クーデレの彼女が可愛すぎて辛い (狼々)
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プロローグ
第1話 儚く、美麗で


どうも、初めましての方は、初めまして! 狼々です!
『東方魂恋録』ないしは『捻くれた俺の彼女は超絶美少女』、はたまた、両方見てくださっている方は、
私だ。

今回、ヒロインがクーデレということで進めていきます。
こちらは、先二作の交互投稿に加え、不定期の投稿とさせていただきます。
あらかじめご了承ください。

では、本編どうぞ!


 晴れ渡った青空。今は五月。まさに、春眠暁を覚えず、といった日差し。暖かくて、今にも二度寝してしまいそうだ。

 ベッドから飛び起きて登校の準備を終え、着たこともない制服に袖を通し、服装を整える。玄関から出て、春の暖かさを全身で受けて、つい欠伸を漏らしてしまった。

 太陽からの日差しを真っ向から受けながら、見慣れない通学路を歩む。通う高校が歩いて15分と近いのが幸いし、迷うことはない。

 事前に通る道は確認したし、抜かりはない。

 

 俺、東雲(しののめ) 蒼夜(そうや)は、今日から露咲(つゆさき)高校二年生として転入することになっている。

 正直、友達作りとかは苦手中の苦手だ。できる気がしない。それに関しては、半ば諦めてしまっている。早すぎだろ、おい。今日が転入初日だぞ。

 ……そこ、ぼっち言うな。

 

 校門付近になり、見慣れない顔ということで生徒から注目を集めながらも、職員室へ。

 

「失礼します。今日から転入する、東雲 蒼夜です」

「あぁ、君が東雲君か。私は、君の入るクラスの担任の、遠山(とおやま) 里美(さとみ)だ。これからよろしく頼むよ」

 

 優しそうな女性教師が応えてくれる。

 女性教師って言い方には、どことなくエロスが漂っている気がするのは、俺だけなのだろうか。

 っと、そんなどうでもいいことは置いといて。

 

「は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 少々拙いながらも、返事を返すことができた。どれだけコミュ障なんだよ。この学校もぼっちで過ごすことになるのかな……?

 俺はこの性格上、あまり友人関係を築かなくなった。別に、他人と関わるのが嫌とかいう、捻くれた考えを持っているわけではない。

 ただ、少し……あれだ、人見知り。シャイなのだ。シャイボーイなのだ。響きがかっこいいよね、なんか。

 

 

 

 

 少しの時間をかけて、職員室で手続きを終えた後、三階の教室、三組のクラスプレートがある教室へ。

 先生が先導してドアを開け、俺がそれに続いて教室に入室。

 俺が入った途端に、周りがざわざわとし始める。そして、こちらに向けられる珍しいものを見るような視線。

 俺はツチノコか何かなのだろうか? 絶滅危惧種なの、俺?

 

「はい、今日からこのクラスに転入する、東雲 蒼夜君だ。色々わからないこともあるだろうから、皆で教えてくれ。じゃあ、東雲君からも挨拶を頼むよ」

 

 遠山先生の促しに小さく首を縦に振り、肯定の意思表示。

 前に一歩出た瞬間、周りの視線を一層感じながらも、緊張をなるべく前面に出さないよう、自己紹介に移る。

 

「は、初めまして、東雲 蒼夜です。皆さん、よろしくお願いします」

 

 無難な挨拶を終え、一歩下がると同時に、徐々に緊迫感も引いていく。

 周りの対応もそれなりといったようで、特に悪目立ちすることもなかった。

 ぼっちにしても、悪目立ちするのは止めたほうがいいだろう。

 

 顔も悪いわけでもないが、整っているというわけでもない。

 髪は普通の黒色だが、目がブルーのつり目。それだけだ。特に変わったことはない。

 強いて言うならば、つり目が少し攻撃的と捉えられることがあるくらい。

 勉強も中の上くらいなので、心配することはないだろう。そう信じたいものだ。

 

「東雲君は向こうの席に座ってくれ」

 

 遠山先生が指した場所は、中央列の最後。中々いい場所だとは思う。

 静かにその席に歩を進め、座ろうとした時。

 

 隣の白色の髪が、視界の端で見えた。

 

 そちらの方を向くと、その髪の持ち主の少女に、目を奪われた。魅了された。

 

 さらさらとした白髪が肩まで伸びていて、春服で隠れるきめ細やかな白肌を、さらに隠している。

 つり目気味なブルーの瞳はどこまでも澄んでいて、どこか清流を想起させる。

 華奢な体つきは、抱き締めたら折れてしまうかと思うほどだ。

 

 俺が彼女に抱いた第一印象は――()()()()()

 決して弱々しいわけではない。むしろ、彼女がそこにいるだけで絵になる程に美しく、確立した存在。

 しかし、どこか儚い。夢の中の世界の住人のような気がしてならない。

 彼女の優美さは、この世の者が持つべきなのか……?

 

 そう思わせる程に、美しく、儚い夢のようだった。

 彼女が俺の目線に気づき、数瞬目が合ったが、すぐに逸らされた。

 まぁ、初対面の異性からじっと見つめられるのは、誰だって不審がるし、良い気はしないだろう。

 

 見惚れるのも程々にしよう、と自分に折り合いをつけ、席に着く。

 

「何かわからないことがあったら、取り敢えずは隣の、クラス委員の綾瀬(あやせ)に聞いてくれ」

 

 と、取り敢えずって……さっき皆でって言ったのはどこの誰でしたかね?

 

 そう頭で疑問符を浮かべていると、先程の少女がこちらを向く。

 どうやら、この子がその『綾瀬』という人物らしい。

 

「……どうも」

「え? あ、あぁ、どうぞよろしく」

 

 鈴が鳴ったような透き通った声が、一瞬自分に向けられたものだとわからなかった。

 戸惑いながらも返事をしたが、すぐに顔は前を向いた。

 ……え? 俺ってこんなに短時間で嫌われる要素があるのか? 凹むぞ。

 

 

 そこから十分ほどして、SHR(ショートホームルーム)を終えて、休み時間に入る。

 もう入学式から一ヶ月が経過していて、既にある程度の友人関係が形成されている時期だ。

 

 そんな中、俺が輪に入ることができるだろうか。いや、できないだろう。

 できないのかよ。もっと自分に可能性を、希望を持てよ。

 反語でより強調されているあたり、自信のなさが露呈してしまっている。

 俺は別にどうってことはない。普通に過ごす上では。

 

 ただ、よくある『アレ』が回避できないのが難点だ。

 「はい、じゃあ好きな奴で二人組作れ~」というアレだ。

 隣の奴でいいじゃん。なんでわざわざ好きな奴とで組ませるかねぇ。ぼっちとしては、不満しかない。

 

 廊下へ駆け出す者、準備を早々に済ませる者、ペアやグループで話す者、ただ一人でぼーっとしている者。

 同じ人でも、こうやって行動に大きな差があるのは、見ていて飽きない。

 

 しかし、当然の如く、俺に話しかける者はいない。自分で思っておいてなんだが、悲しくなってくる。

 

 隣の綾瀬……だったかな? 彼女の姿が目に入った。

 彼女は、誰とも話さずに読書をしている。あの容姿だと、軽く人だかりが出来てもおかしくないだろうに。

 まぁ、これはチャンスだろう。この子とはこれからなにかと交流があるだろうし、今の内に仲良くなっておこう。

 

「な、なぁ、綾瀬?」

「…………」

 

 無言。無視。完璧に。目線が本からピクリとも動かされていない。

 き、気付いていないのだろうか……?

 

「あ、綾瀬さ~ん……?」

「……はぁ~っ。聞こえてるわよ。で、何?」

 

 溜め息を吐きながら、本に視線を向けたまま応える。

 

「え、え~っと……俺は東雲 蒼夜だ。よろ――」

「それはさっき聞いたわ」

 

 俺の言葉を途中で遮りながら、澄まし顔のままページを(めく)る。

 続く言葉に詰まってしまう。

 

「あ、あぁ~……綾瀬さんは、名前はなんて言うんだ?」

「……七海(ななみ)。綾瀬 七海。まぁ、よろしく」

「あ、あぁ、改めてよろしく」

 

 どうにも話しづらい。慣れていないだけなんだろうが。少しずつ慣れていくか。

 頭でそう結論付けて、滞った会話と言えるかどうかも怪しい会話を切り上げ、教室を出る。

 廊下の生徒が、見慣れない顔を見てこちらを凝視する。

 が、話しかけようとする者はいない。

 

 どこか人の少ない場所に移動しようとした時。

 

「おい、え~っと……東雲!」

 

 俺の名前を叫ぶ声が後ろから飛ばされ、声の主を探るため、後ろを振り向く。

 

 瞳は黄色に染まっていて、明るい茶髪の、これまた笑顔も明るい好青年。

 かっこいい顔立ちで、モテそうな見た目だ。

 

「よ、よう。あの綾瀬に話しかけるたぁ、随分と変わり者だな」

「え、っと……貴方は?」

「あぁ、すまない。俺は駿河(するが) 遥斗(はると)だ。よろしく、東雲!」

 

 そう言って手を差し出され、握手を促される。

 

「改めて、東雲 蒼夜だ。こちらこそ、よろしく頼む」

 

 しっかりと彼の手を握りしめて、笑顔になる。

 記念すべきこの学校での友達第一号、というわけだ。

 

「よっし、これからは名前で呼ぼうぜ! 堅苦しいのは無しでな、蒼夜?」

「お、おう、わかった。遥斗」

 

 俺が戸惑いを隠せずに返事をすると、遥斗は爽やかな笑みを浮かべた。

 この笑顔に惚れてしまう女の子は、きっと多いだろう。

 俺もそうであればよかったんだがな。恋愛? 何それ美味しいの? 状態である。

 

 誰だよ、年齢=彼女いない歴とか、童貞歴とか言った奴は。

 

「で、その綾瀬がどうかしたのか?」

「あ、そ~そ~。この学校一の美少女ってことなんだが、入学日から被告白数が二桁を悠々と超えた。そして、全部全部、片っ端から玉砕したっていう伝説を残してんだよ。中には、言い終わる前にフラれた生徒もいるんだとか」

 

 は……!? 入学早々に、告白? しかも、二桁?

 ありえない。そう思ったが、彼女の容姿を思い出す限りでは、きっぱりと否定できない。

 ……ありえてしまう。俺の考えが一瞬で覆った。

 

「お、いい感じに驚いてんな。ま、当たり前だわな。だけど、ああやって静かってか……冷たい感じの態度とるから、周りが避け気味になってるってわけだ」

 

 なるほど。確かに、当たりが冷たい感じはしていた。

 あの人当たりと、ばっさりとした言い方が相乗効果、といったところだろうか。

 まだ交流が浅すぎるので、なんとも言えないが。

 

「で、そんな綾瀬に転入生がいきなり話しかけて、俺含む皆が驚いたっつ~わけさ。それが珍しくて声をかけたんだよ」

「へぇ、そこまで言うんだな」

 

 さぞかし……その、個性的な人なのだろう。

 

 そこまで会話して、次の授業の予鈴が鳴る。

 

「お、そろそろ戻るか」

 

 遥斗に頷き、二人で一緒に教室に戻る。

 俺の席の隣では依然に読書を続ける、美しい綾瀬。

 しかし、彼女に近づこうとする者は全くいない。

 その姿と表情は、どこか悲しそうで、寂しそうにも見えた。

 

 

 

 今日の授業が終わり、もう放課後になった。

 教科書は綾瀬に見せてもらい、学校の施設は綾瀬に教えてもらう等など――

 綾瀬と絡むことが、なにかと多かった。

 

 一方の綾瀬も、少し面倒がりながらも、遠山先生から言われたからか、全て教えてくれた。

 ありがたいの一言に尽きる。

 

 帰りの準備を済ませ、教室を出て廊下へ。

 が……校門までの道のりを覚えていない。

 いや、嘘じゃなく、本当に。方向音痴とかでもなく。

 

 この学校、色々と複雑な構造をして建っている。

 職員室と下駄箱の距離は遠いので、職員室からここまで来たように辿って戻ることも意味がない。

 じゃあ、どうやって職員室に行ったり、教室へ行ったかって?

 先生についていったに決まっているじゃないか!

 

「え、えぇ、と……」

「……何してんの」

 

 声をかけられ、驚きながら声を辿る。

 そこには、綾瀬がいた。こちらをジト目で見ている。

 そんな顔をしていても、容姿は非常に整っていて、とても綺麗である。

 

「あ、いや、校門までの道がわからないんだ」

「あんた、一体どうやって……はぁ、私が先に行くから、ついてくればいいわ」

 

 またも少し面倒そうな顔を浮かべて、俺が返事をする前に廊下を通っていく。

 再び綾瀬に頼ることとなり、少し悪い気がするが、本当にわからないのでついていくしかない。ついていくだけだし、いいよな。

 

 お互いに立ってわかったが、綾瀬の身長が思いの外低い。

 俺は170cmくらい。それから考えると綾瀬の身長は……155cm前後といったところだろうか?

 

 そう思って歩を進めようとした時、遥斗に肩を組まれる。

 遥斗から肩を組まれるくらいなので、俺と同じくらいの身長か。

 

「お、おい蒼夜! おま、綾瀬から話しかけられたのか!?」

「は? あ、あぁ、そうだが……」

 

 言葉を返すと、話しかけた時の驚き顔が、一層鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

 見ていて、とても面白い顔だ。心の中で笑ってしまう。

 

「い、いやいや、綾瀬から声かけるって、え? ……すげぇな。今までそんな奴は数人しか見たことねぇぞ」

「え? 一ヶ月間あったでしょ? そんなわけが――」

「あるんだよ、それが。相手から話しかけることがあっても、綾瀬からってのは殆どなかったんだよ」

 

 ほう、それは嬉しいものだな。

 ただ良心で話しかけられただけかもしれないが。

 友達は少ない方なのだろうか。

 

「あ、じゃあ俺は行くよ。また明日な、遥斗」

「おう、またな、蒼夜」

 

 遥斗と別れの言葉を交わし、見えなくなりそうになった綾瀬の背を追う。

 少しついてくるのが遅かったせいか、後ろを確認された。

 彼女はなんやかんや言って、心は優しいと思うんだよなぁ。

 

「ごめん、遅れちゃって」

「そう思うなら、早く道を覚えることね」

 

 や、優しいと思うんだよなぁ……。

 

 

 

 俺の家までの道のりは覚えてるので、問題はない。

 のだが……

 

「で、いつまでついてくるの?」

「いや、俺もこっちなんだよ。ついてきてるわけじゃね~よ」

「……そ」

 

 方向が同じでした。ついてくるとまで言われているし、今日一日で本格的に嫌われたのか?

 綾瀬の家と思わしきところについた。俺の家はもう少し先にある。

 

「じゃ、また明日な」

「はぁ、わかったわ。明日ね」

 

 綾瀬に戸惑われながら別れ、自宅へ。

 一人で歩くことに静謐(せいひつ)感を覚える。

 

 初日で友達が、少なくとも一人できた。順調な滑り出しだと言えるだろう。

 当分の目的は、友達作りってところかな?

 

 ……ぼっちだな、これ。




ありがとうございました!

さすがに1話目でデレは出しません。
後方確認がそれっぽいですが、あれはセーフなはずです。
七海ちゃんには、徐々に心を開いてもらおうと思っています。
途中、ツンデレの要素が入る……かもしれません。

これから、この作品と私をよろしくお願いします!

ではでは!


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第2話 笑顔

どうも、狼々です!

第一話投稿して、早速章管理を忘れるという。
先が思いやられるぜ……! すみませんでした。

最初はプロローグからです。
登場人物紹介と、その性格等などの把握のためだと思って頂ければ。

では、本編どうぞ!


 帰宅から(しばら)くして、俺のスマホが鳴り、電話の通知。

 俺の連絡先を知っているとすれば……まぁ、限られてるわな。

 

 数少ない連絡相手の名前を見ずに、電話を取る。

 

「あ、やっと出たね、おにい! 結構な時間出てくれなくて、寂しかったんだよ?」

「切るわ」

「あ待ってごめんね切らない――」

 

 ピッ、と音が鳴って、スマホには通話終了の文字。

 何もなかった。何も見ていないし聞いていない。

 

 ソファにスマホを放り投げようとした時。

 手に持ったスマホが、バイブと共に再び鳴り始める。

 面倒に思いながらも、通話開始をタップ。

 

「もう! 人がせっかく何回もコールしてるのに、なんで切っちゃうのさ!」

「あの……どちら様ですか?」

 

 俺は、まるで通話相手のことを知らないかのように言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――()()()()()()

 

「え!? 嘘!? あ、す、すみません! 間違えてかけてしまったみたいです! 失礼しました!」

 

 そして、通話終了の文字が、スマホに浮かぶ。

 

「これでよし、と……」

 

 放り投げようとしたが、もう一度バイブと通知音。

 

「どうしたんだよ、全く」

「おにい! さっきおにいの番号にかけたはずなのに、違う人が出たんだよ!」

「はぁ? さっきって、これでかかってきたのは二回目だぞ?」

「嘘!? ごめん、後でまたかけるから、確認してくる!」

 

 そして、三度目の通話終了の文字。この短時間に三回も見ることになるとは、思わなんだ。

 

 それよりも……あれだな、うん。

 あいつ、底抜けのバカだな。アホすぎるだろ。

 

 またまたバイブと通知音。もうさすがにうんざりしてくるな。

 もう一度通話開始をタップ。

 

「で、どうだった?」

「怖いよおにい! 番号合ってるのに知らない人が出たんだよ!」

 

 ……もう何も言うまい。言葉にするのも億劫(おっくう)だ。

 

「気のせいか妖怪のせいか怪奇現象だろ。で、本当のところは何の用だよ、(あおい)?」

 

 東雲 葵。俺の二つ下――新中二の実妹だ。

 『おにい』と呼ばれることに、思春期真っ只中の男子高校生としては、思うところがある。

 

 いや、呼ばれること自体は、別にどうとでもいい。好きなように呼ぶがいいさ。

 けれど、葵は()()()()()()()『おにい』と呼ぶ。そう、文字通りどこでも。

 たとえ、俺や葵の友人が近くにいようとも。たとえ、人目につきやすい大型施設でも。

 

 特にやめてほしいのは、葵の友人同席のケースだ。

 葵が『おにい!』と言った瞬間、俺に冷ややかな視線が突き刺さるのだ。それはもう絶対抜けないやつが。

 あのダメージは、精神的に大きくくる。心を傷付けられるくらいならまだマシだが、抉られるレベルだ。

 深すぎる爪痕を残して、今でもそれが癒えることはない。

 

「あ、そうそう! 友達、できた?」

「あ? あぁ、まぁ一人はな」

「……え? 嘘? もっとマシな嘘を――」

「嘘じゃねぇよ本当だよ。どんだけ俺が友達できない奴だと思われてんだよ」

 

 心外である。ただただ心外である。

 実の妹にまで、こんなことを言われるとは。

 今のも結構爪痕を深く残していった。なんだ、今までの俺の傷は葵のせいか。

 

「おぉお~、よかったねぇ、よ~しよし」

「俺は動物園の動物じゃねぇんだよ。妹から『よ~しよし』とか言われる歳でもない」

 

 自由気ままな妹を持つと、兄としては大変なものだ。

 さらに困ったことに、葵の容姿は、かなりのスペックだ。

 百人の男子高校生がいたとして、その殆どが「可愛い」と言うだろう。実際そうだったし。

 

 なので、過去の友人からは、「そんなに可愛い妹がいて、お前は幸せだよな~!」

 とか言われたが、本当のところは面倒なだけだ。

 

「いいじゃん、別に。私はいいよ?」

「俺がよくないんだよ。で、それだけのために電話入れたのか?」

「いや? おにいは初めての一人暮らしで、料理できるのかな~って」

「言わずもがなだ。できないに決まってんだろ」

 

 自慢ではないが、炊事はできない。掃除洗濯はできても、料理はできない。

 これから練習しようとは思うが、正直元の腕が壊滅的なため、のびに期待はできない。

 

 朝食は、適当にパンとかで。

 昼食は、まぁ学校でパンとか買えばいい。

 夕食は、スーパーとかコンビニの弁当とかお惣菜で。このプランが、現段階最有力候補だ。

 

 おい、練習はどこいったよ。『れ』の字も見当たらないんだが。

 栄養バランスとか、欠片もないよな。

 さすがに練習しないとまずいか。

 

「うん、知ってた。じゃ、新生活頑張ってね~」

 

 葵はそれだけ言って、通話を終了した。

 何がしたかったのだろうか。結局最後まで分からず(じま)いだった。

 意味不明に焦って、脈絡のない会話だけして。

 確認できたのは、葵の馬鹿さ加減と自分の料理の腕。

 

 ……何があったか、俺にもよくわからん。

 

 部屋にはまだ、大量のダンボール箱が山積みだ。

 今は、最低限の家具のみを出している状態。

 さっさとこの山を片付けてしまいたい。

 

 この状況を見ると、どこかの潜入任務の人が歓喜のあまり小躍りするだろう。

 CQCを一度やってみたいと思ったのは、俺だけではないはず。

 

 

 

 

 翌日、学校のSHR後にて、遠山先生から職員室に呼び出された。

 呼び出された瞬間、自分の行いを凄い勢いで振り返っていた。

 何かまずいことをしていないかとか、それはもう色々と可能性を模索していた。

 

 しかし、どうにも見当がつかない。

 内心ビクビクしながらも、職員室へ。道は覚えた。

 

「失礼します、一年三組東雲 蒼夜です。遠山先生はいらっしゃいますか?」

「あぁ、東雲君か。こっちに来てくれ」

 

 遠山先生の手招きに従い、彼女のものであろうデスクの近くへ。

 椅子に座った先生の前に立ち、喉を鳴らす。二つの意味で。

 

 一つは、怒られるか否かの緊張から。

 もう一つは――先生の二つの山岳の高さに。

 

 明確に何が、とは言うまでもないだろう。誰しもがこの意味をわかるだろう。

 他で言うなれば……円周率のあれだ。

 昨日は緊張の余り、そちらには気が回らなかったが、それも和らいだ今、目に入らないわけがない。

 

 高々としたそれらは、高さだけでなく、十分な広さも持っていた。

 さらには、形が整いすぎて、山とは別種の何かなのではないかと思う。

 あえて山で例えるのならば、マグマの粘り気が強い火山の形だ。

 

 服の上からなので詳しくはわからないが、一つだけ、確定的に明らかなことがある。

 ――すごい。

 

「で、ここに呼んだ理由なんだが……」

「え、あ、はい」

 

 全く別のところに視線が向いていて、返事に焦りが伴った。

 いや、あれは反則だって。ブラックホールだろ。

 俺のあれもホワイトホールしそう。……これ以上はまずいか。

 

「委員会を選んでほしいんだ。今日の放課後までにでも決めておいてくれ。空いている委員会枠と、その委員会の活動内容は、今から渡す紙に全て書いてある。目を通しておいてくれ」

 

 そう言って、デスクの上の書類の一枚を手に取り、差し出す。

 受け取って、その場でさっとだけ目を通す。

 

 クラス委員を始め、整美委員、図書委員、風紀委員に生徒会等など……十を超える数の委員会名が羅列していた。

 取り敢えず、クラス委員と生徒会はなしだな。俺に合わん。

 

 転入生の俺がいきなりそんな大役やれるか。

 それに、そのあたりの中枢となる委員会は、既に枠が埋まっている。

 

 まぁ、放課後までとか言っていたから、別に今決めることでもない。

 ゆっくりと、自分に合う……できるだけ簡単だったり、楽だったりする委員会がいいな。

 

「わかりました。ありがとうございます。……失礼しました」

 

 最後に一礼し、職員室を退室する。

 それと同時に、授業開始の予鈴がなる。

 急いで階段を上り、三組の自分のクラスの教室に入り、席に着く。

 

「あら、随分と遅い帰りだったわね。また学校で迷ってたのかしら?」

 

 隣の綾瀬から、本に視線を合わせたまま話しかけられる。

 

「そんなに方向音痴でもねーよ。委員会のことで、遠山先生に呼ばれてたんだ」

 

 話しかけられたことに驚きつつ、返事をする。

 昨日は一ミリも動かなかった彼女の視線が、ほんの少しだけこちらに向いた……気がする。

 動いたかどうかも怪しいが、動いたと信じたい。

 

「……そう。で、何の委員会にするつもりなの?」

 

 へぇ、これまた驚いた。

 昨日は、最後に綾瀬から声をかけられたのが最高レベル。

 話題なんて、自分から振ろうとしなかったのに、今は俺に質問をしている。

 

「まだ決まってないな。適当に決めるつもりだ」

「……そ」

 

 目線は完全に本に戻っていた。

 けれど、目が少し、ほんの少しだけだが。気のせいかもしれないが。

 

 

 ――悲しそうで寂しそうな雰囲気の目に変わっていた。

 

 

 

 

 今日も昨日のように、綾瀬にお世話になって授業と帰りのHRを終える。

 綾瀬はすぐに、教室から出ていってしまった。

 聞きたいこととかあったのに。中間テストとか。

 

 俺の帰りの準備をして、職員室へ向かう。

 朝と同じようにして、遠山先生の元へ。

 

「どう? 委員会は決まったかい?」

「はい。図書委員を希望したいです」

 

 今日一日考え続けて、空いた枠がある中で楽な委員会は、図書委員が一番だった。

 

「それはいいが……空いた枠は、放課後の仕事しかないが、いいのか?」

「はい。俺は構いません」

 

 笑顔を伴って言う。俺も会話が上手くなったものだ。

 今日できた友達はいないが。このまま遥斗だけでも十分なのだが。

 

 人との交流もできるだけ少なくなるというメリットもあったりする。

 ぼっちにはもってこいの仕事だ。放課後も暇なのでOK。部活も入る気はない。

 それよりも、自分でも友達作りを諦めていないか、心配になってくる。

 

「わかった。じゃあ、今日から早速仕事に取り掛かってもらうよ。内容はわかっているだろうが、図書室に行って、本の確認及び監理をしてほしい」

「わかりました。では、失礼しました」

 

 内容は紙に書いてあったので、把握はしてある。

 職員室から図書室へ向かう。事前に道も覚えた。抜かりはない。

 

 

 

 別棟に渡って、図書室の前に着いた。

 

 扉を開けると、風が吹き抜けた。

 

 

 真っ向からの風に少し目を細めながらも、中に入る。

 

 中に入って、一人の人物と――()()()、目が合った。

 

 涼しい風に揺れる白髪は、底知れぬ美しさを醸し出していて、非常に魅力的だ。

 彼女の透き通った青の瞳は、窓から差し込む陽光を吸収して、さらに凛としている。

 本を数冊抱えたその姿は、どこまでも人を魅了させる。

 彼女の驚いた顔は、俺の知っている顔とは全く違い、とても可愛らしい。

 素顔を見ているようで、妙に嬉しく、少しドキッとしてしまう。

 

 しかし、その表情も奥にしまわれ、いつもの不機嫌そうな顔に戻る。

 

「……あんたがここに来た理由が知りたいのだけれど」

「んあ? 俺は……図書委員の仕事をしに。そっちは?」

 

 そう言うと、彼女は再び驚いた顔をする。

 再び心臓が跳ねる。このギャップには、どうも調子を狂わされる。

 

 ――それに、少しだけ、嬉しそうに……見えなくも、ない。

 

「へぇ、()()()()()

「え? いや、綾瀬はクラス委員だろ」

「あら、知らなかったかしら? 私、掛け持ちしてるのよ。と言っても、放課後の仕事は誰もやりたがらなかっただけなのだけれどね」

 

 ははぁ~……まぁ、部活とか色々あるしな。それぞれの青春を過ごし、華のある高校生活を謳歌したいのだろう。

 俺は全くもってそうではないのだが。普通に過ごせればいい。

 

「じゃあ、今度からは俺がやるよ。掛け持ちしなくてもよくなったな」

「へぇ、どうやって仕事は覚えるの? 注意事項、仕事の詳細、その他諸々……わかるの?」

「う……」

 

 現時点で、この仕事の内容を一番理解しているのは、間違いなく綾瀬。

 もらった紙に、仕事の全てや注意事項等は書かれているはずもなく、簡略化されたもののみ。

 それを頭に入れているところで、仕事が上手くいくかいかないかは、目に見えている。

 

 彼女の顔に、嗜虐的な笑みが浮かぶ。

 嗜虐的とは言え、彼女の笑みは初めて見た。

 そんな笑顔なので、ドキッとすることもなかったが。俺は生憎、ドMではない。

 

「でしょう? じゃあ、当分は一緒に仕事をこなすことになるわね。で、それにあたって、何か私に言うことはないのかしら?」

 

 今度は意地悪な笑みを浮かべて、悪戯を仕掛ける前の子供のような表情に。

 またしても、静かな大人っぽいイメージのギャップにドキッとしてしまう。

 どれだけ俺はちょろいんだろうか。しかし、俺は男。男をなんて、所詮こんなものだ。

 悲しきかな。

 

「……これからよろしく」

「ダメね。誠意が足りないわ」

 

 こ、こいつ……この笑みが、一周回ってイライラしてくるんだが。

 俺も、苦笑いしか出ない。さらに、それさえも引きつってきている。

 

「……一緒に仕事してください、お願いします!」

「あ~、そこまで言われちゃ、しょうがないわね。不本意ではあるけれど、仕事が成り立たないのは問題よね。仕方なく、手伝ってあげるわ。そこまで言ってもらって、断るほど私は鬼じゃないわ」

「おい、あまりふざけんじゃねぇよ。言わせたんだろうが。第一、俺は――」

「何か言ったかしら?」

「いえ何でもないです本当にすみませんでした」

 

 逆らえないんだが。いい具合に支配されている。

 彼女の笑みがこう言っている。「教えてあげなくてもいいのよ?」と。

 屈服するしか……ないのか……?

 

「まぁ、これから仮にも一緒の仕事をするのだし……」

 

 やけに『仮にも』を強調して言われる。

 そこまで俺は嫌われているのだろうか?

 確かに、ここ二日で結構迷惑かけたかもしれないが、まだそこまで大きくはないはずだ。

 

 過去の行いを遡行して思い出していると、綾瀬が俺の目の前に来た。

 

「これからよろしくね、()()()?」

 

 彼女は、そう正真正銘の笑顔を見せて、俺の名前を呼んだ。

 その笑顔は、彼女の背後から差し込む夕焼けの光を受けても、際立って輝いていた。

 

 俺は、この笑顔に、見惚れてしまった。

 この笑顔を、もっと見たいと。素顔を知りたいと。

 

 

 ――そう、思った。




ありがとうございました!

プロローグはこの話で終了です。
私の作品は、二話分でプロローグは終わらせてますので。

次回から、本格的に物語が展開していきます!
蒼夜君と七海ちゃんの打ち解けていくストーリーをお楽しみに!

ではでは!


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第1章 新しい学校生活
第3話 図書室にて


どうも、狼々です!

前回の更新より、一週間ですね。
すみません、間が空きすぎでしたね。
できるだけ気を付けたいですが、投稿ペースが……

では、本編どうぞ!


「じゃあ、今から教えていくわよ」

「あ~はいはい。わかりまし――」

「あ、もう教えないわよ。そんな態度をとるのなら」

「誠にぃ! すいませんでしたぁぁぁああ!」

 

 今、俺は途轍もなく、疑問に思っていることがある。

 思わずにはいられない。だって、こんな状況なんだぜ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……俺、何でこんなことしてんだろう?

 

「まぁ、今回だけ許してあげるわ。寛大な私に感謝することね」

 

 そして、言わずにはいられなかった。

 小声で、呟いてしまった。

 

「……心だけでなく、胸も大きいといいんだがな」

「ん? 何か言ったかしらね?」

「いえ本当に何も言ってないんです全く記憶にございません」

 

 顔は笑っているが、目が完全に笑っていない。

 その表情は、狂気的とも言えるだろう。

 

 綾瀬は、俗に言う「貧乳」、というやつだ。

 だって、膨らみが殆どないもの。今は春服で、さらに壁に見える。

 そこら辺の本棚と間違えてしまいそうだな。

 

 今度は綾瀬は薄く笑い、まるでこの状況を楽しんでいるようにも見える。

 例えるなら……そうだな。鞭を持たせて、看守の格好させたら、ドSな女看守って感じ。それ微笑なの?

 黒ブーツも履かせれば、これ以上にないくらいに、女看守に近づくだろう。

 しかし、圧倒的に胸が足りない。不思議と、女看守は大きい、ってイメージがあるんだが、俺だけなのだろうか?

 

「よろしい。じゃあ、これらの本を、背表紙のナンバー通りに並べて。まずアルファベット。次に平仮名順でね」

 

 十冊強の本を手渡され、背表紙を確認する。

 綾瀬の言った通り、アルファベット・平仮名が書かれている。

 恐らく、返却された本をもう一度棚入れするのだろう。

 

「ん、了解」

 

 取り敢えず、言い渡されたことだけやろう。

 開いた窓から溢れる斜陽と、もう少しだけ暖かくなった風を浴びつつ、指定のジャンルの、指定の場所に。

 大体のジャンルで分けられた本棚があり、その中でナンバーが決められている。

 

 暖かい風に乗って運ばれる、本の紙やインクの匂いに鼻を刺激されつつ。

 初めてにしては悪くないであろう手つきで、本を収めていく。

 

 半分程終わったであろう時、ガラッと音を立ててドアが開いた。

 

「お~、七海ちゃん、まだやってるね~」

「そっちこそ、いつも通り本をこの時間に返しにくるのね」

 

 会話からして、綾瀬の知り合いであり、図書室の本を返却に来たのだろう。

 相手の綾瀬の呼び方からして、親しい部類の生徒であり、同級生。

 さらには、図書室の常連さん、ということだろうか。

 

 こちらに気付いて、目を逸らそうにも、逸らす前に目線がかち合ってしまった。

 

「……へぇ~、放課後に七海ちゃん以外が、図書室の仕事をするなんてねぇ~」

「……ども」

「ふふっ、そんなに硬くならなくていいのに」

 

 穏やかそうに笑っているが、どうにも俺は初対面の異性とは、とっつきにくい。

 

 緑色の髪を真っ直ぐ伸ばし、どこかおっとりとしているようで、無邪気な雰囲気を漂わせている。

 ピンクっぽい、垂れ気味の薄い赤の瞳に見据えられ、変に緊張してしまう。

 満面の笑みを浮かべられながら、自己紹介を始められる。

 

「どうも、私は高波(たかなみ) 麗美奈(れみな)。よろしく、東雲君」

「え、あ、えっと……」

「高波でも、麗美奈でも、れみちゃんでも、れみれみでも、好きなように呼んでいいよ? 個人的には、後ろ二つのどっちかを希望」

 

 ……その、あの、なんだろう、この掴みづらい感覚は。

 ひどくもどかしいのだが。

 

「じゃあ……高波で」

「ん〜、仕方ないか、うんうん。君のことは、その無愛想なツンツンちゃんから話しかけられた~って、有名になってるから、知ってるよ」

 

 おい、それ広めた奴詳しく。

 

「誰がツンツンちゃんだ! まず、私は好き好んで話しかけたわけじゃない!」

「ほら、そういうとこがツンツンなんだよ。それより、好き好んで話しかけた以外に何があるの?」

「あまりにも見ていて可哀想だったからね。あ、そういう意味では好き好んで、になるかな?」

 

 皮肉たっぷりで、俺の方を向きながら笑う綾瀬。

 そして、ほんわかと笑う高波。

 さらに、苦笑いしかできない俺。

 

 三者三様の笑いを浮かべている。笑うって、色々あるんだな。

 ……笑うって、なんだろうな。(哲学)

 

「そういうのは、好き好んでじゃなくて、同情って言うんだぞ。わかったか?」

「あら、目に余るってだけで、同情ほど哀れんだりしてないわよ?」

 

 こ、こいつ……俺の苦笑いがさらに苦くなるぞこのやろう。

 笑みが引きつり始めた時、高波が本をカウンターへ持っていく。

 それを見て、綾瀬がカウンターへ移動、背表紙のバーコードを読み取ったりと、返却の手続き。

 

 一応、俺も業務としてやるかもしれないので、一度見て覚える。

 

 間もなくして返却が終わるので、ついでに俺が戻って回収。

 

「へ、へえ、ちゃんと仕事をする気はあるのね。まぁ、私をできるだけ楽させてちょうだい?」

「いい加減にしろ。今まで一人で頑張ってたんだろうから、少しは大目に見てやるが、それ以上はやめろ」

「あ、え、ぇ……大目に見る、なんて言っているけれど、本来大目に見るのはどっちでしょうね? 今の私とあんたの状況を見れば、どっちが見る側なんて一目瞭然よね? あの時話しかけた私は、一種の恩人なの。その恩人に仕えて仕事ができて、ましてやその恩人に、直々に仕事を教えてもらってるのよ? 少しは感謝の気持ちを持って敬いなさい。主人に使役される犬は、忠誠を誓っているのよ? 恩人に忠誠を誓えないあんたは、犬以下ってことになるわね?」

 

 ……なんだろう、何が言いたいのかさっぱりなんだが。いや、貶されていることは、かろうじてわかる。

 怒涛の攻撃ならぬ口撃。ラッシュ、というのが最も相応しいだろうか?

 どのくらい激しいかというと、ポケモンの技、『インファイト』のエフェクトくらい。

 

 ポケモンって、一見可愛らしそうに見えるが、あれは戦争だぞ。武器のない戦争。

 お互いがお互いのポケモンを繰り出し、死力の限りを尽くして、相手をなぶり殺す。

 だってあれ、HP尽きたら瀕死なんだぜ? どんだけガチなんだよ。動物愛護団体激怒間違い無しだな。

 

 俺はあのゲーム好きだけど、ぼっちだから対戦相手が見つからない。さらには、交換相手も。

 ネットでできるけれど、ハッサムとかキングドラは進化できなかった。交換が条件だし。

 そのせいで、図鑑が一向にコンプリートできなかった。ちくしょう。

 その点、ミラクル交換って、神システムだよな。ぼっちに優しいどころか、専用なまである。

 

 そんな全く別のことを考えていると、高波が耳元で囁いた。

 近いし、いい匂いはするし、胸も押し当たっているんだが。やわらけぇ。

 

 ブレザーの上からでもわかるほど、大きい。

 あれだな。高波の逆は? って聞かれたら、性格的にも体格的にも胸的にも綾瀬だな。

 身長も俺より少し低いくらいだし。

 

「あのね、七海ちゃんは、照れたり恥ずかしかったりすると、ああやって口数が多くなるんだよ。よかったね」

「いや、よかったねも何も、俺は全然嬉しくない。聞いてる限り、俺は誹謗中傷されてる一方なんだが」

 

 こんなんで喜ぶのは、ドMくらいじゃねぇの?

 先の格好させたら、喜んで飛び回るだろうな。特殊なプレイみたい。

 ……ブーツで踏みつけられるとか、あいつは本気でやりかねんな。普通に危ない。痛そう。

 

「ちょっと! そこで何ひそひそと話してるの!」

「いや、あのね、東雲君が、七海ちゃんのことを好きなんだって」

 

「「え?」」

 

 俺と綾瀬の声が重なり、反射的にお互いを見合わせる。

 俺は心の底から驚いていて、綾瀬はわなわなと肩を震わせている。

 

「あ、ああ、あんたねえ!」

 

 あ、ガチギレっぽい。

 というよりも、俺は何もしていないんだが。俺が怒られるとか、何その理不尽。

 

「違うだろ! どう考えても違うだろうが! 俺が綾瀬を好きになるなんて、絶っっ対にねぇよ!」

「そういうのも失礼でしょ!」

「あぁ、二人共、これ、冗談だからね?」

 

 遅く伝えられる真実。案の定と言うべきか、綾瀬はまだ不機嫌っぽい。

 

「ほら、ダメじゃないか高波。綾瀬には冗談が通じる頭がないんだからさぁ?」

「へ、へぇ、あんた、言わせておけばねぇ……!」

「よし、じゃあ俺は真面目だから、仕事に戻るとするよ。誰かさんが楽したいらしいからな」

 

 そう言って、勝手にフェードアウト。完璧すぎる。

 ごく自然にその場から去り、仕事を再開しようとする。

 

「あ! ちょ、ちょっと! 待ちなさい!」

 

 椅子から勢い良く立ち上がり、こちらに走ってくる。

 

「図書室ではお静かにお願いしますね~」

「あんたねえ……! ほら、半分貸しなさい!」

 

 そう吐き捨てるように言うと、俺の持っている本の山を、半分取った。

 それも、かなり無理矢理に。

 俺と背丈が結構違うので、取るにも取りにくそうだった。

 ……わからないんだが。

 

「あんたのためじゃなくて、私が後から楽ばっかしてる、なんて言われたらたまらないからよ。勘違いしないでちょうだい!」

「あ~……はいはい、了解しました、お嬢様」

「お、お嬢様!?」

「ほら、だって俺は綾瀬に仕えているらしいし? お嬢様ってことになるだろ?」

「……それ、やめてちょうだい。寒気がするわ」

 

 そこまで言うかよ。しかも、顔を見る限り本気だしさぁ。

 そんなに引くかよ。自分で仕えろ、とか言っておきながら。

 

「じゃあ、私は帰るね。じゃあね~」

「あぁ、またな」

「えぇ、またね」

 

 

 暫くおざなりに仕事を進めながらも、きっちりやる分はやって、綾瀬の様子を見に行く。

 綾瀬は、まだ本を数冊持っていて、今は一番上段の棚に本を入れようとしている。

 

「ん~……!」

 

 が……背が微妙に足りていない。

 背伸びしても、足りていない。

 まるで幼児を見るかの如く、俺は綾瀬を見ていた。

 

 さて、ここで焦らして眺めるだけ、というのも悪くない。むしろいい。

 彼女は貧乳だが、かなりの可愛らしい女の子。態度が悪くなければ、なおよし。

 さらに、低身長ときた。愛くるしい、と思う男子も多いだろう。

 

 その愛くるしいを楽しむのもいいが、それをやったとする。

 そうしたら、『愛くるしい』ではなく、『I 苦しい』になってしまう。

 自分の未来が苦しくなってしまうのを避けるべく、綾瀬を手伝う。

 

 綾瀬の側に向かい、手の本を奪う。

 

「ほら、貸してみろ」

「あっ……」

 

 俺の身長で、楽々と本棚に収める。

 まだ綾瀬の持っている本の背表紙のナンバーは、高い位置に収めるものばかり。

 黙ってそれを受け取り、それぞれを収めていく。

 

「……ほい、終わりっと」

「え、と、その……一応、ありがとう」

「へぇ、綾瀬の口からそんな言葉が聞けるとは、思ってもいなかったな」

「あんたねぇ……はぁっ、私だって、素直にお礼くらい言うわよ、バカ……」

 

 それは、いつも素直じゃないってことを自覚している裏返しなんですが。

 ほれ、もっと素直になりなよ。そうしたら確実に俺が楽になる。

 少なくとも、俺が貶される回数は減るだろうな。

 

「で、後は何をするんだ?」

「えっと……そうねぇ。もう下校時刻に近いから、施錠して鍵を返しに行きましょう?」

 

 そう言って、綾瀬は自分の荷物を取りに行く。

 急いで俺も同じく荷物を取り、鍵を回収して図書室から出る。

 

 施錠したことを確認して、鍵を手の中で弄びながら言う。

 

「じゃ、俺は鍵返しに行くわ。じゃあな」

「え、あ、えぇ、明日もあるからね」

 

 綾瀬の声が聞こえた時には、既に背を向けて職員室へ歩を進めていた俺。

 そんな中俺は、軽く右腕を上げて返事をする。

 

 吹いていた風とは違い、まだまだ寒気が残る廊下に、ただ一つの足音を反響させる。

 一定のリズムで鳴っていたそれは、俺の耳にいやに残った。

 

 

 

「――失礼しました」

 

 職員室へ鍵を返却して、下駄箱で靴を履き替えて、外へ。

 正門を通って帰ろうとした時。

 

 一人の人影が佇んでいるところを、正門で見た。体格からして、女子だろう。

 部活生は完全下校時間ギリギリまで部活をやっているはず。

 かといって、部活生ではない生徒は、もうとっくに帰宅しているはず。

 

 まぁ、一番可能性が高いのは、部活中の恋人待ちだろう。

 全く、こういう人目につく場所で、そういうことはやめてほしい。

 それを周りが見たところで、いい印象など与えられず、否定的にばかり見られるだけなのにな。

 妬みだとか、嫉みだとかじゃなく、普通に目障りなのだ。言い方は悪いが、実際そうだ。

 

 そんな女子が視界に入らぬように、横を自然に通り過ぎる。

 

「ちょっと、どこ行くのよ。せっかく待ってあげたんじゃない」

「……あ? 綾瀬?」

 

 呆れ顔で、多少暖かい風に白髪を揺らした、綾瀬が立っていた。

 思い切りのジト目に、案外魅力があって驚く。いや、そこじゃねぇだろ。

 

「待ってあげたって、別に俺は――」

「鍵を返してくれたんでしょ? 方向一緒で、先に帰るなんてしたくなかったのよ。……ほ、ほら! さっさと行くわよ!」

 

 一人で答えて、一人で騒いで、勝手に歩いて行く。

 俺がわけが分からず棒立ちしていると、後ろを確認され、先行した分を戻ってくる。

 

「一緒に帰るって言ってんのよ! ……行くわよ」

 

 少し落ち着いて、先程よりもゆっくりと歩き始める。

 俺も、ゆっくりと綾瀬の隣につく。

 

 夏の涼しくもどこか優しく、透き通る風。

 どこか神々しくもある、落陽の光が俺達二人を照らしていた。




ありがとうございました!

ちょっとだけデレを出していきました。
次回は、七海ちゃん視点を書く……と思います。

新キャラを連続してこうも出してしまい、申し訳ないです。

ではでは!


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第4話 昨日と同じなら

どうも、狼々です!

実に一週間ぶり。またしても、ごめんちゃい。すみません。

今回、七海ちゃん視点が入っています。
そして、デレも少し入ってるかな?

この作品の投稿日なのですが、Twitterの方で前日にお知らせしています。
ユーザーページにリンクがあるので、よければどうぞ。

では、本編どうぞ!


「はあぁぁ~……」

 

 私は大きく溜め息を吐きながら、制服のままベッドに倒れ込む。

 窓から差し込む斜陽を眩しいと言うように、手の甲を額に当てながら、仰向けの状態で天井を仰ぐ。

 ここ二日、あの東雲とかいう奴に絡まれている。

 そのお陰で、いつもよりも疲れを感じている。

 

 口を開いたかと思えばふざけてばかり、こっちの身にもなってほしい。

 まぁ、どうせ私がこのまま冷たく当たっていけば、すぐに皆のように遠ざかるだろうし、あまり気にする必要もないか。

 

 そう、周りと同じように、知らないと目を背けるに決まっている。

 私は、あまり人と接することが好きではない。嫌いなわけでもないが、一人で静かに過ごしていたい気分のときが多い。

 素っ気ない態度を取っていると、自然と静かな環境は形成されていた。

 

 けれど、それまでだった。一度形作られた陶器は、形を変えられないように、一度取り付いたイメージや第一印象は離れない。

 後に残った選択肢は、このままの状態を維持するか、陶器を割って、砕いてしまうかのどちらかのみ。

 第一印象の破壊など、不可能だ。だったら、自ずと私が取りえる選択肢は一つだけ。

 

 でも、まぁ……楽しくなかったわけでは、ない……かも。

 

「……はぁ。何考えてんだろ、私」

 

 二度目の溜め息と共に口から溢れた独り言は、照明の点いていない自室の中で、反響することなく消えた。

 この部屋を照らすのは、さっきよりも弱々しくなった、夕の橙色の陽光のみ。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 翌日の朝、晴れ渡る空から青白い陽光に包まれた教室に入った瞬間、

 

「あ、おっはよ、蒼夜! 図書委員で綾瀬と一緒に仕事したんだってな! すげぇよ!」

 

 と、遥斗に極めて爽やかな笑顔で言われる。どのくらい凄いのかわからん。

 こういうとき、俺はどういう反応をするのが正解なのかわからない。中身が無くとも肯定するべきなのか、相手の考えを割ってでも否定するときは否定した方がいいのか、無視するべきなのか。

 俺はいつも、肯定しかしないのだが。仮初めだと割り切ってしまえばいいだけの話だ。

 

「そうか、ありがとう」

「おう、高波から聞いたぜ?」

 

 そう言って、遥斗がある方向を見る。

 視線の先には、緑髪をストレートに伸ばした少女――高波の姿が。

 ……え、同じクラスだったのかよ。昨日あんだけ考察したのに。

 高波も結構な美少女なので、覚えていてもおかしくないはずなんだがな。何この発言危ない。

 

 ――あ、こっちに気付いて手を振ってきた。一応振り返すけども。

 こういうときも、対処がわからない。今みたいにするか、会釈するかとか。

 コミュ障の塊みたいな人間だな、俺。

 

 

 昼休みを栄養バランスを度外視した昼食を食べることで過ごし、今日も放課後がやってくる。

 教室にまだ明るい光が差し込む内に、SHRが終わって下校。

 散り散りとなっていくわけだ。弾けて混ざるわけでもないが。

 

 今日も昨日と同じく、図書室へ足を運ぶ。

 扉を開けると、読書中の綾瀬の姿が目に飛び込んだ。

 開け放たれた窓から吹き抜ける軟風が、彼女の髪をより魅力的に魅せる。

 

 それと同時に、彼女がこちらに目を向ける。

 彼女の濡れた瞳に映っているのが自分の姿だと思うと、予想以上に心臓が跳ねる。

 視線がかち合い、謎の緊張感が全身に張り詰める。

 

「……今日は、随分と優雅じゃないか」

「まぁね。今日はあまり本が返却されていないの。こうやって読書をしている時間が、愛おしい」

 

 そう言いながら、俺に向けられていた目線を本に向け、優しく撫で始める。

 少しでも明確にこちらに目を向けてくれるようになったのは、進歩と言っていいだろう。

 優しげな、いつも見せない笑顔にドキッとしてしまう。

 

 受付に座っていた綾瀬の隣に座って話す。

 

「そうか。俺も読書は好きな方だ。図書委員に入ったのも、それが関係しているのかもな」

「あら、私と同じね。何だか残念だわ」

「おい。残念とか言うなよ。人としてどうなんだ。言って良いことと悪いことの区別つかないの?」

「つくに決まってるじゃない。ついているから言ってるのよ」

 

 なんだろう、さっきまでのときめきを返してほしい。

 こいつ、意外に毒を吐くからな。俺の精神が気付いたらボロボロになっているかもしれん。

 言論の自由があるものの、侮辱罪だぞ。公共の福祉。

 

「……まな板が何を言う」

「ん? 何か言ったかしら?」

 

 隣の笑顔が怖い。それやめない? すみません私も侮辱罪でしたね。

 軽く脅迫できちゃうよ? 威圧感すげぇ。パワプロの一歩先を行っている。

 

「あぁ、言ったとも。言っていいと思ったからな? 高波と対極しているよな」

「そこまで言う必要ないじゃない! 私だって気にしてるのよ!」

 

 気にしていたらしい。目に涙が溜まっている気もするが、気のせいだろう。

 他愛のない会話をしていると、扉が開く音がした後、高波が入ってきた。

 

「やっほ~。今日も仲睦まじいね~」

「「それは絶対にない」」

「ほら、仲睦まじいじゃない」

 

 二人で声が重なって、高波に茶化される。

 今回は本を借りに来たようで、本棚の方向へ歩き始める。

 歩を進める度に、ブレザーの奥の双山が揺れる。すげぇ、ブレザーありでもあれか。夏服はきっとすげぇぞ。

 もうすぐ夏服に変わるらしいので、楽しみでもある。俺は変態だったのか。まぁ、男子高校生だし、仕方がない。

 

 そして、ちらっと隣の胸元を一瞥。

 ぺったんこである。壁。まぁ、俺は大きい方がいいとか小さい方がいいとか、そういう好みはないが。

 

「ちょっと。人のどこ見てるのよ」

「壁」

「はぁぁっ!」

「え? ちょ――ぐはぁっ!」

 

 みぞおちに、綾瀬の肘打ち、炸裂す。字余り季語なしという俳句の完成。季語なしって大丈夫なのか?

 

 それより、痛い。超痛い。俺は両手でみぞおちを押さえて(うずくま)る。

 

「ぐぉぉぉぉおお……!」

「今のはあんたが悪い。暴力を振るったのも致し方ない」

 

 表情を見る限りでは、本当に不機嫌そうだ。

 まぁ、そりゃ他人と胸の大きさ比較されたらこうなるわな。

 

 遅まきながらそれに気が付き、慌てて弁解にかかる。

 

「ご、ごめん……! 俺の好みは巨乳貧乳関係ないからさ?」

「あんたの好みは聞いてないわよ……」

 

 今度は呆れ顔になる綾瀬。逆効果でした。俺にはどうすることもできない。

 

 今の状況に困りつついると、いつの間にか受付に来ていた高波に気付く。

 持っている本は、今から借りていくのだろう。

 その目は慈愛に満ちていて、何とも柔らかそうだ。他のところも柔らかそう。ナニとは言わないが。

 

「やっぱり仲がいいね。でも、いつの間にそんなに仲良くなったの?」

「麗美奈にこのやり取りが仲良い、って言われるのは心外ね。隣の()()と仲が良いだなんて、恥ずかしいわ」

「ねえ、ちょっと? 『これ』とか言わないでね? 俺も人間だよね?」

 

 手際よく本を受け取った綾瀬が、手続きをしながら話す。

 それを俺が横で盗み見て、やり方を覚える。これが一番安全で平穏な仕事の覚え方だと理解した。

 昨日のやり取りを繰り返すことになるのは、さすがに面倒だ。体力的にも、精神的にも。

 

 俺の人権が怪しくなっているところ。最早『これ』扱いである。

 物かよ、俺は。さしずめ、俺は召使のルンバといったところだろうか。そんな高性能でもないか。

 

「あ、あはは……じゃ、じゃあね、七海ちゃん、東雲君」

 

 ほら、あのおっとりした高波でさえ苦笑い。この状況の物悲しさを体現しているようだ。

 再び図書室に静寂が訪れるかと思ったが、意外な来訪者。

 

 高波が締めた扉が完全に締め切られる前に、途中で押し戻されて開く。

 

「へぇ、遥斗も本を読むんだな」

「おうよ。まぁ、二人の様子も見られて一石二鳥だ。はい、返却お願いするよ」

 

 本を手に持った遥斗が扉を抜け、受付に。

 綾瀬が受け取ろうとしたところを、俺が先に奪い取るようにして本を手に取る。

 

 背表紙のバーコードを読み取り、パソコンを操作した後、生徒手帳に貼られた個人バーコードを読み取る。

 そうして返却の手順は終わり、俺は席を立ってさっきの本を本棚に戻しに行く。

 

 その後をつけてきた遥斗が、俺に耳打ちする。

 俺は歩いて本を直しに行きながら、会話していない風を装うため、目線は真っ直ぐそのままに。

 

「なぁ、やっぱ綾瀬可愛いよ。胸が残念だけど、俺は全然ありだぜ?」

「あぁ、そうだな。俺としてはそういう話を平気でする遥斗に残念だがな」

 

 そういう変態気質なことは、せめて心の中で留めておけよ。みぞおちに肘打ちされるぞ。誰かさんみたいに。

 

「いいじゃん。そういうの嫌いか?」

「いやむしろ大好き」

 

 ここは正直にいこう。嘘なんて吐くものじゃない。

 こういう変態気質な言葉でも、心の中で留めておくってのはいけないと思うんだよ。

 とんでもなく曲がってくるブーメランだな。アボリジニもビックリだ。

 

「だろ? じゃあ、綾瀬は好みなのか?」

 

 俺はちらと、綾瀬の方へ振り返って容姿を確認しようとしたとき。

 

 

 

 ――後ろで、綾瀬が冷笑を浮かべて立っていた。

 

 ……あっ。

 

「二人共、何か言い残すことは?」

 

 綾瀬の口から、冷ややかな声色の音が聞こえる。

 言い残すことはないか。それが示すことは俺達にはわからない。

 けれど、これだけはわかる。ろくなことがない、と。

 

「俺は何もしてないだろ。胸を話題にしたのは遥斗だ」

 

 すぐさま隣の遥斗を指差して、とにかく平静を保って言う。

 懇願の目を向けられている気がするが、見て見ぬふり。

 だって、本当のことだもの。胸が残念って言ったのは遥斗だ。俺じゃない。

 故に、この場にいる者の中で、傍観者、第三者であると言える。

 

「じゃあ、言い残すこと。はい」

 

 もう容赦がない。笑顔を満面に浮かべているのが、また怖い。

 夕焼けが厚い雲に隠れ、図書室に差す光が弱くなる。

 

「……それでも地球は回っている」

 

 うん、取り敢えず遥斗はガリレオ・ガリレイに謝ろうか。

 

 

 同じくみぞおちに肘打ちを入れられた遥斗は、本を抱えて苦しそうに帰っていった。

 本当に苦しそうで、見るのも可哀想だった。

 俺は心の中で言った。ごめんな(笑)、と。

 

 (笑)って、便利だよな。後につけたら何でも柔らかい表現になるな。

 ぼっち(笑)。急に棘が付いたんですがそれは。

 

「……で、どうやってさっき返却の手続きしたの。私は教えてないわよ?」

「あぁ、そうだな。昨日の高波の返却見て覚えた。そうやったら、教える手間が省けるし、掛け持ちしなくてもいいだろ?」

「……ぇ?」

 

 掛け持ちは正直、きついだろう。

 本来一人で一つのところを、二人分やるのだ。

 どれだけ掛け持ちする仕事が軽かろうと、それは変わらない。どれだけ軽くも重くも、一人分。

 

 俺が図書委員として入った今、綾瀬は掛け持ちをしなくてもいい。

 少し仕事を引き継いでさえすれば、すぐに交代してやれる。

 

 今は大丈夫でも、必ずいつか支障が出る。

 クラス委員を受け持っている以上、それは普通よりも大きな問題だ。

 この問題は、早急に解決しなければならないだろう。その支障が、いつ影響するかわからない。

 

「今までお疲れさん。さっきの遥斗のやつで貸出も覚えた。後少しだけ、よろしくな」

「…………」

 

 その目は、何を見ているだろうか。

 俺にもわからない。むしろ、わかることがない。

 どこか憂いを帯びたようにも見える目は、今にも泣き出しそうだった。

 

 何を思ったのか、何を感じたのか、何が言いたいのか。

 それを考えるのは、ひどく意味のないことだ。絶対にわからないことは、追求してもわからないままだ。

 それはいつの時代でも変わることじゃない。

 

 生きる理由を考える、存在する理由を考えるということと同じだ。

 明確な答えがない以上、そんなことは無価値だ。

 

「……もうすぐ終わり。鍵を返すから、外に出て」

「あ、いいよ俺がやる。これから俺が――」

「いいのよ。昨日やったでしょ? まだ二人で図書委員なんだから、交互にやるのが普通でしょ?」

 

 顔は笑顔だが、目が変わっていない。それがとても痛々しく見えた。

 淀んだ雲が太陽光を邪魔し、図書室を一気に暗くする。

 元々照明を点けていなかった図書室は、すぐに暗くなった。

 それが、下校時間の訪れを顕著に示していた。

 

 言われるがままにカバンを取り、廊下に出る。

 施錠した後、綾瀬は無言で職員室へと向かっていった。

 

 小さいその背が、さらに小さくなっていく。

 それを見届けてから、俺は校門に向かう。

 下駄箱でローファーに履き替えて、コンクリートの道を通る。

 一歩一歩を踏み出す度に、コツコツと石を叩くローファーの音が耳に入る。

 

 ……それがいやに耳に残って、頭から離れなかった。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

「――失礼しました」

 

 職員室の照明を眩しく思いつつ、もう暗くなった廊下を一人で歩く。

 まだそんなに遅い時間ではないが、雲が空を覆うせいで、光が届いていない。

 無心なようで、どこか空っぽな心で、目でその空を見つめながら下駄箱へ。

 

 部活生も帰りの準備を淡々と進めて、早い部活はもう帰り始めている。

 今まで一人での帰りだったのに、それが今日、少し寂しく思えた。

 

 友人は、図書委員の仕事があるため、一緒に帰ることはない。

 一ヶ月、それを繰り返してきたはずなのに。それが、急に寂しくなった。

 

「はぁ……」

 

 何度吐いたかわからない溜め息を吐き、校門をくぐる。

 

「……おい、どこ行くんだよ」

 

 ここ最近になって、聞き慣れた声が聞こえた。

 ――そこに立っていたのは、彼だった。

 

「……どうしたの」

「どうしたのも何も、待ってたんだよ。昨日と同じなら、俺も昨日と同じく待つのが普通だろ」

「変なところで律儀なのね」

「お互い様だろ。鍵一つくらいで交互にする、っていう誰かさんも。……帰るぞ」

 

 そう静かに言って、彼は先導する。

 彼の背中を見て、少し嬉しくなってしまった。こんな感情、あいつに抱くわけがないのに。

 一緒に帰ることに、喜びを感じた。笑ってしまった。自分でも驚きだ。

 

 その場で笑っていると、彼がこちらに振り向き、先導した分を戻ってくる。

 その動きに、妙な既視感を覚えた。

 

「……ほら、さっさと帰るぞ」

 

 今度は先程よりもゆっくりと歩きだしている。意識して昨日を再現しているのではないかと疑ってしまう。

 その疑いに準ずるべく、私もゆっくり彼の隣につく。

 

 厚く、黒く淀んだ雲は晴れて、太陽が顔を出す。

 橙色の陽光が、軟風と共に私達に降り注がれた。




ありがとうございました!

私の作品にしては、デレが早い。まだこれで三作目、一つも完結してませんが。

知っている方もいらっしゃるでしょうが。
私の作品では、『彼』と『彼女』が多くなっております。
その理由が、自分に置き換えるため、という何とも悲しい理由です。
自己満足でしょうが、よかったら置き換えてみてください。

……置き換えて悶えるほど、甘い恋愛ストーリーを書けるかどうかは保証しませんが。

ではでは!


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第5話 青い猫型ロボットと正義のパン

どうも、狼々です!

今回はいつもより一日早く投稿できました。
もっと投稿ペースを上げたいが、水木と10時間授業なのはでかい。

では、本編どうぞ!


 五月も終盤に差し掛かり、六月一日を境にした夏服への衣替えも近付き、俺自身もこのクラスに、学校に慣れつつあった。

 図書委員を綾瀬と進め、高波といつも会話して楽しんで、時に遥斗がやってきて肘打ちを入れられ。あいつ、学ばねえのかよ。見ているこっちが痛々しいものだ。

 

 今日も昼までの授業を終え、昼食の時間になる。

 いつも俺は一人でパンを食べるか、遥斗とパンを食べるかだ。あ、パンは確定事項な。

 今日も遥斗とパンを食べようとして、外の春めいた景色に心を澄ませようかと思っていたら。

 

「ねえねえ、私達と一緒に昼食を食べよう、東雲君!」

「ちょ、ちょっと、何で私『達』になるのよ。私は――」

「おう、一緒に食べよう!」

 

 遥斗がそう笑顔で言いつつ、二人を招き入れる。

 あの、一ついいですかね……俺、発言権は無いのかな?

 別に断るつもりもないのだが、何より綾瀬にこちらを睨まれたような気がするのでね。疲れているんだよ、俺。

 今すぐ六つのボールを機械に乗せて、てんてんてててん♪ という音楽と一緒に回復してもらわねば。ありがとう、ジョーイさん。状態異常回復もするからね。HPだけじゃない。

 

「……というか、あんた、いつもパンを食べているの? 栄養バランスとか大丈夫なの、それ?」

「いいだろ、別に料理ができるわけじゃないし。っていうか、何見てるんだよ」

「見てるんじゃなくて、パンを普段食べる人なんて、あんたぐらいなのよ」

 

 ま、そりゃそうか。皆は毎日パンを食べるわけではない。

 学食か、売店の弁当か、自前の弁当か。多種多様な昼食と昼休みの過ごし方だ。

 あぁ、そういえば。名前は伏せるが、前に弁当だけを持ってきて箸を忘れて、食堂にわざわざ行って、箸取って食べていたな。

 ……ペンとか鉛筆とか、文房具で弁当食べればいい、って言ったんだがな。

 全く、遥斗は馬鹿すぎるだろ。名前は伏せるんじゃなかったのかよ。

 

「そうそう、いつも東雲君の方を見ているんだよ、七海ちゃんは、ね」

「あら、麗美奈の目がそっちに向いているんじゃないの?」

 

 何? 俺を見るのがそんなに嫌なの? 悲しむよ、俺?

 遥斗は遥斗で面白いと言わんばかりに笑うし。

 

「はいはい。わかりましたから。さっさと食べるぞ~」

「そうね。私もパンを食べるこれと一緒に昼食なんて、早く終わらせたいわ」

 

 じゃあ何でここにいるんでしょうかねぇ?

 それに、もうそれ、ただの暴言ですよね? あんまり俺を貶さないでね?

 ツチノコってメンタル弱そうだからさぁ。天然記念物だぞ。

 

 

 

 

 今日も恒例の放課後を迎え、教室から生徒が続々と漏れ始める。かくいう俺も、その一人。

 夏に入りかけの少し涼しいような、暖かいような微妙な風を廊下から感じながら図書室へ。

 もうこの図書室への道は、通り慣れた。

 

 そして、窓を開けた時に飛び込んでくる、綾瀬の姿も見慣れてしまった。

 いつものようにカウンターに座って、本を静かに読んでいる姿。

 しかし、今日はそんな見慣れた姿とは違っていた。

 

 勉強道具を広げて、教科書に視線を落として、シャープペンシルを走らせている。

 カリカリ、と勉強時独特の、シャープペンシルや鉛筆の芯が徐々に削れる音が、静寂の均衡を保つこの図書館に、控えめに響く音が、どこか心地いい。

 

「……アンキパンって、何気に欲しいよな」

「あんた、何の話しているの?」

 

 まぁ、そう返されるのも無理はないか。

 会って早々、開口一番にアンキパンの話をしだすのだから。

 でも、あれは欲しいよな。学生の誰もが思ったことがあるはずだ。

 俺の考える学生が欲しい秘密道具ランキングは、一位から順に、もしもボックス、どこでもドア、アンキパンだ。

 ……学生に限らねぇな、これ。誰でも欲しいわ。

 

 もしもボックスで、言うんだよな。もしも、勉強がない世界になったら! とか。

 しかし、俺は全力で、声を大にしてこう言いたい。

 

 ――もしも、ぼっちしかいない世界になったら! と。

 ぼっちがいない世界にしない辺り、なんとも俺らしい願いだ。

 

 どこでもドアは……あれだ。

 遅刻しない、移動費かからないの二強だから。これがあれば、日本から外国に一瞬で通勤・通学できるぞ。

 

 これ、日本から外国の高校に入学して、自宅周りの地図を載せるやつあるじゃん。

 それが外国にも導入されていたら、日本のとある場所だけの地図が載っているっていう、意味不明なことが起きる。

 進学先の学校側からすれば、意味わかんねぇよ。通学路:どこでもドアとか、四次元の空間上、とか書かれても、ねぇ?

 

 アンキパンは……うん、すっごく役に立つね。うん。すごいね! 適当にも程があるだろ。

 あれだ……うん、諸々のテストに役に立つね。

 

「ちょっと秘密道具の偉大さについて、な」

「はぁ? あんた、あの青い猫型ロボットのやつ、まだ見てるの? 子供向けでしょ?」

「あぁ、確かにそうだな。しっかしぃ! こうやって人間としても体格としても成長したことでわかることだってあるんだぞ!」

「あっそ。それはよかったわね~。子供向けの知識で自分の脳が養われるなんて、あんたの脳が子供だってことがよくわかったわ」

 

 何だろう、馬鹿にされている気がしてならない。体格的には綾瀬も成長していないか。主に胸。

 ドラえもん、最高だぞ、おい。

 あの都合よく映画の時に限って、友情深くなったり、優しくなったり、勇敢すぎるくらいに勇敢になるジャイアン。

 毎回見ていて思うけれど、アニメ・漫画と映画で、きれいなジャイアンに交代してんじゃねぇの?

 

 俺としては、ペコの話が一番好きだわ。

 あと、イチのやつな。あのイヌ素晴らしいよな。どっちもイヌだわ。

 ネッシーのピー助のやつも中々。そして何と言っても、ドラえもん自体が素晴らしい。

 そりゃそうだわ。主人公格だもん……何のこと考えているんだ、俺は?

 

「まぁ、それはいいとして、どうして――」

 

 どうして勉強しているんだ。そう問おうとして、図書室のドアが音を立てて開かれる。

 最近、音の大きさやスピードで、入ってくる人物がわかるようになってきた。

 そもそも図書室を利用する生徒が少ないし、このどこか荒っぽい駆動音をさせる開け方は――

 

「よう、蒼夜、まな板!」

「はぁ~……あんた、ホントに何なのよ……」

 

 綾瀬は頭を抱えて、大きく溜め息を吐いて言う。

 遥斗も中々の傍若無人ぶりだ。あの調子で何回肘打ちを入れられ、苦しみながら帰っていったことか。

 あれから、綾瀬と遥斗は交流を深めていった。仲良くなったとは言わない。どう見ても仲が良いわけじゃないし。

 遥斗はどうかわからないが、綾瀬ただの邪魔者にしか思ってないんじゃないの? かわいそ。

 いや、錯覚するな。まな板は失礼すぎるだろ。せめて砂丘。

 

「おぉ~、放課後の図書室に四人で揃うっていうのは、結構珍しいんじゃない?」

 

 今度は静かな駆動音と共に、高波が図書室に。

 現在は衣替え前ということで、中間服。春服のブレザーは着脱可。着るもよし、脱ぐもよし。

 高波は期待通りというべきか、長袖のカッターシャツだけ。たゆんたゆんだ。

 綾瀬のそれを見ようとして、一瞬顔が動きそうになったのを無理矢理に止める。肘打ち、怖い。

 

 ちなみにだが、俺はブレザーを着ている。寒がりなんだよ、俺。

 いや、皆が寒さに強すぎるだけだ。高波だけでなく、綾瀬も遥斗もカッターシャツのみ。

 図書室は緩く冷房がかけられていて、さらに寒いだろうに。

 

「そうだな~。で、どの本を返して借りる?」

「あぁ、いや、今日は返すだけだよ。さすがにもう……近いし」

 

 まぁ、何が近いのかはわからないが、何かが近いのだろう。それ以外に何があるんだよ、逆に。

 中々珍しく神妙な顔つきだったので、聞くことを躊躇ってしまう。

 

 その表情のまま本の返却を終えたら、そそくさと図書室を出て行く。

 それにつられるように、遥斗も足早に図書室から去っていく。

 今日は、どこかおかしい。

 

 二人の様子といい、綾瀬の急な勉強といい。

 

「なぁ、綾瀬。どうして――」

「……ぁう、ぁう、ぁうぅ……」

 

 急に船を漕ぎ始めた綾瀬は、情けない声を出しながら必死に睡魔に抗っていた。

 何だろう、めちゃくちゃ可愛い。

 頭が揺れる度に、ぁう、とか言っているし、超可愛い。

 

 そうしてすぐに、睡魔との戦いが終わる。

 結果は、睡魔の圧勝。一瞬でノックアウト。そして、綾瀬はカウンターに突っ伏して眠っている。

 いつもの態度と違い、可愛らしい様子で寝息を静かに立てている綾瀬に、ドキッとしてしまう。

 こうやって、黙っていれば可愛いのになぁ……勿体無い。

 

 ともあれ、こうやってカッターシャツだけで眠るのは、まぁまずい。

 冷房が当たっている中、この格好だと風邪を引いてしまう。冷房は切ればいいが、それでもな……

 仕方ない、か。

 

 自分の着ているブレザーを脱ぎ、綾瀬にかける。

 小さく上下する背中に触れて、ドキドキとしつつも優しくかけることができた。

 変に意識してしまっている節があることに、我ながら呆れてしまう。

 

 少し冷たい図書室の中、隣で眠る綾瀬を視界の端に入れつつ。

 明るすぎる陽光が差し込む中、外と部屋との温度の、ガラスの境界を不思議に思いつつ。

 俺は静かに、微笑を浮かべながら来訪者を待っていた。

 

 

 

「……お~い、起きろ。もうすぐ時間だぞ?」

「ん……あ、れ……?」

「お、起きたか。おはよう」

「んえ? ふみゅぅ……おは、よ」

 

 可愛い。可愛いのだが、言ったら俺が苦しくなる。物理的に。

 主にみぞおち辺りが。

 

「あれ? こえ……」

 

 まだ寝ぼけたような甘い声を出しながら、かけられた俺のブレザーを手にとって確認する。

 そして、俺の方を向く。

 そしてまた、ブレザーへ視線を戻す。

 

「あ……ご、ごめんなさい……」

「別にいいよ。むしろ、ブレザー一枚で何か変わるといいんだがな」

 

 差し出されたブレザーを羽織り、既に切ったはずの冷房の冷気が少しだけ遮断される。

 ブレザーは本格的な防寒具ではないため、風邪を防げるかどうか、怪しいところだ。

 少しは効果があるだろうが、大きく変わることはないだろう。

 

 俺が綾瀬を起こしたのは、もう下校時刻間際になったからだ。

 部活生も活動を切り上げ、片付けなり部室の施錠なりしている。

 あれほど明るかった日の光も、今では少しだけ薄暗くなってしまっている。

 コトコトと窓が叩かれる音が、外の微妙な寒気を予感させる。

 

「よっし、帰るか。さっさと出てくれよ~。鍵は返しとくから、先に校門に行っててくれ」

「わかったわ。お願いね……ふわあぁ……」

 

 口元に手を当てて、柔らかい欠伸をしながら図書室から退室する。

 俺もそれに続き、照明と冷房を落として施錠。職員室へ。

 

 片方一人が鍵を返し、もう片方は校門で待つ。

 それを繰り返して、いつしか暗黙の了解となっていた。

 当たり前であることを前提に、下校を共にしていた。

 

 気づけば鍵も返し終わっており、外の冷気に身を包ませていた。

 案の定というべきか、俺にとっては中々の寒さだった。

 胸と頭と頬中に謎の熱さを感じていたが、それもすぐに冷えて消えた。

 

 ポケットに手を入れながら、着実に校門へ。

 そして目に入る、小柄な女子の姿。

 向こうもこちらに気付き、俺が校門に着いたと同時に隣り合って歩き出す。

 そうして、図書館内でのくだらない会話の再開。

 

「俺って、マジでアンパンマンだよな」

「えぇ、それもそうね。そのすぐに替えが効きそうな頭とか、酷似どころかそのものね」

「おい、それは正義への冒涜だろ。あの勇気と笑顔に満ち溢れるパンを舐めんなよ」

「あんた、一体誰なの?」

 

 俺でもわからなくなってくるが、俺が一番アンパンマンだ。

 いや、正確にはアンパンマンに近いのはぼっちだ。

 愛と勇気だけが友達らしいからな。

 

 (自分への)愛と(孤独に対する)勇気は、これ以上にないくらい友達で、むしろ親友。一心同体なまである。

 それなのに、どうしてアンパンマンは賞賛され、ぼっちは賞賛されるどころか卑下されるのだろう。

 正義への冒涜だろ。アンパンマンを寄ってたかって馬鹿にするとか、幼児激怒するぞ。

 

「んで、どうして今日はまた勉強なんてやっていたんだ?」

「え? どうしてって……あんた、知らないの?」

 

 いや、知らないの? もなにも、明確に提示してくれないと、わかることでもわからないのだが。

 

「来週――()()()()()よ?」

「……ゑ?」




ありがとうございました!

タイトルで察しているであろう通り、ドラえもんとアンパンマンのことです。
私はあまり見ていないのですが。

宣伝です。
23日の日曜、新しく短編を投稿しました。またですよ、新作したい病。
今回は短編なので、すぐに終わらせられるかと。
……後で連載に切り替わる可能性も完全には否めない。

タイトルは『八月の夢見村』です!
R15のタグなし、エロ要素も当然なし(!?)、今度こそ純恋愛。
感動モノにしたいです。その予定。
よかったら見てやってください。

ではでは!


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第6話 彼女の笑顔が見たい

どうも、狼々です!

これが投稿される前日。
筋肉痛で体中が痛かったです。運動は定期的にするべきですね……

では、本編どうぞ!


 皆の者よ、一つ問いたいことがあるのだ。

 ――どうして、勉強ってあるんだ?

 

 いや、言いたいことはわかる、うん。

 こんなことを考えて何が変わるでもないし、そんな暇があったらそれこそ勉強しろって感じだろう?

 勉強することにも意義があって、無意味なことをしているんじゃないって、言いたいんだろう?

 

 学習的努力の積み重ねを、思春期前後にさせた方がその後の人生で頑張れるだとか。

 教養をその後の人生で役立てることができるだとか。

 能力を勉強分野で事前に測るだとか。

 

 でもさぁ、それって理由になっていないと思うんだよ。

 勉強がダメって言っているんじゃなく、勉強じゃなくてもよくない? って感じだ。 

 

 つまり、俺が何を言いたいのかと言うと――

 

「……終わった」

「そうでしょうね」

 

 今日、木曜日で最終日の定期テスト……完全にできませんでした。綺麗にできませんでした。

 いや、できたことにはできた。ちゃんと週末使ったし、きちんと名前も書いた。それは普通だな。

 

「自信がない。まったくもって」

「終わった後に嘆いても、結果は変わらないわよ……元気出しなさい」

 

 ……ん? 何だろう、この優しさは。

 逆に不気味だな、おい。それも失礼だな。

 

 六月、気温も本格的に上昇し始め、夏という季節そのものがひしひしと感じられる。

 直接陽光が当たる窓は光り輝いていて、それを見るだけでも暑くなってくる。

 ガラス板から屈折する光は、七色の陽炎を映し出す。

 

 このクーラーがきいている図書室には、その隔壁で反射する涼風。

 排出される音が静かな割には、なかなかどうして涼しい。

 

 すっかり冷え切ったカウンターに突っ伏して、額が冷たくなっていることに気持ちよく感じる。

 俺は寒がりではあるが、この気温だとそうでもしないと耐えられない。気温は軽く炎天下を越してしまっている。

 

 不思議に思った俺は、体を起こして姿勢を正す。

 

「どうした。何でそんなに俺に優しく――」

「あんたが落ち込んでいたら、誰にその分、仕事のしわ寄せが来ると思っているの?」

「そうでしたね君はそういう人間だったな」

 

 まったくもってブレませんね、それはもう清々しいくらいに。

 しかも、何事もなかったかのように読書を続ける隣の綾瀬。

 ここまでくると、最早悲しみすら感じなくなってきた。

 

「やっほ~、二人共、テストお疲れ様~」

「「お疲れ~」」

 

 二人で揃って気だるさ溢れる返しで、高波を呆れさせる。

 苦笑いして肩を竦めていても、夏服になったこともあり、高校生らしからぬ発育を誇るそれらが柔らかく形を変えて揺れる。

 目の保養目の保養、眼福眼福、っと。

 

 さて、この後はいつも遥斗が来る流れなのだが……

 ……ん? 綾瀬が席を立って、扉の前で止まった。前というか、真ん前じゃなく、横にずれて死角に。

 ……あっ。何となくわかってしまったんだが。

 

 いつもの通り、少し大きめの足音が近づいてくる。

 ゆっくりとだが着実にこちらに近づいてくる。

 高波も俺の綾瀬に向ける視線に気付き、同じく綾瀬を見守っている。

 ――そして、扉は開かれた。

 

「おっかれさ~ん、蒼夜、高波、そしてまない――」

「――ふっ!」

 

 瞬間、まな板もとい綾瀬の右肘が、遥斗の左脇腹に吸い込まれていった。

 クッションを介したように肘はめり込み、その方向と同じく遥斗の体も曲がる。

 綺麗に、ラムアタックが決まった。肘も完璧な衝角(ラム)を形作っている。

 

「え?――ぐぉぉおっぉおお……!」

「いつになったら、その知能の低い頭は経験を覚えるのかしらね?」

 

 綾瀬が蹲った遥斗を、ゴミを見るような目で見下げている。

 一方の遥斗は、何とも苦しそうな表情をして、横腹を必死に抑えている。

 それを見た高波が、遥斗に駆け寄っていく。と同時に、綾瀬への注意。

 さらにそれに反発し、一層酷い物を見る目で見下す。

 

 うん、あのさ……阿鼻叫喚の惨状って、こういうことを言うんだよな。

 

「で、二人はこんなバカなことをしに図書室に来たのか?」

「バカとは何だ、バカとは!」

「間違っていないだろ。あと、図書室では静かにしろ。他に誰もいないけども」

 

 この学校は、全校生徒が他校と比べて思いの外少ない。

 そもそも図書室に来る人間が少ないのと、さらにそれも相まって、図書室への来訪者は驚く程少ない。

 結局は、このいつもの四人が揃う、というわけだ。見慣れた光景、というやつでもある。

 

「私は本を借りた後に、ここでゆっくりしていようかなぁ、って」

「ふん、俺もそんな感じだな。少なくとも、肘打ちを入れられる為に来たんじゃないことはわかる」

「あら、わかっているのなら直しなさいな。そんなこともできないの?」

 

 気のせいではないのだろうが、遥斗への当たりが、少しどころではなく冷たい気がする。

 本当にゴミを見るような目をしている。遥斗がゴミみたいに見るから、危うく遥斗を粗大ゴミとして出してしまうところだった。

 粗大ゴミにしても、やけに大きい粗大ゴミだなぁと思ったら、遥斗なんだもんな。

 

「できるけど、直したくない。直したら負けな気がするんだよ」

「私から見たら、学ばないで毎回痛がっている駿河君の方が、負けている気がするんだけど」

 

 まったくもってその通りである。

 かの有名な中国の思想家、孔子も言っていたじゃないか。

 『失敗は恥ではない。同じ失敗を繰り返すことが恥なのだ』、みたいな感じのことを。

 

 俺はその教えに則って、平穏を心がけている。

 平和主義者なんだよ、俺は。遥斗に至ってはドMかと思ってしまう。やられたいのかな? 俺がもっと強くやってやろうか。

 

「あ、そうそう。明日柔道があるだろ? 俺と組まないか、蒼夜?」

「いや、いいけどさ……明日の柔道って何するんだっけか?」

 

 この露咲高校では、剣道ないし柔道の授業を選択し、どちらかを必ず選ぶことが義務付けられている。

 俺と遥斗は柔道を選択して、最初の授業のオリエンテーションで帯の結び方だとかを学んである。

 次の時間から本格的に入るらしいが、何をするのかさっぱりだ。

 

「ん? 多分軽い足技くらいじゃないか? 俺に簡単に負けて、泣くんじゃね~ぞ?」

「バカお前。『露咲高校の芝刈り機』と呼ばれる俺に、足技で勝てるはずがないだろ」

「へぇ、何かすごく名誉なのか不名誉なのかあやふやね、あんたのその通り名」

「いや、俺が今作っただけだ」

 

 芝刈り機って、何かいい例えだと思ったんだが、綾瀬はそうでもなかったみたいだ。

 上手いと言わしめる自信があったのだが、あまり上手くないようで。

 綾瀬のお気に召すような行動は、俺には到底とれないのだろうけれど。

 

 というよりも、綾瀬が面白いという意味で笑う姿自体が想像つかない。

 綾瀬の笑顔を見たいとは常々思っているものの、直接言うのもおかしな話だ。

 色々と策を講じてみたが、今の芝刈り機も含め、笑ってくれた回数はゼロ。アブソリュートリィ。

 

「なぁ、遥斗。まな板って、一体誰のことなんだ? 俺にはさっぱりなんだが」

「え? そりゃ勿論あや――」

「――はっ!」

 

 もう一度、ラムアタック。

 二回目だから少し痛くしないでいいか、という考えなど毛頭ないらしく、むしろ一回目より強くなっている。

 めり込み方が全く違う。内蔵にまで影響がありそうだ。

 

 綾瀬は、一向に笑うことがない。

 遥斗を生贄に捧げても、綾瀬の笑顔と等価交換はできないらしい。

 遥斗≪綾瀬。

 

「はぁ!? ぐぁっ……!」

 

 さっきと同じ場所にめり込んでいるためか、声をあげないで痛がっている。

 本当に痛かったら声が出せないと言うが、どうやら本当のようだ。

 ごめんな、遥斗。悪いとはほんの少しも思っていないけれど。

 

 窓からの夕焼けの侵入が、もうそろそろ下校に近いことを知らせる。

 あぁ、今日も平和だったな~。ん? 遥斗? 誰それ。

 

「お、おい蒼夜……今の、絶対図っただろ……!」

「いや別に。あれだ。コラテラル・ダメージ。そうそう、コラテラル、コラテラル」

 

 綾瀬の笑顔を見たいがための、致し方ない犠牲(コラテラル・ダメージ)だ。軍事目的じゃないけども。

 ……あっ、これ、遥斗を生贄に捧げても、綾瀬の笑顔なんて到底見られたものじゃないじゃん。

 

 何ということだ……綾瀬はレベル八モンスターだったのか。

 そして無条件に、遥斗は墓地へと送られる、と。

 本来こういうことはルールを守って楽しくしていればないのだが。

 そもそも、リリースの時点でルール引っかかるから、墓地に送られたままじゃないんだけどね。

 

 けども、現実とは無情だ。ARビジョンなんてものはない。

 生贄召喚とかアドバンス召喚とかではなく、綾瀬の遥斗へのダイレクトアタックに近かった。

 与えられたダメージ分のライフポイントは、そんなに簡単に減らない。

 ダメージワクチンΩMAXとかいう、受けたダメージをそのまま回復する(トラップ)カードもないし。

 

「そのコラテラル・ダメージって言葉、便利すぎだろ……!」

 

 まったくもってその通りで。

 その言葉には、全力で同意するしかない。

 

「よっしゃ、そろそろ帰るから、二人共本を借りるなら早く持ってきてくれ」

「……わかった、よ。いてぇ……」

「おっけ、了解」

 

 二人が各々の返事をして、本棚の列へと向かっていく。

 上靴が床に張り巡った木材を叩く音だけが、図書室に響いて消えていく。

 本棚に陳列された本が手に取られ、戻される独特の音楽は、非常に心地いい。

 

 クーラーの風に乗せられて、冷風とは別にどこか冷たい雰囲気を孕んでいる。

 それをカウンターに戻って、頬杖をつきながら見守っているこの空間に、安寧を覚える。

 

「……あんたも、いつの間にか元気になっているじゃない」

「あ? まぁな。終わってから嘆いても変わらない、って言ったのは綾瀬だろ」

「あぁ、それもそうだったわね。印象に残らない相手の会話って、記憶にも残らないものなのね」

 

 あのさぁ……それ、言う必要あったかい?

 言葉にせずに、自分の心の中で留めておくピンはなかったのかい? 泣くぞ。

 

 そんな、どこか面白さを感じる日常に、喜んでいる自分がいる。

 この空間ができあがっていることに、喜んでいる自分がいる。

 普段と同じようなやり取りで、起こす行動は大胆に変わるわけではない。

 

 でも、そこに面白さがある。

 いつも同じようで、ディテールだけがほんの少し変わることに。

 吐き出される冷風も、コトコトと風に叩かれる透明板も。

 木製の椅子も、手触りが滑らかなカウンターも。

 

 ――隣の席にいる、笑わない彼女も。

 ここまできたら、意地でも笑わせてやりたくなる。

 

 

 

 

 

 二人の本の貸出を終えて、すぐに図書室を施錠、職員室へ鍵の返却へ。

 いつもは片方が校門に待って、片方が追いつくという暗黙の了解だったのだが……

 

「……で、いつまで付いてくるんだ?」

「それ、まだ覚えていたの? そんなところに記憶力使うなら、もっと勉強に使いなさいよ……」

 

 呆れた顔で、職員室から下駄箱への道を――()()()通っている。

 孤独に響くいつもの足音が二人分になったせいか、どうも落ち着かない。

 

 さらに暗くなった夕暮れ時の光が、雲の合間から漏れ出して、窓を介して差し込む。

 廊下には他に人はおらず、余計に足音が気になって仕方がない。

 どうにもそわそわとしてしまう。

 

「……たまにはというか、外が寒い」

「いや、今は夏だし。むしろ暑いくらいだろ?」

 

 気温は昼と対比して下降しているとはいえ、コンクリートが暑さを吸い上げてしまっている。

 小さなヒートアイランド現象が、熱を校舎内から逃がさない。

 それならまだ、直接日光を浴びてでも風通しが良いどころか、全方向から風が吹き抜けて来る外の方がいい。

 

「う……べ、別にいいでしょ。それとも、私といるのがそんなに嫌?」

 

 嫌も何も、綾瀬の目がこちらを完全に睨む目になっている。

 答えは決まっているものだと言っても過言ではない。

 だって、ここで嫌なんて言った日には、何をされるかわかったもんじゃないし、想像したくもない。

 

「嫌じゃねーよ。ただ、少し新鮮で落ち着かないだけだ」

「そ……じゃあ、早く慣れないとね」

「ってことは、これからも付いてくるのか?」

「嫌じゃないよ、って言ったのはどこのどいつだったかしらね?」

 

 それもそうだったちょっと待ってね今にも肘打ちしそうな視線を止めてくださいお願いしますはい。

 

 そのまま二人で横に並んで廊下を通る。

 下駄箱で、位置が高いためにローファーを取るのに手間取り、履き替え終わるのが遅かった綾瀬を待つのも。

 玄関から出る時に、隣に人がいることも、校門でそのまま立ち止まることなく歩き続けるのも。

 新鮮、だった。

 

「……どうしたのよ、そんな遠くを見る目をして」

「あ? いや、なんかな……こういうのも、いいなってか……」

 

 自分でもよくわからない。が、別に嫌なわけじゃなかった。

 結局考えてみれば、変わったことと言ったら、鍵の返却から隣に彼女がいただけ。

 

「そ、そうなのね、そうなんだ……ふ~ん……」

「いや、どうしたよ。お前、さっきから変だぞ?」

 

 曖昧模糊(あいまいもこ)といった言動ばかりで、はっきり言ってらしくない。

 綾瀬は、思ったことをきっぱりと言うタイプだ。それはもう思考とそのままリンクしているかのように。

 けれど、先程からの彼女の様子は今までのそれと打って変わっている。

 

「……別に、変じゃない」

「どう考えても嘘なんだから――」

「いいのよ、変じゃない。……ほら、行きましょ?」

 

 こちらを向いて――()()()()()()()

 この笑顔とも言えるかどうかわからない顔に、たったこれだけの顔に見惚れてしまう。

 ドキッとして、目が離せない。

 

 ……彼女の笑顔が、見たい。




ありがとうございました!

芝刈り機。上手いかどうかは知りません。

いつか、七海ちゃんの視点をメインで書いていきたいとは思っています。
七海ちゃんの視点も今までで一回しかなくて、それも蒼夜君視点がメインでしたから。
彼女の気持ちを、どれだけ上手く書けるのでしょうか。
正直、他の二作品で若干慣れつつあります。

ではでは!


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第7話 旬の食材

どうも、狼々です!

『クー』はどこいったよ! オラァ! とのことだったので、軌道修正にかかります。
皆さん、優しいんですよ……優しく言ってくれるんですよ……脅迫まがいなことは一切なく……(´;ω;`)

一度決まった性格的にも厳しいんじゃないか、とも言われました。
ふ、不自然にならないかつちゃんと理由がある程度には……その分、未来の甘い展開に期待していてくだしあ。

甘い展開には、他作品で結構評判ですので。自分で言うのもとてもおかしな話ですが。
自分でハードル上げるとか、バカかよこいつ。

では、本編どうぞ!


 テストの次週水曜日。柔道が授業であった日と、その後の土日から月火と挟んで。

 結果が粗方返却されてきたであろう頃の水曜日。

 小鳥は囀り、太陽は上る。蝉の合唱も、蛍光灯で照らされる教室も、いつもとなんら変わりない。

 

 そうだというのに、現実は常に移り変わって足を止めることはない。

 ただ単に同じ時間をなぞっているのではなく、同じ時間を再現しているに過ぎない。

 ついにそれは破綻し、やがて現実が突きつけられる。

 

 ――そう、今のように。

 

「……負けた」

「そう、残念ね。まぁ、私に勝てる人の方が少ないのよ」

 

 冷淡に、カウンターで本から視線を外さないで応える綾瀬。

 その姿は実に美しく、転校したその日の綾瀬を想起させる。

 

 テスト結果は、俺と綾瀬では予想できただろう、綾瀬の勝利。

 十点や二十点ならまだいい。かなりの差をつけて離れてしまっていて、完敗だ。

 

「とは言っているけども、学年順位は?」

 

 正直、この言葉は本気ではなかった。

 からかうつもりで言った。ほんの軽い気持ちで言ったんだ。

 

「二位」

「……は?」

「二位」

「……二位?」

「そう、二位」

 

 感情の起伏なんてさらさらないというように、文庫本から視線を外さずにページを繰る綾瀬。

 それに対して俺は、驚愕を前面に出してオウム返しをするだけ。

 俺は、考査の学年順位を聞いたはず、だよな……?

 

「学年順位、だぞ?」

「えぇ、二位」

 

 うそ……だろ……?

 クーラーが風を飛ばす音、一定の間隔で聞こえる本のページが擦れる音。

 そして、外から聞こえる運動部の声出しの声が、周りの静寂に主張されて耳に届く。

 

「……で、だからどうしたの?」

「いや、だからどうしたの? じゃなくて……すげぇだろ」

「……そう」

 

 どうしてだろう、今日の綾瀬はどこか物静かだ。

 何に関しても関心がないように見えて、しっかり会話は成り立っている。

 現に、今もこうやって会話しているんだから。

 

 しかし、気力がない様子であることもまた事実。

 流れ行く日常の変化に、違和感を覚えずにはいられなかった。

 が、特に口にするようなことでもない。変に口に出すと、気になっているみたいじゃないか。

 

 自分も自宅から持ってきた本を鞄から手に取る。

 ライトノベルなのだけれどもね。いいじゃん、人が何読もうと。マンガじゃないし。

 

 本を開こうとした時、廊下から静かに足音が向かってくる。

 いつもの風景に戻ろうとしている合図が、聞こえてくる。

 暫く音が大きくなるのを、本を開かずに待つ。

 

 カラッ、と乾いた音を境に、隣の綾瀬は本を閉じて鞄にしまった。

 え? 何その扱いの差? いつもそんな感じなのに、急に辛辣に戻りましたねぇ。

 

「やっほ~」

「相変わらず軽いわね、()()()()()()さん」

「別にいいじゃ~ん。あと、その呼び方には悪意を感じるよ」

「……え?」

 

 学年一位……ついさっきの話からいくと、考査結果のことだ。

 だが、そうとも限らない。そうだ、そうだよ。

 

 だって、発育のいいランキングだったら、確実に学年一位じゃん。

 いや、この学校一かもしれない。豊満って、眼福だよね。大きいに越したことはないと思う。

 小さい胸も悪くないと思う。うん、良さがあるよね。

 

 ――ねぇ、こっちを睨んだ気がするんだけど、気のせいですかね、綾瀬さん?

 今日は随分と無愛想なくせして、考えは読んだかのように睨むんだね。俺は悲しいよ。

 ……えっと、何の話だったっけか。

 

「あぁ、そうそう。学年一位って、何のだよ、高波?」

「ん? 今回の定期考査だよ。一位が私、二位が七海ちゃん」

 

 マジでか。マジで考査結果なのか。薄々どころかほぼ確信だったんだが。

 まさか、うちのクラスでワンツーフィニッシュを飾るとは、思わなかった。

 

 一位が高波なのも、納得いきそうで納得いかない。全部胸に栄養いってそうじゃん。

 じゃあ、綾瀬はどこに栄養がいっているんだろうか。……あっ。

 

「それで、東雲君のその様子を見ると中々にひどいやられようだったみたいだけど、一番は何の教科を間違えたの?」

「家庭基礎」

「…………」

 

 瞬間、この場に再びの静寂が訪れる。

 うん、わかっているんだよ。一番の失点が家庭基礎って、どうかと俺さえも思っている。

 自分でも思うくらいだからね。相当にひどい。

 

「さ、参考までに、その中でも一番の間違いを聞こうかな……?」

「あぁ、今の旬の食材を答えなさい、ってやつだな」

「……あんた、それどうやったら間違えるのよ……」

 

 頭を抱えた状態でだが、今日の中で最長の会話だ。これはひどい。

 問題には、今の季節は夏だとする、と書いたあったので、今の季節がどこに属するかで悩むこともなし。

 単純に、旬の食材が何かを間違えたのだ。

 

 (あじ)だとか、きゅうりだとか、トマトだとか。それこそ食材なので、魚介や野菜等の制限もなし。

 文字通りに、何でもよかったのだ。

 

「そ、それで、どうやって書いて間違えたの……?」

 

 引きつった笑みで、声も若干震えている高波が、肝心な質問をしてくる。

 俺は、とんでもない間違いをしている。何をとち狂ったのだろうかと、今でも思う。

 さぁ、その笑みを完全に失くしてやるよッ……!

 

 

 

 

「――()()()()

「「えっ……?」」

 

 冷房の風が急に十度や二十度下がって、この図書室に吹き付ける。

 ここだけ季節が冬になったかのような、寒々しい風が。

 

 エアコンの稼働音と、運動部の声出しがまたしても聞こえてくる。

 が、同じ静寂でも雰囲気が重苦しかった。

 

 高波は、本当に驚いた顔をしている。そんな顔も可愛い。

 一方の綾瀬は、「え? こいつ何言ってんの?」、と言わんばかりのゴミを見る目線でこちらを射抜く。

 いや、まったくもってその通りなんだけれどもさぁ。

 

「あ、あんたそれ……」

「か、()()()()……だよね?」

「だから一番の間違いだって言ってんだよ。そもそも、俺は家庭分野は知識・実技共に全くできない。現に、料理は全くできないぞ」

 

 昼食は勿論、朝も夜も同じような感じなんですけどね。不健康を体現したような食生活は、早く改善せねば。

 そのために、料理を早め早めに練習しないといけないのだが……如何せん、どうにもできない。

 

「あんた……一回、栄養失調で倒れてみないとわからないようね」

「ごもっともで。今日からやってみるよ」

 

 やってみよう、やってみようと思うものの、中々実行に移せずにいる。

 目利きが多少できるくらいで、料理に取り掛かるとなると……うん。

 

 心に決めた時、廊下から足音がまたしても迫ってくる音が聞こえる。

 いつものメンバーが揃うという、感覚が合図を送っていた。

 隣の綾瀬はカウンターから立つことはなく、扉の方を無気力に向いている。

 この状態を見る限りは、また肘打ちを入れられる心配もなさそうだ。

 

 足音が一瞬止まった直後、冷風が開け放たれたドアから逃げ出していく。

 廊下の空気が入れ替わりに吹き込み、ドアは閉められる。

 空気の行き来は終わり、通路のなくなったこの図書室に廊下の空気は停滞し、中の冷気に冷やされる。

 

「よっ! 蒼夜、高波、綾瀬!」

 

 爽やかな笑顔を携えた彼は、夏場の暑さを微塵も感じさせない様子。

 そんな彼に、少し驚いた。

 

「へぇ、呼び方は変えたんだな、遥斗。意外だよ」

「いや意外だよ、ってなぁ……もう、二度も嫌なんだよ……」

 

 今度は先程と打って変わって、絶望や恐怖に浸ったような表情を見せてみせる。

 気の毒だな、と思いました。なんで二回も肘打ちされたんだろうね。白々しいなおい。

 見ているだけで痛々しい表情は青ざめていて、とてもじゃないが見ていられない。それほど痛かったのか……。

 

「どのくらいだった?」

「メリケンサックで殴られるくらい」

 

 それはそれは。ご愁傷様です。

 

「それも、失礼だと思わないのかしらね?」

「……悪かったよ。反省している」

 

 大人しく両手を軽く上げていて、まるで白旗を掲げるような、彼にとっては珍しい格好を見せる遥斗。

 普段とは一風変わった様子を見せられたからか、綾瀬もメリケンサック・肘打ちを繰り出すつもりはないらしい。何それ強そう。

 遥斗は若干はにかみながら、高波と一緒に本棚へ向かっていく。

 

 どこか的外れな意味で逸脱したこの日常を受け入れ、少年少女は流れ行く。

 奔流とは程遠い、波でさえ立つかどうか怪しい、この緩流を。

 心地の良い鈴音が、いつまでも響き渡るようなこの夏に。

 

 それが安心できる。一種の平穏の形として、既に認識しているから。

 障害物はなく、一本道をゆったりと進ませるそれが、形作られて。

 先が見えていないようで、大体が予想できる。平坦な道だからこそ、そうそう変わるものではない。そう予感するから。

 変遷のきっかけは、まだ見えない。暫くはこの光景が目に入り込むことだろう。

 

 自分自身も、その光景を目の保養としているのだろう。

 結局のところ、俺もこの図書室の一時は楽しみであり、心安らぐらしい。

 不本意の言葉がほんの僅かだけ脳裏を掠めたが、どうやら否定もできそうにない。

 俺から自然に漏れ出す笑みが、その証拠なのだろうか。

 

「……どうしたの、あんた。急に微笑んで」

 

 変わらずに色のない声が、隣から聞こえる。

 そんな声に、俺はなんて返そうものか。

 感覚のことは、言葉に言い表しにくい。それが自覚なしとなると、さらに難しくなる。

 

 否定ができなかった以上、理論の当てはめで出した結論ではないことは確かだ。

 必然的に、自分の感覚のもの。それも、無自覚の。応えようがないのだ、だって自分でもわかりかねるのだから。

 

「……いや、別に。強いて言うなら、変わらないこの光景に安堵していたんだよ」

「そう。……私には、わからないわ」

 

 呟く綾瀬は、いずこかに悲しみを孕んでいる気がした。

 その理由さえも、俺には霞んで見えているのでわからない。わからない理由がわからない。

 

「……そうか」

「えぇ、そうよ」

 

 彼女はいつの間にか本を取り出して、挟んでいた栞を取り出し、読書にふけっていた。

 目線が縦に羅列した文字ではなく、もっと別のものを見ている気がしたのは、気のせいなのだろうか。

 それも例に漏れず、わからないままだ。

 

 暗躍しているようで、ひっそりと姿を隠して消えるそれは、形すらも悟らせない。

 漠然とした、不安定な自意識の向こう側へ消えていく。

 靄の形をとる割には、消滅してもくっきりと後を残して消えていく。

 

 それに不安を隠しきれず、綾瀬に言葉を挟もうと口を開きかけた。

 が、直線に二人が借りる本を選び終わり、カウンターへ持ち込むタイミングが重なった。

 不完全燃焼状態にも似た感情が、喉で引っかかる。不快感こそなかったが、気になって仕方がなかった。

 けれども、聞いていいのだろうか? そうも思う。

 

 他人の事情に深入りすることは、あまり好ましくない行為だ。

 自分のパーソナルスペースを侵害されるのは、気分がいいものではない。

 聞く好奇心よりも、優先するべき行動選択肢はあるはずだ。

 

 ぐっとこらえたところで、廊下から聞き慣れない足音が聞こえた。

 軽い足音から、まず男じゃない。間隔からも、生徒ではないだろう。

 ということは、女性の教師であって。

 

「綾瀬~、東雲~、まだいるか~い?」

 

 乾いたドアの開く音と共に、女性特有の高音の声が図書室に響く。

 ここ一ヶ月ほどで、俺の呼び方は東雲に定着した、この先生からは。

 

「ここに来るなんて……珍しいですね、里美先生」

 

 遠山 里美先生。うちのクラスの担任の先生が、笑顔を携えて訪れた。

 先の通り、ここに来ることは珍しく、図書室でこの人の顔を見たのは恐らく初めてだろう。

 

 里美先生、という呼び方なんだが、どうも他に遠山先生が複数いるらしい。

 この生徒数の少ない学校で、先生の名前が被ることはないと思っていたので、下の名前に先生付けに気恥ずかしさを感じていた。

 が、案外慣れるとそうでもなかったりする。結構な美人さんでグラマーだけれども。

 

「あぁ、まあね。今日は二人に連絡があって来たんだよ。そんなに急ぎでもないんだけどね」

 

 遥斗の男性の笑顔の爽やかさとは違った、女性の爽やかさが前面に出た笑顔が浮かんでいる。

 ボーイッシュなようで、きちんと可愛さや綺麗さは健全。歳は知らないが、この笑顔だけでも三、四歳は若く見えるだろうか。

 

 笑顔を保ったまま、軽く咳払いをしてニカッ、と先ほどよりも明るい笑みを携える。

 

「今から一ヶ月くらいで、一年の図書委員で新聞を作ってもらいたい!」

「え……い、いやでも、他のクラスに同じ学年の図書委員は……」

 

 ……いない。図書委員は、同じクラスにも同じ学年にも、俺と綾瀬の二人だ。

 仕事が少なく、元々人数が少ないこともあり、生徒は他の人員の必要な委員会にかかりきり。

 他学年との協力ともなると別だが、今の話を聞く限りでは一年のみでの作成。

 一年のみの作成は、つまるところ俺達二人のみでの作成を意味する。

 

 期間が長すぎるほどなので、できなくもないが……

 

「夏休み前に間に合わせてくれれば、それで十分だよ」

「……だそうだ。俺はいいけど、綾瀬はどうする?」

「やるに決まってるでしょ。……里美先生、その新聞についての詳細を教えていただけると」

「勿論。それも含めて、私はここに来ているんだからね」

 

 夏休みまでに、か……あと一ヶ月近くもあるが、もうそんな時期なんだと、今更になって感じる。

 あれだけ揺らめいていた、陽炎があったというのに。




ありがとうございました!

五月十一日現在、週間オリジナルランキングで二位になりました!
ありがとうございます!(*´ω`*)

週間オリジナルの二位は、捻くれの最高ラインでして。
まさか追いつくことになろうとは……本当に、ありがとうございます!


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第8話 詰め難い距離

どうも、狼々です!

もう少しで勉強合宿です。
その名の通り、勉強の合宿。
執筆が25~27日の三日間、できないという寂しさ(´;ω;`)

いつ一章を終えようか悩み中なのです。
案外近いかもしれません。

では、本編どうぞ!


「じゃあ、今から説明していくよ」

 

 里美先生がそう話の展開を開始させる。

 透明硝子(がらす)から四方八方に弾けて、虹色の弱閃光が放たれている。

 茜色の夕焼けに染まったそれは、やや蜜柑(みかん)色に近しいだろうか。

 

 柑橘に当てられたこの図書室も、色を変えて佇んでいる。

 黒のスーツに肌を隠した先生も、違和感なく溶け込む。

 

「早速だが、いいニュースと悪いニュース。どっちが聞きたい?」

 

 悪戯を仕掛ける前の幼子のように、口角を上げる里美先生。

 見慣れない笑顔の種類に新鮮味を感じながらも、俺は惑う。

 

 それほど重要性はないが、この言い方だと相当に「ナニカ」があるのだろう。

 でなければ、こんな試し顔はしない。

 

「……では、いいニュースからお願いします」

 

 俺も同意の言葉を並べようとしたが、隣の少女から先を越される。

 苦笑いを張り付けて肩を竦めながらも、里美先生を見据える。

 

「じゃあ、作業時間についての朗報だ。――()()()()()()()にできるぞ!」

「「……はい?」」

 

 作業期間は確か……一ヶ月間だったはずだ。

 つい先程まで、余裕綽々だと高を括っていたはずなのだが。

 一ヶ月間を四週間だと置き換えて、単純に作業できる日数は――

 

「――八日で完成させろ、と?」

「まぁ、そこまで立派なものじゃなくていい。精々『新聞』とは名ばかりの、生徒への配布物の一種だからな」

 

 今度は神妙な顔つきになって、綻んだはずの笑顔は消えていった。

 隣の綾瀬も難しい顔をしたまま、俯いて顎に手を当てている。

 されど思案顔は一瞬で崩れ、また無表情になった。

 

「わかりました。作業時間の件はともかく、内容は?」

「自由。何でもアリ。おすすめの一冊を紹介するもよし。読書に関するアンケートを取って、結果を公表するもよし、ってね」

「里美先生、それは私達が手伝ってもよいものですか?」

「勿論。ただ、主軸は二人だ。あくまでもサポートとしてだな」

 

 先まで会話に挟まることのなかった高波から、声が上がった。

 が、学生の新聞作成に関してできるサポートなんぞ、誤字発見がいいところだ。

 

 内容を聞く限りでは、まぁ不可能ではない。八日も放課後があるのならば、むしろ楽な方だろう。

 さて、問題は……

 

「新聞に使う紙のサイズは?」

「A2を一枚分だ。二人で分けるならば、A3一枚分ずつといったところだろう」

 

 ふむ、これまた不可能ではない。

 が、自由と言われると逆に困る節がある。

 

 お題を決めるとなると、それなりに書く項目が用意できるものにする必要がある。

 二人がお互いに別テーマで新聞の内容を書き上げるとしよう。

 A3一枚分、どのくらいだ。どのくらい、それらしい内容にできる?

 

 作品の推薦となると圧倒的に、書く内容としての意味で手に余る。

 少ないスペース中に本の詳細を諸々と、簡潔かつ具体的に説明してさらに推薦? 不可能だろう。

 

 推薦作品を一人も知らない生徒はいない、という前提で新聞を書くのであれば別だ。

 が、実際問題そんなことはありえない。どんなに世界的に有名な文学作品でも、だ。

 あるだろう、こんなことは。『作品のタイトルは知っているけども、実際に読んだことはない』、ということを。

 

 タイトルだけ知っていたとして、何か他にわかることはない。

 ほぼ無知に等しいその状況下、A3サイズで説明? 無理だ。

 書き上がると仮定して、読みたいと思わせなければならないのだ。薄っぺらい内容だと弾かれる。

 そこまで立派でなくともいいとのことだが、最低限のラインはあるだろう。

 

「……ま、本の紹介はなしだな」

「そうね。内容が何にせよ、今日はもうできそうにないわ」

 

 こちらに視線を向けて返事をしたかと思うと、すぐに奥へと彼女の視線は逃げた。

 逃げた先を確認してみると、先程よりも少しだけ赤らみを孕んだ茜空が広がっていた。

 暖かそうな夕日の暖色を見ていると、クーラーの効いた図書室の室温とのギャップに寒気を感じる。

 

 気のせいか、本のインクの匂いも強くなって、図書室独特の匂いが主張して嗅覚も刺激された。

 本のこの匂いは、どこかの新聞そのものかとも錯覚してしまう。

 嗅ぎ慣れたはずの匂いは、物理的な冷たさを込めて新鮮味を感じさせる。

 

「……それもそうだな」

「月曜日と水曜日にコンピュータ室が使えるから、そこで書いてくれ。鍵は開いている。他の曜日に行っても、他の委員会……特に生徒会が使っているから使えないぞ」

 

 そもPCの台数も少なくてすむ生徒数だ。台数が余分になる可能性はなきにしもあらずなのだが。

 まだ慌てるような時間じゃあない。最初は言われた二日で十分だろう。

 

 コンピューター室が使える使えない以前に、書くテーマを決めていない。

 最優先事項を先に決めてしまわねば、先に進むものも進まないというものだ。

 

 せっかく高波が労働力の融資をしてくれるんだ。早めに仕上げて一斉に粗探しに移るのが得策だろう。

 ……なんか、労働力の融資って、急に生々しくなったな。社畜なのか。

 遥斗は何も言わずに、借りる予定であろう本を既に読み進めているが、あいつにも手伝ってもらおうか。うん。

 だってほら、友達だし。

 

 こういう友達って、本当に利用されている感が満載。

 友達という肩書に振り回される人生も、どうかと思うのだよ。

 ひどいものになると、「ねぇ、私達友達でしょ? だから金貸してよ」とかいう金銭問題になりかねん。

 ということで、そういう意味でもぼっちは危険回避能力の高い生き物でしたっと。

 

 ……えっと、何の話だったっけか?

 

「あぁ、そうそう。了解です。今日はもう時間ですし、帰りますね」

「ちょっと待て。()()()()()()()()()()()()()?」

「えっ」

 

 それは困る。早く家に帰ってクックパッド見ないと。

 レシピ、ワカンナイ。あぁ言った手前、自分で夕食を作らないわけにもいかないのです。

 そろそろ帰らないと、まずいですよ里美先生。

 俺、ただでさえ料理したことないんだから。時間かかるのは目に見えてるでしょ?

 

「まだ悪い方のニュースを言っていないじゃないか」

「いやさっきので終わりでしょうに。悪いニュースだったでしょうに」

 

 十分悪かった気がするのだが、気のせいだろうか。

 窓に忍び足で侵入する陽光も、もう既に影の面積が広くなりはじめた。

 それが意味することは、夜への渡航準備が始まっている、ということで。

 

 オールも水へと着水していて、後は漕ぐだけなのだが。

 電動だとするならば、後はエンジンをかけるだけなのだが。

 

 という例え冗談はともかく。

 このままの状態ならばいざしらず、この上に更に悪い情報まで加算されるというのだろうか。

 今週はもう水曜日を回っているも同然であり、テーマを早急に決めるとして、本格的に活動開始はどう足掻いても来週からだ。

 さらに悪条件が連なるというのならば、少々考えものだ。

 

「さて、悪いニュースとは~……私が()()()()()()()先生となった。よろしく!」

 

 ニカッ、と。かっこいいとも思える女性の微笑みを浮かべる里美先生。

 横から差し込む茜光が、さらにその魅力を引き立てている。

 

「……はあ。それがどうして悪いニュースに?」

 

 隣で不思議だという様子で尋ねる綾瀬。まぁ、最もだ。

 さして悪いというわけではない。どちらかと言うと、良いニュースの方が悪いのだが。

 

「今まで図書委員には、担当教員がついてなかっただろう?」

「えぇ、まぁ、はい、そうですね」

 

 俺は半ばどころではなくぎこちない返事をする。

 図書委員の活動も先生が必要かと言わればそうでもなく、生徒と同じように人員は別の委員会に。

 放課後の図書室の番人を請け負うのが主目的である以上、図書委員専門の先生は必要でなかったのだ。

 勿論のこと、いてもらえることに越したことはないが、正直あまり変わらないのが現実。

 

「一年生の図書委員が二人共うちのクラスから出ている、ということで! 私が図書委員担当の先生になった」

「え、ええと、それはわかるんですよ……それで、それのどこが悪いニュースになるのですかね?」

 

 俺の中で膨らんだ疑問を、高波が代弁してくれる。

 苦笑いを浮かべる彼女は、どうも最近見る機会が多いようにも感じた。

 

 さて、一方の遥斗はというと……読書中であることには変わりはなかった。

 が、本の表紙とタイトルが全く別のものとなっている。先程まで読んでいた本は、近くのテーブルに。

 どうやら、一冊読み終わって次の本へと読み進めている最中のようで。どんだけ暇なんだよ。

 

「この四人の中に割って入るのも、なんだか忍びないんだよ」

「いや割って入るって……」

 

 この空間はそんなに大層なものでもない。ただなんとはなしに集まっているだけだ。

 計画性があるわけでもない故に、割るものがない。

 柔らかく衝撃を吸収する程度だろうに、忍びないとは。

 

 もっと言うのならば、先生がここに来る機会が多くなるかと言われると、そうでもない。

 仕事は先生の管轄ではない。生徒が管轄だ。こと図書委員においては。

 簡単な仕事で構成されているので、先生が必要な時は、図書委員全体での会議くらいだろう。

 最も、それも生徒が司会進行を務めるので、成り行きを見守るくらいなのだが。

 

「それで、他に悪いニュースはあるんですかね?」

 

 先程までゆったりとクーラーの風が直接当たる涼しい場所で本を読んでいた遥斗。

 彼が、声を上げた。

 

「いいや、特にはないよ。悪いニュースも良いニュースも終了だ」

「良いニュースと悪いニュースが逆転したような気もしますがね……高波と遥斗はどうする?」

 

 図書室での活動時間は終了。ここにいる意味はない。

 尋ねると、二人は考える間もなく応えを出す。

 

「俺も帰るよ。……あ、ちょっと待ってて。本を選んでくる」

「私はこの本を借りて帰るかな?」

 

 いつの間にか本を選び終わっていた高波が、カウンターへ本を持ってくる。

 機械的な動作でPCの操作を進め、貸出の簡易手続きを終える。

 

 遥斗は、借りる予定だった本を読んでしまっていたため、もう一度本棚へ。

 ああ見えて、意外と読書家なのだろうか。見かけによらず、というべきか。

 

 同じく手続きを済ませて、カウンター後ろに置いていたカバンを拾い上げる。

 帰宅準備が整い、横を一瞥。どうやら彼女も、準備は終了のようだ。

 

「じゃあ、俺達はこれで。さようなら」

「あぁ、皆気を付けて下校するんだぞ。鍵は私が預かろう」

 

 先生含め五人が退室したことと、クーラーの電源を切ったことを確認して、廊下へ。

 開け放たれた廊下窓から、橙の光が淡く差し込んで辺りを照らす。

 暖色系統のそれは、白の廊下をその色へと染め上げている。

 

 夏の風は篭り熱を運んで、白い長方形の箱の中で充満した。

 図書室との明確すぎる寒暖差が、俺達全員の体を締め上げる。

 針のように全身を突き刺す群熱が、絶え間なく全身に降り注がれる。

 

 黒髪が熱を帯び、温度上昇する前に影へ。

 壁伝いならぬ影伝いで、里美先生と分かれてから全員で校門へ。

 

 今気付いたが、こうして四人で下校するのは初めてだ。

 いつも二人が先に帰って、俺と綾瀬で並んで下校、という日常ができあがっていたから。

 

「そういえば、二人はいつも一緒に帰ってるの?」

 

 若干先導していた遥斗が、こちらを振り向いて視界に俺と綾瀬を一緒に入れる。

 余計なことしか聞かないのかな、こいつは。

 

「……えぇ、そうよ。私は別に一人の方がいいのだけど、コレがどうしてもって言うからね」

「おい、だからコレ言うなコレ。で、そっちのお二方はどうなんだよ?」

 

 コレ呼ばわりされたの、これで二回目じゃなかったっけか?

 疑問を抱きつつも、お返しのつもりで、同じ問いを高波と遥斗へ向ける。

 

「ん、こっちも同じだよ? 方向は途中まで一緒だし」

 

 高波が応え、遥斗が両手を上げて肯定を示す。

 お調子者さながらのそのポーズには、実に彼らしいとしか言いようがない。

 

 と、ある十字路地点で不意に先導していた高波と遥斗、二人がその場で止まった。

 

「じゃ、俺らはこっちだから」

 

 そう言って、俺達の進む方向とは別の道を指差した。

 なるほど。ここから二人と二人で分かれて、さらに遥斗と高波はその先で分かれる、と。

 そういうことか。

 

「おう、また明日な」

「うん、また明日、二人共」

「えぇ、そうね」

 

 今日は相変わらずの無愛想。冷たいわけではないのだろうが、そっけない。

 

 赤みを孕んだ光は衰弱し、今にも山並みの後ろへ隠れようとしている。

 コンクリート続く道先、陽炎が揺らめいて空気と同化した。

 辺りの空気も、少々だが温度を下げただろうか。

 まだ六月だというのに、一ヶ月先かと錯誤してしまう。

 

 俺とその隣で歩く、彼女との距離。

 それはどうにも、詰め難い距離だった。

 埋まっているようで、全く別の隔壁ができているような空間が、そこに存在していた。

 色も、匂いも違っている、別種の空間があった。

 

「……じゃあ、また明日」

「え……? あ、あぁ、もう着いたのか。また明日な」

 

 いつの間にか着いていたらしい彼女の家で、玄関の奥へ消えるのを見届ける。

 急に孤独感が押し寄せる自己意識を振り払い、再び歩き始める。

 

 隔絶されていた空間を疑問に思いつつ、空を見上げた。

 薄い黒雲が空全体を覆い尽くしていて、多少黄色がかった橙を真っ向から遮断している。

 

 そして、ぽつりぽつり、と。

 降ったかどうかもわからないような小雨が二雫。

 コンクリートと俺の夏服のそれぞれを、音もなく叩いた。




ありがとうございました!

今回、情景描写を頑張ったという自己評価。
できている・できていないは別にして。頑張った(つもり)。

八月の夢見村を、短編から連載に切り替えました。
連載にしては短くなると思いますが、よろしくお願いします。

ではでは!


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第2章 冷たいのか、暖かいのか
第9話 どうして


どうも、狼々です!

今回から第二章です。
あまり進展はないかと思われますが。

この作品の章の切りがいまいち掴めません(´・ω・`)
急に章作ったり消したり、話数分が変わったりがあるかもです。

では、本編どうぞ!


「おいぃ……クックパッドよ、しっかりしてくれよぉ……」

 

 どうしてくれよう、この料理。

 ナニコレ珍百景ならぬ珍料理にできそうだ。

 

 俺は確か、玉子焼きを作っていたはずだ。

 途中まで上手くいっていたはずなんだ。でも、どうしてだろう。

 

 ――玉子焼き(スクランブルエッグ)ができたんだが。

 あぁ、まさかあれか。「かき混ぜる」がスクランブルの意ではなく、「焼く」がスクランブルの意なのね。

 目玉焼きどうなんのそれ。

 

 「fried egg」とか「sunny side up」とか、目玉焼きの英語あるけども。

 スクランブルエッグに変わるとかもう、ねぇ?

 

 一応、専用の何か四角いフライパンみたいなのは買った。うん、買ったよ。

 卵を落として、砂糖やらなんやらを混ぜていたところまでは覚えている。

 取り敢えず要約しようか。

 

 

 あ……ありのまま今起こった事を話すぜ!

 「おれは玉子焼きを作っていたらスクランブルエッグを作っていた」

 な……()()()()()()()()()()()()()()()()()() ()()() ()()()()()()()()()()()()()……

 

 頭がどうにかなりそうだった……

 催眠術だとか超料理技術だとか そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ

 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ……

 

 

 むしろ長くなったんだけど。ねぇ。

 要約とは一体何だったのだろうか。それに、卵(ボロボロ)がちょっと黒くない? 気のせい?

 

「片鱗を味わう、ねぇ……」

 

 空もとい低い天井を見上げて、もう一度玉子焼きもといスクランブルエッグに目を向ける。

 いやぁ、これ黒いですねぇ。気のせいじゃないよこれ。

 夢だけど、夢じゃなかった! 夢であったほしかった。

 えっ、こんなのも作られない俺に絶望気味なんだけど。しかも焦げてるし。

 

 今まで、母か妹の葵に料理を作ってもらっていた。

 特に葵の玉子焼きは美味しかった。ふわふわと甘かった。

 これ甘くは……ないですよねぇ……。

 

 片鱗と共に、味も味わおうか。

 別の箸を取って、一口だけぱくり、と。

 

「がはぁっ!」

 

 超絶苦かった。

 ……明日も、パンでいっか!

 

 

 

 

 夏を彷彿とさせる夏。

 一見おかしな言葉構成だが、あながちそうでもない。

 夏らしくない夏もあるから。

 

 だが、今季節はそうでもないらしい。

 容赦なく降り注がれる陽光に目を細め、体は焼かれる。

 コンクリートの黒色は全面にそれを受けきり、自然の鉄板と化している。

 

 淀みない蒼天は限りなく広がり、白雲を薄く広げている。

 快晴中の快晴。晴れ渡るそれには、心を奪われる。

 

 ……が、俺はそうでもなかった。

 ずっと、心の奥底で引っかかったモノに、違和感を感じられずにはいられなかった。

 

 隣の女の子は、静かに読書中。

 こんなにも天気のいい昼下りだというのに、相変わらず物静かに過ごす。

 そんな彼女のことを、考えていた。

 

「なぁ、綾瀬」

「…………」

 

 はぁ、と溜め息さえ吐きたくなるが、喉奥で受け止めた。

 最近、隣の綾瀬の様子がおかしいんだが。

 いや、おかしいわけではないのだろう。

 元はこんな態度だったし、最近の仲が良かっただけなのかもしれない。

 

 少なくとも、ちょっと前まではこうではなかったはずだ。

 もっと笑ってくれて、話しかけても本を閉じてこちらに向いてくれた。

 では、今はどうだろうか。

 思い切り無視。初期の仲に逆戻り、といってもいいだろう。

 

 俺としては悲しいわけだ。

 別に好きというわけではないのだが、やはりよそよそしくされるのは、悲しいものがある。

 

 教室だけかと思いきや、図書室でもそう。

 ひたすらに寡黙を貫くかと思えば、高波や遥斗とは話す。

 

「……嫌われてんのかなぁ」

 

 呟きは彼方へ。

 誰にも届くことのないそれは。

 

 俺一人に、というのは嫌われているに違いない。

 そうは思うが、見当がつかない。

 自覚症状なし、というのも辛い。改善の余地もないのだから。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 今日の昼。隣の囁くような呟きに、反応してしまいそうになった。

 目を向けてしまいそうに、なった。

 

 この環境に、慣れるべきじゃない。そう思ったのだ。

 いつもしていた様に、冷たくあしらっていけばいい。そう思った。

 

 ……極力、男子との交流は避けたかった。

 交流があったら、仲が良くなることが避けられない。

 そうなると、告白の可能性が少なからず出てくる。

 

 自意識過剰かもしれない。が、私は嫌なんだ。

 

 あの外だけを見た上辺の告白は。

 (うそぶ)くことしかない告白は。

 閉ざされたままの扉を見る告白は。

 

 私はロマンチストではない。

 心がときめくような告白をしてほしいわけではない。

 そも、告白の定義の広さが疑われる告白を、されたくない。

 

 最近こそ落ち着いたものの、私のココロには今でも深く根を張っている。

 相手は私ではなく、私の『外側』を求めているんじゃないか。

 いつだってそう考えてしまう。

  

 駿河にも冷たい態度を取っているはずなのだが、一向に自分の態度を曲げようとしない。

 常に柔らかいペースを持っている相手は、正直苦手だ。

 あぁやって自分から何も考えず話しかけるような人には、あまり効果がない。

 自分自身、半ば諦めてしまっている節もある。

 

「はあっ……」

 

 今日も溜め息を漏らしながら、図書室へ……と、ふと思い出してコンピューター室へ。

 もう新聞の内容も決めて、今日はコンピューター室で本格的に作成に取り掛かる。

 

 ある程度だけ分担。内容は、各ジャンルごとでの読むべきポイントみたいなものをまとめる方針に固まった。

 さすがに作業に無視するわけにもいかないが、極力最低限の接触にしよう。

 

 ……私は、不思議だった。

 そんなことを考えるなら、今からでも図書委員をやめてしまえばいいのに。

 行動と言葉と思考の不一致に、自分でも不思議に思っていた。

 

 

 図書室と同じ別棟だが、別棟に移動してから全くの逆方向へ。

 彼はもう、先に向かった。

 いや、私がタイミングをズラした、と言った方がいいだろうか。

 

 扉を開けて、コンピュータ-室へ。

 十台ほどから駆動音が聞こえ、さらにタイピングの連続音。

 その中に紛れておらず、少し離れたところに、あいつ。

 

 デスクトップPCの駆動音に紛れて、クーラーの稼働音もつられている。

 低い独特の機械音の中に、人工の冷却風。

 どれだけ冷たくとも、何かを凍りつかせるような低音ではない。

 そのはずなのに、異様な寒さ。まるで、『何か』を凍結させているような。

 

 あいつの近くに寄ると、こちらに気付いて手を止める。

 

「あぁ、綾瀬。できるとこまでは進めといたぞ」

 

 画面を指差して、少し得意顔になって笑う彼。

 その笑顔にも、私は冷淡に返す。

 

「……そう。ご苦労様」

 

 私はそれだけ言って、隣の席に座ってPCを立ち上げる。

 データはどちらかに送ればいいので、わざわざ一台で作業する必要もない。

 向けられた視線と冷気と駆動音を掻い潜った。

 

 が、分担を決めているとはいえ同一物を作る上、最低限は話さないといけない。

 進行に差異が出ると、それはそれで面倒だし、期間に間に合わない可能性もほんの少しだが出てくる。

 

 隣のタイピング速度は結構なものだが、私はあまり早くはない。

 平均的か、それより遅いくらい。足を引っ張ってしまうのは目に見える。

 ……家には確か、PCは一台あった気がするが、使ってはいない。

 掃除は定期的にしているので、埃被っているわけではないのだが。

 

 隣の彼の速度の半分以下の速度で、キーを押していく。

 漢字変換に、キーの場所に、誤字に四苦八苦しながらも、徐々に形をつくっていく。

 

 

 

 と、沢山の機械音を長い間聞きながら、隣との短い会話を繰り返した中に、カラッと車輪の回るような音。

 更にもう一度同じような音が、遅くやってくる。

 

 途切れ、その音は軽い足音となって繋がれた。

 二つ交互に鳴るそれは、こちらに近付くごとに大きさを増す。

 

「うんうん、精が出るねぇ」

 

 まぁ、大体声でわかる。

 女性の声をしながら、軽快に踊るようなテンポ。

 

「……ありがとうございます、里美先生」

「まっ、タイピング速度は気にするものじゃないさ。まだ時間はたっぷりある」

「……はあ、そうですか」

 

 私達の後ろに回り、二つの画面を視野に入れて言った。

 いつもの、どこかボーイッシュな爽やか笑顔を誂えている辺り、本心からなのだろう。

 確かに、期間に関しては余裕がありすぎるほどだ。

 

 だが、自分の中でそう結論付けることが、どうにも腑に落ちなかった。

 しわ寄せが、隣の彼に寄ってしまう。

 明白だった。この状況と進み具合は。

 まだ始まって一日目だが、それがわかるほどに。

 

 東雲君はお人好しだ。なんだかんだ言いつつ、自分にも他人にも努力を最低限ではあるがする人間。

 私は、一緒に図書委員を担当していてわかった。

 きっと私が間に合わなくなるときは、自分の分量を増やすだろう。

 

 ……なんか、いやだ。

 根拠はないが、嫌だった。負けず嫌い――とは少し違うだろうか。

 あぁ、わかった。こいつに貸しを作ることが単に嫌いなだけなんだ。

 

 隣の「これ」は、私にはそれをする人間だ。

 善人なのか悪人なのか、如何せんわからない。

 

「……ねぇ、東雲君?」

「えっ、何か今、寒気がしたんだけど」

 

 おい。ちょっと待ってもらおうか。

 それは効きすぎた冷房のせいなのではないだろうか?

 もしそうでないのなら……

 

「あぁ、そうじゃないそうじゃない。いつも東雲君、なんて言わないだろ。東雲でいいよ」

「……あっそ」

 

 今更だが、どうしてさっき話しかけたのだろうか。

 曖昧になった思案は、形を成さずに霧状になって消えていった。

 

 ……どうして、だろうか。

 

「ん? いつもは二人はどう呼び合っているんだ?」

「俺が綾瀬に『綾瀬』、綾瀬は俺に『あん――」

「『これ』です」

「おい。俺、人間。これじゃない。指示代名詞わかる?」

 

 わかるに決まってるでしょう。わざとよ、わざと。

 必要以上の会話は省くため、この言葉を口にすることはないのだが。

 

 ――全く、わからない。

 何がわからないのか、わからなくなりそうでもあった。

 

 そして隣から、近くで煩く鳴るというのに。

 小さく、溜め息のようなものが聞こえた。

 

「……どうした? 二人で何かあったか?」

「いいえ、特には何も。強いて言えば、隣のこれが最近塩をかけられたみたいで、弱々しくなっているだけです」

「ねぇ、今度はナメクジ扱い? そんなにトロくないからね?」

 

 どうしてか、反抗の色も見られない。

 満更でもなさそうで、何の興味も示さない顔に、何かを見出したことなどなかった。

 

 適当なことを言ってはこの表情。

 適当なことを言われてはこの表情。

 さらには、先程の溜め息のときのような、悲しい表情。

 

 ……どれが本物の表情(かお)なのか、わからなくなる。

 

「うんうん、何もないようでよかった。今日はもう帰るといい」

 

 そう言われて少し驚き、窓を見た。

 が、黒のカーテンで完全にこちら側とあちら側を断たれている。

 光は天井に張り巡らされた蛍光灯と、目の前にある画面のライトのみ。

 

 自然光は入る余地なく、黒の屏風に邪魔された。

 吸収した屏風は、さぞ熱くなっていることだろう。

 

 と思いきや、そうでもなさそうだ。

 クーラーによるこの部屋の冷温度もあるが、何より。

 

「……もう、そんな時間なんですか?」

 

 日は傾き、光は変わらず直線に。

 ついさっきまで、全ての光を邪魔していたはずだった。

 が、時の流れと人の体内時計というのは、思いの外不一致なものだ。

 それが特に、集中した状態だと。

 

 今頃、青空ならぬ橙空が広がっていることだろう。

 

「あぁ。早いかもしれないが、これくらいで十分に間に合うはずだ」

「……了解です」

 

 隣の椅子は音を立てて引かれ、重みは外れていく。

 プラスチックのそれは、少しだけ甲高い音だっただろうか。

 

 荷物をまとめ、通学用カバンを手にして、PCの電源を落とした後、こちらを向いて立っていた。

 大体、察しがついた。明瞭とまではいかないが、今までのことからしてわかる。

 

「先に帰ってて頂戴。私は……少し、用があるから」

「……そうか。わかったよ」

 

 一人、ドアまで向かって車輪を鳴らした。

 そのドアの向こうで、こちらも見ないで視線を落とす、彼の目線が見えた。

 …………。

 

「よかったのか?」

「えぇ。私はもう少し、これをやっていることにします」

 

 先生の問いに、ゆっくりとしたタイピングと言葉で返す。

 着々とできあがっていそうだが、まだまだ先が見えない。

 最初から最後まで一貫して計画立てたわけではない。なので、中盤から後半になるにつれ、作業効率は落ちる。

 

 むしろ、内容に関しては題が決まっただけだ。

 具体的な内容はこれからだ。

 

 先に進めておいて、損はない。

 

「……そうか。遅くなりすぎないようにな」

 

 それだけ言って、彼女も扉へと向かう。

 やがて、それを合図にするように他の生徒も帰宅準備を進めている。

 

 目の端でこちらを見ているようだが、全く気にせずにディスプレイを見つめる。

 十分もせずに、部屋は私だけになった。

 音は機械のもののみとなり、終始無言で作業を進める。

 

 どれくらいの時間、進めただろうか。私もようやく帰ることに。

 入り口付近にかかっていたらしい鍵を取り、機械全てを止めて外へ。

 生温い風ではなく、もうすっかり冷え切った風に、私の体は押されていた。

 

 追随する風を感じつつ、階段を降りていく。

 コツ、コツと規則的なメトロノームが、足音に変換された。

 陽はすっかり落ちてしまい、もう赤系統の光もなくなった。

 

 鍵も返して、またメトロノーム。

 暗い、冥い中を彷徨うように歩き、外に出る。

 

 窓の開いた廊下から降りつける風とは、訳が違う。

 全身に受けるそれは、夏服で露出した肌全体に冷やす。

 

 コンクリートとローファーの組み合わせになり、音質が違うメトロノーム。

 それを聞き続けると、校門に。

 

「……どうして、待ってたのよ」

 

 ……彼が、いた。

 もう、何時だと思っているのだろうか。

 冥い夜空を見上げ、両手をポケットに入れながら背を校門に預けている。

 肩に通学用バッグをかけて。

 

 私の横で、職員室のライトが。

 彼には、何も光は当たらない。校門に隠れるようにして。

 

「……女の子が一人じゃ、危ないだろ。もう寒いし暗い。……行くぞ」

 

 ――わからない。どうして。

 ――どうして、なんだろうか。

 

 ――どうして貴方は、そうやって何事もなかったように歩き出すの?




ありがとうございました!

まだデレではないと信じたい。
うんきっとそうだいじょーぶ、なはず。
交互にクーとデレ入れたいな。

ではでは!


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第10話 正直な方がいいんじゃない?

どうも、狼々です!

お ま た せ

いや、本当に申し訳ないです。
風邪やらテスト期間やらで忙しかったのです(言い訳)

まぁ、そのテストも昨日で終わりなんですがね!

では、本編どうぞ!


 ――戸惑っていた。

 

 自分の感じたことのない、感情に。

 持ちえなかった感情に、戸惑うばかり。

 

 薄暗の中、控えめな灯りを頼りに、掻い潜る。

 本当に少し、僅かだけ先導している彼の後ろで、考えている。

 

 杜撰(ずさん)な思考ばかりが横行して、ろくな正解すら出せない。

 かといって、等閑視もできそうにない。

 自分の中で、心がそれを許さない。

 

 早く適当な『こたえ』を出して、楽になればいいのに。

 頭ではそう思っているのだ。

 が、どうにも上手くいかない。そんなはずは、ないのに。

 

「……どうした? ちゃんと付いてきているか?」

「えっ!? あ、え、えぇ」

 

 不意に聞こえた、いつもの声。

 慌てる必要もないのに、変に驚きを前面に出してしまう。

 その理由すらもわからず、疑問詞が頭で飛び交った。

 

 疑問符が飛び交うものの、一向に解決する気配がない。

 ローファーのコンクリートを蹴る音が、静寂の中、夜道に響く。

 揺蕩(たゆた)う感情を置き去りにできず、彼の背中をついていく。

 ……こんなにも、大きい背中だっただろうか。

 

 数度見た限りなので、勘違いかもしれない。

 けれども、私には彼の背中が大きく、大きく見えた。

 

「……ほら。家、着いたぞ」

「え……あ、でも、今度はあんたが危ないじゃない。私も――」

「ば~か。それじゃあ、一人で綾瀬がここまで戻らないといけないだろ。何のために待ったのか、わからなくなる」

 

 一方的にそれだけ言って、夜道に消えていく彼。

 引き止める間もなく、闇に。

 

 最初は、何も感じずに言えた言葉。

 今となっては、躊躇してしまう言葉

 

 敢えての関係性の裏返し。

 (すさ)みかけの今、この言葉をかけられるか、わからない。

 

「練習、しなきゃ」

 

 どうしてこう思うんだろう。

 冷たいままで、過ごせばいいのに。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

「あ~……随分と、遅くなっちまったか」

 

 家に着いた頃には、既に夜。

 夜中とまではいかないが、下校時点でも暗かった。

 

 さすがに女の子を一人置いて、男が一人帰る、なんて気がひける。

 こんな時間になったようだし、待っていて正解だったか。

 

 あいつも、自分のことをもう少し自覚した方がいい。

 いつ襲われてもおかしくない淡麗な容姿、小柄な体躯。

 狙われやすい、とまでは言わないが、危険は常に付き纏う。

 

「手伝えるなら、手伝ったのにな」

 

 早く終わっただろうし。

 どうしても言えない、というのなら口出しする気も権利もないのだが。

 

 と、ここで通学用カバンの中から、着信音とバイブ音が聞こえた。

 低い音にさらに層を重ねたような低い音と機会的な高音が、控えめに部屋に響く。

 カバンの中から取り出し、電話に出る。

 

「あ~! おにい、何回鳴らしたと思ってんのさ!」

「あ~、まあ、それに関しては、うん。ごめん」

「いや~やっぱ誠意足りないっしょ。もっと私を敬うように――」

「切るぞ」

「すみません私が全面的に悪かったです申し訳ない」

 

 いや、自分でも着信に気付かないのは悪かったと思っている。

 けども、敬うとなったら話が別だわ。

 

「……で、何の用だよ。こんな時間に」

「あ~、そうそう。そうだったね」

 

 んんっ、と軽い咳払いが耳元の向こう側で聞こえる。

 一拍だけ置かれて、会話は続く。

 

 夜とはいえ、今は夏。

 『焼け』とは違い、蒸し暑さに見舞われる。

 汗が滲みそうになる直前、告げられた。

 

「夏休み、期日期間未定で()()()()()()()()()()()()から! 荷物的な意味の準備はこっちでするから、心の準備はしといてね~」

「……はい?」

 

 

 

 

 翌日。まだまだ夏は終盤どころか、全盛期にも入っていない。

 これ以上に気温が上がると考えると、気が滅入る。

 窓から覗く青空も、上昇を止めない気温も、青天井。

 

 ドラスティックな気温に蹂躙される、こちらの身にもなってほしいものだ。

 そりゃホッキョクグマも大激怒だわ。

 あれらしいね。アザラシが獲れなくなって、痩せ細ったホッキョクグマも確認されているらしいね。

 

 だったら、まず図書室の冷房弱めようか。

 いくら暑いとはいえ、俺、寒い。

 風邪引いちゃうよ? 俺、夏に冷房で風邪引くとか、情けない情けない。

 

 そうそう、北極では風邪のウイルスがあまりの寒さで死滅するから、逆に風邪引かないらしいね。知らんけど。

 実際に体感したわけでもないから、確証があるわけではないのだが。

 

「それで、どうなのそれ?」

「うん……俺が言うことでもないけどさぁ……ひどすぎじゃない?」

「あぁ、俺自身で自覚しているから大丈夫だ」

 

 やっぱり、俺には無理だよ、()()

 こうして並ぶ昼食は、普段のそれとは形から違っていた。

 

 お弁当、というやつだ。いや、()()()()()()()()()()()

 これをお弁当、とはさすがに言い難いだろう。

 

 何これ、俺は砂を食べているのかな?

 妙に食感がジャリジャリするんだけども。

 あっ、この独特の深みある苦さは、焦げだわ。焦げ。

 

 おっかしーなー、どうして玉子焼きから焦げが出てくるんだろう。

 柔らか食感のはずなのに、ホントどうしてなんだろーなー 。

 いやほんっとうに見当もつかないなー。

 

「それ、もう一種の才能ね」

 

 期待していた綾瀬の声が耳に届くも、それは案の定興味のない平坦な声。

 俺も慣れてきたかと思ったが、そうでもないらしい。

 あっさりと淡白な声を聞くたびに、俺の心境は落胆へと変わる。

 

 べたべたと仲良く、とまではいかないにしろ、普通に接するくらいを希望したい。

 凹むからさ……うん。

 

 複雑な心境のまま、右手に握られた袋の中のパンをひとかじり。

 食べ慣れた昼食を味わいながら、先の砂を押さえつける。

 

 ……ん? お弁当はどうしたか、だって?

 片付けたに決まってるじゃないか。パンを買っておいてよかった。

 

 基本俺は食べ物を粗末にしない人間だ。出された物は素直に口に入れて嚥下(えんげ)する。

 が、これは最早食べ物と言えるかどうかと、食べ物の定義の広さが危うい。

 いや、もうこれ無機物なんじゃないの? まだ紙の方が美味しいよ。

 

 ヤギは紙を食べるってイメージあるけどね。

 紙を作るのに必要な薬品も一緒に体内に取り入れることになるから、やめるべき。

 常識だね。特にトリビアというわけでもなし。

 

「学食にした方がいいんじゃない?」

「あ~、そうかもな~」

 

 この生徒数極小高等学校にも、食堂はある。

 メニューもある程度は充実している……らしい。

 食堂に行くときは、自販機で飲み物買うときくらいしかない。

 実際に確認したことは数度で、それもじっくりと確認したわけではない。

 曖昧な記憶を辿っているのだ。

 

「――いや、パンで」

「いやなんで?」

「人。いっぱい来るじゃん」

 

 いくら少人数とはいえ、それなりに集まるはずだ。

 自学年ならまだしも、三学年分の生徒がオンパレード。

 動物園の如きその様。定時になると群がって食事を始める様は、まさにそれ。

 

 勿論、俺はそんなことをしない。

 誰が好き好んで動物園の檻の中へ入らないといけないのだろうか。

 

「一回だけでも行ってみたら? 私も行ったことないから、あんまり詳しく言えないけど」

「前向きに検討することを検討しよう」

 

 前向きな検討を検討する所存でございます。

 検討さえも検討していくからね。

 

 まぁ、候補の一つとして頭の片隅にでも書き留めようか。

 味を気にしているわけではない分、幾分かは有力候補に食い込んでくるだろうか。

 いざとなれば、食堂でパンを買って食べればいい。何も解決していない件について。

 解決どころか矯正にもなっていないよ。

 

 料理の練習中の今、自炊を諦めかけている。

 俺がただの次々に食材をダメにするマシーンになりそうで怖い。

 

 そう考えると、俺って一周回って結構すごいのかもしれん。

 道具を使っているとはいえ、有機物を無機物に変えているのだ。

 なんだ、俺って分解者だったのか。それにしては立派な菌類・細菌類ですね。

 

 あっ、でもあれだから。キノコも菌類で分解者だから。

 キノコ、キノコ……あっ。男性諸君よ、貴様ら全員分解者だわ。これはひどい。

 

「……じゃあ、誰かから料理を教わればいいんじゃない?」

 

 そう言いながら、高波の目線は俺からズレる。

 移動先は――綾瀬。

 

「何で私なのよ」

「そんなこと、一言も言ってないよ? 全員で料理、すればいいじゃん。駿河君は料理、できる?」

「少なくとも、こいつよりはできることは確かだろうな」

 

 でしょうね。わかっていたよ。

 どこまで下手だろうとも、玉子焼きで焦げと無機物創り出すことはないだろう。

 まず、最低ラインを振り切った俺の横に並ぶこともない。

 

「よ~し! じゃあ今週末に皆でお料理会だ~、お~!」

「ん~、俺はいいよ~」

 

 遥斗の間の抜けた声が、よく響く。

 が、何か綾瀬は物申したいことがあるようで。

 

「ちょ、ちょっと、私は行くなんて一言も――」

「行かないとも言ってないよね? なんなら……()()()()()()()()()()()?」

 

 やけに緊迫のある一言。

 こんなに強気に発言をする高波を、俺は見たことがなかった。

 

 薄い雲が、青空を満遍なく覆った。

 遮れきれなかった光だけが、教室の窓を割って入る。

 遮られた光は薄暗へと変わって消えていく。

 

 重苦しい雰囲気が、この四人の間のみで流れることなく停滞。

 すぐ近くで笑うクラスメート達と、この四人とで隔壁ができあがる。

 いや、もっと言うならば、綾瀬と高波の二人の間で。

 

「……別に、どっちでもいいわよ。行く理由も行かない理由もないのだから」

「じゃ、せっかくだからいこ~! そうしよ~!」

 

 先程の重々しい空気は、嘘のように霧散した。

 俺と遥斗は思わず、安堵の溜め息を吐いてしまうほどだった。

 矛を収めた空気の中、俺は思った。

 

 ……えっと、いや、俺のためにやっているからさぁ、何も言えないけどさぁ。

 俺としてもありがたいし、むしろ悪い気しかしないのだけどさぁ。

 

 ……俺に決定権は、ないのね。行くこと決定なのね。

 

「で、誰の家でやるのよ。さすがに学校の調理室を使うわけにもいかないでしょ」

 

 綾瀬の気だるげそうな声は、どこか普段と違う。

 冷徹でつまらなさそうな声が、少し跳ねているような。

 

「ま、蒼夜の家が妥当なんじゃない? 一番の目的は蒼夜の料理スキル向上なわけで、調理器具とか環境とか全部同じな方が楽でしょ」

「ん、俺はそれで十分にいいんだが」

 

 片付けは普段からしているし、何より引っ越しからそれほど間もないので、無駄な物が少ない。

 間もなすぎて空き部屋にまだ中身の入ったダンボール箱が数個だけあるレベル。

 それはちょっとダメだわ。近々出してしまおうか。

 

 葵も泊まりに来るらしいので、その部屋を使わせようか。

 物置き部屋みたいで申し訳ないが、まぁ屋根と壁がある分マシだろう。厳しいね。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 私が言わなかったら、七海ちゃんはどうしていたんだろうか。

 あのまま、行かずにいたんだろうか。

 

 素直じゃないだけなのだろうと、私はそう思う。

 だって、本当に嫌いだったなら。

 こうして昼休みに机を合わせることも、図書委員を二人で担当することも、一緒に下校をすることもない。

 

 本心よりの拒絶じゃないことはわかる。

 ただ、それは私が第三者の目線で見据えるから。

 

 第二者の東雲君は、そうとは思えないかもしれない。

 自分が避けられている。その仮の事実を知ってしまったとき、瞬間から、どうなるのだろうか。

 

 何かこうなった原因を、誰だって自分に探すことだろう。

 顰蹙(ひんしゅく)を買う出来事に見当がつかないのに、探し続ける。

 見つからないよ。だって、それは虚なんだから。

 

 虚ではない部分もあるかもしれない。一部だけ嫌いなのかもしれない。

 でも、それは逆部分の肯定と好意。裏返しだ。

 そこまではいかなくとも、嫌ってはいないことは確かだろう。

 

 帰り、彼女が図書室に行く前に、引き止める。

 勿論のこと、東雲君はなしで。

 

「ねぇ、七海ちゃん。もう少し、正直になった方がいいんじゃない?」

「何に対して?」

「そりゃあ勿論、東雲君に対して」

 

 そう言うと、彼女の顔が少し暗くなった。

 夕焼けに照らされる赤らんだ顔。だが、そこに明るさはあまりない。

 

「……わからないわ。東雲の、ことが」

「そう。わからない、かぁ……」

 

 嘘を吐いているわけでもない。

 私も見当が大方見当はつくけれど、完全に()()というわけでもなさそうだ。

 ()()なりそう・なりかけ、というのが近いだろうか。

 

 それに気付くと、私はつい笑顔を漏らしてしまう。

 

「何よ、その笑顔は」

 

 不機嫌そうな顔だが、嫌そうではない。

 そんな顔で、私の失笑に発言した。

 

「いいや、別に? 引き止めちゃって悪かったね」

「え、えぇ、それはいいのだけれどね。一緒に図書室、行く?」

「うん、そうしようかな?」

 

 だったら、少しばかり、友人として応援したいね!

 早く、気付くように。早く、そうなるように。




ありがとうございました!

半月近くも空いたのか……申し訳ないの一言に尽きます。

ただ、魂恋録の投稿を少しの間優先させてもらうかもしれないです。
もう少しで完結なので。

ではでは!


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第11話 嫌なんて、一言も

どうも、狼々です!

おまたせしましたぁぁああ!
いや本当に、前回にもこんな感じだったと記憶しています。

言い訳としては、私の処女作が完結しまして。
一応、完結近くはその作品に専念して投稿します、という旨を活動報告に書いておいたのです(´・ω・`)

どうしても言い訳にしか聞こえないでござる。

では、本編どうぞ!


 今日は、図書委員がコンピューター室を使える日。

 朝からずっと構想を練ってはいるのだが、どうにも納得がいかない。

 

 正直、作業スピードは悪くない。

 むしろ、順調すぎるくらいだ。急ぐ必要など皆無に等しい。

 が、それが災い、というべきか。

 

 作業進行速度と、計画立案速度が一致していない。

 つまるところ、作業が速すぎて内容の計画を立てる速度が追いついていないのだ。

 作業以外の時間の方が長いので、これからはないだろう。

 今回限りの問題なので、そう重要視することもないのだろうが。

 

 ともあれ、もう夏休みが近い。

 それが示すこと。つまりは、定期テストの再来だ。

 今度は期間がわかりきっているので、悪夢も一緒の再来はない。

 

 いやはや、笑いが止まらぬ。 

 俺は、その時が訪れる瞬間を心待ちにしている。

 かなり早い段階でテスト勉強を始めた俺に、死角はない。

 

 しかし。しかし、だ。

 いくら順調とはいえ、油断は危ない。

 一瞬でも隙を作る方が、絶対的に揺るがずダメなのだけれども。

 なんか、言い方がめちゃくちゃレベル高い戦闘モノの台詞みたい。

 

 取り敢えず、ほぼ全教科テスト勉強は終了。

 どの教科も、十分に満点を狙えるくらいには完成している。

 

 ……家庭基礎を除いて。

 

 

 

 この日は、生憎の悪天候だった。

 大粒の雨が、黒く淀んで、霞んだ空から容赦なく降り注ぐ。

 窓を叩き続ける軽い音が、讃頌(さんしょう)のようにも聞こえる。

 雨の恵みへか、それとも他の何かか、そればかりはわかりかねるが。

 天気に気持ちなど、存在するとは思えない。

 

 さて、今日は雨だと予想していなかった。

 俺は、自分こそが天気予報だと思っている。天気予報士ではなく、天気予報だと。

 空を見た感覚で、今日一日の天気を予想するのが俺の朝の日課だ。

 それが、今日は偶々外れただけだ。

 

 

 ――というのは全くの嘘でした。

 遅刻ギリギリの朝に、雨が降っていなかったので、傘を持たずに飛び出した、というわけだ。

 しかぁし! 我はそんなに甘くないのであ~る。

 置き傘なるものを、裏で進めていた。

 つまるところ、学校に傘を置きっぱなしにして、こういう時に困らないようにするという、画期的な作戦――

 

 

 

 ――というのも全くの嘘で、本当はただ持って帰るのを忘れただけでしたっと。

 いやぁ、助かった助かった。あっはっは。

 

 ということで、こうやって皆が悲嘆の声を上げている中、俺は一人悦に浸っているのだ。

 ただ一人、下校時間を知らせるチャイムが鳴る中、少々のドヤ顔で。

 

 

 

 ――というのは妄想で、皆はちゃんと天気予報を見ていましたとさ。

 傘を忘れたのは極少数で、俺もその中の一人に数えられる寸前だったのだよ。

 

 この教室も閑静となり、生徒は俺一人。

 されど、雨は硝子を鳴らす。

 その音に混ざりながら、上靴の音を刻み、コンピューター室へ。

 カバンと傘を手に取って、歩く。

 

 コンピューター室に入っても、異様に静かだった。

 一昨日はあれだけキーボードを叩く音で溢れかえっていたのに、今はそれが、ゆっくりとしか聞こえない。

 彼女のタイピング技術については、相変わらずのようだ。

 隣で見て、聞いている限り、使い慣れていないことぐらいはわかった。

 

「あい、お疲れさん」

「あんたが遅いのよ」

 

 これはまた、相変わらず辛辣なお言葉で。

 さて、一昨日と違う光景は、もう一つ。

 

「で、お二方はどうしてここに?」

「いやぁ、俺、暇だし?」

「あ、えっと……私は、手伝いに」

 

 遥斗と高波が、そこにいた。

 何とも暇そうにしながら、綾瀬の座る席の近くに座って。

 結局何があろうとも、この四人のメンバーは集まるのだろうか。

 

 他に人もいないので、周りを気にする必要はなし。

 作業中の雑談としては、楽しくなるに違いないだろう。

 高波の考えは、残念ながら叶いそうにもない。

 やはり、支援者二人にできることは、誤字や誤用の修正くらいなのだ。

 

「あ~……そういえば、もう少しであれだね」

「えっ? あれって何?」

「そりゃあれだよ。夏になると、こぞって皆が騒ぎ出すあれ」

「はぁ? ――あぁ、水泳の授業か」

 

 夏の体育の時間の代表だろう。

 カンカン照りの太陽の下で、水しぶきが上がるプール。

 好き放題にやって、絶対一人は足がつるんだよね。

 

 あと、女子の水着姿ガン見する男子。

 いや、別にわからんでもない。薄布一枚のみを隔てた先の白い柔肌(エデン)を見たい気持ちは。

 けどさぁ、ガン見は……どうかと思うんだよねえ。

 目を奪われるならまだしも、完全に下心丸出しの猿がいるんだよ、ホントに。

 

「何するのかな。クロールとかは難易度として高校ではどうかと思うし~」

「バタフライとか、そこら辺じゃねぇの? それより、高波とか泳げるのか?」

「えっ、私? 何で?」

 

 いや、何でと聞かれましても。

 そりゃもう、色々とあるじゃん。

 

「……水の抵抗とか、すごそうじゃん」

「は~い、それ、セクハラだと思いま~す。東雲君になら別にいいけど」

「いいのかよ」

「だってそんなことをふざけないで言うような器の持ち主じゃないし」

 

 それもひどくないですかね。

 健全な男子代表の、紳士な私にだってヤればデキる――ごほん。

 

「はいはい、水の抵抗が少なくて悪かったわね!」

「いやそんなこと言ってないだろ」

 

 久々の綾瀬の不機嫌な大声だが、どうにも本気でご立腹の様子。

 いやぁ……今一度見ても、取り敢えず抵抗少ないことはわかるね。

 比べて高波は、水着を着る段階で色々と抵抗ありそうじゃん。何考えてんだ俺。

 

「じゃあその持ち前の抵抗の少なさで、華麗な泳ぎ見せてみろよ。あ?」

「あんたねぇ……! え、えぇいいわよ! 精々自分の不出来な泳ぎとも言い難い泳ぎと比較して泣きを見るがいいわ!」

 

 こんなに話したのは、いつぶりだろうか。

 いつぶり、と言えるほど長い期間でもなく、今の会話だって決して長くない。

 けれども、俺はこの時間に、どうしても嬉しさに似た感情を抱いてしまう。

 たった一人の女の子に、ここまで振り回されるとは思っていなかった。

 

 第一、振り回している気は向こうにはないのだろう。

 振り回しているのならば、まるで彼女は、俺のことを、好き、みたいな――

 

 

 ――何を、考えているんだろうか。本当に。

 

 そんなありもしない、どこか妄想めいたことを考えていて。

 高波の途中で止まった小さな呟きを追求し損ねる。

 

「……あれ? 七海ちゃんって、確か水泳は――」

「で、もう六時くらいだけど、大丈夫なの?」

「「えっ?」」

 

 遥斗の声が高波の呟きを遮った直後、俺と綾瀬の、間の抜けた声が重なった。

 同じく揃って、壁にかかった丸時計を見る。

 

 それの短針は、間違いなく六の数字を指している。

 長針に至っては、もう二と三の間ほどまでを指してしまっている。

 

 今から作業できたとして、三十分が限界だろうか。

 

「……中途半端に終わるよりも、今日はここまでにした方がよっぽどいいわな」

「あんた、それでいいの?」

「あぁ。今日一日だけならな。そも、期間に余裕は十分ある」

 

 殆ど作業らしい作業はしていないので、本日の進行度はほぼゼロ。

 ここから三十分あったとして、どこまで進むかは目に見えている。

 さらには、遥斗と高波もいる。どうせ三十分、ろくに作業しようとしないだろう。

 

 構成が完全に練られていない以上、作業の進度には限りがある。

 いずれそこに辿り着くのだから、今わざわざ根を詰めて作業に取り掛かる必要は全くない。

 それよりも、今日は構成に専念した方が、次回以降の取り掛かりがスムーズになるだろう。

 

「……そう。私は今日、他にもしなきゃいけないこと、あるから。先に帰ってていいわよ」

「……そうか」

 

 すぐそばに置いておいたカバンを手に取り、コンピューター室を去る。

 無気力に、何も考えずに廊下を通り、階段を降りる。

 そして、気付く。

 

 まだ降り続ける、柔らかな雨に。

 いや、柔らかだったのは、ついさっきまでか。

 窓を殴打する音は強く響き、心をざわつかせる。

 そのざわつきは、忘却へと繋がっていたらしい。

 

「――あっ、傘忘れた」

 

 思い出してすぐに、手の不充足感が湧き上がる。

 それと共に、激しさを増す雨。

 ほぼ無意識に、コンピューター室に戻る。

 そしてその途中、里美先生と鉢合わせになった。

 

「おぉ、東雲か。もう帰るのかね?」

「えぇ。まぁ、はい」

「あ~……悪いんだが、この棟の戸締まりを手伝ってもらえるか?」

「わかりました。この棟だけでいいんですか?」

「助かるよ。各教室の鍵だ」

 

 幾つかの金属音と共に、鍵が手渡される。

 素直に受け取って、足の向く方向を変え、里美先生と別れた。

 

 窓枠のなぞりながら、滴る雨粒。

 その中に、無軌道に揺れるものも混じり、硝子を駆け下りている。

 俺は、静かに近くの教室から戸締まりを始める。

 

 雨が、強くなった。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

「……で、やることって、これ?」

「えぇ。私のせいで遅れたら、何も言えないから」

「でも、七海ちゃんが遅れてても、東雲君が速いから遅れないとは思うけど……」

 

 私は、その彼女の問いに、明確な反論を言うことができなかった。

 その理由さえも、私にはわからなかった。

 

 思えば、どうして私はこうやって、一人で作業を進めているのだろうか。

 作業が間に合わない、なんて思っているが、余裕は重なるほどにある。

 では、何故そんなことをするのか。

 ……どうしても、答えが出なかった。

 

「さぁ? 速いことに越したことはないでしょ」

 

 私には、それが限界だった。

 自分ですら、薄っぺらい子供の言い訳のようにしか聞こえない。

 胸に溜まる靄が晴れないことに、もどかしさすら憶える。

 

 が、今は大切な作業中だ。

 理由を考えるくらいなら、まず手と頭を動かせ。

 そう自分に言い聞かせて、ぎこちない、不慣れな手つきでキーボードを叩く。

 

「ん、打ち間違えてるよ」

「えっ? どこ?」

「そこ、えっと……下から三行目の真ん中辺り」

 

 時折、彼らの修正の声が飛ぶ。

 速度が遅い割りに、誤字の多さには我ながら驚いてしまえる。

 

 たまに、物凄くタイピング速度が異常に速いのがいるのよね。

 絶対クラスに一人はいる類の。

 どうやってやっているのかしらね? フライングとかブラインドとか言っていた記憶がある。

 

 折角憶えるのならばということで、それも練習中。

 キーの配置を覚えながら、極力キーボードは見ない。

 勿論遅い速度がさらに遅くなるのだが、何となく慣れてきたような気もする。

 気のせいか、二人からの誤字の報告も少なくなってきた。

 

 そして、そこから十分か二十分ほど経って。

 

「じゃあ、私達は帰ろうか。邪魔するのも悪いし」

「ん、了解。頑張れ、応援してるぞ、綾瀬~」

 

 その言葉を最後に、二人はコンピューター室を出ていく。

 この部屋には、無機質な遅いキーボードを叩く音しか、聞こえなくなった。

 

 雨が、少し止んだ。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

「あ~、先生、終わりました」

「そうか。ご苦労様。助かったよ」

「いえ、それほどのことではありませんので。では、失礼します」

 

 全教室の戸締まりを終えて、微弱な溜め息の後に、再びコンピューター室を目指す。

 思わぬところで時間がかかってしまった。

 きちんとパーフェクトに戸締まりされている教室の方が少なかった。

 どこか窓が開いていたり、鍵がかかっていなかったりと、不備があったのだ。

 

 少し弱くなった水の音と、滑り始めた廊下の甲高い音を聞きながら、コンピューター室へ着いた。

 そして、ふと気付く。

 

 まだ、()()()()()()()()ことに。

 確か、綾瀬は別の用事があるから、と学校に残っていることはわかっていた。

 

 ……いや、アイツの性格ならば、十分に見栄を張る。容易に想像ができる。

 どうせ早々に終わらせようと、一人で作業をしているのだろう。

 

 心の中で先程よりもずっと大きい溜め息を吐いて、勢い良く扉を開いた。

 突然の音に驚いて、肩をビクつかせる綾瀬が見える。

 なるほど、意外と小動物みたいで、可愛いところもあるものか。

 

「……何であんたが戻ってくるのよ」

「あ? 傘、忘れたんだよ」

 

 やはり、俺と二人になったときの彼女の言葉には、若干棘がある。

 もう諦めるべきなのか、とも考えながら、傘を取って道を戻る。

 扉に手をかけて、思い留まった。

 

「なぁ。何やってんの?」

「……はぁっ。見ればわかるでしょ。続きよ」

「急ぐは必要あるのか?」

「私、打つの遅いから」

 

 ……戻る。

 彼女の隣へ。廊下ではなく、彼女の隣の席へ。

 

「で、あんたは何でまた戻ってくるのよ」

「見ればわかるだろ。続きだよ」

 

 やる気のない声で先程の綾瀬の言葉を借りて告げながら、パソコンを立ち上げる。

 聞き慣れた起動音が聞こえたときには、雨の勢いは強くなっていた。

 今から帰るより、少し作業して帰った方が、雨に関しては楽だろうか。

 

「あんたはいいでしょ。速いんだから」

「気が変わった。お前がやるなら俺もやるよ」

「……好きにしなさい。好きにすればいいじゃない」

「あぁ、好きにさせてもらうよ」

 

 少し攻撃的な彼女の言葉。

 だが、俺の口には自然と笑みが浮かび上がっていた。

 

「……ん?」

「今度は何よ?」

 

 ふと、隣を見た。

 左には綾瀬と彼女の荷物。右には俺の荷物。

 綾瀬の荷物と、俺の荷物を見比べて、気付く。

 そして、今この雨の音を聞いて、明確な疑問となった。

 

「なあ……綾瀬。綾瀬の傘、どこにある?」

「……あっ」

 

 間の抜けた声が、小さく聞こえた。

 最近の態度とは打って変わった声に、少しドキッとしてしまう。

 

 家から傘を忘れた人は極少数で、その中に綾瀬が入るとも思えない。

 この雨の中、折り畳み傘では不十分だろう。カバンに入っているとも思えない。

 じゃあ、どうしたのだろうか。

 

()()()、忘れてきたわ。はぁ~……取りに行ってくるわ」

 

 アホだ。こいつ、アホだわ。

 ……ん?

 

「あぁ、ちょっと待て。俺達の教室の棟、恐らく鍵はもう全部閉まってる。こっちの棟の戸締まり任されたくらいだから、あっちはとっくに終わってると考えていいぞ」

「え、えぇ~……?」

 

 さて、どうしたものか。

 ここで雨が止むまで作業するか。

 しかし、一向に止む気配がない。勢いなら弱くなりそうだが、完全に止むまでは程遠そうだ。

 

 女の子が雨に濡れながら下校、ねぇ。

 方向は同じ。俺は傘を持っている。帰り道の途中に彼女の家。

 

 ……ふぅん。

 いやまぁ、俺はいいんだが。

 

「あ、あぁ~っと……俺が入れるからいいぞ。嫌ならいいんだが」

「…………」

 

 何とも迷っている表情、というか、気難しい表情というか。

 

「……嫌なんて、一言も言ってないじゃない」

 

 どうやら、俺はまだ嫌われてはいなかったらしい。

 心の中で、盛大に喜んでいる自分に疑問が生じた。

 

 どうして、俺が喜んでいるのだろう、と。




ありがとうございました!

これから、本当に不定期になるかもしれません。
一ヶ月に一回とか、本当に。

途中で打ち切りは、ほぼ無いです、はい。
打ち切りならば、活動報告とTwitter、連載中の作品の最新話に、後書きに追加して報告します。

なので、期間が空いても、何も報告がなかったら続きは書きますので。
よろしくお願いします(´・ω・`)

ではでは!


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第12話 雨傘の下で

どうも、狼々です!

いやぁ、反省してませんね私。
前回に告知したものの、全く反省の色が伺えない(´・ω・`)

八月の夢見村が、完結しまして。
なんと8月17日現在で、調整平均9.42という怒涛の数字を叩き出してまして。
びっくりですよ(´゚д゚`)

感動できた、という声を多数いただきまして。
よければ、そちらの方も……という宣伝でした(´;ω;`)

では、本編どうぞ!


 雨が止む気配もなく、互いの同意でコンピューター室を出る。

 これ以上校内にいても、雨は止まない上に暗くなる一方だ。

 安全の意味では、今から帰宅を始めるべきだろう。

 

 少し濡れた廊下を転ばないように注意しながら歩き、昇降口へ。

 ローファーに履き替えて、彼女よりも先に外へ出て、様子を見る。

 

 軒先から見ただけでも、すごく強い雨だ。音から違う。

 束になった雨の集団が、一気にコンクリートへと叩きつけられ、辺りに水しぶきを飛ばしている。

 それが連続しているので、耳障りにも思えてきてしまうのだ。

 

「……待たせたわね」

「別に『待たせた』って言われるほど待ってない」

 

 答えながら傘を広げるが、やはりどうしようかと迷ってしまう。

 ここにきて迷うのもどうかと思うが、女の子にとってはあまり良く思わないのも事実。

 相合傘など、それはもう物理的距離は近くなり、雰囲気もどうにかなりそうだ。

 そんなある意味での「シリアス製造機」を、綾瀬が受け入れるだろうか。

 

 ここ最近、いつでも不機嫌そうだ。

 かといって、明確に突き放されているわけでもない……と思いたい。

 

「あ~、綾瀬? 俺が傘預けるから、明日返してくれれば――」

「あんたはどうするのよ。雨の中走って帰るつもり?」

「まぁ、帰れない距離でもないしな」

「じゃあ、あんたが差せばいいじゃない。私の家の方が近いんだし」

「風邪引くだろ」

「あんたも同じよ。一緒の傘に入ればいいだけでしょ」

 

 どうにも、回避する方法はないらしい。

 自分から言い出したものの、どうしても恥ずかしく、渋ってしまったのだが。

 ここまで言われて渋り続けるわけにもいかず、静かに傘を開く。

 

 できるだけ彼女が濡れないように、傘を傾けて足並みを揃えて歩く。

 黒いこの傘も、大きいのだが二人ともなると話は変わってくる。

 さすがに厳しいか、俺の肩辺りが濡れ始めた。

 

「……肩、濡れてるじゃない」

「いいんだよ、別に」

 

 そう答えたが、下着にまで染み始めた。

 肩だけなのでどうということはないのだが、彼女はそうじゃないらしい。

 

 若干の開いた距離が、殆どゼロとなる。

 腕は接触していて、半袖の夏服だと、彼女の白い柔肌が直接俺の肌に当たっている。

 

 正直、気が気でない。

 今までの対応の冷たさと今起こっている状況のズレがひどすぎて、俺の頭がついていかないのだ。

 やがて車軸が流れるような強さへと変わり、傘も殆ど意味がなくなりそうだ。

 何とか綾瀬を濡らさないようにしているが、それでも限界がある。

 

 と、突然に。

 

「あ……」

 

 何を思ったか、綾瀬が感嘆の声を小さく上げて、傘の下から駆け出した。

 

「お、おい、ちょっ!」

 

 急いで追いかけるが、追いつくまでに綾瀬は激しい雨に打たれる。

 先行する彼女へと傘を伸ばして、俺はめちゃめちゃ雨に打たれる。

 二人で、特に追う側の俺が暴雨に晒された。

 

 ようやく彼女が止まって、俺の傘に彼女が入ったのは、目立たない路傍。

 そこに一人の幼い男の子が、傘の陰で涙目になって立っている場所だった。

 

「ボク、一人?」

「え……う、お母さんと、はぐれた」

 

 身を屈めながら、子供の目線に合わせて話す綾瀬。

 優しげな声質が、いつもの声とは違う柔らかな雰囲気を出していた。

 

 どうやら迷子らしい子供も、驚きながらも拙い返事をする。

 傘は持っているが、如何せんひどい雨なので、ところどころが濡れてしまっている。

 

「そっか。どれくらい前にはぐれちゃったの?」

「えっと、ついさっき、かな? 五分も経ってない、と思う」

 

 見たところ、少年は小学生低学年くらいだろうか。

 辺りがすっかり暗くなっているので、この辺りの歳が一人で夜道に佇むのは危険だ。

 気温も夏とはいえ低いので、濡れたままだと風邪も引いてしまう。

 

「――そうね。一旦交番に連絡しましょうか……もしもし」

 

 スマホを取り出して、連絡を手早く始めた綾瀬。

 場所、時間、大まかな出来事を的確に、スムーズに伝えていく。

 判断の早さと行動の正確さに、驚くことしかできなかった。

 唯一、俺にできたことは。

 

「ほ、ほら~、大丈夫だからな。お~よしよし」

 

 少年の不安を解くことくらいだった。

 それも、あまり頼りにならなそうな励まし。悲しきかな。

 

「わ、お兄さん、手がおっきいね」

「お、おうよ。君もいつか、このくらいになるといいな」

「うん! お兄さんみたいに、おっきくなる!」

 

 なんだろう、とても可愛らしい。

 まだ純真無垢な時期、この反応は幼気な可愛さを孕んでいる。

 涙目も収まって、元気な笑顔を引き出せたことが幾分かマシだっただろうか。

 

 暫くして、警官が一人の女性を連れてやってきた。

 反応を見る限り、この少年の母親。

 

「本当に、どうもありがとうございます!」

「い、いえいえ。私はそんな……」

 

 照れつつある彼女の笑顔は、久々に見た気がする。

 というよりも、この表情は見たことすらなかっただろうか。

 

「お兄さん、お姉さん、ありがとー!」

「ふふっ、えぇ。今度は、はぐれちゃダメよ?」

 

 母親に手を優しく引かれながら、こちらを振り返って手を振り続ける少年。

 その姿は次第に遠くなり、闇へと消えていった。

 警官も、協力感謝の言葉を最後に、この場から去っていく。

 しかしながら、依然として雨は降り続ける一方だった。

 

「にしても、大丈夫か? 結構濡れただろ」

「私は、ね。あんたの方がもっと濡れてる。……ごめんなさい」

「何でだよ」

「私が飛び出したからでしょ?」

「あんなの見せられちゃ何も言えないし、もとより何も言うつもりはない」

 

 迷子の子供を助けるために、雨の中を飛び出す。

 そんな優しい一面を見せられたら、言う気にすらなれない。

 むしろ、雨に打たれることを代償にしたなら、安いくらいだ。

 

「あの子供、直接交番に届け出た方がよかったんじゃないのか?」

「いいえ。はぐれて五分も経ってないなら、親が戻ってくることも考えられるわ。それに今の御時世、連れ出したら誘拐とも思われる。無理に連れ出して泣き出されると尚更ね。そうなると面倒だし、交番に連絡してその場で待機するのが一番だと思ったのよ」

 

 あっけらかんと言っているが、驚くべきことだ。

 この思考を巡らせるまで、数秒とかかっていない。

 正直、目を見張るどころではないと思う。

 

 ふと、彼女を一瞥した瞬間。

 雨に濡れた一部が、白ではなく若干の薄橙色に変わって……()()()()()

 華奢な体つきを示唆するように張り付く、白い夏服の半袖シャツ。

 透けているところと透けていないところが、際どいラインで跨っていた。

 

 いや……言うべきなのだろうか。

 しかし、辺りは暗い上に、人気もない。

 街灯に照らされない限り見えないのだから、俺がわざわざ言って悪く思われる必要もあるまい。

 では、一人で楽しむとしようか。自分で思っていてなんだが、最低だな。

 

 一つ思ったことが、胸の大きさだ。

 意外とあって、着痩せするタイプであることがわかった。何の話だよ。

 貧乳がどうのこうのと話題になっていたが、脱げば案外そうでもないのかもしれない。いやだから何の話。

 

 あまりジロジロ見るとバレてしまうので、ここらで自重。

 気にしないながらも、横目でちらちらと見るに留めておくことに。見ちゃうのかよ。

 

「……っと、そうだそうだ。はい。使ってないから、使っていいぞ」

 

 カバンの中から、タオルを取り出して渡す。

 完全に乾いた状態で折りたたまれているため、まぁ使用を疑われることはないだろう。

 

 ただ、この行動に迷う俺もいた。

 このまま渡すべきか、渡さないべきか。

 嫌がられる可能性も十分過ぎるほどにあったが、風邪を引くことも考えられる。

 

「え、と……ありがたく借りるわ。明日、洗って返すわね」

 

 戸惑いながらも、差し出すタオルを受け取ってくれた。

 これで、「うわっ、キモ……」とか言われながら、水たまりにタオルを放られたらどうしようかと。

 辛辣な態度をとられなくて、本当によかったというものだ。

 

 あれだけ勢い良く降っていた雨も、少し弱まった。

 コンクリートに容赦なく弾ける水滴も、広がる波紋を狭めている。

 暗がりから不自然に降り注ぐ雨が、どこか美しくも、儚くもあった。

 

 雨が普通の強さくらいにまで弱まったくらいで、綾瀬の家に着いた。

 

「じゃあ、またな。風邪引かないように、気を付けろよ」

「え、えぇ……ま、待ちなさい」

 

 俺が踵を返して家に帰ろうとしたところを、呼び止められる。

 不思議に思いながらも、振り返って応答した。

 

「どうした?」

「あんた、そのままだと風邪引くわよ。……上がりなさい。お茶くらいは出すわ」

「い、いやそういうわけにも――っくし!」

 

 否定しようとしたが、くしゃみが出てしまう。

 雨に濡れたのは、綾瀬だけではなく俺もだ。むしろ打たれた時間は俺の方が長い。

 そうなると、冷えやすいのも俺であり、風邪を引きやすいのも俺。

 

 暖まりたいのも山々だが、女の子の部屋に入るのも気が引ける。

 後ろめたいことは何一つといってないが、抵抗がないわけではない。

 

「それで風邪引かれると、私が嫌なのよ」

 

 彼女は何というか……強情というか、頑固というか、意地っ張りというか。

 綾瀬からしてみれば、確かに自分のせいで俺が風邪を引く、という認識になるのかもしれない。

 が、家に上げてまで頑なになる必要もあるのだろうか。

 

 断りたいところだった、が。

 

「……お願いします」

 

 普通に、寒かったです。




ありがとうございました!

現在、夢見村の推敲を同時進行中なんですよん。
短いのは許していただきたい(´・ω・`)
近いうちに、捻くれとクーカノがメインで投稿される日がきますので(震え声)

今回……デレさせてはいないつもり。
むしろ子供のところはクールに書いたつもり。
意外と、ツンデレは想像しやすいのですが、クーデレは中々難しいのう……

ではでは!


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第13話 刺さる針

どうも、狼々です!

意外と早かったでしょう。そう信じたいものです(´・ω・`)
ただ、少し短めとなっております。

では、本編どうぞ!


 扉を開けて挨拶をした後、綾瀬に続いて家に上がる。

 リビングに入る限り、過度な装飾できらびやかすぎることもなく、落ち着いた様子だ。 

 あまり光が強い部屋は、好みではなかったりする。

 

「紅茶とコーヒー、どっちがいい?」

「え、あ、えぇと、紅茶で頼む」

「わかったわ。適当に座って頂戴」

 

 彼女のこの対応にも、驚かざるを得ない。素直に席に着いて、出来上がりを待つ。

 つい今日、それも数時間前まであれほど素っ気なかったのにもかかわらず、俺に家に上げているのだから。

 女心の理解というものは、俺には早すぎたのかもしれない。

 

 湯を沸かす準備をした後、彼女は手早く雨を拭いていた。

 さすがに覗いたわけではないが、透け具合が変わっていた。うぅむ残念。いや残念じゃない。いややっぱり残念。

 

「……はい」

 

 と、ぶっきらぼうな言い草で投げられたのは、白のタオル。

 何か格ゲーの技を彷彿とさせる言葉だが、本当にタオルを投げられたのだ。

 ふらふらと不安定に、俺の手元に不時着。

 

「使いなさい。お互い様よ」

「あ~、悪い。洗って返すとするよ」

 

 これでプラマイゼロ、というわけらしい。

 彼女も中々損な性格というか、譲らないというか、きっちりとしている。

 それが今は、ありがたいというものだが。

 

「――っくし!」

「あんた、本当に大丈夫? 風邪引いてない?」

「あぁ、大丈夫だと信じたい。……にしても、今日は何かと優しいじゃないか。機嫌が良いのか?」

「元々私のせいだしね。それに、あれがデフォルトよ」

 

 そうは言うものの、やはり今日は口数が多い気がする。

 いつも一言二言くらいなので、この著しいかつ突然の変化についていけない。

 

 それを口にしようとした時、ティーポットの湯が沸いた音が響く。

 まぁ、明日になればきっと元通りなのだから、言うほどでもないか。

 頭で誤魔化すように靄をかけて、こぽこぽと紅茶を淹れる綾瀬の姿を見た。

 どこか様になっていて、失礼ながら感心したのだ。

 

 運ばれたりんごの爽やかな香りがする紅茶に、座った彼女と同時に口をつける。

 普通に美味しい上に、手慣れた淹れ方。

 

「紅茶、淹れ慣れているのか?」

「……えぇ。ちょっと、ね」

 

 彼女のその言葉は、どこか沈んでいた。

 嗜虐的でも、自慢気でもなく、光を失った太陽のように、悲壮が張り付けられている。

 とはいえ、今までこんな顔をされたことも覚えがない。

 俺に原因がないことは明白であり、他人の事情を、垣根を飛び越えて詮索する必要もなく、義理もない。逆に失礼に値する。

 

 結論付けた頭で感じた二口目のアップルティーは、何故か一口目よりも酸っぱかった。

 

「そういえば、明日は水泳だったか。さぞ華麗な泳ぎを見せてくれるんでしょうねぇ、綾瀬さん?」

「は、はいはい。わかったから。あんたが明日風邪を引いたら、不戦勝になるから好都合だわ」

 

 言いながら、こうして家に上げて紅茶まで出しているのはどこの誰だろうか。

 長居するのも落ち着かない上に図々しいので、一思いに茶を仰ぐ。

 

「ごちそうさま。美味しかったよ」

「当然よ」

「はいはい、わかったから。ありがとうな」

「感謝は後で形にして返すことね」

「仰せのままに」

 

 適当に返事をして、リビングから出る。

 外の雨も気のせいか弱くなっていて、これ以上は濡れずに済みそうだ。

 見送られ、扉に鍵が閉まる音を聞きながら、浅い水たまりを蹴った。

 

 

 

 家に帰って、すぐに風呂へ。

 早いところ暖かくしないと、本気で風邪を引きそうだった。

 

 風呂から上がって夕食。

 最近コンビニやらスーパーのお惣菜やらにグレードアップした、俺の家の夕食。

 本来なら買いにいくところだったが、今日はそんな気分も起きなかった。

 

「だりぃ……」

 

 体が鉛のように重い。

 瞼が震え、声が霞み、意識が朦朧の渦中へと飲み込まれる。

 視界は明滅し、渦潮からは三十分ほど経った今でも、未だ抜け出せないでいた。

 

 とてもではないが、外に出られそうにない。

 歩くことさえやっとな体で、綾瀬から借りたタオルを洗濯し終えてから、すぐにベッドへと倒れた。

 大体、想像がついていた。今この体調である原因に。

 

 寒気で脳と肌と関節が凍りつき、回転を鈍らせる。

 体温を計る気力さえ立ち上がらないまま、意識は不意に閉ざされた。

 

 

 

 

 目が覚めたときには、既に手遅れだった。

 昨日の体の重さが、勢いを増して襲いかかる。

 結局、風邪を引いてしまったらしい。

 

 高校に欠席の旨を伝え、風邪薬を飲んですぐにベッドにとんぼ返り。

 ここで気付いたが、高校生が一人暮らしで病院に行くのは、中々不安だったりする。

 果たして初診が午前に予約ありだとしても、当日の午後に行けるのかどうか、だとか色々と。

 

 結局病院には行かず、寝込んで夕方を迎えることに。

 何かを食べる余裕すらなく、起きることもたった数回。

 寝すぎで眠気にすら誘われないまま、目を瞑って横になっていた。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 今日、教室内で私の隣の席は、沈黙を破ることがなかった。

 椅子を引く音も、紙に文字を記す音も、本のページを繰る音も。

 何もかも、些細な音という音全てが。

 

「今日は東雲君、風邪でお休みなんだってね」

「……えぇ。何かと静かだし、自由で助かったわ」

 

 授業も、休み時間も、昼食も、この図書室のカウンターで過ごす放課後も。

 いつも耳に届く声が聞こえない今日この日は、気持ちが楽だったような気がした。

 

 きっと、あいつの風邪は、昨日の雨に過剰に打たれたせいだ。

 家に上げて温めたので、私ができることはやった。

 

 そうは考えるものの、やはり罪悪感は残って止まない。

 いくら冷たい人間だと思われていても、私は罪悪感すら覚えない人間ではない。

 隣に置いた自分のカバンから覗くタオルを見ると、変に気にしてしまった。

 

「もう、またそういうこと言う。御見舞行こうよ、三人で。家の場所はさっき里美先生から聞いたじゃん」

「そうそう。俺も高波も時間かかって構わないから、後は綾瀬だけだよ?」

「私は……」

 

 正直、行った方がいいとは思う。

 風邪の要因は雨だが、間接的な原因は私にある。

 では逆に行かない方がいい理由があるかと言われると、そうでもない。

 胸の中で刺さる針を抜くためにも、行く方が賢明だろうか。

 

「わかった、行くわ」

「よっし、善は急げ! 早く行くよ~」

 

 エアコンを切って、戸締まりを済ませる。

 まだ夕焼けが見え始めたばかり。

 図書室を無人に留めるには、早すぎる時間だ。

 

 OPENからCLOSEへとプレートを裏返しにして、廊下を進もうとしたその時。

 

「今日は早く上がってくれて問題ないさ。できるだけ早く行ってあげた方が、一人暮らしの東雲は喜ぶだろうさ」

「心の声を聞いたような言葉ですね」

 

 突然にかけられた声と、本当に心を覗いたような発言に驚いた。

 まるで何かを待っていたように、壁を背にして寄りかかっている里美先生。

 

「大体のやること成すことは事前に限られるものだよ、生徒諸君。鍵は預かるから、行っていいよ」

「ありがとうございます。では、お願いしますね」

「はいよ、お願いされますねっと」

 

 どこか上機嫌な先生に鍵を渡して、昇降口へ。

 笑顔で見送る彼女の顔は、懐かしむような、感心しているような、そんな顔だった。

 

 淡々と階段を降りて、昇降口から外へ。

 昨日の雨が嘘だったような快晴が、茜色で広がっていた。

 殺到する夏の暑さは、夕焼けを連想させそうだとは言えない。

 まだまだ、夕方とはいえ夏のようだ。

 

 黒く焦げたコンクリートを歩みながら、彼の家へと向かう。

 取り敢えず私の家まで戻った後、記憶を頼りに再び歩を進めた。

 

 

 

 着いた感想としては、それほど遠くはなかった。

 小さな一軒家で、学生の一人暮らしとしては十分くらいだろうか。

 同じ立場の私に言えることでもないが。

 

「インターホン、押したら?」

「はいは~い。綾瀬が自分で押したらいいのにね。別にいいけどさ。……やっほ~、大事な大事な蒼夜君の御見舞に来たよ~」

『あぁ~、わざわざ悪いな。病人の家でよければ上がってくれ』

「おっけ、了解」

 

 カメラの画面が切れたのを確認して、三人でドアの前で待機する。

 思いの外長く待ってから、内側から解錠された音が聞こえた。




ありがとうございました!

次から蒼夜君の家の中に三人が。
彼氏彼女ではないが、将来なりそうな男女二人。
片方が病気で、もう片方は家の中。これはもう、あのイベントしか……ねぇ?

ありきたりだけども、楽しんでいただければ。

ではでは!


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第14話 滑稽な頼み

どうも、狼々です!
少しずつ、ペースがよくなってきたと思っています。

今回は、看病回!
そしてようやく(?)現れる少しのデレ!
そろそろ、出してもいいんじゃないかなぁと(/ω・\)チラッ

では、本編どうぞ!


 朦朧(もうろう)とする意識を掻き分け、重い扉を開く。

 

「やっほ~」

「本当に大丈夫なの? 顔、赤いよ?」

「……三人、だったのかよ」

 

 インターホンの画面を見る限りは、遥斗だけだったのだが。

 とうとう自分の視覚さえも、おかしくなったのだろうか。

 

「あぁ、代表で出ただけだよ。お邪魔するね~」

 

 遥斗が有無を言わさず、部屋の中へと入る。二人も、それに続いた。

 別に追い返すつもりでもないので、拒否はしない。

 

 綾瀬がすれ違う瞬間、こちらを見た気がするが、錯覚だろうか。

 酷い頭痛と視界のブレで、記憶すらもあやふやになってきた。

 

 立っていることにすら疲弊を感じ始め、直ぐ様自室へと戻り、ベッドへとなだれ込む。

 

「あんた、そんなんで本当に意識あるの?」

「あぁ、綾瀬か。いや、あるにはあるが、それがまた何というか」

「返答も危ういわね」

 

 正直、自分でも内容を考えていない。否、考えられない。

 素直に言葉の受け答えができるほど、思考が安定しているわけではなかった。

 

 声だって、弱々しく震え続けている。

 傍から見ても、一発で病気を患っているとわかるくらいだと自負できるかもしれない。

 

「……氷、持ってくるわ。冷蔵庫開けるわね」

「あ~、わかった。すまない」

 

 綾瀬が部屋から去る姿を、横になったまま見守る。

 冷蔵庫を開ける音、氷を掬う音がした暫く後に、彼女は戻ってきた。

 

 その顔は相変わらず呆れ顔で、少し困っているようにも見える。

 額に当てられたビニル越しの氷が、どうにも気持ちがいい。

 ベッドの側に座っている綾瀬が、静かに口を開いた。

 

「あ~、うぁ~……」

「少し食器類も見たわ。あんた、朝と昼は食べたの?」

「あ、あぁ? 食べていない。食べる気力すらない」

 

 食事という行為に、疲労を予感する。

 口を動かし、嚥下する。咀嚼を何度も繰り返せるほど体力が残っていそうにもなかった。

 

 そもそも、何もしていないのにもかかわらず、体力がどんどんと減っていくのがわかる。

 熱だって収まらない上に、全身の関節という関節が痛みを帯びているのだ。

 歩く度に膝が軋み、腕を伸ばす度に釘を打たれる。

 それが連なると、とてもではないが、耐え難い苦痛となって体へとのしかかった。

 

「やっぱりね。……二人共、私は買い物に行ってくるわ」

「七海ちゃん、夕食の買い出しに行くの?」

「そうよ。どこかの誰かさんが、今日一日何も食べていないらしいからね。自分の分のついでに、多めに買うわ。二人はどうする?」

「俺はまあ、荷物持ちにでもなりますかね」

「じゃあ、私も手伝いに行くよ」

「……とのことよ。行ってくるわ。お粥と冷たい麺類、どっちが食べやすいかしら?」

「い、いや、俺はいいんだって――」

「馬鹿ね。風邪のときほど、食事は取りなさい。それで、どっちがいいの?」

 

 そう言われても、どう答えていいのか咄嗟には判断できない。

 けども、直感で応答するのならば。

 

「――冷たいなら、この際何でもいい」

「わかった。一応、麺類にしておくわね。行ってくるわ」

 

 俺がそれから何を言う前に、三人が家を出てしまう。

 どこから取ったのかは不明だが、しっかりと鍵を閉める音まで聞こえた。

 勿論、今から止めに行く元気もなく、制止する張りのある声も出せない。

 

 俺にできたことは、ただ白い天井を無気力に見つめるだけだった。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 制服のままで、学校の方向を戻ってスーパーへ。

 財布は学校のカバンにいつも入れてあるので、わざわざ取りに戻る必要もなかった。

 

「ねぇ、どういう風の吹き回しなの? 急に買い物に行く~、だなんて」

「さあ? 私が一番聞きたいわ。でも、ついでなら別にいいかな、って」

「俺からも聞きたいんだけど、俺達は家に行って何もしていないんだよね。何で自分から氷を取りに行ったの?」

「そりゃあ、何しに家に向かったかわからないでしょ」

 

 何をするために家まで向かったかと言われれば、当然看病だ。

 遊びにやってきたわけではないのだから、当たり前と言えば当たり前。

 ただ、それだけのことだ。

 

 目的地に着いてから、カートの車輪を転がして、売り場を回る。

 野菜やら肉やらを手に取って、かごへと移していった。

 

「で、そんな綾瀬は何を作るつもりなんなのでしょうねぇ?」

「妥当なのは、うどんでしょうね。卵もネギも大根も入れられるわ。そうすれば、あいつも食べやすいでしょうからね」

「ほうほう、『ついで』と言いながらも、しっかりと東雲君のことを考えている辺りは?」

「……病人を優先するのは、当然よ」

 

 寝込んでいる相手に、勝手に作った食べにくいものを口に入れる、というのも気が引ける。

 第一、私は人の歪む顔が見たいような鬼のような人間ではない。

 膨張する気持ちを抑えつけながら、適当に返事をして、カートを引き続いて押す。

 

 硝子越しに外を見るが、少しだけ暗くなってしまっている。

 夏とはいえ、日の長さにも限界があるだろうか。

 

「二人は夕食、どうする? 一緒に食べるなら、多めに買うけど」

「ん、じゃあ一緒に――」

 

 駿河がそこまで口を開いてから、麗美奈が肘で彼の脇腹を軽く突いた。

 そのすぐ後に、麗美奈は耳打ちをして、こちらをチラチラと。

 どうせ、ろくでもないことを考えているのだろう。

 

 大抵、人の目の前で耳打ちするときは、よくないことが起こる前兆だ。

 言い訳だったり、見え透いた代替案だったり。

 それは今回も、例外ではなかった。

 

「――あ~、わりぃ。明日は今週末の用意、しないといけないからな」

「……えっと、今週末って?」

 

 正直、自分でも思い出せない。

 昨日がコンピューター室を使えた水曜日。

 そしてその翌日である今日が、木曜日。明日の金曜日は祝日で休み。

 金曜、土曜、日曜と三連休なのだが、何か共通の予定があっただろうか。

 

「料理会だったろ? 確か、今週のはずだよな?」

「うん。私、覚えているよ。約束したからね」

「で、でも肝心のあいつがあんな調子じゃあ――」

「さすがに土日には治っているでしょ。治り次第ってことで、当日に俺から連絡を入れておくよ。高波の連絡先は知っているから、経由してもらうさ」

 

 何も、そんなに面倒なことをしなくてもいいだろうに。

 東雲の状態を駿河が聞いて、それが麗美奈に伝わって、最後に私へ。

 無駄もいいところだ。

 

 しかしながら、今あいつに「連絡先、教えなさい」なんて言える状況でもない。

 見た限り酷い風邪だが、そんな状態で寝込む相手に連絡先を聞く。

 空気が読めないにも程があるだろう。

 そう考えると、この方法が唯一であり、また最善なのだろう。

 

「取り敢えず、用意だけはしておくわ」

「よっし、俺達は荷物だけ持って、すぐ帰るから。後は頼んだよ」

「私からもお願いするよ。それと、途中で帰ることになってごめんね」

「いいわよ。それに……いいえ、何でもない」

 

 あの風邪を呼んだのは自分のせいでもある、なんて言ったところで何もならない。 

 伝えても変わることはない上に、相合傘を飛び出した、等と口走ったときには、誤解を招きかねない。

 

 要らないことは、不必要のままでいいのだ。

 自ら口数を増やす理由など、あるはずもない。

 

 ……少しだけ、飲み物も買った方が楽だろうか。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

「今戻ったわ。気分はどう?」

「あぁ、さいっこうだよ……」

 

 黒色に塗りつぶされた窓硝子の向こう側。

 静けさに包まれた今でも、俺の病状は変わらない。

 少しだけ楽になった気もするが、それも気のせいだとも思える。

 

 本当に、最高の気分だ。

 寒気は止まらないわ、頭痛も収まらないわ、食欲は湧かないわ。

 今日一日、散々苦しめられたというのに、まだ締め付けられるというのか。

 

「ついに思考回路もおかしくなったのね。病院より先に精神科に診てもらうのが先かもしれないわよ」

「そりゃご丁寧にどうも」

 

 皮肉ることはできても、それにまともに対応はできそうにもない。

 冗談めいた言葉を頭で探そうとしようにも、上手く記憶の本が開かない。

 本が開かないのならば、それは本としての役割を失った、ただの紙の集まり。

 正に今、俺の頭脳の状態そのままだった。

 

 聞くと遥斗と高波は、もう家へと帰ったらしい。

 それもそうだ。夏ではあるが、外はこの暗さなのだ。

 綾瀬に一人で残って、夕食まで作ってもらうとなると、

 

「あと十分くらいしたら、うどんが出来上がるからね」

「ありがとう」

 

 取り敢えずは、ちゃんとした返事ができるくらいには、喉から声が出るようになった。

 生憎ながら食欲は減衰したままだが、少しだが病状が軽くなっていることは確かだ。

 

 相変わらず横になったままで、十分強が経過した。

 した、というよりも、する他なかったと言うべきか。

 体からは安静を強いられ、精神からは桎梏でのある意味雁字搦め。

 無愛想なその様子は、さながら風邪そのものだ。

 

 ……何を言っているんだよ。

 頭が回らないというのに、無駄なことには恐ろしいほどに思考が巡る。

 全くもって気力の使用が非効率的であり、馬鹿らしい。

 

 綾瀬から作ってもらったうどんをすすりながら、そんなことを考えていた。

 

「どう? 食べられそうかしら」

「あぁ、十分。あの綾瀬様が作られた料理の味がわからないのが唯一残念だ」

 

 こうして、ほんの少し無駄な口もきけるようになったのだから、よかったのだろうか。

 もしかすると、ただ食事がなかったことが中々大きな原因なのかもしれない。

 栄養分の摂取源が絶たれるのだから、よくよく考えなくとも、マイナスであることはわかる。

 彼女の言う通り、風邪こそ栄養供給が大切らしい。

 

 ともあれ、一旦口に運ぶと、思いの外食欲が湧いてくる。

 冷たくて食べやすいので、気持ちがいい。

 

「えぇ、本当に残念。それで思い出したわ。明日明後日で、あんたの体調がよくなったら料理教室するってさ」

 

 「するってさ」、ということは自分自身の言葉ではないのか。

 あの二人のどちらかか、はたまた両方か。

 いずれにせよ、病人の状態を考慮した結果とはとても思えない。

 

 ということは、言い出しは遥斗か。

 目星が付けやすくて付けやすくて、たまらない。

 

「あいよ。……ご馳走様」

「あ~、立たない立たない。洗い物はしておくから――」

「はいはい、わかったわかった」

 

 表面上だけでの返しで、さっさと器を洗ってしまった。

 後から小走りで追いかけてきたが、時既にお寿司もとい遅し。

 

 それと同時に、綾瀬に借りていたタオルを返した。

 さらに時を同じくして、綾瀬に貸していたタオルが俺の元へリターン。

 さすがに活動しすぎたのか、貧血と張り合えるレベルで目眩が襲ってくる。

 

「あ~ほらほら、ちゃんと横になりなさい」

「そうさせてもらうよ――なぁ、今日はよく俺と話すよな」

 

 どう考えても、言葉数は増えている。

 記憶をどれだけ漁り、掘り返そうともそうとしか思えない。

 比較する必要すらないほど、その差は歴然。

 

「あら、無視されたいなら最初からはっきり言えばいいじゃない」

「いやそんな笑顔で言われても」

 

 とびきりの笑顔だが、だからこそ怖い。

 普段絶対に見ないような笑いとは、時に恐怖を孕むらしかった。

 

「じゃあ、私は帰るわ。これ以上いる理由がないもの」

「あ……ま、待ってくれ」

 

 荷物を手に取って立ち去ろうとした綾瀬を、条件反射で引き止めてしまった。

 条件反射、というよりも根拠のない無意識がそうさせたのだ。

 どうして呼び止めたかも、そのための理由や言い訳も用意していない。

 

 声をかけた自分が、一番慌てていた。

 

「え、えっと……五分でいい。もう少し、いてくれないか」

 

 ――はい?

 いやいやいや、ありえないでしょ。

 何が、「五分でいい」「もう少し、いてくれないか」だよ。

 

 何を切り出して、何を彼方へと置いてきてしまったのか。

 削ぎ落とされる意識、輻輳(ふくそう)する単語の列、闖入する不必要な思考の連鎖。

 

「――ふふっ、あははは!」

 

 ……と、陽気な笑い声。

 

「は、はぁ?」

「はぁって、こっちの台詞よ、あはは! その顔、とても滑稽だわ!」

「いやうるせぇよ」

 

 弾けるような笑顔でそう言われても、不快感しか感じない。

 馬鹿にしているようにしか見えないのだから、仕方がないだろう。俺は悪くない。

 

 あの言葉だけ見据えれば、ドSとしか思えない。

 確かに突然何を言い出すのかと言われれば耳が痛いが、それにしても滑稽はないだろうに

 

「そんな顔しなくとも、五分くらいいいわよ、全く……ふふっ」

「おい。思い出して笑ってんだろうが」

「あら、何が悪いのかしら」

 

 そう冷たく言い放つ彼女は、隣の椅子へと腰掛け、カバンから本を取り出して広げる。

 この氷のような態度、棘がありそうで実際それほどない言葉の調子。

 間違いなく、いつも通りの綾瀬の姿だ。

 

 ――いや。

 少しだけだが、本を読んでいる顔が、微笑んでいるだろうか。




ありがとうございました!

今回の七海ちゃん、いかがでしたでしょうか。
まだデレを出さない方がいいのか、それとも出すべきなのか……
迷った末、出すことになりまして(´・ω・`)

次回のデレは、いつになるかのう。

ではでは!


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第15話 疑念に隠される半透明な疑念

どうも、狼々です!

お久しぶりです、皆さん。
ついに10月は投稿すらせず、この作品は一ヶ月以上投稿されませんでした。

というのも、こちらでは、模試に期末、そして極めつけに風邪までもが襲いかかってきていまして(´・ω・`)
テスト勉強に続くテスト勉強で、学校には20時30分まで残って勉強という日常がここ最近の状態です。

模試は終わりましたが、期末の方がまだ終わっていません。
なので、これからもその日常が続くことになるのですが、それだとさすがにまずい、と。
というわけで、かなり短いですが、キリの良いところまで書きました。
長い期間投稿をストップさせてしまい、申し訳ありませんでした。

長くなってしまいましたが、本編どうぞ!


 ――意識が、覚醒した。

 

 覚醒した、という言い方には、全くもって語弊など存在しない。

 まず、「覚醒」という言葉の持つ意味とは。

 一度闇へ沈んでしまった意識が、再び呼び覚まされることだ。

 萎んでもいない自我が継続して冴えている状態を、「覚醒」とは呼ばない。

 

 つまるところ、徐々に明白になり始める意識はつい先程まで、眠っていて。

 

 はっとなってすぐ起き上がり、窓と外を見る。

 相変わらず外は暗いままで、現在の時刻は午後八時過ぎ。

 あれから五分どころか、三十分を(ゆう)に超えている。

 

「しまったなぁ……あぁ?」

 

 と、夜の(とばり)が降りきった部屋に、細く小さな呼吸音が聞こえた。

 それは考えるまでもなく、自分のものではなくて。

 それは目で直接見て確認するまでもなく、疲弊の休息であって。

 

「……あら、起きたのね」

「悪い、起こしたか」

「いいのよ、別に」

 

 椅子に座ったまま安らかに船を漕いでいた綾瀬が、同じく静かに瞼を開く。

 読んでいた本は閉じて机の上に置かれていて、表情はかなりお疲れのご様子。

 いつものように毅然とした風貌だが、音のない溜息が、彼女の疲労具合を物語っている。

 

 気が付けば、俺の額から滑り落ちたタオルも、新しく冷たい水気を持っていた。

 乾いた皮膚に優しく触れる確かな潤いは、間違いなくそれだろう。

 誰がこんなことをしてくれたのかは、最早言うまでもない。

 

「起きたようなら、私はもう帰るわ。明日明後日のことに関しては、無理するようなことでもないから、体調が優れないようなら素直に言うことね」

「あぁ、本当に悪いな。今日は色々と、ありがとう」

 

 辿ってみると、今日はお世話になりっぱなしだ。

 御見舞に加え夕食まで作ってもらい、それにこの時間まで看病をしてもらっている。

 今更ではあるが、それはもう、随分と手厚いものだろう。

 

「だから、いいって言っているのよ。帰る前に一応ほら、体温計」

 

 どこから見つけたのか、俺へ体温計を差し出す綾瀬。

 素直に受け取って、脇へと挟む。

 金属特有の冷ややかな感覚は、僅かな寒波を送り出し、脳へと針になり伝わった。

 

 さて、この脇に挟む型の体温計、明確な測り方があるとか。

 脇の中心を、下から押し上げるようにするべきらしい。

 そこまで過剰に意識することでもないが、上から押したり、中心から逸れると正しい検温値は測れないんだと。

 

「ん、三十七度五分だな」

「大分下がったようね。今日は無理せず、もう寝なさい」

「そうさせていただきますよっと」

「じゃあ、私は帰ることにするわ。お疲れ様」

「あぁ、帰りは気を付けてくれよ」

「あら、もう止めないのかしら? 五分だけなら、待ってあげないこともないわよ」

 

 ちょっと何なんですか、その意地の悪くも可愛い、反応に困る笑みは。

 見下すでもなく、はたまた弄ぶでもなく、中途半端にいじらしい。

 小馬鹿にしているようで、自分の胸中に渦巻く小さな嗜虐心に忠実であるだけなのだ。

 

「傷口に塩を塗るってんなら、また明日にしてくれ」

「へぇ。治す宣言もきっちりと頂いたことだし、本当に帰るわね」

 

 既に数十分前にまとめられた荷物を手にして、部屋を去っていく。

 静かに遠ざかる背中へ、もう一言だけお礼を飛ばした後、部屋の扉が閉じられた。

 

 彼方から鍵の閉まる音を聞き届けながら、起こした体をベッドへ叩く。

 スプリングの小さく軋む音を最後に、静寂が戻った俺の部屋。

 思考もゆっくりと安定性を取り戻しながら、明白になりつつある事実。

 事実というよりも、疑念。疑惑。

 

「あれ……体温計、今日測ったか?」

 

 いや、そう言葉にすると、相違があるだろうか。

 この条件で限定するのならば、朝も昼も当てはまる。

 訂正しよう。「綾瀬達が来てから測り、加えて検温値を教えたか?」

 

 否。実に、否だ。

 結果を教えることは勿論、体温計を手に取った覚えさえない。

 自分でもそれはどうかと思うが、揺るがぬ事実なのだ。

 つまり、つまりは。

 

「綾瀬が俺の体温を測った、だと……!?」

 

 い、いや、あまりにも飛躍しすぎている。ついに頭も限界か?

 第一、人の体温を測る側になるのだろうか。

 それこそ、綾瀬が可能な測り方にも限界があり、結果の値は、低い検温値が弾き出されるはずだ。

 

 にもかかわらず、「大分下がった」という文。

 単なるイメージとの比較なのか、本当に体温を測ったのか。

 可能性として高いのは、圧倒的に前者だ。

 

 というのも、いくら長く眠ったとはいえ、本格的な睡眠とは訳が違う。

 分類するならば、まだ『居眠り』の方が適切だろう、というレベル。

 そんな短時間で大きく体温が変化するとも思い難い。

 

 もっと前、すなわち俺が起きているときに測った可能性は、言わずもがな。

 俺の病状が思いの外深刻すぎて、最早記憶がぶっ飛ぶくらいであれば話は別だが。

 

「いやしかし、もしも、だ。綾瀬が測ったとしたら……」

 

 一体、俺は独り言をどれだけ重ね、全くもって意味のない思考を繰り返すのだろうか。

 本来この題は、どうでもいい、の一言で蹴り飛ばされる。

 

 でも、考えてみたまえよ、全国の男子諸君。

 少し冷たい物言いと態度とそれに似合わない小柄な体格に難ありとはいえ、学校屈指の美少女。

 難がありすぎて、目を瞑るどころか目の前が真っ暗になってポケセンに強制送還されそうだけれども。

 御見舞に来てくれるだけで心は高鳴り、風邪なんてなかったんじゃないのか、と錯覚するほど元気になる、単純な男子諸君よ。

 

 そんな彼女が、寝ている俺に体温計で体温を測った?

 もしかすると、額同士を当ててもいたかもしれない。

 夢のようなシチュエーションは、妄想という熟語を孕んで頭脳を縦横無尽に駆け回る。

 

 人間とはどうにも、自分にとって都合の良い解釈をしたがる傾向にある。

 それもそうだ。都合の良い分には、どれだけ無い事でも妄想し放題なのだから。

 わざわざ都合の悪いことを妄想するなど、根っからの根暗しかいないに決まっている。

 さらに述べるならば、都合の悪い妄想は、きっとそれは『妄想』から脱輪してしまっているに違いない。

 

「起きときゃ、よかったなぁ」

 

 限りなく、損。

 青天井に、後悔。

 悔やむ理由が本当にくだらないが、男は所詮そんなものだ。

 巻き上がる欲望に忠実なだけ、まだマシだというもの。

 

 端正な顔は目の前に近付き、体も近付き。

 至近距離である空想の瞬間を、少しは体験させていただきたかった。

 ほんの一瞬さえも許してはもらえないこの現状。世界は厳しかったのです。

 

「あ~あ……風呂入って寝よっと」

 

 叶わぬ願いに相変わらず後悔を馳せながら、着替えを用意する。

 肌触りの良いバスタオルを手に取り、風呂場へ。

 

 歩いていてわかったが、症状が大分軽くなっていた。

 目眩もなし、気だるさも緩和され、吐き気も欠片すら。

 安定した足取りが続くことに、安堵感と同時に再び心内で感謝を述べた。

 

 しかしながら、風邪のときに入浴とは、本当はいいのだろうか。

 いいとも悪いとも聞くが、湯冷めしなければ大丈夫なはずだ。

 しかしながら、夏に湯を張るのも気が引ける。

 さっとシャワーだけ浴びて、暖まったら早い内に上がるのがベストだろう。

 

 そう考えたはいいものの。

 ――本当に違和感を感じるべき箇所を、スルーしていたのだ。

 

 本来起こるはずのない事象が、陰ながらで起きていることに、気が付かない。

 他のことばかりに目を向けて、もっと大きく重要なことからは視線が外れている。

 見当違いな場所をじっくりと見つめている時間だけ、真実は遠ざかった。

 少し考えればわかることでも、今の俺にはわからない。

 疑念に隠されたのは、さらに半透明な疑念とでも言うつもりなのか。

 

 相変わらず隠れた答えどころか、謎の存在にすら認知できていない俺は、のんきに風呂場のタイルへ足裏を付けた。




ありがとうございました!

かなり駆け足で書いたので、誤字脱字が怖い。
確認はしたけども……風邪だからなぁ(´・ω・`)
頭が回らず、学校では少しフラつきますぜ。

こんなとき、七海ちゃんがいてくれたらなぁ、と妄想に浸っている狼々でした。
次回からは、料理教室の回となる予定です。

さて、半透明な疑念。
本来起こるはずのないことが起きています。一体何でしょうね?(*´ω`*)

ではでは!


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第16話 されど、扉の向こう側の真実は

どうも、狼々です!

一ヶ月が経ちましたね、もう十二月です(*´ω`*)
寒いなか、冷たい指先でキーボードを叩く狼々(´・ω・`)
皆さん、風邪にはお気をつけて。

さて、ここで一報。
テストがある程度終わりましたので、ペースが少しの間よくなりそうです。
早く来い来い冬休み(´;ω;`)

では、本編どうぞ!



 翌朝。

 前日の看病の御蔭か、鉛の体は随分と重量を減らしたものだ。

 感覚的にも、快調とは言い難いが調子を取り戻しつつある。

 

 こうして朝の陽光を多少マシに見られるのも、案外幸せなことだ。

 

「もう少し、健康に気を遣わないとな」

 

 そのためには、まずは食生活からだろうか。

 体調を左右する毎日の要因としては、食事は見ぬふりはできない。

 今の食生活を続けていると、生活習慣病になりかねない。

 

 と、そこで。

 俺のために企画された、ここでの料理教室。

 最低限の調理器具や調味料は揃えてあるが、逆に言えば最低限()()ない。

 

 加えて、まだ未使用どころか栓を開けたことすらないものも。

 さすがにそれでは勿体無いので、いい機会なので使っておこうという作戦。

 

 現在、午前の六時三十分と少し。

 何時に来るのか全く見当もつかないが、連絡がいずれ訪れるだろう。

 遥斗とは連絡先を交換しているので、情報が入らない断絶状態では一応だがない。

 

 と、心内で噂をしていたところに電話がかかってきた。

 画面を見て、相手を確認。勿論と言うべきか遥斗。

 

「はい、もしもし」

「あ、おはよ。今日は大丈夫そうかい?」

「あぁ、おかげさまでな」

「了解、三人で昼になったらそっちに向かうことにするよ。食材は適当に買っておくから、器具の用意だけしといてね」

「わかった、じゃあな」

 

 伝えることのみを伝えて、早めに通話を切り上げた。

 というのも、ある程度の部屋の準備をしなければならないのだ。

 

 昨日体調が悪すぎて、出しっぱなしにしていたもの。

 開けた後、放置していたダンボール箱の束。

 元々部屋に広がっていたもの等々。

 

 考えてみると、物が多い上にダンボールは時間もかかる。

 今からでも取りかかるべきだろう。

 新生活の足跡がまだ残る家の中を、前日に比べてずっと軽い足取りで巡った。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 ……起床。

 枕元を見るが、目覚まし時計が仕事をしていない。

 否、仕事をしたが私がその働きを拒絶したか。

 

 それを私に見せつけるように、短針は既に九時を回っている。

 スマホを確認すると、麗美奈からのメッセージが一時間ほど画面で待機していたらしく。

 

 内容としては、彼の容態が良好だから、準備のために十時半に私の家へ向かう、とのこと。

 彼とは最早、言うまでもあるまい。

 私を引き止めておきながら、自身は寝て一時間が経過。

 帰宅時間は完全に遅れ、就寝時間も必然的に遅れた、その原因である彼だ。

 

「……急いで準備しなきゃ」

 

 どうして休日まで顔を合わせないといけないのだろうか。

 第一、料理教室は私が提案したわけではない。

 が、あの時。

 

 麗美奈の意味ありげな質問に対し、乗ってしまった。

 彼女の思惑があるのか、それとも私が勝手に勘違いして意志とは逆に口が動いたか。

 と、過去の行いに後悔しながらベッドからやや慌てて起きたのだった。

 

 

 

「さてと、こんなものでいいでしょ」

 

 特に持ち物に関する準備の必要がなかったことが幸いし、想定よりも時間はかからなかった。

 服装の面でも――

 

「――ま、別にあいつになら何でもいいかな」

 

 適当に選んで、迷いもなく着たデニム生地のショートパンツと白シャツ。

 言ってしまえば、目を瞑って手に取ったも同然。

 

 駿河の方は論外として、何故、東雲に会うことに気を遣って服を選ばなければならないのだろうか。

 時間の無駄だ。それくらいなら、新聞作りの仕上げにかかりたい。

 

 大分新聞は完成に近付き、あと一日コンピューター室でボードを叩けば完成するほど。

 まぁ、夏休み目前なのでこれくらいは当然か。

 

 ともあれ、服を選ぶ理由がない。

 着替え直す時間も、手間も惜しいというものだ。

 対価となるものも理由もない以上、意味も必要性も感じない。

 

 

 …………。

 時計を、横目で確認した。

 相変わらず、指定された時刻を過ぎることはない。

 あと十分や二十分なら、まだ大丈夫か。

 

「……選びなおそ」

 

 意味もなく呟いて、着ていたシャツのボタンを外した。

 

 

 

 二度目のインターホンが鳴ってから、やや急ぎながらに玄関を開け放った。

 夏にしては涼しい気温で、今日一日は過ごしやすそうだ。

 手にかけた荷物の中身は確認したので、忘れ物はないはず。

 

「こんにちは。遅れてごめんなさい」

「やっほ~、俺は気にしてないから大丈夫」

「少しだし別にいいんだけどさ、七海ちゃんが遅れるなんて珍しいね。どうしたの?」

 

 自分で言うのもおかしな話だが、私は約束された時刻は殆ど破ったことがない。

 事前の準備は前日に済ませ、余裕を持って早めに家を出る。

 そこまでを習慣化させている以上、破る方が難しいというものだ。

 

 そして、遅れた理由なのだが。

 

「……服装選ぶのに手間取ったのよ」

「へえ、そりゃもっと珍しい。意外と迷うものなんだね、なんだかんだ言って」

「……料理面を考えると適さなかったってだけ」

 

 言いつつも、私が最終的に着た服は白のワンピース。

 あれだけ時間をかけた挙句、こんな単純な答えを渋々と出すことしかできなかった。

 全く、自分がどうにも情けない。

 

 ……もうそろそろ、受け入れる準備くらいはするべきなのだろうか。

 

「料理に適さないって、そのワンピース白だぞ? 似合う分にはいいが、とうとう目が――」

「うっさい。ちゃんとエプロンは持ってきてるわ」

「じゃあ何の服でも――ま、いっか。さっさと買い物終わらせよう!」

 

 意気込む麗美奈の後ろを、駿河と並列。

 こんな時にでも、どうやらいつも元気な子は今日も元気らしい。

 休日は「休む日」と書くのだから、早く家に帰りたいものだ。

 

 家を出て一分もせず、思考を巡らせて溜息。

 気が乗らない中、昨日もお世話になったスーパーへととんぼ返りを進行したのだった。

 

 

 

「こんなものでしょうね」

「こんなものだろうね」

「こんなものだろうな」

 

 三人で打ち合わせたかのように口を揃え、会計のためにレジへ。

 作る料理を決め、念頭に置いてから必要な分だけを買った。あいつの希望は知らない。

 取り敢えずで買った材料を料理して、文句を言ったらすぐに包丁を渡してやろう。

 

「あぁ、全部持てるから預けていいよ」

「でも結構な量あるよ? 全部とは言わないから、いくらか分担しよう」

「大丈夫だって、これくらい」

「そう。じゃあ遠慮なく頼むわね」

「お前は少しは遠慮しろ」

 

 頼もしいものだ。荷物持ちとして最適。

 ただ一つ、口をガムテープで塞いでしまえば、もう完璧だろう。

 

 顔はいいのに、勿体無い。

 入学早々の彼は私に勝るとも劣らず、女子の間で名を馳せたらしい。

 告白やラブレターを渡しに行く恋い焦がれる少女を、私自身何人も見かけた。

 

 そして誰かを模倣するように、全て玉砕。

 玉砕と言うほど思い切りではなかったが柔らかく、それとはなしに断っていた。 

 先の通り、全て。一つ残らず。

 

 運動の方も悪くはなく、勉学の方も悪くはなく。

 良い意味でも悪い意味でも、顔以外は中間なわけで。

 良く言えばそつなくこなすイケメン、悪く言えば。平凡の少し上を行くイケメン。

 本当に勿体無い限りだ。

 

 結局、彼一人に任せるはずもなく、少し多めに持ってもらった。

 冗談を八割で言ったので、元々持つ気ではあったのだ。

 しかし、逆に言えば二割本気ではあったとさ。

 

 家の前まで着いて、彼の方を向いた。

 少しして目が合うと、駿河は私の思考を覗いたように言う。

 

「荷物が多いのでインターホンが押せませんよっと」

「でしょうね。それに関して、今回は頼むつもりもないわ。麗美奈、少しだけ荷物を預けるわよ」

「え? うん、いいけど……」

 

 随分と軽いビニール袋とその中を預け、自分の手荷物を開く。

 確かに、これは忘れずに持ってきているはずだ。

 失くしたりしたら、それこそ責任が取りきれない。

 

 記憶通り、光る金属製の「それ」は手荷物の中にあった。

「それ」を躊躇なく、何の不思議も違和感もなく――()()()()()()

 

「「えっ!?」」

 

 ついでに、二人の驚いた声も私の背中から聞こえた。

 まぁ、考えてみれば当然の反応か。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 そろそろ彼ら三人が到着してもいい時間だ。

 一応外出用の服装に着替えたが、問題ないだろう。

 現在、リビングのソファにて休憩中。休憩するようなことはしていないけども。

 

 料理教室と聞くと、学校のクラブやママさん達の方を彷彿とさせる気がしてならない。

 遊びを交えたような、コミュニケーション作りのような。

 

 だが、意外と俺にとっての今日は笑えない。

 ある程度の技術を習得しなければ、今後の生活に関わってくる。

 前に綾瀬に言われたように、栄養失調になっては笑い話では済まされない。

 

 自炊から遠ざかっても、後々必要になってくるので、結局は先延ばしにしているだけ。

 ならば、早い内に覚えてしまった方がずっと楽で得だ。

 

 はて、肝心の料理は一体何を作るのだろうかと思った時。

 

 ――()()()()()が扉越しにリビングまで伝わった。

 

「おかえり――じゃねぇよ!?」

 

 如何せん、癖というものは恐ろしい。

 実家での迎えの挨拶が定着化しているせいで、いないはずの人間を迎えるところだった。

 

「おかえり」なんて言う相手は当然いない。

 もしかしたら、泥棒や空き巣だったりするのだろうか。

 にしても堂々すぎるだろ。我が物顔で胸張って歩いてきたらどうしようか。それはそれで困る。

 

 突飛な想像をしていた割には、玄関の向こう側の真実は思いの外あっさりとしたもので。

 

「こういう時、私は『ただいま』って言えばいいの? それとも指摘するべき?」

 

 ――ある意味で、一番突飛な解答だった。




ありがとうございました!

入学当時の話は、勿論どちらも一年生です。
わかるとは思いますが、今は二年生です。
いつか一年生のときのことを簡単に書こうと思っていましたが、二年の転校生である主人公君には不可能なわけで。

蒼夜君視点が少ない今回、書いた次第ですねはい。

さて、前回の違和感というもの。
これも見てわかる通り、鍵の持ち出しですね。

蒼夜君が鍵を内側から閉めない限り、鍵が閉まる音はしないですよ、普通。
ではどうして施錠音がしたのかといいますと、もう鍵を持ち出した以外ないんですね。

「ちょっと短いのかなぁ?」、と思ったそこの貴方。
気のせい、だよ?(*´ω`*)
……ごめんなさい。

ではでは!


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第17話 氷水

どうも、狼々です!

ペース上がると思ったのに、課題に追われて上がることはなかった狼々です。
……。ごめんね(´・ω・`)

今回はセリフ多めネタ多めにしました。
あんまり情景描写多いと、読むのに疲れることがようやくわかったからねん(*´ω`*)

では、本編どうぞ!


 権利、というものは持つ者の自由の象徴だ。

 自らを侵害される危険から身を守る、不可視の境界線。

 破ること、侵すことは許されず、昨今の日本も口を酸っぱくして告げ、行動している。

 

 そのはずなのに。

 

「あの~、私にはプライバシーっていうものはないのでしょうかね? 一応お聞きしますよ綾瀬さん」

「あると思っているのなら、とんだ思い上がりね」

 

 すなわち、人ならざる存在であると。

 人間という種族と比較して、別の劣等的な種である、と。

 

「訴えたら勝てるぞこれ」

「あら、やってみなさいよ。貴方にできるものなら、ね」

「はいはい、今のはどう見ても七海ちゃんがわーるーい」

「不法侵入を現行犯で見た俺はどうすべきかねぇ」

 

 俺達の仲裁に入った、麗美奈と遥斗。

 遥斗に至っては、仲裁というよりも通報に悩んでいそうだが。

 

 とはいえ、随分と量が多い。

 何の量かというと、両手にぶら下げた買い物品の、である。

 さすがに四人分ともなると、これだけ多くもなるか。

 

「名誉毀損罪と住居侵入罪で訴えてやる」

「さっさと昼食作るわよ。食べるのが遅くなるわ」

「訴えてやる!」

「あ~もう、うるさいわね。鍵はちゃんと返すわよ」

「すいません」

 

 いやちょっと待て。

 反射的に謝ってしまったのだが、俺別に何も悪いことしてなくないですかね?

 

 手に持っていた鍵を放り投げられ、拙く受け止めた。

 というか、本当にいつの間に取ったんだよ。

 置いた場所も言った覚えがないのだが。

 そんなに表立った所に放置していただろうか。

 記憶が曖昧なので、思い出して確かめることすらできない。

 

「……あんたの昼食、あんた自身の骨を茹でてあげるわ」

「茹でられた自分の骨食べるってどんな狂犬なんだよ。食べないぞ」

 

 狂気的すぎて他に言葉も出ない。

 

「冗談よ、本気で信じるなんて本当に犬みたいな頭してるわね」

「今のが本気だと思うかよ、あぁ?」

「あの~、喧嘩しないでよね?」

 

 喧嘩というよりも、俺が話を振られただけなのですがそれは。

 一方的に殴られるのは、喧嘩ではなくいじめに値すると思うのですよ。

 

「仕方ないわ、犬と会話はできないもの」

「思い切り吠えたろかこの野郎」

 

 今日の綾瀬は、特段言葉に棘がある。

 このままだと、本当に喧嘩に発展してしまいそうだ。

 

「そろそろ私も怒るよ~、その辺にしようね」

 

 それを見かねたのか、もう一度高波が警告。

 しかし、存外悪くない。

 

 綾瀬ならともかく、高波が怒ったら可愛くなりそうだ。

 逆に怒ってほしいという欲求が出てきたじゃないか。

 

 綾瀬も可愛いと言えば可愛いが、叱責に熱が入りそうではある。

 叱るというよりも、罵倒に近い感じだろうか。なにそれこわい。

 その点、高波は柔らかな印象が持てる。

 罵倒に対照させて言うのならば、諭しだろうか。

 

 ……彼女にするなら、高波かなぁ。

 いや、俺が選べる立場でもないのだが。

 

「わかったよ、悪かった」

「……あんた、高波には素直なのね」

「どうせ俺は犬らしいからな。優しい飼い主に尻尾を左右に振る本能くらいは持ち合わせてるとも」

「……あっそ」

 

 途端に静かになって、レジ袋から食材を取り出し、並べ始めた。

 興味の糸が切れたかのように、調理の準備まで進めている。

 白いワンピースの上から、青のエプロンを慣れた手つきで着ている。

 

 手際の良さに感心していると、高波がこちらを呆れ半分、軽蔑半分で見ていることに気が付いた。

 軽蔑というと、少し言い過ぎかもしれないが。

 

「わかってないね~、東雲君は」

「ホント、わかってないよ蒼夜は」

 

 それにつられるように、遥斗まで同じことを言い出した。

 同じ言葉を言っているはずなのに、気のせいか遥斗の方がイライラを誘う。

 小馬鹿にしたような表情が、何より神経を逆撫でするのだ。

 

「後でこの俺様が詳しく説明してあげようじゃないか」

「いらねぇよ、どうせろくなことじゃない」

「ちょっと、誰のためにこうして集まってると思ってるのよ。手伝いなさい」

 

 まあ、元々この料理教室は俺の調理技術の取得のために開かれている。

 当の本人がこれだと、わざわざ集まった意味も、開いた意味もないわけで。

 

 何をすればいいのか全くわからないままキッチンへ向かう。

 とりあえずは、綾瀬の指示に従っていようか。

 

「一応聞いておくわ。何を食べたいかしら」

「材料買う前に言うべきだったな、それ。そうだな、ハンバーグとかなら俺でも作れそうだからそれで」

「わかったわ、そうめんね」

「お前話聞いてた?」

 

 なんだろうか、この意味のない会話は。

 どうせこんな返しが来ることは、正直ある程度は予想できていた。

 材料買った後で、わざわざ聞くなんてことはありえない。

 

「聞いてたわよ。あぁ、犬語だったから間違えたのかしら。それとも犬はそうめん食べられない?」

「まだ引っ張るか。それに、やけに攻撃的じゃないか、こっちだって考えがあるぞ」

 

 小ネギをまな板の上に乗せて、切ろうとしながら返事をされた。

 今日は普段よりも辛辣だ。何かあったのだろうか。

 いつも辛辣だが、それに増してさらに針がある。

 

「私だって――って、あんたが切らないと意味ないじゃない。ほら、切りなさい」

 

 それもそうだ。誰のための料理教室だろうか。

 俺が実践経験を積まないと、意味がない。

 納得しつつ、ネギくらいは切れるだろうと思い、包丁を受け取ろうとして。

 

「ちょっと? ハサミは人に刃を向けて渡さないって小学校で習わなかった?」

「習ったわよ。常識でしょ。それがどうかした?」

「包丁はいいだとか例外だと思ったら大間違いだ、とだけ言っておこうか」

 

 完全にそれ、人を刺す持ち方ですよ綾瀬さん。

 狂気が滲み出る渡し方、しないでいただけるとありがたいのですが。

 

 まな板に包丁が置かれるまで待って、改めて手に取る。

 この包丁、実際に握ったのはほんの数回だ。

 鉄製の重みが手首と腕全体にのしかかる感覚は、まだ馴れそうにもない。

 

「あ、あの、綾瀬さん。ネギ、切れないんですが」

「冗談でやってるのなら、私帰るわよ」

「いや、本気だから聞いてるんだが……」

「はぁ~……」

 

 綾瀬の口から、心の底から呆れた溜息が聞こえた。

 今までネギを切った覚えはなく、切り方がさっぱり。

 何を、どの手順で、どのようにすればいいのか、白紙なのだ。

 

「二つ言うわ。まず一つ、底は切り落とすこと」

「あ、あぁ、了解」

 

 言われた通りに、丸くなった白い部分を数センチだけ切り落とす。

 考えてみれば、他の野菜と同じく根やそれに近い部分は切り落とすか。

 

「あと一つは――はぁっ。ネギの切り方よ。小口切りは合ってるわ。ただ……()()()()()()()()()

「そ、そういうものなのか」

「ほんっとうに……切れないのはそのせいよ。切れたとして、一体何時間かけるつもりなのよ」

 

 綾瀬が呆れ尽くして、頭を抱えている。

 ネギ一つ切れないなど、頼りなくて仕方がない。

 小口切りはテスト勉強で覚えているのだが、やはり実践がないとどうにもならないことがあるらしい。

 

「あんた、本当にその包丁で大丈夫なの? プラスチックのやつ使う?」

「それは言い過ぎだろ。絆創膏くらいは用意できてる」

「怪我した後を考えるところが実にあんたらしいわ」

 

 用意周到と言ってもらいたいものだ。

 むしろ、逆に褒めてほしい。

 どうせなら、綾瀬より高波に褒めてほしい。優しそうだからな。

 

 それ以前に、あいつに「褒める」という概念があるのだろうか。

 誰かをけなすか適当にあしらう姿しか見ていないので、想像が難しい。

 

「一応だ、保険だ、リスクヘッジだ」

「物は言いようとはこのことね」

「そんなわけないだろ。それとも、本当に切るとでも思ってるのか?」

「逆に聞いとく。どこに切らないと思える要素があるのかしら?」

 

 こりゃひどい。これでも高校生だぞ。しかも二年。

 自炊は確かにできないが、安全を図ることはいくらでもできる。

 一回の切る動作に時間をかけるだとか、徹底的に意識するだとか。

 それこそ、プラスチック製の包丁を使うだとか。

 

「ちなみに俺、何歳に見える?」

「そうね、生後三ヶ月くらいかしら。包丁で手を切るのはそのくらいでしょ」

「随分と大きい赤ちゃんじゃねえか。お前の目は飾りかよ」

「あらありがとう。まあ私の輝く目を見たら飾りと勘違いするのも無理ないわ」

「物は言いようってこのことだよな」

 

 気の緩い会話をしているが、俺はその中でも包丁を動かし続けている。

 今のところ怪我の兆候すら見えないので、少なくとも生後三ヶ月ではないと。

 

 一分弱ほどかかって、ようやくネギを切り終えた。

 自分でも遅すぎると思うが、盛大な切り傷を負うよりマシというものだ。

 

「やっと終わったの。次は麺を茹でるわよ。鍋の中に水入れて、沸騰させなさい」

「はいよ」

「案外、あの二人っていい感じのコンビじゃない? 私達必要なさそうじゃん」

「そうだよね。なんだかんだ息が合ってる気も――」

「「しない!」」

「ほら合ってる」

 

 全力で否定したら綺麗にハモリました。

 練習を積んだ合唱団と張り合えるレベル。

 

「私だって好きでやってるわけじゃないの。できることなら代わってほしいわ」

「お、じゃあ私が代わっちゃおっと。ちょっと見てみたい気もするんだよね」

「気を付けなさい。隣に立ったら、いつ包丁が飛んでくるかわからないわよ」

「まだ失敗してないよね! 今のところ順調だよね!」

 

 順調なはずだ。何も大事は起きていない。

 包丁が宙を舞っても、食材をダメにしてもいないはず。

 さすがの俺でも、刃物を飛ばす真似は、たとえしたくてもできないだろう。

 

「そ、そうだね……二人前ずつ、二回に分けて茹でよっか。お湯の量は、一人前で大体一リットルくらいかな。麺の方は、これだと二束で一人前だよ」

「今日初めて料理の指導を受けたって実感が湧いた」

「ネギ切れたの誰の御蔭か、言ってみなさいな」

 

 エプロンも脱いだ、やる気のない綾瀬の声が飛んできた。

 そう言われても、実感が湧き上がるのは今のが初めてなのは事実。

 

 そりゃあ、ツンツンした講師と優しそうな講師、どちらが好きかと言われれば後者を選びたくなる。

 一から十まである内の一ほどしかわからない俺にとって、丁寧に教えてもらった方が参考にもなる。

 何より、わかりやすい。

 

「あ、あはは……あっ、茹でた後、氷水に通した方がいいんだけど」

「氷、作ってないんだが」

「確か買ったはずよ。袋のやつ」

 

 綾瀬が呟きながら、レジ袋を漁った。

 

「ん、ほら」

「準備がよろしいことで」

 

 事前に言ってくれたなら、氷くらい作っておいたのだが。

 二、三時間ほどはかかるので、逆に言えば事前に言ってもらえなければ作れない。

 今の口振りから察するに、綾瀬の配慮によるものらしい。

 そこまで考えられるなら、もう少し人と柔らかく接することはできないのだろうか。

 

 そうすれば、もっと俺も話しやすくなるものだ。

 俺だけでなく、クラスや同学年全員に言える話でもある。

 最近、俺も綾瀬も友達らしい友達が増えてきたが、綾瀬の方は俺に比べて芳しくない。

 心の底から性格が悪いわけではないと知っている分、勿体無いと思ってしまう。

 

 袋を開けて、ボウルの中に氷を入れる。

 水を入れると、パチパチと水面を弾く音が聞こえてくる。

 手にかかった水が、夏だというのに、妙に肌寒かった。




ありがとうございました!

一旦切って、二話に分けたいと思います。
次話が少し短くなるかもしれませんが、予めご了承ください(´・ω・`)

活動報告にも書きましたが、18日に新作を上げます。
別作品が終わりそうなので、入れ替わりみたいな感じですかね。

東方の作品なのですが、私が既に上げ、完結した作品「東方魂恋録」の続きとなります。
二期があると知らなかった方へ、別作品の後書きながら告知させていただきます。
詳しくは、お手数ですが、活動報告の方を御覧ください。
別作品に長く書くのは、あまり好ましくないと思われますので。

ではでは!


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第18話 そうめん

どうも、狼々です!

いやあ、話を重ねるごとに、期間が空いていますね()
全く洒落にならないぜ(´・ω・`)

テスト期間が被って、ろくなことができませんでした。
しかし、それが終わった今、私はちょっとだけ自由の身なのじゃ(*´ω`*)

では、本編どうぞ!


 特定の人同士が出会う確率は、天文学的数字である。

 この世界の人口が、一体どれだけだと思う。

 同じ国に産まれる、県に、街に、範囲は狭くなるにつれて確率は飛躍的に低くなる。

 さらにそれに、出会う対象の人が集まるとなると、また確率は分母だけを大きくする。

 

 なので、ここでこの四人が集まっているのは、奇跡の先にある奇跡とも考えられる。

 人同士が集まる確率は、天文学的。

 ならば、その人に宿る性格もまた天文学的ではないだろうか。

 

 しかし、俺のこの疑問をどうしても神にぶつけたい。

 

「ここまで、随分と時間がかかったわね。正直言って、素人のさらに下だったわ」

「仕方ないよ。これから上手くなればいいんだから」

 

 ――どうしてこうも、人間の性格は違うのだろうか。

 

「ダメよ、麗美奈。こういう人間は甘やかすとダメになるタイプだから。躾はしないきゃ」

「し、躾って……ペットじゃないんだし、ね?」

「いや正直綾瀬より高波の方が、オナペットにでも何にでもなるわ」

「お、オナっ……!?」

 

 おお、その赤面の反応やよし。

 そういう面に弱い高波さんマジ綺麗だし可愛い。

 

「セクハラね。110でいいのかしら? それとも、119でコイツに放水をお願いすればいい?」

「冗談だからホント通報はやめて」

 

 別に俺は、本気でそういう系ペットになりたいわけではない。

 ……いやちょっといや全部嘘だよ? なりたいけどね?

 そういうのはその、倫理的に、ねえ?

 

 てか、高波のオナペットとか人生勝ち組じゃん。

 と、余裕で思える俺は変態なのだろうか変態だね。

 

「なんで私に謝るのよ」

「高波さん、ほんっとにさーせんした」

「い、いいけど、謝る気が全く感じられないね」

 

 きちんと頭を下げたのだが、誠意は残念ながら伝わらなかったようだ。

 綾瀬には呆れに呆れられた目線をぶつけられた。

 まあ、いつものことなのでもう馴れつつあり、心に傷など入らないのだが。

 

 今更なのだが、どうして()()()()()()()()料理教室をやっているのだろうか。

 全くもって意味がわからない。綾瀬辺りが狙ったのだろうか。

 だって、来週から――

 

「どう考えてもさっさと食べた方がいいでしょ、そうめんだし」

 

 遥斗が声を上げてから、ようやくやり取りが収まった。

 正直、コイツがいなかったら止めるヤツがいなかっただろう。

 ストッパーとしては、いてよかったと言えるか。

 

「よし、じゃ食べるか――って箸ぃ!」

 

 箸が足りない、どう考えても。

 俺の分は当然あるのだが、残り三膳分がない。

 

「大丈夫よ、各自で持ってきたわ」

「準備良すぎだろ」

 

 完全に食べに来ている。

 いや、料理教室だから最後は食べるのだろうが……目的が食べることみたいだ。

 毎度毎度思うが、これだけ気が回るなら、それを他人に向けてほしいものだ。

 

 盛り付けは既に終わっているので、後はテーブルに用意するだけ。

 各々の箸を置いて、席に着いた。

 

「いただきます」

 

 全員で手を合わせて、食物に感謝。

 氷水に浸して、めんつゆを通して麺をすする。

 

 そうめんの食べ方として、氷水につけて食べるのは本当は間違いとは聞く話だ。

 麺の味や香りが損なわれるんだとか。

 ただ、俺としてはしっかり冷やして食べたい方だ。

 めんつゆだけ冷えていても、なんだか物足りない気もする。

 

「うん、ちょうどいい具合にできてると思うよ」

 

 そう微笑む高波は、本当に天使にも見えた。

 ただ茹でただけなのに、この言い方だ。

 さぞかし、男子からの人気は絶大なのだろう。

 事実、うちのクラスでは高嶺の花を担当してはいる。

 学年単位となっても、恐らく彼女の人気は変わらないか。

 

「……これ、本当に練習になったのかしら。これじゃ簡単すぎて料理に入るのかも怪しい」

「大丈夫だろ。ネギの切り方は覚えたし」

 

 そう綾瀬に返したのだが。

 隣に座る高波の肩が、明らかに震えている。

 視界の端で、長い緑の髪から少し赤くなった耳が覗いた。いやさすがに笑いすぎだろ。

 

 高波と目を合わせるが、そっぽを向かれた。

 隠そうとするのはいいことだが、もう少しマシに隠せないのか可愛いな。

 

「もうすぐ夏休みだな~。あ~嬉しい」

「少なくとも、補習があるじゃない」

 

 そう、夏休みは静かながら目前に迫っている。

 炎天下の真っ只中を謳歌する、全人類の楽しみと言っても過言ではない長期休暇。

 だるさを誘う真夏に、夏休みという楽の代名詞的存在。

 これがありがたいと言わずして何と言うべきか。

 

 それにしても、やはりおかしいとは思わざるを得ない。

 休暇であるにもかかわらず、他と差をつけるチャンスだとか、それらしい理由を貼り付ける。

 貼り付けるだけならまだいいが、それを使って労働者や学生は労役や勉学を強いられる。

 

「それに、課題もそれなりに出るでしょうね」

「学生は勉強が仕事って言うだろ。俺、家には仕事持ち込まない主義だから。課題とか知らないから」

「実にあんたらしいわね」

 

 結構言われることだ。「学生は勉学に励むことが仕事だ」、と。

 というか、高波が笑いすぎてそうめんを食べていない。

 そ、そこまで面白いことか……? 甚だ疑問である。

 

「だから私にテストの点数でいつまでも勝てないのよ。勉強不足ね」

「うっせ。枕カバーの中に砂糖入れるぞ」

「何それ。何にせよ、あんたに抱かれることなんて一生どころか永遠に来ないわ」

「解釈がズレるにも程があるだろ」

 

 ああ、ダメだ。砂糖を言葉にした辺りから、高波が限界に来ている。

 きっと、何言ってんだこいつ、って思われていることだろう。

 現に高波だけでなく、綾瀬も遥斗も疑惑の目をこちらに向けている。

 

「で、どうして砂糖なのよ」

「夜寝る時、湿気とか汗とかで何かしらの水分が出るだろ。結果、どうなると思う?」

「……めちゃくちゃ砂糖でペタペタするわね、頭が」

「あっははは! もうダメ! 砂糖は卑怯だよ!」

 

 やはりと言うべきか、耐えられなかった高波。

 隠す気など既にさらさらなく、全力で笑っている。

 可愛らしい女性の明るい笑顔とは、これほどまでに魅力的なのだろうか、と痛感した瞬間だった。

 

 それはさておき。この方法、やったことはないのだが、かなり効果的だとは思う。

 くだらないことを憎悪的に、かつ隠密的にするというのは、思いの外気持ちが良さそうだ。

 バレた時も、ある程度の咎めで収まるレベルだ。

 そもそも、バレること自体も少なさそうだが。

 

「やめて頂戴、絶対に」

 

 ガチトーンで睨まれる俺、本当に可哀想だなあ。

 冗談に決まっているだろうに。

 

 ……いや、機会さえあれば一割くらい本気になったかもしれない。

 

「多分することはないから。命拾いしたな」

「あんたの命を拾えなくしてやりたいわ……ごちそうさま」

 

 挨拶だけして、席を立った綾瀬。

 今まで昼食をとってきてわかったが、彼女は少食気味だ。

 食べる量が極端ではないが、どう考えても少ないと感じる。

 

 結果、食べる速さも他人より随分と速くなるわけだ。

 

「食器、先に私のだけでも洗っておくわね」

「ああ、置いといてくれ。後で俺がまとめて洗うから」

「いいわよ、皿洗いくらい。全員、食べ終わったら私が洗っておくから、置いてて構わないわ」

 

 言い終わる前には、彼女は一人で皿洗いを始める。

 皿洗いに慣れるもなにもないが、やはり随分手際がいい。

 少なくとも、俺よりは速いな。

 

「……で、遥斗の言う『詳しく説明する』ってなんだよ。結局聞いてなかったろ」

 

 料理をする前に、俺がわかってないだとか言われた時だ。

 詳しく説明しよう、と宣言された割に、何も受けていなかった。

 

「ああ、簡単な話だよ。今日ちょっと気が立ってるの、あれ多分、女の子の日だからだよ」

「なんでもかんでも遠回しに言えばいいって問題じゃないだろ」

 

 隣の高波を見るが、苦笑いが絶えないようで。

 対する遥斗はというと、平然とそうめんをすすりながら言うものだから、一周回って凄みを感じてしまう。

 綾瀬は皿洗い中。水の流れる音で聞こえていないのだろうか、運がいいのか悪いのか。

 

「違うの?」

「わ、私に聞かれても……さすがに知らないし、聞くのもねえ?」

「そりゃそうだろ。そもそも、人の前で言葉にする時点でアウトだ」

 

 プライバシーにも関わるが、それ以前の問題でもありそうだ。

 というか、デリカシーのない質問に真面目に答える高波さんマジ女神。

 怒っていいんだぞ、コイツには。代わりに怒ってやりたいくらいだ。

 

「何がアウトなのよ」

「あっ、いや、あのですねぇ~……」

 

 綾瀬が戻ってきて、今度は遥斗は焦り始めた。

 会話の内容を探られて焦りを見せるほどやましいと思うならば、最初から話すなという話ではある。

 さて、これから遥斗はどんな処罰を受けるのだろうか。

 

「綾瀬が今日もご機嫌斜めだな~、って?」

「何で疑問形なのよ。それに、いつも不機嫌みたいな言い方、やめてほしいものね」

 

 ほう、意外に制裁が加えられない。

 全くもって、機嫌が良いのか悪いのかわからない。

 これがいつもの態度と言うのならば、それはそれで怖いし問題がありそうなものだが。

 

「それと、今日は周期は来てないわよ」

「聞こえてたのかよ。てかもう少し恥じらいくらい持てよ」

 

 がっつり聞こえていましたねえ。

 にしても、抱くだとか周期だとか、恥じらいに欠けるのは綾瀬の方だろうか。

 唯一まともな俺と高波。

 

 ……俺と一緒にされる高波が可哀想になってきたかもしれない。

 自分で思っていてなんだが。

 

「事実を言っただけよ。要らない誤解を生みたくはないものね」

「七海ちゃんは食べ終わったわけだけど、どうするの?」

「さあ? 適当に家の中で遊んどくわ」

「お~い? ここ、俺の家だからな? 自分の家じゃないぞ~」

「わかってるわよ。自分の家でできないことだからこそ、ここでやるんじゃない」

 

 これはひどい。

 人は他人の家に入る時、「お邪魔します」と声をかける。

 それは挨拶表現の一つだが、この場合、本当に邪魔になっているのだが。

 謙遜の欠片すら見えない。

 

「遊ぶ暇があるなんて、大分余裕なんだな」

「……? 何がよ」

「はあ? 何って……()()()()()()()()()じゃないか」

「……あっ!」

 

 ちょっと待て。今三人分の驚嘆が聞こえた気がするんだが。

 

 忘れていた、のか?

 まさか、テスト期間を? さすがにありえないだろう。

 

 そう思ったのだが、三人の表情を見る限り、どうにも嘘を吐いているようには見えなかった。

 取り敢えず。

 

 アホだ。この三人、テスト期間忘れるアホだわ。




ありがとうございました!

さて、前回の前書きの通り、東方の二期を書き始めました!
一つ作品が終わりそうなので、入れ替わりみたいな感じになりそうです(`・ω・´)ゞ

そして、ハーメルンでアンケートを取りました。
被お気に入りユーザー100人突破記念の短編小説の内容について。
集計も終わりまして、結果、病気で亡くなった彼女の遺した言葉の意味を探る話になりました。

詳しいことは、アンケとその結果発表の活動報告をご覧ください。

ではでは!


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第19話 知恵

どうも、狼々です!

二ヶ月、空いちゃった(*ノω・*)テヘ
いや何考えてんだよ(白目)

申し訳ない、の一言に尽きますかね(´・ω・`)
私、どうして時間がないんだろうかと涙を流したい。

では、本編どうぞ!


「それでは……始め!」

 

 先生の声と学校のチャイムを合図に、クラス全員が一斉に閉じられた冊子を開く。

 各々の持つペンを走らせ、文字列とにらみ合い。

 

 やがて五十分が過ぎ、再び電気質の鐘がスピーカーを通して流れ出す。

 回収の呼びかけと共に、縦列の最後尾の生徒が席を立ち、己が列の分の解答用紙を預かっていく。

 

 それが三回程続いて、その日の授業は終了。

 試験なので、授業と言えるのかどうかは定かでないが。

 

 テスト一日目終了を労い合う者達。

 出来を報告し合い、一喜一憂する者達。

 足早に教室を出て、放課後を迎える者達。

 

 皆が皆、各々の課後を迎え入れていた。

 

 俺はというと、最後の部類に近いだろうか。

 ただ、少し違った点は、教室を出た後の目的地だ。

 自宅ではなく、学校の図書室――でもなく、コンピュータ室。

 

 残された新聞の課題は、僅か。

 あと一時間も作業をすれば、終わる程度だ。

 気が滅入る暑さに顔をしかめながら、爽やかな風が通る廊下へと出た。

 

「待ちなさいよ」

 

 既にコンピュータ室へと向かっていた足を止め、声のした方を振り返る。

 声や口調から想像できていたが、やはり綾瀬だ。

 

「せっかく人が待ってあげたのに、無視はないでしょう」

「待ってくれと頼んだ覚えもないのに、強要はないでしょう」

「あんた、絶望的にその口調が似合わないわね」

「ほっとけ」

 

 小柄な彼女が追いつくのを待って、コンピュータ室へ。

 ここで待たないと、後が怖い。

 

 俺に綾瀬と同じような口調が似合わないことは、自分自身でもわかっている。

 ただ、俺が彼女に関して言うのならば、逆にあの口調以外だと違和感を感じてしまう。

 漂う雰囲気に、イメージとの相違を感じざるをえない、と言うべきか。

 

 並ぶ彼女を、横目でちらと見た。

 傾国の美女、と称するには、失礼だが華がつく言い方だろう。

 しかし、これで男を掌で転がすような性格を持つ女性だとしたら。

 正直、転がらない男がいるのか、甚だ疑問である。

 

「……どうしたのよ」

「あ? いや、特には」

「特に何もないのに、こっちをジロジロ見られると私が嫌なのよ。何だか落ち着かないわ」

 

 横目で見ていたはずなのだが、バレていたか。

 何という用もなく凝視されることに、気味が悪いというのも頷ける。

 男だろと女だろうと、同性異性関係なくずっと見続けられることに対して、不快感を抱くものだ。

 少なくとも、いい気分はしない。

 

「強いて言うなら、今まで何人の男を誑かしてきたんだろうなあ、と」

「人をビッチみたいに言わないで頂戴」

「そんなつもりじゃねーよ」

「……今までに、一人よ」

「交際経験、ってこと? それとも、遊んだ方?」

「前者に決まってるでしょ。『遊ぶ』って言葉の意味について小一時間ほど問い詰めてやりたいわ」

 

 ほう、これほどの容姿を持ちながら、一人。

 はっきり言って、意外だった。

 五、六人はいるのかと思っていたが。

 

 入学初日で、遥斗から教えてもらった話だ。

 曰く、告白してきた男を全て玉砕した、と。

 それを考えると、一人いるだけでも驚くべきことなのだろうか。

 確かに、あの綾瀬を惹くような男と言われれば、かなりハードルが高そうだ。

 

「そんなことはどうでもいいのよ、私は。あんたに聞きたいことがあって待ってたのよ」

「これまた改まって珍しい。どうしたよ」

「大したことじゃないわ。テストの手応えよ」

「ん~……可もなく不可もなく、ってところだな」

 

 本当のところは、結構な手応えはあった。

 だからといって、かなりいい出来だと思う、と言うのも気が引ける。

 それで綾瀬や高波、遥斗にも点数が低かったらさぞかしいじられるのだろう。

 

「へえ、そう」

「どうした、今回は悪そうなのか?」

「……ええ。あまり言いたくはないけど、あんたに勝てるのかすら微妙よ」

 

 料理教室の後、遊べるはずもなく各々の家に帰宅。

 三人の反応を見る限り、しっかりとした準備はできていないように見えた。

 

 特に綾瀬に至っては、他の二人よりも尚更危ないだろう。

 新聞作りの作業をしていてわかったが、彼女の作業効率はお世辞にも良いとは言い難い。

 タイピングの速度は人並みかそれ以下。

 内容を作る手際に関しては目を見張るものがあったが、無理矢理それでタイピング速度の遅さを補っている印象を受けた。

 それにもかかわらず、綾瀬の作業は俺と同じくらいだった。

 

 前日、学校で綾瀬が済ませた所と、翌日に作業を始める所。

 明らかに違った時もあったので、校外で作業をしているのは明白だ。

 本来彼女のテスト勉強に使われたであろう時間は、それに使われたと言っても過言ではない。

 

「ま、返却前に何を話そうと変わらないさ。それより、今日は早めに終わらせようぜ」

 

 そう言い終わってから、丁度良くコンピュータ室に着いた。

 戸を開いても、テスト期間なので、さすがに生徒会の人影もない。

 

 通学用バッグと手提げ袋を置いて、カーテンを開け放ち、パソコンを立ち上げる。

 俺と綾瀬が席に着いて作業を始めてから、数十分も経っていないだろうか。

 

 扉が開く予期しない音が聞こえ、そちらを見た。

 遥斗と高波が来てくれた。

 最初に言ってくれたように、最後の確認をしてくれるらしい。

 

 そして、作業開始から三十分と少しが経って。

 

「――うん、大丈夫だと思うよ」

「こっちも問題なし、かな」

「よっしゃ、終わり!」

「あ~……疲れた」

 

 俺と綾瀬は、二人で同時にのびをした。

 普段はあれほど冷ややかなのに、のびが小さい。

 のびているのに、身長が身長なので小さく見えた。

 

 普段と違う一面が見えると、本来よりも増して可愛く見えてくる。

 

「さっさと出して、帰るか。先に皆は帰る準備しててくれ。俺はこれ、提出に行ってくる」

「ああ、私も行くわ。それに、職員室に寄るだけだから、あんたも用意してきなさい」

「あ~……いや、鍵閉めて、返してから行く。すぐだから、先に下に降りてろ――」

 

 そこまで言って、ふと気付いた。

 俺達は。厳密に言えば、俺と綾瀬は。

 最初に入った時に、鍵はどうしただろうか。

 

 ――開けていない。

 否、鍵がかかっていなかった。

 少し部屋を見渡して、コンピュータ室のキーが壁にかけられているのが見える。

 俺も、俺以外の三人も、鍵に触れるような行動は起こしていない。

 

 一日中、鍵が閉まっていなかったということもないだろう。

 使用後に戸締まりはするだろうし、忘れていたとして、先生が閉めにくる。

 

 それに、今日は月曜日。テスト期間が始まった日だ。

 前日は日曜日なので、先生の管轄外でこの部屋を使ったとも考えにくい。

 

 コンピュータ室を使う時は、大抵は生徒会が使用中で、鍵を取りに行くことも少なかった。

 ただ、今日は生徒会の姿は一人すら見えない中、鍵だけが置いてある。

 やや不審に思いながらも、三人が部屋を出たのを見送った後に鍵を手に取り、電気を消す。

 

 廊下を歩きだして一分もかからずに、職員室に着いた。

 ノックをしてから、軽い音を立てて扉は開かれる。

 

「おっ、そろそろだと思ってたよ」

 

 ちょうど里美先生が職員室から出てきて、鉢合わせた形となった。

 手に持っているメモリを見て、作業終了を察したようだ。

 

 メモリを渡してから、もう一つの俺の持ち物に気付いたようで、声を上げる。

 

「鍵、閉めてきたのか?」

「え? えぇ、まあ」

「あ~……すまない。先に言っておけばよかったな。生徒会の一人が、先に来て作業を始める予定なんだ。悪いが、戻って開けておいてくれないか?」

「そうだったんですか、わかりました」

 

 まさか、まだ来ていなかっただけだったとは思わなかった。

 今来た道を引き返して、コンピュータ室へなるべく早く戻る。

 

 小走りで向かった先には、かなり背の低い金髪の女の子が立っていた。

 遠目で見た限りでは、あの綾瀬よりもさらに低い。

 だが、確かに彼女の左腕には、「生徒会」と書かれた体躯に似合わない黄色の大きな腕章がつけられている。

 

「あ~、ごめんごめん。遅かったね」

「ひっ!? いえ、その……大丈夫、ですから」

 

 狭い肩を存分に跳ね上げて、弱々しく呟いた。

 察するに、この子は一年生だ。

 彼女の背丈や小動物のように震え、怯える声は、高校一年生が一番近いだろう。

 

 言動、身長、そして大きな瞳は見た目の年齢をぐっと下げる。

 高校生というよりも、むしろ小学生みたいだ。

 おどおどとした様子を心配に思いながらも、手早く鍵を開けて、中の照明を点けた。

 

「あの、わざわざすみません、助かりました」

「いやいや、元々は俺が悪かったんだ。申し訳ない」

「え、えっと……では、私は仕事があるので、これで失礼します」

 

 そう言った彼女はお辞儀をして、逃げるようにコンピュータ室を去ろうとした。

 不審に思い、呼び止める。

 

「お、おい待てよ。鍵開けたのに、どこ行くんだ?」

「その、大丈夫ですから!」

 

 もう一度だけ頭を下げられ、脱兎の如くその場を離れられた。

 何か気に障る真似をしたのかと不安になったが、見当がつかない。

 強いて言えば、鍵を閉めたことくらいか。

 それに関しては、弁解の余地もないので納得せざるを得ないのだが。

 

 取り敢えず、考えても埒が明かない。

 当の少女は既に走り去った後で、何もしようがないのだから。

 

「ま、いっか。……あれ?」

 

 不意に手に虚無を感じて、疑問符を口にした。

 これだけ聞くと格好がいいが、持っているはずの手提げ袋がない。

 

 確かに、教室を出て綾瀬と会った時には持っていたはずだ。

 コンピュータ室でも、荷物を下ろした際に、通学用バッグと一緒に下ろした記憶もある。

 なら、どうして俺は手提げ袋を持っていない。

 先週、綾瀬に偉そうに言っていた自分に、特大のブーメランが帰ってきたらしい。

 

 コンピュータ室への無駄な往復のせいで、もう三人を随分と待たせている。

 今更ではあるが、携帯で遥斗に先に帰るようメッセージを送った。

 

 重い溜息を吐きながら、コンピュータ室を歩き回る。

 明るい室内を見渡しても、目につくのはパソコン一式、コピー機など、大きなものだけ。

 手提げ袋くらいなら、すぐに見つかりそうなものだが。

 

 五分が経って、捜索をやむなく諦めた。

 明日に行われるテストの教科に使う教材が入っているのだが、仕方がない。

 それ以外に、別の形で復習するしかないか。

 

 職員室を経由して、昇降口へと向かう。

 もうそろそろ靴箱が近い、というところで、通りかかった部屋の扉が開いた。

 開いた扉は事務室の扉で、それを開けたのは、先程の金髪少女だった。

 

「あ、さっきの」

「あっ、ご、ごめんなさい。邪魔してしまいましたね」

 

 俺の足が止まったことへの謝罪を口にする少女。

 そこまで過剰反応するか、と傷つきそうになるが、彼女の持っているものが目についた。

 

 茶色の包みに覆われた、直方体。

 何度か見ることがあるそれは、一目見ただけでコピー用紙だとわかった。

 今日で三度目のお辞儀をした彼女だったが、直方体に小さな体躯を振り回されていた。

 現に、今にも倒れ込みそうだ。

 

「あ~ほらほら、持つよ」

 

 あまりにも不安定なので、半ば奪い取る形でコピー用紙の束を受け取る。

 両腕にずしりとくる重みは、予想外のものだった。

 一つだと思っていた束は、二つに重なっていた。

 

 コピー用紙は一束につき五百枚の、二キログラムのものだ。

 二つ分なので、四キログラムか。

 こうして持ってみると感じるが、小柄な女の子がいっぺんに持つ重さではない。

 

「これ、どこまで持っていけばいい?」

「あの、本当にいいですから……これ以上、迷惑をかけるわけには……」

「お互い様だよ。俺だって、さっき君に迷惑かけたからね。で、どこに持っていくの?」

「……さっきのコンピュータ室に、よろしくお願いします」

「了解」

 

 両手で抱える重みを直に感じながら、別棟のコンピュータ室へ。

 後ろをとことこと着いてくる彼女が視界の端で見えるが、なんとも微笑ましい。

 

 荷物を持っている俺よりも、何も持たない彼女の方が歩く速さは遅いらしく。

 時々に小走りになって、俺に追いついてくる。

 娘を持った父親、というのはこんな感覚なのだろうか。

 

 ……散々に可愛い、と騒ぎ立てる理由が垣間見えた気がする。

 

 それに気付いて、幸せな光景を味わい続けたかったが、歩く速さを彼女に合わせる。

 大分ゆっくりと歩くことになり、コンピュータ室に着くまでが随分と長く感じた。

 腕に残る疲労の痺れを受けながら、コピー用紙を机の上に下ろす。

 というか、なくなる前に誰か補充しとけよ。

 

「スパ――じゃなくて、その、何から何まで、本当にありがとうございます」

「い、いやこちらこそ。じゃ、俺はこれで」

 

 なんだろうか、少しはかっこつけたいのだが、腕が痛い。

 普通に持つ分にはいいのだが、長く持ちすぎた。

 ただでさえ遠い別棟のコンピュータ室に、牛歩で向かったのだ。

 その弊害は、思いの外大きかったようで。

 

「あ、あの!」

「ん? どうした?」

「よ、呼び止めてすみません。えっと……」

 

 大きな声で呼び止める彼女だったが、どこか迷う表情を見せている。

 どうしたんだ、ともう一度聞き返す寸前に、彼女は口を開く。

 

「お、お名前を、教えてください」

「えっ? あ、あぁ、東雲 蒼夜だ」

「東雲……やっぱり、貴方でしたか」

「へっ?」

 

 やはり、ということは、俺の名前を知っているか、見当がついていたか。

 どちらにせよ、不自然であることに変わりはない。

 勿論、俺とこの少女に接点はなく、今日が初対面だ。

 名前を大々的に知られる出来事など、あったはずもない。

 

「最近、少しだけ噂になってますよ? 東雲っていう中々かっこいい二年の男子生徒が転入した、と」

「か、かっこいいって……」

 

 面と向かって言われたのは初めてで、突然ということもあり動揺してしまう。

 幸か不幸か、褒められるようなことは今までになかった。

 だが、嘘だとしても名前を知っていることに説明がつかない。

 噂になっている、というのはどうやら本当らしい。

 

 ただ、本人の耳に届かないほど小さな噂でよかったものだ。

 もし肥大化しようものなら、俺の学校生活が危ぶまれていたところだ。

 

「その、転校生なら、私の名前も知りませんよね」

 

 初めて見せた彼女の笑顔が、どんなに俺の心を掴んだだろうか。

 純白、無垢、それ以外に形容し難い純粋な微笑みは、俺の息を一瞬だけ止める。

 そして、碧の瞳の持ち主は謳うように。

 

「私は、浅宮・ソーフィヤ。この学校の、()()()()です」

「……えっ?」

 

 生徒会長、ということは。

 少なくとも、一年生ではない。

 

「い、一応、学年は?」

「勿論、三年です。私のことは、ソフィーと呼んでもらえるとありがたいですね」

「え……えぇぇええ!?」

 

 陽気に笑う彼女の前で、驚きを隠すことは不可能だった。




ありがとうございました!

あの子、三年です。
ちょっとフラグっぽかったし、まあ想像できたかなって。
ソーフィヤの意味は、題名の通り、「知恵」という意味です。

「スパ――」って言いかけたの、なんだろうね。
ある国では、「ありがとう」って意味らしいよ。

最近、PS4のシージ友達が増えました。
読者の方からも、フレンドになりたい・一緒に遊びたい!
という方がいらっしゃって、嬉しい限りでした(*´ω`*)
……送っても、いいのよ?(´・ω・`)

PSNID送るときは、感想は人目につくからやめてねってだけ言おうかな。
ハメのメッセか、ツイッターのDMにどうぞ。

ではでは!


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第20話 紆余曲折を経まして

どうも、狼々です!

もうなんか、二ヶ月毎がさも当然のようになってますね()

私、修学旅行に行ってきました!
沖縄に行ったのですが、日差しが強い強い。
修学旅行中に、梅雨明け宣言も入りましたし。
あの常夏の紫外線、俺の日焼け止めを貫通しやがった、だと……!?

では、本編どうぞ!


「せ、先輩ぃ!?」

「あらら、失礼ですね。これでも、身長に関しては気にしているのですよ?」

「も、申し訳ない」

 

 眼前に立っているあどけなさの残る少女が、年上だとは到底思えなかった。

 一歳の差とはいえ、これだけイメージと違う現実があるものなのか。

 驚きで、謝罪も堅苦しくなってしまう。

 

「い、今までの言動は?」

「演技です」

「け、敬語を正させなかったのは……?」

「勿論、わざとですよ?」

 

 おしとやかに笑う彼女は、先程の後輩に怯える少女とは別人だった。

 

「いやホント、何から何まですみませんでしたというか、なんというか」

「気にしないでください。面白かったですし、何より頼りになりましたし」

「い、いや、大した事は……」

 

 ただ、力仕事を手伝っただけだ。

 命を救ったわけでも、植え付けられた根の深いトラウマを解消したわけでもない。

 

「大した事じゃなくても、さり気なく優しくされると、女は喜ぶものですよ?」

「そ、そっすか」

 

 どうやらそういうものらしい。

 今度気になる人ができたら使ってみようかね。

 

「では、私は仕事があるのでこれで。ありがとうございました」

「生徒会長が後輩に敬語、というのも威厳がないのでは?」

「何事も優雅に、落ち着いて、という母の教えがありますので」

 

 口元を隠す笑いは、彼女の育ちの良さを顕著に表すようだった。

 彼女が金髪ならば、その母か父、そのまた両方が金髪なのだろう。

 そう考えると、優雅に落ち着いて、という言葉は実に華を持っているものだ。

 

「さすがっすね、会長」

「ソフィーでよろしくてよ? 後輩さん」

「あ~、了解です、浅宮先輩」

「……思いの外、意地悪なのですね」

 

 頬を膨らませ、不機嫌そうにする幼気のある彼女は、それはまた魅力的で。

 大人びた雰囲気を漂わせた見た目幼女とは、これいかに。

 

 見ている側としても感覚が麻痺してくるが、この二つは相反するものながら共存するらしい。

 それどころか、ギャップでさらに魅力が増すのだから、不思議なものだ。

 

「あれっすね。先輩、可愛いっすね」

「あらあら、貴方もかっこいいですよ。ふふ」

「ありがとうございます。ははは」

 

 ふと気づく。何をやっているんだろう、と。

 初対面の生徒会長と、容姿を褒め合う。

 ……いや、何これ。

 

「では、私は生徒会の仕事がありますので、これで。また会えるといいですね」

「ええ、ありがとうございました」

「こちらこそ。失礼します」

 

 優雅を体現させた彼女は、静かに仕事へと向かう。

 テスト期間なのに大変だな、と感じながら、昇降口へ。

 

 ローファーを履いて、外に吹く風に肌を撫でられたときだった。

 

「あ~、来たね」

「いつまで待たせるのよ」

「え? いや、遅れるから先に帰っててくれ、って送っただろ」

「うっそ……あ、ホントだ。気付かなかった」

 

 三人揃って、昇降口の入り口で俺を待っていた。

 携帯を見た遥斗が、失敗した、と言わんばかりの表情をしている。

 学校の中で、通知を切っていたとしてもおかしくはない。

 

「じゃあ、この際だから、全員の連絡先を交換しておかない? こういうことがあったとき、困るでしょ?」

「ま、それもそうか」

 

 俺達は高波の提案を承諾した。

 今のところ、俺が連絡先を知っているのは三人の中で、遥斗一人のみ。

 勿論、その逆も然り。

 

 そもそも遅れる旨を三人に向けて発信していれば、誰か一人くらいは気付いたかもしれない。

 遥斗だけに送ると、遥斗が見逃したらそれで最後だ。

 今後のことを考えると、交換だけでもしておくべきだろう。

 

 電話番号、メールアドレス、某アプリのID等々。

 連絡先を三人にばら撒くように交換した。

 とはいえ、この三つの連絡先をいつ、どのような要件で使うのかは未だに不明な限りだ。

 

 まずもって、俺の携帯はほぼゲーム専用機のそれに近い。

 連絡を取ることは稀であり、電話本来の役割を果たしていないと言っても過言ではない。

 そんな訳のわからない金属板が、とうとう需要を持ったらしい。

 

 少しばかり浮かれながら家に帰った。

 

「ん。やっほ~、おにい」

 

 ……いつから待っていただろうか。

 会うのも久しい、実妹の名を口にする。

 

「葵じゃないか。どのくらい待ってたんだ?」

「そうだね……大体、五時間くらいかな」

 

 五時間も、夏の暑さに晒されていたらしい。

 

「大丈夫か? それに、何か元気なさそうじゃないか」

「そりゃ、これだけ待たされたら、元気もなくなるよ」

 

 大人しくなった、というよりも疲れ切っている。

 久々に見た妹の容姿は、衰えることはない。

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、とはよく言ったものだ。

 

「私、疲れちゃった」

「ごめん。今、鍵開けるから」

 

 手早く鍵を開いて、中へ誘導した。

 つけたエアコンが風を呼吸する中、椅子に座った葵に冷たい飲み物を出す。

 

「ん、ありがと。おにいって、やっぱ優しいね」

「優しいってか、当然のことだろ。大丈夫だったか?」

「ちょっと……休ませて」

 

 麦茶を一気に煽った後、彼女はソファに移動して横になった。

 寝息は聞こえないものの、起き上がるような気力はないようだ。

 お疲れ様、と一声かけて、タオルケットを被せた。

 

 それにしても、葵の中学校は夏休みが少し早いらしい。

 俺の高校は、今週のテスト期間を除けば、夏休みまであと一週間もある。

 期末テストの返却にその一週間を使い、夏休みの補講でテストの解説に入るのだろうか。

 

 思えば、中学の頃の定期テストは、二日や三日に詰め込んでいたような記憶がある。

 六時限分も連続して続く考査。思い出すだけで苦労が蘇ってきた。

 

「……あ? おい、葵。お前、荷物どうした?」

 

 確か、葵は玄関で、()()()で待っていたはずだ。

 キャリーバッグどころか、手提げ一つすらぶら下げていなかった。

 文字通り、身一つ。それ以外にはなし。

 

 では、荷物はどうするのだろうか。

 

「ない」

「はあ?」

「だから、持ってきてないの。いざとなったら、向こうから郵送してもらう」

 

 返事もきついことが、重い声色からわかる。

 これ以上は追求しないが、大丈夫なのだろうか。

 仮にも思春期の女の子なのだから、もう少し気を遣うべきところがあるのでは、と思わずにはいられない。

 

 郵送してもらうのは、まあ一つの手だ。

 日数がかかるのが難点だが、確実に手元に荷物が届く。

 わざわざ取りに行く手間も省け、考えうる中でも現実的な方ではないだろうか。

 

「えっ、じゃあ今日の着替えどうすんだよ」

「おにいの着る」

「いや、下着は――」

「だから、おにいの着るって」

「……はい?」

 

 いや、えっ?

 幾歩譲らずとも、シャツくらいなら部屋着としていくらでも貸す。

 外に着ていく、ともなれば話は別だが。

 

 ただ、下着ばかりはどうにもならないだろうに。

 男物と女物では、差がありすぎる。

 外出しないにしても、下着に関してはは限度を超えている。

 

「今から下着だけでも買いに――行けそうもないな」

「うん、無理そうだね」

 

 さぞキツそうに、葵は寝転がったまま告げる。

 

 俺が一人、ランジェリーショップに行くか?

 一歩間違えれば通報だぞ警察沙汰だぞ。

 考えてもみろ。男が一人で、女物の下着を買いに行くんだ。

 さぞかし、不審者と思われることだろう。

 それか、運が良くて女装趣味のある男と間違われるか。いずれにせよ、悪印象であることに間違いあるまい。

 

 郵送に至っては論外だ。今日中に届くはずもない。

 となると、現実的な案は他になくなる。

 

 買いに行く、郵送してもらう。

 調達の手段である二つが潰えた以上、何もすることができない。

 

「買ってきてよ」

「いやいや、世間的に殺されるから却下で」

「ありがと、そう言ってくれると信じてた」

「ちょっと? 勝手に行くって返事したみたいな言い方やめてね?」

 

 今の返事の仕方だと、まるでオーケーしたみたいだ。

 きちんと、丁重にお断りさせて頂いたはずだが。

 

「あ~、キツいよダルいよ~」

 

 と、葵は言うものの。

 他に方法がないのも事実。

 

「よし、今日だけは下着なしだ」

「うわっ、おにい大胆だね。まあ、暫くぶりの私に欲情する気持ちも――」

「俺が一番わからねえよ。何考えてんだ」

 

 実妹に手を出したら、それこそ終わりだ。

 禁断の愛というのもフィクションの中で存在するが、それはあくまでもフィクションだから盛り上がり、憧れるのだ。

 現実的にありえない事を、架空上で楽しむ。

 それ以上でも、それ以下でもない。その価値観がズレることもあってはならないのだ。

 

 だからこそ、これほど葵の口調は軽いのだろう。

 本気で言っているわけではないのは、全員が見てとれる。

 

「つか、元気出てきただろ。口数増えてきたぞ」

「…………」

「あからさまに会話を控えるな」

 

 いくら体調が良くなってきたとはいえ、外に連れ回すのは無理か。

 

 と、なれば。

 他の協力を仰ぐしかないだろう。

 

 早速、今日手に入れた連絡先を使わせて頂くとしようか。

 まずは、ある程度は信頼できる遥斗にかける。

 

「ん、もしもし。どしたの?」

「聞いてくれ遥斗。一緒にランジェリーショップに行ってくれないか」

「……そっちに目覚めたのか」

「そこで俺が肯定すると思うか?」

「ま、自分の好みで選ぶのが一番だと思うよ? じゃ」

「おい――」

 

 適当なアドバイスを受けて、遥斗はさっさと電話を切ってしまった。

 おい、このままじゃいらぬ誤解が広がったままなのでは。

 そう思い、もう一度電話をかけるが、いくら待っても繋がらない。

 

「その人、おにいに似て大分変態さんなの?」

「俺に似てないし俺自身も変態じゃない」

「さあ、どうだかね」

 

 肩を竦める葵に苛立ちながらも、次なる候補を検討する。

 とはいえ、あと綾瀬と高波の二人になるのだが。

 

 高波にこんなことを言い出して、恥をかくのはできるだけ避けたい。

 消去法では綾瀬になるのだが、あいつは何よりかける言葉が厳しい。

 恥と心の負傷を天秤にかけた、その結果。

 

「もしもし。できれば出たくなかったのだけれど」

「そんなことを言うな。喜べ、お前は名誉ある親善大使に任命された」

「切るわ」

「待て待て。単刀直入に言うと、俺と一緒にランジェリーショップに行ってほしい」

「……変態と一緒に歩くのさえ(おぞ)ましいわ」

 

 無意味に心をえぐられて、一方的に電話を切られた。

 もう一度コールをしようかと思ったが、これ以上綾瀬の罵倒に耐えられる自信がなく、かけられない。

 

「今の、女の子?」

「ああ、一応。笑えば結構可愛いが、何しろ中身が扱いにくいったらありゃしない」

「でもさ、今のはセクハラスレスレでしょ」

「あいつはセクハラを盾にする必要がない程、口でボコれるから要らぬ心配だな」

 

 それより心配すべきは、それによる精神の故障のみ。

「のみ」と表すと聞こえはいいが、その一点に全ての難点が詰まっているのでひどいものだ。

 

 後は、高波だけ。

 せめて常識ある対応を、と願いながらコール。

 

「もしもし、麗美奈です。どうしたの?」

「すまない。突然だが、俺とランジェリーショップに行ってほしい。遥斗にも綾瀬にも断られたんだ」

「……えっと、何があったの?」

「実家にいた俺の妹が、手ぶらでここまで来ちまった。最低限、下着だけでも用意したい」

「あ~、なるほど。うん、いいよ」

 

 神。女神。マジで神だろ。宗教入ろうかな。

 高波を心の支えに、一生暮らしていける気がする。

 

「頭が上がりません、ホント。できれば、妹のことはあまり外に言いふらさないでくれるともっとありがたい」

 

 ブラコンの妹がいると知れると、俺の評価がどうなるかわからない。

 妹を突き放せば「可哀想だ」と非難され、受け入れれば「シスコンだ」と揶揄(やゆ)される。

 ならば、最初から妹などなかったことに、という逆転の発想。素晴らしい。

 

「えっ、じゃあ二人には何て話したの?」

「何が?」

「いや、妹のこと、話してないの?」

「ああ、話す前に切られたな」

「……悪いけど、それじゃ切られても仕方ないんじゃない?」

 

 ――なるほど。

 俺が話したのは、下着を買いに行く、という目的まで。

 単純に考えて、俺が買いに行く必要がある理由が相手に伝わらないのなら、勘違いをしない方がおかしい。

 

「それもそうだわ。失敗した」

「で、なにか焦ってたの? それとも急ぎ? じゃなきゃ、そんな伝え方しないでしょ」

「妹が外で待ちすぎてぐったりしてる。俺が馬鹿だったってのもあるが」

「そういうこと。だから妹さんが直接買いに行けない訳ね」

 

 俺の話の立て方が下手なのか、高波の話の進め方が上手いのか。

 多分両方なのだが、ここまでくると感心せざるを得ない。

 確かに、妹のものなら、葵が自分で買いに行けば完結する話だ。

 こうして誰かに頼み事をするまでもないのだから。

 

「じゃあ、三十分後に……どこに集まろっか?」

「現地集合でもいいんじゃないか? ショッピングセンターってことで」

「おっけー、また後でね」

 

 通話が切れて、ふうっと思わず溜息を吐く。

 現状は、なんとかなりそうだ。

 

「今のも女の人?」

「おう。めちゃくちゃ可愛い、性格も聖人ときた」

「お~、よかったじゃん。落とせば?」

「俺程度で落ちるとは思えんがな。ま、少し接触くらいはしてみるか」

 

 早速服を取り出そうとして、気付く。

 

 もしかして、これ、ある意味ではデートなのでは、と。




ありがとうございました!

ここのところ、七海ちゃんのターンが来ませんね。
時期にきますよ、多分。

さすがにメインヒロイン交代まではやらかさないと信じたい(´・ω・`)

てか、もう七月なんですね。早い早い。

ではでは!


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第21話 夏夜

お久しぶりです、狼々です。
最後の投稿から一年九ヶ月、ほぼ二年に近いですね。

受験終わりました。
詳細は活動報告をご覧ください。
簡潔に申し上げると、国立大学合格です。

これから投稿を再開します。
まだ一人暮らしの準備が整うまでは不定期の更新となると思います。

なにとぞ、これからもよろしくお願いします。


「で、どれがいいのかさっぱりです、先輩」

「私には妹ちゃんの好みもわからないです、先輩」

 

 互いを先輩と呼び合う。

 必然的にどちらか虚偽だ。片方が先輩なら、もう片方が後輩だ。

 では、答え合わせの時間だ。

 

 ──どちらともが虚偽である。……何のゲームだろうか。

 

「どれでもいいのか?」

「私を連れてきた意味とは」

「だろ? その意味がなくなるから聞いてるんですよ先輩」

「もうこの際紐のでいいんじゃないですか先輩」

 

 ランジェリーショップで既に居場所が狭い俺としては、早々に帰りたいところだ。

 それにしても、連れ出しておいて何だが、適当すぎだろ。

 いや、突然呼び出して、ついてきてくれているだけでもかなり器が大きい方だろう。

 

「で、実際本当にどうすれば」

「ん~、この辺りが無難な方だとは思いますね……って、サイズがわからないんじゃ選びようがないよ」

「ああ。多分Mだろうって言ってた気がする」

「おっけー、私と同じかあ」

「その情報、今要りますかい?」

 

 本当に恥じらいがないのか、それともからかって俺の反応を楽しみたいのか。

 恐らく後者なのだろう、とは容易に想像がつく。

 得意気そうに、こちらの顔を覗いてくるのだから。

 

「ん~、せめて種類だけでも絞ろうか。どんな種類のがいい?」

「ねえわざとなの? 『いい』って聞いて妥当性じゃなく好みを聞いてるのはわざとなの?」

「わざとだよ?」

「ひどいブービートラップに気が付いたものだ」

 

 さて、どうしようか。

 ここで下手な駒を打てば、変態認定は免れない。

 そもそも知っている種類の名前自体に限りがある。

 ガーター・ベルトはあまりにも有名だが、ここで口走れば今が楽でも後が苦しかない。

 

「ほら、悩まず答えちゃいなよ。確かに、種類関係なく下着自体に魅力を感じるのは──」

「俺を変態にするのやめてくんない? 全てを好きな中から選りすぐりを答えろみたいな言い方、男からするとマジで怖いから」

「で、結局どれに絞るの?」

 

 おふざけがおふざけじゃなくなっている。

 ならば、俺も一つ興のあることを言ってみようか。

 この流れなら、下手でも何かとサラッと流せるかもしれない。

 

「ローライズ」

「うっわあ……」

「俺は今最大のピンチに面したようだ神様、我に救いの一手があらんことを願い奉る」

「聖地はそっちじゃないと思うよ多分」

「目の前に女神様がいるから許しを請うているんですよ、女神様。ああ尊いお姿だこと」

「あ~、だいぶおかしいね」

 

 そう、確かに自分でも自身をおかしいとは感じている。

 けれども、正直ランジェリーショップに男がいること自体がイレギュラー。

 今更何をしようと、あまりに目に余る行動をしない限りはむしろ変わらない。

 

「はい、選んだから帰ろう。早くしないと、妹さん大変でしょ」

「えっ早い。すごい。最高」

「語彙力の欠片もないね」

 

 レジで手早く会計を済ませ、足早に店を出る。

 ついてきてもらっている高波には悪いが、長居すればするほど俺の立場がなくなってしまう。

 ただ、このまま何もないというのも悪いものだ。

 

「なあ。よかったら、うちで夕食だけでも食べていかないか?」

「いやあ、ちょっと君の作る料理は遠慮したいかな」

「ストレートだな~」

 

 だいぶ直球。綺麗な縦回転だった。時速何キロ出ているんだろうか。あいにくスピードガンは持っていない。

 俺のバット、当たってもへし折そうなんですが。木製とか比にならない。

 

「いや、料理できないのは俺が一番わかってるし、別に気にしてなんかないんだけどな」

「それ、気にしてる人が一番言いそうだけどね」

「何を隠そう、コックはマイシスターなんだよなあ」

「ほう」

 

 俺が料理が不得手な代わりに、妹の葵はそうでもない。

 本人曰く、あまり得意じゃない、とのことだが俺はそう思っていない。

 店を出せる、と形容する褒め方をわざとらしいと常々思うが、将来出していけるかもしれない、と思わせるほどの腕前だ。

 

「腕は俺が保証しよう」

「ふむ、食事専門が言うならそうなんだろうね」

「そうだな、確かに俺は食べる専門家だな」

「そろそろ練習した方がいいよ? 一人暮らしの時どうするの?」

「どうするのって言われても、俺にとっての一人暮らしは今なんですが」

「だったら尚更でしょ」

「そんときは、妹かいるであろう彼女に頼ろうかな」

「妹はともかく、彼女はどうだろうねえ」

「そうだな」

 

 ……高波が彼女だったら、と考えずにはいられない。

 頭脳明晰、才色兼備。料理もその例に漏れず。

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。これほど彼女に似合う人も珍しい。

 高波を、彼女だと紹介するときがあるならば、きっと胸を張るには十分過ぎるだろう。

 

 だからこそ、俺には釣り合わないのだろう。

 そもそも、向こうにその気がないことは今の返事で明白だ。

 

「……彼女、かあ」

「えっ」

「いや、なんでもない。妹さんの料理、楽しみだなあ」

 

 えっ、何その含みのある言い方。

 完全に脈なしだと思っていたんだが、可能性が一パーセントくらいできてしまったんだが。

 

「あっ、食材どうしよ」

「そっか。妹さん、具合悪いから買い物も行けないんだよね」

「いや、ちょっと待ってくれ」

 

 携帯を取り出して、妹へ電話する。

 少なくとも、ここに引っ越すまでは携帯は変えていなかった。

 最後に通話してから今までの約三ヶ月間で番号が変わっていることはないだろう。

 

「もしもし、買えたかい?」

「御陰様でな。土産はバッチリだ」

「やっぱおにいはできる子」

「誰のせいで駆り出されたと思ってるんだ」

「えっ私だけど?」

「皮肉だよ。それより、さっき俺が話してた友達と一緒に夕飯食べることになったから、一人分追加よろしく」

「ああ、じゃあ私も買い物出るよ。家からすぐそこのスーパーに行くから、先向かってて」

 

 と、電話が切れた。

 いや、外、出られるじゃん。仮病じゃん。

 

「妹さん、何だって言ってた?」

「後で合流するから、そこのスーパーに行ってて、だってさ」

「え? でも、妹さんは──」

「そうだよ、あいつは俺を便利な使い魔として下着買わせに行ったんだ」

「わあお」

 

 心無い感嘆符を並べながら、足は既にスーパーの方へと向いていた。

 本来ならば、客人には買い物に付き添ってもらうべきでないのだが。

 

「先に家に──」

「私も一緒に行くからね?」

「はっや。もしやテレパシー?」

「イエス、テレパシー」

 

 したり顔で指を鳴らしながら、彼女はそう告げる。

 かっこいいし、可愛いし、ホント何なんだろうな。

 ノリもいい上に、純粋で性格もいい。

 この世にこのような女性が本当にいるのかと、目前の少女を疑いたくなる。

 

「はい、捕まえた~」

「……こりゃひっどいな」

 

 聞き慣れた声と、背中にかかる軽い重さ。

 前の腹まで回された華奢な腕にまとわれたのは、先程見たばかりの服の袖。

 俺の背後にいたのは、ここにいるはずのない葵だった。

 

「えっと、どなた様?」

「こいつが妹だ」

「でもさっき電話で……」

「うっわすごい美人さん! おにいには絶対釣り合わね~!」

「それは一番、当人の俺が引け目を感じてますよっと」

 

 一体いつから追ってきていたのだろうか。

 ともかく、高波は依然として困り顔だ。

 

「……兄妹で似てるね、なんか」

「あはは、そうですか? とにかく、いつもおにいがお世話になってます」

「おにい? 呼ばせてるの?」

「俺がそう呼ぶように強制してるみたいに言うのやめようね」

 

 やはり初見で口に出されるのはまず呼び方か。

 おにい、という言い方こそ強制、もとい矯正する必要があるらしい。

 

「ごめんなさい、遅れましたが、蒼夜の妹の葵です」

「どうも、高波 麗美奈です」

 

 二人が軽く挨拶を交わして、主に葵が話を振り始めた。

 二人の間だけで会話が起こり、二人の間だけで会話が完結する。

 どうにも俺は蚊帳の外らしいので、口を挟むことなく彼女達の後へとついていく。

 

 高波はそれに早くから気付いていたのか、時々こちらに話を振ろうとしては葵に遮られ、という流れが何度も繰り返されている。

 買い物が終わって帰路に着く頃には、葵の勢いもすっかり収まっていた。

 

「──へえ、葵ちゃんは生徒会に入ってるんだね」

「え、えぇはい」

「私も中学の頃は、生徒会に入ったなあ。書紀だったけどね」

「そうなんですか」

 

 それは食事が終わり、彼女達が食器を二人で洗っているときのこと。

 初めはあれだけ盛っていた会話が、今ではそれが嘘のような静けさだ。

 葵は話を受け取るばかりで、高波は話かけてばかり。

 

 二人が洗った食器を拭きながらでも、その異常さには気が付いた。

 異常というほどでもないが、少し不自然ではある。

 

 皿洗いが終わってから少し。

 

「じゃあ私は、もう()()()()しようかな」

「そうか、じゃあ送るよ。葵、大人しくしておくんだぞ」

「わかってるよ。いってらっしゃ~い」

 

 夏ではるが、外は肌寒い。

 昼間の気だるさを誘う気温を考えると、これくらいが丁度いいのかもしれない。

 

 物思いに耽っていると、高波に話しかけられる。

 

「葵ちゃんは生徒会には入ってるけど、部活には入ってないって聞いたけど、本当?」

「ああ」

 

 既に本人から聞いていたらしい。

 葵は部に所属はしていないものの、生徒会に所属している。

 

 部活動をしていなければ生徒会に参加できない、というわけでは勿論ない。

 しかしながら、生徒会というものは学校での中心人物が集まるものだと相場が決まっている。

 組織票で当選しやすく、部活に入ることで自然と人脈は広がる。

 無所属の生徒よりも当選しやすいのは言うまでもない。

 

「文化部にも入ってないの?」

「本人は嫌がっていたな。何故かは知らんが」

 

 曰く、『自分に合う文化部がなかった』とのこと。

 無理して入部する必要はなし。

 部活動が義務付けられているわけではないため、理由としては十分だ。

 

「へえ。じゃあ東雲君は?」

「サッカー部だったよ。今でこそ帰宅部だが」

「なんで今まで言わなかったの?」

「言う機会もなかったし、言う必要もなかっただけだ。聞かれないし」

「いつからいつまでサッカー続けてたの? こっちでは部活してないよね」

「小学生になってから、前の高校まで」

「すご! 前から体格いいとは思ってたけど、納得」

 

 高波がモテる理由が垣間見えた気がした。

 淡麗な容姿は言わずもがな、会話の進め方や相手の褒め方。

 意図したものかどうかは不明だが、好印象を与えることは間違いない。

 

 学校帰りに通る十字路からは、彼女に案内してもらいながら進む。

 そこから僅か五分ほどで、高波の家に辿り着いた。

 彼女の家と思われるその家は、既に電気が内を照らしている。

 

「同居? それとも実家?」

「あはは、実家だよ。同居って言葉が出るの、面白いね」

「いや、いてもおかしくないかなって」

「まあ、今は募集中、かな?」

 

 高波がこちらを見る。

 なるほど、これは男を手の上で転がすタイプだ。

 自分の気持ちがあっさりと揺らぎそうなので、考えること自体をやめることに。

 

「じゃあ、おやすみ」

「うん、送ってくれてありがとう。また明日ね」

 

 手を振り合いながら、彼女と別れる。

 高校ならば、俺や綾瀬のように一人暮らしの生徒よりも、実家暮らしの生徒の方が多いだろう。

 思えば、俺のように生活能力が欠けていない人間が、高校から一人暮らしをする必要はあったのだろうか。

 

 家に帰ると、俺のベッドの上で寝転がっている葵が見える。

 

「ん、おかえり」

「ただいま。お前の部活のこと、聞かれたよ」

「……そっか」

 

 どこか返事に元気がない。

 いつもならば、元気どころか覇気で溢れているだろうに。

 

「話したのか?」

「いや。それなりに()()()()()

「そうか」

 

 葵だけでなく、俺の口数も減っている。

 

「あんま無理すんなよ」

「おにいは心配しすぎ。さっきだってそう」

「家の中で暴れられても困るからな」

 

 静寂。それを邪魔をするものは暫く現れず。

 テレビは消えている。音がない世界。

 口を開いてはいけない、それが禁忌と定められたような空間。

 居心地が悪いのだが、この空気を破らない──いや、破れない時間が続いた。

 

「……お兄ちゃん、ありがとね」

 

 先に静謐を断ったのは、葵の方だった。

 無理な役回りを押し付けた俺は、兄としてどうなのだろうか。

 会話を投げかけるのは俺からすべきだった、と後悔してももう遅い。

 

「いいんだよ。お前が無事なら。それと、人前でその呼び方してくれるなら」

「それは無理かな。変な女が寄っちゃうし」

「変じゃない女も寄り付かなくなるからやめてください」

「まあ、お似合いの女の子ができたら、考えたげる」

 

 彼女はずっと、ベッドから起き上がろうとしない。

 洗面所へ行き、手を洗う。夏夜(かや)だというのに、潤った手はどこか冷たすぎる。

 部屋へと戻り、葵の横へと倒れる。

 葵はそれを拒むことはなく、俺の手を自分の頬へと引き寄せる。

 仄かな暖かさを抱く彼女の頬に、涙が流れることはない。

 流れる先は、ベッドのシーツの上。

 

 俺は何を言うでもなく、彼女の目尻を伝う雫をすくい取った。




ありがとうございました。

また、更新停止した当時の読者は、今はほぼこのサイトを離れたと思われます。
ほぼ1からのスタートです。
まあそこは気ままにやっていくので気にしてませんが、当時の読者に完結まで読ませて差し上げられなかったことは残念ではあります。

これからどうなるかわかりません。
一人暮らしで生活が安定しないため、不定期の更新が続くかもしれません。

それでもよければ、これからもよろしくお願いします。


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第22話 曖昧模糊

遅れてすみませんでした。
不定期と記したものの、さすがにこのペースはまずいですよね。

一人暮らしにも慣れてきたのですが、まだ忙しいです。
書かなきゃいけない書類を書いたり送ったり。
大学生は暇になると言った人は誰ですか教えて。


「さて、以前話していた学園祭実行委員の話だが」

 

 遠山先生の切り口は、つつがなく日常が繰り返されていることの確かめにもなる。

 

 デートの次の日でも、まだこの高校は夏休みではないため、登校日が訪れるわけだ。

 とはいえ、学園祭実行委員について、一切の記憶がない。

 恐らく俺が聞いていないだけか、随分と前に聞いた話で忘れただけだろう。

 

「男女一名ずつ、希望者は綾瀬に届け出ること。今日中に不足分を抽選で補う形となる。後から文句は受け付けないぞ。じゃあ、今日も一日頑張るぞ」

 

 生徒達に伝達してすぐに、先生は職員室へと去っていく。

 長期休暇前なので忙しいのだろうか。

 綾瀬に仕事を投げっぱなしなのもどうかと思うが、仕方ないのかもしれない。

 

 ホームルームが終わった雰囲気が形成され、各々が散っていく。

 ざわつく教室の中をかき分け、こちらにやってきたのは高波だった。

 

「おはよう。妹さんの件は解決した?」

「え? あ、あぁ、御陰様で。ホント助かったよ」

 

 なるべく自然に受け答えたつもりだが、少し不自然になってしまった。

 別に俺が女性が苦手というわけではなく、昨日の葵の言葉がふと脳裏をよぎったからだ。

 

 

 

「話さない方がいい?」

「うん。特に理由はないけど、私あの人苦手」

 

 葵がそう口を利かせたのは、今朝のことだ。

 昨夜のことを思い出しても、葵はそんな調子を微塵も見せていなかったはずだ。

 

「参考までに理由をどうぞ」

「人のことすごく詮索してくる。部活とか、普段の生活とか、色々」

「そりゃしすぎは良くないけど、初対面の会話なら普通じゃないか?」

 

 相手の情報が皆無ならば、それを求めるのはごく自然な流れだ。

 それが知人の家族であるなら、なおのこと興味関心がわくものだと思うが。

 

「そうだけど、なんでって理由までずっと聞いてくるの」

「そうだったか?」

「そうだった。ずっとおにいの方を向いてたのに、会話に入ってくれないし」

「申し訳ない」

 

 蚊帳の外だとばかり思って、葵に助け舟を出せないでいたらしい。

 二人の会話に割って入るわけにもいかなかったため、仕方ないと自分の中で言い訳するくらいはいいだろう。

 

「で、言ったのか?」

「何を?」

「色々と」

「少しだけ。……でも、アレは言ってないよ。言いたくない」

 

 葵は服の胸を弱々しく握った。

 なんとなく枯れかけの白百合を思わせるような儚さに、俺は軽々しく慰めの言葉を言い出せなかったか。

 

「言う必要はないさ」

「おにいからは言ってないよね」

「勿論だ」

 

 言って辛くなるのは、俺ではなく葵だ。

 随分と単純なことだが、それが真であるならば、俺は最初から口をつぐむ以外に選択肢はない。

 

「もう時間だから出るぞ。いってきます、気をつけてな」

「いってらっしゃい、おにいも気をつけてね」

 

 誰かに見送られるのも思いの外久しい。

 どこか感慨深い思いに浸りながら、ドアのノブに手をかけたときだった。

 

「おにいちゃん」

「……どうした」

「サッカー、やっぱり続けないの?」

「ああ。もう疲れたんだよ。一人暮らし始めてから忙しいし」

 

 つくづく俺達は家族なのだと実感する。

 愛情は隠れた歪みの発見器らしい。

 だからこそ、俺の嘘ではないが適当な言い訳も、発見器に引っかかることだろう。

 

 彼女の水をためた薄紙が破れそうだった。

 その表情を見ただけで、俺は何も言葉をかけることができず、家を出た。

 

 

 

「──ねえ、お~い?」

「ん、ごめん聞いてなかった。なんだって?」

「正直だね。君らしいけど」

 

 しまった、と後悔する。完全に葵と会話している気分だった。

 ここは学校で、妹は現在自宅に居候しているのだ。

 現在に意識を引き戻して、今度は会話をしっかり聞く。

 

「妹さん、えっと、葵ちゃんは昨日はどこか具合が悪かったの?」

「どういうことだ?」

「最初は元気良かったと思ったんだけど、時間が経つにつれてあんまりそうじゃなかったかもって」

 

 なるほど、こういうことだ。

 今朝の葵の顔を思い出して、口にするつもりは毛頭ない。

 それがたとえ高波が相手だろうとである。話し相手を選ぶ話題ではない。

 

「よければ、私が相談というか──」

「あいつ、意外にシャイなんだ。見た目が可愛いだけに玉に瑕な気もするが、それがいいかもしれないんだが」

「ふふ、なにそれ。確かに可愛いかったけど、もしかしてシスコンなの?」

「悪いか? 兄妹仲は順風満帆だ。珍しいだろうけどな」

 

 友人の声を聞くに、兄妹という関係は上手くいかないことが多いらしい。

 身内の異性という関係上、噛み合わないことが多々あるとか。

 うちは妹が俺にべったり──と言っていいかどうかは定かではないが──なので、他の兄妹よりも仲がいいのだろう。

 

 誤魔化したのを悟ったのか、高波は話題を変えた。

 彼女は話を切り出す前に、何かを探すように教室を見回す。

 

「今日は七海ちゃんとは一緒じゃないの?」

 

 そう言われ、高波と同じように左見右見(とみこうみ)

 もう見慣れてきた綾波の姿が教室内に見渡らない。

 

「さあ。どこ行ったんだろうな」

「避けられてるの?」

「……思い当たる節はあるな」

 

 下着見に行こうと電話かけたことか。

 それ意外に思いつかない上に、決定的な内容だ。

 彼女のように言動がはっきりした人ならば、大きく身を引くこともありえないことではない。

 

 こう思うのは失礼だが、もう少し人材を考えるべきだったかもしれない。

 

「高波が心が広いだけか」

「なにが?」

「昨日の一件について」

「七海にも声かけてたの? そりゃ無理だね」

 

 彼女の理解者である高波がこう言っているのだ。

 

「……でも、私に電話する前に七海にかけたんだ」

「間違いだったな」

「そういうことじゃないんだけど」

「どういうことだよ」

「さあ」

 

 高波は両手を軽く上げる仕草をして、話を切り上げた。

 やはり最初に彼女に電話をかけるべきだっただろうか。

 思わせぶりな態度を取られ、知らず知らずのうちに溜め息を吐いたとき、隣席の住人は教室へ戻ってきた。

 

 特に理由もないので、機嫌を損ねないためにも、不用意に声はかけない。

 綾瀬は席に着いても俺に声をかける素振りは見せなかった。

 

 

 

 この均衡状態は放課後まで続いた。

 どちらもこの状況を崩そうとしないため、結局二人になる放課後まで互いに話を交わすことはなかった。

 昼食はいつもの四人でとっていたのだが、俺と綾瀬の間に走る沈黙に気を遣っていたのか、何かを言おうとしてはやめてを繰り返していた。

 

 とはいえ、図書室に籠もっている今現在、その環境が変わったわけでもない。

 ただ無言で来るかもわからない来訪者を待ち続ける無意味な時間を、読書などで潰すだけ。

 遥斗と高波が主たる来客だが、毎日来るというわけでもない。

 恐らく、今日はその二人が来ない日だろう。

 

「なあ」

「……なによ」

「この仕事、本当に意味あるのか?」

 

 俺が突然に切り出した話題について、自分自身も多少驚いていた。

 意地を張っていたわけでは決してなかったが、流れる緊張を解しえる最初の一言がこれとは。

 

「どういうことよ」

「別に放課後にここにいる必要なんてないだろ。利用者は少ない」

「ええ、そうね」

「じゃあなんで図書室開けてんの」

「暇だから。家に帰ってもここにいても、することはほとんど変わらないもの」

「そうか」

 

 この時間が有意義なものとは到底思えない。

 仕事というならばするが、必要性を感じない。

 

「あんただけ帰ってもいいのよ」

「いや俺だけ帰るってのも──ごめん、電話かかってきた」

「どうぞ」

 

 着信音の鳴り続けるスマホを覗いてコールの差出人を確認しようとしたが、おおかた検討はついている。

 ノールックで通話をタップ。

 

「はいもしもし」

「もしもし、遥斗だけど」

「いやお前かよ」

「失礼な」

 

 てっきり葵かと思っていたので、思わず本音が出てしまった。

 

「で、どうしたの」

「いや、高波に蒼夜の妹が可愛いって話を聞いたから本当なのか確かめに」

「そのために電話したのか?」

「いや実際に会いにいった。というか、たまたま見かけた。確かに可愛いな」

 

 人の妹に何を言っている、と言う気も起きない。

 俺の意識は、葵が外へ出かけているという情報へ向けられている。

 

「それ、どこで会った?」

「ん~、大通りの方に出てったかな。見かけただけで話してはないから、どこに向かってるかまではわかんない」

「わかった、さんきゅ」

 

 手早く礼を言い、通話を切り上げる。

 大通りにある妹が行きそうな場所と限定するならば、思い当たるのはスーパーくらいか。

 それ以外の場所は見当がつかないので、半分は俺の希望だった。

 

「悪い、俺もう出るわ」

「ええ、そう。気にしてないから、別にいいわ」

 

 申し訳なさを感じつつ、手早く荷物をまとめて図書室を出る。

 廊下を小走りしながら考えていたのは、高波のことだった。

 確かに彼女は男女を問わず人気のある女子で、高嶺の花という言葉がこの学年で最も似合いそうだ。

 同学年では綾瀬も仲間入りしそうだが、愛想が良いという点では彼女がより近しいことに間違いはない。

 

 故に彼女は、孤独と孤高の違いがわからない。

 どちらも「一人ぼっち」という結果に着地するものの、そのニュアンスは大きく異なる。

 孤独は唾棄すべきだが、孤高は本人の勝手でそうなっているものだ。口を挟む方が間違いとも言える。

 だが高波 麗美奈は恐らく、両者を孤独として一緒くたにしているのだろう。

 だから葵に大きく踏み込み、愛嬌のない綾瀬に寄り添う。

 

 その原因を一日考えてみたが、大きく分けて二つしか考えられなかった。

 一つは、彼女の性格上ごく自然だから。もう一つは、自分がそうしてほしいから。

 後者は彼女の身の上縁のない話なので、恐らくただ彼女がそういう性格だからなのだろう。

 結局これは憶測の域を出ない上に、出た結論に意味がない生産性のないものだ。

 

 暇とはいえ、今日一日考えることでもなかったな、と思いながら校門を出た。いつの間にか昇降口を出て履物すら変えていたようだ。

 ただ、これだけは言える。

 葵は高波に対し、ファーストコンタクトであまり良くない印象を与えている、ということだ。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 自分も帰宅しようかと検討していたとき、思わぬ来訪者が図書室へやってきた。

 

「やっぱりまだいた」

 

 今まで何をしていたのか、遅れてやってきた常連だった。

 確信をもってここを訪れた彼女は、ごく自然な動作で彼の居場所へ割り込んだ。

 すなわち、私の隣の席だ。

 

「昨日、デートに誘われちゃった」

「誰に」

「東雲君に」

「あらそう、奇遇ね。私もよ」

「下着探しに女の子に声かけまくるって、だいぶキてるよね」

「その言葉に反論の余地はないわね」

 

 適当に返事をしているが、彼女は図書室を去ろうとしない。

 この部屋には彼女以外に私しかおらず、かくいう私も帰宅を検討していたところだ。

 荷物をまとめ、忘れ物がないか確認していたときだった。

 

「帰るの?」

「ええ。貴方はどうするの」

「どうするもなにも、家に帰ってくる途中で戻ってきたんだよ?」

 

 曰く、東雲に会いにきた、と。

 わざわざ帰路に着いた後、学校へ戻ってくるほどの理由だろうか。

 

「あら、それは残念ね。東雲はもう帰ったわ。急ぎ足で」

「じゃあ七海ちゃんも残念ってことになるね。東雲君、他の女の子に会いにいったんだよ」

「……へえ」

 

 誰に会いにいったのかという疑問が生じたが、私の気にするところではない。

 彼が誰との予定を優先しようとも悪いことではないし、私達が放課後の図書室に留まることは予定と言えるほど必要性がないものだ。()()()()()()()であることを否定はしないし、するつもりもない。

 ただそれ以上に、なぜそれを麗美奈が知っているのかという別の疑問が前に出た。

 

「なぜ知ってるの? 知ってて戻ってきたの?」

「うん。言ったらどうするかなって思って」

「どうするって……どうもしないに決まってるでしょ」

「そっか。その女の子、最近会ったんだけどすごく可愛かったし、東雲くんとすごく仲良くしてたよ」

 

 感嘆を漏らすこともなかった。

 嫉妬を煽りたいのだろうが、そもそも彼に嫉妬の感情を抱くようになった覚えがない上に、見知らぬ人間に嫉妬などできるはずもない。

 

「じゃあね、また明日」

「あ、待って。私、東雲君もらうって決めたから」

 

 突然というわけでもなかった。

 以前からもらうもらうと予告していたような気がするので、特段驚くことでもない。

 

「そう」

「ありがと」

 

 荷物を持って、図書室の扉を開けようとしたが、惜しくなった。

 何も返事をせず、ただうなずいて今日の学校を終えるのに抵抗を感じたのだ。

 そして、私の口から出たのは自分でも意外が言葉だった。

 

「できるなら、いいわよ」

「それ、どういうこと?」

「え……っと、言葉の通りよ。東雲が落とせるならって話よ」

「へえ。じゃあ、七海ちゃんも東雲君狙うってこと?」

「さあ」

 

 ぼやかしたものの、自分の言動にまだ驚いたままだった。

 間違いなく、私は彼のことが好きではない。

 あまり仲の良い友人が多いわけではないので、相対的に彼と仲が良いと言える程度だ。

 

 ただ、彼の隣に女の子が立っているという光景が、少し気に入らないのかもしれない。

 私がその席をほしいという気はさらさらないのだが、不思議なものだ。

 

「ああ、そう。私、欲しい物は手に入るまで諦めない方なの。もっとも、本当にほしいと思った物なんてあまりないのだけどね」

「ふうん」

 

 またも言う予定のなかった言葉を置いて図書室を出た。

 私の白黒つかないこの心情を表すならばきっと、「曖昧模糊を望んでいる」だろう。

 

 いずれ、この不透明が透明を得るときが来るのだろうか。

 今の私にはそれすら不明だった。




ありがとうございました。

別作品の話で申し訳ないのですが、この作品が唯一書き溜めがない作品であります。
他作品は一つ以上、多いもので4つか5つほどあったと思うのですが、クーデレに関してはマジでない。

次の投稿もいつになるかわかりません。
できるだけ早く仕上げたいとは思っていますが、よろしくお願いします。


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第23話 東雲 蒼夜は東雲 葵の兄でありたい

少し短めです。若干ですが早め上げです。


 息が上がる前に、目的の場所へと到着した。

 学校を出てすぐに電話をかけ、葵にその場に留まるよう釘を刺しておいた。

 案の定スーパーで買い物していたようだ。

 きっと葵のことだ、暇な自分が買い物をして俺の負担を減らそうと立ち回ってくれていたのだろう。

 その行動自体は大変ありがたいもので、葵を叱責するつもりなど最初からない。

 

「……見つけた」

「ごめんなさい」

「別に謝らんでも」

 

 迎えにきた俺に対して、葵の第一声は謝罪表明だった。

 ともあれ、こうして飛んできたのは言ってしまえば俺の過保護だ。

 お節介。ありがた迷惑。世話焼き。俺が好きでやっていることなので、葵に謝る義務は当然ない。

 

「でも、学校が……」

「もう放課後だったからいいんだ」

「そうなの?」

「ああ」

「じゃあなんで学校から来たの?」

「図書委員の仕事。って言っても、本当は活動内容外だし必要ないらしいからな」

「それ、本当に大丈夫?」

 

 たまたま今日綾瀬から聞いたことなので間違いない。

 笑いかけながら頷いた後、買い物に付き添った。

 

 会計が終わった後、荷物も極力俺が持つ。

 

 なぜここまで過干渉なのか。

 それは葵の持病に理由がある。

 

 

 

 ちょうど二年前、最初の転機は彼女が中学一年の春のときのことだった。

 陸上部に入部を検討していた葵が、体験入部で記録測定を行ったらしい。

 

 短距離、長距離の順に計測し、二つの測定が終わった後。

 葵は脈に違和感を持っていたらしい。

 彼女は短距離では頭一つ抜けた速さで走れたものの、持久力に難があり長距離はからっきしだった。

 

 それは当時から既にわかっていたことで、いつものことだ、苦手な長距離を走った反動だろう、と本人はあまり気に留めなかったらしい。

 俺もそれは理解していたため、葵からその話をされたときは無理しないよう軽く警告するまでに留まった。

 

 大きく問題となったのは、そう時間が経たないうち。まだ体験入部期間中のときだ。

 日を重ねて運動を長く続けた結果、葵は倒れた。

 意識は朦朧とし、動悸が乱れ、最終的に意識は完全になくなって走っている途中で倒れたのだ。

 

 すぐに救急車で病院へ搬送された。車内では心臓が数秒止まったときさえあったとのこと。

 その日の内に三学年のもとまで話は広がり、心配で気が気じゃなかったことを二年経った今でも鮮明に覚えている。

 

 病院のベッドに座る葵の顔もよく覚えている。

 あれほど悲痛を示した葵の表情を見たことがなかった。

 

 原因は持病──先天性の不静脈。過去彼女が感じた長距離への苦手意識の理由がわかった瞬間でもあった。

 医師からは今後一切の激しい運動を禁じられた。

 もちろん陸上部に入部することは断念。そのまま彼女が他の部に所属することもなかった。

 葵の失意の表情を思い出すと、文芸部への入部を勧める気すら起きなかった。

 

 葵は当初サッカー部への入部を第一希望としていたが、女子はフットボール部しかなかったため次候補の陸上部への入部を検討していた。

 たとえ彼女がサッカー部の体験入部をしていたとしても、恐らく倒れる場所がサッカーコート上かレーン上かの違いだったのだろう。

 どちらに転んでも避けられない運命だった。そう片付けるには彼女にとって想像以上に重い現実だった。

 

 追い打ちをかけるかのように、軽い運動でも脈拍の乱れや喘鳴(ぜんめい)が起こるようになった。

 体育の授業も全て見学となった。

 運動の負荷の度合いという話ではなくなったのが同年冬の終わりのこと。

 

 中二に進級してから、葵が自らの意思で生徒会に入りたいと相談された。

 まだ精神が不安定にもかかわらず、彼女が進んで取り組むと言い出したことだ。兄として背中を押した。

 我が妹ながら、葵の演説は生徒会に入会することを皆に確信させるような出来だった。

 そのまま予定調和の流れで生徒会の一人として名を連ね、副会長の椅子についた。

 

 自身の境遇を恨むこともせず、真っ直ぐ道を進むことができている。

 兄ですら引け目を感じてしまいそうな程、彼女は影で戦い続けているのだ。

 

 

 だからこそ、俺は過保護にならざるを得ない。

 もし再び葵が倒れたら、恐らく立ち直るのは困難を極めるだろう。

 思い詰め、思い詰めても決して変わることのない現実。誰かが助けてくれたり、どうにかしてくれる問題でもない。

 歯痒い気持ちでいっぱいだが、俺にできることはこうして妹を目の届く範囲に入るよう自分が動くことだけだ。

 

 だからスーパーでもランジェリーショップでも、どこにでも妹の代わりに行けるのなら俺が行く。

 葵の負担を少しでも軽くするために、後ろ盾という役割を担う必要があり、自分でもその席を希望している。

 家族の誰にも言っていない、俺の中だけに秘めた小さな決意だった。

 

「ねえ」

「どうした」

「高校の文化祭っていつなの?」

「夏休み明けてちょっとしてからだから……九月くらいか?」

 

 転入してこの学校の行事予定は頭に入れていないし、詳しい日付は文化祭実行委員の会議が始まってから伝えられるだろう。

 夏休み中に準備期間を設けるようなので、九月辺りだと推測した。

 

「私、遊びに行ってもいいかな?」

「ああもちろん。来たら教えてくれよ」

「大丈夫だよ。歩くくらいなら何も問題ないから。それに、せっかくできた友達との時間を邪魔するわけにもいかないからね」

 

 ……考えた。

 妹は生徒会に入り、自分なりに環境を変えている。

 それも単に楽な道へと逃げているわけではない。

 

 だが、対する俺はどうだろうか。

 転入したとはいえ、俺は環境に()()()()()()に過ぎない。

 こなせる図書委員の仕事は小さなことばかりで、正直に言ってしまえば誰にだって簡単にできるものだ。

 

 誰しもに立派に映る妹を見ていると、兄としてどうなのだろうかと疑問を抱いてしまう。

 対抗心の芽生えというわけではないが、自覚した途端に自分が情けなく思えてきた。

 何か自分からできることはないかと思案してすぐ、まさにうってつけの空席があることを思い出した。

 

 

 葵に見送られ、今週最後の登校。

 人間の感覚とは不思議なもので、相対性理論よろしく、金曜の学校はなかなかどうして時の進みが速く感じる。

 この日が加速してしまう前に、学校に着いてすぐに職員室を訪れた。

 

 里美先生に用がある旨を申し出てまもなく、担任が呼び出しに応えてくれた。

 

「朝からどうした、珍しい」

「すみません。急ぎたかったもので。文化祭実行委員のくじ引きは終わりましたか?」

「……ほう、希望かい?」

「ええ」

 

 心境の変化というほど大それた風には言えない。

 俺は、東雲 蒼夜は東雲 葵の兄でありたいという言ってしまえば単なるエゴだ。

 俺が葵に胸を張って見せられる姿として、文化祭実行委員の席は少しばかり魅力的なものに見えた。

 

「まあ、結局男子の立候補者は出なかったし、まだくじは引いていないが」

「僕が立候補したいです。まだ間に合いますかね?」

「もちろんとも。とはいえ、今日の朝礼で立候補者が誰になるかの書類を提出する予定だったから、寸前といったところだけども」

 

 もう少し遅れていたら立候補できなかったらしく、ほっと息を吐いてすぐ。

 

「ああ、そうだ。実行委員は夏休みも学校に来てもらう日があるが、それでも大丈夫かね? 引き下がるなら今のうちだが」

「問題ありません。お願いします」

 

 もとより暇だ。少し面倒だが、学校に出ること自体に問題はない。

 先生の確認に是の答えを返して、職員室を出た。

 

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 

「遠山先生、昨日で立候補者は決まったのではなかったですか?」

「ええ。最後まで立候補者は現れず、やむを得ずくじを引く羽目にはなりましたが」

 

 彼が職員室を出てすぐ、他の先生に話しかけられた。

 申し訳ないが、早くこの書類を提出してしまわなければならない。

 朝礼が終わった後は、すぐに授業へ向かう必要がある。

 

「これで私も、気兼ねなくこれが出せるというわけです」

「書き換えなくてよいのですか?」

「ええ。全くの偶然ですがね」

 

 くじで引いた名前は、東雲 蒼夜。

 結果を見たときに転入生の彼には荷が重いかと危惧していたが、どうやら杞憂だったようだ。

 

 彼にとっても、くじ引きの結果をただ伝えるより、立候補を受け付けた方が燃料になるだろう。

 とはいえ、これは運命の悪戯(いたずら)というものだろうか。

 確かに確率はゼロではないし、昨日の私の演説が生徒の心を揺らすほど見事なものだったというわけでもなかった。

 

 まだ彼という生徒をよく理解しきれていない節もあるが、一般生徒という評価から少しばかり改める必要があるかもしれない。

 図書委員としての仕事もこなせて、友人関係も良好、積極性あり。

 なんにせよ、彼の生徒像が見えてきたことを嬉しく思うとしようか。




なぜ早めに上げたのかというと、きりが良かったからですね。

次からは文化祭イベント編に入りつつ、水着とか考えてます。
水着を体育授業でもってこようと画策したものの、あまり自由度少なそうだったのでレジャー施設系にしようかと思ってます。

文化祭編に入ったら新章に入る予定なので、恐らくこれが2章ラストの話です。

ありがとうございました。


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第3章 間違いの重ね合わせ
第24話 会長と委員長


書いてたら長くなったので、二話に分けたうちの前半になります。
少し短いかもしれませんが、ご了承ください。


「さて、昨日も話したように文化祭実行委員の話だ。女子からは立候補者が出ず、男子は立候補者が出た。本来は各クラスから男女一名ずつとのことだったが、各クラス最低一名を選出でもよいとのことだ。後から委員の参加を希望することも可能なので、女子はあと一名希望者が出てもよいということだな」

 

 朝のHR(ホームルーム)を迎え、里美先生が文化祭実行委員の概要を説明。

 今日で立候補者が出揃ったこともあり、普段よりも連絡事項が多い。

 

「で、このクラスの立候補者は東雲だ。通常の委員会よりも文化祭実行委員の仕事・会議の出席を優先すること。早速で悪いが本日の放課後、視聴覚室で立候補者及び生徒会で会議があるので忘れずに。帰りのHRが終わり次第向かうこと。出席できない用はあるか?」

「ありません、問題なく出席できます」

「よし。次は──っと、授業が始まってしまうな。続きは後ほど個人的に伝えるとしよう。各自授業の準備を済ませること。以上だ」

 

 普段よりHRが長引いたため、予鈴が鳴ってしまった。

 先生が足早に教室を去ってから、十人ほどに声をかけられた。

 名前と顔が一致している生徒もいれば、名前が覚えられていない生徒まで。そろそろ覚えなければ。

 交友関係が狭いのが阻害する原因だとわかってはいるのだが、いかんせん輪に入りにくい。

 

「あんたって、こういうのに積極的な人だったのね」

 

 寄ってきた全員と会話を終えて一段落して、授業の準備を整える隣人から声がかかった。

 元々愛想が良いとはお世辞にも言えない性格の彼女だが、ここ数日でさらに拍車がかかっている気がしてならない。

 彼女に何か起きたのか、それとも俺が気に障ることをしたのか。

 

「まあ。俺って優等生だからな、ほら」

 

 それに合わせるつもりはないのだが、こちらも準備を進めながら話す。

 面と向かうわけでもなく、差し出したのは特に面白くもない冗談だった。

 

「冗談でしょう? 本当に興味があったら、もっと早く立候補したと思うのだけれど」

「急にやりたくなったんだよ」

「そう。どういう風の吹き回しか、少し疑問だっただけよ」

「風の吹き回しってなあ」

 

 この言い方だと、まるで俺がらしくないことをしていると暗示しているようなものだ。

 事実そうなので、言い返せないのが悩ましくもあるのだが。

 

「……一つだけ聞きたいのだけれど──」

「ん?」

 

 少し間をおいて、彼女の方から声がかかる。

 しかし途中で授業開始の本鈴が鳴り、間もなくして先生が教室に入ってきた。

 

 会話をする雰囲気は完全に霧散した。

 すぐに聞き返すわけにもいかず、俺は彼女の声が聞こえなかったフリをした。

 

 

 一限目の授業が終わるまでどころか、放課後前まで会話は平行線をたどっていた。

 昼食はいつもの四人で取り、普段通りの会話が展開された。

 けれども、彼女が言いかけた話の続きは未だにできないままだった。

 

 頭の片隅で何のことだったか引っかかるのだが、本人が再び言い出さないということはそれほど大事なことではないということだ。

 であれば、触らぬ神に祟りなしということわざに則って、これ以上機嫌を損ねないように立ち回るのが最善だと思った。

 無理して空回りするよりも、時間が解決してくれるのを待つ方が安全だろう。

 

 帰りのHRが終わってすぐ、誰よりも早くに教室を抜け出した。

 里美先生もそれを見ていたようで、俺と先生の二人で視聴覚室へと向かう。

 

「急な申し出だったが、何かきっかけでもあったのかい?」

「いえ、特に何があったというわけでもありませんよ」

「まあとにかく、希望という形で候補者を出せたのはこちらとしても喜ばしいことだ」

「そうですか」

「この後は前年度の文化祭で撮ったムービーを見ることになっている。今年度の催しの参考にしてくれ」

 

 無難な返答をしてその場をやり過ごす。

 天真爛漫(てんしんらんまん)かつ明朗快活(めいろうかいかつ)な性格ならば、こうして「やり過ごす」感を抱いて掴みどころのない返事をしなくて済むのだが。

 気の知れた友人ならまだしも、見知らぬ人や特に目上の人に対して垣根を壊す気になれない。

 

 目的地は同じ棟にあったため、移動にさほど時間はかからなかった。

 中に入ると既に役者は集まっていたようだ。

 生徒会も例に漏れず。会長の浅宮先輩が奥ゆかしく手を振ってきたので、軽くお辞儀を返す。

 

 流れる映像は、ごく普通の高校文化祭という印象を与えるものだった。

 以前通っていた高校のものとさして変わらない。

 鑑賞後に文化祭についての詳細な説明があったが、その印象が揺らぐことはなかった。

 唯一の相違点といえば、三年生が勉強しやすい環境をつくるためか、出し物を行わない点ぐらいか。

 

 一、二年はクラスで一つ出し物を決めるらしい。

 この出し物も教室ごとに各自で決定することになるようなのだが、俺は文化祭実行委員(こちら)側の参加を優先する必要があるので、教室(あちら)側にはあまり顔を出せなくなりそうだ。

 実行委員を結成する学校行事ではよくあることだ。

 

 今日は文化祭実行委員の中で実行委員長と副実行委員長を決めて解散という形になった。

 ここでも三年生に負担とならないよう、この二役に三年生が就かないようにとのこと。

 よってほぼ必然的に、委員長は二年生の内の誰かということになる。

 積極的な一年生がいれば別だが、決定の流れを見ている限り、該当する一年生はいないようだ。

 

 生徒会から委員長を選出するわけにもいかず、誰が委員長の肩書きを背負うかの様子見が繰り広げられる。

 この行き場のない粘着性ある空気の一端を自分が構成していると考えると、胸がつかえて止まない。

 

 責任感に流されたわけではないが、委員長に希望することを考えていないわけではなかった。

 ただこの重い雰囲気の中で挙手するということが、ハードルが高いように思えたのだ

 

「……お節介だろうが、一つだけ」

「はい?」

 

 俺の後ろに立つ里美先生が、俺のみに聞こえるほどの小声で話しかける。

 

「積極性に悩んでいるときは、実行に移した方が得なことが多い。大変だろうけどな。もちろん強いるつもりは毛頭ない」

「……すごいですね。正直、迷ってましたよ」

「そうか。本当は私がそう言わせてしまっているのかもしれない。だが君が自ら実行委員を希望したことを考えると、言っておいた方が良いかと思ってな。さっきも言った通り、ここから先の判断は君に任せる。私の言葉を忘れても構わない」

 

 それだけ言ってから、先生は一歩下がった。

 先生が俺に何かを期待し、助言しているとしたら、それはきっと買いかぶりだ。

 いち学生のいち委員長、正直誰が担当したとしても器量は十分足りている。ふさわしくない人材はいないと言っても過言じゃないだろう。

 そう考えると、ここで俺が委員長の札を掲げても特に問題はないのだろう。

 

「あの、他に希望者いないなら僕やりたいんです」

 

 助言を頂いてから張り詰めたような緩んだような微妙な雰囲気を壊すのに、そこまで時間はかからなかった。

 力強い印象を与えるほど声量が大きいわけではなかったが、この場に限っては十分過ぎる。

 

「よいのではないでしょうか。見たところ、他に希望者はいませんし。個人的な意見にはなりますが、彼なら十分任せられるかと」

 

 間髪入れずにフォローしたのは浅宮先輩だった。

 俺の意欲を歓迎してくれたようだが、「任せられる」と信頼されるのも不思議な話だが。

 生徒会長である彼女の一言もあって、俺の実行委員長就任に委員全員による拍手で承認された。

 

「ありがとうございます、先生」

「いいや。恐らく私が声をかけなくとも、君は最終的に手を挙げていたんだろう。タイミングが早まった効果があったか怪しい程度だよ」

 

 どうせ余りの椅子に誰が座ろうと同じだと心で言い訳するものの、それなりの責任を背負う必要がある。

 その責務を任せるに値すると踏んだのかどうかは知らないが、先輩といい先生といい俺を過大評価している節がある。

 

 寄せられた期待に応えられるよう善処したいが、確約はできない。

 なんにせよ、自分次第であることは確かではある。

 

 副会長と書紀の立候補も現れず、やむを得ず抽選となった。

 そこに至るにもかなりの時間がかかり、役員決めだけの会議のはずが午後六時を回ろうとしていた。

 視聴覚室で映像を見たのが午後五時前後だったので、一時間近くかかっていることになる。

 この時点で先が思いやられるが、だからこそ俺が奮起する必要があるのだろう。

 

 今後の予定と仕事内容、次回の集合予定日を確認して解散。

 当然午後六時は優に過ぎていた。

 カーテンを閉めきって照明をつけていたのでわからなかったが、廊下の蛍光灯が光るほど薄暗になっていた。

 

「文化祭実行委員、しかも委員長になるとは驚きました」

「……浅宮先輩」

 

 外の暗がりを窓から覗いていると、浅宮先輩に話しかけられた。

 今は生徒会や実行委員の区切りもないため、ただの先輩と後輩として会話が始まるのだろう。

 

「魔が差したってのに近いだけですよ。ノリってわけでもなければ、使命感がはたらいたわけでもないですから」

「根拠ない勘ですが、貴方があの中で一番上手く立ち回れる人間だと思いますよ」

「まさか」

「素性を知らない人間が多いのも事実ですが、貴方が適任かと」

「無い袖は振れないってご存知ですか?」

 

 才能がある分には振る振らないの選択があるが、ない分はそれさえ与えられない。

 人を動かす能力も才能の一種で、特筆すべき能力のない俺にそんな持ち合わせはない。

 となれば、名乗りを上げなかっただけで俺よりも適任な生徒がいたかもしれない。

 

「ええ。私が言っているのは、()()()()貴方を評価した結果ですから」

「たった一回、荷物持ちを手伝っただけですけどね。建築系かデートの荷物持ちの項目なら評価されそうですが」

「その一回の善行をできるかできないか。その差は大きいと考えていますよ、私は」

「そうですか。それでなんですけど」

「はい?」

「いつまでついてくるんですか?」

 

 話しかけられてから、俺は図書室へと向かっている。

 彼女を連れ回すことになるが、話を切り上げるタイミングを確実なものにするためだ。

 少しばかり長引こうとも、そこまで距離は遠くない。図書室に入るときに別れようと思っていたのだが。

 

 話していると、思いの外すぐに図書室に到着した。

 向かう場所が目前にある今、ドアの前で立ち止まって話をしている状況だ。

 浅宮先輩は話をやめる気がないらしく、会話が途切れる気配がない。

 

「もう少しだけ。ダメですか?」

「いや、別にダメってわけじゃ……」

「では、図書室の中で話しましょう。貴方も、ここに用があるのでは?」

 

 俺の目的地ならば問題ない、と言いたいようだ。

 図書室の明かりは点いているため、恐らく中にまだ綾瀬がいる。

 とはいえ、読書の邪魔にならない程度ならいいだろう。

 

 わかりましたと答える前に、浅宮先輩は扉を開けていた。




ありがとうございました。

8月7日までに一本、7日に一本出す予定です。
他の更新止めてでもこの予定で出そうと思ってますが、テストがあるのでこの通りにいくかどうかはあくまで予定ということで。

ちなみに8月7日は、旧暦の七夕らしいです。


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第25話 不可視の過ち

連日での投稿はこの作品では初めてでした。
書いてたらできあがったので、もう投稿します。


 突然の来訪者、それも遅い時間なので受付の彼女が多少驚いてこちらを確認した。

 先輩、俺の順に視線を配った後、先輩に落ち着いたようだ。

 

「生徒会長が、なぜこの時間にここを?」

「こんばんは。突然ごめんなさい。ここに用事はないのですが、彼と話す場を頂きたく」

「ご自由にどうぞ。私かそこの人が学校に残るまでなら」

 

 やけに「そこの人」と強調された気がするが、問いを投げる前に腕を引かれた。

 引かれるがままに席に座らされ、彼女は俺の向かいの席についた。

 

「さて、お時間はいつまで大丈夫でしょうか?」

「え、いや……綾瀬はいつ帰るんだ」

「今すぐにでも帰っていいのだけれど」

 

 声のトーンこそ普段通りだが、口調がいつもに増して強い。

 的確に心情を汲み取ることはできないが、不機嫌に傾いている可能性は高いだろう。

 邪魔だと感じられる前に、早めに切り上げた方が良さそうだ。

 それに文化祭が終わるまで浅宮先輩とは定期的に会うこととなるため、今日のところは早めに切り上げたいところだ。

 

「ええと、十分くらいでどうですか? それで僕は帰ります」

「そうですか。では、私もご一緒してもよろしいでしょうか? 私の家は駅方面なのですが」

「残念、反対側です」

「あら、それは残念ですね」

 

 残念だが、この場限りでは幸いな面があるとも言わざるを得ない。

 見た限り、彼女達の仲は少なくとも良好ではない。

 俺と浅宮先輩が会話して、馴染めない綾瀬が浮く未来が容易に想像できた。

 

「こほん、では改めて。どうして実行委員に?」

「特に理由なんてないですよ。気の迷いってやつです」

「立候補したのですか?」

「一応そうなりますね。抽選で弾かれた後に会長立候補とかいう意味わからんことはしてないです」

「なにか理由が?」

「特に話すほどのことでも」

 

 簡潔に言えば妹にいいところを見せたい。

 事実だが少しずれている上に、与える印象が良いものとは思えない。

 立派な動機があるわけでもないならば、それは言うに値しないことは確かだ。

 

「そうですか。ともあれ、実行委員はともかくとして実行委員長は大変ですよ」

「経験が?」

「ええ。かなり大変なので、覚悟しておいた方がいいかもしれません」

「できれば聞きたくなかったですね」

 

 後悔こそないが、先行きが不安になる。

 今日見た限りでは、仕事に積極的な方であるとは思えない。

 しわ寄せが来る未来が容易に想像できてしまうことが残念で仕方ない。

 

「部活の部長もやってましたから、その分もありましたね。最後までやり遂げられたのも、周りの人からの助けがあった御蔭です」

「そりゃ大変でしたね。ちなみに、何の部活に?」

「陸上部に。とはいえ、ほんの一週間ほど前に引退したばかりなんですがね」

 

 今が七月の上旬なので、六月終わりから七月始めか。

 夏休みが目前とはいえ、夏休みに入るよりも早く引退する運動部もあるとは意外だった。

 それよりも意外だったことは確かにある。

 

「意外ですね、先輩が陸上って」

「ふふ、よく言われます。静かなのは飽きてしまいまして。習い事で大抵はこなしましたから」

 

 大抵の習い事をこなす、というのも随分とスケールが大きい。

 茶道、算盤(そろばん)、書道と静かな習い事はいくらでも挙げられる。

 このほとんどを体験したと考えると単純な尊敬の念が先に湧く。

 

 彼女はその経験を嫌がっている様子はなかったので、習い事には積極的な姿勢だったのだろう。

 当然興味があるものもないものもあっただろうが、それを抜きにして継続できるのは思いの外難しいことだ。

 混血が前面に出た見た目だが、書道や茶道に取り組む姿が似合いそうなので不思議なものだ。

 

「『何事も優雅に、落ち着いて』でしたっけ。素晴らしいですよ。尊敬します」

「あら、覚えていただけていたとは。ですが、それほどのことでもありませんよ。貴方は部活に入っているのですか?」

「僕は部活に入ってないですよ」

「……そいつ、今年の五月に転入してきたばかりなんですよ」

 

 本から顔を上げたらしく、俺の言葉に補足を入れた綾瀬。

 素っ気ない彼女が割り込んだことを嬉しく思ったのか、浅宮先輩は笑って話を続ける。

 

「そうだったんですね。前の高校も無所属で?」

「……前の高校っすか」

「ええ」

「サッカーやってましたよ、一応」

 

 この質問が引き出されることが予想できていたが、少しつまづいてしまった。

 なにか恨めしいことでもないので、嘘で答えることもなく。

 

「何それ、初耳なんだけど」

「聞かれてなかったからな。つい昨日、高波に聞かれて答えたのが最初だ」

「なるほど。体格がいいとは思ってましたが、やはり運動部所属でしたか」

「そんな大したもんじゃないっすよ」

 

 確かに小中、前の高校の十年はサッカーをやっていた。

 外見のためではないが筋トレもしてきたため、そこらの男子生徒よりも体つきはいいだろう。

 というよりも、女子から体格を褒められるのが恥ずかしく、存外嬉しく感じることがさらに恥ずかしい。

 

「一応スタメンでしたけど、ただの十一人のうちの一人って感じでしたよ」

「そんなことはありませんよ。誇るべきことだと思いますよ。冬に校内でスポーツ大会があります。複数選ばれた種目の中にサッカーが含まれた年もありましたから、そのときは参加してみるといいかもしれませんね」

「ご提案どうも。でも、俺はもうサッカーしないって決めたんです。ごめんなさい」

「参加を強制しているわけではありませんし、謝らないでください。それに、私が個人的に見たいと思っただけなので」

「何かの間違いでそうなったら見てくれると嬉しいです。……じゃあ、もう時間なので帰りますね」

 

 時計で程よく時間が過ぎたことを確認して、会話を切り上げる。

 二人で荷物を手早くまとめ、図書館を閉める。

 俺と綾瀬は揃って会釈をしてから、浅宮先輩と別れた。

 

 二人になってからというもの、今日を思い出したかのように空気が冷めていた。

 午後六時。空は薄茜に染まっているものの、ほんのりと暗さが広がっている。

 そんな明るいとも暗いとも言えない雰囲気に飲まれたのか、はたまた単に気まずいだけか。

 

 俺の方から口を開くことはなかった。

 

「ねえ。あんた、さっきサッカー部でスタメンって言ってたわね」

「言ったな。数多い部員のうちの一人に過ぎないとも言った」

「嘘でしょう。前の高校でスタメンだったとして、あんたはいつからスタメンなのよ。少なくとも、一年で既にスタメン入りしてたでしょう」

 

 確かに綾瀬の訂正は正しかった。

 通常どの部活も夏に先輩が引退し、残された者で新スタメンが形成される。

 様々な試行錯誤の末とはいえ、次の年の春までにはスタメンが定着するはずだ。

 この流れのままだと、俺のスタメン入りも二年を迎える前となるわけだ。

 

 しまった、と後悔したがもう遅い。

 言う必要のないことは言うべきでない。口は災いの元とはよく言ったものだ。

 

「小中とやってたから、少し上手かっただけだよ」

「そう。なら尚更、うちの高校でサッカーを続けないのかも理解できないけどね」

「混じりにくい雰囲気あるだろ」

「それも嘘ね。サッカーしないって決意したんでしょう? それとも、それが決意の原因なのかしらね」

 

 なるほど嘘を重ねると失敗する理由がよくわかる。

 

「だといいな」

「そうね、私にとってはどうでもいいもの」

「それもそうだな」

 

 会話に転じたものの、その実態は探り合いだった。

 互いに機を伺ってはいるが、軽いジャブで牽制しあっている感じだ。

 

「なあ。今日の朝、何を言いかけたんだよ」

 

 本格的に先に仕掛けたのは俺だった。

 自分の中だけで心理戦を繰り広げるのが馬鹿らしくなったのが一つ。

 ここまで引きずっている自分が一番気になっているということが一つ。

 聞き出すに値する理由があった。

 

「大したことじゃないわ。昨日は慌てて帰ってったから、何があったのか気になっただけよ」

「ああ、あれか。葵がスーパーに夕飯の買い出し行ってたんだよ」

「……は? ちょっと、葵って。状況が、えっと……」

 

 何も考えず葵の名を出したが、そういえば綾瀬は知らないんだったか。

 高波が知っていて綾瀬が知らないことは、意外と多いのかもしれない。

 

「妹だよ。中学三年の。夏休みが始まってからこっちに来てるんだ」

「ああ、そう。妹、ね」

「ちなみに俺と違って料理ができる」

「それ、妹自慢なのか自虐なのかわからないところね」

 

 確かに家庭料理が基準ならば、できることを誇れるレベルかどうかと聞かれると怪しい気もする。

 となると、自虐に入るか。

 

「妹さんがいるってのも初耳なんだけれど?」

「当然だ、言ってないからな。ちなみに高波はもう妹に会ってる」

「なにそれ。麗美奈はいいけど、私に会わせると悪影響あるから会わせないみたいな?」

「そんなこと一言も言ってないし思ってもいなかったが、いざ言われてみると確かにそうかもしれないな」

「後で覚えておくことね」

「そういうとこなんだよなあ」

「冗談よ」

「知ってる」

 

 直感だが、彼女の言うことが冗談なのか否かがわかるようになってきた。

 声色が浮きにくいため、最初の頃は見分けが困難だったときもあったっけか。

 

 そう考えると、彼女との付き合い方がわかってきたのかもしれない。

 人付き合いに目立った問題があるわけではないため、上手くやれば高波ほどとはいかないまでも、友人に困らない程度にはなれそうなものだが。

 

 高波で苦手となると、葵は綾瀬を良く思うことはなさそうだ。

 会わせる分には構わないのだが、俺の女友達が心配されるかもしれない。

 

「あんたと違って、妹さんは優秀そうね」

「……そうだな。俺なんかよりもずっと優秀だ。しっかりしてるし、人の気持ちもわかってやれる」

 

 思えばそうだ。俺よりも葵の方が遥かに人間ができている。

 愚兄賢弟(ぐけいけんてい)とはよく言ったものだ。違うことは、弟ではなく妹というところだけ。

 多分俺は、葵を尊敬しているのだろう。妹を尊敬する兄というのも変な話だが、俺が文化祭実行委員になった理由であると考えると、自分で納得できた。

 

「一度会ってみたいものね」

「そうなのか?」

「ええ。あんたがそんな風に言うってのは珍しいもの」

「そうかい。ま、機会があったらな」

 

 そう言ったはいいものの、恐らく自然に会う機会はない。

 もし会うチャンスがあったとして、葵と綾瀬が自然に会話する風景が想像できない。

 葵が綾瀬という人物を会話ができる程度に理解するよりも先に、夏休みが終わるだろう。

 

 後の会話はスムーズに紡がれた。

 変な意地を張ることもなく、透明で湾曲した障壁は消え去っていた。

 

 綾瀬の家に着いて、別れる。

 葵にどう話そうかと考え事をしていると、いつの間にか家に着いていた。

 

「おかえり、おにい」

 

 鍵を開けて、迎えがあることは実に良いことだ。

 葵は既に夕食の支度をしており、それももう終わる頃だった。

 

「なあ、葵。俺、今度の文化祭で実行委員長になった」

「おにいが?」

「ああ」

「……そっか、頑張ってね」

 

 不器用で直球な報告だった。

 それにもかかわらず、葵は薄く笑って返してくれた。

 

「もうご飯できたから、冷めないうちに食べよっか。手を洗ってからね」

 

 同じく笑って話題を打ち切られた。

 

 そして、俺はなんとなくだが理解した。

 

 ──俺の選択は、きっとどこかに間違いがあったのだろうと。




ありがとうございました。

テストこわい。
頑張って7日に向けて書きたいです。

追記
旧暦の七夕についてですが、今年は25日らしいので、25日に投稿を延期させていただきます。
7日は昨年らしいです。勝手に延期してしまい、申し訳ありません。


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第26話 七月終わりの短冊

七夕回です。一話で終わらせたかったのですが、七夕要素があまりない上に一話にまとめるのは無理でした。
一日かけて試行錯誤しましたが、縮小しない内容を二話に分けることにしました。
技量不足で申し訳ない。


 ガラス越しに届く陽光が眩しくて仕方がない。

 暑さをばらまく外になどいられない。エアコンがせっせと働く室内に篭もるに限る。

 

「あ~……だる」

「ぐうたらおにいだ」

「うるせー」

 

 俺も一応働いているのだから、休みくらいほしいものだ。

 とはいえ、働くことを選んだのは俺なのだが。

 

 里美先生の忠告通り、平日は学校に赴いている。

 仕事は八月に入る前に終わり、残りは充実した夏休みが約束されるようだ。

 実行委員の候補選出で進行が止まっているため、出し物の承認などの仕事ができない。

 現状手が付けられる仕事は底をつき、休日を謳歌する余裕が訪れたというわけだ。

 

 吐き出される冷気に少し寒気を覚えたとき、ソファに置かれたスマホが着信を知らせる。

 無論妹のものではなく、俺のスマホが震えている。

 俺に電話をかける人物など限られているため、誰からの報なのかと予想しながらスマホを耳に当てた。

 

「はいもしもし、東雲です」

「知ってる。貴方にかけてるもの」

「お言葉ですがかける相手を間違えてません?」

 

 いつもの四人衆のうちの三人だろうと踏んでいた。

 確かにその通りだったのだが、最も確率が低いと予想した人物とは。

 

「間違えるわけないでしょう。手打ちじゃあるまいし」

「麺類の話はあまり詳しくないので」

「面白くないわよ」

 

 存外バッサリと切り捨てられた。

 ある程度予想はできていたが、ここまで感情のこもっていない言葉も中々聞き覚えがない。

 画面を見て改めて通話相手を確認するまでもなく、声の主は綾瀬だと理解させられる。

 

「手短に用件だけ伝えるわ。明日、空いてるかしら」

「先に用件を言えっての。用件だけってのはなんだったんだよ」

「プールに行くわよ」

 

 発言に理解が追いつくよりも先に、俺は否定の結論を下す。

 だるい、人混みに自らが赴く理由がない、綾瀬からの電話の内容にしては怪しい。

 肯定の返事をしようにも、それを全て無に帰すほどのネガティブな理由が次々と浮かぶ。

 

「あ~、明日は文化祭実行委員の集まりがあってだな」

「用件を先に伝えさせるってことは、少なくとも誘いを断るに値する予定は入ってないはずなのだけれど」

「……お前、(はか)ったな?」

「貴方にも選択肢はないってことよ。諦めなさい」

 

 なぜ脅迫まがいなことをされ、水遊びに招かれなければならないのか。

 いささか劣悪な手段と言わざるを得ないが、後悔先に立たずというもの。自らの失敗を悔やんでも残念ながら結果は変わらない。

 

 しかし、俺の中に一つの芯を持つ疑問があった。

()()綾瀬から、レジャー施設に誘われる? 

 予想だにしない出来事だ。本当ならば、この夏における青春の訪れを喜ぶべきなのだろう。

 が、それ以上に理由が気になる。

 

「で、その貴方()()ってなんだよ。他に誰の選択肢がないって?」

「そんなの私以外にいないでしょう」

 

 なるほど、彼女も()()()()だったということか。

 大方(おおかた)、高波に勢いのままに誘われ、俺も誘うよう強制しているのだろう。

 強制する理由が不透明すぎるが、聞いても恐らく答えは返ってこない。

 

「そうかわかった。お前が俺を誘う理由もなんとなく。けどな、俺は葵を一人にするわけにはいかないんだ」

「行ってもいいよ」

 

 言葉を挟んだのは葵本人だった。

 電話をつなぎながら、言葉の行き先をずらした。

 

「私のことはいいから。そんなことしてたら、お友達いなくなるよ?」

「いや、そういうわけにも。ていうか行きたくないし」

「聞こえてるわよ」

 

 誤魔化すつもりもなかったので、そのまま口にしたまでだ。

 綾瀬相手に聞かれたとて、そこまで気をつかう必要もない。

 

 近くにいた葵は、器用に俺の手からスマホを取り上げた。

 

「あ、ちょっ──」

「もしもし、妹の葵です。いつもおにいがお世話になっております~」

 

 止める間もなくそのまま勝手にふらふらと廊下へ出てしまった。

 熱気溢れる場所に行ってまで取り返す気力も起きない。

 

 数分もせずに妹は戻ってきた。

 

「はい。行くって言っといたから」

「あのなあ」

「たまにはお友達と一緒に遊ぶのも大切だよ」

 

 渋い顔をしてスマホを受け取る。

 葵を一人にしておくのは心配だが、話が通った後に断るのは申し訳ない。

 気が向かないのも確かだが、明日は予定が入るらしい。

 

「あ、水着買ってない。うっわ~……」

 

 引っ越して水着を持っていないことを思い出すと、さらに嫌気がさす。

 窓をちらと覗くと、アスファルトを焦げ付かせるほどの日光は健在。

 灼熱地獄に足を踏み入れる覚悟をしてから、ソファを立ち上がる。

 

 

 

 翌日。後ほど知らされた集合場所と時間に遅れることなくバス停へ到着。

 乗り遅れることもなく、いつもの四人衆は揃った。

 

「涼し~……」

 

 車内は冷気で満たされており、綾瀬が思わず呟くのもうなずける。

 文明の利器とは非常にありがたいものだと感謝が尽きない。

 

「じゃ、先にこれ配っとくね。後で私が回収するから」

 

 車内に乗ってすぐに、高波が長方形の紙を一人につき一枚ずつ配った。

 ただの紙かと思ったが、よく見ると片側短辺の中央に小さな穴が空いている。

 

「なんだこれ」

「短冊。今日は今年の旧七夕だからね。帰りのバスで集めるから、それまでに願い事書いといてね」

「そりゃ別にいいんだが、なんで七日じゃなくて今日なんだ?」

 

 確かに訳は理解できるが、わざわざ今日することでもない。

 旧ではなく、現在の七夕に書けばよかったのではないだろうか。どうせ学校で皆集まるのだから。

 

「あ~、七日は──」

「今年の七日は日曜だったでしょう」

「……あ、ほんとだ」

 

 計算したが、確かに七日は日曜日だ。

 納得してから、バッグの中からペンを取り出す。

 指先で円柱を弄びながら考えるが、唐突に願い事など思いつかない。

 とはいえ帰りのバスで疲弊した状態で書くのもだるいので、目的のバス停に着くまでには書き終えておきたい。

 

 三人との会話もそこそこに短冊に書く内容を考えたが、どうにも筆の調子が振るわない。

 結局最後まで私的な願い事は思いつかず、適当なことをさっと書き留めて後で書き直すことにした。

 

 

 

「とうちゃく~!」

 

 車内と外の温度差に悩まされながらしばらく歩き、目的地に到着した。

 プールを内包する建物を目の前にして、叫んだのは高波だった。

 

 勢いそのままに、施設の自動ドア、更衣室のドアを開くまでにそこまでの時間はかからなかった。

 

「ねえ。二人の水着、どんなだろうね」

「さあな」

 

 若干の期待がのしかかった遥斗の言葉へ雑に返す。

 確かに気持ちはわからないでもない。彼女らの水着姿というものが目の保養であることに間違いはないだろう。

 ただ、あまり変な目で見るのも失礼という建前上、あまり興味のない演出をしているだけと言われたらそれまででもあるのが複雑なところだ。

 

 熱量が充満する水場で待つこと数分。期待の根源はやってきた。

 

「おまたせ~!」

「ごめんなさい。麗美奈が手間取ったのよ」

「その情報必要だったのかって俺は不思議でならない」

 

 彼女らの姿を見ると、言葉が出なかった。

 かたや、男の目を攫う抜群のプロポーション。明るい水色のビキニと朗らかな様子が相まって、まさに「万人受けの理想」といった姿。

 かたや、白いビキニから薄肌色の溢れを避け、白のパーカーを着た低身長で清楚の権化。対してこちらは「純朴の理想」といった姿。

 感心の拘束具から解けた最初の一挙は、感心の溜め息一つだった。

 

「二人共、水着めっちゃ似合ってるな」

「そう」

「ありがと。二人も似合ってるよ」

 

 典型的な言葉を返すのもやっとだ。

 ある意味で、彼女達の返事は彼女らしいものだった。

 男物の水着に、似合ってるもなにもないだろうに。

 

「というか、二人とも筋肉ついてるね。すごい」

「俺は中学でバスケ部だったから、その分もあるかな。筋トレも続けてるし」

「俺はそんなこともないけどな」

「あんたも要らない嘘つかないの。サッカー部だったでしょう」

「え、マジ? 初耳なんだけど」

 

 当然だ。遥斗には初めて言ったのだから。

 というか、このやり取りが既に三度目なのだが。

 

「じゃ、早速泳ぎにいきますか」

 

 遥斗が先行する中、俺はとある約束を思い出した。

 

「綾瀬。確か、どっちが速いかで競争する約束だったろ」

 

 かすかにだが、そんな口約束をしていた気がする。

 夏休み前まで水泳の授業はなかったため、今まで競争の機会がなかったのだ。

 

「あ~、それか。七海ちゃんは泳げないんだよ」

「はい?」

「聞いたでしょう。泳げないわよ、私」

「いやなんで競争に参加したんだよ」

「あんたが泳げなかったら勝ち目があるかと思ったのよ」

「んなわけねえだろ……」

 

 どれだけ薄い希望に賭けた勝負を受けたのだろうか。

 そもそも、金槌なら最初からそう言えばよかったのだろうが、それは彼女の性格上、言っても無駄だろう。

 

「じゃ、今日は三人で金槌の錆取りってことでどうだ」

「いや別に、そこまでしてもらわなくてもいいわよ」

「楽しくないだろ。一人だけそっちのけとか逆に気ぃ使うわ。少なくとも俺はな」

 

 話を聞いている限り、綾瀬以外には金槌はいない。

 二人いるならまだしも、綾瀬一人を置いて楽しむというのも酷な話だ。

 

「じゃあ三人の中で一番教え方上手な人が優勝ってことでどう?」

 

 水面に背中を預け、天を仰ぐ遥斗。

 他の人が泳いだ際にできた水流で徐々に向こうへ流されているため、様がイカダのそれである点が残念である。

 

「私も一回やったことあるんだけど、私が得意なわけでもないから上手くいかなかったかな」

「じゃあ無理なんじゃないか?」

「諦め早すぎでしょ。もっと私の可能性見出して」

 

 見出して、と言われても。

 体が軽いことは間違いないため、浮くことは簡単そうだ。

 であれば、泳げない原因は推進力か。

 

「どこまでできるんだ? 顔は水に浸けられる?」

「ええ」

「バタ足は?」

「する前に沈むわ」

「うっそだろ」

 

 悪魔の実の能力者かなにかか。まさか簡単だと思われたことで躓いていた。

 しかし、体が沈む理由は大体一つに決まっている。

 

 水に入らないと話が進まないため、取り敢えずプールの中に。

 俺と高波は問題なかったが、綾瀬は身長が低く、プールに足が着くと水面が顎付近にあるのが面白い。

 とはいえ、笑ったら未来が危ういので我慢したが。

 

 遥斗が手を引いて、綾瀬のバタ足を補助。

 高波が役をする前に遥斗が立候補し、綾瀬を引っ張っている。

 引率係の微笑みが邪悪な時点で、嫌な予感しかしないが。

 

「はい、いいよいいよ~、ほい」

 

 突然に遥斗が手を離した。

 途端に推進が止まり、綾瀬が呼吸困難でプールに立った。

 

「やったわアイツ」

「あはは……」

「ごめんごめん、手が滑った」

「こほっ、けほっ……あんた、バスから降りられないと思った方がいいわよ」

 

 外野から見ている俺と高波は苦笑いを浮かべる他なかった。

 最近は綾瀬が大人しかったとはいえ、遥斗はいつまでも攻めていくようだ。

 仲が良いようでなによりではある。居心地が悪いよりはずっとマシだ。

 

 短い観察時間だったが、原因が予想通りだったため問題はすぐにわかった。

 

「腰から沈んでるな。腕も伸ばしきれてない。腰も若干曲がってるな」

 

 いわゆる、ストリームラインができていない。

 体が沈むだの、浮かばないだの、そういった類の言葉を垂れる人は大体これができていない。

 体全体が一直線になっていないため、水の抵抗を受けやすいのだ。そのため、キックも力が十分に伝わらず、推進力も乏しいため前に進まない。

 

「高波、腰を支えてやってくれ。すぐ直るだろうから、最初の一回だけでいい」

「は~い」

「肘曲げずに手を伸ばしてみろ。腕を耳に密着させるんだ」

 

 アドバイスをそこそこに飛ばし、再挑戦。

 高波が直接支えた御蔭もあって、簡単に浮いた。推進力も増しているように見える。

 

「取り敢えず、バタ足はクリアだな」

「すごいね。腰は私も言ったことがあったけど、腕は言った覚えがなかったなあ」

 

 確かに、胴体と足を水面と平行にする意識は強いが、手は疎かになりがちだ。

 腕を伸ばせば自然と胸も真っ直ぐになるので、思っている以上に影響は大きい。

 

「次はそうだな、クロールかな」

「あまり難しいのは……」

「大丈夫だ。バタ足できたら、クロールは半分できたも同然だ」

 

 大雑把な理論だが、手と足で二分したうち足はできているため、半分はできたことになる。

 クロールさえできてしまえば、最低限金槌であることは否定できる。

「4泳法」とされる中で、一番とっつきやすくメジャーであるクロールの難易度は低い。

 

「足はさっきと同じ。手はS字──いや、I字でいい。そのまま腕を大きく回すだけでいい」

 

 S字に手を回すよりも、直線的に動かすI字の方が簡単だ。

 引っ張ることも支えることもできないため、彼女一人でクロールに挑戦。

 見様見真似で、教えていない息継ぎをしている。

 推進の方は問題なく進んでいた。

 

「上手いな。ほぼできているが、息継ぎは顔を横じゃなくて上に向ける感じだ。上げない方の腕に耳をつけて、枕にするように」

 

 それだけ言って、練習に戻る。

 ものの数回で息継ぎを覚え、クロールは完成した。

 

「できてるぞ」

「……すごいわね。こんなに早くできるとは思ってなかったわ」

「簡単だし、飲み込みも良かったからな」

 

 難易度が低いとはいえ、バタ足の練習を始めてから一時間もかかっていない。

 要領がいいことも事実だ。

 

「ってことで、優勝は蒼夜かな」

「そりゃどうも」

 

 特に大義を成したわけでもないが、金槌が直ってなによりだった。

 ふと時計を見ると、帰りの予定時刻まで既に二時間を切っていた。

 バスの移動時刻を考慮すると、どうしても泳ぐ時間が少なくなるため、仕方のないことだ。

 とはいえ、二時間もあれば体力が尽きるのには十分すぎる。




ありがとうございました。

旧七夕に合わせて投稿するのはどうか、という意見があったので取り入れさせていただきましたが、技量不足でほぼ七夕要素ないまま終わってしまい、本当に申し訳ありません。

取り敢えず、学校でできなかった水着回を今回で回収。

次回は七夕要素を入れます。

今回のように、こういうのはどうか、というお題を出してくれるのはこちらとしてもありがたいです。
もしお題が来て、話に組めそうだったら取り入れさせていただきます。


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第27話 淡白

最近めっちゃくしゃみが出ます。
原因不明です。風邪ではないと思うのですがね。


 二時間もの間を泳ぐというのは、指に皺が寄りに寄るには十分過ぎる。

 重くのしかかる倦怠感を連れたまま、バスに揺られる。

 疲労が眠気を誘発するもので、短冊の内容など浮かばない。

 バスの揺れが睡眠への誘いを強いものとする中、俺を現実に踏みとどめたのは隣に座る綾瀬の声だった。

 

「眠そうね」

「……まあな。そういう綾瀬はそうでもなさそうだな」

「眠いわよ、とても。ただ、誰か一人は起きてないと大変なことになるから」

 

 後ろを向く。遥斗と高波は揃って瞼を閉じている。

 どうやら疲れと心地よい揺れのシナジーには耐えられなかったようだ。

 かくいう俺も、この一枚の紙がなければ同じく眠りに落ちていた自信がある。

 

「一駅前に起こすから、無理しなくていいわよ」

「いやいや。そっちこそ寝てていいぞ。これ書かないとだし」

「黙ってればかっこいいんだから、眠るのを推奨するわ」

「見え透いた世辞をどうも。そっちこそ黙ってれば可愛いんだから、眠ったらどうだ」

「取ってつけたような所感をどうも」

 

 互いに思考がまとまっていないことがよくわかる。

 意味も中身もない会話だけが独り歩きしている。

 

「まあしかし、品行方正って言葉が似合うだけはあるかな」

「あんたと逆の四字熟語ね、当然知ってるわよ。ところで辞書は引いたことある?」

 

 小言を言い合っていると、だんだんと眠気も晴れてきた。

 霞のかかった思考がクリアになると、自分の発言がどれほど恐れ知らずかを自覚し始める。

 綾瀬が気にする様子がないことは唯一の救いだろうか。

 

「あまり楽しくなさそうだったわね」

「ん?」

「あんたのことよ」

「どういうことよ」

「言葉の通りだっての」

 

 突然のことで、眠気とは関係なく思考が硬直した。

 今日を思い返すが、満喫とはいかないまでも、それなりには楽しめた気がする。

 少なくとも、つまらないということはなかった。

 綾瀬は言葉通りと言うが、それでも俺の理解は及ばない。

 

「そうかな」

「そうよ」

「こうやって皆で集まるってだけで嬉しいもんだがな」

 

 特別遊びに行かなくとも、普段図書室に集まって駄弁るだけでも十分だ。

 彼女から見て楽しくなさそうと感じるならば、あとの二人もそう感じたのだろうか。

 雰囲気を壊してしまったのかもしれないと考えると、若干の申し訳無さを感じてしまう。

 

 誰かに謝って変わることでもなく、不可視の何かから逃げるように視線を車窓へ。

 信号機やら木やらが穏やかに過ぎ去る風景をぼうっと眺める。

 何を考えるわけでもなく、手先で札を無意識に弄ぶ。

 

 薄く橙の光が照っていることに気付いた。

 今が何時かを知るために、ポケットのスマホを取り出そうとした。

 

「今は五時を回ったところよ」

「どしたん突然」

「時間が気になってそうだったから」

「なんだよすげえなそれ。エスパーか」

「かもね、センスありけりって感じ」

 

 和洋折衷の特異な言語を交わしながら考える。

 バスを降りる頃には六時前後といったところか。

 帰るついでに買い物を済ませて、葵に夕食を作ってもらう。

 それが終わる頃には随分と遅い時間になってしまうので、葵には悪いことをしてしまう。

 

 そうして、思考は青春の浪費に回帰する。

 この時間をつまらないという気持ちを抱いて過ごした覚えはない。

 ただ、もしかすると今日という括りに関してはその限りではないのかもしれない。

 

 正しくは、()()()()面白いとは言えないというべきか。

 その要因は、葵を一人置いてきたことによる胸のつっかえだ。

 端的に換言して、シスコンが原因だ。

 自分をシスコンだと自覚したことはないが、傍から見るとそれに分類されるのかもしれない。ほんの僅かの可能性だが。

 

「心ここにあらず、って様子ね」

「ああ、まあ常人にはそう見えるだけだ気にしないでくれたまえ」

「一応聞いとくけど、異端者にはどう映ってるわけ?」

「こう、地球に存在する数々の社会問題に正面から向き合った合理的な解決策をだな」

「どうでもいいこと考えてるのねわかった」

 

 こういったおふざけも、綾瀬には通じるとわかった。

 通じるというよりも、軽く流されているだけかもしれないが。

 無視せず付き合ってくれるだけでもありがたいというものだ。

 

 結局、俺の左手は終盤まで紙を弄るだけに留まった。

 降車寸前に、かろうじて読める程度に走り書きをして提出することとなった。

 

「いや~、こう四人で遊ぶのもいいもんだね~」

 

 何気ない高波の一言に異議を唱える者はいなかった。

 薄暗い空間に光を与える一本の街灯が、どこか疎外感を感じさせる。

 

 俺の青春は登場人物に俺を含む。それも主人公で。ごく当たり前のことだ。

 ただ今日ばかりは、語り部であった方が面白みを受け取れたかもしれない。

 かといって手放しにつまらなかったと言い切れないところがもどかしい。

 

「また四人で遊べるといいな」

 

 そう付け加えたのは、意外にも俺自身だった。

 本心では、この四人が集まれることを幸福と捉えている。

 ただまあ、運動はもう遠慮したいところだ。

 

「できるよ。俺達が集まればいい話だろ」

「言えてるわね」

「当然すぎて何も言えないね」

 

 見慣れた十字路に着いた。

 ほのかだが確かな満足感を残して、高波と遥斗に別れを告げる。

 

 時刻を確認するため、スマホを取り出すとメールが届いていたことに気付く。

 差出人は葵で、暇があったら連絡をよこすよう催促する内容のものだった。

 綾瀬に一言断ってから、数少ない連絡帳のうち一つをタップ。

 

「悪い、遅くなったな」

「ほんとだよ」

「で、どうしたんだ?」

「夕飯の買い物頼んどいたでしょ。メニューはそっちで決めていいから、適当に材料買ってきて」

「はいはい」

 

 通話はそれを最後に、手短に終えた。

 適当とは言われたものの、特に食べたいものは思い浮かばない。

 

 綾瀬の家に向かいつつ、考える。

 なるべく安価で、調理の手間がかからないものが望ましい。

 などと考えていると、綾瀬を無意識に追い越していた。

 というのも、歩幅を合わせていなかったのではなく、彼女が立ち止まっていたことに気付いていなかったのだ。

 

「どうした?」

「ああ、ごめんなさい。このままスーパーに行くか、先にお風呂に入るか迷ってたのよ」

 

 立ち止まった場所は道が分かれていて、到着地点がスーパーか綾瀬の家かで通る方が変わる場所だった。

 どうやら綾瀬も買い物に行く必要があるようだ。

 

「俺もどうしよ。先に入っときたいとこではある」

「同感ね」

「じゃあ家に向かうってことでいいの?」

「そうね」

 

 普通の外出ならまだしも、プールに入った後は流したいところだ。

 意識すると、途端に肌についている乾燥した粘着性が気持ち悪くなってきた。

 特有の不快さからか、夜蝉の喧騒がいつもより耳につく。

 

 互いに無言のまま歩みを続ける。これも今に始まったことではない。

 静謐による形容し難い気まずさにはもう慣れてしまったため、今では(つゆ)程も感じなくなった。

 彼女がおしゃべりな性格ではないため、対応に追われる忙しさがない分、楽ではある。

 

 緩い均衡を破ったのは綾瀬の家に着いたときだった。

 

「ねえ」

「よかったら、夕食一緒にどう?」

「……ん?」

 

 反応に驚きを隠せなかった。

 凝集した蝉の声が気にならなくなったほどだ。

 

 綾瀬から個人的な誘いがあるなど想定外の出来事だった。

 断る理由はないが、応じるとなると、それはそれで不審感が湧き上がる。

 

「妹さん含めてよかったらだけど」

「ああ、まあ多分大丈夫だと思うが」

「そう。ならよかった」

「準備できたら電話くれ。迎えに行くから」

「助かるわ」

 

 そう約束して俺達は別れた。

 会話は成立したものの、いかんせん不思議な感覚に苛まれたままだ。

 何か別の目的があるのだろうか。

 法外な金額や臓器の提供を対価に要求されないよう、ささやかながら願うとしよう。

 

 十分と経たず自宅に到着。

 葵は今頃、食材の到着を待ちわびていることだろう。

 待ちぼうけさらにを裏切ることへの詫び言を考えつつ、玄関を開く。

 予想の通り、我が妹は既にアンニュイの極地へ到達しかけていた。

 

「おかえり。遅かったね~、控えめに言って遅すぎって感じ。速さが足りないって感じ。もう自分で買い物行こうかと思ってたよ」

「ほんと悪い。その件なんだが、一人追加だ。代わりにそいつが夕飯を作ってくれるらしい」

「え、なにそれ。そんな人どっから湧いて出たの。錬金術?」

「もし本当に俺が人体錬成できるとしたら、明日の新聞の一面は決まりだな」

 

 葵から見て、俺はそこまで人望がないのか。

 一緒に遊びに行く友人はさておき、夕食を作ってくれる友人となるとワンランク上がっている気がする。

 転校して三ヶ月弱であることを加味すると、俺は友人に恵まれている方なのかもしれない。

 

 例の三人とは目立った衝突をした覚えもない。

 喧嘩するほど親しくないと言ってしまえばそれまでで完璧に否定もできないが、友人関係は良好だと言って差し支えないだろう。

 強いて言えば、級友の少なさが気になるくらいだが、広く浅くか狭く深くかは個人の価値観なのでそこまで問題ではない。

 

「先にシャワー浴びてくる。もし電話かかってきたら、適当に対応よろしく」

「あいあい。私はもう浴び終わったから。私のことは気にせずごゆるりと」

 

 準備を整え、浴室へ。蛇口を捻る。

 落ちる水が温もりを得るまでの虚無。

 淡白な時間を使って考えた。

 

 綾瀬の料理の腕は少なくとも悪くない。

 今回は昼食ではなく夕食なので、それなりにしっかりしたものが食べられそうだ。

 ある意味での期待を抱いていることは事実。

 女の子の手料理を食すというのは、多少レアな青春イベントだと言える。

 

 控えめな胸の高鳴りを自覚する頃には、既に水は温水へと変わっていた。

 何を作るんだろうか、葵は綾瀬のことは気に入るだろうか、またその逆はどうだろうか。

 そんなことを考えつつ、体に張り付いていた塩素を泡と共に洗い流す。

 

 十分弱ほどで浴室を出る。

 気持ち急いだため、妹に預けておいた電話はまだ鳴っていなかった。

 髪を乾かし外出の準備を整え終えたところで、ちょうど電話がかかってきた。

 

「もしもし。こっちはいつでもいいわよ」

「了解。今から迎えに行く」

 

 最低限の意思疎通だけで通話を切った。

 

「じゃ、俺行ってくるわ」

「いや行ってくるわじゃなくて。なに勝手に人を置いてこうとしとんじゃ」

「一緒に来るのか?」

「ったりめーでしょ。もうお腹ペコペコのペコだし。待ちきれないし」

「まあ……多分大丈夫だろ。数分歩くぞ」

 

 葵の要望を汲み、二人で綾瀬の家へ。

 家に戻ってからあまり時間は経っていないはずなのに、外では思いの外肌寒い風が吹いていた。




ありがとうございました。

今年の冬は、昨年とは違い寒くなるらしいです。
去年がどのくらい寒かったか覚えてないため、私はイメージしづらかったですが。
風邪には気をつけてくださいね。


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第28話 青春は調味料になりえるか

本文を書きながら、ツイキャスで雑談枠を取るようにしました。
いつもの数倍は捗る上に、来てくださる方と交流もできて楽しいです。
よかったら遊びにきてください。

https://twitter.com/rourou00726

作品更新のお知らせもこのアカウントで随時行ってます。


 綾瀬の家が見えてきた。

 歩いて十分経った今も寒気を誘う風が吹き続けている。

 おおよそ夏のものとは思えない。

 門の前に着いて、立ち止まる。

 

「早かったわね」

「わざわざ外で待ってなくても」

「涼しい風に当たりたかったのよ」

 

 光る街頭が色素を含まない細髪を照らす。

 風呂上がりだからか、ほのかに顔全体に優しい赤がかかっている。

 水も滴るいい男と言うが、どうやらいい女は水を飛ばした後も美しいらしい。

 

「こ、こんにちは」

「こちらが妹さんかしら? こんばんは。綾瀬 七海といいます」

「あ……こんばんは。妹の葵です」

 

 挨拶を間違えてコミュ障に近い能力が発揮される葵。

 わかる。こんにちはとこんばんはの境目は曖昧だよな。

 午後五時とか微妙だもんな。午前十時とかもおはように入るか迷うよな。

 もう完全に夜だけど。街灯も光ってるけどね。

 

「とりあえず行きましょう。遅くなっちゃう」

 

 こちらを気にする様子もなく、やや高飛車気味な美少女は歩みを進める。

 難なく追いついてすぐに話を振られた。

 

「それで、メニューに希望はあるかしら?」

「特にない」

「それが一番困るってのに。妹さんからは?」

「私からもないですが、もう遅いので手早く作れるものがいいかと」

「いい子すぎて泣けちゃう。お兄さんにも見習ってほしいわね」

「片腹痛い通り越して片腹大激痛って感じだな。見習うもなにも俺ゆずりだわ」

「何か聞こえた気がするけど気のせいかしら。それともユニークな冗談?」

「あはは……」

 

 葵の笑いが力ない。

 眠った街で光る灯が彼女の呆れ半分の笑みを映す。

 二人の間では苦痛とも思わない、しばらくして流れる沈黙に慣れていない様子もはっきりとわかる。

 

 扉に「CLOSED」の表札看板をかけた店もちらほらと見える頃だ。

 光明を保つのはそれこそ、一般住宅か、今到着したスーパーなどの大型店舗くらいだ。

 さらに強い光に連れられると、綾瀬のミルク色にけぶる肌が一層綺麗に映ってしまう。

 

「あんたが好きなものは何なの?」

「……あ? 俺か?」

 

 悔しいが端正な容姿に視線が誘導され、綾瀬への返事にディレイが生まれてしまった。

 妹がいるとはいえ、夕食の買い物を共にするというのは理想恋愛の一つに入る気がする。

 傍から見ると、さぞかし俺は両手に花といった状態なのだろう。そんなことは全くないが。

 

「他に誰がいるのよ。可愛い妹さんにそんな口利くわけないじゃない」

「俺にはいいってのかよ。別にいいけど」

「そこでいいって言えるあんたもあんたね……」

 

 さて自分の好物を考えたものの、これといって思い当たらない。

 かといって嫌いな食べ物を挙げることも難しい。

 食にこだわりもなく、無頓着な性格を初めて自覚した。

 

 母の料理が脳に映っては消える。

 思考の末、少しばかり脳にとどまった料理を伝えることにした。

 

「ハンバーグかな」

 

 何気なく口にした料理名は、綾瀬の中身をぬき取った。

 意外という感情を前面に出している。

 こんな表情をする綾瀬は珍しい。

 

「兄はカレーとか、グラタンとか好きですよ」

 

 ついさっきまで慎ましかった葵が綾瀬に告げる。

 自分では意識していなかったが、家族である妹にはそう見えていたらしい。

 確かに好きかと言われると好きな部類に入るかもしれない。

 

「……あんた、子供舌なの?」

「わからん。そうかもな」

「ふふっ」

「なんだ、子供っぽいのが悪いってか」

「いや、そうじゃないわ。なんというか、意外だったのよ。そうね、ハンバーグにしましょ」

 

 綾瀬の言葉をそのまま返したい気分だった。

 どこか隙のある笑顔をする綾瀬もレアだ。そうそうお目にかかることができるものじゃない。

 稀有な一枚絵に心を許したのか、そこから先は葵に出番があった。

 

 店の中をぐるりと一周し、会計を終える間に、女性陣は壁を崩落させたようだった。

 俺がときどき口をはさむ程度しか話していなかったが、二人だけでも会話はスムーズに展開されていた。

 見た限りでは、高波よりも仲良さそうに会話ができていた。

 

 代金は一旦全額こちらで支払った。

 予想はしていたが、綾瀬が自分もお金を出すと言って聞かなかった。

 後でもらうと言って無理矢理に納得させ、袋詰めへ。

 

「はい、これそっちに詰めて」

「あいよ」

 

 綾瀬に指示されるがままに袋詰めを行う。

 挽き肉、卵、玉ねぎ、牛乳などなど。

 これを女の子とスーパーを回って買ったものだと考えると、感慨深いものがある。

 

「入れ方わかる?」

「卵は上」

「そう、偉いわね~」

「子供扱いすんなっての」

「ごめんごめん」

 

 葵が不思議な顔をしてこちらを見つめている。

 いや、さすがに卵を最後に詰めることくらいは知っている。いやそんな顔しなくても。

 

 さほど重くないビニール袋を両手に提げ、スーパーを出る。

 

「私も持つから」

「私はいいですよ。全然入ってませんし」

「……じゃあ、こっち持つわよ」

「あいよ」

 

 何の迷いもなく、自分の持つ袋一つを渡す。

 綾瀬の性格上、変なことで粘って話がもつれるよりは、こちらが折れた方が楽だということは知っている。

 

「ねえ。これ軽すぎ」

「だろうな。小麦粉とパン粉しか入ってないし」

 

 どうせこうなると思っていたため、軽いもののみを選別した袋を用意しておいた。

 本人は目に見えて不服な顔をしているが、面倒を覚えたのか、さらに追求されることはなかった。

 

 帰路についてからというもの、彼女らの会話は進展を続けている。

 綾瀬も人が変わったように優しい対応をしていた。

 年に短い距離こそあるものの、話題は同級生で展開されるそれだ。

 

「『水平線』見てますか?」

「ドラマは見てないけれど、本なら読んだことがあるわ」

「めっちゃ面白いですよ! 来週で終わりなのすごい悲しい~」

「……そんなに面白いの?」

「はい! 一話から録画あるんで、うちで見ませんか?」

「じゃあそうしようかしら」

 

 このように、存外とんとん拍子で話は進んでいく。

 調理道具や調味料の充実性を考慮すると、と俺が口にするのは野暮だ。

 同性ということもあるが、俺よりも綾瀬の扱いが上手いんじゃなかろうか。

 

 玄関に靴を揃える頃には、既に午後七時を回っていた。

 手を洗って服を着替える。そのまま自室に籠もるのは忍びない。

 キッチンに戻ると、綾瀬は既に炊飯の準備を進めていた。

 

「手伝えることあるか?」

「ないわね」

「そうか」

「包丁とか色々借りるわよ」

「おう」

 

 本人からそう言われたが、自分だけ羽をのばすのはやはり気の毒だ。

 

 時間を気にしているのか、炊飯器のボタンを押した後、綾瀬は慣れた手付きで包丁を操る。

 玉ねぎの皮むきに至っては、手で剥かずに包丁を皮の下に滑らせ、指と刃で挟んで剥いている。

 ものの十秒で玉ねぎが白くなっていく様は、まさに芸術的だった。

 

「見てても面白くないわよ」

「勉強だよ。いつか役に立つと思ってな。今のとかそうだろ」

「あれは包丁で剥いた方が早いからそうしてるだけよ」

 

 みじん切りも手際よくこなしていく。

 邪魔にならない程度に距離をとって見ているが、目に入り込む刺激から完全には逃げられなかった。

 綾瀬も同じくであり、包丁を手放して涙を流している。

 泣いているわけではないが、彼女が涙を流すところは初めて見た。

 

「痛い……あまり見られると気になるのだけれど」

「お気になさらず」

「気になるっての」

 

 そうは言いつつ、目を気遣う以外に手を休めることはない。

 いつの間にか隣に観客が増えている。

 

「フライパンはどこかしら」

「どこだ?」

「下にある棚にありますよ」

「ありがとう。どうやらここは妹さんが住んでる家みたいね。あんたは居候(いそうろう)ってところ?」

「答えようと思えば答えられましたー」

「なにそれ、小学生みたいね」

 

 玉ねぎが炒められ、やがて甘い香りが立ち込める。

 色が黄褐色に染まると、今度はボウルに挽き肉を落とす。

 そのまま塩を振って、フライパンには触れずに肉をこねる。

 

「玉ねぎはいいのか?」

「炒めたばかりの玉ねぎ触ってこねられるもんならこねてみなさいよ。ほら」

「なるほど勉強になります。その件につきましては前向きに検討させていただきます」

「あら、遠慮なんてしなくていいのよ。勉強するんでしょう?」

「料理は体で覚えるものではないと思います」

 

 美しい顔立ちで馬鹿にされるのも悪くない、と錯覚する男は多いだろう。

 かくいう俺も最初は性癖を歪まされかけた一人だったが、あくまでも軽いノリとして楽しむようにしている。

 ただ、ふとした一瞬に不可視の力で引き寄せられそうになる。男だけかもしれないが。

 

 緩く変化のない草を()む日常に、異性の挿絵という肉が現れ、心を掴まれかける。

 好きになることこそないが、可愛いだとか綺麗だとか、世辞ではない言葉をうっかり口にしてしまいそうになる。

 もちろん俺にそんな胆力はないため、沈黙を貫くのみだが。

 

 挽き肉が粘り気を帯びた辺りで、牛乳とパン粉に卵、そして玉ねぎが満を持して参戦。

 それらが十分にこねられた後、三つの塊に分けられた。

 両手で肉塊が遊ばれる音を聞くと、料理を作ってもらっているという実感が急に湧き始めた。

 

 熱したフライパンにタネが滑り込むと、弾けるような活気のある音がしたたかに響く。

 焼き目がしっかりついた後、一旦タネが引き上げられる。

 醤油、砂糖、ケチャップなどを使ったソースを同じフライパンで作る。

 はや微小の泡が立つほど煮詰めてから、再びハンバーグが戻る。

 蓋が閉じられる。透明な窓の先ではデミグラスソースが踊りながら、ハンバーグに風味を差し込んでいる。

 

「これで大体終わったわ」

「すごく早かったですね」

「そんな大層なものでもないわよ。チーズ乗せる人~?」

「は~い!」

「は~い」

「はい、全員ね」

 

 十分弱ほど煮込んだ後に、希望通りスライスチーズが上に乗せられる。

 今度はチーズが薄く柔らかに溶ける様子が窓に映る。

 大まかに四角の原型をとどめている内に、ハンバーグは皿へ移された。

 

 チーズのさらに上から濃厚なソースがかけられ、すぐに融和する様を見ているだけで空腹を刺激される。

 食器の準備と、炊きあがったご飯をよそうくらいの手伝いはしようか。

 三人ともなれば、ものの数分で食卓に料理が並び終わった。

 

「それじゃ、いただきます」

「いただきま~す」

「いただきます」

 

 チーズの僅かな弾力を感じながらも、ハンバーグにはスッと箸が通る。

 透明に光る肉汁が溢れる様子が食欲の促進をかてて加えて推し進める。

 促されるままに口へと運ぶと、鮮明な肉の味を伝えながらホロホロと崩れた。

 濃厚なソースは肉本来の旨味を邪魔することなく、しかし主張は激しくもなく甘辛さ味蕾(みらい)へ届けた。

 ソースの辛さを中和しながら、口当たりよいチーズの塩味がさらに味を深めている。

 

「……美味しい」

「めっちゃ美味しいですね!」

「ありがとう。お気に召したようでなにより」

 

 空腹の度合いも高かったためか、箸が留まるところを知らない。

 家庭に出やすい一般的なハンバーグだが、母のものとは違うため、どこか新鮮さを感じさせた。

 これも青春というスパイスが織りなす味というわけか。

 

 美味なハンバーグを食べながら、葵が推すドラマを横目で鑑賞。

 妹がわざわざ話題にすることもあってか、さほど興味もなかった俺ですら緻密で奥深なストーリーに面白さを見出していた。

 

 ドラマの中盤辺りで、全ての食器から料理は消えていた。

 

「ごちそうさまでした」

「はい、お粗末さまでした。そこ置いといていいから」

「いや洗うから。さすがに」

「そうですよ。作ってもらって、後片付けまで申し訳ないですから」

「別に手間だとは思ってないわよ。あんた、洗った食器を軽く拭いて

「俺が洗うよ。肌荒れるだろ」

「……なにそれ。あんたが洗うと遅くなるからいいの」

 

 そう言うと綾瀬は食器をシンクへ運び出す。

 申し訳ないと顔に書いて、同じく葵も食器を運ぶ。

 その後に続いて流しへ運んだ後に、綾瀬の隣に立つ。

 

 流し目で見ていてもわかる。綾瀬の言う通り、洗い物ひとつとっても手際がいい。

 渡される食器を、言われるがままにふきんで磨く。

 拭き終えたものを水切りカゴに入れると、ちょうどよく次が渡される。

 拭いては渡されを無心で繰り返していたときだ。

 

「なんか、仲いいですね」

 

 何の気なしに、といった相貌で葵は呟いていた。

 

「仲良くないぞ」

「良くはないわね」

 

 その返事は、俺も綾瀬も同じものだった。

 

「いや、さっきからずっとタイミングバッチリで作業進んでますし」

「気のせいだろ」

「気のせいでしょう」

「ほら!」

 

 確かに、綾瀬に合わせてふきんを動かしているわけではないが、拭き終えたタイミングで次がやってくる。

 見ている限りでは、綾瀬がこちらに合わせているとも思えない。

 単なる偶然だろう。

 

 数分で作業は終了を迎えた。

 ゆっくりすることもなく、綾瀬は帰り支度を手早く済ませる。

 

「それじゃあ、私はもう行くわ」

「はい。遅くまでありがとうございました」

「こちらこそお邪魔しました」

「送ってくよ」

「そうしてちょうだい。そうじゃないと困るもの」

 

『困る』の意味を詮索する前に、彼女は玄関へと向かっていった。

 なるべく急いで着替え、葵に見送られる。

 家を出て少し、改めて聞くことにした。

 

「困るって、何が困るんだ?」

「言ってなかったかしら。私、暗いところダメなのよ」

「マジで? 初耳なんだが」

「本当よ。高い場所、狭い場所、広い場所。全部大丈夫だけど暗い場所だけは絶対ダメなの」

 

 正直、苦手なものがあるということ自体に驚きが隠せない。

 放課後に俺をわざわざ待っていたのも、暗いところが苦手だからだろうか。

 そう考えると、なんとなく寂しい気がした。




ありがとうございました。

チーズ乗せるかどうか聞かれたい人生でした。


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第29話 相対的で表層的な笑顔

皆さんあけましておめでとうございます。

前回からあいた期間のことを考えると胸が痛くてたまりません。
帰省やテスト期間などが重なったらこうなりました。
本当に申し訳ない。


 ふと気付くと、彼女の存在は夏休みに限り、俺の日常に深く関わっていた。

 数日おきに夕食を共にし、一つの食卓を囲う。

 

 もちろん葵の影響がほとんどだが、それ以外の要素も関わった上で新しく確立した日々だったのかもしれない。

 だが時間とは有限なもので、賑わっていた家は元の静寂を取り戻す。

 

 葵と綾瀬はそこそこうまくいっているらしく、連絡先を交換したと自慢された。

 年が少し離れているとはいえ、友人ができて笑う姿は随分と微笑ましい光景だった。

 

「さて、本日から本格的な作業を始めます。担当ごとに仕事を割り当てます。本日は生徒会長の私が割り振りますが、次回以降その役は実行委員長に一任するのでそのつもりで」

「わかりました」

 

 過ぎた夏の日を惜しむ暇もなく、停止していた学校生活と文化祭の準備は回り始めた。

 夏季休暇に入る前に決めておいた担当は早くも機能していた。

 正直あまり信用できなかったが、円滑に物事は進んでいくものだ。

 

「さて委員長。今は承認すべき書類は何もありません。教室を回って、書類の出し忘れや進捗の確認、催促をするのが良いですよ」

「ありがたいお言葉をありがとうございます、生徒会長」

「あら。ソフィーでよろしいと以前申し上げましたのに」

()()こそ僕を委員長と呼んだじゃありませんか」

「それより、『ありがたい』と『ありがとう』って頭痛が痛いみたいですよね」

「では、僕は教室の見回りに回りますので失礼」

「あらあら。いってらっしゃい」

 

 生徒会長を隣に、二人だけで一つの机を最前線で独占する状況から逃げるべく、会議室を出る。

 特別感のある学校の特等席のような議長席に座るだけで責任を感じてしまう。

 徐々に慣れるだろうと思いつつ、ほとんど空きであろう教室を見て回る。

 

 それもそうだ、文化祭は約一ヶ月も先のことだ。

 計画を練る初期も初期の段階であり、作業に入る生徒など一人もいないと予想される。

 

「あ、実行委員長。丁度いいところに」

 

 爽やかな青年の声は俺の歩みを止める。

 

「あのさ。出し物で悩んでるんだけど、ちょっとだけ話聞いてもらっていいかな?」

「どうかしましたか?」

 

 ここは三年の教室が並ぶ階。

 敬語を交えて会話する相手は、先程聞こえた声と似つかわしいと一目で感じさせる清涼な男だった。

 全体に赤のかかる髪をしているものの、遊び人と同じ空気は漂わず。

 気さくな笑顔と彼の淡麗な容姿が好青年を成していた。

 

「あんたは──いや失礼。出し物なんだが、今で大体どのくらい、何の出し物があるかわかるかい?」

「まだ催しが決定したクラスはありませんよ。他クラスと被ることが心配とのことであれば問題ないかと」

「そうかい、ありがとさん」

「今から他クラスを回るので、決まった出し物を確認次第、ここに戻って報告しましょうか」

「そいつは助かる。ありがとうな、東雲君」

「いえ。それでは僕はこれで失礼します」

「引き止めて悪かったね。頑張れよ、実行委員長」

 

 軽く会釈し、その場をやや早足で去る。

 ああいう人間とはどこか相性が悪いらしい。

 年上で爽やか、かつ距離が近い人。まるで生徒会長みたいだ。

 

 十分と少しもすれば、全クラスの見回りは済むもの。

 クラス数が少ないため、必然かかる時間も短い。

 想像以上に早く戻ってきてしまった。会議室のドアを開ける手を一瞬引いてしまうほどだった。

 

 扉の音を立ててすぐに、役員の一人である女子生徒が詰め寄ってきた。

 

「委員長。こちらの書類の保管をお願いします」

「ああ、わかった」

 

 手渡されたのは、有志による出し物の申請書一枚だった。

 スリーピースバンドで演奏をするという内容だ。

 仕事を終えた彼女は、庶務の札がある席へと戻っていった。

 

 会長承認の(いん)が必要だが、後回し。

 催しが全て出揃わない内に書類内容にあるものを確定させることはできない。

 

「おかえりなさい。思いの外お早い帰りでしたね」

「こんなもんですよ、まだ時期が早すぎますし」

 

 委員長の席に座ると、やはり生徒会長から声がかかる。

 

「具合はどうでしたか?」

「閑古鳥が鳴いていた、って感じですね」

「あら、赤い髪の男子生徒は見かけませんでしたか?」

「なぜそれをご存知なんです?」

「彼、生徒会副会長の一人ですから」

 

 なるほど、先程まで相手していたのはただ先輩というわけではなかったと。

 会議室で彼の姿を見たことがなかったとはいえ、まさか生徒会所属。それも副会長とは。

 友好的かつ爽やかで、生徒会に所属するほど向上心もある。

 天が二物を与えているのか、それともそういう人間が相応しい椅子に座ることが必然なのか。

 

 気にするわけではないが、俺の座すところがかなり場違いに感じてしまう。

 

「彼はここには来ないんですか?」

「恐らく来ないでしょうね。彼とは同じクラスですし、クラスは彼に任せて私がこちらに顔を出していれば十分ですから」

 

 赤髪の彼とソフィア先輩。

 二人が横並びになる姿は、さぞ絵になることだろう。

 この場で席を共にしていないのがもったいなく感じるほどだ。

 

「先輩がここに顔を出すのって大丈夫なんです?」

「というと?」

「副会長の彼はともかく、先輩はここで時間を拘束されるのまずくないですか? 受験勉強とか」

 

 三年の夏休みから、大学受験への対策が本格化する。

 休暇中は仕事が少なかったのでまだ良いものの、これから貴重な時間をここに拘束されることとなる。

 

「大丈夫ですよ。本来私が参加するのは自由という話もされた上でここにいますし、生徒会中心に進む行事でもありませんので」

「受験勉強に差し障りはないんですか?」

「ん~……まあ問題ないでしょう」

「すごいっすね」

 

 高校受験と大学受験は毛色が違うだろうに、彼女はさらっと言ってのけた。

 俺自身、中学受験では苦労した覚えがなかったが、大学受験となると話は変わる。

 

「普段からの積み重ねですよ。この時期になって焦るようでは──そうですね。()()ではありませんので」

「その言葉、気に入ってるんですか?」

「ええ。響きも良いですし、母からの教えですから」

 

 彼女はなにかと『優雅』という言葉を使う。

 品のある単語に恥じぬ性格、容姿、言動。

 男子人気はさることながら、女子からの人気も高いと容易に想像がつく。

 会長に当選したことがさらに信頼の厚さを裏付ける。

 

「それに貴方が委員長になった以上、ここを離れるのは面白くありません」

「どうして僕なんかにご執心なんですかねえ」

「貴方が私のことを苦手としているからです」

 

 仕事が少なく手持ち無沙汰な役員を見つつ、横目を使う。

 当の先輩も流し目でこちらを捉えつつ、笑顔を浮かべていた。

 しかしその笑みは人を惹きつけるものではなく、どこか誑惑的なものだった。

 

 彼女の微笑みは形容し難い。

 嗜虐的とも思えるが、嘲笑とは程遠い。かといって純朴な笑みでは決してない。

 初めての体験だった。人の笑顔を見て、背筋が冷えたのは。

 

「……苦手というか、別に」

 

 なんともない風を装って答えるが、文になっていない。

 感嘆詞に近い言葉を並べてしまった。

 気がつくと、横目ですら彼女を捉えず、正面の虚無をぼんやりと見つめていた。

 視覚に脳の処理が割かれていない。

 

「私、自分で言うのもなんですが、ちやほやされるんです」

「ほんと自分で言いますね」

「ええ、ええ。事実ですので」

 

 意識に明確な影が下りる。

 目の端で再び彼女の顔色を伺ったときには、既に普段の()()()()であった。

 

「別に気にしているわけではないのです。ただ少し珍しいと思っただけです」

「それ、気にしてるって言うんですよ」

「コミュニケーション能力に欠ける、いわゆる誰と話すのも苦手という方以外に避けられた覚えはないもので」

「俺って実はコミュ障なんすよ」

「貴方が人見知りとは到底言えませんけどね」

「そりゃどうも」

 

 受ける仕事がないことに今ほど困ることはない。

 周りの委員も半数以上が手を空けている。

 少しの間は早めに上がる日が続くだろう。

 

 しかしながら時間というのは不思議なもので、そうあってほしいと願う方向には動かない。

 現に今がそうであり、秒針の動く音さえ気になってしまう。

 気まずいわけではないにもかかわらず、すぐにでもこの席を立ってしまいたいと思っていた。

 

「こういうのもあれですが、特に男性の方からはアプローチされることの方が多いんですよ」

「いいですね、モテるってのは。正直心の底から羨ましい限りです」

「そういうことではなく。それだけに、私を避ける男性というのも新鮮な存在でして」

「僕を食材かなにかと勘違いしてません?」

「私は貴方のことを好意的に捉えていますが、そうやって適当なことを言って(かわ)そうとするところは好きではありません」

「はっきりと言いますね」

 

 適当に、手元の一枚で遊ぶ。

 角を丸めたり、内容を読んでいるふりをしたり。

 とにかく会話のペースについていけない故に、脱出の糸口を探していた。

 

 時間が潰れるのを待つしかない。

 適当なことを言ってごまかそう。

 

明連(みょうれん)高校」

 

 (きょ)に呟かれた一言に、思わず体ごと彼女を捉えてしまう。

 

「サッカーの名門校。全国大会常連で──あら、ようやくこちらを向いてくれましたね」

「……それで? その高校ってのが何故今話題に上がるんです」

「逆に聞きますが、これ以上聞く必要はあります?」

 

 彼女はあくまでソフィーであり続ける。

 一瞬見開いた目をすぐに戻したが、彼女は恐らくそれを捉えたであろう。

 

「当然。こっちが疑問に思うことですから」

「そうですか、では続きを。例の高校は昨年の冬、全国大会で二位の成績を残したらしいんですよ」

「そりゃすごい。名門校とは名ばかりじゃないってことか」

「ええ。噂によると、スタメンに一人だけ一年生が入っていたとかなんとか」

「すごいな。一年なんて、部活によっちゃボール触らせてもらえないでしょう。実際俺がそれに近かった」

 

 書類から目が離せない。

 金縛りにあったように体が硬直し、視線すら動かせない。

 やけに寒い。季節が一つ進んだと錯覚するほど寒い。

 

 一種の恐怖があった。

 隠したいわけではない。だが彼女はどこまで──。

 

「あら。同姓同名で、元サッカー部、当時の学年も一致。それ以降の試合に一切出場していない。時期が重なった転校生。偶然が過ぎると思いませんか?」

「さて。本日はもうお開きにしよう。今のところは暇な時間が多いので早めに切り上げる日が続くと思うが、学校全体で本格的に動くと忙しくなることを頭に入れておくように」

 

 美里先生の声に助けられた。安堵を禁じえない。

 委員長との会話を忘れたことにして、鞄を抱えてさっさと会議室を後にする。

 

 後ろから小走りで駆け寄る音を意識的に排除する。

 

「僕は図書室に戻りますのでまた明日」

「実際のところどうなのですか? 一年でレギュラーとして全国の試合に出場などありえるのですか?」

「全国探せばどこかしらにあるんじゃないんすかね。実力主義の部なんて」

 

 元より彼女と足並みを合わせるつもりはない。

 かつてない速さで図書室へ到着してしまった。

 

 扉を優しく開けたつもりだったが、中にいた綾瀬はひどく驚いていた。

 

「っ、ちょっとは考えなさい。乱暴な開け方はやめて」

「帰るぞ綾瀬」

「文化祭の仕事はどうしたのよ。それに図書室はどうするの」

「終わった。図書室も今日くらいはいいだろ。それより変な先輩に絡まれて大変なんだ」

「人のことを『変な』と形容するとは何事ですか」

「……生徒会長」

 

 綾瀬は会長を訝しげに正面から見つめていた。

 対して、会長の方は変に柔らかい笑顔のままである。

 

 かばんを拾い上げて綾瀬に部屋を出るよう視線で訴えるが、そもそもこちらを見ていない。

 会長から視線を外すつもりがないのか、重い沈黙が流れる。

 俺としては一刻も早くこの場を去りたいのだが。

 

「二度目ですね。綾瀬さん、でしたか。以前も彼の隣にいた」

「いえ彼が私に付きまとっているだけです」

「おい」

 

 つい口を挟んでしまった。

 冗談交じりかと思いきや、綾瀬の顔色から察するに機嫌が良いとは言えないまま。

 ほんの一瞬だけ空気が緩んだのみで、何も変わらない。

 

「どうも彼は嫌悪しているように見えますが」

「そうみたいですね」

「やめるべきでは?」

「ですが知りたくありませんか? 彼が転入する前、どんな学生だったのか」

 

 会長は詰め寄る。

 綾瀬は物怖じせず、ひたと睨み続ける。

 彼女がああまで不機嫌そうな表情をするのも珍しい。

 

 誰がどう見ても虫の居所が悪いとわかる。

 対比しているからか、会長の笑顔でさえ邪悪なものに感じる。

 まさに一触即発という雰囲気だった。

 それよりもどうして二人が、主には綾瀬がヒートアップしているんだ。

 兎にも角にも、平和とは程遠い空気感である。

 

「出るぞ綾瀬。札かけときゃ遥斗達もわかるだろ」

「……ええ」

「あら残念。蒼夜君、また明日二人で話しましょうか」

 

 そしてすぐ、綾瀬から舌打ちが聞こえた。

 本当にまずい。先輩に舌打ちするほどご機嫌斜めらしい。

 彼女なりに耐えたのか、逆に耐えきれずにか、すぐに荷物をまとめて俺より先に図書室を出た。

 

「……ありゃやばいな」

「ふふ。怒らせてしまったみたいですね」

「今日は機嫌が悪かったらしいですねドンマイっす、じゃあ僕はこれで」

 

 会長の反応を待たずして、綾瀬の後を追いに廊下へ出る。




ありがとうございました。

なんで機嫌が悪かったのでしょうね。


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第30話 ライムソーダの酸苦

遅くなってしまいすみません。
少しばかり競馬場に行って戻ってきませんでした。


 廊下の窓からは夕映えすら差さない。

 穏やかな陽光に照らされながら、彼女は壁に背を預けていた。

 

「ああ、待ってたのか。てっきり一人で先に行ったのかと」

「そうしたかったけど、何のために待ってたかわからないじゃない」

 

 顔を合わせてすぐに彼女は歩みを進めた。

 相当気に障っていたのだろうか、学校を出るまでがかつてない速さだった。

 

 ランドセルを背負った子供がちらちらと見え始める。

 外に置かれた喫茶店のメニュー表は入れ替えられ、普段は鳴りを潜めるメロディチャイムが音を奏でている。

 

「なあ、これ俺が一緒に帰る必要あるか?」

「なによ。私といると不都合なことがあるの?」

「そうじゃなくて、まだ明るいから一人で帰れるだろ」

「その言い方だと私が子供みたいになるでしょ」

 

 曰く、彼女は暗所恐怖症らしい。恐怖症かどうかはさておき、苦手であると自称している。

 俺を待つのもそのためだと言うが、今日はまだ陽も落ちていない。

 

「別にいいじゃない、あんたも暇だし私も暇なんだから」

「俺もそうとは限らないだろ」

「あら、あんたは見るからに暇人そうだけれど」

「超忙しいね。猫どころかモルモットの手も借りたいな。いや、前足って言うべきか?」

「はいはい」

 

 手というか足というか、前輪というか。

 とにかくモルモットをモチーフとしたストップモーションアニメが癒やされると最近話題沸騰中であることを思い出した。

 至極どうでもいいことだが。

 

「世間ではモルモットのアニメが人気みたいね」

「エスパーかなにかなのか?」

「あんたの考えてることなんて全部わかるわよ」

 

 確かに、モルモットといえば、に続きそうな言葉ではある。

 だがこうも考えがシンクロするものだろうか。

 実は口に出していたとか、俺もそのアニメーションを欠かさず見ている故に好きであることがバレバレで──。

 

「嘘よ、そんな微妙な顔しないで」

「微妙な顔って一体全体どんな顔だよ」

「いかにもそのアニメが好きそうって顔よ」

「やはりエスパーでは?」

「私も見てるから気持ちはわかるわ。というか一体全体って今日(きょう)()聞かないわね」

「『今日日聞かないわね』ってのも今日日聞かないけどな」

 

 トレンドというものは期限付きではあるが、有用な話題の種だ。

 一見話し相手とは縁がないものに見えても、流行しているものを認知ぐらいはしていることが多い。

 流行りに疎いと損をすることはないが、人並み程度には流行りに敏感であった方が得をしやすいものだ。

 

「……私はあんたが前の高校でどうしたかなんて全く興味ないからね」

「ん?」

「あんたは今露咲(つゆさき)高校生なんだから、転入前のことなんてさほど気にしないの。もう半年近く経ってるんだから、聞く人間もそうそういないものよ」

「……そうか」

 

 話題転換の前に置かれた妙な拍。彼女に似合わない口数の多さ。

 不器用ながらも、俺を気遣っていることがひしひしと伝わってきた。

 

 正直に言って、彼女はもっと冷たい人間だと思っていた。

 冷たいというと語弊があるか。なんというか、常に人を思いやるほど柔らかい人物でないと感じていた。

 実際のところは違和感満載な気の利かせ方だったわけだが、友人として嬉しかった。

 

 だからなのか、俺の返事もつられてぎこちなくなってしまった。

 

「いや、やっぱなし。犯罪に手を染めてたら話は別よ」

「そんなに人相(にんそう)悪そうに見えますかね」

「人は見かけによらないって言うじゃない」

「自己紹介どうも」

「はぁ~あ?」

「内面優しいって意味だから」

「あらそれならいいわ──ちょっと待って。それ外面優しくないってことじゃない?」

「気のせいじゃないっすかね」

 

 というわけで、俺は人相は良いということになるわけだ。

 これで柄まで悪いとなると救いようがなかったが、なんとかそうなる世界線は回避できたようだ。

 

 普段とは少し違って見える綾瀬の家へと到着した。

 

「じゃ、また明日ね」

「なあ綾瀬」

「なに?」

「ありがとうな」

「感謝されるようなことをした覚えはないけれど、どうしてもって言うなら貸し一つってことにしてあげるわよ」

 

 すぐに背を向け、玄関扉の向こう側へと姿を隠した。

 

 わざわざ呼び止めてまで感謝を言葉にしたことに自分でも驚いていた。

 彼女は自身の述べた通り、本当に気にしている様子はない。

 彼女にとってどうでもいいことだと割り切っていると言うと聞こえが悪いが、その淡白であっさりとした引きの思いやりにありがたさを感じていた。

 

 明確な欠乏感に支配されたまま、家へと帰る。

 形を成す虚無感に征服され続けたまま自分の部屋を拝むこととなるが、未だにそれは取り除かれない。

 

 まだ十分に時間はある。そろそろ陽が落ちてくる頃合いだろうか。

 けれども誰の気配もなく、なんとも思わなかった部屋を広すぎると感じてしまう。

 

 特になにか娯楽に触れるあてもなく、かといって勉学を率先してやる意欲もない。

 空白の時間を空白の気分で埋める。

 帰ってきた日常を嬉しく思う気持ちなどない。喉に得も言われぬ残留がつっかかって剥がれない。

 

「……料理、してみるか」

 

 ついこの前まで新品と見間違えたほど白かったフライパンも、我が妹のお陰でようやく底が黒くなったところだ。

 これ以上黒くなっても誰も文句は言わないだろう。

 

 堅苦しいカッターシャツをかごへ入れ、カジュアルな服装へと切り替える。

 薄暗の外は落葉と程よい清涼さが秋を伝えていた。

 つい先週まで日照りの激しさが夏を主張していたが、陽が落ちてからは秋への転身をひしひしと感じるような時期になったらしい。

 

 秋の旬はなんだったかと考えていて歩くうちに、いつの日かに馬鹿にされたテストのことを思い出した。

 言い過ぎだと冗談に反論していたが、秋が旬の食材が栗かさつまいもぐらいしか思いつかない。

 

 そもそも、魚には旬があるのに肉に旬がないことには納得がいかない。

 密かに旬の時期があるのかもしれないが、常識として浸透していないことは確かだ。

 同じ動物性タンパク質であるにもかかわらず、旬の有無が変わる理由がわからない。

 

 などと些細なことを思案しているうちに、気付けばスーパーの店前を数歩だけ通り過ぎていた。

 

 店内の機械的な肌寒さを受け入れる。

 通い詰めた弁当・惣菜コーナーをスルーし、精肉コーナーへ。

 

「……高いか安いかわからんな」

 

 百グラム単位の値段が決定されており、一つひとつの内容量が異なるため、トレーごとに値段が数円から数十円ほど違う。

 ただでさえ相場がわからないというのに、さらに候補を増やして困惑させるのはやめてほしい。

 さらに言えば、他に材料を揃えることや光熱費がかかることも考えれば、値引きシールが貼られた弁当を買った方が早く楽で安いのではというのが正直な感想だった。

 

 自分の計画性の乏しさが露呈したのか、肝心のメニューを一切考えていなかった。

 世の中便利なもので、薄く小さな黒い板はこんな時、こんな自分でも救ってくれるものだ。

 旬の食材を使うレシピを絞り込むが、どのレシピを見ても二人前からしか掲載されていない。

 

 軽く計算してみると、作る量が多いほど自炊が安くなりやすいことに気が付いた。

 わざわざ一人前のために毎日買い物へ出かけて料理するのは相当に大変な上、拘束時間も長くなる。

 作るなら数日分、数人前を一回で買う。料理は一度に数人前作って保存する。恐らくこれが一人暮らし食生活における基本なのだろう。

 

 とはいえ、初手で相当な量を買うと食材を無駄にしかねない。

 過不足の経験をするためにも、今日は一回で料理する二日分の食材を買うことにした。

 

 簡単な料理と言えば、チャーハンくらいだろうか。

 卵やらネギやらをかごへ放り込む。買うものが少なかっただけに、会計は千円にも満たなかった。

 

 自動ドアを抜けた先は、わずかな爽涼を内包した夜風だった。

 橙は見る影もなく、既に夜の静謐は完成されている。

 

 家に到着した頃には、普段夕食を摂り終わっている時間になっていた。

 ここから調理の時間がかかるのだから、思いつきで料理を始めるのも考えものだ。

 

 やれ米を炊いていないだの、やれ炒める順番がどうだの、苦戦に苦戦を強いられる。

 時間という暴力で解決を試みたものの、料理はそんなに甘くはなかった。

 時刻は午後の八時を過ぎるどころか、九時さえ回ろうとしていた。

 

 さて、腕によりをかけてできたものはというと──良くも悪くも中々に見える。

 薄茶の中に明らかな黒点が混ざっているがまあ気のせいだろう。

 ありのままを主張した写真を撮って、メッセージアプリで送信。一分と経たずに返信がきた。

 

『これ見てどう思う?』

『かろうじて食べ物であることは理解できるわね』

『うっそだろおい見る目ないな』

『ちなみにこれ何を作ったつもりなの?』

 

「いやつもりって何だよ」

 

『チャーハン。写真見ればわかるだろ』

『馬子にも衣装って通じないのね』

『超着飾ってるだろ。色も綺麗にチャーハンらしくついてる』

『綺麗ってなに。しかもところどころ黒いからそれすら通用しないし』

 

 すっと喉を抜ける清涼なライムの甘味と炭酸。

 親しい女子と冗談交じりの連絡。

 そうして思う明日の学生生活。

 充実した青色、とでも言うべきか。

 

 てかこのソーダ美味いな。

 程よい甘さと微炭酸。裏にある酸味がまた飲みやすい。

 まるでそう、部活生を応援するような爽やかなジュース。

 次見かけたらまた買うとしよう。

 

『俺としては火が通っただけで棒々鶏(バンバンジー)なんだが』

『縄文時代の価値観で棒々鶏作るなんて時代錯誤もいいとこよ』

 

 交友関係は上々、勉学も悪くはない。

 あとは料理の腕さえ上げれば言うことなし。

 欲を言えば交友を横に広げることも成功すれば文句なしだろう。

 満足度は高いはずなのに、どうしても暗雲は立ち去らない。

 

 自分の中で終了した未来が泡になって消える。

 トラウマというやつだろうか。最も重大な課題の克服はどうも困難を極めるらしい。

 

 未練があるとは思っていないが、どうしてもふと思い出すときがある。

 ただそのときが今であるだけ。それなのに。

 

 やけに甘ったるいソーダの苦味が嫌に後を引いて消えてくれなかった。




ありがとうございました。

モルカーの時事ネタ入れたけど気付けば既に放送が終わっていた。

僕のウマ娘のイチオシはナリタタイシンです。
タイシンの小説出たら察してください。
多分これ以上並行することはないでしょうけど。


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