天邪鬼は神社で暮らすそうです(仮題) (ジャンボどら焼き)
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第1話 『天邪鬼』
──
名前くらいなら知っている人は多いだろう。『人の心を見計らってイタズラを仕掛ける妖怪』として言い伝えられており、現代日本においては『ひねくれ者』や『素直になれず反発する人』という一つの言葉にもなっている。
その姿は小鬼として語られており、そのキャラクター性から特撮作品においても敵役として登場しているらしい。
と、話が訳のわからないところまで逸れてしまったようだ。
なぜこんな冒頭で天邪鬼なる妖怪の話をしたのかというと…………実は僕、その天邪鬼になってしまったらしいんだ。
頭がおかしくなったと思ったかい? 無論、僕もこれが冗談で済むようなことならどれほどよかったかと思っているさ。けれどなってしまったんだ、その事実だけは変わらない。
肩まで伸びた茶髪の髪の毛、そしてそこから生える二本の小さな角。手で触ってみると、それらは頭に根を張っているようにピクリとも動かない。うん、飾りじゃないことは確かなようだね。
そもそも、なぜこのような事態に陥っていたのかというと…………正直なところ僕にもわからないんだ。
気づいたらこの姿になっていて、気づいたら何処とも知れない場所にいた。自分が前とは全くの別物になっていると、そう頭では理解できてはいるんだ。けれどその前の、天邪鬼になる前の自分に関しての記憶が欠落してしまっていた。
いったい僕は誰だったのか。何処で暮らしていたのか。何が切っ掛けでこうなってしまったのか。そもそも僕は人だったのか────そうした大事な部分が綺麗さっぱり抜け落ちていた。
普通だったら、きっとこの状況に驚いてあたふたするんだろうね。でも、今の僕はなぜかこの姿になったことを受け入れてしまっている。先の考えとは別に、これが今の自分なんだと理解している僕がいる。
だからこそ、僕はこうして冷静に語ることができているんだろう。我ながら、随分と淡白な性格をしていると思うよ。
さて、僕のことについて話すのはここまでにしておこう。といっても、語ることなんてこの程度のことしかないんだけどね。
今からは僕がここで生きる残るために動くとしよう。この人のいる気配のない森から脱出して、あわよくば人のいる場所にでも辿り着ければ上々といったところか。
こうして、僕の天邪鬼としての第一歩というか、1日目が始まった。
〜*〜
さて、僕が森の出口を目指して歩くこと体感で三十分。僕は実に運がいい妖怪だと、現在は喜びに打ち震えているよ。
あ、淡々と話してるからわからないだろうけど、本当に喜んでいるんだよ? だって、歩いてすぐにこんな立派な神社の廃墟を見つけられただなんて、まさに幸運と言わずしてなんと言うんだい。
僕が発見したのは、石造りの長い階段を上った先にある神社だった。
しかし廃墟というだけあり、境内は落ち葉や雑草で荒れ放題。鳥居のすぐ近くにある
社殿は見るからにガタがきており、腐った木製の扉は少し力を入れただけで簡単に外れてしまった。中に入ると、そこは道場のように木の板が床一面に貼られあちこちに穴が空いている。さらにその奥に奉られていたであろう御神体は首だけがもぎ取られ、なんとも言えない物悲しい姿で立っていた。
社殿の奥には、この神社の神主が住んでいたであろう居住空間が存在した。とはいえ、そこも例に漏れず荒れ放題。埃は被っているし障子は穴だらけ、タンスなどの家具は倒れ中身は散乱。まるで地震か夜襲にあったのではないのかと、そう疑いたくなるような惨状に目を奪われつつ、僕は一度神社の外へと足を向けた。
さぁ、ここで一度状況を整理しよう。運良く雨風をしのげる廃神社を見つけたのはよし。けれど中身は期待を裏切らない荒れっぷりときた。いくら今の僕が淡白で何事にも無関心だからといって、これほど荒んだ状況を放っては置けない。というか、埃まみれの床に横になりたくはない。
となると、これから僕が最優先にすることはこの神社の掃除。これまた運がいいことに、太陽はまだ真上を過ぎてはいない。今から全力で取り掛かれば、夕方までには寝れる程度の場所は確保できるだろう。
そしてそのためには掃除道具が必要なわけだけど……この廃神社にそれを求めるのは酷というものだよね。
ということは、やはり必要なのは人がいる場所へと辿り着くこと。そしてそこで掃除道具を借り受け、本格的に掃除を開始する。
しかもこれまた運がいいことに、この神社はかなり高所に作られていたらしく、鳥居からは景色を一望でき、その景色の中には人が住んでいそうな里も混じっているではないか。
度重なる幸運に気を良くしつつ、僕は眼下に映る里を目指し階段を降りる。
〜*〜
「おい妖怪だ! 妖怪がきたぞ!」
「男は全員武器を持て! 妖怪を里に入れるんじゃねぇぞ!」
目の前には鍬やら斧やら槍やらと、それぞれ各々の武器を持った男の集団が里の入り口を死守していた。
え? 誰からだって? それはもちろん僕からさ。
いや迂闊だったね。そういえば僕は妖怪だったんだっけ。忘れてたから普通に挨拶してしまったよ。
『やぁこんにちは。ちょっと頼みを聞いてくれないかい?』
『ん? 頼みってなん──って妖怪だぁあああ!?』
なんて風に気軽に声をかけたら、その男は血相を変えてね。里の中まで走って行ったと思ったら、出てきたのは目の前の集団ときたものだ。
とはいえ、これが当たり前の反応なんだろうね。妖怪と人は襲う襲われる関係にある以上、警戒されてしまうのも無理はないことだろうし。
「おい妖怪! この里にいったい何の用だ! 理由によっちゃただじゃすまさねぇぞ!」
すると集団の中から、一人の男が叫んできた。視線、声共に敵意むき出しである。これが妖怪が向けられる視線というものかと、妖怪と人間との間にある溝を実感することができた。
しかし今僕が欲しいものはそんな実感などではなく掃除道具だ。兎にも角にも、僕はそれを手にするまではここから離れられない。
それに怒声を浴びせてきた彼が、実に都合のいいことを言ってくれた。
「つまり、理由によっては穏便に済ましてくれるのかい?」
「ああ、穏便に済ませれば…………はあ!?」
びっくり仰天。男はその双眸を大きく見開かせる。見れば周りの人達も彼と同じような表情を浮かべている。
ふむ、実に面白い反応をしてくれる人間だ。他人の驚く顔というのは、やはり見ていて飽きないものだね。
とはいえ、いつまでも驚かれてては話が進まない。まぁ僕としては、そこまで驚かれるようなことを言った覚えはなのだけれど。
「何を驚いているんだい? 君が言ったんじゃないか、“理由によっては”って。つまり僕がここを訪れた理由次第では君たちは武器を収める、そういうことだろう?」
「…………」
おや、話を進めるつもりがさらに黙らせてしまったみたいだね。別に難しいことは何一つ言ってはいないつもりなんだけど、これはどうしたものかな。
「無言は肯定と取らせてもらうけど、何か言うことはあるかい?」
とりあえず、こう言えば少しは反応を示してくれるだろう。ほら、すでに一人が何か言いたそうな顔をし始めた。
「それじゃあ、お前はなんでこの里に来たんだ?」
うん、予想通りの返事だ。ああ言えばそう返してくれると思っていたけれど、まさかここまで見事に的中するなんてね。
さて、あとは僕の訪れた理由を言うだけで事も穏便に進んでくれるはずだ。
とは言っても、そんな緊張した面持ちで待ち構えないでほしいな。なんていうか、言うのが無性に馬鹿らしくなってくるじゃないか。まぁ言うんだけど。
口を真一文字に閉ざし僕の言葉を待つ男達。そんな彼らの視線を受けながら、僕は静かに口を開いた。
「掃除道具、貸してもらえないかな?」
無音……。目の前の彼らだけではない、先ほどまで頬を撫でていた風、ひいては世界すらも呆気にとられたかのようにその動作を止めた感覚に陥る。
やっぱりこうなるものだよね。まさか妖怪の口から掃除道具を貸してくれなんて、立場が逆だったら僕も同じ反応をしてると思うよ。
そんな完全な静寂の中、一人そんなことを考えていると、いち早く我に返った一人が開口する。
「掃除道具を貸せ、だと……?」
しかしその言葉も、僕が言った言葉を確認するように、問いかけるような一言だった。
一言、小さく「ああ」と返す。するとどうだろう、彼──そしてその周りの男達の表情が憤怒で歪み始めたではないか。
あれ、なんで? 何かおかしなことを言った……という自覚はあるけれども、別に怒るようなことではなかったはず。
いったい、目の前の彼らは何をそんなに怒っているんだろうか。
「ふざけるな! そんな見え透いた嘘、通じると思ってんのか!」
「おい、こいつを囲め! 一気にやっちまうぞ!」
その言葉を皮切りに、男達は一斉に動き出す。そしてあれよあれよという間に僕を囲み、それぞれが戦闘体勢へと移る。
「……ここの人間は掃除道具を家宝か何かにしているのかい?」
「うるせぇ! さっさと正体を現しやがれ、妖怪め!」
正体も何も、これが今の僕の素の状態なんだけど。
それに嘘を吐いた覚えもない。本当に掃除道具が必要だったんだもの。だからこうして、わざわざ人のいる里まで足を運んだわけだし。
しかし、これは少し困ったことになったね。僕は別に、彼らと争うつもりなんて全くと言っていいほどないのに。なんでこうも風当たりが強いんだろう……ああ、僕が妖怪だからか。また忘れていたよ。
とにかくどうにかして弁明したいのだけれど、この状況では何を言っても逆効果になりそうだ。まったく、どうしたものかな。
こうも話を聞いてくれないとなると、残された手段は肉体言語という名の言葉(拳)を交わすしかないかな。
「動いた! みんな気をつけろ!」
僕が拳を握りしめると、男達はそれぞれ警戒心をMAXにして僕を睨みつけてくる。
本当はこんな荒々しい手は使いたくないんだけれど、この際は仕方がないかな。極力、大怪我だけはさせないように気をつけよう。
そう注意事項を決め、まずは一番近くにいる男へ詰め寄ろうと足を動かす──
〜*〜
結果は言うまでもなく僕の勝利に終わった。天邪鬼として初めての戦闘?だったけれど、意外にこの体に馴染めていた。
いやいや、妖怪の体っていうのはすごいものだよ。普通の人間じゃ反応すらできない速さで動けるなんて。おかげで無傷で勝利することができたよ。
自分の体に少し感心しつつ手を払う僕の周りには、頭頂に大きな大きなたんこぶを作った男達が倒れている。
「いてぇ……頭が割れたみてぇだ……」
「まったく、
何事も暴力に訴えるのは良くないことだ。
いや、僕の場合は止むを得ない最後の手段だったわけで。もしもあのまま無抵抗だったら、今頃は八つ裂きにされていたかもしれないだろう? 天邪鬼として生活を始めた初日でそれは、さすがの僕でも勘弁願いたい。
「ちくしょう! 殺るなら一思いに殺りやがれ!」
「だから話を聞かないか。別に僕は君たちを取って食おうなんて思っちゃいないよ」
「だったら、なんだって妖怪が人里に来るんだよ!?」
やれやれ、いったい彼らは僕の話の何を聞いていたんだろうね。僕がこの里を訪ねた理由など、とうの昔に言ったはずだというのに。
しょうがないから、もう一度だけ言ってあげるとしよう。
「いいかい? 僕がここに来たのは掃除道具を借りる、ただそれだけのためだよ」
「……それは本当なのか?」
「さっきから何度も言っているだろう。それさえ渡してくれれば、すぐにでもここを離れてあげるよ」
そう言うと、男達は一箇所に集まり話し合いを始めた。そして結論が出たらしく、集団の中の一人が里へと向かう。おや、これはひょっとすると話が通じたのかな?
そんな期待を抱きつつ待つこと数分、男は里から戻ってきた。しかもその両手には箒やらちり取やらと、掃除に必要な道具が握られており
「ほら、これでいいんだろ」
「ありがとう。しばらくしたら返しに来るよ」
そう言って差し出された掃除道具を、礼を返しつつ受け取る。里の男達も、僕が本当に掃除道具を借りに来ただけだと言うことを理解したらしく、どこか安堵の表情を浮かべていた。
そんな彼らのことはさておき、ようやく掃除道具を手にすることができたよ。思っていた以上に時間を取られてしまったし、早速戻って掃除を開始しないとね。
やっと手に入れた掃除道具に少しだけ気を良くしつつ、僕は里を後にする。
「お前、変わった妖怪だな。そんなもの借りる奴なんて聞いたことないぞ」
「人にも妖怪にも変わり者はいるってことさ。それじゃあまた会おう、人の子」
その言葉を最後に、僕達の話は終わった。
人里に背を向け歩き出すその後ろから、男達が何やら楽しげに会話をしている声が聞こえてきた。僕はそれに、どこか懐かしいものを感じたのだが……はて、それは一体何故なのだろうか。まぁどうせ、思い出すことなど出来ないのだし考えるだけ無駄かと、意識の外へと追いやる。
大事なのは今自分に必要なことをすること。とりあえずのところは廃神社のリフォームが目下最大の目標となるわけだ。
「さて、リフォーム頑張るぞー」
おー、と一人抑揚のない声で言い、右拳を耳あたりまで上げる。
そんな僕に付き合ってくれたのは足元から前方に伸びた、僕と同じ姿を形取った影だけだった。
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第2話 『天邪鬼とさとり』
やぁみんな、僕だよ。
あれからもう十日ほど経ったかな? 里の人間から無事に掃除道具を借りれることができたことで、僕はようやくあの廃神社の掃除をすることができたよ。
まぁ掃除できたとは言っても、この神社自体はボロボロだからね。ただ寝て起きるくらいのことができるほどにはなった、というくらいかな。
僕はそれだけでも別に十分なんでけれど、さすがにこのままってわけにはいかないんだよね。掃除しててわかったんだけれど、やっぱり建物自体にガタがきてるみたいで、強い風が吹くたびに社殿全体が悲鳴をあげるが如くミシミシと音を立てるんだよ。
いやー、もしかしたらあと数ヶ月後には壊れてるかもしれないね。こう、瓦礫の山と化すみたいな感じにさ。
「君もそう思うだろう? こんな廃神社を見てたらさ」
そう、問いかけるような言葉を口にする。しかし、僕の言葉に返事を返してくれるものはおらず、聞こえるのは風に吹かれる木々のざわめきのみ。
おや? おかしいな、返事がない。これじゃあ僕がただ独り言をつぶやいただけの悲しい妖怪になってしまうじゃないか。
確かに僕は一人でいることが好きだけれど、独り言を言うほど寂しい妖怪じゃあないんだよね。
「君もそう思うだろう? こんな──」
「わかっているので繰り返さなくて結構です」
もう一度同じ言葉を繰り返すと、淡々とした女性の声が隣から返ってくる。僕が視線をそちらへと向けると、薄紫のボブの少女が半眼でこちらを見つめていた。
フリルの多いゆったりとした水色の服にピンクのセミロングスカート。頭には赤いヘアバンドに、最大の特徴といってもいいであろう胸元に浮かぶ一つの瞳。
僕と一緒に鳥居の下に座る彼女の名前は……名前は…………おや?
「
ああそうそう、そうだった。古明地 さとりだったね。彼女は何を隠そう、その胸元に浮かぶ三つ目の瞳で人の心を読む妖怪『さとり妖怪』なんだって。
「だって、とは随分投げ遣りな言い方ですね。それに私の名前も忘れていましたし。まぁ特に気にはしませんが」
このように、彼女の前ではプライバシーも黙秘権もあったものではない。彼女には僕の心の中、すなわち考えていることは全て筒抜けなのである。
そう、今こうして考えていることも全部、彼女は把握しているのだ。
「『ぷらいばしー』や『もくひけん』というものが何かは知りませんが、これが私の能力なんです。そう悪く聞こえる言い方はやめてください」
そう言って冷ややかな視線を向けてくる。心なしか、その半眼が鋭くなっているようにも見える。
でもこう言われるのってもう慣れっこなんだよね? 他の妖怪たちにも言われてるんだから、今更僕一人が増えたところで変わるものじゃないと思うんだ。
「あなた、私を茶化して楽しんでいるでしょう? いえ絶対茶化してますね、心を読むまでもありません」
おや、ばれてしまったか。まぁいいじゃないか、茶化しの一つや二つくらい。
こうして二人きりで話をするなんて、君にはなかなか経験のないことだろう?
「それはそうですけど、『話をする』というのなら、そろそろ返事をしてくれませんか? 私が独り言を言っているみたいじゃないですか」
そう、頼むような口調で言ってくる。
えー面倒くさいなぁ。別にこの場には僕と君しかいないんだから、そんなの気にすることもないだろうに。
それにせっかく便利な能力を持っているんだし、惜しみなく使ったほうがいいとは思わないかい?
「どの口が言うんですか。あなただって、先ほどは同じようなことを考えていたじゃないですか」
はぁ、と疲れたように溜息を吐く。
そういえば、溜息を吐くと幸せが逃げるっていう言い伝えがあってね。
「誰のせいだと思っているんですか。まったく、悠々自適を体現したかのような妖怪ですね、あなたは」
なに、僕はただ自分に素直なだけさ。それに、自分のやりたいようにやる事の何が悪いと言うんだい?
「はぁ……いえ、何も悪くありませんよ」
またも溜息を吐き、疲れたような表情で正面を向くさとり。さっき溜息は幸せが逃げると言ったばかりだというのに、仕方のない子だ。
とはいえ、これで話は途切れてしまい、僕と彼女の間に会話はなくなる。こうなると暇へ一直線に向かって行ってしまうので、暇つぶしがてらに彼女との馴れ初めを話すとしよう。
それは、つい一週間ほど前のことだ──
〜*〜
神社の掃除を始めて三日、社殿の埃もあらかた取り終え、掃除道具を人里へ返しに行った後のことだ。僕はそのまま真っ直ぐに神社へは戻らず、ブラブラと森の中を散歩していた。
午後の日差しは木々に遮られ木漏れ日となり、心地よく僕の体を温めてくれる。
ああ、今日は散歩日和だねぇ。こうやって何も考えずに気ままに歩く。うん、最高だねぇ。
今日1日くらいだったらずっと歩き続けられる気がするよ。まぁ、実際にそんなに長い時間歩くのかと問われれば、そんなわけないと答えるのだけれどね。
そしてここ数日、神社で暮らしていてわかったんだけれど、ここには僕以外にも妖怪がいるようだ。もちろん、そんなことぐらいだったら僕も把握していたさ。里の人間たちとの会話からそれとなく予想できていたからね。
けれどどうやら、この場所に住み着いている妖怪の数は他の場所と桁が違うらしい。今のような太陽がでている時間帯であればそうでもないように感じられるのだけれど、一度逢魔が時が訪れれば一変。今僕が歩いているこの道など、知能のない獣妖怪とのエンカウントの連続だろう。
とはいえそれは夜の話。今はただの散歩スポットな訳なので、なんの心配もなく目の前に伸びる獣道を歩く。
それからしばらくして辿り着いたのは、不自然に木々がなくなった空間だ。遮るものがなくなり、ここぞとばかりに陽の光が大地に降り注いでいる、
そんな広場のような場所の中央に、彼女の姿はあった。
膝を抱えて地面に座る、いわゆる体育座りというものをしている彼女は、その半眼でじっと空を見上げていた。そんな彼女の姿をこの目で捉えた僕が、次のように思ってしまったことは仕方のないことだと、先に弁解させてもらうよ。
──ぼっちだ。あれ、絶対仲間外れにされたパターンのやつだ。
ね? 仕方のないことだとは思わないかい? だって、一人ぼっちで体育座り + 空をじっと見上げてるんだよ。明らかに寂しい子じゃないか。
「赤の他人に対して失礼なことを考える妖怪ですね。それに所々に意味のわからない言葉を交えて……非常に不愉快です」
聞こえたのは、僕と同じ淡々とした声。それで思考をいったん停止させた僕は、その声の主であろうぼっちな子へと視線を戻す。
すると彼女はその半眼と、胸元浮くコードにつながった目玉を向けていた。
おや? もしかして口に出していたかな? そんなはずはないと思うのだけれど、でも彼女がこっちを見てそう言ってくるということは、無意識に出してしまったのかもしれないね。
まぁ仕方ないか。だって、見事なぼっちぶりだったんだもの。
「心配ありません、口には出していませんでしたよ。ただ私があなたの心を読んだだけです。
……それとぼっちというのはやめてください」
今度はその三つの瞳に非難の念を込め、彼女はそう言ってきた。
これが僕と彼女、古明地 さとりとの出会いである。
〜*〜
そうして僕という知り合いを手に入れた彼女は、これまでのぼっち生活を抜け出すため、僕の住む神社へ足を運ぶようになりましたとさ。
「最後のそれは余計です。それに、私が今日ここに来たのは、あなたが話がしたいというから来ただけです」
しかしそれだけで抜け出せるほど、ぼっち生活は甘くはなかった。なぜなら、次なるぼっちの魔の手がすぐそこにまで来ていたのだから……。
めでたしめでたし。
「いい加減怒りますよ? それにその終わり方のどこがめでたいんですか。ふざけるのも大概にしてください」
そう言いその小さな手で僕の頭を平手で叩いてくるさとり。本当にイライラが溜まっていたらしく、パァン、と聞くだけであったら気持ちのいい音が響く。ちょっと痛い。
「それに、あなたが話したいことは私との出会いの話ではないでしょう。そろそろ本題に戻しませんか?」
そう言うさとりの表情はどこか重い。だいぶ疲れが溜まっているようである。他人と話すだけでこれとは、ぼっちここに極まれりということだろうか。
そんなことじゃこれから先、もし、万が一にでも友ができた時、絶対に苦労するよ。
「もういいです、あとはあなた一人で話を進めてください。私は疲れました。もう横になります……」
ごめんごめん、君の反応が面白くってついね。これから真面目に話するからさ、ね? もう一回付き合ってくれないかい?
「…………本当ですか? 信じてもいいんですね?」
もちろんさ。この僕を誰と思っているんだい? 君の友人の天邪鬼だよ?
「……しょうがないですね。もう一度だけ付き合ってあげます」
──あ、ごめん。友人は言いすぎたよ。訂正、顔見知りってことでよろしく。
「そこについている口を取れば少しは大人しくなりますか? なりますよね?」
その一言でイライラを通り越したさとりは、無感情で平坦な声音でそう言いながら僕の口へと両の手を伸ばす。
こらこら、口を取っても心を読んでるんだから意味は無いよ。だからその手を伸ばすのをやめなさい。こら、口を左右に広げようとしない、口裂け女になってしまうじゃないか。
いやっ、ちょっ、割と本気で取ろうとしてるのかい? ごめっ、謝るから、っていたたたたたたた!?
もはや僕の心の声での宥めなど意味をなさず、さとりはこれでもかと僕の口を引っ張り、時にはつねったりと、溜まった鬱憤を晴らすかのように弄くり回す。
その半眼も珍しく開ききっており、僕を捉える深紅色の瞳は異様に黒ずんでいたことを明記しておこう。
その後、お仕置きを受けること約10分。ようやく落ち着きを取り戻したさとりは、僕の口から手を離し静かに座り直す。目も元の半眼に戻っており、瞳も深紅色になっている。
あいたたた……いやぁひどい目にあったね。
「自業自得です。他人を茶化すからそんな目にあうんですよ」
ジトッ、とただでさえ半眼だというのに、さらにそれを細めて僕を睨みつけてくるさとり。とはいえ、顔立ちも幼い彼女に睨みつけられても『怖い』という感情など生まれるはずもない。生まれるとしてもせいぜい『微笑ましい』くらいだろうね。
おっと、訂正するからジリジリにじり寄ってくるのをやめてくれないかい? それと顔まで上げた両手も引いてくれると助かるのだけれど。
僕の心の声を読んだのかは知らないが、さとりの手は僕の口元へ伸びる直前で止まる。そしてその深紅色の瞳で僕を見下ろし、僕も黙って彼女の目を見つめ返す。
そして目を合わせること十数秒、何を思ったのかさとりは、ふっ、と口元を綻ばせた。
あれ、この流れだとまたさっきのをリピートするかと思ったんだけれど……なんで笑っているんだい、さとり?
「いいえ、なんでもありませんよ」
そう言い、さとりは手を引き体を離し
「私はこの辺で失礼させてもらいます。それでは、また」
そう言葉を残すと、鳥居へ向かって歩き出す。その背中は1分と経たない内に鳥居の向こうへ消え
「あー暇だなぁ…………寝よ」
一人残された僕は、特に何もすることがなくなったので昼寝をすることに。
天気もいいし、今日は気持ちのいい夢が見れそうだねぇ。
〜*〜
廃神社をあとにした私は、森の中を歩き静かに家路を歩いている。木漏れ日の小さな煌めきをこの身に浴び、ただまっすぐに進んでいると
──おい、さとりだ。さとりがいるぞ。
──なんだってこんなところにあいつがいやがるんだ。
──ヤベェ、こっち見た! 心を読まれるぞ!
視界の端に映る妖怪たちの心の声が聞こえてくる。その声はどれも、お世辞にも快いと言えるものではなく、嫌悪感を前面に押し出したものばかりだった。
これが私、いえ私達さとり妖怪の現状。皆に嫌悪され、忌み嫌われる、そんな妖怪だ。
ただ一人、あの妖怪を除いては。
心が読まれるというのに、なんら臆することも嫌悪することもなく接してきたあの天邪鬼。あんな風に話しかけられたことなど、というか他人と話すことなどあまりなかった私はつい驚いてしまった。
同時に思いもした。裏表がない心というものは、こんな心のことを言うのかと。
話をする中で、私は試すように彼へ一つの問いを投げた。『心を読まれることが怖くはないのか』と。
すると彼は一瞬だけ考える動作をする。その時、私の耳に聞こえてきた彼の心の声は
『──どうしよう、聞いてなかった』
……言葉を失った。この妖怪、いったいどれだけ間が悪いのだろう。意を決してというほどではないにせよ、それなりの覚悟で尋ねたというのに聞いてなかったとは何事か。
ああ、自分が今冷ややかな視線をしているのがわかる。なにやら内心でどう言おうかと考えているようですが、そんなもの私の前では無力。このまま静観するように見せて、心の内をことごとくを看破してみせましょう。
『──ええっと、確か心が読まれるのがどうとか……だったけ?』
なんだ、ちゃんと聞いているじゃありませんか。そうですそうです、さあ、あなたの本心を聞かせてください。
『──そうだねぇ、僕はそういう実感が湧かないから、特に気にしてはいないけれど』
普通の相手ならば、心が読まれていると知れば大なり小なり不快感を抱くものなんですが、そう考える彼にはそれが全くありませんでした。まぁ、私がさとり妖怪と聞いても話しかけてくる妖怪ですし、当然と言えば当然だったのでしょうけど。
器が広いのか、それともただなにも考えていないだけなのか。さて、もう少しだけ心を読ませてもらいましょう。
『──でも一つだけ、気になったことがあったね』
気になること、ですか。先ほどの件で否定的なものが来ないとは思いますが、さて、いったい何が気にかかったんでしょうか。
次の思考を待つ。1秒か、10秒か、はたまた1分か。柄にもなく楽しんでいるらしく、一瞬にも満たない時間が嫌に長く感じた。
だがそんな時間もついに、終わりを迎える。
「『──君は、心を読むのが辛いのかい?』」
──それは同時だった。頭の中に響くように聞こえる声と鼓膜を揺らす声。どちらも全く同じ声で、それでいてただの一語も違わない言葉で。
あの時の私はなんと言葉を返したのだろうか。頭が真っ白になっていたので覚えてはいない。恐らくは『もう慣れました』とか、それに近い言葉を返したんだろう。
しかし思い返してみれば、なんとも予想外な質問をしてきたものだ。さとり妖怪に心を読むことが辛いかなどと、そんな愚問に等しいものをしてくるなんて。
そんなもの、とっくの昔に『慣れた』のだ。悪意も敵意も嫌悪も不快も、それら全てが入り混じった心を見ることも。私が一人でいるのも、周りが心を読まれるのを嫌って近づかないだけだ。決して、私の交友能力が低いわけではない。ええ、そうに決まってます。
第一、人混みが苦手なんですよ私は。心の声がうるさくてうるさくて、もううんざりしちゃいます。それに友人とは量ではなくて質ですよ。広く浅くよりも狭く深くの方が信頼できますし。だから私が一人でいるのは、まだ私の友人の定義に当てはまるものが現れていないからです。断じて私の交友能力がないというわけではないんです。大事なことなので二回言わせていただきます。
……はぁ、何を言い訳してるんでしょうか私は。辛くないのなら、辛くないとはっきり返せば良かっただけだというのに。それを『慣れた』などと、あんな曖昧な返事を返した時点でたかが知れていたのだ。それに、こうしてあの廃神社へ足を運ぶのが何よりの証拠である。
他人の悪意に満ちた心に、それがわかってしまうこの目に嫌気がさしたから。だから、私と普通に接してくれる存在を、彼を求めたのだろう。
本当に、自分で自分を笑ってやりたくなる。
でも笑えない。笑うことができない。他人と関わることをやめた私には、笑顔を作ることができない。
けれど、あそこへ行けば笑うことができる。無意識だが、私も笑顔になることができる。
だから、笑うのはまた今度にしよう。あの場所で、あの天邪鬼と共に何気ない会話をしながら、彼の笑う隣で私も笑おう。
その一時を謳歌するために。そして見栄っ張りな自分を嗤うために。
ああそうだ、今度は何か手土産を持って行ってあげましょう。あそこの木に成る果実はなかなかに美味でしたから、それを持って行くのもいいですね。
足取りは依然として変わらない。そんな私の頬を木々の間を縫うように吹いた風が撫で、木の葉を巻き上げながら空へと登っていく。
気がつけば、先ほどまで聞こえていた雑音は、いつの間にかどこかへ消え去っていた。
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第3話 『逃走中!in妖怪の山 ⑴』
おそらく今後も不定期かつ遅い投稿となるかもしれませんが、何卒お付き合いの方をよろしくお願いします。
では、第3話をどうぞ!
やぁ僕だよ。
天邪鬼になって早一月以上が経過した頃かな? 少しずつだけれど妖怪としての生活にも慣れてきたよ。……まぁ、大抵は神社でグータラと過ごしていたんだけれどね。
だってしょうがないじゃないか、何かしようにも知り合いなんていないし、おまけにこんな辺境の地にある廃神社へ足を運ぶ物好きもそういないんだからさ。
うん、こうして言葉にしてみると、なんだか虚しい思いがこみ上げてくるよね。でもこれが現実なんだと、これが今の僕の現状なのだと理解せざるを得ないだろう。
こうして夜空を覆い尽くす程の星を見てしまうと、自分のぼっちさが極まってしまっているように実感してしまう。いや、殆どぼっちなのだけれど。
「……いつまでもこうしてグータラしてるだけっていうのは、見事なほどに時間の無駄だよねぇ」
「そう思うのならば、何か行動を起こしてみればいいじゃないですか」
寝転がる僕の隣では、体育座りをしたさとりが同じく、満天の星空を眺めながらそう返してくる。
それにしても……う〜ん、行動を起こすかぁ……。
「起こすにしても、心惹かれることがないからねぇ」
「はっきり面倒臭いと言えばいいじゃないですか。そんな遠回しな言い方しなくともよいでしょうに」
いやいや、別に面倒臭いなんてことはないんだよ? でもね、僕って自分が思っていた以上に気分に左右されるらしくてさ。こと興味のないことに関しては何もする気が起きないんだよね。だからモチベーションというか、やる気が
「そんなもの、
「そうだよねぇ……」
正論を突きつけてくるさとり。
僕もそれは理解しているのだけれど、如何せんやる気が出なくて出なくて……。
「さとり、君は何か面白そうなことが起きそうな場所を知ってるかい? それか誰も訪れたことのない秘境とか」
「あるにはありますよ。というか、私が今住んでいる場所がその一つです」
なんと、身近に面白そうな話題のネタを持っている人物がいたらしい。まったく、そういった面白そうな話題をなんで黙ってなんかいたんだい?
「いえ、私の住んでいる場所はなんというか、かなり危険なので」
そこからしばしの間、さとりから話を聞く。どうやら彼女の住んでいる場所は天狗の縄張りになっているらしく、勝手に侵入しようものなら問答無用で成敗されるだとか。
故に、その場所へ立ち入ろうとするものは少なく、人々、延いては妖怪の間でも謎に包まれているらしい。
おやおや、それはかなり面白そうな場所じゃないか。未だ誰も足を踏み入れたことのない未開の地。それをこの目で暴くなんて、うん、いい感じでこみ上げてくるものがあるよね。
テンションが上がりつつある僕とは対照的に、さとりは眉間に皺を寄せ呆れ顔で口を開く。
「あなたが考えている数倍は危険ですよ? それに天狗は妖怪の中でも強い部類に入ります。たとえ下っ端でも、そこらの妖怪なんかよりははるかに格上なはずです」
まるで幼い子供を宥めるようなそんな口調である。
「あなたの実力がいかほどかは知りませんが、控えめに言っても死にますよ? 天狗は集団で組織を作っていますし、多勢に無勢です」
「おや、心配をしてくれるのかい? さとりは優しいねぇ」
「……はぁ。もういいです、勝手に行って勝手に死んできてください」
平坦ながらも呆れの念を含んだ言葉を吐くさとり。そっぽを向いているから表情は伺えないが、うん、きっと照れてるんだろう。
ははっ、相変わらずさとりは素直じゃないねぇ。まぁそういったところが可愛らしいんだけれど。
「大丈夫だよ、さとり。僕はただ遊びに行くだけで、別に喧嘩をしに行くわけじゃあないんだから」
流れる沈黙。どうやら僕はまた、彼女の気に触るようなことを言ってしまったらしい。さとりが冷ややかな目で僕を睨みつけてきているのがその証拠だ。
もはや返事をするのも
「そうですね、これ以上は何を言っても無駄でしょう。ですので今日はもう帰らせてもらいます」
「おや、もう帰るのかい?」
小さく首を縦に振り、さとりは鳥居へと向けて足を進める。去り際に「明日は死なないように気をつけてください」と、そう言葉を残してくれるあたり、やっぱり優しい子だねぇ。
すでにさとりは闇の向こうへと消え、一人になった僕は再び寝転がる。明日になるのが楽しみで眠れそうにないし、天体観測の続きでもしようかな。
〜*〜
次の日。待ちに待った朝である。いつもより数割ましに高まったテンションのおかげか足取りも軽く感じる。
気分も体調も万全なのを確認したし、早速目的地である山を目指して出発といこうか。
意気込みも十分、廃神社を後にした僕だったんだけど……どうやら重大な危機に直面してしまったようだ。
いや、これはある意味予想できていて、それで回避することも十分にできたはずなんだけれど、どうやら予想以上にテンションが上がっていたらしい。いやはや、我ながら抜けていたと思うよ。まさか……
「まさか、その山がどこにあるのかを聞くのを忘れていたなんてねー」
そう、僕はその山の場所を知らない。さとりに場所を聞けばわかることだったのに、なんで聞くの忘れてしまったんだろうねぇ……。
わかってるのは山っていうことだけだけど、山なんてそこらにあるしなぁ。
「ふむ…………とりあえず大きい山を目指せばいいかな」
縄張りって言っているくらいだから、それなりの大きさの山だとは予想がつく。となればこの近くで一番大きな山は……うん、あそこかな。
一際存在感を醸し出す、天まで届きそうなほど高い山。他の山とは一線を画すそれに的を絞り、歩みを進めた。
そして歩くこと早二十と数分。ようやく麓へと辿り着き、川の近くにある切り株に腰をかけて一息をつく。その時ちらり、と山を見上げてみたが……うん、やっぱり間近で見るとまた一段と迫力が増すねぇ。
なんてことを考えながらぼぅっとしていると、
「おや、この辺じゃ見かけない妖怪だね」
不意にどこからか──というか、目の前で流れる川の中からそんな声が聞こえてきた。何事か、と目を向けていると、次いでぶくぶくと水面に泡が溢れ出し
「よいしょっと!」
ザパーン、という効果音がつきそうなほど派手な水飛沫が起こり、その中から一人の少女が姿を現す。
ウェーブのかかった水色の髪を赤い数珠でツーサイドアップにし、こちらを見つめる瞳は青色。水色の上着になぜかポケットがいっぱいつけられた青色のスカート、そして何よりも僕の目を引いたのは
「……でっかいリュック」
身の丈はあるのではないかと、そう疑ってしまうほどのリュック。そんな大きなリュックを背負っても疲れた顔一つ見せない少女は川岸へ上がると、ずんずんとこちらへ向かって近づいてくる。近くで見るとさらに思う、本当におっきなリュックだ。
まぁそれはそれとして、ここで誰かに会えたというのは幸運だったね。是非とも道を伺いたいものだ。
「やぁ初めまして。ちょっと道を伺いたいんだけれどいいかな?」
「道をかい? まぁ私に答えられる範囲だったら構わないけど」
了承を得たところでさっそく本題へと入る。
「ここいらの山に天狗の縄張りがあるって話なんだけれど、それがどこかわかるかい?」
「……お前さん、それ本気で言ってるの?」
僕の言葉に少女は視線を鋭くさせる。やはりさとりの言っていた通り、天狗の縄張りは相当危険な場所らしい。
「そうでなければ、わざわざ質問したりはしないよ」
「……ただの興味本意って言うんなら悪いことは言わない、考えを改めて帰りな。天狗っていうのはお前さんが思っている以上に危険だよ」
細めたたままの視線で忠告を促す少女。ただただ真っ直ぐに僕を見据えるその瞳には冗談の色は一切含まれていない。その声音も出てきたときよりも幾分か低くなっている。
ふむ、と顎に手を当ててしばし思案する。
確かに僕は、彼女の言う通り興味本位で来た。おそらく彼女が聞いたら必死の形相で止めるであろう、それくらい軽い気持ちで来たと自分でも理解している。
天狗という妖怪が何たるかを知っている彼女からすれば、さしずめ僕は獣の巣窟に生肉をぶら下げて入り込む大馬鹿者、といったところか。確かにそんな奴が目の前にいたのなら、よほどの薄情者でもない限り見て見ぬ振りなど出来ないだろう。
「君は天狗をよく知っているんだねぇ」
「そりゃあ伊達にこの山の近くに住んでいないからね」
その口振りからするに、彼女は長い間この山で暮らしてきたと見た。そして今の会話の流れから、天狗の住む山がどこかようやく目星がついたよ。どうやら、僕の勘は当たっていたようだね。
視線を少女から外し、代わりに天を突かんばかりの巨山へ向ける。すると小さく、はぁ、と溜息を吐くのが耳に入る。どうやら僕が天狗の居場所を突き止めたことに気がついたらしい。
「まぁお前さんも妖怪だ。他人の意見に縛られるなんて柄じゃあないよね」
「悪いね、せっかくの心遣いを無下にして」
「いいってことさ。本来私が助けるのは盟友──人間だからね。今回はただの気まぐれって奴さ、気にしなくていいよ」
そう言いひらひらと右手を振るう少女の顔には先ほどの鋭さはなく、からから、と屈託ない笑顔が代わりにあった。
「まぁ天狗も無警告で襲ってくるようなことはしないよ。もしもやばいと思ったなら、その指示に従うことだね」
「ああ、もしもの時はそうさせてもらおうかな」
「はっ、嘘つけ。初対面だけどわかるよ、お前さんが相当な頑固者だって」
ニヤリ、と今度は挑発的な笑みを向けてくる。
まったく、失礼にもほどがあるとは思わないかい? 僕は他者の意見は極力取り入れる、素直な妖怪だっていうのに。
すると少女は一歩、僕との距離を詰めると白くか細い右腕を差し出してくる。
「ここで会ったのも何かの縁。私は
「ああ、よろしく」
小さなその手を握り返す。こうしてただ触れ合うだけだったら、人里にいるであろう子供たちとなんら変わりはない小さな手だ。
っと、彼女だけに名乗らせるっていうのは失礼だね、僕も名乗り返さないと。
「僕は天邪鬼。名前なんてない、ごく普通の妖怪さ」
まぁもっとも、僕には名乗る名前すらないんだけどね。
〜*〜
遠ざかっていく背中。黒い甚平に身を包んだ茶髪の男──天邪鬼は、ゆったりとした足取りで巨山、通称『妖怪の山』へと足を進める。
そんな彼の背中を見送りながら、にとりはまたも溜息を吐く。
「あーあ、本当に行っちゃったよ。ごめんよ
聞こえるはずも、届くはずもない謝罪だが口に出さずにはいられない。昔馴染みの下っ端天狗の少女の姿を思い浮かべ、にとりは胸の前で合掌する。
まぁ自分にあの天邪鬼を止める義務があるのかと問われれば、無論『ない』と答える。だが止めなかった結果、そのツケは知人に行くのだ。申し訳ないと思うのは仕方ない。
それにしても、とにとりはもう見えなくなった男の背中を思い浮かべながら、どこか考え事をするように眉を
「名前のない妖怪、ねぇ……。まったく珍しい奴もいたもんだ」
自分を含めあの天邪鬼のようにある程度の理性と知性を持っている妖怪は、皆例外なく種族名とは別に名前というものを有していた。あの男のように名前を持たない妖怪を見たのは、はっきり言って初めてだ。
とはいえ、名前の有無が何か決定的な差になるというわけでもないので、本人が名無しでも気にしていないというのならそこに意見するのは不躾という奴だろう。
「……ま、行っちゃった奴のことを考えても仕方ないし、早く帰って次の開発に移ろうかな」
死なない程度にがんばりなー、と届かぬエールを送り、にとりは川の中へと姿を消す。
そしてこの後、天狗たち(主に下っ端)にとって向こう数百年忘れられないであろう、一人の侵入者との追いかけっこが開幕することになるのだが、それは次の話で語るとしよう。
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第4話 『逃走中!in妖怪の山 (2)』
気儘な更新で申し訳有りません。
時刻は昼時。ちょうど真上で太陽は光を放ち、地上はより一層に暑さを増す頃。天を突かんばかりの巨大な山──通称『妖怪の山』、その中腹にとある妖怪の姿はあった。
黒い甚平に身を包み、黒みがかった茶色の短髪からは二本の短い白い角が覗く。そんな妖怪──天邪鬼は目の前のあるものに視線を向け溜息を一つ。
数にして20。それは現在、彼の行く先を阻むようにして佇む妖怪の数である。
ひーふーみー、心の中で数を数えながら、天邪鬼は妖怪たちが何者であるかを予測する。
見た所男女の比率はほぼ同じといった所だが、年齢は子供から老人までとてんでバラバラだ。
次に服装。これは皆同じものを着用しており、一言で言い表すならば『山伏』と言えばわかるだろう。色も上着は白、下が赤で統一されている。
そして最大の特徴は背中に携えた黒い翼、さらには犬や狼を連想させる白い耳と尻尾だろう。翼の方に関してはある者ない者と個人差はあるが、獣の耳と尻尾に関しては皆共通して存在している。
彼彼女らこそ、この妖怪の山にて縄張りを作る妖怪の組織『天狗』。その中でも哨戒を担当するのが現在、天邪鬼を囲む『白狼天狗』である。
その白狼天狗達の中から一人、天邪鬼の前へと身を下ろす天狗が。その天狗は集団の中で最も年老いており、しかし年齢を感じさせない力強い眼光を天邪鬼へと向ける。
「見知らぬ妖怪。貴様、ここがどこか知っているか?」
「ああ、もちろんさ」
「……ならば、我々が何者かということもわかっているだろう」
老天狗の言葉に天邪鬼は首肯する。
その反応に老天狗は目を細め、重々しく口を開く。
「去れ。そうすれば貴様を見なかったことにし、この場は見逃してやろう」
「嫌だって、そう言ったら?」
「……できることなら、そうあって欲しくはないものだな」
そう言いながら腰に備えた刀へと片手を伸ばし、そっと触れる。
断れば力ずくで事にあたる。暗にそう告げる老天狗に、天邪鬼は腕組みをしつつ
「そうだね。僕もできる事なら、穏便に済ませたいものだよ」
だから──そう続け視線を老天狗とその後ろに構える天狗達へと向け、笑みを浮かべながら告げる。
「何も言わず、そこを退いてはくれないかい?」
「…………致し方あるまい」
返ってきた言葉に老天狗は目を伏せ、腰の刀を引き抜く。それに合わせ、後ろの天狗達も各々の武器を構える。
一対多、多勢に無勢な状況。しかも相手はあの天狗である。並の妖怪であるならば、この状況は顔面蒼白ものだろう。
そう、目の前の妖怪が只の、そこらにいる有象無象の妖怪の一人ならば……。
「今の言葉、もう取り消しはできぬぞ」
「くくっ……ああ、そうだね」
しかし男は笑った。圧倒的不利な状況下にありながら、口元に笑みを浮かべた。
老天狗含めた天狗達は、男の反応にそれぞれわずかな戸惑いを見せる。そんな天狗達の変化を見抜き、天邪鬼はまた一つ、くつくつ、と楽しげに笑う。
「己の不利を知りながらも笑うとは……不気味な男よ」
「ほら、よく言うじゃないか──窮地の時にこそ笑え、ってさ」
その瞬間、一陣の風が森を、そして彼らの元を駆け抜ける。木々はざわめき、木の葉は天高く舞い上がる。
「──かかれ!」
咆哮のような老天狗の言葉を合図に、天狗達は一斉にその場から跳躍。ある者は剣を、ある者は槍を、磨き抜かれた武器を構え天邪鬼へと襲いかかった。
天邪鬼が白狼天狗達と一戦を交え始めた頃、妖怪の山の頂と中腹のちょうど間にその妖怪はいた。
「はぁ、今日も退屈だねぇ……。なんつーか、こう、昂らせてくれることが起きないもんかね」
そう、退屈そうに漏らすのは一人の少女。人里の子供となんら遜色ない小さな体躯の彼女は、左手に持った瓢箪へと口をつけ一気に呷る。ゴクゴクと喉を鳴らし少女の体へ入っていくそれの正体は『酒』。まだ年端もいかない少女は飲むには些か早すぎるものだ。
だが侮ることなかれ。少女は見た目こそ幼く儚げな雰囲気を纏ってはいるが、彼女の正体を聞けば皆が皆、一様に驚き畏れることだろう。
「ひっく……天狗達で遊ぶのも飽きてきたし。あ〜、どっかに鬼退治をするような、んな骨のある奴はいないのかねぇ」
彼女の正体、それは古くから人々に、さらには妖にでさえも畏怖される妖怪。力の化身と呼ばれる大妖怪『鬼』、それが彼女の正体だ。彼女が鬼であるというのを証明するかのように、薄い茶色のロングヘアーが包む頭部からは、身長とは不釣り合いに長いねじれた角が二本。
小さき鬼の少女、名を
だがそんな彼女も今は退屈に体を絡め取られた一人の妖怪。どうにかこうにか暇を潰そうと住処からここまで降りてきたはいいが収穫はゼロ。ただいたずらに時間が過ぎるだけだった。
溜息を一つ、再び瓢箪へ口をつけようと左手を動かしたその時、
「──急げ! 早く侵入者を捉えるんだ!」
「──報告によればあっちにいるらしい!」
焦燥を孕んだ声が上空から聞こえ、萃香は飲みかけた腕を止めてその声の正体へと視線を向ける。するとそこには五人の白狼天狗が何やら、火急の用を押し付けられたかのような表情で空を切っていた。
そんな天狗達の姿を視界に収めた萃香は、先ほどの会話を頭で反芻させ──ニヤリと、その口端を吊り上げる。
「いやはや、ここまで来て正解だったね。どうやら何か面白いことが起きているみたいじゃないか」
先ほどまでの退屈そうな表情と打って変わり、非常に愉快そうに笑みを浮かべる萃香。するとどうだろう、彼女の体から突如として煙が立ち上り始めたではないか。
萃香から放出される煙は瞬く間に彼女の体を包み込み、その小さな体躯を隠す。そして風が吹き煙が払われると、その場にはもう既に萃香の姿はなかった。
「オォォオオオオッ!」
気合の篭った一声とともに走る銀の閃き。一目見るだけで磨き抜かれたとわかる刀は現在、僕を一刀両断せんとばかりの勢いで振るわれている。
目の前まで迫る白刃は、あと十数センチ振り降ろすだけで僕の肉を斬り裂き骨を断ち切るであろう。
そう
「っ! 刀が、消えた!?」
苦虫を噛み潰したような表情で漏らす天狗の男性。振り下ろした刀は確かに僕を捉える筈だった、それは彼はもちろん、斬られる僕ですらそう思ったよ。だけど現実、僕は斬られることなく無傷で立っている。
視線を下へと移す。そこには振り下ろされた刀が、その刀身の半分以上を失った状態で握られていた。
ああ、一つ言わせてもらうけれど、僕は別に彼の刀をへし折ったわけじゃあないよ。現に、彼が刀を引いたら刀身も元に戻ったからね。
僕がやったことはいたってシンプル。『目の前の空間を別の空間へと繋いだ』、ただそれだけのことさ。
「まさか能力持ちだったとはな。とんだ誤算だ」
彼の言う通り、僕には一つの特殊な能力が備わっていた。その能力の名は『繋げる程度の能力』。聞けばわかる通り、繋げる能力さ。
この能力に気付いたのはつい2週間ほど前くらいかな。ふと頭の中に流れてきたんだよねぇ、この能力の名前と使い方が。うぅん、あれはいったい何だったんだろうねぇ。
「ねぇもうやめないかい? 僕は別に君たちと争いに来たわけじゃないんだ」
「ならば今すぐに山から立ち去れ。そうすれば俺も剣を引こう」
さっきからこれの繰り返し。帰れ帰れって、排他的な妖怪だなぁ。そんなんじゃ友達なんてできないよ?
のらりくらりとかわしつつ、互いに水掛け論を続けあう。
「いたぞ、あそこだ!」
「おい! 他の奴らも呼んでこい!」
あらら、撒いた他の天狗達も追いついてきちゃったか。数は……五かぁ。これはちょっと不利だよねぇ、うん無理だね。となればやることは一つしかないわけだ。
えーと、目の前の空間をー……うん、あの辺でいいかな。あそこと繋いでっと、よしできた。
僕が能力を使用するのとほぼ同時、目の前の空間が水たまりに石を投げ込んだかのように波打つ。その現象に気付いたらしい天狗達は僕を止めようと一斉に駆け出した。
「おい、また逃げる気だ!」
「させるな! 止めろ止めろ!」
気付いたところでもう遅いよー。さて、擬似ワープっと。
波紋へと足を踏み入れ、その中を通過する。その先はさっき繋いだ別の空間へと繋がっており、つい先ほどまで退治していた若い天狗と追手の天狗達の姿はすでにない。さて、もう一度撒いたところで早速、奥に進ませてもらおうかな。
『
ん? 今がその大事じゃないのかだって? まぁそうだね、だから見つかって不利だという時には使っているよ。
っと、こうして悠長に話している場合じゃないね。ワープしたとはいえ、ここは彼らにとっては庭のような場所だ。見つかるのも時間の問題、すぐに進まないと
「見つけたぞ、侵入者」
──ほら、新たな追手が来ちゃったじゃないか。
僕の前に現れたのは左手に盾、右手に大きめの剣を持った白髪の少女だった。
「いつか追いつかれるとは思ったけど、キミちょっと早すぎないかい?」
「私の目は千里先も見通す目。加えてここは私たちの山、逃げられるなど万に一つもありはしない」
千里先も見通す……あぁ、千里眼ってやつかぁ。そりゃワープしても見つかるわけだよね、いや納得納得。
でもこれはちょっと面倒くさいことになったねぇ。彼女がいる限り僕がどこへワープしようとも全てお見通し、すぐに追手がやってくる。それじゃあジリ貧だ。
「大人しく投降しろ。そうすれば痛い程度で済ませてやる」
彼女も彼女でやる気満々だし、うーん困ったなぁ。
「……だんまりか。なら、問答無用で行かせてもらうぞ」
あ、考え事してたら返答し忘れちゃった。やばいやばい、彼女、殺る気満々で襲いかかってきたよ。
とりあえず怪我はしたくないので、目の前の空間を別の場所へと繋ぐ。
「それはすでに見ている!」
すると彼女は僕の繋がった空間を避け側面へと移動。能力の範囲外の空間から攻撃を繰り出す。僕も間一髪の所で回避するが、剣の切っ先が頬を掠め傷口からタラリと血が流れる。
いやー驚いた。確かに初見だったはずなんだけど、どうやら彼女、僕の能力を遠くから覗き見ていたらしいね。おかげで虚を突くつもりが逆に突かれちゃったよ。
「お前の能力はある程度把握している。そう易々と通じるとは思はないことだ」
「ははっ、これは手強いなぁ」
すぐに襲いかかるのではなく、時間をかけて観察し相手の手の内を知る。そして相手の罠にかかる振りをして強襲。なるほど、やり辛い相手だ。
こういう何事も冷静に見ることができる相手は非常に厄介だ。何より、適当な小細工が効きづらい。さてさて、どう乗り切ろうか。
ワープをしてもいいけれど、彼女の『目』がある限りすぐに追いつかれるしなぁ。
「考え事とは随分余裕だな!」
おおっと、考えが纏まってないうちに攻めてくるのはちょっと勘弁してほしいなぁ。こっちは
なんて心の中で抗議の声を上げるが当然聞こえるはずもなく、少女は歯の高い下駄を打ち鳴らし素早く移動。瞬く間に肉薄し、その太い剣を降り下ろす。
次々と繰り出される剣撃。当たれば重症待った無しであろうそれを紙一重でかわし続ける。ただ本当にギリギリでかわしているので、剣先に掠った髪やら服やらが宙を舞い風に乗ってどこかへと消えていく。
「守ってばかりで攻める気はなし。貴様、やる気はあるのか?」
「だから戦う気はないって言ってるじゃないか。僕はね、ただこの山の頂上まで散歩したいだけだってさ」
ふぅ、と息を一つ吐き、少女へ弁明する。だが僕の言葉になぜだか少女はさらに顔を険しくし、構えを解くと重々しく口を開いた。
「だったら尚更やめておけ。この山の頂上、そこは鬼が住処だ」
鬼。言わずと知れた妖怪の代表格。いつか会うかもと思っていたけれど、まさかこんな近くに住んでいたとはねぇ。
「鬼はこの山の実質の支配者。彼らは我々と違い来るもの拒まずだが……その先は言わずともわかるな?」
「あぁ、なんとなくだけどわかるよ」
伝承でも鬼は非常に好戦的な種族だと伝えられている。きっと彼らの住処に足を踏み入れた存在はきっと……うん、ご愁傷様ってことだね。
「我々がこの山に入ろうとする者を排するのは、排他的であるというのともう一つ……侵入者と鬼にの戦闘によって起こる森への被害をなくすためだ」
丁寧に指を二本立てて説明してくれる少女。なるほど、確かに鬼の力を持ってすればこの山の地形などいくらでも変えられるだろう。山に住む彼女達からしてみれば、住処を荒らされるのは気分がいいものではない。だからこその侵入者排除というわけか。
うんうん、なるほど話を聞けば納得だ。彼女達が僕を追い払おうと躍起のなる理由もこれなら頷ける。
「鬼との戦闘になれば貴様程度の妖怪ならば間違いなく殺される。貴様も無駄に命を散らせたくはないだろう?」
だから帰れ。言葉は続かなくとも暗にそう言ってくる少女。その表情はどこか懇願するかのようにすら見える。厄介ごとはごめんだと、そう物語っている。
「なんというか、損な立ち位置にいるんだねぇ君たちは」
「……そう思うのだったら、潔く退いてほしいのだが」
はぁ、と深い溜息を吐くその姿に漂う哀愁。正直とても可哀想に思えてしょうがない。今なら帰ってあげてもいいかなって、心の片隅でちょっとばかし考える自分がいる。
ただ、ただね、もうちょっと早いタイミングで話して欲しかったなぁって、そう思うんだ。
だって今更聞いたところで……もう既に手遅れなんだから。
「おいおい、せっかくの客人を追い返すなんて、天狗は礼儀がなってないねぇ」
「──ッ!」
突如話に割り込んできた幼い少女の声。天狗の少女はその声を聞いた途端、ビクリ、と肩を跳ね上げ、それが聞こえてきた方へと視線を向ける。その方向は彼女の真後ろ、つまりは僕の真正面なわけで。
そこにいたのは見た目子供といっても過言ではない小さな体躯の少女。ただしその頭から生えた二本の角は華奢な体とは対照的で太く、また捻れており禍々しさを感じさせる。
天狗の少女はふるふると体を震わせ、同じく震えた声で現れた少女へと問いかける。
「なぜ、あなた様がここに……」
「なぜ? おかしな質問をするもんだね。ここは
そう言われ、返す言葉もないのか天狗の少女は黙り込む。彼女を黙らせたところで、角の少女は今度はその真紅の瞳を僕へと移し、満面の笑みで話しかけてきた。
「いやいや初めましてだねぇ、名も知らない妖怪。わたしは伊吹 萃香、この山に住む鬼の一匹さ」
「ご丁寧にどうも。僕は天邪鬼、なんてことない、ただの平凡な妖怪さ」
「こりゃまた謙虚な妖怪だね。天狗相手にここまで逃げ切るような奴が平凡なわけないだろうに」
そうは言ってくれるけれど、逃げ切れたのも能力のおかげってところが大きいからねぇ。僕自身はそこまで強くはないからなぁ。
「ところでお前さん、天狗達に追われて相当鬱憤が溜まってるだろう? ここらで一度スッキリしとこうとは思わないかい?」
いつの間に近づいてきたのか、僕の隣に立ちバンバンと小さな手で背中を叩く鬼の少女、萃香。鬼なだけはありその一発一発がすごく痛い。これで軽めなのだから、本気で殴られた日には一撃で肉片になることだろう。
っと、今はそんなことを考えている場合じゃない。何やら萃香が不穏なことを口走っていたが……なに、『スッキリしとこう』だと?
萃香の言葉に一抹の不安、いや警報が鳴り響く。だがそれに気付いた時にはもう既に手遅れだった。
彼女は拳を握りしめ、それを胸の前まで持ってくると変わらず満面の笑みを浮かべ
「──喧嘩するぞ!」
見た目相応の弾んだ声で死刑宣告を下すのだった。
……あ、天狗の子が膝から崩れ落ちた。
萃香さん登場!
本格的に始まるリアル鬼ごっこ。さて主人公は逃げ切れるのか?
そして白狼天狗の少女の運命やいかに?
感想や質問等があればどうぞ。批評の方もお待ちしております。
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第5話 『天邪鬼と鬼と』
妖怪の山。そのどこかにある秘匿された住居群。昔懐かしい屋敷が構えるそこには多種多様の天狗が日々を過ごしている。
そんな天狗たちの住処の中、一際大きい屋敷に暮らす天狗──『天魔』と呼ばれる存在がいた。天魔は天狗たちの長として彼らを統べ、その力はかの鬼の四天王にすらも匹敵しうると言われている。
その天魔の大屋敷の一室にて現在、机に向かい何やら筆を動かしている天狗が一人。静寂が支配する室内でただ黙々と筆を動かす彼女の耳に、徐々に近づいてくる一つの足音が。
「て、天魔様! すぐに耳に入れたいことが!」
パァン!──激しく開かれる襖。その向こう側には切羽詰まった表情を浮かべる一人の天狗の姿が。
天魔──そう呼ばれた女性は筆を動かす手を止め入口へと顔を向ける。つりあがった目元。深い、黒い瞳。
「ぁ……申し訳、ありません」
言葉を発することも許されないかのような威圧感が天狗を襲う。ただ目が合っただけ、それだけのこと。そんな些細なこと、だというのに、思わず後ずさってしまう。
口は縫い付けられたかのように開くことを拒み、雨にでも打たれたかと見間違うほどの雫が身体中を伝う。
黙りこんでしまった部下へ、天魔は静かな口調で告げる。
「あの、要件は……」
「は、はい! げ、現在、山の中腹で伊吹萃香様が侵入者と交戦! もっ、森への被害が甚大で今も尚拡大しています! それと、両名の後を犬走が追っているとのことです!」
まるで鈴の音のように凛と澄んだ声。肩を跳ねさせ、緊張から所々噛みながらも報告の内容を伝える。報告を聞き終え天魔は、ふぅ、と一つ溜息を吐く。その行動に天狗は心臓が締め付けられるような錯覚を覚えた。
それもそのはず。山へ余所の者の侵入を許し、あまつさえ鬼と戦闘を繰り広げているのだから。
この妖怪の山は鬼の縄張りとして知られているが、管理しているのは天狗たち。つまりその頂点に位置する天魔の彼女は、この森を守るという責任を背負っているのだ。
日々幾つもの仕事を抱える彼女。できる限りの厄介ごとは減らしたいはず──だというのに現状はこの有様。堪忍袋の緒が切れても仕方がないと言えるだろう。
普段は近寄り難い雰囲気を醸し出している天魔だが、よほどのことがない限り怒る姿を見たことがない。しかし今回の一件、さしもの天魔も平然と済ませはしないだろう。
もしかしたら招き入れた失態として何か罰が下されるかも、そんなマイナスなことばかりを考える天狗へ、天魔は変わらぬ透き通った声で告げる。
「報告ありがとうございます。伊吹様が出たのなら私が行くしかありませんね」
筆を置き、立ち上がる天魔。そして廊下まで出ると黒い翼、夜空のように澄んだ一対のそれを広げる。
「後のことはお任せを。あなたは仕事に戻ってください」
「は、はい! お気をつけて!」
瞳は天を睨んだまま、部下の声を背中に受け、一陣の風とともにその場から姿を消した。
鬼ごっこ──子供の遊びの一つとして最もポピュラーであるといっても過言ではない遊び。鬼を決め、その他のメンバーは制限時間内に鬼に捕まらないように逃げ、捕まったメンバーは鬼を入れ替わるといったシンプルかつ、小さいお子さんから大きなお子さんまで遊べるお手軽遊戯。
そしてこの鬼ごっこは時代の流れとともに派生系も誕生し、『いろ鬼』や『こおり鬼』などバリュエーションに富んだものとなっている。
この僕、天邪鬼もこの鬼ごっこというものをどこか記憶の片隅に知識としてしまっており、和気藹々と楽しむ遊びであるという認識をしている。
そう、僕があの小さな鬼に出会うまでは……。
「ほらほらほら! そんな逃げ腰じゃおっ
ぶぅんと、そのか細い腕でどうやって出しているのか、大木を振り回したような音とともにまた一つ大木がへし折れる。その張本人たる小さい鬼、萃香は笑みを浮かべその小さな拳を振るう。そしてまた一本、立派な大樹が尊い犠牲となった。
いやー、あんなの喰らったらひとたまりもないよねぇ。僕の脆弱な体なんてあっという間に真っ二つだよ。
喧嘩──という名の一方的な
やはり鬼というだけはあり、その身体能力は先ほどの天狗達とはまさに天と地の差。攻撃一つ一つが即死級なんて、もはや存在自体がチートである。
「ねぇ、やっぱりやめにしないかい?」
「何言ってんだい! まだ始まったばっかりだろう!」
僕の心からの提案は不満を前面に押し出した声で即座に否定される。
でもねぇ、これ以上続けても悪戯に森が壊れるだけだよ? やっぱりさ、自然は大切にしないといけないと思うんだ。
そんなことを考えていると眼前に小さな拳が迫り、慌てて両腕をクロスさせてガードする。ミシッ、という骨が軋む音と走る痛みに思わずしかめっ面になる。
「いったいなぁ……」
「平気そうなツラして、何弱気なこと言ってんだい!」
何が嬉しいのか、その小さな口から白い歯を覗かせ笑う萃香。見た目相応、無邪気に笑う様は大変微笑ましいのだが、如何せん状況が状況だ。こちらからしてみれば悪魔の微笑みにしか見えない。
拳の雨にさらされ続け腕が限界に達しようとする中、不意に萃香は殴る手を止め口を開く。
「お前さん、もしかして手ェ抜いてないだろうね?」
スッ、と深紅色の瞳が細められ、彼女のまとう雰囲気が一段と重くなる。
何か気に触るようなことしたのだろうか……。こちらとしてはただただサンドバッグにされていただけなので、むしろストレス発散の道具になっていたはずなのだが。
「これまでにいくらか反撃する隙はあったはずだけど。なんでしてこないんだい?」
「はぁ……」
はて、反撃する隙なんてあったかな? 攻撃を防ぐだけで、受け止めるだけで手一杯だったんだけれど。
しかし伊吹のお嬢様は大変不満げにしておられるようで……。はてさてどうしたものか。
「正直、こっちは受け止めるだけで精一杯なんだけどねぇ」
「……確かに嘘は言っていないみたいだね。けどそれはそれでおかしな話だ。あたしの拳を受け止めて平喘としてられるだけの力があるってのに、攻撃はトンと下手くそなんてさ」
「いやはや耳が痛いね」
なにぶんこちらは戦闘経験がゼロなもんだからさ。勘とかそういう類のものは何も持っていないんだよ。
「体と実力がちぐはぐ……お前さんみたいなやつは初めて見たよ」
「はははっ、それは光栄なことだねぇ」
この体ってそんなに頑丈だったのか。いやまぁ、鬼の一撃をまともに受けて痛いくらいで済んでるのだから、丈夫な部類には入るんだろうけれど。
「まぁ、鬼とはいえ君みたいな小さな子供に易々と負けるわけにもいかないしね。大人の見栄ってやつだよ」
なんてこと言うけど、実際の所僕って何歳なのか。さすがに百なんて馬鹿げた年齢じゃないにせよ、五十くらいはいってるのかな?
というか妖怪っていったい
と、不意に思い浮かんだ疑問に思考を割いていると。眼前の萃香がなにやらぷるぷると体を小刻みに震わせ始めた。
あ、もしかして小さいっていうのコンプレックスだったのかい? だとしたらごめんよ。謝るから、だからどうか怒らないでおくれ。
「くくっ──ハーハハハハハッ!」
甲高い笑い声が鼓膜を揺らす。腹を抱え、まるでその中が捻れてしまったのかというほど身を屈ませ、依然笑い続ける。
対する僕はというと、予想外の反応にただ呆然とするしかなく。
時間にして一分ほどだろうか。なかなかに長い間笑い続けた萃香はようやく落ち着いたらしく、ふぅ、と息を一つ吐き気持ちを落ち着ける。
「いやー悪かったね。なにせそんなことを言われた経験、くくっ……生まれてこのかた一度もなかったからさ」
目尻に溜まった涙を拭いつつ、まだ完全には収まっていない笑いを堪えながら言う。
「でも腑に落ちたよ。なんでお前さんがそんなに余裕でいるのかさ。いやぁ、無知っていうのは恐ろしいもんだね」
どうやら彼女の中では僕は余裕を持って戦っていたらしい。しかし待った。僕は冷や冷やしながら戦っていたと、そう異議を申し立てたい。
「名乗りが不十分だったね。あたしは伊吹萃香──山の四天王って言われてる、ちょっとは名の知れた鬼さ」
「山の……?」
してんのう……シテンノウ…………支店の王? なんてこったい、この山は数あるうちの一つ。大元は他にあるだって⁉︎
なんて独り冗談を言うのはここまで。『四天王』彼女は確かにそう言った。鬼の数がどれほどかは知らないけれど、そんな呼び名がつくなら相当な実力を持った妖怪であることは間違いない。
そう考えると、確かに僕の言ったことが笑われるのも理解できる。それほどの力を持った妖怪をからかうなど、そんな命知らずはいないだろう。
ただ僕を除いて……。
「道理であたしを前にしても堂々としていられるわけだよ。ははっ、まさかどこか知らない場所から来た余所もんだったとはね」
「あー、もしかして気にでも触ったかい?」
「いや全然。むしろやる気が出てきたよ! これからお前に伊吹萃香の名を刻めると思ったら、なおさらね!」
口端が天を睨むほど吊りあがり、真紅の瞳がギラギラと闘志を燃やす。なるほど、エンジン全開というやつか。
いや十分に伝わったからさ、もうお開きにしよ、ね? 鬼の四天王が本気出しちゃ、僕なんて粉微塵だよ? ミンチだよ?
とはいえ言っても聞かないとはこの短い間で十分理解している。もはや僕に残された道は最後まで付き合うというバッドルート。
あぁ、どうしてこんなことになったのか。発端は……うん僕だね。自業自得とはまさにこのことを言うのかぁ。さとり、忠告を聞かないでごめんよ。
「さぁ! 続きをおっ始めようじゃないか!」
はぁ……仕方ない。最後まで付き合うとしようかねぇ。
気分は乗らない、乗るはずがない。しかしやらなければ確実に殺られる。やむやむ、僕が拳を握り構えを取ったその時。
僕の体を黒が覆う。いや正確に言うならば影、がだ。
「──双方、待った」
次いで、凛と澄んだ女性の声が鼓膜を揺らす。自然、僕の視線は声のする方──雲一つない蒼穹へと向かう。
するとそこにいたのは、綺麗な着物に身を包んだ、これまた美しい女の天狗だった。
いったい何の用が……。もしかして戦闘に参加するとか言わないよね? これ以上増えたら僕、本当に死んじゃうよ?
突如現れた雰囲気強そうな天狗に、内心そんなことを思っていると。彼女は鋭い目つきで僕たちを見下ろしながら
「天魔として、これ以上この山での戦闘を禁じます。構えを解いてください」
そう一言、告げた。
──なんだ、ただの女神じゃないか。
て、天魔さまぁぁぁあああああ!
それはここまで天邪鬼と萃香の戦闘の後を追ってきた白狼天狗の少女──
本来ならば自分が森を傷つけず排除するはずだったのだが、萃香という思わぬイレギュラーによって状況は一転。あれよあれよと言う間に木々は破壊され、大地は抉れるという大惨事に。
鬼よりも立場の低い天狗、しかもその中でもさらに下っ端に位置する哨戒天狗である椛。彼女には萃香に口出しするほどの権力がなかった。
ただ黙って追いかけ、悪戯に破壊されていく森を目に、椛は心の内で涙を流していた。これでお仕置き決定だと、さめざめと。
このまま森が破壊し尽くされてしまうかもしれない、そんな不安が頭をよぎる。しかしそんな椛に一筋の希望の光が。それは今まさに萃香と天邪鬼の間に割って入るように舞い降りた、一人の天狗の存在。
彼女たち天狗が長、天魔である。
「まさか天魔自ら出てくるとはね」
「伊吹様ほどの妖怪が関わってるとなれば、私が出る他に対処のしようがないですから」
「ちぇっ、こっから面白くなるってのに。間の悪いやつだねぇまったく」
「私からしてみれば危機一髪でした。危うく山が破壊し尽くされるところでしたよ」
言葉を交わし合う萃香と天魔。やはり天狗の長というだけあり、鬼相手にもまったく動じた様子を見せない。
一通り話を続けた両名は言葉を切る。どうやら萃香はこれ以上の戦闘をすることはないようだ。
次に、天魔は萃香から天邪鬼へと視線を移す。視線があった彼は、しかし萃香同様一切動揺することなくその瞳を見つめ返す。
その反応に天魔はわずかに、一瞬だけ目を見開く。彼女は
なるほど、これならば萃香を相手にしても無事でいるわけだ。天魔は内心そう納得する。
それに相対してみるとはっきり分かる。彼には全くもって敵意がない、戦う意欲がない。これならばこれ以上ややこしくならず、穏便にことを済ませることができる。
「あの、」
そう、天魔が口を開くのとほぼ同時。
天邪鬼の両手が、天魔の両肩を掴む。完全に油断していた天魔は対処に遅れ、そして存外強い力に身動きを封じられる。
いったい何を、冷静に相手の次の行動への対応をしようと頭を落ち着かせる彼女へ、天邪鬼は嬉々とした声音で一言。
「お嬢さん、僕と友達になってくれないかい?」
満面の笑みと共に、告げる。
天邪鬼の予想外の言葉に天魔と、そして側から見ていた椛は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべ。
「あっははは! こいつはまた、おかしなことを言ったもんだね!」
この場で唯一、萃香だけが面白おかしく笑い転げていた。
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第6話 『天邪鬼と天魔』
早朝。まだ日が昇りきることなく、新緑が暗い影に包まれた、そんな時刻。
「ぅ……んん……」
もぞもぞと、山の形を作った布団が動く。そしてしばらく、山の動きがぴたりと止まり中から姿を現したのは。
「もう、朝……?」
窓の隙間から漏れる光を寝ぼけ眼で見つめる天魔だった。それから数分、眠気と布団の魔力との戦いを続け、ようやく布団から出る。
そしてやや覚束ない足取りで部屋の隅に置いてある姿見の前へ。そこに映る自分の姿を目に映し
「うわぁ……」
一言。
肩のあたりで切り揃えられた黒い髪は寝癖でボサボサ。寝巻きである白い無地の浴衣はシワでヨレヨレ。天魔として天狗たちの頂点へ立つ姿とは懸け離れたその様に、深いため息が漏れる。
それからすぐに寝巻きから紺色の着物へと着替え、手櫛を用意し髪をとく。これでようやくいつもの自分の出来上がりだ。ただ、目の下にうっすらとできた隈を除いては。
昨日の伊吹萃香と侵入者との一件。相応の被害が出たこの騒動のせいで、ただでさえ多い仕事がさらに増加。徹夜を余儀なくされ寝不足なのだ。
「これじゃ、ますます怖がられちゃいますね……」
いつも以上に鋭く、機嫌が悪そうに見える目元。鏡へ顔を近づけそっと、両手で眼の端を抑え垂らす様に下げるものの、手を離した途端再び元の位置へ。
深いため息が鏡面を白く染める。
天魔である彼女には一つ、大きな大きな悩みがあった。いや人によっては
では、天魔である彼女が直面しているその悩みとは。
「どうやったら、もっと親しみやすくなれるんでしょう……」
彼女の抱える悩み。それは身内である天狗たちから恐れられているということ。
天魔として上に立つ以上、一定以上の威厳や畏怖を抱かれることは必要なことだと理解している。だがしかし、それにしても怖がられすぎじゃないかと、彼女自身常々感じていた。
昔から他者との接し方が下手で、会話を思う様にできない。ただ仕事として必要な最低限の話しかできず、それも愛想はなく淡々としたもの。まずこの段階で仲の良い友などできるはずもない。次にこの目付き。鋭く、まるで常に気が立っているような、睨んでいるかのような目元。これがその性格と相まって負の相乗効果を生み出してしまう。
そして極め付けは自身の持つ能力。これが一番の原因であると言っても差支えがない。
『圧を加える程度の能力』。読んで字のごとく、言葉の通りの能力だ。
この能力、ちゃんとコントロールはできている……そのはずなのだが。どうにも言葉を発する際や行動を取るときに自然と発動、相手を威圧してしまうのだ。これに耐えられるのは、彼女と実力が近いものか、神経が図太いものだけだろう。
「かれこれ千年以上経ちますけど、なんでなのでしょう……」
自身がこの世に生を受けて千年以上の時が流れた。当時は能力がうまく扱えず、今よりも悲惨な状況だった。あの頃はほとんど一人ぼっちだったなぁ、過去の黒歴史を思い返し懐かしそうに呟く。
いつの日からか『天魔』と呼ばれ天狗の長としての地位へ就き、皆をまとめるため日々忙しく駆け回った。その際に衝突することも多々あり、少々手荒な真似をしたことも。しかしその甲斐もあって今の天狗たちの生活があると思うと、うん、なんだかんだ悪くはない日々だった。
ただそれとこれとは話が別。色々と落ち着いてきた今、もうそろそろ仲良くなってもいいはずだ。というか仲良くしたい。もう宴会の席で一人上座でお酒なんて飲みたくない。
脱・千年の独りぼっち。そのためにはまず、自分から動かなければならない。自らが行動し、他の者が付いてくる。今までの経験でこれ以上なく身に染みたことだ。
まずは会話。自身が他人と話すことになれなければいけない。そこを第一歩として、これから頑張っていこう。
「ちょうど、お友達になってくれる方も見つかりましたし……ここからですよね!」
頑張るぞっ──鏡の前で両手を握りしめ気合いを入れる天魔。こういった可愛らしい仕草を見せればいいのだが、天魔として部下たちの前ではどうしても、常に冷静沈着でいなけれければという意識が働いてしまう。なんと難儀なものか。
さて、天魔のいう『お友達』。これは言わずもがな、あの天邪鬼のことだ。無礼にも天魔へ友達になろうと、命知らずな態度をとった彼だったが、いやはや運がいい。ぼっちを抜け出そうとしている彼女にとって、その言葉はまさに渡りに船。
椛の手前即答、というわけにはいかなかったが、何かしら理由をつけてこちらからあっちへ出向くという約束を取り付けた。一日休暇もとった。これならば部下の目を気にすることなく、伸び伸びと会話に勤しむことができるはず。
「顔を洗って、朝食をとって……あ、手ぶらじゃ失礼でしょうか⁉︎ 何かお土産を──」
いつになくソワソワと部屋を歩き回る天魔。その顔に浮かぶのはいつもの天魔としてのものではなく、友達の家に遊びに行くただの少女のそれだった。
時間は流れ、昼も近づこうとした頃。太陽は爛々と輝き、陽の光を浴びた草木が体いっぱいにそれを取り込む。風物詩とも呼べる蝉の鳴き声は煩わしく、しかし合唱のように幾つもの声が重なったそれは、なかなかどうして耳心地がいい。
そんな大合唱や緑に囲まれた廃神社。ところどころに穴が開き、いつ崩れ去ってもおかしくはない、そんな神社の縁側にその妖怪
「はぁー、しっかし今日も暑いねぇ。こんな日は冷たいものが食べたくなるよ」
相も変わらず黒い甚兵衛に身を包み、呑気な口調で呟くのは天邪鬼。手を団扇代わりにして扇ぐもこれといった効果は得られず、その頬をつぅ、と一筋の汗が流れる。
「やっぱりかき氷かな? あのキーンって感覚、いやぁ懐かしいね。うん、夏といえばかき氷、定番だよね」
君もそう思うだろ──そう言いながら隣へ顔を向ける、その先には
「…………」
同じく腰をかけ、しかし無言で正面を向き天魔の姿が。表情はピクリとも、それこそ眉ひとつ動かさずただ前を見つめる天魔。もちろん、返事など帰ってこないわけで。
視線どころか言葉すら交わそうとしない彼女へ、ふむ、と顎に手を当て考え込む天邪鬼。
「もしもーし?」
ぺしぺしと、右手で彼女の頭を軽く叩き反応を見る。見るものが見れば卒倒ものの光景だが、それでも天魔は反応を示さず、依然視線は正面へ。
端から見れば完全無視を決め込んでいる。そう捉えられてもおかしくはない、それほどまでの無反応。しかし実際、彼女の内心はというと
(どうしましょうどうしましょうどうしましょうどうしましょうどうしましょう──)
なんてことはない、ただのオーバーヒート中だった。冷静な仮面を貼り付けたその下では、表情からは考えられないほどの速度で思考が巡っていた。
(な、なにか、何か話さないとっ……)
あれほどやる気に満ち溢れていた天魔の身にいったいなにがあったのか。それは冷静になって考えればすぐに分かる。
千年以上という時をぼっちで過ごした天魔。そのコミュ障は身内の天狗にすらも発揮されるほど。そんな彼女がほぼ初対面の、しかも異性の妖怪と一つ屋根の下に二人ぼっち。これは緊張するなという方が無理な話だろう。
「おーい、聞いてるかーい?」
(せ、せせっせ、せっかく来たんですから、何か話を! で、でもっ、私っ、話題になることなんてなにも……)
パニックもパニック、大パニックである。天邪鬼が正面に立ち手を振るも、それすらもわからないほどに揚がってしまっている。数千年で磨き抜かれたぼっちには、些細なコミュニケーションでの会話は望めないらしい。
どうしたものか、首を傾げる天邪鬼。仕方なし、両手を天魔の両頬へと運び
「
(ひゃあっ⁉︎)
ぐにーん。その白い頬をこれでもかと引っ張った。その効果はあったらしく、天魔は声には出さなかったものの、心の内で可愛らしい悲鳴をあげる。
(はっ! そうでした、私なにを話すかに気を取られて、彼の話を……)
「ようやく目が合ったね。まったく、返事がないと寂しいじゃないか」
冷静になった天魔。やっと交わされた視線に天邪鬼は笑みを浮かべる。
「それじゃあ、楽しいおしゃべりを続けよう」
「……なるほど、君は他人と話すのが苦手だったのか」
「お、お恥ずかしながら……」
天魔との話を続け約半刻ほどの時間が経過した。天魔は未だに緊張はしているものの、ポツリポツリとだが短い返事を返す。
そして彼女の口から語られる悩み。コミュ障、鋭い目つき、そして能力による他者への威圧。それらの要因により恐れられ避けられてきたこと。そのことにより一人ぼっちが続いたこと。
「わ、私は他の天狗達と仲良くなりたくて……ど、どうかお力を貸して頂けないかと」
どうやら会話が不慣れなのは本当らしい。詰まりながら拙くも言葉を並べる天魔に対して、天邪鬼は彼女の言葉が本当のことだと理解する。
「て、天魔として信頼してくれているのは、じゅ、重々理解しています。ですっ、ですが、その……距離を置かれるのが、さ、寂しくて……」
慣れない相手との会話、そして本心を話すことに対する恥ずかしさに頬を染め、また言葉を
シュン、と背中を丸め縮こまる彼女へ、無意識の内に天邪鬼は温かな目を向ける。
「いやー、君って以外と可愛い性格してるんだねぇ」
昨日、萃香との一戦の時に現れた天魔。その時彼女に抱いたのは『強者』、というイメージだった。萃香に対し臆することなく注意を促し、あの場を収めた様は今も覚えている。あれは本当に助かった。
しかし生き物、とりわけ知性を持ったものというのはわからないものだと、天邪鬼は感慨に耽る。話してみなければ、こうも彼女が可愛らしい性格をしているなどと誰が思おうか。
「そ、そそそっ、そんな、可愛いなんてっ……!」
「くくっ、そういうところが可愛いんだよ」
モジモジと体を動かし、片手で髪をいじる。きっとその仕草も、先の言葉も、彼女の部下達はなにも知らないのだろう。知っていれば彼女が怖いだなどと、そんなことは露すらも思わないはずだ。
「仲良くしたいなら話しかければいいんじゃないのかい? そう気負わないでさ、軽く世間話するくらいの感覚でさ」
「わ、私、人前に立つと上がってしまって。それに他の天狗達の前では、その、つい天魔としての振る舞いが出てしまうので……」
「まぁしょうがないか。ずっとそれで接してきたんだし、すぐに変えろって方が無理だよね」
ぐーっ、と背伸びをし天を仰ぐ。今日も今日とて空が青い。
「い、今すぐには無理、なので……だから、その……」
尻窄みになる言葉。最後はなにを言っているのか聞き取れなかったが、チラチラと向けられる視線にああ、と見当をつける。
「いいよ。僕でよかったら練習に付き合っても」
「ほ、本当ですか⁉︎」
思わず前のめりになる天魔。ズイッ、と急接近する彼女の顔に身を引きつつ首肯をする。
お世辞にも知り合いが多いとは言えない天邪鬼。彼にとって知り合いが増えるのは別段困ったことではない。それに相手が天魔ともなれば、再びあの山に入る際に色々と融通が効くかもしれない。なんてちょっとした下心もありつつ了承した天邪鬼。
それに──
(この笑顔を見れるのが僕だけっていうのも、ちょっと勿体ないからね)
目の前で嬉しそうにはにかむ天狗の少女。彼女が人前でこの笑顔を浮かべることができたその時は、きっと、その周りは大勢の友で囲まれていることだろう。
そんな
「
友人、その言葉に天魔はより一層笑みを深め
「わ、私は
芙蓉──自らをそう名乗った少女は、喜色に染まった笑顔を浮かべ、差し出されたしっかりと握り返す。
彼女の悩みが解決するのはいつになるのか、それは誰にもわからない。数日か数ヶ月かはたまた数年か、もしくは……。
ただいつの日か、彼女の周りを囲むのが──幸せな笑顔に満ちた、そんな仲間でありますように。
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第7話 『天邪鬼と冥界の主従』
お久しぶりです。
一応ですが生きています。
昼間だというのにもかかわらず、蒼然とした空が広がり薄暗い光が世を包む。
夏は既に終わりを迎えつつあり、つい先日までの猛火のごとき暑さが嘘のように、今は涼やかな風が駆け抜け秋の訪れを告げる。森の木々も季節の移り変わりに合わせ、青々とした様から紅い姿へと変化させる。
と、前置きこの辺りにして、気になるのは我らが天邪鬼についてだろう。
さて、彼が現在何をしているのかというとだが、まぁ、一言で答えるならば……
「いや〜、こうやって綺麗な庭を見ながら団子を食べるのもおつだねぇ」
「その気持ちわかるわ〜。こう綺麗だとついつい手が進んじゃうわよね〜」
彼は現在、冥界にて一人の少女と団子パーティーに勤しんでいた。
開催地は広い広い日本家屋。手の行き届いた枯山水の庭を一望できる縁側にて、巨大な皿にこれでもかと乗せられた団子の山、山、山……。
「それにしてもこの団子、美味しいねぇ」
「でしょう?
「羨ましいねぇ。こんな美味しい料理を毎日食べられるなんて」
言葉を交わしながら団子の山へと手を伸ばす両名。また一つ、小さな欠片が胃の中へと運ばれる。
ずずっ、温かいお茶の注がれた湯飲みを啜り、ほぅ、と一息。まったく、今日も今日とてお茶がうまい。
「それにしても悪いねぇ。成り行きとはいえ、お団子をご馳走になっちゃって」
「別に気にしなくていいわ。これも何かの縁、今は美味しくお団子を食べることに集中しましょう〜」
「それもそうだね」
また一つ、団子を手に取り口へと放り投げる。そして咀嚼。再び団子は胃の中へ。
「それにしても、あなたどうやってここへ来たのかしら? 一応、そう安々とは来られない場所なのだけれど」
「僕としても驚きだよ。まさか冥界にやってくるなんてさ」
はっはっは、笑みをこぼしながら語る天邪鬼。
何故彼が冥界などという場所へ訪れることとなったのか。まぁこれといって特別な理由があるわけではないが、気になるかもしれないので答えよう。
きっかけは彼が自身の『つなぐ程度の能力』を試したことから始まった。今まで目に見えている範囲で行使していた『空間をつなぐ』という技。妖怪の山の逃走劇ではだいぶ世話になったこの技だが、天邪鬼はふと思ったわけだ。見えない場所にも繋げられるのか、と。
疑問を抱いたら早速実験。とりあえず適当に空間をつなげるイメージをすれば準備完了。石ころを投げ込んだ湖のように波打つ空間が目の前に現れ、天邪鬼が足を踏み入れるのを今か今かと待ちわびる。
この先に待つものはいったい何か。まだ知らぬ異界の地か、それとも見慣れたこの里のどこかか。期待に胸を膨らませ、波紋へと足を踏み入れる天邪鬼。波打つそれを潜ったその先に待っていたのは。
それは目を見張るほど広大な日本家屋。右から左へ視線を動かしてやっと全体を把握しきれるほど大きなその屋敷は、人里ではまずお目にかかれないであろう立派なものだった。
その時点で天邪鬼は実験が成功したことを理解する。では次に考えるべきことはここがいったいどこなのか。自分がいた里から近い場所なのか、それとも遠く離れた都なのか。
そんな天邪鬼の疑問は意外にも早く解決することとなる。
「あらあら、こんな場所にお客さんだなんて珍しい」
ふわりと、まるでたんぽぽの綿毛のように軽く弾んだ女性の声。ほぼ反射的に、天邪鬼は声が聞こえてきた場所へと目を移す。するとそこには縁側に腰をかけ、こちらへ向けて微笑みを浮かべる一人の少女が。
おそらく彼女が先ほどの声の主であろう。物腰の柔らかそうな顔立ちに、これまた人当たりの良い笑顔。
「妖怪がわざわざこの
「ん? いや、ただちょっと道に迷ってしまってね。よければ少し話を聞かせてもらえるかい?」
「そう、道に……。えぇいいですわよ、どうぞこちらへ腰をお掛けになって」
そう言い自身の隣を手で叩く少女。言葉に甘え、天邪鬼は指定された場所へと腰をかける。
「まずは自己紹介からしようか。僕は天邪鬼、名前なんてない、ごくごく平凡な妖怪さ」
「うふふ、平凡ですか」
天邪鬼の言葉に笑みを深める少女。そして今度は自分の番と、その小さな口を開く。
「私は
これが天邪鬼と亡霊少女、西行寺 幽々子との出会いであった。
「それにしても冥界ってところは、想像していたよりも過ごしやすい場所なんだねぇ」
茶を啜り、ぽつりと漏らす。
冥界と聞くと、死者などが過ごす地獄のような光景を思うものも少なくはない。しかしながら、実際に目の当たりにしてみると、なかなかどうして、非常に住みやすい。
おそらくは環境がいいからなのだろう。ここは地獄のような怨々とした場所ではなく、木々や花々が生い茂る緑豊かな地だ。それに四季も存在するらしく、秋に先駆けて赤く染まりつつある木々がちらほらと目に映る。
「今は紅葉の季節だけれど、春になると一面が桜で染まって、それはもう綺麗なのよ〜」
「へぇそれはいいね。その時にはまた、お邪魔させてもらおうかな?」
「是非ともいらしてくださいな。桜を見ながらのお茶菓子もまた格別ですわよ〜?」
朗らかな笑みを浮かべつつ、ひょい、と団子を頬張る幽々子。すでに山ほどあった団子は小さな丘ほど、二人の両の手で数えきれるほどにまでその数を減らしている。無論、そのほとんどを食べたのは幽々子である。
だというのにこの少女、残りわずかになった団子を見て物悲しそうな顔をするではないか。いったい彼女の胃袋には何が住んでいるのか。腹の虫が鳴く、とはいうが、彼女の場合は”虫”ではなく”牛”なのではないか。
「幽々子は本当によく食べるねぇ。あの妖忌とかいうご老人も、さぞ作り甲斐があるだろうね」
そう言いながらおもむろに、視線を家の中へと向ける天邪鬼。すると畳作りの一室を挟んだちょうど対面。鷹が木にとまった絵が描かれた襖から覗く、暗めの灰色の瞳と視線が重なる。
「一つ聞くけれど、あそこから覗いている子は誰だい?」
「ん〜? ああ、あの子は妖忌の孫で名前は
ようむ〜いらっしゃ〜い──と、幽々子は手招きをしつつ呼び寄せる。すると恐る恐ると襖が開き、そこから白い髪の少女が姿を現した。
白いシャツに青緑色のベスト、そしてベストと同色の丈の短いスカートを身に纏った、人里にいてもなんら違和感のない可愛らしい少女だ。
ただし左右の腰にぶら下げた二振りの木刀が、彼女に違和感を生み出してしまっている。
「ゆ、幽々子様、そちらの御仁は?」
「えっとね〜、いつの間にか庭に入り込んでいた、ごくごく普通の妖怪だそうよ〜」
「いつの間にっ⁉︎ そ、それって侵入者じゃないですか! なんで肩を並べてお茶をしてるんですか⁉︎」
疑問から驚き、そして警戒へ。表情をコロコロと変えた妖夢は、腰に備えた木刀へと手を伸ばし、天邪鬼へと鋭い視線を向ける。
「こ、この妖怪! 何を目的に白玉楼へ来た⁉︎」
「ははっ、元気がいい子だなぁ。何かいいことでもあったのかい?」
「こ、このっ、子供だからってバカにして! 本当に斬るぞ⁉︎」
グルルル、と不審者を見つけた番犬のように唸る少女。天邪鬼からしてみれば、ただ迷い込んだだけだとうのに襲われたんじゃたまったものではない。
するとこんな状況にもかかわらず、相も変わらず、団子を頬張りながら幽々子が口を開く。
「ひょうむ、だいほうぶよ〜……んぐっ……この方は悪い妖怪ではないわよ。私が保証するわ」
「で、でも幽々子様!」
「私が大丈夫だというのだから大丈夫よ。それでも不安かしら?」
「……いえ、幽々子様がそこまで言うなら」
渋々、本当に渋々とだが、木刀を腰へと収める妖夢。だがその瞳には、未だ警戒の火が灯っており、天邪鬼はやれやれと肩を竦める。
何にもしていないのにやけに嫌われたものだ。別に嫌うのは構わないのだが、今後もお邪魔するであろう場所だ。できるだけわだかまりは失くしておきたい。
お邪魔するよ──と、一言口にし、草履を脱ぐと和室へと足を踏み入れる。すると妖夢は警戒を強め、腰を低くし身構えると、腰の木刀へ手を伸ばす。
「お嬢ちゃん、親睦を深めるために、一つ遊びをしないかい?」
「……遊び?」
「そう、ただの遊び。お嬢ちゃんが僕に触れたら勝ち、僕はお嬢ちゃんの口にこの団子を入れたら勝ち。どうだい、簡単だろう?」
遊びの説明を聞き、妖夢の口元が”へ”の字に曲がる。それもそうだろう。彼女は天邪鬼のどこかに触れば勝ちなのに対し、相手は手に持った団子を口に入れなければならないのだ。
妖夢が口を開かない限り、団子は口に入れられないし。万が一開いたとしても、団子を入れるには正面からでなければならない。はっきり言って妖夢に分がありすぎる。
「僕が負けたら君のしたいようにしていいよ。でももし、僕が勝ったら……」
「勝ったら?」
「何てことはない、僕の友人になってもらうだけさ」
「……わかった」
了承が取れたところで天邪鬼は
「それじゃあ、勝負開始だ」
そう言い、ゆっくりと妖夢へ向けて足を進める。妖夢は口を開けぬよう気を配り、静かに距離を縮めてくる天邪鬼を警戒する。
そして互いの距離が畳一枚分ほどになった時、不思議な現象が妖夢の目の前で起こる。
「へ……?」
不意に、妖夢の視界から天邪鬼の姿が消え去った。それは身を隠したというより、まるで元からいなかったかのように、突然にだ。
思わぬ出来事に妖夢は間抜けな声を漏らし、次いで、トントン、と右肩を叩かれたような感覚に振り返ると
「うみゅっ⁉︎」
「はい、僕の勝ち」
いつの間にそこに移動したのか、天邪鬼が笑みを浮かべ自身を見下ろしていた。彼の伸ばされた右腕は妖夢の口元へと伸び、彼女の可愛らしい口元に団子を沈めている。
「あらあら〜、妖夢負けちゃったわねぇ」
背後でからかうように言葉を吐く幽々子。彼女には今、何が起こったのかはっきりとわかっているのだろう。
しかし妖夢からしてみれば、いきなり音もなく消え、自身の背後へ移動していたのだ。今の妖夢の胸内は、なぜ、どうして、という言葉が支配していた。
まぁ種を明かせば簡単な話。妖夢の目の前の空間を能力で彼女の背後へと繋げた、ただそれだけのことである。ちなみにだが、能力使用の際に起きる波紋は抑えることができる。
あとは驚いた妖夢の肩を叩き、振り返った彼女の口へ、可愛らしいその口へ団子を優しく入れるだけ。
こうして天邪鬼は見事、勝利を勝ち取ったわけである。
「むぐむぐ……んぐっ……そんな手を使うなんて卑怯です! 勝てるってわかっているようなものじゃないですか!」
主人である幽々子とは違い、行儀よく、ちゃんと団子を飲み込んでから抗議の声を上げる妖夢。
しかし天邪鬼は笑みを絶やさぬまま、
「だから団子を口に入れる、何て条件を出したんだけどね。君が素直な子だったから勝てたんだよ」
要は完全に手のひらの上で遊ばれたということだ。今にして思えば、あんな条件を出してくるんだから、それ相応の何かがあるのだと考えるべきだった。
そこまで考えが至らなかったことに、妖夢はがっくしとうなだれる。
「でもまさか、あんな綺麗に口を開けてくれるとは思わなかったよ」
「妖夢はどこか抜けてるところがあるから。だからいつまでも半人前なのよね〜」
「あぅ……!」
確かになぜあんなに口を開けてしまったのか。あれではバカみたいに相手の罠に引っかかってしまったみたいではないか。いや、実際に引っかかったわけだが。
たまらず両手で顔を隠す妖夢。隠しきれない耳は真っ赤に染まっており、その表情が容易に想像できる。
とはいえ勝ちは勝ち、負けは負けだ。勝敗が決した以上、約束は守らなければならない。
「さて、自己紹介をしよう。僕は天邪鬼。名前のない、ただの妖怪さ」
「……魂魄妖夢です」
「それじゃあ妖夢ちゃん、今後ともよろしく頼むね」
そう言い、妖夢の頭を優しく撫でる。さらさらとした手触りは非常に心地よく、癖になる。
「むぅ……」
無断で頭を撫でられたからか、はたまた子供扱いされたからか。妖夢は頬を膨らませ、拗ねたような表情を浮かべる。
名残惜しいが、天邪鬼は彼女の頭から手を離し、幽々子のいる縁側へと戻る。
そして縁側へ腰をかけ
「ほら、妖夢ちゃんもおいでよ。一緒にお話しでもしよう」
「いらっしゃい妖夢。団子は……あら、なくなちゃったわね……ようきー、お団子のお代わりちょうだ〜い」
そう妖夢を誘う二人の間には、不自然に空いた、一人分の空間が。
「……はい」
とてとて、という足音はすぐに止み。
代わりに一つ増えた笑い声が、一陣の風に運ばれ、紅葉と共に冥界の空へと舞った。
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第8話 『天邪鬼とぼっちな二人』
これが今後も続けばなと思う、金曜日のジャンボどら焼きです。
寒くなりましたので、体調管理にはお気をつけて。
心地よい風が吹き、肌を優しく撫でる。
見上げれば、雲ひとつない青空が広がり。そこを飛び交う小鳥達が、さながら人里の子供のようにじゃれ合っている。
それにしても、秋の空はどうしてこんなにも高く見えるのだろう。『天高く馬肥ゆる秋』という
ちなみにだけどこの諺、ルーツは中国だと言われているらしいね。なんでも”秋になると敵が攻めてくるから警戒しよう”という、農民達の戒めから来たとかなんとか。
まぁ僕としては、一般的に広まっている意味の方が素敵だと思うけどね。
さて、なんてちょとした雑学も交えながらの話だったけれど。
そろそろ、本題へと移ろうじゃないか。
本日、この場所、つまりは僕の住む廃神社に二人の来客がいる。
一人は僕の初めての友人である古明地さとり。そう、あのさとりだ。
そしてもう一人は、最近友人になった烏丸芙蓉。あの人見知りの激しい彼女だ。
なぜこの二人がここにいるのかというと。言ってしまえば偶然、偶々、何の意図もない。ただ二人が僕の元を訪ねて日が重なった、それだけのことである。
「…………」
「…………」
廃神社の縁。僕を挟んで両側に腰を下ろすさとりと芙蓉。無論、初対面の彼女達の間に会話はなく。
さとりはその半眼を空へと向け、芙蓉はそのつり上がった目をただ真っ直ぐ、睨みつけるように前方へと向けている。
静寂。
たまに風に吹かれてざわめく木々の音だけが鼓膜を揺らす中、さすがにこのまま無言でいるのはどうかと思い、初めて口を開く。
「それで、二人はなんでここに来たんだい?」
「別に、たんなる暇つぶしですよ」
「…………」
平坦な声で答えるさとりに対し、芙蓉からの返事はない。多分知らないさとりがいることで、緊張が最高値にまで高まったのだろう。
うん、やっぱりそう簡単に人見知りが治るわけがないか。
仕方ない。ここは僕が間を取り持って、うまく話を繋げようじゃないか。
「芙蓉、ふようー」
「……はっ! え、あっ、はいっ……芙蓉です」
優しく肩を叩き我に返す。
透き通る黒い瞳と重なるけれど、すぐに逸らされてしまう。
「ほら、せっかく僕以外と話せるんだから。この好機を無駄にしちゃいけないよ」
「わ、わかっています。わかっているんですが……あぅ」
ちらりと、横目でさとりを見た、ただそれだけで芙蓉は顔を伏せてしまう。天魔としてのスイッチが入っていないと、本当にこの子はダメダメだなぁ。
それじゃあ、さとりから話をしてもらう方向で行こうか。
「ほらさとり、ぼっちの大先輩だよ。なにか一言挨拶とかないのかい?」
「ぼっちをやめろと、前にも言ったはずですが。あれですか、また抓られたいんですか」
「はっはっはっ、いやだなぁさとりは。お茶目だよ、お茶目」
伸びてくるか細い腕を掴み、それ以上進まないように抑える。
「あの子、芙蓉って言うんだけどね。かなりの人見知りだからさ、君から話しかけてはくれないかい?」
「なんで私がそんなこと。それに彼女って天魔でしょう? なぜこんな場所にいるんですか?」
「なんでって、友人だからさ。それ以上も以下もないよ」
「……なぜこの短期間で天魔と友人になったのかは置いておきましょう。それよりも、なぜその天魔があんなにもビクビクしているんですか」
だから人見知りだって言ってるじゃないか。まったく、さとりは物忘れが激しいなぁ……ってああ、ごめんごめん。だから力を強めないでくれないかい?
「異性で手を繋ぎあって……世間一般ではそれが普通なのですか……?」
僕とさとりのやりとりを見て、後ろで芙蓉がぼそりと漏らす。
これを見て仲睦まじいと思うのだったら、彼女はかなり手遅れな部類に入るのかもしれない。
「ほら芙蓉、君から話しかけないと。ここで自分の殻を破るんだ」
「わ、私の殻を、ですか……」
「そうともさ。じゃなきゃ、前には進めないよ……それとさとり、そろそろ手を離してくれないかい?」
ようやくさとりが手を離してくれたことで、僕はその場から腰を上げ数歩前に進む。
ここからは二人で会話を広げてもらおう。芙蓉には酷かもしれないけれど、心を鬼にして当たらせてもらうからね。
面白いものが見れそう、なんてことはこれっぽっちも考えていないよ。期待はしているけれど。
「……あ、あのぉ」
よし、一言目を口にできた。後はそのまま流れでいくだけだ。
「……きょ、今日は、いい天気でひゅね……はぅ」
あら、噛んじゃった。それに話題も、話ができない人の定番のものだ。
やっぱり今の彼女には初対面の他人と話すのは難易度が高すぎたかなぁ。
「そうですね、今日はとてもいい日だと思います」
「は、はい……そうですよね……」
「…………」
「…………」
だめだ、会話がつながらない。芙蓉も芙蓉だが、さとりももっと会話を弾ませる努力をしてもいいとは思う。
そんな二人の会話を遠くから眺めていると
「はぁ……それで、なんで天魔であるあなたがこんな場所にいるんですか?」
仕方ないですね──そんな言葉を代弁するかのようなため息を吐き、さとりが芙蓉へと話しかけた。
「あぁ答えなくとも結構です。私は心が読めるので、適当に思い浮かべてください」
そう言い、さとりは胸元に抱えた第三の目を芙蓉へ向ける。芙蓉はさとりの指示に従い、黙って彼女の質問に心の中で答える。
「はぁ……人見知り、ですか」
芙蓉の答えにさとりはなんとも言えない表情を浮かべる。
確かに天狗のトップに君臨する彼女が人見知りなどと、いったい誰が思うだろうか。
「……なぜ、という理由は聞いても?……はい…………なるほど」
険しい表情を浮かべ
「いえ、別におかしいとは思ってませんよ。ただ、私も少しはですが、あなたの気持ちはわかる……と思っただけで」
芙蓉の気持ちがわかると、さとりはそう語った。
心を読めるが故に、妖怪からも
確かに、二人の境遇は傍目から見れば似ているのかもしれない。
けれど、二人の間には決定的な差がある。
「……気が変わりました。私もあなたのお手伝いをするとしましょう……えぇ、あの天邪鬼だけでは心配ですから」
心外だなぁ。僕だってちゃんとしなくちゃならない時は、ふざけたりはしないというのに。
「運がいいことに私は覚り妖怪です。まず話に慣れるまでは、私があなたの話し相手になりましょう」
さとりがそう言うと、芙蓉は嬉しさからか、満面の笑みを浮かべる。それはあの日、僕に見せた笑顔と同じもので
「ふふっ、それがあなたの本当の顔なんですね」
そんな彼女の笑顔につられて、さとりもまた、月下美人のような儚い笑みを咲かせた。
その後は、さとりの話題の提供もあってか、二人は談笑し──まぁ傍目には、一方的にさとりが話しているだけに見えるけれど──終始笑顔を浮かべるのだった。
夕刻。秋空にはうろこ雲が浮かび、その隙間から茜色が顔をのぞかせる。
「そ、それでは、この辺りで失礼しますっ」
「あぁ、またいつでもおいでよ」
「また色々とお話聞かせてくださいね」
そう言い、芙蓉は一対の漆黒の翼を広げると、落ち葉を巻き上げながら、夕日の中へと姿を消していった。
神社に残された二人。内、天邪鬼がさとりへと話しかける。
「さとり、君はどうするんだい?」
目を合わせず、うろこ雲を眺めながら、そう尋ねる。
頬を撫でる風が、夏の頃とは違い、確かに体温を奪っていった。
「そうですね……もう少しだけ、お話しませんか?」
いつものように平坦に。だけどどこか、少しだけ物悲しそうに。
そんなさとりの言葉に、天邪鬼は一言
「そうかい」
そのままいつもの場所に腰をかけ、さとりもまた、何も言わずに少し間を空けて腰を下ろす。
「今日はすまないね。練習の相手にしちゃってさ」
「別に気にはしていませんよ。私も彼女が不遇だなと思ったので」
それに──と、言葉を続け
「私と違って彼女には、ちゃんと迎えてくれる方達がいますから。なら、少しでも早くその場へ送ってあげるものでしょう?」
さとりと芙蓉の決定的な違い。それは芙蓉を忌み嫌うものがいないということ。彼女は人見知りさえ治れば、居場所は自然と出来上がる。
だがさとりには、その居場所すらないのだ。
「言っておきますが、同情なんていりませんよ?」
「ははっ、僕がそんなことすると思うかい? 買い被り過ぎだよ、僕はそこまでお人好しじゃあないよ」
目を細め笑みを浮かべる天邪鬼。そんな彼の一言に、さとりは内心で苦笑する。
「僕はただ、自分の好きなように生きているだけ。自分の心に正直に、やりたいことをやっているだけさ」
だからさ──
「さとり、君も自分の好きなように生きていいんだよ? 君がしたいように、心の思うままにね」
いつだって、誰かの目を気にして。心を読まないよう、一人でいて。でも本当は、誰かと一緒にいたくて。
そんな彼女の心を見抜いたように語る天邪鬼に、ふっ、とさとりは笑みを浮かべる。
「まるで全てわかっているかのような口ぶりですね」
「おや、違ったかい?」
「さて、それはどうでしょう。なんなら、私の心を読んでみたらどうです?」
「生憎と、そんな便利な目は持っていなくてね。できるのは、精々、君のお願いを聞くことぐらいかな」
そう言い、さとりへと顔を向ける。夕焼けよりもさらに深い、紅い瞳と重なる。
「さとり、君がしたいことは何だい?」
「私がしたいこと、ですか……」
眉間に皺を寄せ、考え込む。今まで誰かにお願いなどしたことない彼女にとって、天邪鬼の一言は思考を巡らせるに十分なものだった。
首を傾げ、顎に手を当て、頭を抱え。そうして考えること、たっぷり五分。
さとりは顔を上げ、再び互いの視線が重なる。
しかし先ほどまでと違い、その頬はどこか赤く染まっており。
「えっと、あの……」
まるで先ほどまでここにいた、あの人見知り天狗のように、言葉が喉に詰まる。
そんなさとりを、天邪鬼は静かに、優しい目で見守り。
ようやく覚悟を決めたさとりが、ついに喉に詰まらせた言葉を口にする。
「その……手を、握ってもいいでしょうか……?」
恥ずかしそうに、しかし僅かな不安を交えながら。
「ああ、もちろんいいとも」
静かに、右手を差し出す。差し出された右手に、さとりは恐る恐る、自身の左手を伸ばし。
大きさの違いからか、彼の手がさとりの手を包み込む形になる。
「……あなたの手、温かいですね」
「さとりの手も、ひんやりとして気持ちいいよ」
左手を包む人肌の暖かさ。こうして誰かに手を取ってもらったっことはないさとりは、初めて感じるその温もりに口元を綻ばせる。
悪くない。どころか、どこか心が安らぐ。
そんなことを思いながら、さとりは少しだけ、ほんの少しだけだが、互いの距離を縮めた。
やっぱり、書くのって難しいですね。
表現がありきたりだから、面白みがなくなっていく感覚に陥って。
うん、作家ってすごい。
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第9話 『秋に染めよう!』
第9話です。
出てくる新キャラの設定、何か不備あれば言ってください。
秋も徐々に深まりつつある今日この頃。
天邪鬼の住む神社の付近の木々もだんだんと色づき始め、夏の頃とは違う肌寒い風が吹き抜ける。
「うぅっ……それにしても、最近は寒くなってきたねぇ」
黒い甚兵衛に包まれた体を震わせ、天邪鬼はぽつりと言葉を漏らす。そんな薄着でいればそれは当然だという話だが、そもそも彼にはこの甚兵衛以外の服がない。
この神社の居住スペースにある引き出しを漁ってみたが、彼の体に合うサイズのものはなく。
はぁ、と重い息が溢れる。このため息も間もなく、白く染まるのだろう。さすがに冬になる前にはどうにかしたいが、これといって具体的な解決策が思いつくわけでもなく。
ひゅうぅ、と再び風が吹き、天邪鬼は再度、体を震わせる。
「これは……本格的になんとかしないとねぇ」
そう言い、天邪鬼は何時もの縁側から腰を下ろすと、鳥居へ向けて足を進める。
そして鳥居の向こう側、この神社へ続く石造りの階段へと目を向け。それを挟むようにして生い茂る、まだ赤く染まりきっていない木々を見下ろす。
ここから見える以前踏み入れた妖怪の山は、今では完全に色を変えている。他にもちらほらと紅葉した木々が見受けられ、おそらく色変えしていないのはここの木々くらいだろう。
「ふむ、同じ里でも染まるのには差があるのか」
なんて、暇なのでそんなことを考えていると
「あれ、妖怪がいる」
「ん……?」
どこからか女性の声が聞こえ、天邪鬼は辺りを見回し声の主を探していると。
ガサガサ、と眼下に並ぶ木々の内の一つが不自然に揺れ
「よいしょっと」
そんな声とともに、まるでリンゴが木から落ちるかのごとく、金髪の少女が姿を現した。
思いもよらない場所からの登場に天邪鬼が、おぉ、と軽い衝撃を受けていると。少女はツカツカと、靴音を鳴らしながら階段を登り、彼の元までやってくる。
「珍しいわね。こんなボロボロの神社に誰かいるなんて」
そう言いながら天邪鬼を見上げる少女。
ウェーブのかかったボブの金髪に、同色の瞳。頭には赤・オレンジ・黄色の3枚セットの楓の髪飾り。
ボタン留めの長袖は茜色で、膝まであるスカートは腰から裾にかけて赤から黄色へとグラデーションをしている。スカートの裾から覗くのは、脛上まである白色の靴下と黒い靴。
ぱっと見、紅葉を思わせる出で立ちをしたそんな少女は、柔和な顔を不思議そうにさせつつ、天邪鬼へと問いかける。
「あなた、どうしてこんな場所にいるの?」
「そうだねぇ、ここに住んでいるから……かな?」
「えっ……ここに? ほんとに?」
見るからにボロボロの社殿に目を向け、ギョッとした表情を浮かべる少女。まぁこんな場所に好き好んで住むものなど、この里中を探しても片手ほどいれば十分だろう。
「それに妖怪が神社に住むって……妖怪的にどうなの?」
「どうって聞かれても……まぁ本人がよければいいんじゃないかな?」
「ふぅん、そんなものなのね」
返答には特にこだわっていないのか、そう言葉を返す少女。
すると次は、天邪鬼が少女へと質問をする。
「そういえば、君はなんであんな木の上に登っていたんだい? 木の実を探している、というわけではなさそうだけど」
「あああれね。あれは木の実を探してたんじゃなくて、葉っぱを染めていたのよ」
「葉っぱを染める……?」
少女はさも当たり前のように言うが、天邪鬼には言葉の意味を理解することができなかった。葉っぱを染めるなどと言う言葉、言われたのは初めてなので当然といえば当然なわけだが。
しかし染める、とはどういうことか。まだ葉っぱを取るというのならわかるが……いやそれでも、こんな山奥の木々にまで取りに来るのは、それはそれでおかしなものではある。
はて、と首を傾げる天邪鬼に、少女はわかりやすいように説明を加える。
「私、この里一帯の木を紅葉させてるの。染めるっていうのは、葉っぱを紅くするって意味」
「へぇ、紅葉を……それは君一人でかい?」
「えぇ、今の所は私だけね。それに一枚一枚手作業塗るから、どうしてもムラができちゃうの」
そう言い、悩ましげにため息を吐く少女。
この里一帯の木々を、と言葉では簡単に言うが、それは途方もない作業だということは間違いない。しかも手作業で一枚一枚など、常人なら木が狂ってもおかしくはない苦行だ。
知らぬ間に、へぇ、と関心の声が漏れ出ていた。自分なら、絶対に途中で投げ出してしまう自信がある。
「それはそれは大変だね。でもどうして君がそんなことをしてるんだい?」
「私、こう見えても神様なの。紅葉の神様。だから木々を紅葉させるのは私の役目なのよ」
「へぇ君は神様なのか……」
少女の言葉に、天邪鬼は意外そうな表情を浮かべ、彼女の姿を見つめる。
「どうしたの? そんなにまじまじと見つめて」
「いやね、神様っていうともっと威厳があるものと思っていたから……ああ、気に障ったのならごめんよ」
「別に気にしてなんかないわ。それは私も自覚していることだから」
曰く、彼女は八百万の神々の一柱らしい。中でも彼女は季節──秋を司る神だそうだ。
日本神話に出てくるような名を馳せた神々とは違い、人間の近くに存在する。親しみやすさがあるのは、もしかしたらそういったものが関係しているのかもしれない。
「初めて会った神様がこんな威厳も何もない女の子で、ちょっとがっかりさせちゃったかしら?」
「そうでもないさ、むしろ初めてが君でよかったよ。僕としては、親しみやすい方が好きだからね」
「ふふっ、そう言ってくれて嬉しいわ」
表情を柔らかくさせ、右手を差し出す。
「私は
「僕は天邪鬼。こちらこそ、よろしく頼むよ」
かくして天邪鬼は、初めて神様との交流を果たしたのであった。
「それで静葉、君はこれからまた作業に戻るのかな?」
「そうね。といっても、後はここの一帯の木を塗るだけなんだけど」
そうは言うが、ここから見えるだけでもけっこうな量がある。さらには葉っぱ一枚一枚を手塗りするのだ、相当時間がかかるのは間違いない。
今は昼前ではあるが、果たして今日中に終わるのだろうか。
「……よければ僕も手伝おうか?」
「ありがとう、その気持ちだけ受け取っておくわ。これ、私じゃないとできないことだから」
木々を紅葉させるためには、彼女の有する”紅葉を司る程度の能力”が必要らしい。
天邪鬼の心遣いを、静葉は申し訳なさそうな表情をしながら断る。
しかし天邪鬼は、いや、と口を開き
「それなら、僕も力になれると思うよ」
ちょっとごめんね──そう言い、天邪鬼は静葉の頭に優しく手を置く。突然のことに静葉は戸惑うが、5秒も経たない間に手は離れ。
「さて、君はいつもどうやって木々を紅葉させているのかな?」
「え……えぇっと、こうやって……こうするのよ」
若干戸惑いつつ、静葉は近くの木から染まっていない葉をちぎる。そして少し力を込めたかと思うと、手に持った葉が徐々に色づいていき、5秒もかからず紅く染まりあがった。
「力の調節で色の濃さも変わるの。強すぎたら茶色に、弱すぎたら黄色って具合に」
「なるほど……うん、わかった」
「……あの、本当にできるの?」
疑いの視線を向けてくる静葉に、天邪鬼は先ほどの彼女と同じく、色づいてない葉を手に取り
「えぇっと……こう、かな?」
「え……うそ……」
少し力を込めると、静葉同様、手にした葉が紅く色づいたではないか。本当に自分と同じことをして見せた天邪鬼に、静葉は驚きで目を見開かせる。
葉を染め終えた天邪鬼は、ふぅ、と息を一つ吐き
「こんな感じでいいかな?」
「あ、うん……大丈夫よ」
天邪鬼から受け取った葉を受け取り、ちゃんと染まっていることを確認する。
自分がやったものと、ほとんど変わらないクオリティである。
「それじゃあ、僕はこっち側をやるから、静葉はそっちを頼むね」
「……ええ、わかったわ」
何をしたのか問いただしたいところだが、まずは紅葉させることが先だ。
木の葉の中へと姿を消す男の姿を見送った後、静葉もまた、同じように樹葉の中へ姿を隠すのだった。
それから時間も忘れ、木々を紅葉させること早数時間。
太陽は傾き始め、空が静葉と同じ茜色へと変化していく頃。
「よしっ、終わった!」
「こっちも、ちょうど終わったよ」
ほぼ同時に、最後の木を染め終えた天邪鬼と静葉は、鳥居の下へと集合する。
「いやぁ、なかなか辛い作業だったねぇ」
慣れないことをしたからか、天邪鬼はやや疲れたような表情を浮かべるのに対し。
「ごめんなさいね、会ったばかりのあなたに手伝わさせて」
さすがは玄人なだけはあり、静葉は表情一つ変えていない。やはり新参者である天邪鬼とは年季の差が如実に現れる。
「なに、僕が勝手にやったことさ。それに山を紅葉させるなんて体験、滅多にできるものじゃないからね。こちらこそ、貴重な経験をさせてくれてありがとう」
ぐーっ、と伸びをし、眼下に映える紅を視界に収める。この区画だけとはいえ、まさか自分の手で紅葉させることができるとは。なんだか感慨深いものがある。
静葉と出会うまでは紅葉は自然とそうなっていくものだと思っていたので、影でこのような努力がされているのだなとわかった今は、より一層そう感じる。
たっぷりと五分ほど、紅葉を見下ろした後、天邪鬼は隣に立つ静葉へと視線を向け
「染め終わったことだし、静葉……君はこれからどうするんだい?」
「どうもこうも、普通に過ごすだけよ。……あなたは?」
「僕もかな。好きな時に好きなことをして過ごす、それだけさ」
まぁ今は、冬に向けての準備に取り掛かることが第一なのだが。本当に、どうすればいいのやら。
「それじゃあ、私はそろそろ御暇させてもらうわ。今度は妹も一緒に連れてくるわね」
「あぁ、それは楽しみだねぇ。君の妹だ、きっといい神様なんだろうね」
「まぁね、私の妹だもの。……それじゃあまた」
小さく手を振り、石造りの階段を降りる静葉。
その小さな背中が紅葉の中に混じり、見えなくなるまで、天邪鬼は見送り続けた。
秋姉妹が姉、秋静葉さんの登場回。
果たしてキャラはこれでいいのだろうか……。
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第10話 『天邪鬼と魔法使い』
お気に入り登録ありがとうございます。
どんよりと黒い雲に覆われた秋空は、今にも大地に雫を落としたそうにしている。太陽も厚い雲の向こうへと姿を隠し、薄暗い雰囲気が世を包み込む。
そんなお世辞にもいい天気といえない空の下、ザッザッ、と草履を鳴らしながら歩くのは、例のごとくあの天邪鬼だ。
秋静葉と共に神社付近の木々を紅葉させた数日。日々増していく気温の低下に、そろそろ暖をとるものが必要だと感じ、何かいいものはないかとこうして森を探し歩いているのだ。
しかしというかやはりというか、目当てのものは中々見つからず。果てには、いっその事人里にでも行ってしまおうか、などという考えを抱く始末。
「……そういえば、さとりが言っていたっけ」
あれはまだ夏の蒸し暑さが残っていた頃の話。いつものごとく、神社に足を運んできたさとりと、他愛ない会話をしていた時のことだ。
妖怪の山という未開の地へと足を運んだ天邪鬼は、案の定、さとりから冷たい言葉を浴びせられた。それはもう、今までにないくらいに。
確かに彼女の忠告を無視して足を踏み入れたのは事実なので、それは仕方ないと割り切り、天邪鬼は甘んじてそれらの言葉を受け入れた。
そんな説教まじりの話の中、ぽつりと、さとりはある言葉を漏らした。
鬱蒼と茂る木々が暗雲よりも深く光を遮り、湿った空気は重く息苦しい。そこらじゅうに生える化け物茸の胞子は、踏み入れたものを夢幻へと誘う毒胞子。
人間はおろか、普通の妖怪すら立ち入ることの少ない、その
「──魔法の森」
空が泣いた。
窓の外に映る景色は降り注ぐ雨に掻き消され、今は見えてはいるが、あと半刻もしないうちに十数メートル先に生える木々の姿すらも見えなくなるだろう。
「……降ってきたわね」
少女、アリス・マーガトロイドは裁縫途中の人形を置き、糸を通した針は可愛らしいピンクの針刺しへ。
そのまま窓へと近寄り、徐々に勢いを増していく雨を眺める。
彼女以外いない静かな室内では、雨が屋根を叩く音はもちろん、外の草木を鳴らす音までもが聴こえてくる。
別段、雨が嫌いというわけではない。陽の光を遮る暗雲も、この魔法の森に住んでいれば普通のことだし。しとしと、と鳴る雨音も耳を傾けていると心が安らぐ。
もちろん晴れている方が気持ちはいいが、雨の日も雨の日なりにいいところがある。雨景色を眺めながら、アリスがそう思っていると
「……んん?」
雨に遮られてやや見え辛くなったこの家への入り口。つまりは森の中。
一つの人影がアリスの視界に姿を写す。
「人間、かしら……?」
しかし何故こんな場所に──そんな疑問が浮上する。
雨が降りしきる中、いやそうでなくとも、森の中はあの毒胞子が蔓延している。そんな中をたった一人で歩いてきたのか、自身が住むこの場所まで。
気になりその人影を窓から観察していると、この建物を目にしたその人物は急ぎ足で玄関までやってくる。
そして
「誰か人はいるかい?」
ノックの後に聞こえてきたのは男の声。アリスは玄関へ向かい、木製の扉を開けるとそこには、黒い甚兵衛に身を包んだ男が、いや妖怪がいた。茶色の髪に包まれた頭頂部から覗く、白い小さな二本の角が、彼が人ではないことを物語っている。
その妖怪は家主がいたことに安堵した後、申し訳なさそうにしつつ口を開いた。
「急で悪いけれど、少し雨宿りさせてもらえないかい?」
「いやぁ助かったよ。降りそうだとは思っていたけれど、まさかこんなに強くなるなんて思いもしてなくてさ」
そう言い、窓の外を見つめる。その髪からは僅かに水か垂れ落ち、玄関に小さな跡を作る。
とりあえず濡れた体をどうにかするために、アリスは天邪鬼と名乗る妖怪へと拭くものを渡す。
ありがとう──そう言って受け取ると、髪、腕、脚などの部分の水を拭き取っていく。
困ったような笑みを浮かべる天邪鬼を横目に、お湯を沸かすアリスは静かに問いかける。
「あなた、どうしてこんな場所なんかに来たの?」
「友人からこの森があることを聞いたのを思い出してね。要は興味本位ってやつさ」
普通だったら、こんな森に興味も何もわかないはずなのだが。暗いし、ジメジメしているし、毒胞子は舞っているし……一体何に興味を惹かれたのだろうか。
そんな普通ならば考えないことを口にする天邪鬼へ対し、アリスは”変わったやつ”という評価を下す。
「そう……あなたって変わってるのね」
「ははっ、よく言われるよ。でもそういう君こそ、どうしてこんな森に一人で?」
「この森に入る妖怪はそうそういないから、静かに暮らすのにはちょうどいいのよ。それにここの茸の胞子には、魔法の力を高める効果があるらしいから」
魔法──その言葉に天邪鬼は、おっ、と反応を示す。
「へぇ、君は魔法使いなのか」
「ええ。とは言っても、まだなったばかりの新米だけれど」
魔法使いになるためには捨食、つまりは食事を不要とする魔法を会得する必要があるらしい。そして捨虫、老化を止める魔法を会得すると完全な魔法使いへと至ることができるそうだ。
アリスはつい数年前にそれらの魔法を会得し魔法使いになった。新米というのはそういうわけだ。
魔法使いと言えば、杖に跨って空を飛ぶくらいの、典型的なそれしか知らない天邪鬼。魔法使いになるための方法を初めて耳にし、へぇ、と感嘆したような声を漏らす。
「魔法使いになるのって、思った以上に苦労するんだねぇ」
「苦労なんて言葉は、これからようやく使えるのよ。私はまだ夢への一歩を踏み出し始めたばかりなんだから」
そう言いながらアリスは天邪鬼へ歩み寄り、中身の注がれたティーカップを差し出す。
「ふぅん、紅茶か」
「あら知っていたのね。緑茶の方がよかったかしら?」
「いいや、こっちに来て初めて見たからね。少し感動していただけさ」
今まで川の水やらなんやらで喉を潤していたので、こうした味のある飲み物を見ると気分が高揚する。
天邪鬼は口元を綻ばせると、カップへ口をつけ。ゆっくりと、噛みしめるように紅茶を飲む。
「……あぁ、とても美味しいね」
「そう、口にあったようで何よりだわ」
褒め言葉にも表情一つ変えないアリス。これがさとりであれば、なにかしら面白い反応を見せてくれるのだが。などと、本人がいないことをいいことに、心の中でそんな失礼なことを思う天邪鬼。
噛みしめるように紅茶に舌鼓を打つ天邪鬼は、家の中を観察するように見渡し、あることを思う。
「この家、人形が多いね……君が作っているのかい?」
「えぇそうよ」
それは家の中にこれでもかと並べられた人形の数々。
そんな人形たちから視線をアリスへ戻すと、彼女は口を閉じ、黙々と人形作りに精を出していた。彼女の表情は真剣そのもので、むしろ何か鬼気迫るようなものすら感じ取れる。
人形を作る彼女を見て、そういえば、と天邪鬼は先ほどのアリスの言葉を思い返す。
「夢への第一歩って言ったけど、君の夢っていうのはなんなんだい?」
「あなた、初対面なのに結構踏み込んでくるのね。まぁ別に隠すようなことでもないけれど」
そう言い、アリスは人形を作る手を止め、金色の瞳を向ける。
「夢、というよりも目標といった方がいいわね。……私はね、意志を持った人形を作りたいのよ。誰かが操って動かす人形じゃなくて、自分の意志で動く人形が」
意志持つ人形。それが自身の目指す場所だと、アリスはそう語る。
人と同じように考え、同じように行動し、同じように喜怒哀楽を持つ。それは意志を持つというより、”心”を持つといった方が的確だろう。
”心”とはすなわち”
「……やっぱりおかしいわよね。無茶無謀だって思うわよね」
でも──
「私は絶対に作ってみせる。私のこれからを全部かけても、絶対に」
アリスの瞳には、確かな決意が宿っていた。いや、それもそのはずだ。でなければ、魔法使いになろうなどと思うはずもない。
不老という、人の範疇を超えてまでも追いかける夢。それにかける思いが半端なものなどであるなど、そんなことあるはずがない。
決して揺るがぬ堅固な意志を示すアリスに、くつくつ、と笑いを漏らす天邪鬼は
「確かにそんな夢を持つものは、君の他にはいないだろうね。僕自身も、話を聞いてわずかにだけど、無茶だと思ったよ」
けど──
「どうしてだろうね。君になら、それができる気がするって……そう思うよ」
「冗談や同情で言っている……わけではなさそうね」
「他人の夢に同情なんて茶々、入れる訳ないだろう。僕はただ純粋に、君にならできるって、そう思っただけさ」
そう言い、彼は飲み干したティーカップを机に置き、近くに置いてあった人形へと視線を向ける。
これだけの数の人形を作っているというのに、どの人形も丁寧に、ほんの一欠片の妥協も許さずに作られている。綻びの一つもない、まさに完璧な仕上がりだ。
天邪鬼はその内の一つを手に取り、優しく笑みを浮かべ
「付喪神って知っているかな?」
唐突に問いかける。
付喪神──それは長い年月を経た道具などに神や精霊が宿ったもの。
なぜ天邪鬼が唐突に、そんな質問をしたのかというと
「きっとそうしたものっていうのは”愛情”がこめられているんだと思うんだ。数十年、もしかしたら百に届くかもしれない時間を、ある者からある者へと移りながら。大事にしよう、大切にしようっていう思いが」
「……話が見えてこないわね。つまり、あなたは何が言いたいの?」
「ははっ、まぁなんてことはない話さ。要はね──」
そう、本当になんてことない。天邪鬼が抱いたのは魔法など全く知らない、無知な素人の思い至った、ただの仮説だ。
そして、彼が口にした言葉は
「愛の力は偉大だ……ってことかな」
いつの時代かに使い古された、そんな言葉だった。
「あい……愛、ね……。そんなこと、考えたこともなかったわ」
「そんなってひどいなぁ。愛の力って、結構すごいんだよ?」
「そう言われても、あんまり説得力を感じないわね。それにそんな抽象的なもの、私が信じると思う?」
確かに、彼女がそんな感情を抱くなど、今の天邪鬼には考えられない。人形一筋に生きているのだから、抱くとしても相当先の話になるだろう。
臭い台詞を吐いたうえにそんな反応をされて、さしもの天邪鬼も気恥ずかしそうに鼻っ面を掻く。
「まぁでも、折角のだし、頭の片隅にでも入れておいてあげるわ」
「そりゃどうも、ありがとうございます」
「あら、拗ねちゃった? ふふっ、のらりくらりしてそうで、以外と可愛らしいところもあるのね」
くすくす、と笑うアリス。花が咲くような笑みにつられ、天邪鬼もまた、はははっ、と笑い声をこぼすのだった。
雨もやみ、空にかかっていた暗雲が徐々に厚みをなくしていく。
代わりに雲間から覗く月が、途切れ途切れになりつつも、優しい光を地上へ送る。
雨はすっかり上がったので、雨宿りということでお邪魔していた天邪鬼は、これ以上ここにいる意味もなくなり。
「どうもすまないね。急にお邪魔した挙句、お茶もご馳走になって」
「いいのよ。どうせいつも一人だから、偶にはこうしてお喋りするのも悪くはないわ」
玄関にて、扉の
雨も上がったことで、外の気温はまた更に低くなり。アリスは開いた扉から家に流れ込んでくる冷気を感じ取る。
「そういえばあなた随分と寒そうな格好しているけど……大丈夫?」
「ははっ、実のところ寒くてね。冬までにはどうにか、暖をとれるものを探さないといけないんだ」
見るからに寒そうな甚兵衛姿。天邪鬼の言葉にアリスは、ふむ、と顎に手を当てて
「そう、なら私が作ってあげましょうか?」
「……気持ちは嬉しいけど、僕にはお返しできるものはないからねぇ」
「そしたら時々ここへ来て、庭の掃除とか手伝ってくれればいいわ。それならあなたでもできるでしょう?」
「それはそうだけど……いいのかい?」
初対面の少女にそこまでしてもらうのは、どうしても気が引けてしまう。
しかしアリスは一つ返事で承諾し
「あなたとの話、なかなか面白かったから。申し訳ないと思うのなら、話のネタを切らせないように頑張りなさい」
「それはそれは、大変なものを引き受けたもんだねぇ」
また一つ、笑い声が響く。
「それじゃあ、気をつけて帰りなさい」
「あぁ、また来るよ──アリス」
最後に、互いに小さく手を振り、天邪鬼は森の中の小さな家を背に歩き出した。
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第11話 『初冬のある日』
久しぶりの更新です。
暇つぶし程度にどうぞ。
木枯らしが吹き、体温が一気に持って行かれる。冬もはじめだというのにこの寒さでは、これでは本格的になってきたらどうなってしまうのだろう。
今は昼時ということもあり、日は確かに差しているのだが、こうも気温が低くては『焼け石に水』いや、この場合は『氷に線香花火』といったほうが正しいだろうか。まぁどちらも言えるのは『あまり意味をなさない』ということだけ。
この廃神社では寒さを凌ぐという機能は期待できず、建物中にある穴から侵入してくる隙間風に体を震わせることしかできない。
「いやぁ、アリスに冬服を貰っておいてよかったよ」
そんな廃神社の現主人である天邪鬼はというと、いつもの縁側の近くの地面に枯れ枝や落ち葉などを集め、焚き火をすることで暖を取っていた。
パチパチと音を鳴らす焚き火の暖かさに口元をほころばせる天邪鬼。そんな彼の服装はいつもの黒い甚兵衛の上に、黒い羽織りのようなものでその体を包み込んでいた。
これは先のアリスとの『冬用の服を用意する』という約束により手に入れたもので、これのおかげで幾分かは寒さが軽減されている。それでもまぁ寒いものは寒いのだが、甚兵衛だけの時からしてみればだいぶマシだと言えるだろう。
「それにしても、君はこんな寒さの中よくここまで来るねぇ」
「妖怪ですから、多少の寒さはなんともありません。それにここに来るのも単なる暇つぶしの一つですから」
「ははっ、暇つぶしでも嬉しいよ。こんな場所で一人寒さに震えるのは、いくら僕でも勘弁だからね」
そう言いながら、天邪鬼は焚き火の中に突き刺すように入れていた木の枝へ手を伸ばし、突くように動かし何かを確認する。
そんな天邪鬼の動きにさとりは、こてっ、と可愛らしく首を傾げ
「何をしているんですか?」
「ん? ははっ、決まってるじゃないか。焚き火と言ったら……これだよ」
得意げに笑みを浮かべ、天邪鬼が燃え盛る火の中から枝を抜くと、中から現れたのはほかほかとその身から煙を上げる芋だった。
「焼き芋、ですか……」
「いやぁ、寒い日はやっぱりこれに限るよね……はい、さとりの分」
「え、ちょっ、熱っ!」
不意に投げ渡された焼き芋を戸惑いつつキャッチするさとり。だが出来たて間もない熱々のそれを素手で持てばどうなるかは明白。さとりは右手と左手で交互に持ち替えつつ、ポケットから布を出しそれで焼き芋を包む。
布を巻いたおかげで熱さが軽減され、一息吐いたさとりは天邪鬼へ抗議の視線を向ける。
「いきなり渡さないでください。火傷するかと思ったじゃないですか」
「ははっ、ごめんごめん」
謝りつつ、天邪鬼は自分の分の焼き芋を取り出す。「あちちっ」と、さとりと同じように左右の手で持ち替えながら芋を半分に割る。ほくほくと、煙とともに香ばしい匂いが立ち上り、割った断面は綺麗な黄金色で食欲を唆る。
さっそく、両名は芋へと齧り付く。味は甘味のように甘く、その食感はペーストのようにとろけ、ねっとりと舌に絡みついてくる。
「……美味しい」
「だね。素材が良かったんだろうね、いやーいいものをもらったよ」
「そういえば、この芋は誰からもらったものなんですか?」
このおんぼろ神社に立ち寄るような人間、延いては妖怪など自分かあの天魔ぐらいなもののはず。であるならばこの芋は一体どこの誰からもらったものなのか。
「ああ、これは知り合いの神様から貰ったものだよ」
「神様、ですか?」
「うん。秋静葉って言ってね、彼女から色々と譲って貰ったんだ」
共に神社の周りの木々を赤く染めた、紅葉の神様である秋静葉。その時のお礼として、天邪鬼は彼女から多くの作物をもらったのだ。
「天魔に引き続き、神とも知り合いになっていたんですね。あなたの交友関係には毎度驚かされます」
出会ってまだ半年かそこらだというのに、この天邪鬼は次々と交友関係を広めていっている。それに聞けば、彼がいま着ている羽織も友人となった者からのもらい物だとか。
長くここに住んでいるが、未だ友人と呼べる者がこの天邪鬼と天魔の二人しかいないさとりは、早々にこの妖怪に友人の数を抜かれてしまった。
なんてさとりが現実を直視し項垂れていると、焼き芋を食べ終えた天邪鬼がふと尋ねる。
「妖怪の山や魔法の森の他に、どこか面白そうな場所はあるかな?」
「そうですね、人が寄り付かないというのであれば、いくつか心当たりがあります」
「おぉ、それじゃあ早速教えてくれるかい?」
期待に笑みを浮かべる天邪鬼へさとりは「そうですね」と、顎に手を当てしばし考え込むと
「近場だったら『迷いの竹林』でしょうか」
「迷い……なんとも興味を唆る名前だね。それで、その迷いの竹林っていうのは?」
さとり曰く、迷いの竹林とは昼夜問わず深い霧に覆われ、不規則に並んだ竹が足を踏み入れた者たちに無限にも思える広さを錯覚させる。また目印になるものが全くと言っていいほどなく、自分が前に進んでいるのか後ろに進んでいるのかすらもわからない──まさに迷いの竹林。
「なるほど、足を踏み入れれば進はおろか、戻ることすら難しい竹林ねぇ」
「えぇ、妖怪ですら足を踏み入れるのを躊躇う場所です。私としてもおすすめはしません」
「そうかそうか、おすすめはしないか……なるほどねぇ」
ニヤリと、口角を上げる天邪鬼。
行くな、や、おすすめしない、と言われて胸が踊らないわけがない。彼女の言う迷いの竹林は未だ誰も足を踏み入れたことのない未開の地。これは嫌でも期待が高まってしまう。
笑顔を浮かべる天邪鬼を見て、彼の思考を読んださとりは「またか」といった風に溜息を吐き
「大変嬉しそうにしていますが、二度と戻ってこられないかもしれないんですよ? わかっているんですか?」
「もちろんわかってるさ。でも大丈夫、僕にはとっておきの切り札があるからね」
切り札とは無論、能力による擬似ワープのことだ。あれさえあれば、この廃神社に戻ってくるなど造作ない。
「そこまで自信があるのなら大丈夫ですね。まぁ、行っても何もないとは思いますけど」
「あるかないかなんて、行くまではわからないさ。なんたって、まだ誰も入ったことがないんだからね」
くつくつ、と楽しそうに笑みを浮かべる天邪鬼。
そんな彼を横目で見ながら、さとりはまだ食べきっていない焼き芋に齧り付くのだった。
すると二人を覆うように影が現れ、漆黒の羽根がふわりと舞い落ちる。
「おや、君も来たのか。わざわざ寒い中ありがとね」
「い、いえ! こちらこそ、突然お邪魔して申し訳ありません……」
ぺこり、と申し訳なさそうに頭を下げるのは、ぼっちな天魔こと烏丸芙蓉だった。
そんな彼女に天邪鬼は苦笑しつつ、頭を上げるように言い
「僕としては来てもらうのは嬉しいんだけれど、君は仕事はいいのかい?」
「は、はい。ふ、冬は作物も育たないので、山に入る者も少なく……だ、だからいつもよりは、忙しくはないんです」
そして焚き火の近くに腰を下ろす芙蓉。そんな彼女に天邪鬼は焚き火の中から焼き芋を取り出し、布に包んで手渡した。
「ここに来るまでに大分冷えたろう? これでも食べて温まるといいよ」
「焼き芋……あ、ありがとうございます」
焼き芋を受け取り、あむっ、と小さな口で齧り付く芙蓉。そして、あむあむ、と何度か咀嚼をした後、ごくん、と飲み込み
「はぁ……美味しい♪」
「ははっ、口にあったようで何よりだよ」
幸せそうに笑みを浮かべる芙蓉に、天邪鬼もつられ笑みを浮かべる。
そんな二人をさとりは残りわずかとなった焼き芋を口に放り入れ、静かに眺めているのだった。
「ほうほう、なるほどなるほど……そう言うことでしたか」
だがこの場にもう一人、神社に並ぶ木々の隙間から、談笑をする天邪鬼たちを覗き見る影が一つ。
「ここ最近、天魔様が住居を離れることが多くなったので気になって付いてきてみれば……まさかこんな場所で妖怪と密会をしていたとは」
黒髪のボブカットには山伏が被るような赤い帽子。服装は冬とは思えない黒いミニスカートに白いシャツ、そして気持ち体を温めるのは首元に巻かれた赤いマフラー。
天邪鬼や芙蓉に聞こえないよう小さな声で呟き、その姿を隠し見る彼女の名は
じっくりと、天魔と話す妖怪たちを観察するように眺める文。
まず彼女が視界に入れたのは、これはこの付近に住むものであれば誰もが知る覚妖怪だ。心を読むとされ、他の妖怪から
まぁそれは今は放っておいてもいいこと。問題は次の妖怪だ。普通天魔と話す者は、その威圧感から竦んでしまうことがほとんど。
しかしあの妖怪は天魔とああして正面から話をして平静を保っている。間違いなく並みの妖怪ではないだろう。
「しかし、いつの間に天魔様にあのような友人が」
いつも天狗の住居で仕事に忙殺され、少しある休日も部屋で過ごしている彼女が、一体どうやって天狗以外の友人を作ったのだろうか。
ここ数十年の記憶を掘り返してみるが、天魔が直々に腰をあげる事態など……いや、一つだけあった。それもつい最近の出来事だ。
妖怪の山に侵入し、哨戒天狗を物ともせず、
「となると、あの妖怪がその時の侵入者で間違いはないですね。それで事件の日に天魔様と関係を持ったと……」
おそらく、いや十中八九これで間違いない。
天魔が外出をするようになった時期とも重なるし、あの男こそが妖怪の山へ単身侵入してきた妖怪なのだろう。
「いやはや、天魔様をつけたら予想外の妖怪に出会しましたね。しかしこれはかなり使えそうです」
むふふふ、と怪しげな笑みを浮かべる文。そして彼女は首から吊り下げた、最近河童が開発したという映像を絵として記す絡繰りを構え、談笑する天魔たちの姿を記録に収めた。
この絡繰りは河童たち曰く『かめら』と呼ばれるもので、丸い水晶の下にある隙間から一枚の紙が自動で排出される。
文はその紙を手に取り、そこに写った天魔たちの姿を見て、うんうん、と頷き
「記念すべき『第1号の記事』として不足はありません。ではでは早速、後日にでも接触をしてみましょうか」
そう呟くと文はそれ以上の観察はせず、すぐにその場を後にする。
その表情はとても満足気で、まるで子供のように純粋な笑みを浮かべていた。
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