ちょっ、ブタくんに転生とか (留年生)
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修行編
#01.勘当×契約×餞別


 更新(?)遅くなって申し訳ありません。
 展開速っ!……との指摘を受け、確かに物足りなさを感じて今一度書き直したので、せっかくなので1話から改めて投稿させていただきます。

 なので旧作の方は全消しさせていただきます。読者方々にはご迷惑をお掛けしますが、ご了承ください。


 

 青。見渡す限りの静謐を湛えた、雲1つ無い空の下。高い高い壁を前に、一人の少年が佇んでいた。

 因みに、壁と言っても一応は門。小さい扉から1~7の番号が振られているが、力を入れればその力に応じて大きい扉が開く仕組となっている。

 

「……これと向き合うのも今日で最後だ」

 

 容姿は少し不摂生が見て取れるメタボリック科ぽっちゃり属。

 年の頃は10を数える前だろうか、幼さの残る顔。

 しかし不釣り合いな程熟成されたと見える強固な意思を瞳にハッキリと宿している。

 

 青く晴れ渡る空は、そんな少年の意思を祝福してくれているとも、清々しくも不安を隠せない少年の心中を映し出しているとも受け取れる。

 

「……雨が降るな」

 

 ふと、鼻をヒクッと動かした少年が壁に向けていた視線を直上に宛てる。

 雲一つないが、山間地の空は変わり易いものだ。

 自分が産まれ育った場所なら尚の事。少年は、ある程度の気候変動を感知できる自信があった。

 

「ま、いいや。……グッバイ」

 

 彼は“闇”から生まれた人間である。このような光湛えた空の下、どこまで焦がされず歩んで行けるのか。そんな心配も少しある。

 だから湿った風が知らせる雨の到来を心待ちに思いながら、改めて巨大な扉に手をかけた。

 

「フッ、……!」

 

 少年にとって、今向き合う高い壁は牢獄も同義。何度逃走しようと思ったか知れない苦痛の日々を思い起こさせる。

 だからこそ少年は、今日この場に立つ事を許されるまで、耐えに耐えて来たのだ。

 そして産まれてからずっと闇の中を駆け抜けてきた少年は、これから光の下で生きられるように、どうしても正道を通ってこの門と決別したかった。

 

 ギィゴォォン……!

 

 扉に手をかけた少年は、ゆっくりと力を加えて静かに力強く押す。

 両開きの扉は少年の力を感じ取り……1の扉がゆっくりと開いた。

 因みに1の扉、片方が2トンある。

 

「……フゥ」

 

 扉を出ると、高い壁を隔てた空とはまるで別物のように広く澄み渡っていた。

 はじめの一歩を踏み出した少年は、静かにゆっくりと大きく呼吸を繰り返しながら自由の身となった事を改めて実感する。

 

「……坊ちゃん」

 

 そんな少年の背中を、ひどく悲しげな眼で見つめる老人が一人。扉前に設置された小さな一室から現れた。

 老体だが背筋が真っ直ぐ伸びて動きにも揺らぎが無い事からも、肉体を鍛えていることが窺い知れる。

 

「本当に、行ってしまわれるのですね……?」

 

 また、老人の『坊ちゃん』との言葉から汲み取れるだろうが、少年と老人は上下ある関係……だった。つい、さっきまでは。

 老人……名をゼブロと言う彼の仕事は少年の背にしている高い壁――のような門――から門の向こうへ侵入した者の“残骸”を掃除する、俗に言う掃除夫。

 この職に就いて……少年の家に仕えてもう直ぐ20年になる。だから少年の顔はすっかり見慣れていた。

 というより雇用主の子息の顔を忘れるなど、あってはならないのだが、だからこそ……こんな日が来てしまったという悲しい結果に、顔を顰めている。

 

 だがゼブロは憂い半分、安心半分といった心境だった。

 少年が出生した家系は、その前に死を迎える危険を多分に孕んでいるから。

 そんなゼブロに対して、少年は小さく吐息を漏らして応える。

 

「……ゼブロ。俺はもう“試しの門”を出た。ゾルディックを背にしている。これが今の俺だ。……もう、坊ちゃん呼ばわりしなくていい」

 

「……」

 

 少年は、己が生まれ育った家を捨てた……訂正、勘当されたのだ。

 なぜか? それは少年が家の方針に真っ向から逆らったからだ。

 少年の家は“伝説の暗殺者一家”と称される闇の家系。当然、少年も物心つく前から致死と隣り合わせの英才教育を施される……予定だった。

 

 だが、少年は殺人をすることを断固拒否した。

 

『俺は、絶対に殺人はしない!』

 

 これを、両親、祖父、高祖父、兄弟の前で公言したのだ。

 齢3歳の決断。丁度6年前の“事故”である。

 

 言うまでも無く、暗殺者一家が不殺を口にするなど、有ってはならない禁忌。その精神はあまりに致命的な破綻。

 もちろん、当時3歳だった少年もその言葉の意味を理解していた。少年は家族に殺される覚悟で、己の心中を言葉にしたのだ。

 

 だが、少年は助かった。

 地獄への片道切符を手にすることで、だが……。

 

 それは産まれた事を後悔するような惨めで卑しい生活の始まりだった。

 兄弟が暗殺者として教育される傍らで、体罰としか思えない再教育。

 月一で行われる試験、及第点以下だった場合の折檻で何度も死を垣間見た。

 その度挫けそうになった少年だが、殺されないだけマシだと心を強く保つことで必死に耐えた。

 必死に、只管必死に。

 

 加えて1歳半下の弟は、少年より優秀だった。

 まさに雲泥。暗殺者として天性の才を受けて生誕した暗殺の申し子の弟と、その愚兄が比較され、侮辱、軽蔑、敵視にまで辿り着いても誰も庇護するなど無かった。

 

 もっとも、天才な弟と比べるまでもなく、少年は兄弟の中では一番の劣等者だったが、それでも少年は生への執着を諦めず、決して誰にも媚びず、己の信念から一歩も引かず、省みずに地獄を歩き続けた。

 

「……ありがとう、ゼブロ。あんたには、随分と救われた」

 

「私は何もしていませんよ。ただ、お話しの相手になった……それだけです」

 

 しかし、少年にも味方が全然居なかったわけでは無い。

 ゼブロがその筆頭だった。何かをしてもらったわけではないが、ただ味方が居ると思えただけでも精神を繋ぎ止めるに一役買ってくれた。

 地獄にあって天井から延びる一本の蜘蛛の糸を見た……という童話の主人公は、きっとそんな気持ちだったに違いない。

 

「……ゼブロ。俺は、間違った選択をしたと思うか?」

 

「さあ……」

 

 だが勘違いしてもらわぬよう補足するが、この少年は暗殺者という家業を否定してはいない。

 暗殺が罷り通る社会であることは認識しているし祖父はある意味良識的であることも判っていた。

 暗殺者であることを除けば、地元では名家と言われていることも相俟って否定はできようはずもない。

 ただ「自分はしたくない」というだけの拒否。

 

「貴方は、後悔なさっておいでで?」

 

「…………いや、まさか」

 

「ならば、それが答えでしょう」

 

「……はぐらかした。ズルい大人だ」

 

 そうした我を通した地獄の道をあえて進むことで家族と決別し、勘当されるに至った少年であるが、それについては父との“契約”を果たしたことにより家族も遺恨無く了承済み。

 当然、契約を不履行するかもしれないとの懸念もあったが、その場合は暗殺の技術を盗むだけ盗んだら家出するつもりであった。

 暗殺の技術も見方を変えればこれ以上ないくらいの護身術となる。精神は暗殺に向かず、技術習得率も兄弟の中では見劣りする。ただし知的面だけは兄弟随一。

 頭はいいがバカなところが玉にキズ。それが祖父ゼノの少年、ゾルディック家次男ミルキ=ゾルディックの評価である。

 

「これから、どうなさるんです?」

 

「……世界を見て回る。しばらくは、人の居ないところで己を見つめ直す予定だ」

 

「然様で。……では、これで今生の別れ、ですな」

 

 ゼブロは“試しの門”を開けられなくなれば解雇される事になっている。

 因みに“試しの門”は1から7の扉まであり、1の扉ですら片方2トン。1つ数が増えるごとに重さが倍となる。

 今ゼブロは1の扉を開けられるが、肉体の老いのため年々キツクなっているのだとか。

 

「…………ゼブロが老いなければ、また会えると思うよ」

 

 暗に「帰ってくる」ことを告げた少年だが、ゼブロは敢えて何も言わず流すように高く笑い声を上げた。

 

「はっはっは。それは、老いだ何だと言っていられませんな」

 

 だが、ミルキの帰省を見るために。その小さな“しるべ”が立った事が、ゼブロには十分な活力となったようだ。

 

「……じゃ、俺行くわ」

 

「はい。道中お気を付けて。坊ちゃま」

 

「……」

 

 やめろと言ったのにコレである。意地が悪いとゼブロを切れ目の端っこで見納めたミルキは、特に言う事無く寂れた道に一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 交通手段は唯一定期バスが日に一本という陸の孤島。それもただの島でなく鬼ヶ島。

 ゾルディックの私有地を出て、山肌を削ってか盛ってかの道を歩きながら、少しばかり安堵している自分が居る。

 

(転生して9年……もう直ぐ10年、か。……まさか、ここまで永い道のりになるとは……)

 

 ミルキ=ゾルディック。……否、今はただのミルキである彼は“本来”ならば最後の外出が10歳の頃。それから9年間、19歳になるまで一度もゾルディック家の私有地ククルーマウンテンから出た事は無い出不精。

 暗殺者一家の1人として、何人も葬った実績もある頭脳派暗殺者。

 

 それが“正史”のミルキ=ゾルディック。

 

 だが、ここに在るミルキは違った。……外見はともかく“中身”は別モノだった。

 

(まさかのブタくん憑依とか……。マジで俺の再人生オワタと思ったが、何とか……本当に何とかなったな……)

 

 憑依転生。ミルキの中身は、生誕前に別の次元で死んだ者の魂が憑依していた。

 その魂の元は一般家庭に生まれ、サラリーマンとなり平々凡々に生きて来た中年のもの。

 だが突然の死。絶望の激痛に襲われ意識を落とし、再び目覚めた時にはミルキ=ゾルディックとして2年の歳月が流れていた。

 

(サブカル世界に転生なんて……未だにどこかで受け入れられてないんだよな……)

 

 そして、その魂はこの世界が前世で【HUNTER×HUNTER】と題名されていた漫画である事を、また自分が憑依した相手がその登場人物の1人で在る事を知り、即座に行動を開始した。

 

 言い代えれば、単なる現実逃避。

 HUNTER×HUNTERの世界は、言わずもがな、前世のミルキと同じ時間を共有する人間の手によって生を受けた空想。

 その類似……あるいは同一の世界への転生というあり得ない事態から逃れたかった。

 

 そして……もし転生憑依した存在とバレたなら?

 

(殺される……としか思えないな……今でも、奴等の目は……)

 

 そんな恐怖から逃げるにも立ち向かうにも、何かをしてなければショック死してしまいそうだったから。

 

(まさに鬼の眼……だったな……)

 

 そして「……あんな目をした鬼には、為りたくない」という嫌悪が、ミルキを『不殺』に駆り立てた原初でもある。

 前世で、殺人とはどこか遠い世界の物語……な感覚だったが、今の親は暗殺者。

 逃げようの無い現実を目の当たりにしたミルキが最も恐怖したのは、自分の中にもあんな魑魅魍魎が居憑いてしまうことだった。

 魂魄は違えど、血統は同じ。

 ならば、鬼がいずれ自分という魂を喰らってしまう……なんて可能性もゼロではないとミルキは心底恐怖したのだ。

 

(……アレは、今でも苦手だ。……それに、このデブからも逃れられない現状……か)

 

 ミルキ=ゾルディックの将来は、弟から『ブタくん』と呼称されるくらいの肥満体型という結果が既に出ている。

 だがそれは引き籠りで不摂生な食事がもたらしたことから、鍛えれば解消されるとミルキは思っていたが……現実は非情だった。

 いくら絞ろうと鍛えても、丸々膨らんだお腹を引っ込めるのは無理だった。

 

(……ま。二度と嫌がらせを受けることもない。……この体型とも、オサラバできると思うのだが…………いや、今はそれよりも【念】のことか)

 

 そして、ミルキが肉体調整より重要視していた事、それが【念】と呼称される身体から溢れ出す生命エネルギー【オーラ】を自在に使いこなす技術。

 この弱肉強食の世界で生き残るために絶対修得しなければならない能力……なのだが。

 

(結局、念の修行はさせてもらえなかったがな……)

 

 しかしミルキは念能力を使えない。

 念能力を使うには“キッカケ”が必要なのだが、ミルキは一度もその機会に巡り合う事が無かった。

 いや一度あったのだが……必死過ぎて、すっかり忘れていたという。まさに笑えないうっかりだ。

 

 しかし、もちろんミルキだって何もしなかったわけではない。

 いずれ外に出る事を念頭に行動していたミルキは、覚えている範囲で念能力の開発にこっそり勤しんでいた。

 無論、浅い記憶からの俄か覚えの知識がどれほどの役にも立たない。今日に至っても念を習得できていない現状がありありと物語っている。

 寧ろ使えなくて正解だったのかもしれない。生兵法を過信するなど死を自ら手繰り寄せるようなものだ。

 

 というわけで、ミルキは手っ取り早く念の修行を行えるだろう場所を目指す。

 

(やっぱり、最初の行く先は天空闘技場かな)

 

 人里離れた異境の地を目指す事をゼブロに仄めかしたが、それは真っ赤なウソ。

 どこで誰が聞いているとも知れない場で、そんな愚かな事はしない。

 ゼブロには少し罪悪感は湧いたが、嘘は本来生きるための術。なんら悪用でもないとミルキは自分を納得させる。

 

 因みに天空闘技場とは、パドキア共和国(現在地)と同大陸にある世界で4番目に高い建造物。

 野蛮人の聖地、格闘のメッカとも呼ばれる歪な建物は、遠くから見れば枝の少ない杉の木にも見える場所だ。

 

(能力者は能力者に感化される。天空闘技場で、俺の念も覚醒する可能性は……あるはずだ)

 

 天空闘技場はただ相手を倒して上へ階を重ねる単純なシステム。しかし、ある階を機に念能力は必須でなければならなくなる。

 それが200階級。つまり、200階級の選手は必ず念能力者なのだ。

 ミルキの目的もそこにあるが……今ミルキは200階まで上がるつもりは毛頭無い。

 なぜなら199階までの試合はファイトマネーが出るが、200階からはファイトマネーは出ず、己の名誉のみ得られるシステムになっているから。ミルキは名誉なんて要らないし、念能力を使えない状態で上がっても“洗礼”を受け、肉体を壊されるのがオチ。

 なのでミルキは客席から観戦し、発せられたオーラの余波で覚醒しないかと期待している。

 希望的観測に過ぎないが、他に行く宛ても無いミルキは決断せざるを得ないのだ。

 

 さて。行く先は定まった。

 飛行船でなければ山脈越えや国境越えなど最低2ヶ月は覚悟しなければならない程の距離だが、ミルキは陸路(徒歩)で行こうと思っている。……ダイエットのためにも。

 

 

 …………だが。

 

 

「……そろそろ、出てくれば?」

 

 その前に、どうしても通らねばならぬ“関門”がまだあるらしい。

 

「――さすが、ミルキ様。見事“契約”を生きて履行されただけの事はありますね」

 

 その声は、ミルキの行かんとする先から現れた。短髪に細目、逆三角の眼鏡を掛け、執事スーツをパリッと着こなした男性。ゾルディック家執事長ゴトー。

 

(……囲まれたか)

 

 更にミルキの背後にも2人、執事服の男達が。

 今ミルキが居るのは山を削り造られた山道。下り行くミルキから見て右側が数十メートルの崖下に繋がっており、左側が草木が点々と茂るだけの岩肌の見える山。

 前後を防がれれば、逃げ道は無い。

 

「……何か用か、執事長ゴトー?」

 

「説明せずとも、分かっているハズです」

 

 淡々と、しかしゴトーが一応の敬語を使うのはミルキが曲りなりにも“ゾルディック”だったから。

 しかしゾルディックの私有地……試しの門を出た時点で、ミルキとゾルディックは全く関わりない関係となった自分に言う理由など、ミルキは一つくらいしか思いつかなかった。

 

(白々しい……相変わらず、厭味な野郎だ)

 

 顔に出す程の嫌悪ではない。既に平然とできる低位の悪意だからこそ、ミルキは今後の展開も容易に想像ができた。……というより、逃げ道を消された時点で気付けぬ程、ミルキの通って来た地獄路は単純では無い。

 

「御当主様との“契約”を見事生き抜き果たされたミルキ様……ですが、それは御当主様“のみ”の契約です」

 

(……だろうな。そうなると判って、その条件を提示したんだ)

 

 契約。それはミルキが不殺を信条とすることを打ち明けた3歳誕生日の夜のことだ。

 どうあっても前言を撤回しないとミルキが覚悟を示した時、ミルキの元父でありゾルディック家当主のシルバ=ゾルディックが“契約”を持ち掛けた。

 

 契約内容は、ミルキが10を数えるまで如何なる責め苦にも耐え、信念を貫き通した暁には自由とする――というもの。同時に、今後一切シルバを父と言う事も、思う事も禁ずる――と。

 事実上、父子の決別。

 それから必死に生きて、数えで10(9歳)となった今日、ミルキは父シルバとの契約通り、晴れて自由の身となったのである。

 

「それに何より……今、赤の他人となった“テメェ”がゾルディック家の外敵と為りうる可能性がある以上、執事としてむざむざお前を逃がす道理はねェからな」

 

 しかし、それはシルバが手出ししないということ。他の誰かの命令で、執事が動く事は目に見えていた。

 ミルキが敢えてそこを指摘しなかったのは、シルバだけでなくゾルディックの抜け道をふさがないため。

 予測できる抜け道を通るなら、対策も立てやすい。そこを塞いでしまった時の後も考えると、余計な事を言わないのが吉。前世でも幾度も思い知ったことだ。

 

「テメェのような害虫と栄えあるゾルディックの面々を同列に呼ぶだけでもヘドが出る。……ようやくその鬱憤が晴らせるんだ。覚悟しやがれよ?」

 

 ゴトーから殺気が飛ぶ。周囲が一気に氷点下まで落ちたと思わせる底冷えする本気の殺意がミルキに襲い掛かる。

 

「……そう。(ジジイじゃない……。これは、あのクソアマの差し金か)」

 

 ミルキの反応はいたって淡白だ。

 ゴトーの殺気に恐れ戦いているのではない。ミルキは、ゴトーの殺気を逆に『温い』とすら思えていた。

 

(……9年前の俺なら失神通り越してショック死してただろうな。……かなり麻痺していることは否めないが、嬉しいやら哀しいやら……ってか?)

 

 もちろんゴトーは本気の本気。虚偽なく殺す気迫をミルキに向けているが、ミルキの日常は異状の連続。常に死と隣り合わせであり、この程度では恐怖が呼び起きるまで起伏する事も無くなっていたらしい。

 有り難いやらムナしいやら。いずれにしろ、ミルキもそれ相応の対応を取らねばなるまい。

 

「ならば、押し通る」

 

 ミルキは構える……と言っても、隙だらけに直立しているだけだが、熟練者を相手にする場合、構えを取ることで初動がバレてしまう。故に、突き詰めた自然体こそが最も道理にかなった構えなのだ。

 

「……逃げないのか? 死ぬぞ」

 

「自殺予告か、ゴトー? 笑ってやるぞ?……ククッ」

 

 安い挑発をするミルキ。……だが、ゴトーは判り易くコメカミに血管を浮かせた。

 

「……図に乗るなよ、逃避のブタ小僧が」

 

「俺の覚悟が逃避に見えるってんなら、先ずその趣味の悪ィ眼鏡を変えなよ」

 

 ゴトーがボクシング選手のように脇を締め、拳を作って顔の前で構えた。

 構えをしても隙の無い、初動の読めない実力差が見え隠れする。

 

「お前等は手を出すな」

 

 一対一を宣言するゴトー。……もちろん、ミルキは前方以外を取り囲む者。また“遠くから狙っている者”にも警戒は解かない。

 

「いくぞ……ッ!」

 

 一声を上げたゴトーは、ミルキに向かって直進する。

 単純な軌道。だが、その一歩が大きく、何より速い。

 5mはあった距離を、瞬く間も与えず消し飛ばした。

 

「フンッ!」

 

「っく……!」

 

 ゴトーが放つ渾身のストレート。ミルキは腕を盾に、更に瞬時に半身となることで軌道をいなした。

 

(ちっ、さすがの威力……!)

 

 だが、ゴトーの速度、そして一撃の威力がミルキの回避のタイミングを誤らせた。折れるまではいかなかったが、ヒビが入ったらしい。

 次のガードで腕ごと切り飛ばされる妄想が、現実となりそうだ。

 

(それに、今の感覚は……)

 

 ミルキはゴトーの拳に乗せられた殺気の他に、もう一つの力を感じた。

 朧げだが、それはとても親しみのある感覚。

 極寒の中でも、絶えず己を護るために発する強い熱のような……。

 

(……試してみるか)

 

 幾度となく潜り抜けた必死の修羅場。

 しかし、その中には無かった新たな力が目の前に。

 

「この程度がゾル家執事長の腕前か? 拍子抜けだな。お前の拳はブタすらも捉えられないってことかよ、ゴトー?」

 

「ッ……テメェ……!」

 

 ミルキはゾルディック内の全ての人間の性格、長短、好き嫌い等ある程度を把握している。もし敵対した折の糸口となる何かをあらかじめ用意しておく意味で。

 

(……掛かった)

 

 ゴトーは一見して冷静沈着。客観的に物事を見る事のできる人格だが、その実非常に溜め込みやすい性格をしている。

 膨らんだ風船は僅かな衝撃でも破裂する。貶した相手に貶される。これはゴトーにとって耐え難い屈辱。ゾルディック家に拾われた恩もあるらしく、その点で言えばある意味神聖視しているとも言い取れる。

 ゾルディック家を間接的に辱めることで、ゴトーの溜めこんだ鬱憤を爆発させる。

 

 その結果がどうなるかなど、火を見るより明らか。

 

「コロス……!!」

 

「っ……!」

 

 ゴトーから噴き出す威圧が、一層増した。

 

(これだ! この感覚が……!?)

 

 そして、比較するように己の内側に力の確たる存在感。

 

(確かめるのは後だ! だが今は―――!)

 

「ウラァ!!」

 

 まるで羅刹。振り下ろされる殺意の塊。ゴゥと唸りを上げて風を切りながら打ち下ろされるゴトーの右ストレートにミルキは……。

 

「ぶごはっ!!」

 

 見事……というよりも案の定、ミルキの分厚い太っ腹に直撃。その勢いを殺さぬまま、ミルキは吹き飛ばされ――。

 

「な……!?」

 

 崖下の、濃い樹海へと落ちて行った。

 

「…………ちっ!」

 

 冷静になっても時既に遅い。

 殴り飛ばしたゴトーは、己の右拳を見ながら舌打ちする。というのも、彼の右拳に何時の間にか一枚のシールが張ってあった。

 張って剥がせるメモ、ポストイット。

 そこには短く、こう書かれてあった。

 

「【餞別は貰った。土産はそれで勘弁してもらえ、バーカ】だとぉ……? フザケやがって……っ!!」

 

 ゴトーはクシャッと紙を握り潰す。

 ミルキは初めからゴトーと遣り合うつもりなど無く、初めから何かしらの一撃を“選別”として貰うつもりだった。

 自分は裏切者。産み育ててくれた家族を裏切る。3歳の頃より事実上の決別をしていた親兄弟達ではあるが、向こうはどう思っていたのか知る由もないが、罪悪感が無いなどありえない。

 我を通すため、家族を捨てる。ゴトーの言が本気であろうが無かろうが、それは確かな事実である。

 ならばミルキは受け止める以外の選択肢を持ち合わせていなかった。

 その重みを、その身を以て。それが、己に課せられた責任なのだから……と。

 

 冷静にならなかった結果がこれ。嵌められたとゴトーが気付いた時には何もかもが遅い。

 ミルキは遥か数十メートル下方の樹海の中に落ちて、既に気配すら無い。

 確かな手ごたえの一撃はミルキの骨と内臓を破壊したに違いないが、逃走できるだけの力は残っているだろう。

 樹海で一度視界から消えて、ゾルディック仕込みの気配隠蔽など使われれば発見は困難。

 更に、気配を消すという点で言えば、ミルキの技は特異の類。

 

「おい! 奴はどこだ!」

 

『ひ……! そ、その……完全にロストしてしまって……』

 

 ミルキも気付いていたが、遠方から熱感知型のスコープで監視していた執事の視線からも逃れた後。

 憤慨を隠せないゴトーだが、こればかりは誰かにブツけるわけにもいかない。

 

「アイツに付けていた発信機は?」

 

「……おそらく執事長がお持ちかと」

 

 言われてポケットをまざぐってみると……確かにあった。

 ここまでミルキの衣服に付けて置いた発信機、それに盗聴器もセットで。

 

(奥様の念も解除されたと見るべきか……あのブタ、念を使えぬまでも知っていたようだしな……)

 

 こうなればミルキを見つけ出すのは無理に等しい。

 ミルキの暗殺術は兄弟一の低能だが、隠遁術に関しては兄弟随一。

 その性能はゾルディック家の番犬……死の案内犬ミケですら、ここ数年は連敗中だった事を見れば分かり易いだろう。

 こうなれば、残る手段は飛行場がある町で、ミルキを待ち構えるしかない……のだが。

 

「ちっ……雨か」

 

 更にタイミングの悪いことに雨が降り出してきた。

 これでは視界も悪く、臭いも完全に途絶える。追跡は、不可能に近い。

 まるで天がミルキの味方をしているようで気にくわないが……。

 

「……戻るぞ。徒労は御免だ」

 

「御意」

 

 おそらくミルキは飛行船は使わないとゴトーは判断した。

 ミルキは小太りの見た目に反して俊敏で体力もある。地獄の道を生きて通って来た男が体力が無いわけがないのだ。

 

(……戻ってきたら、今度は容赦しねェぞ)

 

 本当は“訳”有って死なない程度に痛めつけろという命令だった。

 そして、ミルキが再びゾルディック家の門を叩くのは必定とは大人達全員一致の見解。

 今度は……侵入者として確実に潰すことを考えたゴトーは、戻った後の処罰を受ける事に意識を向けた。

 

 



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#02.激痛×謀略×決死

 

 負けるが勝ち――という矛盾した単語が繋がる諺がある。

 一時は相手に勝ちを譲ることで、しいて争わないことが結局は勝利をもたらすという故事だ。

 以前の彼は「負けは負けだろ、バカじゃね?」と思って心底貶していたものだが、転生してからというもの、この行動の連続であることに気付かされ自嘲した事も数知れない。

 

 もちろん負け惜しみではない。事実、彼はずっと勝って来た。

 どんなに惨めでも、蔑まれようとも、唾棄される事があっても。例え直ぐでなくとも、必ず再起し……勝ちを得た。

 

 そうやって勝って勝って勝ち続けることで、生きるという本当の意味を知った彼は貪欲に、しかし丁寧に己を磨き、今日もまた次のステップへと向かうべく、己を越えんがために精進する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日没してから一層強く滝のように降り頻る雨の下、

 

「ハァ……ハァ……」

 

 鬱蒼と茂る森の中を音も無く疾走していた影が、ぽっかりと大きく口を空けていた洞穴に飛び込んだ。

 洞穴を見つけた時は熊か狼が居るかとも思ったが、洞穴は浅く中には獣の気配は無かった。

 

「ハァハァ……ここまで、来れば……」

 

 穴の壁を背もたれにずり落ちるように腰を落としたでっぷり少年は、言うまでも無く先刻某執事長に手痛い一撃を見舞われ崖下樹海に落とされたミルキである。

 

「いちち……っ。くっそ……あのザマスメガネ……ガチで殴りやがって……!」

 

 声を出す毎に腹に激痛が奔るが、こればかりはどうも口にしなければ鬱憤が収まりそうにない。

 餞別に、と一発殴られるくらいは決めていたミルキだが、しかし思い起こせば腕でガードした時点でもう良かったのでは?……とかケチくさいこと考えると気が滅入るし虚しいので直ぐに自分の診察をする。

 

(右下のアバラはやっちまったが……内臓は平気か。まさか脂肪に感謝する日が来ようとは……)

 

 己のでっぷり体型に不満を抱いた事は数知れないミルキが、今ほど己の体型に感謝した事は振り返ってみても……やはり一度もなかった。

 

(雨……暫く続くな。……まぁ、こんな状態なら2~3日休んだ方がいいかもしれんが……)

 

 ゾルディック家の私有地(ククルーマウンテン)近くの崖下樹海に殴り落とされたミルキが逃走して何時間が経っただろう?

 少なくとも、ククルーマウンテンが見えなくなるまで走り続けたことは間違いない。

 激痛の腹部を抑えながら、もちろん辺りを警戒しての逃走。ミルキは気配を消しながら此処まで来たが、まだ追手が来ないとも限らない。

 特に、念能力に関して絶対に油断はできない。知識はあれどもド素人のミルキが太刀打ちなど考えるだけ無謀。

 だが、こと身内に関して言えば追跡系能力はキキョウ=ゾルディックのみだと確信している。

 他にも隠匿系や追跡型の念能力者が知らないだけで居るかもしれないが、それがゾルディック家人を観察分析しながら過ごしたミルキの判断である。

 

 ……と、そこまで考えたミルキはククッと苦笑をこぼす。

 

(しかし……ずいぶんと、遠い所に来たもんだな……俺も)

 

 改めて……というのも可笑しいが、何度も思うその文句は何度想っても感慨深いものだと再確認させられる。

 うだつの上がらないサラリーマンだった前世の自分なら、今の事態に三十路とか関係無く泣き喚いて蹲るしかなかったに違いない。

 常に気を張るなんて無かった過去の自分では考えられない。体が“少し”痛んだだけでも停まる事を許されない現状に慣れた自分に呆れるしかない。

 

(雨が上がったら……で、いいか?……ゾル家に居た頃なんか、何事も10分刻みだったが)

 

 休憩と仮眠は10分。睡眠にしても1時間。

 凶暴な人食い野獣が群棲する森の中で生き抜くために脳が決めた習慣は、その後何度もミルキの命を助けてくれた。

 ただ、確実に脳と体に悪いサイクル。命を削って命を繋ぎ止めるとは……これいかに、だ。

 

「俺、長生きはできないよなー……きっと」

 

 とか言いながらも瞼を落としつつ、何とか生を繋いできた自分を褒めるように苦笑する。

 あの頃の恐怖の権化が今では物の敵でなくなった。それでもミルキの脳は規則正しい時計のように時間に正確に起動する。

 

 だが極端にシャットダウンしないで酷使するパソコンがどれだけの寿命になるかは言うに及ばず。例え前世よりも肉体能力が高いと言えど、その辺りの差異は微々たるものに違いない。

 しかし、ふと……一つ忘れていたことがあったと、ミルキは仮眠入りを止めて瞼を上げる。

 

(……そういえば、俺って【念】を使えるようになったのか……?)

 

 ミルキは逃げる事に必死ですっかり忘れていたが、ククルーマウンテンを出て直ぐの送別戦闘を思い出す。

 思い出すとズキリ……とヒビの入った腕と、拳がめり込んだ腹が痛みを訴えるが、今はそんなことを気に掛ける幕間ではない。

 ずっと得たかった力に手が届くか否かの瀬戸際なのだ。

 

(あの時感じたゴトーの威圧は……たぶん、オーラ。……初めて感じる威圧だったから間違いないと思うんだが…………たぶん?)

 

 しかし確証は無い故に、ミルキはどうも曖昧にならざるを得ない。

 殺気、怒気、陰気といった負の雰囲気ならハッキリと「これだ!」と言い切れる自信があるミルキだが、ゴトーが放っていたのはそれらとはまるで別物。その異質な威圧感とは未だ遭遇したことが無かったものだ。

 

「アレが、オーラ……なのか?」

 

 感慨深く……しかし疑問符をつけることが余儀ない事態に溜息混じりの声が漏れる。

 今まで、念能力は「ずっと必要だ」と確かにミルキは思ってきた。だが、やはりそれ程の危難に直面した事の無いミルキの意思は、実に漠然と雲のようにフワフワとしたものだった。

 無くても何とか生きてこれるだけの自信があった。否、事実生き抜いて来た事が、ミルキに慢心を生ませたのだ。

 

(……力が欲しい。弱者を脱する……誰にも追随を許さない力……)

 

 だが、実際にオーラを放っただろう相手を見て、その重要性というものを改めて理解させられた。

 今までの必死の半生が井の中の蛙扱いされることは遺憾とし難いミルキだが、大海を一度も見た事が無いことも事実。ゾルディックにある意味手加減されて生き繋いできたことも合わせ、己の未熟を認めるしかない。

 

(……強くなりたい)

 

 現に、ゴトーの拳がインパクトする瞬間、ミルキは体内に感じた“熱”を直撃する一ヶ所に集めていた。そのお蔭……があるのかは分からないが、本来なら内臓がやられていても不思議じゃないところを、長時間逃走できるだけの身体ダメージで済んでいる。

 やはり念能力の習得は必至。改めて理解したミルキは、つい先刻の一幕を思い出すように瞼を落として集中して、己の中へと潜ってみる。

 

 ……しかし。

 

「……ハァ~、ダメか。もう何も感じない……」

 

 どうやらゴトーのオーラに対する突発的な所謂“火事場の馬鹿力”が出たにすぎなかったようだ。

 一般人でもオーラは体外に微量ながら放出している。だがそれはオーラの出口“精孔”が閉じた状態。

 まずは精孔を開け、オーラを自分の周囲に留める技術を習得しなければならない。

 現在のミルキは精孔を開くところまでも至っていない。ゴトーの一撃を緩和した時はオーラを使えていたかもしれないが、体外でなく体内で活用したことがその証。

 

「けど……あの感じは覚えている。……もう少しだ」

 

 仮にもオーラを感知することができた。それはミルキにとって小さいながらも確たる前進。

 オーラを熱として確かに覚えているミルキは、次にオーラを感知すれば……と己に期待を持てるまでに思っていた。

 おそらくだが、そうなることを危惧していたがため、ゴトー他使用人はずっと「(ミルキの前で)念を使うな」と言われていたに違いない。

 何をキッカケに念能力を発動するか知れたものではないのだ。

 

(……となると、俺の仮説もあながち間違ってもいなかった……ってことか?)

 

 外法と呼ばれる、念能力の覚醒方法がある。

 念能力者からオーラを送ってもらい、精孔を吃驚させることで強引に起こす“感化”の方法だ。

 ただ、オーラを送る側が未熟だった場合は、送られた側もただでは済まないが……。

 

 だが、感化によって特殊能力に目覚めることは自然界にも希少な事例としてある。

 

 一例を挙げるなら「心霊スポットに行って気分が悪くなった後から幽霊が見えるようになった」という噂話が実しやかに語られるが、まさにそれ。

 その場所で死んだ者が、この世に残した遺産。後悔、遺恨、私怨といった強い心残りが、【残念】として場に留まる事がある。

 そのオーラに感化され、よく言う霊能力者として覚醒する事があるのだ。

 

 世の中のあらゆる物質には“波長”がある。もちろん生命オーラを含んだこの世全てのエネルギーにも、だ。

 そして、オーラは人間のみの物ではない。その場にある岩石、草木、山野、その全てに宿っている。当人が、どの波長と合うのか……それは神のみぞ知る事。

 だが漠然とした全く無知の者にだとしても、何万分の一という確率の低さでも、波長に感化されることは確かにあるのだ。

 

(他人の念に感化して精孔を起こしてもらう。……おそらくフロアマスター級なら、って考えてたんだが……思いがけない収穫だった)

 

 ミルキはならばと、ゴトーとの戦闘で知った感覚をハッキリとしたカタチにすることを考える。

 精孔が閉じたままならオーラとして感知することは無理。でも“熱”を忘れないように何度も何度も思い返す事はできる。

 天空闘技場までの道のりで、その感覚を確かな妄想にする事を決め、再び瞼を落とす。

 

 

 

 だが……。

 

 

 

 ミルキは少し油断していたのかもしれない。

 自分が勘当されたのが、伝説の暗殺一家だということを……。

 

「う゛……?」

 

 突然の変調がミルキを襲った。

 

「ぐ……がはっ! ゴホゴフォッ!」

 

 吐血だ。視界は漆黒に染まっていようとハッキリと視認できる赤が、生暖かい熱と共に手を汚す。

 

「なん、ゴホッ! これ、は……っ!」

 

 決してゴトーの拳が原因ではない。

 全身が麻痺するような感覚、頭が爆発するのではないかという熱は、決して打撃……念能力で引き起こされた作用ではないだろう。

 そのような作用を起こせるとするなら6つある念系統の中でも操作系とよばれる物体、精神の作用を起こす系統のみ。

 だが思うにゴトーは強化系か放出系。操作系念能力を使えないわけではないが、可能性は低い。

 他の連れだった執事の仕業と考えるだけの根拠も薄い。

 

「っ、まさか……!」

 

 だが……ミルキには一つ、思い当たることがあった。

 

 それは、ククルーマウンテンを出立する前にした最後の真面な食事。

 

「アマネェ……テメェか、ゴホッ!」

 

 間違いなく、毒。寿命や病魔ではないだろう。

 現在に至るまで、様々な毒を喰らって「あらゆる毒はもう効かない」と思って来たミルキに慢心があったようだ。

 

「ちっ……慢心に次ぐ慢しガハッ! わらえねぇ……(くそ、意識が……)」

 

 咳に合わせ、吐血も止まらない。意識も徐々に薄れていく。

 後悔しても遅いが、家族との縁切りをしてから慢心は命取りだと判っていた……ハズなのに。

 ミルキは自分の甘さに心から後悔する。

 

(死んで、たまるか……っ! 俺には、やんなきゃいけないことが……! こんなところで死ねるか……う、っ!?)

 

 気力を滾らせ、何とか意識を繋ぎ止めているミルキだが、それでも全身が蝕まれ、意識が闇に呑みこまれてゆく感覚を止められない。

 

「敗け、るか……っ! 絶対に……!」

 

 ミルキにとって勝敗は常に生死が伴って来た。

 常に勝ち続けてきたミルキを支えてきたのは、貪欲なまでの勝利への想い。それは生存への飽く無き執念。

 漫然と日々を過ごし、己の生存は当然だと思っている惰性な人間と比べ、明らかに異質なその強い想いを為して来たのも、ミルキが常に心を鍛えて来た成果。

 

 念能力を習得するにあたり、その心の在り方を確固たる強固なものへと昇華させる事は必須の条件。

 それを為すには【燃】という業を行う。

 

 まず【点】により心を一つに集中し、自己を見つめ己を定める。

 ミルキの場合は、ただ「生きる」というこの根源とも言える一点に。

 続く【舌】で想いを言葉にし、【錬】で意志を高め、【発】で行動に移す。

 

 これが【念】を使うために必要な前修行となる。

 ミルキは常にこれを続けてきた。前世でもほぼ全てにおいて覚えが良い方とは決して言えなかったミルキは、反復する事で練度を上げるしか成長の道は無いと思っている。

 何より漫画で得た知識。何度も己の行動を疑ったことか知れない。

 それでも続けられたのは、ひとえに周囲に絶えず漂う濃い死期の薫りを打ち払うという眼前の目的があったからだ。

 そして今日まで生きて来たことは、その成果と己に暗示を掛けることで、また明日の糧にする。

 

 自ら孤独の中に飛び込んだミルキは、恐怖と不安に常に押し潰されそうになりながらも、そうやって生きて来たのだ。

 

 だから……。

 

「敗け、て……た、ま、る……か―――」

 

 意識が堕ちる最後まで、ミルキは勝負を捨てる事はしなかった。

 

 

 

 

 

 そして、その貪欲なまでの執念が新たな奇跡を覚醒させる引き金となることを……この時のミルキが知る由も無い。

 

 



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#03.覚醒×透過×実験

 峠を越えて。


 

 生死の境を彷徨う旨の体験の一番厄介なところは、その当人の意識が混濁している時に何が自身に起こっているのかまるで分かっていないということだ。

 世界がどれだけ流転しても、意識を失った前後で人は世を繋ぐ。

 1日で目覚めたならまだいい。けど1週間、1ヶ月、1年……それ以上となると、果たしてどれだけの人間が自分の世を受け入れることができるだろうか。

 精神を置き去りに肉体が急激な成長を果たし、自分ではない自分との対面に混乱し、果ては恐怖する。

 更には自分の周囲(せかい)までも崩壊していたら……?

 愛する者、大切な物が無い世界(じかん)だったら……?

 

 そして……それが自己を有したまま、違う自分になっていたとしたら……。

 

 一度はそんな体験をしたミルキは、常に恐怖した。

 これは夢だ。明日にはまたうだつの上がらないサラリーマンに戻っているに違いない。

 何度も自分に言い聞かせた。

 還りたかった。あの、つまらなくも優しい世界に。

 

 自分がどれだけ恵まれていたのかをようやく思い知った。

 後悔しても遅い事が理解するのが嫌だった。壊れそうになる自分を何とか繋ぎ止め、地獄のような世界で何度挫けそうになったことか知れない。

 けど、今居るのが地獄だと思ったからこそ、死ねば今度こそ自己の消滅に繋がると必死になったから、今のいままで生きて来れた。

 

 サブカルチャーへの転生譚。そんな妄想噺を読んで、自分もできたらチートしてやるのに……と妄想に妄想を重ねたこともある。

 懐かしい記憶だ。しかし所詮、妄想は妄想。現実に起これば、魂魄は漫然と時を生きた脆弱な人間にいったい何ができるというのだろうか。

 

 絶望してから急成長する? ご都合主義に期待する? 神様にサブカルチャーの能力を移植してもらう?

 その果てに己が欲望が本当に叶うと、なぜ思えるのだろう。

 

 結局逃げているだけだ。

 

 だから、ミルキは……転生して今更にそんな当然に気付いた彼は、己の中にある確固として絶えず変わらぬ一つを護ることを決めた。

 

 もう逃げない。

 

 不殺……前世から築き上げてきた己だけは、絶対に捨てないと固く誓ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――ん、……ぁ」

 

 遠くで小鳥のさえずりが聞こえて、チカッチカッと瞼の裏でも分かる高熱が瞳を焼くのが分かる。

 ゆっくりと意識が覚醒したミルキは、すっかり高くなった日に挨拶するよう手を翳しながら瞼を上げた。

 

「……生きてる……」

 

 声にして耳に届くと、フッと全身の力が抜けたと判る。

 口の中がドロドロで気持ち悪いと思うところだが、生存の実感と言うなら受け入れるしかない。

 ただ……。

 

(……うごけねぇ、か)

 

 まるで金縛りに罹ったかのように、体が動かない。

 それでもビリビリと麻痺する手足が、ミルキの意識無き後の必死の抵抗を如実に教えてくれる。

 故の疲労度か、それとも毒が体内に残っている所為か。いずれにしても、まずは生存(勝利)した事を歓喜しよう。

 

(さて……どうする)

 

 動けないが、このまま飲まず食わずで毒が抜けきるまで待つ……ともいかない。

 だが、幼少より三食中二食がその辺に生える草花だったミルキにしてみれば、手の下に草がある現状特に困った事ではない。

 

 ただ……。

 

「グルルル……!」

 

「ウォーン……!」

 

「……」

 

 突然だが、どうやらミルキは狼に囲まれてしまったようです。

 というかミルキの横たわる巨木の下が狼共の縄張りの中心位置だったのかもしれない。続々と狼がミルキの横たわっていた木の下に集まってくる。

 体長は小さいのでもミルキの上半身を丸呑みにできそうなほど。傍から見ればこれ以上ないくらい分かり易い絶体絶命……の、ハズだが……。

 

(……どうやら、大丈夫みたいだな)

 

 しかし、ミルキと狼の群れは傍から見たらという期待と想像を堂々と裏切っていた。

 なにせ狼の一匹もミルキを見る素振りはないのだ。ミルキの“方は”見るのだが、そこにミルキが居ると認識できていない。

 認識と理解は別個だ。そこに「ミルキが居る」と理解していても、認識できなければ意味は無い。

 

(死に掛けても、気を失っていても、変わらず【気配透過】は常時運行か……有り難い、有り難い)

 

 それは、ミルキの秘めたる能力。

 どうやら念能力とはまた違った変異能力らしく、ミルキは【気配透過(アンノウン)】と呼称している。

 この能力が使えるようになったのは、もう5年も前のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気配透過(このチカラ)が初めて使えるようになったのは、ミルキが4歳の誕生日を迎えて間もない時のシルバ=ゾルディックの提案が発端だった

 

『アレから一年だ。お前が今後も俺との契約を果たせるのか、試してやる』

 

 と、尤もらしい事を言われたミルキが放り込まれたのが、狼の群棲地だった。

 非情な誕生日プレゼントもあったものだと泣き言を頭の中でがなりながらも、今のように体長2メートル級狼の群棲地で1ヶ月サバイバルしたのだ。

 

 その当時、ミルキはまだ10分睡眠が真面にできなかった。それでも1年もの間、前世を忘れるような苦行の数々に耐えて来たミルキは、しっかりこの世界に心身を適応させようと、もがいていた。

 弱味を見せぬよう、死を伴うような責め苦にも悲鳴を絶対に上げなかった。

 猛毒が入った食事でも平気な顔をして呷った。日々常に全力で爆走してきた。

 だが……当時のミルキは4歳。精神年齢が三十路なんて関係無い。世界観がまるで違うなら積み重ねた経験則は毛ほども役に立たないのだ。

 

 それに敵は狼だけじゃない。孤独無縁や死の恐怖とも闘わねばならない。

 ガリガリにすり減る精神は、生を諦め死を受け入れる覚悟をミルキに強いた。

 それでもはじめの半月は何とか耐えたのだ。

 睡眠無しで常に息を殺して狼にバレないようその辺の野草や木葉を食べた。体質なのか草葉を食べた影響か、そうすることで体臭を抑えられる事に気付いたからだ。

 

 しかし……必然的なその時が、とうとう来てしまった。

 限界だった。

 徹夜で勉強して大学受験に寝坊した事のある前世の経験を活かせず、ミルキは気付かぬまま深い眠りに落ちてしまう。

 

 狼の群棲地で眠るなど自ら贄となるに等しい。

 頑張った……と思えたからだろうか。ミルキには死に対する恐怖はなかった。

 あったのは、異様なくらい安らかな心地。

 まるでフカフカのベッドに入ったかのような感覚のまま、ゆっくり睡魔に運ばれていった。

 

 ――だが、ミルキは助かった。

 

 ふと……目を覚ました。……覚ました?

 爆睡していたと気付いたミルキは慌てて跳ね起き上り、周囲を見渡す。……すると直ぐ近くに狼が。

 

(不味い、仲間を呼ばれたら……!)

 

 そう思ったミルキは優柔不断にも伸るか反るかの判断を下せず、体が硬直してまったく動けなかった。

 殺される……。もうだめだ……。諦めたミルキ……だが?

 

(……な、なんだ?……なんで、俺を見ない?)

 

 いや、見ていた。確かに狼と目が合った。

 なのに、プイ……と狼は視線を戻して去っていったのだ。

 

 理由は判らなかったが、冷静になったミルキは丁度イイと熟考して「狼は本当に俺を見ていたのか?」と疑問に思ったのが【気配透過】を知る事の発端だった。

 

 それから1ヶ月のサバイバル中に色々と実験した結果、ミルキは己が一定以上精神が抑えられていれば気配を透過できるようになったのだと知ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 改めて言うが、【気配透過】は念能力ではない。

 念能力の四大行にはオーラを絶つ【絶】という技術がある。気配を絶つことで、目の前に居るのに認識が困難になる……という副次効果もあるが、ミルキは精孔が開いた形跡も無く、当然オーラに変動は無い。

 ゼノやシルバの眼をしても理解できなかった異能。当然解析はできず、ただ「できる」という事実のみが残った。

 

(この力には、随分と助けられたな……。おかげで窮地を脱した事も十や二十じゃない)

 

 気配透過を使うようになってから狩りが楽になった。

 また気配透過で動物に近づき、呼吸、踏み出す足の初動、目の動きなどをじっくり観察できた甲斐あって、4歳児も半ばまで終わった頃には狼の群れを(食べて)全滅するまでの急速な成長を遂げる。

 今では気配透過無くとも体が動かなくても首から動けば……という首下麻痺状態で狼を仕留める事ができるようにまでなった。

 因みにそんな間接殺人的修行をクリアしたのは6歳に入って間もない頃のことだ。

 

 気配透過を用いれば難しい事なんて無い。異能万歳だ。

 今なら目の前に座す油断した狼の首を掻っ切ることもできる。……だが、それはエネルギーの無駄遣い。今は体力回復が先決だとミルキは判断した。

 

(……仕方ない。しばらく“熱”を燃やす鍛錬でもするか)

 

 今は無駄なエネルギーを使うよりも、回復力を上げるという意味でも念に関する修行をする方が得策であり急務。

 独学だが、そのために【燃】という基礎工事を何年も続けてきた。

 ずっと……ある台詞を胸に。

 

『常に思い描くのは最強の自分自身』

 

 十年以上も前の記憶だ。重要な部分以外は排他したため、何のサブカルチャーの台詞だったかは忘れたが、その言葉がミルキに「できる」と常に思い続けさせてきた。

 熱を感知できたことからも、もう直ぐ結果は出るだろう。

 今までの反復を無駄にしないよう、ミルキは瞼を落として己自身を最高の状態にするべく集中する。

 

(熱……やはり【燃】の延長上と考えるべきか……)

 

 感情の発露こそが熱(オーラ)を起こすと言うなら、やはり【燃】の手順を踏むことが一番の近道だろうといつも通り、体の力を抜く。

 例え周囲を狼に囲まれていようと、いつも通りを貫いて。

 

 思い出すのは、昨日の……いや待て? とミルキは瞼を上げる。

 

(……そういえば、昨日……なのか?)

 

 よくよく考えれば森にカレンダーなんてない。今日はいつか分からないが……とにかく、“先日”としよう。

 ミルキは一年以上経っている事は無いだろうと思いながら、あの時を再現する。

 一方的な……ある意味“いつも通り”だった一幕を。

 

(ゴトー……お前を必ずブッ倒す!)

 

 いつものように【点】から【舌】を心の中で唱える。その時、あの日ゴトーから感じた威圧も一緒に再現する。

 そして【錬】によって意思を高め……ていた、その時だ。

 

(っ……この感覚だ……!)

 

 己の内に灯った熱。へその下にある丹田よ呼ばれる場所に、現れた。

 今までとは違い、やはり一度知った感覚というものは脳に新たな刺激となって肉体に眠る力を起こしたようだ。

 

(熱い……。全身が、熱い……)

 

 これをミルキは【錬】によって「ゴトーを倒す」という意志と共に昇華させる。

 すると一ヶ所に留まっていた熱が、血管を通るように全身を駆け巡る。そして筋肉、内臓にも熱の奔流が滞る。

 どうだ……と、ミルキはゆっくりと瞼を上げる。

 

(っこ……これが? これが、オーラなのか……!)

 

 ミルキが見たのは、己の“手と足と腹部のみ”にではあるが、確かに纏わりつく白い湯気のようなオーラ。

 手足……それにどうやらそれを視認できるということは、眼の精孔も開いたようだ。

 

(やった……やった! やったぞ!)

 

 局所的な発露だが、確かな力の顕現を目にしてミルキも感動を隠せない。

 苦節7年の成果がようやく実った。これで淡白になる程、ミルキは枯れていないが、しかし一瞬過ぎて少し呆気なさを感じるのも仕方のないことかもしれない。

 

 だが、驚愕は本当。更にもう一つ、ミルキに驚愕が降りる。

 

(手足が動く……オーラを発すると動けるようになるのか?)

 

 先程まで麻痺して動かなかった手足の関節が動かせるようになる。

 どうやら生命エネルギーとは名ばかりでは無いらしい。

 しかし、感動ばかりもしていられない。

 ミルキの現状は開いた精孔から生命エネルギーが駄々洩れの状態。生命エネルギーを通常以上に出した状態が続けば全身疲労で昏倒してしまう。

 更にミルキの場合は毒がまだ残っているため、最悪死の危険も有り得る。

 

 よって、まずは【纏】という念の四大行の基礎となるオーラを留める術を早急に覚える必要がある。

 

(イメージだ。オーラが全身に留まる……ゆったりとした……水中を)

 

 個人によってオーラを留める【纏】のイメージは違う。

 一人は温い粘液とイメージし、また一人は重さの無い服をイメージする。

 

 そしてミルキが行ったイメージは、温浴だった。

 立ち昇るのは湯気。その下には、必ず静かに揺蕩う風呂がある。ゆっくりと足から下半身、そして腰から手、上半身から頭までを温浴に浸かるように。

 全身を包み込む熱い湯が、ミルキの見出したオーラのイメージを続ける。

 

 そして直ぐに、異変に気が付いた。

 手足を包み込んでいた熱が、全身に周ったようなのだ。

 どういうことか……とミルキは瞼を上げて現在の状態を見てみると……。

 

(……あれ? 出来てる……のか?……いや、というより全身の精孔が開いた?)

 

 先程は顕著に手足のみが包まれていた湯気も、今ではゆっくりと揺蕩う水の中に居るが如く、全身を包み込んでいた。

 確証は無いが【纏】の完成型で間違いないだろう。

 意識しなければ揺らぐため、熟成には程遠いが、それでも驚愕の成長速度……と言えるのかは微妙だが、確かに出来ていた。

 

(……今なら動けるか?……ってか)

 

 先程はオーラを纏った手足が動かせた。

 なら全身をオーラが覆う今、全身が動かせるのでは……と考えたミルキだったが、

 

「グルル……!」

 

「ヤベ……」

 

 狼全匹が自分を見ている事に気付き、思わず声を漏らしたがまぁ過ぎた事をとやかく言っても後の祭り。

 オーラの発露によって、さすがの気配透過も意味を為さなくなっていたようだ。

 

「よっ、と! お、動ける動ける♪ 良かった「ガァ!」な!……っと!」

 

「キャイン!?」

 

 下っ端らしき狼が牙を剥いたため、ミルキは回し蹴りを頭にブツけて昏倒させる。

 

「おお、体が以前より軽い……これも【纏】の効果か?」

 

 念の四大行の基礎を為す【纏】を行うことで、肉体は頑強となり、更に若さも保てると言う防護系のみの向上かとミルキは思っていたが、どうやら筋肉の活力も常人より増しているらしい。生命エネルギー様様だ。

 

「さて……お前達には悪いが、ちっと実験に付き合ってもらうぞ」

 

 下っ端っぽい狼(朝飯)を抱えたミルキは、狼の群れへと向かって駆け出した。

 まず、実験その一。念の四大行(今は【纏】)をしながら、気配透過ができるか否か。

 

(いくぞ……気配透過)

 

 ミルキは己に暗示をかけるように、心の中で気配透過の発動を唱える。するとどうだ。

 

「グル……!? ウォーン……!」

 

(……成功のようだな)

 

 狼達は今まで目の前に居たハズの獲物が消えた事に戸惑い、遠吠えをし始めた。

 どうやら【纏】をしながらでも気配を透過し、認識を逸らすことは可能のようだ。

 しかし、この狼が鈍感な種族である可能性を捨てるには軽率。また、通常以上のオーラを大量に生み出す【練】の時も可能なのかは、また後日別種にて行うと心に留める。

 

(次は、持続時間だ)

 

 実験のその二は【纏】の持久力。

 今初めて【纏】を形成したミルキは、これが直ぐに戦闘に活用できるかを知らねば、四大行の応用技の【凝】【堅】【硬】【円】といったオーラを通常より多く活用する技術習得にも関わってくる。

 

(体内に毒の残留する今、はたしてどれだけ持つか……生命エネルギーの程、感覚で判るといいんだが……)

 

 因みに、天才なまでの才能を有していた原作キャラの一人が【練】を持続させる応用技の【堅】を初めて行った時に持続させたのは約2分のみ。

 常人が【堅】の持続時間を10分増加させるには1ヶ月が必要と言われている事も考えると、かなりの苦労と時間を費やす必要があるだろう。

 

 焦りは禁物だが、最低でも1時間は【纏】を維持できればいいな……と希望を抱きながら、ミルキは限界を見誤らぬよう注意しながら狼を次々に気絶させていった。

 

 




 ゴトーに精孔開かれた。(∩´∀`)∩ワーイ――な展開もアリかな……とも思いました。蟻編でそんな件がありましたしね。
 でも、それだとミルキが重ねてきた【燃】が無駄になるような気がしたので、起因の理由は別に用意しました。

※(改変)気配透過が使えるようになった年齢:3歳⇒4歳


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#04.持続×走破×連戦

 

「はむはむ……」

 

 ミルキが取る普段の食事は実に粗末である。

 

 ゾルディックだった当時、一日三食の内の二食は野草に木の実と焼き魚。だが残り一食だけは、ゾルディックが出した。

 何でも「親の務め」とか。

 だがその実態は、2~3日は放置して腐った残飯の処理。しかも致死量の毒物入りだ。

 

 とんだ嫌がらせもあったものだが、ミルキもゾルディックの血脈なだけはあるらしく、例えどんなに異臭のする残飯でも、致死量の毒物を喰わされても、生死を彷徨うような事は無かった。

 しかし毒にも種類があるらしく、粗食を心掛けていたミルキが肥満体型になったのも、毒物の影響ではないか?……と思っている。

 

 また、そんなミルキを死に追い殺らんとした此度の毒物……いったい何だったのか気になるところだが、とにかくそんなわけで普段のミルキは肉を食べない。

 もし食べるとすれば、その日は何か特別な日と決めていた。

 

 今日は、記念すべき……という言葉も不思議なものだが、念の門を開いた特別な日。

 祝いに大いに肉を食べるのも、罪とは言えないだろう。

 もっとも念能力を覚醒させて、その入口に立ったミルキが見た世界に抱いた感想は「相変わらず」だったが。

 

「……ま、当然だな」

 

 開いた入口からでは、遠く聳える山頂は見えるはずもない。頂上まで昇ることを許されたというだけで、自分は一歩たりとも進んでいないのだから、当然と思う以外にないのだ。

 

「はー食べた食べた。……ごちそうさまでした」

 

 胃に収まった狼肉に感謝の意を示したミルキは、改めて自分の姿を見てみる。

 

「まだ、平気……かな?」

 

 ミルキが初の【纏】を覚えてから、約90分。時計が無いため正確な時刻までは判らないが、ミルキは未だに【纏】を維持できていた。

 

「思った以上に持つんだな……メシ食いながら、だからか?」

 

 初めての【纏】がこんなにも持続するとは思っていなかったミルキだが、しかしそれが当然なのか凄い事なのかまでは判らない。

 むしろ初めてだから、かもしれない。もしくは、オーラは生命エネルギーだから、食事を取りながら纏の状態を維持するのは生命エネルギーの継ぎ足しになっているのだろうか?……なんて考察も浮かぶが、切りが無いと止めた。

 

 理由はどうあれ、纏を長時間維持できるのは有り難い。ミルキは感覚を忘れないよう、食事をしながらもオーラに気を配り続ける。

 更にミルキのイメージは“水に揺蕩う”というもの。その点で言えば、川原の近くというのも鍛錬場として最適と言える。

 漫然という湯をイメージするより、視覚、嗅覚、聴覚を水に宛てていることでミルキは自然体のまま【纏】を維持できていた。

 

 しかも【纏】を使えるようになったから、なのかは分からないがゴトーとの戦闘で痛めた腕と腹が何ともない。

 念の四大行の中で、回復力に影響するのは唯一精孔を閉じる技術【絶】とミルキは思っているが、精孔を開いたことで生命エネルギーの循環がより増した事が治癒に繋がったようだ。

 

「さて……これからどうしようか……」

 

 オーラを纏ったまま、ミルキは今後の予定を再確認する。

 本来なら天空闘技場に向かうはずだったミルキだが、その最たる目的である『精孔を開く』は、打撃と毒物のコンボを克服したことによって達成してしまったらしい。

 なら、わざわざ大陸の端から端に向かう必要も無いのではないか? と思うのも自然な疑問。

 

「んー、よくよく考えてみたら今頃だったよなー? あの変態ピエロが出没するのって……」

 

 原作主要キャラの内、ミルキが遭遇したくないトップ3に入る一人が天空闘技場に居る。

 念を覚える事ばかり考えていたが、一度冷静になって考えたミルキの頭と体は天空闘技場を忌避していた。

 

「……いや、それより。これからどうするか、だな……?」

 

 念の修行は、知識通りに行っていけば、ある程度なら問題無いはず。

 金銭確保は、弱そうな賞金首を捕まえれば日銭ぐらいは稼げるだろうと楽観視。ミルキは特に金銭を使わずとも生きていける。……今までがそうだったから、これからも変わらないというだけの認識だった。

 

「原作に介入するかは……、んー……?」

 

 悩みどころは、原作介入するか否か。原作介入せずともプロハンターの資格を取るか否か。

 プロハンターの資格は、取得すればメリットが多いだろう。優遇……特に交通機関がフリーパスになるというのは魅力的だ。

 だがそれは世間に顔を売るということになる。

 ハンター専用サイトで調べられない事は無い。もちろん同業者の情報も。

 ミルキの立場からすれば、自らの首を自ら絞める事になってしまう。

 

「……取らぬ狸のなんとやら、だな。まだまだ先のことだし。今はなんにしても、強くなることを考えないと……」

 

 原作云々、ハンター試験等よりも、今は世に蔓延する敵と戦えるだけの力が必要。

 体も心も鍛えに鍛え、強者の仲間入りをしたいと切に思う。

 これからは、暗殺技ではなく武闘技を。

 武という一文字は『戈を止める』という成り立ち。つまり、武闘という本質は『戈を止め、己自身と闘う』という言葉から成る。

 それこそが、ミルキが常に目標としてきた『強者』の姿。

 

 ただ……前世の彼は、ただ敵を打ち倒す者こそが強者だと思ってきた。

 拳を顔面にブツける迫力と威力に圧倒された。誰にも追随を許さない無敗にして孤高の戦士こそ、本当に強い者だと憧憬の念を抱いた。

 

 だが、それは強者のほんの一面。自分が憧憬を抱いていた強者の上っ面だけしか見ていなかったと気付いたのは、いつ頃だっただろう?

 武闘の技術、常人を越えた体力のみに目が行っていたが、本当に見るべきは心の強さ。決して挫けず、どんな障害にブツかろうと折れず曲がらず、真っ直ぐ勝利のみを目指す姿勢なのだと。

 

 心技体。これが一致してはじめての強者と身を以て理解したミルキ。……だが『強者』と見定め、ずっと憧憬してきた者もまた、心技体が全て備わっていると改めて理解するに至り、その情を深くしたにすぎなかったのだが。

 

「目標は高く、高く……手探りになるけど、目指すのも一興だ」

 

 自分も超越した強者になりたい。それは、前世から変わらぬ願望。

 転生し、ゾルディックの者となった事に絶望したが、しかし……ある意味で資質だけは備わったことになると前向きに考えてきた。

 だから頑として己を曲げず、本当の意味で歩める日のため、ジッと耐え忍び、堪えて来た。

 我流……念もそうだが、これまた独学。かなり歪になってしまうこと必至だが、ミルキは諦めるつもりは無い。

 

 ミルキは、先立っての目的を定めた。

 

「よし……痩せよう」

 

 何よりも先立つ事は、これに違いないと定めたミルキは一度屈伸して駆け出した。

 

 目指すのは――天空闘技場。

 

(ピエロが居たら、即退散しよう。そうじゃなかったら……)

 

 痩せる目的でも、体力を向上させる意味でも長距離走は考えていた。

 とりあえず、問題はピエロが居るか否か。もし見つけたら目を合わせないよう即座に退散しようと決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「天空闘技場へようこそ」

 

 ミルキがククルーマウンテンを発って早くも2ヶ月が経過した。

 大陸横断、何千kmという距離を走破して天空闘技場に行き付いたミルキは、旅路の途中で少しばかり内戦が激しい国や情勢が安定していない国だったりを横切ったが、気にせず駆け抜け、現在は天空闘技場の門を叩いている。

 

 因みに、入念な下調べ(特にピエロが居るか否か)の結果、どうやら居ない事が判明し、ミルキは気兼ねなく天空闘技場に参戦することを決定した。

 旅路の途中で適当なアルバイト(見かけた賞金首を捕らえる等)をして日銭を稼いでいたが、やはりここらで纏まった金が欲しいと思ったこと。またやはり一人で修行するより、実際に思考して動く物体を相手にした方が修行になると結論に至ったことが参戦の理由だ。

 

 また、ミルキが毒物で生死を彷徨ったあの日から何日経ったと気にしていたが、驚くべき事にどうやら翌朝だったようで。数ヶ月単位での時間移動をしていなかったことを心底安堵した。

 

「天空闘技場は初めてですね?」

 

「はい」

 

 嘘も方便とばかりに堂々と虚言を口にするミルキに従い、受付嬢が一枚の紙を提示した。

 

「では、こちらに必要事項をお書きください」

 

 本当は数年前に一度来ているが、初挑戦としなければゾルディックに感づかれる。……否、もう手の者を差し向けている可能性もある。

 だが……今のミルキは『ミルキだ』との判別が難しいだろう。

 

「レオパルド・インデックス様ですね」

 

 ミルキが即席で思いついた偽名。厨二っぽいネーミングセンスだが、それよりミルキの容姿と風貌を説明しよう。

 

 ミルキの風貌は、5日前に立ち寄った店で適当に買い揃えたもの。パーカーを深くかぶり、ゆったりジーンズを穿いた至って普通の服装だが、顔にはガスマスクを着用。これ見よがしに怪しげなキチガイ雰囲気を出している。

 いくらミルキと判らぬよう試行錯誤した末の結論だとしても逆に……と思うだろう? だが、天空闘技場ではこういった風貌があまり珍しくないため、逆に「面白みに欠ける」とすら思われるのだ。

 

 そして肝心の容姿だが……言わずもがな、念願叶ってミルキはスリムな体型を手に入れていた!

 贅肉ブルンブルンの腹と顎下、丸太のように太い腕腿とはオサラバしたのである! やったね!

 

「1階闘技場では2221番で御呼びしますので、お聞き漏らしの無いようにお願いします」

 

「ああ。(……おしいな)」

 

 2222の一歩手前で「なんだか損した気分だ」と変なこだわりを見せながら、ミルキは闘技場へと進んで行く。

 

「おー、まぁ……さすがに変わってないか」

 

 ミルキが天空闘技場を訪れるのは二度目で4年ぶり。

 一度目は5歳の頃。シルバとの“契約”の一環で「1ヶ月で200階まで上がれ」という無茶振りを言われ、無一文で放り込まれた時だ。

 

 無論、ミルキはそれも含んだ“契約”を完遂したからこそ、今こうしてこの場にいるわけだ。

 

 天空闘技場のシステムは至って単純。勝てば上の階に進み、負ければ下の階に落ちる。

 200階までは10階単位でクラス分けされ、例えば100階で勝利すれば110階に。負ければ90階に落とされる。

 100階からは待遇も良くなり個室が用意され、手に入るファイトマネーの額も上がるため、勝ち上がるには単純な格闘技能よりも寧ろ生存競争をしている野獣のような狡猾さを要求される。

 無論、狡猾さを埋めるだけの実力があれば問題無いのだが……。

 

 そんな天空闘技場には1日平均4000人という挑戦者が訪れる。2000番台のミルキの後ろにも長蛇の列が出来ていたのがいい証拠。

 しかし、大樹の根元がどれだけ太かろうと、天辺の枝先が容易く折れるような細さになっているように、天空闘技場もそこまで上り詰められるのは極僅かの実力者に限られる。

 そのため、1階の闘技場で行われるのは腕試し。4~5m正四角形のリングの上で、3分以内に実力の程を見せるというもの。もちろん敗者は門前払いとなる。

 

『2099番・2221番の方、Cのリングへどうぞ』

 

「む、呼ばれたか」

 

 1階のリングはA~Pまでの16面。選手は、年齢と格闘技経験、格闘スタイルを統計してコンピューターが算出する。

 ミルキの相手は、3mにも届こうかという大男だった。

 

「へへへ、運がねぇなガキ! 一発で潰してやるぜ!」

 

 ……だが。

 

「てい」

 

「ぶご……!?」

 

 軽く肩を叩くように“トン……ッ”と腹を押しただけで、吹き飛んでしまった。

 

(軽くでこれか……。やはり念を使えるようになって力が上がったようだ)

 

 念の修練を初めて2ヶ月。ずっと【燃】の技術を上げて来たお蔭か、ミルキは既に精孔を閉じる【絶】と通常以上のオーラを生む【練】の技術はもう問題無く使えるようになり、今はオーラを肉体の一ヶ所に集め、増幅する【凝】という技術を目下練習中だ。

 

 それにミルキの力が増幅したということに関して言えば、念を使えるようになったという事以外にも、贅肉が落ちた事でそれまで余計な膂力が削減され、力がスムーズに腕に伝達した結果でもある。

 

「2221番。キミは50階へ行きなさい」

 

「分かった」

 

 1階でのファイトマネーは152ジェニーと、缶ジュース1本分。これはどの階に飛び級しても同じ。

 しかし次の階からは負ければゼロ、勝てば5万程のファイトマネーとなる。マイナスにならないのは実に善いシステムだ。

 

(さて……無傷で勝ったし、もう1試合組まされるだろーな)

 

 因みに100階級なら凡そ100万。150階を越えれば1000万を楽に超える額となる。

 

(んー……あの頃は……確か1億は稼いだハズだ)

 

 4年前にミルキが来た時に稼いだ金は、約2億ジェニー。……だが、その明細をミルキが知る事はなかった。

 その金銭は、監視として同行した執事に全て没収され、家に流れたからだ。何でも生活費に充てるとか。その後、機械式ゴーグルをつけた某人物の洋服ダンスに新たな仲間が増えたとかいないとか……。

 だがミルキにとって、手に余る金など邪魔なだけだったので、心底どうでもよかったが。

 

(けど……あの頃もあんまり苦労はしなかったよな……?)

 

 ミルキは天空闘技場の200階まで上り詰めた日数はギリギリ1ヶ月。……というより、自ら完遂期間を延ばしたという方が正しい。

 

 当時5歳のミルキの腕力は、脳リミッターを外して試しの門を2つ開ける程。

 そのため「ただ思いっきり押す」というだけで、人間は簡単に押し飛ばされる。それで100階までは苦も無く上った。

 

 だが、問題はその後だ。

 

 100階級の選手は実力も然ることながら、とにかく狡猾だった。

 天空闘技場の試合形式はP(ポイント)&OK制で、クリーンヒット・クリティカルヒット・ダウンとポイントを稼いで逸早く合計10Pを先取した方が勝者というルールだ。

 因みにクリーンHで1点、クリティカルHで2点、ダウンで1点。

 

 一例として挙げるなら寝技使いが居た事をミルキは覚えている。

 相手を抑えつければダウンで1点。その後、その1点を死守するように制限時間いっぱいまでリングの上を逃げ回るのだ。

 勝てば官軍、負ければ族軍とはよく言ったもので、どんな手段を使っても、周囲から何と言われようとも勝てば富と栄誉が与えられるのだ。

 

 もちろん、ミルキはそんな相手を蹴り上げてリングから追い出し気絶させたが……、しかしゾルディックの期待の星と目されるキルアはコレに苦戦し、150階に上がるまで2ヶ月を要した。

 理由として挙げられるのは幾つかある。

 まずキルアは暗殺者として『勝ち目が無ければ戦わない』という調教をずっとされて来た。本気の殺人術しか教わって来なかったキルアには手加減が出来ないのだ。

 殺すか否か。その2択以外の手段を取れなかったが故に、手加減を覚えるまで時間が掛かったらしい。

 

 また100階級に生息する狡猾な相手に手間取ったという理由もあるが、単に実力不足だった試合の方が多いようだ。

 100~150階に生息するような大人と、その年齢の半分も生きていないキルアが、膂力、体力、思考力や洞察力の全てにおいて劣っているのは仕方のないこと。

 キルアも暗殺者教育されていることを除けば、ただの5歳。クレ■ンしん●ゃんの主人公と同い年だ。なんら不思議ではない。

 

 ミルキはその点で勝っていた……というより、ゾルディックに産まれたのに体力で負け、才能で劣ったミルキが生き残るには知恵を絞り、狡猾な技巧を巡らせるしか無かった。

 

 目線、呼吸、筋肉と関節の動きを瞬時に把握し、相手が思う初動の一歩先を見通すのはゾルディックで飼っている番犬ミケを相手に学習済み。

 ゾルディックに時折やって来るハンターや賞金稼ぎの相手をするのもミルキに押しつけられた仕事だったこともあり、天空闘技場の100階以上の相手に負けるという回数も少なかった。

 

 因みにやって来た人間達の顛末はミケのごはん。だが、弱肉強食は自然の摂理と罪悪感も嫌悪感も沸かなかったミルキである。

 

 そんなわけでミルキは、適当に足の骨を折るなりして強制ダウンポイントを稼ぎ、また狡猾選手の真似事で場外から昇ってこさせないよう両足を折ったままジャイアントスイングで遠くに投げ飛ばして10カウントのKO勝ちしたり、とにかく色々な手練手管を駆使して200階まで行き付いたのだ。

 生存への貪欲さを獣並に尖らせたミルキの覚悟を露わにしたミルキの勝利というわけ。

 

 だが、実はキルアが200階まで行くに時間が掛かった理由がミルキにもある。

 ずっと「ブタくん」と蔑んでいた相手が1ヶ月で200階まで行ったが、キルアは1ヶ月を過ぎても150階にまで行く事ができない。

 焦燥感と劣等感がプレシャーとなり、キルアは2年という歳月を要したのだ。

 

 因みに、その一件でキルアは暗殺者というそれまでの正当思想にヒビを入れる事になるのだが……それはミルキにも与り知らぬ事である。

 

 

 閑話休題。

 

 

 兎にも角にももう一試合がいつ始まるとも知れないと、ミルキは思考の海から浮上する。

 

 ……だが。

 

「10カウント! 勝者、レオパルド!」

 

「…………おろっ?」

 

 少し懐かしい回想に浸っていたミルキだが、キョロキョロと辺りを見渡すと何故かリングの中央に。足元には泡吹いて倒れている巨漢。

 

 気付かぬ内に試合を一つ消化していたらしい事にミルキはガスマスクの下で小さく苦笑を漏らす。

 

(あちゃー……)

 

 ミルキはボーッとしている時に条件反射で敵を半殺しにするという悪癖がある。

 以前一度、気絶した状態で熊と遣り合って、気付いた時には血みどろボコボコの熊の上に寝転んでいたこともある。

 

 だがどうやら今回は戻って来るのが早く、一撃で相手が倒れたこともあり半殺し前で済んだようだ。相手が人間ということもあるかもしれないが……。

 

「……ま、いいや」

 

 100階まではサクサク行く予定だったミルキは、勝ちは勝ちだと敗者を忘れて60階への昇格とファイトマネーを受け取りに向かった。

 

 

 

 

 

 だが、ミルキは全く気付いていなかった。

 

 

 

 その……一見して程度の低い試合を、

 

 

 

 

 

「ほう……それなりにできるようだな、あの小童」

 

 

 

 

 

 目を光らせ見る一人の男の存在を。

 

 

 

 

 

 ミルキの物語が、新たなステージへと進もうとしていることに。

 

 




 


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#05.奇怪×心得×師匠

 

「一応、帰省になるのか……な?」

 

 沿岸で潮の香りを堪能しつつ、ミルキは現在上陸したばかりの大陸を遠望しながら、自然と過去の自分を思い出す。

 

 なぜなら、ミルキが遠望しているのは“ジャポン”という前世は日本に酷似した島国なのだ。

 

 ジャポンはヨルビアン大陸の真上に位置する小さな島国で、和を重んじる独特の文化を今に伝えている。

 ミルキ=ゾルディックとして転生する前、平和に三十路サラリーマンとして生涯を閉じるまで育った国のことをミルキは今でも鮮明に思い出せる。

 転生して早十年。帰省と呼べるのかは、ミルキ当人の心持ち次第だろう。

 

(……まだ3ヶ月しか経ってないって、嘘みたいだ)

 

 勘当されたミルキがゾルディック家を飛び出し、早くも3ヶ月が過ぎた。

 思い返せば光陰矢の如し。ミルキにはククルーマウンテンの景観が今でも鮮明に思い出せる。

 しかし勘当されてからの3ヶ月と、ゾルディックとの“契約”で通った地獄の苦行の6年とを比較しても、この3ヶ月の方が濃密だと思える程に充実していた。

 

 念能力に関しても基本の四大行と応用技の習得も着実に前進している。

 今は【練】を維持し続ける【堅】と、練り上げたオーラを全て体の一部に集中させる【硬】を目下集中的に鍛錬している。

 

 ……さて。

 前回まで天空闘技場に流星の如く現れた……的な展開となり得ただろうが、なぜいきなりジャポンに飛んでいるのか。

 まずは、その経緯を説明しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それはミルキが連戦のファイトマネーを受け取り、今晩の寝床を確保しようと天空闘技場を後にした所でのこと。

 

「……誰だ。さっきから、俺をつけているのは」

 

 試合中からだった。殺気ではないが、ずっと見られているとミルキはゾルディックの生活環境下で身についた神経で敏感に理解した。

 もちろん観戦は普通なのだが、それならば相手と自分とを見比べる。だが、その視線はまるで自分を外れない。

 高々50階の試合を……いや、一気に50階まで上がったミルキをかなり盛り上げただろう可能性はあるが、それでもあまりに不自然な視線だった。

 

 殺意や敵意、憎悪も怨嗟といった感情も込められておらず無視していたのだが、それが試合後こうしてずっと一定の距離を持って張り付いている。まるで【絶】を使っているかのように見事に気配を断って。だが【絶】ではないとミルキは絶えず消えない相手のオーラから判断する。

 なので熟練した武術家か暗殺者と判断。後者なら殺気を含ませず殺人することもできるため、危険と思って一度人通りの少ない袋小路へと自らを追い込んだのだ。

 

「ほう、やはり気付いておったか。なかなか、見どころのある小童よ」

 

 そして、ミルキの問いに答え、現れたのは一人の男であった。

 

「……っ、え?」

 

 ミルキは、その初老と思える男の、どこか“見覚えのある容姿”に僅かに反応を示す。

 もちろん“この世界”ではない。前世の“とある漫画の人物”に似ていたのだ。

 

 なにより、視認してハッキリと理解するのは相手の強さ。

 どれほどの修練、確固たる意志を持って構築したのだと呼吸を忘れて見惚れるまでの絶対的な強さが具現化したと思える一人。

 

「な、なん……!」

 

 雄大な自然そのものと思える佇まいにミルキは声を失い、パーカーとガスマスクを取ると、まるで操られるように膝を付いた。

 

「……む?」

 

 老人はミルキの突然の行動に怪訝な表情をする。

 これは、ミルキが一人の人間として……でき得る限りの尊敬と崇敬の示しであった。

 

「先立っての不敬をお許しください! 相当の武人とお見受けします! 貴殿のお名前を教えていただけませんか?」

 

「……ほう」

 

 老人はミルキの言に目を細める。

 

 老人がミルキを見つけ、後を追って来たのは単なる興味であった。

 老人はミルキが単なる武闘家ではなく、殺人に特化した術を修めていると見抜いた。

 だが同時に、老人の慧眼はミルキの手が“汚れていない”事も見て取ったのだ。

 その矛盾の正体、ミルキの人となりを見極める意味で後を追った。

 当然、老人はミルキが自分を意識して誘導していることにも気づいていた。

 

 故に、おもしろい……と思った老人は、その感情をまた一段盛り上げる。

 

「名を教えるのは構わん。が、その前に1つワシの問いに答えて貰おう。お前の武は、うまく隠しているが殺人拳だな? それも相当の熟練度と見た。……だが、不思議なことにワシの目はお前が一度として殺人を犯していないと見取った。それは……真か?」

 

 ミルキは思う。ゾルディックの誰もが、この老人には敵わない。

 故に、老人は暗殺者と接点がある自分を嫌疑しているのではなく、ただ不思議に思って問い掛けているのだと。

 ミルキは素直に答える。

 

「慧眼御見それいたします。如何にも、お言葉の通りです。今、俺は名を偽って……いえ、その名を捨てましたが、俺は暗殺者一家の出です。しかし、暗殺者となることに嫌悪し、勘当され此処に居ます」

 

「……成程」

 

 老人も真っ直ぐなミルキの声音で虚言では無いと判断する。そして、ミルキの身に……そして心に見える深く刻まれた痛々しい“痕”が、地獄を生き抜いた証なのだと理解した。

 

「ならば、合せてもう1つ答えてもらおう。……なぜ暗殺者の家に生まれ、その理を否定する道を選んだのだ? 見た所、お前は10を数えたか否か。暗殺を強いられるとなれば物心ついた頃と見た。……なのに、なぜだ?」

 

 判らなかったのか? それが地獄への入門だと。……否、そんな阿呆でないと老人は見た。

 物心ついたばかりで、しかも暗殺者の家族に反する生き方を公言するなど身を捨てるようなもの。

 ならば、それだけ考える力があったのなら、本心を隠すことで一時的に従ってるように見せかけ、楽な道を進めただろうことも考えついたはずだ……と。

 

 それに聡明か早すぎる早熟をしていなければ、その考えに逆らわず家族が当然としている暗殺者となった事だろう。

 成長する過程で己の生き方に疑問を持つならまだしも……その決断の早さは、あまりに釈然としない。

 

 その問いに、ミルキは真っ直ぐ老人を見上げて返答した。

 

「自分が自分を恥じぬ生き方をしたかったんです。例え、誰が見ても恥じる生き方でも、自分が納得できる生き方を」

 

「……」

 

 老人はさすがに知らないが、ミルキに転生した元サラリーマンは「人間(オレたち)なんて世界の屑同然」との考えを持っていた。

 子供の頃はそうでもなかったが、社会人になった後は“善い面”がどうしても翳んで見えてしまう。それは己が汚れた大人だと自白しているようなものであり、一時自分の生にも疑念を抱いた程の懐疑っぷりだった。

 

 今でも、それは変わっていない。

 ただ、だからこそミルキとして前世の魂魄を継ぐ者として、屑同然の生き方はしたくなかったのだ。

 

「……そうか。……フフフ。その真っ直ぐだが臆病な眼、まるでワシのバカ弟子を彷彿とさせるわい」

 

「……っ」

 

 さすが、というべきなのだろう。老人は一目でミルキの内なる葛藤を見破ったかのように口にするが、事実そうなのだとしか思えないし事実そうなのだろうとミルキは思った。

 

「……問いを変更しても、よろしいですか?」

 

「ぬ? おお、すまん。ワシだけ問うていたな。まずワシの名は――」

 

「シュウジ・クロス殿……では、ありませんか? 流派、東方不敗の開祖。第12回ガンダムファイト優勝者、東方不敗マスターアジア」

 

「ぬ……?」

 

 老人、流派東方不敗の開祖であり自身も『東方不敗』を名乗る男――シュウジ・クロス――はこの世界の人間ではなく、まったく違ったサブカルチャーの世界の住人なのだ。

 そのサブカルチャーは人気アニメシリーズ、ガンダム。

 中でも異色強かな所謂“アナザーガンダム”の起こりとも呼べる作品【機動武闘伝Gガンダム】が、東方不敗として名声を馳せる武闘家シュウジ・クロスが八面六臂の大活躍を演じる世界なのだ。

 

「……なぜ、ワシの名を? それにガンダムファイトと流派東方不敗まで? いずれも“この世界”で用いた事などないというに……」

 

 やはり本物だ……と、ミルキは断定した。

 なぜシュウジが接点のないこの世界に居るのかは分からない。

 自分と言う例がいるため、ミルキと同じ世界の容姿を似せた転生者と考えた方が普通かもしれない……と思ったが、目の前のシュウジ・クロスに限っては本物と見えた。

 元々サブカルチャーに居る時点で、もう何が起こっても可笑しくないと思考を断念する方が賢明だろう。

 

「俺は、貴方の事を知っています。ここは貴方の生きた世界とは違う世界です。……でも知っています。デビルガンダム、マスターガンダム、ドモン・カッシュ……如何です?」

 

「……っ! どうやら、そのようだ」

 

 最後に確認のためにミルキが言って聞かせたのは、全てこの世界の住人には知り得ないこと。そっくりさん説はこれで完全消滅した。

 

「あの……なぜ、貴方がこの世界に?」

 

 本来有り得ない邂逅。しかも、目の前の老人は“デビルガンダム”に反応した。ということは“弟子と死闘の末”を見た死人ということ。

 色々な意味で在り得ないと思いつつ、ミルキはシュウジの返答を待つ。

 

「……知らぬ、としかワシは言えぬ」

 

 しかし返答は、ミルキの想像通りと言えば想像通りだった。

 

「その単語を知るなら……ワシの顛末も知っておるのだな?」

 

 シュウジの声には悲愴があった。

 当然だ。シュウジ・クロスは全てを捨て、覇道に身を落とした過去がある。

 全ては、護るべき天然自然のため。自然を護るためには全人類を抹殺する……と。

 だがシュウジは愛弟子に負けることで最後の最後に、真の自然の救済の道を見出し、昇天した。

 

「―――ですよね?」

 

「……うむ」

 

 簡単にミルキがシュウジの顛末を語ると、俯きながらシュウジは答える。

 

「……お前の言う通り、ワシはバカ弟子に敗れた後、おそらく魂魄となりてデビルガンダムと次代の若者との決戦を“遠く”から見守った」

 

 それが、前世で最後の記憶だとシュウジは言う。

 

「弟子を叱咤激励した後……ワシは、気付いた時にはこの世界の大地を踏んでいたのだ」

 

 だが、その時の記憶は実に曖昧だとかで、記憶を探っても明確に覚えているのは“つい先程”から。

 どういう経緯で天空闘技場を訪れたのか。ミルキの試合を見てからの記憶しかないシュウジには皆目見当がつかないとのこと。

 

「……そうでしたか」

 

 だが……それならば、今し方ミルキがようやく気付いたシュウジ・クロスから漂う“違和感”の正体の説明と合致するのだ。

 しかし、例えそうであっても関係無い。ミルキは相手が流派東方不敗の開祖であると歓喜し馳せる気持ちを抑えながら、シュウジに向かって土下座した。

 

「……あ、あの! シュウジ・クロス殿に是非ともお願いがあります! 俺を、貴方の弟子にしてほしいんです! お願いします!」

 

「ぬ? ワシの弟子に、と?……ふむ、しかし……」

 

 確かに、シュウジは一介の武闘家としてミルキを育てて見たいと思った。その意思もあって、シュウジの後を付けていたのだ。土下座までして、誠意を見せるミルキを更に気に入った事も合わせ、吝かではなかった。

 だが、流派東方不敗は一子相伝の武術。既に弟子に免許皆伝を与え終わったことで、弟子を取る事は出来ないのだが……。

 

「お願いします!」

 

 それは流派東方不敗とシュウジ・クロスに憧憬を抱いていたミルキも理解していた。

 それでもミルキは諦めたくなかった。流派東方不敗はサブカルチャーのトンデモ武術。だが、この世界はその更に上を行く。流派東方不敗をこの世界に置き換えると、何ら不思議はない。

 

 なによりミルキはシュウジの人柄、思想、生き様に惚れていた。

 愚直で不器用な、悪と罵られようとも信念を貫き通す頑固で溢れんばかりの愛情を湛えた男を。

 その当人が、どういうわけか目の前に居る。

 念能力という摩訶不思議な超常現象を引き起こす力がある世界ゆえに驚きは無い。

 感謝と歓喜、それだけで頭がいっぱいだ。今すぐにサインを貰い、握手したいくらいに! きっと一度握手すれば二度と手を洗わぬと言えるくらいに!

 

「おぬし、名は?」

 

「え、あ……ミルキと言います!」

 

 正直好きではない名だが、この世の証を卑下するつもりも無かった。

 

「そうか」

 

 そして、ミルキの名を出しても“特定の反応”を見せなかったことからも、やはり本物なのだと今度こそ断定する。

 

「ミルキ……では、おぬしにテストをする」

 

「……テスト、ですか?」

 

「然様。お前の武力、その直向きな精神、磨けば光る原石であることは認める。ワシも武闘家として育成してみたいという思いもある」

 

「……!」

 

 呼吸が停まった。

 まさかシュウジからそんな台詞が飛び出すと思っていなかったミルキは、一瞬混乱してしまうも何とか理性を繋ぎ止める。せっかく高い評価を舞い上がった醜態で下落させないよう、ミルキは必死に歓喜を心の内に抑え留めながらシュウジの台詞に集中する。

 

 しかし、次なるシュウジの台詞にミルキも一気に鎮静化させられた。

 

「だが、お前は他者を殺める事を毛嫌いしているな? 潔癖とも言える程に」

 

「……はい。承知しています」

 

 同時に、ミルキはテストの真意を理解する。

 

「ならば、武術とて一見すれば暗殺術と何ら変わりない事を理解しておるか? 鍛え上げた拳は岩をも砕き、鋼をも断ち切る威力となる。そして我が流派東方不敗は全てが必殺。書いて字の如く、必ず殺す技ばかりぞ」

 

 武とは『戈を止める』と書くが、何も“生きたまま”とは限らない。

 言わずもがな武の原初は、如何に効率よく獲物を殺せるか。それが対人同士の戦闘となっても変わらない事は、時代が証明している。現に、スポーツと成った武道の衰退具合は誰が見ても実感できる。

 

 だが、シュウジ・クロスが体現する流派東方不敗は違う。

 不敗の二文字を損なわぬための全力打倒は、肉体の破壊に留まらず命の灯火も容易に吹き消す兇器。

 故に武闘術と暗殺術は兄弟とも言い代えられる。

 

「武闘家たる者、礼を以って対峙せねば単なる暴力の応酬。……判るか? 必殺の一撃を、相手を殺めぬように手加減するなど、戦った者への一番の恥なのだ」

 

 時代を築いた武人達は、己の得物を“魂”と比喩し、攻撃を“軌跡(人生)を表現する”と言う。

 一流の武人同士が戦えば、互いに互いが歩んできた苦難、そして今何を思い対峙しているのかが判るのだそうだ。

 

 そして武人達は、刀剣、弓矢、斧槍、そして拳足。獲物を用いて道を切り開いて来た。

 無論、道の途中で邪魔となる障害は、例え人だろうと切って道を開いて、だ。

 

 武人とは殺し殺される覚悟を要する。

 常に必殺の覚悟を心に据え置かねば、それは必死の覚悟を背負い全力で相対してくれる敵への不敬であり非礼に他ならない。

 

「……フン。どうやら理解したようだな。バカ弟子にも見習わせたい理解力よ。……して、返答や如何に?」

 

 シュウジはミルキの目を見ただけで、己の求める答えに行き付いていると判断した。

 そして、その覚悟があるかと問い掛ける。

 

 ……しかし。

 

「……申し訳ありません。俺には、必殺の誓いはできません」

 

 ミルキは、やはり殺人は為らぬものとして言葉にする。

 

「……それは、なぜか」

 

 シュウジの眉間に皺が寄る。同時に、怒気も僅かに漏れでている。ミルキの言い訳が少しでも気に入らねば、シュウジの固く握られた拳から必殺が放たれる事は必至。

 

 だが、今のミルキには焦燥も恐怖も見えなかった。

 今のミルキを形成する唯一の武器に、シュウジの戈を止める力は無い。だがそれでも、その精神を失うのは死んだも同じ。

 決死の覚悟はできている。

 

「俺は既に、己に不殺を誓っているからです。武闘を学ぶなら、殺人の覚悟は絶対必須とは分かって申し出ました。……でも」

 

 ミルキは、シルバやゼノの仕事に何度か連れて行かれたことがある。

 そして仕事をする2人を見るだけで……シルバは恐怖し、自分という魂魄は殺人が相容れないものだと深く刻みつけていると知った。

 

「でも、それを糧に、一心に守り通して凡そ6年に渡る苦行を生き抜いて来ました! 今更、この意思を変える事は俺にも不可能と思います!」

 

「……」

 

「弟子入りは諦めます。ありがとうございました。一目貴方に合えた「バカ者ッ!!」っ……はへ?」

 

 決死を覚悟していたミルキは、なぜか怒鳴られた事に呆けてしまう。

 シュウジの眉間に寄ったシワは更に深く。腕を組んで立つその姿は、高ぶる獅子を彷彿とさせるが……先程見られた怒気らしき気迫は、どこにも見当たらなかった事は呆けたミルキの頭でも理解できた。

 

「お前はワシの問いに返答した時より既に我が弟子となった! ワシの事は師匠と呼ばんかバカ弟子がっ!!」

 

「……っ、ぇ?」

 

 怒鳴られ耳が酷く鳴ってしまった事もあるが、思考が全く追いつかないミルキは呆けた顔をしていた。

 

「理解力はあるがまだまだ童よ。確かに、流派東方不敗は必殺。振るえば必ず血を見るだろう。……しかし、本来の流派東方不敗は殺生を固く禁じた拳法なのだ」

 

「……ぁ」

 

 流派東方不敗は、釈尊を護るために編み出した拳法流派の流れを汲んでいるため、本来は感情の赴くままの破壊を禁じている。

 更にマスターアジアは天地の霊氣を父母とした、天然自然の大いなる力を受けて流派を完成させたため、本来ならば殺生なく相手を無力化させる事に主眼を置かれている。

 

 当然ミルキもシュウジ・クロスを知る上で頭に入れていた知識だったが、すっかり抜け落ちていたらしく、再び呆けた声が続いた。

 

「何より、ワシはこうも言うたであろう。武術を活かすも殺すも担い手次第。即ち、武術とはワシらと同じ生物なのだ。ワシが教えるのは確かに必殺の拳。容易く殺生を犯す拳に違いない。だが、弟子がどう活かすか殺すかは関与せん」

 

「……俺が、流派東方不敗を不殺の拳としても?」

 

「然様。それで、流派東方不敗が活きるのであれば開祖として本望というもの。……先も言ったが流派東方不敗は元々不殺の拳法。ワシの域まで来れば、お前の本懐も叶う」

 

 そして、覇道に逸れてしまった流派東方不敗を“元の王道”に戻すことができるというシュウジの私情もあったが、ならばこそミルキとシュウジの利益が合致するのだ。

 

「貴方の……域まで……」

 

「うむ! さあ、立て! 何時まで地面にへばり付いておる! 此処での話は以上! 今直ぐ修行の地に向かう! 支度せい!」

 

「え? ここでは無いのですか?」

 

「バカ者! 雄大な天然自然こそ、我が流派東方不敗が父母にして師よ! 分かったら返事をせんかっ!」

 

「は、はいっ!」

 

 シュウジと流派の理念を思い起こせば、それも問わずと判っていたこと。凡ミス連発のミルキである。

 

「うむ! では、一分で支度し、ここに戻って来い!」

 

「え、ええっ!? お言葉ですが荷物は「師の教えは絶対だ! 分かったらさっさと行かんか!」は、はいっ!!」

 

 因みに、ミルキは着の身着のままで此処まで来たが最低限の荷物も持っていた。その荷物は邪魔だと近く空港のロッカーに預けて来た。

 空港までは片道徒歩10分。ギリギリ間に合うか? 否、間に合わせる!……と意気込んでミルキは立ち上がる。

 

「でっ、では!」

 

 憧憬の心の師に見限られぬよう、ミルキはまるで弾かれた鉄砲玉のように駆け出した。

 

「……ほう」

 

 本気で駆け出したミルキは、一瞬だがシュウジの視野から消えていたのだ。

 武人として呆けているハズがない。なのに、それを僅か9つの少年がしてしまった。

 どれほど血の滲む地獄の道を日々歩いて来たのか、シュウジも僅かに理解したが……その目は悲哀に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして「え、うそ? これなんて神様特典?」と思えるような奇跡と巡り合ったミルキは、当の師匠シュウジ・クロスと共に修行の旅へ出発した。

 だが、当然ながらシュウジはこの世界の地理など知らないために、先ずは修行地探しから始めたのだ。

 技の伝授云々は、纏まった時間が出来てから。何より、その前にも基礎となる肉体及び精神強化の修行をしなければならないため、最低でも1年掛かるだろうとのこと。

 

「どうやら無事上陸できたようだな」

 

 ちなみにミルキとシュウジの現在地はジャポンだが、なんとこの2人、ここまで泳いで上陸したのだ。

 普通に密入国だが“道”を通るだけ……と屁理屈を言う用意はできている。

 ならば言わぬが花……というか、言っても無駄だ。

 

 因みに、6大陸は例えるなら左右に3つずつ分かれる。その内、天空闘技場があるのは右の1番上の大陸の東南。

 ジャポンという己が知っている風景の島国があると知ったシュウジは最初の目的地をそこに定めたのだ。

 

 ジャポンの北端エゾの小さな離れ小島に一度上陸するまでノンストップ。3日3晩ひたすら全力全開水泳。

 ミルキが念能力の基本だけの段階でも、覚えていなければ今頃溺れ死んでいたかもしれない。

 

「あ゛~……もう、一生分泳いだ……例え次に転生するとしても海中生物だけは御免被りますよぉ~」

 

 ……と、さすがのミルキも弱音が出た程だった。無論その後、シュウジに一喝一拳をプレゼントされたが。

 

「ミルキよ、この島国は無理せず5日で走破する! ついて来い!!」

 

「はいっ! 師匠!!」

 

 普通ならとても5日で走破など絶対無理と遣る前から気が滅入るだろう。だが、やると言われればやる。それが流派東方不敗の基礎精神。

 流派東方不敗を教授され始めた頃からミルキはその精神を必ず護ると、忠犬よろしく己に固く誓いを立てた。

 だが、強い肉体でなくば強い精神は宿らない。更に強くならなければと、己を鼓舞したミルキは爆走するシュウジを追って懸命に駆け出した。

 

 旅は、まだまだ始まったばかり。これからミルキが伸びるか枯れるか。まだ誰にも判らない。

 

 




 天空闘技場で5万Jしか稼がなかったミルキくんでしたが、クク山→闘技場まで細々とアルバイトしていたので、実は小金持ち……な設定です。


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#06.修行×系統×外氣

 

 砂塵逆巻く森の一角を駆け回っていたミルキは、ふと……雑念とは理解しながらも命題に思考を投じる。

 

 ――人生に満足している者は、いったい世の中にどれだけ居るのだろう?

 

 まず自分は……とミルキは考えるまでもなく結論を出す。

 間違いなく前世は不満の方が優っていたと断言できるからだ。

 退屈な人生だった。全否定するつもりはないが、根暗な前世の自分の人生だ。そう評価するしかない。

 無論、ミルキ=ゾルディックに転生してから、そんな退屈な人生がどれだけ多くの人達の努力の上になっているのか、自分の境遇がどれだけ幸福に恵まれていたかを実感したわけだが、後の祭りを想っても虚しくなるだけだと以後は考えないようにしている。

 

 人は日々僅かな喜びや幸せを感じるだけでも十分人生を満足できるらしい。だが前世のどうしようもなくダメな引き籠り精神のサラリーマンだった彼は、それでいて貪欲だった。

 とてもじゃないが小さな幸せ程度で満足する人生など送れるハズもなかった。

 

 ――でも。

 

「ふん、ぬがぁぁぁぁぁッ!!!」

 

 大岩を持ち上げたミルキは仕方ないと思いつつ雑念の継続を許容する。

 なぜなら、それでも尚、ミルキにあるのは一心に眼前のことだけなのだから。

 

 ――今の世は、怖いぐらいに幸福だ。

 

 小さな幸せにも個々人の尺度と好みがある。

 ミルキにとって、前世そのものが好みに合わなかった。だから何をしても幸せになることはできなかったに違いない。

 

「でりゃぁぁぁぁぁぁッッ!!!」

 

 迫り来る男に向かって大岩を投げつけながらそんな無駄思考を終えたミルキが小さく笑みをこぼした。

 

「フン、笑止!」

 

 相対する男は眼前に迫り来る大岩を一笑に付すと、一瞬腰を落とし、独特なモーションを繰り返し行い始めた。

 

「酔舞! 再現江湖!」

 

 プリショットルーティーン……という言葉がある。

 ゴルフの用語で、ショットに入る前に同じ動作を繰り返えし行うことで動作確認や精神調整をすることだが、男――シュウジ・クロス――が行っているモーションもまさにそれ。

 シュウジの場合は瞬間的に高密度の内氣を練り上げるために行うが、しかしリスクも大きい。

 

「デッドリーウェイブ!!」

 

 瞬時に高密度の内氣を練り上げたシュウジが、大岩に向かって突撃した。

 直進するシュウジは膨大な内氣を纏いながら高速で駆けているため、波動が断続的に残像を落としている。

 

「でぇぇぇいっ!!」

 

 その威力、大岩に突貫したシュウジがたった一撃で抵抗無く突き抜けた事からも察する事ができるだろう。

 また、直後……、

 

「爆発ッ!」

 

 残心を取るシュウジが発する掛け声に触発されたように大岩が弾け飛ぶ。

 シュウジが大岩を突貫した際、大岩に残存した膨大な内氣が逃げ場を失い、膨張……そして爆発に繋がったのだ。

 

「ここだぁぁぁッ!!!」

 

 そしてその爆発の瞬間こそ、ミルキの狙っていた最後の好機だった。

 

 瞬間的に攻撃力の急激な増進を可能とする流派東方不敗が奥義の一『酔舞・再現江湖デッドリーウェイブ』には一つ、致命的な短所がある。

 内氣を練り上げる際、通常の場合なら脳が己の器を計算した分量を精製する。

 念能力で言えば【練】も、この限界を越えない程度を脳が計算して精製される。

 

 また計算分は内氣を体外に発散する事も判断材料となる。

 内氣の発散は当然精孔を通さねばならないが、一度に発散できる量には限界があるからだ。

 

 通常ならば、意識しなくとも脳が内氣を発散してくれるが、『酔舞・再現江湖デッドリーウェイブ』を行う際は自身の規定量を無視した膨大な内氣を練り上げる。

 そのため内氣を完全に発散させるには精孔を通常よりも大きく開ける必要があり、一度意識を己の内に向けなければならない。

 

 シュウジ程の使い手ならばそれも一瞬で行える。だが、それでも戦闘中に敵から意識を逸らすなど自殺行為もいいところ。

 一流の武人でも見逃す程の本当に小さな隙でしかないが、始めから狙っていたミルキは予想通りに事が運んでいる事を知る前、既に両の手足にオーラを集中させ、突撃していた。

 

「劔覇千王気炎弾!!」

 

 流派東方不敗『劔覇千王気炎弾』は炎弾を連射するが如く放たれるオーラを纏った突きの連撃。

 残心中、僅かばかり初動が遅れたシュウジなら、せめて一撃は当てることができるとミルキは信じ、オーラを振り絞ってブツかって行く。

 

 ……が、しかし。

 

「甘いわァ!!」

 

「っ! しまっ―――!!」

 

 それもミルキはシュウジの掌の上で踊っていただけのようだ。

 

 ミルキは、大岩を前にしたシュウジが取る攻撃は3つだと思っていた。

 一つは『酔舞・再現江湖デッドリーウェイブ』で予想通りだったが、もう一つは普通に躱すか、ミルキに押し戻すか。

 そして……。

 

「ま、マスタークぅろおおぉぉぉ!?」

 

 伸縮自在の腰布を用いたシュウジの特技、マスタークロス。

 内氣を【周】と同様に腰布に通すことで布本来が持つ伸縮性と強度を更に向上させることで、最長で元の長さの10倍も伸ばすことができる布が……ミルキの脚に巻きついていた。

 

「でぇぇいっ!!」

 

「ぬぁぁぁぁ!?」

 

 残心を取ったところが攻め時とは、武闘家なら誰しもが思いつく。己の技の短所を補う術はもちろんあるだろうと、ミルキも重々承知の賭けだった。

 

(負けてたまるかァッ!!)

 

 しかし、賭けには負けたミルキも、ただぶん回されたまま終わるわけにもいかないと底力を振り絞り、自分の腰布を掴むと勢いよくシュウジに向かって放つ。

 

「! なんと……!」

 

 まさかの反撃にシュウジの虚を衝くことができたらしい。

 ミルキの腰布はシュウジの腰に巻かれる。

 

「小癪な真似をっ! ふはぁっ!」

 

「のぁうっ!?」

 

 だがミルキの底力もそこで尽き、遠心力そのままにシュウジに引き寄せられ、

 

「百裂脚!!」

 

「っぐはぁっ!!」

 

 一瞬で百の蹴りを全身に叩き込まれたミルキは地面に直撃。決着となった。

 

「う、ぐ……っ」

 

 土煙を立ち昇らせた地面にめり込んだミルキだったが、どうやら意識はあるようだ。呻く程には気力も残っているらしい。

 というのもミルキは咄嗟に【堅】を前面にのみ展開し、急所だけは保護。更にオーラを背後に回して地面に直撃した折のクッションにすることで衝撃を抑えたのだ。

 だがそれでも、ダメージは相当なものだが。

 

「ミルキよ。今日の修行はここまでとする」

 

「い、いえ……もう一本、お願い……します、っ!」

 

 死期を垣間見るような……しかし幸福な修行(じかん)が終わってしまう。

 ミルキはシュウジに一撃も当てられない現状に忸怩たる思いで起き上ろうとするが……。

 

「ミルキよ。己を知らぬ無知ほど、度し難いものはないぞ」

 

「っ……」

 

 半身を起こし、尚も勇むミルキの瞳には炎が揺らめいている。

 しかし肉体は限界。何とか応えようとしているが、これ以上の戦闘は無理と誰の目から見ても明らかだった。

 

「お前の根性には感服するが、今日は此処までだ。……見ろ、空も赤焼けはじめている」

 

 午前中は行旅の時間。3度の食事時間を除き、夕食まで午後をフルに使った修行時間は凡そ6~7時間。ミルキは僅かばかりの休憩も取らず、いつも達磨の如く起き上って時間も忘れて続行するのだ。

 

「水を飲め。そして体の声を聴くのだ」

 

「…………はい」

 

 残念を隠しきれないミルキだが、ふっ……と全身から力を抜くと精神の炎も鎮火する。

 途端に全身が石に押し潰されたような疲労感が押し寄せ、喉も枯渇して呼吸どころではなくなった。

 

「ほれ見たことか」

 

 シュウジに仰向けにされ、水で口を濡らしたミルキは直ぐに喉を潤し、全身に満たしていく。

 この時、疲労回復に効果があるという己の精孔を閉じた状態(絶)にすることも忘れない。

 

「ハァ、ハァ……ずみまぜん、師匠……(あーくそっ! また、届かなかった……!)」

 

 シュウジに謝罪して、ミルキは直ぐに反省を始めると、表情を悔恨に歪める。

 己を知らぬままでは、シュウジが使った奥義『酔舞・再現江湖デッドリーウェイブ』を習得する事も夢のまた夢という事実も合わせ、弱い自分をどうにも許せそうにない。

 

 だが、日々シュウジが課す修行がどれだけ厳しく激しいものなのか……息も絶え絶えのミルキの現状や今し方の攻防も然ることながら、シュウジとミルキの半径数十メートル圏の場景も如実に教えてくれる。

 

 まるで爆心地……そこだけ局地的な流星群でも降ったのかと唖然としてしまうような現状は、おそらくビフォーアフターで見れば頭の中が真っ白になるだろう酷さ、惨さである。

 

 いや天然自然を父母とする精神を持ち、自然破壊を嫌悪するシュウジが、まさか木々をへし折り、山を砕き、川の流れを変える大穴を穿ち……なんて醜態を晒すことをするはずがない。

 そこは森が口を開けているように、ぽっかりと空いた何もない場所だ。ただ地面が“ちょっと”えぐれてしまっただけのこと。

 それでも、地面が爆ぜ、幾つもの大穴を穿つ場景を老人と少年が為してしまったというのだから……前世に比べ考えられない所に居るのだと、ミルキは改めて実感する。

 

「はぁ~……(勝てない……というか、一撃も与えられない俺って……)」

 

 仕方ない……とは思わない。例え相手が本物の東方不敗マスターアジアであろうが無かろうが、ミルキにも意地があるから。

 

 しかし実力差、ミルキとシュウジの居る場所はあまりに遠いことは認めざるを得ない。

 ミルキは念の四大行、纏と練の応用防御技【堅】を用いて、シュウジの“ただの拳”をやっと防げる程度なのだ。

 幾ら【堅】を使えるミルキでも、真面に受ければ文字通り粉骨砕身していたことは間違いない。何よりミルキの【堅】は不完全なのだ。それも已む無し。

 ミルキ自身、よく死ななかったな……と周囲に穿たれた穴を見て顔が引き攣ってしまう。

 因みにその拳で地面に直径5m深さ10m弱の大穴を幾つも穿つ威力だ。その反動で、いったい何度、土砂版間欠泉を吹き上げたことか。町村から遠く離れ、誰も居ない場所での修行だが、それでも遠くから見えたのではないかと思えるような異様な光景だっただろう。

 

 ミルキはこの3ヶ月で、まずは基本となる四大行を習得。次に応用技の習得に励むとなった時、何より先にシュウジの攻撃に耐え得らねばならないと防御を優先したため、今は【堅】に一番時間を使っている。

 

 因みに【堅】の持続時間は未だに1時間程度。

 過酷な修行をしているにも関わらず、一向に上達しない自分は相も変わらず成長性が乏少であると、つくづく実感させられていることも合わせ意気消沈を隠せない。

 

 だが、ミルキの学習速度は“逸材級”と言える程素晴らしいもの。

 念を覚えはじめて5ヶ月で【堅】を1時間も使いこなせている事実が、しっかりと証明している。

 またシュウジの指導を受けることで速度は更に向上。実戦さながらの流派東方不敗の稽古で用いる事で、長短を直ぐに理解できるということも大きい。

 

 だが、ミルキはその事実に気づいていない。

 修行ちゅうは一生懸命にシュウジに喰らい付くことで頭がいっぱいで、更にはシュウジの戦闘の全てを学習しようと脳裏で修行中の全てを反復して思い出し、耳ではシュウジの言葉を一字一句聞き逃さないよう集中している事が大半の理由。

 あとはシュウジの実力があまりに高過ぎて、自分は底辺過ぎるとミルキの感覚が麻痺しているのだ。

 

「ふむ……修行を始めて、早3ヶ月。その念という妙技、中々恐ろしいものよな」

 

 シュウジが末恐ろしさを覚えるのは直向きなミルキの精神と、念能力の恩恵。

 マスターアジアとまで呼ばれたシュウジに一撃当てぬまでも抵抗しうる力を10を数えてもいないミルキに与えている事実に舌を巻くのも当然。

 

 ゆっくりと呼吸を繰り返し、【絶】を用いることで疲労回復を図っていたミルキは上体を起こしてこれに苦笑する。

 

「フゥ……でなければ死んでますよ。だから死にもの狂いで覚えたんです」

 

 因みに、ミルキには言っていないが、実はシュウジ、かなり本気で戦っている。

 それは、早くもミルキの力量を認めているという事であり、シュウジが“己の力量不足を痛感している”という裏返しでもあった。

 

 だから……か。シュウジは腕を組みながら、ミルキに問うていた。

 

「ミルキよ、1つ訊きたいのだが……ワシも、その念とやらを使えるのだろうか?」

 

「…………えっ?……ええっ?」

 

 何やら凄い事を言い出したシュウジに、ミルキは血の気が引く。

 この師匠は何処に行こうとしているのだろうか、と。

 だが、念ならばシュウジは無知。ミルキに一日の長がある。

 

 というより、念を使わずともシュウジには“氣”がある。

 シュウジに言わせれば定義と存在が違うらしいが共に生命エネルギーを用いているため、名ばかり違うだけの同じ技だとミルキも最初は考えていた。

 

 だが、その実どうやらかなり違う物だと思うようになっている。

 不完全ながら念の練度も徐々に上がりつつある今、ミルキは念に感じる熱とは違った熱をシュウジの氣から明確に感じ取れるようになった。

 

 その一番近しいモノといえば、太陽の熱波。

 ああ、そうか……と、ミルキは納得する。流派東方不敗が最終奥義【石破天驚拳】は天然自然の力を体内に借り集めて、一気に撃ち出す技。

 シュウジに訊いたところ、流派東方不敗の技は全てが天然自然から力を借り受けるのだと言う。

 つまりシュウジの“氣”とは、体内で練ることで得る内氣、そして体外から自然エネルギーを取り入れ活用する外氣の2つを差す。

 

 ミルキの用いる念オーラは、内なる氣(内氣)に属するエネルギー。

 だが外から集めた氣を、対内で練り込み、凝縮・制御するために用いるのも内氣。

 概念は違うが使用方法だけ覚えればイイ現状のシュウジが、念を習得できない道理はない……ハズだ。

 

「え、えーっと……お、おそらく使えるかと」

 

 だが、その何と恐ろしいことか。

 いや嬉しい。シュウジという崇高が、更に高くなるということだから。……だが、ミルキは同時に恐くなる自分を止められない。

 それは、シュウジに二度と追いつけない先へと行ってしまう……という事では無い。

 否、ある意味その表現も正しいのかもしれないが……。

 

「……しかし、師匠は外氣を取り込み用いますから、内氣と互いに邪魔し合わないかという疑念も……」

 

「喝ッ! この東方不敗マスターアジアに不可能はなぁいッ!」

 

「……だと思いますけどね」

 

 東方不敗の名は伊達ではない。この世界……ミルキは同じ世界に立っているという視点から言わせて貰えば、その名声は東方などと言わず中央含んだ全方位に轟くに違いないと確信している。

 何より、こと武術に転化できる技なら、シュウジに出来ない事は無いと自他共に疑う余地などない。

 

「お前の稽古法から、大よその概要はつかめた。だが【発】の系統とやらに詳しく訊きたい」

 

「……分かりました」

 

 ならば念能力の新たな可能性をシュウジに見出せるかもしれないと、ミルキは休憩がてら【発】について説明することにした。

 

「では恐れながら解説を」

 

 仮にも東方不敗マスターアジアに教授するというあまりに恐れ多い現状に、また別な意味で喉が渇くが、生唾を飲み込んで何とか台詞を喉から吐き出す。

 

「念の四大行の集大成とも言える【発】とは、己の系統を知る手段です。その系統とは、全部で6つに分かれています」

 

 ミルキもまだその修行には至っていない。近々系統が何なのかは確かめようと思っていたが【発】は一生ものだ。

 できれば全ての技を己が満足するまで修練してから……と思っていたのだ。

 

「しかしその前に、念の四大行について「いや、いい。それより【発】を説明せい」いえ、しかし……」

 

 理屈を知らねば道理が通らぬと言おうとしたが、シュウジはクワッと目を見開いて全身から“内氣”を溢れさせる。

 

「くどい! ワシはまだ、弟子に教わるほど耄碌しておらん! 見よ! ハァァッ!!」

 

 ――とか言い出したシュウジが内氣を溢れさせ纏・絶・練まで行ってしまった。

 一度もやった事が無いが、ミルキの修行を見て覚えた事を今、初めてやって出来たらしい。しかも何だか念を使うミルキよりも練り込まれたオーラが上質だ。

 分かっていたことだが、本当にとんでもない人だとミルキは改めて思う。

 

「……えー、では【発】の説明をさせていただきます。まず系統、先程も申し上げましたが全部で6種類あります。放出系・強化系・変化系・操作系・具現化系・特質系。個人は、このいずれか1つに必ず当て嵌まります」

 

 と言っても、5系統以外の総称という特質系がある以上、当て嵌まらないと言う事は無いのだが。

 

「ふむ。それを見分ける方法はあるのか?」

 

「はい。水見式と呼ばれる手法が。グラスに水を入れ、その上に葉を一枚浮かべます。グラスの脇に両手を翳して練を行い、グラス内の変化によって見分けるのです」

 

 どこのだれが編み出した方法なのかは忘れたが、それで間違いなかっただろうとミルキは告げた。

 

「成程。では麓の町でグラスを手に入れて来よう」

 

「分かりました。自分が行ってきます。5分、お待ちください」

 

 体力も程良く回復したミルキは、言うや一握りの硬貨をポケットに突っ込んで、ここに辿り着く前に立ち寄った町に向かって走り出す。

 普通に走って絶対往復30分は必至だが、そんな常識は流派東方不敗の前では踏み潰されるのがオチ。

 もちろん流派東方不敗を学び始めて3ヶ月弱のミルキも例外ではない。息を“僅か”に切らせながら、宣言通り5分で行って戻って来た。疲労困憊から僅かに回復した己の状況でも、そんな常人離れした事を遣って退けられるようになったのも、日々修行の成果の現れと言えよう。

 

「では、ミルキ。先ずはお前がやってみるのだ」

 

「はい!」

 

 早速、水が張ったグラスの上に落ちた葉を1枚乗せたミルキは両手をグラスの脇に添え、思い切り練を行った。……すると、グラスの上で葉がユラユラと移動し始めたではないか。

 

「ふむ。顕著に見えるのは葉が揺れ動いているということか。動きの練度は低いと見えるが……」

 

 シュウジの酷評にミルキも同意のようで不満げだ。

 因みに、裏ハンター試験で言えば、十分合格を貰えるレベルであることを敢えて言及しておこう。

 

「ミルキ、これに類する系統は何だ?」

 

「葉が動くのは操作系の証です」

 

 物体操作、精神操作など、とにかく念オーラを操作することに長けた系統だ。

 因みに、六性図として操作系を示した場合、隣接するのは放出系と特質系。故に念オーラを遠隔で操作することも比較的容易となる。

 そして一番遠い系統が変化系。故に例えばだが、水や雷に変化させる事は苦手ということになる。

 

「では、お次は師匠がどうぞ」

 

「うむ。……はぁあっ!」

 

 一瞬気合いを口にし、膨大な練を行ったシュウジ。

 ブワッと風が吹いたかと思うと、水見式を行っていたグラスに不思議な事が起こっていた。

 

「こ、これは……?」

 

「葉が成長した、か……」

 

 なんと葉の端から根が生えてグラスの水を埋め尽くし、枝が僅かに生え出していたのだ。

 

「ミルキ。これは?」

 

「……断定はできませんが、特質系です。他の系統と違う結果が出れば、総じて特質系なので……」

 

 特質系は、葉が枯れるなど、他の系統と違う結果が出ればそうなるが……ならば間違いは無いと思うミルキ。

 

「その特質系とは、何ができる?」

 

「特質系とは、本当にその他多数を意味した希少な才能です。稀に後天的に発現する者も居ますが……例えば他者の念能力を奪う本を作り出す能力、他者に触れて記憶を読み取る能力、他人の正確な未来予知が出来る能力、他の系統の能力を100%引き出せる能力など一貫していません。何ができるかは師匠御自身の求める事に寄りけりです」

 

 確か、特質系はカリスマ性があるとか無いとか……ということを頭の片隅に覚えていたミルキは、この結果に納得する。

 

「ふむ……成程。ミルキ、他に【発】に関する情報は無いのか?」

 

「そうですね……強いてお教えするとすれば“制約と誓約”でしょうか」

 

「2つのセイヤク……詳しく聞かせい」

 

「はい。念能力には制約と誓約……即ち、ルールを決め遵守すると心に誓うと、念能力が爆発的に増強されると言われているんです。……ですが、これは諸刃の剣。誓いを破った場合、念能力を失い、最悪誓いで『命を懸ける』云々を決めていれば死に至る事もあるとか……」

 

 念能力を失う。それは、シュウジにとっておそらく“存在の死”を意味するとミルキは思っている。だから……できれば念能力を使ってほしくはないのだが……。

 

「そうか。……ミルキ、一旦区切りとしよう。そろそろ夕食を狩りに行くぞ」

 

「はい!」

 

 制約と誓約を聞いて少し考え込んだシュウジだったが、日も暮れ初めている。

 夜になれば、夜行性の魔獣も動き出すだろう。その対処も修行の1つ。警戒を怠らず休眠する修行は、ミルキも3歳の頃からしていた。苦にはならない。

 

「ミルキ。明日からは流派東方不敗が“外氣”の技法鍛錬も加える。双方を扱うのは今のワシでも戦闘流用はできないが、今後次第では扱えんわけではないと分かったからな。心せよ」

 

「は、はいっ!」

 

 ミルキの修行は、休む間もなく行われる。

 そして明日からは、また厳しくなるようだ。もっとも、ミルキは望むところ。

 本来巡り合えないハズの憧れの師を目の前にしているミルキには、己の限界を超えた高みを目指さんとする確かな心意気を灯していた。

 

 



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#07.雑多×不安×試練

 

 突然だが、ミルキ=ゾルディックがこの世で嫌いな言葉が3つある。

 

 一つは、殺人。

 聞くのも吐き気を促す単語だが、なぜか殺人現場を見る事は平気という不思議。

 精神は前世のものであることと、肉体は今世の暗殺者の系譜である断ち切れない因縁を意味する事からも嫌悪している。

 

 一つは、贅肉。

 動作を阻害される上に、汗を掻きやすく息も荒くなる。念願の武闘超人となる道に絶対必須な理想像を破壊する贅肉は、まさに自分自身に課せられた最大の敵だと断言する程。

 更に体に限らず、質素倹約な貧乏性であることからも“心の贅肉”という型月的な意味もある。

 

 そして最後の一つが、脆弱。

 贅肉と重なる意味合いもあるが、如何なる故事、熟語にも、弱者は常に“悪”として記されているのが弱者だ。

 

 ミルキはずっと弱者として縛られ続ける運命にあった。それは自分の才能云々だけではない。ゾルディックという名前もまた然り。

 脆弱な自分を打破するため、贅肉を淘汰するため、誰も殺さぬ強さを手に入れるため、ミルキはずっと念じて来た。

 

 だが、果たして今自分は強くなっているのだろうか?……と、疑問に思う。

 流派東方不敗という最強の師の弟子となったことは、今でもそしてこれからも疑心を抱く事はないだろう。

 だが……自分はどうだ? 強くなっているのだろうか? 脆弱な自分と決別できたのだろうか?

 

 修行を終え、真っ赤に焼けた空を見上げる余裕もない今、ミルキは改めて考えさせられる。

 

「ゼェ、フゥ……ゼェ、フゥ……」

 

 考えなければ、倒れてしまう……という理由からでもある。ネガティブな思考になっているのは、根暗な前世からの要らない遺産だ。

 

 今日も今日とて修行漬けの一日を終えたミルキは夕食を獲りに森の奥へと進んでいるのだが、しかしミルキの体はもうとっくに限界を通りこしていた。

 一度踏み出す度に悲鳴が上がる。息が荒くなる。早く体を眠らせてあげたいのが正直なところだが、腹が減っては床にも着けない。

 未だに脆弱な己を省みて、ミルキは下唇を噛みしめながら罵倒を繰り返するしかない。

 

(あー、くそっ! 体が重い! なんで、俺はこんなにも貧弱なんだよ、ッと!)

 

 呼吸をするに精一杯でその文句はミルキの思考の壁を越える事はなかったが、それでも今すぐ何かに付けてがなり散らしたい気分だった。

 東方不敗シュウジ・クロスという憧憬の師に教えを乞うているというのに、当の自分は相も変わらず駄目なまま。

 前世では仕方のなかった事だと言い訳を考えつけるが、現世でもというのは我慢ならない。

 

 一応、ゾルディック家という高スペックの身体を手に入れ、地獄の約7年間を生き抜いたという根性と忍耐はあると自負できる。

 だが……それだけだ、と。魂魄も前世の物という変わらない現実。さらにシュウジへの崇高の情が大きいからこそ、比例して己を下卑た存在だと思ってしまうのも仕方のないことだった。

 

 しかし、そんな疲労困憊なミルキにお構いなどするはずもなく、“向こう”はミルキの前に現れた。

 

「グルァァァァ!!」

 

「ん……アレは……」

 

 森の中から一直線に、地響きを鳴らして突進する大きな生物を確認する。

 茶色い毛並みと朱い鬣の全高3メートルはあろうかという巨大なイノシシ。

 突き出た牙の隙間から流れ落ちるヨダレが、眼光鋭くミルキを睥睨しながらミルキ目掛けて突進する様は、彼を獲物として認識していることに疑いの余地を持たせない。

 

「バンブロー……今日は群れじゃないのか」

 

 肉食猪、バンブロー。普段は群れを成しているのだが、どうやらハグレらしい。

 一応の食肉。若干の臭みはあり、筋張った肉質だが、ここ数日ミルキの主食を飾っている所為か、すっかり慣れてしまった。

 

「グルァァァァ!!」

 

「………」

 

 バンブローが咆哮を上げると、ミルキの中で“カチッ”という音が彼にだけ聞こえた。

 

 ミルキの雰囲気が変質する。まるで別の部屋に入ったかのような明確な温度差。

 今まで呼吸を荒く、顔色悪くしていた疲労困憊な少年はどこにも居ない。

 暗殺者育成された頃と同一とまで言わないが、これも類似。瞬時に戦闘用への意識転換により精神を鎮静させ、同時に自然のエネルギーたる外氣を取り込む技法。

 

 外氣とは、言ってしまえば食さず得られるエネルギーである。

 ただし、内氣とは水と油。決して混ざり合う事はない。

 人間が自然と一体化できない事と同じだ。

 

 流派東方不敗最終奥義【石破天驚拳】をはじめ攻撃に転化する用法の他に、全身に行き滞らせれば、肉体は一時的に活性化し、ある程度なら疲労を回復することも可能だ。

 

 つまり――、

 

「フ、ッ――」

 

「グ? グガ「シャイニング」っ!?」

 

 決着は一瞬だった。互いの間合いが30メートル。バンブローの速度なら2秒と満たない距離をミルキは一瞬で埋める。

 突如として目の前に現れたミルキの右手は、淡い炎が揺らめくような“氣”が練り込まれてた。

 

「フィンガァァッ!」

 

 タン! とミルキの右手がバンブローの額に直撃する。

 

「っガ、ブガ、ガっ!?!?」

 

 ミルキの右手が直撃するとバンブローが痙攣を起こし、その場に倒れ伏した。

 死んだか?……否、生きている。今のバンブローは小脳にある運動を司る神経組織を刺激された麻痺状態にあるのだ。

 

 ミルキの放った“シャイニングフィンガー”は3本の指先に“氣”を集中させ、対象の額にぶつけることで脳神経を麻痺させる流派東方不敗の技。

 

 もちろんそのまま額を突き破り、殺傷することも可能。また氣弾を放つことで接近せず、中距離からの攻撃もできる。

 だが、流派東方不敗ではそれを禁じ手としている。

 

 それは流派東方不敗が釈尊を護るためにその弟子達が編み出したインド拳法の流れを汲む流派であることに由来し、故に感情の赴くままの破壊を禁じているからだ。

 

 練り込んだ外氣を自然に還し、ミルキはバンブローに歩み寄る。

 

「バンブロー……ありがとう」

 

 ミルキは倒れ、痙攣するバンブローに向かって膝を折り、感謝の一言と共に合掌を捧げた。

 その一言に、今日の糧となり、明日の血肉となってくれる獣と、この巡り合わせと、獣を育んでくれた自然への敬意と感謝を示している。

 これもまた、シュウジより教授された流派東方不敗の心構えの一つである。

 まるで……というのは錯覚だろうが、ミルキが文句を吐き終わると、バンブローが痙攣を止め、ゆっくりと安心したかのように、意識を落としていった。

 

「ミルキよ」

 

 その背後に音無く現れたシュウジが、バンブローを一瞥してからミルキを見下ろす。

 

「まだ縮地の入りが甘いな。精進するのだ」

 

「はいっ!」

 

 縮地とは仙人の特殊能力で、端的に言えば瞬間移動を指す。

 ただ流派東方不敗の縮地は、足に氣を集中して爆発的なスピードを生見出し、あたかも瞬間移動したように見える歩法を言う。

 シュウジが唐突にミルキの背後に現れたのもそれだ。

 

 もっとも、ミルキは外氣を“把握”している。身に纏って疲労回復するには役立てられるが、しかしそれ以上を扱うことはできないため、オーラを一ヶ所に集める応用技法【硬】を用いている。

 それでも修行不足は否めないが、実戦で一度きりならば……合わせてミルキが今日まで育てて来た肉体の瞬発力を相乗させれば、余程の実力者でもなければ初見では間違いなく動きを見失う加速が可能となる。

 

(最早体力の欠片も無い状況であそこまでの縮地……実に見事、と言いたいところだが……)

 

 ミルキ当人は貧弱と思っているが、しかしシュウジ・クロスを相手に“疲労”程度で済んでいることが、どれだけ凄いことなのかを知らない。

 だがシュウジはその称賛をグッと呑みこまなければならない。

 決して称賛しないというわけではないが、今のミルキにはシュウジの称賛は逆効果……気休めにも成らないと見えているからだ。

 

「ミルキ。これはワシが捌いておく。お前は汗を流してこい」

 

「そうですか? では、お言葉に甘えます」

 

 普段は違うのだが、珍しいこともあるものだと言われた通り、近くの小川で汗を流すべく、フラフラとした足取りで向かった。

 

「……やれやれ」

 

 その背を小さく溜息を漏らし見送ったシュウジは、猪肉を血抜き、捌きながら最近の日課となった問答をする。

 

 題目は、弟子ミルキの精神強化だ。

 

 流派東方不敗の弟子として師事して幾月日。ある程度の基盤が出来ていたミルキは、身体能力の高さも相俟って、それはもう綿が水を吸う勢いで成長している。

 シュウジの驚嘆を呼ぶ勢いの成長速度。だが、当のミルキはそれを知覚していない。

 その理由は、ミルキの精神面に問題があった。

 

(貪欲なまでの向上心……その反面ネガティブ。常に不安を抱えている、か……)

 

 向上心が現状で満足することを阻害する。それは師として育てやすい精神状態なのだが、度が過ぎる向上心が不安心に変質してしまっている。

 丁度イイところで停まって欲しいのだが、そう巧い話はないということだ。

 

 しかもその原因はミルキでなく、シュウジにあるのだから笑い事ではない。

 ミルキは理想の師であるシュウジを神聖視している。その弟子である故に強く強く有らねばと焦燥に駆られ、自身が満足する成果が得られない事が「俺はダメな奴だ」と追い込む結果になっている。

 実際に聞いたことはないが、そうなのだろうと推察は容易だった。伊達に半世紀も生きていない。

 

(ミルキの不安……何とか払拭してやりたいものだが……)

 

 だがシュウジとて人間。更には、武闘家である。

 武闘家とは己の拳をブツけることでしか理解し合えない不器用な存在――との認識が当たり前だったシュウジも例外ではなく、どんな言葉を掛けてもミルキは慰めや気休めとしか受け取らないと思えてならないのだ。

 

 それでも、その資質は素晴らしいものだとシュウジは思う。

 もう間も無く10を数えるミルキが現状の強さなら、20歳になる頃……否、1年を数える毎に大きく成長する見込みは十分にある。

 今後の成長が実に楽しみだとシュウジに思わせる理由の一つが、ミルキの異能【気配透過】だ。

 はじめは、武闘家の頂点を極めたと誉れ高いシュウジ・クロスをしても理解できなかった程だ。

 

 気配を絶つのは、武闘でも虚を突く術として一般的。

 だが、気配を完全に断つことは不可能。必ず何らかの痕跡を残す。シュウジは【円】を使えるようになってから、「絶対に」と断言できうる探索能力を身に着けた。

 

 ……それでも。

 

(ミルキの気配透過は……それすら欺く)

 

 不可解だった。

 所謂、皮膚感覚の延長と言える【円】の内側に入るということは、肌を延々押している感覚にも似ている。

 それを欺いて内側に一定時間居続けることが実際に在り得ている。

 

 そんな奇奇怪怪を体現していたミルキだが、しかし師匠として弟子の動向を把握できないなど笑止千万。

 東方不敗マスターアジアの威信と名誉に賭けて、シュウジはとうとうその能力を理解するに至った。

 

 そのヒント……否、それ自体が答えでもあったが、ミルキの気配透過の正体は……外氣であった。

 

(気配透過は……一種の念能力だった。精孔を閉じたままでもオーラを使えるよう肉体が編み出した……まさに妙技)

 

 シュウジの導いた答え……それはミルキの過信していた答えとは真逆。

 

 気配透過は念能力。

 

 ただし、当然だが普通の念能力ではない。もちろん特質系に目覚めていたわけでもない。

 気配透過は“外氣を用いた念能力”なのだ。

 

(外氣はワシでも視認できん。圧縮せねば触覚でも感知できん。……成程、それならば納得するしかない)

 

 ミルキは操作系念能力者だ。オーラを操作することを伸ばす事に長けた才の持ち主。

 精孔を無理に開けることを拒んだ本能が生存のために外氣に注目したと考えるのは、決して飛躍した考察とも言い切れない。

 

(しかし……氣を扱う事に長けていると言うなら、ミルキの外氣制御力の高さも頷ける)

 

 ミルキは更に一つ、シュウジをしても舌を巻くような現象に片足を踏み入れていた。

 それが、外氣内包のコントロールである。

 

(先程の戦闘……ワシがあの域に行きつくまで、どれほどの歳月を要したか……)

 

 驚くべき成長速度。天才シュウジ・クロスですら、その域に辿り着いたのはずっと後の頃のこと。ただしこれは独学だったことも大きい。

 もっとも、シュウジに師が居ればミルキなど及ばぬ早さで習得したに違いないが。

 

 しかし……だ。天然自然を父母とし、その大いなる力を借り受けるという精神の下に外氣を受け入れるのが流派東方不敗の理念だが、果たしてそのような事を本当にできるだろうか?

 

 通常、内氣と外氣は、本来混ざる事無い水と油。

 更に自然を受け入れる……ということは、己という個を捨てていること。つまり、死を受け入れるに等しい。精神が植物よろしく変質しても、そのようなことは到底不可能。

 故に、大半の“出来のイイ者達”は、外氣をコントロールするに内氣を用いる場合も分離した状態のまま。

 

 だが、ほんの一握りの才有る者達は確かに可能……かもしれない。

 その域に辿り着く事で放たれる流派東方不敗の最終奥義【石破天驚拳】こそが、最終奥義たる真の姿。

 ミルキもその素質は十分にある。その“証拠”が気配透過なのだ。

 

 外氣と内氣は、確かに水と油の関係だが……それが“全て”に言えるわけではない。

 

 人類が一人として同じ存在が居ないように、自然もまた千差万別。

 水の一滴、弾ける火花、咲いた花弁、土の一粒に至るまで、全てが違う。

 世界にはそれだけ多くの外氣を宿す物質がある。

 ならば、その中の僅かばかりでもミルキの“内氣と同調してくれる外氣”も当然あるに違いないではないか。

 

 無論、外氣を体内に吸収することは無理。……だが、体外に“吸着”させるなら?

 例えるなら、泥水に飛び込んで全身を泥水で汚すようなものだ。そうすれば体臭も容姿も判らなくなる。

 

 無論、精孔が閉じたままでオーラを操作することは無理。……だが、体内で“明確な意思”を練り込んで置けば?

 オーラに意思を籠めるなら【燃】を繰り返すことで既に完成していたと十分に考えられる。後は垂れ流しだろうと体外に出すことができればいいのだ。

 

「ミルキの内氣(オーラ)波長に合う外氣は……やはり、水性質か」

 

 自然は千差万別とは言ったが、念能力のように大別できないわけではない。

 四大元素のように、空、火、土、水の4種に別けられる。

 その中でミルキは【纏】を使う際に「揺蕩う水の中に居るようだ」と言い表すことからも、性質は水に近いと考えられる。

 

(……未練だな。ワシは正直、ミルキの向上心が失われるのが恐いのだ)

 

 シュウジはミルキに多大な期待を寄せている。

 幼くして外氣に触れて来た。そんな繰り返し直向きに行われた訓練が、流派東方不敗の真の姿へ……否、ミルキならば“更に先”へと行きつく事もできる。流派東方不敗を更なる高みへと昇らせてくれるに違いない……と、シュウジは何時までも基体を膨らませ続けられそうなのだ。

 

 前人未到の“極地”を……ミルキを通してシュウジも是非に見たいと我欲が湧いている。

 それは今のミルキでなくば行き着く事ができない。そんな妄想が、ミルキを矯正することを半ば躊躇らっている自分をシュウジはハッキリと知覚していた。

 

「フフ……まったく、死んでもバカは直らんと言うが……相変わらず、ワシは哀れよな……。まさか、一人の弟子に此処まで心乱されようとは」

 

 弟子に翻弄されるのはこれで2度目。1度目と2度目では意味合いは違い、また1度目と違って負の感情を抱いていないが、結果論で見ればシュウジは自嘲せざるを得ない。

 

 だが、自分の判断も師匠として間違っていないと断言できるのも確か。

 今のミルキ壊れるか渡り切れるか五分五分という危険な橋を渡っている。

 下手に手を差し伸べると踏み外す可能性すらあるため、今のままで間違いないのだと己を納得させるしかないのだ。

 

 ――と、丁度思考の区切りが良かった。シュウジは背後からミルキの接近を感知した。

 

「戻ったか」

 

「はい。それから、幾つか木の実を採って来ました」

 

 ミルキが服を風呂敷代わりにして大量に抱えて来た大きく白い果実は、柔らかい果肉と甘酸っぱい果汁が滴る森が育む天然の水筒。

 シュウジの隣に腰掛けたミルキに手渡された果実を受け取ると、見た目に判らぬずっしりとした重みが伝わる。

 肉の焼け具合はまだかかる。前菜には丁度イイと、シュウジは口をいっぱいに広げ、被りついた。

 

「うむ、美味い」

 

 森が育まれ幾星霜、人も獣も分け隔てなく口と喉を楽しませ、潤してきた森の恵みが、今己を満たしている。

 喉を鳴らしたシュウジは、隣でシャリシャリと果実を噛み砕くミルキを見下ろす。

 

「……ミルキ」

 

「?……なんです、師匠?」

 

 ごくんと喉を鳴らしたミルキは、シュウジの雰囲気に姿勢を正す。その様子に、小さく笑みながらシュウジは語る。

 

「ワシら武闘家の振るう拳は、何のためにある?」

 

「……それは」

 

 武闘家となる人間にとって、もっとも基本的な原点。それをあえて問うシュウジの意図は、さて置くとしても、ミルキは最も道理と思う解答を口にする。

 

「相対する者を、打倒するためです」

 

 起源は、獲物を狩る事だった。そして同族から奪い従える事と目的は変わっていくが、屈服させること……己が生きるためという目的は、変わっていない。

 

「そうだな。……だが、ただ相手を打倒するだけで終わりではないぞ」

 

「……はい」

 

 打倒するにしても、ただ殴って蹴ってでは武闘家ではない。そんなことは獣にも赤子にもできる。

 武闘家とは、武闘術こそが全て。それしか無い。ミルキも分かっている。だが……。

 

「ワシらは常に武闘家で在るため、こうして修行する。……そして、見よ」

 

 シュウジは燃え上がる焚火の中へと手を伸ばし入れてゆく。武闘家としての在り方を見せるために。

 

「ミルキ。我ら武闘家の拳とは、ただ相手を倒すためだけにあるのではない。……よいか、繰り出す拳の一つ一つを研ぎ澄ませるのだ。然れば、それは己の魂を伝える道具となる。……いつ如何なる時も、努々忘れるでないぞ?」

 

 枝串を掴み取り、焼いていた肉を火の中より生還する。

 火傷一つ無い武骨な手。その拳こそ、シュウジの生き着いた証(こたえ)なのだろう。

 

「魂の……表現。……師匠、俺の拳は……その域に至れるでしょうか?」

 

 ミルキは、その理念を聞くと不安に駆られる。

 一流の武闘家が拳を交えた瞬間に互いの心情が言葉無く伝わるとシュウジは言うが、ミルキはその域に達していない。

 シュウジも……兄弟子ドモン・カッシュですらも、その域に辿り着いたのはまだ先のこと。その考えは傲慢かもしれない……とは思うが、シュウジとの修行で、そのような感覚には一度も巡り合った事がないミルキは死ぬまで辿り着けるのかと不安を拭えない。

 元は一般大衆雑多の一人にすぎないが故に、物語の主人公のような事が起こり得るのかと……。

 

「ガハハ! 何を弱気になっているのだ、ミルキよ」

 

 だがシュウジはミルキの不安を哄笑で吹き飛ばす。

 

「己を信じよ。信じて進み続けた己だけが、真の強者となる」

 

「……」

 

 ミルキはシュウジを一瞥し、そして日の中にくべられた串肉へと手を伸ばす。氣も何も纏わない、ただの手を――。

 

「フフフ……できるではないか」

 

 ミルキは串肉を取り、そして己の手中へと納めた。満足げに笑むシュウジに、ミルキはそれでも不安げな顔を止められなかった。

 

 ミルキは過去、ゾルディック家の私刑にも使われる数々の折檻部屋……炎獄、雷獄、冷獄、毒獄を幾度となく経験した。

 何時間……場合によっては何日もの間、痛み、苦しみ、悶え、惨めにも糞尿漏らして泣き喚いた事も一度や二度ではない。

 その経験が、ミルキにこの程度の炎を物ともしない肉体へと強化させている。

 

 もちろん、今でも少なからず痛みはある。

 今……ミルキはシュウジとの修行で更なる強靱を得ているらしいとしか思えなかった。

 

「そんな顔をするな。今のお前はただ無理に難しく考えすぎているだけだ」

 

「でも……」

 

「強い心は強い肉体に宿る……逆もまた然り。お前は十分に強くなる。ワシが、保証しよう。この東方不敗マスターアジアが」

 

「ッ……師匠ォ!」

 

 じん……と目頭が熱くなる。

 保証される。見込まれている。夢にまで見た東方不敗マスターアジアに、面と向かって言われた事をミルキは生涯の宝としたいと思えるほどに感動していた。

 

「さあ食べるぞ、ミルキ。お前はどんどん食べ、大きく、立派な武闘家となれ。その拳で、己の歩んできた人生(みち)を表現できるようにな」

 

「はい!」

 

 確かに、難しい事を考えるのは……俺には無理だったと、ミルキは苦笑する。

 もともと頭がいい方ではない。なのにアレコレと考えるより修行をした方がずっと有意義なのだ。

 ……きっと、今後も不安の種は芽吹く。幾度狩ろうと絶やそうとしても、種はどこからでもやって来るだろう。

 でも、その度に思い出そう。シュウジ・クロスの言葉を。想いを。願いを。

 いつも己を信じてくれている自分自身を、感謝の限り鍛え上げよう。

 この不安にも負けない強い精神と肉体を鍛え上げる事こそ、己へ課された試練。

 

「佳い顔だ。では改めて問おう、ミルキよ」

 

 そして、

 

「流派、東方不敗は」

 

「王者の風よ!」

 

「全新系列!」

 

「天破侠乱!」

 

「「見よ! 東方は赤く燃えている!!」」

 

 師匠そして兄弟子が信じた流派東方不敗に出会えたという奇跡は、疑いようの無い真実なのだ。

 

 絶対に負けない。ミルキは固く己に誓約し、肉に被りついた。

 

 




 ちょっぴりシリアスで、師弟愛の物語でした。

 気づいた方もいるかもしれませんが「バンブロー」はトリコとのクロスです。……これもタグ載せるべきですかね?

 気配透過に関する改変を行いました。何度も設定変更して申し訳ありませんが、ご容赦の程。


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#08.夜襲×部族×逆襲

 あ、♯07の続きです。


 

 夕食は会話をするか否か。

 会話をすることをマナー違反とする者も多く、しかしミルキの生家ゾルディック一家は食事中の会話は基本的に無かった。

 もちろん「ミルキと」ではない。目の上の瘤と誰が……というのはゾルディック家だけに留まらない意思だ。

 当主シルバ・ゾルディックは寡黙。その妻キキョウはキルアに執心して他を見ない。祖父母は訊かれれば答える程度。兄弟間での会話も殆ど無い。

 

 実につまらない。まるで機械。生まれる種族を間違えたに違いない。

 もっとも、ミルキは初めから無い物とされていたが。

 

 しかし、今は違う……と、ミルキはその差異をシュウジに見ていた。

 シュウジを崇敬しているミルキは彼に聞きたい事が山ほどある。

 修行中、修行後は疲労困憊して暇が無いため、この機を逃すわけにはいかないのだ。

 

 ……だが。

 

「……ミルキ。気付いておるか?」

 

「……はい。(無粋な……)」

 

 そんな重要な時間を阻害する、招かれざる客の存在……殺気を混ぜた視線を感じていた。

 獣とは違う人独特の視線。間違う事は無い。視線は殺気の他に警戒の意を示している者も多く、どうやら“賊”ではないようだとシュウジとミルキは考えた。

 

 以前この師弟は2度も同じような状況で賊徒と遣り合った事がある。

 修行のため、ワザと“餌”を撒いて戦闘状況を作り出したのだが、どうやらこの世界の賊徒は不清潔な悪臭(体臭・口臭etc)をさせるという共通の特徴があるらしく、それも無いことが今回の判断要因の一つ。

 

 だが、それよりも「解せない」と言いたげなシュウジの声音にミルキは同調する。

 修行は邪魔されぬよう、他者に危害を与えぬように周囲何km圏に人間の気配が無い場所を選んでいる。

 賊徒を呼び込んだ時とは違う。いきなり現れた。少なくとも1km先の気配も察知できるシュウジが100mも接近を許してようやく気付くなどあり得ない、と。

 

「念……か?」

 

「おそらく」

 

 だが、在り得ないと言う道理を覆す世の理を知っている。

 念能力、だ。

 例えば、念能力には“神字”という技術がある。決まったアイテムやテリトリーに刻み付ける事で個人の念能力を増長させる事を主な用法とするものだ。

 だがその術式を大がかりに地面に描いて……また特定の紙に神字を書き、四方八方を囲うように貼り付けるなどして用いれば、内外隔離の隠匿性の高い“結界”とすることもおそらく可能。

 

 直ぐ近くに結界があったと言うのなら、ミルキとシュウジがその存在に気付けなかったのも頷ける。

 また内外隔離した状態なら、内側に在った者達が今頃気付いたのも納得がいくのだ。

 

「成程。だがっ! 理由はどうあれ夕餉団欒をコソコソ見られるなど気に喰わん!!」

 

 クワッと目を見開いたシュウジは、視線の濃い方向に向かって気合いを飛ばす。

 

「そこに隠れている者共、こそこそせんで出て来んかぁッ!」

 

 シュウジが怒声に卒倒ものの気合いを乗せて飛ばした。

 もちろんミルキは慣れたもので、その程度では何とも思わなくなってしまったが……。

 

「「「っ!!!」」」

 

 だが隠れていた者達はそうもいかない。

 全員の【絶】は、かなり高い精度。相当の実力者が隠れている事はミルキにも判る。

 だが、相手が悪過ぎた。

 ミルキは兎も角としても、初見でシュウジの怒気を真面に当てられれば、一流の武闘家ですら震え上がる程に強烈なのだから。

 

 どうやら陰に居た面々も例外ではなかったらしい。

 勝てないと判断したようで、素直に姿を現した。

 現れたのは、4人の男。まだ陰に隠れている者が2人居るが、ミルキもシュウジも敢えて指摘しなかった。

 シュウジは驚異足り得ないと判断したから。そしてミルキは、それ以上に現れた面々を見て、一つ気になる事があったから。

 

(……ん? コイツら目が赤い……え、うそ……?)

 

 赤目とも違う。しかも全員が、キラキラと光沢を放つような瞳をしている事にミルキは顔が引き攣るのを感じた。

 ミルキはそんな“部族”に心当たりがあった。しかも原作に関わる一人として。

 まさか……とミルキが冷や汗混じりに思っていると、短刀を持った1人が前に出た。

 

「お前達は何者だ」

 

「旅の武闘家だ。そういうお前達は何者だ?」

 

 シュウジの問いに怪訝な顔をする者達は口をつぐむ。

 返答が無いのは、真偽の判断が出来ない事と、それ以上に自分達の名を知られる事への警戒だろう。

 ならば、部族の面々はこのまま無言を呈し続けるに違いないと、ミルキはシュウジに進言した。

 

「師匠。おそらく、あの者達はクルタ族の者です」

 

 ミルキが部族の面々を「クルタ」と呼称すると、顕著に反応を見せる者がチラホラ。

 目は口ほどに物を言うと言うが、これほど合致した部族も居ないだろう。

 

「くるた、とは何だ?……知っているのか?」

 

「有名な部族ですからね。俗世を離れ、各地を転々と隠れ住んでいると文献で見た事があります」

 

 文献と言っても『前世の~』との言葉を付与するのだが、気にすまい。

 

(しかし、未だに滅亡していない事が気になるな……)

 

 クルタ族は原作中盤より5年程前に滅ぼされたと生き残りが言っていた事は、原作では有名な時系列だ。ミルキも覚えている程に有名だ。

 部族の滅亡を喜ぶ程狂ってはいないつもりだが、しかし正史とは違う流れを進んでいると思わせるには十分な遭遇で、ミルキの眉間に皺が寄る。

 

(時系列が若干狂ってるな。……いや、それなら俺がキルアと一つ半違いという点も、十分に原作乖離だけど……)

 

 自身のこともあり、ミルキは少し時系列に変調があることをずっと疑問に思っていた。

 本来のミルキは原作開始頃で19歳。だが今のミルキはキルアと1~2歳の違いしかない。

 つまりクルタ族滅亡が起こり得ない可能性もある。または、もっと後になる可能性もあると言うことだ。

 

(もしくは……生き延びた者達という可能性も捨てきれないが)

 

 情報収集を怠ったツケだろうが、ミルキの最優先蒐集対象は流派東方不敗とシュウジ・クロスで容量を使い切っているため後悔も無ければ異論も挟ませるつもりもない。

 何より、例えどんな理由であれ、クルタ族に対するミルキの結論は変わらない。

 

(ここで関わり合いになるのは得策ではないな……)

 

 前世はどうだったか知らないが、この世界の部族は同族意識が強過ぎる傾向にある。

 特にクルタ族は緋の目が発動した状態で僅かに敵意や禁句を言えば激昂して自制心を失う事も少なくない。

 早めに切り上げ、立ち去る。行動方針は決まった。

 

「……お前達は我らを狙い、現れたのではないのか?」

 

「言うたであろう旅をしていると。……ミルキ。彼奴らは何か秘蔵を守護する部族なのか?」

 

「いいえ。師匠、彼らの目を見てください。クルタ族は特異体質で、興奮状態になると瞳があのように真紅に染まるのです。……緋の目と呼ばれ、緋の目が発動した状態で死ぬと褪せる事無く瞳に刻まれたままになります。その美しさから、世界七大美色という物の1つに数えられています」

 

「成程。故の警戒か」

 

 ミルキの説明の途中、幾人か遺憾から興奮状態となったらしく、瞳の赤が更に増した。

 極端に短気な部族。それがミルキがクルタ族に抱いた感想だ。

 クルタ族は、緋の目の輝きが増すと自制心を失うとのこと。どれだけ理性的で理屈的であっても、最後の最後は野獣よろしく肉体言語に移行する。

 これでは部族と他人との軋轢もだが、部族内での軋轢ですら大事になりそうな気がした。

 原作に関われば、その部族出身者と関わりをもつことになる……かもしれない。ミルキは今回の事も判断材料として強く記憶に留めて置こうと決める。

 同時に、そろそろ緋の目の色合いがヤバいくらいになっているので、早々に去る方がイイだろうと。

 

「師匠。ここは無駄なイザコザを避けるが得策かと」

 

 下手に原作に関わりそうである現状は回避するに限るとミルキが進言。

 丁度食事も終わった頃だったため、寝床を変える事に異論はないし、シュウジも武闘家でない者と戦う理由など無いため、首肯して返した。

 

「では、騒がせた。すまない」

 

「あ、ああ?」

 

 ミルキとシュウジのみで解決し、クルタ族側は置いてけぼり。

 怒気や殺気もあったクルタ族の面々も、ミルキとシュウジの対応に呆気にとられ、毒気を抜かれてしまったらしい。

 置き去りだろうと関係無い。さっさと立ち去ろうとしたミルキとシュウジ……だが。

 

パーアァン……!!

 

「っ? 銃声?」

 

 森に響き渡る1つの銃声。全員が一斉に1つの方角を向く。

 

「おい、今の集落の方角じゃ……!」

 

「はっ! まさかコイツらが搖動で俺達を引き付けて……!?」

 

 言いながらミルキとシュウジを睨みつけるクルタ族人。その目は再び興奮して赤くなっている。

 改めて、将来のクルタ族少年と関わり合いになろうか考えさせらえる短気さだ。

 

「戯けがっ! ワシらがいつ、お前達の目が欲しいと言ったっ!」

 

「「「っ……!?」」」

 

 シュウジは前世で弟子と対立した経緯から、他者の思い込みによる判断という物を心底嫌悪していることもあって、今度のシュウジの怒声には殺気も含まれていた。

 

 クルタ勢はいずれも【纏】を纏っていたが、そんなものでシュウジの殺気を防げるはずもない。

 結果、バタッ……バタッ……と陰で音がする。オーラを把握すると、どうやら隠れていた残りの2人が気絶したらしい。

 

「そっ、そそそそんなことより集落に戻るぞ!」

 

「あ、ああ……だ、だがこいつらは……!」

 

 今まで一度たりとも味わった事の無い恐怖に戦慄しているようだが、それでも向かって行こうとする気概は、確かに脅威だとミルキは思う。

 だがそれは「クルタ族が仲間だったら全滅を覚悟し、敵側だったら“死念”の逆襲を覚悟しなければならない」という複雑な脅威判定だったが……。

 

 程なくして相談が終わったのか、クルタ勢は気絶した2人を抱えて森の中へと駆けて行った。

 取り残されたシュウジとミルキは、その背を見送り……。

 

「追うぞ、ミルキ」

 

「え? は、はい?」

 

 また唐突に、シュウジは180度の意思転換を見せる。今度はミルキも置いてけぼりだ。

 

「あの、師匠? あの部族人達は他族人に対して非協力的です。今の絶対拒絶の目を見てもお判りかと思いますが……」

 

「で、あろうな。しかしミルキよ。例えそうであったとしても、ワシら一宿一飯の恩義を返す又とない機となるやもしれん」

 

「……御意」

 

 ミルキは流派東方不敗の精神を汲んでいる。

 そのため先程食したバンブローと、今日の寝床として使うこの土地に感謝の意を持っていた。

 ならば、この地で一時でも共同生活をする者達へ挨拶も無く、土足で居座るなど居心地が悪い……というシュウジの結論に同調するのも道理。

 

 クルタ族の集落で何があったかは分からないが、あの慌て様は害悪があったと見るのが妥当。無用な事かもしれないが、手を貸すのも吝かではない。

 

 しかし先ずは様子見。2人は気配を断って暗くなり始めた森を駆け、クルタ族人の後を追った。

 その途中、ダダダダダッ!と連続した銃声が木霊したのを耳にしたシュウジとミルキは、その速度を一気に上げ、集落を前に物見が出来る木の上に昇り、集落の中を見る。

 

 その先には――、

 

「大人しくしろ。でなければガキ共を殺す」

 

「うぇーん! おとーさーん!」

 

「くっ! 卑怯なっ!」

 

 100人程に集められた同衣装の老若男女。先程、リーダー格とみられた金髪の男性……その子と思われる同じく金髪の子達の額に銃口を宛がう男が淡々と感情が籠っていなさそうな声で通告する。

 更に、その仲間だろう周囲には12人、拳銃やマシンガンを手にした賊徒と思われる者達が居た。

 

(……先程の銃乱射は隠れていた奴らを炙り出したのか)

 

 全員が武器を捨てている現状。後から現場に到着したなら、気を窺って賊徒を殺す事もできただろうに……そうしなかったのは早々にバレたからだ。

 ――と視察したミルキは、その理由を遠目に確認した。

 

「キサマら、ハンターか! どうやって、この場所を……!?」

 

「質問に答える義理は無いが、教えてやる。我らの雇用主はマフィアンコミュニティー十頭老の1人」

 

「……っ!」

 

 十老頭。マフィアンコミュニティーの筆頭にして6大陸10地区を縄張りにしている裏社会、大組織の長10人を指す単語。

 隠遁しているクルタ族でも、大人達には警戒すべき者達の単語は把握している。その1つが出たとあって、顔が驚愕で強張ってしまう。

 

 さて。クルタ族と富豪に雇われた契約ハンターと思われる賊徒とが盛り上がっている傍ら、ミルキとシュウジも別な方向に視線を向けていた。

 

「ミルキ、敵が見えるか?」

 

「はい。集落を囲むように隠れる氣が……おそらく、念能力者が【絶】を使って潜んでいるのだと思います」

 

 伏兵が居る事を見取ったミルキとシュウジ。

 その数は、子供を人質にしている者達の倍は居た。

 子供の人質が居る現状も合わせ、隠れている事も伏兵によってバラされて仕方なく出て行ったのだろう。

 

「全体を見る限り、能力者としての実力は下位ですね」

 

 全員が念能力者だということは【絶】をして身を潜める者と、子供を人質にしている賊徒も【纏】を使っている様子から判る。

 だが子供を人質にしている賊徒が“普通の拳銃”を持っている時点で、実力の程が知れるというもの。

 確かに“分かり易い脅威”としては、銃器は万国共通の脅威。しかし念能力の中級者なら、銃器よりも纏うオーラの質で実力を悟らせる手法が道理。

 賊徒の揺らぎある【纏】と、完全でない【絶】の精度を見ても、実力の程は一目瞭然としか言いようがないのだ。

 

「確かに。程度の低さに呆れて物も言えん。……だが、面白い」

 

 シュウジは、これもまたとない好機であると考えた。

 今敵対するのは曲がりなりにも念能力者。ミルキもシュウジも、自分達以外の念の使い手とまみえたのはこれが初めてだ。

 傍観者(他人)故に、シュウジは一切関係のないこの修羅場を利用しようとミルキを見下ろし、命じる。

 

「ミルキ。お前に試練を課す。己の見解が正しいか否か、己が目と拳で確かめてくるのだ」

 

「御意」

 

 クルタ族の修羅場などシュウジもミルキも知ったこっちゃない。所詮は余所事だ。

 だが念能力者が居るということは、実践経験が詰めるということ。修行場として利用しない手は無い。

 念能力者との初戦闘。経験値を積む意味で避けては通れないと、ミルキは返答して音も無く駆け出したのだった。

 だが実際に戦闘する必要もない。要は今のミルキで鎮圧できるか否かを確かめればいい。相手の力量を図ったその洞察力が間違いでないと証明できればいいのだ。

 

 それは結果論、クルタ族を救済する事にも繋がる。

 

(だが……クルタ族に顔が割れるのはマズイな)

 

 しかし、クルタ族は後の原作にも大きく関わる部族。将来原作重要キャラの一人が居るか否かは分からないが気を付けるに越したことはない。

 

 原作主要キャラがクルタ族最後の生き残り……だとするなら、事件に巻き込まれる前に外の世界に行旅している可能性が高い。

 だが未来の大まかな流れを変えてしまわないように、ミルキは注意を払うよう腰に巻いていた手拭いを頭に巻いて顔を隠し、最初の標的に音も無く近づく。

 

(……速く、鋭く……!)

 

 因みにミルキが下の中と判断した理由は【絶】の熟練度。

 戦闘経験はあるかもしれないが、程度の低い【絶】では見つけるのも容易。

 もっとも、ミルキは暗殺者の教育を施されてきたため、例え気配が無くても殺気を感じること、また気配が無いという違和感として感じ取る事ができるため、余程の【絶】でなければ無意味であるが。

 

(……1人目)

 

 隠れている賊の背後に居り、トン……と首に手刀の一撃を入れた。

 

「う……」

 

(……見解は間違っていないか)

 

 この場合、殺すのが常套だろう。狩人は、同時に狩られる者でもあるのだから。

 だがミルキは、殺らない。そこまでやる必要もないと思いながら……。

 

(だが……何だ? 今の違和感は……?)

 

 男の首に手刀を入れた時、言い知れぬ違和感が手から伝わってきた。

 その違和感の正体を探ろうと、己に問い掛けたミルキに帰ってきた答えが……また珍妙。

 

(嫌悪感……なぜだ?)

 

 返ってきたのは、喉の奥にシコリができたと思わせるような嫌悪感。

 

 だが、はたして何に対しての嫌悪だろうか?

 

 武を振るうにも値しない愚人に対して? しかし武を振るう自分に対して?

 他にも考えれば切りがないが、理由は後でゆっくりと考えようとミルキは闇夜に紛れ、次々と賊徒を昏倒させていく。

 

「……こんなものか」

 

 それから幾人、隠れていた者達を次々と首に手刀を入れて倒し、全員を倒し終えた。

 どうやら隠れていた賊共は見た目通り大した事は無かったらしいが、まさか十老頭がこの程度の戦力しか送り出さないとも思えない。

 ミルキは警戒を怠らず、目にオーラを集中して隠れたオーラを見つけるよう【凝】を用いて目にオーラを集中させる。

 

(……地面の中、家屋の中には……居ない。……遠くにも………………居ないか)

 

 原作には狙撃者や、十老頭の手下には地中を自由に進める念能力者もいたため警戒したが……どうやら居ないと判断。

 

(俺の【凝】が上位者の【絶】や【隠】を見つけられると断言できないんだが……)

 

 ミルキは今まで念能力者との戦闘経験が無い。

 過去に一度、ゴトーが念を発動したっぽい威圧と相対した事はあるが……やはりその程度。

 ミルキは上位念能力者に相対する緊張と不安を隠せずにいた。

 

「……もっと、強くなる」

 

 だからこそ、ミルキは緊張をそのままに不安を払しょくできるよう、更なる高みを見上げ……この劇を終幕とさせようと疾駆する。

 

(残り6、捕まってる子供は3……)

 

 最後は、賊徒に捕らえられている子供の救助。

 だが手っ取り早く、自らの足で戻ってもらうのが一番と、ミルキは気配を透過させる。

 

「お前達」

 

「「「っ!」」」

 

「「「な、……!」」」

 

 賊徒達の目の前、クルタ勢を背にして現れる。

 驚愕から初動が警戒になる。それは、大きな隙。

 賊徒に隙ができたと同時に、ミルキが更に接近し……消えた。縮地だ。

 

「光輝唸掌!」

 

「ぐ……!?」

 

「い、イデェェ!! 俺の腕がァ!」

 

「あ……え?」

 

 一瞬、賊徒達の中心に姿を現したミルキは、光の尾を残す高速の掌撃を放ち、賊徒達の手足を砕いた。

 流派東方不敗が基本技の一つで、氣を肉体にブツけて破壊する掌技。

 相手の神経麻痺を起させるシャイニングフィンガーは、光輝唸掌の発展技に当たる。

 

 ミルキは技を繰り出した直後、捕まっていた子供達に向かって叫ぶ。

 

「今のウチだ! 走れ!」

 

「「「……!」」」

 

 自分達に言ったと気付いたのだろう。ミルキの叫声に弾かれたように子供達は仲間、親の元に駆け出した。

 

「うぇ~ん! おどーざぁん!!」

 

「ごわがったよぉ~!!」

 

 感情が昂ると緋色に染まるクルタ族。生誕と同時に受け継がれる緋の目だが、子供達の瞳を見るかぎりでは恐怖での変化は無いらしい。

 

(さて、それより俺はそろそろ退散し……)

 

 いつまでもこの場に居続ける意味も、挨拶して去る理由も無い。

 気配透過し、足早に立ち去ろうとした……その時だ。

 

「――へぇ」

 

「っ!」

 

 縮地。

 ミルキは直ぐ背後から現れた男の声に飛び退いた。

 得体のしれない、ミルキをしても背筋が凍り付いたと錯覚させられるような声だった。

 距離を取ったミルキは、改めて相手を睨みつける。

 

「緋の目より、君の目の方がイイな?」

 

(ッ、こいつ……!)

 

 日がとっぷり沈んで火の灯のみで鮮明な容姿までは判らないが、全体的に線が細く、髪は背中まである。

 更にその瞳、闇夜でもハッキリと判る程に陰湿な狂気を湛えていると判る。

 ミルキとしての浅い経験則でも、ああいう目をした者は決まって“狂人”しかいなかった。

 

「何者だ、お前」

 

「……ククッ。……蜘蛛……と言って、分かるかな?」

 

「っ……!」

 

 どうやら、ミルキの懸念は当たってしまったらしい。

 戦闘はここからが本番のようだ。

 

 




 前・中・後編です。

 やっちゃいましたクルタと遭遇w
 そして「こんな旅団員いたっけ?」と思われてる方ご安心を。オリキャラです。……いえ、正確には原作にもいるんですが……私ってば“見てない”んですよね。色々あって。
 よってオリキャラとお考えくださいませ。

 それと原作とのズレに関してですが、時系列的に言えば某年表ではクルタ族が襲われたのが1996年のことらしいです。
 ヨークシン編が2000年09月ですだいたい4年半前で、クラピカも「5年程前」って言ってますから、本当はミルキの言うズレは無いも等しいって設定なんですがね。
 ミルキは5年(以上)前って記憶してましたから……。


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#09.蜘蛛×人形×怨念

 後編です。


 幻影旅団。強盗と殺人を生業とする危険度Aクラスの賞金首集団だ。

 全員が強力な念能力者で、熟練ハンターですら返り討ちに遭う可能性が高く、体の何処かに数字入りの12本脚の蜘蛛の刺青を施している事から“蜘蛛”とも呼称される。

 

 その一人が今、ミルキの目の前に――、

 

「……いつから、蜘蛛はマフィアンコミュニティの下請け業者になったんだ?」

 

 どうやらクルタ族を襲撃した主犯として登場した。

 

「いつから……か。私が入団する前からだろうね。うちの団長、以下団員の殆どは流星街の出身だから」

 

「……成程。(……あー、そうだった。くそっ、忘れてた……っ)」

 

 流星街。それはこの世の何を捨てても許される廃棄物の処分場となっている地域。

 文字通り何でも捨てることが許され、要らなくなった家電製品から果ては捨て子まで、本当に何でも捨てられる。

 また犯罪者や住居を失った民族も集まることで、多人種の坩堝と化している。

 

 政治的空白地域で公式には無人とされているが、実際は百万単位の人間が住んでいるらしい。

 そんな流星街の人間は、マフィアンコミュニティにとって都合のイイ人間でもある。

 

 この世界の全ての人間には国民総背番号があり、データベースに照会すればどんな人物でも個人情報が特定できるシステムになっている。

 しかし流星街で生まれた人間は社会的な情報を一切持っていない……所謂、存在しない人。

 どんな情報でも足がつかない流星街は、マフィアンコミュニティにとって貴重な人材発掘場。

 マフィアンコミュニティはゴミの投棄という名目で流星街の住人に武器や資金の提供を行う蜜月関係にある。

 

 マフィアンコミュニティの下請け……言えて妙だが、幻影旅団結成時の構成員は全員が流星街の出身者だった。……ということを知識として保有していたミルキは、小さく舌打ちした。

 

(蜘蛛によるクルタ族滅亡事件。……コイツ一人が実行犯ってことか?)

 

 ミルキは詳細まで覚えてはいないが、幻影旅団が実行犯ということは覚えていた。

 だが、原作に目の前の男は居ない。

 原作に行きつくまで、幾度かメンバーは変わった事は覚えているため、その一人だとミルキは推察。

 

(……もしくは、原作乖離の兆候か……。いずれにしても、得体の知れない危険狂人には違いない)

 

 ミルキは賊徒の位置を【凝】で全て確認。ついでに確認できる遠くまで見通したが、目の前の男程のオーラは最低でも300m圏内には無かった。

 だがミルキの実力以上の【絶】で隠れていた場合はこの限りではない。

 

(……もしや師匠、気付いて俺を送り出したのか……?)

 

 己が師は正に超越者。この盤上を隈なく見通していたに違いない。当然、この男の存在も認知し、ミルキが「下位」しか見つけられなかった事を反省するようにと送り出したのだと……。

 

「考え事をしているところ悪いが、こちらにも時間がないのでね。そろそろ君の目を貰うとしよう」

 

 思考というより感動していたミルキは、旅団員がゆったりとした一歩踏みと薄ら寒い気配を臭わせる一言に現実に引き戻される。

 戦場で敵を見失うなど……またシュウジに叱咤されるなと思いながら、ミルキは改めて旅団員を油断なく見据える。

 

「何故……俺の眼球を欲する?」

 

 クルタ族を襲うことは、幻影旅団から与えられた仕事……と見るべきだろう。

 だがそれを放棄する姿勢を示し、ターゲットをミルキに変えた。

 眼球のコレクターという可能性も無くはないが、ミルキは旅団員の揺らめく怪しいオーラが“もっと具体的な理由”を示唆しているように感じた。

 

「私はね、神の人形師なのさ。ああ、君が倒したコイツらもそう。愚作だが、私の作品だよ。適当に近くの村で狩った人間の、ね……」

 

「っ……!?」

 

 ミルキが目を見開く。先程まで確かに賊徒だった“それ”が、光となって消えていった。

 

「もう気付いただろう? 別に隠す事でも無いから言うけど、これが私の念能力。レアな特質系だ。見ての通り、作った人間の記憶や念までコピーできるんだが……」

 

「……制約で、眼球だけは無理……もしくは眼球の持ち主の能力とオーラを相乗できる、か?」

 

 旅団員の台詞を先回りしてミルキが口にする。ピクリと旅団員の眉が動いたのを見たミルキは、遠からずと判断。

 

「……近からず遠からずとだけ、言っておこう」

 

 無論、ミルキは旅団員の言葉を過信しない。

 己の念能力を語るのは自殺行為に等しい。旅団員が語った能力について素直に鵜呑みにするのは軽率ということ。真偽を図る術がない以上、参考程度に留めて置くのが一番だろう。

 しかし……もし本当だった場合、能力の概要を話すことで発動するような制約という可能性も考慮しなければならない。

 念能力者同士の戦闘は、通常戦闘以上に考察力を働かせなければ対応できないのだ。

 

(だが……そうか。アイツらを殴った時の嫌悪感は……)

 

 賊徒を殴った時に、ミルキはいずれも言い表せぬ違和感と嫌悪感を覚えた事を思い出す。

 はじめは賊徒を相手にしているから……と考えたミルキだが、どうやら旅団員の造った念人形を通して旅団員のオーラ質を感知したから……だったようだ。

 念のオーラは生命エネルギーであると同時に、その人の半生をも如実に示す。念能力が、先天的な資質と後天的な経験から成ると考えられる事からも、オーラにも為人が出るのは道理。

 この旅団員の為人は明らかに狂人。胸糞悪い嫌悪を覚える筈である。

 

「……さ。そろそろ、はじめようか?」

 

 旅団員から噴出するオーラの勢いが上がると、ミルキも止むを得ないと臨戦態勢を取った。

 だが、臨戦態勢を取ってはじめて自分の周囲の状況を把握する。

 

「っ! 何をしている! お前達、早く逃げないかっ!」

 

 クルタ族勢が未だに呆然と、ミルキと旅団員を傍観していた。

 バカなのかとミルキは怒鳴り叫ぶ。

 

 念能力者のオーラは、非念能力者に向けられただけでショック死する程に危険な物。

 クルタの大人達は問題無いだろう……が、子供は無力。敵が【堅】を使っているのに、呆然としているなど考えられない危機感の無さ。

 ミルキでなくとも怒鳴りたくなる気持ちは当然と言える。

 

「何を言ってるんだい? 逃がさないよ、緋の目を持ち帰るのは私の入団試験も兼ねているからね」

 

 すると旅団員のオーラの流れが変わった。

 

「ここで失敗するわけにもいかないし、私のコレクションの一部をお披露目しよう!」

 

 旅団員が両手を大きく広げると、その周囲に人型が次々に現れる。

 

「っ……!!」

 

 その内の一人を見たミルキは、目を大きく見開いた。

 

(シルバ……!?)

 

 間違えるハズもない。先日勘当されるまで嫌という程、顔を合わせていたシルバ=ゾルディックが現れた。

 

(……そうか。シルバは過去に蜘蛛の一人を暗殺依頼され、愚痴って帰ってきた事があるが……いや、待て?)

 

 シルバが愚痴を漏らしていたのは、2年前のこと。

 よくよく考えれば時系列が合わない。

 目の前の旅団員が、その後釜として入ったか否かはさておくとしても、欠番補充したのが最近なら人形を作ったタイミングはまた別ということになる。

 

(いや……そもそも、コイツがどうやって人形を作るのか俺は知らない。判るのは、作った人形に使われる眼球が“当人の物でなくてもイイ”ってことだが……)

 

 シルバの瞳は藤色に猫のような縦長の瞳孔。だが、眼前のシルバ人形の瞳は金色。

 昔が金色だったなんてことも無いため、別人の瞳である信憑性が高い。

 

「行け!」

 

(さすがに自我は無いか……!)

 

 先程の賊徒人形も人間味が薄かったが、どうやらそれが人形としての特徴らしい。

 人形達は無表情のまま、旅団員に従ってクルタ族に襲い掛かった。

 だが、一体一体を操作しているわけではなく、動作もコピーしているらしく、動きはかなり機敏で隙が無い。

 

 それに……。

 

(む……なんだ? なぜシルバとあの野獣っぽい奴を動かさない?)

 

 なぜか旅団員はシルバ人形ともう一体を動かさず傍らに置いたままだった。

 人形の中では、一番厄介だと思っていた人形が旅団員の傍に2体。どうやら護衛にあたらせるつもりのようだとミルキは考えた。

 裏を返せば、人形は高い戦闘力を有するが当人は然程大したことはないのだろうと推論できる。

 

 特質系の念能力者は、パワータイプの強化系とは対極の関係にある。

 もちろん身体能力や毒系武具などで簡単に優劣は変動する。ミルキの師など、そんな道理など破壊する勢いの強さを秘めていることからも異論は認めない。

 が、どうやら眼前の旅団員は典型的な特質系のようだった。

 

(兎にも角にも、これは後ろの事を気に掛ける余裕など無いな……)

 

 気に掛ける義理も無いけど……と、ミルキは目の前の2体の人形を警戒していた……その時だ。

 

「君は知っているか? こっちの人形は、今手元に在る一番の傑作! 伝説の暗殺一家、ゾルディックの当主だ!」

 

(知ってるよ)

 

 ミルキは内心ツッコミながら、しかし気分良さそうなのを邪魔するのも面倒だと黙って聞き流す。

 どうやらこの旅団員は自分の能力に大変な自信があるらしい事から、ミルキは旅団員を誘導して情報を聞き出すことにした。

 

「ゾル家の当主? おまえ程度の男が、ゾル家を目の前に人形を作る暇まで作ってもらったと、そういうことか? 馬鹿も休み休み言いやがれ、コラ」

 

 誘導には相手の怒りを買うのが最も手っ取り早い。

 現に軽く挑発を混ぜるミルキの台詞に、旅団員は眉を寄せて如実に不機嫌を露わにする。

 

「……さすがに私もそこまで命知らずじゃない。私の念は、対象者が強く思う者の人形を作り出す……というものだ」

 

 声は冷静そうに聞こえるが、目が明らかに違う。

 何このチョロイさん、本当に旅団員?……とか考えながら、続きを漏らさぬよう聞き耳を立てる。

 

「私が譲り受ける予定の欠番は、ゾルディックの当主に殺されていてね。その対象者というのは、この場合だとウチの団長を差す。その時の記憶を団長に強く思わせることで、この人形を作り上げたのさ」

 

 結論として、この旅団員(仮)は、ペラペラと要らない事まで喋る口の軽い男のようだ。

 だがこれはコチラ側にとっては有益な情報が聴けた。

 無論、それだけ強力な念だけに制約は大きいハズだと、ミルキはまた勝手に喋ってくれないかと期待している……と。

 

「そして! 私のもう1つの念能力ドールキャッチャー! 自身に人形を宿せば、その念能力が使えるのだ!」

 

「な……!」

 

 途端のこと。シルバ人形と野性男が旅団員へと同化……否、吸収されていった。

 ゴォ……と膨れ上がるオーラ。どうやら宿したオーラも自身に相乗できるらしい。

 人形に宿したオーラは元々自分の物と考えれば、何ら不思議ではない。

 

(って! このチョロイさん、チート野郎かよ!)

 

 念能力の集大成と言える【発】の創造には、個人の有する決まった容量の範囲でなさねばならない。

 だが容量は個人によって大きく変わる。また、過度な能力を使うには厳しい“制約”を利用するなりして容量に若干空きを作ることも可能。

 

 旅団員は同質の人形に関する念能力。

 念人形を作り出す事に容量の多くを用い、後は眼球を用いねば使用時間が大幅に減るか消滅する等の制約を設けているのだろうとミルキは推察した。

 

 それでも、やはり特質系。その性能は“特質”の一言に尽きるようだ。

 念能力を覚えて1年足らずのミルキには厳しい相手だった。

 

「ちなみに、もう一人は強化系の旅団員だ。念能力を使えるとは、当然その系統を100%自在に使えるってことでもあるんだよ!」

 

 高まる旅団員のオーラが、自身の証言の裏付けとなっていることはミルキも判る。

 シルバは変化系の念能力者。旅団員は2種類の念能力を100%扱えるということ。更には、六性図で隣り合う放出系や具現化系にも少なからず恩恵を受けているということに違いない。

 恐るべき異常能力。増大したオーラは、それだけで森を吹き飛ばす程の威力をミルキのオーラを削ぎ落としていく。

 

「そうか……」

 

「?」

 

 しかし、なぜだろう……ミルキは逆に冷静な心地を取り戻す。

 背中に刃を幾つも当てられているような、死が直ぐ後ろで自分を誘っている感覚に誰もが恐れ慄くだろう状況下で、ミルキのオーラは酷く静かになった。

 

(度を超した激痛は痛覚が働くなるが……恐怖も、そうなのかもな……)

 

 痛覚云々に関しては、地獄の6年間で嫌というほど開発させられたが……恐怖に関しては、ミルキはおそらく初めから麻痺していたに違いない。

 それは決して己が死なないという確信があった等の理由ではなく、一度死んで云々という理由でもない。

 

「血の為す業か……厭なものだ」

 

 脈々と受け継がれた暗殺者の系譜が、理性と本能を図太くしているに違いない。

 何よりミルキは、ミルキとして転生してから戦闘に対し、忌避感に勝る昂揚感を抱いていることも相俟って。

 

(それに……コイツ倒せば、曲りなりにもあの糞野郎をブチのめした事にもなる)

 

 シルバへの積年の私怨、改めて己の過去と決別するには絶好の機会だと前向きに考えたミルキの強かな精神がオーラへと伝達される。

 

「行くぞ……!」

 

 ミルキは真正面から、旅団員に飛び込む。

 

(人形を作り出す念能力が主軸には間違いない。当然、一度に纏えるオーラにも限界があるだろう)

 

 シルバのオーラは言うに及ばず。野性男のオーラは、シルバ以上と見えた。

 人形を作る際に、当人のオーラ量までコピーするよう注がねばならないのか? と疑問に思う。

 

(何より……薄ら寒さは覚えるが、……それだけだ)

 

 ミルキは、初めての念能力者との戦闘だが緊張も不安も抱いていなかった。

 それが幻影旅団員の候補……明らかに高い念能力者であることが分かっていても、だ。

 

(師匠に比べれば……!)

 

 構えを取らず、隙らだけ。ワザと隙だらけに見せているのではなく、次動へと活かせない本当の隙だらけ。それは旅団員がミルキを格下の相手と侮っている証拠。

 オーラは決壊したダムのようで威圧力の欠片も無いと一目で分かる。

 

 だが、オーラの量は驚異。ここは油断している内に決め手を打ち込むのが一番。

 

(様子見は必要ない。……時間も無いからな。一瞬で決める。……気配透過)

 

 ミルキは縮地を用うと同時に【絶】を行い、音を殺し、意を止め、姿を消した。

 

「む!……円!!」

 

 ミルキが消えた途端、旅団員のオーラが周囲に膨れ上がる。

 索敵に用いる【纏】と【練】の応用技【円】だ。

 体の周囲を覆っているオーラを自分を中心に半径2m以上広げる技術で、その内側にある物の位置や形状を感知できる高等技法でミルキを見つけ、待ち構えようと言うのだ。どうやら機敏ではあるらしい。

 

(どこに消えた……? 小僧の念能力? それとも【絶】か?……まぁいい。いずれにしても、この【円】で捕らえられない敵はいない。次に現れた時、BBインパクトを発射するインパクトバスターを喰らわせてやる! だが、顔は傷つけないから安心しな、ククク……)

 

 ミルキが消失した位置は約3m地点。一瞬でそこまで【円】を広げた旅団員は、残りオーラの余裕を【堅】で手に集中させ、いつでも撃ち放てるようミルキの接近に待機する。

 ミルキの戦闘スタイルは、接近戦一辺倒。旅団員は愚作人形からの情報で知っていた。

 だからこそ【円】の範囲内に入った所に逃げようの無い膨大なオーラをブツける。それだけで勝利は確定する、と信じて疑わなかった。

 

 ……だが、旅団員は見誤っていた。

 

「正拳ッ!」

 

「ぐ……!?」

 

 己の脇腹に、突き刺さる激痛が奔るまでは……。

 それこそミルキの目論見通りに。

 

「肘打ちぃっ!」

 

「あ、っ!……がはっ!?」

 

 ミルキの正拳に続く肘打ちが、旅団員の脇腹に直撃した。

 2度の激痛に旅団員のオーラが乱れたことで【円】と【堅】が解け、“く”の字に曲がった体が木の葉のように宙を翔け、

 

「がぷばっ!」

 

 ……叩きつけられた。

 

「が、がはっ! ば、バカなっ! いったいどうやって俺の【円】の内に……!?)

 

 脇腹から内臓に浸透する激痛に膝をつく旅団員は吐血しながら混乱の渦中で思考を巡らせる。

 

(念能力に対抗するには、やはり念能力! 姿と同時に気配を消したということは【絶】に類する技に違いない! だがそんな状態で【円】の中に入るなど火炎に身を焼く行為に等しいとまさか知らないはずはない! だが事実、奴は“オーラを纏っていなかった”じゃないか! いったいどういう―――!)

 

 だが戦闘中、どれだけ早く思考を重ねようと、

 

「シャイニング……!」

 

 そんな些細な隙を見逃すミルキではない。

 

「……っ!」

 

 ミルキの声が聞こえ、慄いた旅団員は直ぐに逃げようとするが激痛で体が動かない。

 どれだけ膨大なオーラを持っていようと、それを扱うには高い集中力を要する。

 特に【硬】を使うのに激痛で立てない今では、到底無理。

 

「こっ、このぉぉぉっ!」

 

 破れかぶれと言わんばかりに旅団員はオーラを四方八方に噴射し出した。

 まるで恐怖から逃げようと木の枝を振り回すような、あまりに幼稚な攻撃。

 第一、オーラを放つにもやはり激痛が邪魔。さらにオーラが大き過ぎて普段と制御の用法が違い過ぎてまるで話しにならない。

 

(これが……幻影旅団に入団しようと言う者の実力か? これが……っ、シルバの力を蓄えた者の実力かっ!)

 

 沸々と憤怒が湧き上がる。身の程を弁えない者ほど、キニクワナイものはない。

 

(だが、これは決して忘れてはならない末路!)

 

 しかし、ミルキはそんな稚拙な憤怒に呑まれるような生易しい道を生きてきたわけではない。

 何より念という膨大な力に呑まれたバカは、いつか未来の自分なのかもしれないのだ。

 忘れてはならない。そして倒さねばならない。

 ミルキは覚悟と決意を、己にブツけるように――、

 

「フィンガァァ!!」

 

「ぐ……がぶぅあっ!?」

 

 オーラを纏った三指が旅団男の脳を突き、顔面を地面に叩き付けた。

 

(――感謝してやる。お前のようなバカと出遭えたことを)

 

 シャイニングフィンガーは、脳を突く箇所によって効果が異なる。

 今ミルキが突いた箇所は、例えるなら灼熱のナイフを隙間なく全身に突き刺されたと錯覚するような痛覚神経。

 旅団員は、悶絶しながら地面に転がった。

 

「ぐ、が……な、なん……から、だ……!」

 

「……お前はもう動けない。脳の神経系を麻痺させた」

 

 旅団員のオーラが解かれる。脳の麻痺は【纏】すら満足に行えないということ。当然、クルタ族勢を襲っていた人形達も光となって消えた。

 

「ばか、な……! 神の人形師である、この私が、おまえ程度のオーラに……!」

 

「神、ねェ?」

 

 旅団員は心底解せないといった様子。

 だがミルキはその理由もしっかり把握しているため、失笑する。

 

(外氣も見えない奴が、神を名乗るなんて……馬鹿馬鹿しい)

 

 外氣とは天然自然の力。この世全ての物質に宿る生命の証。

 だが、人間は外氣を見ることができない。

 ミルキの気配透過も外氣の特性と人類の性質を利用した念能力なのだ……と、つい先日考察を口にした。

 

 だが全知全能を名乗るなら、外氣が見えないまでも感知できない時点で終わってる。

 そう思えてならないミルキは、コイツは旅団員になれないと思い見下ろして……、

 

「そう……兄さんは神の人形師なんかじゃない」

 

「……」

 

 また、唐突に直ぐ傍から声が聞こえた。

 だが今度は距離を取ることは無かった。

 おそらく旅団員の関係者だろうが、敵意も薄ら寒さも覚えないからだ。

 ミルキはゆっくりと視線をそちらに向ける。

 

「……人形、か?」

 

 そこに居たのは、青い帽子を被りオーバーオールを穿いた少女……の、人形だった。

 

「分かるんだ。そうだよ。私はオモカゲ兄さんの初めての作品。この人の妹、レツ」

 

 オモカゲ……というのは旅団員の名前だろうとミルキは頷いて、レツに先を促した。

 

「他の人形と違ってね、私は生前のレツの残した念のおかげで、兄さんの能力に関係なく存在できるんだ」

 

「……そうなのか」

 

「うん」

 

 死念。死んで残った未練が、レツの人形に宿っている。そんな摩訶不思議を何の抵抗もなく受け入れた自分にミルキは小さく苦笑する。

 

「……ありがとうね。兄さんを止めてくれて。……兄さんが人形を作って、目を集めるようになったのは……私のためでもあるの」

 

「……そうか」

 

 深く事情を訊くつもりはなかったミルキは淡白に答え、レツに背を向ける。

 

「……俺はもう行こう。……後は、お前が始末をつけるんだろう?」

 

「……うん」

 

 肯定したレツを見て、ならばもう留まる意味も無いだろうとミルキはそれ以上言う事もないと駆け出した。

 

「……ありがとう。貴方のおかげで、私は本当を生きられる」

 

 小声だが、ハッキリと聞こえた少女の言葉は感謝と受け取っていいのだろう。

 レツの穏やかな声を耳に、ミルキはクルタの集落を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、幻影旅団員(仮)オモカゲがどうなったのか、ミルキは知らない。

 

 

 

 

 

 ただ……一つだけ、分かることがある。

 

 

 

 

 

 オモカゲは、どうやら妹レツによって殺されたらしい――ということだ。

 

 

 

 

 

 その証拠に――――

 

 

 

 

 

「……随分な土産げだな、ミルキ?」

 

「……申し訳ありません、師匠」

 

 シュウジは、オモカゲと一戦を終えて戻って来たミルキを見て小さく溜息を漏らした。

 ミルキも「しかたない」と思いつつ、申し訳なさそうにシュウジに謝罪。

 なぜなら、その後ろには……。

 

「ヴヴヴ……!」

 

「ヴガァァ!!」

 

 理性を無くした人間……に見える人形が50体程、ミルキを追って来たらしい。

 

「怨念か。この世界は厄介な理がある」

 

 念能力には様々な形態がある。そして、念は死ねば消えるとは限らない。逆に、死んで強まる念もある。

 ミルキを追って現れた、50体の人形もまさにそれ。

 オモカゲが「ミルキの目を欲する」という執着の情が死んで尚、怨念となってミルキを追って来たらしい。

 

「已むを得ん! ミルキ、アレを遣るぞ!」

 

「っ! はい!」

 

 シュウジが言う「アレ」が何であるのか、ミルキはハッキリと理解した。

 流派東方不敗には、一対多を処理する場合の技が幾つか存在するが、ミルキが伝授された技は未だ1つのみ。

 

「ハァァァ……! 超級!」

 

「覇王!!」

 

「電影弾ッッッ!!!」

 

 体内に溜めた外氣を【円】の用法で球状に広げ、頭部以外に纏う。

 纏う外氣を内氣で留めると同時に回転力を与え、己を砲弾とする突貫型の流派東方不敗の奥義『超級覇王電影弾』である。

 単体でも可能な『超級覇王電影弾』だが、体得者2人による合体技にもなるが、その場合は1人が砲弾、もう1人が砲台となる。

 

「ぐ、ぎぎ……っ!」

 

 シュウジが飲み込みの早いミルキに教えた最初の奥義。

 秘かに特訓していたミルキだが、やはり未完成は否めそうにない。

 

「ぐ……師匠ッ! お願いします!」

 

「おおぉッッ!! 征けぇぇぇぇぇいッッ!!」

 

 ドン!

 砲弾となったミルキが、シュウジの手によって撃ち出される。その勢いは正に閃光。

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!」

 

 咆哮を轟かせたミルキを中心に、回転する外氣エネルギーの渦に巻き込まれるように吸い込まれた人形達が次々にミルキにぶつかり、破壊され……。

 

「ばぁくはつッ!!」

 

 50体も居た人形が何する事も出来ず、外氣エネルギーに耐え切れなくなった人形が弾け飛んで、霧散した。

 

「奥義の一……精進は必要だが、見事習得したようだな」

 

 満足げに称賛の言葉を繋げるシュウジ。

 ……しかし、当のミルキと言えば……。

 

「あ、ぁう~……も、もう……動け、ない……」

 

 過度の修行に加え、奥義に必要な外氣を取り入れたミルキはいよいよ限界を通り越して気絶したらしい。

 シュウジは、やれやれと思いながらも、しかしミルキの成長速度に舌を巻くばかり。

 

(素晴らしかなミルキの才。資質も然ることながら、疑念を抱かぬからこそ揺らぎも歪みも無く育ってゆく、か……)

 

 天賦の才能を努力で補強し、不動不屈の精神が絶対の物へと昇華させている。

 それが他でも無い東方不敗マスターアジア……己の事に絶対の信頼を置くことで成しているのだから……さすがに気恥ずかしさを覚える。

 

「……見たいのぅ。お前の完成を……」

 

 だからこそ、師としての責務を果たすことを背負ったミルキの重みにシュウジは改めて誓うのだ。

 

 




 えー、仮にも幻影旅団員……倒しちゃいました。

 オモカゲ事情的な意味でも、時系列云々おかしいなー?……とか思う方々も少なくないと思います。
 なので、まず言わせていただきたいのは、私って[HUNTER×HUNTER~緋色の幻影~]を見に行ってないんですよねー。
 なので今作で出没した[オモカゲ][レツ]は、Webサイトを漁って情報(セリフネタ等)掻き集めた結果の[オモカゲ&レツ(という名を借りたオリキャラ)]と考えてください。
 ミルキでも倒せると判断した理由は……まぁ実物見てないからという理由もあります。オモカゲがあまりにも漠然としたチートキャラで、2つ3つ以上の念系統を十全に制御できるとは思えず――、

「あれ? これって踏み台(テンセーシャ)っぽくね?」

 ――という機体性能に頼りすぎている感じのキチガイよろしく、つけ入る隙があるように見えたので、隙を与えず瞬殺コースをプレゼントしました。

 なので、実物とどれほど違うのか、緋色の幻影を見に行った方々のご意見聞いてみたいです。
 よろしければ意見感想、よろしくお願いします。

 それと一応、プロットをH×Hの0巻に合わせてみたつもりです。
 ⇒「~何も奪うな」は、同胞(仮)を殺された報復? 先に手を出したの旅団ですが、その意味合いもあった……と仮定。
 ⇒「発見者した~旅の女性」は、レツの残滓が教えた……的な設定にしようと思いましたが、色々と合わないので却下。Dハンターを見せた女性の再来というのが王道的でしょうか?

 因みに、超級覇王電影弾は独自設定です。Gガン設定無理なので、悪しからず。
 ……あ、コレ↑遣りたかったから、オモカゲ怨念人形軍団『デスアーミー』を利用したとか……そうです、そのとおりです。キタコレとか考えてました。


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#10.極地×挑戦×前夜

 原作前――修行編――の最後。


 クルタ族集落戦から3年。13歳となったミルキは格段の成長を遂げていた。
 そんな、ブタくんとの決別を済ませたミルキに……今また、新たな艱苦が。



 

 時間とは、偉大であり惨酷だ――と、ミルキは思う。

 生死、成長と衰退は表裏一体。育てば老い、過去があるから未来があり、幸福があれば不幸もある。何時までも上り道はなく何時かは下る。

 世の中は延々とその繰り返しに過ぎない。しかし単純プロセスの中で、生物は必ず生きるという選択を常に取って来た。

 どんなに辛く、悲しく、惨い経験をしても、自ら死を選ぶ者は少ない。だが死を持って罪を償うことも一つの道と考える者もいる。

 

 しかし、やはり明日に希望を見出したいとミルキは思う。

 贖罪の選択に死刑があろうと、ミルキはその選択を強いることはない。

 どんな快楽殺人者でも、死ねばそこで終わる。

 本当の地獄を見て来た……もう殺してくれと泣き叫ぶ獄道を生きて通ったことがあるミルキからしてみれば、死をもって償う事は決してできないのだと知っているから。

 

 己の考えを強制するつもりはない……が、きっと共感できると思うのだ。

 

 多くの命を奪った。多くの都を壊した。

 赦してくれ……いくら叫ぼうと、数多の罪はきっと自他の誰にも赦せるものではないと理解しても叫ばずにいられない。

 どれだけ後悔しても、それでも贖罪と向き合いながら前を見て進むしかないと、己を律するしかない。

 しかし、本当の意味で罪を受け入れられるには、人間という種に与えられた時間はあまりに少ない。

 結果、後悔を背負ったまま溺死することもまた贖罪なのだと、誰もがそう思うのだ。

 

 だからこそ、咎人は想う。

 次代は、決して同じ過ちを繰り返してくれるな――と。

 人間である以上、危ういのは必定。その危難は常に直ぐ隣に座して、己を待っている。

 

 ならば……、咎人としての最後の仕事は……きっと、そこにあるに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――」

 

 膝程の高さの岩に座禅するミルキは、ゆっくりと“停止”していると見える静謐な呼吸を繰り返していた。

 初めてもう十年になる【燃】だ。念能力を覚えたからこその原点回帰。精神の修行を欠かしては、念能力の向上はあり得ないのだ。

 

 しかし、今ミルキが行っている座禅は、外氣吸収の特訓でもある。

 呼吸の度に“外氣”を取り込み、己の一ヶ所へと抑え留める。

 だが“呼吸”と一言に言っても、何も口だけとは限らない。

 汗腺や内氣(オーラ)の通り道である精孔からも外氣を取り込む事はできる。

 全身で呼吸を行えて、はじめて本物と言えるのだ。

 

 ミルキも短期過密な修行を数年続けることで、既にその域まで達している。

 だが、現在ミルキは更に“その先”を目指している。

 逆に行き過ぎれば、絶命の危機。だがそれでも、訳有ってミルキは進む以外の選択をするつもりはないのだ。

 

(――――ここだ)

 

 その実直な精神が、ミルキをその“場”へと導いた。

 外氣を受け入れ透すために、最も適した精神の置き場へ。

 

 余談だが、ミルキは「外氣を受け入れる」ということを「天然自然に身を委ねることだ」と、流派東方不敗の真理に沿う解釈に至っている。

 その真理に釣り合う思考と運動は、動物的というより植物的。しかし動物にもできるということは“現状”からも明らかだ。

 しかし、その“場”へは何も選ばれし才有る者しか至れないというわけではない。

 なぜならそこは、動物なら誰しもが一度は垣間見て、通り過ぎる道にある場所。

 

 それは―――死期。

 

 死のプロセスには、えも言われぬ激痛の後、後悔を感じ、しかし受け入れる他無いと走馬灯を感じ入るような全てを許諾する“間”が存在する。

 その“間”こそ、生と死の境界線……それこそ生物全ての根源を垣間見る境地こそが、外氣内包をするに際し、精神の置き場として最適なのだ。

 

 また、誕生もその一つだが、言うまでもなく赤子の精神ではその場を把握することは不可能であるため、この限りではない。

 

 そして当のミルキは一度死を経験しているから、だろうか。過密な修行とシュウジ・クロスという超一流の師匠の指導によって、天然自然から外氣を借り受けられる最適な場を直ぐに理解できた。

 更に、一度理解すると次には一歩前進する練度を見せ、気付いた時には外氣内包を自在にコントロールする術を知っていたのだ。

 

 ミルキは、そこに至る技法を“外氣活用完成型”と名付けた。

 素晴らしかなミルキの才は流派東方不敗に選ばれたことにより、見事覚醒を遂げたのだ。

 

 だが、貪欲なミルキは、更に“その先”を見ていた。

 それこそがミルキが今求める場。体内に留めた外氣を、更に肉体を“循環”させるという究極技法。

 天才の留まる事を許された“完成型”という『境地』の更に果てに在る、前人未到の“完了型”という名の『極地』である。

 

 集中力の向上によりムダの無い動作を可能とし、己の内氣(オーラ)の活用にもムダを無くす。

 元々、ミルキは技巧系スタイル。ゾルディック家での地獄の日々とシュウジの修行を経ることによって、ミルキの戦闘洞察力は着々と上昇している。

 もし敵より顕在できるオーラ量が劣っていても活用術で挽回できる可能性はある。

 

 だが、いくら技巧を駆使しても圧倒的な物量差にはどうしても劣る。

 個人戦もそうだが、一対多での戦闘が懸念される。例を挙げるなら、やはりゾルディック。そして幻影旅団だろうか。

 

 そんなバケモノ級の敵と戦闘になった時のためにと、ミルキが見出したのが『完了型』という更なる極地だった。

 

 外氣を循環させた状態なら、顕在オーラ量に膨大な外氣をプラスして扱える。

 つまり本来は単体で内氣(オーラ)を一度に100使うところを、内氣:外氣=1:99に割り振ることで自身への負担を極限まで減らす事ができるのだ。

 同時に肉体のエネルギーも外氣に因ることで、肉体疲労や老衰を“停める”ことも理論上は可能となる。

 

 これしかない……そう思い、外氣運用の修行を更に突き詰めて行ったミルキ。

 だがシュウジは当初、そこに至るのは「不可能」と言った。

 なぜならその行為は“己という個”を植物の域まで持っていくことに等しいからだ。

 

 植物に至った精神は動物の肉体では維持できず、完全に乖離すればミルキという個の喪失を意味する。

 境地ですら人間の限界を超え、ギリギリ繋ぎ止められるかと言う場。なのに更に先を目指すなんて出来るハズ無い……と。

 

 確かに、その通りなのだ。

 師匠シュウジ・クロスやミルキの兄弟子ドモン・カッシュは、完成型の境地までは辿り着いた。

 だが彼らをしても完了型の域までは、今一歩及ぶことはできなかった。

 2人程の武闘に愛された人間ですら……否、人間だからこそ至れない。それは世界の真理であり、当然の道理だから。

 

 それでも、2人には少なくともその域を垣間見る事はできていたハズなのだ。

 植物の域とは死を受け入れた先に在る。

 生死の真理を受け入れる、その澄んだ心は明鏡止水の境地。そう……ドモン・カッシュが修行の果てに体得した真のスーパーモードが、まさにそれと言える。

 だが感情的なドモンでは、真に明鏡止水の境地に至れても“極地”には至れず、結果【石破天驚拳】も完全型には至れていなかった。

 

 そしてシュウジ・クロスもまた、前世ではその域に達する事はできなかった。

 不治の病に侵されたシュウジは、死に抗い続けていた。それは人間として当然の本能。

 しかし……だからこそシュウジは人間という域の中で頂点を極めたが、人間の域を超える事は出来なかったのだ。

 

 だが、ここ数年にシュウジの心境に変化があった。

 

 完了型の極地を受け入れられなかったのは過去のシュウジ・クロスだ。

 しかし現在のシュウジ・クロスは一度死を受け入れた事で、その極地を通り見たことで人間という最後の枷から精神を解き放つ事に成功したのだ。

 

 天然自然の全てを受け入れ、慈しみ、感謝する精神をもって“己という個”を維持したまま、世界の一部にあることを了悟することが確かにできた。

 そんな「不可能」と言っていたシュウジの心境と言葉を覆したのは、シュウジよりも先に完了型へと至ったミルキを見たから。

 

 本当に至ってしまった事に驚愕すると共に、シュウジはまた自分の常識に囚われていたのだと知る。そう……前世でもそれが原因で弟子ドモン・カッシュと仲違いした時のように。

 シュウジは、再び弟子に教えられたのだ。

 

 だが、これは武闘の才と言うより、死を見たか否かが大きく関わる技法。

 

 ミルキは一度死亡することで生死の境界線を魂魄に深く刻み付け、更にゾルディックで常に死と隣り合わせの生活を送って来た事に因る人格改造を経て生と死に対する本能すらも変質させていた。

 結果ミルキは、常に生を賜る天然自然への感謝と敬意、また死への恐怖と嫌悪を払拭させることで安意を見出す精神状態を維持することが可能となったのだ。

 

 完了型の技法は、これらの要因を10年という長い歳月を掛け、真っ向から受け止めたミルキだからこそ編み出す事ができた究極の一ということだ。

 

 

 閑話休題。

 

 

 ミルキが完了型の“極地”に行き着くと、自然にゆっくりと体内で抑え留まっていた外氣が内氣の流れ道を通して全身に循環し始める。

 外氣を体内で循環させる場合、そこには意思があってはならない。自然は、やはり自然のままに。それが最も効率的で合理的な運用に繋がるのだ。

 

 しかしミルキが完了型の極地に留まれるのは、人間が極度の集中状態を持続できる凡そ20分が限界。

 ただ、今後修行を重ね、精神の成熟を果たせば、より長時間、意識して集中せずとも安定して持続させることも可能だろう……と、シュウジは言うが、それはまだまだ先のこと。

 

「う……」

 

 うめき声を上げたミルキの表情に苦悶が浮かぶ。

 ミルキの集中力が限界に近づいているようだ。

 

 途端にミルキの全身から外氣が吐き出される。

 集中力が途切れる前に、全身から外氣を吐き出し終えなければ、全身に巡った外氣が暴走を起こし、結果肉体を破壊してしまうからだ。

 下手をすれば文字通り、植物人間となってしまう。そんな命懸けの修行も、ミルキは既に半年間も続けている。

 

「……ふぅ。……16分、か」

 

 瞼をゆっくりと上げ、近くにセットされていた時計を見て記録を確認する。

 最長で20分だが、平均すれば15分弱がいいところ。

 中々精度が向上しないが、精神に斑気が多い思春期の少年では致し方ない事かもしれない。

 精神が一度三十路に生き付いた前世の記憶と経験が無ければ、10代前半でこの域に至れるハズがないのだから。

 それにこの一連を更に昇華させなければ、流派東方不敗に流用させるなど夢の又夢で生涯を終えてしまうだろう。

 

(……時間が無い。早く、外殻だけでも物にしなければ……)

 

 ミルキは焦っていた。

 時の流れとは、やはり偉大であり残酷なのだ。

 人間も世界も、神ですら逆らうことはきっと不可能だろう。

 だからこそ知能ある者達は、日々の全てに感謝をすることで、懸命に、後悔と遺恨を残さぬよう生き徹さねばならない。

 

 そして、ミルキには一刻も早く完了型を成さねばならない“理由”もある。

 その焦燥が集中力の持続を妨げていることも自覚しているが、どうにもならない心境なのだ。

 ならば数を熟すしかない。未熟と実感しているミルキは小休憩をして、直ぐに修行を再開しようと【絶】を維持し――。

 

「ミルキよ」

 

 しようとしたところで、シュウジが声を掛けてきた。

 

「師匠」

 

 ミルキは座禅を解いてシュウジの下へ駆け寄る。

 だが近づいて見ると、どうもシュウジの様子がおかしい事に気付く。

 

「あの……どうか……しましたか?」

 

「……うむ」

 

 シュウジの纏う雰囲気は実に弱々しいものだった。

 表情は険しく、声音は何かを言い淀むようで……。

 

 いったい何だ?……と考えたミルキは、一つ思いつく事があった。

 ずっと……極力考えないようにしていたことだ。

 そんなこと一生口にして欲しくないと思っているミルキに……一度瞼を落として思案顔だったシュウジは、そのまま重い口をゆっくりと上げた。

 

「ミルキよ。お前に流派東方不敗の技と心を教え、鍛え、もう直ぐ4年になる」

 

「はい。あの日が、つい昨日の事のように思い出せます」

 

 ミルキがシュウジという師と共に旅を初めて早4年。既に流派東方不敗の技や奥義の伝授は終了し、今は秘境に居を据えて鍛錬に励む毎日である。

 

 瞼を閉じれば天空闘技場で初めて出会った時の事をつい今し方の事のように思い出せると、ミルキはその時の言葉を一字一句間違えず言える自信があった。

 

「うむ。長い様で短かったが、お前は本当に優秀な弟子であった。未完成ではあるが、ワシも到れなんだ流派東方不敗最終奥義【石破天驚拳】の真なる理も身に付け、伸ばすはお前次第。……ワシが教えられる事は最後の1つを残すのみとなった」

 

「っ……?」

 

 まるで思い出に浸るように、そして誇らしげに口角を挙げながら告げるシュウジはどこか儚げにも見えた。

 そんなシュウジが、ミルキにはまるで崖を隔てた向こうから話しているように見える。

 ミルキは嫌な予感で心臓が早鐘を打ち始め、ゴクリと喉の鳴りがやけに耳に残った。

 

「ずっと考えていた。なぜ、ワシがこのような異界に居るのか。なぜ、“魂のまま”彷徨っていたのか」

 

「っ!……気付いて、いたのですね」

 

 シュウジ・クロスは、生者ではない。

 魂が“肉体を具現化させ存在”……この世界の単語で言うなら【念獣】という存在に分類されるのだろうことを。

 

「む? フフ、当然であろう。ワシは死人よ。生き返るなどあり得ん」

 

「……おそらくあり得た俺が居るのですが?」

 

 なぜシュウジ・クロスという人間が、この世界に現れたのか。

 なぜミルキという憑依転生者と巡り合ったのか。運命の悪戯による偶然か、神の悪戯による必然か。

 あり得ない出会いとあってミルキは後者だと思う所であるが、神仏とは会った事が無いため何とも言えない。

 

「……ミルキよ。お前は阿呆ではない。ワシのオーラを見て気付いているだろう? ワシが……もう長く留まれそうにない事に」

 

「っ……!」

 

 シュウジの突然の告白に、ミルキは目を見開く。……だが、いつか当人の口から言われるという覚悟はしていた。別れの時が刻一刻と近づいていると。

 ミルキはシュウジと出会ったあの日から、こんな日が来るのではないかと覚悟していた。

 ここ半年は氣の使用も節制し始め、稽古も週に2、3度と出会った当初の半分以下となっていた。

 これでシュウジの現状が気付かない程、ミルキも呆けていないつもりだった。

 

 だからこそ、その時が来てしまう前にミルキは見せたかった。

 貴方の弟子は、ここまで至る事ができたのだと。

 兄弟子ドモン・カッシュのように、ミルキは流派東方不敗を背負って行くに相応しいと認めて貰いたかったのだ。

 

 おそらく、シュウジ・クロスがこの世界に現れた理由の一つは、大きな未練を抱えて死んだということではないだろうか……とミルキは考えた。

 人が深い未練や憎悪を持ったまま死ぬと、念はおそろしく強く残ることがある。そして行き場を求める【死念】となって執着の対象へと自ずと向かう。

 シュウジの身が念獣としてこの世界で彷徨っていたのは、誰か己の未練を晴らしてくれる存在を探してのことだったのではないだろうか。

 

 そして見つけたのだ。流派東方不敗を継ぐに最高たるミルキという人材を。

 ミルキは前世で流派東方不敗に憧れていた事もあって、シュウジの念獣は“その念”を強く感じ取り、再び東方不敗マスターアジアとして覚醒したのではないか。

 

 そんな経緯は以上として、ミルキはしっかりとシュウジの期待に応えた。

 鍛錬に鍛錬を重ね、天性の……否、流派東方不敗を修めるためだけにあったと思える才を以て、若干13歳にして流派東方不敗の最終奥義までを未完成ながら真の姿に至るまでを修めたのだ。

 

 後はゆっくりしっかり完成させればいいのだが、その姿をシュウジが見る事は出来ない。

 何より、まだ大切な事を教えてもいない。

 その後悔、未練としないよう……シュウジは台詞を紡ぐ。

 

「知っているだろうが、お前の兄弟子・ドモンも実に佳い弟子であった。直情的だが、素直で呑み込みが早かった。その点で言えば、ミルキもだな。……フフフ。ワシは、弟子との巡り合わせに関して、そして正しき拳を育てる事に関しても強運だと己を自負しているぞ」

 

「師匠……」

 

 ドモン・カッシュ。ミルキが出会う事が出来ない同じ師を持つミルキの兄弟。武闘家の頂点、ガンダム・ザ・ガンダムの称号を得たシュウジの前世界における地球一の武闘家。

 

 嘗て、シュウジの視野が狭くなり、闇の道に走ろうとした時、ドモンはシュウジから学んだ流派東方不敗の拳で以てシュウジの目を覚まさせた。

 弟子は師匠に学び、師匠は弟子に教えられる。これが最高にして本当の師弟のカタチではないだろうか。

 その兄貴分と同じと言われることができた。

 ミルキはずっと、その最高の賛辞を聞きたかった。

 ……けど、その言葉を受け取るのは武闘家として大成した後に……でないことが悔しくてならない。

 今受け取らねば後が無い惨酷なサダメに、ミルキは心の中で静かに泣いた。

 

「……ミルキよ。ワシの最後の願い……、お前に言う初めての我が儘だが……聞いてはくれぬか?」

 

「っ」

 

 まさか天下のマスターアジアが「我が儘」を口にするとは思わなかったミルキは一瞬息を呑むが、気を持ち直して直ぐに答える。

 

「は、はいっ! 師匠の願いとあらば、どんなことでも!」

 

 ミルキは師として、また勝手ながらシュウジを父と思っている。

 その多大な恩義を返せるならば己の命すら惜しくないとの想いで頷いた。

 

「よくぞ申してくれた。……ならば」

 

 だが、シュウジの口から飛び出したのは意外な……しかし予想内の一言であった。

 

「ワシと、決闘してくれぬか」

 

「……へ? え、ええっ!? けっ、決闘ですかっ!?」

 

「うむ。決闘だ」

 

 武闘家として、東方不敗マスターアジアとして尤もらしい最後の願望。

 それを弟子たる自分が相手できるというのは一種の誉れ。

 ……しかし、だ。

 

「しっ、しかし師匠! 俺はまだ未熟で……!?」

 

 ミルキは思う。自分でいいのだろうか?

 もちろんシュウジが望むのであれば決死の覚悟、背水の陣で当たって砕けよう。

 それが大恩の師父にできる、最初で最後の恩返しであると思うから。

 

 だが、それでも足りないのではないか?……と、どうしても思ってしまう。

 シュウジと自分とでは年齢に比例して実力差もあり過ぎる。

 満足にたる相手とはとても言い難い事は明白だ。

 

「……確かに、お前の懸念も道理。……本来ならば、だがな」

 

 シュウジもミルキとこんなに早く決闘することは、本来断固として拒否するところ。

 だが、その時はもう待ってくれそうにないのだ。

 

「しかし、見た目では分からぬが、ワシはもう中身の無い抜殻同然。もうお前との稽古に抗う力すら残っていない」

 

「そ、そんな……!!」

 

 とてもそうは見えない。それは、ひとえにシュウジ・クロスという人間の大きさなのだろうとミルキは思う。

 だが己の力不足を断言したシュウジの言葉は、ミルキは別な意味で看破できるものではない。

 シュウジ・クロスはミルキの目標だ。まるで弱腰になって、己を下卑するような事を言って欲しくはなかった。

 

 そんな思いを汲み取ってか、シュウジは小さく笑い声を上げる。

 

「ワシはもう真面に戦闘できん。故にミルキよ、ワシの最後の望み……それは、ワシの石破天驚拳をお前の石破天驚拳で見事打ち破ってみせることだ」

 

「……っ」

 

 瞬間的にミルキはシュウジが求める答えを理解した。

 

 嘗ての師弟……その最後の場景がミルキの脳裏をよぎる。

 憎しみ合う結果となってしまった師弟、その最後は石破天驚拳を打ち合った。

 シュウジはその再現をしようと言うのだ。

 それこそがシュウジ・クロスが、武闘家として……また、1人の人間としての最大の【残念】だから。

 

「もちろん、ワシはワシの生命エネルギーの全てを使い切る覚悟で放つ。残り滓とは言え、未熟なお前に劣るとは思えんが?」

 

 だが、これは決して前世の杭を抜きたいという意味でない事も確かだった。

 最高の舞台で最高の相手と最高の決着を。武闘家としての締め括りに、師匠として弟子に残せる最後の教授のため。

 ひとえに、ミルキのため……。

 

「……そこまで言われては、俺も師匠に鍛えて貰った拳に賭けて、受けて立つと言う他ありません!」

 

 ああ……貴方はいつだって、変わらない。

 だからこそ憧れ、敬い、追い掛けた。

 

「俺も全力で行かせてもらいます! そして、必ずや東方不敗マスターアジアの戦歴に土を付けてみせましょうぞ!」

 

 ならば、弟子として……1人の武闘家として立てることを証明しよう。

 そして受け取った賛辞を、本物にするために全力を尽くそう。

 

「ははは! 吠えたな未熟なバカ弟子が! だが、それで佳い! その心意気や好し! 楽しみにしているぞ、ミルキ!」

 

「はい!」

 

 いつだって純真だ。

 真っ直ぐ、決して己をブレさせない。

 まるで子供のように、その声は実に楽しそうに野を駆ける。

 

「……師匠、ならば俺からも。もし勝利したならば、叶えてもらいたい願いが一つあります」

 

 最後を臭わせぬよう努めたつもりだったが、どうしても残した未練がミルキにもある。

 言わねば後悔すると、ミルキは是非も無く進言した。

 

「ん? 何だもう勝った気でいるのか?」

 

「い、いぃ!? いえいえいえいえ!! そんな……!?」

 

 だが師匠であり年の功もあり、そんなミルキの心境などシュウジには手に取るように分かっていた。

 しかしミルキは若干天然ボケの気があるため、そこを引き出すのもシュウジには訳ないことだった。

 

「はははっ!……で、何だ? 言うてみい、ミルキよ」

 

「は、はい。あの……よろしければ……ですが」

 

 ゴクリと一度喉を動かし、勢いよく念願を吐露する。

 

「師匠の名を頂戴したいのです!」

 

「む?……ワシの名とは、どっちの名だ?」

 

「シュウジ・クロスの名を。……東方不敗の名は俺に大き過ぎますよ」

 

 ミルキは己の名は、未だにゾルディックとの繋がりがあるようで、ずっと嫌だった。

 まるで全身に汚物がくっ付いているようで、その名をシュウジに言わせていることも合わせて、ずっと捨てたかったのだ。

 そして、本当の意味でこの世界に生を受ける覚悟と決意を示すために、どうにか襲名させてもらえないかとミルキはシュウジに願い出る。

 

「ワシの名、か。……フフ、まぁよい。ならば褒美として用意しておこう」

 

「っ! い、いいんですか!?」

 

「うむ」

 

 噛みついてでも聞き入れてもらう姿勢だったミルキにしてみれば、そんな必要が無くなった事を喜べばいいのか、少し呆気なさ過ぎてガッカリすればいいのか……心情的には微妙な気分。しかし、それでも勝利への意欲が湧き上がるというもの。

 

「ありがとうございます! これは……是が非でも負けられません!」

 

「ふっ、はははっ! 本当に愉快な弟子よ! それだけで気合いがいつもの3割増しとなるか!」

 

 オーラの量が目に見えて増える事を見取ったシュウジは、自分は本当に弟子に恵まれているのだと、襲名したいとの申し出も合わせ、実感する。

 

「では明日の正午。いつもの修行区にて待つ。……待っておるぞ、ミルキ」

 

 シュウジが放った二度目の“待つ”は、とても重くミルキに圧し掛かる。

 それこそ、気付けば物言わぬ石となってでも何年でも待っていると言われたようだった。

 

「……はい。必ず行きます、師匠」

 

 シュウジは満足げに頷くと、ミルキに背を向け歩き出す。

 どうやら先に行っているつもりのようだ。

 ミルキはその背が見えなくなるまで、その場でジッと動かずいつまでも見続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……勝っても負けても、明日が最後……)

 

 体調を万全にしなければならないため、早々に睡眠を取るのが常套だ。

 しかしミルキは決闘への高揚以上に、決別予告が今になって効いて来たため、眠ったら二度とシュウジに会えないと言う恐怖に負けてしまいそうで、睡眠どころではなかった。

 

 ミルキは仕方なく座禅を組むことで調子だけは乱さぬよう整えることにした。

 今のミルキは1日睡眠を取らなかった程度で戦闘に差し支える事はないが、やはり問題はメンタル面。

 全力で戦わねばならない。だが、最悪の結果を考えてしまい、どうしても心を乱してしまう。

 

 ――師匠を殺してしまったら……?

 

 武闘家は決死で敵に臨む。殺し、殺される覚悟を己に課して。

 だが、ミルキは殺される覚悟はあっても殺す覚悟は無い。

 それが致命的な隙になることを自覚していても、ミルキは受け入れることができないでいた。

 

(師匠と出会い、4年……物語の中でしか知らなかった貴方は、しかし実際に会っても本当に素晴らしい人でした)

 

 ミルキは今までの修行の旅路を思い返す。

 初めて出会った頃から、この地に腰を据えて修行に励むようになるまでを……。

 

(思えば、最近になってようやく一打を中てられるようになった。……それも、師匠が弱ってしまった所為という事、か。……情けない)

 

 流派東方不敗の技をシュウジが及第点を出すまでの練度になったのはつい最近の事。

 加えて、ミルキがようやくシュウジに一打を決められるようになったのも最近の事で、それまではまるで柳を相手にしているように完全に遊ばれる状況だった。

 

 シュウジの動きが見えるようになったのは、自分が強くなったのではなくシュウジが衰弱したため。そうでなければ勝てないという己の弱さにミルキは嘆き、深く溜息を落とす。

 だがミルキの前世はただのサラリーマンだ。ゾルディックという暗殺者家系の血肉でなくば、流派東方不敗の指南を受けられる事も無かったと思うと、その意味でも何だか遣る瀬無くなる。

 

(……だが。本当に佳い旅路だった。前世合わせたこの40年の苦汁の日々が消し飛ぶ程に……)

 

 この4年間、シュウジ・クロスとの旅は本当に愉しかった。ミルキはそう満足げに頬を緩ませる。

 シュウジが武闘家として歩んだ軌跡、掲げる思想、物事に対する考え方。その全てが崇高に想えてならなかった。

 

(……冥途の土産を貰っておくべきだった、かな)

 

 負ける。自分の脳内で何百何千回シュウジと相対した姿を思い浮かべても、ミルキはその1つしか思いつかなかった。

 ならば今夜という間を開けることをせず、いつも通りにシュウジの話を聞いておくべきだったとミルキは少しばかり後悔する。自分はほとほと、東方不敗マスターアジアに心酔しているのだな、と苦笑を浮かべながら。

 

 だが何も恥じる事では無い。臆病な自分だが、それだけは公言できると自負している。

 なぜなら、実際にその教えを受けたのだ。

 ミルキはゾルディックという過去を洗い流し、心身全てが流派東方不敗で再構築されていると言っても過言では無いだろう。

 

 だから……ならば、こんな弱気で行けないとミルキは直ぐ、かぶりを振る。

 

(っ……否! 勝つんだ! 勝たんでどうする! 流派東方不敗の弟子が、戦う前から敗北を思うなど言語道断じゃないか! だから俺はアホだと師匠に言われるんだっ!)

 

 最早、臆病者の元サラリーマンの男も、キルアに「ブタくん」と言われたミルキ=ゾルディックという面影は微塵も残されていなかった。

 

(絶対に果たさねばならない! 何より今日まで俺を育ててもらった師匠への恩を返すためにもっ!)

 

 負けられない。

 勝利を是が非でも掴まんとする燃え上がる闘志は、そのままミルキのオーラとなって膨れ上がる。

 

(全てを出し切るんだ! 今日まで師匠に学んだ全てをっ!)

 

 例え死んだって勝ってみせる。

 それから只管精神集中をしている内に、日は昇り……そして正午となった。

 

「……逝くぞ、俺」

 

 いざ。決死を抱き、闘いの場へ。

 

 



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#11.師匠×奥義×継承

 ミルキが決闘を初めて経験したのは、天空闘技場。まだ年齢が一桁の頃だ。

 苦労した。体格も然ることながら、速度、体力、膂力と全てに劣っていたミルキが技巧系スタイルを主軸にしようとしたキッカケだ。

 

 だが、それは規制と審判という安全があった。

 激痛や負傷はあっても、生死を賭す危険性は低い。

 無論、誰もが負けに来るわけではないが、死に直面した時に誰もが見せる恐怖と焦燥はまず見る事はない。

 

 ミルキは暗殺者という家系上、そういう顔とは幾度か対面したことがある。

 シルバとゼノ、時々イルミの暗殺職に強制随行された時だ。

 暗殺業も弱肉強食の色が濃いこの世界では立派な(?)職種。ならば郷に入っては郷に従えと、ミルキもシルバが目の前で無抵抗な人間の心臓を抉り取った様を見ても、その行動を否定することは無かった。自分はどんなDV受けようが断固拒否したが。

 

 そしてミルキがシュウジと旅をする合間、今度は規制も審判も無い決闘をすることが幾度かあった。

 武道場の門を2~3度叩き壊したことはイイ思い出。

 念能力者とも何度か戦ったことはイイ経験となった。

 

 ミルキが一番印象に残っている念能力者は、水上戦を経験した時だ。

 文字通り、何もない見渡す限り“水”の湖上での戦闘。

 相手は具現化系能力者。具現化した物は“靴”。対象の重量に関係無く、水分に対する浮力(反発力)を発生させるというものだ。

 つまり、湖上に落ちる事は無く、場合によっては大気中の水分をも足場とでき、更には雲にすら乗る事が可能……という念能力だった。

 

 もちろんミルキは、そんなことしなくとも水の上に浮いて相手を一撃で打倒した。

 水分の反発力なら、ミルキが殴り付けた攻撃も大気中の水分を部分的に反発させることで押し返されるかも?……と思ったが、どうやら認識できなければ意味が無いらしく、ミルキの攻撃があまりに早いため、かなり呆気ない勝利だった。

 

 そんな数々の決闘が「赤子の手を捻るような下らない遊戯だった」と断言できると、今……ミルキは改めて実感している。

 

「……」

 

 ごくり……と喉を鳴らし、ミルキはゆっくりと、シュウジに指定された修行区に向かって歩いていた。

 ……だが、一歩、また一歩と近づくにつれて、ミルキの体は汗腺が壊れたように汗が噴き出して已まない。

 

「ぅく、っ……なんて闘氣だ……」

 

 シュウジが指定した修行区は、20kmは歩く場所にあった天然のリング。

 ミルキやシュウジが走れば15分足らずで行けるが、本来徒歩なら4時間半かかる距離だ。

 だが20km先からでもハッキリと肌で感じる凄まじい闘氣は、高熱の刃に肌を切り叩かれる感覚に似ている。

 ゾルディック家での折檻で受けた傷痕は今でこそ無いが、しかしあの頃の自分で耐えられたものと比べ物にならない。

 ミルキは熱気となって襲い来る闘気にぶわっと汗が吹き止まず、一歩進むごとに体力をガリガリと削られるようだと眉間に深く皺を寄せる。

 

「ハァハァ……おいおい、もう夕暮れ……って」

 

 修行区のリングが見えた時、地平線に太陽のお腹がくっ付いて見えた。

 ミルキが出立したのは早朝。例え一歩をゆっくりと踏み出そうと正午には間違いなく到着するように来たはずが、どうやら予想以上に精神的に気圧されていたらしく既に夕暮れになっていたのだとミルキはようやく理解した。

 

「……来たか」

 

 リングの中央、背を向け座禅をするシュウジ・クロスの姿があった。

 立ち上がり振り返ったその姿に、ミルキは知らず知らず喉を鳴らす。

 

「師匠……」

 

 シュウジ・クロス、決死の姿が其処にあった。

 残り滓? とんでもない。まるで天地開闢の瞬間を目の当たりにしているような圧倒的威圧感を出す漢を誰が残り滓などと嘲る事ができようか。

 

(いや、分かっていた! 分かっていた事だろ、俺ッ!)

 

 無論、侮るなどミルキは微塵も考えていなかった。

 自分は最近まで、シュウジに一打も当てられなかった。それが何よりの証拠。慢心など初めから無い。

 

 それに……と。ミルキは震える体を停められずにいた。

 怖気づいた……も、ある。だがそれ以上に、歓喜としての武者震いであった。

 

(俺は……俺はこんなにも、この人に信頼されているのか……!)

 

 シュウジはミルキと戦うために全身全霊を以て相対している。

 放たれるオーラには、何の疑念も感じない。それはミルキを1人の武闘家として認めてくれている何よりの証だ。

 

「……ミルキ。まず、己の“喰命鉱の枷”を外さんか」

 

「え? あ……!」

 

 呆れたようなシュウジの声に一瞬ミルキは何を言われているのか気付けなかったが、ようやく思い至ったようだ。

 ミルキはこの地に留まって修行するようになってから、常に“枷”を頭部含んだ全身隈無く着込んでいる。

 現在ミルキとシュウジが修行の地としている“島”の一区画で見つけた『喰命鉱』と名付けた特殊鉱石。

 だから遅かったのか! と、恥ずかしくなって顔が真っ赤になるのを止められないミルキは嫌な汗も一緒に掻きながら、いそいそと“枷”となっている服や靴を脱ぎ、ヘアバンドを外す。

 

「フフフ……」

 

 そんなミルキを、シュウジは微笑ましく見守る。きっと、一心に自分との闘いを思って来たに違いない……と。

 確かにミルキは武闘家として未完成。……だがそれが果たしてイコール「未熟」であると言えるだろうか?

 何より、この世界でミルキ以上にこの場に相応しい相手が居るだろうか? 否、居ない。居るハズがない。音に聞こえた現在最強の武人ですら、この場の空気には不釣り合い。同じ山から湧き出でる水同士こそ、違和感なく喉を通る事を許されるように、この場には流派東方不敗2代目の弟子であるミルキこそが相応しい。

 

 その相手の用意が、どうやら終わったらしい。

 

「……さて、ミルキよ。……覚悟は、よいか?」

 

「っ! はい! 師匠!!」

 

 負けられない! 勝つのだ!

 ミルキは“枷”で抑えつけられていた全てを解放する。

 それが東方不敗マスターアジアに対して、自分が出来る精一杯の恩返しなのだと信じてミルキは……構える!

 

「俺は……俺は、勝つ!! 絶対に勝つぞっ、東方不敗マスターアジアッ!!」

 

 ミルキの闘志が起爆剤となってオーラに注がれる。

 膨れ上がるオーラは、決してシュウジに見劣る物では無い。

 

「ふっ、ふはは……ふはははははっ! 良くぞ吼えたな、バカ弟子がァッ!!」

 

 シュウジも、ミルキに同調するように更に氣を溢れさせる。

 

「行きます! 師匠ォッ!」

 

「おおっ!」

 

 シュウジとミルキ。互いに互いの“氣”が触れ合う境界線で火花が散る。

 

「ハァァァ……流派ァッ!」

 

「東方不敗がァァ……!」

 

「最終ぅぅ……!」

 

「奥義ぃぃ……ッ!!」

 

 氣を体内で練り上げる。極限まで溜め、練り上げた“氣”が……弾けた。

 

「石ッ!」

 

「破ァッ!」

 

「「天驚ォォォけぇぇぇぇぇんっっ!!!!」」

 

 両者から撃ち出された拳から、対内で練成した“氣”が打ち放たれる。

 究極に圧縮され、巨大な拳となって放たれた濃密な“氣”は大地を抉るように直進し、ぶつかった。

 

「ぅぐ……っ!!!」

 

 拮抗した2つの最終奥義、石破天驚拳。

 だが、ミルキは拮抗したところで全身の汗がドッと噴き出した。

 

「ぐ、あ、ああっ!!?? あああああっ!!!!」

 

 維持力もそうだが、拮抗するの相手との力比べ。

 パワーやタフネス共にミルキが優っている。だが、技量ではシュウジに大きく劣ってしまう。

 そんなシュウジの石破天驚拳は、ミルキにとってまさに山を持ち上げるに等しい重量を全身にぶつけられるようなものだ。

 外氣を扱うには極度の集中力が必要。だが、そんな状態では集中力が持続できるはずがない。

 

「どうしたミルキ! お前の力はその程度かっ!」

 

 対するシュウジ、東方不敗マスターアジアは明らかに余裕と見える表情を取る。

 声を発する程の余裕。それは精神的なプレッシャーとなってミルキを二重に襲う。

 

「ぐっ! だあぁアアアアアアアッ!!!」

 

 それでもミルキは必死に“氣”を放つ。

 魂を削り減らしてでも勝ちたいと、必死に拮抗を耐えていた。……だが。

 

「ぐ、ぐうぅああああああっ!!」

 

 全身は悲鳴を上げ、体が力に押し負け始めている。

 

「どうしたミルキッ! なんだそのへっぴり腰はっ!」

 

 シュウジの叱咤が飛ぶ。それは間違いなく、ミルキを思い遣る師匠の愛。

 だが、今のミルキには……その声も届く事はない。

 

「足を踏ん張り、腰を入れんかっ! その程度では、残り滓のワシ一人倒せんぞ! このバカ弟子がぁぁっ!!」

 

 それでも、頑張れ、負けるなと、シュウジは声を張り上げる。

 

「ああああああァァァァッ!!!!」

 

 耐える。耐える。耐える。

 まるで頭が燃え尽きてしまうような熱に包まれ、焼かれる。

 嗅覚、味覚、聴覚は既に感じず、視覚と触覚に全神経を注ぐ。

 それでも視界は翳み、真面に視認することも出来ない。

 

「どうしたミルキ!! お前はそれでも、ワシの弟子かァァァ!!」

 

「っ!!!(師匠、ッ……師匠ォォォォッッッ!!!)」

 

 だが……その声は、ハッキリとミルキの“魂”に届いた。

 

 するとどうだ。

 

(……っ? な、なんだ……?)

 

 ミルキは不思議な感覚に襲われる。

 フッ……と、まるでシガラミから解き放たれたように、全身が軽くなったのだ。

 

(なん、なんだ……? なん、だ……ここは……いったい……?)

 

 何も見えない。

 

(……!)

 

 何も聞こえない。

 

――……!……!…………!!…………!!――

 

 何も感じない。

 

(……ッ!……ッ!!)

 

 全くの虚空。全くの無垢。全くの混沌の中で……

 

(――――……!!!)

 

 …………見える。

 

(し、しょ……ッ!)

 

 …………聞こえる。

 

――どうした! ワシを越えて見せぃ! ワシの残念を吹き飛ばせ!! 吹き飛ばしてみせぃ、バカ弟子がァ!!――

 

 …………感じる。

 

(師、匠ォ……ッ! 師匠ォォォッ!!)

 

 

 

 ミルキは…………トんだ。

 

 

 

「だぁああああああああああっ!!!!」

 

「っ、なにっ!?」

 

 それはシュウジにも予想外の出来事であった。突如拮抗が破られ、一瞬押し負けた。

 ミルキは拮抗を維持している状況でシュウジの呼吸を、息を継ぐ一瞬を読んだのだ。

 本当に微々たる程度だが、シュウジの石破天驚拳は確かに衰えた。ミルキは、そこを見逃さなかった。

 

 だが、それだけでなはい。

 

(これは、越えたか!……この力が、この“声”がミルキの……魂ッ!!)

 

 越えたのだ。

 小手先の技術だけ至る極地に、ではない。

 魂を燃やす、その極限……の更に向こうへと、ミルキはついに越えたのだ!

 

 その一撃はあらゆる余念、邪念を排他した一途な答え。

 齢13にして、ミルキは極みを越えた者の景色を、明鏡止水の極地から睥睨する景色を確かに見て聞いて感じていた。

 

「だぁああああああああああっ!!!!」

 

 そして、答える。

 

「ミルキィィィィィィッ―――――!!!!」

 

 東方不敗マスターアジアに、全身全霊の感謝を以て。

 

「しぃぃしょぉおおおおおおおっ―――――!!!!」

 

 決着。シュウジはミルキの石破天驚拳の直撃を受け、吹き飛ばされた。

 どちらが勝った……なんて、誰の目にも明らかだった。

 

「っハァハァハァハァ!!!!」

 

 全力の一撃を吐き出したミルキは、崩れ落ちると同時に呼吸を繰り返して生還を享受し、それ以外を頭から吹き飛ばしてしまいそうになるが、何とか意識は繋ぎ止める。

 

「っハァハァ……し、師匠……」

 

 脳が酸欠になっているらしく、視界がうまく働いてくれないようだが、何とか見える範囲で、四つん這いのままシュウジの下へと歩み寄るミルキ。

 

「ぐっ……し、しょ……ししょぉ、っ……!」

 

 だが体力の限界を既に越えたミルキは、何度も前倒しになりながら、とうとう尺取虫のように這いずりながら、シュウジの下へと歩み寄る。

 しかしシュウジは、ミルキの石破天驚拳によって、かなり遠くまで吹き飛ばされてしまったらしく、いつまで経っても辿り着けない。

 

 はやく、はやく……そんな焦燥に背中を押されながらミルキは地面を這い、そして。

 

「あ、あぁ……師匠ぉ……」

 

 ミルキは辿り着いた。

 

「フ、フフ……何だ、その情けない姿は。それが、ワシに勝った男の姿か、ミルキよ?」

 

 シュウジは無事、五体満足だった。……少なくとも外見は。

 だが、五感に頼らずともハッキリと理解してしまうのだ。

 

「師匠……」

 

 目の前のシュウジ・クロスは、本当に抜殻となりつつあるのだと。

 

「……見事だったぞ、ミルキ」

 

 シュウジの声は、儚げで……目の前に居るのに、どこか遠くに感じる。

 

「そして……感謝する。今度は、何の遺恨も無く……一人の武闘家として弟子に送り出してもらえた。負けて悔いなし、ぞ」

 

「そん、な……! 俺は……俺はまだ、師匠に勝てたとは思っていません! 師匠が本当に万全であれば、俺なんて……」

 

「ミルキ。武闘家たる者、一時たりとも拳から気を抜くものではない。教えたな?……ワシの拳は、そんな未熟者の拳だったのか?」

 

「そ、それは……!」

 

 ミルキは、途中“一線”を越えてから、シュウジの拳に籠った確かな想いを感じた。

 本物であった。残滓と己を下卑したが、確かに衰えていたが、その拳は間違いなく……。

 

「ならば、己を下卑するでないわ。ミルキ、臆病を悪とは言わんが、卑屈は直せ。お前の悪い癖だ。……お前はその若さで、間違いなくワシを越えたのだ。もっと胸を張れ。ワシの弟子として、流派東方不敗を継ぐ者としてな」

 

「っ…………はい。師匠」

 

 ミルキは泣いていた。

 師との決別が近い。……最後に、1人の武闘家として認められた。

 嬉しいのか悲しいのか分からずに、ミルキはただ涙を流す。

 

「それと、ミルキ……否、約束だったな。お前は今日からワシの名を……シュウジ=クロスを襲名するのだ。気合いを入れよ」

 

「っ~~~~~……は、はいっ!」

 

 また涙腺が痛いぐらいの熱を持つが、何とか耐えてミルキ……否、シュウジ=クロスは大きく頷く。

 

「……だが、間違えてはならんぞ。お前は過去を捨てるために、ワシの名を継ぐのではない。過去を捨てることは絶対にできんのだ。……お前は、ミルキであることも……忘れてはならん……判るな?」

 

「……はい」

 

 過去に……ゾルディックに恐怖、逃亡し、忌避するためだけの襲名と勘違いでは襲名の意味が無い。

 過去に再起するための力として、更に上を目指すための糧として、ミルキはシュウジ=クロスを襲名する。

 ハッキリとその意を汲み取って名を受け取った事を見取ったシュウジは、今度こそ柔らかく微笑んだ。

 

「……よろしい。……では、ミルキよ。……お前に、もう一つ……託す物がある」

 

「え……もう一つ?」

 

 これ以上、何を……? 震える声で問うミルキにシュウジはコクリと頷き返す。

 

「うむ。……ミルキ。右手を、出してくれ」

 

 プルプル震えながら、老いた手が天へと延びる。

 ミルキは、その手をしっかり右手で受け止めた……次の瞬間。

 

「ゆくぞ? 受け取るがいい……ハァァァァッ!」

 

「うっ! この光は……!?」

 

 突如、握られた右手が眩いばかりの黄金の輝きを放った。

 なんと温かい光なのだろうか。ミルキはその光が徐々に握られた右手に集約していく事で、視界を取り戻す。

 

「っな……?」

 

 そして己の右手を見て……実際には右手甲を見てミルキは言葉を失った。

 

「こ、これは……まさか?」

 

 見覚えのあるエンブレムが刻まれていた。

 

「フフフ……驚いたか?」

 

 ハートマークを背景に、二対の剣が交差し、その交差点にトランプの王の顔、その上に【13】の数字。その下には【King of heart 4711】の文字。

 

 まさにそれは……。

 

「キング、オブ・ハート……?」

 

 代々継承され、5人からなる最強の武闘集団。シャッフル同盟の称号の1つ【キング・オブ・ハート】の紋章が、刻まれていたのだ。

 

「し、師匠……これは?」

 

 東方不敗マスターアジアとして活動していた男がキング・オブ・ハートの次代(十三代目)に選んだのはドモン・カッシュだ。

 だが、継承しても尚、彼がキング・オブ・ハートを手にしていることを知っている。

 ならば継承権はあるのかも……と、思ったミルキだが、しかしその想像を遥かに超えた一言がシュウジより告がれる。

 

「それは……ワシの、念能力よ」

 

「え……え、ええっ!? け、けど……師匠の念は……」

 

「……フフ。この念能力は、つい先刻……考えた」

 

「せ、先刻……?」

 

「うむ。名はお前の言う通り、キング・オブ・ハート。大量外氣活用口の役を担い、全系統の念能力を十二分に活用可能とする、まさに全能……移植型、特質系念能力ぞ」

 

「……」

 

 空いた口が塞がらないミルキに、シュウジは更に続ける。

 

「定めた制約は、弟子に全力でぶつかり、敗北した時は……己の念と命の全てと共に、受け継がせる……と、いうものだ」

 

「っ……!?」

 

 ミルキはまた目を大きく見開いた。

 シュウジは、はじめからその心算で念能力を造ったと言っているようなものだったのだから。

 

「で、では、はじめから……」

 

「うむ。ワシは、そのつもりであった。元々、消え逝く命だったから、な。……だが、お前の実力が僅かでも足りなければ……判るな? お前は、それに選ばれたのだ。決して、勘違いをするな」

 

「っ……はい」

 

 託される物の余りの大きさが、刻まれたキング・オブ・ハートから伝わってくる。

 それはシュウジ・クロスという人生……魂そのものの重みなのだと。

 まず、この紋章の重みに負けぬ事が最重要課題なのだとミルキは理解した。

 

(……うむ。……佳き漢の貌ぞ)

 

 ミルキの強かな表情を見て、シュウジは全てを悟ったように小さく笑みを浮かべる。

 

「……実に、実に満ち足りておる。……これで、もう思い残すことは無い。ミルキ……よ。……お前が、流派東方不敗を如何様に育て、活かすのか……空の上から見守らせてもらうとしよう」

 

「あ、……師匠……」

 

 シュウジの決別の言葉……ミルキは、もう涙で師の顔をまともに見れなくなっていた。

 見なければいけない。これで見納めになる。瞬き一つも惜しまれるというのに、目はそれを許してはくれない。

 

「っ……」

 

 その時、シュウジとミルキはチカッと目が焼かれるような光を受ける。

 見れば地平線の向こうから昇る朝日。

 それにより、世界が徐々に色づいてゆく。

 

「……美しいな。……何度見ても」

 

「……はい。とても……とても美しゅうございますっ」

 

 ミルキは【キング・オブ・ハート】を継承したことによって、きっとシュウジが見ているのだろう“光”の意味を正しく理解する。

 世界は、本当に美しいのだと。

 

「……どうやら、もう本当に最後らしい」

 

「っ……な……ならば、師匠ッ!」

 

 これも流派東方不敗、暗黙の了解。幾度となく、繰り返した勇気と感謝の誓詞。

 シュウジの手を握りながらミルキは最後の全力を尽くさんと喉に力を籠める。

 

「うむ……!」

 

 これは門出。

 2人のシュウジが、それぞれの新たな出発を飾るのだ。

 

 そんな2人の門出を祝うように上る朝日、暁の空へと2人の声が高らかに木霊する。

 

「流派、東方不敗は……っ!」

 

 抜殻となっても尚、シュウジの手は大きく、そして温かい。

 

「王者の、風よっ!」

 

 重ねているだけで、安らぎを覚える。

 それは、確かに感じる愛情の証。

 

「全新……!」

 

 しかし……この温もりが、本当の最後。

 

「系列ッ!」

 

 本当の、決別。

 

「「天破侠乱!!」」

 

 ならば、喉を潰してでも、全力で叫び続けよう。

 

「「見よっ! 東方は、赤く燃えているっ!!」」

 

 数多の後悔は、今は忘れて……ただ感謝し続けたい。

 

「……さらばだ、―――息子よ」

 

「っ……! し―――!?」

 

 最後、こぼれ落ちるように消えた言葉に括目したミルキは、慌てて視線を落とす…………だが。

 

「し……ししょう……?」

 

 まるで、はじめから何も無かったかのように……流派東方不敗開祖シュウジ・クロスは、ミルキの腕の中から……消え去っていた。

 

「っっ……ししょう、っ……師匠っ!」

 

 だがハッキリと残る温もりと、託された数々の思い出がミルキを現実に繋ぎ止める。

 更に途方も無い悲痛がミルキを圧し潰そうとする……が。

 

「っオオ……ッ、オオオオオオ…………ッ、オオオオオオオオオオッッッッ!!!!!」

 

 ミルキは目元をゴシゴシと擦って真っ直ぐ、空を見上げ……吼えた。

 決して涙をこぼさぬように。

 今もきっと、天へと昇っているだろう師匠に届くように……。

 

 シュウジは、立ち上がった。

 

「し、師匠……! お、おれっ……泣きませんから、っ! い……いつまでも、バカ弟子じゃないですから……ねっ……?」

 

 誰も居なくなっても、きっと……天(そこ)に居ると、シュウジは笑顔を絶やさぬよう、ぐしゃぐしゃになった顔で、「届け」と強かに空を見上げ続ける。

 

「だっだから……、だから見ていてください! 師匠ッ!!」

 

 右拳を高く掲げ、ミルキは……“まだミルキとして”ここに宣誓する。すると、まるでその思いを天へと届けんとするかのように、右手の紋章が輝きを放つ。

 まるで、旅立った彼が……微笑んだかのような優しい輝きが、暁にも負けぬ光となって大地を照らし続けていた。

 

 




 原作前【修行編】の終幕です。
 次話から原作へと向かっていきます。


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試験編
#12.ギアナ×ノ×登録者


 新章【試験編】へ突入です。



 時刻は曙。陽光が世界を照らし始めた頃。

 しかし正午になっても暗色を基調とせざるを得ない鬱蒼とした森の中で、彼は静かに正座のまま合掌していた。

 

 そこは唯一生い茂る巨木の天井が無く、世界への順応を許された開けた場所。

 酔う程に濃く朝露薫らせる蒼と、不純物の無い清浄の大気が、零れ入る強かな陽光で描く何でも無い静止した場景を極上と呼べるまでに昇華させている。

 

「―――ふぅ」

 

 だが流麗な場景に対し、座して場景と一体化していたミルキの内面はまるで別物。

 延々と大河の奔流の中に腰掛けているような万感の思いに浸って押し流されぬよう直向きに堪えているのだ。

 

 なぜなら、現在ミルキが向かい合っているのは、彼の一部となって久しい流派東方不敗の合言葉が彫刻された大岩。

 ミルキ達がこの地に根を張った折に掘り込んだものだが……今は亡き男の墓と転じている。

 

 言わずもがな、先日旅立ったミルキの師匠シュウジ・クロスの墓。

 ミルキは、未だにシュウジの死を引き摺っていた。

 修行中は常に厳格な羅刹。しかし食事時等僅かな休憩の刻は温情溢れる釈尊の如く。

 

 ミルキにとって、シュウジとは師であり父であると同時に、己の荒んだ地獄道に現れた生き仏のようでもあったのだ。

 その温もりが、一瞬で天へと還って逝った。ミルキの心情、如何ばかりのものだったか……。

 

 しかし何時までも止まっていられない。

 芝生の上に正座しながらの合掌を捧げて既に1時間弱。

 未だ哀悼の傷は言えていないミルキだが、それでも幾分の決着を経て、合掌を捧げることで残りの悲愴感を納得させている。

 

 だが、気持ちの整理ができたからだろうか。

 改めて“墓”とした大岩を見上げたミルキは、小さく苦笑を漏らした。

 

「この“島”こそ我が墓碑! こんなちんまい腰掛け岩を墓などと銘するでない!……って、貴方は言うでしょうね」

 

 それはシュウジの代弁であると同時に、ミルキ自身の本意でもあった。

 ミルキとしても、シュウジの墓とするには分不相応と思っている。

 前世界での完敗と悲愴の経験を受け止めこの世界へと渡って来たシュウジの器を一目見た者ならば、誰もが口を揃えて賛同してくれるに違いない。

 

「けど、この岩だって間違いなく“島”の一部ですから、勘弁してください」

 

 しかし反面、この大岩こそ相応と思うミルキも居る。

 元々この地に根を下ろす意味で流派東方不敗の合言葉を刻んでいたその大岩は、シュウジがミルキの稽古を見守る特等席だった。

 ミルキからしてみれば、合言葉の彫刻も相俟って師匠が見守ってくれているような温かくも静粛な心地にさせてくれる。

 それに大地全てが墓碑だと、親離れできない自分が見え隠れするようで嫌だというミルキの私情もある。

 

「……師匠、今日は今後の報告に参上しました」

 

 因みに、ミルキがシュウジの墓参りに来たのは、決別から1週間経った今日が初めて。

 それまで弔意に苛まれつつも悲愴感と闘いながらミルキが何をしていたのかと言えば、やはり修行。

 哀悼する心を明日への気力に変えるには、やはりシュウジの遺産である武闘に縋るしか無かったのだ。

 

 そして、ミルキはシュウジから託された【キング・オブ・ハート】の確認もしていた。

 その過程で、色々な難点も発覚。どうやら【キング・オブ・ハート】はかなりピーキーな念能力のようだと判った。

 

 シュウジは【キング・オブ・ハート】を「全能」と言った。

 その理由は、ミルキの系統以外の系統を十全に使いこなせるからだと。

 だが……困った事が一つ。

 確認のしようが無いのだ。ミルキは、系統を十全に扱えているか否かの区別が分からないのだから。

 

 ただ、殆どがそれなりの練度であるとはミルキも思っている。

 ミルキが念の系統別修行を行った際は、流派東方不敗の技と摺り合わせることで精度を確認していた。

 例えば、ただの布を強靱で伸縮自在にできるマスタークロスは、操作系と強化系の2系統で繊細な遠隔コントロールを可能にできた。

 他にも、奥義の酔舞・再現江湖デッドリーウェイブは強化系と変化系、石破天驚拳は放出系と変化系を合わせて使用することで技術面をカバーしていたからだ。

 

 だからこそ、ミルキは自分の系統がどの程度の練度なのかが分からない。

 しかし当然かもしれないが、操作系はかなりの練度だろうと推察している。

 マスタークロスにしてもそうだが、他にも操作系の特訓として掌サイズの丸い石に【周】を行って石の結合配列を操作することで他の形状に変化させる事ができる。

 

 一度特訓も兼ねてシュウジの石像を造ってみようと思ったことがあるが、当人に「アホかァ!」と激怒されて粉砕される未来予想が容易に見えてしまい、断念した過去がある。

 

 

 閑話休題。

 

 

 だが、ミルキはよくよく考えて「十全に扱う全能って何だ?」という疑問にブツかった。

 念能力の系統は、個々人の“習得率”を数値化する基準でしかなく、また固定されているわけでもない。

 例えば、強化系に長けている者でも80%扱える変化系が不得意だが、同じく80%扱える放出系の習得速度が段違いに早い……といった感じに。

 またミルキで言えば操作系の習得率が100%であり、変化系の習得率が40%しかないということ。

 

 ならば……と、ミルキは【キング・オブ・ハート】の特性は別なところにあるのではないかと考えた。

 それが――、

 

「やっと見つけました。キング・オブ・ハートの本当の意味。……それは、流派東方不敗を活かし、そして……俺の成長を活かす能力」

 

 世界は進化する。

 一分前より先へ、明日へ、未来へと歩みを進め、姿かたちを変えていく。

 無論、それはミルキ……そして“流派”にも言えることだ。

 シュウジは、ミルキの成長性を十全に補助するための能力として【キング・オブ・ハート】を造ったのだ。

 どんな系統でも、その気になれば100%修得する事ができ、また扱うにも【キング・オブ・ハート】を使用することで可能となる。

 

 そう……例えば、ミルキが不殺を貫ける技を編み出しても、それを修得出来ないなんてことが無いように。

 

「でも、これを使うには……やはり俺はまだまだ。……まぁ、師匠は全てお見通しだったと思いますが」

 

 しかし……巧い話には裏がある。

 先述したが、【キング・オブ・ハート】という念能力はとてつもなくピーキーだった。

 

 全ての系統念能力を100%修得・使用するには外氣を循環できないまでも内包しなければならないのだが、その量が膨大過ぎるのだ。

 現在ミルキが体内に内包できる外氣がバスタブ一杯分と仮定すると、【キング・オブ・ハート】によって体内に傾れ込んでくる外氣は……まさに怒涛の如き大津波。

 ミルキでは、あっという間に押し流されるのは道理。

 

 実際に【キング・オブ・ハート】を使った時の“反動”は凄まじかった。直感がミルキの生死を分けたと言っても過言ではない。

 もし発動した直後に外氣を放出していなければ、もし直ぐに発動停止しなければ、……もし「内包しよう」と微塵にも考えたなら、体内から爆発していたに違いない。

 そうでなくとも半日もの間、気を失ってしまい、後の半日は全身が全く動かせ無くなってしまった。

 

 シュウジは荒療治の意味でも決闘を行い、ミルキを【キング・オブ・ハート】を持てるレベルまで引き上げたのだろう。

 継承直後は能力自体を発生させていなかったため、何とも無かったが……。

 

「でも、この紋章を発動させるだけでも意味がある。外氣を扱うことは、“俺の念”にも大きく作用しますし……貴方は、そこも考えてくれていたんですよね、きっと」

 

 だが、やはり【キング・オブ・ハート】はミルキの今後成長を大きく助ける能力なのだ。

 実は、外氣コントロールは“ミルキの念能力”にも大きく作用する。

 バケツ一杯分の外氣しか循環できない現在と、大津波のような怒涛の外氣を受け入れるまでに器が大きくなっていた未来を少しでも早く出合う事が可能となる。

 文字通りの“手助け”を貰ったシュウジには最後の最後まで勝てなかったな……と、実感するミルキだった。

 

「……すみません、師匠。話が脱線しました」

 

 脱線でもないのだが、ミルキは今後の方針についてシュウジに報告する。

 

「俺、しばらく此処を離れます。色々考えて、プロハンターのライセンスを取ることにしましたから」

 

 ミルキの決断。それは曲がりなりにも原作への介入をするということだった。

 

 ただしミルキ、原作云々は殆ど意識していない。

 ミルキが見ているのは“今期ハンター試験の受験生”にある。

 それも合わせ、ミルキがハンター試験を受けようと考えた理由は大きく3つ。

 

「師匠が“守りたかったもの”を、俺も……俺なりの方法で守ろうと思います。……そのためには、資金集めをしなければなりません」

 

 1つはプロハンターを管理するハンター協会が、国家を大きく上回る規模と信頼性を持っている事。

 今後の行動を起こすためには金銭面も必要。天空闘技場に行けば?……とも思ったが、小金稼ぎが精一杯。

 長期的に見れば、やはりハンターライセンスを取るべきと結論に至った。

 

 そしてシュウジが守りたかったもの……は、言わずもがな流派東方不敗が恩恵に与る天然自然。

 ミルキも外氣の修行を重ねる程に、自然の有難味を知る事となった。

 流派東方不敗を活かす事とは、武闘の技術だけでなく恩恵を与る自然を保護することでもあるとミルキは結論付け、将来的には世界中の自然環境保護、また絶滅した樹木の再生に尽力活動しようと考えている。

 

 もちろん容易な道でないことは重々承知。

 今まで暗殺、武闘と、勉学類を人生の1割も行ってこなかったミルキは、知識蒐集もする必要がある。

 だが彼もまだ13歳。十分に未来ある年齢だ。

 

 そこで、まずミルキは“足場”を固めようと決めた。

 他でも無い、シュウジ・クロスと一番思い出のある“現在地”を……絶対に揺るがない自然を永久に人間の手によって汚されないようにするための基地として私有しようと考えているのだ。

 

「10の12乗……兆単位のジェニーを集めたら、“ギアナ”を私有できると思うんです」

 

 ギアナ。それは現在ミルキが根を下ろした修行の地名。

 偶然にも、流派東方不敗の師弟……ミルキからしてみれば兄弟子に当たるドモン・カッシュとシュウジの修行場所と同じ名前であった。

 それ故の愛着もあって、シュウジはギアナを気に入り、修業の地としたのである。

 

 無論、傍から見れば不法占拠だが……深くは言うまい。……というより“言えない理由”があるのだ。

 

 その前に補足するが、「ギアナ」の前世と今世の違いは、前世で言うギアナが大陸の一部だったに対し、今世のギアナは一つの“島”になっているということだ。

 六大陸の内、北方2大陸に囲まれた“六大陸に認定されていない”大陸。

 地図上では“◎”の形をした【ギアナ島】は、正確には“島”でなく海上にある世界最高の“超巨大山”。

 その総面積はジャポンと同等かそれ以上と言えば、どれほどの広大さと標高を有しているのかを理解してもらえるだろう。

 

 だが、六大陸に囲まれた内の一つだが、六大陸として認識されていないには理由もあり、それが前記した“言えない理由”でもある。

 なぜなら、ギアナ島には誰一人……訂正、非公式で現在一名の例外を除いて誰も住み着いていないのだ。

 

 そもそも、ギアナとは島全体……及び周辺100km圏内が危険度Sランク認定されている未開の危険区域。

 数多の珍獣や幻獣の住まう島としても有名であることから【幻獣の楽園】と呼称されたり、また【自然の悪夢】といった真逆の悍ましい名称もある。

 

 というより幻獣の巣窟からして、一般人にしてみれば悪夢のようなものであるが……無論、シュウジは危険など道理はお構いなしにギアナ制覇。

 ミルキも一年懸けて何とか登頂に成功している。中々先へ進まなかった理由はギアナの洗礼も原因の一つだが、修行と並行しての登頂だったこともある。

 常にヘトヘトの状態で獣と自然を相手にしたミルキは、環境適応力と回避力が異様な成長速度を見せたことは言うまでもない。

 

 兎にも角にも、ミルキはこの地の自然を守る事を今後の念頭に置く事を決めた。

 それは師父との誓いを忘れないために必要不可欠な重要事項だと思うから。

 

 

 閑話休題。

 

 

「当然ですが、流派東方不敗を枯らさぬよう武闘家として更に精進する意味でも、多く経験を積まねばと」

 

 2つはハンターの種類にはブラックリストに乗っている犯罪者を捕らえて生計を立てる賞金首(ブラックリスト)ハンターがあること。

 賞金が手に入り、念能力者との戦闘も熟せる。……主旨がどこぞの戦闘狂な変態ピエロと酷似しているが、強者との戦闘は武闘家ならば必然的に求めるもの。

 ミルキに決定的に足りないもの、それはやはり経験値。

 流派東方不敗とミルキ=クロスの名、そして【キング・オブ・ハート】の能力と継承した事によるプレッシャーに負けないように、いつかは武者修行をしなければと考えていた。

 

 その点で言えば、公に犯罪者をフルボッコにしてお咎めを受けない理由というのは重要だ。

 

 そして第3の理由。それこそプロハンターを目指す理由となっている。

 

「そして……アイザック=ネテロ。やはり武闘家としての道を歩む以上、一度是非見ておきたいですから」

 

 ハンター協会及び審査委員会の会長。心源流拳法師範。それが、アイザック=ネテロ。

 年齢不詳の老体であるが、武門を叩くなら知って当然の男。最強の念使いとして名を馳せ、前線は退いたが勇名未だ衰える事を知らず。

 武闘家としての人生を歩もうと言うのに、そんな有名人を一度も見ないという痴態を晒す事は、流派東方不敗の名を穢す事にもなるとミルキは考えた。

 

 他にも理由を挙げるなら、自分以外にも転生した者が居るか居ないかを確かめるために。

 

 そして今期でなくばならない最大の理由が……、

 

「ちゃんと……過去と向き合えるか……確かめるためでもあります」

 

 ミルキが向き合わねばならない過去と言えば、当然ゾルディック。

 今回の試験にはその姓を持つ2人が参加する可能性が確定と言っていい程に高い。

 試験を受けるついでに、ミルキはそれを確かめようと言うのだ。

 

「でなくば、流派東方不敗免許皆伝も、シュウジ=クロスも名乗れませんから」

 

 ずっと避けて来た。だから改めて向かい合った時、果たして平常心で居られるか否か。……過去から逃げずに立ち向かうための確認をしたい。

 そんな意味合いも、今回臨む試験に籠めていた。

 

「……それから」

 

 そして、ミルキはまた雰囲気を整える。

 なぜなら、ここからがミルキにとって最も重要な報告と言えるからだ。

 

 それは……、

 

「……すみません、師匠。貴方に襲名するお許しを頂いた名ですが……しばらく、この場に置いて行こうと思っています」

 

 シュウジ=クロスとして、新たな一歩を踏み出そう……と思ったミルキだが、ちょっと待てと思い留まる。

 キッカケは、やはり【キング・オブ・ハート】だった。

 

「……舞い上がってしまいましたが、やはり俺は未熟者。シュウジの名を語って落とすわけにもいきません」

 

 ミルキは、未だ【キング・オブ・ハート】に選ばれていない。ただ、所有することを許されているのが現状。

 師父シュウジ・クロスの魂魄に追いつけぬ身で、どうしてシュウジ=クロスと己を語ることができるだろうか? どう考えても、騙って落魄れる顛末が待っているだけだ。

 

 外氣循環を為すという離れ業にまで至ったミルキは、やはりどこかで慢心していたのだ。

 そんなミルキを叱咤する師父の声が【キング・オブ・ハート】に籠められたに違いない。

 ミルキが真に王者の風を知るには、まだまだ先は長いということを改めて理解する。

 

「あー……ヤバい。また沈んで来た……」

 

 師父への弔意が拭えぬミルキには、この叱咤は結構大きなダメージとなっているらしい。

 これ以上、この場に居ると旅立つ前に精神がヤられてしまいそうになる。

 ミルキは一度、顔をパン!……と叩いて立ち上がる。

 

「師匠……図々しい申し出と重々承知していますが、今はクロスの姓だけ名乗る事をお許し願います」

 

 ミルキは既にシュウジ=クロスを名乗れる身だが、それは“名義上”に留め、己が納得するまでは【クロス】と名乗る事を決めた事を口にする。

 シュウジの名はプロハンター試験に合格した折、改めて……と決めたとも。

 

「……では、師匠。行ってきます」

 

 思い立ったが吉日……というかプロハンター試験の登録締切日が近づいているため、ミルキは今日早速ギアナを発つ。

 ギアナ島という天然自然と東方不敗シュウジ。この2つの師を目の裏にしっかりと焼きつけたミルキは、意気軒昂と旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハンター試験は年に一度行われ、その申込期限は12月31日。

 申し込み方法は基本電脳ページと呼ばれる電子情報網からか、ハンター試験応募カードをハンター協会への郵送がある。

 ミルキが選んだのは前者。西北大陸に上陸したミルキは電脳ページで申し込みすることにした。

 

 だが……その前に。

 

(……予想はできたが、さすがに視線が鬱陶しい)

 

 身なりをある程度調える必要があるようだ。

 なにせミルキはずっと人が立ち入らぬ秘境でシュウジと修行の日々。身なりを気にする暇があれば修行をしろとばかりに修行に励んだのだ。

 その容姿は一見すれば珍獣の子供と見間違えられるくらい髪がボサボサに伸びきって、衣服も修行の過程で見るも無残な穴だらけ。

 仕方ないのでミルキは髪を適当に手刀で斬り落とした後、まず適当な古着屋に向かった。

 金はちゃんと持っている。現在ミルキが所持している金銭は約5万ジェニー。旅をしながら事ある毎に細々と稼いでいたのだ。何気にマメである。

 

「むぅ……こんなものー……で、いいか?」

 

 洋服なんて恥部を隠せればイイ程度の認識しかないミルキは、適当に洋服を拵えその上から足首まである外套を羽織った。その姿はまるでミルキの兄弟子ドモン・カッシュの旅姿。

 ただ、H×Hで言えばどこぞのヤラレモブに黄土色の外套を纏った男が居た気がしたミルキだが、気にしない事にした。

 

(……そうだ。キルアとイルミも来るんなら顔隠しといた方がいいかもしれん……まだ、な……)

 

 原作に関わる事がどういうことかと思い出したミルキは、ミルキ=ゾルディックとしての容姿を覚えているかもしれないゾルディック家人対策として綿布を顔に隙間なく巻きつけた。

 また【キング・オブ・ハート】が自然発現してしまった時用に、黒の皮手袋を着けるのも忘れない。

 

 現在のミルキは過去の自分と見比べても別人にしか見えないが、それでも……念には念を尽くすのがミルキのスタンス。

 臭い物には蓋を……ではないが、元兄弟を今も兄弟と認識される事を考えると……。

 

「……うん、やだ」

 

 これも未熟の体現と自覚しているが、これは師匠と一年喧嘩しても譲れないミルキの熱い想念(?)があるのだ。

 

 ……しかし、完成したのは……。

 

「う、む……これは……」

 

 まるで、めけーもでCCOな悪人フェイス。

 ミルキ自身、不気味な仕上がりとなった事に不満気……ではあるが、それで一度外を歩いてみるも周囲の反応は非常に淡白だった。

 擦れ違う人は特段距離を置くような反応も見せず、普通に擦れ違うことから、ミルキもまぁいっかと気にしないことにした。

 そして又しても容姿的にH×Hにも同じ容姿の盗賊舞闘士が居た気がしたが、ミルキは同様に忘れる事にした。

 

 もちろん新調した服の下に“枷”となる“喰命鉱”を仕込んだ服を着込むのも忘れない。

 今の“枷”は、気分を一新する意味も込めて新しい物と取り変えている。

 

 因みに総重量で約200kgはある。見た目にはそんな超重量の枷を着込んでいるなど分かり難いが、“喰命鉱”は密度加重鉱石。

 ギアナ島の中でも生物の寄りつかない一部の下層区(凡そ7割を占める)にある鉱物で、なんと動物系の生命エネルギーを吸収してしまう摩訶不思議。

 しかも吸収した生命エネルギーを材料に体積は変わらず重量だけが上昇する。

 

 つまり、生命エネルギー(オーラ)を発し続ける動物にとってはまさに枷。

 身に付けるだけで気付かぬ裡に加重していく喰命鉱は、オーラの隠蔽と修行という2つの意味でミルキにとっては都合が良いのだ。

 

 だが喰命鉱にも加重限度はあるようで、ギアナ島では古い角質のように砂となっていた。

 それでも、ミルキが先日まで着用していた喰命鉱の枷は凡そ2tはあったように感じていた。

 

 

 閑話休題。

 

 

「……次は雑貨類だな」

 

 次にミルキは雑貨……リュックや旅路中や試験中に必要になると思われる品々を買うべくディスカウントショップに入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディスカウントショップでの買い物を終えたミルキは、いよいよ次はハンター試験登録のための準備をする。

 

(さて……ハンター試験登録するためには、経歴を作っておかないと)

 

 ハンター試験に必要な事項は、氏名、年齢、生年月日、出身地等。

 ミルキはこれらを全く持っていないため、どこか適当な設定を組んでおく必要があるのだ。

 

 因みに氏名欄にはシュウジ=クロスと記入した。

 名を置いて来たとの心情から後ろめたく思うミルキであるが、まだゾルディックとの繋がりをまざまざと見せつけられるようで、間違っても旧名を書きたくないのだ。

 それに偽名だろうと受験しようとする者は後を絶たない。それが世界観なら順応するのも処世術であろう。

 

(……あ、そうか。ミルキが死亡してるかの確認もしなきゃならないんだな……)

 

 だが、個人情報の閲覧にはプロハンター資格を取ってからでなくばならない。

 現状、取らぬ狸の皮算用を考えるのは止めにする。

 

(……いや、待てよ? もしかして無いんじゃないか? ゾル家ェだし……)

 

 しかし、それ以前に、誕生報告をしていたのかすら怪しいものだとミルキは考えた。

 ミルキは元ゾルディック家の人間でありながら、その辺りの事は何も知らない。

 だが情報を外部には隠匿されており、顔写真には云百万の懸賞金がある程ということは判る。

 ミルキ=ゾルディックという子供は、始めから居なかったものとして見做され、元家族からも忘れ去られた存在になっている可能性は十分にあり得るのだ。

 そうでなくとも、現在のミルキは外見、声音、歩法、性癖といった外面に出る部分も、内氣(オーラ)という内面も、ミルキ時代と見比べられる要素はほぼ皆無だろうが……。

 

 ならば顔を隠す必要もないじゃないかと思うところだが、それは当人の問題。

 ミルキは過去の境遇から警戒心と猜疑心が他者より4倍は高いと自負している。

 おそらく、一生癒えぬ傷として残り続けるだろう。

 

「よし。これで申込完了っと」

 

 名義はジャポン出身のシュウジ=クロスとして登録。

 生年月日は、年数はミルキと同じ……だが、月日に関しては天空闘技場でシュウジと出会った日付にしてハンター試験への登録を電脳ページより完了する。

 

「……お、来た来た」

 

 返信は、本当にあっという間だった。

 パソコンに備え付けのプリンターから送り出された紙には【登録完了】の通知と共に試験会場が記されていた。

 ただしその欄には【ザバン地区のどこか】としか書かれて無かったが。

 

「ザバン地区……ザバン市、か。(……ん? これは原作通り………だっけ?)」

 

 転生して早十数年のミルキは、ここ数年間は流派東方不敗の事ばかりを考えていたため、H×Hの原作知識の殆どが削り落とされていた。

 もっとも、例え原作乖離していようとミルキには関係無い。

 常に流動する世界において、原作知識など逆に邪魔なだけだ。

 

 兎にも角にも前へと進む。更に見れば、六大陸十区によって違うが、サバン市までの交通手段が指定されていた。

 

「……そうか。原作にもあった……よね?」

 

 指定された交通は、陸路、海路、空路の3種。

 その担当者が試験者を何らかの方法で篩にかける手筈ではないかとミルキは考える。

 もちろんサバン市迄指定された交通機関に疑いを抱き、ヒッチハイク等で到達する者も居るだろう。

 

(……それで会場に辿り着ける可能性はゼロに等しい、か。虎穴に入らずんば虎子を得ずってことだね)

 

 だが受験会場まで辿り着くまでにも限りなく狭き門を潜らねばならない。

 態々交通手段が指定されているということは、何かしら受験会場に辿り着くためのヒントを貰えるという可能性も示唆されているとミルキは考える。

 陸海空に限らず、その場に集まった受験生を揃えて「今から殴り合いを~」というのがセオリーだろうか? いずれにしろ、ひと騒動起こる事は間違いないと思うのが普通だ。

 

(サバン市に向かうには……海路からだと最寄海港から陸路で、空路からだと最寄空港から陸路……どっちにしても陸路は通る)

 

 しかし、試験官の立場に立って考えるなら、空路海路と陸路のどちらも正道とは限らない。篩を2つ用意して、どちらも大きさの変わらない篩を使うなど、ただの阿呆。

 陸海空路が、それぞれ複数用意されていることからも、いずれかがフェイクである可能性も高い。特にサバン市直通の陸路など、怪しんでくれと公言しているようなものだ。

 

 因みに、指定された陸海空路は受験生ならタダらしい。

 ミルキは有り金の殆どを使い切ってしまったため、その点は有り難かった。

 

 さて。いずれも簡単な道など無い事は明白。……だが。

 

(くじら島……あ、あった)

 

 ふと、ミルキは地図検索をする。

 調べたのは、主役の故郷の島。海航路と照らし合わせて見ると、どうやら海路の一つはそんな小さな島を行く船があるらしい。

 ミルキはこの結果と、くじら島往きの船が巡る道を見た後、

 

「……よし。空路で行こう」

 

 検索結果を全部捨て、空路で行くことを選んだ。

 正直、ミルキは迷った。

 原作という指針があるかもしれない島を発見し、少しばかり傍観者を気取りたくなった自分が居る。

 だが、ならば試験会場での遭遇は必至。

 態々こちらから出向く道理も無い上に、何だか自分が脇役で金魚の糞にまで貶めていると思ったらもう拒否するしか思い浮かばなかったのだ。

 

「んじゃ、出発するかね」

 

 海路は補給のため様々な島巡りをするが、空路はサバン市最寄空港までの一区間に限定されているらしく、ミルキはその空港まで走って行くことにした。

 

 ……ただ。

 

(……独りに慣れるのは、まだ先になりそうだな……)

 

 ずっと追い駆けた背中が今では瞼の裏にしか居ない現実に……僅かに悲愴を湛えながら。

 

 





 改変して、襲名はミルキが相応となるまでとし、そして“空路”を往くことにしました。


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#13.空上船×ノ×志望者

 微妙だけど、原作(?)入りです。


 

 突然だが、ミルキが転生したこの世界で“船乗り”と呼ばれる人種は2つに大別される。

 

「んぎゃあああああ!!」

 

 それが、大海を渡る海船乗りと大空を翔る空船乗り。どちらも偉大なる蒼に夢と希望と恋を求め馳せる者達なのだ!

 

 ――らしい。

 

「おがぁぢゃぁぁぁぁん!!」

 

 分厚い水のベールに覆われた大海原を、男達は「女房」と豪語する。

 太陽に照らされ輝く海は、まさに潤う滑らかな美肌。

 決して本心を晒さず、男達を翻弄する妖艶な様に、男達は身も心も籠絡されてしまうそうだ。

 しかし、ならば逆に魅せて見たくなるのも雄の本懐。

 ベールの下には何があるのか……どこまで行っても剥がし終えない大海(ベール)の果てを求め、男達は今日も海を征く。

 

「じ、死゛ぬ゛ぅぅぅぅぅ!!」

 

 どこまでも終わらない澄み渡る蒼穹を、男達は「女神」と仰ぐ。

 足届かぬ蒼穹を求め、男達は高く高く舞い上がる……が、決してその蒼に触れること敵わず……後に残るのは、ただただ空虚。

 そして、美しい女は本当に気まぐれで惨酷なもの。

 穏やかに語り合ったのも束の間。何故か直ぐに怒り、喚き、泣き出すのだ。

 すると我等矮小な男達は為す術無く、送り返される。最悪、永久に獄中へ繋がれることもしばしば。

 

「だじゅげでぇぇぇぇ!!」

 

 成程たしかにあの蒼穹に比べれば、我等男達の何と小さきことか。

 人が神に恋い焦がれようなど身の程を知れ……ということなのだ。

 しかし……それでも男達は諦めない。

 女神の心が曇り、荒れるならば、全力で吹き飛ばすまで耐えるのだ。

 それが男達に残された最善。度胸を見せる絶好機。

 そして……耐えに耐えた男達を出迎える、女神の惚れ惚れするような赤焼けの頬を見た時には――――。

 

「つまり、だ! この大嵐の先に見せてくれる貌こそ最高の御褒美! それがロマンってやつなんだよ! 判るかボウズぅぅ!?」

 

「あ、ああ。……何となく、だけど」

 

 ででぇーん!!……と、擬音語が見える程のどアップで迫られたミルキは、これを苦笑しながらなんとか返す。

 

「そーか分かるかァ! ガッハッハッ!」

 

「は、はは……ハァ(……とりあえず応えたけど、判るとは一言も言ってないぞ~……?)」

 

 背中をバシバシ叩かれながら曖昧な笑みを返すミルキは、ここまで「どれだけ“空の”船乗りが偉大か」を題名に延々と船長に語り続けられていたりする。

 しかも、現在大荒れの雲の中を逝きながら……だ。

 

「降りるぅぅぅ! もうボク、おうち帰るぅぅぅ!!」

 

「びぇぇぇぇん!!」

 

 おかげでずっと後ろの方から悲鳴が鳴り止まない。

 悲鳴の中には精神退行している者も居るらしい事を教えてくれるが、おそらく平均して三十路な乗船客ばかりということがシュールに思えてしかたない。

 

 だがミルキも気持ちは判る。

 くどいがミルキは現在、飛行船の中に居る。もちろん他のハンター試験志望者も一緒。

 

 問題は、現在飛行船の現在地にあった。

 

 結論から言えば、現在ミルキ達は嵐の中を航行中である。

 ただし、サイクロンやハリケーンの中では無い。

 そんな中を飛行船が通ろうなんて思ったが最後。ミキサーの中にトマトを入れればどうなるかなど言わずもがな。

 容易に空中分解してしまうだろう。

 

 ミルキ達が直面している嵐……それは、積乱雲の腹の中なのだ。

 

 言わずもがな積乱雲は、垂直に高く盛り上がった空に浮かぶ雲の山。

 多くの場合地上付近と上空の温度差がもたらす大気の不安定によって生じる上昇気流によって発生する雲の怪物。

 地上に落雷や豪雨を齎し、上空には強い乱気流を伴う空の立入禁止区域。

 

 ……に、今ミルキ達は居た。

 

 もちろんハリケーンやサイクロンと比べても五十歩百歩の乱流内。

 盛大に揺れるわ光るわ轟くわ……いずれ地獄への案内賃の担保にと、死神の鎌で首の薄皮を斬り取られている感覚とは乗客満場一致の見解に違いない。

 

 だがミルキの見た限り、空船乗りは誰一人として全く臆した様子を見せていない。

 

「この程度でビビってちゃぁ女神に呆れられちまうぜ! つーか、女房の方が倍こえぇって……」

 

 ……とのこと。

 答えながら突如ガクブルし出した船長はいったい何を思い出しているのか?

 ミルキを哀しい心地に追い遣る雰囲気を出している。

 

 しかし、避雷針も着いていない飛行船で雷光奔る積乱雲を征くなど狂気の沙汰でしかない。

 しかも航行は完全に風任せ。

 風に揉まれる……と言っても決して微風などではない。

 狭い個室で扇風機を最強にして風船にぶつければ、風船がどんな不規則で激しい動作をするか。

 それを飛行船で再現したなら、天井と足場が逆転するような事態など『当たり前だろ?』の一言で片づけられるのがこの世界観なのだ。

 

 それでもミルキは船長の言う通り脅える事は無いと、実に見事な自然体と平常心で船員達と交流中だ。

 その理由は……2つ。

 一つは言わずもがな、船長達も死ぬつもりは無いという態度が判明していること。

 船員に不安や恐怖が無いとは思えない……しかし、だ。この積乱雲を乗り越えられる確証が無ければ誰か一人でも目に見えてチアノーゼが現れていても不思議じゃない……が、それが無い。

 

 そして、ミルキが「絶対に問題無い」と信用するもう一つの理由が、船長や船員達の船乗りとしての力量を確認したからだ。

 まるで念能力者じゃないかと思えるほど見事なまでに暴風渦巻く積乱雲の中で安全な航路を何かに導かれるように船員達は見出している。

 

 航路を見出す“だけ”ならミルキにも可能だ。

 外氣を知覚するという特異な方法で……ではあるが、しかしそれだけだ。

 船乗り達の魅せる操舵技術は、ミルキも現状でとても真似できるものではない。

 

 飛行船をまるで船を手足のように扱うことが、どれだけ難しいか。

 それこそ……愛の為せる業……とでも言い例えられねば、ここまでの技術昇華は不可能だろう。

 一途な想いがどれだけの成長を齎してくれるかを身を以て知っているからこそ、この船長と共に闘う船員達に敬意を表するミルキである。

 

(けど……そろそろ終わってくれないかな? かな?)

 

 しかし、どうにも弁論が長丁場過ぎて困る。

 海であれ空であれ、恋する女を求める男達はいずれもドMに違いないとミルキは偏見を心に留める事を決めた。

 

 そして船長のテンションもいよいよMAXになったのか、マシンガントークが一層の勢いが一気に増す。

 

「つまりだボウズ! 既に物にしたオンナに、いったい何ジェニー分の価値があるってんだ!? 燃えるような恋! 離れて判る愛しき想い! 初々しいイベントの数々は手に入ってからじゃぁぜってーに味わえねぇんだ! 手が触れただけでドキドキする昂揚感? ハッ! 嗤わせやがる! 女房のシワ枯れた手を見たら時間の流れの如何に惨酷なことかってのを心底思い知らされるだけだっつーのッ! そりゃ、確かに手に入ってから見える貌もあるだろうよ? ときめく心まで抹消されるなんてこたぁ言わねぇよ? けどよ! ちげェーんだよ! そーじゃねぇだろうよ! レヴェル……そう! レヴェルの問題じゃねぇか! 女房になったらそれこそ清濁合わせ呑み込まにゃならんだろ!? 海、しょっぺーだろ!? アレがバケの皮剥いだメスの本性なんだよ! 昔みたいにプレゼントで花束渡しても、眉間に皺寄せて『こんな無駄遣いして!』って怒鳴られるんだぜ!? その点、オレ達の女神は最後に必ず微笑んでくれるんだ! やっぱり空! 大空こそ我等が女神だ! そうだろテメェらァ!!」

 

「「「そうだァァァっ!」」」

 

「そう思うだろボウズぅぅ!?」

 

「そ、そうだー?」

 

 船員一同のハイテンションに合わせたつもりだったが、どうやら頭と体の伝達機能が旨く働いていないようだ。

 それでも結婚は地獄を体現しているようにさめざめと泣く船長に、ただただ合掌を捧げようとミルキの体は自然と動いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく積乱雲を抜けた飛行船。

 日もとっぷりと落ちた夜空には星が所狭しと鏤められ、飛行船のプロペラ音が静かに唸りを上げながらゆっくりと雲海を往く。

 

 そしてミルキも、ようやく船員一同のハイテンション空間から抜け出すことができた。

 どうやら先程までの船員のテンションは、恐怖をエネルギーに変えるための暗示も兼ねていたらしく、船長にも「悪かったな!」と声高々に謝られた……と思うよ?

 

 船長の声質には全く謝意が籠められていなかったと思うミルキだが、嫌な気分にはならなかったのだ。

 船長の人柄の為せる業なのだろうと納得し、現在ミルキは船長の後に続いて船内を歩いている。

 

 ミルキとしてはゆっくりと船旅を満喫したいと思っていたが、どうやらハンター試験に関係する事らしいので、仕方なく随行。

 そして船長に連れられ着いた場所は、他のハンター志望者の居た広いホール型の船室だった。

 

「ハッ! なさけねーなァ、オイ! 大の大人が全滅とか! テメェらキンタマついてんのかァ~?」

 

 室内に入った船長の嘲弄が飛ぶが、そこに居る誰一人として声を返って来たとミルキの聴覚は捉えていない。

 確認のためにも船長に続いて室内に入ったミルキが見た場景は……何とも言葉にし難い悲惨な現状で惻然としてしまう。

 揉みくちゃにされ、抗う事も出来なかったのだろう。

 ほぼ全員が体中から出せる液体を出し切って気絶しているようだった。

 

 ……しかし。

 

「失礼ね。アタシにはついてないわよ。そんな汚らわしいもの」

 

 船長の罵倒に反応する者も複数居た。

 

 一人は年の頃は少なくとも18を数えたと見える女。

 黒髪のツインテールに特徴的な銀色の円板ピアス、服装は革の胸当て腰当てと気合いの入り様が窺い知れる。

 

「……」

 

 もう1人は、角刈りの男。

 着の身着の儘で荷物は無いらしくプロテクターらしきものは着けていないらしい。

 口をへの字にして、精神集中でも行っているのか男の周囲だけが厳かな空気に変質している。

 そしてミルキは、この男は自分と同類ではないかと見ていた。

 

「へへ、ちげーねぇ!……んで、結局残ったのは姉ちゃんおっちゃんと、ボウズの3人か」

 

「……おっさんにおっさん呼ばわりはされたくないものだ」

 

 船長が3人の男女に視線を奔らせる。

 ボソッと角刈りの男が何かを言ったらしいが、船長は全く気にせず角刈りに重ねるように台詞を口にする。

 

「テメーら、名を言え。一応、覚えといてやる」

 

 なぜ名を聞くのか……と、3人は考える。

 客の名を一々覚える趣味でもあるのか……と思ったがこの船はハンター協会指定の受験生の運搬船。

 ならば、素直に答えることが無難と考えるのが普通だろう。

 

「……チェリーだ」

 

「アタシはアニタ」

 

「クロスだ」

 

 1人だけ姓ではあるが、どうやら船長はそれを構わず再び3人に問い質す。

 

「そうか。よろしくな。じゃあ次に、テメーらが何でハンターになりてーのか言ってみな」

 

「待て。なぜアンタにそんなことを言わねばならない」

 

 チェリーの問いは、アニタと名乗る女も同意だったらしい。

 名を教えるのは受験生である証明として名乗るが、志望理由まで言う道理は無いと反発する。

 

「なぜ? んな問いするたァ底が知れるぜェ、チェリーよォ? アニタ。おめーもだ」

 

「……何だと」

 

「何だとぉ~……じゃねぇよ、タァコ! おめぇの態度、どうやら常連らしいな? それでいて既にハンター試験が始まってる事にも気付けねぇたぁ呆れたもんだ! まさか審査員を知らねェたァ言わせねぇぜ?」

 

「っ……」

 

「どういうこと?」

 

 しまったと息を呑むチェリーに、既に試験が始まってる事を察しきれていないアニタが問い掛ける。

 

「ハンター試験を受けたいって奴は毎年星の数集まるが、毎年そんな大勢を捌けるような余裕は審査側にはねェーんだ。そこで、俺達みてーな雇われの身がハンター志望者を篩にかけるのさ。もっとも、反感を買うかもしれねぇ仕事だから、素通しするような軟弱な審査員も居やがるから……」

 

 船長は、チラッとチェリーに視線を向ける。

 その目は、まるで「そういう審査員に素通ししてもらったのだろう」と言っているようだ……と3人ともが思ったようだ。

 チェリーは一番苦い顔をしている。

 

「因みに、後ろでゲロってる奴等は脱落者として審査委員会に報告する。もし別ルートから試験会場に到達できたとしても、門前払いって寸法よ。分かったかい、嬢ちゃん?」

 

「「……」」

 

 つまり良し悪しを決めるのも船長の匙加減に委ねられているということ。

 態度や言動が少しでも拙ければ……という判定を下されかねないと、アニタもチェリーも押し黙った。

 

「ま、安心しな。俺は空の男。気分次第って判断理由の海の阿呆共と、軟弱な陸の莫迦共とはワケがちげぇぜ? 理不尽な不合格なんざー言わねぇ。あくまで客観的に試験を受けるに値するかを見てやる。……けど、そのためにもテメーらの情報ってのを訊かんと話しにならねぇからよ」

 

 それでも考えた通り、態度や言動、人格も判断基準に入っていることはチェリーもアニタも確認を得たようだ。

 今更ではあるが態度を改め、素直に答える。

 

「……アタシは、殺された父さんの仇を討つ。……そのために、ブラックリストハンターになりたい」

 

 どうやらアニタはミルキと進路希望は同じらしい。ただ理由は異なるようだが……。

 

「復讐か。ま、あまり珍しくもねぇが……審査と関係なしに聞きてぇが、どこのどいつだ? 賞金首になるくらいなら、有名なんだろ?」

 

 態々答える必要も無いと船長の前置きに対し、アニタは少し瞼を下ろし……僅かに殺気立つ。

 怨敵の事を考えているとは言うに及ばず。……必然的に、怨嗟の声がアニタの喉を競り上がる。

 

「……そうね、かなり有名。……なにせ、伝説の殺し屋一家……って呼ばれてるくらいだし。当然、誰もが一度は聞いたことがあるんじゃないかしら?」

 

(……む? それって……)

 

「……ゾルディック、か。さすがのオレでも、その名を考えるだけで胆を冷やすぜ」

 

 船長がおどけて言った台詞をアニタは否定しなかった。

 しかしゾルディックと聞いてミルキは黙っていられない。

 アニタの言う「父さん」が誰なのか?……と、ミルキはアニタを今一度観察して――、

 

「……ん?(あれは……まさか?)」

 

 ミルキはアニタという女を見て、その身に着ける物から「暗殺された父さん」の正体を知った。

 それはアニタが足のケースに入れたナイフの柄。ミルキは見覚えがあった。

 

 当然だ。なぜなら、ミルキも「父さん」が殺された現場に居合わせた一人なのだから。

 

(アル・バラード……随分と懐かしい因縁だ。……娘が居たのか)

 

 今から7年前にゾルディックに依頼があり、暗殺した貿易商人アル・バラード。

 暗殺対象の大まかな個人情報までしかミルキは知らず、まさか娘が居て、今こうして遭遇しようなどとは思わなかった。

 

「さて……?」

 

 それはさて置き次はチェリーに視線を向ける船長。その意を察したのか、チェリーが堂々と答える。

 

「オレはハンターになるつもりはない。ただ資格が必要なのだ」

 

「ふーん、何でだ?」

 

 資格のみ欲する志望者も居て当然。プロハンターの資格証を売るだけでも何億と一生遊んで暮らせるだけの金が手に入るのは一般常識である。

 だが……どうやらこの男は、ハンターライセンスを足掛かりにもっと別の何かを求めるつもりのようだ。

 

「何で、か。……見ての通り、オレは武闘家。目標は無論、世界最強。その頂点を目指すために、オレはとある立入禁止区域にあるという伝説の巻物を手に入れる。そのために一番手っ取り早い手段がハンターライセンスを取得することなのだ」

 

 ハンターライセンスには、それだけで各大陸の立入禁止区域のほぼ全てに入ることができると言われている。

 チェリーの目的は、どうやらそれらしい。

 

「その巻物には、過去存在した最強武闘技術が全て記されている。おまけに読むだけでその技術全てが身につくそうだ! 武闘家なら誰もが手に入れようと思うだろう?」

 

「……ほぉ、そうかい。(バカかコイツ……)」

 

(……アホくさ)

 

 高らかに言って見せるチェリーはかなりの大馬鹿者のようだ……とミルキだけでなく船長も呆れたように返す。

 武闘家と聞いて、のちに一手願おうとしたミルキもこれには萎えてしまい、嘲笑おうと思ったが呆れて物も言えない気分にまで一気に落ちたようだ。

 

(いい歳こいたおっさんが、まさかそんなん求めようなんてな……)

 

 最強の武闘技術。確かにミルキも、その技術を追い求める武闘家の気持ちは判る。ミルキも……否、格闘技を極めんとする者ならば誰しもが請い求めることだろう。

 誰よりも何よりも強く在りたいと願うのは、生存本能を滾らせる人間の本懐。

 

 しかし……?

 

「くだらないわね」

 

「ん?」

 

「……何だと」

 

 チェリーの言葉に反応したのは、呆れ小馬鹿にしたように呟くアニタだった。

 無論、チェリーも何が「くだらない」と言われたのか分からぬほど阿呆ではない。アニタを睨み付けながら、殺気を飛ばす。

 

「小娘、今何と言った?」

 

「……はぁ? こんなに近くで言ってあげたのに聞こえなかったわけ? く・だ・ら・な・い、って言ったのよ」

 

 それでもアニタはチェリーの殺気に全く臆した様子を見せない。事実、歯牙にも掛けていない事は淡々と告がれた台詞からも汲み取れる。

 

「武闘家だか何だか知らないけど、読んだら強くなれるなんて馬鹿馬鹿しいにも程があるわ。そんなメルヘンチック脳はママのお腹の中に置いてくるべきだったんじゃない? いい歳こいたオッサンがそんなこと言うなんて、キモいだけよ」

 

「っ! 貴様ァ!!」

 

 ブォン……!

 チェリーの上腕がアニタに向かって飛ぶ。振るわれたのは怒りで硬く握った拳。

 一撃で瓦数十枚程度なら打ち砕けそうな威力を彷彿とさせる……が。

 

「フッ!」

 

「っが……は、ぉ!?」

 

 あまりに大振り。アニタはチェリーの懐に潜り込むと、鳩尾に肘を突き立てた。

 

「確かに、強い。それは認めるけど……そんなんで最強になろうなんて、やっぱりキモいだけね」

 

 アニタは自身の脇を滑るように崩れ落ちたチェリーを見下ろし、捨て台詞を口にする。

 チェリーの実力はアニタ以上だろう。だが頭に血が昇ったまま拳を振るうなど、ミルキに言わせれば素人にもできる拙攻。

 そんなチェリーが常連だと言うのだから……と、ミルキは少し期待していたハンター試験に落胆を隠せないようだ。

 

 すると、その一連を見ていた船長が顎を摩りながら、近くに居た船員に声を飛ばす。

 

「おーい、コイツもダメだって書いといてくれー」

 

「ウーッス」

 

 どうやらチェリーはここで落選のようだ。

 常連でも呆気なく資格無しと跳ねられるのがハンター試験。

 確かに、プロハンターは狭き門。ここで潰えるようなら合格など夢物語で終わるがオチと誰もが思う。

 これは、ある意味で船長が手向ける最高の善意なのかもしれない。

 

「さて……予定がちと狂ったが、最後はボウズの志望理由を聞こうか?」

 

 気を取り直して、船長はミルキを見下ろす。

 ミルキは何処まで話すべきかと思いながら言葉を繋ぐ。

 

「……欲しい物がある。そのために、多くの金が必要になった」

 

「だから……ハンターライセンスが欲しい、か?」

 

「然り。……理由が不純かな、船長?」

 

「そうね。不純だわ」

 

 ミルキは船長に尋ねたのだが……なぜか、応じたのはまたしてもアニタだった。

 

「……どこが、と聞いても?」

 

「どこが? お金目的なら、別にハンターじゃないくてもいいじゃない。まずそこが解せないわ」

 

 冷静に返したミルキに目を細めながら、アニタは問い掛ける。

 成程……と言うまでもなく、当然誰もが思い付く不可解。

 別にアニタに応える義理は無いが、どうやら船長も聞きたい雰囲気と悟ったミルキは、用意していた通りに返答する。

 

「欲しいのは金だけじゃない。更に必要なのは、所有権を主張できるだけの絶対的な信用。それが、ハンターでなくばならない理由だ」

 

 そしてミルキは仕返しとばかりにアニタに言う。

 

「しかし……俺の志望理由が不純と言うなら、お前もさして変わらないと思うが」

 

「……どういう意味よ」

 

 問うのはイイが問われるのはイヤなようで、アニタは眉間に皺寄せ怒気を声に乗せてミルキを睥睨する。

 もちろんその程度で慄くミルキではなく、真っ直ぐ見上げながら言い返す。

 

「どーいう? もちろん、言葉通りの意味だ。ゾルディック限定で復讐したいなら、別にハンターにならずとも良いじゃないか」

 

 ゾルディック家の首級を上げようと考える者は後を絶たない。

 ククルーマウンテンがゾルディックの住み家があることも公になっており、ならば是が非でもハンターライセンスを得たいと言う理由には程遠い。

 そんな回り道をしないで直ぐそちらに行くのがセオリーだろう……。

 

「――と、思うがな。もっともお前程度の実力なら、返り討ちが関の山だろうけど」

 

「っ……何ですってぇ?」

 

 本懐を愚弄されれば誰だって沸点が低くなる。ミルキはわざと、アニタの沸点を下げ……切り札を出す。

 

「……アル・バラード」

 

「ッ!」

 

 アニタが目を見開く。どうやらその娘であるということは正解のようだ。

 

「とあるスパイス鉱山から香辛石を採掘……全国に売って大儲けしていた貿易商。……それが、お前の父だな?」

 

「ど、どうして……どうしてそれを……!」

 

「……そのナイフ」

 

 ミルキが指差したアニタの腿の位置に固定されたナイフに、アニタも視線を落とす。

 

「俺が奴を殺した時……持っていた物だから」

 

「っ!?……お前、まさか……!」

 

 アニタの目が更に見開かれる。……その瞳に強い積怨の炎を宿し。

 

「……情報があった。今年のハンター試験に、ゾルディックが参加するって……!……おまえが……!」

 

 ミルキはゾルディックの内情を知ってる情報源というものに興味を引かれたが、今は頭の片隅に追いやっておく。

 急務は目が血走り始めた女の対処。

 実に興味深い情報提供ありがとうございます……との礼の意味も込めて、ミルキも一つアニタに返す。

 

「……お前さ。黙って聞いてればゾルディックが悪って言ってるけど……殺し屋を差し向けられる奴は何かしら怨まれる理由があるもんだ。それをただ殺し屋が悪い……何様だよ?」

 

「っ! 許さない!!」

 

 沸点を突破したアニタがナイフを抜き取り、ミルキに向かって突き立てる。

 ミルキは軽い身のこなしでこれを難なく躱し続ける。……それも、足を全く動かさず、上体のみで。

 

「何だ。その程度でゾルディックに刃向かおうってのか? 嗤わせる」

 

「うるさい! うるさい! お前が、お前が父さんを……! 絶対に許さない……!」

 

「……威勢だけは認めてやるけど……それだけじゃぁ、なっ」

 

 実力の差は歴然。

 今ミルキとゾルディック家の実力差がどれほどかは知らないが、少なくともミルキに傷一つ付けられないアニタでは、ハンターになった後にも先にも結果は同じとして落ちてくるだろう。

 

「そら」

 

「が……ッ」

 

 ならば、現実を教えてやるのがミルキの……不殺を誓って尚、暗殺を許容する者の贖罪。

 ミルキの手刀を首に入れられたアニタは、あっさりと倒れ伏す。

 

「……ハァ。……船長、コイツも失格?」

 

 受験生同士の乱闘を止める理由は、審査官にも試験官にも無い。……一般人である審査官など、只々危険なだけだという理由もある。

 しかしながら一連を見ていた船長は、溜息交じりに告がれたミルキの言葉をどう受け止めるか……迷っていた。

 

「あー……どーっすっかなぁ? しょーじきなところ、ボウズと嬢ちゃんの実力差があり過ぎて素人目じゃ何とも言えねーんだよなぁ……」

 

 チェリーとアニタの時は実力が一段違い程度に見えたが、アニタとミルキでは段を数えるのが億劫になるような差……まさに比べようの無い差しか見えなかったのだ。

 

「……ま、保留だな。……で、ボウズにまた一つ……訊きたいことができたぜ」

 

 船長はボリボリと頭を掻きながらミルキに一つ問い掛ける。

 

「さっきの嬢ちゃん同様、これも単純なオレの興味本位。別に答えなくても減点にゃしねーからよ」

 

「……どうぞ」

 

 正直何を聞かれても平気なミルキは、船長に先を促すよう言う。

 

「なら訊くが……ボウズは本当に、その嬢ちゃんの親父を殺したのか?」

 

「……」

 

 予想通り……な質問である。船長の目は、ミルキを只々真っ直ぐに見つめ……その本質を逃さないと言わんばかりの強かさを湛えていた。

 

「オレは船乗りだ。毎年何百万って人間を運ぶ仕事を長い事してるから……判るんだよな。ソイツの人間性つーか、本質つーかがよ」

 

 どうやら年の功は伊達ではないらしい。

 ミルキは観念するように、船長を見上げる。

 

「……船長は口が固いか?」

 

「ん? まぁ……それなりに?」

 

「……そう、か。……場所を移しても構わないか?」

 

「いいぜ。こっちだ」

 

 アニタを気絶させた時、ミルキの胸に去来したのは久しく忘れていた寂寥感。

 武闘家として進む前に過去と向き合わねばならぬ関門が、向こうから現れた。

 原作に近づく云々を抜きにしても、ゾルディックとの繋がりは決して消えない事を改めて思い出させられた。

 これも必然……だったのかもしれない。

 しかし、心の準備が出来ていなかったミルキの拳は……いつもより固く、何かを耐えるよう隙間なく握られ……血が滲み出ていた。

 

 




 アニタはアニメ('99版)のオリジナルで、チェリーは漫画,アニメ共に出るモブ。
 いずれも[試験編]に登場する一発屋です。
 これも……原作ですよね?

 で……個々人の能力値の基準がハンター試験に残れる程度という見方があったので、チェリー<アニタとしました。実際の実力はわかりませんので悪しからず。
 チェリーは実力云々でなくヒソカに殺され途中退場となりましたが……まぁどっこいどっこいじゃないかと。


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