々こちらによりかかってきたティナ。
自然と頭を撫でる体勢になってしまい、サラサラの艶やかな髪に手を這わせる。
途中で止まる事を知らぬティナの髪を愛撫していたのだが……いつの間にか入ってきたフィーネのジト目に晒されて、何となく居心地が悪くなる。
「会談が終わったから呼びに来たんだが……もう少し遅めにしとこうか?」
「やれやれ。名残惜しいですが、流石にエレオノーラの屋敷で『粗相』をするわけにもいきませんからね」
「そんな事したらば殺されるなぁ」
容易に想像出来る未来を回避して、フィグネリアの案内に従う。今のフィグネリアは、数日前までの様相とは違っていた。
巷で言われる『乱刃のフィーネ』としての衣装と髪色で本来の自分を取り戻して、ライトメリッツにいた。
買って上げたドレスはミラとの対決でエレオノーラがボロにしてしまった。
結果として、彼女は元の衣装に戻る事を余儀なくされた。また髪の色も元に戻っていた。
その際にエレオノーラと一悶着あったが、それは多分……時間だけが解決してくれる問題だろう。
「結局、フィグネリアも着いて来るのか?」
「ああ、オルミュッツの大公閣下にも依頼されちまったからね。『双子』のことを頼むって」
アルル、エルルのザクスタンの女戦士二人に随分とミラの父親は寛容であった。
今回の事件の首謀者として最初は殺されるも止む無しとしていた双戦士であったが、ミラの父親はそれよりも『ヴォルン閣下にご助力しなさい』ということで手打ちにした。
憤懣溜めていたミラであったが、やられた方がそんな調子であったので、溜め息一つ突いて、それを良しとした。
会談場所の扉を開けるとそこには反比例した表情の人々の群れがあった。
エレオノーラ及びライトメリッツ文官達は、微妙な不満少し溜めている表情。というよりも文官達はエレオノーラの表情に少しばかりびくついているといった方がいいだろう。
片やオルミュッツ陣営はミラはニコニコ顔、大公閣下も「えびす」顔を見せている辺り、ティグルとミラの『お茶会』は上手くいったのだろう。
「どうやら全ての交渉は終えられたようですね」
「ええ、最後のことに関しては―――サカガミ卿を交えて話したいと思いましてね」
用意された長大なテーブル。そこにオルミュッツ陣営と向かい合う形でそれぞれが座りあう。
席順はとりあえず皆が弁えていたのでさほどの混乱は無かったが、フィグネリアが立ちっぱになろうとしていたのでティナが強引に座らせたぐらいだろうか。
そうして全員が着席すると同時にミラの代弁とでも言うかのように大公閣下が言を放つ。
それは予想通りといえば予想通りの言葉であった。
「つまりテナルディエ公爵との取引を一切行わない」
「今回の事でオルミュッツの民は多大なまでの心労を与えられました。言うなればこれはテナルディエ公爵によって、オルミュッツの民を襲われたのと同意です」
言葉の裏に隠された怒りを滲ませたミラの父親の言葉。それにミラも殊更反論は無いようだ。
だが、それでそちらに迷惑はかからないのかと問う。どういった所で大口の顧客を失うということはオルミュッツにとっても痛手のはず。
「いいえ、私もお父様に同意なのよ。だからそこは気にしなくていいわ。ここまで仁義に欠けたことをやられては堪忍袋の緒が切れる」
母が存命だったならば、同じく言っていたというミラの言葉は真実強かった。
「ティグルヴルムド卿―――中立だけでいいのかしら? 望むならばオルミュッツからも兵を貸してあげるわよ。ピピンも恩を返したいらしいからね」
「衛兵長を失うのはどうかと思うし、まだ息子さんだって全快じゃないはず―――病気の時に父親を奪うのは忍びないな」
何より隣の銀髪の険しい視線を受けたティグルではそういうのが関の山だっただろう。
「そういうと思っていたわ。だから南部の方に睨みを私達は利かせるわ。準軍事同盟ってところでどうかしら?」
「つまり南部に我々の戦線が形成されればお前は、山を下ってやってくるのか?」
「ええ、勇猛なる戦士の守護者『ヴァルキリー』の如くね」
「猪の間違いだろう」
『エレン(エレオノーラ)』
エレオノーラの発言に対して、親しい間柄の人間全員から咎めの言葉が投げかけられた。流石に無礼であったが、ミラの父親は苦笑するに留まっている。
苦笑というよりも「知っている」やり取りゆえだろうか。
何でもライトメリッツとオルミュッツの戦姫同士が仲が悪いのは、近場故のことだけではない一面もあるらしい。
特にミラの曾祖母の辺りから―――『男』の取り合いで刃を交えることも多かったとか……あほらしい戦の理由とも取られかねないが当人達にとっては至極大真面目なもの。
タトラの城砦があそこまで堅牢なのもオルミュッツの戦姫が惚れた相手を閉じ込めてそこで夜伽をするために作ったとの話。
更にいえば攻めたくても攻めきれぬライトメリッツの風姫の悔し涙を肴に―――これ以上考えていると、頭が痛くなりそうな話でもある。
事実、目の前の大公閣下もエレオノーラの前の戦姫に『見所がある』として惚れられたりしていたのだが、恋の鞘当ての結果としては、気性が激しい所があるとはいえ楚々とした所もあったミラの母親の方に軍配が上がった。
(なんだってこんなことに詳しくなっているんだろうなぁ……)
「私の教育の賜物ですわね。『傲慢の風姫、憤怒の雪姫』というこの辺りのマイナーメジャーな伝説ですわ」
「人の心を読むなー」
洞察力あり過ぎる『強欲の幻姫』に言いながらも無駄だろうなと感じる。
とはいえ、それらの故事を言われて、思い当たる節があったのか顔を真っ赤にする戦姫二人。
意味が分からないティグルは呆けた顔をしているが、まぁ胡乱な話であろうということは完全に理解したようだ。
「そうだな……最終的には確かに中原でテナルディエ軍とぶつかり合う可能性が高いけれども、南部に行くこともありえるんだよな」
南部にまで押し込んでの戦いになる可能性を考えていたわけではない。ニース近辺でぶつかり合うだろうというのが連合軍としての読みであった。
だが南部―――アニエス近辺まで戦線を延ばすとなると協力者は多くいて悪いわけではない。
保険として、それを考慮していてもいいだろう。だが次にはティグルの思案は打ち切られる。
「ピエール・マルセイユ公無くしたブリューヌ南部は不穏な空気が立ち込めてますからね。妥当かと」
「マルセイユ様が!?」
「―――お知り合いだったのですか?」
タイミングを見計らって口を出したティナの言葉。それにティグルは腰を浮かせるほどの勢いで返した。
返された方も予想外の反応だったらしく、顔を驚かせていた。
言葉を失ったティグルに取り合えず詳細な事を話すティナ。一言ごとにティグルの顔が少し呆けていく。
そして放心して天井を仰ぎ見るティグルである。
「……俺が関係しているのだろうか?」
「いいや、テリトアールでの動き、オルミュッツの動きを斟酌するに『政敵』だから潰したというのが正しいだろうな」
「嘆いている暇は無いぞ―――これ以上の悲劇を止めたければ―――分かるだろ?」
自分とエレオノーラの言葉を受けたティグルは表情を改めてからミラに向き直るティグル。
「―――ああ。リュドミラ、南部で何かあればその時は助力お願いしたい」
「決断できたことは褒められるべきね。ならば―――私も決断するわ」
言葉で控えていた従者の一人が豪奢な箱を取り出して長大なテーブルに乗せる。
その箱を開けたミラ。中に納められていたのは―――多くのミスリル製の武器。そしてそれらの下に決して刃で切り裂かれないようにとしてオルミュッツの軍旗があった。
旗を貸し与える。それ即ちティグルの背後には「オルミュッツ」が同盟者として着いているという意思表示なのだ。
「我がオルミュッツは要請あればヴォルン伯爵閣下にご助力します。今の所は南部の様子を見ておきますがご要望あれば即応。それが我が民と我が父を人知れず救ってくれた勇者に対する最大の恩返しです」
「ありがとうございますリュドミラ=ルリエ殿―――なるべく次に会うときは穏やかな場所でいたいものですが、その時はよろしくお願いいたします」
微笑を交わし合い、次に会うのが戦場では無いことを祈りあう二人の言葉。それに対して口を「への字」に曲げているエレオノーラ。
そんな様子に皆が苦笑するしか無くなる。
「本当にありがとうねティグルヴルムド―――私の大事なモノを全て取り戻してくれて」
「気にしなくていいよ。俺にとってはやれるだけのことをやっただけだ。そして―――アルサスと同じ目に逢う者達を増やしたくなかった」
結局の所、それだけだった。彼がここまでオルミュッツの為に尽力したのは―――テナルディエ公爵の手で泣く人間を増やしたくなかったのだろう。
己の心に従ったからこそ、彼の目の前には道が開ける。
「交渉妥結して早速で申し訳ないが、我々はそろそろ出発せねばならない」
「慌しいですな。とはいえ我々もそろそろお暇しようか」
エレオノーラの言葉を受けてミラの代わりに父親である大公が返事をする。何故ならばミラは本当に名残惜しそうな顔をしていたからだ。
年頃の少女らしいそれを目にして微笑を零していた父親ではあったが、気付けで呼びかけられたミラも遂に立ち上がり、一礼をして部屋を出て行く。
その一時の別れを惜しむそれを見たティグルは、『微笑み』で心配するなと言外に言うしかなかった。
オルミュッツの使節団がいなくなると同時に静寂が部屋に篭る。しかしそれは一時のみであって、口を開くはエレオノーラであった。
「一つ確認しておくが、ティグル―――お前は―――私のものだ……だから、あんまり他の女に入れ込むな。情がありすぎるとそこまで酷な判断出来なくなってしまう」
「今の俺にとってはアルサスの保全のための戦いが第一だ……何より、君に対してまだ払うべきものを払っていない―――ただ、俺を大事にしてくれる人には、情のない対応はできそうに無い」
懐の深いティグルではあるが、エレオノーラとしては自分だけを見てほしい想いが先行している。
それが少しのすれ違いを生んでしまう。一種の嫉妬に狂ってしまうのだ。
(不器用すぎる)
誰もがそう思いつつ、その二人を部屋に残していつでも行軍出来るように準備をしておくことにした。
それぐらいの『ご褒美』があってもいいだろうという思いで、皆が出ていった瞬間であった。
† † †
「まさかあの若者が、ミラにとっての『大事なモノ』になるとは―――私の人を見る目もまだまだだな」
「だ、大事なモノではなく! 新しい友人です!! 胡乱なことを言わないでよ!!」
父の言葉に少しだけ噛みつく娘だが、本当に父親としてはそう思えたのだ。
最初は自由騎士リョウ・サカガミこそがリュドミラにとっての『良人』になると思っていた。
しかしながら彼は氷の姫を『賢妹』として見るだけで終わった。最終的には悪縁を断ち切る形で連れてきた流星の若者がミラの心に止まったのだった。
それを父としては良しとした。
自由騎士が信じた人間はミラにとってはしがらみを断ち切る刃を持った青年。そしてその青年はミラの心に住み着いた様だが……同時に何の因果か、風姫の心にも住み着いているようだ。
父としては負けるな。と思いつつ、あの青年が果たしてどのような道筋を辿っていくのかが非常に興味深くもある。
その道中にて自分の娘を『選んで』くれれば嬉しく思いつつ、今度は自分の茶を飲ませてやろうと思うのであった。
そんな父のからかいを受けてリュドミラ・ルリエは……ぼそっと呟く。
「髪型……少し変えてみようかしら?」
今までは、そこまで気にしていなかったが、もう少し―――少しだけ違うモノにしてみようと言うミラの意識は少女らしいお洒落への目覚めとなるのだった……。
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『最強の黒騎士』
鉛色の空の下、ブリューヌ西部に二つの軍団がぶつかりあう。
しかし戦いの趨勢は既に決まっていた。
いつも通りに西方国境を超えようとしてきたザクスタン国軍であったが、ブリューヌが誇るナヴァール騎士団の最強。黒騎士ロランは、最強豪傑無双の名に恥じぬ戦いをしてザクスタンが誇る投石器など多くの『切り札』を切り伏せた。
このザクスタンとブリューヌの小競り合いは今に始まった話ではない。森と霧の国と称される山野多きザクスタンにとって肥沃な土地を持つブリューヌは、喉から手が出るほど欲しいものだ。
征服国家として、あれやこれやの理由を着けて越境してくるザクスタンは正しく害虫にも等しき存在であった。
それを退けるモノとして黒騎士ロランはここに居た。しかし、最近のロランの戦いぶりは以前のように苛烈豪巌な様ではなかった。
無論、弱くなったわけではない。
寧ろ、静かな―――研ぎ澄まされた氷の『刃』の如きもので、視線一つだけで切り裂かれるような様を感じるのだ。
相対したザクスタン兵の多くは黒騎士の『爆発』から『冷却』の如き様の変化に―――更に恐れおののいた。
今までの黒騎士ロランは、強いが猪武者のような様でかかってきたので恐怖をそこまで感じなかった。
だが、最近のロランの様は―――武人として『一枚皮が剥けた』ことを意味しており、戦う前からその冷血かつ芸術的な剣技を聞かされていたザクスタン軍は呑まれていた。
そんなロランであったが、一度だけ『爆発』をしたことがあった。
血気盛んな若騎士二十人程、真新しい馬具とよく育てられた騎馬を操るレオンハルト・フォン・シュミット将軍の配下―――いずれは、彼を補佐して同じように王国の将軍にもなれた人間達が、鎧袖一触されたのだ。
彼らは一様にこのようなことを宣ってロランにかかってきた。
『レオンハルト様は止めたが主神オーディンの名に掛けて、ザクスタン騎士達の怨嗟晴らすために、我らは『自由騎士』として貴様を討ちに来た!』
瞬間。ロランは爆発をした。黒い軍馬を二十人の騎馬達に向けて腹からの声を出して騎士達を威圧したのだった。
『自由騎士? 貴様らは自らを自由騎士と名乗るのか!?』
同時に普通の大剣を隣の小姓に預け、聖剣デュランダルを背中から引き抜いた。その様は周りどころか両軍を威圧した。
『俺は真の『自由騎士』を知っている! その男は神の教え、王の権威からも自由であり、ただその『心』にのみ忠実だった! 神に縋り、国に依った貴様らに自由騎士を名乗る資格など無い!!』
瞬間、黒騎士は爆発をして先頭にいる騎兵を殺した。黒い疾風がすり抜けるようにザクスタン騎兵達を砕き裂いていくのだ。
振ろうとしたメイス、小剣が黒騎士に当たる事は無かった。それどころか振るう前に鎧ごと腕と胴が離れるなどという技ばかりが披露されていったのだ。
十九の骸と死馬を作り上げると、残った最後の一人を斬ろうとした所で―――その一人は、自分はアウグスト国王にも連なる王族のものだとして降伏して身代金を払うと怯えながら言ってきたが、ロランは一切構わなかった。
『貴様らの教義によれば、懸命に戦って死んでも『戦士の野』に行けるのだろう? ならば命乞いなどするな!! 黙して逝け!!』
真一文字に振るったデュランダルによって、言葉を発しようとした恐れの首のままに宙を飛んだ。
その一連の殺劇はロランの成長を本当の意味で裏付けており、その様を見せられたレオンハルトは――――。
『ロラン在る限り、我らにブリューヌへの道は閉ざされるがままなり』
その言葉は、ザクスタンに一種の『停滞』を促し、後に砂と海の大地に興る『新興国』と赤竜の王国アスヴァールに奪われ続ける未来を決定付けた言葉であった。が、この時はただ単に、そこまで深い未来を予言したわけではなく、ロランを倒す必勝の策無ければ戦うこと無意味ということでしかなかった。
とはいえ、そういった事情もあってかザクスタンの攻勢も最近は大人しいものであった。しかし、国が乱れたのを感じたのか今日の攻勢は少し強かった。
それでも200人ばかりが殺されると、撤退を始めるザクスタン軍。対するブリューヌ軍に勝利の余韻や勝鬨も無い。
「不気味な侵攻だな。俺の恐怖が薄れたわけでは無さそうだが……」
「全くだ。しかし、国が乱れていることは察せられているようだな」
騎士団の副長であるオリビエが、こちらの言に同意しつつも裏側の事情は察せられたことを話す。
「宰相閣下からは何も無いのか?」
「何度か使者を出したが、会えずに帰ってきている……こうなれば、己で―――」
「副長! 団長! 王都より急使が城砦に来られました!!」
戦場整理の指揮をしていた所に、若手の騎士がやってきて報告をしてきた。
待ち望んでいたものがやってきたのだと思って、オリビエを置いて一足先に城砦に戻ったロランだったが、再びの落胆と怪訝な想いに囚われることとなった。
―――ようやくのことでザクスタンとの合戦場の整理を終えたオリビエは城砦の団長室にいたロランの表情と言葉に当惑するも望んだ使者ではなかったのだと気付ける。
「俺たちに賊討伐をしろとのことだ。それも使者こそ王都からであったが、要請はテナルディエ公爵からだ」
「俺たち? まさかナヴァール騎士団でか?」
「いや、我ら『パラディン騎士』達でだ。無論、兵も幾らかは連れて行くようだろうが」
テナルディエ公爵の要請をまとめると、自分がザクスタンとアスヴァールと交渉をして暫くの間大人しくさせるから、その間に国内を混乱に陥れている賊―――『ヴォルン伯爵』を討てとのことだ。
ヴォルン伯爵はジスタート軍を引き入れて、王権の奪取を目論んでいるとのこと。そしてそれを裏付けるようにジスタートの客将『リョウ・サカガミ』も、着いていると……。
「妙だな。直にリョウ・サカガミと話したことも見た事もないから何ともいえないが、リョウ・サカガミは私欲で動かんと思っていたのだが」
「テナルディエ公爵曰く、遂に西方にて縁るべき土地を求めて動き出したとの事だ。ジスタートではなく、西方の中でも肥沃な大地を持つブリューヌならば満足するだの……有り得ないな。実に有り得ないことの羅列だ」
そういう風に縁るべき土地を求めるのならば、自分と共に奸賊テナルディエ、ガヌロンの両者を討たせてその土地を与えるはず。
陛下ならば、それだけのことを考えていたはず。寧ろ、そういった考えならばブリューヌ側に『立って』戦うほうが正道だ。
最初は王子殿下の近衛騎士ぐらいから始まるかもしれないだろうが……。
「随分と買っているんだな自由騎士を」
「ああ。俺の騎士としての在り方をある意味変えてくれたからな……同時にあのような勇者が、しがらみ無く奸賊を討ってくれればと思っていたぐらいだ」
他力本願な。と本人には呆れられるかもしれないが、ロランとしては自分のような『国』に縛られた騎士よりも、彼に現状の変更を願いたかった。
そんな自分の考えを話すと、オリビエは鋭い指摘をしてきた。
「―――ということはリョウ・サカガミは、ヴォルン伯爵なる貴族に『義』があると見たんじゃないか?」
「その義とは?」
「そこまでは、ただナヴァール城砦まで噂程度だが聞こえてきた話では……ヴォルン伯爵の土地に、テナルディエ公爵の軍勢が踏み入ったそうだ」
それはアルサスにおけるただの『私戦』の話であったが、その戦いの顛末があまりにも『過激』だったからこそ尾鰭を着かせて、この西方国境まで届かせる形になった。
栄華を誇ったテナルディエ公爵の軍団―――それに更に色を付けるはずだった騎竜行軍。
引き連れてきた五頭の竜が自由騎士と戦姫―――そして『流星』によって砕かれたという話。
「有り得ない話ではない―――というのが、自分の考えだな」
だが、ロランとしては竜殺し自体よりも、テナルディエ公爵がどうやって『竜』を調教したのかが気になる。
そして『竜』を調教出来るならば、南部の港―――武のピエール公を『黒獣』で討ったのも自ずと分かるというものだ。
「それでどうするんだ?」
「―――如何なる理由があれども外国の軍を引き入れたヴォルン伯爵に王宮がいい顔をしないのは当然だ―――一度、ニースに行って陛下の容態を確認するついでに、ボードワン様に問い掛ける」
「アスフォール、オルランドゥも同じ考えだろうから、私の方で連れていく騎士達を選抜しておこう」
「頼む」
「パラディン騎士の中でも武でお前ら三騎士に劣っているんだ。これぐらいのことはさせてくれ」
「卑下するな次席騎士長。お前がいてくれるからこそ、俺は全力で戦えるんだ」
端正な顔を苦笑に変えるオリビエにフォローを入れながら、出立準備を整える
この男の知恵があればこそ、自分は安心して戦えるのだ。
ただ本人曰く単騎駆けをする自分はあまりにも見ていられず、近衛騎士か彼を補佐する者が欲しいと漏らしていた。
(ザクスタン人共には悪いが、彼を守護するヴァルキリーが欲しいものだ)
「では行ってくる。落ち会うのは、どの辺がいいかな?」
オリビエの思考の間に黒騎士は出立準備を整えたようであった。はたと気付かされた時には、軍装が外された状態のロランの姿があった。
もちろん、デュランダルは携えている。
相変わらずせっかちな男だと思いつつ、考えた上で口を開く。――――
「ヴォルン伯爵の行軍速度にもよるだろうが、彼の目的を考えるに……ネメタクムに至る前の『オーランジェ』方面で宿営を張っておこう。細かい事に関しては使者を出すからそれに従ってくれ」
「承知した」
黒騎士の諾の声。固い調子で返してそのまま部屋を出ていった。
その背中を見送ってから、あの男に就くべきヴァルキリーとでも呼ぶべき存在は死んでしまったのだと気付かされる。
「ジャンヌ……君が生きていれば、こんなことにならなかったのだろうな」
レグナス王子の護衛役であった女騎士。自分たちパラディンの同胞。それは永遠に失われたのだと―――オリビエは悲しく思いつつ、彼女の冥福を祈り、各騎士団に幾つかの指示を出す業務に邁進することにした。
悲しみを薄めるように激務へと昇華させるかのように、務めて動くことにした。
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『将星の集い-Ⅰ』
忘れたころの更新技。おおっ、色んな企画が進行中でいいことなのだが……。
ギネヴィ「私の胸が増量中! 美弥月先生ありがとう!!」
しかし、ヒロイン枠としてはロランに移動を開始。そんな彼女の今作での立ち位置は!?
と言った感じで色々と凍漣の方にも合わせていくと、とんでもないことに―――。
久々の更新どうぞ。
―――朝日昇りつつ、世界を照らしていく。
しかしながら、だからといって即座に世界が暖かくなるわけではない。そして何より、今の季節は冬なのだ。
無論、冬と言っても初冬と言うのが正解であろう―――そしてブリューヌは温暖な気候である。
次第に暖かくなっていくのは余程の人間でなければ分かるだろう。
だが……だからこそ、自分はこの枯れ草色の草原に立つことにしたのだ。
自分がいる場所は戦士達の野―――ザクスタン風に言えばヴァルハラなのだ。
戦士達は朝と共に目覚めなければならない。例え、どんなに奮闘してもやってくる永遠の眠りがあるとしても、彼らは起きなければならないのだ。
寒さで惰眠を貪る事はあってはならない。
よって――――男は、唄う事にした。彼らを眠りから覚ますための、大いなる『人間賛歌』を歌い上げることにした。
「あさが来る~♪ きっと来る~♪ 何かあの辺から出てくる~ ひょっこり出てくる~♪」
自分考案の弦楽器―――この辺では三弦琴にも似たものを打ち鳴らしつつ歌い上げる。
「太陽よ。なぜにくる~♪ おまえはどこまでもやってくる~ 逃れられぬきしょー、さまたげられるねむり~~」
サビに入ろうか。と言う所で、平原にある全ての幕舎から人が這い出てきた。
『うるせぇ(うるさい)―――!!』
起床の第一声としては中々に悪罵が込められていたのだが、まぁとりあえず男女全ての幕舎から人が出てきたのは良い兆候であったので―――ウィリアムはとりあえず満足する事にした。
歌にたいする感想はあれではあったが、都合一週間もこんなことをやっていれば慣れたものであった……。
だが、自分の歌で人々に感涙を流させること出来ないのは悔しすぎた。
そんな内心の葛藤を抱えたウィリアム・シェイクスピアなるアスヴァールの吟遊詩人が現在厄介になっている軍団。
多くの幕舎を平和な草原に建てたブリューヌ有志連合軍とライトメリッツ軍の最近の朝の光景は、そんなものであった。
† † †
―――オルミュッツとの諸々の戦後処理を終えてライトメリッツからアルサスに戻ったティグル達であったが、予想以上のことがお互いに起こっていた。
アルサス待機組に関しては、何故だか知らないがアスヴァールよりリョウ・サカガミを頼って(?)アルサスにやってきた吟遊詩人ウィリアム・シェイクスピアがいた。
待機してアルサスにて練兵していた間にオルミュッツと一戦やらかした事にリムはあれこれ小言を主人に言っていたが、まぁそれは結局、『私の判断だ』という言葉で沈黙させられた。
『ならば、こちらも私の判断です』
そうして、不満を解消するかのように、吟遊詩人であり『銃士』である男を紹介された。連合軍初の傭兵として雇ったらしいのだが、客将である自由騎士リョウ・サカガミは露骨に嫌そうな顔をしたのが印象的であった。
『アスヴァールからの間諜だ。追い出せ』
『酷すぎますな。ギネヴィアの騎士―――今の私は一介の吟遊詩人でしかないのですから』
などと手持ちの弦楽器を打ち鳴らして悲しみと哀切を表現されると、その音色と真剣さを感じたのかティグルは入隊を了承した。
『まぁいいんじゃないか。俺もリョウのアスヴァールでの伝説を教えて欲しいしな―――歓迎するよ。楽聖』
『ありがとうございます。弓の領主殿―――やはり弓使いは話が早いですな。宰相閣下の引きとめをいなしたのも弓使いでしたから』
というティグルの言葉に、最終的にリョウも折れた。戦士としても優秀であることは保証されていたので、殊更反論は出来なかった。
そしてアスヴァールからの調略であったとしても、それはそれでいいだろうとティグルは考えた。
待機組に来た勇士は一人。それに対してライトメリッツに戻った方は三名もの勇士を雇うことに成功した。
双子のザクスタン女戦士。『アルヴルーン』と『エルルーン』この二人に関しては、ティグルとリョウは満場一致で配置を決めていた。
『双子の『戦乙女』は、私の部下なのか?』
『ああ、仮称『オルガ隊』とでも言うべきものに彼女らを配置する。意味は分かるな?』
『うん。責任重大だ。けれど二人はそれでいいのか?』
将としての訓練であり、これからのオルガの為を思ったものに対して、双子は自分に使われる事を良しとするのだろうかと考えていた。
歳が近いといえば近いし、身のこなしも良さそうだから、そこ―――『武』に対して不満は無い。問題は自分の下に居ることを許容するのかどうかと言う『気持ちの問題』である。
似た顔の双子だが髪色と髪の結い方で『どっちがどっち』か分かるのに尋ねるオルガ。
『異論は無いの。私の『勇者』を探すためにも『切り込み部隊』に入れられるのは歓迎』
『領主様の意向に従います』
小さな『エレン』と『リム』のような応答の言葉に、一同が視線を『元祖』に向けた。
視線の意味を理解して咳払いをするリムであったが、エレンは笑って『あんな感じだったかな?』と独り言を漏らす。
『分かった。私は平時はティッタさんと同じくアルサスの女中をやっているから二人にもそれをやってもらう。いいかな?』
オルガの命令に頷く双子。こうして彼女らの処遇は決まったのだが―――次いで現れた人間にリムアリーシャの『気』が膨れ上がった。
『……フィグネリアだ。よろしく頼む』
『いや意味は分かるが、何故に俺を前に出すよ?』
リョウの後ろから控えめに声を出して、自己紹介をした女戦士。別に『人見知りフィーネちゃん』などというわけではない。
見知った顔であり、色々と因縁が深い相手がいたからこそ、そんな風だったのだろう。
そして見知った顔の一人が、同じく見知った相手―――雇う判断を下した一人に食って掛かった。
『エレン、彼女が何をしたのか忘れたわけではないでしょう?』
『―――ああ』
『ならば何故?』
声こそ荒げていないもののリムは怒っている。口調といつもの畏まった口調、特に敬称を忘れて―――恐らく彼女らが『姉妹』だった頃のように言う所に動揺が隠せていない。
『私とて怒りが無いわけじゃないさ。ただそれを呑み込むぐらいには……私たちも大人になれたと思うんだ。姉さん』
無表情の『姉』の怒りを和らげようと微笑で語る『妹』。
傭兵団が解散してからの彼女らの苦境。だがその一方で……フィーネも苦しんでいたことを今の二人ならば理解できる。
あの頃には察すること出来なかったフィーネの気持ち。少女ではなく『女』として成熟してきた自分達ならば、あの頃のフィーネの苦悩が分からないわけではない。
『愛する男を殺せ』と依頼されたフィーネの心の苦悩が―――ティグルに対して、もしもジスタート王宮から良くない指令を出された場合。
それを突っぱねるだけの立場と力が今のエレン達にはあるが、あの頃―――ただの傭兵として動いていた自分たちではどうなるか分からない。
それと同じ事だ。だが、もしかしたらばティグルはそれすらも退けて、自分達を懐に収めていた可能性があった。
そしてヴィッサリオンも、その気になれば……フィーネを懐に入れられただろうが……。
『フィーネ。あなたは私達を疎ましく思っていましたか?』
『私が女としてヴィッサリオンに見られるためならば――確かにその考えが無かったわけではないね』
リムの疑問の言葉に対して、観念したのか前に出てきた隼の剣士は、自嘲するような笑みを浮かべて言う。
『けれど……ヴィッサリオンにとってあんた達は守るべき『宝』だった。いずれは蝶よ花よという『女の子』に戻したいとも語っていた』
自分の信じる『国』が出来上がれば、と付け足したフィーネの言葉に姉妹は対照的な表情を見せた。
『だから―――愛し、愛されなかった男に『殺されるならば』、それも運命だってね』
絶対に勝てると思っていたわけではない。勝てたのは―――恐らく偶然だった。
そして、恐らくヴィッサリオンにとっても……自分は『大事にしたい』人の一人だと気付いてしまい。それでも刃は違わず愛した男に突き刺さった。
『けれど生き残ったのは、私だった―――ならば、生きている人間として最低限の義務を果たす。それだけだよリムアリーシャ』
もう少し早めにするべきだったかもしれない。と付け足すフィーネ。
結局の所、お互いに心の中でのしこりがあり、それが戦姫になってからのエレオノーラの行動と心に『棘』を与えていたのだと気付かされた。
特に同僚である戦姫。ラズィーリスと呼ばれる戦姫の『父親』に対する行動と『言葉』が、フィーネには衝撃的だったのだろう。
『あんた達ヴィッサリオンの『娘』が信じた『王様』が、どれほどのものか―――その戦いとあんたらの行く末を見届ける義務があるんだ』
『……分かりました。配置は私に一存させてもらって構わないので?』
『好きにしな。メイドだろうと何だろうとやってやるさ』
勢いや良しな言葉だが、そのメイド服姿を想像した瞬間に―――何人かが口を押さえた。
全員の気持ちは一つであった……。
『イタすぎる』
奉仕するよりもされるほうだろう『姐御役』にそれは似合わなさすぎた。
『って何だって俺だけ蹴られるんだよ!?』
『他の子を蹴るわけにいかないからね。甘んじて受け入れなっ!』
怒りの矛先をリョウ・サカガミだけに向ける乱刃のフィーネの様子に全員が笑って、彼女もまた受け入れられた事が分かった瞬間だった。
そんなこんなで新しき人間、旧知の人間を加えた連合軍のある日の朝。
―――いつも通り、ウィリアムの調子外れの歌で目覚めて、始まった日に―――遂に変化が訪れた。
「エルルちゃん。アルルちゃん。お水お願い出来る?」
「了解なのです侍女長様」
「ティッタ様の手は料理をする為と王様を慰める手。冬の冷水で怪我させません」
そんなことを言うザクスタンの双子達が大瓶を軽々と持ち、川から多くの水を運んでくる様子は二日ほど周囲の人間を驚かせたが、都合一週間も経てば、この『銀の竜星軍』内部で驚くものはいなくなった。
ちなみにティッタは、『前例』とも言えるオルガの力持ちっぷりを知っていたので、そんなもんだろうと考えていた。
色々と間違っているかもしれないが、アルサスのメイド達は逞しすぎた。
そうして朝は過ぎていく筈だったのだが…………今日は遂に待ち望んだ変化が起こった日でもあった。
だがティッタにとってはいつもと変わらぬ日でありながらも……聞かされたことを実現する日であった。
ティッタやエルル達が朝の支度をすると同時に兵士達も朝の支度を始めていた。そんな中で、朝の恒例行事ともいえるものはいつも通りであった。
「そんな無駄ものを使うよりも、もっと効率よいものがあるのだよ禿頭のものよ。この地では私の方が先達なのだから素直に忠告を聞いておけ」
「生憎だが、我々の好みには、こちらの『燻方』がいいのだよ。とはいえ、なんならばユーグ殿も含めて試食会でも開こうか?」
塩漬けの豚肉の燻製方法で揉める美形二人。事の大小に関わらず二人が張り合うことが多いのは立場が近すぎるからだろうか……。
そんな二人とは対照的にルーリックと『つるむ』ライトメリッツの騎士達とジェラールの家臣達は案外仲良しになったりしていた。
最終的には『林檎の木』を『チップ』にして燻製しておけという忠言で治まった。
「姐さん! もう一本!!」
「しつこいねぇ。まぁ実戦感覚を取り戻すにはいいか」
ライトメリッツ兵、ブリューヌ兵混合で、歴戦の傭兵にして美女でもあるフィーネに挑みかかる。
木刀、摸擬剣などでの乱取りは、いつでもフィーネの勝ちで終わる。ちなみにフィーネから誰かが一本取れば『賞品』が与えられたりする。
その賞品とは―――フィグネリアの色気ある「寝間着」姿での酌と言う……誰が発案者であるか分かり易すぎるものである。
ちなみに宿営地での綱紀粛清をする立場も務めるリムもこれに同意して、更に言えばフィーネもこれを諾とする辺り「まだまだだな」と誰もが感じていた。
ウィリアムはオリジナルの作曲・作詞の演奏を止めて朝に相応しい「テーマ」を幕営内に流していく。
一日を始めるに相応しく元気が出るものだ。ジスタート・ブリューヌで共に良く聴かれる音楽であって、誰もが時に歩みや動きを止めて聞き惚れるものだ。
芸術家としては甚だ不満だろうが、こうした従軍楽士というものの役目が分かっていないわけではない。
そうした事が起こっている中、竜星軍内では、国と国が『地続き』ではない、関係が薄い人間は何をしているかと言えば…………。
―――釣りをしていた。川に釣竿と糸を垂らして―――大物がかかってくれないかという気持ちでいた。
自分達がここに来るまでに雨が降り、更に山からの雪解け水も加わってか、それなりに増水して魚の食いつきも悪くなっているのではないかと思うほどである。
何より、ここで釣れなければ陣内の人間達から『自由騎士に剣才あれども『釣才』なし』などと言われた上に、『次に釣れなきゃ、頭をルーリックみたいにしてやる!』とヤーファで釣果無しを『ボウズ』と呼ぶことからそんなことを言ってしまったのだ。
売り言葉に買い言葉と言えばそれまでだ。しかし、偶には『焼き魚』でも食いたい気分なのは誰もが感じていた。
(『ぬし』を釣れば祟られるからな……とはいえ、仕方ない)
禁断の手である雷の勾玉を出してリーザがやっていたような釣りをしようかと思っていた時に何かが流れてきた。
一瞬、流木かと勘違いしたが、エルルとアルルが瓶を担いで、それを対岸から追っていた。
「若大将ーーー!! あの人を捕まえてーーー!!」
「王様に御用の方なのーーー!!」
呼びかけられて、捕まえられない理由を何となく察する。とはいえ、それとは関係無く今は人命救助である。
エルルとアルルに対岸を挟んで並走しつつ、下流にある適当な川の踏み石をみつけて、そこに先回りして、飛び乗る。
「素は軽―――」
御稜威を唱えて、溺れつつも流れに必死に抵抗する少年を捕まえてエルルとアルルの方へとそのまま飛んでいく。
どうやら意識ははっきりしているらしく、大地に下ろした少年騎士は咳き込んでから佇まいを正して助けられた礼を言ってきた。
「申し訳ありません。騎士殿……人間、無謀な事をするとろくなことにならないことを身を以って知りました」
「何でまた溺れたんだよ?」
「その……双子―――エルルさんとアルルさんが、もの凄い跳躍力で対岸に渡ってきたもので―――男として負けてられないと……意地を張ってしまいました」
同じような年頃ゆえか、婦女子にカッコの悪い事を言ったことで頬を掻いて苦笑している。
頑丈そうな皮と銀で作られた鎧に小剣二本と小弓を持った少年。着ているものと持っているものとがブリューヌ、ザクスタン、ムオジネル……三国ごっちゃまぜという感じで来歴を特定できない。
ただ韋駄天の術を人前で無闇に使ったエルルーン、アルヴルーンを少し叱っておく。
『ごめんなさい』
少年―――黒茶色の髪をしたのに頭を下げる双子。それを受けて少年は気にしなくていいと言った。
そんな少年の笑顔を見て、二人して安堵するのを見つつ、少年少女の情ある行動だけに構っていられないとして、聞くべきことを聞くことにした。
「それで君は何処の誰なんだ。俺は『銀の竜星軍』にて傭兵を務めているものだが、君が伯爵閣下に何の用事でやってきたのか知らなければならない」
「失礼しました。自分はブリューヌ南部マッサリアを修めるマルセイユ家のものです。武公ピエールが孫、文公ヨハンが息子 『ハンス=マルセイユ』―――奸賊テナルディエを討つためにヴォルン伯爵閣下の陣営に入らせていただきたく参上しました」
(あいつには『仁星』でもあるのかね―――)
頭を下げて言ってきたハンス少年の自己紹介を聞きつつ、ティグルに対する評価を改めておく。
そうして再び対岸を『飛び』、竜星軍幕営内に戻る事にした。
彼が本当に登用されるかどうかは分からないが、まぁ会わせて損はあるまいとして、年少組を連れ立って歩いていく。
ある意味では『大物』を釣り上げた自分だが、果たして剃髪を免れるかどうかが疑問であったりもした……。
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『将星の集い-Ⅱ』
「……宰相閣下、私はあなたに失望しておりますよ……」
「言ってくれるなロラン。だが国の防人たちに恨まれるのは、今更だ」
宰相の執務室に着席するなりロランは、目の前にいる猫顔の男に言い放つ。それを受けても淡々とするボードワンに歯軋りしたくなる。
現在の王都における政治機能は、「貴族絡み」の陳情を、二大公爵に任せてそれ以外を合議で決めているという有様なのだ。
――――王都に着くなり、寝込んでいるだろう陛下の見舞いではなく、見たくもない奸賊の場所に案内されたときには案内した人間に激怒しそうになったものだ。
そこを抑えて、アスフォール、オルランドゥと共に聞くことにしたのだが、誠に実の無い話であった。
『貴卿の息子が、王都に無断で何の咎も無いというのに、他の領土に軍団を引き入れたことに対しては、何も無いのか?』
アルサス領主の怒りの矛先は、『テナルディエ』だけに向いているだけではないかと問いかける。
皮肉交じりのそれに対して、笑みを浮かべて咎ならばあるではないかと言うテナルディエ。
現にアルサス領主はジスタート軍を引き入れて、ブリューヌに存在している。彼は多くの貴族連中から彼が捕虜として捕まり、身代金を必要としていることを聞いていた。
それゆえにアルサス領主の行動に先んじて行動を起こしただけだと言ってくる。
『あの弓だけが取り柄とかいう軟弱な小僧のことだ。小僧を捕虜とした戦姫の色香に絆されて、領地を売り飛ばすことぐらい考えていただろう』
『預言者でもあなたの側にいるのか? とはいえ、その軟弱な小僧の行いであなたは嫡子を失ったわけだからな。怒りもひとしおということか』
ギロリと目を剥いて睨み付けるテナルディエだが、そんなもので怖気づくロランではない。
ブリューヌの騎士は文武に優れていなければなれぬ狭き登竜門なのだ。たとえブリューヌを代表する貴族だろうと、対応は変わらない。
『―――まぁフェリックス卿の気持ちはともかくとして、現にブリューヌにジスタート軍を引き入れたヴォルン伯爵に対して多くの民も良い感情をしていない。征伐はともかくとして、彼の目的―――フェリックス卿を追い落とすだけではないならば、それを探ってほしいのだよ』
『おや、ガヌロン殿は随分と慈悲深いですな?』
『何かお考えでもあるのですかな?』
南部国境付近を守っているアスフォールとオルランドゥが、そんなワザとらしいことを言ってガヌロンを挑発する。
意図がわからないわけではない。この二大が表面上はともかくとして王権を狙うために日々ろくでもないことをしているのは既知。
もしも一騎当千のジスタート軍を自陣に入れることできれば、それはフェリックスを追い落とす強力な力となりえる。
打算だけで動く人間が、そんな風なことをするわけがない。だがそんな挑発に対して、悪魔のような『顔』をしたガヌロンは苦笑しつつ、口を開いた。
『先に語ったとおり、テナルディエ公爵にも非が無いわけではない。悪事というものは風のごとく伝わるのだからな』
テナルディエ公爵にとって一番の誤算は、己の所業が『悪事』として全土に伝わったことだ。
これに関しては、戦傷者や逃亡兵に対する対処がものを言うのだが、五頭の竜が辺境に行ったらば、『一匹残らず殺されて総指揮官も敗死』などという事の顛末はどんなに隠そうとしても無理な話だった。
息子にかけた期待と保険が―――全て裏目に出た。親心を出した事が最大の仇となるなど、如何に非道な男とはいえ許容できる事態ではなかった。
『ゆえに治めるべきところがあれば、治めるように私が取り計らおうと思う。我らは皆、ブリューヌ王家の臣なのだからな』
言った方も言われたほうも欠片も心から思っていない言葉。だが、一つの案として受け入れておき、仮に彼らがそれでも公爵との決戦を望むならばどうするのだと聞く。
『その時は止むを得まいな。騎士として為すべきことを為すのだよ』
その前にガヌロンの腹心とも言えるグレアストがアルサス伯爵と『会談』をすると言って来たので、それ次第でもあると伝えられた。
そうして――――両公爵からの王代としての命令を聞いた後に、アスフォールとオルランドゥと分かれる形でロランは宰相の執務室へと向かう。
これは二人とも示し合わせていたことだ。
おそらく両公爵は自分たちを陛下および陛下に近いものに近づけさせないつもりだと気付いていた。
アスフォール、オルランドゥに適当に言って公爵派の案内係から離れて、宰相の部屋に向かった。
邪魔が入るかと思われたが、ここに来るまで特に妨害を受けなかった。
『どうやら、予想通りお前が来てくれたようだな……護衛の兵士に道を『作らせて』おいて良かった』
―――そういうことだったらしい。深刻な表情で安堵のため息を突いた宰相との会話が始まったのだ。
「つまりボードワン様『も』、ヴォルン伯爵を排除したいのですか?」
「……少なくとも、何の伺いも立てずに外国の軍を引き入れている彼を認めるわけにはいくまい」
「貴族絡みがやつらに握られている以上、彼の陳情は通りますまい……!」
分かりきったことを繰り返すボードワンに憤怒を抑えて返す。
「今、王宮が伯爵を認めて官軍だと宣言し、騎士たちと一体となれば、奸賊を追い落とせるのです!! 彼の伯爵には陛下も勇者と認めた自由騎士がいるのですよ!!」
「つまりロラン。お前は―――ヴォルン伯爵の資質ではなく自由騎士だけを認めて国の大事を決めよというのか? 例え自由騎士が認めた貴族であろうとも、そこに下心がないと言えまい。現に『大陸』アスヴァールの実権を握ったタラード将軍は、なかなかに野心的な人間だぞ」
自分の知らない情報を挙げられてはロランもそれ以上言えない。自由騎士の『目』と『心』だけで、義の有無を決めていいのかどうか。
そこなのだ。
何事も『最悪の事態』を考えて動かなければならない。政治の世界とはそういうものなのだ。
そうして自分たちが『戦争』を、宰相閣下と陛下が『政争』を生き抜いてきたのだから、その判断も素直にとはいかないが、頷けるというもの。
「……今は耐えてくれロラン。『時』が来るまで我らは刃を研ぎ澄ましておかねばならない……」
「!? ―――私はただの平民から騎士になったものですから、領地持ちの貴族達の機微は分かりかねますが……それで王宮に尊崇の念が集まるとは思えませぬ」
時というのが『何』であるかは分かっているが、それまであの奸賊達の暴虐が下にいる者たちに多くの困難を与えるのだ。そう考えれば激発したヴォルン伯爵の心も何となく分からなくもない。
そんな自分の苦悩を知ってか知らずか、宰相は頼みごとをしてきた。
「ああ。だからこそロラン―――汝に『密命』を託す―――デュランダル、ドゥリンダナ―――そして王家に在りし『第三の宝剣』―――『ジョワイユーズ』、それを『持つもの』を探せ。そこに―――今は『昏倒』した陛下の『心』がある――――」
自由騎士の如く託されたものの大きさ―――それを理解し、再びの戦いに挑むには―――己は一度、『死ななければならなかった』。
† † † †
「俺はかまわないとは思っている。リムが言う何処かの貴族が味方したというわけでなければ、そこまで兵站の消費は多くないだろうからな」
「よっぽどお腹が減っていたとは思いますけどね」
ちょっとした大きさの鍋のシチューが空となったものを見せながら、言うティッタ。だが怒っているわけではなく、もうお代わりはいいのかという意味だったが、この若武者にとってはそうは取られなかった。
「す、すみません奥方様! ここまで殆ど食わずで来ましたので……ですが! 戦働きでは必ずや閣下のお役に立ちます!」
奥方などと言われたティッタだが、それに対して顔を赤くしつつも、アルルとエルルを嗜める辺りに分かっている。
幕営内の軍主要人物は特に反対意見は無かった。ハンスの顔にティグルは無き老公を、そしてジェラ―ルも、既知であったことがそれを円滑にした。
「お前は私に隠しているだけで他の交友関係もあるんじゃないか?」
銀の竜星軍の責任者の一人であるエレンのジト目と共にこちらに問い掛けてきた。それに苦笑しつつティグルも答える。
「いや、俺自身、領主になってからはマスハス卿ぐらいとしか交流していなかったんだよ……父親が生きていたころはあちこちに連れまわされたけど」
その一環の一つ。狩猟祭におけるある『顛末』が、あの老公に評価されていたとは思わなかった。
殆どの人間が、ティグルを責めていたのだが、そこに価値を見出されているとは……。
「我が故郷、マッサリアの海は、時に『黒赤狼』『森原人』の賊が襲い掛かります。そこにてブリューヌの合戦礼法など意味を為しません。求められるべきは、誰にも負けぬ『力』それだけであり、爵位も礼儀も二の次なのです」
そう言い放つハンス。亡くなったピエール卿は、いずれ『海洋騎士団』の一員としてティグルを招きたかったといつも呟いていたと伝えられる。
しかし折り悪くも、武者修行や見聞行などをする前に父ウルスは亡くなった。結果として、自分が南海に赴くことは無かった。
これでリョウのように父親が存命で家督を相続していなければ、そうした経験で、自分の戦いはもう少し楽だったかもしれない。
考えてもしょうがない仮定ではあるが、このブリューヌにブリューヌ人として自分を認めてくれていた人がいることが嬉しかった。
「だが……ピエール様は亡くなられたんだな?」
「―――はい」
祖父から頼まれたこととはいえ、ハンスは勇戦する親族を置き去りにして、ここまでやってきたのだ。
父親こそどうなったかは分からないが、ここに来るまでにマッサリアが砕かれ、ピエールが敗死したのは聞こえてきたはず。
それに耐えるように身を震わせるハンス。その心情が分からぬ者はここにはいない。
誰もが何かを失ってまで、この乱世を生き抜いてきたのだ。だからこそ……ハンスという若武者をティグルは引き入れることにした。
「顔を上げろハンス。お前も見たのならば分かるとおり、テナルディエ公爵は竜を使い、黒い魔獣を使いこのブリューヌを混乱に陥れている元凶―――私は、それを正すためにも友である『自由騎士』『戦姫』と共に戦うことを決意したんだ」
「ヴォルン閣下」
「いずれマッサリアは、取り戻す……その為にも逆賊テナルディエを討つ。力を貸してくれ」
「―――兵の一人もいない私ですが、微力ながら―――全力を尽くします」
感極まり拝跪したハンスの姿。それをリョウは見つつ、彼ならばティグルを支えてくれる『武臣』となれるだろうと思う。
そんな大体の連中の思惑が少し気に入らないのかルーリックが何ともいえぬ表情をしているのが、気がかりである。
「気になるならば腕試しをすればいいだろう」
「ティグルヴルムド卿の判断に、ケチをつけたくはありません」
「いえ、剣の腕と弓の腕―――それを皆さんに教えたくあります。でなければ私はここに受け入れられませんから」
リョウとルーリックの会話を聞いていたハンスは、挑戦的な笑みを浮かべて『戦士』の一人として受け入れてもらうために、ライトメリッツ『いち』の弓取ルーリックに挑み、剣はリムアリーシャが検分することになった。
流石に得手『一番』どうしでは『ハンデ』をどれだけ着けても、正確な実力は測れないだろうということからだった。
『ハンスくん! ファイトーー♪』
「うん! 見ていてね二人とも!!」
双子からの応援を貰いながらそれに奮起するハンス。まぁそれはいいとしても、今後のことを考えて何処の隊に所属させるかが気になる。
幕営から数人がいなくなり指揮官級どうしの話し合いに自然となる。
そこから更に、ハンスの腕試しの為の試験官と野次馬根性な連中がいなくなると、ティグルとリョウの二人だけになった。
「ハンスなんだが……何処に入れるのが最適かな?」
「オルガ隊だな。適正とか以前に、年齢が近い同士の方がいいだろうさ。あいつは俺ほど『一人遊撃』が出来るほど武に卓越していないし、かといって軍団指揮させるには年齢も知り合いも少ない」
ユーグ卿が集めた兵士達の中にどれだけ、マッサリアの後継者『ハンス』のことを知っている連中がいるか分からない。
そういう状況では、適正よりも知り合いや気心の知れた人間同士で組ませた方がいいだろう。
そうしている内に、どこかで『一人立ち』させて指揮させたとしても、誰も文句は言わないはず。
「―――ここに来て結構経つが、未だにテナルディエ公爵に動きは無いな」
「マスハス卿も来ていない―――膠着状態だな」
だが、こういった時に限って厄介な事態は起こるのだ。何気なくリョウは分かっていたので、気を緩めることはしなかった。
「ハンスも聞いてきたが……銀の『竜』星軍というのは中々に面白い名前だ」
「由来を聞けば馬鹿らしくなるがな」
ティッタが残していったお茶を飲みながら、幕営に張られている『軍旗』二枚を重ねたが故の名称決めのことを思い出す。
おそらくエレンはかなり前から考えていたと思われる連合軍の名称、発表された当初はリムは少し戸惑っていたが、それでも最後に少し一悶着あった。
銀もいいだろう。星というのも悪くは無い。しかし、それでは自由騎士のいる意味を察せられないとリムは抗弁してきた。
おそらく撤回させるために、エレンにとっての鬼門であるリョウの存在をどこかに入れなければ意味が無いとしたかったのだろうが――――。
リョウは別にどっかに無理やり含めなくてもいいんじゃないかとしてきたが、頑として譲らぬリムの態度に、裏側の事情を察するのだった。
そんなリムに対してエレンは涼やかな笑みを浮かべて、以下のようなことを言ってきた。
『心配するな。それに関してはサーシャと共に案を出し合った―――お前が反対することを見越した上に誰を『ダシ』にするのか分かっていたようだからな』
結果として呼び名こそシルヴミーティオという名が残ったが、文字で書くとそこには『昇竜』の一文字が加えられていたのだった。
そんな自軍の由来を象徴するように、プラーミャとカーミエも着いて来たりしていた。
カーミエは、アルサスの住人であるのだから仕方ないが、プラーミャに関しては――――。
『獅子は我が子を千尋の谷に放り込んで、鍛え上げるという話があります。故に母として私はプラーミャと断腸の想いで別れます! 次に会うときは千尋の谷を上って竜王としての格を上げたとき――――』
などと語るも、子であるプラーミャは久々に会えたティッタに喜色満面で引っ付いていたりして、話を聞いていなかったりした。
途中で言葉を打ち切ったヴァレンティナの表情は、どこぞの禁忌人形(?)のように絶望しきっていたりした。
『うん。まぁ俺の方でプラーミャは守り鍛えとくよ。だから―――泣くな。いや今は泣け』
そうして、両親(?)は揃って子の成長に涙したりした。同時に、『この場にアレクサンドラがいなくてよかったぁ』と何人かが、指揮官の幕営にて安堵したりした。
結果としてヴァレンティナ・グリンカ・エステスは『竜星王』の子息を、我が陣営の幕下に加えてからいなくなってしまった。
彼女の動向は再び分からなくなってしまったが、少なくともリョウの邪魔をするようなことはなく、自分たちを害するようなことにはならないだろうと考えておくことにした。
「今のブリューヌは『混沌』としか称せられない状況だ。辺境伯が外国の軍の協力の下、大貴族に誅罰を加えんと動き、大貴族は皇太子の死亡と同時に、王宮の権力を握ろうと動き、南部では『ドン・レミ』村を中心に自治村運動が勃発、『奇跡の聖女(ラ・ピュセル)』なるものが扇動を働いている」
「最後は知らないな。何のことだ?」
「ああ、実は――――」
机に広げられたブリューヌ地図の上に次々と石を置いて状況説明をしていた自由騎士の言葉にアルサス伯爵は、耳を聞きとがめた。
しかし、それは突如入ってきた衛兵の報告で途切れることとなった。
「いやはや賑やかな所、突っ切ってきましたが、伯爵閣下とサカガミ卿だけにお伝えした方が良いと思えました」
「ハンスは中々の若武者のようだな」
この幕営の中にも聞こえてくる喝采の声と、ルーリックの悔しげな大声での注文『もう一回勝負だ!』の言葉に、それを感じる。
しかし衛兵の報告を聞き、喜びだけでもいられなくなる。
カロン・アクティル・グレアストなる侯爵位にある男がティグルとの会談を望んできたというのだ。
「どこの貴族なんだ?」
「又聞き程度だけならば、確かガヌロン公爵の『腹心』とか呼ばれている男だったはず」
「――――何故、そんな人が―――?」
色々と憶測は出来るが、とにもかくにもリョウとて人相を知らぬので、一番顔が広いオージェ子爵にも話をしてみることにした。
幕舎を出て、賑やかながらも金属音が響くフィールドを避ける形で老子爵のいる場所に赴くことに。
「少し顔が赤いですな」
「友人の孫があのような武勇備えし戦士になっていたのだ。嬉しくてつい飲みすぎてしまった」
その言葉でハンスのいる方向に目を向けると、剣ではリムを越えるのか、遂に二番手であるフィーネを引っ張り出すことに成功していた。
ハンスの姿を目を細めて見ていた子爵であったが、一度目を閉じてからこちらに問いを発してきた。その目は非常に真剣なものであって、事情は少し理解しているように見える。
「で、お主ら二人して何か用事があると見たが?」
そうして事情を説明すると、先ほどまでの好々爺な顔を歪めた。
「ガヌロン公爵の腹心。顔こそ知らないので、会談には確認の為にご老体にも来てほしいのですよ」
「――――この会談、受けるのかティグル?」
リョウの言葉に一度、瞠目したユーグであったが、ティグルは頷いてから何にせよ話を聞くことも必要だろうと思えた。
「とりあえず陣地ではなく、離れた所で会談をと、どういう用向きかは分かりませんが、一先ず話を聞いてみようとは思います」
「……分かった。サカガミ卿。この老骨はどうなってもいいので、ティグルの身の安全だけは確実によろしくお願いします」
「言われるまでもありませんが、老将軍もこの軍には必要なお方です。一介の騎士としてかならずやお二人を御守りしてみせましょう」
ユーグの言葉にどう考えてもろくな会談にはならないだろうなと若者二人して意見を一致させてしまった瞬間だった。
だが、そんな自分たちの行動はやはり注目を集めていたらしく、護衛を数名だけの会談と考えていたのだが、結局主要なメンバー全員が赴くことになってしまった。
「ティグルの護衛は私だ。お兄さんには悪いけれど、万が一の時でも、その刀が抜かれることは無いよ」
そんなオルガの言葉を皮切りに、隊長、将軍級の人間―――具体的にはティグルに近しい人間全員で『奸賊』の顔を拝見しに行くことになった。
敵になるか味方になるか、それは分からないが……。
「殺すかもしれない相手が大物かどうかぐらいは、この目で見ておきたいもんだ」
「悪い顔をするねアンタ」
フィグネリアの言葉に構わず、静かな殺意を燃やしながら、会談準備を整えるために奔走することになる。
おそらく会談は決裂する。だが、その決裂は決定的であり、『恐怖』を与えるようなものでなければなるまい。
……奸賊と和するような男であればティグルとは、ここでお別れだろうが、そうはならないと確信があった。
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『将星の集い-Ⅲ』
「こっ酷くやられたようだな。バーバ・ヤガー」
「油断していただけ―――などとはいわん……が、遠く東の地はいまだに霊力が強いものが多すぎる……」
あの島国からどれだけの『実力者』がやってくるのか分からないが、七人の戦姫に応じて七の妖魔として存在している自分たちなのだ。
それ以上の数がいれば、簡単に殺されるだろう。
ドレカヴァクの言葉に返しながら最悪の未来を予想するが……そのようなことは、目の前の魔神の前では言えない。
言えば如何なヤガーと言えども殺されるだろうことは見えていたからだ。
「それでモモ様―――どうするのかな?」
「どうするも何も無かろう水魔。小勢である内に叩き潰す。それだけではないか」
「ご尤も」
戦の妙味は将軍―――トルバランほど熟知していないヴォジャノーイと言えども、そのぐらいは分かる。しかし案外、神の一柱というのも我慢が利かないタイプのようだ。
「このままテナルディエの動きに歩調を合わせていてはな。祭りに出遅れてしまう―――ドレカヴァク。貴様は帰ってきたならば予定通りにせよ」
窓に佇んでいた闇の化身の男は、業物の剣を掴んで外へと出ようとする。
「では―――」
「魔剣を奪うついでに『ロラン』なる騎士と遊んでこよう」
「ならば僕も着いていきましょう。婆さんをここまで連れてきただけじゃ少しばかりつまらないからね。婆さん。モモ様からの『贈り物』でちゃんと養生しときなよ。もう若くないんだから」
言いたいことだけ言って部屋を出て行く侍ととその従者たる盗賊にも見える男二人。
見ようによってはサーガにも出てくるかもしれない二人であったが、彼らが刻むのは悪漢としての伝説だけだろう。
その身にあるべきものは世の安寧ではなく世の混沌だけなのだから―――。
† † † †
銀の竜星軍の陣地から二百アルシンは離れた場所に簡易な会談場所が出来上がった。
お互いに伏兵などを潜ませないように周囲に隠れられるような場所は無く、会談も幕中ではなく外で行うことにした。
しかし居並ぶ諸将、諸戦士の数が多すぎた。傍目には年端もいかぬ少女に見えるものもいるが、それでも見るものが見れば、それがどれだけの実力者なのか分かるはず。
だが、残念ながらやってきたグレアスト含め、グレアストの護衛達の中には、そうした武に長じたものはいなかった。
「オージェ子爵」
「うむ。間違いない。グレアストだの」
ティグルが老将軍に確認を取り、やってきた灰色の髪の、如何にも貴公子然とした顔立ち―――しかし、どうにも後ろ暗いことばかりをやっている男の性なのか化粧だけでは隠せぬ『陰気』さが顔に滲んでいた。
そんな男が前に出てきたのを見て、ティグルは前に出て自己紹介をした。それと同時にグレアストもまた自己紹介をしてから銀の竜星軍の人間たちを観察していき、その中にオージェ子爵を確認して意地の悪そうな笑みを浮かばせる。
「オージェ子爵。隠居したと思っていたが、まだまだ元気そうだな」
「息子に爵位をゆずっていきたいところだが、あいにく世の中が平穏ではないのでな」
「せっかく健康なまま老いることが出来たのだ。無理せぬ方がいいだろう」
皮肉の言い合い。それに対して、同席していた息子であるジェラールが抜き差しならない表情でグレアストを睨む。
憤激しては不味いし、かといって父を侮辱されて何もせぬは不孝者というものだ。
ジェラールの顔も既知であったグレアストは父子もろとも鼻で笑った。
―――それだけで、諸将のグレアストの印象は最悪に落ちた。自分たちを幕営させもらっているのは、この子爵家なのだ。
店子として大家に対して義理を果たすは当然。故に―――全員の視線が険しくグレアストに向けられた。
そして次に挨拶したエレオノーラに対する態度は露骨すぎた。そして次々と述べられる言葉の羅列は、ティグルを貶め、エレオノーラの美しさを称えるという―――セクハラと同時に行われるエレオノーラの逆鱗撫でに気づいているのかいないのか。
「そこまでにしておけ。竜殺しの栄誉は俺にもあるのだからな。エレオノーラだけを褒め称えるのは、お門違いだな」
鞘込めの刀をグレアストとエレオノーラの境界に差し出す。殆ど重みを感じぬが当てられた得物の剣呑さにグレアストは視線をやっとのことで、こちらに向けた。
「戦姫殿の他に聞こえてきた噂だが―――まさか真実だとはな。お初にお目にかかる東方剣士リョウ・サカガミ」
「婦女子に対する接触が過ぎるな侯爵。女の扱いは間違えば―――男の地位を簡単に貶める」
挨拶に対して挨拶を返さずに、警告を発する。それに対してどう出るか。
「……肝に銘じておこう。少なくとも戦姫の色子などと称される貴卿だからな」
こちらの視線と言葉でようやく接触を終えたグレアスト。それでも止まらなければ手を斬りおとすぐらいはしていたかもしれない。
そんな自分に笑みを一度浮かべたティグルは表情を真剣なものに変えてから口を開く。
「グレアスト侯爵。我が家の客将が無礼をしたが―――我々は、あなたの口説き文句に時間を浪費したくない。時は金なりという格言をご存知のはず」
「中々に言う……ヴォルン伯爵……」
「リョウ・サカガミの『剣』は私の言葉と同義だと思って『会談』に挑んでいただきたい」
脅すつもりか? と言外にティグルを睨むグレアストだが、ティグルはそれを受け流して、着席するように促す。
リョウとしては一触即発の場にガス抜きをするつもりだったのだが、むしろ―――。
ジェラールとルーリックが自分の両肩をそれぞれで叩いてから、こちらの顔を見ながら親指を立ててきた時には、『お前ら実は仲良しだろ?』などという皮肉を言う間もなくオルガ隊の面々、リムアリーシャ、フィグネリアまで親指を立ててきた。
グレアストに見えぬ位置にて無言で『よくやった!』と言ってくる面々……。
(ガスを『吸い込む』までは予想していなかった……)
皆が手を出せぬ中、自分だけは己の積み上げてきた『威』で、やり返すことだけを考えていたのだが……予想以上の『悪漢』ぶりにみんなの心は一致していたようだ。
とはいえ、その数分後には自分も爆発することになるのは、やはり自分も皆と一緒だったということだ。
着席して酒を銀杯に注ぎ飲み干した後には潤んだ喉が滑らかに舌を滑らせて会談が始まった……もっとも、その実、殆ど喋っていたのはグレアストであった。
要約すると……。
一、テナルディエ公爵と戦うならばガヌロン公爵に着け。
二、ガヌロンの陣営に組すれば、褒美としてテナルディエ公爵の中心都市『ランス』略奪の権利を与える。
三、ただし、協力する以上こちらが要求するものは全て差し出せ。無論、どんな事情であっても拒否は許されない。
四、二番目の条件であるランス陥落のための先陣を斬るのは、銀の竜星軍。
ざっと挙げれば、こんな所だ……しかし、ランスという街に立ち寄ったこともあるリョウとしては、その失陥が容易ではないことも分かっている。
エルルもアルルもあまり良い顔をしていない。数年程度とはいえ住んでいた街なのだ。そこに獣の如きことをやられては良い気分ではないだろう。
「お話は分かりました。同盟者の皆と話し合って明日にでも返事を出させていただきたいと思うのですが」
「いや、返事はいまこの場でもらいたい」
その返答を予想していなかった訳ではないが、随分と性急だとも感じた。
「貴殿に与えられているのは、恭順するか否か―――無論、日和見の中立など許さぬ。仮に汝らが先にテナルディエ公爵を打破出来たとしても、こちらに着いていなければ我らは貴殿らを撃破する」
冷血な視線と共に二者択一だけを求めるグレアスト。それに対してティグルの―――『腹』は既に決まっているだろうことが、老従バートラン、そしてオルガも分かっていた。
一度だけ目を閉じて、射をする際の呼吸、射抜くための集中の動作にも似たことをしてから一言。放った。
「リョウ、グレアスト侯爵に返事を―――」
「―――委細承知」
望んでいた言葉。同時に―――会談場所に鍔と鞘が打ち鳴らされる音が響いた。
「成程、私も東方文化にそれなりに教養ありますので分かるが、曖昧だな。『金打』で返すとは、これでは……」
「あなたが何を言っているのか分からないな」
グレアストの言葉を遮り冷ややかに告げる。呆けた顔をするグレアストだが、次にはその顔のまま『後ろ』に転げ落ちた。
「なっ……!?」
背中に感じる痛みに耐えつつ起き上がるグレアスト。
ことが、ここに至り気づく。先ほどの鍔と鞘が打ち鳴らされたように『見え』『聞こえた』行為。
寸分たがわず斜断されて後ろに転げ落ちるようになった椅子。肘掛すらも斬られていた。
(斬ったというのか、あの一瞬で!?)
知らず嫌な汗をかき、ぞっ、とするグレアスト。ムオジネルにて『協力』しあうことを約束した『男』も語っていた事実。
―――一度、剣が閃けば地獄行き。―――不心得者ならば気づかぬうちに獄卒と対面―――。
神流の剣士は―――そういう『鬼人』だ。その言葉を思い出した。
「侯爵、これがティグルヴルムド・ヴォルン閣下のお心だ。国王の沈滞を好機と見て、乱賊猛々しく王宮の威を着る貴様らに着くことなど我が殿にはあり得ぬわ!!」
「……!! 本気か?……分かっているかどうか知らないが、お前たちの旗を王宮がどう見るかすらわからぬのだぞ…!」
「盗人たけだけしい! 王の領分を犯すさえ重罪だというのに、あまつさえ何の咎もない閣下の土地を狙っていたのは貴様らもテナルディエと同賊! 領民の安堵と国のために立ち上がった閣下の旗を誰が『不義不忠』と言えるものか!!」
理屈、というよりも言葉の勢いでグレアストは呑まれている。
返そうと思えば返せる弁舌だが見事に叩きつけられるそれと、見せ付けられた絶技ゆえに言葉が出てこないのだ。
「後悔するぞ……!」
立ち上がり逃げ腰な姿勢での捨て台詞。しかし、その言葉は全員の心に――――『火』を点けた。
『やれるものならば―――やってみせろ!!!』
ティグルの旗に様々な思惑、感情で集った将星のもの達。
だがそれでもその『旗』にこそ自分たちは『命』を預けたのだ。利害だけではないその『心』に従い誰もがグレアストを睨み己の武器を打ち鳴らして、決意の心とした。
「お引取り願おうグレアスト侯爵。私を信じてくれた人々の為に、ガヌロン公の『旗』に就くことは無い」
最後を締めくくるようなティグルの威厳を込めた言葉。
家臣含めての、その『威圧』に負けたのか、護衛を引き連れて逃げるように、情けない表情を見せながら去っていくグレアスト。
そうして嵐が止むと同時に―――誰もが息を突いた。次いで、張本人ともいえるリョウが愚痴るように言うと皆であれこれ言い合う結果に。
「やってしまったな」
「だがスカッとしたのは間違いない。お前にしては中々に助かった」
イイ笑顔をするエレオノーラ。そうとうあの男のセクハラに辟易していたと見られる。
「サーシャやユージェン様から頼まれていたからな」
―――エレンに寄ってくる蛾。ティグルではどうにも出来ない蛾ならば打ち払え―――。そんなのを受けていたのだ。
しかし、誰もが表情に明るい所を見ると……不満が溜め込まれていたのは事実。
グレアストの要求が緩やかであったならば、陣営内には不満が残った可能性もある。となれば爆発させたのはある意味、必定だったかもしれない。
「いつも冷静な貴卿にしては随分と感情的な声だったな勘定総監?」
「私とて情のある人間なのでな。あの男には非常に我慢ならなかった」
ルーリックのからかいの言葉に、あさっての方向を向き、気恥ずかしいのか、そんなことを言うジェラール。
そんな二人を見て老将軍は穏やかな笑みを浮かべていたりする。
とはいえ、みんなの心情を代弁するように放っていた斥候の一人が陣地にやってきた。
それは待ち望んでいたものでもあったからだ。
斥候の報告を聞いた老将軍は、今度は人の悪い笑みを浮かべてはき捨てる。
「北に一日ほどの距離に緑地に金色の一角獣の旗か、ガヌロン公爵め。最初からそのつもりだったようじゃ」
老将軍の言葉を受けて全員が慌しく動く。中でも先陣務めの「オルガ隊」は早かった。
「エルルとアルルに凶賊の仕業に見せかけて殺させるのは無しの方がいい。真正面から打ち破ってティグルの武威を見せ付けてやる」
『ちぇー』
「やりたかったの!?」
双子の残念そうな言葉にハンスは驚いたが、作業の手は緩めない。
まさかり担いだ金太郎ならぬ『馬太郎』を筆頭にオルガ隊は先手となるべく準備を開始する。
簡易的な会談場所を引き払いつつ、陣地に命令を発するために伝令を出す。
そんな中、総大将であるティグルは、一時命令を中断して自分の侍女である幼馴染に向き直った。
「ティッタ。バートランと何人かを着けるから陣に戻っていてくれ」
主の言葉を聞いたティッタは、少しだけの寂しさを覚えハシバミ色の瞳を濡らし、されどそれを乱暴に拭ってから、主であり想い人である男性を見て、一言を言うことにした。
その一言に己の想いを込めることにした。
「ティグル様……私はティグル様の―――『ご武運お祈りしています』―――」
「―――ああ。絶対に『帰ってくる』―――」
そんな二人の様子にオルガは「しくじった顔」をするも、ティッタはオルガ隊の面々に向き直って口を開く。
「皆もティグル様を頼んだよ」
「任せてくださいなの!」「王様は必ずお守りします」「僕は新参ですが、ヴォルン家の家臣として奮闘します」
「―――うん、任せてティッタさん。ティグル―――私が『ティグルの武運』になってみせるよ」
一度は少しの嫉妬をしたオルガだったが、心の底が一緒であったのを再確認して、そんなことを言う。
「ああ、頼りにしているよオルガ」
そうして家臣たちからの頼りある言葉を聞いてから、全員を見回してティグルは総大将としての務めとして―――号令を発した。
「敵はガヌロン公爵!! 銀の竜星軍の初陣―――勝利で飾るぞ!!」
言葉と同時に天を突かんばかりの意気を上げた諸将。
そうして―――オーランジュ平原の戦いの火蓋は切って落とされたのであった。
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『竜星軍の初陣‐Ⅰ』
「一兵たりとも生きて返すな。奴らはガヌロン公爵に明確な敵意を示した」
貴公子としての素面を捨てて、薄汚れた衣服と化してしまった己の華美な服を脱ぎ捨てる貴族、『グレアスト侯爵』に『将軍』は面を食らった。
そして言われた言葉の過激さにどれだけの羞恥を味わったのかと想像を巡らすも、常日頃から位が自分よりも低いのに関わらずガヌロンの腹心としての態度であるグレアストにいい気味だとしておいた。
「言われるまでもないが、お主はどうするのだ?」
「いずれ私も出よう。やり返さなければ気がすまん」
と言われて『将軍』は、嘆息しつつ、この状態ではまともな軍議など無理だろうな。として己だけで戦支度を進めることにした。
姦策用いるこの男の用兵手法と将軍の手法はあまり合わない。ならばこれ以上はない幸運が舞い込んで来た。
このグレアストの手落ちと中立貴族達の富を土産に自分は、ガヌロンの覚え目出度く大きな冨貴に与れるだろう。
・
・
・
「―――と、まぁそんな感じだな。俺が思うにガヌロン遠征軍の陣の様子は」
何とも都合のいい感じに、ガヌロン遠征軍の様子を推察したリョウの言葉は、まぁそれなりに想像がつくものであった。
想像できても実際、そうなのかは別な訳で何人かからは疑問が呈された。
「そんな都合よくいくかぁ?」
胡散臭げなフィーネの言葉。それを補足したのは、兵站を一手に担うジェラールだった。
「いえ、サカガミ卿の意見は正しいかと、確かにグレアストは策謀を巡らせますが、その戦い方は、ガヌロンの『武官』達には受けは良くありません」
「おまけに掲げてる旗にはマスハス卿の領地に寄った男―――『将軍』のものもあるか―――、リョウの挑発で怒り心頭は期待しすぎだとしても―――『条件』から察するに、将軍とやらを前に出してくるだろうな」
グレアストの心や性格はガヌロンに気に入られているところから、軍略においてもまず使えない人間。もしくはあまり利益を与えたくない人間を先頭に立たせるはず。
しかしながら、あれだけやったのだ。いずれはグレアスト自身も出てくるだろう。
最大の好機は利用するに限る。
「河を利用するか。リョウ、川幅と水深はどれぐらいだった?」
「とりあえず中心部では軽鎧のハンスが溺れるぐらいはあったな」
渡河しようと思えば、すこし難儀するか。騎馬鎧を着けた馬でも少し不味い可能性もある。
リョウの言葉を受けてティグルは考えるに一度、川の水を減らす必要があるだろうかと思う。
「それは『あちら』に『半ば』までやってもらおう。ガヌロン遠征軍とて兵を大量にオーランジュ平原にやるためには、河の浅い所を探すよりも塞き止めるのが、早いだろうからな」
あちらの陣容は騎兵一千に歩兵五千―――総勢六千とこちらと同数だが、あちらは次の『矢』を放つことできるだろうが、こちらはこれで精一杯なのだ。
余計な損害は出したくない。そういう思いだろう。しかし―――やり方はあるのだろうかという思いでリョウを見る。
「では、どうする?」
「それに関しては献策ある。オルガ隊―――お前たちに第一の命を課す。お前たちの働き如何で竜星達の命定まろう。……で、こうして……こうした場合に、お前たちは背後で……討ち取れ」
それを聞いたオルガは、勢い込みつつも、重要な首を挙げるチャンスを逸したくないとして、配下に重要ごとを聞く。
「分かった。敵の人相はハンスならば分かるか?」
「ガヌロンの側近たちは嫌な連中ばかりです。我が槍の錆にして、閣下の前に首を挙げてみせます」
『私たちもそれなりに分かるから安心して!』
『有名人』知り達をオルガの配下に就けたのはこういった場合も想定してのことだった。
リョウの下知を受けたオルガ隊の面々に対してはこれでいいだろう。
「弓隊は、予定通り『隠れて』やれよ。ルーリックとウィリアムの美形二人を泥にまみれさせて悪いとは思うがな」
「構いませんよ。そこの銃士とやらに、長距離兵器の醍醐味を味わわせてあげよう」
「ありがたき挑発的な言葉。いずれは弓、剣を越えて戦場の主流となるだろう『未来兵器』で戦場にありったけの葬送曲を鳴らしてあげましょう」
手製にして『黒く塗った』弓を手にするルーリック、フェイルノートをまるで楽器のように持つウィリアム。
対抗心を持つ二人にそれでも仲たがいは無いだろうと感じつつ、その意気こそが戦場における助けになる。彼らの働きこそが軍を助けるものだ。
「それで俺は何をすればいいんだ? まさか、後ろで観覧していろとか言わないよな?」
総指揮官だから後ろにいろ。など言えば、無理をしてでもこの男は、前に出てくるだろう。勢いこんでくるティグルの役目は―――『弾』を放ち、『魂』を取ることだ。
「お前は本当にじっとしていられない『前衛のアーチャー』だな。安心しろ―――お前こそが最重要ごとだ。ジェラール、汝は閣下を助け―――……以上だ。これが出来れば『賊軍』全て覆滅出来よう」
「やれやれ、私も『人相手帳役』とは―――では、単眼鏡お貸しいただけますかな?」
「『天狗』からもらった遠見の道具だ。無くすなよ」
命を伝えると同時に、嘆息しつつも半ば予想していたのか、そんなことを言うジェラールに物見道具を渡す。
ライトメリッツ軍の主要な騎兵集団は予定通り―――囮役からの反転攻勢である。
「ティグル、無茶はするなよ。本来ならばお前はルーリック達と共に森で矢を撃っていてもらいたいんだからな」
「心配ありがとう。けれど―――俺はグレアストを許しておけないんだ。出てくればあいつに『一矢』を与えたい。その為の配置にしてもらったこと、リョウにはありがたく思う」
エレオノーラの言葉に、ティグルはそんな風に意気を上げる。
全員の士気は万全である。何より、明確に見えた敵の下劣さこそが、自分たちを戦う気にさせている。
そう考えればグレアストはいい『当て馬』であった。
「ティグル、合図を―――」
「全軍! 出陣!!」
その言葉を受けて銀の竜星軍は、『凶星』打ち落とすべく殺しの牙を剥いていった。
† † †
戦いは昼過ぎから始まった。ティグルヴルムド・ヴォルン率いる『軍』のいるオーランジュ平原に乗り込むべく川向に進軍してきた『将軍』は、そこの水位が予定通りの低さになっていることに満足した。
(これならば歩兵も渡ること叶おう。どうせならば迂回させた騎兵もそのままにしておけば良かった)
斥候に命じて、雪解け水によって増水した河の水位を下げさせるように命じたのは良かったが、これならば渡河地点を探させることも無かったかと思いつつ、足が水に濡れつつも命じる。
「恩賞が欲しければ敵軍を討ち取れ!! ガヌロン閣下に味方せぬ貴族など、どう扱っても構わぬ!!」
その言葉に『一部』の味方の動きが乱れるも、それでも号令を掛けられて、進軍を開始する。報告にあったとおり、川を渡って五ベルスタの所にいた敵軍。
余裕ゆえなのかそれとも……五頭竜殺しの時のような策謀が巡らされているのか……。
だがそれでも構わぬ。
テナルディエの嫡子にして後継者であったザイアンすら為しえなかった自由騎士殺し―――その栄誉を得るためには、この勢いは重要であった。
(変に策を弄して強力な『武器』を持っていたから、お前は負けたのだ!!)
『竜』などという訳の分からぬ兵器を持って驕り、ブリューヌ伝来の『騎馬突進』を敢行出来なかったがゆえに、あの男は負けたのだ。
今、自分が指揮をしているのは歩兵が大部分ではあるが、それでもこれだけ勇壮な鎧騎士達の勢いで負けぬわけがない。
そして渡河を邪魔されることなく前進を繰り返して、渡りきったガヌロン軍であったが……五ベルスタ先にいる騎兵軍団を見つけると同時に―――騎兵軍団は、背中を見せて後退していく。
(誘いか? だがここには伏兵を伏せておけるところなど無い!)
オーランジュの奥まで逃げていく騎兵軍―――、その様子を見ていたグレアストは何かがおかしいと気づけた。
ロクな軍議もせずにここまでやってきたはいいが、冷静になってみればこれは不味かったのではないだろうか。
合流してきた騎兵と共に将軍は猪突でかかるが―――奥―――『南』まで誘い込まれた時点で、グレアストは気づく。
右翼、中央、左翼―――その中でも右手側に枯れ果てた森の木々。追い縋ろうとした騎兵及び歩兵軍は気づいていない。
グレアストが馬車から顔を出して伝令を呼ぼうと、将軍が遂に竜星軍の背中に追いつこうと、両者が動こうとした瞬間。
轟音と共につんざくような金斬り音が響く。
轟音の元はグレアストの馬車の幌を吹き飛ばし、つんざくような金斬り音は、呼び寄せた伝令の眉間を貫いた。
グレアストは中央軍にいたにも関わらず―――狙われたのだと気づく。戦塵舞う戦場にてそれに気づく。
それと同時に右翼陣にて惨劇が起こった。放たれる矢という矢。
ブリューヌの伝統故に右手に防御の盾を持たぬ殆どの兵士たちは、次々と『森の賢者』からの手厚い歓迎を受けた。
同時に断続的に放たれる―――燃える鉄球が、鎧ごと人体をまとめて吹き飛ばす様に、誰もが怖気づき、敵の武器を察する。
「か、火砲だ!! 連中は火砲部隊を森に配しているんだ!!」
そんな馬鹿な。というのは将軍及びグレアストなどの上層階級の貴族や軍人だけが気づけることだ。
そのような大規模なものを配していたとしても、もう少し轟音は響き、何より斜面に配するには少しばかり難儀するものだ。
土台を作ったとしても『発砲』の衝撃に耐え切れまい。そんな理屈を然程知らないガヌロン軍の歩兵騎士たちは火砲に恐れるあまり、それ以上の被害を与えている弓部隊の狙い撃ちの被害と練度に気づいていない。
「ええいっ!! なんたることだ!!」
「侯爵! 馬にお乗換えください!! 中央軍とはいえ、ここは危険です!!」
頑丈な盾を構えた騎士たちによって、矢を防ぎながらも、火砲のような兵器―――それが降り注げば意味はないだろうな。と気づきながらも、用意された馬に乗り換える。
そうして右翼の混乱が中央に伝播しつつ、無事なはずの左翼部隊の運動にすら迷いが生まれつつある。
斜面を登って敵兵を殺せという命令を出した瞬間に逃げていたはずの騎兵軍が、反転する姿勢を見せていた。
そんな中、前衛に居た『人間』の重要度にどれだけの人が気づけただろうか。否、混乱しきっていたガヌロン軍には、それはあり得なかった。
約四百アルシン以上の距離で『構え』を取る男に――――――。
「剣を振り上げて命令を出した鶏冠付きの兜。あれが『将軍』です」
「分かった」
スポッター。測距手、観測手などと『未来』には呼ばれるだろう役割を受けたジェラールの言葉。
それを聞いたティグルは、目に力を込めてその男を狙い済まして、矢を、魔弾を放った。
混乱している中、放たれたそれは本来ならば当たらないはずであったというのに狙い済まして、漸くのことで部下の進言のもと『軍』の反転に気づけた将軍は、見ると同時に―――放たれた銀矢に眉間を貫かれた。
死相に染まった将軍の顔。その目が最後に見たものは―――馬に跨る黒竜の姿であった。
「ば、か―――な」
四百アルシン先から自分を狙い打ったのだと気付かされる手並み。ブリューヌの騎士達があれほどまでに『臆病者の武器』と謗ったものが、自分の命を奪ったのだと。
指揮官の一人が討ち取られたのだと気付くと同時に、副官が全軍を統率しようとするが、全軍に行き渡らない。
「て、撤退しろ!!」
「待て! 斜面の森から離れれば、まだ倒せ―――」
軍議の中途半端さが、指示の不明瞭さに繋がり、混乱に拍車がかかる。しかしながら―――やはり、勝ちの目が見えなくなり兵士たちも逃げ腰である。
向かってくる反転した騎馬軍団。そして、今まで一番統制が取れていた左翼軍団にも悲鳴が上がった。
どこかに伏せていただろう『伏兵』が果敢な勢いで挑みかかってきたのだ。
強壮な軍馬を操り、先頭に立つ黒衣にして黒髪の長槍持つ男騎士と、小剣を器用に操る妙齢の女性が、『赤い鎧』の騎馬武者達100騎ほどを率いて襲い掛かったのだ。
「――――――!!」
声ではなく言葉では有り得ない叫びを上げて『鬼』の如く長槍を操る男の手で、左翼軍団が『吹き飛んでいく』。
文字通り槍の一薙ぎで吹き飛んでいくのだ。嵐に吹き飛ばされる屋根板の如く飛んでいく人体。
時には、馬を使った体当たり。蹴り上げなども行われるが、何よりその特徴的な槍が上半身と下半身を分かちながら、多くの兵士たちを鎧袖一触していったのだ。
「じ、自由騎士ぃ!!!」
刀こそ使っていないが、正体を看破した誰かの言葉で恐怖が伝播する。恐怖はそのままに、殺劇の悲惨さを上げていく。
腰が退けた戦士などもはや戦えるわけもなく―――。
―――ガヌロン公爵軍は呆気なく壊走に変わっていった。そんなガヌロン公爵軍の背中に追い縋りながら連合軍に命令が発せられた。
「川向こうの賊軍の幕営にまで進撃する!!」
「各々方!! 閣下の命令だ!! 『油断』せずに実行されよ!!」
総指揮官である『弓聖』の言葉で、何人かの耳ざとい公爵軍の指揮官は、『馬鹿め』と誰もが嘲った。
既に日も落ちつつあるこの状況ならば……再び勝ちの目は拾えるだろうと考えた。
足の速い『伝令』役に『指示』を出すように走らせた。川向こうまで進撃してきた所を―――。
そうして後退するこちらとあちら。先ほどとは立場を逆にした自分たち。今度こそは奴らを逆撃してやるという考えで走ってきたのだが、オーランジュ平原と、ガヌロン公爵軍の幕営を分かつ川が見えてきた。
雑兵を押しのけて、指示を出すべく川を我先にと騎馬で渡ったガヌロン公爵軍の重臣。後軍との距離400アルシン離れていても、構わなかった。生きて帰れる可能性を無くしかねない現実。
何よりも『殿軍』を吹き飛ばしていく自由騎士の槍が非常に恐ろしかったのだ。
しかし、ここまでだ。川を渡りきると同時に後ろを振り向き、にやけ笑いをする。我先にと何とか逃れられた二十数人の公爵の家臣たち。
雑兵であり同胞でもある歩兵や残りの騎兵達―――全てではないが川を渡れば、その時は諸共に――――――。
残りの軍が渡ろうと―――川まで残り二百アルシンというところで、『轟音』が響いた。
(は、早すぎるぞ!!)
これでは、アルサス伯爵軍とジスタート遠征軍を巻き込めない。あちらは怒号と馬を翔らせる音で詳細には聞こえていないだろうが、まず最初に川を渡り冷静になっていた指揮官達は、その音を聞けていた。
追撃してきた連合軍が川まで残り50アルシンという所で『急停止』した。同時に――――――――川が増水して『壁として』前軍と後軍を分かった。
川には流木も大量に流されていて、流石の騎馬上手でも難儀して、そこを弓なり何なりで殺されることは簡単に予想が着く。
川を渡りきれたのは100人いるかいないか。そして六千はいた公爵軍の大半は川に飲み込まれ、生き残った連中は、追撃してきた連合軍の槍と剣で『断崖』に追い込まれていた。
ここまでの戦いでもはやガヌロンの家臣たちは察した。ここまでの戦い―――すべてはあちらの計略だったのだと……こちらにも様々な要因があったとはいえ、それでもここまでこちらの思惑を外されては、自ずと察しが着くというものだ。
「まさか水攻めを予期していたのか!?」
「まぁその通りなんだけどね―――もっと早くから、あなた達の行動は読まれていたよ」
驚くガヌロンの家臣の背後から掛けられる声。幼い少女の声だ。
振り返ると、そこにいたのは確かに少女だった。軍馬を達者に操り、そして装飾が施された斧を持っていた。
川向こうの喧騒のなかでも、その少女は油断ならなかった。
少女の後ろには、30人ほどの騎兵がおり……形の上だけならば彼女が総指揮官としているだろう。
「何者……?」
「アルサス客将―――ジスタート戦姫『オルガ=タム』。故あって、ガヌロン公爵武臣方のお命頂戴する」
大胆不敵な挑戦を叩きつけてきた『戦姫』の一人に、誰もが鼻で笑うことは出来ない。
これが尋常の戦場であれば、それなりの油断や嘲笑もあっただろうが、ここまで自分たちの計略が何一つ当たらなかったのだ。
姿かたちだけで目の前の相手の『力』を侮れない。
「オルガ殿か……一騎打ちをする前に、聞きたいのだが……、堰を作っていた部隊を襲ったのはそなたか?」
「そう。戦の序盤の段階で既に我が軍はあなた方が渡河をするために、水嵩を減らすだろうと分かっていた。だからティグルとリョウお兄さんは、『埋め立て部隊』に仕事をさせてから殺せっていったんだ」
寒気がするほどだ。自由騎士とその主君は『人の姿をした魔』か、と思うほどに、読みきられていた。
オルガはあえて言わなかったが、そうした埋め立て部隊に半分ほど仕事をさせてから、そこを襲って後は『竜具ムマ』の『土竜』の如き岩と土掘りで、大きな堤とすることにしたのだ。
大きすぎても小さすぎてもダメであったが、そこは一緒に着いて来てもらったジェラール旗下の測量士達に必死に計算してもらった。
結果として、こうして―――前後を分かつほど『水の大壁』が出来上がってしまったのだ。
「後は、こちらの伝令と合図矢で、堤を落とすタイミングを待ち構えていた。そして―――ガヌロンの武臣達は先頭で川を渡って我先に逃げるからと、ここに来たんだ」
「――――」
「一応の降伏勧告は出しておくけど……どうする?」
「どの道、逃げた所でここまでの失態を演じてガヌロン公が我らを許すわけがない―――『仮面』の中で踊り狂い、『蜂の牢』、『炎の甲冑』で殺されるぐらいならば……戦士としての戦いを所望しよう! 行け!!」
ガヌロン遠征軍の副官の言葉で、一人の騎士が飛び出してきた。
彼我の距離30アルシン。その距離で誰か一人の首でも取れれば自分たちはまだ生きれるかもしれないのだ。
「ハンス、相手を」
「承知しましたオルガ様」
短い言葉ながらも勢い込んで答えたハンスは、槍を持ち飛び出してきた騎士を同じく飛び出して迎え撃つ。
「南海武公が孫と見受けた!! その命で我が運命貰うぞ!!」
「都の真似で酒贅に溺れた騎士崩れが! 己が無謀を神々の庭で嘆け!!」
相手の素性をお互いに看破しあった二人。同時に騎馬と騎馬の鼻先が触れ合う。
交錯の一瞬の早業。相手の騎兵槍を一合で叩き落したハンスは、鋭く突き出した一撃で厚い金属鎧を貫き通して心臓を一突きした。
「グラモン卿!?」
落馬した男の素性が全軍に知れ渡ると同時に、ハンスを狙うように二人の騎馬武者が飛び出してくる。
「やらせるか!!」「卑怯者め!!」
「まさかこいつらも!?」「戦姫か!?」
ハンスを庇うように掛かってきた長耳の大剣持ちと双剣持ちの双子の女戦士に対して、向かってきた男の動揺が分かる。
戦姫ではない。しかしそれに勝るかもしれないザクスタンの『ヴァルキリー』達。暗殺術ではない正統派の『将軍剣術』を振るった戦乙女の得物で、また二人のガヌロン派の武臣が殺された。
こちらは百人、あちらは三十。しかし兵の士気と実力の違いは、この二回の一騎打ちだけで決した。
そしてどこからか船や架け橋でも使って迂回してきたのか、ジスタートの旗を持った一団が横から走ってくる。
(もはや……これまで!!)
「せめて!! 一太刀―――冥土の土産を貰おう! ジスタートの戦姫殿!!」
「―――オルガ様を守―――」
「構わない。全員、動くな!!」
ハンスの言葉を遮ると同時に、軍馬を走らせてガヌロン公爵の武臣―――『将軍』の副官であった男との一騎打ちに挑むオルガ。
この男を殺せれば、これ以上の流血は無くなる。
あのモルザイムの時のザイアンのように一種の「戦闘停止」の合図の如くなるはずだとしてオルガは、自分の手で決着を着けることにした。
あちらとしては、ここを突破するための『勇気』を与えるためのものかもしれないが、それでも―――どちらにせよお互いの軍の運命を決める一騎打ちなのだ。
ムマを伸張させて『
首の無くなった主を乗せたまま走る軍馬は、少しして停止。そして、首の無くなった主を地に落とした。
そうしてから馬に跨りながら宙を飛んでいた首を掴み取ったオルガは、あらかじめハンスや双子から教えられていた将軍の副官の名前を叫び討取ったのは自分だと大声で伝えた。
「―――降伏する……。だからせめて遺体だけは返してくれ」
「分かっている。私たちもそこまで非道ではない。何より同じ信仰の元に居るのだからな」
残っていたガヌロンの兵士、騎士達が一斉に武装解除して裸一貫になって、敵意の無いことを示した。
その目には涙が浮かんでいたので、横からやってきた別働隊に『遺体』の処理や捕虜の移送を任せつつ、何人かを呼びつけて、『本命』がどこにいったのかを聞き出す。
「グレアスト侯爵ですか―――確か、こちらでは見なかったですね……嘘は付いておりません、本当です」
「あの方のことだ。どこかで雑兵の服と鎧でも見繕い着替えて我々とは別の道で戦場を脱していてもおかしくない……」
それを聞かされたアルサス武臣達は、『よっぽど』だなと考えつつも、ティグルに仔細を伝える様にエルヴルーンを韋駄天の術で川向こうに走らせた。
後は……本命の首を取るのみだ。
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『竜星軍の初陣‐Ⅱ』
降伏するかしないかの瀬戸際まで追い詰められた彼ら『後軍』に対して誰もがいっそのこと脅しで一人殺してやろうかと思っていたが、下手をすれば激発させると誰もが思い止まり、『水際』においつめたはずのこちらも動けずにいた。
あちらとしても、既に大半の兵士は水に飲まれてしまったのだ。勝ち目が無いことぐらいは分かっている。そうして動くか動かざるかでいると、オルガが大将首を飛ばしたことが分かった。
「ふ、副将軍殿!?」
「もう一度言う! 降伏しろ!! 既に主だったガヌロン遠征軍の将たちは降った!! お前たちに勝機は無い!!」
背後で行われていた一騎打ちの様子。それを見た何人かの兵士の絶望的な声が聞こえた。
それを聴いた瞬間に即座に二度目の降伏勧告を出した。その言葉で最後の士気は折れたようだった。
「捕虜の扱いは丁重にしろよ。それと降伏を決意した指揮官を賞賛するのを忘れるな―――残るは、グレアストの行方だけだ」
「ティグル、あまり気を張るなよ。まぁ無理だとは思うが……」
「一番に取らなければならない首が取れていないんだぞ。焦るさ」
ティグルの苦渋の表情に『そりゃそうだな』、と思いつつも、あの男の天運はまだ尽きないだろうな。とリョウは思っていた。
ただ、この戦いで『運星』を半欠けにされるだろうことは分かる。つまり―――無事に戦場を出ることはまだ不可能なのだ。
そんな風に慌しくなっていた所に赤茶の髪をしたザクスタンの女戦士エルヴルーンがやってきた。
「伯爵閣下に至急お伝えしなければならないことをオルガ様よりお預かりしてきました」
そうして、銀の竜星軍の『忍将』とでも言うべき、エルヴルーンからの伝言で、グレアストの消息が分かった瞬間であった。
「そう言えば、ここに来るまでに『伝令』として走っていった『雑兵の集団』がいましたな。妙だとは思っていましたが、まさか?」
「伝令を『集団』で飛ばすなんて、殆ど有り得ない。そいつらの中に、グレアストがいたんだ」
ジェラールのふとした疑問に対して断を下したティグル。伝令の『振り』をして、堰落としの場に行くと見せかけて、どこかに雲隠れをしたのだろう。
味方すらも欺いたその手並みにいっそ見事と言いたくなるほど。戦士としては不適格極まりないのだが
「ただ最後に川を渡った伝令は『一人』でしたから……余程目ざとくない限りは」
「まだオーランジュ平原にて立ち往生しているはずだな。探すぞ!」
「承知」
勢いよく、この戦いの主因たるべき男を打ち落とすと語るティグル。その様にエレオノーラは、赤くなったりしていた。
自分を辱めた男を徹底的に追い落とそうとしているのだろうとして、己に酔っているのだろう。
とはいえティグルの心がそれだけかと言えば違った。結局の所、グレアストこそがガヌロン軍―――つまりアルテシウムの『副頭目』である以上は、あれを追い落としておけば、ガヌロンも気軽に動けはしないだろうとも考えていた。
何より、アルテシウムには『レギン』がいるはずなのだ。彼女がガヌロンからどう見られているかは分からないが、それでも自分がアルテシウムに『痛打』を与えたとなれば、自分を頼って来てくれるとも思っている。
(レギン―――君の心がどうであれ、あんまり危険なことはしてほしくないんだ)
そうして、ティグルはオーランジュにいるだろう奸賊の懐刀を己の足で探していく。
「閣下だけに任せるな! 我らも戦姫様に好色な目を向けた匹夫を探すぞ!!」
森で徹底的な攻撃を繰り返して側面を混乱させたルーリック達が追いついてきたのだが、彼らが一番、疲れていたはずなのだ。
『休んでいろ』という指示を出そうとしたが、言葉の勢いから察するに、無理だろうなとして、彼らと共にグレアストを探す。
様々な目撃証言から大体の方向に馬を走らせていく―――200騎ばかりの軍団が最後の首を挙げようと、オーランジュに走っていく。
そんな様子を少し離れた所で見ていた人間達が感想を呟く。
「やれやれ、あいつは、もう立派な大将だな」
「ですね。正直、私の教育は最早ティグルヴルムド卿には、不要です」
男たちの心意気を邪魔せずに二百騎の後方で馬を走らせていた女二人の嘆くようで、それでいながらもどこか嬉しそうな言葉が吐かれる。
ライトメリッツとブリューヌの兵士たちを纏めて、グレアストを探すティグルの後姿に誰もが『着いていきたくなる』。
部下を取られたことに対して、恨み言を零せなくなるほどにティグルは皆をまとめている。
「―――あの伯爵様が、二人にとっての王様になりそうか?」
「まだ分からないな。ただティグルは、私が理想とした父さんの国を作ってくれそうな気はするんだ」
同じく後方にいて、自分たちと並走していたフィーネの言葉をエレンは一応、『期待はしている』としておいた。
「……エレンの言葉を私も否定できませんね。団長は―――確かに優れた統率者でしたが、団員全員の『心』を掴むまでは出来ませんでしたから、フィーネの乙女心は掴んだままでしたが」
「リムアリーシャも言うようになってあたしゃ嬉しくて涙が出そうだよ。同じくあんたもあの『坊や』に気があるんじゃないの?」
「否定はしませんよ。あれだけ普段と戦の時との落差が激しすぎる人間である以上、―――『対比』で魅力的に見えるのは仕方ありませんね。『戦士』としてですが」
苦しい言い訳を。とエレンとフィーネがお互いに半眼でリムを見るが、それを察しつつもリムはそちらを見ることはしなかった。
しかし、確かに―――ティグルは随分と変わった。オージェ子爵の土地―――山脈の山賊退治に来るまでは彼もリムに教育を受ける立場であった。
今では各将を纏め上げて、このように戦の先頭に立っているのだ。緑赤の立派な『ジンバオリ』、ヤーファの戦装束。―――自由騎士から渡されたそれを着込んだ彼の姿が何か『大きなもの』に見えるのも手伝って、誰もが着いていきたくなるのだ。
「―――いたぞ!! グレアストだ!!」
誰かの言葉が響いた。その言葉の後にティグルから止まれの合図が出た。何故だと思うと、どうやらグレアストは既に馬では追えそうにない距離にまでいたろうとしていた。
後退していったガヌロン軍とはまた違う渡河地点……そこから激流に苦労しながらも向こう側に渡った様子。既にオーランジュ平原にはいなかったのだ。
(一手遅かったか)
川はいまだに増水した勢いで自分たちを阻んでいる。今から川を渡り―――500アルシン先のグレアストを討つ―――竜具を使えれば別だが、ここでティグルの『戦い』を汚すわけにはいかない。
川岸ぎりぎりまで近づいた一騎、ティグルは弓を持ち構えを取った。騎馬の上からということは少しの曲射で放つつもりなのだろう。
いやそれ以前に―――500アルシン以上の距離に至ろうとするグレアストを撃とうという考えが、全員を戦慄させた。
黒弓の力が発現した様子は無い。それを使わずに戦うつもりか……つまり、ティグルは―――――――。
川の流れる音すら遠くなるほどに静寂が空間を支配する。当てられるかどうかすら分からない。
既にティグル自身の目ですらグレアストが遠くなりつつある。しかし、それでも――――――一矢、全ての竜星達の汚辱を濯ぐためのものを―――放たなければならなかった。
幽玄な音が響き、爪弾かれた弦が―――矢を放つ。
大河を超えて、向こうに走り去るグレアストに走っていく矢の結果は―――常人には分からない。
だが推測することは出来た。
矢は―――グレアストを―――打ち抜けなかったのだろうか。苦渋の表情をしたティグルの顔でそれを察する。
弓を下ろして、頭を下げるティグル。
「すまないエレン。首を取れなかった」
「気にするな。お前はガヌロン縁戚の者を一撃で倒したのだぞ。あいつを殺すのはまたの機会だ……が、ジェラール殿は先程から、何故か『内股』だな? どうした?」
「まぁ……伯爵の観測手を務めさせていただきましたから、最後までその務めを全うしようとしたのですよ。首こそ『魂』こそ取れなかったものの、伯爵閣下は討ち取りましたよ」
「?」
ジェラールの意味不明な言葉の羅列に誰もが疑問符を浮かべる。
単眼鏡を自由騎士に返して乾いた笑みを浮かべてから、ティグルの弓射の結果が分かるものが、お前ぐらいなのだからと詰め寄る。
「―――狙ってましたか?」
「あちらの地形状況を読めなかったから―――狙いを、『下』に下げるしかなかったんだ」
決して、最初からそうしようとしていたわけではないと伝えるもジェラールは、乾いた笑みを浮かべたまま、全員に検分のほどを伝えた。
「成程―――皆に伝える。閣下はグレアストの『魂』こそ取れなかったが―――『玉』を取った。これは大いなる戦果だ」
「玉だと? 勘定総監、玉とはなんだ?」
「禿頭のもの。察しが悪いな――――男には必ず付いている『二つの玉(タマ)』だ」
ジェラールがやけくそ気味で、ルーリックに言い切ったその瞬間、誰かの鎧と誰かの鎧が合わさって丁度良く『チーン』という音が響いた。
偶然にしては出来すぎたその金属音は、不覚にも馬の鼻息など何のそので高く響き、全員にグレアストの様を連想させ、ジェラールと同様に男の殆どを内股にさせた。
何かこう。色々と―――同情してしまうのだ。
『全玉摘出』ならぬ『全玉損失』という結果を想像して流石に男全員の股間を色々と縮込ませた。
そんな男性の情けない様子に女性三人は半ばしらけ気味である。まぁ痛ましいものを見るようにされるよりはマシである。
「その……流石ですなティグルヴルムド卿。まさか男の大事なものを射抜くとは」
「賞賛するならば、せめて顔を見てほしいもんだよルーリック」
いつもティグルを賞賛するルーリックも流石に『射抜かれる』のではないかという恐怖が勝っているのだろう。
「男には大事な玉が三つあるが、その内の二つを射抜くとは―――ナイスだな」
「お前もかよリョウ……まぁとにかく一矢は報いれた―――オージェ子爵を侮辱し、エレンに浅ましいことをした愚人に対する誅罰は、一先ずはこれでいいな?」
その言葉でブリューヌ軍とライトメリッツ軍の兵士たちは、お互いに顔を見合わせて苦笑をする。陣内では少しの蟠りも存在していた彼らの結束を促すためにも、ティグルは双方にとっての『敵』に対して、苛烈に討って出たのだ。
一応、ルーリックやジェラールなども宥めていたのだが、それでもどうしようもないこと……当人たちにとっては重要ごと、他人にとってはどうでもいいこと。
『雲の形』でケンカをはじめるようなこともあった彼らに対してティグルは、この一件で意思を示したのだ。
お互いに生まれや育ち、郷里の自慢や風俗に対する優劣。様々な『違い』あれども自分たちは『仲間』なのだと―――。
「さて、そろそろ帰るぞ―――意趣返しも済んだことだしな……『後処理』も、俺は出るようか?」
『当たり前だ』
将軍級の人間達の言葉でティグルは苦い顔をする。
生き残った人間。特にガヌロン関係者ではない『貴族』達の処罰には、彼が同席していてもらわなければいけないのだ。
「それもまた『総指揮官』としての務めだ。何のために人相が分かる人間をお前の側に配置したんだよ」
「分かるけどさ……まさかそこまでの深謀だとは知らなかったからな。―――どうするかの策はあるんだよなリョウ?」
ため息と共に聞いてきたティグルにリョウは答えた。
「ミラも言っていたとおり。お前にはテナルディエ公爵やガヌロン公爵とは違う逆道を取って貰えれば、それでいいんだよ」
懐の深い領主―――その姿を『見せてやれば』いいだけなのだ。そう伝えてから馬を翻す。
オーランジュ平原における戦いは終わった。
だが、次なる戦いが迫りつつあることぐらいは、分かるのだ。ここに来て、漸く起こった変化は連鎖して多くのものに火を着けて全てを動かしていくだろう。
アルサス領主ティグルヴルムド・ヴォルン―――ガヌロン遠征軍を撃破。
その報を知らせるにグレアストという男は生きたはずなのだから―――。
(今だけは、その命あることを噛みしめておけ)
あの時、ティグルが命じれば韋駄天の如き速力で川を渡り、首を取って来たがティグルの言葉無く、ティグルが己でやると言った以上は……それ以上はしなかった。
―――あの男には、男としての屈辱と共に我が竜星軍の恐怖を口にする『語り部』になってもらうのだ。
既に『玉』を落としたティグルを称える詩を読み上げるウィリアム以上に、奴の口は我らが強大さを語るだろう。
老将軍を馬鹿にし、エレオノーラに浅ましい台詞を吐いたあの男にとっては、まさしく因果応報の『口は禍の元』という結果だ。
「さて、次は―――あんたが出てくるかな。黒騎士」
グレアストに対する内心での嘲りを終えて明日以降のことに関して考えを巡らす。
既にザクスタンとの国境要塞から出たことはリョウの耳に入っていた。次の一戦は『やらなくてもいい』戦いだ。
その一戦を回避するにはティグルの威光だけでは無理だろう。その時は自分も前に出て黒騎士ロランを抑えなければいけない。
嵐の如き一戦を予感しつつも、今は勝利できた喜びに浸りながら―――呼びかけるティグルの背中についていくことにした。
というわけで全玉摘出というオチになりました。
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『王宮での一幕と後始末』
持ってきた陳情があからさまに通らないことにいら立ちを覚えたマスハスは王宮に忍び込み、何としても陛下に直接手渡そうとしたのだが、その企みを『あらゆる意味』で咎められたあとには、既知でもある宰相の執務室に案内されるのだった。
陛下の『病状』もそうだが、それでもこれほどまでに動きが鈍い、その理由を察した―――。
「お主ら……テナルディエとガヌロンが戦いあうのを待っているのだな!?」
「―――それ以外に王国を守る術は無いのですよ……陛下が病で伏せている以上は」
熊のような―――と称されそうな老齢の男が、猫のような―――と称されそうな老齢の男に食って掛かる勢いで迫る。
熊と猫では、勝負にならないが猫は己の非力さと力の無さを自覚している。
また熊も、ここで猫と戦った所で何の意味もないことを理解していた。
案内された宰相の部屋にて、熊―――マスハス・ローダントはため息を突く―――。しかし、そこを見計らったのか、猫―――ピエール・ボードワン宰相は話の転換を図った。
「ティグルヴルムド・ヴォルン―――自由騎士リョウ・サカガミを客将に迎えているというのは本当なのですか?」
「? ああ、直接見たわけではないが、間違いなく彼はアルサスに現在身を寄せている」
一瞬、情けなく口惜しい限りだが、この宰相に変節を促すために自由騎士を利用しておこうかと思ったが、更にボードワンは話を変えてきた。
「ヴォルン伯爵に変わった所は? 彼は弓が得意だそうですが、ブリューヌ貴族としての伝統武具……剣などを持っていたりはしましたか?」
「何の話だ? まさかそんなことでティグルにブリューヌ貴族としての格式なしなどと『いいから答えなさいマスハス。私は至極真面目な話をしています』……確か、件の自由騎士から、豪奢な短剣を貰っていたな……」
その言葉を聞いたボードワンは目を見開いてから、少しして頭に手をやりながら考え込む様子でいる。
何なのだろうかと思うも、ボードワンは、ため息一つを突いてから、口を開くためなのか葡萄酒を出してきた。
陶器が二つのそれに注がれる紫色の液体。差し出されたそれを素直にマスハスは口にする。
ボードワンは一息に飲んでから、ようやくのことで口を開いた。
「少し気が変わりました。いえ、意見だけは変わりませんが、彼に少しの手助けをいたしましょう」
「どういうことだ?」
「外国の軍を引き入れても咎められない人間。それは―――大義を持つ者。自由騎士ではなく『ブリューヌの大義』、国王陛下及び陛下の許しを得た者であれば構わないのです」
テナルディエ、ガヌロン両公爵が、国王の縁戚を親類に持っている以上、彼らが王権を担うための戦いになっても、それはお互いにあり得ないことではない。
そして彼らのような存在であれば、そうしたことに対する咎は無いのだ。
「つまりティグルが己の正義を主張するには、陛下のお言葉に匹敵するものを示せというのか?」
何が気が変わっただ。マスハスは内心で憤慨する。中央に関わってこなかったティグルがそんな無理難題をこなすなど、殆ど不可能ではないか。
無理難題の難易度が下がったわけではないとしてマスハスは、陶器を握りつぶさんとしていたが……。ボードワンは言葉を続けた。
「ヴォルン伯爵に言っておいてください。『彼女』―――かつて王都で出会った少女を保護すれば……それで万事は解決するのだ。と」
「? 何の話だ? 意味が分からんぞボードワン」
「詳しくは彼にお聞きになってください。私も若者同士の心のつながりを簡単に暴露するほど薄情な人間ではありませんので、そのヴィノーはかなり上等なものなので、お土産に持っていっても構いませんよ」
そう言ってボードワンは、部屋を退出していった。何もかもが分からぬことではあるが、それでもティグルに聞けば、何かしらの『大義』を得る手がかりがあるということだ。
しかし、そんなボードワンの変節はティグルが『短剣』を持っているという事実を聞いてからであった。
短剣―――思い出してみれば、あれはかなりの業物であった……。
最初は、あまりにもティグルの剣才の無さに護身用の武器として……だと思ったが、それ以外にも儀礼用の華美な装飾―――一種のシンボルのようなものにも考えるべきであったのかもしれない。
「聞いてみるしかないな」
恐らく自由騎士はティグルに何かしらの『隠し立て』をしている。それは一見すると背信行為なのかもしれないが、彼からすると重要なことに違いない。
とにもかくにも王宮がこんな状態である以上、どうしようもあるまい。
一度、息子『ガスパール』の遠征軍と合流してから、彼らの宿営地であるオーランジュへと向かうとしよう。
そう考えてマスハスは宰相秘蔵のヴィノーを持ち、王宮を辞することにした。
そんなマスハスとは別に、宰相は急ぎ―――マスハスに『演技をしてくれた役者』の下に向かうことにした。
マスハスには心を病んだとしておいたが、それはあくまで盛られる薬の『症状』からのものであったので、『演技』が正しいかどうかは分からない。
しかし、両公爵から特に疑いが掛けられていない辺り、どうやら『正解』だったようだ。
『聖竜は、『止まり木』を定めました。止まり木の名前は、アルサス伯爵『ティグルヴルムド・ヴォルン』』
『アルサス……ウルスの息子だな。弓を得手として戦うものが剣と槍の無双を誉れとするブリューヌを救うか』
かちゃ、かちゃと『積み木』が崩れたり積み上げられたりの音が部屋に響きながらも、宰相と役者―――国王は『筆談』をしていた。
積み木の音が筆の走る音を掻き消してくれる。
『ですが、現状、彼だけがこのブリューヌで両公爵に組しない最大の勢力です。何よりレギン様にとっても想いある青年、その心に期待しますか?』
少しの沈黙。考えてから器用にファーロン王は、積み木をしながら筆を走らせる。
『これもまた時代の流れ―――、国の伝統が、法が、国を、民を『滅ぼす』というのならば、私はそんなものは捨て去ろう。国は、世界は、新しき時代の若者に十全たる形で譲り渡すべきだからな』
時すでに遅し、とも言えるが。と付け加えたファーロンの表情が苦笑に変わった。
最初からレギンを王女だとして、喧伝していればこんなことにはならなかった。
だが、あの子の正体を公然とさせてしまえば、フェリックスは己の息子を婿として進めてきたのも『仮定の事実』。
その息子を多くの軍神武人と共に打ち破った男には、新たな時代の『デュランダル』があるのかもしれない。
『だが、まだだ。彼が、ヴォルン伯爵が、本当の意味でこの国を担うに足る人物なのかは分からぬ。ブリューヌを代表する騎士―――ロランがアルサス軍とぶつかりあった後の結果次第だ』
『承知しました。レギン殿下の捜索も続けさせております』
『色々と苦労を掛ける』
『苦労などと思ったことはありませんよ陛下』
すまなそうな顔をしたファーロンを安心させるためにボードワンは微笑を浮かべて、そう筆談で返しつつも表情でも語った。
そんなファーロンの顔もだいぶやつれて来ていることにボードワンは悲しみを出しそうになった。
解毒薬も飲んでいるとはいえ、毒を摂取しつづけていることには変わりないのだ。
時は、それ程ないのかもしれない。しかし『限られた時』を自覚したそれゆえの弱気が出てこない辺り、まだだろう。
そうして、宰相は取り決めどおりの『白痴』と化した国王との『儀礼謁見』を終えて、部屋を辞する。
(ロラン―――お前の、剣と眼が陛下の代わりなのだ。頼むぞ)
生臭すぎるこの王宮の中でも唯一の忠臣のそれだけが全てを決するのだと思って、宰相は、日々の仕事に邁進することにした。
マスハスには、ああ言ったが、自分とて公爵達に憤激したいのは同意なのだ。
特にマッサリアの惨劇―――数奇にも自分と同じピエールであった友人を殺したのは、片方の公爵なのだから。
だが、それでも、そこをこらえなければならないのが、自分の立場であった。
悔しくも、それでも―――こらえなくても若き頃の衝動のままに戦うことが許されるマスハスが羨ましくあったのだ……。
† † † †
「分かりました。では、帰っても構いません」
「は? あ、その、ヴォルン伯爵閣下? 今、何と仰いましたか?」
「ですから、我が勘定方の指定しただけの金子はいただきましたので帰ってもよろしいですよ。流石に馬まで取り上げるつもりはありませんので、無ければこちらから買ってもらう必要がありますが」
簡易的な謁見の間。幕営の中に集められたガヌロン軍の代表者たち。中には領地持ちの貴族もいる彼らは、戦った相手の総指揮官ティグルヴルムド・ヴォルン伯爵の沙汰に呆気にとられてしまった。
てっきり百叩きなど一種の私刑じみた行いもされ、奴隷としてムオジネルに売り払われることも覚悟していた。
それを回避するための金子は流石にいますぐは払えない。しかし、現在身に付けていた鎧や剣、槍などで彼ら―――『銀の竜星軍』はよしとしてきたのだ。
「我々としては確かに願ったり叶ったりですが……しかし、ヴォルン伯爵…貴方たちはこれからテナルディエ公爵と対決をするはず。それならば幾らでも金銭はあっても構わないのでは?」
「その為にわが国の同臣を売ることは個人的にもしたくありませんね。更に言えば、私が言えた義理ではありませんが、この状況を利用する『輩』もいる。そんな輩達の懐を暖める真似はしたくありません」
ティグルよりも歳をとった中年の貴族が、そんな風に言ってきたことに対して、苦笑を織り交ぜて、深刻な顔をして言うティグル。
「輩…とは?」
「南部、熱砂の餓狼ムオジネルの侵攻です」
その言葉に捕虜の誰もが、ざわつく。彼らの大半はガヌロンと同じく北部出身の人間が大半ではあるが、ムオジネルの兵力がいとも簡単に戦闘正面をいくつも作り上げることは知られている。
更に言えば、アスヴァールやザクスタンの蠢動もありえざる話ではないのだ。アスヴァールは、少し考えにくいがそれでも不安が出てきたことは確かだ。
「今、あなた方を捕虜として扱い、その間食べさせることは我々にとっても兵站を圧迫し、更に言えばいざ南部に外国が侵攻してきた場合に足が鈍るのは避けたいのですよ」
「あなたは、南部―――ムオジネルがやってきたならば、それと対峙するというのか?」
いささか無理をしすぎではないかという、誰もが若者を諌めるように見てくるが、それでもティグルは平然としていた。
確かに無理だろう。だが、それでも南部は自分の家臣の故郷なのだ。それを放っておくわけにはいかないのだから。
「それこそがティグル、いやヴォルン伯爵の心じゃよ。まぁお主らの気持ちは分からなくもないが、それでもこれ以上は、余計なお世話というものじゃ」
「ユーグ卿……あなたも着いて行くと言うのか?」
側に居た老将軍の言葉に知っていた人間が、少し苦い言葉を吐き出した気分だ。
まるで―――自分たちが不忠の奸賊のようだ。と感じるのだ。いや、世間の目はそう感じるだろう。
特にこの辺りでユーグと付き合いのあった貴族たちはガヌロンに脅しつけられて味方したようなものだ。
だが、それは仕方ない。
世間の人々が世過ぎのことで精一杯なように、自分たちも強大な力を持っていた人間に従うことで保身を図るしか出来ないのだから。
しかし、いざ味方をし、感じたガヌロン軍の様子から察するに……どちらにせよ自分たちは彼らによって磨り潰されていた可能性もある。
特に逃げ出したグレアストは、どこか自分たちを前に出しすぎていた。
つまりは、そういうことだ。
冨貴にあずかろうとしたわけではない。ただ単に、領民の安堵の為に戦おうとしたのだ。
その気持ちを奴らは踏み躙ったのだ。もっとも奴らからすれば、味方せぬならば敵と同じとしてきたのだから、どちらにせよ同じことだった。
そして―――この若者の如くいられたならば、と誰もが思う。
異国の戦姫、武公の直孫、そして東方剣士にして自由騎士といった英雄達を纏め上げる存在。
居並ぶ諸将も、それらに負けぬだけの武将だろうことが、分かるのだ。
自分たちは既に老いて守勢に入りすぎていた。ならば、今を変えるために立ち上がった若者に少しだけ賭けてみたいと思うのだ。
「分かりました。ご慈悲は賜りましょう。ですが、それでは我らの気持ちは治まりませぬゆえ、息子と娘達を人質に置いていきたくあります。一兵卒として使うも、慰み者とするも構いませんので」
「そんなつもりはありませんが……まぁ、我が軍はとにかく人手不足です。優秀な将兵や様々な一芸に長けたものはいくらでも受け入れますよ」
懐が広いな。と感じられる。これは、ガヌロンやテナルディエがあまりにも、審査基準を厳しくして多くのものを登用していない。もしくは味方としていないからだろうが。
だからこそ多くの人間達が彼に従うのかもしれない。
弓を得手としていることに関しては、まぁそんなものだろうと感じつつ、そういう『時代』が来ているぐらいには、自分たちも知っているのだから――――。
「我らが子供たちをよろしくお願いいたします。ティグルヴルムド・ヴォルン伯爵」
敵の代表者の恭しく言い放たれたその言葉を締めくくりとして、オーランジュ平原においての戦いは、本当の意味での終結を見た。
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『竜星たちの宴会、そして新たな戦に向けて』
玄妙な音が平原に響く。夜の星空の下、多くの戦士達は死んだもの達へと黙祷を捧げた。
彼らの死を価値あるものにするためにも、誰もが生きていることに感謝をしなければならない。
そうして、誰もが誰かの死を悼んだ後、ウィリアムのレクイエムが止まった後に―――宴が始まりを迎えた。
「しかし、あれで良かったのかな?」
「あれでいいんだよ。ガヌロンにしたって、わざわざ懲罰をするために、軍を派遣するとは思えない。寧ろあのような負け犬根性のままならば、いざという時に被害はロクでもなくなるからな」
焼いた鶏肉を『ハシ』と呼ばれる食器で器用に取り分けたリョウは、それを隣に座るプラーミャに与えている。
息子にご飯を与えている彼と、そんな話をしているのは、あれが最良であったかどうか自信がないからだ。
だが、確かにそう考えるとその通りだと思われる。もしも懲罰の為にアルサスなどのようなことをされるならば、その時の為の保険を掛けておくのは当然だろう。
「我々の目的は、テナルディエ公爵との対決だからな。その為には、もう一方を牽制しとかなければならない」
「もしも俺達を叩き潰すために二公爵が手を取り合ったならば?」
「ない。彼らにとって取るべきはお互いの首だけだ」
これだけはティグルに断言出来ることだ。
如何に今後、多くの味方がティグルに付いたとしても、彼らは自らこそがブリューヌの玉座に相応しいのだと印象付けるためにも、絶対に手を組まない。
『外』向きのことに関しては一応の『協調』は出来るだろうが、そこまでだ。『内』向きのことに関しては、彼らは己たちを曲げない。
「ならば、俺たちが何らかの『外』側のことで、両公爵と協調する羽目になったらば?」
「そん時は、そん時だ。まぁ……ハンスを迎え入れた以上、生半可な事情で手は組めないだろ」
「それもそうか」
納得したティグルと共に竜星軍の若武者、一番槍の誉れを戴く南海の武者を見ると―――。両手に華を侍らせて困惑した顔をしていた。
本人としては他の武将達、特に自分たちに酌をしたいのだろうが、同軍団の双子達は、ハンスを離さないようにして、酒を注ぎ、ご馳走を口に運ぶことで留めていた。
『エルルちゃん、アルルちゃん。俺は他の先将達にお酌しなければならないんだよ。特に閣下はガヌロン縁将を討ち取ったから、ちゃんと家臣として礼賛しなきゃ―――』
『やー、ここにいるのがハンス君の役目! 私たちの酌が受けられないの!?』
『戦場の勇者を歓待するのは、ヴァルキリーの役目。それをこなさせなさい』
色々と言いたいことはあるが、まぁ周りの人間達も微笑ましく、それを囃し立てたりしながらも、決して邪魔はしていなかったので……。
少しの手助けをティグルは―――からかいと共に行った。
「ハンス。両手に華で羨ましい限りなので、暫くはその栄光を味わっておけ。これは命令だ」
「閣下!?」
『さすが王様! 話が分かる色男!!』
ティグルの言葉と双子の言葉が全員に大笑を起こさせて、誰しもが立場、人種関係なく宴会を楽しんでいる。
あのルーリックとジェラールですらへべれけに酔っ払いながら、ワケのわからぬ主君自慢をしているのだから、素面になった時に教えてやりたいほどだ。
どちらもティグルの手並みを賞賛しているのだが……内股になりながら『タマ』の話をするんじゃないと思う。他の話をしろと言いたくなる。
エレオノーラとフィグネリアが、昔話に華を咲かせている様子も見られるが、何故か仕事疲れの女官どうしの愚痴りあいにも見えるのは自分だけなのだろうかとも感じる。
一番疲れた様子で酒を煽っていたリムアリーシャが思い出に浸っていた妹と姉に絡んでいく。
「まさかリムがあそこまで絡み上戸だったとは……意外な姿だ……」
「気苦労は察するね。自堕落な長女に、夢見がちな三女に挟まれている感じだし」
そんなリムの様子に、二人も少し押され気味ではあったが、ティッタとオルガの登場によって今度は泣いてティッタに抱きついていたりする。
オルミュッツでの事を考えるに色々と申し訳ない限りであり、まぁ存分に酒を飲み、思いの丈を吐き出しあってくれとしかいいようがないのである。
絡み上戸な上に泣き上戸……我が軍の副官には苦労を掛けっぱなしである。
とはいえ、軍内部にあった色々なわだかまりは、この宴で完全に無くなった。
己の立場、出自を関係なく無礼講で飲みあうということは、お互いの信頼を深めることにも繋がるのだから。
そうして―――時間が経つのを忘れるぐらい呑んでいると、少し酔ってしまった『風』を取り繕いつつ、ティグルの下を辞する。
「流石の自由騎士も酔いには勝てないか」
「化け物じみた剣術を使えても『内臓』を鍛えることは難しいのさ」
ティグルとその他の人間たちに『清酒』を飲んで構わないと言いつつ、夜風に当たるために陣内を辞した。
予定通りの時間。予定通りの場所に就くと―――、夜目が効かないだろうにやって来た鳥―――鷹が自分の腕に止まる。
その脚に括り付けられた紙束を取って、肉を食ませておく。
鷹が肉を食っている間に紙束の情報にざっ、と目を通すもやはりレギンの行方はまだ不明なようだ。
ただ不確定ながらも、もしかしたらば、南部『ドン・レミ村』にて、奇跡の聖女などと呼ばれている女こそがそうなのかもしれない。
宰相ボードワンより届けられた『初の書簡』流石に、時間の経過があれなだけに、ティグルがガヌロン軍を倒したなどのことは、書かれていない。
しょうがないな。と思いつつ、騎士団と自分たちがぶつかるまでは時間がある。
その時間の間に―――全面衝突だけは避けなければならない。その方策はあるのだが、それをロラン以下、パラディン騎士達が受け入れるかどうかだ。
「随分と深刻そうな顔をしているね」
「勝つことも負けることも出来ない―――戦うことを何が何でも回避したい相手のことを考えていた。あんただったらどうするんだ?」
「逃げるだけさ。傭兵なんてそんなもんだ」
「なのにエレオノーラの父親の殺害は請け負ったのか」
「……」
意地の悪い質問だったか。と思いつつ、やってきたフィグネリアに何用かと思う。
彼女も風に当たりに来たのだろうと当たりを着けているとフィグネリアは口を開いてきた。
「当時、白銀の疾風はジスタート全体が無視できぬほどの大『戦士団』になっていた。団に入っていなくても、その傘下にいるともいえる他の傭兵団、貴族の騎士隊。団長ヴィッサリオンなどに個人的にほれ込んでいた商人・貴族・神官など……その気になれば、そこいらの貴族を攻め滅ぼすことも出来たほどだ」
有形・無形の形でシルヴヴァインは、ジスタート全体を席巻していった。無論、その団長ヴィッサリオンの『夢』は知られることとなって、多くの人間にとって『野望』として、映った。
とある戦場で戦ったフィグネリアであったが、それ以前からヴィッサリオンの『殺害』は多くの人間から依頼されていた。
乱刃の剣士として名を馳せて、尚且つ戦士ヴィッサリオンにとってもそれなりに知っている情ある女であれば、殺害は簡単だろうと見られてのことだった。
フィグネリアからしてみれば、そういった悪意ある依頼を全て自分に集中させることで彼への殺害をさせないことをもくろんでいた。
しかし―――運命はお互いに味方しなかった。同時に、彼女の恋も破れさることとなった。
「……総大将、あの坊や……ティグルヴルムド・ヴォルンは大丈夫なのかい?」
「あんたの想い人みたいな結末が、エレオノーラとの間に起こるんじゃいなかってことか? それともそうした多くの人間から悪意を向けられて、害されるってことか?」
「どちらかといえば後者だね。あの坊やが最初っから大きい力をもった人間ならば、周りからそんなことは言われないだろうさ。けれど、小貴族な上に得意の武器が弓では―――ブリューヌでいずれ疎んじられるんじゃないか」
その可能性は無きにしも非ず。むしろ高い方だろう。建国以来、守り培ってきた戦の作法。それを無視して『王道』を突き進むティグルを他のブリューヌ貴族は『邪道』と疎んじるはず。
そんなことは分かっているのだ。いや、ティグルとて分かっていないわけがない。
だが、それでもやらなければいけないことが彼にはある。そして、その道を彼だけがこの王国で示すことが出来るのだ。
言い方は悪いが、白銀の疾風であるヴィッサリオンが国を求めるのならば、貴族連中の紛争と戦姫どうしの争いという内戦にばかり終始するジスタートではなく、四方八方狙われ放題なブリューヌで名を売るべきであった。
しかし、彼がジスタート人であり、ジスタートの人間達に暖衣飽食を確約する国を目指す以上は、これ以上は彼の気持ちの問題なのだ。
「だとしても、それこそが求められることだ。あいつの天運は簡単には尽きない。どんなに多くの厄が降りかかろうとも、悪鬼外道の類が栄えたためしはない。好漢侠客の心を持って道を正そうとしているティグルならば出来るさ」
「それでも―――あたしみたいな人間は来る。その時、またもやサラ・ツインウッドみたいなことが出来るか?」
「止むを得なければ―――オレが切り捨てるだけだ。無論、その場にエレオノーラやオルガ、他の人間がいればそうするだろうさ」
笑みを浮かべるリョウの顔にフィグネリアは何も言わない。
もはやフィグネリアも分かっていた。ティグルはヴィッサリオンに似ているようでいて、実は違うのだと。
彼の夢を白銀の疾風の皆は本気だとは信じていなかった。故に統率者としては有能でいても『心』を共有する『仲間』にはなれていなかったのだと。
しかしティグルの周りには、夢を、目標を、道を―――成し遂げるために、心身を預けた義士が集まっていた。
多くの人間がティグルを応援していた。その夢を現実には叶いっこないなどと鼻で笑わず。されど、それを成し遂げるならば、これこれこうしろと言うだけの器と仲間がいた。
一番の信頼ある仲間は―――草原からの風を受けて、遠くを見据える自由騎士リョウ・サカガミだろう。
「そんなにエレオノーラが心配ならば、ちゃんと見といてやれよティグルのこと。今はまだ海の物とも山の物ともつかない人間だが、俺はあいつに賭けたんだ」
「……そんな姑じみたことをしたくないね。そこまで歳はとっちゃいない」
とは言いつつも彼女も、ティグルが本当にエレオノーラが信頼していい男かどうかぐらいは気にかけている。
昔の男が忘れられなくて、その娘を気にかけて「母親」みたいなことをするフィーネの気持ちに気付けぬほど自分も鈍感ではない。
そうして、自分とフィーネとは違う場所にやって来たティグル。同じく夜風を浴びに来ただろうその先に居たエレオノーラという二人の『睦み合い』を偶然にも出歯亀してしまいながら、あの二人を応援してやってもいいのではないかと思うのは、変な親心だろう。
次なる戦の気配を感じながらも―――世界は変わらず穏やかなものを流すことも出来る。その矛盾を―――誰もが感じてしまう。
しかし、吹きぬける風は―――どこまでも続き、それは誰もの心に吹きぬけていく涼やかなるもののはずだかから……。
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『新たなる星たちとの出会い』
オーランジュ平原から少し行った所に、ソーニエという『村』はあった。
その村に竜星軍の主だった面々。特に男の武官達の大半がやってきた。目的としては船旅で言うところの『半舷休息』。
ようは息抜きであった。
この方針は当初、全軍にもたらされるはずであったが、流石に大きな街。『都市』という意味を持てるところが、この辺りには無いので、結局の所、何人か。特に勲功があったものたちを優先的にいかせることにした。
ちなみに言えば、この方針とは逆に竜星軍の『女』達は、あれこれ理由を着けて、女だけの買い物及び息抜きに赴くことになっていた。
如何な上司であったり上役である戦姫や女将軍の考えではあるとはいえ、大半の人間は『ずるい』などと思いつつ、それらを見送ることになってしまった。
苦笑しつつティグルとしては、当初はアラムやハンスなどの勲功ありしものだけにしておきたかったが、やむを得ず順番に各々で街への来訪を許可することとなった。
『ヴォルン閣下の慈悲によく感謝するように。ただし、その間に、『何か』あったら中止になることだけは覚悟しておけ』
何か。大半の連中はガヌロン軍の復讐。ようやく始まるテナルディエとの決戦。などを感じていたが、リョウ・サカガミの言葉からは、そのような響きは無かった。
寧ろ、戦うことを忌避してしまうような連中との戦いが始まるのだと言わんばかりである。
とはいえ、大半の人間にとっては、そんな訓告よりも休みがある。俸禄を使う機会があるということに万歳したいのであったから、それらの言葉は右から左に流れていくこととなった。
「で、結果として村々との話し合いは早めに終わってしまったな」
「アラム達にはもう少し早めに切り上げさせるべきでした」
ソーニエという村……というよりも小さな街にティグルとルーリックが引率者よろしくやってきたのは特別休息だけのためではない。
要は前回のガヌロン軍との戦いにおいて他の村や町に被害があったかどうかの確認であった。
この辺りでは一番の有力者であるオージェ子爵を含めた各町村の長との会談のためでもあったのだから。
これといった被害も無く、寧ろ兵の徴募があるかどうかすら聞かれてきた時には戸惑うほどであったが、一先ずは保留することとした。
彼らも今回のことで、己たちの身を守る必要を感じて、さらに言えば有能な将のもとで戦いたいと思ったのだろう。
「もはや愚連隊ですね。僕が言えた義理ではありませんけど」
「全くだよ。とはいえ、お前は女子衆に着いていけばよかったのに」
「私は男娼として軍に参加したのではなく、武人として参加したのです」
「だがなハンス。女性のエスコートも騎士としての勤めだ。それを忘れてはならぬぞ。なんせ我が軍の女性陣は色々な意味で強すぎて我々男共は頭が上がらないのだからな」
「女性経験豊富なルーリック殿が言うと説得力がありすぎますよ」
ルーリックの言葉に苦笑いで嘆息するハンス。結局の所、酒宴にて双子たちに構われ続けたハンスは、色々な意味で陣内の注目の的となっていた。
最初は歳が近いが故に、三人の仲が良いと思っていたのだが、どうやらそういうことではなく……まぁ多分そういうことなのだろう。
とはいえハンス自身も嫌ってはいない。寧ろ、その美しくも武を持つ姫騎士達に好意を持っている。
まだお互いに『気になるアイツ』といった感じではあろう。
微笑ましい思いでいながらも、今はどうやって時間を潰そうかと考えてしまう。
既に老将軍は陣営に帰っており、残されたのは若者三人であった。しかし、自分たちは早々に帰るわけにはいかない。
引率してきた他の将達もそうだが、刻限を決めて合流する手はずとなっている違う村に赴いた女衆たちも待たなければならないのだ。
そして女が三人寄れば姦しいなどと言われるとおり、三人以上となればその時間も恐らく自分たちの待ち合わせ時刻を超過するだろうことは容易に想像できた。
かといって飲んだり食ったりするには、時間が中途半端だ。どこかに射的屋でもいればおもしろいのだが……と思っていると、ふと一人の露天商に目がいった。
何故その姿に眼がいったかというと、その露天商がここいらでは見ない『人種』であったからだ。
「ムオジネル商人ですね。忌々しいことですが、領土侵略をする一方で、彼らは商才にも長けていますから」
マッサリアにて海という玄関口から様々な人種を迎えていたハンスはそんな風に言ってくる。
本当に肌の色が違うのだなと関心する一方で、彼らが自分たちブリューヌ王国にとって硬軟使い分けての様々な側面を持った国であることを教えられていた。
そしてリョウは盛んに彼らの脅威を叫ぶことで打ち破ったブリューヌ虜囚達なども積極的に登用しろと言ってきた。
最初はオルミュッツの戦姫、リュドミラ=ルリエを調略するために教えられたが、ティグルは実際のムオジネル人というものに見たことが無いので、新鮮な気持ちであった。
「いらっしゃいお客さん。どうぞ寄って見て行きな。気に入ったんならばこの哀れな貧農の四男坊の懐を暖めてくれ」
「宝石か。随分と高級なもののはずだが、こんな金額で大丈夫なのか?」
「ですな。まさか贋物ではないだろうな?」
「疑うならば見ていってくれや。頭が眩しい色男さん」
流暢なブリューヌ語である。人種を勘違いしてしまいそうになる男というのに縁が無いわけではないが、その男は余計にそう感じてしまう。
剽悍な男だ。歳は自分とさほど変わらないのではないかと思う。
そして広げられた宝石の数々は少しばかり興味を惹かれる輝きを発している。同時に男にも興味を覚える。それは相手もそうであったようだ。
「何というか妙な集団だな。友人という割には、歳が離れた坊やがいて、兄弟という割には、どうにも顔の造形がバラバラだ。察するに、貴族の坊ちゃんに従う騎士達ってところか?」
「ざっくり言えばそんな所だ」
遠慮の無い商人。とはいえ、それらの言葉はこちらの胸襟を開かせるには足りた。
「俺の名前は、ダーマード。お前は?」
「―――ウルスだ」
そんな遠慮の無さにルーリックは少し言いたげな顔をしていたが、ハンスの落ち着けという仕草で一応は収まる。
そしてティグルが本名を名乗らなかったことで怒気を収めた。
「ウルスか、まぁ深くは聞かないでおくさ。とはいえ、どうだい? 意中の女性に対して宝石でも勝っていくってのは?」
「それにしても、随分と安いんですねダーマード殿。宝石はムオジネルでも貴重なのでは?」
ハンスの言葉に苦笑いしつつ、ダーマードは答える。
「色々と事情があるんだ。ざっくり話せば、今の我が故郷では宝石よりも麦一粒、野菜の一切れが重要なのさ」
その言葉に三人が察する。要は食料品の物価が急騰しているから、このブリューヌまで脚を運んで商売をしている。
しかし、如何に熱砂の大地のムオジネルとはいえ食糧自給が滞るほど痩せている土地ばかりではない。
ならば、その食料品を上げる原因は―――買占めにある。そして買占めを容易に行えるのは、強大な力を持ったもの。
(ムオジネル王国の行政府は、何処かに侵攻を目論んで食料を集めているんだ)
何処か。などと心の中でティグルは言っていたが、狙いを察することが出来ないわけが無い。
リョウの言葉通り。奴らは―――ムオジネル軍はやってくるのだと、感じることが出来た。
「……なぁダーマード。流石に俺たちの金銭では、これだけの宝石は買えない」
「残念だ」
「だが、お前に儲けさせることは出来る。ここではあまり価値がないがムオジネルに持っていけば、かなりの価値が出ると思うぞ」
「―――つまり、大量に食料を得られることが出来るということか?」
「まぁな。麦などの主食は買い付けなければいけないが、肉は―――羊や山羊よりはいいもののはずだ」
ダーマードとしてはいきなりコイツは何を言っているんだと思いつつも、ここまで来た目的を再確認した。それは、ただ一つであった。
ブリューヌ攻略の最大の障害となるべきもの。即ち自由騎士の存在がどこの『陣営』に居るかの確認であった。
ダーマードは自分を商人として偽りながら、ここまでやってきた。ここに来るまでに聞こえてきた話によれば、自由騎士リョウ・サカガミはブリューヌ北部の『なんとか』と言う貴族の下でテナルディエ公の軍団を撃破したという話だ。
その後、彼がどうしたのかの詳細は聞こえてこない。
曰く、ジスタートにて練兵した騎士達を率いて南部からテナルディエ公の土地を奪いに来るだの、はたまた世話になっている戦姫と乳繰り合っているだの、はたまた異界の邪神との永遠の対決に興じているだの、そんな風な真偽を論じる以前の確定ではない噂ばかりが飛び交っている。
主君である『赤髭』クレイシュとしても自由騎士は、何とか排除したいと考えての行動であった。
かつてアスヴァールにおける騒乱においても、彼は自分たちムオジネル軍の支援していたエリオット陣営の最大の敵であったからだ。
とはいえ……実際の所、このまま商売人を装っていても意味は無いかも知れない。ここは一つ、この貴族連中に着いていくことで何かしらの情報を得られるかもしれない。
クレイシュが定めた刻限も近いのだ。ここは一つ変化を齎すことにしよう。
「分かった。その提案を受けよう。もしもオレの望む通りの食肉が手に入ったんならば、これらの宝石はくれてやるよ。好きな女にでもやれ」
「そう言ってくれると助かるよ」
「しかし、ティ……ウルス様、何処にそんなものがいるんですか?」
「実を言うとオージェ子爵から最近、平原のほうに暴れ猪とか暴れ鹿がいるって話だからな。駆除してほしいって言われていた」
「駆除してほしい。ではなく自ら『狩りたい』と言ったのでは?」
その言葉にウルスが、ぎくりとしたような顔をする。恐らく彼にとっての趣味は、狩りなのだろう。
だが、このブリューヌにおける合戦礼法と武の優先順位からしてウルスの腕がダーマードの『弓』よりも下のはず。
一先ずは、この男、ウルスの誘いに乗るのもいいのかもしれない。
「オレも弓には一芸あるぜ。冒険商人ってのは武にも長けていなければならないからな」
「ではダーマード殿には閣下と腕を競ってもらいましょう。丁度良く暇つぶしにもなりましょうし」
「ハンス、私も参加するぞ。確かに今はまだウルス殿の後塵を拝しているが、これを機にランキングの上位に躍り出て見せよう」
そうして男四人して、狩りに興じることになって、すっかりその時には女性陣との『待ち合わせ』を忘れてしまい、後に大目玉を食らう結果となってしまうのはご愛嬌である。
† † † †
剣を振り下ろす。剣を振り上げる。剣を振り下ろす。剣を振り上げる。
連続した斬の舞踊。速さはいらない。求められるは精妙さのみ。速くやろうと思えばやれないわけではないが、それでも今、求められるのは如何に精妙さを演じられるかだ。
体の論理に剣の論理を叩き込む。二つが合一された時、鬼剣技が完成する。人以上のものを殺すために体系化された技。
草原に吹きぬける風に、颶風が叩きつけられる。早くは無いが重い一撃が風を切り裂き、流れを変える。
来るはずの敵。その姿を思い出して、今度やったときに勝てるかどうかを考える。
あのままやっていれば負けていたのは自分だろうという考えが、リョウにはある。ロランの剣技は正道にして王道だ。
己の肉体の膂力全てを武器に込めて叩き込むその術は全ての『道』に通ずる勝者の論理だ。
商売とて最高の土地にて最高の品物を揃える。そうすることで、富を得られるのと同じ。
転じて武道もまた然り。
それを覆すために『技巧』というものがあるわけであり、人によっては小細工とも取られかねない。
だが、それを無くせば剣の道理はただ単に体の強化だけに走ってしまう。故に―――、ロランにだけは剣士として負けるわけにはいかないのだ。
もしも自分の予想が正しければロランの爆発には『静』と『動』が備わったはず。
「いざとなれば出すしかないな……『鬼剣』を―――」
一人愚痴ってから、身を休めるため―――掻いた汗を拭うために陣営内に戻ろうとした瞬間。何かがやってきた。
平原であるはずのオーランジュにて、砂塵を巻き上げ、先頭をひた走り、同時に飛翔を果たす三匹の幼竜。
我が軍内のマスコットキャラ(?)にして、いろんな人間達のお手伝いをすることで有名なプラーミャ、カーミエ、ルーニエの三匹が―――何かに追われていた。
こちらに気付いたらしき三匹は、直進から少しずれる形でこちらにやってきた。
「■■■■ーーーー!!!!」
声にならぬ奇声を上げて砂塵の向こうからプラーミャ達を追ってくる存在。何なのかは分からないがロクな存在ではなかろう。
ロランの前の前哨戦だとして、剣を向ける。
「■■■■ーーーー!!!!」
再びの奇声。しかし、幼竜たちは自分たちの後ろに匿われ、必然その存在とかち合う。
「ウチのがきんちょ共に手を出すんじゃねぇよ!!」
雷のような突きを放つ。しかし砂塵の向こうの存在はそれを受け止めた。金属同士が噛み合う鈍い音。それが響きながらも連斬を放つ、迎撃される。
ただの怪物ではない。武器を持っている怪物だ。と恐怖しつつ、それを倒すべく斬撃を振り下ろすも―――躱された。
いや、ただ躱されたわけではない。自分の頭を飛び越える形で躱されたのだ。
何たる筋肉を使っての跳躍。あり得ざる動きではないが、少しばかり予想を外される。
というよりも、読みを外されたことに驚愕する。やはり爆発の『技』を持っている人間は厄介だ。
巻き上げていた砂塵から這い出て、自分の背後に躍り出た怪物。
金色の毛むくじゃらの怪物。全身を覆うほどの金色の体毛、炯炯と光り輝く眼にリョウは恐怖を覚えたのだが―――――――――――。
「あら、リョウじゃない。久しぶりね。 息災なようで何よりよ♪」
怪物は――――まごうことなき知り合いであったことを確認して、リョウは「ずっこける」ことしか出来なかった。
「って、何で倒れるの。まるで喜劇役者の転倒のようにして、こける理由がさっぱり分からないわよ? あっ、プラーミャちゃん。ルーニエちゃん。カーミエちゃん待って―――!! 私にあなたたちを慈しませて―――」
知り合いが倒れたことよりも、愛しき幼竜たちを追って平原を走っていく知り合い。
光華の耀姫―――『ソフィーヤ・オベルタス』が、やってきたことを認識しつつも……。
「俺はソフィーにすら負けるのかぁ……」
少しばかり男の沽券の在りどころに傷つき、平原を走り回っていた幼竜たちをようやく捕まえた彼女の姿がこちらに近づいてくるのを確認。
息子たちに申し訳ない思いを感じつつも、在り様を正して、立ち上がり彼女を迎える準備をする。
「やれやれだな……」
ロランとの再戦を意識しつつも、あの時に居たもう一人の人間がやってきた事に運命を感じつつも、ひとまず息子たちを保護することにした。
ブリューヌ最高の騎士との戦い……手を差し出したソフィーの姿。舞台は段々と整いつつあることを―――運命的に感じてしまうこととなった。
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『熱砂武人の困惑』
「数奇なことですな」
「同感と言えば同感だが、まぁ偶然だろうさ」
やってきた『騎士団の使者』を追い返してからジェラールと共にそんなことを言い合う。
使者が携えてきた書状の内容だけを見るに、あちらも少し戸惑っている様子が浮かぶ。
だが、これは好機と言えば好機だ。あちらもまだ戦術行動に出るかどうかを決めかねている。
そこを強襲するのでは「無意味」だ。こちらがやらなければならないのは、犠牲を少なくして彼らを『味方』に着けることだ。
「内部調整は任せる。如何にティグルが大きく振舞っても、動揺して騎士団を頼みにする同盟者達も出るだろうからな」
「承知しました。……しかし、騎士団が戸惑うとは、やはりサカガミ卿の威光はあるものですね」
「俺を担いだって何も出ないぞ。どうせならばティグルを担いでいけ」
おだてるべき人材を見誤っては無意味だ。ジェラールがこれから担いでいくべき人材は、いずれはこの地を離れる自分ではない。
一応、そういった人材であるということは分かっていたので、とりあえずその辺に釘を刺しておく。
「太鼓持ちの性分だというのは分かっていますが、それだけだと思われるのは心外ですよ」
本気でそう言っている風ではないジェラール。幕営の中に彼の嘆息が溜まりこみながら、ティグル達を急かした方がいいのではないかと考える。
「ティグル達を連れてこよう。娼館にご厄介になっていたとしても遅すぎるからな」
「了解しました。お気をつけて」
竜星軍の中での主要人物の帰陣を促すためにも、自分もソーニエの村の辺りに行かなければならなくなった。
そうして幕営を出た所で三匹の幼竜を構っている美女に捕まる。
現在の事態の裏側を知っているソフィーヤ・オベルタスが、幕営の外にいた。
「エレン達を呼びにいくの?」
「正確には、ティグルヴルムド・ヴォルン伯爵閣下を呼びに行くんだがな」
予定では彼女らと彼らはそろそろ合流する時間なので、それも間違いないのだが。
そんなことを言いながら馬の用意をしていたのだが……。
「ソフィー、何故に俺の馬に乗る?」
「普通ならば、騎手が乗ってから同乗者が乗るものだけど、武に達者なリョウならば出来なくはないでしょ?」
「質問の答えになっていないが……、まぁ言わんとすることは分かる。それ以前に、別に馬をもう一頭用意するのは簡単なんだけど」
「半刻ほどとはいえ、ご厄介になっている身分で、そのような我儘言えないわ」
馬一頭すらケチるような軍団だと思われるほうが、後々に響くような気もするが、こうと決めたら『理屈』では動かない交渉役という存在には、いくつもの言葉を尽くしても効かないのだ。
結果的に、以前の旅……ニースにおける武術大会に赴く時とは違い、二人で一頭の馬を共有して向かうことになった。
「さて、エレンが惚れ込んでしまう程の男の子の顔を拝みにいきましょうか。同時にリョウを篭絡しながらね」
「とんでもない策謀だが、俺としてはもう少しバランス取れたボディの方が好きかな?」
具体的には、焔だったり腹黒だったりが、一番の理想と言えば理想である。
正直、ソフィーの策謀は相手の好みを無視したものであり、俺のような人間には――――。
「本当に?」
「―――走りにくい。押し付けるな」
「余裕無いわね。もう少しだわ♪」
何がだよ。と思いつつも陣営から出て今度こそ馬で走り出す。
後ろにて、己の性の象徴ともいうべきものを押し付けてくるソフィーに少しだけ紅潮しながらも、考えることは、ただ一つ。
ロラン率いるパラディン騎士団は、こちらとの全面対決を望んでおらず、尚且つ―――、何かしらの意志ある行いで自分達を『鑑定』したいという話。
何とも抽象的な言葉と目的の羅列が、彼らの行動を確定させてはいなかった。
(オルガ好みの展開になるかな)
一騎打ちで相手の意思を砕いてやるといった風な感覚が多いティナの前のツェルヴィーデの如き少女。
騎馬民族の長の家系として生きてきた彼女の好みそうな展開が、自分の考えでは一番、犠牲が少なくなりそうだ。
全面戦争にだけはしない。大軍同士がぶつかり合うことが、一番にやってはいけないことだ。
竜星達が落とすべきは人心非道の限りを尽くす悪鬼外道の巣窟のみ。
――――と真面目なことを考えながら、背中に押し当たる感覚を何とか意識の外に向けようと必死にならざるを得なかった。
あれこれ理屈をつけようとも基本的には大きな胸というものに、魅力を覚えてしまう悲しき男の性にだけは抗えそうになかったのだ。
† † † †
暴れ猪―――ザクスタンやアスヴァ―ル方面で言う所の伝説『呪いの魔猪』というものを思い出させるほどに、それは大きかった。
暴れ鹿―――ヤーファで言う所の伝説の神獣『シシガミ』を思わせるほどに、それも大きかった。
そしてこの二頭の獣は―――今、お互いを敵視して睨みあっている。平原に降りて、まるで『山の神』は自分だとでもいうかのように対峙しているのだ。
(そういえば、プラーミャの親―――ジスタートの山の主を殺した後ってどうなったんだろうな)
いずれプラーミャが成竜になれば、山に戻るんだろうが、それまで山の主が不在になると、こんな争いがあるのではないか―――そんな馬鹿な想像をしながらも、気配は出さない。
狙うべきは、どちらもであるが、どっちを狙うかは同じくではないが自分よりも『近い場所』に陣取っているダーマードの動き次第だ。
最初、自分の射程距離を聞いた時に、ダーマードは眼を大きく見開いた。
確かにそれぐらいに、現在、自分と獣の間の射程距離は、弓に関して知るものならば実に馬鹿げたものだ。
いや、狙っているものを見ることが出来るならばその距離がとんでもないことにも恐らく気付く。
そんな常人を越えた飛距離―――ムオジネル産の火砲の如き距離から―――銀矢は放たれた。
空気を裂き、大地の動きから切り離されたその矢は一直線に――――飛び、猪と鹿の激突の瞬間―――同直線状に並んだ所を―――昨日、リョウが食べていた『焼き鳥串』の如く団子に貫いた。
鹿の首―――その後ろを貫き、そのままに猪の眉間を貫きながら脳髄を掻き乱す。
獲った―――。と思ったのも束の間。流石にあの巨体では完全に貫くことは出来ないようだ。
生き残った方。頭に矢を半分以上埋めさせながらも、息を荒くしながら敵意を見せる猪。
しかし、その猪が―――360アルシンの距離を越えてやってくることは出来なかった。
ティグルに敵意を見せて襲いかかろうとする前に、三方から放たれる銀矢。
既に死に体であった猪の身体に深々と突き刺さり―――遂に崩れ落ちる。
平原を荒らして旅人を襲ってきた猛獣の最後は呆気ないものであったが―――、真剣勝負を邪魔してしまったかと思ってしまう気持ちだ。
しかし、野生であれ何であれ、勝負という生き死にを賭けた戦いにおいては、己の命を狙うもの全てに注意を払わねばならない。
こういった狩人的な精神がティグルのブリューヌ貴族としては「らしくない」点であろうと最近は思えてきた。
再び、一騎打ちをするようなことになるならば……。
思索を打ち切り呼び掛けているルーリック達の下に隠していた馬を使って向かう。
合流して一言、ダーマードから言われる。
「お前、本当にブリューヌ貴族、いや人間か?」
「心外な。人間鍛えれば何でも出来るもんさ」
「目の良さだけは天稟だろうが」
剽悍な男からの疑わしげな言葉と声。そうしつつも、狩りの成果を確認すると―――、大金星を挙げていたのはティグルであった。
「お見事です」
「これが、将軍の魂とグレアストの男としての命脈を断った閣下の矢ですか、祖父の心と気持ちを私は再確認出来ました」
短い賛辞のルーリックと、主君の戦果を再確認したハンス。
二人の武臣の言葉に、ため息突きつつ、早速、解体作業に―――と思ったのだが、これ程までに巨大な獣。
凡そどちらも700チェートある獣の大きさに少しだけ途方に暮れる。
「グレアストの命脈を断った……?」
「もういいのではないですか、ティグルヴルムド卿。そろそろ素性を隠してダーマードに接するのは」
しまったと思ったハンスに代わり、ルーリックがそんなことを言ってフォローを入れたのだが、今更自己紹介をしたところで、どうだと思っていたのだが……。
地平線の向こうから何かが土煙を上げながらやってきた。
馬蹄の音を響かせながら10人に届かないものの、女達がやってきた。
それはもうおっかなくなるぐらいの形相のエレンを筆頭にである。
「ティグル――――! お前、私との約束をすっぽかしたな―――!!」
「ティグル! 私も! 貴方と街を歩きたかった!!」
「ティグル様の甲斐性なし――!!」
狩りやダーマードの語るムオジネルの話に夢中になって、後で、違う街に繰り出していた女衆と合流する予定であったのをすっかり忘れてしまっていた。
はっ、としたのも束の間。次には違う方向から―――。
「ティグルさん! あの娼館の娘達は最高でしたーー!!」
「今度は一緒に入りましょうぜーー!! 戦姫様には内緒でぇええええええええ!!??」
アラムを筆頭にやってきたライトメリッツ武官達は、自分達をどうやって探し当てたのか分からぬも、それでもやって来たことで―――色々と馬脚を現すことになってしまった。
まさか女衆達と鉢合わせになるような形で合流するとは思っていなかったわけであり、全員が上官の姿に驚くことになった。
そんな約束をある種、すっぽかした連中二方向から詰め寄られて―――今度は、そんな中でも誰よりも高らかに馬蹄を響かせてやってきた人間がいた。
二方向からの砂埃を派手に打ち上げるような馬術とも違う整然としながらも、力強い手綱さばき。
やってきたのは、この大陸に住まうものならば大なり小なり名前を知っている人間であった。
「ティグル、急にやって来て悪いが緊急事態だ―――――が、どうやらこっちも緊急事態のようだな」
「あらあら、随分と大所帯ね」
「ソフィー!? 何で此処に!?」
自分の近くで馬を停止させたリョウの言葉に怪訝な思いを上げる間もなく、リョウの後ろには金色の美女が同乗していた。
何となくではあるが、直観で―――彼女の正体をティグルは察することが出来た。
その美貌と特徴的すぎる得物を持った姿は……。
「エレン、もしかして他の戦姫かな?」
「ああ、詳しい仲はまぁ追々説明するとして―――貴様! サーシャにヴァレンティナに続き、ソフィーまで手籠めにする気か!? この色魔!!」
その言葉と顔を朱くしながら笑顔でリョウに体重を預ける様子から、そういうココロは理解できた。リョウの方がどういうココロであるかは分からないのだが。
「そんな気は毛頭ないんだけどな……それよりも、ティグル―――そっちの固まりきったムオジネル人の御仁はどちら様だ?」
その言葉で振り向くとダーマードは、表情を呆然と唖然の二つを混ぜたもので固まりきっていた。
リョウの言葉と続く皆の視線ではっ、としたダーマードだが、こちらに詰め寄る。
「ウ、ウルス!? な、なんで自由騎士リョウ・サカガミがお前の所に来るんだよ!? 驚きすぎて気が一瞬抜けたぞ!」
「…とりあえず自己紹介させてもらうよダーマード、俺はブリューヌ王国が領土アルサスを治めている―――ティグルヴルムド・ヴォルン。爵位は伯爵だ。故あって今の所、自由騎士を客将として遇させてもらっている」
ティグルに唾を飛ばさんばかりに近くで勢いよく話すダーマード。
そんなダーマードに姿勢を正して話したティグルだったが、その時、ダーマードの頭に一つの閃きが落ちてきた。
自由騎士に関わる噂の殆どは『真実』だったのだ。と。
ブリューヌ北部の『なんとか』という貴族。彼と共にテナルディエ公の軍団を撃滅した話。
その後、自由騎士の消息がいまいち掴めなかったのは、ムオジネル諜報部の失態であったが―――、良く考えれば、自然な流れとしては、彼の自由騎士の心理からすれば、そのような横暴を許さず件の貴族―――ティグルと共にテナルディエ公への復讐戦を挑むだろう。
「ウルス…ティグルが、自由騎士を客将としたテナルディエ軍撃滅の貴族……!」
「南方までリョウの噂に尾鰭として着くなんて、俺も大きくなったもんだ」
『自分で言っていて空しくないか(ですか)?』
竜星軍の人間、全員にからかうように言われて落ち込むティグル。
そんなティグルの心情とは別に、ダーマードは心中穏やかではなかった。しかし……自分の心に気付いているのかいないのか、竜星軍の面々は仕留めた獲物の検分にかかった。
「で、結局お前は何をやっていたの?」
「ダーマード、彼はムオジネルの行商人なんだが……彼の商品である宝石との交換条件として、肉を狩ろうと思ってな」
その言葉にリョウは少しだけ怪訝な思いもある。ダーマードという男の素性に関してもだが、こんな時期にムオジネル商人がやってくるとは――――。
「何はともあれ、ウチの殿が世話になったが、宝石の代金が肉でいいのか?」
「……良ければ、その音に聞こえし冴えわたる剣の腕を披露してくれないか? それで収める」
ダーマードの言葉に対して、特に何も感じず、一番いい部位が欲しいだろうとして、刀を抜く。
巨大な獣二頭。分割すればここにいる全員で運べるかと計算しながらも、巨岩にも似た食肉の解体を始める。
水しぶきにしか見えない輝線が走り―――巨岩が崩れ去っていく。
十を数えるまでもなく毛皮と肉。角と頭。四肢と胴―――全てが分裂した形で、草原に食肉業者の店先の如く整然と並べられた。
血飛沫は殆ど吹かなかったことから察しても、その腕が尋常ではないことを誰もが理解する。
「あいっ変わらず非常識な腕だねぇ」
「内臓は寄生虫がいる可能性があるから、危険なんだけど―――お前たちは喰いたいんだよな?」
フィーネの呆れるような言葉を聞きながら、リョウが問いかける相手は『人間』ではなく、足元と目線の高さで浮いている幼竜達である。
プラーミャ、ルーニエ、カーミエの三竜達は首を何度も振って同意を示していた。
野生の獣というのは、牧場の家畜と違い食っているものが雑多である。
無論、放牧というものの範囲が広ければどこぞで拾い食いした結果、臓器に寄生虫を宿す場合もある。
ともあれ、野生の獣はその頻度が多く、狩人達の大半は狩った獣の内臓は土中に埋めて処理をすることが大半。
ティグルもカーミエで知っていたことだが、どうやら幼竜達は完全に悪食なのだ。
「ウラさん。あんまりこの子達に悪いもの食べさせないでください。そんなものがいると分かっていて何で三人(?)とも食べたがるの?」
しかし、竜星軍の台所役。みんなの料理長であるティッタが、悪戯をした「悪がき」に言うように三匹に問い質す。
これでティッタ以外の別の人間から言われたならば三匹は、強情に食わせろと駄々をこねていただろうが、大好きなティッタからそんなことを言われてショックを受け、意気消沈した様子を見せる。
もう「しょぼーん」という表情が似合うほどに項垂れてしまった三匹。
「……要は、内臓にいる寄生虫を取り除けばいいんだ。仕方ない―――ティッタさん。少し面倒な調理をすることになるが構わないか?」
「おおっ、寄生虫を取り除くヤーファ秘伝があるのですか―――それならば我々も相伴に与りたいものです」
「酒の肴にはなるだろうな」
ルーリックに言いながら、とりあえず簡単に『調理法』をティッタに言っておく。聞いたティッタは少しばかり疑わしげな目をしながらも、それでもそれが『殺菌』及び何かしらの食糧を長持ちさせることを聞いてはいたので、一応納得した。
「―――分かりました。ただし三人とも、本当にお腹壊しても知らないからね」
と言いつつも、その際に『薬』の処方箋があるのかと言ってきたので、心配していないわけではないのだろう。
そんな風に言ってきたティッタに今度は喜色満面で纏わりつく三匹の幼竜。言葉は言わずとも『ティッタさん。大好き―♪』である。
落としてから上げる上司の鑑すぎる高等テク(?)に、ソフィーは戦慄している。
「そ、そんな……あそこまで幼竜に懐かれる人間がいるなんて、というか羨まし過ぎるわ! あれほどまでに可愛がってきたのに、何で私ではなくあの子に!!」
「さっ、みんな幕営に戻ろうか。それとティグル、本当に緊急事態が起きてしまっているんだ。戻ったら即座に会議を開くぞ」
「―――分かった。分かったが……あの人は、あのままでいいのか?」
それぞれに得られた肉や骨を分担して持っていく辺り、全員が分かっている。
しかし、そんな規定作業よりもティグルとしては突然現れた戦姫に対して、少しばかり怪訝な思いがあるようだ。
彼女が呆然とした理由はティグルにとっては分からぬものだったが、リョウにとっては特に気にすることも無いようにしている。
「気にするな。彼女特有の病気みたいなもんだ」
言葉と同時にごっつん!と杖を自分の頭に叩き付けてくるソフィーヤ。流石に病気扱いはイヤだったようである。
リムアリーシャの背中に同乗して幼竜達に構われるティッタをライバル視(?)しながら彼女を背中に乗せて竜星軍の幕営に戻ることとする。
「それで自由騎士。何でオレまで連れて行くんだ?」
「? 宝石の代価に肉を得るんだろ? だったら日持ちするように処理しなければお前に渡せない」
「―――そりゃまぁそうだがな」
ダーマードは頬を掻きながら明後日の方向を見ている。態度がおかしいというわけではないが、どうにも落ち着いていない。
何だろうかと思いながらも、とりあえずティグルが気に入っているので邪険にするわけにもいかず奇態なムオジネル商人を連れて幕営に帰ることとなる……。
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「光華の耀姫Ⅴ」
しかも今度は戦姫じゃないのがエレン(のちになる可能性あり)
そして叛神の輝剣かぁ……そろそろヤーファ周りが知りたい。
そんなわけで久々の更新です。
本陣に戻ってきた全員は来客用の天幕――――――それでも全員を入れるのは難しいのでヤーファ式のそれでいつも以上に広々とした場所にて会合を行うことにした。
それぐらい……今回のソフィーの急使というのは重いものなのだから。
そんなこんなありつつも自己紹介から入るわけである。
「改めて挨拶させてもらうわ。公国ポリーシャが戦姫『ソフィーヤ・オベルタス』よ。そちらにいるオルガとエレンの同輩。あなたのことはサーシャからも聞いているわ。よろしくねティグルヴルムド・ヴォルン伯爵」
「相変わらずものすごい胸だ。同時にお兄さんの趣味がはっきりする」
「おい。酷い誤解と語弊を招くんじゃない」
腕を組みながら、自分の隣にて半眼でソフィーの胸を睨むオルガを嗜めておく。第一、この幕営の中には多くの男性陣もいるのだから、そういったことを言わないでほしいものである。
「まぁ確かに、リョウは年上の女性に絡まれがちだな。何かと自由にして風来坊な所が、興味湧きつつほっとけないんだろ」
ナイスなフォローありがとう。と言いたくなるティグルの言葉で一旦は鎮火するのだが。
「ヴァレンティナの胸はともかくサーシャの形良い胸にまで食指を伸ばす貴様の色欲っぷりは。ソフィーを手籠めにしたところで変わらん評価だ」
このアマなんつうことを。と言いたくなるエレオノーラの言葉で再着火しつつも、場を収めるためにフィーネが手を叩きながら口を出す。
「はいはい。色々と言いたいことはあるんだろうけれど、まだ自己紹介していない人間もいるんだ。それからだろう?」
忘れていたわけではないが、それでも強烈なまでの個性を発揮する人間の最初の自己紹介で、少しばかり場が流れていた気がする。
視線が一人の男に向けられる。
「そちらの女性の後で、何とも味気ない自己紹介だが冒険商人のダーマードだ。ムオジネルから来たが、予想以上の上客との付き合いになりそうで光栄だよ」
そう少しばかりつっけんどんに言い放つダーマードだが、言いたいことが一つある。
「いい加減、椅子に掛けたらどうだ?」
「客分でそんなことは出来ないな。節度を弁えろというのが『親方』の指南だ」
テントを張る為の支柱の一つに寄り掛かっているようで、実は体重を掛けずにいる男の『技能』に誰もが目を細くする。
しかしながら、客分だからこそそんな所にいさせたくないのだが―――。どうにもダーマードの態度はリョウやティグルの素性を知ってから少し変化したとハンスなどは伝えてくる。
「まぁムオジネルの商売慣習に関してあまり言いたくないから、お前がそれでいいならいいけど……俺としては楽にしてほしいよ」
「―――悪いなウルス。俺なりのケジメの付け方なんだ。勘弁してくれ」
手で申し訳なさそうに謝罪をするダーマードの言う『ケジメ』。
何とも『不穏当』な言葉を聞いて、リョウはダーマードに今度こそ疑念を抱く。抱くも、今のところそれは問題ではない。
最大の問題とはソフィーが見聞きして持ってきたものと現在、迫りつつあるものに対してのことだ。
「それでソフィーヤ殿。あなたは何故ここに来られたのだ? 道中、少しばかり聞き及んだが、王宮と最近接触したとか―――」
「そうね……。まずはそれからよね。ではヴォルン伯爵、エレン。一先ず私がブリューヌ王宮で頂いたご返答を伝えさせていただくわ」
そうして外交上の機密とも言えることが伝えられる。前々から様々な調整を施していたとはいえ、遠征軍―――即ち、エレオノーラのライトメリッツ軍が現在、この地にいつことに関して、ブリューヌ王宮は、以下のような返答をしてきた。
「『そちらの言い分は誠に勝手にして甚だしく、我らの土地・領民を何だと心得る』だそうよ」
「まぁあの御老体の言い分を素直に伝えれば、そんなことにもなろうな。けれど私の―――戦姫の身分と言うものがどういうものかは伝えてくれたんだろ。ソフィー?」
ジスタート王も、色々と釈明の文を書いてくれたのだろうが、それが『王』の元に届かなければ意味はないだろう。
「とりあえず言っておいたわよ。『戦姫の好みはそれぞれ。白銀の戦姫、未蕾の戦姫、共に紅髪の色子のために戦うなり』とね」
言葉に対して、飲んでいた林檎水を吹き出しそうになるエレオノーラ。
その通り。とばかりに無い胸を張りだすオルガ。
両者の対応を受けて―――ティグルとしては、何なんだこの状況は?と言いたくなるが、数名(リム、ティッタ)を除いて誰もがにやつきながらティグルを見てくる。
咳払いをして、ソフィーヤに続きを要求する。ティグルが聞きたいのは王宮が自分をどう見ているかということだったからだ。
「それに対しては返事を頂けなかったけれど、あなたの王宮に対する応対を伝えるわ―――」
「話をする前に、ちょっと待ってくれ。俺がここに居ていいのか? 一応、商売でこちらに赴いたとはいえ、そんな大事を聞かされていいのかよ?」
明らかに外国人が聞いてしまっては、暗殺者あたりでも差し向けられそうな言葉の羅列に流石にダーマードも黙っていられなかった。
緊張感が足りないわけではない。
外で見た兵達も練度もあり、教育もしっかりしていた。そんな戦士たちでなければテナルディエ公爵軍、ガヌロン公爵軍と立て続けに打ち破れまい。
如何に、一騎当千の自由騎士がいたとしても最後に戦の趨勢を決めるのは『雑兵の練度と士気』なのだから。
多分にムオジネルの考えが入っていたとしても大勢においては何処でも通じる理屈を思い出し言いつつ、『ウルス』にこれ以上不義理を犯したくない心情を吐露した想いだ。
しかし、ウルス=ティグルは変わらなかった。
「俺はお前に信用ある相手であるかを明かさずに、商売をしようとしたんだ。その不義理の代償だと思ってくれ」
「けれどよ」
「第一、これで深刻なことを言われたならばお前もこれ以上、取引したいと思わなくなるかもしれない」
居佇まいを正しながら、ソフィーヤの言葉を待つ姿勢を取るティグル。
それを見たソフィーヤとダーマードはいずれは一大の『巨人』『巨竜』にもなれるのではないかと思うほどに、威を感じた。
(リョウが惚れこむ理由も分かるわね。同時に彼の成長を促しているのもリョウなのだわ)
サーシャから聞いた人物像と少し合致しないものを感じていたが、それはここに来るまでのティグルの成長を自分が知らなかったからだろう。
ならば、今からいう事を聞いたとしても、絶望しないのではないかと思い、ソフィーも威を正してティグルに告げた―――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「予想外に落ち込んだわね……見込み違いだったかしら?」
「それはしょうがないだろ。あそこまで滅多くそに王宮から返事を頂いたならばさ」
既に夜になってしまった竜星軍の幕舎の一つにてソフィーと会話をしながら、リョウはソフィーの手元にあるお猪口に酒を注ぐ。
透明な水のような酒を十分に注いでから、再会の挨拶としてお猪口どうしを打ち鳴らす。
「あいつとて、まさかテナルディエ公爵の暴虐を何もかも見逃して、そんな沙汰を降すなんて思っていなかったんだろ」
「私も予想外だったわ。王都ニースでの噂とてテナルディエ公爵にこそ咎があるとしていたのに……商人ムオネンツォの故事にしても、やり過ぎよ」
ソフィーが面会を果たすことが出来たというボードワン宰相の対応はリョウとしても予想外であった。
自分がいる所こそが、「求めた宿星」の場所だとしておいたというのに……。
やはりレギンを探し出せということなのだろうか……不確かなままでは何も言えまい。
だが『反逆者』という立場であっても、どこまでやるのか、だ。
「恐らくだけど、巷間の印象を下げてでも、今のところ王宮は両公爵との間に不和をもたらしたくないのよ。『二国』とやりあうにはどうしても両公爵の協力が必要だから」
「ザクスタンも動くか―――厄介だな」
リョウの予測を外す形となったのは、まさかそちら側もやってくるとは思っていなかったからだ。
ザクスタンの狙いならば、エリオットとやりあっているだろうアスヴァ―ルを狙うと思っていたのだが……。
「だが、予想外というわけではないな。騎士団の動向からも、本意ではない旨は感じる」
「あなたらしいわね。ティグルヴルムド卿に伝えてあげればいいじゃない。そういった諸々全てを」
「最近、あいつは甘い場面ばかりだったからな。そしてどっかで「自由騎士」を頼りにしている節もあった……だからまぁ久々の『選定の試練』だな」
そんな返答に苦笑と共に清酒を煽るソフィー。上から目線で何を言っているんだという想いと、そこまで言うからには彼はやはりブリューヌの次期リーダーとなる器なのだろう。
それを知りながらも答えを渡さないのは、ある程度の苦難も状況によっては必要ということだ。
「ただ、俺だって郷里で『朝廷』から『朝敵』として認定されたらば落ち込むどころじゃなくなるからな……気持ちは分かるんだ」
和紗に対する調略が通じず自分に対して敵対をした『凛』の恐るべき策略の前に、自分もティグルと同じ立場にされた時があった。
咲耶とて苦渋の決断だったのだろうが、それでも出さなければ、あの時の凛は咲耶をも殺しかねない勢いを持っていた。
結局の所、最終的に『朝倉家』は滅亡。凛は―――『真柄』を討取った自分の国に来ることを許さず自害をした。
嫌な記憶を思い出す。誰もが狂っていた時代。それを終わらせるには流れる血として必要だったとしても……。嫌な記憶だ。
「けれども、そういう時にこそ―――『己』だけで抱え込むべきじゃないんだよな。己の周りを見るべきなんだ」
「―――そうね―――」
言葉を皮切りに幕営の外に出て、光の勾玉とソフィーの竜具による『光の屈折』を利用してティグルの居場所を遠隔で見ていると、オルガを皮切りに、あの幕営内で絶望的なまでに「反逆者」として扱われたティグルを励ましている様子。
声こそ聞こえないが、それでも―――多くの人間から何かを言われるティグルが段々と持ち直していくのが分かる。
(俺もあんな感じだったんだろうなぁ)
和紗を―――魔王の気を持つものこそが、この『狂』の時代を終わらせる旗手となると感じていた。
正しいことをしていたとしても、それでも誰もが自分に味方してくれるわけではない。
そんな中でも信じて、信頼した人間たちが居れば―――。男は再び立ち上がれる。
『他の誰が何と言おうと、いまさら迷うものか。私はお前を信じる―――ティグルヴルムド・ヴォルンという戦士であり男を信じて戦う!』
こういう時に無駄な『スカウト的』技能が役に立ち、エレオノーラがティグルに放った言葉を唇の動きで理解してしまった。
それを伝えると、ソフィーも笑みを浮かべて、見込み違いとするには尚早であったと考えを改めた。
「となれば、やることは一つね。リョウ、ジェラール卿と考えていたことを伝えに行くわよ」
「うん。それは分かったが……何で首に手を回す?」
最後の『出時』を見極めたかのように向こうへと行くことを決意したのだが、何故かソフィーは自分の首に手を回してきた。
「あら? サーシャやヴァレンティナにやったみたいに姫抱きして『御稜威』で、あちらに飛んでいくんじゃないの?」
「いや別に、それをやらなくてもいいんじゃないかな。むしろそんな気取った登場したくないんだけど」
魅惑の肢体を押し付けて蠱惑的な笑みを浮かべるソフィーに正直、男として立つものよりも、げんなりした想いが強いのは、あまりにもわざとらし過ぎるからだ。
誰かに似ているな……と思った時に出てきたのは、アスヴァ―ルの女のことである。
要するにソフィーは、ギネヴィアに似ているから俺は苦手なのだろう。
ただギネヴィアと違うのは、そういった男女の関係的なものに進めようという気持ちを感じない。
だから、まだ付き合ってられる。
そういうことだ。
「むぅ。わたくしのような美女にここまでされて、ため息一つとは、手強すぎないからしら」
「狙いをティグルに変えたらどうだ? あいつの『守備範囲』は、下はオルガから上はエレオノーラまでだし」
「残念ながら一度狙った標的は、獲るまで逃がさないのがわたくしの流儀よ」
ソフィーの目が光ったかのように見えて、心中で「こわっ」とだけ言いながら、やむなく御稜威を唱えて姫抱きした光華の耀姫と共にティグルの下へと飛び込む。
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