春物語 こはるマザー (明城)
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初投稿です

初投稿です。物語シリーズの「結物語」を読んでみて作りたいと思い作った、100%二次作品です。
▼「結物語」よりも更に年数が経過し、阿良々木暦やヒロインの子供などオリキャラも登場します。▼40代となった阿良々木暦を軸に物語がスタートします。


 

世渡《せわたり》こはるの母が焼身自殺を図ったのは、世渡こはるが中学卒業直前の出来事である。偶然現場を目撃し彼女を保護した僕の妹であり、直江津警察官の警部である水鳥火憐、旧姓阿良々木火憐いわく、彼女は燃え盛る母を呆然と見守っていて、その炎は、不思議と惹かれるような鮮やかなものだったという。

 しかし火憐は急いで羽織っていた上着で燃え盛る炎を消そうとしたが、いつの間にか彼女の母と共に炎が消えたのである。

 なぜ彼女の母親が、自分の娘を目の前に焼身自殺を図った理由は未だに分かっていないものの、自殺する直前に彼女に残した遺言によれば、『自分の遺灰や思い出の品を、初恋の男性に渡してほしい、処分するか保存するかは彼に決めて欲しい』との事だ。

 まぁ、その初恋の男性からすれば、今更と思うのか、迷惑と思うのか、分からないけれども、彼女にそんな遺言を残すな。娘に頼まずに自分で伝えればいいだろ。だが、何等かの怪異が関わっているのなら話は別だ。

 

 なぜなら、自殺現場が二年経った今でもどこかがわからないのだから。

 

 二人の証言によれば、気が付いたら見知らぬ廃墟に連れられて母親が自殺を図った、という事だが、この町にはそれらしき廃墟が見つからなかったのである。自宅に帰ろうとしてた火憐が発見当時、いくら仕事終わりで疲れてていたであろうと、人生の大半を過ごしたこの町の事を知っているはずで、場所が分からなくなるとは考えにくい。その為場所が分からない以上、事件を簡単に調査することも検証することもできない。

 

 また、こはるの母親の写真が一枚もなく、周囲との関わりを遮断しており、後で戸籍を調べても世渡こはるは存在しても、両親の戸籍が存在しなかったのだ。

 親が身元不明である。

 

 だから、この事件事態存在するのか、そもそも世渡こはるが何者なのか、謎だらけである。

 まさに風説である。

 「母はたった一つの過去を捨てきれず、それしか見ていなかったわ。結局初恋の男性とは結ばれませんでしたが、結局その人に似た人との間に私が生まれたものの長くは続かったの。いくらどんなにそっくりでも結局のところ、初恋の男性ではなかったから」

 と、世渡こはるは振り返る。

 「その初恋の男性ってどんな人なんだ?」

 「確か、お人好しで変態で女たらしの人もどき、だったかしら?まぁそんな人を好きになった母も相当変わった人ですし」

 「女たらしの人もどきって」

 普通の悪口じゃないのか?それ。

 「母の遺言通り、その人に遺灰も遺品も遺言も何もかも渡して終わらせたいわ。母と区切りを付けたいし、何よりもその変態に何をされるか分からないし。」

 そういって彼女が取り出したのは、刃渡り20センチくらいのナイフだった。

 「これも母の思い出うちの1つで、もしも身の危険があったらこれを使えって渡されたけど、もしかしたらよっぽどの人なのかしら。犯罪レベルの変態性なのかしら」

 「そんな犯罪レベルの変態野郎だったら何等かの形で、警察にお世話になってだろうし、実際にそれ使ったら警察官の僕が君を逮捕せざるを得ないな。こはるちゃん」

 どんな母親だよ。自分の娘に護身用の刃物を渡して初恋相手を探させるって。

 「でもこのナイフ、鋭くて切れそうでも精巧に母が作った偽物です。」

 そういって彼女はナイフに手をやっても切れることは無く、血は流れなかった。これも母親と初恋相手との思い出の品を真似て作った偽物の偽物だそうだ。

 

 「それに、そんなことでこれを使いたくないですよ。阿良々木署長さんやガハラ君、それに火燐おばさんにご迷惑をおかけしたくありませんし。居候の身なので」

 「署長って言わずにおじさんでいいよ?タメ口で近所のおじさんと喋る感覚で」

 「同級生のお父様にタメ口ってした事ないです」

 「じゃあせめて、お父様って言うのも止めてくれ。僕はそんなに偉そうに出来ない人だし、実の息子に絶縁宣言されてるし」

 

 この事件をきっかけに身寄りのなくなった彼女は、火憐夫婦の家に居候中であり、僕とひたぎとの間に生まれた長男阿良々木ひよみ、もとい戦場ヶ原ひよみも居候の身でもある。

 

 現在、僕たち兄妹が、十代の若い頃を過ごした実家は火憐夫婦とその子供の火凛《かりん》、そしてひよみを加えると五人暮らし。

 まさか、仕事として実家に帰ることになるとは…。

 

 リビングのソファにくつろぐ世渡こはるの横にボディーガードのごとく立っているのが、僕とひたぎの息子阿良々木ひよみである。

 何故実の息子に絶縁宣言、いやこじらせてしまったのかというと…まぁ僕とひたぎが原因だから複雑な問題だ。

 簡単にいうと、昼間から変態プレイをしているのを、中学卒業を控えたひよみにみられ、彼が高校二年になった今でも尾を引いているのである。

 それ以降、ひよみは、自身の母親の旧姓である戦場ヶ原を名乗ってるのが、彼なりの絶縁した証か。

 「もうお父さんと仲直りしたら?ガハラくん。戦場ヶ原を名乗らずに」

 「親父が、自分の母親に、ツインテールのかつらにランドセル背負わせてセクハラする犯罪ロリコンプレイを強要するような変態野郎だぞ?そんなロリコン野郎と縁を戻せと?仲良く一緒にやれと?」

 同級生の女の子に、両親のやってた具体的にプレイの内容を言うな。ただでさえ実の息子に見られて今でも夫婦間がギクシャクしてるのに。

 「こら、自分のお父さんになんてことを言うの」

 「事実だろ?これ以上あいつに近づくな。今にもこいつに貞操狙われるぞ。」

 「私はそんな人に見えないよ?気さくなお父さんじゃない?」

 「とにかくこいつを親父とは認めない」

 「そんなことを言わずに。ね?」

 こうして改めて息子を見ると、かつて蟹に出会った頃の母親であるひたぎに似ているな。特に僕を蔑むようなきつい顔が。

 その後、ひよみに追い出される形で実家を出る事になった。

 追い出される際にこはるちゃんに

 「必ずや息子さんを更正させますので、また」

 と去り際に言われたのだが、あれ?ひよみの足元にどこか遠い昔にみたような二人の幼女がいたような…。

 

 まぁ、なんにせよその初恋の男性とやらを探すのが彼女なりのけじめであり、彼女の母親の自殺関係の風説を調査するのがぼくたち直江津署風説課の仕事である。

 今現状分かっていることは、世渡こはるの母親が自殺した原因に、初恋相手の男性が何らかの形で関わっていること。その初恋相手が女たらしの変態。その二人の手掛かりとなりそうなものはナイフ。母親や初恋相手の名前は不明。自殺した現場が見知らぬ廃墟で、それがどこかにあるのかは不明。

 分からないことが多いな。仕方ない、忍を呼ぶか。

 僕はその場にしゃがんで自分の陰にノックしようと下その時…。

 「千石?」

 今、千石撫子が僕の目の前を横切ったような…。

 しかも学生時代、蛇切縄にあった頃の、帽子や前髪で顔を隠していた頃の。そのままだった。

 …いや、僕の見間違いだろう。とうも昔に千石撫子は中学校卒業して漫画家になったはずだ。確か二人の娘によれば、千石の漫画がSNSやちゃんねるで話題になって今でもカルト的な人気があるらしい。

 あれからずいぶんと時が流れて年を取っているはず…。

 「じゃが、あの蛇娘がまた蛇神様になって戻ってきたのなら話は別じゃな」

 「おいおい、それは洒落にならねえよ」

 「随分と懐かしいの。今お前様が見かけたのは確実にあの蛇娘じゃないがの……それよりもこの町には霊気が感じられんが、感じないからといってよくないものがいないとは限らんが」

 「なんだそりゃ?どういうことだ?」

 「あの小娘の母親が焼身自殺を図った前後から、この町に舞い戻ってきた三人の怪異の専門家や迷子娘たちの動きが激しいの。まぁ、儂にとっては久しぶりに満足できそうじゃ」

 と。忍は牙をむき出して笑った。

 この町に戻ってきた怪異の専門家?忍野メメ、影縫さん、貝木の三人がこの町に?それほどやばいのか。

 

 「儂の見立てでは、あの小娘の持ってたあの思い出のナイフとやらも、怪異由来の代物じゃろうし、自殺現場、初恋相手、すべての謎の手掛かりとなるのじゃろう」

 「じゃあこはるちゃんの母親も何らかの怪異に巻き込まれたのか?例えば、扇ちゃんのように結界を張って人を誘い込む怪異とか」

 「おしいの。48点じゃ」

 と忍は意味ありげに答えた。

 「むしろ、自分が生み出した怪異を抑え込むためにこの町にばら撒いたようなものじゃ。そして、あの小娘とお前様の妹御の迷い込んだ廃墟も怪異が作り出したものなのじゃ」

 ひたぎと二人の娘のいる家に帰り道を歩んでいたはずなのに、僕と忍は、今は存在してはいけないはずの学習塾跡にたどり着いた。

 そして、この町にいてはいけないはずの忍野メメがあの青春の思い出を再現するかのように僕の目の前に立ちはだかる。

 【おや阿良々木君じゃないか。それに○○○○○○だよね?】

 だが、そこにいる忍野メメは、学習塾跡は、偽物でモノクロがかった輪郭があいまいな幻だった。

 【○○は変わってないけど、うん。その○○○は間違いなく……】

 白黒の忍野メメが誰かの名前を言おうとしたその時、僕の横から火柱が忍野の身体を貫いた。その火柱の発生源を辿ると、全身白黒まだらの火だるまの人型の怪異が僕の隣にいた。

 顔や全身が見に包まれた炎で判別できないが、大体ひよみと同じ身長くらいか

 

 火柱を貫かれた忍野は、全身がモノクロの炎に燃やされるのに動じず、録音された音声を喋り続ける。

 【慌てるなよ、阿良々木。元気いいなあ。何かいいことでもあったのかい】

 そして何時ぞやの忍野のセリフを言ったのを最後に、忍野の幻が灰色に燃え尽きた。

 「い、今のは何だ!!誰だお前は。今の空間は何だ!?」

 全身火だるまの怪異は僕の質問に無視して辺りを見渡す。

 「忍、こいつがこはるちゃんの言ってた廃墟の怪異の正体か?」

 「否、こやつは…」

 「今はこいつに言わないでくれませんか?忍野忍…さん?いや、キスショットさんだったか」

 火だるまの怪異が初めて喋った。どうやら、こいつは僕と忍の事を知っている風だった。

 「儂は忍野忍じゃ」

 「この姿は初めまして。なでしこさんと余接さんから貴女のことは聞いております」

 「ふん。し、かし大した男じゃのぉ。一度に二体の怪異を取り込むとは無茶苦茶じゃな」

 「貴女ほどではありませんよ。それでは」

 火だるまの怪異は、忍との会話を切り上げてどこかへ行ってしまった。

 「今の怪異は忍の知り合いか?千石や余接の知り合いのようだが」

 「相変わらず、鈍感じゃなお前様は」

 

 翌日、モノクロの学習塾や忍野、白黒まだらの火だるまの怪異の手掛かりを探す為に忍のいう良くないものが溜まっている場所に調査をすることになったのだが。まさか僕の実家、直江津高校、そして学習塾跡に出来たショッピングモールだった。

 つまり、僕の周りに集中的に霊的なものが集まっているのである。

 

 今日は直江津高校の授業参観日で、僕やひたぎもひよみの保護者として懐かしの母校を訪れている。

 何時ぞやの警察の新人研修で兆間《きざしま》先輩とここを訪れた時みたいに、変なやりにくさみたいなものはなかった。

 むしろ、反抗期を迎えた自分の息子の成長が見られる良い機会だ。

 まさか、直江津高校の生徒としてでもなく、警部補としてでもなく、保護者としてここにいるとは。

 「この箱をしばらく持っていただけませんか?母にも授業見て欲しいので」

 と、こはるちゃんから母の遺灰の入った小さな箱を手渡されたまま、僕はひたぎとこはるちゃんの母は親の遺灰と共に、息子とこはるちゃんの授業参観をすることになった。

 

 「母さんならともかく、何でお前もいるんだよ。帰れよ」

 「別にいいだろ。お前がどう言おうとお前は僕の息子だ」

 「母さん、なんでこいつに授業参観日教えたんだよ」

 こいつ、僕を無視しやがった。

 「せっかくパパもママもお仕事休んできたのに何てこと言うの。いつまで火憐伯母さんの所にいるつもり?」

 「おい、話をそらすな」

 昼間の教室の廊下で母と息子との喧嘩が続いたが、しばらくするとこはるちゃんが喧嘩を仲裁しその場を収まったのだった。

 何というか、最初から最後まで僕は置いてけぼりで入り込む隙は無かったのだった。

 「そんなところで何をぼーっとしてるの。私たちの子供でしょ?」

 「分かってるよひたぎ。ただ、接し方が分からないよ。こっちから声かけても無視されるし。敵視されるし」

 「そう、まったく誰に似たんだか。」

 「そりゃ見た目も性格も蟹に出会った頃のひたぎに似てるよ。とくに父親に敵意を抱いてる点とか」

 「そうかしたら?こじらせてる所は昔のあなたに似てるわよ?なんだっけ?『友達はいらない、人間強度が下がるから』て言って人を避けてるのと、戦場ヶ原と名乗ってあなたを避けてるのって結構似てない?」

 「やめろよ、若気の至りだ。よくそんなの覚えてるよなお前」

 「何でもは覚えてはないわよ?覚えてることだけ」

 「それは羽川のセリフだろ。随分と懐かしいな」

 元ネタは、何でもはしらないわよ、知ってることだけ。だけど。

 「今羽川さんて結局生きてるのかしら、……それとも本当に死んでるのかしら」

 「さあな、最近連絡が来てないな。」

 羽川翼、もとい『ツバサ・ハネカワ』が自分の存在や経歴を消した後、彼女の平和活動が続いたのだったがある日を境に忽然と姿を消したのである。

 その後19年の間に

 敵対勢力に暗殺された。

 吸血鬼の子供に封印された。

 三人の専門家に怪異として退治された。

 アメリカのCIAに研究対象として拉致された。

 ドバイの大富豪に匿われてる。

 実は日本で戸籍を変えて今も生活してる。

 この町に幽霊として彷徨っている。

 

 と羽川関連の情報が錯綜しててどれが正しいかは、僕たちには分からない。もしかしたら、すべて情報が本当かもしれないし、自分の存在を隠蔽する為に偽の情報を羽川自身が流してかもしれない。結局のところは真相は闇の中だ。

 「まぁ、出来れば生きてまた会いたいわね。三人で昔話をしてみたいわ。高校時代の懐かしい話を」

 「それは叶わないんじゃないか?生きていたとしても、もう僕らの事を覚えてないだろ」

 「昔、自分の経歴を抹消するために会いに来た話?私はあなたに会いに来たんじゃないかと思うわ」

 あの子もあなたのこと好きだったのよ?あの頃は。知らなかった?とそう付け加えた。

 「いや…知ってたよ。……あの時、コピーキャットが教えてくれたよ」

 あの頃からどれほど経っても色褪せない思い出だった。

 「そう、実は私、最近羽川さんの夢を見るようになったのよ。神原も老倉さんも、後は火憐さんもみんな同じ夢を見てるのよ」

 「みんなが羽川の夢を見る…か」

 残念な事に、僕は羽川の夢を見てはいない。どころか、月日の経過と共に羽川の顔も声もぼんやりとしてきて忘れつつあるのである。

 

 

 「お、おお面白そうだな。授業参観終わったら聞かせてよ。羽川さんて人の話……をさ。仲良くしようぜ」

 ひよみが引きつった顔で歯切りして僕に話しかけてきた。

 「か、勘違いすんなよ親父。別に世渡が『聞き分けのないこと言ったらあなたのお父さんに告って付き合っちゃうぞ?』『あなたのお父さんにしか通じないとっておきの秘策があるの』て言われて屈したわげじゃねぇぞ。」

 お前の同級生こえぇよ。僕までこわく感じるよ。

 なんだよ、彼女の言う僕にしか通じない秘策て。

 「世渡とおまえ…いや親父と付き合ったら俺の周りの人間関係が全部崩壊するだろ、だから仕方なく親父とこうして仲良くする振りでも…」

 俯いてガタガタガタガタと。これが、こはるちゃんの更正か。

「そこまでして僕と仲良くしなくてもいいぞ?僕は今でもお前のお母さんを愛しているんだぜ?息子の同級生に浮気するわけないだろ。大丈夫」

 

 「それに、俺の人生設計が台無しになる」

 「え?今ひよみ何か言った?」

 「なんでもねぇよ、そろそろ授業だから戻る」

 「ちょっと待て」

 僕はそそくさと逃げるように席に戻る息子を呼び止めた。

 「なんだよ」

 

 「お前、何か親に隠し事はしてないか?」

 

 ひよみは、僕に背を向けたまま足を止め、僕の問いにしばらく沈黙して、

 「それはお互い様じゃないですか?阿良々木暦直江津警察署長殿」

 と、そう言って自分の席に戻った。僕は、終始ひよみの影だけ二股になって動いている様子をただ見守る事しか出来なかった。

 

 

 二人が受けている授業は、ある意味長馴染みの老倉育との思い出の詰まった数学だった。真面目に授業を聞いているこはるちゃんに対して、興味のなさそうに空を眺めて授業を受けるひよみ。こうしてみると、なんだか学生時代の自分と羽川を重ねて見えてしまうのは、さっきひたぎと羽川の話をしていたからだろうか。 

 もしかしたら、世渡こはるの母親が羽川かもしれない、と思ったが、これは僕にとっては都合の良い推理だ。

 仮に僕の手元にある遺灰が羽川のものだとしても、自分の叶えたい夢のために、わざわざ自分の存在を抹消した羽川が、それも途中で投げ捨てて再び僕たちの住む町に舞い戻る理由が見当たらない。

 

 それに、学生時代の羽川翼と世渡こはるとは決定的に違う点があった。

 それは彼女が平凡でどこにでもいる普通の女子高生という点だ。

 息子の話を聞いたひたぎによれば、あまり目立たず、これといった得意科目は無いものの大体の事をそつなくこなし、成績は平均点を超える事も下回る事もない。

 たとえ表彰状は貰ったとしても全てが3位であり、2位以上を取ったことはない。

 可もなく不可もない。

 

 「あら?知らなかったの?」

 「僕には何にも話してくれないよ、あいつ」

 「私には今でも学校で起きた出来事とかなんでも話してくれるのよ?あの子」

 「そりゃあ、お前と仲が良いからな。異性の親子は恋人関係に近いって言うし」

 昔、蟹の問題を解決した後のひたぎとお父さんの関係もそんな感じなのだろう。そして大学卒業した後で父親のライバル会社に就職したのはそれの反動か。

 授業参観が終わり、保護者向けの説明会が終わった後、ひたぎは母親同士の交流をし、僕はあの懐かしの存在しない一年三組の教室に向かうことにした。

 

 久しぶりに忍野扇に会ってみようか。

 と無いはずの教室の扉を開けると……。

 「やあー阿良々木先輩。随分とお見限りでしたね。」

 何人かの生徒が座っている中、教室の教卓に立っている僕の後輩、忍野扇はそこにいた。

 見た目は僕が高校を卒業した当時の制服を身にまとった十五歳のまま変わらなかった。

 しかし、最後にこの教室に来た時よりも教室と忍野扇の中身は更に存在が劇的に変化を遂げており、もはや僕も誰も手に負えない程である。

 ある意味、忍野忍の全盛期よりもたちが悪く闇が成長している。

 

 「あー今は皆さんの悩める相談に乗ってる最中でして。阿良々木先輩も一緒に席に座って下さいな。皆さんの相談に乗った後で阿良々木先輩のお話をお聞きしましょう」

 

 改めてこの教室を見渡すと、様々な年代の直江津高校の制服を着た生徒がまばらに席に座っていた。

 よくみるとその中には、ひよみやこはるちゃん、成の三人組や神原の子供に混じって、ひたぎや長馴染みの老倉育、神原駿河とそれぞれ高校一年当時の姿になっていた。

 というか、僕もいつの間にか当時の学生服を着ていた。

 どうやらこの教室に入った人間は直江津高校の一年生の頃の姿になるようだ。

 こうしてみると、一年生の頃のひたぎとひよみって本当に似ているなぁ。顔も雰囲気も。一卵性双生児双子かお前ら。

 「さて、ひよみ君。君のお父さんが来たところで続きを聞かせて欲しいな。君が家族に秘密にしてる話を。それともお父さんにはまだ秘密のままにしておくかい?」

 「いや、流石にもうバレてるだろ。俺の影にも怪異二匹が住み着いていることも。『初代怪異造り』がこの町に戻ってきたことも。そして、昨日の火だるまの怪異の正体は俺だという事を」

 は?「初代怪異造り」?最初期に作った怪異?何を言ってるんだ?

 やっぱり火だるまの怪異はお前か。なんとなく、そんな感じしたけど。

 「……火だるまの怪異はまだしも、他はなんにも知らないのかよ。三人の怪異の専門家から何も聞かされてないのか」

 

 三人の怪異の専門家というのは、昨日の夜に火だるまの怪異であるひよみの言ってた、千石撫子、斧乃木余接…あと一人は誰だ?

 「その人に関しては語りたくない。」

 と教えてはくれなかったが、後に最悪な形でもう一人の怪異の専門家の正体を知る事になるとはこの時の僕には思わなかった。

 「……最悪気配とかで気づけよ。全く、初代怪異造りに同情するよ。」

 お前、僕じゃなきゃ自殺でもするような事を言うな。なんだよ汚物を見るような目は。子供の変化に鈍感な僕にも落ち度があるけど。

 

 ひよみの説明をまとめると、二年前ひよみが家を出て行ったあの夜、ほぼ同時進行で世渡こはるの母親である「初代怪異造り」が自殺した現場である廃墟に迷い込み、そこで瀕死の二匹の怪異と出会い、かつての僕と同様に怪異を助けたのである。

 その結果、自らの身体に二匹の怪異が宿った反動で暴走。後に怪異を退治しにやってきたとある三人の怪異の専門家から、初代怪異造りの遺した残りの怪異を退治する見返りとして人間に戻す約束をしたという。

 その際にかつてのキスショット同様に忍野黒子、忍野虎子二匹の怪異、と名前と影で縛り付けたのだった。

 「あの三人の怪異の専門家と忍野黒子、虎子から、親父が学生時代に鉄血にして熱血にして冷血の吸血鬼の眷属となったのを聞かされた」

 子供に隠していた自分の吸血鬼もどきの特性を、こうもあっさりと第三者にバラされた事に戸惑う僕を見透かされたのか、

 「まぁ人にも言えない秘密なんて誰でも持ってるだろ」

 と付け加えた。

 「例えば親父の性癖とか、家族に言えない性癖とか、息子がドン引きする性癖とか」

 「性癖性癖性癖と連呼するな!!お前どんだけ僕を貶めるつもりか!!僕のイメージが悪くなる」

「まぁまぁー阿良々木先輩の性癖のお話は確かに興味がありますが、また今度聞くとして今はひよみ君の話を聞きましょうか」

 

 

 阿良々木ひよみが怪異に出会った頃母親の旧姓である戦場ヶ原を名乗った理由は二つある。一つは父親である僕に対する嫌悪感からくる反抗。もう一つは、戦場ヶ原を名乗ることで世渡こはるの母親である初代怪異造りの遺した怪異に対して身分を欺き、退治する為である。

 その初代怪異造りの遺した残りの怪異というのは、自身を自殺へと追い込んだ元凶の怪異であり自身のもう一つの一面であり、自身の後悔から生み出された新種の怪異でもある。

 かつて、僕がくらやみを元に自己批判の怪異である忍野扇を生み出したように…。

 

 産みの親である初代怪異造りを失った今は、彼女が過去に成し遂げたかった願いを叶える為に、初恋相手に会うために、この町に怪異の専門家や風説課の目をかいくぐり、忍が感知できないように潜伏しているという。

 「だから、あいつの、世渡こはるの母親の生み出した怪異とやらが一体どんな奴なのか、目的が全く分からない。あいつの母親は死ぬ前に初恋相手に会いたかったと言ってたが、扇さんは何か知ってるか?」

 「私は何も知りませんよ。この件はむしろ、あなたの周りの大人が知っているんです。特に阿良々木署長とかは」

 とまっくらな瞳で扇ちゃんはそういった。

 「俺の周りの大人か…。結局自分で何とかするしかないか」

 「いえいえ今回はイレギュラーなケースですよ?本来、君が解決する必要のない事ですし、なんならあなたのお父さんに投げ出してもいい事ですよ。なんでこの件に関わろうとしているんです?初代怪異造りの遺した黒子ちゃんと虎子ちゃんの件は解決してるんでしょう。」

 扇ちゃんはさっきまで座っていた教卓から飛び出し、ひよみの机に着地した。そしてひよみの眼を見つめる。

 

 「俺のこはるをあいつの母親のしがらみから解放するためだ」

 くらやみに臆する事無く、ひよみは決意表明する。

 

 「俺は、こはるの母親の事もその初恋相手も知らない。それどころか、俺の彼女である世渡こはるの事も知らない事が多い。俺には無関係で立ち入れない件だ。だが、見てて辛いんだよ。勝手に自分を置いて死んだのに、こはるは今でも母親の勝手な遺言を初恋相手とやらに伝える為に探しているのが。今更その初恋相手に遺言を伝えた所で、だからどうしろと?としか言えないだろうし、こはるも初恋相手も誰も幸せにならない。ただこはるを自分の代わりに初恋相手に伝える為に利用しているにすぎない。自分の娘を、俺の女を、そんな下らない事で利用して蔑ろにする奴は許さない。たとえ身内の生み出した怪異だろうと、本物の化物だろうと」

 扇ちゃんはくらやみの目をしばらく目を丸くした。そして、僕の妻で彼の母であるひたぎは、あらやだ、私の超息子かっこいい、とつぶやいた。

 

 「はっはー。愛の告白ですか。いいですね。しかし実に愚かだ」

 扇ちゃんは机から降りてゆっくりと教卓へと戻る。

 

 「君が対峙する相手は初代怪異造りの作った最後の怪異つまり、彼女の母親の闇の部分です。娘であるこはるちゃんはともかく、会った事もない人の闇に関わるというのは無謀だ。それに、君の彼女であるこはるちゃんも母親と同様に、結構な闇を抱えた女の子ですよ?世渡こはるを彼女にするという事は、負の部分も闇も受け入れる度量は君にはあるのかい?大学生になったら別れるかもしれないのに」

 かつて僕とひたぎが、貝木に言われたセリフを平然と扇ちゃんは突きつける。人を好きになることは簡単だが、短所も闇も受け入れなければ好きでい続けることは出来ない。それは僕が大学時代からひたぎと何度も別れ復縁した時に学んだ教訓でもある。…教訓というと貝木を思い出して嫌になるが。

 「それは親父と重ね合わせて言ってるのか。…不愉快だ。何時ぞやに知り合った二人のじいさんにも言ったが、怪異に関わった今の俺を受けとめたように、こはるの正体がどんなものでも受け入れるよ。たとえ怪異だろうが、負の部分や闇だろうが。」

 「それでも受け入れそうになかったらどうなんです?」

 「何にもは知らない。知らないふりするだけだ」

 ひよみにとっては知らないはずの人の、かつてのセリフである、何でもは知らないわよ、知ってることだけ、から発展した発言。

 まだ幼い子供にサンタクロースがいるの?と質問された際に、サンタクロースは存在しない事を知っていたとしても、知らないふりをして子供の夢を守るのと同様に。

 とひよみは答える。

 

 「あ、なんでこんなところで喋ってしまったんだ…」

 「私相手に隠し事なんて持ってるだけ無駄ですよー。この際全部話してしまいましょうか」

 「……これが直江津高校の怪異か。こんだけ喋ったから教えてくれるか?この問題の解決方法を」

 「私がそんな親切な怪異に見えますか?」

 「見えないな」

 「まぁ、解決方法は教えないけど、せめてヒントくらいは出しましょう。この問題は阿良々木先輩の問題でもありますし。阿良々木先輩に免じて特別に」

 どうして彼女の母親は、娘の世渡こはると水鳥火憐の目の前で自殺したのでしょうね?初恋相手の目の前で自殺したっていいはずなのに。と付け加えた。

 

 久しぶりの最悪のニュースがある。

 怪異の専門家兼漫画家の千石撫子、死体人形の斧乃木余接。ともう一人、ひよみが関わった怪異の専門家が分かったのだった。二度の大学中退、日本語の家庭教師、ダンススクール講師、数度に渡る職を転々とし、豪遊と借金のギャンブルの浮き沈みした末に怪異の専門家にたどり着いた阿良々木月火が、僕とひたぎと娘たちが住まうマイホームへとやってきたのだった。

 帰宅したらリビングでアイスを食べていた。

 いくつになっても愛する妹が再び帰ってきたのは大変喜ばしい事であるが、最終的にあろうことか臥煙さんネットワーク下の怪異の専門家に落ち着いたというニュースが何よりもマイナスであった。

むしろ、なんて事をしてしまったんだよ。この妹は。

 「大丈夫、大丈夫。今までやった仕事の中で最も長く続いてるよ。意外と楽しいし」

 「いや、そうじゃなくて…」

 二人の妹に、特に不死鳥の月火ちゃんには怪異に関わらせたくないよう、大学時代まで必死に動いてきた苦労がこうもあっさりと無駄になるなんて思いもしなかった。

 「伊豆湖ちゃんから聞いたよ。お兄ちゃんが金髪の幼女を飼ってるロリコンキャリア野郎だって事を」

 「ぶっ殺す」

 「まぁまぁ、伊豆湖ちゃんには私みたいな専門家は必要でしょ?まだ経験は浅いけど、いつかは立派になってこの町や阿良々木家の危険は救ってみせるよ」

 「お前が危険そのものだよ。あと臥煙さんを下の名前でちゃん付けはやめろ。何歳年上だと思ってるんだ。というか、何で臥煙さんと関わったんだ?」

 「んーとね、撫子ちゃん、いや千石ナデシコ先生のチーフアシスタントを今でもたまにやってるけど。何だか私に隠れて面白そうな事やってるっぽいから、こっそり先生にGPSやボイスレコーダー忍ばせて尾行したら、いつの間にか怪異の専門家になっちゃったんだよね。そのついでに伊豆湖ちゃんとそのお友達仲良くなったわけ。その後撫子ちゃんと斧乃木ちゃんの三人でチーム組んで活動してるんだよ」

 と、月火はアイスのふたをペロペロと舐めながら言った。

 発想が怖えぇよ。ほぼストーカーじゃねぇか。臥煙さんの思惑で月火ちゃんを策略に加わったというよりは、無理矢理臥煙さんのネットワークにねじ込んだじゃねぇか。

 ……臥煙さんにとってはとんだ誤算だったのだろう。

 「あ、そうそう。撫子ちゃんと斧乃木ちゃんからお兄ちゃん宛の手紙と、忍ちゃんのお土産」

 月火ちゃんから二人の手紙とミスタードーナツの箱を渡された。ミスドは後で忍に食べさせるとして、二人の手紙を読んでみるか。

 

 千石からの手紙の中には、蛇の血で錆びた彫刻刀と蛇の死体で出来たお守りが入っており、内容は、冒頭は蛇神時代での、僕や忍に対する謝罪と感謝から始まり、後半になるにつれて僕の愚昧である月火に対するクレームや恨み辛みが大半を占めていた。

 「つい最近月火ちゃんのせいで、ようやく決まった婚約を破棄されちゃいました。月火ちゃんをどうか引き取って下さい。それか妖刀心渡りで切り捨てて下さい。なんでもします」 

 という文の締めくくりで手紙の内容は終わった。よく見ると小切手が入ってた。

 

 一方斧乃木ちゃんの手紙も千石の手紙と同様に月火のせいで起きた怪異絡みの出来事を、実家に潜入した時から今日に至るまでほと細かく正確に書かれていた。

 「鬼のお兄ちゃんの不愉快な妹と長くいたせいで、見た目もキャラも歪んだよ。この前臥煙さんやお姉ちゃんに貝木に似てるなんて言われたよ。この写真を見て鬼のお兄ちゃんは僕を貝木に見える?」

 と、斧乃木余接の手紙が終わった。本当にごめん、斧乃木ちゃん。この手紙に入ってたこの写真、斧乃木ちゃんのコスプレをした貝木泥舟がピースしているようにしか見えない。

 不気味な雰囲気の式神人形になってる。

 

 僕は月火の被害を受けた二人の悲痛な手紙を読んだ後、テレビであざ笑うかの如く爆笑してる月火の顔面を思いっきりぶん殴った。

「ええー、一番可愛い方の妹に手を出しちゃったよ、このDVお兄ちゃん」

 「失せろ……貴様は今日限り赤の他人だ……!!」

「それ中の人のシコ松のセリフじゃん」

 「シコ松じゃない、松野チョロ松だ」

 「失礼、噛みました」

 「いや、わざとだろ」

 「神は死んだ」

 「お前はもう百辺死んでろ。というかそれは八九寺の芸風じゃねぇか。それよりもどんだけみんなに迷惑かければ気がするんだ。」

 「迷惑、あー撫子ちゃんの婚約破棄したこと?それとも伊豆湖ちゃんが危うく消されかけた事?」

 と悪びれもなくきょとんとした顔で月火ちゃんはそういった。

 もはやお前は貧乏神かよ。

 「まだそんな事気にしてたんだあの二人。伊豆湖ちゃんの件は本人がもう許してるし、撫子ちゃんの結婚は、私に抜け駆けして結婚しようとした撫子ちゃんが悪い。私よりも先に結婚するなって何度も言ってるのに」

 本物の屑だこいつ。この元妹はしばらく会わないうちに、周りを不幸な方向へ誘う疫病神へと成長を遂げてしまった。あの臥煙さんすら手に負えないくらい、終わってしまっている。

 ある意味、直江津高校の怪談として定着した手のつけようのない忍野扇や、かつて世界で平和活動して手の届かない所へ旅経った「ツバサ・ハネカワ」こと羽川翼に並ぶ、手をつけたくない存在となっている。

 そんなキングボンビー月火を、この愛する家族のいる家をずっと置いといたらとんでもない災厄を招きそうだ。

 しかし、このまま月火をこの家に追い出したとしても、何をやらかすかは分からないし、また誰かと出会いその人が何かしらの災厄を被ってしまう可能性が高い。二人からの手紙を読んだ限り、あの臥煙さんが月火と関わって危うく怪異の専門家の元締めという立場を失い殺されかける事態になったのだから。もはや風説を通り越して怪異談になりかねない。

 風説課に所属してた僕が今ここで月火を放り出して怪異談が生み出してしまったら、警察官として責任を取らなくてはならない。…どちらにしてもろくな事が起きないなぁ。

 

 「という事で、羽川はどうすればいいと思う?」

 あれ?さっきまで自宅に帰った後、月火とリビングにいたはずだが…。なんで教室にいるんだ?

 「何を言ってるの?阿良々木くん、今は放課後だよ?昨日、月火ちゃんの事で相談があるって阿良々木くんが電話で言ってたじゃない」

 辺りを見渡すと、放課後の教室にいて羽川しかいなかった。しかも一番最初の頃の、三つ編み一本で眼鏡をかけていた。ん?最初の頃?さっきから僕は何を言っているんだ?

 彼女は完全無欠の委員長だったはずだ。

 

 「そう…だっけ。そうだよな羽川。ごめん変なことを言って」

 「大丈夫、さっきから顔色が悪いよ?阿良々木君。気が動転してない?」

 「いや、大丈夫。それよりさっきの続きなんだが…」

 「月火ちゃんの件だね。ふぅむ。月火ちゃんと関わると災厄を招くか…これは難しいね。これって月火ちゃんは良かれと思って行動した結果、周りが悪い方向へ向かってるよね。だったら周りが本当に悪い方向へ向かって迷惑してる事を月火ちゃんに自覚させてやめさせる必要があるね。少なくとも月火ちゃんは悪気はないみたいだし」

 僕はこの目の前にいる羽川や教室に、違和感を覚えた。

 今はいつだ?いつの時代の出来事だ?この羽川は本当に羽川なのか?

 僕はようやく、千石自作のお守りと彫刻刀、斧乃木ちゃんの写真を持ってた事に気が付いた。そうだ、羽川翼はここにはもういない。

 「ねぇ、私の話を聞いてる?阿良々木君」

 「あぁ、聞いてるよ羽川」

 ここで僕はここにいる羽川を探る為に、あの台詞を言ってみた。

 「羽川。お前は何でも知ってるな」

 「何でもは知らないわよ、知ってることだけ」

 昔の羽川をなぞるかのように、へらっと笑って応じた。しかし、この羽川は……、この怪異は。

 眼鏡の底に映る瞳は飲み込まれそうなくらやみが広がっていた。

 

 「こよこよから離れてくれる?羽川さん?」

 ひたぎは、後ろから羽川の左耳にホッチキスを挟み込み、右手に持ったナイフで羽川の喉元に突き立てた。

 このひたぎも、蟹に出会いあらゆる救いの手をも拒んでいた頃の初期の、阿良々木になる前の戦場ヶ原ひたぎだった頃だった。

 「あはは、何でこんなところに戦場ヶ原さんがいるのかな?」

 「さて、私がなんでこんなところにいるでしょうか?」

 「それはあなたが蟹だからでしょ?蟹坊主さん」

 羽川を模した怪異は振り向かず、後ろにいる戦場ヶ原ひたぎの出した問題に解答する。

 そう、ここにいる戦場ヶ原ひたぎも僕の妻であるひたぎではない。

 蟹坊主。

 バケガニとも呼ばれる巨大な蟹の妖怪で、日本中に伝承が伝わっている怪異。 坊主の名が付く通り古寺などに出没することが多く、夜にのっそりとあらわれては謎かけをし、解ければ帰って行くものの、失敗すればたちまちその鋏で相手を貪り食ってしまうとされている。

 つまり目の前にいるのは、戦場ヶ原ひたぎに化けたひよみだ。

 ひよみは、初代怪異造りの残りの怪異を欺く為に、学生時代の母親に変装、いや変化してこの結界に入り込んだのである。

 初代怪異造りの残りの怪異というのは、ここにいる羽川ということになる。

 「少なくともあなたのお母さんは学生時代、私とお父さんと三人でいる時はお父さんの事をこよこよなんて可愛らしいあだ名で呼んでないよ。ひよみくん」

 「バレたか…。こよこよじゃないのかよ。母親から聞いたのと違うぞ。えっと、羽川さんは何でも知ってるのね。だっけ」

 「何でもは知らないわよ、知ってることだけ」

 と羽川に似た怪異は、こう付け加えた。

 「知れば知るほど身動きが取れなくなる」

 知らないほうがいいこともある。

 

 

 

 

 

 



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