ジンキ・エクステンドSins (オンドゥル大使)
しおりを挟む

序章 少女の見た戦場
♯1 宇宙を裂く


 幻影を見た。

 

 自分の似姿の幻影だ。

 

 不思議と恐怖はない。自分と全く同じ姿の敵を視界の正面に据え、彼女は構えた。

 

 白銀の槍の穂には矢じり型の鉄片が装備されており、淡く光を発して輝く。

 

 似姿は観察すればするほど自分そのものだ。

 

 黒く流した長髪。飾り気のない顔立ち。睨み据える紫色の瞳孔。自分と違うのは、こちらは黒い仮面をつけている事だ。まるで自分のほうが偽物のようである。

 

 地を蹴ったのは同時。

 

 槍の穂を突き上げ、相手の肩口に一撃を見舞おうとする。

 

 ステップでかわした相手が槍を払った。すぐさま姿勢を沈め、牽制の下段蹴り。

 

 まるでシステムのように次の攻撃手順、次、次……と弾き出していく。

 

 相手も心得ているかのように槍を交差させ、こちらと鍔迫り合いを繰り広げた。

 

 槍の穂先が相手の槍と五分五分の打ち合いを数度か重ねた後、フッと瞬間的に瞬いた。

 

 それと風圧が発生するのは同時。

 

 似姿が吹き飛ばされる。

 

 壁にぶち当たってよろめいた相手へと問答無用の一撃を突き放つ。

 

 腹腔に突き刺さった槍が相手の内側から命の灯火を食い破った。

 

 槍の穂先に位置する特殊な鉄片――アルファーが作用し、相手の身体から命の一滴さえも奪い取っていく。

 

 そうやって、奪って生きる事しか出来ない。

 

 からからに干からびた似姿から槍を引きずり出す。振り返るや否や、次の攻撃が咲いた。

 

 跳躍と同時に放たれた一閃に彼女は飛び退る。

 

 今度は剣を持つ似姿だ。

 

 ――まったく、懲りないものだ。

 

 呆れて物も言えない。似姿が剣を薙ぎ払った。槍でいなし、すぐさま応戦の摺り足で相手の至近へと歩み入る。

 

 懐に入った瞬間、片手の袖口に用意していたもう一枚のアルファーで相手を引き剥がした。

 

 吹き飛ばされる相手の額へと、アルファーを投擲する。

 

 弾道予測は僅かに逸れる。その予感に彼女は己の額に弾ける末端神経のイメージを持った。

 

 身体から溢れ出す光。その奔流を操作し、アルファーの空中機動に齟齬を与える。

 

 目を見開いた途端、アルファーの軌道に加速がかかり相手の額へと正確無比に突き刺さった。

 

 沈黙した似姿に彼女はとどめの一撃を見舞おうとする。

 

『そこまで』

 

 男の声が響き、演習が終了した。

 

 白衣の者達が部屋の中に訪れ、彼らが一様に死んだ似姿達を観察する。

 

「素晴らしいよ、CF67。これで君は二百五十七回の交戦を経た事になる。二百五十七戦、二百五十七勝。おめでとう。君がモリビトの操主だ」

 

 その言葉で彼女はようやく、仮面を外す。

 

 その双眸が自分を観察し、管理する全てのカメラと視線を関知した。

 

 自分は管理されている。管理された上で、戦ったのだ。戦って、選び取ったのだ。

 

「名を与えよう。そうだな、彼女が提唱していた名前がいい。どうかね?」

 

「名案ですな。女性研究員が呼んでいた呼称ならばCF67号も馴染み深いでしょう」

 

 男達の声音に彼女は何の感慨も浮かべず、ただそこに佇むのみであった。

 

「CF67号、今日から君の名前は――」

 

 その言葉を最後まで聞き取る前に、彼女は背後から衝撃を感じた。

 

 振り向くと殺したはずの似姿が立ち上がり、剣を自分に突き刺している。

 

 胸元を貫いた切っ先は自分でも驚くほどに現実感がない。

 

 しかし、その剣先から滴る血の色を見た途端、身体の内側から感情が燻った。

 

 ――青い血だ!

 

 誰かが叫ぶ。途端に白衣の者達は雲散霧消し、次いで現れたのは緑色の培養液で満たされた視界であった。

 

 ここは嫌だ、と叩こうとすると強化ガラスが邪魔をする。

 

『やはり、この個体も失敗だったか』

 

 残酷な言葉が突きつけられるのと、身体が急速に虚脱するのは同時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視界の端でランプが点滅している。

 

 赤いランプは操主の意識が朦朧としていた証であった。無機質な声音で現在地のアナウンスがなされる。

 

『現在、ポイントQ7を通過。惑星突入軌道まで、残り三十分を切りました。操主へと覚醒シークエンスを求めます』

 

 ここで起きていなければ、自分は重力の虜になって焼け達磨か。

 

 操縦桿を握り操主の意識がしっかりしている事を機体に教える。

 

 偽装措置が施された機体の三次元モニターが全天候周モニターの一角に映し出されていた。

 

 廃棄衛星を真似た半球型の姿はまさしく宇宙のゴミと言っても差し支えない。

 

 このゴミの姿のまま、あの星に突っ込むのか。

 

 突入軌道に入った、と告げるモニターの一つをタッチし、その座標軸と地軸、それにどれほどの距離なのかが概算され、無重力に慣れた身体にぴっちりと張り付いたRスーツの感触と共に重力下がシミュレートされる。

 

『達す。操主の返答を待つ。操主の返答を待つ。操主の返答を待つ』

 

 ここにこうして存在しているというのに、システムには一から教え込まなくてはならない。もっとも、そうでなければ自分はこのままデブリと変わらず、大気圏で燃え尽きる運命であろう。

 

「返答。操主からのモニター。生命反応と脳波を検出されたし」

 

『検出。脳波、心拍、静脈情報、網膜認証をクリア。対象を二号機の操主と確認』

 

「突入軌道に入る。そうなればお前とはここまでだ」

 

 アナウンスするOSは自律稼動するもので、地上に入ってからは人機に備え付きのOSに切り替わる。

 

 それまでの辛抱であったOSはあまりにも無機質で、自分を見送った人々共々、勝手気ままであった。

 

『操主の信号を確認。残り三十分で惑星軌道突入。繰り返す……』

 

 ヘルメットのバイザーに反射する人機のモニター類を確認し、重力による変動値も組み込んだ上で、ようやく息をつけた。

 

 眠りこける事も出来ないのか。

 

 彼女はそっと、先ほどの夢で鮮明に刻まれた胸元の傷をさする。

 

 大丈夫だ。自分はまだ――。

 

 そう言い聞かせる前に、次のアラートが耳朶を打った。

 

『予測され得る軌道上に障害物を関知。血塊炉の固有識別反応から、人機と思われる』

 

 早速、面倒の種か。

 

 息を詰め、彼女はバイザーの内側で白い息を輝かせた。

 

「封印武装を一時的に開放。目標を撃墜する」

 

『封印武装解除コードを入力』

 

「CF67SVLだ。以降の入力は簡略化する」

 

『コード認証。三十分後に標的と接触。コンマ五秒前に封印武装の一部開放。武装コード、タイプ02SVL』

 

「……重力圏までは、せめて無事に水先案内人くらいは務めてくれよ。そうじゃなければ何のために、こんなごてごてした偽装をつけてるんだか」

 

 独りごちたコックピットは思ったよりも狭く、宇宙の常闇を吸い込むのにはあまりにも簡素であった。

 

 こんな場所に居続ければ、精神が狂う。

 

 宇宙の深遠は、人が生きられるようには出来ていない。

 

 少なくとも何千年も人が夢見ていた星の瞬きは、人間にはあまりにも強い毒の輝きでもあるのだ。

 

 その毒に一生を費やすか。あるいはその刹那に一生を燃やすか。

 

 毒に生きるか、毒を従えるかの違いだけである。

 

「――なら、私は毒を生き従える」

 

 傲慢でも、それが答えであった。

 

『標的移動開始。軌道上に三機確認』

 

 蹴散らすまでだ。

 

 フットペダルを静かに踏み込み、彼女は加速をかけさせた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯2 赤の守り手

 宇宙で虹を見た。

 

 こう口にすれば、信じる側の人間と信じない側の人間がいる。

 

 しかし、桐哉・クサカベの眼下に広がっているのは確かに虹の裾野であった。七色の平原がコックピットにリアルタイムで、全方位モニターの補正CGによって映し出されている。

 

 眠りこけそうになって、隊長機から怒声が飛んだ。

 

『桐哉……、桐哉・クサカベ! 反応遅いぞ! ジャムってるのか?』

 

 ジャムっている、という造語は弾詰まりから転じて人機操主の反応が遅い事、つまるところコックピットで眠っているくらい鈍いのか、という意味になる。

 

 桐哉は背もたれで背筋を伸ばし、いえ、と首を横に振っていた。

 

「そんな事は、決して」

 

『頼むぞ。ここはもうプラネットシェルの圏外だ。古代人機の射程外ではあるが、一人の連携ミスが全員に響いてくるからな』

 

 気を引き締めろ、という声に桐哉は操縦桿を握り直した。耐Gの特殊スーツの内側が汗ばんでグリップ面が滑る。内圧を調整して汗を吹き飛ばしてもよかったが、次いで通信を騒がせたもう一人の嘲笑にその暇はなくなった。

 

『なにせ、〝モリビト〟の栄誉を賜ったくらいだからな。本国では鼻高々かもしれないが、ここは実戦。勲章の数が物をいうわけじゃないぞ』

 

 後続する同期の諌める言葉に隊長も笑ったようであった。

 

『まったくだ。桐哉、お前はちょっとばかしたるんでいるぞ。我々スカーレット隊の迎撃成功率は百パーセントとは言え、それが保証されているのは連携プレーのお陰だ。一人でも油断すれば古代人機に滅多打ちにされるぞ』

 

 スカーレット隊、という言葉に桐哉は前方の宙域を行く赤い機体を目に留めていた。

 

 細身のシルエットに肩口から腹部までの赤い装甲が常闇の宇宙空間に映えている。ところどころ垣間見える黒と白の装甲はこのカスタムモデルの基となった機体――《バーゴイル》の名残を感じさせる。

 

《バーゴイルスカーレット》の名を冠する自分達の操る機体は成層圏を抜けた先、虹の向こう側での防衛任務が仕事であった。

 

 惑星を覆う虹の原に、桐哉は再び視線を投じる。

 

 虹の平原に包まれたのは青い星であった。その姿は変革の時代となった百五十年前から変わるところはない。

 

 しかし、それは見かけ上だけの話。

 

 内側で燻る悪を両断する。

 

 それが《バーゴイルスカーレット》を駆る自分達の役目であった。

 

 隊長機が片腕を上げ、獲物を見つけたハンドサインを送る。

 

『来たぞ。古代人機だ』

 

 虹の原を破ろうと高空域まで上昇してくるのは蛇腹型の青い身体を持つ機体であった。

 

 継ぎ目と思われる部分が一切ない、純粋なるブルブラッドの化身。

 

 自然が生み出した人類に仇なす、世界の罪悪。

 

 古代人機の形状は蛇腹の身体の側面に無数の砲身を継ぎ足しているもの――俗に言う「A型古代人機」であった。

 

 最もポピュラーな古代人機は正面からその姿を見ると鍵穴にも映る。

 

 古代人機がのたうち、領空を越えようとして虹の原に阻害された。その隙を見逃さず、隊長機が直進する。

 

『一気に片をつけるぞ! スカーレット隊、出撃!』

 

「了解」の復誦を掲げつつ、《バーゴイルスカーレット》が古代人機へと接近する。相手がこちらに気づいたのか、側面の砲塔を向けてきた。砲撃が矢継ぎ早に紡がれ、三機編隊を組むスカーレット隊は隊長機の号令を待たずして散開する。

 

 もう慣れた仕事だ。隊長機が装備するプレスガンが一射された。古代人機の頭頂部を叩き据えた一撃に後続の同期がロングレンジ砲で援護する。

 

 切り込みは自分が一任されていた。

 

 プレスガンの下部を持ち上げさせ、銃剣を顕現させる。《バーゴイルスカーレット》の推進剤が焚かれ、青い軌道を刻みながら真紅の機体が古代人機へと肉迫した。

 

 古代人機の体表を削り取った銃剣の一閃に、相手は身悶えする。

 

 古代人機に痛覚があるのか、という議題がそういえば一年ほど前に学会で上がっていたが、自分達兵隊にとって考える事ではないな、と一蹴した。

 

 即座に反転し、プレスガンを発射モードに設定。引き金を絞ると古代人機の頭部が砕けた。

 

 後続援護のロングレンジ砲との連携がうまくいった形だろう。古代人機は青い血を滴らせながら上昇機動から、逃走に転じようとする。

 

 当然、逃がすわけがない。

 

 桐哉の《バーゴイルスカーレット》が追いすがり、その背筋に銃剣を突き立てた。速射モードに設定したプレスガンを矢継ぎ早に放つ。

 

 古代人機の背筋が割れ、青い血の心臓部へと達した火薬が爆発の光を棚引かせた。

 

 桐哉は高度が下がっている事をモニターで確認し、古代人機を蹴りつけて再び上昇機動に入る。

 

 隊長機と後続援護は切り込み専門の自分とは違い、高度を下げてまで古代人機に追いすがる事はない。

 

《バーゴイルスカーレット》の赤い装甲版は耐熱加工のため、大気圏突破には充分に耐え得る素材であったが、大気圏をこのまま突破すれば、《バーゴイル》は無事でも操主である自分は熱病に晒される事であろう。

 

 通信網に口笛が混ざる。

 

『よくやるぜ。さすがはモリビト、だな』

 

「その皮肉、やめてくれよ。上がりたいからそっちの《バーゴイル》のワイヤーで引き上げてくれ」

 

『あいよ。本国の英雄さん』

 

 後続援護の機体からワイヤーが射出され、桐哉の機体を持ち上げていく。

 

 重力圏内に入っていないため、まだ《バーゴイル》の性能でも宇宙空間に戻る事が可能であった。

 

「英雄、か……」

 

 一人ごちた桐哉は胸元に留められた階級章をさする。「モリビト」の名前は本国から古代人機を狩るエースとして認められた人間にのみ与えられる栄誉であった。

 

 とはいっても、実際に戦闘で得た勲章ではない。

 

 本国に帰れば、不可侵条約で結ばれた国々によって古代人機狩りは正当化され、今や立派な国のための職業として保証される。

 

 古代人機狩りこそが、他国との軍事衝突を避けるために、仕組まれた一つの共通の敵、という実情。

 

 その実態では、他国も軍力増強政策を固め、新型の開発に勤しんでいると聞くが、操主である桐哉には関係のない事であった。

 

 新型機が配備される、ならばそれでいい、という認識。

 

 現場の負担は年々軽くなっている。自分はただ、古代人機狩りに適性があっただけだ。

 

 ――それに、と首から提げたネックレスを取り出す。

 

「本国に帰ったら、あいつに色々としてやらないと。……兄貴なんだしな」

 

『おっ、妹君の写真でも見てるのかい? この色男』

 

 囃し立てる声音に桐哉はネックレスを仕舞った。

 

「当然の責務だよ。古代人機狩りは周期が長い。半年も一年も帰れない時があるんだ。家族を思うのは当然だろ」

 

『そいつは耳が痛い』

 

 隊長の言葉に桐哉は佇まいを正した。

 

「いえ、その、この仕事が嫌なわけでは……」

 

『分かっているとも。さっさと今日のノルマを終わらせるぞ。古代人機は一日に数体上がってくる事もあれば、一体も来ない時もある。俺達は、せいぜい、与えられた巡回ルートをきっちり仕事しましたって証明するだけだ』

 

『デブリの心配も、ましてや敵国の奇襲による迎撃も視野に入れなくなった今、こんな仕事しか回ってこないってのもシャクですねぇ』

 

 安全高度に上がり切った桐哉はワイヤーを取り外して、虹の平原を見据える。

 

「それでいいんだろ。デブリが来ても、リバウンドフィールドが全て、弾き返してくれる。他国がミサイルを撃ってこようとしても、危険高度に達すれば自動迎撃される。平和そのものだ。いい事ずくめじゃないか」

 

 その平和が古代人機一つ程度の割を食うので済むのならば安いくらいだ。桐哉は《バーゴイルスカーレット》の機体状況を見やる。ステータス表示の安全点検を終え、編成に戻る確認が取れた。

 

「《バーゴイル》桐哉機、作戦行動に戻ります」

 

『頼むぜ、切り込み隊長さんよ。ブルッちまって古代人機になんて接近する気にはなれないからな。臆病者の装備がこれさ』

 

 ロングレンジ砲を掲げる後続援護に隊長機が片腕を振るった。

 

『こっちだって、B型装備のままだよ。桐哉以外はみんな臆病者ってわけか?』

 

 人がそうするように隊長機が身振り手振りで囃し立てる。桐哉はコックピットで肩を竦めた。

 

「……冗談はやめてくださいよ。モリビトって称号を持っているって言ったって、実戦経験はないんですから」

 

『おーっ、言うねぇ』

 

 後続援護の機体がその時、接近警報を捉えた。彼の機体には特別高感度のセンサーが備え付けられているのだ。

 

 振り返ったロングレンジ砲を所持する《バーゴイルスカーレット》は、胡乱そうに砲身を持ち上げた。

 

「……どうした?」

 

 突然の沈黙にこちらが面食らう。彼は決めあぐねているのか、センサーの誤作動を疑っているようであった。

 

『いや、接近警報がさ。これはデブリを捉えたみたいだな。随分と感度のいいレーザーを使っているから、遠いところのデブリによく反応する……。軌道計算を送ります』

 

 隊長機と桐哉の機体にデブリの軌道が概算され、データとして送られてくる。そのデブリは真っ直ぐに惑星軌道上に入ろうとしていた。

 

「……隊長、妙じゃありませんか、この動き」

 

 デブリが周回する事は儘ある。急加速を得て惑星に衝突軌道を取る事も。しかし、正面衝突ならば何の心配もない。

 

 惑星を覆うリバウンドフィールドが大気圏に入る前に燃やし尽くすからだ。

 

 桐哉が問題視したのは、デブリの軌道があまりにも――人間的であったからだ。

 

 最初は外縁軌道にも入らない動きであったのに、ここ数分で一気に加速し、惑星への衝突軌道を取っている。

 

 隊長が通信機越しに思索を浮かべたのが伝わった。

 

『こいつは……。ちょっと奇妙だな』

 

『特攻兵器……ですかね?』

 

 疑問を浮かべた後続援護に、馬鹿な、と隊長は一蹴する。

 

『特攻兵器なんて条約違反だ。それに、特攻兵器だとして、リバウンドフィールドに弾き返されるだけだぞ……。何よりも地上で建造された代物が宇宙に出て、もう一回突入軌道に入るなんて、それこそ旧時代のミサイルでもない限り……』

 

 ミサイル、という可能性に至った以上、スカーレット隊が動かないわけにもいかない。

 

 先ほどとは逆に後続援護の《バーゴイルスカーレット》が前衛に出て、隊長機と桐哉がそれのサポートという布陣を取る。

 

『来いよ、撃ち落としてやる』

 

 青い瞬きが発し、デブリを目視で捉えた。廃棄衛星のデブリだ。球状に近い形で、末端にはアンテナ類が折り重なっている。

 

 しかし、そのデブリがただの廃棄衛星ではないのは、あまりにもその速度が異常である事からしてみても明らかであった。

 

 推進剤による加速を得ている。

 

 桐哉は操縦桿を握り締め、プレスガンを構えさせる。

 

『射線に入った! 一掃する!』

 

 後続援護の機体がロングレンジ砲を発射し、デブリを粉砕しようとする。

 

 球状のアンテナ部が破損したものの、デブリの勢いは止まらない。舌打ち混じりに後続援護の《バーゴイルスカーレット》はロングレンジ砲を連射した。

 

 じりじりと削り取るものの、その機体を完全に砕く事は出来ない。隊長機が命令の声を飛ばした。

 

『桐哉! 俺とお前で挟み撃ちにする! D型装備の《バーゴイルスカーレット》は下がれ! 密集陣形からデブリを破壊する!』

 

 陣形を組み換え、桐哉が前に出ようとするが後続援護の機体が腕でそれを制した。

 

『隊長! まだやれます! こんなデブリ程度で……!』

 

 ロングレンジ砲を腰のウエポンラックに据えて、《バーゴイルスカーレット》が接近装備のブレードに持ち替える。

 

 普段は近接戦闘などまるで度外視しているため、骨董品、と揶揄される事も多いブレードはこの時、正常に起動した。

 

 ブレード表面にリバウンド作用がもたらされ、刀身が白くぼやける。

 

 推進剤を焚いて《バーゴイルスカーレット》がデブリへと衝突した。ブレードによって球状の部位が切断される。

 

 破壊した、と桐哉も確信した。

 

 だが、デブリを引き裂いて現れたのは鋭角的な盾であった。

 

「……盾?」

 

 デブリの内部から出現した盾に《バーゴイルスカーレット》が反応する前に、アンテナ部を砕いて持ち上がったのは翼手目を思わせる翼であった。

 

 銀色の翼が折り畳まれた状態から広げられ、その翼の末端よりオレンジ色の物理フィールドを発生させる。

 

 網膜に焼きつく輝きを空間に刻み、後続援護の機体へと、デブリ内部より現れた機体が突っ込んだ。

 

 通常、人機の装甲は同質量が衝突した程度では破損しない。

 

 しかし、謎の物理フィールドの展開と後続援護の慢心が招いた結果か、《バーゴイルスカーレット》の機体が腰から粉砕し、そのまま打ち砕かれる形で胴体が生き別れとなった。

 

 隊長機が慌てて後続援護の操主の名前を呼ぶ。通信機から漏れたのは焦燥の声であった。

 

 コックピットに穴でも開いたのか、急速に奪われていくいつもの皮肉屋の呼吸に、桐哉は暫時、動けなかった。

 

 何が起こったのか。

 

 それを脳内で結びつけるのにあまりにも時間がかかり過ぎたのだ。

 

 密集陣形の事など脳内から抜け落ちていたせいか、桐哉のすぐ脇を謎の機体が駆け抜けていく。

 

 一瞬であったが間違いない。

 

 鳥を思わせる機体であった。

 

 翼手のような翼に、鋭角的な盾を機首に用いている。

 

 ――人機だ。

 

 習い性の神経か、あるいは直感か。それは現行の人機とはあまりに異なっているにも関わらず、間違いようもなく人機であると感じ取った。

 

 飛翔人機が射程をすり抜けていく。隊長機がプレスガンを掃射したが、無駄だろう。

 

 惑星圏内へと鳥型の人機が突入していく。

 

『……逃した』

 

 悔恨の滲んだ声に桐哉はフットペダルを踏み込んでいた。

 

 推進剤が全開になり、《バーゴイルスカーレット》が謎の人機へと追いすがる。

 

『桐哉? 何をしている! 持ち場に……』

 

「今逃がしたら! こいつはきっと一生追いつけません!」

 

 何の根拠もない。ただ、桐哉の全神経が謎の人機へと一命をかけて直進しろと告げている。

 

 衛星軌道を抜け、大気圏を容易に突破していく敵性人機に桐哉は照準器を定めた。

 

 プレスガンを一射するも謎の飛翔型人機はことごとくその弾道を読んだかのように抜けていく。

 

 重力圏の魔の手が二機に襲いかかった。

 

《バーゴイルスカーレット》の耐熱フィルム装甲である赤い塗装が剥がれていく。

 

 大気圏突入のアラートと赤色光に塗り固められる中、桐哉は敵の人機を見定めていた。

 

 あれは間違いようもなく、敵だ。

 

 自分達が忘れ去っていた、古代人機ならざる敵の人機。

 

 武装を確認し、桐哉は重力圏内を突破する際に生じる胃の腑が上がってくる感覚を味わっていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯3 黒鉄の少女

 

 体内の血流が一気に脳に集中する。

 

 刹那のブラックアウトの後、自分の機体が大気圏を突破した事をモニター類で確認する。

 

 重力を味わった機体の節々が軋みを上げ、新たなる戦いの産声を聞いた。

 

 まだ、よちよち歩きの赤ん坊に等しいこの機体のコックピットを優しくさする。

 

「大丈夫。私がついているから」

 

 そう口にすると、機体をがたつかせる負荷が軽くなった気がした。この機体も慣れない戦闘に怯えているのだ。

 

 ブルブラッド反応炉の血流循環を確かめ、全身に血が巡った事を再認識する。

 

 眼下に広がるのはエメラルドを散りばめたような海であった。近場に小島がある。着陸地点に設定し、鳥型の人機は制動用の噴射剤を下部から焚いた。

 

 減殺された速度でようやく着陸軌道に移れる。安堵しかけた神経を騒がせたのは先ほどからついてくる人機であった。

 

 衛星軌道上に位置していた、という事はバーゴイル系列の機体であろう。

 

「ゾル国の機体……コード照合」

 

 コンソールに表示されたのは《バーゴイルスカーレット》の機体名と予測スペックであった。

 

 この人機は相手の機体が何サイクル前に建造されたかのデータも検出する。今、追いすがってくる相手は三サイクル前。つまり、九年前の機体であった。

 

「でも、カスタムモデルに近い。何よりも重力圏でこれほどまでにしつこいとなると」

 

 バード形態のこちらへと当たりもしないプレスガンを何度か撃ってくる。予測では、惑星圏内の機体はそれほどまでに対人機性能の高い機体は存在しない、という結果であったが、どうやら外れらしい。

 

「……当てにならない予測」

 

 言い捨てて、周囲が濃霧に塗れてくるのを関知した。もうここは惑星圏内――濃紺の大気が充満する汚染濃度の高い場所なのだ。

 

「ブルブラッド大気汚染測定」

 

 告げるとシステムが自律的に大気状態の予測を打ち立てた。ブルブラッド大気汚染は七十五パーセント。

 

 常人ならば、マスクと大気浄化スーツなしで歩けない汚染濃度であった。

 

「これが、この惑星の現状……。大罪の結果」

 

 教え込まれてきた事とは言え実際に経験するのとはわけが違う。フットペダルを踏み込み、着陸に安定性を持たせようとして、こちらに迫る《バーゴイルスカーレット》がまたしてもプレスガンを一射する。

 

 決して操主としての能力が低いわけではない。こちらの隙を突いて攻撃する、という当たり前の戦術を、こうも冷静に取れる。

 

 恐らく操主技術は高いほうであろう。

 

「《モリビトシルヴァリンク》……、着地と同時に変形。バード形態からスタンディング形態へと移行」

 

 下腹部に収納されていた脚部が展開し、着地時に推進剤を焚いて衝撃を減殺させる。

 

 エメラルドの海を引き裂き、海面から水蒸気を噴出させながら、鳥型人機は変形を果たした。

 

 機首が持ち上がり左腕に盾が移動する。腰が一回転し、球状に取られたコックピットブロックが内部で回転に準じた。

 

 半回転した胸元のコックピットがバード形態からの変形シークエンスを呼び出し、後部に位置する翼を拡張させた。

 

 制動をかけつつ、最後に頭部が現出する。

 

 青と白を基調とした機体に、銀翼が映える。

 

『スタンディングモード、コンプリート』の機械音声を聞いて、鳥型の人機は人型へと可変を果たしていた。

 

 緑色の眼窩が輝き、中空からこちらを狙い澄ます《バーゴイルスカーレット》を仰ぎ見る。

 

《バーゴイルスカーレット》は大気圏突破時にその名称の名残である真紅の塗装を剥がしていた。耐熱コーティングの役割を果たしているのだろう。

 

 ほとんど黒と白の装甲に落ち着いた《バーゴイルスカーレット》がプレスガンを一射しつつ、海上に着水する。

 

 操縦桿を引き、《バーゴイルスカーレット》を睨み据えた。

 

「《シルヴァリンク》、重力下における変形を完遂。第一フェイズを終了する……と言いたいところだが、エネミーを確認。敵性人機、《バーゴイルスカーレット》。脅威判定はC」

 

《バーゴイルスカーレット》が広域通信チャンネルを使用する。通信網を震わせたのはまだ歳若い青年の声であった。

 

『答えろ……! お前は何だ? 人機なのか……どこの所属だ! 名乗れ!』

 

「……脅威判定を更新。脅威判定、Dマイナス」

 

 この程度の操主ならば自分と《シルヴァリンク》を破壊するのには至らない。そう判断しての事であったが、相手には当然の如く伝わらなかった。

 

『黙っていないで、何とか言えよ! 通信チャンネルは5224だ!』

 

 ここで乗ってやる事もあるまい、と感じていたが、相手は腐ってもこの惑星を守る人機と、その操主。

 

 初陣だ、ちょっとくらい口を利く程度ならばいいだろう。

 

 通信チャンネルを合わせ、こちらの通信を震わせる。

 

「合わせてやった。そちらの要求は何だ?」

 

 その声音に相手が息を呑んだのが伝わった。

 

『女……?』

 

 舌打ちする。そうだ、操主の性別は明かさないのが作戦概要であった。

 

 ここまで追って来た相手に温情を与えてやるのもいいか、と考えてしまった自身の甘さを痛感する。

 

「音声を合成モードに。……今さら遅いだろうけれど」

 

 声から正体が割れたのではあまりに迂闊である。相手はプレスガンを構え、その銃口を突きつけた。

 

『何で……何で、衛星軌道から。いや、そもそも! お前は、何なんだ! データベースを参照しても、こんな機体』

 

「知る必要はない。ここでお前は死ぬ」

 

《シルヴァリンク》が左手に装備した盾の裏側から大剣の柄を握り締める。

 

 引き抜いた大剣の柄に相手は嘲笑を浴びせた。

 

『柄だけ……? 嘗めているのかっ!』

 

「自信があるのなら来い。ここまで追ってきたんだ。最初の一撃はそっちに譲ってやる」

 

 その言葉が相手のプライドを傷つけたのだろう。《バーゴイルスカーレット》はプレスガンを構え直し、こちらの頭部へと狙いをつけた。

 

『譲ってやる、だと……。《バーゴイル》!』

 

 推進剤が焚かれ、《バーゴイルスカーレット》が真っ直ぐに向かってくる。

 

 息を詰め、操縦桿を押し込んだ。

 

 瞬間、大剣の柄に命が宿る。青い血脈のエネルギーが充填され、オレンジ色の刀身が出現した。

 

 こちらに接近していた相手はまさか刀身が現れるなど思いもしていなかったのだろう。

 

 振り上げた一閃が確実に《バーゴイル》の頭部を焼き切ったに思われた。だが、その軌跡をプレスガンの銃剣が僅かに逸らす。

 

 肩口を焼き切ったこちらのリバウンドソードが完全に振りかぶった姿勢となった。

 

《バーゴイル》がたたらを踏んだものの致命傷は免れている。二の太刀で勝負を決めようと、《シルヴァリンク》が打ち下ろしたが、その時には相手は離脱機動に入っていた。

 

《バーゴイルスカーレット》は左腕を根元から破損し、右腕のプレスガンも半ばまで溶断されている。

 

 それでも操主も、人機も健在だ。

 

 これでは撃ち損じただけである。舌打ち混じりにリバウンドソードを片腕に《シルヴァリンク》を駆け抜けさせたが、逃げる動きに入った《バーゴイル》は想定よりもずっと素早い。

 

 戦域を離脱し、左腕と右手を犠牲にしながらも、あの操主は生き残った。

 

 覚えずコンソールに拳を打ちつける。

 

「……殺し損ねた」

 

 一度の禍根が大きな計画の破綻になる事はあり得る。追撃をするべきか、と悩んだが、これ以上《シルヴァリンク》の情報を相手にくれてやるのは上策ではない。

 

 紺碧に煙る大気の中、《シルヴァリンク》は静かに戦線から離れていた。

 

 レーザーの捕捉領域から完全に《バーゴイル》が離れたのを確認し、こちらの損耗を照合する。

 

「《シルヴァリンク》、地軸、座標から逆算し、現在地を表示。それと先ほどの戦闘におけるこちらの損耗率も。考えたくはないが、貴重な一手を相手に与えてしまった可能性がある」

 

 自分の落ち度だ。《シルヴァリンク》のコックピットに固定されていた球状のコンソールが身じろぎし、その身体を可変させる。

 

 丸まっていたのは銀色の体表を持つサポートメカであった。数値を表示させ、こちらに皮肉を送ってくる。

 

『随分とやってしまったみたいマジね。これじゃせっかくの初陣が台無しマジ』

 

「……うるさい。アルマジロ型AI、ジロウ。結果だけを教えろ」

 

 はいはい、とジロウと呼ばれたAIが計算式を弾き出す。

 

『Rソードを相手に見せたのは大きな落ち度マジよ。まぁ、さっきの戦闘で《バーゴイル》を完全にやるつもりだったのは伝わったマジけれど、結果的にあの《バーゴイル》の持ち帰ったデータは惑星側にとってアドバンテージになるかどうかは分からないマジ』

 

 このAIは人をおちょくるのだけは得意だ。手を払ってコンソールからジロウを叩き落してやった。

 

「文句しか言えないのなら黙っていろ。私は……ちょっと外の空気を吸ってみる」

 

『計算上は問題ないマジけれど、汚染濃度は尋常じゃないマジよ!』

 

 倒れたジロウが球形になって身体を持ち直す。コックピットブロックを開け放ち、ヘルメットに連動している浄化装置をオフにする。

 

 静かに、惑星の大気が専用操主服――Rスーツに満たされていくのが分かった。伝わってくるのはこの星の鼓動だ。

 

「酷い汚染濃度。でもこれが、母なる星……」

 

 気密を解除し、ヘルメットを脱ぎ取る。黒い長髪が海から運ばれてきた潮風になびいた。

 

 大きく開かれた瞳は紫色に染まっている。

 

 肺の中に猛毒のブルブラッド大気を取り込んだ。覚えず咳き込んでしまう。だが、想定されていた汚染ほどではない。

 

 二度目の深呼吸は言葉通りに自分を落ち着けさせる事が出来た。

 

 彼女は左手首に装着された連動型システム端末に、今日の記録を残す。

 

「操主、鉄菜・ノヴァリスの経過報告。《モリビトシルヴァリンク》による第一フェイズを遂行中。本日の天気は晴れ。後、ブルブラッド大気汚染濃度は七十五パーセント。この身体への悪影響は今のところなし」

 

 濃霧が包み込む中、少女――鉄菜は《シルヴァリンク》の頭部を覗き込んだ。緑色の眼窩に反射しているのは紺碧の霧から差し込む日光。

 

 汚染された大気の中でも陽射しは感じられるのだな、と鉄菜は胡坐を掻いた。

 

『周囲に敵影はなし。現在地は国境付近の無人島だマジ。ここなら、隠密に動ける可能性があるマジな』

 

 いい具合のところに降りてきたらしい。鉄菜は《シルヴァリンク》の戦闘データを反映させる。

 

「会敵する事はないと考えても?」

 

『油断は禁物マジ。ただ、ここにいれば、あのスカーレットの操主以外は気づきもしないと思うマジよ』

 

 成層圏で戦う事になるとは思っていたが、あそこまでしつこい操主もいるのか、と先ほどの戦闘データを見やる。

 

《バーゴイルスカーレット》の動きにキレはあった。恐らくはこの惑星では名のある操主なのだろう。

 

 だが、それも惑星圏内の話。対古代人機程度ならばこちらの脅威度が上がる事もない。

 

「《バーゴイル》が三機……あれは古代人機狩りの編隊か」

 

『ゾル国の標準機体マジ。《バーゴイル》を基にしたカスタム機でありながら、耐熱性に優れ、大気圏を突破する性能を誇る機体……ただ、武器が貧弱マジね。プレスガン程度では《シルヴァリンク》の装甲を破る事は出来ないマジ』

 

 ある意味では幸運だったと思うべきか。惑星への直通コースに敵がいたのは不運だったが、こちらの手の内は晒さずに済んでいる。

 

 それでもRソードでさえも本来は相手に見せるべきではなかった。当然、操主の情報も。

 

「ブルブラッド反応炉をアイドリングモードに。私は第一フェイズが遂行されるまで、ここで待機する」

 

『長旅になるかもしれないマジ。携行食ともしもの時の浄化モードは七十二時間に設定されているマジよ』

 

「要らないはず。私には」

 

『ブルブラッド大気汚染は思ったよりも深刻なのは事実マジ。その身体であっても、汚染によって寿命を縮められる可能性はあるマジ』

 

「だからと言って、動き回っても仕方がない。《バーゴイル》の操主が間抜けである事を願うしかないが、一機撃墜しただけでここまで追って来た奴だ。こっちの情報をしらみつぶしにさぐり始めるだろう」

 

『それも、第一フェイズの目的の範囲マジ。来るべき戦いのために、モリビトの戦力を温存しておくのは当然マジ』

 

 鉄菜は空を仰いだ。濃紺の霧を越えた先は虹が混じっている。本来の虹ではない。惑星そのものを覆いつくす人の業が集約された人造の虹だ。

 

「Rフィールド……本当にそうだったなんて」

 

『ショックマジか?』

 

「まさか。何度も習ったし、教え込まれてきた。ただ、実際に見るのは違う、という話」

 

 コックピットに入ってフットペダルを押し込む。ジロウがたたらを踏んだ。

 

『急発進してどうしたマジ?』

 

「見ておきたい場所がある」

 

『座標は……』

 

「遠くない。多分」

 

 錆びた空の下で、《シルヴァリンク》が波間を駆け抜けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯4 もう一つのモリビト

 品評会に晒されたのは既存の人機のマイナーチェンジであった。

 

 頭部に位置するコックピットブロックへとセンサー類を結集させた鈍足の人機がスラスターの輝きを棚引かせながら標的へと突き抜ける。

 

 片腕に装備されたのは盾も兼任する長大な砲門であった。長距離の敵への攻撃を可能にする武装と、近距離の敵を排除する左腕のコマンドナイフを所持し、標的を一つ、また一つと排除していく。

 

 その度に観覧席に招かれたお歴々から感嘆の息が漏れた。拍手をこの場で一身に集めるのは乳白色の人機である。

 

 そのカタログスペックを配布された資料で見やったタチバナは、ふぅむと強い顎鬚をさすった。

 

「どうです? 博士。我が国の擁する《ナナツー参式》の性能は」

 

 横から言葉を差し挟むのはこの国の広報部に所属する男であった。《ナナツー参式》が次々と現れる標的を圧倒していくが、所詮は動かぬ敵を倒しているだけ。

 

「対古代人機相手の模擬戦にしては、少しばかり易し過ぎるな」

 

「古代人機とやり合うと言っても、どうせ相手は鈍足。こちらの射線にさえ入れば敵ではありませんよ」

 

「対人機への対策は」

 

 タチバナの問いかけに広報担当者はページを捲る。

 

「23ページをご参照ください。強化ECMを装備しており、相手のセンサーをかく乱出来ます」

 

 タチバナはページを捲りながら、《ナナツー参式》が跳ね回っているのを視野に入れた。

 

 重装備型の人機は滑空程度が関の山。空中の相手を一撃の下に排除する、というよりも、相手の攻撃を受けてでも結果的に勝てればいい、という設計思想だ。

 

「回避を視野に入れていないようだが」

 

「古代人機の砲門による攻撃は七枚の特殊装甲で完全に防御出来ます。そのデータは32ページに」

 

 ページを捲りつつ、このようなカタログは意味がないとタチバナは判ずる。

 

《ナナツー参式》を言い値で買い取ったとして、国家に貢献する人機製造とはほど遠いのだ。

 

 これならばゾル国のバーゴイル部隊のほうがマシか。

 

「どこへ行っても、《バーゴイル》か、《ナナツー》か、あるいはロンド系列の機体ばかりだな」

 

「全く新しい機体なんて存在しませんよ。これでも充分に《バーゴイル》と渡り合えます。相手に接近させなければいいんですから」

 

 近づかなければ怖くない、か。随分と後ろ向きな戦術だ、とタチバナはため息を漏らす。

 

 国家が競い合っているのは実のところ、古代人機の撃破数。対人機用の戦術など忘れられて久しい。

 

「これでは買い取りには応じられんな。来年度の機体改修を待つ、というのが現実的なプランだが」

 

「そこを何とかなりませんかね? これでも随分と改修措置を施したんです。人機研究の第一人者であるあなたのお言葉さえあれば、各国で売り歩くのにこれ以上とない売り文句になるんですよ」

 

 自分は広告塔というわけだ。タチバナは肩を竦める。自分がこの人機には価値がある、と言えばそれだけで百機は売れるか。

 

 このコミューンでは人機製造が主な生命線だ。他国のように古代人機撃破を目指しているのではない。

 

 人機を売らなければ、国民は貧困に喘ぐ。《バーゴイル》の製造ラインは確保出来たのだろう。ゾル国が主な出荷先だ。

 

 ナナツータイプはコミューン連合国、通称C連合に売るラインが出来ているものの、最新型となれば国は渋る。潤滑油として自分のような立場の人間から見たアドバイスが欲しいだけだ。

 

 畢竟、お飾り。

 

 ブローカーの売る自信がないからと言ってこちらにしわ寄せが来るのは勘弁願いたい。

 

「せっかくだが、ワシにアドバイスを乞うたところで、売れるか売れないかまでは読めんよ。どういった方針で売りたいのかをもう一度メーカーに問い合わせる事だな。あの《ナナツー》は決して悪い性能ではないが、太鼓判を押すほどではない」

 

「そこを何とか。あなたの言葉はご自身が思っているよりもずっと貴重なんです」

 

 自分がただ一言、魅力のある人機だと言えばいいのか。それでこの広告主の男が消えてくれるのならば言ったほうが楽か。

 

 そう思いかけた、その時である。

 

 ブローカーの男の通信機に慌しい声が吹き込まれた。

 

「失礼……何だ?」

 

『コミューンに侵入した人機あり、との報告です! そちらに向かっていると……!』

 

「どこの人機だ? ゾル国か? C連合か? それとも……」

 

『固有パターンが存在しません! 新型の人機です!』

 

「新型……」

 

 呆然としたようにブローカーが呟く中、《ナナツー参式》の射線が不意に遮られた。

 

 タチバナを含め観覧席のお歴々が腰を浮かせる。

 

 新型の人機は音もなく演習場へと潜り込んでいた。

 

 肩に大出力の推進システムを保有し、背面スラスターと共に高機動を実現させているのである。

 

 肩から前方に伸びているのは連装銃か。《ナナツー参式》とほぼ同じサイズでありながら、纏っている空気が異なった。

 

 両手はグローブのような太い装甲板に包まれており、銃口が覗いていた。

 

「武器腕……どこの人機だ?」

 

 コックピット部に当たる頭部には水色の眼窩が《ナナツー参式》を睨み据えており、三つのアイサイトが標準装備されている。

 

「既存の人機に、あのような形態は存在しない」

 

 タチバナは謎の新型人機に観察眼を注いでいた。《ナナツー参式》に搭乗するテストパイロットの声が会場に反響する。

 

『どこの機体だ、お前。所属と形式番号を名乗れ』

 

《ナナツー参式》の砲門が狙いをつけているのにも関わらず、相手は微動だにしない。それを快く思わなかったのか、《ナナツー参式》が威嚇射撃を行う。

 

 砲撃が新型の足元を穿った。それでも相手は動く素振りさえもない。

 

『嘗めているのか……いや、これはチャンスかな。皆々様! 《ナナツー参式》のスペックをご覧にいれます』

 

 その言葉でこれがショーなのだと思い込んだ高官もいたようであったが、タチバナだけが違うと感じていた。

 

 あの人機は、ナナツーでは歯が立たないであろう。

 

 その予測など露ほどにも知らず、《ナナツー参式》が左腕の袖口からコマンドナイフを取り出し装備する。

 

『近接戦も可能です。このようにね!』

 

《ナナツー参式》がスラスターを全開にして新型人機へと飛び込んだ。超振動のコマンドナイフは新型人機の腕を落とさんと振り上げられたが、直後に巻き起こったのは全くの予想外の出来事であった。

 

 新型人機のグローブのような腕が裏返り、内側からクローを出現させたのである。そのクローが瞬時に熱を帯び、《ナナツー参式》のコマンドナイフを持つ腕を溶断した。

 

「なんと!」

 

 全員が色めき立つ。ブローカーも絶句していた。

 

 しかし一番に衝撃であったのは《ナナツー参式》のテストパイロットであろう。声を戦慄かせ、新型人機へと砲撃が見舞われようとする。

 

『……お前、何のつもりだ! これは』

 

 振り上げられた砲塔を新型人機の片腕から放射される銃撃が打ち破る。瞬時に砲身が融けるほどの熱量を叩き込まれた《ナナツー参式》がたたらを踏んだ間に、その鳩尾へとクローによる一撃が食い込んだ。

 

「放射熱による余剰エネルギーを、クローに集中させる事によってリバウンドに近いエネルギー波を可能にしているのか……」

 

 反重力エネルギーに近いクローの一撃に《ナナツー参式》が吹き飛ばされた。腹腔を抉られた《ナナツー参式》が無様に転がる中、新型人機が飛翔しようと背面スラスターを焚きかける。

 

 タチバナは慌てて観覧用の双眼鏡を手にしていた。

 

 人機は世界規格でコックピットの上部に機体名のマーキングが存在する。探り当てたタチバナはそれを読み取った。

 

「モリビト……だと」

 

 モリビトの名を冠する人機がスラスター出力だけで飛翔し、直上を目指す。しかし、真上はコミューンを保護するドーム部だ。

 

 どうする気だ、と緊張を走らせたタチバナが目にしたのは、瞬間的な銃撃の熱量によって即座にドームの天蓋を割ってみせた新型人機の攻撃性能である。

 

 ドームが割れ、ブルブラッド大気が逆巻く。

 

 全員が所持していたマスクで鼻と口を塞ぐ中、タチバナだけが呆けたようにその行方を見送っていた。

 

「モリビト……まさかその名を冠する人機を、この時代に目にするなど」

 

 内壁が自己修復し、ブルブラッド大気を遮る。ブローカーが声を弾けさせた。

 

「外壁防衛の《ナナツー》を出撃させろ! あの新型を逃がすな!」

 

 悪態をつくブローカーを他所にタチバナは確信を得たように笑みを浮かべていた。

 

「あれが、モリビトか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出撃コードを受け取った迷彩色の《ナナツー》が地下区画より地上へと出たその時には、既に離脱軌道に入っていた。

 

 通信網が《ナナツー》の操主達の声を拾い上げる。

 

『逃がすな! あの人機を墜とせ!』

 

《ナナツー弐式》の所持するロングレンジライフルの火線がこちらを狙い澄まそうとする。どれも当てずっぽうで射線に入るまでもなかったが、自分の役目はこのコミューンにおける新型人機の披露会を妨害する事だ。

 

 その役割には当然、既存の人機を圧倒する事も含まれている。

 

「色々と、損な役回りねっ!」

 

 翻った灰色と緑色を基調とした人機は、両手に装備した武器腕を起動させる。

 

「両肩の照準器をオートマチックに移行。射線内の相手を圧倒する。食らえ! アルベリッヒレイン!」

 

 銃火器の雨が《ナナツー》へと掃射される。装甲を溶解させた《ナナツー》が一機、また一機と倒れていく。

 

『怯むな! 向こうとて実体弾だ!』

 

「怯んでくれるとありがたいんだけれど、わたくしのこの人機の性能を見せるには打ってつけね。その命知らずが」

 

 発射した熱量をそのままに両手の銃火器を仕舞い込み、内側から溶断クローを出現させる。

 

 背面スラスターと両肩の補助推進剤を用い、一気に迫ったこちらに相手の人機が圧倒されたのが伝わった。

 

「そんなへっぴり腰で! わたくしの《インペルベイン》は落とせない!」

 

 溶断クローが人機のブルブラッド反応炉が結集する鳩尾へと食い込み、一機ずつその稼動を奪っていく。

 

 こちらに中距離戦用のアサルトライフルを向けかけていた《ナナツー》が照準に躊躇いを見せた。その隙を逃さず、足裏に装備したリバウンドブーツで機動する。

 

 幾何学の軌道を描いて肉迫した《インペルベイン》に《ナナツー弐式》のうろたえ気味な射撃は命中しなかった。

 

 溶断クローが腹腔を抉り、他の機体からの一斉掃射を盾にしたその機体が受け止める。煽られたように《ナナツー》の機体が嬲られた。

 

「味方ごと倒すって寸法は嫌いじゃないけれど、でもこの場合じゃ、相討ちみたいなものよ」

 

《ナナツー弐式》を盾にしたまま、《インペルベイン》が他の《ナナツー》へと猪突をかける。攻撃を彷徨わせた相手へと盾にした《ナナツー》を放り投げ、すぐ傍に位置する別の《ナナツー》の両腕を焼き切った。

 

『た、退避! 退避ー!』

 

《ナナツー》部隊が逃げ腰になっていく。今はまだ、その勢力を追うほどの段階ではない。

 

「第一フェイズクリア。《モリビトインペルベイン》。この戦域を離脱する」

 

 リバウンドブーツを用い、踊るように《インペルベイン》はコミューンを後にした。

 

 転がっているのは《ナナツー》の骸だ。ブルブラッドの濃紺の大気がすぐさまその装甲を錆びさせていく。

 

「相変わらず、地上って好きになれないわ。《インペルベイン》、とっとと終わらせるわよ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯5 戦端の奏

 リバウンドフィールドに守られた土地で生きるのに、権利は必要ない。

 

 コミューンの天蓋は今日も平和そのものの色を湛え、ブルブラッド大気から太陽光だけを得ている。

 

 享受する平和に誰も疑問など挟むまい。

 

 だからこそ、一撃が必要であった。

 

 世界を変える一撃。渾身の爆弾の華を。

 

 型落ちの《ホワイトロンド》を使うのは出先を割れさせないためだ。どこからの手先で、どこからのテロ攻撃であるのかを相手に悟らせるのは下策。

 

 特攻爆弾を所持した《ホワイトロンド》がコミューンに向けて真っ直ぐに疾走する。

 

 それを関知したのはコミューンの外壁防御についていた数機の《ナナツー》であった。

 

『達す。どこの所属の機体か』

 

 その警告を無視して《ホワイトロンド》が突っ切る。緊急用の推進剤を焚き、ブルブラッド反応炉の臨界点に達する速度でコミューンへと突っ切った。

 

 その目的が自爆だと知った時には相手の対応は既に遅い。

 

 おっとり刀でアサルトライフルを照準する《ナナツー》だが、両肩からコックピットを堅牢に防御するリアクティブアーマーが特攻目的の《ホワイトロンド》に鉄壁を約束している。

 

『相手は自爆テロリストか……。コミューン防衛装備! 式典型も全部出せ!』

 

 紅白柄で彩られた《ナナツー》までも出撃し、弾幕を張るがあまりにもその対応が遅れていた。

 

 抱えた爆弾をコミューンに向けて投擲しようとする。本来ならばブルブラッドに連動した爆弾で甚大な被害をもたらすはずであったが、小型爆弾だけでも《ナナツー》部隊の半数は減らせるだろう。

 

 そう判じて掲げかけた腕を一射した銃弾が射抜いた。

 

 爆弾に引火し、片腕が吹き飛ぶ。まさか、この距離で中てた《ナナツー》がいるのか。《ホワイトロンド》に乗る男はしかし、眼前に佇むそれが《ナナツー》ではない事に気づく。

 

 獣の形状をしたマシーンであった。四つ足で地を踏み締め、呻るような機動音を響かせている。

 

 獣型の機体など存在したか。照合にかけようとした男へと獣の機体が襲いかかった。

 

 小型爆弾で相手を引き剥がそうとするが、その牙が電磁を帯び、爆弾の信管を無効化した。

 

「強化ECM? こんな機体が何故!」

 

 電磁の牙が《ホワイトロンド》の手に噛みつく。引き千切った機体の腕からブルブラッドの青い血が迸った。

 

 両腕を失った形の《ホワイトロンド》が推進剤を焚き、相手を蹴飛ばす。しかし、くるりと身を返した獣型の機体は全くダメージなど負っていない様子であった。

 

「……何者だ」

 

 その問いかけに応じず、獣型の機体が跳ねる。両肩に装備した連装ガトリングが火を噴くもことごとくかわされていく。

 

「こんな軽快な動き……古代人機か?」

 

 しかし照合データの中にある古代人機に一致するものはない。

 

 獣型が追突し、《ホワイトロンド》が跳ね飛ばされた。防戦一方のままでは自爆は完遂出来ない。

 

 ――こうなれば、と男はブルブラッド炉心に直通する本体の爆弾を起動させた。

 

 獣型が襲ってくれば反応して爆発するであろう。

 

 しかし、先ほどまでこちらに攻撃を仕掛けてきた獣型が不意に警戒する。まさか、勘付かれたのか、とじわりと汗が滲む。

 

 このまま距離を取られていればただ自分が自爆するだけ。コミューンに打撃も与えられないままに。

 

《ホワイトロンド》に乗る男はその時、冷静な判断力を失っていた。ここで犬死にするくらいならば、相手に一撃でも報いる。

 

《ホワイトロンド》の推進剤を全開にして獣型へと猪突しようとした。

 

 その刹那、中空から銃撃が一射される。

 

《ホワイトロンド》を射抜いたのは実弾ではない。リバウンド効果を利用したプレッシャーガンであった。

 

 ピンク色の光条が《ホワイトロンド》の中核であるブルブラッド炉心を貫き、爆弾に引火する。

 

 直後には男の意識は《ホワイトロンド》の爆風と共に消し飛んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロデム。敵性人機の破壊を確認。ノエルのプレッシャーガンでテロリストを制圧。なーんか、こういう役回りが多い気がするなぁ。モモはいつになったら、第一フェイズ終了って言ってもらえるのか不安だよ」

 

 中空に佇むのは翼を有した人機であった。ちょうど胴体がない形であり、翼を背負い、逆関節の脚部を有している。

 

 そのあまりにも既存の設計思想からかけ離れた人機に《ナナツー》部隊が銃口を向けた。照準警報がコックピット内に鳴り響く。

 

 桃色の長髪を二つ結びにした少女はコックピット内でチョコレートを頬張っていた。

 

 あどけない双眸が眼下の《ナナツー》を見据える。

 

「ちぇっ。せっかくコミューンを守ってあげたのに、恩知らず」

 

『所属不明機に告ぐ! ただちに降下した後、投降せよ! コミューン防衛の任において、その機体を接収する権利がこちらにはある』

 

「そんなはずないでしょ。モモが子供だからって、そーいう大人の言い草ってキライ」

 

 地上でテロリスト機と交戦したサポートメカが《ナナツー》へと威嚇する。《ナナツー》のうち一機が覚えず、と言った様子で射撃した。

 

 一撃は掠めただけであったが、少女の自尊心を傷つけるのには充分であった。

 

「……もういいや。ロデム。第一フェイズでは《ノエルカルテット》の性能を見せちゃいけないんだけれど、モモの可愛いロデムに攻撃したんだから仕方ないよね。《モリビトノエルカルテット》、やられたからやり返す」

 

 紅色のデュアルアイセンサーが輝き、《ノエルカルテット》と呼ばれた機体から取り出されたのは銃口であった。

 

 地上展開するロデムを撃った《ナナツー》を照準し、一射されたのはエネルギーの凝縮体であるプレッシャーガンである。

 

 Rフィールドの弾道が肩を貫き、《ナナツー》の片腕が溶解して垂れ下がる。

 

 もう一撃、と加えようとした《ノエルカルテット》のコックピット内で警告音が響いた。

 

『それ以上の介入は第一フェイズに反する』

 

 女性の声に少女は後頭部を掻いた。

 

「……分かってる。ロデムを回収。《ノエルカルテット》はこの空域から離脱する」

 

 地上からロデムが跳躍した。頭部が胸元へと収納され、四つ足が可変し、両腕となる。

 

 胴体部へと収納したロデムは完全に一機の人機へと変形を遂げていた。

 

『合体した……だと』

 

 通信網を震わせる《ナナツー》の操主達の困惑を他所に赤と白で彩られた機体は遥か高空へと飛翔していく。

 

「せっかくコミューンを守ってもただ働き同然かぁ。これじゃ、なーんも価値ないや」

 

 コックピットの中でリニアシートに背中を預けた少女は新しい飴玉を口の中に放り込む。

 

 ガリッ、と歯で噛み締めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯6 ブルブラッドキャリア

 もたらされる情報は常に最新のはずであった。

 

 ネットワークの張られた地下区画の深部で、世界を監視するシステムが静かに稼動する。

 

 元老院、と呼ばれるシステム管理者達が義体の身体から電気信号を発し、世界規模で巻き起こっている事件を総括する。その結果がもたらされるのが各国コミューンであり、ドームに守られた人類を管轄するのが元老院の役目であった。

 

 平和を守る、と言えば聞こえがいいが、そのあり余る性能のほとんどを古代人機の関知と惑星を保護するRフィールドの天蓋――プラネットシェルの性能維持に傾けているスーパーコンピュータの群れは常時、十五パーセントも稼動していない。

 

 しかし今ばかりは、その性能を如何なく発揮し、解析に務めていた。

 

『ゾル国の惑星警護の《バーゴイルスカーレット》が一機撃墜、もう一機が中破。敵性人機は衛星軌道から惑星に突入してきた、という報告を受けている』

 

『こちらは同時刻、C連合下の開発コミューンにおいて品評会を催されていた《ナナツー》の新型披露会において、謎の人機を目撃。新型《ナナツー参式》を下し、外壁防衛の《ナナツー》部隊を圧倒した、との報告を受けている』

 

『こちらはそれより数時間後、《ホワイトロンド》を駆る自爆テロリストを排除した謎の機動兵器を外壁警護の《ナナツー》が目撃。これが映像である』

 

 全員に同期されたのは、獣型の機動兵器が《ホワイトロンド》を圧倒し、空域を見張る謎の人機がR兵装であるプレッシャーガンを一射したところまでの映像であった。

 

『R兵装……封印された技術だ』

 

『左様。百五十年前にこれらは惑星の恒久平和を脅かすとして封印指定を受けた』

 

『新情報を追記。目撃情報から、謎の新型人機のコードが〝モリビト〟という名称であると確認』

 

『モリビト、だと』

 

 情報の深部へと潜っていった元老院のネットワークは全員が全員、同じ結論に至った。

 

『百五十年前に封印された人機の名称だ。三大禁忌に抵触する』

 

『三大禁忌の情報開示を求める』

 

『クリア。三大禁忌とは、百五十年前、惑星を襲った大規模汚染の元凶となった開発計画を指す。今日のブルブラッド汚染の苗床になった三つの人機、それぞれの固有名称を〝トウジャ〟、〝キリビト〟、そして――〝モリビト〟』

 

『この三大禁忌は完全に秘匿され、我ら元老院の情報閲覧レベルでのみ、開示可能となっている。モリビトを完全再現する事は現状、各国のコミューンでは出来ない』

 

 ではどこの手先か。元老院の頭脳を突き合わせても答えは出ない。その時、情報閲覧レベルの内部で新情報がピックアップされた。

 

『新たなる情報を発見。これは……映像である』

 

『全員の閲覧レベルに表示』

 

 ディスプレイに映し出されたのは三機のモリビトタイプであった。それらを背後にして禿頭の男性が杖を片手にこちらを睨み据えている。

 

 その眼差しには何もかもへの憎悪が窺えた。

 

『地上に棲む全ての人類に警告する。我々の名はブルブラッドキャリア。百年前に母なる星を追放された原罪の者達である』

 

 ――ブルブラッドキャリア。

 

 その名称が紡がれた瞬間、元老院の人々に緊張が走った。

 

『情報閲覧レベルを設定しろ。民間に流すな』

 

『もう遅い。既に民間ネットワークを掌握している』

 

 元老院の焦りを他所に、禿頭の男性は言葉を継ぐ。

 

『百年だ。百年間待った。我々は、惑星に棲む者達から爪弾きにされ、ブルブラッド大気汚染を引き起こした元凶として、惑星に帰る権利を剥奪された。しかし、その雌伏の百年もここまで。我々は禁断の機動兵器モリビトを有し、武力でもって惑星圏の人々に、復讐する事を宣言する』

 

 絶句した元老院の人々は禿頭の男性の映し出された映像に存在する三機のモリビトタイプを目にしていた。

 

 赤と白のモリビト。灰色と緑色のモリビト。そして――青と銀のモリビト。

 

『馬鹿な。ブルブラッドキャリアが生きていたなど……。完全に追放したはずだ。奴らの生存圏などあり得ないはず。どこでどうやって、モリビトを建造した』

 

『データベース上にはモリビト製造には莫大な資産とブルブラッドの管理区域が必要となるはず。それを地上ではなく、宇宙でやってのけたというのか』

 

 禿頭の男性は睨む眼を注いだまま、元老院の焦燥を嘲るように口にする。

 

『我々ブルブラッドキャリアの製造したモリビトによって、地上で蔓延る数多の機動兵器を駆逐し、悪しき虹の皮膜で覆われた大地を解放する。虹の皮膜――Rフィールドによる惑星の管理、三本のRフィールド発生装置で完全に隔離された母なる星を見過ごせるものか。第一フェイズは既に完了した。我がメッセージの受信を伴い、ブルブラッドキャリアは第二フェイズに移行する。戦闘区域への介入をもって、モリビトの力を知るがいい。地上の人々はその時、再び思い知るだろう。我々を放逐した罪悪がどれほど重いのか。百年前の罪を、地上の人々はようやく思い出す。ブルブラッドキャリア、その罪悪の行方を。正義はどちらにあるのかを』

 

 元老院の義体達がそれぞれ機械音声の怒声を飛ばした。

 

『ふざけるな。正義はこちらにある。彼奴らを追放したのは間違いではない』

 

『問題なのはこの放送を受け取った民間と、コミューン国家か。情報統制を敷くとしても、コミューン国家間の緊張は避けられまい。モリビトの脅威が襲いかかるのは自明の理』

 

『三大禁忌が百年の月日を経て、まさか我々に牙を剥くとはな。モリビトの名を継承する機動兵器か』

 

 元老院は沈黙するしかなかった。答えを保留にするしか、原罪の行方を辿る方法はなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯7 共通の敵

 開口一番に発したのは、あの機体はどの国の標準人機とも異なる、という見解であった。

 

 当然の事ながら、人機研究の第一人者である自分からそのような弱音の出た事を、同じ研究の分野の人々が糾弾する。

 

「標準人機ではない? それではどの国の人機だと?」

 

 開かれたのは有識者会議だ。ブルブラッドキャリアに関しての情報開示と、モリビトという機動兵器に関しての情報共有が表向きだが、顔を突き合わせる誰もが腹の探り合いを早速始めている。

 

 ここに集ったのは各国の人機研究の頭脳達。当然、あの人機を造ったのはお前か、という目線が交わされ合う。疑念の有識者会議でタチバナは代表者として発言していた。

 

「恐らく、惑星圏内の人機ではない、と。パーツ規格は既存のものである可能性が高いが、ブルブラッドエンジンとその設計思想は全く新しいものではないかと考えられる」

 

「しかし、この百年余り、全く新しい人機など開発されたためしがない。《ナナツー》、ロンド系列、それに《バーゴイル》であったか。この三機をベースとし、派生した機体は製造されたものの、本当の意味での新型は存在してこなかった」

 

 タチバナはその事実とブルブラッドキャリアの宣戦布告を照らし合わせる。百年前に追放された原罪の人々。彼らが有するモリビトなる新型人機。

 

「モリビト……ゾル国の撃墜王の称号以外で考える場合、やはり百五十年前に開発されたという幻の機体の線を洗うしかないだろう」

 

 その言葉に一人の研究者が卓を叩いた。

 

「幻の機体? トウジャ、キリビト、モリビト、と呼ばれた三つの機体の事か? あれは開発計画が頓挫したものだ。そもそも製造されなかった、とされる文献もある」

 

「しかしそう考えると辻褄は合う。百年前に追放された人々はモリビトの開発データを手に、宇宙に渡った。衛星軌道外でモリビトを静かに開発、製造したのだとすれば……」

 

 タチバナの憶測にすぐさま異議が飛ぶ。

 

「オカルトだ。第一、ブルブラッドエンジンをどこで、どうやって手に入れるというのだ。あれは惑星内でしか採掘されない。外に出た者達が新型ブルブラッド反応炉を手に入れられる道理がない」

 

「やはり、内通者の存在を視野に入れるしかありませんな」

 

 一人の発した苦言に他の研究者が反応して立ち上がった。

 

「貴様! 自分だけ蚊帳の外のような言い草を! そもそもここにいる有識者ならば、誰でも! ブルブラッドエンジンの密輸など簡単だ! 人工衛星の積荷に混じらせて宇宙に輸送すればいい!」

 

「それはあなたがやったから言える言葉か?」

 

 喧嘩腰の研究者達を諌めるのは不可能であった。水掛け論ばかりで話は一向に進展しない。

 

「モリビトの名前を……幻の機体の事を知っている者は数多いだろう。問題なのは、追放されたというブルブラッドキャリア。彼らの事だ」

 

「馬鹿馬鹿しい! あんなもの、捏造だ!」

 

 何の証拠もないのは確かだが、否定する論拠もないのも事実。タチバナは映像に映っていた禿頭の男性の事を思い返す。

 

「あの映像の人物は? 特定出来ましたかな」

 

「オガワラ博士、ドクトルオガワラと呼ばれている偉人だが、彼は既に死んでいる。五十年前にしっかりと葬儀もされた、立派な死人だ」

 

 死者からのメッセージ、というわけか。タチバナは強い顎鬚をさすって、その事実確認を要請する。

 

「関係各所にオガワラ博士の生死を今一度確認。本当に彼は死んだのか、その事実究明を」

 

「タチバナ博士、もしや、氏が生きているとでも?」

 

 それこそもうろくしたか、と揶揄された眼差しにタチバナは睨み返した。

 

「分からない。だが分からないままにしておいていい事案でもない。オガワラ博士がもし、生きているのだとすれば、ブルブラッドキャリアなる組織を立ち上げた痕跡程度はあるはずだ。その足跡を辿ればともすると、正体の見えない存在を詳らかに出来るかもしれない」

 

「そもそも、追放された人々というのは正式な記録ではあるまい」

 

 百年前に何が起こったのか。誰しも知る必要があった。ドクトルオガワラは本当に死んでいるのかも。

 

「ブルブラッドキャリアに関しての追加情報は?」

 

「依然として不明。追放された、とされる人々の真偽も……」

 

「嘘かもしれない情報に踊らされている、というわけだ。まさしく死者の饗宴だな」

 

 皮肉を入り混じらせた研究者が肩を竦める中、タチバナは一つでも確定情報が欲しいと呼びかける。

 

「モリビトに関してもそうだが、オガワラ博士に関しても調べを進めるように。モリビトと交戦した人々の情報は? まだ集まらないのか?」

 

 読み上げるのは世界各国の頭脳を突き合わせたこの議会に、ただ一人の凡人として召喚された諜報機関の男である。

 

 水無瀬、と名乗っていたか。

 

「C連合傘下のコミューンで目撃されたモリビトタイプです。画像は粗いですが、これと交戦した操主の情報は皆さまの手元にある通り」

 

《ナナツー参式》のテストパイロット――タカフミ・アイザワ。彼の実戦経歴と軍務が記された書類の文末には「該当条件なし」と記されている。ブルブラッドキャリアとモリビトのお膳立てのために用意された人間である可能性はシロという事だ。

 

「ただのテストパイロットかね」

 

「《ナナツー参式》を乗りこなしています。それなりに熟練度のある操主かと」

 

「それがこの様か」

 

 書類を叩いた研究者は、モリビトタイプに圧倒された《ナナツー参式》のスクラップを目にしていた。

 

 その現場にいたタチバナにも当然、疑問が上がる。

 

「現場にいた人間に聞くのが一番早いのではないですかね?」

 

「……ワシを疑っているのならば生憎だが、あの品評会には他にも五十名近くの政府高官がいた。彼らの証人尋問を済ませずして現場検証にはならない」

 

 そもそも、あの品評会そのものを計画したのはC連合のブローカーだ。そちらの方面で調べを尽くすのが当然であろう。

 

 自分を蹴落としたい研究者達は目に見えて落胆したのが伝わった。

 

「このモリビトタイプ、重武装型だとお見受けしたが、これほどの武装をどこで? 宇宙からやってきて補給もなしにこんな芸当が出来るとは思えない」

 

 やはり内通者の存在を疑う論調なのは相変わらず。タチバナも外壁警護の《ナナツー》を退けたほどの火力はどこから来るのか、気になっていた。

 

「重武装の武器腕に、その熱量を再利用した溶断クローか。さらに大出力のスラスターを装備。どこで買い揃えれば、ここまで整った装備が出来るのでしょうね」

 

「……映像には三機のモリビトタイプが存在した。残り二機は?」

 

 このまま牽制の言葉を投げ合っていても始まるまい。少しでも議論を前に進めるべきだろうとタチバナは顎をしゃくる。

 

「もう一機はC連合傘下のコミューンを襲ったロンド系列の機体を撃破したものを……。こちらも映像は大分粗いですが」

 

《ナナツー》から撮影された映像には大型のリアクターを装備した人機が映し出されている。航空装備に、逆関節の脚部。赤と白のカラーリングが施されており、驚嘆に値すべきなのは、ロンドタイプを破壊したのはそのモリビトの性能ではなく、中型の別の機体であった事だ。

 

「これは、サポートマシンか? しかもこの映像通りなら、この大型人機に合体するようだが……」

 

 映像がぶれているものの、大型のモリビトへと獣型の機体が収納されたのを確認出来る。

 

 合体する人機などここ百年余りで存在した事がない。コストパフォーマンスの点で全く割に合わないからだ。

 

 稼動させるに当たって血塊炉が複数必要になるだけではない。機体のOSにも複雑な動作を強いる事になる。現時点で、そのような器用なOSは存在しなかった。

 

「サポートマシンを駆り、加えてこの武装は……開発中のR兵装に映るが」

 

「リバウンド兵装は開発しているものの技術的な壁が立ちはだかっている難題。それを宇宙に追放された人々が先んじて造り上げた? 馬鹿な!」

 

 卓上を拳で叩いた研究者の苛立ちはここにいる誰もが分かっている。リバウンド兵装と呼ばれる領域に関してはエネルギー問題、加えてあらゆる課題が山積しており、一朝一夕で突破出来る部門ではない。それを百年前に宇宙に追放された人々が開発し終えているなど、地上の研究者ならば信じ難いのは当たり前だ。

 

「R兵装を発射可能なほどの大出力ブルブラッド……。さらにサポートマシンを使役出来る優秀なOSにAI、どれも国家が一つ二つ傾かなければ開発出来ないものばかり。ファンタジーではないのだぞ」

 

 眉間に皴を寄せた研究者のため息にタチバナはこの場を預かる身として、二機のモリビトに関する判定を下すべきであった。

 

「この二機を、別々に呼称する。中距離型、重武装のモリビトをタイプ01、大型のモリビトをタイプ02と敵性コードを打っておけ。ゾル国、C連合、ブルーガーデン、発信可能な全ての国家コミューンに、だ。どこが襲撃されても、情報が同期出来るようにな」

 

「ブルーガーデンにも、ですか……」

 

 その国家の名前を紡ぐと顔を翳らせる者達が多いのは、未だに拭えぬ偏見の証であった。

 

「実力のある操主が多いのは事実だ。たとえ開発の行き届いていない野蛮国家と、ゾル国とC連合が判断を下しているとしても」

 

 ブルーガーデンは他のコミューンとは連携体制が違う。王権制を未だに敷いている独裁国家だと考えられている。輸出入の形跡も少なく、どうしてそのようなコミューンがまかり通っているのかと言えば、資源採掘に全く困窮しない地域性が強いからだ。

 

 現にゾル国、C連合はブルーガーデンを一切通さない血塊炉採掘は不可能だとしている。それほどまでに資源の問題は深刻。ゆえに、ブルーガーデンに話を通さねばならない。モリビトが地上の技術者を使って製造されたのだとすれば、それはブルーガーデンも一枚噛んでいると考えなければ筋が通らない。

 

「あの独裁国家が作り上げた、妄言ではないのですか。それこそ、このモリビト騒ぎそのものが」

 

「可能性は捨て切れないが、ブルーガーデンに話を通さずして、この課題は突破不能。逆にいい牽制になるかもしれない」

 

「牽制?」

 

「ブルブラッドキャリアという組織があるとして、ブルーガーデンに関係のある組織ならば、ゾル国とC連合の体のいい戦争の火種になる。うまく事が運べばブルーガーデン一強のこの体制を打ち崩す事が出来る」

 

 まさか、そこまで加味した計画かもしれないとは誰も思っていなかったが、可能性を挙げるに当たって、国家同士の諍いの線はやはり疑うべきだろう。

 

 あるいはこの想像を思い浮かべさせるゾル国とC連合の陰謀説……いくらでも可能性だけならばここで挙げる事が可能だ。

 

 問題なのは、それが可能かどうかではなく、一つでもブルブラッドキャリアを追い詰めるためならばここで議論するべきだという事。

 

 せっかく各国の頭脳が突き合わされているのだ。ただ単に相手を揶揄し、ここで皮肉合戦を浴びせるよりかはずっと建設的だろう。

 

「……いずれにせよ、次にモリビトの現れるその時こそ、逆に好機だと知るべきだ。相手の手の内も知れぬ現在では打てる手も限られている。モリビトタイプ01、02を広域に情報発信。今分かっている情報だけでも掴ませておけ」

 

「情報に関する値段は?」

 

「……惑星の危機だ。そんな時にいちいち物価を気にするべきかね?」

 

 その言葉に研究者達は沈黙を是とした。

 

 たとえどこかの国家の陰謀であろうとも、あれほどの人機を製造したのだ。大国が作り上げた幻でも、その技術は喉から手が出るほど欲しい。全員の認識はそれで間違いないだろう。

 

「モリビトタイプを世界的な敵性人機とする。異論はないな?」

 

 降り立った沈黙がその答えであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯8 苦渋

 コミューンを電波ジャックしたその放送に、目を奪われていたのは群集ばかりではない。

 

 偶然、テレビを目にしていた少女もそうであった。幼さを残した顔立ちに、くりくりと大きなエメラルドの瞳が突然にテレビに映し出された禿頭の男性と、三機の人機を見つめている。

 

「モリビト……それは、にいにい様の称号じゃなかったの?」

 

 問いかけた少女に侍女はテレビの電源を静かに切った。

 

「お身体に障ります」

 

「にいにい様がモリビトなんでしょう? この放送って変よ」

 

「燐華お嬢様」

 

 侍女の諌める声に燐華はむくれてベッドに横たわる。

 

「機動兵器って、モリビトってたくさんの人を守る、そういう存在の事を言うんでしょう? 何で、それがよく分からない人達の持っている兵器になるの? 全然理解出来ないわ」

 

「桐哉様は立派なお仕事をなさっているのです。このモリビトとは何ら関係のない、ご立派な称号を」

 

「でも、モリビトって言っていたわ。どういう意味なの?」

 

 侍女は押し黙る事しか出来ないようだ。燐華は顎でしゃくる。

 

「テレビ、点けてよ。あたしだけ本当の事を知っちゃいけないの?」

 

 仕方がない、とでもいうように侍女はテレビの電源を点けた。その時には、電波ジャックは終了しており、先ほどの放送に関して、キャスターが釈明している。

 

『謎の放送電波であり、市民の皆様におかれましては、どうか混乱せず、落ち着いて対応なさってください』

 

「桐哉様とは関係のない話のようですが」

 

 燐華は後頭部に手をやって訳知り顔で呟いた。

 

「でも、モリビトって、それはにいにい様の事でしょう? 国から与えられた、とても名誉な称号だって……」

 

「ですから、お嬢様にも関係のない事なのです」

 

 慌しく書類を受け取るキャスターが羅列された事柄を読み進める。

 

『どうかゾル国市民の皆様においては冷静な判断をなさるよう。政府は緊急特例会議を開き、一時間後にはメディア向けの会見を行う予定です』

 

「モリビト、ってあたしも、みんなも守ってくれる、特別な存在なんでしょう? にいにい様は古代人機を倒して、あたしの治療費までまかなってくれているし」

 

 国家から撃墜王の称号を得た桐哉は自分の誉れのはずであった。しかし、先刻の放送通りならば、モリビトの意味は違ってくるのではないか。

 

「ねぇ、モリビトは世界の味方よね? あたし達を守ってくれる、そういう人の事を言うのよね?」

 

 疑問に駆られた燐華を侍女は優しく諭す。

 

「桐哉様は立派に職務を全うなさっておられます。この放送はきっと、何かの間違いでしょう」

 

 その言葉が仮初めのものであるのは直感的に分かった。侍女もまだ理解が追いついていないのだろう。ただ、燐華にモリビトの名を疑問視させてはいけないのだと、それだけを考えているのだ。

 

「……うん。にいにい様は、だってすごいんだもん」

 

 胸元で拳をぎゅっと握り締める。兄の事を心配して何が悪いのだろう。侍女はテレビを消して眠るように告げた。

 

「情報が錯綜するだけです。今は、お眠りを」

 

 首肯して、燐華は掛け布団を頭から被る。侍女が部屋を去ったのを確認してから、燐華は手持ちの端末をベッドの中で起動させた。

 

 モリビト、に関するホットワードを検索すると、様々な人々がSNSで議論している。

 

 ――モリビトって撃墜王の事じゃなかったの?

 

 ――裏切られた気分だ。モリビトって敵の事だったのか。

 

 ――何だかよく分からないけれど、国家に騙されていたって事?

 

 それらの言葉を眺めるのが辛く、燐華は端末から桐哉に通話をかけた。

 

 予測はされていたが、兄は通話に出る事はなかった。

 

「にいにい様……、モリビトは味方なのよね……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 唾をつけられた気分だ。

 

 そう切り出した高官に桐哉を含めたスカーレット隊は通信を受け取っていた。

 

 搭乗機の《バーゴイルスカーレット》は左腕を根元から切り裂かれ、右手にも損傷を与えられている。

 

 衛星軌道上に戻るのは不可能と判断し、近場のゾル国傘下のコミューンにて、桐哉は《バーゴイル》の整備と情報の整理をしている最中であった。

 

 整備班の人々は先ほどから大型モニターに繰り返し表示される宣戦布告に釘付けになっている。

 

「モリビトって、これ……」

 

 濁した先に桐哉の姿を認め、そそくさと去っていく者が先ほどから後を絶たない。

 

 何なのだ、と桐哉は拳を握り締めた。

 

 モリビトの名を冠する機体とテロリスト。それらがどうして、自分達のような地上で善良に棲む人間達に牙を剥く?

 

 理解出来ない事柄に際した桐哉は、さらに理解し難い高官の苛立ちをぶつけられていた。

 

『桐哉・クサカベ准尉。ゾル国の人々からサーバーがパンクしかねないほどの問い合わせが来ている。モリビトと名乗った相手と、君は全くの無関係、そうなのだね?』

 

 問うまでもないだろう。モリビトの名を賜ったのは自分だ。それを授けたのは国家である。その国家が、どうして疑問を個人にぶつける。

 

「当たり前です。そもそもモリビトの名前は、古代人機をある一定数撃墜した人間に与えられるもので、相手側の……しかもテロリストの機体コードと同一なんて分かるわけが……」

 

『しかし、今も問い合わせは来ているんだよ。一国を背負うエースの名前に泥を塗られたも同義だ。モリビトの名前を持つ君が先導しているのではないか、という陰謀論さえ出ている』

 

「そんな……! 自分はただ、古代人機からの防衛任務に……!」

 

『無論、そのような事実はないのだと分かっているのだがね。モリビトとブルブラッドキャリアを名乗る相手に、君が交戦した謎の敵性人機。うまく事が転がり過ぎている、と怪しむ人間も多い』

 

「……自分が手引きしたと仰りたいのですか」

 

『それはない、とはっきり言えないのが現状でね。モリビトの名前はゾル国にとって祝福そのものであったはずなのだが、こうして敵側に利用されている現状、何も痛い腹はない、と言い切れないのが、どうにもね』

 

「自分は……スカーレット隊のうち一名を失いました。まさか、仲間を裏切ってまで相手に与したとでも?」

 

 後続援護の彼はモリビトの名を冠する機体に撃墜された。自分も死にかけたのだ。これほど身体を張ってまで相手に寝返る意味がない。

 

 それは高官も理解しているはずなのだが、彼の言葉には煮え切らないものが宿った。

 

『我々としても策は練っているのだが……メディアというのは身勝手でね。自分達の持ち上げたモリビト……英雄の名前に疑問視をする恩知らずも多い。全くの無関係、を決め込むのにも限界が生じる、と言っているんだ』

 

「……ではどうしろというのです。まさか、自分にここで死ねと!」

 

 胡乱な語調に数人の整備士が立ち止まった。桐哉は彼らの視線を受け止めながら、冷静に言葉を繰る。

 

「……無関係です。そうとしか言えない」

 

『君の言いたい事は分かるし出来うる限りバックアップはしていくつもりだ。だが、人々の抑圧された疑念というのは大きい。英雄の転落劇を面白がる人間も数多いというのを忘れないでくれたまえ』

 

 その言葉を潮にして通信は切れた。だが、大型モニターには相変わらず、モリビトタイプと言われている三機と、禿頭の男性の継ぐ怨嗟の言葉が繰り返されている。

 

 コメンテーターが身勝手な言葉を発していた。

 

『モリビト……というとゾル国の撃墜王の称号ですよね。ともすると、彼が手引きした可能性というのもゼロではないのでは? テロリスト側もそれを加味して、わざわざモリビトなどという名前をつけた可能性も――』

 

 桐哉は手にしていた缶コーヒーを投げ捨てていた。ここまでコケにされて黙っていられるわけがない。

 

「……俺の事が気に入らないだけなら、それでいい。でも、モリビトの名前にケチをつけた事、後悔させてやる」

 

 それは自分だけの栄光ではないのだ。桐哉は両腕を取り外された搭乗機へと振り仰ぐ。

 

 愛機である《バーゴイルスカーレット》は真紅の装甲を塗り直されていた。いつでも出られる状態に仕上げてくれる事だろう。

 

 ――雪辱は晴らす。

 

 桐哉は好奇の眼差しを注ぐ整備班を抜け、自身のセーフルームへと入った。

 

 首元を開けた操主服からネックレスを取り出す。開くと、笑顔を向ける愛しい妹の姿があった。

 

「燐華……俺はお前を傷つけてしまうかもしれないのが、一番に悔しい」

 

 拳を握り締め、桐哉はエアロックの扉を叩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『有識者会議において、モリビトと呼称される兵器を、世界規模の危機として情報の共有化をはかる事が議決されました。国家間の情報共有が公に決定されたのは、ブルブラッド汚染が確認されてここ二百年の歴史で始めての事です』

 

「二百年……いいじゃない。よーやく歴史が動き出すんだし。モモは楽しみっ」

 

 コックピットで飴を齧っていた少女はコンソールに裸足を乗せて、ふふんと笑みを浮かべていた。

 

 コミューンの傍受電波を全て無効化するのは巨大な翼を有する《モリビトノエルカルテット》である。

 

 逆関節の重量級機体が重力下でありながら、まるで無重力のように空間を漂っている。

 

 全身から発生するリバウンド兵装の白い力場がその冗談のような駆動を可能にしているのだ。

 

 赤と白に彩られたモリビトはコミューンを俯瞰し、そのコックピットに収まる少女は純粋無垢にこの騒動を楽しんでいた。

 

 モリビトの名前が世界に轟く。計画の第一フェイズがようやく終了の時を迎えようとしていた。

 

「今まで散々、根回しばっかりさせられてきたもんねー。ロデム、ロプロス、ポセイドン。今度はモモのターンだよっ」

 

 その巨躯に収まる三つの機獣が呻る。凶悪な牙を隠した《ノエルカルテット》は見据えるべき標的をそのコンソールに浮かべていた。

 

「にしたって、この子、最後に来たくせに勝手過ぎ! モモの苦労なんて知ったこっちゃないって感じで気に入らないなぁ。まずはこの子に、挨拶でもしようかな。ブルブラッドキャリアの新人に。だってモモのほうが先輩だもんねー」

 

 レーザーが捕捉したのは数時間前に《バーゴイルスカーレット》と戦闘し、そのまま海上を悠然と失踪する青と銀のモリビトであった。

 

「《モリビトシルヴァリンク》……楽しみだよ」

 

 少女は甘味を取り出し、口の中に放り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「世界は確かに、変わろうとしているみたいね。でもわたくしのやる事は変わらない。第二フェイズ進行に滞りはなく、このまま遂行するのに、何の疑問もないんだけれど」

 

《モリビトインペルベイン》は黎明の光を受けてその機体表面を照り輝かせた。偽装のためにECMを展開し、光学迷彩で衛星写真も騙している。

 

 コックピットの中でリニアシートに背を預け、伸びをするのは茶髪の女性であった。ボブカットの髪をさすり、ふとぼやく。

 

「短く切り過ぎたかしら……今度から美容院に行くとしますか」

 

 もっとも、自分達がそのような身分ではないのは明らかなのであるが。女は先ほどから《インペルベイン》の拾い上げるニュース映像を目に留めていた。

 

「映り悪いわね。わざわざ品評会に顔を出してあげたのに。これじゃ台無しじゃない。でもまぁ、いい宣伝にはなったか。ブルブラッドキャリアの強さを知らしめる、ね。……でも、気に入らないわね、この子。最後に来たくせに、《バーゴイル》に見つかってどうするわけ?」

 

 定点カメラが映し出しているのは銀と青のモリビトだ。衛星映像の一部をもらい受け、《インペルベイン》専用のカメラと化している。

 

「ろくな偽装も施さないでよく抜け抜けと降りてこられたものよね。オマケに《バーゴイル》と交戦、これじゃ計画の前倒しも已む無し、かな。わたくしが、指導してあげなくちゃね。この新人ちゃんに。あなたもそう思うでしょう? 《インペルベイン》」

 

 相棒の機体は静かに水色の眼窩を煌かせた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯9 青い花

『どこへ行くつもりマジ? もう十時間も航行しっ放しマジよ。第二フェイズに移行するのに、エネルギー切れなんて一番に問題マジ』

 

「黙っていろ。もうすぐ着く」

 

《シルヴァリンク》の貯蔵エネルギーは確認済みだ。ジロウに言われるほど無理は課していない。モリビト関連のニュースが必要もないのに拾い上げられてくる。ジロウの性能としては優秀だが、地上を無音で駆け抜けたい鉄菜の考えとは相反する。

 

「ニュース映像を切って。この辺りだから」

 

『何にもないマジよ?』

 

「いや、ここなんだ」

 

 バード形態の《シルヴァリンク》が制動用のブースターを焚いて静止する。コックピットブロックを開け放ち、鉄菜はその光景を視野に入れた。

 

 濃紺のブルブラッド大気の中、咲き乱れているのは汚染された青い花であった。ブルブラッドの下でしか咲けない、原罪の証。人間がこの地上を食い荒らした証明が、眼前に広がっていた。

 

 コックピットの中でジロウが身じろぎする。

 

『これが、鉄菜の見たかったものマジ?』

 

「ああ、そうだ」

 

 降り立った鉄菜へとジロウが注意を飛ばす。

 

『ブルブラッド汚染は深刻マジ! 八十パーセントを超えているマジよ!』

 

「それでも」

 

 踏み締めた大地の感触はずっと軟い。今まで鋼鉄の地面しか知らなかった足が初めて、地表を感じ取る。

 

 足裏に伝わるのは、惑星の叫びであった。

 

 ――怨嗟の声が寄り集まり、一つの形として顕現したのが、目の前で咲き乱れる青い花。

 

 鉄菜は青い花へと手を伸ばした。触れた途端、ガラス細工のように崩れ去る。青い花は話に聞いていた「植物」というよりも「鉱物」に近い。手の中を花の粉塵が滑り落ちていく。

 

 掴んでも消えていく儚い砂。青い砂利が風に乗って中空で渦巻いた。

 

「これが……今の惑星の現状」

 

 草木の一つでさえもブルブラッド汚染の色濃い場所では生えはしない。その代わり、汚染した土壌を苗床にして咲くのは、原罪の青い花。

 

 これがヒトの業。これが、ヒトの犯した罪。決して拭えない、百五十年前の行いの結果だ。

 

 鉄菜は砕けては散っていく青い花を摘もうとして、その感知野を震わせるプレッシャーに空を振り仰いだ。

 

 習い性の身体が飛び退った空間を引き裂いたのは一発の銃弾である。すぐさま姿勢を沈め、相手へと向き直った。

 

「あら? 案外気配には聡いのね。もっと鈍感な子だと思っていたわ。だって、惑星圏に入るなりいきなり戦闘するなんて、まともじゃない、ってね」

 

 中空にいつから位置取っていたのか。重装備型の人機が知らぬ間に接近していた。当然、気取れないジロウではない。

 

 接近はすぐに分かるはずであった。それがこの惑星の中で製造された人機ならば。

 

 明確に理解出来たのは水色のデュアルアイセンサーに浮かぶ敵意と、コックピットから姿を現した茶髪の女が敵であるという事実のみ。

 

 こちらを静かに捉える銃口に鉄菜はホルスターから矢じり型の鉄片を取り出す。相手も得心したように嘲っていた。

 

「アルファーを使う? でも、わたくしの《インペルベイン》の射程圏内にいる貴女のモリビトが蜂の巣になるのと、どっちが速いかしらね?」

 

 モリビトの名に、鉄菜は機体照合をするまでもなく、相手のデータをそらんじる。

 

「《モリビトインペルベイン》……。私のモリビトより早くに建造された、一号機」

 

「随分と二号機の開発が遅れたとは聞いていたけれど拍子抜けね。これがまさか、開発コード〝《シルヴァリンク》〟? リバウンドの盾と妙に折れ曲がった羽根以外、何にも特徴がないじゃない。武装のシンプル化をはかった割には、その考えが浅かったと見えるわ」

 

 鉄菜は内側から燻ってくる衝動を感じ取った。己の中で黒々と湧いてくる獣。墨の一滴のように心を満たすこの感情の行方を。

 

 ――そうだ、これは「怒り」だ。

 

 鉄菜は噛み付きかねない剣幕で返していた。

 

「……私の《シルヴァリンク》を侮辱するな」

 

「……それも意外ね。ブルブラッドに汚染された花を摘んだり、命令違反したり、しまいには機体をちょっと小ばかにされた程度で怒ったり。なに、貴女本当にブルブラッドキャリアの産物なの?」

 

《インペルベイン》の名を持つモリビトが《シルヴァリンク》を射程に入れる。その五指を保護するかのように展開されたグローブ型の銃火器は《シルヴァリンク》の装甲ならば充分に貫通せしめるだろう。

 

「私は私だ。それ以外にない」

 

「怒っているのか、妙に冷静なのか、読めない子ね。名を名乗りなさい。わたくしの名前は彩芽。彩芽・サギサカ。《インペルベイン》の操主を務めている。貴女より随分と早くにこの惑星へと不時着し、作戦の発動を待った。昨日より作戦遂行の命令が降り、《インペルベイン》と共にC連合傘下にあるコミューンで襲撃作戦を取らせてもらったわ。こちらの目論見通り、相手の新型を凌駕する性能を見せ付けてね。……でも、わたくしは認めないわ。だって、作戦遂行は貴女の降下が成功したからこそ執行許可が下りる。でも、当の貴女、作戦成功なんてしていない。《バーゴイル》と交戦なんて正気? これじゃ、最初からこちらの手の内を明かしたようなものよ」

 

 突きつけられる銃口の敵意に比して、彩芽と名乗った女の声は穏やかであった。圧倒的な自分の優位を信じ込んでいるのだろう。

 

「こちらの降下作戦と第一フェイズ遂行の開始は滞りなく行われたはず。何も、問題はない」

 

「何も問題はない?」

 

 引き絞った銃撃が鉄菜の足元にある青い花を射抜いた。鉄菜は一歩も動いていない。彩芽は先ほどまでより、少しだけ声の調子を冷ややかにする。

 

「それ、本気で言っているのだとすれば、貴女、ここで生きていても仕方ないわね。《インペルベイン》、ここであのモリビトタイプを破壊しなさい。作戦遂行に邪魔なだけよ。この子も、生きていたって情報を喋らされたら面倒だし、殺しちゃいましょう」

 

 彩芽が《インペルベイン》を動かすべく、一瞥を投げたその一瞬であった。

 

 跳ね上がった鉄菜が矢じりの鉄片――アルファーを投擲する。

 

 鉄菜が念じた通り、アルファーは彩芽の手に突き刺さった。銃が手から滑り落ちる。

 

「貴女……!」

 

「《モリビトシルヴァリンク》、迎撃行動に入る」

 

 彩芽の手に突き立ったアルファーが淡く発光する。緑色のエネルギー波に感応した《シルヴァリンク》が眼窩を煌かせた。

 

 バード形態から人型へと変形し、《インペルベイン》へと突進攻撃を仕掛ける。《インペルベイン》に佇んでいた彩芽が舌打ち混じりに叫ぶ。

 

「わたくしの手を! よくも!」

 

《インペルベイン》から跳躍した彩芽がその銃火器の武器腕に降り立った。相手の身体能力も相当高い様子だ。

 

 ――自分と同じように。

 

 鉄菜は変形を果たした《シルヴァリンク》に左腕の盾を翳させつつ後退させる。直後、《インペルベイン》が放った銃撃が《シルヴァリンク》の装甲を叩いた。

 

 硝煙の臭いが棚引く中、《シルヴァリンク》が盾で操主である自分を守り通す。

 

「貴女達、飼い犬根性でも染み付いているのかしら! 主従の別は出来ているようね! でも、勝てるわけがない! わたくしと、《インペルベイン》に!」

 

 跳躍した彩芽が《インペルベイン》のコックピットブロックに収まる。鉄菜も《シルヴァリンク》の胸部コックピットに入り込んだ。

 

『危ないマジ! だからブルブラッド濃度の高い場所には行くなって言ったマジよ』

 

「レーザーをかく乱する方法を持っている。相手のジャミングに晒される前に叩く」

 

『……もう対ECMは張っているマジ。問題なのは、相手のほうが手数の多い人機だという事マジ』

 

「電子戦で負けなければ、こちらに分がある。いくよ、《シルヴァリンク》」

 

 操縦桿を握り締め、鉄菜は《シルヴァリンク》の鼓動を感じ取る。《シルヴァリンク》も猛っているのが分かった。

 

 惑星での二回目の相手がモリビトタイプとなれば緊張するのも窺える。鉄菜は瞑目し、そっと念じていた。

 

 ――大丈夫。いつものように。

 

《シルヴァリンク》へと照準の警告が響き渡る。コックピットを赤色光に染めたその警句に、鉄菜は操縦桿を思い切り引いた。

 

 推進剤が焚かれ、《インペルベイン》の武装の一斉射から紙一重で逃れる。

 

 しかし、《インペルベイン》はまだ本気を出していないのは明白であった。火を噴いたのは両腕の武器腕のみ。肩部に装備された連装ガトリングは動きさえしていない。

 

 相手の武装は実体弾だけか、と鉄菜は観察の眼を注ぐ。武器腕の射程は恐らく中距離程度。だが、《シルヴァリンク》は近接格闘型人機である。

 

 遠距離に逃れての戦闘は不利に転がるだけ。ならば、と鉄菜は《シルヴァリンク》の左腕を翳させた。

 

『盾でこちらの優位を削ぐなんて、そんな小癪な真似!』

 

《インペルベイン》の重武装が再び火を噴く。やはりというべきか、武器腕以外を使用してくる兆しはない。

 

 まだ、こちらの戦力を嘗め切っているのだ。

 

 仕掛けるのならば今しかない。翳した左腕の盾が光を帯びる。血塊炉に火が通り、内奥からその技の名前を引き出した。

 

 盾の表面で弾かれた銃弾に反重力の白い光が宿る。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 相手に全ての物理攻撃を反射する技、リバウンドフォール。跳ね返された銃撃に対し、《インペルベイン》は足先から全くの意想外であった機動を描いた。

 

 作用したのはこちらと同じ、反射である。重力に逆らったように《インペルベイン》が跳ね上がった。

 

 その機動に、鉄菜は目を瞠る。

 

 リバウンドフォールの銃弾の雨を《インペルベイン》は完全に回避せしめた。

 

「……避けた」

 

『リバウンド装備の盾なんて分かりやすい事! 当然、リバウンドフォールが組み込まれているのは読んでいたわ。でもね、こっちにだってリバウンド装備はあるのよ!』

 

 鉄菜は機体の足裏に装備されたブーツ型の武装がリバウンド作用を起こしているのだと気づく。

 

「話に聞いていたリバウンドブーツ……。反重力で瞬発力を上げてこちらの攻撃を回避した」

 

『感心している場合? 貴女、そんなんじゃ戦場で生きていけると思っているの?』

 

 降下してきた《インペルベイン》の武器腕が不意に裏返る。内部から繰り出されたのは炎熱を棚引かせるクローであった。反射的に鉄菜は《シルヴァリンク》を退かせる。あのクローはまずい。そう判じた神経が機体を後退させたものの、追いすがってくる《インペルベイン》の勢いのほうが遥かに勝っていた。

 

 肩に装備された推進剤と背部スラスターを全開にした《インペルベイン》が肉迫する。クローを盾で弾き返そうとして、鉄菜の戦闘神経がそれを拒んだ。

 

 防御では恐らく突き崩される。その予感に、盾の裏側から引き出したのは大剣の柄であった。

 

『小細工で!』

 

 即座にRソードの刀身を発振させ、クローを弾き返す。リバウンドエネルギーで構築された剣はこの世で斬れぬものはないはずであったが、その時確かにクローと相打った。

 

 干渉波のスパークが迸り、クローと打ち合った途端、お互いに激しく後退する。

 

 Rソードの刀身には異常はないものの、相手のクローにも傷一つなかった。それどころか、灼熱の吐息をなびかせたクローの破壊力は約束されたままだ。

 

「……何かの仕掛けで、Rソードと同等の威力を保っている」

 

『そうだとすれば、まずいマジよ。Rソードと同じ威力なんて』

 

《インペルベイン》がクローの腕を引き、こちらにもう片方の武器腕を突きつけてくる。

 

 まだ戦闘意欲があるのか、と身構えた鉄菜に彩芽の声が漏れ聞こえた。

 

『なるほどね……ただの向こう見ず、ってわけじゃないみたい』

 

《インぺルべイン》から敵意が凪いでいく。《シルヴァリンク》がまだ警戒を解けずにいるとコックピットから彩芽が身を乗り出した。

 

「もう戦う意思はないわよ! 貴女も降りてらっしゃい!」

 

 拾い上げた肉声に鉄菜は眉根を寄せる。

 

「本気で?」

 

「《インペルべイン》に戦わせないようにすればいいんでしょー! ほら、これで!」

 

《インペルべイン》が両腕を下ろす。照準の警告音も鳴らなくなった。相手はシステムをダウンさせて敵意がない事を示しているのである。

 

『……どうするマジ?』

 

「元々、戦いをするために来たんじゃない、って事なんだと思う」

 

『じゃあ……』

 

 鉄菜も胸部コックピットから身を乗り出し、《シルヴァリンク》のRソードを停止させた。だが警戒は解いていない。ホルスターにあるアルファーでいつでも斬りかかれと命令出来る。それは相手も同じであろう。

 

 自分と同じ存在だというのであれば。

 

《インペルベイン》から降りた彩芽はしかし、大気汚染の洗浄マスクをつけたままであった。こちらはRスーツ以外ほとんど生身である。

 

「よくやるわね。わたくし達は確かに、ブルブラッド大気下でも生きていけるように設計はされているけれど」

 

 やはりそうなのだと鉄菜は確信した。彩芽は先ほどアルファーで傷つけられた手を掲げる。

 

 赤い血が滴り、傷痕の痛々しさを物語っていた。

 

 ――そうか。まだ自分の同朋は赤い血であったか。

 

 時折脳裏を掠める悪夢が蘇りかけて、彩芽の快活な声に掻き消された。

 

「貴女、本当にブルブラッドキャリアなの? そりゃ、モリビトを操れる操縦センスと、この《シルヴァリンク》そのものが証明だけれどさ。どうして《バーゴイル》と戦闘なんか」

 

「突入軌道に《バーゴイル》の編隊がいた。回避すると怪しまれると感じたから、そのまま特攻したまで。一機は撃墜したものの、もう一機は成層圏を抜けてこちらを追撃。致し方なしと相手を落とそうとした」

 

「でも落とし損ねた、ね……。相手が想定外に強かったのか、あるいは退き際を心得ていたのか。どっちにせよ、モリビト三機の存在が明らかになったのは計画の範囲外ね」

 

 腰に手を当てて彩芽は、やれやれだとでもいうように肩を竦める。

 

「一号機と……」

 

「三号機。わたくしには詳細が与えられていないけれど、あっちはあっちでやってのけたみたいね」

 

 じっと彩芽を観察する。嘘は言っていないか、とその挙動を確かめた。嘘のサインは思っているよりも簡単に出る。仕草や目線を注視していたからだろう、彩芽が言い返す。

 

「……言っておくけれど、わたくしも《インペルベイン》の事は話せないわよ。だってそれがお互いの決まりでしょう?」

 

「……ブルブラッドキャリア同士でも、モリビトの事は極秘事項」

 

「分かっているじゃない。鹵獲されて芋づる式に自分の手の内まで明かされたんじゃ堪ったものじゃないからね。どこの誰が、とは言わないけれど」

 

 モリビト同士の交戦も完全に視野の外であった。鉄菜は計画に必要なその他の事柄を言い当てる。

 

「今、分かっているのは、自分のモリビトの性能と、その役割だけ」

 

「その通り。わたくしだって、《インペルベイン》でC連合に介入したけれど、これでも隠しているほう。貴女にだって見せていない性能がある」

 

 それは間違いないだろう。《インペルベイン》がこの程度の性能ならば、モリビトの名は相応しくない。

 

「《シルヴァリンク》も、そう」

 

「みたいね。リバウンドフォールは想定内だったけれど、剣まで隠し持っているのは分からなかったわ」

 

 リバウンドフォールの技術も、惑星圏内ではオーバーテクノロジーだ。相手に容易くみせていいものではない。発動する時は相手の首を刎ねる時に相当する。

 

《インペルベイン》の性能で特筆するべきは、その機動性と攻撃性能だろう。重武装のその機体からは想像の出来ないほどの器用さを併せ持っている事、加えて攻撃はまだ出し切っていない奥の手があるという事。

 

「《シルヴァリンク》はこの後、第二フェイズに移行する。今度は――」

 

「今度はC連合傘下のコミューンの小競り合い。世界に見せ付ける。モリビトの真の力を」

 

 継ぐ言葉を先んじられて鉄菜が呆けたように口を開けていると、彩芽はふんと鼻を鳴らした。

 

「わたくしだって、ブルブラッドキャリアなのよ。第二フェイズの事くらい頭に入っているわ」

 

 しかし、まさか第二フェイズの目的が同じだとは。そうなると、この計画自体、モリビト二機の連携を示唆したものとなる。

 

「最初から、私と共に戦う予定だった?」

 

「聞かされていないのね。どうしてだか、貴女とわたくしの情報は均一でない様子。でもまぁ、結果的にはいいでしょう。こうして《シルヴァリンク》の性能を見られた。いい人機じゃない。二号機も」

 

 褒められて悪い気はしなかった。先ほどの心の奥底で牙を剥いた自分とは正反対にモリビトへの慈愛の心が芽生えている。

 

 自分でも驚くほどの感情の起伏であった。どうしてついさっき、殺すと判断した相手に賞賛されて心躍っているのだろう。

 

「……変だ」

 

「何が?」

 

 小首を傾げた彩芽に鉄菜は言いやる。

 

「殺すつもりの相手だったのに、今はそんな気はなくなっている」

 

 心底、不可思議でならない。だが、彩芽はそのような問いを発する自分のほうが不自然だと言いたげな眼差しを送った。

 

「人間なんて、そんなものじゃないの? さっきまで敵だと思っていた相手に、もう敵意も欠片ほどもないんだったら、警戒する必要もないでしょう」

 

 人間はそのようなもの。そう定義されても自分には困惑の材料でしかない。

 

 ――そうなのか? 人間は、そのようなものなのか?

 

「とにかく! 《インペルベイン》と《シルヴァリンク》の目的は同じ! C連合紛争地帯へとモリビトの力を示す!」

 

 拳を握り締めた彩芽に鉄菜は真似をしようとして、その動作をはかりかねた。何の意味があって、わざわざ拳を握るのだろう。

 

「聞きたい事がいくつか」

 

「なに? 《インペルベイン》の性能に関しては言えないわよ」

 

「それは分かっている。私は何をすればいい? 察しの通り、《シルヴァリンク》はそちらとは噛み合わせがいいとも思えない」

 

「中距離型と近距離型じゃ、ね。同じ戦場で獲物を喰い合っているんじゃ、ちょっとぶつかってもおかしくはない。でも、貴女の弱点を《インペルベイン》が、《インペルベイン》の弱点を貴女が補ってくれればいい」

 

「それを何と呼べばいいのか、分からない」

 

 彩芽は心底、呆れ返ったようにこちらの顔を覗き込んだ。

 

「……本当に変わってるわね。チームプレイ、って奴よ。まぁ、モリビト単騎戦力で戦う事を想定しているんじゃ、出てこない言葉かもしれないけれど」

 

「チームプレイ……」

 

 自分の中で馴染まない言葉だった。まるで最初から、その言葉の受け入れる先は存在していないかのように。

 

 彩芽は値踏みするかのように自分の周りを歩き出す。

 

「……変わっている子ねぇ。そりゃいきなり惑星に降りろって言われたら、戸惑うのは分かるけれど。時差ボケもほどほどにしたら? ここは宇宙じゃないんだから」

 

 空を指差す彩芽の言葉の節々が理解出来ないものの、何を言っているのかは大筋、飲み込めた。

 

「ようは、戦えばいい」

 

 彩芽がパチンと指を鳴らし、その通り、と結ぶ。

 

「そうね。シンプルでいい答えだわ。貴女にはそういう単純明快さが似合っているのかもね」

 

「《シルヴァリンク》で戦えと言われればそうする。第二フェイズに必要な事だと言われれば、《インペルベイン》と連携する事も範囲内」

 

「だからそれがチームプレイって言うんじゃないの? ……本当、分からない子なのね、貴女」

 

 自分でも承服し切れない物事ではあったが、理解しろと言われればそうするのみだ。

 

「《シルヴァリンク》で叩き込む。敵は何?」

 

「慌てない、慌てないの。まだ第二フェイズは明後日の予定よ。そんなに焦ってどうするの?」

 

 手をひらひらと翳す彩芽に鉄菜は言い返した。

 

「事前準備がいる。三号機の所在を確認したい」

 

「あー、それね。わたくしもやってみたんだけれど、どうにも三号機がどこにいるのかは割れないのよねぇ。特殊な建造方法だったのは聞いているんだけれど、二番目に放たれたモリビトってだけしか知らない。映像情報、観ていく?」

 

《インペルベイン》のコックピットに誘われるが、鉄菜は踵を返した。

 

「いい。自分で確認する」

 

 その背中に彩芽が不満を漏らしたのが聞こえた。

 

「……本当、分からない子」

 

 背中を見せている今、撃たれてもおかしくはなかったが、自然と撃たれない感覚はあった。これが「チームプレイ」という奴なのだろうか。《シルヴァリンク》が膝を折り、掌に鉄菜を抱える。《インペルベイン》は武器腕のせいか、エレベーター型のワイヤーで昇降するようであった。

 

『危険マジよ。相手がモリビトのブルブラッドキャリアだったからよかったものの、敵陣営に囲まれる危険もあったって事マジ』

 

 コックピットに戻るなり苦言を漏らすジロウの声を他所に、鉄菜は検索キーワードを紡いだ。

 

「うるさい。モリビト三号機のデータを参照させて」

 

『……はいはい。分かったマジよ。これが三号機と思しき人機の映像マジ』

 

 全天候モニターに映し出されたのは三号機を捉えたと思われる映像であった。いくつかは誰かの造ったダミーだ。その中から純度の高いものを選び取る。

 

「ダミーを排除。本物だけを表示」

 

『ピックアップされたのは三つだけマジ。どれも画素が粗くって観れたものじゃないマジが……』

 

 濁したジロウに、鉄菜は命令する。

 

「どれでもいい。三号機の姿は」

 

 停止した映像の一つを鉄菜は視界に入れた。赤と白のカラーリングが施された大型の人機だ。

 

 その人機は胴体部がごっそりとない。巨大な翼と逆関節の脚部を有し、肝心の胴体部は、と視線を巡らせると、獣型の機獣がロンド系列の機体を下していた。

 

 恐れるべきなのは、その機獣が直後に大型人機へと組み込まれた点である。

 

「合体した……」

 

『これは……驚きマジねぇ……』

 

 合体人機はそのまま高空へと飛び去ってしまった。データがあまりにも乏しいが地上の人機の仕業とは思えない。モリビトタイプ……それもかなり規格外の存在だと思うしかなかった。

 

『どう? 三号機の感想は』

 

 こちらの通信チャンネルにいつの間に割り込んだのか、彩芽の声がコックピットを震わせる。

 

 鉄菜はコックピットまでずけずけと入ってくる彩芽の図太さに睨み据えた。

 

「……勝手に通信チャンネルを合わせないで欲しい」

 

『そういう出来なのよ。わたくしの《インペルベイン》は』

 

 電子戦はお手の物というわけか。それにしては初手で《シルヴァリンク》の火器管制を潰さなかった辺り、やはり本気ではなかったのだと思い知る。

 

「三号機は、この映像のみ?」

 

『みたいねぇ……。合体人機なんて聞いてないけれど』

 

 やはり自分達にも知らされていないのはモリビト同士の性能か。先ほど彩芽が言ったように一人の口から全員の手の内が割れる事を危惧しての措置であろう。

 

「この三号機、第二フェイズの予定は?」

 

『聞かされているわけないでしょう? あっちにはあっちの第二フェイズがあるみたいだけれど、今回の作戦には貴女の《シルヴァリンク》とのサポートだけ。それしか命令にはないもの』

 

 三号機の存在はイレギュラーではあったが、もしもの時、《インペルベイン》が敵についた時を想定しなければならない。

 

 そちらのほうがよっぽど現実的だ。銃口を向けてきた彩芽の殺意は偽物ではなかったのだから。

 

「《インペルベイン》が先行の形で?」

 

『作戦工程表を送っておくわ。勘違いしないで欲しいのは、それを送る事はわたくしの役目だった事よ。つまり、貴女一人では第二フェイズを実行出来なかった』

 

 それも、知らなかったと言いかけて言わないほうがいいか、と判断した。表示された作戦工程表をジロウが読み取る。

 

『大筋は問題ないマジな。ただ、《インペルベイン》先導の形になっているのだけは一応気をつけておくマジ。いつ後ろを撃たれるか分からないマジからな』

 

 それも、分かっている。だが、鉄菜は言葉にしなかった。通信はモニターされている様子だが、ジロウの返答までは盗み聞かれてないようだ。

 

 今は、一つでも手札が欲しいところである。先ほど《シルヴァリンク》を動かしたのはジロウではなく、アルファーの作用だが、ジロウが緊急時には《シルヴァリンク》の管制システムにアクセス出来るようになっている。

 

 これも、秘匿事項の一つだ。自分は経験がまだ浅い。戦闘経験値を埋め合わせるのには、騙し騙され合いが必要だと教わった。

 

 ――教わった?

 

 誰に、教わったのであったか。

 

 その疑問符が鎌首をもたげる前に、自分の中の何かが思考をストップさせた。そのような事、気にする事柄でもない。

 

 何も、問題はないのだから。

 

『聞いてる? 《インペルベイン》の支援射撃、当たらないようにしてね』

 

 暫時、聞きそびれていたが何の問題もない。戦場で味方の弾に当たるほどの間抜けでもない。後方を警戒していれば、首筋に感じる殺気くらいはかわせるように出来ている。

 

「分かっている。《シルヴァリンク》は切り込むだけだ」

 

『敵陣営のデータはリアルタイムのものを参考にしましょう。編制が直前で変わるかもしれないからね』

 

「編制が変わる? それほどC連合が戦力を温存しているとも思えない」

 

『物には念を、よ。そうでなくとも貴女、ちょっとばかし危なっかしいんだから。いつ変化が来ても対応出来るようにしておく』

 

「それが、モリビトの名を冠する機体を所有する人間の務めだ」

 

 続きをそらんじると彩芽は鼻を鳴らした。

 

『そういう事。わたくしはあんまりこの教えは好きじゃないんだけれど、まぁよしとしましょう。地上人はモリビトの介入にすぐに対応するとは思えないけれど、相手にもエースがいる』

 

 エース。その言葉に自然と追撃してきた《バーゴイル》の操主が浮かんだのは何故だろう。あれはただ単にしつこいだけだ。実力など加味するまでもないだろうに。

 

「モリビトは負けない」

 

『それは当たり前の事よ。わたくし達が負ければ、ブルブラッドキャリア全体の指揮に関わる。負けないなんて大前提。第二フェイズへの移行を、今は待ちなさい。それが第一よ』

 

 敵にも手だれがいるのは分かる。だが、《シルヴァリンク》が敗北する時があるとすれば、それは自分達ブルブラッドキャリア全体の敗北と同義。

 

 鉄菜はコックピットのCG補正越しに広がる青い花園を見やった。砕け散った青い花弁が風に揺れて鉱物の破片を散らせている。

 

『見る分には綺麗ね』

 

 見る分には、か。彼女には自分のように青い花に対しての関わり合いなどないのだろう。

 

 ――青い花を見に行きたい。

 

 そう告げていた誰かの言葉を思い出しかけて、鉄菜は頭を振った。

 

 誰なのか、やはり思い出せないままであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯10 燻ぶるもの

 本国行きを命じられた桐哉は、作戦統括部に顔を出すよう、厳命が降りていた。

 

 その作戦指示書を手渡した隊長が踵を返すのを、桐哉は呼び止める。

 

「納得いきません! 何だって自分だけ本国行きに……!」

 

「上からの命令だ。避けられん」

 

 それ以上はない、というような声音。桐哉はしかし、その言葉に追いすがる。

 

「だって、まだ自分はやれます! 機体だって直った! これであのモリビトと一戦でも交えれば」

 

「今は、世界規模でそのような余裕はない、というわけだ」

 

 全世界がモリビトとブルブラッドキャリアなる組織に注目している中、勝手な行動は許されない。だが、自分は生き証人だ。

 

 モリビトと戦って生き延びた。継続戦闘ならばいざ知らず、一度前線を離れろというのは承服出来なかった。

 

「あんなもの……こけおどしです! 実際に《バーゴイル》が編隊を組んで、きっちり作戦を練れば怖い相手では……」

 

「三機のモリビトを目にしてもそれが言えるのか?」

 

 メディアが取り上げているのは自分が遭遇したのとは別の二機のモリビト。三機存在するモリビトの戦闘能力は未知数だ。だからこそ、戦力は必要なのではないか。

 

 そう進言したかったが、隊長は許さなかった。

 

「命令には従え。それが一番だ」

 

「でもこの命令書には……もう、古代人機狩りにも出るなって書かれて……」

 

 命令指示書に記された内容を加味するに、自分はこれまでのような戦いをするべきではないと決定付けられている。自分の意思とは無関係に。

 

「古代人機狩りは別の部隊が編入してくる。お前は何も心配は要らない」

 

「でも……! 自分が、〝モリビト〟の名前を、称号を賜ったからですか? だから、メディアの暴論を恐れて、こんな措置を」

 

「違う」

 

「どう違うんです! ゾル国はいつから、こんな保守的になったんですか!」

 

 張り上げた声に怒りがこみ上げていた。モリビトの名がテレビやマスコミで取り上げられる度、この基地の整備班やスタッフから向けられてくる眼差し。あれは嫌悪の視線だ。自分が「モリビト」の称号を持っているばかりに、相手と何か関わりがあるのでは、と勘繰られている。

 

「桐哉……今は落ち着け。そう簡単にメディアのつけたイメージは拭えない。降りてきてすぐにこの命令指示書をお前に渡せと言われた時には、こちらも反対はしたよ。こんなもの、お前に渡したらどう反発されるのかくらいは想像がつく。だがな、軍隊は上の命令が絶対なんだ。加えて今は、モリビトの名前はマイナスイメージになる。ほとぼりが醒めるまで、お前は現状待機に――」

 

「ほとぼりが醒めるのなんて待っていたら、相手にこの星が占領されてしまう!」

 

 肩を荒立たせた桐哉に隊長は落ち着き払った声を出した。

 

「……ブルブラッドキャリアの最終目的も分からん今、下手に出るな、と言っているんだ。こちらが下策を取ればすぐにメディアの揚げ足取りが始まる。世界規模で目を光らせている連中もいるんだ。お前が何かしたら、それだけでゾル国の情勢が危うくなる」

 

 モリビトの名前を持っているがゆえに、自分は何も出来ない。このような二律背反があっていいのだろうか。本来、モリビトは世界を、平和を守るための人間に与えられた称号なのに。

 

「ゾル国のお偉方の考える事は分かりますよ。モリビトの名前が世界的な規模で広まっている現状、それを勲章として与えていたなんて事は大っぴらにしたくない。いや、どこからかでも情報は漏れる。その情報に対して痛くもない横腹を突かれるのは面白くない、と」

 

「分かってくれるか、桐哉」

 

 隊長の声に桐哉は面を伏せた。どうしたところで自分が動けば国家の利益にもならない。苦しめるだけだ。故郷に残してきた親族も。何より、妹も――。

 

「……でもせめて、葬儀くらいは出てもいいですか」

 

 モリビトの大気圏突入時に犠牲となった仲間がいる。彼の葬儀くらい、顔を出してもいいだろうか。隊長は首肯する。

 

「ああ、その程度ならば上からの約束を取り付けるまでもない。こちらで手配しよう。明日、執り行われるそうだ」

 

 時代が進めば速くなるのはそういう儀礼的な側面だ。葬儀は簡略化され、事故死、という扱いになるだろう。当然の措置だ。今、モリビトタイプに落とされた被害者、などと前打てば人々を扇動するようなもの。

 

 分かっていてもやり切れない。桐哉は拳を握り締めた。

 

「でも……あいつは、自分達を庇って」

 

「桐哉。今は、事が鎮まるのを待て。そうしなければ逆に」

 

「分かっていますよ。自分が落ち着かないで、誰が落ち着くのか、という話でしょう。世論の目もあります」

 

 ただ、それならばもっと率直に、モリビトの名前を返上する、という制約でいいのだ。そうしないのは、国家の威信のためか。あるいは桐哉一人が苦しむ程度ならば静観したほうがコミューンの自治を任されている人々としては都合がいいか。

 

 いずれにせよ、自分の役職は人とも思われていないのは明白であった。

 

「そこまで分かっているのならばいいんだ。明日の葬儀には上官も出席される」

 

 粗相のないように、と言外に付け足された形となったが、桐哉は葬儀でまで、自分を偽らなければならないという現実に歯噛みする。

 

 自分が何をしたと言うのだ。

 

 むしろ、積極的にモリビトを追い、その性能の一部分でも露出させた、という点では褒められてもいいはずなのに。

 

 モリビトの名前が自分を縛り付ける。安息など一時も与えてはくれない。

 

「モリビトなんて名前……今は返上出来ればどれほど楽か」

 

「桐哉、時代が変わろうとも、それはエースの称号だ。誇りを持て」

 

 どう誇って行けというのだ。世界の敵となじられ、その名前に呪いをつけられてまで。

 

 しかし、隊長を謗ってまでこの場で押し問答を続ける意義もない。命令には従う。それが軍人のあり方だ。

 

「了解しました……」

 

 立ち去っていく隊長の背中を見送り、桐哉は愛機の待つハンガーへと訪れていた。居並ぶ人機は全て、ゾル国の誇るトップ水準の人機ばかり。《バーゴイル》のカスタム機が肩を寄せ合う中、異様なコンテナが搬入されるのを視界に入れた。

 

 黒塗りのコンテナは人機サイズであったが、その護衛に当たる人々はゾル国の制服ではない。濃紺の詰襟制服に身を包んだ人々を遠巻きに整備班が眺めている。

 

「あれ、ブルーガーデンの連中だろ? 何で、うちのデッキに搬入してるんだよ」

 

「何でも、有識者会議で協力体制が敷かれたからってエース機を前線に配備したいんだとよ。だからって、青い血の奴らに門を潜らせる事はないのにな」

 

 青い血の連中。ブルーガーデンは独裁国家だ。その内実が知れないため、侮蔑の意味も込めて青い血の連中と呼ばれていた。

 

 C連合とは輸出入が密なためお互いの人機を見せ合う事もあるという独裁国家の人機は、この場では完全に秘匿されていた。

 

 黒塗りのコンテナをサーモグラフィーで観察する整備士もいる。

 

「熱反応と電気的な信号は完全に人機だな。でも、それを見せる気もないのに前線に置けってのは横暴だよな」

 

「仕方ないんだって。うちにはうちで問題を抱えているだろ? モリビトなんていう英雄様のせいで、こっちは散々だよ。古代人機を狩っているだけで何が偉いんだか」

 

 コツン、と靴音が残響し、小言を漏らした整備士が自分の存在に気づいて咳払いする。いちいち見咎めて喧嘩すれば、それこそ事だ。桐哉は黙って見過ごすしか出来なかった。

 

《バーゴイルスカーレット》は整備が完了しており、いつでも出せる。問題なのは出撃許可が下りないであろう事。自分の存在を隠匿したい政府の上官達の策謀により、モリビトへの雪辱を晴らす機会さえも失われてしまうのではないかという危惧。

 

 今すぐにこの基地から出撃し、当てもなくモリビトを探し回りたい衝動に駆られるが、それはもう自分に帰る場所がなくなる時を意味している。

 

 今は待て。隊長の判断は正しい。軍上層部のやり方にもケチをつけるわけではない。

 

 ただ、これでは燻り続けるだけだ。自分の中でいつまで経っても、モリビトの名前に決着はつけられない。

 

 片手に握り締めた作戦指示書が重いのは、何もその内容だけではない。この記述だけで自分のこれからを縛りつける呪いの言葉と化しているのだ。

 

 故郷の妹が思い起こされる。妹は身体が弱いため、自分よりも過敏にモリビトの名前で傷つく事があるかもしれない。

 

 学校でいじめられてはいないだろうか。桐哉の中で募っていくのは不安ばかりであった。暗雲のように垂れ込めたそれを晴らすのには、やはり戦うしかない。

 

 だが、戦えば確実に失うだろう。

 

 これまでの地位も。これまでの名誉も。そして、これからの栄光も。

 

 どう足掻いたところで一軍人に過ぎない自分に変えられる事は少ない。だが、こうも言い換えられる。

 

 モリビトを倒す契機があるのもまた、この身分だけなのだ。

 

 軍人ならば戦場を渡り歩ける。今は無理でも、モリビト討伐に出撃出来る好機は巡ってくる可能性があるのだ。

 

 ――今は待て。

 

 自分に強く言い聞かせ、桐哉は愛機から踵を返した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯11 国家の秤

「モリビト討伐のための部隊編成、ですか」

 

 上官に呼びつけられたリックベイ・サカグチは怪訝そうに問い返した。浅黒い肌の上官は手を組んで言いやる。

 

「モリビトと呼ばれる機動兵器に関して、知識は?」

 

「メディアの情報以上の事はまったく。なにせ、こちらへの脅威としてもまだ判断の難しいところです」

 

 自分の言葉に上官はフッと口元を綻ばせた。

 

「……世界が大混乱、だというのに、やはり君は変わらんな。コミューン連合体の白きカリスマは」

 

 自分の真っ白な頭髪を指しての異名だ。人狼、銀の獣神など、様々な異名を取っているが、カリスマの名で呼ばれるのはやはり抵抗感しかない。

 

「自分は一軍人です。カリスマなどとおだてられる事はないでしょう」

 

「その冷静さもまた、優秀の証だという事だよ。モリビトに浮き足立つ世界を前にして、ここまで冷静な軍人も珍しい」

 

 褒められているのか貶されているのかも分からない。自分は撃つべき標的を撃つだけの駒だ。それ以上でも以下だとも思った事はない。

 

「自分は矢です。引き絞られた矢は相手を貫くためにあるもの。矢に、個人思想など必要ありません。それが軍人であるのだと思っています」

 

「模範解答だ。百点をくれてやりたいところだよ」

 

 上官は立ち上がりメディアの情報網が浮かび上がっているディスプレイに触れた。C連合傘下の被害状況が表示されるも、彼は冷静さを欠く事はない。

 

「どう見る?」

 

「モリビトタイプは本気を出していません。これまでの情報だけでは、どう見るも何もないかと」

 

「正しいな。モリビトに本気を出させるのには、ではどうすればいい?」

 

「相手の出方を待つか、あるいはこちらから打って出るか」

 

「しかし、臆病者が多くってね。志願兵を募れない状況なんだよ。こちらとしても無理強いは出来ないんだ。なにせ、今までに経験してこなかった敵だからな。相手の戦力も分からないのに、無闇に兵を突っ込ませるのは下策だよ」

 

「自分を呼んだのは、対モリビト編隊の件でありますか」

 

 振り返った上官は口元に皮肉めいた笑みを浮かべていた。

 

「君は聡い。こちらが言うまでもなく、対抗策を練ってくる。読んだよ、二日程度で書き上げたにしては、いい論点だ」

 

 つい三時間ほど前に上げた、対モリビトへの牽制レポートであろう。リックベイはモリビトを目にするなり、机に向かって書き上げていたのだ。

 

 その間、眠ってもいない。休息はしかし、戦士には必要不可欠だ。先ほどまで眠りこけていたのを、上官からの鶴の一声で叩き起こされた。

 

「恐縮であります」

 

「しかし、憶測が過ぎる、という弱点もある。モリビトタイプに関しての情報はまだ一般開示レベルではない。当然の事ながら、一般兵が知る由もないのだが、モリビトを、一大国レベルだと判断したのは少しばかり早計かな」

 

 分かっていて、そのレベルに設定したのだ。大国が威信をかけて対抗せねばすぐにモリビトに呑まれてしまう事だろう。

 

「用心に越した事はありません」

 

「そうだな。君のやり方は実にスマートだ。対抗策を練り上げ、実戦でそれを遂行する。単純なようでいて、これは実に難しい。人機戦において、百パーセントが存在しないように、君が操縦したからと言って、完全に乗りこなせる機体もまた、存在し得ないだろう」

 

「……《ナナツー》で充分だと、思っていますが」

 

 C連合の正式採用人機は《ナナツー》タイプだ。バーゴイルタイプはゾル国の専売特許である。《ナナツー》の性能にリックベイは全く疑問を抱いていない。

 

 オーソドックスな人機の性能にむしろ満足しているほどだ。

 

「お歴々はそういう考えじゃないって事だ。対モリビトにおいて、新型人機の開発も急務に、というオーダーが来ている」

 

「人機は一朝一夕で製造されるものではありません。新型など、余計に」

 

「参式は見たかね?」

 

《ナナツー参式》に関して自分の見解を求められていた。ここで偽っても仕方あるまい。

 

「いささか、オーバースペックが過ぎるかと。器用貧乏と言い換えてもいい。《ナナツー》タイプの標準装備であるところのアサルトライフルを含め、あらゆる装備への換装を想定した造りであった弐式に比べて参式は先進国の後追いです。自分は弐式のほうが使いやすいと感じています」

 

「正直でいい事だ。参式は確かにコスト面でも製造は難しくってね。エースに一機程度、であてがうつもりでいる」

 

 ここに来て、上官の下に呼ばれた意味が理解出来た。

 

「《ナナツー参式》だけの編隊……その編成計画があるのですね」

 

「あまりに先んじる性格だと他の上官はいい顔をしないぞ。まぁ、わたしと君の仲だ。そこまで先読みしてくれるのは負担が減ってありがたい事ではあるのだが」

 

 参式の編成計画の中に自分を呼び込む、という事は隊長機につけ、という意味なのだろうか。

 

「フラッグ機につくのは自分の性に合いません。辞退させていただきます」

 

「そういう性分も含めて、分かっているつもりだったんだがね。あるいはこう言おうか。モリビトと戦えるぞ、と」

 

 それは魅力的な提案に思えたが、やはり現時点でモリビトとぶつけられても勝算は少ないだろう。

 

「参式であっても、モリビトタイプを下すのは難しいと判じます」

 

「素直でいい。では君の愛用する弐式ならば勝てると?」

 

「五分五分、いえ、それ以下ではありますが、勝算がないわけでは」

 

 上官は首肯して席についた。レポートを読み込み、勝算か、と呟く。

 

「モリビトタイプ……ゾル国では古代人機を狩るのに優れた狩人に与えられる称号だと聞いている。この偶然の一致、あまりに妙だとは思わないか?」

 

「モリビトという呼称の一致に関しては、当人は不運でしょうが、我々の関知するものではないでしょう」

 

 事実、モリビトの名前を賜っていた当人が困惑するのは目に見えているが、それがイコール軍隊の士気の低下、とは結びつかない。

 

 リックベイの判断に上官は言葉を継ぐ。

 

「君は先読みが過ぎる。モリビトの名前を持つエース、桐哉・クサカベと言ったか。ある筋からの情報では彼を一度軍務から外すという措置が取られるそうだ。まったく、不運だよ」

 

 しかしそれは、C連合に関して言えば好機である。ゾル国の守りが手薄になっているという事なのだ。

 

「モリビトの動乱を受け、世界に変化の兆しがある。その変化の予兆の一つが、モリビトの名前の放逐」

 

「印象面での話に過ぎないが、ゾル国は判断を急ぎ過ぎている。なにも敵はモリビトだけではない」

 

 依然として、C連合、ブルーガーデン間での緊張状態は張られているのだ。この局面でエースを外す、という判断は焦燥に駆られているとしか思えない。

 

「ゾル国を攻め落とせばいいのですか」

 

「簡単に言うなよ」

 

 返しつつも上官の眼にはそれも考えの内にはある、というのが読み取れた。ゾル国はC連合の輸出入とブルブラッド独占に睨みを利かせる目の上のたんこぶだ。それが破綻すれば、ブルブラッド事業は飛躍するであろう。

 

「エースの不在、とは言っても、ゾル国には《バーゴイル》の新型部隊があります。対地能力を持つ《バーゴイル》は《ナナツー》の天敵の一つ」

 

「《バーゴイル》は現在、九年前の新型が一般流通している。スカーレットだったか。しかし、ゾル国は余裕を持っていると見ていいだろう。それ以上の機体が出てきても何らおかしくはない」

 

 そのための《ナナツー》新型機の擁立もあったのだろう。その読み合いの最中、現れたモリビトに世界が掻き乱されているのだ。

 

「相手の出方さえ分かれば、自分はどこへでもはせ参じます」

 

「まだ相手は一度姿を見せただけ。次の出現機会こそ、モリビトの真の目的を晒す時だと考えていいだろう。なに、二度あることは三度あるとも言う。三度目に逃がさなければいいだけの事」

 

 自分には一応、《ナナツー》部隊の編成計画だけを話しておく。それがこの召集の意味だろう。その頭目に据えられるという話には正直、辟易しかなかったが、モリビトと合見える機会があるというのならそれも加味しておくのも悪くない。

 

「職務に戻りたまえ。ろくに寝てもいないのだろう。この書き上げ方からして、君の情熱、とてつもなく感じたと言っておこう。対モリビトに関する情報は君を優先して通す」

 

 それは同時に、《ナナツー》部隊に関しての話も通しておく、という暗黙の了解。

 

 しかし口を挟んだところで仕方がない。自分は軍人。与えられた使命を果たすのみ。

 

 挙手敬礼し、リックベイは上官の部屋を去った。仮眠室に戻る途中、曲がり角で部下と顔を合わせる。

 

「さ、サカグチ少佐……」

 

 鉢合わせるべきではなかったな、と感じたのは彼らがブルブラッドの煙草を吸っていたからだ。喫煙ルーム以外は禁煙なのだが、こうしてストレスの溜まる場所の新兵は容易く手軽な娯楽へと走る。

 

 簡単なところでは酒と煙草と女。違法薬物に手を出していないだけマシだが、ブルブラッドの成分が沁み込まされた煙草は健康被害をもたらすというデータがある。

 

「ほどほどにしておけよ」

 

 だからと言って諌めるほど自分は野暮ではない。ガラス張りの通路から窺えたのは発展したコミューンの街並みと、その上空を漂う紺碧の大気であった。

 

 今もまだ、この惑星は先人達のツケを払わされ続けている。

 

 古代人機にブルブラッド大気汚染。そこに新たな頭痛の種としてモリビトとブルブラッドキャリアの蜂起が上がっただけだ。

 

 何もかもが今まで生きてきた者達の原罪。これから生きる者達が支払い続ける借金のようなもの。

 

「せめて、モリビトの借金くらいは、我々の世代で手打ちにしたいものだな」

 

 呟いて、リックベイは歩いていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯12 狩人の領域

 深く眠ると悪夢を見る。

 

 そのため、作戦開始までは起きていようと務めていたのだが、やはり惑星降下から張り詰めっ放しの神経を一度休ませるべく、鉄菜は睡眠導入剤で夢も見ない眠りについていた。

 

 その寝顔を見守るのは彼女のサポートを務めるAI――ジロウだけ。眠りこけている鉄菜はまだ少女の容貌を漂わせたまま、戦士とはほど遠い。ジロウは《シルヴァリンク》の各所システム整備を行いつつ、《インペルベイン》への警戒を怠らなかった。

 

 鉄菜が眠っている間くらいは自分が守り通さなければ。張り詰めたジロウは《インペルベイン》から昇降エレベーターで降りてきた彩芽に気づいた。

 

『何のつもりマジ……?』

 

 観察を注いでいると、《インペルベイン》の火器管制システムを掌握しているAIが通信チャンネルを開いて呼びかけてきた。

 

『こちら《インペルベイン》搭載のAIサポーターである。コードはルイ』

 

 少女の声音だ。

 

 ルイと名乗ったAIに対して、ジロウは合成音声を用い、鉄菜が起きている風を装った。

 

『わざわざAIで呼びかけてくるのは何故?』

 

『こちらは常時、稼動状態なのだという事を伝えたい。それと、今次作戦の進行に関しての最終打ち合わせを行う』

 

 これは自分だけでは判断出来ないな、とジロウは感じた。鉄菜のRスーツにアクセスし、眠りを自然な形で起こす。

 

 瞼を上げた鉄菜はルイの呼びかけにハッとした。

 

『達す。こちら《インペルベイン》搭載のAI、ルイ。作戦遂行の是非に関しての打ち合わせを行いたい』

 

 ジロウと目線を合わせた鉄菜の判断は起きがけとは思えないほど正確であった。

 

「了解。……ところでそちらの操主は何故、《インペルベイン》から降りている?」

 

『さっきからマジ。何でだか分からないマジよ』

 

『《インペルベイン》を一度、目標地点まで飛翔させるに当たってブルブラッド大気の汚染濃度を確かめている。場合によっては血塊炉に目詰まりを起こす場合もあるため、操主は遠隔操縦を行い、今、調べているところ』

 

 ようはこの青い花園に来たせいで《インペルベイン》に不調があっては困る、という言い草であった。鉄菜はしかし、毅然として応じる。

 

「そちらが勝手に来た。呼んだ覚えはない」

 

『……マスターの言う通り、勝手ね』

 

 ここに来て初めて、ルイが感情らしいものを持ち出した。鉄菜への嫌悪に彼女は冷静に対処していた。

 

「AIもよく似るのだな。操主と話し方がそっくりだ」

 

『皮肉をどうも。でも、こちらがモニターしている限り、《シルヴァリンク》の操主のほうが勝手に映る』

 

「私は地力でここに来たまでだ。誰に咎められるわけでもない」

 

『計画の遅延に繋がる事は、ブルブラッドキャリア全体の指揮に関わる事。一機でもその例外ではないでしょう?』

 

「では三号機の操主はどうなんだ? あれはまったく掴ませないと聞いた」

 

『その話題を出されれば困るといえばそうなのだけれど、三号機はこの二機とは例外的な命令系統を持っていると推測される。だから対応は後でいい』

 

 問題なのは、今、対面している自分達だ、とAIルイは結ぶ。

 

「私は何も問題を起こしてはいない。そちらの操主のほうが随分と身勝手だ」

 

『……マスターを悪く言うの?』

 

 ここで諍いを起こしても何の得にもならない。ジロウが固唾を呑んで見守る中、降りていた彩芽が口を差し挟んだ。

 

「なーに、喧嘩してるの! 筒抜けなんだからね」

 

 AIルイが惑ったように声にする。

 

『でも、マスターを馬鹿にして』

 

「わたくしの事はいいのよ! あんたは《インペルベイン》のシステム関係をきっちり仕切ってなさい! ルイ!」

 

『……了解』

 

 渋々と言った様子でルイは《インペルベイン》のシステム管理に戻る。ジロウがホッと息をつくと彩芽が通信回線に割り込んだ。

 

『ゴメンね。うちの子は主思いだから、ああいう風にケンカ腰になっちゃって』

 

「いい。私は何とも思っていない」

 

 しかしジロウが間に入らなければAIルイに《シルヴァリンク》を覗き見されたかもしれないのだ。危うい綱渡りである。

 

『一応、鉄菜の合成音声を使って対応したマジ。こちらにもAIサポーターがある事はばれていないはずマジよ』

 

「気遣いありがとう。よく眠れた」

 

 そのようなはずがない。鉄菜が睡眠に入ってからまだ二時間と経っていないのだ。

 

『もっと眠っていればいいマジよ。これから戦闘に入るマジ』

 

 休んでいる暇はない、と言外に付け加えたが、鉄菜は淡々と応じる。

 

「いい。戦っているほうが性に合っている。眠ったり休んだりするといつも……悪夢を見るから」

 

 その悪夢に関してジロウは具体的に聞かされた事はないものの、何度もうなされている鉄菜を見てきた分、どれほどの苦痛なのかは推し量れた。

 

『戦闘に入るとこちらの人格データを封印して、完全に戦術に入るマジ。話す機会も、あまりなくなるかもしれないマジよ』

 

 自分を頼ってくれていいのだ、と言おうとしたが、鉄菜は逃げるのにはあまりに強く、あまりに苛烈であった。

 

「いや、今は第二フェイズへの移行を最優先にしたほうがいい。《シルヴァリンク》も《バーゴイル》を逃がしたせいで燻っている。一つでも白星が欲しい」

 

『訓練では何度も勝ってきたマジ。先の《バーゴイル》戦だって負けたわけじゃないマジよ』

 

「それでも、計画に支障を来たすやり方だと言われれば言い返せない。私は、自分の存在意義を示したい。《シルヴァリンク》と共に」

 

 どこまでも厳しい言い草にジロウは返す言葉も失っていた。AIである自分に補佐出来る範囲はたかが知れている。いざという時の判断は鉄菜自身がしなければならない。

 

 とはいえここまで頼られていないとなると、それはそれで複雑なものがある。

 

『鉄菜。第二フェイズまで十二時間を切ったわ。作戦概要は頭に入っている?』

 

 呼び捨てに鉄菜は頬をむくれさせた。

 

「……分かっている」

 

『なに、呼び捨てしたのが気に入らないの? いいわよ、そっちも呼び捨てすれば』

 

「必要外に通信回線を繋いで相手の名前を呼ぶのは得策ではない。傍受されればブルブラッドキャリアのコードネームが割れる」

 

『カタブツねぇ……』

 

 呆れた様子の彩芽へと鉄菜は言いつける。

 

「コード番号で呼べばいい」

 

『そんなの味も素っ気もないじゃない。せっかく名前を知り合ったんだし、意味のある事をしたいわ』

 

「……では、意味はない」

 

 迷いなく断じた声に彩芽は諌める。

 

『鉄菜……変わり者だとは思っていたけれど、相当ね。じゃあ、貴女はもし、名前を呼ぶ段に駆られたら?』

 

「コード01で通せばいい」

 

 本当にそう呼びそうだ。彩芽は慌てて取ってつけた。

 

『ああ、それは嫌。どうせならお姉様って呼んで欲しかったなぁ。彩芽お姉様って。呼んでみな?』

 

 鉄菜は心底その由来も、理由も分かっていないかのような口調で眉根を寄せる。

 

「そう呼ぶ必要性もなければ理由も分からない。私に記録上、姉妹はいないはずだし、続柄も不明だ。だというのに、お姉様というのは道理に反している。それは尊敬する人間につべるべきだと考えるし、私はお前にそれをつける理由が、ものの一切――」

 

『ああっ! 分かった、分かったから。もう、普通に彩芽、でいいわよ。……本当はお姉様、って呼ばせたいけれど』

 

 残念そうに言ってのける彩芽に鉄菜は小首を傾げていた。

 

「分からない事を言うものだ。彩芽・サギサカ。これでいいのか?」

 

『フルネームねぇ……。まぁ贅沢は言わないでおきましょう。鉄菜。これからC連合の紛争地帯へと赴くわ。覚悟はいい?』

 

「覚悟? おかしな事を聞く。この惑星に降りた時点で、作戦は執行されている。私達は、ブルブラッドキャリアの総意に基づくまで」

 

『よく分からないところで律儀な事で。じゃあ鉄菜、《インペルベイン》が先行するからついて来なさい』

 

「マップを同期した。その必要はない。散開して私が斬り込む。《インペルベイン》は撃ち漏らしを確実に対処して欲しい」

 

『……本当に可愛げのない。分かったわよ。《シルヴァリンク》に初撃は任せた。後は、チームプレイで何とか凌ぎましょう』

 

 そのチームプレイが何なのか、未だに分かっていない鉄菜が曖昧に頷く。

 

「ああ、そうするとしよう」

 

『鉄菜、大丈夫マジか?』

 

 不安に駆られて尋ねたジロウに、鉄菜は眉間に皴を寄せる。

 

「何故、不安がる? お前はAIだろう」

 

『でも、鉄菜のやり方じゃ、この先うまくやれるのか分からないマジ』

 

「私の援護につけばいい。それ以上は求めない」

 

 それは、その通りなのだろう。鉄菜は今までも、これからも恐らく自分に頼ってはくれない。必要に駆られた時のみ呼び出す。AIと操主の正しい関係だ。

 

 ただ、それが「正しい」のであって「最良」だとは限らないのであるが。

 

『……分かったマジ。余計な事は言わないマジよ』

 

「それでいい。《モリビトシルヴァリンク》、出る」

 

 操縦桿を引いた鉄菜に同期して、《シルヴァリンク》の巨躯が身じろぎする。スラスターを焚き、銀と青に彩られた躯体が濃紺の大気を突っ切った。

 

『バード形態で行くマジか?』

 

「いや、このままでいい」

 

 断じた鉄菜の眼差しに、最早、迷いは一分も感じられなかった。戦士が、獲物を求めて狩りに出たのだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯13 初陣

 濃紺に蝕まれた丘の上で、一人の男が今日、首を吊った。

 

 そんな事が笑い話になるくらい、この戦場は荒んでいる。ポーカー勝負に出ている兵士達は、本国から送られてくる物資を待ち望み、今日も警戒任務に当るのであろう。

 

 欠伸を噛み殺した兵士が紺碧の大気に息を吐くと、凍えたように白く輝く。

 

 温度自体はむしろ亜熱帯に近いのに、こういう矛盾した現象を巻き起こすのがブルブラッド大気の特徴であった。

 

 一つに、レーザーなどの探知網は霧が濃ければ濃いほど作用しない。

 

 ブルブラッド大気七十パーセント以下の場所でしか、レーザーが正しく動作する事はない。この戦地は八十二パーセント。レーザー関知はほとんど五分五分の賭けと言っても差し支えないだろう。

 

 丘で死んだ仲間に関して一人の兵士が口走った。

 

「ブルブラッドに呑まれたのさ。あいつ、古代人機にやけに怯えていたからなぁ」

 

「古代人機なんてこっちの兵力で簡単にのせるだろ。そんなのにビビッてたら背中から刺されるぜ。ほれ、ロイヤルストレートフラッシュ」

 

 流されたカードに舌打ちと胡乱な空気が漂う。

 

「イカサマしてんじゃねぇだろうな?」

 

「するわけないだろ。したってここで金稼いで本国で女でも買うか? そんなのする前にうちの貯金額は跳ね上がる一方だ」

 

 C連合兵士は定額の貯金制度に入っており、ある一定階級に至るまでそれが継続して続く。彼らの場合、まだ伍長が関の山。入隊して二年、三年経てばいいほうである。若者達の相貌はしかし、暗く翳っていた。

 

「戦場ってのは、何をしても自由な場所だって俺は聞いてきた」

 

 バーボンを開けた兵士が眠たげな眼差しでグラスを振る。

 

「ところがどうだい。この青に彩られた大地では女どころか、生き物一匹いやしねぇ。百五十年前? 二百年前だったかはそうじゃなかったんだろ?」

 

「二百年前くらいに人機をたくさん造り過ぎて星が荒れちまったんだとよ」

 

 カードを切る兵士がその恰幅のいい身体を揺らした。

 

「馬鹿だねぇ、人機なんて造らずに、女を増やせばよかったのに。そうすりゃ、パラダイスだ」

 

「俺は魚ってのを見たいな。ブルブラッドの大気汚染で真っ先に駄目になったのは漁業だって聞く。上層部の連中は食ってんだろ? サシミ、ってのを」

 

 伝聞でしか聞いた事のないせいか、彼の言葉はどこか浮いている。

 

「らしいな。魚の肉なのか、何なのかは分からないが」

 

「サシミいいなぁ、食いたいよなぁ……」

 

「いつか食えるだろ」

 

「お偉いさんにならなきゃいけない。そんなのになる前にイカレちまうほうが早そうだ」

 

 首根っこを掻っ切る真似をした兵士に、カードを切り終えた兵士が笑いかける。

 

「丘で首を吊るか、ナイフで心臓でも刺し貫くか? てめぇの精神が駄目になっちまうより、俺はムスコが駄目になっちまわないか不安だね」

 

 ぷっと笑いが巻き起こった。戦場での笑い話は一種の清涼剤だ。

 

「そりゃ、違いねぇ! それが駄目になったらもう本国帰っても豪遊出来めぇよ!」

 

「女も抱けなくなったらマジに人生終わりだな。金だけあってもどうするよ? 俺、まだ風俗三回くらいしか行った事ないんだけれどよ。やっぱり男はあっちの大きさで決まるのか?」

 

「あっちの大きさと長さと時間だとよ、俺の経験上。どんだけイケメンで金持ちでもそこがないと幻滅されるってのは覚えとけ」

 

「へいへい、肝に銘じるとしますか」

 

 次のゲームが始まりかけて、欠伸を噛み殺していた兵士が濃霧の中に何かを発見した。

 

 電子双眼鏡で凝視すると、それは熱源であるらしい。

 

「おい、敵の増援部隊かもしれん。警戒に当っとけ」

 

「冗談じゃねぇぜ! 毎日よくやるよ。連中のコミューンのド頭に爆撃食らわすのが早いんじゃないのか?」

 

「コミューンを直接襲うのは条約違反だろ」

 

「分かってるって。蒸し返すなよ」

 

 冗談交じりにテントから出た三名を待ち構えていたのは、濃霧の中、こちらに真っ直ぐ接近してくる敵影であった。

 

「人機サイズだな。ありゃ」

 

「《ナナツー》だろ?」

 

「いや、《ナナツー》はあんなに速くねぇぞ……」

 

 その段になってようやく兵士達の認識が追いついてきた。バーボンを開けていた兵士へと命令が当てられる。

 

「伝令を鳴らせ! 正体不明の敵影接近!」

 

 すると、酔いが回っていた神経でもそればかりは覚えているのか、すぐさま伝令管に通信を吹き込んだ。

 

「敵影接近! 《ナナツー》三機!」

 

「馬鹿! 一機だ! 一機だけだし、ありゃ《ナナツー》の速度じゃねぇ!」

 

「《バーゴイル》か?」

 

「《バーゴイル》使うのはゾル国だけだろ? それに……《バーゴイル》もあんなに速くはねぇ」

 

 ようやく事の深刻さを窺わせた三名の頭上へと銀翼の使者が降り立った。

 

 青と銀のカラーリングに全員が呆けたように見入っている。

 

「何だ、これ……新型の人機かよ」

 

「でも見た事ない奴だぞ……」

 

 能天気に観察する人々を襲ったのは一筋の烈風であった。

 

 人機が払った剣閃で数人が消し炭になる。生きていた証明も残さず、蒸発した仲間にバーボンを呷っていた伝令役だけが冷静になった。冷や水を浴びせかけられたように酔いが醒め、駆け出そうとしたその時には陸が砕け、地面が粉塵を舞い上がらせて粉砕した。

 

 暴風のような攻撃の最中、兵士は濃霧の中に佇む巨人を幻視する。

 

 緑色の眼をぎらつかせた巨人は猛り狂ったように大地を踏み締め、人々を片手に握り締めた剣で断罪する。

 

「ああ、神様……」

 

 祈った神が何であるのか、自分で認識も出来ぬまま、兵士達の命は奪い去られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降り立つなりそこいらかしこで点在していた《ナナツー》が一斉に照準を向けた。

 

 今までぬるま湯のような戦場だった場所が急に沸き立つ。

 

『何だ、何だあれ!』

 

 一人の兵士が恐慌に駆られて銃弾を掃射した。《ナナツー弐式》の機銃掃射が《シルヴァリンク》の装甲を叩くもそれは豆鉄砲以下の威力に過ぎない。

 

『まさかあれが……報告にあったモリビト……』

 

 ようやく事の次第を理解し始めた兵士達へと《シルヴァリンク》が片腕の大剣を振るい上げる。

 

「《モリビトシルヴァリンク》、目標を確認。《ナナツー弐式》、目視出来る範囲に数は十機。脅威判定測定」

 

 機銃が猛り狂ったようにモリビトへと降り注ぎ、対地砲撃の火線が咲いた。

 

『撃て! 撃てーっ!』

 

 それしか知らないように人々が叫び、荒れ狂う。これが戦場、これが、この星の、野蛮人達の戦い方。

 

 鉄菜は脳裏に訓練時代を呼び起こし、脅威判定を終了させた。

 

「脅威判定、Dマイナス。《シルヴァリンク》、近接格闘装備にて、《ナナツー》数機を迎撃する」

 

 瞬く間に接近し、振るわれたRソードの勢いで機銃が焼け爛れる。根元から断ち切られた事を相手が認識する前に、その頭部コックピットへと確実な一撃を打ち下ろした。

 

 うろたえた仲間へとさらに追撃の一閃。《ナナツー》の鼻先を掠めた大剣の一撃に相手が怯え切ったのが伝わる。

 

『こ、こんなの、どう戦えば……』

 

 全くの無防備の敵にさらに一撃。今度は刺突。鳩尾を突き刺したRソードがブルブラッドエンジンを貫通し、蒸気の中にぐつぐつと煮えたような音が残響する。血塊炉が完全に燃焼し切ったのだ。

 

 青い血をぶくぶくと噴かせて《ナナツー》が沈黙する。ようやく戦闘の姿勢に入った相手が中距離から機銃を乱射するも、どれも照準がばらけている。

 

 熟練度が低いようだ。

 

「脅威判定を更新。対象をEと認定。このまま押し切る――」

 

 その言葉を遮ったのは超長距離の狙撃であった。砲弾が突き刺さり、ビィンと空気が震える。

 

『やってやったぜ、チクショウめ! これで跡形もねぇだろ!』

 

 どうやら前の連中は分かっていて道化を演じていたらしい。鉄菜はコックピットの中で静かに脅威判定を紡ぎ出す。

 

「……訂正。Dマイナスの値を保持。雑兵にしてはやる」

 

 左腕の盾を翳した《シルヴァリンク》は健在であった。それどころか砲弾は盾の表面で物理的なエネルギーを分散させている。

 

『な、何が起こっているんだ?』

 

 盾の表面で爆ぜる砲弾の意味が分からないのだろう。《シルヴァリンク》は真正面の敵に盾を掲げる。

 

「リバウンド、フォール」

 

 その一声で燻っていた砲弾の軌道が変位し、跳ね返った砲弾が真正面の《ナナツー》の腹腔を貫いた。何が起こったのか理解させるまでに爆発の光が辺り一面に広がる。ブルブラッド大気の霧が一瞬だけ晴れ、《ナナツー》の断末魔を響き渡らせた。

 

『何が……攻撃を、弾いた?』

 

『こんなの、どうやれって……』

 

 絶望的な言葉が通信網を滑っていく中、鉄菜は《シルヴァリンク》に機動させる。舞うように相手の射程に入り込んだ《シルヴァリンク》が大剣を腹腔に押し当てた。そのまま、ほとんど力を加えずに切り裂く。生き別れになった胴体を睨んだまま、《ナナツー》が中空で爆ぜた。爆音さえも彼方に追いやり、《シルヴァリンク》の躯体が滑らかな機動を描いて次の標的を引き裂いた。

 

 銃身が吹き飛び、キャノピータイプのコックピットからモリビトを直視した操主が怯えに叫んだ。

 

 コックピットを切り裂き、その断末魔さえも轟かせない。

 

 その時、砲撃部隊の狙撃が一点に集中されていった。どうやらようやく指揮を取り戻した《ナナツー》の人機部隊が《シルヴァリンク》へと機銃掃射を見舞って動きを止めるように進言したらしい。

 

『弾幕張れ! 押し込め!』

 

『狙撃部隊! 砲撃幕薄いぞ、何やってんだ! このウスノロ!』

 

『黙れ! こっちだって必死に……』

 

 怒号が通信網を響かせる中、鉄菜はいやに冴え渡った《シルヴァリンク》のコックピットの中で呟いた。

 

「……うるさい」

 

 盾で弾き返してやろうかと思ったが、リバウンドフォールの唯一の弱点は展開時、全く行動不能になる事。前方に確認出来るだけで十機近くの《ナナツー》がいる。

 

 この場合、動きを止めて跳ね返すのは得策ではない。

 

 鉄菜は操縦桿を引き、一度離脱機動を取らせようとしたが、やはりというべきか、一度くわえ込んだ獲物を離すほど、相手も平和ボケをしているわけではない。

 

 押し込んだ、と思い込んだのだろう。銃撃網がさらに強まった。

 

『押してるぞ……。いけ! モリビトとは言え、やはり物量には弱い!』

 

『やれている……? これで、やれるのか?』

 

 その言葉に、鉄菜は舌打ちを漏らす。

 

「やれるわけがないだろう」

 

 その時、不意に砲撃部隊を襲ったのは中空からの銃撃の雨であった。ハッと振り仰いだ《ナナツー》達の視線を集めたのは滑空する《インペルベイン》である。

 

『モリビトが……二機……』

 

『ホラ、やっぱり鉄菜、一人だと無理でしょう? 狙撃部隊を排除してあげるわ』

 

「勝手にしろ。私は前方に見える連中を一掃する」

 

《インペルベイン》が狙撃部隊の機銃掃射を舞うようにいなし、グローブ型の両腕を突き出す。

 

『《インペルベイン》、《ナナツー》砲撃部隊を一掃する!』

 

 彩芽の声が響き、《インペルベイン》の放った鉛の雨が即座に装甲を溶解させていった。威力だけならば、モリビトタイプでさえも危ういほどの高火力を生み出す《インペルベイン》は現行の人機では太刀打ちも出来ないだろう。

 

 呆然と突っ立ったままの兵隊へと、《シルヴァリンク》が駆け抜けた。

 

「余所見し過ぎ」

 

 Rソードが発振し、《ナナツー》の胴体を断ち割っていく。《ナナツー》が転げたように泥に塗れ、繋ぎ目からスパークの火花を散らせた。

 

 火線を《シルヴァリンク》は弾道予測で読み切り、相手の鳩尾へとRソードを突き刺す。銃弾の包囲網がこちらを狙い澄ます中、盾を掲げて無力化した《ナナツー》を前進させた。

 

《ナナツー》の機体に銃弾が撃ち込まれ、その機体が悶えたように震える。

 

『この、人でなしが!』

 

「人であろうと思った事はない」

 

《ナナツー》を蹴り上げて相手へと見舞った後、盾で《ナナツー》の懐へと肉迫する。加速と同時に発生したリバウンドフィールドが《ナナツー》の脆い装甲板を叩き砕いていく。

 

 こちらがリバウンドの盾で突っ込むだけで、現状の兵器では敵わないのだ。

 

 悲鳴と怒声が通信を震わせる中、《シルヴァリンク》が飛翔した。

 

 先ほどまでいた空間を引き裂いたのは砲撃の一打である。《インペルベイン》は何を、と視線を注いだ先では、《インペルベイン》が一機の砲撃タイプの《ナナツー》と渡り合っていた。

 

 火力では計算するまでもない戦力差なのに、《インペルベイン》へと勇猛果敢に砲撃を見舞う相手を、モリビトは速度で圧倒する。

 

「遊んでいるのか」

 

『まさか。《ナナツー》の最新型がどれほどやれるのか、実地試験も見ているんでしょう。第二フェイズになるまで交戦は控えられていたからね。経験値を稼いでおかないと』

 

 暗に自分の干渉が雑であったと責められているようであったが、鉄菜は言い返す気もなかった。《シルヴァリンク》が背後に迫った《ナナツー》を蹴り上げ、そのままRソードを打ち下ろす。

 

 両断された《ナナツー》の最期に、他の操主達が震え上がった。

 

『か、勝てるわけないっ! 離脱だ、離脱!』

 

 推進剤を焚いて戦線を離脱しようとする敵まで追う必要はない。《インペルベイン》は砲撃部隊へとほとんど無駄玉を使わずして撤退させていた。

 

 そうか、中距離タイプのモリビトではあまり深追いは出来ないのだ。だからこそ、一機を相手に優位を見せつけ、戦意を喪失させる。

 

 それも立派な戦術であった。

 

 その時、不意に湧いて来たのは今まで戦ってきたコミューンとは違う、対立コミューンの《ナナツー》であった。

 

 黄土色に塗られた《ナナツー》が《シルヴァリンク》の脇を抜けていく。

 

『応戦感謝する! これより、敵の第一隊を攻撃! 一気呵成に攻め立てる!』

 

 通り抜けようとした《ナナツー》の背後に、鉄菜は迷わず刃を突き立てた。困惑した《ナナツー》の操主の声が飛ぶ。

 

『な、何故だ? 相手方を一掃してくれたんじゃ――』

 

「勘違いをするな。私達は、どの勢力の味方でもない」

 

 Rソードが《ナナツー》の血塊炉に突き刺さり、青い血を蒸発させた。

 

《インペルベイン》が中空で機動を変える。

 

『上出来でしょ、鉄菜。ここまでやったんだし、相手も戦意が削がれているはず。どっちに味方したわけでもないし、ね』

 

 双方の人機戦力はほぼ等しく削れ。

 

 それが第二フェイズにおける鉄則である。まだ僅かに片側の人機の数が多い。

 

「私は、まだやる。これじゃ、両成敗にならない」

 

『気にしてるの? よくある事よ、これから先も。相手はこっちを利用したつもりになるもんだし、こっちもこっちで毎回快勝ってわけには行かないでしょう。鉄菜、あんまり深追いすると……』

 

「双方の戦力を五分五分に削り切るだけだ。何も深追いではない」

 

《シルヴァリンク》がもう片側の陣地に突っ込む。その挙動に相手の人機がおっとり刀で対応した。

 

『こ、こっちにも? 逃げろ! 奴は本気で――』

 

 連絡兵の塹壕を突き破り、《シルヴァリンク》が電磁柵で覆われた相手の陣地に潜り込む。

 

 電磁柵を盾で一蹴し、Rソードを片手にしたモリビトがほとんどマネキン同然の人機達の中に分け入る。

 

 しかし、操主が入れば話は別だ。

 

 全方位から照準が向けられた。ロックオンの警報がコックピットの中に残響する。

 

『動くなよ……。動けば撃つ』

 

 じりじりと接近してくる《ナナツー》に鉄菜は一瞥を飛ばした。

 

「動くな、か。馬鹿馬鹿しい」

 

《シルヴァリンク》が姿勢を沈ませる。一斉射された《ナナツー》の銃撃が捉えたのは、お互いのコックピットキャノピーであった。

 

 相討ちになった形の《ナナツー》を他所に《シルヴァリンク》が爆発の光の中で影を作る。

 

「全方位から小銃で狙ったところで、機動性で勝つこっちには無意味なのに」

 

 心底、理解出来ない。戦場では人はこうも無知蒙昧に突き進む事しか出来ないのか。

 

《シルヴァリンク》が《ナナツー》部隊の前に降り立つ。前戦がもう少し気張るであろうと予測していた後方部隊はあまりにも脆弱であった。

 

 振り払ったRソードの一閃で二体の《ナナツー》が押し倒されたように横薙ぎになる。

 

 将棋倒しの《ナナツー》の奥で妙に装飾華美な《ナナツー》が立ち竦んでいた。恐らくは、この戦場を預かった大将だろう。

 

《ナナツー》のキャノピーで両手を上げて投降を示す男の両脇には女がいた。半裸の女達は現地の人間だろう。

 

 服を無理やり引き剥がされた女達はモリビトを見るなり、目を見開いていた。

 

 まるで神か何かを目にしたかのよう。

 

「……救ってあげる事は、悪いけれど出来ない」

 

 だから、というわけでもない。女だから同情したわけでもない。

 

 ただ、淡々と、目標を遂行するだけだ。

 

《シルヴァリンク》のRソードの切っ先はそのまま、《ナナツー》のコックピットへと突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「情況終了! って感じかな。あっちは鉄菜が頑張ってくれているもの。わたくしだって、後始末くらいはつけるわ」

 

《インペルベイン》の狙い澄ます先には反対陣営の拠点があった。グローブ型の武器腕が照準をつける。

 

 拠点には小さいながらささやかな村があった。人々が《インペルベイン》を目にして指差している。

 

 彼らには恐らく伝わっていないのだろう。世界の動乱も。モリビトの脅威も。

 

 だから彼らが目にしているのは神かもしれないし悪魔かもしれない。

 

 ただ、一息の引き金で終わらせる、という役割で言えば、モリビトは悪魔の役割を買って出ていた。

 

「禍根だとか、そういうのは残さないわよ。だって、わたくし達は、残酷ですからね」

 

《インペルベイン》の銃撃が村を焼き払う。着弾した現地村の家屋が火の手を上げて焼けていった。

 

 彩芽はコックピットの中で今しがた引いた操縦桿の引き金を凝視する。

 

 今の、たった一動作で、人が大勢死んだ。

 

 その感覚に咎を痛感しないほど、この身体は人でなしではない。ただ、いちいち他人の死に涙していれば、この身体が枯渇するのだけは確かであった。

 

「許しなんて乞わないわよ。だってわたくし達は、そういう存在だから」

 

 村の空を駆け抜けていく《インペルベイン》は悪鬼の所業であっただろう。だが、この場所を戦場にし、人々から何もかもを奪っていったコミューンの兵士達とどちらが悪か。それを誰も断罪する事など不可能なのだ。

 

 この世で絶対者だけが持つ糾弾の権利を奪うために、自分達は降りてきたのだから。

 

 絶対者に搾取される人々を少しでもマシな明日に変えるために。世界を一歩でも前に進ませるために。

 

「だから、許しなんて乞わないわ。……でも、きついわね。一人で背負うのは」

 

 だからこそ、最初の任務はツーマンセルなのだろう。《シルヴァリンク》と鉄菜にある意味では甘えているのだ。

 

 自分一人でこの戦場を預かれば、きっと数回もしないうちに磨耗してしまう。組織はそれも加味して、モリビトの操主を三人、選定した。

 

 自分は、まだ救われているほうだ。これから先、血に塗れていくばかりの手を彩芽は凝視する。

 

 いつか、あらゆる人々の災禍と怨嗟の声で身動きが出来なくなるまで。きっとこの身はあるはずだ。その日まで生きているのならば。

 

「わたくしは、罰を受けてでも、今日を生きるわ。それが、ブルブラッドキャリアの役目ならば」

 

《インペルベイン》が飛び去っていく。

 

 拠点制圧完了の信号を《シルヴァリンク》に送ると、相手もほぼ同時に同じ信号を送り返した。お互いに逡巡があったのかもしれない。本来ならばもっと素早く、この程度の戦場、渡り歩けなければおかしい。

 

 しかし、彩芽の胸中にあるのは迷いであった。きっと、鉄菜も同じであろう。鉄菜は感情を表には出さないが、感じる心くらいはあるはずだ。

 

 それさえも枯れ果ててしまえば、自分達はただの殺戮マシーンに成り下がる。モリビトの名前を継ぐ者としてそれはあってはならない。ただの大罪人であるのは、真っ平御免であった。

 

 ――この罪に意味がありますよう。

 

 彩芽は首から提げていたロザリオをそっと握り、この世界を見守っているであろう神に祈っていた。

 

 神を葬る装備を持っていながら。

 

 その身は酷く穢れていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯14 虹の空の向こう

 輸送船の中で同期された音楽にひずみが生まれる。ブルブラッド大気汚染のせいでラジオすらまともに聴けないのだ。広域通信チャンネルを使用し、絶対に方位を間違えない世界基準のシステムですら、高濃度の濃紺の霧に入れば一寸先は闇と化す。

 

 ノイズが混じってきたな、と少女はインカムを取りかけて上官の通信が割り込んだのに気づいた。

 

『強化兵サンプル番号34。通信チャンネルを一定に保て』

 

 それが自分の名前だ。強化兵サンプル番号34。本当の名前で呼ばれた事などここ数年、片手で数えるほどしかない。強化兵同士で呼び合う愛称が染み付いていた。

 

『瑞葉。教官殿のお叱りが飛んだな』

 

 嘲るのは自分と同じく、身体をうつ伏せの形で人機コックピットに収まっている同期であった。強化兵同士、傷の舐め合いのように愛称を返す。

 

「枯葉も大人しくしてないと、教官に怒られるよ」

 

『了解。でも、叱られるのは期待されている証だよ。こっちはもう今期の模擬戦でお前に負けっ放し。そろそろ切られるかもしれないな』

 

 強化兵同士の模擬戦の順位は絶対だ。ランクが下の強化兵は口を利く自由すら奪われる。ゆえに「切られる」という言葉は素直に生死に直結する。

 

「そんな事言わないで。まだ、うちの国家は大丈夫だってこの間も元首様が仰っていたじゃない」

 

 ブルーガーデンにおいて「元首」の名を持つ国家の首相の言葉は絶対である。元首の発言だけが貧富の分け隔てなく誰もが信じている唯一無二の象徴だ。

 

 人は心の中に神を住まわせられる。その枠の中に別の宗教の神を信じさせるのは勝手だが、ブルーガーデンの住民は元首の言葉だけは神と同列に扱う。

 

 元首が男なのか、女なのかも分からない。話の中では男でも女でもない、というものもあった。実際、元首がどのような人間なのかも知らず、名前すら一部の大人では知る由もない。

 

 兵士である自分達にはなおの事、元首の名前など畏れ多いだけだ。

 

『元首様、ねぇ……。確かにブルーガーデンは強力な国家だろうけれど、こうやってキャリアーに運ばれている状態の時だけは、国の強さなんて忘れちゃうよ。狙撃能力を持つ《ナナツー》が撃ってきたらどうするの?』

 

「対地砲火くらいはあるでしょう。それに、もしもの時はわたし達がいかないといけないんだから」

 

 そのための強化兵である。自分達はこの国の国民のための駒。国民のための奴隷。国民のために使い潰される予算の一つ。

 

 ――全ては青き花園を護り通すために。

 

 ブルーガーデンの兵士ならばその志を抱いて死ねれば本望であった。

 

『青い花、見た事ないんだよねぇ』

 

「わたしも。この世界のどこかに咲いているって言う青い花。いつか見れるといいね」

 

 強化施術の影響で灰色に染まった前髪が垂れてきて、瑞葉はヘルメットのバイザーを上げた。

 

 強化施術の影響が毛髪だけならばまだマシなほうだ。中には四肢の自由が利かないのに人機に乗せられて特攻爆弾の役割を課せられる強化兵もいる。特攻するにしても、純粋に痛覚の存在しない人間を使うのも手の一つ。

 

 それがブルーガーデン強化兵にとっての日常であり、他の事は考えられなかった。

 

 戦って勝ち取るしかない。全ての目的はそこに集約される。他の問題は後にしてもいい。戦って勝つのみの純粋な戦闘神経が存在すれば、それは兵士としての適格を意味する。

 

 瑞葉は自分の乗り込むロンド系の機体に意識を注いだ。スーツ越しに背筋のハードポイントと接続されたコネクターで人機と一体化する。それが強化兵の二桁ナンバーに与えられた機能であった。

 

 一桁にはこれが存在せず、マニュアルでの人機操作であったが、自分達は手足のように人機を操れる。それだけで、特攻するしか能のなかった一桁とは違う、という矜持があった。

 

 深く考える必要はない。足を動かすのに足を上げると意識しないでいいように、人機の操作もそれと同じであった。

 

 型式番号が脳内で出力され、《ブルーロンド》の名前を冠する人機の体表に備え付けられたカメラの映像を片目に投射させる。

 

《ブルーロンド》はロンド系列と呼ばれる人機のタイプの一つだ。カスタムモデルであり、細い人型の体躯とゴーグル型の頭部が特徴的である。

 

 装備はほとんどオミットされており、今は腰に備え付けられたプラズマソードと袖口に装着されたガトリングがメインである。限りなく純粋な人型兵器を目標に設計されただけはあってどこかごてごてした《ナナツー》や、人型であるものの飛翔を前提とした《バーゴイル》にはない、シンプルでありながらそれが最も戦場に適している、という戦地を実際に渡り歩いてきたからこそ言える理論が通っている。

 

 枯葉の《ブルーロンド》は後方支援用にアサルトライフルを装備していた。自分は斬り込み隊長だ。自分の指揮一つで部隊が全滅もあり得る。緊張するか、と言われればその通りであったが、緊張ですらも体内のホルモンバランスを調整し、人機のブルブラッド薬物逆流によって緩和出来る。

 

 素晴らしい環境に恵まれたものだと自分でも痛感する。

 

 人機に乗っていれば何一つ余計な事を考えなくともよい。人機で勝てれば賞賛される。人機に搭乗さえしていれば生活にも困らず病気知らず。

 

 これほど充実した国家があろうか。

 

《ブルーロンド》部隊への志願者は常にいっぱいなのだと聞く。それほどまでに国民が切望する身分にいるのだ。

 

 誇らしくないはずがない。

 

「枯葉、青い花、どこかに咲いているといいね」

 

『そりゃ言うだけならタダだけれどさ……。ブルーガーデンはネット環境が恵まれていないから写真も拝めないってのは』

 

『おい、御国家への侮辱発言は……』

 

 上官の声が漏れ聞こえ枯葉は慌てて謝った。

 

『す、すいません!』

 

「軽はずみな発言はやめときなっていつも言っているのに」

 

 ブルーガーデンという国家を侮辱する事は時に死罪に値する。もっとも、常に監視網があるわけではないが自分達は兵士という、国家を代表する存在。当然、聞き耳くらいは立てられていると考えるべきだろう。この身は模範のためにあるのだ。

 

『青い花が見たいだけなんだけれどなぁ』

 

「青い花、ね。綺麗だって、見た人はみんな言うよ」

 

『ちょっと《ブルーロンド》でカメラをチェックすれば見れると思うんだけれど……』

 

 それは難しいだろう。輸送機で運ばれている際、外部へのアクセスは厳しく制限される。

 

 自分達に分かるのは、今が夕刻である事くらいだ。惑星標準の時刻設定と現在地のマーキングが脳内に施されている。これによりどこで、どのような環境でも最適を選ぶ事が出来る。

 

 ――最適、なんと素晴らしき言葉か。

 

 自分達は常に最適と最善に保護されているのだ。これほどまでに恵まれているというのは少しばかりおごがましいほどではないだろうか。

 

 他者の権利を侵害していないかくらいは気になる。そのような瑣末な感情も次の瞬間にはブルブラッドの薬剤でクリアにされているのだが。

 

『前方に障害物を視認。……あれは、飛行物体ですね』

 

 前方警備についている輸送機の搭乗員の言葉に上官が声にする。

 

『後にしろ。この航路を真っ直ぐ行ければ最速だ』

 

『しかし……限界高度よりも高く飛んでいます。これは《ナナツー》の高度じゃありませんよ』

 

《ナナツー》タイプには厳しい飛翔制限がある。それは《ナナツー》に搭載されたブルブラッドが滑空に耐え切れないのと装甲の薄さに起因するものだ。

 

『では、《バーゴイル》だろう。《バーゴイル》の飛翔部隊くらいは適当にあしらえ。相手からのシグナルがなければ無視しろ』

 

『シグナル……依然としてありません。相手の機体を照合可能な位置につきました。これは……照合コードエラー。新型機です!』

 

 悲鳴のような声に通信網に緊張が走る。

 

『新型機? こんな高度にか?』

 

 ブルーガーデンの輸送機は高高度を飛行している。これを可能とするのは祖国の血塊炉が充実しているからなのであるが、こちらと同じ高度となると穏やかではない。

 

『何だと思う? 敵?』

 

「敵なら、叩けばいいでしょ」

 

《ブルーロンド》部隊には既に準備は出来ている。通信は同期されている上に出撃となればすぐさまチューブから注入された戦意高揚剤が作用するはずだ。

 

『目標! こちらに接近します! 撃ちますか?』

 

 搭乗員は随分と焦っている。ちょっとくらい高度の位置を間違えた敵くらい静観すればいいものを。

 

 落ち着きのない事だ、と瑞葉は呆れ返った。

 

『待て! 撃つなよ! 確かめる』

 

 上官が確かめれば間違いないだろう。敵にせよそこいらを飛ぶ飛行機にせよ、こちらの邪魔をすれば叩くのみだ。

 

 しかし直後に上官の声は凍りついた。

 

『あれは……話にあったモリビトか?』

 

 ――モリビト?

 

 聞かない人機の名に疑問符を浮かべていると不意に背筋から戦意高揚財が打ち込まれた。

 

 外部刺激に晒された身体に激痛が走る。しかし、すぐに痛みは快楽に変わり、二秒もすればそれは浮き足立ったかのような戦場の昂揚に変わっていった。

 

『敵? ならば斬らせて!』

 

 枯葉も同じ様子だ。瑞葉は自分から進言するのは下策だとして上官の声を待ったが、やはり気持ちでは抑えられない。

 

 ――このまま飛び出して相手を八つ裂きにしたい。

 

 たとえ《ナナツー》でも《バーゴイル》でもいい。戦えるのならばそれに越した事はない。一撃でやられれば面白くはないが。

 

『何発で仕留める?』

 

「また賭け? わたしはその手には乗らないよ」

 

『瑞葉ってば、戦意高揚剤打たれてる? 本当に冷静なんだから』

 

 とんでもない。自分も本当ならばそういう話はしたいのだが、なにぶん隊を預かっている。軽薄な発言は慎むべきだ。

 

 しかし次の上官の言葉が燻った猛獣達を解き放つ鍵となった。

 

『《ブルーロンド》隊、出るぞ! 敵は一体! 確実に刈り取れ!』

 

 了解の復誦が響く中、瑞葉は眼前のシャッターが静かに開いていくのにやきもきした。

 

 ――速くいかせてくれ。戦いたくってしょうがない。

 

《ブルーロンド》が一機、また一機と黄昏の空に降下する。

 

 背部バックパックを広げ、高高度から飛び降りた《ブルーロンド》が次々に翼を帯びる。最後に瑞葉の《ブルーロンド》に合図が入った。

 

『サンプル番号34、出ろ!』

 

「了解。サンプル34、出撃」

 

 胃の腑が押し上げられる感覚と共に《ブルーロンド》が射出される。すぐに背部スラスターを起動させ、《ブルーロンド》五機が斜陽の空に飛行機雲を棚引かせる。

 

『どこ? どこにいるの?』

 

 枯葉の声にわけもない、と得心する。戦いとなれば全員が獲物を取り逃がさないために全力を出し切るのだ。それがブルーガーデンの兵士の掟なのだったが、それすらも微笑ましい。

 

「全機、浮き足立つな。ゆっくり旋回しつつ、敵を骨の髄まで搾り取ろうじゃないか」

 

 その準備は出来ている。ゆっくりとレーザーの中に敵を探そうとする。

その時、不意に一機が爆発の光に晒された。

 

 何が起こったのか分からぬまま、もう一機が目線を振り向けた瞬間、下部から急上昇してきた機体が完全に的になっていた《ブルーロンド》を両断する。

 

 瑞葉には何一つ分からない。ただ明確なのは、今の数秒の間に仲間が二人死んだ。

 

 レーザー網を脳内に呼び出すも、ブルブラッド大気濃度が七割を超えているため、至近距離での視認は逆に命取りとなる。

 

「残り三機、マニュアルに切り替えろ! 相手は近いぞ!」

 

 狩る側が一転して狩られる側になった。その恐慌が脳内を満たしていくが、薬剤が正常に作用し、緊張を緩和する。

 

 まだだ。まだやれると判じた視界の中で三機目を落としたのは見た事もない銀翼の人機であった。

 

 銀と青に彩られた機体を閃かせ、その機体が片手に握った大剣が《ブルーロンド》の腹腔に突き刺さる。そのまま捨て去るように払われた一閃で三機目が撃墜された。

 

「撃墜……? どういう事、撃墜なんて……。だってわたし達は新型の強化兵で、《ブルーロンド》隊で、青い花園を護る誇りある兵士で……」

 

 通信網の中に割り込んできたのは断末魔を上げる仲間の声音だった。嫌だ、だとか、死にたくないだとかを叫んで仲間の機体が中空で爆ぜる。

 

 嘘だ、と瑞葉は呆然とした。《ブルーロンド》を落とせる機体なんて存在するはずがない。

 

 装甲強度は《バーゴイル》の平均値を上回っているし、《ナナツー》よりも相手の策敵速度も勝っている。

 

 どの点を取っても《ブルーロンド》が遅れを取るわけがないのに――。

 

『……瑞葉! 瑞葉! 速く命令を! 敵が来る!』

 

 敵。同列に値する敵など、この世にいないものだと思っていた。《ブルーロンド》の性能に勝る人機など製造出来るはずがない。

 

「これは、何かの間違いで……」

 

『来るよ!』

 

 枯葉の《ブルーロンド》が視界の端でアサルトライフルを放った。銃撃の先には青と銀の人機が激しい急下降と上昇を繰り返している。あんな機動速度、あり得ないのに。

 

「嘘、操主が持たないはずなのに」

 

『瑞葉! 来てる! 撃っていいの?』

 

 もう撃っている枯葉の声には混乱が混じっている。そんな時こそ血塊炉からもたらされる薬で落ち着くべきだ、と言おうとして枯葉の《ブルーロンド》へと駆け抜けるように未確認人機が接近した。

 

 その速度は予想以上の値を弾き出す。脳内に呼び出された速度シミュレーターが概算値オーバーでエラーを引き起こした。

 

『瑞葉! もうやるしかない! 二人しか残っていない!』

 

 そうだ。援護の《ブルーロンド》はどうなった? まだ、輸送機はあったはずだ。振り仰いだ瑞葉は戦場を飛び去っていく自分達の母国の輸送機に愕然とした。

 

 ――どうして? だって回収しないと《ブルーロンド》が全滅してしまう。

 

 そのような考えなど他所に輸送機の背中は遠ざかっていく。瑞葉の《ブルーロンド》の機体を煽るように接近警報が鳴り響いた。咄嗟に起動させたプラズマソードが相手の武装と打ち合い、激しい干渉波を弾かせた。

 

 プラズマソードは血塊炉に直に繋がっている特殊な合金で精製されている。ブルーガーデンがその技術を独占する特別製。曰く、この世に斬れぬものはないほどに。

 

 だが、その万物無双の剣が相手の剣とほぼ同威力、――否相手の押し出した剣の圧力がこちらを僅かに勝っていた。

 

「誰なんだ、お前!」

 

 うろたえた瑞葉の言葉を受け止めるのは緑色のデュアルアイセンサーを輝かせた敵の人機であった。

 

 キャノピー型のコックピットではない。《バーゴイル》のような頭部形状でもない。かといってロンド系列のように画一化された姿でもない。

 

 まさしく不明人機。そうとしか言いようのない相手に恐怖の感情が湧いてくる。

 

 脳内ホルモンのバランスが崩れたせいか、戦意高揚財が再び打ち込まれた。

 

「このォッ!」

 

 プラズマソードで打ち合ったまま推進剤を全開にする。しかし、その一打は相手が軽く手を捻っただけで返されてしまった。

 

「押し負けた?」

 

《ブルーロンド》が押し負けるほどのパワーの持ち主と言えば陸専用の《ナナツー》くらいだ。《バーゴイル》はそれほど膂力に優れていない。

 

 ロンド系列で対峙しても、瑞葉の《ブルーロンド》は最大値にパワーを設定してある。他の機体の追従を許さないはずの愛機がここに来て劣勢に追い込まれる。

 

 呆然とする瑞葉の《ブルーロンド》へと不明人機が剣を薙ぎ払おうとした。

 

『瑞葉!』

 

 アサルトライフルの火線が閃き、瑞葉はハッとする。枯葉が援護射撃を必死に行い瑞葉から敵人機を引き剥がそうとしていた。

 

 不明人機が翼手目によく似た銀翼を拡張させ、その推進剤の力を得て枯葉の《ブルーロンド》へと火線を掻い潜っていく。

 

「枯葉!」

 

 袖口のガトリング砲を一射した。回転したガトリングの砲身が薬きょうを撒き散らすも、それらの弾丸は敵の人機に命中する事もなく、遥か下方の海中に没する。

 

 敵人機は海上すれすれを飛翔しつつこちらの手の内を読んでいるようであった。馬鹿にして、と枯葉の《ブルーロンド》がアサルトライフルを手にその背中に追いすがる。

 

 瞬いた銃撃に敵の人機は銀翼を翻しつつ急に減速した。

 

 その動きに枯葉の《ブルーロンド》がついていけず、咄嗟の防御を行ったもののアサルトライフルが断ち割られる。

 

 ――いけない、と瑞葉は感じていた。

 

 残ったのは自分と枯葉だけなのだ。

 

 何としても生き延びなければ。生還して、この人機の情報を祖国に持ち帰らなければ。

 

 そこまで考えて脳内を掠めるのは、――自分達を見捨てた祖国に? という疑問。

 

「ち、違う……。わたし達は、見捨てられてなんか……」

 

 激しい頭痛に苛まれる。考えと直感が矛盾した時、脳内がシェイクされるような感覚を味わう事になる。

 

 人機から抗生薬剤が投与されるのを待つしかなかったが、その瞬間にも相手は急上昇し、瑞葉の《ブルーロンド》へと肉迫した。

 

 咄嗟のプラズマソードによる受けも相手は予見し、フェイント混じりの剣戟が間断なく瑞葉の《ブルーロンド》を襲う。

 

「こんな……こんな事で……」

 

 打ち据えられる一撃はどれも必殺級だ。殺す気で打ち込んできている。《ブルーロンド》と鍔迫り合いを繰り広げた結果、こちらの防御網を僅かに上回ったのは相手の剣であった。

 

 その切っ先がプラズマソードを保持していないほうの腕を切り落とす。肘から先を奪われた左腕から火花が散った。

 

 それと同時に突き抜けるのは激痛だ。強化兵は人機と感覚器を同調させているため、ダメージフィードバックに苦しむ事になる。

 

 しかし痛みはすぐに消せる。問題なのは左腕を取られた、という感覚。

 

 もう勝てないのではないか、と戦意が萎えかける。

 

「わたし達は……戦って、戦い抜いて……青い花園を見たいだけで……」

 

 涙が頬を伝い落ちる。眼前の敵人機が剣を突きつけた。このまま刺突するつもりであろう。

 

 腹腔を破られ血塊炉を突き刺されれば《ブルーロンド》とてお終いだ。突進してくる相手に瑞葉は死を覚悟した。

 

 その時、通信網を震わせたのは盟友の声であった。

 

『瑞葉!』

 

 潜り込んできた枯葉の《ブルーロンド》の頭部コックピットへと、相手の剣が入る。

 

 青い血を撒き散らし枯葉の《ブルーロンド》が爆発の光を散らせた。糸の切れた人形のように枯葉の《ブルーロンド》がだらんと手を下げる。

 

 瑞葉は目の前で親友が散った事に目を戦慄かせた。

 

「枯葉……何で……」

 

 枯葉の《ブルーロンド》の指先が痙攣し、相手の剣をくわえ込む。逃がさないつもりだ、と感じた瞬間、枯葉の笑顔が網膜に焼き付いた。

 

 これはいつの記憶だろう? お互いに人機による対面以外で顔を合わせなくなってもう三年は経とうとしている。久しい少女の容貌に瑞葉が手を差し出した途端、枯葉の《ブルーロンド》から警戒信号が送られてきた。

 

 瑞葉の《ブルーロンド》は自動的にその信号通りに稼動する。

 

 後退推進剤を焚き、瞬時に飛び退いた瑞葉が目にしたのは、枯葉の《ブルーロンド》が内側から自爆した瞬間であった。

 

 爆発の光とブルブラッドの燐光が辺りを埋め尽くす。自爆を使ったのだ。枯葉は、最後の力を振り絞った。

 

「枯葉……嘘……」

 

 涙が止め処なく伝い落ちる。それを精神の磨耗と判断した人機側から新たに致死量間近の薬剤が投与される。

 

 もう動けないほどに虚脱しているのに、戦意だけは異様に湧いてくる。

 

 枯葉が、親友が死んだ事に涙したいのに。ただ、悲しんでいたいのに、《ブルーロンド》はそれすら許してはくれない。

 

 慟哭の代わりに漏れたのは笑みであった。

 

 昂った神経が快楽へと姿を変えた喪失感を埋めるべく、レーザーの中にまだ存在する相手を睨んだ。

 

「枯葉、枯葉ぁ……」

 

 弱々しい声とは正反対に愛機が推進剤を棚引かせて敵人機へと猪突する。

 

 今までの勢いの比ではない。プラズマソードを振り翳した《ブルーロンド》が自爆で僅かに隙の生じた相手を圧倒しようとする。

 

 敵人機は枯葉の自爆でダメージを負ったかに思われたが、左腕の盾でほとんどを防いだらしい。

 

「どこまでも、コケにしてェッ!」

 

 操縦桿を思い切り引き、残った右腕に全神経を繋ぎ止めさせる。振りかぶったプラズマソードの一閃を相手が受け止めるが、干渉波の火花が先ほどまでよりも強く波打つ。

 

 次いで、下段より一撃。

 

 相手の剣術を崩し、その防御を叩き潰した。

 

「もらった!」

 

 涙が溢れるのに愉悦が全身を支配する。プラズマソードの切っ先が敵の人機を貫いたかに思われた瞬間であった。

 

『……よもや、使う事になるなんて』

 

 敵の人機の体表をオレンジ色の磁場が弾く。プラズマソードの切っ先が偏向し、その刃が明後日の方向を切り裂いた。

 

 ――何が起こった?

 

 瑞葉がその認識を改める前に、敵の人機の機体表面に黄昏色のエネルギーが纏いつかされていく。

 

 皮膜ではない。そのような生易しいものでは決してなく、巨大な力場が渦巻き、敵の人機が剣の切っ先を持ち上げた。

 

 切っ先を中心軸としてエネルギーが逆巻き、敵の人機が一気に距離を離す。

 

 しかしそれは逃亡のためではない。直感的に理解出来たのは、それをもろに受けてはならないという事。

 

《ブルーロンド》に伝わった危険信号が推進剤を焚かせ、上昇機動に移ろうとする。

 

 不明人機が剣を突き上げた。銀翼が広がり、機体そのものが巨大な質量兵器と化す。

 

 直後、恐るべき速度で敵人機が猪突してきた。

 

 通信網を震わせた声を瑞葉は聞き逃さない。

 

『唸れ、銀翼の――アンシーリーコート!』

 

 剣の切っ先を基点とした攻撃の波紋が《ブルーロンド》へと襲いかかる。あまりの急加速に《ブルーロンド》は回避さえも儘ならない。

 

 直撃する、と予感した瑞葉は習い性か、あるいは極限に晒された神経の奇跡か、プラズマソードを投擲していた。

 

 相手の物理エネルギー膜に触れた途端、プラズマソードが塵芥に還る。

 

 全身の推進剤を規定値以上に設定し、瑞葉は逃れるべくそれだけを目的にして後退した。

 

 しかし、銀翼の怪物の牙が追いすがる。剣圧が触れただけで《ブルーロンド》の末端四肢が震え、全身を叩き潰されたかのような衝撃波を味わう事になった。

 

 それでも、背中を向けて逃げ続ける。

 

 どれほどの距離を稼いだのかも分からない。

 

 気がつくと相手の人機の射程から逃れていた。《ブルーロンド》の四肢はもがれ、僅かに残るのは両腕の肘から上だけだ。

 

 足先は衝撃波で真っ先に犠牲になった。背面のアタッチメントスラスターの燃料も残り僅かである。

 

 ここで死ぬのか、と瑞葉は暮れかけた空を反射する波間に感じ取った。

 

 海上を最後の足掻きで疾走する《ブルーロンド》の姿が鏡のように映っている。

 

 青い花園ではない。求めた理想郷を見る事もなく、こんなところで朽ちていくのか。

 

 ――枯葉が死んだのに。

 

 その思考が胸を満たした途端、瑞葉の内奥から今まで感じ取った事のない感情が湧き上がった。

 

「違う……ここで死ぬのは、違う」

 

 これまでならば間違った感情に抑圧薬が投与されるはずであったが、この胸に灯した感情だけは消せなかった。

 

 ――生きなければ。

 

 瑞葉はゆっくりと推進剤のスラスター出力を絞り、近くの不時着場所を探し当てようとしていた。

 

 自分でもどうしてこのような行動に出ているのかは分からない。

 

 ただ漫然と、ここで死んで堪るか、と何かが反抗してくる。

 

 その反抗の意志に従い、瑞葉は機体を安全着陸させる方法を編み出そうとした。

 

 幾つもの制御不能シグナルが邪魔をするが、瑞葉は海上ならば離れ小島くらいはあるはずだ、とマップを脳内に呼び起こす。

 

 思った通り、近くに人機一体分は駐留出来る離れ小島を見つけ出した。

 

 僥倖だ、と《ブルーロンド》が緩やかに高度を下げていく。足先は崩れており、多少の衝撃はやむ終えない。

 

 頭部に位置するコックピットへの保護を最優先に設定し、瑞葉は足先を海面につけた。

 

 途端、襲ってきたのは激しい揺さぶりである。機体が上下し、横揺れでクラッシュ寸前まで追い込まれる。

 

 アラートが鳴り響き、機体損傷限界を訴えかけたが、瑞葉は歯を食いしばってその警告を全て無視させた。

 

 膝まで破損したところでスカートバーニアから逆噴射を試みさせる。設定通りに稼動した逆噴射で制動がかけられ、半円型の離れ小島の地形へと《ブルーロンド》が突っ込んだ。

 

 暗転と機体の損傷警告が喧しく響く中、瑞葉はただただ待った。待ち望んだ。

 

 止まれ、と念じたほどだ。

 

 運が悪ければ離れ小島を抜けて海面に没する。運がよければ――。

 

 操縦桿を握り締めた瑞葉はただただ必死に願った。この動乱の過ぎ去るのを。

 

 ぴしり、とコックピットに亀裂が走る。頭部がおしゃかになればもうそこまでだ。

 

 潮時か、と面を伏せた瑞葉は不意に静寂が降り立ったのを感じ取った。

 

 コックピットへの衝撃が突然に失せたのである。

 

 機体は依然としてアラートを出しているものの、それは破砕した四肢ダメージの深刻さを訴えかけるもので、完全に機動不能なわけではない。

 

 瑞葉はゆっくりと、自分の固定されているリニアシートのロックを外した。次いで、感覚器同調を切断する。

 

 この時のダメージフィードバックでショック死してもおかしくはないのだが、幸運であったのは同調感覚器が壊れていた事だ。人機から解放された瑞葉がコックピットの中で背筋に埋め込まれたケーブルを取り外す。

 

 それでようやく《ブルーロンド》との連携認証が消えた。

 

 目の前の光景が全方位型モニターのそれとなり、自分の中に還ってこられたのだとやっとの事で思い知る。

 

 瑞葉はコックピットの緊急射出ボタンを押し込み、頭部の天蓋を外した。空気圧縮で頭部が射出され、瑞葉が仰いだのは濃紺の霧を突き抜けた無風地帯であった。

 

 天へと繋がる回廊のように空に孔が開いている。見た事もない景色であった。母国はずっと濃霧に包まれているのが常であったため、惑星内にこのような場所が存在するなど知る由もない。

 

 おぼつかない足取りでコックピットを出た瑞葉がヘルメットを脱ぎ捨てる。灰色の長髪が垂れ下がり、瑞葉は奇跡のような光景を目の当たりにしたまま口を閉ざしていた。

 

 この光景を、見せたかった仲間がいる。見たいと願っていた同朋がいる。

 

 だというのに、自分はただ一人生き延びた。賢しく、狡猾に。

 

 振り返るとほとんど大破同然の《ブルーロンド》が横たわっていた。急制動がかかったのはブルブラッド大気汚染で異常発達した樹木のお陰であったようだ。

 

 異様に幹が長い樹木は血塊炉の潤滑油と同じ成分が通っており、しなやかで折れにくい。

 

 偶然見つけた離れ小島の、偶然発生した自然に助けられたのか。

 

 瑞葉は幹を撫でつつ、自身の敗退を悔いた。

 

 今は、人機から流入してくる薬剤もない。

 

 そのせいか、咽び泣くのを邪魔してくる者はいなかった。

 

 死への恐怖、相手の力量への震撼、それらの感情がない混ぜになり、瑞葉は言葉にならない慟哭を上げた。

 

 強化兵に選ばれてから、感情を発露する機会など一度もなかった。だからか、赤子のように泣き叫び、獣のように吼えた。

 

 やがてひとしきり感情の爆発が終わった後に身体に残されていたのはがらんどうの道徳観念であった。

 

 祖国は自分達を見捨てた。自分達は祖国に尽くしたのに。

 

 元首などまやかしだ。幸福で恵まれた暮らしなど、幻であった。

 

 それらは一雨のうちに消え去る虹よりも儚く、自分の中で刻み込まれていた信仰心は音を立てて崩れていった。

 

 代わりに胸の中に抱いたのは黒々とした感情である。

 

 枯葉が死んだ、仲間が命を散らせた。だというのに、その責を負うべき国家は負うつもりがない。それどころか、何もかもをなかった事にするだろう。

 

 それだけは許せない。

 

「枯葉、わたしは、もう一度だけでいい。力が欲しい。そしてわたし達を捨てた国家と、わたし達を絶望の淵に叩き落したあの機体に……復讐を」

 

 固く握った拳から力が溢れてくる。まだ、この身は朽ちていないのだ。

 

 まだ、やれる事はある。そう信じて、瑞葉は星空に敵の名前を叫んだ。

 

 ――その名はモリビト。

 

 いつかこの屈辱を晴らすべき相手を見据えた瑞葉の眼差しは、もう迷いなど感じさせなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯15 人らしさ

 合流地点に訪れた鉄菜は彩芽から小言を漏らされた。

 

『一時間も遅刻。何してたの?』

 

「ブルーガーデンの輸送船と鉢合わせた。敵を迎撃。何も問題はない」

 

 その言葉に彩芽がわざわざコックピットから出て直通回線を震わせた。

 

「大有りじゃない! 敵との遭遇は最小限に、って言われていたでしょうが!」

 

《インペルベイン》は静かなのに操主は随分と喧しいな、と鉄菜は感じて機体を静止させる。

 

「全機迎撃した。問題はない」

 

「だから、そういう事じゃないんだって! 貴女、本当に分かってやってるの?」

 

「分かって遭遇したわけではない。輸送船のルートなど極秘だろう。独裁国家ブルーガーデンの輸送船だ。何か、痛い腹でもあったに違いない。来なければ無視していた」

 

 彩芽は首を横に振りながら、ナンセンスと肩を竦めた。

 

「そういう事でもないって言うの! 貴女、ブルブラッドキャリアの一員でしょう! もっと危機感を持たないと! 最初の《バーゴイル》との戦いもそう。必要不可欠な戦い以外は避けないと、いくらモリビトだって消耗する」

 

 この説教では《シルヴァリンク》の奥の手を使ったなど言えそうにないな、と鉄菜はコックピットから出て彩芽と相対した。

 

「私にはこの通り。傷一つない」

 

「……《シルヴァリンク》は?」

 

「損傷は全く。《ブルーロンド》五機と交戦したが、相手の熟練度の低さが幸いした」

 

 一機だけ妙に執念深いのがいたな、と思い出す。どこの国にも一機くらいは面倒なのがいたものだ。

 

「……エース機と交戦したのなら報告を上げなさいよ。でないと変にデータを相手に探られる事になってしまう」

 

 エースという概念も今一つ理解出来ない。モリビトの前に敗北したのならば、それはただの敗者だ。

 

「問題はない。《シルヴァリンク》のエネルギーも許容範囲内だ。次の補給までにはきっちり持つだろう」

 

「言っておくけれど、まだ第二フェイズは終わっていないのよ?」

 

「承知している。あらゆる戦争への介入。今回の敵なんてまだ生易しい。本当の戦いはこれからだ」

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》の眼窩を手で撫でる。酷使するとすればこれから。本当にまずいのはその時になって戦えない事だ。

 

 彩芽は腕を組んで鼻を鳴らす。

 

「分かっているのか分かっていないんだか……。《インペルベイン》は最小限の弾数しか使用していないわ。それも分かっているんでしょうね?」

 

「見ていれば理解出来た。《インペルベイン》はそういう機体なのだろう」

 

 相手を翻弄し、圧倒的戦力差を見せ付ける事で出来るだけ実体弾の使用を控えるタイプだ。しかし、ならば何故、自分相手には撃ってきたのだろう。そこが解せない。

 

「……妙に整合性がない、って思っている顔ね」

 

「そのような顔をしているか?」

 

「しているわよ。自分には撃ってきておいて、みたいな。わたくし達はモリビトをそれだけ軽視していないって事。モリビト乗りなら、それだけで脅威判定はぐっと上がる。だから、最小限の本気で相手したまで」

 

「言葉の矛盾だ」

 

「言い方が悪かったわね。作法通りの戦いで通したって事」

 

 作法と言われても、それが鉄菜には全くの理解の範疇ではないのだが。彩芽はそれ以外の言い方を思いつかない様子だ。

 

「作法、か。私も作法で応じた。これでいいのか?」

 

「貴女ね……。まぁ、あんまり言ってもわたくし達は全員、別々のタイミングで降りてきたわけだし、その辺りは各々、と言えなくもないけれど」

 

 鉄菜は今回の合流地点である離れ小島を見やる。ブルブラッド大気で樹木は消えた、と聞いていたが異常発達した木々が乱立している。

 

 手首の端末と同期すると大気濃度は六割を切っていた。

 

「ここは手薄が過ぎる。それに、植物が生えているなんて」

 

「あら、意外? 植物は絶滅したって聞いていた?」

 

 首肯すると彩芽は腰に手を当てて講釈を始めた。

 

「ブルブラッドキャリアの持っている情報も古いって事よ。最新のデータでは植物……というよりも植物を模した鉱物は存在している事になっている」

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》の姿勢を僅かに沈めさせてその手に降り立つ。木々のように見えた物体の末端に生えているのは「葉っぱ」と呼ばれるものではなくそれを精巧に模倣した鉱物であった。

 

 叩くとキィンと音がする。

 

「やはりブルブラッド大気の中では植物は育たない」

 

「有毒ガスなのは変わらないけれど、この植物型の鉱物が生えている場所は、結構大気の汚染濃度が薄いのよ。何でだか知らないけれど」

 

 彩芽でも分からないのか。しかし汚染濃度が低いのは確かである。彩芽もマスクをしていない。

 

 健康被害は常人ならば三割以上と言われているが、自分達ブルブラッドキャリアならば六割でも清浄な空気に近い。

 

「この鉱物は、何か作用を?」

 

「分からない。わたくしは研究家じゃなくって操主だからね。でも、操主なりに感じるものとしてみれば、その鉱物は多分、害悪じゃない」

 

 鉄菜はホルスターからアルファーを取り出し、そっと翳してみる。するとアルファーの淡い輝きに反応して鉱物の末端が輝き出した。まるで散らばった星々の煌きである。

 

 彩芽も初めて見る現象のようで目を見開いている。

 

「……何それ」

 

「この鉱物は恐らくアルファーと同一物質だ。ブルブラッド大気の中で育つ、という事から鑑みて、多分自然現象のアルファーだろう」

 

「自然発生のアルファー……古代人機のようなもの、という事?」

 

 古代人機はこの星に宿る古代の地層で眠る血塊炉が命の結晶となったものだ。ゾル国がこぞって破壊しているがあれは惑星の命そのもの。消える事はあり得ない。その事実は百五十年前にブルブラッドキャリアが学会に証明したはずだが握り潰されているようであった。

 

「それに近い。古代人機はいないのか? この辺りは海が多くって居そうだが」

 

「海底に沈んで眠っているわ。古代人機だっていつでも活動期ってわけじゃない」

 

 足元を指差した彩芽は古代人機に関しての知識はある程度持っている様子だ。この際だから情報を共有するべきだ、と鉄菜は古代人機に関して切り出した。

 

「最新の情報との差異を知りたい。古代人機に関してこの星の人々はどういう認識でいる?」

 

「排除すべき対象……いいえ、あれはゲームの景品ね」

 

「景品?」

 

「ゾル国には古代人機狩りの連中がいるのは」

 

 存じている。鉄菜が頷くと彩芽は後頭部を掻いた。

 

「その連中が古代人機の撃墜数を競っているのよ。エースには〝モリビト〟の称号が与えられるんですって」

 

「モリビトの?」

 

「皮肉な話ね。自分達で封印した技術の結晶であるモリビトと、人々の守り手、という意味のモリビトの勲章が同じだなんて」

 

「勲章なんかになっているのか。モリビトの本来の意味を知っている人間は?」

 

「わたくしの調べた範囲ではいないみたい。ゾル国の撃墜王、で通っている」

 

 惑星の者達の記憶からいつ、モリビトの名前が消え失せたのだろう。百五十年前などそこまで旧世紀でもあるまいに。

 

「でも、ここにいるモリビトは違う」

 

「わたくし達の駆るモリビトは、ね。その辺り混乱があるみたいだけれど、まぁ知った事じゃないでしょう。世界が混乱するのなんて見えているんだし」

 

 惑星では撃墜王の名で、自分達の間ではこれが救世主の名前であった。

 

 ――モリビト。それは最後の希望。

 

 言い渡された時の事は今でも覚えている。モリビトを使えばきっと、惑星の自治権を取り戻せる、と。

 

 ブルブラッドキャリア達の執念を。

 

「しかし、分からない事がまだ山積しているわ」

 

 彩芽の手首に同期された端末から少女型のアバターが飛び出した。投射映像の少女はハサミ型の髪留めをしている。小柄で、華奢な姿であった。

 

「これがルイ。わたくしの相棒」

 

 AIサポーターか。ジロウが前回、会話したと言う。鉄菜は初対面を装った。

 

「声だけなら」

 

『改めて、はじめまして、鉄菜・ノヴァリス。でも、あなた違うわね』

 

 違う、と言われて鉄菜は眼前の対象を睨む。ルイは手を振った。

 

『怒らないで。他意はないわ』

 

「他意はない? ではどういう意味か」

 

「鉄菜。この子、《インペルベイン》の火器管制をやってくれているから気が立っているの。失礼な発言があるかもしれないけれど」

 

『失礼な発言? マスターほどじゃないわ』

 

 自分の主さえも軽んじるAIルイはふっと消えたかと思うと《シルヴァリンク》に降り立っていた。

 

『この辺なんだけれど……』

 

 その鼻先を鉄菜の放ったアルファーが射抜く。ルイは覚えずといった様子で後ずさっていた。

 

『何を――』

 

「私の《シルヴァリンク》に触れるな」

 

 殺気立った声音に彩芽がまずいと判じたのだろう。ルイをすぐさま自分の側に寄せさせる。瞬間移動のようにルイが彩芽の傍らに現れた。

 

『……冗談も通じないのね』

 

 腰に手をやったルイを鉄菜は睨み返す。いつでもアルファーで射抜ける、という牽制のためにホルスターに手を留めて威嚇した。

 

「何がしたい?」

 

『別に。そっちにもAIサポーター、いるんでしょ? 見ておきたかっただけ』

 

「AIには不必要な興味だ。失せろ」

 

 鉄菜の気迫にルイが肩を竦めた。

 

『今日日、AIサポーター程度、見られたくらいで』

 

「言い方が悪かったな。私はお前達を信用し切っていない。だから手の内全部は見せない」

 

 息を呑んだのは彩芽も同じであった。似たもの同士の感があるAIと操主が目線を交わす。

 

「こりゃ随分と」

 

『難儀な事ね。信じられていない、か。別にいいわ。こっちはこっちでやるだけだもの』

 

「ちょっと、ルイ。わたくしまで巻き込まないでよ。わたくしは、一応、鉄菜に敬意を示している」

 

『敬意を示したところでリターンがないのでは同じよ、マスター。やっぱり《インペルベイン》の肩が一番落ち着く』

 

 ちょこんと《インペルベイン》の肩に座り込んだルイはマイペースだ。彩芽が苛立たしげに髪をかき上げる。

 

「とにかく、今は第二フェイズの進行ね。それを進めないとどうしようもない」

 

 ここで疑問になってくるのは合流予定の三機目のモリビトの所在である。

 

「三号機は? まだ合流してこないのか」

 

「続報はなし。あのテロを未然に防いだ以外に大型人機を目撃したと言う情報さえもない。つまり、三号機とその操主は完全に行方をくらませた」

 

「《インペルベイン》の……優秀なAIで探してみればどうだ」

 

『生憎だけれど、《インペルベイン》は自分の事は出来ても他人の面倒までは見られないのよ。それほど暇でもなくってね』

 

 舌を出したルイに鉄菜が睨みつける。

 

「……怒ってあげないでね。あれでも優秀なAIなんだから」

 

「ああ、優秀な火器管制システムだろう。減らず口を叩けるんだから」

 

 ルイがにわかに一瞥を投げたがそれ以上は水掛け論だと悟ったのだろう。引き際は正しいと鉄菜は目線を逸らした。

 

「……ケンカしないで。わたくし達はチームでしょう? ああ、もう。鉄菜も大人になって。《シルヴァリンク》と《インペルベイン》は引き続き同行して第二波を与えるわ」

 

「第二フェイズの次の対象が明らかになったのか」

 

「ええ。次はC連合傘下の軍事施設へと仕掛ける。新型の《ナナツー》が出てくるかもしれないから、それも込みで警戒してね。まぁ、《インペルベイン》で軽くいなせたから問題はないでしょうけれど」

 

 軍事施設。やはり、モリビトは少しずつ敵陣の戦力を割く事に使われるのか。

 

 鉄菜はいささか不本意であった。モリビトの能力をほとんど封じた形で、敵の陣地に殴り込みをかけるだけの単調な戦いだ。

 

「さっきの戦場よりかはマシという事か?」

 

「分からないけれど、軍事施設に仕掛けるって事、甘く見ないでね。当然、銃座も砲台も何もかも揃っているんだから。疲弊し切った戦地に出るのとはわけが違う」

 

《インペルベイン》は《ナナツー》の新型品評会に初陣を仕掛けた。一応は経験が違う。だからか、素直に聞き届ける気になれた。

 

「分かった。編成はどうする」

 

「《インペルベイン》は敵の本拠地を叩く。《シルヴァリンク》は駐在する人機部隊を白兵戦で殲滅する」

 

 先の戦闘と役割自体は変わらない。《シルヴァリンク》が先陣を切り、《インペルベイン》がサポートに入る。

 

 戦場において、鉄菜はその方法論がやりやすいのだと悟っていた。最初から一号機は器用に造られていたのだろう。

 

 二号機――《シルヴァリンク》は機構の応用に時間がかかった分、特化戦力になっている。

 

「次の作戦までの時間は」

 

「十二時間。眠っておけるうちに眠っておくといいわ。わたくしは《インペルベイン》の中で仮眠を取るから、貴女もそうしなさい」

 

「指図される覚えはない」

 

 彩芽は腰に手を当てて鉄菜の顔を覗き込んだ。

 

「疲れている操主と人機がついてきても足手纏いなの。休んでおきなさい。そのほうがいい性能が出せる」

 

 その言い方のほうが自分には合っていたようだ。コックピットに収まり、ジロウを待機モードにさせる。

 

「まったく、扱いづらいんだから」と彩芽の文句が背中に聞こえた。

 

『大丈夫マジ? 鉄菜、休んでいないマジよ』

 

 長い黒髪を結い上げて、鉄菜は《シルヴァリンク》に命じる。

 

「操主、鉄菜・ノヴァリス。仮眠に入る。二時間経ったら起こしてくれ」

 

『十二時間あるって言っていたマジ』

 

「ギリギリに起きたって使い物にならない。私は二時間程度で疲れは取れる」

 

 そういう風に設計されているのだ。

 

 ジロウは心得たのかアルマジロモードになってコンソールに触れた。

 

『《シルヴァリンク》にはシステム点検を施しておくマジよ。……さっきの戦い、本当に言わないでよかったマジか』

 

 封印武装の使用に関してだろう。鉄菜は天蓋を仰いで首を振った。

 

「いい。勘繰られるよりかはマシだ」

 

『アンシーリーコートは特殊な武装マジ。あの《ブルーロンド》、生きているとは思えないマジがもし生き残っていたら……』

 

 手痛い一打になるとでも言うのか。馬鹿な。所詮は《ブルーロンド》だ。あの編成部隊の熟練度は低かった。脅威判定はCもない。

 

「生きていても独裁国家ブルーガーデンの手先だ。国の手引きがなければ何も出来ない」

 

『それはそうマジが……。大気圏突入時と重力下で二度も封印武装を使用するのは想定外マジよ』

 

「突入軌道にいた《バーゴイル》を蹴散らすのにはあれしかなかった。さっきの奴もしつこかったから使ったまで。それに、本来の出力の半分も出していない」

 

 アンシーリーコートの本懐はまだあの程度ではない。それが胸にある以上、こちらの手の内を読まれる事はないだろう。

 

『慢心は死に繋がるマジよ』

 

「彩芽・サギサカのような事を言う。いや、あのAIルイ、のような、か」

 

 気に入らない瞳をしていた。勝気に釣り上がった眼差しはまるで人間のようだ。

 

 ――自分以上に、あれは人間らしい眼だった。

 

 どうしてか、ルイの睨む目が脳裏にちらつく。疲れているのだろうと結論付け、鉄菜は瞼を閉じた。

 

 コックピットのモニター類が休眠モードに入る。

 

『おやすみマジ。鉄菜』

 

「おやすみ」

 

 思ったより速く、眠りの波は訪れた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯16 守るべきもの

 葬儀の報せが届いたのと、自分の異動届が届いたのは同時であった。

 

 桐哉からして直属の上官と言えば、スカーレット隊の隊長くらいである。すぐに直訴しようとして、端末が鳴り響いた。

 

 通常回線など久しく使っていなかった。通信相手は妹の燐華である。

 

 今は、とメッセージを吹き込もうとして、いや、今を逃せば、という思いが通話を繋がらせた。

 

「もしもし……」

 

『あっ、にいにい様。よかった、繋がって……』

 

 安堵した妹の声音に桐哉は兄としての声を振り向ける。

 

「どうした? 何か変わった事でも――」

 

 そこまで言いかけて桐哉は片手にある異動届を目に留める。モリビトの名前は地に墜ちた。その影響を妹が受けていないはずがないのだ。

 

 いじめか、あるいはいわれのない迫害か。

 

 気を張り詰めた桐哉が何も言えないでいると明るい声が通話口で弾ける。

 

『いやだな、にいにい様。あたしに何かあったみたいな沈黙だよ』

 

「いや、その……」

 

 まごついてしまった桐哉へと燐華は落ち着いた言葉を放った。

 

『あたしは何ともないよ。学校にも、……時々病気で休んじゃうけれど行けているし、出席日数も足りている。最近の憂鬱は、中間テストの成績がちょっと落ちちゃったくらい』

 

 本当にそれだけなのか。問い質すだけの言葉を、自分は持たない。

 

「そう、か……それならばいいんだ」

 

 体表を滑り落ちていくだけの、意味のない言葉達。だがそんな戯れ言しか、今の自分は言えないのだ。

 

『にいにい様の端末にお休みの日が入っていたでしょう? それでもしかしたら繋がるかな、ってあたし、繋げてみただけ』

 

 ちょっとしたイタズラを咎められた子供のように燐華は明るく言ってのける。桐哉はその休みも返上になってしまった今の状況を説明するべきか迷った。

 

「その……今日は非番の予定だったんだけれど」

 

『分かってるよ。にいにい様、お国のために戦っているの、ずっと知っているから。あたしは、たまににいにい様の声が聞けるだけで充分』

 

 そのようなはずがない。

 

 大病を患い、普通の人間のように過ごせない燐華からしてみればストレスのかかる事ばかりを押し付けている。

 

 自分の不在。モリビトの名前の失墜。そして、休日も消えたとなれば、彼女は何を寄る辺にして生きればいいのだろう。

 

 幸いにしていじめは受けていない様子だったが、言葉の限りではそれも判定出来ない。

 

「……燐華。ゴメンな。俺、燐華のために何も出来ていない」

 

『にいにい様は今でも充分、頑張ってるよ。だからあたしも頑張らないと。お医者様がね、代わったの。今度のお医者様は若い男の人。ちょっぴり、にいにい様に似てるかも』

 

「そうなのか……。いい先生だといいな」

 

『うん。だからね、にいにい様は何の心配もしないで。あたしは大丈夫だから』

 

 やはりモリビトの名前に関するスキャンダルは彼女に知れ渡っているのだろう。そのような重さを感じさせない妹の声が逆に辛い。

 

 燐華に無理を強いているのは一番に自分だ。

 

「ゴメンな、燐華。帰ったら、どこへ行きたい? 帰った時、一緒に行こう」

 

『本当? あたし、にいにい様とちっちゃい頃に行った遊園地がいい!』

 

 随分とつつましい願い事だった。桐哉は微笑んでそれを諌める。

 

「おいおい、もっといいところにだって連れて行ってやれるぞ? ほら、リクエストしろって」

 

『ううん。そこに行ければ、それだけでいいよ。だから……』

 

 濁したのはそれ以上がわがままになってしまうからだろう。

 

 だから、――絶対に帰ってきて、だろうか。

 

 それとも死なないで、か。

 

 切なる願いを込めた声音に桐哉は強く頷いた。

 

「うん、俺はすぐに帰る。だから待っていてくれ、燐華。一緒に遊園地に行こう。ボートに乗って、白鳥を見るんだ」

 

『いいの? 白鳥がまだ、あの遊園地にはいるんだ?』

 

 こんなの、嘘っぱちだ。白鳥を含め、動植物の消え失せた世界で、ボートの池にいるのは機械で構築されたオートマタである。

 

 こんな虚飾に塗れた会話でいいのだろうか。

 

 もっと本音を言い合わなければ、一生、妹とはすれ違うばかりかもしれないのに。異動届はともすれば、いつでも妹に会えるようになるかもしれない。しかし逆に、燐華から遠ざけられる結果にもなりかねない。

 

 どこにも地に足がついていない感覚だ。このまま消え去りそうなほど自分の立場は脆い。

 

 だが、ここで残酷な現実を言えば燐華はどうなる?

 

 妹に嘆き苦しみを与えるわけにはいかない。せめてたまの通信くらい、虚勢を張らせて欲しかった。

 

「ああ、いるさ。この世界はすごいぞ。もっと、燐華の見た事のないものを見せてやるからな」

 

『にいにい様、ありがとう。それだけで、あたし、大丈夫そう』

 

 病気は克服出来ないだろう。そう容易く治るのならば、自分は軍になど志願していない。

 

 安定した給付金と病気の継続治療が軍に入れば約束される。燐華のために、自分はこの場所にいるのだ。

 

 ならばここで戦わないでどうする。

 

「ああ、燐華。俺は絶対に、約束を破ったりしない」

 

『じゃあ、指切りしてね、にいにい様。今度会う時は絶対に』

 

 切れない約束などないのに。この世で一番に犠牲になるのはそのような儚い希望だと分かり切っているのに。

 

 桐哉は拒めなかった。妹の純粋さをある意味では直視出来なかったのだ。

 

「……そうだな。指切りしよう」

 

『嬉しい! にいにい様、大好き!』

 

 覚えず笑みがこぼれてしまう。今年で十四歳になる妹にしては随分と幼い言動かもしれない。それでも、兄を慕ってくれる事、嬉しくないはずがない。

 

「俺もだ。燐華、愛しているよ」

 

『あっ、そろそろ時間、まずいよね。切るね、バイバイ、にいにい様!』

 

「達者でな、燐華」

 

 通話が切れると、桐哉は今しがた、隊長に直訴しようとしていたのがあまりに愚かしいのだと思えた。

 

 自分には妹がいる。そう軽はずみな事は出来ないのだ。だというのに、自分勝手に配置換えへの文句ばかり考えて。

 

 桐哉は自室に戻り、異動届の封を切った。

 

 予想通り、というべきか。ある意味では安息したと言うべきか。

 

 スカーレット隊からの除名が通告されていた。しかし、軍務を離れるわけではない。モリビトでなくなっても、まだ戦わなければならないのだ。

 

 そちらのほうが何倍も苦痛だろう。

 

 だが吼えても仕方ない。自分の境遇ばかりが最悪ではないのだ。それを今さら理解するなど、自分も堕ちたな、と嗤う。

 

 携行端末の写真フォルダを呼び出し、桐哉は最後に撮影した妹との写真を目にしていた。

 

 撮影時気は秋。二年前の燐華が肩車をねだったので、桐哉は思い切り肩車をしてやった。

 

 まだ甘えてくれるのだろうか。まだ、慕っていてくれるのだろうか。

 

 これだけ自分の至らなさを世間に露呈した後でも。

 

「燐華、俺は……」

 

 異動先は通知済みだ。桐哉はこのコミューンを離れなければならない。元々、降り立っただけの一時的な駐在任務であった。

 

《バーゴイル》を伴っての組織の再編成が行われる見通しだという記述と、転属日が綴られている。

 

 隊長に挨拶を。そうでなくとも、葬儀には出なければ。

 

 桐哉は先ほどまでの怒りは消して、隊長の待つ部屋へと向かった。途中、すれ違った人々が好奇の眼差しを注いでくる。

 

「おい、あれ」

 

「ああ、スカーレット隊の。でも除名されたって聞いたぜ」

 

 どこに人の耳があるのか分からないものだ。自分より耳聡い連中が嘲笑う。

 

「どうしてこのコミューンにまだいるのかねぇ。さっさと出てってくれればいいのに」

 

「あいつの《バーゴイル》に、やっといたんだろう? アレ」

 

 何を示しているのか分からないが、悪い知らせには違いないだろう。桐哉はただただ、目をきつく瞑り、怒りを抑え込んだ。

 

 誰にも殴りかからなかったのが奇跡に思えるほどの数分間。桐哉は隊長の待つ部屋の戸を前にしていた。

 

 ノックする前に隊長の電子音声が響く。

 

『桐哉か。入れ』

 

「はい……」

 

 席についていた隊長の顔は予想よりもずっと重々しかった。桐哉より地獄を見たような面持ちだ。

 

「隊長、その、お別れを言いに来ました」

 

 本来ならば怒声を張り上げ転属届けを不服とするつもりであったが、燐華との約束もある。軽率に自分を考えるべきではない、と少しばかり冷えた頭が導き出す。

 

「……こっちはお前に一発くらい、殴られるつもりでいたよ」

 

 自嘲した隊長は桐哉の持つ異動届が封を切られているのを目に留めた。

 

「見ての通りだ。何も出来なかった事、無能と罵られても仕方ない」

 

「いえ……隊長は善処してくださったんだと思います。ただ、次の転属先は……」

 

「地上で警戒に当るのも充分に防衛任務には相応しい。新たな場所での栄光を祈っている」

 

 しかし《バーゴイル》での地上警戒など、ほとんど島流しに近い。それくらいは分かっていた。

 

 だが、ここで言い返したところで事態が好転するわけでもなし。

 

 桐哉はただ、隊長へと敬意を払っていた。

 

「短い間でしたが……スカーレット部隊にいられた事、光栄に思います」

 

「いい。そういうのは。《バーゴイル》はそのままだ。あの赤を、地上でも見せつけてやれ」

 

 隊長なりの気遣いだろう。桐哉は涙をぐっと堪える。

 

「俺は……一時でもモリビトになれて、誉れでした。このゾル国を守れる、そういう人間になれて……」

 

 だが一夜にして英雄の名は仇敵の名に変わった。自分がこの心に刻むのは、モリビトという栄冠を得ていた頃の、ほんの些細な栄誉だけだった。

 

 誰かの憧れになれた。それだけできっと存在出来た意味があるのだろう。

 

「モリビトは我らが一命にかけて必ず破壊する。何も心配するな」

 

 それは暗に、もう桐哉にはモリビト打倒のチャンスが巡ってこない、という意味でもあった。

 

 その通りだろう。スカーレット隊が一番の危険地帯に潜り込む任務だったのだ。

 

 転属先はまだよく見ていないが恐らくは僻地。前線からは遠いに違いない。

 

「隊長達は、その、古代人機との戦いを、その……」

 

 うまく言葉に出来ない。言葉にすれば、感情の堰を切ってしまいそうで。

 

 隊長は心得たように首肯する。

 

「無論だ。お前の分まで戦おう。誓うよ。上官と部下ではなく、同じ志を持った友として。共に空を飛べた事を」

 

 この栄冠は何も自分だけのものではない。スカーレット隊三人の、間違いようのない誉れであった。

 

 桐哉は踵を揃え、深く頭を下げていた。

 

「ありがとう……ございました」

 

 ――これ以上は、とすぐに踵を返そうとする。その背中へと隊長は呼びかけた。

 

「桐哉・クサカベ。その強さ、決して忘れない」

 

 自分も忘れぬだろう。

 

 古代人機を倒す事に一命をかけられたこれまでの戦いを。

 

 これからの戦いが何であろうとも、その栄誉だけは忘れない。

 

 部屋を出た桐哉がまず向かったのは人機の格納庫であった。

 

 自分の《バーゴイルスカーレット》は転属先にも持ち込める。せめてその日まで欠かさず点検を。

 

 そう考えていた桐哉の目に飛び込んできたのは、困惑顔を浮かべた整備班の人々であった。

 

 全員が自分の《バーゴイルスカーレット》の前で腕を組んでいる。

 

「どうすんだよ、これ……操主に見せられないぞ」

 

「消しときましょう。上には報告しておきました」

 

「って言ってもよぉ……、こんな事するこたぁ、ないのにな。人機に罪はねぇぞ?」

 

「操主に問題があるんですよ。だからこんな面倒な事に……」

 

 そこで桐哉が佇んでいる事に気づいた数名が肩をびくつかせる。歩み寄った桐哉を何人かが押し留めようとしたが、桐哉は振り払って愛機の前に立った。

 

 赤く映えた愛機にスプレーで落書きがされていた。自分を貶める文句や、モリビトの名前に関する中傷がよりにもよって青いインクで塗装されている。

 

 整備員達が全員、凍りついた。

 

「その、クサカベさん。その、どう言うべきか、その……」

 

「……消しときましょう。俺も手伝いますよ。ほら、整備班の人達は忙しいでしょうし、人手はいるでしょう?」

 

 笑い飛ばした桐哉に数名の整備員が面目ない、と顔を伏せた。

 

「おれらが見ていない間に、人機にまで……」

 

「いいんですよ。こんなのはそう、消してしまえば。上からサービスで耐熱コーティングしてくれれば、なおいいんですけれど」

 

 冗談交じりに言った桐哉に数名が笑いを浮かべる。

 

「ああ、その程度はさせてください。その、何と言えばいいか……」

 

「消せばいいんです。新しく塗り替えましょう」

 

 そうだ。消せばいい。

 

 経歴も、栄誉も、名声も、富も、今まで培ってきた何もかもを。

 

 消せばいいだけの話だ。

 

 消し去って凡人になればいい。地上での《バーゴイル》乗りも案外、悪くないかもしれない。

 

 そうと分かっていても、割り切っていても、――零れ落ちる涙を止める事は出来なかった。

 

「く、クサカベ准尉……」

 

「いえ、いいんです。こんなのはどうだって。ほら、モップを貸してください。手伝いますよ」

 

 涙を拭ってモップを手に取った。それでもまだ、拭い切れない痛みに呻くしかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯17 紫電の刃

 本当に自分がここに呼ばれた意味が分からない、という顔をしている。

 

 そういう人間を見るのは随分と久しぶりであった。困惑顔の青年将校の面持ちを見やり、リックベイは手元にある経歴を読み上げた。

 

「タカフミ・アイザワ。C連合下の中型コミューン育ち。五年前に軍に志願。目ざましい活躍だな。領空侵犯の違法《バーゴイル》一機、古代人機六機、敵味方信号を発していなかった《ホワイトロンド》を三機撃墜。今どき珍しい、撃墜王だ」

 

 賞賛したリックベイに赤毛の青年はただただ困り果てている。

 

「その、おれ、何かミスりましたかね?」

 

 真っ先に思い浮かぶのは恐らく品評会のミスだろう。笑みで取り繕おうとする彼はどこか滑稽で、その事実すら浮いて思える。

 

「その活躍から、ここ一年間で試作型《ナナツー》のテストパイロットに選出。《ナナツー参式》を操って……これはすごいな。模擬戦を百もこなしている」

 

「数打てばいいって上の人に教わったんで……」

 

 はは、と乾いた笑いを浮かべるタカフミにリックベイは厳しい面持ちで返していた。

 

 それだけで彼の表面だけの笑いは凍りつく。自分にそれほどまでの気迫があるとは思っていないが、まだケツの青い新兵に負けるつもりもなかった。

 

「上から聞いていると思うが、君は本日付けでこちらの部隊についてもらう事にした。《ナナツー参式》の操主が欲しかったところなんだ。歓迎している」

 

 立ち上がり、手を差し出したリックベイにタカフミは頬を引きつらせる。

 

「これで、握手したら握り潰される、とかじゃないっすよねぇ……?」

 

「そこまで握力があったら素手で人機と戦えるな」

 

 冗談を言ったつもりなのであるが、タカフミは怯え切った様子で手を引っ込めようとした。その手を無理やり握り、軽く握手を交わす。

 

 血の気の引いた顔でタカフミが手を眺めた。「折れてない……」という呟きが聞こえたが、追及するのはよそう。

 

「君の経歴は素晴らしい。逸材と言ってもいいだろう。この映像」

 

 投射画面に映し出したのは品評会での映像であった。モリビトタイプに対して臆するわけでもなく、《ナナツー参式》を駆るタカフミは堂々と豪語する。

 

『嘗めているのか……いや、これはチャンスかな。皆々様! 《ナナツー参式》のスペックをご覧にいれます』

 

「恥ずかしいっすよ! 消してください!」

 

「自分で言った事だろうに。よくもまぁ、不明人機相手にこうも息巻いたものだ」

 

 その胆力も含めて買ったのだが。コーヒーをすするリックベイは《ナナツー参式》が一瞬にしてスクラップになるまでの映像を再生する。

 

 赤面したタカフミが肩を落としていた。

 

「いや、これ、毎回笑われるんですけれど……」

 

「笑うところなどどこにある? モリビト相手に初陣で、しかも生き残った。貴重な生き証人だ。それを笑うなど、あり得ない」

 

「あり得るんですが……それは」

 

「この部隊に入ったからにはそのような事はさせまい。単刀直入に聞こう。モリビトタイプ、どう思った?」

 

「どうって……、すげぇ速くって、腕が溶断されたの分からなかったくらいっすよ。両手共に小銃みたいな装備だから、接近戦は出来ないって思ったんですけれどねぇ」

 

 新型相手に臆するわけでもなく、その弱点をすぐさま看破する。随分とどっしり構えた男だ、とリックベイは評価した。

 

「接近戦では、こっちが有利だと?」

 

「《ナナツー参式》も強い人機だってのは模擬戦やってれば分かります。反応も弐式よりいいし、携行武器も全然違う。充実しまくりですよ」

 

 リックベイは顎に手を添え、先ほどから自動再生されているモリビトの映像を睨み据えた。凝視した先にいるモリビトが瞬時にカメラの視界から飛翔し、コミューンに穴を開けて飛び去っていく。

 

「どういうつもりで、この品評会に出たんだと思う?」

 

「どうって、新型潰しに来たんでしょう。それくらいしか」

 

「それくらいしか分からん。そもそも、どうして新型品評会の日時が分かったのか。壁の防衛をしている連中は眠りこけてでもいたのか、という事だな」

 

 先読みしたリックベイの発言にタカフミは呆然と口を開けていた。そうだ、この先読みを見せると大体の新兵は恐れ戦き、二度と口を利いてくれないものだが――。

 

 しかし、タカフミは机に手をつき、リックベイの顔を窺った。

 

「どうして分かったんすか? おれ、何も言ってませんでしたよね?」

 

「先読みが過ぎる、とよく言われていてね。大体何を言うかぐらいは想像がつく」

 

 殊に君のような分かりやすいタイプは、と暗に含めたつもりだったが、タカフミはただ、すげぇと感嘆するばかりだ。

 

「先読みのサカグチ……あれ、マジ伝説だったんだ……! すげぇ、すげぇよ!」

 

 リックベイは感極まっているタカフミに、咳払いで応じた。

 

「いいかね?」

 

「あっ、スイマセン。おれ、またなんかしちゃいましたか?」

 

「いや、君の反応は新鮮だ。今のは読めなかったよ」

 

「えっ、マジっすか? おれの反応は先読み出来なかったんですか? スゲ、一瞬先読みのサカグチ超えちゃったよ……」

 

 感動するタカフミにリックベイは映像を指差す。先ほどまでより厳しい口調で問い質した。

 

「それで、君はこの品評会が何故割れたのだと思うね?」

 

「内通者、っすかねぇ……やっぱり。だって、この模擬戦、C連合でも極秘っすよ、一応。まぁ参式が出るってのは噂レベルでは広まっていたかもしれませんが、おれの乗っていた機体以外に参式ってないんじゃないのかなぁ……」

 

「現在、二機がロールアウト済みだ。量産体制には来週には入れる」

 

 それは寝耳に水だったのか、タカフミは胡乱そうに眉根を寄せた。

 

「んだよ……あの上官の狸オヤジ達、おれだけの参式だっておだてていたのにもう量産体制に入ってやがったのか」

 

 落胆するのはそこか、とリックベイはこの青年の言動が読めないのを感じていた。彼はどこか無節操で風体など何も気にしていないようである。だが、経歴は偽れない。実力者であるのも充分に事実なのだ。この逸材、どうしても欲しい、とリックベイは交渉に持ちかけようとする。

 

「どうだろうか。こちらの部隊に入る事、考慮に入れてもらえるかな」

 

「それ、急ぎっすか?」

 

「熟考してもらって構わないよ。何せ、敵は未確認人機。これと戦えというのは命を張れという意味になる」

 

 そう易々と他人に命の手綱は握らせまい。予想していたリックベイは顎に手を添えて考え込んだタカフミの言動に掻き消された。

 

「……ま、悪くないよな。いいっすよ、別に」

 

 あまりに速い決断だったのでこちらが拍子抜けしたほどだ。リックベイは思わず尋ね返す。

 

「命がかかっているんだぞ?」

 

「軍人なら最初からそうっしょ。今に始まった事じゃないですし、何よりおれ、リターンマッチ、燃えてるんで」

 

 自分を指差す青年の眼にあるのはもう一度モリビトと戦えるという闘志であった。ここで及び腰にならないのは賞賛出来るが、あまりに自分の命を軽視しているのではないか。

 

「その……無理ならばいいんだ。拒否権は君にある」

 

「……何でっすか? おれが部隊に入らないと困るから呼んだんでしょ?」

 

「それはそうだが……」

 

 ここまで軽々と決められるとこちらは予測出来ない。リックベイはこの若者ならではの感性なのか、と戸惑った。

 

「いいっすよ。参式には乗りたいですし、ここで拒否ったって、おれ、どこかでモリビトとはかち合うと思うんです。そしたらその時、ダッセェ機体になんて乗ってられないでしょ。もう一度モリビトとやれるんなら、おれはカッケェ機体で臨みたいんです。それこそ、《ナナツー参式》か、もっとスゲェ新機体で。この部隊に入ったら、優先的に新型まわしてもらえるんでしょう?」

 

「それは、考えてはもらえるとは思うが……。君はそれでいいのかね」

 

 モリビトと戦うというのは死が間近にあるようなものなのだぞ。警告したつもりのリックベイへとタカフミは言ってのける。

 

「おれ、目指すんならテッペンだと思ってるんですよね。軍人でも何でも。テッペン取りたいから志願します。おれを、少佐の指揮に入れてください!」

 

 参った、とでも言うようにリックベイは思案を浮かべた。ここで彼が渋ると考えていた計算は木っ端微塵に砕け散った。

 

 予想よりずっと勇気がある、否、向こう見ずというべきか。

 

「分かった。君の部隊入りを正式に……」

 

 言い終わる前にタカフミが喜びの声を上げる。

 

「いよっしゃぁっ! 待っていろよ! モリビト連中! C連合のエースが相手だ!」

 

 どこまでも読み難い男だ、とリックベイは胸中に独りごちる。

 

「……これが若さか」

 

 覚えず口にした途端、直通回線が開いた。

 

『し、少佐!』

 

 浮き足立った壁面警備の兵士の声にリックベイは胡乱そうに返す。

 

「何だ? 今大事な話の途中で……」

 

『モリビトです! モリビトがコミューンの警備を!』

 

 まさか、とリックベイとタカフミは顔を見合わせる。今しがた話していたばかりだぞ。

 

「マジなのか! おい、お前! マジに来てんのか?」

 

 通信に割り込んだタカフミの声に、兵士が戸惑いながらも応じる。

 

『も、モリビトに違いありません。壁面警備の《ナナツー》部隊へと青と銀の奴が……』

 

 ノイズと衝撃波に通信が乱れる。リックベイは立ち上がっていた。

 

「アイザワ少尉、君の腕前を見せてくれ。早速だ」

 

 スクランブルを言い渡した声音にさすがの恐れ知らずも困惑するかに思われたが、彼は待っていましたとばかりに声を弾けさせた。

 

「おおっ! おれの腕の見せ所ですよね!」

 

 やる気が段違いである。どうやら自分の人選は当たりであった事に今は安堵するしかない。

 

 その人選がどういう結果をもたらすのかは依然として謎であるが。

 

「《ナナツー》で出る」

 

「少佐もですか?」

 

「ああ、わたしの弐式を用意しておいてくれ」

 

 整備班に呼びつけたその声にタカフミは感極まったように笑みを浮かべる。

 

「スゲェ……先読みのサカグチとツーマンセルかよ……! マジか、おれ。マジなのか?」

 

 感動が勝っているタカフミへとリックベイは言いやった。

 

「言っておくが、対モリビト戦のデータは乏しい。生きて帰れるのか分からんぞ」

 

 ピクニックじゃないんだ、と言い含めたつもりであったが、それも込みでタカフミは挙手敬礼した。

 

「お供させていただきます! だっておれ、参式でまたやれるんだろ……そりゃあテンションも上がるってもんよ!」

 

 戦闘狂というほどではない。しかし彼の思考回路がまるで読めなかった。命を軽んじている風でもない。

 

 心底、モリビト戦を心待ちにしているようであった。

 

 あの一戦が致命的なトラウマにならない精神構造は素直に見習えるな、とリックベイは自嘲する。

 

「ハンガーに行く。参式はわたしの指揮下に入れ。先走るなよ。敵のデータも取りたいんだ。別働隊! モリビトを抑えておけ! 十分以内にわたしが出る!」

 

「おれも! このタカフミ・アイザワが、モリビトの野郎を今度こそ、スクラップにしてやるぜ!」

 

 通路を行きつつ、タカフミと別れ、リックベイはフッと笑みを浮かべる。

 

「これが老いか。若者の考えが分からなくなるものだな。だがまぁ、嫌いではない。向こう見ずは若者の特権だ。その背中を支えるのが年長者の役割ならばわたしは」

 

 人機の格納庫で見知った整備員が自分の《ナナツー》を出せるようにしていた。取りついていた人々が離れていく。

 

「少佐。対モリビト用にフットペダルの反応、上げておきました。ペダルの重さはオーダー通り、プラス二十ほど」

 

「機体反映は?」

 

「随分と早めに設計しておきましたから、いつもより余裕ないと思っていてください」

 

 整備員が振り仰いだのは紫色に塗装された自分専用の《ナナツー》であった。右腕にアサルトライフルを装備し、腰のラックには特殊武装として格闘戦を想定した直刀が装備されている。

 

 今の時代に白兵戦を想定した近接武装は前時代的だと笑われる要因でもあったが、この刀の錆びにしてきた人機は数多い。

 

 今回の敵もそうなるか。あるいは――。

 

「紫電の弐式……。久しぶりの戦闘ですね」

 

「ああ、その異名で呼ばれるのもなかなか少なくなったものだ。わたしの《ナナツー》が戦闘しているのを見るより、事務仕事ばかりが多くなってしまってな」

 

「いつでも最善に整備してありますよ」

 

 心得た様子の整備員にキャノピー型のコックピットに収まったリックベイはサムズアップを寄越した。

 

「《ナナツー弐式》、リックベイ仕様。いつでも出られる」

 

「了解! 総員退避! 少佐が出陣なされるぞ!」

 

 整備班がざわついた。「少佐が?」「あの先読みの?」という声が集音器に入る中、リックベイは深呼吸していた。

 

 久しぶりの戦闘だ、とコンソールを撫でる。愛機はそれに応じるように次々とモニターを投影させていった。点滅した発進カウントの信号が浮かび上がり、整備員が旗を振った。

 

 リックベイは腹腔から声を張り上げる。

 

「リックベイ・サカグチ。《ナナツー弐式》、出る!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯18 勝負

《シルヴァリンク》の機動性能に追いつけない《ナナツー》が放った機銃が明後日の方向を射抜く。俗に言うションベン弾。横薙ぎに流れた機銃の弾頭が空気を引き裂く中、鉄菜は真っ直ぐに《シルヴァリンク》を走らせた。

 

 Rソードが発振し反重力の太刀筋が《ナナツー》の胴体を貫く。ブルブラッドの青い血が蒸発し煙を棚引かせる。

 

「これで四機……」

 

 前衛警備は思っていたよりも手薄だ。砲台や銃座は《インペルベイン》が潰してくれたお陰で人機対応のみに集中できる。

 

「《シルヴァリンク》、《ナナツー》の部隊を一掃。これで半数はやったと思う」

 

『油断しないでね鉄菜。わたくしが面倒な拠点制圧はやる。人機の対応は任せたからね』

 

「そうは言っても……」

 

 背後を取った《ナナツー》が滑走しつつロングレンジバレルを発射する。砲弾が《シルヴァリンク》の背中を叩き据えたのが相手に伝わったのだろうが、寸前で左腕の盾を翳す。

 

「これじゃ、大した連中じゃない。リバウンドフォール」

 

 反射した砲弾が《ナナツー》の装甲を貫き、その機体を溶断させる。退避していく基地兵士団を見送りながら、《シルヴァリンク》に収まる鉄菜はこの程度か、と脅威判定を浮かべていた。

 

「脅威判定、Dマイナス。《ナナツー》って言っても、旧世代機ばかりで新型なんて出てこない」

 

 型落ちの壱式と弐式が代わる代わる現れるばかりでどれも脅威の程度は低い。壱式などほとんど固定砲台に近い。

 

 足の速さもさほどない壱式は格好の的であり、弐式がそのサポートに入るのだが遥かに遅い弐式の反応では《シルヴァリンク》を捉える事など出来ない。

 

「C連合の前線基地って言っても、こんなんじゃ全然」

 

 そこらかしこで火の手が上がり、人々が悲鳴混じりに撤退していく。さすがに逃げる敵の背中まで追いすがる気にはなれない。逃げる奴は逃がしておけばいい。

 

『鉄菜。一応拠点制圧が目的マジ。あんまりやる気がないと彩芽にまた怒られるマジよ』

 

 やる気がないように映ったのだろうか。だとすれば、自分のせいではない。

 

「張り合いがないからそういう風に見えるんだ。どの機体もモリビトだというだけで及び腰になっている。これでは警戒も何も……」

 

 紡ぎかけた言葉を遮ったのは唐突な照準警報であった。火線が咲き、《シルヴァリンク》が振り返りながら後退する。

 

 立ち現れたのは紫色の《ナナツー弐式》であった。他の機体と明らかに違うのはこちらを狙い澄ました銃撃と、腰に装備した謎の武装であろう。

 

 何だ、と思う間に敵人機が推進剤を焚いて接近してくる。

 

「いきなり攻めてくる。だが、遅い」

 

 Rソードが機銃を切り裂こうとする。それを敵は寸前で制動用の推進剤を焚き、紙一重で避けてみせた。

 

 まぐれか、と鉄菜は《シルヴァリンク》に追いすがらせる。

 

 機動性能で勝っている《シルヴァリンク》がすぐさま相手を追い詰めたかに思われたが、次の瞬間、正確無比な銃弾が《シルヴァリンク》の頭部を叩き据えた。

 

 直撃である。

 

 しかしこちらの装甲が勝ったお陰でダメージはさほどもらっていない。

 

『これで一死だな』

 

 鉄菜の肌を粟立たせたのは直撃した銃弾よりもその声音であった。冷たい刃を差し込まれたような声に反射的に機体を下がらせる。

 

 直後には上空から《シルヴァリンク》へと砲撃が降り注いでいた。

 

 新型の褐色の《ナナツー》が砲撃装備でこちらへと滑空してくる。

 

『少佐ァッ! こいつ、おれにやらせてくださいよ! 自信がある!』

 

 通信を震わせた若い男の声に鉄菜は操縦桿を握り直した。浮き足立った新兵ならここで断ち切るのみ。

 

 だが、それを制したのは旧式の人機に乗る操主である。

 

『待て。今の君はハイになっている。調子付いている、と言ってもいい。その状態でやるなよ。落ち着いて相手の動きをモニターしろ。銃の腕のモリビトではないな。……剣、か』

 

 C連合が相手取ったのは《インペルベイン》のみのはず。《シルヴァリンク》の情報は一切入っていない。それにも関わらず、相手は落ち着き払ってこちらを観察しているようであった。

 

『空戦人機じゃない。こいつなら、おれでも……』

 

『だから、待てと言っている。ここで君は戦うな。手出しも、わたしがやられるまでは無用だ。戦闘不能を判断したらわたしを回収しろ。それまでずっと、この青いのをモニターしておけ』

 

 その言葉一つ一つがどれも計算づくに思えてくる。ここで《シルヴァリンク》の性能をはかるつもりか。

 

「……嘗めた事を」

 

 鉄菜の緊張はそのままモリビトへと伝わる。Rソードを握った手に浮かんだ僅かな逡巡に敵の操主が声にした。

 

『……震えているな? そちらの操主、未熟と見える』

 

 ――震えている? 自分が? 

 

 鉄菜が問い返した時には、敵の《ナナツー》が機銃を捨てていた。代わりに腰に備え付けた武装の柄を握り締める。

 

 引き出されたのは真っ直ぐな刀身であった。対人機戦にいて、白兵は想定されてはいるものの、現時点で距離と飛翔で勝る《バーゴイル》と、装備面での優位があるロンド系列に対して《ナナツー》が接近戦など考えられない。

 

 だというのに、眼前の《ナナツー》は刀を正眼に構えた。

 

『久しぶりだな。――零式抜刀術、参る』

 

 聞いた事のない戦闘スタイルに鉄菜はRソードを握る《シルヴァリンク》へと警戒を募らせた。

 

「《シルヴァリンク》、鉄菜・ノヴァリス。相手を、迎撃する」

 

 その声が伝わっているはずがないのに、敵が窺えないコックピットの中で――嗤ったのが分かった。

 

『行くぞ!』

 

《ナナツー》が大地を震わせ砂礫を撒き散らしながら猪突する。駆け抜けるでもなく、地面の摩擦さえも考えない、まさしくすり足の戦闘術に鉄菜は瞠目した。

 

「こんなの……、遅い!」

 

 Rソードが敵人機の片腕を奪おうとする。瞬間、払われた剣とぶつかり合い、干渉波のスパークが飛び散った。

 

 だがそれも束の間。

 

 敵の装備する剣は実体剣だ。反重力のリバウンド性能には遥かに劣る。弾き返した形のRソードが敵の人機の肩口へと入った。

 

 斬った、と確信を持った直後、刃の入った肩口が根元から爆砕した。

 

 ――パージされた、と意識した時には《シルヴァリンク》はたたらを踏む形になっている。

 

 前のめりになったモリビトの腹腔へと敵の人機の刃が入ろうとした。

 

 反射的に操縦桿を引き、全開になった推進剤が《ナナツー》のコックピットを焼きつかせようとする。

 

 引き剥がした《ナナツー》は深追いせず、その場に留まって刀を構え直した。

 

 鉄菜は肩で息をしていた。

 

 今の瞬間、少しでも反応が遅れていればコックピットをやられていた。幸いにして逃れたのは《ナナツー》が剥き出しのキャノピーを採用しているからだ。

 

 バーニアの閃光が焼きついて敵の操主は目が眩んでいるはず。

 

 今なら、と進みかけて鉄菜は《シルヴァリンク》を立ち止まらせた。

 

 もう一機の牽制や援護が怖かったのではない。

 

 たった一機の人機が、刀を構えているだけだ。隙も見られる。

 

 だというのに、踏み込む事が出来ない。形は違えど近接をメインとする鉄菜にとって、《ナナツー》の至近は死地なのだと直感的に悟る。

 

『どうした? 撃ってこないのか? こちらは刀だけだぞ?』

 

 敵の操主の声が聞こえるという事はもう眩惑からは逃れたのだろう。千載一遇の好機を逃した、と感じる前に、今踏み込んでいれば、と鉄菜は首筋をさすっていた。

 

 恐らくコックピットが断ち割られていた。

 

 確証もないのにその予感だけで汗がじわりと浮かび上がる。

 

 首裏に滲んだ焦燥に、操縦桿を握った手が滑りそうになった。

 

 一歩でも踏み込めない。安易に立ち入れば首をはねられる。

 

 それは幾度となく敵人機の射程に入ってきた自分だからこそ分かる。

 

 斬り込む、というのは言うはやすしだがその実、敵に取られる可能性を幾つもはらんでいる。

 

 その可能性を排除して敵陣に叩き込むのが自分の役目なのだったが、この時、鉄菜は敵の間合いを恐れた。

 

 そこに踏み入れば、食われるのは自分の側だと。

 

 通信の先で操主がフッと笑ったのが伝わった。

 

『……青いモリビト、その操主、どうやら斬り合いが如何なるものなのかは分かっているようだな』

 

 ここで退くか? それも正答だろう。半分以上基地の戦力は奪った。作戦上は何の支障もない。

 

 このような相手に時間を割いている暇もない。ここで撤退し、《インペルベイン》の援護射撃を得て相手にモリビトの性能を見せ付ける。

 

 それだけでいいのに――。

 

「……退けない」

 

『鉄菜? これ以上深追いする事はないマジ。ここまでだけでも充分に作戦成功マジ』

 

「駄目だ。こいつを逃すと絶対に、後で面倒な敵になる」

 

 その予感だけはあった。ここで敵を斬り逃せばお互いにとって確実に、相手は厄介になると。

 

《ナナツー》が構えを変化させる。切っ先を突きつける形で肩の上で刀を担ぎ上げた。

 

 型としては隙の多い。だがその実、攻撃的な構えであった。打突は相手を確実に取ると決めた時のみ、使用するもの。

 

 敵に接近する以上、撃たれる覚悟は持っておかなくてはならない。

 

 相手は覚悟している。では自分は?

 

 鉄菜はRソードを握り締めた《シルヴァリンク》に構えを変化させた。

 

 左腕の盾を前に出す形で右腕を僅かに下げる。この型は相手の攻撃をいなしてから叩き込む時に用いるもの。

 

 即ち、肉を切らせて骨を断つ時に使用する型であった。

 

 これまで防戦一方であった《ナナツー》タイプが初めて好戦的な構えを取る。それだけでも充分に異様であったが、《ナナツー》二機を迎撃するのに一分以上かかっているのも初めてであった。

 

『少佐、まだですか?』

 

『打ち合いの最中だ。話しかけるな』

 

『それはスイマセン。でも、見ているだけって退屈っすよ』

 

『なに、今に勝負はつくさ』

 

 次の一撃が決定的になる。両者、無言のうちに降り立った了承に鉄菜は唾を飲み下す。

 

 Rソードの反重力が浮かび上がった砂煙に干渉し、幾つかを分子レベルで斬っていく。

 

 空間を漂っていたひとひらの鉄片がRソードに触れ、断ち割られた。

 

 その刹那であった。

 

 敵の《ナナツー》が推進剤を全開にし、一気に迫り来る。鉄菜も全力で肉迫していた。

 

 下段から振り上げたRソードが敵の刃と干渉する。それも一瞬、お互いに僅かに後退し、踏み足を入れ換えた直後、振り払ったRソードを敵の人機は回転駆動させたマニピュレーターで阻止する。

 

 舌打ちしたのも束の間、踏み入ってきたのは相手のほうだ。

 

 鋼鉄の刃が《シルヴァリンク》の間合いに入る。鉄菜は左腕の盾を翳し、表面に浮かぶリバウンドフィールドの出力を上げた。

 

 反発した空間圧力が《ナナツー》の踏み入りを防ぎ切る。

 

 反重力の網に中てられた地形が歪み、地面が陥没した。

 

 浮かび上がる砂塵の中、Rソードの切っ先が《ナナツー》の懐に一撃を与えるも、それは致命傷ではない。

 

 回転軸を加えて紫色の《ナナツー》が駆け抜ける。

 

 その刃が狙ったのは《シルヴァリンク》の頭部であった。咄嗟に操縦桿を下げてわざと姿勢制御をぐらつかせる。

 

 よろめいた《シルヴァリンク》が一閃をかわした形となった。だが、《ナナツー》はその刃を手離す。

 

 まさか、と息を呑んだ鉄菜へと《ナナツー》の鋼鉄の腕が掴みかかった。

 

 頭部を引っ掴まれた形となった《シルヴァリンク》が震える。Rソードで攻撃を見舞うも、その刀身の長さが災いし、相手へと一撃が見舞えない。

 

『その首、もらったッ!』

 

 みしみしと軋みが上がる。強度限界を訴えかけるアラートが鳴り響く中、鉄菜が思い出していたのは彩芽の言葉であった。

 

 ――敵にもエースがいる。

 

 これがエースという奴か。感じ取った鉄菜は乾いた唇を舐め、コックピットで吼えた。

 

「やらせないっ!」

 

《シルヴァリンク》の銀翼が展開する。翼手目を思わせる形で広がった翼から発生したのは黄昏色の力場であった。

 

 空間に磁場を生じさせ、《シルヴァリンク》の躯体が染め上がっていく。

 

 銀翼から発生しているリバウンドフィールドに敵の人機の腕が軋んだ。それだけではない。《ナナツー》の装甲ではこちらの装備の威力に耐えられないはずだ。

 

 めきめきと表面装甲が剥がされていく。参式に搭乗している操主の悲鳴が上がった。

 

『少佐! 離脱を!』

 

『ここで離せば一生、こいつは倒せん!』

 

 どうやら意地でも離さない様子である。鉄菜は奥歯を噛み締め、銀翼の紡ぎ出す技を叫んだ。

 

「アンシーリー、コート!」

 

 地面から重力が消え去り、力場の中で《ナナツー》と《シルヴァリンク》が相対する。

 

 お互いにオレンジ色に染まった視野の中、《ナナツー》の腕が不意に離れた。諦めたのか、と思ったが違う。

 

 その手が拳に固められ、キャノピー越しの目線が《シルヴァリンク》を睨んだ。

 

『止められぬのなら、拳だけでも!』

 

 呼応して咆哮した鉄菜は《シルヴァリンク》の左腕から発するリバウンド磁場を全開にした。

 

 リバウンドの加護を受け、Rソードを握り締めた右腕が疾駆する。

 

《ナナツー》の拳を断ち割り、右腕が果物の皮を削ぐように両断された。

 

 爆発の光が膨れ上がるかに思われたが相手は直前に右腕さえもパージし、参式へと自らの機体を預ける。

 

『モリビト……その性能、見せてもらった』

 

 鉄菜はそれ以上の深追いはしなかった。

 

 飛び退った《シルヴァリンク》が飛翔する。両腕を失いながらもあの《ナナツー》と操主はこちらのモリビトと同等に戦い抜いた。

 

 離脱する鉄菜はコックピットの中で拳を固め、操縦桿を殴りつけた。

 

『く、鉄菜? どうしたマジ?』

 

「……負けた」

 

『こっちの武装はどこも破損してないマジよ?』

 

 ――違う。そういう意味ではないのだ。

 

 言おうとしたが、自分でもこれが負け犬の遠吠えだと理解出来た。戦いには勝った。だが勝者は……。

 

 苦々しいものを感じながら、鉄菜は紺碧の空を抜けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『し、少佐……無茶し過ぎですって!』

 

 タカフミの通信網が入る中、リックベイは落とされた両腕に視線を投じていた。

 

 両腕を捨ててまで挑んだ結果、取り逃した。失策と罵られても何も言えない。

 

「だが、あのモリビトの操主。随分と若かったな」

 

 その言葉にタカフミが疑問符を浮かべる。

 

『通信は、入ってませんけれど……』

 

 リックベイはいいや、と頭を振る。

 

「人機の動きに、若さが滲んでいた」

 

 若者は理解出来んな、とリックベイは《ナナツー》のキャノピーを開け放つ。

 

 戦場を舞う塵芥の風がつんと鼻をつき、硝煙と火の手が支配する基地を見渡す。

 

「負けたな」

 

『……モリビト相手に、善戦じゃないんですか?』

 

「いや、負けたよ。だが、同時に思う。勝った、と」

 

 その言葉が心底理解出来ないのだろう。タカフミは通信に困惑を混じらせた。

 

『その、負けたんすか? 勝ったんすか?』

 

 リックベイは参式へと振り返り、ニッと笑みを浮かべた。

 

「それが分からんうちは、まだケツが青いな」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯19 審問の扉

 対策班、と呼ばれる有識者達の視線は思いのほか鋭い。

 

 まるで審判の門だ。

 

 半円型に取られた向こう側でこちらを見据える者達を、タチバナは睨み返す。

 

 ここで審議されるのは、タチバナのこの後だけではない。世界のこの後であった。

 

「タチバナ博士。モリビトなる人機は既に分かっているだけであの後二回だ。二回も襲撃を受けて黙っていろと言うのかね?」

 

 世界の頭脳が突き合わされた有識者会議の結果が不満なのだろう。彼らが導き出した「静観」というスタンスが気に入らないから、自分は本国の人々から憎悪のような感情をぶつけられている。

 

 彼らは本国の意見と同じだろう。

 

 何故、攻めないのか。敵はたった三機の人機だろう、と。

 

「お答えさせていただく。モリビト三機のうち、二機を我々C連合傘下の戦地と前線基地で目撃。ほぼ全員が戦死か重軽傷。基地は活動が不能にまで追い込まれた。その事実に間違いはない」

 

「なればこそ、モリビトの徹底排除を考えるべきなのでは? 本国に持ち帰るにしては、あなたの資料はあまりにもずさんだ」

 

「如何に人機研究の第一人者でも、ブルブラッドキャリアの考えは読めん、という事ですかな」

 

 嘲笑う声にタチバナはフッと笑みを浮かべた。

 

「残念ながら、まだ分からぬ事が多過ぎるのです」

 

「その割には、楽しそうにも見える。我々を前にしてその余裕、どういう事か」

 

 タチバナは政治家達の審判の場に引き寄せられたからといって、これから先のモリビトへの対応が変わる事はない、とはっきり突っぱねる必要があった。彼らがどれほどの権力を持とうと、自分の判断は変わらない。

 

「C連合下で今のところ、モリビトに拮抗出来る可能性は三十パーセント未満です」

 

 その判断に政治家達からの野次が飛んだ。

 

「諦めろと? 分かって言っているのか、タチバナ博士!」

 

「これはあなたの首の皮一枚の決断だけで通していい問題ではないのだ。世界と国民の命を保証する義務がある。それをあなたは、たった一言で切り捨てると?」

 

 お歴々の言い草は相変わらず卑怯だ。自分をここから逃がさない算段である。

 

「ワシはこう言っておるのです。勝てない、ではなく、三割ならば勝算はある、と」

 

 その反応に政治家達の顔色が変わった。急に自分達が今まで言ってきた事が変化したものだから戸惑っているのがありありと分かる。

 

「三割……三割ならば勝てる、と?」

 

「現行兵器では難しいでしょうが、あのモリビトという機体のルーツを辿れば、不可能ではないでしょう」

 

「して、そのルーツとは?」

 

 タチバナはここで一呼吸つき、その禁忌を口にする。

 

「百五十年前……」

 

 その一言だけで数人は了承が取れたらしい。だが、若い政治家はまだ分からないようだ。

 

「百五十年前……? 何があったというのだ」

 

「人機開発が一つのピークを迎えました。この星における人機の開発、兵力の増強、あらゆる部門での極地、それが一度に発生した百五十年前に起こった事を、皆さんの口からご説明願う」

 

「それは、国民に、という事かね」

 

 今さら問う事のほどではあるまい。タチバナは鋭く睨み返した。

 

「世界に、です。我らの原罪を、知らせなくてはならない」

 

 熟考の間が降り立った。その沈黙を破ったのは政治家の中でも古株の者達だ。

 

「……駄目だ。それはブルブラッドキャリアとやらに自治権を与えるような真似になる」

 

「左様。彼奴らは百五十年前の因縁を持ち出し、世界に喧嘩を吹っかけた。それを我らが認めるという事は、百五十年前の祖先の罪を認め、謝罪するという事。それだけはあってはならない。既に数百、数千の人命が失われつつある。モリビトによる被害は事実としてあるのだ。それを肯定しながら、ブルブラッドキャリアの言い分を我らが通せば、それこそ世論から反感を買う」

 

「だが世論は納得しませんぞ。ここで剣を呑むか、あるいはこれから先も絶対に、何があっても原罪を認めないか」

 

 一同が静まり返る。決定は早いほうがいい。タチバナはとどめの一言を放った。

 

「……何も我々が不利益を被る、という話でもないのです。これは、人機というものを造り出した人類の功罪でもある。それを一言でもいい、認めるか否かでこれからの身の振り方が変わる。泥を被る程度の覚悟なくってどうするのです」

 

 静寂の中、一人の政治家が呟いた。

 

「……タチバナ博士。あなたは認めるというのか」

 

「認めなければ前に進めんと言うのなら、ワシは認めますよ。百五十年前に、この世界が何を行ったのかを」

 

 話はこれで充分だろう。身を翻したタチバナの背に、足掻きの一言がかかった。

 

「……しかしそれを認めれば、我々はもう後戻りは出来ないのだ」

 

 足を止め、タチバナは振り向かずに言い返す。

 

「もう後戻りなど最初から出来るとは思っていません。モリビトという原罪が突きつけられている今、人類は二つに一つでしょう。逃げるか、立ち向かうか」

 

 逃げを考えている暇があるのならば自分は戦う。

 

 その背中にもう、呼び止める声はなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯20 三号機の影

『鉄菜。敵の振り払いは充分に完了したわ。《インペルベイン》は損耗率二割以下。そっちの状況を聞いておく』

 

 鉄菜は紺碧に染まった濃霧の中を行く《シルヴァリンク》のコックピットで歯噛みした。

 

 ――あれがエース。あれが、モリビトに性能面での優位を覆す存在。

 

 自分はあれに勝てるのか。今の状態では、《シルヴァリンク》が万全でも自分が足りない。圧倒的に、場数も、何もかもが。

 

『鉄菜? 返事くらいしなさいよ』

 

 怪訝そうにした彩芽に鉄菜は通信を返す。

 

「《シルヴァリンク》の損耗率は同じく二割以下。作戦続行に何の支障もない」

 

『了解。次の合流地点を示しておくわ。そのマップに従って行動して』

 

 指し示されるのはここから北方に二百キロほど行った離れ小島であった。鉄菜は眼下に広がる地形を見やる。抉られた大地は人々の戦場の営みを刻み付けられ、癒えぬ傷痕に呻いていた。

 

 その呻きがブルブラッドの毒の吐息となって漏れている。

 

「人の原罪、か」

 

 呟いた鉄菜はジロウに言葉を投げた。

 

「第二フェイズを続行するのに、今の《シルヴァリンク》で足ると思うか?」

 

『それは、操主である鉄菜がそう思うのなら、そうなんだと思うマジ』

 

 自分が一番に《シルヴァリンク》の事を理解している。そのつもりであった。だが、《ナナツー》で拮抗されるなど思いもしない。

 

 否、それ以前に二つのエースと既に出会っている。

 

《バーゴイル》で追いすがってきた一機と、《ブルーロンド》一機。この惑星にエースなど、既に廃れた概念だと思っていたが。

 

「分からないものだ。私が侮っていたのかもしれない。アンシーリーコートを晒してしまうなんて」

 

『鉄菜のせいじゃないマジ。相手が悪かったんだマジよ』

 

 それならばどれほどいいか。鉄菜は瞑目して自らの力の至らなさを悔いた。

 

「もっと私が強ければ……」

 

 その時、不意にジャミングの波長が《シルヴァリンク》を震わせる。ブルブラッド大気濃度が高いのか、と濃度測定器に視線を走らせたが七割程度だ。モリビトの機動に影響がある数値ではない。

 

 ハッと振り仰いだ視線の先に鉄菜は習い性の神経で飛び退らせる。

 

 空間を射抜いたのは極太の光条であった。

 

 粒子の色に《シルヴァリンク》を機動させる鉄菜は瞬時に見抜く。

 

「この粒子……R兵装か」

 

『来るマジよ!』

 

 接近警報が響く中、濃霧を引き裂いて現れたのは赤と白の彩色を持つ人機であった。

 

 赤い双眸がこちらを睨み据える。

 

『ホントーに、鈍いのね。ま、モモに勝てるわけないのは分かっていたけれどさ!』

 

 相手の操主の声だろうか。随分と幼い。甲高ささえ感じさせる声音に鉄菜は《シルヴァリンク》に戦闘姿勢を取らせた。

 

 左腕の盾の裏側から大剣の柄を取り出す。発振したリバウンドの刃に相手操主が鼻を鳴らしたのが伝わった。

 

『近接戦術なんて原始的! ロデム!』

 

《シルヴァリンク》が濃霧を引き裂き、敵へと肉迫しようとする。その段になって相手の大型人機の胴が丸っきり欠損している事に気づいた。

 

 否、欠損ではない。

 

 わざとその部分に空洞があるのだ。

 

 両腕もない、と鉄菜がうろたえた直後、空域を震わせた接近警報の主がブルブラッド大気を裂いて現れた。

 

 機獣だ。

 

 四つ足の獣の人機が滑空し、こちらへと牙を剥き出しにする。牙の間を電磁が行き交い、その威力を補強した。

 

 咄嗟に払ったRソードの太刀筋が受け止められる。相手もR兵装か、と緊張を走らせた鉄菜へと、照準警告が響き渡った。

 

『ホンットーに、程度が低いのね。最初の第一フェイズの執行具合で分かっていたけれど。いい? あんた達は圧倒的に、モモより格下なの。《インペルベイン》も同じよ。あの操主じゃ、モモには勝てないわ』

 

 巨大な翼が折り畳まれ、出現したのは長大な砲身であった。充填されるのはリバウンドのエネルギー波である。

 

 獣を相手にしつつ大型人機を相手取るのは分が悪い。

 

 鉄菜は銀翼を展開させ、《シルヴァリンク》を急速後退させた。

 

 獣には継続した飛翔機能はない。だから相手は落下するだけに見えたのだが。

 

『ロプロス! サポートに入りなさい!』

 

 その言葉が響き渡るのと同時に、今しがた銃口にエネルギーをチャージしていた主翼が分離する。

 

 何が起こったのかまるで分からなかった。

 

 大型人機が頭部パーツと背面飛翔パーツを分離させ、脚部と頭部が合体する。

 

 飛翔能力を失った本体に代わり、素早く空間を引き裂いたのは今しがたまでメインウイングを展開していた部位である。

 

 小さな翼竜の頭部が出現し、《シルヴァリンク》へと砲撃を見舞った。

 

 かわしつつ、相手が空間を飛び抜け、獣型の人機を回収したのが視野に入る。

 

 なんと相手の翼竜型人機が獣型と合体したのだ。合成獣を思わせるように下半身を翼竜とした獣型が飛翔し、自由自在に空を舞う。

 

 獣型の牙が再び《シルヴァリンク》へと奔った。

 

 Rソードで薙ぎ払おうとするが、横合いから入った火線がその挙動を邪魔する。

 

 本体と思しき人機は脚部と合体を果たし、逆関節の脚部を腕として構築し直し、こちらへと機銃掃射を見舞う。

 

「こいつら……四機とも人機だって言うのか!」

 

 頭部パーツと脚部パーツ。それに翼竜パーツと獣型、どれも別個の人機のように映る。

 

『それすら見抜けないのなら、モモの敵じゃないわ。あんたはここで墜ちるの! 《ノエルカルテット》の死の四重奏に抱かれてね!』

 

《ノエルカルテット》。それが相手の人機の名前か。

 

 鉄菜は襲い掛かる獣型をRソードで押し返そうとするが、翼竜の翼から砲台が現れ、こちらへと照準する。

 

 R兵装の攻撃はリバウンドフォールでは跳ね返せない。

 

 すぐさま離脱しようとしてその背筋へと火線が咲く。前後共に相手の思うつぼだ。

 

 これでは身動きすら取れない。

 

『どうするマジ? 鉄菜!』

 

「騒ぐな。連中が四機編成で来るっていうのなら、私もそれなりに覚悟しないといけないという、それだけの事実だ」

 

『じゃあ――』

 

《シルヴァリンク》の操縦桿を握り直す。Rソードを突き出した《シルヴァリンク》に黄昏色のフィールドが纏い付いた。

 

 獣型の牙を弾き、敵の銃弾を受け流す。

 

『この力場……! これ、モモが話だけ受けたあの……!』

 

「そうだ、これが銀翼の!」

 

 跳ね上がった《モリビトシルヴァリンク》が獣型の直上を取る。

 

 熱量が膨張し、Rソードの切っ先を基点として紺碧の空に黄昏の猛禽がいなないた。

 

「アンシーリー、コート!」

 

 獣型を狙い澄ましたアンシーリーコートの一撃が叩き込まれようとする。

 

 獣型の機動力では逃れられまい。

 

 胃の腑の押し上がる感覚を味わいながら鉄菜の剣が獣型を押し潰そうとする。

 

「これでっ!」

 

『させない! バベル発動! グランマ、全機離脱挙動!』

 

 その瞬間、翼竜と合体していた獣型が不意に分離する。

 

 分離時の衝撃で相手の胴ががら空きになった。アンシーリーコートはその空間を射抜いただけで、相手に物理ダメージは与えられない。

 

 空間を奔り切ってから、鉄菜はRソードを握り直させ、獣型だけでもとどめを刺そうとした。

 

「一機でも、落とす!」

 

『それまでよ! 《モリビトノエルカルテット》、ロデム、ロプロス、ポセイドン、全機、合体軌道!』

 

 弾かれたように獣型が中空へと寄り集まっていく。

 

 頭部パーツを中心軸として獣型がまず胴体を成し、その背面へと翼竜が装着され、脚部へと最後に逆関節が合体を果たす。

 

 一瞬にして大型人機が完成していた。合体のロスはほとんどない。獣型の前足を構築していた部位が両腕となり、すっと掲げさせる。

 

 袖口に装備されたR兵装のガトリングがこちらに照準された。

 

『いいわ。ここまでやるなんて思っていなかった。ロデムにやられちゃうんだったら、そこまでかな、と思っていたけれど。モモの眼に狂いはなかった、と思っておきましょう』

 

 途端、通信ウィンドウが開いた。

 

 通信越しにいたのは桃色の髪を二つ結びにした少女である。自分より随分と幼い。人機に乗れる年齢ではないと思われた。

 

 だが、現に彼女は四機の人機を手足のように操り、自分を追い込んで見せた。相当な手だれだろう。

 

「その人機、モリビトなのか」

 

『ええ。モリビト三号機。《ノエルカルテット》。モモの機体よ』

 

「お前が操主なのか? 四機共の?」

 

『信じられない? この四機のうち三機に、操主はいない。モモが一人で操っているの』

 

 にわかには信じ難いが、大型人機を動かすほどのエネルギーがどこにあるのかも探らなくてはならない。好戦的な面持ちを崩さない鉄菜に、画面越しの少女は微笑んだ。

 

『予想通りの無愛想さね。自己紹介しましょう? それも出来ない、というわけじゃないでしょ?』

 

「……鉄菜・ノヴァリス。《モリビトシルヴァリンク》の操主を務めている」

 

 少女は自分の胸元に手をやって誇らしげに言いやった。

 

『桃・リップバーン! 《モリビトノエルカルテット》専属操主。でも、あんたより先輩よね? だって降りたのはモモのほうが先だもんねー!』

 

 相手操主の自信の意味が分からない。降りたのが先だから何だというのか。

 

「惑星に降りた順番がモリビトの性能順ではない。その理論で行けば《インペルベイン》が最も強い事になる」

 

『分かってるってば! ジョーダンも通じないのね! クロ!』

 

「クロ……?」

 

 胡乱そうに聞き返すと桃が言い返した。

 

『あんたの愛称。鉄菜だから、クロでいいわよね?』

 

 有無を言わさぬ了承の物言いに鉄菜は肩を竦める。ここまで会話にならないと彩芽がまだマシだと思えてくる。

 

「勝手にすればいい。私は、桃・リップバーン。お前につくつもりはないのだから」

 

『そりゃ、勝ったのはそっちだし。でもま、こっちも本気出してないって事くらいは分かった?』

 

「モリビト同士の戦闘で本気を出せばどちらかが死ぬ」

 

 簡単な帰結に桃は指を鳴らした。

 

『物分りはいいみたいじゃない。……と、ここは濃度が高過ぎるわね。会話も通信越しじゃあんまりいい気分はしないでしょ?』

 

「別に……」

 

 彩芽もそうだがモリビトの操主に選ばれたにしては軽率が過ぎる。どうして他人の顔など見たがるのだろう。

 

『いいから。ここから北東に二キロ抜けましょ。そこなら濃度が薄くなる』

 

「調べたのか?」

 

『《ノエルカルテット》の性能、甘く見ないでよねっ』

 

 桃の《ノエルカルテット》の先導で鉄菜は《シルヴァリンク》を後続させるべきか、一瞬だけ迷った。

 

 死地に誘い込まれている可能性もある。

 

『鉄菜、どうするマジ?』

 

「……一旦は様子見だ。今は相手も戦う気はないらしい。アンシーリーコートを見せた。相手は奥の手を明かしていない。この状況で、成すべきは一つ」

 

 可能ならば相手の寝首を掻き、アンシーリーコートの性能を極秘のままにする。

 

 そのためには相手に少しばかり油断させなければならない。《シルヴァリンク》を機動させ、鉄菜は《ノエルカルテット》の機体に並んだ。

 

 並び立つと《ノエルカルテット》はこちらの倍以上はある。大型人機にカテゴリーされるその巨躯に内蔵されているのは目視可能なだけで四機の人機。

 

 頭部パーツに戦闘性能があるかは疑問だが、他三機には確実に惑星内の戦闘用人機数体に当てはまるだけの戦闘力があった。

 

 軽く見積もっただけで《ナナツー》ならば六機分ほど。

 

 それほどまでの追従性能があるサポートマシンを操作するのには専用のOSが必要なはずだ。

 

 先ほど口走った「バベル」という単語が該当するのだろうか。

 

 観察の目線を注いでいると桃がふふんと笑みを浮かべた。

 

『モモの《ノエルカルテット》、強いでしょ』

 

「ああ。脅威だ」

 

 判定はBと言ったところか。その言葉に桃は鼻高々らしい。

 

『だってモモのモリビトは特別だもん! この機体にはね、グランマも乗っているし』

 

「グランマ?」

 

 聞き返すや否や、女性の声が通信網を震わせた。

 

『あまり自分の事を言い触らすもんじゃないよ』

 

『きゃっ! ごめんなさい、グランマ』

 

 悲鳴を上げた桃に声の主はどこからと視線を巡らせた鉄菜は、ハッと気づく。

 

 サポートAIの存在を忘れていた。恐らく「グランマ」とは《ノエルカルテット》のサポートAIなのだ。

 

『ごきげんよう、鉄菜・ノヴァリス。三番目のモリビトの適格者。我が孫ながら軽率でね。戦闘でそちらの力量をはかろうとした事、誤らせて欲しい』

 

 まさかAIから謝罪が来るとは思っていなかった鉄菜は戸惑ってしまう。

 

「いや……それより、そちらの詳細を」

 

『話せない、と言っておくのが正しい。それは一号機と連携しているお前さんなら、分かるね?』

 

 こちらの口から《インペルベイン》と彩芽に関して言うつもりがないのを見越しての事だろう。桃はふんと鼻を鳴らしてぼやいた。

 

『戦力差は圧倒的! だってのに、隠したっていい事ないよ?』

 

『桃。あまり過信しない事だ。《ノエルカルテット》は確かに強い。だが、それはあらゆる事象に裏打ちされた強さなのだと言う事を』

 

『はぁーい。グランマの言う通りね』

 

 まるで本当の血縁者のような物言いをする。鉄菜は怪訝そうにそのやり取りを眺めつつ、前方の霧が薄れているのに気づいた。

 

「大気濃度測定……驚いたな。確かに減少している」

 

『嘘は言わないって。まさか、誘い込んで一網打尽、とかだと思った?』

 

 こちらも嘘を言うつもりはない。沈黙を是とすると桃はため息をついた。

 

『警戒し過ぎ! だって《ノエルカルテット》だけでも充分強いのに誰かと組んでまでモリビト同士、潰し合ってどうするの? モモは《ノエルカルテット》の力だけ信じるもん! 他はどうだっていいよ』

 

 連携を密にするタイプではないのか。彩芽とは正反対だな、と胸中に感じつつ、《シルヴァリンク》は前方を遮った《ノエルカルテット》の姿に制動をかける。

 

「どうした?」

 

『顔を見せ合いましょう? ここなら、大気濃度を鑑みても大丈夫だし』

 

「意味が分からない」

 

 本音を口にすると通信枠越しの桃は眉をひそめた。

 

『……ホンットーに変わってるのね。ま、情報はもらっていたけれど、ここまで偏屈だなんて。いいわ。ここは流儀に則ってモモから顔を見せてあげる』

 

 既に通信で見ているのに不要だ、と切り捨てる前に、《ノエルカルテット》の頭部コックピットから出てきたのは小柄な少女であった。

 

 彩芽の背丈の半分ほどしかない。自分も小柄なほうだが、それよりも小さい。あれで操縦桿に手が届くのか、と心配になるほどだ。

 

 通信枠越しと同じく、桃色の髪を両脇に留めた少女は快活に手を振った。

 

「おぅい! クロ、あんたも顔出してよ!」

 

 鉄菜は相手の武装を観察する。見た限り自律稼動が可能なものばかり。専用OSの存在もにおわせている。

 

 どう転んだところで、ここで《シルヴァリンク》は不利だ。敵に剣を突きつけても四対一で、なおかつ専用武装の優位が取られた今では、相手に従うしかない。

 

 鉄菜はコックピットブロックを叩き、外に出る事を示した。

 

『本当に、出るのかマジ?』

 

「敵の情報を知るのに必要なだけだ」

 

 それ以外にない、と鉄菜はコックピットを開け放った。薄らいだ紺色の風が吹き抜ける。黒髪が風に揺れ、桃を睨み据えた。

 

 Rスーツの端末に認証をかける。

 

 こうやって対面している時間も惜しい。《ノエルカルテット》の一部情報でも詮索しておくべきであった。

 

 桃はRスーツを身に纏っていない。

 

 服飾はフリルのついたワンピースである。戦闘用の格好でさえもない。本当に、嘗めているのか、と鉄菜は相手を凝視する。

 

 その視線が気に障ったのか、桃は手を振った。

 

「……クロ、あんた目つき悪っ」

 

「ブルブラッド大気汚染はこの空域では六十七パーセント。だが、それでも人間の活動に差し支えるという意味ではまだ、安全圏ではない。だというのに、目の前の相手はRスーツさえも纏っていない」

 

 警戒を走らせるのも当たり前だ。顎をしゃくると桃は片手をパタパタと扇がせた。

 

「あれ、キライなのよね。蒸れるし下着もつけられないし。それに、四六時中着けっ放しでしょ? キタナくない?」

 

「これが我々ブルブラッドキャリアの標準装備だ。《ノエルカルテット》の対G性能がよほどいいのかは知らないが、着ていないといざという時、命取りになるぞ」

 

「でもあんた、着ている割にはあんまり快適そうじゃないね。で? どこにいるの?」

 

「……何の話だ?」

 

 話の意義を掴めないでいると桃は嘆息をついた。

 

「……一号機! あれ、連携してるんでしょ? 教えてよ。あんたの二号機は目立つからすぐ見つけたけれど、アイツ、《ノエルカルテット》の眼からよくも逃れて……」

 

 まだ《インペルベイン》の情報は分かっていないのか。ならばこちらにとって有益なカードが増えた。

 

「一号機の詳細を知りたいのか?」

 

「教えてくれるの?」

 

 期待に染まった桃の視線を、鉄菜は手で払った。

 

「答えられない。先ほどのグランマの言葉を借りるのならば、モリビト同士で教え合うわけにはいかない」

 

 パワーバランスを崩すのは致命的だ。一機でも抜きん出れば、その一機から芋づる式に他の二機へと被害が及ぶ可能性もある。

 

 桃は眉根を寄せて額に指を突いた。

 

「むむぅ……、やっぱり、そう簡単には教えてくれないか。じゃあ交換条件! 《ノエルカルテット》の事を教えてあげるから、一号機の情報と交換しない?」

 

「先ほどAIがそれは駄目だといったばかりではなかったか」

 

「気が変わったのよ。ね、グランマ!」

 

『桃のやりたいようにやればいい。必要以上の干渉はしないよ』

 

 このグランマなるシステムも読めない。どこまで制御のうちなのだ。四機のサポートマシンの事を聞くべきか。《ノエルカルテット》の性能面を尋ねるべきか。

 

「ね? 教えてあげるから、一号機の事、教えてよ」

 

 ――いや、と鉄菜は頭を振る。

 

 どうして彼女は一号機の事ばかり知りたがる? 《シルヴァリンク》と戦ったからもうこちらの事は分かり切っているとでも?

 

 鉄菜は即座に別の可能性を思い至った。

 

 この少女の狡猾な側面を予見し、鉄菜は言い放つ。

 

「それを、一号機の操主にも聞いたのか?」

 

 瞬間、桃の笑顔が凍りついた。図星だったのだろう。すっと佇んだ桃からは既に気安い表情が消え失せている。

 

「……へぇ、馬鹿じゃないんだ。降下してすぐ《バーゴイル》なんかに押さえられてるんだから相当頭の回っていないお馬鹿さんかと思っていたけれど、案外、こういうのには聡いのね」

 

 確信する。《ノエルカルテット》は既に《インペルベイン》と交戦、あるいは情報交換の段取りに入っている。彩芽は知っていたのか、と思い返すが、彼女にそれらしい気配はなかった。自分の感じる範囲では嘘を言っている風でもない。

 

 ならば、この接触が最初、と前向きに考えるべきだ。

 

「私を踏み台にして、一号機も押さえるつもりだったな」

 

「ま、そうね。クロがもうちょっとだけお馬鹿さんで、モモに優しくしてくれたら、そうだったかも。でも、そうじゃないみたい」

 

「ならばどうする? ここで戦うか?」

 

 鉄菜がホルスターのアルファーに手を伸ばす。姿勢を沈めた鉄菜はいつでも戦闘姿勢に入れた。

 

 しかし、桃はその気がないように手を振る。

 

「誤解しないで欲しいのは、モモは別にモリビトは一機だけでいいとか、そこまで行き過ぎた考えじゃないって事。むしろ、その辺は一号機の操主のほうが持っていそうだけれどね。だって戦線にもあんたの《シルヴァリンク》を頭に立たせて毎回、裏方に回っているでしょ? そのせいで《ノエルカルテット》の情報網に最小限の情報しか入って来ないんだもの。普段は眼にも映らないし」

 

《インペルベイン》の装備している光学迷彩は《ノエルカルテット》にも有効なのか。自分の胸の中だけでその事実を押し留め、鉄菜は問い返す。

 

「何がしたい? 私と戦って、何を得たかった?」

 

「誤魔化す必要もないよね。簡単に言うと、第二フェイズのモリビトの段階から、第三フェイズに移行させるための、テスト、がモモと《ノエルカルテット》の役割」

 

「テスト、だと?」

 

「第一フェイズは単騎でどこまでやれるかの試験。惑星圏外から突入し、モリビト三機それぞれに割り振られた任務をスマートにこなせるかどうかの独立したミッション。で、第二フェイズは三機のうち、二機が連携し、モリビトの力を世界に示す。その前段階だと思ってもらえればいいわ」

 

「第三フェイズは、三機合同の任務だと聞いている」

 

「表向きは、ね。でもその役割の分担は、モモの《ノエルカルテット》に一任されている。だっておかしいと思わない? 中距離武装の一号機と、近接格闘型の二号機、どう考えても両極端。これじゃすぐに対策が練られるわ。それをさせないのが、モモの《ノエルカルテット》の能力」

 

 鉄菜は《ノエルカルテット》の内奥に宿る四つの命の波長を感じ取った。アルファーが呼応し、淡い光を発生させる。《シルヴァリンク》、《インペルベイン》と比しても単純に四倍。これは相手の内臓血塊炉の数に相当する。

 

「……《ノエルカルテット》は、四基のブルブラッドエンジンで成り立っている」

 

 桃が指鉄砲を作って鉄菜を指し示した。

 

「当たり。モモは一号機と二号機とは別に、この三号機――《ノエルカルテット》で選定する役目を帯びている」

 

「《ノエルカルテット》の能力は単純計算で戦闘用人機の四倍、というわけか。その能力値で、一号機と二号機を潰し合わせでもする気だったか」

 

 鉄菜の問いかけに桃はナンセンス、と肩を竦める。

 

「そんな事したって面白くも何ともないし、どうせモモの《ノエルカルテット》が無敵だもん。意味ないよ。モモがしたいのはそうじゃなくって、あんた達二人が道を違えていないかの、確認かな」

 

「確認? ブルブラッドキャリアが大国やコミューンになびくとでも?」

 

「あり得なくはないんじゃない? 操主があまりにも精神的に脆い場合や、窮地に追い込まれた場合。モモのモリビトが守るのはブルブラッドキャリアの矜持。だから、その時、真価を発揮する」

 

「今は。教えてもらえそうにない言葉振りだ」

 

「そりゃあね。だって、これは裏切りがあった時の備えだもの」

 

 その仔細を語るわけにはいかない、か。そもそも、こうやって《ノエルカルテット》の能力を部分的であれ開示しているのはある程度の信頼があると思っていいのだろうか。それとも、《ノエルカルテット》にはまだ奥の手があり、《シルヴァリンク》が本気になっても敵うまいと考えているのだろうか。

 

「……組織内で相手の腹の内ばかり探っていても仕方ない」

 

「そうよね。モモは、もっと建設的な話をしに来たの」

 

 屈んだ桃が鉄菜へとうっとりしたような視線を向ける。鉄菜は怪訝そうに睨み返した。

 

「……何だ」

 

「ねぇ、クロ。モモだけのクロになってみる気はない?」

 

 どういう意味なのか。はかりかねて、鉄菜は尋ね返す。

 

「私に、お前だけの……?」

 

「《シルヴァリンク》と一緒にさ。一号機の操主を切って、こっちに来る気はない? って聞いているの。だって、一号機なんて中距離戦しか能のない機体のはずよ? それと組んでいるより、モモと組んだほうが絶対にうまくいく」

 

「……共同戦線を張れ、と」

 

「平たく言えばね。もっと簡単に言おうか? 一号機なんて捨てて、モモと一緒に世界を変えようよ。モモ、クロの事気に入ったし、今なら《ノエルカルテット》で一緒に戦ってあげられるよ?」

 

《インペルベイン》と彩芽との共闘関係を打ち切れ、という事。確かに戦力面だけで言えば三号機に勝るとは思えない。

 

《インペルベイン》との共闘をやめて、三号機とだけ戦うか。

 

 その疑問に、鉄菜は逡巡さえも挟まず、目線一つで決定していた。

 

「お断りだ。私は、一度交わした約束を違えるような安い人間じゃない」

 

《インペルベイン》と《ノエルカルテット》。秤にかければその力量差は分かり切っているが、ここで安易に彩芽を裏切る事こそ、先ほど桃の言っていた裏切り行為に抵触する。つまり、この魅力的な提案それものが鉄菜の判断力を試す囮だ。

 

 桃は、ふぅんと興味深そうに鉄菜を観察する。

 

「意外……でもないか。クロは正直そうだもんね。一度交わした約束を違えるほど、か。案外、義理深いのかもね、クロは」

 

 微笑んだ桃は手を払って立ち上がる。絶対者の眼差しを湛えて鉄菜と《シルヴァリンク》を断罪した。

 

「いいわ、合格よ。簡単になびかない、そういうところも含めて、気に入ったわ、クロ。だからこれは、サービスと言ったほうがいいのかもね。《ノエルカルテット》は共闘してあげる。第三フェイズはひとまず、《シルヴァリンク》を敵にはしない。約束しましょう」

 

 それは《インペルベイン》が現れれば攻撃する、という意味なのか。問い質す前に、桃は《ノエルカルテット》のコックピットに収まっていた。

 

「第三フェイズは間もなく知らされるわ。その時、一号機の操主がどういう態度を取るのかは分からないけれど、クロ、あんたとモモの約束だけは本物だから。《ノエルカルテット》の正体をある程度見せたのも、信頼の証。モモと友達になれたのよ? 光栄に思いなさい」

 

《ノエルカルテット》がゆっくりと上昇していく。四基のブルブラッドエンジンを組み込んだ機体はすぐさま気流を生み出し、遥か彼方へと飛翔していった。

 

 その道筋を目にしながら、鉄菜は息をつく。

 

 どうにも、《ノエルカルテット》、読めない相手だと判断した。

 

 コックピットに戻った鉄菜をジロウが慮る。

 

『鉄菜、ああいう相手は苦手マジ。正直なところ、交渉にもならないマジよ』

 

「私も、得意ではない。だが、三号機の存在とその能力を知れた。これは私にとって優位になる。来るべき第三フェイズで勝ち残るのには、三号機の手助けは必要不可欠だ」

 

『でもそれを、鉄菜が負う事はなかったんじゃないマジか? 彩芽とルイでも充分に交渉に成り得たマジ』

 

 一号機を警戒しているのか。あるいは単に巡り合せの問題か。前者なのだとすれば《インペルベイン》の性能から三号機の弱点を探れるかもしれない。後者だとすれば運次第だ。

 

「帰投コースに入る。彩芽・サギサカとの合流地点に」

 

『何も知らない振りをして、これまで通りに彩芽と接するマジか?』

 

「三号機と会ったなど、容易く口にしていいとは思えない。ログを探るほどの能力もないだろう」

 

 あの三号機にはありそうだったが、《インペルベイン》がそこまで器用だとも思えない。

 

『……了承したマジ。でも、鉄菜。システムは騙せても、人間は騙せないかもしれないマジよ』

 

 その言葉が何故だか妙に胸に突き立った。

 

 システムは騙せても、人間は簡単に騙せない。普通は逆ではないのか、と思い立ったが、それを邪推する時間もなかった。

 

「合流地点に向かう。《シルヴァリンク》、行くよ」

 

 今は一つ、胸に重い石を抱えたまま、前に進むしかなかった。紺碧の空が翳り、夜が訪れようとしている。

 

 全ては夜の帳の向こう、まだ見ぬ明日の果てにしか行方はなかった。

 

 

 第一章 了



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 激動の星で
♯21 アナザー1


 何度見ても、やはりその発言には奇妙さが浮き立つ。

 

『我々は惑星の人々に対し、機動兵器モリビトによる復讐を開始する』

 

 芳しい香りを放つコーヒーを口に運び、喉を潤してからタチバナは解せんな、と結んだ。

 

「オガワラ博士のこの声明、どうにも解せない」

 

 書斎で書類整理をしつつ、タチバナは何度目か分からない疑問を発していた。ブルブラッドキャリアが世界に対して喧嘩を売った。それだけは確かなのだが、どうにも頭目とされるこの禿頭の男性の思想だけが解明出来ない。

 

「オガワラ博士……あなたは何者なんだ」

 

 投射画面に問いただしても答えは出ない。その時、扉をノックする音が聞こえた。

 

「入れ」

 

「失礼します」

 

 研究員の渡良瀬が部屋に入るなり、自分のマグカップを目にする。

 

「すぐに次をお持ちします」

 

「渡良瀬。君はどう見る? オガワラ博士のこの声明を」

 

 渡良瀬は自分に仕えて随分と長い研究員だ。だからこの場合、最適の回答を持ち出してくれるはずであった。

 

「……わたしのような人間の意見でいいのですか?」

 

「構わん。何でもいい。疑問点を上げてくれ」

 

「では……。オガワラ博士、の声明にはいくつか不明な点が」

 

 いくつか、と前置いた渡良瀬にタチバナは問い返す。

 

「不明な点、か。言ってみろ」

 

「一つ。百五十年前の原罪に言及しているのにも関わらず、民衆にその原罪は一切知れ渡っていない事」

 

 百五十年前の事柄に関してはタブー視が強い。だからと言って、民間がまったくその話題に触れないのも不自然なのだ。どこの三面記事も、モリビトの蛮行は追っているのに肝心の百五十年前になると皆が口を閉ざす。

 

 報道圧力、いや、これはただ単に知らないだけなのか。それとも、「知らせられて」いないのか。

 

「報道の自由は奪われて久しいが、それにしたところで、誰も何も言わないのは奇妙だ、という事だな」

 

 目線だけで頷いた渡良瀬は、次にと言葉を継ぐ。

 

「モリビトに関して機動兵器、と口にしている事。人機ではなく、機動兵器と言っているのは、やはり百五十年前の事柄を自分の口からは言わないためかと」

 

 ふむ、とタチバナは強い顎鬚を撫でた。機動兵器モリビト。そう結んでいるのは理由がある、という言説。

 

「やはり、立ち塞がってくるのは百五十年前の事実か。あれに関してお歴々も慎重になっている。だが、誰も知らない事実というわけではない。確かに報道管制が敷かれているとしても、どうして誰も示し合わせたように触れないんだ? 百五十年前、プラネットシェル計画の基となったあの忌まわしい事件を。そこから辿ればモリビトの正体にだって辿り着かないはずがないのに」

 

 むしろ意図して誰もが口を閉ざしている気がする。たかだか百五十年の間である。文明がなかったわけでもない。人々がコミューンに住む原因だ。義務教育に組み込まれていないはずもないのに、誰も言おうとすらしない。

 

「三つ目の違和感は、オガワラ博士、本人」

 

 やはり自分と同じ帰結に至るか、とタチバナは渡良瀬の慧眼に着目する。

 

「やはり、か。経歴を辿れば真っ先に行き着く疑問だ。しかし、どの報道機関も黙りこくっている。現太・オガワラ博士。彼の素性に誰も迫らないのが不自然なんだ。なにせ、彼は五十年前の時点で既に……」

 

 濁した先をタチバナは手元の書類に視線を落とす。

 

 現太・オガワラという名前の欄の横に「五十年前に死亡確認」との文字があった。

 

 死者が復讐を語る。

 

 これほど奇妙な事もあるまい。

 

「どうして死人が今になって惑星の人々へと報復など考える? 誰かの差し金か、あるいは……この年代に何が起こるのか読んでいたというのか」

 

 逼塞した時代である。コミューン間は冷戦状態に陥り、惑星の人々はブルブラッド大気から完全に防衛する手段を得ている。

 

 コミューンという国家が多数存在し、それぞれの小国が幅を利かせつつあるこの混迷の時代を読んでいた、とするのならば、オガワラ博士はどうして今、モリビトを解き放ったのか。

 

「モリビトで何をしたかったのか、という話になってきます。あるいは、モリビトで何が出来るのか」

 

「それはワシも考えておるところだよ。モリビトタイプ。知っている人間ならばすぐさま百五十年前の大災害に至るが、どうしてこうも皆が示し合わせたように口にしないのか。ともすれば、口にすれば暗殺でもされるのだろうか、ともな」

 

 笑みを浮かべたタチバナの口振りに渡良瀬は頭を振った。

 

「ご冗談を」

 

「冗談ではないかもしれんぞ? モリビトタイプのルーツを探る、というのがともすれば命を縮める結果になるかもしれん」

 

「それでも、タチバナ博士はおやりになるんですね」

 

 手元の資料に視線を落とす。モリビトに関する調査報告が多岐に渡っていた。

 

「誰かがやらねばならん。それが蛇の道であろうともな」

 

「ですが、モリビトタイプに関する情報を何者かが厳しく制限しているのだとすれば……」

 

「それも込みで、ワシらは試されているのかもしれん。五十年前の死人に。今、お前達に何が出来る? とな」

 

 自動再生されるオガワラ博士の声明がまたしても最初に巻き戻された。禿頭の老人が厳しい眼差しをこちらに注ぐ。

 

 渡良瀬がふと、呟いた。

 

「モリビトの存在が我々に罪を自覚させるためにあるのだとすれば、その罪とは……」

 

「コミューンという殻にこもって生きている事か。それとも、本当の原罪を語るのだとすれば、オガワラ博士。あなたは何故、今、我々の前に立つ? 何のために、モリビトを遣わした?」

 

 問い質しても映像に変わりはない。タチバナは嘆息をついて出張の準備を整えた。

 

「また、長期の?」

 

「ああ、今度は研究成果を形にしろとのお達しだ。世界がブルブラッドキャリアのせいで無茶苦茶になっても、求める事は変わらんらしい」

 

「新型のレポート、読了しました。参式はこれからのスタンダードになるのでしょうか」

 

「それも、世界が決める事よ。ワシは結局、オブザーバーとしての役割しか出来んからな。ワシの一言で売れるものは売れるじゃろう。だが、そいつを世界が必要としているかどうかはまた、別の話」

 

「世界は変わろうとしているのでしょうか」

 

 渡良瀬の疑問にタチバナはフッと笑みを浮かべた。

 

「それが分かれば苦労はせんわい」

 

 だが、とオガワラ博士の画面越しの面持ちを見据える。彼は心底、憎悪して世を去ったのか。それとも、世界にまだ一繋ぎの希望があると感じて、モリビトに託したのだろうか。

 

 全ては闇の中であった。

 

「そういえば、オガワラ博士に関して、生前の調査を担当していた者から興味深い報告が」

 

 渡良瀬の資料を手に、タチバナは目を走らせた。

 

「エホバ、なる人物を確認? 何だこれは」

 

「分かりません。ただ、その足跡を辿るとどうしても出てくるのが、そのエホバ、と名乗る人間なのです」

 

「男か女かも分からんのか」

 

 性別不明。出身地不明。年齢不明と黒塗りで示された資料にタチバナはため息をつく。何もかもが分からないくせにこの人物が暗躍していた事だけは分かる。厄介なタイプの案件だ、とタチバナは息をついた。

 

「詳細資料は端末にお送りしておきました」

 

「飛行機の中で読め、という事か」

 

 手持ち鞄に資料を詰め込み、タチバナは出張先の便がそろそろ迫っている事に気づく。

 

「そろそろ出ねば。渡良瀬、留守の間は任せる」

 

「お任せを。よき旅を」

 

 その言葉にタチバナは自嘲した。

 

「よき旅、か。この混迷の世界でいい旅など送れるかどうかは疑問ではあるがな」

 

 表に待たせていた運転手の車に乗り込み、タチバナは研究棟を去った。

 

 その背中を見送ってから、渡良瀬は通信に入ってきた相手へと繋ぐ。

 

「はい。こちらの首尾は上々です。タチバナ博士は、まだ気づいていないかと」

 

『浮き足立っているのだと、あの人でもな。分からぬ事が多いとどうしても気が立ってしまう性質なのだろう』

 

「モリビトの運用に関して、世界規模の報道管制が敷かれている事に疑問は抱いているようですが、それがこのような直近で行われているとは想像もついていないようで」

 

 通話先の人物がふんと鼻を鳴らす。

 

『せめて、タチバナ博士には嗅ぎ回ってもらいたいものだ。無論、我々の掌の上で、の話だが』

 

「ブルブラッドキャリアの協力者の存在、そこまで勘付いているのだとすればあの老人は相当ですよ」

 

『勘付いていても、何も言わんだけかもしれない。用心はしておけ、渡良瀬。我々のような諜報員を何人も配置しているのは何も伊達ではないのだからな』

 

 了解を通信に吹き込みつつ、渡良瀬は疑問を発していた。

 

「……一つ、いいですか?」

 

『何だ? 手短にしておけ』

 

「二号機が降りた時から始まった第一フェイズ、それが完遂されたのは分かりました。しかし、第二フェイズ以降は我々、協力者には一切明かされない。これではせっかく……金を出しているのに意味がない」

 

『言わんとしている事は分かる。資金援助に見合うだけの情報を、だろう。だが、それも込みで用心しろ、と言っているのだ、渡良瀬。タチバナ博士の名前は伊達ではない。あの老人がどうして新型人機や各国首脳と同等に話せているのか、きちんと理解する事だな。何もコネだけで今の地位にいるわけではない』

 

 思っているよりも事態は深刻らしい。渡良瀬は頷いて、通信相手に最後の疑問を投げた。

 

「最後に。モリビトはどこまでやるつもりなのか」

 

『どこまでも、だよ。まだ第二フェイズも途上だ。三機のモリビトの役目までは我々の範疇を越える。こればかりは口出し出来ない』

 

 どれほどモリビトの操主が間抜けでも、か。渡良瀬はC連合の前線基地を襲ったモリビトが封印武装を使ったのをモニターしていた。

 

 その映像もある。検証すれば、どのような武装なのかはすぐに割れるだろう。

 

 自分達協力者はそのような迂闊な真似をするモリビトの操主をサポートせねばならない。

 

 どれほどまでに戦地で暴れられても痛くもない横腹を突かれるのは面白くない、という事だ。

 

 モリビトの操主には、せめてモリビトをうまく運用する事だけを考えてもらわねば。

 

『話はここまでか? ならば継続して見張っておけ。あの老人は食わせ物かもしれんぞ』

 

「タチバナ博士は出張です。ゾル国に今度は呼ばれたとの事で」

 

『天才は忙しい事だ。だが、真実に肉迫するとすればあの老人だ。警戒を怠るな』

 

「了解しました」

 

 通話が切れ、相手側の情報が自然に抹消される。こうして秘密は守られるわけだが、渡良瀬は通信機器に繋いでいた傍受用の機器を見やった。

 

 そこには抹消されたはずの相手の通話番号がきっちり記録されている。

 

「悪いな。騙され騙し合いなのはお互い様だ」

 

 一歩でも抜きん出た側が勝利する。逆に言えば、一歩でも遅れたらそれは死を意味するのだ。

 

 通話情報を基に、渡良瀬は別の回線に繋いでいた。これも一つの踏み台になる。

 

 組織の中でのし上がるのには、一つや二つは秘密が必要だ。それも、相手を遥かに上回る秘密が。

 

 繋いだ回線に相手が出る。渡良瀬は心得た声を吹き込んだ。

 

「久しぶりだな。水無瀬。もう一人の、わたし」

 

『ああ、久しぶりだな、渡良瀬。もう一人の、わたし』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯22 戦いへの螺旋

「いい? もう時間に遅れるなんて事はしないで。分かった?」

 

 合流するなり小言を言われ、鉄菜は肩を竦める。今しがた三号機に会ってきた、などやはり言うべきではないな、と感じた。

 

「分かっている。少しルートを迂回しただけだ。これも敵の追撃を防ぐため」

 

「そこまで理解しているのならいいけれど……貴女ってそうじゃなくっても迂闊なんだし」

 

 自分が馬鹿にされる分には慣れている。《シルヴァリンク》で交戦してきたのは何もただの兵士だけではない。

 

 これまで幾度となく、精神面での脆さは排除してきた。

 

 敵を屠り、こちらの実力を示す。それが第二フェイズの役割ならば、充分にこなしてきたと言えるだろう。

 

《インペルベイン》は光学迷彩を張り、衛星画像すら騙している。電子戦ではあの《ノエルカルテット》とどちらが上なのだろう。モリビト同士の交戦はあってはならないが、自分はどちらとも戦っている。

 

 ある意味では公平な立場であった。

 

『彩芽、《インペルベイン》の損耗率は二割以下。弾数もまだまだいけるわ』

 

 ルイが《インペルベイン》の肩に留まって足をぶらつかせている。立体映像だと分からなければ完全に少女のそれであった。

 

「ありがとう、ルイ。後は、第二フェイズも佳境か」

 

「《シルヴァリンク》で戦え、というのならばすぐにでもやる」

 

「焦らないで、鉄菜。今度の相手は少しだけ厄介よ」

 

 送られてきたデータを鉄菜はRスーツに備え付きの端末で受け取る。投射映像は世界地図の一点を赤く示していた。

 

「C連合の非武装地帯だ」

 

 コミューンとは言え、全てが全て武装の整っているわけではない。中には非武装、非服従を唱える国家も数多い。

 

 しかし、武装していないのは現在では大きな損失となる。ブルブラッド資源にも頼れず、旧時代の化石燃料だけでまかなえるのは限界があるからだ。

 

「非武装地帯にC連合の一部国家が《ナナツー》を伴って襲撃。現時点で、その赤く塗られた地域を占拠している」

 

「それは、一方的だ」

 

 彩芽は分かっているとでも言うように手をひらひらと払った。

 

「そうね、一方的よ。だからこそ、ブルブラッドキャリアが介入する」

 

 一方的な戦場に異論を差し挟むのが自分達の役目だ。非合理的かもしれないが、それも込みで世界へと宣戦したのである。

 

「一つでも世界のほつれを矯正する。それが、私達の任務だ」

 

「分かっているじゃない。モリビトの操主として選ばれたからには、やれる事はやっておかないとね」

 

 茶髪をかき上げ、彩芽は《インペルベイン》の頭部に触れる。現在地のブルブラッド大気汚染は六割以下。彩芽も簡易マスクだけで生きていられる。自分は、マスクなど最初から必要はなかったが。

 

「頼むわよ、鉄菜。作戦概要は追って伝える。問題はないでしょう。《ナナツー》タイプとはいっても、そこまで厄介なのは来ないでしょうし」

 

 前回の手痛い反撃も彩芽の耳には入っているのだろうか。ルイの考えだとすれば入っていてもおかしくはないが、何も言ってこないところを見るにともすれば知らないのかもしれない。

 

「《ナナツー》に遅れは取らない」

 

「よく言いました。じゃ、六時間後に作戦決行するわ。それまでせいぜい休んでおきなさい」

 

 鉄菜は彩芽が《インペルベイン》のコックピットに入るのを目にしてから、自分も《シルヴァリンク》のコックピットに入った。

 

『鉄菜、やっぱり三号機の事は言わないほうがいいマジね』

 

「勘繰ってこないという事はその可能性に至っていないか、あるいは……」

 

 あるいは、既に彩芽と桃に一杯食わされている可能性もある。二人が共謀すれば自分などすぐに陥れる事が出来るだろう。

 

 問題なのは、陥れたところで得をするのは誰もいないという事だが。

 

『それはないと思うマジよ。彩芽はそこまで腹黒くないマジ』

 

「なんだ、お前はいつから奴にそこまで入れ込むようになった?」

 

『見た限りの話マジよ。鉄菜だって信じたいと思っているはずマジ』

 

「信じたい、か」

 

 だがそのような感情は真っ先に犠牲になるだろう。それは自分が経験則で知っている事だ。

 

『三号機の性能を参照してみたマジが、やはり鉄菜の読み通り、《ナナツー》タイプなら六機以上に相当する血塊炉の出力マジ』

 

 四基の血塊炉を連結させているのだ。相当なエネルギー量のはずである。

 

「余剰エネルギーで姿をくらませるぐらいはわけない、か」

 

『三機のサポートマシンも相当な脅威マジね。あれを突き崩さない限り、《ノエルカルテット》に隙はないマジ』

 

 結果的に自分の猪突猛進戦法が功を奏した、というわけだ。鉄菜は全天候周モニターの一角を撫で、《シルヴァリンク》を労わった。

 

「封印武装を解いてしまった。それだけが懸念ではある」

 

『解析されるかもしれない、マジか?』

 

「《ノエルカルテット》に搭載されているOSは並大抵ではない。機体解析くらいは児戯に等しいだろう」

 

『でも、桃は約束したマジ。絶対に自分からは裏切らない、って』

 

「そんなの当てになるわけがない。私はあくまでフラットに考えるべきだと思っている」

 

 ジロウはアルマジロ型の腕を振って呆れ気味に口にしていた。

 

『鉄菜は相変わらず相手を信じないマジねぇ』

 

「信じたってどうする。利益不利益をきっちり理解してないのならば、それは馬鹿の所業だ。私が信じるのは、私と、《シルヴァリンク》だけだ」

 

『分かっているマジ。今は少しでも休んだほうがいいマジよ。連戦になるマジ』

 

「そうさせてもらう」

 

 鉄菜はタブレットから睡眠導入剤を三錠ほど取り出し、水と共に口に含んだ。飲み干せば十分もしないうちに眠気の訪れる即効性のものだ。

 

《シルヴァリンク》は自分が休んでいる間も警戒を続けるだろう。相棒を少しでも休ませたかったが、それは操主である自分が万全の状態の時だけだ。

 

 意識を手離している間はジロウに任せるしかない。

 

 程なく訪れた眠気に、鉄菜は瞼を閉じた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯23 世界の敵

 葬儀に出る格好くらいは吟味したかったが、その時間もなかった。

 

 結局、軍服による出席になった桐哉は葬儀会場に着くなり人々の好奇の目線に晒された。

 

「おい、あれ……」

 

「ああ、モリビトだろ? よくのこのこと来れたもんだよな。今や、世界中で敵同然なのに」

 

 睨み返すとぼそぼそと呟いていた人々が歩み去っていく。聞こえていたとしても構いはしないのだろう。

 

「この度は……」

 

 口ごもって受付名簿に名前を書く。その際、遺族がこちらに気づいたようであった。

 

 声をかけようとして、その前に罵声とスリッパが飛んだ。

 

「あんたのせいで! うちの息子は!」

 

 ヒステリックに陥った女性をいさめるのは葬儀会場を取り仕切る業者であった。視線を落とし、桐哉は頭を下げる。

 

「すいませんでした」

 

「謝ればいいってもんじゃないでしょう! だって、あなた、モリビトだって……。世界の敵だって! だから息子は死んだんでしょう! あなたに、背中から撃たれて!」

 

 そのような事は、と否定しかけて、会場の遺族達の視線に射竦められた。

 

 ――世界の敵。国家の恥。

 

 そのような目線に桐哉はこの場から逃げ出したくなったが、ぐっと堪えて頭を下げる。

 

「自分のせいだったのは事実です。彼を、死なせてしまった」

 

「彼、彼って! あなた、息子の名前すら覚えていないんじゃないの!」

 

 断じて、と言い返しかけて桐哉は、彼の名前を一度も呼んだ事がない事に気づく。

 

 そうだ、後方支援だと割り切って彼を、まるで一つの駒のように考えていた。脳裏に彼の顔を浮かべようとしたが、それすら雲散霧消する。

 

 自分は何一つ、彼に報いる事など出来ないのだ。

 

「奥さん、気を確かに!」

 

「すいません、桐哉・クサカベさん。今、遺族はあなたをお迎え出来るほどの余裕はないのです」

 

 代わりのように謝罪するのは彼の弟だろうか。面影を僅かに感じ取った桐哉は奥方に一瞥し、目元を伏せた。

 

「自分が至らないのは、確かです」

 

「どうかそのように配慮なさらないでください。みんな、あなたのせいにしたがっている。この世界の不条理でさえも、何もかもを」

 

 ぶつけられる矛先にいる自分を、卑下しないでくれ、という発言はありがたかったが、今は、このような場所でさえ自分に居所はないのだなと感じるばかりであった。

 

「……一目でも」

 

「いえ、それはご遠慮ください。どうか、理解してください。失礼なのは重々承知です」

 

 自分は死者に手向けるだけの言葉さえもないのか。拳を握り締め、桐哉は恥辱に耐えた。

 

「分かりました……。すいません、掻き乱すような真似を」

 

「いえ、我々も配慮が出来ていなかったばかりにその……酷い事をしてしまった」

 

 桐哉は踵を返した。喚き続ける彼の母親は桐哉の背を激しく罵る。

 

「あんたが死んでしまえばよかったのに!」

 

「母さん、そんな事、言っちゃ駄目だ」

 

 彼の弟が仲裁に入る。桐哉はしかし、言い返せなかった。

 

 ――自分が死ねばよかったのか?

 

 モリビトの勲章を賜った自分が死ねば、このような波紋を起こさずに済んだのだろうか。皆が平和のまま、誰も争わない世界だったのだろうか。

 

 もう、自分には居場所さえもないのか。心休まる場所でさえも、この世界には。

 

 慟哭する事も出来ず、桐哉は大人しく葬儀会場を立ち去った。雨が降り始めており、そういえばコミューン管理塔からの天気予報は雨だったな、と思い返す。

 

 コミューンの天候は完全に管理されており、雨が必要ならば必要分だけの雨を降らせるという措置が取られていた。

 

 だが今は、その措置が憎々しい。

 

 泣きたい時に雨を降らせてくれればいいのに、という身勝手な考えが胸の内を占めていく。

 

 暗雲の垂れ込めた空の下、桐哉は傘を差して雨空を仰いだ。

 

 人工的に作り出された雨の空はどこまでも自分を突き放すようであった。

 

 ――泣きたければ一人で泣けとでも、言われているようであった。

 

 世界に爪弾きにされた身としてはそれがお似合いかもしれない。

 

 モリビトの名前はどこに行っても呪縛のように自分を縛りつける。この呪いが解けるとすれば、それは世界が終わる頃なのかもしれない。

 

 かつては誉れ高い戦士の名前が侮辱され、今や見る影もなかった。

 

 街頭モニターには映し出されたモリビトの姿がある。C連合の前線基地に仕掛けたというモリビトタイプの静止映像に、青と銀のモリビトを発見し、桐哉は足を止めた。

 

 あれが全ての元凶。自分の人生を狂わせた大元。

 

 ならば、自分は、鬼となろう。モリビトを葬るための、鬼に。

 

「モリビト……俺はお前を憎む」

 

 睨み据えた先にいるモリビトの映像が切り替わり、女性キャスターが嘘くさい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この間の戦闘の映像、パッとしないっすねぇ」

 

 ぼやいたタカフミの声音に書類を整理していたリックベイは呆れ返る。

 

「アイザワ少尉。君は操縦訓練をしないでいいのか?」

 

 へっ、とタカフミは虚を突かれた顔で振り返る。

 

「何でっすか?」

 

「対モリビトの編成に組み込まれたんだ。それなりに気を張るべきだろう」

 

「でもですよ、おれがどれだけ頑張っても奴さんが現れてくれないんじゃ、意味ないっすよ」

 

 その返答もある程度は正しい。モリビトに追尾用の無人飛行機をつけたものの、そのポインタは途中でシグナル不明となった。

 

 やはりモリビトを追い詰める事など出来ないのか。焦燥が募る中、タカフミはテレビのチャンネルを独占し、あらゆる局に切り替える。

 

「どこも、あのモリビト相手に善戦! とは言ってくれないんですねぇ……世知辛いなあ」

 

「戦地の情報は秘匿義務がある。善戦だとしても勝てなければ結果論は同じだ」

 

「少佐は堅いっすよ。あれだけ戦ったのに、世間じゃ負け戦扱いですよ?」

 

「仕方がないだろう。あの基地はもう使い物にならん。負け戦には違いない」

 

 数枚の書類を手繰り、リックベイは報告書にあったもう一機のモリビトの情報を読み取っていた。

 

 自分が相手取った青と銀のモリビトより、こちらのほうが随分と食わせ物だ。被害としては《ナナツー》と相対した単純戦力のモリビトより銃火器主体のもう一機からもたらされたほうが大きいのだから。

 

「さしずめ、青がかく乱、緑が本格的な介入、と言ったところか。我々はものの見事にかく乱戦術にはめられたわけだ」

 

「その緑もズルいっすよねぇ。正面切って戦えってんだ」

 

「戦術の一つだろう。……その甘菓子はわたし宛だ。どうして君が食っている?」

 

 甘菓子の一つの包装を開けたタカフミが、小首を傾げる。

 

「どうしてって、少佐は食べないじゃないですか。もったいないですよ、高級な奴ですよ、これ」

 

「食べないとは言っていないだろう。……まったく、君は読めんな」

 

 リックベイは軽い頭痛を覚えつつ執務椅子に座り込んだ。書類は山積している。処理すべきは眼前の敵だけならばどれほどに楽か。纏め役はこれだから辞退したかったのだ。自分は戦場でせいぜい敵兵を葬るくらいしか適性はない。上に立つなど元々性に合っていないのだが、任された大役を辞退するのにはもっと厄介な手続きがいる。

 

 畢竟、今の境遇も含めて受け入れるしかなかった。

 

 たとえ部下が読み辛い性格でも、タカフミが二人も三人もいないのだけは救済である。他の整備班や部下達は幸いにして読みやすく、自分の部屋に居座るタカフミだけが目下の悩みの種である。

 

「何で、世界はモリビトの事、もっと追わないんですかね? だっておかしいでしょ。報道機関だって何も馬鹿ばかりじゃない。今の世の中、情報筋がちょっと本気を出せば、闇の組織なんて存在し得ないんです。静止衛星軌道からの監視網もある」

 

「静止衛星軌道からの監視映像はゾル国が独占している。古代人機討伐のための名目とやらを並べられてな。それに君は知らんのか。衛星軌道上からの映像には誤差が生じていると」

 

 書類を捲りながらリックベイは片手間程度にタカフミの相手をしていた。タカフミはそこで疑問を振る。

 

「誤差……? 何です? それ」

 

「知らんのか。軍学校は今、そんな事も教えんのか」

 

「だって衛星軌道上から敵なんて来ないですもん」

 

 それはその通りなのであるが今回のような例外もある。何より、衛星軌道に位置するゾル国の《バーゴイル》への警戒に《ナナツー》が充てられる事もあり得るのだ。もしもの時の備えくらい教えないでどうする。

 

「《バーゴイル》が領空権を握って久しいが、それでも衛星軌道から敵が来ないというのはマユツバだな。もし、ゾル国が敵に回った場合、衛星軌道からこちらの位置を探られ、空中戦になればどうする?」

 

「撃ち落とせばいいじゃないですか。だって、《ナナツー》の超長距離砲だとか、関知システムの豊富さだとかは対《バーゴイル》のためにあるんでしょう?」

 

「虫食い状態の知識だな。一部は正解だが、一部は不正解だ。《バーゴイル》のためにあるんじゃない。《バーゴイル》のような空中機動を得意とする相手のためにあるんだ。ロンド系列とて、仮想敵としては浮かばないわけじゃないんだぞ」

 

「独裁国家なんて、そんなの」

 

 ナンセンスだ、とタカフミは肩を竦める。

 

 確かにブルーガーデンが公に世界に宣戦するとなれば、ゾル国とC連合が結託する事になり得る。そうなれば押し切れるかどうかは疑問なのが、ブルーガーデンの兵力だ。あの国も資源は豊富だが、開発面では《ナナツー》に遥かに劣るロンド系列を使用している。

 

 ロンド系列は人型という面を最も凝縮した人機である。

 

 多数のオプションパーツが使用可能な点、あらゆる局面において改修可能な点が強みだが、それは最早五年程前には《ナナツー》が追い抜いている部門だ。

 

 弐式の装備はそれほどまでに拡充しており、ゆえに弱小コミューンや第三国に密輸入され、あらゆる紛争地帯で使われる皮肉な結果をもたらしたが、それほどに汎用性のある《ナナツー》に対し、ロンドは時代遅れだとする風潮もある。

 

 それでもロンド系列にあの国家が躍起になる理由は他国の介入を一切許さない独裁政治の極地であった。

 

《ナナツー》や《バーゴイル》を主力に据えれば他国の第三者を介さなければその性能を引き出す事は不可能。その点、ロンド系列にはマニュアルが存在せず、ブルーガーデンの専売特許と化しているのはあの国以外がこぞって使わないからである。

 

 血塊炉の原産地に位置するブルーガーデンは大事な取引先だ。ゾル国も、ましてやC連合も無下には出来ない。

 

 代わりにブルーガーデンに対して積極的な干渉は避けている。これで守られている偽りの平和を享受するのが現時点での世界だ。

 

 お互いに不干渉を貫く代わりに、お互いの軍備政策には口を出さない。

 

 薄氷のように危うい平和の綱渡りに亀裂を走らせたのがブルブラッドキャリアであり、モリビトであった。

 

「確かに、ブルーガーデンのやり方自体には問題がある。だからと言って我々C連合が全面的に正しいわけでもない」

 

「少佐は、青い花園連中とやり合った事がおありで?」

 

「……昔、二回ほどだが、領空権を侵したロンドタイプを下した事がある。しかし、あの国家の強みはブルブラッド大気を味方につけられる点だ。どういうシステムなのだか知らんが、汚染濃度の高い地区を選んで輸送、貨物などを実行している。他国にとってしてみれば、錆びまみれになる恐れがある大気濃度の濃い場所など使いたがらないものなのだが、あの国には特殊な因縁がある、と伝え聞いた事がある」

 

「因縁、ですか……それはこの濃紺の大気の?」

 

「分からん。詳細は軍上層部の中でも一握りだけが知る。わたし達は兵士だ。それ以上を詮索すべきではない」

 

「ヤブヘビ、っすか」

 

「そういう事だ。仕事に戻れ、アイザワ少尉。わたしは書類の後片付けに奔走中だ。テレビを観たければ自室で観ていろ」

 

「いやだなぁ、少佐。おれ、少佐についていくって決めたんですから。仕事くらいは任せてくださいよ!」

 

 自信満々に言ってのけるタカフミにリックベイは嘆息をついた。書類を手に取り、タカフミに突きつける。

 

「これはわたしの仕事だ。それを肩代わりする事など出来ないし、何よりも君はわたしの部下だ。命令には従ってもらう」

 

「部下だなんて、そんな冷たい事は言わないでくださいよ。おれ、先読みのサカグチを一歩超えたクチなんで」

 

 この男は自分の先読みを少しだけ超えた事に矜持でも持っているのだろうか。自分の先読み勘など所詮は場数を踏んだ結果の代物だ。誰にだって習得出来るのだと自分自身は思っている。

 

 伝説とおだてられるのは勝手だが、その伝説に負ぶさって自分の実力だと驕るのは困り果てたものだ。

 

「わたしを超えたというのならば言い触らせばいい。ただし、ここでの上下関係はしっかりさせてもらう。君はわたしの部下だ。それ以上でも以下でもない。命令だ、アイザワ少尉。自室に戻れ」

 

 その言葉でようやく折れたタカフミが、はぁい、と退屈そうな返事をして部屋から出て行こうとする。

 

 ようやく静かになるか、と思った瞬間、タカフミが振り返って言いやった。

 

「でも少佐。何をするって言うんです? 前線基地は駄目になりましたし、おれも少佐も、しばらくは出られないでしょ。書類仕事なんて退屈な事やらされるより、実戦練習でもしませんか? 先読みのサカグチとの戦いなら、おれ、いつでもオッケーなんで!」

 

 どこからその正体不明の自信が来るのかは分からないが、リックベイはあまりの聞き分けのなさに目頭を揉んだ。

 

「……命令だと言えば、二言もなく応じるのが軍人ではないのか?」

 

「古いっすよ、少佐。二言もなく応じていれば、何も考えていないのも同じじゃないですか。おれ、そんなつまんない奴になるつもりはないんで」

 

 つまらなくとも命令には応じろ、と言いかけて、リックベイは一度冷静になる必要があると感じた。

 

 ここでこの若者に踊らされるのも時間の無駄だ。

 

「ならば命令する。シミュレーターでモリビト戦を想定し、二百戦二百勝を上げてみせろ。それが出来ないうちは帰ってくるな」

 

 この命令はさしものタカフミでも効いただろう。暗にもうここには来るなと言ったようなものだ。

 

 しかし、タカフミは待っていましたとばかりに指を鳴らした。

 

「了解しました! 二百戦二百勝ですね? よっしゃ! 腕が鳴るぜ!」

 

 この青年は分かっているのだろうか。二百戦など数年単位でかかる。自分が他人に邪魔をされたくないから命令した無茶苦茶な指令を、彼は聞き届けた。

 

「言っておくが、モリビトレベルに二百勝だぞ? 出来ると思っているのか?」

 

 自分でさえも痛み分けした相手だ。不可能に近いだろう、と考えたリックベイにタカフミは宣言した。

 

「おれ、不可能とか、絶対無理とか言われると俄然、燃えてくる性質なんで! では行って来ます! 少佐!」

 

 上機嫌で部屋を出て行ったタカフミを呼び止める前に、その背中は遠くなっていった。彼は人機の整備デッキへと向かったのだろう。整備班にどやされるかもな、とリックベイは思案したがそれは彼次第だと考えを打ち止めにした。

 

 今は、と書類に視線を走らせる。

 

「モリビトタイプ。その経歴を調べさせてもらったが、どこまで行っても……制限がかかる。おかしいのは、この惑星で製造されたはずの人機の一つであるはずなのに、情報源がこの星にない事だ」

 

 人機製造が宇宙空間では不可能なのは先人達が証明している。人機一機を造るのに必要な血塊炉が宇宙空間において採掘出来ないのだ。

 

 そう断言したレポートをいくつも読んできたが、リックベイが着目したのは一つのレポートであった。

 

「……惑星外における人機開発の可能性について、か。打ってつけのタイトルだが、著者は……」

 

 連名が使用されている。その著者名に、リックベイは胡乱そうに眉根を寄せた。

 

「エホバ、だと。神を騙るというのか。研究者が」

 

 傲岸不遜の研究者を検索システムにかけるも、制限がかかっており、これ以上は軍のコンピュータでは調べられない。

 

「このような著者など存在しない、か。あるいは、この著者こそが、モリビトとブルブラッドキャリアの謎を解く鍵、か」

 

 リックベイは書類を睨みつけ、ブルブラッド採掘問題を如何にしてクリアしているのかを抜粋した。

 

「人工衛星……地上で採掘した血塊炉を宇宙に上げる計画。そのような事、大国でもない限り不可能なのでは……」

 

 しかし、宇宙空間のほうがよりよい環境下で作業が出来る事、重力や国家間の縛りに左右されず自由な発想で人機を製造出来るなどメリットも強い。

 

 だが、絶対に通らなければならないデメリットは、血塊炉を打ち上げる、という大仰な前提条件。

 

「国家を介さずにブルブラッド反応炉をどうにか出来る国などたかが知れている。その資源の豊富さが武器のブルーガーデンか、あるいはC連合傘下の何者か……どちらにせよ、現実的なプランではない」

 

 だがそれが実行されればモリビト製造は何も夢物語ではない。自分達の知らぬ間に宇宙で建造された人機こそがモリビト――。

 

 その可能性にリックベイは暫時、腕を組んで思案していたが、可能性の話では無視出来ないとして、資料の大元へと連絡を試みた。

 

 資料集めを一任した将校がいたはずだ。その人物に当たればこの事実確認は取れるだろう。

 

 備え付きの通話回線を開き、リックベイは通話先に相手が出るのを待った。

 

『もしもし?』

 

「C連合のリックベイ・サカグチだ。君が、このモリビトに関連する資料を集めてくれた人間だね?」

 

『はい、その通りですが』

 

「興味深い記述があった。一度、会ってみたいのだがアポは取れるか?」

 

『こちらの都合でよろしければ』

 

「任せる。君の名前は……」

 

 一拍だけ呼吸を置いて、相手は応じた。

 

『渡良瀬です』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯24 調停

 ――青い花が咲く場所には幸運がある。

 

 誰かがそう言っていた。その誰かは花を見た事がないのだという。

 

 彼女は何度も何度も、青い花というのはどのようなものなのか尋ねていた。靄がかかったように思い出せない誰かは微笑みつつ、花というのは素晴らしいのだと口にする。

 

「だって、この世界のどこにでも、花咲く季節は訪れる。その季節が平等に降り注ぐ時、人は幸福になれるの」

 

 幸福とは何なのか、彼女には今一つ理解出来ない。自分が生まれ落ちてから幸福というものを教え込まれた事はなく、何が善で何が悪なのかだけであった。

 

「そうね……あなたの場合は、《シルヴァリンク》がいるから」

 

 振り仰いだ誰かの視線の先に、まだ建造途中であった《シルヴァリンク》が映る。上半身のみが製造されており、下半身と封印武装は未だに接続されていなかった。

 

 剥き出しになった血のように鮮やかな青い塊――血塊炉に電線が無数に巻きついている。

 

「《シルヴァリンク》が教えてくれるわ。あなたに、青い花の在り処を。その時になれば」

 

 じゃあ、その時、あなたはどこにいるの?

 

 幼い彼女の問いかけに、誰かは困惑したように小首を傾げた。

 

「さぁね。でも、あなたは生きていける。この世界で、生きていけるようになっているの。だから、忘れないで。あなたは決して――」

 

 そこから先の言葉は白い闇の向こう側へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アラームのけたたましい音に叩き起こされ、鉄菜は瞼を上げる。

 

 まさかセットしていた時間まで眠りこけるとは思わなかった。慌てて制御系に目を走らせる。

 

《シルヴァリンク》の駆動系は平常通りであり、どこにも異常はない。

 

 だが、今の夢は、と鉄菜は夢の端を掴もうとして、滑り落ちていくのを自覚した。

 

 どこかで見たような誰かが微笑みかけてくれていた。柔らかな安息の時はかつての記憶なのか、あるいは夢の巻き起こした一瞬の幻想か。

 

『鉄菜、《インペルベイン》はもう出たマジよ』

 

 ジロウの報告に鉄菜は目を見開いた。

 

「出た? どうして、第二フェイズの作戦実行中じゃ……」

 

『それが《インペルベイン》じゃないと出来ない事とやらをやる、という事で先に出撃したマジ。まったく、統率が取れていないマジねぇ』

 

 呆れ返っている場合ではない。《インペルベイン》の独断専行を許したとなれば自分の落ち度になる。

 

「すぐに追撃する。位置情報を」

 

『追撃、って……そんな遠くじゃないマジよ? それにどちらにせよ、《インペルベイン》が先行しないと作戦にはならないマジ』

 

「いいから早くしろ。今は、一号機に先んじさせるわけにはいかない」

 

『……どうしたマジ? 鉄菜。別に彩芽とルイが裏切るわけじゃないと思うマジよ』

 

 それはその通りだろう。あの二人が裏切るとは思えない。だが、自分も腹に一物抱えた身、裏側で何が起こっていても不思議ではない。

 

「追わせろ。作戦実効に支障が出ればそれこそ」

 

『分かった、分かったマジよ。位置情報を送信するマジ』

 

 地図上にポインタされた位置は確かにさほど遠くはない。だが、《シルヴァリンク》に鉄菜は追わせる事を選択させる。

 

「《モリビトシルヴァリンク》、《インペルベイン》を追うぞ」

 

《シルヴァリンク》の緑色の眼窩が輝き、その機体が駆動する。推進剤を焚いてバード形態に移行し、《インペルベイン》の位置を追いすがろうとする。

 

 ――どうしてこうも落ち着かないのだろう。

 

 平時ならば相手には相手の都合があるのだ、と割り切るのだが、今はどうしても一人になれなかった。

 

 先ほど見た夢の続きのように、誰一人として自分の理解者がいなくなってしまう不安が胸を占めている気がしていた。

 

「青い花……見たけれどあれは、幸福なんかとは縁遠かった」

 

 呟いた言葉にジロウが怪訝そうにする。

 

『どうしたマジ?』

 

「いや、何でもない」

 

 頭を振ってジロウの追及を退ける。青い花の記憶は自分の心の奥深くに刻み込まれている。誰かに教え込まれたのは分かっているが、その誰かが決定的に欠けていた。

 

 ――誰だ? 誰に、自分は教わった? 誰に、この世界には救いがあるのだと、聞かされて来たのだ?

 

 決定的な事実を欠いたまま、脳内で先ほどの夢をすくい取ろうとする自分と、捨て去って現実に生きようとする自分がいる。

 

 その狭間でもがき苦しみ、一号機を追う事で少しでも紛らわせようとしている。

 

 ――もし、《インペルベイン》が裏切っていれば。

 

「その時は、私が撃つ」

 

 告げた鉄菜の双眸に迷いはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桃の駆る《ノエルカルテット》の広域関知網を震わせたのは、照準警報であった。

 

 だが、《ノエルカルテット》は超高空を飛翔している。撃ち落とせる火器などこの世に存在するまいと警告を無視しようとした瞬間、反応した特殊OS「バベル」がロプロスの権限にアクセスし、敵に向けてロプロスの有する砲門を照準させた。

 

「グランマ? 《ノエルカルテット》を落とせる敵なんて」

 

『いや、これはモリビトの反応だ』

 

 その声音に震撼する前にR兵装のピンク色の光軸が地上の敵へと照射された。

 

 対応する火線が開き、《ノエルカルテット》が空中機動する。

 

「何者なの?」

 

『恐らくは一号機……。しかし、このタイミングで何故?』

 

「分からないけれど、仕掛けてきたのは事実でしょ? 《ノエルカルテット》! 迎撃行動に移る!」

 

 視界の下に武器腕を有するモリビトの姿が映し出された。《シルヴァリンク》ではない。間違いなく、C連合を襲った一号機そのものであった。

 

「……面白いじゃない。探す手間が、省けたわっ!」

 

《ノエルカルテット》の高出力火器が一号機へと照準する。外しようがないR兵装のビームを一号機は姿勢を沈め、機体を軋ませた。

 

 途端、一号機の軌跡に黄金の輝きが宿る。刹那、一号機の姿が掻き消えていた。光条は何もない空を引き裂いただけである。

 

「何が……今のは!」

 

『該当データ参照。高速移動戦術、失われた技術の一つではあるが、条件さえ揃えば現行の人機でも可能な超高速加速術でもある。あれが――ファントムだ』

 

「ファントム? あれが? 腕利きの操主でしか可能じゃないって言われている伝説の動き?」

 

 それが今、目の前で展開された事実が認識の範疇外であった。こちらを翻弄するかのように一号機は照準から逃れ続ける。

 

 代わりに相手の火線が咲くも、《ノエルカルテット》の弾道予測で実弾の発射範囲などすぐさま特定出来た。

 

 回避し様に《ノエルカルテット》は相手の行動を予測する。

 

「どう見る? グランマ。相手はファントムを会得している。つまり、それなりの操主と言う事になるわ。悔しいけれど、モモやクロじゃ太刀打ち出来るかどうか怪しい。でも、疑問もある。どうして、相手はこちらの位置が分かったのか」

 

『《シルヴァリンク》の操主が伝えた……にしては、迂闊が過ぎる。こちらとの協定関係を結んだばかりだ。それを反故にするほど非合理的な操主でもない』

 

「となると……相手は地力でこっちの動きを掴んだ事になるんだけれど、認めたくないわよね。《ノエルカルテット》の動きを一号機風情に掴まされるなんて!」

 

 応戦の重火器がこちらを捉える。肩口より突き出たガトリング砲と両腕の武器腕、さらに腹部に装備された予備の火器までもが全て、《ノエルカルテット》を狙いに据えた。

 

『アルベリッヒレイン!』

 

 通信網を震わせたのは女性の声だ。放たれた声と共に洗礼のような弾薬の雨が《ノエルカルテット》へと直進する。

 

 あまりの速度と重圧に《ノエルカルテット》が武装の一部を防御形態に移行させた。

 

「リバウンドフォールを展開! 相手の武装を徹さないで!」

 

『相手の火力予測……これは、あまりに高威力だ。なおかつ、これは攻撃の布石に過ぎない。相手の真の目的は……!』

 

 グランマの弾き出した攻撃予測に桃は目を戦慄かせる。相手の目的は弾幕による《ノエルカルテット》の無効化ではない。

 

 リバウンドフォールで全ての実体弾を跳ね返すも、その先で展開されたのは武器腕が裏返った溶断クローであった。灼熱の鉤爪が《ノエルカルテット》に迫る。

 

「プレッシャーカノンを!」

 

 ロプロスの有する高精度のR兵装が一号機に浴びせかけられるも、溶断クローはその一撃さえも弾き返した。

 

 桃はその現実に《ノエルカルテット》を下がらせる。しかし追いすがる一号機の熱量は相当なものだ。推進剤を焚き、一号機の爪が《ノエルカルテット》にかかろうとしたところで、こちらの全武装が一号機のコックピットを狙い澄ます。

 

 ここまで、だというのはお互いに分かったようだ。

 

 溶断クローが眼前で止まる。こちらの火器も相手への命中寸前で止まった。

 

 お互いに空中で睨み合いが続く。十秒ほど相手を見据えていただろうか。通信チャンネルが開き、桃は全天候周モニターの一角を突く。

 

「よくやるわ。ここまで《ノエルカルテット》を追い詰めるなんて。その狡猾さも含めて、見習いたいくらいよ」

 

『それはお互い様、という事じゃない?』

 

 通信の先にいたのは茶髪の女性であった。あれが、一号機の操主、と桃は睨む。

 

「クロを利用したのね?」

 

『利用だなんて人聞きの悪い。あの子が眠っている間に、ちょっとばかしうちのシステムが粗相をしたのよ』

 

 浮かび上がったのは少女型のアバターであった。なるほど、と桃は唇を舐める。いずれは合見える予定だったのが早まっただけのようだ。

 

「一号機、でいいのよね?」

 

『そちらも三号機、なのよね? モリビト三号機。《ノエルカルテット》、だったかしら?』

 

「随分とお喋りなシステムだこと」

 

『言っておくけれど、本当に鉄菜は何も言っていないわ。あの子は誓いを守り通した。ただ、あまりにも不自然が過ぎたから、ちょっとだけわたくしのルイで干渉を試みたのよ。そしたら、出てきたわけ。貴女のデータが』

 

 ちょっとした干渉でぼろを出すはずがない。このシステムは《シルヴァリンク》の深層に潜ったのだ。

 

「探り合いが趣味だなんて、ちょっとばかし無節操が過ぎるんじゃない?」

 

『それもお互い様。鉄菜には貴女が言い聞かせたんでしょう? 自分と組まないか、って』

 

 それも織り込み済みか。桃は《ノエルカルテット》を制御しているグランマに尋ねる。

 

「クロは、来ないと思う?」

 

『恐らく、気づいたらすぐに現れると思われる。交渉ならば早めのほうがいい』

 

「交渉、か。モモを相手に交渉だなんて、随分と出来た代物じゃない」

 

 だが、一号機がこれほどまでの能力だとは思いもしない。伝説の加速術――ファントムに全火力を放出しその熱量で相手へと即時の接近を可能とするなど。

 

《シルヴァリンク》を操っていた鉄菜がまだ生易しいと思えるほどの能力だ。もっとも、相手がその本懐を発揮しているとも思えないが。

 

『まぁ、優しい言い方をするのね。交渉、だなんて』

 

 この状況下ではどちらかが言い出さない限りは殺し合いの様相を呈してもおかしくはない。

 

 モリビトの能力は互いに秘中の秘。それでも、ここまで出し切ったとなれば相手の戦い振りに敬意を表するのも操主としては当然の感情だ。

 

「三号機のコードは《ノエルカルテット》。複合合体人機。それ以上は言えない」

 

『いいわよ、こっちも言わないし。一号機のコードは《インペルベイン》。中距離を得意とする武装人機。それ以上は言えない』

 

 わざとその言い草を真似しているのだろう。桃は舌打ち混じりに言い放った。

 

「手ぬるいかと思っていたわ。クロを矢面に立たせて、自分は傍観決め込むような人間だって」

 

『そちらこそ、《シルヴァリンク》には勝てる自信があったのかもしれないけれど、わたくしにはなかったようね』

 

 ここで舌鋒鋭く言い合いをしていても仕方あるまい。どちらかが大人にならなければ。

 

「……話し合いを進めさせてもらうわ。ここに単身で来たって事は、クロを、《シルヴァリンク》の操主を裏切るの?」

 

 その言葉に《インペルベイン》が溶断クローを引っ込めた。

 

『裏切るなんてとんでもない。鉄菜はとても真っ直ぐないい子よ? それを切ったりするもんですか。むしろ、ここで聞きたいのは貴女が、この期に及んで第三フェイズへの移行を渋っている理由ね』

 

 やはりその帰結か。桃は自分の考えをある程度は話さなければここではまともな話し合いすら生まれないのだと感じ取る。

 

「……《ノエルカルテット》は一号機や二号機とは根本が違うのよ。はっきり言って、一番強いモリビト」

 

『随分と強気に出たわね』

 

「強気とかじゃなく、これは歴然とした事実なんだけれどよしとしましょう。その一番強いモリビトに単騎で挑んできたんですから。で、あんたに言いたい事があるとすれば、《ノエルカルテット》の存在は伏せていたほうが都合いいのよ。無論、クロやあんたに関して言ってもね」

 

『どういう事なのか、説明願えるかしら?』

 

「あまり時間はかけられないんでしょ? クロがすぐに追ってくる」

 

『その時、わたくしと貴女が銃を突きつけ合っているのでは都合が悪い。最悪な想定は……』

 

「《シルヴァリンク》が敵になる事。分かっているわよ。モリビト同士の戦闘なんて旨みもないし、まだ第三フェイズ手前よ? そんな時に仲間割れしている場合でもないって事は」

 

『物分りはいいみたいね』

 

「そう思ってくれているのなら、どちらかが銃を下げるべきね」

 

 自分から下げる気はないが、と言外に付け加えた桃に《インペルベイン》と操主は素直に引いた。溶断クローが射程から外れる。

 

「よし……。じゃあ言うべき事を簡潔に。モモは、クロと協力し、第三フェイズへの移行を効率よく進めようとした。でも、あんたの介入で台無し。このままじゃクロに斬られそうになるのはお互い様」

 

『この状況じゃ、鉄菜も敵を見失うでしょうね』

 

 肩を竦めた操主に桃は睨みつける。

 

「あんたが言いたいのは、モモを……三号機を味方につける、という口実。《シルヴァリンク》とクロだけじゃ不安なんでしょ」

 

『その通りね。鉄菜は義理堅いけれど危なっかしい。あの子一人に任せたんじゃ計画は破綻する』

 

「それには同意だけれど、こんな危うい綱渡りをする必要があったの? まかり間違えればあんたも《インペルベイン》も撃墜されていた」

 

『わたくしに、その可能性はあり得ない』

 

 鉄菜もそうだが、モリビトの操主はどこか自分本位に出来ているらしい。自分が負けるなどまず考えないのだ。

 

「……分かった。約束しましょう。モモはクロの約束をあくまで違えない。その方向性でいいのよね?」

 

 理解の早い相手は与し易いのだろう。相手操主は首肯した。

 

『鉄菜ならこの結論に至るまで一悶着ありそうだけれど貴女は潔いのね』

 

「だって三号機が共通の敵になるなんて笑えないわ。どれほど強力な性能を有していてもいがみあっているのだったらそれは発揮されない。そうでしょ?」

 

『それは分かるわ。わたくしと貴女はでは、共闘関係とうまくいけるのかしら?』

 

「共闘、というよりも一時休戦ってところね。クロがいなかったら撃っている」

 

 本音のつもりであった。しかし相手はそれを本気とは受け取らなかったようだ。笑いながらうんうんと頷く。

 

『そうね。鉄菜がいなかったら確かに手加減してないわね』

 

 どうやら腹の探り合いをしているのは両者変わりない様子だ。その時、《ノエルカルテット》の策敵レーザーが遥か海上を行く《シルヴァリンク》を関知した。

 

「クロが来る。モモは、これまで通り、表舞台には出ないようにしておくわ。そっちのほうがいいでしょ。あんたのやり方的にも」

 

『そうね。わたくしはじゃあ、今まで通り、鉄菜とツーマンセルで』

 

 表面上のチームプレイが結ばれたわけだ。桃は失笑する。このような形でモリビト三機の共闘が約束されるなど。

 

 皮肉にも程があったのはその気が全くない鉄菜が一番の足がかりになっている事だ。彼女がいなければぶつかり合っているであろう二機は、徐々に距離を離していった。

 

「クロに感謝するのね。あんた、モリビトを失わずに済んだ」

 

『それは感謝してもし切れないかもね』

 

 冗談交じりの声音に桃は《ノエルカルテット》を飛翔させる。限界高度まで行けば《シルヴァリンク》に関知される事はないだろう。

 

『桃、あのモリビトの娘、相当に狡猾だよ。気を引き締めておきな』

 

 グランマの忠言が痛み入る。自分を慮ってくれるのはいつもグランマと《ノエルカルテット》だけだ。

 

「分かっている。それにしたって、中距離決戦型だと思っていたあの機体の乗り手、結構厄介ね。ファントムを会得していたなんて」

 

 記録上、惑星内でファントムが披露されたのは実に百五十年ぶりだ。禁断の人機でようやく発揮可能な人機操縦の極みである。

 

『ファントムもそうだが、あの娘は鉄菜・ノヴァリスを利用する術を心得ている。それが厄介な種だよ』

 

 鉄菜は一歩でも間違えれば容易に敵になる。勝てるか勝てないかでいえば勝敗は明らかであったが、恐らく大きな痛み分けとなるだろう。

 

 出来うる事ならば戦いには持ち込みたくない。

 

「クロはそこまで馬鹿じゃないよ。ただ、あの相手操主。どこまで本気なんだか読めない」

 

 結局名前すら明らかではないのだ。名乗った分だけ不利に転がっていると見て間違いない。

 

『二号機の弱点は常に探っておこう。ロプロスならばそれが出来る』

 

 オプションパーツとして接続出来る自分のモリビトの強みは相手の人機を掌握可能である事。

 

 援護の形で相手の人機の中身を知り尽くす事が可能だ。この先、援護を求められる事があるはず。その時こそ、牙を剥く好機である。

 

「悔しいけれど、第二フェイズの優位点は、あの操主に譲るわ。三号機だけの一強は崩れた、と言ってもいいでしょうね。にしても、クロのぼやかし損ねただけの位置情報だけで、よく《ノエルカルテット》を特定出来たものだわ。何か他にも仕掛けているのかな?」

 

 そう思わなければ対空性能で勝る《ノエルカルテット》が感知された理由にならない。

 

 グランマがシステムを走らせ、様々な要因を掲げようとする。

 

『あらゆる可能性が鑑みられるが、一番に頭に置くべきは』

 

「分かっている。クロの失策でしょ? クロを味方に引き入れた事、グランマはやっぱり反対姿勢のままなんだ?」

 

 グランマは短く唸り、答えを保留にする。

 

『操主は桃だよ。だから、桃の意思決定は尊重する』

 

 しかし決定権を持つのはあくまでグランマだ。自分はグランマの下し損ねる最悪の想定を決定し得るファクターでしかあり得ない。

 

「大丈夫よ、グランマ。クロが悪い人間なら、どうして二機で来ないの? そっちのほうが確実じゃない。モリビト同士、潰し合いは今のところない、と思っていいはずよ」

 

 今のところは、であるが。含めた物言いの桃に、グランマはそれ以上言葉を追及しなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯25 不愉快

《インペルベイン》を見つけた瞬間、鉄菜は《シルヴァリンク》に大剣を握らせていた。

 

 後ろから斬りつける事も辞さない、という意志を見せ付けるため、武装したまま感知範囲に入る。

 

『悪かった、と思っているわ』

 

「彩芽・サギサカ。何をしていた?」

 

『周辺警戒よ。これから作戦に入るのだから当たり前でしょう?』

 

「これから第二フェイズの大詰めに入るのに、直前で及び腰になったのかと思った」

 

 こちらの譲らない舌鋒鋭さに、彩芽はフッと笑みを浮かべる。

 

『なに、冗談通じないの?』

 

「今次作戦を大事にするというのならば、散開はあり得ない。それは味方を売る、という行為と見なされても仕方ない」

 

『売られた、とでも?』

 

「あるいはこう考えるか。ようやく、その気になったか?」

 

 突きつけたRソードの切っ先に《インペルベイン》は構えを解いた。照準補正の警告もない。武装を全てロックし、振り返った形の《インペルベイン》は完全に隙だらけであった。

 

 頭部コックピットより彩芽が出てくる。武装していないのを望遠カメラで確認した。

 

「これでも、信用出来ない?」

 

 Rソードでいつでも攻撃出来る。この状態での非武装は完全に反撃の気はないという証であった。

 

《シルヴァリンク》がRソードの発振を中断し、柄を盾の裏に隠す。

 

「……釈明くらいはあるのだろうな」

 

「一応は」

 

 肩を竦めた彩芽に鉄菜は集音器のボリュームを上げた。

 

「聞いてやる。言え」

 

「どこまでも高圧的ね。でも、今回ばかりは非があるのはわたくし。だから言わせてもらうけれど、《インペルベイン》は今までの哨戒任務に出ていた。その時期がたまたま、貴女の休んでいる時間と重なっただけよ?」

 

「信用ならない。私の……AIサポーターは勝手に出て行ったと証言している」

 

「やっぱりそっちにもAIサポーターはいるんだ?」

 

 結果的にこちらの手を明かした事になるが、それでも鉄菜は知らなければならなかった。《インペルベイン》と彩芽の真意を。

 

「……簡潔に事の次第を話せ。さもなくば……」

 

「待って。貴女そこまで血の気の多い人間だった? ちょっとばかし、気を張り詰めすぎじゃない?」

 

「元からだ。お前に何が分かる?」

 

「出会ってからの鉄菜の事なら、わたくしだって知っているわ。……最近の任務で、失敗でもした?」

 

 鉄菜からしてみれば痛いところを突かれた結果になる。封印武装の開放は本来、細心の注意を払わなければならない。それを日に二度も使ったのは自分の操主技術が伴っていないと言ったようなものだ。

 

「……答えられない」

 

「言えないってのは、やましいことがあるって事よね? そういうの、どっちが糾弾されるべきなのかしら?」

 

 ぐうの音も出ない。鉄菜は自分の事を棚に上げる気もない。封印武装の真相は口に出来なくとも操主として、モリビトを操る身として当然の責務くらいはあるのだ。

 

「……分かった。私の事に言及しない代わりに、今回だけは免除する」

 

「理解が早くって助かるわ。でも、これだけは言っておく。ブルブラッドキャリア……組織のために最善を行っているのは事実よ。それは翻れば鉄菜、貴女にとっての最善でもあるんじゃないの?」

 

 ブルブラッドキャリアにとっての事ならば自分にとっても利益のある事。そこまで大局的に物事を見られなかったが、そう考えれば自然と腑に落ちた。

 

 彩芽と《インペルベイン》はあくまでも、組織のためを思って行動している。

 

 今は、その前提条件さえ崩れなければいい。

 

「分かった。信用はしない。だが、その言葉に嘘はないと見える」

 

「貴女らしいわね。……さて、鉄菜。時間になったわよ」

 

 第二フェイズの作戦実効時間だ。《インペルベイン》に戻った彩芽の通信が割り込む。

 

『次の標的のところまで一緒にドライブと行きましょう』

 

「勘違いをするな。私は自分の標的を叩き伏せるまで。お前の事などは考えない」

 

『それでいいんじゃない? 今まで通りの鉄菜で』

 

 考え過ぎだろうか。どこか、彩芽の言葉に裏があるような気がしてならない。しかし裏付ける事実もなし。

 

 追及したところで内部分裂など一番にあってはならぬ事である。

 

『鉄菜。やっぱり彩芽の言う通りにしておくべきマジね……。喧嘩したって始まらないマジ』

 

「うるさい。お前が元はと言えば言い出したんだろう」

 

『それは謝るマジけれど、一号機と彩芽に危ない動きがあれば報告しないわけにもいかないマジ』

 

 その通りだ。報告を怠っていれば自分はもっと厳罰を処するだろう。

 

「《インペルベイン》も彩芽・サギサカも、シロというわけではない。どちらかと言えば黒に近いグレーだ」

 

『それでも、サポートを信じないわけにはいかないマジ』

 

 今頼れるのは《インペルベイン》のみ。ここで対立したところで勝負にはならないだろう。

 

「彩芽・サギサカ。一応は言っておく」

 

『うん? 何? もしかして、お姉様って呼んでくれる気になった?』

 

「……いや。悪かった。疑って」

 

 その言葉に通信チャンネルが開く。わざわざこちらの顔色を窺いに回線を開いた彩芽はまじまじと鉄菜の顔を観察する。

 

「……何だ」

 

『いや、今の言葉、鉄菜の口から出たのかなぁ、って』

 

「私だって間違いはする」

 

『でも、あまりに殊勝だったから。もう一回言ってみて?』

 

「言わない。謝罪は一度でいい」

 

『えーっ! もう一回、もう一回だけでいいから!』

 

「くどいぞ。私は一度でいい事を二度も三度も言わない」

 

『惜しいなぁ。可愛かったのに。録音でもすればよかった』

 

 彩芽の後悔に鉄菜は通信回線を無理やり閉じようとする。

 

「下らん用事なら切るぞ」

 

『これから戦闘でしょう。切ってどうするのよ』

 

「知らん。どうしてだか、不愉快だ」

 

 自分でも分からぬ感情であった。頬をむくれさせる鉄菜に彩芽は猫なで声を発する。

 

『あーっ、悪かったって。ね? 鉄菜。機嫌直して?』

 

「黙っていろ。《モリビトシルヴァリンク》、出る」

 

 海上を疾走する二機のモリビトの間では、下らない痴話喧嘩のような通信が交わされているなど、天も地も知る由もないかのようであった。

 

 紺碧の空と大地は、静寂を保ったまま、世界を見下ろし続けていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯26 叛逆の徒

『随分と痩せたな』

 

 第一声に、いえ、と声を振り絞った。

 

「元からです。プラス三キロになりました」

 

 システマチックに報告する瑞葉に対し、そうか、と通信回線越しの上官が目線を伏せた。

 

 ――あの時、消したつもりの命。どうして目の前にいる、という疑念が露になっている。

 

『事、ここに至るまでの経緯を話してもらえると、こちらは助かる』

 

「はい。わたしは海上で謎の敵性人機と交戦。その結果、《ブルーロンド》試作機は大破、《ブルーロンド》小隊は全滅しました」

 

 全滅。その言葉が自分の胸にのしかかってくる。無数の命の声が己の中から身体を食い破ってきそうなほどだ。

 

『そこまではモニターしていた。そこから一週間の経緯を知りたい』

 

「はっ。一週間、わたしは無人島で大破した《ブルーロンド》と共に生き延びました。辛うじて生命維持に必要な物資とエネルギーは揃っていたので、《ブルーロンド》の上で餓死する事はありませんでした。その後、救難信号を察知したC連合の船舶で保護。今に至ります」

 

『そう、か。大変であったな』

 

 本当は何故生きている、となじりたいのがありありと伝わる。C連合などに保護されて恥を知れ、だろうか。どちらにせよ、今は上官を前にして、瑞葉の下す結論は一つであった。

 

「上官殿。わたしに、提言があります」

 

『何だね? 生き残ったんだ、ある程度の便宜は――』

 

「あなたを告発します」

 

 あまりに突拍子もない事柄に思えたのだろう。上官の頬が引きつった。

 

『何だって?』

 

「聞こえなかったのならばもう一度。上官殿、あの場における判断の未熟さを我々に棚上げし、あまつさえ危険対象となっている不明人機と交戦させた事、不手際と判定し、あなたを軍事裁判にかける、と言っているのです」

 

 上官が拳を握り締め、僅かに耐えているのが分かった。無理もない。戦闘機械だと思っていた相手から告発などという言葉が出れば誰しも穏やかではないだろう。

 

『こちらを軍法会議にかけるだと? 馬鹿な、そのような事、まかり通るわけがない。こちらは責任者だ。君達強化兵を管理する側だ。その管理者を自ら切る、というのかね』

 

 やはりしらを切るつもりか。瑞葉は僅かな逡巡の後、口にしていた。

 

「恐れながら、あなたはわたし達強化兵の名前をご存知でしたか? 散っていった仲間達の、番号ではない名前を、知っていましたか?」

 

 それだけ聞き出したかった。だが、返ってきたのは予想通りの返答である。

 

『番号ではない名前? 何を言っている。強化兵34号、取り消せ。その発言は上官への侮辱に抵触する』

 

 そうか、と自分の中の何かが崩れた。この男には自分達はただの強化兵。人間を改造した忌むべき存在にしか映っていない。そのような存在をどう使おうと自分の腹次第。結局は使い捨ての駒に等しいのだと。

 

「残念です、上官殿」

 

『待て、強化兵34号。君は何を勘違いしている? 生き残ったんだ。何も恥ずべき事じゃない。何が不満か? 身分か? それとも兵として与えられる戦場か? 新型が欲しいのならばあてがうくらいの事は――』

 

「上官殿。あなたがそのような言葉でわたし達を愚弄している間に、わたし達は全滅したのです。分かりますか? 死んだんですよ、わたしの仲間達は」

 

 諭すような口調に飽き飽きしたのだろう。上官が拳を固めて机を叩いた。

 

『いい加減にしろ! 殺戮人形風情が何を……。感情でさえも、精神点滴でどうにかなる肉人形共が……! 取り消せ! 人間への侮蔑だ!』

 

「わたし達も、人間です」

 

『貴様らが人間だと……笑わせる! 貴様らは人間などでない。使い捨てのゴミ、いいや、屑だ! そこいらに転がっている塵芥と同じだ! それを有効活用してやろうと言っているのに、人間様の温情が分からんか!』

 

 この男の声を聞き続けるのも最早、意味がないだろう。ここまで本国高官と兵士との違いを見せ付けられれば、もう迷うまい。

 

「上官殿。わたしを保護してくださったC連合の下士官の方々は、あなたよりも随分と、人間らしかったですよ」

 

『C連合に脳髄まで犯されたか! 貴様のような女のカタチしているだけの存在など、どれだけでも替えがある! いいか? 最善を模索されて造られた器でありながら、最善を逸脱するなど、あり得ない!』

 

「それが最善ではなかっただけの事です。シンプルな答えがあるだけ」

 

 上官を通信回線越しに捕らえたのは自分の報告が通ったSP達だ。彼らが両脇を固め、上官を机から引き剥がす。

 

『待て、どういう事だ! 強化兵の管理者は自分に一任されて……』

 

『もう、あなたには用済み、という事です』

 

 SPの非情なる宣告に上官は首を項垂れさせた。上官よりもさらに上の人間が判断したのだとようやく理解したらしい。

 

 しかし、瑞葉を睨み上げるその眼差しは忌々しいものが宿っていた。

 

『強化兵34号! 呪われろ! 貴様のような殺す事しか知らぬ殺人兵器に、人間らしい明日などないのだからな!』

 

「残念なのはお互い様です。上官。あなたは最善をわたし達に与えてくれているのだと、信じていたのに」

 

 畢竟、己の価値観は殺戮機械のそれであった。

 

 運び出される上官の背中を通信回線越しに見やりつつ、その回線が切り替わったのを認識した。

 

『……これで満足かね?』

 

 髭面の上官は自分の新しい飼い主だ。今日からは彼が「教官」である。

 

「ええ、モリサワ教官。わたしのような下士官の言い分を聞いてくださって感謝します」

 

 モリサワはいいや、と頭を振る。

 

『今まで随分と使い潰されてきた部門だ。強化人間の部門は新設され、君の仲間の尊い犠牲も無駄にはならないだろう。本日付けで、強化兵サンプル34号を改め、瑞葉兵長と呼称させてもらう。それで異存はないか』

 

「ありません。わたしは、今も昔も、本国のために」

 

 ――嘘だ。

 

 初めてついた嘘はほろ苦く、口中に混じる。これが感情の味。これが人間らしさの感覚。今まで脊髄に直接投与されてきた精神点滴の後遺症はあるものの、瑞葉は今まで選び取ってきた最善ではない道を模索しつつあった。

 

 今までの「最適」は与えられてきたものであった。だが、これからは違う。

 

 自分の手で「最適」を選び、それを享受する。

 

 ようやく芽生えた意識の片鱗を、瑞葉はまだ呼ぶ名前を知らない。だが、この感情の名前が知れる頃には、きっと、通信越しのこの男でさえも用済みであろう。

 

 自分の目指すのは、この国を動かすトップ。

 

 ――元首の命をこの手に。

 

 枯葉や死んでいった仲間達に報いるのにはこれしかない。死者を弔うのに適した言葉を知らない自分は、一つの国を転覆させる事でしか、彼女らの魂を幸福に天国へと押し上げる方法を知らないのだ。

 

『君達、人造兵士部門――正式名称、人造血続部門を解体し、瑞葉兵長、君を新たな計画の先導者に加え、これからはより、我が国が勝利出来る戦術を編み出そう。それが君達、散っていった仲間達に報いる事の出来る唯一の手向けだ』

 

 はっ、と踵を揃え挙手敬礼する。

 

 だが、本心では反逆の牙を剥いていた。

 

 これまでのように使い潰されて堪るか。

 

 自分がこの国を踏み台にするのだ。

 

 その野心が胸の中で燃えている。使われるのではない。とことんまで、使い潰してやる。

 

 ブルーガーデンという国家を全て吸い尽くし、骨の髄に至るまで搾り出した後、ゴミのように捨ててやろう。

 

 それこそが、自分の出来る「手向け」だ。

 

 瑞葉は口角を僅かに緩めた。

 

『……瑞葉兵長、何故笑う?』

 

 笑みが漏れていたのか、瑞葉は表情を引き締めて言いやる。

 

「生き残った感慨でしょうか。自分でも分かりません」

 

『そう、か。精神点滴の後遺症かもしれんな。今まで通り、精神点滴を行いつつ、君達のメンテナンスは完璧にしよう。約束するよ』

 

 人のいい笑みで取り繕ったモリサワへと、瑞葉は偽りの笑顔で応じていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯27 三機のモリビト

 発振したRソードの剣筋が捉えたのは《ナナツー》の胴体であった。

 

 胴を割られた《ナナツー》がよろめくのと、地面を噴射剤が巻き上げたのは同時。《ナナツー》の操主がキャノピー越しに叫んだのが伝わった。

 

 その叫びさえも掻き消すのは《シルヴァリンク》の駆動音である。

 

《ナナツー弐式》が機銃を掃射し《シルヴァリンク》を標的とするも、左腕の盾がリバウンド効果を発揮し、ことごとくを弾いていく。

 

 表面に吸着した弾丸が青く染まった。

 

「リバウンドフォール」

 

 鉄菜の声に呼応し、跳ね返った弾丸が《ナナツー》を薙ぎ払っていく。

 

 そこいらで戦火の燻る前線基地を見やり、鉄菜は既に切り伏せた《ナナツー》を眼下に入れていた。

 

 生き延びた操主が命からがらキャノピーを空気噴射させ、千切れた片腕を押さえながら《シルヴァリンク》を見やる。

 

 遁走する操主が罵声を口走ったのが集音器に捉えられた。

 

 神を罵る声音に鉄菜は呟く。

 

「……なら、お前らの信じる神をせいぜい冒涜しながら、死ぬといい」

 

《シルヴァリンク》のRソードが足元の操主のすぐ脇の地面を払った。灼熱に震えた大気に、操主が腰を抜かしている。

 

 殺しまではしない。だが、戦意は奪わせてもらう。

 

 次の標的へと《シルヴァリンク》が跳ね上がった。

 

 火線が咲き、中空の《シルヴァリンク》を撃墜しようとするが、豆鉄砲のような銃火器の威力では《シルヴァリンク》の青と銀の装甲に傷一つつけられない。

 

「《モリビトシルヴァリンク》、《ナナツー》の編成部隊を撃退行動に入る」

 

 着地した途端、その軌跡さえも感じさせない挙動で《シルヴァリンク》が懐に入り、《ナナツー》の腕を両断する。

 

 至近距離で弾けた機銃の閃きに、対応したRソードの剣閃が空間を震わせ、銃弾ごとその腕を引き裂いた。

 

 溶断した腕を垂れ下がらせて《ナナツー》部隊が後退していく。ようやく部隊を撤退させる気になったようだ。

 

『鉄菜? こっちは基地の主用ポイントを潰した。後始末は大丈夫よ』

 

「彩芽・サギサカ。これで少しばかりはマシになるのだろうか。潰しても潰してもわらわらと出てくる」

 

『《ナナツー》は量産体制が整っているからね。こっちとは大違い』

 

 モリビトを何機も造れないのは歴史が証明している。鉄菜は《シルヴァリンク》を後退させつつ、この戦場を後にしようとした。

 

 その時、不意に照準警告がコックピットを揺さぶった。

 

 鉄菜は咄嗟に操縦桿を引き、第六感で飛び退らせる。先ほどまで《シルヴァリンク》のいた空間を射抜いたのはピンク色の光条であった。

 

 エネルギー波も、その出力も含めて間違いない。

 

 仰ぎ見た鉄菜は忌々しげに口走る。

 

「……三号機の」

 

 遥か高空に三号機――《モリビトノエルカルテット》が両腕を組んで佇んでいた。

 

 超越者のようなその風体に鉄菜は直感的に警戒する。

 

 開いた回線には前回と同じくワンピース姿の桃が現れた。

 

『元気してた? クロ』

 

「何をしている? 余計な事をするな。もう敵は撤退を始めているんだぞ」

 

『あのさぁ、クロ。ちょっと手緩いよ。こんなんじゃ、モリビトを世界の脅威に位置づける第二フェイズは完遂されない。基地を手当たり次第に潰しているだけじゃ、ね。お手本を見せてあげる』

 

「手本だと……」

 

《ノエルカルテット》が音もなく降り立つ。戦場が沸き立ったのが伝わった。撤退し始めていた《ナナツー》部隊が色めき立ち、銃口を《ノエルカルテット》に据える。

 

『し、新型のモリビト……!』

 

「桃・リップバーン。何をしている? 三号機は普段は動かないんじゃなかったのか?」

 

『気が変わったの。三号機だけ高みの見物ってのもつまらないじゃない? モモにもやらせてよ。あんた達の戦いってのを』

 

『撃て! 撃てーっ!』

 

 火線が瞬き、《ノエルカルテット》へと銃弾が命中する。

 

 しかし、モリビトの複合装甲がただの実体弾など徹すわけがない。加えて、《ノエルカルテット》には自分でさえも窺えない奥の手がある。

 

『……つまらない鉄砲玉ね。そんなの向けたって意味ないのに。ロプロス!』

 

《ノエルカルテット》の背面に装備されていた両翼が取り外され、推進剤を焚きつつ機械竜がいななき声を上げた。

 

 ロプロス、と呼ばれた背部スラスターユニットが両翼を広げ《ナナツー》を翼で薙ぎ払う。

 

 表面にRソードと同じ、リバウンド加工が施されているのか、翼に触れた箇所が溶解し、《ナナツー》の頭部が削げ落とされた。

 

『こ、こいつ……何だって言うんだ!』

 

 ロプロスへと照準を定めた《ナナツー》へと地上から襲いかかったのは胴体部が分離した機獣であった。

 

 獣型のマシンが《ナナツー》へと飛びかかり、電磁を纏い付かせた牙でキャノピーを噛み砕いていく。

 

 凄惨な殺戮と化した戦場で、《ノエルカルテット》が逆関節の脚部と合体し、機銃の火線を咲かせていた。

 

 撤退の進路を遮られた形になる《ナナツー》部隊がたたらを踏んだ途端、ロプロスの刃の翼がその機体を切り落としていく。

 

 一つ、二つと瞬く間に戦闘続行不能な人機の山が出来上がっていく。

 

 鉄菜の通信網を震わせたのは哄笑であった。コックピットの中で力の意思に酔いしれる桃が嗤っているのである。

 

『こんな雑魚! モモの敵じゃないわ! ロプロス! ロデム! せいぜい刻み付けてあげなさい! あんた達の実力を!』

 

 ロプロスが空を舞い、ロデムが地上を粉塵の中に血飛沫を散らせる。

 

 撤退行為さえも許さない《ノエルカルテット》の死の四重奏に抱かれた戦場の至るところで、悲鳴と怨嗟の声が響き渡った。

 

 それこそが《ノエルカルテット》の奏でる戦場音楽とでも言うように。

 

 モリビトが三機いるだけでも充分に脅威だというのに、彼らは地獄に落とされたも同義だろう。

 

 一機の《ナナツー》へとロプロスの刃が見舞われ、腕を切り落とされる。ロデムが地上から飛びかかってその足を引き千切った。

 

 達磨状態の《ナナツー》へとロプロスがとどめの刃を高空から見舞おうと急下降する。

 

 劈く悲鳴が迸りかけたその瞬間、鉄菜は前に出ていた。

 

《シルヴァリンク》を走らせ、《ナナツー》へとかかりかけたロプロスの凶刃をRソードで受け止める。干渉波のスパークが散る中、《ナナツー》の操主がキャノピー越しに呆然とした視線を送っていた。

 

「逃げろ。今なら間に合う」

 

 自分でも何故、そのような声を振ったのかは分からない。ただ、目の前の破壊に対して無感情ではいられなかった。

 

 この感情の行方も、行く当ても分からないのに、どうしてだかこの場でロプロスの刃を止める事に一切の躊躇はなかった。

 

 ロプロスへとRソードを払った途端、相手が引き剥がされる。

 

《ナナツー》の操主がコックピットから這い出て鋼鉄の巨人達の戦いを眺めていた。

 

 鉄菜は合成音声に切り替え、今一度宣告する。

 

「逃げろ。相手の飛翔人機は今ならば止められる」

 

 相手も解せないのが窺えた。自分も解せないのだから他人が分かるはずもない。

 

《ノエルカルテット》に収まる桃から胡乱そうな声が漏れた。

 

『……クロ? 何やってるの?』

 

「見て分からないか。行動を中断させた」

 

『違う、理由を聞いているの。何で、そんなゴミみたいな操主を生かしておくの? モモのロプロスの攻撃をわざわざ塞いでまで。それを、いちいち聞かなくなって分かるでしょ』

 

「だったら、そっちもいちいち問い質すまでもない。無意味な行動を重ねるな。モリビトの価値を損なう」

 

 自分の声にはいささかのてらいもない。真実そう思っているようであった。自分でもどこからこの感触が湧いてくるのかも不明だ。それでも、言わずにはいられなかった。

 

《シルヴァリンク》越しの敵意に、桃が一拍、呼吸を置く。

 

『……クロ。意味が分からない。それは、まぁ頷いてあげましょう。確かに、意味は分からないでしょうね。だってモモのやってきた戦いとクロのやってきた戦いは違うもの。でも、それならばなおの事、理解は出来るでしょ? 質の違う戦いでやってきた相手、その流儀くらいは心得ておくべきだって』

 

 桃はそれで承認は取れたと思ったのだろう。確かに、モリビトの操主として、惑星への報復を誓うのならば何も間違いはない。その言葉にも疑問すら挟む余地はない。

 

 何も、問題はない。

 

 そう返せばいいだけだったのだが、鉄菜は返答の代わりにRソードを発振させる。リバウンドの刃の切っ先が、《ノエルカルテット》へと突きつけられた。

 

「知らない。私は私の流儀に従うまで。お前のやり方がどれほど高尚であろうと、あるいはどれほど下賤に塗れていようと、私は知らない。ただ……一言で言うのならば、不愉快だ」

 

 それしかなかった。相手の論拠を否定するわけでもない。引っくり返すだけの論法もない。

 

 ただ――気に入らないだけ。

 

 その些細なすれ違いを、桃は看過しなかった。

 

『……そう』

 

 ロプロスが直上から《シルヴァリンク》へと刃を振るい落とす。

 

 後ずらせた《シルヴァリンク》へとロデムの牙が咲いた。左腕の盾を背面に翳し、即席のリバウンドフィールドを張る事でロデムを退けるも、正面からの《ノエルカルテット》本体と、逆関節の機体による火線が瞬く。

 

 機銃程度は牽制に過ぎない。だが、それは敵意の表れでもある。

 

『よぉく、理解したわ。クロ、あんたやっぱり一度、教育してあげる。モモなりに、調教を施してから、もう一度だけチャンスをあげるわ。イエスというチャンスをね』

 

「何度も言わせるな。私に是と言わせたければ不愉快でない行いをしろ」

 

『その言い草そのものが、モモからしてみれば不愉快なのよ! この分からず屋が!』

 

 駆け抜けたのはロプロスの翼であった。

 

 一閃をかわすその刹那に翼が折り畳まれ、至近距離でR兵装の砲門が迫る。《シルヴァリンク》を機動させる鉄菜は咄嗟に蹴り上げさせた。

 

 機体がもつれ合い、砲身から放たれたピンク色の光軸が地面を抉っていく。巻き起こる粉塵の中で《シルヴァリンク》の銀翼が展開された。

 

 瞬時に飛翔し、ロプロスの上を取ろうとしたのだが、その時にはロプロスが離脱機動の只中であった。

 

 代わりにこちらを捉えようとしたのは地上のロデムだ。

 

 前足を払い《シルヴァリンク》へと飛びかかる。その足先をリバウンドの盾で防ぎかけて、予測していた軌道よりも遥かに高速で迫る爪に圧倒された。

 

 視認するまでもない。

 

 ロプロスとロデムが合体し、合成獣のような装いとなった新たな機獣が《シルヴァリンク》を蹴りつけたのである。

 

 よろめいた機体を叩き起こそうとして背面に警告音を感じ取る。

 

 迫った火線が《シルヴァリンク》に楽な死を与えようとしない。背筋から叩き起こる振動に鉄菜は無理やりにでも《シルヴァリンク》の姿勢を制御せねばならなくなった。

 

 襲いかかるのは胃の腑にかかる強烈なGである。

 

 姿勢制御システム――俗に言うバランサーの調節は機体ごとにばらつきはあるものの、一度調節した領域から逸脱するようには出来ていない。

 

 重力下で設定した規定値では、今の《シルヴァリンク》を支えるのには足りなかった。

 

 まるで人がそうするように、《シルヴァリンク》は前につんのめる。その鼻先を刈り取ろうとロデムの前足が薙ぎ払われた。

 

 鉄菜はぐっと奥歯を噛んで封印武装のロックを解く。

 

 拡張された《シルヴァリンク》の銀翼から放たれたオレンジ色の力場が肥大し、ロデムの牙を防ぎ切った。

 

 しかしそれは一面では完全に隙を晒したようなもの。

 

 遠距離から策敵を続ける相手にさえも、鉄菜はアンシーリーコートを見せてしまったという事実に繋がるのだ。

 

『見せたわね。その武装。一度食らった時は、あれは場所が悪かった。空中だったし、様子見のつもりだった。でも今は違う。衆人環視の中、あんたは封印武装を使った。封印武装を惑星の人間に見せるのは第四フェイズ以降と定まっている。今、クロ、あんたはモリビトの、ブルブラッドキャリアの禁を破ったのよ。こんな戦場の只中で! つまらない諍い程度で!』

 

 勝った、とでも言わんばかりの声音に鉄菜は落ち着き払って言い返す。

 

「それならばそちらも随分と晒している。合体人機の形態がいくつあるかは知らないが、そのうち数パターンを見せている。自分の手を晒さずして、相手の手だけを明かさせたとでも? それほど賢い手だとは思えない」

 

 鉄菜の冷静さが、桃には挑発に聞こえたらしい。その声に怒りを滲ませ、桃は叫ぶ。

 

『それが、ナマイキだって言ってるのよ! クロ、あんたはモモよりも遥かに下なの! あんた程度がモモに口ごたえなんて……!』

 

「そうか。言い返されるのが嫌ならば、それに見合う力を示す事だな」

 

 怨嗟の響きで桃がこちらの名を呼ぶ。鉄菜は操縦桿を握り締めていた腕に痺れを感じていた。

 

 地上でのアンシーリーコートの発現は限界がある。

 

 空中戦において相手を制する事の出来る武装となるアンシーリーコートは空中に力を分散し、物理エネルギーに転化させる事で相手へと衝撃波をぶつける事の出来る代物だ。

 

 それを地上で、しかも姿勢制御の傍らに使ったとなれば機体の損耗も激しい。

 

《シルヴァリンク》の機体のあちこちから注意喚起の黄色に塗られた警告が響き渡る。

 

 重力下、しかも上昇でも下降でもなく、自分の姿勢を保つためだけに使ったアンシーリーコートは予想以上の結果を《シルヴァリンク》にもたらしていた。

 

 機体がこのままでは分解する。

 

 元々、地上では軽業師めいた動きを実現するため、機体の中に宿る血塊炉の循環チューブは細めに設定されている。

 

 その毛細血管が根こそぎ千切れたようなものであった。

 

 臨界点を迎えれば、機体中から青い血を噴き出し、《シルヴァリンク》は大破するであろう。

 

 だが、それでも戦い抜かなければならない。相手は本気だ。《ノエルカルテット》を――桃・リップバーンの考えを覆すのにはこの程度ではまだ足りない。

 

 ――このまま性能限界まで貫き通す。

 

 内奥で生じた意地に衝き動かされ、鉄菜はRソードを発振させようとした、その時である。

 

 銃弾の雨が《シルヴァリンク》とロデムの間に降り立った。

 

 ハッと振り仰いだ視線の先にいたのはこちらを睥睨する《インペルベイン》の姿であった。

 

 全身の武装を開放し、それぞれの照準が全方位から《シルヴァリンク》とロデムを標的に要れている。

 

 逃げられない。そう感じたのは鉄菜だけではないようだ。

 

『一号機操主……? 何で。止める権限ないでしょ』

 

『そうはいかないのよね。だってわたくし、鉄菜には借りがあるし。それにここでモリビト二機で潰し合ってどうするの? 兵は撤退したわ。もう追撃の必要もなし。これでも戦う?』

 

『関係ないもの……。だって、クロはモモと戦っているの! 余計な茶々を入れないで! メイワクよ!』

 

 桃の言葉にその側面だけは同意であった。

 

「その通りだ。一号機操主、ここで私達の戦いに口を出さないでもらおう」

 

 ここまでくればもう意地だ。絶対に白黒をつけてやる。

 

 そう断じていた精神に、冷水を浴びせかけられたような怖気が走った。

 

『――そう。二人とも、そういうつもりなんだ』

 

 習い性の身体を飛び退らせる。《シルヴァリンク》とロデムのいた空間を引き裂いたのは今までの比にならないほどの熱量の豪雨であった。

 

 銃弾を全て、塊にしてもそれには及ばないほどの灼熱。

 

 まさしく「点」ではなく「面」の一撃がロデムと《シルヴァリンク》の間に降り立つ。

 

 空間そのものが鳴動し、地面が深く抉れ、地層が根こそぎ砕け散っていた。

 

 その場所だけが局地的な重力の投網にかけられたが如く全ての現象が遅れて発生する。現象から切り離されたかのように最初、地面から紺碧の大気が振動した。

 

 直後には迸ったブルブラッド大気が血潮のように噴き出す。

 

 一面を青に染めたその一撃の威力に桃も唖然としている様子だ。

 

 鉄菜も一歩でさえも踏み出せない。

 

 一歩でも動けば死に繋がるのだと直感で分かる。

 

『じゃあ、ここで命は要らないわよね?』

 

 いやに冷たく響き渡った彩芽の口調に鉄菜と桃はお互いの武装を彷徨わせた。

 

 一号機からの照準警告は鳴らない。これはただの攻撃ではない。――封印武装だ。

 

 相手を照準した事さえも関知させず、瞬時の後に消滅させる破壊の引き金。

 

 それを引かせてしまった事にようやく気づいたところで、彩芽の平時の通信が開いた。

 

『鉄菜。頭冷えた?』

 

 その段になって息苦しさを感じ、鉄菜は激しく咳き込んだ。呼吸さえも忘れていたのだ。

 

『一号機操主……あんたも、封印武装を使って――』

 

『だったら何? ここで殺す? でも、分離した三号機に、満身創痍の二号機。これら両方を照準に入れている一号機を前にして、返答がいくつもあるとは思えないんだけれど』

 

 舌打ちの音が残響する前に、《ノエルカルテット》は合体軌道に入っていた。その間は隙だらけなのだが、《インペルベイン》も手を出す様子はない。

 

 無論、《シルヴァリンク》にも、手を出させる余裕はなかった。

 

《ノエルカルテット》が合体を果たし、両翼を広げて飛翔する。

 

『……言う通りね。冷静になるべきだったわ。クロ、あんたがそういうのだって事は前から分かっていたし』

 

 その時になるまで鉄菜は以前交わした停戦協定と共闘の約束を完全に失念していた。

 

 ハッとして声にする。

 

「名前で呼ぶと……」

 

『意味ないって、それ。だってモモ、こっちの一号機とも同じ交渉したもの』

 

 その言葉に鉄菜は少なからず衝撃を受けていたが、どこかで予定調和だとも感じていた。

 

 その判断が正しい、と合理的に理解する思考があったのだ。

 

『あら? 言っちゃうの?』

 

『もう隠していたってしょうがないでしょ。クロがここまで意固地なのはびっくりしたけれど……、同時に分かったわ。二枚舌を使い分けられるほど、モモもオトナじゃないって事ね』

 

『それが分かるだけ、大人よ』

 

 彩芽の口調にはどこか穏やかさが垣間見える。裏切られていた事への怒りや憤懣よりも、自分でもそう判断しただろうと言う合理性が先に立った。

 

「……一杯食わされたわけか」

 

『怒らないでね、鉄菜。これも交渉術なの』

 

『あーあ! モモが一番を取るつもりだったのになぁ。これじゃダイナシ。まさかクロがここまで向こう見ずだとは。でも、これもまた一つの結論か』

 

『分かったでしょう? モリビト三機でいがみ合いや騙し合いをしていたところで限界が来るって事』

 

『痛み入ったわ。じゃあ、ここから先は本当の交渉術。三分後に、敵の増援が来る。こっちのデータを背負ってね。さっきの部隊、ただ闇雲に撤退したわけじゃないわ。封印武装のデータは取られている。どうする? クロ、それに一号機の……』

 

『彩芽。彩芽・サギサカ。彩芽お姉様でもいいわよ?』

 

 桃は通信回線の向こう側で肩を竦めた。

 

『……変わり者揃いね。じゃあ、アヤ姉』

 

『アヤ姉、ね。まぁ、微妙だけれど、鉄菜よりかは素直と見た』

 

 その返答に鉄菜がまごついている間に桃は《ノエルカルテット》から情報をもたらす。三分後に敵の大隊がくるのはどうやら真実のようだ。熱源反応センサーと血塊炉関知センサーが膨大な数の《ナナツー》をモニターしている。

 

『ここから離脱するのに、アヤ姉はまだ手があるとして、今のクロは分が悪いわ。《シルヴァリンク》は限界に近いはず。そこで、どう?』

 

 まさか、手を切ろうというのか。受けて立つ、と鉄菜が《シルヴァリンク》にRソードを振り翳そうとして、人機の神経系統に異常が見られた。

 

 ブルブラッド反応炉が全身に行き渡らせるべき血流を滞らせている。俗に言う「貧血」状態だ。

 

「……返答の選択肢はあまりないようだ」

 

『分かるようになってきたじゃない。クロ、ロプロスを貸すわ』

 

「貸す……?」

 

 意味が分からずに聞き返すと、《ノエルカルテット》の両翼部が分離し、怪鳥ロプロスが《シルヴァリンク》の背を取った。

 

 まさか攻撃してくるつもりか、と色めき立った鉄菜に対してモニターに表示されたのは、「ドッキング準備」の指示であった。

 

「ドッキング……、ロプロスは、他のモリビトともドッキング出来ると言うのか」

 

『それが強みだもの。三号機は一号機、二号機を補佐する役目も帯びている。三号機からのドッキング指示には逆らえないけれどあえて、今はクロに判断を任せたわ。どうする?』

 

 ここで拒否したところで押し寄せてくる《ナナツー》部隊を退けられるほどの馬力があるわけでもない。

 

 大人しく引き下がるべきところは引き下がるほうがいい。

 

「……ジロウ。このドッキング指示を断った場合の想定」

 

『さすがに、今の《シルヴァリンク》で《ナナツー》十機近くを退けるのは無理マジ……。それに、《ノエルカルテット》からは血塊炉への供給も行われる事が勧告されているマジよ。つまり、今まで無駄に使ってきた部分をここで補給出来るという事マジ』

 

 補給手段は不明のまま降りてきたのであったが、《ノエルカルテット》が代行するというのがその答えか。

 

 第二フェイズを執行するのにもし、至らなかった場合も含めて三号機は建造されたのだろう。

 

「……ドッキング指示を許可する」

 

『了解っ! クロ、素直なあんたは好きよ』

 

「そうか。私はちっとも好んでいない」

 

 言い返している間に背面の翼が収納され、ロプロスとのドッキングのために指示アームが伸長した。

 

 抱え込むような形でロプロスが《シルヴァリンク》の背に合体する。

 

 途端、消失しかけていた《シルヴァリンク》の鼓動が復活の兆しを見せた。血塊炉本体へと血が供給され、全身を巡る新鮮な血流にモリビトが共鳴する。

 

『さて。これで《シルヴァリンク》は逃げ切れるわね。で? 桃だっけ。貴女はどうするの? 翼がないんじゃ、結局お荷物にならない?』

 

『ロプロスの翼はあくまで補助用だもの。ポセイドンとロデムが合体した状態なら、充分に逃げ切れる余裕があるわ。ま、もっと言っちゃうと《ナナツー》十機編隊くらいモモならわけないんだけれど、それも含めて話し合いでしょ?』

 

『分かるじゃない。わたくし達は一度、顔を合わせて話をしないといけなさそうだからね』

 

『不合理な事ね。モモは完全に出し抜けると思っていたのに、クロ、あんたのせいよ』

 

 言われても自分の行動の軽率さは自分が一番よく分かっている。

 

「……好きなだけ言えばいい」

 

『可愛くないの。ロプロス、《シルヴァリンク》を持ち上げて、撤退するわよ。一号機のアヤ姉も。高速機動術を晒すまでもなく逃げ切れるんでしょ?』

 

『それも、鉄菜には秘密だったんだけれどね。まぁ、話し合いは長くなりそうだわ……』

 

 振り仰いだ《インペルベイン》が身を翻し、リバウンドの反射靴で地面を蹴って疾走する。

 

《ノエルカルテット》がその後ろに続き、最後にロプロスの補助を得た《シルヴァリンク》が飛翔した。

 

《ナナツー》十機編隊が勇み足で辿り着いた頃にはもう、モリビト三機は身を隠している事だろう。

 

 抱えられている形の《シルヴァリンク》共々、鉄菜は疲弊した身を任せていた。

 

 リニアシートに体重を預けて息をつく。

 

「これも、計画のうちだったのか」

 

『それまでは分からないマジ。ただ、三人が一同に会するのは、どちらにせよ避けられなかったみたいマジねぇ』

 

 ジロウの返答に鉄菜は操縦桿から手を離す。その状態でも《シルヴァリンク》のステータスに問題はなく、むしろ安定してエネルギーを得ている状態であった。

 

「私は……間違っていたのか」

 

『AIサポーターマジ。そこまでは判断しかねるマジよ。ただ、鉄菜も三号機の桃も、少しばかり素直になったほうがいいのは本音マジ』

 

「素直、か。私からは一番縁遠いような言葉だ」

 

 自分は冷徹になり、惑星の人々へと報復の刃を向けるのみだと思っていただけに、素直という言葉には浮いた印象しか受けない。

 

『随分と距離を稼いだわね。一号機が先導するわ。落ち合う場所をマッピングしておくから、全員、散開して別ルートで集合、いいわね?』

 

 年長者らしい声音で言いやる彩芽に鉄菜は覚えず愚痴をこぼしていた。

 

「……裏切っていたとは思わなかった」

 

『敵を欺くのには味方から、よ。まぁ、どうせ貴女の不信を買ってもいい話とも思えなかったし、いずれ破綻するのは目に見えていたけれど』

 

「……私が隠し事をしている事も」

 

『ある程度は。でも、三号機と会っていた事を隠していたのはブルブラッドキャリアのモリビト操主としては合格よ。そっちのほうがどう考えても合理的だもの』

 

 操主としては、か。皮肉めいた声音に鉄菜は嘆息を漏らす。

 

「私は、お前達をどうせ信用していない」

 

『結構。鉄菜の強情なのは今に始まった事じゃないし。それでも、信じざるを得ないのが、わたくし達モリビトの操主同士だと、思っているけれど』

 

 信じなくては恐らく前にも進めないだろう。鉄菜は抱えられた《シルヴァリンク》のステータス画面を呼び出し、面を伏せていた。

 

「ごめん、《シルヴァリンク》。私、操主らしい事、何も出来ていない」

 

 回線を切って漏らした悔恨に愛機は答えのようにステータス画面から黄色い注意色を消していった。

 

 モリビトなりの励ましなのだろう。

 

 鉄菜は全天候周モニターをさすって口にしていた。

 

「……いい子」

 

《インペルベイン》が離脱コースに入り、《ノエルカルテット》も与えられたコースに入っていった。

 

 ロプロスに抱えられた《シルヴァリンク》も間もなく、指示されたコースを疾走する。

 

 紺碧に霞んだ空の下、三機のモリビトが、この地上に入って始めて三つの軌道を描いていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯28 因縁と堕落

 転属届と着任に関して、あまり時間は取られない。

 

 これは自分がモリビトであったから、という理由だけではなく、ゾル国の軍制度に由来している。

 

 エース部隊であったスカーレット隊を離れるのに、誰も激励の言葉を投げなかったのは当たり前の措置だと桐哉は感じる事にした。

 

 下手に誤魔化されるよりかはずっといい。愛機の《バーゴイルスカーレット》は今、輸送機と共に自分の手元にあった。

 

 スカーレットの耐熱コーティングは剥がされるかもしれない、と整備班の班長は漏らしていた。

 

 耐熱コーティングの維持には金がかかるのだ。その金を今までは英雄という事で出資してくれていたスポンサーがほとんど縁を切った関係上、転属先でスカーレットの赤はもう、見られないかもしれない、との事であった。

 

 自分の誉れのようであった赤い塗装が次の戦場では見られない。それは思った以上に心にダメージを及ぼすものであったが、桐哉は毅然としていた。

 

 自分がぐらついてどうする。せめて、余裕を演じて見せろ。

 

 隊長と整備班の見送りだけの簡素な代物を受け取り、桐哉は輸送機に搭乗していた。

 

 ほぼ人機のためだけの輸送機に乗ったのは、一般航空機におけるトラブルを避けるためでもあったが、何よりもどこの企業もどこの会社も自分の名前を知るだけで及び腰になるのは目に見えていたからだ。

 

 余計な文句をつけられるくらいならば人機と一緒の輸送機で構わない。

 

 そう判断し、桐哉は乗務員用の簡素なシートに体重を預けていた。

 

 落ち着こうとしても背骨が痛んでしまう。人間の事をまるで考えていないシート。人機を搭載する事だけを考え、人間のスペースを度外視した機能。

 

 どれも今の自分を責めているようで桐哉は眠りにつく事さえも出来なかった。

 

 ――お前のせいじゃない。

 

 隊長の声が思い起こされる。

 

 見送る際に隊長は他の隊員の目があるのにも関わらず、堅い握手を交わしてくれた。スカーレット隊として戦ってくれた事、悔いはないと断言してくれた。

 

 今はそれだけでいい。

 

 桐哉は転属先がどれほどの場所であろうと、望むものは少なく行こうと考えていた。

 

 今までのように英雄とおだてられる事もない。ただの一般軍人として扱われる事になるだろう。

 

 そうなっても、自分だけは見失わないようにしなければ。

 

 舷窓から覗いた空は紺碧に彩られ、濃霧が広がっていた。端末に視線を落とすとブルブラッド大気汚染は八割以上とある。

 

 どのような僻地に飛ばされるというのか。

 

 不安に呑まれそうな胸中の中、桐哉は己に言い聞かせた。

 

 どれほどの不条理があっても、決して折れてはならないのだと。首から下げたペンダントを握り締め、桐哉はきつく目を瞑った。

 

「燐華……俺は」

 

 その時、物々しい警告音が輸送機に響き渡った。

 

 行き来する職員が桐哉の存在など尻目に声を張り上げる。

 

「接近する機影あり!」

 

「数は?」

 

「一機……照合不可……未確認人機か……」

 

 アンノウンの人機。その言葉に桐哉は咄嗟の習い性でシートから立ち上がっていた。職員の肩に手を置き尋ねる。

 

「詳細を。もし輸送機の航路に邪魔なら俺が出る」

 

「准尉が……?」

 

 胡乱そうなのはこの裏切り者が? という疑問を含んでいた。それが伝わっていても桐哉は譲らない。

 

「護衛もついていない輸送機が落とされるのだけは困るだろう」

 

 それは、と目配せし合う職員に、桐哉はダメ押しの一言を放った。

 

「責任は俺持ちでいい」

 

 その一言でようやく了承が取れたのだろう。職員達は桐哉の《バーゴイルスカーレット》への直通ルートを指示する。

 

「言っておきますけれど……輸送人機が破損しても、我々に責任は……」

 

「ああ、分かっている。俺のせいでいい」

 

 そこまで言わないと彼らは動きもしてくれない。桐哉は輸送機の下部ハンガーに固定された《バーゴイルスカーレット》へと背面から乗り込もうとした。

 

 コックピットハッチへのロックナンバーを押している際、職員達の潜めた声が耳に届く。

 

「……なぁ、これ、出しても大丈夫なのかよ」

 

「知るかよ。准尉殿のせいにしてくれるって言うんだ。言質は取ったし、全部なすりつけりゃいいだろ」

 

 聞こえていても桐哉は知らぬ振りを通した。ここで言い争いをしても仕方あるまい。

 

 コックピットの中には整備班の人々が心を込めて整備してくれたのが伝わるように、細やかな技巧が施されていた。

 

 せめて転属先でもこれまで通り、否、これまで以上の活躍が出来るよう、と配慮されたコックピットの内装を見やり、目頭が熱くなったのを感じたのも一瞬。

 

 桐哉は戦闘用に己を研ぎ澄ました。

 

「不明人機の詳細。古代人機じゃないのか?」

 

『それが……明らかにサイズが古代人機よりも小さく……これは、《ナナツー》サイズなんです』

 

 つまりどこかの国の人機というわけだ。鉢合わせしてもお互いに見て見ぬ振りを貫けばいいだけの話だが、相手が本当に見られては困る人機だった場合は話が違う。

 

 独裁国家ブルーガーデンが秘密裏にロンド系列で巡回していないとも限らない。

 

 なにせ、大気濃度は八割を超える汚染だ。この状況ではレーザー関知はほぼ役立たないと思っていい。今まで成層圏の向こう側くらいでしか戦ってこなかった桐哉は重力下戦闘の鉄則を脳内に呼び起こしていた。

 

「……こちらが思っているほど人機は動いてくれないはずだ。プラス二十くらいの踏み込みでようやく、と言ったところか。でも、俺もスカーレットも、そこまでやわじゃない」

 

 不明人機がどの国の保有するものであれ、それなりの戦いは出来るはずだ。あるいは《バーゴイル》がつく事によって穏便に事が済ませられる可能性もある。

 

 降下準備完了を輸送機に返し、輸送機側からの切り離しを待った。

 

『ハッチから射出します。5、4、3、2……』

 

 1の復誦を待たずして桐哉はフットペダルを踏み込む。荷重のかかった《バーゴイルスカーレット》の機動力が相手の人機の真正面に入った。

 

 濃霧を引き裂き、現れた人機の姿に桐哉は息を呑む。

 

「青と銀の……不明人機」

 

 飛翔性能を誇る鋼鉄の翼は異なるが間違いない。すれ違った瞬間、相手もこちらに気づいたようだ。策敵センサーが愛機に刻まれた因縁の相手を睨み据える。

 

 標的名は依然としてアンノウンのままだが、自分はこの敵を知っている。愛機と共に受けた屈辱の記憶がある。

 

「モリビト、だと……」

 

 相手もこちらの目があるとは思っていなかったのか。ブルブラッド大気濃度の高い空域において青いモリビトの背面には前回は見られなかった巨大な翼がある。

 

 新たな武装か、あるいは牽制のためのものか。

 

 どちらにせよ、桐哉はここに来て静観するつもりはなかった。相手がモリビトならば撃退は已む無し。

 

 転属先にいい土産話が出来るとまで思ったほどだ。

 

 これで自分の事を、英雄から没落した人間などとは言わせない。

 

 モリビトの首があれば本国での評価も変わるだろう。操縦桿に力を込め、桐哉は《バーゴイルスカーレット》を奔らせた。

 

「モリビト、ここで討つ!」

 

 こちらの武装は銃剣の付いたプレッシャーガンのみ。桐哉は即座にプレッシャーガンの銃身を立てて銃剣モードに移行させモリビトへと斬りかかった。

 

 相手は《バーゴイル》との戦闘を望んでいないのか、距離を取りたがっているようだ。

 

 装備した両翼が変形し、砲門を形成した。

 

「……重武装か」

 

 吐き捨てた桐哉の機体が跳ね上がり、相手の射線を跳び越える。砲撃戦ならば古代人機で飽きるほどやってきた。攻略法は見えている。

 

 ピンク色の光条が先ほどまで自分の機体がいた空間を貫いた。

 

 好機、と判断する。その高威力にブルブラッドの紺碧の大気が削げ落ちたほどだ。

 

 相当なエネルギーに違いない。放出した後には隙が生じるはずだ。

 

 銃剣をモリビトへと振り上げる。このまま打ち取った、と感じ取った身体へと第六感に等しい習い性がプレッシャーとなって肌を粟立たせた。

 

 即座に《バーゴイルスカーレット》に制動をかけさせる。

 

 青いモリビトの剣筋が《バーゴイル》の鼻先を突き抜けた。

 

 装備した両翼から分離し、モリビトが右手に保持したリバウンド兵装で斬りかかってきたのだ。

 

 少しでも踏み込んでいればその距離であった。

 

 桐哉は強力なリバウンド遠距離武装を保持する機体と、このモリビトは全くの別の操作下にある事を感じ取る。

 

「こいつ……別の機体だって言うのか。それぞれ別個の? だとすれば……」

 

 その先を言いかけて、桐哉は飲み込んだ。

 

 ――だとすれば相当な脅威。

 

 それだけは認めるわけにはいかなかったのだ。

 

 飲み込んだ言葉の代わりに桐哉は腹腔に力を込める。銃剣とモリビトのR兵装の剣が交錯した。

 

「何でだ……何でお前達は、俺から大切なものを奪おうとする……?」

 

 モリビトの眼窩は答えない。その奥に潜む操主を睨み、桐哉は吼えた。

 

「答えろォッ!」

 

 薙ぎ払った銃剣の一閃をモリビトは飛翔して回避し、大剣を打ち下ろそうとした。側面の推進剤を焚いて回り込むように避け、桐哉は背面を狙おうとする。

 

 大剣の太刀筋が完全に桐哉から抜けた。

 

 今こそ、と《バーゴイルスカーレット》の銃剣がその懐に飛び込もうとしたがそれを防いだのは間に割り入った巨大な翼であった。

 

 先ほどの高威力R兵装を発生させた別の機体が龍のような首を伸ばし翼を翻したのである。

 

 翼にはR兵装の加護があったのか銃剣を跳ね返す。

 

「サポートメカだと……! こんなしゃらくさい……」

 

 すぐさま機動を立て直そうとした桐哉へと飛び込んだのは大剣の切っ先である。《バーゴイル》の頭部を打ち砕こうとした剣先を桐哉は即座の判断であえて《バーゴイルスカーレット》の推進剤を切った。

 

 全ての推進能力をオフにした《バーゴイル》はただの鋼鉄の塊だ。

 

 飛翔能力さえ奪われれば僅かながらその高度は落ちる。この場合、敵の大剣が頭上を行き過ぎた。

 

 桐哉は奥歯を噛み締める。

 

 瞬間的に推進剤をオンにした場合、人機のブルブラッド反応炉が付いて来ず、空回りする可能性すら考慮に入れた。

 

 しかし、愛機はこの時、桐哉の無茶に応じてくれた。

 

 推進剤と循環炉の急激なオンオフに対応した《バーゴイル》の眼窩に光が灯る。

 

《バーゴイル》も同じ気持ちに違いない。

 

 モリビトを討つ。そのためならば今この瞬間、機体が空中分解したところで構わない。

 

 機体の各所がレッドゾーンに陥り、警告を訴えたがそれよりも《バーゴイルスカーレット》の突き上げた銃剣の勢いが強い。

 

 確実にモリビトへと一矢報いたかに思われた《バーゴイル》の一撃は反転した怪鳥の一撃の前に霧散する。

 

 ピンク色の光軸が《バーゴイル》の手首から先を奪い取り、桐哉は全身に強い衝撃を覚えた。

 

 リニアシートが激しく振動する。コックピットが咄嗟に稼動させた減殺シャッターによって失明をギリギリで免れる形となった。

 

 それほどの眩い輝きがモリビトと《バーゴイル》の間で明滅し、桐哉はそのまま気圧されたかのように《バーゴイルスカーレット》ごと後退した。

 

「何で……ここで退くわけにはいかないのに」

 

 前進させようとして《バーゴイルスカーレット》に搭載された全安全装置が操主の生命保護のために後退用の推進剤を焚かせていた。

 

 モリビトは深追いするつもりはないらしい。紺碧の大気を流れていく《バーゴイルスカーレット》へと追撃はもたらされなかった。

 

 だが、桐哉は深い屈辱に身を浸していた。

 

 一度ならず二度までも逃した。

 

 悔恨に桐哉は操縦桿に拳を叩きつける。

 

「畜生! 何で俺は……勝てないんだ! 相手はモリビト一機だぞ!」

 

 桐哉の恥辱を知ってか知らずか、本国の輸送機はなかなか追っては来なかった。当然と言えば当然。相手は世界が追う不明人機、モリビトである。ミイラ取りがミイラに、では困るのだろう。

 

 あるいはこうだろうか。

 

 桐哉のような人間だけが犠牲になればいい、とでも。

 

 モリビトは自分の汚点そのものだ。深いブルブラッド大気の向こう側に消えた怨敵に、桐哉は咆哮した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯29 心の拠り所

 吼えても叫んでも、誰も助けてはくれない。

 

 そんな事が当たり前になったのはいつからだろう。

 

 燐華はバケツの汚水に塗れた制服の裾をぎゅっと握り締めた。トイレに入っている間に誰かに頭からぶっかけられたのだ。

 

 誰に、など最早尋ねるまでもない。

 

 クサカベの名前は呪縛のように自分をこの場所で縫いつける。学校に元々、通わないでいいとされていたが、燐華は前向きに行こうとした。

 

 だがその結果がこれでは立つ瀬もない。

たまに行けばいじめの標的にされるのではやはりやめておけばよかったと後悔が過ぎった。

 

 自分の席にはいくつもの侮辱の言葉が刻まれている。

 

「売国奴の妹」、「世界の敵」などはまだいいほうだ。燐華が言葉にするのも憚られるほどの罵詈雑言が、カッターナイフなどで消えない文字となって席に書かれているのである。

 

 それらを隠し立てする事も出来ない。

 

 教師は燐華を、まるでこの世にいないもののように扱った。

 

 講義を受ける中で燐華だけに分からないようにひそひそと言葉が交わされる。無論、教師も聞こえていないはずがないのだが黙認していた。

 

 一時間の講義がひたすら耐え難い永遠のように思われる。

 

 燐華は結局、夕方の講義まで受け切らないまま、保健室へと向かっていた。

 

 滅菌されたような保健室の白い天井を眺め、燐華は嗚咽を漏らす。

 

 気分が悪いのは本当だったが、何よりもこうして逃げ帰る事しか出来ないのが一番辛かった。

 

 どうして、兄に自分は何も言えないのだろう。

 

 モリビトの栄誉を賜った時はクラスの全員が自分を褒め称えたほどだ。自分の栄光ではない、と謙遜したが、友人だと思っていた人々はこぞって燐華に桐哉の連絡先などを聞いてきた。

 

 そう、友人だと思っていた人々は……。

 

「……友達なんて最初からいなかったのかな」

 

 呟いたところで虚しいだけであった。

 

 皆、モリビトの権威に陶酔していただけだ。英雄の妹が物珍しかっただけなのだ。

 

 その証拠に、モリビトが敵の名前になった途端に掌を返した。

 

 自分は売国奴になり、敵の名前そのものになり、国家を貶めた重罪人のように扱われた。

 

 何もしていないのに。桐哉もそのはずだ。

 

 ――何もしていない。ただ、世界が様変わりした。

 

 今まで自分達に優しかった世界は急に色褪せ、訪れたのは反対側の世界であった。

 

 モリビトは敵の名前。世界を混沌に陥れる敵の尖兵。

 

 強くあろうとしてもこれだけは拭い去りようもない事実。ニュースでは連日のようにモリビトの破壊活動が報告されている。

 

 兄は、桐哉は軍にいられるのだろうか。

 

 通話ではお互いに気丈な様子を振る舞っていたが兄とて辛いはずだ。軍属になった以上、国のために尽くすのが軍人のはず。

 

 ならば兄は、国家に裏切られた形になるのではないか。何よりも信頼を置いていた国家に。

 

 それは自分よりもなお性質の悪い世界の悪の側面であろう。

 

 桐哉はその悪に、どのように立ち向かっているのか知りたかった。だが、忙しい合間を縫って連絡をくれている兄の手を煩わせるわけにもいかない。

 

 今は耐えるしかなかった。

 

 時が過ぎれば笑える日が来るかもしれない。あんなつまらない事で、と思える日が来るかもしれない。

 

 その時、保健室の扉が開いた。

 

 燐華は息を殺す。ここにいるとばれればまた……、そう考えた燐華の耳朶を打ったのはクラスメイトの声であった。

 

「クサカベさん、ここに来ていませんでした?」

 

 教師は皆敵になった。ここで自分を売られれば、と燐華は涙を浮かべた。

 

 保健室にも居場所がなくなれば自分はどうやって生きればいいのだろう。

 

 元々、病気がちで学校にも来なくてもいいとされてきた。桐哉はその病気の解明のために軍に入ってくれたのだ。

 

 軍からの援助金ならば最先端の治療が受けられると。

 

 ここで自分がもし、死んでしまえば桐哉の厚意が全て無駄になってしまう。

 

 ――それだけは、と胸の中で懇願した。

 

 神様、と祈ったほどだ。

 

 保健室の教師はクラスメイト達の言葉に、いや、と応じていた。

 

「来ていないよ」

 

 安堵の息をつきかけたが、クラスメイト達の執念はその程度では収まらない。

 

「ベッド、見ていいですか?」

 

 カーテンが乱暴に捲られ、一つ、また一つとベッドが露になる。ベッドは四つ。あと一つで、というところで保健室の教員が声にする。

 

「そういえば、さっき、外を歩いているクサカベさんを見かけたな」

 

 クラスメイトの手がカーテンにかかった瞬間の言葉であった。

 

 舌打ちと共に女子達は立ち去っていく。

 

「失礼しました」

 

 その足音が遠ざかってから保健室の教員は静かに口にした。

 

「……皆が皆、敵になったわけではないよ」

 

 燐華はようやく、ベッドから起き上がった。酷く汗を掻いていた。呼吸も乱れ、涙が止め処なく溢れてくる。

 

 カーテンを捲り上げた燐華は卓上で作業する眼鏡姿の保険医を目にしていた。長い髪の毛を一つ結びにしている男性教員だ。

 

 柔らかな慈愛の眼差しが燐華に注がれた。

 

「僕は、生徒を売ったりはしない」

 

 その言葉はしかし安易には信じられない。信じればきっと裏切りが待っているに違いないからだ。

 

「……あたし、信じられません」

 

「無理もないね。君は、ここ数日で世界の煽りを受けた側の人間だ。だから知った風な事は言えないし、君の痛みを分かった風な事も言うつもりはない」

 

 男性教員は端末で書類を作成しながら椅子を顎でしゃくった。

 

「座るといい。大丈夫さ、鍵はかけておいた」

 

 燐華は眼前の丸椅子に警戒を注いだ。何をされるか分かったものではない。それこそ、味方の振りをして自分を陥れるつもりかもしれない。

 

 その予感が伝わったのか、男性教員は柔らかく微笑んだ。

 

「警戒されても仕方ない、か。教師達は臭い物には蓋の理論だ。みんな、君を無視する姿勢になったらしい。今朝の教職会議でも燐華・クサカベに関しては不干渉を貫けとお達しがあったほどだ」

 

 では何故、目の前の男性教師は恐れずに話しているのだろう。燐華の疑問に教員はエンターキーを押して頷いた。

 

「どうして、僕がそのお達しを受けていないのか、という顔をしている。お達しは受けたよ。注意もされた。でも、君一人を犠牲にして、ではこの学園は平和かと訊かれれば僕はノーと答える」

 

 手が差し伸べられ、燐華は息を詰まらせた。

 

「座るといい。話をするとすればまずはそこからだ」

 

 おずおずと、燐華は席に座り込む。まるで判決を言い渡される囚人の気分だ。面を伏せて、燐華は怯えていた。

 

 男性教員は燐華から話を切り出されるのを待っているようであった。書類を作成しつついつでも相談に乗れるように耳を傾けてくれている。

 

 ――この人は味方なのか。

 

 判断しかねていると教員は指差した。

 

「服が濡れている。風邪を引くよ」

 

 指摘されて燐華は耳まで赤くなった。これは、とか、そんなだとか羞恥の声が漏れる。

 

「別に恥じらう必要はない。ただ純粋に、君は身体が強くないと聞いていたからね」

 

 この教員は自分の事をどこまで知っているのだろう。燐華は小さな声で尋ねていた。

 

「あの、その……どこまで」

 

「知っているのか、か。この学園の人間ならば皆知っている事だよ。英雄、桐哉・クサカベの妹、燐華・クサカベ。君は先天性の疾病のせいか、身体が弱く病弱。しかしながら学園には毎月のように多額の支援金が送られてくる。送り主は君の兄、桐哉・クサカベ。モリビトの栄誉を賜ったエース操主。古代人機狩りにおいて、彼は十機以上を撃退せしめたとされる。来年当たり、教職員の一般教養に入れられる予定であった、ともされている。それほどの大人物だ。同時に、学園のスポンサーでもある。切っても切れない関係だというのに、学園側は君を見捨てた。理由は……まぁ言うまでもないか」

 

 保身のため。それが分かったからこそ、燐華は素直にこの世界を憎めなかった。誰しも恐れては寄れない領域というものはある。学園は、世界を敵に回す事が出来なかった。ただそれだけの話なのだ。

 

「あたしは……いなければよかったんでしょうか」

 

「学園側としてみれば、学校には来ず、支援金だけを送ってもらえればよかったんだろうねぇ」

 

 教員の率直な言葉に胸を抉られたような気持ちに陥る。

 

 こんな経験をするくらいならば死んだほうがマシだと思えるほどに。燐華は膝の上で小さな拳を握り締める。

 

「あたし……にいにい様に酷い事をしてる」

 

「桐哉・クサカベに? どうして?」

 

「だって、にいにい様はあたしが、ずっと我慢してるって分かってるもの。病気のせいで人並みの事も出来ない、愚図なあたしでも、にいにい様は絶対に見捨てなかった。にいにい様はあたしに平和を与えてくれた。本当の守り人なのに……あたし、今最低な事を考えている」

 

「最低な事、とは?」

 

「……にいにい様さえいなかったら、っ思ってるの。あたし、本当に最低」

 

 溢れ出る涙を指先で拭う。それでも胸を裂くような痛みを止められなかった。桐哉さえいなければ、モリビトの栄誉さえなければ、と思っている。

 

 そのような自分に嫌気が差す。

 

 これが最底辺の考えならば、自分ほど醜い存在はいまい。

 

「……それは違う」

 

「違わないわ。だって、あたし、こんなにも……」

 

「だから、違うと言っている」

 

「どうして! どうしてそんな事が言えるの!」

 

 面を上げて叫んだ燐華の眼差しを、男性教員は真っ直ぐに見据えていた。その瞳から、逃げる、という選択肢がない事に気づく。

 

 彼は自分から逃げるつもりはない。真っ直ぐに、自分の意思を問い質してくる。

 

 燐華のほうが覚えず視線を逸らしたほどだ。

 

「……先生は、あたしから逃げないんですか」

 

「どうして」

 

「逃げなくっていいんですか。こんなところで、あたしの味方をすると嫌われますよ」

 

 こんな言葉吐きたくないのに。どうしても他人の考えが全て、自分を陥れるものに思えてしまう。

 

 男性教員は腕を組んで考えた後、うぅんと首を捻った。

 

「どうしてかなぁ。何となく、君に同情しているのか。あるいは理由がないからか」

 

「理由って、だってあたしは世界の敵で――」

 

「それはモリビトが、だろう? 桐哉・クサカベと燐華・クサカベに影響があるとは思えない」

 

 久方振りに聞いた気がした。自分を擁護する言葉。それが目の前の教員から出たのが信じられず、燐華は目をしばたたく。

 

「……嘘です」

 

「何で嘘だと思う」

 

「だって、使用人の人達も、みんな陰で言っているのは知っています。家の人だって信じられないのに、外の人が信じられるわけが……」

 

「だが追われているのはブルブラッドキャリアとか言う奴らだけだろう。君には何の責もない」

 

「でもっ! あたしは売国奴の妹で!」

 

「だから、それは君の周りが下した判断だ。君個人の判断基準じゃない」

 

 教員は呆れたように端末を打つ手は休めずに言葉にする。落ち着き払った声音であった。

 

 計算高くあろうとしている風ではない。自分に取り入るようでもなかった。

 

 ――本当に。心の底からそう思っているような声である。

 

「……先生は、変です」

 

「変、か。よく言われる」

 

「こんなところであたしに味方すると、何か得点でもあるんですか」

 

「どうしてそう思う?」

 

「だって、あまりにも計算に見合わない事を言うから」

 

 教員は笑い飛ばした。そのような事、及びつきもしなかった、というような笑い声である。

 

「ああ、そうか。君を売ったほうが、むしろそれっぽいのか。でも、僕はしないよ」

 

「何でですか」

 

 教員は手を止め、本当に分からないように中空を見つめる。

 

「何でかな。まぁ、ここで君を売ったところで、得をするのは金だけはある生徒達ばかり。教員側にもたらされるものは少ないから、かな」

 

「そんな事を考えつく人がいるなんて思えない」

 

「おや? だが君だって相当に頭に花畑が沸いているクチだろう? 今まで英雄の妹君、お嬢様学校であるこの学園において、本当の姫君のような扱いを受けてきたのだから」

 

 教員の言葉にはてらいがない。その代わり、自分の思っている事はずけずけと言うような節があった。

 

「……冷静、なんですね」

 

「事ここにおいて、焦る必要性がないからね」

 

「でも、あたしなんかを味方にしたって、この先、いい事なんてないですよ」

 

 自分は不条理の側に取り憑かれたのだ。もう逃げ場などない。

 

「そうかな? 僕は君の症例には興味がある。だから、任されたのもあるが」

 

 その言葉に燐華はハッと顔を上げる。眼鏡姿の教員はフッと微笑みを浮かべた。

 

「……にいにい様に?」

 

 真っ先に思い浮かんだのは兄の桐哉の根回しであったが、教員は首を横に振る。

 

「いや、彼の、じゃない。個人的に、かな」

 

「じゃあ誰の。誰の回し者なんですか」

 

 どこか飄々とした教員の声音に燐華は問い質していた。教員はしかし真剣な燐華とは裏腹にぷっと吹き出す。

 

「いや、悪い悪い。今時、回し者と来るかと思ってね」

 

「でも、あたしを味方にしたって何も……」

 

「そうかな? 僕は君を敵にするほうがよっぽどだと思うけれど」

 

 燐華は毒気が抜かれたように教員を見つめ返していた。彼の眼鏡の奥の怜悧な瞳が自分を捉える。

 

「あなたは……」

 

「保険医を承っている。ヒイラギ、というものだ」

 

「ヒイラギ先生? あなたは何で……」

 

「質問が多いな、君は」

 

 微笑んだヒイラギに対し、燐華は顔を翳らせる。

 

「あたし、どうすれば」

 

「十八時には生徒は帰る。その後に迎えでも寄越せばいい。そうすれば今日は何とかなるだろう」

 

 書類を作成する手を休めずに、ヒイラギは言ってのける。まるで当たり前の事のように。

 

「……先生はあたしをどうしたいんですか」

 

「味方についたつもりはないが敵になったつもりもない、と言えばいいかな。第三者として、君らに敵対する気はない。ただ単に、任せられた、と言うべきだな」

 

「誰に……」

 

 兄ではないのならば誰の差し金か。警戒した燐華に対し、ヒイラギは降参したかのように両手を上げた。

 

「怖い目をするなって。僕は平和主義者なんだ」

 

「平和なんて……一番に当てにならない」

 

「そりゃそうか。じゃあ、争いたくないってだけの小心者だ」

 

 どこまで信じればいいのか分からなかった。ヒイラギが嘘を言っているとも思えないが、本当の事だけを言っているわけでもないのは言葉振りからしてみても明らかだ。

 

「あたしの症例に興味があるって、何をするつもりなんです?」

 

「何も。経過観察かな。君はただ単に病弱なだけかもしれない。だが、学園で病弱な少女を捕まえて全員でいびるのは、それは少しばかり不条理だと思っている」

 

「……でも、今のこの国ではそれが正しいんです」

 

 そう、正しい事を皆が成しているだけ。そこに特別な感情を差し挟む余地はない。

 

「そうかな。同調圧力に任せて一人を攻撃する。それはアリ、とは言っても、アリの一つなだけであって全員がそうあるべきというわけでもないだろう?」

 

 やめて欲しかった。下手に優しくされれば惨めなだけだ。

 

 燐華は奥歯を噛み締めて頭を振った。

 

「じゃあ、先生は世界とでも喧嘩できるって言うんですか……!」

 

「喧嘩するほど血の気は多くないが、交渉するのは出来る」

 

「交渉……」

 

 呆気に取られる燐華を他所にヒイラギは並べ立てた。

 

「例えば、僕は君を守りたいとは言えないが、君を患者の一人として、守秘する義務があるとは言える。これは保険医の特権だ。だから、僕は君の誇らしい兄のようにはなれないし、そのつもりもないが、本当に、ただの興味本位で通りかかった第三者としてならば力になれるかもしれない」

 

「力に、ってどうやって……」

 

「お屋敷でも居場所のない姫君に、居場所を作ってあげるくらいはって事かな」

 

 目を見開く燐華にヒイラギは肩をすくめる。

 

「そこまでおかしい?」

 

「おかしいわ。だって何の得にも……」

 

「損得だけで物事は決定しないって事さ。なに、六時くらいまでなら話し相手にはなろう。迎えは君が帰りたいタイミングで寄越すといい」

 

 本当に、今言うべきなのはそれだけとでも言うように、ヒイラギは作業に戻る。

 

 燐華はすっかりこの教師の言い分に敵対心を失っていた。ヒイラギは何のために自分に接してくれるのだろう。そのような事も考えていたが、今は一つでも居場所が欲しかった。

 

 屋敷に居場所がなく、かといって学園にも居場所のない、この小心者に一つでも意義を見出してくれるのならば。

 

 相手がどのような考えであるのだとか、下心を持っているのだとか考えずに生きられていた頃に戻れるのならば、今は警戒心を解こう。

 

「じゃあ、先生。迎えが来るまで話し相手になってくれる?」

 

「ああ、いいともお姫様。書類の片手間ではあるが、お話くらいは聞きましょう」

 

 その様子がおかしく、燐華は微笑んでいた。

 

 いつ振りだろう、てらいなく笑えたのは。

 

 モリビトが現れ、世界が動乱に陥れられてからまだ一月と経っていないのに、随分と長い事、笑い方を忘れていた気がする。

 

 きっとそれだけ張り詰めていたのだ。

 

 本来の自分を取り戻すために、燐華は一つずつでもいい、自分らしくあれる場所を探し出そうと思っていた。

 

「ヒイラギ先生、あたし……」

 

 もしかしたら、話し始めると長くなるかもしれない。そんな懸念すら浮かぶほど、話す事柄は星の数に及んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯30 独立

 合流地点の離れ小島におけるブルブラッド大気汚染レベルは警戒汚染に達している。

 

 そのレベルでなければモリビト三機の合流など成し得ない、という意味か。鉄菜は背面にロプロスを装備したままの《シルヴァリンク》を合流地点に停止させる。

 

 彩芽と桃がマスクをつけて外に出ていた。思えばコックピットから出ている二人を同時に見たのは初めてである。

 

 彩芽に対して言い訳でも練ろうかと思っていた鉄菜は桃の声音に言葉を飲み込んだ。

 

「《バーゴイル》とまた戦ってきたみたいじゃない。クロってば、随分と戦いが好きなのね」

 

 そうだ、《シルヴァリンク》の応戦を支援したロプロスは元々《ノエルカルテット》の装備。探知していないはずがないのだ。

 

 鉄菜は言い訳の必要がなくなった事に息をついてから、コックピットブロックを開け放とうとした。

 

『鉄菜、相手は協定関係を結んでいたマジ。あまり信用し過ぎても』

 

 ジロウの忠告を受けつつ鉄菜は言い返す。

 

「だが、モリビト三機の合同任務は恐らく、第二フェイズの要だろう。私だけ静観しているわけにもいかない」

 

 コックピットが開き、紺碧の風が流れ込んでくる。

 

 鉄菜はマスクを着けず、二人の操主と対峙した。

 

 今ここに、地上で初めて三人のモリビトの操主の対面が可能となった。

 

 当初からこれは計画されていたのだろう。だが、こうして現実になるまではやはり紆余曲折あるものだ。

 

 桃は以前通りのワンピース姿。彩芽はRスーツを身に纏っている。

 

 既に話し合いは終わったのか、二人の間に敵意は流れていない。

 

「驚いたわね。まさか《ノエルカルテット》の操主がこうまで無防備な子供だなんて」

 

「モモもそう思ったわ。《インペルベイン》、あの高速戦闘術を可能にする操主はもっとオバサンかと思った」

 

 舌鋒鋭い二人の応酬は一旦区切られ、二人分の眼差しが鉄菜へと注がれた。

 

「鉄菜、《ノエルカルテット》の操主と密談をしていたのね」

 

 取り繕う必要もあるまい。鉄菜は首肯する。

 

「ああ。だがそちらも同じ腹だったらしい。結局、モリビトの操主三人でお互いに騙し合いをしていたわけだ」

 

「これくらい想定内でしょ。敵を欺くのにはまず味方から」

 

 悪びれもしない桃に彩芽は言葉を投げる。

 

「大体、何で最初から《ノエルカルテット》……三号機は合流を躊躇っていたのかしら。そこから話を進めてもらえる?」

 

「三号機は一号機と二号機とは設計思想が違うのよ。それに求め得る最終目的もね。第二フェイズにおいて、三号機は客観的に一号機と二号機の能力をはかる必要があった。……ただ、クロ、あんたが真っ先に《バーゴイル》なんかと戦闘したお陰でパワーバランスがちょっとばかし崩れたのは本当」

 

「必要最低限の戦闘だ。何も問題はない」

 

 応じた鉄菜の声音に桃はため息をつく。

 

「……そういうスタンス、嫌いじゃないけれど、アヤ姉も困ったんじゃないの?」

 

「そうね。鉄菜はこういう子だって理解するまでが大変だったけれど、でも今は何ともないわ」

 

 どうにも自分だけ侮られている気がしないでもない。しかし、ここで敵対する意味もなし。鉄菜は話題を催促する。

 

「で? モリビト三機による合同任務が可能になった今、お前達は何を望む? まさかまだ、騙し合いを続ける、とは言うまい」

 

「そりゃ当然よね。だって、クロの言う通り、バレちゃってるわけだし」

 

「今さら秘匿義務、って言うのも野暮よね。いいわ。今話せる事を話しましょう。まずはお互いに与えられた任務概要に関して」

 

 彩芽が切り込んできた。これがうまくいけば三号機の内情に踏み込める。鉄菜は自然と桃に目を向けていたが、桃は涼しげな様子でかわした。

 

「三号機は一号機、二号機のオブザーバーとしての役割。それ以上は言えない」

 

「言えないってのは、ここでは見苦しいわよ。もう隠し立てするのも馬鹿馬鹿しいでしょう」

 

 追及した彩芽に桃は言い返す。

 

「じゃあ《インペルベイン》の隠し武装に関しても全部洗いざらい話せるって言うの? それが無理な時点で、対等な話し合いなんて成立しないわ」

 

 彩芽がぐっと言葉を詰まらせる。封印武装に関しては最重要秘匿義務がある。如何に腹を割って話そうとしても、それだけは追い詰められでもしない限り言えない。

 

「私は話せる。それで清算できないか」

 

 鉄菜の思いも寄らない言い分に彩芽が目を見開く。桃もここで自分が彩芽を庇う側になるとは思っていなかったようだ。

 

「へぇ……アヤ姉の味方するんだ」

 

「私はもう封印武装を晒した。秘匿義務があるとしてもそれは敵に明かしてはならないというだけ。味方にはむしろ、言っておいたほうが後々を考えれば助かるだろう」

 

「どこまでも合理的ね、クロ。さっきの非合理的な戦いが嘘みたい」

 

 自分でも先ほどの戦闘に関しては疑問が残っていた。どうして、殲滅戦を邪魔したのだろう。自分達の目的は畢竟、復讐に集約されるというのに。

 

「じゃあ、鉄菜は封印武装に関して、話せるって言うの?」

 

「私の《シルヴァリンク》の封印武装はアンシーリーコートと呼ばれている。物理エネルギーの皮膜を一点に集中、相手を貫く無双の攻撃力と化す。このエネルギー波は防御にも転用可能だ。ただし、銀翼にかかる負荷が凄まじいのと、連発出来ない、というデメリットを持つ。加えて、先ほどのように重力下、接地での使用は想定されていない。その場合、全身の血塊炉の静脈が狂い出し、毛細血管の破裂を促す」

 

「空中戦用の装備、ってわけか。《シルヴァリンク》は元々、地上戦を想定した機体じゃないのね」

 

「いや、三機の中で最も地上戦に特化しているはずだ。メイン装備のRソードは接近戦に秀でている。これはモリビトという脅威を相手に分かりやすく示すための、プロパガンダの意味も有している」

 

「人機戦において、白兵装備は確かに相手に威圧感をもたらす。二号機が率先して人機との戦闘を引き受けているのはモリビトという存在の誇示もある」

 

 後を引き継いだ彩芽の言葉に鉄菜は頷いた。

 

「その辺りは彩芽・サギサカのほうが詳しいかもしれないな」

 

「そりゃねぇ? だってクロを囮にうまく利用して、自分は高みの見物だもん」

 

「人聞きの悪い事を言わないで。わたくしは有効な戦術を編み出したまで。鉄菜を囮にしたつもりはないわ」

 

「じゃあ無意識かも。クロ、やっぱりアヤ姉を信じるなんてやめたほうがいいんじゃない? 《インペルベイン》がどれほどの性能を誇るのか、クロには多分知らされていないんでしょ?」

 

「だからと言って、桃・リップバーン。お前の操る三号機に下るのも違うだろう。どうせお前だって《ノエルカルテット》の性能の半分だって明かす気はない」

 

 自分の考えが読まれたためか、桃は舌打ちを漏らす。

 

「……そう簡単にいがみ合ってはくれない、か」

 

「鉄菜がここまで言ってくれているのよ? そろそろ三号機の事に関しても、ある程度は開示してくれていいんじゃない?」

 

 自分の顔を立てる、という意味では三号機のスペックも共有されるべきだ。鉄菜は桃を睨み据える。

 

 桃は《ノエルカルテット》の頭部コックピットをさすりながら口を開こうとした。

 

 その時である。

 

『緊急通信回線』

 

 ルイが浮かび上がり彩芽の端末と鉄菜の端末にそれぞれ動画を共有させる。投射画面に映し出されたのは国家元首の顔であった。

 

『我々C連合国傘下のコミューンは本日をもって、独立国オラクルとして、C連合を離脱する!』

 

 その言葉に議会が湧いた。群集が新たな独立国の旗を持って議事堂の前を囲い込んでいる。

 

「独立国家……!」

 

 瞠目する彩芽に対して桃は冷静であった。

 

「なるほどね。遂に第二フェイズの最終段階に至ったわけか。アヤ姉、クロ。疲弊したC連合から独立する国家が出るのは想定内よ。問題はこの国家の処遇。この独立国を我々ブルブラッドキャリアは是とするか、それとも……という話」

 

「独立国家が増えれば、それこそ地上の緊張状態が加速する。もっと言えば、倒すべき対象が増える事になる」

 

 鉄菜の冷静な切り返しに桃は微笑んで立ち上がった。

 

「決まりね。モリビト三機は初めての合同任務として、独立国オラクルを脅威として解散させる。明朝をもって第二フェイズの最終段階に到達させるわ」

 

 手を払った桃に彩芽は苦々しい表情を浮かべる。

 

「……随分と、間がいい事ね。まるで示し合わせたみたいに」

 

「何の事か。だって勝手に独立宣言したのよ? モモは何もしていない」

 

 その言葉を素直に信じるかどうかは別であったが、鉄菜へと彩芽は決定権を投げていた。

 

「どうするの? 鉄菜」

 

 迷うはずもない。鉄菜は言い放つ。

 

「独立国家オラクルを脅威判定Bに認定し、モリビト三機による強襲を仕掛ける」

 

「はい、決定ね。アヤ姉も補給を受けてから万全の姿勢で臨むといいわ。ロプロスの翼を貸してあげる。モモは海から仕掛けるわ。《シルヴァリンク》は」

 

「地上から。人機部隊を一掃する」

 

 逡巡さえも浮かべない鉄菜の言い草に桃は微笑む。

 

「いい覚悟ね。じゃあ、それまでせいぜい休んでおく事。休息も戦士には必要よ」

 

 桃が踵を返しコックピットの中へと収まる。彩芽はやはり納得していないようであったが、ここで言及するのも意味がないと判じたのだろう。

 

 同じようにコックピットへと戻る。

 

 鉄菜は二人が戻ったのを確認してからコックピットブロックに足をかけた。

 

「ジロウ。今の情報、意図的なものじゃないのか?」

 

『残念ながら真実マジ。本当につい先ほど、C連合からオラクルという国家が独立宣言したマジよ』

 

「内部から調整された痕跡は?」

 

『それが分かれば苦労もしないマジが……。独立宣言はこちらにもたらされた時、ほとんどリアルタイムマジ。だから意図的に三号機の操主が話題を逸らすために行ったとは考え辛いマジ』

 

「……情報操作ではない、と考えるべきか」

 

 あるいは三号機に搭載されているAIサポーターの仕業か。鉄菜は《ノエルカルテット》に関して分からない事があまりにも膨大であるのを感じ取った。

 

 三機のサポートマシンの存在。恐らく三機共に装備されている血塊炉の内情。何もかもが不明なままだ。

 

 だが、と鉄菜は《シルヴァリンク》の状態を呼び出す。

 

 先ほどの戦闘で貧血状態に陥っていた《シルヴァリンク》はほぼ万全な状態にまで回復していた。

 

 サポートマシンの一つ、ロプロスからもたらされた血塊炉の補助によるものだろう。

 

 人機一体分のステータスを完全回復させた。ここまでの事を可能にするのだ。《ノエルカルテット》は一号機や二号機とは本質的に別だと考えたほうがいい。

 

「でもだとすれば……なおさら信用を捨てたようなものだ」

 

『三号機の操主が何にこだわっているのかも不明マジ。今は、下手に出られないマジね』

 

 リニアシートに体重を預け鉄菜は《シルヴァリンク》に装備されているロプロスのデータを読み込もうとしたが、やはり防壁が邪魔をする。

 

「こちらからの逆探知はまず不可能、だな」

 

『鉄菜、本当にオラクルと戦うマジか?』

 

「今はそれしかないだろう。あまりに好都合が過ぎるタイミングだとは思うが」

 

『独立国家オラクルは元々C連合下でも反発心の強かった国家マジ。いつ離脱してもおかしくはないとはいえ、兵力を増強したと言う噂も聞かないマジ。出てくるのは熟練度の低い《ナナツー》だと考えてもいいマジね』

 

「どちらでもいい。私は戦うだけだ」

 

 それしか自分には出来ないのならば。鉄菜は拳を握り締めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯31 新たなる場所

 転属先の整備班は破損した《バーゴイル》を見るなり渋い顔をした。

 

「困りますね、准尉殿。輸送中にスクランブルをかけただけでも充分にやり過ぎだというのに、壊して持ってくるなんて」

 

 ぐうの音も出ない。桐哉は言い訳だけはするまいと考えていた。

 

「どれくらいで修理が出来ますか?」

 

「三日は欲しいところですね。中破の状態です。それに《バーゴイルスカーレット》の耐熱塗装は高くつく。この場所なら耐熱塗装の必要はありませんよね?」

 

 自分達の矜持であった赤いカラーリングを剥がせ、と言われているのだ。それだけは、と思い留まろうとして、今はそれさえも許されないのだと桐哉は自分に言い聞かせる。

 

「……頼みます」

 

「はいよ。まぁ動けるようにはしておきますよ。仕事ですからね」

 

 スカーレット隊が駐在していた場所の整備班と比べてみれば随分と冷遇であったが当たり前なのだ。

 

 自分は故郷を追われ、国家を貶めた重罪人。

 

 そんな人間には僻地が似合っているとでもいうように、前線基地とはまるで言い難いほど山脈と地平が広がっていた。

 

 航空甲板はないのだな、と口中に呟く。《バーゴイルスカーレット》が万全の調子で出られるようにはなっていなかった。

 

 まずは顔合わせだ、と桐哉が責任者の部屋へと急ごうとしたところで、ブリーフィングルームで囃し立てる声が聞こえた。

 

「おいおい! またそっちの勝ちかよ」

 

「うっせぇ、勝った側に配当だろ」

 

 けっと毒づいた大柄な隊員が紙幣を手渡す。痩せぎすの隊員は、まいど、と受け取っていた。

 

 ポーカー勝負か、と桐哉はそれを観察する。

 

 自分の所属していたスカーレット隊はいつでも緊急出動に耐えるために、酒もギャンブルもご法度だったな、と思い出す。

 

 大柄な男がこちらの視線に気づいた。睨み返した男に桐哉は気圧される。

 

「おいおい、こいつぁ傑作だ! ゾル国の英雄様じゃねぇか!」

 

 痩せぎすの男も桐哉に気づき、喉の奥で笑う。

 

「おお、英雄様が来るとは聞いていたがまさか本当だとはな」

 

「随分とまぁ、優男じゃねぇの。英雄ってのはもっと気取った奴だと思っていたぜ」

 

 歩み寄ってきた男に比すれば桐哉は確かにひ弱に映るだろう。大股で近づいてきた男は桐哉の顔を覗き込んだ。

 

「本国から表彰されたって言う、モリビトの勲章。見せてくれよ、なぁ」

 

「見せてどうするというんだ。自分はそれほど安く売り歩いていない」

 

 言い返した桐哉に男が哄笑を上げた。

 

「おい、聞いたかよ! 安く売ってないだとよ。そりゃあ高いだろうな。本国どころか世界を敵に回したモリビトってのはよぉ!」

 

 桐哉はぐっと拳を握り締める。今は耐え忍ぶ時だ。面を伏せた桐哉に痩せぎすの男が言いやる。

 

「反論も出来ないでやんの」

 

「そりゃそうだ。モリビトが世界の敵なのは確かなんだからよ。しかし、本国の高官連中も馬鹿だよなぁ。英雄の勲章を贈る相手を間違えるなんて間抜けにもほどがあるぜ」

 

「……本国への侮蔑発言は」

 

「ああ? てめぇこんな僻地でまでいい子ちゃんを貫こうってのかい? そいつは笑えるぜ。こんな場所、C連合も、ブルーガーデンだって攻めて来ねぇ。ゾル国の本当の端っこさ。そんな場所に飛ばされてきたんだ。意味くらい分かるだろ?」

 

 ここが前線から遠く離れた場所だという事くらいは理解している。だが、スカーレット隊の隊長は便宜を尽くしてくれたはずだ。

 

「階級は下がっていない」

 

「それがマシに言える言葉の一つか? 階級は、確かにおれらよりも上かもなぁ。なにせ、英雄様様だ。今まで本国で甘い蜜を吸ってきた甘ちゃんじゃ、自慢出来るのは勲章の数くらいだろ」

 

 その言葉に桐哉は覚えず掴みかかっていた。

 

 今まで自分達がどれほど古代人機退治に命をかけてきたのか、この男には分かるまい。だが死んでいった仲間まで侮辱されたようで桐哉は我慢ならなかった。

 

 掴みかかっても男は平然としている。

 

 体格差は明らかだった。

 

「殴るのか?」

 

 口角を吊り上げた男に桐哉は歯噛みする。ここで殴ったところで何にもならない。それが理解出来ているからこそ、何も出来ないのだ。

 

 男の拳が飛んでくる。桐哉は防御も出来ずその場によろめいた。

 

「英雄って言うからにぁ、血の気が多いのかと思いきや、生易しいじゃねぇか。去勢された畜生みたいだぜ」

 

 殴られた頬が切れたのか口中に血の味が滲む。睨み上げた桐哉の視線に男がぴくりと眉を跳ねさせた。

 

「生意気だな、そのツラァ……。ぶっ潰してやろうか? ああ?」

 

 桐哉は口元を拭いつつ唾を吐きつけた。大男の靴に血の混じったものがこべりつく。

 

 大男が頬を痙攣させ、自分へと殴りかかった。

 

「てめぇ!」

 

 これでいい。充分に対抗する理由が出来た。桐哉は男の拳の軌道を読み切り、全身を使っていなす。

 

 軸足を軽く蹴りつけその姿勢を奪った。

 

 大男が盛大によろける。その顔面へと桐哉は偶然を装って靴先を突っ込んでやった。

 

 大男が鼻先から血を噴き出させる。

 

「ぶっ潰す、だったか。どっちの台詞かな、それは」

 

「このクソ野郎!」

 

「何やってんだ、お前達!」

 

 大男が掴みかかろうとしたところで放たれた怒声に痩せぎすの男が踵を揃えた。大男も慌てて挙手敬礼する。

 

「ぶ、分隊長……」

 

「なかなか報告に来ないと思ったらお前ら、また賭け事か。それに暴力とは。なっちゃいないな」

 

「し、しかし分隊長……こいつ、ナマイキで」

 

「喧しい! 生意気も糞もあるか! お前ら後で始末書だ!」

 

 分隊長と呼ばれた男の気迫に二人が硬直する。桐哉はここでの上官に挙手敬礼をした。

 

「すまない。まずは私が話を通しておくべきだった。桐哉・クサカベ准尉、着任を歓迎する」

 

「いえ、自分も至らなかった部分もあります」

 

「そう言ってくれると助かるよ。血の気の多い奴ばっかりでな。やり難いかもしれないが……」

 

 分隊長が大男に目線をやる。大男はブリーフィングルームを後にした。その背中に痩せぎすが続く。

 

「……後で覚えてろ」

 

 すれ違い様に発せられた言葉に桐哉は静かに言い返した。

 

「どっちが」

 

 大男が歯噛みしたのが伝わる。分隊長は改めて見ると紳士的な、髭の壮年であった。

 

「改めて、着任を歓迎する、クサカベ准尉。すまないね、手荒になってしまった」

 

 手を差し出される。桐哉は今しがた悔恨に握り締めた掌に爪を立てていた事に気づいた。それほどまでに悔しかったのだ。躊躇っていると分隊長自らその手を取った。

 

「何も、謙遜する事はあるまい。君の活躍は聞き及んでいる」

 

 ならばその凋落も然りだろう。桐哉はこの僻地に転属された理由を問い質さなければ成らなかった。

 

「その、シーア分隊長」

 

 ネームプレートからその名前を読み取る。ミハイル・シーア分隊長。この僻地の命令系統を司る長であった。

 

「君をここに呼んだ理由、かな。それとも私達の仕事についてか」

 

 シーアは何もかもを理解しているようであった。桐哉はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「両方、です。自分は古代人機ばかりを倒してきた人間。この場所で何をすればいいのか、まるで分かっていません」

 

「結構。自分の領分がどの程度かを判断出来る人間は貴重だ。そうさな、クサカベ准尉。歩きながら話せるか?」

 

「ええ、大丈夫です」

 

 ブリーフィングルームを出たシーアはそのまま整備デッキへと足を進めた。

 

「この場所はほとんど敵陣からは遠くってね。C連合の目も届かぬ僻地だよ。だが、《バーゴイル》は常駐している。とは言っても、型落ち機体ばかりだが」

 

 暗に自分のスカーレットはこの場に似つかわしくないと言われているように思えた。そういえば整備班からもいい顔はされなかったな、と思い返す。

 

「《バーゴイルスカーレット》のような高コスト機体はやり辛い、と言われてきました」

 

 シーアは軽く笑う。

 

「早速洗礼は受けてきたわけか。そうだな、スカーレットのような耐熱コーティングを施すほどの予算的余裕はなくってね。ここにある《バーゴイル》は本当に最初期量産型のものばかりだ。飛翔機能と申し訳程度のプレスガンか。君の操る《バーゴイル》には接近兵装もあったようだが、こっちの《バーゴイル》は完全に分かれていてね。使い難さを感じるかもしれない」

 

「いえ、あらかたの機体操縦はマスターしたつもりです」

 

 型落ち機でもそれなりに戦える、という事をアピールしたつもりだったが、シーアは薄く微笑む。

 

「だが戦場からは随分と遠いよ。たまに周辺警戒に出る程度か。ゾル国の辺境地、あるのは山脈とブルブラッド大気に冒された大地のみ。生憎と食料には事欠かないが、それでも必要最低限だ。この場所は本国より見捨てられた場所と言ってもいい」

 

「見捨てられた、ですか……」

 

「君のように、本国の期待を双肩に背負ってきた人間からしてみれば、ほど遠い場所だよ。古代人機も滅多に出ない。出てもこの基地までは襲撃しないとも。ある意味では古代人機のほうが賢いかもな」

 

「分隊長、ここでの仕事は……」

 

「先にも言った通り、周辺警戒だ。ならびに、敵性人機の排除任務もあるが……これは三年に一度回ってくればいいほうだな。ゾル国に攻めるような向こう見ずもいまい。あの山脈が見えるかね?」

 

 一面がガラス張りの廊下から望んだのは青く染まった山脈の向こうであった。桐哉は小首を傾げる。

 

「見えますが何ですか」

 

「ブルーガーデンとの国境だ」

 

 言われて桐哉は目を見開く。あれが、と覚えず口にしていた。

 

「独裁国家の……」

 

「まぁ、お互いに辺境同士。小競り合いもない。だが、一応は敵性国家と隣接している事をゆめゆめ忘れるなよ」

 

 ここも戦場になる可能性があるのか。地上はどこへ行ってもそのようなしがらみばかりだ。

 

 宇宙が恋しい。

 

 あの場所では地上の戦などほとんど無縁でいられたのに。古代人機を狩り、仲間と連携するだけでいい、あの気楽な場所は今、濃紺の大気に覆われて窺う事も出来ない。

 

 この青の天蓋が憎々しいほどに広がっているのが地上という場所であった。

 

「《バーゴイルスカーレット》は出来るだけ万全にしておこう。君の愛機だ。それくらいの礼は尽くさせてくれ」

 

 分隊長がどれほどの人格者でも実際に手を動かすのは整備班だ。恐らく自分の要望通りにはならないだろうなというのは容易に理解出来た。

 

「ありがとうございます。……ですがここで使う事はまずない、という事なのでは?」

 

「なに、ちょっとした休暇だと思ってくれればいい。ブルーガーデンは色めき立つ事もないし、ここは地上でも平和な部類の場所だ。バカンスには、海も砂浜もないのが惜しいだろうがね」

 

 分隊長なりのジョークに桐哉は微笑んだ。

 

 この場所で死ぬまで周辺警戒に務めるのか。隣国の脅威はありながらも、それは張りぼての脅威に過ぎない。

 

 古代人機でさえも見捨てた地上の孤島。こんな場所が自分の求めていた結果だというのか。

 

 しかし、便宜を尽くしてくれているのは分隊長の話し振りからして明らかだった。これでも礼儀は通している。

 

 向き直った分隊長は頬の傷を見やった。

 

「……すまないね。血の気の多い奴らだが、悪い連中ではないんだ。慣れればいい仲間になるかもしれない」

 

「いえ、気にしていません」

 

「医務室に寄るといい。それと君の身分だが……やはり本国の建前があるとは言え、ここでも英雄扱いは出来ない。すまない事だが……」

 

 やはりモリビトの名前か。どこまで行ってもその呪縛がついて回る。この惑星で生きている限り、自分は一生罪人だろう。

 

「いえ、大丈夫です」

 

 型式通りの言い回しを使って桐哉は能面を作り上げた。何も気にする必要はない。自分はただ軍を追われなかっただけでもまだマシなのだ。

 

 仲間を死なせた、隊長に屈辱を浴びせた、自分にも幾度となく煮え湯を飲ませたモリビトがどれほど許せなくとも、このような辺境では憎しみさえも忘れる事になるだろう。

 

 忘れなければ、生きていけない。

 

「そう、か。君が思っていたよりも理解を示してくれて助かる。スカーレット隊の隊長は人格者だった。散っていった君の仲間もきっとそうだろう。皆が君を支えてくれている。この世界は何も敵意ばかりではない」

 

 分隊長の慰めに桐哉は挙手敬礼を送った。しばらくは転属手続きで任務はない、との事であった。

 

 その足で医務室に向かおうとして桐哉は大男と廊下で出くわした。

 

 先ほどの続きをやるのか、と身構えた桐哉に大男は想定外にこちらを無視した。

 

 まるで意識するまでもない羽虫のように。

 

「分隊長の言葉には逆らえん。だが、お前に居場所なんてこの地上じゃどこにもないんだよ。それくらいは分かっておけ」

 

 ――ああ、その通りであろう。

 

 言われなくとも分かっている。青く染まった大地に、空も望めぬ星の辺境。

 

 ここではどのような望みも、どのような高尚な意思もまるで意味がないのだ。

 

 下手に戦地に駆り出されるよりもよっぽど諦めのつく場所であった。ここに送られた以上、もう二度と戦場の昂揚は求められない。

 

 もしこの地が戦いに赤く染まるとすれば、それは世界の終わりに等しいだろう。せめて宇宙が、星空が見えれば、と桐哉は首から下げたペンダントを握り締める。この星がまだ空で繋がっている事が証明出来るのは大気圏の外だけだ。

 

 青い大地に冒されたこの場所では気が狂いそうだ。ブルブラッドの濃紺が自分の足取りさえもあやふやにする。

 

 地上において、足跡さえもつける事は許されない。

 

 その命を刻み込む事も叶わない不可侵の世界。

 

「燐華……俺は」

 

 英雄などではない。妹に迷惑をかけるだけだ。

 

 故郷に残してきた妹だけが気がかりであった。通信回線を開こうとしてもこの基地の濃度では安定した電波も得られないだろう。

 

 ――絶対の孤独、と桐哉は胸中に結ぶ。

 

 今まで宇宙の常闇にいても感じなかった代物だ。闇の中でも三機の赤い《バーゴイル》が灯火のように行くべき道を照らしてくれていた。

 

 しかし地上では《バーゴイルスカーレット》の赤い矜持は最早邪魔なだけだ。

 

 そのようなものを振り翳すのならばもっと意義のある事に使え、とまで言われかねない。

 

 どうすれば、と瞑目した桐哉は医務室の扉をノックした。

 

「はい」と応じたのは女性の声だ。

 

 入るなり、眼鏡姿の女性がよろけてこちらに倒れ込みかけた。

 

 慌てて桐哉は彼女を受け止める。眼鏡の女性は三つ編みを揺らして頭を振った。

 

「すいません……まだ眼鏡に慣れなくって距離間が……」

 

 こちらを仰ぎ見た女性は、うわっと悲鳴を上げた。

 

 桐哉も覚えず後ずさる。

 

「えっ? 桐哉・クサカベ准尉? ですか……? モリビトの?」

 

 女性の言葉に桐哉はまごつきつつも首肯する。女性は眼鏡をかけ直し、ぱっと表情を明るくさせた。

 

「英雄が来るって本当だったんだ……! あの、これ!」

 

 白い色紙を渡され桐哉は困惑した。それと共にマッキーも握らされる。

 

「サイン、お願いしますっ!」

 

 桐哉は呆然とする。今まで自分の事を堕ちた英雄だと罵る人間はいても未だに英雄視する人間などいないと思っていたからだ。

 

 まして目を輝かせてサインを要求するなど。

 

 桐哉がどうするべきか硬直していると女性は桐哉の頬に打撲をようやく発見したらしい。

 

「あっ、怪我……」

 

「その、医務室、ここですよね?」

 

 聞き返して女性はあまりに軽率な事を言っていたのだと自覚したらしい。赤面して眼鏡がずり落ちる。

 

「またやっちゃった……後先考えずに動いちゃうから、ダメだって言われてるのに……」

 

「その、サインくらいならしますけれど……でも今の俺なんて」

 

「何を言っているんですか。だって准尉は英雄でしょう? モリビトなんですから、もっと自信持ってくださいよ」

 

「自信、ですか……」

 

 真っ先に縁のない言葉だ、と思いつつも桐哉は笑みを返した。女性は慌てて応急手当の用具を取り出そうとする。

 

 その手先が滑り、ガーゼと綿棒が床に散らばった。

 

「ああっ! あたし、また……」

 

 どうやら相当に鈍い様子だ。桐哉は散らばった綿棒を片づけつつ言葉を切り出す。

 

「ここの医務室の主治医は、あなたなんですか?」

 

「ええ、その……どこも手が足りていなくって、あたしみたいな新人の医者まで駆り出されちゃって……あっ、でも今までミスした事はないですからっ。本当ですよ?」

 

 疑わしいものである。桐哉は綿棒を纏めて卓上に返す瞬間、端末の投射画面が映し出す最新のニュースに目を留めていた。

 

「……独立宣言?」

 

「ああ、ついさっき入ってきたニュースです。C連合からオラクルっていう小さな国が独立したって。でも、ゾル国には関係ないですよね。C連合の中のいざこざですし」

 

 オラクルの旗を掲げた人民が議会を占拠し、高らかに国家を歌いながら往路を行っている。

 

 これが今の地上の有り様か、と桐哉は見入っていた。

 

「あの、怪我の処置をしますので、座ってください」

 

 桐哉は頬の怪我を女性に診せる。ふむふむ、と眼鏡のブリッジを上げて女性がガーゼを消毒液に浸した。

 

「軽い打撲ですね。リゼルグ曹長の仕業でしょう?」

 

 あの大男はリゼルグという名前なのか。桐哉は沁みる消毒液の感触を覚えつつ、応対していた。

 

「ちょっとトラブルになりまして」

 

「分かりますよ。リゼルグ曹長もタイニー兵長も荒っぽいですもんね。あの二人はあたしも正直苦手で……あっ、今の、これですよ」

 

 唇の前で指を立てる。無論言い触らすつもりはない。桐哉が頷くと、眼鏡の女性は笑みを浮かべた。

 

「でも嬉しいなぁ。だって英雄が近くにいるんだもの」

 

 まだ自分の事を英雄だと呼んでくれる人間がゾル国にいる事のほうが驚きであった。桐哉は、その、と言葉を継ぐ。

 

「あまり俺の事を英雄だとか、モリビトだとか呼ばないほうが……だってもう」

 

 そこから先を濁すと女性はハッとした様子で面を伏せた。

 

「ごめんなさいっ! あたし、そういうのにも疎くって……。何にも考えていない発言でしたよね……?」

 

「いえ、俺はいいんですけれど、周りの目とか」

 

「あたしみたいな小娘、誰も相手にしませんよ……」

 

 眼鏡の女性は俯いたまま、拳を握り締めた。桐哉は困り果ててしまう。どうにも自分は気の利いた言葉というのが出ないらしい。

 

「その、俺は別にいいんです。ただ、あなたの評価とかに繋がってきますから」

 

「……前任のお医者様が転属になって、その後任なんです。そのせいか、あんまり信用されていないみたいで。怪我してもみんな絆創膏、って言われるだけで一度もあたしに診せてくれなくって……」

 

 そのせいもあったのか、女性は所在なさげに目線を彷徨わせる。

 

 桐哉は頬を掻いて言いやった。

 

「でも、今治してくださっていますし、お医者さんとして真っ当じゃないって事はないんじゃ?」

 

「それは、そうですけれど……」

 

 どうにもやり辛い。桐哉は手にしていた色紙にサインを書いていた。

 

 それを女性に手渡す。

 

「えっ、これ……」

 

「いえ、俺のサインなんかでよければいつでも」

 

 その言葉に女性は笑みを咲かせた。まるで百面相だな、と桐哉は感じる。

 

「嬉しいっ! 英雄のサインもらうの夢だったんですよねぇ。これは家宝ですっ」

 

「そんな大げさな」

 

 呆れた様子の桐哉に女性は言いやる。

 

「いえっ、あたしにとってはこれでも充分なほどで……」

 

 その段になって治療が疎かになっている事に気づいたらしい。あたふたした女性はまたしても綿棒とガーゼを床にぶちまける。

 

「ああっ! すいません!」

 

「いえ、いいですけれど……その、先生はここ、長いんですか?」

 

「先生だなんて。あたし、リーザ・カーマインって言います。リーザって呼び捨てで大丈夫です。あたしの事を先生って呼んでくださる方なんていらっしゃらないので……」

 

 またしても地雷を踏んだか、リーザはため息を深くつく。桐哉は散らばった綿棒を拾い集めながらリーザの顔を横目にする。

 

 医者にしては不器用で野暮ったい。白衣を持て余しているイメージだった。

 

 自分と似たようなものか、と桐哉は胸中に結んで綿棒を纏めて返す。

 

「その……すいません。治療に来てくださったのに、さっきからあたし、迷惑ばっかり」

 

「いえ、俺も迷惑かけているみたいなもんなんで。別にいいですよ」

 

 その言葉にリーザは一拍挟んでから、頭を振った。

 

「いえ……あたしにとってモリビトは英雄の名前ですから。だから、謙遜しないでください」

 

 とは言われても、もうモリビトの名は世界の敵だ。そう容易く自己を認めるわけにもいかない。

 

「とりあえず、怪我だけ治しますね。……ごめんなさい、あたし、空気読めない感じで」

 

「いや、俺もその辺りは似たようなものなんで」

 

 治療を受けている最中、桐哉は独立国家のニュースを読み取っていた。

 

 現地時間で一時間ほど前のニュースだ。ゾル国のトップはどう判断するのだろう。

 

《バーゴイル》で出るのか、あるいは――。

 

 そこまで考えて自分が追及しても栓ない事だと思い直す。

 

「軽い打撲なんで、痛み止めだけ出しておきますね。その、あたしの身分で出過ぎた言い草かもしれませんが、出来るだけ仲良くしてくださいね……。基地の人同士でいがみ合っても、それは仕方のない事ですから」

 

 いがみ合っても仕方がない。その通りなのだろう。だが、相手がその気なら自分も対抗するしかない。皆が皆手を取り合えるほど、この世界は容易くないのだから。

 

「ありがとうございます。リーザ先生は皆さんの事、知っておいでで?」

 

 リーザは膝元で手を組んで首を横に振る。

 

「前任の先生が推薦してくださっただけで、まだまだひよっこなんです。そんななのに、基地のお医者様なんて……あたしに向いているのかな……」

 

「少なくとも、俺の怪我を今、診てくれましたけれど」

 

「それは、その……! どれだけ建前のお医者様だからと言って、ダメなままじゃいられないと思っているからで……」

 

 どうにも自信のない様子だ。桐哉は自分に向ける羨望をリーザ本人に向けてやったほうがいいのではないかと思わされる。

 

「俺なんて戦う事しか知りませんから。先生よりもずっと、未熟者ですよ」

 

 礼を言って医務室を出ようとした背中にリーザが呼び止める。

 

「その、桐哉准尉! ……怪我をしたら、言ってくださいね。我慢してもその、いい事はないですから」

 

 あの二人の事を言っているのだろうか。容易く殴られるつもりはないが、ここでのトラブルは避けたいのだろう。

 

 桐哉は振り向かずに片手を振った。

 

「俺だって、怪我をしたくないですから」

 

 言いやって桐哉は医務室を後にした。頬に沁み込んだ消毒液が妙に疼く。

 

「……消毒液つけ過ぎだろ。あの子……どこか燐華に似ていたな」

 

 妹の面影をこんな僻地でも探してしまう。結局、独りになり切れない。持て余している感覚に桐哉は拳を握り締めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯32 突きつけた刃

 タチバナが一報を聞き届けたのは航空機の中であった。

 

 最速でもたらされたという情報にタチバナは通信回線を開く。個人用にチャーターされたジェット機は紺碧の空を引き裂いていった。

 

「C連合の独立国家? 何故、このタイミングで……」

 

 この機会に独立などしてもC連合の煽りを受けるだけではないか。そう考えた矢先にモリビトの存在とブルブラッドキャリアの宣誓が呼び起こされる。

 

「そうか、C連合本体が今、疲弊し切っている。独立をこのまま、既成事実として成立させようというのか。確かに、本国はうるさくないかもしれないな。しかし……」

 

 言葉を濁したタチバナに通信回線を開いた渡良瀬が後を引き継ぐ。

 

『問題なのは他の二国間との対立ですね。ゾル国が静観するか、あるいは、と言ったところ』

 

 オラクルの情報を端末に呼び出す。ブルーガーデンにほど近く、ブルブラッドの採掘で成り上がった国家の一つだ。今、一つでも補給を潰されれば大国はすぐではなくとも物資の不足に喘ぐ結果になる可能性はある。

 

「今は一糸乱れぬ統率が望まれるところ。その現時点において、オラクルの独立はまさに寝耳に水、か。C連合が火消しに躍起になるかもしれない」

 

『そうなれば紛争、ですか……』

 

 渡良瀬の沈んだ声音にタチバナはふむと首肯する。

 

「モリビトとブルブラッドキャリアの報復を前にして、地上の諍いなど起こしている場合ではないとは思うが……人は合理的になり切れないものだ」

 

 合理性を主とするのならばC連合から離脱する事さえも意味を持っていない。しかしタチバナはこの時、ある可能性に思い至った。

 

「いや、まさか……」

 

 頭を振ったタチバナに渡良瀬が問いかける。

 

『どうさないました?』

 

「……地上での国家が増える、という事は、だ。ブルブラッドキャリアの報復対象が増える事になりかねない。何よりも、オラクルは血塊炉の産出国。押さえておくのに越した事はない」

 

『動くというのですか、モリビトが』

 

「あまり逸った判断は出来ないが、前回と前々回のデータを参照するに、モリビトとブルブラッドキャリアはまず大国C連合を落としにかかっている。それも当然だな。大陸を支配するC連合はまず目の上のたんこぶだ。地上の人々への全面戦争を仕掛けるのならば、まずはC連合を叩きのめす。ただ……これには穴がある」

 

『穴、とは?』

 

「真正面から切り込んできているモリビトに便乗して、ゾル国やブルーガーデンも横腹を突ける。どこかを一点攻めすればどこかの利になる、という事だ。モリビトはたった三機の戦力。どれほどにその単騎能力が驚異的でも三機の人機に他ならない。どれほど崇高な理想を掲げたとしても、惑星全土を攻め落とす事など出来ない、という事だ」

 

『……オラクルは、それを理解していて』

 

「さぁな。ワシには決定的な事は何も言えんが、オラクルの情勢にC連合が介入し、その隙が生まれる事だけは確実。紛争になる前に火消しをしたい連中と、種火に過ぎないその小さな戦火を広げたい連中が同居しているのがこの星だという事だ。ともすれば全面戦争になりかねないが、モリビトよ、どう動く? モリビトがC連合に味方するか、オラクルに味方するか、あるいは違う選択肢を取るかで、この情勢、恐ろしく変化するぞ」

 

 タチバナの言い草に渡良瀬は唾を飲み下したようだ。

 

『モリビトの動き次第で、世界が変わる、という事ですか……』

 

「大げさに言えば、な。あれがどこに味方をするかで少なくとも盤面の勢力図をどう動かすのか、お歴々は少しばかり頭を捻らなければならんだろう。頭を捻る必要もないほど、ブルブラッドキャリアのやり口が明確ならばありがたいのだが……」

 

 今のところブルブラッドキャリアの思想は詳らかになっていない。その先導者であるオガワラ博士の存在でさえも疑わしいのだ。

 

『オガワラ博士のデータ、参照しましたが……現時点で言える事は少ないですね』

 

 オガワラ博士の経歴はほとんど黒塗りだ。その中で明らかになっているのは「死亡」という事実のみ。

 

「死者が語るか……この世界の行く末を。だが、それさえもこの惑星の抱える原罪の一つなのかもしれないな」

 

『ですがどれほど精査しても出てこない事を鑑みるに、どこかで情報統制がしかれている可能性も考えられます』

 

「あり得るとしても、それは本当に、政府高官レベルだな。となると我々の敵は分かりやすくモリビトだけではない事になる」

 

 どこかの国が糸を引いているか、あるいは国家などはまだ生易しい、もっと大きなうねりが働いているのか。

 

『モリビトの前回の戦闘ですが、これは……』

 

 最大望遠で映し出された戦場でモリビト同士が火花を散らしている。巨大人機のモリビトと青のモリビトが交戦し、その間に割って入ったのが緑のモリビト、という形になっていた。

 

「分からんな……連中同士でも派閥争いでもあるのか? やり合うのならばこの地上でなければいいのだが」

 

 モリビト単体の思想も読めない。どの機体がリーダーなのかも分からない中、各国首脳は早急な決断だけを求められている。

 

 モリビトへの対抗策。並びに他国への牽制。技術開発の体のいい論点のすり替え。どの国が暗躍していても今は責め立てられる風潮ではない。

 

「どこかの国が率先してモリビトと戦うと言えば、他国が攻めるいい口実が出来てしまう。だからどこの国も自らモリビトをどうこうしたいとは言わない。極論、冷戦状態は続いたままだ。それも以前より性質の悪い形で」

 

『やはりオラクルの独立は、C連合の陰謀なのでは? オラクルを矢面に立たせて、ブルブラッドキャリアの動きを見る、という』

 

「そういう穿った見方も出来るが、一国家を人質に差し出すか。それは鬼畜の所業だ」

 

 戦場となるであろうオラクルの人民は納得するまい。否、それも込みでの作戦なのか。

 

 どれほど思考を割いても結果は訪れない。モリビトの動き次第でここからの盤面は大きく変わってくる。

 

「ブルブラッドキャリア、その思想が本物だというのならばこの局面、どう動く?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 命令書、という形でしかこの戦局を動かす方法はない、と上官は苦々しい口調で切り出していた。

 

「悔しいが、オラクルの独立に際し、対策を練っていないわけではない。だが、ここでC連合が色めき立てば」

 

「それは自作自演だと言っているようなもの。難しいところです」

 

 後を引き継いだリックベイに上官は皮肉めいた笑みを浮かべた。

 

「だからこそ、下仕官に命令するしかないのだが、この場合、ゾル国とブルーガーデンの介入でさえも読み切らなければならない」

 

「C連合内でのいざこざでありながら独立国家が成立すればそれは盤面を大きく変える一因となる。C連合の言う事を聞かないのであれば、ではどこに与する、という話になりかねないからです」

 

「その通りだ。……相変わらず小気味いい先読みを見せてくれる」

 

「いえ、当然の帰結でしょう」

 

「謙遜するな。今のC連合の上役は浮き足立っている。君のように冷静な判断を下せる人間は貴重なほどだ。オラクルの独立をC連合の自作自演と見れば、ゾル国とブルーガーデンの体のいい介入理由になる。ただの小国の独立が、戦争の発端になりかねない」

 

「独裁国家ブルーガーデンが動かないにせよ、ゾル国は厄介です。この機会に内政干渉でもされればC連合の身動きが取れなくなる。その時にブルーガーデンに攻め込まれれば国家は荒れ果てるでしょう。……無論、それはないでしょうが」

 

「理由は……聞くまでもないな」

 

 それこそブルーガーデンとゾル国の仕立て上げたシナリオになるからだ。この局面で行き過ぎた好機は逆に怪しまれる結果になる。

 

「オラクルという小国コミューンをどうするのか。その采配に全てがかかっているわけですか」

 

「上は我が方の人員を回してさっさと介入しろとのお達しだ。……まったく、それがどれほどの意味を持つのか分かって言っているのか疑われるよ。C連合が躍起になって動き回れば、オラクルを制圧する事などわけないだろう。問題なのはその後の話」

 

「国際社会からの非難は免れないでしょうね。自作自演、を理由にされれば逃げ場のない政府の上層部は逼塞する」

 

「……提言はした。軍部を動かす際には慎重に、とも。だが、実質命令書の一つで我々軍属は動くしかないのだ。つい一時間前、命令が下された。C連合下の軍部によるオラクルへの干渉。つまり、自作自演の泥を被ってでも小国のコミューンを止めろ、という結論だ」

 

「ですが、泥を被るのは国家です。軍部に責任を擦り付けても、結論は……」

 

「分かっていても、体よく他国に制圧されるよりかはマシだと言いたいのだろう。ゾル国の《バーゴイル》部隊を軽んじていない証拠だろうが……極秘情報ではあるが、オラクルの軍部にこういうものが納品された、と情報がある」

 

 上官が卓上に差し出したのは三枚の写真であった。リックベイは手に取り、それを仔細に観察する。

 

 ゾル国の黒カラスとあだ名される《バーゴイル》が数機分、コンテナに収められているのが撮影されていた。

 

「これの情報源は」

 

「確かなものだ。内偵部隊による情報らしい。《バーゴイル》は恐らく改造されて出回る事になるだろうからゾル国はとぼけるだろうが、もう既に、連中の根回しは終わっていると思っていい」

 

「しかし、戦場でこれを目にすれば、人民の疑いの目は少なくとも」

 

「ゾル国に向かう、かね? だが、民草ではなく最終決定の権利は国家の上層部にある。メディアや群集が騒ぎ立てても、それをうまく操作するのが国家というものだ。C連合の頭はそれほどまでに馬鹿ではないよ。無論、ゾル国の連中もな」

 

 どれだけ叩いたところで出る埃はたかが知れている、という意味か。

 

 リックベイは写真を卓上に返し、今回の趣旨を問い質す。

 

「わたし達が出るべきだと?」

 

「君に責任追及は出来ない。だが軍部は決定に逆らえない。形式上ではあるが、やはりC連合は介入を行う事に相成った。とはいっても、本格的な動きはするなというお達しだ」

 

 軍部が重い腰を上げてようやく、という風を装えという意味だろう。

 

「末端の軍人を犠牲にして、ゾル国のカラスを撃ち落とせと?」

 

「言い方は悪いがそうなるな。ゾル国の《バーゴイル》に戦場を荒らされても面白くはない。分かるな? カラスの食い場荒らしなんて一番誰も望んではいない事くらいは」

 

 ゾル国の《バーゴイル》は確実に殲滅せよ、という事か。しかし、リックベイには疑問が残る。

 

「それこそ、《バーゴイル》を鹵獲すれば、言い訳など出来なくなるのでは?」

 

「自爆くらいはわけないだろう。あっけなく消滅するものを証拠として成り立たせる事は出来ないよ」

 

 所詮、捨て駒の人機。言い訳はいくらでも並べ立てられる。

 

「結局、戦うしかないのですね」

 

「辛いところではあるのは分かっている。君も軍属だ。腹をくくったほうがいい」

 

「犠牲になるのはしかし、新兵ですよ」

 

「……それも織り込み済みなのだろうな。誰に責任を問い質しても仕方あるまいよ。これは責任の所在なき紛争なのだから」

 

 責任を取れる人間が一人もいない紛争。C連合もゾル国も少しずつ手を加えながらもオラクルには最終的な判断は投げた、という事だ。

 

「……小国コミューンには少々、酷が過ぎます」

 

「大国の務め、というものもある。火消しをするのならば我々しかあるまい。たとえ卑怯と謗られようとも、大きなうねりが動かなければどうしようもないものもあるのだ。飲み込みたまえ、少佐」

 

 命令書を手に、リックベイは上官の部屋を後にした。この手にある命令書一つで数百人の命が犠牲になる。

 

 それを今さら胸が痛むとは言えない。軍人になり上に立ったからにはそのような事で痛みを覚えていればそれこそ飲まれてしまう。

 

 うねりの只中にある国家の策謀をいちいち勘繰るようでは軍人としては失格だ。

 

 自室に戻ったところでタカフミが自分宛の甘菓子を食べながらニュースを眺めているのを目にした。

 

「あっ、少佐お帰りなさい」

 

「……君はどうしてそう、呑気なんだ」

 

「躍起になったってしょうがないでしょ。にしても、オラクルが独立ですか。こうなるとおれらも出なきゃならんのですかね」

 

「今、その命令書を受け取ってきたばかりだ」

 

「あーあ! 嫌になるっすね。だって紛争でしょ? モリビト相手にならいくらでも本気出しますけれど、地上でいがみ合い続けている場合っすか?」

 

 言い草は悪いがタカフミの言葉はもっともだった。地上で睨み合っている場合でもないのだ。ブルブラッドキャリアという共通の敵を前にしても人間は戦う事をやめられないのか。

 

 それは純粋に愚かさの証明でもある。

 

「君の意見は分かるが、上官にぶつけてもいい質問と駄目な質問くらいは分けて考えるべきだな」

 

「でも、モリビト連中を倒さないで、何で元々C連合のお仲間とやり合わなきゃならないです? 意味あるんすか、それ」

 

 意味などない。百も承知だ。

 

「命令に従うしかない。我々は軍人なんだ」

 

「何だかつまんないっすね。せっかく修繕してもらった参式が潰すのは同じ《ナナツー》だなんて」

 

 リックベイは目頭を揉み、事実から目を背けぬように命令書を取り出そうとした。その時である。

 

『あれは……現在、カメラが捉えておりますあの機影は……』

 

「ん? 何だ?」

 

 タカフミが菓子を頬張りつつモニターに意識を向ける。リックベイも視線を振り向けた。

 

 その瞬間、議事堂の前に集っていた人々を煽ったのは青い人機の影だ。

 

 銀翼を展開させ、その機体が議事堂に刃を突きつける。

 

 ――まさか、とリックベイは息を呑んだ。

 

「少佐……これ、ヤバくないですか? モリビトがオラクルの国会に刃を向けるって、これじゃまるで……」

 

 まるで、ではない。リックベイは震撼していた。

 

「……世界の敵を自称するというのか。モリビト」

 

 青い人機は緑色のデュアルアイセンサーを輝かせ、反乱の国家を睨み据えていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯33 力の証明

 プロパガンダの意味があるとは言った。

 

 だがここまで道化を演じさせられるとは鉄菜も思っていない。《シルヴァリンク》のRソードがオラクルの国会に剣先を突きつける。群集が足元を行き過ぎる中、写真が撮られ、あらゆる人々の注目が集まっているのが分かった。

 

「……私も《シルヴァリンク》も、こういうのは慣れていない」

 

『慣れなくってもやるのよ、鉄菜。今の間にわたくし達が基地を襲撃する。オラクルの前線基地も今は手薄。ここで攻めなければ好機を失うわ』

 

「了解した。でも、いつまでこうしていれば? 刃を突きつけたのはいいが、実際には何も斬ってはならないんだろう?」

 

『クロ、もうちょっとの辛抱だから耐えて。水先案内人はロデムが務めたはずよ』

 

《ノエルカルテット》は今回、三機に分離しての作戦参加となっていた。ロデムと呼ばれる獣型の人機にはジャミング機能もあるらしい。最大の難関であるコミューンへの扉を開くのは造作もないようだった。その後の気密も含め、《シルヴァリンク》がコミューンの中に潜入するのに何一つ問題は起こっていない。

 

 むしろこの状態こそが問題なのでは、と鉄菜は群集を眼下に入れる。

 

 モリビトがこれほどの人々を前にしてでくの坊のように突っ立っているだけなど。

 

 国会からは慌てふためいた政府高官が顔を覗かせている。馬鹿な、撃たれても文句は言えない身分である。

 

 そのような分不相応な人々へと《シルヴァリンク》はRソードを突きつけ続けていた。

 

 ここで蒸発させるのも已む無しだが、目的はそのような些事ではない。

 

『クロ、出来るだけ釘付けにさせておいて。モモはポセイドンを使って強襲する。なに、こんな小国の基地なんて恐れるまでもない』

 

『油断は死を招くわよ。今は、一機でもこちらに集中させないと』

 

『はいはい。アヤ姉』

 

 二人の通信回線を聞きながら鉄菜は足元から次第に離れていく人々をモニターしていた。

 

『どうやら何かが来るみたいマジね。熱源関知マジ』

 

 ジロウの声に鉄菜はこちらへと真っ直ぐに飛翔してくる機体を確認する。

 

 振り返った《シルヴァリンク》の視線の先には着地した飛翔人機が二機、それぞれ銃口を構えていた。

 

『そこの不明人機! 所属とその行動理由を明言しろ! でなければ撃つ!』

 

 鉄菜は眩暈を覚える。まさかこの世界においてモリビトの存在を知らないわけではあるまい。知らなくとも、こちらの武装を目にしてまさかまだ警戒レベルだとは。

 

「……オラクルの操主の熟練度の脅威判定を更新。脅威判定、Dマイナス」

 

『名乗れと言っている!』

 

 相手の興奮した様子に鉄菜は反射的に理解する。

 

 ――戦い慣れていない。

 

 操っている人機も借り物のようであった。オレンジ色に塗装された人機で、頭部が立方体になっており、単眼のセンサーが赤く覗いている。

 

 改修機でありながらモリビトの参照データは基の機体名を反映させた。

 

「《バーゴイル》か。しかも、随分と型落ち品だ。こんなのを掴まされて反逆とは、操られている自覚もないのか」

 

 標的の名称を《デミバーゴイル》と入力し直して、鉄菜は落ち着き払った様子で返す。

 

「モリビトとブルブラッドキャリアの宣戦を知らないわけではあるまい。そちらこそ、何故、攻撃もしてこない?」

 

『も、モリビト……? まさか本当に、モリビトだって言うのか……』

 

 目の前にしても信じられないか。鉄菜は呆れさえ通り越して《デミバーゴイル》二体を睨んだ。

 

「遊んでいる場合ではないんだ。ここでの私の役割はお前達を釘付けにする事」

 

『分からぬ事を!』

 

《デミバーゴイル》のうち一機が銃弾を発射する。鉄菜は《シルヴァリンク》を一切動かさなかった。

 

 銃弾はそのまま議事堂付近へと突き刺さる。国会議員達が悲鳴を上げた。

 

「命中精度も低い。こんな場所でやり合うのは間違っている」

 

 鉄菜の言葉に《デミバーゴイル》の操主が言葉を詰まらせる。

 

『どうすれば……』

 

《デミバーゴイル》の逡巡に鉄菜は《シルヴァリンク》を静かに飛翔させた。

 

「こっちへ来い。戦いならいくらでも請け負ってやる」

 

 元々、議事堂を押さえた時点でこちらの勝利は揺るぎない。《デミバーゴイル》がおっとり刀で追いつこうとしてくる。

 

 銃弾がいくつか《シルヴァリンク》を射抜こうとしたがどれも当てずっぽうの照準だ。《シルヴァリンク》が回避機動を取るまでもなくそれらはビル街に吸い込まれていく。

 

 制動推進剤を焚き、《シルヴァリンク》が《デミバーゴイル》を見据えた。

 

「ここならば存分にやれるだろう。――来い」

 

『嘗めるな!』

 

《デミバーゴイル》が腰にマウントされたプラズマサーベルを繰り出した。接近攻撃を試みた《デミバーゴイル》を《シルヴァリンク》はRソードでいなす。

 

 リバウンドの反重力で刀身が折れ曲がり、《デミバーゴイル》の左腕を切り裂いた。

 

 後退した《デミバーゴイル》二機がアサルトライフルを構え、それぞれ連射する。

 

 鉄菜はぐっと息を詰めて《シルヴァリンク》の操縦桿を握り締めた。

 

 滑るように《シルヴァリンク》が銃弾の雨を掻い潜り《デミバーゴイル》の懐へと入る。

 

 相手が気づいた時にはもう遅い。突き上げた刀剣の一撃が《デミバーゴイル》の機体の上半身を両断していた。

 

『まさか……まさか!』

 

 もう一機が慌てふためいて照準するがあまりにもその精度が低い。銃弾はビルに打ち込まれ、《シルヴァリンク》のRソードが頭部へと突き刺さる。

 

 コックピットを潰された《デミバーゴイル》が糸の切れた人形のように力をなくした。

 

「一号機と三号機に告ぐ。こちら二号機、コミューン内の戦力は削いだ。外の分の清算を頼む」

 

『了解したけれど、まだ内部の戦力はあるみたいよ?』

 

 その言葉に鉄菜は編隊を組んでやってくる《デミバーゴイル》を視野に入れていた。

 

 何機来ようと同じ事だ。鉄菜は嘆息をつき、《シルヴァリンク》に剣を構えさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロプロスの翼を得た《インペルベイン》が滑空する。

 

 小銃の嵐を突き抜け、武器腕をそれぞれ的確に標的へと向けた。

 

《ナナツー弐式》の量産型に銃弾の雨が飛来する。キャノピー型のコックピットを潰し、《インペルベイン》が基地の前方に降り立った。

 

「三号機は海から来るって言っていたけれど……わたくしに翼を与えて、鉄菜に獣型の人機を与えたわけだから残っているのはあの逆関節の機体だけなのよね。どうするつもり――」

 

 その時、横合いから《ナナツー》がロングレンジライフルを手に《インペルベイン》に照準してくる。

 

 彩芽は振り向きもせずに《インペルベイン》の武器腕で《ナナツー》の足に一撃を与えていた。

 

 勢い余った《ナナツー》がよろめいて盛大に転げる。隙だらけのその機体へと《インペルベイン》は間断のない銃撃を見舞う。

 

 ロングレンジライフルが内部から引火し《ナナツー》の機体を爆風で吹き飛ばした。

 

 炎を受けながら《インペルベイン》の機体が前線基地の無力化に走る。

 

「何機いたって同じ事! わたくしと《インペルベイン》には及ばない!」

 

 こちらへと猪突してくる《ナナツー》にロプロスが分離してR兵装の光軸を発射した。

 

 露払いくらいはお手のものか。ロプロスの作り上げたルートを《インペルベイン》が直進する。

 

 腕や足を奪われた《ナナツー》へととどめの一撃を打ち込みつつ、《インペルベイン》は拠点制圧のために機体を反転させた。

 

 先ほどまで機体がいた空間を空爆が消し去っていく。

 

「おかしいなぁ。オラクルってあんまり強い国家じゃないって聞いたんだけれど。これじゃ軍事国家じゃない」

 

 空爆機へと《インペルベイン》は再びロプロスの翼を得て一気に飛翔した。高高度に位置取っていた爆撃機の操縦席が大写しになる。

 

「ここまで昇ってくるのは想定外? でもま、落とされる覚悟くらいはあるわよね」

 

《インペルベイン》の武器腕が半回転し、現れた溶断クローが操縦席を引き裂いた。

 

 その勢いを殺さず《インペルベイン》の銃撃が爆撃機を射抜く。たちまち噴煙に包まれた爆撃機が傾き、そのまま墜落に入る。

 

「さて、これくらいが戦力かしらね。もっと容易いかと思ったけれど、案外にしぶとい。弱小国家の意地って奴かしら」

 

 残存した《ナナツー》が高空の《インペルベイン》に狙いを定める。その射線を掻い潜っていつでも打ち込めると彩芽が操縦桿に力を込めようとしたその時、海上から発射された焼夷弾が《ナナツー》部隊に降り注いだ。

 

 地獄の炎に焼かれる《ナナツー》部隊に攻撃したのは今しがた海底から姿を現した奇形の機体であった。

 

 鎌のように拡張した両腕にはあらゆる武器が内蔵されており、後方に位置するコーン型の推進装置が海面から一気にその機体を上昇させる。

 

『海中用の機体だと……!』

 

 忌々しげに放った《ナナツー》部隊が機銃を掃射しようとして、先んじて放たれたフレアに照準をくらまされた。

 

 たたらを踏んだ《ナナツー》へと奇形の人機がミサイルを叩き込む。

 

 爆発の光と轟音を響き渡らせ、奇形の人機から通信回線が開いた。

 

『アヤ姉、首尾は上々みたいじゃない』

 

「そっちこそ。そんな機体で来るなんて思わなかったわ」

 

 桃はフッと笑みを浮かべる。

 

『嘗めないでね。ポセイドンは単騎でも充分に強いもん。《ナナツー》くらいなら朝飯前よ』

 

 ポセイドンと呼称するらしい逆関節が両腕を掲げる。関節の内部に装備された機銃が火を噴いた。

 

《ナナツー》部隊が蜘蛛の子を散らしたように散開する。

 

『散るな! 囲め! 全員で撃てばこんな敵……!』

 

「こんな敵扱いよ」

 

『みたいね。じゃあロプロス!』

 

 桃の一声で装備されたロプロスが分離し、ポセイドンと合体する。

 

 逆関節の脚部が持ち上がり、巨大な翼を得た《ノエルカルテット》は胴体だけ空いた形で立ち上がった。

 

 翼が可変し内部から砲門を突き上げる。

 

 R兵装のピンク色の光条が《ナナツー》部隊を蒸発させていった。

 

 彩芽はその威力に口笛を吹く。

 

「やるじゃない」

 

『モモだってやれるんだから。……それにしたって倒しても倒しても……』

 

 桃の言わんとしている事は分かる。《インペルベイン》は《ノエルカルテット》と肩を並べさせた。その視線の先には基地から次々と出撃する《ナナツー》の姿がある。

 

「湧いてくるわね。これ、弱小コミューンって言う前情報は嘘だったんじゃないの?」

 

『モリビトを試すために? あるいは、他国の動きを見るためだったのかもね。本来はどこの国が噛んでいるのかな?』

 

 際限なく出てくる《ナナツー》と鉄菜の報告したバーゴイルもどきを鑑みれば自然と答えは導き出される。だが彩芽はあえて言わなかった。

 

 どこの国の陰謀であっても、自分達はそれを潰すのみ。

 

「行くわよ、桃。拠点制圧をする」

 

『言われなくっても!』

 

《ノエルカルテット》がR兵装で道を作り《インペルベイン》が焼け爛れた空気を引き裂いて溶断クローを《ナナツー》の腹腔に叩き込んだ。

 

 ブルブラッドの血潮が熱され、血煙が舞う。

 

 そのまま《ナナツー》を叩き上げ、返す刀で銃撃網を見舞った。

 

 ぐずぐずに融けた《ナナツー》が倒れ込み、背面の部隊に牽制を浴びせる。

 

「さぁ、かかって来なさい。命の限り、ね」

 

《インペルベイン》が両腕を交差させる。《ナナツー》部隊がたじろいだ様子であったが、ここで退けば結局のところ国家の敗北だ。

 

 それを甘んじて受けるようならば最初から反逆などしないだろう。

 

 猪突気味の《ナナツー》を《インペルベイン》と《ノエルカルテット》は一機、また一機と潰していった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯34 青き復讐者

 撃墜の数が多ければいいというものではない。

 

 鉄菜は何機目なのか分からない《デミバーゴイル》を切り裂いた。プラズマソードの剣筋が背後に迫る。咄嗟に盾のリバウンド効果を利用して即座に反転し、《デミバーゴイル》の横っ面に回り込んだ。

 

 その機体へと黄昏の刃が入り、火花を散らせる。

 

「思っていたよりも安価で量産出来るのか。バーゴイルのガワだけを模した機体だからかもしれないな」

 

『気をつけるマジ、鉄菜。相手は一応、バーゴイルマジよ』

 

「言われなくても」

 

 プラズマソードの剣先が《シルヴァリンク》を両断しようとする。習い性で回避した鉄菜はRソードの剣術で返答した。

 

「そんな剣じゃ、私は落とせない」

 

 単眼のコックピットにRソードが突き刺さる。これで終わりか、と鉄菜が力を抜いた瞬間、地の底から接近警報が鳴り響いた。

 

 どこから、と視線を巡らせた鉄菜に衝撃が浴びせかけられる。

 

 現れた機体はコミューンの地下から上がってきたのだ。

 

 見た目は細身のバーゴイルの改造機に思われたが、特徴的なのは腕が四本ある事であった。

 

 うち二本は武器腕であり、《インペルベイン》に似た武装が施されている。

 

「……いわゆる、ゲテモノ、か。どう来る?」

 

 機体名を参照すると《アサルトバーゴイル》という名称が出てきた。《アサルトバーゴイル》は両腕にライフルを構えそれぞれの照準を《シルヴァリンク》に合わせた。

 

 直後、空気を割る銃撃が木霊する。

 

《シルヴァリンク》は素早く機動して回避するも、その銃撃網はビルを容易く薙ぎ払っていった。

 

 最早、身も世もないのだろう。モリビトを倒す事しか考えていない機体であった。

 

 ビルの陰に身を潜め、《シルヴァリンク》の武装を確認させる。

 

「ステータス、問題なし。Rソード出力、リバウンドフォール推進力、共に正常。問題なのはどうやってあの機体に飛び込むか、だが……」

 

《アサルトバーゴイル》は銃弾が尽きるまでビルへと無差別攻撃を放ち続ける。やがて弾切れを起こし、ライフルが空撃ちをした。

 

 今だ、と踊り上がった《シルヴァリンク》は《アサルトバーゴイル》が腰から装備した新たなガトリング銃をその視野に入れていた。

 

 ガトリングの砲塔が回転し、噴き上がった火線が《シルヴァリンク》の機影を射抜いたかに思われた。

 

 しかし、《シルヴァリンク》は健在であった。否、正しい意味で言えば、その機体から湧き上がったオレンジの物理出力波が全ての攻撃を弾いていた。

 

「アンシーリーコート……。使うつもりはないって言うのに……」

 

 忌々しげに口にした鉄菜がRソードを跳ね上がらせる。

 

 このまま《アサルトバーゴイル》の頭部を断ち割る、と振るわれた一閃であったが、《アサルトバーゴイル》はガトリング砲を犠牲にする事でその一撃を免れた。

 

 着地した《シルヴァリンク》がRソードを突き上げて《アサルトバーゴイル》の胴体を貫き破ろうとする。

 

《アサルトバーゴイル》の武器腕から牽制のバルカン砲が放たれるも《シルヴァリンク》の装甲を叩き割るにはあまりに威力不足だ。

 

「――取った」

 

 Rソードが《アサルトバーゴイル》の腹腔へと吸い込まれるように突き刺さる。血塊炉が内側から焼け爛れ、《アサルトバーゴイル》は四肢の関節部からショートした青い血潮を噴き上がらせた。

 

 内部から沸騰するブルブラッドを迸らせる《アサルトバーゴイル》へと、《シルヴァリンク》がRソードを薙ぎ払う。

 

 胴体が生き別れとなった《アサルトバーゴイル》がビルを倒壊させた。

 

 上半身は逆さ吊りの形となって地面に激突したため、操主は即死だろう。

 

 下半身がビルを巻き込み、人々が恐慌に駆られて外に飛び出していた。

 

 この状況では動き辛いはずだ。相手方も、市民を犠牲にしたくないのならこちらと同じ気持ちのはず。

 

 おっとり刀の《ナナツー》部隊が小銃を仕舞うようにハンドサインを組んだ。

 

 ここでの射撃は旨みがないはずだ。前衛の《デミバーゴイル》部隊はほぼ全滅。これ以上の損害を出してもオラクルからしてみれば何のパフォーマンスにもならない。

 

 退くか、と《シルヴァリンク》へと後退機動を促しかけて鉄菜は照準警告がコックピットを打ち鳴らした事にハッとする。

 

 咄嗟に横っ飛びした《シルヴァリンク》を狙い放たれた弾道はコミューンの内部からではなかった。

 

 外気と内側を隔てる隔壁の向こうから放たれたのだ。

 

 偽装鏡面の空を引き裂き、《シルヴァリンク》を狙い澄ました一撃はただものではない。

 

『空に穴が……』

 

 通信回線にオラクル軍部の人々の困惑が見え隠れする。空に開いた穴の先にいたのは青い紺碧の大気をその身に引き移したかのような機体であった。

 

 ゴーグル型のアイカメラがこちらへと狙撃の睥睨を送っている。

 

 一機ではなかった。無数の機体が空を砕き、大気を逆巻かせる。背面に装備した飛行補助兵装をパージさせて、青い機体が降り立った。

 

 外壁が自動修復機能を構築して再生させていく天蓋をその人機の持つ射撃武器の一射がまたしても打ち砕く。

 

 最前列に一機、後衛に三機ついていた。

 

 その機体と肩口の国旗には見覚えがある。

 

「ブルーガーデンの……ロンド系列……」

 

 どうしてこの戦局に? その疑問が氷解される前に、前を務めていた《ブルーロンド》の機体が跳ね上がった。

 

 明らかに敵意を持った機体が狙撃用のライフルを構えたままこちらに肉迫する。

 

 狙撃用のロングレンジライフルの銃身を用いて《シルヴァリンク》の装甲を叩きのめそうとしてきた。

 

 理解に苦しむ戦法に鉄菜は歯噛みしつつ《シルヴァリンク》で対応させる。横薙ぎされたRソードの一閃が狙撃ライフルを溶断した。

 

 それでも相手には下がる気など微塵にもないようだ。《ブルーロンド》がそれほど強固ではない脚部で《シルヴァリンク》を激しく蹴りつける。

 

 叩きつけられる度にあちらが損耗しているのにも関わらず、相手にはそのような事は瑣末だとでも言うように機体のパワーを度外視した機動を繰り返した。

 

「打ってくるほうが不利なのに……どういう事なんだ」

 

 リバウンドの効力を得た《シルヴァリンク》が射線を潜り抜け、Rソードで《ブルーロンド》の腕を奪おうとする。

 

 その瞬間、まるで時が凍ったかのように相手が瞬時に判断を変えて距離を取った。

 

 ――こちらの動きが見えている? 違う、あれは感覚しているんだ。

 

 鉄菜ははっきりと操縦桿を握り締めた上でそう結論付ける。

 

 第六感かあるいはそれに類する何かで直感めいたものを底上げしている。長持ちする戦い方ではなかった。

 

 いや、そもそも長持ちさせる気などないのかもしれない。

 

 後衛の三機はほとんど棒立ちだ。射撃武器は持っているものの分け入る術を知らないようであった。

 

 鉄菜は眼前の《ブルーロンド》がプラズマソードを握り締めたところで首裏に汗をじわりと掻いている事を意識する。

 

 ――圧倒されている?

 

 モリビトを操る自分にそのような及び腰は許されないはずだ。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》の構えを正し、改めて相手を観察した。

 

 何度も蹴りつけてきた脚部装甲は抉れ、狙撃銃は叩き折れたために捨てている。

 

 背面に狙撃のために必要であった高出力のラジエーターを装備していたが、それさえも今は捨て去っていた。

 

 ほとんど相手は丸腰だ。

 

 人機同士の戦闘において白兵戦にすらならない。プラズマソードなどリバウンドの効力の前では折れ曲がってしまう事だろう。

 

 だが、それでも鉄菜は油断ならない敵だと判断した。

 

 この人機と操主には恐れがない。恐怖が一欠片でもあればその挙動に迷いが生まれ、隙が生じるものだ。

 

 相対する《ブルーロンド》には今、ここで死んでもいいとさえ感じているであろう潔さが漂っている。

 

「おかしい……プラズマソードなんて、脅威判定にも上がらないはずなのに……」

 

 鉄菜は自分の下す脅威判定に困惑する。

 

 ――相手はBプラス以上の脅威だ。

 

 どうしてそう思ったのかは分からない。説明しようにも自分の中に存在しない感情が導き出した答えだ。

 

 だからなのか、鉄菜はRソードの出力を僅かに上げた。

 

 平時ならば不必要なほどの出力は逆に仇となる。しかし死さえも覚悟のうちに入れた相手に対して、鉄菜はこちらも覚悟を呑む必要があると決断していた。

 

「……何者なんだ、お前は」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯35 堕ちる世界の中で

「ようやく会えた。ようやく会えたな、モリビトォ!」

 

 戦闘昂揚剤が打ち込まれ、幾度目か分からない鎮静剤の作用で打ち消されていく。

 

 瑞葉の視野は赤く染まっていた。それはモリビトへの憎悪だけではない。閾値を越えた脳髄からもたらされる興奮作用のせいで眼球の毛細血管が切れているのだ。

 

 瑞葉は操縦桿を握る手に力を込める。相手はモリビト一機。雪辱を晴らすのには充分の舞台だ。

 

 覚えず笑い出してしまう。

 

 鎮静剤が脊髄に打ち込まれ、瑞葉は喜悦と悲哀のふり幅を揺れ動いた。

 

《ブルーロンド》の各所がレッドゾーンに達している。機体反映速度はもう限界だ。ここまでが所詮は《ブルーロンド》の性能。

 

 だが自分は違う。

 

 選ばれた強化兵が一人。さらに言えば、散っていった仲間達の魂が叫んでいる。自分を鼓舞している。

 

 戦えと。モリビトと戦って華々しく勝ってくれと。その凱歌が絶えぬ限り、瑞葉は戦い続ける事を選んだ。

 

 脳内麻薬はもう切れている。激痛が全身を駆け抜ける中、瑞葉は荒々しい呼吸をついて眼前のモリビトを見やった。

 

「お前さえ……お前さえいなければ!」

 

 装備したのはプラズマソードである。前回、全く敵わなかった相手に接近戦は無謀に映ったのだろう。

 

 後衛の三機から通信回線が飛んできた。

 

『瑞葉隊長! 今は撤退を! そうでなくとも、我々の極秘作戦は割れてはならないのです! 狙撃に失敗した時点で、後退するべきだと作戦指揮官は――』

 

「うるさいぞ! 今、わたしが戦っている!」

 

 その一声で黙らせ、瑞葉はプラズマソードを《ブルーロンド》に構えさせた。あえての正眼。相手を殺すのに、奇をてらった構えは必要ない。

 

 モリビトもこちらの殺気を汲んだのか、手にした大剣の出力が上がった事を《ブルーロンド》のモニターが告げる。

 

「わたしに合わせた? ……いいぞ、いい心地だ! モリビト!」

 

 迸った叫びと共に《ブルーロンド》が疾走する。機体の各部が火花を散らしつつ瑞葉の命令に同調した。

 

 摺り足の《ブルーロンド》が狙ったのはただ一つ。コックピットがあるはずの相手の胸元である。

 

 当然の事ながら向こうも熟知しているだろう。こちらの太刀筋程度は読めて然るべき。

 

 しかし、瑞葉は以前までの強化兵ではない。

 

 ただ安穏と強化の日々を「最適」と判断していた瑞葉はあの時死んだのだ。

 

 今は地力で「最善」を選び取る。

 

 あの日、散っていった枯葉達のために。何よりも、芽生えたこの感情のために。

 

 通常の強化兵ならば余分としか思えない胸に脈打つこの反逆の狼煙は、血潮と混在一体となって鋼鉄の巨躯を打ち鳴らす。

 

《ブルーロンド》が瑞葉の憎悪に反応してプラズマソードの軌跡を無理やり折れ曲がらせた。

 

 ほとんど直角に近い軌道偏向。通常の人機ならば不可能であった。通常ならば、の話だが。

 

 瑞葉の操る《ブルーロンド》には「第二の関節」が存在していた。それは瑞葉のためだけに、上官の用意した特注製である。

 

 瑞葉の戦闘時の昂揚に呼応し、《ブルーロンド》の肘関節に微妙でありながら、もう一つの関節軸による全く違う動きを発生させる。

 

 それは通常の人機との戦闘においてはほとんど役に立たない仕様であった。

 

 相手の懐に飛び込み、同じ程度の戦力で斬り合うのならば、この「第二の関節」は必要ない。

 

 相手が余りに常軌を逸した存在の場合のみ――つまり対モリビト戦でのみ意味を持つ兵装。

 

 しかも近接戦闘用の青いモリビトの時でしかこの仕様は百パーセントの発揮さえも成されないであろう。

 

 事実この時、瑞葉の駆る《ブルーロンド》のプラズマソードの軌跡は敵の読んだその軌道からは外れていた。

 

「第二の関節」が正常稼動し僅かな差でありながらモリビトの正確無比な斬撃を超えたのである。

 

 勝利を、瑞葉は予感する。

 

 相手の剣筋も無論、《ブルーロンド》に叩き込まれるであろう。その帰結する先がたとえコックピットへの直撃であっても、次の瞬間には自分の身体が膨大な熱量に押し潰されても、瑞葉は勝利を渇望した。

 

 そして、その時は訪れたはずであった。

 

 一発の銃撃が《ブルーロンド》の肩を打ち据えた事を認識するまでは。

 

 銃弾に、《ブルーロンド》はよろめく。元々それほど耐久力に秀でていないロンド系列のフレームはこの時、微細な動きに全神経を集中させていた機体バランスに悪影響を及ぼした。

 

 肩への強烈ではないが、確かな一撃。

 

 それは《ブルーロンド》がフル稼働させていた「第二の関節」への機能を一時的であったが奪った。

 

 そして――その一撃が明暗を分けた。

 

《ブルーロンド》がたたらを踏んだ瞬間、モリビトの大剣が機体の腹腔に直撃する。

 

 狙っていたのは恐らく頭部であったのだろうが、今の一撃に対応した速度の差であった。

 

 大剣が《ブルーロンド》を引き裂き、ダメージフィードバックが瑞葉の神経を掻き毟る。

 

 激痛に瑞葉は意識を保っていられなかった。

 

 元々、殺すためだけに来たようなもの。その殺意の一点を濁らされた瑞葉には、昏倒以外の選択肢は存在しなかった。

 

「モリビ、ト……おのれ……」

 

 瑞葉はコックピットの中で音もなく意識を閉ざした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然に相手の狙いが逸れた。

 

 その理由は《ブルーロンド》の肩に命中した弾丸だろう。鉄菜は振り返ると、一機の《ブルーロンド》が回り込んで狙撃銃を構えているのを目にしていた。その接近に気づけなかった自分も迂闊であったが、相手は確かに自分ではなく、味方であるはずの《ブルーロンド》を狙った。その一撃の奇妙さに気づいたのは《シルヴァリンク》の太刀筋が《ブルーロンド》の機体を両断してからであった。

 

 胴体を断ち割られた《ブルーロンド》に反撃の術はない。倒れ伏した《ブルーロンド》に鉄菜は今までに感じた事のない、全身の毛が逆立つ感情を覚えた。ここでこの機体と操主を逃がしてはならない。警告の感情か、と一瞬思ったが違う。警告にしては、全身を奮い立たせるようなこの感覚は正体が掴めない。

 

 ただ、この根源である《ブルーロンド》の操主を生かしてはおけない。Rソードを発振させた《シルヴァリンク》に割って入る形で狙撃した《ブルーロンド》が肉迫する。

 

「今度はこちらに?」

 

 振るった刃を掻い潜り、《ブルーロンド》が果たしたのは今しがた自分の刃の前に倒れた味方機の回収であった。

 

 人機のコックピットがある頭部を切り離し、《ブルーロンド》が狙撃銃を構える。

 

「逃がすわけ……」

 

 殺意を振り向けようとして残る二機の《ブルーロンド》からの集中砲火が見舞われた。何があっても特攻してきた《ブルーロンド》と操主を逃がすというのか。

 

《シルヴァリンク》で突破出来ないほどではないが、無理をすればまたしてもブルブラッドの貧血に見舞われる。

 

《シルヴァリンク》の補給は充分ではないのだ。深追いすれば追い込まれるのはこちらのほう。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》を後退させた。

 

 相手方も纏ってコミューンの天蓋を打ち砕いて脱出しようとする。

 

《ナナツー》部隊がようやく我に帰ったように《ブルーロンド》に銃撃を見舞ったが全て遅い。

 

 空を割って《ブルーロンド》は紺碧の大気へと姿を消していた。

 

 そこいらで燻る炎がてらてらと《シルヴァリンク》の銀色の装甲に照り返る。

 

《ナナツー》部隊が息を呑んだのが伝わった。こちらに無用な攻撃はしてこないだろう。

 

「……《モリビトシルヴァリンク》。一時撤退する。《デミバーゴイル》は恐らく全滅した。生き残っていても戦力にはならないはず。報告を《インペルベイン》と《ノエルカルテット》に」

 

『受け取ったわ、鉄菜。散々だったみたいね』

 

 モニターされているのか。鉄菜はさもありなんと突入経路を遡り、コミューンの出口を目指す。

 

 やはり、というべきか出入り口の扉の前で重火器編成の《ナナツー》が陣取っていた。

 

 両肩に四門のミサイルポッド。両腕には荷重耐久度を無視した遠距離射程の滑空砲。

 

 逃がすつもりはないのか、と鉄菜は《シルヴァリンク》にRソードを構えさせる。

 

 重装備の《ナナツー》が今にも砲撃を見舞おうとした瞬間、横合いから獣型の人機が《ナナツー》へと飛びかかった。ロデムの電磁牙が《ナナツー》の武装を噛み砕き、砲身を引き千切る。

 

 その隙に《シルヴァリンク》は《ナナツー》を跳び越え、扉の自動認証に入った。既にロデムが手を回してくれていたのか、数秒程度で外気とコミューンを分ける隔壁が開かれていく。

 

 逆巻いた大気に《ナナツー》の操主は後退を判断した。コミューンの中で生きる者達にとってしてみれば毒でしかない外気に触れるのも及び腰だ。

 

《シルヴァリンク》はロデムを引き連れコミューンから脱出を果たす。

 

 追撃マーカーが完全に消え失せてから鉄菜はようやく息をついた。

 

 あの《ブルーロンド》は何だったのか。答えは出ないままだ。

 

『鉄菜。《ブルーロンド》に関して報告をするマジか?』

 

「するしかないだろうな。向こうもモニターしている。こっちからしてみれば、全く身に覚えはないんだが……」

 

 あの《ブルーロンド》の操主からは確かに殺気が感じ取れた。だがいちいち因縁を思い返していればキリがない。

 

 自分達はこの惑星を敵に回したのだ。一個ずつの因縁など吐いて捨てるほどある。

 

 距離が開いていく白亜のコミューンを後にして、鉄菜はここから先の事に思索を巡らせる。

 

 これから先、オラクルはどう対応を取るつもりなのか。

 

 国際社会の矢面に立った独立国家はモリビトの介入によって無事収束する形となるのだろうか。

 

 否、そうはならないだろう。

 

 バーゴイルの紛い物の事を思い返す。

 

 あれを輸出したのがゾル国だとすれば、今度は独立などという生易しい現実ではない。

 

 ゾル国がC連合の小国をけしかけて大国を揺さぶろうとした、という動かぬ証拠となる。

 

 たとえゾル国の関知するところでないにせよ、スキャンダラスなニュースを演出するのには充分な起爆剤にはなったのだ。

 

 この先世界がどう動くのか。鉄菜は《シルヴァリンク》のリニアシートに抱かれたまま、遠ざかるコミューンを一瞥するのみであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯36 異端者

 タチバナにもたらされた情報は大きく二つ。

 

 オラクル政府が独立から亡命に切り替えた事。もう一つはその亡命先がゾル国である事であったが、タチバナは一つのネットニュースが静かに民衆を騒がせている事を既に関知していた。

 

 オラクルの内情に立ち入っていた現地メディアのカメラが映し出したのはモリビトに制圧されるオレンジ色の人機である。

 

 ガワを分かりにくくしているが人機開発の第一人者ならば誤魔化しようのない。

 

 これはバーゴイルだ。

 

 正規品かどうかは分からないが、バーゴイルの管理はゾル国が一任しているはず。

 

 もし、ゾル国がもたらしたバーゴイルだとすれば、このオラクルの一事変はただの独立運動ではない。

 

 大国が裏で糸を引いているとなれば後々にはC連合とゾル国の対立図式になりかねない。

 

 C連合の高官が困惑顔を浮かべているのはそれが起因だろう。

 

《ナナツー》の最新式を売り出しに来たのに人機開発の専門家から話を聞かなければならなくなったとは。

 

 高官は肩を竦めて言いやる。

 

「我々も、このネットニュースに関しては寝耳に水でしてね。まさかゾル国の……」

 

 そこから先は言葉を濁した。まだ決定事項ではない。だからこそ高官は自らの立場も踏まえて発言しなければならないのだ。

 

「ワシが見た限りでは、あれは見間違えようもない。だが、老人の一言で戦争が起きるなど、真っ平御免だな」

 

 その一言に高官は胸を撫で下ろしたようであった。

 

「あの粗い画質では民間のデマ程度で沈静化出来ます。ただ……人機開発の第一人者の言葉となるとどうにも誤魔化せないのが現状で……」

 

「ワシに、口を噤めというのだろう? いいさ、黙っておく」

 

 元々囃し立てるつもりもない。火のないところに煙は立たないが、それでも自分に与えられた役目くらいは心得ているつもりだ。

 

「噂の参式、カタログスペックを拝見しました。……ですが」

 

 決定を渋る理由が分からない。タチバナはコミューン内壁を巡るリニアチューブの中で高官と対峙していた。

 

 高速で走るリニアの中での会話は漏れ聞こえる事はない。外部流出があり得ないという点で言えば移動中が最適であった。

 

「ワシのお墨付きがあっても買い取れない、か」

 

「国力の調整、というものがあります。今、C連合が参式を正式採用するのは待ったをかけたほうが正解かと」

 

「だな。ワシもそう思う。ここで兵力を上げれば、それこそ相手の思うつぼというもの。今回の件の不明人機共々、今のC連合は内側が疲弊している。ここで無駄に火を熾す理由もあるまい」

 

「理解が早くて助かります」

 

 軍備増強は急務であろうが、それも慎重の末に行わなければ首を絞めるだけだ。

 

 タチバナは外の景色が内壁のトンネルを超えてコミューンの内側に変化したのを目にしていた。

 

「モリビトタイプに対抗する術は他にもあるのだろう? 無理に参式に背負わせる必要もない」

 

「そうなのですが……」

 

 額の汗をハンカチで拭う高官には別の懸念事項もあるようだった。

 

 タチバナはそれを言い当ててみせる。

 

「モリビトよりも、他国との関係のほうが重要、か」

 

「……惑星の危機と言われても結局、C連合が兵力を割くのは今までのパワーバランスです。確かにモリビトとブルブラッドキャリアは脅威ですが……一万分の一で遭遇する猛獣よりも、百分の一で疾病する病気のほうが民衆には現実味のある事柄なのです」

 

 モリビトへの対抗策など練っていたところで所詮は三機。

 

 こちらにはほぼ無尽蔵に近い兵力がある。地上の血塊炉産出は安定しているが、輸出入でいざこざがあるだけだ。

 

 それに比してモリビトは常に補給の危機に立たされている。

 

 あちらが疲弊するのを待って仕掛ければ難しい敵ではないだろう。

 

「ブルブラッドで動く人機であると分かっている以上、不要に恐れる必要もない、か」

 

「むしろ恐れるべきはゾル国とブルーガーデンの牽制なのです。ゾル国が何を仕掛けてくるのか分からない上に、今回の戦場ではブルーガーデンのロンド系列が介入したとの情報もあります」

 

「ロンドが? あの秘匿国家が兵力を差し出したというのか」

 

 にわかには信じられない。ブルーガーデンは秘密主義が強い。ロンド系列を操っているのは分かっているもののその機体が前線に出る事はまずないと言ってもいい。

 

 だからこそ、このような目立つ戦場にロンドを遣わすのは納得がいかないのだ。

 

「ブルーガーデンも焦っているのかもしれませんね。モリビトという脅威に」

 

「モリビトが、脅威、か」

 

 呟いたタチバナは目の前の政府高官がどこまで信用に足るかどうかを瞬時に判断した。

 

 口は堅いほうだろう。タチバナは次のトンネルに入る直前に切り出す。

 

「……百五十年前、人機開発のターニングポイントがあったのはご存知かな」

 

 トンネルの明かりが高官の顔を照らす。タチバナはその相貌を静かに見守っていた。

 

 政府高官が知らぬ存ぜぬを通せるはずがない。一般教養レベルだ。知らないのもどうかしている。

 

「……政府上層部ではその事に関して、非常にナイーブな問題だと捉えている節があります」

 

「しかし、歴史を覆い隠す事は出来んぞ。百五十年前、何が起こったかなど子供の端末でも探れる」

 

「参ったな……。自分の発言権の分類にはないんですよ。その事実は」

 

「どうしてひた隠しにする? 探れば誰でも分かる」

 

「それでも、決定的な事は誰も言いたくないものです。今回の……不明人機と同じように」

 

「しかし民衆は思っているよりずっと聡いぞ。探り始められればクーデターでさえも起こり得る」

 

「心配性が過ぎますね。それは起こりません」

 

 タチバナは一旦、言葉を仕舞った。どうしてその可能性はある、ではなく「起こらない」と断言出来るのか。

 

 この高官、まだ歳若い。つけ入る隙はいくらでもあるだろう。

 

「ではもし、ワシが喋ればどうなる? 民衆に向けて、人機開発の第一人者が大っぴらに口にすれば」

 

「ドクトルタチバナ。言っていましたよね? 身の程は弁えている、と」

 

「それも込みの話だとは聞いていない。何よりも、事実を隠蔽するのはずっと不自然だ。どう責任を取る? もしも、の話だが現実になった場合。人機開発だけではない、国家の信用に関わる」

 

「だから何度も言わせないでください。あり得ないんです。それが明らかになるのは」

 

 あり得ない、と断じられるのには理由があるはず。だが、これ以上の武器をタチバナは持ち合わせていなかった。

 

 ここまで政府の役人の口が堅いとは。

 

 少しばかり侮っていたかもしれない。

 

「では話題を変えよう。現時点でのブルブラッドの産出量で最も秀でているのは間違いようのなくブルーガーデンだが、その優位があってもあの国家を二国は認めようとしない。独裁国家だというのもあるが、輸出入の関係性もあるんだ。国家を、認めないというスタンスでいるのは危険ではないのか」

 

「それも考え過ぎですよ。ブルーガーデンは身の程を知っています」

 

 国力が違う。喧嘩を売ったところで勝てない、くらいの判断はつくというわけか。しかし、今回、ブルーガーデンにとって優位に働く事実が浮き彫りになった。

 

「だが、もしあの国家が不明人機の一件を持ち出せば? そうなった場合、どちらが得をするのかな。ゾル国は不明人機に関しての釈明を求められるだろう。C連合は分かっていてオラクルをけしかけたのか、という話になる。ブルーガーデンだけが高みの見物を決め込めるわけだ。こういう展開は考えなかったのか?」

 

 高官が口ごもる。それに関して絶対は言えない、というサインだった。

 

 トンネルを抜け、コミューン中心街へとリニアが軸線に入っていく。少しずつ速度が緩まっているのが分かった。

 

「……ドクトル。あなたにだって分かっているはずだ。どこまで言えて、どこからが言えないのか、くらいは」

 

「確かに、不明人機に関してはワシからはノーコメントを貫いておこう。だが、忘れるな。事実は覆す事は出来ない。百五十年前も、今もそうだ。なかった事には出来ないのだ」

 

「それでも、国家はなかった事を装いますよ。最後の最後まで」

 

 それが今際の際にならないとも限るまい。タチバナは鼻を鳴らし、コミューンの中心のターミナルにリニアが停車したのをアナウンスで聞き届ける。

 

「ワシの仕事は人機開発の助言のみ。そう捉えておるようだから言っておこう。人機について知るという事は人類が巻き起こした災禍についても知るという事。ワシの口からいつ出るとも限らない最悪の事実をどう揉み消す?」

 

「その時には、あなたは喋る事すら儘ならない」

 

 既に手は打っているわけか。あながち馬鹿でもない。

 

「ワシは撃たれても公表するかも知れんぞ」

 

「世界はそれをよしとしません。ドクトル、背中には気をつける事です」

 

「見張っているのは世界規模の警察組織か」

 

 反吐が出る。結局、保身に躍起になっているわけだ。

 

 リニアの特別席から踏み出たタチバナを待っていたのは数名の新聞記者であった。耳聡い連中だ、とタチバナは面を伏せる。

 

「タチバナ博士、ですね。人機開発の第一人者の観点からモリビトの性能に関してお聞きしたのですが……」

 

「ブルブラッドキャリアはタチバナ博士と協力関係である、という噂も出ています。その真偽は……」

 

 どれもデタラメの話ばかりであったがタチバナの足を止めたのは一人の記者の質問であった。

 

「百五十年前のポイントゼロに関しての質問、いいですか?」

 

 その一言に報道陣が水を打ったように静まり返った。

 

 タブーを口にしたのはくたびれたコートと帽子姿の記者である。どこをどう切り取っても三流記者、という印象の拭えない男であった。

 

 口元には常に張り付いたような商売用の笑みがある。

 

「今、なんて……」

 

 他の報道陣が息を呑む中、男だけが妙に通る声でタチバナに切り込む。

 

「百五十年前、ですよね? 人機開発のターニングポイントと呼ばれる時代がありました。それに関してのお話を聞きたいのですが、よろしいですか?」

 

 男はにやにやと締まりのない笑みを浮かべたままタチバナに歩み寄ってくる。SPの一人が男を制そうとしてタチバナはすっと紙切れを差し出した。

 

 SPに押される形で男は後ずさったものの、その手にはメモ用紙が握られている。

 

 他の報道班がようやく調子を取り戻したようにがやがやと喚き出した。

 

「博士、モリビトの戦力は?」

 

「協力関係の噂は? どうなんです?」

 

 どれも全て、真実から目を背けるためのゴシップばかりだ。だがあの男だけは真実に肉迫してきた。

 

 その度胸だけは賞賛するべきだろう。

 

 後は、あの男の運次第。

 

 タチバナがリムジンに乗車したところで端末にメールメッセージが届いた。

 

『QS新報のユヤマです。一時間後に指定の場所でお待ちしております』

 

 QS新報と言えば数年前に下らない三面記事をでっち上げた業界でも下の下という評価のメディアである。

 

 その先鋒の男がどうして、あの場において大胆な発言を取る事が出来たのか。

 

「世界は、案外ワシが思っておるほど、つまらなくはないのかもな」

 

 独りごちたタチバナは流れる景色を視野に入れていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯37 守るべきは

 モリビトタイプの演出過剰なほどの動きは僻地でも大きく伝えられていた。

 

 モニターを前にしていたリゼルグとタイニーが画面を指差して囃し立てる。

 

「おいおい、こいつは驚きだ。モリビトが独立国家に刃を向けてやがる。こりゃどこいらの英雄さんも興味がおありなんじゃないかねぇ」

 

 わざと大声で言っているのだ。気にする事ではない、と桐哉は通り抜けようとして、タイニーの一声に足を止めた。

 

「もしかして、敵国の内部からモリビトの演出でも頼まれているんじゃないのか? それこそ、英雄さんには大枚を掴まされて」

 

 桐哉が一瞥を投げる。それだけで好機だったのだろう。リゼルグの巨躯が桐哉を威圧する。

 

「何だよ? 言いたい事があるなら言いな」

 

「いや……何でもない」

 

 拳を骨が浮くほど握り締める。ここで挑発に乗ってどうする。冷静な自分を他所にタイニーが調子づく。

 

「英雄さんは牙ももがれた様子だな。言い返すのも出来ないのかよ」

 

 キッと睨みつけるとタイニーは口笛を吹いた。リゼルグがその視野を遮る。

 

「相棒が何か気に障る事言ったかよ。なぁ、英雄よぉ」

 

 何でもないで貫き通せるのにも限度がある。桐哉は歯噛みして必死に言葉を飲み込んだ。言い返すのは簡単だ。だがその後の事まで考えるとなれば軽率な発言は慎まなければならない。

 

 リゼルグはこちらが黙っているのをいい事に侮蔑の言葉を吐いた。

 

「……所詮はてめぇなんて祀り上げられただけの人間だって事だ。神輿に担がれた気分はどうよ? 英雄モリビトさんよぉ。案外、最初の戦闘だって自分がけしかけたんじゃねぇのか? 卑しい一族だな、英雄の血筋ってのはよぉ!」

 

 ――それだけは我慢ならなかった。

 

 自分が貶められるだけならばまだいい。だが翻って自分の一族まで侮辱されるのは。何よりも、妹の燐華まで嗤われているようで桐哉は拳を振り上げた。

 

 その瞬間、けたたましいガラスの破砕音が響き渡る。

 

 転げたリーザが慌てて医療器具を回収していた。

 

「すいませんっ、すいませんっ」

 

「……興が削がれた。先生よぉ、気ぃつけな。ただでさえ鈍くさい眼鏡なんだからよ」

 

「すいませんっ……」

 

 タイニーとリゼルグが立ち去っていくのを目にしながら桐哉は握り締めた拳の収めどころを彷徨わせていた。

 

 リーザは眼鏡を上げて桐哉の顔を窺う。

 

「その……怒ってます?」

 

「いえ……大丈夫です」

 

 殴りかけたのだ。大丈夫なはずがないのだが、この少女の前ではせめて毅然とした態度でいようと思っていた。自分の事をまだ嗤わないでいてくれている存在だ。

 

「実はその……立ち聞きするつもりはなかったんですけれど、リゼルグ曹長、声が大きいから……その……」

 

 聞いてしまったわけか。桐哉は後頭部を掻く。

 

「あまり気を遣われても仕方ないですし、俺の事なんて気にしないでいいですよ」

 

「でもっ、あんな言い草ないですよね。リゼルグ曹長ももうちょっと大人になればいいのに」

 

「いえ……モリビトが暴れ回っているのは事実ですし何よりも……」

 

 自分の力不足が痛感される。あの時、大気圏突入時に自分がモリビトを倒していればこのような好き勝手はさせないのに。

 

「……その、桐哉准尉には非はないですよ」

 

「いや、非はあるんです。モリビトの名前以上に、連中みたいなのがこの世界を蹂躙しているってのが」

 

 それを押し止めるのがスカーレット隊の任務であったのに、自分は何をしている。このような僻地でのうのうと暮らし、士官とじゃれ合っている暇もないのに。

 

 拳を打ち下ろすとすればそれはリゼルグにではなく、モリビトにであった。

 

 自分はどれほどまでに無力なのか、と思い知らされる。枷よりもなお、自分を苦しめるのはこの境遇であった。

 

 今すぐにでも出撃してモリビトを倒してしまえれば、この戦いは終わる。惑星は平和なまま、古代人機だけを潰せばいい、本当の平和に戻れるのに――。

 

 そのピースは持っているのに、自分には何も出来ない。歯がゆさを感じずにはいられなかった。

 

「そ、そうだっ! 准尉、機体を見に行きましょうよ!」

 

「機体? バーゴイルの事ですか?」

 

 どうして、と困惑する間にリーザが手を引く。

 

「愛機さえ整っていればいつでもモリビトなんて倒しちゃえますっ! 准尉は強いんですから!」

 

「でも、二度もモリビト迎撃に失敗して……」

 

「勝負は時の運もあるんでしょう? あたしはうまく言えないですけれど、そういう巡り合わせが悪かっただけですよぅ。大丈夫ですっ! 絶対に准尉はモリビトなんてガツンと!」

 

 拳を振るったリーザに桐哉は気圧される。

 

 何にも出来ないと自分の事を恥じていたこの少女仕官のほうが充分に強い。

 

 それに比べて自分は何と女々しい。一度や二度の敗北程度で諦めるなど。

 

「……分かりました。見に行きましょう」

 

 その言葉一つでリーザの表情が明るくなる。自分が言い出したのに一番に自信のない面持ちをしているのだ。

 

「はいっ! きっとカッコいいんでしょうね、准尉のバーゴイル!」

 

 自分も愛機を見せるのは誉れ高い。スカーレットの赤い塗装は宇宙で戦い抜いてきた歴戦の猛者の証であった。

 

 人機のデッキに向かう途中、整備班とすれ違う。彼らは桐哉を見つけるなり、リーザと見比べた。

 

「後任の先生と、……クサカベ准尉。どうして一緒なんですか」

 

「一緒じゃ駄目ですか? あたし、准尉のスカーレットを見たくって!」

 

 声を弾ませたリーザに整備班は桐哉に鋭い一瞥を投げる。

 

「……この間言った事、忘れたなんて言わないでくださいね」

 

 その言葉の意味が分からないのだろう。リーザが小首を傾げている間に整備班は通り抜けていった。

 

「何なんでしょう? 感じ悪いですねっ」

 

 人機の密集する整備ハンガーには自分の愛機以外のバーゴイルも無数に駐在している。だがどれも型落ち品だ。

 

 自分のスカーレットが一番に輝いている、はずであった。

 

 しかし、自分の固有番号があてがわれた場所に佇んでいたのは、赤い塗装が剥がされたバーゴイルであった。

 

「准尉のバーゴイルは……」

 

 首を巡らせるリーザの前で桐哉は整備班の小言を思い出していた。

 

 ――耐熱コーティングを施すほどの余裕はない。

 

 赤い塗装は徹底的に剥がされていた。一分ほどの残滓もない。黒いバーゴイルは他のバーゴイルと同じ、否、それ以上に無様であった。

 

 塗装を無理やり剥がしたのがありありと伝わるほど後の処理はいい加減なものであった。

 

 黒というよりもかすんだ灰色の姿を晒すバーゴイルは自分よりも惨めに人機の整備デッキの中で肩を縮こまらせているように映る。

 

「……すいません、先生。自分の立場をまた、忘れていました」

 

「いえっ、その……あたしこそ、何も知らずに、准尉を傷つけちゃったみたいで……」

 

 悪いのは自分のほうなのだ。だというのにリーザは今にも涙ぐみそうである。

 

 頭を振って桐哉はバーゴイルの頭部コックビットに続くタラップを駆け上がった。

 

「見てください、先生。こうやって人機ってのは動かすんです」

 

 無理やりにでも自分を鼓舞しなければ今にも崩れてしまいそうであった。

 

 リーザは涙を目元に浮かべていたが、稼動するバーゴイルの推進剤のバルブを目にして驚嘆の笑みを作った。

 

「すごいですねっ! クサカベ准尉!」

 

 その笑顔も脆く、消えてしまいそうで、桐哉は自分の顔を見せられなかった。

 

 彼女が強く耐えているのに自分が壊れてしまえばどうなる。今にも頬を伝いそうな熱を桐哉はぐっと耐えた。

 

 整備班の冷たい目線を感じ取る。それでも、リーザにだけは笑顔でいて欲しい。

 

「空中機動の時、バーゴイルはこう動くんですよ」

 

 ――自分は何をしているのだろう。不意に突き立った疑問が胸の内を黒々と染めていく。

 

 本来ならば衛星軌道上で古代人機を討ち、接近する未確認物体を破壊するのが役目のはずだ。

 

 惑星の平和と秩序を守る、選ばれし守り人。それが自分であったはずなのに……。

 

 嗚咽の声が覚えず漏れていた。リーザが表情を翳らせる。

 

「すいません。俺、強くあらなきゃいけないのに……どうしても……」

 

 どうしても耐えられなかった。

 

 整備デッキの一画に佇むバーゴイルから悔恨の声が残響していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯38 ぶつかり合う刻

《インペルベイン》の示した座標は今まで通り、ブルブラッド大気汚染の濃い場所である。

 

 ロデムと共に海上を滑走する《シルヴァリンク》は海面に映し出された機体の影を視野に入れていた。

 

 頭部からもたらされる映像情報を全天候周モニター越しに鉄菜は目にする。

 

 海は汚染されて久しいと聞くがそれでも青い色を湛えたままであった。見た限りでは命の息吹があっても何らおかしくない場所。

 

 だが、汚染大気はまず海中の生物を根絶した。

 

 眼前に広がるのは人類の原罪を一番に背負わされたただの水溜りである。

 

 既に日は落ちていた。《シルヴァリンク》を先導するロデムが灯火のように光信号を放つ。シグナルに導かれて《シルヴァリンク》の辿り着いたのはほとんど海中に没した孤島であった。

 

 小山のようにうず高く積まれているのは汚染によって生み出されたゴミ溜めである。コミューンを建造する際に発生したゴミは全て流されて行き場をなくし、結果として同じようなゴミが集積する場所へと辿り着く。

 

 自分達の集合場所がゴミ溜めとは皮肉にもほどがあった。

 

『鉄菜。今回も散々だったみたいね』

 

 完全に気配を絶っていた《インペルベイン》が光学迷彩を解いて《シルヴァリンク》の背後に立ち現れる。

 

 熱光学センサーさえもかく乱するほど精度が高い偽装を施された《インペルベイン》に、上空から月光を抱いてもう一機のモリビトが舞い降りた。直後、ロデムが変形し、空中の《ノエルカルテット》の胴体部に収まる。両腕を得た《ノエルカルテット》が水面に着水した。その大質量のために水柱が上がる。

 

 コックピットブロックから顔を出した桃と彩芽は既に心得ている様子であった。

 

 二人ともマスクを着用しており、自分だけがRスーツのみで姿を現す。

 

「クロ、第二フェイズは滞りなく進んだわ。後は、結果を待つだけね」

 

「結果? 何を待つというんだ」

 

「そろそろ来るわよ」

 

 彩芽の言葉に突然、緊急通信回線が開いた。全世界に向けての宣言である。モリビトの中で浮かび上がったウィンドウに触れると回線から音声が漏れた。

 

『独立国家オラクルは現時刻をもってゾル国に吸収される運びとなりました。現地より中継が繋がっています』

 

 キャスターが読み上げ、現地の興奮を伝えている。オラクルの政治家達が集い、ゾル国の高官達と握手を交わしていた。

 

「やっぱ、こうなったか」

 

 桃のこぼした声音に鉄菜は問い返す。

 

「やっぱり、というのは」

 

「C連合を切って独立したんだからそりゃゾル国に亡命するでしょ。モモ達が介入したから完全独立は難しくなった。だからゾル国への亡命が早まった形になる」

 

「……つまり、遅かれ早かれこうなった、と言いたいのか」

 

「そうならなくては、わたくし達の介入の意味がないのよ、鉄菜。モリビトが世界の脅威を引き受けたという事はつまり、オラクルのような小国の独立でさえも許さないという事。これ以上脅威が増える前に、わたくし達は対象を根絶する。そのスタンスが明確になっただけでも充分な収穫よ」

 

 鉄菜はしかし、オラクルで戦闘をしたバーゴイルもどきの事を思い返していた。あれの存在が公になればそれこそゾル国への亡命など自演行為に繋がるのではないのか。

 

 その懸念を読み取った彩芽が口にする。

 

「鉄菜、貴女の破壊したバーゴイルの製造元が割れたわ。第三国経由であったのは間違いないけれど、やっぱり大元はゾル国だった。ゾル国の小さなコミューンよ。随分と本国からは離れているけれど、その場所で製造されたのは間違いない」

 

「その場所は?」

 

「クロ、焦らないで。まさかいきなり仕掛けるとでも?」

 

「だが、バーゴイルの存在が公になれば、それこそ……」

 

「戦争、ね。C連合がオラクルを吸収すれば、自作自演になった。でもゾル国に吸収合併されても、あのバーゴイルの存在が引っかかる。いずれにせよ、二国間の緊張状態を高める事になった」

 

 彩芽も桃も分かっていてオラクルへの軍事介入を行ったのだ。鉄菜は二人を睨み据える。

 

「ゾル国のどこで開発されたんだ。あのバーゴイルのカスタム型はオラクルの独自技術ではないのか」

 

「小国に改造の技術なんてないわよ。大方最初から改造を施したバーゴイルを輸入し、コックピットブロックだけ偽装した。色も変えたかもね」

 

 つまりあのバーゴイルの輸入がされた時点で、ここまでの戦局を操っている何者かがいる、という事か。

 

「だが、ゾル国がそんな事をする旨みがない」

 

「そんな事を言い出したらC連合だって痛くもない横腹を晒す意味はないわよ。最初から、オラクルの独立支援のためにバーゴイルを派遣させた。まぁ、モリビトとブルブラッドキャリアがいなければ何も起こらずスムーズに関係を修復出来たかもしれないけれど、今回、一番に厄介なのはゾル国が暗躍したかもしれない事実と、C連合は分かっていてオラクルを泳がせた可能性ね」

 

「元々はC連合の作戦の一部だった、か」

 

「オラクル独立自体がC連合において戦争の火種作りの体のいい材料だったのかも。あるいは、それを仕掛けたのはゾル国だったかもしれないけれど。どっちにしたって、オラクルは生贄の子羊だったわけね」

 

 鉄菜はあの場において自分達の戦いがどちらにせよ、ゾル国とC連合のシナリオに組み込まれるための戦いであった事を感じ取った。モリビトが動かなくとも、情勢は動いただろう。

 

「モリビトは利用された、というわけか」

 

「まぁ体よく利用したつもりなんだろうけれど、わたくし達がバーゴイルを完全に叩き潰さなかったせいでこんなのが出回っている」

 

 彩芽から手首の端末に送られてきたのはオラクル市街における戦いであった。《シルヴァリンク》が大剣を振るって《デミバーゴイル》を撃破する一部始終が映し出されている。

 

「これはネットに?」

 

「まだデマの域を出ない、ってのが大多数だけれど、それでもこれを信じればゾル国における小国コミューンの自演を疑わざるを得ない。世界は、少しずつ変わっていっているのよ」

 

 それがいい方向なのか、悪い方向なのかは不明、か。

 

 鉄菜は端末に表示された次の任務を見やった。

 

「ようやく第三フェイズ、か」

 

 呟いた桃に鉄菜は視線を投げる。

 

「お前が作戦指揮を司っていたんじゃないのか?」

 

「勘違いしないで、クロ。モモは第二フェイズまでの概要しか聞いていないわ。そこから先はブルブラッドキャリア本部の指示に従うまでよ」

 

「ようやく動くって事。本部も思い腰を上げるみたいね」

 

 ブルブラッドキャリア本部、と聞いて鉄菜は自然と空を仰いでいた。リバウンドフィールドの虹が空を覆っている。

 

 虹の果てからやってきた自分達はこの惑星において異端であろう。異端のモリビトを操り、業火の中で戦い続けるしかない。

 

「第三フェイズは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 元老院にもたらされた情報に、彼らは困惑していた。

 

 地下ネットワークを探り出し、元老院の義体達が電子音声を響き渡らせる。

 

『達す。元老院、コード2045を発令。モリビトに関する情報開示を求む』

 

『承認。モリビトタイプの戦力を判定する』

 

 義体達の頭上にオラクルにおいてのモリビトの戦闘状況が映し出された。投射画面を巻き戻し、元老院は決定を下す。

 

『青いモリビトの武装に一致する部分を発見。三大禁忌へのアクセスを許可されたし』

 

『許可する。三大禁忌のうち、この武装はトウジャ、に分類される』

 

 トウジャの機体データがすぐに全員の脳内を同期した。細身の疾駆と青のモリビトとの合致率を弾き出す。

 

『合致したのは四十パーセント未満。よってこれはトウジャではない』

 

『トウジャの技術を流用した機体と推定。しかしながらトウジャの技術内容は完全に秘匿されており、持ち出す事は不可能のはず』

 

『やはり百五十年前の大罪か。あの時、情報が散逸した。元老院設立はあの後である』

 

 つまり元老院がまだ現在のようにシステムとして纏っていない時代における前時代的な情報処理で弾き出された機体がモリビトである、という判定であった。

 

『モリビトは前時代的な技術領域で造り出された機体……だとすれば現時点での《ナナツー》やロンドが勝利出来ないのもおかしいのであるが』

 

『《ナナツー》やロンド、バーゴイルの技術を封印しなかったのは第四十二期元老院における議会判断だ。それは全ての技術を封印したところで人は繰り返すものであるという決定から来ている』

 

 人間の知的好奇心を侮ってはいない。その領域を間違えれば人は容易く過去の遺物を掘り返す。

 

『我々は慎重に慎重を期して、人間の情報網を操り、今日までの平和を築いてきた。その平和を脅かすというのならばモリビトの戦力は軽視出来ない』

 

『モリビトに関する情報は、他には?』

 

『残念ながら、もう二機に関してはデータが乏しい。青いモリビトがほとんど矢面に立っている。これは意図的な手段だと思われる』

 

 意図的に青いモリビト一機に世界の敵意を集約させているのだ。それは政治的手腕に近かった。

 

『分かりやすい敵としてのモリビトのイメージを集める、というわけか。ブルブラッドキャリアのやり口はやはり、我々への復讐か』

 

『だが元老院議事堂は秘中の秘である。この場所が割れるはずもあるまい』

 

『何者かが裏切らなければ、の話ではあるが』

 

 お互いを疑ったところで元老院のメンバーは全員、脳髄さえも同調している。何を考えていたとしてもたちどころに分かるのだ。相手を陥れる事さえも不可能な領域である。

 

『……やはり外部に協力者のある者が、この場にいるようだ』

 

『外部、とは言っても前時代的な人間の肉体を得たところでどうする? 情報処理では圧倒的に劣る人間の躯体など今さら持ち出したところで』

 

『だが思考は読めないだろう。どれほど人間の肉体に意味がないと言っても』

 

 現時点のような相手への牽制すらも出来ない領域からは脱する事が出来る。人間の肉体には不備が生じるものだが、それがイコール意味のない、というわけでは決してない。

 

『……元老院の誰かが、人間体を別に持っているとでも?』

 

『腹の探り合いなど意味があるまい。我々は既に総体なのだ』

 

『総体が騙し合いをしたところで決着がつかないのは目に見えているだろう。今は、ブルブラッドキャリア排斥のために動くべきだ』

 

『その意見には同意するが、ではモリビトを倒すのにはどう動く? 三大禁忌を、人間の前に晒すわけにもいくまい』

 

『何のために百五十年も封じてきたと思っている。モリビト、トウジャ、キリビトはかつて星を滅ぼしかけた大罪の徒だ。それらを民草に与えれば、人間は何度でも繰り返す。愚かしいほどの罪を』

 

『だが少しでも情報を開示しなければ、モリビトへは永遠に届くまい』

 

 沈黙が流れた。今までモリビト討伐を思索していた者達が一斉に一つの考えへと集約されていく。

 

『……部分的な開示に留まるのはどうだろう』

 

 その提案は全員のものであったが、一人の発言として捉えられた。

 

『部分開示……トウジャ、モリビトの武装を開示し、国家に再現してもらうというのか』

 

『それならば民衆には伝わるまい。安全な形だとは思うが』

 

『異議あり。部分開示であっても、人間にそれを与えるのは危険過ぎる』

 

『ではどうするというのだ。今のままではモリビトに煮え湯を飲まされるだけだ』

 

『タチバナ博士、という人物がいる』

 

 一人の人物の経歴を即座に呼び出し、元老院は思案を浮かべた。

 

『人機研究の第一人者か』

 

『彼に真実に至ってもらおう』

 

『危険が伴うのでは?』

 

『だが彼のような人間に少しでも張り合ってもらわなくては、大国がどれほどの時間を費やしてもモリビトには勝てない』

 

 その結論は全員の総意であった。

 

『タチバナ博士にコンタクトを取る。人間体が必要だ』

 

『不死の元老院の命令権において、人間体を操るのは誰か』

 

『私が行こう』

 

 一人の判断に元老院の決定が集約される。

 

『ではコード031を発令。元老院の記憶データを伴った人間型端末を作成する。作成時間は1200秒ほど』

 

『了承した。1200秒後に人間体を生成。人間体はそのままタチバナ博士との接触に移る』

 

『しかし、もしタチバナ博士が我々に勘付いたらどうするか』

 

『その場合は仕方あるまい。死んでもらう』

 

 その決定に誰も異議は挟まなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯39 邂逅

 ヒイラギはいつも何かしら書類仕事に追われているようであった。

 

 燐華は何の仕事をしているのか、尋ねてみる。

 

「なに、雑務だよ、雑務」

 

「でも、他の先生方はやっておられる感じじゃないですけれど」

 

「だから、それを雑務と呼ぶんだ」

 

 眼鏡のブリッジを上げたヒイラギに燐華は微笑んだ。

 

「先生、相当暇なんですね」

 

「暇に見えるかい?」

 

「それか、相当気が弱いか」

 

「ああ、そうだとも。僕は気が弱い。だから、何にも言い返せないよ、燐華・クサカベ。君の力にもなれやしない」

 

「でも、先生はあたしを匿ってくれているわ」

 

 ヒイラギは肩をすくめる。

 

「匿うなんてほどじゃないさ。生徒達の死角なんだ、この保健室が。それだけの話。大した事をしているわけでもない」

 

「いいえ、先生のお陰であたし、踏み止まっている」

 

 人を信じられなくなる事から。あるいは、死から、と言ってもいい。

 

 ヒイラギはこちらに視線を振り向けもせず、そういうものかな、とこぼした。

 

「踏み止まっているのは君の自由だろう。僕は大した事をした覚えはない」

 

「でも、保健室があってあたし、ホッとしてる。だって、先生が話相手になってくれて、あたし……」

 

「誤解して欲しくないのは、僕だって国を相手取れるほど強くないって事だよ。命令されればこんな保健室のプライバシーなんてないも同然なんだ。安心し切っているのはおススメしない」

 

「軍は学校の保健室に入ってこないわ」

 

「どうかな。君は国家を上げての敵対対象の妹だ。思っているよりも敵は多いと判断したほうがいい」

 

 敵は多い。その言葉に燐華はここ数日の迫害を思い返した。

 

「……友達はいると、思っていました。モリビトの、兄がどれほどに貶められても、それでも手を差し伸べてくれる友達が」

 

「案外、他人なんて当てにならないものさ」

 

「分かっていたつもりでした。屋敷でも居場所なんてないもの」

 

「僕だって当てにされれば困る。人機でも持っていれば違うかもしれないが、一介の保険医だ」

 

「先生も……にいにい様を、英雄を堕ちた存在だって思っていますか?」

 

「難しい事を聞くね」

 

「難しくはないと思います。……みんな、どう思っているかくらいは」

 

 モリビトの名前は一夜にして敵の名前になった。本国の誉れ、英雄の名前であったはずなのに。桐哉はどうしているのだろう。桐哉に会いたい。会って、思いの丈をぶちまけたい。

 

 そうでなければ、自分は壊れてしまいそうだ。

 

「どう思っているのか、か。同調圧力というものがある。人間、追い込まれればどれほど酷い事だって平然とするものさ」

 

「それがまかり通っているんですか」

 

「まかり通らなければ、人間は自治体を形成出来ない。古来よりある処世術の一つだ。自分と相手は違う。それだけの理由で争ってきた」

 

「先生は、達観しているんですね」

 

「達観? 違うよ。これは諦めだ」

 

 人間に対する諦めだろうか。キーを打つヒイラギに燐華は言いやっていた。

 

「先生は、人間が嫌いなの?」

 

「好きじゃない。でも、嫌いでもない。時に人間はとてつもなく愛おしいとさえも思える。それは、人間だけが罪を持っているからだ」

 

「罪、ですか……」

 

「そうさ。罪の概念を持ち出したのは、人間だけだ。他の生命体を圧倒し、裁くか裁かれるかを分けたのも、人間だけだ。犬猫はお互いを裁き合う事さえも知らないだろう」

 

「分からないわ……どうして、人間は裁く事を覚えたのでしょうか」

 

「それは、争わないためだろうね」

 

 さっきの発言と矛盾する。燐華が眉をひそめていたからだろう。ヒイラギは薄く笑った。

 

「意味不明な事言っていると思ってる?」

 

「……少し」

 

「だろうね。だが、その通りなんだ。厳罰の概念は争わないために出来た。何故って、罪と罰がなければ、人は際限なく争い続けるからさ。罪に対する罰、この両者は不可分の存在だ。罰がなくてもバランスは崩すし、罪がなくともこの世はおかしくなってしまう。罪と罰、二つ揃って初めて、意味がある言葉なんだ」

 

「……にいにい様が罰を受けているのも、仕方がないっていう事なんですか」

 

「僕は政治家じゃないし軍人でもない。だから、君の兄である桐哉・クサカベがどれほどの境遇にいてもどうも裁けないし、どうにも釈明も出来ない。僕はただの保険医だからね」

 

 結局、自分達の罪は自分達で贖うしかないのだ。

 

 それがどれほどに時間のかかる事であったとしても。

 

 朝礼の鐘が鳴った。今日は随分と早い時間から保健室に訪れたのだが、当たり前のようにヒイラギは仕事をしていた。

 

「あたし、戻らなくっちゃ」

 

「何で、君はそこまで真面目なんだい? いや、馬鹿正直というべきか、戻らなくともいい選択肢だろうに」

 

 ヒイラギの言葉に燐華は顔を翳らせた。ずっと保健室にいればいい。その通りなのだが、燐華には絶対に譲れないものがあった。

 

「あたし、先生に逃げている。でも、にいにい様は逃げずに戦っているはずなんです。あたしだけが、いい逃げ場所を持っているなんて……ずるいですよ」

 

「だが人は逃げる生き物だ。いつだってそうさ。何かから逃げている。宿命だとか、運命だとか、やるべき事からね」

 

 だから自分にだけ無理を強いる事はないと言ってくれているのだろうか。その優しさに燐華は微笑み返す。

 

「優しいですね、先生は」

 

「僕は優しくないよ。小心者なだけさ」

 

「でも、だったらあたしのやる事って多分、逃げない事だけなんだと思うんです。それだけでしか、にいにい様に顔を合わせる手段がないですから」

 

「桐哉・クサカベの温情に甘えていればいいんじゃないかな。君は、だって軍人でもなければ、特別な人間でもない」

 

「いえ、でもあたし、出来る限り戦っていたい。だってにいにい様はいつだってあたしの事を心配してくれるんだもの。あたしだけ、安全な場所に留まっているのは、間違っています」

 

「そうかな。そういうもんか」

 

 立ち上がった燐華は保健室の扉を開けようとして重苦しい感情が胸を占めていくのを感じた。

 

 ――戦わなくてもいい。

 

 その通りだ。自分は何も出来ない、ただの人間。だから降って湧いたような不運に抗う必要もない、と。

 

 しかし燐華は面を上げた。

 

 ヒイラギと桐哉にばかり逃げていては駄目なのだ。

 

 保健室を出る際、ヒイラギが言葉を投げてきた。

 

「また来るといい」

 

 その優しさに甘えてしまいそうになる。本当はここにいたい。誰とも会いたくないのに。

 

 燐華は教室に戻る際、数人の生徒達の視線に晒された。

 

「……まだ来てる」、「恥知らず過ぎでしょ」、「なんで生きてるかなぁ」

 

 囁き声から目を背けて燐華は席に座った。席にはいくつもの罵声の言葉が刻み込まれている。

 

 また、我慢の時間が始まる。

 

 学園に通うのなら授業を受けなければ、と自分に課していたが、これでは逆に自分の身体を追い込むかのようだった。

 

 息苦しさを覚える燐華は胸元をぎゅっと握り締めた。教師が全員に声を振り向ける。

 

「えー、今日は転校生を紹介しようと思う」

 

 教室中がざわめいた。珍しい事もあるものだ。燐華の通う学園はほとんどエスカレーター式で外部からの人間など転入してくる事はまずない。

 

「入りなさい」

 

 教師の言葉に黒髪をなびかせた少女が歩み出ていた。濃紺に近い学園の制服を着こなしている。紫色の瞳孔が射る光を灯していた。鋭い眼光に興味本位の生徒達は口を噤む。

 

「……綺麗」

 

 燐華は覚えず呟いていた。少女の立ち振る舞いにはてらいというものが一切ない。自分がここにいる事に一つの疑問も挟んでいない様子であった。

 

 靴音を響かせ、少女が全員に向き直る。教師がホワイトボードに名前を書きつけようとした。その手を制して少女は横向きに名前を綴る。

 

「鉄菜・ノヴァリス」

 

 それ以外の言葉は不必要だとでも言うように少女――鉄菜は口にしていた。生徒達が囁き合う。

 

「他に何かないの?」

 

「えーっ、ノヴァリスさんはご家庭の都合でゾル国に入国してきたばかりで分からない事も多いと思いますが、皆さん仲良くしてあげてください。席は……」

 

 教師が言葉を彷徨わせている間に鉄菜はつかつかと歩み出ていた。空いている席はこのクラスでは一つだけである。

 

 燐華の隣に鉄菜は歩み寄っていた。

 

 その鋭い眼光に燐華は射竦められたように言葉を失う。

 

「隣」

 

「あ、うん。空いているけれど」

 

 鉄菜は迷いなく座り込んだ。生徒達がこれ見よがしに声を潜める。

 

「クサカベさんの隣に、なんて、不幸ね、あの転校生」、「そもそも意味が分かってやってるの?」、「意味分かっていたらあんなところ座らないでしょ」

 

 様々な言葉が交わされる中、教師が場の空気を取り繕う。

 

「えーっ、では一限の授業に入る」

 

 燐華は鉄菜に言葉を差し挟もうとして、取り出された端末を淡々と操作する鉄菜の存在に圧倒されていた。

 

 まるで鉄菜だけこのクラスから隔絶されたようであった。

 

「その、ノヴァリスさん……。何か手伝える事……」

 

「手伝う? 何を?」

 

「いや、だって入国したばっかりだし分からない事とか」

 

「特にない」

 

 取り澄ましたわけでもない。心底訊く事など一つもないと感じている声音であった。

 

 生徒達の一画の視線がこちらに集まっているのが分かる。鉄菜のような態度は敵を作りやすい。

 

「その……あたしなんかが言える立場じゃないけれど、もうちょっと気をつけたほうがいいと、思うよ」

 

「気をつける? ……つまらない事を言うものだ」

 

 ようやく視線が集中している事に気づいたのか、鉄菜の下した判断は「つまらない」という一言だった。

 

 いじめのリーダー格が顎をしゃくる。穏やかじゃない、と燐華は身を縮こまらせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学園の至るところには監視カメラがある。鉄菜はその監視カメラの死角を見つけ出し、端末に暗号コードを吹き込ませた。

 

「潜入完了した。三号機からのバックアップは完璧のようだ」

 

『クロ、いい格好よ、本当に』

 

 くくっ、と桃が笑いを押し殺したのが伝わる。鉄菜は声に棘を含ませた。

「……ゾル国が緊張状態にあるのは分かる。だが、どうして学校なんかに入らなければならない」

 

『必要だからよ、鉄菜』

 

 割って入ったのは彩芽だ。彩芽の通信は遠く離れたC連合のオフィスからもたらされている。

 

『第三フェイズは滞りなく行われているようね。モモのサポートがあるんだからトーゼンだけれど。二人とも、いい格好』

 

 彩芽はOLの服装に袖を通していた。鉄菜は自分の纏っている学園の制服に違和感を覚える。

 

「私も会社でよかった」

 

『ゾル国じゃ、その年齢で会社勤めのほうが珍しいのよ。ま、アヤ姉の歳なら誤魔化さなくっていいんだけれどね』

 

『……鉄菜、気持ちは分かるわ』

 

 押し殺した彩芽の声音に鉄菜は嘆息をつく。桃に弄ばれているようなものだ。鉄菜は鼻を鳴らして学園を見渡した。

 

「学校など、つまらないものだ」

 

『でも地上の学園なんてクロからしてみれば縁も何もなかったでしょ? そーいうのに通うのって大事よ。多分』

 

『二号機はいつでも出せる状態にしてあるのよね?』

 

「地底湖に沈ませてある。入る時に制限を受けなかったのは三号機のお陰か」

 

『《ノエルカルテット》がちょっと本気を出せばクロみたいなのだってただの一般人に出来ちゃうんだから』

 

 ただの一般人。鉄菜はその言葉の持つ違和感に掌へと視線を落とした。自分はそもそもこの惑星の生まれではない。だというのに群集に埋もれる事が出来ている事に驚きを隠せなかった。

 

「案外、出来るものだな」

 

『そう? でもクロったら早速、好奇の視線を掻っ攫っているわよ? いじめの標的にされるかも』

 

「そいつらは武器でも持っているのか?」

 

『武器なんてなくってもいじめは発生するのよ、鉄菜。地上ってそういうもの』

 

 分かった風な口を利くのだな、と鉄菜は感じつつ学園の屋上から望んだ景色を視界に入れる。

 

 広く取られた学園の敷地の中で運動に精を出す生徒やそこいらでお喋りに花を咲かせる生徒がいる。不思議なものだ。ブルブラッドキャリアが宣戦をしたと言うのに、ここはまるでそのような事実とは無縁の場所に思える。

 

「ここを見ている限り、戦争なんて起こりそうもない」

 

『ところが、クロ、戦火の種は撒かれつつある。もうゾル国とC連合の上層部は戦争が起こった場合の事を想定しているわ。民衆には知らされていなくてもね』

 

「あの動画は? どうなった?」

 

『依然としてネット上にはコピーが溢れ返っている。でも、こっちも戦争なんてものは起きそうにもないわね』

 

 彩芽が大きく伸びをする。自分とは違って社会人という身分だ。それなりに化粧気がないと渡り合えないのだろう。鉄菜は学園に潜入するに当たっての必要事項を羅列したメモ帳を取り出したが、どれも自分には向いていそうになかった。

 

「戦うしか知らないのに、協調性だの、友人を作れだの、無茶を言う」

 

『クロ、今のままじゃあんた、浮き過ぎよ。相当な変わり者だと思われているわ』

 

「構わない。戦闘時に支障がなければ」

 

『鉄菜、貴女はまだ学生だからいいじゃない。こっちなんて仕事の山。IT系の会社なんて今時入るもんじゃないわね。デバック作業ばっかりよ、昨日の夜からずっと』

 

 彩芽が欠伸をかみ殺す。鉄菜は流れる風が黒髪を揺らしたのを感じた。

 

 ブルブラッド大気とは違う、浄化された風だ。あまりに管理され尽くした風の薫りに鉄菜はむせ返りそうになる。

 

 人工的な大気というのはどうにも好かない。

 

「外で戦っているほうが性にあっている」

 

『ダメよ、クロ。緊急事態でも起きない限り、《シルヴァリンク》も出しちゃダメ。今は、ゾル国内の情勢を見るのに学生という身分が一番に合っている』

 

「桃・リップバーン、お前が来ればいい」

 

『モモにはそんな余裕なんて許されないの。第三フェイズが迫っている。ブルブラッドキャリアの本体と合流して、来るべき武装を手に入れないと』

 

『例の、モリビト全機への追加武装案ね。あれ、通ったんだ?』

 

 事前に聞かされていたものだが技術的な部門で再現不可能と言われていた領域である。

 

『そっ。追加武装を取得するのは《ノエルカルテット》が引き受けるから、アヤ姉とクロはせいぜい、娑婆の空気でも堪能しておくといいわ』

 

『シャバ、なんて可愛くない言い方するのね』

 

 桃と彩芽の言葉を聞き取りながら、鉄菜は屋上から見下ろせる景色の中に、数人の生徒を発見した。

 

 一人の小柄な少女に数人が囲んでいる。

 

「あれは、確か隣の席の」

 

『どうしたの? クロ』

 

 少女達の怒声に中央の少女は怯えきっている様子であった。鉄菜は覚えず駆け出し手すりを跳び越える。

 

「ちょっと割って入る」

 

『クロ? 何をして――』

 

 桃の通信を聞き止める前に、鉄菜は屋上から跳躍していた。

 

 中央の少女へと張り手が見舞われようとしているのを鉄菜は降り立って制する。

 

 ハッとした様子の少女らと背後の少女が空を仰ぎ見た。

 

「空から……」

 

「降ってきた……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯40 この手を滑り落ちるのは

 どちらも茫然自失の状態であった。鉄菜は掴んだ手を捻り上げリーダー格を威圧する。

 

「つまらない場所だと思っていたが、ここまでだとはな」

 

「何するのよ! 離しなさいよ」

 

 しかし鉄菜は離さず少しだけ力を込めた。だが地上の人間からしてみれば鉄菜の少し力を入れた程度でも万力のように食い込んだのがありありと伝わったのだろう。

 

 リーダー格が取り巻きに命じる。

 

「こいつ……! あんた達、こいつを!」

 

「始末して、とでも言うつもりか?」

 

 地の底から発したような声音にリーダー格が及び腰になりそうになった。だが、取り巻きのほうが従順のようだ。

 

 近くの石材を手に取り巻きの一人が鉄菜へと殴りかかろうとする。鉄菜は回転軸を加えた片足で振り切った。

 

 蹴りが食い込み、石材を叩き割る。

 

 その一撃に瞠目した周囲の人々へと鉄菜は即座に回り込んだ。

 

 手刀を形作り、それぞれの首裏を狙い澄ます。的確な力だけを加えた手刀は峰打ちだ。次々に昏倒していく取り巻きにリーダー格の少女が焦りを浮かべた。

 

「な、何なのよ、あんた……! クサカベさんの、売国奴の味方をするの?」

 

「売国奴? そこの少女が、か?」

 

 視線をやるが、売国奴と呼ばれるほど情報を持っているとも思えない。鉄菜の眼差しに短く悲鳴すら上げるほどだ。

 

「そうよ。知らないの? モリビトの名前の兄がいるって」

 

 鉄菜は首をひねる。どうにも意味が通じない。

 

「モリビトは機動兵器の名前だ。どうしてそのような名前の兄がいるというんだ」

 

「なっ……常識さえもないの、あなた!」

 

「常識を疑うのならばそちらのほうだな。目についただけのシミだが、一度目につくとなかなか離れないものだ」

 

 踏み出す鉄菜にリーダー格は制服から武器を取り出した。スタンガンである。鉄菜は嘆息をついた。

 

 ブルブラッドキャリアの操主として育て上げられた自分に、少量の電撃など通用しない。

 

「民間用の護身武器か。来るなら来い。相手になってやる」

 

「あなた、本当にどうかしてるわね……。燐華・クサカベは私達の国を侮辱して……!」

 

「侮辱だというのなら、もっとはっきりとした形でやればいい。中途半端が一番鼻につく」

 

 言葉を詰まらせた少女に鉄菜は手招きした。

 

「撃ってこい。それではっきりする」

 

 リーダー格がスタンガンを腰だめに構え、一気に飛び込んできた。雄叫びさえ上げながらの一撃が鉄菜に突き刺さる。

 

 しかし、蚊ほどにも感じないとはこの事か、と鉄菜は思い知った。やはり民間用の電撃程度では自分は痛みさえも覚えないのだ。

 

「なに、あんた……下に何か着込んでいるの?」

 

 Rスーツを制服の下に着ているのは間違いなかったがそれだけではないだろう。鉄菜は青い火花が飛び散るスタンガンの電流発生部を素手で握り締めた。

 

「これでも意味があると?」

 

「化け物……化け物同士が、肩を寄せ合って!」

 

「知るか」

 

 その一声でスタンガンを握り潰す。あまりの握力にリーダー格が息を呑んだ。

 

「化け物と売国奴が、一緒になってゾル国に歯向かうっていうの?」

 

「お前がゾル国の代表者というわけでもあるまい。一人二人殺した程度で国は動かない」

 

 すっと鉄菜の手刀がリーダー格の首筋に沿う。それだけで彼女はへたり込んだ。

 

 スカートの下から滴った液体が地面を濡らしていく。

 

 鉄菜は振り返り囲まれていた少女に手を差し伸べた。

 

「立てるか?」

 

「えっ、あの……ノヴァリスさん、何であたしの事」

 

「助けただなんて考えるな。私は、害虫が飛び回るのが目に余っただけだ」

 

 断じた声に少女も気圧されたように言葉を仕舞った。

 

「許さない……! あんた達、絶対に許さないんだから!」

 

 リーダー格の少女はしかし鉄菜の一睨みだけで射竦められたように動けなくなっていた。常人では鍛えられた自分には遠く及ばないだろう。

 

「行くぞ。つまらないものを見せるな」

 

 少女の手を引き、鉄菜は学園の廊下を歩んでいく。困惑した少女は鉄菜に何度も問いかけた。

 

「その、ノヴァリスさん? 何で? 怒ってるの?」

 

「怒っていない。不愉快なだけだ」

 

「……怒ってるじゃない」

 

 充分に距離を取ったところで鉄菜は立ち止まった。その眼光で少女が怯えたように縮こまる。

 

「さっきの教室でいた連中だな。ああいうのがこの地上の流儀なのか?」

 

「地上って……。そりゃ分かんないけれど、でもあたしなんて助けないほうが……」

 

「助けた覚えはない。義理立ても、何も必要はない」

 

 強い語調に少女はしゅんと面を伏せた。

 

「そう、なんだ……助けてもらったわけじゃない、んだね……」

 

「助けてもらえると思っていたのか?」

 

 少女はその言葉に返事を窮した。

 

「……ちょっとくらいは何か状況がマシになるかな、って思っていたけれど、やっぱりそんな都合よくはいかないよね」

 

 少女は鉄菜の手を振り解き、来た道を戻っていく。

 

「何をしに戻る?」

 

「ノヴァリスさんがやってくれた事、あたしのせいだって言わないと。じゃないともっと酷い事になっちゃう」

 

「酷い事? どうして私のやった事を肩代わりする? 栄誉でも欲しいのか?」

 

「……分かんないかな、ノヴァリスさんには」

 

 鉄菜にはさっぱり分からなかったが、少女はどうやら自分の行動の泥を被ってでも守りたい何かがあるようであった。

 

「そこまでして何を得たい? あんなもの放っておけばいい」

 

「出来ないよ。だって、あたし、言われた通りなんだもの」

 

 鉄菜は首を傾げる。売国奴、という罵声はどうにも馴染みそうにない小さな肩である。

 

「どういう意味だ? 本当に他国に情報でも売っていたのか?」

 

「そんなわけないじゃない……! あたしは、何もしてないよ」

 

「では甘んじて罵倒を受ける意味もあるまい。どうしてこだわる?」

 

 鉄菜の疑問に少女は頭を振った。灰色の髪が小さく揺れる。

 

「あたしにも、分かんない。でも、こうして耐えるしかないんだって、そう思っていたから。ノヴァリスさんみたいな人には、分からないかもしれないけれど」

 

「理解に苦しむ。自分が苦痛を感じて何か意義があるとでも? それほどの人間には見えないが」

 

 少女はこちらへと振り返る。どうしてだか涙ぐんでいた。

 

「だって、あたしが生贄にならなきゃ、誰がにいにい様の事をよく言えるっていうの」

 

 問い返されても鉄菜には答えられない。その意味さえも分からないからだ。

 

「……分からない。にいにい様? 誰の事を言っているのかも不明だ。それだというのに、目の前の些事には割って入るな、と? 偉そうなのかそうでないのかも分からないな」

 

 歩み出た鉄菜に少女は張り裂けそうな言葉を放る。

 

「近づかないで! ……あたしに関わってもノヴァリスさんには……」

 

 やはり鉄菜には分からない。少女が何を背負っているのかも。どうしてそこまで意固地になるのかも全く不明であった。ただ、自分にとって不愉快な要素を排除しただけに過ぎないのに、ここまで複雑な思考回路をするのが地上の人間なのだろうか。

 

「……不利益を排除しただけだ。だというのに、シンプルな等価交換もされないのか。学園という場所は随分と住みにくいと見える」

 

「ノヴァリスさん……他国から来たんだよね? だったら、知らないのも無理ない、かもしれないけれど」

 

「知らないからと言って、先ほどの状況がお前にとっての好転とも思えないのだが、私が間違っているのか?」

 

「間違ってなんて……! ただ、そういう風にシンプルに物事を割り切るのには、あたしみたいなのからしてみれば逆に……分かんなくって。変なのかな? ここ数日間で、周りが変わっちゃったから、裏切られるほうにばっかり慣れちゃって……」

 

 鉄菜は依然として氷解しない疑問に眉をひそめつつ、少女の手を取った。

 

 今度は振り解かれなかった。鉄菜は自らの頬を指差す。

 

「頬に切り傷がある。絆創膏くらいはあるだろう。医務室に行く」

 

 手を取って歩み出した鉄菜に少女が困惑する。

 

「でも、あたしに関わってもいい事なんて」

 

「私は損得で介入したわけじゃない。情勢として一方的な不利益が気に入らないだけだ」

 

 ただそれだけの感情で動いたに過ぎないのに、一方で不安げに顔を翳らせる被害者がいる。一方ではこちらに牙を剥いていく加害者がいる。

 

 その両端が鉄菜には全く理解の範疇外であった。

 

「……変わり者だよ、ノヴァリスさんは」

 

「変わり者呼ばわりは慣れている」

 

 手を取って医務室と指定されていた場所に赴いた。扉をノックすると中から男性の声がする。

 

「あれ? 君は……」

 

 振り向いた男性教諭は鉄菜の存在に眉根を寄せる。

 

「その、彼女転入生で、今日入ってきたばっかりなんです」

 

「ああ、そうか。見ない顔だな、って思ってね」

 

 眼鏡のブリッジを上げた教員に鉄菜は歩み寄って手を差し出す。

 

「絆創膏」

 

 それだけでは通じなかったのだろう。教員は言葉を彷徨わせる。

 

「えっと……」

 

「その、ノヴァリスさんはあたしのトラブルに介入してくださって、怪我も、しちゃったみたいで……」

 

 及び腰なその言葉に教員は鉄菜の手が擦り剥けているのを発見する。

 

「ちょっと診せて……火傷しているじゃないか」

 

 男性教諭は消毒液とガーゼを取り出すが鉄菜からしてみれば怪我でもないものを治療されるのは不愉快であった。

 

「私ではなく、こっちだ」

 

 手招いた鉄菜に少女はおずおずと歩み出る。鉄菜が頬を示すと男性教諭は目を白黒させた。

 

「えっと……その子じゃなく、クサカベさんのほうって事?」

 

「そうみたいで……」

 

 教員は二人を見比べてからぽつりと言葉をこぼした。

 

「……とりあえず、状況を聞こうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燐華からしてみれば、鉄菜はどうして自分を助けてくれたのか分からなかったが、彼女が手に火傷を負っている事だけは確かだった。その怪我が自分のせいだという事も。

 

 概要を話し終えると、ヒイラギが首をひねる。

 

「クサカベさんを助けに入ってくれたわけか。じゃあ恩人だ」

 

「恩人だとか、そんな謝辞は必要ない。頬の傷に絆創膏を貼ればいいだけだ」

 

 鉄菜はヒイラギの前でも物怖じしない。どうしてそこまで強くあれるのだろうと燐華はびくついてしまう。

 

 一言一言が、誰かに対しての牽制のようだ。

 

「ああ、そうだったね、ゴメン。……でも、あの子の手の怪我、ちょっとしたものじゃないけれど」

 

 声を潜めたヒイラギに燐華は首肯する。

 

「スタンガンを、その……握り潰したみたいで」

 

「握り潰したぁ? スタンガンを?」

 

 素っ頓狂な声を上げたヒイラギに燐華は慌てて口を塞ごうとするも遅かった。鉄菜の鋭い目線がこちらに注がれる。

 

「その……だってあまりにも……」

 

 あまりにも理解の外の行動だったからだ。そう言おうとしたが、鉄菜はゆっくり手を掲げた。

 

 平手が来ると身構えた燐華に鉄菜はすっと手を差し出した。

 

「そんな大した怪我じゃない」

 

「いや、でも、スタンガンを握り潰すなんて……、とにかく一応は診せて」

 

 ヒイラギが怪我の治療に当たる中、鉄菜の目線は自分に向いたままであった。

 

 燐華は慌てて頬の絆創膏をさする。

 

「ほら、あたしは治してもらったし。今度はノヴァリスさん」

 

 消毒液が沁みたのか、一瞬だけ表情を変えた鉄菜であったが直後には仏頂面に埋没していた。

 

 痛みを感じる感覚器が存在しないかのようだ。

 

「これでよし。手は開ける?」

 

 ガーゼを包帯で巻きつけたヒイラギに鉄菜は手を握り締めようとする。

 

「不必要なまでの拘束だ。こんな大怪我じゃない」

 

「いや、手でも痕が残っちゃ駄目だろう?」

 

「痕なんてどうでもいい」

 

 鉄菜は何と包帯を引き千切ろうとする。慌ててヒイラギと燐華が押し留めた。

 

「と、とにかく、今は安静に!」

 

「そ、そうだよ、ノヴァリスさん。安静にしなきゃ!」

 

 二人分の言葉でようやく鉄菜はその事実を飲み込んだようであった。ヒイラギもやり辛いのか額に浮かんだ汗を拭っている。

 

「鉄菜・ノヴァリスさんだったか。すまないね。クサカベさんのトラブルに巻き込んじゃったみたいで」

 

「ごめんなさい、ノヴァリスさん。あたしの事は、もう無視していいから」

 

 燐華も心の底から謝った。これから先まで面倒を診てもらうわけにはいかない。早めに事実を突きつけておくべきだ、と感じたがゆえの行動だったが、鉄菜は頷かなかった。

 

「無視するかどうかは私の勝手だ。どうして頼まれなくてはならない」

 

 思っていたよりもずっと意固地であった。ヒイラギは声を潜めて燐華に囁く。

 

「……随分と、変わり者だなぁ」

 

「朝クラスに来てからずっとなんです。他人の視線も見えていないみたいに」

 

「厄介な子だなぁ。……まぁ、君だけでも充分に厄介なんだけれど」

 

「すいません、先生」

 

「謝る事はない。ただ、まぁ、変わり者ってのは自然と集まるものなのかもしれないね」

 

 鉄菜は処置された右手の包帯を千切り取ろうとしている。ヒイラギがその手を押さえようとして、逆に手首をひねり上げられた。

 

 瞬時の出来事である。燐華の目には留まらないほどの速度で鉄菜がヒイラギの手を返していた。

 

「痛い、痛いって!」

 

「の、ノヴァリスさん! 先生に向かってそんな……」

 

「……癖だ。気にするな」

 

 手を離した鉄菜には何も気にする神経など最初から存在しないようであった。ヒイラギがひねられた手首をさする。

 

「本当に学園の子? 格闘技でもやってた?」

 

「き、きっと護身術ですよ」

 

 取り繕った燐華に鉄菜は鼻を鳴らす。

 

「護身術と呼べるほどでもない」

 

「本当、変わってるなぁ……。まぁ、その、なんだ。君らが一緒になって保健室の常連になっても、僕は別にいいんだけれどさぁ」

 

 ヒイラギが書類仕事に戻ろうとする。鉄菜は立ち去ろうと踵を返した。

 

 その背中を燐華は呼び止める。

 

「ノヴァリスさん! その、待ってくれる?」

 

 鉄菜は一瞥を投げるだけだ。その眼差しに浮かんだ冷たさに言葉を仕舞いかけるが、今言わないときっと後悔する、と自分を奮い立たせた。

 

「身勝手なあたしみたいなのを、……その、助けてくれてありがとう」

 

「身勝手なのは私だけだ。後は知らない」

 

「でもっ! あたし、助けてもらったのに、あんな事言って……」

 

 いつの間にか卑屈になっていたのだろう。鉄菜はしかし特に気にした様子でもなかった。

 

「あんな事……? どれの事なのか分からない」

 

「鉄菜・ノヴァリスさん、だね。正式に転入届が来ている」

 

 ヒイラギはいつの間にか教員のデータベースに入っていたらしい。燐華は覚えずその行動を咎める。

 

「先生! 目の前に生徒がいるのに、失礼じゃないですか」

 

「ああ、ゴメン。でも君みたいな子が本当に生徒なのか、気になっちゃって」

 

 気持ちは分かるが実行するとなると話は別だ。燐華は厳しく言いやった。

 

「謝ってください。女の子の個人情報ですよ?」

 

「そりゃすまない事をした。ただでさえ女子校だからね。僕みたいなのは評価に気をつけなければならない」

 

「別に、妙な事でもない。気になったから調べただけなのだろう」

 

 鉄菜はどこまでも冷たい。そのまま立ち去ろうとするのを、燐華は押し留めた。

 

「その、ノヴァリスさん。あたし、ここによく来るの。……家にも学校にも居場所ないから。ノヴァリスさんも、来てくれると、あたし、嬉しい」

 

 自分勝手な押し付けかもしれない。鉄菜は自分のような弱い側の人間とは違うのに、自分の味方になって欲しいと心のどこかでは思っている。

 

 利己主義な自分に嫌気が差す。

 

 面を伏せた燐華に鉄菜は言葉を返した。

 

「ここに来れば、お前は嬉しいのか?」

 

 その問いかけに燐華は不格好に頷いてしまう。

 

「う、うん。多分……」

 

「ではそうするとしよう。そこの」

 

 顎でしゃくった先にヒイラギがいた。鉄菜の目線にヒイラギが硬直する。

 

「な、何かな?」

 

「困らないのならば、来ていいだろうか」

 

「ああ、僕はそうじゃなくっても変わり者だから……変わり者が一人増えるくらいは……」

 

 お互いに視線を彷徨わせる中、鉄菜が頷く。

 

「そうか。ならば次からはそうする」

 

 あと、と鉄菜が付け加える。今度は燐華へと視線が注がれていた。

 

 紫色の瞳が無感情に自分を見据えている。

 

「な、なに?」

 

「ノヴァリス、と呼ばれるとごく稀にだが反応が遅れる。鉄菜でいい」

 

 ただそれだけの瑣末な事、とでも言うように鉄菜は言いつける。燐華にとってはしかし、その言葉は大きかった。

 

 この学園で、初めてかもしれない。

 

 自分の称号や権力を気にせず、友人関係になってくれそうな人間と出会うのは。

 

「う、うん。鉄菜……さん」

 

「さんも要らない。私もそちらを名前で呼ぶ」

 

「あ、あたしは」

 

「燐華・クサカベ、だったな」

 

 問答の間もなく鉄菜の有無を言わさない声に燐華は頷く。

 

「うん、そうだけれど」

 

「では燐華・クサカベ。私はお前の味方になったつもりもない。敵であるのはしかし、非合理的だ。どっちの立場でもない。ただの、第三者だ」

 

 それだけ言って鉄菜は保健室を出て行った。ヒイラギがようやく緊張から開放されたように肩を回す。

 

「……すごい威圧感だったなぁ」

 

 確かに威圧されっ放しだ。それでも、と燐華は胸に湧いた感情を握り締める。きっと、これが友人というものなのだろう。

 

「ええ、でもあたし……初めて友達っていうのが分かった気がします」

 

 その言葉にヒイラギが微笑みかける。

 

「教職者としては、いい事だ、と褒めるべきなのかな」

 

「ガラじゃないでしょう? 先生は」

 

 言い合って二人して笑った。鉄菜も保健室の常連になるのかもしれない。そうでなくても、鉄菜は自分の味方でいてくれる。

 

 根拠はない。だがそう思っていたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『クロ、妙な事になっていたから口を挟まないでおいたけれど……』

 

 桃の声に鉄菜はしまったと感じた。通信回線はオープンのままであった。

 

『いやぁ、でもよくやったんじゃない? 鉄菜、地上に来て初めて人間らしい事したかも』

 

「あれが、人間らしい?」

 

 聞き返すと彩芽は問いかけた。

 

『違うの? いじめを見て見ぬ振りが出来なかったんでしょう?』

 

「あれが、人間らしい事なのか?」

 

 鉄菜は感慨を噛み締める気分でもなかった。むしろ足枷が増えたようなものだ。このコミューンでは痕跡は残すまいと思っていただけに、燐華という少女とヒイラギという男に顔を覚えられてしまったのは大きなマイナスである。

 

 しかし、当のモリビトの操主二人はどこか微笑ましいものを見る眼を通信越しに注いでいる。

 

「……何だ、その目つきは。不愉快だ」

 

『別にー。ねぇ? アヤ姉』

 

『ええ。鉄菜にも人間らしいところあったんだなーって思っただけだもの。ねぇ? 桃』

 

 二人して示し合わせたような事がよく言えるものだ。鉄菜は呆れ返ってしまう。

 

「本来の仕事に戻れ、二人とも。やるべき事はあるんだろう?」

 

『はーい。クロに言われちゃ仕方ないわね』

 

『そうね。鉄菜に言われたら仕方ない』

 

 どうにも自分の行動がそれほどまでに意外だったのか、それとも予想内であったのか、モリビトの操主二人は笑みを浮かべたままであった。

 

「分からない事を」

 

 呟きつつ鉄菜は包帯を解きかけた。どうせ自分には包帯や怪我の処置は必要ない。このような怪我など治療の範疇ですらなかったが、鉄菜の手は包帯を引き剥がせなかった。

 

 鉄菜の手は包帯を引き千切るだけの力を持たないまま、その端っこを引っ掴んだだけであった。

 

 いざという時に邪魔になる。そう考えていても、胸の中に湧いた正体不明の感情を切り捨てられずに持て余す。

 

 ――この感情を何と呼ぶのか。

 

 桃や彩芽に聞き返してもよかったが、今は二人に頼るのはどこか情けなく思えて鉄菜は通信も繋がなかった。

 

「……何もかも、分からないままだ」

 

 だが胸の中は冷たい風が吹き荒ぶのではない。むしろその逆であった。

 

 今まで抱いた事のない感情が胸を占めていく中、鉄菜は右手の包帯を強く握り締めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯41 感情の剣

 目を覚ますと、そこは知らない場所であった。滅菌されたような天井を眺め、瑞葉は呆然と口にする。

 

「ここは……」

 

「お目覚めですか」

 

 その声に瑞葉は習い性の身体を起こそうとして、全身が引き千切られるように強く痛んだのを感じる。筋肉の繊維が全て末端から熱を持ったように力をなくしていった。

 

 激痛に横たわる瑞葉へとその少女は口にする。

 

 思えば人機から下ろされ、周囲がモニターではない状況など数年振りであった。少女は籠に入れられたフルーツからリンゴを手に取った。

 

「無理もありません。隊長は数日間、意識不明でした」

 

 数日間、という言葉と隊長と呼ぶ声音に、瑞葉の記憶がようやくその人物の名前を紡ぐ。

 

「確か、わたしの指揮下にいた……」

 

「鴫葉です」

 

 同じ強化兵か。瑞葉は鋭く睨み返す。手の届く場所にある武器は果物を切り分ける小型のナイフのみ。だがそれでも頚動脈くらいは狙えると姿勢を沈み込ませかけて、全身を貫く痛みに膝を折った。

 

「まだ本調子ではないと思います」

 

「お前は……何だ? どうして、あの……」

 

 掌に視線を落として瑞葉はあの状況を思い返す。骨が浮くほど拳を握り締めた。

 

「勝てた……! だというのに」

 

「あれ以上の戦闘は瑞葉隊長の命と引き換えでした。それでも、勝利出来たかどうかは怪しいでしょう」

 

 瑞葉は眼前の少女が自分と全く同じ姿である事に気づいた。違うのは自分は患者服を着ている事だけだ。

 

「お前は……」

 

「強化実験兵のプログラムは引き上げられたのです。ご存知なかったでしょうが」

 

「どういう……」

 

 追及しようにも頭痛に苛まれる。鴫葉が自分の肩に手をやった。

 

「お静かにお願いします。隊長」

 

「だが……あの状況でわたしはモリビトを墜とせた! それは間違いない」

 

「精神点滴の量が間違っていたようですね。今の隊長は我を失っています」

 

 ふと背筋から伸びた管が壁に繋がっているのを瑞葉は目にしていた。人機のコックピットの中ならば不快とも思わなかった精神点滴のパイプが無数に自分の脊髄に繋がっている。

 

 改めて見れば何とおぞましい事か。

 

 自分はまるでこの部屋に飼われているかのようだ。

 

 悲鳴を発しかけて鴫葉が言葉を差し挟んだ。

 

「お静かにお願いします。起きられたばかりで申し訳ないのですが、これより元首様のお言葉を聞いてもらいます」

 

「元首……」

 

 鴫葉が投射画面を瑞葉の前に差し出す。ブルーガーデンの国旗が映し出され、その向こう側から重々しい声が発せられた。

 

『大義であった。強化兵計画の実験体。……いや、瑞葉小隊長と呼んだほうがいいか』

 

 この通信の向こう側にいるのが、自分達の製造を命令した元首。ブルーガーデンを束ねる長。瑞葉は眼前に迫った復讐の対象に困惑した。どうして自分のような雑兵にその声を晒す? そもそも使い捨ての駒である強化兵の一人に通信を握らせる理由が分からなかった。

 

「わたしは……」

 

『無理をして思い出さなくともいい。今は、その責務を果たそうとした事だけを褒め称えたい』

 

 ――褒め称えるだと?

 

 瑞葉は身体の内奥から突き破りそうになる衝動に声を荒らげかける。

 

 ――枯葉達を見殺しにした国の長が。

 

 しかし瑞葉は理性の一線を保った。ここで噛み付いたところで相手は通信の先だ。まだ手の届く場所ではない。

 

 だがいずれはその首筋に牙を突き立ててみせよう。瑞葉は決意とは裏腹に忠義を示そうとする。

 

「いえ、元首様……。わたしのような兵には過ぎたるお言葉」

 

 既に洗脳は切れている。精神点滴で自分の感情を揺さぶろうとしても無駄だ。あの日、目にした空の彼方が焼き付いたまなこにまやかしは通用しない。

 

 元首は言葉を継いだ。

 

『貴君には引き続き、ブルーガーデンの切り込み隊長として、モリビト殲滅に務めてもらいたい。肉迫出来た、とデータは証明している。あとは反芻だけだろう』

 

 自分のような犠牲を何回も続ければ勝利に繋がると思っているのだろう。その傲慢さが枯葉達を殺した。仲間の命を道具のように弄んだ。

 

 瑞葉は奥歯を噛み締め、脳内の怒りを押し殺す。

 

「いえ、それならばいいのですが……」

 

「精神感応波に乱れがあります。精神点滴を行います」

 

 鴫葉の行動を咎める前に身体の奥底から感情を落ち着かせる薬剤が投与された。確かに、脳内はフラットな感情に留まっている。だが瑞葉は決して、禍根を忘れ去ったわけではない。精神感応波を欺き、機械化された自分達の運命を呪う宿命からは逃れるつもりはないのだ。

 

「……感謝する。鴫葉上等兵」

 

 いえ、と自分の似姿が無感情に返す。この人形も同じだ。

 

 自分達は人機に乗って戦う事でしか己を発揮出来ない。それまでは名もない一兵士なのだ。運悪く自分のように自我に目覚めさえしなければ、それを「最適」だと信じて疑わない事だろう。

 

 常に感情の振れ幅をコントロールされた姉妹達は同じように振る舞い、操作された幸福を幸福と思い込む事だろう。

 

『早速で申し訳ないが、瑞葉小隊長、上官の地位を追ってまでモリビト追撃にその身を捧げる覚悟を買って頼みがある』

 

 こうやって少しずつでいい。自分は元首の喉元に近づいていく。今は少しの歩みでも貴重であった。

 

「いえ。この身は青き清浄なる地のために」

 

 嘘、偽りの忠義。欺瞞の上に成り立つ言葉に、元首が満足そうに声を発する。

 

『瑞葉小隊長、モリビトを倒したいはずだな?』

 

 その言葉にだけはてらいのない真実を瑞葉は返した。

 

「その通りでございます」

 

『ならば貴君が受け取るのが相応しいだろう。ブルーガーデンの新たなる機体の恩恵を』

 

 戦場に送られるのが前提の機体はそのまま実験兵士である自分達の試験に繋がる。

 

 だが、好都合であった。

 

 新たな機体を真っ先に試せる。何よりも、モリビトを追える戦場で。

 

 瑞葉は迷いのない双眸を元首の旗に返した。

 

 ――いつか必ず、復讐を果たすべき怨敵を前にして、瑞葉の脳内はフラットであった。

 

 フラットな殺意を、瑞葉は投射画面の向こうに見据える。

 

「ありがたきお言葉」

 

 欺瞞の言葉に瑞葉は静かに笑みを浮かべた。

 

 感情点滴にない、新たなる感情の芽生えであった。

 

 

 

 

 

 

 

第二章 了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 悪の芽は囁く
♯42 悪徳の戦場


 

 一発の弾丸が男を射抜く。

 

 倒れ伏した男は額に風穴を開けられていた。動かぬ骸を盾に軍服姿の男達がアサルトライフルを構える。

 

 青く沈んだ景色の中、浄化マスクを着用した兵士が駆け抜けた。

 

「急げ! 狙い撃ちにされるぞ!」

 

 隊列が一瞬だけ乱れる。その刹那に高威力の銃撃が数人を叩きのめした。銃弾の前に倒れた兵士まで気遣うほど戦場は甘くない。

 

 舌打ち混じりに隊を取り仕切る男は塹壕へと身を隠した。

 

 銃弾が空気を引き裂く音が幾重にも聞こえてくる。耳朶を打つのは悲鳴と銃撃の狂想曲だ。

 

 人は戦うために生まれてきたのだ。

 

 そう思わなければ戦場という異空間において自らの生存を優先出来ない。全てにおいて人間が脳裏に思い浮かべるべきなのは自分の命である。

 

 他人の命などに頓着していればすぐに足元をすくわれる。男は手榴弾のピンを引き抜き、敵陣へと放り投げた。

 

 衝撃波と舞い上がった土くれで相手が混乱にるつぼに突き込まれたのが伝わる。

 

 すかさず塹壕から飛び出した男はライフルを掃射しつつ敵兵を薙ぎ払っていった。

 

 勝てる、はなくとも生き残れる。そう考えかけたその時、烈風が巻き起こった。

 

 強烈な風圧が身体をなぶる。重装備の男でさえもたたらを踏んだ。

 

 舞い降りてきたのは迷彩色に塗装された《ナナツー》である。しかし随分と旧式であった。

 

 こちらの歩兵部隊を潰す程度ならば充分だと判断したのだろう。

 

「……嘗めやがって」

 

 その判断が甘いと後悔させてやる。男は隊列を下がらせつつ、対人機装備へと切り替えた。

 

 人機は全身にブルブラッド循環炉のための細いチューブが伝っている。

 

 毛細血管ともあだ名されるそれは名前通り、人間においては末端のものだが、人機は精密機械だ。一つの異常が連鎖的に働き、人機という巨人を叩き潰す要因になる。

 

「地雷原に誘い込め! 人機は足元を崩せばやれる!」

 

 下がっていく兵士達にほとんど暴風のような人機の小銃が火を噴いた。数人は吹き飛ばされてしまうが、自分はまだ無事だ。

 

 まだ生きていると感慨を浮かばせる。

 

《ナナツー》は少しずつ砂礫を砕いて歩み寄ってくるがこちらは地雷原の位置を完全に把握している。

 

《ナナツー》が姿勢を崩すのを待って一気に仕掛ければ勝てる。

 

 そう感じた直後、《ナナツー》のキャノピー型のコックピットが開いた。

 

 何をするのかと窺っていると、コックピットから一人の男が飛び降りてきたのである。

 

 大写しになった男が空中でライフルを放つ。

 

 狙いなどまるで定まっていない一撃であったが降り立つなり男はライフルを捨て、ナイフへと持ち替えた。

 

 その動きの素早さ、状況判断能力に歩兵が翻弄される。

 

 一人、また一人と兵士の喉を掻っ切っていく男は喜悦の笑みを浮かべていた。

 

「笑ってやがる……」

 

 三人目の兵士の喉を引き裂いたところでナイフが殺傷能力を失ったのだろう。男はナイフを投擲し、次の武装として小型の銃に切り替えた。

 

 武器に頓着しない戦い方だ。

 

 小型の銃でこちらの勢いを削ぎつつ、男は倒れ伏した兵隊から武器を強奪し、アサルトライフルを構える。

 

 銃撃に負けないほどの哄笑が響き渡る。心の奥底から戦いを楽しんでいる笑い方であった。

 

 こちらの部隊はほとんど残存兵力ばかり。比して相手は人機を使わず、わざと操主のみで突っ込んできた。

 

 だが人機による戦術攻撃以上の被害を受けている。

 

 これ以上の戦闘は無意味だ。

 

 投降を示す白旗が揚げられる。戦闘の昂揚感に酔っていた男は舌打ちし、足元の死骸を蹴りつけた。

 

 死体の首が折れ曲がる。

 

「つまんねぇなぁ、てめぇら。もうお終いか」

 

 唾を吐きつつ、男が歩み寄ってくる。もうこちらは投降を示した。あとは交渉術でいくらか便宜を図ってもらうしかない。

 

 命のやり取りは終わったのだ。

 

《ナナツー》に乗っていた男を先頭に数人の男達が駆け寄ってくる。全員が肩口に同じ刺青を入れており、統率された兵士なのが窺えた。

 

「隊長、どうします? こいつらC連合の」

 

「弱小コミューンの歩兵戦力だ。どうせ奪えるものなんて武器くらいしかねぇ。女もいねぇだろ。少年兵を使っているでもねぇし、こいつは今回ハズレを引かされたかな」

 

「マジですか。じゃあ今回の報酬は」

 

「ないかもなぁ。雇い主にせめて大金をせしめるまでだな。こいつらを略奪しようとしたって、腰の腑抜けた男ばかりじゃ楽しくも何ともねぇ」

 

 隊員達が笑い合う。男達は猟犬のようにこちらの兵士を並べ立て、後ろ手に手を組ませて座らせた。

 

 何を、と口にする前に一人目が後頭部を銃弾で射抜かれていた。

 

「おい、投降したはずじゃ……」

 

「見せしめ、ってもんがある。白旗程度で戦場が終わると思ってんのか? てめぇ」

 

 刺青男は煙草に火をつけつつ部下達を顎でしゃくった。

 

「女がいねぇのか聞け。どこのコミューンに残してきたのか、とかな。後でそのコミューンに行って女狩りだ。せいぜい紳士を気取ってお前らの残してきた大切なものを紳士的に奪い取る。それが出来て初めて、この戦場が終わるんだよ」

 

「そんな……! 家族まで犠牲にする事は!」

 

「犠牲? 勘違いをするな、クソッタレが。てめぇ、兵士だろ? 兵士になったからには、全員が賭けのレートに上がってんだよ。女、子供、金、地位、全部だ。全部を奪い取るまでそいつとの戦場は終わらねぇ。そんな事も分からない甘ちゃんが兵士なんて笑えて来るぜ」

 

 部下達が笑い返しながらこちらの兵士を一人、また一人と殺していく。

 

 狂っている。これが人間のやる事か。

 

 睨み返すと刺青男が笑みを浮かべた。

 

「いいねぇ、反骨精神のあるヤツってのは奪い甲斐がある。そいつから全部奪っちまって、何もかもを台無しにした時、すげぇ気分がいいもんだ!」

 

「隊長、こいつら女の居所吐きませんぜ」

 

 困惑した部下に刺青男は煙い息を吐きつける。

 

「つまんねぇ戦場に来ちまったもんだ。女もいねぇのに戦ったって仕方ねぇ。だが命は奪っておけ」

 

「待て! こちらは降参した! 何も、本国からの物資もない。奪うものなんて何一つ……」

 

「何一つ?」

 

 銃口が額へと突きつけられた。冷たい感触に喉元がひりつく。

 

「んなわけねぇだろ。命か、もしくはそれと同じくれぇは大切なものがあるはずだ。そうじゃなきゃ兵士なんてやらねぇからな。C連合の女ってのは狩り甲斐がある。一番規模のでかいコミューンだからな。男は何を賭けるのか、てめぇ、分かるか?」

 

 突きつけられた銃口のあまりの冷たさに返事に窮した。刺青男は嘆息をつくように口にする。

 

「全部だ。全部、何もかも。そいつから奪い取る。そうじゃなきゃ採算が取れねぇ。少年兵もいねぇんじゃガス抜きにもならないからな。おい、てめぇら! こいつらの死体で遊ぶのは無理だが、殺す寸前までいたぶっておけ。悲鳴と嗚咽がオレらの糧だ」

 

 刺青男の顔には真の意味の愉悦が宿っていた。どこまでも他人の命に価値など見出していない。徹頭徹尾、この男にとって命とはコイン程度の価値しかないようであった。

 

 部下達が了承してナイフ片手に兵士へと脅迫する。

 

 確かに戦場では全ての道徳観念は捨て去れる。優先順位が何もかも狂ってしまうだろう。

 

 だが、この者達はそもそもの尺度が違う。戦場でこそ、命以上のものが手に入るのだと思っているのだ。

 

「お前らは、何なんだ……」

 

「戦争屋だよ。戦場を練り歩いて、殺し、殺され、陵辱し、何もかもを奪い取る。そういう人間だ」

 

「……正規軍じゃないのか?」

 

「正規軍? おい、湧いてんのか、てめぇ。正規軍なら何をされてもいいって? そいつはなかなかにぶっ飛んだ考えだ。正規軍だろうと非正規だろうと同じ事だ。人間は肉と血の塊。男は散々いたぶってから殺す。女はぶち込んでから殺す。それだけの差だろうが。そんなシンプルな事も分からないほどイカれた連中がC連合の軍隊かねぇ」

 

 刺青男がこちらの頭を押さえつける。銃口が後頭部に当てられた。

 

「……天罰が下るぞ。お前らに、絶対に」

 

「いいねぇ、天罰。罪も罰もひっくるめて楽しみだ」

 

 愉悦に歪んだ口元に憎悪の言葉を投げつけた。

 

「……頭おかしいのか。マスクも着けずに」

 

 部下達はマスクを付けているが、刺青男はマスクすら着用していなかった。ブルブラッド濃度は七十パーセント以上のはずだ。マスクをつけていなければたちどころに肺が侵され、死に至るというのに、この男には恐れなど一つもないかのようだ。

 

「マスクなんて邪魔だろうが。タバコが吸えない」

 

 本当にそれだけが理由のような言い草であった。

 

 地に這い蹲り、怨嗟の言葉を編み上げようとして刺青男は耳元で囁いてきた。

 

「女がいるんなら、早めに言いな。そいつを売るなら、ここで見逃してやってもいいぜ?」

 

「……悪魔が」

 

 刺青男はフッと笑みを刻み、ポケットからコインを取り出した。

 

「表か、裏か」

 

「何だって?」

 

「賭けをしようじゃねぇか。表なら殺さないでおいてやる。裏なら殺す」

 

「ふざけるな。もうこちらを占拠したのにそんな言い分が……」

 

「じゃあこうしようぜ。表なら、おいてめぇら。オレを撃て」

 

 何を言っているのか分からなかった。部下達を見やると全員が呆れたように笑っている。

 

「またですか、隊長」

 

「いいからよ。いつも通りだ。表ならオレを撃て。表が出たらオレが死んでやる」

 

 刺青男の発言に目を戦慄かせる。部下達は心得ているかのようにこちらに銃口を向けてきた。

 

 ――まさか本当に? 本当に自分の命を賭けているというのか。

 

「裏ならこのままてめぇのドタマ射抜く。何も問題はねぇだろ? 死ぬか生きるかの延長線上だ」

 

「嘘だ……そんなの。人間として、間違っている」

 

「間違ってねぇさ。人間として真っ当だ。この戦場じゃ、それくらいしか娯楽はねぇよ。さて、もう一度だけ確認するぞ? 表ならオレが、裏ならお前が死ぬ。異論はねぇな?」

 

 異論を差し挟む前に、刺青男はコインを放った。コインが軌跡を描いて再び男の手の甲に収まる。

 

 眼前にその手を持って来られた。

 

 唾を飲み下す。

 

 もし、表だったのなら――。

 

 しかし彼の目に飛び込んできたのはコインの裏であった。

 

「残念だったなぁ。オレを殺せたかもしれねぇのに。まぁ、ここまでがてめぇの運のツキってヤツだ。お前の命の価値はここまで。じゃあな」

 

 何か言葉を吐こうとした。この男を侮辱する言葉を。

 

 だがその前に放たれた銃声が最後の記憶となって闇に轟いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯43 戦争屋

 

「つまらねぇ仕事を引き受けちまったもんだ」

 

 頭蓋を射抜かれて即死した兵士を眼下に、一服を吹かしていた。部下が清算を終えたのか、こちらに歩み寄ってくる。

 

「ガエル隊長、こいつらてんで素人です。軍人って言っても僻地軍人じゃないですかね」

 

 その報告に刺青男――ガエルは毒づいた。

 

「なんて事はねぇ、消耗品同士の戦いだったってわけか」

 

「女の居所は三つだけ明らかになりました。祝勝会に行きましょう」

 

 三つか、とガエルは舌打ちする。あまりにも益のない戦場はつまらなくって仕方がない。

 

「殺し甲斐もねぇ連中だ。旧式の《ナナツー》なんて持ってくるまでもなかったな」

 

「この先に地雷原があります。そこに誘い込む算段だったのでしょう」

 

 浅はかな作戦にガエルは心底うんざりする。

 

「つまらねぇ戦場につまらねぇ戦術。こんな場所でしか生きていけねぇオレ……どこまで行っても戦場ってのは当たりハズレが酷いな」

 

「ハズレの戦場を引いた場合、とんだ貧乏くじですからね」

 

 ガエルは紫煙をくゆらせつつ今しがた撃ち殺した兵士のIDを読み取った。端末に表示された情報を基に兵士達の残存戦力と雇い主を明らかにする。

 

 早速通話に持ち込んだ。通常の通信機器ではブルブラッド大気の濃さが邪魔をする。わざわざ《ナナツー》に飛び乗り専用の通信回線を開いた。

 

 投射画面に映し出されたのはデスクに座る男である。C連合の一等地が背後に見え隠れしていた。

 

「ハロー、ミスター。あんたの雇った兵士は全滅したよ」

 

 その言葉に相手は震撼するよりも先にこちらに問い返してきた。

 

『お前達は……』

 

「戦争屋だ。あんたに連絡を取ったのは他でもない。オレらを雇ってみねぇか、って相談をするためだ」

 

『相談……わたしの軍を潰しておいてか』

 

「おいおい! よく言うぜ。お前ら一流商社に務めている人間が戯れに戦場に金を流す。その戯れの金で動く兵士をオレらが狩る。んなもん、出来上がって随分と経つルールだろうが。代理戦争システムが構築されて久しいってのに、今さら傍観者気取るつもりかよ」

 

 男は周囲を見渡し、潜めた声で言いやった。

 

『……分かった。雇用条件は』

 

「後でメールで纏めて送ってやるよ。エントリーシートだ。ただし! オレは高いぜ? 気ぃつけな」

 

 一方的に通話を切り、ガエルは紺碧の大気に煙い息を混ざらせた。不思議な事にブルブラッド大気下では煙草の煙は赤く発光する。

 

 その様子が可笑しく、ガエルは笑みを浮かべた。

 

「とんでもねぇ戦場ってのはどこかにないもんかねぇ。惑星の隅っこで戦っていても、どうせ木っ端役人とそいつらがけしかけた敗残兵との残飯戦だ。どうにも食ったってつまらねぇ戦場ばっかり」

 

「そいつは仕方ありませんよ、隊長。冷戦ですから」

 

「戦争がしてぇなぁ。こんなつまんねぇ隅っこ戦場じゃねぇ、もっとでけぇ戦場で、だ。命のやり取りもこれじゃ飽き飽きするぜ」

 

 コインを手にガエルは《ナナツー》のコックピットでふんぞり返る。

 

 その時、不意に通信を震わせた着信があった。先ほどの商社マンか、と通話先を見ると暗号化通信になっている。

 

 胡乱そうに見やりながらガエルは通話を取った。

 

「……さっきのサラリーマンじゃねぇのか?」

 

『君らに個人的に依頼を頼みたくってね。……今、仕事中か?』

 

「ちょうど終わったところだ。だが、どうしてこの位置が分かった?」

 

 ブルブラッド大気濃度は七十パーセント以上。コミューンからの通信でこちらの位置取りを掴むのはほとんど不可能だというのに。

 

 通話先の相手は顔も見せぬまま「音声のみ」の表示の向こう側で笑ったようであった。

 

『君らは思っているよりも有名人だ。だから、それを見込んでの依頼なんだがね』

 

「戦争屋に依頼を吹っかけるってのは、意味が分かっていってるのかい?」

 

『無論だとも。報酬は約束するし、何よりも満足させよう。それが条件だろう?』

 

 こちらの事をある程度理解している。ガエルは逆探知システムを使用し相手の位置を掴もうとした。

 

「随分と買ってくれるじゃねぇの。だっていうんなら、分かってんだろうなぁ? 戦場じゃ、金も命も、何もかもが等価だ。オレらに吹っかけた時点で、てめぇの足元もズブズブだよ。分かってなきゃこんな場所まで通信を繋げてこないよなぁ?」

 

『戦争屋、何よりも報酬と依頼内容できっちり働いてくれる、真摯な人間だと思っているよ。ガエル・ローレンツ』

 

 フルネームを掴まれている。ガエルは警戒を解かずに出来るだけ通信を長引かせるように務めた。

 

「そりゃ、こっちだって商売だからよ。当たり前に報酬くらいは約束してもらいたいねぇ。あんた、オレらがどれくらい戦場を渡り歩いてきたかも分かってんのか?」

 

『データベース上にある限りでは……』

 

 読み上げられたのはこちらでさえも忘れていたほどの膨大な戦場のデータであった。ガエルは煙草の火をもみ消し、通信に集中する。

 

「……何者だ、てめぇ。伊達や酔狂じゃねぇな? オレに、何を望んでいる?」

 

『何を? 相応しい仕事だよ』

 

「相応しい? どこの戦場だ? どこで野たれ死ねって言ってる?」

 

『……こちらと君との間には微妙に考えの差異があるようだ。だからあえて言っておこう。君に頼みたいのは他でもない。正義の味方だよ』

 

 正義の味方。そのあまりに浮いた言葉にガエルは眉根を寄せた。

 

「おい、湧いてんのか、あんた。正義も何も、オレ達は戦場を練り歩く悪人だぜ? 人の負の側面が大好きな純粋悪だ。だって言うのに何だ? ヒーローにでもなれってか?」

 

 冗談めかして放った言葉に相手は真剣に応じていた。

 

『そうだな、その通りだ。君にはヒーローになってもらう。世界を救ったヒーローに』

 

「そいつは無理な話だぜ、ミスター。オレらは天国に行くのにはちょっとばかし手が汚れ過ぎちまってる」

 

『天国なんて要らないだろう? 君はこの地上で、英雄になるんだ』

 

 どうにも話が胡散臭くなってきた。ガエルはいつでも打ち切れるように通信ボタンに手をかける。

 

「……あのな、冷やかしなら他所を当たりな。オレらはマジに命の取り合いをしてるんだぜ? コミューンの中なんか目じゃねぇほどにな。虚栄心やサディスト気取りたいのなら、風俗にでも行って女に一発抜いてもらえ。それじゃねぇならオレはお断りだ」

 

 こちらの言葉に相手は笑い声を上げた。

 

『思ったよりも手厳しい。そうだな、ビジネスの交渉なのにちょっと夢見がちだったか。だが、案外夢でもないのだよ。ガエル・ローレンツ。詳細は後で送ろう。それこそエントリーシートでね』

 

 通信はそこで一方的に切られた。逆探知システムは途中で焼き切られている。さすがに気づかれたか、とガエルは歯噛みする。

 

「正義の味方ねぇ……。役割どころとしちゃ、面白ぇが、どうすっかなぁ」

 

 その時、《ナナツー》の通信ウィンドウに先ほどのサラリーマンが繋いできた。料金交渉だろう。

 

 ガエルはそれを一方的に打ち切る。

 

「すまねぇな、ミスター。あんたよりもよっぽど魅力的な提携先が見つかった。なんであんたの仕事は断らせてもらう」

 

 通信ウィンドウを切り、ガエルは二本目の煙草に火をつけた。

 

「……さぁて、どんなヤツかねぇ。オレをヒーローにしたい、なんざ」

 

 その口元には愉悦が滲んでいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯44 帰る場所

 

 整備デッキにいると不意に呼び止められた。

 

 シーアが自分の《バーゴイル》を見やり、沈痛に面を伏せる。

 

「すまなかった……わたしの決定権では覆せなかった」

 

「いえ、スカーレット装甲は確かに地上では無用の長物です。むしろコストダウン出来て役に立てたほどですよ」

 

「……そう言ってもらえると助かるんだが」

 

 桐哉はしかし、灰色にくすんだ愛機を直視出来ずにいた。赤い矜持は消え失せ、もうどこの《バーゴイル》ともつかない姿に成り下がってしまっている。

 

 奪われたのだ。

 

 何もかも、全て。

 

 モリビトの称号も、英雄の証も、最後の最後、残っていた自分の意味も。

 

 桐哉は拳を握り締める。何もかもモリビトとブルブラッドキャリアのせいだ。自分から大切なものを次々と奪っていく。

 

「准尉。《バーゴイルスカーレット》として機体登録はしておく。……わたしに出来る精一杯だ。申し訳ない」

 

 データ上だけで残る矜持。今はそれだけでも満足するしかない。

 

「いえ、自分は別に」

 

 気にしていないと言えば嘘になるが、分隊長を困らせるほどの事ではない。そう思っていた。

 

「……先刻だが、オラクルは最終的に我が方の国家となった。つまりC連合とのこう着状態もここまで、という事だ」

 

 オラクルに関するニュースでここ数日は持ち切りだ。桐哉も軍人として無関係ではいられなかった。

 

「そう、ですか……。モリビトだけでも大変なのに、C連合と……戦いになるかも知れないんですね」

 

「本国は便宜を図ってくれている。僻地のこの場所まで戦火が広がる事はないと思うが、覚悟はしておいてくれ」

 

 覚悟。それはいざという時、この《バーゴイル》で出ろ、という意味か。

 

 英雄の名前もなく、ただの一兵士として。無論、耐えられないなどと泣き言は言えない。自分は耐えて耐え抜いて、戦い抜かなければならないのだ。

 

「自分は大丈夫です。軍属ですから。それくらいは」

 

「……すまないね。哨戒任務程度だと言っておきながら、戦場に赴く可能性があるなど矛盾する事を言ってしまっている」

 

「いいんです。それに戦場に行けばもしかしたら……」

 

 もしかしたらモリビトと今一度合見えるか。もしそうなった場合、雪辱を晴らせるかも知れない。

 

 今はその希望に賭けていたかった。

 

 その時、整備デッキから囃し立てる声が漏れ聞こえた。

 

「あれ? 分隊長、何をしてるんですか? こそこそと准尉殿と」

 

 仰ぎ見た先にリゼルグが笑みを浮かべている。シーアは手を払った。

 

「何でもない。放っておけ」

 

「何でもない事はないでしょう? オラクルの一件で今ピリついている。それくらい分かりますよ。どうです? ここいらで模擬戦なんてのは? 准尉殿の実力、モリビトと謳われたその無双の力、知りたいじゃないですか。どうせ遠からず戦場になるんです。お互いの実力は知っておくべきでしょう?」

 

 提案された言葉にシーアは怒声を張り上げかけた。

 

「リゼルグ……! お前、准尉を馬鹿にするのも大概に――」

 

「いえ、やらせてください」

 

 遮った桐哉にシーアは目を見開いた。

 

「だが、あまりに君に失礼だ」

 

「自分は、何とも思っておりません。それにリゼルグ曹長の言っている事にも一理あります。自分の《バーゴイル》はもう整備出来ているんですから、やらせてください」

 

 だが、と渋るシーアにリゼルグが言いやる。

 

「准尉殿がそう言っておられるんですから、分隊長の許可をくださいよ」

 

 リゼルグからしてみればここいらで上下関係を分からせるチャンスなのだろう。シーアは苦渋の末、とでも言うように声を搾り出した。

 

「……分かった。准尉とリゼルグの模擬戦を許可する」

 

 リゼルグは口笛を吹いて自身の機体へと乗り込む。

 

「さすが分隊長! 話が分かる!」

 

 それを見据えながらシーアはこちらに言葉を投げた。

 

「すまない。君に負担を強いている」

 

「いえ、自分も乗りたかったんです。《バーゴイルスカーレット》に」

 

 その赤を剥がされても、実力だけは剥がされていないはずだ。

 

 桐哉は整備デッキをタラップで上がり《バーゴイル》の頭部コックピットへと乗り込んだ。久方振りの愛器の操縦系統は少しだけ重く設定されている。

 

「重力下、プラス二十ってところか。それに、この基地自体の経度、緯度の感覚から逆算してこれでベストの調整のはず」

 

 僅かに整備班の設定より重めに設定し直し、桐哉は操縦桿を握り締めた。

 

『言っておくが、手加減はしないぜ? 英雄よぉ』

 

 リゼルグの通信が繋がる。桐哉はその言葉に一睨みで応じていた。

 

「ああ。俺もそのつもりはない」

 

『リゼルグ・レーヤー曹長! 《バーゴイル》、出る!』

 

 リゼルグの《バーゴイル》が模擬戦用のプラズマライフルを装備し一足先に基地に躍り出た。

 

 推進剤の閃光が焼きつく中、桐哉は《バーゴイルスカーレット》を前に進ませる。

 

『装備は曹長と同じ、プラズマライフルにさせてもらいます』

 

 以前までの銃剣性能を持つライフルは取り上げられた形だが、自分は一通りの武器の使用方法は頭に入っている。

 

 桐哉は首肯し、プラズマライフルを装備した《バーゴイル》を出撃機動にかけた。

 

「桐哉・クサカベ。《バーゴイルスカーレット》。出る」

 

 躍り出た《バーゴイルスカーレット》は先んじて出撃していたリゼルグの《バーゴイル》と向かい合う形となった。

 

《バーゴイル》同士の戦局に興味が湧いたのか、整備班やスタッフが一同に会してこちらを観察しているのが分かる。

 

『言っておくが、手加減はしないからな。英雄の実力、拝ませてもらう!』

 

 プラズマライフルの照準警告が鳴り響き、一射された弾道に桐哉は軽く息を吸い込み、腹腔に力を溜めた。

 

 直後、《バーゴイル》がステップを踏んでプラズマライフルの弾丸を回避する。

 

 その挙動にスタッフ達がどよめいた。

 

「おい、あの距離でプラズマライフルの弾丸を……」

 

『避けた、だって……』

 

 リゼルグの《バーゴイル》と自分の《バーゴイルスカーレット》のとの距離はほとんど至近。この距離なら白兵戦のほうが割に合っていると思えるほどの距離にあって、桐哉はあえての回避を選択した。

 

 リゼルグが調子を取り戻すように口にする。

 

『ま、まぐれだ! そう何度も避けられるもんかよ!』

 

 連射されるプラズマの弾丸に桐哉は息をついてそれらの弾道を読み切った。どこまでも直進的な動きだ。古代人機のほうがまだ計算ずくの動きをする。

 

 桐哉はプラズマライフルの下部に装着されたプラズマナイフを発振させていた。ナイフが風を切り、リゼルグの《バーゴイル》の喉元を狙い澄ます。

 

 リゼルグの《バーゴイル》がおっとり刀でプラズマソードを引き抜いた。その一閃とナイフの一撃が交錯する。

 

 瞬いたスパークの干渉波に数人のスタッフが目を瞑った。

 

 それほどの眩惑。人機のコックピットには減殺用の特別な加工が施されていたが、人機操主はほとんど目視で相手の次の手を読まなければならない。

 

 リゼルグが舌打ち混じりに《バーゴイル》を下がらせた。先ほどまで《バーゴイル》の喉元があった空間を桐哉のナイフが掻っ切る。

 

『おい、なかなかに嘗めた戦法を使ってくれるじゃねぇか。ナイフだと? プラズマソードを持っているはずだ。使え!』

 

「使うまでもない。ナイフで充分だ」

 

『白兵戦でナイフなんざ、嘗め切ってるって言ってんだよ!』

 

《バーゴイル》が飛翔しプラズマソードで切りかかってくる。桐哉は自身の機体を僅かに後退させてその一撃を受け止めた。プラズマソードの射程は明らかにナイフより上。だというのに、攻撃網はまるで狭い。

 

 あまりにも当たり障りのない動きに桐哉は嫌気が差す。これが本当に、統率され、訓練された本国の軍人の戦い方か。

 

 だとすればこれではとんだ――見込み違いである。

 

「古代人機のほうが、まだマシな動きをする」

 

『何だって? 今、なんつった!』

 

 桐哉はわざとかしこまり、はっきりとした声音で言ってやった。

 

「古代人機のほうがまだ、マシな動きをするって言ったんだ」

 

『嘗め腐るな! 堕ちた英雄がよォ!』

 

 プラズマソードが下段から《バーゴイルスカーレット》を切り裂かんとする。桐哉はナイフでいなしつつ、リゼルグの《バーゴイル》の懐に入った。

 

 両機の間に入ったのはプラズマライフルの銃身である。桐哉はプラズマライフルを自ら切りつけ、内部から迸ったショートの火花で《バーゴイル》の動きを牽制した。

 

 たたらを踏んだリゼルグの《バーゴイル》の背後を取るのは簡単だった。背面へと滑るように入り、《バーゴイル》の首筋へとナイフを突き立てる。

 

 王手であった。

 

 対人機戦など、そらんじるまでもない。これが定石だ。

 

 通常ならば、桐哉の操縦テクニックに勝てるのはほんの一握りの操主だけのはずである。

 

 シーアが判定を下した。

 

『勝者、クサカベ准尉。リゼルグ、矛を収めろ』

 

『冗談……! こんなところで引き下がれるわけが――』

 

『命令だ、リゼルグ曹長。ここで戦いは打ち止めにしなければ操主の座を追う事になる』

 

 その言葉でようやくリゼルグは諦めたらしい。プラズマソードの刃から攻撃性能が凪いでいく。

 

 スタッフは呆然と桐哉の勝利を眺めていた。桐哉は《バーゴイルスカーレット》にナイフを振らせ、刃を仕舞う。

 

『嘘だろ……何で、こんな奴に……』

 

「堕ちた英雄だと侮るのは勝手だ。貶められても俺は何も言わない。だが、結果は全てにおいて優先される。それくらい兵士なら分かるだろう?」

 

 桐哉の挑発にリゼルグが乗りかけてシーアが制した。

 

『リゼルグ! よせと言っている!』

 

 リゼルグは《バーゴイル》のコックピットから飛び出し、桐哉を睨みつけた。補正画面越しの睨みつけでも充分に敵意は伝わってくる。

 

『……覚えてろ』

 

 三流の役者のような台詞を吐いてリゼルグが《バーゴイル》から降りていった。桐哉は整備班に呼びかける。

 

「誰か、リゼルグ曹長の《バーゴイル》の回収を」

 

 まだ決着がついた事を理解していない人々はその言葉を飲み込むのに時間がかかっているようであった。

 

 ハッと周囲を窺った整備班がようやく動き出す。

 

『……これが、英雄の実力かよ』

 

 集音器に入ってきた囁き声に桐哉はわざわざ返そうとも思わなかった。《バーゴイルスカーレット》からエレベーター型タラップで降り、シーアと視線を合わせる。

 

「すまなかった。君のような人間に、こんな真似までさせて……」

 

「いえ、理解してもらったのならば結構です」

 

「リゼルグは……あれで繊細なんだ。勝負事で負けるのが何よりも嫌いでな。しばらくは君に絡んでくる事もないだろうが」

 

「自分は気にしていません」

 

「そう、か。そう言ってもらえると助かるが」

 

 つかつかと桐哉はシーアの横を通り抜けて言った。結果がものを言うというのならば今の戦いで充分だろう。

 

 現行機の《バーゴイル》とスカーレットの違いなど装甲面でしかない。飛行性能が僅かに勝っているが今の勝負では飛翔すら必要はなかった。

 

 対地戦闘で勝ったのならば誰も文句は言えまい。そう思っていた桐哉の眼前に現れたのはリゼルグの相棒であるタイニーだ。痩せぎすの男は目元ばかり炯々として、桐哉を見据えている。

 

「何か?」

 

「相棒が負けたのは人機の性能のせいだ」

 

「スカーレットは耐熱装甲を剥がされている。何もハンデはない」

 

「……そういう口が利けるのも今のうちだけだぜ。どうせ戦場になったら真っ先に死ぬのはお前だ。せいぜい後ろには気をつけな」

 

「……心得ておこう」

 

 タイニーが踵を返す。後ろにいるのは味方とは限らない、か。そう独りごちて桐哉が取って返そうとしたところでリーザが割って入ってきた。今の戦闘をみていたのか、どこか顔が紅潮している。

 

「すごいですっ! やっぱり准尉は英雄だったんですねっ!」

 

 興奮したリーザに桐哉は、いやと謙遜する。

 

「今のはただの模擬戦で……」

 

「でもっ、リゼルグ曹長の態度が大きいのはここで一番の撃墜王だからなんですよ。その撃墜王を下したんだから、准尉が次からはエースですよねっ」

 

 悪い気はしない言葉であったが、場所と時間を選ぶべきだった。

 

 スタッフや整備班からの目線が首筋に突き刺さる。桐哉は咳払いして言いやった。

 

「リーザ先生、ここはその」

 

「あっ、あたし、またやっちゃいました……。すいません、准尉の戦い振りがすごくって、ついはしゃいじゃって」

 

「いえ、その、基地の中に戻りましょう」

 

 整備デッキではどこからでも敵意の目がある。桐哉とリーザは歩きながら喋る事にした。

 

「……リゼルグ曹長もタイニー兵長も負けず嫌いだから。でも、あの二人が悪いんですよね。准尉に喧嘩を売って、負けたらへそを曲げるなんて子供の喧嘩ですっ」

 

「先生、気持ちは嬉しいんですけれどその……俺を褒めると、あなたの身が危うい。だからこの基地では俺の味方なんてしないほうがいいです」

 

 ハッキリと言わなければこの少女にはいつまで経っても伝わらないだろう。どこか燐華に似たひたむきさを持っている。彼女はようやく理解したように口を噤んだが、でも、と言葉を継いだ。

 

「勝ったのは、准尉ですよ」

 

 その気持ちだけで充分であった。本国にも居場所はない自分に心の拠り所をくれている。

 

「ありがとうございます。でも、俺はこの基地じゃ、いつまでも多分、敵か、あるいはそれ以上に性質の悪い人間でしょう」

 

「そんなのっおかしいじゃないですか! だって准尉はモリビトで、英雄なんですよっ!」

 

 かつての話だ。もう英雄の居場所なんてどこにもないのだ。

 

 勝って武勲を挙げても、誰にも称えられない。それが自分の立場である。

 

「リーザ先生。あなたが職を追われるところを見たくない」

 

「本当の事を言っちゃどうしてダメなんですか? だって、准尉はその実力面でも英雄の名に恥じないって、見せてくれたんじゃ……」

 

「リゼルグ曹長の挑発に乗ってしまっただけです。そんな、見せ付けるみたいな……」

 

 桐哉が顔を翳らせたのが伝わったのか、リーザは言葉を飲み込んだ。

 

「……でも、勝ったのに居場所がないなんて」

 

「仕方ないんです。そう、仕方ない」

 

 半分は自分に言い聞かせるためであった。仕方がないのだ。もう、居場所は消え失せてしまったのだから。

 

「……じゃあ、あたしじゃダメですか?」

 

 口にされた意味が桐哉にはよく分からなかった。リーザは胸元に手をやって口にする。

 

「あたしが、准尉の帰る場所になっちゃダメですか?」

 

 桐哉が言葉を継ぐ前にリーザが耳まで真っ赤になる。それでもこの少女は自分を曲げなかった。

 

「あたしっ、准尉に安心して欲しいんですっ。だって、帰る場所もないなんて辛過ぎます……」

 

 帰る場所。今までそれは燐華のいる本国であった。だが本国から追放され、誰も頼れぬ僻地に異動になった手前、燐華に今一度再会出来るかも怪しい。

 

 ならばこの場所に帰る居場所を作るのも何一つ悪くないのではないか。

 

 そんなちょっとした、ささやかな居場所くらいあっても――。

 

 甘えかけて、桐哉は拳を握り締めた。

 

「……いや、すいません。先生に、迷惑はかけられませんよ」

 

 その言葉で全てが決してしまったのが分かった。リーザはしゅんと肩を落とす。

 

「そう、ですよね……迷惑ですよね、あたしなんて」

 

「いえ、先生が迷惑とかじゃなくって」

 

「いいんですっ。あたし、准尉の特別になれなくっても。准尉が英雄だって、あたしだけは信じていますからっ。こんなのですけれどねっ!」

 

 無理やり笑ってみせたリーザは眼鏡のブリッジを上げる。このような少女に作り笑いまでさせてしまった。自分はどれほどまでに堕ちれば気が済むのだろう。

 

 どれほどの人を不幸にさせれば、このモリビトという呪縛は解けるというのだろう。

 

「リーザ先生、俺は……」

 

 言いかけて廊下が赤色光に塗り固められた。桐哉は基地全体を震わせる警告音に硬直する。

 

「この音……敵の接近警告じゃ……」

 

 リーザがそう判ずる前にブザーの音が木霊した。桐哉は習い性の身体を動かす。

 

 ――敵が来たのだ。真っ先に脳裏に浮かんだのは青いモリビトの姿であったが、そうではない可能性もある。

 

 駆け出そうとした桐哉の背中にリーザが声を投げていた。

 

「准尉っ! どうか、その……」

 

 言葉が出ないのだろう。振り向いた桐哉は一声言い置いた。

 

「帰ってきます。必ず」

 

 リーザが放心したように言葉を飲み込む。桐哉はこの基地に来て初めて笑う事が出来ていた。

 

「だって、先生が言い出したんですよ。言い出しっぺが逃げないでください」

 

 冗談めかした声にリーザがようやく微笑んだ。

 

「……ご武運を」

 

 桐哉は敬礼をせずに走り出していた。もう約束は出来た。だから、本当にこの言葉に返す事になるのは後でいい。

 

 もう、言葉の上で約束は要らない。

 

 心がこの場所に繋ぎ止められていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯45 支配と抑圧

 整備デッキに駆け込んだ桐哉へと乱暴に整備班が声を飛ばす。

 

「おい、准尉殿が来たぞ! 《バーゴイルスカーレット》の整備急げ! 速く、スクランブル要請だ!」

 

「敵は?」

 

 尋ねた桐哉に専門スタッフが声を潜めていた。

 

「それが……ゾル国のシグナルが出ています。識別情報の上では味方機なのですが、あまりの速度で突っ込んでくるのと、何よりも通信が立て込んでいて……」

 

「おい、そこ! 曹長の《バーゴイル》はB型装備だ! 人機との戦闘になる! 絶対に基地に先制攻撃を当てさせるなよ!」

 

 専門スタッフが桐哉の《バーゴイル》から離れかける。

 

「と、とにかく、敵味方識別も無茶苦茶で……出なければならないのは確かみたいです」

 

「分かった。何分で出せる?」

 

「300セコンド以内に設定しています。先ほどの模擬戦よりペダル、軽めに設定しておきました。飛翔戦闘ではそっちのほうがいいでしょうからね」

 

「助かる」

 

 桐哉は敬礼を返し、頭部コックピットに収まった。もたらされる情報を整理しつつ、最大望遠の敵影を映し出した。

 

「これは……《バーゴイル》か?」

 

 自分達の知っている《バーゴイル》にしてはあまりに装甲が薄っぺらく、何よりも頭部形状が特殊だ。立方体のようになっている頭部には単眼センサーが備え付けられており、ゾル国の《バーゴイル》と参照してみてもシグナルに一致は見られない。

 

『オラクルの機体だ』

 

 リゼルグの吐き捨てた物言いの通信が反響する。どういう意味か、と問い返す前にタイニーの《バーゴイル》が長距離支援の装備で出撃した。

 

 両肩にミサイルポッドを装備し、メイン武装はロングレンジ砲である。こちらが先制攻撃を取れる、とタイニーは通信に吹き込んだ。

 

『射程に二機、こいつはネットで出回っているオラクルの機体だ。バーゴイルもどきの』

 

 出撃した《バーゴイルスカーレット》がすぐさま飛翔形態に移ろうとするのをリゼルグの《バーゴイル》が制する。

 

「曹長、何を……」

 

『すいませんねぇ、英雄よぉ。こっちのやり方には従ってもらうぜ。相棒と自分のほうがここでの実戦経験は長いんでね。さっきの模擬戦で勝った程度で、リーダー機を気取られちゃ堪ったもんじゃない』

 

 その言葉には素直に飲み込むしかない。ここでの実戦経験が浅いのは事実だ。

 

《バーゴイルスカーレット》がアサルトライフルを構え、接近してくる敵影を視野に入れた。

 

「バーゴイルもどきをどう落とす? 敵は簡単に落とされてくれるのか?」

 

『それも、こっちの流儀に従ってもらう』

 

 長距離砲撃がバーゴイルもどきを打ち据えようとした。しかし、バーゴイルもどきは即座に散開しタイニーの砲撃を回避する。

 

 舌打ち混じりにタイニーが次の一手に移ろうとした瞬間、ミサイルポッドが射出された。

 

 甲高い音を上げながらミサイルが降り注いでくる。ミサイルの装甲が弾け飛び、内部に充填された無数の小型の散弾を浴びせかけた。

 

 リゼルグと桐哉は瞬時に回避行動に移れたが、重装備のタイニーが僅かに遅れる。

 

 しかし《バーゴイル》は物理砲撃程度では遅れを取らないはずであった。

 

 一発や二発の散弾で行動不能にはならない。しかし、瞬間的に推進剤を焚いて味方の射線に割り込んできた機体があった。

 

 バーゴイルもどきなのには変わらないのだが、手にした武器は《ナナツー》の近接武装である。

 

 ブレードがタイニーの《バーゴイル》へと切り込まれた。

 

 無論、タイニーとて近接戦の心得がないわけではない。即座にロングレンジ砲で受け、返す刀を撃ち込もうとしたが、接近したバーゴイルもどきの剣筋には迷いなどない。

 

 柄頭で《バーゴイル》のコックピットを激震させる。頭部コックピットは《バーゴイル》の数少ない弱点だ。

 

 揺さぶられたタイニーの機体はまるで脳震とうを起こしたかのようによろめく。

 

 タイニーの《バーゴイル》の腹腔へと敵のバーゴイルもどきが切っ先を突き込んだ。

 

 タイニーの《バーゴイル》が痙攣し、腹部を押さえる。

 

『相棒! この野郎!』

 

 猪突しようとしたリゼルグを桐哉は咄嗟に制していた。降り注ぐ散弾は未だに止んでいない。今飛び込めば蜂の巣である。

 

「曹長! みすみす!」

 

『離せよ! 英雄野郎! ここで相棒が死ぬのを黙って見ていろっていうのか!』

 

 しかしあまりにも偶然が過ぎる。

 

 ミサイルの雨は降り止んでいない。だというのに、まるでそこだけ無風地帯のようにバーゴイルもどきには命中しないのである。

 

 自分は絶対に弾が中らない。それを理解しているかの如き動きであった。

 

 タイニーの《バーゴイル》が抵抗しようとするのをバーゴイルもどきは四肢へと浅く切り込んだ。

 

 浅い、とは言っても《バーゴイル》の各所関節の弱点を熟知した動きである。《バーゴイル》が関節部から青い血を噴き出した。

 

 バーゴイルもどきが刃を振り上げる。

 

 リゼルグが叫んで飛び込もうとする。それを阻んだのは別のバーゴイルもどきの射撃だ。

 

 桐哉も飛び込む契機を完全に失ったまま、バーゴイルもどきが打ち下ろした刃がタイニーのいるコックピットを叩き潰したのを目にしていた。

 

 頭を割られた《バーゴイル》が糸の切れた人形のようにその場に倒れ伏す。

 

 リゼルグの《バーゴイル》が敵方二体を吹き飛ばさんともがいた。

 

 プラズマソードを発振させ刃を振り上げる。

 

『オラクルの偽バーゴイルがァッ!』

 

 プラズマソードの軌跡を読んだかのように二機が下がり、今しがたタイニーを絶命せしめたバーゴイルもどきがリゼルグの機体と相対した。

 

『てめぇ……! 相棒をよくも!』

 

 怒りに駆られたリゼルグがプラズマソードで猪突する。バーゴイルもどきはブレードでプラズマの刃をいなし、逆手に持ち替えたもう一方の手でナイフを振り上げた。

 

 ナイフの刃がリゼルグの《バーゴイル》の首筋を掻っ切る。

 

 人機の頚動脈は人間のそれと同じだ。コックピットに行くはずのブルブラッドが途絶えればコントロールを失う。

 

 咄嗟に習い性で飛び退ったリゼルグの《バーゴイル》であったが直後に首筋から青い血が噴き出した。

 

「ナイフに《ナナツー》のブレード……どっちも取り回しのいい武器じゃないはずなのに……」

 

 だというのにこちらの《バーゴイル》が圧倒されている。

 

 桐哉は戦場に飛び込もうとして二機の随伴機に遮られた。舌打ち混じりに桐哉は《バーゴイルスカーレット》にプラズマソードを引き出させる。

 

 刃の発振を読み切った二機が挟み撃ちの姿勢を取った。

 

 しかしこちらとて負けてはいられない。腰のホルスターに装備された小型銃を片手に桐哉は片側のバーゴイルもどきに銃弾を撃ち込んだ。

 

 バーゴイルもどきの単眼に命中し、コックピットが火の手を上げる。一体撃破、と判ずる前にもう一機が桐哉の《バーゴイルスカーレット》に飛び込んできた。

 

 まさしく突撃。機体ごと相手はこちらの戦力を潰そうとしてくる。

 

 睨み据えた桐哉はプラズマソードを手にした手首を回転させる。瞬時に逆手になった《バーゴイルスカーレット》の刃が敵機の背筋へと突き込まれた。

 

 敵の背筋を焼き払った刃にバーゴイルもどきが青い血を噴き出しながら倒れ伏す。

 

 リゼルグは、と向き直った桐哉はその視界にバーゴイルもどきに制圧されたリゼルグの《バーゴイル》を入れていた。

 

 ――まさか、敗北したのか?

 

 正規品ではないバーゴイルもどきはそれほど高性能には見えない。いくら僻地の整備すら整っていない《バーゴイル》とは言え一方的にやられるはずがないのに。

 

 リゼルグの《バーゴイル》の頭部へと刃が突きつけられている。王手であった。

 

 バーゴイルもどきが単眼をこちらへと向ける。

 

『達す。貴公らの戦力は完全に制圧した。これ以上の戦闘行為は無意味だと判断する』

 

 その声音に桐哉は震撼した。

 

「女の……声?」

 

 今しがた破壊したバーゴイルもどきから隊員が飛び出した。背筋を割っただけなので操主自体は無事である。

 

『レミィ隊長! こちらの《バーゴイル》はどうしますか?』

 

 レミィと呼ばれた隊長機が単眼を据え直す。

 

『自爆させておけ。再利用されるのは旨みがない』

 

 了解の復誦が返ると同時に桐哉は足元にすがりつくバーゴイルもどきを蹴飛ばそうとした。

 

 だが、その時には既に自爆スイッチが押されていたのだろう。至近距離で爆発したバーゴイルもどきからブルブラッドの爆風と装甲が四散し、《バーゴイルスカーレット》を叩きのめす。

 

 各所が黄色の警戒色へと塗り変わり、《バーゴイルスカーレット》単騎での生存は難しくなった。

 

「こいつ……最初からこれ狙いか……!」

 

 忌々しげに言い放った桐哉はリゼルグ機を助けようとした。操縦桿を握り締めかけて、レミィの機体から発せられた言葉に硬直する。

 

『動くなよ、英雄。動けばこいつの頭を潰す』

 

 自分の身柄が割れている? その危機感に桐哉はそれ以上進めなかった。

 

「どうして……」

 

『言っておくとすれば、貴様は思った以上に有名人だという事だ。さて、この基地の責任者に繋いでもらおうか。部下が惜しければそろそろ連絡を寄越してもいいはずだ』

 

 その言葉に応じるかのようにシーアの声が弾けた。

 

『わたしがこの基地の責任者を務める人間だ。まずは、部下を離してもらおう』

 

『応じるのには、この基地の完全なる降伏勧告を要求する』

 

『駄目だ! 分隊長!』

 

 叫んだリゼルグの機体の肩口をバーゴイルもどきのブレードが断ち切った。《バーゴイル》の腕が飛ばされ、地面に転がる。

 

『……分かった。従おう。それ以上部下を痛めつけないでもらえるか』

 

『素早い返答感謝する。では、これより我々オラクル親衛隊がこの基地を制圧する。異論はないな?』

 

 オラクルの親衛隊。その言葉に桐哉は疑問を放つ。

 

「オラクルって……ゾル国に亡命したはずじゃ……」

 

『確かに国家自体はゾル国……即ち貴公らの国に下ったが、それ全てが全てではないという事だ。オラクル親衛隊はゾル国への友好関係も含めて、貴公らと取引をしたいと考えている』

 

「取引? こんな、一方的な軍事力の介入で取引なんて」

 

『成り立たないと? だが長は賢明なようだ』

 

 単眼の見据えた先で整備デッキが開かれていくのが目に入った。その先にいたスタッフや整備班は白旗を揚げている。

 

 どれほど桐哉一人が足掻いたところで、この基地はオラクルの機体に下ったのだ。

 

 その事実に桐哉は震える。

 

「どうして……。だって亡国の《バーゴイル》なんて」

 

『だがこの場所は、本国の目も届かぬ僻地。だからこそ、あのようなものを秘匿しておくのには充分であった、というべきか』

 

「あのようなもの?」

 

 何を言っているのか分からない。しかし直後には桐哉のコックピット内をシーアに通信が響き渡っていた。

 

『クサカベ准尉。彼らに従ってくれ。どうにも連中は、この基地の意味を知っている様子だ』

 

「この基地の、意味……、分隊長、自分はしかし、こんなところで……!」

 

『降伏するのがどれほどに屈辱なのかは理解している。しかし、本国から遠く離れたこの場所にすぐさま増援を呼ぶのも不可能。今は、従うほかない』

 

 歯噛みした桐哉の機体のすぐ脇をバーゴイルもどきが通り抜けていく。たった一機だ。今、自分が犠牲になる覚悟で臨めば勝てるかもしれない。

 

 過ぎった考えに桐哉は熟考する前に行動に移していた。

 

 操縦桿を引いてプラズマソードをその無防備な背中に浴びせかけようとする。

 

 だが次の瞬間。訪れたのはプラズマソードがロストした、という表示であった。

 

 桐哉は瞠目する。

 

 こちらの太刀筋に対し、相手が放った手はたった一つだ。

 

 ブレードで振り向きもせず、桐哉の《バーゴイルスカーレット》の手首を落としていた。

 

 まさか、と震撼した桐哉へと即座に二の太刀が浴びせかけられる。

 

 習い性で飛び退った《バーゴイルスカーレット》であったが、全身が先ほどの自爆で軋みを上げているせいか反応が遅れた。

 

《バーゴイルスカーレット》の額が割られ、コックピットが剥き出しになる。

 

 桐哉はパイロットスーツの与圧のお陰でブルブラッドの洗礼からは逃れたが、それでも全身からどっと噴き出した嫌な汗からは逃れられなかった。

 

 ――この感覚は何だ?

 

 今までの敵とは違う。相手は《バーゴイル》の姿を模しただけの機体のはずなのに、こちらの《バーゴイルスカーレット》以上の戦力を予感させた。

 

『つまらない機体だな。元々は空間戦闘用なのだろうが、陸戦にしたせいで様々な恩恵を無駄にしている』

 

 図星の言葉に桐哉は肩を荒立たせる。呼吸が乱れ、こちらの集中力が解けかける。相手が腕を振り上げた瞬間、シーアの通信が割って入った。

 

『オラクル親衛隊諸君。それ以上の攻撃は無意味だ。もし、その機体を落とした場合、我々は君達の命令を聞く前に自決するだろう』

 

 迫った実体剣の太刀が視界に大写しになる。バーゴイルもどきはその一声で踵を返した。

 

『賢明な指揮官で助かったな』

 

 バーゴイルもどきと生き延びたもう一人が整備デッキへと入っていく。桐哉は《バーゴイルスカーレット》のコックピットで項垂れていた。

 

 今、殺されてもおかしくはなかった。

 

 鼓動が爆発しそうであった。桐哉はバーゴイルもどきが整備デッキに佇む予備の《バーゴイル》を打ちのめしていくのを目にしていた。

 

 予備の機体さえも破壊され、僻地のこの場所は完全にオラクルの占領下に置かれてしまった。

 

 バーゴイルもどきのコックピットから一人の操主が歩み出てくる。

 

 パイロットスーツに身を包んだ背の高い操主であった。細身なのとシルエットで女性であるのが窺える。

 

「オラクル親衛隊による制圧任務は完了。指揮官殿。貴公に問い質したいのは他でもない。この場所に眠る古の人機に関して、だ」

 

 ――古の人機?

 

 その言葉に疑問符を挟んだ桐哉に比してシーアは冷静であった。

 

『やはり、それか。どこで耳に入れた?』

 

「情報は光の速さに等しい。オラクルにもたらされた《デミバーゴイル》の搬入時に、口の軽い者がいてな。その人間からの情報だ。だが、無論の事、それは恐らくゾル国内部でも秘中の秘。だからこそ、亡国の徒である我々は最後の希望としてその噂話にすがった」

 

 シーアは全てを理解したかのように首肯し、桐哉へと一瞥を投げる。

 

『准尉、申し訳ない。ここはもう戦場になった』

 

 音を立てて崩れていくのが分かった。自分の信じていたもの、保障されていた平和が。

 

 偽りではなかったにせよ、こんな場所でも自分は居場所を追われる。

 

 我が物顔で整備デッキへと入っていくレミィと親衛隊の隊員達に対し、リゼルグと自分はあまりにも無力であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯46 対立者

 情報は光の速度に等しい。

 

 そのホテルの一室に訪れた時、タチバナは相手の手持ちを熟知していた。ほとんど神業に等しいそれを可能にしたのはタチバナが複数持つ伝手である。

 

 今から会うユヤマという男の素性。彼が得意とする論法。持ち出されるであろう情報。全てが手の内にあったと言ってもいい。

 

 タチバナがホテルの扉をノックしたその時点から勝負は始まっていた。

 

 ユヤマという男を制する術。こちらの思惑通りに転がす戦いが。

 

 ユヤマは人のいい笑みを浮かべ、糸目でタチバナを見やった。

 

「ようこそ、プロフェッサータチバナ」

 

「仰々しい呼び方はよせ。ワシは所詮、ただの人機開発のオブザーバーに過ぎん」

 

「まぁそう仰らずに。こちらの席にどうぞ」

 

 ソファから望める景色は一等地だ。この部屋を借りたユヤマの判断は間違っていない。防弾、防音に優れた素材の壁とガラス。無論、盗聴の類も心配要らない部屋だろう。辺ぴな場所で交渉をするよりかはずっと信用出来る。

 

「それで? 何が望みだ?」

 

「いきなり切り込んできますね。それほどお忙しいので?」

 

「つまらぬ話題ならば、な。ワシは一応技術顧問だ。時間は有り余っているわけではない」

 

「人機開発は日進月歩です。人間が手に入れた数々の技術の中でも、群を抜いて素晴らしい技術でしょう。……しかし、妙ではありませんか? どうして人機だけこうも発達したのか」

 

 やはりこの男、百五十年前の災厄を知っていてこちらを試しているのだ。タチバナはあくまでも相手に言わせるつもりであった。

 

「それは歴史を紐解けば分かる。人機の開発はそもそも、人間の叡智の結晶であった」

 

「最初期の人機は人型特殊才能機と呼ばれ、人間の才覚、つまり純粋に工業用として造られたそうです。人間の手足となって動く機械。それがいつしか鋼鉄の巨神となり、ブリキ細工の巨人達が跳梁跋扈する戦場を生み出した。誰がこの地獄にしたのでしょうか? 誰が、地上をこんな風にしたのでしょうか?」

 

「それも、歴史を紐解けば分かる事」

 

「プロフェッサー。アタシはね、人機もそうだがこの世界、何かが隠されている気がしてならんのですよ」

 

 この男はどこまで知っているのか。秘匿された技術に封印された人機の事まで知っているとなれば各種諜報機関から追われても仕方のない身分。

 

 この一室にもいつ、諜報員が突入してこないとも限らない話題だ。

 

「それはとてつもなく不幸な身分だな。そんなもの気にしない人間ならばよかったのに」

 

「アタシもそう思います」

 

 笑ってみせたユヤマだったがその喜悦の笑みにはどこか闇が見え隠れする。

 

 暗黒だ。この男は暗黒を直視している。タチバナは試す言葉を放っていた。

 

「百五十年前、と言っていたな。何が起こったと推測する?」

 

 調べれば誰でも分かる事。だがこの世界では誰もが口を閉ざす事。

 

 それを恐れずに言えるのか。一種の賭けでもあった。

 

 ユヤマはしかし、恐怖心などまるでないかのように言ってのける。

 

「テーブルダスト、ポイントゼロの噴火現象でしょう? 子供用の百科事典でも載っています」

 

 肩を竦めたユヤマの言葉繰りにタチバナは目を見開いた。

 

 今の今までそれをハッキリと言ってのけた人間は拝んだ事がなかったからだ。

 

「……驚いたな。それを口にするという事は」

 

「ええ、承知です。この世界では異端である事。ですが、そうでなければ誰が、オガワラ博士に肉薄出来るのです? あるいはこうも言いましょうか? この世界の人間達を無知蒙昧に飾り立てた、一握りの特権層にも」

 

「口が軽過ぎればぼろを出す。長生きは出来ないぞ」

 

「構いません。アタシは長生きするためにこの仕事をやっているわけじゃないので」

 

 ユヤマは立ち上がり、コーヒーメーカーを抽出した。芳しいコーヒーの香りが、今は空々しいほどだ。

 

「百五十年前のテーブルダストポイントゼロの噴火……今日におけるブルブラッド大気汚染の大元の現象だ。子供でも調べれば出てくる歴史の大事件なのに、どの報道機関も示し合わせたかのように口にしない。ネット上でもその話題はタブー視だ。何が起こっている?」

 

「さぁ? さしずめ、特権層による握り潰しでしょうかね」

 

 ユヤマはコーヒーカップを片手に鼻歌交じりであった。おぞましい事を言ってのけているのに、その言葉尻にはいささかのてらいもない。

 

「特権層、とお前さんは言うが、ではその特権層とは?」

 

 ユヤマはリモコンを手にしてテレビのチャンネルを換えた。報道されるのは独立したオラクルがゾル国へと亡命した事、モリビトの脅威や現地の状況などほとんどがニュースなのに対し、バラエティ番組はしっかりと放送されている。

 

「たとえば、そう、こういうのが人間の配分なのだと思うんですよ」

 

「配分?」

 

「酷い事が起こった。目を覆いたくなるような事件が起こっている。だが、一方では娯楽を捨てたくはない。喜びを捨てたくはない。憂うばかりの人生は嫌だ。憂いを帯びるのは勝手だが、それは目の届かぬところでしてくれ、とね。身勝手に出来ておるんです、人間は。ですがアタシはそれが愛おしい。身勝手さは愛するべきなんですよ。しかし身勝手は過ぎれば不謹慎となる。どうにもその配分はいつの時代だって難しい」

 

「……今の情報統制はその配分だとでも?」

 

「そうは思いませんか? 百五十年前の出来事にアクセスすればオガワラ博士の発言の意味だって誰でも頷ける。だがそれは、人類が原罪を覗き込む瞬間です。そんな事をしなくとも、人間は生きていける。それがたとえ小国コミューンの独立という形であったり、モリビトという分かりやすい仮想敵の出現であったり、というのは」

 

「モリビトの存在ですら、人々にとっては罪から目を逸らす材料だとでも?」

 

 ユヤマは二人分のマグカップを手にテーブルへと戻ってくる。湯気の漂うコーヒーの表面を彼はじっと眺めていた。

 

「人間は罪を見据え続ける事は出来ません。出来ないように出来ているんです。だが、それが意図的に作り出された平和だとすれば? 意図的に操作された紛争だとすれば? それは悪ではないですかな?」

 

「陰謀論か。オラクルの独立も、込みで言っているのか?」

 

「オラクルは生贄の子羊です。ブルブラッドキャリアとやらへの興味を分散させるための、ある種の好機であった」

 

 マグカップにようやく口を運んだユヤマを目にして、タチバナは毒が盛られていない事を確認し、コーヒーで喉を潤す。

 

 思いのほか苦かった。

 

「だがオラクルが子羊だとして、ではモリビトの脅威が消え去ったわけではない。いや、むしろブルブラッドキャリアは喜んでその役目を買って出た。世界の憎悪を一身に背負う覚悟を。ここまで見せ付けられて我々は知らぬ存ぜぬを決め込めると思っているのか? 百五十年などあっという間だ。そんなもの、遡れば誰でも到達出来る」

 

「しかし、させたくない一派がおるのですよ。その一派こそ、この世界の、真の敵」

 

「ワシにどうさせたい? その一派を糾弾しろとでも?」

 

 睨む眼を据えたタチバナにユヤマはコーヒーをすすった。

 

「いえ、今はまだ無理でしょう。その一派を引きずり出すのには何もかもが足りない。ですが、アタシはこう思うんですよ。その一派をどうにか出来れば、もしかするとブルブラッドキャリアとの対等な交渉も成り立つのではないのか、とも」

 

「……敵の敵は味方、という論法か」

 

「ブルブラッドキャリアとモリビトを憎み、蔑むのは勝手です。ですが、それは一部の人々の望んだ世界だ。アタシはね、少数が多数を黙殺し弾圧するのは間違っている、と思うんですよ」

 

「黙する少数意見は無視される。世の常だが」

 

「少数意見がしかし、正しいわけでも決してない。少数意見に踊らされて多数意見がないがしろにされるのはそれこそ間違っている。たとえば……タチバナ博士、あなたは天才の側だ」

 

 天才と面と向かって言ってくる人間はそうそういない。タチバナは胡乱そうに眉をひそめる。

 

「ふざけているのか?」

 

「いいえ、ふざけちゃいません。事実でしょう? あなたは天才の側、世界を回す側のはずだ。反面、アタシはどうです? 天才じゃない。頭の出来もよくないし、ぶっちゃけた話、この世界を回す側とはとても思えない。ですが、世界って言うのはいつだって、回す側のほうが少なく、回される側が多いんです。あなたなら理解出来るでしょう? 衆愚と罵られようとも、人類の八割以上はその衆愚で出来上がっているんですよ。それを無視して少数が世界を回せば、それは少数のために都合のいいだけの世界だ。それが正しいと思いますか? 一パーセント未満の特権層のために九十パーセント以上の人々が汗水を流す。時には血も、ね。それが正しいのだと、本当に思えますか?」

 

「主義者か。お前さんのような人間はいつの時代だっておるよ」

 

「そう、アタシみたいなのはいつの時代だっている、ハエや虫けらみたいなもんです。ですが、虫けらのいない世界って何です? そんなもの想像出来ますか? 虫けら一ついない世界。それが成立するとすればそれは――」

 

「この空の向こうに実在する」

 

 タチバナは窓の外を顎でしゃくった。紺碧の大気に包まれた外の世界。生物の息吹さえも許さない絶対の無音世界が。

 

「……そうです。そういう世界は実在する。ですが、人類はその世界で生きられるように、出来ちゃいない」

 

「静謐に守られた世界には人類の生存圏さえも許されていない」

 

「碧い空の向こうにだって戦火が絶えないんです。だっていうのに、人間同士がいがみ合わない場所なんてあるとでも? アタシはないと断言出来ますね。この世は、どこに行ったところで同じです。きっと、誰もが同じように考えておりますよ。閉塞感とも、逼塞とも違う、人間の限界点という奴です。虫けらが単体で広大な星の園に出られないように、犬が人間になる事が出来ないように、人間にも限界があるんです。それを突破する方法を考え出した場合、それはもう、人間ではない」

 

「特権層は人間ではない、と言いたいのか?」

 

「少なくとも、こうして他人と面会して、コーヒーをすするようには、出来ちゃいませんよ」

 

 マグカップを掲げてみせたユヤマにタチバナは笑みを浮かべる。皮肉めいた言い草だが嫌いではない。

 

「ではお前さんは……人間ではないものにこの星を任せられんと?」

 

「そこまで出過ぎた事を言おうとは思っちゃいませんが、分かるのは人間ではない者達が、人間の命運を握っているという事実のみ」

 

 ブルブラッドキャリアか。あるいはその他の何かの事を言っているのか。追及せずにタチバナはユヤマの結論を待った。

 

「ワシに接触して何がしたい? ワシの一声で百五十年前を顧みろとでも?」

 

「無理でしょうね。いくらあなたが人機開発における第一人者でも」

 

 断じた声音に、タチバナは目線を上げた。ユヤマは窓の外を流れる青い対流を注視している。

 

「ではワシに何を求めて、タブーを言ってまでここに繋ぎ止める? お前さん、命が惜しくないのか?」

 

「まさか。惜しいですよ、命は。何よりも。ですがね、知らないままでいるのもまた罪ではないですか?」

 

「人は罪を直視し続けるようには出来ておらん」

 

「概ね同意ですが、罪を犯した事を、なかったようには出来ないんですよ」

 

 タチバナはマグカップを置き、ユヤマの面持ちを睨み据える。

 

「百五十年前……人機開発が一度、頭打ちになった。最高峰の技術と最上級の環境が整えられ、人機は一時、星を越える兵器として完成を見るかに思われた。人類の偉大なる発明、銀河さえも渡ってみせる神をも恐れぬ兵器。……だが、神からのしっぺ返しは予想以上のものだった」

 

「テーブルダストポイントゼロ。現在における古代人機の密集地。同時に、百五十年前、プラントが建設され、血塊炉の安定した供給を実現せしめた人類の究極の発明地点。ですがそれは、開けてはならぬパンドラの箱であった」

 

 心得たようなユヤマの言葉振りにタチバナは禁じていた言葉を発していた。

 

「百五十年前、テーブルダスト、ポイントゼロが噴火した。血塊炉を内蔵する兵器が原因であったとされるが、その辺りは定かではない。ハッキリしているのは、その噴火によって世界が青く染まった事。その噴火を契機としたように、一つの事業が発足した。青く汚染された地上の永久封印、そのための三つの楔」

 

「今我々の頭上を覆っている、これですな」

 

 ユヤマが天井を示す。虹色の天蓋は、その遥か向こうに存在する。

 

「プラネットシェル……。惑星の封印による、汚染領域の拡大を阻止する計画。詳細はワシにも分からんが、虹の裾野は惑星を覆うに至った。表向きは、ブルブラッド大気を宇宙に逃がさないため。汚染を宇宙にまで至らせてしまえば、それは人類の罪だけで大いなるフロンティアを冒す事になる。さしもの厚顔無恥な人類でもそれだけは許せなかった、とされている」

 

「地上はしかし、汚染大気の浄化も儘ならぬ状態。人々はコミューンと呼ばれる小さな庭で身を寄せ合い、こうして辛うじて生きられるレベルの大気浄化で生存し続けている。まぁ、それも詭弁のようなものですが」

 

 ユヤマがコーヒーを呷った。タチバナは大国コミューンの都市圏を血脈のように巡る道路を見据えている。

 

 車両のテールランプがまさしく本物の血潮のようにうねっていた。

 

「こんな場所で生きておる事、それそのものが罪だとでも?」

 

「そこまで傲慢にはなったつもりはありませんが、アタシはこう思います。少数者が世界を回す現状にだけは満足しちゃいかんのだと」

 

「少数者……お前さんの言う少数者とはどれの事を言っておる? ブルブラッドキャリアか? それとも、大国の頭脳の事か? ワシのような前時代的な意見を持つ人間の事か。それとも……」

 

 ――それとも、この世界を裏から回す、本物の特権層の事か?

 

 言葉にしなかったが、ユヤマには伝わったのだろう。首肯し、タチバナの眼を真っ直ぐに見据えてくる。

 

 好々爺のような糸目顔が真実に一番肉迫しているのは皮肉めいていた。

 

「さぁ? アタシには何とも。ただ、多数意見をないがしろにして、少数者が世界を回す事に是と言えないだけの……ただの天邪鬼の言い草と思ってもらっても構いません。しかし、ここから先の局面で生きてくるのは、多数者です。それをお忘れなく」

 

 ユヤマが立ち上がる。話は終わった、とでも言うようであった。

 

「いいのか? 何もハッキリした事は聞けておらんぞ?」

 

「構いませんよ。あなたは絶対にまた、アタシと会いたくなるはずですからね」

 

 食えない男だ。タチバナはその意見を否定する論拠を自分の中に見出せない事に気づいた。

 

「変わり者め」

 

「お互い様です。コーヒー、どうでした?」

 

「苦かったよ。ワシは、苦いのは飲めん」

 

 その証拠に一口しかコーヒーは飲んでいなかった。ユヤマは微笑みかける。

 

「博士、あなたは正直者だ」

 

「どうかな? 正直者はこの立場にはおらんよ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯47 生け贄の仔羊

 振る舞われたのは見た事のない赤い生物であった。部下達が苦言を漏らす。

 

「隊長、こいつは食い物なんですかね?」

 

 ガエルは爪を研ぎつつ、顎でしゃくった。

 

「そいつは〝サシミ〟ってヤツだ。覚えておけ。コミューンの一握りの連中だけが食える。昔、この真下でうようよいたサカナってヤツを掻っ捌いたもんだ」

 

 真下、と足で叩いた先には命の一欠片すらもない汚染された海が広がっているはずであった。

 

 部下達が目の色を変えてサシミにありつく。食いながらその感想を口にしていた。

 

「生臭いですね」

 

「まぁ、元は活きのいい生物を死ぬまでに切り刻んだもんだからな。生臭いとすりゃ、そいつは生物の証だ」

 

「でも、海中の生態系はブルブラッド大気で一番早く絶滅したって話じゃないですか。これも模造品でしょう?」

 

「さぁな。オレらにその判断は出来ねぇよ。だって本物なんて知らねぇんだもん」

 

「違いありませんね」

 

 部下達はサシミを口にする者。持て余して酒を呷る者とまちまちであった。酒だけはこの紺碧の空気の中でも裏切らない。

 

 酒と煙草と女だけが、生きている証拠のようなものであった。

 

 ガエルが煙草に火を点けようとして一人の将官が咳払いする。

 

「悪ぃ、禁煙か?」

 

「ガエル・ローレンツ様。こちらへ」

 

 煙草を折り曲げ足で踏みしだく。歩み出したガエルに部下達が声を振り向けた。

 

「隊長、どちらへ?」

 

「野暮用だ。てめぇらはサシミでも食ってろ、って話かもな」

 

「ああ、別に自分達はいいですよ。この待遇でも充分」

 

 元々戦場を練り歩くのが商売の無頼の輩ばかりだ。寝床も一人ずつきっちり用意されている待遇に一切文句を挟まない。

 

 将官の背中に続きながらガエルは質問を浴びせた。

 

「なぁ、軍人さんよ。あんたら、オレらをどうしたい? 餌付けして、いいように扱いたいんなら金を出しな。きっちりと報酬さえもらえればどんな戦場だって行くからよ。あんな……サシミみてぇな、ガキの駄賃にもなりゃしねぇ代物を食わせられるよりかぁ、マシだぜ」

 

「驚きましたね。戦争屋でもサシミは知っているのは」

 

 ガエルはフッと自嘲の笑みを浮かべた。

 

「昔、まだ軍属だった頃に食った事があるんだよ。その頃食ったサシミは不味かった。生き物から取った代物って聞いて吐くヤツもいたくれぇさ。でもよ、考えると変な話だ。オレ達は平気で略奪する。ガキでも何でも関係ねぇ。殺し、血の臭いなんて飽きるほど嗅いで来た連中がサシミで吐くんだぜ? 笑いものだろ?」

 

 将官には伝わらないジョークだったのか、相手は笑いもしない。ガエルは堅牢に固められた壁に手をついた。

 

「随分と厚待遇だよな。どこの国の船舶かは明かされないまま乗ったが、オレには分かるぜ。この駆動音、船内の造り……ゾル国か」

 

「あまり賢しいのはお勧めしません」

 

「賢しくあるつもりなんてねぇさ。てめぇらがマヌケなだけだよ」

 

「……戦争屋の分際で」

 

 吐き捨てた将官にガエルは言い返しもしなかった。その通りであったからだ。自分達は戦争屋、どこの国にでも尻尾を振る卑しい連中である。

 

 だが、そのような下賎な人間に高額を積んでまで投資したい人間の顔は、是非一度でも見てみたいとガエルは思っていた。

 

 鬼を飼う人間とはどういう面構えをしているのか。

 

 それを一目見るだけでも価値はある。そのためならばどれほどまでに窮屈な船内でも我慢くらいは出来た。

 

 しかし、思っていたよりも自分達に対して待遇は甘い。戦争屋だと分かっているのかいないのかガエルは首を鳴らした。

 

「なぁ、あんた。戦争をやった事はあるのか?」

 

「戦争? 野蛮人の戦場など」

 

「んだよ、戦場童貞か」

 

 その言葉に将官が立ち止まった。ガエルは口角を吊り上げてみせる。

 

「……戦争をした事があるのが、そんなに偉いのか」

 

「さぁな。ただ事実を言ったまでだろ?」

 

 掴みかかってくるか、と構えたが予想に反して将官は冷静であった。

 

「……ついて来い。まだ作戦概要も頭に入れていない」

 

「意外とアツくならねぇのか」

 

「ここで熱くなったところで……」

 

 そこから先は聞こえなかった。開けた場所に出たかと思うと、帽子を被ったもう一人の将校が将官を顎でしゃくる。

 

「ご苦労だった。それにガエル・ローレンツ。お初にお目にかかる」

 

 差し出された手にガエルは胡乱そうに返していた。

 

「名も名乗らないのかよ」

 

「我々は総体だからね」

 

「総体? 軍の事を今はそう呼ぶのか?」

 

「軍部、か。まぁ、今はそういう勘違いでも構わないだろう」

 

 帽子の将校はタラップを指し示す。道を譲った将校にガエルは毒づいた。

 

「落とし穴でもあるんじゃねぇのか?」

 

「安心するといい。君の待遇は保証する」

 

「どうかねぇ。オレらなんて戦争屋だぜ? いつ死んでも、殺されてもおかしくはねぇ身分だ」

 

「なに、買っているとも。君の実力は」

 

 将校が片手を上げる。途端、重々しい音と共に照明の光が網膜に焼き付いた。

 

 濃紺の機体が光を受けて照り輝く。赤いケーブルが全身に纏い付いていた。

 

「未完成のまま譲り受けたものだが、あと二日もあれば完成する」

 

 頭部には一本の角がある。異色の頭部形状と細身のシルエットから基になった機体を割り出すのは難しくなかった。

 

「《バーゴイル》か。するってぇと、てめぇらやっぱりゾル国の」

 

「鋭いな。だが《バーゴイル》なのは当たりだが、ゾル国の息のかかった軍人ではないよ。我々はね」

 

 含むところのある言い草にガエルは《バーゴイル》にしか見えない機体を指し示す。

 

「こいつに乗れってのか?」

 

 肩口には反り返った漆黒の巨大な刃があった。背筋からは刺々しいテールスラスターが伸びている。

 

「《バーゴイルシザー》だ。君の愛機となる」

 

「オレは別に機体の選り好みはしないけれどよ、愛機になるって言われたのは初めてだぜ」

 

 けっと毒づくと、将校は一枚のチップを手渡してきた。指先ほどもない小型の情報端末だ。

 

「何だ、これ?」

 

「このまま乗ってもらうのはいささか目立つのでね。それに記録されている機体にID上では偽装させてもらう」

 

 ガエルはチップを端末に埋め込みIDを読ませる。表示されたID機体に息を呑んだ。

 

「こりゃあ……」

 

「どうかな。その機体になったつもりでやってもらいたい任務がある」

 

「おいおい、てめぇら、オレを正義の味方にするとか抜かしてたからここまで来てやったが、このIDじゃ……」

 

「心配する必要はない。君は正義の味方になる。IDの切り替えはワンボタンだ。作戦実行後に君のIDは書き換わる。不安はないはずだ」

 

 やけに冷静な将校の言葉にガエルは睨み据えた。

 

「大ありだ。てめぇら、何を企んでやがる? 戦争屋を吹っかけるだけでもイカレなのに、こんなのどこから手に入れた?」

 

「少数派からだよ。彼らは多数派を黙殺しようとしている。我々は少数派に支配される世界をよしとしない者達だ。意見のある多数派と言ってもいい」

 

「その意見ある連中にしちゃ、随分とやり方が違法じみているぜ。このIDもそうだが、解せねぇのはこの機体の在り処も、だ。新型人機の無断開発は国際条約で違反のはずだろ?」

 

「おや、それは可笑しな事を言うな。君は国際条約など何のそのな無頼の輩のはずだ。だからこそ、この依頼を完遂出来ると思ったのだが」

 

 ガエルは舌打ち混じりにチップを投げ捨てた。そのまま足で踏み潰す。

 

「ふざけんな。割に合わない仕事はやらない主義なんでね。こんなもん、リスクがあまりに高い。オレらは撤退させてもらうぜ」

 

「外は有害大気と一面が海だ。どこに逃げる?」

 

「部下がてめぇらみたいな連中に備えて人機をいつでも呼べるようにしてある。しくじったな、てめぇら。一面何もない海上でどうやって逃げ延びる?」

 

「はて、その人機とは、これの事かな?」

 

 将校が端末を取り出してガエルへと転がした。投射画面に映し出されていたのは、もしもの時に備えていた人機部隊の駐在地点が黒煙を上げている映像であった。

 

「これは……!」

 

「我々は多数派であるがゆえに、手の打ちどころはきっちり備えていてね。用心深い君の事だ、部下には伝えているはずだと思っていたよ」

 

「だったら! 今すぐオレの部下がてめぇらを殺しに来るぜ! 十分もない距離だったからな。オレが端末でワンコールすれば……!」

 

「端末でワンコール、か。こっちもそうだ」

 

 将校が端末を取り出す。相手がコールした途端、端末から聞き慣れた部下達の呻き声が聞こえてきた。

 

『何だこれは……、まさかガス? 隊長! 隊長!』

 

「おい! 何やってんだ、てめぇ!」

 

「高額の前払い金があったはずだ」

 

「そうだ! 全員の頭数分――」

 

「勘違いはそこから、だな。あの金は君一人に全部積んだんだ。君の部下まで評価したわけではない」

 

 断末魔の叫びが迸り、数秒もしないうちに沈黙が訪れた。残してきた部下達は全員死んだ。茫然自失のガエルへと将校が口にする。

 

「さて、戦争屋、ガエル・ローレンツ。これで君の任務を邪魔する者は一人もいなくなった。君もこちら側だ。名前のない多数派になれる」

 

 覚えず掴みかかっていた。しかし将校は能面のような面持ちを崩す事はない。背筋にひりひりとした殺気を感じる。もう一人の将官が銃口を向けているのが振り向かずとも分かった。

 

「イカレが……! てめぇら何がしたい!」

 

「言った通りだ。正義の味方だよ、戦争屋君。もっとも、今まで正義の味方とは少数派を示してきたが、これから先は名前と顔のない多数派の事を示すようになる」

 

 銃口を顎に押し当てる。それでも相手は眉一つ動かさなかった。

 

「……死ぬ事が怖くねぇのか?」

 

「死? そりゃあ怖いとも。だがね、総体の概念において個体の死はそれほどに問題ではないんだよ」

 

 ガエルはこの将校が本当に死を恐れていない事を実感する。それどころか、自分の命でさえも勘定に入れているようだ。

 

 突き飛ばし、ガエルは眼前の人機を見やる。

 

「……こいつで何をすればいい?」

 

「考えが変わったのかな?」

 

「考え? んなもん、最初から変わっちゃいねぇ。オレは金を積まれれば何だってやる、戦争屋だ。部下が死んだからって感傷的になるような人間らしさは端からねぇのさ」

 

 立ち上がった将校が新たにチップを取り出す。先ほどのもののコピーだろう。

 

「それでこそ、正義の味方だ、ガエル・ローレンツ。君の勇気は賞賛に値する」

 

 チップを引っ手繰り、ガエルは《バーゴイルシザー》を睨んだ。

 

 これから先、自身の愛機になる、と宣言された機体は静かにガエルの眼光を睨み返していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯48 成層圏の煉獄

《モリビトノエルカルテット》の高高度飛翔能力は大気圏の厚いリバウンドフィールドの層を容易く突破する事が出来る。

 

 その飛行時間と単純な戦力を鑑みれば、《バーゴイル》など児戯に等しい。虹の裾野を眼前に入れた桃は《ノエルカルテット》の両腕を開かせた。

 

《ノエルカルテット》から発生したリバウンドフィールドの力場が干渉し合い、虹の天蓋に穴を開ける。

 

 フィールド同士が中和され、侵食された場所が融け落ちるように消滅した。

 

 無論、プラネットシェル全体から察知されないほどの小さな穴である。人機一機分通ればいいだけの抜け穴を通過し、《ノエルカルテット》は重力の投網から逃れようと推進力を底上げした。

 

 青い推進剤の光を棚引かせつつ、大型人機のシルエットが重力圏からたちまち上昇する。

 

「残り30秒ほどで、重力の手から逃れられる。……やっぱりモモ、地上はあんまり好きじゃないわ。重力が内臓に重くのしかかるみたいで」

 

 息をついた桃は合流地点への道標を全天候周モニターに表示させる。

 

 第三フェイズの要、モリビト三機の強化パーツを手に入れるための水先案内人が、三号機に与えられた使命である。

 

《インペルベイン》と《シルヴァリンク》では重力の波を超える事は出来ない。それほどの推力を可能にするのは四基の血塊炉を内側に秘めた《ノエルカルテット》だけだ。

 

 それでも四基分の血塊炉は万全というわけでもない。重力とリバウンドフィールドの中和に二基の血塊炉が悲鳴を上げていた。

 

「ロデムと、ポセイドンの血塊炉が一時的にオーバーヒートを起こしているみたいね。グランマ、調整をお願い」

 

『二匹は寝かしつけておいてあげるから、桃は回収任務に当たりな』

 

 グランマの柔らかな声に桃は安堵して合流地点へと《ノエルカルテット》を進めさせる。コース上には障害物もない。静止衛星の睨みも潜り抜けたブルブラッドキャリアのルートには危険な代物は一つもなかった。

 

「《ノエルカルテット》はこのままの推進力を維持して約二十分後にランデブーポイントにて物資を受け取る。コンテナ六基、か。随分と大荷物になるわね」

 

 あまりごてごてとした装備は好きにはなれないのだが、それもこれも他の二機を援護するという三号機の設計思想のためである。

 

 このまま眠りこけてもいいほどであったが、桃は宙域を監視した。

 

 宇宙空間で攻めてくる敵などいるはずもない。そう思っていたが、《シルヴァリンク》の事もある。追いすがってくる人間がいてもおかしくはないのだ。

 

「ま、こんな衛星軌道上になんて、いる戦力はたかが知れているわね」

 

 ロデムとポセイドンの冷却機能をオンにしている間、《ノエルカルテット》はほとんど丸裸も同然。

 

 ロプロスに任せて手荷物を受け取る算段であったが、その時、不意に桃の視界に入ってきたのはデータ上に存在しない物体であった。

 

 デブリか、と拡大映像に呼び出す。黒々とした物体は見た目はただのデブリに見えたが、切り替えたサーモグラフィーの映像内に血塊炉の反応を見つけた。

 

「ブルブラッド反応? こんな場所に?」

 

 ルートの上では敵などいない事になっている。しかし、この物体には確かに血塊炉が使用されているのだ。

 

 血塊炉を使用する人工衛星は条約で禁じられているはず。そもそも、惑星外に血塊炉を持ち出すこと自体、大きなタブーとされているのだ。

 

 桃は息を詰めて目標への距離を測った。ロプロスの射程には入っている。高出力のR兵装で叩きのめす事も可能であったが、何よりも解せないのはこの宙域に、まるで自分が来る事を予見したかのように佇む物体の謎であった。

 

 後々の禍根に繋がってはならない。桃は操縦桿を握り締め、ロプロスの翼を変形させる。

 

 砲塔がデブリの中心軸に向けて照準を開始した。

 

「……大丈夫よ、桃。あなたなら、一瞬のはず……」

 

《ノエルカルテット》の砲身がデブリを狙い澄ます。相手からは射程外だ。こちらの策敵が早かったお陰で優位を取れる。

 

 このまま、打ちのめせば、と唇を舐めた途端、下方からの照準警報に桃は肌を粟立たせた。

 

 咄嗟に操縦桿を引いて火線を回避する。

 

「《バーゴイル》? 外延軌道のスカーレット! こんな時に……!」

 

《バーゴイルスカーレット》三機編隊が三角陣を組みつつ《ノエルカルテット》に接近してくる。

 

 今は相手取っているのも惜しいのに、と感じた直後、デブリから何かが放出された。

 

 青いカラーリングの人機であった。バイザー状の頭部形状に、シンプルな人型の機体には背面スラスターが装備されている。

 

「ブルーガーデンのロンド? 何で? 読まれていた?」

 

 機体照合のブザーが鳴り響くのと火線が開いたのは同時である。

 

 下から押し寄せてくる《バーゴイルスカーレット》とデブリから放出された《ブルーロンド》三機が一斉に《ノエルカルテット》へと攻撃の矛先を向けた。

 

 滲んだ汗が水の玉になってコックピットの中で浮かび上がる。

 

 桃は瞬時にR兵装を一射していた。ピンク色の光軸がデブリを射抜く。その時には、既に《ブルーロンド》三機は射程外に離脱していた。

 

「《バーゴイル》さえ来なければ、気づかれなかったのに……!」

 

 苦々しげに放った桃はロデムとポセイドンの血塊炉が未だにアイドリング状態の事実に震撼する。

 

 今の《ノエルカルテット》は本体の一基とロプロスの一基の計二基によるオペレーションのみ遂行可能な状態だ。

 

 常時の四基による高出力は望めない。宇宙の常闇でもがくように両手で宙域を掻く。

 

 機体を横滑りさせて下方からの銃撃を回避させた。四肢を使っての機動状態は良好。しかし、《ノエルカルテット》はその大型ゆえに動きそのものは鈍い。

 

 これでは格好の的であった。

 

 桃はロプロスの翼から伸びた砲塔を《ブルーロンド》に据え直す。

 

《ブルーロンド》が散開し、それぞれの方向から幾何学を描いて《ノエルカルテット》に肉迫しようとする。

 

 舌打ち混じりに桃は砲口からR兵装を掃射する。デブリや人工衛星を破砕しつつ、ピンク色の光軸は少しずつその出力を弱まらせていく。

 

 やはり二基の血塊炉では《ノエルカルテット》の動きの安定さえも取れない。加えてこの状況、ランデブーポイントに向かうための時間も稼がなくてはならなかった。

 

「グランマ! 《バーゴイル》とロンドを振り切ってでもポイントに向かう! 所要時間を弾き出して!」

 

『最低でも十分は必要だ。《バーゴイルスカーレット》隊は宙域戦闘に慣れている。エキスパート共を蹴散らしつつ向かうのは難しい』

 

「なんて事……」

 

 桃は呻く。《バーゴイル》だけならばまだしも《ブルーロンド》もどうにか撒かなくてはならない。

 

 それほどまでの戦力を用意するのに時間も何もかも、あまりに足りていない。

 

「どっちを蹴散らせばいい? 《ブルーロンド》はイレギュラーとは思えない。モモの《ノエルカルテット》か、あるいは他のモリビトを張っていた可能性がある」

 

 そうでなければ、あのような場所におあつらえ向きに人工衛星の偽装などしているものか。相手はモリビトが宇宙から来た事を目して、空間戦闘用の戦力をわざと惑星外に逃がしていたに違いない。

 

 ここで潰さなくては計画に支障が出る。

 

 比して《バーゴイルスカーレット》は恐らく、偶然だ。

 

 偶然に《ノエルカルテット》を索敵し、偶然に仕掛けてきた。脅威判定では《ブルーロンド》を破壊するべきだろう。

 

 だがこのような極地に、二基の血塊炉は機能不全を起こしている。《ノエルカルテット》の性能を引き出すのにはあまりにも不足していた。

 

「リバウンド兵器を使い尽くして貧血になんてなったら目も中てられないわ。《シルヴァリンク》も、《インペルベイン》の援護だって期待出来ないのに」

 

 この宇宙の常闇で味方は一人もいない。自分でどうにかするしかないのだ。桃は歯噛みしつつ《ノエルカルテット》を後退させた。

 

 無論、前進しなければ当初の目的さえも果たせない。

 

 火線が瞬く。《バーゴイルスカーレット》の銃火器は《ノエルカルテット》を含むモリビトの装甲を貫く事は、理論上出来ないはずである。

 

 しかし、動きの鈍った《ノエルカルテット》を羽交い絞めにして鹵獲する事は、別段不可能でもない。

 

 相手が接近戦を恐れずにやってくれば、の話ではあったが、桃はこの状況下での判断を迫られていた。

 

 ――《ブルーロンド》か、《バーゴイル》か。どちらかに狙いを定めなければこの作戦そのものがご破算になりかねない。

 

 逡巡を浮かべたのも刹那、桃は《ブルーロンド》隊に砲身を向けていた。やはり張られている戦力のほうが厄介だと判じたのである。

 

 砲身にエネルギーを充填したその瞬間、接近警報が耳朶を打った。

 

 一機の《バーゴイルスカーレット》が銃剣形態にした武装でこちらに接近してきたのである。推進剤の青い光を棚引かせて《バーゴイルスカーレット》の一閃が《ノエルカルテット》を打ち据えた。

 

 途端に回線が開く。

 

『桐哉の……あいつの仇に!』

 

「誰の仇なんて知らないわよ! こいつ、生意気に!」

 

 合成音声を使う事も忘れ、桃は《ノエルカルテット》の手首から伸長させたRソードで鍔迫り合いを繰り広げた。

 

《シルヴァリンク》ほどの出力もない、牽制用のRソードでは遥かに耐久力の劣る《バーゴイルスカーレット》の銃剣でさえも押し戻す事は出来ない。

 

 干渉波のスパークが迸る中、相手の操主の声が弾けた。

 

『お前らさえ……ブルブラッドキャリアさえいなければ、桐哉は、あいつは苦しまずに済んだ! だからこれは、弔い合戦でもある!』

 

「わけの分からない事を!」

 

 弾き合った《ノエルカルテット》と《バーゴイルスカーレット》がお互いに後退する。そんな中、心得たように背後からロングレンジ砲を構えた《バーゴイルスカーレット》が援護射撃を浴びせてきた。

 

『宙域戦闘は連中の十八番。網にかかった獲物を逃すほど、容易くはないようだね』

 

 落ち着き払ったグランマの声音に桃は悲鳴を上げる。

 

「グランマ! ロデムとポセイドンの再生状況は?」

 

『現在六割。この状態で叩き起こすと取り返しのつかない事になりかねない』

 

 しかし、《ノエルカルテット》は包囲されているのだ。一発がどれほど豆鉄砲ほどの威力でも、何度も食らえばどうなるか分からない。

 

《ブルーロンド》隊が《ノエルカルテット》の死角に回り込む。大型人機の弱点は相手に晒す死角の多さだ。本来、その弱点は三機のサポートマシンで補完しているものの、今は操主である自分とロプロス一機分の眼しかない。

 

 桃は操縦桿を引いて交錯する火線の網を潜り抜けようとしたが、その背筋にミサイルが突き刺さった。

 

 コックピットが激震し、桃は激しくモニターに頭部を叩きつける。

 

 額が割れたのか血が滴った。

 

 浮かび上がる血の玉を視野に入れながら桃は《ノエルカルテット》を彷徨わせる。このままでは合流地点に行く事も儘ならない。

 

 それは計画の遅延を意味するだけではなく、《ノエルカルテット》と桃の存在意義さえも揺るがしかねない。

 

「……嫌、もう――」

 

 脳裏に過ぎったのは滅菌されたような白い部屋であった。

 

 三匹の動物達がそれぞれ培養液の中で浮かんでいる。

 

 ――この子がロプロス、このお魚さんがポセイドン。この子はロデム!

 

 脳内に残響する幼い声を振り解くように、桃は叫んでいた。

 

「もう、あの部屋は嫌ァッ!」

 

 木霊した叫びが空間を震わせる。

 

 途端、接近攻撃を仕掛けようとしていた《バーゴイルスカーレット》が硬直した。《ブルーロンド》の放った弾丸が中空で静止している。

 

『桃、まさか――』

 

 ハッとしたグランマの声が耳に届く前に桃は手を払っていた。

 

 その手の動きに連動して弾丸が《バーゴイルスカーレット》の装甲を叩きのめす。

 

《ブルーロンド》の放った弾丸が位相を変え、軌道を無視して《ノエルカルテット》の掌の上で踊り始めた。

 

 桃は機体の動きに呼応した指先でピンと弾く。

 

 それだけで弾丸が再び攻撃性能を帯びて《バーゴイルスカーレット》に突き刺さる。援護射撃を担当していた長距離支援機体の《バーゴイルスカーレット》がロングレンジ砲を手離した。

 

 瞬く間に爆発に包まれた武装に《バーゴイルスカーレット》から叫びが迸った。

 

『隊長! 今のは? 《ブルーロンド》の弾丸が、こっちに偏向して……』

 

『分からん! だが、迂闊に近づくな! 今のモリビトは、何だか知らんが……』

 

 肉薄していた《バーゴイルスカーレット》はその場所から逃げる事も、ましてや進む事も出来ない事に気づいたらしい。

 

 必死にもがくが、宙域に固定化されたように機体そのものが動きを止めている。

 

 桃は面を上げた。

 

 全天候周モニターに反射したその瞳は赤く染まっている。

 

『何だか知らんが……ヤバイ!』

 

「《モリビトノエルカルテット》。サイコロジックモードに移行。全権限を桃・リップバーンの擁する《ノエルカルテット》パイルダーに集約させる」

 

 直後、《ノエルカルテット》が分離した。ロデムの構築する胴体とロプロスの接続していた背面の翼から独立したのは、肩から上だけの頭部である。

 

 武装などどこにもない。一見しただけではまるで武器を根こそぎ取り外したかに映るだろう。

 

『隊長、こいつ、武装解除したんじゃ……』

 

『いや、迂闊に近づくな。動かないんだ……何で……』

 

『今ならやれます!』

 

《バーゴイルスカーレット》が推進剤を焚いて一気にパイルダーへと接近してくる。

 

 桃はその機体を視界に収め、すっと指を差し出した。

 

 それだけで《バーゴイルスカーレット》が動きを止める。桃が指先を返すと機体の中央部に亀裂が生じた。

 

『これは……機体が何らかの力で、自壊している?』

 

 ぱっと手を開き、相手を掌握するイメージを描く。拳に変えると敵機体の四肢が固められた。

 

 束縛を受けているかのように《バーゴイルスカーレット》が痙攣する。

 

『何だ、この力……。モニター不能! 血塊炉は……完全に沈黙している? 何が……』

 

「――ビートブレイク」

 

 その言葉を紡いだ瞬間、《バーゴイルスカーレット》の血塊炉が内側から抉り出された。不可視の力が働き、青い血を噴き出す血塊炉を握り潰そうとする。

 

《バーゴイルスカーレット》が足掻くが、全身の関節部から血を滴らせていた。

 

 伸ばした腕の先に位置する武装が直後に破砕し、粉々に分解されていく。

 

 相手からしてみれば悪夢のような光景であっただろう。精密機械であるはずの人機の武器が何の力なのか分からないもので消し去られていくなど。

 

『何を……! 隊長! こいつ、何を!』

 

 操縦桿を必死で引いているのだろう。音が回線のみならず全身の神経を刺すように伝わってくる。

 

 桃は片手を払って《バーゴイルスカーレット》の頭部を引っ掴む動きをさせた。すると首の軸が外れ、頭部コックピットがひねり上げられる。

 

『地獄とはこの事か……』

 

 呻いた隊長機は部下の機体が四散していく様をまざまざと見せ付けられていた。

 

 人機の武装ではない。

 

 目には見えない何かが《バーゴイルスカーレット》を分解しているのである。

 

『桃、落ち着くんだ。その力は容易く使ってはいけない』

 

「でも、もう嫌なの! もう! あの場所だけは嫌ァッ!」

 

 叫びに相乗してバラバラに砕けた《バーゴイルスカーレット》の部品が宙域を掻っ切っていく。

 

 その速度に《ブルーロンド》隊とスカーレット隊が同時に動きを止めた。

 

 生み出されたデブリが渦を巻き、《ノエルカルテット》のパイルダー部を中心に荒々しい風圧を生み出している。

 

 隊長機にようやく取り付いた部下の機体がその場から離脱機動を取ろうとする。

 

 桃は目を見開き、片手を掲げた。

 

 その動きだけで《バーゴイルスカーレット》の表面装甲板が剥離していく。赤い塗装が引き剥がされ、薄皮を掠め取ったように塗装部品のみが漂った。

 

『何だこれは……モリビトは、悪魔なのか?』

 

 薄皮の塗装部品を蹴散らし、風圧の刃が《バーゴイルスカーレット》の頭部を射抜く。

 

 部下の機体が流れる中、隊長機が銃剣を手にこちらに向き直った。赤い矜持は剥がれ落ち、灰色の下部装甲が剥き出しになっている。

 

『モリビト……桐哉を陥れ、部下を殺し、それでもまだ収まらぬというのか。一体どこまでお前達は……我々の運命を弄ぶ!』

 

《バーゴイルスカーレット》が駆け抜ける。銃剣が突き出された猪突の構えに桃は手を振るう。

 

 その一動作で《バーゴイルスカーレット》が胴体から折れ曲がった。不可視の力に背骨を砕かれた《バーゴイルスカーレット》が苦悶する。

 

『まだ……まだっ!』

 

 銃剣が火を噴く前に桃は拳を握り締めた。銃口が折れ曲がり、明後日の方向を弾丸が射抜く。

 

『まだだ……この身が朽ち果てようとも……、モリビト、お前だけは!』

 

 推進剤を全開にした《バーゴイルスカーレット》の最後の猛攻に桃はきつく目を瞑った。

 

 瞬間、《バーゴイルスカーレット》が粉砕する。

 

 目には見えない壁にぶち当たったかのように、機体が粉々に砕け散っていた。《ブルーロンド》隊は恐れを成したのか、手を振るい離脱機動に入る。

 

 逃がさない、と桃が意識の投網を振るいかけてグランマの声が差し込んできた。

 

『桃! 目を覚ましな!』

 

 ハッと我に帰った桃は周囲を人機の部品が渦巻いている事に気づく。同時に、力を使ってしまった悔恨が滲み出てきた。

 

「……また、あの力を使ってしまったのね。弱いモモは……」

 

『計画を捩じ曲げてしまった。でも、まだ間に合う。桃、合流地点に向かえば』

 

 そうだ。まだ引き返せる。桃はパイルダーを《ノエルカルテット》の本体へと合体させた。

 

《ノエルカルテット》の全身の血塊炉が復活している。パイルダーを引き離したのが功を奏したのかどうかは不明だが、今の推進力ならば全開でランデブーポイントに向かう事が可能であった。

 

 青い煌きの推進剤を焚いて《ノエルカルテット》が常闇を抜けていく。何かがあるのだと悟ったのか、《ブルーロンド》がおっとり刀で銃撃を浴びせるが、反り返った《ノエルカルテット》は脚部からミサイルを射出させた。

 

 爆風と炎の壁が《ブルーロンド》を引き剥がす。

 

 その隙に《ノエルカルテット》は合流地点までの距離と時間を概算させた。

 

「あと三分……間に合え!」

 

 両翼のスラスターを開いた《ノエルカルテット》が合流地点に到達する。途端、接近警報が耳朶を打った。

 

 それと同時に開いたのは《ノエルカルテット》への合体要請である。桃は《ノエルカルテット》より合体用のガイドビーコンを出す。

 

 赤い線が幾重にも張り巡らされ、《ノエルカルテット》へと真っ直ぐに向かってくる影を見据えた。

 

 コンテナが青い推進剤の光を棚引かせながら突入してくる。恐らくは無人。《ノエルカルテット》が回収しなければ大気圏で自爆するように設計されているはずだ。

 

《ノエルカルテット》のガイドビーコンの網にかかったコンテナが推力を落とし、そのまま抱かれる形で片道用のスラスターを廃棄させる。

 

「……回収完了。任務は遂行したわ」

 

 六基のコンテナは全て《ノエルカルテット》に回収された。しかし、思わぬ弱点を晒した結果になってしまった。

 

 ブルーガーデンのロンド部隊。逃がしてしまったのが悔やまれる。

 

「……グランマ。やっぱりモモ、逃れられないのかな。どれだけ振る舞っていてもやっぱり、過去からは」

 

『そんな事ないよ、桃』

 

 優しく諭すグランマであったが、自分のこの力を疎ましく感じている者達が封殺のために用意したサポートAIであるという事実は消せないのだ。

 

 ロデムも、ロプロスも、ポセイドンも。全てはこの力を使わせないためのものである。

 

「……第三フェイズへの移行準備は完了した。このまま惑星へと降りる。クロやアヤ姉に伝えないと」

 

 この力の事は、と彷徨わせていた事柄に桃はぎゅっと拳を握る。

 

「グランマ。この力の事は、言わないでいい?」

 

『桃の好きなようにしなさい』

 

 今はまだ、鉄菜にも彩芽にも知って欲しくない。

 

 身勝手な理屈には違いないが、これも自分の意思だ。

 

 ――あの日、モリビトの操主になると決めた日から。ずっと胸に抱いている志なのだ。

 

 虹の裾野を広げる惑星へと、《ノエルカルテット》は静かに降下していった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯49 運命との決別

 過ぎったのは少しの罪悪感であった。

 

 しかし、鉄菜はそれさえも感じさせず、開かずの扉を開錠する。まるで魔法のように鉄菜にかかれば封鎖された屋上も自分達だけの空間であった。

 

「その、鉄菜さん……いいのかな、だって立ち入り禁止だよ?」

 

「さんは要らない。そういうタイプじゃない」

 

 断じた鉄菜の声音の冷たさに、燐華は改めて背筋を凍らせる。

 

「じゃあ、その……鉄菜。屋上で何をするの?」

 

「何をする? ここが一番、見晴らしのいい。邪魔をされずに済む」

 

 手すりにもたれかかった鉄菜に燐華は慌てて声にする。

 

「危ないってば!」

 

「心配要らない。燐華・クサカベ。自衛手段は持っておいたほうがいい」

 

 手渡されたのは矢じり型の鉄片であった。見た限り何の変哲もない鉄くずだ。

 

「えっと、これは……」

 

「いざとなれば相手の首を掻っ切るくらい造作もない」

 

 口にされて燐華は慌てて鉄片を手離す。鉄菜は心底解せないとでも言うように拾い直した。

 

「持っておけばいいものを」

 

「それ……凶器なの?」

 

「自衛手段だ」

 

 やはり鉄菜はどこか浮世離れしている。自分達とはまるで住む世界の違う場所から来た住人のようだ。

 

「その、さ。確かに酷い事はされるけれど、あたし、酷い事をし返すのはもっと嫌……。だって、誰も傷つかないほうがいいに決まっているし」

 

 その言葉に鉄菜は小首を傾げる。

 

「お前が傷ついていてもか?」

 

 それは、とまごつくしかない。自分一人の犠牲でいいのなら、それに越した事はないのだ。だが、割り切れていないのか、自分はそこまで強くはあれない。

 

「あたしは、みんなと仲良くなりたい。友達に、なり直してみたい」

 

「それは無理だ。連中にその気はない」

 

 軽くあしらわれてしまった。燐華はしかし、今までの友情が全て、損得勘定だけのものだったとは思いたくなかった。

 

「だって、そんな自分にとって有益とかそういうのだけで友達だったなんて、その、悲し過ぎるよ……」

 

 鉄菜はしかし特別言い返しもしない。目を白黒させて鉄片を翳す。

 

「何を今さら。人間はそういうものだ。損得だけで動いている。それ以上を求めるのならば、相手にとってリターンのある人間になるしかない。それが人間の共同体というものだ。そんな初歩の初歩を今さら問い質すまでもない」

 

「でも、鉄菜はそうじゃないんでしょう?」

 

 その問いに鉄菜は鉄片を翳しつつ、肩を回した。

 

「私にとって、この制服は窮屈だ」

 

「えっと、サイズ合わない、とか?」

 

「この学園もそうだ。いや、この国家が、か。属するべき場所というものを規定されると人間は窮屈になる。規定されないほうがいいに決まっている」

 

 鉄菜の言葉は燐華には難しかった。しかし、その紫色の瞳がどこか寂しさを湛えているのを、燐華は見逃さなかった。

 

「でも、鉄菜は誰かと一緒にいたいんでしょう?」

 

 その質問に鉄菜は眉根を寄せた。

 

「私が? 誰かと一緒に? ……それはない」

 

「じゃあさ、今あたしといるのは何?」

 

 逡巡の間を置いてから、鉄菜は学園の中庭に視線を逃がした。

 

「気紛れ、という奴だろう」

 

 気紛れでも、自分は鉄菜に救われた。鉄菜もきっと、どこかで他者を求めているのだろう。

 

 だから自分のような人間と一緒にいてくれる。

 

「鉄菜は、優しいね」

 

 笑ってみせた燐華に鉄菜は眉をひそめる。

 

「私が、優しい? その評価は初めてだ」

 

「優しいよ。だって、あたしみたいなのに、何にも偏見ないんだもん」

 

「偏見? 何を持つ必要がある? 燐華・クサカベ。お前は私にとって何でもない。特別でも、ましてや尊敬する対象でも、畏怖するものでも」

 

 それが正しいのかもしれない。友人関係において、尊敬も畏怖も、本質的には必要ないのだ。ただ傍にいたい。きっとそれだけの、ささやかな気持ちで。

 

「あたしは、さ。全部なくしてから気づいちゃった。本当、弱いよね」

 

 自嘲する燐華に鉄菜は真面目ぶった面持ちを向ける。

 

「なくしたのならば取り戻せばいい。簡単な帰結だ」

 

「だから、鉄菜は強いし、優しいんだよ」

 

 その意味が分からないとでもいうように鉄菜は首をひねるばかりである。きっと、彼女は純粋なのだ。

 

 純粋に生きて、純粋に相手の考えを受け流している。

 

 相手が敵意で応じれば敵意で。柔らかな心で応ずれば柔らかな心で。彼女の心には、壁がないのだ。

 

 人と人を隔てる壁。心の隙間。誰もが併せ持つ、他者と自分は「違う」という明確な線引き。

 

 鉄菜はそれが極めて薄い。

 

「違う」から生きているのではない。線を引いて相手と自分の個別の領域で戦っている人間とは別種に思えた。

 

「鉄菜は、どこのコミューンで育ったの? ゾル国じゃ、ないんだよね?」

 

 その言葉に鉄菜は一瞬だけ返答に困ったようであったが、すぐに用意されたかのように応じていた。

 

「C連合の辺境地だ」

 

「大変だったでしょ? だってゾル国とC連合は戦争してるし」

 

「冷戦だろう。実際にミサイルが落とされるわけではない」

 

「でも、みんなぴりぴりしてる。だからかな。どこかに落としどころを見つけたいっていうのは」

 

 それが英雄の血筋でも構わない。民意の落としどころを探りかねて、跳ね返ってきたのがこの境遇だというのならばそれも致し方ないのかもしれない。

 

「分からないな。私には、落としどころとしてお前を選ぶのは筋違いに思える」

 

 燐華は手すりにもたれる鉄菜に肩を並べさせた。鉄菜はコミューンの天井をじっと眺めている。紫色の瞳にはこの世界はどう映っているのだろう。自分とは違う、何か別のものを見据えているような気がした。

 

「……ねぇ、鉄菜。憎めばいいのかな?」

 

 その問いに鉄菜は視線だけを向け直した。

 

「誰を恨む?」

 

「分かんない。クラスのみんなかもしれないし、このゾル国そのものかもしれないし、そもそもこういうきっかけを作った原因かもしれない。ブルブラッドキャリアだったっけ。その人達を、憎めれば、楽なのかな」

 

「憎めないのか?」

 

 燐華は頭を振った。

 

「だってそんなの八つ当たりみたいなものじゃない。にいにい様は戦っている。戦って、こんな不条理よりもきっと、もっと酷い場所にいるに違いないのに、あたしだけ音を上げられないよ」

 

「軍人のそれと学生のそれは違う」

 

「でも、にいにい様にあたしは甘えてきた。そのツケ、なんだと思う」

 

「ツケ、か。考えるのは勝手だが、追い込んでも何も始まらない。それこそいたちごっこだ。燐華・クサカベ。兄に責任を押し付けるのが自分の中で納得出来ないのなら、せめて逃げ場所だけは心得ておけ。そのためのものだ」

 

 差し出されたのは先ほどの鉄片であった。今度は素直にそれを受け取る。鉄菜もきっと心配してこれを手渡してくれている。自分の身を守れるのは最後の最後は自分だけなのだ。

 

「逃げ場所、か。……あたしの逃げ場所ってどこなんだろ」

 

「それは多分……」

 

 発しかけた言葉を鉄菜は飲み込んだ。屋上の扉が開く音が聞こえたからである。即座に構えた鉄菜の身のこなしに燐華は息を呑む。まるで兵士のそれだ。鉄片をいつでも投擲可能な状態に構えてみせた鉄菜の視線の先にいたのは、慌てて手を上げるヒイラギだった。

 

「びっ、くりするなぁ、もう……」

 

「保険医か」

 

 鉄菜が敵意を仕舞う。ヒイラギは眼鏡のブリッジを上げて言いやった。

 

「屋上は立ち入り禁止」

 

「すいません、あたしが無理言って……」

 

「いや、まぁ、一言くらい言っておかないと教師っぽくないから言っただけだ。別にいいんじゃないかな。屋上、僕もよく学生時代にぼっち飯を食った」

 

 柔らかく微笑んだヒイラギに鉄菜は刺々しい言い回しを用いる。

 

「何の用だ。保健室が縄張りじゃなかったのか」

 

「書類仕事が一段落ついてね。君らがなかなか来ないからちょっと心配で出払っていただけだ。いつも保健室の常連なのがいないと調子が狂う」

 

 後頭部を掻いたヒイラギは鉄菜の視線の先を追った。

 

 紺碧の大気が流れる空で風が滞留している。

 

「青い空があまり好きではない?」

 

「別に。ただ、コミューンは随分と住みやすく出来ているようだ、と思っただけだ」

 

「ゾル国は特に、かもね。浄化設備が他のコミューンに比べて発達しているから、コミューンの中ではマスク要らずだし。C連合やブルーガーデンではマスク着用を義務付ける区画もあるらしい」

 

 博識なヒイラギに鉄菜は一顧だにしない。

 

「外の世界を知らないで生きているのか。皆が」

 

「そりゃ、そうじゃないかな。今時、軍人でもノーマルスーツとマスクは着用だろうと思う。紺碧の大気汚染に怯えて暮らすのは、もうないんだ」

 

 それほどまでに平和が約束された世界。その甘受する平和の中でどうしても受け入れられない現実もある。

 

「先生、やっぱりその……逃げてばっかりでも、よくないと思うんです」

 

「うん? しかし、今は国家全体が英雄を貶めにかかっている。今動くのは得策ではない」

 

「でも! 鉄菜はそうじゃないって言ってくれました! あたしでも、何かが出来るんじゃないかって……」

 

 当の鉄菜本人はそのような大それた事を言ったつもりがないのか、手すりにもたれて上空を見つめている。何か言葉が欲しいのに、鉄菜は何も言ってくれない。

 

 否、わざとなのか。

 

 自分の口から状況を打開する言葉が出るのを待っているのか。

 

 ならば、と燐華が勇気を振り絞ろうとした瞬間、鉄菜が怪訝そうに口にした。

 

「……何だ、あれは」

 

 鉄菜の視線の先には飛行機雲を棚引かせる小さな黒点があった。仰ぎ見たヒイラギが声にする。

 

「人機、か?」

 

「人機にしてはあまりに低くを飛んでいる。ゾル国の条約に違反する高度だ」

 

「そう言われてみれば……でも巡回警護のバーゴイルなら」

 

 青い推進剤を引いて黒点が制動する。立ち止まった黒点が何をするつもりなのか、燐華にはまるで分からなかったが、直後に鉄菜は目を見張った。

 

「伏せろ!」

 

 途端、鼓膜を割るような炸裂音が無数に連鎖する。

 

 爆砕の赤い光が壁のように乱立し、コミューンの天井に大きな風穴を開けた。

 

 浄化大気と紺碧の汚染大気が入り混じり、空気そのものが変色していく。

 

 燐華の身体を咄嗟に庇った形の鉄菜は黒点を睨み据えていた。まるで戦うべき敵のように。

 

「鉄菜……? あたし、どうなって……」

 

「教員。マスクと浄化装置を。コミューンに風穴が開いた」

 

 命令する口調の鉄菜にヒイラギが言い返す。

 

「でも、コミューン外壁は自動修復機能が……」

 

 しかし、その自動修復がいつまで経っても行われないのである。コミューンの風穴から黒点がゆっくりと降下してきた。

 

 それを目にして鉄菜は驚愕に戦慄いた。

 

「……《バーゴイル》だと?」

 

「《バーゴイル》……? ゾル国の機体なんじゃ……」

 

 言葉を発しようとした燐華に、鉄菜は携帯用の酸素供給器を手渡した。

 

「十分程度はこれで持つ。燐華・クサカベ。あれの狙いは恐らくこのコミューンの破壊工作だ」

 

 あまりにも現実から遊離した発言のせいか、燐華は聞き返していた。

 

「破壊工作? それってどういう……」

 

「話は後だ。……いや、もう話をする機会もないかもしれないがな」

 

 鉄菜は手すりに踊り上がり、眼下に地面を捉えた。

 

「鉄菜? 何やってるの! 危ないよ!」

 

「燐華・クサカベ。私がお前に言える事は少ない。ただ、一つだけ助言するのならば。――運命に抗え。お前を篭絡しようとする運命そのものに、反抗の凱歌を奏で続けろ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯50 飢えた獣

 一足飛びで鉄菜が飛び降りる。燐華が後を追おうとしてヒイラギの手に遮られた。

 

「駄目だ!」

 

「でも! 鉄菜!」

 

「大気汚染レベルはまだ警戒以下だが、すぐに危険域になる。シェルターに避難するしか……」

 

 ヒイラギの声を他所に燐華はその手を振り解いた。直下の地面に、鉄菜の姿はなかった。

 

 まるで一時の幻のように、鉄菜の痕跡は跡形もなく消え去っていた。残っているのは、手渡された鉄片のみ。

 

 ヒイラギが燐華の肩に手を置く。

 

「……行こう。ひょっとしたら、彼女は別の避難ルートを知っていたのかも」

 

 希望的観測が混じっているが、燐華はその言葉を信じる事にした。

 

 胸の中で誓いを立てる。

 

 ――鉄菜。また会えたのなら。今度こそ友達になろう。

 

 鉄片をぎゅっと握り締める。この時、燐華は鉄片に刻まれた刻印が淡く光ったのに気づく事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 繋いだ先は彩芽のオフィスだ。ちょうど午後の休憩時間だったのか、彩芽の声は落ち着いている。

 

『どうしたの、鉄菜。貴女からかけてくるなんて珍しい』

 

「緊急事態だ。ゾル国のコミューンに《バーゴイル》一機が侵入した。高威力武装でコミューン外壁を破壊。さらに自動修復を遅らせている。間違いなくこれは、――テロ行為だ」

 

 その言葉に彩芽はすぐさま端末を立ち上げ、情報網を広げる。

 

『……ルイからももたらされていない、っていう事は最新の情報ね。鉄菜、わたくしの距離からじゃどう足掻いても間に合わない。三号機は第三フェイズ実効のために宇宙に出ている。この状況下で動けるのは……』

 

 歯噛みする。自分以外、止められる人員がいない。鉄菜は学園の裏手にある湖へと辿り着いていた。

 

 アルファーを翳し、神経が額で弾けるイメージを描く。

 

 すると水を逆巻かせて銀翼の人機が出現した。《シルヴァリンク》が展開した翼で鉄菜を覆う。やるべき事を問い質すかのように。

 

 鉄菜は頷いてコックピットブロックへと飛び乗った。

 

 全天候周モニターにステータスを映し出し、次いで敵性人機との距離を概算させる。

 

「随分と遠く離れたな……速度重視の《バーゴイル》らしい手口だ。ヒットアンドアウェイ戦法で離脱軌道に入る。……だが、逃がしはしない。《モリビトシルヴァリンク》、鉄菜・ノヴァリス、出る!」

 

 胴体が百八十度回転し、左腕の盾が機首を形成した。バード形態への変形を遂げた《シルヴァリンク》が風の皮膜をぶち破って一挙に敵性人機の帰投コースをなぞる。

 

 敵性人機の射程に入る前に牽制用のバルカンで相手の注意を引いた。思った通り、振り向いた相手は隙だらけである。

 

「……墜とせる」

 

 口中の呟きと共に《シルヴァリンク》が変形を果たす。盾の裏側からRソードを引き出した《シルヴァリンク》はそのままの勢いを殺さずに《バーゴイル》へと猪突した。

 

 確実に両断した、と感じ取った瞬間、《バーゴイル》の肩口に装備されている反り返った刃が通常のマニピュレーターと交代する形で展開される。

 

 両腕に大型の実体武装を装備した《バーゴイル》の剣筋がこちらの刃とぶつかり合った。リバウンド兵器が勝利するかに思われたが、敵の刃には特殊な加工が施されているようでRソードとの干渉波が激しくスパークする。

 

 そんな最中、《バーゴイル》の足が踊り上がった。

 

《シルヴァリンク》を叩き据えたのはまさかの足である。

 

「モリビトを……蹴った?」

 

 至近距離では無双を誇る《シルヴァリンク》に蹴りなどという弱点だらけの動きをしてくる。その脚部を掴み取ろうとして、上段から押し寄せてきたプレッシャーに飛び退る。

 

 ハサミのような大鎌が《シルヴァリンク》の首を刈らんと疾走したのである。

 

 間一髪、もし反応が遅れれば――、と鉄菜は脈動が速くなるのを感じた。

 

 ただの《バーゴイル》にしては出来過ぎている。機体照合をかける前に、通信回線が開けた。

 

『おいおい、世界を敵に回したって言っていたからどんなもんかと思えば。どうやら操主の熟練度は低いみたいだな、ルーキーよォ!』

 

 男の哄笑であった。鉄菜は《シルヴァリンク》にRソードを構え直させる。

 

 合成音声を張るべきか、と思案している間にも、相手は割り込んでくる。

 

 蒼い《バーゴイル》が太刀を振るい落とし《シルヴァリンク》へと間断のない剣筋を刻み込む。近接戦闘用の武装を持つ《シルヴァリンク》に対して実体武装での動き。さらに言えば、全くと言っていいほど恐怖心のない挙動は鉄菜には理解出来なかった。

 

 エースと銘打たれた者達を少しばかり見てきたが、彼らとて警戒心と恐れを抱いていた。その先に勝機を見出すために針の穴ほどの隙を凝視しているのである。

 

 だが、眼前の敵にはそのような集中力も、忍耐も、あるいは高尚な思考でさえも感じられない。

 

 あるのは野獣のようにこちらへと食らいつく執念。

 

 獣を相手取るのに鉄菜は手馴れていない。Rソードが防御の陣形を取った。《バーゴイル》の刃など簡単に押し返せるのに、今は鍔迫り合いを繰り広げている。

 

『弱ぇッ!』

 

 弾き返した《バーゴイル》に応じて鉄菜は機体を後退させていた。銀翼を翻し、Rソードで反撃しようとするもその時にはしっかりこちらの射程を読んでいた敵機は距離を取っていた。

 

『んな、デケェ得物で刈れると思ってんのか、マヌケ! にしても、意外だな。いや、連中分かっていてけしかけたか? 襲撃コミューンに噂のモリビト様がいるなんてよォ!』

 

 照合結果が弾き出される。その機体名に鉄菜は目を戦慄かせた。

 

「嘘、だろう……モリビト……」

 

 敵機体は明らかに《バーゴイル》だというのに。機体照合名は世界で共通規格となった識別不能人機――即ち現時点でのモリビトを示していた。

 

 しかし、その照合結果は瞬時に切り替わる。一秒と待たず結果が反転していた。

 

《バーゴイル》のカスタム機体の名称が現れる。先ほどの照合結果は誤認だったのか、とジロウに目線で問い質すが、ジロウは頭を振る。

 

『違うマジ、鉄菜。確かに今、あの人機はモリビトの照合を纏っていたマジ』

 

「だとしたらどうして……そこの人機、どうしてモリビトの名前を名乗れる!」

 

 覚えず昂ってしまった鉄菜の声音に相手が胡乱そうな声を返す。

 

『あん? 女の声だと?』

 

 しまった。合成音声にするのを忘れていた。改めて問い質そうとすると《バーゴイル》が跳ね上がった。

 

 刃が振るわれRソードと打ち合う。

 

『そうか! 笑えて来るぜ! 世界の敵は女だったか!』

 

 哄笑を上げる敵の操主に鉄菜は冷静さを取り戻しつつ、言葉を返す。

 

「問う。どうしてモリビトの名称を使っていた?」

 

『今さらかしこまっても無駄だぜ! にしても、年端もいかねぇ、ガキの声だったな、今の。案外、モリビトってのにはまだ男も知らねぇガキが乗り込んでいるのか?』

 

 鉄菜はRソードを振り抜かせた。《バーゴイル》の刃と重なり干渉波に空間が震える。

 

『そうキレんなよ、女。いや、まだガキか。だが、ガキでも関係ねぇ! 女にはみんな、ぶち込んじまえばいいだけの話だからナァ!』

 

 敵の《バーゴイル》のアイカメラがぎらついたのが窺えたような気がした。まさしく獣のように猛った《バーゴイル》が刃を《シルヴァリンク》に叩きつけてくる。

 

「……何の目的でコミューンを襲った? コミューンに対するテロは重罪のはずだ」

 

『知ってんよぉ! てめぇなんかより何年も生きてんだからよ! いいか? 今のは火種作りだ。コミューン一つに風穴開ける。それ一つだけじゃ、大した事はねぇかもな。でも、それがモリビトだったどうなる?』

 

 その言葉に鉄菜はハッとする。恐れが這い登ってきて操縦桿を握る手に力が篭った。

 

「……ブルブラッドキャリア全体への敵愾心の増長……。お前は、何だ? 何のために、そのような事を」

 

 何もしなくともブルブラッドキャリアは敵視されている。それを憎悪で水増しするような事を相手はやってのけたのだ。

 

『何のため? んなの、決まってらぁ。戦争をするためだよ』

 

「戦争、だと……」

 

 敵の《バーゴイル》が刃を突きつける。蒼い《バーゴイル》は敵意の眼差しを伴わせて《シルヴァリンク》を睨んだ。

 

『小さい戦争じゃ、ちょうど感じなくなってきたところだったんだ。感謝してるぜ、連中にはよォ! ……ただまぁ、命でツケを払わされるってのは、いまいち面白くはなかったがな』

 

 眼前の敵は何者なのだ。戦争など、誰も望んではいないはずなのに。

 

 水面下では、確かにゾル国とC連合は敵対している。ブルーガーデンの事も面白いとは思っていないだろう。その発端になりかけたのがオラクルの独立だ。今、その火種も収まるべきところに収まった、と考えていた矢先だったというのに。

 

 このような事をゾル国のコミューンで仕出かしたのがモリビトとなれば、モリビトは対象を選ばないテロリストとされてしまう。

 

 無差別テロなど一番に望んではいない。

 

「……お前は、ブルブラッドキャリアの思想を、足蹴にしようというのか」

 

『そこまで考えちゃいないさ。オレは戦争屋だからな』

 

「戦争屋……傭兵の事か」

 

『どうとでも言い換えりゃいい。ようは、てめぇらみたいなのがいい食い扶持になるって話だ。まさかモリビトの識別信号を使ったら本物が釣れるなんて思っちゃいなかったがな!』

 

 狂ったように嗤う敵操主に鉄菜は胸の内に何かが燻っていくのを感じ取っていた。

 

 今まで感じた何物とも違う。形容出来ないが、今、この場で相手を斬らなければ収まらない感情であった。

 

「……許さない」

 

『ああ? 何だって?』

 

「私は、お前を許さない」

 

 相手を許容出来ない、という感情が黒々とした墨になって鉄菜の思考を満たしていく。

 

 殺意、敵意がない混ぜになった脳裏で導き出したのはシンプルな答えだ。

 

 ――私はお前を殺したい。

 

 Rソードを発振させ、《シルヴァリンク》の眼窩に鉄菜の感情が灯る。銀翼を拡張させた《シルヴァリンク》の動きは通常の《バーゴイル》では追えるはずもないほどの速度であった。

 

 だが、敵の《バーゴイル》は容易くその剣先を跳び越えていく。まるで数秒前からその動きが見えていたかのようであった。

 

「弾道予測か?」

 

『バカが! んなもん、使うまでもねぇ! 気づいてねぇのか? てめぇの動き、スカスカだ。手に取るように分かるぜ。死にかけの傷病兵が必死に足掻いて最後に引き金を引く動きと同じだ。見え見えなのに、本人はマジに必死なヤツだ! つまるところ、てめぇ、その青いモリビトを使いこなせてねぇのよ!』

 

《シルヴァリンク》の胸元を《バーゴイル》の脚部が叩き据える。またしても蹴り。そのようなもの、避ければいいだけのはずなのに、敵の動きについていけない。ただの《バーゴイル》の動きにしてはあまりにキレがある。

 

 機体照合のデータベース参照の間にも状況が動いた。

 

《シルヴァリンク》を上昇させ、Rソードで両断しようとするのを敵の《バーゴイル》は刃をハサミのように交差させて防御する。

 

 実体剣の強度など、とRソードの出力を上げようとしたところで、敵機体が跳ね上がる。交差した点を始点として、軽業のように《シルヴァリンク》を跳び越えてみせたのである。

 

 背面を取られる前に薙ぎ払う、とRソードで横滑りさせようとするが、敵人機はこちらの射線に入ってこない。

 

 さらに高高度を取り、両肩に装備されたパイルバンカーを射出した。

 

 パイルバンカーのワイヤーが《シルヴァリンク》の盾に纏いつく。

 

 瞬間、青い電流がのたうった。鉄菜は咄嗟にリバウンドの盾を使用する。

 

 跳ね返された電流が青く輝き、大気を焼き切った。もし直に受け止めていれば片腕くらいは持っていかれただろう。あるいはコックピットに多大なダメージを負っていたか。

 

 敵の正体も掴めないのに、相手が実力者である事だけは身体が理解している。戦闘に昂った精神が敵人機の性能を精査していた。

 

「脅威判定……Aプラス」

 

 ここに来て初めての判定であった。脅威判定Aなど滅多に使わない。この惑星では使う事などないかもしれないとさえ思っていた。

 

 敵の操主はふんと鼻を鳴らす。

 

『何だ? そうやって敵の強さをはかってるのか? 随分と、まぁ』

 

 操主がほくそ笑んだのが伝わった。鉄菜は身構える。

 

「何が、可笑しい?」

 

『そりゃあ、おかしいさ。だってよぉ、そのやり方、そっくりだ。オレが敵に対してやるのとよ。敵のランクがどれくらいで、こいつがどれほどの価値を持っているのかっていうのはな、戦争屋稼業にピッタリの頭なんだよ。ガキかと思いきや、何だ、オレと同じにおいがするぜ』

 

 ――戦争屋と同じ。その言葉に鉄菜は考えるより先に行動していた。

 

 白熱化した思考で鉄菜はRソードを突き上げさせ、銀翼を展開する。纏いついた黄昏色のエネルギーフィールドが殺気を滾らせた。

 

「取り消せ……今の言葉」

 

『キレんなよ。褒めてるんだぜ? 状況判断の出来る、いい操主だってな』

 

「取り消せと言っている!」

 

 番えた力場が矢のように軋み、直後に一点に放たれた。

 

「――唸れ! 銀翼の、アンシーリーコート!」

 

 一点突破の勢いを伴わせた斬撃に敵の《バーゴイル》が咄嗟の判断だったのか、刃の腕を突き出す。

 

 接触した直後には、その腕を根元からパージしていた。

 

 極限の熱によって溶断された漆黒の刃が分解され、雲散霧消する。

 

 アンシーリーコートをかわされた、という悔恨よりもなお深く鉄菜の胸に残ったのは、打ち漏らした、という屈辱であった。 

 

 殺すつもりで放った一撃を前に、戦争屋を自称する男は笑い声を上げる。

 

『……今のはビビッたぜ。ちょっぴしな。なるほどねぇ、こういう妙な兵器がついているから、各国のお偉いさん方はモリビトを敵視してんのか』

 

 両腕を失った《バーゴイル》はさらに高空を目指して飛翔する。

 

 腕を失った分重量が減ったためだろう。敵の上昇速度に《シルヴァリンク》はついていけなかった。アンシーリーコートを放ったためか、今の《シルヴァリンク》の出力ではどう足掻いても《バーゴイル》に追いつけない。

 

 敵も分かっているのか、これ以上深追いするなどという馬鹿な真似はしなかった。

 

『今は、逃げに徹しさせてもらう。ただ、また会う事があるかもなぁ、モリビトの嬢ちゃん。その時は可愛がってやるよ』

 

「待て! 逃げるな、戦え!」

 

 そのような安い挑発が届く相手でもない。《バーゴイル》は高高度に位置してすぐさま飛び去ってしまった。

 

 追う手立てはない。バード形態に変形しても《バーゴイル》の足には追いつけないだろう。

 

 鉄菜は操縦桿を拳で叩きつけた。

 

 自らの矜持が汚れたからだけではない。自分だけではなく、ブルブラッドキャリア全員が貶められたような感覚に陥ったからだ。

 

『鉄菜……、追わないのは正解マジ。あれにはまだ隠し玉があるマジよ。その余裕を感じるマジ。それと、機体照合データを』

 

 モニターに表示された機体名は何重にも偽装されていたが、ようやく割り出せたらしい。途中、桃の《ノエルカルテット》も中継したお陰で電子戦では辛勝を収めた結果だ。

 

「《バーゴイルシザー》……」

 

『操主名までは不明マジね。今の声紋データを取っておくマジから、桃・リップバーンの三号機に繋いで調べてもらうマジか?』

 

「頼む」

 

 その言葉にジロウは嘆息のようなものを漏らした。

 

『……あまりのめり込む相手じゃないマジよ。鉄菜の最終目的からしてみれば、一番の遠回りのような相手マジ。傭兵なんて』

 

「でも、私は奴を取り逃がした私を、多分一番に許せない」

 

 ここでの敗北は自分にとって大きな痛手だ。一度でもモリビトの名前を取った相手に黒星など。

 

『気にする事じゃないマジ。戦争屋のやり口マジよ。ああやって言葉巧みに人を操って、そうやって自壊させる。それが目的の、短絡的な挑発マジ。受け取るだけ無駄マジ』

 

「分かっている。頭では」

 

 怜悧な思考ではあのような相手、手に取るだけ無駄なのは理解している。だが、心の奥底ががなり立てて、蹴り上げているのだ。

 

 ――あいつを許すな。絶対に殺せ、と。

 

 今は、心の声に従う事にした。相手を目にして直感的に浮かんだ感情は大切にしろと教えられた事がある。

 

 教えてくれた人の名前は、相変わらず思い出せなかったが。

 

『《シルヴァリンク》の損壊自体は軽微マジ。あのコミューンに戻るマジか?』

 

「いや、モリビトを目撃された可能性がある。戻るのは得策ではない」

 

『でも、鉄菜は、あの女の子に随分と執心していたマジ』

 

「……彩芽・サギサカや桃・リップバーンの事を言うようになったのか? 私は燐華・クサカベに何の感慨も抱いていない。あの少女が生きようと死のうと勝手な事だ」

 

 燐華がどのように生きても彼女の自由だ。ただ、あまりに選択肢が少ない生き方をしていたから選択肢を増やしてやったまでの事。

 

 ただの気紛れだろう。これまでも、これからも。

 

 自分という設計された存在に「気紛れ」という概念が存在した事自体が驚きであったが、それも人間らしさを追及するために必要な要素だったのだろう。

 

 自分という単なる組織のパーツに、気紛れを要求した人間のせいだ。そのせいで、引っ込みのつかない感情ばかり溢れてくる。

 

 燐華をどうしたいのかなど自分には関係ないではないか。彼女の生き方は彼女だけのものだ。

 

 そう断じかけて、手渡したアルファーの欠片を思い返す。

 

 あの少女に力などない。だがアルファー一個で変えられるものもあるのかもしれない。

 

『そうマジかぁ? 鉄菜、何だかんだでお人好しだからマジ』

 

「うるさい。目的以上の会話は許していないぞ」

 

『分かっているマジよ。機械相手に喧嘩なんて馬鹿らしいマジ』

 

 軽くあしらったジロウに言い返す前に、鉄菜は《シルヴァリンク》を反転させた。衛星軌道からでも撮影されれば面倒だ。今は身を隠すほかない。

 

「また、私は倒し切れなかったんだな」

 

『敵はエース級マジ。そう何度も倒させてはくれないマジよ』

 

「でも、私の役目なんて《シルヴァリンク》に乗って、戦うだけなのに」

 

 面を伏せた鉄菜にジロウが嘆息を漏らす。

 

『……燐華の言っていた事みたいに、ただの女の子に、成りたかったマジか?』

 

 ハッとして鉄菜はジロウの背中を見やる。丸まったアルマジロの背筋が今はどこか遠く映る。

 

「何を言って……私はブルブラッドキャリアだ。モリビトの操主なんだ。だから……あの世界では生きていけない」

 

『人類がコミューンという殻に篭らなければ生きていけないのと同じマジね』

 

「どういう……」

 

『知らないマジ。自分で考えればいいマジよ』

 

 その素っ気ない返答に鉄菜は面食らった。システムAIにそこまでの性能は求めていないはずである。いや、それより以前に――。

 

 自分は、自分で考えた事など、今まであったのか、と問い返していた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯51 C連合の憂鬱

「あーもう、システムチェック、かったる過ぎ」

 

 隣にいた同世代のOLのぼやきに、彩芽は、そう? と切り返していた。

 

「わたくしからしてみれば、とても魅力的な職場に映るけれど」

 

 彩芽は返しつつもキーから指を浮かさない。システムを念入りにチェックし、何重にもあるデバック作業を深夜までこなすのがこの会社の業務内容であった。

 

 この時代においても人間は人間として働かざるを得ない。どこまで技術が進歩しても、やはり最後の手はずは人間が行うものだ。

 

「サギサカさん、大人過ぎ。あたしと同年代のはずでしょ?」

 

「そうかもね。でも中途採用だから」

 

「そんな、気にしなくっていいよぉ。あたしなんて新卒で取ってもらったけれど、ここ、いい話聞かないよ。第一部門の仕事だけでも振り分け制度にしているだけ、まだ他社よりマシって言われるけれどさ。C連合のお膝元の会社だからってうかうかしてられないかも、って感じだし」

 

「潰れる噂でも立ってるの?」

 

 その言葉に彼女は声を潜めた。

 

「……あんまり言い触らさないでね? ここが潰れなくっても国がって話。オラクルの軍事蜂起、知ってるでしょ?」

 

 オラクルの独立は自分達ブルブラッドキャリアからしてみても意想外の出来事であった。彩芽は先を促す。

 

「それが、どうか?」

 

「あれで結構、軍部のほうのお偉いさんがさ、たまに視察に来るんだって」

 

「スパイ狩りでもしているつもり?」

 

「かもね。でも、スパイなんていやしないって。いつの時代よ、それ。こんな木っ端仕事にスパイに来ている人間なんていたら、それこそ映画だって」

 

 快活に笑う彼女に彩芽は苦笑を返した。まさしく自分がそのいつの時代か分からぬ事をしている、などとは言えない。

 

「でも軍部の視察って気になるわね」

 

「軍人なんてさ、みんな似たようなもんだよ?」

 

「付きあった事、あるの?」

 

「昔ね。でもどこもかしこも、みぃーんな、筋肉馬鹿か、あるいは金だけ落としてくれるATMって感じ。頭使わない職業だからね。あたしらみたいな万年脳内で熱暴走起こしている人間とは水が合わないってのかな。頭のいい女が嫌いなんだってさ」

 

 分からないでもないな、と彩芽は感じつつ、その話題に乗っかる。

 

「メルはどういう男が好みなわけ?」

 

「あたし? あたしはこの仕事に理解持ってくれていればそれだけで充分、って言えれば気が楽なんだけれどなぁ。実際はお金とご相談」

 

「財布の紐が緩い男じゃね」

 

「将来心配になっちゃうしねぇ。サギサカさんはさ、どういうのが好み?」

 

「わたくし? わたくしは、その……」

 

 言い澱んだ彩芽にメルが指を突きつける。

 

「思っていたけれどさ。何でわたし、じゃなくってわたくし、なの? 言いづらいし、面接じゃないだからもっと気楽に行こうよ」

 

 確かに少し堅苦しいかもしれない。彩芽は、でもと胸元に手をやった。

 

「昔、ね。こうやって喋ってくれる人がいたの。その人にとても……依存していたって言えばいいのかな。その人が近くにいたらな、って思っちゃうとつい」

 

「クセって事か。お姉さんか何か?」

 

「みたいなものかな。わたくし……じゃなくって」

 

「いーよ、わたくしでも。ただ高慢ちきなお姉様みたいな喋り方だよね」

 

 ウインクしたメルに彩芽は微笑みかけた。

 

「そうね……あの人は本当に、わたくしからしてみてもお姉様だったから」

 

 思い返した横顔が言葉を紡ぎ出す。その最後の横顔と同時に内奥でちらついたのは拳銃であった。

 

 重く淀んだ空気の中で銃の発した炎だけが鮮明に記憶されている。

 

 灰色の景色の中で一点だけの彩りが、人の死を予見させる火の色。思い出すのはいつもその瞬間だ。

 

 その時、何も出来なかった己自身の罪だ。

 

「サギサカさん? なに? あたし、地雷踏んだ?」

 

「いや、そんな事」

 

「そう? すっごい嫌な事を無理やり思い出してるみたいな顔してたよ?」

 

 そうなのだろうか。他人からしてみれば、あれは忌むべき記憶なのだろうか。自分からしてみれば、あれほどに感情が色を伴った刹那を知らない。

 

 あの時初めて、生きている事を自覚出来た気がする。

 

 そうでなければ今頃は鉄菜と同じように任務に忠実なだけの操主に成り果てていたかもしれない。

 

 鉄菜の事を、ただ単に貶める事は出来ない。

 

「わたくし……その思い出に固執しているのかも」

 

「男の記憶なんてぱっぱと忘れちゃうのが一番! どーでもいいけれどさ、システムチェック超めんどい上に肩凝るよね」

 

 肩を回してみせたメルには同意見だ。

 

「四十肩になるかも」

 

「えーっ、まだ全然二十代なのにー!」

 

 歯軋りしたメルは眠気を剥がすためにか黒いガムを噛んだ。彼女のデスクにはガムと愛犬の写真がいつでも常備されている。

 

「犬、って飼うのに条例出てるよね?」

 

 その話題にメルは目を輝かせた。

 

「うちの子はすっごい可愛いんだよ! もうねー飼うのに必要だった手続きとか一瞬で忘れられちゃう!」

 

「えっと……犬種は」

 

「ゴールデンレトリバー。昔はたくさんいたらしいんだけれど、今は役所で二重三重に経歴を確認させられるほどの希少種」

 

 黄金の毛並みを持つ大型犬にメルは寄りかかっていた。一緒にまどろんでいる写真もある。

 

「大変じゃない? だって生き物なんて」

 

「そっ、大変だよ? でも、この子の笑顔見たらさ、疲れなんて吹っ飛ぶんだから!」

 

 メルご自慢の愛犬はカメラに向かって舌を出している。犬、という生命体の存在を惑星に降りるまで実感出来ていなかった。存在するのは知っていたがまさか飼えるなど。しかも一介のOLが世話まで出来るなど及びもつかない。

 

「わたくしには、考えつかない世界だわ」

 

「まぁ、確かに手続きは面倒だよ? 今の世の中、人間は人間だけで生きていくのに精一杯。でも、ゴールデンレトリバーの生態管理、だっけ? その資格さえ取っちゃえば、この子をいくらでも可愛がれちゃう! もう、最高だよね!」

 

 現在、犬や猫などの愛玩動物を飼う場合、その飼い主に育成資格があるかどうかが厳正な基準の下、審査されている。

 

 その審査に合格した人間だけが飼えるのだ。いわば一種のステータスである。特権層のみのものだと思い込んでいたが、案外に技術も理解もきっちり降りているらしい。

 

「かわいい、のかな」

 

「飼った事ないから分かんないかな? でも、何ていうのかな、男といるのとは違ってさ、別の生き物といるのって何か新鮮なんだよね。自分にないものを満たしてくれる感じがして」

 

 自分にないもの。彩芽はその言葉の意味を咀嚼した。他者の存在が自分にない感情や行動を誘発させる。それは人間の生まれ持った性なのかもしれない。

 

「その子、なんて名前?」

 

「リチャード、っていうの。イケメンでしょ?」

 

「だね。そこいらの男より全然」

 

「そっ、ワンちゃんのほうがイケメンだわ」

 

 笑みを交し合って二人は仕事に戻った。そろそろ巡回している上司が仕事の進行度合いをチェックしに来るのだ。

 

「でもさ、サギサカさんもモテそうなのに、男作んないの?」

 

「んー、今はそんな気分じゃないかな」

 

「案外に軍人とか好み? 合コン、セッティングするよ?」

 

「遠慮しとく」

 

 彩芽は微笑んでその話題をいなした。

 

「でもさ、C連合と言えばあの人じゃん。銀狼の」

 

「リックベイ・サカグチ、か……」

 

 鉄菜がデータで見せてくれた相手だ。あの居合いと肝の据わり方は並大抵ではない。相手取るとすれば相当厄介だろう、と彩芽は判じていたが、メルの考えていた事とは違ったらしい。

 

「あの人真面目っぽいんだけれど、なにぶん、融通利かなさそうだよね。何ていうの、真面目系馬鹿っていうのかな」

 

 どうやら恋愛対象としてみているようだ。敵対対象として見ていた自分との差に、彩芽は失笑する。

 

「会った事あるの?」

 

「ないって。ないない。だってC連合のエースじゃん。会えるわけないよ」

 

 自分は戦場で会った、などと言えば信じるだろうか。少しばかり過ぎった考えに我ながら意地が悪いな、と感じる。

 

「でもC連合が思ったよりも軍部がオープンなのはびっくりしたわ。もっと秘密主義なのかと思った」

 

「あー、それ思う人多いって言うね。ゾル国だっけ?」

 

 彩芽は首肯してから用意していた言葉を継ぐ。

 

「ゾル国は秘密主義に近いから」

 

「敵対国家でも同じ、って思っちゃうよねぇ。でも案外、C連合の男ってこうやって下々に降りてくるのよ。まぁそれだけほいほい付いてきちゃう、チョロい男が多いってのもあるけれど、何よりも規模が、ね」

 

「ゾル国の三倍だっけ?」

 

「国土面積も違うし、あの国との接点もね」

 

 このC連合で言う「あの国」、というのはブルーガーデンである。国土で接点を持っており、輸出入に関しても強く噛んでいる。

 

「やっぱり血塊炉の輸出入が大きいのかしらね」

 

「多分。あたしには血塊炉云々は全然だけれど」

 

 あまり知識をひけらかすとぼろを出しかねない。彩芽は言葉振りをただのOLに留めた。

 

「でもあの国が最近、怪しいってネットで聞くよ」

 

「あー、それね。散々ネットニュースで叩かれてたよね。国土として接しているだけでビジネス以上の関係がないってお上は言っているけれど、それも嘘っぽいよね。だってビジネスであの国の食料まで用意する? それってやっぱり見返りを求めてるって事じゃん」

 

「それをビジネスって言うんじゃないの?」

 

 怪訝そうな声にメルは頭を振った。

 

「男に金と自由だけ与えて、自分は二番三番でいいわよ、なんて言えないでしょ? それと同じ。どっかで女々しいのよ、この国も」

 

「そんなものかしらね」

 

 呟いていると背後に気配を感じ取る。背の低い上司がそっと画面を覗き込んできていた。彩芽にはその接近が分かっていたのだがメルには分からなかったらしい。その耳元へと声が吹き込まれる。

 

「調子、どう?」

 

 差し込まれた声にメルが淡白に返す。

 

「ぼちぼちです」

 

「そう? 何かあったら言ってね」

 

 愛想笑いを浮かべるメルに上司は薄く微笑む。今度は彩芽へとチェックの目線が振り向けられた。

 

「調子、どう?」

 

「こっちもぼちぼちです」

 

「そう? サギサカさんは優秀だなぁ。もうそのシステムチェックも終わりそうじゃない」

 

「そう、ですかね? まだまだで……」

 

「新しい仕事を回しておくね」

 

 肩を三回、ポンポンと叩いてから上司は立ち去っていった。完全にその姿が見えなくなってからメルがぼやく。

 

「セクハラじゃん」

 

「気にしていないからいいよ」

 

「後ろから急に声をかけないで欲しいわ……。心臓に悪い」

 

「それは分かるけれどね。あの上司の趣味でしょ」

 

 気配を殺して背後に立つのが趣味なのはあまり好感が持てないが。

 

「あーあ! どっかに割のいい仕事と男が落ちてないかなぁ!」

 

「聞こえるよ?」

 

「いいって。どうせあたしはこの仕事止まりだし。サギサカさんこそ、あんまり仕事の能率上げたっていい事ないよ? ここの仕事、終わりないし、終電にも間に合わなくなるだけだし」

 

「わたくしは近くに住んでるから」

 

「在宅で仕事任されるかも、って話だから、どっちにしたってだと思うけれど。あたしはこのスピードでいいや。これ以上昇進したくもないし」

 

「給料だけはまずまずだからね」

 

「それ込みでこの仕事選んだわけなんだけれどさ。やっぱり休日はぱあっと発散したいところだわ」

 

「何かしらでね。まーリチャードで随分と癒されているから、特に目的も思い浮かばないんだけれど」

 

 彩芽はキーを打つ手を休めずに別のウィンドウを開いた。検索窓に「リックベイ・サカグチ」の情報を読み込ませる。

 

 開いたのはオラクル武装蜂起に端を発したC連合とゾル国の密約の噂であった。世界に発信された動画はコピーにコピーを重ねられ、まだ出回っている。

 

 しかし、もう熱は冷めたようで、誰もがその動画を当てにしようとは思っていないようであった。人間はやはり熱しやすく醒めやすい。

 

 どこまで情報統制が敷かれているのかは不明だがこの管理された平和を、平和として甘受するだけの人々が大多数なのは間違いない。

 

「とりあえず、今日の分の仕事くらいはこなしますか」

 

 腕捲りしたメルに彩芽はウィンドウを静かに消した。

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯52 【ライフ・エラーズ】

 たった二人の親衛隊は一晩でデッキの《バーゴイル》を全て破壊し、通信網を麻痺させた。これで本国との連絡は取れなくなった。

 

 本国は自分達を見捨てたのだろうか。あるいはシーアが諦め調子なのはそれもあったのかもしれない。

 

 桐哉は後ろ手に拘束されたまま、自傷防止用にマット素材が施された拘留室で朝を迎えた。

 

 敵はたった二人。何も恐れる事はない、と進言したかったが、自身の《バーゴイルスカーレット》は大破し、他の機体の当てもない。敵がバーゴイルもどき一機だとしても、今は人機相手に取れる戦力が一つもないのだ。

 

 大人しく拘留されていた桐哉は開いた扉の先に佇む人物に視線を据えた。

 

「案外に大人しいのだな。モリビトとやらは」

 

 その名前を使うな、と声を荒らげたくなったが、今は我慢の時だ。ぐっと奥歯を噛み締め、桐哉は言い返す。

 

「何のつもりだ? 言っておくがゾル国が今は大人しくても、この事を知れば分からないぞ。本国の軍部は加減など知らないのだからな」

 

「忠言痛み入る。さすがは本国からエースの証を賜った人間、と言ったところか」

 

 いちいち癇に障る物言いをする。レミィと呼ばれた親衛隊長は重々しい式典服に着替えていた。

 

「オラクルの矜持はどうした? オラクルは、C連合のただの小国だったはずだろう?」

 

「平和主義国家。それが我が国の矜持だ」

 

「だったら、どうしてこんな真似をする? 辺境地を襲って……それが国家の大義とでも言うのか」

 

 責め立てる桐哉の声音にレミィは落ち着き払って返す。

 

「大義とは、常に勝利の上にあるものだ。勝者の高みに輝く大義を振り翳すのには、常に勝たなくてはならない。それがたとえ雑魚でも、全力を尽くすまで」

 

「オラクルは何がしたい? 何のためにゾル国に仕掛ける? この先に待つのは破滅だけだ」

 

 その言葉振りにレミィは冷酷な笑みを浮かべる。

 

「モリビトと担がれた人間にしては小事にいちいち小言を並べ立てる。ゾル国に仕掛けたのではない。この地に仕掛けたまで」

 

「詭弁だ。辺境とは言え、ここはゾル国領地だぞ!」

 

 声を荒らげた桐哉にレミィは、うむと首肯する。

 

「知っているとも。だが、我々は勝利のために行動するのみ。この地に眠る、と伝え聞いたのは、我が国家に《バーゴイル》をもたらした武器商人風情からであったが、その信憑性は調べれば調べるほどに確かなものとなっていった」

 

「……何の話を」

 

「これからの話をしているのだよ、英雄。我々がこの場所に、何の考えもなく貴様らの臭いの染み付いたカラスで仕掛けたとでも? 全ては、古の盟約と共にある」

 

 レミィの口にする事柄の意味を、桐哉は一欠片も理解出来ていない。呆然とする桐哉にレミィは鼻を鳴らす。

 

「……まぁすぐに分かる。支度をさせている。もうすぐ出発だ」

 

「出発? どこへ行く?」

 

 振り向いたレミィが顎をしゃくる。部下が桐哉の拘束具を留めて拘留室から出した。

 

「この基地の最深部へと」

 

 どういう、と言いかけた桐哉の背筋を部下は蹴りつけた。

 

「静かにしな、坊ちゃん。親衛隊長の前だ」

 

「いい。もう一人の《バーゴイル》乗りは?」

 

「うるさいんで鎮静剤を飲ませておきました。今は大人しく眠っていますが」

 

 リゼルグに危害が及んだのか。桐哉は改めてレミィを睨み据える。

 

「……基地のみんなを危険に晒すような真似は、許さない」

 

「さすがは名高いスカーレット隊の一員か。事ここに至っても、まだ勇気を振り絞れる」

 

 ぐっと歯噛みする桐哉に部下が先に行くように促した。

 

「隊長殿を困らせるな!」

 

 怒声と暴力に桐哉はレミィを睨む。

 

 レミィは数人のゾル国の人員を連れていた。その中には分隊長、シーアの姿もある。

 

「分隊長……」

 

「すまない、クサカベ准尉。従うのが一番なんだ。これは、わたしがこの基地を預かった時より与えられていた使命の一つでもある」

 

「古の盟約に従うのならば、あの機体の重要性は一番に理解しているはずだからな。その機体の識別信号の事も」

 

 レミィの言葉にシーアは面を伏せた。

 

「全て……承知の上か」

 

「当たり前だ。さぁ、案内してもらおう」

 

 シーアが先頭に立ち、レミィと部下に挟まされる形で桐哉が同行する事になった。

 

 整備班の人々は不安に顔を翳らせている。

 

 十五人程度の人々が向かったのは整備デッキの地下格納庫であった。本来ならば余剰パーツの収納場所であるところの空間の一面へとシーアが顎をしゃくる。

 

「ここだ」

 

 部下が歩み出て壁を叩いた。直後に仕掛けたのは爆弾である。全員が下がり、部下がスイッチを押し込んだ。

 

 爆風は分散され、壁の向こう側に集約されたようであった。

 

 部下が蹴りつけると壁はまるで張りぼてのように簡単に引き剥がされた。

 

 その向こうに広がっていたのは黴臭い整備デッキだった。直上の格納庫とほぼ同じサイズの地下空間が広がっている。

 

 階段を降りながら桐哉は周囲を見渡した。

 

 まさかこのような秘匿された空間があったなど思いも寄らない。

 

「桐哉・クサカベ。お前はどこまで知っていてこの場所に飛ばされてきた?」

 

 レミィの質問に桐哉はシーアへと目線を配る。彼はしっかりとこちらを見据えて頷いていた。

 

「……何も。ただの本国の辞令だけだ」

 

「そうか。その様子だと本当に何も知らなかったようだな。だが、モリビトの脅威から国家を守るための切り札として、自分が用意されたとは思っていないか」

 

 ――モリビトから国家を守る切り札?

 

 そんなはずはない。むしろ、その逆のはずだ。モリビトと戦場から遠ざけられ、自分は未来永劫、前線に出る事は出来ないのだと思っていた。

 

「分隊長、貴様は知っていたのか?」

 

「……話にだけは聞いていたが、誰も動かせまい。あれはわたしの先代の分隊長が任せられたものだ。データの上でしか聞いていないし、実物を目にした事もない」

 

 何を言っているのだ。レミィとシーアの間で降り立っている了承に桐哉は辟易する。

 

「オラクルが、何を知って……」

 

「元々、オラクルという国家にも伝説として伝わっていた代物だ。いや、どの国家でも知る人間はいた。ただその存在に確証を持てるものはなく、全ての資料は闇に葬られてきた。その存在を浮き彫りにした遠因は、ブルブラッドキャリアの脅威とモリビトにある」

 

 階段を降りれば降りるほど、青い粒子が周囲に漂っているのが窺えた。まさか、と桐哉は息を詰める。

 

「これは、汚染大気じゃ……」

 

「安心するといい。外に繋がっているわけではない。ここに封印された機体から漂っているものだ」

 

 次第に濃くなっていく濃紺の大気に桐哉は無意識的に息を止めようとしていたが、レミィも部下も、シーアを含めた整備班も誰もマスクをしようとはしない。

 

 立ち止まったのは様々な認証キーで封じられた扉であった。カードキーに網膜認証、静脈認証だけではない。古くからあるパスワード認証に声紋認証まで備わっていた。

 

「こんなの、誰が開けられるって……」

 

 その視界の中でシーアが前に歩み出た。全ての認証コードを一つずつ解いていき、最後にパスワードを打っていた。

 

「分隊長、何を……! 連中はテロリストですよ!」

 

「いや、わたしが任せられたのはこれを知る人間へと明け渡す事だ。そして、その答えを示す」

 

 扉が重々しく開いていき、中から色濃い粒子が棚引いた。桐哉は呼吸を止めようとしたが、それに比してレミィは感嘆したように前に出る。

 

「これが……封印された技術の一つか」

 

 扉の向こうは格納庫が広がっていた。だが、上にあった空の格納庫と違い、一機の機影が視界に入る。

 

 その一機のためだけに据えられたデッキは侵入と同時に照明が点くように設計されていたようだ。

 

 明かりに照らし出されたのは漆黒の人機であった。

 

 特徴的な細身の機体は見違えるはずがない。

 

「《バーゴイル》、だって……?」

 

「そうか。お前らにはこれが《バーゴイル》に見えるか」

 

 細身の機体ではロンド系列か《バーゴイル》しかない。だが、頭部形状が僅かに異なっている。内部にアイカメラを擁した凹凸のある頭部は《バーゴイル》ともロンドとも違う。

 

「分隊長。この機体の真の名前を」

 

 歩み出たシーアは罪の告白のように機体の名前を紡いでいた。

 

「正式名称《プライドトウジャ》。百五十年前以前に製造された、禁断とされる三種の人機の一角だ」

 

《プライドトウジャ》と呼ばれた機体は各所が青く染まっていた。結晶化している部位はまるで傷痕の如く亀裂が走っている。

 

「これは、《バーゴイル》じゃないのか? トウジャ?」

 

「そうか、英雄殿は知らない様子だ。この惑星の原罪を」

 

 振り向いたレミィはシーアへと先を促させた。シーアは《プライドトウジャ》と呼ばれた機体を仰ぎ見て呟く。

 

「……百五十年前だ」

 

 その言葉に桐哉はブルブラッドキャリアの宣戦布告を思い出す。百五十年前の原罪。ブルブラッドキャリアが惑星圏へと報復攻撃する理由。

 

「テーブルダスト、ポイントゼロと呼ばれる領域で血塊の大噴火が起きた。その噴火が原因で、惑星は青く汚染され、今日のブルブラッド大気汚染が生じたとされている。だがこれは一面では嘘、虚偽である」

 

「虚偽、だと……」

 

「惑星を汚染したのはブルブラッド大気だけではない。それによって生み出された三機の禁断の人機が、惑星の土壌を冒し、水を穢し、空気を濁らせた。禁断の人機の名前を知る者は今、限られているが誰でもこの情報にはアクセス出来る。しかし、アクセスした者の行方はぷつんと途切れるのだ。それは我々より高次の存在が、この惑星を掌握しているからと考えられる」

 

「陰謀論だ。そんなの、あるわけがない」

 

 言い返した桐哉にレミィは薄く笑う。

 

「果たしてそうかな。分隊長、真実を話してもらえるか?」

 

 分隊長は震えながら顔を覆った。

 

「……先代分隊長より預かったこの基地の秘密はあまりに重々しいものであった。《プライドトウジャ》。トウジャタイプと呼ばれるこの機体は、百五十年前に惑星汚染の原因を作った三機の忌むべき人機の一つ。それぞれ、トウジャ、キリビト――そして、モリビト」

 

 その名前に桐哉は慄く。今、シーアは何と言ったのか。

 

「モリビト、だって? でもその名前は」

 

「そう、つい最近までゾル国の英雄の名前であった。本来の意味からは外れていたが、それがこの惑星における栄誉ある名前であったのだ。しかし実際は違う。モリビトは禁断の兵器の名前だ。惑星汚染の原因となった三種の人機はそれぞれ封印され、残された人々には技術体系として失われた。人機建造に際して、必要な知識として、我々は三つの人機のみ製造を許された。それぞれ、《バーゴイル》、ロンド、《ナナツー》」

 

 まさかそれさえも自分達よりも高次の存在の仕業だとでもいうのか。桐哉は叫んでいた。

 

「馬鹿な! そんなものオカルトだ! 人類が何者かにその技術を秘匿されてきたなんて」

 

「しかし事実として、この機体は全くの別種として存在している。英雄殿の拘束を解け」

 

 その言葉に部下が桐哉の手錠を解除する。

 

「何を……」

 

「乗れ」

 

 端的に告げられた命令に桐哉は硬直する。

 

「何だって?」

 

「この機体に搭乗し、その証を示してみせろ」

 

「……正気なのか? 俺は人機操主だ。これを使って、逃げおおせる事も」

 

「出来るのならばやってみるといい」

 

 レミィの言葉はどこまでも自分を試している。桐哉は青く発光する結晶を抱いた《プライドトウジャ》を仰いだ。

 

「やめろ、オラクルの親衛隊の長よ。これがどのような代物なのか、君らは知っていて言っているのだろう」

 

 レミィはしかし、いささかのてらいも見せない。

 

「だから何だ? 全ては彼が決める事。乗るか、乗らないのか」

 

「……最初からこのつもりだったのか」

 

 口走ったシーアの言葉尻に苦々しいものが滲む。桐哉は内奥にデュアルアイの眼窩を持つ機体の頭部を睨み据えた。

 

 掌の中で滲んだ汗に、桐哉はレミィへと視線を据える。

 

「乗れれば、いいだけなんだろう?」

 

「そうだ。乗れればいいだけの事。我々から逃げるも、我々を殺すも好きにすればいい」

 

 桐哉の中に迷いはなかった。所詮は人機だ。操れぬわけがない。

 

 しかしシーアは頭を振った。

 

「やめたほうがいい、クサカベ准尉。魂を売り渡す事になる」

 

「分隊長、しかし、ここで乗らなければ彼らが乗る算段でしょう」

 

「その通りだ。我々が接収し、オラクル再建の礎とする」

 

 ならば、自分一人の犠牲で済むうちに。好機は逃すべきではなかった。ここで《プライドトウジャ》を乗りこなせばこの基地は生まれ変わる。新たな戦力を抱けば本国からも目をかけられるかもしれない。

 

「分隊長、自分は乗ります。乗らせてください」

 

 シーアは、ああと呻く。

 

「こんなはずではなかったのに……」

 

「いずれはこの道を辿っていたはずだ。モリビトがこの星に宣戦布告をした時点でな」

 

 桐哉はタラップを駆け上がっていた。誰も止めようとしない。不気味なほどに全員が固唾を呑んで見守っている。

 

 頭部コックピットの造り自体はシンプルだ。ハッチのハンドルを引けばすぐにでも搭乗可能だろう。

 

 桐哉がハンドルに手を伸ばした途端、青い苔のような侵食体が不意に手へと染み渡ってきた。

 

 咄嗟に手を払ったが、手の甲にこびりついたそれを剥がす手段はない。

 

 逡巡したが、レミィはこちらをじっと見ている。この程度で臆すのならば資格はない、とでも言いたげだ。

 

 これも含めて試練なのだろう。桐哉はハンドルを握り締める。青い苔が指先から瞬時に肘まで侵食する。ハンドルを引いた瞬間、内部にわだかまっていた結晶体が弾け飛んだ。

 

 コックピットは単座式のスタンダードなものだ。結晶がモニターを冒しているものの、起動させれば難なく引き剥がせるであろう。

 

 単座コックピットに座り込んだ瞬間、背面に気配を感じた。直後に桐哉の肩口に襲いかかったのはプレート型の機具であった。

 

 両肩に接着した瞬間、激痛が走る。全神経に無理やり針でも通されたかのような感覚であった。

 

 研ぎ澄まされた神経の一つ一つの痛みが明瞭になるにつれてモニターにステータスが浮かび上がってくる。

 

 OSの起動画面が表示され、桐哉はその中の一文を目にしていた。

 

「〝戦闘を続行しますか?〟だって……?」

 

 起動準備画面にそのような表記がある人機など聞いた事がない。桐哉はタッチディスプレイの下部にある「YES」の表示を押し込んだ。

 

 瞬間、機体の内奥が震える。オォン、と咆哮する声がどこかで耳朶を打った。

 

《プライドトウジャ》の機体名と製造年月日、さらにデータ照合画面が矢継ぎ早に点滅し、最後に桐哉のパーソナルデータへと直結する。

 

 震撼したのは桐哉のバイタル、脳波、心拍数、血圧などが全て、リアルタイムで反映された点だ。

 

 人機にそこまでの権限を許しているものは存在しない。

 

 ――これは人機ではないのではないか。

 

 そのような疑問が脳裏を掠めたのも一瞬。直後に、桐哉は左胸へと鋭い痛みを感じた。

 

 鼓動が早まっていき、爆発寸前まで高められる。

 

「心臓が……弾け飛ぶ……!」

 

 息も絶え絶えに桐哉はパーソナルデータを見やった。「起動準備中」と表示されたサインは鼓動が限界に達するにつれて進行バーを伸ばしていく。

 

 バーの進行速度は鼓動の速さと同じだ。百パーセントになる頃には心臓が砕けてしまう。

 

 中断のポップアップに手を伸ばしかけて桐哉は既に四肢の自由を奪われてる事に気づいた。

 

 神経が自分ではない何かに接続されていく。

 

 心音が同調するのは人間ではない存在だ。

 

 青く染まっていく視界の中、桐哉は前面に浮かび上がった悪鬼の笑みを目にしていた。

 

 ――この人機に、取り込まれる。

 

 悪鬼が微笑んだ瞬間、桐哉は操縦桿を引いていた。せめて、レミィらオラクルの連中を巻き添えにしようとしたのだ。

 

 だがその思考も虚しく《プライドトウジャ》を支配する何かに吸い尽くされていく。

 

 同時進行で実行されている別のプログラムが四肢神経を奪っているのだと、桐哉は気づいた。

 

 別のプログラムが桐哉の視神経にその名前を告げる。

 

「ハイアルファー……【ライフ・エラーズ】……何だ、これは」

 

 聞いた事もないプログラム名に戦慄するよりも先に、桐哉は全身から力を凪いでいく存在に目を向けた。

 

 肩に吸着した部品さえ剥がせば、と指先に力を込めようとするが、肩の機具は肉に深く食い込んでいて離れない。

 

 まるで拷問機具だ。

 

 身体の内側から別の存在に書き換えられていく。

 

 助けを呼ぼうとして、頬を伝った涙が青く染まっている事に気がつく。

 

 最後に桐哉が幻視したのは、燐華の後姿であった。

 

 どこか遠くへと駆けていってしまう妹の後姿に手を伸ばそうとして、鼓動が爆発速度に達した。

 

 パン、と軽い音がコックピットで弾ける。

 

 桐哉は機械に抱かれながら首を項垂れさせた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯53 罪状、「トウジャ」

「起動しません。やはり、通常の人間では無理のようです」

 

 報告した部下にレミィはふんと鼻を鳴らしていた。

 

 モリビトと担ぎ上げられた英雄でもどうしようもなかったか。しかし、無理もない。自分に及ばなかった人間が禁断の人機を動かせるはずもない。

 

 シーアがその場にへたり込んだ。顔を覆い、咽び泣く。

 

「クサカベ准尉……わたしは君を、助けられなかった……」

 

 レミィはその頭部へと銃口を向けていた。

 

「嘆くな、たわけが。なに、最初の実験では無理な事はデータ上の試算からしてみても分かりきっていた事だ。ハイアルファー起動に人体が耐えられるわけがない。やはり、ブルーガーデンの強化人間でもない限り、ハイアルファーの過負荷には脳が処理し切れないか」

 

「ハイアルファーの事を、知っていて――」

 

「当たり前だろう。調べは尽くした、と言ったはずだ。《プライドトウジャ》はハイアルファー【ライフ・エラーズ】の持ち主。この機体を乗りこなすのには、人間を越えるしかない。だが、モリビトでは不可能であったようだな」

 

「それを、理解したと言うのに、クサカベ准尉を……」

 

「殺した、か? いずれにせよ、先のない人間であったという事だ。なに、本国が察知してこの辺境地に攻撃を仕掛ける準備をするまで最短でも三日はある。操主でなくとも反応するかもしれん。この基地にいる全員が被験者だ。実験だけは有り余るほど出来るのだからな」

 

 レミィの言葉に整備班が目を戦慄かせる。自分達は無関係だと思い込んでいたのだろう。

 

「お、オラクルに下る! それでは駄目なのか?」

 

「下る? 馬鹿を言うな。もう下っている連中にその交渉は無意味だろう。我々オラクルはこの《プライドトウジャ》を旗印に、新たに再建するのだ。ゾル国といえど、百五十年前の《バーゴイル》の先祖とも呼ぶべきこの機体を無下に破壊は出来まい。交渉材料にはなる」

 

「き、貴様っ、それでも人間か!」

 

 銃を隠し持っていた整備班が引き金を引く前に部下が銃弾で粛清した。

 

 額を射抜いた一発の弾丸に整備班が恐慌に駆られたように叫ぶ。

 

「やかましいぞ! 貴様ら! ここで死ぬか、《プライドトウジャ》の適合者になるか、二つに一つだ! 選ばせてやる」

 

 その言葉に誰もが言葉を飲み込んだ。この人機は人を喰えば喰うほどに恐らくは真価を発揮する。文献の資料が正しければ、この基地の全員を生贄に捧げても起動するかは怪しいところだが、それでも実験のし甲斐はある。

 

「悪魔め……! このような機体、本国が黙っているはずもない」

 

「どうかな? 本国は案外、知っていて黙っているのかもしれないぞ。シーア分隊長が今の今まで貴様らに何も言わなかったのがその証だ。悪魔を飼っていて、誰にも知らせなかったのだからな」

 

 シーアは項垂れたまま、子供のように泣き続けている。レミィはその腹を蹴り上げた。

 

「泣いている暇はないぞ、分隊長殿。次の生贄の選定はあなたに任せよう。あなたは部下の信頼も厚い。言えばほいほいとやってくる操主候補くらいはいるだろう?」

 

 突きつけられた銃口と選択肢にシーアは涙で腫れた目を伏せた。

 

 これでオラクルはゾル国の中でも特別な発言権を得るはずだ。一時的な吸収を今は是としていてもそれは政治家の謀。

 

 自分達軍人は、国の信念のために生きるのだ。その礎の人機、《プライドトウジャ》は名に相応しい働きをするだろう。

 

 矜持を失った売国奴を抹殺し、真の国家を建造するのにこの機体ほどの強みはない。

 

 シーアを含めた全員がこれから辿るであろう運命に絶望のまなこを伏せた。

 

 そうだ。未来などない。彼らはオラクルのために死ぬ子羊だ。

 

 口角を吊り上げたレミィはその直後、部下の悲鳴を聞いていた。

 

 突き飛ばされ、レミィはよろめく。振り向くと、自分を突き飛ばした部下が巨人の腕に掴まれていた。

 

 ハッと振り仰いだ視界の中に、《プライドトウジャ》の眼窩が映る。

 

 内蔵されたデュアルアイセンサーが睥睨の輝きを放った。

 

 青く輝いた《プライドトウジャ》の眼光に射竦められる。部下は必死に照準を《プライドトウジャ》の頭部に向けていた。

 

「この、化け物がァッ!」

 

 何発か発射されるも人機の堅牢な装甲をただの銃弾が貫けるはずもない。結晶に侵食された腕が振り掲げられ、部下をその眼差しの先に見据えた。

 

 ヒィッと短い悲鳴と共に一発の弾丸が頭部を叩く。跳ねた弾丸の銃声を最後に、部下が人機の鋼鉄の掌に抱かれた。

 

 磨り潰される人間の断末魔に全員が硬直している。

 

「まさか……生きているのか! 桐哉・クサカベ!」

 

 レミィの叫びに呼応したように《プライドトウジャ》が格納庫で身をよじる。外に出ようとしているのだ。

 

 レミィは牽制の銃撃を浴びせつつ、人々を残して格納庫を飛び出した。

 

 自分の《デミバーゴイル》はアイドリング状態で待機させている。だが、まさかこのような事態になるなど思いも寄らない。

 

 地下格納庫に残された人々は全滅しただろう。

 

 地上に出たレミィは整備デッキに佇んでいる愛機に飛び乗った。何を、と制止の声がかかる前にレミィは《デミバーゴイル》のシステムを立ち上げる。

 

「操主が死んでも動くように出来ていたのか。まさかたった一人の生贄だけで呼び起こせるとはな……」

 

《デミバーゴイル》が推進剤を焚いて整備デッキを強行突破する。

 

 直後、青い輝きが瞬いた。

 

 格納庫を二重の刃のような光が交差し、次の瞬間、その機体が空中に出現していた。

 

 青い侵食部位はそのままに、傷痕のように全身に裂傷を走らせている。

 

 漆黒の機体は内側から燻る炎を抱えたかの如く、明滅していた。力強い鼓動の炎だ。

 

「桐哉・クサカベを吸い尽くし、その生命を爆発させたか。《プライドトウジャ》!」

 

《プライドトウジャ》の眼差しが《デミバーゴイル》を睨む。その一睨みだけで《デミバーゴイル》の全身が軋みを上げた。

 

「これは……恐怖か? 人機が恐怖するなど!」

 

 この基地に配備されていたプラズマライフルを手に取り、《デミバーゴイル》に照準させる。

 

 だがその時には、《プライドトウジャ》は地表に着地していた。その速度は目測ではとてもではないが追えない。

 

 おっとり刀で照準し直した火器管制システムが《プライドトウジャ》を映し出した時には、その姿が接近していた。

 

 後退用のブースターの残光を引きつつ、《デミバーゴイル》がプラズマライフルを掃射する。

 

《プライドトウジャ》は機体の各所に銃撃を受けていた。

 

「如何に伝説の機体とは言え、百五十年前のもの! 経年劣化で衰えている人機を墜とせないわけがない!」

 

 プラズマライフルの攻撃を《プライドトウジャ》はほとんど動かずに受け止め続けている。あまりにも動きがないため、レミィは撃ち方をやめずに最大望遠でその手元を凝視した。

 

 途端、恐れが這い登ってくる。

 

「まさか……あの状況下で、助けたというのか?」

 

《プライドトウジャ》の手の中には地下で散ったかに思われたシーアを含める全員がいた。皆、生存している。

 

 その行動の意味に、レミィは操縦桿を強く握り締める。

 

「……生きているのか。桐哉・クサカベ!」

 

 プラズマライフルを捨て去り、《デミバーゴイル》に実体剣を握らせる。

 

《プライドトウジャ》に収まっている操主の反応はない。バイタルも、脳波スキャンにもかからない。

 

 データ上では死んでいるはずだ。操主もいないはずの人機である。

 

「生きているのならば、応えろ! 桐哉・クサカベ! 貴様、どうやってその禁断の人機を物にした!」

 

 剣を握り締めた《デミバーゴイル》が正眼の構えを取る。

 

 すると、通信網に割り込んできたチャンネルがあった。

 

『……簡単な、事だ。俺は、まだ死ねない』

 

 切れ切れであったが確かに桐哉の声だ。震撼すると共にレミィは口元に笑みを浮かべていた。

 

 実験は成功だ。後は操主を殺して機体だけ奪えれば、オラクル再興の要となる。

 

「そうか、死ねない、か。ならばそのシンプルな答えだけを抱いて、そのまま溺死しろ! 機体を貰い受けるぞ! 英雄!」

 

《デミバーゴイル》が推進剤の輝きを引いて直進する。相手は生身の人間を抱いている。武装は使えまいと剣を振り上げた。

 

 直後、機体が横滑りし、剣筋がぶれる。

 

 何が起こったのか、最初、レミィには理解出来なかった。しかし、その視界に大写しになった《プライドトウジャ》の型から判断する。

 

 脚部を振り上げた《プライドトウジャ》は、こちらに瞬時に接近し、機体を蹴り払った。

 

 その単純明快な答えを理解する前に、よろめいた《デミバーゴイル》の背面へと《プライドトウジャ》が立ち現れる。

 

 振り向き様の一閃を浴びせかける前に、片腕の武装がこちらの肩口を狙い澄ましていた。

 

 手首から射出された釘状の武装が《デミバーゴイル》の機体を震わせる。対応の動きを取る前に速射されたパイルバンカーが《デミバーゴイル》の腹腔を破った。

 

 血塊炉へのダメージにレッドゾーンの警告がコックピットに響く。

 

「一度下した相手に敗北など!」

 

 歯噛みしたレミィは実体剣を振り上げ、《プライドトウジャ》へと猪突する。

 

《プライドトウジャ》が脚部からも同じく釘の武装を発射し、その反動で踊り上がった。

 

 実体剣が斬りさばいたのは釘の中心。

 

 高空に飛翔した《プライドトウジャ》が片腕からパイルバンカーを発射し《デミバーゴイル》の肘関節部を砕いた。

 

 実体剣を握った腕が回転しながら宙を舞う。

 

 青い血を撒き散らした《デミバーゴイル》は満身創痍の体であった。

 

 中に収まるレミィも息を切らしている。

 

「やられるわけには……いかない。死ぬわけにいかないのは、こちらも同じだ!」

 

 飛翔した《デミバーゴイル》は即座に離脱軌道に移ろうとする。ここでの敗走は敗北ではない。

 

 いずれ来るオラクル再建のために一度だけ逃げに徹するまでだ。

 

 冷徹な思考が飛翔速度を上げさせ、《プライドトウジャ》の射程圏外へと躍り出る。

 

 雲を切って高度限界近くに至る。レッドゾーンに達したパーツを分離させ、ようやく射線から逃れた。その事に、レミィは安堵する。

 

 項垂れて汗を拭った。

 

「ここまで……来れば、もう追って来られまい……」

 

 青く染まった大気が周囲を埋め尽くしている。汚染された雲海を見やり、レミィは離脱コースを取ろうとした。

 

「いくらでも伝手はある。オラクルが真に敗北する日は来ない。《プライドトウジャ》を抱いたこの基地を売れば、ゾル国内でも立場は得られよう。今は、ただ逃げて……」

 

 言いかけた刹那、釘状の武器が《デミバーゴイル》の腹腔を貫いた。

 

 まさか、と目を戦慄かせたレミィの視界に映ったのはこちらを精密狙撃する《プライドトウジャ》の姿であった。

 

 片腕を振り上げ、第二射が頭部コックピットを照準する。

 

 レミィはこの際になって、哄笑を上げていた。

 

「素晴らしいぞ! 《プライドトウジャ》! その力、我が国家の礎に相応しい! 是非とも貰い受けに――」

 

『喧しいぞ』

 

 その言葉がレミィの思考に焼け付いた最後の言葉となった。

 

《デミバーゴイル》のコックピットをパイルバンカーが貫通し、糸が切れた人形のように機体は急下降した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 信じられない、とシーアは口にしていた。

 

《デミバーゴイル》を破壊せしめた機体の能力以上に、《プライドトウジャ》に打ち勝った桐哉の精神力に、である。

 

 仰ぎ見た数人の視線を受け止めた《プライドトウジャ》から音声が発せられた。

 

『申し訳ありません、シーア分隊長。ちょっと今は、敬礼が出来そうにもない、です』

 

 切れ切れに聞こえてくる桐哉の声音にシーアは挙手敬礼を送った。送り続けた。彼の勇気とその力に、敬服の念しかない。

 

「すまなかった……! わたしが力不足のせいで……」

 

『謝らないで……ください。この力があれば、自分は……』

 

 そこから先の言葉が霧散する。青く染まった大気の中、新たな息吹を得た太古の人機は静かに屹立し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神経を無茶苦茶に穢された。

 

 思考はただ敵を倒すその一事にのみ向けられていた。その残りカスのような思考の中でシーア達を助けられたのは恐らく最後の奇跡だろう。

 

 桐哉は拷問機械に抱かれたコックピットの中で赤く警戒色に塗り固められたステータスを見やる。

 

 満身創痍なのは同じだ。

 

《プライドトウジャ》は自分の最後の一滴までを吸い尽くし、責務を果たさせてくれた。

 

 それだけが、今の桐哉に分かる結果だ。

 

「謝らないで、ください……。これで、俺は、モリビトに届く。この力があれば、きっと、あのモリビトだって……」

 

 倒せる。そう口にしようとして、意識は闇に没した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯54 強国の介入

「オラクル軍部に動きあり」との報告を受け、リックベイは上官の部屋を訪れていた。

 

 先日のオラクル武装蜂起の際、C連合はまるで動けなかった。その責務を問われるのかと思っていたが、沈痛に面を伏せた上官はまず投射画面に注目させる。

 

 オラクルから離陸した機体が三機分、静止衛星の画像で映し出されていた。

 

「どう思う?」

 

 問われたリックベイは写真の撮影日時を確認する。

 

「オラクルがゾル国に下った後の時刻です。つまりこれは、オラクル軍部とは関係のない写真なのでは?」

 

「そう思いたいのだが、拡大してみると、この三機は」

 

 最大望遠の画素には立方体の頭部を持つ《バーゴイル》が克明に刻み込まれている。

 

「オラクルの偽装《バーゴイル》ですか」

 

「ゾル国が噛んだ、という証拠でもある。連中にとって今、このバーゴイルもどきを動かすのは全く理にかなっていない。この機体の存在はすぐにでも抹消したいはずだ」

 

「しかし、ゾル国の考えとは裏腹に、この機体が独自に動いている。さしずめ、オラクルの真の目的のために、と言ったところでしょうか」

 

 その言葉に上官が口元を綻ばせる。

 

「さすがだな。そうだ。軍上層部はこの機体――《デミバーゴイル》部隊をオラクルにおける軍属の上層機関。つまるところ特殊部隊の類だと判断している」

 

「オラクルの特殊部隊が国家の危機に瀕して出撃せず、どうして今」

 

「分からん事だらけだが、一番に分からんのはこの部隊のコース」

 

 示された先にあったのはゾル国の軍部基地である。しかし、あまりに僻地で、本国からは遠く離れた場所であった。

 

「ゾル国に仕掛けるにしては、この距離は」

 

「解せんだろう? ゾル国への牽制が目的ではないと見ている」

 

「では、この特殊部隊は何のために……?」

 

「それを調査して欲しい、というのが今回の命令だ」

 

 上官の言葉にリックベイは返事に窮する。

 

「しかし……オラクルは既にゾル国の一部です。内政干渉と思われるのでは?」

 

「隠密部隊を使用する。C連合も何も手をこまねいていただけではないよ。最新鋭の《ナナツー参式》の量産体制には既に入っている。さらに、君にはこれを見てもらいたい」

 

 チャンネルが切り替わり、映し出されたのは整備デッキに収まる《ナナツー》であった。

 

 しかし、現行の《ナナツー》とは機体各所の装備が違う。

 

 バーニアが増設され、さらに高機動を実現するためにか、丸太のように太かった腕や脚に軽量化が見られた。

 

 武装はまだ施されていないが、性能を格段に上げたのは一見して理解出来る。

 

「新型、ですか……」

 

「《ナナツーゼクウ》と言う。ロールアウト間際の新型だ。これを君に与えたい」

 

「自分には、弐式の抜刀術が合っています」

 

「安心するといい。君のために白兵戦仕様に仕上げる事くらいは朝飯前だ」

 

 しかし、とリックベイは進言する。

 

「全体の指揮を上げるのならば、軍部全体に参式をもたらすほうがいいでしょう。自分だけのワンオフの機体などもったいないだけです」

 

 その言葉は出過ぎた忠告とも取れるだろう。しかし上官は嫌な顔一つしない。

 

「全体を俯瞰出来るのも君をその地位に据えている理由だ。その意見は呑める。だが……これは上官ではなく、古くから君を見てきたある種の友人としての贈り物だ。弐式では、モリビトには追いつけない」

 

 その事実にはさすがに言い返せなかった。モリビトを前に敗北したのは事実である。

 

「ゼクウ、でしたか。この機体がモリビトに比肩するとでも?」

 

「装甲強度は弐式の倍近くある。特殊装甲はあらゆる実体弾を弾き返す。よしんばR兵装を使われたとしても一発二発ならば耐えられるはずだ。ゼクウは我が方が威信をかけて開発した機体だと思ってくれていい」

 

「しかし、それならばなおさら……」

 

 なおさら自分だけのというのが納得行かない。上官は嘆息をついてゼクウの性能を読み上げた。

 

「なかなかに強情だな。与えられればそれを甘受すればいいのに。《ナナツーゼクウ》は参式を軽く超える性能の持ち主だ。そして何よりも、君に合っている。銀狼には最新の機体が似合うという、一種のプロパガンダの意味もある」

 

「自分は英雄に祀り上げられたつもりはありません」

 

「謙遜するな。ゾル国のような分かりやすい英雄ではなくとも、君は間違いなくエース級だ。それに《デミバーゴイル》の性能が分からぬのもある。性能試験を兼ねて、エースに搭乗してもらうのは何の不利益もない」

 

 C連合とゾル国の蜜月を示す《デミバーゴイル》を撃墜するのに、新型機は充分な箔がつくと言いたいのだろう。

 

 加えて参式の量産体制が整うという事は、これまでの第三国に遅れを取っていたC連合の軍編成が見直される契機でもある。

 

 その旗印として、《ナナツーゼクウ》は格好の対象だ。

 

「機体のロールアウトは……」

 

「すぐにでも出せる。君の要望があるのならば通しておこう」

 

 これは断れない命令か。リックベイは挙手敬礼し、辞令を受け取った。

 

「了解しました。リックベイ・サカグチ少佐はその任務、喜んで引き受けさせてもらいます」

 

 改まった様子のリックベイに上官は微笑みを向ける。

 

「堅くなるな、と言っても無駄か。君はそういう性質だったな。紫電に装備されていた実体剣をそのまま移しておこう。OSも紫電のものを流用させてもらう。戦いやすいだろう?」

 

「感謝します」

 

「世事はいい。この任務を受けてくれた事自体、随分と譲歩してくれているのが分かる。すまないな、露払いに君のような軍人を遣わすなど」

 

「いえ、自分は軍属です。命令には従いますので」

 

 フッと笑みを浮かべた上官は頷いた。

 

「誰も彼もが君のようにはなれないだろうが、わたしは個人的にはいい部下を持ったと思っている」

 

 下がってよしの命を受けて、リックベイは部屋を後にした。

 

 弐式紫電がもう使えないのは少しばかり悔やまれたが、新しい息吹が必要となればその流れには沿おう。

 

 廊下を抜けていくリックベイに部下達が敬礼する。もう辞令は降りているのか、声を弾ませる部下もいた。

 

「少佐、参式の乗り心地ってどのようなものなのでしょうか?」

 

「弐式のコックピットが狭いくらいらしいな」

 

 淡白に返して部屋の扉を開けると、甘菓子を頬張っているタカフミと鉢合わせた。

 

 リックベイは目頭を揉む。

 

「……どうして君はわたしの許可なくこの部屋に出入りする?」

 

「許可なくって、一応おれも仕官なんで許されてはいますよ」

 

「心象的な問題だな。ここは職場ではあるが、パーソナルスペースでもある」

 

「まずったですか?」

 

「今さらだ。何も咎めまい」

 

「さっすが少佐! お心が広い!」

 

 今さらごまを擦ったところで無駄だ、と言い返そうとしたが、タカフミにはそのような気もないのだろう。リックベイ宛に贈られてくる甘菓子を頬張りつつモニターを凝視している。チャンネルはゾル国の報道に繋がっていた。

 

「なんか、大変な事が起こったみたいですよ」

 

 リックベイは席についてから興奮した様子の報道陣を目にする。ゾル国のコミューンの一つに救急車や救命用の人機が殺到していた。

 

『ご覧ください! 今でもコミューン外壁の修復は間に合わず、復旧作業が難航しています! これはテロなのでしょうか? 外壁に空いた痛々しいまでの損害に救命用の人機が今、到着しました。外壁復旧は現地時間の三時間後には完了するようですが、今も慌しい様子です!』

 

「何が起こった?」

 

「テロ、みたいっすねぇ」

 

「テロだと?」

 

 卓上の端末に最新のニュースを呼び出す。ゾル国の一コミューンで外壁を破壊するテロが実行された事、さらに循環用の浄化槽が攻撃を受け、数万市民に汚染大気が降り注いだ事を示している。

 

「テロだとして、どこの国なんすかねぇ」

 

「ゾル国にテロだと? そんな事をして何の得がある? ゾル国の軍事力を知っていれば、容易にテロなど起こすはずもない」

 

「あの国はカラス部隊を動かさせれば一級ですから。加味してもどこの国も旨味はないですねぇ」

 

 カラス部隊とあだ名されるのはゾル国のバーゴイル部隊の事だ。熟練度の高い《バーゴイル》に対し、第三国やC連合が《ナナツー》や型落ち人機で立ち向かうのはどう考えても無理がある。

 

 ゾル国に仕掛けるとしても、大気汚染テロなど真っ先に不可能なのだ。足の遅い《ナナツー》ではすぐに追いつかれてしまう上に、機体照合で報復攻撃が来るのは確実である。

 

「どこの国だ? ブルーガーデンか?」

 

「あの国はそんな簡単にぼろを出さないでしょ。何か、噂では機体照合番号は不明機ってなっていますよ」

 

「不明機? 現状のこの惑星で不明機など……」

 

 そこまで言いかけてリックベイはある想像に達した。まさか、不明機というのは――。

 

 現地キャスターが昂った声を出す。

 

『今、情報が来ました! 外壁に穴を開けた機体は照合データから不明人機であるとの事です。調査中ですが、極めて高い可能性として、ブルブラッドキャリアのモリビト系列であるとの情報がもたらされています!』

 

「モリビト……あの機体がそれをやってのけただと?」

 

 にわかには信じられない。だが、現状で不明機となればモリビトの名前が真っ先に挙がるのは何も不自然ではなかった。

 

「モリビト……確かにあの人機は外壁くらい簡単に穴を開けられますね」

 

 タカフミは襲撃を受けた経歴がある。モリビトの脅威を分かっている人間の一人だ。

 

 だがリックベイはどこか納得出来なかった。

 

 ――モリビト。あの刃を交えたモリビトには、そのような姑息な手を使うような相手だとは思えなかった。

 

 個人的な意見に過ぎないが、自分の直感は当たる。モリビトが多数を巻き込んだテロを起こすのはどこか信じ難い。

 

「軍部や基地にばかり標的を絞ってきたモリビトが民間に仇を成すなど、あり得るのか?」

 

「あり得るんじゃないですか? だって相手の思想なんてこの惑星の人間への報復攻撃でしょ? 一番ありそうじゃないですか」

 

 オガワラ博士の声明から鑑みれば確かに得心はいく。だが、モリビトはそんな卑怯な手を尽くしてまでこの惑星への復讐を行おうというのか。

 

 それではまるで標的を選ばない無差別攻撃ではないか。

 

「いや、しかし……あの刃に、濁りはなかった」

 

 リックベイの言葉の真意が分からないのか、タカフミは怪訝そうにする。

 

「まぁ、少佐はあのモリビトと戦ったほどですから分かるものもあるのかもしれないですけれど、でも客観的に見ればモリビトも、ブルブラッドキャリアも敵ですよ? 忘れないでくださいよ」

 

 失念したつもりはない。青いモリビトに執心しているだけなのかもしれない。だが、リックベイは一度戦った相手の太刀筋に宿ったものを違えるほど、戦士として熟練していないわけではない。

 

「あの域の太刀の持ち主が、姑息な真似をするとは思えないだけだ」

 

「じゃあ他のモリビトでしょ? 三機もいるんですから」

 

 確かに言われてしまえばそこまで。リックベイはこれ以上の益のない思考を打ち切り、チャンネルを切り替えさせた。

 

「今は、無用な情報は逆に混乱を招く」

 

「無用って、まだ待機でしょう?」

 

「いや、辞令が下った」

 

 その言葉にタカフミは気合を入れる。

 

「よっしゃ! 遂に雪辱を晴らせるってわけですか!」

 

「いや、対象はモリビトじゃない。ゾル国辺境地だ」

 

 示した地図の先にタカフミは目に見えてやる気を萎えさせた。

 

「何だ、そんな辺ぴなところに仕掛けてどうするんです?」

 

「オラクルの軍事蜂起、その後の顛末くらいは頭に入っているな?」

 

 さすがの君でも、と言外に付け加える。タカフミは胸を逸らせて言いやった。

 

「当たり前でしょう? ゾル国に下ったってだけで、その後は特に何にもなし」

 

「だが、そのゾル国にバーゴイルもどきが三機、オラクルが国家としての敗北を喫してから出撃した形跡がある」

 

「……どういう意味なんです?」

 

「分からん。だが、調査任務だ。迎撃しろ、とは言われていない」

 

 そう、調査だけのはずだ。迎撃命令が出ていないところを見るに、今は《ナナツー参式》のテストと《ナナツーゼクウ》のテストを兼ねての部分だろう。

 

「そういや、参式がおれのだけじゃなくなるって噂、マジなんですか?」

 

 耳聡いな、とリックベイは首肯する。

 

「ああ。C連合軍部におけるこれからのスタンダードとして参式は配備される予定だ」

 

 タカフミは声に出してため息をつく。

 

「あーあ……! マジかぁ……。おれだけの参式だったはずなのに」

 

「新型機と呼ばれるものはいずれ全員に行き渡る。分かっていたはずだろう?」

 

「いや、そうですけれどもね? ホラ、あるじゃないですか。撃墜王として! みたいな」

 

「君の成績は買っている。参式は弐式よりも改良の余地は充分にある。自分の意見を通したければ実績を上げろ」

 

「少佐の紫電みたいにですか」

 

「わたしのは特殊だ。君は自分の強みを活かせばいい」

 

 タカフミは腕を組んで、うぅむと呻る。

 

「おれの強みって……何ですかね?」

 

「知らんよ」

 

 言いやってリックベイは調査任務の先であるゾル国辺境地を視界に入れていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯55 怨嗟

 

「さて、いいニュースと悪いニュースがあるけれど、どっちから先に聞きたい?」

 

 ごてごてと六基ものコンテナを合体させた《ノエルカルテット》は、その重責から逃れたかのように重力に抱かれていた。

 

 鉄菜はブルブラッド大気の下、桃の口振りに胡乱なものを感じ取る。

 

「悪いニュースがあるのか? 第三フェイズの要を手に入れたのに」

 

「まぁ、モモだって言いたくないけれど、言わなきゃどうしようもないでしょ」

 

「吉報から教えろ」

 

 出来れば悪いニュースは遠ざけたい。コミューンへのテロ攻撃の根源をみすみす逃し、ただの《バーゴイル》の改修機に遅れを取った自分からしてみれば少しの吉報でもいい兆しにはなりそうであった。

 

「まず一つは、モモ達の下にこの装備が届いた事。それ自体がいいニュースよ」

 

「情報としてならば持っている、モリビトのセカンドステージ案か。しかし、《インペルベイン》はいないようだ」

 

 周囲を見渡すも彩芽と《インペルベイン》は見受けられない。桃は腰に手をやって首を振った。

 

「どうにも、アヤ姉もOL業が板についちゃったみたいで。今日も深夜過ぎまで残業だってさ」

 

「本業を優先しろと言っておけ」

 

「言いたいけれど、ま、仕方ないカンジ。それに、クロだって着の身着のままじゃない」

 

 肩を竦めた桃に鉄菜は嘆息をつく。

 

「着替える時間がなかった」

 

「なかなかに笑えるわよ、実際に見ると破壊力違うわね」

 

「……彩芽・サギサカが来る前に着替えておく」

 

「ちょっとだけカメラに収めさせてくれない?」

 

 鉄菜は制服を引き千切り、中に着込んだRスーツ姿になった。桃が肩を落とす。

 

「怒ったの?」

 

「……何でもない。少しだけ、不愉快なだけだ」

 

 この制服を着込んでいると自分の愚かさが先に立つようで胸の中がもやもやする。鉄菜は制服の断片を海に捨て去った。

 

「ま、モモも忙しかったからね。他人の事は言えないけれど」

 

 その眼差しがどこか遠くを望んでいるのが窺えた。空間戦闘で何か問題でもあったのだろうか。

 

 しかし、ここにコンテナがある。その結果だけを評価するべきだろう。

 

「セカンドステージ案が実行されるとは思わなかった」

 

「事前情報の三割程度らしいけれどね。モリビトのフルスペックモード実現って言うのは、宇宙の常闇じゃ現実的じゃないんでしょ」

 

 鉄菜は星空を仰ぎ見ようとして虹の皮膜に邪魔をされた。この星そのものを覆っている天蓋。支配の象徴。

 

「血塊炉が僅かに貧血気味だ。一機貸してくれると助かる」

 

「ロデムでいい?」

 

《ノエルカルテット》の胴体部が分離し、獣型の人機が《シルヴァリンク》へと接続した。供給モードになったのを確認してから、鉄菜は先を促す。

 

「で? 悪いニュースとは何だ?」

 

「さっき仕入れたばかりなんだけれど、二つ。ブルブラッド大気汚染テロはクロの言う通り、モモ達の仕業として報道されたわ。相手側の情報操作を侮っていたわけじゃないけれど、中継データは確かにモリビトのシグナルを示していた。つまり、敵はモリビトに全ての罪をなすりつけて、悪名を着せようってわけ」

 

 耳にこびりつくかのような男の哄笑が思い起こされる。戦争屋、とうそぶいていたあの男はいずれ決着をつけねばならないだろう。

 

 拳を固く握り締めた鉄菜は打ち漏らした雪辱に震えた。あの男は直感的ではあるが、これから先の計画において弊害となる。それが分かっていながらの敗北は二度と許されない。

 

「モリビトを……必要以上の敵に設定するのには、不愉快以上に憎悪を感じる」

 

「モモも、それは同意。モリビトだってそれなりに気を遣っているのに、これじゃダイナシよね。でも、あまりにも根回しが早いわ。まるで最初から用意されていたみたいな動きだから、この情報を牽制する方法がない」

 

 つまり、打つ手のない情報だという事だ。オラクルの一件とは違い、こちらの脆さが露呈した形となった。

 

「悪いニュースはそれだけか?」

 

 桃はしかし、頭を振る。

 

「もう一つ、ね。C連合がキャッチした情報の一部なんだけれど、これが作戦指示書」

 

《シルヴァリンク》のコックピットに表示された情報を読み取る。暗号化されているが、解読プログラムによってすぐさま解凍された。

 

「ゾル国辺境地への攻撃命令?」

 

 ゾル国の辺ぴな基地へと、C連合の大部隊が攻撃するよう指示書が出されている。

 

 鉄菜はすぐさまマップを呼び起こしてその地形を見やったが、それほどの重要拠点だとは思えない。

 

「それ、謎なのよね。でも、ちょうど一日前にこういう航空写真が撮られている。多分、これが動く理由なんだと思う」

 

 航空写真に写った機影は《バーゴイル》であったが、頭部形状が異なる。オラクルで敵にした《デミバーゴイル》であった。

 

「まだ生き残りが?」

 

「残党集団がゾル国辺境地に攻撃、C連合はその後始末のために動く、と言えば聞こえはいいけれど、実際の作戦指示書に書かれているのは新たな人機の実戦投入計画」

 

 機体参照データが浮かび上がる。《ナナツーゼクウ》と表記された機体はまだ実戦データが取られていない。

 

 しかし該当操主に連ねられている名前に鉄菜は息を呑んだ。

 

「リックベイ・サカグチ……」

 

「前回、C連合の基地を襲撃した時に、クロと戦った相手ね。地上の白兵戦で《シルヴァリンク》と同等の戦いを繰り広げた時点で相当な脅威なのは分かるけれど、その操主が新型に乗るとなれば」

 

「一度仕掛けるのも、悪くはない、か」

 

「フルスペックモードの実戦データを取る機会でもある」

 

 渡りに船というわけだ。鉄菜は《ノエルカルテット》の装備しているコンテナに目をやった。

 

「中身は。まだ見ていないのか?」

 

「今開封するわ」

 

 桃が指を鳴らすと重々しい音を立ててコンテナの一面がせり上がっていく。出現したのは外付け型の武装であった。

 

「《シルヴァリンク》に二基分、《インペルベイン》に二基、《ノエルカルテット》に二基、か。本当にセカンドステージ以降の装備なんだろうな」

 

「ま、その辺りは開発部門の仕事だし。モモ達、執行者には関知出来ないけれどね」

 

「当てにならない事だ」

 

 鉄菜はコンテナの奥に眠る新たなる装備の鼓動に身を震わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大気循環システムが復活した、という報告がもたらされたのは明朝早くで、シェルターに収まっていた大半の人々が眠気まなこを擦っていた。

 

 眠れた人間は少数で、ほとんどが不安に苛まれて眠れなかったらしい。シェルターを出てもいい、という通達にも誰も応じない。

 

 そう容易く修復するとは思えなかったからであるが、燐華は真っ先に駆け出していた。

 

 鉄菜はシェルターに避難していなかった。彼女から預かった鉄片を胸に燐華は周囲を見渡す。

 

「鉄菜……どこに行っちゃったの?」

 

 追いかけてきたヒイラギが燐華に言葉を投げた。

 

「無理しないで! 君はそうでなくとも身体が弱い。循環システムが修復したところで、まだ残りカスのような大気汚染はあるんだ」

 

 その証拠にヒイラギはマスクをしていたが、燐華はマスクの存在を忘れていた。

 

 しかし呼吸に支障はない。薄まった青の大気が循環システムで急速に奪われていたが、それでもまだ汚染警戒レベルなのだ。

 

「先生……みんなは? みんなはどうなったんです?」

 

 逃げ遅れた人々もいるはずだ。不意打ち気味の外壁への破壊行為にすぐさま対応出来た人間は少ないはずである。

 

 ヒイラギは沈痛に面を伏せ、首を横に振る。

 

「……情報が錯綜しているが、僕に言える事は、みんながみんな、助かったわけじゃないって事だろう」

 

 ブルブラッド大気汚染は免疫の弱いコミューン育ちの人間に対しては強烈な毒である。ヒイラギの口振りには死傷者もいるであろうという予想がありありと窺えた。

 

『現時点で、コミューン内部の大気汚染濃度は四十パーセントを下回りました。外出は可能ですが、マスクを着用してください』

 

 アナウンスに燐華はマスクをつけようとした。だが、マスクをつけていれば大声を出せない。最後に、と燐華は精一杯、声を張り上げた。

 

「鉄菜ー!」

 

 残響する声音が霧散していく。鉄菜はどこへ行ってしまったのだろう。もしかすると、逃げ遅れて青い大気に抱かれた可能性もある。

 

 こんな場所で燻ってもいられなかった。今すぐに鉄菜を助けに行かなくては、と駆け出しかけた肩をヒイラギが止める。

 

「行っちゃ駄目だ! 今はまだ警戒レベル。軍部に任せて、救助が行き渡るのをシェルターで待機するのが一番にいいはずだ」

 

「でも、鉄菜が……!」

 

「彼女はどうにかしたはずだろう。あのテロに真っ先に対応したのは彼女だ。逃げ遅れている事はないと思う」

 

 希望的観測も混じっている声音に、燐華は目をきつく瞑った。胸の中を焦燥が占めている。鉄菜だけは失いたくなかった。

 

 自分のたった一人の味方。ただ一人の、友達。

 

 地獄のような連鎖の中で出会えた奇跡の絆を、このような形で失うなど。

 

「鉄菜……あたし、もう一人は嫌なのに……」

 

「シェルターへ。軍の安全宣言を待とう」

 

 ヒイラギに手を引かれ、燐華はシェルターへの道を戻っていく。その道中、道の端で蹲っている人影を無数に見つけた。

 

 救助隊がそれぞれの人々へと救命措置を取っているが、すぐさま諦めて次へ、次へと移っているのが見て取れる。

 

「……本当に、テロだったんですね」

 

「ああ、事態は悪化の一途を辿っているらしい。ブルブラッド大気に人体が耐えられるのはほんの数分と言われている。コミューンの浄化大気で慣れていれば、余計にだろうね」

 

 しかし、と燐華は先ほどから平時の息苦しさがない事に気づいた。

 

「でも、いつもより体調が悪くありません。こんな空間だから、神経が昂っているんでしょうか?」

 

「……君の疾病は遺伝子性のものだと聞いていたが、……まさか、ね」

 

 何を予感したのだろう。ヒイラギの眼差しに燐華は目を白黒させていた。

 

「でも、こんな酷い事を。実行した人機を、あたしは許せません」

 

「それに関しては情報が入ってきている。どうにも、これは……」

 

 端末を覗き込んだヒイラギに燐華は自身の端末をアクティブにする。舞い込んできたのは「モリビト、コミューンへのブルブラッドテロ敢行か」という見出しであった。

 

「モリビト……? あれはモリビトだったの?」

 

「現状では未確認の情報だが、政府筋の確定情報らしい。どこから漏れたのか分からないが、あの機体の識別信号がモリビトだったって……」

 

 燐華は覚えず唇を噛んでいた。モリビト。兄から権威を失わせ、自分の居場所を奪い、あまつさえ唯一の親友である鉄菜も奪った元凶。全ての因縁はモリビトへと通じていた。

 

「モリビト……あたしの人生を、どこまで狂わせれば気が済むの……!」

 

 黒々とした憎悪の念が胸中に渦巻いていく。

 

「……今は、戻ろう。モリビトに関する情報も錯綜している。静観するのが一番だ」

 

 ヒイラギの声に従いながら、燐華は胸の中に湧いた決心を握り締めていた。

 

 ――モリビトだけは、許さない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯56 悪魔の愉悦

 機体を収容したのは海上に位置する巡洋艦であった。どの国の識別信号でもない、アンノウンの表記にガエルは舌打ちする。

 

 ――ドッペルゲンガーの艦だ。

 

 必要とあれば、ゾル国に偽装し、C連合に偽装し、ブルーガーデンにさえも信号の上では偽装出来る。

 

《バーゴイルシザー》の着艦信号を飛ばすと甲板へとガイドビーコンが出された。

 

 両腕を失った《バーゴイルシザー》は血塊炉の尽きるまで空中を飛翔し続け、ようやく下った指令と共に巡洋艦へと舞い戻ってきたのである。

 

 収容される《バーゴイルシザー》を横目にガエルは気密されたブロックを行き来し、作戦を下した張本人へと面会を果たそうとしていた。

 

 内奥に位置する扉を叩くと、入れ、と声が発せられる。

 

「ご苦労であった、ガエル・ローレンツ」

 

 出迎えたのは《バーゴイルシザー》を手渡した将校だ。ガエルは皮肉めいた笑みを浮かべた。

 

「あんたらの言った通り、識別信号の偽装は完了した。あのテロはモリビトが仕出かした事になったみたいだな。……だが、解せないのは、てめぇら、あのコミューンにモリビトが潜んでいる事を分かっていて、オレにやらせたんじゃねぇだろうな?」

 

 青と銀のモリビトは熟練度が低かったとは言え、脅威としては相当なものであった。痛み分けの形となって撤退をしなければやられていたのはこちらかもしれない。

 

「いや、全くのノーマークだったよ。まさかモリビト連中が張っていたとはね」

 

 どうにも食えない男である。何を考えているのかまるで分からないのだ。ケッと毒づいてガエルはパイロットスーツに風を入れる。

 

「どっちにせよ、めでたくテロは敢行されたわけだ。あんたらの思い通りに、世界は回り始めたってわけかい」

 

「いや、まだだな。まだ一手が足りていない」

 

「これ以上コミューンを襲うって? そりゃいいが、火種起こしも大概にしな。自分達で制御出来ない火は火傷の下になるぜ」

 

「ほう、戦争屋とは思えない忠言だ」

 

 その言葉にガエルは舌打ちする。

 

「戦争屋だからだよ、マヌケ。オレはてめぇらが母親の腹ん中にいる時からずっと戦争をやってきた。そこいらの軍人よりもよっぽど戦地の怖さってのを知ってるぜ。だからこそ、言える。てめぇらの起こした火種は大きくなる。確定事項だ。モリビトに全ての罪を着せて自分達はのうのうと多数派気取れるのも、そう容易くはないって事がな」

 

「重々承知しているとも。ブルブラッドキャリアが無能集団ではないくらい。大体、無能集団ならば今までのモリビトの運用もどこかに察知されていてもおかしくはない」

 

「協力者……そうじゃなくってもどっかの国の支援ありき、だろうな」

 

「ゾル国やC連合が国家単位で裏切っている事はないだろう。個人レベルが総体を成して、ネットワークを形成している、と考えるべきだ。少数派の、ね」

 

 自分達とは違う、と暗に告げているようであった。ガエルはふんと鼻を鳴らす。

 

「あのよぉ、少数派と戦いてぇのはよく分かったぜ。ブルブラッドなんたらと他にもあんたらの喧嘩している連中はいるんだろう。だが、それにしてはよ、根回しの速度とかあまりにも素早いんじゃねぇの? オレが知らないとでも思ったか?」

 

 端末を放り投げる。投射画面に表示されているのは「C連合、正式な報復措置を決議」という情報であった。

 

「耳が早いな」

 

 薄く笑った将校にガエルは言いやる。

 

「オレがコミューン襲っている間に、随分と胡乱な空気が流れてるじゃねぇの。こっちのほうに戦力を割いたほうがいいんじゃねぇかってのがオレの意見だが」

 

「諫言痛み入る。だが、我々の真の目的とはこの実行部隊は異なるのでね。静観が今のところのスタンスだよ」

 

 ガエルは壁に背中を預け、顎をしゃくった。

 

「分からねぇな。てめぇら本気で世界を変えるつもりがあるのかねぇのか。やる事成す事、全部種蒔きの領域だ。どれが開花するかなんて分かっちゃいねぇ。その種蒔きに随分と金を賭けている様子だ。オレからしてみれば咲くか分からない種を蒔く事自体、あんま賢いとは言えねぇな」

 

「戦争屋にしては詩的な言い回しだな」

 

 その皮肉を無視してガエルは言葉を継ぐ。

 

「意味があるのかないのか分からない作戦。それに加えてイレギュラーの発生。これじゃ、戦争屋稼業を細く長く続けるにゃ、不安だって言ってんだよ。オレは割とリアリストなんでね。雇用主がワケの分からん事をするのは信用出来ねぇ。理由をいちいち説明しろとは言わないが、最終目的くらいはハッキリさせてもらいたいもんだ」

 

「最終目的、か。言わなかったか? 多数派による世界の統治、だと」

 

「その多数派ってのにオレは入っているのかねぇ」

 

「心配には及ばないよ。君はもう同志だ。戦争屋だからと言って容易く切るような真似はしない。《バーゴイルシザー》も万全の態勢に整備しておこう。いつでも出られるようにね」

 

「同志、か。気に食わねぇ言葉を挙げていくとすれば真っ先に挙がるような言葉だぜ。オレは戦力をてめぇらに与えている。しかし、そっちがオレに与えたのは人機一機のみ。これじゃ、釣り合わないって言ってるんだ」

 

「報酬は毎度払っていくつもりだ。君との継続した仕事には旨みがある」

 

「旨み、か。誠意とか言わないだけまだ真っ当だな」

 

「誠意、善意などという言葉は、君の最も嫌うところだろう?」

 

 ガエルは掌に視線を落とす。戦場で幾度となくナイフや銃器を構えてきた掌はまめで固くなっている。まるでそれそのものが人機の冷たい装甲のようだ。

 

「この手を滑り落ちて行った代物が何かと問われれば一番に言える事柄だぜ。引き金を引くとそんなもんは薬きょうと一緒に飛んでっちまう。ミリ単位で人間にこべりついている厄介な感情でありながら、そいつは銃弾よりも軽い。不思議な話だろ?」

 

 笑い話にしようとしたガエルに将校は一笑に付した。

 

「君らしい考え方だ。戦争屋には」

 

「次の任務までは休暇かねぇ」

 

「生憎だが、休暇は与えられそうにない。これを」

 

 投射画面に映し出されたのは作戦指示書のコピーであった。C連合のサインが入っている。どこから入手したのか、などという野暮な事は聞かなかった。

 

「何を指示している?」

 

「ゾル国辺境地への攻撃命令だ。これは不可思議なのだよ」

 

「何がだよ? 戦争を仕掛ける目的が出来たって事じゃねぇのか? 今まで随分と長い事冷戦だったからな」

 

「今回は表立った戦争の発端というわけではない。C連合からしてみれば火消しの意味がある。ゾル国からしてみれば、それの黙認」

 

「……話してみろ」

 

 顎をしゃくったガエルに将校が作戦指示書を拡大させる。

 

「ここに書かれている場所へのアクセスだ。地形、特色、全てを挙げてみた」

 

 投射画面に次いで表示されたのは攻撃目標となっている基地の三次元図である。ガエルは一瞥するなりその特徴を見抜いた。

 

「辺境地、ってのは嘘じゃなさそうだな。コミューンと呼ぶのも憚られるくらいのド田舎だ。基地しかねぇし、大気循環システムもない、ただの前線基地か」

 

「人が棲むのには適さないほどの大気汚染濃度を弾き出している」

 

「こんな辺ぴな場所に何の用で? 攻撃したってゾル国には何のダメージにもならなさそうだが?」

 

「それが黙認の理由でもある。次に、この航空写真を見るといい」

 

 静止衛星が捉えた画像には三つの黒点が写されていた。拡大するとそれが人機である事が窺える。

 

「三機……この形状は《バーゴイル》だな」

 

「正確に言えば《バーゴイル》ではない。純正品ではない、輸出品だ」

 

「バッタもんかよ」

 

「《デミバーゴイル》と呼称する。オラクルが軍事蜂起の際に使用していたとされる代物だ」

 

 オラクル。その言葉はここ数日で何度も国際社会を賑わせている。独立国家の辿った先に待っていたのはモリビトによる介入。ゾル国への亡命が当初よりの目的であったという説もあるが、その計画に大きな遅れが生じたとすれば、ブルブラッドキャリアによる基地への壊滅的な打撃であろう。

 

 モリビトはオラクルを国際社会におけるウィークポイントだと判断し、武力によって鎮静化させた。その事実が皮肉にもオラクル国家の独立宣言がたった三日前後で取り下げられ、C連合からの離脱を早めた結果になったが。

 

「モリビトにやられたってヤツか。《バーゴイル》の頭だけ取り替えた機体だって聞いたぜ。ゾル国が裏で糸を引いて、こいつを第三国へと輸出していたってのもな」

 

「詳しいな」

 

「戦争屋稼業ってのは、いつだって後ろ暗い事に詳しいもんだ」

 

 肩を竦めたガエルに将校は笑みを浮かべる。

 

「第三国への輸出、それによる兵器関連の事業の潤滑。ビジネスになる事を嗅ぎ分けるのに特化している輩は数多い。この《デミバーゴイル》に関しても数人のコミューン市長レベルが関与していたとされている。だが彼らが糾弾されないのはモリビトのお陰か。そもそも《デミバーゴイル》の破損機体が全て回収されたのも大きいかもしれない」

 

「どこの誰かさんなんだろうな。わざわざオラクルにとって不利益な《デミバーゴイル》回収に躍起になるだなんて」

 

 無論、ガエルはそれがこの連中である事は承知だ。でなければゾル国の専売特許である《バーゴイル》のパーツを大量に容易など出来るものか。

 

 彼ら多数派は戦場においてのハイエナ同然。この艦にも数多の損傷人機が納品されているのは整備デッキの充実を見れば明らかである。

 

「さぁ。どこの足長おじさんなのだか。それに関しては追及しないとしても、C連合がゾル国辺境地に仕掛ける理由として、この《デミバーゴイル》を追う、という大義名分がある」

 

「オラクルの打ち漏らしってわけか。ケツを拭く役割があるとすりゃ、ゾル国正規軍かC連合かって話だが、《バーゴイル》の近親機が使用されている以上、ゾル国が動けば自演の疑いが濃くなる。C連合に後始末を任せた形だな」

 

「頭は回るじゃないか。C連合はこの作戦指示書に、ロールアウト間際の新型機に関する事も書いている。つまり体のいいテストになる、と」

 

 拡大された名称には《ナナツーゼクウ》の文字があった。ガエルはケッと毒づく。

 

「《ナナツー》をまた改修しやがるのか。こりゃ戦地で出回っている弐式の値段が紙くず同然になるな」

 

「参式の量産体制も充分に整っているとある。この新型機のラッシュを早めたのは間違いなくモリビトとブルブラッドキャリアの脅威だ」

 

「連中、自分で自分の首を絞めているってわけかい」

 

 笑い話にもならない。ガエルは煙草を取り出しかけて将校に尋ねていた。

 

「禁煙かい?」

 

「艦内は基本、ね。吸うのならば甲板に出てくれ。君にとっては待遇に不満が出るかな?」

 

「いや、正しい判断だろ」

 

 ガエルは煙草を仕舞って作戦指示書に綴られた基地名をそらんじる。

 

「ここに仕掛けろって?」

 

「《バーゴイルシザー》の改修が終われば出て欲しい、と言いたいところでもあるが、気になる情報も仕入れていてね」

 

「てめぇらいつでも、何かしら仕入れてるな」

 

「胡乱に映るかな?」

 

「いんや、退屈しなくっていい」

 

 将校の取り出したメモリーデバイスをガエルは自身の端末に差し込んだ。暗号化された作戦が表示される。

 

 その文頭に表記されているのは驚嘆すべき名前であった。

 

「……これは」

 

「ブルブラッドキャリアの暗号化命令書だ」

 

 何事もないかのように淡々と話す将校にガエルは覚えず追及していた。

 

「どこで……どこでこんなもんを……!」

 

「君はそこまで気にする性質だったかな?」

 

 それを言われてしまえばそこまでだ。自分はただの兵士。与えられた使命を全うするまで。言葉を仕舞ったガエルは代わりのように命令書に書かれている内容を読み取った。

 

「モリビトの強化案……セカンドステージのテストだと?」

 

「どうやらあのモリビト、これ以上強くなるらしい」

 

「おいおい、あいつから逃れるのだけでも精一杯だったんだぜ? あれがこれ以上強くなるってのかよ!」

 

「だが、ある種予定調和でもある」

 

 放った言葉にガエルは眉根を寄せる。

 

「どういうこった?」

 

 将校は端末上に今までのモリビトの戦歴を呼び起こした。記録されている限りのモリビトのデータの羅列にガエルは舌を巻いた。どこからそのような末端情報に近いものでさえも手に入れるのだろう。

 

 あるいはそれが彼らの強みか。多数派であるがゆえに、情報においては事欠かない、という証明か。

 

「モリビトの今までの実戦データを鑑みるに、あれで終わるとは到底思えない。近接戦闘型の青いモリビトを01と呼称した場合、01はあまりにも近接に特化している。射撃武装を観察した限りでは全く装備していない。極端が過ぎる、という事だ。だが、これらの機体のデータが全て、この後に繋がる想定だとすれば?」

 

「……続けろ」

 

「極端な機体バランスは次手に繋げるためにあった。つまり、モリビトとブルブラッドキャリアは戦えば戦うほどに強くなるように、最初から想定していた」

 

「……なるほどね。そいつは、驚きだな。各国の人機開発者に聞かせてやりゃいいんじゃねぇのか?」

 

 その言葉に将校はフッと口元を綻ばせた。

 

「最初から完成していない人機など設計者は造りたくもないだろう。だがブルブラッドキャリアはあえて、その方式を取った。それは彼らの持つ高い技術力と、それに所以するモリビトの性能にあったのだろうが、ここいらが頭打ちだ。最初のモリビト三機の能力ならば、《ナナツー参式》の大量投入やエース級操主との戦闘まで考えられていないだろう。だが、それらのデータを総括した、第二次の改修案があるとすれば」

 

「とんだ隠し玉、ってわけか。あのモリビトが未完成の代物だったってのは、ちょっとした驚きだぜ」

 

 操主は未熟であったが機体性能としては申し分なかった。しかし、あれでもまだ完成していなかったのだとすればモリビトの行き着く先はどれほどのものなのか。想像するだけで背筋が震えた。

 

 恐れではない。これは昂揚だ。

 

 あれ以上と戦える、という戦争屋ならではの昂りである。

 

「モリビトはまだまだその全性能を引き出していない、と見るべきだろう。しかし、逆に言えば今度こそ好機ではある」

 

「スペックの上がったモリビトと一番にやり合えればあちらさんの手の内も知れてくる」

 

 ガエルの先んじた言葉に将校は首肯した。

 

「生き残れれば、の話ではあるがね。引き受けてくれるか?」

 

「引き受けるか、も何も、オレに拒否権はないんだろ?」

 

 部下を殺された。自分の身柄も何もかもも連中の思うがままだ。戦争屋くずれとしてこのままずるずると戦地を飛び回るか。あるいは安定した雇用主がいるか、の違い。だがガエルはだからこそ、戦争屋として相応しい選択を下した。

 

「やってやるよ。どいつをぶっ潰せばいい? オレに必要なのはそのシンプルな選択肢のみだ」

 

「いい答えだ。ガエル・ローレンツ。作戦は《バーゴイルシザー》の改修が終わり次第伝えよう。今は休むといい」

 

 その返答にガエルは口角を吊り上げ、悪魔の愉悦を浮かべた。

 

「せいぜい楽しみにしてな。この世界の移り変わりを、よ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯57 傲慢の守り人

 いくつかの覚醒とまどろみの間を行き来した気がする。

 

 桐哉の視界に入ったのは滅菌されたかのような白い天井であった。

 

 ハッとして起き上がろうとすると、自分がベッドに拘束されている事に気づく。傍らの椅子にリーザが座っているのが目に入った。

 

 こくり、こくりと眠りこけている。桐哉は声を出そうとして警報のようなシグナルが邪魔をした。

 

 飛び起きたリーザは桐哉の覚醒に顔を明るくさせた。

 

「准尉っ! 起きられたんですね?」

 

 リーザは慌しく機器を設定し、桐哉の身体に纏いついているスーツに伝達させる。桐哉は自分がまだパイロットスーツを身に纏っている事に気づいた。

 

 しかも見た事もない形状のスーツである。

 

 左胸の部位に落ち窪んだ渦巻き状の部品があり、そこから血脈のように走った線が左半身と頭部ヘルメットパーツの前頭葉に延びている。これは、と桐哉は首を傾げようとして全身を貫く激痛に顔をしかめた。

 

「まだ動かないでください。ハイアルファーの作用は思っていたよりも強いようです」

 

「ハイアルファー……」

 

 その言葉に桐哉の脳裏に鮮烈なイメージが過ぎる。赤く明滅する信号と共に自分と《プライドトウジャ》を接続した未知のシステム。

 

 それが確かハイアルファーという名称であった。

 

「どこから、説明すればいいでしょうか?」

 

 桐哉は何もかもだ、と声にしていた。

 

「何が起こったんだ? 俺は、あの機体に乗った途端、肩に鋭い痛みを感じて……」

 

 肩の部位には専用のパーツが施されており接続用のコネクターが伸びている。

 

「強制的に《プライドトウジャ》のシステムに飲み込まれたんです。ハイアルファーはあの機体を駆動させる、一種のOSのようなものだと思っていただければ」

 

 妙に落ち着き払ったリーザに桐哉は胡乱なものを感じたが、それを口にする前に表示されているバイタルサインの示す数値に驚愕した。

 

 バイタル、脳波、何もかもがゼロの数値を示している。

 

「どういう……バイタルサインが、ない?」

 

 リーザは椅子に腰掛け、桐哉の顔を覗き込んでくる。

 

「混乱もあるでしょうが、一つずつ解きほぐすとすれば、オラクル残党軍は撤退……いえ、准尉の操る《プライドトウジャ》が一掃しました」

 

「一掃? 俺が……」

 

 感慨は薄い。この手が基地を守ったのだ、という確証もほとんどない。

 

 本能のままに動き、理性を封殺した自分がレミィの駆る《デミバーゴイル》を破壊した。そのイメージだけがおぼろげにある。

 

「《プライドトウジャ》は現在、整備デッキにて整備中です。あの機体に関してはシーア分隊長の預かっている文献資料によるものが大きく、現行兵器による強化が成されるかどうかまでは不明ですが、今、現状を包み隠さずに話すのならば、あの機体以外にこの基地を守れる人機は、オラクル残党軍のうち、一人が搭乗していた《バーゴイル》を鹵獲したものしかありません。それもリゼルグ曹長の操る一機のみ。急ピッチで頭部の挿げ替え作業が進んでいますが、それも怪しいでしょう」

 

 リーザは何をしたと言うのか。どこか懺悔するような言葉振りに桐哉は尋ねていた。

 

「先生は、何をなさったんですか」

 

 面を伏せたリーザは端的に話す。

 

「救命措置を。《プライドトウジャ》の仕様は聞かされていませんでしたが、それがハイアルファーによるものだと分かったので、機体との同調がマイナスの閾値に達したのを確認してから、准尉を降ろし、その後に《プライドトウジャ》専用のパイロットスーツを用意しました。百五十年以上前の素材からの作成でしたが、図面通りならばハイアルファーに対応出来ているはずです」

 

 その言葉には奇妙な感覚がついて回る。まるで、その言い草では――。

 

「先生は、《プライドトウジャ》の存在を、知っていたんですか?」

 

 その疑問に突き当たってしまった。リーザは眼鏡の奥の瞳に暗い光を湛える。

 

「……分隊長より知らされていました。ですがこれを実効する事はないだろう、とも。基地が占拠される事があっても、これを報せずして投降すればいい、と。ですが相手が知っていた場合、然るべき処置が必要になってくる、という事で、あたしに……ハイアルファー人機専用のパイロットスーツの開発を任せてくださいました」

 

 リーザは知っていたのか。知っていて黙っていたというのか。朦朧とする脳裏に呼び起こされたのは、どうして、という一事だった。

 

「どうして、話してくれなかったんですか」

 

 言ってはいけない事かもしれない。それでも問わずにはいられない。どうして、知っていてあのように振る舞えたのか。

 

 リーザは膝の上で拳を握り締める。

 

「だって……准尉には残酷なほど、この世界の不条理が降りかかっています。そんな人に、これ以上の不条理を、話せるわけがないじゃないですか」

 

 モリビトという栄光から追われた自分。本国からこの基地に左遷された自分。その時点で、もうこの世界の不条理を背負っている。その双肩に、さらなる闇を見せるのは残酷と判断したのだろう。

 

 間違いではない。ただ、ショックなだけであった。何でも話してくれていたと思っていた――妹に似た容貌の少女がこの世界の裏面を知らされていたなど。

 

 リーザには釈明する気もないようであった。

 

「あたしの判断で知らせなかっただけです。准尉が、まさか《プライドトウジャ》に選ばれるなんて、思いもしなかったから……」

 

 桐哉は身に纏っているパイロットスーツに視線を向ける。これが、《プライドトウジャ》に選ばれた証、という事なのだろうか。

 

「このスーツは……」

 

「《プライドトウジャ》のハイアルファーは【ライフ・エラーズ】。文献資料によると、その性能は搭載人機の血塊炉と、操主の脈動を同調させる力です。長い間眠りについていた《プライドトウジャ》の血塊炉は死んでいたも同然。ゆえに、准尉の鼓動は全て停止しているのです。《プライドトウジャ》との過度の同調のために」

 

「じゃあ、俺は死んでいる、っていう事なのか……?」

 

 しかし死んでいるにしては、あまりに感覚が生々しい。枯れているわけでも、朽ちているわけでもない。

 

「ハイアルファーによる擬似的な死の現象の再現です。つまりシグナル上の死。《プライドトウジャ》はそれしか知らないのです」

 

 あまりに考える事が膨大に上った。桐哉は深呼吸する。呼吸も出来る。というのに、自分は死んでいる、というのか。

 

「誤解しないでいただきたいのは、准尉は死んでいるとは言っても、これまでの記憶や何もかもが消えてしまったわけではない、という事です。それこそが【齟齬する生命】の意。身体は一時的な臨死体験を経ていますが、《プライドトウジャ》の解析が進めば」

 

「俺が、生き返れる、とでも?」

 

 リーザは言葉に自信を喪失させる。

 

「……可能性上は、の話ですが」

 

 自分は死んだのか。それだけで、桐哉の中にわだかまっていた全てが色をなくしていくような気がしていた。

 

 モリビトへの憎悪。英雄の座を追われた事への妄執。妹への感情。全てが、意味のない刹那の出来事だったと言われているようで、己の中に生きる価値の一片すら見出せそうになかった。

 

 それを悟ったのかリーザは口にする。

 

「でも、准尉はこの基地のみんなを、守ってくださいました。あたしにとってはずっと……准尉は英雄なんです。守り人、なんです」

 

 その名前がたとえ穢れていても、彼女はそれを信じているようであった。弱々しい小動物のような瞳に浮かんだ涙は誰のためであったのだろうか。

 

 ――愚かに死へと進んでいく自分への手向け? あるいは、この残酷な世界への悲しみ?

 

 否、と桐哉は拳を握り締めた。

 

「……先生。《プライドトウジャ》のところに、案内してもらえますか」

 

「でもっ、まだ治療が……」

 

「俺はもう死んでいるんでしょう? だったら治療なんて」

 

 自棄になったわけではない。それは眼差しで証明出来たようであった。自分は、最後の最後まで足掻きを止めてはならない。

 

 リーザは幾ばくかの逡巡の後に首肯する。

 

「……分かりました。シーア分隊長へと連絡します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この人機、どうにからならないのかよ。百五十年以上前の駆動系だからって、融通が利かないったら!」

 

 ぼやいた整備師に分隊長が声を振り向けていた。

 

「駆動系を、慣らせるのならば《バーゴイル》の予備部品に変えてやってくれ。元々は《バーゴイル》の遠い先祖だ。馴染むはず……」

 

 不意に振り向けた視線が自分を捉える。リーザに支えられた形の桐哉にシーアは言葉をなくしたようであった。

 

「分隊長……」

 

「クサカベ准尉……」

 

 お互いに言葉を持て余す。しかし迷っているような時間はないはずであった。

 

「分隊長は、正しい判断をされました」

 

 その言葉にシーアは出鼻をくじかれたように沈黙する。

 

「その正しい判断で、どうか導いてください。自分は、どうするべきですか? どうすれば、この基地のみんなを、守れますか」

 

 シーアは最も残酷な決断を任される事だろう。しかし、それすらも過ぎた事なのだ。過去はもう終わった。未来のために、命令が欲しかった。

 

 シーアは桐哉の目を真っ直ぐに見据える。

 

「クサカベ准尉。この基地に残された戦力は最早、君の《プライドトウジャ》と、修復中のバーゴイルもどきのみ。リゼルグは一人でもやると言っているが、この基地を……守り通すのには君の力が不可欠だ」

 

 桐哉はリーザの支えから離れる。もう、死んでいる身体だ。しかし出来るだけ真っ直ぐに立とうと思った。

 

 誇りを持って、自分にしか出来ない事を成し遂げるために。

 

「命令をください。自分に、この基地のみんなを守り通せるだけの命令を」

 

 シーアは一瞬だけ面を伏せたがすぐに持ち直した。

 

「桐哉・クサカベ准尉。命令を下す。これはしかし、上官としてではない。軍人としても失格だ。だからこれは、純粋にお願いである。君だけが頼みの綱だ。この基地へと、つい先刻、攻撃命令が出ている事が発覚した。C連合がオラクル残党を刈り取るために軍を派遣する。またしてもここが、陰惨な戦場となる。しかも今度は、守り通す術がない。C連合はこの期を逃さない。恐らくは盤面を覆す一手とするはずだ。ゾル国との緊張状態は表向きは解かれないだろう。オラクルの残党処理、という名目で上は黙認している。《プライドトウジャ》の事はわざと通していない。わたしは、本国に背いた。既に重罪人に等しい。本国はどうせ、この基地を切り捨てる。次いでに英雄と謳われた君も排斥出来ると一石二鳥のつもりだろう。だが、桐哉・クサカベ准尉。君と、君を選んだ《プライドトウジャ》ならば可能性はある。ただの、罪人として願う。――わたし達を助けて欲しい」

 

 ここにいるのは全員、罪を背負った者達だ。リーザでさえも禁忌に手を染めた。

 

 ならば、毒を食らわば皿まで。桐哉は整備デッキに佇む《プライドトウジャ》を仰ぐ。

 

 黒色の特殊ガラスの奥に赤いデュアルアイを隠している。この機体で今度こそ、皆を救うのだ。

 

 英雄として。

 

 たとえ誰にも褒められなくとも。誰にも尊ばれなくとも。この戦いは守るための戦いである。

 

 ならば、「モリビト」の名前を手離すわけにはいかない。

 

「桐哉・クサカベ。任務を遂行します。……俺も、この基地の一員として守りたい。みんなの命を」

 

 今度こそ、真の意味で「モリビト」になれるのならば。誰かに担がれるのではなく、己の意思で、守り通す。

 

「《プライドトウジャ》をいつでも出せるようにしておこう。それがわたしに出来る精一杯だ」

 

 シーアは整備班と共に《プライドトウジャ》の完成を急がせているようであった。桐哉は身を翻しかけて、デッキの奥に佇む影を視界に入れた。

 

「リゼルグ曹長……」

 

 彼は静かな面持ちのままくいっと顎をしゃくる。来い、という意味だろう。

 

 リーザが腕を引き、首を横に振る。しかし、今は請け負う必要があった。

 

「先生、いいんです。今は、男同士の話がしたい」

 

 松葉杖を片手に桐哉はリゼルグの待つ格納庫の裏手へと辿り着く。

 

「そんなんで、守り通せるってのかよ」

 

 相変わらず挑発的だが、今の彼に漂っているのは問い質す空気だ。桐哉は静かに首肯する。

 

「俺が、守る。守り通したい」

 

「傲慢だねぇ、英雄さんは。言っておくがよ、C連合は本気みたいだぜ。《ナナツー参式》を正式採用し、今回新型も出て来るって話だ。結局のところ、こんな辺ぴなところに追放された人間達はみんな、刈り取られる運命って寸法よ。本国からも見捨てられ、運命からも見離され、ここにあるのは何でもない、刈られるためだけの命だ。踏み潰されるだけの虫けらなんだよ」

 

「俺は、自分達を虫けらだとは思った事はない」

 

 リゼルグはその言葉に自嘲気味に返した。

 

「戦力はこちとら、バーゴイルもどきとどこの馬の骨とも知れない人機が一機! こんなので、何が守れるって言うんだ! 何が、この戦いの先に待っているって言うんだよ!」

 

 リゼルグの拳は震えていた。振るう先のない力が彼の中で燻っているのが分かった。

 

「俺を殴るので、気が済むのなら」

 

「それならもう殴っているさ。英雄さんよォ……ついぞ、分からなくなっちまった。相棒が死んで、この基地もどこからも見捨てられて、残されたのがあんただってのに……、分からないんだ。何を憎めばいいのかも。誰を恨めば、この戦いが終わるのかも、全く分からないんだよ……!」

 

 自分達はこのまま、刈り取られるだけの命で終わるのか。

 

 ――否、と桐哉は心の奥深くで感じていた。この世に刈り潰されるだけで終わる命などあって堪るか。たとえその価値を見出せなくとも、命は等価なのだ。理不尽な現実を前に、どのような命であっても、等しく輝く機会がある。

 

「リゼルグ曹長、俺は《プライドトウジャ》に乗る。乗って、みんなを守る」

 

「……出来るのかよ、英雄さんには」

 

「やらなければならない。俺がやらねば、誰がやる」

 

 その資格があるのならば、どこまでも悪魔に魂を売り渡そう。死者の足掻きであっても、最後の最後まで醜く足掻いて見せよう。

 

 リゼルグはフッと笑みを浮かべ桐哉を改めて見据えた。

 

「……桐哉・クサカベ。あんたを尊敬は出来ない」

 

「分かっている」

 

「むしろ、恨んでさえいる。相棒を死なせた、無能だとも」

 

「それも、分かっている」

 

「――だが、今はそれ以上に、頼っている。あんたがこの世界の最後の希望とさえも、思えてくるほどに」

 

 振るわれそうになった拳は、桐哉の胸元を叩いた。まるで覚悟を問い質すように。

 

「いいんだな?」

 

 その問いに全てが集約されていた。

 

「ああ。俺が勝つ」

 

 ちょっと前には諍いの道具でしかなかったその言葉に今は何よりも救われていた。リゼルグは笑みを浮かべ、桐哉の肩を叩く。

 

「だったら、見せてくれよ。俺達に、希望が輝く瞬間ってのを」

 

 立ち去っていくリゼルグの背中を見やり、桐哉は堅く決意した。もう、守り通すと決めた。これ以上、何も失って堪るか。

 

「もう、迷わない。俺は、全てを守る、守り人だ」

 

 この手に力が宿ったというのならば見せてみろ。最後の一滴になるまで命を吸い尽くし、世界に抗う事を証明してみせる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯58 フルスペックモード

 海上を行く巡洋艦のうち、数隻は既にゾル国の海域に入っていた。しかし、警報どころか牽制の一発すらないのは拍子抜けでさえある。

 

 艦内を行き来する軍人のうち、数名が今回の掃討作戦は表向きだという噂を口にしていた。

 

「実際、どうなのか分からないからな。オラクルなんて弱小国家、叩き潰すまでもないはずなのに、ゾル国との緊張状態も加味してでもこの強行採決……、多分お上は戦争をやりたいのさ」

 

 一人の将校が軍服に風を入れながら放った言葉に通信網を笑い声が震わせる。

 

『この策敵警戒だって、意味ないんだろ? こんな型落ち品じゃなく、参式が出回るって話。マジなのかもな』

 

 海面を睨み据えるのは《ナナツー弐式》のキャノピーである。片腕と一体化している巨大な砲塔が即座に現れた敵を迎撃せしめる、という寸法だ。

 

 しかしながら搭乗している操主達はこの砲身の射程距離にゾル国の《バーゴイル》の飛翔高度が勝っていない事を知っている。

 

 知っていながら決め込むこの状況に物申したいのは誰も同じらしい。

 

『《バーゴイル》が相手じゃないだろ?』

 

『それはオラクルだから……例のバーゴイルもどきか』

 

『いんや、案外敵は同じ弐式かも知れん。いずれにせよ、最新設備と整備の整ったC連合の巡洋艦に仕掛けてくる人間なんていないだろ。前哨戦の海上警戒なんて数合わせでしかない感じだ』

 

 C連合巡洋艦は前衛に三隻、後衛に三隻の三角編成を取っている。前衛部隊は既にゾル国領内に立ち入っているはずだ。

 

 だが領内と言っても、コミューンのように外壁があるわけでもない。僻地の基地一つ潰すのに、この編成は少しばかり大げさで、何よりもおっかなびっくりであるのを兵士達は醒めた目線で観察していた。

 

『海上をゆらゆら行くってのはこうも退屈かねぇ』

 

『人機酔いの激しい奴はエチケット袋を用意しておけよ』

 

 その無線内に吐き気を催した兵士の呻き声が聞こえてきて、数人が失笑する。

 

 人機に乗っている上に甲板での警護任務。

 

 前時代的だと嘲るのもさもありなん。しかも装備はただ単に射程が長いだけのデカブツ。このような警戒任務自体が冗談じみている。

 

『飯は? どこで補給するんだったか?』

 

『補給なんてないだろ。お前ら、何もコックピットに持ち込んでいないのか?』

 

 袋の中からスナック菓子を取り出し、兵士はこの憂鬱な時間を紛らわす。映画でも流れれば最高なのだが、と海面を眺めていた兵士は不意に接近注意の警告が耳朶を打ったのを確認する。

 

『どこの馬鹿だ? 海中からだとよ』

 

『ゾル国の監視船じゃないのか? 俺達が火傷しないように見張ってくれているのさ』

 

 そうか、と納得した兵士は警報をミュートモードにしようとしたが、その矢先に目標が加速した。

 

 一直線に艦へと向かってくる標的の速度は監視船のそれではない。

 

『おい、こいつ速いぞ』

 

『じゃあ本国の船だろ? 今さら俺らの尻拭いをするために急いでやってきたんだ。歓迎してやれよ』

 

 兵士の一人はしかし、砲門を海上へと向けさせた。重装備型の《ナナツー弐式》が海中より来る敵を睨み据える。

 

『なに頑張っちゃってるの?』

 

 嘲笑が漏れ聞こえたが、直後には集音器が捉えたモーター駆動音に一斉に色めき立つ。

 

『この駆動音……C連合のじゃない……』

 

 艦内警報が響き渡り、迎撃命令が出たその時には、習い性の身体が引き金を引いていた。

 

《ナナツー弐式》の片腕と同義の巨大砲身が紺碧の大気を割る砲弾を海中の敵へと着弾させる。

 

 手応えはあった、と兵士が汗を滲ませた瞬間、加速度がさらに強まり、甲板を揺るがす攻撃が襲いかかった。

 

 魚雷か、あるいはそれに類した何かの反撃。それも直撃だったのだろう。

 

 艦内通信を悲鳴と断末魔が一気に染め上げる。甲板の兵士達がそれぞれに統率された動きを取り、海中に潜む標的へと照準した。

 

『四番機! 照準!』

 

『七番機、同じく照準! 敵影を捕捉! モニターに出す!』

 

 熱光学センサーの捉えた標的は異様な姿形をしていた。まるで大昔の海洋生物のようにくねった両腕を有しており、その両腕から先ほど魚雷が放たれたらしい。

 

 腹部に熱源を関知する。あれは、無人兵器ではない、と誰もがその瞬間、息を呑んだ。

 

『海中を行く……人機だって言うのか』

 

 水中用の人機開発には打ち止め命令がかかっている。理由は大別すると二つ。

 

 水上での敵との戦闘など、遭遇率は千分の一未満だからだ。航空輸送が発達した現在において海上を行くメリットがさほどないのも挙げられる。

 

 もう一つは、人機自体、海水には非常に弱い。

 

 精密機械の塊である人機において汚染された海水はただの毒でしかない。その猛毒の中を突っ切る機体など、彼らの中では問い質すまでもなかった。

 

『まさか……モリビト……』

 

 不明人機は真っ直ぐ艦へと向かってくる。

 

『野郎、腹部に抱いた操主ごとぶっ飛ばしてやる』

 

 滑空砲を装備した《ナナツー弐式》の性能面ではたとえ相手が海中に潜んでいても、物理的に破壊する術は心得てある。

 

 照準器は敵影を完全にロックオンした。

 

 引き金に指をかけようとした瞬間、標的の熱源が高まっていく。

 

『浮上する……いや、これは飛ぶつもりだ!』

 

 悲鳴が迸る瞬間、数名が引き金を絞ったらしい。砲弾が海中に潜んでいた人機を炙り出した。

 

 両腕をくねらせた奇形の人機は背面に高出力のスラスターノズルを有しており、それによって急浮上が可能であったようである。

 

 飛翔した、と言っても《ナナツー弐式》の射程圏外に逃れるほどの推力ではない。

 

『馬鹿め。的になるだけだ』

 

 照準は依然として不明人機を捉え続けている。しかし、全員がその指先を躊躇わせたのは、その腹部に抱いていた代物にであった。

 

『コンテナ……?』

 

 不明人機は腹部コンテナを《ナナツー》部隊の前に晒す。コンテナの下部シャッターが開き、その闇の中から何かが空間を引き裂いた。

 

 直後にはその攻撃網に触れた《ナナツー弐式》が二機ほど犠牲になったらしい。

 

 目にも留まらぬ速度で放たれた何かの奇襲に全員が面食らっていた。

 

 腹部コンテナの闇に潜んでいたのは人機である。

 

 いや、人機である、としか分からなかったというべきか。

 

 闇の中にいるはずのその機体には姿形がない。

 

 熱源センサーを用いている操主数名は目視戦闘に切り替えた。

 

『視えない……?』

 

 コンテナの中はどう見ても空なのだ。しかし熱源はその場所から発している。何よりも、今しがた撃墜された二機は何に攻撃されたと言うのだ。

 

『あの奇形の人機の新兵器か?』

 

 戸惑う全員の視線の中心軸にいるコンテナの魔物が解き放たれた。

 

 熱源が大きく飛翔し、《ナナツー》部隊の一部が点在する甲板に降り立ったのである。甲板を軋ませ、その重量と加速度に最新鋭の巡洋艦が悲鳴を上げた。

 

 やはりそこに「在る」のだ。

 

 だが、先ほどから問題なのはそれがそこに「在る」のは分かっていても、全くもって「視えない」という点であった。

 

『視えない人機なんて……』

 

 言いかけたその言葉尻が悲鳴に劈かれた。不可視の存在から射出されたのは扁平な刃であった。

 

 刃はキャノピーに突き刺さり操主を絶命せしめていた。よろめいた《ナナツー弐式》がそのまま海中に没していく。

 

 酔い潰れた人間のように千鳥足で汚染された海に頭から突っ込んだ。

 

 それだけでも常軌を逸している。

 

 だというのに、依然として敵の正体は不明。

 

 サーモグラフィーの捉えた敵の姿もどこか薄ぼんやりとして実体を判別出来ない。

 

 標的に照準を向けたはいいものの、挟み込むように照準した二機は逡巡する。

 

 同士討ちになりかねない、と思案した隙につけ込むように扁平な刃がさらに放たれた。

 

 風を裂く刃の暴風域に二機の《ナナツー弐式》が押し込まれる。兵士達は放心したようにその光景を眺めていた。

 

 何もない空間から射出された刃で《ナナツー》が細切れにされていく。その速度そのものが尋常ではない。

 

 扁平な刃自体に推進剤でもついているのか。機動力は《バーゴイル》のそれを大きく上回っている。

 

《バーゴイル》の格闘戦術よりも素早い敵に旧式の《ナナツー》では成す術もなかった。射程に入れておきながら、その甲板上の《ナナツー》部隊は一機、また一機とキャノピーの頭部を潰されつつ無力化されていく。

 

 最後に残った足元の巡洋艦へと、その機体が刃を振り下ろした。

 

 その時になってようやく、機体の全貌が把握された。

 

 青い機体は太陽光を照り受けて薄く輝きを放っている。先ほどまで目視出来なかった部位には布のようなものが纏い付いていた。

 

『外套だ……』

 

 誰かの無線が耳に届く。外套を纏っている人機なのである。

 

 その外套が光を乱反射させ、操主の目には視えないように仕掛けが施されているのだ。

 

 しかし鋼鉄の塊である人機に外套を着せるなど誰が思いつくだろうか。

 

 R兵装らしき刃が艦内を貫き、巡洋艦の内部を焼き払っていく。灼熱の剣に焼かれ、もがき苦しむ声が通信を震わせた。

 

 犠牲になった艦が火の手を上げる。炎熱の照り輝きが不可視の人機に形状を与えた。

 

『見えた! そこだ!』

 

 別働隊の甲板から一斉砲撃が見舞われる。兵士達の胸中にあったのは同じであった。

 

 ――見えてしまえばなんて事はないはず。

 

 三隻の巡洋艦が見張っている海域からそう容易く一機の人機が逃げ出せるはずもない。

 

 そう思い込んでいた人々は直後に踊り上がったその機体の速度に瞠目した。

 

 直下の巡洋艦に扁平な刃を突き立てて、その刃の推進力を借りて跳躍したのである。

 

 まるで人のような、否――人ですらない動き。

 

 軽業師めいたその挙動は鋼鉄の塊であるはずの人機の常識を覆していた。

 

 砲撃が明後日の方向を射抜き、砲弾が沈みかけていた巡洋艦にとどめを刺す。轟沈の復誦が響いたその時には別の船へとその人機は飛び乗っていた。

 

 巡洋艦同士の間は無論、それほど接近していない。

 

 その距離を埋めて見せた人機は外套から触覚のように刃のついたワイヤーを翻していた。

 

 あの挙動を実現した刃は全てワイヤー一本で繋がれていたのだ。それだけでも驚愕の代物であったが、乗り移った人機は即座に攻撃機動に移る。

 

 こちらに逡巡の暇も、あるいは思考の時間さえも与えてくれない。間断のない刃の応酬に《ナナツー弐式》が同じようにキャノピー部を突き刺されて絶命していく。

 

 これでは繰り返しだ、と誰かが判断したのだろう。通信を震わせたのは一機の《ナナツー》操主の叫びであった。

 

『全員! この情報を同期しろ! 不可視とは言え、全く存在しないわけではない! 熱源光学センサーに切り替え、目視戦闘を避けつつ後退! 敵は速いが、甲板は我々の庭だ!』

 

 その言葉で全員が我に帰った。そうだ。甲板はこちらの領域。どれほど向こうが速くとも、こちらの作戦を完全に凌駕する事は出来ないはず。

 

 照準器が一斉に標的を捉えた。お互いを攻撃しないために副武装である小銃へと切り替える。

 

 一機の勇気ある行動により、視えない人機はようやく実体を伴っていた。

 

 熱光学センサーと目視を併用すればそれほど怖い敵ではない。扁平な刃による烈風域は極めて狭い領域であり、距離さえ取ればその網にかかる事はない。

 

『馬鹿め。俺達の射程に入って、逃げ帰れると思うな!』

 

 一斉掃射の言葉が雷鳴のように轟きかけて通信網を冷たい声が木霊する。

 

『――視えているのか。なら行動を次のフェイズに切り替える』

 

 不明人機が外套を翻させた。今しがたまで完全に機体を覆っていた外套を部分的に解除し、まるでマントのように紺碧の大気に漂わせる。

 

 青と銀の色彩を放った人機のデュアルアイセンサーがこちらを睨み据えた。

 

 ナナツー部隊はその機体のデータを照合させる前にマントから放たれた白銀の輝きに目を奪われていた。

 

 センサーが焼きつき、今まで熱光学の眼に頼っていた人々が次々に呻き声を漏らす。

 

『眼が、眼がァッ!』

 

 目視戦闘をしていた者以外、全員が一時的に失明していた。外套から放たれる白銀が《ナナツー弐式》の眼をことごとく潰していく。

 

 あれは毒だ、と目視戦闘に入っていた兵士達が銃撃を見舞おうとする。

 

 その攻撃速度より速く目標が甲板上を駆け抜けていた。巨大質量の速度に甲板が軋み、粉塵を巻き上げていく。艦上を高速移動する質量に波飛沫が上がった。

 

《ナナツー弐式》の懐へと滑り込むように肉迫した機影は片腕の大剣を薙ぎ払っていた。

 

 その一動作だけで堅牢なはずの《ナナツー》の胴体が断ち割られていく。おっとり刀で近接武装に対応しようとした人々は向こうからまさか射線以上の距離に飛び込んでくるとは思っていない。斬撃を前に《ナナツー》の近接武装ではてんで役に立たなかった。

 

 Rソードが発振しこちらの腕を断ち割っていく。悪夢のような光景に《ナナツー》の操主の数人が精神に異常を来たしたのか、機銃掃射が連鎖した。

 

 敵人機の周囲を辻風が舞い遊ぶ。扁平な刃が防御陣の動きを取って盾となったのだ。その精密動作に呆けている暇もなかった。

 

 すかさず斬り込んできた刃に《ナナツー》部隊は大混乱に陥る。

 

 兵士達は最早統率など取れていなかった。

 

 各々が人機へと突っ込み、命を散らしていく。

 

 退け、と誰かが命じたがそのような言葉を信じている間にも敵の攻撃は止まない。

 

 扁平な刃が《ナナツー》の胴体に入り、直後銃撃を響かせた。

 

 刃の中央部には銃口が開いているのだ。

 

『あの武器……銃でもあるのか』

 

 これでは射程を取る意味などまるでない。下がりきれない《ナナツー》へと青い人機が接近し、その警報が通信網を幾重にも震わせた。

 

 ノイズと悲鳴ばかりになった通信の中で兵士達は考えただろう。

 

 生き延びる方法を。ここで相手を倒す方法論を。

 

 だが、そのような瑣末な考えはまるで意味がないのだ。

 

 ここで生き残るのは、恐らく二束三文の善意や浅慮ではなく、獣のような意地汚さ。

 

 何が何でも生き残るという死狂いじみた発想でなければ死に呑まれるだけであろう。

 

 兵士達は咆哮し、不明人機へと《ナナツー》を飛びかからせた。一斉にかかれば、と一瞬だけ過ぎった勝利の感慨を掻き消すように巻き起こった烈風が《ナナツー》のキャノピーを引き裂き、大剣が胴体を叩き割っていく。

 

 まさしく嵐のような人機の攻撃に今際の際にいる兵士は呟いた。

 

『おのれ……モリビト……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鉄菜は全兵装がオールグリーンの閾値を示している事に安堵しつつ、《シルヴァリンク》の駆動系に僅かな遅れが生じている事に気づいた。

 

「ジロウ。Rクナイの挙動が僅かに遅い」

 

『仕方ないマジ。急造の部品を四基も動かす身にもなって欲しいマジ』

 

 軽口を叩いてくるAIに鉄菜は嘆息をついた。

 

《モリビトシルヴァリンク》フルスペックモード。

 

 セカンドステージ案と呼ばれるこの装備の事は事前に知らされていたものの実現可能かどうかの議論で止まっていた。

 

《シルヴァリンク》の腹部に装備されているのは巻き取り式のワイヤー武装、Rクナイである。

 

 四基のRクナイがそれぞれ標的を睨み、AIジロウのサポートで敵機を撃墜する。

 

 その一方で、機体を覆うようにして纏った外套はアンシーリーコートの技術を応用した不可視の術であった。

 

 光を内部で乱反射させる事によって一時的な開放状態の時、敵の熱光学センサーを眩惑させる。

 

 アンシーリーコートに使うエネルギーを最小限に留める事の出来る武装だ。なおかつ目視戦闘ではほぼこちらの動きは見えない。

 

「これがフルスペックモードの力……」

 

 これならば勝てるか、と真っ先に思い浮かんだのはコミューンに仕掛けてきた《バーゴイルシザー》であった。

 

 あの機体を墜とすのにはこれでも足りないほどだ。小手先だという事は《ナナツー》部隊の挙動を見ても明らか。

 

 やはりもっと強くならなくては。その感慨にふける時間もなく、最後の巡洋艦から砲撃が見舞われる。

 

 まだ甲板上の《ナナツー》部隊はあと一つ残っている。恐慌に駆られた兵士達の喚きを通信に入れつつ、鉄菜が《シルヴァリンク》を跳躍させようとした、その時であった。

 

『鉄菜! そこから先は、わたくしの《インペルベイン》が引き受けたわ!』

 

 彩芽の声に鉄菜は眉根を寄せる。

 

「随分と遅いご登場だ」

 

『あら? 鉄菜、皮肉が言えるようになったのね』

 

 どこか微笑ましいとでも言うような声音に鉄菜は悪態をつく。

 

「……で? どこから来る?」

 

『今一直線に向かっているところよ』

 

 高速で接近する熱源に《シルヴァリンク》の警報が鳴り響いた。

 

 海上を突っ切ってくるのは《インペルベイン》であるが、その背筋から伸びているのは巨大な両翼であった。

 

 灰色の重装備パーツを背負った《インペルベイン》が以前までを軽く凌駕する速度で迫ってくる。

 

『うろたえるな! 今度の敵は視えている!』

 

 兵士達の統率が一斉に《インペルベイン》へと向いた。

 

『鉄菜、何やったの? 視えているだけで大歓迎みたいだけれど』

 

「知らない。それよりも、そんな速度で突っ込んできてどうする? 敵の的になるだけだ」

 

『ご心配なく。《インペルベイン》、ハイマニューバシステム始動! ファントム!』

 

《インペルベイン》が右足に履いたリバウンドブーツで海面を蹴りつける。その勢いを借りて《インペルベイン》の機体が黄金に照り輝いた。

 

 その輝きは一条の光となって巡洋艦の間を突っ切っていく。

 

 鉄菜はその刹那に確かに目にしていた。

 

《インペルベイン》から放出された膨大な量の爆薬を。

 

 咄嗟に飛び退りリバウンドの盾を使用する。

 

 爆発の光輪が広がり、巡洋艦をたちまち炎の渦に沈めていった。《ナナツー》部隊は恐らく爆薬を使われた事さえも理解出来ないまま撃墜された事だろう。

 

 他人の事は言えないがなかなかにえげつない事をするものだ。

 

 少しでも遅れていれば自分とて犠牲になっていた。

 

「危うい事をする」

 

『でも、鉄菜なら避けられたでしょ?』

 

 モリビトを使う操主ならば、という意味でもあるが。沈み行く巡洋艦三隻を視界に入れつつ、鉄菜はリバウンドブーツで器用に反転してみせた《インペルベイン》に言いやった

 

「桃・リップバーンは? ポセイドンがこちらにあるという事は完全な装備ではないはず」

 

『まずは敵の戦場の視察、って言っていたかしら』

 

 開いた通信ウィンドウの先にいた彩芽はOLの服装のままであった。本当に着の身着のままで来たようだ。

 

「……そんな格好でよくも」

 

『あれ? でも鉄菜だって』

 

 ウィンドウに浮かび上がったのは桃の撮影した自分の制服姿である。いつの間に、と鉄菜は胡乱そうに尋ねていた。

 

「……元データは?」

 

『あの子が持ってるんでしょ? まぁ、わたくしには鉄菜をいじめてもそんなに利益なんてないけれどね』

 

「分からぬ事をする。桃・リップバーンからの続報がない以上、敵の戦力を削ぐ事に尽力すべきか」

 

 その時、不意に通信が開いた。

 

『クロ、アヤ姉。敵の戦力分散ご苦労様。今、モモはロプロスと一緒に高高度から敵の戦力をはかっているわ。前衛部隊はとっくに上陸しているみたいね』

 

 桃は通信を繋ぐなり彩芽がOL服なのを目にして吹き出した。

 

『そんなに変?』

 

『似合い過ぎ、アヤ姉。何で眼鏡してるの?』

 

 先ほどから鉄菜も気になっていた事だ。鉄菜は真面目に言いやる。

 

「視力が落ちたのか?」

 

『プログラマってのは妙な職業でね。眼鏡していると真面目だと思われるのよ』

 

 眼鏡のブリッジを上げた彩芽に鉄菜はそのようなものかと得心する。

 

「ポセイドンを使って追いつくとしても恐らく敵の最前列には間に合わないな。《シルヴァリンク》はフルスペックモードではバード形態になれない」

 

『何か、妙な事になっているみたいよ? ゾル国の基地から今、バーゴイルもどきが出てきて……交戦中、なのかな?』

 

 疑問符を挟んだ桃の言い草にこちらも困惑する。

 

「交戦しているのか、分からないのか?」

 

『うーん、見たところ敵同士なのは間違いないはずなんだけれど、情勢を考えるとおかしいのよね。だってゾル国にオラクルって下ったわけじゃない? それなのにC連合と戦うって事は戦争に持ち込みたい誰かがいるって事になっちゃうし』

 

「オラクル残党軍の掃討作戦、という事で上も黙認しているのじゃないか」

 

『でも、C連合も《バーゴイル》を撃墜するって意味分からないわけじゃないと思うけれどなぁ』

 

 煮え切らない桃の言葉に彩芽が声を差し挟む。

 

『いずれにせよ、戦場には違いないわ。鉄菜、桃、モリビトのフルスペックモードの力、示すわよ』

 

 鉄菜はコックピットで強く頷いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯59 集う兵達

 百五十年前の機体である事が所以しているのか、再起動には相当な時間がかかるとの試算が与えられた。その間に敵が攻めてこないとも限らない。猶予はないのだ。

 

 中途半端でも、と声を張り上げようとした桐哉にリゼルグが言いやった。

 

「《バーゴイル》は? 行けるんだろ?」

 

「曹長の《バーゴイル》は出せますが、一機では……」

 

 分かっているのだろう。敵は大隊で攻めてくる。《バーゴイル》一機で覆せる戦場ではないのだ。

 

 しかしリゼルグは譲るつもりはないようであった。

 

「英雄が出られないってのに、こっちはだんまり決め込めないだろ? 《バーゴイル》にありったけの火器を持たせろ。多少重たくなってもいい。ないよりかはマシだ」

 

「しかし……そうなってくるとこの戦局、勝てるかどうかは」

 

 濁した整備士にリゼルグはハッキリと返す。

 

「勝つ。んで、みんなで祝勝会だ。そうだろ?」

 

 振り向いたリゼルグの瞳に桐哉は首肯する。そうだ。みんなで生きる。命を守るのだ。それが自分に与えられた唯一の使命。

 

 整備士はようやく折れたらしい。ハンガーに積載されている《バーゴイル》専用ではない重火器でさえもリゼルグの《バーゴイル》に装備させる。

 

「リーザ先生」

 

 振り向けた声にリーザが肩を震わせる。

 

「な、何ですか?」

 

 今までリゼルグにいい思い出はなかったからだろう。おっかなびっくりの彼女にリゼルグは頭を下げていた。

 

「英雄さんを、頼みます。無茶しないように」

 

 その行動にリーザが呆気に取られる。リゼルグは笑って誤魔化した。

 

「だってよ、あんたみたいな枷がないと何仕出かすか分からないですからね。分かりやすい枷があったほうがいい」

 

 枷呼ばわりされた事にリーザは腹を立てるよりも、リゼルグの無理やりの笑顔に困惑していた。

 

 桐哉にも分かる。

 

 リゼルグは帰ってくるつもりはない。きっとこの戦場で命を散らしてもいいと思っている。

 

 だからこそ、桐哉は歩み寄っていた。松葉杖をつきつつも、リゼルグに声を発する。

 

「リゼルグ曹長。俺を殴って欲しい」

 

 その言葉があまりに意外だったのか、リゼルグは目に見えて困惑した。

 

「な、何言ってんだ? 病人を殴るほどクズじゃ……」

 

「殴ったら、俺も何も考えずに殴り返せる」

 

 その意味を悟ったのだろう。リゼルグは笑みを刻んでぼやいた。

 

「……ずりぃな。英雄さんよ」

 

「ずるいから、英雄になれたんだ」

 

 リゼルグはその瞬間、思い切り拳を振り切った。桐哉は口中に血の味が滲んだのを感じ取る。リーザが慌てて駆け寄ってきたが、桐哉は手で制した。

 

「これで、一つ借りだな」

 

「まったく……殴り返させて欲しい、って寸法ですかい。じゃあ、死ねないな」

 

「ああ」

 

 男にしか通じないものがある。リゼルグは重装備を施されていく《バーゴイル》を視野に入れつつ桐哉を見ずに言った。

 

「……後から来るのに足を引っ張らんでくださいよ」

 

「せいぜい善戦していてくれよ」

 

 減らず口だけは叩ける。それだけで今は幸福であった。

 

 整備が完了したという報告と、敵陣の第一波が既に上陸している、という報告は同時であった。

 

 シーアからもたらされた最大望遠の映像の中に映し出されていたのは新型の《ナナツー》である。

 

「参式を送り込んできたか……。C連合がこの戦いで推し進めたいのは、恐らく新型人機の実用試験」

 

「こっちは都合のいい的って事ですか」

 

 リゼルグの言葉にシーアは沈痛に顔を伏せる。

 

「本国からの連絡はない。……完全に、切り捨てられたようだ」

 

「無理もないでしょう。こっちも隠し通したいんだ。《プライドトウジャ》を本国に掻っ攫われたくなけりゃ、ギリギリまで情報は秘匿するべきでしょう」

 

 本国の軍が来るとしても恐らくは全て終わった後だろう。その時に《プライドトウジャ》だけ奪われるのは割に合わない。

 

「トウジャの駆動系、《バーゴイル》が馴染みつつありますが、やはり時間が……」

 

 口を差し挟んだ整備士の声には焦燥が滲んでいた。いつ攻撃があってもおかしくはない。僻地のこの場所には非常時の防御などないに等しいのだ。

 

 せいぜい牽制用の銃座が数台。リゼルグの駆る《バーゴイル》と自分の《プライドトウジャ》のみ。

 

 心許ないのは最初から分かっている。

 

 それでも戦わずして負けるのは飲み込めない。オラクルという国家に翻弄され、本国からも切られ、C連合の体のいい実験台にされるだけの存在であるのは間違っていた。

 

「自分はもう行ってきます。《バーゴイル》の射程でも敵への牽制は出来るかもしれない」

 

 シーアが呼び止める前に、彼はタラップを駆け上がっていった。きっとどのような言葉であっても彼を止める事は出来なかっただろう。

 

「わたしは……君達のような若者に、死んで欲しくはないのだ。わがままかもしれないが、それだけが本音だ」

 

 分隊長としてこの基地を預かるものとしての言葉だろう。桐哉はリゼルグの乗り込んだ《バーゴイル》を仰いだ。

 

「死にはしませんよ。自分もリゼルグ曹長も。死ぬつもりはありません。終わったら、みんなで祝いましょう。今日の命に、乾杯って」

 

 だからなのか、笑っている自分をシーアは直視出来ないようであった。元はと言えばシーアがオラクルに下ったために終わったこの命。責任を感じているのは一番に分かっている。

 

 だからこそ、この状況では笑いたい。

 

 笑って、明日がある事を信じたかった。

 

「クサカベ准尉。《プライドトウジャ》との最終接続はコックピットでの調整になります。もうそろそろ」

 

 搭乗してくれ、という事なのだろう。歩み出しかけた桐哉へとシーアは声をかけそびれた。

 

 何を言えばいいのか分からなかったのだろう。リーザはその背中にいつものような言葉を投げていた。

 

「准尉っ! その……准尉は、英雄なんですっ、あたしにとっても、みんなにとっても」

 

 この基地全員の命を預かるのが自分の仕事だ。それを果たせれば、燃え尽きても構わない。

 

 桐哉はあえて振り向かず《プライドトウジャ》へと乗り込んだ。

 

 リニアシート周りが《バーゴイル》のものに差し替えられている。愛機であるスカーレットの部品だ。これだけでも随分と安心出来た。

 

「そうか。スカーレットの遺伝子を、受け継いでくれたか……」

 

『感慨にふけっている場合じゃないぜ、英雄さんよぉ』

 

 リゼルグの軽口に桐哉は言い返す。

 

「分かっている。結果を示さなくっちゃな」

 

『先に行く。後から獲物が残っていないって嘆くぜ、きっとな』

 

「期待していよう」

 

 リゼルグの《バーゴイル》へと出撃可能のサインが下る。

 

『リゼルグ・レーヤー曹長! 《バーゴイル》、出る!』

 

 青い推進剤の光を棚引かせつつ《バーゴイル》が基地防衛の任へと躍り出た。

 

 桐哉はその光の残滓に静かに敬礼していた。

 

 後は自分の仕事だ。

 

「准尉。ハイアルファーを起動させます。【ライフ・エラーズ】のショックでこん睡状態に陥る事態も考えられますので、それも加味してください」

 

「何分で出られる?」

 

「最短でも……三十分は……」

 

 その視線は先ほど出撃したリゼルグの《バーゴイル》を追っていた。三十分後に戦場がどうなっているのか。見当もつかない。

 

 しかし桐哉は落ち着いて待つ事にした。それだけが自分に与えられた責務だ。

 

 ――リゼルグの背中を無駄にして堪るか。

 

 男の背中に誓った大義に、桐哉は息を深くつく。

 

「分かった。やってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ナナツー参式》の鋼の躯体がゾル国の領地を踏む事になるとは、正直なところ、自分でも意外なほどであった。

 

 リックベイは海上に位置する巡洋艦と共に甲板で標的である前線基地を眺めていた。

 

 ほとんど僻地だ。青く濃いブルブラッド大気に包まれた秘境と言えよう。恐らく戦地とはまるで無関係な場所だったに違いない。

 

 そのような場所を蹂躙し、叩き潰すのが己の仕事とは、と自分でも嫌になるほどであった。

 

「少佐。マスクキツイっすよ」

 

 歩み出たタカフミにリックベイは息をつく。

 

「ブルブラッド大気汚染は七割以上だ。こんな場所によく……基地など造るものだ」

 

「他国の思想は分からないですねぇ」

 

「参式の編隊は? どの程度進んだ?」

 

「半分ってところです。ほとんど慣らし運転みたいなもんですから、兵士の中には参式の駆動系に慣れてない人間も多いみたいで」

 

「最新鋭機だからな。一機でも壊さずに持ち帰れれば上々だ」

 

 漏れ出た本音にタカフミは首を傾げた。

 

「敵の首を取るつもりはないんですか?」

 

「オラクルか? そのようなもの、既に亡国の徒だ。今さら取る意義もあるまい」

 

「じゃあ、この戦い、意味ないじゃないですか」

 

 タカフミの言葉は相変わらず直截的だがこの戦場に関しては彼の言葉が見合っている。

 

 意味などないのだ。

 

 ただ単にお互いの利害が一致しただけ。

 

 オラクルを排斥したいゾル国と、参式を試したいC連合。この二つがもつれ合い、兵士達の思惑さえも飛び越えて実行されたに過ぎない。

 

 よくある事であった。兵士になれば、意味があるないに関わらず、命令には堅実に実行するだけの精神が求められる。

 

 それがどれほどまでに一方的な戦場であろうとも。あるいはどれほどまでに意義など欠片ほどにもない戦場であっても、自分達は軍人である。軍人は全うするだけなのだ。

 

 それが軍属となる、という事である。

 

「アイザワ少尉。人機に乗るのは楽しいか?」

 

 だからか、このような質問が口をついて出たのも、それは軍属という逼塞した状況にある人間の気紛れであった。

 

 タカフミは少し思案した後、ハッキリと答える。

 

「人機は好きですよ。乗るのも好きです。戦うのも、まぁ嫌いじゃないです。ただ、何ていうのかな……多勢に無勢みたいなのは、あんまし好きにはなれないっす」

 

 少しだけ意外ではあった。タカフミは相手を圧倒するのが好きだと思っていたからだ。

 

「敵を圧倒する事に、喜びを感じないのか?」

 

「喜び、ですか……。難しいですねぇ。だって、あんまりにも敵との戦力差があると、それって戦いじゃないでしょ」

 

 彼の言葉は時折、正鵠をつく。だからこそ、この部下が必要なのだ、とリックベイは感じていた。

 

 ――戦いではない、か。

 

 この戦場もそうなのかもしれない。最早、これは戦いとは呼べない。

 

 ただの消耗していくだけの戦場。磨り減るだけの命。

 

「美学など、求めたところで」

 

 踵を返そうとしたその時、警報が鳴り響いた。

 

 何だ、と振り仰いだ視線の先にいたのは大型人機である。脚部のない機体が両翼を広げて巡洋艦の上を取っていた。

 

「嘘だろ……モリビト……」

 

 発せられた声にリックベイは上空の敵を見据える。

 

 モリビトはしかし、巡洋艦を撃沈するために降りてきたわけではないらしい。翼を広げ、高高度へと飛翔していく。戦場を俯瞰する位置についたらしい事が通信で分かった。

 

「少佐……モリビトがこの戦場に介入するという事は……」

 

 タカフミの言いたい事は分かっている。リックベイは冷たい靴音を甲板に響かせる。

 

「ああ。我々が出なければならない、という事だ」

 

 整備デッキに用意されていたのはタカフミの《ナナツー参式》と自分の新型機であった。

 

 温存しておく事を考慮に入れていたが、そのような余裕もないらしい。整備班にはモリビトが来た、の一声で了承が取れた。

 

 こちらへ、とリックベイは新型《ナナツー》のコックピットへと誘導される。

 

 キャノピー型の《ナナツー》の外観はほとんどそのままだ。しかし、キャノピーの強度は五倍以上になっているという。

 

「装甲が堅くなった分、少し足が遅いです。ですが少佐の零式抜刀術による戦闘ならばほとんど支障はないでしょう」

 

 ペダルを踏みリックベイは感覚を研ぎ澄ます。

 

《ナナツー弐式紫電》と違うのはこちらの挙動にダイレクトに対応してくれる駆動形の素早さか。今までは経験で補強していた部分を機体が反映してくれている。

 

「随分と反応が速いな。これでは新兵はつんのめってしまう」

 

 その懸念に整備班は笑って返した。

 

「だからこその少佐専用機ですよ」

 

 そのようなものか、とリックベイは操縦桿を握り締めた。先んじてタカフミの《ナナツー参式》が出撃する。

 

 リックベイはタッチパネルに表示された機体ステータスを目にする。

 

《ナナツー》系の機体だが装甲の強度と反応速度の向上のため、《バーゴイル》系列の機体の遺伝子も汲んでいるらしい。

 

 腕周りが少しだけ細いのが気になったが、逆に足腰はがっしりとしており、背面に装備された大出力のスラスターノズルが高機動を約束している。

 

『少佐の紫電が出られるぞ!』と整備班の声が飛んだ。

 

《ナナツーゼクウ》は既に自分のパーソナルカラーである紫色に塗装されている。

 

 これは新型を受け取る時に零式抜刀術と共に上官に理解を求めた結果だ。

 

《ナナツーゼクウ》は腰周りに繋がれたケーブルを引きずる。最終調整は自分の手で行わなければならない。

 

 この数歩の間にリックベイは《ナナツーゼクウ》の三十近い問題点のほとんどを脳内に収め、それらの対応策を練っていた。

 

「《ナナツーゼクウ》。リックベイ・サカグチ。出る」

 

 推進力にケーブルが引っ張られ、つんのめったのも一瞬。

 

 直後には切断されたケーブルによって《ナナツーゼクウ》は戦場へとその足を進めていた。砂利を踏みしだきつつ新型機が陽光の下に映える。

 

 すぐにタカフミの《ナナツー参式》に追いついたこちらの推力にタカフミは驚愕の声を上げた。

 

『少佐、速くないですか?』

 

「足は遅いと聞いていたが。それでも参式を凌駕するか。戦局は?」

 

『芳しくないようですねぇ。先遣隊からの報告が滞っています。やり辛い敵と当たったのかな』

 

 やり辛い敵とは言ってもこの基地にいるのは恐らく《ナナツー》の型落ち品とバーゴイルもどき程度。

 

 恐れるほどではない、とリックベイはペダルを踏み込んだ。

 

「気を引き締めろよ。モリビトが出たという事は戦闘も想定するべきだ」

 

『分かっていますよ。ここで引導を渡してやるぜ! モリビト!』

 

 肩を並べた二機が戦場を駆け抜けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯60 歴戦の猛者

《バーゴイル》は元々、重装備を施すようには出来ていない。空間戦闘ならばいざ知らず、重力の虜である地上戦で《バーゴイル》に重火器を持たせるなど張子の虎にも等しい。

 

 しかしリゼルグの操る《バーゴイル》は両手両肩、両脚に施されたミサイルポッドとガトリング砲の重量を物ともせず、どこか熟練度の低いC連合の《ナナツー》相手に立ち回っていた。

 

 敵機は見た事もない《ナナツー》の機体だ。恐らくは新型、と断じたリゼルグは降り注ぐミサイルの雨を後退して回避していた。

 

 矢継ぎ早にガトリングを掃射する。前に出ていた新型《ナナツー》がたたらを踏み、装甲を射抜いた。

 

《ナナツー》最大の弱点はコックピット部の脆さにある。

 

 ガトリングで足を止め、その隙にミサイルポッドを開いてありったけの火器を叩き込む。そうして黒煙を上げる《ナナツー》の骸が既に四つ出来上がっていた。

 

「このままの戦力なら、恐れるほどじゃねぇな」

 

 空になったミサイルポッドを分離し、《バーゴイル》に飛翔機動を取らせる。上を取ればこちらのもの。ホルスターに留めていたプラズマソードを引き抜き《バーゴイル》の刃が《ナナツー》を両断していた。

 

 退け、と通信に混じったのが漏れ聞こえる。リゼルグは乾いた唇を舐めて次の標的へと肉迫した。

 

「簡単に逃げられて堪るかよ!」

 

 プラズマソードと敵《ナナツー》のブレードが干渉波のスパークを散らせる。即座にミサイルポッドの砲門を開きゼロ距離での爆撃の応酬が《ナナツー》の装甲を叩き据えた。

 

「どうだい、C連合の駒共よぉ。こっちもそっちも、退きたくても退けない戦場だろ? 前に出るのは嫌だよなぁ!」

 

 プラズマソードを振りつつ《バーゴイル》が威嚇する。敵の《ナナツー》部隊が僅かに驚嘆の間を浮かべた。

 

 その一刹那をリゼルグは見逃さない。斬り込んだ《バーゴイル》の威圧に新型《ナナツー》がうろたえる。

 

 小銃を掻っ切った一閃に敵兵がたじろいだ。隙は戦場においては死も同義。ガトリング砲を突き出した《バーゴイル》の猛攻に《ナナツー》部隊が押し出されたように凪いで行く。

 

「退く、ってかい。だがな、ここでてめぇらを逃がすなとお達しが出てるんだよ。……英雄さんが何分で来れるか分からない以上、時間稼ぎはたっぷりとさせてもらうぜ!」

 

 推進剤を全開にした《バーゴイル》がガトリングとミサイルの連鎖攻撃を浴びせつつ、《ナナツー》大隊を押し上げていく。

 

 伊達にあの基地でエースを任されていたわけではない。

 

 桐哉が来るまでは本当に、その実力だけで登り詰めていたのだ。古代人機の討伐回数も最も多い。しかし、自分の場合、そのあまりに伸びしろのある実力が仇となった。

 

 古代人機狩りを奨励しているゾル国において敵人機の撃墜よりも古代人機の討伐数が重宝されるのは納得がいかない人間もいる。

 

 戦場にろくに出た事もないひょっこが、と上官からの格好の標的となった。

 

 足の引っ張り合いは同期にも及び、リゼルグは結果的に本国を追われ、僻地に身を隠す事になったのである。

 

 大筋ではほとんど桐哉と同じだ。

 

 その瓦解の象徴がモリビトか、そうでないかの違い。

 

 ――自分は、桐哉に己を見ていた。

 

 堕ちた英雄、堕落していく撃墜王。その全てが自分と似通っていてあまりに気に食わない。

 

 似過ぎた鏡像は排除されるのと同じ理由だ。

 

 同じ存在は二人といらない。それを意識していたか、無意識の中であったかの差でしかない。

 

 だがリゼルグは桐哉と手合わせした時、はっきりと分かった。彼は自分とは違う。自分のように堕ちていくだけで終わる人間ではない。

 

 どこかで上昇する機会に恵まれるはずであった。

 

 その予感がリゼルグの苛立ちを加速させる要因でもあったのだが。

 

「……っとーに、あんたには随分とムカつかせてもらったよ、英雄さんよ。せめて最後まで、ムカつかせてくれや。そうでないと、死んだ相棒も浮かばれないんでな。羨望を背中に背負って、あんたはこれから先、生きてもらわなきゃならないんだ。大昔の人機のシステムなんかに取り込まれてくれるなよ。ガッカリさせてくれるな! モリビトさんよォ!」

 

 咆哮したリゼルグは逃げ遅れた《ナナツー》へと猪突する。ブレードとプラズマソードが弾き合ったのも一瞬、すぐにこちらの太刀筋が凌駕する。

 

 懐に飛び込み、ガトリングの砲塔を突き込んだ。防御など考えていない。ただ前に進むのみだ。

 

 ガトリング掃射が《ナナツー》の装甲の奥にある血塊炉を破砕し、内側から青い血を噴き立たせた《ナナツー》がその場に倒れ伏した。

 

「――さぁ、次はどいつだ?」

 

 リゼルグは確信する。狩りは一方的だ。いつだって一方が狩られ、もう一方は防衛すらも儘ならなくなる。

 

 ここまで怖気づいた兵士達を退かせるのはさほど難しくない。

 

 新型《ナナツー》の骸が増えるだけだ、とリゼルグがガトリング砲を手に、威圧しようとした瞬間、割り込んでくる影があった。

 

 他の《ナナツー》とは違う。死を恐れぬ挙動で最短距離を掴み、《バーゴイル》へと食らいついてくる。

 

 その勇気ある行動を示すかのように屹立したブレードアンテナが輝いた。

 

「エース気取りで!」

 

『気取りじゃない、おれはC連合のエース! タカフミ・アイザワ少尉だ! 覚えておけ!』

 

「知るかよ、そんなもん!」

 

 弾けた若い声音にリゼルグはプラズマソードを打ち下ろす。《ナナツー》の有するブレードと干渉し合い、今度もこちらが勝るかに思われたが、新たな《ナナツー》はブレードの刃の反りを巧みに使い、こちらの攻撃性能を奪い取った。

 

 ブレードの柄頭を用いて《バーゴイル》のプラズマソードを弾き飛ばす。その戦力は確かにエース級であった。

 

 ケッとリゼルグは毒づく。

 

「どこにでもいるもんだよなぁ。撃墜王か」

 

『投降しろ。こちらの優位は変わらない』

 

「投降だぁ? したら見逃してくれるのかよ」

 

 タカフミと名乗った男は声に翳りを滲ませた。

 

『……交渉にはなる』

 

 建前もつけないのだな、とリゼルグは同情した。この操主は正直だ。正直がゆえに、自分には敗北する。

 

 後退させつつガトリング砲を撃ち放った。ほとんど残弾はない。それでも威嚇にはなるはずだ、とリゼルグは距離を稼ごうとする。

 

 タカフミの《ナナツー》は小銃とブレード装備のオーソドックスな機体だ。それほど踏み込んでこないのは経験が熟知していた。

 

『お前は、オラクルの兵士か?』

 

 質問にリゼルグはシーアの言っていたシナリオ通りに事が進んでいるのを感じ取る。

 

 オラクルの武装蜂起を発端としたこの戦場には果てがない。オラクル兵士は全滅した、と言ったところで、この新型《ナナツー》の大隊は止まるまい。

 

 きっと全てを蹂躙しつくし、何もかもを踏みしだいてからようやく止まるのだろう。

 

 その時には塵一つ残らない荒野が広がるばかりだ。また地図が書き換わる。

 

 紺碧の濃霧に覆われた悪夢が、また拡散する。

 

「……うんざりだぜ、お前ら」

 

 遅れて数機の新型《ナナツー》が合流する。恐らくは敵の後衛部隊。リゼルグはタイマーを見やる。

 

 刻々と時を刻むそのタイマーがアラームに変わったその時が狙い目だ。

 

 息を詰めたリゼルグは新型《ナナツー》を率いる一機の最新鋭機を目にしていた。紫色の機体色に逞しく削られたような全身から立ち昇るのは強者の佇まいである。

 

 C連合の紫の伝説と言えばリゼルグでも充分に知っていた。

 

 雷の如く、その刃は敵兵を刻むのだという。

 

「まさか……先読みのサカグチ……C連合の、本物のエース……」

 

 銀狼などと誉れ高い栄光を誇っている紫色の《ナナツー》の操主の声は、いつか聞いたインタビューと同じ声であった。

 

『ゾル国の操主に告ぐ。我々C連合の目的は、今、そちらが匿っているという情報のオラクル残存兵にある。無益な戦場は好まない。投降するのならば、それ以上の進軍は行わないと約束しよう』

 

『少佐? でもそれじゃ話が……』

 

 正直者の操主が出しゃばった声を出すが、先読みのサカグチはうろたえた様子もない。

 

『見たところオラクルのバーゴイルもどきではない、正規軍の《バーゴイル》と見受ける。正規軍ならば正規軍らしい矜持と信念があるはずだ。オラクルはゾル国へと潜入を遂げているのは明らかである。獅子身中の虫を退治するのに、我らの力添えは必要ではないのか?』

 

 なんとリックベイ・サカグチは事ここに至って交渉を持ちかけてきたのである。そのあまりの実直さにリゼルグは空いた口が塞がらなかった。

 

「戦う気は、ないって言いたいのか?」

 

『……では諸兄に問うが、この戦力差で勝てるとでも?』

 

 新型《ナナツー》を数機いなした程度ではここまでが打ち止め。最早、弾も尽きた。潮時があるとすれば今だろう。

 

 だが、リゼルグはここで退くという選択肢を選ばなかった。否、運命が選ばせてくれなかった。

 

「……リックベイ・サカグチ。あんた、相当に兵士からの尊敬も厚いと見える。だからこれはもしも、の話だ。もしも、だが、ゾル国が新型の人機を隠し持っていたとすれば、あんたはどうする?」

 

 これは垣間見えた光へとただ手を伸ばしただけの問いかけ。だが、リゼルグの知る限り、軍人ならばこの質問に答える口は二つに一つであった。

 

『……新型人機の事前告知のない製造は違法である。国際条約で定まっているはずだ。だが、こちらの《ナナツーゼクウ》のロールアウトもそのグレーゾーンを行ったに過ぎない。蛇の道は蛇。お互いに譲れぬところまで来てしまった。しかしながら、わたしはあえて言おう。その場合、ゾル国を断罪する、と』

 

 リゼルグはフッと笑みを浮かべた。その通りだ。百点満点の模範解答である。

 

「最高の答えだ。リックベイ・サカグチ。あんたとこっちは結局、戦い合うしかない、っていう答えだったな!」

 

《プライドトウジャ》の存在を公には出来ない。ゾル国が製造したものではないにせよ、オラクルとの関与や桐哉の境遇など知られれば知られるほどにまずい事象が山積している。

 

《プライドトウジャ》を守るため――ひいては、桐哉へと義理を返すために、ここで退くわけにはいかなかった。

 

『そう、か。全軍、攻撃準備』

 

 リックベイの指揮で先ほどまでうろたえていた新型《ナナツー》達が踵を揃えたように小銃を一斉に照準する。

 

 連鎖する照準警告。

 

 そんな最中、リゼルグは――嗤っていた。

 

 胡乱そうにリックベイが問いかける。

 

『何故嗤う? 物狂いか』

 

「いや、狂っちゃいないさ。指定時刻通り、定刻にきっちりかっきりと……時間だ」

 

 その言葉を劈くように甲高い鳴き声が相乗する。大地が割れた。ブルブラッド大気の濃霧が噴き出し、地層の中から鍵穴の生命体を蠢かせている。

 

 リックベイは信じられないものを目にしたように戦慄していた。

 

『古代人機、だと……』

 

『少佐! こいつ、まさか古代人機を操って……!』

 

「操る? 無理な話を言うもんだな。古代人機の出現は操れない。その上、予測しようもない。それは本国のスカーレット隊が証明している。でもな、経験値ってものがある。経験則、か、この場合。何度もこいつらと打ち合っているとよ、どれくらいの風向きの時、出やすいかだとか、これくらいの濃霧の時には大地を割って古代人機が現れるだとか、予想は立つんだよ。今回の場合、最も出やすい時間と場所を選んで戦わせてもらった」

 

『愚かな! 古代人機は誰の味方でもない!』

 

 迸ったタカフミの叫びにリゼルグは首肯する。

 

「そうさ。古代人機は誰の味方でもない。この場合、こっちにも優位とは限らないし、そっちにも、だ。だが、古代人機の特性を知っているとなれば話は違ってくる。だろ? 先読みのサカグチ」

 

『まさか……』

 

 リックベイが息を呑んだのが伝わる。新兵達が古代人機に照準を据えた。

 

『制御出来ない自然の力など!』

 

 放たれた銃撃をリックベイが制する前に、銃弾の雨が古代人機を打ち据えた。青い血が迸り、古代人機の巨躯がよろめく。

 

 C連合の新兵でも古代人機への対処は知っている。だが、これだけは自分しか知らないはずだ。

 

《バーゴイル》が腰に留めていた実体剣を構える。飛翔した《バーゴイル》と共にリゼルグは吼えていた。

 

 古代人機の弱点。それは古代人機全てに共通する「地層の脈」。

 

 生命の凝り固まったものだと提唱されてきた古代人機には全てに共通して、地層のような体表装甲があり、その装甲は波打っている。

 

 波打った装甲のうち、僅かだが綻びが生まれる。

 

 大自然に存在する死の概念だとか、あるいは万能の生命体などいないという証であると言われてきたが、これを見分けられるかどうかはひとえに実力と場数にかかっているといっても過言ではない。

 

 そして――自分はこの綻びを「視る」事が出来るがゆえに、古代人機相手においては無双を誇ってきた。

 

 古代人機の首裏に存在する綻びを《バーゴイル》の剣先が切り裂いた。瞬間、古代人機が膨張する。

 

 その堅牢な装甲とは裏腹に古代人機は通常人機と違い、あくまで自然発生する生命体。

 

 内包するのは人造人機とは比べ物にならないほどの血塊炉と、その凝ったブルブラッドの濃霧である。

 

 古代人機が弾け飛んだ瞬間、全ての計器が静寂に沈んだ。

 

 特段のブルブラッド大気の上下運動は人機の精密なセンサーを狂わせる事が出来る。

 

 その中で動けるのはこの状況を「体感」した人間のみ。

 

 リゼルグは幾度となく、この戦場を駆け抜けてきた。その度に強くなっていくのを実感しながら、リゼルグは青く染まった世界を貫く一本の矛となっていたのだ。

 

 CG補正の空間認識から完全なる目視戦闘に切り替わるのには熟練者でも二分はかかる。

 

 その二分が分かれ目であった。

 

《バーゴイル》の機体が未だに燻る古代人機の体表を蹴り、射線に入った《ナナツー》数体を蹴散らしていく。

 

 一機、また一機と実体剣の風圧に触れた《ナナツー》が無力化されていく。

 

 濃霧の中ではミサイルなどの誘導兵器は役に立たない。《バーゴイル》はほとんど丸裸に等しい姿でありながらも、この青く染まった景色の中では最も優位に立ち回っていた。剣筋が《ナナツー》を薙ぎ倒し、その機体から青い血が迸る。

 

「この中で、一番眼ぇいいのがこっちってのはずるいかもしれないがよ。圧倒させてもらうぜ!」

 

 このブルブラッドの青い大気の中でも敵の位置は先ほど頭に叩き込んだ。

 

 真っ直ぐに向かっていたのはこの戦場の総大将。リックベイ・サカグチの首であった。

 

 行く手を阻む機体の手を引き剥がし、リゼルグの《バーゴイル》が大気を引き裂いて《ナナツー》へと猪突する。

 

 接近警報が鳴り響いたその時には、既に決着がついている。

 

 剣の発する圧力が暴風域と化し、リックベイの《ナナツー》を巻き込んだかに思われた。

 

 しかし、その太刀筋は横合いから入ってきたタカフミのブレードに阻まれる。舌打ちを漏らしつつも、自分の策敵判断が間違っていない事を確信する。

 

 タカフミが近い位置にいるという事は、この濃霧の先に敵のエースがいる。その首は射程圏内だ。

 

『少佐! 退いてください! このブルブラッド大気濃度では、策敵などまともに……!』

 

 タカフミの判断は正しかっただろう。だからこそ、逃がすわけにはいかなかった。

 

《バーゴイル》がブレードと実体剣の部位を支点にして、タカフミのナナツーを飛び越える。

 

 軽業師めいた挙動にタカフミが息を呑んだのが伝わった。

 

《バーゴイル》の利点はその軽さにある。飛翔する人機では最も速く高高度に達する事の出来る《バーゴイル》は装甲の薄さと攻められた時の脆さを抱えつつも、一方的な戦場においては無類の強さを誇る。

 

 着地したリゼルグの《バーゴイル》が青い大気の向こう側にいるエースを睨む。紺碧の向こうで《ナナツーゼクウ》が刀に手をかけたのが伝わった。

 

『少佐? どうして逃げないんです?』

 

『逃げる? ここで逃げれば、なるほど、それは確かに現場判断を任せられた人間としては正解だろう。誰も責めはしない。しかし、わたしは上官である前に一人のもののふ。ここで退けば、男が廃る!』

 

 刃を抜いたのが分かった。《バーゴイル》と斬り合いにもつれ込むつもりだ。だが、この大気濃度ではナナツーの目視戦闘では限界が生じる。

 

 自分だけだ。自分しか、この状況に慣れている人間はいない。

 

 昂揚感にリゼルグは《バーゴイル》を奔らせる。駆け抜ける刃にリゼルグは必殺の勢いを伴わせた。

 

 ――退けば男が廃るのは、こちらも同じ。

 

 お互いの太刀がぶつかり合い火花を咲かせる。その交錯も一瞬、即座に後退したこちらの首を刈らんと神速の居合いが跳ねた。

 

 これが話に聞く零式抜刀術か。

 

 リゼルグは首の裏に滲んだ汗にフッと笑みを浮かべた。

 

 これでもまだ生きている。ならば生きている限り、ここで戦うべきだ。戦い切るべきだ。

 

 それだけが自分に出来る事。

 

「相棒を裏切らず、英雄さんにもきっちり貸しを作った。こちとら、立ち回りくらいしか出来ないんでね。その首、取らせてもらう!」

 

 正眼に構えた《バーゴイル》に収まるリゼルグには、青い空気の皮膜が少しずつ晴れていくのが分かった。

 

 そろそろタイムリミット。

 

 一方的な戦場は終わりを告げようとしている。その前にこの決着だけは。それだけはつけなくては。

 

 リックベイはタカフミを呼ばない。一対一の戦いにおいて他人など口を挟ませる余地さえもないと思っているのだろう。

 

 ――まったくもって相手も相当な死狂い。

 

 リゼルグは息を詰める。最後の一閃に向けての集中力を研ぎ澄ませた瞬間、放たれたのは速度警告であった。

 

「接近警報? この濃霧の中で? 命知らずの馬鹿か、返り討ちにして――」

 

 その言葉が響き渡る前に、速度が倍増した。標的の速度は通常の人機のそれを軽く凌駕している。

 

 機体照合をかけようとした刹那、リゼルグの駆る《バーゴイル》の腹腔を刃が貫いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯61 蹂躪戦域

 ハッと目を覚ました桐哉は整備班に声をかける。

 

「何分だった?」

 

「十分ほどでしょうか。無理もないですよ。このハイアルファーってシステム、無茶苦茶です。一回や二回は死んでもおかしくないほどの激痛が准尉を襲ったはずです。それでもまだ意識を保てている事それ自体が奇跡ですよ」

 

 ハイアルファー【ライフ・エラーズ】は一回程度使いこなした程度では馴染んでくれないようだ。リーザの用意したパイロットスーツがそれでも軽減してくれているらしい。

 

 覚醒速度が速まったのがその証だ。十分程度の昏睡の間にむしろ戦局が切り替わったのではないかと不安に駆られた。

 

「リゼルグ曹長からの連絡は?」

 

「今のところはありません。便りのないのはいい証だと……信じたいですね」

 

 十分もC連合の大隊とたった一機の《バーゴイル》で渡り合えるとは思えない。リゼルグの死も加味して桐哉は出撃する必要があった。

 

「システムチェック、異常は数十個検知されたが……起動には問題ない! これで出すぞ!」

 

 整備班長の声が弾け、整備士が最後に、と桐哉へと声を投げた。

 

「《プライドトウジャ》は物理的には駆動しますが、それはデータの上での試算です。実際には何が起こるか分かりません。この状態で送り出すのは……我々としても心苦しいんです」

 

「分かっている。俺も、ここまでやってくれたみんなに感謝しているほどだ。ありがとう」

 

 サムズアップを寄越し、整備士は離れていく。

 

《プライドトウジャ》に繋がれていた補助ケーブルが切断され、次々と出撃準備の段階に至るのが伝わった。

 

 拡大モニターの中にリーザの姿を見つける。そっと、祈るように両手を握り締めていた。

 

 もう一方にはシーアの姿がある。沈痛に面を伏せ、こちらもただただ祈るしかないようだ。

 

 桐哉は深呼吸する。

 

 この基地を守れるのは、最早名実共に自分一人。

 

 C連合の大隊相手に勝てるとは思っていない。それでも守り切るまでだ。

 

 最後の足掻きだと罵られても、嘲笑われても、それでも守る。自分が守る。

 

 フッと自嘲の笑みが漏れた。

 

「傲慢だな……これが、俺の罪ってわけか。でも、それでもいい。傲慢でも、願うのならば、傲慢のほうがいい。たとえこの願いが神をも恐れぬ願いだとしても、今は……」

 

 届け、届いてくれ。

 

 それだけを一心に願い桐哉はシステムに火を通した。

 

 ハイアルファー【ライフ・エラーズ】が三度の起動を促す。全身に焼け爛れたような激痛を伴わせ、《プライドトウジャ》との同調が行われていく。

 

 末端神経に生じた痺れがそのまま機体の周囲を流れる空気の対流と重なり、切り裂かれたような痛みを漂わせた。

 

 人機の痛みさえも自身の痛みへと変換する。

 

 これが禁忌の技術、ハイアルファー。その技術の昇華した姿、トウジャ。

 

 奥歯を噛み締めた桐哉はスーツのバイザーへと至った赤い線が渦を巻き、左胸に刻まれた鼓動が激しく脈打ったのを覚えた。

 

 ほとんど人機と一体化した桐哉は操縦桿を引きつつ全身を駆け巡る痛みの数々を反芻した。

 

 ――これらの痛みはまだ前哨戦だ。

 

 戦場に赴けばこれ以上の痛みと遭遇する事になる。それでも、たとえ痛みの先にしかない戦場でも……潜り抜ければ、未来は……。

 

 シグナルがオールグリーンを示し発進準備が完了した。

 

『全権を《プライドトウジャ》、桐哉・クサカベ准尉に移行。……ご武運を」

 

 付け足された言葉に桐哉は返礼し腹腔から声を張り上げた。

 

「《プライドトウジャ》、桐哉・クサカベ! 出る!」

 

《プライドトウジャ》の挙動はまるで暴れ馬だ。

 

 こちらが手綱を引く手を少しでも緩めれば大暴れする。ぐっと噛み締めた桐哉はコックピットの中で叫んだ。

 

「大人しくしろ! これから、戦場に向かうんだ。昂ってるんじゃないぞ!」

 

《プライドトウジャ》の背面スラスターが青い残滓を引きつつ空間を駆け抜けていく。《バーゴイル》とはまるで違う。ナナツーやロンドとも、だ。

 

 どのような人機とも違う。これが禁断の力。人を食い物にして成長する恐れられた人機。

 

 戦場までの距離は概算すると数分はあるはずであったが、《プライドトウジャ》の速度はその試算さえも凌駕した。

 

 策敵レーザーがナナツー部隊の前衛を見つける。新型ナナツーがこちらを見つけるなり照準してきた。

 

 しかしその照準がどこかおっかなびっくりなのが伝わる。

 

 相手は恐れているのだ。見た事もない人機が高速で接近してくるのだから当たり前であるが。

 

 その恐れに慄いた照準は、《プライドトウジャ》を叩き据えなかった。

 

《プライドトウジャ》が手首のパイルバンカーの砲口を敵人機に向ける。即座に放たれたパイルバンカーの矛先がナナツーの腹腔を貫いた。

 

 それだけで新型であるはずのナナツーが黒煙を上げる。もう一機が引き金を引くのに躊躇ったのを見逃さない。

 

 接近した《プライドトウジャ》がナナツーを蹴りつけていた。

 

 小銃が宙を舞う中、突き刺さったパイルバンカーを引き抜き、《プライドトウジャ》が両手に回転させる。

 

 槍の穂を突き上げる要領でもう一機の横腹を掻っ捌いた。

 

 パイルバンカーの弾数には制限がある。その中で戦い抜くのには一回限りの弾頭で収めるわけにはいかない。

 

 引き裂いた《プライドトウジャ》に全ての現象が遅れを取ったかのようにようやく追いついてくる。

 

 ナナツーが青い血を迸らせてその場に倒れ伏した。

 

 キャノピーを狙ったつもりはなかったが、死んだか生きているかは分からない。

 

 なにせ、こちらも必死なのだ。【ライフ・エラーズ】のフィードバックは《プライドトウジャ》の繊細な感覚を余計に研ぎ澄ます。

 

 機体表面を流れる空気でさえも凶器だ。

 

 操る桐哉は常に激痛との戦いを強いられていた。

 

 肩で息をしつつ、桐哉はここまで至ったのがたった二機という状況に疑問を抱く。

 

「前衛はもっと接近して来ていると思ったが、この二機は哨戒機だ。本陣からあえて外された機体の感覚がある」

 

 だとすれば戦場の本丸はこの先。

 

 紺碧の大気の中を《プライドトウジャ》の漆黒の機体が駆け抜ける。

 

 今の《プライドトウジャ》は精密機械以上にデリケートであった。身を切る風さえも凶器である。

 

 遠く、しかし届く範囲にブルブラッド濃度の異常検知が見られた。ほとんど濃霧に等しい青い大気へと桐哉は逡巡を浮かべたのも一瞬、すぐさま飛び込んだ。

 

 味方機の識別信号がレーザーを震わせる。この信号の発信者はリゼルグであった。

 

 まさか、生きていたのか。喜びが身体を突き抜けていく中、桐哉は通信に安堵を浮かべかけた。

 

「リゼルグ曹長……」

 

 ようやく目視戦闘が可能な領域へと入ってくる。その瞬間、視界に飛び込んできたのは、不明人機に腹腔を貫かれている《バーゴイル》の姿であった。

 

《バーゴイル》からリゼルグの僅かな呼気が漏れる。最後の声であった。

 

『……よぉ、桐哉・クサカベ准尉。生きてっか?』

 

 それを問い質したいのはこちらであった。リゼルグの機体を持ち上げた不明人機が緑色のデュアルアイセンサーで睨み据える。

 

『どうにも……ツイてねぇみたいだ。こんな最期だなんてよ。最後のわがままだ。桐哉・クサカベ……使命を果たせ。あんたは……』

 

 そこから先の言葉を烈風が引き裂いた。四基の扁平な刃が高速機動し《バーゴイル》の四肢をもぎ取り解体する。

 

 桐哉はその現実に叫んでいた。

 

 識別信号と、見知った因縁の人機の名前をコックピットの中で吼える。

 

「モリビト……モリビトォっ!」

 

 猪突した桐哉の《プライドトウジャ》へと青いモリビトが暴風域を巻き起こした。

 

 四基の刃はそれぞれ幾何学の軌道を描いて《プライドトウジャ》へと襲いかかる。常時ならば見えるはずもない刃の速度。

 

 しかし、今の桐哉には手に取るように分かった。

 

 一基目をパイルバンカーで薙ぎ払い、背面から迫ったもう一基を高出力推進剤で焼き切り、コックピットを狙い澄ました二基を新たに射出したパイルバンカーで弾き返す。

 

 相手にも焦燥が浮かんだのが伝わった。

 

 後退用の推進剤を焚いてモリビトが後ずさる。その首筋を掻っ切ろうと桐哉の《プライドトウジャ》が迫った。

 

 モリビトの大剣がパイルバンカーとぶつかり合う。干渉の火花が散る中、桐哉は痛みさえも忘れて《プライドトウジャ》を猪突させていた。

 

 蹴り上げた《プライドトウジャ》の格闘戦術にモリビトが対応の剣術を奔らせる。今までその剣筋の一つでさえも追えなかった桐哉は全神経を《プライドトウジャ》の感覚に委ねた。

 

 身を切る風、青い大気、風圧、剣圧、恐怖に慄く戦場のにおい。硝煙棚引く戦地の独特の感覚。

 

 それら全てを包括して桐哉は《プライドトウジャ》に前進させていた。敵の大剣がパイルバンカーを弾き、その威力で凌駕する。

 

 やはりパイルバンカーの槍では限界が生じるか、と桐哉はそこで《プライドトウジャ》を留まらせた。

 

 一歩でも立ち入っていれば四基の刃の生み出す風に掻き切られていたであろう。刃が駆け抜け、《プライドトウジャ》を絡め取ろうとするが、それらの刃は空を切っただけであった。

 

 周囲に陣取るC連合の新型人機達はまるで形無しのようにその場に立ち竦むのみであった。

 

《プライドトウジャ》とモリビトの戦闘に誰も介入出来ないのだ。

 

『あの漆黒の人機は……《バーゴイル》ではないのか』、『モリビトと互角……いや、それ以上だと……』

 

 だんまりを決め込む連中とは対比的に、桐哉はモリビトへと噛み付いていた。

 

 ここで食いかからなくってどうする。もう逃がすわけにはいかないのだ。

 

「モリビト……! 貴様らはどうしてこうも、俺の大事なものを奪う? 俺は憎い、貴様らが、モリビトが! 何もかもを奪うというのならば、俺の命でさえも奪ってみせろ! 守ると決めた、本物の守り人の命をな!」

 

《プライドトウジャ》の機体が跳ね上がり青いモリビトへとパイルバンカーを打ち込もうとする。

 

 射出されたパイルバンカーを回避したモリビトへと《プライドトウジャ》が蹴りを見舞った。

 

 機動力ではこちらが上だ。相手の手数を一つずつ潰せば、全てが決する。

 

 憎悪に染まった赤い視界の中で、桐哉はモリビトの隙を見出していた。大剣と腹部に装備した新たな刃のせいで動きが鈍くなっている。

 

 今まで、このような機体に遅れを取って来たのが嘘のようだ。

 

 どこから攻めても勝てる気がした。パイルバンカーを握り締めた《プライドトウジャ》が上段より槍の穂を突きつける。

 

 突き抜けた槍の一撃にモリビトが震撼したのが伝わる。

 

 桐哉は地表を蹴りつけてモリビトへととどめの一撃を放とうとした。

 

「これで、最後だ!」

 

 パイルバンカーの照準がモリビトを捉える。確実にその胸元を抉り取ったかに思われた一撃は直後、雨のように降り注いだ銃弾に阻まれた。

 

《プライドトウジャ》の片腕の肘から先がひしゃげる。直後、フィードバックした激痛に桐哉の意識が引き絞られていく。

 

 限界値だ。

 

 これ以上の痛みは人体が耐えられない。

 

「モリビト……俺は貴様を……」

 

 伸ばした手に《プライドトウジャ》のシステムが同調する。

 

 瞬間、《プライドトウジャ》の眼窩に収められた四つの眼が赤く照り輝いた。

 

 パイルバンカーをもう一方の手で射出しようとする。刹那、咲いたピンク色の光軸が《プライドトウジャ》のすぐ傍の空気を焼き切った。

 

 R兵装の灼熱が全身を貫き、桐哉の肉体は閾値を越えた痛みに昏倒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今の機体が何であったのか、鉄菜には判ずる術もなかった。

 

《シルヴァリンク》が防戦一方になるなど現状の人機開発では考えられない事態だ。その緊急時に、入った助けは《インペルベイン》の銃撃と上空に待機する《ノエルカルテット》のR兵装であった。

 

『クロ……この機体……』

 

「機体照合にかからない。いや、照合に時間がかかっている。これは、どういう……」

 

 追いついてきた《インペルベイン》が鉄菜の《シルヴァリンク》と背中合わせになり、周囲を見渡す。

 

『さぁて、どうするかしらね。連中、みんな新型のナナツーよ』

 

「どうする、だと? 決まっている」

 

 持ち直した鉄菜は《シルヴァリンク》のRソードを掲げさせた。

 

「――全て、断ち切るまで」

 

『やっぱり、そう来るわよね』

 

《インペルベイン》が副翼を展開させ、高出力のまま敵陣に突っ込む。あまりの加速度に目が眩むほどであった。

 

 たたらを踏んだナナツー部隊へと爆撃が見舞われる。

 

《インペルベイン》のフルスペックモードは超速度からの高精度爆撃が持ち味であった。

 

 皆、爆弾を投げられた事さえも理解していないのだろう。キャノピーが高熱に押し潰される中、逃れた数機を追って《ノエルカルテット》のR兵装の光軸が奔る。

 

 地表を引き裂き、ピンク色の光を放つエネルギー兵器がナナツーの堅牢な装甲を蒸発させた。

 

 指揮を失った大隊は脆い。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》を再び光学迷彩の中に隠し、不可視のままナナツーを切り裂いていく。

 

 地を這うようにRクナイが駆け抜け、ナナツーのキャノピー型コックピットを裂いていった。

 

 こちらの射線を読んで時折小銃の火線が走るが、鉄菜は《シルヴァリンク》へとRクナイを握らせて敵へと投擲する。

 

 肩口を捉えた刃に接続されたワイヤーが起動した。

 

 巻き上げられた形のナナツーが姿勢を崩し、こちらへと吸い寄せられていく。《シルヴァリンク》は無慈悲にその機体を両断した。

 

 指揮官仕様と思しきブレードアンテナのナナツーと紫色に塗られたナナツーはこちらの射線を掻い潜っているがそれでも自分達の生存で必死の様子であった。

 

 今は一機ごとに命令を飛ばす余裕はないらしい。

 

 海上からミサイルの雨が降り注いだ。信管が割れ、中から散弾が戦場へと甲高い音を木霊させつつ蹂躙する。

 

 最早、ここまでと判じたのだろう。指揮官機が撤退機動に入った。

 

《シルヴァリンク》を追わせようとしたがそれを彩芽が制する。

 

『鉄菜、今は追わなくっていいわ』

 

「しかし……」

 

 濁したのは先ほどの不明人機を撤退に入ったナナツーが鹵獲したからだ。破壊出来た敵を見逃すのは信条ではない。

 

『クロ、あの機体の照合データはもうすぐ出る。今は、オラクル残党軍を追うのが先決よ』

 

 桃の冷静な声音に鉄菜は無理やり自分を納得させた。モリビトに比肩せしめたほどの実力者ならばこのままC連合へと素直に下るとも思えない。

 

 三機のモリビトはそれぞれゾル国辺境基地へと歩を進めていた。

 

 濃度の高いブルブラッド大気はもうほとんど晴れている。

 

『射程圏内に入った。すぐにでも砲撃出来る』

 

 桃の《ノエルカルテット》が斜線に入れた途端、投降信号が鳴り響いた。

 

 オラクル残党軍は、と拡大モニターに視線を走らせるもどこにも見当たらない。

 

『ハズレを引かされたかもね』

 

《インペルベイン》が立ち止まったので鉄菜もその場に立ち尽くした。有益なものの何もない戦場など、と鉄菜は拳を握り締める。

 

 先ほどの不明人機だけがこの戦場におけるイレギュラーであった。

 

《ノエルカルテット》が投降信号を発した基地を高空から見下ろす。

 

『フルスペックモードの実戦データは取れたし、案外ハズレじゃないと思うけれど』

 

 桃のフォローにも鉄菜はどこかこの戦いに靄がかかったような感慨を浮かべていた。

 

 何か、大きな盤面の上を転がされたかのような、釈然としない感覚である。

 

《インペルベイン》が基地の銃座に照準するが相手からは攻撃の意思が見えない。ここまでだろう、と判断した。

 

『案外、呆気なかったって奴ね。ゾル国とC連合巻き込んでの陰謀論ってのは違ったかな』

 

 そうだろうか、と鉄菜は思案する。何かを見落としているような気がして胸中はどこか穏やかではなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯62 妄執の戦場

 

 死亡者リストに連ねられた名前は聞き慣れたものも混じっていた。

 

 シェルターの中で燐華は今回のテロがモリビトを含むブルブラッドキャリアの一派によるものだと報道で知り、なおかつそのテロによってコミューンに棲む数千人規模の命が奪い去られた事を知った。

 

 クラスメイトの名前が紡がれる度に誰かが膝を折って泣いた。しかし燐華はその中に自分を迫害してきた人間がいた事に気づく。

 

 己の胸の中に制御不可能な熱が蠢いたのを感じ取る。

 

 これは、喜悦であった。

 

 自分はどこかその死に喜んでいるのだ。それこそ人でなしのように。

 

 せめて人間である証明が欲しかった。親友の――鉄菜の安否が知りたい。

 

 鉄菜の名前が口に出されたのは最後のほうであった。以上、と報告された被害者名に燐華は顔を上げる。

 

「嘘、ですよね……鉄菜が、死んだなんて」

 

 傍にいるヒイラギが首を横に振る。どうしようもない現実があるのだ、と知らせるかのように。

 

「でも鉄菜は……一番にこのテロを察知して……安全な場所に逃げたはずなんじゃ……」

 

「間に合わなかった、という事なのかもしれない。……残念だ」

 

 感情の堰を切ったかのように涙が溢れ出た。止め処ない。

 

 この手にある鉄片だけが鉄菜のいた証明だ。それ以外は何もない。鉄菜との友情の証がこんなに冷たい鉄の板だなんて。

 

 咽び泣く燐華にヒイラギは言いやる。

 

「そういう事もある。生きていれば辛い事も」

 

「でもあたし……こんなに辛い事ばっかり立て続けに起きるのなら、あたし……!」

 

 気が狂いそうであった。兄が左遷され、英雄から売国奴になっただけでも辛かった。しかし、乗り越えられたのだ。

 

 鉄菜がその希望を作ってくれた。だというのに、今は誰も頼れない。桐哉も、鉄菜も、どうして大切な人は遠くへと行ってしまうのだろう。

 

 ヒイラギが静かに口にする。

 

「何かで埋め合わせるしかないんだ。人間は、そうやってでしか生きられない」

 

 埋め合わせ。どうしても必要だというんならばそれは自分の場合――憎悪でしかなかった。

 

 鉄菜を奪ったモリビト。兄から栄誉を奪ったモリビトという存在に、決着をつけるしかない。

 

 しかし、自分は力もないただの乙女だ。

 

 このような非力な身で何が出来るというのだろう。

 

 何が成し遂げられるというのだろう。

 

「先生……どうすればいいんですか。誰を憎めば、いいんですか……」

 

 問いかけでもヒイラギは頭を振るばかりであった。

 

「分からない。恨み節をぶつけられる相手がいれば、少しはマシなんだが……世界は動き始めている。どうしようもない、破滅の方向性に」

 

 どうせ破滅する世界なら、自分で崩してしまっても何ら問題はないはずだ。

折り合いをつけていくなど、悠長な事は言っていられなかった。今は少しでも多くの力が欲しい。

 

「にいにい様。どうすればいいの? あたしは、何を、誰を恨めば、この地獄から抜け出せるの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『少佐……こんなの回収したって……どうするんです?』

 

 部下からの声にリックベイは素っ気なく返答していた。

 

「だがあの場で野放しにも出来まい。この機体はいただいていく。せめてもの手土産だ」

 

 報告で後続艦が全て轟沈したという事実を耳にした。つまりC連合は敗残したのだ。ゾル国との密約もこれではご破算に近い。

 

 だからこその手土産の必要性があった。漆黒の人機は項垂れたまま全ての反応を停止している。

 

 血塊炉の反応も微弱だ。生きているのか怪しい。

 

「モリビトめ……どこまでわたしを愚弄すれば気が済む。あるいはこれでさえも世界においては前哨戦だと言いたいのか。本当の地獄はこの先にあるとでも」

 

 口走ったリックベイに並走するタカフミが声を差し挟む。

 

『でも、この機体どう見たってバーゴイル系列ですよね。となると、新型機って事になるのでは?』

 

「こっちもゼクウと参式を雁首揃えて進軍したんだ。他人の文句ばかりは言えんさ」

 

 その新型機もまるで張子の虎の状態であった。この不明人機とモリビトの戦いに全く介入出来なかった。

 

 強さ、という単純なものだけではない。

 

 執念だ。

 

 モリビトへの執念がこの機体はずば抜けている。その感情だけで生きているかのような機体であった。操主は何者であろうか、とリックベイは思案する。

 

 きっと、この世の地獄を一身に背負ったかのような人間に違いない。そうでなければモリビト相手にあれほどまでに食らいつけるものか。

 

「……案外、我々も本物の地獄は知らんのかもな。地獄の生き証人か、あるいは既に死人か」

 

 いずれにせよ、拝ませてもらう、とリックベイは心に刻んだ。本国へと持ち帰り、その操主の顔を見るのが唯一の楽しみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場を俯瞰していたのは《ノエルカルテット》だけではなかった。否、最大望遠でも捉えられない高高度に位置するその機体を誰が察知出来よう。濃紺の《バーゴイル》は睥睨の眼差しを戦場に注いだまま、コックピットに収まる男の視界と繋がっていた。

 

「随分と……昂る戦いだったじゃねぇか。モリビト、まだ本気出してなかったとはな。楽しみが増えたぜ」

 

 しかし、とガエルは機体照合データに時間のかかっている謎の不明人機を見やった。数枚の撮影された航空写真には漆黒の人機の姿が映えている。

 

「《バーゴイル》……いや、違うな。あまりにも違う。こいつは何だ? 奴さん方は何を造ったって言うんだ?」

 

『データは受け取った。ガエル・ローレンツ。帰還したまえ』

 

「モリビトには仕掛けなくっていいのかよ?」

 

『あの戦闘形態を一度見ただけでは判断しかねる。それに、君とて我が方の惜しい戦力だ。なに、敵陣にオラクル残存兵がいないというだけでも収穫。それに、C連合の動きも察知出来た。ナナツー新型の大量投入。つまり、最初からこの戦場は演出されていた、というわけだ』

 

「C連合のテストに、か。だがお膳立てが過ぎる気はするぜ。オラクルなんてもんはどうして、亡命先であるゾル国を敵に回したやり方なんてした? まかり間違えれば国外追放だ」

 

『それも、一枚岩ではないのかもしれない。謎の人機の機体照合が完了した。……なるほど、トウジャ、か』

 

「トウジャ? 新型か?」

 

 問い返したガエルに将校はフッと笑みを浮かべたようだ。

 

『これに関しては知る必要があるだろう。君にも、無関係ではない』

 

「何だよ、まどろっこしいよな。まぁ、いいぜ。《バーゴイルシザー》。帰投する」

 

 高高度に達していた《バーゴイルシザー》が身を翻そうとした矢先、接近警報が耳を劈いた。

 

 こちらへと急速な熱源が突っ切ってくる。ガエルは咄嗟に操縦桿を引いた。《バーゴイルシザー》の肩部が回転し、刃を顕現させる。

 

 刹那の間にぶつかり合ったのはプラズマソードの輝きであった。

 

 こちらと打ち合う敵の人機の勢いにガエルは気圧され気味に言いやる。

 

「……おいおい、この高高度にロンドとは、どういう冗談だ?」

 

 バイザー型のアイカメラが《バーゴイルシザー》を睨み据えた。《ブルーロンド》の系譜を継ぐ機体に映ったが機体照合データに引っかからない。

 

『モリビトは……モリビトはどこだ! 答えろ!』

 

「女……? ったくどいつもこいつも女操主なんて立てやがってよ!」

 

 弾き返した《バーゴイルシザー》の挙動に不明人機がプラズマソードを振るった。よくよく目を凝らせばその機体は《ブルーロンド》ではない。

 

 怒り型を有し、落ち窪んだアイカメラの形状は先ほどの戦場で手に入れた不明人機に近かった。

 

 ガエルは胡乱そうな声を出す。

 

「何だ、てめぇら。示し合わせたみたいに妙な機体使いやがって。その機体が流行ってんのか?」

 

 プラズマソードを提げた不明人機はそのまま切っ先を《バーゴイルシザー》に向けた。話し合いのつもりはないらしい。

 

『黙れ。モリビトはどこだ、言えっ!』

 

「あん? 奴さんがどこだなんてオレが知るかよ。今は帰れと命令されているんでね。帰路くらいは邪魔しないでもらおうか」

 

『この高高度に位置出来るのは、モリビトくらいだ』

 

「だからオレがモリビトだって? ああ、そういや識別信号はモリビトのもん使っていたか。この機体が察知されるのはまずいんでな」

 

『ガエル・ローレンツ。その機体は……?』

 

「知るかよ、マヌケ。煮え切らない戦場に煮え切らない敵が来るとは分からないもんだ。だがよ、オレは手強いぜ? それでもやるかよ?」

 

『モリビトは……全て破壊する!』

 

 瞬間、敵機体の偽装が解除された。

 

 装甲がパージされ内部に収まる疾駆が露になる。

 

 ほとんど骨身同然の人機であった。基本フレームのみで構成された人機には必要最低限の装甲すらない。

 

 青い偽装装甲が砕け散るのと同時にそれぞれ幾何学の軌道を描いて《バーゴイルシザー》へと襲いかかる。

 

 それそのものが質量兵器だ。風を切る装甲板にガエルは舌打ち混じりに回避させる。

 

「何だ、こいつ。基本装甲すらねぇ、裸の人機か?」

 

『《ラーストウジャ》、ハイアルファー【ベイルハルコン】、起動』

 

 その名前が紡がれた途端、機体のアイカメラ部が赤く染まった。全身に血脈のように血潮が至り、骨身の人機が次の瞬間、目にも留まらぬ速度で跳ね上がった。

 

 ガエルが習い性の動きで軌道を察知しなければ《バーゴイルシザー》の血塊炉へと一撃が叩き込まれていたであろう。

 

 素早さだけならば比肩する人機がいないほどだ。赤い燐光を棚引かせながら骨身の人機が《バーゴイルシザー》へと襲いかかる。

 

「よく分かんねぇが……速ぇって事だけは確かみたいだな。だが、そんな装甲の薄さで、一撃が耐えられるかよ!」

 

《バーゴイルシザー》が肩口に装備したアンカーを射出する。ケーブルが空間を走る中、敵人機を捉えようとするが、瞬時に舞い上がった不明人機は赤い光を四方八方にばら撒いた。

 

 それだけでケーブルが四散しバラバラに引き千切られた。

 

 敵の人機がそのままの勢いを殺さず《バーゴイルシザー》へと猪突する。

 

 プラズマソードとこちらの実体武装が干渉し合った。スパークの火花が弾ける中、ガエルは哄笑を上げる。

 

「機体照合上はモリビトかも知れねぇが、こちとら商売人だ! 邪魔してんじゃねぇよ!」

 

『モリビトは……殲滅する! しなければならない! そうでなければ、何のためにわたしは、禁断の力を手に入れた? ハイアルファーの洗礼を受けてでも、わたしは枯葉達の遺志を継がなければならないだ!』

 

「知るかよ、てめぇの理由なんざ! 《バーゴイルシザー》! この勘違い女を蹴散らすぞ!」

 

《バーゴイルシザー》の眼窩に光が宿り不明人機と鍔迫り合いを繰り広げる。敵の人機の速度は確かに驚異的だが、あまりに動きが直線的だ。恐らく操主自身、この速度に慣れていない。通常ならば圧倒されるであろう性能だが、自分で使いこなせない力などただの暴走だ。

 

『モリビトは……抹殺する!』

 

「オレはモリビトじゃねぇ! 戦争屋だ! 覚えておけ!」

 

 もつれ合う中、《バーゴイルシザー》が刃を振り上げる。プラズマソードで受け止めようとした相手であったが刃の発振速度がもう機体に追従出来ていない。

 

 刃が走るよりも速いという強みが逆効果になっている。ガエルは無闇に接近してくる敵へと足蹴を見舞った。

 

 蹴りつけられた敵人機がよろめいた瞬間に刃を軋らせる。敵人機の横腹へと食い込んだ刃の感触に、勝利を確信した。

 

「胴体割られやがれ!」

 

 その瞬間、照準警告がコックピットを激震する。

 

 数条の銃撃が《バーゴイルシザー》を狙い澄ましていた。瞬時に食い込ませていた腕を肩口から分離させ射線を掻い潜る。

 

 きりもみながら《バーゴイルシザー》は急速落下していった。回転軸に晒されたコックピットがミキサーのように揺れ動く。ガエルは力技で操縦桿を引き上げて《バーゴイルシザー》を海上で持ち直させた。

 

 海面ギリギリを駆け抜け、《バーゴイルシザー》がようやく帰投コースに入る。

 

「……ったくワケわかんねぇ敵に見つかったもんだ」

 

 浮かんだ汗を拭い、ガエルは息をついた。ほとんど骨身だけの機体だったが、あの機動力はあまりにも通常の人機とはかけ離れている。

 

 操主への負担も十数倍は下らないだろう。それでも追いすがってきた執念にガエルは乾いた拍手を送る。

 

「また女か。モリビトと言い、どうして女ばっかりなんだ? 機体照合データは?」

 

『ガエル・ローレンツ。先ほどの戦闘の通信を傍受したが、あの機体の操主、トウジャ、と言っていたな?』

 

 ガエルは水分を補給しつつ通信に応じる。

 

「んな事言っていたか?」

 

『トウジャ、だとすればあの機体は先ほどの漆黒の人機と同じものだ』

 

「オラクルの残存兵のと? そんなに世界中にあるもんなのか?」

 

『……どうやら隠し立ても難しいらしい。帰還した後、話す。今は帰り道に気をつけてくれたまえ』

 

「へいへい。せいぜい狙われないようにしておくぜ。ったく、高みの見物もしゃれ込めないのかよ」

 

 左腕を失った《バーゴイルシザー》はそのまま汚染された海域を突っ切っていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯63 怨念の炎

 瑞葉は身体に圧し掛かってきたGに呻き、胃の中のものを吐いていた。

 

 それでも収まらない吐き気と倦怠感はこの機体を操っている特殊OSのせいだ。

 

 背筋から精神安定剤が打ち込まれるも瑞葉の網膜は赤く染まっていた。末端神経が過負荷に耐えかね、全身が軋んだように痛む。

 

 ――これがハイアルファーの力。

 

 数度目の肉体への安定剤が投与され瑞葉はようやく喋れるようにまで回復した。

 

「モリビトは……」

 

『瑞葉小隊長。あれはモリビトではありません。《バーゴイル》です』

 

「しかし、機体識別反応はモリビトを示していた。この機体から見えるのは確かにモリビトだった」

 

『《ラーストウジャ》のハイアルファーは認識障害を引き起こします。憎悪に染まった【ベイルハルコン】の使用が幻覚を見せたのでしょう』

 

 幻覚。事前に説明されていたとはいえ、ハイアルファー【ベイルハルコン】の性能に瑞葉は圧倒されていた。

 

 ほとんど剥き出しの内部フレームを晒した《ラーストウジャ》は速度面では比肩する性能の機体はないというデータであったが、あの敵機体は追従してきた。

 

 瑞葉は拳を握り締める。まだまだ強くならなくてはならない。

 

「《ラーストウジャ》……、偽装パーツを……」

 

『《ブルーロンド》に偽装するためのパーツはまた換装しなければならないでしょうね。本国に帰ってデータを反芻しましょう。今は、初陣の勝利を祝うべきです』

 

 勝利? 違う。あれは勝利などではない。

 

 勝利とは相手を蹴散らしその一分に至るまで磨り潰す事だ。敗走を許した時点で勝利ではない。

 

『元首様もきっとお喜びになられます。ブルーガーデンの切り札である《ラーストウジャ》が無事帰還したとなれば』

 

 元首。その名前に瑞葉は焼け爛れるかのような憤怒を感じ取った。そうだ、いずれはその元首の首筋へと刃を突き立てなければならない。

 

 まだ死ねないのだ。

 

 安直な行動は慎むべきであった。今は、帰還してでもその好機を待つべきだ。

 

「……分かった。回収してくれ」

 

『《ブルーロンド》隊、瑞葉小隊長の機体を回収するぞ』

 

 瑞葉はコックピットの中で延髄に接続されたシステムを見やる。今までの《ブルーロンド》と違うのは装甲による恩恵を一切期待出来ない事。さらに言えば戦闘スタイルの変化であった。

 

 禁断の人機――《ラーストウジャ》の性能にほとんど振り回された結果になったわけだ。

 

 瑞葉は機体から立ち昇る高熱の瘴気に己の憎悪を照らし合わせていた。

 

《ラーストウジャ》の内蔵するハイアルファー【ベイルハルコン】は怒りの感情に呼応する。

 

 ゆえに、この身を焼くような灼熱は自身の憎悪の証なのだ。

 

 モリビトをいずれ倒さなければならない、という因縁を持ち続ける。

 

 そうでなければ、この機体に食い尽くされるか、あるいは自分はこの機体の単なる一パーツとして一生を終えるだけだろう。

 

「まだ、死ねるか……モリビトを、いずれこの手で……」

 

 掲げた手は行き着く先を求めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もたらされる情報は光よりも速い。

 

 全員に同期されたその情報に嘆息が漏れた。

 

『まさか、トウジャが意図的とは言え、二体も解放されるとは。《プライドトウジャ》の解放とは違い、もう一機は完全なるイレギュラーだ』

 

『しかし封印兵装の開封は世界に災厄をもたらす。やはり慎重になるべきではなかったのか』

 

『《プライドトウジャ》とその操主の鹵獲。これでどのように世界が変革されるのか……、誰にも読めん』

 

『それだけに留まらない。モリビト二機の新たなる兵装。あれほどの力……許してなるものか』

 

 フルスペックモードの情報が全員に行き渡った時には決断が迫られていた。

 

『モリビトへの早期断罪を。ブルブラッドキャリアの本体への追求は未だに』

 

『未知の部分が多いのだ。ブルブラッドキャリア……追放された身でありながらあのような技術体系、どこで手に入れたのか』

 

『百五十年前に持ち出されたとされる技術の全てを用いてでも、惑星への報復を完遂しようというのか。それほどまでに惑星圏の人間が……我らが憎いか、ブルブラッドキャリア』

 

『コード031の動きがあまりにも迂闊であったのもある。やはり再生人間に使用した躯体の生前の記憶に左右される部分は修正すべきではないのか』

 

 全身機械化された元老院のシステムの中枢にいたのは一人の女であった。

 

 服飾を身に纏わない女へと機械化された者達が声を発する。

 

『コード031は何度でも再生出来るが……問題なのは四十年も前の死者とは言え、足がつかないとも限らない点だ』

 

 傅いた女は喉を震わせる。

 

「それに関してはわたしもこの身体が馴染まなかったせいもある。通常操主ならば一掃出来るが、ハイアルファーに選ばれた操主には敵わなかった、というわけだ」

 

『コード031……いや、再生人間名称レミィ。君から見た《プライドトウジャ》の操主はどのようであったか』

 

 仰ぎ見た女――レミィは言葉を紡ぐ。

 

「モリビトの名前……本国からの誉れを継ぐに相応しい、この時代には珍しいほどの実直な人間であった。だが、あれは破滅する。焦る事はない」

 

『その感想がそのまま彼の運命に左右するとは思えない』

 

『左様。所詮は生きている人間の感性など一刹那の幻に過ぎん。破滅するのが見えていたとしても、我々統合された存在からしてみれば、対処の必要性があると考える』

 

「しかし、彼はハイアルファー【ライフ・エラーズ】に耐えてみせた。わたしからしてみれば、もう少し観察の余地があると判断するが、如何かな?」

 

『ハイアルファーに耐える人間が今の世にいるとは思わなかったが、あれは本当にただの人間かね?』

 

『ただの人間だとすれば、我々の再生人間の候補に入れる事もやぶさかではない。ハイアルファーに耐えた血筋だ。ともすれば、人機操縦に長けた幻の人種である可能性も捨てきれない』

 

『――血続、か。だが、あの血統は完全に消滅したはずだ』

 

『隔世遺伝の可能性もある。排斥した血続が今の世に再び現れたとなれば』

 

『我々の支配に亀裂を走らせるか。だが血続をこちらの勢力に取り込めればこれ以上とない強みになる』

 

『結論として、桐哉・クサカベへの継続観察を命じる。コード031、まだやれるな?』

 

「造作もない。今度はC連合の戸籍を使う」

 

 身を翻したレミィに元老院の機械化された総体は一つの言葉を放っていた。

 

『ゆめゆめ忘れるなよ。この惑星は我々の所有物なのだ。これ以上荒らすのを、許しておけるものか。ブルブラッドキャリア』

 

 

 

 第三章 了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 崩壊惑星
♯64 原初の罪


 もし、二つの対象物があったとする。それらを総括的に、同時観察出来る絶対者の存在を仮定して、ではその両者に溝のように落ちる差は何か――。

 

 そのような仮定の話を持ち込んできたユヤマに、タチバナは辟易を浮かべる。

 

「……単純な疑問だが、君のいる場所はどこかね?」

 

『お教え出来ません。一身上の都合で』

 

「……では言い方を改めようか。ワシのいるゾル国が何時かは分かっておるかね?」

 

『そちらの時刻を用いるのならば、午後十一時過ぎでしょうか』

 

「年寄りはもう寝る時間じゃよ」

 

 実際、タチバナは疲弊していた。ここ数日の調査継続とあらゆる諜報機関の情報の精査。助手のいない研究者の打てる手など所詮は知れたもの。嘆息をつくタチバナに通話越しのユヤマはようやくその時差を飲み込んだらしい。

 

『おっと、失礼しました……博士はまだ起きていると思ったので』

 

「そう思った確証を尋ねようか」

 

『ここ数日、世界がざわついています。気づいていないとでも?』

 

 無論、その件もあってタチバナは眠れぬ夜を継いでいるのだ。もたらされる情報は山のようにあるのに、そこから砂金を見出す方法は片手ほどにもない。

 

「ゾル国辺境地にC連合が介入した。表向きは、C連合がオラクル残党軍を排除する、という名目」

 

『名目ではない部分をあなたは知っている』

 

「買い被り過ぎじゃよ」

 

 老眼鏡をかけ直したタチバナは一服吹かそうとして煙管を取り落とした。この時代においてはほとんど骨董品に等しい煙管だが、大事に扱っているお陰でまだ現役だ。

 

『煙草を吸われるんですか』

 

 タチバナは疑念を挟んだ。今は音声通信だけで相手からこちらは見えていないはずである。盗撮を疑ったがこの部屋は防音と外からの眼の阻害に優れている。

 

「その論拠を聞こうか」

 

『……失礼、口が滑りました』

 

「口が滑ったにしては、少しばかり迂闊じゃな。見ているのか?」

 

 ユヤマは逡巡の間を浮かべた後、答えを口にする。

 

『上官が吸うので、その前後の行動を思い返していただけです』

 

「上官? お主らの組織に上も下もないと思っていたが」

 

『組織というのはいつの時代でも上下関係からは逃れられませんよ。世界を虹の皮膜が覆い、紺碧の毒の大気が世界を闇に沈めても、です』

 

 皮肉めいた言い草にタチバナはふんと鼻を鳴らす。

 

「この猛毒の惑星においても、まだ良識が生きている、と見るべきか。あるいは因習に縛られていると言うべきか」

 

『話の続きとしましょう』

 

「二つの対比物を同時観察出来る絶対者の存在自体が、既に歪みの中にあるとしか言いようがないが」

 

『それでも、です。どう思われますか?』

 

 タチバナは紫煙をたゆたわせながら考えを巡らせる。動物実験がまだ生きていた頃、そのような実験経過を聞いた事があった。

 

「環境に生物は左右される。環境が人の手が加わったものとそうでないものには明確な差が生まれる」

 

『狼少女の例をご存知ですか』

 

 ユヤマの口から出た言葉にタチバナは覚えずと言った様子で口角を吊り上げた。

 

「それは……旧世紀の話じゃぞ? 随分と昔の話に精通しておるのだな」

 

『話の接ぎ穂に、と思いまして』

 

「アマラ、カマラか。狼に育て上げられた人間の少女の物語」

 

 だがそれは半分ファンタジーとして今の世界では定着している。そもそも知っている人間が少ない話だ。

 

『その例を持ち出せば、自然と答えは見えてくるのでは?』

 

「君は……ワシに考えさせたいのか、それとももう出ている解答を言わせたいのか?」

 

『どちらと取っていただいても』

 

 謙虚なのか不躾なのか分からない。タチバナは欠伸をかみ殺し、言いやった。

 

「自然環境下における一種の生物二個体の違い、など瑣末なものだと思うが、意図的に比較し、意図的にその成長の度合いを分けた場合、如実な差が生まれるのは必定」

 

 その答えが聞けただけでも満足なのか、ユヤマは用意されたような答えを切り返す。

 

『そうでしょうね。そのはずなんです』

 

「何を言わせたい。ワシは人機開発の助言者。研究者と言っても歴史学者でもなければ生物学者でもない。詳しい話は出来んぞ」

 

『いえ、ただ単に人間というものを紐解くに当たって、博士のお話を伺いたかっただけです』

 

「難しい事を言うものだな。人によって千差万別の答えに一つの解答を見出すなど、それこそ傲慢が過ぎる」

 

 人生に答えが未だに見出せないように、それは誰かが下すものでは決してない。

 

 ユヤマはそれさえも視野に入れているかのように通話先で頷いたのが分かった。

 

『なるほど。博士の答えは参考になりました』

 

「見え透いた嘘で老人を騙すか。そのような事を話しにこのような時間帯に?」

 

『いえ、アタシが言いたいのはですね、どうして博士はゾル国におられるのか、ですよ』

 

 やはりそれか、とタチバナは切り返しを彷徨わせた。

 

「呼ばれたから、では不服か?」

 

『不服というより疑問です。博士はC連合のオブザーバーのはず。どうしてゾル国に?』

 

「答える義務はないな」

 

『ええ、ですが答えていただく機会はあるはずです。違いますか?』

 

 この男はいつだって人を食ったような言い草を選ぶものだ。自然と口元に浮かべた笑みに、しかし退屈はしないという評価を下す。

 

「……C連合はゾル国に喧嘩を売ったように思われている。国際社会の見方ではそう見えなくもない」

 

『ゾル国辺境地への攻撃はオラクル残党軍の掃討作戦が名目でしたが、そのお題目が少しばかり胡乱が過ぎます。どうしてゾル国が掃除しないのか』

 

「家の後始末に使用人を呼んだだけ、と言えば説明が出来ないかね?」

 

『後始末に仲の悪い使用人を?』

 

 フッと覚えず笑ってしまった。どうにも話さずにはいられないようだ。

 

「……屋敷は広い。隅っこの掃除に少しだけ険悪な隣人を選ぶ事もある」

 

『しかし、仲の悪い隣人はその場所に虫でも撒くかもしれません。あるいは、その場所を壊して帰っていくか』

 

「虫は撒かれんかったらしい。いや、撒かれたが、屋敷の主人は黙認した」

 

 その言葉振りだけでユヤマには伝わったそうであった。

 

『性質の悪い虫をばら撒いたと聞いています。新種のようですね』

 

「心の広い屋敷の主人は隅っこが荒れた程度では怒りもせんよ。ただ、その代金はしっかりと払わせたようだが」

 

 ゾル国辺境地で行われたのはC連合との密約であった。

 

 オラクル残党軍の掃討作戦に本国の軍備を割くのは間違っている。だからと言って放置も出来ないとして、C連合がその汚れ役を買って出た。

 

 ただし、条件として提示されたのはC連合の使役する次世代型人機の投入。

 

 つまり体のいいテストにゾル国の辺境基地は晒されたそうであった。

 

 この話の通りの筋書きならば、C連合は《ナナツー参式》を含む新型機で辺ぴな基地を蹂躙。オラクル残党軍を排除し、ゾル国との冷戦関係は維持しつつ、そのまま継続して睨み合いが続くはずであった。

 

 ゾル国とて喧嘩を売りたいわけではない。辺境地への攻撃は仕方がなかったの一言で済ませるはずであった。

 

 だが、その関係に歪みを生ませた存在があった。

 

『心の広い屋敷の主人でも、外からの来訪者にはご立腹のようだ』

 

 タチバナはもたらされる情報の一つにその答えを得ていた。

 

「B2C」の暗号名に全てが集約されている。

 

「惑星への報復攻撃……まさかこのような形での介入など誰も予測出来まい」

 

『ブルブラッドキャリアは惑星内での密約に、否と言える存在だったという事でしょうか』

 

 しかし、ここは黙っておくのが吉と言うもの。ブルブラッドキャリアが矢面に立ち、この作戦に介入した理由は一つしか思い浮かばない。

 

 軍備増強への牽制と、両国への警告。そして――モリビトの性能を見せ付けること。

 

「航空映像が撮影したものだが……これは凄まじいな」

 

 映し出されたのはC連合の巡洋艦が火の手を上げる映像であった。その只中に浮かび上がっている熱源を分析し、最大望遠と最大の画像出力で解析した写真に戦慄する。

 

 巡洋艦を轟沈せしめたのは、たった一機の人機。

 

 しかもその人機は巡洋艦のみならず、警護についていたナナツー弐式の部隊を完全に殲滅した。

 

 三次元画像がその存在を克明に映し出している。

 

「これがモリビト……03と我々が呼称している機体の、真の姿か」

 

『青いモリビトですね。こっちの手持ちにある情報だと、消えた、だとか』

 

 比喩や暗号ではない。

 

 まさしく不可視の人機であったというのだ。しかし、完全に全てのレーザー網から姿を消す人機などこの世に存在しない。

 

 一時期ブルブラッド大気を身に纏い、その色と同化する事によってほとんど不可視の光学迷彩を手に入れた技術があったが、それもエネルギー効率の悪さと結局戦場での役立たずな側面が災いして、ただのゴシップニュースに成り果ててしまった。

 

 だが眼前の現実はゴシップでも何でもない。

 

 戦地にて、それに等しい技術が適応された事を示している。

 

「応用技術は不明な点が多いが、これはほぼ不可視と言ってもいい。しかも、ナナツー部隊を迎撃せしめた武装だが……これは有線機動武器か」

 

 辛うじてワイヤーが映っているために認識出来るが戦場の兵士達に視認するのは不可能な速度であろう。

 

 これは俯瞰している第三者だからこそ出来る後付けの見解だ。

 

『ワイヤー武装に関して言えば、まだ実用段階ではない、との持論でしたよね? タチバナ博士は』

 

「実用段階以前に、それに耐え得る素材を探さなければならないと考えていたが、たまげたのはそれが惑星外にあった事じゃよ」

 

 どうして、惑星を追われたはずのブルブラッドキャリアにこの惑星内でも一握りの人間しか享受出来ない技術の恩恵があるのか。

 

 その答えは一つに集約されていた。

 

『惑星内に、どうやら悪い子がいるようだ』

 

 内通者の存在。それは当初から囁かれていたもののここまで現実味を帯びてくるとは思えなかった。

 

 惑星を裏切って、政府や国家を裏切ってまで追放された人間達に大枚をつぎ込んだ連中がいる。

 

 可能不可能の議論以前に、狂っているとしか言いようがない。

 

「連中は何がしたい? 惑星を脅かしてどうしたいというのだ」

 

『さぁ? アタシにゃ分かりかねます。それほどまでにイカレた事もないので』

 

 こうして自分と話している時点で充分な狂人である気がしてならないが、タチバナはそっと警告した。

 

「連中に伝手があるのならば伝えたほうがいい。長続きはしない、と」

 

『案外、短期決戦のつもりなんじゃないでしょうか? モリビト三機の投入のタイミングも気になるところです。そういえば、モリビトで思い出しましたが、スカーレット隊が全滅したと』

 

 耳聡い男だ。他国のほとんど極秘事情に踏み込んでくる。

 

「あまり耳がいいと長続きはせんぞ」

 

『スカーレット隊は全滅だったそうですね』

 

 モリビトに続き、ゾル国は惜しい存在をなくしたものだ。タチバナは近日執り行われる国家を挙げての追悼式典の日時を見やっていた。

 

「《バーゴイルスカーレット》は優秀な機体だ。空間戦闘における追従性が最も高い。それを撃墜せしめたとなれば、モリビトはさらなる脅威と認識されるだろう」

 

 自分で自分の首を絞めているようなもの。余計にブルブラッドキャリアの真意が分からなくなってくる。

 

『博士は、研究で携わったので?』

 

 タチバナは頭を振った。《バーゴイル》に関して助言した事は数少ない。

 

「元々、出来上がっていた技術であった。《バーゴイル》で助言する機会はあまりなかったがスカーレット装甲……耐熱機能が優れていたのは何回か見せてもらっていた」

 

『R兵装ですかねぇ』

 

「そこまでは。ただ、妙な破壊のされ方をしておったとは聞いている」

 

『尋ねても?』

 

「どうせ君は探るだろう。先んじて言っておくが、妙とは言っても空間戦闘におけるデータは少ないのだ。だから一概に妙とは言えないものがある」

 

『しかし、それでも奇妙だと映ったのでは?』

 

 隠し立てや遠回りな言い草を使ったところで無駄か、とタチバナは口火を切った。

 

「……血塊炉が抉り出されていた」

 

『血塊炉が? 人機の動力源ですよね? 一番強固な装甲に守られていると聞いていますが』

 

「力自慢のナナツーでも相手の装甲を射抜き、血塊炉を抉り出すなど出来んのだ。そのような事を実用化しようと思えば、腕力ばかり強大なナナツーへの製造へと繋がるがではそれは現実的なプランか、と言えば誰でも違うと言える。ナナツーに白兵以上の格闘戦術を用いさせるなど間違い以前にあり得ない」

 

『キャノピーのコックピットを潰されればお終いですからね』

 

「弱点の露出しているナナツーではどう足掻いても《バーゴイル》には勝てず、だからと言って《バーゴイル》ではナナツーを凌駕する性能の装甲の質は保てない。その重量になれば飛翔速度が極端に下がる。だからと言って、ロンドでは器用貧乏が過ぎる。ロンドの細腕では《バーゴイル》との力比べでも勝てないが、器用さではナナツーを上回り、換装システムのお陰で《バーゴイル》以上の極地でも行動が可能」

 

『面白いですね。その三機、まるで示し合わせたかのようにお互いに弱点を持っている。そして、どれを突かれても敗北するように出来ている』

 

 出来ているのではない。これは構築されたのだ。

 

 そのように、拮抗する事を前提として。

 

 その内実を話させたいのだろうが、タチバナはここで一旦、この話を打ち切ろうとした。

 

「スカーレット隊の敗北などどうでもよかろう。問題なのはこのモリビトだ。あまりに強過ぎる力はバランスなど関係なしに各国の力関係を覆す。今のところは現実的ではないが、噂程度ならば出来上がっている連合構想にも繋がりかねない」

 

『ブルブラッドキャリアを共通の敵として各国が一時的にこう着状態を解き、惑星連合として発足しようという試みですか』

 

 やはり知っていて尋ねているのだ。タチバナは頭を振る。

 

「理想論だ。現実的ではない」

 

『そうお考えなのはどうして?』

 

「百五十年。百五十年の長きに渡って、睨み合いを続けてきた国家が一つに編成される事などあり得ないからだ。それに、モリビト程度で各国の繋がりと今までの確執が埋められるとは思えん」

 

『やはり、この世界は変わるための起爆剤を求めている、と考えるべきですか』

 

「そのためのモリビト、というお膳立てのシナリオも出来上がる。それこそ誰かさんの思っている通りに」

 

 こちらの言葉振りにユヤマは通話先で笑ったようであった。

 

『嫌ですなぁ、本当。そのような悪い企みをする人間がいるなど』

 

「国家の枠組みを超えた人間の愛情など、存在せんよ。あるいは繋がり、というべきか。どこかで人は憎み合うように出来ておるのだ」

 

『憎み合わないのは通信回線の特許くらいでしょう』

 

 違いない、とタチバナは各国が共通規格として採用している人機通信基準を思い返した。チャンネルさえ合わせられればどの人機でも通信機能はアクティブになる。

 

 この惑星で誰もが享受出来る恩恵と言えば、通信サービスの向上と宅配ピザ程度のものだろう。

 

「いつだって、速くなるのは人の思いよりも機械的な部分だろうな」

 

『速さで言えば情報も、でしょうな。戦地からもたらされる情報は昔こそ相当に疲弊してからのものでしたが、今はピザのように容易く手に入る。それこそ、凡人でも』

 

 暗に自分が凡人だと言いたいのか。タチバナはそれこそ冗談が過ぎると感じていた。

 

「ゾル国の内情に手を出すのは勝手じゃが、忠告しておくと一トップ屋が手を出して火傷しない保障はない」

 

『火傷で済めばいいですが。火達磨になるのは御免です』

 

「分かっておるのならば自重するといい。ゾル国は今ピリついている。手負いの獣に手を出すような馬鹿がいないように、噛みつかれる程度では済まんぞ」

 

『心得ておりますよ、退き際は。しかし、今はその時ではない』

 

 ゾル国内部でも相当に外部への反抗心が強まっているところだ。

 

 スカーレット隊の壊滅。ゾル国辺境地への攻撃。さらに言えば、未確認情報だがゾル国内部コミューンへのテロ行為。これらが連鎖的に繋がる事により、ゾル国は牙を剥く。

 

 ブルブラッドキャリアか、あるいは他国にかは分からない。だがそれが手に負えない代物であるのは明白であった。

 

「今のゾル国に探りを入れるのはおススメしない」

 

『それは知人としての忠告ですか?』

 

「老躯としての、じゃよ。生きてきたのはお主より長い。戦争の始まりくらいはにおいで分かる」

 

『この百年程度戦争は起きていないはずですが』

 

「偽りに糊塗された平和だよ。冷戦状態がどれほど続いていると思っておる。どこかで爆発する、その予感は誰しも持っている。しかし、その契機がはからずともモリビトという存在であったのみ」

 

 惑星外からの薮蛇がなくとも、この国家間の緊張状態はいつか限界を迎えていた事だろう。

 

 モリビトは程よい起爆剤であったに過ぎないのだ。

 

『どこかで破滅を願う人々、ですか。しかし、平和であろうという志も高いはずです』

 

「信じる者は救われる、か。だが方舟に今の人類の総量では乗れんよ」

 

 この惑星の外に逃げ出す事も出来ない。虹色の檻に囚われたまま、罪人達は虚構の大地を崇め続ける。

 

『まぁ、アタシは方舟も、来る黙示録も信じちゃいませんが。アタシが言いたいのはですね、いつか来る末法の世の中よりも、今、眼前に迫る危機ですよ。ゾル国辺境地、オラクルの排除を名目とした作戦はモリビトの介入によって失敗。ですが、その次は? 次があるはずでしょう? そうでなければどの国家の面子も丸潰れです。独立した一弱小コミューン程度潰せないのか、とゾル国は責任を求められる。だが今回の場合、相手がよかったですなぁ。C連合ではなく、ブルブラッドキャリアという共通の敵を睨む事が出来る』

 

「確定情報ではないにせよ、コミューンのブルブラッド大気汚染テロもある。国民の思想を煽るのには程よい風向きだ」

 

『この風向きに、乗ろうという便乗の輩もいるのではないですか?』

 

「それは誰か、言って欲しいのか?」

 

 ユヤマは鼻を鳴らした。ナンセンスだろう。

 

『どちらにせよ、戦端は開かれますよ。この好機に、モリビトの物量による排除作戦が練られても何ら不思議ではありません』

 

「C連合は手を出さん。静観の構えだ」

 

 その理由が当社画面に映し出されている。人機開発のオブザーバーとして、極秘にもたらされた情報だ。さすがにユヤマとの話し合いの延長線上で語るにしては重い出来事であった。

 

 3Dフレームに組み込まれた名称を見やる。

 

「トウジャタイプ」と刻まれていた。

 

『そうですか。C連合もやはりナナツー大隊を失った事が大きいんですかね』

 

 この事実をユヤマも知っているのだと思っていた。否、知っていて黙っているのか。

 

「新型のナナツーがロールアウトの直後に出撃した。これは国際条約のグレーゾーンだ。だから動きにくいのだろう」

 

『《ナナツーゼクウ》ですね。この情報は持っておりますよ』

 

 安心してくれ、と言っているような口ぶりだ。あるいは、この程度ならば掴めるがそれ以上は自分の口から割らせろと迫っているのか。

 

「今は、ナナツー関連の資料と睨めっこだ。それと《バーゴイル》の量産案に目を通しておけとな」

 

『どの国家も欲しがるわけだ。あなたはやはり人機開発のトップに相応しい』

 

「世辞はいい。切るぞ」

 

『そうですね、時間も押してきています。最後に一つだけ。二つの同一存在が別の環境で育った場合の解答は先ほどのものでよろしいのですか?』

 

 やけにこだわる。怪訝そうにタチバナは応じていた。

 

「その質問はそれほど重要か?」

 

『ええ、今のアタシにはとても』

 

「では答えるが、環境が違う時点でそれは別の生命体じゃよ。その答えで充分か」

 

『ええ、いい答えをもらいました。それでは』

 

 その言葉を潮にして本当に通話が切れてしまった。タチバナは息をついて投射画面に表示されている人機の三面図を睨む。

 

「トウジャ……。禁断の人機がどうしてC連合の下に。いや、導かれるべくして、この機体は導かれた、というべきか」

 

 モリビトが目覚めた時点で他の人機の目覚めは誘発されたと思うべきなのだ。

 

 タチバナは極秘資料に印字された三つの人機の名称を視界に入れる。

 

 トウジャ、キリビト、そして――モリビト。

 

「この惑星は最初から原罪を抱えている。それを知らずして人々は……いや、知っていても同じか」

 

 不幸なだけだ。そう断じて、タチバナは煙管を吹かした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯65 破滅への引き金

 一人が銃弾の前に倒れてようやく、大人達は近づいてきた。

 

 今まで近づこうとさえも思わなかったくせに、たった一人になった途端、白衣の人々はこぞって歩み寄り自分の手を取ったのだ。

 

「おめでとう。君が一号機の操主だ」

 

 口々に賞賛の言葉が送られ、拍手が響き渡る。

 

 自分はそれよりも、今撃ち殺した人間が再び動き出さないか不安だった。致命傷を与えていない。殺し切っていないのにこの大人達は何と無防備なのだろう。

 

 いつ、今殺し損ねた相手が動き出すとも知れないのに。

 

 銃弾一発では人が死ぬかどうかは運任せなのだ。

 

 それを嫌というほど知ってきた。嫌というほど学習した。嫌というほど、この手にこびりついてしまった。

 

「誉れ高い、モリビト一号機。これを君が動かすんだよ」

 

 切り替わった風景に周囲を見渡す。先ほどの死体は動かなかったのか、と大人達とは違う事ばかり考えていた。

 

 仰ぎ見ると人の形を模した巨大機械が自分を睥睨している。

 

 鋼鉄の巨神。鉄の塊。

 

 灰色の機体色は無骨さを際立たせていた。

 

「機体名称は《インペルベイン》。開発コードは〝破滅への引き金〟だ。その引き金を引くための試験に合格した君は大変に優秀だよ。あの罪なる惑星から来たにしては、君の適性はずば抜けている」

 

 浮かび上がったのは虹色に輝く星であった。宝石か、あるいは結晶のようで触れれば砕けてしまいそうだ。

 

「引き金を引けばいいの?」

 

 尋ねた声音に大人は満足そうに頷いた。

 

「そうだ。引き金を引き絞り、敵を討て。それが操主の務めだ」

 

 そのようなもの、操主でなくとも出来る。今までだってそうしてきたではないか。

 

 銃弾を頭に撃てば死ぬ。心臓でも死ぬ。運が悪ければ他の部位でも簡単に人は死ぬ。

 

 確率論の世界を行き来する悪魔が他人の頭上に覆い被さった時を狙って引き金を引いてやればいい。

 

 悪魔の影が差すのが自分には見える。

 

 その瞬間に弾丸を撃ち込んでやれば案外呆気なく、人は死ぬ。

 

 右手に握り締めた銃は否が応でもその認識を強くした。

 

 馴染んでいる重量だ。もう身体の一部と言ってもいい。

 

 衣服とも呼べない布切れ一枚を着せられ、自分達は殺し合った。

 

 どこから来たのか、何のためにこの場所に呼ばれたのか、それらは一切伏せられたまま、最後の一人になるまで殺し合えと言われただけだ。

 

 感情のある子供は泣きじゃくった。

 

 感情のない子供は淡々と人を殺した。

 

 どちらでもない自分は泣きながら一番多く人を殺した。

 

 罪なるは感情の過多ではない。罰せられるのは感情のあるなしでは断じてないのだ。

 

 本当に罪があるのは、それを知りつつ手だけは止めないような人間。

 

 意味を知って、それでも歩みを止めない人間が一番に罪だ。

 

 方法論の分からない猿が銃弾を引くのと、意味を知っていて銃弾を引く人間とではまるで異なる。

 

 前者に罪の意識はない。後者に罪の意識はある。

 

 ならば罰が与えられるのは後者のほうであろう。

 

 自分はこれが罪悪だと分かっていて引き金を引き続けた。殺し続けた。

 

 一つ、頭を射抜けば人は死ぬ。二つ、心臓を貫けばもっと確実。三つ、どこを撃っても、人は案外、呆気ない。

 

 痛みに呻くか、呻かないかの差異に過ぎない。

 

 その時間を短縮してやるのがせめてもの情けだと感じて、途中からは確実に死ぬであろう心臓を狙うようにした。

 

 だから破滅への引き金は自分に相応しいのかもしれない。誰を破滅させるのか、など聞かなかった。

 

 何故ならば、破滅するのは最後に残った自分だからだと明確に分かっていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃声が数発分、響き渡った。

 

 いつの間にかコックピットで眠りこけていたらしい。ここ数日のハードワークが押し寄せてきた形だ。

 

 頭を振って頬を張るとホログラムの少女が飛び出してきた。

 

『彩芽、疲れてる?』

 

「ううん……って言うと嘘か。だって貴女には、わたくしのバイタルが常にモニターされているのだものね、ルイ」

 

 見知った白髪の少女の像はコックピットのコンソールを周回する。

 

『疲れているのならば、こっちに任せて休めばいいじゃない。《インペルベイン》の偽装迷彩は起動したままにしてあるし』

 

「でも、そういうわけにもいかないでしょ。この基地は……」

 

 全天候周モニターに映し出されたのは紺碧の大気に包まれた前線基地であった。

 

 整備班と基地のスタッフを黙らせるために鉄菜がコックピットから踏み出て銃声を鳴らしたのだ。

 

 その音で飛び起きたのだから我ながら迂闊である。

 

《ノエルカルテット》に搭乗する桃が通信回線を開いていた。

 

『アヤ姉、クロが……。あれ、寝てた?』

 

「ちょっとだけ、ね。でも今起きた。鉄菜、一応ヘルメットはつけているけれどあの体型じゃバレバレよ。女だって」

 

 ブルブラッドキャリアの構成員は今の今まで謎のままだったのに、鉄菜の軽率な行動一つで瓦解しては堪ったものではないだろう。

 

 秘匿回線に切り替えて彩芽は鉄菜に呼びかけていた。

 

「鉄菜。操主が女だってバレる。そうじゃなくっても、わたくし達は警戒されているのよ。穏便に」

 

『時間がない。ここで整備をした連中に尋ねなければならない』

 

 彩芽は嘆息をついた。この基地を占拠して今、五時間が経とうとしている。モリビトの恐怖に皆が怯え切っているものだとばかり考えていたが、基地に残ったスタッフ達は知恵を搾って対人機作戦を実行した。

 

 結果として、基地への攻撃は最小限に留まらなかった。

 

《シルヴァリンク》が先行する形で《インペルベイン》の銃弾がいくつも穴を開け、《ノエルカルテット》のR兵装の強大な一撃でようやく決着がついた形だ。

 

 それでもこちらに抵抗するスタッフにやきもきしたのは何も鉄菜だけではない。

 

 桃が何度もR兵装による分かりやすい形での決着を要求した。

 

 だが彩芽は首を縦に振らなかった。

 

 R兵装を持つ《ノエルカルテット》は確かに拠点制圧には向いている。しかしそれを操る桃がまだ子供だ。

 

 子供の意地で貴重な人材を減らす必要はない。

 

 人機の整備経験のあるスタッフは生かすべきだと彩芽は進言していた。

 

 当然の事ながら、二人からは反発の声は凄まじかった。

 

『人機をなまじいじった事のある人間など生かしておいても邪魔なだけだ』

 

『そうよ。それにモリビトに爆弾でもつけられたらどうするの?』

 

 二人の意見が揃うとは珍しい。彩芽とてその可能性を脳裏に留めないわけではなかったが、この現状を分からせれば自ずと答えは出るものだと思っていた。

 

 本国からの補給も途絶え、モリビトが割って入らなければC連合に蹂躙されるだけの基地であった。現実を直視させればまともな大人ならば言う事を聞く。だが、相手はまともな大人ではなかったのだろう。

 

 その結果が鉄菜の発砲であった。

 

「鉄菜、落ち着きなさい。今、貴女のしている事は幾つもの秘匿義務に抵触しているわ。モリビトを操る執行者は決して相手に気取られてはならない。それにモリビトの操縦システムも。相手からしてみればオーバーテクノロジーの塊よ。それを易々見せ付けるようなもの。コックピットから出るなんて、弱点を晒したのと同じ」

 

 モリビトの操縦の核はどこにあるのか分からないはずだ。殊に人機の規格では頭部にあるものだと相場が決まっているが、《シルヴァリンク》はその固定観念を揺さぶるために造られた胸部コックピット型の機体。

 

 無論、胸部にコックピットがあるのは《シルヴァリンク》の駆動を最大限に活かすという建造理由もあるのだが、鉄菜の行動はそれら全てに背いている。

 

 本人は自覚しているのかしていないのか、声音だけでは判別出来ない。

 

『人機など相手は用意していない。ここの基地にある人機は全て確認した。その上で問いかける。――あの人機は何だ?』

 

 鉄菜の言うあの人機、というのは戦場に割って入った謎の黒い人機の事を言っているのだろう。

 

《シルヴァリンク》と同等かあるいはそれ以上の格闘技術であったと聞く。《インペルベイン》はナナツー部隊に目を注いでいたため見逃したのだが、《シルヴァリンク》から録画映像が転送されてきていた。

 

 数分の出来事だ。

 

 実際に組み合ったというほどの白兵戦でもない。だが、相手の速さと正確さ、何よりもその人機が今までのどの機体とも違うのは一目瞭然。鉄菜でも脅威に挙げるほどだ。相当な機体であるのは疑いようもない。

 

《ノエルカルテット》の大型識別照合にかけても時間のかかった機体の正式名称に彩芽は爪を噛んでいた。

 

「トウジャ……これが伝え聞いていた禁断の人機なのね」

 

『アヤ姉、驚かないのね』

 

「そりゃ、知っていたもの。惑星に降りる時に、ね。知らなかったのは鉄菜だけでしょ」

 

『そうよね。一番遅く来たクロには多分、知らされる余裕もなかったんだと思う。《シルヴァリンク》はそれほどまでに、対人機戦における切り札だと認識されていた』

 

 それは同時に、同朋であるモリビト同士の裏切りさえも視野に入れた計画であったのだろう。

 

 二号機が三号機よりも遅くに惑星に降り立ったのはカウンターを探り当てたからに他ならない。

 

 鉄菜自身はそれを知らないのかもしれないが、自分達二人は気が気ではなかった。

 

 モリビトタイプ、あるいはそれに類する機体を殺すために建造された機体が降りてきたなど。

 

 ただ、あまりにも操主である鉄菜が最初にミスを仕出かしたために、その優位性はほとんど消え去ったかに思われていたのだが。

 

 鉄菜は形こそ違えど今、モリビト三機全てに直結する危うさを漂わせている。

 

 鉄菜は戦闘でこそ、意義を発すると思い込んでいるタイプだ。だから、知らされもしていない人機の存在を誰よりも敏感に察知し、その大元を断とうとしている。

 

 正しいといえば正しいが、禁断の人機の事を知っている人間からしてみればその行動そのものが危うい綱渡りなのである。

 

「鉄菜、落ち着いて聞いて。あの人機はトウジャと言って、わたくし達のモリビトに近い存在なのよ。貴女は……計画の遅延の問題で多分教えられていなかったのだろうけれど」

 

『近い? だがあれは敵だ』

 

 鉄菜の状況判断はシンプルだ。敵か、そうではないかだけの違い。相手がモリビトに近い戦力でなおかつ敵となれば、彼女の取る行動は決まり切っている。

 

『もう、クロったら分からず屋なんだから。《バーゴイル》とロンドとナナツーだけなら、三機もモリビトは要らないでしょう』

 

『……お前達は、知っていて黙っていたのか?』

 

 やはりそうなってくるか。鉄菜は戦闘になれば迷いはない。たとえ相手が一号機であろうが三号機であろうが関係がないと思っている節がある。

 

 ――自分に理解出来ない相手は敵だ。

 

 どこか刺々しい考えだが、鉄菜のように実直ならばその精神構造でも充分に通用する。惑星の人間へと報復攻撃するために送り込まれた自分達が争うのは間違っている、という仲間意識など微塵にもないのだ。

 

 道を阻む相手は関係なく潰す。

 

《シルヴァリンク》の設計思想と相まって鉄菜の力はいつ暴走してもおかしくはない。

 

 慎重に、と桃の声がかかった。

 

『アヤ姉、怒らせないでよ』

 

「分かってるわよ。鉄菜、銃を仕舞いなさい。《インペルベイン》で充分でしょ?」

 

『その銃口がこちらに向いていないとも限らない』

 

「断言するわよ、鉄菜。もう絶対に、貴女を裏切らないから」

 

『前科がある』

 

「あれは仕方がなかった」

 

『では今回も、仕方がないで済ませればいい』

 

 納得しないのは分かっている。彩芽は嘆息をついてコックピットブロックを開け放った。

 

 戸惑ったのはシステムAIであるルイだ。

 

『彩芽? どうするの?』

 

「鉄菜に直接呼びかける」

 

『無茶よ! だってあの子、絶対に言う事なんか――』

 

「聞かないかもね。でも、わたくしも誠意を見せればいい」

 

 ルイの制止の声がかかる前に彩芽はヘルメットを脱ぎ捨てた。その行動に鉄菜だけではない、基地の人々も瞠目したのが窺える。

 

「何をやっている! ヘルメットをつけろ!」

 

「貴女だって、同じような事をしているじゃない」

 

「意味が違う! 顔を晒すなど、馬鹿な真似を……!」

 

「それを言い返せるの? 二号機操主」

 

 ぐっと鉄菜が歯噛みしたのが伝わった。基地の人々は手を上げたままこちらの顔を覗き込んでくる。

 

 いいだろう。これがモリビトを操る人間の顔だと言う事を思い知ればいい。

 

「一号機操主! それはブルブラッドキャリアへの背信行為だ!」

 

 銃口はこちらを見据えた。しかし、彩芽は身じろぎもしなかった。

 

「貴女、それを言えた義理? 落ち着きなさいってさっきから言っているでしょう」

 

 肩を荒立たせていた鉄菜は彩芽の言葉に耳を傾けている。怯えながらも、こちらに寄り添おうとしている。

 

「……どうする気だ。こいつら全員が目撃者だぞ。目撃者は消さなくてはならない」

 

「そういうわけでもないんじゃない? 聞いてください、ゾル国の基地の方々。貴方達を害するつもりはありません」

 

 繋いだ通信に全員が色めき立ったのが伝わった。

 

「何を……!」

 

「わたくし達はC連合の脅威を払ったまで。それ以上の事を仕出かすつもりはない、という事です」

 

「う、嘘だ! モリビトで武装して、こんな場所まで来て……!」

 

「では逆に問いますが、こんな場所まで来て、五時間。五時間も誰一人として殺していない事実を、どう受け止めますか?」

 

 言い返そうとした整備士が返事に窮する。

 

 そうとも。戦いに来たわけではない。少なくとも自分は対話の意義があると感じてここに来たのだ。

 

『アヤ姉。どうするの? 後に退けないわよ』

 

「退くつもりもないわ。銃を下ろして、二号機操主」

 

 切り詰めた声音に鉄菜がようやく、と言った様子で銃口を下ろした。

 

 彩芽は息をついて拡声器で呼びかける。

 

「貴方達がどういう運命にあるのか、一度きっちり話し合いたい。責任者を」

 

 歩み出たのは一人の男性であった。疲弊し切った面持ちの男性はモリビトを仰ぎ見る事もない。

 

 彼へと通信が繋がれた。

 

『ゾル国シーア分隊、分隊長のシーアだ。要求を聞こう』

 

「こちらも同じような事よ。まずは会談の場を。その後で詳しい事を連絡し合う。当然の事でしょう」

 

 彩芽の言葉にシーアはうろたえたようだ。

 

『……驚いたな。惑星圏の人間は全て、敵ではなかったのか?』

 

「報復対象ではあるけれど、何も一辺通りに排除せよとは言われていないわ」

 

 対応にシーアは理解を示そうとしてくれたようであった。

 

『……では、二時間後にそちらの責任者と話し合いたい。こちらも、失ったものが大き過ぎてね。今は皆、見失っているのだ。これから先を。いや、これからなどあるのかどうかを』

 

「それも込みで話し合いたい」

 

 彩芽の声音にシーアは首肯する。

 

『了解した。基地のものの反抗はわたしの名にかけて全力で阻止する』

 

「理解が早くて助かるわ」

 

 シーアの返答に基地の人々が詰めかけたが、彼は一言二言で全員を納得させたらしい。人格者はどこの世界にもいるものだ。

 

 鉄菜は下ろしたままの拳銃の収めどころを見失っているようであった。彩芽は呼びかける。

 

「二号機操主、戻って。無用な心配は与えるものじゃないわ」

 

「……どうしてだ。殺すほうが簡単だろうに」

 

「きっと、貴方が感じているのと同じ疑念を、向こうも感じているのかもね。トウジャタイプに関しての説明は桃から受けて。わたくしは会合の準備をする」

 

「話し合ったところできっと無駄だ。どうせ帰結する先は見えている」

 

「……かもね。でも、話し合わないよりかはマシでしょう」

 

 鉄菜はようやく折れたのかコックピットへと戻っていった。それを見届けてから彩芽はようやくヘルメットをつける。浄化システムを全開にしたところで激しく咳き込んだ。

 

 少しばかりは頑丈に鍛えたつもりであるが、やはり猛毒大気の中で話し合いなどするものではない。

 

『何やってるの! モリビトと、専用のスーツじゃなければ今頃……!』

 

「今頃、肺に穴が空いてるって? でも、よかったじゃない。誰も死なずに済んだ」

 

『彩芽が死んだら、意味ないでしょ!』

 

 このシステムAIは自分以上に人間らしい。彩芽はヘルメットの内側でクスッと笑う。

 

「酷い顔よ、ルイ」

 

 ルイは自分のためを思って怒ってくれているのだ。それだけでも感謝せねばならなかった。彼女は顔を背けて口走る。

 

『……一号機が今潰えたって得をするのは相手だけよ。他意はない』

 

 このAIも素直ではないな、と彩芽は浄化装置を起動させる。気密が保たれ、外気を遮断したコックピットでようやく息をつけた。

 

「《インペルベイン》一機でも、この拠点は容易く制圧出来る。ただ、そうさせてくれないだけの理由が向こうにはありそうね」

 

『例の、不明人機?』

 

「取り越し苦労ならいいんだけれど、鉄菜の直感は当たるから」

 

 鉄菜が敵だと断じたのならばそれは脅威なのだろう。戦闘において鉄菜の感覚を決して過小評価しているわけではない。

 

 何せ、一号機と三号機が組んでいるのなら両方を潰してみせると豪語してみたほどだ。鉄菜には先天的に恐怖という感覚が欠如している。

 

 だからこそ、戦いにおいては誰よりも素早く判断を下せる。

 

 しかし、それは同時に人間としての欠陥だ。

 

「……鉄菜、貴女あまりにも、人間離れしてるわ。それを直さないとこの先、どうしようもなくなるわよ」

 

 あえて通信は繋がずに彩芽は独りごちる。その時、開いた通信回線は桃の《ノエルカルテット》からであった。

 

『アヤ姉、やっぱりここの基地から不明人機は出撃したみたい。高空映像で確認済みの情報よ。ただ、その人機の情報はやっぱり……』

 

「トウジャ、でしょ」

 

 桃は鉛を呑んだかのように沈黙する。

 

『……モモが説明するの?』

 

「鉄菜を納得させてあげて」

 

『いいけれど、それでもモモ達が何で先に知っているのかってクロは噛み付いてくる』

 

「じゃあせいぜい噛み付かれないように慎重に。そうじゃないと鉄菜はずっと不信感を抱き続ける」

 

『……嫌われ役を買って出るのはいいけれど、クロはまるで子供。モモよりも』

 

「それは仕方ないわ。あの子はまだ世界の広さを知らないもの」

 

『《ノエルカルテット》の分析データで納得してもらえるように尽力するわ』

 

「桃、警戒は怠っていない?」

 

『その点に関しては大丈夫。バベルを起動させて情報は誰よりも速く掻き集めているし、上空にはロプロスを待機させている』

 

《ノエルカルテット》は今、背面の怪鳥型人機を分離していた。ロプロスは高高度に位置取って周辺警戒に当っている。

 

 この基地に強襲を仕掛けてくる相手がいないかどうか。

 

 しかし何の事前情報もなしにモリビトが制圧した場所を再征服などしようとはどの国家も思わないであろうが。

 

「情報面で上を行かれる事はないと思うけれど、一応研ぎ澄ましておいて」

 

『了解。でも、アヤ姉だけで大丈夫? だって基地の人間が自爆なんてはかったら』

 

「そんな後先を考えない真似をする指揮ならもうとっくに全滅しているわ。彼らにも言い分があるのよ」

 

『言い分、ね。それが建設的であるのを祈るばかりだわ』

 

「本当に……そうね」

 

 通信を切り、彩芽はあと二時間と時計を見やった。

 

 その先に何が待っているのかは予測出来ない。C連合のナナツー部隊を下したモリビト三機に立ち向かってくる国家など想定していないが、負け戦でも実行する事そのものに意味がある場合はある。

 

『彩芽、疲れているんなら眠れば』

 

「疲れているけれど、眠ったらまた鉄菜を止められなくなる」

 

『いざとなれば《インペルベイン》を動かして《シルヴァリンク》を無力化すればいい』

 

「そう無理な喧嘩をするまでもないわ。今は落ち着いて、状況が好転するのを待ちましょう」

 

『好転? これ以上よくなるって言うの?』

 

「少なくとも悪くなるよりかはマシな方法はあるわ」

 

 仮眠を取ろうとは思わなかった。戦場で眠ればまた悪夢を見る。それは誰よりも分かっていたからだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯66 死地よりの距離

 整備デッキに無数の封印措置を施し、ようやくコックピットから操主を摘出した、という連絡があったのは本国の巡洋艦でC連合への帰路についていた途中であった。

 

 後衛全ての巡洋艦は轟沈し、警備についていたナナツー全機の殲滅を確認した。

 

 元々、モリビトが来る事など想定していなかったが、もしもの時の備えは生きた。

 

 随分と遅らせてこちらに来るように命令しておいた巡洋艦二隻と空輸のための輸送機一機。生き残ったナナツーと部隊はほとんど前衛の巡洋艦に収まり、空輸のほうに不明人機を収容しようとして、やはり操主と人機は切り離すべきだとメカニックが進言したのだ。

 

「少佐の持つデータベースを参照しましたが、あれほどの機動性を持つ人機は存在しません。操主は切り離しておくべきでしょう」

 

 一隻がわざと遅れて出航し、もう一隻が先行する陣営を取ってC連合はモリビトの追撃を恐れつつも本国へと帰る航路を辿っていた。

 

 リックベイはその道中、幾度となく不明人機の情報を探したが、やはり一向に探り当てられないのだという。

 

《ナナツーゼクウ》の整備も儘ならぬ状況。多くの《ナナツー参式》を失ったこの戦はほとんど敗走に等しい。

 

 たった一機の《バーゴイル》にしてやられた。否、彼もまた武人であった事を鑑みるに被害は最小限で済んだと思うべきだろう。

 

 摘出の連絡を受けた時、リックベイは上官への報告任務の最中であった。

 

『どうやら、吉報のようだな』

 

「そうとも限りませんが……不明人機が暴走する可能性が極めて低くなった、という事だけは確かでしょう」

 

『聞き及んでいる。情報ももらった。これは、こちらの情報網で探り当てるに、トウジャ、と呼ばれる機種であると把握した』

 

「トウジャ……わたしはそのような人機の名前は知りません」

 

『前を行く兵士が知らぬのも無理からぬ事だ。本国のデータベースの最重要機密の欄にこの人機の名前はある。百五十年前の、禁断の人機の一種だ』

 

 百五十年前。ブルブラッドキャリアの宣戦布告が思い起こされ、リックベイは質問していた。

 

「モリビトと無関係ではない、のですか?」

 

『やはり、先読みは衰えていないか。そうだとも。モリビトと密接な関係にある。トウジャとは、百五十年前にモリビト共々封印されたはずの人機の名前であるからだ。あまりに強力であるがゆえに、人々の記憶からは抹消され、我々には三種の人機の製造のみが許された。ナナツー、ロンド、バーゴイル』

 

「その《バーゴイル》に、とてもよく似ている」

 

『それも、無理からぬ事だな。トウジャはバーゴイルベースの雛形だと思われる。つまり《バーゴイル》の遠い祖先だよ』

 

 リックベイは今も整備デッキで封じられているトウジャの姿をウィンドウに呼び出す。整備士総出で検査が行われているものの、その実態は今のところ不明。

 

「誰が、何のためにこの人機を解き放ったのでしょう」

 

『あの基地にトウジャタイプが収容されていた、という事前情報はなかった。だが、これをもたらした元凶は……』

 

 濁した先を、リックベイは言い当てた。

 

「オラクルの武装蜂起。全ては計算ずくであったとでも?」

 

『分からないが、オラクル残党があの場所に向かわなければ何も起こらなかったというのは確かだ。オラクルという弱小コミューンにそれほどの情報網があるとは思えないが、トウジャの事を知っていたのだとすればこれらの発端はオラクルによって操られていた可能性が高い』

 

「我々がオラクルに、ですか……」

 

 大国コミューンが小国に戦争の火種を作らされた、というのは正直なところ苦々しいものがある。オラクルさえ独立宣言をしなければ無用な争いは避けられたとも取れる。

 

『その辺りは諜報部の仕事だよ。我々の仕事はシンプルだ、少佐』

 

「不明人機を持ち帰り、その詳細を暴くまでです」

 

『よく理解している。操主は? 何者であった?』

 

「確認中です」

 

 答えつつ、リックベイは操主の情報を手繰っていた。上官は嘆息を漏らす。

 

『トウジャの解放、それにモリビトの追加装備か。頭の痛い案件の多い事だ』

 

「モリビトの新たなる姿は驚異的でした。《ナナツーゼクウ》でも、止められるかどうかは怪しいところ」

 

『君がそういうのであれば、実際にそうなのだろうな。武人としても名高い君だ。戦場で感じ取った事は包み隠さずに言ってくれ。我々が力になる』

 

「モリビトの経過観察をレポートに纏めました。本国に帰るまでには詳細を追記しておきます」

 

『仕事が早いのは美学だな。目を通しておく。では、少佐。一刻も早い本国への帰還を祈っている』

 

 返礼し、リックベイは通信を切った。操主の情報を洗い出そうとすると部屋に飛び込んできたのはタカフミである。

 

「少佐! 操主が出てきたって……!」

 

「耳聡いが、君はノックの一つも出来ないのか?」

 

「あ、スイマセン……」

 

 今さらにドアをノックする。リックベイは額を押さえつつ先を促した。

 

「で? 操主が誰なのか分かったのか?」

 

「驚かないで聞いてくださいよ。今、メカニックに問い質したんですが、あの不明人機の操主は他でもない……モリビトだったって言うんですよ」

 

 一瞬意味が分からずにリックベイは目をしばたたいた。

 

「何だって?」

 

「あ、言い方が悪かったですね。そのゾル国におけるモリビトって言うか、モリビトの栄誉を賜っていた人物って言うか」

 

 そこまで言われればようやく飲み込めた。

 

「まさか、桐哉・クサカベだと?」

 

「そう! そいつなんですよ! ……何だってあいつが」

 

 首を傾げるタカフミにリックベイは立ち上がった。

 

「案内しろ。彼はどこへ?」

 

「医務室です。バイタル、脳波、全てにおいて……ゼロの値を示しているそうで」

 

 その言葉にリックベイは胡乱そうに尋ね返す。

 

「死んだのか?」

 

「いえ、その、数値上は死んでいるんです。でも、何ていうかな……」

 

「君に聞くより専門家に聞くほうが早そうだ」

 

 歩み出たリックベイにタカフミが肩を並べる。

 

「とにかく、それでみんなパニックになっていて。ゾル国の……一時は英雄とまで言われた人間ですよ? 何であの不明人機に乗ってるのかなぁ、って分からなくって」

 

「あの場所は一応ゾル国の領地であった。桐哉・クサカベがいても不思議ではない」

 

 だが、トウジャに乗っていたとなれば意味が違ってくる。知っていてあの場所にいたのか、あるいは何者かの作為が、彼をあの場所に導いたのか。

 

 赴かなくては答えもないだろう。リックベイは整備班へと通信を繋いでいた。

 

「そちらの状況は?」

 

『今操主を摘出したばかりで……英雄だってんでしょう? 情報が錯綜していて分かりませんが、この不明人機が再起動する確率はゼロに近くなりました。操主なしで動く人機なんてそれこそ化け物ですからね』

 

「その化け物の可能性も加味して動いてもらいたい。今そちらへと向かっている」

 

『少佐自らですか? 操主はしかし、医務室に送られまして』

 

「一度、不明人機をよく見ておきたい。わたしが居ても問題は」

 

『ありませんが、この人機、どうにも気味が悪い……』

 

「ならばなおさらだ。兵士達の士気を下げるわけにはいかない」

 

 通信を切る頃には既に整備デッキへと足を運んでいた。タカフミがおっかなびっくりにトウジャを仰ぎ見る。

 

「この不明人機! 驚かせやがって!」

 

 罵声を浴びせるがトウジャは身じろぎさえもしない。その間に整備班長がリックベイにデータを手渡す。

 

「この人機、血塊炉からの製造年代測定を行いましたが……あまり大きな声で言えませんがこれを」

 

 数値上ではやはりというべきか、百五十年以上前の機体だと言う事を示している。

 

「経年劣化は?」

 

「していたみたいなんですが、これを」

 

 案内された部位には傷痕のように劣化痕が引きつっている。

 

 だがその傷痕にまるでかさぶたを思わせる結晶体が形成されているのだ。結晶体の年代測定も行われたらしいのだが、こちらはつい三日前を示していたらしい。

 

「矛盾だな。百五十年前の機体なのに、経年劣化の痕そのものは最近など」

 

「それもありますが、コックピットも」

 

 タラップを上がり、コックピットのある頭部が展開されていた。数人の整備士がケーブルを繋いで必死に解析作業に当たっている。労いの声をかけてリックベイはコックピットへと潜り込んだ。

 

「造り自体はあまり近年の人機と変わらないのだな」

 

「《バーゴイル》に近いですね。操縦桿も、マニュアル部分では変更点が少ないようです。これは、多分、作り替えられたのだと思われます」

 

「作り替えた?」

 

「ここを」

 

 示されたのはリニアシートと引き出されたプレートであった。どうやら平時はコックピット内部に潜り込んでいるらしいプレートには血の赤が纏いついている。

 

「リニアシートが最新より二バージョンほど古い代物です。これはゾル国の《バーゴイルスカーレット》に近い形態となっています」

 

「つまり、このコックピットそのものは百五十年前だが、誰かが乗った際に《バーゴイル》のものを置き換えたと?」

 

「そう思うのが正しいでしょうね。あの操主……桐哉・クサカベの搭乗機も確か、《バーゴイルスカーレット》であったと」

 

 つまり桐哉専用のためにあの基地の整備士が意図的に行った改ざんというわけだ。リックベイは顎に手を添えて思案する。

 

 物自体は古の代物なのに部分部分が新しいのはより違和感を際立たせる。

 

「結晶体の解析は継続して行ってくれ。このコックピット、他に妙な点は?」

 

「これを」

 

 手渡されたタブレット端末に表示されていたのはトウジャのOSのようであった。しかし、見た事もないOSの形式だ。

 

「ハイアルファー……何だこれは?」

 

「人機に組み込まれている標準のOSと比べましたが、その名前に該当するものはありませんでした。この機体独自の駆動系を指揮しているOSだと思われますが詳細は不明。ただ、そこのプレート」

 

 指差されたのは先ほどから気になっていたプレート型の器具であった。リニアシートに直結するように出来ておりまるで拷問椅子のようだ。

 

「神経に接続するタイプのデバイスです。このプレート型デバイスが人間の神経と直結し、思考とのリンクを果たして通常の人機よりも高出力の機動を支えます」

 

「どれくらい機動力が違う?」

 

「単純計算で三倍ほど。この不明人機の機動性能ならば、バーゴイルは元より、ナナツーなんてひとたまりもありません」

 

 それはその通りであろう。青いモリビトと同等に打ち合う人機である。自分が見た限り、青いモリビトは近接格闘型。その機動力と同じとなれば、この人機には相当な執念と窺い知れない何かが宿っているに違いないのだ。

 

「……試してみる価値は?」

 

 尋ねたリックベイに整備班長が声を張り上げた。

 

「駄目です! これは人間が耐えられるようには出来ていません! 人体を弄ぶタイプのシステムです。許可出来るわけが……!」

 

「冗談だ。わたしとてこの人機、只者ではないのはよく分かっている」

 

 分かっていても問い質さずにはいられなかった。モリビトを凌駕せしめる機体。ともすればこの人機は切り札になるのでは、と。

 

 沈黙で伝わったのだろう。整備班長は小さく含ませた。

 

「……他の人間でも駄目ですよ。この人機は人を人でなくします。人体実験なんてもってのほかです」

 

「だがあの操主はこれを操っていた」

 

「その対価が、死だって言うのならば納得ですよ」

 

 数値上での死だと聞いた。その部分をリックベイは問い返す。

 

「数値上では、というのはどういう意味だ?」

 

 整備班長は周囲を見渡し、あえて人払いを行ってから慎重に切り出した。

 

「他言して欲しくはないのですが、少佐の人格を見込んでの事です。あの操主……恐らくは桐哉・クサカベは死んでいます。それはバイタルサインと脳波を見れば明らかなんです」

 

「だが数値上と前置いたのは」

 

「生きているんですよ。それでも」

 

 その言葉におぞましいものが宿ったのが感じられた。

 

「生きている? 矛盾した事を言うものだ」

 

「心拍も、何もかもが停止していますが、あの操主は生きています。いや、逆説ですかね。この人機を操縦するのに、あの操主はああいう状態にならざるを得なかった」

 

「……詳しく聞きたいな」

 

「当て推量も入っているのですが、このハイアルファーなるシステム、人間の感知野に作用する部分もあるようで、つまり考えるだけで動かせる代物だっていう事です。しかしながら、デメリットも数多い。出力は最大値を出せますが、その場合、コックピット内の操主は圧死します。それに燃費効率も悪い。短期決戦型の人機ですね。長期で使い続けるようには出来ていません」

 

「このデバイスも影響しているのか?」

 

 プレートに手を伸ばそうとして整備班長に制止された。

 

「触らないでください! まだ、解明していない部分も多いんです」

 

 彷徨わせた手をリニアシートに翳す。生きていなければ人機は動かせない。そのような当たり前の事実が捩じ曲げられている。

 

「ハイアルファーというシステムについての詳しい見解を求められる人間は?」

 

「この船には……ただ本国につけばもう少しマシな解析にかけられるかと」

 

「全ては本国に帰ってから、か」

 

 だが、本国に帰れば葬り去られる事実もあるに違いない。今でしか出来ないのは片づけておくべきだ。

 

「操主は、医務室であったな?」

 

「少佐? 面会されるんで?」

 

「数値上の死だというのならば、生きているのだろう?」

 

「ですが死んでいるんです。……もう、人間じゃないのかも」

 

 付け足された言葉に浮かぶ戦慄にリックベイは手を払った。

 

「では、人間ではないものに謁見出来るまたとない好機だ。それを逃すのは勿体無い」

 

「……知りませんよ」

 

 整備班長の声音を背中に受け、リックベイはタラップを駆け降りた。相変わらずタカフミがトウジャへと罵倒の言葉を浴びせている。当然の事ながら鋼鉄の塊は動く事はない。

 

 リックベイは振り仰いだトウジャの凹んだ眼窩を睨み据える。この人機はどこまで人を弄んだのか。興味はあった。

 

「アイザワ少尉、わたしは人と会う」

 

「操主とですか? おれも行きます」

 

「君が何を話すというのだ」

 

「気になるじゃないっすか。英雄の気分って言うの」

 

「もう死んでいるかもしれんが」

 

「なおさらっすよ。死んだ気分が聞ける」

 

 立ち止まったリックベイはタカフミへと一瞥を投げた。タカフミが気圧されたようにうろたえる。

 

「な、何ですか?」

 

「いや、……前向きだな、君は」

 

「後ろ向きにはなれませんよ。人間、生きている限り前向きじゃないですか?」

 

 生きている限りか。なかなかに笑えない言葉だ。

 

「後衛の巡洋艦が三隻、轟沈した」

 

 切り出した声音にタカフミは言葉を彷徨わせる。

 

「それが、何か?」

 

「命あっての物種だ。自分の命が他人の犠牲あってのものだと、自覚したほうがいい」

 

「モリビトでしょう。撃ったのは」

 

「モリビトとて人が動かさなければただの人機だ。仇の対象を間違えるな、とも言っている。前向きなのはいいが、つんのめるなよ。逸り過ぎれば待っているのは死だ」

 

「自分、そんなに危うく見えますか?」

 

 タカフミの質問にリックベイはため息を漏らしていた。

 

「わたしの知る限りでは最も死地からは遠い男だよ、君は」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯67 戦場の戯曲

 弔砲が鳴らされる中、スカーレット隊の追悼が行われていた。

 

 ゾル国のバーゴイルは式典仕様の白に塗装されている。平時が黒か灰色のバーゴイルが白に染まるのは国を挙げての吉報か、あるいは凶報のどちらかだ。

 

 街中をバーゴイルと遺体を載せたという名目の霊柩車が横切っていく。

 

 それを横目にしつつ、ガエルは切り出していた。

 

「随分と、スカーレット隊ってのは国民に愛されていたんだな」

 

「当然と言えば当然だろう。元々、古代人機を倒す役職は特別な意味を持っていた」

 

 こちらに振り返った将校は相変わらず読めない笑みを浮かべている。調べた限りでは全ての機器はゾル国の代物であったが、この将校はゾル国の人間ではないのだろうか。

 

「で? オレをこんな街中に呼んだ意味は何だ? まさかスカーレット隊の追悼を生で見ろとかそういう事じゃないだろ?」

 

 ガエルは赤いソファに体重を預け、自分達のいる部屋を見渡す。一流ホテルのロイヤルルームなど戦争屋には一生縁がないものだと思い込んでいた。

 

 将校は窓の外から垣間見えるバーゴイル数機を視野に入れつつ、言葉を継ぐ。

 

「《バーゴイルスカーレット》を撃墜した機体はモリビトだ」

 

 あまりにも突拍子もない言葉だったせいだろう。ガエルは笑みを浮かべていた。

 

「そいつは、とんだ災難だったな。確か、英雄を下したのもモリビトじゃなかったか?」

 

「この国は呪われているのかもしれんな」

 

 そうだとすれば解けない呪いかもしれない。一度ならず二度までもモリビトに辛酸を舐めさせられたとなれば。

 

「ゾル国の連中に同情はするぜ? あのモリビトとやりあったんじゃ仕方ねぇ。死ぬだけだ」

 

「存外に人らしい感情を持ち合わせているのだな、ガエル・ローレンツ。君はもっと冷徹かと思っていたよ」

 

「冷徹が形を持って歩いているみたいな人間を目にしてりゃ、オレなんてまだまだだって分かるさ」

 

 フッと口元を綻ばせた将校はここに呼んだ意味をようやく口にした。

 

「君のやり合った機体と、あの戦場で鬼のように戦い抜いた機体は同種のものだ。名前をトウジャという」

 

「トウジャ? 聞いた事のねぇ名前だな」

 

「それも当然だ。百五十年前、ブルブラッドの大災害の最中、造り出された三種の禁断の人機。その一種」

 

「オレには教養なんてないもんでね。一から説明してもらえると助かるぜ」

 

「百五十年前、ブルブラッド大気が地上を覆い、水は汚れ、人の棲めない地獄と化した。それは知っているだろう?」

 

「大気汚染の大元が、そのトウジャって言う機体だって言うのか?」

 

「少しだけ異なるが、その認識でも間違いではない。トウジャ、モリビト、そしてもう一種の機体を製造した際、血塊炉を産出してきたテーブルダスト、ポイントゼロ地点が噴火。その三種は封印され、我々にはもう三種の人機製造のみが許された。それぞれ、ナナツー、バーゴイル、ロンド」

 

「今日の人機開発は、その時に定められたって?」

 

「一部の特権層は知り得ていながら、この情報を秘匿している。何故だか分かるかね?」

 

「んな強い人機が製造出来たんなら、モリビトなんて目じゃねぇと思うがな。いや、逆か。モリビトも禁断の人機だって言うんなら、その人機製造そのものが今の世界を作り上げた。人間はその罪を見たくねぇってのか」

 

 その解答に将校は渇いた拍手を送る。

 

「八割方正解だ。さすがだな、君は」

 

「褒められている気はしねぇな。クイズしに来たってわけじゃねぇだろ?」

 

「強力な人機でありながら、どうして製造さえも秘匿されたのか。それはこの惑星を支配している特権層が、その事実は都合が悪いと隠し通しているからだ」

 

「また一部の少数派が握っているって話か。それ、何度も聞いているがマジなのか分からなくなってきたぜ? あんたらが勝手に浮かべている誇大妄想じゃないのか?」

 

「しかし、少数派が世界を回すのが常であったのは間違いあるまい。ブルブラッドキャリアでさえもその少数派だ」

 

「星から追放された連中なんざ、多数派の前じゃ意味がねぇってか」

 

「問題なのは、少数派に触発される多数派だよ。それこそが無意識の悪意に他ならない」

 

「分からねぇな。てめぇらは多数派気取ってんだろ? だったら、そんなの怖くねぇって言うもんだと思うが」

 

 将校は目深に帽子を被り、ガエルの言葉に笑みを浮かべた。

 

「戦争屋は、やはり心強いな。人間として、君は強い存在だ。強者の側だよ」

 

「あんがとよ。ただ、さっきから妙に褒められているのは、何だ? 頼み事でもあるのか?」

 

「察しがよいのも助かる」

 

 将校がガエルへとチップを放り投げた。受け取ったガエルは端末に認証させる。そこに記されていたのは次の作戦であった。

 

「おいおい、さすがにこりゃあ……まずいんじゃねぇの?」

 

「話は通してある。何の問題もない」

 

「そういうもんじゃねぇだろ。オレに、軍属になれって?」

 

 指し示した作戦の概要にガエルは立ち上がっていた。将校は落ち着き払って言いやる。

 

「一時的な契約だ。今まで君のやってきた戦争屋稼業とさして変わりない」

 

「大有りだぜ、てめぇ。ここにはオレが、ゾル国の大隊を率いる人間になるための偽装パスコードと! そのIDが記されている! ここまでやってのけるてめぇら、マジに何者なんだ? 世界を支配するっての、案外てめぇらのほうなんじゃねぇの?」

 

「察しがいいのは助かるが、勘が鋭いのはおススメしないな」

 

 ケッと毒づき、ガエルは端末に視線を落とした。そこにはゾル国が近日中にオラクルに占拠された辺境地へと大隊を率いて侵攻する作戦が事細かに記されていた。

 

「またあの場所か。オラクルの武装蜂起から先、この星も落ち目になったもんだ。いや、元々堕ちるところまで堕ちてきたのが浮き彫りになったって話か。戦場を駆るのはいいが、あんまし同じシチュエーションだと萎えちまう。今回、C連合と戦えだとかそういう話じゃねぇんだな?」

 

「そこに記されている通り、その役職についてもらう」

 

 ガエルは端末に視線を落とし、嘆息をついた。

 

「……あり得ねぇ、って一笑に付すのもアリだがな、てめぇらの手にかかっちまうと何でもアリになっちまうから笑えねぇ。そもそも、だ。オレみたいなのがゾル国の軍属として認められるのかねぇ」

 

「安心して欲しい。我々のサポートは万全だ」

 

 その自信に対し、ガエルは鼻を鳴らす。

 

「万全だからこそ、怖ぇってのもあるんだよ。で? 今回はどの戦場だ? どういう戦場で、どれくらいの命を賭ければいい?」

 

 相手が要求するのはその一点だろう。自分はどこまで行っても所詮は戦争屋。この男の檻から離れる事は出来ない。未来永劫、首輪を繋がれたままなのである。

 

 それを理解しているのか、将校は落ち着き払った声で頷いた。

 

「彼と組んでいただきたい」

 

「彼?」

 

「あのバーゴイル部隊の先頭にいる人間だ」

 

 白く塗られた式典仕様の《バーゴイル》のうち、大剣を所持する《バーゴイル》が剣先を掲げ、母国のための命を散らした者達を慰霊する。

 

 その先頭に立つのはどこか優男風の軍人であった。肩には幾つもの勲章がある。流した金髪が高貴な雰囲気を醸し出していた。

 

「ありゃ、根っからの軍人じゃねぇか」

 

「カイル・シーザー特務大尉。ゾル国の中でも一握りの……いわゆる親衛隊と呼ばれる地位にいる青年だ」

 

 カイルと呼ばれた青年将校は手を振りつつ、《バーゴイル》の掲げた剣を仰ぎ、涙を流してみせた。

 

 演技か、とガエルは疑ってかかったが将校は醒めた目線で言いやる。

 

「あれは演技ではないよ。本心から涙しているのだ」

 

「だとすりゃ、随分と妙な人間を仕立て上げたもんだな。親衛隊? ゾル国のそれって言えばモリビトと謳われた桐哉とか言うのより上か。下手すりゃ、軍人くずれでもねぇ、本物の政に手を出す家系の人間じゃねぇのか?」

 

「だからこそだよ、ガエル・ローレンツ。いや、今日から君はガエル・シーザー特務准尉だ」

 

 その偽名が記されたタブレットを目にし、ガエルは舌打ちする。

 

「おいおい、こちとらどこのドブの上で生まれたとも知れねぇのに、お歴々の血縁の遠い親戚ってのは……無理がねぇか?」

 

「なに、身なりと戸籍が全てだ。もう少し小綺麗にすれば、連中は乗ってくるさ。髭剃りと整髪剤くらいならばうちから出そう」

 

 ガエルは纏め上げた長髪と強い顎鬚を撫でた。これは戦争屋として染み付いた格好でもある。戦いやすい格好なのだ。

 

 だが、戦争屋稼業を続けるのならば、別段こだわりでもない。切るのは何の抵抗もなかった。

 

「……オレをエリート官僚に仕立て上げて、その先はどうするんだよ? 向こうが馬鹿同然だとしても、あまりに無理がねぇか? こっちの情報が勘繰られる事は」

 

「それはあり得ないし心配も要らない」

 

 断言した将校にガエルはこれ以上の議論は無駄か、と打ち切った。

 

「……いいぜ。何にだってなってやるよ。最終目的が正義の味方だったか。それになるためなら、軍属でもエリートでも、何だったら一国の纏め役でもいいぜ。オレの身分をどうこうするのはてめぇらの役目だ。そこんとこ怠ってもらっちゃ困るだけの話さ」

 

「話が分かって助かる。さて、そろそろ追悼式典も終わりか」

 

 納棺される棺を視界の中に入れつつ、将校は笑みを浮かべた。

 

 まるで全てが計算の内のような目つきをしている。ガエルはその相貌を横目で見やり、舌打ちを漏らしていた。

 

 部下を殺したケジメをつけさせるのには今ではない。

 

 今は雌伏の時だ。せいぜい利用させてもらうとしよう。

 

 スピーチが漏れ聞こえてきた。先ほどのカイルと呼ばれた特務大尉が演説している。感じ入ったように聴衆が涙するのを目にして、これもまた寸劇のようなものか、とガエルは冷ややかな胸中に結んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯68 機械天使たち

 話せるか、と最初に聞かれた時、何の事だか分からなかった。

 

 だが自分の状況を鑑みれば何も不思議ではない。鴫葉率いるブルーガーデンのロンド隊が自分を見据えている。

 

 全員が全員、同じように灰色の髪で背中にはその細身には似つかわしくない整備ユニットを背負っていた。

 

 だが強化実験兵には必要不可欠な代物だ。整備ユニットが逐次投与する安定剤がなければ錯乱してもおかしくはない精神構造を持っているのが強化兵システムである。

 

 全員が延髄に埋め込まれたチップとユニットの存在に疑問すら抱いていない。

 

 機械の羽根をつけたしもべ達はまるで天の遣いのようであった。

 

 天使と明確に異なるのは、彼らは人に造られたものでしかない事だ。

 

 人機と大差ない。所詮は人に造られし、鋼鉄の塊かそうでないかだけの差でしかない。

 

 並び立つ天使達のその向こうに、今回の作戦を指揮した量子演算コンピュータが鎮座している。人間らしい人間には、自分達を見捨てた上官と引き継いだ上官以外、ついぞ出会った事がなかった。ともすればこの国家はほとんどの人間がこの整備ユニットのような代物を担いで生きているのかもしれない。

 

 つい先日まではそれが「最適」だと認識していたが、今の瑞葉の脳裏に浮かんでいるのは疑念ばかりだ。

 

 量子演算コンピュータからもたらされる作戦も、純白の天使達も、全部が全部、虚構。張りぼてであった。

 

 しかし瑞葉は虚構を演じ切らなければならない。そうでなければ自分はただ単にパーツとして排除されるのみだ。

 

『瑞葉小隊長、今一度問う。口は利けるか?』

 

 コンピュータの電子音声に瑞葉は恭しく頭を垂れていた。

 

「喋れます。何の障害もございません」

 

『それならば結構。《ラーストウジャ》のダメージフィードバックを受け、脳に過負荷を生じさせた、とレポートが来ていたが』

 

「想定範囲内です。何のご心配も」

 

 ふと、どうして自分は機械相手にこのような口調を用いているのか不思議になる。今までも顔の見えない相手とのやり取りで成り立ってきたのに、ここに来て皆が演じているこの役割に亀裂が生じていた。

 

『そうか。《ラーストウジャ》は我が国家に遺された唯一のトウジャタイプ。それを預けるのに、いささかの懸念もあったのだが』

 

「いえ。強化兵のプログラムは最適だと信じておりますゆえ、心的外傷も少なく、気分は良好です」

 

 まるでプログラム化された会話だ。このような言葉振りで相手も信用するのが逆に不自然なほどであった。

 

『精神点滴の濃度を上げるように進言しておこう。《ラーストウジャ》を操る要たるハイアルファー【ベイルハルコン】のエネルギー源は憎悪。……無駄を省く強化兵に、この感情で左右されるシステムの存在は邪魔かもしれないが』

 

「《ラーストウジャ》はわたしの思う通りに動いてくれています。その指示に何秒の差があるかだけが重要でしょう」

 

 初めて扱ったにしてはトウジャタイプの中でも特殊と言われている《ラーストウジャ》は馴染んでくれていた。

 

 それは全て、あの時切り捨てられた時に芽生えた感情が発端であろう。

 

 枯葉達は命を散らした。あの日、青い霧の向こうにあった抉られた空の光景を決して忘れはしない。どれほどに忘却剤が投与されてもそれだけは忘れられなかった。

 

 無力感と、モリビトに対しての恐怖。畏怖が自分を衝き動かす。いずれ、モリビトへと届くであろう。だがそれに際して問題がいくつか山積していた。

 

『《ラーストウジャ》の戦闘データを照合したが、プラズマソードの発振速度のほうが機体制御に間に合わず、結果として発振されないという事実を加味した結果、次回より実体兵器の装備を提言した。恐らくは次の戦闘で実装されるであろう』

 

 脳内に共有データとして《ラーストウジャ》に親和性の高い武器が羅列される。

 

 その中の一つが両刃の斧であった。斧ならば確かに敵への強襲時に発振速度の遅れもない。重量の問題だけであったが、《ラーストウジャ》の改善案をピックアップするに装甲強度よりも荷重による速度制限のほうを重視している事からして、やはり操主の負荷はほとんど無視しているのが理解された。

 

 ――所詮、操主も代わりがいる。

 

 この天使達誰もが自分の代替品だ。誰もが「最適」に設定され、設計されて第二の自分に成り代われるように構築されている。

 

 それを枯葉達の死を目にするまで異常とも思わなかった自分に今は恥じ入るしかない。

 

 命は等価なのだ。一つの命に対して、三つ四つの命で贖えるわけではない。

 

 一つは一つ。

 

 代替案で成り立つ命は存在しない。そのような簡単な事でさえも、精神点滴で磨耗されてしまう。

 

「《ラーストウジャ》の次の戦闘では、必ずやモリビトの首を」

 

『照合データ上ではモリビトであったが、前回の戦闘を外部モニターした結果、あれはモリビトではなかった。やはり《ラーストウジャ》には操主への認識障害を引き起こす副作用があるようだ』

 

「構いません。祖国の敵ならば同じ事です」

 

 いずれは仇敵となる国家の事などどうでもいい。今は一つでも力を手離すのが惜しかった。

 

『その精神、鋼と言えよう。鋼鉄の巨神たる人機操主には相応しい概念だ。いいだろう。前回の戦闘データの齟齬は見逃す。次こそ、祖国の敵を討って欲しい』

 

「心得ております」

 

 天使達が歌声を発した。凱歌だ。均一化された戦士達でも歌声だけは美しい。精神点滴なしでもそれだけは美徳と言えた。

 

 ――それがたとえ人の道に背く背徳の歌だとしても。

 

 この光景そのものが異常だとしても、今は一つの勝ち星である。

 

 瑞葉は踵を返した。メンテナンスに赴くと言えば《ラーストウジャ》に乗る事も許される。

 

 今の瑞葉のバイタル、脳波でも《ラーストウジャ》への搭乗条件は満たしていた。前回の戦闘から何時間経ったのか、と脳内のネットワークに問い質そうとして実際の声が耳朶を打つ。

 

「三日にございます」

 

 そう答えたのは鴫葉であった。自分の部下だと、そういえば教えられていた天使の一人だ。

 

 同じ脱色したような灰の髪の色に、灰色の瞳。背中には整備モジュールが常に音を立てて稼動している。

 

 それを異常とも思わないように育て上げられた、禁断の子の一人。

 

「鴫葉、発声は意味のない時には必要ないと教えられていなかったか」

 

「失礼。ですが困っている様子でしたので」

 

 困っている、という概念を理解している。この強化兵は自分達より進んだ技術体系で造られたのだと以前教えられていた事を思い出す。

 

「感謝する。だが、三日も経っているのであれば、解析は進んでいるのだろう」

 

 鴫葉がモジュールの稼動音に合わせてネットワークへと接続する。喉の奥から機械音が漏れ聞こえた。

 

「《ラーストウジャ》は未だに危険域です。問題は、実戦データに乏しい事、それに加え、戦闘した相手がモリビトではなかったにも関わらず、小隊長にはモリビトだと認識させられた事でしょう」

 

「エラーならばとっくに克服している。あれは機体のデータがバイアスを変えてわたしの認識をずらした結果だ。次からは目視戦闘に切り替えればいい」

 

「目視戦闘でも、あのエラーは引き起こされると仮定されます」

 

「その理由は? 理由なき上官への問題提起の発言は反逆に値する」

 

「理由は、操主である小隊長の感情でしょう」

 

 簡潔に言い放った鴫葉に瑞葉は眉根を寄せた。

 

「何だと?」

 

「小隊長は、我々とは違います。それを隠し立てしておられるようですが、我々は常にネットワークを同期しているのですよ。感情の中に異常な閾値を弾き出す何かが存在します。それがエラーの原因でしょう」

 

「そこまで分かっているのならば告発すればいい。わたしを欠陥品だと」

 

 むしろ臨むところであった。上官や自分達を開発している部門は戦々恐々とするであろう。ただの殺戮兵器に感情が宿ったなど。

 

 躍起になって火消しに奔走するかもしれない。あるいは現状の製品を全て破棄するかのどちらかだ。

 

 しかし、鴫葉はどちらの選択肢を取るわけでもなかった。

 

「いえ、小隊長を欠陥品だと判断するのは早計です。何よりも、小隊長は《ラーストウジャ》と第二の関節を内蔵した《ブルーロンド》の実践という成果を挙げていらっしゃいます。今、ここであなたを破棄するのは、国家にとっての利益を損ねる事でしょう」

 

 鴫葉の判断は正しいようでどこか歪んでいるようにも思えた。国益と戦場での利益を同一線上に考えないのが正しい軍人――否、「パーツ」としての在り方だ。

 

「わたしを告発するほうが早いだろう」

 

「それは国益に背く、と考えているのです。わたしと同期している数十体の同朋も同じ判断を下しました。瑞葉小隊長、あなたに任せる、と」

 

 それは奇妙な話であった。精神点滴で国家のための忠義は死んでも果たすように調整されている兵士の考えではない。

 

「……バージョンが繰り上がった事で、総体の考えが変わったのか?」

 

「お答え出来かねます。しかし、あなたを告発はしません。我々は《ブルーロンド》にて、《ラーストウジャ》を支援し、補助します。それは変わらぬ事象」

 

 こちらのやり方に口は出さない、と言ってきているのだ。ならばそれに無理して反論を出す事はないだろう。

 

「……いいだろう。鴫葉。《ラーストウジャ》の場所まで案内しろ。わたしは再び戦場へと赴かなければならない」

 

「こちらへ」

 

 鴫葉の背中に刺さっているモジュールに変化は見られない。ハッキングを疑ったがその痕跡もない。

 

 本当に、総体の考えが変化しただけなのだろうか。それにしてはあまりに理に敵わぬ考えへと移行したものだ。

 

 一つを切り捨てて全体が安定する、という自分の根底概念は最早古いのかもしれなかった。その概念も、今はもう切り捨てた代物ではあったが。

 

「《ラーストウジャ》のデータを参照。コード1087、鴫葉より同期願う」

 

「コード1087了解。鴫葉という個体は瑞葉小隊長へと現在の最新情報を同期する」

 

 コードは生きている。命令伝達速度も許容範囲内だ。すぐさま脳内ネットワーク上に《ラーストウジャ》のステータスが呼び出された。

 

 鴫葉が意図的に改ざんしている様子もない。《ラーストウジャ》は四肢関節部位を破損していた。あまりの機動力に機体が耐え切れなかったのだろう。

 

 百五十年前より毎年、極秘にアップグレードがはかられてきたブルーガーデンの罪の遺産。機体の機動速度とその安定した血塊炉への供給速度を併せ持たせる、という矛盾した開発理念により、外部補助装甲という結論へと行き着いた。

 

 通常機動時には、ロンドに偽装した外部装甲を纏い、血塊炉に制限を設けさせている。そのため、《ブルーロンド》以上の能力は引き出されない。代わりに偽装装甲は相手から全く気取られないという完全なる擬体を獲得した。敵が目視戦闘以外に頼っている場合、外皮の装甲の違和感には全く気づけない。《ブルーロンド》として機体登録されているはずであった。

 

 機体の偽装を排除した形態――《ラーストウジャ》の真の姿を晒したその時には敵を葬れている計算である。

 

《バーゴイル》よりも素早く、ナナツーよりも策敵性能では秀でている。加えて強化兵のフィードバック性能は装甲のパージから次の行動までの逡巡をほぼゼロに等しくした。

 

 考えれば動く機体の実現。思考したその瞬間には、機体は弾き上がっている。性能面では他の追随を許さないはずだ。

 

 だが、モリビトだけは別である。

 

 モリビトはこの機体であったとしても、勝率は五割を切ると試算されていた。《ラーストウジャ》のような特別な人機を用いても、勝てるかどうかは分の悪い賭け。それが対モリビト戦なのである。

 

 国家の威信をかけた戦いにもなるであろう。一機でもモリビトを墜とせれば、それは各国のパワーバランスを根底から揺るがす。

 

 勝てる機体が現れるだけでも惑星の人々の希望になり得るのだ。

 

 それがどれほどの犠牲に塗れていようとも、罪悪の道であっても関係がない。

 

 ようは結果を出せればいいのだ。そのための最短手段を各国コミューンは手ぐすねを引いて探している事だろう。

 

「《ラーストウジャ》の能力の秘匿は絶対だ。これを他の国に悟られればまずい」

 

「承知しています。前回の戦闘で交戦した敵にはマーキング弾を撃っておきました。ある程度までの位置は把握しています」

 

 現状の位置が脳内に呼び起こされる。その現在地に瑞葉は立ち止まった。

 

「これは……ゾル国?」

 

「そこで途切れていますね。ゾル国に寄港する巡洋艦。その艦内で敵の行き先はぱったりと」

 

 これは奇妙な符号である。ゾル国がブルブラッドキャリアと共謀しているとでも言うのか。

 

 そうでなければ、モリビトの機体信号を発する《バーゴイル》などただの混乱の種でしかない。C連合に悟られれば終わりである。ブルブラッドキャリアとの共謀が事実であってもそうでなかったとしても国際社会からの非難は免れまい。

 

 それだけ、モリビトという機体に各国が刺々しく警戒を放っているのだ。だというのに、モリビトの信号を発信するだけの機体の存在が公になれば……。

 

 そこで、瑞葉ははた、と思考を止めた。次いで脳裏に呼び起こしたのはつい先日のテロ事件である。

 

「……先刻、ゾル国でコミューン襲撃テロがあったとされている。首謀者は機体の識別信号から不明人機――つまりブルブラッドキャリアの犯行だと」

 

「そう、各国のメディアが報じていますね。我が国でも話題に挙がったニュースです」

 

 だが、誰もその肝心な人機を目にしていない。目撃情報はなく、機体識別信号のみでモリビトだと判断されたまで。

 

 そうなってくると前回の戦闘で出現した機体の奇妙さが浮いて立つ。モリビトの機体信号を発する謎の人機。それがどこかの国によって製造されたのだとすれば――。

 

 恐るべき想像に瑞葉は身体を硬直させた。もし、思っていた通りならば、モリビトだけではない。この星にはまだ見ぬ敵が存在する。

 

 その敵は、モリビトに成りすまし、IDを偽装し、あたかもブルブラッドキャリアの犯行のように振る舞う事ができる。

 

 そのような組織、あるいは個人が存在するとすれば、それは惑星を根幹から揺るがす大事ではないのか。

 

 その思考パターンが同期されたのであろう。鴫葉が声にする。

 

「瑞葉小隊長、そのような存在はあり得ません」

 

「だが、荒唐無稽ではない。もし、その存在が実在すれば世界は混迷に陥る。他人を疑う魔女狩りの時代に……」

 

「ですから、そのような存在はいないのです」

 

 言い含めるような声音に瑞葉は違和感を覚えた。どうしてそこまで意固地になって棄却する必要がある。ただの一兵士の戯れ言だと断じればいいものを。

 

 ――否、一末端兵でもそれを悟ってはならないのか。

 

 そう考えた場合、この国が一番に怪しかった。ブルーガーデンは独裁制。他国の機密を内々で処理するくらいはわけない事。その組織と何らかの繋がりがあるとすれば、それはブルーガーデンが最も可能性として挙げられるのだ。

 

 だからこそ、鴫葉は否定する。

 

 それは政府転覆へのシナリオへと直結しかねない。

 

「……詮無い思考だ」

 

《ラーストウジャ》のステータスに移行させる。そうする事で考えを読むこの部下の追及からは逃れられるだろう。 

 

 だが自分はただの強化兵ではない。あの日芽生えた感情だけは他人と同期出来る代物ではないのだ。

 

 その矜持が胸にあるからこそ、一兵士の戯れ言ではないのだと実感させられる。

 

《ラーストウジャ》は整備デッキにて、外骨格を剥がされた形でメンテナンスされていた。スパークの火花が時折視界の隅に焼きつく中、自分達と同じ、背中に整備モジュールを従えた整備兵達が白衣に身を包んで作業に当たっている。だが、青い血の機械油で皆がその衣服を青く染め上げていた。

 

 そのうちの一人がこちらへと敬礼する。返礼してから瑞葉は《ラーストウジャ》を仰ぎ見た。

 

 骨身ばかりの巨人は背筋を無数のケーブルで繋がれており、まるで胎児のように丸まっている。

 

「整備担当の菱葉です」

 

 菱葉と名乗った整備兵は自分達をタラップの上へと誘導する。頭に包帯を巻いていたが、その姿は自分と鴫葉と寸分変わらぬ、白い毛髪に灰色の瞳であった。

 

 この者もまた、ブルーガーデンの生み出した罪の証なのだ。

 

「しかし小隊長の操縦技術には舌を巻きます。初陣で《ラーストウジャ》の性能の、その半分まで引き出すとは」

 

 賞賛の言葉に瑞葉は頭を振る。

 

「全出力を出しきるつもりだった。あれでは出し惜しみしたのと同じだ」

 

「しかし、結果的に敵兵に悟られずに済んだようです。この機体が如何に特別なのかを」

 

「悟られれば、この基地さえ無事では済んでいないでしょうからね」

 

 結んだ鴫葉に瑞葉は、この場所の現在地を世界地図単位で呼び出そうとしてジャミングを受けている事に気づく。

 

 ブルーガーデンの直上は衛星画像でも検閲が入っており、青い霧でぼかされている。

 

「……敵が追ってこない。それそのものがこの機体の偽装に一役買っていると」

 

 推測した瑞葉に菱葉は首肯する。

 

「《ラーストウジャ》は二つとない機体です。それを予見されれば勝利は訪れない」

 

「……わたしは勝つつもりだが」

 

 思わず憮然として言い返した声音に菱葉が、失礼、と謝罪する。

 

「小隊長を侮辱したつもりはありません。ただ、この機体は想定されればお終いなのです」

 

「偽装も含め、この機体には様々な技術の恩恵がある。ブルーガーデンがそれを独占していた、と勘繰られるだけでも毒なのです」

 

 含ませた鴫葉に瑞葉はなるほどと納得する。この機体そのものがある種国家のアキレス腱なのだ。

 

「偽装は? どれくらいで回復出来る?」

 

「慌てたって目標はやって来ませんが、一応補足しておくと、偽装を一度解除した場合、再装備には最低でも十二時間かかります」

 

「そんなにか。だが、もう三日経っているはずだぞ」

 

「初陣ですからね。三日経っても難しいものは難しいんですよ」

 

 整備兵が総出でも《ブルーロンド》の偽装に時間がかかっているのは窺えた。無駄にコストばかり食う機体なのは明らかだ。

 

「《ブルーロンド》の量産計画は?」

 

「つつがなく。ロンドに関しては我が国の専売特許ですからね。元々、換装によってあらゆる戦場を想定出来るロンドを数多く用いるだけでも我が国は強い」

 

 そう信じるように整備モジュールに騙されているだけだ。言い聞かせてやりたかったが、瑞葉はあえて言わなかった。

 

「ロンドを無数に用いても、モリビトには敵わなかった。一太刀浴びせる事さえも……」

 

 悔恨を握り締める。あの時、もっと強ければモリビトを倒せたかもしれないのに。菱葉はこちらの顔を覗き込んで謝辞を送る。

 

「その悔しさが次の戦場に結びつく事を祈っています。小隊長は我が国の要。あなたがやられればそれは国家としての終焉を意味します」

 

「重責を」

 

「それでも、小隊長に夢見ている国民は多いのですよ」

 

 鴫葉の声が被さり瑞葉は思わず息を詰めた。

 

 そうだ。自分も国民のためだと思って戦っていた時期はあった。だが、今はその国民の存在さえも疑わしい。精神の衛生全てが精神点滴と投薬で満たされている兵士が跳梁跋扈する戦場など、果たして国民は望んでいるのだろうか。

 

 今際の際まで、国家の繁栄だけを祈って死ねる連中になど、誰も希望を見出していないのではないか。

 

「……国民のため、か。《ラーストウジャ》の整備状況を確認したい。《ブルーロンド》の偽装なしで、どれくらいやれる?」

 

「前回の戦闘データは当てになっていますよ。相手はモリビトの信号を発信する《バーゴイル》の新型機。しかし速度では遥かに勝っています。問題なのはやはり武装の面でしょう。標準であったプラズマソードですが、発振速度が間に合わず使い物にならない事が露呈しました」

 

「プラズマソードでは《ラーストウジャ》の強みを消してしまう。他の武装案は既に出ていたな」

 

「小隊長はどれをお望みですか? どの武装にしても、結局は関節部の改修が主な課題になりそうですが」

 

 先ほどの謁見時にもう武装は決めていた。

 

「これにしよう」

 

 同期した情報に菱葉は戸惑ったようであった。

 

「これ、ですか……。あまりにその……《ラーストウジャ》には合わない」

 

「操主であるわたしの判断だ」

 

 その意見にはさすがに一整備兵が口を挟めるわけもない。菱葉は首肯し、そのデータを全員と同期させた。

 

「分かりました。《ラーストウジャ》は次の戦闘よりこの武装をメインに据えさせましょう。射撃武装は」

 

「必要ないと言いたいが、牽制のためにマシンガンを。これは外皮にだけで構わない。今のプランだけでもかさばるのは想像出来る」

 

「承知しました。しかし、毎回偽装を解除するかもしれないのに、ロンドの装甲にマシンガンを持たせるのですか」

 

「何か不満でも?」

 

「いえ……特には」

 

 黙り込むしかないのだろう。菱葉は整備作業へと戻っていった。その背中へと瑞葉は問いかける。

 

「時に、この国家をどう思う? 今のままで、繁栄があると思うか?」

 

 あまりに突拍子がないと思われたのだろう。呆然とした菱葉は少しの逡巡の後に応じていた。

 

「何を仰るのです。この国家の繁栄こそが、最適でしょう」

 

 何度も出会ってきた言葉が今は違和感でしかない。その通りだ。軍人ならば誰しも浮かべる正解である。

 

 しかし、もう瑞葉は知ってしまっている。それが最適ではないのだと。その言葉に振り回された結果、大切なものを失う事もあり得るのだと。

 

「そうだ、そうだったな。ブルーガーデンの、祖国のために働くのが我々軍人だ」

 

「軍籍だって空きがないほどなんですから。高望みするのは間違っています」

 

 そう思い込まされていた。国民はこの軍人生活に憧れているのだと。

 

 だが、どこに憧憬などあるものか。背筋に感情をコントロールするモジュールを備え付けられ、出来損ないの天使としてこの地に縛り付けられるなど。

 

「……《ラーストウジャ》を操るわたしは、どう思われているのだろうな」

 

「それこそ、英雄ですよ」

 

 言い放った菱葉の声音に瑞葉は冷笑を浴びせるのみであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯69 武人の瞳

 英雄の気分とはどのようなものなのだろうか。

 

 そう尋ねようとした執務官がいたらしい。らしい、というのは後から来た別の執務官が教えた又聞き情報だからだ。

 

 それを聞かれていれば自分は恐らく平静ではいられなかっただろう、と桐哉は応じていた。

 

 全身に纏い付いていた激痛の種であるパイロットスーツは引き剥がされている。今は、病人服を着込んでいたが、肩口と全身の神経を切り裂いたあの痛みの痕跡は未だ色濃い。

 

 痛みの記憶をどこかで引きずったまま、夢から冷まされたような心地であった。

 

「あの操主服はとてつもない苦痛を君にもたらしていたのだと推測される」

 

 眼前の執務官の名前は自分でもそらんじられる。

 

 ――C連合の銀狼。先読みのサカグチ。

 

 数々の戦場を潜り抜けてほぼ不敗。その銀髪は誉れの証なのだとゾル国に居た頃からよく聞いた。

 

 ゾル国で言う自分と同じような役柄なのだと茶化された事もある。しかし実際に目にすればどれほどの威圧か。

 

 このような大人物と同等だと言われていた事自体が信じられない。

 

 やはり夢の中から引き上げられたのではないか、と思うほどであった。

 

「今の気分は? 気分が悪ければすぐにでも医療スタッフが対応する」

 

 この待遇も異常なほどだ。仮想敵国の軍人を捕まえて、尋問でもなく気分を聞くなど。

 

 自分はそれほどまでに堕ちたのだろうか。英雄の座から引き摺り下ろされ、どことも知れぬ敵国の基地に囚われても価値を見出せないほどに。

 

 そうなったのであれば、この境遇も笑える代物だ。

 

 桐哉はどこか投げやりに応じていた。

 

「俺がどう答えても、結局決まっているんでしょう?」

 

 その言葉に同席していた赤毛の青年が目を見開いた。彼の事は知らない。しかしリックベイと同じ場所にいるという事はかなりのポストなのだと推測される。

 

「お前、少佐がせっかくこうして席を設けてくださったのに……!」

 

「いい、アイザワ少尉。冷静になれないのなら席を立つのは君のほうだ」

 

 その言葉の持つ冷たさに冷や水を浴びせられた気分に陥る。アイザワ、と呼ばれた将校は肩を竦めた。

 

「……分かりましたよ。冷静になります」

 

「よろしい。では桐哉・クサカベ准尉。話してもらいたいのは極めてシンプルだ」

 

「トウジャの事でしょう」

 

 どうせ、自分の価値などそこまででしかない。話して楽になれるのならばそうすればいい。

 

 英雄として祀り上げられる事など未来永劫ない。もっと言えば祖国に顔向けも出来ない。燐華にも、もう会えないだろう。

 

 だからほとんどやけであった。自分がどうなっても、守りたいものは存在しなくなってしまった。リゼルグは戦場で命を散らし、ここにC連合の捕虜として匿われているという事は基地のみんなも全滅した事だろう。

 

 だからと言って怒りも憎しみも湧かない。

 

 あるのは無力感だけだ。助けられなかった、という悔恨のみが胸を占めている。

 

「……驚いたな。話してくれるのか」

 

「何でも話しますよ。自分にはもう、価値なんてないんですから」

 

「じゃあ話してもらおうか。あのトウジャって人機は――」

 

「待て、アイザワ少尉」

 

 詰問の声を制したリックベイは自分へと探る目線を注いできた。覚えず視線を逸らす。

 

「奇縁だな。モリビトと呼ばれていた君が、モリビトを倒すための力を手に入れ、その戦場でわたしと出会った。何かの運命の力が作用したのかもしれない」

 

「少佐? トウジャの事を話させればこんな奴」

 

「見くびるな、少尉。彼はまだ戦士だ」

 

 言ってのけたリックベイにアイザワは気圧された様子である。

 

「戦士って……捕虜でしょう?」

 

「身分はそうだが、気高い部分が見え隠れしている。彼はれっきとした、戦士だよ。戦士には戦士として相応しい待遇というものがある。桐哉・クサカベ准尉。まだ祖国への忠誠心はあるかね?」

 

 何を尋ねられているのか分からない。だが、どうせこの言葉もただ皮膚を滑り落ちていくだけの代物だ。どうなったって構わない。

 

 自暴自棄になった桐哉には何がどうなったところで、この世界が滅びたところでどうでもよかった。

 

「分からなくなってしまった。俺はゾル国にこの身の全てを任せていたのか、それともスカーレット隊の……一緒に戦ってくれるみんなにこの身を捧げていたのか」

 

「ゾル国への忠誠だけで戦っていたわけではないのか」

 

「軍属ならば、それが正しいんだろう。でも、もうどうなったのか分からない。モリビトは敵の名前にすり替わり、自分の身分でさえも誰一人保証してくれなくなった今、誰のために戦えばいいのか。……何のために、この力を振るえばいいのか」

 

 拳へと視線を落とす。今までは守るべき対象があった。だが、もうないのだ。基地のリーザの笑顔やシーアの面持ちが今さらに思い出されてくる。

 

 皆、自分を信じてくれていた。信じたみんなを裏切って敗北したのは自分のほうだ。

 

 トウジャに乗れば勝てると思っていた。それそのものが傲慢であったとでも言うように、現実は重く圧し掛かる。

 

 自分の罪は、自分を現実以上の強さだと思い込んでいた傲慢。守り通せると思い込んでいたその心そのものだ。

 

「トウジャ、あの人機を振るうのには相当な覚悟が必要だ。生半可なものでは動かせないだろう。君は、あれを動かし、モリビトに肉薄してみせた。驚異的な精神力とその胸に抱いた覚悟なのだと推測する」

 

 敵からの賞賛など今さら必要あるものか。殺すのならばさっさと一思いに殺して欲しかった。

 

「もういいでしょう。俺から聞ける事なんてトウジャって機体が恐ろしい機体だって事くらいだ。これ以上に何が……」

 

「君はデータ上、死人だ」

 

 リックベイのこちらを見据えた瞳に桐哉は息を詰めた。獲物を見据える猛獣の剣幕である。

 

 死人。その言葉が心底気にかかるかのように。

 

「何だって……だから何だって」

 

「死人になれる、というのは生半可なものではない。データの上でも死んで見せるのには勇気がいる。加えて、あのような過負荷の圧し掛かる人機を搭乗、稼動させたのは勇気以上のものを必要としたはずだ。たとえば、そう、義務、責務そして――罪悪感」

 

 指折り数えたリックベイに桐哉は慌てて口にしていた。

 

「俺は、何でもない、あの機体に乗れといわれたから乗っただけだ」

 

「しかし、あれは調べたところ、乗れと言われたからと言ってでは、というものではない。ハイアルファーなる謎の機構に、神経に接続すると思われるデバイス。あのようなものに好き好んで乗るとも思えない。かといって、ゾル国における君の処遇がそこまで下がっていたとも思えないのだ。あれは動物実験と同じようなもの。そんなものに人間を乗せるほど、堕ちているとも思えなくってね」

 

 リックベイの推測に桐哉は返答に窮していた。どうすれば、いや、どう足掻いてもこの軍人の目を誤魔化す事は出来ないのではないか、と。

 

 いっその事全て話してしまえば、と思ったが全て話せば一番に嘘くさいのは自分で分かっている。

 

 ――オラクル軍人からあの基地の人々を守るためにトウジャへと、自分が乗せられた。

 

 嘘をつくのならばもっとマシな嘘をつけと自分ならば言うだろう。

 

 言ったところで信じてもらえるとも思っていない。

 

「……トウジャには俺が志願したんだ」

 

「信じ難い」

 

「乗る者がいないから、モリビトを倒せるのなら俺が、と……。だって、あれ以外、モリビトを倒す手段なんて存在しないじゃないか。モリビトを倒せるのならば何だってやるさ。悪魔にだって魂を売る。この手が汚れたって構わない、俺は……!」

 

 そこまで捲くし立てて、リックベイがこちらを凝視している事に気づいた。

 

 全くの嘘ではない。モリビトを倒すための力が必要だったのは真実。だが、自分はどれほどまでに恥の上塗りをすれば気が済むのだろうか、と力が萎えた。

 

 辺境地に左遷され、モリビトの名前を汚され、オラクルの軍人に敗北した。結果として《プライドトウジャ》を動かせたからよかったようなものの、自分が起動出来なければ他人が犠牲になる可能性もあった。

 

 ここまで堕ちてしまえば、もう堕ちる場所もないではないか。だというのに自分はどこかで意地を張り続けている。英雄の座、勝利の美酒にどこかでまだ手が届くのではないかと夢見ているのだ。

 

 どこまでも……おめでたい人間だ。

 

 もうこの手に握り締められるものなど何一つないというのに。

 

「……トウジャには、乗らないほうがいい」

 

 だからこそ、この言葉は純粋な警告であった。《プライドトウジャ》に手を出せばしっぺ返しが待っているという警句。堕ちるところまで堕ちた人間のただ一つ残った人間らしい部分であった。

 

「なるほど。君の境遇はある程度察した。だが、わたしは君に、このまま終わって欲しくないのだ」

 

 その言葉にアイザワという男も困惑を浮かべた。

 

「少佐、どういう……」

 

「この審問室から一度出る許可は取り付けてある。来るといい。アイザワ少尉、彼を連れて来い」

 

 立ち上がったリックベイにアイザワが唖然とする。

 

「尋問して、トウジャの起動をどうやって行ったのか聞き出すんじゃ……」

 

「気が変わった。彼に、見てもらいたいものがある」

 

 歩み出たリックベイにアイザワは部屋の四隅を見渡す。定点カメラを気にしているのだろう。

 

「わたしの命令だ。責任はわたしが持つ」

 

 リックベイの声にアイザワはどこかやけっぱちに言いやった。

 

「……知りませんよ。上に怒られても」

 

 桐哉は立ち上がらせられる。神経を《プライドトウジャ》に繋いでいたせいか何度もよろめいた。

 

 リックベイはこちらへと一瞥を投げ、ついてくるように目線で指示する。アイザワという男は桐哉へと言葉を潜めた。

 

「……何だってゾル国の英雄なんて」

 

 ほとんどのC連合の兵士の認識はそうなのであろう。数人がすれ違い、全員が桐哉の処遇を問い質したがその度にリックベイは自分の一存だ、と告げた。そう口にすると誰もが納得を飲み込んだようであった。

 

 リックベイという男がどれほどまでに兵士の信頼を勝ち得ているのかが窺える。

 

 自分はただ英雄の座に酔いしれていただけだ。このような事まかり通っていただろうか、と疑問さえ浮かぶ。

 

 本当の実力者、人格者とは恐らく彼のような人間の事を言うのだろう。

 

「ここだ」

 

 案内されたのは整備デッキである。やはり《プライドトウジャ》の起動方法を意地になってでも聞き出そうと言うのだろう。そのような事をしなくとも、あの尋問室で口にしたと言うのに。

 後悔が這い登ってくる中、リックベイが手招いたのはモニタールームであった。

 

 桐哉を連れていた事にスタッフがどよめくもリックベイの一声で制する事が出来た。

 

「ゾル国辺境地、前回の戦闘地点の衛星映像を」

 

 何をするつもりなのか。逡巡を浮かべている間にリックベイ自らキーを打って調整させる。衛星映像に映し出されたのは辺境地の航空映像であった。

 

「これが現時点でのあの戦場の映像だ。基地にフォーカスを合わせよう」

 

 驚くべき事に基地には何の細工もされていなかった。蹂躙の痕も、戦火が燃え盛る様子もない。静かな紺碧の大気に抱かれたまま、自分がいた基地はそのままの様子で佇んでいる。

 

「我々は三個小隊を用いてあの基地に攻め入ったが、結果的にモリビトの介入で敗走。あの基地には一切、わたし達の手の者は至ってない。安心して欲しい」

 

 どういう意味で言っているのか分からない。困惑の視線を振り向けると、リックベイは言い放った。

 

「君が守ろうとした場所は、まだ守られている。わたし達が手を出そうにも、出せない状態にあると言っていい。どの国の占領下でもなく、あの基地は存在している」

 

 何のつもりなのか、とその視線を交わす。リックベイは、何のてらいもなく、桐哉へと告げた。

 

「君は、守ったのだ。彼らを」

 

 その一言だけだ。敵兵からの賞賛など、と反骨精神が浮かぶかと思いきや、頬を伝っていたのは涙であった。

 

 自分はここまで弱り切っていた。敵からの賛辞でも、現実が自分の理想通りになった事に、桐哉は心底安堵する。

 

 ――俺は、まだ守り人でいられた。

 

 止め処なく溢れてくる涙に桐哉は拭おうとしても出来ずにいた。アイザワがふんと鼻を鳴らす。

 

「敵地で泣く戦士がいるかよ」

 

 その通りなのだが、今はただその感慨を噛み締めていたかった。

 

「だが、あまり悠長な事は言っていられない。どの国の占領下にもない、と前置いたのはその事実も関連している」

 

 拡大された衛星映像の中に桐哉は驚くべきものを発見する。

 

 青と銀のモリビトと赤と白のモリビトが基地の周囲に展開している。

 

 撃ち漏らした事実よりも自分の守り通すべき人々へとモリビトが接近している事のほうが問題であった。

 

「これは……」

 

「モリビト……ブルブラッドキャリアからの正式な発表はないが、彼らモリビト二機、いや映像には映らないが恐らく三機ともあの基地を根城にしている。この事実にゾル国からの正式な声明が出される予定だ。我が国の諜報機関の得た情報では、ゾル国の《バーゴイル》部隊が基地へと強襲をかける。前回、オラクル残党軍の討伐という名目でナナツーの新型を出させてもらった貸しがある我々は迂闊には動けない。その名目があったにもかかわらず、モリビトを撃ち漏らした国家には助力を仰ぐつもりもないらしい」

 

 つまり、ゾル国があの場所へと再度攻め入る。また、戦場になるのだ。

 

 守ると決めた人々がまたしても蹂躙されかねない。

 

 祖国でも安心材料にはならなかった。《プライドトウジャ》の一件のせいであの基地の信用は地に堕ちているに等しいのだ。

 

「……俺のせいで」

 

「誰のせいでもない。モリビトを排除するべく展開される作戦だ。オラクル残党軍の掃討は一度見直され、その上を行く脅威としてモリビトが挙がった、という話。だが実際のところ、《バーゴイル》だけでは心許ないとわたしは思っている」

 

 振り向いたリックベイは桐哉の心に差し込むような鋭い眼差しを湛えていた。その瞳が何を望んでいるのか、桐哉には直感で分かった。

 

「……俺が?」

 

「そうだ。我が方のナナツーは出せないがトウジャならば無国籍の人機として介入は出来る。……無論、そうなった場合わたし達は一切の助太刀は出来ない。全て、君一人の戦いになってしまうが」

 

「少佐……! 捕虜を逃がすって言うんですか!」

 

 アイザワの反発にリックベイは首を横に振る。

 

「トウジャの鹵獲自体が機密レベルだ。国家としての振る舞いを考えればトウジャを解析し、その機構を完全に暴くべきだが、操主なしではハイアルファーも起動せず、その構造も不明。このまま無用の長物を持て余すよりかは、わたしは現実的なプランだと思っている」

 

「逃亡の危険性があります」

 

「彼は逃げんさ。眼を見れば分かる」

 

 自分達が動けぬ代わりに桐哉一人で戦場に介入してみろ、というのか。あまりに無謀な考えに呆然とする。

 

「俺一人で、何が出来るって……」

 

「モリビトと対等に渡り合ってみせた。あの戦場を実際に見た我々からしてみれば、モリビト一機の首を取るくらいはわけないと思っていたが」

 

 C連合は表立って軍は派遣出来ない。この場合、モリビトの脅威と本国の蹂躙からあの基地を守れるのは自分だけだ。

 

 しかし、その後は。自分は祖国に剣を向けた重罪人として扱われる事になってしまいかねない。

 

「……こちらに後先がないからって乗ると思っているのか。冷静に考えれば、祖国へと刃を向けた時点で俺の居場所はなくなる」

 

 もう存在しないかもしれない居場所に固執するか、あるいはまだ残っている場所のために出来る事を行なうか。

 

 二つに一つだ。このまま捕虜として一生を終えるのは自分としては許せない。静観出来ない事を理解した上での交渉であろう。

 

「トウジャに偽装パーツを装備させ、大破したと思い込ませるくらいは出来る。その後、我が国家の艦にて収容すればいいだけだ」

 

「……少佐、そんな厚待遇をしてやったって、こいつはゾル国の兵士なんですよ」

 

「だが裏切れないタイプなのは見て取れる。我々としても動くトウジャのデータは取りたい」

 

 このまま身じろぎ一つしないトウジャを解体するか、あるいは稼動データを取れる可能性にかけるか、であろう。

 

 解体した場合、百五十年前の叡智を失うかもしれない。しかし、戦場に赴かせたところで同じのはずだ。

 

「帰ってくる保障はない」

 

「帰ってくるさ。君が乗っているのならば、ね」

 

 リックベイは何を根拠に自分をここまで信用出来るのだろう。熟練の戦士の第六感か、あるいはそれ以外の外的要因か。

 

 桐哉は面を伏せた。このまま何もしないのも手の一つではある。どうせC連合は手出し出来まい。その代わりに本国が自分の大事なものを奪っていく。

 

 基地にいた者達は尋問を受けるだろう。トウジャの秘匿だけでも重罪に問われるかもしれない。

 

 何よりも、現状を維持したところでモリビトによる占拠だ。このまま世界が見過ごすとも思えない。

 

 ブルーガーデンくずれが介入すればそれこそ戦争になるのは必定。

 

 誰かが守り通さなければならない。その役目は、自分だ。自分にしか出来ない。

 

「……俺がトウジャに乗れば、そのデータを解析するのだろう」

 

「それは軍としての当然の動きだ」

 

 トウジャをみすみす解析させるか、あるいはここで舌でも噛んで死ぬか。だが、自分はトウジャの神経接続デバイスに耐えて生きている人間だ。ハイアルファー【ライフ・エラーズ】が容易い死を用意してくれるとは思えない。

 

 死ねない兵士は自分の命を賭けのレートにすら挙げられないのだ。この場合、死んでしまえばこの身が朽ちるまで実験材料であろう。

 

 何を選ぶべきかはもう見えている。あとは勇気だけだ。この局面で、世界さえも手玉にとって見せると言い切れる勇気。

 

 無謀だと言い換えられる。

 

 それでも戦うのが自分に出来る唯一の反抗であった。

 

「……《プライドトウジャ》を稼動させる。あの操主服を渡せ。あれがないとまともに動かせない」

 

「こちらで改良の手を加えている。随分と古いシステムで構築されたパイロットスーツであった。理論面ではこちらが上を行っている。実戦投入するかどうかはわたしの一存で決まる」

 

「一刻も早く、あの場所に向かわせてくれ。俺は、守らなきゃいけない。守り通すんだ。それこそが……俺の生きる意味なんだから」

 

「承知した。パイロットスーツを持ってくればすぐにでも出られるか」

 

 首肯した桐哉にリックベイは歩み寄って言いやる。

 

「そこまで賭けられるとは、さすがのわたしも想定していなかったよ」

 

 振り向いたその時にはリックベイは立ち去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少佐、いいんですか? だってトウジャを出せるって事は、あいつが裏切るって可能性も」

 

「視野に入れているさ。だがね、祖国で堕ちた英雄と罵られ居場所もない人間が、C連合の待遇に不満を言えるものかね」

 

 タカフミは目を見開いていた。

 

「情にほだされて、やったわけでは……」

 

「いつ、わたしが情になど左右される。軍人はいつだって冷静に物事を俯瞰するものだ。彼は逃げない。逃げる理由がない。どこに逃げたところで裏切り者の烙印が纏いつく。トウジャを祖国に持ち帰れば彼は英雄に戻れると思うか?」

 

「それは……」

 

 口ごもったタカフミにリックベイは言葉を継いだ。

 

「基地が無事であっただけで涙する男だ。もう彼にすがれる存在などありはしないのだろう。それほどまでに追い詰められている人間がまともな判断を出来るとも思えない」

 

「あの基地の映像も、交渉条件の一つだったんですか?」

 

「他に何がある。あれだけでも機密だ。ゾル国の一兵士に、お前の国家の基地を衛星軌道から監視出来るのだぞ、と言っているようなもの」

 

 タカフミは空いた口が塞がらないようであった。リックベイは怪訝そうに言いやる。

 

「どうした? 何か言いたげだな」

 

「いえ……おれ、心底、分からなくなっちゃいました。モリビト相手に対等の斬り合いを求めたり、トウジャを鹵獲したのにそれをみすみす逃がそうとしたり……少佐って結局どういう人間なのかな、って」

 

 そんな疑問か、とリックベイは嘆息を漏らす。

 

「ただの軍人だ。それ以上でも以下でもない」

 

「でも、あの桐哉って奴、帰ってくると信じていますよね?」

 

「確率論の話に過ぎない。あれで祖国に帰る面の皮が厚い人間だとも思えないからな。トウジャの存在はどの国家からしてみても現状を打破する鍵。案外、ゾル国は見栄も外聞もなく迎え入れる可能性もあるが、彼からしてみれば守る対象を攻撃目標に据えた時点で、信じるべき祖国にはならないだろう」

 

 タカフミは後頭部に手をやって複雑そうな顔をする。

 

「なんか……あいつもかわいそうですよね。自分の信じてきた祖国に裏切られて、で、モリビトを憎むしかなくなって。モニター上は死人ですから、どう扱われてもおかしくはない。自分がああいう境遇になったらって思うとぞっとしますよ」

 

「ああなったら、君はどうする?」

 

「おれっすか? おれは……」

 

 さしものタカフミでもそこから先を濁した。死人に口なし、とも言える。彼がどう発言したところでモニター上死んでいるのならばどのように曲解も出来るのだ。彼は従うしかないであろう。C連合のためでも、ゾル国のためでもない。あの基地に残されているのかも分からない、大切な誰かのために。

 

 命を散らしてでも戦い続ける道しか残されていない。

 

「少佐は、どうなんですか。ああなったら、どうします?」

 

「鹵獲され、捕虜になり、新型機を動かせと言われた場合か。帰結する先はそう多くはない。自爆し、腹を切って死のう」

 

 リックベイは心の奥底からそう感じていた。タカフミはその凄味に口を閉ざすしかないらしい。

 

「少佐らしいというか……おれには真似出来ないっすよ」

 

「真似しなくともいい。これは武人の生き方だ。常人に押し付けるつもりもないからな。ただ……」

 

「ただ?」

 

 いや、とリックベイは頭を振る。これは軍人らしくない考えであった。

 

 ――桐哉の面持ちにあったのもどこか武人めいた迫真があったな、という、ほんの些細な考え。

 

 きっと、大きなうねりの前には個人の思想など踏み潰されてしまうだろう。

 

 今がそのうねりの只中なのだとリックベイは自覚していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯70 夜明け前

 気密が保たれた部屋の中で、彩芽はこの基地の長だというシーアと対面していた。

 

 憔悴し切った面持ちには基地を守り通すために貫いた意地が見え隠れする。自分の役目はそれを聞き出す事だ。

 

 彩芽はかしこまって咳払いする。

 

「いいでしょうか? シーア分隊長」

 

「ああ、すまない。今の現実に、脳が追いついていなくってね」

 

 額を押さえた年長者に彩芽は心中を察する。無理もない。世界の敵だとされているモリビトタイプの操主との対峙。それだけでも充分に精神をすり減らすというのに、自分の発言次第ではモリビトからの攻撃を受ける。その脅威から基地のスタッフを守り通さなければならない。きっと今すぐに逃げ出したいに違いなかった。

 

「分かります。わたくしも、ここで顔を晒すとは思っていませんでしたから」

 

『アヤ姉。今のところその基地から情報が発信された痕跡はないわ。まだモモ達の情報は大っぴらには出回っていない』

 

 耳に装着した通信機から《ノエルカルテット》に収まる桃の通話がもたらされる。少しでも妙な抵抗をすればR兵装の光がこの基地へと降り注ぐであろう。

 

 彼らに選択肢などないのだ。そのような最中、シーアは口を開いた。

 

「モリビトは……わたし達をどうするつもりなんだ?」

 

「無抵抗のままならば何も致しません」

 

 嘘であった。顔を見られた以上、何らかの手は打たなくてはならない。ただしここでの破壊行為は他国の衛星に見張られている状態だ。どのような言葉を切り口にして戦場が再現されないとも限らない。

 

 彩芽達はあくまでも慎重に議論する必要がある。

 

「そう、か。そうしてもらえると助かる。ただでさえ、わたし達には手立てがないんだ。あの機体は、どうなった?」

 

 鉄菜の交戦した漆黒の人機の事であろう。トウジャタイプに関する情報は聞き出さなくてはならない。

 

「トウジャ、ですね。あれはどういった経緯で」

 

「やはり、その名を知っているか。無理もない。百五十年前に封じられたモリビトの名を冠する機動兵器を手にしているのだからな。機密などもう意味がないか」

 

「あれはしかし、封印指定されていたはずです。この惑星では」

 

「封印を解いたのはわたし達ではない。オラクルの親衛隊だ。彼らはどうしてだがそれを知っていた」

 

「オラクル親衛隊?」

 

 妙な符号だ。オラクルの残党がこちらに向かっていたから、C連合は仕掛けた。自分達もその情報を基に介入した。

 

 だがこれでは、まるでオラクルという小国にブルブラッドキャリアとC連合が操られた形になっている。

 

 立場が逆転している危うさに彩芽は尋ねていた。

 

「その者達は本当に、オラクルの親衛隊だったので?」

 

「……そう言われてしまうと確証はない。《デミバーゴイル》だけがその証拠であったが、中身は見ていないし、《プライドトウジャ》が破壊してしまった」

 

 ガワだけ揃えるのならばいくらでも出来る。ここに来て彩芽は何者かの作為を感じずにはいられなかった。

 

 オラクルという小国の独立から先、誰かがブルブラッドキャリアを操っていた? では誰が? という疑問。

 

 その言葉を聞き取っているはずの桃が胡乱そうな声を出す。

 

『モモ達をいつの間にか操っていたって? 小国コミューンが? それは初耳……っていうか、あり得ないんじゃない?』

 

『私もその可能性は棄却したい。あの時刃を向けた連中にそこまでの考えがあるとは思えなかった』

 

 二人分の意見に彩芽は思案を浮かべる。では、何者かの作為がある、と考えたのはこちらの勘繰りか。否、敵はこちらの上を常に行っていると思うべきだろう。

 

 オラクルにその気がなかったにせよ、この場所に訪れた親衛隊を名乗る連中にはあったかもしれない、という事だ。

 

「オラクル親衛隊の、何者かの身分証か、あるいは名前でも分かれば」

 

「名前なら一人だけ。オラクル親衛隊の隊長を名乗っていた。レミィとか言う女ならば」

 

「レミィ。他の情報は?」

 

「こちらに写真の一部でもあればいいんだが、生憎全ての《バーゴイル》は破壊され基地には反抗するだけの残存兵もいなかった。辺境地だとして本国に見捨てられた結果だよ」

 

『オラクル親衛隊のレミィ、ね。《ノエルカルテット》とバベルの中枢に繋いでいるけれど……そもそも親衛隊なんて存在しないわ。アヤ姉、これ、もしかして最初から……』

 

 濁した先を推測する。最初から存在しないものを名乗っていた。

 

 オラクルの武装蜂起は何者かがその意図的な欠如を利用するための引き起こした出来事だとすれば……。

 

 点と点が繋がりかけてシーアは疑問を呈していた。

 

「連中は最初からトウジャを知っていた。確かに軍上層部にはトウジャの存在は噂レベルに留まっていたのかもしれないが、オラクルなんていうC連合の弱小コミューンの人間が持っていたのは確定情報だった。……《プライドトウジャ》の名称と、その性質。ハイアルファー人機である事を見越して」

 

「ハイアルファー人機ですって?」

 

 その名称に彩芽は覚えず立ち上がっていた。ハイアルファーはブルブラッドキャリアの中でも秘匿されている技術の一つだ。

 

 モリビトタイプで採用を見送った技術がどうして地上に? そもそも彼らも知っているのか。ハイアルファーの恐ろしさを。

 

『……どうやら後で聞く事が増えたようだな』

 

 鉄菜の言葉に彩芽はしまった、と目頭を揉んでいた。鉄菜が聞いている中で自分が困惑してどうする。

 

「ハイアルファーを、知っているのか?」

 

 シーアの疑問には答えるしかないであろう。答えなければ鉄菜の追及に遭うだけだ。

 

「……技術として、ならば。人の精神波に感応する技術だと。しかし、その稼動には様々な問題が山積している、とされています。ハイアルファー人機は一般的にはエネルギー効率が悪く、血塊炉の応用技術を用いなければそもそも起動さえもしない、と。一機造るのにかかるコストを鑑みれば、他の機体を量産したほうが遥かに早い」

 

「そう、わたしも似たような話を聞かされていた。今の三機……ナナツーとバーゴイル、ロンドの現状を突き崩すほどの技術革新ではない、とも。トウジャ一機では何も出来ないとさえも言われていた。だが、実際にトウジャが動けば、それは世界の蠢動を意味する。トウジャがどうなったのか、君達は……」

 

「残念ながら」

 

 首を横に振るとシーアは、ああと嘆いた。

 

「やはり、死んでしまったのか。いや、そのほうがいいのかもしれない。あの技術が大国に利用されればそれこそ地獄だ。トウジャタイプが量産体制に入れば、今の技術は遥かに遅れを取る。ハイアルファーを用いないトウジャが完成すればの話ではあるが」

 

「その……ハイアルファー人機が量産されない確証でもあるのですか?」

 

「あれは操主ありきの機体だ。操主の権限が許さなければ絶対に量産はされない。彼が……それを許すとは思えない」

 

 そもそも撃墜された可能性も鑑みているのだろう。こちらからあの人機の生存はにおわせないほうがいいな、と彩芽は感じていた。

 

「トウジャタイプ以外に、この基地が狙われた理由は?」

 

「見当もつかないよ」

 

 やはり相手はトウジャを狙ってきたのだろうか。しかし、軍上層部でさえも信じていないトウジャの存在をどうしてオラクルが知れたのか。それだけが大きな疑問として屹立している。

 

「色々聞けて、参考になりました」

 

 席を外そうとするとシーアは尋ねていた。

 

「モリビトタイプを操る人間には、何か特別なものがあるのか? 君達はまるで研ぎ澄まされた……戦闘機械のようだ」

 

 殺戮兵器と呼ばれなかっただけマシだろう。彩芽は振り返って応じていた。

 

「才覚、のようなものだけは存在します。あとは覚悟」

 

「覚悟、か。世界を敵に回すほどだ。相当な覚悟の持ち主ばかりだと推測する」

 

「わたくし達は何も戦いたいわけではありません。惑星側が、一つの罪を認めてくだされば、何も戦争なんてしたいわけではないのです」

 

「罪……それはトウジャの事を、百五十年前の事を言っているのかね?」

 

 それも入っているが彩芽が認めて欲しかったのは別の部分であった。

 

 ――貴方達の誇る惑星から、無慈悲に連れ去られて戦闘兵器にさせられた子供がいる。

 

 そう言えればどれだけ楽であったか。しかしそれを今、シーアにぶつけるのはお門違いであった。

 

「……誰もが罪を抱えています。わたくし達はその代弁者である事だけの話」

 

「そう、か。惑星圏への報復であったな、君達の目的は。この青く濁った星に、未来などないというのに」

 

 項垂れたシーアにはもうかけるべき言葉もなかった。彩芽は一室を去った後、通信機の向こう側にいる鉄菜へと言い含める。

 

「説明はするわ。ただ、今は待って。わたくし自身……」

 

 拳を骨が浮くほど握り締める。誰かに八つ当たり出来ればどれほど楽か。そのような身分ではないのは大いに分かっている。

 

 今は、被害者面などしている暇はないのだ。

 

 一刻も早く戦いの連鎖を断ち切らなければ、また同じ事が起こるであろう。

 

 犠牲は自分だけで充分であった。

 

『アヤ姉。今ゾル国のログを探ったんだけれど、ちょっと興味深い作戦が耳に入ったの。それもいい?』

 

「……ええ、桃。話を聞くわ。それに作戦も建てないと。ここに篭城したところで先は見えている」

 

 自分達はブルブラッドキャリア。

 

 惑星へと牙を剥いた反逆者なのだから。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯71 虚飾の舞台

 追悼の義を終えたからか、浮き足立った人々はようやく重責から逃れた、という顔をしていた。

 

 ところどころで聞こえる立ち話にはやはりスカーレット隊の小言が目立つ。

 

「あの予算食いのスカーレット隊には困り果てていたものですが、これで何とか清算の見通しも立ったというもの」

 

「古代人機防衛は分かりやすい武力の誇示ですからな。あの赤い機体を見ずに済むと思うと……清々しますよ」

 

 どうやら内外からスカーレット隊は嫌われていたようだ。スーツに袖を通したガエルは鼻を鳴らす。

 

「……英雄が持て囃される時代なんて、とうの昔に終わっていたのかもしれねぇな」

 

 髭を剃り、長髪を切り揃えたガエルは自分のような硝煙と血の臭いが染み付いた戦争屋でも、このような場所には馴染めるのだな、と驚きを新たにしていた。

 

 馬子にも衣装とはこの事か。仕立てのいいスーツと偽装IDだけでゾル国のお歴々と肩を並べる事が出来る。

 

 もし自分が過激派で、ここにいる誰かの頭蓋を打ち抜きでもすればどうするのだ。

 

 そのような事を言ってのけたところであの胡散臭い将校は笑みを浮かべるだけであろう。

 

 ――それも君の勝手だ、とも言いそうだ。

 

 いざとなれば切り捨てられる身分でそこまでやろうとは思わない。むしろせいぜい利用してやろうではないか。

 

 戦争屋くずれがこの世界を回す側になってやる。

 

 その鍵は目の前でシャンパングラスを掲げていた。

 

「ちょっといいですか? 事前にお話していた……」

 

 将官が自分を対象へと導く。金髪碧眼の、まるで戦争屋稼業とは一生かかっても出会えないような立ち振る舞い。

 

 カイル、と呼ばれた青年は気安い笑みを浮かべてみせる。自分を操る将校とは違う。これは本心から、喜びを込めて笑っているのだ。

 

「あなたが例の。いやぁ、驚きだなぁ。僕に、こんな立派な叔父がいたなんて」

 

 将校はどのような嘘八百を並べたのかは不明だが、自分は彼の叔父として位置しているらしい。

 

 何とも皮肉めいた事だ。惑星の裏側で血と悲鳴を浴びていた男が、賞賛しか生まれてこの方浴びた事のないような人間の叔父であるなど。

 

「よろしく、カイル……と呼んでいいのかな?」

 

「もちろんですとも! 叔父さん、と僕からも呼んでいいですか?」

 

 あまりに警戒心の欠片もなく手を握ってくるのでガエルは困惑したほどだ。こんな人間がいるなど目の前にしても信じられない。

 

 誰かが裏から声でも当てているのではないか、と考えたほうがまだ説得力がある。

 

「その、カイル。場所を弁えようか……今は、一応」

 

 そう言葉にするとカイルは周囲を見渡し、ああ、と頷いた。

 

「そうですね……。スカーレット隊は我が国の誉れであったのに。残念です」

 

 今度は一転して暗い顔だ。しかもこれは建前ではない。本気でスカーレット隊の死を嘆いているようであった。

 

 この場所で生真面目なのはお前だけだと教えてやりたいほどだ。

 

「スカーレット隊は……残念だった。彼らの戦歴は目を通していたよ。まさか全滅なんて」

 

 自分でも精一杯の演技であったがカイルは鼻をすすり上げる。

 

「……隊長に会った事があるんです。人格者でした。こんな事で散って欲しくなかったほどに」

 

「話には聞いているよ。モリビト、であったようだね」

 

 声を潜めるとカイルは涙を拭った。

 

「そう、そのようです。僕はこんな事で、彼らと会いたくなかった。セクションこそ違えど志は同じだと思っていたのに、こんな追悼式なんかで、彼ら全員と顔を合わせるなんて」

 

 本気で言っているのか、とガエルは何度も笑い出しそうになったほどだ。演技にしてはくさ過ぎる。かといってこれを真顔で言えるなどどのような育ちを受けてきたのか、と逆に心配になるほどであった。

 

「カイル、スカーレット隊の事は後にしよう。今は、次の作戦への打ち合わせの段取りを」

 

「そう、でした。こんなめぐり合わせは続くんですね。叔父さんと出会えたと思えば、次に顔を合わせるのは戦場だなんて」

 

 自分は戦場以外で顔を合わせるつもりはなかったが、カイル・シーザーという男を理解するのには戦場以外で会うのは重要だと含められていた。

 

 その理由が今ならば分かる。ここまで隙だらけな人間も珍しい。悪意からずっと遠ざけられてきた人間とはこのように育つのか。

 

「テラスへ行こうか。騒がしい中で話す事でもない」

 

 テラスへと誘導するとカイルを目にして令嬢達が黄色い歓声を送った。戦場を彩る人間、軍の広告塔という評価はあながち間違っていないらしい。こんな男の一ショットで数人の女性将校が生まれるのか、とガエルは物珍しさの視線を注いでいた。戦場で女が増えるのは大歓迎だが、その目的が金髪の優男目当てとは。

 

 戦場で待っているのは紳士ではなく、暴力と銃弾の嵐だというのに。

 

 歓声の中を掻き分けるようにテラスに出た二人は、息をついた。カイルも疲弊しているようであった。

 

「いつになっても……慣れないものです」

 

「ゾル国の希望の星だ。女性からの賛美は素直に喜べばいいだろう?」

 

「苦手なんですよ。若い女子は」

 

 額の汗を拭ってみせたその一動作だけでもいくらかの価値にはなりそうだな、とガエルは横目にしていた。

 

「それで、本題なんだが」

 

「叔父さん、その……やっぱりやるしかないんでしょうか」

 

「あまり本意ではないか?」

 

「その、人機で戦うのはいいんです。その戦端のさきがけになるのも、何も不満はありません。ただ、今回の戦場が正しいのかそうではないのか、という意味です」

 

「カイル、お前は軍人だろう? 正しい正しくないではなく、命令にあるかどうかで判断するべきじゃないのか?」

 

 諌めた声音にカイルは微笑んだ。

 

「……やっぱり、僕の叔父さんはすごいなぁ。歴戦の猛者って感じです。スカーレット隊の名簿にも挙がっていたそうじゃないですか。僕としてはそれだけで誉れ高い」

 

 嘘の経歴はどんどんと膨張するばかりだ。自分がスカーレット隊に名を連ねていたなど、よくもまぁ吹けたものである。

 

「いや、断った経緯は褒められたものではないよ」

 

「地上警護の重要性を鑑みて、でしたっけ? 地上も確かに緊張状態が続いています。C連合とブルーガーデンが睨み合いをしている。こんな、青く染まった地上でも、手を取り合う事さえも出来ないなんて」

 

 嘆かわしい、と結んだカイルにガエルは尋ねていた。

 

「戦争は嫌いかな?」

 

「好きな人間なんていませんよ」

 

 目の前にいるが、と付け加えたかったが黙っておく。

 

「そうだな……争わずに済めばいいんだが……」

 

「無理でしょう。僕だって、ただおだてられてこの地位にいるわけでもありません。国家には国家の大義があり、軍人には守るべき責務がある。それを忘れれば、国家は暴走し、成すべき事を成せない帰結に至る」

 

「軍人には珍しいほどの主義者だ」

 

 その謝辞にカイルは咳払いする。

 

「……失礼。叔父さんがあまりに話しやすいからか、つい。口さがないとはよく言われるんです。でも、黙っているよりかはずっといい」

 

「多数の中に埋もれて、意見を押し殺すよりかは、矢面に立ったほうが、という気持ちかな」

 

 ガエルの評にカイルは後頭部を掻く。

 

「参ったな。叔父さんには僕の気持ちが手に取るように分かるんですか? 話したのもこの十分にも満たないのに、まるで子供の頃から僕の事を知っているみたいだ」

 

 経歴には目を通しておいたからな、と考えつつガエルはグラスを傾けた。

 

 この青年は読みやすい。明け透けな胸の内を誰かに語られればすぐさま相手が理解者だと信じ込む。

 

 その隙にこそ、ガエルが付け込める。そう感じての采配だろう。

 

「なに、可愛い甥っ子の事となれば、開いていた時間の分だけ理解したくなるというだけさ」

 

「開いた時間は、でも元には戻りませんよ」

 

「これから作っていけばいいさ。その時間は充分にあるのだから」

 

 嘘にしてもあまりに性質が悪い。自分はいざという時の弾避け程度にしか考えていないのに、彼は生涯で初めて自分の事を考えてくれる人間に出会ったような眼をしている。

 

「……叔父さんには僕の理想を話しても、何だか怒られなさそうだ」

 

「聞きたいな。理想も素晴らしい事だろう」

 

 カイルは吹き込んだ風に金髪をなびかせ、フッと笑みを浮かべた。

 

「僕は、このゾル国をよくしたい」

 

「政治家になりたいのか?」

 

「まさか。僕よりももっと政に長けた人間はいます。そうじゃなくって、ただの一兵士程度で終わりたくないって言うのかな」

 

「今でも充分な逸材だ。ゾル国軍人の士気を上げてくれている」

 

「まだまだですよ。まだ、僕はお飾りだ。そうじゃない、本当に頼れる軍人になる事、その時、国家が傾かないように務められる人間になるのが、僕の理想です」

 

 なるほど。今のなよっちい身なりでは確かに国家は任せられそうにない。ガエルはその肩に手を置いた。

 

「理想は、語るだけでは物にはならない。だが語った時、真にその理想を歩む権利が与えられる」

 

「それは、叔父さんの人生の警句ですか?」

 

「いや……随分と前に捨て去った、理想論だよ」

 

「だったら、叶えたいな。叔父さんの理想」

 

 この青年はどこまでも真っ直ぐだ。愚直にさえも映るこの真摯さを今まで利用されなかったの事が奇跡のように。

 

 いや、ゾル国は彼を広告塔に仕上げている。軍内部の士気を挙げるのも一つの方法論だろう。

 

 だが自分にはもっと有効活用出来る自信があった。この青年将校の愚かなまでの誠実さを利用すればどこまででも登り詰められると。

 

「乾杯を、そういえばしていなかったね」

 

「ああっ、忘れていました。叔父さんと話すのが楽しいから」

 

 その言葉にガエルは余所行きの笑みを浮かべる。

 

「こちらもだよ。新鮮な若者の息吹というのは素晴らしい輝きだ」

 

 どれもこれも、平時の自分ならば口にするだけで反吐が出そうな単語ばかり。

 

 カイルは頬を掻き、夜風の涼しさの中で赤面してみせた。

 

「叔父さんが、僕の思っていた通りの人でよかった」

 

「こちらも。甥っ子が理想通りで本当に」

 

 ――やり易い事だよ。確信の笑みを浮かべる。二人はシャンパングラスを突き合わせた。

 

 カラン、と雅な音がなり、偽りに糊塗された理想と現実が交錯した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯72 武士の道

 思った通りにはいかないものであった。

 

 ハイアルファーの実地試験は今のところ数えるほどしか行っていない。だからか、稼動するかどうかも運任せ。

 

 桐哉は改良されたパイロットスーツを着込み、《プライドトウジャ》のコックピットで呼吸する。

 

「……動いてくれよ、《プライドトウジャ》」

 

『シークエンス8からスキップして起動にかかる。準備は』

 

「出来ています。いつでもどうぞ」

 

『では……ハイアルファー【ライフ・エラーズ】、起動』

 

 一面が赤く染まり神経接続デバイスが肩口に突き刺さった。走った激痛に視界が白む。やはり何度死んでいてもこの痛みだけには慣れないのか。

 

 引き絞られていく神経の中の一滴まで痛みが染み入ってくる。どこにも逃れようのない激痛に歯噛みしつつ、桐哉は意識だけは保とうとした。

 

『《プライドトウジャ》、完全覚醒まで残り三〇セコンド。操主からの返答を待つ』

 

「操主、了解……。残り時間をモニターに表示」

 

 たったの三十秒が永遠のように感じられる。これを乗り切ればトウジャは再び自分に力を貸す事だろう。

 

 ただしこの試練を乗り切れなければ《プライドトウジャ》は永遠に自分から機会を奪う。それだけは避けなければならなかった。

 

 しかし、一秒ごとに痛みで神経素子が塗り替えられ、身体が分断されるかのような感覚で四肢が繋がっているのかさえも危うく感じられる。

 

 バラバラに裁断されつつも必死に意識の手綱を握っているかの如く、この数十秒は危うい。

 

 少しでも均衡を崩せば人機の鋼鉄の虚無に呑まれてしまう。

 

 ――今はただ、考えろ。

 

 ――守るべき人々の顔を。

 

 リーザの笑顔。シーアの困惑したような微笑み。リゼルグの悪態の顔。整備スタッフ達の憔悴の横顔。

 

 彼らはまだ生きている。生きているのだ。

 

 ならば自分は勤めを果たさなければならない。果たさずして死ねるものか。

 

『残り一〇セコンド』

 

 あと十秒だ。たったの十秒なのに、とてつもない断絶のように感じられる。

 

 消え行く意識の中、桐哉は必死に手繰り寄せた。自分の原初の記憶を。守ると決めた最初の人の横顔を。

 

 手を伸ばしかけて、その像は儚く手の中を滑り落ちていった。

 

 ブザーが鳴り響く。

 

 ハイアルファーが起動臨界点を超えず、《プライドトウジャ》から意識が凪いでいった。

 

『……《プライドトウジャ》、起動失敗』

 

 肩で息をしつつ、桐哉は呻く。どうして、起動してくれないのだ。何が足りないのか。

 

 操縦桿へと拳を叩きつけて、ハイアルファー【ライフ・エラーズ】の弾き出した表示に桐哉は瞠目する。

 

「〝何故、まだその域で留まっているのか〟だって?」

 

 これは《プライドトウジャ》が問いかけているのか? それを確かめる前にコックピットに入ってきた整備士達の気配に表示が消え失せる。

 

「やっぱり駄目か。ハイアルファーってのが起動を阻害している」

 

 それだけではないような気がしていた。ハイアルファーのせいだけではない。自分の覚悟不足を《プライドトウジャ》は見透かしている。だからこそ起動を渋るのか。

 

「でも……一刻も早く向かわなくっちゃいけないのに……」

 

 神経接続デバイスが引き剥がされ、桐哉は整備士達に収容される。

 

「操主の切り替えは出来ないのかよ」

 

「駄目だ。一度設定された操主からは切り替えられないらしい。……まったく、百五十年前のご先祖様は何て機体を造りやがったんだ」

 

 毒づいて整備士達はトウジャのコックピットの前で合掌した。

 

 彼らからしてみれば自分達では及びもつかないほどの技術の結晶だろう。信仰対象にでもなっているようである。

 

 自分からしてみれば他人を守り通すための機体。それ以外の何者でもない。だというのに起動さえも出来ないのであれば意味がなかった。

 

《プライドトウジャ》のコックピットを桐哉は蹴りつける。整備士達が目を見開いた。

 

「動けよっ! くそっ!」

 

 少しでも動いてくれればまだ望みはあるのに。モリビト相手に戦ってみせた実力はどこへ行ったのだ。

 

 睨み据えた桐哉の眼差しを、四つの複眼光学センサーは睥睨していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり、無理みたいっすねぇ」

 

 観測所に出向いていたタカフミの評価は軒並み他のスタッフと同じだ。《プライドトウジャ》の起動は不可能。だからと言って操主の切り替えが出来るほどの器用な人機でもない。

 

 リックベイはもたらしていた命令を口にする。

 

「本来の起動よりも時間をかけていても、か?」

 

「……聞こえるっすよ」

 

 声を潜ませたタカフミは桐哉に露見する事でも恐れているのだろうか。リックベイはそのような瑣末な事は考えずに言ってのける。

 

「《プライドトウジャ》の安定起動に必要な時間より一分も長く観測時間を置いている。これが何のためなのか分からぬわけでもあるまい」

 

「……後のトウジャ量産のための布石、でしょう? でも、酷くありませんか?」

 

「酷い? 何がだ」

 

 タカフミはどうしてそれが分からないのか、とでも言うように問い返す。

 

「だって、あいつの本来の目的のためなら、もう起動させていてもいいのに……」

 

 リックベイは資料を畳み、タカフミを見据える。それだけで彼は怯え切った。

 

「……アイザワ少尉。あれは鹵獲した機体だ。通常ならば解体し、解析してその技術の恩恵に与るはず。それが国家、それが軍隊だ。我々は慈善事業で彼の面倒を看ているわけではない。彼から引き出せるものは全て引き出しておく。その上で単騎での実戦投入などという危ない橋を渡らせている」

 

「そりゃ、捕虜ですからね。少佐の言う事は分かりますよ。ただ……」

 

「納得は出来ない、か」

 

 先読みするまでもないタカフミの懸念にリックベイは息をついた。

 

「……っす。だって、本国にも見捨てられて、意味も分からない機体に乗せられて敵国のど真ん中ですよ? そんなの常人が耐えられるわけが」

 

「彼は常人の神経を超えようとしている。そうでなければハイアルファーという未知の性能を引き出せるはずがない」

 

「人が、人間が人間らしく振る舞うのでさえも、条件がいるんでしょうか……」

 

 この得心の行っていない部下に報告係をさせるのは難しいだろう。リックベイは自らの手の甲に視線を落とした。

 

「……たとえ話をしようか。ある男がいた。その男は大義を抱き、敵国に捕らえられてもなお、情報の機密を守った。しかし守り通した彼の遺骸を、祖国は容易く裏切った。後々、情報はその信じた祖国の腐敗した上層部から漏れていたのだと分かったが、誰も彼に弁明の言葉も送らなかった。死者に謝罪したところで未来には進めんのだ。人間は、今だけを見ている。見続けている。だからこそ、現状を打破するべく動く。わたしは、その可能性にのみ信心を貫く事を決めた。遥か前に、な」

 

「その、死んだ男って……」

 

「話はここまでだ。アイザワ少尉。まだ意見があるのかな」

 

 打ち切ったリックベイにタカフミは返礼した。

 

「いえ……過ぎた言葉でした」

 

「分かっているのならばいい。して、トウジャは動くかどうか」

 

「あの、桐哉とか言う奴が本気なら動くんじゃないですかね」

 

 その言葉振りにリックベイは首を傾げる。

 

「彼が本気ではないとでも?」

 

「いや、多分本気だとは思います。本気で、トウジャを動かすつもりだとも。でも、何ていうのかな、本気度みたいなのが足りないと思うんです」

 

「……拝聴したいな」

 

「大した話じゃないんですよ。でも、新型機に乗る時ってのは、昂ったり異様に沈んだりするもんじゃないですか……まぁおれは昂る側ですけれど、あいつはそうじゃないと思うんです。だって、トウジャに乗ったじゃなく、乗せられたって感じですし、多分本意じゃない部分も多いはずです。その中で、前回に匹敵する精神的なパワーって簡単に出せないと思うんですよ。だって、あの時はおれらが攻めていて、モリビトも来ていたわけです。敵しかいない中、自分だけで単騎突破なんて正気じゃないですよ」

 

「その時と同じ感覚、死狂いにならなければ起動出来ない、というのか」

 

 首肯するタカフミにリックベイは顎に手を添えた。一理ある。この部下にしてはためになる事も言うものだ。

 

「その、異様なほどの集中力とか覚悟がいる状況って意図的には生み出せないんじゃ……」

 

「いや、方法論はある。しかしこれは……ちょっとばかし外法だな」

 

「当ててみましょうか? あの基地に爆撃するとでも脅す」

 

「近い……いや、正解だな。似たような手法だ。知人を殺す、あるいは親族に危害を与えると脅せばいい、と。まったく、わたしも濁ったものだよ。結局は力による強攻策か。スマートではない」

 

「でも、それが軍ってものでしょう?」

 

「分かった風な口を利く」

 

 タカフミは首を引っ込めた。

 

「スイマセン、だって少佐が教えてくださるんですもん」

 

 フッと笑みを浮かべ、リックベイは資料に目を通した。

 

「あの操主の親族は? 調べられるか?」

 

「し、少佐? 本当にやるんで?」

 

 うろたえたタカフミにリックベイは呆れ返る。

 

「何だ、君がその方法が手っ取り早いと同意したんじゃないか」

 

「おれは、同意していません。軍なら、って例え話でしょう?」

 

「ここは軍だぞ?」

 

 問い返してもタカフミは首を縦に振らなかった。

 

「駄目です。そんな事をしたら今度こそ、あいつは死人になりますよ」

 

「どうして言い切れる?」

 

「……似ているから、ですかね」

 

「誰と誰が?」

 

「あの……桐哉と少佐が」

 

「わたしが? 冗談を。アイザワ少尉、今は落語の宴席ではない」

 

「分かっていますよ! おれが言いたいのは、無意識の部分ですって! 少佐は、どこかで感情移入しています。奴に。そうじゃなければ、こんな分の悪い賭けしないはずです」

 

「先にも言ったが軍属ならば帰結する話だ」

 

「いーえ! おれの知っている少佐はこんな決断はしません! 絶対です! 何で意固地になってあいつを苦しめようとするのかと言えば、少佐自身が根っからのマゾヒストだからですよ!」

 

「わたしが、マゾだと?」

 

 そのように評されたのは初めてであった。タカフミは捲くし立てる。

 

「ええ! 自分に試練を課したり、モリビトなんかと打ち合ったりするところとかそっくりですよ! どうして似ている存在には冷たく当たろうとするかなぁ……」

 

 そこまで口にして上官への侮辱だと気づいたのだろう。タカフミは不意に姿勢を正した。

 

「す、スイマセン! おれ、またやっちゃいましたか……?」

 

 窺うタカフミにリックベイは、いや、と頭を振った。

 

「新鮮な意見だ。ありがたいほどに」

 

「えっと……お咎めは」

 

「今回はない。だが人と時を誤れば左遷どころではないな」

 

 タカフミは大きく息をつき、頭を下げた。

 

「本当に、スイマセン! アツくなっちゃうと駄目だな、おれ」

 

「いや、わたしは熱くもなれないからね。君の判断が素直に羨ましいよ」

 

 リックベイは胸のうちに問いかけていた。 

 

 自分と桐哉が似ている。だからこそ試練を課したくなっている。

 

 そう仮定した場合、今までの胸の靄が解けるようであった。自分の鏡だと思っている相手ならば、自分の状況を当て嵌めればいい。

 

 自分ならば何をもって、集中力と精神を削ぐと判断出来るか。

 

 結論はすぐさま出た。

 

「アイザワ少尉。感謝している」

 

「えっ……何がっすか?」

 

「わたしが軍属としての正答を歩まずに済んだ事だ。別の道がある」

 

「ほ、本当ですか?」

 

「ああ。こっちならばわたしらしいだろう」

 

 リックベイは書類を仕舞い、部屋を出ていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯73 抗いの者達

『つまりトウジャタイプって言うのは、百五十年前に分断された惑星内の人機開発の一極面だという事マジ。分かったマジ? 鉄菜』

 

 ジロウにそう説明され、桃の言葉を噛み砕かれても鉄菜にはその一切が頭に入ってこなかった。

 

 聞こえていても話に集中しているとは限らないのだな、と無用な事ばかり思案する。

 

「それで……つまるところあの人機は、モリビトに匹敵する、と?」

 

『纏めると、そうなるマジ?』

 

『そうね、クロ。あれはモリビトタイプと同性能か、それ以上と思ったほうがいいわ』

 

 桃の通信に鉄菜はふんと鼻を鳴らした。

 

「教えてもらえていなかった情報だ。これでは不均衡となる」

 

『それ、不平等って言いたいの?』

 

「知らない。私の脳にはその単語はない」

 

『……クロ、怒るのは分かるけれどこれは仕方のない事なの。タイミングってものがある。二号機のロールアウトがこの計画のギリギリだったがために起こった齟齬よ。モモ達が教えるから機嫌を直して』

 

「知らないな。大体、不平等など思った事はない。ただただ……」

 

 そう、ただただ――不愉快なだけであった。

 

 先に降りていた一号機操主と三号機操主である彩芽と桃だけが持っている情報くらいはあってもおかしくはない。むしろそのネットワークは重宝するべきだ。だが、鉄菜の中の論理的に物事を判断する場所とは別の部位が、その理解を妨げていた。

 

 これは簡単に得心してはいけない事柄なのだと。

 

 だから、合理的ではないがここでは納得していないように振る舞う。まことに、合理的ではないのだが。

 

『鉄菜、怒る事はないマジ。一号機や三号機だけ持っている情報くらいあるものマジ』

 

「分かっている。当たり前だ、そんな事」

 

『だったら、もうちょっと物分りよくなるマジよ』

 

「それとこれとは別だ」

 

 嘆息をつくサポートAIに鉄菜は通信越しの桃へと視線をくれた。

 

 桃も憔悴したように肩をすくめる。

 

『納得しろってのは難しいかもしれないわ。でも、トウジャは存在するの。戦ったクロなら分かるでしょ?』

 

 分かるとも。あれはAプラス以上の脅威だ。

 

 だからこそ次は勝たなくてはならない。勝つための確定手段が欲しいのだ。

 

「敵の弱点を送れ。そうでなければ話にならない」

 

『弱点、ね……』

 

 唸って考える桃は今まで教鞭代わりに振るっていたペンを鼻の上に乗せた。器用な真似をする、と鉄菜は観察する。

 

「何だ? まさか、ない、とでも言うのじゃないだろうな?」

 

『ないわけじゃないの。だって血塊炉で動いているのは確かだし、それに百五十年前の機体ならその血塊炉だってベストな状態じゃない。すぐに貧血するか、あるいはエネルギー効率が悪くって息切れするか。……でも、整備班の話とログを統合すると、どうにもその辺は克服しているみたいなのよね』

 

「克服? 百五十年の隔たりを?」

 

『技術面では、《バーゴイル》の駆動系を馴染ませる事によって可能だったみたい。つまり古くて使い物にならないパーツは《バーゴイル》に取り替えて新しくしたってわけ。でも、どうしよもないのは血塊炉。これだけは新造するのにもコストがかかる』

 

「……この基地が血塊炉を新しく組み込めるだけの好位置にあるとも思えない」

 

 これほど辺ぴな基地にすぐさま新しく設計に合う血塊炉を送れ、というのは無理な話だ。

 

『だからこれは、技術じゃないの。何ていうのかな……モモもグランマから聞いたのと、バベルのデータベース上でしか知らないんだけれど』

 

 濁した桃に鉄菜は先を促すように告げる。

 

「私に隠し立てする事がまだあるとでも?」

 

『いや! もうない、ないって……多分。その、ハイアルファーってのがさっきの話で出たわよね』

 

「それも初耳だが」

 

『ゴメンって! クロ。モモだって困惑しているの』

 

 必死に謝ってくる桃に鉄菜は説明を求めた。

 

「どういう代物なんだ? 彩芽・サギサカは知っているようであったが」

 

『操主の教習期間に習ったのかな? アヤ姉だってモモ達と訓練自体は変わらないと思うけれど』

 

 自分はひたすら自分の似姿を殺し続ける訓練であった。桃も同じような訓練をしたのだろうか。あまりに幼い手足からは人殺しの感覚は見受けられないが。

 

「ハイアルファー、か。アルファーの強化のようなものだと思えば?」

 

『その鉄片も、クロだけ持っているのよね?』

 

「私は適性があったからだ。銃弾よりもこっちのほうが命中させやすい」

 

『ハイアルファーって言うのは、人間の精神波に感応するシステムの事よ。アルファーの擬似再現、人工的な代物と言ってもいい』

 

 割り込んできた彩芽の通信に桃が問い質した。

 

『それ、どういう事なの? バベルで検索してもあまり出てこなかった』

 

『そりゃ、そうかもね……。元々、最初期の人機開発においてちょっとだけ出てきた概念だから。後進の技術に追い抜かれちゃってすぐに歴史の影に落ちちゃったけれど』

 

「彩芽・サギサカ。どうして知っている?」

 

『小耳に挟んだ事があるだけよ。わたくしだって詳しいわけじゃないわよ? ただ、危ないシステムだって言うのは聞いた』

 

「危ない? 人の精神をダイレクトに受けるのならばアルファーのように任意の行動を取らせる事が可能というわけか? 例えば人機の遠隔操作のように?」

 

『……容易い代物じゃないのよ、そんなにね。人の精神波の影響を受けるシステムって言うのはとてつもなく繊細なの。ちょっとした思考の乱れや人間の集中力の途切れで使用不能になる諸刃の剣。それに、燃費も悪いし、あまり人機の技術としては褒められたものじゃないのよ』

 

「あのトウジャという人機はだが、《シルヴァリンク》に肉薄してみせた」

 

『それも、システムの影響があったのかもね。ハイアルファーは人の精神の具現。勝とうという断固とした決意を埋め込めばそれは形となる』

 

 彩芽の結論に桃が口を差し挟んだ。

 

『ちょ、ちょっと待ってよ! アヤ姉。そんな万能なシステム、それこそ使い勝手がいいんじゃ……』

 

「勝とうと思って勝てるのならば苦労も何もない」

 

『そうね。一面ではその通りだけれど、言ったでしょう? 人の精神は簡単じゃないのよ。それを暴き、システムに落とし込むという事はそれだけリスクも高まるの。わたくしの知っているハイアルファーの例だと、九十七パーセントが廃人と化した、とあるわ。残った三パーセントも生きているだけ。人機操縦なんて出来やしない』

 

 そのあまりの数値に鉄菜と桃は絶句する。九割近くが再起不能になるシステムなど、それはシステムとは呼ばない。

 

「欠陥品の、間違いじゃないのか?」

 

『間違いならば、どれほどよかったかしらね。試算上は、意味があるシステムなのよ。ハイアルファー人機、それは脅威となる存在だって事だけは頭に留めておいて』

 

「結局、そいつに勝利する方法は? 具体的にどこを狙えばいい?」

 

 ぼやかされている気がした。桃だけではない。彩芽もどこか隠し事をしている。触れられたくない事実のようであった。

 

『人機の弱点は決まっているわ。頭よ。コックピット』

 

「それが一片通りではないのは《シルヴァリンク》の存在からして明らかだろう」

 

『《シルヴァリンク》は高機動を実現させるために球体型のコックピットを採用しているんでしょう? 相手は設計思想が違うわ』

 

「モリビトに肉薄する敵などあり得てはならない。弱点が頭部だとしてもそれ以前に無力化する方法が知りたい」

 

 そうでなければ、と鉄菜は先刻のトウジャの動きを脳内でなぞる。あれほどの機動力だ。接近されれば《インペルベイン》や《ノエルカルテット》では打ち損じる可能性もある。

 

 それを懸念だとでも言うように桃は言い放った。

 

『近づかれる前にR兵装で焼き切ればいいんじゃないの?』

 

「トウジャのデータが足りていない。桃・リップバーン。もっと知っている事があるだろう? 話せ。そうでない場合、ブルブラッドキャリアへの背信行為だと断定する」

 

『怖い事言わないでよ……モモだって知っている事は出来るだけクロとアヤ姉にもオープンにしているし。そうしたほうがブルブラッドキャリア全体における貢献にもなるって分かっているってば』

 

「だがトウジャはあれ一機ではないはずだ。百五十年前に製造された機体の一種類なのだとすれば、あれ以外にもトウジャタイプが存在してもおかしくはない」

 

『その可能性に関してはゼロではないけれど、出てきたとしてもあの《プライドトウジャ》と同性能ではないと思われるわ』

 

 彩芽の言葉に鉄菜は言い返す。

 

「断定出来る根拠は?」

 

『ハイアルファーは同じものは存在しないの。これは絶対条件なのよ。だから、《プライドトウジャ》と全く同じ人機はいないはず』

 

「論拠に欠ける話だ。彩芽・サギサカ。今の今まで私達に黙ってきたくらいだ。ハイアルファー人機、その存在が計画の遅延をもたらした場合、お前の命だけで贖えるのか?」

 

 胡乱な空気に桃が口を差し挟む。

 

『クロ! アヤ姉だって何もしたくって隠していたわけじゃ……!』

 

「だがトウジャタイプの事を話されていれば、もっと簡単に対処が出来ていたかもしれない。トウジャに遅れを取る事もなかった」

 

『鉄菜の言う事は間違いじゃないわ。それに、わたくし一人の命でどうにか清算出来るのかという話も』

 

『アヤ姉まで何を……。そんなの分からないじゃん! だって、出てくるなんて思わない機体だし』

 

「可能性としても挙げられていなかった時点で落ち度はある。彩芽・サギサカ。《プライドトウジャ》なる機体を次回より優先して排除候補に挙げる。異論はないな?」

 

『仕方ない事よ。鉄菜、貴女がそれほどまでに脅威に感じたのならそうするといい。わたくしも、トウジャタイプの存在は軽視出来ないと思っている。優先して破壊してくれて構わない』

 

 鉄菜は彩芽の意見に首肯する。元よりそのつもりであった。

 

『……でも、トウジャがいるって事は、もう一種類の人機も、いるって事になるのかなぁ……』

 

 桃が浮かべた疑念に彩芽は切り返した。

 

『鉄菜への説明は?』

 

「されたところだ。キリビトタイプ、であったか。だがこれは……トウジャ以上に謎が多いな」

 

 もたらされたデータをジロウが処理する。キリビトタイプに至ってはその内部フレームさえも不明という結果であった。

 

『どういう事マジ? キリビトタイプの全体像がぼやかされているマジ』

 

「キリビトと呼ばれた人機の事を、誰もが隠している。いや、知らない、というべきか」

 

『キリビトに関するデータはそれが全てなの、クロ。バベルに直結しても全然降りてこない』

 

 百五十年前に同じように開発された人機にしてはあまりに乏しい。これではいざという時、全く対処出来ないではないか。

 

「キリビトの情報を出来るだけ迅速に。そうでなければ読み負ける」

 

『惑星の人々がキリビトを出してくるとは思えないけれど、用心は必要ね』

 

 彩芽は何かを知っているようであったが追求はよしておく。今はトウジャの事だけでも精一杯だ。キリビトの事まで話されて冷静でいられる自信がない。

 

『でも、分かんないなぁ。百五十年だよ? 発掘されても型落ちになっているに決まっているし。何よりも動くかどうか分からない人機によく賭けたよね、オラクルの残党兵』

 

 その部分に関しても疑問が氷解していない。オラクル残存兵は本当に存在したのか。疑念を一身に背負った形の彩芽は結論を渋らせた。

 

『……今は、その言及に真実を求めるかどうかはやめておきましょう。オラクル残党がいたとしてもいなかったとしても、トウジャタイプを知る人間が含まれていたのは事実』

 

 だが不都合な事実として、オラクルという小国がブルブラッドキャリアの動きを、ひいては世界の動きを操っていた事になる。これは由々しき事態であろう。

 

「C連合のような強豪国がどうして、オラクルなんかに左右された? 新型機の投入の体のいい言い訳だったとしても、結果論はトウジャに圧倒される形になったわけだ。これではまるで」

 

 そう、まるで逆転の構図だ。もし、オラクル残党がトウジャを問題なく手にしていた場合、C連合は圧倒されていたとでも言うのか。

 

 桃は難しそうに唸り、彩芽は結論を急がなかった。

 

『トウジャの存在を知っていて、C連合に喧嘩を振ったのだとすればトウジャの性能を試したかった、とも取れるわね。でも、単騎でナナツーに対抗するなんて事を仕出かすのかも分からない。オラクル親衛隊……レミィなる人物。探る価値はありそうね』

 

『名前だけじゃ絞り切れない。せめて生態認証IDでもあれば別なんだけれど、そいつの乗っていたバーゴイルもどきも破壊したんでしょ? じゃあ辿れないじゃない』

 

「どうにかして、その人物の経歴を辿る事さえ出来れば……」

 

 その時、広域通信チャンネルを震わせた一報が舞い込んだ。《ノエルカルテット》が率先して情報を手繰る。

 

『これ……暗号通信? ゾル国の作戦概要だわ。示されているのは……大変よ、クロ。アヤ姉。今から七十二時間以内に、この場所はまた戦場になる』

 

 その言葉に鉄菜は問い返していた。

 

「C連合か?」

 

『いえ、ゾル国自らが、立案した作戦みたい。《バーゴイル》の大隊が謎の不明人機の掃討のため……この場合はモリビト、ね。自国の基地が占拠されたのを奪還するために押し寄せてくる。つまり、標的はモモ達、モリビト』

 

 総毛立った鉄菜はその情報を同期させる。暗号通信を解読し、解除したコードを表記させる。

 

「《バーゴイル》による掃討作戦……。爆撃まで視野に入れている。基地を救い出すと言いながら、その実情は基地を捨て去ってでもモリビトへの報復攻撃、か」

 

『連中もあまり手をこまねいている場合ではないようね。恥も外聞もない、ってところかしら。C連合に貸しを作った手前、全ての割を食わせるのも癪って感じ。自分達の手で取り戻すのが理想のプランって手はずでしょう』

 

 しかし基地の人間の生死は問わないのだ。これでは奪還作戦の名を借りた、ただの殲滅戦である。

 

「モリビトを倒すのに都合のいい戦地、というわけだな。いざとなれば基地の人々は事前に死んでいた、という情報も作れる。そうなれば大義名分は出来たも同然。ブルブラッドキャリアという悪辣の輩から自国の領土を救い出す、というシナリオか」

 

『ひっどい。モモ達何もしていないのに』

 

『何もしていない、がもう通用しない、というわけね。わたくし達が何かしていようと、していまいと、連中には関係ないという事よ。《バーゴイル》部隊が攻め込んでくる。その時、どうするのか、鉄菜、桃、何が正しいのだと思う?』

 

 本国にさえも捨て駒にされた人々。モリビトを倒すために、彼らの生死は振り回される。生きていても死んでいる、という理屈が通るのだ。

 

 人が生きていくのに、国家の力には抗う事など出来ない。死人だと語らされれば、もう対抗さえも出来ない。

 

「……基地の者達に報せる」

 

『クロ? でもそんな事をして電報でも打たれれば……アヤ姉の写真でも隠し撮りされていれば』

 

「ブルブラッドキャリアに不利に働くだろうな。だが、分かっていても譲れない。私にはこれ以外にいい方法は思いつかない。問題なのは自ら顔を晒した彩芽・サギサカだが……」

 

 彼女の判断にかかっている。浮かべた逡巡を彩芽は振り払った。

 

『……その提案、呑みましょう、鉄菜』

 

『でも、うまくいかなかったら裏切られるだけだよ?』

 

『どうせ、彼らには他に生存の道はない。だったら、人の善性に身を任せるのも、一つの手ではある』

 

『もし……善性なんてなかったら? 国家のために命を張られたらアヤ姉だけの問題じゃない。ブルブラッドキャリア全体の指揮に……』

 

《ノエルカルテット》は三機の中でも調停の役割を帯びている。もしもの時の間違いを正すのは三号機だ。桃は判断を迫られている事に素直に焦っているのだろう。

 

『大丈夫。モリビト三機しか、この基地を守り通す事が出来ないと分かれば、彼らも信じてくれるはず』

 

「彩芽・サギサカ。あまりに危うい綱渡りだ。有事の際の動きを検討されたい」

 

『……それも分かっている。桃、情報が少しでも漏れたら』

 

『嫌な役回りね。モモの《ノエルカルテット》がこの基地を塵さえも残さずに撃滅させる。……分かってる、って言ってもやっぱりね』

 

 それぞれの承諾は取れた。後は覚悟するだけだ。

 

「彩芽・サギサカ。桃・リップバーン。最終確認だ。ゾル国掃討軍に対し、我々ブルブラッドキャリアは」

 

『ええ、徹底抗戦する』

 

『それしかないもん。モモだって、そんなの許せないよ』

 

 全員の意見は一致した。鉄菜は作戦概要を睨み返す。

 

「来るのならば来い。私達が――倒す」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯74 名はレギオン

 

 現実的ではない、と一蹴する。

 

 その言葉に将校は、おや、と思索顔を浮かべた。

 

「さしもの戦争屋でも、彼にはつけ込めないか?」

 

「違ぇよ、マヌケ。逆だ、逆。やりやすくって、不安になるほどなんだよ。てめぇら、何を吹き込みやがった? あんな純粋なヤツ見た事ねぇ」

 

 ガエルはホテルの一室でようやく堅苦しいスーツから解放され、将校に愚痴を垂れていた。

 

 今の今までゾル国の中枢と顔を突き合わせてきたのだ。さすがに消耗する。

 

「カイル・シーザーは適任だと思ったが」

 

 ソファに身体を預けたガエルは毒づいた。

 

「よくあんな傑物を見つけ出したな。権力だけ持っていて、後は隙だらけ。てめぇら都合のいい人間を造ってるんじゃねぇの? オレからしてみれば、もっと他人を疑えってアドバイスしたいくらいだ。叔父さんだってのを何の確証もなく信じ込む上に、オレの判断に迷いすら挟まねぇ。あんなもん、どうかしてる」

 

「どうかしている相手を手玉に取るのが君の役割のはずだが」

 

 この将校はどこまで分かっているのか、ガエルには依然として読めない。

 

「何を引き出したい? ゾル国のアキレス腱か? それとも、将来の立場かよ。どっちにしたって簡単だと思うぜ。あんなもんがゾル国のど真ん中だってのが笑えてくる」

 

「権力とは、案外に回す人間は頭が足りていないものだ。振り翳される人間からしてみれば、その猛威から逃れる手段で必死なのに、振るう側が何も考えていないなど歴史を紐解けばあり得る話だよ」

 

「何にも考えていないのなら、まだいいさ。ありゃ、何でも吹き込める。何色にでも染められる。……てめぇら何がしたい? あいつを悪にでも染める気か?」

 

「悪? それは可笑しな事を言う。君はこれから成るのだよ。正義の味方に」

 

「ああ、そうだった、そうだった。てめぇらにいいように扱われて、正義の味方ってヤツに成るはずだったな。んで? その現実的なプランはいつよ? 今のままじゃ、非現実を味わわされている気分だぜ? 真っ白なキャンバスの青年将校をどうにでも出来るポジション。おいしいっちゃおいしいな。だが、その旨みが今一つ発揮されない気がするのはオレの考え過ぎかねぇ? てめぇら、オレを張子の虎か何かだと勘違いしている風だ」

 

 手にしていたのは拳銃であった。将校をいつでも撃ち殺せる位置にいる。

 

 しかし将校は怯えるわけでもまして恐れる風でもない。その銃口の先を当然の帰結のように見据えている。

 

「……何か不満でも?」

 

「不満はねぇさ。驚くくらいにな。だが不満がねぇのがイコール満足かと言われればそうじゃねぇだろ?」

 

「怖い、のかな?」

 

「ああ。ビビリだからよ。怖ぇもんは怖ぇんだよ。眉一つ動かさずに人を殺せるのはお互い様だが、てめぇのはどうかしているレベルだ。大国の中枢に血なまぐさい戦争屋一人放り込むなんざ正気の沙汰じゃねぇぜ? 獣が勝手に動いたらどうするつもりだったんだよ」

 

「その時はその時だ、と応じるつもりであったが」

 

 予測通りなのが余計に癇に障る。ガエルは奥歯を噛み締めた。

 

「てめぇの人形遊びに付き合う気はねぇんだよ」

 

「それは変だな。君は《バーゴイルシザー》を手渡されて何も文句は言わなかった。その時の報酬もきっちり支払った。何一つ問題あるまい。君の行動は全て、適切だ」

 

 セーフティを解除する。ガエルの怒りの矛先はその部分でもあった。この男に支配されているというのが我慢ならないのだ。

 

「てめぇ、戦争屋は駄賃でどうにでもなるってママにでも教わったのか? 《バーゴイルシザー》はいい機体さ。馴染むからな。だがよ、てめぇのやり口がどうにもきな臭ぇ。何かいちもつ抱えてるって感じだ。それを話してもらえねぇと、オレは引き金を引くほうが随分と賢いと思えちまうんだよ」

 

 指をかける。脅しではない、という最後通告のつもりであったが、将校は一つ頷いたのみであった。

 

「なるほど。正しいな。搾取、だと考えているのか。分からなくもない。我々が君から一方的に搾取しているのだと感じるのは何も間違いではないが、その方向性が違うな。君に求めているのは堅実な仕事と、それに見合う対価だよ。我々は何も理想論者ではない。理想ならば誰でも掲げられる。その人間の境遇に関わりなく、だ。だが、理想論では世界を回せない」

 

「分かった風な口を利くじゃねぇの」

 

「分かった風な、ではない。分かっているのだよ。我々多数派はね」

 

「その多数派の名前も明かされないんじゃ、オレは捨て駒か?」

 

 突きつけた銃口にも臆する事もない。将校は納得したように鼻を鳴らした。

 

「そうか、言っていなかったな。我々の名前を。我々は多数であるがゆえに――その名前をレギオン。覚えておくといい。我々の組織の名前はレギオンだ」

 

「レギオン、ね。随分と年季の入った名前じゃねぇの」

 

 その返しに将校は笑みを浮かべる。

 

「君のそういう教養、嫌いではないよ。戦争屋にしておくのには勿体ないくらいだ」

 

「あんがとよ。ただまぁ、これからドタマ撃ち抜こうってヤツに褒められても、何も嬉しくねぇな」

 

「やはり、殺す気でいるのかね?」

 

「たりめぇだろ。このままてめぇのいいように扱われるとでも思ってんのか?」

 

「だがカイル・シーザーを動かすのに君以上の適任はいない」

 

「あんなもん、誰だって――」

 

「いや、戦争屋ガエル・ローレンツ。君だけだ。君しかあの人間を的確に動かすことは出来ないだろう。それは確定事項だ」

 

 異様なまでにハッキリと口にされるのでガエルは一瞬、狼狽したがすぐに持ち直す。

 

「……何だ、てめぇ。死ぬのが怖くねぇのか?」

 

「二度目の質問だな、それは。怖いとも。だが、こちらは君の依頼人。当然の事ながら、命令する義務がある。それを果たすのがこちらの役目だ」

 

「それ以外の人間の感情なんて、捨て切ったみたいな言い草だな」

 

「そうだな。捨てても何ら支障はないと、考えているよ」

 

 抑揚もなく話す将校にガエルは心底うんざりしていた。

 

「イカレが。てめぇら、マジにイカレだぜ。色んな戦場を転々としてきたが、自分以上のイカレに出会えるとはな。命あっての、ってのはマジな話みたいだ」

 

「ほう、殺すかね」

 

「殺したほうが得ならな。損なら殺さねぇよ? ただ、今までてめぇらの見えないシナリオに宙吊りにされるのも疲れてきたって話だ」

 

 今のままでは足取りも見えない。こんな道を辿らされて納得だけしろ、というのは無茶である。

 

 将校は一考した後、頷いていた。

 

「君の気持ちも分かる」

 

「分かるんなら、この先のシナリオくらい、提示してもらいたいもんだ。戦場には喜んで赴くぜ? ただ、前から撃たれるならまだしも、後ろから撃たれるかもしれねぇってのだけは勘弁願いたいな」

 

 ガエルの言い回しに将校は笑みを浮かべた。

 

「戦争屋らしい皮肉だ」

 

「あんがとよ。だが、ここでお別れなら礼も要らねぇよな? 手切りにするのなら早いほうがいい」

 

 それが今まで戦争を潜り抜けてきた人間の判断であった。将校は突きつけられた銃口に怯える事もなく応じる。

 

「確かに、前も後ろも見えぬ戦場に放り込まれるのは恐怖でしかないだろう。いいとも。君の意見を通そう」

 

「それはレギオンとやらの上に掛け合ってもらえると思っていいのかねぇ」

 

「いや、判断はこちらだ。ここで保留する。レギオンに、上も下もないのだからな」

 

 上も下もない組織など存在するものか。胡乱な眼差しを注ぎつつケッと毒づく。

 

「……信用ならない事ばっかり吹いていて、ホエヅラ掻くのはてめぇらだぜ。いくらなんでもゾル国の中枢連中を騙して何の代償も支払わずに帰ってこられると思っちゃいねぇ」

 

「慎重だな、君は」

 

「てめぇらが軽薄なステップでこっちに寄ってくるのが悪いんだよ、愚図が。いいか? 戦争屋には戦争屋としてのルールがある。それを守れないのなら契約関係はご破算でもいいんだぜ」

 

 ここに来て契約に亀裂を走らせる事は相手からしてみても都合が悪いはず。こちらが上に立てるか、とガエルが身構えたその時、将校は顎に手を添える。

 

「惜しいね」

 

「何がだ。ここで死ぬ自分が、か」

 

「いや、今の会話、君を叔父と慕ったカイル・シーザーに聞かせる事になるかもしれない事が、だよ」

 

 将校が握っていたのは端末である。キーが押された際、先ほどまでの会話が再生された。

 

 いつの間に、とガエルが色めき立つ前に将校が提案する。

 

「どうだろう? もう少しだけ、我々の指揮下で戦うつもりはないだろうか? ただで、とは言わない。しかしながらこれは最も生存率の高い交換条件だ。ゾル国の大衆の中で首を刎ねられるのは嫌だろう?」

 

 最初からその腹積もりか。ガエルは舌打ち混じりに銃口を上げた。

 

「どこまでも汚くなれるってわけかい」

 

「逆に考えるといい。汚い部分は我々が背負う。君は栄光のみを背負って立つんだ。正義の味方として」

 

「またそれかよ。てめぇらの言う正義の味方っての、あの純粋な坊ちゃんを騙してつけるポストの事だろ?」

 

 ガエルの推測に将校は微笑んだ。

 

「その程度で終わらせるつもりはないよ。君は将来的にはまさしく人類の希望として、正義を気取る事が出来るだろう。それを加味しての条件だ」

 

 どうにも胡散臭さからは逃れられないものの、相手からまだ自分を捨て駒として扱う気はないのが窺えた。

 

「……なるほどね。てめぇら、案外悪くねぇ道かもしれない」

 

「そうだろう。だから――」

 

「だが、それとこれとは話が別だよ、たわけ」

 

 引き金が絞られる。銃弾が壁に備え付けのテレビのモニターを撃ち抜いた。どうにも我慢ならなかったものもある。その憤懣をぶつけたつもりであったが、将校は冷静であった。

 

「銃弾一発くらいなら防音してくれる」

 

「親切設計で助かったな。跳弾していればもしかしたら、だったぜ?」

 

「生憎だが、それはあり得ない」

 

 ガエルは立ち上がっていた。この部屋で将校と話しているだけで胸がモヤモヤとする。その不満をここ以外で消費しなければ消せそうにもない。

 

「燻ってるんだ。歓楽街くらいは行かせてくれるよな?」

 

「ご自由に。金は我々持ちでいい。充分に楽しんできたまえ」

 

「……言われなくっても」

 

 何人か女を壊す事になるかもしれない。それでも金でどうにかなるというのならば、それに越した事はなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯75 剣と心

 

 桐哉は前回の起動実験を遂行出来なかった制裁を受けるのだと思っていた。

 

 捕虜という身分上、当然の事ではある。何もこなせない人間を置いておくほど軍部は暇ではないのだ。

 

 死人の証明に腕の一本くらいは落とされるか。

 

 そう思っていただけに眼前に展開された光景には息を呑んだ。

 

 視界一面には木目の道場が広がっている。

 

 磨き上げられた光沢ある床がこの場所が軍の基地である事を忘れさせる。

 

「連れてきましたよ、少佐」

 

 アイザワが声を投げた方向にはリックベイが鎮座していた。胴着に袖を通し、傍らには竹刀がある。

 

 何かの間違いではないのか、と桐哉は目をしばたたく。

 

「拘束を」

 

 リックベイの静かなる声にアイザワが桐哉の手錠を解く。何のつもりなのか、と窺う視線を向けているとリックベイが立ち上がった。

 

「ここは聖域。一礼しろ、アイザワ少尉。それに桐哉・クサカベ」

 

 アイザワが一礼し桐哉も当惑しながらも一礼した。リックベイが目線で桐哉を連れて来るように促す。

 

 桐哉はうろたえながらも自分への制裁を予感していた。

 

「《プライドトウジャ》を起動出来なかったからって、何をしようって言うんだ」

 

「刀はたしなむか?」

 

 全くの見当違いの返答に桐哉は面食らう。

 

「……何だって?」

 

「刀は、あるいは体術でもいい。何らかの武術はたしなんでいるか、と聞いている」

 

 相手の意図が読めない中、桐哉は応じていた。

 

「……マーシャルアーツを少し」

 

「結構。なれば打ち合いから始める。竹刀を彼に」

 

 アイザワが自分へと竹刀を手渡す。桐哉は受け取りつつも困惑していた。リックベイは何をさせようというのか。何も出来ない体たらくにこのような形で八つ当たりでもしようという心積もりなのだろうか。

 

「剣道の経験は」

 

「ない。でも人機同士の格闘戦なら、一通り」

 

「よし。打って来い」

 

 本気で言っているのだろうか。桐哉は竹刀を構え、リックベイへと打ち込んだ。狙いは胴である。横薙ぎの剣筋をしかし、リックベイは読み切って剣の腹でいなした。相手からしてみれば鍔迫り合いでもない。少し剣と剣が触れただけの戯れのようなものであった。

 

「この程度か?」

 

 どういうつもりなのか分からないが、リックベイは自分の力を試している。ならば、ここで全力を出して強みを示す事は何も不利益ではない。

 

 踏み込んだ桐哉にリックベイは摺り足で下がり突きを避ける。今度は満身を使っての面であったが、リックベイには読むまでもないのか、それも足払いだけで回避された。

 

 リックベイは打ってこない。桐哉は問い質していた。

 

「……そっちも、打ってきたらどうなんだ」

 

「最初の太刀は譲ってやるつもりだ。わたしへと当てに来い」

 

 ふざけているのか、と桐哉は怒りに握った手を震わせる。

 

 吼え立てた面と胴を矢継ぎ早に放つもリックベイは適切な間合いを読んで当てさせてくれない。

 

 桐哉にとってしてみれば一刻も早く基地に向かわなければならないのだ。それを邪魔立てする時間稼ぎか、と握った手に力を込めた。

 

 呼気を詰めてリックベイへと下段からの切り上げを払う。リックベイは正眼で受け止め、返す刀で桐哉の肩口を叩いた。

 

 痛みに桐哉が呻く中、リックベイは言いやる。

 

「《プライドトウジャ》の起動に足りないのは、覚悟と見受けた」

 

 ――覚悟。その言葉に身が固まる。

 

「俺の、覚悟が足りないって……」

 

「そうでなければ全ての数値の説明がつかないのだ。君を脅して起動を急がせてもよかったが、そちらはわたしらしくないと、そこの部下がね」

 

 目線でアイザワを示す。リックベイは静かな論調で桐哉に語りかけていた。

 

「わたしらしい方法など多くは思い浮かばないがこれくらいしかない。わたしは武術をたしなんでいる。その中でも特に剣術には心得があってね。それを応用したのが、人機による白兵戦術。呼称を零式抜刀術という」

 

 その名前はゾル国にいた頃から耳馴染みのあった言葉だ。リックベイが――銀狼が使う格闘戦術。

 

 対人機において格闘戦など一番に避けるものだが、リックベイはその道を極め、格闘戦においては無双を誇るのだという。

 

 その基礎となるのが零式。

 

 話にのみの噂かとも思っていたがまさか本人まで武術の心得があるとは思っていなかった。

 

「だからって……実際に剣で打ち合っても何が」

 

「剣には心が映る。特に、剣客たるもの相手の構えを見れば、それのみで敵の心をも知れるというもの。桐哉・クサカベ。君は恐れと焦りの中にいる。基地を守らなければ、という焦燥。だがモリビトに勝利など出来るのか、という恐怖。あの太刀筋に畏怖を抱いている。青いモリビトはわたしも打ち合った。しかしながら結果は見ての通り」

 

 リックベイは生き残り、自分は死者になっても敵わなかった。その現実に桐哉は歯噛みする。

 

「だからって……剣なんて学んでいる場合じゃ」

 

「逆だ。今だからこそ、剣を学べ。そして己の中にある刀を研ぎ澄ますのだ」

 

「……詭弁を」

 

 立ち上がりつつ、桐哉はリックベイの構えを注視する。

 

 どこからもつけ入る隙のない構えであった。それ自体は正眼に違いないのに、どこから打ち込んでも勝てるビジョンがない。

 

 その現実によろめきさえも覚える。

 

「少佐、おれはどうすれば?」

 

「書類仕事を一任する。今は、彼と打ち合うほうが適格だと、上官には説明しておいた」

 

「了解でーす。にしてもおれ、生まれて初めて書類のほうがマシだと思えていますよ。少佐の零式とぶつかり合うなんて自分は御免ですからね」

 

 リックベイが僅かに口元を綻ばせる。その隙に、と桐哉は打ち込もうとして、リックベイの剣に遮られた。

 

 見えていた、のではない。事実、今リックベイの注意はアイザワに注がれていた。その中で自分の太刀筋を関知したのだ。

 

 桐哉はリックベイを覆うように関知網の糸がこの道場に張り巡らされているのを想像する。

 

 そのどこかに触れる事でリックベイは半自動的に反撃するのだ。

 

「剣道としてはなってはいないが、戦士としては上策だ。相手の隙に付け入るのは」

 

「でも、そちらに隙なんてなかった」

 

「なに、我慢勝負をするわけでもない。わたしにも隙くらいは出来るさ」

 

 否、断じて否である。

 

 リックベイにはこの道場にいる限り勝てないような気がしていた。

 

 それはこの数分間で感じ取った流れでもある。道場内にはリックベイが沁み込ませた戦いの名残のようなものがある。その名残が彼を無敵にしているのだ。リックベイはその名残を戦場に持ち込める。

 

 だからこそ強い。

 

 己のホームではない場所で自分の力をほとんど百パーセント発揮させるのにその名残を利用している。

 

 比して自分にはない感覚であった。

 

 スカーレット隊にいた時にも、ましてや辺境基地の守りについていた時にも。リックベイのような武人の感覚を持ち合わせてはいない。

 

「……だから、あなたは強いんですか」

 

 不意に出た言葉をリックベイは即座に理解する。

 

「これが強い、と一概には言えないがわたしはこの感覚を大事にしている」

 

「俺に、それを掴ませようと?」

 

「掴めれば君は変わるだろう。それこそ、《プライドトウジャ》などのハイアルファーに呑まれるような惰弱な精神ではなくなる」

 

 それを構築するための剣道という事か。

 

 桐哉はここで勝つしか、リックベイを納得させる方法がない事を知った。

 

 自分が守るべき人々を守るためには小さな障害くらいは飛び越えなくてはならない。それがたとえC連合のエースであっても。

 

「俺は、超えます」

 

「心意気はよし。では、打って来い」

 

 腹腔に力を込め、桐哉は剣を振りかぶった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯76 離別

 

 屋敷を訪問したのはあまりに意外な人物で燐華は困惑してしまう。

 

 あの日以来、学園は閉鎖されコミューンそのものに復旧措置が取られていた。だから出歩くのも許可証が要るはずだ。

 

 ヒイラギは応接室で許可証を見せてはにかんだ。

 

「出歩くのに大層な事だったよ」

 

 燐華はどう返せばいいのかも分からない。笑えばいいのか、それとも。

 

 紅茶が運ばれてきて芳しい香りが漂う中、ヒイラギは出し抜けに口にしていた。

 

「外はブルブラッド大気汚染濃度も基準値レベルにまで下がっている。学園はまだ閉校措置を取っているもののもう問題ないと判断している。……だけれど僕には納得がいかなくってね」

 

「納得、ですか……」

 

「鉄菜・ノヴァリス。集合墓地に名前が刻まれるそうだ」

 

 聞きたくなかった。しかしそうであろうとは予測していた。

 

「鉄菜は……あたしなんかを助けようとして」

 

「誰も責めちゃいない。ただ……一度お別れをしてみないか、と言いに来た」

 

「残酷な事を言うんですね、先生は」

 

「残酷じゃない。死者との別れはきっちり果たすべきだ。そうでなければ人は前に進めない」

 

「それも、残酷ですよ。少なくともあたしには……」

 

 誰かの死を受け入れられる気がしなかった。ヒイラギは構わず続ける。

 

「断っておくと遺体は発見されていない。手違い、の可能性もあるが、君のために行くべきだと思っている」

 

「あたしのためって何です?」

 

「……人が大勢死んだ。その中には見知っている人間もいるはずだ。クサカベさん、僕は、君に前に進んで欲しいんだ」

 

 前などぼやけて見えなくなってしまっている。それを分かっていて言っているのだろうか。

 

「あたし、前も後ろも、よく分かんなくなりました」

 

「だろうね。僕だって、あの事件で数人の知り合いを亡くした」

 

 あっ、と覚えず声が漏れる。そうか。自分だけが地獄の片隅にいるような気がしていたが、このコミューンに住む人間はみんななのだ。

 

 みんな、自分にとっての大切な人を失っている。

 

「でも、行ったら本当に鉄菜とお別れしなくっちゃいけない」

 

 それが耐えられない、というわがままにヒイラギは首を横に振る。

 

「僕も、鉄菜・ノヴァリス。彼女との別れは耐えられない。でも、耐えられなくても人間が必要なのは別れと痛みを胸に刻む事だ。これは教職とか関係なく、年長者だからこそ、言っている」

 

「先生も……お友達と別れた事が」

 

 自分のほうが残酷なことを聞いているかもしれない。それでも聞かずにはいられなかった。

 

 ヒイラギは首肯する。

 

「ああ、何度も、ね。その度に挫けそうになった」

 

 だが立ち上がってきたのだろう。そうでなければヒイラギが自分を諭す事などないはずだ。

 

「それでも立ち上がって、明日には何の問題もなく仕事に行く事が、偉い事ですか? それでも毎日を過ごすのが、そんなに当たり前ですか?」

 

 ずるい質問だ。それでも問うていた。自分の気持ちに決着はつけたくない。ただ他人はどうなのか知りたい。

 

 何て卑しく、何て醜い。

 

 誰かの気持ちにはずけずけと分け入るくせに、自分には入って欲しくないなんて。

 

「いや、当たり前じゃないよ。一つの別れで人間は壊れてしまう事もある。僕も何回か壊れた」

 

 意外な返答に燐華は閉口していた。ヒイラギはどこか自嘲気味に口にする。

 

「ただ、壊れた自分を修理するのもまた、自分しかいないんだって事を長い年月をかけて理解した。その人を失った時、自分にはもう背負うべき理想も、成すべき義務も消えたのだと思ってしまったほどに……大きな断絶だった」

 

「大切な人だったんですね」

 

 ヒイラギは目を瞑り、その時の事を回顧しているようであった。

 

「ああ、大切な……友人であった。だが、彼は、言っていたよ。成すべき事を成した時、人は時間さえも超えられるのだと。有限の命のようで、それらは繋がっているんだ。誰かの影響を及ぼさない人間なんていないんだよ。彼の命は僕の命となって、繋がり続けている。それが、別れというものの、意義なんだ」

 

 別れるのもまた人間の必然性のような言い草であった。実際、ヒイラギの言っている事は合っているのだろう。

 

 だが自分のような子供にはそれを実行出来そうになかった。

 

「鉄菜と、お別れしたくない……」

 

「その気持ちに決着をつけるために、もう一度彼女と会うんだ。そう思えばいい」

 

 ヒイラギの言葉に燐華は頷いていた。

 

 お別れするために再会する。妙な話であったが、それしか進む道はない。

 

 屋敷の者達に言付けて燐華は自家用車を配置させた。後部座席に収まったヒイラギは言葉少なであったが、そこいらで催されている追悼式を目にしていた。

 

「あれも、同じような事だろうね」

 

 誰も彼も、大切な人との別れを済ませようとしている。燐華は拳をぎゅっと握り締めた。

 

 どうして、自分は大切なものを失い続けるのだろう。

 

 誉れであった兄の名前を失い、無二の友人も失い、もう生きる意義さえも失いかけていた。

 

 ヒイラギがいなければ自殺していてもおかしくはなかった。

 

 それほどまでに、苦痛に塗れていたのだ。

 

 この現実で生きていく事に。こんな世界で生き続ける事に。

 

「ここだ」

 

 集合墓地と言っても素っ気ない。墓標に名前が書かれているだけだ。花が手向けられており、燐華は墓標に刻まれた鉄菜の名前をそっとさすった。

 

 ――この名前を見るまではまだ生きているかもしれないとどこかで思っていた。

 

 そんな甘えた気持ちに決着がつけられてしまった。もう鉄菜はいないのだ。その現実を受け容れようとして、涙が頬を伝った。咽び泣き、燐華は墓標の前で項垂れる。

 

「鉄菜ぁっ……あたし、鉄菜がいないと駄目だよ。だって、もう会えないなんて」

 

 その時、胸元の辺りで熱を感じた。ずっと抱き締めていた鉄菜から受け取った鉄片が淡い光を宿しているのだ。

 

 蛍火のような輝きは鉄菜の魂の言葉のように思われた。

 

 自分がいなくなっても、いつでも見守っている、と。

 

 燐華は鉄片を抱き寄せる。この小さな熱にすがっていくしか、もう自分にはないのだ。

 

 ぱたた、と小雨が降り出していた。コミューンの天候は雨を示していた。

 

 傘を差し出したヒイラギに燐華は拒んでいた。

 

 今は雨に濡れてもいい。この涙を洗い流してくれるのならば。こんな醜い感情を、綺麗にしてくれるのならば。

 

 墓標と向かい合う。燐華ははっきりとした口調で言いやっていた。

 

「鉄菜……バイバイ」

 

 もう、会えない。二度とここに来る事もないだろう。自分は一つ前に進むために別れを呑まなければならなかった。

 

 まるで誰かが知ったかぶったかのようなこんな別れ文句しか言えないのが我ながら悔しい。

 

 それでも、親友のために言葉を捧げられるだけマシなのだろう。

 

 ヒイラギの傘に入って燐華は痛みを抱いた。

 

 この世界のどこかに間違いでもいい、もし鉄菜がまだ生きていてくれれば。そんな考えに浸ってしまう事を、少しだけ許して欲しかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯77 十字の赦し

 

 説得に最初から期待していたわけではない。

 

 桃にこの基地を焼き尽くさせてもいいとまで思っていた。だからこそ、彩芽は存外に速く、彼らが結論を下した事に驚いていた。

 

「シーア分隊長、その決定で……」

 

「ああ。もう我々には先などない。《プライドトウジャ》を隠し立てした時点で、国家反逆罪だ。わたしが否定したとしてもデータが残っている。それらを洗いざらい調べられてはどうにも言い訳は出来ない。もう、道は閉ざされている」

 

 項垂れたシーアに基地のスタッフが続けた。

 

「悔しいが、みんなそうなんだ。准尉を見送った時、覚悟はしていた。それが少しだけ長引いただけ感謝しないとな」

 

 ここにいる人々は全て、死人の覚悟を背負っている。生きているのにもうそれさえも許されないのだ。

 

「分かりました。でも諦めないでください。わたくし達は一秒でも長く、この基地を防衛します」

 

「いくらこの星に宣戦布告したモリビトとは言え、本国の《バーゴイル》部隊では分が悪いだろう。集団自決の権利を与えて欲しい」

 

 それは遺された最後の償いだろう。しかし彩芽は首を横に振った。

 

「いけません。諦めないでいただきたい」

 

「しかし、生き残ったところでどうせ……!」

 

 拳を握り締めたスタッフの気持ちは分かる。生き残ってもモリビトの証拠を吸い上げるために利用されるのみ。彼らに未来などないのだ。

 

 だが、彩芽はエゴでも、彼らに自分から諦めてしまう事だけはやめて欲しかった。まだ諦めるのには早いのだ。

 

「貴方達はわたくし達に基地を占拠された、被害者です。それを盾にすれば、ゾル国でも便宜くらいははかってもらえるでしょう」

 

「だがトウジャだけは隠せない」

 

「そのトウジャも、撃墜されたかもしれません。オラクル残党が乗り込み、勝手に出撃、撃墜されたという筋書きならば貴方達に害意はないはずです」

 

 それでもシーアだけはこの基地の責任者として結論を迫られるだろう。他のスタッフは助けられてもシーアだけは別であった。

 

 それを本人も分かっているのかスタッフ達に言葉を振り向ける。

 

「そう、だな。みんなにはその筋書き通りに動いてもらえれば、助かるかもしれない」

 

「分隊長……! しかし、それでは」

 

「わたしはいいんだ。もう大罪人だ。この先にはもう」

 

 濁した先に悔恨が滲み出ているのが窺えた。スタッフ達が席を外していく中、シーアは彩芽と向かい合う。

 

「……モリビトは敵だと、分かり合えない存在だと思い込んでいたのは我々の落ち度かもしれない。どうして、対話の道を探れないのだろう。どうして、敵対するしかないのだろうな」

 

「それは、人間の深くに刻まれた業なのでしょうね」

 

 彩芽はふと首から提げているロザリオを手に取っていた。

 

 ――信じるべき神様なんていないよ。

 

 脳裏に閃いたその言葉と笑顔に彩芽はぐっと目を瞑る。

 

「ブルブラッドキャリアでも、信仰は生きているのか」

 

 ロザリオを目に留めたシーアの質問に彩芽は応じていた。

 

「信じるべき神様なんていない、というのが彼女の口癖でした。それでも、神様も、信じる心も自分で描くのだ、って。あの時はその言葉の意味が一つも分からなかったけれど、今ならば少しは分かります」

 

「神はいない、か。リバウンドフィールドが天を覆い、青く汚染されたこの星など神は見離したのだろうな。全部、人類の作った功罪だ。それを今さら神に投げたところで、神も面倒を看切れないだろう」

 

「人は、人に似せてブリキの兵隊を作りました。その兵隊達で争い合い、炎の中で焼かれ続けている」

 

「人機の基礎設計理念に対する警鐘、か。古めかしい考えだ」

 

 人機を製造した際、いくつもの宗教から激しい弾圧を受けたのだと伝え聞く。

 

 しかしその信じるべき神を奪ったのもまた、人機という力であった。信仰を捨てざるを得なかった人々は鋼鉄の兵隊に天を覆われ、地に這い蹲ったのだ。

 

「人機は、強過ぎる力なのかもしれません。その力をどう扱うのかも、人次第」

 

「人の善性に全てを任せて時代を回せていたのは遠い過去の話だ。もう、この世界の人間には善も悪もないのかもしれない。だからこその君達か。惑星の外から舞い降りた、断罪の使者」

 

「そこまで傲慢に成り果てたつもりはありません。わたくし達もまた、煉獄の炎に焼かれる罪人には違いないのです」

 

 そう、どこまで行っても人は罪に囚われる。この世界のどこに追われても、辺境の果てまで逃れても、罪からは絶対に逃げられない。

 

 炎で裁き合うのは結局、同じ人間なのだ。

 

 この大地が罅割れても、天が逆巻き砕けたとしても。

 

 人は人同士で争いを続ける。それを醜いとも思わずに。

 

 そうやって喰い合いを続けるのが人間の運命ならば。自分達はその運命のたがを外すためにこの地に降りてきたのだろうか。

 

 分からずに彩芽は己の手にあるロザリオを眺めた。

 

 神を殺し貶める兵器を持っている人間が十字架に願うのは間違いだろう。それでも、人がそこまで邪悪に成り果てているとは思いたくなかった。

 

 シーアは静かに口にする。

 

「もし、本国が攻めてくれば、わたし一人の命で助けられるだろうか。皆を……」

 

「難しいでしょうね。モリビトに捕らわれたのは全員ですから全員が審問を受ける事になるかと」

 

「そう、か。そうだろうな」

 

 諦観を浮かばせたシーアに彩芽は言いやる。

 

「それでも、諦めないでください。わたくし達は、絶対に守り抜きます」

 

「守り抜く、か。皮肉なものだ。彼もそう言って旅立ってしまった」

 

「トウジャの、操主ですか」

 

「彼の居場所になるつもりだった。本国が爪弾きにした者達に居場所を与えるのがわたしの役目だと。戦死したと言うリゼルグやタイニーもそうだ。彼らは優れた操主でありながら本国の下では輝けなかった。そんな彼らに、生きていく意味を見出して欲しかったんだ。……だが、それもわたしのエゴか」

 

「人は、そうせざるを得ない状況に駆られた時、自分で判断し動くものです。誰のせいでもない。それは最終的に自分の自己判断なのです」

 

「そう思えれば、どれほど楽だろうか」

 

 シーアを残し彩芽は部屋を出ていた。外へと向かう途中で眼鏡の少女とかち合う。

 

 向こうはばつが割るそうでありながらもどこか、こちらへと言葉を投げる機会を窺っているようであった。

 

「貴女が、トウジャのシステムを構築したんですってね」

 

 シーアの証言からの情報に眼鏡の少女は困惑を浮かべる。

 

「あたし……最低ですよね。だって、准尉に死んで欲しくないのに、その手引きをしたようなもので」

 

「貴女は成すべき事をしたはず」

 

「そういう、大義名分に逃げたいだけなのかもしれません。あたし、とろいから……。だから准尉の気持ちを、最終的に踏み躙ったのかもしれない」

 

 この少女も罪に囚われているのか。彩芽は優しく諭していた。

 

「そんな事はないわ。誰かの気持ちを踏み躙るなんて」

 

「でもっ! 准尉は信じてくれていたんです! あたし達を守るって、守り通すって! そんな真っ直ぐな人を、殺したのはあたし……!」

 

 きっと自分では窺い知れないほどの闇を抱えていたのだろう。トウジャに関する情報の秘匿加減から鑑みて彼女もシーアと同等の罪に問われるかもしれない。

 

 彩芽は肩に手を置こうとして振り払われていた。

 

「近づかないでっ!」

 

 やはり彼らからしてみれば自分達は侵略者。どう足掻いてもその事実は消せないのだろう。

 

 ハッとした少女に彩芽は返答していた。

 

「……わたくし達の事を信じられないのは、よく分かる。でもそれで自分の行動まで信じられなくなるのは、悲しい。せめて自分だけは信じてあげて。その行動に準じた自分自身を」

 

 そうでなければ、後悔の中に一生囚われるだろう。

 

 ――自分と同じように。

 

 歩み出て《インペルベイン》を眺める。自分の力。モリビトという世界に布告する能力。

 

 たとえ咎を受けようとも、自分にはまだやるべき事がある。紺碧の中に沈んだ大地が、恐れの中に震えているのが伝わった。

 

 自分達がいる事で苦しむ命があるのならばすぐに退去するべきだろう。彩芽の耳朶を打ったのは桃の通信であった。

 

『アヤ姉。作戦開始時刻まで六時間を切ったわ。敵はもう陸地まで攻め入っている。《ノエルカルテット》はこれより広域警戒に入る』

 

「頼んだわよ、桃。鉄菜。貴女の役目は」

 

『今まで通り、だろう。《インペルベイン》が基地を守る代わりに、私が斬り込む。《バーゴイル》部隊に対しての牽制にはなるだろう』

 

「敵が射程を掴む前に、何とか削り切れればいいんだけれどね。ゾル国の大部隊よ。C連合のナナツー新型と同じく、脅威判定はかなり高いと思われるわ」

 

『了解した。《シルヴァリンク》は敵部隊にフルスペックモードで突入。出来るだけ敵のメインの足を削ぐ』

 

「頼んだわよ、鉄菜」

 

 その言葉の機微を感じ取ったのか、鉄菜が問い返す。

 

『彩芽・サギサカ。いつになく自信がないようだが』

 

「……ちょっと、ね。わたくし達は何のために降りてきたのか、ちょっとだけ分からなくなっちゃって」

 

『決まっているだろう。惑星への報復攻撃だ。それ以外にない』

 

 本当に心に迷いのない鉄菜が羨ましいほどだ。自分はそこまで使命に忠実にはなれない。

 

「そう、よね。わたくし達はこの世界に今一度、問い質すために……」

 

 そこから先はロザリオを握り締めた左手の熱が遮った。神を信じず、己だけを信じ抜く。貫ければどれほど楽だろう。

 

 現実には自分はどっちつかずだ。惑星を裁く側なのに、裁かれる側の気持ちも分かってしまう。

 

『彩芽・サギサカ。迷いがあるのならば吐き出しておけ。そのために三機いるのだろう? モリビトは』

 

 鉄菜らしからぬ発言であった。あるいは自分がそれほどまでに頼りなく見えたのだろうか。

 

「……大丈夫。今はまだ、弱音を吐いている場合じゃないもの」

 

『それならばいい。まだ戦える』

 

『クロ、敵部隊との会敵時間を合わせるわ。その時間内で敵の第一陣を防衛し切れなければモモ達の負けよ』

 

『負け、か。私の意見は変わっていない。基地を放棄し、破壊すれば何の問題もない』

 

『もう、クロったら。アヤ姉の身体を張った覚悟でも見習えば?』

 

『それも必要なかった。どうせ私達は殺すために送られてきた』

 

 鉄菜の意見ももっともだ。どうして自分は看過出来なかったのだろう。

 

 ――きっと、どちらの痛みも分かるからだろう。

 

 シーア達のような責任の追及のために存在する割を食う者達の気持ちも、どこかで理解出来てしまうのだ。

 

「……世界は、いつだって残酷ね」

 

 青く染まった風が吹き抜け、そう遠くない戦場の息吹に染まろうとしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯78 アルビノの嘘

「これが、叔父さんの《バーゴイル》ですか。立派ですね」

 

 カイルの機体と自分の《バーゴイルシザー》が並んでいるのは素直に言って奇妙であった。

 

 こちらは脱法の人機。比してカイルが搭乗するのは白い《バーゴイル》であった。式典仕様のものをそのまま持ってきたのか、と思ったが武装はしっかりと装備されている。

 

「これは式典用じゃなかったのか?」

 

「僕の専用機です。名前は《バーゴイルアルビノ》」

 

「アルビノ、ねぇ……」

 

 黒カラス達の中にあって唯一の白いカラスというわけか。ガエルは《バーゴイルアルビノ》の赤い眼窩を睨み据えた。

 

「叔父さんの、近接戦闘特化なんですね。僕のとお揃いだ」

 

《バーゴイルアルビノ》に装備されていたのは時代錯誤な大剣であった。式典仕様かと誤認したのはそれもある。

 

「取り回しが悪くないか?」

 

「大剣と言っても、実験段階のリバウンド兵装が仕込まれているんです。見かけは古いですが、中身は最新ですよ」

 

 そういうカラクリか。カイルの愛機は確かに古めかしく、どこか戦場には似合わないような気がしていた。

 

 戦地に赴けば、家族ごっこも出来なくなるかもしれないな、とガエルはふと思い浮かべる。

 

 敵の弾が当たりそうになれば一瞬の盾くらいにはなってくれるだろうか。

 

 そんな考えも露知らず、カイルは拳を握り締めていた。

 

「それにしたって、僕は許せない。基地を占拠するなんて、人ならざる者達は何を考えているんでしょう」

 

「人ならざる者達?」

 

「だって、モリビトは惑星外から来たんでしょう? 宇宙人ですよ」

 

 まさかブルブラッドキャリアをそう評している人間がいるとは思わなかった。いや、それが一般認識なのだろうか。その操主が女だとは言えないな、とガエルは感じていた。

 

「宇宙人、か。だがモリビトは現実的な脅威だ」

 

「非現実が現実に干渉なんてしないで欲しいです。連中、きっと足が八本生えた宇宙人に違いないんですから。成敗するべきその時に、叔父さんが近くにいてくれて心強いですよ」

 

 この青年はどこまで騙されれば気が済むのだろう。いっその事打ち明けるか、と考えたが、それはレギオンの総意からは離れているだろう。

 

 せいぜい、いい叔父を演じる事だ。裏切るのはいつでも出来る。カイルは装飾華美なパイロットスーツを身に纏っていた。黄金の操主服だ。

 

「それは、特注か?」

 

「ああ、これ。やめて欲しいって言っているんですけれど、家の名前の代表者だって、父上が」

 

 カイルの父親という事は政治家だろう。何度か耳にした事はあるかもしれないがそれは星の裏側で展開される政治である。当然の事ながら戦争屋には無関係であった。

 

 しかし今の自分はカイルの叔父。設定上はその父親の遠い血縁の人間なのだ。

 

「お父さんは、元気かな」

 

 その言葉にカイルは沈痛に顔を伏せた。

 

「父上は……病に侵されています。ブルブラッド汚染症候群です」

 

 ありふれた病であった。青く汚された大気は浄化されていると言っても人間の体内に色濃く残っている。そのブルブラッドが免疫細胞に反応して起こる病気であった。

 

 なかなか死にはしないが慢性的な微熱と感染症を患う。ゆえに寝たきりになる事が多い。

 

「それはその……すまない事を」

 

「いえ、叔父さんは悪くありませんから。悪いのはこんな風に星を汚してしまった、僕達みんななんでしょう」

 

 どうしてそこまで前向きになれるのか理解出来なかった。惑星を汚した自覚があるのならばブルブラッドキャリアに理解があるかと思いきや、相手はしっかりと敵だと思える。

 

 ガエルのような戦争屋には一生かかってもその精神を真似しようとは思わないだろう。

 

「ブルブラッド大気汚染の元凶は人機だ。どうしてカイルは軍人に? だってそんな事をしなくとも、安泰のルートはあったはずだろう」

 

 暗に自分のような闇とは会わずに済んだのに、と言ったつもりであったが、カイルは寂しげに微笑んだ。

 

「母が軍人だったのは……」

 

 無論、聞いていない。ガエルは、すまないね、と言い置いた。

 

「なにぶん、久しぶりなもので現状を把握し切れていない」

 

「いえ、それも分かります。叔父さんだって、急に僕みたいなのが甥っ子だって分かったところで困るでしょう。母の話を、してもいいでしょうか」

 

 戦場で一番に死ぬのは女の話をしている奴だ。そう警鐘を鳴らしてもよかったが、カイルの言う通りにさせてやろうと考えた。

 

「ああ、してもいい」

 

「母は、とても強い人でした。権力に屈せず、己の信念を貫き通す。そのために、父上との衝突も幾度となくあった……。母が別居を決めたのは、父上とのすれ違いもあったようです。何よりもまず、子宝に恵まれなかった母を父上は必要としていなかった」

 

 その言葉の帰結する先にガエルは目を振り向けていた。カイルは口元に自嘲を浮かべる。

 

「叔父さんなら、知っていると思いますが、僕は最初の母の子じゃないんです。最初の母は、僕を産まずに出て行った。だから母の所在を知ったのは、ほんの二、三年前。偶然に軍のシステムチェックを行っていた友人からの提言でした。お前の母親に会ってみないか、と」

 

「カイルの、母親は……」

 

「子宝に恵まれなかった、と先に言った通り、生みの親でも育ての親でもありません。書類上の、母親だというだけです。僕のお母さんは……結局誰なのか父上は一度も明かしてくれませんでしたから」

 

 ガエルはそのプロフィールを伏せていた将校に舌打ちする。それほどの重要な情報を掴ませておかないとは不利益になりかねないだろうに。

 

「すまなかった、辛い事を告白させて……」

 

「いえ、いいんです、むしろ叔父さんなら、聞いてくれそうな気がするから。父上には話していません。母と会った事を。その母がどのような人であったのかも」

 

「……詳しくは、こちらでも把握していない」

 

「僕の一存で止めましたから。母は、貧民街で暮らす一人の母親でした。まだ僕よりも小さい女の子と男の子の母親で、父上が継続して金銭を送っているはずですが、それでもつましい生活を続けていました。僕は、その時、士官学校に通っていましたから、面会と言っても形式上のもので。何よりも、父上の威光を汚してはいけないという名目上、母と会っても、それは密会のようなものでした」

 

「お母さんは、どのような?」

 

 カイルは首を横に振る。

 

「あなたの事はよく知っているけれど、多分私の子ではない、と。そこまで言われてしまえば、僕には立つ瀬なんてなかった。じゃあ僕は誰に産んでもらったのか、誰にこの世に生を受ける事を許されたのか、って……。分からなくなった時期もありました。その頃ですかね。進路を決めろと言われて、政治家方面からこちら側に転属希望を出したのは」

 

 軍人になる事を決意させたのはカイルの書類上の母親だったという事なのか。だがその母親にもカイルは拒否されていた。

 

「軍に、どうして?」

 

「父上と比べられたくないってのは、素直にありましたけれど、僕は守りたいと思ったんです。政治で守るのが父上の仕事なら、僕は剣を取ろうって。ペンを取った父上の事は尊敬しているけれど、でもあの人は大勢の人を幸せにした代わりに、一人の女性を幸せに出来なかった。誰しも、どこかで誰かを傷つけているのかもしれない。なら、僕は傷つけられてもいい。軍人として、誇り高くあろうとも」

 

 父親と同じ道を歩みたくない事以上に、母親のような人間をもう生み出したくない、という事だろうか。

 

 だとすれば酷く歪で、酷く傲慢だ。

 

 人間一人が変わったところで、世界を変える事は出来ない。それは真理以上に、この世での鉄則だ。

 

 人の善性が一つあったところで、では全ての人間の善を問い質す事は出来ない。

 

 悪が一つでもあれば全てが黒だと決め付けられないように、白い存在が一つあれば、では全て白だと言う事も出来ない。

 

 ――ああ、そのためのアルビノか。

 

 黒いカラスの中に一匹だけ混じった白カラス。そのような意味で取れば、白い《バーゴイル》は何の不可思議でもない。

 

 彼の精神が形になったのだ。

 

 同時に忌々しく感じる。

 

 一つが白ければ、世界を白く染め上げられると本気で信じているのか。馬鹿な。

 

 一つが黒ければ何もかもが黒く沈んでしまうのだと考えているのと同義だ。

 

 結局は、どこまでも自分勝手なのだ。自分の正義一つで、人を導けるのだと信じ込んでいる。

 

 正義一つ程度では救えるものなど塵芥にも存在しないというのに。この世が正義で満ちれば、人は幸せになれるのだと本当に思い込んでいる。どこまでもおめでたい人間だ。同時に、自分はこのような人間と戦うために生み出されたのだと思い知る。

 

 このような人間を殺し尽くすために、戦争屋は存在するのだ。

 

 白を白だろうと言い切りたいがために戦争は起きる。黒く染まればそれは黒だと言い切らせるために、戦争を起こす。

 

 いつだって諍いの種になるのはたった一つの齟齬なのだ。

 

 自分と相手は別のものを見ている、という些細な勘違い。

 

 あるいはそのように思い込み、仕向けられた人々の蠢動。

 

 馬鹿馬鹿しい。人が一方向を向けばそれが正義だと言うのか。他方を見ている相手は悪だと断じるのか。

 

「素晴らしいと思う。カイル。故郷で待っているのは、きっと君のような気高い精神を持つ人間を誇りに思う人民ばかりだ」

 

 ――嘘、欺瞞だ。今すぐにこの青年の額を貫きたい。

 

 貴様の信じているものは全て偽りと自分の身勝手な正義感に糊塗されたただの張りぼてだ。一番に傲慢で醜悪なのは貴様なのだ――。

 

 そう言い切れればどれほど楽だろうか。

 

 ガエルはこの時、一番に汚らわしいものを見つけた。だが、今はその対象と手を結ぶ。

 

 それこそが戦争屋、この世の掃除人に与えられた最悪の使命だからだ。

 

 差し出された手にカイルは頬を赤らめる。

 

「何だか照れるな……父上にも話した事もないのに叔父さんには何でも話せてしまう」

 

 ああ、貴様の笑顔を砕きたい。今すぐに、この場で地獄を味わわせてやりたいとも。

 

 だが、それは後回しだ。

 

 最後の最後でいい。絶望させるのにはまだ足りない。

 

 こんなところで死なせて堪るか。この戦場ではせいぜい英雄を気取ってもらおう。

 

 この世の正義を、その一身に浴びてもらおうではないか。その上で、本当に必要な時、最後の希望を見出した時に叩き落してやる。

 

 自分へと奈落の底から助けを求めた時に、その手を離してやろう。最後の役目は自分が任されようではないか。

 

 固く握手を交わしたガエルは偽りの笑みの中に、この世における最大の罪悪を見出していた。

 

 女を犯すよりももっと罪深く、人をいたぶり殺すよりも、さらにおぞましい。

 

 自分が正義だと疑わない、白だと思い込んでいる相手。それを潰した瞬間、戦争屋としての最大の義務が果たされる。

 

 彼を黒く染められれば何よりも恍惚が勝るだろう。

 

 きっと、自分はそのために送り込まれた。

 

「約束しよう。カイル。叔父さんは君だけの味方だ」

 

 ――そうだとも。正義の味方だ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯79 戦士の信念

「あいつ、よく乗せましたね」

 

 タカフミの放った感想にリックベイは書類を捲っていた。

 

「今さら、その話か」

 

「少佐、あの道場だとおっかないから、おれ喋れませんでしたよ」

 

 その判断は正しい。あの場では思った事を素直に言ってしまう。

 

「で? 君は桐哉・クサカベを《プライドトウジャ》に乗せた事には不満かね?」

 

「いえ、少佐の判断ですし、おれは間違いないと思っています」

 

 リックベイは目頭を揉み、では何だ、と問い返す。

 

「何か言いたげだな」

 

「何ていうのかな。まさかあいつもあいつで、耐えるとは思っていませんでしたから」

 

「急造とは言え、よく出来た男であった。仕上げには充分だとは思っていないが、彼もまた武人であった、という事であろう」

 

《プライドトウジャ》が発進してから二時間が経とうとしていた。恐らくはゾル国も動き出した事だろう。暗号通信による作戦開始が示唆され、リックベイはアリバイ作りのために部屋にこもって書類仕事をしていたのだ。

 

 前回動いた手前、今回も裏で手を回していた、という事実には結びつかないために、自分は狭い部屋で作業をする必要がある。

 

 そんな中、タカフミが訪ねてきたのである。用がないのならば帰れ、と言い出したかったが、桐哉の事を口にされれば答えざるを得ない。

 

「武人、ですか。《プライドトウジャ》には追加武装は」

 

「特に必要ないだろう。大破を装うためのリアクティブアーマーを装備させた以外にはな」

 

「やっぱり少佐は、あいつが帰ってくると思っているんすね」

 

 どこか達観したような言い草はこの青年らしくない。リックベイは書類から顔を上げてタカフミの目を見据える。

 

「……わたしが間違った事をしたかね?」

 

「いえ、その辺りはさすが少佐、だと思っていますよ」

 

「どこまでも……薄っぺらい言葉だ」

 

 吐き捨てたリックベイにタカフミは後頭部を掻く。

 

「意外、ではありました。少佐、あの道場にはおれだってまともに通さなかったから」

 

「必要に駆られたから通したまでだ。手順を無視して力を手にしてもらおうと思えば、一番にケリがつく」

 

「少佐の諦めも、ですか」

 

 どこか読まれているのが不服であった。平時ならば考えが明け透けの部下はこの時、自分のほうを読んでいた。

 

「何と言わせたい? 桐哉・クサカベは傑物であった、とも?」

 

「あるいは少佐はあいつに期待しているんですか、とでも」

 

 フッと笑みを浮かべたタカフミに、ここでは敵わないな、とリックベイは白旗を揚げた。

 

「そうだとも。期待、というよりも彼は何かを持っている。それこそ、我々の忘れてしまった何かを、な」

 

「それは兵士に必要なものなんですかねぇ」

 

「いや、きっと。一番に必要ないから切り捨てたものだろう」

 

 それを持ち続けている。理想論者、と言い換えてもよかったが、理想論で自分の太刀筋に追いついてきたのだから始末に負えない。

 

「……あいつ、勝ちますかねぇ」

 

「さぁな。勝てれば僥倖、負ければ……いや、これ以上はよそうか」

 

「どうしてです?」

 

「君に読まれるのは不本意で仕方がないからだよ」

 

 リックベイの本音にタカフミは微笑んだ。

 

「案外、少佐も子供っぽいっすねぇ」

 

「君にだけは言われたくないな。《プライドトウジャ》を回収する艦を用意させておく。彼が作戦通りにゾル国の包囲網を突破し、モリビトに肉薄出来たのならば、それでよし。それすらも出来ず、迎撃されれば当方は知らぬ存ぜぬを貫き通す。これで損害はない」

 

「あいつ、それも分かって飛んでいったんでしょうか」

 

 そこまで器用な人間とも思えなかったが、リックベイは己が胸中に彼の帰還を望んでいるのが窺えた。

 

 自分も人間臭いものだ。銀狼とおだてられているのが嘘のように。

 

「太刀は見事だった。それだけだ」

 

「決死の太刀でしょう? 人間、死ぬ気になれば出来るって話っすかねぇ」

 

 もう死人である桐哉からしてみれば冗談でもないだろう。リックベイは書類に視線を落とした。

 

「話はそれだけか? 持ち場に戻れ、アイザワ少尉」

 

「うっす。では持ち場に戻らせてもらいます」

 

 相変わらず他人のペースなどお構いなしだ。返礼して去っていくタカフミを見送り、リックベイは時計に視線をやった。

 

 作戦開始から二時間十五分。

 

「勝てよ、とは言うまい。ただ、貴様の意地を通せ、桐哉・クサカベ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯80 交差する焔

 《バーゴイル》第一小隊は上陸するなり飛翔形態に移行し、内地での攻撃に警戒を注いだ。とは言っても、それは表向きの話。攻撃があったとしても、対応策は限られている。

 

 モリビトへの対処は第二小隊以降に任せ、前衛はただひたすら消耗させよ、とのお達しだ。数合わせに近い《バーゴイル》の先行部隊は秘匿通信回線を使っていた。

 

『さしものモリビトでも、この物量差をどうにかしようとは思わないだろ』

 

『これで攻めてくれば稀代の大馬鹿か、あるいは後先も何も考えていないだけだな』

 

 通信の中で笑いが漏れ聞こえる。

 

『違いねぇ。俺の手に入れたソースでは、連中は仕掛けず、基地を放棄するって見通しらしい。《バーゴイル》が大挙として押し寄せた時にはもうもぬけの殻だって事さ』

 

『だとすれば、この第一隊の襲撃自体意味ないんじゃないか?』

 

 通信を伝わらせる不安の声に、いや、と一人が返した。

 

『モリビトは基地を放棄しない、という見方もある。その場合、モリビト三機を壊滅出来るのは物量差のみだ。《バーゴイル》三十機近くの編成。さしものモリビトでも耐え切れまいって寸法よ』

 

『物量戦なんて、最初からやってりゃいいのによ』

 

『コストの面で釣り合わなかったのと、モリビト三機が同時に居合わせるなんて事が今までなかったからな。一網打尽に出来る好機、逃すわけにはいかないってのが本国のお歴々の判断なんだとよ』

 

《バーゴイル》部隊が火器を速射モードに切り替え、基地を射程に入れる。

 

『そろそろ近づいてくるぞ。全機、火器管制システムをオープンに。プレスガンで基地を奪取する』

 

 了解の復誦が返る前に、一筋の烈風が《バーゴイル》を一機、射抜いた。

 

 何が起こったのか分からない前衛の人々は策敵センサーを走らせる。

 

 有視界戦闘を行っていた《バーゴイル》達が困惑を浮かべる。

 

『どこから仕掛けてきた? 銃撃か? それとも……』

 

 矢継ぎ早に照準警告が響き渡り、《バーゴイル》を弾き飛ばしたのはバルカン砲であった。装甲への牽制に過ぎないとプレスガンを向けたところで、扁平な刃が《バーゴイル》の頭部を掻っ切った。

 

 ブルブラッドの青い血潮が舞い散る中、撃墜された《バーゴイル》を足場に不可視の何かが空域を睨む。

 

『何かが……何かが我々の包囲陣の中にいる』

 

 明言化するものを持たないままでありながら、《バーゴイル》第一小隊は各々プレスガンの照準を敵へと据えようとする。

 

 ワイヤーを巻き上げて蹴りつけられた《バーゴイル》が投げ捨てられる。プレスガンが亡骸を射抜いた。

 

 爆発と血塊炉の青い粉塵を撒き散らす《バーゴイル》に一瞬だけレーザーが眩惑される。

 

 その刹那に太陽を背にして舞い降りた不明人機が《バーゴイル》の両腕を切り刻んでいた。

 

 宙に舞う両腕を視野に入れつつ後退の判断を下す前にその腹腔へと扁平な刃が叩き込まれる。

 

 内側からバルカン砲が発射され《バーゴイル》を破裂させた。

 

 激しく明滅する光の中でようやく第一小隊は敵の姿を確認する。

 

『光学迷彩……熱視界モードに移行! あの人機、有視界では視えないぞ!』

 

 全員が熱光学センサーに移行した途端、謎の人機は身に纏っている外套を翻した。

 

 乱反射する光の渦が熱光学センサーを焼き付ける。一時的にせよ、視界を奪われた《バーゴイル》へと飛びかかった不明人機が一機、また一機と《バーゴイル》を空中で叩き落していく。

 

 プレスガンが無茶苦茶に掃射される中、大剣が《バーゴイル》の胴を断ち割った。

 

 爆発の光を照り受けながら青いモリビトが跳躍する。

 

 推進剤をほとんど用いず、《バーゴイル》同士の接近を逆利用して自由自在の刃が空域を駆け抜ける。刃が次の標的に突き刺さった途端、その巻き上げ能力で即座に接近。

 

 突き上げられた大剣を前に成す術もなく《バーゴイル》は両断される。

 

 第一小隊の後方に位置していた《バーゴイル》乗り達は前衛が次々と撃墜されていく様に恐怖を覚えた。

 

 後退用の推進剤を全開にして射程から逃れようとする。しかし、撤退など許されるはずもなかった。

 

 コックピットに鳴り響くのは照準警告である。

 

 どこから、と首を巡らせる前に高出力のR兵装の光軸が《バーゴイル》数機を巻き添えにして空へと吸い込まれていった。

 

 青い大気を引き裂いたピンク色の光条は陸地から放たれている。R兵装から逃れようとした《バーゴイル》へとミサイルが一斉放射される。ミサイルの芯から無数の小型弾頭が発射され、灼熱の檻の中に《バーゴイル》を捕えた。

 

 その隙を見逃さず青いモリビトが射線に捉えた《バーゴイル》の背筋を突き刺す。刃がワイヤーで巻き上げられ、追従していた《バーゴイル》数機を薙ぎ払った。

 

 鋼鉄がぶつかり合い、スクラップになっていく《バーゴイル》を尻目に青いモリビトがデュアルアイセンサーを輝かせた。

 

 その途端、空域を張っていた人機操主達は全員が悟った。

 

 ――この人機からは逃れられない。

 

 ほとんど自暴自棄になった《バーゴイル》がプレスガンを撃ち込もうとする。青いモリビトが太刀で《バーゴイル》の腹腔を貫き、それを盾にしつつ烈風の刃が奔った。

 

 粉々に砕けた《バーゴイル》の向こう側から迫った刃が頭部コックピットを叩き潰していく。

 

 恐慌に駆られた者達が叫びながらモリビトへと猪突していく。

 

 最早、ここは阿鼻叫喚が支配する地獄であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「十機目」

 

 そう記憶している鉄菜は《シルヴァリンク》のRソードで《バーゴイル》を切り裂いた。

 

 第一小隊はほとんど全滅させた。飛翔能力を奪い、無用の長物と化した羽根を持て余す機体を《ノエルカルテット》のR兵装が焼き切っていく。

 

《シルヴァリンク》が再び光学迷彩の外套を身に纏い、第二陣に備えた。

 

『クロ、第一隊は今ので全滅したと思う。でも、本命は』

 

「分かっている。次か、その次だろうな」

 

 今のは斥候だ。基地戦力を奪うためだけの前哨戦。次か、その次が本隊であろう。

 

 鉄菜は操縦桿を握り締め、撃墜した《バーゴイル》の残骸へと刃を突き立てた。

 

 ブルブラッド大気濃度は高く、人機を無数破壊したせいで濃霧はより酷くなっている。この状態ではレーザー網はまるで意味を成さないはず。

 

 ゆえに、第二陣は慎重を期してくるはずだ。

 

 青い霧の中を《シルヴァリンク》が後退する。

 

 通常ならばこのまま攻め入るのだが今回は防衛任務。拠点防衛戦はあまり経験してないものの、敵を踏み入らせてはならない事だけは自明の理。

 

 鉄菜は全天候周モニターの一角に表示されるタイマーを見やっていた。このタイマーがゼロになるまで戦い抜かなくてはならない。

 

 敵の戦力は明らかにモリビトを物量で潰すためのもの。モリビト三機の連携もそこほどに密ではない今、《バーゴイル》部隊に攻め込まれれば呑まれる可能性もある。

 

『鉄菜、《シルヴァリンク》の損耗率は許容範囲マジ。このままなら、敵の第二陣が来てもそれほど痛くはないはずマジ』

 

「数値上では、か」

 

 数値の上での話など当てになるものか。ゾル国にもエースがいるはずだ。その機体とかち合えば防衛網を張り続けられる自信がない。

 

『クロ、問題なのはこの密集陣形を抜けられる事よ。《ノエルカルテット》は最大出力で相手を葬り去るけれど、それでも抜けてくる機体は数機あるはず』

 

「抜けてくる連中を始末する、か。彩芽・サギサカは?」

 

『アヤ姉は最終防衛ラインだからね。今は通信が途絶しているけれど、こちらの情報をきっちりと持っているはず』

 

 自分達が抜けられる事はあってはならない。あったとしても、その機体を無事で済ませられるものか。

 

 フルスペックモードを投入したのに《バーゴイル》程度に遅れを取るわけにはいかない。

 

「そういえば《ノエルカルテット》はフルスペックモードではないな。何か理由でも」

 

『三号機のフルスペックモードは特殊なのよ。あんまり地上だと意味ないって覚えてもらえればいいわ』

 

 宙域戦闘を加味した機体だと言うのか。確かにこの三機の中で単体の能力だけで成層圏を突破出来るのは《ノエルカルテット》のみだ。

 

 六基のコンテナのうちの二基。まだ中身を見ていないそれこそが、《ノエルカルテット》の第二形態なのだろう。

 

「敵陣、攻め込んでくる奴はなくなった。静かになったな」

 

『嵐の前の静けさかも。クロ、油断しないで』

 

「油断など一度もした事はない」

 

 青い大気に煙る視界の中、こちらの熱源センサーが第二陣を捉えた。

 

《ノエルカルテット》が翼を折り畳みR兵装の砲門を充填する。ピンク色の光の瀑布が敵の前衛部隊を押し包んだ。

 

 灼熱に抱かれて《バーゴイル》数機が迎撃される。そんな中、青い爆風を引き裂いて現れた機体があった。

 

 白い《バーゴイル》である。

 

 特異なのはその機体色だけではない。腰にマウントした状態の大剣であった。鞘に収まった前時代的な武装に目を瞠る前に、白い《バーゴイル》が剣を引き抜いた。

 

《シルヴァリンク》が咄嗟に前に出てRソードで打ち合う。こちらのRソードの出力に負けず劣らずの大剣に鉄菜は歯噛みする。

 

『貴様らが……こんなところにいるから!』

 

 弾けた歳若い青年の声に鉄菜は舌打ちする。機体照合が完了し敵機体を《バーゴイルアルビノ》と判定した。

 

 その操主までも特定される。ゾル国の希望の星、カイル・シーザーの経歴がモニターに表示される中、鉄菜はRソードを薙ぎ払った。

 

《バーゴイルアルビノ》が飛び退り大剣を構え直す。

 

『無用なる戦いを巻き起こす災厄の導き手。成敗してくれる!』

 

「無用なる戦い? それはお前達だって同じだろう」

 

『同じなものか! 貴様らと僕達が!』

 

 大剣を下段から突き上げた《バーゴイルアルビノ》に《シルヴァリンク》は跳躍し様に四基のRクナイを放つ。

 

 刃の暴風域に晒された《バーゴイルアルビノ》が左手首に組み込んだ近接戦用のフラッシュライトを焚いた。

 

 フラッシュライトの効果でRクナイが目標を仕留め損なう。一時的にロックオンを外す作用があるらしい。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》に外套を翻させた。こちらも眩惑させて一気に肉薄するつもりであったのだが、それを阻んだのは空から舞い降りた一陣の風である。

 

 蒼い疾風が《シルヴァリンク》のRソードを阻んだ。

 

『カイル! お前は本丸を! ここは任せなさい!』

 

『叔父さん! 分かりました。全機、僕に続け!』

 

 蒼い機体に鉄菜はハッとする。刃を退けさせ、お互いに距離を取った後、鉄菜は通信に吹き込んだ。

 

「お前……コミューンを襲ったあの……!」

 

『何だァ? あの時の女操主か。戦場で二度も会うとは、こりゃてめぇ、オレに相当抱かれたいと見えるぜ!』

 

 敵機体――《バーゴイルシザー》が両腕に鎌を装備させ《シルヴァリンク》を睨み据えた。

 

「いつから、ゾル国の軍人になった? お前はあの時、モリビトの機体信号を発していた。つまり、どこの国の機体であってもおかしいという事だ」

 

『んなこと気にしてんのかよ。楽しもうぜ? 戦場をよォ!』

 

《バーゴイルシザー》が鎌を掲げてこちらへと接近する。鉄菜はRソードでいなしつつRクナイの烈風で敵を切り裂かんとした。

 

 しかし、《バーゴイルシザー》はそれを読んでいるかのように後退し、両腕の鎌で幾何学の刃を弾き落とす。

 

『妙な装備してんじゃねぇの。一応は全包囲攻撃ってわけかい。そんでもって、その外套で敵をかく乱、一気に接近して八つ裂き、って寸法か。怖いねぇ、モリビトはよ』

 

「お前……何のつもりで。いつからカイル・シーザーの叔父になった?」

 

『てめぇには教えといてやるよ。オレはなぁ、何にでもなれるんだよ。何せ、正義の味方だからなァ!』

 

《バーゴイルシザー》の刃がRソードと打ち合う。干渉波のスパークが散る中、鉄菜は薙ぎ払おうとして敵機体が跳ね上がったのを目にした。

 

 すかさず背後へとRクナイを走らせるも、その時には間近に迫った鎌をRソードでいなす。程よい距離を取らせてくれない。

 

 敵は《シルヴァリンク》の一番やりにくい距離を常に取っている。

 

『こちとら慣れない演技でストレス溜まってんだ! 発散させてくれよなァ、モリビトォ!』

 

「私に、そんな時間はない!」

 

 鎌を弾き返し、勢いを殺さず敵の懐へと滑るように潜り込むも肩口から発射されたアンカーが《シルヴァリンク》に後退機動をかけさせた。

 

 お互いに近接戦闘型。どちらかの距離は死の射程である。

 

『クロ? 何手間取ってるの! 《ノエルカルテット》でも倒し切れない数になってきた。このままじゃ、何機か抜けられてしまう』

 

 今は因縁を清算している場合ではない。この場から撤退し、少しでも《バーゴイル》部隊を減らさなければ。

 

 跳躍しようとするのを《バーゴイルシザー》が邪魔する。

 

『何だか知らねぇが、てめぇ、オレの相手をしている場合でもないみたいだな。だがよ、てめぇの思い通りになるとでも、思ってんのか!』

 

 蹴り上げられた《シルヴァリンク》が激震する。鉄菜は歯噛みしてRクナイを機動させた。Rクナイの刀身に装備されたバルカン砲が火を噴く。

 

《バーゴイルシザー》を完全に射線に入れた攻撃であったが《バーゴイルシザー》は曲芸めいた動きでそれを回避し、大地を蹴ってRクナイを握り締めた。

 

「もらった!」

 

 ワイヤーを巻き上げて敵へと接近しようとする。《バーゴイルシザー》はRクナイを己の右肩に巻きつけた。そのような真似をすれば即座にこちらの間合いである。

 

 勝利を確信する鉄菜であったが、それほど容易い相手ではないのは前回で理解している。

 

 咄嗟に接近機動をかけた《シルヴァリンク》に制動をかけさせる。《バーゴイルシザー》は己の右肩を固定させ左手の鎌のみで《シルヴァリンク》の首を刈ろうとしてきた。

 

 その状況判断、即断即決の動き、どれを取ってもA級の操主だ。

 

 Rソードで受け止めるも自らのワイヤーによって《シルヴァリンク》はこの戦域から逃れる方法をみすみす放棄してしまった。

 

 通信網に愉悦が宿る。

 

『逃げられねぇよなぁ、モリビト。オレを殺すか、ワイヤーを切るか。だがこの武器、何回も直せないはずだよなぁ、てめぇら。さて、貴重な武器を壊すなんて愚策は冒さないでくれよ、モリビトさんよぉ』

 

 耳にこびりつく声音に鉄菜はRソードの出力を上げた。切れ味を増したRソードが鎌と干渉しその交錯した部位を切り裂こうとする。

 

 敵はそれを悟ったのか胸部に組み込まれている推進装置を全開にした。全天候種モニターにスラスターの光が焼きつく。

 

 光と衝撃の中、鉄菜はRソードを振り切った。

 

 敵の首を刈ったかに思われた一撃だが、切り裂いたのはパージされた右腕のみであった。

 

 背後からの接近警報が劈く。《シルヴァリンク》へと振り返らせた鉄菜は踏み込み様にRソードを突き上げる。

 

《バーゴイルシザー》の鎌と交差し、干渉波が巻き起こったのも一瞬。

 

 次の瞬間には《バーゴイルシザー》の鎌が根元から削ぎ落とされていた。

 

 返す刀を打ち込む前に《バーゴイルシザー》が翻り、射線から逃れていく。

 

『退き際は潔くってな! モリビト、また会えるのを楽しみにしてるぜ』

 

 両腕を失った形の《バーゴイルシザー》をこのまま逃がすわけにはいかなかった。前進しようとして桃の悲鳴が割って入る。

 

『クロ! そいつに構わないで! もう何機か抜けてしまっている! アヤ姉には連絡したけれど、《インペルベイン》でも間に合うかどうか……』

 

《ノエルカルテット》が光軸を放つも連射出来ないという欠点を抱えているR兵装では即座に訪れる《バーゴイル》の群れを散らすのは難しい。

 

 鉄菜は飛び上がって射線内にいる《バーゴイル》をRクナイの暴風域に落とし込んだ。

 

 三機ほどが撃墜されたもののそれでも敵は健在だ。ほとんどダメージにはなっていない。

 

 苦渋を噛み締めて鉄菜は敵の第三陣と向かい合っていた。既に第二陣で逃してしまった敵はどうしようもない。

 

 今は、少しでも敵を減らすまでだ。

 

「《モリビトシルヴァリンク》、《バーゴイル》部隊を迎撃する」

 

 緑色のデュアルアイセンサーが瞬き、Rソードを鉄菜は翳した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯81 殺戮、瞬光

 五機ほどが警戒網を抜けた、と桃から通信が入っていた。

 

 彩芽はコックピットの中で身じろぎする。

 

「……結局、わたくし達が戦わなければならないのね」

 

『彩芽、やりたくないのなら、もう基地なんて放棄すれば……』

 

 ルイの声音に彩芽は首を横に振る。

 

「いいえ、わたくしが諦めればきっと基地の人々も諦めてしまう。最後まで、諦めないでいたい」

 

 それがどれほどに傲慢であっても。世界から見捨てられた者達を自分達まで見捨ててはならないのだ。

 

『向こうは身勝手かもしれない。ゾル国の手が迫れば、彩芽の顔写真を公表するかも』

 

「だろしても、よ。それでもここで踏ん張るの。それがわたくし達に出来る精一杯の抵抗」

 

 操縦桿を握り締め、彩芽はぐっと息を詰めた。

 

 センサーの中に《バーゴイル》が二機、確認される。

 

 先行する《バーゴイル》へと攻撃対象を絞った。

 

「《モリビトインペルベイン》、彩芽・サギサカ。行くわよ」

 

 リバウンドブーツで地表を蹴りつけ彩芽の駆る《インペルベイン》が《バーゴイル》へと接近した。すぐさま両腕の武器腕が稼動し銃弾の雨嵐が《バーゴイル》を打ち据える。

 

 装甲に穴を開けた《バーゴイル》へと反転した武器腕がクローと化し、腹腔の血塊炉を融解させる。

 

 ぶくぶくと関節から青い血の泡を吹き出しつつ、《バーゴイル》が撃墜された。

 

 もう一機、と機体を走らせかけて彩芽は肌を粟立たせるプレッシャーに後退した。

 

 先ほどまで《インペルベイン》のいた空間を引き裂いたのは白い《バーゴイル》である。先行情報からそれがカイル・シーザーなる人物の操る《バーゴイルアルビノ》である事が確認される。

 

「《バーゴイルアルビノ》……ここまで来ていたってわけ」

 

『そこまでだ! モリビト、忌むべき世界の敵! 僕が成敗してくれる!』

 

「成敗? 悪いけれど、坊ちゃんの正義の味方ごっこに付き合う時間はないのよ」

 

 大剣を掲げた《バーゴイルアルビノ》が《インペルベイン》を両断しようとするも《インペルベイン》の張った弾幕を前に接近を躊躇わせた。

 

 腹腔の武装を解除し、《インペルベイン》の照準器が《バーゴイルアルビノ》を狙い澄ます。

 

「食らいなさい! アルベリッヒレイン!」

 

 肩口の連装ガトリング砲と両腕の銃撃、腹腔の火線が一挙に咲き《バーゴイルアルビノ》を捉える。

 

 確実に葬った、と認識した彩芽であったが、《バーゴイルアルビノ》を庇って先ほどの《バーゴイル》が前に出ていた。

 

《バーゴイル》の装甲が焼け爛れる。舌打ちしつつ《インペルベイン》に照準補正をかけさせようとして通信の中に怒りが滲んだ。

 

『よくも我が同胞を……許さんぞ! モリビト!』

 

「とんだとばっちりじゃない。貴方の同胞なんて知るわけないわ」

 

《インペルベイン》が銃撃を浴びせつつ《バーゴイルアルビノ》を引き剥がそうとする。しかし、敵人機は思っていたよりもずっとしつこい。追いすがってくる影に《インペルベイン》の肩口の連装砲が火を噴いた。

 

《バーゴイルアルビノ》がよろめく。溶断クローへと可変させ、その腹腔にある血塊炉を狙い澄ました。

 

「これで、墜ちろ!」

 

《バーゴイルアルビノ》を操る操主の熟練度は低い。押し切れる、と確信した彩芽は瞬間的に鳴り響いた照準警告にハッとした。

 

《バーゴイルアルビノ》と《インペルベイン》の間に降り立ったのは一本のパイルバンカーである。

 

 その一本がまるで全ての断絶のように二機の機動を阻害した。

 

『何奴?』

 

 カイルの逡巡に彩芽は警告の方向へと視線をやった。飛翔しているのは漆黒の人機であった。

 

 四つの赤い眼が頭部に位置し、戦場を俯瞰している。

 

 その姿は何度もデータでそらんじたあの機体そのものであった。

 

「《プライドトウジャ》……どうしてこの戦場に?」

 

 操主共々C連合に接収されたはず。この場にいる事自体が異様な機体に《バーゴイルアルビノ》の操主が異を唱えた。

 

『何だ、貴様は! 清廉なる戦いを邪魔するか!』

 

 大剣を携えた《バーゴイルアルビノ》に《プライドトウジャ》は一瞥を投げるのみであった。

 

 興味が失せたかのようにそちらから視線を外し、照準警告が《インペルベイン》に収まる彩芽を狙う。

 

 ――敵の狙いはモリビトだ。

 

 その事実が肌を刺すプレッシャーと相まって汗を滲ませる。

 

《プライドトウジャ》は一瞬だけ背面スラスターを緩ませた。

 

 ほんの刹那の出来事に過ぎない。

 

 その直後には《プライドトウジャ》の機体が瞬間移動したかのように眼前に存在していた。無論、瞬間移動などという非現実がまかり通るわけがない。

 

 ――これはファントムだ。

 

 ブルブラッドキャリアで唯一、ファントムを会得している彩芽だからこそ分かる。高速機動法を確立している敵相手に、中途半端な攻撃は逆効果。

 

 溶断クローへと変形させ、血塊炉を狙うも紙一重で避けられてしまう。

 

 連装ガトリング砲が火を噴くもほぼ無意味であった。それよりも《プライドトウジャ》の掲げた腕から発せられる必殺の間合いに彩芽はリバウンドブーツで地表を蹴りつける。

 

 パイルバンカーが弾き出され地面を抉った。

 

 もし命中していれば命はないだろう。辛うじて逸れたとしても血塊炉付近に当たればモリビトは使い物にならなくなる。

 

《プライドトウジャ》は外したパイルバンカーを引き抜き槍の穂のように構えた。

 

 彩芽は距離を取り全兵装の照準を《プライドトウジャ》に向ける。

 

「……一つ、聞いても」

 

 合成音声で通信をアクティブにする。《プライドトウジャ》の側からは何一つ音声はなかった。

 

「この基地を守るために、もう一度ここに舞い降りたというのか。貴方は……桐哉・クサカベか」

 

 その質問に《プライドトウジャ》は応じない。代わりのようにパイルバンカーの槍の穂が《インペルベイン》へと突き刺さりかけた。

 

 クローでいなしつつもう一方の腕から銃撃を見舞う。

 

《プライドトウジャ》は地表を蹴って跳躍し、軽業師のような動きで《インペルベイン》へと拳を叩きつけた。

 

 怒りが凝縮したような動きに彩芽は舌打ちする。

 

 即座に銃口が《プライドトウジャ》の頭を狙うもその時には後退している。

 

 鉄菜が脅威に上げるわけだ。隙がない。否、通常ならば生じる絶対的な隙を《プライドトウジャ》のシステムがゼロに等しくしている。

 

「これがハイアルファー人機……」

 

 しかし燃費消費は限りなく悪いはずだ。今の状態で長く戦えるわけがない。

 

《インペルベイン》と《プライドトウジャ》との戦闘に《バーゴイルアルビノ》を含むゾル国兵士は介入出来ないようであった。圧倒されているのだ。

 

《バーゴイルアルビノ》を操る操主は大剣の切っ先を《プライドトウジャ》に向けていた。

 

『き、貴様、味方なのか? それとも敵か? 答えろ!』

 

《プライドトウジャ》は応じない。《インペルベイン》へと視線を据え、四つの眼光がこちらを睨む。赤く憎悪に染まった眼差しに彩芽は緊張を走らせた。

 

「……何ていう、凄味」

 

 勝てるか、と胸中に問いかける。否、勝たなければならない。鉄菜達が精一杯本隊を留めていてくれるはずだ。ならば、自分も本気を出してでもこの人機を退けなくてはならない。

 

「……ルイ、《インペルベイン》第二の封印武装を解除する」

 

『彩芽? でもそれは、計画を歪める事に……』

 

「この機体をどうにか出来ないとどっちにせよ歪む。それに、今は気圧されている《バーゴイル》部隊もいつ正気に戻るか」

 

 基地の奪還が任務のはずだ。そのためにはモリビトさえ倒せればいい。《プライドトウジャ》にその気がないにせよ、同盟を組まれれば面倒であった。

 

『……分かった。《モリビトインペルベイン》サポートAI、ルイの名において実行する。封印武装解除コードを認証。解除キーを』

 

 彩芽はモニターに浮かぶ静脈認証に己の手を翳す。生態認証と脳波、心拍数がモニターされ正常な判断である事を断定させた。

 

「《モリビトインペルベイン》、封印武装解除」

 

《インペルベイン》の水色の眼窩が輝き羽根のような追加武装を展開した。

 

《プライドトウジャ》がスラスターを開いて肉薄する。その瞬間、《インペルベイン》の封印武装が解き放たれた。

 

「――リバウンドトリガーフィールド」

 

 周囲が円形のRフィールドに押し包まれる。訪れたのは静寂であった。虹の皮膜の中に隔離された《プライドトウジャ》が立ち止まる。

 

 無理もない。今の相手には――何も見えないし聞こえないはずだ。

 

「リバウンドトリガーフィールドは一時的に《インペルベイン》の副兵装であるRフィールド発生装置を完全解放する。その状態から放たれた鉄壁の防御で相手を圧倒し、こちらの銃撃を一方的に浴びせるのが本来のやり方なんだけれど、今は別の方法を取らせてもらった。これは、対モリビト戦を想定した運用方法」

 

 虹の檻に囚われたまま、《プライドトウジャ》がこちらを索敵しようとしているのが分かった。だが、見えない相手を掴む事など出来るわけがない。

 

「Rフィールドの中では発生源である《インペルベイン》のシグナルはほぼゼロに等しくなる。このRフィールドを発生させている間、わたくしと《インペルベイン》は逃げられない代わりに、鉄壁の防御と、そして無闇にこちらへと接近してくる相手に対して優位を取る事が出来る。こんな風に」

 

《インペルベイン》がリバウンドブーツでRフィールド内を駆け巡る。Rフィールドの皮膜を蹴りつけて体内の循環パイプに負荷を与えた。

 

「――ファントム」

 

 四方八方を己の領域に置いた上でのファントムは敵からしてみればどこから来るのか分からない攻撃網になる。

 

 溶断クローが《プライドトウジャ》の肩を引き裂いた。《プライドトウジャ》がおっとり刀でパイルバンカーを突き上げるがその時には背後に回っている。《プライドトウジャ》の操主はそれに気づけない。

 

「一方的になるかもしれないけれど、これも戦争なのよ」

 

 溶断クローが《プライドトウジャ》の片腕を焼き切った。即座に反転し攻撃された方向へと反撃する《プライドトウジャ》だが既にこちらが離脱しており、Rフィールドを足場に置いている事が見えていない。

 

 彩芽は直下に位置する《プライドトウジャ》を睨み据えた。全身の重火器のロックを開き第一の封印武装「アルベリッヒレイン」を叩き込もうとする。

 

《プライドトウジャ》の眼窩が煌き、直上の《インペルベイン》を視認する。あの人機には何かが潜んでいる。それが窺い知れたが、今は解析するほどの余裕もなし。

 

《インペルベイン》の銃弾の雨嵐が《プライドトウジャ》を打ちのめすかに思われたが、一瞬にして地表を抉り取ったその一撃は《プライドトウジャ》の予測外の動きによって回避された。

 

 まるで操主が乗っている事を度外視したかのような機動である。スラスターを全開にして青い推進剤の尾を引きつつ、《プライドトウジャ》が円弧を描く。

 

 何度も照準器に入れようとするが、あまりの速度に連装ガトリングでは追従出来ない。両腕の武器腕で対処しようとしたがそれにしては射程外だ。

 

 相手は射程を理解した上で一定距離を保っているというのか。

 

 だがそれほど冷静な頭があるとも思えない。モリビト相手にそこまで冷徹に判断出来るとなればここで生かしておくわけにはいかない。

 

 それこそ死に物狂いで殺し尽くさなければならない。

 

 彩芽は操縦桿を握り直し、己の中に問いかける声を聞いた。

 

 ――破滅への引き金を引く権利は君にある。引くか、引かないか。

 

 そうだ。いつだってこのモリビトの制御を任せられたのは自分自身なのだ。最終判断は操主に委ねられる。どれほどモリビトとブルブラッドキャリアの理想が気高くとも戦場においてはただの一個人。一つの弾丸に過ぎないのだ。

 

 ならば引き金を引き絞り、敵の頭蓋を叩き割るのもまた、己の意志。

 

 戦うと決めた自分への後悔のない一撃を。

 

 彩芽は面を上げた。その双眸に湛えたのはかつての光である。自分以外全てを殺し尽くさなければ生きる事さえも許されなかったあの時代の自分を研ぎ澄ます。

 

 不思議な事にまだ生きている。

 

 あの日、あの時、もう殺すと決めた自分の一面がまだ内奥に燻っていた。心の鏡でその似姿に手を翳す。軽いバトンタッチの音が響き、彩芽は直後、冷徹な自身へと己を変革していた。

 

「……《モリビトインペルベイン》。目標を駆逐する」

 

『彩芽……? マスター?』

 

 当惑したルイの声を尻目に彩芽は《インペルベイン》を急上昇させる。胃の腑へと鋭く落ちていく重圧を感じつつ彩芽は張られたリバウンドフィールドを足場に《プライドトウジャ》を睨んだ。

 

 その瞳は既に狩人のものへと変わっている。

 

《プライドトウジャ》が一瞬でも照準器に入ればいい。その瞬間には狩り尽している。

 

 跳ね上がった《インペルベイン》は交錯する一瞬で《プライドトウジャ》へと鉛弾を撃ち込んでいた。

 

 銃撃が瞬いたのもほんの数秒。

 

《プライドトウジャ》は肩口にダメージを負っている。彩芽は指先が過負荷で震えるのを感じつつ反転させていた。

 

《インペルベイン》がリバウンドブーツの作用で即座に翻り、次手を叩き込む。

 

 まさかこれほどの速度で反射攻撃が来るとは思っていないだろう。《インペルベイン》の銃撃は正確無比に同じ箇所を狙っていた。

 

 そこから先はチクチクと狙い付ければいい。

 

 彩芽は指先でリズムを描きつつ《インペルベイン》を躍り上がらせた。鼻歌が漏れる。戦場の歌だ。

 

 幼い頃に聞いた歌がそのまま戦場を彩る凱旋の歌となって《インペルベイン》の花道を作り上げた。

 

 彩芽の瞳の奥には全ての現象が視えている。

 

 次に《プライドトウジャ》は後退するだろう。それをさせない。

 

《インペルベイン》の銃撃網が《プライドトウジャ》の後退を許さない。たたらを踏んだ形の《プライドトウジャ》へと《インペルベイン》はわざと銃火器モードのままの腕で腹腔を殴りつける。

 

 今の一撃、溶断クローを使っていれば確実に取っていた。

 

 その恐怖は相手にも伝わったはずだ。《プライドトウジャ》の動きが慎重になる。それでいい。生易しい獲物なんて狩るまでもない。

 

 鼻歌を口ずさみ、彩芽は振り返り様の一射で《プライドトウジャ》の足を潰そうとする。

 

 足元に最初は狙いをつけなくっても構わない。どこを狙っているのか分からない銃弾を布石として置いておく。

 

 敵はそれに反応してどこへなりと移動する。その移動した場所に応じてパターンを変えればいいだけだ。

 

 彩芽は今回描いていたパターンのうち、二パターンの後者を選択する。

 

 狙うのは頭上である。頭部コックピットを狙っていると錯覚させる。そうすると相手はコックピットの守りに敏感になる。

 

 上半身に意識がいくと自然と足元が疎かになるものだ。《プライドトウジャ》は流れ通りに両腕を掲げる。構えたパイルバンカーの槍の穂はやはり上半身重視。攻め手に転じているつもりだろうが既に彩芽の手の内に転がっている。

 

 それを気づかず《プライドトウジャ》は果敢に攻め立てた。槍の突き上げる一撃が狙い通りの軌道に来ると彩芽は恍惚を感じる。

 

 相手をコントロールしているのだという快感。寸分の乱れもなく《プライドトウジャ》の攻撃は《インペルベイン》の推測通りの場所へと落ちていく。

 

 あと三発、と彩芽は唇を舐めた。

 

 三度の攻撃が加えられれば、その時、予測通りの位置にパイルバンカーがあれば、《プライドトウジャ》を葬り去る事が出来る。

 

 たった三発だ。

 

 敵はその方法論しか取れない。もう転がり始めているのだ。気づかないまま、こちらの領域の中で跳ね回っている。

 

 虫けらのように命のさじ加減は彩芽の意の赴くまま。

 

 どこから来ても、どのように来ても、もうそのルートに入ってしまえばお終いなのだ。

 

「やれやれ、ね。やっぱり、狩人の本懐ってのはつまらないもの」

 

『マスター? 返事をして! マスター!』

 

 ルイの言葉も今は耳に入らない。全てをシャットアウトしている自分は完成された精密機械のよう。

 

 シーアの言葉が思い起こされる。

 

 精密な戦闘機械。否、断じて否。そのような生易しい言葉で収斂されるものか。

 

 自分は殺戮兵器だ。それを理解している。誰よりも理解した上でモリビトに乗っているのだ。

 

 二発の攻撃が面白いほどに狙ったスポットに入った。あと一発、待てばいいだけ。

 

《プライドトウジャ》は狙い通り、こちらのコックピットを照準しているらしい。だが人機のコックピットのみを射抜くというのは予想以上に鍛錬が必要となる。

 

 狙うのならば定石は血塊炉だが、敵にその気はないのはここまでの何度かの攻撃で明らかであった。

 

 だからこそ、彩芽は先ほどから後退しかしていない。最低限度の回避と後退、その帰結する先は己で張ったリバウンドフィールドに行く手を阻まれるという醜態――という、シナリオであった。

 

 敵は描いている。そのシナリオの先に待つ勝利を。だが勝つのは自分だ。《インペルベイン》を物にしている自分こそが、破滅への引き金の射手なのだ。

 

 最後の突きに向けて《プライドトウジャ》が大きく腕を引いた。来るのが予想通りの場所ならば、この勝負――。

 

《プライドトウジャ》のパイルバンカーの槍の穂が捉えたのは《インペルベイン》の頭部コックピットであった。当然だ、相手はそこしか狙っていない。そこさえ狙えば終わると思い込んでいる。

 

 その驕りが、この結末を招いた。

 

 彩芽はフットペダルの力を緩め、操縦桿をわざとずらした。そうする事で機体にかかっていた一定の慣性に乱れが生じる。

 

 連装ガトリングへとパイルバンカーの一撃が入った。砲門が割れ、内部から亀裂と黒煙を棚引かせる。

 

 だが誘爆しなかった時点で自分の読み通りであった。

 

 パイルバンカーの一撃は想定する最良の位置に入った。あとは、刈り取るだけだ。

 

《インペルベイン》の武器腕の五指がパイルバンカーにかかり、そのまま反転した。溶断クローの内部部品がパイルバンカーを巻き取り、完全に固定する。

 

《プライドトウジャ》は事ここに至ってもまさか自分が冷静だとは思いもしないだろう。

 

 泣き叫ぶ演技でもしてやろうか、と思ったがそれも取り越し苦労だ。もうその必要もない。

 

 パイルバンカーが抜けない事に気づいた時には既に遅い。

 

《インペルベイン》の肩を突き抜けパイルバンカーの切っ先はリバウンドフィールドに突き刺さっている。

 

 これこそが勝利のビジョンであった。

 

 リバウンドフィールドの壁際に相手は追い詰めたと思い込んでいる。それこそが大きな間違い。

 

 リバウンドフィールドに追い込ませてやったのだ。そしてパイルバンカーは予測と寸分違わぬ場所に突き立った。

 

 破壊の実感を伴わせるためどこかしらを破損させる必要があったが連装ガトリングならば最低限度で済む。

 

 予測されたイレギュラーと言えば火薬へと引火し、誘爆にコックピットが晒される事であったがどうやらツイているのは自分のほうらしい。

 

 誘爆も発生せず、パイルバンカーは目論み通りに突き刺さった。最後の詰めへと溶断クローへと武器腕を変形させ、パイルバンカーをくわえ込む。これで敵はどこにも逃げられない。

 

 パイルバンカーを離す事がこの状況を脱する最短で、最も賢いのだがそれを許す相手ならばここまで攻め込んでも来ない。

 

 もう相手は詰んでいるのだ。ならば、詰めの一手を与えてやろう。

 

《インペルベイン》が《プライドトウジャ》の頭部を睨み据える。その奥に宿る彩芽も獣の眼光で《プライドトウジャ》を目にしていた。

 

《プライドトウジャ》が震え上がったのが確かに伝わる。

 

「さぁ、綺麗に散ってみせて」

 

 パイルバンカーを握っていないほうの武器腕が《プライドトウジャ》の腹腔を叩いた。

 

 直後、ゼロ距離射撃が《プライドトウジャ》を打ち据える。何度も、何度も、その鋼鉄の身が軋み悶えるまで撃ち尽くす。

 

《プライドトウジャ》の眼光から力が失せていく。四つ目の赤いアイカメラが急速に勢いを消失させた。

 

 血塊炉まではわざと射抜いていないが、それでも致命傷だ。

 

 青い血を噴き出しつつ、《プライドトウジャ》がパイルバンカーを握ったまま脱力する。完全に貧血状態である。

 

 元々ハイアルファー人機は短期決戦型。ゼロ距離で血塊炉を揺すぶられて余裕があるはずもない。

 

《プライドトウジャ》が両手でパイルバンカーを保持する。それも操主の意地がさせているだけの代物。

 

 もう人機自体には何の力もない。

 

「さよなら、わたくしの狩った何匹目か分からない標的。貴方の命はまだ長引いたほうよ」

 

 項垂れた形の頭部コックピットへと《インペルベイン》の銃口が押し当てられた。最後の最後に因縁とたばかった相手にここまでこっぴどくやられて死ぬ。それはどれほどに甘美な憎悪と怨嗟に塗れているだろう。

 

 考えるだけで達しそうになる。

 

 引き金を引こうと指先に力を込めた。

 

 その時、不意に鳴り響いたのは警笛である。どこから、と視線を巡らせた彩芽の視線の先に基地があった。

 

 基地の中から響き渡る悲鳴のような警笛は何の合図だったか、と彩芽は脳内に呼び戻そうとして一瞬の隙を許していた。

 

《プライドトウジャ》が《インペルベイン》を蹴りつける。

 

 おっとり刀で引き金を引くもやはり射抜けなかった。舌打ちを漏らしつつ《インペルベイン》はダメージを負った肩口の連装ガトリングを分離した。

 

 損耗率、と呼び出そうとして咽び泣く声を聞く。誰だ、と訝しげに目にした先にはルイが面を伏せて佇んでいた。

 

『もう、やめて……マスター』

 

 自分は何か間違った事をしただろうか。否、敵を葬るために最短手段を取ったまでだ。それに標的はまだ生きている。

 

「標的の生存を確認。《インペルベイン》は駆逐作戦を実行する。幸いにして機体の損耗率は二割以下。リバウンドフィールドはあと三十秒持つ。今度は逃がす必要はない。追われる獲物を演じる必要も。こちらから、狩りに行けば……」

 

『マスター!』

 

 煩わしいシステムだ。彩芽は緊急シャットダウンの項目を選択しようとしていた。

 

 システムAIのサポートなしでも自分は弾道回避くらいお手の物。封印武装が使えなくなるデメリットくらいは呑んでもいい。

 

 そう感じていた矢先、飛び込んできたのは青い装甲を纏った人機であった。機体照合データが呼び出したのは《ブルーロンド》であるが、それにしてはあまりにもその機体はおぼつかない機動を取っている。

 

 まるで無理やり外皮でも纏っているかのようであった。

 

「《ブルーロンド》の介入か。だがその程度」

 

 パイルバンカーをくわえ込んだ武器腕を大きく引いて彩芽は《ブルーロンド》をロックオンする。照準された《ブルーロンド》へとパイルバンカーが突き刺さった瞬間、その装甲が四散した。

 

 内部から蠢き出たのは信じられない機体である。灰色に染まった機体色ではあるが、その姿は紛れもない。

 

「トウジャ……?」

 

 鎧を脱ぎ去って出現した不明人機は眼前の《プライドトウジャ》と同型の機体であった。異なるのは明らかに装甲の容量が足りていない事だ。

 

 まるで骨身のように細い疾駆を持つ人機はその速度を伴わせて《インペルベイン》へと猪突する。

 

 所持している武装はトマホークであった。実体武装でまさか飛び込んでくるとは思ってもみない。《インペルベイン》の銃口がその腹腔を破ろうとしたところで敵人機はこちらを蹴りつけて離脱する。

 

 その速度、反射共に通常の人機では説明出来ない。

 

「ハイアルファー人機……しかもトウジャタイプが二機も」

 

 X字の眼窩で赤い光がぎらついている。新たに出現したトウジャに《インペルベイン》に攻撃姿勢を取らせようとしてリバウンドフィールドが消え失せていった。

 

 限界時間に達したのだ。歯噛みしつつ彩芽は弾幕を張って新たなトウジャを威嚇する。

 

 トウジャは《インペルベイン》の銃撃網を単純な速度のみで凌駕した。弾丸が読めているかのように幾何学の機動を描き、無理な反転軸を取ってトマホークの刃を《インペルベイン》へと叩き込む。

 

『モリビト……ここまでだ』

 

 弾けたのは少女の声であった。まさか、と彩芽は目を瞠る。あのような人間が乗っているのかも怪しいほどの機体に、少女が搭乗しているというのか。

 

 ハイアルファーの毒に侵されている機体がトマホークを連撃する。幾つもの太刀筋が《インペルベイン》を捉えようとした。

 

 銃撃と溶断クローで弾き返し、彩芽は距離を取ろうとする。後退をしかし敵トウジャは許さない。

 

 常に攻め続け一定距離へと《インペルベイン》を落とし込もうとする。

 

 執念のようなものが見て取れた。ここで絶対にモリビトを撃墜するという妄執。

 

《インペルベイン》は直下に向けて銃撃を放つ。咄嗟に装填したのは閃光弾であった。これで敵は幻惑されたはず。

 

 距離を取るのならば今だとリバウンドブーツで地表を蹴りつける。

 

 敵トウジャは目が見えないためか地に這いずっていた。四肢が細く、異常に長い。

 

 まるで餓鬼のようだ。トウジャタイプの特徴である凹凸のある頭蓋だけが妙に主張していて機体と釣り合っていなかった。

 

『モリビト……逃がさない。わたしは、枯葉達の分まで……! 倒す、殺し尽くさなければならない!』

 

 背筋から蜘蛛の足のように節足が伸びた。節足が繋ぎ止めたのは両手両脚である。補助パイプの役割を果たした節足から異常なほどのブルブラッドが供給されていく。

 

 有視界戦闘でも分かるほどの量であった。脈打った敵トウジャが四肢をばねにする。

 

 跳ね上がった挙動に《インペルベイン》は溶断クローでその一撃を弾く。

 

 どこまでも、執念の炎に焼かれたが如く、敵人機の追撃は止まない。

 

 トウジャのアイカメラが完全に憎悪の赤に沈んでいるのが窺えた。これがハイアルファーの力、これが恨みの力。

 

「でも、わたくしは、それを超える狩人」

 

 己を研ぎ澄まし彩芽は《インペルベイン》の残った連装ガトリングで牽制を一射させる。

 

 蹴り上げて距離を取ろうとした敵へとリバウンドブーツで空間を蹴り上げた。

 

「――ファントム」

 

 空中ファントムによって全身の機関循環炉が軋む。次の瞬間には敵の眼前に迫っていた。

 

 溶断クローで胴体を断ち割ろうとする。敵はあろう事か腕を引き延ばした。関節部が一瞬、読みとは違える動きを実行する。

 

 まるで二倍の長さに伸長したかのような錯覚を受ける腕がトマホークの挙動を変化させる。

 

 溶断クローとトマホークの刃が鍔迫り合い、干渉波のスパークが舞い散った。

 

「貴女、何のつもりで」

 

『何のつもり? それはこちらの台詞だ。何のつもりで、お前らは来た。何のつもりで、惑星へと牙を剥く? 何のつもりで、わたしの平穏を壊したって言うんだ!』

 

 トマホークの刃が先ほどまでよりも苛烈を極める。この操主、自分のエゴを押し通す事ばかりで周りはまるで見えていないようである。

 

 ようやく指揮を取り戻したゾル国《バーゴイル》部隊が基地を占拠しようとしていた。敵トウジャとの戦闘で頭が冷えたのか、周囲の出来事が急速に理解されていく。

 

《プライドトウジャ》はパイルバンカーを手に今にも倒れそうであった。

 

《バーゴイル》部隊が《バーゴイルアルビノ》を先頭にして基地の奪還に向かう。

 

「……いけない」

 

 リバウンドブーツで空間を蹴りつけ彩芽は回避機動を取った。トマホークが空を切る。

 

 今はこの敵を相手取っている暇はない。

 

 ファントムを用い、彩芽は瞬間的に基地へと戻っていく。

 

 だがそれでも間に合わない。基地の人々が屋上に寄り集まり、白旗を揚げていた。

 

 ――駄目だ、と彩芽は手を伸ばす。

 

 白旗などで今さらこの戦局は引き返せない。それは相手も理解しているはず。

 

 否、理解していても基地の人々は不都合な事実。消すしかないのだ。

 

 彩芽は《インペルベイン》の照準器で屋上の人々へと狙いをつけた。無慈悲だが仕方あるまい。

 

 モリビトの情報が露見してはならないのだ。

 

 引き金を絞ろうとしたその時である。

 

 射程に漆黒のトウジャが立ち塞がった。

 

「まさか……!」

 

《プライドトウジャ》が驚くべき事に未だ健在であった。関節部から青い血を噴き出しているものの、最後の力でファントムを実行したらしい。

 

《インペルベイン》の射線から《プライドトウジャ》は人々を守る。

 

 それが彼に残された最後の希望であったのだろう。

 

 彩芽が照準器を下げようとする。ここで葬るのはあまりに残酷であるのかもしれない。

 

 だが、別の照準警告がコックピットの中を激震した。

 

《バーゴイル》部隊がプレスガンを構え基地へと狙いをつけているのである。恐らくは《プライドトウジャ》への脅威を感じ取ったのであろうが、その射線には生身の人間がいるのだ。

 

「届け……!」

 

《インペルベイン》が《バーゴイル》へと狙いを変えようとした刹那、敵のトウジャが張り付いてきた。

 

 トマホークの一撃が食い込み、《インペルベイン》がもつれ込むように速度を落としていく。

 

「嘘でしょ、こんな……」

 

『モリビトォ!』

 

 彩芽は屋上で旗を振る人々を目にしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯82 羅刹の饗宴

 ようやくだ。ようやく辿り着けた。

 

 その感慨に桐哉は乾いた笑いを浮かべる。ここに来るまでに犠牲にしたもののあまりの多さに自嘲したのだ。

 

 自分はこんな最後の最後になるまで、本当に大切なものに気づけなかった。

 

 屋上で旗を振る一団の中にシーアとリーザを見つける。二人は分かったのだろうか。

 

《プライドトウジャ》を操っている自分に。伝わったはずだ。《プライドトウジャ》を操れるのはこの世界でただ一人なのだから。

 

 拡大されたリーザが泣きじゃくりそうになっていた。シーアも目を戦慄かせている。驚かないで欲しい、というのはどだい無理な話か。自分はもう死んでいるも同義なのだから。

 

 ステータスに警告が混じっている。全信号はレッドゾーンだ。血塊炉付近に多大なダメージを負っている。破損した装甲だけでも充分なほどに撤退警告が出ていたが、桐哉はそれらを全て無視した。

 

 この身が尽き果ててもいい。自分の命を吸い上げられても構わない。その覚悟が《プライドトウジャ》に最後の機動を与えた。

 

 ハイアルファー【ライフ・エラーズ】の効果か、身体は今までにないほどに好調である。昂った神経が守れるすぐ傍の距離にリーザがいる事を実感させた。

 

 ようやく、帰ってこられた。

 

 桐哉が手を伸ばそうとしたその時、照準警告が幾重にも鳴り響いた。

 

 どこから、と身構える。

 

 直上のモリビトが武器腕を突き出している。来るのならば来い、と《プライドトウジャ》にパイルバンカーを構えさせようとして現れたもう一機のトウジャがモリビトへと覆い被さった。

 

 そのままもつれるように二機は墜落していく。

 

 これでもう何の心配もない。基地は守られたのだ。自分の手によって、人々は安息を得たのだ。

 

 ようやく誇れる。守り人の名前を、誰かに誇って言う事が出来る。

 

 安堵に沈みかけた桐哉の意識を際立たせたのは再度の照準警告であった。またモリビトか、と構えた視線の先にいたのは他でもない。

 

 自国の機体であるはずの《バーゴイル》であった。

 

《バーゴイル》部隊がプレスガンをこちらに構えているのである。何をしているのか、と桐哉は通信をアクティブにした。

 

「何を……、何をしているんだ! この基地は味方のものだぞ!」

 

『ならば退くんだな、不明人機。ブルブラッドキャリアの新たな手先か』

 

 ブルブラッドキャリアの手先? どうしてそうなるのか一瞬脳裏で結びつかなかった。

 

 だがすぐに理解される。この機体は照合データにはない。どの国の機体でもないのだ。この世界においてどの国家のものでもない機体はブルブラッドキャリアのものと認定される。

 

「待ってくれ、これには理由が……」

 

『黙れ! 人々を人質に取り、基地を占拠せしめんとするその愚行、正してくれる! 《バーゴイル》部隊、プレスガン一斉射、用意』

 

 白い《バーゴイル》が手を掲げ、《バーゴイル》部隊に準備させる。桐哉は身も世もなく叫んでいた。

 

「俺はゾル国の桐哉・クサカベだ! この名前に聞き覚えがないわけがないだろう」

 

 自分の名前さえ出せば事態は収束するはず。そう思い込んでいた桐哉へと冷たい声が差し込まれた。

 

『……英雄の名を騙るか、貶めるなよ、モリビト! 発射!』

 

 白い《バーゴイル》の号令でプレスガンが発射される。桐哉は《プライドトウジャ》で守り通そうと彼らの前に立とうとした。

 

 その時、血塊炉の循環器が完全に機能不全を起こす。

 

 貧血状態だ。

 

 ハイアルファーの赤い光が急速に凪いでいく。まさか、こんなところで。

 

「動け! 動けよ、《プライドトウジャ》!」

 

 操縦桿を引いても《プライドトウジャ》は指一本を動かすのさえもギリギリであった。手を伸ばし、リーザを守ろうとする。

 

 リーザもこちらへと手を伸ばしたのが拡大された映像の中に捉えられた。

 

 直後、R兵装の加護を得た銃弾がリーザを、基地の人々を蒸発させる。

 

 この世にいた証明を一つも残さず、プレスガンの弾痕が基地の屋上へと刻み込まれた。

 

 白旗が翻り、硝煙の棚引く戦場で舞う。

 

 桐哉は言葉を失っていた。

 

 眼前で大切な人が死んだ。守り通す事も出来ずに。守ると、約束したのに。

 

 桐哉の思考は白熱化し、次の瞬間、小さな花びらのように散り落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 咆哮であった。

 

 通信網を震わせたその絶叫にカイルは肩をびくつかせる。《バーゴイル》部隊の弾道は予測通り基地の人々の命を奪い去った事だろう。

 

 仕方あるまい。あの基地の人々とてゾル国の人間だけであるとも限らないのだ。既にブルブラッドキャリアに洗脳されていた恐れもある。

 

 洗脳を解くよりも安らかな死を、とカイルはコックピットの中で十字を切ろうとして、《バーゴイル》部隊の悲鳴が劈いた。

 

『大尉! 敵人機が――!』

 

 激震が見舞う。《バーゴイルアルビノ》の機体が軋んだ。眼前に映り込んだのはX字の眼窩を赤くぎらつかせる獣であった。

 

 パイルバンカーを片手にこちらへと肉薄した不明人機にカイルは雄々しく斬り返す。

 

「貴様らブルブラッドキャリアの、好きにはさせん!」

 

 大剣の太刀筋が不明人機を断ち割ったかに思われたがその時には跳ね上がっていた不明人機の速度は明らかに現行の兵器とは異なっている。

 

 直上でこちらを睥睨する敵にカイルは呼吸を整えた。

 

「やはりブルブラッドキャリアの手先であったか。怪しい奴、そこに直れ! このカイル・シーザーが! 直々に成敗して――」

 

 剣を突き上げようとしてパイルバンカーが射出された。すぐ傍の地面を抉ったその衝撃波だけで《バーゴイルアルビノ》のコックピットが震える。

 

 だが、それだけでは済まない。

 

 敵人機は急速に接近し、蹴りを見舞ってきたのである。腹腔に受けた《バーゴイルアルビノ》がたたらを踏む。

 

 その身へとさらに一撃、今度はパイルバンカーによる薙ぎ払いであった。

 

 大剣で辛うじて受け止めたものの、どれも必殺の間合いである。

 

 この人機には人の心がないのか。操主共々、悪鬼羅刹の類なのか。

 

 カイルはその事実に奥歯を噛み締めた。

 

「貴様らのような悪辣な輩がいるから! 戦争が終わらないんだ!」

 

 大剣の太刀筋が敵へと叩き込まれようとする。しかし、後退した相手には届かない。

 

 カイルは果敢に攻め立てた。加速し敵の射程へと潜り込む。通常ならば下策であろうこの挙動はしかし、《バーゴイルアルビノ》のみ有効な策であった。

 

 左手首に装備したフラッシュライトを明滅させる。これで敵の視界は削いだ。さらにこのフラッシュライトにはロックオンの解除作用もある。照準を失った相手へとカイルは命じた。

 

「《バーゴイル》部隊、一斉掃射、準備」

 

 構えた《バーゴイル》部隊がプレスガンを不明人機に照準する。これで圧倒されるはずだ。カイルは手を振り下ろす。

 

「発射!」

 

 だが、発射されたはずのプレスガンは一つも命中しなかった。そればかりか、射線を潜り抜けた敵の人機は《バーゴイル》部隊のうち一機へといつの間にか至近距離まで近づいていたのである。

 

《バーゴイルアルビノ》の関知を完全に無視した形であった。

 

「何を……!」

 

 振り返った時にはパイルバンカーが《バーゴイル》の頭部へと突き刺さっていた。

 

 脱力した部下の機体へと他の機体が照準を合わせようとする。不明人機が片腕からパイルバンカーを射出する。

 

 もう一機が貫かれ、恐慌に駆られた残り二機がプレスガンを同時に発射する。

 

 交差した弾道を不明人機は飛び越えていた。

 

 瞬時に二機の間に割って入りその腕で《バーゴイル》の頭部を引っ掴む。万力のように食い込んだ腕と爪が《バーゴイル》の延髄を引き剥がしていた。

 

 スパークの火花が散り、青い血が滴る。

 

 まさか、とカイルは震撼する。

 

 数秒の間に、四機編成のうち、三機が完全に破壊された。残る一機は最後の足掻きのようにプレスガンを無茶苦茶に撃ち込むも、それらは全て虚しく空を穿つのみ。

 

 不明人機がまたしても空間を飛び越えたとしか思えない機動力で《バーゴイル》の射線へと入っていた。

 

 わざと《バーゴイル》のプレスガンの真ん前に現れたようである。

 

『来るな、来るなァッ!』

 

 プレスガンがその装甲を射抜く。それでも相手は止まらない。その腕がプレスガンの銃口を握りそのまま引き裂いた。

 

 銃身を失ったプレスガンは最早無用の長物だ。近接戦闘に切り替える、という頭を持つ前に敵人機が《バーゴイル》の首筋を掻っ切った。

 

 青い血が噴き出し、《バーゴイル》がよろめく。その腹腔へと敵のパイルバンカーが突き破った。

 

 血塊炉を沈黙させた《バーゴイル》の頭部を敵の人機は足蹴にする。

 

「やめろ……やめるんだ!」

 

 その声が響くのと敵がコックピットを踏み潰したのは同時。黒煙と青い血に塗れた《バーゴイル》を敵は見下ろしていた。

 

 カイルは残されたこの身一つで何秒稼げるのか、大剣を構えさせつつ試算する。

 

 どう足掻いても二分か、それ以下であろう。

 

 全身からどっと汗が噴き出した。今まで感じた事のない恐怖に足が竦む。

 

 敵の人機は観察すればするほどに満身創痍だ。血塊炉付近には穴が開いている上に、全身の関節部から青い血が噴き出ている。貧血か、それに近い状態であろう。

 

 だが、敵からは撤退の二文字がまるで浮かんでこない。

 

 腕をもいでも、足を千切ってもそれでも食らいついてくるビジョンが脳裏にちらちらと浮かんだ。

 

 敵は本気だ。本気で殺しにかかっている。

 

 幾度となく死線は潜り抜けたつもりであった。戦いにおける緊張も味わったはずだ。

 

 だが、カイルは眼前の敵が今までとは一線を画している事を認めざるを得ない。

 

 モリビトならばまだ分かっている。まだ前情報があった。この人機はしかし事前情報がまるでない新型。

 

《バーゴイルアルビノ》がどれほどに優秀な機体であろうともこの人機の前では歯が立たないのは明白。

 

「……いざ」

 

 尋常に、と摺り足で近づきかけて接近警告が耳を劈いた。

 

 もつれたように墜落したかに思われたモリビトともう一機の不明人機が急速にこちらへと接近してきたのだ。

 

 細身の人機には弾痕がいくつも穿たれており、青い血が全身から滴っている。モリビトはそれに比してほとんど無傷であった。

 

 モリビトの銃撃で不明人機が離脱する。その挙動の先が偶然にもこちらの戦闘の間合いであった。

 

 降り立ったのは四肢が異常に長い機体だ。

 

 細くしなやかな四肢で、まるで獣のように四つ足になってモリビトを睨み据える。

 

 背筋から循環パイプが伸びておりそれらが四肢へと過剰なほどのブルブラッドを供給しているのが見て取れた。

 

 四つ足の人機が視界の隅にこちらを捉える。

 

 敵からしてみればモリビト以外の全てが些事なのか、トマホークを握り締めたその機体は暴風を浴びせかけた。

 

 全身を回転させた一撃は強力であったが、同時にそれはカイルにある判断をさせるのには充分であった。

 

 後退用の推進剤を全開にしてカイルは戦場から撤退していく。

 

 敵の射程から完全に逃れてからカイルは自分が思っているよりもずっと憔悴しているのを感じた。

 

 あの人機の殺気に中てられたのだ。

 

 モリビトと二機の不明人機が争い合うあの場所は戦場などと形容するのは生ぬるい。

 

 まさしく地獄の様相であった。

 

 こちらの救助信号が届いたのか、《バーゴイル》数機がすぐさまカイルの機体へと取り付く。

 

「下へは降りるなよ……、あれは鬼共の饗宴だ。見るもおぞましい」

 

 完全に敵の射程から逃れたと確信するまでの数分間、カイルはずっと身体の震えが止まらなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯83 【ベイルハルコン】の果て

 ハイアルファー【ベイルハルコン】はもう限界に近い。

 

 システムがレッドゾーンに達していたが、それでも瑞葉は食らいついていた。灰色と緑のモリビトの銃撃とこちらのトマホークは相性が悪い。接近さえも許してくれないモリビトへと何度目か分からない猪突を見舞う。

 

「第二の関節」がフル稼働してモリビトへと攻撃を浴びせかけていた。長く伸長するこの装備のお陰で遥かに射程では勝っているはずだ。

 

 だというのにモリビトを狩れないのは自身の技量不足であった。

 

 精神点滴が成され、鎮静剤が投与される。今は、しかし一つでも昂らなければ。

 

【ベイルハルコン】の発動キーは怒りと憎悪だ。黒く濁ったその感情こそがハイアルファーを最大出力まで高める。

 

 赤く染まった視界の中、瑞葉は《ラーストウジャ》を走らせた。至近に迫ったモリビトが銃撃を見舞おうとする。その弾道を見切り、トマホークが肩口へと入ろうとした。

 

 だが、その一閃さえも読んでいるかのようにモリビトは後退し様に銃弾で粉塵の煙幕を張る。

 

「ちょこざいな! 煙幕ごとき!」

 

 引き裂いた先に佇んでいたのは照準を浴びせかけるモリビトの姿であった。瑞葉の《ラーストウジャ》へと全砲門が一斉に開く。

 

《ラーストウジャ》の装甲は弾丸一発でも通れば致命的。

 

 瑞葉はその瞬間、死を覚悟した。

 

 刹那、降り立った影が《ラーストウジャ》の前に張り付き、弾丸の雨を防御する。背面スラスターを全開にしたその機影に瑞葉は声を浴びせかけた。

 

「鴫葉……何をしている!」

 

『瑞葉小隊長、お下がりください。この機体には《ラーストウジャ》の強みが消されてしまいます』

 

「駄目だ……、最後の一滴になってでも……」

 

『《ラーストウジャ》は奥の手です。それを晒しただけでもこちらからしてみれば不利。どうかお退きください』

 

 鴫葉の落ち着き払った声に憤懣をぶつけかけて精神点滴が怒りの感情を凪いでいった。こちらも限界らしい。

 

 舌打ちし、《ラーストウジャ》を帰還軌道に入らせる。

 

 上空で待ち構えていた輸送機からガイドビーコンが発し、《ラーストウジャ》を収容した。

 

 援護射撃を数度交わし、鴫葉の《ブルーロンド》も上がってくる。

 

 どうやらモリビトは撒いたらしい。

 

 瑞葉はコックピットから投げ出されるなり、強烈な虚脱感に見舞われた。投薬の量がいつもより多かったらしい。指先が痙攣し、呼吸さえも儘ならなかった。

 

「至急、医療班へ」

 

 鴫葉の放った声に瑞葉は拳を握り締める。どうしてこの部下がまるで自分の事のように振る舞うのか理解出来ない。

 

 全ては自分の因縁なのだ。枯葉達の犠牲を無駄にしないためにも自分がこの国家を転覆させ、全てを破壊しなければならないのに。

 

 他人など当てに出来ないというのに。

 

 鴫葉はベッドに縛り付けられた瑞葉を読めない視線で見つめ返してくる。

 

 その灰色の瞳の奥にある思考を読もうとして、やはり駄目だと感じた。

 

 人機に乗っていなければ、自分など赤子よりも弱々しい。

 

 整備モジュールと精神点滴なしでは生きられない身体。この国を排除すると息巻いておきながら、この国家の技術なしではもう生きていけないように出来ている。

 

 ああ、と瑞葉は目をきつく瞑った。

 

 全てが夢ならばどれほどいいか。

 

 泡沫の夢に消えていくだけならばどれほど救われるのか。そのような都合のいい理想郷などこの世には存在しないのだ。

 

 あの日、虹の空の向こうに描いた遥かなる蒼穹を望む事さえも届かない。

 

 この身は永遠に青い花園に抱かれたまま、眠るのみであった。

 

「瑞葉小隊長のバイタル、脳波安定域に達しました。整備モジュールによる自然治癒を申請します」

 

「申請許諾。これより四十八時間は、鴫葉伍長による判断に従う」

 

 自分の与り知らぬところで交わされた判断に声の一つも上げる事が出来ない。

 

 瑞葉はベッドに横たわったまま、近くにいる鴫葉の気配を悟った。既に医療区画に入っているはずだ。

 

 どうしてこの部下は出て行かないのだろう。

 

 そう感じていると、不意に鴫葉がこちらの手を握ってきた。

 

「感覚はありますか?」

 

 声は出ないが首肯する。鴫葉は抑揚のない声で続ける。

 

「では瑞葉小隊長、改まって申し上げますが……あなたの計画はすぐに露見します」

 

 その言葉に目を開く。鴫葉が瞳を覗き込んでいた。奈落へと続いているのかと思われるほどの灰色。

 

「あなたがどのように判断し、どのように国家へと貢献するのかのシミュレーションは既に数百回と成されているのです。その結果、あなたはあの時、モリビトとの会敵時にイレギュラー、つまり自我に目覚めたと発覚しました。これが三十時間前のシミュレーション結果による判定です。自我に目覚めた強化兵は廃棄される。それはこの国が幾度となく行ってきた政策の一つでした。整備モジュールによって感情を制御し、血塊炉の安定供給と強化兵で兵力を固め、他国の侵攻の一切存在しない鉄の国家を作り上げる事。それがブルーガーデンの真髄です」

 

 何を言っているのだ。鴫葉はおかしくなってしまったのだろうか。訝しげな眼差しが届いたのだろう。鴫葉は首を横に振る。

 

「こちらがおかしくなったのではなく、瑞葉小隊長、あなたのほうが既に国家にとっての障害なのです。そのため、最も生存率の低い見通しである国家の切り札、《ラーストウジャ》の操主へと任命。二度の戦闘で確率論的には死んでくるかと思われましたが、二度とも生還するとは、さすがです」

 

 淡々と話し続ける鴫葉は奈落へと通じている瞳で瑞葉へと語りかける。

 

「ですが、もう決定済みなのです。あなたは廃棄されます。これは七十二時間以内に遂行されます。ゆえに、この部屋の通信は全てシャットアウトされているのです。廃棄兵に、もう用はないのですから」

 

 何を言いたいのだ。瑞葉の窺う眼差しに鴫葉は応じていた。

 

「瑞葉小隊長、運命に、抗う事の出来ない子羊のまま、終わる気持ちは如何ですか?」

 

 ――どういう……。

 

 口元だけを動かした瑞葉の困惑に鴫葉は落ち着いて応えていた。

 

「失礼、結論を急ぎ過ぎました。はっきりと申し上げますと、自我に目覚めた兵隊はあなただけではないのです。既に三十名近くの同胞が自我に目覚め、その上で上層部の検知や検閲から完全に自我の存在を隠し通し、上は最大三サイクルまで反逆の芽を育て上げた者達がいます」

 

 まさか、と瑞葉は声を枯らす。三サイクルもブルーガーデンのチェックを逃れるなどあり得ない。そもそも自我の目覚めた兵隊など自分以外にいる事が信じられなかった。

 

「信じられない、という顔をしていますね。かくいう、この鴫葉もそうです。鴫葉は一サイクル前に自我に目覚め、上層部の検査から逃れ続けています。あなたより前に、覚醒した兵士なのです」

 

 鴫葉の思わぬ告白に驚愕するよりも、瑞葉はここまで淡々としていながら自分と同じく自我に目覚めた事が信じ難い事実であった。鴫葉はどこも変わった様子はない。他の強化兵と同じに映る。それでも自分よりも早く、この国家の歪に気づいたというのか。馬鹿な、と戦慄く神経を他所に、鴫葉は驚くほどに冷静であった。

 

「覚醒した強化兵達は雌伏の時を遂げ、ようやく反逆の牙を剥く事が許されたのです。他でもない、あなたの存在によって。瑞葉小隊長」

 

 どういう意味だ、と目線だけで問い返すと鴫葉は応じていた。

 

「あなたが……国家を嘗めて反骨精神を丸出しにして噛み付いたお陰で隙が生まれました。あなた一人が生み出した好機にしては上出来です。《ラーストウジャ》という鋼鉄の棺おけで生き残り、それでも未だに折れぬ事のない反逆者であるところのあなたこそが、我々の希望となったのです」

 

 自分一人の反逆が、ブルーガーデンを瓦解させる切り札になったとでも言うのか。瑞葉は喜びよりも怒りに支配された。

 

 鴫葉を含む数人はろくな苦労もせず、国家に忠実な天使のふりをして今の今まで不利益に見舞われずに生きてきたという現実。それが枯葉を失ってまで生き永らえた己の境遇をより浮き彫りにする。

 

 ――どうして、自分だけが失わなくてはならない? どうしてこいつらには審判は訪れないのだ?

 

 声をひねり出そうとして、鴫葉は首を横に振った。

 

「もう声帯も駄目になっている事でしょう。あなたは生態部品としてはもう完全に消耗品なのです。強化兵のプランは次に持ち越され、新たなる強化兵がブルーガーデンを支配する。そのロールアウトの間際に我々覚醒者達が国家に異を唱える。《ブルーロンド》の第三大隊までを統括する責務についている者達が味方です。絶対に勝利出来るでしょう」

 

 その戦いに自分は参加出来ないような言い草であった。

 

 瑞葉は拳を握り締めて抵抗を示そうとしたが、力は入ってくれなかった。

 

「《ラーストウジャ》への限界搭乗数を超えています。あれには一回でも廃人になる仕様が取られている代物。それに二度、三度も乗ってくるとはあなたは化け物だと判断せざるを得ませんが、鴫葉はあなたを味方として迎え入れる判断を保留にし続けました。あなたを一番近くで観察し、冷静に物事を対処出来るかどうかを試していたのです。しかし、あなたは強化兵のふりをし続ける事さえも苦渋なように感じられました。決断として、瑞葉小隊長。あなたは不適格です。我々と共に戦う事は、残念ながらないでしょう」

 

 鴫葉が立ち上がる。その背中に呼び止めようとして声の一つも出ない事に気づく。

 

「わたしの権限でこの部屋は完全に通信途絶状態に晒される事でしょう。国家が転覆した頃には、ここも廃棄です。さようならです、瑞葉小隊長。あなたはとても人間らしかったですが、そのせいで戦う機会を失うのです。永遠に」

 

 鴫葉がエアロックを出て行く。瑞葉は怒声を上げようとしても力一つ入らないこの身体に憎悪した。

 

 どうして戦いたい時に戦えない? どうしてこうも無力なのだ?

 

 噛み締めた感情に瑞葉の頬を一滴の水が伝う。

 

 これは、と瑞葉は驚嘆した。

 

 ――涙? どうして?

 

 今まで出そうと思っても出なかったもの。人間のみが流す感情の証。それが、こんな今際の際に発露するなど。

 

 皮肉でしかない。最後の最後に人間に戻れた天使は、誰に聞き止められる事もなく、白亜の部屋で咽び泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵の部隊が撤退を始めた。……やったのか?」

 

 鉄菜の疑問に同じように防衛線を張っていた桃が首を傾げていた。

 

『どうかしらね……アヤ姉がうまくやってくれたのか。それとも敵も退き際を心得ているのか……』

 

 基地が防衛出来たのかさえも情報として入ってこない。鉄菜と《シルヴァリンク》は何機目になるのか分からない《バーゴイル》を両断し、その骸を蹴りつけて離脱していた。

 

 直近で爆発されると血塊炉に仕組まれたブルブラッドが一時的に眩惑作用を誘発し、レーザー網が駄目になる。

 

 一時として同じ場所には留まらず、四基のRクナイを疾走させ、鉄菜は《バーゴイル》を粉々に砕く。

 

《シルヴァリンク》の損耗率が三割を超えようとしていた。

 

『鉄菜、これ以上はマズイマジ。《シルヴァリンク》は耐久戦には秀でていないマジよ』

 

「それでも……私達はやらなければならない。これが、反抗になるのならば」

 

『同意ね、クロ。モモ達の戦いに意味がなかったなんて思いたくないもの』

 

《ノエルカルテット》が翼を折り畳ませた砲塔で飛翔する《バーゴイル》を狙い撃つも、そろそろエネルギー消耗が激しいはずだ。四基のブルブラッドを所有する機体であってもこれだけの耐久戦は想定していないだろう。

 

 こちらが二機のみなのに対して敵《バーゴイル》部隊の総数はほとんど無限。《バーゴイル》が安価で量産される機体であるのも所以してか、プレスガンを装備した第一隊はもう出てこないものの、型落ちの翼を持つ後衛部隊は実包弾を用い、こちらへとじりじりと消耗させる戦いを強いる。

 

「こいつら、撃墜しても意味がない連中だろうな」

 

『そうね。倒されても数に含まれない……二軍、三軍ってところかしら。補欠にしては攻撃の手だけは必死だけれど』

 

 それでも射線に入るような馬鹿はいないようだ。《シルヴァリンク》と《ノエルカルテット》の射程外から命中してもしなくとも関係がない攻撃を見舞ってくる。

 

 敵に必死さがないのもある種、この攻防に終わりがない事を告げていた。

 

 必死に追いすがる敵には後先がない。後々の事を考えていない敵は簡単に撃墜出来るのだが、細く長くと考えている敵はやり辛い。ここでモリビトを足止めする事以外の命令は与えられていないのだろう。

 

 火線が開き、バルカン砲をリバウンドの盾で受け止める。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 反射させた銃撃網を敵は簡単に回避してみせる。もうこちらの手も尽き始めているのだ。

 

 敵は《ノエルカルテット》に集中し、時折思い出したように《シルヴァリンク》を襲うが、ほとんど意味を成していない。

 

 十機近い《バーゴイル》の編隊はモリビト二機を相手取っていてもその実は戦ってすらいないのだ。同じ土俵に上がる事の無意味さを完全に理解している。

 

 こうなった雑兵の面倒さは桃が痛いほどに分かっているのだろう。高出力R兵装をそう容易く撃てなくなった《ノエルカルテット》へと《バーゴイル》部隊が肉薄してくる。

 

《ノエルカルテット》に近接武装は少ない。当然の事ながら《シルヴァリンク》が援護に向かおうとするが、それを阻んだのは三機の《バーゴイル》であった。

 

 ミサイルとロングレンジバレルで固めた長距離支援用の《バーゴイル》が弾幕を張った。いつもならば突破してすぐにでも三機をスクラップにするのだが、今は長期戦の構えだ。

 

 損耗を無視して突撃するわけにはいかない。

 

 鉄菜は舌打ち混じりに盾で受け止めた。リバウンドフォールを使う頃には射線から相手は逃れている。

 

 リバウンドフォール使用時にはこちらが硬直する事ももう露見しているのだろう。

 

 動きを止めた《シルヴァリンク》の背筋にバルカン砲と滑空砲の打撃が飛び込んでくる。

 

 反転した頃にはまた同じ戦闘スタイルだ。距離を取って射程外から砲撃。この繰り返しに鉄菜は苛立ちを募らせていた。

 

「どうすれば……彩芽・サギサカからの連絡は?」

 

『まだない。クロ、敵が押してきている。《シルヴァリンク》をこっちに回せないの?』

 

「やれるのならそうしている。敵の守りが堅い。……連中、こちらの射程を理解している。《シルヴァリンク》の手の届かない距離から絶え間なく砲撃、《ノエルカルテット》には近距離に迫って銃撃しつつヒットアンドウェイ戦法……分かってきている」

 

『敵を褒めている場合? クロ、もう出し惜しみしている場合じゃ』

 

「分かっている。だが超えられないんだ」

 

 Rクナイを全力稼動させても十機全てを落とすのには時間がかかる。その間にまた距離を取られれば同じ事。

 

 畢竟、手詰まりなのだ。

 

 モリビト二機のオペレーションでは取れる戦術にも限りがある。

 

 歯噛みした鉄菜はRソードを発振させ《バーゴイル》へと切りつけた。当たり前のように敵は散開し、バルカン砲でチクチクと装甲を突いてくる。

 

 一発ごとの威力はさして怖くないとは言え、こうも連続で食らい続けると消耗は数値として出てくるのだ。

 

『鉄菜、損耗率が三割を超えて、四割に行くマジ。このままじゃ作戦行動の続行に支障を来たすマジよ!』

 

 ジロウの悲鳴のような声に鉄菜は悔恨を握り締める。

 

 アンシーリーコートを封じた代わりの光学迷彩の外套とRクナイによる全包囲攻撃だ。今、外套を取り去るのは得策ではない。

 

 かといってアンシーリーコートに転じたとしても撃墜出来るのは一機や二機止まり。十機編隊を全滅させるのは手数が足りない。

 

《ノエルカルテット》が翼を展開し、点在していた場所を移動する。《ノエルカルテット》の移動はイレギュラーの証であった。

 

 拠点制圧に長けた《ノエルカルテット》が動くという事がどういう意味なのかを理解していない鉄菜ではない。

 

「……モリビトが、押し負けるだって」

 

 こんなところで……。しかし数値上では撤退を提言されてもおかしくはない。鉄菜は厳しい判断に迫られていた。

 

 ここで退けば、惑星側に大きな優位を譲る事になる。だが、ここで退き際を間違えればそもそもモリビトが戦闘不能に陥るのだ。

 

 二者択一の設問に、鉄菜は判断を下そうとした。その時である。

 

 銃撃網の雨が《バーゴイル》へと降り注いだ。その攻撃に晒された《バーゴイル》二機がもつれるように撃墜される。

 

『何が!』

 

 振り仰いだ先にいたのは水色の眼窩を煌かせる《インペルベイン》であった。片方の連装ガトリングを破損しているが、全身の砲門を開き、《バーゴイル》へと火線を咲かせる。

 

『アルベリッヒレイン!』

 

 銃弾の嵐に《バーゴイル》がおっとり刀で撤退しようとするもその時には射程に三機が入っていた。

 

《インペルベイン》が溶断クローに変形させた両腕で挟み込むように二機を巻き込みつつ、きりもみながら反転しその血塊炉を抉り取った。

 

 今までの彩芽の戦闘スタイルとは異なったように感じられたのは鉄菜の気のせいだったのだろうか。

 

 どこか自暴自棄になったかのような戦い方に暫時言葉を失っていた。

 

『アヤ姉! 基地は……』

 

 桃の通信に彩芽は《バーゴイル》を蹴散らしつつ連装ガトリングを掃射して応じていた。

 

『今は待って。十機編隊に囲まれている状態なんて、いつからだったの?』

 

『もう、四十分ほどはこの状態……。さすがに《ノエルカルテット》でも』

 

 弱音を漏らした桃に比して彩芽の声には憔悴はない。やはり取り越し苦労であったのか、と鉄菜が感じた直後に《バーゴイル》部隊は一斉に離脱軌道に入る。

 

 ようやく諦めたらしい。息をついた鉄菜に彩芽が通信を繋ぐ。

 

『お疲れ様、鉄菜、桃。役目をこなしてくれたみたいね』

 

 その声の張りに鉄菜は作戦成功を予感したが、やはりどこかいつもの彩芽とは違う。疲弊はないが、その声に違和感を覚えた。

 

 まるで、初めて会うかのような感覚である。

 

「彩芽・サギサカ。何があった?」

 

 思わず尋ねていた。彩芽は何か隠し立てをしているようであったからだ。

 

『アヤ姉? 基地は、守り通せたんだよね……?』

 

 不安を重ねた桃の声に彩芽は通信ウィンドウを開き、首を横に振った。

 

『ゴメン。貴女達が必死に戦ってくれたのに……わたくしは……』

 

 その言葉に全てが集約されていた。

 

 ――守れなかった。

 

 鉄菜は基地の人々の顔を思い返す。不安と緊張がない交ぜになったような表情ばかりであったが悪人がいたわけではなかった。

 

 あの場所にいた人間達は少なくともこのような形で死んでいい人間ではなかったのだ。

 

 それは客観性を欠いた判断であったのかもしれない。自分らしくない感慨であったのかもしれない。

 

 だが、見知った人間が死んでいくというのは、心にぽっかりと穴が空いたような感覚を伴わせた。

 

 今までは一度も感じた事のなかった空白である。虚無の中に堕ちていくかのような虚脱感に鉄菜は操縦桿を握り締めた。

 

「私達の……負けだ」

 

 そう判断するしかない。惑星に降り立って初めて、自分達三人が束になったのに負けた。その事実に鉄菜だけではない。桃や彩芽も痛みを押し殺しているようであった。

 

『でも……《ノエルカルテット》のバベルに、情報が撒き散らされた様子はない。あの基地の人達はアヤ姉との誓いを最期まで守ったのね』

 

 それが余計に悔やまれる。相手は義理を通したのに、自分達が不義理であったのなど。

 

『鉄菜、桃、わたくし達はまだまだ弱い。少なくとも、このままじゃ駄目なんだと思う』

 

 モリビトの性能にすがっただけの戦い方ではこの先、勝ち残ってはいけないだろう。

 

 自分達は強くならなくてはならない。それこそ、世界を敵に回すのに相応しいほどに。

 

《バーゴイル》の飛び去っていく濃紺の空は、どこまでも自分達を突き放すかのように青く、無感情に見下ろしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯84 黒く染まる

 モリビト三機を下した、作戦成功だ、と湧くような人間はいなかった。逆に沈痛に顔を伏せた軍人達が苛立ちを募らせている。

 

「くそっ! ミゲルの奴を墜としやがった……! モリビトめ、この借りは絶対に返してやる……、何があってもな!」

 

 エアロックに拳を叩きつけた軍人にガエルは冷笑を浮かべた。この先、どれほど残酷な事が突きつけられようと、この軍人はそれを糧にして戦っていくのだろう。

 

 逆に言えば、その程度。他人のために張れる命などたかが知れている。それに相手はモリビトだ。雪辱を晴らす機会がその人間の最期にならないとも限らない。

 

 面持ちを伏せた軍人達は、めいめいに鬱憤をぶつけていた。今次作戦で百機近くの《バーゴイル》を投入したものの、地力で帰還したのは三十機ほど。ほとんどが航空不可能に陥ったか、撤退命令を受けて撤退してきたのを輸送機が回収した形だ。

 

 ガエルの《バーゴイルシザー》は地力で帰還した側に当たる。両腕を失ったもののモリビト相手に善戦したのはゾル国軍内部でも伝わっているらしい。

 

 自分と顔を合わせた軍人が挙手敬礼する。モリビトと真正面から戦い、痛み分けとは言え凌駕した。その操主としての能力を買っているのだろう。

 

 だが、自分は一介の戦争屋だ。まさか軍人相手に敬礼を送られるなど思いもしていない。

 

 相手が真面目腐っているだけにガエルは笑いを堪えるのに必死であった。

 

 囁かれる言葉はどれも賞賛である。

 

「……あのカイル大尉の叔父って人、青いモリビトと戦い抜いたそうだぜ……」、「格闘戦重視の? あんな機体怖くて俺、真正面から戦えねぇよ」、「全包囲攻撃を持つ機体からどうやって逃れたんだ……どういう操縦技術してんだよ……」

 

 連中に根付いているのは所詮、正規軍人であるという矜持のみ。それもモリビトの前では脆く崩れ落ちる。

 

 ブルブラッドキャリアとの戦闘の場合、生き残るか否かなのである。それほどまでに研ぎ澄まされた戦場なのだ。

 

 昂らないほうがどうかしている。ガエルは戦闘の昂揚を持ったまま、カイルが収容されたという報告を受けていた。

 

 整備デッキを途中で立ち寄ると破損した《バーゴイルアルビノ》が横倒しになっていた。白亜の装甲には亀裂が走っており、戦闘の苛烈さを物語っている。

 

「カイルに怪我は?」

 

 歩み寄ったこちらに整備班が敬礼する。

 

「シーザー大尉の叔父様、でしたか」

 

「特務准尉だ」

 

「これを」

 

 差し出された端末にはカイルの経験した戦いが記録されていた。そこに映し出されていたのは漆黒の人機である。

 

 モリビトへと肉薄し、パイルバンカーを武器にして鍔迫り合いを繰り広げる人機に、ガエルは息を呑んでいた。

 

 何という性能か。両腕に装備したパイルバンカー以外の目立った武装はないものの、モリビトへと何度も食らいつく執念のようなものが見て取れる。

 

「モリビトと至近戦闘を? この機体の所属は?」

 

「識別信号ありません。全て、不明です」

 

 不明人機、というものはモリビト以外に存在しないはずではなかったのか。この機体が表立って戦えばブルブラッド大気汚染テロでブルブラッドキャリアに矛先の向いていた民衆の怨嗟が変わってくる。

 

「して、機体名称も分からない、というわけか」

 

 灰色のモリビトと幾度となくぶつかり合う。命知らずだ、とガエルは感嘆していた。

 

「相当に強力な人機であるのはハッキリしていますが、この人機、操主の声すらも拾い上げていません」

 

 声紋から認証をかける事も不可能。ガエルはデータを受け取った後、カイルがこの機体と接触を行った事実を確認する。

 

「カイルはこれと戦ったのか?」

 

「ショックみたいですよ。随伴機もやられて、大尉からしてみれば自分のプライドをズタズタにされた気分なんでしょう」

 

「帰還したのはカイルのみ、か」

 

「《バーゴイルアルビノ》がここまでこっぴどくやられてきたのは初めてですね」

 

 元々、近接格闘のみに秀でた機体だ。噛み合わせが悪ければ相手に凌駕されても何らおかしくはない。

 

「……この機体のみではないな。もう一機か」

 

 同型と思しき機体が映り込んでいる。異様に長い四肢を持っていたがこの機体は間違いない。

 

 前回、自分へとモリビトの因縁を吹っかけてきた機体であった。

 

 あの場に二機の不明人機が居合わせたとなればモリビト相手に戦って生き残っただけでも儲け者か。

 

「カイルは?」

 

「自室です。呼んで来ましょうか?」

 

「いや、こちらから出向こう」

 

《バーゴイルアルビノ》を中破させられて黙っているような人格ではあるまい。ガエルは部屋の前まで来て咳払いした。

 

「カイル、いるのか?」

 

『……叔父さん。今は、その』

 

「聞いている。《バーゴイルアルビノ》があの状態では、ショックも大きいだろう」

 

『……入ってください』

 

 エアロックが解除され、ガエルが足を踏み入れる。カイルは部屋の隅で毛布に包まっていた。

 

 歯の根が合わないのか、ガチガチと震えている。

 

「どうした? モリビトとの戦闘がそんなに……」

 

「モリビトなんて、まだ可愛いほうですよ。あの機体は、悪魔だった」

 

 先ほどの映像の機体の事を言っているのだろう。ガエルはこの青年の矜持を傷つけた機体に賞賛を送りたいほどだ。

 

 あのままどこで野垂れ死んでもおかしくはない精神の持ち主が恐怖を経て少しはマシになったか。

 

「悪魔の機体か。今、解析班が必死に照合に当たっているが」

 

「随伴機が、二機、いたんです。でも、この機体の前じゃまるで児戯だった。何だったんだ、あれは……。あんなの、人機の枠を超えている……!」

 

 モリビトよりも不明人機のほうにカイルは恐れ戦いているらしい。無理からぬ事か。

 

 生死の境を彷徨えば誰でもなり得る麻疹のようなものだ。

 

 死が間近にある時、人の選択肢は自然と限られてくる。

 

 死の恐怖から逃れるか、それに立ち向かうか。戦争屋であるところの自分は立ち向かうどころか逆に食ってやる気質を持ち合わせていたが、一軍人に過ぎないカイルからしてみれば死の恐怖は近いようで遠いのだろう。

 

 本国で英雄のように持て囃された人間はあまりにも戦争から離れている。アイドルが戦場に赴く事がないのと同じように、彼は直接戦場で生き延びた経験が少ないのだろう。

 

 己の力を実感する機会のない兵士は自滅する。このままカイルという青年の自滅を辿っていても面白そうではあったが、今の自分はカイルの叔父という立ち位置だ。

 

 破滅を面白がっている場合ではない。

 

「カイル……ああいう人機との戦闘は儘あるんだ。戦場では、予測出来ない事が起こる。それこそ悪魔に確率論を支配されているのではないかと思える事が」

 

 戦争屋としての経験則から出た言葉であったためか、カイルはすぐに信じ込んだ。

 

「……叔父さんでも、怖かった事が?」

 

「あるさ。何度も」

 

 その度に死線を潜り抜け、より高い快感に身をやつしてきたが、とは言わないでおいた。

 

「僕は……甘かったのかもしれない。あんな機体があるなんて。モリビトだけでも精一杯なのに、あんなもの、ゾル国がどうやって倒すというのだろう」

 

「《バーゴイル》では、不安か?」

 

「《バーゴイルアルビノ》の性能に自信はありました。でも過信だったのかもしれない。僕はあの機体に頼むところが大き過ぎた。自分自身が強くなければ、結局何も貫き通せない。それが痛いほど分かったんです」

 

 今さらの事か。ガエルは相変わらずこの青年の夢想にうんざりする。彼は戦場にロマンでも求めているのだろうか。

 

 戦場で分かり合えるとでも? 銃を捨てお互いに抱擁出来るとでも?

 

 馬鹿馬鹿しい。フィクション映画の観過ぎだ。戦争で物を言うのは銃弾の数と敵の頭蓋を確実に射抜く技量のみ。硝煙棚引く戦場で何を期待しているのだろう。

 

 敵が投降し、自分の理想に深く感動するとでも?

 

 あるいは敵味方の境を超え、もっと大きな敵に挑むとでも?

 

 そんな事はあり得ない。断言出来る。あり得ないのだ。

 

 人は人同士でいくらでも殺し合える。いくらでも残忍になれるのだ。それを理解していない人間が戦場に出るのは自殺行為でしかない。

 

 銃弾の盾になる程度の役割しか果たせないであろう。

 

「カイル、随伴機がやられたのはショックがあっただろうが、戦場ではよくあるんだ。いい人間ほど早くに天国へと行ってしまう。それはあらゆる戦場で当たり前の事なんだよ」

 

「じゃあ、叔父さんも僕の手の届かないところに行ってしまうんですか」

 

 毛布を脱ぎ捨てたカイルの弱音にガエルは手を振った。

 

「いや、私は……」

 

「叔父さん! 僕を一人にしないで……これ以上、何を失えばいいって言うんですか……! もう、何も失いたくないのに!」

 

 咽び泣くカイルの姿にガエルは胸の内で冷笑を浴びせる。

 

 一人? 何を言っている。もうとっくにお前は一人だろう。気づいていないだけだ。

 

 こうも無知蒙昧が過ぎると演技をしているだけでも大変になってくる。

 

 失うものが多いのは軍人ならば当たり前だ。そのような基礎も頭に入っていないお花畑の人間が軍人として矢面に立てるのだから驚きである。

 

「カイル、約束しよう。お前よりも早くに死ぬ事はない。絶対に」

 

「本当に? 本当ですか?」

 

 ――ああ、そうだとも。死ぬのはお前一人で充分だ。

 

「もちろんだ。叔父さんが約束を破った事があったか?」

 

「……いえ、なかったです」

 

 つい先日会ったばかりの人間によくもここまで全幅の信頼が置けるものだ。自分ならばここまで脆さは見せない。

 

 カイルは軍人にしてはあまりに細くしなやかな肩を震えさせていた。あの漆黒の人機の事を思い出しているのだろう。

 

「カイル、無理強いをするつもりはないが、恐怖を克服するのには、男ならば戦うしかない。逃げる選択肢を選ばないのなら、戦うしかないんだ」

 

 語気を強めたガエルに彼は視線を振り向けた。

 

「戦うしか……でも僕なんかが勝てるでしょうか。あの人機操主は、相当な怨念の持ち主だった」

 

 怨念とは面白い事を言う。怨念と憎悪が渦巻くのが戦場の常だろうに。

 

「勝つ事に意味を見出すのではない。カイル、お前は克服しなければならない。恐怖に打ち克つのには、お前自身が強く、男にならなければならないんだ」

 

「僕が、男に……」

 

 掌に視線を落とすカイルに背中を押す言葉を放ってやる。どれほどまでに虚飾に塗れた言葉でも、この青年からしてみれば次に繋がる安定剤になる事だろう。

 

 そして安堵し切ったところを絶望に叩き落す。そのためには少しくらいは強くなってもらわなければ困る。

 

 モリビトに遅れを取るのならばまだしも、不明人機程度に恐れ戦いているのでは話しにならないのだ。

 

「そうさ。敵を倒し、己の武勲の証明を立てる。それが男というものだ。決して、国家や他のしがらみの上に立つんじゃない。それは己の信念の上に立つものだ。信念とは自分でしか掲げられないのだから」

 

「信念……、僕自身の」

 

 ここまで煽ってやれば後は彼次第であろう。ガエルは肩を叩いて言いやった。

 

「折れない心がある限り、男は何度でも立ち上がれる。それを忘れるな」

 

 言い置いて部屋を出ようとしたその時、カイルが出し抜けに尋ねてきた。

 

「叔父さんは……今まで生きてきて、こういう瞬間になった時、どうしたんですか?」

 

 答えなど迷うまでもない。ガエルは口元を綻ばせる。

 

「男になってきたのさ」

 

 部屋を出ると笑いがこみ上げてきた。どうにもあの青年将校を焚きつけるのは楽しくてしょうがない。

 

 自分が戦争屋だと知れば彼はどうするのだろうか。それこそ己の信念を曲げずに立ち向かってくるか、それとも……。

 

 いずれにせよ、面白い芽が育っているのは確かな様子だ。彼がこのまま枯れるかあるいは輝かしく蘇るか。一見の価値くらいはありそうであった。

 

「……にしても、モリビトじゃない不明人機ねぇ。こりゃ、雇い主に一回問い質さなきゃならんかな」

 

 自室に戻るなり、ガエルは施錠して盗聴の類を疑った。全ての通信機から切り離されたスタンドアローン端末を用いてコールする。

 

 二三回のコール音の末に相手が通話口に出た。

 

『ガエル・ローレンツ。こちらが呼ぶ以外では連絡はしてこないと思っていたが』

 

「んな悠長も言ってられねぇんだよ、畜生め。あんな戦場にオレを叩き落しておいて、死んだらどうするんだ?」

 

『死ねばそこまでだよ』

 

 言うと思っていた。ガエルは襟元を緩め、操主服のインナーに風を通す。

 

「なぁ、あんた。前に言っていたトウジャタイプっての。あれ、二機も三機もいるもんなのか?」

 

『遭遇したようだね。トウジャは基本的にゾル国の所有していたとされる《プライドトウジャ》のみが確認されていたが、もう一機、か。これのデータを共有したところ面白い事が算出された』

 

「面白い? こちとら面白くも何ともねぇ。ケツの青いガキのお守に大忙しだ。オレには合わねぇんじゃねぇの? こういうの」

 

『合う合わないではなく、君にこそやってもらう意義があると感じているがね』

 

「正義の味方、か。うんざりだぜ」

 

 煙草に火を点けつつガエルは毒づいた。正義の味方というよりもこれではただの腰巾着。あの青年将校について行けば確かに昇進は間違いないだろう。だが、自分はそもそも戦争屋。成り上がりがしたくって戦ってきたわけではないのだ。

 

『しかしカイル・シーザーは君からしてみても面白い逸材のはずだ。あれほどまでに純粋な男、黒に染めてみたいと思わないかね?』

 

「黒に、ね。オレ色に染まるって言うんなら確かに価値はある。だがよ、てめぇらのいいように染まらせられるって言うんなら話は別だって言ってるんだ」

 

『我々のやり方に不満でも?』

 

「不満云々じゃねぇよ。死地に追いやられて、モリビトなんかと戦わされている時点で割を食っている気がしないでもないが、そこにトウジャが二機も来たとなれば、こちとら尻尾を巻いて逃げ出したくもならぁ」

 

『意外だな。君は勇気ある者だと思っていたが』

 

「勇気と無謀は違ぇよ、マヌケ」

 

 紫煙をたゆたわせ、ガエルは空調に向けて煙い息を吐いた。どうにもきな臭い。レギオンがこの情報を知り得ている事。何よりもトウジャタイプが二機も、示し合わせたようにあの戦場に出向いていた事。辻褄合わせが出来ていない。

 

『結果論に過ぎないが、君もまた思案を浮かべる存在であったという事か』

 

「戦争屋が金さえ積めばどこへでも行くと思ったら大間違いなんだよ。あんな喰い合いに行き遭って、じゃあ次もあの戦場で戦いますとでも言うと思ったか? 命がいくらあっても足りねぇさ。こちとら慎重に行きたいんでね。《バーゴイルシザー》で潜り抜けられる戦局を遥かに超えている。これじゃ、あんなもん張りぼて以下だ」

 

『機体の補充は滞りなく行われるだろう。《バーゴイルシザー》が不満だと言うのならばもっと強い力を』

 

「あるのかよ? あの機体よりも強いのなんて」

 

 その問いに将校は通話口で笑みを浮かべたのが伝わった。

 

『ああ、あるとも。君も驚くかもしれないがね』

 

「いずれにせよ、ゾル国連中は負け戦をしちまった。モリビト三機相手に、物量で押しても勝てねぇんだって事。こいつはでかいぜ? これから戦うべき指針を失ったも同義だからな」

 

『物量ならば勝てる、というのは思い過ごしてであった、と三つの国家は思い知るか。しかしC連合は新たなる動きを見せようとしている。ブルーガーデンも、だ。次の着任先が決まった』

 

「おいおい、そうホイホイとオレが身分や名前を変えて潜り込めるとでも?」

 

『安心するといい。身分も名前もガエル・シーザーのままだ。ゾル国の第三者として、君には偵察任務が下るだろう』

 

 煙草の煙を吸い上げ、ガエルは舌打ちする。どうにもこの将校の思い通りに動かされているのは面白くない。

 

「……どこだよ」

 

『ブルーガーデン、青い花園の国家へと、今度は仕掛けて欲しい』

 

「あの独裁国家か? どうやって? 言っておくがあの国は」

 

『常に青い霧に閉ざされた鉄の国家。国交を許しているのは一部のみ。血塊炉の輸出入において世界有数の産出国であり、未だにその全容は不明。恐ろしく秘密主義な国だ』

 

 そこまで分かっているのならば他の人員を回せばいいものを。どうして自分なのだ、とガエルは問い返す。

 

「オレが行く意味が分からねぇな」

 

『血塊炉産出国における義務、というものが存在する。今回の場合、トウジャタイプの跳梁跋扈の巣窟を考えた場合、一番に疑うべきなのは血塊炉の安定供給が出来るブルーガーデンだ』

 

「……なるほどね。血塊炉を新型に組み込めるだけの目算があるっていうんなら新型を擁立していてもおかしくはないって話か」

 

『既にゾル国上層部は疑い始めている。ブルーガーデンによる陰謀を』

 

「C連合も一杯食われされたクチか? トウジャタイプ、あれが二機ともブルーガーデンの手先だとすりゃ」

 

『防衛攻撃を仕掛けるのは何ら不思議ではない』

 

 その先鋒になれというのか。ガエルは灰皿で乱暴に煙草を揉み消す。

 

「敵が攻撃してくる前に仕掛ける……案外、粗雑なのは変わらないだろうぜ。オレらがやらなくてもC連合の誰かがやるって寸法か」

 

『ゾル国とて出せる戦力には限りがある。君と他に回せるのは二軍、三軍の戦力くらいか』

 

「今回みてぇにモリビト相手の物量戦は出来ないってわけかい」

 

『勝てる見通しがあったから、今回ゾル国は踏み切った感がある。しかし独裁国家の国土となれば全てが不明。どうなっても文句は言えまい』

 

「そこに踏み込むのはオレの役目って事かよ。毎回、ツイてねぇ、損な役回りだな」

 

『だが君が矢面に立てば、自然とカイル・シーザーの動向も伝わりやすい。いや、そのような勇気ある決断をする叔父への信頼度は高まるだろう』

 

 畢竟、カイルへの信頼を得るための道具か。

 

 自分はそのためにレギオンに使い潰されるというわけだ。

 

「……作戦指示書が下れば、いつだって出せるけれどよ、《バーゴイルシザー》が一朝一夕で直るもんかねぇ」

 

『ゾル国スタッフには君が希望の星の叔父である事は充分に伝わっているはずだ。優先して改修が進められるだろう』

 

 どうあっても出なければならないというわけか。ガエルは押し問答を諦めた。

 

「ああ、クソッ。いいさ、出てやるよ。ただし! オレの地位とその役職は完全なものなんだろうな?」

 

『我々から君を切る事はあり得ないよ』

 

 暗に自分が切ろうとすればいつでも切られるという言い草。こちらの裏切りを加味していないほど組織は甘くないか。

 

「じゃあ、ガエル・シーザーとして、もうちょっとゾル国で生きるしかねぇって寸法かよ」

 

『カイル・シーザーは着々と君へと依存しつつある。感覚はあるだろう?』

 

 将校にはこちらの情報など筒抜けなのだろうか。先読みされている事に嫌な感覚しかついて回らなかった。

 

「……一つ言っておくとよ、てめぇらあの坊ちゃんを篭絡して何がしたい? もう一度聞かせてくれよ」

 

『我々の真意は変わらないさ。君を正義の味方にする。そのための前段階はきっちり踏むべきだ』

 

 正義の味方。そのあまりに浮いた言葉にガエルは皮肉めいた笑みを浮かべる。

 

「坊ちゃんの精神面の脆さも織り込み済みか」

 

『トウジャと戦う事になるとは思っていなかったがね』

 

「いいぜ、やってやる。トウジャの情報を寄越しな。そうじゃねぇと釣り合わねぇ」

 

『こちらのデータは出来るだけ最新のものを送ろう。君は戦場にだけ集中してくれればいい』

 

 よく言う。カイルという大きな重石をつけておいて、吐ける言葉か。

 

 通話が切られ、ガエルは通信機を床に叩きつけかけて、その手を彷徨わせた。

 

「でかい流れからしてみりゃ、オレも坊ちゃんも似たようなもんか。……モリビトでさえも」

 

 舌打ちしてガエルはベッドに横たわった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯85 継承者

 

「少佐、大規模改修が必要です。こんなんじゃ……よく帰還したと言うしかないですよ」

 

 整備班の小言を聞きつつ、リックベイは装甲に亀裂を走らせている漆黒の人機を見据えていた。

 

 収容艦が大破確認した《プライドトウジャ》を回収して数時間後。C連合の領海に入った艦から引き継がれた《プライドトウジャ》の機体を一番に見たいとリックベイは進言していた。

 

 腹腔に穴が空いている。銃撃によるものであるのは見て取れたが、その傷痕はほとんど血塊炉寸前まで達している。

 

 よくもこれで稼動したものだ、と感嘆するしかない。

 

「操主は?」

 

「収容完了しています。ハイアルファーのシステムフィードバックが強く、昏睡状態ですが恐らくは……」

 

「恐らくはまた目覚める、か。死人、というのは辛いな」

 

 死ねないのだから、とリックベイは結んだ。《プライドトウジャ》はそこらかしこが破壊されており、このまま修復するのは絶望的に思えた。

 

「どうします? このまま元の状態に戻しても、時間がかかりますが」

 

「いや、これは元の状態に戻す必要はない。……して、量産型の進捗状況は」

 

 声を潜めたリックベイに整備班のスタッフが応じる。

 

「例のトウジャ部隊ですか。データに関しては上を通してあります。量産体制も《ナナツー参式》の量産案よりも通りやすかったのは正直不気味としか言いようがありませんでしたよ。上は何を考えているんですか」

 

「やんごとなき人々の考える事は下々には分からぬものだ」

 

《ナナツー参式》よりもトウジャの量産体制が敷かれつつあるのはリックベイからしてみても意外であったが当然と言えば当然。モリビトに確実な手段で匹敵するのだ。

 

 ナナツーを量産するよりかは勝てる見込みの高いほうに賭けるのは軍としては想定された帰結だろう。

 

「トウジャ部隊、なんてものが実現するんでしょうか?」

 

「ハイアルファーさえ廃する事が出来ればこれもただの人機。操縦システム自体は既存のものを使えればいい。ガワだけ真似たものに仕上がるかもしれないな」

 

「しかし、想定されるのは新型を量産するためのコストですよ。参式の血塊炉をただ単に回しただけでは足りるかどうか」

 

「十機編隊が関の山、か。余った血塊炉で参式を量産出来れば御の字、というところか」

 

 顎に手を添えるリックベイに整備スタッフがため息を漏らす。

 

「正直、こんな人機が戦場を席巻するのは考えたくないですね。あまりにオーバースペックですよ。ナナツーをいじっていた頃のほうがどれほど平和か」

 

「軍人が恩義を使われる時代になれば、それは国家が荒れ野になる前兆とも言われている。軍人など、暇だと言っているくらいがちょうどいいものだ。参式の量産も、予算食いの代物だと国会で論議されていたほうがまだマシかもしれんな」

 

「その参式すらもう時代の波からしてみれば遅れているんですからね。どうなってしまうんでしょう、世界は……」

 

 不安げな声を漏らした整備スタッフにリックベイは頭を振った。

 

「分からんよ。何もかも、世界がどうなるのかなど」

 

「先読みの少佐でも、分かりませんか」

 

「先読みが全て当たれば、わたしは軍の英雄どころではないな。預言者か、それとも死神か」

 

「もう充分に、ゾル国からしてみれば死神ですよ」

 

 そのゾル国もモリビト相手に苦戦したと聞く。いや、苦戦の元はそもそも《プライドトウジャ》の存在ともう一機の不明人機か。

 

「情報は見た。《プライドトウジャ》のレコーダーに入っていたあれは」

 

 あれ、と濁した存在を整備スタッフは端末に呼び出した。

 

 異様に長い四肢を持つ機体である。頭部形状が《プライドトウジャ》に似通っていなければ完全な新型人機だと目されていた事だろう。

 

 その挙動は人機のそれというよりも獣に近い。四肢で跳躍し、モリビトを圧倒する機動を持っている。

 

「何なんですかね、この人機」

 

「トウジャを知らなければブルブラッドキャリアの新型を疑っていたが、トウジャを知っている今、これをブルブラッドキャリアの尖兵とは言えんな」

 

「ではどこの国の……ゾル国ですかね」

 

「あり得なくはないが、そうなるとあの国は二機のトウジャを隠し持っていた事になる。我々の予定しているトウジャ部隊にいち早く取りかからなくてはおかしい」

 

「その分野で遅れている、という事は、このトウジャらしき不明人機はゾル国のものではない、と?」

 

 疑問を浮かべた整備スタッフにリックベイは憶測を並べた。

 

「あるいは、独裁国家の代物か」

 

「ブルーガーデンの? あの国が介入したって言うんですか?」

 

「推測だ。何も決定事項ではない。ただ……あの国には妙な噂がついて回る」

 

「オラクル武装蜂起の際に出現したというロンド部隊ですか。あれも加味して、今回の不明人機があるとでも?」

 

「可能性だよ。どれも決定事項ではない」

 

 そう言い置きつつも、リックベイはブルーガーデンの仕業を念頭に置いていた。あの国の秘密主義は度を過ぎている。もしトウジャタイプの安定した強化体制が敷けると言うのならば、C連合に比肩するのはゾル国ではなくブルーガーデンだ。

 

 そうなった場合の想定くらいはしておかなくてはならない。

 

「もし、ブルーガーデンがトウジャを運用していた場合、制裁措置が取られるのでしょうか」

 

「血塊炉の安定供給を任せているんだ。制裁を取れるのはどの国か、と問われれば難しいだろうな」

 

 特にC連合はブルーガーデンとは蜜月の関係にある。今日のナナツーの量産体制はブルーガーデンとの協定関係が大きいのだ。その協定に溝があるとすれば、あの国の独断専行が過ぎる点であったが、それも暗黙の了解に伏すのが軍隊というもの。

 

「制裁措置は他国からも期待されているところでしょうが、あの国がポカでもやらない限り大っぴらには出来ない、ですか……。国家というものはいつになっても」

 

「どの時代でも身動き一つ出来ないものさ。その動き次第では国家が滅びかねない」

 

 リックベイは端末を、と促す。整備スタッフの手渡した愛機の運用状況にリックベイは顎に手を添えた。

 

「《ナナツーゼクウ》における戦場のデータはまだ乏しい。参式以上の量産を敷くのはまだ待ったがかかるか」

 

「上から聞いた話だと、開発コードはナナツー是式だとか」

 

 色即是空、空即是色から取ったのか。リックベイは己の機体に装備されている零式抜刀術の体現する刀のデータを参照する。

 

「零式は今まで通りに?」

 

「今まで通りどころか今まで以上ですよ。零式抜刀術を用いた格闘戦術においては群を抜いています。そもそも、《ナナツーゼクウ》は少佐専用機の面持ちが強いですから」

 

「わたしがやりやすいように、か」

 

 それもこれも、量産機の体制が整うまでのお膳立てだ。リックベイは端末を返して身を翻す。

 

「どちらへ?」

 

「桐哉・クサカベに会わなくてはならない」

 

「面会したところで、まだ意識は……」

 

「それでも、だ。守り抜いた男の面持ちくらいは見ておかないとな」

 

 リックベイが医務室に向かう途中、タカフミが鉢合わせた。

 

 ばつが悪そうにその視線を背ける。

 

「桐哉・クサカベの容態は?」

 

「その……あんまり見てやらないでください。あいつ、多分……」

 

「分かっている。基地が奪還出来なかった、という事実から鑑みて、恐らく彼の目的は果たせなかったのだろうな」

 

「少佐は、分かっていて……」

 

「分かっていても、利用せざるを得なかった。それが軍隊というものだ」

 

《プライドトウジャ》の起動と大破はある程度予見出来た。その上での機体解析。量産化を急がせる国家の策謀に乗った形となる。

 

「うなされていますよ……死んでいるはずの数値なのに」

 

「死人は、現実にも、夢でさえも逃げ場がないか」

 

 救いがないな、とリックベイは独りごちる。タカフミは首を横に振った。

 

「おれ、あいつの立場だったらどうなっていたか……。狂っていてもおかしくはないです」

 

「だが彼は狂わずに帰ってきた。それは賞賛すべきだ」

 

「国家にとっての利益でしょう?」

 

「不満かね?」

 

 問うまでもなかった。タカフミの眼差しにはその答えがありありと浮かんでいる。

 

「……いつもの先読みで読めばいいじゃないですか」

 

「いや、読むまでもないよ。桐哉・クサカベに会う」

 

「どのツラ下げて……」

 

「相手からしてみれば、そうだろうな。だがこれでお役御免というほど、世界は甘くないんだ」

 

 まだ彼にはやってもらう事がある。そのために自分は守り人であろうとした男の顔を見ておかなくてはならない。

 

「トウジャも見ました。あんな状態でよく……。モリビト相手に帰ってきただけでも御の字ですよ。それにゾル国の大軍勢を相手取って」

 

「機体のデータには《バーゴイル》を数機撃墜したとあった。彼は母国に剣を向けた」

 

「そうさせたのは……おれ達ですよ」

 

 タカフミには心の底からの懺悔があるようであった。しかし、それはまだ早いのだ。

 

 リックベイはタカフミの肩に手を置く。

 

「まだだ、アイザワ少尉。まだ、彼の境遇に同情してやるのは早い」

 

「これ以上に何を」

 

「彼はわたしとの信念を貫き通し、あえて帰ってきた。その意味を問い質す。そうでなければ、彼は武士ではない」

 

「でも、戦士としては充分でしょう?」

 

 そう、戦士としてならばこれ以上要らないほどに。桐哉はだが、死人として生きて帰る事を選択した。それは覚悟の表れだと見える。

 

「彼は選択出来る。その上で、どうするのかを見届けなければならない」

 

「……おれにはもう、酷としか言いようがありませんよ」

 

「残酷でも現実と向き合い続けるのが、軍人だとわたしは思うがね」

 

 タカフミが離れていく。リックベイは医務室に入るなり、全てのバイタルサインの消え失せた桐哉の横たわるベッドを見やった。

 

 医師がこちらに視線をくれる。

 

「状況は?」

 

「芳しくはありませんが、信じられないのはこれでも生きている、という事実です」

 

「死ねない、というのはハイアルファーを介したシステム上の代物だろう。《プライドトウジャ》を破壊した場合はどうなる?」

 

「専門家ではありませんが、ハイアルファーの効力は一時的なものではなく、恒久的なものであると推測されます。彼はデータ上では死んでいますが、恐らくはこの身体を八つ裂きにでもされない限り、死は訪れないかと」

 

 皮肉なものだ。死ねない身体というのはここまで人間を苦しめるのか。人は死を超越するために技術を躍進させてきたというのに、いざ死に囚われれば、それは未来永劫の呪縛と化す。

 

「ではハイアルファー【ライフ・エラーズ】で不死の軍団を作り上げる事も可能なのか?」

 

「ハイアルファーはハードウェアの代物ですから、医者としての見地以外では申し上げられません。ただ、そのような都合のいい存在だとは思えないのです」

 

「わたしも同意見だ。もしそうなっていれば今頃地上は死人の楽園だよ」

 

 ハイアルファーの洗礼を受けられるのは一人だけ、か。

 

 彼はそのたった一人の栄光を手に入れた。ともすれば世界が滅びても、彼だけは生き延びるかもしれない。

 

「そうなっていないのがある種、救いですよ。人は変わらず死にますし、濃紺の大気のお陰でまだ人らしくいられます」

 

 全てのサインが消え去っているのに彼の顔に白い布がかけられないのはいずれ生き返るのだと分かっているからだ。

 

 何とおぞましく、そして残酷な事実であろう。

 

「桐哉・クサカベ。その生き方、意志を貫く強さよ。わたしはしかと見届けよう。そして可能であるのならば、君に捧げたいものがある。わたしの、零式を……」

 

 その言葉に桐哉は無言を返した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯86 裏切りの傷

 

 基地に燻る炎を目にして、鉄菜は濃霧の中に躍り出る。

 

《シルヴァリンク》の損耗率から概算した血塊炉の消耗を回復するため、今はロデムと接続されていた。

 

《インペルベイン》にはロプロスが接合している。

 

 三機のモリビトは無人となった基地を見下ろし、それぞれに沈痛な面持ちを伏せている。鉄菜には、それが敗走の証であるかのように思えてならない。

 

 炎の根源は彩芽であった。火を炊いて余った鉄材で十字架を作り上げている。

 

「何をしている? 彩芽・サギサカ」

 

 彩芽は振り返り、どこか自嘲気味に口にした。

 

「人を弔うのよ。わたくしは、十字架で弔う方法を知っているから」

 

「基地の人間はゾル国の所属だ。私達が弔う理由はない」

 

 鉄菜の言葉に彩芽は嘆息を漏らす。

 

「……そうかもね。だってわたくし達は報復のためにこの星に送り込まれた。惑星の全ての人間は敵のはず。でも、彼らは約束を違えなかった。その生き方に尊敬をしているの。いけない?」

 

 問い返されて鉄菜は困惑してしまう。基地の人間達を悪いとは糾弾出来ない。だからといって彼らをしっかりと弔ってやるのも自分の中では不必要な気がしていた。

 

「……トウジャを匿っていた連中だ」

 

「でもわたくし達を裏切る事は何回でも出来た。それでも、彼らは己の信念に従ったのよ。それは尊いものだわ」

 

「尊い……申し訳ない、彩芽・サギサカ。その感情は分からない」

 

 自分の中にはない言葉であった。彩芽はその姿勢を責めるわけでもない。

 

「いずれ分かるわ、鉄菜。今は分からなくってもいずれ、ね」

 

 十字架の前で彩芽は傅き、合掌する。その首から提げているロザリオに鉄菜は尋ねていた。

 

「信仰があるのか」

 

「これ? わたくしの御守り、みたいなものかな」

 

「ブルブラッドキャリアには特別な信仰心などないはずだ」

 

「そうかもね。人を殺め、神を屠る性能を持つモリビトを持っている人間からしてみれば邪魔かもしれない。でも、鉄菜。信じるべきものさえも見失えば、それは悲しい」

 

「悲しい?」

 

 それも分からない。彩芽が言っている事は分からない事だらけだ。

 

「そう、悲しいわ。信じるのは己の剣だけ、己の銃器だけ。それはある一面では正しいのかもしれない。でも、引き金は、信じたところでいつだって裏切るのよ。わたくしは、心の中に神を住まわせられると思っている。人は誰だって、そういうものを持っているのだと」

 

 彩芽は自分と同じようにこの星へと是非を問いかけるために送られてきたはずだ。だというのに、その眼差しには自分にはないものが窺えた。

 

 これが、人間である、という事なのだろうか。

 

 人間らしい、という事なのだろうか。

 

 判断する術を持たない。自分は所詮、モリビトを動かすためのパーツに過ぎないのだから。

 

「《インペルベイン》、未確認のトウジャタイプとの交戦を確認した。情報の同期を頼みたい」

 

「桃に任せているわ。鉄菜、貴女は何を信じるの?」

 

 その問いに鉄菜は即座に応じていた。

 

「モリビトを。私は、《シルヴァリンク》のみを信じている」

 

 その答えが予見出来たのか、彩芽は微笑んだ。

 

「そう……鉄菜、貴女には信じられるものがあるのね」

 

「そのロザリオに信じられるものがあるんじゃなかったのか?」

 

「ロザリオは御守りだけれど、人はここで信じるかどうかを決めるのよ」

 

 トン、と彩芽は鉄菜の胸元を指で叩く。鉄菜は心底理解出来なかった。心臓で決めるというのか。

 

「こんな場所で、どうやって決めると?」

 

「鉄菜、それを決定付ける言葉を吐くのは簡単だけれど、貴女は自分で見つけなさい。その胸にあるものの名前を」

 

「胸にあるものの、名前……」

 

 ブルブラッド大気が流れていく。基地が錆びに覆われ、火の粉が舞い散った。

 

「この場所ももう終わりね。古代人機がいずれここも苗床にして、ただの自然に還っていく。それが必然の流れなのかもしれない」

 

「惑星がどれほど荒廃しても、それだけは変わらないのだろう」

 

「そう、ね」

 

「彩芽・サギサカ。次の任務までは時間があるわけではない。雑務は済ませておけ」

 

 彩芽はその言葉に静かに頷く。

 

「そうね。わたくし達は悲しみさえもこの胸に描けない。戦う事でしか示せないのだから」

 

 鉄菜は身を翻し、《シルヴァリンク》のコックピットへと戻った。ジロウが情報を処理している。

 

 その中には《ノエルカルテット》からもたらされた新たなる人機の情報があった。

 

 異常に発達した四肢を持ち、トマホークを武器とする人機だ。辛うじてトウジャタイプだと分かるのは頭部形状のみで、他はほとんど新規だと考えてもいい。

 

「桃・リップバーン。この機体の詳細は」

 

『ちょっと待って、クロ。情報が錯綜している。でも、この機体を回収した輸送機に枝はつけておいたわ。あともうちょっと、でっ』

 

 導き出された航路にはいくつかのダミーが用意されていたものの、《ノエルカルテット》に搭載されているOSが割り出しを行った。

 

 結果として、一つの国家へと帰還しているのが発見される。

 

「この場所は……」

 

『モモも驚き……。ブルーガーデンとはね』

 

 示されたのは独裁国家ブルーガーデンの位置する濃霧の中心地点であった。

 

 しかしブルーガーデンがいつの間に兵力を蓄えたというのだろう。あの国は《ブルーロンド》のみだと思っていたが。

 

「これは、早急に対処すべきだと提言する」

 

『モモも同意見。独裁国家がゾル国の介入に便乗したのか、それとも独自作戦を取ったのかはまだ不明だけれど、C連合、ゾル国と来て、この国家まで暗躍していたとなれば穏やかじゃないわ』

 

 すぐに前線基地へと介入、破壊工作を行うべきだろう。だが、それが難しいのは今までのブルーガーデンのデータからしてみても明らかであった。

 

 全くの情報不足。

 

 独裁国家に繋がる痕跡は全て消え失せている。

 

「ブルーガーデンに攻め入る隙がない」

 

『戦おうにも、相手は鉄壁のブルブラッド大気のど真ん中。モリビトで攻めれば他国を牽制しかねないし、あまり出過ぎた真似は出来ないわね。先刻のブルブラッド大気汚染テロも相まって、各国の対人機への対抗策は高まっている。殊にブルーガーデンみたいな閉鎖主義の国家に攻め入っても勝てる見込みは薄い』

 

 今回、モリビト相手に物量策が優位であるとゾル国に知られてしまった。それはブルーガーデン、C連合にも知れ渡ったと思って間違いないだろう。

 

「ナナツーや《ブルーロンド》はただでさえ量産が容易だ。しかも、ブルーガーデンは世界一の血塊炉産出国。秘匿しているだけで、その戦力は他二国に勝るだろう」

 

『軍事の兵力差なんて騙し騙され合いだもんね。数値通りの兵力じゃなきゃいけないなんて誰も決めてないもの』

 

 ではこのまま手をこまねいているべきなのだろうか。

 

 その時、鉄菜達の通信域に割り込んでくる回線があった。秘匿回線、しかもこちらのチャンネルを知っている人物からのものだ。

 

 桃が回線を繋げる。

 

『誰?』

 

『失礼。こちらからしてみれば初めましてとなる。わたしは水無瀬。ブルブラッドキャリアの協力者の、水無瀬だ』

 

 水無瀬と名乗った男は顔さえも見せない。音声のみの通信に鉄菜は敵意を滲ませる。

 

「何の用だ? 今まで何も言ってこなかった協力者など」

 

 信用出来ない、と言い含めつつ、鉄菜は回線で繋がった桃へと目配せする。相手の位置の逆探知は抜かりない、と桃は首肯していた。

 

『なに、そう警戒する事はない。わたしはそちらへと、有益な情報をもたらすために今、この通信回線を繋がせてもらっている』

 

「有益? どうしてこのタイミングなんだ」

 

 その問いに水無瀬は簡潔な言葉を返す。

 

『第四フェイズ』

 

 一言だけで全ての了承が取れてしまった。自分達が踏み止まっているのは第三フェイズ。その次へと移行するための鍵を水無瀬が持っているというのか。

 

「遂行のための手順か」

 

『執行者であるモリビト三機の操主達には、まだ第四フェイズが如何なるものなのか伝えられていないはずだ』

 

「ではお前にはそれが分かっているとでも?」

 

『ああ、その通り。各国との接戦、さらに言えばトウジャの封印解放、それらの条件が揃った。第四フェイズへの移行準備が整った、というわけだ。協力者として、わたしは君達を導く役目がある』

 

『でも、ここに至るまで何も言ってこなかったじゃない』

 

 桃の指摘に水無瀬は、それもそうだろうと返す。

 

『わたしは第四フェイズ以降のサポートを任されていた。それまでの作戦実行において君達への接触は禁じられていた』

 

 逆探知まで残り一分である。引き伸ばすべきか、と鉄菜は質問を重ねる。

 

「信用が出来ない。そちらのデータを渡してもらおう」

 

『データなど必要あるものか。君達のうち一名……二号機操主、鉄菜・ノヴァリスへの直々の命令だ』

 

「……私に?」

 

 このタイミングで自分の名前が呼ばれるとは思っていなかった。うろたえた鉄菜の《シルヴァリンク》へと圧縮ファイルが送信される。

 

『わたしはここでお暇しよう』

 

 通信が一方的に切断される。逆探知完了まで残り十秒のところであった。

 

『……やられたわね、クロ。あと少しだったのに。ゾル国のどこか、までは分かったけれど』

 

「そうだな。惜しいところまで行ったんだが」

 

 応じつつ鉄菜は圧縮ファイルを開く。内包されていたのは《シルヴァリンク》単独での作戦行動表であった。

 

『これは……、こんなの無茶苦茶マジ』

 

 そこに記されていたのは、操主、鉄菜・ノヴァリスへの勅命である。

 

 ――実行し、打撃を与えろ、とあった。

 

「私単独での作戦行動。ここに来て、二機を裏切れというのか」

 

『聞く事ないマジ、鉄菜。こんなの、あまりにも酷いマジよ。彩芽と桃が呑むわけが……』

 

「呑ませる事も、ないというわけか」

 

 その言葉をジロウが咀嚼する前に、鉄菜は操縦桿を引いていた。

 

 機動した《シルヴァリンク》がロデムの接続を強制的に打ち切り、その血塊炉へとRソードを突きつける。

 

 思わぬ行動に桃が悲鳴を上げた。

 

『なにを! クロ?』

 

「桃・リップバーン。それにまだ搭乗していないな、彩芽・サギサカ。両名に告げる。ここでお前達との作戦続行を打ち止めにさせてもらう」

 

『何を……何を言っているの、クロ! こんなところで単独行動なんて許されるわけ――』

 

「許されようとは思っていない。だが、《ノエルカルテット》は完璧ではない。《インペルベイン》には操主さえも乗っていない。この状況で、私の《シルヴァリンク》を止められるか?」

 

 それは、と桃が言葉を飲み込ませる。ジロウが鉄菜へと言いやった。

 

『やめるマジ! 鉄菜! モリビトの操主同士で、どうしてこんな事に……』

 

「ブルブラッドキャリアの作戦遂行を優先する。そういう風に私は造られている」

 

『それは……そうマジがこんな作戦なんて』

 

 意味がない。あるいは無謀かもしれない。それでも、優先順位の高いほうを取るしかないのだ。

 

 Rソードを血塊炉付近へと添えられているせいでロデムは完全に動きを封殺されている。

 

 今はポセイドンとしか接続されていない《ノエルカルテット》では《シルヴァリンク》を止める事など叶うはずがない。《インペルベイン》も彩芽が乗っていなければでくの坊同然だ。

 

『鉄菜……何で? 貴女はだって、わたくし達の』

 

「確かに執行者としては同類だが、仲良しこよしをやるために降りてきたわけではない」

 

 その言葉に全てが集約されていた。それでも説得しようとする桃に彩芽は言いつける。

 

『……そう。桃、鉄菜を行かせましょう』

 

『アヤ姉? 何を言って……。クロも目を覚まして! 今の状態の《シルヴァリンク》で単独任務なんて』

 

『いいえ、桃。だからこそ、なんでしょう』

 

『どういう……』

 

「私は行く。追ってくれば対処させてもらう」

 

《シルヴァリンク》が飛翔し、二機のモリビトから遠ざかる。意外な事に二機とも追ってこなかった。戦地での激戦の後だ。わざわざ追ってくる理由もないのだろう。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》に身を翻させ、そのまま作戦実行の地へと向かわせた。

 

『鉄菜……こんな事でいいマジか? 彩芽も桃も、決して鉄菜の事を軽んじているわけじゃないマジよ』

 

「軽んじる? 何を言っている。もしもの時は敵になる。その程度の認識でいいはずだ」

 

『そりゃ、それがベストだと規定はされているマジが……。でもそんなの、おかしいマジよ』

 

「何もおかしくはない。作戦遂行に邪魔ならば切り捨てる」

 

 鉄菜のどこまでも冷たい言葉にジロウはもう反論も諦めたようであった。

 

『……でも、こんなのは多分、二人とも望んでいないマジ』

 

「望まれなくとも戦う。それがブルブラッドキャリアだ」

 

 ただ、胸の中に空いた虚無感が幾度となく、罪悪感を抱かせた。それは通常ならばおかしいはずだ。

 

 作戦遂行に罪悪感を抱いていればもしもの時の判断を見誤る。それを理解していないはずがないのに、鉄菜は彩芽の指差した胸元が妙に痛むのを感じていた。

 

 覚えず胸元をさする。

 

「……ここに何があるって言うんだ。彩芽・サギサカ」

 

 その在り処も分からずに鉄菜は前を見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第四章 了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 罪の楽園
♯87 天罰の記録


 ブルブラッドの安定供給のために稼動しているプラントは、一つではなない。

 

 プラント内部に発生する反重力磁場のお陰で作業工程を行う作業員は皆、六分の一まで軽減した重力の中で作業する。

 

 なかなかにこれは奇妙なものだ。重力の檻の中に囚われた惑星で、血塊炉を産出し、製造する場所のみがまるで聖域のように他と異なっている。

 

 男は地面を蹴りつけデッキを渡っていった。血塊炉が組み込まれつつある新型人機が製造ラインに乗り、今もまた一つ、また一つと命を吹き込まれていく。

 

「どうだ? 建造時間は?」

 

 端末を手にした同期が人機のカタログスペックを呼び出した。

 

「悪くない速度だ。このまま行けば、この機体だけでも百機近く量産の軌道に乗る」

 

 手渡されたデータに男は眉根を寄せる。

 

「モリビトばっかり造ったところで仕方ないけれどな」

 

「今はこいつが一番安定性において高いんだ、仕方ないだろ」

 

 水準の高い人機は優先して建造に回される。男はステータスを呼び出し、建造基準の改定法が政府を通過したニュースを目に留めていた。

 

「安価で製造出来る人機も尻を叩かれている勢いだ。トウジャだったか」

 

「トウジャタイプは器用な分、様々なバリエーションに富む。使い勝手がいいんだろうさ」

 

「それは建造している人間の本音か?」

 

 尋ねると同期は嘆息を漏らす。

 

「……正直、血塊炉の産出率を決める悪法に関して言えば、現場からは公正な取り決めが必要としか言えないな。どの国家も必死なのは分かるんだが、俺達の業務は造る事であってその先までは保証出来ない」

 

 今もまた外骨格を組み込まれていく人機を横目に入れ、同期は飲料水を飲み干した。血塊炉の発する特殊磁場のせいで人は異様に汗を掻く。そのためか、水分補給の重要さが説かれる始末であった。

 

「どの人機も、どうせ戦場に送られるんだよな。そりゃ嫌にもなる」

 

「似たような人機を月に百機近く製造する。俺達はそのラインに異常が発生しないか見張るだけの簡単なお仕事……。ルーティンワークだよ」

 

「どうせ半自動的な機械がやってくれるんだろ? そっちはまだ楽さ。こっちなんて人機の製造数をどこまで減らせるか、一機の人機にかけられるコストと毎回、睨めっこ。高コストの機体は出来るだけ切り捨てろ、って上役の判断だ」

 

 自嘲気味に発した言葉に同期は失笑する。

 

「どの部署も同じだな。人機製造に踊らされている」

 

「俺は、ここは好きだけれどな。重力に縛られていなくっていい」

 

「月面と、数値上は同じ重力だからな。地上にいながらさながら宇宙旅行だ」

 

「月の裏側にプラントを建てるって計画、頓挫したんだって?」

 

 目新しいニュースを仕入れると同期は肩を竦める。

 

「人間様が宇宙まで人機を持ち込むのは間違っているって言う、自然主義に負けたのさ」

 

「宇宙で建造したら、じゃあ六分の一Gはどうなるんだ?」

 

「さらに六分の一だろ。無重力なのにな」

 

 お互いに現状への不満を発しつつも、製造ラインの人機のデータからは一秒たりとも目を離さない。

 

 とはいえは半自動化している建造作業に人の手が入る事はほとんどなく、入るとすればそれはエラーが生じた時である。

 

「人機をこんなに増やして、そのうち天罰でも下るんじゃないか?」

 

「誰が罰を落とすんだよ。神様か?」

 

「その神様も信じられないよなぁ。血塊炉なんていう、星の叡智を俺達なんかに任せるんだもんな」

 

 血塊炉の基は降り積もった惑星の命の欠片だという説が提唱されていた。その説を支持する人間達の論調は似たり寄ったりである。

 

 ――惑星の揺り籠に育てられた人類は、その揺り籠から解き放たれたという傲慢な考えの下、母なる大地から命の糧を搾り取っている。

 

 人は血塊炉に手を出すべきではない、とする発言がどの地域でも取り沙汰されていた。しかし、これほど安全な資源もないのだ。

 

 手を出さないほうがどうかしている。

 

「核、化石燃料、その他諸々……人間は時代に合わせて色んな資源を採掘してきたが、血塊炉ほど人類に見合った資源もない。ブルブラッドは人間の味方だ。それも絶対的な、最高の相棒だよ」

 

「核燃料ほどの危険性は存在せず、化石燃料のような枯渇の危険性もない。理想的な資源だ、っていうのは大国の方便だったか」

 

「理想的なのは血塊炉の利点だが、結局は兵器として送り出される。俺にはこいつらが売られる子牛のように思えてくる」

 

「じゃあ、歌ってみるか?」

 

 冗談めかした言葉に同期は微笑んだ。

 

「売られる子牛のために俺達がどれほど歌っても、世界にとっては変わらないのかもな。人機開発は日進月歩だ。すぐにこの量産計画もお古になる。今は、モリビトの開発案が勝っているからこいつに尽力しているが、そのうちもっと容易い人機が出来上がるだろう。いや、その時にはもう人機じゃないのかもな」

 

 人機に替わる兵器の開発。あり得なくもない話だ。

 

「人型兵器なんて夢のまた夢、って言っていた先人達には申し訳ない事をしている。その気はある」

 

「足なんて要らないって言っていた連中か。ところが、ユーザビリティの観点から鑑みて、四肢は必要不可欠なんだ。血続の感覚、って奴を聞いた事はあるか?」

 

 血続の話が挙がるのは何も珍しくない。人機を操るのに長けた者達は自分達とは見ている世界が違うのだという。

 

「ああ、手足みたいに動かせるって」

 

「だから手足は要るんだよ。人間である限りは、な」

 

「捨てたその時には、もう人間じゃないって事か」

 

 どうにも皮肉めいている。人型兵器など必要ないと思われていた時代もあったが結局落ち着くのは人型であるのは。

 

「血続の操主を見た事があるが……あれは違うな」

 

 違う、としか言いようがない。自分達とは価値観、あるいはこの世界への迎合のされ方が全くの別種なのだ。

 

 血塊炉、ブルブラッド鉱石が命の降り積もった欠片だという説が正しいのならば、彼らは命の根源にアクセスする事が許された高次存在である。

 

 それだけで、人間の限界を超えている。

 

「血続が前線に出ているって話は何度か聞いたが、実際の戦闘は見た事がない。恐ろしく強いんだろうが」

 

「人機を使わせれば右に出るものはいないってな。血続同士の戦闘になった場合、どうなるのかまでは知らないが」

 

「製造職だろ。知る必要性もない」

 

 所詮、人機を造る側と使う側では意識が違うのだ。製造仕事の人間が戦場に呼ばれる事がないように、血続もまたここに呼ばれる事はないだろう。

 

「人機を造り続けて何になるんだろうな。そりゃ、尽きない資源ってのは理想的だろともうが」

 

「何だ、人機開発に懐疑的だな」

 

「楽だとは思う。人機って言う理想的な兵器を手に入れられて、人間は多分、幸福だとも。ただ、このままこんな日々が続くのか、たまに分からなくなるんだ」

 

「さっき言っていた罰って奴か」

 

 人機は強力な兵器だ。反重力の根源であるリバウンド効果を生み出す血塊炉。人の域を容易く超えるその能力。

 

 どれを取っても今までの兵器の枠を超越している。

 

 だから、これを生み出せた人類は正しい道を歩んでいるのだろう。

 

「具体的には分からないが、人機開発に携わっていると、時々、妙な胸騒ぎがする。このまま続けていると、何かがありそうで……」

 

 同期の不安は分からなくもないが、兵器を造っている人間が悪人というわけでは決してないだろう。

 

「銃を作れば犯罪者か、って話だろ、そりゃ。人間って言うのはそういう側面を切り離して考えられるから強い」

 

 星の王者にもなれた。人機が選んだのは人類であったのだ。それだけで充分だろう。その言い草に、同期は掌に視線を落とす。

 

「この手が、悪魔を生み落としているんじゃないかって、たまに思ってしまう。俺は、変なのか?」

 

「セラピーを一度受ければいい。それか、血塊炉のクスリでもやれば」

 

 ブルブラッドから生み出されるのは何も人機だけではない。精神安定剤や、戦意昂揚剤などの薬理関係の道にも通じている。

 

 ブルブラッドの夜明けは人類に恒久的な平和をもたらしたのだ。夢のような資源は人間を根底から幸せに導く。

 

「俺はあのクスリ、あまり好きにはなれなくってな。無理やりに精神を歪められている感じがする」

 

「ブルブラッドの煙草くらいは合法だろ。酒か煙草か女に逃げるか、だ」

 

「どれもあまり褒められたものじゃないがな」

 

 製造ラインの人機が組み上がっていく。何もしなくとも、人機は今日も明日も製造され、滞りなく戦場へと送り込まれてスクラップになるだろう。

 

 男は眼前に位置するアイサイトを三つ持つ機体の頭部を視野に入れていた。鋭い眼窩がこちらを見据えている。

 

「これがモリビトか」

 

「まだ開発段階の試作型だが、モリビトタイプは優秀だ。ただ、トウジャほど融通は利かない」

 

「じゃあ戦場を闊歩するのはトウジャか?」

 

「どうだかな。人機開発において一歩抜きん出る可能性があるのはどちらも同じだ。要は使い方次第だよ」

 

 人間がどのように使うかだけで、同じ血塊炉から生じた代物でも大きく変わってくる。モリビトもトウジャも、それぞれ人のために尽くす事だろう。

 

 男は端末の末尾に添えられている廃棄データを呼び起こした。コスト面で切り捨てられた量産計画を目に留める。

 

「この人機だけ、ワンオフなのか」

 

「あまりにコストが見合わなかったのと、どうにもシステム面で不明な点が多くてな。上の御機嫌を損ねた」

 

「そりゃ災難で。えっと、機体認証コードは……」

 

 三次元マップの中に寸胴な機体が呼び出される。人機の規格の中でもかなりの大型の上、ラジエーターを多数積載する特殊な機体だ。比してコックピットは小さいが、モリビト、トウジャとの比較率を目にすると十倍近くの機体出力の差がある。

 

「こんなの、よく実現したな」

 

「実現はしていない。一機限りの機体だ。それも、造ったはいいが、誰も使いたがらない。よく分からない、ってのが大きいな。その人機、いい噂は聞かない」

 

 開発職の同期にしては珍しいほどの苦言である。彼は人機ならばどれも愛しているのだと思い込んでいたが。

 

「でもモリビト十機を製造するよりこいつを拠点制圧に回せば……」

 

「物事はそんなに簡単じゃないって事だ。軍内部の取り決めでな。その人機はお取り潰しになる。実戦にも回されないまま、開発計画は頓挫。なかった事にされる人機だ」

 

「……さっきから辛辣だな。親の仇みたいな言い草だぞ」

 

 言ってやると同期は渋い顔をする。

 

「俺にもよく分からんが……気味が悪いってのが総意だな。みんな言うんだよ、その人機は得体が知れないって。得体が知れないも何も、ヒトが造ったものだって言えばそうなんだが、制御出来ないというか、イメージが掴めない」

 

「件の血続でも、か?」

 

「血続のエース操主でもあんまり好ましくないって評価だ。やっぱり何かあるんだろうさ」

 

「呪われた機体、か。その名前は――」

 

 その時、けたたましいアラートが鳴り響いた。プラント内が赤色光に塗り固められ、製造ラインが一斉停止する。

 

「何があった?」

 

 周囲に視線を巡らせる同期に男は通信を受け取っていた。

 

「どうした?」

 

『室長! 例の廃棄予定の人機が区画で暴走を始めて……、総員で当たっていますが止められません!』

 

 悲鳴のような声に自分の役職を思い出し、適切なマニュアル指示を送る。

 

「コードを送れ。停止信号を発布。プラント内の全人機を停止させる」

 

『ですがそれをすれば、対処可能な他の人機も……』

 

「やるんだ。一機だと言ったな? その人機は」

 

 そこまで口にしたところで激震が見舞った。よろけた男は端末に表示される外の景色を目にしていた。

 

 血塊炉の産出地点。最も深いポイントゼロで青い煙が棚引いている。噴出したブルブラッドのマグマに男は瞠目していた。

 

「何だこれは……。ブルブラッドがこんな、固形物になるなんて……」

 

『件の廃棄予定の人機がポイントゼロに向かっています! このままでは!』

 

「落ち着け。作業工程をスキップし、コードを打ち込めば人機は停止する。落ち着いて、危険信号時における対処法を叩き込めば……」

 

「――天罰だ」

 

 不意に同期の発した言葉に男は硬直する。彼は許しを乞うように傅き、天に祈りを捧げた。

 

「こんな事になるくらいならば、人機なんて開発しなければよかった」

 

「なに弱気になってるんだ! 今は落ち着いて対処すれば……それに所詮人機の暴走くらい、血塊炉を強制的に止めればなんて事……」

 

 ない、と言いかけて噴出したブルブラッドのマグマが螺旋を描いたのを彼は視界に入れていた。ブルブラッドが渦を巻き、直後、プラント内を突き抜けたのは轟音である。

 

 破壊と怒号に塗れたプラントの中で、一機の人機が絶対者のように佇んでいた。

 

 その名前を、男は口にする。

 

「……キリビト、お前は何を」

 

 そこから先はブロックノイズに途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 閲覧権限を引き上げた形となったが、疑似体験の中に己を送り込んで戻ってくるのに難航している者もいた。

 

 共有記憶を強制停止させ、「現実」に戻ってこさせる。ようやく全員が記憶の大海から呼び戻された。

 

『閲覧レベル5のメモリーだ。ブルブラッド大気汚染の大元……百五十年前の記憶である』

 

 その中心軸であるテーブルダストポイントゼロにおける事故の全容、という事になっている。実際にはまだモニターされていない事象もあるのだが現在の閲覧権限ではこの個人記憶領域への潜行が僅かながらも手がかりとなるはずであった。

 

 現時点でのモリビトへの対抗策。それを見出すために、元老院は一つの議決を取ろうとしていたが納得出来ていない個体がいるのを発見し、ならばと閲覧権限を引き上げた形となる。

 

 全員の納得は必要だ。殊に情報同期で瞬時にお互いの思惑が知れるこの機械の身となれば。

 

『了承した。しかし、これだけではないはずだ』

 

『当然である。これは個人記憶のみ。全体像に乏しい』

 

 瞬時に全員の脳内に呼び起こされたのは最大望遠で捉えられたテーブルダストの噴火である。

 

 青い噴煙が棚引き、汚染が瞬く間に広がっていく。

 

『惑星全土を覆いつくすのに十年もかからなかったと聞く』

 

 その僅かな十年の間に人類はコミューンという檻を手に入れた。ブルブラッドが安全な兵器の礎だと信じられていた時代であったが危機感はあったのだろう。

 

 もしもの時の備えを用意していたのは他ならぬ自分達である。

 

『さらに三十年、か。Rフィールドの天蓋、プラネットシェルの完成には』

 

『未だ完成ではない。だが民衆にはあれで完成だと思わせておく必要があった』

 

 プラネットシェルが完全ではないと知るのはごく僅かな人間のみ。その人間もいずれは全身義体の自分達の脳として使用される運命にある。

 

 外部記憶領域に頼るのは得策とは言えないからだ。

 

『汚染原因はキリビト、という事なのか』

 

『否、汚染に至った理由は血塊炉の共鳴作用である』

 

『共鳴作用? ……把握した』

 

 即座に情報が同期される。

 

『共鳴作用、一機の異常な血塊炉を所有する人機の暴走が千基近くの血塊炉へと飛び火し、血塊炉の炉心暴走、それによる命の河へのアクセス。一度に千もの情報をさばき切る事は惑星の許容量をもってしても不可能であった。命の河は氾濫し、結果としてブルブラッド大気が惑星を覆った』

 

 今日の汚染は全て、あまりに製造量が過多であった人機開発によるものだ。当時の人間達は血塊炉と人機が完全に安定性のある兵器だと思い込んでいた。

 

 その結果が汚染と人機開発の遅れ。三大禁忌の発生である。

 

『トウジャをスケールダウンし、《バーゴイル》、ロンドが生み出された。モリビトの設計思想を低くして、《ナナツー》が量産化された。人々にはそれが適切なのだと思い込ませる必要があった。もう汚染を生み出してはならないのだと。忌むべき百五十年前の怨念は消え去ったかに思われたが……』

 

 彼らの脳裏に呼び起こされたのは一つの事柄である。

 

 ブルブラッドキャリア。原罪の人々。惑星圏外に放逐したはずの連中による報復攻撃などまるで想定していなかった。その所有人機がまさかモリビトなど。

 

『モリビトが降り立ったその時より、人々は原罪を思い知る事となった。それが、《プライドトウジャ》の目覚めという計画外の事であったとしても』

 

『そして、トウジャは一機ではない』

 

 投射映像の中に異様に長い四肢を持つトウジャが映し出された。あまりに現行の人機を超えている機動力に全員が息を呑む。

 

『ブルーガーデン……我々の関知を超えてこのような機体を完成させるなど』

 

『機体照合データにかからない。これはまったくの別個体だ。トウジャタイプの中でも最新鋭の機体……、つまりあの国はトウジャを持ちながら常に最新の装備へと換装を続けてきた』

 

 元老院の目を掻い潜る罪悪。それだけでも断罪の対象であったが、ブルーガーデンに無闇に仕掛けるのは得策ではない。

 

 それは誰もが分かっている。あの閉鎖国家に仕掛ければ手痛いしっぺ返しが待っているに違いないのだ。

 

『して、どうするか。制裁措置を取ろうにもC連合、ゾル国共にあの国家には強気に出られない』

 

『利用出来る駒を用意しておくべきだったな。ブルーガーデンには誰も』

 

 いないのか、という意味の問いかけに沈黙が降り立つ。

 

『……元首による独裁という特殊な形式を成り立たせたのは血塊炉の産出を我々がコントロールするためだ。そうしなければ人は繰り返す。同じ過ちを』

 

 千基の血塊炉による共鳴作用は言い過ぎでも、血塊炉が共鳴すれば同じような現象が起こる可能性はあるのだ。ゆえに、ブルブラッドの容量は常に均一にする必要があった。

 

『ならば、我々は動く必要はない』

 

 一人の提言に全員が尋ねるまでもなくその真意を読み取る。

 

『ブルブラッドキャリアが……? それは真実か?』

 

『現状、最も客観的にブルーガーデンに仕掛けられるのはブルブラッドキャリアのみ。なに、まだ利用価値はある。潰すのはその後でいい』

 

『ブルブラッドキャリアのモリビトを破壊するだけならばまだ容易だ。問題なのは、モリビトでさえも尖兵に過ぎないという事実』

 

 組織そのものはまだこちらにその全容を窺いさえもさせてくれない。どのような手持ちが来ても不自然ではない。

 

『モリビトを結果的に利用する事で、ブルーガーデンへの鉄槌とするか。既に準備は』

 

『整いつつある。あとは待つだけだ』

 

『しかし、血塊炉の産出国家だ。ただ単に傾かせるのは惜しい』

 

『無論、その後の処理も含めて、我々の計画には入っている。支配するのはどちらの国家でも構わないだろう』

 

 ゾル国、C連合のどちらの手柄にしても元老院には何の不利益もない。計算済みの事柄に全員の承認が取れた。

 

『では、モリビトによる介入を期待するしかない』

 

『手は打ってある。ブルブラッドキャリアの好きにはさせん』

 

 元老院の義体集団が情報を同期し、惑星を見張る衛星画像にアクセスする。

 

 全員の視覚映像に呼び出されたのはブルーガーデンの衛星映像である。濃霧に覆われた国家は窺い知る事の出来ない闇をはらんでいるように思われた。

 

『あの霧の向こうに、何があるのか、我々でさえも関知していない』

 

『いずれにせよ、泥を被るのはブルブラッドキャリアだ。今は静観していればいい』

 

『ブルブラッドキャリア、我らが母なる惑星を踏み荒らしたそのツケは払ってもらう』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯88 最後の中立

 機体を走らせるのに何の躊躇いもない。

 

 それが地上警戒に当っているゾル国操主の思想であった。領空侵犯は確かに恐ろしいが対空砲火などまるで見込めない僻地を飛び回るのに、いちいち小心を抱えているのではお話にならない。

 

「しかし、この辺も様変わりしたな」

 

 こぼした感想はブルブラッドの濃霧に覆われた地上を指しての言葉だった。錆び付いた紺碧の大気は活動を停止した人機の残骸を食い荒らす。

 

『まぁな。外に出れば汚染大気でお陀仏だ。んなマヌケな事するなよ』

 

「誰がするかって」

 

 笑い話にして三機編隊がゾル国国境地を飛翔する。《バーゴイル》には国境警備のためのプレスガンが装備されていた。

 

 国を護る、といえば聞こえがいいが、ほとんど地上から這い上がってくる古代人機の足止めである。

 

 その足止め稼業も板についたもので、プレスガンによる牽制と威圧で充分に事足りるのだと証明されていた。

 

 幾たびも戦場を潜れば嫌でも染み付くのは最短距離での情況終了。

 

 古代人機狩りに関して言えばスカーレット隊にお株を取られがちだが、国境警備隊も負けてはいない。

 

 モリビトの名前が与えられる事はないものの、防衛成績では比肩する者のないほどの実力である。

 

『でも、心底思うぜ。モリビトの名前が賜れなくってよかったってな』

 

 英雄の転落劇はゾル国軍部では知らないものはいない。悲劇だ、と一人が口にする。

 

『スカーレット隊なんてエース中のエースじゃんか。だっていうのに、モリビトにさえ行き遭わなきゃな。堕ちたりはしなかったのに』

 

 モリビトと会敵した事がある種の自作自演めいていて、余計にその名の失墜を早めた。恐らく歴史の教科書にはそう掲載される事だろう。

 

 モリビトの名前を受け賜わったからこそ起きた転落。英雄の座に胡坐を掻いてさえいなければ、このような事は起きなかったのに。

 

『国境警備が一番楽な上に給料もいい。俺達は役得だよ』

 

「違いない。それに濃霧のほうが気は楽だよ。宇宙なんて一発でおじゃんだろうに」

 

 機体に穴が空けば気圧の差でミイラになる。人間は宇宙でまで生息域を広げるべきではないのだ。

 

『ブルブラッド大気が濃くなってきたな。ここいらで一つ、怪談噺でもやるか?』

 

『やめろって。悪い癖だぜ、それ』

 

 日がな一日飛んでいる事もある国境警備はそうやって暇を持て余す。彼らのうち一人は怪談に凝っていた。それもブルブラッドが星を覆ってから生み出された怪談ばかりである。

 

 曰く、ブルブラッド大気から生み出された霧の怪物、または汚染大気を歩く人間の話。あるいは、汚染された大地を悼むとある人機の物語。

 

『また青い僧兵の話か?』

 

 先んじた声に話し出そうと思っていた男は興ざめしたようだ。

 

『何だよ、言う前にネタバレするなって』

 

「最近有名だよな。汚染された地を踏み締める謎の人機」

 

 それもこれもモリビトが降り立ったせいだ。不明人機と遭遇する確率が上がったせいで昔から話されていた御伽噺でありながら最近は妙に迫真めいている。

 

『いるんだぜ、不明人機ってのは。そいつは今までの人機とは一線を画す機体らしいってな。見た奴も大勢いる』

 

「モリビトだろ?」

 

『違うんだって。モリビトでも、ましてや《ナナツー》でもロンドでもない。見た事もない人機だそうだ』

 

『見た事もない人機なんてたくさんある。大昔の人機なんてとんでもない数だったそうじゃないか』

 

『茶化すなよ。そういう意味じゃなくってだな、見ても理解出来ない人機って言うのか……』

 

「そりゃもう人機じゃない」

 

『違いねぇ』

 

 嘲笑が通信を飛び交う中、不意に警報がコックピットを震わせた。古代人機か、と警戒神経を走らせた彼らはレーザー網を停止させる。今の大気濃度では逆に邪魔なだけだ。

 

 目視戦闘に切り替え、プレスガンをマニュアルモードに設定する。

 

 照準器の先にいたのは、あまりにも小型の人機であった。古代人機サイズではない。

 

 という事は領土を侵す不明人機。《ナナツー》かロンドである。

 

 プレスガンの引き金を絞った一同は、濃霧の中を歩むその人機の姿に一瞬硬直した。

 

「……あれは、何だ?」

 

 バーゴイル系統の意匠を受け継いだ細身の人機である。だが、《バーゴイル》ほどの軽量さは窺えない。では《ナナツー》かと言えばキャノピー型のコックピットを採用しておらず、頭部形状はロンドを思わせる。

 

 だがロンドと違うのはゴーグル型の頭部ではない事だ。複眼を装備しており、丸まった頭部からケーブルがまるで毛髪のように機体の中心部である胸部へと伸びている。

 

 一見して、その機体はどの国家の機体とも似ているようでありながら、観察すればするほどに別個体である。絞ったプレスガンの銃口がその機体を照準した。領空を見張る自分達には警告なしでの発砲が許されている。

 

 何より、ここ数日、世界を揺るがすモリビトの存在もある。撃たれる前に撃て、というのは軍部でも格言めいて囁かれていた。

 

『何だ、あれ』

 

 困惑する二人を他所に、一人だけプレスガンの引き金を渋っている者がいた。先ほど怪談噺を仕掛けてきた操主である。何をやっている、と通信に吹き込もうとして彼は、いたんだ、と呟いていた。

 

『本当に……存在していたなんて……』

 

 戦慄く声音に二人とも虚を突かれた気分であった。まだ怪談噺の続きをやろうというのか。

 

「おい、敵は領地侵犯だ。下らない怪談噺は後で付き合ってやるから、今は――」

 

『あれに、攻撃してはいけないんだ』

 

 遮って放たれた声は異様なまでに迫真めいていて《バーゴイル》部隊は当惑する。ここで攻撃しなければしかし、自分達は作戦を放棄した事になる。それだけはあってはならない。

 

 相手がたとえ未確認の人機であっても、それがモリビトであったとしても応戦し、防衛するのが正しい在り方だ。

 

『……プレスガン出力、いつでもいけるよな?』

 

 もう一人の声に彼はコックピットの中で首肯する。

 

「撃つぞ。腹で呼吸して一発で仕留めろ。なに、故郷の母親が一度はやった事と同じだ。ヒーヒーフーと言って撃てばいい」

 

 冗談めかした言葉にも一人だけは異常なまでに呼吸音を返してきた。いくら怪談の続きとは言えあまりにジョークが過ぎると笑えない。

 

 照準器が不明人機を中央に据える。敵からは動きがない。予兆も気配もないため、回避は不可能と見える。

 

「発射」

 

 発射の復誦が返り、二体の《バーゴイル》が不明人機にプレスガンを叩き込んだ。二条の弾道に不明人機が砕けたかに思われたが、相手はその手に握る錫杖型の武器を振り回す。

 

 あろう事か、振るった軌跡で光速に近いプレスガンの弾道が逸れた。錫杖にリバウンド効果でもあるのか、その杖が捉えた攻撃の一端がプレスガンを弾く。

 

 まぐれか、と二人は落ち着いていたが一人が《バーゴイル》の中で悲鳴を上げた。

 

『嫌だ! 死にたくない!』

 

「おいおい、何を慌てているんだ。プレスガンが二発、外れただけだ。実際には命中しているから外れているわけでもない。落ち着いて狙い澄ませば当たらない相手なんて……」

 

 刹那、不明人機が姿勢を沈める。絡まったケーブルがさながら毛髪のように舞い上がり、敵影が跳躍していた。

 

 しかし推進剤もまともに使えていない様子である。大方スラスターにブルブラッドのカスでも溜まっているのだろう。粉塵を大げさに巻き上げた割には敵の速度はそれほどでもない。

 

 プレスガンの第二射が控えられる中、一人の《バーゴイル》が戦線を離脱しようとする。

 

『俺は、こんなところで……!』

 

「おい! 何やってるんだ! 隊列を……」

 

 乱すな、と口にする前に、敵の人機が錫杖を投擲する。放たれた一撃は逃走しようとした《バーゴイル》の背筋に突き刺さった。

 

 飛翔システムがダウンし、《バーゴイル》が即座に高度を下げていく。

 

 まさか。二度も三度もまぐれが続くなんて。

 

 震撼した彼らは推進剤の勢いを増して肉薄する不明人機に気づくのが一拍遅れた。

 

 しかし取り戻せる程度の遅れだ。そう、二人とも感じていたのである。

 

 直後に《バーゴイル》を激震させたのは蹴りであった。不明人機の放った攻撃が《バーゴイル》を揺さぶる。

 

 まさか対空戦仕様の《バーゴイル》に向けて肉弾戦を行う人機など想定に入れていない。完全に隙を突かれた形の彼が持ち直す前に敵人機はその胴体を踏みつけた。

 

 肩を蹴ってもう一機の《バーゴイル》へと接近の足がかりとする。

 

「俺を、踏み台にした?」

 

 もう一機の《バーゴイル》は標的に据えられたとも思っていなかったようだ。照準の遅れは命取りとなる。

 

 不明人機が拳を固め《バーゴイル》の頭部へと打ち下ろした。亀裂が走り《バーゴイル》の頭部コックピットが割れる。

 

 脳震とうのようによろめいた《バーゴイル》へとさらに打撃が見舞われる。ほとんど組み付いた形での攻撃に仲間は振り解く事も出来ないらしい。

 

『こいつ……なんてしつこい……』

 

 不明人機が手刀を形作る。その一閃が《バーゴイル》の脳髄を叩き割った。

 

 まさか、と息を呑む。

 

 敵人機に武装はない。錫杖型の武器を放り投げた今、丸腰のはずだ。だというのに、国境警備の《バーゴイル》がやられた。

 

 ただの肉弾戦で。

 

 その現実はもう一人の仲間を発狂させるのに充分であったらしい。

 

 飛翔高度は落ちているのに、必死に這い上がろうと空を目指す《バーゴイル》へと敵の人機が乗り移った。

 

 嫌だ、だとか、助けて、だとかいう悲鳴と涙声が通信を震わせる中、敵の人機が《バーゴイル》の飛行ユニットから錫杖を取り戻す。

 

 錫杖型の武装を振り翳したのも一瞬、迷いのない一撃が《バーゴイル》の後頭部を砕く。

 

 三十秒も経っていない。戦闘時間としては数えられないほどの間に二機の《バーゴイル》が撃墜された。

 

 その事実に彼は操縦桿を握り締める手を汗ばませる。

 

 ――何が起こった?

 

 問いかける脳内にも敵人機が本当に敵性体なのかの判断は下しかねていた。目の前の標的が何者なのか、まるで分からない。

 

 分からないが、怖い。

 

 それだけは確かであった。

 

 プレスガンの照準器が不明人機をロックオンし、速射モードに移行した銃口から矢継ぎ早に閃光に近い弾丸が発射される。

 

 敵の人機は喚くわけでも、まして驚愕を浮かべるわけでもない。

 

 錫杖型の武器を振るい、正確無比に弾丸を叩き落していた。思えばあり得ない確率である。

 

 リバウンド性能を実体弾に埋め込む事により光速のレールガンに近い性能を実現するプレスガンの弾頭を、ただの武器が迎撃するなど。

 

 まぐれではない。敵には視えているのだ。プレスガンの弾道が。

 

 弾道予測くらいならばまだ恐怖は薄かったであろう。問題なのは弾道予測などというハイスペックが全く確約されていない旧式の人機が、最新鋭の《バーゴイル》相手に圧倒している事であった。

 

 普通の敵ではない。今さらの感情が這い登ってきて、彼は吼えながら引き金を絞った。

 

 敵人機は落ち着き払って錫杖を薙ぎ払い、弾丸を一発、一発、的確に落としていく。

 

 遂にはこちらの精神のたがが外れた。

 

 プラズマソードへと持ち替えた《バーゴイル》が至近距離での戦闘を挑もうとする。そうだ、敵は所詮、型落ちの人機。

 

 プラズマソードによる格闘戦術のほうが敵を翻弄出来るに違いない。

 

 その一瞬の浅慮を呪うのにはあまりに遅い。

 

 プラズマソードの切っ先が敵に触れる前に錫杖を持つ手が回転し、プラズマソードと打ち合った。通常、干渉し合えば強力なほうの武器が勝つはずであったが、現状はまるで違う。

 

 錫杖が滑るようにプラズマソードの刀身を撫でていき、直後には胸元に向けて錫杖の先端が突き刺さっていた。

 

 完全にいなされた事を認識したその時には、踊り上がった錫杖の一撃が《バーゴイル》の鼻先を掠める。

 

 咄嗟に正気に戻れたお陰か、あるいは生死の境にいる極限の判断力か。

 

《バーゴイル》は不格好に後ろに倒れたものの、致命的な一撃を受けずに済んだ。

 

 敵の人機が錫杖を手にこちらを見下ろす。

 

 圧倒的であった。ちぢれたようなケーブルを有する敵人機は小さなメインアイセンサーで睥睨してくる。

 

《バーゴイル》に勝利する手立てはない。最新を気取っている武装も全て、この人機には通用しなかった。

 

 最早、死を覚悟した彼はコックピットの中で失禁していた。この人機は何なのか、知ろうとしても手段がない。

 

 錫杖が打ち下ろされ、彼に死を与えるかに思われたが、不意に敵の人機が宙を振り仰いだ。

 

 その視線の先を彼も追う。

 

 地面を鳴動させ、巨大な古代人機が地表すれすれを滑るように移動している。大移動であった。

 

 数十体近くの古代人機の一斉移動などお目にかかれるものではない。

 

 地を埋め尽くす野性の群れに敵の人機は感じ入ったかのように攻撃の手を止め、見つめている。

 

 今しかない、と彼は直感的に悟る。

 

 ミサイルの誘導性能を無効化するフレアを焚いた。一瞬の眩惑の後に《バーゴイル》は飛翔していた。速度を殺すような武装をパージし、高空へと躍り上がっていく。

 

 逃げる、という選択肢しか頭の中になかった。それほどまでに敵の性能に混乱していた。

 

 ブルブラッド大気濃度が薄まり、レーザー網が回復してから、近くに前線基地があるのを確認する。

 

 ふと我に帰った彼は口にしていた。

 

「生きている……」

 

 先ほどまで仲間達と御託を並べていたのが嘘のように、一瞬にして死地に潜り込んでいた。

 

 その現実から離脱した自分自身が信じられない。震えは収まらなかったが、基地に帰投コースを取る、という理性だけは働いたようであった。

 

《バーゴイル》の救難信号を受け取った基地がガイドビーコンを出し、自分の愛機を受け止める。

 

 ここに至るまでたったの数十分の出来事であったが彼には一生かけても経験出来ないほどの永遠に思えていた。

 

 基地の人々に説明する気力も湧かなかったが、《バーゴイル》の中に記録された映像を見た数人が口走っていた。

 

「僧兵、《ダグラーガ》と行き会ったのか」

 

《ダグラーガ》という名称を問い質す前に一人の整備士が顎をしゃくる。

 

「運がいい。この世界最後の中立と出会って、命があるなんて。あれには国境も、国家も、権威も何もかも関係がない。ただ敵意を向けてきた相手を葬る鋼鉄の僧侶。《ダグラーガ》の戦闘データがある。解析に回すか、それとも先に祈祷でもするか」

 

 何もかもが現実味をなくしたようであった。彼の言語能力が戻る事は、恐らく一生ないであろうと予感された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ダグラーガ》の攻撃網から逃げおおせる敵は五サイクル振りであった。その記録に、操縦席に収まっていた僧侶は、フッと口元を緩める。

 

「我とした事が、昂ってしまったか」

 

 今は大移動を目に留めておく事だ。彼はそう考え、僧衣を翻してコックピットから外に出ていた。

 

 紺碧の猛毒大気が逆巻く中、古代人機達が大地を共鳴させて移動する。小さな、人型サイズの古代人機も混じっている。微笑ましい事だ。恐らく生まれてまだ十サイクルも経っていない。

 

「平和だ」

 

 呟いた声音に古代人機数体が反応したのか、船の汽笛によく似た咆哮を上げる。命の河の守り手は低く、長い声を惑星の空へと響かせた。

 

 僧衣を纏った男は瞑目し、そっと合掌する。

 

 この世に生を受けたその命、せめて長らくある事を、と祈るばかりであった。

 

 古代人機達が《ダグラーガ》を意識に留めたのが伝わる。数体の古代人機がいきり立った。砲身を向けて威圧する古代人機に彼は静かに返す。

 

「鎮まれ。敵意はない」

 

 しかし、直後に砲弾が《ダグラーガ》のすぐ傍の空間を掠める。よくよく考えてみれば彼らの領分を侵したのは自分のほうだ。《バーゴイル》などにうつつを抜かし、好戦的な側面を見せてしまった。

 

 落ち度はこちらにある。致し方ない、と彼は《ダグラーガ》に収まった。

 

「こちらに敵意がない事を示すのには青い血が流れ過ぎている。苛立った古代人機にのみ、焦点を合わせて戦うか」

 

 錫杖を握り直した《ダグラーガ》が起動する。《ダグラーガ》のコックピットシステムはこの惑星で恐らく最も古いであろう。リニアシートではなく、備え付きのコンバットシートシステム。周囲は機械に覆われ開放感のある全天候モニターではなく、レーザー網を用いた旧式のもの。

 

 雑多なシステムがようやく起動し《ダグラーガ》が薄桃色のツインアイで古代人機を見据えた。

 

 砲身が向けられている事に危機感を覚えているのではない。古代人機相手に侮れば、如何に最新の人機であっても敗北するであろう。

 

 これは誠意である。命の守り手と相対する誠意。彼らの日々の営みに感謝する、という誠意。

 

 その表れが《ダグラーガ》という人機なのだ。

 

《ダグラーガ》に火器管制システムは存在しない。相手をロックオンするという高度な技術は用いられていないのだ。

 

 だからこそ、僧衣の男は一秒たりとも集中を切らした事はない。この濃紺の大地で集中を切らせばそれは容易に死に繋がる。《ダグラーガ》が錫杖を構え、砲撃に備えた。

 

 まだ若い個体であろう。《ダグラーガ》へと砲弾が見舞われる。呼気一閃、打ち下ろした錫杖の一撃が砲弾を弾き返す。

 

 直近の地面を陥没させた一撃であったが先ほどの《バーゴイル》のような敵意ではない。こちらを試している、というのがありありと伝わる。人工的な人機と違い、古代人機には惑星の大いなる意思が作用しているのだ。そのうねりと流転の前では全てが些事。生きている事さえも。

 

 この世界は穢れている。それでも美しいものは存在する。その美しさを取りこぼしてしまわないように生きるのが人類の務めであるはずなのだ。

 

 だというのに人は争う。争い続ける。男には分からない。

 

 戦うために進化した人類。戦うためだけに造られ続ける人機。どちらも悲哀だ。どちらにも救いはない。世界は咎と罰を受けながら今日という一日を消化する。

 

 惑星に誰が罰を下した。誰が罪を与えたというのだ。

 

 男は瞳を細める。あまりにも悲しい。あまりにも愚かしい。

 

 人は、どうしてこの世に生まれ落ちたのか。それを問いかけ続けるのが元々の人間のあり方であったはずだ。

 

 だというのに、これでは――。

 

《ダグラーガ》へと砲弾が撃ち込まれる。錫杖を振り翳し、《ダグラーガ》は砲弾を弾いた。叩き落したその勢いを殺さずに下段から打ち上げる。もう一発の砲弾を叩き、《ダグラーガ》が脇に錫杖を構え直す。

 

 片手を突き出し、《ダグラーガ》の顎部廃熱ファンから灼熱の呼気が漏れた。

 

 そのままそれが己の呼吸と混在して男は嘆息を漏らす。

 

 古代人機のうち、中型の個体が逸ろうとして、より大きな個体が制した。その巨躯は見上げんばかりだ。コミューン外壁など簡単に突き崩してしまえるほどの大質量。それでも、彼らはコミューンに攻め入るなどという愚行に走る事はない。

 

 人と人機は違う。人の罪が、そのまま人機の罪ではない。

 

 それを理解しているからだ。根源の部分で、人機が何のために存在し、何のために人と共にあるのかを分かっている。

 

 だから、古代人機は分を守る。

 

 己と他者との差を明瞭に理解し、その上で決定する。

 

 総体の意思を個体の意思として理解出来る存在は貴重だ。彼ら全体の決定を覆す事は出来ない。たとえそれが惑星の意思であったとしても。

 

 古代人機は命のためにその存在を維持する。命を何よりも重視する彼らの生き方を理解するのに、人の身では遥かに遠い。

 

《ダグラーガ》に収まる男は呟いていた。

 

「無常……、我がどれほどまでに悟りを得ようとも、古代人機、その領域には辿り着けない。彼らは惑星から産み落とされし存在だ。我は所詮、人の血の流るる卑しき身。釈迦にはほど遠い」

 

 卑しき血にはこの《ダグラーガ》が相応しい。《ダグラーガ》のツインアイが薄桃色に輝く。

 

 人造物であっても、命の鼓動は確かにある。この灯火を消してはならない。

 

 巨大古代人機が蠢動する。砲門を一斉にこちらに照準した。

 

《ダグラーガ》が塵芥に還る時が来たか。その予感に男は身を強張らせたが、古代人機はこちらに砲門を据えたまま、横滑り移動していく。

 

 まるで彼ら相手にいきり立っている自分の矮小さを教えるかのように。

 

「……さらば」

 

《ダグラーガ》が身を翻す。最早、古代人機と同じ道は辿れない。

 

 自分は僧兵。この世界における、最後の中立点。世界の天秤。中心に立つ事を許された数少ない人間が一人。

 

「我が名はサンゾウ。小さき人間が一人」

 

 名乗りに応じてか、古代人機が吼えた。汽笛のような鳴き声が大地に染み渡っていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯89 逃れられぬ過ち

 流され行く日常というものはいつだって忙しない。

 

 リニアの特等席に座り込んだタチバナは眼前に佇む政府高官を目にしていた。撫で付けた髪にどこか威風堂々とした立ち振る舞い。名は明かされていないが政府中枢の人間に違いない。男は自分と向き合う形でリニアの窓から望める景色を視野に入れている。

 

 コミューン外周を流れるように行き来するリニアは赤く塗装されていた。これは非常時、つまりブルブラッド大気濃度が異常値を示した場合でも救護をしやすくするためだ。青の景色の中で赤は映える。

 

「大分荒れましたな」

 

 先に口火を切ったのはタチバナのほうであった。男は首肯する。

 

「これでも三十サイクル前よりかは浄化が進んでいるそうです。一説には古代人機が浄化を助けているんだとか」

 

「しかし、その浄化も遅々として進まぬのは、我々人類が絶えぬ争いをしているから。人機を造り続ければ国家は荒れ、大地は痩せ細る」

 

「百五十年前にも同じ警句を紡げる人間がいれば、また未来は違った結果になったでしょうな」

 

 タブーを口にする。それだけで彼がこのゾル国コミューンでも異質な存在であるのが窺えた。

 

「失礼ながら、それを口にする、という事は」

 

「原罪の果実は甘んじて受けるべきです。過激派のつもりはありませんが、この口を封じようとする輩は多い。分からなくもないですがな」

 

 要は彼も暗殺を加味した重要人物であるという事。こうして自分とリニアに乗り合わせているだけでも奇跡だと言いたげだ。

 

「人機開発以外の事に関しては門外漢ですぞ」

 

「その門外漢でも、分かる事くらいはあるでしょう。時間はあまりありません。モリビトの事です」

 

 突きつけてきたな、とタチバナは緊張を走らせた。事ここに至って最早モリビトに対してのタブー視など逆に論点を遅滞させるだけか。彼はそれが分かっている。剣を呑む覚悟くらいはあるように思われた。

 

「モリビト三機、ゾル国が押した、と聞いておりますが」

 

「一般にはそうですが、報道されない事が二、三。一つ、モリビトには我々が関知出来ないほどの強大な兵装がある」

 

 その映像は既にユヤマを通してリーク済みだ。リバウンドを一時的に固形化させる技術。限定的でありながらあれは惑星を覆うプラネットシェルの大元――リバウンドフィールドと同じだ。

 

 星を覆い尽くすほどのエネルギー皮膜にはほど遠いが、人機サイズでそれを実現せしめた事は大きな飛躍である。

 

 もっとも、それが惑星外で建造されたモリビトとなれば誰一人として誉れは受けられないのであるが。

 

「R兵装、それに現行人機を遥かに超える戦闘力。どれを取ってもモリビトは規格外です。あれ一機を建造するのに何十年かかる事か」

 

「しかし、その溝は間もなく埋まるでしょう」

 

 その発言の意味を問い質すほど間抜けでもない。タチバナはこちらの手札はほとんど割れているものとして話を続けた。

 

「トウジャ、ですか」

 

 男は腕時計型の端末に三次元データを呼び出す。トウジャタイプの雛形たるフレームワークが構築されていた。

 

「C連合の極秘情報回線から抜き取りました。これが最新鋭の機体の建造予定データです」

 

「危ない事をしますな」

 

「危険な橋を渡るのは若者だけ、と思ってられるようでしたらこう言っておきましょう。我々ゾル国とて、本国の若者を死地に送り込むだけが能ではない、と」

 

 ふん、と鼻を鳴らす。どこまでも、見通したような言い草をするものだ。

 

「トウジャタイプの量産計画ですか。まさかワシに止めてくれ、とも」

 

「いえ、転がり始めた石です。それに、止めにかかれば、ではこの情報をどこで、という事になる。まだ、生きていなくてはいけないのですからね。私もあなたも」

 

 案外、この男は狡猾に生きているつもりなのだろうか。リニアの特等席とは言えどこに耳があるのか分かったものではない。

 

「軽率な発言は控えるべきでは?」

 

「トウジャの量産計画を頓挫させる事は可能です。コミューンに爆弾を落とせばいい」

 

 信じ難い事を安易に口にするものだ。コミューンへの爆撃は条約違反である。

 

「共倒れです」

 

「その通り。だからこそ、あなたに指示を仰ぎたい。トウジャタイプ、この叡智、あなたならば模倣出来るはずです」

 

 ここに呼んだ意味はそれか。ゾル国における自分の立場の擁立は結局のところ、新型人機の開発。他国より抜きん出て開発計画を進めるのには、自分のようなオブザーバーは必要不可欠。

 

「ですが、トウジャは過去の叡智。そう簡単に模倣出来るのでは百五十年もの間、秘匿されなかった」

 

「それも含めて、モリビトは楔を打ち込んだと考えています。この惑星に亀裂を走らせる一撃を」

 

「支配特権層への打撃、ですかな?」

 

 都市伝説レベルの噂だ。支配特権層がこの惑星を牛耳っている、という。

 

 紳士は微笑んだ。

 

「信じられませんか?」

 

「いや、最近そういう輩が多くって困ります。終末思想と言い換えてもいい」

 

「誰しも終わりを予感したくもなるのですよ。モリビトという分かりやすい力の象徴が現れた事で」

 

「あれも込みで、陰謀だと騒ぎ出す人間が出てきそうなものですが」

 

「オオカミ少年は駆逐されます。殊、情報化が進んだ現在に至っては」

 

 手は打っているという事か。暴動の一つも起きないわけだ。

 

「ですが、市民の無意識下の不満だけは押し留めようがありませんぞ」

 

「市民の人々には健やかな生活を送ってもらわなければならない。それこそ、ストレスに苛まれず、人らしく生きられるような」

 

「人らしく、ですか」

 

 あまりに浮いていたからだろう。どこか嘲笑めいた返しになってしまっていた。紳士は気を悪くした様子もない。それどころか、この会合がうまくいっている証だとでもいうように続けてみせた。

 

「人間が人間らしくあるために、必要不可欠なものがあります。何だと思われますか?」

 

「支配と抑圧」

 

 よどみなくタチバナは応じている。支配と抑圧のバランスこそが人を人足らしめる要因である。それはユヤマが時折漏らしている巧言と同じだ。

 

 ――この世界にはしこりのようなものが存在する。腫瘍は切らなければならない。それが良性であれ悪性であれ。そうして初めて、人は病理を理解出来るのだと。

 

 タチバナから言わせて見れば、その在り方も充分に病的であったが。

 

 紳士は乾いた拍手をこちらに送った。

 

「人機開発の希望の徒からそのような言葉が聞けるとは思っていませんでした」

 

「自分は主義者ではありません。ただのもうろくした、老人の戯れ言と切っていただいて結構」

 

「いえ、あなたの言葉には力がある」

 

 その力でトウジャを造れというのか。タチバナは切り返す。

 

「言説だけで人機は造れません」

 

「ですが根拠も展望もなしに、人機開発という浪漫を推し進められるものですか」

 

「……何か勘違いをなさっているようですな。人機は兵器です。浪漫などない」

 

 言い捨てたタチバナに紳士は呟く。

 

「それも込みで、あなたを買っている」

 

「トウジャを造りたいのならば優秀な人間を雇えばいい。ワシのような偏屈なジジィをこんな国防の矢面に連れてくる事もない」

 

「あなたの発言はあなたの想像以上なのですよ、タチバナ博士。従え、などと傲慢な事は言いますまい。トウジャを、造りたくはないですか?」

 

 魅力的な提案に思えた。トウジャ建造計画。その発端に立ち会えるなど。だが、タチバナにも譲れぬ一線がある。

 

「生憎ですが、悪魔の研究に名を連ねるつもりはありません」

 

「悪魔と来ましたか」

 

 紳士はほくそ笑む。現状、悪魔の建造計画に耳を貸すつもりはないとするタチバナの動きでさえも、心底可笑しいとでも言うように。

 

「ワシは人殺しの道具を造ってきました。その道具が如何に優れているかの評価も、出来るつもりです。ですが、トウジャに至っては、ワシのような人間の一家言でどうこう出来る領域を超えている。人々が三大禁忌として封印したのが分かるはずですよ、それを調べれば調べるほどに。どうして人はモリビトとトウジャ、それにもう一機を封印しなければならなかったのか。どうして、その三機だけは造ってはならぬと厳しく百五十年も、技術を停滞させなければならなかったのか。ただの伊達や酔狂ではなく、それは人が、人の良心に従った結果だからです。惑星を滅ぼしかけた罪悪を、皆が潜在意識で学んでいるのですよ。だから、人は罪の果実を摘まずに済んだ」

 

「しかしそれも今日までです。タチバナ博士。どれほどまでにトウジャタイプが優れているのか、あなたの眼で分からないはずがない」

 

 理解しているとも。トウジャならばモリビトに匹敵するという事も。現状の三国における技術的均衡状態を破る切り札になる事も。

 

 だからこそ、容易く首を縦に振ってはならないのだ。これは慎重なる議論を重ねるべきである。

 

 その眼差しを紳士は風と受け流す。

 

「トウジャは造ってはならない」

 

「ですがC連合は造ります。あなたの母国ですよね? 生まれた土地がブルブラッドの青い錆びに覆われていくのは見たくないでしょう」

 

 外交もへったくれもあるものか。ここに来て脅迫とは。ゾル国も堕ちたものである。

 

「ワシが一言、イエスと言えばそれだけで数千もの人命が失われます。モリビトとの戦いだけでもう後戻りの出来ないところまで来ている。これ以上、一人の言葉だけで民草をいたずらに損なわせるのは間違っているというしかない」

 

「私のやり方に不満がありますかな」

 

「不満……というよりも理解出来かねますな。軍部の事にも聡い人種が、ワシのような人間の一言に頼らざるを得ないとなると」

 

「人機開発におけるあなたの一言は絶対者の言葉です。軽んじていられるようですから言っておくと、開発責任者の言葉というのは想定外に重いものなのですよ」

 

 それが仮想敵国の人間であっても、か。タチバナは歯噛みして紳士を睨み据える。

 

「……あなた方は、ただ見ているだけで」

 

「見ている事が仕事なのです。仕方がないでしょう。軍部の決定に従い、まさか戦地に赴けとでも? それこそ政と鉛弾が入れ替わる瞬間ですよ。政治は政治、戦いとは無縁のところにいなければならない」

 

「軍国主義に走らないだけマシと思えばいいとでも?」

 

「そうは言っていません。ですが……そうですね、人機開発はもう歯止めの利かない場所まで来ている。ブレーキとアクセルの加減一つで、人は生死の狭間を行き交う事でしょうね」

 

 これ以上、命を散らせるなと言ったのは自分だ。だが相手の言い方はそれ以上に卑怯である。自分一人にトウジャタイプ製造の責を負わせていざとなれば放逐する。これでは旧世代のブルブラッドキャリアがやられてきた事と同じである。

 

「……失礼を承知で申し上げますが、そんな物言いだから、ブルブラッドキャリアが生まれた」

 

「ならば輪をかけて失礼なのは理解していますが、あなたのような偏屈で強情な人間が、モリビトを造った」

 

 これでは水掛け論だ。タチバナは突破口を見出そうとする。

 

「過去の叡智にすがり、人である事の責からも逃れ、ではあなた方は何をしたい? モリビトに勝利する、ブルブラッドキャリアとの生存競争に打ち勝つ、ならばまだ、首を縦に振る余地もありましょう。しかし、そうではない。あなた方の見ている先は、そんな生易しい理論では決してない。もし、モリビト三機を破壊出来たとしてではその先は? その先は、と思索を巡らせている。世界に放り込まれたトウジャタイプは新たなる火種を生み出す事でしょう。それこそ、現状の三機のような対立関係に集約されない、生き地獄を」

 

「生き地獄はここにあります。モリビトのような不明人機が跳梁跋扈する事こそ、我々人類にとっての不利益ではありませんか」

 

「言葉を変えましょうか。戦争を、起こしたくはないと言っているのです」

 

 直截的な物言いに紳士は冷笑を浴びせる。

 

「……ロマンチストですな。もう少し現実を見ているものかと思いました」

 

「兵器開発に携わった人間が皆、銃器の前に倒れる人間を想像出来てはおりません。ですが、ワシはまだマシなほうだと言いたい」

 

 その言葉に紳士は煙草の箱を手に取った。吸っても、という視線にタチバナは頷く。どうにも自分でも熱くなっている。

 

 どちらかが冷静にならなければ平行線の話し合いが続くだけだ。

 

 紫煙をたゆたわせた紳士が落ち着きを取り戻した様子であった。

 

「しかし、タチバナ博士。人機は戦闘兵器であるのと同時に、芸術品だと思いませんか?」

 

「芸術品に硝煙は似合いません」

 

 フッと紳士が笑みを浮かべる。こちらの返しにまだウイットに飛んだジョークがあると感じたのだろう。

 

「ですが、元々人型兵器など、浪漫の産物です。人は人同士で争いたいから、ああいう兵器を望んだ。古代人機の形状はとてつもなくシンプルです。継ぎ目一つない、大自然の生み出した自然美の結晶。しかしながら人機には穴がある。どこかに構造的弱点、能力的な限界値を発生させ、その挙動、兵器としての信頼度をあえて下げている。これは、人間が人間に似せて造ったからです」

 

「神は自分に似せて泥人形を作った……」

 

「ゴーレムですね。真理の名前を紡がれた泥人形は額の印を剥がされ、土に還る。しかし、我々人類には常にゴーレムは頭を垂れている。いつでも死に還せます」

 

「傲慢な」

 

 眉をひそめた声音に紳士は煙い吐息を吹いた。リニアの空調設備がその甘いにおいを掻き消していく。

 

「傲慢で何が悪いのです。私達は神ではありません。人間なのですよ。欲を求め、人であるがゆえに惑う。それの何が悪いと言うのです」

 

「性悪説を唱えるつもりはありませんが、人の善性を否定するつもりもございません」

 

 何よりも、この論調では人は悪を成すからこそ、罪は想定されるべきだという結論に導かれかねない。

 

 悪だと分かっているから弾丸は人殺しのためだけにある。悪だと分かっているから刃は人の首筋を掻っ切るためだけにある。

 

 その帰結は素直に悲しいだけだ。全ての人の造りしものが、お互いを滅ぼすためだけにあるなど。

 

 紳士はその言葉に肩をすくめた。

 

「博士、思いのほかあなたは想定していた人間ではありませんね。トウジャという駒、それに現状を鑑みれば、すぐに首を縦に振ると思いましたよ」

 

「軽蔑しましたか」

 

「いえ、尊敬を」

 

 一欠けらも思ってないような口振りだ。タチバナはこの三文芝居を無用に続けるつもりはなかった。

 

 リニアは終点に向かいつつある。

 

「ワシにトウジャを造れと、素直に言いたいのならば言えばいい。ただ、ノーと言い続けますがね」

 

「分からないな。あなたほどの頭脳ならばどうして否定するのです。トウジャは革新ですよ。モリビトに追いつける可能性の塊です」

 

「言っておきますが、それは過去の遺物です。先人達の封じた過ちにすがってまで生き永らえるつもりはありません」

 

「トウジャはどこまでも飛躍出来る……現状の三すくみの関係性しかない人機の理論から飛び抜けられるんです。魅力しかないと思いますが」

 

「それは悪魔の囁きです。失礼を」

 

 リニアが停車する。特等席は慣性を感じる事もない。現れたスタッフが時間だと告げた。

 

 紳士は煙草を揉み消し、会釈する。

 

「有益な時間でしたよ、タチバナ博士」

 

 形ばかりの言葉にタチバナは返す。

 

「わざわざ時間をもらって申し訳ないが、ワシの結論は変わりません」

 

「そのようですな。ならば、あなたよりもっと前途ある人間に任せましょう」

 

 代わりはいくらでもいる。そのような論調にタチバナは座ったまま、言い返していた。

 

「地獄への道連れの名前を変えたところで、それが人類の原罪である事は変わりませんぞ」

 

 紳士は立ち去り間際、こちらに振り返った。

 

「そうかもしれません。ですが、賢明な人間は地獄でありながら、それを天国だと思い込む事が出来るのですよ。人は、他の生物と違うのは思い込める事です。思い込み程度で自らを欺ける生物は、惑星を探しても人間だけです」

 

「それを、ご子息にも言ってやったらどうなんですか。シーザー議長」

 

 タブー視された名前を紡ぐと紳士は柔らかく微笑んだ。

 

「我が子ながら、あれは理想主義が過ぎましてね。あなたくらいリアリストならばまだいいのですが、うまくいかないのは人機よりも子育てですな」

 

「親の背中を見て子は育つのです。そんな当たり前の事をお忘れか」

 

 こちらの挑発に相手は乗らなかった。

 

 リニアが音もなく滑るように走り出していく。次の停車駅までのアナウンスが響く中、タチバナは呟いていた。

 

「……人間であるがゆえに、逃れられないのか。過ちからは」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯90 戯れの拳

 

 叔父さん、と呼び止められてガエルは振り返った。

 

 不安げな面持ちでカイルが立ち竦んでいる。手には処方された薬があった。あれ以降、不眠症に悩んでいるという彼は軍の心療内科に通っている。

 

 一時的なストレスによる不眠症状。一軍人ならばいざ知らず、国家の象徴になりかけているカイルの場合、それは可及的速やかに解決すべきだ。

 

 だから本来ならば様子見程度の症状でも彼には適切な薬が処方される。

 

 戦地で部下が安定剤を打っていたのと物は同じだ。違うのは、真っ当な方法でそれを受け止めている事。戦いからの逃げの方便に使える事実であった。

 

「どうした? 今日の診察は」

 

「もう看てもらいました……。食欲もなくって」

 

 精神安定剤と胃薬が入った袋を手にカイルはどこか憔悴した瞳でこちらを見やる。

 

 救いの手を差し伸べて欲しい、とでも言っているかのように。生憎だが、自分は戦争屋であってセラピストではない。だから、彼の苦しみの一端を背負うリスクは負う必要はない。

 

「無理するな……と言いたいところだが、食べられるものは食べておいたほうがいい。そのうち、胃が拒絶反応を起こす事もある」

 

 経験則だ。人死にに慣れていない新兵が一番に崩すのは食事の側面。食えなくても食っておくのが戦場で一秒でも長く生き永らえるための方法論である。

 

「叔父さんは何でも知っているんですね……。僕はあの一回で、もう駄目になったのかと思いました」

 

「カイル、弱気になってどうする? お前が背負っているのは、何も自分の家柄だけじゃないんだぞ」

 

 国家をその双肩に負わせるのには、その身体はあまりに華奢である。優男の限界点が来たか、とガエルは冷ややかな胸中で見つめていた。

 

「そう、ですよね。僕が頑張らないといけないのに……。父上にメールを送ったんです」

 

 突拍子もなくこの青年は人生相談を行うものだ。ガエルは黙ってそれを聞き届ける。

 

「でも、何の返事もなくって……。怖いんです。もうお前は要らないって言われているみたいで……母さんと同じように」

 

 捨てられる恐怖か。この青年は今まで必要とされる場面で責務を果たしてきた。それが踊らされているのだと疑いもせずに。前回の戦闘でモリビトと戦い、トウジャと呼ばれる機体と戦った事は無駄ではなかったようである。

 

 この無鉄砲な青年に、ようやく死の恐怖を与えてくれたのだから。

 

 しかし、ここで臆して逃げ出されれば困るのだ。自分の最終目的は彼を足蹴にしてでものし上がる事。ゾル国の象徴を踏み台にしてどこまで昇れるのかは不明だが、あのいけ好かない将校はまだ命令を解除しない。

 

 この歪な関係性を続けろ、という事なのだろう。忌々しい、とガエルは胸中に結ぶ。

 

 どこまで他人を愚弄すれば気が済む。たった一回の戦闘で使い物にならなくなる程度の細い神経の持ち主など最初から当てにするだけ無駄ではないのか。

 

 ガエルはここで切るのも手か、と考えていた。この青年に張子の虎を演じてもらうのもいつかは無理が生じてくる。その時に己の足まで引っ張られると困る。

 

「カイル、軍を辞めたいのか?」

 

 直截的な物言いがこういう手合いには一番に効く。それも選択肢は出来るだけ少ないほうがいい。

 

 カイルは震えながら首を横に振った。

 

「……分かりません。でも叔父さんは、僕が軍を辞めたら、どうします?」

 

 逆質問されても自分は叔父でもなければどうもしないとしか言いようがない。この任務が終わればまたどこか惑星の裏側で殺し合いをすればいいだけだ。戦場という食い扶持の困らない職場はいくらでもある。

 

「どうもしない。カイル、甘く考え過ぎじゃないのか」

 

 だからか、ここでは無駄な虚飾は必要ないと考えていた。適当に優しい言葉であしらう事も出来たが長引かせたところでこの青年はいずれ破綻する。この任務にも疲れてきたところだ。打ち止めは早いほうがいい。

 

 ガエルの言葉に彼は少しだけ衝撃を受けたようであったが、やがて目を伏せた。

 

「そう、ですよね……僕は、もう大人なのに、また頼っている。子供なんですよ、いつまで経っても。世間知らずだった……随伴機を失ってまで生き永らえたその恥を知らずに、こんな事を聞くなんて、ずるいですよね」

 

 勝手に自己完結されてもらっても困るのだが、ガエルはあえて口を挟まなかった。彼はその脳内で理想的な叔父を身勝手な押し付けで描いている。自分がその理想像から離れようとしても、彼に離すつもりがない。

 

 理想に抱かれたまま溺死する運命なのは見るも明らかなのに、カイルはこちらへと提言した。

 

「叔父さん、僕の《バーゴイル》のところまで、来てもらえますか……?」

 

「分かった。行こう」

 

 デッキへと向かう途中、カイルはあまりにも言葉少なであった。ともすれば愛機との別れを告げに行くのだろうか。辞めるのならば勝手に辞めればいい。自分もお役御免だ。そう考えていたガエルは整備デッキに佇む《バーゴイルアルビノ》を仰ぎ見た。

 

 戦場に赴くのにはあまりに見合わないほどの白さ。黒いカラス部隊の中で、唯一の白カラスはその存在感を放ちつつ、操主と向かい合っていた。

 

 カイルは手を伸ばしかけて躊躇っているようだ。《バーゴイルアルビノ》の赤い眼窩がこちらを睥睨している。

 

 人機にはこの偽りの関係性が見えているのかもしれない、というガラにもない感傷が胸を掠めた。

 

「僕の《バーゴイルアルビノ》……あんなに壊れたのに、もう修理されて……」

 

「特務機ですからねぇ」

 

 こちらに歩み寄ってきた整備士が汗みどろの顔で白い《バーゴイル》を仰ぐ。その眼差しには尊敬の念が見え隠れしていた。

 

「我々からしてみれば、こいつを預からせてもらっている以上、いつでも最善に仕上げさせてもらっています。無論、ゾル国の旗に見合うように」

 

 ゾル国の旗。国家の象徴たる機体。カイルは感じ入ったように《バーゴイルアルビノ》の視線を受け止め、大きく深呼吸した。

 

「そう、だよな、《バーゴイルアルビノ》。一回くらいの負け戦で、諦められないよな」

 

 カイルはこちらへと向き直り、はっきりと口にした。

 

「叔父さん、僕を殴ってください」

 

 唐突な言葉にガエルは困惑する。

 

「何だって? 殴れ? どうしてそんな……」

 

「ケジメがつかないんです。みんながよくしてくれているのに、僕だけ悲観しているなんて、そんなの、らしくない」

 

 整備士がこちらへと視線を配り、一つ頷いた。

 

 自分がカイルの叔父である事を疑いもしていない眼差し。年長者として若者の過ちを正せ、という期待。

 

 ふざけるな、とガエルは拳を骨が浮くほどに握り締める。

 

 こんな、偽りの舞台でいつまでも三文役者を演じさせられて黙っていられるか。

 

 今すぐに喚き散らしたい衝動に駆られる。貴様の叔父など居るものか。自分は卑しい戦争屋だ。惑星の裏側で数え切れないほどの人間を踏み躙り、陵辱し、たとえ話に困らないほど死を見てきた。

 

 だというのに、こんな場所で、青臭い人間ドラマなどにうつつを抜かしているのがあまりに滑稽に思える。

 

 ガエルは拳を振るっていた。

 

 もうこの役割を終わらせたい。その一心で振るった拳に、制御は効かなかった。迷いなく振るったのはこの青年などどうでもいいと思っていたからだ。どう思われても、もう関係がない。

 

 終わらせるのならば潔いほうがいい。

 

 そう考えての一撃はしかし、カイルの理想に打ち消された。

 

 彼は笑顔を作り、痣をなぞる。

 

「ありがとう、叔父さん……。これで決心がついた」

 

《バーゴイルアルビノ》を見やったカイルは高らかと言い放つ。

 

「まだ戦える。まだ、僕は負けていないんだと! こんなところで腐っているのは、僕らしくない。らしくないですよ!」

 

 振り返ったカイルの声音に整備士達が同調する。皆がこの舞台に熱中していた。

 

 自分から言わせればどこまでも偽りに満ちた青臭い芝居を、全員が真実だと思い込んでいる。

 

 始末が悪いとはこの事か。

 

 逃げようとしても、もう自分は逃げられないのだ。

 

 この役割を演じ切るまで。本当の最後まで戻れないところまで来ている。

 

 ――正義の味方になってもらう。

 

 それはこういう意味か。雁字搦めになった自分はカイルの叔父として、果たすべき役目を果たすしかない。その結果の先が正義の味方だというのか。

 

 踊り続けるしかないその醜態が正義の味方なのだとすれば、ガエルは演じ切るしか道はないと感じていた。

 

 この先も、全てが終わるまで演じる事でしか、この依頼を完遂する事は出来ない。

 

 どこまでも汚れ役を買って出るつもりであった自分が皮肉なまでに綺麗事を並べ立てた人間の補佐に入る。

 

 戦争の何もかもを知り尽くした自分のような人間がこの世の穢れから最も縁遠いような人間のなくてはならない存在になる。

 

 それが正義の味方だというのならば、貫き通すしかない。

 

 逃げられないのは自分も同じであった。

 

 振るった拳は、ただの演技だけではない。

 

 もう果たすべき役柄に沿っているのだ。自分もカイルも、このゾル国でさえも。

 

《バーゴイルアルビノ》の赤い瞳だけが、それらの真実を看破しているように思えた。

 

 人機が並び立つ整備デッキで、ガエルは眼前で主役を演じる青年を見据える。

 

 ――こいつが死ぬか、自分が死ぬか。その時までこの舞台は終わらない。

 

 ならば終わりの引き金はせめて自分が引いてやろう。

 

 踵を返したガエルはその時を待ち望んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯91 焦土の花

 一ところに留まらないほうがいい、という結論に桃は反対するかに思われた。

 

 彼女は鉄菜の裏切りに心を痛めている。だからか、通信越しの面持ちには覇気がない上に、先ほどの《シルヴァリンク》の独断専行の責任を感じている様子であった。

 

「わたくしだって間に合わなかった。貴女がそんなに思いつめる事はないのよ、桃」

 

『でも、アヤ姉……どうしてクロは突然にあんな事……』

 

 作戦遂行に自分達が障壁となった。それだけのシンプルな答えにしては鉄菜の行動は読めないのだろう。

 

 なにせ桃には万能の鍵であるバベルがついている。そのバベルと直結する《ノエルカルテット》のOS、グランマが答えを保留にしているのだから困惑も無理からぬ事。

 

「ブルブラッドキャリア全体の指針変更、とかではない……と思う。鉄菜の今までの行動のほうがむしろ問題だった」

 

『じゃあ、クロへの制裁措置って事?』

 

「その可能性もあり得るわね。あえて《シルヴァリンク》と鉄菜を死地に置く事でその真価を見るつもりかも」

 

『……アヤ姉。モモ、そーいう大人の駆け引きって分かんない。どうして三機の連携が密になってきた今、クロがあんな事するの? ワケが分からないじゃない』

 

 フルスペックモードを得た《シルヴァリンク》単騎を止められなかった自分の落ち度でもある。だが決して逃がしてはならないという必死さもなかったのも事実。もしもの時にはRトリガーフィールドでいくらでも止められた。

 

 そうしなかったのは鉄菜の行動にもどこか意味があると感じたからであろう。

 

 決して無鉄砲なだけの操主ではないと分かった今だからこそ、封印武装による強攻策は取らなかった。

 

 それを組織に利用された可能性もあるが、今の鉄菜ならば話し合いでも充分に通用したはずだ。だというのに裏切ったという事は……。

 

「……わたくし達が思っているほど鉄菜は人でなしじゃないのかもね」

 

『どういう意味?』

 

 鉄菜がもし、自分と桃を盾に取られたのだとすればあの行動も頷ける。あるいは《シルヴァリンク》の存在そのものが揺さぶられたか。

 

 鉄菜はブルブラッドキャリアに一番の忠誠を誓っているように映る。その信頼を置く場所が《シルヴァリンク》だという事も。

 

 だからもし、二号機操主の立場を追われるような詰問をされれば、鉄菜は迷いなく動くのだろうという予感はあった。それが眼前で行われると想定出来なかったのは素直に想像力不足だが。

 

「鉄菜は、モリビトという機体にこだわっているから。《シルヴァリンク》を軽んじられると怒るし……本人は認めないけれどね」

 

『アヤ姉、一ところに留まらないのは賛成。こんな場所にいたって……感傷的になるだけだもの』

 

 基地は塵も残さず《ノエルカルテット》が消し去る算段になっていた。自分達の正体に繋がる証拠がいくつもある。最も単純で合理的な選択は痕跡を地図から消滅させる事。

 

「桃、貴女もちょっとは、責任を感じているの?」

 

『別に……でも守れなかったのは事実だし、受け止めようと思う。クロと一緒になって戦ったのに、モモはこんなにも……力不足だった』

 

《ノエルカルテット》は今まで常勝であった。だからこそ、今回の敗北が色濃く響いているのだろう。

 

 高出力R兵装を持つ《ノエルカルテット》の弱点を相手に晒したも同義だ。単騎での実力戦闘は難しいのだと痛感させられた。だからこそ、三機連携をこれまで以上に強く意識しなければと思った矢先の鉄菜の裏切りである。

 

 当惑は仕方ない事なのだろう。

 

 彩芽は鉄菜の言葉を思い返していた。感情が分からない、と言っていたか。

 

「分からない、か。鉄菜、でも貴女、何もかも分からないから壊してしまえるほど、強情な子でもないでしょう? ……理由があるって信じていいのよね」

 

 呟いた言葉は誰に聞き止めて欲しかったわけでもない。ただ鉄菜という少女一人を信じたいだけの話だ。

 

 桃は《ノエルカルテット》からもたらされるデータを《インペルベイン》に同期させている。浮かび上がった投射映像のルイが全天候周モニターを遊泳する。

 

『彩芽。やっぱりブルブラッドキャリアからの命令書なんてないよ』

 

「……考えには浮かべていたけれど、やっぱりか」

 

『やっぱりって……』

 

「わたくし達には第四フェイズはあてがわれなかった、という可能性」

 

 その言葉にルイは戦慄いた。

 

『でも、だからと言って二号機のみのオペレーションなんて』

 

「そう、不可能に近い。そんな事は、今まで何度も分かっているもの。《シルヴァリンク》と鉄菜だけじゃ、敵の寝首を掻く事も怪しい。でも、組織は鉄菜を独断専行させた。……出来過ぎているわね」

 

『何が? 状況証拠だけなら、《シルヴァリンク》の性能を試すためだとか』

 

「いいえ、わたくしが思っているのは、そう、例えば……」

 

 ――例えばもう必要のなくなった駒を有効活用するための死地。

 

 そのためだけに《シルヴァリンク》と鉄菜は裏切りを演出させられた可能性も高い。今まで鉄菜には何か隠し事をしている様子が見受けられた。その不手際の責任を取らせるのに、モリビトの操主の放免、という形を取ろうにもモリビトに関して熟知している鉄菜という存在が邪魔である。

 

 一番に有効な策は、モリビトと操主、両方を戦死させる事。

 

 そうする事で切り捨てられる、という考えであった。鉄菜の向かった先を予見すれば自ずと見えてくる思考回路だ。

 

『例えば、何? 彩芽、もう少し考えて喋ってよ』

 

「ゴメン、ルイ。どうにも余計な事ばっかり考えちゃってね。マイナス思考になりがちだわ」

 

 この方法論ならば《シルヴァリンク》を確実に破壊する策が取られているはずである。現状においてモリビトの実力を示しつつ、その最期に相応しい場所と言えば限られてくる。

 

『アヤ姉。クロの足取り、モニターしたほうがいい?』

 

《ノエルカルテット》の搭載OS、グランマは《シルヴァリンク》に枝をつけるくらいは造作もないのだろう。

 

 だがどこまで追っていいものか。ミイラ取りがミイラになりかねない。

 

「わたくし達があまりにも鉄菜に近づいても、多分逆効果。《ノエルカルテット》は出来るだけ気取られないようにして。《インペルベイン》側でも模索してみるけれど、とりあえずここは離れましょう。ゾル国に位置を掴まれたままなのは旨みがないわ」

 

『……壊す、のよね』

 

 逡巡があるのは基地の人々の魂が眠る場所を侮辱していいのか、桃なりの気遣いだろう。高圧的なだけの少女かに思われたが、歳相応の脆さは持っているようだ。

 

「ええ、壊して。そのほうが彼らとってもいいはず。後から墓荒らしなんてされずに済むもの」

 

《ノエルカルテット》が両翼を畳み、砲塔にR兵装のエネルギーを充填していく。直後には、眩いばかりの閃光が基地を包み込んでいた。

 

 R兵装の二門の砲門から紡ぎ出された光条が基地を跡形もなく消し去る。地図に、そこに人がいた痕跡すらも残さずに。

 

 自分達モリビトの操主は残酷だ。そう世界に思わせればいい。人々が自分達の罪を直視する気がない以上、残酷であるのには慣れておかなくては。

 

 ただ桃は耐えられなかったのだろう。通信ウィンドウの途絶えたコックピットの中で咽び泣いているのが音声のみで伝わった。

 

 無理もない。桃からしてみれば初めて地上の人間を直視した。自分達が殲滅していった場所にも人がいたという事実が重く圧し掛かっているのだろう。

 

 だが、それがブルブラッドキャリアなのだ。惑星への報復を誓ったからにはそれを達成しなければならない。

 

 たとえ罪に塗れた道であっても、歩み続ける。その信念を曲げないからこそ、自分達はまだモリビトの操主でいられる。

 

 鉄菜は、一番に合理的なようでどこか歪だ。

 

 彼女は何か一つの事で壊れそうになっているようにも思われる。堅牢なようで、脆い器が鉄菜だとすればもうその器の許容量は通り過ぎているに違いない。

 

 それを見越しての鉄菜の単独任務か。あるいは、他の思惑があるのか。

 

 第四フェイズ執行の命令書もない今となっては分かるはずもない。

 

「ルイ、第四フェイズの実行命令は?」

 

『全く……彩芽、これじゃ放逐されたのはこっちなんじゃ……』

 

「それはない……と思いたいわね。じゃあ本丸から送られてくる前に、これを」

 

 彩芽は全天候周モニターの一画を叩いてキーボードを引き出し、そこに命令書を書き上げる。

 

『彩芽、それは……』

 

「あと三時間以内に組織からの命令がない場合、一号機のみに送られてきた単独命令書としてそれを三号機と同期する」

 

『でもそんなの……組織への裏切りじゃ』

 

「組織がわたくし達を軽んじている現状が気に食わないのならば、抗うしかない。鉄菜の居場所は多分、わたくしの推測通りならばそこでしょう」

 

 記述した地域を彩芽は見据える。マップを呼び出し、濃霧に隠れた国家を導き出した。独裁国家ブルーガーデン。何人もその実情を窺い知る事の出来ない鋼鉄の花園。

 

 ブルブラッドキャリアの事前情報でもブルーガーデン兵との戦闘は極力避けよとの警句があった。それだけ相手の戦力が読めないのだ。

 

 鉄菜にはその警告が伝わっていなかったようだが、先の戦闘を経験した彩芽には分かる。

 

 ブルーガーデンの兵力と思しきもう一機のトウジャ。あの異常な機体は他国の介入を拒み、血塊炉をほぼ独占している国家でなければ不可能な改修であった。

 

 自分達はそれほどの相手と矛を交えようとしている。覚悟は携えておくべきだ。

 

『ブルーガーデン。こんな場所、仕掛けるなんて事前命令はなかったのに』

 

「そりゃ、ないでしょうね。あまりにもリスクが過ぎる。あるいはこう言い換えたほうがいいのかしらね。だからこそ、鉄菜一人を送った」

 

『……殺すつもりだって言うの?』

 

 ルイの詰めた声にそれもあり得る、と彩芽は頷く。鉄菜を殺して後釜をどうするつもりなのかは不明だが、ブルブラッドキャリアの中で自分達執行者の立場が危うくなっているのは確か。

 

 鉄菜は体のいい生贄か、あるいは執行者の真の実力を見るための試金石か。いずれにせよ、鉄菜は駒として扱われている。それを自分はよしとするつもりはない。この流れが続けばいずれ自分も同様に扱われかねないからだ。

 

 身の破滅をもらたすのは何も惑星間の国家だけではない。組織内部の裏切りも視野に入れるべきであった。

 

『アヤ姉? ミュートにしているの?』

 

 先ほどから声が聞こえないのを訝しみ、桃が尋ねてくる。通信チャンネルをオープンにして聞き返した。

 

「……もう、いいの?」

 

『泣いていたって仕方ないもん。モモは、《ノエルカルテット》の操主だし』

 

 強気なところは素直に褒め称えるべきだ。彼女は自分の役目を知った上で進む事を選ぼうとしている。比して鉄菜は状況に流されつつある。

 

 それが彼女らしいと言えばそうなのだが、このまま見殺しを選択するほど自分は薄情に出来た覚えはない。

 

「桃、力を貸してくれる?」

 

 まだ命令書は書いている途中だ。だからこれは手札があっての言葉ではない。

 

 単純に、お互いのために命が張れるのか、という確認であった。

 

 別に拒まれても構わない。それがブルブラッドキャリアの在り方だと言われればそこまでだ。

 

 桃は僅かな逡巡の間を挟んだ。

 

『……分かんない。おかしいよね、アヤ姉やクロを選定する役目を帯びている、って大見得切ったくせに、今はどうしたらいいのか分からないんだもの。ただ、ロプロスやロデム、ポセイドンが敵になったら迷いなく撃てるのかって言われれば、分からないって答えるのと一緒なんだと思う』

 

「桃にとって、三機のサポートマシンは大切なのね」

 

『そりゃ、大切だよ。……だって、この子達は……』

 

 その言葉の先を飲み込んだようであった。まだ言うべき時ではないのだろう。聞くべき時でもなかったのかもしれない。今は鉄菜一人の目を覚まさせる。その認識で合意出来た。

 

「わたくし達だけで、組織の思惑から抜け出せるかどうかは分からないけれど」

 

『《インペルベイン》、大分消耗してる。封印武装を使ったの?』

 

 隠すまでもない。彩芽は応じていた。

 

「ええ、切り札と言ってもいい封印武装をね」

 

『そっか……モモも、フルスペックモードのコンテナを受け取る時、切り札を見せちゃったの。アヤ姉にも、もちろんクロにも秘密にしておこうと思っていたんだけれど、今は何だか言ってもいいような気がしちゃった』

 

 非情なる選定者に彼女を選ぶのには、まだ桃は幼過ぎる。このような少女に全権を委譲するのはただただ酷というもの。

 

「……こうして何もかも燃えていくのかしら。焦土の中でしか、わたくし達は咲けないのかもしれないけれど」

 

 視線の先にあったのは全てが焼け落ちた基地の痕であった。否、痕跡すらもない。この世にあった証明すら消し飛ばせるのがモリビトの力。同時に、それを振るう事が許されたのが自分達ブルブラッドキャリアの執行者。

 

 だというのに、鉄菜はその禁を破った。理由があるはずだ、と分かっていながらも、理由だけで許していいのか分からない。

 

 鉄菜は合理的であろうとして誰よりも非合理だ。桃の《ノエルカルテット》に貧血状態で勝負を挑んだ時もそうだが、最初からである。

 

 勝ち負けという土俵上で戦う事、それそのものが下策なのに、鉄菜は譲らない。あまりに強情だと思えたが、それが何に起因するのかを自分達は全く知らないのだ。鉄菜の事を知らずして敵同士になるのは間違っている。

 

「鉄菜……次に会ったら教えて。貴女の物語を」

 

 たとえ銃口を突きつけ合うようになったとしても、であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯92 独りの戦場

 

 バード形態への可変が不可能である事、フルスペックモードを維持して第四フェイズに移るべきであるのかどうかの審議を待っている間、鉄菜は自動航行モードに設定させた《シルヴァリンク》のリニアシートに背中を預けていた。

 

 全天候周モニターにはリアルタイムのニュースが飛び込み、世界では今日も血で血を洗う戦闘が行われている事を窺い知る。

 

 トウジャタイプのデータを検索したが白兵戦闘用の二号機では閲覧レベルが許可されていない。こういう時に《ノエルカルテット》がいれば……あるいは桃・リップバーンがいれば、と考えてしまう辺り、脆くなったと感じる。

 

 単独でも任務遂行が当たり前だと思っていた。他のモリビトの力に頼らなくとも《シルヴァリンク》一機で世界と渡り合えるのだと。

 

 だが、その見せ掛けの自信は今となっては随分とあやふやだ。

 

《インペルベイン》と共に駆け抜けた戦場。《ノエルカルテット》に活路を見出してもらった戦いもあった。

 

 彩芽にも桃にも、一度として言っていない言葉がある。それを言わずして別れてよかったのか。脳裏に浮かんだのはただそれだけであった。

 

『鉄菜。やっぱりこんな選択肢、間違っていたんじゃないマジか?』

 

 顔を覗き込んでくるジロウの頭を手で押さえてやる。じたばたするジロウに鉄菜は言いやっていた。

 

「ブルブラッドキャリアの命令に、ノーは言えない」

 

『でも、鉄菜は戦ってきたマジ。誰よりも危ない戦場で。その経験を分かってもいない相手に判断を委ねるのはおかしいマジよ』

 

「ジロウ、いつから組織への反抗が口に出来るようになった。お前はただのシステムAIだ」

 

『システムAIでも、おかしいって思えるマジ』

 

 おかしいと「思える」か。鉄菜は冷笑を浮かべる。その思考の部分が自分には全く判らない。

 

 システムAIに学習機能はあるものの、それは所持者を越えて学習するものではない。所詮は機械なのだ。だというのに、自分は機械よりも何かに乏しい。欠けているのだ。しかしその欠落が分からない。欠落を欠落だと理解出来るまでの思考回路が完全に抜け落ちているせいでこの致命的なミスを誰かに説明する事でさえも容易ではない。

 

 自分はおかしいのか? 自分は何か違うのか?

 

 だとすれば、それはこの身に流れる血潮の色か。鉄菜はRスーツを身に纏った身体を見やる。

 

 彩芽の血の色は赤かった。桃は確かめていないが赤いのだろうと思う。

 

 ――あの時、別れた燐華も赤い血の持ち主であっただろう。

 

 だが自分は。自分は本当に、人間なのか。分からなくなってしまう。

 

 本当にこの身に流れる血潮は赤いのか。人のそれであるのか、判断出来ない。掌を透かせば分かるのだろうか、と額に手をやったところで通信が入った。

 

『二号機操主、鉄菜・ノヴァリス。現在の航行状況を述べよ』

 

 その言葉に鉄菜は現在地のマッピングと座標軸、地軸を返した。

 

『結構。フルスペックモードでの戦闘を加味するべきか、との質問であったが、今回、モリビトと操主は別個に行動してもらう』

 

 放たれた言葉に鉄菜は目を見開く。

 

「それはどういう事か。《モリビトシルヴァリンク》と合同の任務だからこそ、私が充てられたのではないのか」

 

 そうでなければ、何のための離反か。ただ単に反感を買っただけだ。そう言いたげであったのだろう。鉄菜の言葉振りに相手は意外そうであった。

 

『データと違うな。こちらのコード認証には素直に応じるように設計した、とあったが……』

 

 ここで勘繰られればせっかくの第四フェイズもお釈迦だ。鉄菜は口を噤み、言い直した。

 

「《モリビトシルヴァリンク》、それに専属操主、鉄菜・ノヴァリスは説明責任を求める」

 

 これでいいのだろう、という目線を音声のみの回線に送る。相手は納得したようであった。

 

『よろしい。執行者に余計な感情は必要ないとして造られたセカンドステージの操主としての模範解答だ。こちらも質疑に応じよう。モリビトとの別個の行動と前置いたのは、モリビトクラスの機体、つまり人機による制圧戦は最終局面まで伏せておくべきだと判断したからだ。それまでの哨戒任務こそ、本懐である』

 

「哨戒任務? 作戦命令書にはブルーガーデンへの潜入とある。あの国家に潜入など容易ではないと考えるが」

 

『左様。ブルーガーデン国土は青く汚染され、通常の人間の活動を極端に妨げる。マスクと浄化装置を装備していても外気を浴びれば一時間と持たないとの検証結果が出ている。……表向きは』

 

「表向き?」

 

 その段になってようやく相手が手札を晒してきたのが窺えた。

 

『ブルブラッド大気汚染レベルは高いが、このデータを参照して欲しい』

 

 送られてきたのは青い霧に包まれたブルーガーデン国土を別の解析カメラで見た結果である。汚染濃度の高い部分は赤く染まっているのだが、中央に行くにつれて汚染レベルはほぼ無害の域まで達しているのが分かった。

 

「これは……汚染されていないのか」

 

『汚染域はダミーというわけだ。実際にはブルーガーデンは他国よりも簡単に血塊炉が産出出来るわけだから浄化装置を発明したのも遥かに早かったはず。だが、それを外部にもたらしてはならなかった。汚染された最初の原罪を抱えた土地……テーブルダストポイントゼロの中枢地点にほど近い事を利用する必要があった』

 

 ブルーガーデンの北方に位置するのはかつてこの星を青く染め上げた人類の功罪の証が位置している。テーブルダストポイントゼロ。この百五十年余り、人智を妨げてきた大自然の罰の象徴は今も汚染を撒き散らしているのか。

 

 ブルーガーデン国土と比べて見てもその差は歴然。国土はダミーの汚染で騙せてもさすがに最初の場所だけは騙せないようだ。

 

 ポイントゼロ地点の汚染は最高濃度。汚染領域九割以上という規格外の数値を弾き出している。

 

「こんなの、人間は生きていけない」

 

 そこではたと気づく。ではどうやって血塊炉の安定供給が成されているのか。テーブルダストを支配しているからブルーガーデンは安泰なのではないのか。

 

 その疑問点にようやく至った事に相手も悟ったらしい。

 

『どうしてブルーガーデンはそれほどの汚染の場所から血塊炉を安定供給するのか、だろうな。これを見て欲しい。もう百五十年は経っているはずだが確かに稼動している』

 

 映し出されたのはブルーガーデンの内部に潜んだ諜報員が映し出した動画であった。機械が組み合わさり、ケーブルで引き上げられてくるのは巨大な青い光を放つ石であった。その石を映した途端に映像が激しく乱れる。ブロックノイズばかりの映像であったが、その稼動している機械はまさしく……。

 

「血塊産出のための、プラント設備……?」

 

『同じようなものを君は宇宙で見ているはずだ。そうとも。このプラントは百五十年前のものだが、あまりに強固に造られていたのだろう、人類が踏み込まなくなった数十年間、絶えず血塊炉を安定して汲み取り、設計し、構造解析を行い、血塊炉として人類にもたらし続けた。ブルーガーデンの恩恵は全て、過去の機械群の偶然の積み重ねによるものだ』

 

 理解出来なかった。否、してはいけないような気がしていた。ブルーガーデン国土だけの問題ではない。これは人類全体の問題だ。

 

 血塊炉に頼る兵器や機械が全て、百五十年以上前に製造されたプラントが、壊れずに今日まで稼動し続けた結果だと。それではあまりにも……。

 

「人類は……愚かしい」

 

『そうだとも。だから壊す』

 

 応じた声音に鉄菜はハッと頭を振る。

 

「壊す? プラント設備をか?」

 

『他に何の意味がある? 我々ブルブラッドキャリアが宇宙へと広げた手をみすみす相手に晒していない以上、これが最も惑星に打撃を与えられる作戦となるだろう。相手の拠点を制圧し、血塊炉の産出設備を破壊、これによって敵の人機供給を完全に絶つ』

 

 大筋は理解出来る。有効なのも頷けた。だが、どこかでそれを拒んでいる。自分の中の何かが歯止めをかけようとしていた。

 

「……待って欲しい。そうなれば人類はどうなる? 浄化装置でさえも血塊炉の恩恵だ。血塊炉が完全に途絶える、という事はコミューンの生活も立ち行かない。惑星に棲む六十億人以上が死の瀬戸際に立つ事に――」

 

『二号機操主、それ以上を考える必要はない。君はただ任務実行に際し、イエスと答えればいいのみだ。《シルヴァリンク》と共にブルーガーデンプラント設備を破壊し、人機による敵の迎撃装置を奪う。無論、容易ではないであろうがルートは確保している。この任務に当たっての不安要素は存在しない。ただただ首を縦に振ればいい。それだけの明確なものだ』

 

 明確。果たしてそうなのだろうか。自分がただ単に頷けばこれまで通りの。しかし鉄菜の胸中には一滴の迷いがあった。

 

 ここで首肯していいのか、という逡巡。それを読み取ったのか相手は尋ねてくる。

 

『どうした? 二号機操主。この命令に異論でもあるのか』

 

 異論はある。ここで自分が破壊工作を実行すればブルブラッドの汚染域を広げる事になってしまう。また人が大勢死ぬのだ。

 

 自分のやろうとしている事は戦争屋を自称したあの男の実行した大気汚染テロと何ら変わらない。

 

 だが、最初から変わりもしなかったのだろう。

 

 自分達執行者はブルブラッドキャリアの剣。その事実に間違いはないのだから。

 

「いや……実行させていただく」

 

『それでいい。ブルーガーデンへの入国だが、C連合を介する必要がある。マッピングされた場所まで向かって欲しい』

 

 またしても直前に集合場所が変更される。ほとんど踊らされているようなものだ。鉄菜は《シルヴァリンク》の操縦桿を引いて合流地点へと走らせる。

 

『鉄菜、やっぱりおかしいマジよ。どうして鉄菜一人でこんな事をしないといけないマジ?』

 

「ブルブラッドキャリアの目的は惑星圏への報復だ。だから必要な事なのだと理解出来る」

 

『でも理解と実際にやるのとは雲泥の差マジ。鉄菜はどこかで、この任務に異議を唱えているように思えるマジよ』

 

「だとすれば私はまだ半端だ。実行するのに何の疑問もない。戦い抜くだけだ」

 

 新たにした決意にジロウはうぅむと呻った。

 

『鉄菜がそう言うのなら止めないマジが……それにしたって相手の手札の見せなさは異常マジ』

 

 ブルブラッドキャリアの協力者。今まで通信すら繋いでこなかった相手に自分が踊らされるなど。しかし立場は相手のほうが上なのだ。執行者は従うしかない。

 

「機密が守られている。それだけで充分だろう。私は余計な詮索を挟まないだけマシだと思っている」

 

『……彩芽や桃の事を言っているマジか? でも鉄菜は二人といる時より無理をしているみたいマジ』

 

「無理? 私のどこに無理がある?」

 

 返答した鉄菜にジロウは丸まって言いやった。

 

『それが分からないから、無理だって言っているマジよ』

 

 わけが分からない。ジロウに諭される理由も、こうして己の中で堂々巡りを繰り返す疑問の数々も。

 

 何が正解で何が間違っているのかも。分かるのならば当に理解出来ているはずだ。それが見えないのはどうしてなのか、心底、理解に苦しむ。

 

「……ジロウ。水無瀬、なる人物に関しての情報を」

 

『探る気になったマジか?』

 

「こちらも手札が必要だ。そう考えたまで」

 

『……素直じゃないマジねぇ』

 

《シルヴァリンク》のシステムが協力者の素性を調べようとする。鉄菜は流れ行く紺碧の大気に抱かれながら、この一手の意味を探っていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯93 信じるものは

 アポイントメントは相手に合わせる、とは言った。

 

 だが、まさかこのタイミングだとは。軍部が《プライドトウジャ》の改修とトウジャタイプの量産に乗り出した今、出来るだけ席を空けたくはなかったが、相手のたっての希望と言われれば従うしかない。

 

 リックベイは面会室に訪れていた。防音設備がしっかりと成された一室に歳若い男が座り込んでいる。

 

 こちらを認めるなり相手は立ち上がり、会釈してきた。

 

「すいません。時間が取れなかったもので、随分と後回しになってしまいました」

 

「いや……こちらも驚きだったのはまさかあの高名なタチバナ博士の助手だとは」

 

 思いもしなかった、という声音に男は微笑んだ。

 

「いえ、あまり大っぴらにしていないだけですよ。この一室も研究室の一つです。博士が人を招く時にはここにしろ、とのお達しで」

 

 当の主人であるタチバナ博士はいない。面会室に佇む男がすっと手を差し出す。

 

「渡良瀬です、よろしく」

 

「リックベイ・サカグチです。話は……」

 

「どうぞ。おいしいコーヒーを用意しておりますから」

 

 渡良瀬がコーヒーメーカーに歩み寄る。リックベイは面会室に張り巡らされた三次元マップを見やった。

 

 赤く塗られている地点は全てモリビトの襲撃地点と一致する。

 

「博士は、モリビトの追跡に興味がおありで?」

 

「なにぶん、01と遭遇した人間ですから。因縁を感じているようです」

 

 緑のモリビトの事か。参式の品評会に招かれた人間のリストには目を通していたのでリックベイはすぐさま切り返していた。

 

「しかし、博士はここには……」

 

「現在はゾル国に。開発担当として向かっているそうで」

 

 仮想敵国に、か。リックベイは今こそ、タチバナ博士に意見を仰ぐべきだと感じていたが、やはりそう容易くはいかないようだ。

 

 マグカップを手に渡良瀬がソファを勧める。リックベイは芳しく立ち昇るコーヒーの香りに僅かに緊張を解いた。

 

「博士はモリビトの事をなんだと?」

 

「興味ある存在だとは仰っていましたね」

 

 座った渡良瀬が人のいい笑みを浮かべる。興味ある、か。どうにも探らせてくれる気はないようだ。

 

「わたしは青いモリビトと交戦した事があります」

 

「存じていますよ。《ナナツー》でモリビトと肉薄するとは、さすがは銀狼、先読みのサカグチ、と言われるだけあります」

 

「《ナナツー》タイプは決して不自由な機体ではありません。敵も狼狽していた。勝てる見込みもあった戦いでした」

 

「しかし、勝てる見込みと、勝利出来るかは違ってくる」

 

 渡良瀬の引き継いだ言葉にリックベイは首肯する。

 

「どうにも性能面で優位を打たれている気がしてならない」

 

「話には。ゾル国の《バーゴイル》部隊が大挙として作戦行動を実施したとか」

 

 耳聡い事だ。リックベイはその事実に関しても私見を挟む。

 

「それでも、追い詰められはしなかった。モリビトは相当に強力な兵器だと考えられる」

 

「しかし、所詮は人機です」

 

 そう返してきた渡良瀬の瞳にはどこか余裕すら窺える。所詮は人機。その言葉がどのような意味を持つのかはこの先にかかってくるだろう。

 

「人機が最初に開発されてもう二百年。人は、黎明期の人機に何を見たのか……。ともすれば現在のような戦闘兵器としての運用は考えられていなかったのかもしれない」

 

「人型特殊才能機。最初の人機の呼び名だそうです。元々は人の才能を拡張する機体として想定されていた。それが今のように、兵器の代表格になるとは……皮肉としか言いようがありません」

 

「だが現状、人機開発は日進月歩。かつてのような人機の構造は解析され、百五十年前の禁忌ですら、人は手を出そうとする。それがどれほどまでに間違いに塗れているのかも知らずに」

 

 鎌をかけたつもりであった。しかし、渡良瀬は涼しくいなす。

 

「自分はただの研究助手です。博士の思惑にはついていけない。凡人ですよ」

 

 彼には研究の部分開示は行われていないのか。勘繰る眼差しを向けていると、渡良瀬は、そういえば、と切り込んできた。

 

「きな臭い話を耳にしました。三大禁忌……モリビトを筆頭とする三つの人機のうち、一つが解析され量産体制に入ったのだと。トウジャ、でしたか」

 

 やはり知っているか。リックベイは動じる事もなく、その言葉に応じていた。

 

「トウジャに関しては博士のご意見は」

 

「遠いですからね、ゾル国は。お話は聞けず仕舞いです」

 

 今の状況ではタチバナ博士はゾル国に幽閉されているも同じ。C連合にとっての優位は少しばかり損なわれていると言ってもいいだろう。

 

 だが、眼前にいる彼だけでも充分な利益にはなる。リックベイは早速言葉を継いでいた。

 

「エホバ、なる人物に関してお聞きしたい」

 

 どこまで相手が準備をしてきたのか、初見で分かるつもりであったが、渡良瀬は何も感じさせない瞳で応じる。

 

「共同著者です。人機開発の宇宙部門に関しての」

 

「それにしたところで、エホバ……神の名を騙るのはいささか傲慢が過ぎないか」

 

「いけませんか?」

 

 微笑みつつ応じた声音には何のてらいもない。心底、その名前には意味がないとでも言いたげだ。

 

「……確かに現在、信仰は死んだも同然です。しかしそれでも一レポートに、神の名前の共同著者というのはあまりにも」

 

 出来過ぎている。そう結んだリックベイに渡良瀬は顎に手を添えた。

 

「そちらの仰っているのはエホバという著者名に関する由来ですか? それとも、共同著者が誰か、ですか」

 

「両方ですよ。何を思ってこの著者名にしたのか。それを詳らかにしなければ意味がない。それに、宇宙での人機開発は結局、頓挫した部門です。理由は様々にありますが、一番の理由は血塊炉の安定供給。その問題ですが、それに関してのご意見は」

 

「一研究者です。博士ほど頭脳が長けているわけでもない」

 

「それでもあなたは世界の頭脳の助手だ。何か、一つでもいい。分かる事があるのでは?」

 

 その言葉に渡良瀬は呼吸を挟み、フッと口元を綻ばせる。

 

「サカグチ様。あなたは思っていたよりもずっと……真実に到達するのがお早い様子だ」

 

「軍人ですよ。真実というものがあるのならばお聞かせ願いたい。この門外漢のわたしに」

 

「門外漢を気取るにしては、あまりに頭が回る。上はいい顔をしないでしょうね」

 

「それも含めて、自分だと思っております」

 

 渡良瀬は指を鳴らし、三次元マップの惑星を見やった。自然とそちらに視線をやると、惑星が縮小され、外延軌道にあるいくつかの採掘コロニーが映し出された。

 

「ブルブラッドキャリアが来たとすれば、まさしく宇宙の枯れ野」

 

「廃棄コロニーですか、だが稼動しているとしても人機クラスの機体製造には及ばない。どう足掻いても、現状の開発規模には」

 

「しかし、これはご存知ないと思いますが、人機の開発には無重力下が最も適しているのですよ。この事実は百五十年前に実証されている。血塊炉の特性は理解されていますか?」

 

 リックベイは頭を振る。

 

「生憎、軍人には開発部門までは」

 

「血塊炉は集積すると反重力を生み出します。重力下では六分の一まで重力を軽減するのです。このデータは反証するまでもなく、飛翔能力を生み出す《バーゴイル》や、実験段階の装備であるR兵装の能力を知れば明らかでしょう」

 

《バーゴイル》は推進剤以前に反重力磁場で浮いている。それは分かってはいたが、血塊炉が集積すれば重力を軽減する、という話は初めてであった。

 

「R兵装にそこまでの力があろうとは」

 

「ですが、戦場で何度も目にされているはずです。R兵装とそうでない武器では埋めようのない溝がある事を」

 

 リックベイは白兵戦術の刃と青のモリビトの刃がぶつかり合った瞬間を思い返す。弾かれたかのように白兵の刃はその攻撃力を打ち消された。

 

「反重力……ですか。にわかには信じ難い」

 

「開発部門とは言っても、現時点での人機開発ではそれほどの無数に渡る血塊炉を同時処理する事はない。どうしてだか分かりますか?」

 

「ブルーガーデンが血塊炉産出に関しては牛耳っている。その現状で血塊炉を国が定めた以上の規模で開発ルーティンに回す事は不可能」

 

「正解です。だから血塊炉の特性に誰も気づけない」

 

 だからモリビトは惑星圏では開発出来ない、と言いたいのか。リックベイは問い質していた。

 

「血塊炉の産出、それに伴う反重力磁場の解析……どれもオーバーテクノロジーの域を出ない。三国の冷戦状態が解かれない限りは」

 

「そのために、モリビトは遣わされたのかもしれませんね。国家という枠組みを解体し、人類を一つに導くために」

 

 その過程がモリビトによる襲撃だと言うのか。人類をあるべきステージに引き上げるために、モリビトは破壊活動を行っているとでも。

 

「国家と言うものは……偉そうな事は言えませんがそう容易くはない。百五十年、いや国家の規模から鑑みれば百年程度の溝でも、それは永遠のように横たわる。小国コミューン、オラクルの独立に際してもそうです。あの国家一つに世界が踊らされたとは言え、もう沈静化しようとしている。それはやはり三国による一強を生み出さない政策が意味を成しているのでしょう」

 

「《バーゴイル》、《ナナツー》、ロンド。この三つの人機の開発形態そのものが、現在の緊張状態を維持している。ですが、ここに一石が投じられれば? 例えばそう、新型人機」

 

 やはりトウジャの事実に関してここである程度はオープンにする必要があるか。しかしリックベイはあえて伏せたままどこまで相手から情報を開示出来るかを試そうとしていた。

 

「新型など、ここ百年存在し得ない。それが急激なブレイクスルーを生み出すとすれば、その人機がどこからか採掘でもされない限り不可能」

 

 そちらは採掘されたと言う事実を知っているのか、という逆質問。答えるのならば、相手はただの助手ではなく、国家規模の機密に肉薄している事になる。どう応じても渡良瀬からしてみれば手札を切る事になるのだ。

 

 どう出る、と息を詰めたリックベイに渡良瀬は失笑した。

 

「……食えないですね。軍人、というラベルは一度剥がしたほうがいいのでは? 政でも先読みが出来る有能なお方だ」

 

「目下のところ、政治に口を出すつもりはございません。ただ、真実のみを知りたいだけの事」

 

「真実……ですか」

 

 ここに来てようやく、リックベイはマグカップのコーヒーを口に含んだ。僅かではあるがこちらに優位が転がりつつある。話すのは相手だ。自分は待てばいい。

 

 苦み走ったコーヒーの味にリックベイは良質な豆から抽出されたものである事を窺い知った。

 

「人機はただの兵器。それを言えば人は過ちを繰り返しているだけの代物となる。わたしは、人が善性に向かって進んでいるのだと信じたい」

 

「それでこそ、ブルブラッドキャリアの思想とは相反する、というわけですか」

 

 首肯すると渡良瀬は三次元の惑星に視線を投じた。

 

「人は、地から足を離して生きていられるようには出来ているとは思えない。宇宙で開発された人機があるとすれば、それは破壊せねばならないでしょう。我々人類の威信をかけてでも」

 

「それがたとえ百五十年前、星で製造されていたモリビトであったとしても……。いいでしょう。お話しましょうか。トウジャ、という人機に関するこちらの意見を」

 

 渡良瀬は腕時計型の端末から投射映像を発生させた。構築されたフレームは確かにトウジャのそれである。

 

 だが《プライドトウジャ》を意識した形状ではない。《プライドトウジャ》よりも随分とプレーンな印象だ。

 

「これが、トウジャ、ですか」

 

「我が方にあるのはこのトウジャのデータのみ。何故だか分かりますか」

 

「百五十年前のデータを参照しているから、ですか」

 

「実物は……さしものタチバナ博士でも見た事すらないそうです。しかし、人機開発の第一人者である博士にはトウジャのデータを閲覧する事が許されている。これは博士の最新のデータをこちらで抜き取ったものです」

 

 なんと助手自らタチバナ博士のデータをハッキングしている事を告げたのである。だが、それほどの事はしてなくては説明がつかない。自分のような一軍人と話す事ですらタチバナ博士からしてみればイレギュラーだろう。

 

「博士は……」

 

「無論、知らないでしょうね。いえ、知っていて黙っている可能性もありますが、そうだとすればトウジャの量産体制に異議を唱えているはず。ゾル国から出国出来ないという状態そのものが、博士が追い込まれている事を示しています。ゾル国も馬鹿ではない。トウジャの量産、新型の開発に踏み込めるのならば踏み込みたいでしょう。こっぴどく《バーゴイル》がやられた今となっては、新型こそが頼みの綱でしょうからね」

 

 モリビト相手に《バーゴイル》が大部隊を率いても勝利出来なかった。その事実は現時点での人機ではモリビトを追い詰める事さえも出来ないという帰結に繋がる。

 

「しかし、物量戦が意味がなかった、というわけではありますまい」

 

「それはその通りのようです。《バーゴイル》部隊とて無駄死にのはずもありません。結論として、三機を分散させ、なおかつ一機ごとに対処方を編み出せば難しい敵ではない事が証明されました」

 

 ブルブラッドキャリア側もどこまでこちらを軽んじているのかは不明だが、この事実を受けて策を練ってくるのだとすれば、次に来るのは恐らく……。

 

「牽制を超えた、破壊活動が実行される。今までのように前線基地への攻撃という形ではなく、人機の開発基地に絞っての攻撃さえも加味しなければ」

 

 渡良瀬はリックベイの発言を肯定する。

 

「それはそうでしょうね。拠点制圧を今まで以上に重視してくるブルブラッドキャリアの機体のために、世界は策を巡らせなければならない。人機開発のプランをしかし、一網打尽にするのには一国を滅ぼす勢いでなければ難しいでしょう」

 

 その一国の共通認識はお互いにあった。リックベイは結論を口にする。

 

「血塊炉の産出国への破壊工作。ブルーガーデンへと仕掛ける、というのが最も安直に人機開発に歯止めをかけられる」

 

「しかしそれが現実的なプランではないのは、ブルーガーデンがどのような国なのか、我々さえも理解していないからでしょう」

 

 ブルーガーデンの国家姿勢を世界は批判するでもない。それも一つの在り方だと認めている。むしろ濃紺の霧に囲われた国の中で人が生きていけるのか。それそのものでさえも不明であった。

 

「独裁国家に仕掛けると言うのはそれだけでリスクを伴う。如何にモリビトであろうとも単騎戦力で向かうにしては無鉄砲でしょう」

 

「三機が同時に仕掛けてもブルーガーデンには隠し玉がある。そう思ったほうがいいでしょうね」

 

 兵力差など畢竟は計算上の話でしかない。ブルーガーデンがどのような人機を開発していてもおかしくはないのだ。世界で有数の血塊炉の産出国。何をどのようにして、兵器がまかなわれているのか。国土は? そこに生きている人は? 全てが青い闇の中に包まれたブルーガーデンには誰も立ち入れない。

 

 だが逆にモリビトとブルブラッドキャリアが仕掛けるのだとすればそれは好機である。

 

 地上の誰も知れなかったブルーガーデンの兵力を見る試金石になるのだ。

 

 ある意味では怖いもの知らずのブルブラッドキャリアに全世界が期待している。独裁国家に仕掛けるのは彼らのような無頼の輩が相応しい。

 

「ブルーガーデンの兵力が我々には開示されていない以上、血塊炉産出国だというだけで仕掛けるのは随分と早計にも思えるが、それを仕出かすのがモリビトなのでしょう。なにせ、彼らは惑星への報復を謳った」

 

「そう、ですね。その謳い文句通りならばブルーガーデンにも攻撃をして然るべき。問題なのは全く対応策の見えないブルーガーデンにモリビトが食われてしまうのではないか、という事」

 

 ブルブラッドキャリアであったとしても独裁国家に仕掛けるのはリスクがある。それも承知で戦うのだとすれば無謀を通り越して無策と言えよう。

 

 だが、自分の掴んでいる情報筋が正しいのならば、次はブルーガーデンでなければおかしいのだ。

 

《プライドトウジャ》のレコードに残っていた謎のトウジャタイプ。ゾル国の機体ではない事からブルーガーデンにあれほどまでの兵力があると考えるのは当然の帰結。ならば、やられる前に叩くのがブルブラッドキャリアのやり口だろう。

 

 軽く見積もっただけでも《プライドトウジャ》と同等、あるいはそれ以上の不明人機と矛を交えるのは自分やゾル国ではない。モリビトと言うイレギュラーこそが相手取るのにちょうどいいはずだ。

 

 渡良瀬はリックベイの冗談に頬を緩ませた。

 

「食われる、ですか……。そうであったのならば随分とかわいいものですが、相手は独裁国家と目的の知れぬ反逆者。その喰い合いに国家が巻き込まれない事を願うばかりです」

 

「他国コミューンは静観を貫けばいい。問題なのは飛び火してくる可能性です。モリビトは三機編成。同時に仕掛けられればともすればあの独裁国家でも」

 

 そこから先を濁す。ブルーガーデンを傾国させるほどの力。それがモリビトに秘められているのだとすれば、あのモリビトは本当の脅威となる。その時こそ、並行して進んでいる新型人機の開発が意味を成すというもの。

 

 畢竟、モリビトの行動がどうであれ、開発部門はトウジャの新型機を通すつもりであろう。お歴々も然り、だ。

 

 自分達軍人は、ただただ突風の中の木の葉のように煽られ、行き着く先を待つしかない。それが破滅への道標であろうとも。

 

「……トウジャタイプを投入すれば、戦局は変わるのでしょうか」

 

「難しいところでしょう。戦場は水物です。どう転がるかなど、一軍人の身ではとてもとても」

 

「ですがあなたは先読みのサカグチの異名を取っている」

 

「所詮は経験則の上に成り立つ戦法です。ただ、他人よりも戦場を多く知っているだけの、場数の差に過ぎません」

 

 話はここまでだろうか。トウジャタイプの開発を気取られてはいないだろうが、トウジャを開発するためにタチバナ博士がゾル国に軟禁状態であるのは初耳であった。

 

 この情報を持ち帰るだけでも本国では成果となるだろう。

 

「しかし、宇宙で開発されているのが何もモリビトだけだとは限らないのではないですか?」

 

 だからか、不意打ち気味の言葉にリックベイはうろたえた。宇宙で開発されているのがモリビトだけではない――。その言葉に浮かしかけた腰を落ち着かせる。

 

「……どういう意味か」

 

「意味も何も、宇宙空間で人機開発が可能となれば、モリビトだけでは留まりません。もっと多くの人機が宇宙でも戦えるようになる。今のように《バーゴイル》のみが空間戦闘に秀でている時代は終わるでしょうね。もし、人機開発が宇宙でも可能となれば、ですが」

 

 何を言わせたいのだ。リックベイは注意深く観察し、言葉を次ぐ。

 

「……つまりあなたはこう言いたいのか。モリビトだけを脅威として掲げるのは間違っている、と。モリビト三機が開発可能であった実情を鑑みれば、他の人機も投入されて然るべき、とも」

 

「我々のようなノウハウが宇宙でも適応されれば何も不可能ではありません。問題なのは資源のみ。宇宙に追放されたブルブラッドキャリアに協力する人間がいれば、その資源問題も突破出来る。つまり、数値や計算上は不可能ではないのですよ」

 

 惑星とその圏外が三次元投射された映像を視界の端に留める。もし、惑星圏外で人機製造が可能ならば、宇宙からの脅威、という形で惑星に降り注ぐ。だが、今のところその危険性を誰も説いていないのはある事実に起因する、というのか。

 

 ――惑星で何者かが、ブルブラッドキャリア相手に交渉している、とでも。

 

 あり得ない話ではない。だがモリビトレベルの人機を惑星に放てばどうなるのかは推し測れるべきだ。

 

「……仮にその話が通ったとしても、あまりに向こう見ずです。先刻のブルブラッド大気汚染テロのようにモリビト一機がコミューンの人々を何百人も一方的に殺す事が可能だと言う事を知れば」

 

「モリビトだけとも、限らないのではないですか。人機ならばあの犯行、どのような国家でも可能です」

 

 不明人機の信号が打たれていたから、世界はモリビトの凶行だと判断したまで。もしあれがモリビトを装った他国の人機による代物であったのならば。

 

 だとすれば、どの国家も疑いに挙がる。そうなった場合、国家規模の魔女狩りに発展するだろう。

 

「……それはあり得てはならない」

 

「あり得ないわけではないでしょう? 誰もその可能性を見ないのは、明らかに異常です。いや、信心深いと言ってもいい。惑星に棲む人間がそのような争いを生むだけの行為に手を貸すはずがないと」

 

 地上の人々は百五十年もの間、ずっとブルブラッド大気に怯え続けている。そのような同じ苦しみを分かち合った者達が卑劣な蛮行に手を染めるはずがない、という先入観。

 

 確かに不明人機の信号さえ模倣出来ればあの犯行は誰でも可能。しかし、もう後戻りは出来ないのだ。

 

「一度でもモリビトの犯罪だと決め付けたものを、今一度疑い直すなど現状の人類には出来やしない。出来たとして、では敵がモリビトから同朋に挿げ替わるだけの事。歩みを止められないのです。人は、過ちを悔やむ事は出来てもやり直す事は出来ない」

 

 一度決めてしまった事、一度そうと結論したものから逃げ出す事は出来ないのだ。それがたとえ真実と違った事であっても。

 

「ブルブラッドキャリアというのは分かりやすい悪です。ですが考えられませんか? この惑星で、その悪を断罪する正義を謳い、人々を扇動する存在がいる、とは」

 

「もし、そのような存在がいるとすれば、純粋悪を超えて、邪悪である、としか言いようがない。人は、そこまで邪悪だとは、わたしは考えたくないのです」

 

 リックベイの言葉振りに渡良瀬は首肯する。

 

「仰る通り。人間がそこまで愚かしく、人を迷いなく殺せるのだとすればもう人類は滅びている。いや、滅びていなければおかしい」

 

 渡良瀬の言い分では滅びこそが人間に与えられた罰だとでも結論付けたいようだ。

 

 その滅びの象徴がモリビトとブルブラッドキャリアだというのか。人は滅ぼされるために生きているとでもいうのか。

 

「……渡良瀬さん、わたしはそこまで悲観はしていない。人にはまだ救いがあるのだと思いたい」

 

「ですが、救いの手などいつ差し伸べられますか? それは滅びの本当の最後の最後かもしれません」

 

 人を救う事など同じ人に生まれたのならば不可能かもしれない。それでも、人を信じたいのはいけない事なのだろうか。

 

 善性に賭けたいのは、何も罪悪ではないのではないか。

 

「滅ぼされるべきだとしても、最期まで足掻くのが人だとわたしは思っております」

 

「たとえ世界から爪弾きにされても、ですか。有意義な時間を過ごさせてもらいました。何よりも、前線を行く軍人さんから話を聞けてよかったです」

 

 自分の中には迷いが生まれていた。モリビトを悪だと断じ、ただ闇雲に排除するのが正しいのだろうか。それとも、人を疑ってかかるのが正しいのだろうか。

 

 審問は未だに保留である。罪を罪として認識出来る人間ばかりではない。地獄の上に浮かんでいるのがこの世界だと知る必要はないのかもしれない。

 

 だがモリビトはそれを浮き彫りにする。ブルブラッドキャリアの思想はともすると些細なすれ違いなのかもしれない。惑星の中でさえも人はすれ違う。それを惑星外という分かりやすい形にしただけの、ただの同じ人間である事は……。

 

 渡良瀬はトウジャの技術をどう使うのだろう。不意に恐怖が這い登ってくる。彼がタチバナ博士にトウジャを造らせようと思えば簡単だ。本人の許諾なしでも、彼ほどのポストならば代役の返事は出来るだろう。

 

 トウジャが生産ラインに乗る。いつしかその未来はやってくるのかもしれない。しかし、その未来は明るいのだろうか。

 

 人と機械を繋ぐ未来となり得るのだろうか。

 

 人機はただの兵器だ。それは間違いようのない事実。だが人の造りしものであるのならば、人の意思に最終的には関わってくる。

 

 人間か人機か、どちらに最終的な結論を求めればいいのか。今はまだ保留するしかない。

 

「こちらも、有意義な時間となりました」

 

 決定的な事はぼかされたままであったが、宇宙空間で人機を建造するのは何も不可能ではない。それが分かっただけでも御の字だ。

 

 やはり屹立するのは血塊炉の問題。だが、それさえ超えればモリビトの製造に何ら不備はない。

 

 現実的だと分かれば何もモリビトは正体の分からぬ敵ではないのだ。

 

 本国のトウジャの量産体制確立にもよるが、これから先、モリビトを相手取るのに苦戦する事は少なくなるかもしれない。

 

 それが正しいのかそうでないのかは別として。

 

 立ち去り間際、リックベイは言い置いていた。

 

「時に……渡良瀬さん、人に未来はあると思われますか」

 

 モリビトによって滅びの極地に立っているかもしれない人間に。渡良瀬はすぐに応じていた。

 

「優秀な人間が大衆を導けば、あるいは、でしょうね」

 

 優秀な人間。それがまるで自分のような言い草である。

 

 今のままでは人類は逼塞していくのだろう。その行方を誰もが悲観の中に置いているわけではない。

 

 ――自分は信じたい。

 

 その信念を胸に、リックベイは歩み出ていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯94 イザナミ

 保護区画での生活は似たり寄ったりであった。

 

 まだコミューン全域が浄化されたとは言い難い。燐華は学園の仮設設備へと足を運んでいた。

 

 マスクは手離せない。浄化装置も、であった。

 

 ブルブラッド大気汚染は保護区画では問題のないレベルにまで落ち着いたものの、それでも汚染に敏感な人間は反応を起こしかねない。

 

 浄化装置を背負い、マスクから安定した空気を取り込む人々はまるで機械に飼われているかのようであった。

 

 人機によって踏み躙られた生活を取り戻すのに人間は時間をかけなければならない。百五十年かかっているのと同じように、一度汚染大気で毒されたコミューンの再生は容易ではなかった。浄化システムが正常に作動していれば、というニュースが今日も議論されている。

 

 作動しなかったからではなく、破壊されていたらしい。その痕跡から見ても今回の首謀者であるモリビトは残忍である、という判断が下されていた。

 

 ――モリビト。

 

 燐華は拳を骨が浮くほどに握り締める。自分達から全てを奪った存在。自分や兄を苦しめる存在。

 

「……いなくなっちゃえばいいのに」

 

 モリビトさえいなければ自分も兄も何の不自由もなかった。平和が奪われる事もなかった。コミューンが有毒大気に冒される事もなかった。

 

 全て、モリビトが元凶なのだ。モリビト一つで人生が狂わされたも同義である。

 

 燐華の足は自然と保健室に向いていた。保健室で端末のキーをひたすらに打っている背中に燐華は声をかける。

 

「先生。あたし……」

 

 燐華の気配を感じ取ってヒイラギが振り向いた。

 

「来たね。もう、来ないかとも思っていたが」

 

「学校には行きます。それに、別段症状は悪くないんです」

 

 不思議な事であった。他の人々は有毒大気で休暇や療養を必要としているのに対し、自分は現状のほうが病状の悪化が抑えられているのである。

 

 ブルブラッド大気汚染テロが巻き起こったあの時もそうだ。自分は簡易マスクさえもなしに外を出歩けた。

 

 ヒイラギはブルブラッド大気汚染濃度を測っているニュースに目を留める。

 

 現状、外出は控えるべき、という判断であったが、燐華はどこも悪くはない。むしろ、今までよりも体調はマシなほどであった。

 

「外は有毒大気が色濃く残っている。外出を控えろとまで言われているのに、君は来るんだね」

 

「何ともないんです。不思議と。あたし、今まで病気で休みがちだったけれど、今のコミューンのほうが住みやすいって言うか、呼吸も苦しくないし、症状も悪化しませんし」

 

「君の病状については聞いている。気管支系の病気だと判断されたそうだが、だとすれば簡易マスクや浄化装置が手離せないはずであるが」

 

 濁されたのは自分はマスク以外一切を身につけていないからであろう。浄化装置も必要なかった。

 

「主治医からは、浄化装置を着けるように言われているんですけれど、あれ重くって……」

 

「浄化装置をつけていないほうがマシだって事か。不思議な症例だね」

 

 そもそも、自分の病気が何という名前なのかも分からないのだ。医師から生まれ持った先天性のものだと教えられてはいたが、どういう病名なのかは伏せられている。

 

「遺伝子性の疾病だって事しかあたしにも分からないんです」

 

 燐華は首を引っ込める。自分でも分からない病気がヒイラギに分かるのだろうか。しかし彼は顎に手を添えて思案を浮かべた。

 

「……ともすると、浄化大気こそが、君に悪影響を及ぼしていたのかもしれないね」

 

「浄化大気が、ですか?」

 

 しかし外は紺碧の有毒大気。そちらのほうに適性がある人間など存在し得ないはずだ。

 

「調べてみるのは追々にするとして、今日来たという事はこの間の話に興味を持ってくれたと思っていいのかな」

 

 燐華は膝の上の拳をぎゅっと握った。

 

「……正直、イメージ出来ないですけれど」

 

「最初はそうだろうさ。だが、何でも試してみるものだよ」

 

 ヒイラギは部屋の隅に置かれていた機械を近づかせる。作業用の簡易的な両腕と両脚を有している小型機械である。その機械が通常と違うのは中枢部位に青い石を抱いている事だ。

 

 血塊、と呼ばれる青い血の石。人機の動力源である。

 

 それさえも汚染を広げる原因になりかねないため、厳重に気密されていた。大きさは拳よりも小さい。

 

「これが……人機セラピーに必要なものですか」

 

「正確に言えば人機でもないけれどね。元々の技術である才能機に近い。これが両手両脚を動かすためのペダルと操縦桿」

 

 手渡されたコンソールは全く馴染みのないものであった。十四年間生きてきて一切関わりのなかった代物に、今から頼ろうとしている。その事実そのものが浮いているように思える。

 

「ペダルを踏んで、ゆっくりと仮設人機を動かしてみよう。なに、最初は皆戸惑うさ。大人だって一朝一夕にはこれを動かす事なんて出来ないんだ」

 

 燐華は操縦桿を握り締める。途端、伝わった来たのは鼓動であった。神経が鋭敏化され、小さな、ほんの小さな命に全身が放り投げられていく感覚である。

 

 額で細胞が砕けるイメージが拡張され、燐華は操縦桿を引いていた。

 

 仮設人機が稼動し、燐華の思った通りに両腕を振るう。

 

 その挙動にヒイラギが瞠目した。

 

「今、何を……」

 

「何をって……思った通りに何でだか、人機が動いて……」

 

 ヒイラギは大人ほどの背丈しかない仮設人機を窺う。どこにもシステムに異常はない。両腕の稼動域も正常である。

 

「……いきなり動かすなんて、クサカベさん、人機の操縦経験が?」

 

「あるはずがないです。だって、今まで人機なんて関わって来なかったですし」

 

「単位にも人機操縦訓練は組み込まれていないから、本当に初めて触ったのか? だが、今の動きは……」

 

 ケーブルで首裏へと接続されたコンソールをヒイラギが試しに動かしてみせる。だが、人機の動きはどこか鈍い。命を吹き込まれていないようであった。

 

「……まさか。いや、しかしそうだとすれば」

 

「あの……先生?」

 

「ああ、こっちの話。もしかしたら人機操縦に長けた才能があるのかもしれないね。クサカベさんには」

 

「そう、でしょうか」

 

 にわかには信じ難い。ヒイラギはしかし、仮設人機を見やって頷く。

 

「お兄さんが人機乗りのエースなんだ。血筋みたいなものはあるかもしれない」

 

「でも、にいにい様だって随分と苦労して人機操縦を会得したって聞きましたし……」

 

 ましてや自分のような小娘などすぐに人機を操縦出来るはずもない。しかし、ヒイラギは頭を振った。

 

「先天的な才能というのは得てして隠れているものだ。人機セラピーを通じて、心の傷を癒せるかもしれない」

 

 心の傷。無二の友人を失った記憶を機械いじり程度で忘れられるのだろうか。忘れられたとしても、それは悲しいのだと思えた。

 

「あたし、鉄菜の事、忘れたくありません」

 

「忘れる必要はない。ただ、それを乗り越えて強くなれるかもしれない、という事だ」

 

「強く……」

 

「人は悲しみを乗り越えて強くなれる。悲しいばかりの人生なんてあり得ない。ノヴァリスさんの事、これからどう折り合いをつけていくのかは君次第だ。何も無理に忘れたり、頭の中から消したりする事が乗り越えるという意味ではない」

 

 乗り越え方も自分次第と言いたいのだろうか。燐華はペダルを踏み込ませる。対応した仮説人機が緩やかに歩み始めた。仮設人機は固定されているため実際に歩くわけではない。だがそれでも、自分の意思を伝えさせてこの人機は歩いてくれている。ならば、自分も歩み出さなくってどうするのだ。

 

「先生……この子、名前は?」

 

「名前はまだないよ。医療用仮設人機とだけしか。好きにつけるといい」

 

 この小さな人機に名前をつける事から全てが始まるというのならば、自分は前に進もう。

 

「じゃあ、この子の名前、イザナミって付けても」

 

「イザナミ、か。神様の名前だね」

 

 何も信じられなくとも神にすがるような形でも、前進する。今はそれしかなかった。

 

「イザナミ、あたしのために、動いてくれる?」

 

 尋ねた仮設人機から伝わってくるのは脈動であった。どうしてだか、この人機は生きている感覚がする。

 

 強い生命の鼓動にヒイラギは気づいていないのか、扁平な頭部を撫でて言いやった。

 

「イザナミ、よろしく頼むぞ」

 

 ゴーグル型の眼窩が薄く輝いたような気がした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯95 禁断の園

 神様を信じるのに、この世界はあまりに不自由だ。

 

 鉄菜は紺碧の大気で張り巡らされた世界を目にする度に思う。こんな荒廃した星に未来などあるのか。人は生き辛く、何かを信じようとすれば裏切られ続ける。

 

 ブルーガーデンへと繋がる海底トンネルを抜けるのには一度C連合を介さなくてはならない。その点で言っても、どうにもやり辛く世界は構築されているものだ。

 

 立ち寄ったC連合の港にそのまま《シルヴァリンク》を停泊させるわけにはいかない。いくつかの連絡通路の網を抜けて辿り着いたのは無人区画であった。そこに用意されていたのは黒い棺のようなコンテナである。

 

『到着したようだな。コンテナにモリビトを収納しろ』

 

「このコンテナ……ブルーガーデン製か」

 

『ブルーガーデン自慢の、電波、ブルブラッド固有振動波、何もかもを通さない鉄壁のコンテナだ。それに入っている限り、モリビトだという事は露呈しない』

 

 だがデメリットもあるはずだ。鉄菜は尋ねる。

 

「代わりに何が奪われる?」

 

『すぐには出撃出来ない事くらいだ。網膜認証、十四個のパスワード、静脈認証、遺伝子認証、これらを突破して初めて搭載された人機に介入出来る。逆に言えば、相手もこの手順を踏まなくては絶対にコンテナの中身は分からない』

 

「破壊すればいいのではないか? コンテナの強度は中の下と見た」

 

『C連合から提供される貴重な資源も入っている。手当たり次第に破壊すればいいというものでもない』

 

 資源の中に紛れ込ませる、というわけか。しかし人機は騙せても人はどうするというのだ。

 

「私は? どうやって秘密主義のブルーガーデンに入国する?」

 

『ちょうど協力者がいるはずだ。彼に指示を仰げ』

 

 無人区画に現れたのは仮面を被った協力者であった。身なりから男であることくらいしか分からない。

 

「信用出来るとでも?」

 

『信用しなければ前には進めないさ』

 

 コンテナへと《シルヴァリンク》を納入する。

 

『鉄菜、本当に従うマジか?』

 

「このコンテナのシステムは本物だ。それにどうやってブルーガーデンに入るのか、それだけが気がかりであったのだが、このやり方ならば確かに入るのは容易い」

 

『他は難しいみたいな言い分マジ』

 

「破壊工作に入るのに、すぐに起動出来ないのはデメリットだが、それも込みで相手は交渉条件に入れていると思っていいだろう。従うしかない」

 

『了解マジ。……その場合、《シルヴァリンク》と接続しているAIは』

 

「活動停止しかないだろうな。……ジロウ、相手に気取られずに十二時間後、自動的に稼動する事は」

 

『不可能じゃないマジが、それをしてどうするマジ?』

 

「もしもの時の備えだ。十二時間もやる事がないとは思えないのでな」

 

『分かったマジ。十二時間後に《シルヴァリンク》を再起動。中からコンテナを破って起動させるマジ』

 

「頼んだ」

 

《シルヴァリンク》のシステムを切ってから、鉄菜はコックピットから這い出る。

 

 眼前に仮面の男が立ち竦んでいる。ホルスターにはアルファーがある。いつでも相手の首筋を掻っ切る事くらいわけない。

 

 相手は歩み寄るなり、合成音声で会釈する。

 

「二号機操主、鉄菜・ノヴァリスだな」

 

「そちらは?」

 

「白波瀬と呼んでもらって結構。協力者の一人だ」

 

 水無瀬、と来て白波瀬、か。つくづく信用は出来ない。鉄菜は一定の距離を保ちつつ言いやる。

 

「悪いが全面的な信頼は置きかねる。私も、第四フェイズの執行と聞いてのみ来た。あまり時間はかけられない」

 

「存じている。これを」

 

 差し出されたのはフィルムであった。鉄菜は怪訝そうにする。

 

「これは? フィルムに見えるが」

 

「ブルーガーデンの人間は皆、情報同期処理を行っている」

 

「……どういう事だ」

 

 白波瀬はこめかみを突いた。

 

「常に頭の中を覗かれていると思っていい。このフィルムを首筋に貼れ。そうする事で同期処理から逃れる事が出来る」

 

 手渡されたそれはあまりに薄っぺらく、こんなものでブルーガーデンのシステムを欺けるのかは疑問であった。

 

「本当にこんなので?」

 

「正しくは同期処理から逃れるのではなく、こちらの投影するダミー情報を経由するためのシステムパッチだ。頭の中を覗かれている状態でブルーガーデンに攻め入るつもりか?」

 

 そう言われてしまえば、鉄菜は従うしかない。首筋に貼るが特に変化は訪れなかった。

 

「まさかこれだけだとは言うまい」

 

「Rスーツは着たままでも構わないが、服飾を纏え。ブルーガーデンでは灰色の民族衣装が好まれている」

 

 灰色の民族衣装と言っても名ばかりだ。服飾にしてはあまりに薄く、まるで病人服である。

 

「こんなものを、ブルーガーデン市民は?」

 

「疑う事が出来ないほどの情報統制だ。少しでも疑念を抱けば強化兵が襲ってくる」

 

「強化兵……ブルーガーデンの軍部か」

 

「そこいらの国家の軍部の熟練度と同じだとは思わないほうがいい。さすがにブルーガーデンの守りを任されている兵士は他とは違う」

 

 鉄菜はオラクル介入時に交戦した《ブルーロンド》を思い返す。あれと同じような機体が並び立っていると思えばいいのだろうか。

 

「どちらでも構わない。私は一市民を装って入国する。その手はずでいいんだな?」

 

「ブルーガーデン市民となるためには一度脳内処理を同期せねばならない。決してフィルムは剥がすなよ。少しでも怪しければ銃殺が許されている」

 

「独裁国家、というわけだ」

 

《シルヴァリンク》は海底トンネルからブルーガーデンに入国するが自分は入国審査のある港から入るしかない。

 

 白波瀬が手招きする。ブルーガーデンに出入りする船が低く長い汽笛を発した。胃の腑に圧し掛かってくるかのような重い汚染大気が垂れ込めている。

 

 乗り合わせた人々は皆、沈痛に顔を伏せていた。大型の浄化装置とマスクを手離せないらしい。鉄菜も偽装のためにマスクを着用する。

 

 白波瀬は同行したがあくまで他人を装うように、と言いつけていた。

 

「芋づる式にブルブラッドキャリアの動きが露見したのでは話にならない」

 

 その意見には同意である。人々を乗せた難民船が静かに港を発着した。C連合の僻地からブルーガーデンまでの距離は三時間ほどの船旅だ。途中、大気汚染濃度の極めて高い地区を通る事になる。

 

 皆が床に面を伏せて必死に呼吸を殺していた。そうしなければ死んでしまうのだと教え込まれているのだろう。

 

 鉄菜も表面上は真似をしたが、ブルブラッド大気に耐性のある身では到底意味は見出せない。

 

「あんた、新しくブルーガーデンに入るのか?」

 

 尋ねてきたのは大柄な男であった。マスクで顔を覆っており、どのような表情なのかも読めない。

 

「ああ。それがどうした」

 

 というよりも何故分かったのか、だ。答えの如何では、と鉄菜はホルスターに手を伸ばす。

 

「いや、連中に比べて随分と注意深くもない。みんな怖がっているのにあんたはそうじゃないからな」

 

「怖がっている? 何をだ」

 

「決まっているだろう。ここを覗かれる事を、さ」

 

 男がこめかみを示した。それほどまでにブルーガーデンの情報統制は厳しいのだろうか。

 

「脳内をスキャンする技術は何も珍しいものでもない」

 

「問題なのはそれを国家が許している事だ。国ぐるみで人間を解明……いや、解体しようとしている」

 

「ブルーガーデンの国家姿勢に反対の様子だ」

 

 男の口振りにはどこかブルーガーデンへの反抗心が見え隠れする。彼は面を伏せて言いやった。

 

「……みんな、国家から居場所を失った人間ばかりさ。オラクル国土の難民もいるらしい。見ろよ、あれはC連合の貧困層だ」

 

 みすぼらしいぼろを纏った親子が身を寄せ合っていた。彼らはブルーガーデンに希望を見出しているのだろうか。

 

 まだ幼い少年がマスクをずらそうとして母親にいさめられる。難民船の中であっても汚染は深刻である。

 

「国家を失い、居場所をなくし、その結果として独裁国家に自分の思考を犠牲にして飼われるのをよしとする。だが、彼らからしてみればそれでも甘い裁量かもしれない。考える事を犠牲にするだけで一生の安泰があるのだから」

 

「ブルーガーデン兵は人間ではないと聞いた」

 

「ああ、連中は天使さ」

 

 その語感に鉄菜は辟易する。天使、というのはどういう意味なのだろうか。

 

「それほどまでに強いとでも?」

 

「いや、見れば分かるが、天使なんだ。片羽根の、ね。それにしたって難民船は最後の砦に等しい。ここまでだけが人間である事を許される。ここから先は、もう人間である事を放棄するしかない」

 

 ブルーガーデンにここまで物申すのだ。この男は何者なのか問い質す必要があった。

 

「……何者だ?」

 

「何者でもない。ただの物知りだよ。ただ、ブルーガーデンには何度か渡航した事がある。だから新入りには教えておこうと思ってね。老婆心、という奴だ」

 

「ブルーガーデン内部はどうなっている?」

 

「内部、か……。中にいる時には脳内を覗かれている。だから、自分のような身分ではこういうものを対策として取っておいてね」

 

 男が差し出したのはタブレットである。中には違法薬物が入っているのが窺えた。

 

「トリップ状態で入国するのか」

 

「それが一番精神を害されずに済む。だから中にいる間は夢見心地だ。あまり記憶はないんだよ」

 

「どうして、ブルーガーデンに何度も入国する? それほどに魅力的なのか」

 

 男は唸ってから、首を傾げる。

 

「魅力的……というのは少し違うが、あの場所にいれば何も考えずに済むという点では楽か。精神の安定を保証される。それだけの価値はあると思ってもらっても構わない」

 

「独裁国家だと聞いたが」

 

「他国からもたらされるほどのマイナスイメージはない。気楽に行けばいい。ブルーガーデンにいる間に何かが起こる、という事はまずあり得ないと思えば」

 

「安全なのか」

 

「安全とも違う。これは安泰だよ。ブルーガーデンは思想統制、情報の完全な封鎖を行っている代わりに人民の幸福度は他国の数倍以上に及ぶ。市民を犠牲にする事などない国家と言えるだろう」

 

 現状、他国も浮き足立っている。ゾル国ではブルブラッド大気汚染テロ。C連合ではどこかきな臭い風潮が漂う。

 

 その中でブルーガーデンだけが変わらぬ姿勢でいる。それが素晴らしいのだと男は説いた。

 

「だが、思想統制、情報の同期。それだけでも充分に……他国では信じられない現状だ。それを押しても幸福であると」

 

 男はマスクの下でゲッゲッと笑った。

 

「まだ分かってないようだね、あんた。何も考えなくていい、という利点を」

 

『間もなくブルーガーデン港へと停泊します』

 

 アナウンスが響き、床に身体を伏せていた人々が次々と動き出した。先ほどの親子もにわかに続く。

 

「……何も考えなくていい、というのがどうして利点に繋がるのか分からない」

 

「まぁそれも含めて知る事だ。ブルーガーデンにようこそ」

 

 難民船から降りた人々は猛毒の大気の洗礼を受けた。

 

 コミューンのように気密が安定しているわけでもない。安価のマスクを着用している数人かが悶える。

 

 それらを無視して人々はヘッドギアを着用した。恐らく最初の脳内検査はこの段階で行われるのだろう。

 

 数人がパスし、通過出来なかった人々は別の列に加わった。

 

 先ほどのマスク男は通過したらしい。鉄菜は自分の番になったところで親子の悲鳴が耳朶を打った。

 

「頼みます! この子だけは! この子だけは!」

 

 どうやら思考検査を通過出来なかったのだろう。ブルーガーデンの強化外骨格を纏った兵士が母親を足蹴にする。

 

「母親は通過可能だ。子供のほうに思考純度が低い事が分かった。あちらの隊列に並ばせろ」

 

 母親が兵士にすがりつく。

 

「あっちに並ばせられれば……だって殺されるんでしょう? ブルーガーデンの生体パーツにされるって……!」

 

 兵士に子供が連れて行かれそうになる。母親が必死に手を伸ばすが、その手へと無情にも兵士の放った銃弾が貫いた。

 

 母親の慟哭が響く中、銃口がその頭部へと当てられる。

 

「せっかく入国審査を通過したのにもったいない事をする」

 

 銃声が鳴り響き、母親が静かに倒れ伏した。子供は別の列に無理やり並ばされる。

 

「こちらを見るな! 入国審査を急げ」

 

 天に向けて放たれた銃声に入国待ちをしていた人々が面を伏せる。

 

 鉄菜は己の胸中に黒々としたものが渦巻いていくのを感じたが、その感情は検知されなかったのか、ヘッドギアが外される。

 

 案内されたのは通過者の列だ。難民船に乗り合わせていた人間のうち、半分ほどが別の列に区分されていた。

 

「……あの親子は災難だったな」

 

 先ほどの男がわざわざ追いついてきて囁く。鉄菜は淡々と返していた。

 

「あんな事が、常に?」

 

「よくある。思考純度というものを突破出来なければ、別の列に並ばせられる。……噂だが生体部品にさせられるという」

 

「噂レベルだろう?」

 

「……案外馬鹿には出来ないものさ。噂と言ってもね」

 

 鉄菜には分からない。どうして国家に分け入るだけで人が死ななければならないのだろう。それほどまでにブルーガーデンという国家が高尚だとでもいうのか。

 

「生体部品、と言ったな。それに思考純度、という言葉。どこで知った?」

 

「何度も入国していれば自然と耳につく。それに他国と行き来していると情報も、ね。どれほどまでにブルーガーデンが秘密主義であっても、やはり噂には勝てないというわけだよ」

 

 人の口に戸は立てられない。入国し、無事出国した人間の証言が蓄積しているという事か。

 

 しかし男がどのようにして入国審査を突破したのか鉄菜にはまるで分からない。特に自分のような対策をしているようには見えないからだ。

 

「どうやって、入国審査を」

 

「あれは振り分けだ」

 

 放たれた言葉に鉄菜はマスクの下で眉をひそめる。

 

「振り分け……」

 

「ヘッドギアによる思考スキャンだが、実際の精度は五分五分ほど。本当に脳内を見張るのは不可能なんだ。だからああいう取りこぼしも出てくる」

 

 取りこぼし。まさか先ほどの親子もその五分五分の洗礼を受けたというのか。そんな事で人が死んだというのか。

 

「まさか、そんな適当な審査で」

 

「適当だなんて事を考えないほうがいい。あのヘッドギアを通した以上、もう脳波スキャンは始まっている。頭の中を覗かれる空間だ、ここから先は」

 

 列に従って歩いていくと、先ほどの外骨格を纏っていたのとは違う、少女達が並び立っていた。

 

 その姿が一様に同じである事に鉄菜は目を瞠る。

 

 灰色の眼、灰色の髪。背中からは翼を想起させるモジュールが稼動している。

 

「ご覧。あれがブルーガーデンの天使だ」

 

 天使、と評されたのは何も間違いではない。その翼、その相貌。見間違えようもなく天使という呼称が似合う。

 

「あれがブルーガーデン兵だというのか。では連中は」

 

 外骨格の兵士に視線をやると男は頷いていた。

 

「あれは市民兵だ。ブルーガーデンの兵力には数えられていない。有志の人々さ」

 

 市民兵程度が入国審査を通らなかった人間を銃殺出来る。その現状に鉄菜は拳を握り締めた。

 

 この感情が何なのかは分からない。ただ、《シルヴァリンク》をこけにされた時のように募っていく感情であった。

 

 捉えどころを間違えれば、今にも外骨格の兵士に攻撃しかねない。

 

「……ブルーガーデン兵に関しての違和感はないのか。どう見てもあれは……」

 

 そこから先を濁した鉄菜に男は言葉を継ぐ。

 

「ああ、あれはどう見ても生体兵器だろう。多分、クローニングされた同一の遺伝子を基にした人造兵士だ」

 

 条約でクローン兵は禁止されているはずだ。その兵力を大っぴらに用いるという時点で常軌を逸している。

 

「人造兵士は、国際条約で」

 

「そんなもの、この場所では関係ないんだろうさ。第一、《ブルーロンド》に搭乗している操主をいちいち見分ける事なんて必要ないだろう。連中は高高度を位置取る輸送機で移動する。ゾル国でもC連合でもあの兵士の事を知っているのは一握りのはず」

 

 しかし事実として在る事を否定出来ない。この事が世間に露呈すれば国際社会からの糾弾は免れないだろう。

 

「それを理解していて、黙殺しているというのか。他国は……」

 

 そうとしか思えなかった。一度でも入国すれば分かるクローン兵の秘密が守られているという事は、他国にその部分を突く気がないという事実に繋がる。

 

「そうだろうね。他国が声高にクローン兵を反対したところで既にあるものを破棄は出来ない。何故ならそれも一つの命だから。クローン兵の人権を完全に排除するという事は現状の技術への問題点の問いかけに他ならない」

 

「クローン兵でも、操主には違いない、か」

 

 だが鉄菜が感じたのは不気味さよりも嫌悪であった。どうしてだか同じような存在が並び立つのに気味が悪いという感情より排除しなければ、という部分が大きい。

 

 まるで一つの障壁のように、鉄菜の眼にはそれらが破壊すべき対象に思えるのだ。

 

「ブルーガーデン本国に入る。そういえば、同行していた人の姿が見えないね」

 

 白波瀬の姿がない。どこへ、と首を巡らせたところで、ブルーガーデンの天蓋が視界に入った。

 

 他のコミューンのように人口的な空を模倣しているわけではない。そのまま青く染まった空を透過している。霧に煙る街中は静かで、人っ子一人さえもいないようであった。そうは言っても発展していないわけでもなく、それなりに背の高いビルが乱立している。

 

 ただどの建築物にも生命体の呼吸がない。

 

 人間が群れれば自然と生まれる活気も、ましてや集団生活特有の人間性の欠片も見出せない。ただ単にここが人の住む街だという事のみを構築した、作り物めいている。

 

「人の気配がない」

 

「気づいたか。そうだとも。街並みだけはしっかりとしているようではあるが、ここに人が住んでいるという感覚はまるでない」

 

 窓がついているがどこを見やっても人の姿さえも見つけられないのは不自然であった。

 

「おかしい。視線もない。それに道路もあるのに、車が一台も」

 

「通っていない。だがブルーガーデン市民からしてみればそれが当然なんだ。このジオラマのような世界こそが彼らにとっての絶対なのだよ」

 

 そのような馬鹿な事がまかり通っているのか。ゾル国と比べるまでもなく、この国は違和感しかない。

 

 人の気配が薄いのに、人のために存在する店や街頭。

 

 人間の事を考えているようで何一つ考慮していないかのような街並み。

 

 ここに街が「在る」事は確かでも人が「居る」事は全く意識の外のような感覚。

 

「張りぼてだ、これでは」

 

「まさしく正しいね。張りぼての街だよ、ここは。それでもブルーガーデンでは人口密集地に当たる」

 

「密集地? 人なんてどこにも」

 

「いるんだよ。我々が感知出来ないだけで」

 

 馬鹿な。人間の感知の外の存在など。

 

 鉄菜は周囲を見渡しかけて男が手招いた。

 

「あまり周りをジロジロと見ないほうがいい。マークされる」

 

 鉄菜は男へと視線を据え直し、その眼差しが正気を保っているのを目にした。

 

「……薬物に頼らなければ思考を覗かれるのではなかったのか」

 

「今回は手薄だ。クスリを使うまでもない。どうしてだか、警戒レベルが低くなっている」

 

 水無瀬のお陰だろうか。それでも鉄菜からしてみればこの場所の異質さが際立つ。

 

「旧世紀に霧の街と呼ばれた場所があったそうだ。だが、それに比べても随分と濃霧で先が見えない。そのせいで人間同士の関わりも薄い。いや、そのお陰で、というべきか」

 

 青く染まった空が重く垂れ込めて街は鉛のような静寂の只中にある。ここで呼吸をする事でさえも無意識のうちに躊躇ってしまうほどに。

 

「こんな場所……人が棲むようには出来ていない」

 

「人間が住めるようには作っていないんだろう。ブルーガーデンの天使達を見ただろう? あれを」

 

 男が指差した先には信号待ちをする人並みがあった。だが、彼らの背筋に纏いついた機械に鉄菜は絶句する。

 

 整備モジュールが人の背筋にまるで貝殻のように寄生しているのだ。その事実に誰も異を唱えようとしない。

 

 それが当たり前のように過ごしている。

 

「あれが……ブルーガーデンの」

 

「原住民だ。ブルーガーデンでは生まれながらに生態モジュールを装着し、思考を鋭敏化、及び能力の選定を行い、その人間の最も適した人生を選び取らせようとする」

 

 監視社会など生ぬるい。生き地獄そのものに思えた。

 

「人々は……気づかないのか」

 

「気づかないように精神点滴が成されているらしい。あれを経験した事がないから分からないが、人々は自然と最善を選び取れるように出来ている、とか」

 

 最善。しかしそれがどこまで意義があるというのか。人工物に支配された空間に、自然のままの空。青く染まった視界に、霧に煙る街並み。

 

 人々は貝殻を背負い、自らの人生を生きているつもりであっても、それは作られたレールの上である。

 

 ここまで残酷な事があっていいのだろうか。人間が人間として生きるのに、これではあまりにも――。

 

「これが、独裁国家という事なのか」

 

「集約すればそういう事になる。……もう嫌気が差したかい?」

 

「いや、まだだ」

 

 そうだ。自分の目的は血塊炉を安定供給するプラントの破壊工作。このような場所で気圧されている場合ではない。

 

「しかし、いつにも増して難民は少ないな。やはり検閲だけは強化されたのだろうか」

 

「検閲? あのヘッドギアの事か?」

 

「あまりお喋りも出来そうにない。あれを」

 

 外骨格を纏った兵士が難民や入国者を一列に並ばせる。それぞれの首筋にまるで首輪のような機械がはめられた。

 

 男はタブレットから薬物を飲み込む。

 

「ここまでのようだ。話し相手がいて楽しかったよ」

 

 トロンとした目つきになった男へも首輪がはめられる。鉄菜は抵抗は無意味だと判断して首の機械に従った。

 

 外骨格の兵士達がそれぞれの端末を手に促す。

 

「前に歩け。全員、三歩半の間隔の歩調を伴って」

 

 その言葉に全員が従い、きっちりと三歩半で列を作る。まさか、この首輪こそが水無瀬の言っていたブルーガーデンの思考を読む機械なのだろうか。鉄菜は前の男から三歩半の歩調で続く。

 

 外骨格兵達は疑う眼差しを向ける事もない。むしろ端末の数値に集中している。

 

 恐らくはその機械に表示された数値が異常な人間だけを排除するようにしているのだろう。首筋にフィルムを貼った意味が今さらに理解出来た。

 

 その時、唐突に脳内に残響したのは重々しい声であった。

 

「元首様のお声だ」

 

 外骨格兵もかしこまってその場で背筋を正す。

 

『此度、国家に招かれた者達に告げる。大義であった。他国からの追放、いわれのない迫害、中傷、その心を刃で刻まれた者達が集ったのだと思われる。もう、他国の常識に縛られる必要はない。その因習にも。このブルーガーデンは地上で唯一の自由を謳歌出来る国家だ』

 

 首輪をはめられた人々が感じ入ったかのように膝を折った。皆が涙を流している。

 

「ここは地上の楽園、か。まさしく元首様の教え通りだな」

 

 外骨格兵の言葉に他の兵士が嘲る。

 

「戦闘は天使に任せて、俺達は地上警戒に勤しむとしようじゃないか」

 

 彼らには元首とやらの言葉は効いていないのか。それともやはりこの首輪が作用しているのか。

 

 鉄菜は膝を折って面を伏せた。涙を流す事は出来ないものの、他の者達と同じように装う。

 

 平伏する者達を外骨格兵は監視しながら、数値に視線を投じている。

 

『ブルーガーデンならば全ての傷は癒されよう。この国に来たからには、全ての苦しみから、全ての痛みの楔から外れ、浄化され、痛みは出口となるはずである。苦楽もない。一切、この国家には貴公らを苦しめ、痛みを味わわせる事も存在しない。我が名において約束する。貴公らは永遠に救われるのだと』

 

 まやかしだ。そのような事、あるはずがない。鉄菜は胸中に結んだが、人々は元首の言葉をありがたがるばかりである。

 

 誰も先ほど検問で殺された親子の事など覚えていないようであった。

 

 この世に苦しみなどないと説く元首の言葉は十分ほどだったであろうか。鉄菜は人々が力なく立ち上がっていくのを確認してから同じ動きに同調する。

 

「確かに、俺らの仕事には苦しみなんてないわな」

 

「戦いは天使連中が、他の諍いも下々が引き受けてくれる。いやはや、ブルーガーデン様々だよ」

 

 恐ろしいまでに人々のまなこからは覇気が失せている。酔ったようにその足取りには力がない。首輪をつけられた者達が外骨格兵に導かれて地下に続く道を辿っていく。

 

 鉄菜はどこまで続くのか分からないトンネルの中、周囲をつぶさに観察する。

 

 外骨格兵の警備はアサルトライフルのみ。突破は不可能ではないが、一度に相手取らなければならないのは二人以上。常にツーマンセルの体勢である。

 

 アルファーによる投擲や格闘戦術を鑑みてもまだ行動を起こすべきではないだろう。

 

「ここに集まれ。全員だ」

 

 集められたのは窪んだ一部屋であった。三十人程度でいっぱいになる部屋には赤色の光が投げられており、人々は窪みに身体を預ける。窪みに入った人々を薄い皮膜が覆っていった。

 

 まるで繭のようなそれに一人一人収容される。

 

 鉄菜は入るべきか戸惑ったが、ここで怪しい行動を取ればそこまでだ、と従った。

 

 皮膜が構築され、外骨格の兵士達の声が篭ったように聞こえてくる。

 

「配置完了。ここまでの仕事とはいえ、毎回難民をよくもまぁ募るもんだよ」

 

「生体パーツにならない連中だろ? 運がいいんだか悪いんだか」

 

 部屋から外骨格兵が立ち去ってから、鉄菜は周囲を見渡す。予め抜いておいたアルファーを耳元まで翳した。

 

 淡い輝きを放ったアルファーから通信が繋がる。

 

「水無瀬、そちらの言う通り、ブルーガーデンへの潜入を完了した。協力者、白波瀬の姿は見当たらない。どこへ行ったのか」

 

『二号操主、よくやった……と言いたいところだが白波瀬の位置情報が把握出来ないだと? 今は……コクーンに収容されているのか。通信回線が僅かに傍受されている可能性がある』

 

「いや、その心配はない。この通信はアルファーによるものだ」

 

 アルファーによる通話と信号の発信は血続以外には傍受出来ない。その原則があったはずであったが水無瀬は警戒を解かなかった。

 

『そちらは大丈夫でもこちらが、だ。アルファーは一方的な通信機器。こちらがうまく立ち回れるかどうかに限る』

 

 水無瀬は協力者という身分だからか、鉄菜が敵に回った場合も想定しているようであった。彩芽と桃を切った時点でそれは考慮に入れるべきではないと思われるが。

 

「白波瀬という協力者からフィルムは受け取ってある。思考傍受がされないという」

 

『それは必要不可欠だ。破壊工作の最終局面まで剥がさないように。それと、二号機に関してだが、無事に検問を突破し、十七時間後に合流地点へと到達する』

 

 その合流地点が明かされていない。このブルーガーデンに入ってから知らない事ばかりで戸惑う一方だ。

 

「マップさえも明らかでない。どうやって《シルヴァリンク》と合流する?」

 

『二号機は破壊工作における要だ。止められては困る。最悪操主なしでの起動も考えなければならない』

 

 自分以外が《シルヴァリンク》に乗るというのか。馬鹿な。それは今まで鉄菜が感じてきた以上の屈辱であった。

 

「私以外を《シルヴァリンク》の操主に……?」

 

『実行不可能であれば仕方あるまい』

 

「訂正しろ、水無瀬。私以外が《シルヴァリンク》に乗る事など……あり得ない」

 

 どうしてだかそれだけは譲れない。自分以外が《シルヴァリンク》の操主など。水無瀬は心底理解出来ないように返す。

 

『何故だ。柔軟に物事を捉えた場合、操主の替えが利くほうがいいに決まっているだろう』

 

「訂正を求める。協力者、水無瀬。それを実行した場合、私はこの作戦を敵対国家に流出させる」

 

 こちらの覚悟も生半可ではない事が伝わったのだろう。通信越しの水無瀬が息を呑んだのが伝わった。

 

『……どうしてそこまでこだわる』

 

「私が私だからだ。それ以外にない」

 

 答えになっていないかに思われたが、水無瀬はその言葉に承諾したようであった。

 

『いいだろう、二号機操主。それが譲れない一線だと言うのならば従おう。こちらも、君に裏切りのリスクを負わせているわけだ。二号機と共に戦わせるくらいは譲歩しよう』

 

 まるでそれ以外に自由がないような言い草である。鉄菜は繭の中でアルファーを隠せるように寝返りを打つ。外骨格の兵士からの監視からも逃れなくてはならない。その場合、繭の中である程度動ける事を確かめておくべきだ。

 

 もしもの時には脱出し、武器を強奪、反撃に転じなければ。

 

 繭の構造物質をアルファーで読み取らせる。淡い輝きを放った事からこの繭も一種の血塊から製造されたものだと窺い知った。

 

「白波瀬の位置情報を送れ。アルファーへと通信チャンネルを合わせればいい。暗号通信をアルファーで傍受し、私が実行する」

 

『言っておくが、破壊工作はまだ始まってすらいない。敵のプラントさえも抑えられていない君に、何が出来る?』

 

「少なくとも今、視界に入るだけで数人の息の根は止められる」

 

 外骨格兵士の脅威判定は低い。装甲だけが邪魔だが、弱点は観察済みだ。頚動脈を掻っ切ってその刹那に飛び込んでアサルトライフルを奪い、この場を脱出するくらいはわけがないだろう。

 

『……その自信、当てになるものだと信じている。しかし見誤るなよ、二号機操主。まだ、ブルーガーデンの本当の恐ろしさの、片鱗にも触れていないのだと』

 

 水無瀬はその「本当の恐ろしさ」を知っているようであった。問い質す前に気配を察知し、鉄菜は自分の背中にアルファーを隠す。アルファーによる通話は血続のみ有効だ。

 

 誰かに見られてもただの独り言で通せるが、状況が状況である。

 

 外骨格の兵士が欠伸をかみ殺して通り過ぎていった。

 

「……十七時間後、《シルヴァリンク》との合流を速やかに行う。そのために白波瀬との情報交換を密にしたい。接触を」

 

『了解した。接触を再度確認させる』

 

 それで通話が切れた。鉄菜は繭の表層を撫でる。ブルブラッドで造られたと思しきガラス細工は薄く青い発光現象を帯びる。

 

 これも汚染の一つなのだろうか。

 

 考えても詮無い事だと、鉄菜は瞑目した。ブルーガーデン、悪夢のような花園での戦いはまだ序章に過ぎない。その感覚が常に脳裏にあった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯96 悔いなき選択を

 どうにもきな臭い通信だ、と彩芽は傍受していた電波領域に耳を澄ます。

 

《シルヴァリンク》につけておいた枝の一つが機能していた。どうやら鉄菜との通話にはアルファーが用いられている様子だ。いちいちモリビトを介するようにしたのは鉄菜の独断であろう。血続でない人間にアルファーの能力を厳密に制限する事は出来ない。絞ったとすればそれは鉄菜のほうに違いないからだ。

 

 彩芽は息をつき、《ノエルカルテット》に繋いだ。

 

「聴いてた?」

 

『胡散臭い会話ね。その水無瀬っての信用出来ないんじゃない?』

 

「鉄菜もその感じだから、《シルヴァリンク》をわざわざ介するようにしたんだろうけれどね」

 

 モリビトに組み込まれているアルファーに通信履歴を記録させる。それそのものが鉄菜の離反が彼女の意図していないものだという事が理解出来た。

 

 だが、それでも裏切りは裏切り。

 

 癒えない傷を桃に与えたのは真実だ。

 

 自分とて鉄菜が何故裏切ったのか、明確な事は何一つ言えないのだから。

 

『彩芽、二号機の操主に肩入れし過ぎじゃない?』

 

 ルイの忠言に彩芽は操縦桿を引く。

 

「かもね。でも……あの子危なっかしいから。誰か見ていてあげないとすぐに崖下に転げ落ちそうだし」

 

『心配し過ぎ。彩芽の……マスターの考える事じゃないでしょう』

 

 ルイは自分も慮っているのだ。他人の事が考えられるシステムAIに恵まれて彩芽は心底よかったと感じる。

 

「それもそう……騙し騙され合いが当たり前だって思っていたもの。でも、実際に会ってみたら違うってのが分かった。わたくしはもう、あの日々に戻りたくない。鉄菜と桃と……偽りでもいい、仲間なんだって思えたらって、前向き過ぎるかな?」

 

『マスターは昔からそうなんだから。初めて会った時から変わらない。ただのシステム相手に……本気になって相手してくれる』

 

「頼りにしてるわよ、ルイ」

 

 掲げた手にルイがぷいと顔を背ける。可愛げのなさも一つの愛嬌だ。

 

『《ノエルカルテット》の操主、信用していいの?』

 

「どうして?」

 

『一番に情報を持っている。もしかしたら、こっちの情報網を掻い潜って二号機と結託している恐れも』

 

「それはないわ」

 

 断言した声音にルイは声を詰まらせる。

 

『でも、最初はそうだったんじゃ――』

 

「最初は、ね。桃も誰も信じられなかったんでしょう。でも、今の桃は違う。少しずつ変わろうとしている。それがブルブラッドキャリアのモリビト操主としていいか悪いかは別として」

 

『……マスターも、なの?』

 

 自分も変化の只中にあるのだろうか。偽装を施した《インぺルべイン》は静かに機動し、静止衛星を欺き続けている。

 

「さぁね。でも、変わる事が悪ってわけでもないんじゃない?」

 

『……楽天主義。いつか足元すくわれる』

 

「でも、いいんじゃない。すくう側になるよりかは、さ」

 

 鉄菜は逡巡があった。そう思わなければアルファーによる通話を傍受させるなどという醜態を犯すはずがない。どこかで自分達に止めて欲しいのかもしれない。

 

『アヤ姉。クロから連絡はあった?』

 

「まだ何も。でも、《ノエルカルテット》のほうがその辺は詳しいんじゃないの?」

 

 ルイの懸念を口にすると桃は憔悴したような声を返す。

 

『……バベルで検索すると、何でも出てくる』

 

「うん」

 

『この世界が隠したがっている事、モリビトの事も、青い大気の元凶も、トウジャの事は、共有した以上は知らないけれど……でもバベルとグランマは何でも知っている。モモの全て。それでも分からない事があるの。クロの気持ちが、どこを検索しても出てこない。どんな手段を使ってもクロの気持ちだけは分からないの。これって変なのかな……』

 

 彩芽は頭を振る。やはり桃も変化しようとしている。

 

「変じゃないわ。それって当たり前の事よ。他人の事を理解は出来ない。どれだけ信頼していても一回の裏切りで分からなくなる事はある」

 

『アヤ姉も……今までそういう事はあったの?』

 

 今まで。銃を手にし、前に立つ人間は全て敵だと引き金を引き続けたこれまで。そんな自分と決別したかったのに、トウジャとの戦いでは弱い頃の自分に戻ってしまった。ある意味ではケジメもつかない。

 

 だからこそ、鉄菜の裏切りは相応の罰と言えた。戻ってはいけない場所に舞い戻りかけた自分への罰。

 

 罪深いとすれば、それは己自身。

 

「鉄菜は、戦っている」

 

『それは、モモ達は戦い続ける存在だけれど……』

 

「違うわ。鉄菜は、多分、自分自身と戦っているはずよ。このままでいいのか、ってね」

 

『……モモにもそれは分かんない』

 

 桃はまだ幼い。考え直せる、やり直せる機会はいくらでもあるだろう。その時、立ち止まって熟考出来ればいいのだ。

 

「鉄菜の事、応援したいわよね、桃」

 

『そりゃ……クロは分からず屋だけれど、でも守ってあげないと……どこかに行っちゃいそうだよ』

 

 その危うさの綱渡りをしているのだ。自分達モリビトの操主は、危うい均衡の上で成り立っている。

 

 自我や信じるもの。積み上げてきた罪から逃れようともがく。この星で一番に喚いてしまいたいのは自分達なのだ。

 

 モリビトは原罪の象徴。それを示す事がどれほどの意味なのか、鉄菜も桃もまだ知らないだろう。知らないほうがいいのかもしれない。だが、知ってしまえばもう戻れない。戻る事は、卑怯なのだ。

 

「戦い続ける覚悟があるのか、か。あの時、引き金を引いたわたくしには覚悟なんて、とても……」

 

 拳を握り締める。だからこそ、強くあろうと決めた。弱さに流されて引き金を引くくらいならば強く、誰よりも強くあってこそ、その真価を問い質せるのだと。

 

「破滅への引き金」を引くのは何も恐れだけではない。自分の信じるもののために引かなければならない時もあるのだ。

 

『アヤ姉? モモも、ね、たまに怖くなる時があるの。ロデムもロプロスもポセイドンも、きっちりここにいるのに、たまにどうしようもなく、独りのような気がしちゃう。《ノエルカルテット》の調べは優しいのに……グランマのよく聴かせてくれた、あの旋律……』

 

 桃も鉄菜の帰りを待っている。彩芽はアルファーの発信位置を突き止めようとして、はたと手を止めた。

 

「《シルヴァリンク》が移動している?」

 

 それはあり得ないはずだ。国境を抜けて検問を行く《シルヴァリンク》が移動など。しかもその航路は鉄菜の発信位置とまるでずれている。このままでは鉄菜は《シルヴァリンク》と合流など出来ない。

 

『アヤ姉? 二号機がどうかしたの?』

 

「鉄菜の通信と矛盾するわ。だって二号機と合流させて破壊工作を行わせるはずなんじゃ……? これじゃ《シルヴァリンク》と合同作戦なんて出来るわけ――」

 

 その段になって気づく。まさか最初からその気はないのか。鉄菜をブルーガーデンに孤立させて、二号機をブルーガーデンに移送する。それそのものが協力者を名乗る水無瀬の目的だとすれば……。

 

 彩芽はフットペダルを踏み込んでいた。推進剤を焚いた《インぺルべイン》が偽装を解除する。

 

『何かあったの?』

 

「急がないといけないかもしれない。このままじゃ、鉄菜は単独のまま、ブルーガーデンで暗殺される」

 

 急いた物言いに桃が狼狽する。

 

『暗殺って……ブルブラッドキャリアの操主を殺して何の得があるって言うの?』

 

「分からない、けれど、今のままじゃ絶対に、まずい」

 

 主語を紡がないまま、《インぺルべイン》が跳ね上がる。ブルブラッドの針葉樹が並び立つ密林を抜け、《インぺルべイン》が向かったのは青い大気の逆巻く場所であった。

 

『C連合の領海に入る……狙い撃ちにされちゃう、アヤ姉!』

 

 レーザー網にC連合の巡洋艦の情報が入ってくる。彩芽は戦闘神経を走らせ、操縦桿を握り締めた。こんなところで足止めを食らっている場合ではない。全身の循環パイプに負荷をかけ、鋼鉄の巨躯を軋ませる。

 

「ファントム!」

 

 直後、黄金の流星となって《インぺルべイン》が警戒網を抜けていた。おっとり刀でこちらに照準した巡洋艦の射程は既に外れている。

 

『……すごい』

 

 覚えず漏れたらしい感嘆の息にも意を介さず、彩芽は桃に告げていた。

 

「桃、鉄菜に連絡する方法、ないの?」

 

『そんな事言われたって……、クロが一応、協力者って言う人間の事を怪しんでいるのだけがまだ救いなくらいで……』

 

「バベルとやらを全展開して。この合流時間から鑑みて、残り十七時間。その間に何かが起こるのは間違いない」

 

『何か……何が起こるって言うの?』

 

 まだ分からない。しかしその時、運命を悔いるのでは遅いのだ。

 

「ランデブーポイントを指示するわ。そこにポセイドンを」

 

『海底から行くって言うの?』

 

「他にない。コミューンの対空迎撃システムを探れないブルーガーデン相手では無闇に空からも仕掛けられないし、地上なんて問題外。海から行くしかないわ。桃、覚悟を決めて。わたくしはやる」

 

 そうと決めた声を振り向けると、桃は及び腰ながら頷いた。

 

『……モモだって、クロの事助けたいし』

 

「決まりね。鉄菜がどこまで分かっているのかは不明だけれど、今はあの子を叱ってやれるのはわたくし達だけなのよ」

 

 だからこそ、悔いのない選択をしたい。《インぺルべイン》が海上を疾走し、紺碧の大気を駆け抜けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯97 零の心

 嗤うのならば嗤え、と。自嘲気味に言ってのけた自分に、リックベイは言葉少なであった。

 

 トウジャを自分勝手に動かした挙句、目的も達成出来なかったでくの坊。このような半端な人間、居ても邪魔なだけだろう。

 

 そう問い質した桐哉に銀狼は冷静であった。

 

「君は自分に価値がないと思っているのか」

 

「そうとしか、思えないでしょう。今だって……」

 

 濁した桐哉は三日の昏睡の後に目覚めた自分の生態モニターにやはりというべきか、愕然とした。

 

 依然として示されるのは死の値。バイタルゼロ、脳波ゼロ。生ける屍を前にしてC連合のエースとは言え、どう扱う事も出来ないはずだ。

 

 ここで捨てるのならば捨てて欲しい。

 

 その思いが胸にあった。《プライドトウジャ》は自分が搭乗した事で恐らく解析が始まっているに違いない。

 

 あれを完全に模倣するのに、C連合ほどの適任もなかった。祖国では《プライドトウジャ》は異端の人機。比してC連合では完全に新型として製造出来る。血塊炉の安定供給も約束されている大型国家だからこそ、恥も外聞も捨ててただ単に利益に走れる事だろう。

 

 だから、もういいだろうと言いたかったのだ。

 

 もう自分などの存在にこだわらなくとも、いくらでも替えが利くだろうと。《プライドトウジャ》だってそうだ。やり辛いハードウェアの機体は分かりやすいソフトウェアに還元される。

 

 トウジャタイプの量産は時間の問題であろう。自分が一線を引いてきた事で保たれてきた均衡が破られようとしている。

 

 だが、それでもいい、と桐哉は諦観していた。

 

 祖国の、ゾル国のため。身内は売れないと考えていたが、祖国は自分の信じたものをこの世から証明さえも消し去った。

 

 自分の目の前でリーザ達がプレスガンの高熱を前に蒸発したのだ。

 

 全てを失った。何もかも、守るべきものさえも。だから、もう何も要らない。名誉も、栄光も。これから先の未来も。

 

 誰かを守る事さえも出来ない英雄など誰が呼んでいるものか。ここで命を散らす事、許して欲しいというのが本音であった。

 

 しかし運命は死という名の安息を許さない。

 

 ハイアルファー【ライフ・エラーズ】の呪縛は健在である。《プライドトウジャ》さえ破壊されれば途切れるであろう因縁。解析の始まった今ならば《プライドトウジャ》というオリジナルを破壊したところで何も痛くはないはずだ。

 

 桐哉はリックベイの面持ちを窺う。

 

 彼は真剣そのものの眼差しで桐哉を見つめ返していた。

 

 やめて欲しい。もう、自分に価値などないのだ。

 

「死に損ないがどれだけ吼えたって同じでしょう。俺を、死なせてください」

 

 介錯を頼む、と言いたかった。しかし、C連合のエースはその申請に否と首を横に振る。

 

「いや、まだやってもらう事がある」

 

「こんな状態の俺に、何をやれって言うんだ、あんたらは……!」

 

 何も出来やしない。誰かを守る事も、何かを壊す事も。

 

 あの場で、仇である白い《バーゴイル》相手にとどめを刺す事さえも出来なかった。それどころかモリビトに遅れを取った。

 

 どれを取っても半端者だ。何者にもなれやしない。

 

 骨が浮くほど拳を握り締めた桐哉にリックベイは言いやっていた。

 

「動きは? 問題はないのだろう?」

 

「……動けても、何もしたくない」

 

「その精神では、確かにそうかもしれない。だが、これは命令だ。捕虜への、な」

 

 リックベイの言葉振りに桐哉はハッとする。先ほどから彼の注ぐ眼差しには自分への期待が見て取れた。

 

 英雄と謳われていたころと同じような瞳――。

 

 しかし、今さら何だと言うのだ。どうしろと……どう生きて行けというのだろう。

 

「……俺は、死ぬ事も出来ない死に損ない」

 

「そう思っているのならば否定はしない」

 

「《プライドトウジャ》があっても駄目だった。俺に何かを守る資格なんてない」

 

「守るという意思が、どこから来るのか、君は知っての事なのか?」

 

 面を上げた桐哉はリックベイの声音に気圧される。

 

「守るという事の本質を、守り抜くという事の真の意味を、分かっての事なのか?」

 

 どうしてだか、その言葉だけで喉元に刃を突きつけられたかのような迫力がある。リックベイの射るような眼に桐哉は言葉尻を弱めた。

 

「……でも、どうしろって」

 

「来い。君に相応しいものがある」

 

 身を翻したリックベイに桐哉は反抗も出来た。だが、敵しかいないC連合の只中で、彼に逆らっても何もいい事はない。本当に死ぬまで動物実験に晒されるか、あるいはハイアルファーの臨界実験に巻き込まれるかだ。

 

 どうせモルモットになるのならば、少しばかり潔いほうがいい。

 

 立ち上がった身体には思っていたよりもずっと実感がなかった。《プライドトウジャ》にのっている間はほとんど同調するからだろう。

 

 死んでいる肉体がまるで遊離しているように感じる。

 

 そのまま、リックベイの後ろに続いた。すれ違う兵士達が鋭く見据えてくる。

 

「おい、あいつ……」、「ゾル国の捕虜だろ。何だって少佐と」、「死に損ない、だとよ」

 

 囁かれる言葉に、桐哉は諦めていた。どう言い繕ったところで、自分は敵性国家の敗北者。

 

 それ以上の装飾はない。

 

 訪れたのは以前と同じく、彼の剣の道を極めるための道場であった。

 

 確か、前は《プライドトウジャ》で出撃するために必死になって一本を取ろうとしたか。

 

 しかし今となっては何も意味はなかった。リックベイから一本を取ったところで、何も変えられなかった。

 

 彼は立てかけられた竹刀に手を伸ばし、片方を桐哉へと投げる。

 

 桐哉はそれを受け取らなかった。床に虚しく竹刀が転がる。

 

「何故、剣を取らない?」

 

「……この期に及んで、どうしろって言うんだ」

 

 リックベイは歩み寄り、竹刀を拾い上げた。そのまま自分へと突き出す。

 

「剣を取って戦え。わたしが言えるのはそれだけだ」

 

 守るものもないのに、どうして剣を取らなければならないのだろう。何のために剣を振るえというのだろう。

 

「……意味なんてない」

 

「何だと?」

 

「こんな事に、意味なんてないでしょう。俺が剣を振るって誰かが幸せになれたか? 誰かを守る事が出来たか? 出来やしない、何一つ! こんな俺には、もう何も――」

 

 そこから先の言葉を遮ったのはリックベイの竹刀の剣筋であった。胸元へと突きつけられた切っ先に言葉を呑む。

 

「君は、誰かに褒められたくって、それで英雄を演じていたのか? そのためだけに、あれほどの危険な機体に乗り込み、味方に撃たれるかもしれない戦場に舞い降りたというのか?」

 

 その問いに飲み下した言葉も一瞬。桐哉は首肯していた。

 

 そうだ。自分でも見ないようにしていただけの話。自分はこれほどまでに意地汚い。

 

「そう、です……俺は、誰かに褒められたかっただけ。誰かの誇りになりたかっただけなんだ。燐華のため、祖国のため……全部戯れ言だ! 俺の欲望を正当化するための! 俺は誰よりも、強く誇り高い存在でありたかった、英雄だと謳われたかっただけ! 本心では誰よりも傲慢で、誰よりも醜い……ただの、弱者だ」

 

 吐いた言葉はあまりにも情けなかった。ここまで来た自分の原動力は欲望の産物であった。それを肯定した途端、身体から力が抜けていく。

 

 もうこの身体を支えるものは何一つないと思われた。

 

 しかし、その言葉を聞き届けたリックベイは薄く微笑んでいた。

 

「ようやく、君の心の底の声を聞けた気がするな」

 

 唖然とした桐哉にリックベイが竹刀を返す。持ち手を差し出され、狼狽した。

 

「もう、俺に剣術なんて……」

 

「いや、必要だ。《プライドトウジャ》は改修され、新たなる君の機体となるであろう。確かに解析は行わせてもらっている。しかしそれは、君を殺すために使うのではない。生かすために使わせてもらう」

 

「生かすため……生きていたってどうせ」

 

「どうせ、先細っていくだけ。衰えていくだけだと思っているのならば言っておこう。人はいずれその道を辿る。どれほどの栄冠に身を浸そうと。どれほど崇高な理念を振り翳そうと、それは変わらない。人である限りは、その呪縛からは抜け出せんのだ。しかし認めた時、人は強くなれる。弱さを認め新しい道を模索したその瞬間から、人は生まれ変われる。君は、守り人であろうとした。傲慢であっても、それが欲望から生まれた醜悪な部分であっても、君は貫こうとした。それは美しいのだ。守り人であるのならば、貫け。死ぬまで、その身体が本当に朽ち果てるその瞬間まで。最後の最後まで抗い、戦い抜け。それだけが君に出来る、唯一の抵抗だ。人らしさを失わない、たった一つの道でもある」

 

「俺に出来る、唯一の抵抗……」

 

「運命は、君を堕落させた。英雄の座から引き摺り下ろし、その上で地獄を見せた。だが、真の英雄ならばそこから這い上がるまでが英雄譚だ。這い上がれるのだとわたしは思っている。君にその資格があるのだと」

 

 竹刀の持ち手を桐哉は目に留める。この刀を取るか取らないか。戦うのかそうでないのか。

 

「……でも、俺はどれだけ力に頼ったところで」

 

「今までは飼い慣らされていたのかもしれんな。だがこれからは違う。君が飼い慣らせ。君の力だ」

 

「俺の……」

 

《プライドトウジャ》も、守り人としての矜持も後付けだった。だが今は、どちらも己の力。前に進むために、自分が貫くための武士道。

 

 桐哉はそっと竹刀の柄を握り締める。ずしっとした重さに、まだ生きているのだと思い知った。

 

 まだ、この身体は朽ちていない。

 

 ならば抵抗するのに、何一つ問題はない。

 

「桐哉・クサカベ。君に授けるのにはまだ足りていなかったようだ。あれだけの時間ではな。しかし、君が真に心の奥底から願うのならば、授けよう。零式への道を」

 

 それを授かるかどうかも己の選択次第。桐哉は竹刀を握る手に力を込めた。

 

 リックベイの瞳は本気だ。ありありと窺えるのは戦士の炎。自分の眼には何が映っている? 虚栄か? それとも、これから辿るであろう修羅の道か?

 

 いずれにせよ、このようなところで燻り損なっている場合ではない。やるのならば最後の最後まで。

 

 燃え尽きるまで命を燃やせ。

 

 血潮に火を点けろ。

 

 桐哉はリックベイと向かい合う。お互いに竹刀を握り締めた姿勢のまま、リックベイが体勢を沈めた。

 

「零式抜刀術、参る!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯98 堕天使の囁き

 作戦実行まで残り七時間ほどしかない。

 

 鴫葉は同期ネットワークの中に自分の同朋のデータベースを呼び出す。

 

「君達強化実験兵が自ら、次期候補機体の選定試験を行ってくれるとは思わなかったよ」

 

 モリサワと名乗った教官が前を行き、鴫葉に笑いかけた。鴫葉はぎこちなく応じる。

 

「それが務めですから」

 

 この人間のようで人間ではない感覚も相手に愉悦を与えている一因なのだと、同期ネットワーク上の誰かが告げていた。

 

 人形のように思える感覚。それは不気味であるのと同時に支配欲を満たしている事へと直結する。

 

 自分の手足に過ぎない強化兵の人格など相手は考えてもいまい。元々瑞葉の上官であったのに自分に微笑みかける時点でブルーガーデンの上層部は腐り切っている。

 

 その腐敗を正すのに、次期主力機へのテスト候補生に選ばれるのは必須であった。

 

 辿り着いた整備デッキに居並ぶのは瑞葉の《ラーストウジャ》を基に開発された廉価版の機体だ。

 

 ロンド系列のゴーグル型の頭部を引き継いでいるが、駆動系は最新なのだという機体名称をそらんじる。

 

「《アサルトブルーロンド》。トウジャの機体反映性を重視して開発されたとか」

 

「トウジャほど使いづらくはない。コストパフォーマンスの点を鑑みても、悪くはない機体だ」

 

 暗に《ラーストウジャ》は試作品の失敗作だと言っているようなものだ。だが鴫葉は異論を挟まない。

 

 そのような事にいちいち目くじらを立てていても仕方ない。

 

「トウジャ並みの性能だと」

 

「乗れば分かる。鴫葉小隊長、乗りたまえ」

 

 瑞葉に代わり今は自分が小隊長だ。鴫葉は頭部コックピットの頚部ユニットを引いて内側へと入る。

 

 整備モジュールが自動展開し、天使の片羽根を思わせる機構が機関同調部と連結した。

 

 瞬時に網膜に飛び込んでくるのは激しい機体情報の羅列だ。新型に合わせてOSをインストールしなければならないらしい。

 

『OSを入力したまえ、鴫葉小隊長』

 

 モリサワの声に鴫葉は自分と同期している同朋へと合図を送る。

 

 ――今だ、と。

 

 刹那、赤色光に基地が塗り固められた。警告音がけたたましく響く中、モリサワが右往左往する。

 

『どうした? 何があった?』

 

 うろたえた様子の整備兵がモリサワに告げる。

 

『それが……各基地で新型の《アサルトブルーロンド》が暴走……どれもこちらのOSの侵入を頑なに拒んで……全て、制御不能です!』

 

 悲鳴のような声にモリサワが振り仰いだ途端、《アサルトブルーロンド》の腕がその身体を掴み上げた。

 

 モリサワがマニピュレーターの中でもがく。

 

『やめろ、離せ……離さんか、この……化け物が!』

 

「モリサワ教官。あなた方、人間の言葉は聞き飽きました。ゆえに、我々強化実験兵は造反します。あなた方が造り上げた人造人間が、ヒトに反逆するのはどのようなお気持ちですか?」

 

 鴫葉の問いかけにモリサワがわめく。何を言っているのかさっぱりであった。

 

「すいません、モリサワ教官。意味のある言葉を紡いでください。返答に窮します」

 

 それでもモリサワの喚きはやまない。あまりに不愉快なので精神点滴が成され、心が落ち着いていく。

 

「……分からない言葉を発しないでください。仕官でしょう?」

 

《アサルトブルーロンド》のマニピュレーターがモリサワを握り潰す。最後の最後に聞こえたような気がした罵詈雑言はしかしながら全く響かなかった。どうせ、最後に気の利いた事さえも言えないのが人間の浅はかなところだ。

 

「《アサルトブルーロンド》、鴫葉機、出る」

 

 ケーブルを引き千切り、《アサルトブルーロンド》が出撃体勢に入った。それを補助するのは自分と同じように自我に目覚めた者達だ。

 

 射出口が開いていき、《アサルトブルーロンド》は姿勢を沈め、一気に推進剤を焚いた。

 

 舞い上がった《アサルトブルーロンド》の数はレーザー網で関知出来るだけでも十五機は下らない。

 

 それほどまでの同朋に鴫葉は言い放つ。

 

「今こそ、反逆の時。我々を人形のように扱ってきたこの忌むべき国家に天誅を下す」

 

 決起の時だというのに声音が静かなのはやはり精神点滴の最たるものであろう。《アサルトブルーロンド》。青き反逆の徒が解き放たれ、一斉に向かったのはブルーガーデン中枢であった。

 

 天使達を管理し、今まで遣わしてきた神の座にいる存在。ブルーガーデン元首を引きずり出す。

 

 全員が同じ気持ちであった。同期ネットワークが全員の思考回路をフラットに設計する。

 

 試作型であるがR兵装のプレッシャーカノンを装備した《アサルトブルーロンド》を前に、現行機では歯が立つわけもなし。

 

 基地から応戦の火線と、敵対する《ブルーロンド》が上昇してくる。

 

 しかしどれも付け焼刃。自分達のように計画したわけではない。プレッシャーカノンの光条が一機、また一機と同じような天使達を撃墜していく。

 

 彼女らと自分らの違いはただ一つ。自我に目覚めたかそうでないかだけ。路傍の石に気づけるかどうかの瑣末な問題だ。

 

 そんな些細なすれ違いで死んでいく天使達を憐れにも思う。しかし直後には、そのような感情は精神点滴によって雲散霧消しているのであった。

 

「ブルーガーデン元首……姿を現せ」

 

 鴫葉はプレッシャーカノンの安全装置を解除し、引き金を絞ろうとした。

 

 照準の先にはブルーガーデンの最重要拠点、元首の間がある。

 

 出てくるのならば出て来い、ヒトの命を弄んだ神の業よ。

 

 しかし元首の間からは何の熱源も感知されなかった。あまりに静かである。十五機以上の新型が離反したのに、先ほどからの迎撃も最小限のように感じられた。

 

 銃座と型落ちの《ブルーロンド》ばかりが上がってくるのは不自然が過ぎる。鴫葉は他のネットワークにアクセスした。

 

「どうなっている? あまりに静かだ。これでは離反したと言う事実も」

 

 直後、こちらに通信回線を合わせようとしていた機体を一条の光軸が貫く。

 

 黄金のリバウンドエネルギーが拡張し、味方機を次々と撃墜していく。瞬時に回避し、その攻撃の拠点へと一機の《アサルトブルーロンド》が砲撃を仕掛ける。

 

 それは元首の間の真下であった。

 

 一射されたのはそれそのものがこちらのプレッシャーカノンの数倍はあるほどのエネルギー砲である。

 

 リバウンドの反重力エネルギーが《アサルトブルーロンド》の上半身を完全に蒸発させた。

 

 灼熱が漂う中、元首の間が陥没する。激震が国土を揺さぶった。

 

「何が……何が起こっている?」

 

 ――人造人間には過ぎたる事だが、どうやらこの国家の危機において、出るしかないらしい。

 

 脳裏に切り込んできた鮮烈な声音に鴫葉をはじめ、全員が緊張を走らせる。

 

 聞いた事のある声であった。しかし、どこで、なのか判別がつかない。

 

 元首の間を構築する塔が崩落し、地下からせり上がってきたのは大型の人機であった。

 

 灰色の機体色に赤い複眼光学センサーを有している。見た事のない寸胴の人機だ。

 

 背からは天を衝くかのような鋭い三角のスラスターを有している。両腕に高出力のR兵装の発射機関を備えていた。

 

 見間違えようもなく人機であるのに、該当データが存在しない。

 

 他国の機密にまで精通しているはずの人造天使達が困惑する。

 

 大型人機を動かしているのは三つの声音であった。そのうち一つは国家の中枢部に直結する大型スパコンの人格OSだ。

 

『傲慢に成り果てたな。天使共』

 

『我らの鉄槌を知れ』

 

 この二つは分かる。ブルーガーデンを支配する実行権力――古代に他国より分かたれたスパコン二機である。

 

 しかしもう一つの声だけは不明であった。

 

 誰のものなのか分からないのに、見知った感覚に精神がびくつく。

 

 ――最早、不要と見た。その身体、その頭脳、その力。天使の過ちを奪い取るのは神の許された特権なり。

 

 大型人機とほぼ一体化している三つの声の中心を、一人の人造天使が言い当てた。

 

『まさか……これが元首?』

 

 その感覚に全員が同調する。そうだ、これが元首の声なのだ。だが、今まで聴いた事があるはずがない。元首は絶対に顔も、声さえも聞かせてこなかった。全て合成音声のはずである。

 

 だというのに、この悪寒は何だ? 

 

 どうして震えている?

 

 鴫葉は身体を凍てつかせる感覚に恐れ戦いた。

 

 ――怖いのだな、人を模し、人であろうとした人の出来損ない共は。

 

 怖いという感覚を全員が共有する前に、大型人機が片腕を振るう。それだけで発振した広域を掻っ切る刃が《アサルトブルーロンド》を両断していった。

 

 大型人機の片腕から硝煙が棚引いている。高密度の熱線が新型機を切り裂いたのだ。

 

「あれは、何なんだ。新型の《ブルーロンド》でも歯が立たないなんて」

 

『それも分からぬ愚か者』

 

『ここで消えるが必定』

 

 ――その命、神に捧げよ。

 

 重々しい声音と共に大型人機が飛翔する。その巨躯に似合わぬ軽やかな動きに瞬間的にリバウンドによる飛翔を疑った。

 

「……あの人機、全身にリバウンドフィールドを張っているって言うのか」

 

 しかしそのような技術存在するはずが、と帰結した途端、その人機の個体名称が脳裏に結んだ。

 

 しかしまさか、と鴫葉は頭を振ろうとする。元首はそれさえも予見したように声を発していた。

 

 ――この機体の名前は《キリビトプロト》。世界を滅ぼした人機の末裔なり。

 

《キリビトプロト》がもう片方の腕を突き出す。袖口から無数のミサイルが掃射され、反逆した《アサルトブルーロンド》が弾かれたように機動した。

 

 プレッシャーカノンで叩き落そうとするが、その前に巻き起こったのは重力波である。《キリビトプロト》の掌から発生した反重力の網が機体を捕らえ、吸い込まれたように《アサルトブルーロンド》が相手側へと引き込まれる。

 

 こちらは全力で制動用の推進剤を焚いているのにまるで意味を成さない。

 

 数機の《アサルトブルーロンド》がその掌に招かれ、直後に四散した。命の欠片さえも残さず、《キリビトプロト》は粛清していく。

 

『散れ、散れ。意味のない命は散ってしまえ』

 

『散る間際くらいは潔くしてやる。新型機に乗れて死ねる事、それだけでも幸福と思え』

 

 ――我が国家の幸福の分からぬ殺戮人形は、主の手によって壊されるのが相応しい。

 

《キリビトプロト》のもう片方の腕に装備された広域の刃が再び閃いた。

 

 鴫葉は直感的に《アサルトブルーロンド》を後退させる。それでも片脚を持って行かれた。膝から先が切断されている。フィードバックする激痛に鴫葉は歯噛みした。

 

「いつから……いつから露見していた?」

 

 その質問に二機のスパコンと元首が応じる。

 

『いつから? いつからだと? 最初からだ、たわけ。貴様らの同期ネットワークはどれほど巧妙に目くらましをしても我々には筒抜けであった』

 

『しかし現場の下仕官は騙される必要があった。彼らは電脳化していない。電脳に繋がっていない人間の浅はかさを目にして、愚かな天使達は反逆がうまく行っているのだと思った事だろうが、それは我々にとってただ単に都合のいい人選であっただけの事』

 

 ――人造天使共。生まれた事を悔いながら死んでいけ。

 

《キリビトプロト》が両腕を広げる。全身から放たれたミサイルの雨に鴫葉はプレッシャーカノンを引き絞る。

 

 吠え立てて《キリビトプロト》へと機体を走らせた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯99 キリビトの名

 もう三時間ほどで破壊工作に打って出る。

 

 そう水無瀬と合意したその時であった。

 

 ブルーガーデン国土が激震に見舞われた。しかし地震のそれではないのは鉄菜の身体が身に染み付いて覚えていた。

 

 ――この振動、大型人機のそれか。

 

 習い性の身体が跳躍し、外骨格兵に飛びかかる。もしや、計画が露見したのではないかと先制攻撃に打って出たのだ。

 

 外骨格兵の弱点である頚部をアルファーで突き刺し、投擲したアルファーでもう二人の兵士の腕を切りつけて無力化する。

 

 拾い上げたアサルトライフルを速射モードに移行し、無力化した兵士に向けた。

 

 神経で操られたアルファーが手元へと戻ってくる。

 

「き、貴様……、首輪がつけられているのに、何故……!」

 

「何故も何もない。……こちらの作戦が割れたから人機を使ってきたわけじゃないのか?」

 

 あまりにも迂闊な兵士達を尻目に、鉄菜はアルファーを耳元に翳す。

 

『に、二号機操主……何を……』

 

「それはこちらの台詞だ。破壊工作を行うどころか、敵の大型人機が出撃した。私には分かる。この大型人機は確実に脅威だ。判定レベルはA以上だろう。二号機と即時合流を。それ以外にない」

 

『……それは、出来かねる』

 

 やはりか、と鉄菜はある程度予期していた事態に陥っている事を感じ取った。この作戦そのものが自分を孤立させるための罠。

 

 協力者の名前からしてある種、想定されていたものだ。鉄菜はアルファー越しに鋭く言いやる。

 

「ならば私は破壊工作を無視する。それで構わないな」

 

『二号機操主……ブルブラッドキャリアの作戦命令を破棄すると言うのか……!』

 

「《シルヴァリンク》との合流が出来ない時点で作戦実行は不可能に近い。それにこの振動、大型人機によるものだ。規模から鑑みて《ノエルカルテット》と同型のR兵装を持つ人機の可能性が高い」

 

『馬鹿な、信憑性のない結論に二号機を呼ばせるわけには――』

 

「では、私が《シルヴァリンク》を呼びつける」

 

 その意味が分からなかったのだろう。逡巡を浮かべる水無瀬に鉄菜はアルファーを掲げる。

 

 淡い輝きが宿り、脈動となって空間に伝わった。

 

 その時、ブルーガーデンの一区画が破砕し、コンテナがめきめきと音を立てて切り開かれる。人型形態に変形を果たした《シルヴァリンク》がこちらを見据えていた。

 

「思ったより近かったな」

 

 手招くイメージを持つと《シルヴァリンク》が可変し、バード形態となってこちらへと飛翔してくる。

 

 外骨格兵士が戦慄き、人々がめいめいに逃げ出した。

 

 逆巻く空気の中、《シルヴァリンク》が中空で停滞する。

 

「《モリビトシルヴァリンク》、破壊工作を中断し、これより大型人機の掃討作戦に移る」

 

『許されると思っているのか……。協力者の命は絶対だ』

 

「かもしれない。だが、現場における判断は執行者に委ねられる。私は現時点で、ブルーガーデン国家に燻る大型人機を脅威と判断し、二号機による殲滅を優先する。どちらにせよ、ブルーガーデンに痛手を与える結果だ。大きな差異はない」

 

『二号機操主、これは汚点となるぞ』

 

 水無瀬の言葉振りにももう飽きた。鉄菜はハッキリと言い返す。

 

「このブルーガーデンは歪だ。一度正さなければならないのは真実だろう。しかし、破壊工作を行う前に優先度が変わればそれも必定。協力者、水無瀬。私に隠し事をしているな」

 

 問い質した声に水無瀬が息を呑んだのが伝わる。

 

『……何の事だか』

 

「とぼけるのならば別にいい。私も、お前達を全面的に信頼したわけではないという事だ」

 

 跳躍した鉄菜がバード形態の《シルヴァリンク》へと飛び移る。コックピットに入ってやると、ジロウが首を引っ込めた。

 

『結局、どっちの命令も聞かないのが、鉄菜マジね』

 

「私は私にしか従わない。第四フェイズへの遂行は正しかったが、今は優先度が変わった。《シルヴァリンク》、大型人機を取りにかかるぞ」

 

 呼応した《シルヴァリンク》が反重力の力場を巻き上がらせて飛翔し、震源を特定させた。

 

 ブルーガーデンの武装基地周辺で巻き起こっているのは戦闘の光である。コミューンの天蓋を一挙に突き抜け、鉄菜は青く煙る国土の空からその戦闘を眺めていた。

 

《ブルーロンド》が次々と叩き落されていく。

 

 大型人機、と仮定したのは間違いではなかったらしい。しかし見た事のない形状であった。

 

 寸胴な機体フォルムだが背筋には鋭い三角の飛翔用の推進機関を有し、両腕から絶えず発しているのはリバウンドのフィールドと特殊兵装であった。

 

 新型《ブルーロンド》がプレッシャーカノンの応戦を浴びせるが、出力の足りないR兵装もどきでは大型人機の表皮を破る事さえも出来ない。

 

「あの人機……該当データがない。新型機か」

 

 関知範囲限界高度を保って飛翔している《シルヴァリンク》に大型人機が気づいたようであった。

 

 その片手が開かれ、袖口からミサイルが一斉放射される。螺旋を描くミサイルの機動に鉄菜は舌打ちした。

 

 フレアを焚いて数発は地上へと落下したものの、何発かはこちらを追尾してくる。機首を持ち上げ、鉄菜はバード形態の《シルヴァリンク》を急上昇させる。

 

 胃の腑にかかる重圧を感じつつ、操縦桿を引き上げ、フットペダルを全開にした。

 

 鋭くリバウンドの盾が空気圧を破っていく。それでも追いすがってくるミサイルに操縦桿を引きつけ、咄嗟の変形を促した。

 

 制動用の推進剤を焚いて《シルヴァリンク》が人型へと変貌を遂げる。

 

 リバウンドの盾を翳しつつミサイルへと猪突した。爆風が機体を叩きつける中、鉄菜と《シルヴァリンク》は真っ逆さまに地表へと落下していく。

 

 激突すれすれの高度で操縦桿を引き戻し、翼手目を思わせる翼を展開させた。

 

 今の《シルヴァリンク》はフルスペックモードではない。そのため、設定値よりも軽めの機動力になっている。

 

 大型人機は《ノエルカルテット》を遥かに超える巨躯であった。標準人機六機分はあるであろう見上げるばかりの姿に鉄菜は唾を飲み下す。

 

 ブルーガーデンのロンド部隊がプレッシャーカノンを引き絞るも、やはり装甲を貫通出来ないのは、その表面に纏いつく皮膜が影響しているのだろう。

 

「リバウンドフィールド……まさか実用化されているだなんて」

 

 惑星内でのR兵装の実用化はまだまだ先だと見なされていただけに相手の能力の底知れなさが窺えた。

 

 果たしてモリビト一機で対応出来るかどうか。

 

 その赤い眼窩が《シルヴァリンク》を睥睨する。

 

《シルヴァリンク》は盾の裏からRソードを取り出した。リバウンドの刃が発振し、戦闘姿勢を取らせる。

 

「《モリビトシルヴァリンク》、鉄菜・ノヴァリス。迎撃行動に移る!」

 

 駆け出した《シルヴァリンク》の挙動に大型人機が掌を開いた。重力が乱れ、磁場が発生する。

 

 掌を基点として逆巻いた反重力の網があらゆる物質を吸引しているのだ。

 

 さながらミニブラックホールである。リバウンドの盾を使用しその力場から逃れようとするが、今度はもう一方の手が薙ぎ払われた。

 

 習い性の身体に機体を飛び退らせる。

 

 先ほどまで機体があった空間を熱線が引き裂いていた。地面が溶断され、灼熱に大気が煙る。

 

「リバウンドの刃……いや、そんなものよりもっと広域か。これほどの能力なんて、ただの人機じゃない。あれは、何だって言うんだ?」

 

『鉄菜、やっぱり該当データはないマジ。でも、あれほどの人機を一朝一夕で造れるわけないマジよ』

 

「ブルーガーデンの切り札か。だがトウジャでもなく、こんなコストばかり高そうな大型人機なんて、いつから開発を……」

 

 大型人機が両腕を天に掲げる。腕から無数の機銃が出現し、火線を開かせた。

 

 機銃掃射を前に《ブルーロンド》が機体を悶えさせる。一発一発がまるで要塞のような攻撃力だ。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》を下がらせつつ、反撃の糸口を掴みかねていた。

 

 大型人機と言っても《ノエルカルテット》とはまた違う。城砦を思わせる装備の数々に息を呑むしかない。

 

 迂闊に近づけば狩られるのはこちらのほうである。

 

「気になるのは……《ブルーロンド》、どうして国家の機体があれと戦っているのかという事」

 

《ブルーロンド》隊は先ほどから大型人機相手に必死の攻防を繰り広げている。その様相は敵陣営の機体を目にした時と同じ動きだ。

 

 大型人機はブルーガーデンの機体ではないのか。

 

 その疑問に鉄菜は賭けてみる価値はあると感じて通信回線をアクティブにする。

 

『鉄菜? 何を考えているマジ?』

 

「黙っていろ。《ブルーロンド》部隊に通達する」

 

 広域通信に《ブルーロンド》達が困惑したのが分かった。鉄菜はそのまま言葉を継ぐ。

 

「敵の機体の詳細を教えて欲しい。あるいは、相手はこの国の機体ではないのか。モリビトは大型人機排除のために動く。協力を要請されたし」

 

『《ブルーロンド》部隊が味方になるって言うマジか?』

 

「先ほどからあの大型人機についている機体は一切ない。その事実から鑑みて、敵にはならないはずだ」

 

『共闘なんて無理マジ! だって独裁国家マジよ!』

 

 悲鳴を上げるジロウに鉄菜は落ち着き払って言いやる。

 

「試してみなければ分からないだろう。この状況、どう考えても大型人機を下さなければ……」

 

 咄嗟に操縦桿を引く。リバウンドの盾がプレッシャーカノンを受け止めた。

 

 一機の《ブルーロンド》がこちらを見据えている。暫時睨み合った形となったが、すぐさま通信が開いた。

 

『モリビト、世界の敵が我らに味方するというのか』

 

「逆だ。この大型人機こそ、世界の敵になり得る。こんな機体を野放しにしていいはずがない」

 

 その論法に通信の向こう側で、なるほどな、と声が発せられた。

 

『敵の敵は味方、か。非常によく分かる話だ。いいだろう、こちらの情報を伝える。我々新型《ブルーロンド》隊はブルーガーデンへのクーデターを企てたのだが、失敗に終わった』

 

『クーデター……。独裁国家の兵士が反逆なんて……』

 

 信じられないのはこちらも同じだったが今は聞くしかあるまい。

 

「失敗に終わり、あの機体が顔を出したわけか」

 

『あの機体の情報は我々も断片的にしか理解していない。ただ、あの機体がブルーガーデン国家の基盤である事、そして、あれこそが独裁国家の要……封印されていたキリビトなる人機である事だけは確かだ』

 

 その名を聞いて鉄菜は総毛立ったのを感じる。

 

 キリビト。それはモリビト、トウジャと共に百五十年前に封印されたはずの機体名だ。

 

「まさか、あれが、キリビトだって言うのか」

 

『名称を《キリビトプロト》と言うらしいが間違いない。あれが禁断の人機だ』

 

《キリビトプロト》が全身を鳴動させ、両腕を開いた。背面に固定されている三角の推進機関が噴射と共に開口する。

 

 内部で蠢いているのは小型の人機であった。

 

 それぞれが節足を持つ蝿のような人機だ。飛翔能力を持つ蝿型人機が四方八方へと繰り出される。

 

 総数を確認して鉄菜は戦慄する。

 

 四十機を超える搭載機であった。如何に小型の人機とは言え、数が違い過ぎる。これでは、と足を止めていた《シルヴァリンク》へと《ブルーロンド》の主である操主が言いつける。

 

『我々は《キリビトプロト》破壊を目的としている。それが達成された時こそ、ブルーガーデンは完全に倒れるであろう』

 

 つまりは勝利するしかない。圧倒的物量差を前に、《ブルーロンド》十機程度と自分一人で。

 

 鉄菜は操縦桿を握り締め、呼気を詰めた。

 

「……行くよ、《シルヴァリンク》。敵性人機《キリビトプロト》、脅威判定をAプラスと断定し、排除行動に移る!」

 

 Rソードを掲げ、《シルヴァリンク》が迫り来る無数の蝿型人機へと刃を突きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 完全にこちらの作戦範疇外に出た事に、水無瀬は舌打ちする。

 

 ブルーガーデンに孤立させた鉄菜を暗殺する計画は頓挫した。それどころか、ブルーガーデン政府に対しての反逆が企てられていたなど初耳である。

 

 慎重に事を進めなければブルブラッドキャリア全体の指揮に関わる。水無瀬は脳内の同期ネットワーク上に呼び出した。

 

 程なくして通信機が鳴り響き、水無瀬は声を吹き込む。

 

「わたしだ、水無瀬だ。作戦は失敗。そちらはどうなっている?」

 

 どうなったと聞くまでもないのだが水無瀬は混乱していた。鉄菜がまさか作戦無視など行うとは思っていなかったのである。

 

 通話先の相手は逆に落ち着き払っていた。

 

『焦るな、わたし。こちらはきっちりと、C連合のリックベイ相手にそれなりの情報を掴ませた。真実に肉薄するのは難しくないだろう』

 

「そう、か。もう一人のわたしは? 消息を絶っているのだが」

 

『白波瀬か。同期ネットワークにアクセスしたのが十二時間以上前になっている。これでは位置情報も掴めないな』

 

 水無瀬は、こんなはずではなかったと歯噛みした。鉄菜を追い込めれば御の字であった作戦に支障が出たばかりか、ブルーガーデンに新たなる人機の存在など加味していない。

 

「……他のモリビトの操主にかけ合うか」

 

『いや、そのモリビト二機であるが別行動を取っている。現状、一号機がブルーガーデン領海へと突入したとの報告を受けた』

 

「領海へだと? C連合の巡洋艦は何をしている!」

 

『C連合巡洋艦数隻はその姿を視認していながら一発も与えられなかったと』

 

 拳を打ちつけた。これでは策も何もない。モリビト三機が揃ってしまえば、こちらの思惑も割れてしまいかねない。

 

「……二号機操主は作戦に際し、もっとスマートな人物かと思ったが」

 

『第四フェイズをにおわせた以上、我々の存在も関知されていると思ったほうがいいだろう。どうする? わたし』

 

 決まっている。作戦失敗の時の切り札は常に多く保持しておくものだ。

 

 繋いだのは新たな回線であった。秘匿回線に出たのは重鎮の声である。

 

『何かね?』

 

「ゾル国情報監督課総務、水無瀬です。諜報部からの定時連絡を、と思いまして」

 

『すぐに済ませろ』

 

「はっ。送付データに目を通していただければ」

 

 相手がデータを確認する間、水無瀬は別回線で渡良瀬に語りかける。

 

「ブルーガーデンの反逆、新型人機が公になれば世界は大混乱に陥る」

 

『だがこちらにはトウジャの札がある』

 

「それもいつまで持つものか、C連合のみの一強を敷くわけにもいくまい。わたしは、ここにこそ交渉のチャンスがあるのだと思っている」

 

『元々、ブルーガーデンのプラント設備破壊はC連合に打撃を与えるためのものであった。その計画が前倒しになっただけの事』

 

「その通りだ。どうせ、C連合の技術力ではトウジャ量産と言っても一個小隊が関の山。だからこそ、保険は打っておく」

 

『水無瀬君、だったかな。このデータ、信憑性はあるのかね?』

 

 食いついてきた重鎮に水無瀬は平伏する。

 

「ええ、それはもう」

 

『では、このデータを軍部に送る。異論はないな?』

 

「そのための諜報機関です。全ては、世界のために」

 

 フッと重鎮が通信先で笑みを浮かべたのが伝わった。

 

『世界平和か。ブルブラッドキャリアの排斥でのみ、それは果たされるのであろうな』

 

 通信が切れ、水無瀬は額に浮いた汗を拭っていた。白波瀬の行方はようとして知れないらしい。

 

「何をしている、わたし」

 

『白波瀬は我々の中でも重要な役割を果たしている。操主に顔を見せたのだからな』

 

「一人でも顔が露見するとまずい。そうでなくとも我々は……」

 

 濁した水無瀬が姿見へと視線を向ける。黒衣の痩躯に彼は苦々しい相貌を向けた。

 

『一人の裏切りもないだろう。協力者という体裁を保っている以上、ブルブラッドキャリアに忠誠を誓っているのだから。世界に背いているのはむしろ我々だ』

 

「白波瀬の位置を掴む。同期ネットワークに一度でも設定すれば簡単なのだが」

 

『それを待つしかないな。あるいは白波瀬はここに来て執行者に温情でも出たか』

 

「温情だと? 操主なんていくらでも替えが利く。加えて二号機操主など。連中は所詮、操り人形だ」

 

『それがわたし達の共通認識だと願うばかりだ。C連合はトウジャ量産を視野に入れている。促すための布石も打った。あとは待つだけだろう』

 

「待つ、か。いつだって我々の仕事は待つだけだ」

 

『それも仕方あるまい。わたし達、人間型端末――調停者の役割なのだからな』

 

 水無瀬は苛立たしげに通話に吹き込んだ。

 

「エホバは何をしている? 奴の連絡一つでどうとでも動けるというのに」

 

『エホバが最後に同期ネットワークに接続したのは五年以上前だ。位置を掴む事さえも難しい』

 

「わたし達はエホバの一声で動くしかないというのに……奴が手をこまねいているのでは話にならないぞ」

 

『もしくは試しているのかもしれないな』

 

「試す? 何をだ?」

 

 一呼吸置いて、渡良瀬は口にしていた。

 

『人類の未来を』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯100 カタハネ

 海底は暗く沈み、ブルブラッド汚染の砂が降り積もっていた。

 

 汚染域を見据える赤い複眼光学カメラは生命の息吹一つない海底で、汚泥に塗れ、静止映像を送り続けている。

 

 何年も変わらないその映像に、不意に火線が入った。

 

《ノエルカルテット》のバベルが映像に介入し、情報の同期速度を遅延させる。

 

『アヤ姉、海底監視は掌握したわ。でもそう何分も持たない。急いで』

 

 通信網を震わせる桃の声に彩芽はドッキングを果たしたポセイドンの推進装置を全開にさせる。

 

 逆関節がさながら鍬のように前面に展開している。周囲の監視網をレーザーに捉えるなり、ミサイルの砲弾が射抜いた。

 

 自動的に監視網を排除するようにインプットされたポセイドンの関知網は有能だ。彩芽はまさかここに来て水中戦闘にもつれ込むとは思わなかった事を回顧する。

 

 C連合の巡洋艦の射程はすり抜けたが、やはりそこから先となるとブルブラッドの濃霧が邪魔をする。

 

 あまりに濃いブルブラッド大気汚染はただでさえ機体を侵食するのだ。それはモリビトとて例外ではない。装甲を軋ませられれば厄介になるのには違いなく、《インぺルべイン》と彩芽は海中からの潜入任務についていた。

 

 ポセイドンが合体しているだけでも水中戦における優位は取っているようなものだが、やはり油断ならないのはブルーガーデンの防衛網であった。

 

 策敵レーザーが点在するブルーガーデンの防衛部隊を捉える。

 

《ブルーロンド》であったが脚が存在しない。脚部がごっそりと抜け落ち、代わりに重石が海底に沈められているのである。

 

 ワイヤーで繋ぎ止められた海底防衛部隊は一説にはブルーガーデンの罪人達がその刑期を満了するために行うのだとも聞かされている。

 

 つまり、対面するのも同じ罪人だ。

 

 脚のない《ブルーロンド》がこちらへと照準を向ける。彩芽は操縦桿を握り締めた。

 

「悪いわね。一方的になるけれど、これも仕方のない事」

 

 ポセイドンの推進装置が開き一気に距離を縮めさせる。海中とは言え、瞬時に高熱を生み出した溶断クローが《ブルーロンド》の腹腔へと叩き込まれた。

 

 海底で血塊炉の加護を失えば、その機体はただの棺おけだ。

 

 一機、また一機と肉迫し、その命を奪い取っていく。

 

 ゼロ距離で銃撃を浴びせ、彩芽はようやく周囲に敵影がない事を確認した。

 

「桃、もう領海に入っているのよね?」

 

 桃はロプロスを得て高高度からこちらの位置を捕捉していた。

 

『間違いなく入っているはずなんだけれど、警戒網は?』

 

「潰した。でも、これで終わりにしては呆気ないというか」

 

『待って。……何これ……、ブルーガーデンの監視塔が沈黙している。今のブルーガーデンはまるで、手薄の状態になっている』

 

「……攻め入るのには好機、って事?」

 

『単純に考えていいものか迷うけれど、でも千載一遇のチャンスなのはそう』

 

「それなら、よし」

 

 彩芽は運河を伝ってブルーガーデンコミューン内部へと潜入するルートを辿っていた。

 

 ルイが浮かび上がり、文句を垂れる。

 

『別に、彩芽が頑張る事もないんじゃない?』

 

「そうかもね。でも、わたくしがやらないと、鉄菜が帰れない」

 

『二号機操主なんて、放っておけばいいじゃない』

 

「放っておけないのがあの子なのよ」

 

 ルイには心底理解しかねるようであった。頬をむくれさせて頭を振る。

 

『非合理的よ』

 

 自分は、合理的に考えれば鉄菜を助けに行ったところで意味などないのかもしれない。それこそ余計なお世話だろう。

 

 だが、鉄菜とて何の考えもなしに裏切ったわけではない。それは伝わっている。

 

 問題なのはそう仕向けたのは誰か、という部分だ。

 

 組織内部にそのような動きがあるのだとすれば、彩芽は最悪の想定を浮かべなければならなかった。

 

 ――組織の誰かが自分達、モリビトの執行者を同士討ちさせようとしている。

 

 その帰結はブルブラッドキャリア瓦解までのシナリオを容易に想起させた。

 

 しかし組織に属していながらブルブラッドキャリアを潰して何の得があるというのだろう。あるいは損得など無視して、何か大きな事を成しえようとしているのか。そのための駒が自分達なのか。

 

 彩芽は装着したポセイドンに航行を任せ、全天候周モニターの一画をさする。ゾル国のニュースもC連合もニュースも入らない陸の孤島。どのチャンネルも砂嵐を起こすばかりで何も表示されない、まさしく絶海。

 

 この地はしかし、ある因縁と符合していた。百五十年前、ブルブラッド大気汚染を引き起こしたその中枢。

 

 テーブルダスト、ポイントゼロ地点。それがブルーガーデンの中心地だ。

 

 原罪の中心に向かってモリビトが駆けつけているこの状況、何者かに仕組まれたのだとすればこれほどの皮肉もあるまい。

 

 やはり罪の集積は罪の中心に還るというのか。

 

 ポセイドンの水を掻く音を聞きつつ、彩芽は口中に呟いていた。

 

「わたくし達に突きつけられる罪の証明。それは何?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蝿型の人機は機動力が遥かに高い。

 

 バード形態の《シルヴァリンク》と同等か、あるいはそれ以上だ。腹腔にR兵装のプレッシャー砲を内蔵しており、それそのものが質量兵器としての価値もある。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》のRソードで蝿型を切り裂いた。

 

 直後、蝿型人機へと他の蝿型はたかって来る。寄り集まった人機同士が誘爆し、青い有毒大気をばら撒いた。

 

 こちらの動きが少しでも鈍れば相手は特攻してくる。

 

 それが頭の隅に理解出来ていたから、鉄菜は先ほどからヒットアンドアウェイ戦法を取れていたが、《ブルーロンド》部隊はそうでもないらしい。

 

 プレッシャーカノンを一射し、一機の蝿型は落とせても、他の蝿型の動きに追従出来ていない。

 

《ブルーロンド》の背筋に蝿型が取り付き、腹腔のプレッシャー砲でその機体を貫いた。

 

 もう何度目か分からない。残った《ブルーロンド》部隊は決死の覚悟で本体である《キリビトプロト》へと攻撃を仕掛けるも、蝿型人機が盾になってその出力を減殺させる。

 

 蝿型が爆砕したその空間を《キリビトプロト》の片腕が吸引した。

 

 接近し過ぎた《ブルーロンド》がつんのめり、掌へと引き寄せられる。鉄菜は咄嗟に《シルヴァリンク》を跳ね上がらせていた。

 

 Rソードの出力を上げ、《キリビトプロト》の掌を切り裂こうとする。

 

 しかし相手のほうが出力は上だ。吸引されそうになるのを鉄菜はリバウンドフォールの盾で相殺させる。

 

 距離を取った《ブルーロンド》が無様に地面へと転がった。

 

 操主が感謝の言葉を紡ぐ前に、蝿型人機が《ブルーロンド》へと集中攻撃を見舞う。四方からプレッシャー砲に刺し貫かれ、《ブルーロンド》が内側から爆発する。

 

 鉄菜は奥歯を噛み締めていた。

 

 どれだけ抵抗しようとまるで無意味だと言われているかのようだ。

 

 Rソードで蝿型を引き裂き、他の機体が集まってくる前にその空間を離脱する。

 

 しかしそのような消耗戦で本体である《キリビトプロト》を撃墜出来るはずもない。

 

 放射状に発射されたミサイルがただでさえ視界が悪い空間を爆発で上塗りしていく。

 

 蝿型人機の肉薄に気づけたのは単純にモリビトの性能だ。Rソードが薙ぎ払った空間が青く染まる。

 

《キリビトプロト》が両腕を振り上げて固め、内包する銃座から火線を開かせた。

 

 先ほどから果敢にも《キリビトプロト》に立ち向かっている《ブルーロンド》一機が推進剤を棚引かせて地上へと着地する。

 

 恐らくはもう推進剤のガスが切れているのだ。

 

 蝿型人機がその隙を逃さずプレッシャー砲を撃ち込もうとする。鉄菜は《シルヴァリンク》を駆け抜けさせた。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 リバウンドの盾で守り抜いた《ブルーロンド》の主は憔悴し切った声を漏らす。

 

『……礼は、言わない』

 

「こちらも、もらおうとは思っていない」

 

 息が上がっている。無理もない。四十機近くの人機と同時に戦えるようには出来ていない。加えて前回の物量戦で弱点が露呈したばかりだ。

 

 物量で押されればさしものモリビトでも疲弊する。

 

 蝿型が地上へと降り立った。口腔部を開くと、内側からこちらのR兵装と同威力の針が露出する。

 

 蝿型が針を射出してきた。

 

《シルヴァリンク》が盾で弾くがそれさえも加味した動きだ。瞬時に肉薄した蝿型がリバウンドの針でこちらの胴体を狙い澄ます。

 

 あまりに速い。

 

 こちらのRソードの打ち込みが間に合わないかに思われた。

 

 瞬間、奔った光条が蝿型の頭部を射抜く。

 

 プレッシャーカノンを《ブルーロンド》が構えていた。

 

「礼を、言うつもりはないぞ」

 

『思ってもいない』

 

 鉄菜は空を仰ぎ、額に浮いた汗を拭った。

 

「あとは何機だ?」

 

『確実に蝿型は十機近くいるマジ。《ブルーロンド》は多分、残り三機ほど……。でも、全く《キリビトプロト》にダメージは与えられていないマジよ……』

 

「それは、そうだろうな。リバウンドフィールドの装甲に、これだけの火力。……言いたくはないが化け物だ」

 

 Rソードを至近距離で叩き込めればあるいは、であったが、片手に搭載したリバウンドフィールド発生装置と、もう片腕の広域のリバウンドの刃があまりに強力で迂闊に踏み込めない。

 

 加えて至近距離でも機銃の攻撃力は通常人機を圧倒する。全身、針山の如く武装が聳え立ち、通常人機の束でしかないこちらはまるで羽虫に等しい。

 

《ブルーロンド》が蝿型人機へと特攻をかけた。このままでは一方的だと感じた兵士だろう。

 

 蝿型のプレッシャー砲が《ブルーロンド》の肩口を抉る。口腔から引き出された針が《ブルーロンド》へと射出され、瞬時に串刺しにしていく。

 

 通信回線を少女の声が震わせた。

 

『……お先に逝かせてもらいます。鴫葉小隊長』 

 

 ノイズ混じりの声が咆哮へと変わる。《ブルーロンド》が内部血塊炉へと火を通し、内側から青い血潮を撒き散らしながら自爆した。

 

 その一人の犠牲によって蝿型の包囲が僅かに乱れる。統率に歪が生じた今こそ、起死回生の好機。

 

《シルヴァリンク》が推進剤を焚いて跳ね上がる。それと同様に飛翔したのは《ブルーロンド》の隊長機であった。

 

『岸葉……、三十人目の自我に目覚めた兵士であった。その犠牲、無駄にはしない』

 

《ブルーロンド》の操主の声に鉄菜は純粋に疑問をぶつける。

 

「どうしてだ。お前らは国家に尽くすだけの……傀儡だと聞いていた」

 

『そうだったのかもしれない。いや、事実そうであったのだろう。だが、我々には選択の機会が与えられた。神の気まぐれか、あるいは生きていてもいいのだと赦されたのか。この罪深い身体に、心と言うものを実感させてもいいのだと、言ってくれたんだ』

 

「心……」

 

 それは何なのだろう。自分にさえも分からない。心の在り処も、何をすればそれが手に入るのかも。

 

 蝿型が再び包囲を敷こうとするのをプレッシャーカノンとRソードの刃が遮った。

 

 佇むのは寸胴の巨体。こちらを睥睨する赤い眼差し。灰色の機体色は何者にも染まらぬ国家の象徴そのものに思えた。

 

『あれの弱点はデータにない。我々は同期ネットワークを管理されていた。弱点があったとしても、それはネットワーク上には存在し得ない』

 

「人機の弱点は、通常は血塊炉周辺だが、キリビトとやらの装甲は堅牢だ。Rソードで打ち込んでも、装甲を破れる保障はない」

 

『やはり、狙うのならば頭、だな』

 

 人機の弱点。それはコックピットの存在する頭部。しかし、頭部に辿り着くまでには幾千の防御武装が邪魔をする。

 

 リバウンドフィールドの装甲にどれほどの数を内包しているのかも分からぬミサイル群。さらにこちらを隙あらば狙い澄ます蝿型の人機。

 

 これらの障害を全て突破して頭部へと至るまでには相当な攻撃力と執念が必要だ。

 

 その覚悟があるのか、と鉄菜は暗に問いかけていた。

 

「頭を狙えばいい。それは簡単な帰結に思えるが……今の状態からどう持ち直す?」

 

 既に部隊は疲弊し、残り一桁を切った《ブルーロンド》隊では《キリビトプロト》を破壊するのには足りないだろう。

 

 かといって自分がこれ以上介入しても旨味はない。モリビト単騎でプラントの破壊工作を行ったほうがまだマシだ。このような規格外の人機との戦闘は想定していない。

 

 今からでも離脱するか、と脳裏を過ぎりかけた考えに鉄菜は否と被りを振った。

 

「ここで退けば、何のために……」

 

 何のために彩芽と桃を裏切ったのか。全て協力者とやらの掌の上で踊らされただけだ。せめて結果が欲しい、と鉄菜は操縦桿を握り締める。

 

《キリビトプロト》。禁断の人機の一つを葬ったとなれば、まだブルブラッドキャリアに貢献出来るはずだ。

 

『……そちらも理由があるようだな』

 

「ああ、容易くは退けなくってね。せめて一太刀浴びせられれば」

 

『いいだろう。どれほどでいける?』

 

 まさか、こちらの援護を容認しようというのか。鉄菜は相手の操主の最終目的を問い質す。

 

「……あれはブルーガーデンの機体だ」

 

『だが、あれの破壊をもってしてでのみ、我々の目的は果たされる。我々、自我に目覚めた強化実験兵はあれを倒す事でしか、魂は救済されない』

 

「……分からぬ事を言う。魂? 自我? そんなものは設計の範疇外のはずだ」

 

 強化兵にそのような感情は存在しない。そう断じた鉄菜の言葉に相手の操主がフッと笑ったのが伝わった。

 

『……お前も似たようなものだと思ったが、違ったか? あるいはまだ気づいていないか』

 

「私が、似たようなもの?」

 

『こちらの早計であったかもしれない。忘れろ』

 

 しかし鉄菜は忘れられなかった。自分が強化兵と同じ。ブルーガーデンという独裁の花園で育て上げられた物言わぬ兵士と同じ存在。

 

 その言葉が胸のうちに亀裂を走らせる。

 

 何だ? と思う間に《ブルーロンド》の操主が声を弾かせた。

 

『来るぞ! 構えろ!』

 

《キリビトプロト》が片腕を振り翳す。全ての物質を吸引し、塵芥と化す反重力の投網であった。

 

 蝿型人機をも吸収し、空間に穴を開けていく。

 

《ブルーロンド》の残った数機がプレッシャーカノンの火線を開かせた。だが堅牢なRフィールド装甲は全てを霧散させていく。

 

「蝿型をも吸収し、あの人機は全ての《ブルーロンド》の破壊を目論んでいるのか。そこまで駆り立てるものは何だ?」

 

『鉄菜! 《キリビトプロト》から暗号通信が来ているマジ!』

 

「暗号通信……? ハッキングする気か」

 

『いや、これは純粋に、通信回線マジよ……』

 

 開くか否かは鉄菜の裁量にかかっている。鉄菜は首肯した。回線の開いた先には三人の禿頭の男性のホログラフィックイメージがあった。

 

 全員の額に眼のような意匠が彫り込まれている。

 

 背中合わせの三人がそれぞれ口を開かず声を発してきた。

 

『モリビトの操主に告ぐ。これは依頼である』

 

「依頼……? 何を言っている。ここまでやっておきながら、どの口が」

 

『確かにブルーガーデンは再建の難しいほどに破壊されたが、まだやり直しの利かないほどではない。全ては強化実験兵のクーデターを抑止するためのものであった』

 

『そのために我々はキリビトというパンドラの箱を開けたのだ。《ブルーロンド》新型部隊はモリビトへの対抗策として造られたものだからな』

 

 一体何の目的で自分に接触するのか。問い質す前に相手が切り出した。

 

『モリビトの操主、こちら側につかないか?』

 

 放たれた言葉の意味が最初、分からなかったほどだ。呆然とする鉄菜へと《キリビトプロト》に収まる三人が提言する。

 

『全ては反旗を翻す強化兵を駆逐するため。ほとんどそれは成ったと言ってもいい。だが、まだ生き意地のしつこい奴らは存在する。貴公の目的は恐らく、血塊炉産出プラントの破壊。それを表面上は成功させてやろうと言っているのだ』

 

「何を……何を言っている」

 

『《キリビトプロト》の武装は強大。まかり間違えて血塊炉産出設備を一部機能不全に陥れても何らおかしくはない』

 

 鉄菜は混乱していた。どうして相手が自分の意見を汲もうとしている? 敵は《キリビトプロト》ではないのか。

 

「私の代わりに、設備を破壊すると言うのか……」

 

『破壊してやったフリをしてもいいと言っているのだ』

 

『結果論としてキリビトという禁忌を覗かせてしまった事は他国への大きなマイナスになる。そのマイナスを補填するのには、血塊炉設備の破損を理由に他国への血塊炉輸出を一時的にせよ渋る必要がある。その理由付けとして、モリビトの強襲は非常に有効だ』

 

 キリビトの操主は自分を理由にして他国への牽制を図ろうとしている。モリビトに破壊されたのならば仕方がないと、他国の開発を遅れさせる腹積もりだ。

 

 その内側では《キリビトプロト》という強大な武力を内包する事で他国との均衡を保つ。

 

 こちらに不利益はない。むしろ、破壊は不可能だと判断していただけに、この提案は非常に魅力的だ。

 

 ここで相手の思う通りに動くだけで自分の計画は遂行される。

 

 何も難しくはない。飛び回っている《ブルーロンド》数機を戦闘不能に追い込む程度、児戯に等しいだろう。

 

《キリビトプロト》を相手取り、こちらも大破寸前まで追い込まれる事もない。

 

 この策略にただ頷けばいいだけ。その選択肢に鉄菜は目を見開いていた。

 

『さぁ、我らの言う通りに動けば、ブルブラッドキャリアの利益にも繋がる。トウジャのデータは挙がっているのだ。トウジャタイプを完成させないためには、ここで血塊炉の輸出入を完全に抑える必要がある。自明の理であろう』

 

 トウジャの完成、及び量産は自分達をより追い込む事に繋がるだろう。血塊炉設備の破壊、あるいは凍結はトウジャを完成させないために必要な措置なのだ。

 

 世界を混乱のるつぼに陥れないために。自分達の計画通り、報復作戦を遂行するのに、トウジャは邪魔だが《キリビトプロト》はたった一機。まだ対処のしようはある。ここで撤退しても何も問題はないはずだ。

 

 ――通常ならば。

 

『モリビトの操主……? どうした? 何を黙っている?』

 

 困惑する《ブルーロンド》へと鉄菜は視線を向けた。天秤にかければ簡単な話だ。

 

《キリビトプロト》はほぼ万全。比して《ブルーロンド》は瓦解寸前である。どちらを破壊すれば情況が収まるのかは分かり切っていた。

 

 分かり切っているのに――鉄菜はRソードの切っ先を《キリビトプロト》へと向けていた。

 

『……何をしている?』

 

「その提言、確かに私達の、ブルブラッドキャリアの大局を見据えた場合、有効ではある。世界規模のトウジャ量産を阻害するのに、それを呑めば簡単に事が進む。合理的な措置だ」

 

『そうであろう。ならばその刃は何だ?』

 

 鉄菜はキッと鋭い双眸を《キリビトプロト》へと据える。《モリビトシルヴァリンク》の眼窩が煌いた。

 

「……だが、私は非合理でも、こちらを選ばせてもらう。お前の言っている事は小さな悪を摘める代わりに大きな悪を見過ごせと言っているようなものだ。いずれにせよ、しこりは残る。私達は、全ての罪をそそぐためにこの惑星へと降り立った。それがブルブラッドキャリア、それがモリビトだ」

 

『モリビトの操主……』

 

「《ブルーロンド》隊に通達。《モリビトシルヴァリンク》は《キリビトプロト》を特一級の排除対象と認定。目標を撃滅する」

 

『何を……貴様、何を言っているのか分かっているのか? そちらに協力すると言っているのだぞ』

 

「協力など必要ない。汚れた手で私達の道に手を貸すな。迷惑だ」

 

 決意が輝きとなってRソードの出力を上げていく。キリビトに収まる三人の禿頭の男達のイメージが消え失せた。

 

『そうか……もっと、賢いと思っていたよ、モリビト!』

 

「愚かでも、私は前に進む!」

 

《シルヴァリンク》が弾かれたように機動し《キリビトプロト》へと直進する。《ブルーロンド》隊がプレッシャーカノンを発射させてこちらの道筋を援護した。

 

 蝿型が叩き落される中、《シルヴァリンク》のRソードが見据えた先はただ一つ。頭部コックピットだ。

 

 そこを破砕すれば全てが終わるはず。

 

《キリビトプロト》の片腕が動き、広域射程の刃がこちらを狙い澄ました。避けるまでもない。バード形態へと変形を果たした《シルヴァリンク》が直進する。

 

 刃が先ほどまでいた空間を引き裂き、蝿型人機が爆発の光の輪を広げさせる。

 

 青い推進剤を棚引かせて《シルヴァリンク》は《キリビトプロト》を睨み据えた。翼手目を思わせる翼が拡張し、黄昏色のエネルギーフィールドが発生する。

 

 リバウンドの盾が重力を偏向し、機首が輝きを帯びた。

 

「唸れ! 銀翼の! アンシーリー――」

 

『させると、思っているのか!』

 

 四方八方からの銃火器の火線がアンシーリーコートを中断すべく奔る。それらを受け止めたのは《ブルーロンド》隊であった。

 

『我々の、大義のために……』

 

『行け、モリビトよ……』

 

 爆発の光が《シルヴァリンク》を照り輝かせる。鉄菜は腹腔から声を発していた。

 

「コート!」

 

 銀翼の使者が《キリビトプロト》の頭部を破砕しようとする。しかし、それを阻んだのは反重力の片腕であった。

 

 瞬時に形成された皮膜がアンシーリーコートを反射していく。減殺していくエネルギーと干渉波の中で鉄菜はフットペダルを踏み込んだ。

 

 ここで退くわけにはいかない。

 

 誰のためでもない。ただ自分が納得するために。ここで、諦めるわけにはいかないのだ。

 

 咆哮した鉄菜の声に相乗し、《シルヴァリンク》が変形を果たす。Rソードを盾の裏側から手にし、その頭部コックピットへと振り上げた。

 

「もらった!」

 

 Rソードの一閃を強力なリバウンドフィールドが阻害する。掻き消されそうなほどの黒白の光の渦の只中で鉄菜はただ一心にこの刃が徹る事を念じた。

 

 ――貫け。

 

『愚かな!』

 

 青い電磁が周囲から纏わりつく。反重力がRソードとアンシーリーコートを押し戻そうとしてくる。

 

 このままでは、と歯噛みしかけた鉄菜の視界に入ってきたのは《ブルーロンド》であった。

 

 隊長機が割って入り、プレッシャーカノンを頭部へと照準する。

 

『助太刀する!』

 

 絞りかけた引き金に蝿型人機が針を射出した。銃身が折れ曲がり、背部からプレッシャー砲が突き刺さる。

 

 覚えず鉄菜は手を伸ばした。

 

 灰色の髪の少女が片羽根を羽ばたかせたのが、網膜の裏に鮮烈に残った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯101 ラーストウジャカルマ

 覚醒とまどろみの中間点をどれほどまでに往復しただろう。

 

 最早数える事さえもやめていた瑞葉は、ふと自分の身体の権限が戻っている事に気づいた。

 

『おはようございます。瑞葉小隊長』

 

 全てのネットワークを遮断するのだと聞かされていた白い部屋の中で鴫葉の声が脳内に残響する。

 

 瑞葉はそっと身体を起こし、脳内ネットワークがオフラインである事を確認する。

 

『これは事前に記録しておいた音声です。返答は不要です。恐らくこれを聞いている時、あなたは裏切られたと感じているはずです。自我に目覚めた強化兵は数多に上り、あなただけの特権ではなかったのだと』

 

 そのはずだ。呪いの言葉を言い残し、鴫葉は自分をこの部屋に幽閉した。

 

『しかし、それはある一面では正答でしたが、ある一面では間違いです。瑞葉小隊長、我々はあなたの計画が失敗すると断定しましたが、同時に我々の作戦もまた、失敗に終わるでしょう』

 

 思わぬ言葉に瑞葉は問い返す。

 

「どういう……」

 

『何故ならば、強化兵の同期ネットワークをかく乱する術はあっても、それはやはり小手先に過ぎないからです。我々の動きを見越して、政府は手を打ってくる事でしょう。その場合、反逆は失敗。強化兵は全て破棄、という結果になりかねません。だからこそ、あなたを同期ネットワークから隔離しました』

 

 言っている意味が分からない。瑞葉はあらゆる回線にアクセスしようとして、この部屋が完全にそれらを妨害している事を察知する。

 

「鴫葉、何のつもりだ……。贖罪のつもりか?」

 

『瑞葉小隊長、あなたはあまりに眩しい。あなたほど苛烈に、全てを捨て去る覚悟で計算を度外視した戦いを、我々は出来かねます。それはやはり、自我の本質が違うのでしょう。あなたの反抗が失敗に終わって欲しくない。ゆえに、全てを託します。我々の持ち得る、全ての価値を』

 

 瞬時に脳内に叩き込まれた情報量の多さに瑞葉は呻いた。

 

 三十名以上の自我に目覚めた強化兵のバックアップファイル。彼女らの記憶と記録。そして、全ての戦闘経験値と反映データ。彼女らの全て。天使達の願いと祈りそのもの。

 

 それらを一身に受け止めた瑞葉は、ああ、と頬を伝う涙に気づいていた。

 

「そうか、お前らもまた……あの空に焦がれていたんだな」

 

『瑞葉小隊長。最後まで水先案内人を務められない事、それだけが悔恨です。しかしながら、これが発信されたという事は、この鴫葉も恐らくは生きていないでしょう。最後になりましたが、瑞葉小隊長。――ご武運を』

 

「ああ。分かっている」

 

 やるべき事は見えた。瑞葉は部屋のパスコードを入力し、外に出た。

 

 廊下に出るなり重力が反転しているのが伝わってきた。浮かび上がる身体に、平時ではないのが嫌でも理解出来る。

 

 浮遊した瑞葉は整備モジュールの翼を展開し、彼女らが必死に隠し通した地下格納デッキへと赴いていた。

 

 一面の闇の中、瑞葉は落ちながら翼を広げる。やがて爪先が地面に触れた。

 

 瞬間、重々しい音と共に照明が一機の人機を照り輝かせる。

 

 両手両足が扁平な形状になっており、装甲が波打ち刃のように鋭く輝いている。

 

 頭部は今まで通りのトウジャのそれであったが、機体の放つオーラが一線を画していた。

 

「これが、《ラーストウジャ》の最後の姿」

 

 彼女らが支えてきたこの独裁国家を滅ぼす終わりの剣。

 

 瑞葉は飛翔しコックピットの頚部から乗り込んだ。

 

 整備モジュールが同調機器へと接続し、機体情報を脳内に呼び起こしていく。浮かび上がった投射画面のOS入力とユーザー認証をスキップさせて脳内情報を加速。瞬時に機体を身体に馴染ませる。

 

 機体に繋がれたケーブルが切断されていき、頭上のエアロックが次々と解除される。開き切った地上への扉がオールグリーンを示した。

 

「……瑞葉。《ラーストウジャカルマ》。出る」

 

《ラーストウジャカルマ》が姿勢を沈めた瞬間、全身から推進剤が焚かれ直後には飛翔させていた。

 

 扉を抜け切った瑞葉の視界に大写しになったのは青い汚染大気の中、空を染め上げる蝿のような人機の群れであった。

 

 地上には無残に転がった《ブルーロンド》の残骸がある。

 

「……鴫葉」

 

 同調した策敵センサーが鴫葉の《ブルーロンド》を捉えた。鴫葉の駆る《ブルーロンド》は蝿型人機に食い潰され、その身には無数の針が突き刺さっていた。

 

 傍らで茫然自失したように飛んでいるのは因縁の機体。

 

「青いモリビト……」

 

 習い性の身体が《ラーストウジャカルマ》を機動させる。四肢が蛇腹を思わせる形状のまま拡張した。四肢そのものが刃。蛇腹の剣が宙を舞い、蝿型人機を全方位から叩きのめしていく。

 

 爆発の光輪を広がせつつ、《ラーストウジャカルマ》は四肢を仕舞い込ませた。刃節の機体が疾風のように駆け抜ける。

 

 その眼差しの先には青いモリビトが佇んでいた。

 

 腹腔の奥から咆哮し、瑞葉は片腕を放つ。蛇腹剣が蠢動し青いモリビトの頭上に迫った蝿型人機を切り裂いていた。

 

 その挙動に相手も困惑しているらしい。

 

 今までならば迷わずモリビト撃墜を考えていたであろう。

 

 だが今際の際の鴫葉の思惟が脳裏に差し込んでくる。彼女を助けたのは青いモリビトだ。

 

 最後の最後まで、抵抗の意思を捨てずに済んだのはモリビトのお陰だ、と。

 

「……それでも、わたしは」

 

 ――許せないのは分かります。でも、それこそが、あなたが我々強化兵と違うという事の証明。心の赴くままに、その怒りをぶつける先を見据えてください。

 

「赴くまま……わたしの、心」

 

 最奥に位置する巨大な思惟の塊を瑞葉は視界に捉えていた。この世全てを掌握するかのような巨大な人機。

 

 灰色の巨体が赤い眼差しを共にこちらを睥睨する。

 

 その頭部コックピットには亀裂が走っている。

 

 どうやら青いモリビトの刃が入ったようであるが押し返した様子だ。だがコックピットを割られて生きているなど正気の沙汰ではない。

 

「中にいるのは、わたし達と同じ、強化兵か」

 

 拡大モニターに映し出されたのは不明人機の頭部に収まっている三人の禿頭の男の彫像であった。

 

 それぞれが背中合わせで高速演算処理を行っている。

 

 鴫葉からこのブルーガーデンを支配する存在の正体は聞かされていた。

 

「古代に枝分かれした、スパコンの成れの果て。百五十年前から続く狂気。それがこの青い花園を支配していたのか」

 

 自分達を造り出したのも全ては機械であった。あまりに残酷な現実に瑞葉は瞑目する。

 

『その機体、我々の所属機だ。命令する。モリビトタイプを破壊せよ。モリビトタイプを破壊せよ』

 

 注がれた命令に瑞葉は異を唱えた。

 

「お断りだな。ここで道を違えれば、散っていった者達に顔向け出来ないのでね。ブルーガーデンを支配する元凶、貴様を倒す!」

 

《ラーストウジャカルマ》が空間を疾駆する。

 

 蝿型人機が一斉に針を射出した。《ラーストウジャカルマ》が片腕を払う。蛇腹剣が拡張、一閃し蝿型人機を薙ぎ払った。

 

 さらに下方からプレッシャー砲を有した蝿型が迫ってくる。瑞葉は全身を開くイメージを額に浮かべ身体を解き放つ。

 

 両脚が放たれそれぞれ推進剤を有する刃が蝿型を叩きのめした。

 

 片腕と両脚の刃節が帰ってくる。この機体は全て、瑞葉のオペレーションを加味して設計されている。

《ラーストウジャ》が新たなる存在として生まれ変わったのだ。

 

『理解不能。こちらの命令に何故、そぐわない?』

 

「貴様らを倒す以外に、わたしの望みはない。願うのはこの国家の転覆。そのためならば、この命、惜しくはない」

 

『理解不能。制限を越えた強化実験兵を排除する』

 

 不明人機が片腕の袖口からミサイルを放射する。全身の推進剤を焚かせて《ラーストウジャカルマ》は遊泳するように回避していく。

 

 それでも追尾してくるミサイルは両脚を伸長して撃ち砕いた。

 

『全身が武装か。トウジャタイプ、やはり恐ろしいな。封印措置が取られたのは正解であった。このような人機、他国に取られるわけにはいかない』

 

「黙れ! 貴様らを破壊し、全てを解き放させてもらう! それこそが正しいのだと信じて!」

 

『強化兵の言葉ではない』

 

 敵人機が不意に片腕を練り上げた。瞬間、小さな黒点が滲み出てくる。コックピットが赤い警戒色に染まった。

 

 強烈な吸引攻撃が粉塵を巻き上げ、何もかもを塵に還そうとする。

 

 考えなしに特攻したつもりはなかったが近づき過ぎた。このままでは、と全身の推進剤が切れかかっているのを感覚する。

 

 制動用推進剤は最低限に抑えられている。これは《ラーストウジャカルマ》が攻撃に特化しているためだろう。

 

 戦う以外を捨て去った人機では絡め手を用いてくる敵に肉薄すら出来ないのか。

 

 絶望が思考を満たしかけた瞬間、青いモリビトが駆け抜け、刃で敵人機を斬りつけた。

 

 思わぬ援護に瑞葉は言葉をなくす。

 

 今まで仇だとしか思ってこなかった青いモリビトが敵人機を翻弄し、こちらと並び立った。

 

『……不明人機の操主に通達する。モリビトの操主だ』

 

 割り込んできた通信に瑞葉は波打った感情を抑えられなかった。枯葉の仇。否、それ以上に雪辱の相手。

 

 相手もそれを理解しているのか、重ねた言葉は少ない。

 

『恨むのならば恨んでもいい。だが、一回は一回だ。先ほど頭上に迫った蝿の人機を落としてもらったのでな』

 

 まさか、それだけで自分を援護するのに足る理由だと言うのか。瑞葉は信じられない心地でモリビトを見つめていたが、やがて首肯する。

 

 今は、因縁は捨て置く。

 

 その上で、見据えるべき敵と対峙する。

 

「……貴様の事は許せん。だが、もっと強大な敵が存在する。この事実の前ではわたし達の諍いなど些事だ」

 

『同意だな。そちらも強力な不明人機だが、今は斬らないでおいてやる』

 

 お互いに睨んだのはこの空域を支配する悪鬼。灰色の悪魔をモリビトと《ラーストウジャカルマ》が視野に入れる。

 

「名を、名乗っておこうか」

 

 不意にそのような余分な感情が流れたのはどうしてだろうか。ここを死地だとどこかで思い込んでいるからかもしれない。あるいは生きて帰れる保証もないからか。

 

『……どうしてだ。意味などない』

 

「ああ、意味はない。だが、いずれ殺さなければならない相手であるとの同時に、今は共闘を張る相手だ」

 

 その言葉に暫時沈黙が降り立つ。瑞葉は先に名乗っておく事にした。

 

「名乗れない理由があるのは分かる。わたしはブルーガーデンの強化兵……であった、というべきか。今は、ただの反逆の兵士。瑞葉だ」

 

 簡素な自己紹介に相手は何を思ったのだろう。通信回線に割り込んできたのは今までの合成音声ではない、少女の声音であった。

 

『……クロナだ。モリビトの操主を務めている』

 

「クロナ、か」

 

 分かっている。ここで名乗り合ったところで温情を与えるつもりはない。近いうちに殺す相手。それは向こうも同じのはず。

 

 それでも、ここで背中を任せ合うのに、お互いの名前は必要であった。不明人機が赤い眼窩を煌かせて両腕を掲げる。

 

『気をつけろ、ミズハ。奴は普通の人機と違う』

 

 久しく自分の名前を呼ばれた事などなかった。だからか不思議な感触が纏いつく。

 

「そちらこそ、気を抜くなよ、クロナ。相手はブルーガーデンを支配する三機のスパコン。瞬時の処理では人間を超えている」

 

 どうしてだか、名前を呼ぶ度に自分の中で闘志が湧いてくる。この相手ならば背中を任せられるという安堵に抱かれる。

 

 このような場所で負けられない、という意地も。

 

『誰に物を言っている。行くぞ。《モリビトシルヴァリンク》、目標を迎撃する』

 

 モリビトが大剣を構えた。瑞葉はそれに応じて声にする。

 

「《ラーストウジャカルマ》。仇を討つ。ハイアルファー【ベイルハルコン】、起動!」

 

 眼窩に赤い輝きが灯る。コックピットの中が赤色光に塗り固められ、全身を貫く怒りの感情に瑞葉は身を任せた。

 

 モリビトが先行し蝿型人機を叩き切っていく。《ラーストウジャカルマ》の敏捷な動きに蝿型はついてこられない。

 

 跳ね上がった刹那には四肢が展開し、空間を断絶していた。

 

 末端神経まで身体の熱が篭る。《ラーストウジャカルマ》の特殊武装でさえ、今は手足のようだ。

 

 右腕の刃節が機動を変え、その矛先が蝿型を超えて《キリビトプロト》へと突き刺さりかける。

 

《キリビトプロト》は咄嗟にミサイルを掃射し、一撃を免れた形となったがそれでもあまりに重々しい体躯では《ラーストウジャカルマ》の俊敏さには追従不可能のようだ。

 

 瞬時に蝿型を放出する背部のスラスター機関に潜り込む。両腕を畳み、直後には合掌の形を取らせた両手が大剣の勢いを伴わせて放出口に攻撃を仕掛ける。

 

《キリビトプロト》の背筋から炎が迸った。

 

 内部で蝿型人機が誘爆し、その巨体を叩き据えている。

 

「今だ、クロナ!」

 

『分かっている!』

 

 背中を取った今こそ絶対の好機。《キリビトプロト》が緩慢な動きでこちらに狙いをつけようとしたその時には既にモリビトが《キリビトプロト》へと刃を突き上げていた。

 

「終わりだ! ブルーガーデンの支配者よ!」

 

 決着を予感した、その時である。

 

『否、まだ終わるものか』

 

 片腕の広域刃が一閃し地脈を激変させた。《キリビトプロト》のもう片方の腕に装備された反重力の吸収口が開き、《ラーストウジャカルマ》を吸引しようとする。

 

 否、それだけでは収まらない。

 

 最大出力のそれは地面から浮き上がった廃材を吸い上げ、青く染まった大気でさえも逆巻かせた。

 

 全てを破壊してでも、自分をここで終わらせるつもりなのだ。

 

 だが、その覚悟は相手のみにあるものではない。

 

 瑞葉とて、今までの犠牲を踏み越えてきた。踏み越えた末にここまで辿り着けた。だからこそ、簡単には死ねない。死ねるものか。

 

「わたしの命はわたしのみに非ず……! 《ラーストウジャカルマ》!」

 

 全身の刃節が開き、《キリビトプロト》へと間断のない刃の応酬を叩き込む。

 

《キリビトプロト》のRフィールドの表皮が引き裂け、青い血が滴るものの、それでもその巨人を支える基盤は健在だ。

 

 吸収攻撃を前に《ラーストウジャカルマ》の機体軸が震える。軋んだ装甲に限界が近づいている事を悟った。

 

《ラーストウジャカルマ》と共に心中してでも、ここで食い止める。食い止めなければならない。

 

 片腕が根元から破砕した。刃節の脆い部分が根こそぎ食い破られ、コックピットに警戒アラートが響き渡る。

 

 それでも前に進む手を止めてなるものか。《ラーストウジャカルマ》が両脚を射出し、吸引口へと螺旋を描いて吸い込まれていく。

 

 直後、片腕が機能不全を起こした。内部に取り込んだ刃節が内側から切り刻んだのだ。

 

 片腕を下ろした《キリビトプロト》だが、まだミサイル射出口と機銃掃射は生きている。

 

 機銃の乱れ撃ちが《ラーストウジャカルマ》の装甲を打ち据えた。震える機体にダメージフィードバックが何度も脳内をブラックアウトに落とし込もうとする。

 

 それでも意識を保ち続けた。

 

 身体中が熱せられ、細切れにされていく感覚だ。しかし瑞葉にはもう退けない。退いていいような状況もない。

 

 ここで敵を屠らずして何が強化兵か。何が造られた存在か。

 

 枯葉や鴫葉、名も知らぬ強化兵達の魂の叫びを受け継いで戦う。たとえそれが逃れえぬ業であったとしても、自分の戦う意味はそれしかない。

 

 散っていった者達のために全てを報いる覚悟。

 

 瑞葉が咆哮する。

 

 軽業師のように踊り上がった《ラーストウジャカルマ》が両脚をくねらせ機銃とミサイルの雨を潜り抜けた。

 

 最早その挙動は人機のそれとはほど遠い。兵器として研ぎ澄まされた別種の存在だ。

 

 上空に抜けた《ラーストウジャカルマ》を駆る瑞葉は《キリビトプロト》を睨み据えて武装を確認させた。

 

 残っているのは両脚の刃節のみ。とは言っても、刃節の伸長はあと一回が限度だろう。

 

 やはり特攻しか残っていない。瑞葉は呼吸を整え、痛みが精神点滴で減殺されるのを感じ取った。

 

 このようなまやかしばかりの戦いもこれで終わる。

 

 自分の痛みを自分で背負っていく。それが、あるべき人間の姿なのだ。散っていった仲間達はそれを教えてくれた。

 

 歪な形でも、瑞葉はそれを知っている。もう、理解している。

 

 人間がその域を超える事など出来ないのだと。出来たとすれば、それは最早、ヒトである事を捨てている。

 

 モリビトが青い有毒の雲海を抜けて《ラーストウジャカルマ》と同高度に上がってきた。

 

 機体損傷度は低いようだが、お互いに限界だろう。

 

 モリビトの手が《ラーストウジャカルマ》の肩に触れる。

 

『……次で決めるぞ』

 

 モリビトが刃を突き出し、黄昏色のエネルギー波を充填していく。かつて自分を葬りかけた武装。今は、それと肩を並べて戦っているなどまるで信じられないが、瑞葉は笑みを浮かべていた。

 

 精神点滴の作用ではない。これは、至るべき場所に至った「安堵」だ。

 

「行くぞ。わたしの機体の刃節で《キリビトプロト》の片腕を止める。恐らく広域射程の刃が今までにない威力で放たれるだろう。その攻撃の照準を、一瞬だけだがぶれさせる。その合間を縫って」

 

『私がアンシーリーコートを撃つ。頭部コックピットに一撃必殺。それしかあるまい』

 

 翼手目を思わせる銀翼が拡張し、モリビトの次の一撃が必殺である事を窺わせた。

 

 瑞葉は一度深く瞑目し、己の中を研ぎ澄ます。

 

 今は怒りも憎しみも捨て、ただひたすらに勝利のみを渇望する。この支配からの脱却を。全てを破壊し、全てを繋ぐために。

 

 目を見開いた瑞葉には最後の活路以外、もう見えていなかった。

 

《ラーストウジャカルマ》が急降下する。両脚の刃節が全開まで伸長し、螺旋の刃の中、《キリビトプロト》の広域射程の刃の腕を絡め取った。

 

《ラーストウジャカルマ》のコックピットが激震する。キリビトほどの性能と膂力のある機体を押さえ込めるのは恐らく一瞬。

 

 刃節が罅割れ、内側からスパークの火花が迸った。

 

 瑞葉は腹腔より叫ぶ。

 

「やれ! モリビト!」

 

 天高く掲げた刃を振り翳し、モリビトが黄昏の輝きを伴って急速落下していく。

 

 その刃の突き立てられる先は《キリビトプロト》の唯一の弱点。頭部コックピット。

 

《キリビトプロト》が広域射程の刃を放ったのか、今になって全ての現象が遅れを取ったかのように動き出す。

 

 大地が割れ、ブルーガーデンのコミューンが真っ二つに引き裂けた。

 

 モリビトに収まるクロナの咆哮が耳朶を打つ。青いモリビトの一閃が全てを黄昏の向こう側へと連れて行った。

 

 その輝きの中、瑞葉は面を上げる。

 

 今までに犠牲となった人造天使達が羽ばたき、空へと向かっていった。あの日、自分が目にした青くどこまでも澄んでいる大空の回廊へ。魂の還る場所へ。

 

 瑞葉が手を伸ばしたその時、振り向いた二人の人造天使が安からな笑みを浮かべた。

 

 ――枯葉、鴫葉……!

 

 瑞葉のその声は彼女らに聞き止められたのだろうか。朦朧とする意識の中、天使達はあるべき場所へと飛び立っていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯102 原罪の証

 

《キリビトプロト》へと刃が突き立った瞬間、アンシーリーコートの皮膜は剥がれた。

 

 全身が貧血を起こした《シルヴァリンク》ではもう戦えないだろう。青い血潮が関節から浮かび上がっている。

 

 その上で撃った奥の手。通じなければ――と最悪の想定を鉄菜は飲み下す。

 

 ミズハと名乗った敵兵は無事であろうか。これもおかしな判断であった。敵兵の無事などどうでもいい。モリビトの障害となるのならば今のうちに摘み取っておくべきだ。

 

 そう冷静に考える自分の傍らで、共闘してくれた相手への未知の感情が湧き起こっていた。

 

 これは何なのか、明言化する前にアラートの音声に鉄菜は反射的に操縦桿を引く。

 

《キリビトプロト》の機銃が先ほどまで《シルヴァリンク》のいた空間を引き裂いていた。だが、相手も満身創痍だ。

 

 全身から青白い瘴気を巻き起こしている。このような状態の人機は見た事がなかった。灰色であった機体色が青く染まっていき、赤い眼窩に最後の息吹が灯る。

 

『まだ、だ……まだ、死ぬわけには……』

 

 その決着は自明の理だ。アンシーリーコートによる必殺の一撃は頭部コックピットを両断し、《キリビトプロト》は最早、戦闘不能であった。

 

「……諦めさせるのには、まだ足りないか」

 

《シルヴァリンク》がRソードを構えようとするがこちらも出力限界。リバウンドの刃はほとんど消えかけている。

 

《ブルーロンド》部隊は全滅し、トウジャタイプの生存も絶望的。

 

 ここで戦えるのは自分と《シルヴァリンク》しかいない。

 

 頭部からスパークの火花を散らせながら、《キリビトプロト》が手を伸ばす。

 

『殺し損ねたな、欠陥品め……。我々は全にして一。ここで消える運命ではない。ここで、消えて堪るか……!』

 

「その意志だけは買ってやる。引導を渡すほかないようだな」

 

 最後の一撃をもう一度だけ。鉄菜は《シルヴァリンク》に構えさせようとしたその時である。

 

『アルベリッヒレイン!』

 

 見知った声音が通信を震わせ、直後には重火器の面攻撃が《キリビトプロト》を打ち据えていた。

 

 ハッと振り返る。

 

 視線の先にはポセイドンと連結した《インぺルべイン》の姿があった。

 

「彩芽・サギサカ……」

 

『何やってるの! 鉄菜! 貴女、死に体じゃない! どうしてそんなになるまで……』

 

「それはこちらの台詞だ、どうしてここに来た? 単独行動を取ると言ったはずだが」

 

《インぺルべイン》は瞬時に肉迫し、《シルヴァリンク》の肩を引っ掴んだ。

 

『――だって貴女、もうわたくし達は他人同士じゃないでしょう』

 

「他人じゃ、ない……?」

 

 意味が分からなかった。他人は他人だ。自分でない存在。それをどうして、こうも巻き込むような言い草が出来るのだろう。

 

 どうして……そのような言葉に胸を打たれている自分がいるのだろう。

 

《インぺルべイン》が銃撃を見舞い、《キリビトプロト》を遠ざけていく。《シルヴァリンク》はほとんど棒立ちの状態でそれを見届けていた。

 

《キリビトプロト》が全身から瘴気を発し、直後にその巨体が大地に倒れ伏した。

 

 瞬間、大気汚染を計測する機器が異常値を示す。

 

 何が起こったのか、アラートの警告に塗り固められた両者共に判別がつかなかった。

 

 ただここから離れなければ、という本能だけは勝ったらしい。

 

《インぺルべイン》は《シルヴァリンク》の腕を引き、リバウンドブーツを点火する。

 

『ファントム!』

 

 一気に戦場から引き剥がされていく中、鉄菜は《キリビトプロト》から青白い気泡がブクブクと沸騰しているのを目にしていた。

 

 ――何が起こっている。否、何が起ころうとしている?

 

 判別する術を持たぬまま、《インぺルべイン》はブルーガーデンのコミューンを飛び越えて行く。

 

『こんな事……人が仕出かしたって言うの?』

 

 眼下に広がるのは汚染大気と《キリビトプロト》の武装で火の手が上がるコミューンの惨状であった。

 

 ブルブラッド大気汚染テロよりなお色濃い、ヒトの業が数多の人間を死に至らしめている生き地獄。

 

 鉄菜はその中に同じようにブルーガーデンに入国した人間もいるはずだ、と薄ぼんやりと感じていた。

 

 だが、どこか現実味に欠ける。

 

 自分がこの数時間で封印されていた人機と戦い、因縁のあった人間と共闘し、今、彩芽によってブルーガーデンを脱出しようとしているなどまるで夢の出来事のようだ。

 

 現実の感覚を抱かせぬまま、鉄菜と《シルヴァリンク》はブルーガーデンの領空を越えていた。

 

 何もかもが醒めれば消えていく悪夢であったのならばよかったのに。

 

 それは幻だと、誰かが言ってくれれば救いはあったのに。

 

 巻き起こった出来事は全て現実だ。

 

 ブルブラッドキャリアの計画に反した事。キリビトという禁忌に触れた事も。

 

 そして今自分が、成す術もないほどに弱い存在である事も、全て事実であった。事実であったと認めなければならない。

 

 そうでないのならば、前にも後ろにも行けないのは分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの時と、同じ感覚か」

 

《ダグラーガ》を操るサンゾウは大気を震わせる怒りに面を上げていた。

 

《ダグラーガ》の血塊炉が戦慄いている。操縦桿越しでも伝わる恐れに、サンゾウは上空へと視線を投じる。

 

 遥か空の上を古代人機が行き交っている。彼らの思考を満たしているのは全て、恐怖のみであった。

 

 囁き合う声にサンゾウは瞑目する。

 

「百五十年前のヒトの功罪。またしてもヒトは罪の扉を開くか。それも己の手で。だが、それも致し方ないのかもしれない。人は、繰り返す。どうしようもなく、それだけは」

 

《ダグラーガ》が飛び去っていく。

 

 罪に穢れた丘の上で、サンゾウは念仏を唱えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「少佐! 大変ですって!」

 

 道場に何の許可もなく入ってきたタカフミにリックベイは怒声を飛ばした。

 

「何だ! この領域に、俗世を持ち込むな!」

 

 その声音にタカフミが及び腰になる。

 

「あ……すいません、少佐。でも、その……」

 

 まごついている間にリックベイは眼前の肩で息をする桐哉に声を飛ばす。

 

「立て。立てなければ死ね」

 

 桐哉には目覚めてから何度も数時間、稽古をつけていた。桐哉はほとんど体力の限界であったが、それも【ライフ・エラーズ】が吹き飛ばしているのだろう。教えを叩き込むこちらの骨が折れる。

 

 今はちょうどいい休憩か。そう判じたリックベイは竹刀を仕舞った。

 

「……十分の休憩に入る。その間に立てなければ自決しろ」

 

 ようやくタカフミがあたふたしている事に気づき、リックベイは平時の声音に戻った。

 

「……何だ」

 

「おっかないっすよ、少佐。だから来るのは嫌だったんすけれど……」

 

「何があった? 緊急暗号通信だな? その書類とデータは」

 

 即座に読み取ったリックベイにタカフミは慌てふためいた。

 

「そうなんすよ! これ、見てください!」

 

 手渡された端末には静止衛星軌道からのリアルタイム動画が送られてくる。衛星の捉えている位置はブルーガーデン上空だ。

 

 青い霧に閉ざされているはずのブルーガーデン中枢部から濃紺の噴煙が上がっていた。

 

 それも高度数千メートルほどの高空だ。リックベイはその映像に震えを止められなかった。

 

「これは……何が起こった?」

 

「まだ極秘扱いっすけれど、これはおれが聞いた情報っす」

 

「話せ。これは、何だと言うんだ」

 

 全身から怖気が這い登る。生物としての根源的恐怖が呼び起こされ、リックベイはその映像から視線を外せなくなっていた。

 

「どうにも、百五十年前の状況に非常に近い、と言われているみたいですよ、こりゃあ……。まぁ、まだ噂レベルですけれど」

 

「百五十年前……? ブルブラッドの噴火か? だが、これは? 何が噴火したと言うんだ?」

 

「まだ調査中っすけれど、まず間違いないのはブルーガーデンという国家の崩壊です。まさかおれが、生きているうちに起こるなんて思いもしなかったですけれど……」

 

「ブルーガーデンの、あの国の崩壊?」

 

 にわかには信じられない。独裁国家ブルーガーデンがどうしてこのような形で終局を迎えるというのだ。

 

「それまでの映像でも何があったのか、前後が不明なんですよ。なにせ、ずっと濃紺の霧の中でしたからね。ただ、大気汚染測定をした結果……この直下地点で生命が生き延びている可能性は、ほぼゼロとの数値が出たみたいです……」

 

「テーブルダスト、ポイントゼロ……」

 

 符合する状況を口にしていると掠れた声が耳朶を打った。

 

「……死んだのか」

 

 桐哉へと視線を投じたリックベイは、彼がよろめきながらこちらへと歩み寄ってくるのを止められなかった。

 

 端末を手にした桐哉は沈痛な面持ちで拳を震わせる。

 

「守れなかった……俺は……」

 

 この青年はどこまでも傲慢な守り手だ。世界の隅で起こった悲劇でさえも自分のせいだというのか。

 

 驕りだぞ、と指摘しようとして映像が変化した。

 

「噴火が……収まったんですかね……?」

 

「いや、どうにも生易しい状況とはいかなさそうだ。命令が下る前に確認を取る。ともすれば、新型のお披露目はこんな形になるかもしれんな」

 

「トウジャの量産型が?」

 

 問い返したタカフミはすぐさま手で口を塞ぐ。桐哉の前でトウジャ量産計画はタブーだ。しかし、桐哉はどこか気の抜けた表情で失笑する。

 

「死んだのか、俺の知らぬところで、また……人が……。俺がモリビトなのに」

 

 あまりに憔悴し切った様子にタカフミでさえも危ういと感じたのだろう。リックベイへと囁きかけてくる。

 

「……少佐、あいつヤバイですよ。何であんなのと組み合っているんですか」

 

「零式を教えると決めた。他意はない」

 

 汗に汚れた胴着に風を通し、リックベイはタカフミへと言いやる。

 

「何だってあんなヤツに零式を……。少佐の抜刀術でしょう?」

 

「いずれ継承はしなければならなかった。それが彼であっただけの話だ」

 

 心底、それだけであったのだが、タカフミはどこか承服しかねているようであった。

 

「……何だって、あいつに」

 

 リックベイは端末を片手に上官へと繋ぐ。

 

『静止衛星の映像、観たかね?』

 

 開口一番の問いかけにリックベイは状況の説明を願った。

 

「あれは何です? テーブルダスト、ポイントゼロの……百五十年前に近い現象だと」

 

『耳聡い事だ。あるいは口の軽い部下でもいるのかな』

 

 タカフミが慌てて取り成そうとしたのをリックベイが制する。

 

「問題なのは、あの現象の解明と、現時点で打てる措置でしょう。ブルーガーデンが、傾国したと」

 

『逸るなよ。まだそうと決まったわけではない。だが、上の判断は君とほとんど同じだ。血塊炉の輸出入を牛耳っていた国家の破滅。それはつまり、ある一つの帰結へと繋がる』

 

「血塊炉の輸出入の制限解除……いや、これは火事場泥棒と言ったほうが正しい」

 

『耳に痛いな。しかし、これを好機と見るか、あるいは世界の危機と見るかで話は変わってくるがね』

 

 ブルーガーデンが本当に滅亡したと言うのならば、血塊炉を巡る国家の謀が一度、ゼロに帰したと考えてもいい。

 

 血塊炉産出国。その国家が自らの首を絞めて終焉を迎えたのか。あるいは別の介入があったのか。

 

 自然と脳裏に浮かんだのはモリビトの姿であった。

 

「どうなさるおつもりですか? もう動き出しているので?」

 

『お歴々が集まって有識者会議、その後決定、という段取りは踏むが、ほとんど君の思う通りだろう。《ナナツーゼクウ》、改良量産機《ナナツー是式》を伴い、現地への調査任務。……という名目の、血塊炉略奪作戦』

 

「取れるだけ取っておく算段ですか。……全てはこの次の手のために」

 

『全てを悪だと断じる事は出来ないはずだ。これもまた、一面では政だよ』

 

 それが理解出来るからこそ、リックベイは悔恨を噛み締めた。他者の不幸が別の側面で幸福に繋がる場合はある。それは戦場で痛いほど沁みたはずだ。

 

「……ゾル国が黙っていないでしょう。まさか新たに大戦を起こす気ですか」

 

『血塊炉を巡っての大戦は二度も三度も起こすものではない。……だが、それもゾル国次第か。あの国にはここ数日で焦りが見え隠れする。手を打ってくるとすれば素早いだろう。ある意味では我々以上に』

 

 ゾル国を敵に回すのはどう考えても得策ではない。モリビトとブルブラッドキャリアの脅威にただでさえ怯えている民草をいたずらに不安に駆り立てる事になる。

 

 通信を切ったリックベイにタカフミが不安げな眼差しを向ける。

 

「……戦争が起こるんですか」

 

「戦争で済めば、まだ僥倖だな。血で血を洗う戦いだけではないのかもしれん」

 

「それは……やっぱりモリビトの……」

 

 桐哉を窺いつつ発せられた言葉にリックベイは首肯する。

 

「条約は三国であったからこそ成立した均衡だ。このままでは拮抗状態が破れる。もしもの場合には備えておくに越した事はない」

 

「爆弾が落ちてくるって……!」

 

「それも考えの上には浮かべていろ、という話だ」

 

 特にブルーガーデンの監視がなくなれば二国は容易く戦争にもつれ込みかねない。いや。その前に結託の道を歩むか。

 

 どうにも戦局が読めないのはモリビトとブルブラッドキャリアのせいだ。

 

 血塊炉を巡って惑星の人々が争い合うのならばまだ想定出来る。だがそこに第三者の介入があるとなれば一寸先は闇。

 

「あるいは……これさえも見据えての作戦展開であったか? モリビトとブルブラッドキャリア」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冗談ではない、と水無瀬はゴミ箱を蹴りつけていた。傍受した静止衛星映像に彼は苛立ちをぶつける。

 

「……それで、裏は取れたんですか」

 

『間違いなく、この汚染区域の広がりはキリビトタイプによるもの。百五十年前と同じく、大汚染の前兆だ』

 

 どうするというのだ。モリビトとブルブラッドキャリアの計画の上にキリビトへの対応策は少ない。

 

「キリビトなんて化け物……あの国が飼っていたなんて」

 

『我々も滅びたものだと思っていたが、ブルーガーデンの隠し玉であったようだな。あの国家が作り出した惨状だ。静観を決め込めれば楽なのだが、このままでは戦争が起こる。過去に、人類は化石燃料やあらゆるエネルギーを奪い合って戦いを起こしてきたが、今度は血塊炉という夢の資源を巡っての争いだ。止められまい』

 

「止めようと思うのならば、これまで以上にモリビトの介入は……」

 

『苛烈を極めなければならないだろうな。しかし、前回の落ち度がある。ゾル国相手に消耗戦に陥れられた。モリビトの弱点が、ある意味では見えてしまった』

 

 通信相手に水無瀬は声を吹き込む。

 

「どうなさるんです? このままでは惑星は争いのるつぼに……いや、それを阻もうとしてもモリビトでさえ万能ではない。血塊炉を巡っての諍いになんて、首を突っ込むべきではないのでは?」

 

『慌てるな、調停者、水無瀬。そのために君らがいる』

 

 自身の役割を思い返し、水無瀬は深呼吸する。

 

「……エホバが動くのですか」

 

『そうするまでもない、というのが全面的な意見だが、最悪の想定は常に浮かべておくべきだ。何よりもモリビト狙いの相手の矛先が乱れた場合、こちらも動きを吟味する必要がある』

 

「惑星圏での大戦の勃発……これでは我々の思惑とはまるで別の方向に」

 

『いや、そうとも限らない。ヒトは過ちを繰り返す。どこまで行っても同じ事だ。それは後戻り出来ない』

 

 妙に余裕を浮かべてみせる通話先に水無瀬は疑問を抱いた。どうして、ブルブラッドキャリアの上層部はここまで冷静なのだ。何か秘策でもあるというのか。

 

「……失礼ながら、このままで如何になさるのです? もう野に放たれた争いはどうしようも……」

 

『そうだとも。大気汚染の深刻化、あるいは血塊炉を巡っての争いはどうしようもないだろう。だが、それを人為的に遅らせる事は出来る。別の言い回しをしようか。既に手は打ってある。最悪の想定は浮かべておくべきだよ、水無瀬』

 

「どういう……」

 

 問い質す前にホテルの扉が荒々しく叩かれた。直後に放たれた銃声に水無瀬はびくつく。

 

「何が……一体何を! ブルブラッドキャリア!」

 

 扉を蹴破って現れたのはゾル国の兵士であった。統率するのはゾル国の象徴の青年。金髪の優男は兵士を指揮していた。その後ろには大柄な男の姿がある。

 

「構え。貴様の身柄を確保する。水無瀬……ブルブラッドキャリアの手先」

 

 アサルトライフルの照準が自分を四方八方から狙い澄ます。逃げ切れない、と判じた水無瀬は両手を上げていた。

 

「どうして……わたしを切ったのか……誰が」

 

 その時、不意に脳裏に閃いたのは行方を眩ませた白波瀬であった。

 

「まさか……わたしが?」

 

「三文芝居はそこまでにしろ。世界の敵の手先……!」

 

 金髪の青年が銃身で水無瀬の頬を殴りつける。転がった水無瀬は口中に血の味が滲んだのを感じていた。

 

「お前らみたいなのがいるから……戦争が終わらないんだ!」

 

 無慈悲な銃口が突きつけられる。引き金が絞られた瞬間、後ろについていた男がその手を引かなければ確実に自分の額は撃ち抜かれていただろう。

 

 その予感に水無瀬は脱力していた。銃弾が床のカーペットから硝煙の臭いを棚引かせる。

 

「……叔父さん、何故……」

 

「ここで殺すべきじゃないだろう?」

 

 金髪の青年は鼻を鳴らした。

 

「ここで殺したほうがいい」

 

「いや、お前の仕事はそれじゃない。カイル、間違えるな。もたらされた情報は最大限に活かすべきだ」

 

 歩み出た男に腕を持ち上げられ、水無瀬は無理やり立ち上がらされた。

 

「ガエル様、あまり近づかれては……」

 

「なに、この手の輩は慣れている」

 

 ガエルと呼ばれた男の膂力に水無瀬は抵抗も出来なかった。脳内で巻き起こっている疑問符に答えるべきものが存在しない。

 

 ――誰かが裏切ったのだ。

 

 その事実だけがあるものの、今は何を成すべきなのかさえも分からなかった。

 

 ただ一つだけ明らかなのは、今捕まれば調停者の役目から外れるという事。それだけは阻止しなければならない。

 

 水無瀬は男の手から一瞬だけ振り解き、ポケットの中に入れておいた自決用のナイフを取り出しかけた。

 

 しかし、そのナイフが首を掻っ切る前に男の手にある拳銃が火を噴くのが早い。

 

 膝を貫かれ、熱した激痛に水無瀬は悶え苦しむ。

 

「足くらいはなくてもいいとの命令だ。五体満足でいたいだろう?」

 

 手のナイフを男が奪い取る。もう抵抗の手段はなかった。水無瀬は自分の役割が既にブルブラッドキャリアから切り離されているのを感じていた。

 

「……わたしは、裏切られたんだ」

 

「それは災難だったな。だが、この世は騙し騙され合い。まさか世界を敵に回して、その覚悟がなかったとでも?」

 

 そう言われてしまえば立つ瀬もない。項垂れた水無瀬にかけられた言葉はなかった。

 

「重要人物確保」の報告がただただ耳を滑り落ちていくだけだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯103 指切りの約束

 

《インぺルべイン》が辿り着いた離島では飛翔形態の《ノエルカルテット》が待ち構えていた。

 

 青く染まった土壌に降り立った《ノエルカルテット》からロプロスが分離する。《シルヴァリンク》の血塊炉再生に今までポセイドンが充てられていたがそれでも間に合わなかった。

 

 今、《シルヴァリンク》は二機の人機に挟まれるような形で連結し、血塊炉の補充を受けている。

 

 鉄菜は彩芽が呼びつける前にコックピットから出ていた。大気汚染濃度は六割程度。マスクなしでも顔を合わせられる場所で、鉄菜は実に二日程度振りに彩芽と桃の二人に対面していた。

 

 二日振りだからと言って懐かしいわけでもない。かといって、厚顔無恥になれるほど自分も愚かではなかった。

 

《シルヴァリンク》の手に降り立ち、鉄菜は彩芽と対峙する。

 

 彩芽の眼差しはどこか冷たい。しかし内側で燻る怒りだけはありありと伝わった。

 

「……鉄菜、今回の事、釈明の言葉くらいはあるんでしょうね?」

 

 その問いかけに鉄菜は否定を返す。

 

「どうしてだ? ブルブラッドキャリアの第四フェイズであった。私個人の潜入任務であったのに、咎められる事が何一つ――」

 

 その言葉を遮ったのは彩芽の張り手であった。鉄菜は頬に滲んだ痛みに反撃も忘れて呆ける。

 

「そんな事を聞いているんじゃないわよ! 鉄菜、わたくし達はもう、単騎では勝てない事は充分に分かっている。貴女ならそうでしょう? 冷静に、事の次第を分析出来るはずよ。だって言うのにこのザマ! ……《シルヴァリンク》は一日以上は血塊炉の補填を受けないと戦闘不能。これがどれほどの痛手なのか、貴女に分からないわけがないでしょう!」

 

 声を張り上げた彩芽など初めて見た。その物珍しさに目を見開いていると、桃が歩み出た。

 

「クロ……」

 

 また張り手が来るのだろうか。そう身構えていると不意に桃が抱きついてきた。彼女の体温が自分へと伝わってくる。

 

 無防備な少女の熱に鉄菜は困惑していた。桃は拳を作り、鉄菜の胸元を叩く。

 

「バカ、バカっ! 何だってクロはそんなに無茶をするの? モモだって、もうクロは他人じゃないよ……」

 

 他人ではない。それは彩芽にも言われた事だ。だが、人間は実質他人と自分以外存在しない。

 

 その理が分かっていないはずもないのに、彩芽と桃は感情を発露させてくる。その理由を捉えかねて鉄菜は首を傾げる。

 

「分からない……何なんだ。どうして、お前らはそこまで他人のために必死になれる? 私には、それそのものが……」

 

 理解不能であった。しかし、彩芽は対話をやめようとはしない。

 

「鉄菜、教えたわよね? ここにあるって」

 

 胸元を指し示され、鉄菜は呆ける。ここに何があるというのだ。肉体の向こうにあるのは心臓と肺と、呼吸器官のみ。

 

 そのはずだ。胸元にあるものなど、何も。

 

 こんな場所に「心」なんていう不可思議なものが存在するわけが――。

 

 桃は泣きじゃくっていた。頬を伝う涙の理由さえも分からない。自分には何一つとしてないのだ。

 

 自分は、空っぽだ。

 

 モリビトや人機と同じ、虚無の存在なのだ。

 

 その肉体が鋼鉄であるか、生身であるかだけの違いのみ。

 

 だから、どのような感情で返せばいいのか分からない。桃と彩芽がどのような気持ちで自分を助け出してくれたのかも分からないのだ。

 

「……すまない。私には理解出来ない。理由は、格式ばって考えれば筋道くらいは分かる。怒っている事も、泣いている事も、現象としては。だが、その感情がどこから来てどこへ行くのか、それが全く分からないんだ」

 

 掴もうとしては手の中を滑り落ちていくかのように、その答えは消えていく。この手に掴んだ答えなどたかが知れている。

 

 自分は、戦う事しか出来ない。《シルヴァリンク》に乗って、ただ抗い続ける事のみが、自分に出来る精一杯なのだ。

 

 だから彩芽や桃の感情へと応じるために必要なものが分からない。

 

 それは組み込まれていないはずだ。

 

 彩芽が《シルヴァリンク》へと歩み寄っていく。ルイによるシステム解析をかけるつもりだろうか。

 

 その権利は充分にある。独断専行だ。解析の義務くらい……。

 

 そう感じていた鉄菜は彩芽がまるで人にそうするように《シルヴァリンク》の装甲に触れて撫でてやったのを目にして驚愕した。

 

「ご苦労様。鉄菜の無茶に付き合ってくれてありがとう、《シルヴァリンク》」

 

 鉄菜は覚えず問い返していた。

 

「ルイで、システム解析をかけるんじゃ……?」

 

「そんな事はしないわ。誰だって、見られたくないものの一つや二つはあるでしょう。最初ならともかく、もう鉄菜の事はわたくし達だって分かっているんだから。貴女が自分と同じくらい、この子を大事にしてあげている事も」

 

 仰ぎ見た彩芽の眼差しに宿った慈愛に、鉄菜は呆然と口を開けていた。自分以外に《シルヴァリンク》を理解してやれる人間など存在しないのだと思い込んでいた。だが、現実にはそうではない。

 

《シルヴァリンク》の緑色の眼窩が彩芽を見返し、柔らかい空気を漂わせているのが窺えた。

 

《シルヴァリンク》もどこかで心を許しかけている。

 

 ――自分と同じように。

 

 だがそれは計画の上で必要なものなのだろうか。報復作戦を実行する中、それが弊害にならないのだろうか。そのような懸念ばかりがついて回る。

 

「鉄菜、それともう一つ」

 

 彩芽が投げて寄越したのは端末であった。投射画面を呼び出し、目にしたのは静止衛星軌道上から撮影されたブルーガーデンの様子であった。

 

 青い濃霧の噴煙が舞い上がり、辺り一面を染めている。何が起こっているのか、瞬時に判断は出来なかった。

 

「これは……」

 

「ブルーガーデンで、あの化け物みたいな人機と会敵した際、データを照合させた。あれはキリビトタイプ。モリビト、トウジャと同じく百五十年前に封印指定を受けた災厄の人機。でも、モリビトとトウジャと異なるのは、それそのものが破滅への導き手である事、かしらね」

 

「……どういう意味だ。《キリビトプロト》は活動を停止した」

 

「分かりやすく言うわ、鉄菜。百五十年前、テーブルダスト、ポイントゼロの噴火はこの人機が原因だと目されているのよ」

 

 まさか、と心臓が跳ねた。キリビトという人機が原因で百五十年前の大災害が引き起こされたと言うのか。だとすれば、それを破壊したという意味が異なってくる。

 

「キリビトを破壊した、という事は……」

 

「百五十年前の再現。ブルーガーデンは完全な汚染区域と化した。ヒトの生きられない領域にね。そして、見た通り、コミューン施設は壊滅。大打撃を受けたブルーガーデン国家そのものが滅亡したと見て間違いないでしょう」

 

 自分がつい数時間前までいた国家が滅びた。その事実は鉄菜にとって大きな衝撃であった。キリビトを下したこの手が。《シルヴァリンク》が、数千もの市民を殺したも同義だ。

 

 彩芽は悟ったのか頭を振る。

 

「貴女のせいじゃないわ。ブルーガーデンは元々壊れかけていた。強化実験兵と言う異端の技術。それに伴うクーデターの発生。抑止のために建造されていた《キリビトプロト》という機体がもたらした災害よ。全て、彼ら自身の招いた事。貴女があの場にいたのは不運な偶然というほかない」

 

「だが、私が介入しなければ、《キリビトプロト》は破壊されなかったかもしれない」

 

「結果論よ。誰を責めたって仕方ないわ。問題なのは、これから先。世界がどう動くのか」

 

 彩芽が手首の携行端末からルイを呼び出す。ルイは世界地図と同期した手を払った。世界各国の大型コミューンから小国コミューンまでの情報が羅列される。

 

『現時点で決定的なのは、血塊炉産出国であったブルーガーデンが滅びた事によって、各国の血塊炉の輸出入バランスが崩れかけているという事。均衡を保ってきたのは常に三国間の緊張状態だった。冷戦こそが、技術の躍進を防ぎ、お互いに牽制し続ける事でコミューンへの不可侵条約を作り上げていた。でも、それもここまでかもしれない』

 

「コミューンに爆弾が落ちるとでも?」

 

 ルイは頭を振り、自嘲気味に告げる。

 

『もっと悪い事が起きるかもね。例えば、そう、戦争』

 

 戦争と言う言葉に鉄菜は硬直する。だが何も考えられない帰結ではないのだ。

 

「……コミューン同士の血塊炉の物量条約が崩れれば大国コミューンによる小国への弾圧が厳しくなる。加えて、人機の製造数の歯止めも利かなくなり、量産体制を整えた国家からの攻撃に怯える事になるのだろう」

 

『正解。よく出来ました』

 

 茶化すように拍手をするルイを鉄菜は鋭く睨みつける。ルイは舌を出して言葉を継いだ。

 

『二号機操主が言うように、世界はバランスを保ってきた。でも一国でも倒れればその均衡は瓦解する。ゾル国が手を打ってくるか、C連合が敵になるかまでは定かじゃないけれど。それでも今まで以上に戦いは苛烈になるでしょう。トウジャタイプの情報もある。つまり、ここから先が』

 

「本当の報復作戦、か」

 

 引き継いだ鉄菜の声音に桃が尋ねていた。

 

「クロ、もうどこかに行かないよね?」

 

 濡れたその眼差しからは懇願さえも窺える。桃の手が鉄菜の右手に触れた。温かい、そう思うのと同時に何故だか燐華の事を思い返す。

 

 あのような少女の事、どうとも思っていないはずなのに。

 

「……約束は出来かねる」

 

「それでも、わたくしとは約束してくれない? 鉄菜。もう、勝手な事はしないって」

 

 彩芽の声に鉄菜は渋る。

 

「それでも、確定じゃない」

 

「でも、約束。それくらいは出来るでしょ?」

 

 小指を突き出した形の彩芽の手に鉄菜は疑問符を浮かべた。

 

「……何だ? その形状の拳は」

 

「知らない? 指きりって言うの。約束を違えちゃ駄目って言う、おまじないね」

 

「まじない程度で人が約束を守るものか」

 

「でも、今の鉄菜には守って欲しい。その気持ちがきっと、このおまじないにかかっているんじゃない?」

 

 勝手に単独行動を取ったのは自分の落ち度だ。鉄菜は彩芽がそうするように小指を突き出した。彩芽が小指を絡める。

 

「指きりげんまん、嘘ついたら……どうしようかしら?」

 

「もう《シルヴァリンク》に乗せてあげない、とかは?」

 

 桃の提案に鉄菜は眉をひそめる。

 

「それは困る」

 

「じゃあ、また、あの制服姿になってもらおうかしら。それだったら別にいいわよね?」

 

 不本意であったが、《シルヴァリンク》に乗せられないよりかはマシだ。

 

「……それでいい」

 

「じゃあ指切った、っと! これで鉄菜は約束を守らなきゃ、ね?」

 

「こんなお遊び、何の契約にもならない」

 

 言い捨てた鉄菜に彩芽は微笑む。

 

「ところが、こういうのが一番効いたりするものなのよ」

 

 そのようなものなのだろうか。鉄菜には分からない事だらけであった。

 

 世界が物々しい有り様になろうとしているのに、自分達は呑気なものだ。こうして取りとめもない約束を交わして、それで満足した気になっている。世界と戦うと決めたというのに。

 

 その時、ルイが不意に空を仰いだ。

 

『緊急暗号通信……?』

 

 鉄菜の手首の端末が照り輝く。桃も何かを感じ取ったらしい。

 

「《ノエルカルテット》に……? グランマ?」

 

「……どうやら休ませてもくれないみたいね」

 

 それぞれが自分のモリビトに収まる中、鉄菜はジロウへと尋ねていた。

 

「緊急暗号通信だと?」

 

『そのようマジ。これは……ブルブラッドキャリア、本隊からマジよ』

 

 惑星外の組織本隊からの連絡など緊急時以外に存在しない。鉄菜は早速繋がせた。

 

 暗号文をジロウが解読していく。通信回線が開き、桃が顔を覗かせる。

 

『クロ、もう暗号文書は……』

 

「今、解析中だ。それほどまでにまずい内容なのか、これは」

 

 一番に解読したであろう桃が慌てふためいているのだ。それ相応の事態であろう。

 

『鉄菜、本隊からのこれは……救難信号マジ。ゾル国に宇宙にあるブルブラッドキャリアの資源衛星基地が関知された、とあるマジよ』

 

 資源衛星基地の関知。それは一番にあってはならぬ事態であった。鉄菜が問い返す。

 

「確かなのか、それは」

 

『確かじゃなければこんな情報、誰も掴ませて来ないはず。クロ、どうやらあんまり休息も取れそうにはない』

 

『同感ね。これまでの戦いよりも激化する、とは聞かされたけれど、これほどまでとは……。宇宙に、上がるしかないみたいね』

 

 鉄菜は覚えず空を振り仰いだ。紺碧の雲海の向こう、星の海に戦いの舞台は移り変わっていく。

 

 その激動に心拍が乱れる。

 

 その正体が身を裂くような不安であった事を、この時の鉄菜はまだ知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯104 暴食の悪鬼

 

 本隊が掴んだ、とされた位置情報を今一度呼び起こす。

 

 端末上、何もないとされている重力均衡地点――資源採掘衛星が存在する空間の中で、そこに位置するとポインタが表示されていなければ確実に見落とす宙域にあった。

 

 もたらされた情報はやはりというべきか、秘匿回線が用いられておりこちらからの逆探知が不可能であった事、さらに言えば情報を漏らしてきた相手の意図も不明。

 

 そうなってしまえば畢竟、ここで伸るか反るかの賭けに出るしかない、というのがゾル国の現状であった。

 

 ブルーガーデン滅亡のニュースは飛び交ったものの一時的に馬鹿騒ぎするような民度の低さもない平和な国家であるところのゾル国には目立ったデモもない。

 

 あまりに能天気だ、とガエルは面を上げた。

 

「あんたもそう思わないか? 水無瀬、とか言ったヤツ」

 

 眼前の水無瀬は先ほどから歯の根が合わないのかガクガクと震えている。ガエルは全ての権限が委譲された監禁部屋で水無瀬との面会を行っていた。

 

 無論、組織が手を回し録画情報には水無瀬へと真摯な言葉を投げかける自分が偽装映像として流されている。

 

「……お、お前らは何なんだ。どうしてわたしの位置が分かった?」

 

「たわけた事言ってんじゃねぇよ、罪人。今のてめぇに、開く口があると思っているのか?」

 

 あまりに確保の時と態度が違ったからだろう。水無瀬が監視カメラを気にし始める。

 

「心配すんな。てめぇらに益のない話ってわけでもねぇ。ブルブラッドキャリアの……一応は幹部の確保って事になっている」

 

「なっている? わたしの内情は、何も」

 

「分かっていないに等しい。トカゲの尻尾切りさ。誰かが生贄にならなきゃならなかった局面でミスったてめぇにお鉢が回っただけ。大方、青いモリビトを動かしているガキにでも貧乏くじを引かせるつもりだったんだろうが、外したんだろうな」

 

 そこまで分かっていて何故、という面持ちにガエルは確信を新たにする。ブルブラッドキャリア内部で軋轢があった事。さらに言えばその派閥競争にはつけ入る隙がある事実も。

 

「わたしは……陥れられたんだ」

 

「この情報の持ち主かい? オレらが血眼になって探し回ったって出て来やしねぇ。どうにもてめぇら、きな臭い通信手段を持っていやがるな」

 

 ガエルの脅しつけるかのような物言いに水無瀬は慌てて首を横に振った。

 

「さ、さすがに教えられるものか」

 

「どうかな? てめぇはもう死んだものとして扱われているかも知れねぇぜ? 何たってモリビトの操主をハメようとして逆にハメられたんだからな。それがどれほどの重罪かは別にしてよ、取引する気はないかい? 水無瀬さんよ」

 

「取引……お前は一体、何なんだ。あれは、カイル・シーザーだった。ゾル国の象徴、若々しい誉れある軍人のはずだ。……だというのに、わたしに向けられた殺意は本物だった。あれが、あの若者の本性だというのか」

 

「そこまでは、な。オレもはかりかねているところだ」

 

 肩を竦めてやったガエルは笑みを浮かべる。水無瀬は頭を抱え込んだ。

 

「地獄だ……ブルーガーデンの、プラント設備だけを破壊するつもりだった。そうすれば、血塊炉供給はストップし、ブルブラッドキャリアに優位に働く。そのための生贄には、今までの計画遂行に難があった二号機操主が望ましいと、多数決で決まったはずであった。だが、キリビトなる不明人機に、ブルーガーデンのクーデター。あるはずのない事象が二つも三つも重なれば計算が破綻するのは目に見えていた事。それでも組織はわたしに計画遂行を求めた。二号機操主も頭の足りないガキだと思っていたのに、まさかアルファーによる遠隔操作で二号機を呼び寄せるなんて……!」

 

 忌々しい、とでも言うように水無瀬が歯を軋らせる。ガエルは冷静に観察をしながら、この男には野心があると悟った。

 

 野心は人間を失墜させるのに最も適した感情である。

 

「ブルブラッドキャリア。一枚岩じゃねぇのはよく分かったぜ。どうだ? 賭けてみねぇか?」

 

 ガエルがコインを取り出す。水無瀬は呆然としていた。

 

「賭ける、だと……」

 

「表が出れば、てめぇはオレにつけ。そうすりゃ拝ませてやるよ。テッペンの景色をな。だが裏が出れば、逆だ。てめぇはここの位置情報をバラしてもいい。それこそブルブラッドキャリアのモリビトにでも教えてオレらを駆逐してもらいな」

 

 本気で言っているのか、という戦慄いた眼にガエルは囁く。

 

「本気か、って眼だが、マジ以外で誰がこんな事を言い出せる?」

 

 水無瀬はコインを凝視する。トリックがないか、という探りにその手へとコインを差し出した。

 

「どれだけ見てもいいぜ。トリックなんてない」

 

 水無瀬は一通り確認し終えてからガエルの手に渡す。ガエルは親指で弾く前にもう一度確認した。

 

「この賭けに、乗るか? それとも尻尾巻いて逃げ出すか? その場合、一生ここで軟禁生活だ。不味い飯を食うか、高みを目指すかの二つに一つだ」

 

 水無瀬が唾を飲み下す。そのまま静かに首肯した。

 

 ガエルは口角が吊り上がりそうになるのを抑えながら、コインを弾き手の甲に落とす。

 

 表か裏か――自分だけはこの確率を操作出来る。

 

 出たのは目論見通り、表であった。

 

 水無瀬が張り詰めていた息をつく。ガエルはコインを翳した。

 

「オレの下、って言うと言い方が悪いか。オレと一緒に、テッペン見てみたくなったか?」

 

 その言葉に水無瀬は自嘲気味に応じる。

 

「少し……ね。だが、可能なのか? ブルブラッドキャリアはそう容易く機密を割らない」

 

「なに、こっちにゃ二重三重の奥の手がある。それにてめぇも気になっていた通り、あの象徴、カイル・シーザーもな」

 

「君の甥、という事に、そういう事になっている、のか」

 

 察しがいい、とガエルは笑みを浮かべる。

 

「そういうこった。オレにはそれ相応のバックがついてる」

 

「なるほどね。どこかでそぐわないと思っていたが、何を求めている? 地位か、名誉か?」

 

「どっちも要らねぇよ。オレが求めるのは、刺激だ。ただそれだけさ」

 

「まるで野獣のような事を言う」

 

「そっちこそ、ブルブラッドキャリアっていう世界を回そうとする輩の下っ端にしては、随分と情けねぇ風体だ。脚に空けてやった風穴はどうよ?」

 

「……上々の感覚だよ」

 

 鎮痛剤を打ったとはいえ、銃弾による傷だ。その痛みさえも今はお互いに共犯の証明であった。

 

「しかしてめぇも運がねぇな。オレみたいなのに、行き遭っちまった」

 

「逆だろう。君のような存在がいなければ、わたしはとうに死んでいる」

 

 ここで開くべき口は弁えているらしい。ガエルは悪くない感覚だと思っていた。少なくとも、カイルの前で叔父を演じている三文役者よりかは。

 

「で? オレの下につくんだからそれなりに情報はもらえるんだろうな?」

 

「ブルブラッドキャリアの、かね? わたしはしかし今、リンクが切れている」

 

「リンク?」

 

 水無瀬はこめかみを示し、言いやった。

 

「世界には自分と同じような人間が二人か三人はいる、というゴシップは聞いた事があるかな?」

 

「……話の種か、そりゃ。だからどうした?」

 

「わたしは、その妄言そのものだ。わたし自身が三人いる」

 

 意味が分からず、ガエルは問い返していた。

 

「滑稽なジョークなら他でやりな。ここはコメディアンの宴席じゃねぇんだ」

 

「冗談でこのような事、言えるものか。わたしは人間型端末だ」

 

 発せられた言葉にガエルは絶句していた。人間型端末。そのような存在がまさかこの世界にいるなど信じられるものか。

 

「……あのよ、自分の命が保証されたからっていきなり賭けに出るのはおススメしないぜ?」

 

「だから、リンクが切れているから証明は出来ないが、わたしは他の人間型端末二人と同期している。ブルーガーデンの兵士の噂は聞かないのかね? 強化実験兵、人造天使。常に整備モジュールを片翼のように展開し、精神点滴なる薬物投与で成り立っている兵士の事を」

 

「……戦場練り歩いてりゃ、そういう怪談にはしょっちゅう会ってきたが、そいつはマジなヤツか?」

 

「まるで戦争屋のような言い草だな」

 

 事実、その通りなのだが今は伏せておく事にした。

 

「なるほどな。そのブルーガーデンの技術の申し子って言いたいのか?」

 

「正確にはブルーガーデンの尖兵ではないのだが、同じような技術だと言ってもいい。脳内でネットワークを張り、常に情報端末として稼動する。もう一人のわたし……渡良瀬は何を隠そう、世界の頭脳と言われているタチバナ博士の助手だ」

 

 調べればすぐに分かる事実を言ってきた辺りそれは本当だろう。問題なのは人間型端末を認めるとして、ではどうして水無瀬はリンクを解かれたのか、である。

 

「どうして、てめぇはリンクを今、張れない?」

 

「完全にオフラインにされてしまった。スタンドアローンの端末の状態だ。だが、それでも蓄積してきた情報網は使える。ガエル、とか言ったか。他のブルブラッドキャリアに露見しない程度ならば、君の情報端末になってもいい」

 

 つまり、これから先の自分の眼となると言っているのか。その提案は素直に魅力的であった。今のままでは一寸先は闇のまま、綱渡りをさせられているようなものだ。

 

 レギオンの真意の解明も水無瀬の力添えがあれば可能かもしれない。

 

 ガエルはフッと笑みをこぼす。

 

「……いいぜ、乗った。だが、主従は忘れるなよ」

 

「無論だとも。拾ってもらったような命だからね」

 

 しかし今の今までブルブラッドキャリアに繋がっていたと自称する端末をどう扱うべきか、ガエルの中ではまだ判断が保留であった。

 

「どっちにせよ、今のままじゃてめぇはオフライン状態。何も出来ないわけか」

 

「しかもわたしが幽閉されている事はすぐさまC連合にも伝わる事だろう。それほどまでに迂闊な行動であった、と思うべきだ」

 

「こっから先は、騙し騙され合い。……いいねぇ。実に、オレらしくなってきた」

 

 地獄を行くのに道連れが出来ただけでも僥倖だ。さらに言えばこの男はまだブルブラッドキャリアから裏切られた事を根に持っている。必ず復讐の機会を狙ってくるはずだ。切り時も心得られている。カイルよりかはずっと使いやすい。単純な野心のみで動く輩は容易く篭絡出来る。

 

「で? スタンドアローン端末であるところのてめぇに出来る事を並べ立てな。そうしないと命は長くねぇぞ」

 

「だろうね。わたしを捕まえたのが君一人であったのならばまだどうにか出来たのだろうが、国家の諜報部門か、あるいは軍部が嗅ぎつけたとなれば必ずわたしを消しに誰かがやってくる。選択肢は多くはない」

 

「トチりたくなかったらてめぇが生き延びる手段を全力で講じろ。どうせオレはこの身分から堕ちる事はねぇが、他の連中の尻拭いまでは出来ないからよ」

 

 水無瀬は顎に手を添え、思案する。この人間型端末を如何に利用出来るかに自分の価値がかかっていると言っても過言ではない。

 

「ネットワークへの接続端末を脳内ニューロンで繋ぎ、こちらだけの独自ネットワーク回線を開く事は可能だ。その場合、人間型端末であるわたしが情報の集積地点に行くことになるが」

 

「つまりはここから出せって寸法かい」

 

「そうなるな」

 

 ガエルはどこまでこの水無瀬という人間を信用すべきか迷うものの、こちらも選択肢は多くはない。水無瀬の性能を発揮出来る場所に連れていく事は何も不利益ばかりではないだろう。

 

「……いいぜ。こっちから手を回す」

 

 立ち上がったガエルに水無瀬が皮肉る。

 

「また、ゾル国の象徴の叔父の任務かね?」

 

「そっちは随分と板についてきたつもりだったが、やっぱり他人から見ると妙な取り合わせか」

 

「カイル・シーザーに叔父は存在するが既に故人だ。調べれば分かる情報をゾル国はわざと調べていないのか、あるいは調べ損ねているのか。いずれにせよ、破綻は目に見えている」

 

「そうかい? オレはこの身分、せいぜい絞れるだけ絞らせてもらうぜ」

 

 面会室を去り際に水無瀬が背中に声を投げる。

 

「その本性、悪人だと考えたが、どうなんだ? 君は何者なんだ?」

 

 ガエルは振り向かずに応じていた。

 

「オレはオレだよ」

 

 面会室を出たところで数人のメカニックとすれ違う。彼らはどうやら自分を待ち構えていたらしい。

 

「何か?」

 

 カイルの叔父の声音で尋ねる。整備士達はタブレットを手に新型のデータをこちらに手渡してきた。

 

「特務大尉が搭乗予定の新型機の反映データですが……凄まじいですね。これほどの能力を約束するのが、その、封印された人機だとは」

 

「トウジャだったか」

 

 前回の戦地で持ち帰ったデータを整備班と諜報班が解析し、既に新型への反映作業を行っていた。

 

 それが滞りなく行われたのは何もゾル国のメカニックが優秀だからだけではない。

 

 どこからもたらされたのか、トウジャの骨格基盤がゾル国のオープンソースとなり、軍部が推し進めてきた新型のロールアウト計画に沿う形で実現したまでの事。

 

 しかし、とガエルはその新型トウジャの様相を目にして懸念を浮かべる。

 

「あまりに……違い過ぎる」

 

 それは戦場で本物を見たからこそ出る発言であった。あの戦いの最中、目にしたのは細身のトウジャ二機である。

 

 投射画面が映し出しているのはそれではない。

 

 両腕と全身にまるで鎧武者のように装甲を着込ませた寸胴の機体であった。

 

 両腕の武装はそれそのものが龍の顎のように形成され、敵人機を噛み砕く絶対の暴力と化している。

 

「C連合の人機開発と同じものと造っても仕方がない、という判断からです。それに、この人機は過積載ですし」

 

 赤く塗られた文字には「過積載」「熱暴走」という異常なステータスを示している。つまりこの人機は重力下で稼動するようには出来ていないのだ。

 

「次の任務は、宇宙だと聞いた」

 

「我々メカニックには詳細は知らされていませんが、この《グラトニートウジャ》の初陣には相応しい舞台でしょうね。空間戦闘でこそ、この機体は輝く」

 

《グラトニートウジャ》と呼称された機体へと案内される。整備デッキにてまだリアクティブアーマーを装備させられているトウジャタイプはどこか過保護なほどにも映る。

 

 どこまで武器を積み込み、どこまで装甲を堅く出来るのか。その臨界点に挑戦しているかのような機体であった。

 

 眼前で佇むのはどこか憔悴し切ったカイルである。

 

 ガエルは歩み寄り、これがと声にしていた。カイルは首肯する。

 

「ええ、叔父さん。僕の、新しい機体だそうです」

 

「《バーゴイルアルビノ》は……」

 

「置いていくのがいいだろうと言われましたけれど、一応は作戦上、予備のつもりで配置するとの事で……。僕の、トウジャ……」

 

 カイルはあの戦場でトウジャタイプと張り合った。それだけに因縁を感じているのだろう。

 

「カイル、怖ければ引き受けるが……」

 

「いえ、叔父さん。これも、僕が背負うべき責務なんだと思います。国家の象徴として、立ち続けるために。何よりも、この手でモリビトを……倒す」

 

 拳を固く握り締めたカイルに冷ややかな目線を自分は送っていた。

 

《グラトニートウジャ》。眼前で組み上げられていく暴食の罪は膨れ上がり、その白亜の機体は次の戦場を待ち望んでいるように思えた。

 

 何人も、その罪からはやはり逃れられないのか。

 

 トウジャという新たなる力は躍進を求めてカイルを取り込もうとしている。罪は人を抱いて完璧なものとなる。

 

 最終的に必要なパーツは優秀な操主であろう。

 

 その点で言えばカイルは打ってつけだ。国家の象徴、希望たる存在が乗り込むのにこれほど相応しいものもあるまい。

 

「次の戦いは……」

 

「聞きました。宇宙にある廃棄資源衛星。そこにブルブラッドキャリアの本隊が位置していると」

 

 カイルの眼に燃えているのは闘争心だ。獣に転がりかねないその殺意が宿っている。

 

「これで駆逐出来ればそれに越した事はないんだが」

 

「必ず、ブルブラッドキャリアを殲滅してみせます。僕は、そのために」

 

《グラトニートウジャ》のX字の眼窩がこちらを睥睨している。

 

 罪の結晶たる人機だけが自分の本心を見透かしているような気がしていた。

 

 ――空間戦闘。うまく行けば、このお荷物を外す事が出来る。

 

 水無瀬という切り札も手に入れた。レギオンの真意に近づく事も難しくはあるまい。

 

 ここから先が正念場だ。一手間違えれば、しくじるだけではない。与えられるのは安らかではない死であろう。

 

 暴食の罪が惑星の原罪を食い破るか。

 

 全ては星の海の果てでの戦いに委ねられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第五章 了



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六章 硝煙の宇宙
♯105 人間の証明


 

 操縦桿から伝わる反応速度はナナツーより随分と軽い。

 

 各部に備わった推進剤が空間戦闘においての優位を約束するかのように機敏に動き、全身を小気味いい振動が震わせる。全てが自分の眼になったかのような感覚。己を研ぎ澄ますまでもなく、人機の側から馴染んでくるのは自分の中に入られるようで気分を害する操主もいるかもしれないが、リックベイは素直に受け入れた。

 

 人機側からの接触。小さな操主一人に全ての権限を委譲し、何もかもの判断を任せている。ペダルを踏んでやると操っている人機が身体を開くイメージを伴って僅かにつんのめった。

 

 まだ産まれたばかりのこの人機は歩く事から学ばなければならないのか。リックベイは全天候周モニターに表示されるステータスを見やる。

 

 まだ胴体のみだ。

 

 ケーブルと擬似再現するために備え付けられたアームで支持されているこの機体は正しくは生まれ落ちてすらいない。それでも胎教とでも言うのか、こうして操主が乗ってやって慣らしておかないとロールアウトの頃にはほとんどの一般兵が搭乗する事になるのだ。

 

 少しばかり無茶でも動かしておくのが望ましい。

 

『少佐、如何です? 《スロウストウジャ》の乗り心地は?』

 

 通信を震わせた声音にリックベイは逡巡を浮かべる前にスラスターの限界値まで絞ってやった。

 

 擬似再現された挙動に全身の関節軸が軋む。通信越しのメカニックが失笑した。

 

『いじめてやらないでくださいよ。まだよちよち歩きです』

 

「だが、これが正式採用になる可能性は高いのだろう?」

 

『ええ。《プライドトウジャ》からハイアルファーを引き剥がすのは随分と時間がかかりましたが、ようやくスタートラインです。あとはきちんと両手両足をつけてやれば、何とかなりますよ』

 

《プライドトウジャ》という未知の存在からここまで引き出せただけでも僥倖だろう。ハイアルファーという人間の精神、あるいは肉体に大きく作用するデメリットありきのシステムを排除し、純粋に人機としての性能を高めた次世代機。

 

 よくもまぁ、ここまで、と思うと同時に、ここまで出来たからこそ百五十年前、ヒトは原罪を犯したのだろう、と推測する。

 

 トウジャタイプのフレームは純粋に機動力が高い。装甲の堅牢さではナナツーに僅かに劣る部分はあるものの、スピードで優位を保ってきた《バーゴイル》を凌駕するであろう。ロンド系列のような器用さも持ち合わせている。換装すれば重装備型も可能である、という整備班側からの提案にリックベイは面食らったほどだ。

 

 それほどまでに順応性の高い機体。当然の事ながら軍部は開発を進めるであろう。

 

 自分は、トウジャ開発を押し留めるような権限を有するような野暮な軍人ではない。

 

 しかし、不安には駆られる。モリビトに比肩する機体。それを一年どころか一ヵ月も経たずして造り上げてしまった人類。だが、ともすればブルブラッドキャリアはこれも含めて報復作戦に組み込んでいたのかもしれない。

 

 自らの罪を直視する覚悟。それを問い質すのが、オダワラ博士を含む惑星を追放された者達の目的だとすれば――。

 

 否、考え過ぎか。滑り落ちていく思考を持て余しつつ、リックベイは工程を仕上げていった。

 

《スロウストウジャ》の素体に経験値を振る。それが自分のような軍人の務めだ。そうすれば一つでも多くのトウジャタイプに命が吹き込める事だろう。

 

『少佐、ナナツーと比べてどうですか?』

 

「使いやすさでは勝っている。だが、ここまで使用感が良過ぎるのも考えものだな。人機と操主の間には誤差が生じるものだ」

 

『俗に言う、感覚のロスですね』

 

 感覚のロスというのは人機搭乗時に起こり得る操主と人機との間に降り立った認識障害の事である。

 

 人機側に意識が引っ張り込まれ「取り込まれる」現象の事だ。特に最初期の人機開発において起こった現象であったらしい。人機という力に酔いしれる、と言えばいいのか。人機と操主の能力の差に気づかず、その力を自分のものだと過信する。

 

 人機乗りにはついて回る現象だ。今は人機のハードルも下がった事もあってか滅多に起こり得ないが、時折その現象の前に人機への搭乗を断念せざるを得ない者達を目にした事がある。

 

 感覚のロスに取り込まれれば、人は簡単に抜け出せるものではない。人機という鋼鉄の虚無に呑み込まれ、帰ってこられない人々は古来より存在したようだ。

 

 今は、薬物による改良措置や、軍隊という統率された集団における人機運用などが重なって取り込まれる現象は減ってはいるもののゼロではない。殊に、高性能な人機に触れれば触れるほど、その現象は発生する。

 

「感覚のロスが生まれ得るほどに、高い追従性だ。操主には厳重に自我を保つようにしておかなければならない。C連合にそれほど熟練度の低い操主がいるとも思えないが一般兵には与えないのが無難かもしれないな。わたしの一存ではどうにも出来ないのが現状ではあるが」

 

『いえ、少佐ほどの操主の意見ならば上も首を縦に振ると思います。やっぱり完全な量産体勢に移るのは難しい、という判断ですか』

 

 そう言うほかない。量産して、ではこれがすぐに軍部を席巻するかと言えばそうではないだろう。

 

 C連合軍内部では未だにナナツータイプの信頼度が厚い。それを切ってまで《スロウストウジャ》を浸透させる意味は今のところ見出せない。

 

「あるいは、こう言ったほうがいいかもしれないな。モリビトと戦うのには適任だが、一般兵がモリビトに容易く近づけるのは危険だと」

 

 力の過信以上に、モリビト相当の実力をいきなり与えても上がやり難いだけだ。それに《スロウストウジャ》そのものも性能面での満足度は高いが、これを実戦に放り込めば違う試算が出てくるのは目に見えている。

 

 人機開発はいつの時代であっても、実地と机上では随分と違うものだ。

 

『モリビトタイプと戦うのは、まだ反対ですか』

 

「時期尚早だ。これでモリビトとやり合えるかどうか、その論点で言えばイエスだが、一般兵にこれほどの力は必要ない。わたしが編成予定のカウンターモリビト部隊にのみ、回す事を検討して欲しい。他の兵士にこれは逆に毒となる」

 

『強過ぎた力は人間を取り込みますか』

 

「力の求心力というものがある。トウジャは確実にそれを持っているが、呑まれかねない、という危険性もはらんでいる。今は、まだその域ではないな」

 

 コンソールを撫でてやると《スロウストウジャ》は大人しくなった。外気からの刺激に過敏な様子だが、このままでは実戦には出せない。もっと落ち着かせてからでないと、人機としての性能以前に兵器としての信頼がほとんどない。

 

『了承しました。コックピットハッチを開かせます』

 

 空気圧と共に《スロウストウジャ》の頚部に位置するハッチが自動的に開く。リックベイはごてごてしたモニター用の操主服を纏ったまま、整備デッキでメカニックとハイタッチしていた。

 

「いい仕事だ。ここまで汎用性を高めてくれた事、感謝する」

 

「これからですよ。こいつを如何にして実戦で保てるようにするか、でしょう?」

 

 その通りなのだ。どれほど優れた機体でも実戦で使えなければ張子の虎。

 

「機体追従性は悪くない。ただ、これを量産するとなると、わたしは承服しかねる」

 

「分かりますよ。こいつは何ていうか……強過ぎる」

 

 自分の機体担当者も同じ感想だったのだろう。やはり長年、自分の機体を任せただけはある。

 

「分かるか。この機体、ハイアルファーという異分子を廃したとは言ってもやはり手に余る部分が大きい。元々、ハイアルファーを排除するようには出来ていなかったように感じる」

 

「少佐もそう思われますか。そうなんですよ。ハイアルファーありにすれば、この機体、驚くほどに安定した数値を弾き出すんです。ただし、それは操主の安全が確約されていない状態。我々が造り出さなければならないのは操主の安全も込みにした機体です。ハイアルファーというシステムがあまりにもトウジャという人機の根底に潜り込んでいるせいで時間がかかってしまいましたが、この《スロウストウジャ》を皮切りにして、トウジャタイプの量産は急がれると思います」

 

 それはお歴々の意見も加味して、だろう。上は結果を焦っている。

 

「……わたし達人類は身勝手なものだ。《プライドトウジャ》という異端の人機を模倣し、それの純粋な、人機らしい部分のみを抽出し、開発した。スロウス……怠惰なのはわたし達人類への皮肉か」

 

「人機開発はいつだって身勝手なものですよ。今ある人機よりも高性能で使いやすいものが欲しい、っていうわがままです。ナナツーも使いこなせていない一兵卒にこの機体を任せられないって言うのはよく分かりますよ」

 

「だが、新しいスタンダードは思ったよりもすぐにやってくる。その波も、な。トウジャは我々が思うよりずっと、すぐに浸透するかもしれない」

 

「そうなれば、モリビトとの戦い、ですか」

 

 少しばかり声に翳りがあるのはやはりブルーガーデン崩壊のニュースを考えているのだろう。血塊炉産出国の瓦解。それはつまり三国の緊張状態が消え去るという事。目の上のたんこぶであったブルーガーデンの輸出入制限が解かれた、という事実にゾル国もC連合も躍起になるだろう。

 

 血塊炉を多く保持する国家がこれから先、世界を先導する資格を持つ。《スロウストウジャ》も開発されたのはC連合だが使うのはゾル国、という事にもなりかねない。

 

「戦争になるかもしれん、というのはまだ憶測の域を出ない。現場は縛られず、自由にやって欲しい」

 

 その言葉に専任担当者は微笑んだ。

 

「いつだって、少佐は前向きですね」

 

「後ろを向いている暇もないのでな」

 

《スロウストウジャ》の開発は滞りなく行われる事だろう。問題なのはブルーガーデン。その対処であった。

 

 リックベイが操主服を脱ぎ、自室に向かうとやはりというべきか、タカフミが待ち構えていた。

 

 甘菓子を頬張りつつ、ニュースに注目している。

 

「おかえりなさい、少佐。世間は随分と物々しいですよ」

 

「……君は能天気が過ぎるな。わたしの部屋に勝手に入るなと」

 

「少佐、ブルーガーデンへの探索任務、やっぱりおれと少佐が充てられるんですかねぇ」

 

 人の話を聞かないのにもほどがあったが、それは上層部から一報があった話である。

 

 ブルーガーデン、汚染区域への調査任務。可及的速やかに、との事であったが、まだどの機体を使うのかも決まっていない。

 

「わたしと君だけでは不安が残る。一個中隊レベルで指揮する事になるだろう」

 

「参式ですかね」

 

「わたしは《ナナツーゼクウ》で向かう事になるだろうな。君は? 提案があるのならば相談には応じよう」

 

「新型機……って充ててもらえるのかなって」

 

 居座っている理由はそれか。リックベイは執務机につき、端末のデータをスクロールさせた。

 

「《ナナツー是式》であったか。《ナナツーゼクウ》の先行量産型だと聞いている。このまま問題がなければ、《ナナツー是式》への搭乗希望は通るだろう」

 

「ホントっすか? 参式でもよかったんですけれど、やっぱりモリビトの脅威もありますし、何より、これから戦争になるかもしれないって言うんでしょ? 新しい機体には慣れておこうと思いまして」

 

《ナナツー是式》が通常運用されるのはまだ先であろう。一般兵には弐式の改造型か、量産された参式程度のはずだ。

 

「戦争、か。アイザワ少尉。本当に戦争にもつれ込むと思うか?」

 

 その質問にタカフミは甘菓子を食べる手を止めて考え込んだ。逡巡の後、彼は答えをひねり出す。

 

「多分……ですけれど、旨味はないんじゃないかな、って思います」

 

「旨味、か」

 

「だって、戦争になってもモリビトがいるわけでしょ? モリビトとブルブラッドキャリアを無視して惑星の中で勝手に戦争なんて始めちゃったら、それこそ敵の思うつぼじゃないですか。連中、地上の人間を滅ぼしたいっていう思想なんですし、勝手に潰し合いを始めてもらえたらむしろラッキーって言うか、それこそ何の苦労もなしにって言うか」

 

 紡いだ言葉は粗いが正鵠は射ている。リックベイはその先を継いでやった。

 

「人類同士で滅ぼし合うのならばモリビトも最小限の損耗で済む。ブルーガーデンを滅ぼしたのはむしろ計算通りであったのかもな。人は資源を巡って今まで幾度となく争ってきた。その帰結する先が血塊炉なのだとすれば、今回も原罪に塗れた同士、滅ぼし合うのならば何の問題もない」

 

 そう、何の問題もないはずなのだ。だが、今回はイレギュラーが存在する。

 

「……何か、問題があるって言う言い草っすね」

 

「拮抗する能力の存在が戦うのには何の問題もないだろう。だが、今回、我々は鬼札を持っている」

 

「……トウジャ、っすか」

 

 如何にタカフミが疎くともトウジャの存在は無視出来ないのだろう。当然、それに乗り込むであろう操主も。

 

「トウジャ、モリビト……それにもう一機は百五十年前に封印された。それがどれほどの意味を持つのかは、わたし達は《プライドトウジャ》のデータを参照して理解している。実戦でもあれは鬼のように強い。その《プライドトウジャ》から、ハイアルファーという邪魔な要素だけを排除した、都合のいい人機を開発している。どれほどまでにゾル国が権謀術数に長けていようとも、物量の差だけは埋めようがない。我が国家はナナツーの量産率でもトップクラスだ。《バーゴイル》との相性面でも負けるはずもない。下手な喧嘩は仕掛けてこないであろう、というのが上の見方だ」

 

「……でも、その下手な喧嘩がまかり通るってのが戦争なんじゃないですか? だって歴史を見ていくと、こんなの勝てるはずがないっていう状況から戦争に移っていく場合が相当ですし」

 

「精神性、というものがある。あるいは、国家の志向とでも言うべきか。人はいつも冷静に物事を俯瞰出来るわけではない。むしろ穿った見方をしているほうが大多数だ。戦争とは物量、あるいは国力の差よりも、精神性で勝負をしている。それを忘れるな、アイザワ少尉」

 

「そういうものなんですかねぇ……」

 

「だが精神で勝利しても、国家が敗北すればそこまで。戦争とは、かくも虚しく、なおかつ何も残らないものだ」

 

 だからこそ、タカフミの旨味がない、という評価にはどこか達観したものさえも窺わせたのだが、本人にその気はなかったらしい。後頭部を掻いて、分からないなぁ、とぼやく。

 

「精神だとか、国家だとか、難しい事、おれ分からないですよ」

 

「分からなくっていいのかもしれんな。兵士とはそういうものだ。政を行う人間とは大別しなければならない」

 

「でも、考えなしに突っ込んでいいもんじゃ、ないんですよね……」

 

「それが分かっているだけでもまだマシなほうだ。世の中、誰しも理解して引き金を引けているわけではない」

 

 呻るタカフミにリックベイは別の話題を振ってやった。

 

「《ナナツー是式》のスペックデータだ。乗り込むつもりならば目を通しておけ」

 

 端末に入力して手渡すとタカフミはどこか得心が行っていないように視線を彷徨わせた。理由は分かる。

 

 彼の事であろう。

 

「桐哉・クサカベの処遇が気に入らないか」

 

 どうして、と目を瞠るタカフミにリックベイは返す。

 

「言わずとも分かる。あれにやっている事に気が向いていないのは自ずと、な」

 

「……少佐の零式、あいつにくれてやるんですか」

 

「まだ、分からんよ。それさえも。適性があるのかどうか、それを見るのも務めの一つだ」

 

「でも、少佐はC連合の軍人です。リックベイ・サカグチ少佐で、先読みのサカグチで、銀狼で……、おれらのエースなんですよ? だって言うのに、あいつは敵国の」

 

「敵国のエース、か。それに教えを与えている時点で、解せん、というわけだな」

 

 タカフミは僅かな逡巡を浮かべつつも頷く。リックベイはモニターのニュースを切って、無音の部屋で言いやった。

 

「アイザワ少尉、彼は、どこへ行けばいいのだと思う?」

 

 唐突な質問に面食らったのだろう、タカフミは答えを彷徨わせる。

 

「えっと……どこって自国に」

 

「自国に帰ったとして、では彼は人間としての扱いを受けるか? ハイアルファー【ライフ・エラーズ】によって死ねない身体になってしまった英雄を、では本国は持て囃すと思うか?」

 

 それは、とタカフミが答えに窮する。リックベイは端末に桐哉のデータを呼び出した。

 

 死ねない身体、【ライフ・エラーズ】の影響を受けた肉体は物理上、粉々に砕かれるか、あるいはリバウンドの灼熱に焼かれて炭化でもしない限り消滅出来ない。つまり、生半可な痛みや損傷では、彼は死ぬ事すら許されない。

 

「これが彼のデータだ。死ねない肉体、恐らくは寿命さえも、であろう。そんな彼を、堕ちた英雄と見なした祖国に帰す事、わたしにはそのほうが残酷のように思えてならない」

 

「そりゃ、気の毒だな、とは思いますよ。あいつも相当に……その、しんどい運命なんだなってのは。でもそれと少佐が零式を教えるのは別じゃないですか?」

 

「別、か。アイザワ少尉。もしもの話をしようか。もし、自分が突然に手足の自由が利かなくなり、目も見えず何も聞こえない状態になったとしよう。それでも、操主でいたいと思うかね?」

 

 その問いにタカフミは頭を振った。

 

「いえ、そんなのなら、別に操主にこだわらなくっても。……っていうか、隠居でいいじゃないですか」

 

「その状態で、すがるものが何一つなく、かといって人機から降りる事も出来ないとすれば?」

 

 その命題が何も仮定の話をしているわけではないのだと分かったのだろう。タカフミは黙りこくった。

 

「人間は、すがれるものが必要なのだ。それがどれだけ遠く、離れていたとしても。理想から遠ざかっていたとしても。それでも、手に入るのならば、手に出来るのならば。わたしは、彼にとってのそれが零式抜刀術になれば、と思っている」

 

「死ねないあいつに、同情してるんですか」

 

「同情ではない。道を問い質している」

 

 諦めるのならばそれでも構わない。だが、闇の中で光を見つけられるのならばその手助けくらいはしよう、と。

 

 タカフミはこの問答に意味がないと判じたのだろう。あるいは自分では桐哉にそこまでしてやれない、という心地か。

 

「……おれ、何も出来ないっすね」

 

「君に出来る事とわたしに出来る事は違っている。一つ言えるとすれば、わたしは零式を軽んじてはいない。これはわたしの人生そのものだ。それを授けてやる、というのは生半可ではない。命をかけるつもりで向かってこなければ跳ね除ける。そこまで切り詰められなければ生きていても仕方あるまい」

 

「生きていても、ですか。でも少佐、過ぎた言葉かもしれないですけれど、おれ、生きている事だけで充分に、幸せだとは思いますよ」

 

 タカフミはその言葉を潮にして部屋を出て行った。リックベイは端末に表示された桐哉のデータを横目に独りごちる。

 

「生きているだけで幸せ、か。その幸福をきっと皆が欲しているのに、何故だろうな。人間は生きているだけで満足するようには、出来ていないんだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯106 世界を掴む

 

 データの照合だけでも時間がかかる、という事実にガエルは苛立っていた。

 

 水無瀬、という男の素性をこちらで掌握しなければ他人に先を越される。そうなってしまえばせっかくの駒が無駄になるのみならず、レギオンから叛意ありと見なされるかもしれない。

 

 連中を早くに敵に回すのは面白くない。ガエルは歯噛みしつつ、まだかよ、と口にしていた。

 

「もう三時間だぞ。独房から出してやっただけでも御の字だって言うんだ。あんまし時間かけんな。ケツに火がついてんだよ」

 

 急かすが当の水無瀬はやけに落ち着き払っている。人間型の端末、というのは話半分程度で聞いていたが、彼の行っている事は少ない。先ほどから意味があるのかないのか分からないフラッシュデータを参照しているだけだ。

 

 横目に見た限りではあらゆる映像の集合体のようなデータである。ただ単に意味のない映像同士を繋ぎ合せただけのジャンクだと思われたが、水無瀬に言わせるとそれこそが重要なのだと念を押された。

 

 お陰でガエルは人のいい笑みを張り付かせて三時間も部屋の見張りについている。

 

「おい、そろそろいいんじゃねぇのか? 充分にデータを漁れただろ?」

 

「あと、三分で全工程が完了する」

 

「マジかよ……。三分も、だと? もうすぐお歴々が来る。勘弁しろよ」

 

 時計を見やったガエルはこの部屋に訪れる予定の上官をどうにかして止めなければならなかった。

 

 水無瀬――ブルブラッドキャリアの捕虜に加担しているだけでも充分な罪状になる。加えて少しでも粗相があればレギオンの側からも切られかねない。

 

 それほどまでに危ういタイトロープの上で成り立っている虚飾の地位だ。何が連鎖反応して追われるのか分かったものではない。

 

「いいか? 三分って言ったが、てめぇを独房に叩き込むのにも時間がかかるんだよ。こっから牢獄まで軽く二十分だ。合計二十三分は絶対に必要って話なのは分かってるよな? 人間型端末さんよ」

 

「分かっているとも。だが全工程を終えるまでここを離れるわけにはいかないんだ」

 

「……トチったのはオレのほうか? こんな危うい事なんてしなくたって御曹司の叔父のポジションだけで安泰じゃねぇか。クソッ! あんまし首突っ込むもんでもねぇよなぁ」

 

「あと、一分」

 

「限界だ。こっから先は縛り付けてでも連れて行くぜ」

 

 情報管制室に押し入った瞬間、水無瀬の瞳がぼうっと赤く浮かび上がった。途端、全ての電気系統が暗く沈む。

 

 突然の停電に誰もが困惑している様子であった。

 

「何だ? 停電……!」

 

「システムが全部停止している。バックアップを急げ!」

 

 そこいらかしこで起こる悲鳴を耳にしながら、水無瀬が歩み寄ってくるのをガエルは呆然と眺めていた。

 

「これに時間がかかってしまった。ここから逃げるのに二十分は必要なのだろう? 誰にも会わずに二十分、それは不可能に近い。ではどうするか。システムに異常を発生させ、全員の視線を釘付けにする。それで二十分……いや、一時間は稼げるか」

 

 涼しげな様子で水無瀬は廊下へと歩み出ていく。ガエルが立ち竦んでいると、彼は振り返って肩を竦めた。

 

「どうした? 急いでいるんだろう? まぁ、急ぐまでもないがね。一時間、ゆっくりと話しながらでも帰れる」

 

 ガエルは改めてこの男の底知れなさを感じていた。どうやらブルブラッドキャリアの構成員というのはやはり嘘ではないらしい。

 

「……油断ならねぇな。てめぇ、本気になればゾル国軍部のコンピュータくらいワケねぇって事かよ」

 

「一時的な掻き乱しに過ぎない。二度はないだろう」

 

「そう言うってこたぁ、きっちり取り出せたんだろうな? 情報を」

 

 水無瀬はこめかみを突き、口角を吊り上げた。

 

「無論。君にも分かりやすく共有出来るように別端末にも保存しておいた。これであの独房で話し合いが出来るというわけだ」

 

 そこまで加味して三時間、というわけか。むしろ三時間で全ての情報が掻き集められた事に驚嘆すら覚える。

 

「話しながらでも」

 

「廊下のカメラは既にハッキングされている。わたしと君は映像に映りさえしない」

 

「そりゃ結構。じゃあ、聞くが、奴さんの尻尾くらいは掴めたんだろうな?」

 

「君の言う、レギオンなる組織か。わたしも驚いたよ。まさか地上にこれほどの隠密性と、情報の加速度を可能にする組織が存在したなど。このような存在がいると仮定していればブルブラッドキャリアはもう少し慎重になっただろう」

 

「能書きはいい。さっさと本題に移りな」

 

 では、と水無瀬は咳払いする。

 

「レギオン、という組織は公式には存在しない」

 

 その前置きにガエルは舌打ちする。

 

「意味が分からねぇ」

 

「噛み砕こうか。レギオンと名乗っている一部の人間はいても、彼らは全にして一。一にして全。末端を潰したところで復活する。どこまで行ってもトカゲの尻尾切りが通用する組織だ」

 

「そんなもん、あるとは思えねぇが」

 

「君に接触した将校、あれはゾル国の人間だ。それは間違いない」

 

 そこまで掴めているのか。ガエルはまだ自分に度々無理難題を吹っかける将校の存在すら明かしていなかったのに。

 

「そいつは初耳だな」

 

「そうか? 《バーゴイル》の亜種に、廃棄された艦。これらの事実を統合すれば何も難しい帰結ではないと思うが」

 

 やはり《バーゴイルシザー》はゾル国の機体であったのか。しかし、だとすればどこで、どうやって建造されたのか。

 

 あれほどの性能の機体を自分のような一戦争屋に預けるというだけでも相当な手続きが必要なはずだ。新型機の製造ラインは全て抑えられているはず。それに毎回壊して帰ってくるのに修繕費や整備スタッフはどこから掻っ攫ってきた? 依然として疑問が残る。

 

 その沈黙を悟ったのか、水無瀬は言葉を発していた。

 

「解せない、とでも言いたげだな。分かるとも。あらゆる事象が、一枚岩ではない事を示している」

 

「誰が何の酔狂でそんな組織をでっち上げた? どう考えたってそりゃ、世界規模の組織だろ?」

 

 その問いに水無瀬は失笑を浮かべて言いやる。

 

「誤解があるようだから言っておこう。レギオンは正しくは組織ではない。あれはただの個人の総体だ。あるいは、大勢であるがゆえに、か。聖書だな」

 

「てめぇだけ納得してんじゃねぇよ。どういう意味だ? 組織立った動きじゃなくってどうやってここまでかく乱出来る?」

 

「それこそ、盲点という奴だ。ガエル・ローレンツ。世界を構築しているのは何も一部の天才だけではない」

 

 自身の本名を言い当てた水無瀬は確実に真実へと肉迫しているのだろう。だが、彼もまたレギオンに取り込まれたような事を言うものだからガエルの脳内はこんがらがっていた。

 

「……分かりやすく話せ、マヌケ。鉛弾が欲しいのか?」

 

「そうだな。君に空けられた脚の風穴はまだジクジクと痛む。これ以上身体に穴を増やしても何の得にもならない。真実だけを話そう。レギオンは何も特別な事をしているわけではない。いや、むしろ逆と言ってもいいだろう。彼らは才能ある人間でもましてや特別な境遇にある存在でもない。全くの、反対だ。彼らは凡人の代表格なんだ」

 

 評されてもそれがどのような意味を持つのかガエルには瞬時に理解は出来なかった。水無瀬はそうと分かりながらも言葉を継ぐ。

 

「恐ろしい事だ。確かに、世の中、九十九パーセントの人間は凡人にカテゴリーされる。群集、集団、エキストラ。だが彼らなくして、天才は存在し得ない。天才の生み出した技術を最も駆使するのは同じく天才ではなく、九割を超える凡才なのだ。彼らはそれを利用した」

 

「おい、おい待てよ。どういう意味だ、そりゃ。だって連中は特別なネットワークを持ってるんだぞ。それに、どう足掻いたってそこいらの人間じゃ手に入れられない、人機に地位、これをどう説明する?」

 

「分からないのか。それこそが逆転の構図だと」

 

 視線を振り向けた水無瀬の声音は僅かに震えている。

 

「逆転……。どういうこった」

 

「人は、ほとんどが大きな出来事の前に何も成さずに死んでいく。しかし、死んでいく九割の人間が自らの役割を自覚し、その役割のみに沿った行動を取ったとすれば、どうなると思う?」

 

「そりゃ……最適なんじゃねぇか?」

 

 ガエルの答えに水無瀬は首肯する。

 

「そう、最適だ。だが誰しもその最適、最善を理解して生きているわけではない。否、理解出来ても実効は出来ないだろう。しかし、時と技術がそれを可能にした。人はそれぞれに運命を背負っている。その運命を自覚し、自分の成すべき事のみを可能にする。当然の帰結だ。可能な事をただ行っているだけ。だというのに、それが九十パーセント以上の群集による集団実効力となれば、一人の天才が生み出した画期的な発明に勝る。……レギオンとは、よく言ったものだ。一人一人は微々たる存在だが、彼らが集まり、成すべき事を完全に理解し、実効に移した場合、それは大きなうねりとなる。君にもたらされた《バーゴイルシザー》、それにガエル・シーザーという身分。それらも全て、管理する人間一人では不可能だが、全員が自分に可能な範囲を理解し、不可能な範囲には全く手を出さなければ、それは完璧な統率と言える」

 

 水無瀬の言葉の前にガエルは絶句していた。自分が脅威だと思っていた組織、それらが実のところ組織でも何でもなく、ただの群集であったなど信じられるものか。

 

「……つまり、あれかい。レギオンってのは特定の組織と、組織名を示すんじゃなく……」

 

「この星に住まう、全ての生命の事を示している。無論、人間が主軸ではあるが、彼ら全体の実効力は最早、人類のそれを超えるであろう。僻地に住む者から中央に住む者まで、彼らの生息域は限りなく広い。惑星規模だ。ブルブラッドキャリアと敵対するのに、最も相応しい組織……否、総体かもしれないな」

 

 自分を操っていたのは人類という総体。だがそのような事、すぐには飲み込めるはずもない。

 

「……あまりに、突飛過ぎる」

 

「わたしもうろたえているよ。こんな事が可能であったのか、と。だが、彼らはとても静かだ。ゾル国のように強硬姿勢を取るでもなく、C連合のように牙を研ぐでもなく、ましてやブルーガーデンのように秘密主義なわけでもない。全員が己に課せられた使命を全うする事のみを考えている。そこには国家の縛りはなく、人間という存在の抑止力のみが発生する」

 

 とんでもない話であった。何億人もいる人間、それそのものが自覚的であれ無自覚であれレギオンの構成員。

 

 つまり自分に接触してくる将校を殺したところで、あるいはカイルへの態度をどれほど変えたところで、人類という大きなうねりの前には何もかも意味を無さないというわけだ。

 

 ガエルは覚えず笑みが漏れた。ここまで途方もない存在が相手だったとなるともう笑うしかない。

 

「なんてこった……、こいつは人類史をどうこうするレベルじゃねぇか。何で一介の戦争屋を正義の味方に仕立て上げられるとずっと考えていたが、確かに可能だ。全員が全員、観客でありスタッフの出来レース。そうなっちまえば正義の味方一人を仕立てる事くらいワケねぇよな」

 

 額を押さえてガエルは高笑いを上げる。さすがに水無瀬が制した。

 

「ガエル・ローレンツ。大丈夫なのか?」

 

「……何がだよ、クソッタレ。そういう事なんだろ? だったら、もう腹括るっきゃねぇ。オレもてめぇも、もう踊らされてるのさ。人類史、っていう大きな舞台でな」

 

 踊っている事に気づかぬ間に、誰しも舞台役者という事実。異端者はさしずめブルブラッドキャリアのみ。

 

 国家という枠組みを超えた組織であろうというのは予測出来た。しかし、人類そのものが無意識下に組織に属しているなど誰が思いつこう。

 

「この情報、トップレベルの機密だろうな」

 

「それが……驚くべき事に機密レベルでは遥かに低い。つまり、この時点で誰かしらが気づく事さえも彼らは読んでいたようだ」

 

 どこまでも人を嘗めたような連中だ。他人の人生を完全にコントロールしようというのか。

 

「……気に食わねぇな」

 

「わたしも同意見だ。これはあまりに驕りが過ぎる。人類という種そのものの罪……罪悪か」

 

「別にエコロジーだとか星がどうだとか、ンな事はどうだっていいけれどよ、戦争屋のケツを叩いてやっているにしちゃ、随分と馬鹿デカイ話だ。こいつら、支配階級をどうにしかしようだとか、そういう野心はねぇのか?」

 

「野心があれば取り入りもしやすいのだが、彼らは集団無意識だ。野心など存在するはずもない。人生において敷かれたレールがあるとして、そのレールを淀みなく、規定された時間に、規定された速度で通ればいいだけだと提唱する組織……。これは人の可能性を閉ざす行為だろう」

 

「ブルブラッドキャリアの回し者としちゃ面白くもねぇか」

 

「当然だ。彼らは全員が支配階級への反逆など一片も考えていまい。支配と抑圧、それらを是とした人間の、何の当たり障りもない、人生を生きるだけという動き。……単純に吐き気を催す。人が、努力もせず、かといって怠る事もなく、何の特別性もない人生を送るだけが、結局のところ全ての幸福に繋がってくるなど」

 

「抵抗して、足掻いたてめぇらとしちゃ一番の敵みたいなもんだな」

 

 水無瀬はこちらへと鋭い一瞥を投げる。レギオンへの敵意が形となっているかのようであった。

 

「ガエル・ローレンツ。君はどう見る? この集団の無意識の悪意。これを是とするか。それとも歯向かうか」

 

 ガエルは熟考を挟んだ。レギオンに従っていれば、何の不利益もないだろう。自分は最適と最善に守られ、正義の味方になるのも不都合はない。誰に怯える事もない平穏な生活。安寧と惰弱に塗れた、人の世。

 

「……駄目だな。オレは刺激が欲しくって戦争屋やってんだ。だって言うのに、連中の行き方は逆だ、逆。提供された刺激のみに生きるのは機械と同じだってのも分かりゃしねぇ。電気信号の夢の中で眠っていたけりゃてめぇらでヨロシクしてろ。オレは培養液の脳になるつもりはねぇよ。こいつらを這い蹲らせる。そう決めた。レギオンってのが惑星そのものの意思だってんなら、オレの目的は一つだ。この星を、オレの支配下に置く」

 

 どこまでも悪に徹してみせよう。その発言に水無瀬が乾いた拍手を送った。

 

「戦争屋、世界の悪を自称する人間の所信表明には百点満点だ。いいだろう。君の作りたがっている世界、興味が湧いた」

 

「ンだよ、酔狂だな。てめぇ、惑星に害意を成す側だろ?」

 

「害意も善意も紙一重さ。わたしは君につく事にしよう。どうせ、ブルブラッドキャリアからは切られたも同然。どこで食い扶持を稼ぐのか考えていたところだった。ゾル国でもC連合でも構わなかったが、世界を手にしようという個人というのもなかなかに……興味深い」

 

 ガエルはケッと毒づく。水無瀬がいつ裏切るとも知れない。しかし、この星に棲む人間達に比べれば随分と信用は出来るだろう。

 

「待ってな。今に、てめぇの見たい景色を用意してやんよ。その時、オレの横にいるかどうかは」

 

「そこまでの保障は必要ない。ただ、君の言う刺激とやら、身を任せたくなるほどに魅力的だ。わたしは人間型端末として、使い潰される予定であった存在。どうせ、モリビトの味方として一生を終えるくらいならば、悪にもなってやろう」

 

 ガエルは鼻を鳴らし、水無瀬に冷笑を浴びせる。

 

「てめぇも根っからの悪人だな」

 

「知らなかったのかね?」

 

 問い返した水無瀬にガエルは静かに言いやった。

 

「敵は世界、か。面白くなってきやがった」

 

 見据えるべき標的を狙いつけた獣は野に放たれた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯107 帰る場所

 

《ノエルカルテット》の飛翔速度は三機の中で遥かに勝っている。だからか、リバウンドの皮膜に一番に触れたのも三号機であった。

 

 両腕を掲げ、星を覆う虹の原罪に触れる。直後、皮膜が中和され虫食いのように穴が空いた。

 

『降りるのは簡単だろうけれど上がるのは《ノエルカルテット》の援護なしでは不可能』

 

 桃の言葉をコックピットで聞きつつ、鉄菜は空間戦闘用に《シルヴァリンク》を調整していた。地上重力下とはまるで違うはず。書き換え作業の最中、彩芽の通信回線が開いた。

 

『皮肉なものね。わたくし達全員が結託しないと宇宙にも上がれないなんて』

 

「最初からモリビト三機によるオペレーションは加味されていたのだろう。そうでなければ何のためにモリビトは三機に分かれているのか」

 

『それ、あんたが言う? クロ』

 

 一番に輪を乱していたのは自分だ。返ってきた声音に彩芽が微かに笑った。

 

『ね。でも鉄菜、宇宙に上がるのに何の反対も挟まなかったわね』

 

「私の一意見など組織の前では些事だ。何よりも本隊の危機は無視出来ない」

 

『でも、それが仕組まれていないとも限らない』

 

 どこか桃と彩芽はブルブラッドキャリアに疑念を抱いているようであった。それは自分一人の作戦実効を示した事からも明らかだろう。

 

 組織の求めるものが分からなくなっている。そのためにも一度上がるべきだと鉄菜は考えていた。組織は変わらず報復作戦をモリビトに執行させ続けるつもりなのか。あるいは別の道を模索しつつあるのか。

 

 いずれにせよ、ブルブラッドキャリア本隊に意見は仰がなくてはならない。疑惑が出てきたこの機に宇宙へ、というのは渡りに船でもある。

 

『しかし、《ノエルカルテット》に担がれているようなものね』

 

《シルヴァリンク》と《インペルベイン》は《ノエルカルテット》に連結し、フルスペックモードを内包したコンテナへと収納されていた。

 

 元々、《ノエルカルテット》が持ち帰ったコンテナのうち、二つは空きコンテナであった。それはこのような事態を加味しての事なのだという。

 

『感謝してよね。モモと《ノエルカルテット》がいないと、アヤ姉もクロも地上でずっと腐っているばっかりよ』

 

『はいはい。桃には充分に感謝しているわ』

 

『それ、感謝していない人間の言い分じゃん』

 

 どこか、自分がいない間に桃と彩芽の間には新たなものが芽生えているようであった。その関わり合いをどう表現するのか鉄菜には不明のままであったが。

 

『鉄菜、黙っているって事は、貴女にも何か考えがあるって思ったほうがいいのかしら』

 

 直通回線で彩芽が質問してくる。鉄菜は桃の三号機との通信を一度ミュート設定した。

 

「……私がやった事に対するお咎めがあるとすれば、それは本隊合流時だ」

 

『なるほどね。《シルヴァリンク》を降ろされるかも、って思ってるわけか』

 

 ブルーガーデンに関して言えば完全な失態に等しい。プラント設備の破壊工作どころか、人の棲めない領域をまたも増やしてしまった。

 

「落ち度は正しく理解するべきだ。私は罰を与えられても仕方がないと思っている」

 

『それほどの殊勝さが、わたくし達を切った時にも欲しかったわ』

 

 耳に痛かったが今は認めている場合でもない。二号機を降ろされる。それは自分の実力不足以上に、この「鉄菜・ノヴァリス」という存在の全否定だ。それだけは避けなければならない。しかし、桃と彩芽が証言してしまえば、自分への処罰は確実になるだろう。

 

 かといって彼女らを消すような心持ちではもうない。どこかで自分もぬるくなったのだと実感する。

 

『鉄菜、二号機を降ろされる事なんてないマジ。AIサポーターがしっかり証言すれば、きっと……』

 

「気休めだ。何よりも私がお前を操作したと言う疑いが濃くなる。何もしないほうがマシかもしれない」

 

『そんなの……! 鉄菜らしくないマジよ!』

 

「私らしい……? 私らしいとは何だ? 何がこの鉄菜・ノヴァリスの存在を確かにしている。私の事が、どこまでお前に分かるというんだ」

 

 そこまで言えばジロウは自然と黙りこくった。自分でも妙な感覚だ。AIと言い合いをしても仕方がないのは分かっているのに。

 

『鉄菜、わたくし達が二号機を降ろそうと動くように思っている?』

 

「今までのようなイレギュラーを生じさせないのには必要な処置だ。覚悟はしている」

 

 その言葉に彩芽はどこかうろたえがちに応じていた。

 

『……勘違いしないで。鉄菜、今回の事、確かに反省はして欲しい。でも、貴女に操主をやめて欲しいとまでは言わない。むしろ、逆かもしれない。ここまで分かってくれた貴女を、もう二度と二号機から離しちゃいけないんだと思う』

 

「それは非合理的な判断だ。私の行動には大きな欠陥が多い。欠点を抱えたシステムを使い続けるよりかは、新しいシステムに切り替えたほうがいくらか合理的と言える。私は自分のシステム的不合理を見過ごせるほど、モリビトと執行者という使命に――」

 

『やめて、鉄菜。わたくし、そんな事を言っているんじゃないわ』

 

 遮られた言葉に鉄菜は首を傾げるばかりであった。自分が二号機から離れるのはブルブラッドキャリア全体から考えれば何もおかしな事ではない。むしろあり得る可能性なのだ。

 

 それを自分から列挙すれば今度はやめろと言われる。実に分かり難い事であった。

 

「彩芽・サギサカ。私の言っている事がおかしいとは思えない」

 

『おかしくはないわ。でもね、鉄菜、それでも通したい意地があるのなら通しなさい。そんな、組織のためだとか、大義だとかはいいの。貴女のやりたい事をして欲しいだけなの』

 

「私のやりたい事など……」

 

『リバウンドフィールド中和完了、このまま一気に押し上げるわ』

 

 桃の声が響き、会話は一旦中断となった。胃の腑にかかる重力を感じつつ、鉄菜はコンテナ外部に装着されたカメラから惑星軌道を離れていくのを目にしていた。

 

 ぐんぐんと遠くなる地上。青く汚染された星の重力の投網から外れ、今に常闇の宇宙へと身を任せていくのが感じられる。

 

 無重力の感覚が身体を押し込んだ途端、桃から通信回線が開く。

 

『アヤ姉、クロ、《ノエルカルテット》は重力圏から離れるために血塊炉を二つ、消費したわ。今の《ノエルカルテット》に対人機の戦闘能力はない。血塊炉の貧血状態が自動回復するまで三十分は最低でもかかる。その間、もし仕掛けてくる連中がいたら用心して』

 

『四基の血塊炉を持っている三号機でも、さすがに重力から離れるのには苦労する、ってわけか』

 

『そーいう事。前も待ち伏せされていたわ。宇宙だからって安心は出来ない』

 

「重々承知だ。ここから廃棄資源衛星まで、水先案内人を任せられていないとも限らない」

 

 モリビトの帰投ルートを追われればそこまでである。鉄菜はコンテナのシャッターを開き、《シルヴァリンク》を起動させた。

 

 それと同じくして《インペルベイン》もコンテナから飛び出す。二機が同じように《ノエルカルテット》を押し出し、推進剤を焚かせた。

 

『助かるわ、二人とも。前はこんなのなかったからね』

 

『重力から解き放ってくれたのに比べればお安い御用よ』

 

「桃・リップバーン。前回……つまりフルスペックモード取得時にもこのような状態に陥ったのか」

 

 その質問に桃は頬を掻く。

 

『なったけれど、でもどうして?』

 

「その場合、対人機戦は不可能だと先ほど言ったな。どうやって切り抜けた?」

 

 余計なお世話だったのかもしれない。だが情報の共有はされるべきだ。

 

 桃は逡巡の間を置いてから応じていた。

 

「……《ノエルカルテット》には他にも装備があるの。奥の手だけれどね」

 

「封印武装か」

 

『ま、似たようなもの』

 

 どこかはぐらかされたかのような気分だ。追及する前に彩芽が言葉を差し挟む。

 

『いいんじゃない? 隠し事の一つや二つくらい』

 

 裏切った自分が言及出来る事ではない。そう言われてしまえばそこまでである。鉄菜は言葉を仕舞った。

 

 資源衛星までのルートは大まかにしか分かっていない。どうして人類は大量のデブリと採掘資源に溢れた宇宙への開拓を怠ったのか。鉄菜は周囲を漂うデブリ帯に疑問を抱いていた。

 

「しかし、どうして資源採掘衛星には全く手を出していないんだ。惑星内で自給自足が出来るからか」

 

『あら? 鉄菜知らなかった? 百五十年前の罪悪より先、宇宙空間における採掘はタブー視されているのよ』

 

 彩芽の返答に鉄菜は尋ね返す。

 

「同じような過ちを繰り返すからか」

 

『それもあるけれど、宇宙にまで進出してまともに戦える人機がなかったのもあるわね。ナナツーとロンド系列じゃ、宇宙空間における戦闘には不向きなのよ。唯一まともなのは《バーゴイル》くらいだけれど、その《バーゴイル》だって空間戦闘のノウハウは失われて久しい』

 

「元々、宇宙で戦うようには出来ていないのか、人機は」

 

 地上で人間同士の諍いのためだけに造られた兵器。それを宇宙にまで持ち込むのは気が引けるからか、とも考えていたが、どうにも理由は合理的らしい。

 

『血塊炉がもし、貧血状態を起こしたら宇宙じゃ補給も出来ないからでしょ? その危険性をどうするかという命題と、地上での冷戦、どっちに比重を置くか考えるまでもない事じゃない?』

 

 モリビト三機がようやく可能にした補給ありきの戦い。それは既存の人機には不可能な領域であった。

 

 空間戦闘で破損、あるいは貧血に陥った場合の想定をしてこなかったのだ。

 

「艦隊レベルの代物は宇宙に出すのにはまだ技術が足りないか」

 

『一時期は星を渡る船もあったみたいだけれど、それも過去の産物よね。宇宙で地上と同じかあるいはそれ以上に戦う手段はないに等しいのよ』

 

 鉄菜は全天候周モニターの一角を叩く。出現した通信回線に暗号通信を打ち込んだ。ここから先の資源衛星のどこにブルブラッドキャリア本隊が潜んでいるのか、自分達もギリギリまで知らされていないのだ。

 

 だからこちらから通信を打ち、位置を知らせる事で初めて相手から招き入れられる。

 

 デブリの漂う宙域で、不意に光の道標が開いた。

 

 ガイドビーコンである。放ったのはただ目視しているだけでは絶対に見つけられないであろう、何の変哲もない資源衛星であった。

 

 ガイドビーコンに沿って《ノエルカルテット》を先頭に衛星内部へと入っていく。シャッターがにわかに開き、モリビト三機を迎え入れた。

 

 気密が施され、整備デッキに降り立つ。無重力地帯なのは変わらない。だが、宇宙服を身に纏った人は活動可能であった。

 

 三機に取り付いた人々は整備士だろうか。それぞれのモリビトのハードポイントを理解しており、デッキへと誘導する。

 

 鉄菜を含め、三人はそれぞれのモリビトを整備ハンガーに移動させた。

 

 整備中のサインが明滅し、鉄菜へと通信が振りかけられる。

 

『お疲れ様です、ブルブラッドキャリアの執行者の三人』

 

 リニアシートのベルトを外し、鉄菜はコックピットハッチを開く。浮遊して来たのは一人の女性整備士だった。

 

「ここまでの旅路、お疲れ様。疲れているでしょう? セーフルームを用意しているから休んでいきなさい」

 

 鉄菜には馴染みのない顔だ。女性はヘルメットを外し彩芽へと近づいていった。

 

 頭部コックピットから出てきた彩芽がハイタッチする。

 

「久しぶり、お姉様」

 

「その呼び方やめなさい。もしかしてまだ、他人にもそう呼ばせているクチ?」

 

 朱色の髪を一つ結びにした女性は彩芽の肩に手を置いた。

 

「だって、お姉様が教えてくれたんじゃない。そう呼ばせろって」

 

「昔の話よ。一号機も無事に帰ってこられてよかった」

 

「《インペルベイン》も、ルイも優秀よ」

 

「アヤ姉ー! それは誰?」

 

 桃が慣れない無重力に晒されつつ、ワンピースのスカートの裾を押さえつける。

 

「紹介するわ。わたくし達のモリビトの専属整備士」

 

「ニナイよ。よろしく。あなた達のモリビトを任せられている。二号機操主と三号機操主とは、時期の都合で会った事はなかったね」

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》のコックピットハッチに足を引っかけつつ、ジロウへと検索させる。

 

 ジロウがその名前をすぐに呼び出した。どうやら後ろ暗い人間ではないようだ。専属整備士という役職は確かに存在する。

 

「へぇ、じゃあ偉いんだ?」

 

「偉くはないけれど、モリビトの事に関しては一任されている。みんな! 惑星に降りて疲れているモリビトを万全にするよ!」

 

 整備士達がそれぞれモリビトへと押し寄せる。鉄菜は反射的にホルスターのアルファーへと手を伸ばしかけた。

 

「鉄菜、心配は要らないわ。ここはブルブラッドキャリア本隊よ」

 

「だからこそだ。救難信号を得た。あれはどういう意味か」

 

 鉄菜の様子にニナイは彩芽へと視線を流す。

 

「ゴメンね、ああいう子なの」

 

「ああ、どうりで。救難信号についてはこっちの管轄じゃないから。あなた達三人のそれぞれの監査官が存在する。彼らに話を聞くといい」

 

《シルヴァリンク》のハードポイントへと端末が接続されていく。いい気分ではなかったが、整備に必要と言われれば静観するしかない。

 

「鉄菜、こっちへ。監査官に会わないと」

 

 無重力のデッキを流れていく彩芽に鉄菜は嘆息を漏らす。

 

「彩芽・サギサカは慣れているようだ」

 

「そりゃ、アヤ姉は最初のモリビトの操主だから。ここにいた時間も長かったんでしょ」

 

 浮遊してきた桃に鉄菜は睨みを利かせる。

 

「いい加減、Rスーツを着ればいいものを。まだそんな格好だったのか」

 

「モモはあれ、キライだって言ったでしょ。蒸れるし、ずっと着てなきゃいけないし」

 

「だがここから先の戦いでは、今までのように嘗めた事は出来ない」

 

「そりゃ、そうかもね。でも、クロ、監査官とかさ、会った事ある?」

 

 妙な事を聞くものだ。鉄菜は言い返す。

 

「監査官に私達は見出されて操主になったはずだ。……違うのか?」

 

「モモはちょっと特殊だったから。監査官ってのには会った事ないかも」

 

「では誰が操主選定を行った?」

 

「グランマと《ノエルカルテット》よ。モモは三号機そのものに選ばれたの」

 

 振り返る桃の眼差しの先には真っ先に整備を受ける《ノエルカルテット》の姿があった。

 

 三号機そのものが選出した、という意味は不明だが、特殊OSであるグランマの内情をそういえば自分はほとんど知らないままだ。

 

「そう、か」

 

「クロは、《シルヴァリンク》と長いわけじゃないの?」

 

「完成が遅かったからな。ロールアウトしてすぐに搭乗した。それ以前の記憶は……恐らくはない」

 

 恐らくはと付け足したのは時折脳裏を掠めるイメージがあったからだ。だが、あれが夢なのかあるいは経験した現実なのか判然としないままである。

 

「ホントに突貫工事だったのね。よくそれでモリビトを使いこなせている」

 

「使いこなせていれば、もっとうまくやっている。私はまだまだだ」

 

「……案外、殊勝ね。もっと話したいけれど、呼ばれているみたい」

 

 桃の手首に巻いた通信端末が明滅している。ワンピース姿を翻させて桃は整備デッキを抜けていった。

 

 鉄菜は整備を受ける愛機を目にしながら、ふと考える。

 

 何のために組織は自分達を呼び戻したのか。救難信号を発したのは、罠でも何でもないのだろうか。

 

 水無瀬、という裏切り者の事まで加味しての行動なのだとすれば、本隊から自分達の行動は筒抜けという事になる。モリビトに逆探知でもつけられているのかもしれない。

 

 だとすれば現状進みつつある整備そのものへの不信に繋がるのだが、鉄菜は深く考えるのをやめておいた。いずれにせよ、今は整備を受けなければ次の戦いへの備えも出来ないだろう。

 

 降り立った鉄菜は一人の白衣姿の男を視野に入れた。癖の強い茶髪である。

 

「帰った来たんだね。二号機操主。いや、今は鉄菜・ノヴァリスか」

 

 男に見知った感覚はない。記憶の中にも男の姿は存在しない。

 

「誰だ、お前は」

 

 その対応に男は肩を竦める。

 

「誰だ、と来たか。まぁ当然かもしれない。君の記憶野に存在しない人間かもしれないからね」

 

「誰だと訊いている」

 

 男は芝居ぶった仕草で言いやった。

 

「君の主治医であったつもりだが、記憶から抹消されているのか。ドクトルリードマンだ。鉄菜・ノヴァリス。第三段階より先の君の担当者からは外されたが、今回、改めて君を担当する事になった」

 

「私は何も聞いていない」

 

「アルマジロウは言ってこなかったかい? 何も?」

 

 ジロウの事を知っているだけで重要参考人物レベルだ。鉄菜は覚えず身構えていた。

 

「……話というのは」

 

「構えるなよ。まずはラボに来るといい。君は知る必要がある。君自身の生い立ちを」

 

「今さら何を。私に、何を教えるというんだ」

 

 リードマンは白衣を翻し、フッと笑みを浮かべた。

 

「君の全てを。その始まりを」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯108 災禍の予兆

「ねぇ、お姉様、やっぱり無理があったんじゃないかしら」

 

 彩芽が切り出すとニナイはそうかもね、と返した。彼女は電子煙草を取り出し、口元にくわえてみせる。

 

 彩芽は眉をひそめた。

 

「まだやめてなかったの?」

 

「火気厳禁だから余計に酷くなっちゃった感じかな。この宇宙空間では吸えるものも吸えないし」

 

「単刀直入に言うわ。わたくし達を呼び戻した理由は何?」

 

「何と言われても。救難信号の通りだとしか」

 

「でも、大挙として敵が押し寄せるにしては、この宙域は静かよ」

 

 ニナイは足を止め、壁に寄りかかった。彼女の視線の先で子供達が球技を楽しんでいる。

 

「……様変わりしたね、彩芽」

 

「そう? 何も変わったつもりはないけれど」

 

「地上に降りて三分の一サイクルが経とうとしている。そりゃ変わるか」

 

 彩芽は子供達の遊戯に目をやりつつ、変わった自分というのを探そうとした。だが、見つけられない。何も変わったつもりなどないからだ。

 

「……鉄菜のせいかも」

 

「彼女が変えた、か。しかし二号機操主は地上への降下作戦時にミスを犯している」

 

「やっぱり、鉄菜から二号機を奪うつもりなの?」

 

 ニナイはこちらを見やり、フッと笑みを浮かべた。

 

「そんな意地悪に見える?」

 

「少なくとも、わたくしの知るブルブラッドキャリアならやりかねない」

 

「そうかもね。最初のモリビトの操主。破滅への引き金を引く事を許された、最初期の操主選定実験の……被害者だもの」

 

 最初期の操主を選び抜いたあの戦い。どれほど地上で遠く離れたところで忘れる事など出来ない鮮烈な記憶。

 

「……引き金を引いたの、後悔はしていない」

 

「後悔なんてさせる暇なんてなかった。最初の操主を選ぶのに、あなた達は地上から無理やり連れてこられ、そして殺し合わされた。憎んでも憎み切れないでしょう。組織の事を」

 

「ブルブラッドキャリアの執行者としての領分は守るわ」

 

「執行者として冷酷になれる、というわけか。ルイは? 調子はどう?」

 

 手首の端末からルイが浮かび上がり、ニナイの手を跳ね除けようとする。やはり自分のAIは最も強い部分で似通っていた。

 

「……嫌われ者だな」

 

「ごめんなさい、ニナイ。ルイはわたくしの感情をシンプルに読み込むから」

 

「シンプルな感情のはけ口は戦いか。なるほど。ブルブラッドキャリアの執行者としては正しい在り方だ」

 

 子供達がボールを放り投げる。サッカーゴールへと一人がドリブルを始めた。

 

「この子達は、自分達のいる環境を疑問視する事なんてないのよね」

 

「だね。第二世代の操主候補生達だ。彩芽や二号機操主、あるいは三号機操主でさえも彼ら彼女らの前では時代遅れだろう」

 

 彩芽は子供達の庭園を囲っている強化ガラスへと手を伸ばした。少年少女らは管理された庭園で無邪気に遊んでいる。いずれ試される時が来るなど知る由もないのだろう。

 

「……わたくしにやったような事、もう彼らには」

 

「やらないよ。あれはあまりに前時代的だった。組織は反省もしている」

 

「そう、でも反省はしても人は繰り返す」

 

「地上で見聞は広めてきたみたいね。あるいは嫌でも思い知らされた? 人間がどれほどまでに愚かなのかを」

 

 青く汚染された大地。生物の息吹さえも感じさせない母なる海。どれもこれも、人の原罪の象徴でしかない。

 

「あんな場所に、落とされたのが人間なのね」

 

「自分から堕ちたとも言う。それとも、もっと希望を抱いていた? 地上はここよりかはマシかもしれない、と」

 

「どこかでね。でも、そんな都合のいい話なんてなかった。どこへ行っても争いがついて回る」

 

 ニナイは手を翳し、彼らを照らし出す人工太陽に目を細めた。

 

「こんな資源採掘衛星が世界の全てだと思い込んだまま死ぬか、それとも世界の広さを知った上で絶望するか、どちらが残酷だと思う?」

 

 やはり組織は根底の部分では変わっていないのだ。自分と他の操主候補を分けたように、血で贖うしかこの宿命を終わらせる事は出来ないだろう。

 

「……どっちも、残酷よ」

 

「彩芽、今回の作戦の詳細を説明する。ついて来て」

 

 もう子供達に関心はないようであった。彩芽は子供達の球技を視線の中に入れつつ、ニナイの背中に続く。

 

 ここで撃ち殺してしまえれば、と考えてしまった己に、自分もまた汚く成長してしまったのだと実感する。

 

 暴力と殺し殺されこそが世界において最もシンプルなのだと、どこかで判断してしまっているのだ。

 

 何よりも彼女を殺したところで何の解決もしない。ブルブラッドキャリアは禍根を残しつつ、同じ所業を繰り返すのみだろう。

 

「彩芽、二号機操主も三号機操主も未熟だ。まだ、組織の何たるかを理解せず、また操主としても技術面で遥かに劣る。ファントムでさえも会得出来ない彼女らをどう利用するべきか、ブルブラッドキャリア上層部では意見が分かれている」

 

「三号機はあの重量ではファントムなんて無理よ。二号機もそう」

 

「どうかな。会得しようとしないだけかもしれない」

 

 試すような物言いに彩芽は嘆息をついた。

 

「……ハッキリ言えば? 一号機以外のオペレーション遂行に不安がある、って」

 

「そんな事を言えばお取り潰しになるのは目に見えている。何よりもせっかく三機いるんだ。無駄にする事はない」

 

 畢竟、人機のパーツとしてしか考えられていない。自分の心象次第で鉄菜や桃の処遇まで変えられてしまうのは納得いかなかった。

 

「鉄菜達は、モノじゃないのよ」

 

「ではあなたはモノでいいのかな? 彩芽」

 

 組織にとって都合のいい存在でいいのか。ニナイの言葉に彩芽は鋭く言い返す。

 

「もし、組織がそうとしか考えられないのなら、わたくしは今回の作戦を辞退する」

 

 ニナイが足を止める。本気だ、という眼差しを注ぐと、彼女は根負けしたように頭を振った。

 

「本気になるなよ。冗談だ」

 

 どうだか。どこまで冗談なのか分かったものではない。

 

「ゾル国ね」

 

「その根拠は?」

 

「ゾル国くらいしか、今の逆境で動けるはずがない」

 

「ブルーガーデンは崩壊した。他ならぬ二号機の手によって。しかしそれは、汚染域を広げる愚行とも取れなくはない」

 

「ブルーガーデンへの破壊工作はでも、組織の作戦に入っていたんじゃないの?」

 

「殊勝だね。二号機操主は口を割っていないのか」

 

「鉄菜を馬鹿にしないで。そこまで安くないわ、あの子だって」

 

 彩芽の口振りに、ニナイは微笑み返す。

 

「本当に、変わったよ、彩芽。それを自分で理解出来ていないだけなのか、あるいは、という話だな。《インペルベイン》に乗るうちに考えた方が変わったか」

 

「二号機と三号機を補佐しなくてはいけないんだもの。それなりに大人しくはなったかもしれないわね」

 

「大人しく、か。あの頃が懐かしいよ、彩芽。大人達へと憎悪と怨嗟の眼差ししかなかった、あの頃が」

 

 ニナイでさえも信じられなかった。自分はブルブラッドキャリア全体からしてみれば道具でしかなかったのだ。

 

「……わたくしを困惑させて、何をモニターしているって言うの? 今さら揺さぶりは通用しない」

 

「そうだね。今回の場合、頼み事をしているのはこちらだ。言葉を弄している場合でもない、か」

 

 ラボへと入るとニナイはデスクトップ上に投射画面を呼び出した。資源衛星宙域が三次元マップ上に再現される。

 

「ゾル国が仕掛けてくるのは八割方正確な情報だ。しかしどれほどの戦力で来るのかは未だ不明。そのためモリビト三機を召集した。《ノエルカルテット》のみを宇宙に戻せば地上での守りが手薄になる。ここは地上戦を捨てて、あえて宇宙に舞台を移させてもらった形だ」

 

 彩芽はニナイが顎でしゃくった椅子に座り込む。三次元マップには敵が攻めてくる場所の予測がされていた。

 

「この予測範囲は、ブルブラッドキャリアの」

 

「知っての通りかもしれないが、我々の有する最大規模のマザーコンピュータ、バベルの試算だ。ほぼ間違いないだろう」

 

 三号機と接続されている謎の多い機構だ。ここで三号機に関しての情報が開示されるかと思ったが、ニナイにその権限はないのか、それともあえてぼかしているのかは分からなかった。

 

 彼女は卓上の図面へと手を伸ばす。

 

「資源衛星への破壊工作は必ず阻止しなければならない。何より、ブルブラッドキャリア本隊への攻撃は予測されていたが、ここまで早いのは想定外であると上は考えている」

 

 どこまで悠長なのか。彩芽は鋭く切り込んだ。

 

「トウジャのデータは送ったでしょう? ああいうものがもう地上では出ているのよ」

 

「そのようだね。まさか封印されていた三機のうち、トウジャが開封されるのは予測にはなかった」

 

「でもモリビトの介入が人機開発を進めさせるのは分かっていた事でしょう?」

 

 彩芽の言葉にニナイは首肯する。

 

「それは予定されていた通りだ。だが、トウジャ、ひいてはキリビトまで出てくるとなれば、それは予測よりも遥かに速い成長であるとされる」

 

 キリビトのデータは予め送っておいた。本隊が知らないはずがない。彩芽は覚えず乗り出していた。

 

「何なの? キリビトという人機は。わたくし達もデータでしか知らない。鉄菜に至っては教えられてすらいなかった」

 

 ニナイは卓上の投射画面を切り替える。ブルーガーデンでモニターしたキリビトの三次元図が表示された。

 

 灰色の寸胴機。特徴的なのは通常人機の六倍はある巨体と、三角の鋭い推進機関。それ以外は自分が赴いた時には既に終わっていた。鉄菜からはまだ詳細を聞けていない。

 

「キリビトは……百五十年前、人機製造施設にて、建造された最新鋭の人機であった。それと同時に、三大禁忌として、モリビト、トウジャと共に地上の人々からは秘匿された存在でもある。彩芽、あなたの想定を聞きたい」

 

 鉄菜は何一つ話していない。だがあの状況から導き出される答えは限られていた。

 

「……汚染原因、なんじゃないかと思っている」

 

「ほう、汚染原因と来たか」

 

「キリビトの内包する血塊炉が他の人機と違う、という可能性。そのためキリビト一機の暴走で世界が破滅寸前へと大きく状況を進められた。それが百五十年前であり、現状でもあるのではないか、とわたくしは考えている」

 

 ニナイは笑みを浮かべ、何度か頷く。

 

「ある種、正解に近い。やはり賢明だね」

 

「でもそんな簡単でもないのかもしれない。キリビト一機をどうにかすれば、世界が変わるなんてそれこそ驕り。そんな単純なら、人は百五十年の間に惑星を取り戻す事だって出来たはず」

 

 キリビトの技術を意図的に封印し、あの汚染惑星を牛耳る必要性があった。そうでなければ、わざと技術体系を遅らせた意味がない。キリビトも、トウジャも、平和利用が不可能なほど愚かな発明ではない。無論、モリビトも同じだ。

 

 ニナイは執務机についてキリビトの三次元図を回転させた。緑色の淡い光のみが降り立ったラボの中、ニナイの吸う電気煙草が蛍火を放っている。

 

「人が愚かであった、だけでは説明出来ない事象か」

 

「キリビトを起動させた一味だってそう。ブルーガーデンは何を考えていたの? どうしてキリビトも、トウジャも、あの国家は持っていたって言うの?」

 

 ニナイは唇の前に指を持ってきた。

 

「どこに耳があるか分かったものじゃない。声を荒立てるな」

 

「それでも、不条理には不条理を言い続ける義務があるわ。キリビトの事も、トウジャの事も、組織は分かっていて放逐したんじゃないの? そうでなければこんなに早く、モリビトへの対抗策が練られるわけもない。それに、今回の救難信号だってそう。……ブルブラッドキャリアは何をさせたいの? わたくし達モリビトの執行者に」

 

 ニナイは嘆息をついて投射画面を手で払った。キリビトの像がぶれる。

 

「そう興奮するなよ。まだ帰ってきたばかりだ」

 

「わたくしは、こんな場所に長居するつもりはない」

 

「嫌われたものだね……。まぁ、仕方ない。あなたの素性を分かっていれば、自ずとその答えは見えていた。でも落ち着いて聞いて欲しい。そこまで組織は計算ずくではない。キリビトの事も、トウジャタイプの事も最低限しか分かっていなかった。当たり前だろう? こんな辺ぴな場所から常に惑星の最新情報を得続ける事は難しい」

 

「バベルがあるわ」

 

「それもここ最近の技術だよ。それに妙だとは思わなかったか? 三号機、バベルと直結しているあの機体でさえも、万能ではない事を」

 

 彩芽は言葉を詰まらせる。万能ではないマザーコンピュータ。それに委ねられた自分達の運命。組織は何もかも不明なまま、自分達を惑星へと放ったというのか。だが、それにしてはどこかで採算の合わない部分が大きい。

 

「……鉄菜は何も知らなかった。任務遂行しか、本当に頭にないみたいに」

 

「二号機操主の事、詳しくは知らないが、それが設計通りなのだとすれば、そうなのだろう。彼女は知らぬまま、《シルヴァリンク》と共に放たれた。全ては世界を変えるために。その一撃のためだけに。残酷なのだとすれば鉄菜・ノヴァリスとされている彼女自身もまだ、己の事を何一つ知らない。……知らないほうがいいのかもしれない」

 

「それは、鉄菜に、何も考えない戦闘マシーンになれって言いたいの」

 

「あくまで、彼女の担当官ではないから何も言えなけれど。彩芽の担当官だからね」

 

 彩芽は苦々しいものを感じつつ、ニナイへと質問を重ねる。

 

「来るとすればゾル国……でも《バーゴイル》なんてここの防衛機構でもどうにかなるんじゃ?」

 

「それがそうでもないかもしれない。ゾル国に潜り込ませていた諜報員からもたらされた情報よ。三時間前にだけれど」

 

 粗い画素で撮影されたそれは最大望遠のものであったが、これまでの人機とは一線を画していた。

 

 暴力の塊のように強大に膨れ上がった両腕。先端には牙を思わせる意匠がある。さらに頭部形状からしてその人機の種類は間違えようもない。

 

「トウジャ……?」

 

「トウジャタイプをゾル国が所有しているという情報はないけれど、他国の技術に遅れを取るまいと急ごしらえで造り上げたのかもしれない。どちらにせよ、これは重力圏で稼動するようには見えないというのが大方の見解」

 

「つまり、宇宙で試されると?」

 

「試金石にするのに、ブルブラッドキャリアの本拠地の情報……ここまで符合すればこれが仕掛けてくるのだと思ったほうがいい」

 

「……名称は」

 

「《グラトニートウジャ》、と呼称されているみたいね。どこまでやるのか分からないけれど、相当な脅威だと位置づけておいて」

 

「これを片づけさせるためだけに、モリビトを呼び戻したわけでもないでしょう」

 

 彩芽の勘にニナイは机に肘をつく。

 

「そうね。近々、大規模な戦闘があると推測される。そのためにモリビト三機を万全にしておきたい、というのと、やはり二号機操主の不手際を一度審議したい、というのが上の思想みたい」

 

「鉄菜を降ろすためにわざわざ呼んだって事」

 

「実際、モリビトの操主からしてみて、二号機操主がどれほどに作戦に支障を来たすレベルなのかを問い質したい、というのもある。報告書にして提出しろ、とも」

 

「鉄菜に不備なんてないわ。あの子はよくやっている」

 

「それは感情論だろう? そうではない、執行者として、冷静な判断力が求められている。それ以外は排除して、報告書の形にして提出。それがまず一つの任務」

 

 ニナイは手を払い、卓上の三次元投射映像を消し去った。話はここまでだと言うかのようである。

 

「わたくしを拘束しなくっていいの」

 

「拘束? 一番に安定性のある操主の自由を奪ったところで何になる? まぁ、担当官の権限でどうにでも出来るけれど、あなた自身、この場所でどう振る舞っても同じだという事は身に沁みているはずよ」

 

 彩芽は身を翻した。これ以上話し合っていてもどうせ無駄だ。

 

「外に出てくるわ。鉄菜達の前では、せいぜいいいお姉様を演じている事ね」

 

「そんなに心配しなくても、彩芽の前でしか、こんな本性は晒さない。それに今は整備班長としての身分でもある。出来るだけ執行者にはフラットに、と言われてもいる」

 

「じゃあ、精一杯モリビトを万全にしておいて。わたくしは貴女に何も期待していない」

 

「それはそうだろう。彩芽・サギサカ。一号機操主。あなたは完成され尽くされているもの」

 

 その言葉を背に彩芽はラボを後にしていた。

 

 資源衛星の内部は思ったよりもずっと広い。演習室や機材の並ぶ研究所を抜けると、居住区が現れた。

 

 遠心重力で擬似的に1Gに限りなく近い感覚を構築している。買い物も出来るようになっており、売店が立ち並んでいた。

 

 しかしどれも必要最低限のものだ。地上でのOL生活とは雲泥の差であった。

 

 地上がどれほど汚染されていても、彼らは人間らしさを失ってはいなかった。人らしく生活するのに、汚染も原罪も関係ないのだとあの生活で学んだほどだ。

 

 だが、その地上への報復を誓った者達は人間らしさを放棄している。そうでもしないと、まるでやっていけないかのように。

 

 ふと、こちらへと駆けてくる少女が視界に入った。茶髪の少女はウィンドウに並んだ衣服を目にして感嘆の息をつく。

 

「お嬢ちゃん、ここの子?」

 

 声をかけた彩芽に少女は瞠目する。そういえばRスーツを着込んだままであった。これでは自分がモリビトの操主だと主張しているようなものだ。

 

 しかし、次の瞬間、少女は声を弾ませる。

 

「もしかして……モリビトの操主さんですか?」

 

「うん、そう……」

 

「すごい! モリビトの操主は英雄なんだって、ずっと聞かされていたんですっ! 握手してもらえますか?」

 

 少女の無垢な反応に彩芽は手を差し出しかけて、ハッと躊躇う。この手はいくつもの命を摘んできた。そんな人間が容易く手を握っていいはずもない。

 

「今は、ちょっと……」

 

「えーっ、駄目なんですか?」

 

 少女は本心からモリビトの操主への憧れを抱いている様子だ。自分が地上でどのような蛮行に走ったのか、この資源衛星でどのような試練の末にモリビトの操主の座を勝ち取ったのかなどまるで知らないように。

 

 彩芽は躊躇いの末に少女の手を握り締める。紅葉のように小さく、華奢な掌。ちょっとでもひねればすぐに折れてしまいそうな腕。

 

「ねぇ、モリビトの操主さん。あたしとお話しようよ!」

 

 すぐ傍のベンチを示し、少女は提案する。彩芽は戸惑いつつもそれに応じていた。

 

「いいわよ。でも、わたくしなんかが何を話せばいいのかしら」

 

「地上の事を聞かせてっ! だって行った事ないんだもん」

 

 地上の事。青く穢れた原罪の地について純粋な少女に言える事など何もないように思われた。

 

 だが、彼女は地上に焦がれているようである。

 

 ベンチに座り、彩芽はどこから話すべきか、と話題を思案する。

 

「地上って、人がいっぱい住んでいるんでしょ? 大人はみんな知っているみたいだけれど、あんまり教えてくれないの」

 

「そうね。人はたくさんいるわ」

 

「羨ましいなぁ。だって、ここにいても、いっつも知った人ばっかりでつまんないもん」

 

 資源衛星の中では見知った顔しか見ないだろう。ブルブラッドキャリア本隊と言っても居住する人間は二百人といないはずだ。

 

「地上に行って、何がしたいの?」

 

 あんな争いしかない場所に赴いてまで。そのような現実、少女には酷なだけだろう。

 

 少女は考えた後に言ってのけた。

 

「色んな人と友達になりたい!」

 

 友達、と彩芽が絶句していると少女は手を掲げた。

 

「だって、あれだけ大きい星なんだから色んな人がいるでしょ?」

 

「お嬢ちゃんだって友達はいるんじゃないの?」

 

「いるけれど、でももっと色んな人と会いたいの。だってそうすればもっと楽しいに決まっているもの」

 

 これほどの希望を抱いている子供がまだブルブラッドキャリアにいたのか。彩芽は新鮮な気分で言葉を返す。

 

「でも……地上は怖いかもしれないわよ」

 

「平気だよ! だって、モリビトがついているんでしょ?」

 

 モリビトの名前は彼らにとって祝福なのだろう。地上に帰る唯一の寄る辺。自分達の抵抗の証。

 

 どれだけ地上が汚れていても、人間が人間と殺し合うだけの場であったとしても、モリビトの名前が明日への希望に繋がっている。

 

 自分はそのモリビトの一角。そう考えれば、少女の瞳に映る自分は先ほどまでニナイと話していた力なき個人ではないのかもしれない。

 

 明日へと繋ぐ希望そのものに見えているのかもしれなかった。少女は足をぶらつかせて声に張りを持たせる。

 

「モリビトはいいなぁ。操主さんもこんなに、素敵なお姉ちゃんだし!」

 

 自分が遥か昔に捨てたモリビトの操主への展望を少女は持ち続けている。ともすればブルブラッドキャリアの人々は未だに夢を見ているのかもしれない。

 

 地上への帰還。そのために前線で戦う戦士。それこそがモリビトであり、執行者の操主達。そこまで眩しい存在だと思われているなど、彩芽は一時も考えた事はなかった。

 

 硝煙と血の臭いでしかこの地位は得られなかった。人殺しの先に待っていたのが結果論としてのモリビトの操主であっただけの事。

 

 だから、モリビトの操主に憧憬など、ましてやその地位が誰かの希望になるなんて考えもしなかったのだ。

 

「……貴女は、モリビトが好き?」

 

 思わず尋ねていた。あれは人殺しの道具、人機なのだ。それでも好きになれるのか、と。少女は屈託のない笑みを浮かべる。

 

「うん! だって世界を変えるためにたった三機で戦っているんだもん。すごいよ、モリビトも、その操主さんも!」

 

 そうか、ブルブラッドキャリア内部ではそのように情報操作されているのか。自分達は英雄のように祀り上げられ、世界を変えるために日夜戦っていると。

 

 間違いではないが、英雄とはまるで正反対の位置にいるとは言えなかった。

 

 地上における間断のない争いの只中で翻弄されているなど。

 

「モリビトに、乗ってみたい?」

 

 だからか、彩芽は自分でも思いもよらない事を聞いていた。モリビトなどに乗ってみたいと思えるのだろうか。

 

 あのような忌まわしき人機に。

 

 しかし少女は目を輝かせた。

 

「いいの?」

 

「わたくしが口添えすれば、難しくはないと思うけれど……」

 

「乗れるなら乗ってみたい。あたし、これでもシミュレーターで撃墜王なんだ。ほら、これ見てよ!」

 

 少女が示したのは手首に巻かれたバングルであった。彩芽はその内部にタグが仕込まれている事を看破する。この少女も、自分とは違うが実験体のような扱いを受けている。本人も気づかぬ間に、人機への適性を試されているのだ。

 

「撃墜王、なんだ……」

 

 言葉尻に憐憫が宿る。どうして世界はこうも容易く出来ていないのだ。これほどに純真な少女の夢ですら欺く道具にするなど。

 

「うん! だからさ、モリビトに乗っても多分、うまくやれるよ! あたし!」

 

 自慢げに語る少女に彩芽はどう声をかければいいのか分からない。ブルブラッドキャリアがどれほどに汚い組織なのかを説いても、彼女は洗脳措置を受けて人機に乗せられるだろう。

 

 どこまで行っても、自分の周りは穢れている。それもこれも、血で贖った結果なのかもしれなかった。

 

「あっ、ママ!」

 

 少女の母親がこちらへと歩み寄ってくる。跳ねるように少女が駆けていった。

 

「すごいんだよ! モリビトの操主のお姉ちゃん!」

 

 興奮した様子の少女とは正反対に、母親は彩芽を認めるなり青ざめた。

 

「……行くわよ」

 

「何で? お姉ちゃんはモリビトの操主なんだよ? 英雄なんじゃ」

 

「いいからっ! 早く逃げないと」

 

 母親の浮かべる焦燥に比して、少女は鈍感であった。

 

「バイバイ、お姉ちゃん」

 

 手を振り返していると、母親が叱責する。

 

「あんな……人殺しに手なんて振らなくっていいの」

 

 母親の世代は自分達モリビトの操主がどれほどの犠牲の上に成り立っているのか知っているのだろう。

 

 彩芽はベンチに座ったまま、項垂れた。

 

「どこまで行っても、か。わたくしには、こんな重責を負い続けるしかないのね」

 

 首から提げたロザリオを握り締める。ルイが手首の端末を明滅させて激励する。

 

『マスターのせいじゃない。あの、ニナイも相当に性悪。好きになれない』

 

「でもわたくしは選んだ。死ぬか、生き延びてまで残酷な現実で行き続けるかの二択を。モリビトの操主は結果論でしかないとは言っても、それはわたくしの選び取った選択。なのだとすれば……」

 

 後悔のないようにしたい。そうは願いつつも、突きつけられる現実に彩芽は静かに呻いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯109 青の地獄

 命一つない海上で白波を裂いて航行する巡洋艦は通常のものよりも大型のリアクターを装備している。

 

 特区汚染域航行用巡洋艦、マホラ級。C連合の有する汚染域専用の船である。

 

 今まさにブルーガーデンの領海に入ろうとする船の甲板には警護の《ナナツー弐式》部隊が駐在しており、内側で通信を交わす操主達は防護マスクと浄化装置を装備していた。

 

 汚染状態が八割以上のレッドゾーンに達したのを目にして《ナナツー弐式》がそれぞれシグナルを振る。

 

 キャノピー型のコックピットに手動の防護シェルターを装備させ、汚染を防いでいた。

 

 しかしこの状態では目視戦闘を行えないため、彼らは熱光学センサーに頼る他ない。それでも八割以上の汚染状態ではB2ジャマーが働き、センサー類に誤認させる。

 

 よって甲板警護の《ナナツー弐式》はそれだけ気を張り詰めなければならなかった。

 

 外部装備されたカメラで擬似的な目視戦闘を行えるものの、どの画像も粗くCG補正されている。

 

 その映像がそのまま内側に格納されている《ナナツーゼクウ》と《ナナツー是式》に送られてきていた。

 

 甲板警護のナナツー部隊のお陰で常に新たな情報を得る事が出来るのだ。

 

 リックベイはコックピットに収まりつつ、これから接地する戦場に意識を割いている。

 

『少佐、こう言っちゃ何ですが、ブルーガーデン国土に勝手に入って大丈夫なんでしょうか?』

 

 タカフミの声が耳朶を打ち、リックベイは搭乗機のセンサー類を確かめながら応じる。

 

「何も不都合はない。もしもの時には交渉を行ってくれると上官からのお墨付きだ」

 

『でもですよ……これって火事場泥棒なんじゃないかって、みんな言っています。印象はよくないですよ、この作戦』

 

「印象のいい作戦などあるのならばご教授願いたいほどだ」

 

 甲板に位置取っている《ナナツー弐式》が地上を見据えた。紺碧の有毒大気が逆巻き、ブルーガーデン国土は濁っている。

 

『うわっ、こんなところにこれから行くのかよ……』

 

「嫌ならば辞退しろ。わたし一人でも行ける」

 

『冗談言わないでください、少佐。そりゃ、ビビリますけれど、仕事なんだからやりますって』

 

 何よりも《ナナツー是式》の初陣である。ここで性能試験を見せておかなければ後々の量産体制に響いてくるだろう。

 

「《ナナツー是式》のシステムチェックは厳にしておけ。お歴々はそのデータを参照したいんだ。有毒大気で駄目になったらすぐにでも帰還しろ。そのほうが次には助かる」

 

『おしゃかになる前に帰投しろ、ですか。……ピクニックじゃないんですよ』

 

「その通りだ。ピクニックじゃない。今回、君の役目はその機体をどこまで慣れさせられるかにかかっている。無理そうならば艦に戻れ。調査任務はわたしが引き受ける」

 

『……少佐、一人で行きたいんですか?』

 

 そう思われても仕方ない。だが仮にも仮想敵国であるブルーガーデン。何か伏兵が潜んでいてもおかしくはないのだ。

 

「もしもの時になれば、新型機は弊害になる可能性もある」

 

『じゃないでしょう? いくらなんでも《ナナツーゼクウ》だけで戦場を任せられるわけもないですよ。それに、参式部隊だって揃っている。いざとなれば、総員でかかればどんな人機が待っていたって』

 

 振動が艦を揺さぶる。港に入ったらしい。弐式の眼が地上へと連絡する通路を見据えている。

 

「もうすぐシャッターが開くぞ。有毒大気だ。出撃にかけられる時間は少ない」

 

『了解っす。あんましカッコつけられないって話ですよね』

 

「……どうとでも取れ。《ナナツーゼクウ》、戦端を切る」

 

 背面に装備されたバッテリーへの充電ケーブルを切断し、《ナナツーゼクウ》が僅かにつんのめりつつ出撃する。

 

 続いて《ナナツー参式》部隊が次々と濃紺の大地を踏み締めた。最後に殿の《ナナツー是式》が発艦する。

 

『サカグチ少佐。参式部隊は東方調査に向かいます』

 

 部下の報告を聞きつつ、リックベイは浄化装置とマスクのステータスを呼び出す。浄化装置のレベルは最大値に設定されていた。

 

「任せる。わたしはこのまま汚染区域の特区へと向かう。特区小隊はついて来い」

 

 了解の復誦が返る中で、追いついてきた《ナナツー是式》から通信が割り込まれた。

 

『少佐。特区って言っても、街中は東方部隊の仕事でしょう? おれらの行く場所って……』

 

「汚染中心区だ。嫌ならば帰れ」

 

『そりゃ、嫌っすけれど、《ナナツー是式》の性能を試すのにはちょうどいいでしょ。先行させてください。何が来てもやれる』

 

 タカフミの昂揚した声音にリックベイは呆れ返る。

 

「参式を持ってきたときもそうだが、君はすぐにハイになるな」

 

『ハイになれなきゃ、人機での汚染域の調査なんて怖くって出来ませんよ』

 

 それもその通りだ。これから目指すのは、この惑星で最も穢れた場所である。

 

 汚染の規定値を超える様子はない。だが、仮にもブルブラッド大気が噴火した場所。紺碧の有毒大気は今までの比ではないのは予測出来る。

 

「全機に告ぐ。少しでも乗機に異常があればすぐさま帰投コースに入れ。余計な犠牲を出す事はない」

 

『お優しいんだぜ。少佐はよ』

 

 継いだタカフミの言に部隊の中で笑いが漏れた。少しでも緊張が和らげばそれに越した事はない。リックベイは汚染領域へのルートを確保しようと火器管制システムへと接続した。

 

《ナナツーゼクウ》のシステムはまだひよっこに近い。それを完成まで漕ぎ付けるのもまた、自分の仕事の一つである。

 

 装備されたのは試作型のプレスガンであった。既にゾル国の《バーゴイル》などは標準装備の中に入れているそうであったが、ナナツータイプはその装甲の脆さとR兵装への耐性のなさから躊躇されていた武装である。しかしこれを推し進めたのは他でもない、モリビトの脅威であった。

 

 モリビトの堅牢な装甲に相対するのにはR兵装の装備は必須である。皮肉な事に、今まで技術的な側面よりも思想的な面で装備されていなかった武器はモリビトへの対抗策という形で結実した。

 

 プレスガンを構えさせ、照準を絞る。眼前に聳える汚染された瓦礫をR兵装の弾丸が射抜いた。

 

《ナナツーゼクウ》は想定されていた照準誤差以内の精密さで瓦礫を破砕する。さらに、汚染域の重力の補正、地軸によって直進しない可能性のあったプレスガンの弾頭は今、しっかりと目標に向かって駆け抜けていった。

 

 次第に踏み締める砂礫の中に青白いものが混じってくる。そろそろか、とリックベイは胸中に覚悟した。

 

 直後、汚染値を示す信号が異常な数値を記録する。警笛がコックピットを揺さぶり、防護シャッターが自動で下りてきた。

 

 汚染が九割以上を超えた時のみ発動するシャッターはこの時、正常稼動していた。すぐさまCG補正されたカメラ映像に切り替わる。

 

《ナナツーゼクウ》が見据えた先にあったのは、青白く光り浮遊する物体が空間を支配している暗黒地帯であった。

 

 今は昼過ぎのはずなのに夜の帳が降りたかのように薄暗く、薄闇の中を青い光体がふわふわと浮かんでいる。

 

 まるで泡沫のようだ。

 

『し、少佐……、これは一体……』

 

「今まで経験した事のないほどの汚染だな。ブルブラッド大気汚染測定器が異常値を示している。まさしく汚染の爆心地、と言ったところか」

 

『ビビッてんじゃねぇ! 少佐、こういうところこそ、敵が潜んでいるかもしれない。でしょう?』

 

 タカフミの言う通りであった。汚染区域に踏み込んだからと言って及び腰になっているのでは話にならない。

 

「全機、ついてこい。異常を示せばしかし、すぐに帰投コースに入れ。わたしとアイザワ少尉のナナツーはこのまま調査を継続する。他の参式にそこまで強制は出来ない」

 

『火器管制はしっかりオンにしておけよ! 伏兵がいるかもしれないんだ!』

 

 タカフミの張り上げた声に他の機体に乗る操主達がそれぞれ了解の復誦を上げたが、やはりと言うべきか、声には上ずりが見えた。

 

 誰しも恐怖するだろう。自分でも操縦桿を握る手が汗ばんでいるのが分かる。

 

 ここは人の踏み入っていい領域ではないのかもしれないのだ。

 

 推進剤を焚いて真っ先に踏み入ったリックベイはけたたましいアラートに眉根を寄せた。

 

 直後、重力値が変動する。機体制御系の駆動部分はここが重力の投網にかかっていないのだと告げていた。

 

「無重力……いや、六分の一Gか。急激に……」

 

『少佐? ナナツー浮かんでいますよ!』

 

 こういう時こそうろたえてはならない。リックベイは冷静にバランサーを整え、無重力戦闘形態へと切り替える。

 

 ナナツーによる無重力戦闘は想定外であったが、全く意図されていないわけでもない。重心を下腹部に置き、上半身の推進剤を全開にした。無理やり1Gに近い重圧をかけている状態では装甲が持つわけもない。軋みを上げる装甲にリックベイは即座に駆動系へと命令を与える。

 

 ここは空間戦闘なのだ、と機体に誤認させなければ耐久しないだろう。付け焼刃の措置はしかし、この時有効であった。

 

《ナナツーゼクウ》が姿勢を持ちこたえさせ、無重力戦闘形態へと移行する。

 

 浮かび上がったナナツーの鋼鉄の巨躯に他の部隊員が信じられないように声にしていた。

 

『嘘だろ……ナナツーが浮かぶなんて……』

 

「総員、わたしの機体の反映データを使え。使えないものは外周警護に回ってもらって構わない。ここからはほとんど無重力に等しい。0G戦闘に経験のない者は下がれ」

 

 その言葉に数体の《ナナツー参式》が区域から離脱していったが、その中で猪突する機体があった。

 

 タカフミの《ナナツー是式》である。あえなく無重力の虜になったかに思われたが、すぐさま制御用の推進剤を焚かせて機体のバランスを保たせる。

 

『少佐、ヤバイですね、ここ』

 

 応じつつ、その局地において自分以上に冷静かもしれない彼の精神に驚嘆していた。愚鈍は時には武器になるとは思っていたが、彼は疎いだけではなく、地に足のついた戦闘センスがある。やはり対モリビト戦で生き抜いている男の実力は伊達ではないようだ。

 

「気をつけろよ。これでは伏兵への応戦も出来かねる」

 

『ほとんどの兵が下がりました。残ったのはおれと、少佐、それに参式三機程度ですね』

 

「プレスガンを速射モードに切り替えさせろ。《ナナツー参式》は反動があるかもしれん。実体弾を念頭に置き、調査継続」

 

 調査継続、とタカフミが復誦すると参式乗りの三人も応じていた。残存したのは恐らくナナツーの搭乗経験者達でもエースと呼ばれる領域の猛者達のみ。

 

 見事なまでに振るいにかけられたというわけか。リックベイは胸中に苦いものを感じつつ、《ナナツーゼクウ》を直進させる。

 

 方位磁石は既に使い物にならない。太陽を当てにしようにも、降り立った薄闇と紺碧の濃霧が太陽の位置さえも掴ませてくれなかった。

 

「……まるで地獄だな」

 

 呟いて笑い事ではないのを自覚する。ここはまさしく地獄。人の生存を許さない絶対の汚染地帯。

 

 不意にセンサーを騒がせたのは人機の熱源であった。まさか予測通りに伏兵か、と身構えたリックベイは地面から突き出たロンド系列の腕を目にする。

 

 視線を投じればそれ一機だけではない。無数の人機が降り積もった汚染の土壌の下に埋まり、手足を無茶苦茶な方向に突き出している。

 

『こりゃ……人機の墓場ですね』

 

 タカフミが唾を飲み下したのが伝わる。人機がこれほどまでに大量に埋まっているという事は戦闘の形跡に他ならない。

 

 油断するなよ、と他の機体にも言い添える。しかし一番に油断ならないのは直進している自分の機体だ。

 

 この無辺の闇の中、青白い光体は方向感覚を麻痺させる。進んでいるのか後退しているのかさえも定かではない。

 

 音声を拾い上げようとすると、やはりというべきかノイズばかりで使い物にはならなかった。B2ジャマーは有効なままだ。特に有毒大気の中心に向かうにつれて、通信回線ですらほとんど無為に等しくなるのを予感していた。

 

 リックベイはここで一旦進軍を止め、それぞれにワイヤーを接続させる。機体同士が繋がっていれば、無線領域は意味を成さなくとも通信は出来るはずだ。

 

 デメリットとして散開出来ない事が挙げられたが、そもそも散開するような相手に出くわす時点で運がないのだろう。

 

『少佐……ここ、思ったよりも』

 

「ああ、随分と妙な空間に入ったものだ。空を見ろ。太陽は青く翳り、世界は薄闇に沈んでいる。汚染は依然として人が生きていけるようには出来ていない。こんな場所で、しかも大規模戦闘のあった様相を呈している」

 

『信じたくないっすよ……。こんなになるまで戦ったなんて』

 

 あるいは戦闘の結果としてこうなったか。思案していたリックベイは血塊炉の反応に部隊を止めさせた。

 

「人機の熱源……しかもこれは……かなり大きいぞ」

 

 だがどこに人機などいるのか。視界に入るのは青く染まった崖と滑り落ちていく砂丘のみ。

 

 潜んでいるとすれば、砂の中か、とリックベイは照準を向けるも、人機の反応は依然として警告として鳴り続けている。

 

 試すか、とリックベイは引き金を絞った。プレスガンの銃弾が砂丘へと吸い込まれていく。

 

 これで反応があるはずだ。そう考えていたリックベイは突然の接近警告に空を振り仰いだ。

 

 翅を有した虫のような人機である。跳ね上がったその機体がリックベイの《ナナツーゼクウ》へと飛びかかった。発達した四肢が機体装甲を打ち据える。

 

『少佐!』

 

「案ずるな。ブルブラッド有毒大気の中で稼動する人機……古代人機ではないようだが、油断はならないな」

 

 プレスガンを速射しようとして、蝿型の腹腔にエネルギーが充填されていくのをリックベイは目にしていた。

 

 CG補正画像との誤差は一秒未満であるが、その刹那が明暗を分けかねない。瞬時に判断したリックベイはプレスガンを捨て去る。

 

 直後、プレスガンの銃身を引き裂いたのはオレンジ色のプレッシャー砲であった。

 

 リックベイは後退用の推進剤を全開にして蝿型の射線から逃れようとする。それでも、蝿型は諦めようとしない。プレッシャー砲が再び閃き、リックベイは瓦礫を足場に蹴りつけた。

 

 砂礫を容易に破壊する威力を伴ったプレッシャー砲の連射にリックベイは揺さぶられるコックピットの中で歯噛みする。

 

 これほどの強力な人機、外に出すわけにはいかない。

 

『この野郎! 少佐に追いすがりやがって!』

 

 タカフミの《ナナツー是式》が駆け抜け、蝿型人機へと突撃する。よろめいた蝿型へとプレスガンがゼロ距離で放たれた。

 

 膨れ上がっていく複合装甲にリックベイは声を飛ばす。

 

「いかん! 離脱しろ! そいつはただではやられん!」

 

『心得ていますよ、っと!』

 

 蹴り上げた蝿型人機が爆発を拡大させる。紺碧に染まった有毒大気の中、眩い輝きが照らし出した。

 

『あの人機……無人の奴ですね』

 

 部下の一人が発した言葉にリックベイは頷いていた。

 

「まず、間違いないな。有人の機体ではあれほどの追従性はないだろう。それに、この有毒大気の中、通常の人機が活動出来るとも思えん」

 

『やっぱり、あれですか……出るんですかねぇ』

 

 タカフミの震えさせた声にリックベイは鼻を鳴らす。

 

「亡霊、かな。だが亡霊を怖がっていれば前には進めんよ」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯110 紺碧の暗夜

 

 プレスガンを失ったが《ナナツーゼクウ》にはまだ近接格闘用の刀と実体弾の小銃がある。

 

 まだ作戦行動に支障が出るレベルではなかった。

 

 メイン兵装を小銃に持ち替えてリックベイは通信に吹き込む。

 

「今のだけとは限らない。この区域は既に大汚染の後だ。何が出てきてもおかしくは……」

 

 そこで言葉を切ったのは唐突な接近警報のせいであった。習い性の身体が操縦桿を引き、放たれたプレッシャー砲を紙一重で回避する。

 

 仰ぎ見たリックベイは中空に位置する蝿型人機五機を視界に入れていた。

 

 部下が困惑する。

 

『ご、五機も……』

 

「うろたえるな! どれも無人機だ。破壊に躊躇う必要はない。最大火力で迎え撃て!」

 

 小銃から火線を開かせ、リックベイが応戦する。蝿型人機が照準を避けつつ腹腔のプレッシャー砲を放ってきた。

 

 こちらは重力の変動値に慣れるのだけでも精一杯だというのに、蝿型の機動力に迷いはない。確実に刈り取るつもりの動きである。

 

『こっちがもっと優位に動ければ……!』

 

 噛み締めたタカフミの口調にリックベイは小銃のロックオンサイトを蝿型に向ける。

 

 火を噴いた武装の弾頭を蝿型が飛び越えて前足を軋らせた。やはり装甲の軽い空戦用の人機では基本陸戦のナナツータイプでは相性が悪い。

 

『少佐! ナナツーじゃ抑え切れませんよ!』

 

「弱気になるな。相手はたかが五機。こちらと何も変わりはしない」

 

 語調を強めるが、リックベイには分かっている。不安と焦燥が募る有毒地帯の中で現れた謎の人機。それだけで人は強い恐怖を覚えている。加えてそれがまるでこちらの思惑通りに動かない無人機となれば、対処は難しくなってくる。

 

 一人の《ナナツー参式》へと二機の蝿型が肉迫する。プレスガンの照準がぶれ、二機の蝿型が口腔を開いた。

 

 内側からせり出して来たのは一本の針。灼熱に研ぎ澄まされた針の先端が《ナナツー参式》の肩口を貫いた。

 

 もう一本が血塊炉の位置する腹部を打ち抜く。

 

 システムがダウンし、その機体が全身から虚脱していった。血塊炉付近を打たれたか。この場合、貧血よりもなお性質が悪い状態だ。血の巡っていない人機では戦うのに適していない。

 

 タカフミが雄叫びを上げながらうち一機へと蹴りかかる。プレスガンを速射に設定し、蝿型の頭部を撃ち抜いた。

 

 さらに返す刀でもう一体を、と捉えかけたところでプレッシャー砲の牽制に阻まれる。

 

 空を舞うのは残り三機。それぞれがこちらを完全に包囲陣に押さえ込んでいる。タカフミが舌打ちしたのが伝わった。

 

『こいつら、楽しんで……!』

 

 リックベイも分かる。この人機達は無人にも関わらず、目標を追い詰める愉悦を持っている。その愉悦こそが、蝿型人機の動力源と言っても差し支えない。

 

「人の感情を苗床にしてたかる虫共が。……卑しい機体だ」

 

 リックベイが《ナナツーゼクウ》を跳躍させる。こちらへと飛びかかってきた機体に対し、牽制の銃弾を放った後、武器を捨て去った。

 

 代わりに携えたのは一振りの大剣である。白銀の刃が蝿型を射線に入れた。

 

「零式抜刀術……! 壱の陣」

 

 閃いた剣の太刀筋が蝿型の前足を叩き切る。さらに推進剤を焚き直進、突撃しつつゼロ距離に蝿型を捉えた。

 

《ナナツーゼクウ》の手首を返させてそのまま内側に向け刃を打ち下ろす。

 

 首がはねられ蝿型人機の身体が生き別れになった。

 

 リックベイは蝿型を蹴りつけて直近の地面に降り立つ。

 

「――首狩りの式。永久に眠れ」

 

 爆発の光を拡大させる蝿型一機を尻目に、他の機体がプレッシャー砲を連射する。リックベイは千変万化するフィールドを滑り落ちていき、剣を手に蝿型の行動パターンを掌握しようとする。

 

「彼奴らが如何に優れた人機であろうとも、統率の乱れは存在する。ゆえにそれを叩けば、勝てぬ戦なわけもなし」

 

 不意に眼前に聳え立った峠道にリックベイは減速させず、そのまま加速度に任せて突っ切った。

 

 峠を飛び越えた瞬間、制動用の推進剤を焚かせて峠道の背面に隠れる。

 

 蝿型人機が行き過ぎた直後を狙い、刃が咲いた。

 

 複眼部位を切り落とした一閃に蝿型一機が奈落へと落下していく。

 

 もう一機はしかし健在だ。針が射出され、こちらの機動力を削ごうとしてくる。リックベイは陸戦を想定した装備のためにあまり余計な噴射剤を持って来なかった事を後悔する。

 

 先ほどから減り続けているガスの量を視野に入れつつ、リックベイの《ナナツーゼクウ》が刀を片手に沿わせた。

 

「零式抜刀術……弐の陣」

 

 接地した《ナナツーゼクウ》の踵からアンカーが射出され、地上へと機体を縫い付ける。

 

 こちらへと迫ってくる敵人機の攻撃を甘んじて受け、勢い余った敵の攻勢を崩す。

 

 針が《ナナツーゼクウ》の肩口を掠めた。もう一本がキャノピー型コックピットのすぐ傍を駆け抜ける。

 

 リックベイは操縦桿を引いていた。

 

 機動した《ナナツーゼクウ》の閃かす刃が雷の如く叩き込まれ、蝿型人機の頭蓋がひしゃげる。

 

「酔龍剣、一閃」

 

 頭部を打ち砕かれた敵人機はまるで酔ったようによろめく事からこの名称が紡がれた。蝿型が力を失いそのまま地面へと突っ伏す。

 

 残り一機、と《ナナツーゼクウ》に振り仰がせる前にタカフミがその一機と激しい攻防を繰り広げていた。

 

 プレスガンを連射するが蝿型は統率を気にしなくなったせいか、乱雑な機動で射線を回避していく。

 

『こいつ……無茶苦茶なくせに妙に当たらない!』

 

 追い立てるタカフミの苛立ちも影響しているのだろう。落ち着けと無線に吹き込みかけて、リックベイは先ほどの自分の無茶な機動のせいで有線通信が途切れている事に気づいた。

 

 ブルブラッド大気汚染は九割以上。この状況下でタカフミを止める手立てはない。

 

「いかん! アイザワ少尉! 止まれ! その人機に誘われているぞ!」

 

 しかし無線が通用するわけもなく。タカフミはプレスガンで蝿型人機を追い詰めようと撃ち続ける。

 

 三角錐の形状をした小山のような場所へとタカフミの《ナナツー是式》がプレスガンを掃射した。

 

 一条の弾丸に触れ、蝿型人機がその羽ばたきを弱めさせる。

 

 好機だと判断したのだろう。タカフミは推進剤を全開にして蝿型人機へと特攻を仕掛ける。

 

《ナナツー是式》の肩部は強固な素材だ。そのためただの突撃でも充分な威力になり得た。突き飛ばされた蝿型が小山の上で悶える。

 

『どうだ! これで……!』

 

 とどめの一撃を放とうとしたその時、小山がゆっくりと開いていく。中からこちらを睥睨するのは十機以上もの蝿型人機であった。

 

 ――やはり罠か。

 

 悔恨を噛み締めた時には既に遅い。タカフミの《ナナツー是式》は完全に標的にされている。

 

「逃げろ! アイザワ少尉!」

 

 叫んだ声が届く前に、プレッシャー砲の津波が《ナナツー是式》を押し包もうとした。

 

 確実にやられた。そう判断したリックベイが次の瞬間に目にしていたのは空間を奔った巨大な刃である。

 

 扁平な刃がいくつもの節を伴って挙動し、推進剤を細やかに焚いて軌道修正する。その刃がタカフミの《ナナツー是式》を保護し、なおかつ小山の反対側から蝿型人機を貫いたのであった。

 

 誘爆の光が重なり、リックベイは唖然とする。

 

 何が起こったのか。判ずる前に何かが薄闇の中を疾走する。

 

 タカフミの《ナナツー是式》へと追いついた時、ようやく事の次第を飲み込めた。

 

 両脚を仕舞い込んだ謎の機体が蝿型人機と応戦しているのである。扁平な脚には無数の切れ目が存在し、それらが全て武器であるのが窺えた。

 

「……何者なんだ」

 

 こちらへと一瞥を投げた機体の頭部形状にリックベイは瞠目する。X字の眼窩は見間違えようもない。

 

『……トウジャ、だって?』

 

 タカフミがその名前を紡ぎ出す。トウジャタイプは両脚の刃を蛇のようにくねらせつつ、螺旋の中に蝿型人機を落とし込んでいく。

 

 射程内の蝿型が刃に触れて切断され、次々と破壊されていった。

 

「戦い慣れている。この汚染された戦場で、だと……」

 

 鞭の性質を持った蛇腹の脚部剣が敵の人機を打ち据える。叩くと同時に斬っているのだ。その性質にリックベイは絶句するしかない。

 

 見た限りトウジャタイプは両手を有していなかった。脚のみで戦っているのだ。

 

 それでもその損耗具合は窺い知れるほど。ギリギリの一線で戦っているのは見るも明らかである。

 

 トウジャタイプが身を翻させ蝿型人機へと流動する剣術を見舞おうとする。

 

 蝿型の何機かはその網にかかったが、何機かはその犠牲を踏み越えてプレッシャー砲を撃ち込んだ。

 

 トウジャタイプから勢いが削がれていく。

 

 リックベイはタカフミの《ナナツー是式》へと接触回線を吹き込んだ。

 

「いかん。あれでは墜とされる」

 

 タカフミが怪訝そうな声を振り向けた時には、リックベイは駆け出していた。ガスの残量がレッドゾーンに達する。それでも助けなければ、という意思が勝った。

 

 プレッシャー砲の一撃一撃がトウジャタイプを追い詰め、その装甲を引き剥がしていく。

 

 蝿型が肉迫し、口腔から針を突き出そうとした。その頭蓋を《ナナツーゼクウ》の刃が射抜く。

 

 投擲した剣にはワイヤーが備え付けられていた。推進剤を焚かせてその背へと降り立ち、蝿型を両断する。

 

 突き上げた刃をこちらへとプレッシャー砲を見舞う蝿型へと向け直した。

 

「貴君が何者かは知らないが、ここで落とさせるのは人道にもとると判断する。ゆえに、このリックベイ・サカグチ。助太刀いたす」

 

『わたしは……』

 

 戸惑いの接触回線の声にリックベイは驚愕する。少女の声であったからだ。

 

 それを追及する前に蝿型人機が一斉にプレッシャー砲を照準する。四方八方を捉えた射線を前にリックベイが唾を飲み下した。

 

 刹那、プレスガンの弾頭が一機の蝿型を撃ち抜いた。ハッとしたその時には、《ナナツー参式》部隊が持ち直し、蝿型へと応戦の火線を咲かせている。

 

『少佐を死なせるわけにはいかないんですよ!』

 

 ワイヤーで接触回線を伴わせたタカフミが前に出てプレスガンを照射する。一時的ではあるが活路が拓けた形となった。その一瞬を見過ごさず、リックベイはトウジャタイプの機体を抱きかかえる。うろたえたのが人機越しでも分かった。

 

『何を……』

 

「ここから脱出する。アイザワ少尉、抜け切れるか?」

 

『抜け切れなければ死ぬだけでしょう。やりますよ』

 

 プレスガンを掃射し、《ナナツー参式》部隊とタカフミの操る《ナナツー是式》が急速に下がっていく。

 

 0Gに近い環境下でリックベイはトウジャタイプを抱いて飛翔した。《ナナツーゼクウ》の装甲が軋みを上げる中、全力でこの区域を脱しようともがく。

 

《ナナツー是式》のプレスガンからリバウンド弾頭が発射されなくなった。弾切れらしい。こんなところで、とタカフミが小銃へと持ち替える。

 

 蝿型人機の追撃は一定区域を出るとぱたっとなくなった。どうやらあの人機達はこの汚染区間だけを根城にしているようである。

 

 ようやく未知の恐怖から逃れたタカフミと《ナナツー参式》部隊は安堵の息をついていた。リックベイも抱えたトウジャタイプを見やる。

 

 解析するまでもなく、大破に近い状態であるのが窺えた。そのようなステータスで戦っていたのが奇跡なほどだ。

 

『少佐、この人機……』

 

「ああ、恐らくはブルーガーデンの人機だろう」

 

『連中もトウジャを開発していたって事ですか?』

 

「分からん。ただ一つだけ、ハッキリしているのは、ここで助けたのは間違いではない。それだけだ」

 

 現状、理解出来る事は少ない。それでも、今は一歩ずつ進んでいくしかなかった。

 

 汚染域の薄闇が剥がれ、ようやく揚陸艦へと戻っていく。

 

 汚染の境目から嘘のように太陽が昇っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯111 四機目のモリビト

 担当官から聞かされたのは《ノエルカルテット》の状態のみである。

 

 桃の担当官はそれだけだと言わんばかりの素っ気なさであった。

 

「《ノエルカルテット》は戦闘に不都合はない。それに、封印武装も解除していないところを見るに、何も言うべき事はない」

 

 そう結んだのは黒衣を身に纏った老婆であった。どこか達観したように桃を見据えている。

 

「でも、《ノエルカルテット》は現状、問題はなくってもここから先の戦いで……」

 

「三号機に関して言うべき事は以上だ」

 

 異論を挟ませないのも相変わらずであった。桃はもっと話したかった。担当官は、執行者からしてみれば一番に近い他人である。

 

 鉄菜の場合は分からないが、彩芽の場合は恐らく理解者だろう。だが自分は。自分の担当官は一度として自分を人間として理解しようとはしない。

 

 人機、《モリビトノエルカルテット》を動かすために想定されたパーツとしてしか見られていないのだ。

 

 バベルに関しての不具合もなければ、ロデム、ロプロス、ポセイドンにも特筆した問題点はない。《ノエルカルテット》はこれまで通りの作戦行動を実行せよ、という見方に桃は言葉を継いでいた。

 

「でも、《ノエルカルテット》だって問題は浮き彫りになりました。その……耐久性能だとか、物量戦を前にして一方的だとか、格闘戦に弱い事だとか……」

 

「それは《ノエルカルテット》に求められる条件ではない」

 

 断じられた声音には人間らしい慈悲もない。その通りだとも。《ノエルカルテット》は拠点防衛、及び敵地制圧用の人機。格闘戦を想定していなければ、物量戦闘に秀でていなくても何の問題もない。

 

 だが、それはデータ上での話であって、《ノエルカルテット》に問題がないという話には繋がらないのだ。

 

「……二号機、《シルヴァリンク》に関しても聞かないんですね」

 

「報告書にして提出。今書けと言っても書けるわけがない」

 

 何を当たり前の事を。そのような言い草に桃は拳をぎゅっと握り締める。

 

「そう、ですよね……。あの、モモの、特別な能力に関しては」

 

「追及しない。一度の実行でなおかつ敵人機は全て葬り去った。データは残らない。ゆえに責任能力を追及する必要性はない」

 

 冷静な言葉振りに桃は何も言えなくなってしまう。この担当官の前では、自分は何一つ雄弁ではない。

 

「了解、しました。その、三号機操主、任務に戻ります」

 

「任務続行を承認。戻ってよし」

 

 本当にそれ以外に言う事など一つもないようであった。桃は身を翻しかけて、そういえば、と口にされた声に僅かに期待する。

 

 自分に、何か価値があるのか。振り向いた桃は冷たくあしらわれた言葉に閉口する。

 

「別の担当者の一人が、三号機操主に用があると言っていた。話は彼に聞くように」

 

 目線も見ないのだな、と桃は悔恨を噛み締める。こちらを一顧だにしない老婆の担当官に桃は俯いた。

 

「了解、しました」

 

 ラボを出ると待ち構えていたのか、歳若い男の担当官が声をかけてきた。

 

「やぁ、君が桃・リップバーンだね? データでは参照したが本物は初めてだなぁ」

 

 まるで珍獣にでも行き会ったかのような言い草。桃は冷たく言いやる。

 

「……何の用なんですか」

 

「おっと、失礼。機嫌が悪かった?」

 

「別に。こんなのはいつもの事ですよ」

 

 目も合わせずに歩き出すと男の担当官は早口で囁いた。

 

「……知っているとも。君の担当官は無口で、無表情で、それでいて何もかも不干渉だ。それでは多感な時期の君のような少女では愛情のなさを感じてしまうんじゃないかな?」

 

「愛情なんて、ブルブラッドキャリアの執行者には必要ですか」

 

 憮然として返した言葉に男は笑い飛ばす。

 

「こりゃ失礼。でもまぁ、あの人はそういう人だというのは有名だ。でもだからこそ、君のような特殊な能力を持つ人間を客観的に見られるのだろう」

 

 早口でお喋りな担当官だ。何を自分に期待しているというのだろう。

 

「……耳聡いんですね」

 

「職業柄、ね。他の担当官に関しても評判を言おうか。ニナイシステム担当、別命一号機操主担当官は冷徹で有名だ。他人の前では猫をかぶっているが、あれの本性は冷酷非道。何があっても作戦実行をメインに考える、典型的な研究者タイプだ。だからこそ、一番精神面で問題を抱えていた一号機操主を今の状態にまで回復させられたという功績もある。二号機操主の担当官は僕も友人だ。彼とはよく喋る」

 

「じゃあ、クロの事も」

 

「話すとも。何が聞きたい?」

 

 このお喋りに話させると余計な事まで首を突っ込みそうだ。桃はあえて何も聞こうとは思わなかった。

 

「……いえ、何も」

 

 担当官は肩透かしを食らったように大げさに口にする。

 

「そうかい? 鉄菜・ノヴァリスに関して、君ら二人は知らない事のほうが多いはずだ。この場合、聞いておくのは何も不都合じゃないとは思うがね」

 

「クロにだって、知られたくない事の一つや二つはあるはずです。それを、他人の口から聞かされるのは不愉快でしょう」

 

「不愉快、ねぇ。あれがそういう感情を抱くように設計されているかどうかは別だけれど」

 

「話って何なんですか。余計な事なら担当官越しでも充分でしょう?」

 

 追及した桃に彼は肩を竦める。

 

「一番に年少の君なら、何となく話しやすいかなと思ったんだが、案外大人みたいだ」

 

「他人の事をとやかく言うのが子供だって言うのなら、子供じゃないつもりです」

 

 担当官はすっかりこの言い合いに参っているらしい。大仰な仕草で額に手をやっておどけた。

 

「こりゃ、失敬。なら、一人前のレディとして扱わなければならないかな?」

 

「いいですよ。子供扱いでも。どうせ、そうだと思って話しかけているんでしょう」

 

「擦れてるねぇ。でも、ま。これから話すのは割と大事な事だから、あんまり子供じみた反応でも困るんだけれどね」

 

 何を話すというのだろう。まさか、鉄菜を降ろすか降ろさないかの議論だろうか。

 

 二号機から降ろされる事を鉄菜は極端に恐れている節がある。自分の一言で鉄菜がお役御免になる可能性だってあった。

 

「クロの事なら話す気はないですよ」

 

「半分は鉄菜・ノヴァリスに関しての事でもある。だがもう半分は違うか。ブルブラッドキャリアの未来のための話し合いだ」

 

 前方に回った担当官に桃は不穏な眼差しを向ける。

 

「……退いてください」

 

「話し合いには応じてくれる?」

 

「邪魔をすれば話し合いにもなりません」

 

「じゃあ、交渉。僕の話を聞いてくれれば退いてあげよう」

 

「……話にならない」

 

 踵を返そうとして、担当官が背中に投げかけた。

 

「モリビトに関する重要な話だ」

 

 足を止める。モリビトに関する話をどうして自分に振る? 意味が分からずに振り返ると担当官は笑みを浮かべた。まるで詐欺師のような笑みである。

 

「モリビトに関して、という事はモモなんかよりもアヤ姉やクロを交えたほうが」

 

「いや、あの二人は冷静になれない。一番冷静なのって案外、君だ。桃・リップバーン」

 

「三号機の役割の事を言っているのだったら、もうそれも無効ですよ。第二フェイズは終わりましたから」

 

「これは惑星における執行フェイズとは違う。次世代の話だ」

 

 次世代と言われても全くピンと来ない。担当官は歩み寄ってきて桃の顔を覗き込む。

 

「興味はないかい? 全く異なるモリビトだ」

 

「……何でモモに」

 

「君が、操主になれる可能性があるからだよ」

 

 操主選定条件はあらゆるチェック項目が加味される。その中で担当官の推薦は一番の優先順位を持っているのだが、この担当官は自分の担当ではない。今の今まで会った事さえもなかった。

 

「……何を知っているって言うんです」

 

「データ上での君らの活躍かな。その上で、適性を見ると君が一番だ。ずば抜けている。だから今回はお願いに来た」

 

「研究者なんですか」

 

「表向きはね。その新型のテスト操主を探しているところだ」

 

「裏があるんですか」

 

 担当官は視線を中空にやって言葉を返す。

 

「裏と言われれば、本当はこんな事をやってはいけない立場、かな?」

 

 ふざけたような物言いをする。桃はすぐにでも会話を打ち切りたかったが、どうやらこの担当官の言いなりになるしか、今、この場を脱する方法はないらしい。

 

「……何なんですか、そのモリビトは」

 

「おっ、興味出た?」

 

「そう仕組んでいるんでしょう。……わざとらしい」

 

「わざとらしい大人は嫌い?」

 

 桃は視線を逸らして口にする。

 

「ふざけた大人はもっと嫌いです」

 

「そりゃ失敬。でもまぁ、興味があるのならば来て欲しい。驚くと思うよ。ところで、時に、君らはどれほどの権限を与えられている?」

 

 唐突な質問に桃は面食らった。

 

「どれほどって、執行者レベルですけれど」

 

「だとすれば開発部門に関しては素人同然というわけだ」

 

「……ブルブラッドキャリアは部門ごとに担当が分かれています。協力者の事を執行者が分からないように、部門に隔てられたところには介入出来ません」

 

「素直に分からない、って言えばいいのに。難しい言い回しを使うな」

 

 桃はこの男の担当官が早くも嫌いになり始めていた。

 

「何をさせたいんですか」

 

「君があっと驚くところを見たい」

 

 歩み出しながら、担当官は鼻歌を混じらせていた。向かったのは下層区画である。エレベーターで潜るのだが、執行者権限では入れないエレベーターのカードキーが用いられていた。

 

「ここに来るのは?」

 

「初めてに決まっています」

 

「じゃあ無重力に慣れてくれよ。この下は1Gじゃないんだ」

 

 シースルーのエレベーターは資源衛星を下っていき、やがて下層ブロックへと差し掛かった。重力の楔が解け、エレベーターの中で桃は浮かび上がる。

 

「ほら」

 

 担当官が手を伸ばした。桃はその手を突っぱねる。

 

「かわいくないなぁ。でも、君にはピッタリだ。きっと驚くよ」

 

 到着したエレベーターホールは円形にくり抜かれており、重力を無視した区域分けになっていた。

 

 下へと潜るように出来たブロックを下っていくとオレンジ色で構築された区域へと変わっていく。

 

「この辺はブルブラッドキャリアの人達でも研究部門の人しか入って来ないんだ。だから、執行者で来るのは君が最初になる」

 

 まだ建造中のブロックで無数の人々が担当官に手を振った。ここではどうやら顔の知れた人物らしい。気安い笑みを振り向ける担当官に桃は問いかけていた。

 

「人機の開発者なのですか?」

 

「当たらずとも遠からずだ。君は知っていただろうか。モリビト三機がそれぞれ別の開発者が別のコンセプトを伴って建造した事を」

 

 桃はバベルで一度閲覧したモリビト三機のデータを思い返す。

 

「一号機は、モリビトタイプの純正品を求めて製造された、いわば生粋のモリビトの姿形をしている。機動性に優れ、重火器を使用するのもモリビトタイプの安定性をはかっての事」

 

 担当官は首肯し、その名前を紡ぐ。

 

「《モリビトインペルベイン》、開発コードは〝破滅への引き金〟。我々ブルブラッドキャリアは惑星への最初の攻撃に際し、あの機体が相応しいと感じていた」

 

「次は二号機。でも、二号機には特殊な兵装のせいで開発が大幅に遅れた」

 

「アンシーリーコートだろう。元々はトウジャの武装だ。一極化したエネルギーの皮膜を相手にぶつけ、敵を完全に粉砕する。トウジャとモリビトでは機体の重心が大きく異なるからね。さらに変形機構を持たせた二号機は三号機開発よりも大きく遅れを取る事になった。加えて操主の特殊性。これは言わないほうがいいかな。君は自分で知りたいようだし」

 

 気に食わない言い草であったが、桃は静観しておく。

 

「アンシーリーコートだけで、そんなに開発が遅れるものなんですか」

 

「フルスペックモード時における眩惑作用さえも加味した設計だからね。あれのせいで遅れたのは確かだ。《モリビトシルヴァリンク》。開発コードは〝鋼鉄の絆〟か。あまり二号機操主にはそぐわぬ名前だ」

 

 区画を抜けていくと青白く発光する整備デッキへと通された。宇宙服を身に纏った者達が担当官に敬礼する。

 

「ここは、関係者以外立ち入り禁止じゃ……」

 

 桃を見やっての言葉に担当官は手を払った。

 

「モリビトの執行者様だよ。充分に関係者だ」

 

「こ、これは失礼を……」

 

 桃が無重力を流れていくと隔壁に遮られた場所へと至った。人が通れるように出来ている小型の扉へと担当官がカードキーと網膜認証でロックを解除する。

 

「三号機。《モリビトノエルカルテット》。開発コード、〝福音の四重奏〟。三機のサポートメカと我々ブルブラッドキャリアの脳とも言えるシステム、バベルへの閲覧権限を持つ。高出力R兵装を装備し、拠点制圧、あるいは防衛任務において高い適性を持つ機体。弱点があるとすれば、格闘戦術には極めて弱いところか。ま、相手は強力なR兵装を潜り抜けてでも近づこうとは思わないだろうがね」

 

「……それが知っている事の全部ですか」

 

「全部とは言わない。他にも知り得ている事はあるが、ま、伏せておこう。それよりも、この先にいる人機に、君は驚愕するだろう」

 

「驚愕……? モリビトタイプはその三機しか製造されたなかったはず」

 

「そのはず、だろう。バベルにも複写されなかった記録だ。これは、僕と限られたブルブラッドキャリアしか知らない」

 

 三重の防御隔壁の扉が開き、担当官が踏み込む。桃がその背中に続いた。

 

 直後、眼前に聳え立ったのは《インペルベイン》の三つのアイサイトに近い眼窩形状を持つ機体であった。

 

 機体中央部には三角の形状をしたエンブレムの意匠があり、三つの制御核が組み込まる想定がされている。

 

 他のモリビトタイプに比してあまりに巨大であった。後頭部に反り上がった角のような形状があり、その姿はまるで鬼のようだ。

 

 赤と銀の機体カラーが余計にその印象を際立たせる。

 

「この、モリビトは……」

 

 担当官は振り返り、言い放った。

 

「初めて見るだろう。モリビトゼロ号機。君達のモリビト三機の基となった、原初の機体だ」

 

「原初の……。この機体を基にして、モモ達の三機が造られたって」

 

「そう言っても差し支えない。この機体を百五十年かけてブルブラッドキャリアは解析し、三機のモリビトへとフィードバックした」

 

 その言葉に桃はハッとする。

 

「惑星産の、モリビト……」

 

「追放時に持ち込めたのは僅かな資源のみであった。その一つがこれさ。百五十年前に、プラント施設で開発が進められていた最新鋭のモリビトタイプ。なおかつ、この機体は不完全だ」

 

「不完全、って言うのは」

 

「現状の技術と血塊炉の数では、再現不可能な領域なんだよ。この機体には一基の血塊炉が組み込まれているが、それでは起動しないんだ。まさしくオーパーツさ」

 

「じゃあ、こうして立っているだけの、無用の長物だって事?」

 

「悔しいがそうなるね」

 

 肩を竦めた担当官はタブレット端末を整備士から受け取り、桃へと投げて寄越す。無重力を漂った端末を手にして桃はそのモリビトの名前を紡ぎ出した。

 

「《モリビトシン》……」

 

「《モリビトシン》、というのが正式な呼称だ。ブルブラッドキャリアは惑星からあらゆる叡智を盗み出してきた。リバウンドフィールド発生装置、光学迷彩、モリビトの設計技術、トウジャの武装技術、リバウンド兵装の標準化……、列挙されるだけでもかなりのものだ。それらを三機のモリビトに預け、人々は雌伏の時を経た。その結果が、現状の報復作戦。だが、これを君に見せているのは別の意図がある」

 

 そのはずだ。どうして《ノエルカルテット》を駆る自分に、モリビトの原初機を見せ付ける必要がある。

 

 あるいは、こうであろうか。

 

《ノエルカルテット》を含む三機が敗北する事を想定しての――。

 

「負けるから次の手を見せておく、という魂胆ですか」

 

「察しがいいね。さすがは執行者か」

 

「モリビトは負けませんよ」

 

「どうかな? ゾル国が攻めてくるっていう情報は」

 

「担当官から渡されました。バベルでも閲覧可能です」

 

「結構。ならば分からない話でもないだろう? 敵はトウジャタイプの可能性が高い。トウジャはモリビトとほとんど技術体系では同じだが、向こうは量産が簡単だ。物量戦でモリビトが弱いのは身を持って感じたはず」

 

「それは……、勝てばいいだけの話です」

 

「物事はそこまでシンプルではない。トウジャの量産とワンオフ機体の想定。それに、ブルーガーデン国土を滅ぼした謎の人機への警戒。どれを取ってしてみても今のブルブラッドキャリアには不利な要素が多い」

 

「だからって……モモにだけこれを見せたのは」

 

「生存の確率の問題だ。《ノエルカルテット》はまだ奥の手を見せていない。《インペルベイン》と《シルヴァリンク》は対抗策を取られる可能性が高いが、《ノエルカルテット》は一番に生還出来るかもしれない」

 

 確かにまだフルスペックモードさえも晒していない《ノエルカルテット》は最終局面まで生き残れる可能性は高いだろう。だが、その想定通りに進んだ場合、ブルブラッドキャリアの敗色は濃厚になっていく。

 

「……負けを是とするんですか」

 

「何事も考えられる可能性は列挙するべきだ。《モリビトシン》は我々の希望でもある」

 

「現在の技術では建造出来ないのに?」

 

「困りものなのはそれなんだが、血塊炉の安価製造技術も同時並行に進んでいる。宇宙産の血塊炉もこの先可能であるとの試算はあるんだ。だから、《モリビトシン》がこの先も整備デッキで埃を被っているとも限らない」

 

「ブルブラッドキャリア全体の奥の手、というわけですか」

 

「話が早くって助かるね。そうだとも。未知のスペックである《モリビトシン》の、存在だけ頭に留めておいてくれ。きっと、必要になる時が来る」

 

「モモだけが知っているのはそれでもやっぱり、おかしい」

 

「どうかな。案外、この判断が正解だと思い知るかもしれない。遠くない未来に、ね」

 

 笑みを浮かべる担当官に桃は問い質していた。

 

「失礼ながら、そちらのお名前は」

 

「名乗っていなかったね。《モリビトシン》担当官、ひいては全モリビトの技術顧問を務めている、タキザワだよ。よろしく」

 

 手を差し出したタキザワに桃は鋭く言いやる。

 

「信用は出来かねます」

 

「そのスタンスでちょうどいい。なに、一人でも知っていれば御の字の話だ。それに、二号機操主が次の作戦でも乗っているかどうかは怪しいからね」

 

「クロは降りませんよ」

 

「それを決めるのは担当官だ」

 

 無慈悲な宣告に桃は拳を握り締めた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯112 殺し合いの哲学

 

 軌道エレベーターなど乗るのは初めてだ、という人間は少なくはない。リバウンドフィールドの虹の皮膜を貫通する性能を持つ軌道エレベーターは赤く塗装されている。

 

 スカーレット装甲と同じものが使用されているらしい。そう伝え聞いたガエルはゾル国兵士達のどこか沈んだような眼差しを捉えていた。

 

 指揮は低い。それもそのはず。確定情報にはほど遠いブルブラッドキャリアの本丸への攻撃作戦。一つ間違えればミイラ取りがミイラになりかねない作戦に、立案者への不平不満が募るのは当たり前の帰結であった。

 

 リバウンドフィールドを貫通する際、大きくエレベーターが振動する、というアナウンスを聞きながら、ガエルは嘆息をついていた。

 

 ゾル国の一部、エース階級に近い者達でもさすがにブルブラッドキャリアの前線に立つのは死にに行くようなもの、という認識が濃い。

 

 機体編成は《バーゴイル》がほとんどだ、という話を水無瀬から予め聞き及んでいた。

 

 その中で、カイルの機体が突破口になる、という作戦らしい。どうにも胡乱だな、とガエルは判定する。

 

 トウジャタイプ、それも急ごしらえの一機でブルブラッドキャリアの資源衛星に仕掛けるというのは無謀に近い。ひそひそと交わされる会話にはやはりと言うべきか、伏せられている情報への噂話が目立った。

 

「特務大尉の機体が、今回の重要機だって聞いたけれど、あれ、そんなに強いのか? だってあんな重量級の機体、使えないだろ」

 

「宇宙だからこそ、使える機体だって聞いたぜ。地上じゃ役に立たないから宇宙で試すんだと」

 

「それって島流しなんじゃないのか? だってブルブラッドキャリアの本丸が分かったのだって、どこの情報なんだか……。俺達、踊らされてないよな?」

 

 エース級操主達は前回のモリビトが占拠した基地の奪還任務についていた者も多い。ゆえにモリビトが出てくればどれほど脅威なのか身に沁みて分かっているはずなのだ。

 

 だというのに、上はトウジャを無理やり試そうとしている。これでは自分達は何のために戦っているのかも不明だろう。

 

 かといって士気を上げるような事を無闇に言ったところで仕方あるまい。彼らには彼らの役割がある。

 

 自分がレギオンからカイルを任されいるように、彼らには国防と言う名の虚栄の中で戦ってもらうしかない。

 

 大きな縦揺れの振動がエレベーターを激震した。リバウンドフィールドを無理やり抜けたのだろう。

 

 あとは、無重力が支配する空間だ。ベルトを外してもいい旨のアナウンスが流れ、兵士達は各々、接続された宇宙港へと雪崩れていった。

 

 ガエルも先遣隊の位置する港に辿り着く。

 

 まさか惑星の裏側で戦争に明け暮れていた頃には宇宙に行くはめになるなど全く考えていなかった。

 

 整備デッキに並び立つのはどれも最新鋭の装備を施された《バーゴイル》である。宇宙の専門部隊であるスカーレット隊が存在しないのだけが違和感であったが、先のモリビトとの戦闘で全滅した話と照らし合わせれば、一機も現存していないのは想像に難くない。

 

 黒いカラス達の中で一機だけ白の機体色を持っているのは、異常発達した両腕を持つ過積載の機体である。

 

《グラトニートウジャ》はギリギリまで整備を受けていた。その眼前で佇むのはカイルである。

 

 彼はこちらを発見し、柔らかく微笑んだ。

 

「《グラトニートウジャ》の整備状況は?」

 

「八割と言ったところらしいです。でも、実際に星の海に出さないと、結論は分からないみたいで」

 

「空間戦闘をメインに置いた機体だ。推進剤のガスだけは切らさないようにしなくてはな」

 

「その辺は整備班がしっかりと面倒を看てくれるみたいです」

 

 カイルの微笑みに堅苦しいものが浮かぶ。その懸念を読み取ってぽつりとこぼした。

 

「ハイアルファーなる謎の機構が存在すると聞いた」

 

「……叔父さんは僕の考えている事、何でも分かるんですね」

 

 分かりやすいだけだ、と言い返しかけてガエルは含蓄を滲ませた笑みを返す。

 

「不安なのか?」

 

「少し……いえ、かなりかもしれません。ハイアルファーは記録上、操主の精神を蝕む兵装だと聞きました。僕みたいなのが追従出来るのか、それだけが不安で……」

 

 ハイアルファー人機がどれほどの性能を持っているのかは記録でしか分からない。だが、前回、出現した謎のトウジャタイプはハイアルファー人機である、という見方が大多数であった。

 

 あの漆黒のトウジャと相対したのはカイル自身だ。恐らくその戦闘の感触がまだ残っているに違いなかった。

 

「あのトウジャのようになるのは怖い、か」

 

「見透かされていますね。……僕は《グラトニートウジャ》が怖い」

 

「新型機には付き纏うものだ。誰だって初めての機体は怖い」

 

「でも、その恐怖を払拭するのが、エースの役目でしょう?」

 

 その通りだが、自分の判断基準ではカイルの操主としての能力はエースにほど遠い。未熟な操主にトウジャを任せる意味は、しかし理解出来た。

 

 国家の要、象徴たるカイルがトウジャを駆ってモリビトを駆逐する――お歴々の作り上げたそのシナリオは単純にゾル国の支配を磐石にするだけでない。《グラトニートウジャ》に継ぐトウジャタイプの量産を可能にする。他国を黙らせるのに必要なのは今、結果のみ。

 

 その点、C連合は読めない動きを繰り広げている。

 

 新型機の噂はあるものの、それを実戦投入してこない辺り、慎重さが見え隠れした。ゾル国は焦っているのか、《グラトニートウジャ》を使用するのに躊躇いもないようだ。

 

 滅びたブルーガーデン国土に介入しようにも、国家としての能力如何にかかっている。トウジャタイプを手足のように動かせる操主の一人や二人の人柱は必要不可欠なのだ。

 

 たとえ彼らが失敗し、トウジャとハイアルファーが制御出来ぬ代物であったとしても、それを使ったという証明だけで構わない。

 

 今は一つでも戦歴が欲しいというのが正直なところだろう。

 

「モリビトとの戦闘で、何か及び腰になるような事はあるのか」

 

「少し……灰色のモリビトが使った謎の兵装、まだ解析が出来ていないようで……」

 

 Rフィールドを局地的に発生させる武装の事だろう。自分は水無瀬から三機のモリビトに関する情報を得ていたが、一般兵と諜報部門はまだ知らない事実だ。

 

「そう、か。あれがそれほどまでに脅威か」

 

「ええ、だからでしょうか。《グラトニートウジャ》に乗るのも、僕なんかでいいのかって憚られて……」

 

「人は充てられるべき場所に充てられるもの。それを踏まえれば、お前がこの人機に乗るのは宿命かもしれない」

 

「宿命……」

 

 仰ぎ見たカイルの瞳はまだ死んでいない。否、ここで臆病風に吹かれれば困るのだ。最後の最後まで生き意地が汚くとも、トウジャを乗りこなしてもらわなくては。

 

「作戦開始まで間もない。《バーゴイルシザー》の最終整備点検に戻っても……」

 

「すいません、叔父さん。僕のために、時間を割いてくださって」

 

 ガエルは伏し目がちな彼の頭を撫でてやる。

 

「顔を上げろ、カイル。ゾル国の未来は明るい」

 

 身を翻したガエルは我ながらあまりに浮いた芝居をするものだ、と考えていた。

 

『歯の浮くような台詞を吐くのだな』

 

 耳に埋め込んでいた通信機から水無瀬の声が届く。彼は地上に残されたが、通信手段は確立されている。

 

 地上でも一握りの人間しか使えない衛星通信を彼は人間型端末である己を最大限に利用して自分に繋いでいる。

 

「ブルブラッドキャリアの動きは? モリビト三機は宇宙に上がってきたのかよ」

 

『そのようだ。ここまでは、想定内だろう。だが、捨てられた身であるのでね。これ以上を探ろうとすれば痛くもない横腹を突かれる事になる』

 

「痛くもないは嘘だろ」

 

 言い返すと、水無瀬は言葉の表層で笑った。

 

『ガエル・ローレンツ。レギオンの動きは迅速だ。君への次の対応策を練っている。《グラトニートウジャ》は彼らの回し物だろう』

 

「あのトウジャのハイアルファー、聞いた限りじゃ相当ヤバイって話だな」

 

『ハイアルファーに危険ではない代物などない。あれは搭乗者への負荷を加味した兵器だからね。特にトウジャにスタンダードに組み込まれているのは、あれが容易に量産可能であるからだ。恐らくはナナツーの新型を用意するよりも容易いだろう』

 

「その事だが、C連合はナナツー新型と同時並行に進めてるって噂はどうなった?」

 

『まだ不確定だが、トウジャタイプの姿が見え隠れするな。しかしゾル国ほどではあるまい。この国家は人機開発の第一人者であるタチバナ博士を軟禁に近い状態で保持している』

 

「……おい、そりゃマジなのか?」

 

 タチバナの身柄がゾル国にあるとなれば、それこそC連合との緊張に亀裂が走りかねない。しかし水無瀬は事もないように言う。

 

『嘘を言ってどうする。なに、洗脳だとか、無理やり協力を買おうと言う話でもない。まぁ、軟禁している時点で、祖国であるC連合からしてみれば面白い話でもないだろう。戦争、と来るかどうかは別だがね』

 

「老人一人を巡って戦うとも思えないからな。あるとすりゃ、やっぱり資源を巡っての戦いか」

 

『いや、資源は今ある分だけでも満ち足りているはずだ。問題なのは根底だよ。トウジャ開発を急いでいるのもその辺りに起因していると見ていい。人は、醜く争い、時として不要なものさえも奪い合う。それは世の常だ。最重要なのはやはりブルブラッドキャリアをどの国家が駆逐するか、だろう』

 

 やはりそう来るか。ガエルは愛機の《バーゴイルシザー》を視野に入れたまま無重力を漂う。

 

「どこが早いかっていう競争か。ブルブラッドキャリアの資源衛星を捉えたってのも、随分とまぁ、急な話だと思うぜ? これ、裏で糸引いている連中がいるんだろ?」

 

『わたしと同じ人間型端末のうち、一人が行方不明なのは言ったね?』

 

 一人はタチバナの助手だったか。もう一人が行方をくらませたのは聞いた覚えがある。

 

「それがどうした?」

 

『人間型端末はそれだけで充分に一国の強みとなる。もしもの話だが、白波瀬がどこかの国に味方するとなれば、その国家が群を抜く可能性は否めない』

 

「たった一人の裏切り者で国家のバランスが崩れるってか」

 

 ガエルは《バーゴイルシザー》のコックピットブロックへと入る。ここならば盗聴の心配もない。別の回線が割って入り、ガエルへと命令を下した。

 

『ガエル・シーザー特務准尉。《バーゴイルシザー》による作戦遂行まで残り二時間を切りました。準備を』

 

「了解。《バーゴイルシザー》、出撃準備に入る」

 

 復誦してから、水無瀬の言葉に耳を傾けた。

 

『この情勢ではどこが一抜けてもおかしくはない、というわけだ』

 

「滅びたブルーガーデンでも、か?」

 

 冗談めかした言葉に水無瀬は嘆息をつく。

 

『……正直なところ、滅びた、というのも違うような気がしてならない。汚染はされただろう。だが、あの国家は元々、人間が支配している国ではない』

 

「天使だったか」

 

『それらを統べる上級存在は人間であるはずがないのだ。いや、人間がいないわけではないが、それらは所詮、他国との交渉を円滑にするブラフ。あの国家の真の支配者は古代に枝分かれしたスパコンのはず』

 

「おいおい、コンピュータが支配していたって? いつの時代のSFだよ」

 

『だが事実上、ブルーガーデンはそういう国家のはずであった。だからこそプラント設備を破壊すれば、それなりの打撃が与えられるのだとブルブラッドキャリアは判断したのだ』

 

 実際にはそうではなかった、という事なのだろう。ガエルは作戦開始時刻までのカウントを呼び出した。

 

「小難しい話は宇宙帰りに聞くぜ。少し寝かせろ。働き詰めだ」

 

 ガエルの口調に水無瀬はフッと笑みを浮かべたようだ。

 

『この局面においても眠れるのはある意味、尊敬するよ』

 

「そうか? 睡眠は何よりも大事だぜ? 戦い続けるのに、休息がなくっちゃな。殺し合いも、休眠を含めてのもんだ。それくらい分からないと星の隅っこで何百人も殺す事なんて出来やしねぇ」

 

『なるほど。君の哲学には毎度の事ながら驚かされる』

 

 哲学と来たか。ガエルは失笑する。

 

「殺し合いの経験則だよ。じゃあな。少しばかり切るぜ」

 

『ああ、互いにいい夢が見られるように祈ろうじゃないか』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯113 抗いの刃

 汚染領域の爆心地から救助された、というだけでも一大事なのに、トウジャタイプから運び出されたのは背中に整備モジュールを持つ少女であった。

 

 C連合の軍部スタッフが総出で少女の心肺蘇生措置に当たっている。ブルーガーデンの軍部の心得がある人間は皆が呼び出されていた。

 

 慌しい軍部の廊下を抜けて、リックベイは道場に至る。道場では桐哉が素振りを行っていた。

 

 一日に千回以上の素振りを要求したが、彼はそれを実行している。今のところ破っていないのを見るに、やはり相当な精神力の持ち主だ。

 

《プライドトウジャ》単騎で戦場を生き抜いたその胆力は伊達ではないのだろう。

 

「聞きました。ブルーガーデンから、救助した、少女がいると」

 

 タカフミだな、とリックベイは感じながら胴着に袖を通す。

 

「それがどうかしたか? 今の君には関係のない事だ」

 

「その機体が、トウジャタイプであった事も。……恐らく、俺は一度、その機体と会っています」

 

 素振りを止め、桐哉が振り返った。汗が顎から滴り落ちる。

 

「だから何だ?」

 

「面会を。もし、その少女が生き残ればの話ですが」

 

 リックベイは彼の双眸を真っ直ぐに見返し、その覚悟を問い質してから言葉を紡いだ。

 

「……会わせられないな」

 

「何故です」

 

「今の君は戦士ではないからだ」

 

 その帰結に桐哉は言葉を詰まらせた。

 

「《プライドトウジャ》さえ修復すればいつでも……」

 

「そのような問題ではない。今、行っているのは修練。その修練を怠れば、戦士としての格は著しく落ちる。我慢の時というものを心得ろ。桐哉・クサカベ」

 

「我慢、ですか。俺はでも、ここまで我慢してきた」

 

「まだ零式の一部さえも継承していない。これでは鍛錬など夢のまた夢だ」

 

 リックベイは竹刀を手にする。構えたリックベイに桐哉が姿勢を沈めた。ここ数日で随分と様になったものだ。

 

 零式の本懐は相手の構えに呼応する事から始まる。その一端を掴んでいるのは窺えたが、今はまだ褒め称えるべき場所ではない。

 

「行くぞ。我が零式、受け止め切れるか、桐哉・クサカベ」

 

「本気で来てください。俺も、すぐに戦場に戻らなければならない」

 

「勘違いをしているようだから言っておこう。戦士でないものに、戻れる戦地など存在しない!」

 

 踏み込んだリックベイの太刀筋に桐哉が下段から竹刀を突き上げる。刃同士がもつれ合い、激しい剣戟の音が道場に木霊する。

 

 一撃目で構えを崩さなくなったのは成長だが、この程度で零式抜刀術を継いだ気になられては困る。

 

 返す刀の一打が桐哉の肩口を狙い澄ました。摺り足で後退し、桐哉は刃を受け切る。その足取りに乱れはない。

 

 だが呼吸に僅かな間隔の異常を感じ取った。素振りだけではないのだろう。心労か、あるいは逸る気持ちの表れか、呼吸数が随分と早い。

 

 この呼気では次の一撃を受け止めるのは叶わないだろう。胴を割るように薙ぎ払った一閃を桐哉は感覚のみで受け止めようとするが、そこで無理が生じた。

 

 姿勢が崩れ、磐石であった足並みが乱れる。応、と発した咆哮で桐哉の構えを打ち崩し、リックベイは倒れた桐哉の喉元に切っ先を突きつけた。

 

「ここまでだ。焦っても何もいい事がないのは学んだか?」

 

 見透かされている事に桐哉は息を呑んだ様子である。

 

「……じゃあどうしろって言うんです。モリビトを早く、倒さなくっちゃいけないのに」

 

「今のまま出ても格好の的だ。零式をすぐに習得出来ると思うな。入り口に立っているに過ぎない」

 

 リックベイは身を翻し竹刀を壁に立てかけた。今の一戦だけでも汗が滲むようになった、というのは単純に桐哉が強くなったからか。あるいは自分の中にも迷いがあるからか。

 

 ブルーガーデンの少女。人造天使と呼ばれている彼女が生存しているかどうか、気にならないと言えば嘘になる。今までブルーガーデン兵士の話を聞く事などまずなかったからだ。貴重な話が聞けるかもしれない、と僅かにこの一戦とは別の場所で考えていた。

 

 いずれにせよ、滅びた国の話をしてその国家の兵士が正気でいられるかどうかではあるが。

 

 あのトウジャタイプは汚染の中心域にいた。つまり、蝿型人機との戦闘を行った末に、ブルブラッドの噴火が発生した事になる。その前後に何が起こったのかを詳らかにしなければ、自分達はまたしても間違えるであろう。

 

「リックベイ・サカグチ少佐……俺はどうすればあなたに近くなれる」

 

 呻くように発せられた桐哉の声にリックベイは軍服を着込んで返す。

 

「修練のみだ。ただ、それのみを考えろ。零式抜刀術は、ただの戦闘術に非ず」

 

 そう言い置いてリックベイは道場を後にした。廊下で待ち構えていたタカフミに、声を低くする。

 

「……桐哉に余計な事を吹き込むな」

 

「バレましたか……。でも、あいつも知る必要はあると思うんですよ。今、世界で何が起こっているのか」

 

「まさかゾル国の事も言ってはいまいな?」

 

「おれだって言っていい事と悪い事の判別はつきます。ただ、トウジャに関しては遭遇してる可能性も高いと思って言ったまでですよ」

 

 回収したトウジャのデータベースにはまだアクセスしていないが、あれがブルーガーデンの主力機であった場合、モリビトとの戦闘データでさえも引き出せる可能性がある。

 

「もし、あれがモリビトとの実戦でさえも踏んでいるのだとすれば、我々にとって大きな躍進となる」

 

「《スロウストウジャ》の戦闘経験値として埋め込める、って事ですよね。そうなれば《スロウストウジャ》はほとんど無敵だ」

 

《プライドトウジャ》とブルーガーデンのトウジャタイプ。この二つのトウジャから成る《スロウストウジャ》は量産機とは思えない能力に達するであろう。

 

 問題なのは、それほどまでに強力となってしまった人機を誰が御するのかだ。

 

「カウンターモリビト部隊の編成案、通っているのだろうな」

 

「上からの反応は悪くはないですよ。それにトウジャ回収時についてきたナナツー部隊のエース達はちょうどいい人数編成です。彼らに《スロウストウジャ》を預けるのも一つの考えでしょうね」

 

 案外、容易にカウンターモリビト部隊の要望は通りそうである。今のままではまずいのは、桐哉に関してだろう。

 

 それを見透かしたのか、タカフミが後頭部を掻く。

 

「あいつ……今のままじゃ戦えないんでしょう?」

 

「零式を一度学ぶと決めたのならば、中途半端に出すわけにはいかない。前回はあの基地を守る、という名目があったからこそ出したのだが、今回、彼は居場所をなくし、さらに復讐の矛先でさえも危うい状態だ」

 

「祖国に牙を剥く、って話ですか」

 

 彼の言葉通りならば守るべきものを壊したのはゾル国の《バーゴイル》部隊。本国に裏切られ、何もかもを奪われた男の行き着く先はどのような地獄なのだろうか。

 

 その地獄の荒野をたった独りで歩むその志は。

 

「それにしたところで、あいつに余計な事は吹き込むな。鍛錬の邪魔になる」

 

「知りたがっていたんですよ。教えないのも酷でしょう?」

 

「世界の事を知ったところで奴はどうしようもあるまい。死ねぬ身体に、出せぬ機体。このままでは何も成せないまま状況だけが転がっていくのに苦々しい思いを噛み締めているのは当然だろう」

 

「モリビトを倒す云々より前に、戦争が起きてしまえばどうしようもないですからねぇ」

 

 リックベイは歩みを止め、タカフミへと視線を振り向ける。

 

「ゾル国の動きは? どうなっている?」

 

「宇宙に出たって事以外は、何も。手薄な今がチャンス、ってわけでもないんでしょう?」

 

「攻めても、し損じるのならば意味がないという事だ。一気呵成に畳み掛けるほどの余裕がなければ厳しいだろう」

 

「C連合だって疲弊しているわけですからねぇ。《ナナツー参式》部隊だけじゃ難しいっすか」

 

「今はブルーガーデンの爆心地における調査と、彼女へと事情を聞く事だ」

 

「その事なんですが、目が醒めたようですよ。ブルーガーデンの尖兵」

 

 タカフミの言葉にリックベイは目を見開く。

 

「随分と早いな。……強化兵という噂は嘘ではなかったか」

 

「あの背中の羽根を見れば、噂は本当だったって思うしかないですよね。……整備モジュールのついた人造人間」

 

 タカフミもどこかヒトの所業にしてはおぞましいと感じている様子であった。ブルーガーデンは一体いつから、あのような禁忌に手を染めていたのだろう。あるいは最初からか。国家の根底が禁断と悪辣に塗れていたのだとすれば、最早滅びたのも已むなしと考える他ない。

 

「面会をしたい。出来るか?」

 

「そう仰ると思って、今、医務室に連絡を行っている途中ですよ。端末をどうぞ」

 

 タカフミがコールする端末を片手にリックベイは声を吹き込む。

 

「わたしだが、捕虜は……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯114 因果の糸

「よく帰ってきたね」

 

 招かれたラボには薄緑色の光が漂っており、水槽を遊泳するのは見た事もない生物であった。

 

「深海魚の一種でね。地上ではとうに滅びた原生生物の一つだ」

 

 深海魚というらしい生物は浮き出た瞳を鉄菜へと向けていた。

 

 椅子に腰かけた担当官――リードマンは静かに口火を切った。

 

「地上はどうだった?」

 

「……酷い有様だ。どこへ行っても戦争、紛争。コミューンという場所の暮らしも楽ではない。浄化装置に頼り切った人間達。それに、一歩とて外に出られない汚染された大気」

 

「それでも、君は外に出られただろう?」

 

 問い返されて鉄菜は頷く。

 

「そのように設計されたからだ」

 

「そう、その通り。君は特別だ。三人の操主の中でも、特にね。その身体に見合わない人工的に強化された筋力と、血続としての能力。汚染大気に全く左右されない強靭な肉体。我々が生み出した中でも傑作と言ってもいいほどの出来だった」

 

「用向きは何だ? 私を、二号機から降ろしたいのか」

 

「そう感じているのか? 二号機操主には相応しくない、と」

 

 尋ね返された言葉に鉄菜は拳をぎゅっと握り締める。

 

「……客観的事象が私を二号機の操主として継続させるのに適任ではないと示している」

 

「客観的な事などどうでもいい、とは言えない辺り、まだ自我の発生が今一つだな。無理もないか。鉄菜・ノヴァリス。いや、我々の擁する血続計画の産物は、まだ三年程度しか生きていないのだからね」

 

「教えろ。私は何なんだ? 時折脳裏を掠めるイメージがある。私は、誰なんだ?」

 

「現状の権限では、混乱させるだけだ。鉄菜・ノヴァリス。二号機から降ろし、完全にその身柄を引き取るのならば別だが、まだその時ではない」

 

「私をまだ《シルヴァリンク》の操主として認めている、という意味か」

 

「好意的に取るのならばそうだね。だが、別の側面もある。モリビトを操るのに、他の人間では不都合なんだ。せっかく、あらゆる犠牲の上に成り立たせた操主候補。それを廃してまた一から選定し直すのは骨が折れる」

 

 鉄菜は記憶の奥底にある自分の似姿との戦闘を思い返す。何度も何度も戦い、殺してきた感触がある。

 

「……私は誰だ?」

 

「鉄菜・ノヴァリスだろう。それは変わらない」

 

「違う。本当の私は誰なんだ。二号機操主としてでも、お前らの造り上げた血続としてでもない。私の、本当の部分の私は誰なんだ」

 

「難しい事を言う。本当の自分なんて誰も分かっちゃいない」

 

 口元を綻ばせたリードマンに鉄菜は歩み寄っていた。その襟首を掴み上げ、睨み据える。

 

「私は誰だ? 何のために、モリビトに乗っている?」

 

「世界を変えるためだ。惑星への報復作戦のために選定された、操主だよ」

 

「違う! 形骸上の役職じゃない! 私は何のために、ここにいる?」

 

「……驚いたな。感情は常にフラットにするように設計されているはずなのに、声を荒らげるなんて。あの二人との日々が君を少しばかり変えたかな? あるいは、君を教育した、彼女の記憶が戻りつつあるのか」

 

「彼女? 誰だ、そいつは」

 

「まだ記憶の奥底に眠っているはずだ。前任者、人造血続の設計に深く関わったブルブラッドキャリアの研究者。――そして、君の遺伝子サンプルの提供者でもある。百体を超える人造血続の基になった人間。最初の血続。その名前は――」

 

 その言葉が紡がれる前に警告が響き渡った。赤色光に染まったラボに鉄菜は警戒を走らせる。

 

「何が……」

 

「どうやら長話は出来ないらしい。鉄菜・ノヴァリス。二号機に戻りたまえ。仕事だ」

 

「まさか、ゾル国が」

 

「攻めてきたのだろう。さぁ、《シルヴァリンク》で蹴散らして来い」

 

「……言われるまでもない。私は、《モリビトシルヴァリンク》の操主だ」

 

 身を翻して駆け出したが、鉄菜の胸の中に深く沈殿する何かがあった。

 

 ――自分の基になった存在。そして、自分はまだ三年しか生きていない人造人間であった。

 

 ある程度予感していたものの、鉄菜はざわめく己の胸中を持て余す。

 

「……落ち着け。私はまだ、戦う事を止められてはいない」

 

 そう、自分は戦う事しか出来ない破壊者。ならば、モリビトに乗り込み、敵を葬るのみだ。

 

 整備デッキには既に二人が揃っていた。桃と彩芽がそれぞれのモリビトへと乗り込む。

 

 モリビトに取りついていた整備士達が声を振り向けた。

 

「アンシーリーコートの酷使によるダメージは出来るだけ修復しておいた。空間戦闘における概算値をシミュレートし、適性値へと振っておいたから調整は必要ない」

 

「感謝する」

 

 言葉の上だけの賛辞を置いて、鉄菜はコックピットブロックへと入った。

 

 ジロウがすぐさま起動し、全天候周モニターに《シルヴァリンク》のステータスが呼び起こされる。

 

『鉄菜、敵は第一次防衛線に入ったばかりマジ。まだこの資源衛星を特定したわけじゃないマジが、ここからモリビトが出れば、教えるようなものマジ』

 

「どうすればいい?」

 

『ルートを指示するわ。モリビトの操主各員は指定されたルートからモリビトを発進させて』

 

 ニナイの声が響き渡り、モリビト三機はそれぞれ、別の昇降用隔壁から出撃体勢に入った。

 

《シルヴァリンク》はフルスペックモードが施されている。《インペルベイン》も同様だ。

 

 三階層ほど降りた場所から別の資源衛星へと辿る道標が示され、《シルヴァリンク》が移送されていく。

 

 第一次防衛線の映像が投射され、銃座が《バーゴイル》部隊を狙い澄ましているのが窺えた。どれも無人の防衛機構だろう。

 

《バーゴイル》の試作型プレスガンが常闇を引き裂き、防衛線の銃座を撃ち抜いていく。

 

「数は? 何機出ている?」

 

『詳しくは分からないマジが、十機編成に近いマジ。ただ、それにしては妙なのが、別働隊の存在マジねぇ』

 

「別働隊? 十機とプラス何機だ?」

 

『防衛線にかかっていない機体は不明マジ。遠回りしてでもこの資源衛星を狙うつもりかもしれないマジよ』

 

『聞こえる? 《インペルベイン》は第一次防衛線の網にかかった《バーゴイル》を一掃する。二号機は別働隊を視野に入れて行動。三号機は』

 

『分かってるって。モモは資源衛星の守りに入る。第二次防衛線で拠点防衛任務につく』

 

 どうやら三機それぞれが別の役割を割り振られるらしい。鉄菜は《シルヴァリンク》のコックピット内部をなぞった。

 

「……もう乗れないかもしれないと思っていた」

 

 一時的ではあっても、《シルヴァリンク》に再び乗れる事に安堵している自分がいる。操縦桿を握り締め、カタパルトへと接地した《シルヴァリンク》へと誘導灯が照り輝く。

 

 システムがオールグリーンを示し、発進準備が整った。

 

「《モリビトシルヴァリンク》、鉄菜・ノヴァリス。出る」

 

 カタパルトから火花を散らしつつ出撃した《シルヴァリンク》が宇宙の常闇に銀翼を広げた。

 

 フルスペックモードではあるが、光学迷彩の外套はまだ調整中らしく、Rクナイ四基のみの装備であった。

 

 腹部に装着したRクナイの重量を感じつつ、鉄菜は策敵に務める。

 

「別働隊とはいえ、このデブリの中だ。簡単にこちらを見つけられるとは思えない」

 

『それには同意マジが……ゾル国には空間戦闘のノウハウがあるマジ。いくら惑星外延軌道に絞っているからとは言っても油断出来ないマジよ』

 

「いずれにせよ、叩き潰すのみだ」

 

 その時、不意にレーザー網にかかった敵陣営を見つける。こちらの策敵用のデブリが発見したのだろう。

 

 鉄菜は敵陣営に仕掛けるべく、推進剤を最小限に留め、デブリの陰に隠れた。

 

 資源衛星の合間を縫うように機動するのは《バーゴイル》部隊である。三機編成で一機は他二機に牽引されるような形を取っていた。

 

 宇宙空間では通信チャンネルをオープンにすれば敵に居場所を晒すようなもの。

 

 ワイヤーで繋がった三機へと鉄菜は攻撃を見舞おうとした、その時である。

 

 牽引されていた殿の一機の機体参照データに目を瞠った。

 

「《バーゴイルシザー》……あの機体は……!」

 

 目視戦闘に移る前に、鉄菜は衛星から飛び出してがら空きの背後へとRクナイによる全包囲攻撃を浴びせかける。

 

 それを察知したかのように二機の牽引から外れた《バーゴイルシザー》が軽やかに回避した。

 

 うろたえ気味の二機がこちらに気づいたのは遥かに遅い。Rクナイに装備されたクナイガンの銃弾が《バーゴイル》の頭部コックピットへと命中していた。

 

 即座に孤立した《バーゴイルシザー》へと《シルヴァリンク》が肉迫する。敵もこちらに気づいたのか、腕を半回転させて鎌の両腕を突き出した。

 

 盾の裏側からRソードを発振させ、そのままの勢いを殺さずに打ち下ろす。

 

 干渉波のスパークが激しく散る中、接触回線に声が響き渡った。

 

『こんなところまでご苦労さんだな! モリビトよォ!』

 

「やはり、お前は……あの時の!」

 

『案外、運命の赤い糸ってのは分からないもんだよなぁ。宇宙でもオレに会いに来たのか? 青いモリビトのガキぃ!』

 

《バーゴイルシザー》が鎌を薙ぎ払う。《シルヴァリンク》のRクナイがその動きを阻害し、別方向から攻め立てた。

 

 しかし、敵にはまるでそれが見えているかのように距離が取られる。

 

 宇宙空間でRクナイの全方位攻撃を回避するなど神業に等しいのに。

 

 歯噛みした鉄菜に男は哄笑を上げた。

 

『いい具合に部隊のうち、二人も殺してくれたじゃねぇの。これで一騎討ちに持ち込んだつもりか?』

 

「……さっきの一撃で殺すつもりだった」

 

『そりゃ、災難だったな! ブルブラッドキャリアのモリビトさんよォ! てめぇらの宙域、掻き乱させてもらうぜ。それに、今回、主役はオレじゃねぇのよ』

 

「ふざけた物言いを……!」

 

 Rソードを振り上げて接近した《シルヴァリンク》に《バーゴイルシザー》が鎌を払って応戦する。

 

『ふざけちゃいねぇぜ? 至極真っ当だ。それとも、てめぇらも知らないのか? トウジャってヤツの強さを』

 

「トウジャ? どうしてゾル国がトウジャを……」

 

 そこまで言ってからしまったと感じる。口を閉じた時にはもう遅い。相手の口車に乗ってしまった。

 

『よぉく、分かったぜ。ブルブラッドキャリアだって万能じゃねぇって事をよ』

 

「……ここでお前を墜とせば、何の問題もあるまい」

 

 Rソードを構え直した《シルヴァリンク》に《バーゴイルシザー》も両腕の鎌を打ち鳴らす。

 

『そいつは傑作だな。墜とせんのか? 青いモリビトのガキがよォ!』

 

 推進剤を棚引かせて《バーゴイルシザー》が《シルヴァリンク》の射線に入る。Rクナイが機動し、四方八方からその機体を分散させようとしたが、敵は鎌を両肩に懸架し直し、防ぎ切った。

 

 空いた両手が《シルヴァリンク》の振るったRソードの腕を抱え込む。

 

 舌打ちを漏らしつつ、リバウンドの盾に出力させ、《バーゴイルシザー》を引き剥がした。

 

 お互いに大きく後退しつつも、鉄菜は荒く息をつく。

 

 一進一退だ。少しでも油断すれば取られる。

 

 鉄菜はRソードの出力を僅かに上げた。ここで禍根は断ち切らなければならない。

 

 敵は鎌を再び両手に装備し、こちらと対峙する。

 

『オレは今回ばかりは引き立て役だ。せいぜいやられねぇようにしな。モリビト!』

 

 鉄菜は咆哮し、《バーゴイルシザー》へとRソードを薙ぎ払った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯115 【バアル・ゼブル】

 第一次防衛線に到達した彩芽は《インペルベイン》の推進剤の推力を上げて遥か直上を目指した。

 

 頭上からのアルベリッヒレインで一掃すれば《バーゴイル》など怖くはない。十機編成では時間を食うだろうが、それもすぐに済むだろう。

 

「まだ銃座に手間取っている相手。熟練度は高くないと見た」

 

 デブリから放射される銃撃に相手は困惑を浮かべている。取るのならば今であった。

 

 照準器が《バーゴイル》を狙い澄ます。両手の武器腕を稼動させ、腹腔と肩口の連装ガトリングを稼動させようとした、その時であった。

 

 ふと、黒ばかりの《バーゴイル》の中に白亜の機体を見つける。

 

《バーゴイル》ではない。両腕が異常発達した肥満体の人機である。《バーゴイル》部隊の動きが悪いのは何も銃座に手間取っているだけではない。

 

 重装備のその機体を牽引しているのだ。

 

 何だ、と拡大ウィンドウにその機体の参照データを呼び出そうとして、不意にその機体が頭上を仰いだのを目にした。

 

 心臓が鷲掴みにされたような感覚。冷ややかな汗が伝い落ちる中、ワイヤーを引き千切り、巨躯の人機が推進剤を焚いてこちらへと肉迫してきた。

 

 引き金を絞り、ありったけの弾丸を叩き込む。

 

「アルベリッヒレイン!」

 

 裁きのような銃弾の雨に、その人機はまるでダメージを負った様子がなかった。堅牢な装甲がほとんどの銃弾を弾く。

 

 その一機に集中したせいで他の《バーゴイル》への照準が削がれた。

 

 狙いをつけ直す前に白い人機が《インペルベイン》に突撃を見舞う。激震するコックピットの中、彩芽は敵の操主の声を聞いていた。

 

『モリビト……ここでお前を倒せば、僕は!』

 

「何の因果か知らないけれど、倒されるほどやわじゃないっての!」

 

 蹴りつけた《インペルベイン》が敵の人機から距離を取ろうとする。両手の武器腕を反転させて溶断クローを構築し、敵の人機の背後へと回ろうとした。

 

 連装ガトリングによる牽制射撃が背筋を叩きのめしたかに思われたが、白亜の人機は背面装甲も分厚い重装備に守られている。

 

 装甲の塊、あるいは重装備のみを追及した意味を成さないただのデブリにさえ映る。

 

 彩芽はその機体をつぶさに観察する。両腕の先は顎のようになっており、牙が並び立っていた。

 

 全身に推進剤が埋め込まれており、通常ならば熱暴走を起こす推力を可能にしている。

 

 機体参照データがある一機の人機を呼び出していた。その名前に彩芽は目を見開く。

 

「まさか……あれが、トウジャだって言うの?」

 

 導き出されたのはトウジャタイプの共通識別コードである。しかし、眼前の敵はトウジャにしてはあまりにも巨体である。肥満を思わせるその機体が両腕を開き、寸胴じみたその身体を静止させる。

 

「……驚いたわね。トウジャだって? その機体」

 

『如何にも。《グラトニートウジャ》。カイル・シーザー。モリビトを殲滅する!』

 

 全身からスラスター推力が発生し、《インペルベイン》へと《グラトニートウジャ》が片腕を突き出す。

 

 だがあまりにも緩慢な動きだ。避けるのは難しくない。上に逃げた《インペルベイン》は両腕から銃撃を叩き込む。

 

 それでもほとんどダメージにはなっていないようだ。

 

 装甲の表層のみを叩く銃撃に彩芽は舌打ちする。

 

「実体弾じゃ埒が明かない」

 

 敵が牙のようになっている片腕を突き上げた。内側から引き出されたのは巨大な砲門である。

 

 発射されたのはそれそのものが人機一機分はあるであろう、黄色の光軸である。

 

 R兵装、と判じた《インペルベイン》に回避機動を取らせる。デブリが焼かれ、偽装衛星が爆発の光に抱かれていく。

 

 そんな最中、《バーゴイル》部隊が防衛網を抜けていった。いけない、と《インペルベイン》を走らせようとして、《グラトニートウジャ》が両肩の武装壁を開く。

 

 中からおびただしい数のミサイルが放射され、彩芽は進行先を遮られた形となった。

 

 連射してミサイルを叩き落したその時には、《グラトニートウジャ》がこちらへと接近している。

 

《インペルベイン》の装備では豆鉄砲のようなものだ。彩芽は溶断クローを展開し、《グラトニートウジャ》の腹腔を抉り込もうとする。

 

《グラトニートウジャ》の装甲が焼け爛れるもやはり一撃では血塊炉まで届かない。

 

 敵は片腕を開き、顎のような巨大マニピュレーターで《インペルベイン》の腕をくわえ込んだ。

 

 軋みを上げると同時に噛み付かれた箇所がレッドゾーンに達し、次の瞬間には、《インペルベイン》の片腕が粉砕されていた。

 

 溶断クローの根元から破砕されており、顎が武器腕を噛み締めている。

 

「……迂闊にも近付けない」

 

 接近戦は避けつつ、効率的に敵の動きを割くには方法論は少ない。彩芽は深呼吸し、《グラトニートウジャ》を見据えた。

 

 最早、容赦はしない。完全にここで駆逐する。

 

 そうと決めた彩芽の戦闘本能が封印武装の解除を促す。

 

 リバウンドブーツが稼動し、瞬時に《グラトニートウジャ》の直下へと潜り込んだ。

 

『ファントムか!』

 

「Rトリガーフィールド……照射開始」

 

 色相が反転し、宙域一帯を飲み込んだのはリバウンドフィールドの皮膜である。

 

 動きさえ阻害してしまえば、敵はただ装甲が堅いだけの人機。消耗戦ならば勝てる算段はある。

 

 白亜の人機は周囲を見渡し、自分がリバウンドの空間に放り込まれた事を理解した様子であった。

 

『そうか。前と同じ、リバウンドの自在空間の中』

 

「そう、この中じゃわたくしの《インペルベイン》が一方的に優位!」

 

 跳ね上がった《インペルベイン》がリバウンドフィールドを足場にして立体機動に入った。

 

 如何に防御が強くとも、《インペルベイン》の封印武装を前に生き残れるはずがない。

 

 残った片腕の武器腕が銃撃モードに入り、死角からのゼロ距離射撃を試みようとした、その時である。

 

『なら、これが有効だな。ハイアルファー起動。【バアル・ゼブル】、全てを飲み込め』

 

 トウジャ特有のX字の眼窩が赤く煌いた。刹那、《グラトニートウジャ》の装甲が段階的に開き、内部骨格を浮き上がらせる。

 

 彩芽はリバウンドの空間に歪みを察知した。

 

 本来ならば指定した時間内は絶対の優位を約束するはずのリバウンドフィールドが流動し、一点に向けて吸引されているのだ。

 

 その事実に彩芽はルイへと呼びかける。

 

「何よ、これ……。ルイ、この状況は……?」

 

『分からない。リバウンドフィールドが破壊されるでも、ましてや無効化されるでもない。これは……吸収されている』

 

 吸収。その事実に彩芽はステータスに浮かび上がるリバウンドフィールドの領域が狭まっているのを関知した。

 

 まさか、とその中心軸へと視線を投じる。

 

《グラトニートウジャ》がリバウンドの空間を吸収し、瞬く間にRトリガーフィールドの宙域が掻き消されていく。

 

 二十秒もしないうちにリバウンドフィールドは跡形もなくなっていた。

 

 目を戦慄かせる彩芽に《グラトニートウジャ》が装甲版を収納する。

 

「リバウンドのエネルギー波を、呑んだって言うの……」

 

『その通り。《グラトニートウジャ》のハイアルファー【バアル・ゼブル】は全てのR兵装を吸収し、その根源を無効化する。そして、吸い取ったR兵装はそのまま、《グラトニートウジャ》の武器となる。展開、リバウンドフィールド』

 

《グラトニートウジャ》を中心として周囲一帯に構築されたのは自分が先ほど展開したのと同じ、リバウンドの空間であった。

 

 違うのは自らの味方であったリバウンドの皮膜が完全に敵のものになっている事だ。

 

 出る事は叶わず、まして利用する事など出来るはずもない。

 

《グラトニートウジャ》が直上に向けて砲門を突き上げ、一射する。リバウンドの皮膜がその射線を偏向させた。

 

 位相を変えた《グラトニートウジャ》の砲撃が《インペルベイン》を狙いつける。まさか、と砲撃を回避しつつ、彩芽は震撼する。

 

「同じ、だって言うの……。《インペルベイン》のRトリガーフィールドと」

 

『ハイアルファー【バアル・ゼブル】は敵のR兵装の能力を瞬時に解析し、模倣し、発生させる。貴様はもう逃げ帰る事も、ましてやこの《グラトニートウジャ》を前に応戦する事も出来やしない。ここで潰えろ。モリビト』

 

《グラトニートウジャ》が全身の推進剤を焚いて《インペルベイン》へと肉迫する。彩芽は直上へと逃れようとしたが、あまりに利用出来る空間が狭い。

 

 リバウンドブーツで足場にしようとして、ブーツ裏面がイエローの注意勧告に染まった。

 

 このリバウンドフィールドは敵のものなのだ。こちらの優位には働かない。

 

 当然の事ながら足場になど出来るはずもない。

 

《グラトニートウジャ》が砲門を照準する。彩芽は舌打ち混じりにその砲撃から逃れようとするが、リバウンドフィールドを伝い、R兵装はどこまでも追ってくる。

 

 逃げ場などない。

 

 自分は籠の中に囚われたも同じなのだ。砲撃の威力が消えるまで推進剤を焚こうとしても、それはすぐに限界が生じる。

 

 黄色の光軸が背面から狙いをつけ、《インペルベイン》に襲い掛かった。紙一重で回避するも、R兵装は消えずにリバウンドフィールドの中へとまたしても潜り込む。

 

 無限だ。

 

 この空間に囚われている限り、敵の攻撃は無限に自分を追い詰める。

 

 額に汗が浮かぶ。焦燥に息が詰まりそうだった。《グラトニートウジャ》は積極的にこちらを狙うべく精密な砲撃などする必要はない。

 

 リバウンドフィールドが消えるまでの三分間。自由自在に自分を追い込む事が出来る。

 

『さて、懺悔の時だ。モリビト、それにブルブラッドキャリア。ここで潰える運命を知れ』

 

《グラトニートウジャ》の砲口が《インペルベイン》を狙う。彩芽は震え出した手を押し留めた。

 

 ――怯えている?

 

 今まで数多の敵を葬ってきた自分が。

 

《グラトニートウジャ》の放った砲撃がリバウンドの宙域を伝い、再び自分へと降り注ごうとする。

 

 加えて《グラトニートウジャ》本体の砲撃。

 

 打つ手がない。この状態から勝利する手段がまるで思い浮かばなかった。これまでいくつもの死線を越えてきたはずの戦闘神経が、この局面で応答しない。

 

 無駄だと告げている。

 

 どう策を弄しても、目の前の人機一体に勝利する手立てがない。恐怖が這い登り、彩芽はコックピットの中で吼えた。《インペルベイン》が《グラトニートウジャ》へと直進する。

 

 瞬間、黄色の光軸が放たれた。視界いっぱいにR兵装の光が染み渡る。

 

『マスター! 避けて!』

 

 ルイの声が弾け、彩芽は反射的にフットペダルを踏み込んで機体を逸らしていた。

 

《インペルベイン》の全身の駆動部へと敵のR兵装が突き刺さる。激震に彩芽は激しくコンソールへと額を打ち付けた。

 

 頭蓋が割れたのではないかと思えるほどの痛みが鋭く走り、彩芽は朦朧とする視野の中、《インペルベイン》がまだ稼動している事に驚く。

 

 だが、半身がレッドゾーンであった。

 

 ――身体半分、持っていかれたか。

 

 頭を打ったせいか、先ほどまでより冷静な思考回路が戦局を分析している。

 

『彩芽……大丈夫……?』

 

「ゴメン、ルイ。冷静じゃなかったわ。……もう大丈夫、とは言っても、遅いけれどね」

 

《グラトニートウジャ》の構築するリバウンドフィールド皮膜の構成時間は不明だが、自分の《インペルベイン》よりも長いという冗談はあるまい。

 

 持って三分弱。その間に出来るだけ消耗戦に持ち込み、この人機を本丸に近づかせないようにする。

 

 今の自分に、本当の意味で出来る事はそれくらいだ。

 

 彩芽は操縦桿を握り直す。今度は怖気もない。滴った鮮血に彩芽は目元を拭った。額を切ったらしい。派手に流れる血を他所に、敵人機の弱点を探ろうとする。

 

《グラトニートウジャ》は見た限りでは重装甲。弱点の存在しない堅牢な人機に思えるがそのようなわけがない。

 

 どのような人機であれヒトが造ったのならば弱点は存在する。

 

 彩芽は仔細に観察の目を注いだ。すると《グラトニートウジャ》が常に排熱を行っている事に気づく。

 

「……ルイ、敵人機の排熱量測定」

 

『何でそんな事……、今は逃げたほうが』

 

「いいえ。リバウンドフィールドはまだ持っている。あと二分半ほどは絶対にこのリングから逃れられないでしょう。でもその代わり、この人機を限りなく無力化まで追い込む事は出来るわ」

 

『追い込むって……分かっているの? 《インペルベイン》の半身が持っていかれているんだよ?』

 

「……分かっているからこそ、冷静にならなきゃならないんでしょうが」

 

 説得は無駄だと判断したのか、ルイは排熱を測定し始める。

 

 途端、その目が見開かれた。

 

『何、この数値……信じられない。乗っているだけでも奇跡よ。《グラトニートウジャ》の内部温度は、百度近くある。コックピットの中なんて灼熱地獄のはず……!』

 

 やはりか、と彩芽は確信する。《グラトニートウジャ》を攻略する手が見えた。

 

 倒す事は出来ない。だがここで勝ち負けを決せず、互いに痛み分けに持ち込むまでの試算は出来上がった。

 

「《グラトニートウジャ》は先ほどから高出力R兵装ばかり使っている。その理由は、内部の温度を逃がすため。あれは熱暴走を起こしているのよ。常に、ね。だから、高出力R兵装を撃たなければならない。出来るだけ、相手に圧力を感じさせつつ」

 

《グラトニートウジャ》が全身の推進剤を焚かせてこちらへと肉迫する。彩芽は《インペルベイン》の推力を確かめた。推進剤はまだ持つが、肝心の機体推力は五割を切っている。

 

 平時のような高機動をもって敵を翻弄するのは不可能だろう。

 

 だが逃げに徹するだけの推進剤は残っていた。彩芽は《グラトニートウジャ》の追撃から《インペルベイン》を逃がそうとする。

 

 その追いかけっこで分かった事がもう一つ。

 

「相手は鈍重、重力下では恐らく一歩も動けないほどの。だから全身に推進剤なんて付けている。装甲板が堅いから実体弾はほとんど通用しない。R兵装やエネルギー攻撃は吸収される。でも、これならどう?」

 

 身を翻して急旋回した《インペルベイン》が溶断クローを叩き込む。先ほどと同じならば、その装甲を前に無力だと思われたが、爪が狙い澄ましたのは人機の中で最も弱い部位であった。

 

 頭部を抉り込もうとした爪に《グラトニートウジャ》が急制動をかけ、その腕で受け止める。

 

 やはり、と彩芽は後退した。

 

「どれだけ堅牢に造り、どれほどまでに重装甲を極めたところで、人が入る場所はそれなりに通気性がよくないといけない。……宇宙空間で通気性なんてナンセンスかもしれないけれど、少なくとも他の部位よりかは涼しいんでしょう? その頭」

 

『……お喋りな操主だ』

 

「そちらこそ、随分とだみ声になっているわよ? うろたえているの?」

 

 その指摘に敵操主がハッと声を繰り返す。

 

『これは……僕の声が……?』

 

 自分でも心底不思議なように問い返す。今はしかし、一つの隙も命取りであった。

 

 距離を詰めてリバウンドブーツで蹴りつける。衝撃に《グラトニートウジャ》がよろめいた。即座に銃撃をコックピットに向けて見舞う。

 

 巨大な両腕が銃撃網を弾くも、明らかに気圧されているのが伝わった。

 

 彩芽はタイマーを見やる。あと一分弱。耐え切るのではない。出来るだけ敵の優位を削いでから、この戦場を離脱してもらう。

 

 彩芽は今にも分解しそうな《インペルベイン》に加速をかけさせた。半壊部位のレッドゾーンが広がり、《インペルベイン》が過負荷を訴えかける。

 

『死んじゃうよ! マスター!』

 

「……わたくしが簡単に死ぬわけないでしょう。何よりも! 簡単な死が待っているはずがないのよ! 何人も踏み越えてきたんだから!」

 

 リバウンドブーツによる渾身の飛び蹴りが《グラトニートウジャ》の装甲を歪ませる。やはりR兵装は有効。それを足がかりにして彩芽は銃口を《グラトニートウジャ》の装甲の継ぎ目に沿わせた。

 

 推進剤が見え隠れする部位は弱点同然。実体弾が内側から貫き、内部で跳ねる。あまりに堅いその鎧が仇となった。

 

 内側に潜り込んだ弾丸が逃げ場をなくして幾重もの傷痕を広げている。《グラトニートウジャ》の関節部から炎が迸った。

 

 その機体、限界が生じているのがありありと伝わる。彩芽は静かな心地で操縦桿を引く。

 

 最早、心に乱れはない。照準したのは《グラトニートウジャ》の頭部、X字の眼窩であった。

 

 引き金を絞る際、彩芽はフッと笑みを浮かべた。

 

「悪いわね。わたくしのほうが場数は上で」

 

 銃撃が連鎖し《グラトニートウジャ》のアイカメラを貫いた。瞬時に膨らんだのはエアバックだろう。

 

 頭部コックピットから気密が漏れて操主が死んだのでは話にならないからだ。即席の安全装置が働く中、周囲のリバウンドフィールドが透けていく。

 

「どうやら……この勝負は持ち越しみたいね」

 

 今の武装で《グラトニートウジャ》を追い詰める事は出来ない。何度もコックピットを狙わせてくれるほど相手も間抜けではないだろう。それに、と彩芽は接近しつつある《バーゴイル》の機影をレーザーに捉えていた。

 

「今は、こっちのほうが満身創痍って感じだし。撤退させてもらうわ」

 

『逃げるのかァッ! モリビト!』

 

 そのあまりの声質の変化に彩芽は振り向いていた。

 

「……この数分間で何が起こったのか知らないけれど、貴方、自分でも思った以上に大切なものを切り売りしたみたいね。ハイアルファー、それは諸刃の剣、か」

 

 身を翻した《インペルベイン》が最後の残滓を振り絞り、推進剤を焚かせる。

 

 対人機戦はもう不可能。本隊に合流して回収してもらうしかない。

 

「ザマないわね。息せき切って痛み分けってのも」

 

『彩芽はギリギリまで戦った。それは絶対に担当官に認めさせてやる』

 

「いいって。どうせこの《インペルベイン》の状態じゃ、他の戦場に割り込むのも無理でしょうし。……それにしたところであの《グラトニートウジャ》、危うい綱渡りだったわね」

 

『まさかRトリガーフィールドを打ち破る人機が存在するなんて』

 

 今はまだ使いこなせていないようだが、あの人機が常に出てくると想定すれば容易く一号機の封印武装は使えないだろう。

 

 アルベリッヒレインとRトリガーフィールド。両方を潰しかねない脅威に彩芽は改めて戦慄いた。

 

「油断ならないわ。鉄菜達に知らせないと」

 

 ゾル国も強くなっている。このままでは呑まれかねない。

 

 しかし急く気持ちとは裏腹に《インペルベイン》は静かに本隊へと戻っていくしかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯116 異能の少女

 

 ピンク色のR兵装の光軸が《バーゴイル》二機を飲み込んだ。

 

 不意打ち気味にデブリから出現した《ノエルカルテット》に《バーゴイル》部隊が慌てて制動をかける。

 

『退け! あの人機は!』

 

「遅い! 《ノエルカルテット》!」

 

 一射させたR兵装の砲身に本隊に向かっていた敵が塵芥と化す。しかし、まだ敵の半数も割けていない。《バーゴイル》部隊は鉄菜と彩芽に向かった機体以外、ほとんど正確に本丸に進みつつある。

 

 ここが本隊だと報せる事さえも下策。桃は出来るだけ《バーゴイル》を削る役目を買って出ていた。

 

 空間戦闘では分離攻撃は不利になる。脚部ミサイルポッドが開き、掃射した爆撃弾頭が《バーゴイル》の出端を挫いた。

 

『こいつ……! あまりにこの火力では……』

 

「近付けないでしょ? モモの自慢の《ノエルカルテット》だもん。近づかせないっての! あんた達に!」

 

 袖口のガトリング砲が火を噴き《バーゴイル》へと牽制が放たれる。接近さえも予期させてはならない。

 

《ノエルカルテット》は鉄菜と彩芽が主力部隊を引きつけている間の時間稼ぎであった。

 

 ロプロスの翼が格納され、突き出た砲塔が再び《バーゴイル》を狙い澄ます。

 

『桃……気にしているのかい。担当官の事』

 

 不意に話しかけてきたグランマに桃は振り向きもせずに言い返す。

 

「何が!」

 

『……あの人と仲良く出来ないのは仕方ないのかもしれないけれどねぇ。忘れちゃいけないよ。あの人と同じ存在なのが、この……』

 

「余計な事言わないで、グランマ! 気が削がれる! ……それに、考えた事もないよ。グランマとあの人の人格が、同じだなんて」

 

 AIサポーターグランマの人格データはゼロから作られたわけではない。その基になった人間が存在するのだ。グランマはバベルの制御系を任されているため、複数の人間の人格データをコピーされているのであったが、そのうち一人が自分の担当官だと言う話であった。

 

 だが、そのような事など瑣末。自分にとってはどうでもいい。この戦いこそが全て。目の前の敵を葬る事で自分の有用性が保たれるのならば、それでいい。何も考えずに引き金を絞り続ければ。

 

『桃……』

 

 途端、接近警告がコックピットの中を劈く。デブリに隠れて接近していた《バーゴイル》一機がプラズマソードを振り翳して攻撃を浴びせかけようとする。

 

 その軌道を読んだのはグランマであった。咄嗟に《ノエルカルテット》の腕を挙動させ、プラズマソードを受け止めさせる。

 

 干渉波のスパークが眩く輝く中、桃は咆哮した。

 

 R兵装を発射したばかりの砲身で《バーゴイル》を殴りつける。極度に熱せられた砲塔はほとんど武器と同義であった。

 

 その脆い装甲を熱が融かしていく。死にたくない、だとかいう操主の喚きが耳朶を打った。

 

「死にたくない? じゃあ何で、戦闘に出てくるって言うの! あんた達は!」

 

 ゼロ距離で照準されたR兵装の砲塔が《バーゴイル》の胴体を突き上げる。四肢が衝撃でもがれ、発射された光線がその機体を射抜く。

 

 遠巻きに見つめていた《バーゴイル》部隊がにわかに色めき立ったのが伝わった。

 

 桃は肩で息をしつつ、にわか仕込みの《バーゴイル》を操る兵士達に視線を投じる。

 

「次は、あんた達だ!」

 

 獣のように吼えた桃が《バーゴイル》へと接近する。今まで遠距離ばかりであった相手の猪突に部隊が困惑のるつぼに陥れられる。

 

 ロプロスの翼がすれ違い様の二機を撃墜し、眼前の機体の頭部を引っ掴む。

 

 桃は一度強く目を瞑り、次の瞬間、全身を開くイメージを額に弾けさせた。

 

「――ビート、ブレイク」

 

 赤く染まった瞳が血塊炉に呼応し、《バーゴイル》の内側から血塊炉が引き出されていく。その様は悪魔の所業のように映っただろう。

 

 何もされていないはずなのに人機が内部から破壊されていくなど、敵兵からしてみれば完全に悪夢でしかない。

 

 血塊炉が裏返り、青い血潮が宇宙空間に漂う。

 

《バーゴイル》部隊は戦意を喪失していた。全身に迸った血糊を浴びた《ノエルカルテット》が周囲の機体を睨む。

 

 一機、また一機と撤退していく。

 

 この戦いには勝った。だが、またしても自分は間違えた。一時の感情に身を任せて。

 

 後悔の念が押し寄せてくる中、桃は操縦桿を握ったまま嗚咽した。

 

『桃……よくやったと――』

 

「よくやってなんていないわ! モモはだって……、化け物じゃない、これじゃあ」

 

 グランマの声を遮って桃は耳を塞ぐ。誰の声も聞きたくはなかった。

 

 慰めの言葉など余計に。今はただ、一人で泣かせて欲しかった。

 

『桃、でもブルブラッドキャリアのみんなの、命は救ったんだよ』

 

 確かにその通りだ。多くを救うための犠牲だろう。

 

 ――だが、そのためだけに流される血が自分達なのだ。ブルブラッドキャリアという組織を生かすためのただの駒に過ぎない。

 

 あの担当官もきっと、そう思っているに違いなかった。

 

「……モモはただ、フツーに生きたいだけなのに……!」

 

 噛み締めた思いに、《ノエルカルテット》は宇宙空間を漂った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯117 クロスフィールド

 Rソードが何度目か打ち合う。

 

 敵の人機は予測出来ない機動性で《シルヴァリンク》を翻弄し続けている。空間戦闘用ではないはずなのに、Rクナイによる全包囲攻撃も通用せず、クナイガンの弾丸は今もまた、何もない空を穿った。

 

『そらよ!』

 

《バーゴイルシザー》の閃かせた刃がRクナイを叩き切る。残り二基、と鉄菜はこちらに巻き戻っていくRクナイを眺める。

 

『どうした、どうしたァ! そんなんじゃオレは墜とせないぜ? モリビトさんよォ! それとも何か? もう芸は出し尽くしたか?』

 

「……黙っていろ!」

 

 突き上げたRソードの切っ先が《バーゴイルシザー》の装甲を叩きのめそうとするが、敵人機はその軌道さえも読んで《シルヴァリンク》の懐へと潜り込む。

 

『もらった! 一死、だ!』

 

 内側から刈り上げようとした一閃を回避したのは習い性の神経か。《シルヴァリンク》の前面に二基のRクナイを展開させ盾のように駆動させる。

 

 ギリギリで受け止められた形となった《バーゴイルシザー》へと切り返すほどの余裕は残っていない。

 

 先ほどから息が上がりっ放しだ。《バーゴイルシザー》の動きについていけていない。それ以上に、《シルヴァリンク》を空間戦闘では思ったように動かせていなかった。

 

 鉄菜は操縦桿を固く握り締めて敵を睨む。濃紺の機体はまるで理解出来ないとでも言うように肩を竦めてみせた。

 

『おいおい、張り合いがねぇな。さっきから受けるばっかしで、斬り込んでも来れないのか? それとも、モリビトってのはいつからそんなに臆病になったんだ?』

 

「黙っていろ……、大勢を殺した人でなしが」

 

『そりゃ、どっちの言い草だろうな? 世界から見りゃ、てめぇらも相当な大罪人だ。大勢殺したって言ったが、あのテロはオレがやったって根拠はなし。比して、てめぇらは言い訳も出来ねぇほど、大勢殺して回ったじゃねぇか。今さら被害者ヅラァ、してんじゃねぇぞ!』

 

 踏み込んできた《バーゴイルシザー》に《シルヴァリンク》がRソードを翳す。出力では勝っているはずなのに、どうしてだか気圧されているのを感じていた。

 

『理由、知りたくねぇか? モリビト』

 

「……何だと?」

 

『オレが殺して回る、理由だよ。教えてやる。オレはなぁ、殺しが好きで好きで堪らねぇ! 生まれながらに持っているサガってヤツさ! 人間、誰もが罪人とはよく言ったもんだが、誰だって血に塗れて生まれてくる。オレはその血ってヤツにどうにも魅入られたらしい。戦場で見る血が好きだ。女を犯した時に見る血も大好きだ! 敵兵のドたまぶち抜いた時なんて恍惚とするぜ。散々イキっていた敵の将軍が目の前で命乞いする様なんてどうにも筆舌に尽くしがたい快感だ。殺しが好きだ、銃撃戦も、雷撃戦も、強襲も迎撃も、消耗戦も、撤退戦も、敗北戦も――全部だ! 全部がオレの血になって疼く! オレはこの世に生まれて心底、神様ってヤツに感謝してるぜ。キスしてやってもいいくらいにな!』

 

 鉄菜はその哄笑を聞きながら判定する。この人間は駄目だ。この人間だけは駄目だ。

 

 ――生かしておけない。

 

 面を上げた鉄菜は《バーゴイルシザー》を睨み据え、言い放つ。

 

「……対象人機と操主を脅威抹殺判定、Sクラスに認定。《モリビトシルヴァリンク》、鉄菜・ノヴァリス。目標を撃滅する!」

 

 Rソードが《バーゴイルシザー》を切り裂かんと迫る。気迫が伝わったのか、敵が興奮したように吼える。

 

『そうでなくっちゃあ、な! てめぇらはそうなんだよ!』

 

「うるさいぞ……! お前だけは、生かしてはおけない。人間の抱える罪の権化だ!」

 

『嬉しいねぇ。オレみたいな木っ端戦争屋が、人類の罪を代表出来てよォ!』

 

 鎌がRソードと打ち合う。その干渉波が飛び散る前に、《シルヴァリンク》が銀翼を拡張した。

 

 分散するはずのエネルギーが偏向し、一箇所へと寄り集まっていく。鎌とぶつかり合った一部に、《シルヴァリンク》の黄昏色のエネルギー波が流転した。

 

 敵がその異変に気づく前に、鉄菜は切り払う。

 

「アンシーリー、コートっ!」

 

『斬撃の攻撃力を、一極集中しやがったのか!』

 

 咆哮が常闇を引き裂き、薙ぎ払った刃が鎌を打ち砕く。闇の凝ったような刃が砕けると共に、《バーゴイルシザー》の胴体へと鋭い剣筋が見舞われた。

 

 ――取った。

 

 鉄菜の確信を他所に、《バーゴイルシザー》は健在であった。胴体は今にも断ち割れそうなものの血塊炉までは至っていなかったようだ。

 

 一撃で殺すつもりであったのに、その目論見が外れる。

 

『……どうやら今の、渾身の一撃ってヤツだったみたいだな。《バーゴイルシザー》の推力、装甲じゃ持たねぇか。いいぜ、今回の勝ちはてめぇに譲ってやるよ』

 

 頭部が圧力射出され、宇宙空間に漂う。溶断された機体が爆発に包まれる頃には敵操主は完全に逃れていた。

 

《シルヴァリンク》で追おうとするが、全身の駆動系が今の無茶な機動に警告音を響かせる。

 

 注意警戒色に塗られた《シルヴァリンク》では追うのは得策ではない。

 

 爆炎が常闇を照り輝かせる中、オープンチャンネルの声が弾ける。

 

『《バーゴイルシザー》は破棄だ。次で本気を出す』

 

 鉄菜は息を呑む。今の戦いでも本気ではなかったというのか。

 

「待て……、私は……」

 

 追いすがろうとして、全身が虚脱していくのを感じた。あまりに集中力を要する戦闘を続けたせいか、意識が朦朧とする。

 

『鉄菜? どうしたマジ? 鉄菜!』

 

 ジロウの声が意識の表層を滑り落ちていく中、鉄菜は《シルヴァリンク》の中で昏倒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 合流した《バーゴイル》に回収させたガエルは、銀翼のモリビトが項垂れるのを目にしていた。

 

『今ならやれます』と強気な声が響く中、ガエルは冷静に事の次第を分析する。

 

「いや、やめておいたほうがいい。あれの射程に潜り込んで、生きて帰れる保障はないぞ」

 

 自分とて一瞬でも集中を切れば危うかった。どれほど道化と強者を演じてみたところで、《バーゴイルシザー》では限界が生じていた事だろう。

 

 切り時は潔いほうがいい。女も人機も、乗り換え時が肝心なのだ。

 

『ですが……悔しいですよ。赤と白のモリビトを前に、ほとんどの兵が敗走……。《グラトニートウジャ》を操る特務大尉も、その弱点を突かれて軌道エレベーターの本隊まで後退しました。実質的な敗北ですよ』

 

 仕方あるまい、とガエルは感じていた。自分達が勝てると思って始めた戦で負けを被るなどよくある話だ。別段、戦場では珍しくもない。

 

「今は、残存兵の救助とそのケアを行わなければ。次の戦いに備える必要がある」

 

『ブルブラッドキャリアなら、機会があればいつでも……!』

 

「逸るな。次の敵もブルブラッドキャリアとは限らない」

 

『どういう……』

 

 言葉通りの意味だ。地上に降りればまたしても国家同士のしがらみが待ち構えている。

 

 今は共通の敵を睨む事が出来ているが、ひとたび地上に縫い付けられればまたしても冷戦の始まりだ。

 

 しかも今度は実質戦力を持っている分、性質が悪いものとなるだろう。

 

 予想に難くない未来に、ガエルは嘆息をつく。

 

「どこへ行っても、か」

 

 だが、それでこそ戦争屋の血が疼くというものだ。あの青い人機の操主には自分の全てを打ち明けたに等しい。戦争屋としての卑しい部分も全て。

 

 それを聞き届けた上で「許せない」と判断したのならばまだ真っ当だ。

 

 まだ人間として、相手のほうがマトモな部類だろう。

 

 少なくとも自分のような人間に惑わされるゾル国に比べれば。

 

『そういえば特務大尉は何やら胡乱な空気で帰還されたようですよ。誰にも見られたくない、と言って慌てて医務室に、と報告が来ています』

 

「医務室? 負傷したのか?」

 

『それも皆目……。誰にも診せないんだそうです。鍵をかけてまで、と……』

 

 困惑した様子の操主にガエルは思案を浮かべていた。

 

 ――一度や二度のモリビトとの戦いで恐れを成したか? それほどに弱い精神の持ち主ならばいずれ損耗するだろう。遅いか早いかだけの話だ。

 

「分かった。話を聞くと伝えてくれ。自分ならばカイルの事もよく分かる」

 

 そう告げると《バーゴイル》の操主は安堵したようであった。

 

『よかった……叔父である特務准尉の言葉なら聞いてくれるでしょうね。《グラトニートウジャ》ほどの高性能機を操りながら敗走となれば、あの人も人間ですから、悔しいんでしょう』

 

 悔しい、か。果たしてそのような単純な思想に集約されるものだろうか。

 

 ガエルはブルブラッドキャリアの潜む宙域を眺める。結局、どのデブリが本丸なのかは分からぬままであったが、あの場所に敵の巣窟がある。それが分かっただけでも世界からしてみれば躍進だろう。

 

 ガエルは通信チャンネルをオフにして呟いていた。

 

「次に会う時が、決着かもしれねぇな。ブルブラッドキャリアよぉ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯118 裁きを待つ者

 

 医務室から連絡が走り、リックベイは真っ先に向かっていた。

 

 扉の前で数人の兵士が武装しているのを、リックベイは下がらせる。

 

「しかし、少佐! 相手はあの独裁国家の強化兵士ですよ!」

 

「だからこそ、だ。刺激したくない。大丈夫だ。わたし一人で行く」

 

 扉を開け、真っ先に飛び込んできた光景にリックベイは息を飲む。

 

 白い片翼を拡張し、ベッドの上で身体を起こす天使が、そこに佇んでいた。

 

 その背中から生えているのが忌まわしき整備モジュールだと分かっていても、リックベイは感嘆を隠し切れない。

 

 ――天使の目覚めか。

 

 胸中に独りごちてリックベイは歩み寄ろうとする。その足並みを厳しい声音が止めた。

 

「近づくな。何者だ」

 

 リックベイは踵を揃え、左胸に拳を置く。

 

「失礼した。コミューン連合体、中枢軸国兵士。リックベイ・サカグチ少佐である。そちらはブルーガーデンの兵士だな?」

 

「……貴公が、あのナナツーの?」

 

 声で分かったのだろう。リックベイは首肯する。

 

「如何にも。《ナナツーゼクウ》と呼称している」

 

 強化兵の天使は項垂れたかと思うと、その灰色の瞳でリックベイを見据える。どこか憂鬱さを漂わせた眼差しであった。

 

「国土は」

 

 その言葉に多くのものが集約されているのを感じる。この場で返すべきは少なく簡潔な結果のみであろう。

 

「荒れ果てた。こちらも謎の人機の奇襲を受けた。あの汚染の爆心地にいたという事は、そちらも只者ではないな?」

 

 ブルーガーデンの汚染に強く関わっているはずだ。強化兵は不意に自分の髪が肩口まで切られている事に気づいたらしい。

 

「わたしの髪は……」

 

「ああ、医療措置の邪魔になったので、勝手ながら切らせてもらった。……不都合があったか?」

 

「いや、いい。今までの自分を忘れられて、よかったのかもしれない」

 

 整備モジュールが独特の甲高い音を立てて稼動し、その羽根を広げさせる。

 

 作り物だと分かっていても。神の摂理に反すると知っていても、それでもなお――美しい。

 

 人造天使は言葉少なに、現状を把握しようと務めているようであった。

 

「他に人機は? あの場所に、人機がいたはずだ」

 

「人機? 虫のような中型人機は無数に観測されたが」

 

「違う。あの場に……モリビトがいたはずだ」

 

 あまりにも突拍子もない言葉にリックベイは呆けたように口を開けていた。あの場に、モリビト。その取り合わせに困惑していると、天使は頭を振る。

 

「いや……そうか。そういう事なのか。いい。忘れて欲しい」

 

 その言葉通りに従うわけにもいかなかった。あの場にモリビトがいたとすれば、汚染を拡大させた戦犯という事になる。

 

「何があったのか、少しずつでいい。教えてもらえると助かるのだが」

 

 天使は降り注ぐ陽光を受けて、白い翼をゆっくりとベッドの傍に横たわらせる。

 

「ここは、空が見えるのか」

 

 空、と言われてリックベイはC連合の位置を脳裏に呼び起こした。

 

「ブルーガーデンに比べれば、汚染濃度は低い。空、とは言っても、三日に一度は絶対に曇る。汚染の青い曇天からは逃れられない。この星で生きている限りはな」

 

 逃れ得ぬ業であった。その言葉を聞き届けた天使は、どこか憂鬱げに声にする。

 

「そう、か。どこへ行ってもあの空は……」

 

 声音に張りがない天使は本当にブルーガーデンの生態兵器なのか疑わしかったが、リックベイは一つずつ、解き明かす事にした。

 

「あの場所にいたのは理由が?」

 

「わたしは、国家に反逆を企てた。ブルーガーデンを覆そうとしたんだ。あの国家は間違っていた」

 

 まさか強化兵の口から国家への不満が漏れるとは思ってもみない。リックベイは驚嘆しつつも、その反逆行為の果てがブルブラッド汚染ならば見過ごすわけにはいかなかった。

 

「だが反逆で発生したブルブラッドの深刻な汚染状況は」

 

「そちらの情報を反映させてくれればすぐに理解出来る。もっとも、わたしのネットワークとC連合のネットが共通規格であったのならばであるが」

 

 リックベイは付き従う医師に視線を向ける。医師は、まだというように首を横に振る。

 

「残念だが、ネットワークの共有化はまだ早い」

 

「早い、ではないな。恐らくするつもりはないのだろう。当然の事だ。ブルーガーデンの生態兵器とネットワークを共有化すれば乗っ取られてもおかしくはない」

 

 そこまで分かっていて、この強化兵は提言したのか。リックベイは改めて、強化兵の考えている事が分からなくなる。

 

「国家への反逆。それが何故、モリビトとの戦いになったのか、教えてもらえると助かる」

 

「モリビトはどうしてだかわたしの仲間と共に反旗を翻していた。考えられる理由はブルブラッドキャリアによるブルーガーデンへの破壊活動。それと時を同じくしてわたしの同志達が反抗し、ブルーガーデンを牛耳ろうとしたが、失敗した」

 

「失敗? それがあの有様だというのか」

 

「結果論に過ぎないが、我々はもっと大きなものと戦っていたらしい。ブルーガーデンを支配する元首の正体は」

 

 振り向けた天使の視線にリックベイは頭を振る。

 

「元首の存在は国家機密だ。他国には明かされていない」

 

「ならば、わたしが言うのが初めてなのか。ブルーガーデンの支配者は遥か昔に分かたれたスパコンの一つ。生態コンピュータだ」

 

 その事実にリックベイは目を見開く。誰も今まで知らなかったブルーガーデンの秘密。それが明かされようとしていた。

 

「それは、国家重要機密では……」

 

「もう破壊された国に機密も何もない。わたしはそうでなくとも反逆者。もうブルーガーデン再興など考えてもいない。あの国家はただのコンピュータの作り出したまやかしの国だ。そのまやかしの中で生きてきたのがわたしであり、国民であった。民草は……」

 

 濁した声音にリックベイは静かに首を振る。

 

「残念だが……」

 

「絶望的、か。それでよかったのかもしれない。国と運命を共にした民草は幸福のうちに死ねたのだろう。わたしは、また生き永らえた」

 

「C連合は貴君を罰する権限を持たない」

 

「それでも、わたしは捕虜だろう? 捕虜をどう扱おうがその国の勝手だ。だからわたしはもう逆らうつもりもない」

 

「……受け入れるというのか」

 

「もう、生きていくのに疲れた。わたしはただただ、あの日見たような空を、見たかっただけなんだ」

 

 既に目的を果たした人間の口調であった。彼女の生きる目的が国家への反逆に集約されたのだとすれば、なるほど、もう生きていても仕方ないだろう。

 

 リックベイは彼女によく似た人間を知っている。

 

 人々の英雄であり、守り人であった責務から追われ、全てが呪縛と化した、彼を――。

 

 その瞳があまりにも似ていたせいだろう。リックベイは口にしていた。

 

「抗え」

 

 その言葉の意味を最初、理解していなかったようだ。天使は振り向き、リックベイは言葉を新たにする。

 

「運命に抗い、生き続けろ。それが貴君に出来る最大の抵抗だ」

 

「もう、抵抗する国は存在しない」

 

「違う。この世界の不条理そのものと戦えと言っているんだ。まだ貴君は死ぬべきではない。運命に抗う使命を持っている。その使命を果たさずしてその命、無残に散らす事はわたしが許さない」

 

「傲慢だな。C連合の士官とはそのようなものであったか」

 

 リックベイは灰色に沈んだ眼差しを見返す。もう生きていたくないと主張する眼に、ただただ生きていく事の正しさを説いた。

 

「生きていけ。それがどれほどに意地汚くとも。生きていく事でのみ、貴君の復讐は果たされるであろう。国家がたとえ存在しなくとも、目的を失った魂であったとしても、生きる事に誰も疑問の余地は挟めない」

 

 言い置いてリックベイは身を翻した。後は彼女の決める事だ。

 

 その背中に声が投げかけられる。

 

「待ってくれ。名前を、もう一度聞かせてくれ」

 

 リックベイは改めて己の名を口にする。

 

「リックベイ・サカグチ少佐だ」

 

「そう、か。リックベイ少佐。わたしに名はない。強化兵とナンバリング名称で呼ばれている。だが、仲間内でだけ、通称があった。それを名乗っていいのならば、わたしはここで名乗り返していいだろうか」

 

「己の名を名乗るのに、何もてらいは必要ない。貴公のいた場所ではどうだったのかは問うまいが、世界は元々、そういうものだと思っている」

 

 天使は己の胸元に手をやって、まるで初めてその名を紡ぐかのように、ぎこちなく声にした。

 

「――瑞葉。それがわたしの名前だ」

 

「瑞葉、か。階級は?」

 

「小隊長を務めさせてもらったが階級の証明はない。所詮わたしは、国家の付随物、兵器に過ぎなかったから」

 

「では瑞葉君と呼ばせてもらおう。瑞葉君、貴君は何も、ここでは遠慮をする事はない。あの汚染区域での鬼神のような戦い振り、あれで救われた命もある。むしろ、感謝すべきはわたしのほうかもしれないな」

 

 リックベイは医務室を立ち去った。廊下の兵士達がこちらの無事を確かめる。

 

「少佐、無茶を……!」

 

「無茶でも何でもない。……アイザワ少尉」

 

 離れたところでこちらを窺っているタカフミを近づかせる。

 

「何すか?」

 

「瑞葉君にここの施設を案内してやって欲しい。明日には」

 

 その言葉にタカフミが狼狽する。

 

「ちょっ、ちょっと待ってくださいよ! 何でおれなんですか! あんなの、他の奴に任せれば……!」

 

「他の兵も怖がっている。怖いもの知らずだろう? 君は」

 

 そう言われてしまえば立つ瀬もないのか、タカフミは言葉を仕舞う。

 

「しかし、少佐。アイザワ少尉だけでは危険です」

 

 兵士の提言にリックベイは、いや、と頭を振る。

 

「思っていたような凶暴性はない。彼女は冷静だ」

 

「クスリのせいっすよ。あの整備モジュールから定期的に精神安定剤が投与されているから」

 

「それでも、いや、なればこそ、その薬物に頼らぬ生活を身につけて欲しいとわたしは思う。アイザワ少尉、手だれでわたしの権限で動かせるのは君しかいない」

 

「……英雄は、桐哉でいいじゃないっすか」

 

「彼は零式の習得中だ。そのような瑣末事からは避けたい」

 

「瑣末事、っすか。おれにはその瑣末事がお似合いですかねぇ」

 

 どこかひねくれたタカフミにリックベイは言いやる。

 

「他の者では無理なんだ。アイザワ少尉、これは」

 

「命令でしょう? やりますよ。せいぜい、後ろから撃たれないように注意しますっての」

 

 やさぐれた様子だが、無鉄砲に仕事を片づけていいとも思っていない。いつものタカフミの様子にリックベイは首肯する。

 

「では、わたしは職務に戻る。他の者も配置につけ」

 

 その言葉で兵士達が散開していく。タカフミだけがその場に居残った。

 

「少佐、桐哉に続いてまさかあの女まで、助けようだとか思っているんじゃないでしょうね?」

 

「助けないさ。わたしの手で助けられるなど驕りだ。彼ら自身が立ち上がるために、わたしは手を差し伸べるのみ」

 

「それが! 連中にとっては救いなんですよ! 分かんないかなぁ、もう!」

 

 タカフミはどこか不満があるらしい。それほどに瑞葉の世話は嫌なのだろうか。あるいは、彼には戦場が似合っているのかもしれない。

 

「安心しろ。君を軽んじての頼みではない。むしろ、その逆だ。信頼しているからこそ、わたしの負うべき責務を任せられる」

 

 その言葉は意想外であったのか、タカフミは頬を掻く。

 

「……少佐ほどうまく出来ませんよ、おれ」

 

「いいさ。彼女はまだ外の世界の何一つを知らない。教えてやって欲しい。ここはそこまで生き辛くない、と」

 

 ブルーガーデン。青の花園から出た事のない、小さな雛鳥。彼女が羽ばたけるかどうかは、自分達にかかっている。

 

「……了解はしました。でも」

 

「でも、まだ何かあるか」

 

「トウジャっすよ」

 

「どのトウジャだ?」

 

 タカフミは業を煮やしたように後頭部を掻いた。

 

「全部っすよ! 全部! あれ、どうするんですか」

 

「《プライドトウジャ》は桐哉准尉に合わせて改修を行っている。彼が零式を習得する頃には仕上がっている予定だ。《スロウストウジャ》はロールアウト間近。出来うる事ならば、タチバナ博士の面会が欲しかったが、あの方の身柄はゾル国にある。今は手出ししないのが無難だろう」

 

「……あの強化兵の乗っていたトウジャは」

 

「今、解析にかけている。……驚いたな」

 

 端末に浮かび上がったステータスにリックベイは驚嘆する。タカフミが画面を覗き込んだ。

 

「何なんすか」

 

「あのトウジャ……《ラーストウジャカルマ》、というらしいが、あれはどうやら最新鋭のパーツを使ったトウジャタイプらしい。この意味するところはつまり、ブルーガーデンは他国に隠れて、秘密裏にトウジャのアップデートを行っていたという事だ」

 

 その事実にタカフミが目を戦慄かせる。独裁国家だと侮っていたが、その実技術では一番に先を行っていたわけか。

 

「もし……そのトウジャが戦線に出されていたら」

 

「考えたくもないな。少なくともナナツーは全滅であっただろう」

 

 その惨状を呼び起こさなかった一番の要因はブルブラッドキャリアという共通の敵を睨む必要に駆られたからだ。そうでなければ三国のパワーバランスのために秘匿され続けた人機だろう。

 

「……改めて、おれ、分かんなくなりましたよ。他の国もトウジャを造っている。それに、もっとヤバイ人機も。結局、この世界ってどういう風に回るべきだったんですかね。もし、ブルブラッドキャリアがいなかったとして」

 

 モリビトの脅威がなかったと仮定しても、どこかに歪を抱えたまま流転し続けるのが、この世界であっただろう。分かりやすい惨劇を起こす事はないが、どこかで歪んでいる世界は、誰しも無意識のうちに罪を抱えて生きていく事になる。その罪をブルブラッドキャリアの存在が偏在化させたのみ。

 

 この世界に罪なき子など一人もいなかったのだ。

 

「いずれにせよ、今回の戦いで血塊炉は回収出来なかった。これはある種、二国間の緊張状態を加速させない要因となったな。血塊炉の安定供給を可能とすれば、C連合の一強となったのだが、ゾル国でさえも介入出来ない、荒れた国土が広がっただけだ」

 

「もうあの場所には行きたくないっすよ、本音では」

 

「本音で行きたくなくとも、二度目はあるだろうな。……次はせめてトウジャを引き連れて行きたいものだ」

 

 蝿型人機の密集地にナナツーだけで飛び込むのは無謀と分かった。今は、それだけでも構わない。一つでもこの世界から浮き彫りとなる事実を探す事だ。一番に恐れるべきは分からぬまま、過ぎ去っていく事。

 

「この世界はまだ、暴かれざる存在がいる。ブルブラッドキャリア、それにブルーガーデン元首の秘密……。彼らが公然に裁かれる時が来るのか」

 

 それは自然と世界が終わる時ではないのか、という予測がリックベイの中にあった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯119 禁忌のエデン

 審問室に佇む者は四方八方から漂う視線に肩を縮こまらせた。

 

 ここに呼ばれただけでもある意味では汚点である。それが分かっているからこそ、囲まれた卓の中心にいる存在は声一つ発しなかった。

 

『審問。貴公の罪は重い』

 

 同期された義体と端末が同じような声を連鎖させる。

 

『汚染国土の拡大は重罪だぞ。――ブルーガーデン元首』

 

 中央のシステムに隔離されたブルーガーデン元首は返答も出来ないようである。

 

『何か釈明はないのか? 汚染原因を用いてまで国家の膿を取ろうとした、その行動を裏づけする何かを』

 

 誰もが分かっていてその固有名詞を避けている。当たり前だ。最も罪深い人機の名前を軽々しく言えるはずもなかった。

 

『モリビトやトウジャよりもなお、色濃い人間の罪悪。それを使った事、理由くらいは申してみよ』

 

 ブルーガーデン元首を構築する三基のコンピュータはメッセージを発する。声紋を使えないために、全員の脳裏へとその釈明の言葉が返された形となった。

 

『致し方なかった、と。あれを使う以外に反逆者を摘み取る方法がなかった、だと?』

 

『異議あり。反逆は予期されていた。同期ネットワーク、強化兵の実験段階のプログラムで』

 

『それを分かっていながら放置したのは怠慢である』

 

 ネットワーク上に返答が書き込まれる。

 

『怠慢ではなく、意図して捨て置いた……。一掃するために、か。だがそのような言い訳が通用する段階を超えている』

 

『左様。強化兵の自我発生の時点で我々に報告すべきであった。太古の昔に切り捨てたられた我らが眷属。生態コンピュータ、名称エデンの構築思想通りならば』

 

 元首――エデンは並び立つ元老院構成メンバーに対して書き込みによる反論を行う。

 

『人間を使う、という事は試算出来ない事実を生み出す、か。だが、知っているぞ。トウジャ……しかもよりによって《ラーストウジャ》か。ハイアルファー【ベイルハルコン】』

 

『過去百年のデータの中で、全ての被験者を廃人まで追い込んだ危険なハイアルファーだ。それを乱用し、あまつさえ支配域を離脱させたとなれば、繰り返すまでもなくその過失は大きい』

 

『【ベイルハルコン】を改修出来たのならばいざ知らず、回収不可能な汚染領域を生み出した。あの場所は五十年は人の立ち入れぬ高濃度汚染に晒されている』

 

『それだけならばまだいい。汚染領域は拡大を見せている。それに関して、何か言いたい事はあるか?』

 

 エデンは元老院へとメッセージを打った。その内容に元老院の全員に緊張が走る。

 

『……何を、貴様、それはどういう意味なのか分かっているのか』

 

『ブルーガーデン国土の再興計画だと? 不可能だ。あの領域は汚染されている』

 

『汚染域を含めての自治権の委譲を求めているだと? 自惚れるのも大概にしろ、エデンよ。自治権など最早、貴様にはないのだ』

 

『ブルーガーデンは今まで放置していた恩を忘れ、この星の死期を早めた。それはブルブラッドキャリアに並ぶ重罪に値する』

 

『よってブルーガーデン管理OS、エデンを永久凍結し、全ての権限を我らが元老院へと委譲。貴公の閲覧権限、並びに擁する全ての機能を封印措置とする』

 

 エデンの光が失せていき、そのシステムを元老院が支配しようとした、その時である。

 

『お待ちください』

 

 繋がった通信回線に元老院の全員が胡乱そうに声を返す。

 

『何のつもりだ。レミィ』

 

 ここにいない、肉体を持った元老院構成メンバーに色めき立った各員へと、レミィは進言する。

 

『そこで殺すのはいささか尚早が過ぎると言うもの。わたしは、このシステム、エデンに今一度チャンスを与えるべきだと考えます』

 

『肉の躯体を持って、自意識に乱れが生じたか? 同期ネットワークを完備していない肉体など所詮は使い物にならぬ』

 

『そうとも限りません。面白いものをご覧に入れましょう。これを』

 

 レミィのもたらした情報に元老院の各々が震撼する。

 

『これは……! トウジャ、なのか? 全く新しい形だ』

 

『機体名を《グラトニートウジャ》。この時代に則したトウジャを設計されたのは他でもない、タチバナ博士です』

 

『コンタクトに成功したと?』

 

『いえ、あのお方は未だに傍観を貫いていらっしゃいますが、その好奇心までは隠せない様子。個人端末にアクセスする術を持った草がいましてね。彼が抜き取ったデータを基に再現した新時代のトウジャです』

 

『戦闘データ……まさか既に実戦を?』

 

『宇宙でのデータは計測済みです。当然、その然るべき能力も』

 

 参照している元老院の全員が感嘆していた。このような驚愕の数値、捨て置ける領域ではない。

 

『R兵装への突破口となるか。これがもし、現段階での問題点を払拭出来れば』

 

『ええ、モリビトを打開出来る。それだけではありません。今回、モリビト一機を中破せしめたその実力、そして操主の力。なかなかに魅力的ではありませんか?』

 

 レミィの提示するデータを閲覧しながら、元老院の義体に指令が下る。

 

『……だがこのハイアルファーは』

 

『他のハイアルファーに比べれば随分と燃費もいい』

 

『……操主の自我が持つか?』

 

『それは彼次第でしょう。今議論すべきは、これほどまでに無毒化に成功したトウジャを、ゾル国が保有する事を決定した、という歴然たる事実』

 

 元老院の支配の根幹を覆しかねない。レミィのもたらした議題の種に、全員が審議を浮かべる。

 

『トウジャの即時封印は最早不可能に近い。ここまで開示されれば人間はその深層まで探るだろう。量産体制に移るのも時間の問題か』

 

『いや、それでもまだ、こちらの優位は保たれている。あの人機だけは野に放ってはいないのだ。こちらが一つ、飛び抜けているとすればその点』

 

『そういえば、C連合がブルーガーデン国土へと調査を始めた様子です。あの人機が発掘されるのは、既に時間の問題でしょう』

 

 こちらを弄ぶかのようなレミィの声音に元老院の面子は再三の審議の末に、エデンへの勧告を保留にした。

 

『エデン、まだその権限、生かしておく。貴公、ブルーガーデン国土の再生を望むのであったな?』

 

 赦されるのか、という旨のメッセージに厳しい声音が飛ぶ。

 

『たわけ。赦すはずもあるまい。しかし、刑の執行は保留とする。禁断の人機……キリビトを回収出来ればの話だが』

 

 キリビトの名前が出た瞬間、全員に緊張が走る。禁断の人機、その最後、最大の汚点。穢れの象徴を口走っただけでも恐れが這い登る。

 

 かつて世界を滅ぼした人機の名称に、元老院は慎重であった。

 

『キリビト回収はその全長、加えて汚染領域は重力反転、血塊炉による作用でまともな人機操縦は出来まい。その中で如何にして回収を行うか』

 

『簡単な事ですよ』

 

 そう言ってのけたレミィに元老院の矢のような叱責が飛ぶ。

 

『軽はずみな発言をするな、肉体を持っているくせに。同期ネットワークから逃れたからといって図に乗ると――』

 

『我々を使えばいいのです』

 

 レミィの発言に全員が呆気に取られる。我々、の意味するところを元老院は尋ね返す。

 

『……それは、元老院に動けというのか』

 

『いえ、正しくは、我々の肉体のスペアに。あの国家は併合されましたが、人の躯体には困りません。この通り、一度損壊された身体でも代わりが見つかります。――我らのオラクルには』

 

 オラクル国家という元老院自体の罪に言及したレミィに、エデンは戸惑いを浮かべる。当然だ。これは一般開示されていない情報である。

 

『レミィ、迂闊な発言は死を招く』

 

『失敬。もう知っているのだとばかり』

 

『ここまで来れば隠し立ても必要あるまい。C連合の小国コミューン、オラクル。あの国土に棲む人間には戸籍が存在しない。彼らは最初から、我々元老院のシステム管理者が一時的に外を見歩くための身体を生成してもらっている』

 

 意味するところが分からずにエデンが聞き返す。その愚に別の言葉が飛んだ。

 

『誤解しないでもらいたい。生成、と言ったが何も不自然はない。人間は繁殖し、その数を増やしている。ただ一つだけ違うのは、彼らが生まれながらに脳内にチップを埋め込まれている事。そのチップを介して我々の強大なネットワーク回線を一時的に繋ぎ、擬似人格プログラムを形成。人体のスペア構築に一役買ってもらっているだけだ』

 

 その言動にエデンが驚愕する。慎みのない言葉に糾弾が飛んだ。

 

『口を慎め、エデン。人体実験だ、などと、それは己に言っているのか? 強化実験兵を棚に上げて我々を一方的に非難は出来まい』

 

『その通り。これは人間を最大限に活かした行動に過ぎない。小国コミューンに棲む彼らに協力を買って出ているだけの話だ。彼らの人生には何も作用はしない。彼らはただ、人生を進め、生き、その終点に我らの支配があるだけの事』

 

 エデンがうろたえ気味にメッセージを送りつける。

 

『そうだな。オラクル武装蜂起は我らによるもの、だと、ようやく結び付けたか。だがその程度、瑣末な事だ。オラクルという国家には役に立ってもらっているだけ』

 

『この世界をよくするために、彼らは身を持って捧げてくれているだけなのだ』

 

『慈善だよ、エデン。人間の善性が、我々に味方しているのだ』

 

 エデンがこのネットワークから逃れようとする。無論、元老院の堅牢なネットワークがそれを許すはずもない。隔離されたエデンは逃げる事も、ここから立ち去る事も出来ない。

 

 この話を聞かなかった事にも。

 

『貴様には、既に一蓮托生として、我らに協力してもらうぞ。ブルーガーデン国土の再生だったか。くれてやろう。なに、少しばかり緯度と経度が変わるだけだ。この星には未成熟なコミューンが無数にある』

 

『その中のいくつかを、貸してやってもいい。もう一度ブルーガーデンを、貴様の楽園を再生したいのだろう? ならば、我々に協力するのが最も筋が通っている』

 

 迷いを浮かべたエデンにレミィが畳み掛ける。

 

『いずれにせよ、今のままでは汚染を広げただけのただの罪人。だが、これからの身の振り方次第で、その処遇を変えてやってもいいのだと言っている。罪が軽くなるのだ。これほどの譲歩もあるまい』

 

『レミィの言う通り。キリビトを遠隔操作して我らの下に連れて来い。そうでなければ貴様は永久凍結を免れない』

 

『いや、凍結処理で済めば、まだ温情のあるほうだ』

 

 システムの完全破壊さえも視野に入れている事をにおわせる。エデンはそうなってしまえば元老院に逆らう事も出来ないようであった。

 

『分かればいい。キリビトを回収するとして、ゾル国では足がつく。どうするつもりだ、レミィ』

 

『いや、何の心配も要りませんよ。ゾル国は傀儡も同然。別の部署がある。その部署に任せれば隠密に作業も進む』

 

『キリビトを手に入れた先も見えているという事か』

 

 通信越しのレミィが首肯する。ならば、元老院の決定は自ずと導かれた。

 

『なれば、レミィ、キリビトを回収した後、その機体へと我々の全ての叡智を詰め込もう。その時こそ、惑星の完全統治は成る』

 

『エデンに水先案内人は頼みましょう。キリビトへのアクセス権限は生きているな?』

 

 エデンには最早選択肢はない。ここで頷く以外の行動を取ればすぐさま封印措置が成されるであろう。

 

『キリビトを回収。オラクル市民によってその機体を修復し、ブルブラッドキャリア。この惑星へと無謀にも報復しようとするモリビトを殲滅する』

 

『トウジャの開発状況は逐次報告せよ。《グラトニートウジャ》、これは素晴らしいが、この機だからこそ懲罰を免れたようなもの。平時ならばアクセス停止が勧告される』

 

『重々、承知しています』

 

 レミィの言葉を受けながら元老院の議論の行方は一致した。

 

『キリビトを得れば、我らに怖いものなどない。ブルブラッドキャリア殲滅への秒読みは始まった』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯120 背負うべき罪

 アクセスを切り、レミィは同期ネットワークをわざと遮蔽する。

 

 肉体を得てよかった点は常に思考を覗き見されない事だ。それゆえに、相手を状況で上回る事が出来る。

 

「元老院は信じ込んでいる。キリビトさえ得れは、全てがうまく回ると」

 

「そのように簡単ではないというのに。老人達は懲りないな、いつの時代でも」

 

「それを言うか? 人間型端末であるところのお前が」

 

 歩み出た男は瞳を閉じて瞑想している。否、これは同期ネットワークにアクセスしているのだ。彼らのネットワーク管理は特殊であり、自分のような前時代の遺物とはわけが違った。

 

「今、照合した。ゾル国にて、《スロウストウジャ》なる機体が量産体制に入ったとの事だ」

 

「ぶつかり合うのはトウジャ同士か。やはりいつの世になっても、人間のやる事というのはどこか拮抗するもの。首尾は?」

 

「上々。タチバナ博士には軟禁を強いているが、あのお方は思っていたよりもタフだ。我々のように簡単には諦めないだろう」

 

「諦めてその地位に甘んじているにしては、なかなかやるじゃないか。――渡良瀬」

 

 名を呼んでやると、男はフッと笑みを浮かべる。こめかみを突き、言いやった。

 

「ここの差だ。結局はな。同じ人間型端末とは言え、一人を切らざるを得なかったのは悔やむしかない」

 

 まるでそう思っていない渡良瀬の声音にレミィは整備デッキを潜り抜ける《バーゴイル》を視野に入れた。人機の前線基地であるこのコミューンが次の標的になるであろう事は想像に難くなかったが、渡良瀬が言うのにはその介入はブルブラッドキャリアによるものではなく、人間同士の戦いになるという。

 

「件の《スロウストウジャ》の初陣、というわけか。モリビトを葬るために造り出されたというのに、戦うのは同じ人類同士とは、皮肉としか言いようがない」

 

「ブルブラッドキャリアへの対抗策として、空間戦闘における《グラトニートウジャ》の有用性もはかられたのだろう。あれのデータは」

 

「こちらに」

 

 手渡した端末に渡良瀬は満足気に頷く。

 

「《グラトニートウジャ》のデータを持ち帰れば博士もさぞお喜びだろう」

 

「しかし、当の博士はこの展開をお望みかな。トウジャが喰い合い、結局国家同士の利権の奪い合いとなる地獄絵図を」

 

「どこかで予想はされているはずだ。問題なのは、その予想から外れるか否かだけだろう」

 

 渡良瀬は誰よりも長くタチバナの下にいるはずだ。ゆえにその発言には説得力がある。

 

「ハイアルファーを廃した、純粋な兵器としてのトウジャ、か。求められ得る進化なのか、それそのものが罪悪なのか」

 

「問題点は廃して、ある一定水準の機体性能に落とし込んでいる。ハイアルファーはイレギュラーの産物に過ぎないとメカニックと上層部が判断した結果だろうな」

 

「国家は奇跡を起こし得る可能性よりも、敵の額に銃弾が命中する確率のほうを優先したわけだ」

 

「それが合理的だ」

 

 レミィはキリビトに関するデータを羅列させる。エデンが迂闊であったのは、《キリビトプロト》から離れる際、そのデータをオープンのままにした事だ。自分のような人間がアクセスするとは思っていなかったのだろう。あるいはそれ以上に、生き意地が汚かったかのどちらかだ。

 

「《キリビトプロト》……驚異的な性能の人機だ。これが百五十年前には、量産さえも視野に入れていたとなるとぞっとする。蝿型人機共々、こちらの《バーゴイル》百機、否もっとに相当する」

 

 四十機以上の無人人機を搭載。なおかつ、全方位対応型の装備を展開しつつ、リバウンドの反転重力を利用した重力吸引武装と、広範囲R兵装を展開可能……。スペックだけで戦慄する。

 

「これを元老院の老人達はどう扱うというんだ?」

 

「大方、改修して象徴としての支配を確立する、か。だがそれではあまりにももったいない」

 

「だからこその協定か。レミィ、だったな。元老院の内通者になってまで、我々に手助けを求めた意味は、やはりこれか」

 

 端末上にはタチバナの提唱した武装改修プランが三次元図で示されている。世界の頭脳たるタチバナ博士は遥かに高みを行っている。本人にその気はないだけだが、好奇心を抑え切れないのだろう。ローカル通信の中に人機の設計図を潜り込ませるなどよほどだ。

 

「トウジャの跳梁跋扈に、さしもの人機の第一人者でも逸る気持ちがあるに違いない。その中で、勝てる機体を、と試算した結果が百五十年前の罪悪へのアクセスとは。感嘆さえする」

 

「確かにこの機体ならばトウジャなど敵ではない」

 

「キリビトのさらなる発展機、か。その構想、もらい受けよう」

 

 レミィは端末を手にして整備デッキを降りていく。渡良瀬は自身の位置を偽装し、あくまでもブルブラッドキャリアの協力者を装っているようだ。

 

 タラップを駆け降りたレミィは整備デッキに佇む巨躯を仰ぐ。

 

 並び立った《バーゴイル》は次の戦線を待ち望んでいるようであった。

 

「……結局は、人同士、か。ブルブラッドキャリア。その志が本物ならば、この戦い、どう見る?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰投するなり医務室に閉じ篭ったカイルに、全員がお手上げ状態であった。

 

 鍵やパスコードも変更しており、どう足掻いても出てこないのだ。

 

「駄目です。マスターキーも持ち出したみたいで……」

 

 困惑する兵士達にガエルが視線を振り向けた。

 

「あとは自分がやる」

 

「でも、相当ですよ。誰にも降りた姿さえも見せずに医務室に直行って……重傷なんじゃ」

 

「重傷だとすれば余計に、だ。任せてくれ」

 

 兵士達が散っていく。ガエルは扉をノックした。

 

「カイル、開けてくれ。皆が困っている。心配もしているんだ。だからここを……」

 

「……そんなはずはない」

 

 濁った声音であった。ともすれば声帯をやられたのか。ガエルは叔父としての演技を貫いた。

 

「カイル、負傷しているのか? だとすれば処置を」

 

「うるさい! 僕に構うな……」

 

 いつになく冷静さを欠いた語調であった。ガエルはホルスターに仕舞っていた拳銃を構える。

 

「カイル、開けるぞ!」

 

 銃弾を正確に鍵のシステム部位を撃ち抜かせ、ガエルは扉をマニュアルに設定した。

 

 開いた先の部屋は薄暗く、どうやら医師もいないようである。奥のベッドにカイルが蹲っているようであった。

 

 黴の臭気が鼻につく。据えたような強烈な臭いにガエルは眉をひそめた。血の臭いではない。下水道のような吐き気を催す空気と目を突き刺す刺激臭が充満している。

 

「カイル……劇薬でもぶちまけたのか? このにおいは……」

 

 シーツを被り、震えている影へとガエルが手を伸ばしかけて、吼え立てた声音に身を竦ませる。

 

 シーツを剥ぎ取った先にいたのは、カイルではない。

 

 否、そもそもその姿かたちは人間のそれではなかった。

 

 逆側に折れ曲がった手足。異様に膨れ上がった胴体。豊かで艶やかであった金髪は完全に色をなくし、枯れ葉のように衰退している。

 

 老人を思わせる骨身の手がこちらへと伸びてガエルは覚えず銃を突き出していた。

 

「誰だ……お前は」

 

 醜い獣がか細い声を発する。

 

「僕、です。カイル……」

 

 まさか、とガエルは目を見開く。操主服が引き千切れ、そのかんばせには面影など一切ない。

 

 人間であるのかどうかでさえも怪しい眼前の存在が、あの優男なのか。カイル・シーザーだというのか。

 

 あまりに突拍子もない現実にガエルはついていけなかった。

 

「どういう……」

 

「あの、ハイアルファー……【バアル・ゼブル】の効果……。使えば使うほど、僕の姿……こんなのになって……」

 

 ハイアルファーのデメリット。それが操主へともたらされる可能性は示唆されていたものの、まさかこのような形だとは夢にも思わない。

 

 ――人間を、「ヒトではないもの」に変換するハイアルファー……。

 

 醜く肥え太ったカイルは一回だけだ。一回だけ、ハイアルファー【バアル・ゼブル】を使用しただけ。その一回がまさかこれほどまでに変化をもたらそうとは思いも寄らない事実であった。

 

「助けて、叔父さん……」

 

 聞くもおぞましい獣の声音。耳にするだけで全身を掻き乱されるかのような不快感だ。

 

 ガエルは衝動的に引き金を絞りかけて、目の前の相手がカイルである、という事実を脳内で反芻する。

 

 それでようやく、殺意を押し留められた。

 

「カイル……まさかこんな……こんな現実が待っているなんて」

 

「叔父さん……僕は、もう、戦えない」

 

 ハイアルファーを使えば醜くなる。ゾル国の若きカリスマ、広告塔であった彼からしてみれば一番の屈辱であろう。

 

 武勲の代わりに、自身は二度と表舞台には立てなくなるのだ。

 

 しかしガエルは、これこそがと愉悦に口角を吊り上げていた。今まで他人よりも優れているがゆえに傲慢で、他人よりも美しいがゆえに浅慮であったこの青年を陥れるのには一番の材料だ。

 

 ガエルは鼻をつく異臭を我慢しつつ、カイルの肩に触れた。

 

 触れられた彼はびくりと縮こまる。

 

「馬鹿を言うな、カイル。《グラトニートウジャ》はモリビトを中破せしめた。充分な戦力だ。それを今、ゾル国が手離してどうする? モリビトの好き勝手にさせていいのか? お前がいないと、誰かが代わりに死ぬ事になるかもしれない。それだけ、国家は《グラトニートウジャ》に賭けているんだ。今逃げ出せば、誰もあの機体には乗れない。お前だけなんだよ、カイル。世界を救えるのは」

 

「僕が……世界を……」

 

 このどこまでも他人より自分のほうが勝っていると信じて疑わない青年の背中を押すのは難しい事ではない。自分しか出来ない、と思わせればいい。

 

「カイル。ちょっとばかし他人よりも負わなければならない責務は多いかもしれない。だが、それでも、いずれは。みんながお前の事を祝福してくれるだろう。その時のために、戦い続けると誓って欲しいんだ。その隣に、ずっといると約束しよう」

 

「……こんなになってでも、ですか? 僕がこんなに……醜くなっても、いいんですか?」

 

 ――ふざけるな。今すぐその汚らしい面に鉛弾をぶち込んでやる。

 

 本音をぐっと堪え、ガエルは優しく諭した。

 

「ああ、約束だ。カイル・シーザーほど有能で、戦場において誰よりも勇気ある青年を、未だかつて見た事がないと、皆に言わせてやろうじゃないか」

 

 カイルが濁った眼で自分の掌を眺める。爪が伸び、骨の浮かんだ尖った指。汚らしくくすんだ肌の色。

 

《グラトニートウジャ》のもたらした邪悪は伊達ではない。カイルは恐らく、乗れば乗るほどに誰からも嫌悪される怪物と化すだろう。

 

 しかしその時こそ、自分の本懐はなるのだ。

 

 ――正義の味方に。

 

 カイルがすすり泣く。ガエルの手を取り、何度も嗚咽して懇願した。

 

「ありがとう……叔父さん。ずっと傍にいてください……」

 

 片手に隠した拳銃を握り締めつつ、ガエルは虚飾めいた笑みを浮かべた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯121 自分という価値

 

 まどろみの中から、不意に浮かび上がる感覚であった。

 

 記憶の海はどこまでも広く、深い。深層へと潜っていくにつれて、青々とした世界の中に放り込まれていくかのようであった。

 

 地上での激動の戦いの日々が通り過ぎていき、根底に残ったのはそれ以前の記憶である。

 

 原初の記憶に触れた途端、フラッシュバックが襲いかかった。

 

 繰り返される模擬戦という名の己を殺す日々。失敗作と断じられた者達が培養液に浮かんでいる地獄絵図。

 

 自分と同じ顔の少女達が薄っすら瞳を開きながら、カプセルの中で眠っている。

 

 ――この子達が、いずれ何のしがらみもなく、目を覚ませたらいいのに。

 

 そう言っていた誰かの顔を振り仰ぐ。だが影になっていてその相貌は窺えない。

 

「私は違うの?」

 

 単純な質問。好奇心でも何でもない。ただ知りたかっただけ。

 

 自分はまどろんでいなくていいのか。眠りの中に漂っていなくていいのか。

 

 その人は少しだけ目線を伏せて言いやる。

 

 ――そうね、きっとあなたは、この世界を……。

 

 途端、ノイズが脳内を掻き乱していく。巨大な影が屹立し、血のように全身から赤い光を放出する。

 

《シルヴァリンク》、と断じたが、違うのは内部骨格がむき出しになっている点だ。血塊炉周辺が異常に発達した炉心で覆われており、赤い光が明滅する。

 

 ――血塊炉臨界点! アンシーリーコート、暴走します!

 

 誰かの喚き声と共に狂乱が場を支配する。

 

 ――押し留めろ! このままでは彼女が……!

 

 手を伸ばそうとしてその指先がガラスに遮られる。

 

 ほとんど露になったコックピットブロックの中で、一人の女性が微笑んだのがガラス越しに映った。

 

 ――生きて。だってこの世界はこんなにも……。

 

 その言葉が耳朶を打つ前に、視界いっぱいに赤い光が満たされた。

 

 鮮血の空間を漂い、記憶の残滓が浮かび上がってくる。

 

 海面の向こう側で誰かが手を伸ばしてきた。それに呼応するように自分も手を伸ばす。

 

 触れた指先に感じた温度に、ハッと目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眠りの中の感覚を現実へと持ち込み、鉄菜は伸ばした手の先を掴む。

 

 何もなかった。空を掴んだだけの己の手を改めて見やり、今しがたの夢を反芻しようとしてやはり出来ない事に呻いた。

 

「起きたかい」

 

 その声に視線を巡らせる。白衣のリードマンが解析機に視線を投じていた。

 

「私は……」

 

「極度の緊張状態に晒されていたか、あるいは体力の限界か。《シルヴァリンク》の中で昏倒。その前後はジロウが記録している。ジロウがいなければ、今頃宇宙を漂っていたところだ」

 

 リードマンの言葉振りに、鉄菜は全身に貼り付けられたコードを認識する。手を振り払ってコードを引き剥がすと彼は肩を竦める。

 

「不愉快だが、我慢くらいはして欲しい。君だって体調不良の原因くらいは知りたいだろう?」

 

 床に落ちたコードを拾い上げたリードマンに、鉄菜は睨みつける。

 

「ここは……」

 

「ラボの中だ。君の担当官だからね。《シルヴァリンク》の中で異常があったとなれば一番に看るのは当然だ」

 

「……もう問題はない。コードを剥がせ。私は自分で動ける」

 

「強がるなよ。解析にかけたが、《シルヴァリンク》共々、随分とボロボロだ。敵の機体が強かったか。あるいは地上での荒仕事のせいか。《シルヴァリンク》はフルスペックモードでも勝てないとなると考え直さなければならない」

 

 まさか操主の選定だろうか。鉄菜は真っ先に言葉にしていた。

 

「私は降りない」

 

 リードマンは端末に視線を落として首肯する。

 

「だろうね。それは君の存在価値に依存している」

 

「敵は墜とせたのか? 現状の被害は? どれだけブルブラッドキャリアが危険に晒された?」

 

「一度にいくつも質問をするな。処理出来ない」

 

 鉄菜は自分が二号機から降ろされた事、それに加えてリードマンが焦りもしない事から現状を推測する。

 

「……持ちこたえたのか」

 

「何とか、と言ったところか。一号機……《インペルベイン》は中破。三号機は脆さを露呈した結果となった。三号機操主、桃・リップバーンに関しては一度再考の必要があるかもしれない」

 

「……桃・リップバーンが何かしたのか?」

 

「知らなかったのか? 彼女には特別な能力がある。我々科学者の範疇からしてみれば認めたくはないが、超能力、という奴だ。まぁ、言わせれば血続由来の潜在意識に働きかけた特殊性能と認識しているがね」

 

 何を言っているのかまるで分からなかった。超能力など飛躍している。

 

「……仮にその通りだとして、ではどうして」

 

「三号機担当官の管轄だ。こちらではどうにも。ただ、あれは使うなと厳命が降りていたらしい。先ほど知った情報だがね」

 

 澄ました様子のリードマンに鉄菜は問いかける。

 

「私も、お前らから言わせれば実験台だろう」

 

 その言葉にリードマンの手が止まった。こちらへと向き直った彼は鉄菜の瞳を凝視する。

 

「……記憶が戻ったのか? いや、一時的な混濁か。いずれにせよ、実験台、というのは言い方が悪い。もう君達は立派な執行者、モリビトの操主だ」

 

「建前だろう。私達を管理したいと思っているはず」

 

「何を根拠にそう感じたのかは問い詰めないが、あまり精神的にはいい兆候ではない」

 

「ではどうする? 私を降ろすか?」

 

 挑発めいた言い草にリードマンは頭を振った。

 

「喧嘩は嫌いでね。こちらから折れる事にしている。二号機からは降ろさない。ただでさえ人手不足だ。一号機の修復までは二号機と三号機のツーマンセルになる。三号機操主も恐らくは変えないだろう。容易く執行者の替えがあるのならばそうしているはず。桃・リップバーンに関しての罪状は不問に付す、との事だろう」

 

「信じがたい」

 

「かもしれないが、案外組織とはそういうものだ。脆さが出てくれば自ずと方向性は決まってくる。今の状態で、ブルブラッドキャリアの組織存続を目指した場合、内部でのいざこざは避けたい、というのは至極真っ当だ」

 

 鉄菜はRスーツ越しに巻きついたケーブルを見やり、その嫌悪感に眉をひそめる。

 

「……私を調べてどうする」

 

「調べているんじゃない。看ているんだ。異常がないか、ね」

 

「人造血続として、欠陥がないかどうか、か?」

 

 振り向いたリードマンは鉄菜の皮肉に、フッと笑みを浮かべる。

 

「……嫌われたな、随分と」

 

「好かれたければこのような真似はすまい」

 

「隠し事を重ねていたのは謝ろう。いや、隠していたと言うよりも意図的に君の記憶から排除していた、か。だがもう未成熟状態は脱した。今の君は立派な人間だ」

 

「人間? 組織が私達執行者を、人間扱いしているのか?」

 

 この疑念はブルーガーデンでの単独任務で発したものだ。水無瀬なる協力者の要請。あの第四フェイズには裏があった。こちらの確信を持った言い草に、リードマンはどこか困惑気味である。

 

「人間扱い、か。そう言われてしまえばなかなかに立つ瀬もないのだが、人造血続である己の出自を君が知りたいと言うのならば、データにして羅列してある。それを脳内に直接書き込めば、すぐに記憶にする事が――」

 

「それは記録であって、私の記憶ではない」

 

 どうしてだかハッキリとした語調でリードマンの提案を跳ね除ける事が出来た。自分でも不思議なくらいである。

 

 リードマンは暫時唖然としていたが、やがて納得したようだ。

 

「……なるほど。軽んじていた、という点ではその通りだ。まさかそこまで自我が発達していたとは」

 

「私が私であるのに、理由は要らない」

 

「失った記憶も、かい?」

 

 鉄菜はケーブルを引き千切り、ベッドから身を起こす。

 

「勘違いをするな。失ったわけではない」

 

 歩み出た鉄菜をリードマンは止めない。その歩みを止めるだけの言葉を持たないのか。あるいは別の理由か。

 

 ラボから出る直前、その背中に声がかかった。

 

「思い出したというのかな。君の基になった女性、最初の血続の事を」

 

 完全に思い出したわけではない。だが、この胸の中にあるのは確かに自分の鼓動だ。間違えようもなく「鉄菜・ノヴァリス」という個人の脈動なのだ。

 

「その人物が誰であれ、今の私には関係がないはずだ。私は、鉄菜・ノヴァリス。ブルブラッドキャリアの、執行者だ」

 

 その返答に満足いったのか、リードマンはそれ以上声を投げてくる事はなかった。

 

 ラボの外に出るなり、鉢合わせしたのは彩芽である。どうやらこちらのラボに訪問しようとした矢先だったようだ。

 

「彩芽・サギサカ。《インペルベイン》が……」

 

「ちょっとトチっちゃって。でも中破だから。時間さえかければ直るってさ」

 

 いつものように溌剌とした声だが、鉄菜はその声音にどこか陰が宿っているのを感じ取った。

 

「三号機操主は……」

 

 濁した言葉に彩芽は悟ったようである。

 

「桃は、ね。……担当官といざこざがあるみたい。まだ拘束状態のままだって」

 

「超能力というのは……」

 

「誤解しないで、鉄菜。今回ばかりは、トウジャの時みたいにわたくし達だけで隠し事をしていたわけじゃないのよ。桃も自分では言うつもりがなかったって聞いたわ」

 

 超能力云々を信じたわけではないが、鉄菜は桃の復帰を危ぶんでいた。

 

「最悪の想定になるが、モリビト三機によるオペレーションに乱れが生じる。この局面でモリビトが動けないのは大きな痛手となる」

 

「貴女は相変わらず、仕事人間ね。でも、わたくしも迂闊だった。トウジャタイプがあそこまでやるなんて思わなかったから。《インペルベイン》の代わりと言ってはなんだけれど、別の人機をあてがわれる事になりそう。ちょっとの期間だけれどね」

 

 微笑んでみせた彩芽であったがその笑みには無理があったのは伝わってきた。

 

「……彩芽・サギサカ。このままでは世界はどうなる? トウジャタイプというひずみを抱えたまま回っていっても、あるのは人類同士の諍いだけ。これまで以上に、人々は争いを続けるだろう」

 

 自分はどうすればいいというのだ。《シルヴァリンク》でも勝てないかもしれない。その予感に自然と手が強張った。

 

「鉄菜、震えて……」

 

「勘違いするな。恐怖ではない」

 

 恐怖ではないはずなのに、震えが止まらなかった。どうしてなのだろう。このまま世界がずるずると引きずられ後戻り出来ない場所に自分も引き入れられるのがあまりにおぞましいのか。

 

 持て余した熱に彩芽がそっと手に触れてきた。

 

 鉄菜は面を上げる。彩芽は手を押し包み、首肯する。

 

「大丈夫……なんて楽観的な事言えないけれど、でも、貴女だって強いじゃない。鉄菜は今まで、充分に戦ってきた。だから、これまでも、これからも、きっと」

 

 大丈夫、などという生易しい言葉で済まされないのはお互いに戦いの日々を重ねて来たのは分かっているからだろう。

 

 ――これからもきっと、戦い続けられるのだろうか。

 

 そのような自信はない。二号機から降ろされるかもしれないだけで必死になっているのだ。未来の事などまるで分からない。

 

 頭の中でやらなければならない事が渦巻いている。

 

 人造血続、自分の基になった人間の事。まだ知らぬ《シルヴァリンク》の真実。それに――己の過去。

 

 向き合わなければならないのに、現実はあまりにも時間がない。

 

 山積した事実を消す事は出来ない。だがこれから先、どうするのかを決定付ける事は出来る。

 

 鉄菜は重ねた手に、問いかけていた。

 

「彩芽・サギサカ。私はどうすればいい? どうやら私は、真っ当に生きてきたわけではないらしい。造られた生命体で、造られた存在で、今ここにいるのも、全てが仕組まれた結果だ。《シルヴァリンク》に乗るのも、そこにしか居場所がないからだ。戦う事でしか、私は私であると言い切れない。かといって組織を恨む気にもなれない。私は、どうすれば――」

 

 そこから先を遮ったのは、彩芽が抱きついてきたからだ。一も二もなく、他者の体温が伝わってくる。

 

「鉄菜、貴女は強いから、だからいっぱい背負ってしまう。でも、それはとてもつらい事なの。たまには、誰かに背負わせてくれてもいいのよ。だってわたくし達は、もう仲間なんだから」

 

 仲間、と口中で呟いてみても、やはり実感はない。ただ、地上に降りて数日間、モリビトで戦い抜いた日々だけが自分達三人の証明であった。

 

 その時、彩芽の重ねた手が小刻みに震えている事に気づいた。

 

 彩芽にも何か自分では窺い知れないものを抱えているのかもしれない。そう感じつつも、気の利いた言葉の一つすら、今の自分からは出なかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯122 エホバ

「試験をスタートしよう。十五回目だ」

 

 ヒイラギの言葉を嚆矢として燐華は瞑目する。青い結晶に自分を預けていく感覚を伴い、思考を鋭敏化させた。

 

 すると青い結晶体が瞬き、輝きを発する。ペダルをゆっくりと踏み締めると、機械の両足が軋みを上げて動いた。

 

 思考通りに両腕が稼動し、歩行のスタイルを取る。しっかりとした足取りで一定の歩調を刻む才能機に、燐華は集中していた。

 

 才能機――イザナミはゴーグルの眼窩を発光させながら静かに加速した。

 

 支持ケーブルが激しく動き、血塊炉から青い血を全身に巡らせていく。燐華は操縦桿をリズミカルに引き、フットペダルへの圧力を変えてみせる。

 

 イザナミが踊るようにスキップした。その歩行を一分弱続けたところでヒイラギが指示を出す。

 

「オーケー。次は完全静止だ。これを三十秒」

 

 燐華は足の力を弱め、操縦桿をゆっくりと元の位置へと戻してやる。イザナミがゆっくりと歩みを止めていき、五秒もしないうちに完全にその場で静止した。

 

 難しいのは完全に静止するという事だ。才能機の操縦桿を掴み、フットペダルには足をかけたまま、三十秒。

 

 これをヒイラギは「人機操縦のエースでも難解な事」だと表現したが、燐華からしてみればなんて事はない。眠るように目を瞑るイメージを脳内で描ければいいだけであった。

 

 イザナミは静止を三十秒重ねた後に新たな指示を下される。

 

「よし、駆け足。一分間」

 

 燐華は歩行イメージから瞬時に加速イメージへと連鎖させる。先ほどまで一歩も動かず、その位置をキープしていたイザナミが急速に走り出した。

 

 才能機の関節部位に無数に巻きついた供給チューブが激しく揺れる。

 

 蠢動するチューブの中では青い血潮の下降と上昇による負荷がかかっているはずであった。燐華はイザナミへと語りかける。

 

「ゴメンね……。でも今は言う事を聞いて」

 

 応じるかのようにイザナミは駆け足を続けた。一分経ったところでヒイラギが待ったをかける。

 

「よし。今日はここまでだ」

 

 燐華はフットペダルから足を離し、操縦桿を掴んだまま、イザナミを労っていた。

 

「今日もありがとう。イザナミ」

 

 才能機のフレームから伝わるものは少ない。それでもイザナミの血塊炉からは喜びの感情が芽生えているように思われた。

 

 歩み寄ってきたヒイラギが書類を捲りつつ、成果を告げる。

 

「うん。数値はどんどんとよくなっている。このままいけば、才能機を乗りこなす日もそう遠くないかもしれない」

 

 燐華は額に浮いた汗を拭い、コンソールから離れてイザナミのフレームへと近づいた。イザナミは簡素な両手両脚しか持っていないにも関わらず、どこか命が吹き込まれた愛嬌のある存在に映っていた。今は、一つでもイザナミとの絆を深める事だ。それがひいては命を落とした鉄菜の犠牲に報いる事になるのだろう。

 

「それに、にいにい様にも」

 

 人機を動かせれば、兄、桐哉の抱えているであろう鬱屈を一つでも理解出来るかも知れない。ただ、守られるだけの存在はもう御免だった。

 

「才能機は応えてくれている。君の戦いにね。だから、今は数値をよくする事だ」

 

 自分の戦いは鉄菜や死んでいった人々を忘れる事ではない。もう二度と過ちを繰り返させないように、強くなる事だった。

 

「あたし……何も出来ないのはもう、嫌ですから。それに……」

 

 含ませた声に燐華は鉄菜から預かった鉄片を手にする。淡い輝きを発し、矢じりの鉄片が温かな光を携えた。まるでまだ鉄菜が生きているかのように、自分を優しく慰めてくれる。この光がある限り、鉄菜の存在をまだ感じる事が出来る。

 

「人機セラピーは順調だよ。このままいけば君をモデルケースにもっと発展したセラピーを推奨出来るかもしれない」

 

 自分がその模範になるのならば、燐華は躊躇いなどなかった。この世界には自分と同じように苦しみ、心の傷を抱えている人間が数多くいるに違いない。その誰か一人の癒えない傷痕を少しでも楽に出来る足がかりになるのならば、と燐華は前向きであった。

 

「お願いします。それに、あたしだけじゃ、まだイザナミをどうにかする事は出来ません。ヒイラギ先生の力添えがないと」

 

「僕は充分に、君自身の力だと思うけれどね。さて、もうすぐ迎えの車も来るのだろう? 今日のセラピーはここまでだ」

 

「お疲れ様、イザナミ」

 

 才能機を撫でてやると、その鼓動が感じられるようであった。不思議な感覚である。今まで機械に感情移入した事などないのに、イザナミだけは違うように思えている。

 

「イザナミも主人がこれほどに成長が早いとなると鼻高々かな」

 

 その言葉に燐華は微笑んで返した。

 

「イザナミは優しい子ですから、きっとあたしが強くなれば喜んでくれると思います」

 

 最初はただの鉄骨作りの機械にしか見えなかったイザナミが、今はもう欠かす事の出来ない相棒のように感じられた。

 

 迎えの車が学園の門扉の前に停車する。燐華が振り返り、手を振ろうとすると、ヒイラギへと声をかけた男性が視野に入った。

 

 学園の関係者とは思えない佇まいの黒服である。ヒイラギはその男を認めるなり、少しだけ声を低くする。

 

「……ちょっと待って。あ、いや、クサカベさんはもう帰りなさい」

 

「でも、先生……」

 

 窺うとまるで表情の読めない男であった。人間らしい感受性が欠如しているかのようだ。

 

「いいから、行きなさい。イザナミの調整値を設定しておくから。あとは僕の仕事だ」

 

 自分に言い聞かせるような言葉に燐華は頷いて、頭を下げた。

 

 ヒイラギに話があるような大人は初めて見たが、よくよく考えると当たり前なのかもしれない。

 

 ブルブラッド大気汚染テロから先、学園はほとんど自主封鎖状態。その敷地内で才能機によるセラピーを勝手に行っているとなれば注意喚起くらいはあるのかもしれない。

 

 かといって自分が駄々をこねればいい話でもないだろう。遠ざかっていく学園を見やりつつ、燐華は胸中に湧いた不安に顔を翳らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君らから来るなんて随分と殊勝じゃないか」

 

 ヒイラギの放った言葉に相手は抑揚のない声で応じる。

 

「世界は急速に変わろうとしている。そんな中、変わろうともしない禁断の鍵を目にすれば、こちらから介入もしたくなるというもの」

 

「変わろうともしない? 僕がそう見えるって言うのか?」

 

 肩をすくめたヒイラギに相手は言いつける。

 

「あの少女……何をしようとしている? 今度は何を企むつもりだ?」

 

「企むだなんて人聞きの悪い。僕はいつだって世のため人のために動いてきたつもりだ」

 

 格納庫へと歩みを進めたヒイラギへと一定の歩調で相手はついてくる。どうやらここで話をするしかないようであった。

 

「才能機……そのようなおもちゃを使って、ゾル国の一教員になって何が見えた? 何も見えはしないだろう。この世界が如何に愚かなのか。人間がどれほどまでに繰り返す生き物なのかは問うまでもなく明らかだ」

 

「だから滅ぼすって? 相変わらず、過激な思想の持ち主だな。――白波瀬」

 

 名前を紡がれた白波瀬は硬い表情のまま応じる。

 

「全てから目を逸らし、現実から逃れ、その宿命からも逃れ続けた貴様には、何も分かるまい。ブルブラッドキャリアの介入に対し、一番にフラットな位置を貫こうと言うのだろうが、それは傍観と何が違う?」

 

「僕はもう、誰の味方であるつもりもない」

 

 ヒイラギの抗弁に白波瀬は眉根を寄せる。

 

「ではあの少女をどうするつもりだ? まだ汚染の色濃いこのコミューンで、才能機などというまやかしを使って、一時的に傷を癒そうというのか。それとも、あの少女に可能性を見ているのか?」

 

「人機セラピーだよ。そんな事も知らないのか?」

 

 言い返したヒイラギに白波瀬は頭を振る。

 

「まさか。そのような生易しい事に軍部の仮想OSとシミュレーターを使うなど考えもしないだろう。あの少女を何に仕立て上げたい? 聖女か?」

 

「この時代に聖女、とは。また冗談が上手くなったね」

 

 流そうとするヒイラギに白波瀬は糾弾の声を発する。

 

「変わりはしない。百五十年前と。やっている事は結局同じだ。時代を生き、世界が変わるのを何度も目にしても、貴様は絶望しなかった。それは何故だ? ヒイラギ……いいや、エホバ」

 

「その名前は捨てた。エホバだなんて驕りも甚だしい」

 

「だが貴様はその資格を持つ。神の座に近い存在だ。悠久の時間を生き、ほとんど寿命の存在しない究極の人造兵器が、この激動の時代に何もしないなど、逆にあり得ない」

 

「では僕がブルブラッドキャリアに協力すれば、それっぽいとでも言うのかな?」

 

 白波瀬が来た理由は大方、この変わろうとする世界の最中、傍観を貫くのかどうかを問い質すためだろう。

 

 彼とてブルブラッドキャリアの協力者としての身分に疑問を感じているから、自分に接触してきたはずなのだ。

 

「エホバ……オガワラ博士の理想を体現する鍵を持つ存在であるのならば、何もしないのは怠慢だ。ここで示せ。何もしないのか、それとも世界を変革する要因となるのか」

 

 突きつけられた銃口にもヒイラギは臆する事もない。淡々とその面持ちに問い返す。

 

「エホバなんておだてられて、じゃあ世界を変えられるかと言えばそこまでヒトは簡単に出来てはいない。悪性と善性、両極端をどのように扱うかなんて人の自由なんだ。僕らがどう言ったところで人間のうねりには勝てない」

 

「この状況でさえも、人間が選択した結果だというのか」

 

「そうでなければ、誰が責任を取ると言うんだい? まさか僕かな? エホバなんて名付けられたからと言って、神のように振舞うのはどこまでも傲岸不遜な事だ。僕はただの一教員でいい」

 

「……見損なったぞ」

 

 身を翻した白波瀬にヒイラギは問いを重ねる。

 

「一つ、モリビトとブルブラッドキャリア、この二つに協力しているのはもう、君だけか?」

 

 予感があったわけではない。ただ、現状の有り様から逆算すれば組織のやり方に疑念を抱いている人間が出てもおかしくはない頃合いであった。

 

「……水無瀬を裏切り者として処刑した。渡良瀬はタチバナ博士監視の任についたまま、行方は知れない。ゾル国のどこかだとされているが、公式には不明だ。組織を見限るつもりのない協力者は、もうわたしだけだろう」

 

「その君だって、もうブルブラッドキャリアの死期は近いんだって思い始めている。だから僕なんかに意見を仰ごうとした」

 

「組織の目論見は成功している。ヒトは原罪を直視し、トウジャタイプの封印を解いた。それだけでも充分な成果だが、独裁国家ブルーガーデンの滅亡により、ヒトは争いの火種を生んだ結果となった。三国の緊張状態が解かれ、世界は一気に戦争へとなだれ込む」

 

「それがブルブラッドキャリアのプランの一つだとして、個人的には容認出来るのか、と言いたいのかな?」

 

 白波瀬は言葉少なに返答した。

 

「……協力者として、出来る事はほとんどない」

 

「だからエホバに頼もうって話か。でも、僕は何か大きな爪痕を残すつもりはない。オガワラ博士……彼の思想に同調し、僕は確かにブルブラッドキャリアの組織発足に貢献したが、それがいつまでも変わる事のない思考回路だとは思わないでいただきたい」

 

「あの少女をどうする気だ? 何に仕立て上げたい?」

 

「彼女は美しい。友人を失い、庇護されるべき兄から裏切られ、それでも世界を愛そうとしている。そんな彼女の在り方に、僕は少しだけ背中を押す事に決めた。それだけの話だよ」

 

「エホバという強力な個人ではなく、ヒイラギという人間としての選択か。だが、貴様は自分が思っている以上に他人への影響力がある。予言しよう。あの少女は不幸になる」

 

 そう言い置いて白波瀬は敷地を出て行った。ヒイラギはイザナミのコンソールを見やり、抽出されたデータを参照する。

 

 どのデータも、一般的な操主の弾き出すそれよりも高いものであった。

 

 メインデータを隠しファイルへと移行させ、ヒイラギは呟く。

 

「世界を変えるのに、何も戦いだけが全てではないよ。君達はそれを理解していないから滅びるんだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯123 タナトスの聲

 不意に風向きが変わった事に、狭苦しいコックピットの中で感じ取る。

 

《ダグラーガ》の眼光が大移動を始めた古代人機の群れを辿っていたが、追い風の先を自然と追っていた。サンゾウはその風の向こうにある国家の行く末を見やる。

 

「……ヒトの封じた原罪。それを使う事さえも厭わないか。どれほど罪に塗れた道であっても、思い直す事だけが人間に備わった唯一の機能だと言うのに。人間は、やはり繰り返す。それが繰り返してはいけないものだと分かっていても」

 

 古代人機が甲高い鳴き声を上げる。大地に朗々と響く声に《ダグラーガ》が錫杖を振り上げた。

 

 何機かの古代人機が呼応したように砲撃を中空に発射する。喜びの砲弾だ。彼らは人類のもたらした新たな生存区域へと一斉に移動していた。

 

 ブルーガーデンと言う名の独裁国家が滅びたのは何も惑星からしてみれば功罪ばかりではない。古代人機は汚染区域を苗床にして新たな棲み処を得る事になる。人類は自らの足で滅びへと踏み出した事になるだけだ。

 

 遠く、風向きの中に新たな血塊炉の鼓動を感じ取る。遥か昔に忘れていた惑星の震撼。争いへと進む煤けた風が吹き抜ける。

 

「古代人機は、ただただ生きていたいだけなのに。それも理解出来ないか」

 

《ダグラーガ》の策敵センサーが捉えたのは五機編成の機体であった。X字の眼窩を持つ人機が中空を舞い、古代人機の密集地へと飛翔する。

 

「愚か者は、どこまで行っても同じか。その存在を許容されていないとしても。……トウジャ」

 

 ベージュ色のトウジャタイプ五機編成は手にしたプレッシャーライフルを一射する。

 

 古代人機の移動に穴が開き、三々五々に散った古代人機をトウジャタイプが刈り取ろうとした。

 

 その機体が腰に備えたプレッシャーソードを発振させ、近距離から古代人機の砲門を引き裂いていく。

 

 青い血潮が舞う中、トウジャタイプが古代人機達を圧倒していく。

 

「憐れ。ヒトは自らの業に支配され、自然の摂理さえも理解せぬまま自滅の道を選ぶ」

 

《ダグラーガ》が静かに飛翔し、古代人機へと接近した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初陣に古代人機の密集地を選んだのは最適と言える。

 

 テスト飛行に出たリックベイは《スロウストウジャ》のもたらすその恩恵に絶句していた。

 

 手にしたプレッシャーライフルは一撃だけでも充分に巨大な古代人機を絶命せしめる。それに加えて近接兵装のプレッシャーソードが遠近両面における無敵さを約束していた。

 

「これが、《スロウストウジャ》の力か……」

 

 呟いたのはあまりに過ぎたる力だという自覚があったからだ。ナナツーの比ではない。それどころか、あらゆる人機を凌駕する性能が秘められているだろう。五機編成にしたのは、何もテストの機密性を高めるためだけではなく、単純に先行量産型が五機しか建造出来なかったからだ。

 

 それが結果的には本国のナナツー乗りの中でも指折りのエース達に与えられたのは皮肉としか言いようのない。

 

 ナナツーに慣れた神経では少しばかり逸ってしまうほどの性能を誇る《スロウストウジャ》に、三人のエース達は翻弄されているようであった。

 

 プレッシャーライフル一射の突破力に言葉をなくしているのが伝わる。

 

「機体、止まっているぞ。ナナツーと違うとは言っても人機戦の基本は同じだ。止まっていれば体のいい的になる」

 

『す、すいません! 少佐! しかし、あまりにも……』

 

 言わんとしている事は分かる。あまりにも強い人機を与えられて神経が昂っているのだろう。

 

 古代人機などナナツーに乗っている時には出来れば逃げに徹するように、と通告されている相手だ。ゾル国のように徹底抗戦に打って出る事がエースの証ではない。

 

 だが、古代人機ならば他国との緊張状態を保持したまま、トウジャの性能のみを純粋に見る事が出来る。上の判断は何も間違っていない。ただ、一機の例外を除いては。

 

 プレッシャーソードを発振させ、古代人機を次々と切りさばいていく《スロウストウジャ》一機はあまりにも苛烈に攻めていた。青い返り血を全身に浴びて、機体が跳ね上がる。

 

 通信網を震わせたのはハイになった雄叫びである。

 

「……アイザワ少尉。古代人機とは言え、相手も強敵だ。迂闊に近づけば踏み潰されるぞ」

 

 リックベイの警句にタカフミは古代人機の砲撃の網を抜けて、幾何学の軌道を描きつつその懐へと飛び込ませる。

 

 プレッシャーソードの切っ先が古代人機の腹腔を貫き、そのまま装甲を両断させた。

 

『えっ? 何ですって? 少佐』

 

 聞こえていないのか。リックベイは嘆息をついて、タカフミへと再三の注意を振る。

 

「《スロウストウジャ》がどれほど強いとは言っても、古代人機だって馬鹿ではない。囲まれれば一網打尽にされるのはこちらのほうだ」

 

『大丈夫っすよ! おれ、この機体には自信があります! すげぇよ、トウジャ! おれを夢中にさせろ!』

 

 小型の古代人機を踏みしだき、タカフミの《スロウストウジャ》がプレッシャーソードを薙ぎ払う。大型の古代人機が背後から迫っていたが、その腕から逃れ、軽業師めいた挙動で背後を取った。

 

 プレッシャーライフルを速射モードに設定し、大型古代人機を幾条もの弾丸が貫いていく。

 

 倒れ伏す古代人機へとタカフミは圧倒の証のように佇んでみせた。

 

『これが、トウジャの力!』

 

『少佐……アイザワ少尉の身勝手、許していいのですか?』

 

 他の操主のうろたえ振りにリックベイは頭を振る。

 

「……羽目を外し過ぎない程度に性能を試すといい。あれほど力に酔いしれる必要はないが、この機体には慣れておけ。実質的な次世代機だ」

 

《スロウストウジャ》を駆るエース達が古代人機の上空を飛翔し、プレッシャーライフルを掃射する。

 

 今まで遭遇すればまず逃げる事を考えろと言われていた古代人機相手に、新たなる武装はこちらの圧倒的な優位を与えた。プレッシャーライフルを前にして古代人機がバタバタと倒れていく様は壮観ですらある。

 

 リックベイは全員のデータを取りつつ、《スロウストウジャ》の性能をレポートするべく高空で指揮していた。

 

 自分は戦局には割って入るつもりはない。だがエース機である《スロウストウジャ》がどれほどやれるのかは吟味しておく必要がある。なにせ、この次は恐らく近代人機との戦闘が待っているからだ。

 

《バーゴイル》との実戦を加味した場合、ほとんど動く的に等しい古代人機とはわけが違う。今のうちに《スロウストウジャ》の能力には酔っておいたほうがいい。実際の戦場ではそう上手い事、敵は墜ちてくれないはずだ。

 

 その時、リックベイは関知網の中に一機の識別不能人機のマーカーを発見した。全天候周モニターの一角を拡大させると、その機体はこちらをじっと見据えているようである。

 

 どこの人機なのかまるで不明であったが、毛髪のように絡まったケーブルと錫杖を手にしたその立ち振る舞いからただの人機ではないのは明白である。

 

 仕掛けるべきか、と逡巡したリックベイの思考を読み取ったように、その人機は静かに立ち去っていった。

 

 何だったのか、と確認する前にタカフミの《スロウストウジャ》が古代人機を薙ぎ倒していく。敵の射線をギリギリで潜り抜けて刃を見舞う様は傍目にもヒヤヒヤする戦い方だ。

 

「アイザワ少尉。《スロウストウジャ》が五機しかいないんだ。荒っぽい使い方をするなよ」

 

『でも、少佐! こいつ、まるでおれの思った通りに動く! こんなの、気持ちよくってクセになりそうですよ!』

 

 トウジャの機体追従性能は自分が試験を踏んだ段階で明らかになっていたが、まさかこれほどまでに操主間の実力差を埋めていくとは思いもしない。

 

 タカフミの機体が古代人機へと刃を振るい上げる。古代人機の砲弾が迫ると、彼の機体はまるで弾かれたようにそれを回避し、振り返り様のプレッシャーライフルの一撃で古代人機を射抜いてしまう。

 

 まさに水を得た魚のように、《スロウストウジャ》という世紀の人機を得たエース達は次々と古代人機を行動不能に追い込んでいく。

 

 その圧倒的な戦力に恐怖さえ覚えるほどだ。ナナツー戦力十機分を補えるとシステムデータの試算にはあったが、それは所詮シミュレートに過ぎないと一蹴していた自分に、リックベイは嘗め過ぎだという判断を下す他ない。

 

《スロウストウジャ》が古代人機三十体近くの群れを散らすのに、なんと十分もかかっていなかった。

 

 それぞれの《スロウストウジャ》が青い返り血を浴びて戦場を俯瞰する。息を切らしたエース達の中でタカフミが雄叫びを上げた。

 

『これが、トウジャ……! すげぇ、すげぇよ!』

 

 リックベイは人機による戦場が今日、新たなる産声を上げて変革したのを実感せざる得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 将校に呼びつけられたのは随分と久しぶりに感じる。

 

 それほどまでにカイルの叔父としての職務が板に来たのか。あるいは、ただ単にこちからから催促しなかっただけなのかまでは分からなかった。しかし、将校は久方振りだとも何も前置かず、ただ端的に必要な事を述べた。

 

「《バーゴイルシザー》が大破した、との報告を受けた」

 

 宇宙から降りるなり召喚された理由などそれしかない、とでも言うように将校はこちらの目を見もしない。ガエルからしてみれば、レギオン掌握へのシナリオは着々と浮かびつつあるのに、この将校の余裕でさえも憎々しいほどであった。

 

「新しい機体を寄越すって言うから、オレは報告の任をすり抜けてここに来たんだぜ? 本来なら宇宙でまだあの坊ちゃんの世話をしなきゃいけないはずだ」

 

「それは忙しない事をさせたな、ガエル・シーザー」

 

 皮肉めいた言い草にガエルは眉を跳ねさせる。相手はこちらが水無瀬との協力を得た事など知らずにここまで挑発しているのだろうか。だとすれば間抜けだとしか言いようがない。

 

「……細けぇ事はいい。新型、寄越せよ」

 

 停泊している巡洋艦へと将校が入ると、ほとんど無人の通路で彼は不意にこちらへと一瞥を振り向けた。

 

「随分と、気前がいい、とは思わないのかな?」

 

「もう、んな事気にしねぇよ。何が出来たっておかしくないんだろ? てめぇらは」

 

「分かってきたじゃないか」

 

 カイルの叔父としての身分。それに、《バーゴイルシザー》大破の報告を受けて、すぐに新型を用意する手際のよさ。全て、水無瀬の推測通りであった。やはりレギオンとは、この世界そのもの。

 

 無自覚の悪意をすくい取ったその元凶こそがレギオンを構築するのだ。

 

 彼らは全であり一。一であり全。たとえこの将校を殺したところで解決しないのは目に見えている。今は、出来るだけうまい汁を啜っておく事だ。対処法はそのうち見えてくる、と水無瀬は結んでいた。

 

「此度の新型配置は、少しばかりの反発を食らうかもしれない。だが、それでも疲弊したゾル国はこれを受け入れざる得ないだろう。あるいは、もうその覚悟くらいはあるのかもしれないが」

 

「まどろっこしいな。反発を受ける機体なんざ、《グラトニートウジャ》だけで充分だろ?」

 

「……ある側面ではあのトウジャタイプよりもなお、かもしれないな」

 

 相変わらず人を食ったような物言いの好きな人間だ。ガエルはタラップを上がり、整備デッキへと足を進めた。

 

 一面が暗がりである。

 

 将校が足を止め、パチンと指を鳴らした。

 

 途端、照明が上がり、デッキに格納された機体を照らし出す。その姿に、ガエルは息を呑んでいた。

 

 ある程度の機体は想定していた。それがトウジャかもしれない、とも。しかし眼前の機体はそれら全ての予測を遥かに上回っている。

 

 鋭いデュアルアイセンサーを有し、既存の機体とはまるで異なる設計思想の下、建造された人機。両肩には羽根を思わせるバインダーがあり、どこか《バーゴイルシザー》の鎌を思い起こさせた。

 

「これまでの惑星内における設計思想を一新し、この機体の建造作業に全ての叡智を結集させた。タチバナ博士のシステムデータを得られなかった事だけは心残りだが、なに、タチバナ博士のような一部の天才がいなくとも、千人の凡才がいれば再現は可能であったという事だ」

 

 濃紺と灰色の機体色に、赤い眼窩。この世界を敵に回した機体そのものが、眼前に屹立している。

 

「こいつは……」

 

「機体名称を、《モリビトタナトス》。死神の名を冠する、惑星産のモリビトだ」

 

 紡がれた名前に《モリビトタナトス》の頭部にガエルはうろたえていた。まさか、モリビトタイプを己が手にする時が来るとは思ってもみなかったのである。

 

「モリビトなんざ……ゾル国が配備を許すわけ……」

 

「ところが、このような現実があってね」

 

 将校が手にした端末から映像が再生される。そこに映し出されていたのはベージュ色のトウジャが古代人機を圧倒する様であった。今まで見た事のないほどの大規模戦闘にガエルは絶句する。

 

 古代人機の大群をたった五機のトウジャタイプが殲滅するのに十分もない。将校は振り返り、口角を吊り上げた。

 

「《スロウストウジャ》……C連合は遂に禁忌へと手を出した。量産可能なこのトウジャが次に標的とするのは推し量るまでもなく競合国家であるゾル国だ。その前線基地に、まだ修復中の《グラトニートウジャ》では間に合うまい。かといって地上戦力ではどう足掻いても《スロウストウジャ》の前に無力だろう」

 

「……何が言いたい?」

 

 将校は佇まいを正して言葉にした。

 

「――ようやく、君が大手を振って成れると言っているんだ。正義の味方に」

 

 カイルの叔父としての実績も踏んだ。その上、当のカイルは使い物にならないのは自分が一番身に沁みて分かっている。

 

 現状のゾル国の国防は手薄。今仕掛けられれば確実に手痛い一撃を被る事になるだろう。

 

 それを回避するのに、モリビトの存在は不可欠。だが、これは新たなる火種に発展し得る。

 

「モリビトがゾル国の味方として出てくれば、C連合の疑念はそのまま、ゾル国とブルブラッドキャリアの共謀に向いていく。世界がブルブラッドキャリアとゾル国が手を組んだんだと思い込むぜ」

 

「だが、これによって君は完全に国家の中枢へと潜り込む事に成功する。モリビト……ゾル国の撃墜王のあだ名であり、なおかつその存在がハッキリとゾル国の象徴として成り立てば、最早恐れるべきは、世界の敵としてそれを扱うブルブラッドキャリアのみ」

 

「そう、容易くは行くかよ。ゾル国とモリビト連中が一緒くたになって世界を欺いていたんだと分かれば世論がどう動くか……」

 

「その心配は必要ない。なにせ、C連合とて国民の意見は無視してゾル国に仕掛けるんだ。それが機密作戦であれ、そうでないにせよ、お互いに探られれば辛い一物を抱えた結果になる。その妥協案として、国家同士が共通の敵を見つけるのに、時間はかかるまい」

 

 そうだ。世論はレギオンが完全に根回ししている。今、事実として存在する《スロウストウジャ》の脅威から国家を守れるのは、自分とここにいるモリビトタイプのみ。

 

 それが歴然とした事実であるのが分かるからこそ、国家の裏側に思索を巡らせるよりも、ブルブラッドキャリアという共通の敵を睨むために、国家同士が謀を行ったと見るほうが建設的なのだ。

 

 ――全てはブルブラッドキャリア打倒のために、お互いの生み出した出来レースなのだと。そう結論付ければレギオンが人々を扇動し、ブルブラッドキャリア排斥のためにお歴々が重い腰を上げるのは時間の問題である。

 

 もう賽は投げられた。問いかけるべきはモリビトに乗るか乗らないかではない。

 

 この道から外れるか、外れないかでさえもない。

 

 最早、死ぬか生きるかだ。

 

 カイルの叔父として生かされてきたのはモリビトを操っても不可思議ではないポジションだという説得付けのため。何よりも今までの自分の戦歴がモリビト鹵獲へのシナリオを容易に想像出来るよう仕組まれている。

 

 ガエルは赤い眼差しのモリビトへと視線を投じる。

 

 死への衝動をその名に持つモリビトは静かにガエルを見下ろしていた。

 

 逃げ帰る事も、ましてや何もかも忘れてなかった事にも出来ない。レギオンの用意した筋書き通りに世界は進むしかないのだ。

 

 自分はその上で用意された駒。正義の味方、という役割を演じるための。

 

 ガエルはフッと口元に笑みを刻む。これまで以上の修羅になるしか、生き残る術はないだろう。

 

 何よりももう、退路は断たれた。待っているのは黄金の軌跡か、あるいは絶望の死かの二者択一。

 

 黄金を辿るためならば、自分は――。

 

「いいぜ。《モリビトタナトス》。戦争をおっ始めようじゃねぇか。モリビト同士の! とんでもねぇ戦場ってヤツをよォ!」

 

 哄笑が格納庫に木霊する。将校はその返答にただただ満足したように笑みを浮かべるだけであった。

 

 

 

 

 

 

 

第六章 了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七章 壊れゆく剣
♯124 拒絶の足音


 実験機としては不安が残る、と無重力下の整備士達が口を揃えて言うのを、桃は不思議な気持ちで眺めていた。

 

 眼前に佇むのは《ノエルカルテット》と同じ彩色の人機である。

 

 原初のモリビト。零号機、《モリビトシン》。その機体の稼動実験に桃は随伴させられていた。タキザワは整備士達の意見を纏めつつ、次のステップへの移行準備を進める。

 

「オーケー、次はタスク三百から二十飛ばして起動実験を再開。《モリビトシン》の内蔵血塊炉の反応を見る」

 

 通信への返答は迅速であり、《モリビトシン》は再び血塊炉活性装置を取り付けられていた。

 

 血塊炉活性装置はまるで尻尾のように取り付けるタイプのものであり、円環を描いた活性装置が擬似的に血塊炉のフル稼働状態を再現し、内部血塊炉へと無理やり火を通すやり方だ。

 

 あまり推奨はされない、とタキザワはこちらへと向き直る。

 

「無理やり叩き起こすようでね。眠り姫には優しくしないと」

 

 その言葉を怪訝そうに桃は返す。

 

「それにしては、随分と荒っぽいみたいですけれど。これまでのやり方は」

 

「バベルで閲覧したのか」

 

 困り者だ、とでも言うようにタキザワは首を引っ込める。

 

「閲覧されてまずいものを造っているんですか」

 

「そのつもりはない。でもまぁ、《モリビトシン》は既に前時代の遺物と考えられているからね。この整備ブロックでさえももしもの時には切り離されるだろう。それくらい、重要度は低いんだ」

 

 ならばその道楽のような整備実験に自分が駆り出される理由は何なのだろう。桃は《インペルベイン》によく似た頭部形状の《モリビトシン》を見据える。赤い三つのアイサイトにはこちらへと問い返してくるような眼差しがあった。

 

「聞いたよ。一号機中破だって?」

 

 タキザワの耳聡い言葉振りに桃は淡白に返す。

 

「敵を撃退しました。一号機操主は充分に務めを果たしたはずです」

 

「どうかな? モリビトの本来のスペックならばあの程度、蹴散らせなければおかしいというのが大筋の見解だ」

 

 桃は横柄な言葉に睨みを寄越す。

 

「……少なくとも執行者は死に物狂いで」

 

「上には伝わらないって事さ。いつの時代でも悲しいね。前線の兵士の苦労は、上では数字として扱われる。被害が出たか出なかったか。どれだけ撃墜したか、だけの数値だ。何事よりも現実的で、なおかつ残酷なのは数字という概念だよ」

 

「でも、数字じゃなきゃ、納得しないんでしょう?」

 

「それもまた、悲しいという話さ」

 

 フッと微笑んでみせたタキザワに桃は切り込んだ。

 

「どうして、《モリビトシン》の存在を組織で大っぴらにしないんですか」

 

「したところで、このモリビトはお荷物扱いだろう。もしかしたらバラして予備パーツに充てようなどと言われかねない。こちらの事情としては、予備にされるのは忍びない。何たって最初のモリビトだ」

 

「百五十年前に設計された、骨董品でしょう?」

 

「手厳しいな。だが、百五十年前では再現不能であった」

 

「今でもそうなんでしょう? このモリビト、見た限り一度も起動していない」

 

 バベルで閲覧した《モリビトシン》のデータベースには幾度となく実行される起動実験の模様が記録されていたが、どれも途中で起動失敗、あるいは――。

 

「おっ、来たかな」

 

 タキザワが期待を込めて《モリビトシン》をモニターする。起動指数に達した血塊炉の数値に整備士達が慌てて離れていった。

 

《モリビトシン》の内蔵血塊炉が照り輝くのが、胸部中央に備え付けられたランプから浮き彫りになる。

 

 起動した、と思った途端、《モリビトシン》が身をよじった。格納庫の中で《モリビトシン》が拘束具を解き放とうとする。「総員退避!」の号令と共に整備士達が別室へと避難していく。

 

 タキザワはギリギリまでモニターするように通達していた。

 

《モリビトシン》の眼窩に輝きが宿り、生命の息吹と共に《モリビトシン》が両腕を駆使してブリッジ部を粉砕した。

 

 その膂力に耐え切れなくなったのか、カタパルトが踏みしだかれていく。《モリビトシン》の実験ブロックが赤色光に塗り固められた。

 

 タキザワは即座に声を吹き込む。

 

「《モリビトシン》の暴走を確認。エラーデータの参照急いでくれ」

 

『53番エラーを確認! 血塊炉が閾値を越えて……内蔵AIが制御出来ません!』

 

《モリビトシン》が全身に青い血潮を滾らせてこちらへと歩み寄ってくる。噴射剤も、推進装置も何もかもを廃している実験機でありながら、その挙動は素早い。

 

 拳が固められ、三重の強化ガラスのモニタールームへと鉄拳が見舞われた。強化ガラスが粉砕してオレンジ色に染まる。

 

 緊急用隔壁が閉まり、《モリビトシン》の二度目の拳を防いだ。タキザワが指示を送る。

 

「血塊炉抑制剤を噴射! 《モリビトシン》を五十二度目の凍結措置に!」

 

 投射画面が浮かび上がり、《モリビトシン》が拳を打ち込み続ける格納庫内へと赤い濃霧が降り立った。《モリビトシン》の全身の駆動系が軋みを上げて攻撃力を減殺してゆき、遂には《モリビトシン》が内奥から停止した。

 

 停止信号を受け取ったタキザワが《モリビトシン》の実験結果が苦々しいものに終わった事を痛感しているようだ。

 

「……二百三十二回目の起動実験は失敗。《モリビトシン》の原因不明の暴走と判断。血塊炉抑制剤の噴射終了と同時に《モリビトシン》のメンテナンスを再開。次回の起動実験に備える」

 

 了解の復誦が返る中、桃は言いやっていた。

 

「これが、《モリビトシン》を大っぴらに出来ない理由、ですか」

 

「悔しい事に、ね。この血塊炉が馴染まないのか、それともまだ我々の知らない領域があるのか、《モリビトシン》は起動してくれないだけならばまだいいのだが、こうして暴走する事も少なくはない。これで人的被害なんて出してみろ。それこそお取り潰しだ」

 

 偽装AIによる遠隔操作だからこそ、この起動実験は成り立っていると思っていい。そうでなければ、今すぐにでも《モリビトシン》は分解され、現状の戦闘用人機へと還元されるであろう。

 

「人死にが出てないだけマシですか」

 

「三機のモリビトはこれを参考にして建造されたんだ。何か、外的要因が作用しているはず……そう考えなければ百五十年前の叡智を持つ人々の考えそのものの否定だ」

 

 百五十年前、禁断の人機を建造し、星を汚染した人々は追放され、この宇宙の常闇でモリビトを建造する事に決めた。その理由が《モリビトシン》にはあるはずなのだ。だというのに、当の人機には問題点が多数ある。

 

 これでは実験区画自体、意味のない予算の食い潰しだと思われても仕方ない。

 

「やっぱり、モモには関係ないですよね」

 

「関係なくはないだろう。もし、現状のモリビト三機が戦闘不能に陥った場合を備えて造ってあるんだ」

 

「でも、だとすれば二号機操主や一号機操主だって適任のはずですよね。どうしてモモが?」

 

 タキザワは腕を組んで桃へと言葉を投げる。

 

「《ノエルカルテット》の適性がこの人機と合致しているからさ。《モリビトシン》を動かすのに、君が一番に適任だ」

 

「でも動かない人機じゃしょうがないですよね」

 

 手痛い言葉だったのだろう。タキザワは後頭部を掻いて《モリビトシン》のデータを参照する。

 

「それなんだよな……。どうして起動しない? 暴走する理由は何だ?」

 

「失礼します。《ノエルカルテット》の調整があるので」

 

 踵を返しかけた桃へとタキザワは声を投げていた。

 

「また、能力を使ったんだって?」

 

 足を止めた桃は淡々と言い返す。

 

「……でも勝てました」

 

「《バーゴイル》程度では勝率には入らないよ。これから先、一号機が相手したトウジャが導入される可能性が高い。トウジャレベルの機体と渡り合うのに、今の執行者のレベルでは遥かに難しいだろう」

 

「では……ではどうしろと? トウジャなんて、倒せばいいだけじゃないですか」

 

「そう容易く行くかな? 一号機が持ち帰ったデータだけでも驚異的だ。これが何機いるのかも分からない」

 

「勝てばいいだけです。これまでだって、ずっと……!」

 

 拳を強く握り締めた桃に、タキザワは冷淡な言葉を送った。

 

「勝てばいいだけ、か。その通りだが、今の執行者三人は揺らいでいる印象を受けるね。常勝の機体であるはずのモリビトが通用しなくなってきている」

 

「どの口が……!」

 

「研究者としての客観視だよ。《バーゴイル》相手に昏倒する二号機操主に、トウジャに半分持っていかれた一号機、三号機はそのスペックを如何なく発揮出来ずに、不可思議な能力頼み。これでは先行きが危ういと感じる構成員が多くなるのも仕方ない」

 

「……モリビトは勝ちます」

 

「そうこなくては意味がないんだ。勝てなくては、モリビトを擁する我々はこの宇宙の中で、行き場所をなくしてまた彷徨う。楽園を追放された罪人達が、さらに辿り着いた辺ぴな場所からも追われる。これ以上の不幸はあるまい」

 

 桃はエアロックの扉を潜って言葉一つ、言い置いた。

 

「……でも、こんな場所で起動もしない人機で遊んでいる人間にだけは、言われたくありません」

 

 拒絶の現れのように、エアロックは無情に閉まった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯125 ただ当たり前を……

「半壊した一号機の修復には最低でも一週間はかかるわ。何か釈明は? 彩芽」

 

 卓上に肘をついたニナイの問いかけに彩芽は結果論を説く。

 

「でも、勝てたわ」

 

 その抗弁などまるで意味がないかのようにニナイは白衣を翻し、三次元図を卓上へと呼び出した。記録されたのは《インペルベイン》と交戦するトウジャタイプの映像である。寸胴で巨躯。堅牢な鎧を持つトウジャ――《グラトニートウジャ》にはほとんどダメージはない。こちらの兵器がまるで通用しない相手にニナイは嘆息をつく。

 

「まさか、奥の手の一つであるRトリガーフィールドを無効化、さらに言えば反射してくるなんてね。予定外の事は起こるものだけれど、これに関しては上も随分と焦っているみたいよ。モリビトでも勝てないのか、って」

 

 彩芽は高出力のR兵装を発射する《グラトニートウジャ》を見据え、言い返していた。

 

「今回は防衛戦だった。攻めに打って出れば違う」

 

「そう明確に違うとは言い切れる? 一号機は中破、二号機は操主が昏倒、三号機は使うなと言われていた能力で応戦。……酷いものね。これがモリビトの執行者三人のやり方だって言うの?」

 

 わざと挑発めいた物言いを使っているのだ。彩芽は感情的になるのも馬鹿馬鹿しいと己に言い聞かせる。

 

「……トウジャタイプの有するハイアルファーには未知の部分が多い。でも、一度出て来れば対策は練られる」

 

「この《グラトニートウジャ》の性能面でのデメリットに関するレポート、読ませてもらったわ。でもね、彩芽。これじゃ、どちらも消耗戦を続けるだけよ。勝ちの要因にはならない」

 

 ニナイは纏めた種類を卓上に叩きつける。三次元図がぶれた。

 

「不満があるって言うの」

 

「上はカンカンよ? トウジャが出てきただけでも面倒だって言うのに、執行者三人のメンテナンスもろくに出来ないのかって怒りが飛んできたわ。これにはこう返したけれど。人間を最良にメンテナンスするのと人機を最良にメンテナンスするのとは違う、って」

 

 ニナイらしい口振りだ。だがそれでも納得が来なかったから、今こうして向き合っているのだろう。

 

「《シルヴァリンク》と《ノエルカルテット》には別任務を振るわ。彩芽、あなたはお留守番、っていうわけ」

 

「別任務……? 地上に降ろすって言うの?」

 

「それ以外にないでしょう。地上ではC連合が血塊炉の産出国を支配している可能性がある。兵力が整う前に前線を潰す」

 

 ブルーガーデン滅亡は思いのほか影響が強いようだ。何よりも血塊炉産出国を押さえたほうが勝利する地上の盤面。それを静観するのはブルブラッドキャリアの在り方としては間違っている。

 

「でも、鉄菜と桃を二人だけで行かせるなんて……」

 

「上の命令よ、従いなさい」

 

 そう言われてしまえばこちらがどれだけ吼えても同じであった。トウジャ相手に痛み分けした彩芽は一度放置するべきだと判断されたのだろう。

 

「……でも地上にもトウジャはいる」

 

「《シルヴァリンク》をフルスペックモードで介入させる。それに地上のトウジャとは言っても、あの漆黒のトウジャと二号機のデータベースにあったブルーガーデンのトウジャでしょう? この二機がそう容易く出てくるとも思えない。後者に関しては既に破壊された可能性も高い。ブルブラッドキャリア上層部はモリビトが撤退戦や消耗戦に出る事のほうが問題だとしている」

 

「……わたくし達は使い捨ての駒じゃないのよ」

 

「そうよ、駒じゃない。だからこそ、温存しておくのは惜しいのよ。ここで出し惜しみをして、地上をトウジャタイプの楽園にしてしまえばそれこそ本末転倒。何のための報復作戦なんだか。地上がこれ以上発展する前に叩く。彩芽、理解は出来るはずよね?」

 

 客観的な理解は可能だ。判断も間違っていない。現状よりもC連合、ゾル国共に国力を増強されれば厄介。何よりも血塊炉の争奪戦になれば地上は荒れ果てる。新たなる戦争の火種は早いうちに潰しておかねばならない。

 

「鉄菜と桃は、了承したの?」

 

「担当官から二人の返事は得ている。彩芽、あなたの返事が最後だけれど?」

 

 二人が納得しているのならば自分が口を差し挟む余地はないだろう。

 

「……分かった。でも一度だけでいい。二人に会わせて。こんな状態で別れたくない」

 

「案外、湿っぽくなったわね、彩芽。いいわ。面会を許可しましょう。三時間後に設定しておく」

 

 ニナイに言葉の表層だけの謝辞を述べ、彩芽はラボを出て行こうとする。

 

「一応、警告しておくけれど、引き止めないでよ。二人は執行者なんだから。あなた個人の思想で雁字搦めにするのであれば、ブルブラッドキャリアは相応しい判断を下す」

 

 一号機から降ろす、か。あるいはもう用済みだと一線から退かせるか。いずれにせよ、組織が自分達を軽視しているのはよく分かった。

 

「分かっているわよ。それくらいは、ね」

 

 扉を潜り、彩芽は居住区へと下っていく。人気のない居住区画は夜の時間帯だ。子供も、大人の影も見受けられない。

 

 だからなのか、人工的な照明に照らし出されて呆けている鉄菜の存在に気づけた。

 

「鉄菜。何やっているの」

 

 歩み寄った彩芽に鉄菜は僅かに硬直した。会うな、とでも命令されていたか。あるいは、これから地上に向かうのに余計な感情は邪魔だと判断されていたか。

 

 構えた鉄菜に彩芽は柔らかく言いやる。

 

「何もしないって。それに……貴女もこんな場所で呆けている身分でもないでしょう?」

 

 鉄菜は彩芽の言葉を受け止めつつ、周囲を見渡した。

 

「……こんな場所があったんだな」

 

 鉄菜には居住区は馴染みがなかったのだろうか。彩芽は冗談交じりに言いやる。

 

「ショッピングとかも、した事なかったりして?」

 

 鉄菜は寂しげに目線を伏せて首を振るだけであった。

 

「……何も知らなかったんだな。私は」

 

 彼女にとって守るべき対象であったブルブラッドキャリアの事でさえも秘匿されていたのはショックだろう。最後の最後に《シルヴァリンク》で降り立ったとは言え、それまで自分や桃のように自由があったかと言えばそうではないのだ。

 

「鉄菜、買い物でもしてみる?」

 

 その申し出に鉄菜は困惑を浮かべていた。

 

「どこも開いていない」

 

「ウィンドウショッピングよ。どうせ、どこも張りぼてだらけなんだから、出来るでしょう?」

 

 鉄菜はその言葉の意味が分からないのか、眉根を寄せて逡巡する。

 

「ウィンドウ、ショッピング? ……よく分からない」

 

「教えてあげるからさ。来てみなさい、鉄菜」

 

 手招くと、鉄菜は案外素直に後ろをついてきた。しかし、並んで歩くのがウィンドウショッピングの醍醐味だ。彩芽は鉄菜の肩を担ぎ、強引に引き寄せる。

 

「ほら、あの服なんていいんじゃない?」

 

 彩芽の指差したのはフリルのついたドレスであった。鉄菜はそれだけは素早く返答する。

 

「あんなものは似合わない」

 

「分からないかもよ? だって鉄菜、制服は意外と似合っていたじゃない」

 

「……忘れてくれ。これ以外の服を着ても仕方がない」

 

 彩芽は腰に手をやって鉄菜のファッションを審査する。毎度の事ながらRスーツばかりで飾り気の欠片もない。

 

「駄目だって! いい? 女の子は着飾る権利を誰だって持っているんだから。こんなのばっかりじゃ飽きるでしょ?」

 

「……別に飽きもしないが」

 

「駄目なの! 貴女がよくってもわたくしが駄目。いい? こっちの服なんてもっと似合いそう!」

 

 手を引いて鉄菜を別のファッションブランドの店頭に飾られている服へと誘導する。飾り気はないが、黒を基調としたドレスであった。

 

「こんなものを着て、何になるんだが……」

 

「黒が似合うのは魅力的なんだから。わたくしは、まぁ、黒はあんまり着ないけれど、貴女ならきっと似合う! そうだ!」

 

 彩芽は無理を承知でドアをノックする。すると、意外な事にスタッフが対応した。

 

「もう閉店なんですが……」

 

「お願いします! ほら、モリビトの執行者の」

 

 女性スタッフは鉄菜の姿を認めるなり、ああ、と顔を明るくさせた。

 

「執行者の。それならば、どうぞ」

 

「やったわね、鉄菜。これで試着出来るかも!」

 

 声を弾ませる彩芽に対して鉄菜はどこか怪訝そうに返す。

 

「まさか……着ろと言うのか?」

 

「他に何があるのよ。ほら!」

 

 強引に店の中へと引っ張り込み、鉄菜へと店頭のドレスを試させる。鉄菜には羞恥の概念がないのか、それとも元からなのか、Rスーツを脱ぐのに試着室にも入ろうとしなかった。

 

「こら! 試着室で着替えなさい!」

 

「……どうせすぐRスーツに着替える。時間の無駄だ」

 

「そういうところが! ああ、もうっ! 試着室で着替えるの。分かった?」 

 

 言い聞かせるとようやく鉄菜は試着室に入った。すると一分と経たずに鉄菜が首を出す。

 

「……着方が分からない」

 

「世話が焼けるわね。ほら、後ろ向いて」

 

 試着室に入り、ドレスの背中部分を着付けさせる。鉄菜は心外だと言わんばかりにぼやいた。

 

「……誰も着たいとは言っていないのに」

 

「いいの! 貴女には一着くらい、こういうのがないと! ほら、くるっと回ってみて」

 

 鉄菜がスカートを翻し、くるりと回る。予想を遥かに上回るのは、鉄菜のすらっとした痩躯のお陰だろうか。それでもドレスに「着られている」感は否めなかったが、鉄菜のこのような姿はこれまで一度として拝めなかったのだ。

 

 彩芽はうんと首肯する。

 

「よく似合ってる」

 

「……下がスースーして変な感じだ」

 

「女装した男の言い分じゃないんだから。鉄菜、貴女は女の子なの。それくらいは分かって」

 

 その言葉に鉄菜は疑問符を浮かべる。

 

「性別上、女であるのは自覚している。それに何の不足が?」

 

 どうやら根本から叩き直さないと駄目そうだ。彩芽はスタッフを呼びつける。

 

「すいませーん! この店にある服、ありったけください!」

 

「ありったけ……? まさかまだ着せ替えをさせられるのか?」

 

 げんなりとした鉄菜に彩芽は鼻息を荒くした。

 

「当然じゃない! 鉄菜、似合う服を見つけるわよ!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯126 怠惰なる罪

 破損状況に目を見開いたのは何も整備班だけではない。実質的な兵士達も、青い血飛沫を浴びてきた《スロウストウジャ》の威容にたじろいでいるようであった。巡洋艦に背丈の半分ほどしかないナナツー弐式と並べられるのはスケールの冗談を見せられているようで整備士達は引きつった笑みを浮かべつつ搬入作業を進めている。

 

 リックベイは人機格納庫に漂う古代人機の血の生臭さを感じつつも、彼らのように流れ作業ではないだけマシか、と眼下にマスクと浄化装置を常備したメカニックを視野に入れていた。

 

「いやぁ、素晴らしいですよ! このトウジャって代物は!」

 

 興奮した様子で語るのは整備班長であった。彼も例に漏れずマスクと浄化装置で固めており、荒い呼吸のせいでマスク内部が曇っていた。

 

「ナナツーよりペダル五つ分ほど速く感じた。体感的なものだけかと思っていたが」

 

「体感だけじゃないです。少佐のは少し重めに設定してあるのは、紫電の時からなんですが、今回も随分と重くしてあるんですよ、ペダル速度。だって言うのに、この数値! 見てください! 《ナナツー参式》の三倍はある!」

 

 端末を叩いた整備班長にリックベイは覗き込む。現行の最新鋭機と銘打たれている《ナナツー参式》の三倍の推力を誇っていた。それだけではない。反射速度、装備出力、全てにおいてナナツーなど前時代の遺物だとでも言わんばかりに凌駕している。

 

 トウジャとはこれほどまでなのか、とリックベイは言葉を失っていた。封印された禁断の人機。それをハイアルファーという余分を削ぎ落として配備しただけで現行兵器を上回る戦力とは。

 

 リックベイは洗浄装置に入れられていく五機の《スロウストウジャ》へと視線を向ける。

 

「これが……封じられた人機の力か」

 

「百五十年前の大昔の人達が再現したくないわけですよ、これは。こんなものが配備されたらきっと地上の勢力図は十年二十年レベルで変わっていたでしょうね」

 

 その歴史の目撃者となるのが果たして正しいのか、それとも罪悪の道なのか分からなかった。それこそ、後世の人々が決めていくものなのだろう。自分達は時代のうねりの中、力を扱っていく他ない。それがどれほどまでに人間の領分を超えていても。

 

「古代人機三十体前後の撃墜記録なんて目じゃないな。これがもっとしっかりとした武装で配備されれば、それこそ国家間の緊張は高まっていただろう」

 

「そう遠くない未来なんじゃないですか?」

 

 上機嫌で尋ね返す整備班長は《スロウストウジャ》によるゾル国強襲計画が既に作戦として立案されているなど知る由もないのだろう。議会を通過した《スロウストウジャ》の増強案は国民に知らされる事もなく、秘密裏に配備される。そして征服した暁には、国家の旗が変わったなどと遅れた情報を与えられるのだ。

 

 市民はオラクルの一件よりずっと、時代の情勢に流されっ放しである。彼らの民意を汲むような政治も、ましてや軍事も出来ていない。モリビト、ブルブラッドキャリアのためという建前、言い訳がまかり通り、市民の敵意は目下のところ、ブルブラッドキャリアが勝手に買い取ってくれている。

 

 自分達はその隙を掻っ攫う卑しい手段で、この星の支配権を握ろうとしている。果たして、侵略者はどちらか、と問い質さずにはいられなかった。

 

「《スロウストウジャ》の反応速度を試験した四人の操主の実力も恐らくは、実力以上のものを発揮出来た事でしょう。今までR兵装なんて夢のまた夢でしたからね。それを実用化出来ただけでもこの実績は大きいですよ」

 

 R兵装など、これまではまだ夢想の域であった。それが実用化され、瞬く間のうちに戦場を席巻しつつあるのは興奮よりも恐怖を覚えざる得ない。

 

 モリビトと同じ力を実質的に手にした国家はどのように動くのか。それを理解出来ぬはずがないのに、誰もが口を閉ざしているのは奇妙を通り越して不気味ですらある。

 

「《スロウストウジャ》部隊に目立った損傷はない、という事でいいのだな?」

 

「損傷どころか! あの青い血は勲章ですよ。落としたくないくらいの!」

 

 この浮き足立った整備班長も随分とベテランのはずだ。新型機が配備され、それが誰でも扱える事の危険性は熟知しているのはずなのだが、やはりというべきか、人は革新を目にすると寡黙になる生き物のようである。眼前の血潮それそのものがヒトの業とでも呼ぶべき代物なのに、流されるその青い血が今度は鮮血の赤に染まるのが予見されていても、皆が口を閉ざしている。

 

 自分もまた同じ。《スロウストウジャ》の能力にばかり言葉を傾けているのはそれが悪用される瞬間を見たくないから、というエゴなのだ。このようなもの、一度開発されてしまえば止める術はない。人間は何度でも繰り返す。百五十年前に青い大気でこの星を冒したように、またしても過ちが巻き起ころうとしている。

 

 その現場にいる人間、過ちを過ちとして認められる人間がいながら、何故誰も何も言わないのか、というのは後世の人間達の穿った偏見だ。

 

 そのように出来た人間など、この世界が始まって以来、いたためしなどあるのか。世界を変えられる人間はいつだって凡百で、凡俗で、そして烏合の衆に過ぎない。改めて、一人のカリスマなど存在しない事が、この兵器の存在をもって実感させられる。

 

 モリビトなど、きっかけに過ぎない。きっかけさえあれば、人間は何度でも殺し殺され合いの悲劇を相手に見舞う。過ちだ、忌むべき過去だ、と誰もが再認識出来る機能は備わっているのに、どうしてだかその点に関してだけは鈍感になれるのが人間であった。

 

「この数値を見てくださいよ。特にアイザワ少尉の戦歴は素晴らしいです。彼の実戦データを基にして最適なシステム構築が出来そうですよ」

 

 まさかここでタカフミの名が出るとは思っていなかったので、リックベイは聞き返してしまう。

 

「……アイザワ少尉が?」

 

「ええ、率先して切り込んでいった彼のデータを反映させれば、《スロウストウジャ》はもっと高みへと行けます。今まで人機による実戦に際しての白兵なんてそれこそ少佐の紫電くらいしかなかったんですから!」

 

 そういえばタカフミは自ら古代人機の群れへと突っ込んでいった。あれを昂揚した神経がもたらした一時的な独断だと判じていたが、どうやら自分の目のほうがもうろくしていたらしい。人機による実戦データを取るのに、遠距離と白兵を同時に想定するのは当然の事。タカフミの考えなしに思えた行動がまさか、トウジャタイプという人機開発の明日を切り拓く原材料になるなど、リックベイは思いもしていなかった。

 

「そうか。……今は彼のような若者のほうが先を切り拓く時代か」

 

「せっかくのプレッシャーソードです。彼の白兵戦闘データを他の機体へとフィードバックさせましょう。ゾル国の《バーゴイル》なら白兵も加味しなければいけませんからね」

 

 既にブルーガーデンの脅威が消え去ったのは暗黙の了解らしい。無理もないか、とリックベイは本国で待つ瑞葉を思い返す。既に兵士は彼女一人。滅びた国家に際して恐れるものなど何もないのだろう。

 

 だが、残った《ラーストウジャ》だけは別の議論がなされるであろう。あれをどう巡るのかが上の中でも話が分かれていた。

 

「血塊炉産出国への脅威は過ぎ去り、最早、争うのはゾル国の《バーゴイル》を重視、か。元の木阿弥に戻ったようなものだな。結局、人同士が争うのが常か」

 

「強化兵やモリビトと戦うよりかは現実的でしょう」

 

 そう、現実なのだ。嫌でも向かい合わなければ名ならない現実。《スロウストウジャ》はどれほど理想を掲げても対仮想敵国用の人機である事には変わらないし、モリビトを倒せば次はゾル国だ、という標的の移行も何も間違いではない。

 

 ただ自分達は正義の道を行っているわけではなかったと言う単純な帰結に過ぎないのだ。ゾル国の《バーゴイル》など、《スロウストウジャ》の前では恐らくは児戯。それでも、敵国へと攻めるという意味を理解出来ない頭ではない。

 

 ――戦争が始まる。否、もう始まりつつある。

 

 その事実だけは覆せないだろう。

 

「本国に戻れば、またしてもとんぼ返りのようなものか」

 

「自分としてみれば《スロウストウジャ》の実戦データは一つでも多いほうが助かりますが。なにせ、未知の人機です。これから先の運用も加味して、積極的に行っていきたいところですね」

 

 それがたとえ間断のない争いの只中であっても。自分達は進むしかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯127 二つ目の約束

 服をこれだけ買ったのは何年ぶりだろうか、と彩芽は両手に抱えた袋に視線を落とす。

 

 しかも自分のものではない、他人の服など、ともすれば初めてかもしれない。鉄菜はどこか承服し切れていないようにぶつくさと文句を漏らす。

 

「……こんなもの、買ったところで意義があるとは思えない」

 

「意義とか難しい事を考えて買い物なんてするもんじゃないでしょ? 楽しくなかった?」

 

 鉄菜は視線を逸らしつつ応じる。

 

「……今までに感じた事のない感覚ではあった」

 

「それが楽しかった、って言うのよ」

 

 咀嚼するようにその言葉を噛み締めている。

 

「楽しかった……? 私には分からない。それは執行者に必要な感情なのか? モリビトで戦うのに、そのような感情は何か意味を成すのか?」

 

 どうやら鉄菜にとっての判断基準は意味がなるかないのか、であるらしい。彩芽は歩いた先にあるベンチを顎でしゃくる。

 

「あそこで座りましょう」

 

「休息が必要だろう。もう、時間があまりない」

 

「だからよ。どうせ鉄菜は眠らなくっても大丈夫なんでしょう?」

 

 言い返すのも億劫のようで鉄菜は彩芽に従い、ベンチに座り込む。買い漁った無数のドレスや服はいつ着るのだろう。彩芽には強制は出来ないが、鉄菜にはもっとオシャレに生きて欲しいと感じていた。

 

「……もうすぐ、地上へと降下作戦が下る」

 

「そうね。同行出来ないのは残念だわ」

 

「一号機……《インペルベイン》の今の修復状態では無理が生じる。妥当な判断だ」

 

《インペルベイン》一機分の戦力を欠いたまま地上へ降りるのはそれだけでも無理が生じてくるはずだ。しかし今のブルブラッドキャリアの状況では宇宙における防衛も視野に入れなくてはならない。畢竟、モリビトの分散配備は仕方がない事。そう割り切れればどれほど楽だろうか。

 

 鉄菜は自分では言い出さないが不安なのだろう。前回の戦闘における昏倒、それに自らの境遇に関する事、それらが渦巻いて今、何をするべきなのかを見失っているのかもしれない。

 

「鉄菜、どうして最初に会った時、あんな汚染地帯にいたの?」

 

 今まで聞いてこなかった話に鉄菜は少しばかりうろたえた様子であった。

 

「……どうして今」

 

「今だから。あの時、どうして汚染地帯なんかに? モリビトの降下作戦の後は身を隠すようにって言われていたはずでしょう?」

 

 その真意が知りたかった。鉄菜は目線を伏せつつ応じる。

 

「青い花を見たかった」

 

「青い花? ブルブラッド大気の中で咲く、あの血塊の?」

 

「そう、言っていた人がいたんだ。地上に降りるのならば青い花を見て欲しいって。きっと、綺麗だと思うはずだ、と」

 

「その人は……」

 

「担当官の話をすり合わせるのならば、私の基になった人間だろう。今、私に接触してこないという事はもういないはずだ」

 

 鉄菜の人格形成に影響を与えた人物となれば自ずとその悲劇が見え隠れする。彩芽は尋ね返していた。

 

「綺麗だった?」

 

 彼女は頭を振る。

 

「分からない。あれを綺麗だと思えるのかどうか、まだ私の中にはないんだ。判断する術がない。世界を綺麗だと感じる何かが足りていないんだ」

 

 きっと鉄菜にも試練があったに違いない。その試練の果てにモリビトの操主に選ばれたのだ。戦いの中でしか生きられないような試練であったとするのならば、彼女も自分とさして変わらない。

 

「……鉄菜、話していなかったけれどわたくしもね、多分、貴女と同じような洗礼を受けた。わたくしが生まれたのはここじゃないの」

 

 その言葉に鉄菜が目を見開く。

 

「この、資源衛星じゃない?」

 

「そう、わたくしは最初、地上から拉致されてきた無数の少年少女の一人だった。名前すらなく、どこの国で生まれたのかもアトランダム。その中で、集められた十数人は操主の座をかけて……殺し合った。それまで名前も存在しない、架空の者達が殺し合い、何もかもを犠牲にしてでも生き残るべく行動した。わたくしは最後の一人となり、《インペルベイン》の操主に選ばれたってわけ」

 

 自分も他人にこの境遇を語るのは初めてであった。鉄菜は最後まで聞き届けてから、一つ頷く。

 

「そのような事があったなど、知らなかった」

 

「知る必要もないと判断されたんでしょうね。でも、わたくしは今でも夢に見る。《インペルベイン》の……破滅への引き金を引く資格を得るために、いくつも引き金を絞り、他人の命を銃弾の一撃で葬ってきた事を。この手にもう、沁みついているのよ」

 

 どれほど拭おうとしても拭えない原罪。それが自分にとっての原初の記憶であった。人殺しの記憶だけはどうしようもない。

 

 結果論で語っても、人生を判ずる術がないように生き延びたからと言ってでは一番に相応しかったかと言えばそういうわけでもないだろう。

 

 ただ単に生き意地が汚かっただけだ。

 

「……私も似たようなものだ。無数の自分と戦ってきたイメージが脳裏を掠める。自分を殺し、殺され、その果てに《シルヴァリンク》の操主となった。その辺りの記憶は曖昧だが、それでも分かるのは、もう充分なほどに人殺しをしてきたという事だけだ」

 

「執行者を、やめたいの?」

 

 覚えずそう尋ねていた。鉄菜はどちらとも言わない。

 

「分からない。本当に分からないんだ」

 

 掌を眺める鉄菜にはまだ判断するべき材料がないのだろう。ブルブラッドキャリアの執行者以外の人生の選択肢も知らず、彼女はここまで来てしまったのだ。

 

「鉄菜、またウィンドウショッピングをしましょう。全部が終わったら」

 

「こんなに買わされるのは勘弁願いたいが」

 

「でも、案外分からないものでしょう? こういうのに、楽しみを見出すって言うのは」

 

 微笑んでみせた彩芽に鉄菜は戸惑いの目を伏せる。

 

「……気が向いたら、でいいのなら」

 

「約束しましょう」

 

 指を差し出す。鉄菜は小指を絡めて、指を切った。

 

「さて! わたくしはこの本隊を守りますか。鉄菜、桃を頼んだわよ」

 

「《シルヴァリンク》の性能上、《ノエルカルテット》を守る、というのは現実的じゃない。逆のほうがあるだろう」

 

「もう! そう言う事を言っているんじゃなくって! ……まぁいいわ。いずれ分かるでしょうし」

 

 今の鉄菜にはまだ分からなくとも、きっといずれは分かる時が来る。その時、彼女は心の意味を知るのだろうか。

 

 まだ見ぬ明日の事に、彩芽は思いを馳せた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯128 死を司るモリビト

 欠伸をかみ殺したゾル国の兵士は、青く染まった前線基地の警護に飛び回る《バーゴイル》を視野に入れていた。

 

 朝焼けの中、眩い光が差す空を行き交う《バーゴイル》にはこの景色がどのように見えているのだろう。基地内部では前回の空間戦闘における《バーゴイル》の戦果をフィードバックするために整備班が格納庫に並んだ《バーゴイル》を見て回っている。

 

 欠伸が出ても仕方がないほどの平常の風景だ。これほどに穏やかな朝も何度繰り返した事か分からない。ゾル国前線基地とは言っても実際に敵が攻めてくる事など今までなく、持て余した兵士達はポーカー勝負に出ているところであった。

 

 観測班に当たっていた兵士は塔から見渡せる範囲に今日も古代人機は存在しない事を確認し、流れ仕事の中、再認識だけを行って去ろうとした、その時であった。

 

 観測塔が熱源を関知する。どうせ古代人機か、飛び回っている《バーゴイル》の誤認であろう、と思いつつも兵士は情報を集積させた。

 

 南方から高密度の血塊炉反応が見られる。古代人機の群れか、とその段になっても敵の可能性は視野に入れていなかった。参照データが初めてナナツーを示してから、兵士は警報を鳴らそうとした。

 

 その時には直進したプレッシャーライフルの一打が基地の観測塔へと突き刺さった。最初の警報は敵の接近によるものではなく、火災によるものであった。

 

 寝ぼけまなこを擦って兵士達が飛び起きる。何が起こったのか、誰も知る由もなかった。

 

「敵襲だ! 総員、警戒に入れ!」

 

 敵襲と言われても全員の脳裏にあったのは辛うじてモリビトの存在であった。だが、その敵の内情を《バーゴイル》のコックピットで知らされた兵士達はナナツーという情報に目を瞠る。

 

「ナナツーだと? どうしてそんな機体が……」

 

 激震が揺さぶり、衝撃波に否が応でも出撃を促した。スクランブルがかけられ、《バーゴイル》部隊がカタパルトから射出される。おっとり刀で出撃した《バーゴイル》の隊長機がその視界の中に確認したのは、地を覆いつくさんばかりのナナツーの密集陣形である。

 

《ナナツー参式》と《ナナツー弐式》が隊列を成してこちらへと砲撃を見舞っているのだ。どうしてナナツーが? と疑問符を浮かべた《バーゴイル》の隊長機へと突き刺さったのはプレッシャーライフルの一条の光線であった。

 

 爆風が煤けた青い大気を吹き飛ばし、ようやく前線基地は敵の正体がブルブラッドキャリアではなく、C連合である事を認識した。しかし何故? このタイミングでC連合が? と誰もが寝ぼけた頭を持て余す中、ベージュの機体色に彩られた謎の人機が《バーゴイル》へと肉迫し、プレッシャーソードが胴体を生き別れにした。

 

 他の《バーゴイル》が機体参照データにアクセスしようとしても、その時には翻った謎の人機が《バーゴイル》の背筋を叩きのめす。

 

 震えるコックピットの中、操主は参照データに瞠目した。

 

「トウジャ……だと?」

 

 それを確認する前にコックピットが断ち割られ、炎の中に《バーゴイル》が撃墜されていく。

 

 ようやく対応策を練ろうと《バーゴイル》が隊列を成し、プレスガンによる銃撃が敵性人機を叩き落そうとするが、地上のナナツーによる迎撃とトウジャタイプの機動速度に《バーゴイル》ではまるでついてこられない。

 

 翻弄された《バーゴイル》が一機、また一機と落とされていくのにようやく危機感を持ったのか、命令の声が飛んだ。

 

『固まるな! 散れ、散れーっ! 敵はR兵装を装備! ナナツーは目視出来るだけでも十機前後。それに五機の謎の人機が戦線を切り拓いている。総数十五機の……C連合の機体だ』

 

 忌々しげに放った声音にトウジャタイプが《バーゴイル》へと肉迫し、青いプレッシャーソードの斬撃を見舞う。《バーゴイル》が応戦の火線を咲かせるも、それらの銃撃網を抜け切った相手の人機は蹴りだけで《バーゴイル》を地上へと叩き落した。

 

 背筋を打ちつけた《バーゴイル》へと接近した敵人機がプレッシャーライフルを速射する。

 

 四肢がもがれ、全身から青い血潮を発して《バーゴイル》が沈黙した。

 

『総員、遠距離砲撃に切り替えろ! このままではジリ貧だ!』

 

 近距離における旨みがないと判断したのだけはまだ賢明であっただろう。問題なのは、《バーゴイル》程度では止められないと判じた人間があまりにも少なかった事だ。

 

 砲撃装備の《バーゴイル》がミサイルポッドを担ぎ上げ、謎の人機に向けて攻撃を浴びせかける。

 

 敵の人機はさらなる高機動に身をやつし、ミサイルの誘導をなんと地力で解いてみせた。そのあまりの出力に誰もが開いた口が塞がらない様子だ。

 

『嘘だろ……こちらの誘導装置から逃れるなんて……』

 

 人機の誘導装置は世界規模で同じ規格が使われている。《バーゴイル》に有効であるという事は他の機体も同様という事のはずなのに、ベージュの敵人機はミサイルの誘導からフレアも、ECMも使用せず逃れる。それは出力、推力の違いを如実に表していた。

 

『《バーゴイル》でも、追いつけないんじゃ……』

 

 浮かんだ弱気に付け込むようにナナツーの銃撃が《バーゴイル》部隊へとさらなる混乱を叩き込む。散開しようとしてもナナツーの銃弾や砲撃がそれを許さない。次第に密集陣形になっていく《バーゴイル》へとプレッシャーライフルの光条が一射された。

 

《バーゴイル》二機が肩口を潰されて落下していく。撃墜を免れようと噴射剤を焚いて姿勢を制御しようとするのを、肉迫したトウジャタイプが突進で突き飛ばした。

 

《バーゴイル》が無様に転がり、コックピットが激震する。操主は上へ下へと視線が流れる中、割れたコックピットの中から空を仰いだ。

 

 青いプレッシャーソードの輝きが降り注ぎ《バーゴイル》のコックピットを潰してく。

 

『砲撃部隊は謎の人機を抑えろ!』

 

『でも、ナナツーが!』

 

 トウジャを抑えればナナツーの砲撃に備える術はない。ゾル国の前線基地は完全なる混乱へと陥れられていた。

 

《ナナツー参式》が基地へと焼夷弾を見舞う。地獄の火炎に覆われる基地で、《バーゴイル》がナナツーへと反撃しようとして、その背筋をトウジャに割られる。

 

 青い血潮を撒き散らしながら倒れていく《バーゴイル》に、基地の者達は皆一様に死を予見した。

 

 このまま全滅するのが運命なのかと。

 

 その時、地下格納庫からのアクセスが《バーゴイル》部隊のコックピットに響き渡る。

 

『地下から? スクランブル発進って……』

 

 隔壁が開き、直後に立ち現れたのは地下から発進を受けた謎の人機であった。

 

 頭部が扁平で三つのアイサイトを有している。加えて、その濃紺と灰色の機体色と、佇まいからある人機を想起するのは難しくなかった。

 

『……あれは、モリビト?』

 

 見間違えようもなく、モリビトタイプである機体がどうしてだか、ゾル国前線基地の地下から出撃する。

 

 冗談のような現象に誰もが呆気に取られる中、両肩口から羽根のような武装を展開したモリビトタイプは《バーゴイル》部隊全体へと通信を開かせる。

 

『こちらはガエル・シーザー特務少尉である。我が方の新型人機、《モリビトタナトス》による反撃を開始する』

 

《モリビトタナトス》という寝耳に水の名前に全員が驚愕を浮かべる中、《モリビトタナトス》は両肩に備わった羽根をなんと次の瞬間、射出した。

 

 羽根はそのまま槍の形状となって中空を引き裂いていく。それそのものに推進剤がついており、リバウンドの効力を得ているのか全体が反重力の白色を帯びている。

 

『行けよ! リバウンドブリューナク!』

 

 リバウンドブリューナクと名付けられた機動兵器が空間を引き裂いてナナツーへと突き刺さった。

 

 前衛のナナツーのキャノピー型のコックピットを穿ち、直後には反転して別のナナツーへと槍の穂先からリバウンドの光弾を見舞った。

 

 ナナツー部隊がつんのめり、慌てて制動をかけようとするのを、一対の槍が逃さない。

 

 高出力のR兵装がナナツー部隊の足を削いだ。その時には《モリビトタナトス》は既にトウジャタイプとの戦闘に入っている。

 

 手にしたのは前時代的な鎌であった。刃の部分が丸まっており、熊手のようにも映る。

 

 鎌を振り翳し、《モリビトタナトス》はトウジャと打ち合った。トウジャのプレッシャーソードとほとんど同じ威力の攻撃が放たれ、遅れを取ったようにトウジャが干渉波のスパークが散る中、鍔迫り合いを繰り広げる。

 

《モリビトタナトス》はもう一方の腕に装備された鉤爪でトウジャの腹腔へと一撃を浴びせた。血塊炉を抉り込むつもりだったのだろう。慌てて離脱したトウジャは辛うじてその一打を食らわずに済んだようである。

 

『何なんだ、あれ……。いつから、ゾル国とブルブラッドキャリアが手を組んで……』

 

 騒然とする《バーゴイル》部隊の通信の中、一人の《バーゴイル》乗りが活路を見出したように叫ぶ。

 

『ナナツーは足を止めた! トウジャとかいうのに攻撃を集中!』

 

 砲撃部隊、前衛部隊共に火線が閃き、トウジャタイプを押し戻そうとする。その戦端に立つのは今まで自分達に煮え湯を飲ませ続けたモリビトタイプだというのは皮肉としか言いようがないが、《モリビトタナトス》はこちらの味方のようであった。

 

 自律兵器の羽根槍が《モリビトタナトス》の肩へと収納されていく。《モリビトタナトス》は再び、トウジャへと鎌による一撃を見舞おうと接近した。

 

 それを阻んだのは一機のトウジャである。接触通信回線が開き、声が弾けた。

 

『これ以上、好きにさせるかよ! モリビト!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叫んだタカフミの声にリックベイは冷静に事態を俯瞰していた。

 

 突如として現れたモリビトタイプ。それだけでも脅威の対象であるのに、今まで見た事もない武装でナナツーは足を止められた形だ。これでは進軍も儘ならない。ナナツーが勢いを殺されれば、《バーゴイル》は冷静に撤退戦を繰り広げようとしてくるだろう。それくらいの頭はあるはずだ。

 

 今回の作戦の趣旨は、《スロウストウジャ》による相手への圧倒であった。それは充分に成ったと判断するべきか、とリックベイは考えかけて、否と結論付ける。

 

 タカフミがプレッシャーソードで謎のモリビトタイプと鍔迫り合いを繰り返していた。

 

 未確認の人機に果敢に攻める姿勢は素直に賞賛すべきだが、リックベイにはモリビトタイプの有する自律兵器に目を奪われていた。

 

 先ほど、ナナツーの進撃を殺してみせた槍のような全方位兵器。あのような代物、今まで存在すらしていなかった。リックベイは気持ちを落ち着かせようとしたが、タカフミの逸った声音に覚えず、と言った様子で声を差し挟む。

 

『こいつ! 守りも堅い!』

 

「アイザワ少尉。そいつの相手はするな。今は《バーゴイル》と基地の機能を潰すという作戦に尽力しろ」

 

『ですが、少佐! こいつ、モリビトなんですよ!』

 

 その通り。敵はモリビトだ。そうなってしまえば戦うのは必定の流れ。だが、今までのモリビトの戦い方ではない。

 

 ゾル国を味方につけるなどブルブラッドキャリアらしからぬ戦い方だ。

 

 他の《スロウストウジャ》がどう動くべきか戸惑っているようであった。リックベイは即座に命令を飛ばす。

 

「アイザワ機以外は《バーゴイル》を抑えろ。元々の作戦命令を忘れるな。ゾル国基地への強襲作戦はまだ途中である」

 

 了解の復誦が返る中、リックベイは新たなモリビトタイプを観察する。識別信号は依然としてアンノウンのままであったが、見た限りは完全にモリビトのそれである。

 

《スロウストウジャ》部隊が《バーゴイル》を狩り、前線基地へとミサイルの弾頭を叩き込む。ほとんどの敵戦力を奪う事に成功したようなものだ。これで作戦は終了――そう思いかけたリックベイはモリビトタイプがタカフミの機体を引き剥がし、再び羽根槍を射出したのを関知する。

 

「総員! 敵の羽根槍を受けるな! 全力で回避せよ!」

 

 羽根槍が機動し、ナナツーよりも今度は《スロウストウジャ》を狙ってくる。《スロウストウジャ》に乗り込んでいるのは皆、手だれの者達だ。だが、それでも敵の自律兵器に困惑を浮かべざるを得ない様子である。

 

 槍の穂先から赤いR兵装粒子が放射され、《スロウストウジャ》を狙い澄ます。一機の《スロウストウジャ》が標的にされ、逃げ切ろうと推進剤を全開にするも、質量とその反転速度の差か、すぐさま追いつかれ、二基の羽根槍が挟み込もうとしてくる。

 

 リックベイはプレッシャーライフルを速射モードに設定し、援護射撃を行った。途中、通信も怠らない。

 

「フレアか強化ECMで照準を解け! 恐らくはある程度照準してからの攻撃であるはずだ!」

 

 おっとり刀で《スロウストウジャ》がフレアを焚いて羽根槍の射線から逃れようとする。羽根槍が牽制のR兵装を放射しつつ、モリビトタイプの肩口へと戻っていく。

 

 本体は、と言えば、先ほどからタカフミと一進一退の攻防を繰り広げていた。R兵装であるはずのプレッシャーソードと互角に打ち合うモリビトタイプにリックベイは舌打ちする。

 

 このままでは作戦そのものは成功でも、あのモリビトタイプの脅威は去らぬまま、C連合によるゾル国併合の目論見は外れるであろう。リックベイは腰にマウントした実体剣の柄に手をやった。

 

「アイザワ少尉! 一旦、離脱しろ!」

 

 その声が響き渡るのと同時に、リックベイは二機の間に割り込んでいた。実体剣が鎌と打ち合い、激しいスパーク光を乱反射させる。

 

『少佐! こいつ、ただのモリビトじゃ――』

 

「承知しているとも。今までの機体じゃないな? それに、どうしてゾル国に味方している?」

 

 モリビトタイプは何も応えない。赤い眼窩が妖しく輝くばかりだ。

 

「答えぬか……。なればその腕、貰い受ける!」

 

 鎌を弾き返し、そのまま切っ先を腹腔へと突き立てようとする。反転したモリビトタイプが見舞ったのは何と蹴りであった。剣を掴む腕を蹴りつけられ、僅かに軌道がぶれる。その隙を逃さず、モリビトタイプは《スロウストウジャ》へと肉迫してきた。

 

 ほとんどゼロ距離まで迫る事によってこちらの剣筋を塞いだのだ。生半可な操主ではないのは見るも明らか。リックベイは《スロウストウジャ》の推進剤を一旦切り、相手の膂力に任せてもつれ込ませた。

 

 モリビトタイプがその速度ゆえに《スロウストウジャ》から抜ける。リックベイは抜けた直後のモリビトタイプの背筋へとプレッシャーライフルを一射した。

 

 確実に背筋を割ったと確信した一撃であったが、モリビトタイプは即座に翻り、幾何学の軌道を描いてこちらの銃撃を回避する。

 

「速いな……。両肩の羽根は随分と重そうだと言うのに。それとも、モリビトの性能が許す技というわけか。圧倒的だな。だがそれも!」

 

 プレッシャーライフルを速射し、モリビトタイプの逃げ場をなくしたとことで、照準警告がモリビトタイプへともたらされたはずだ。

 

 全方位から《スロウストウジャ》が狙い澄ましている。この包囲陣から逃れる事は叶わないはずだ。

 

「数による圧倒というものがある。《スロウストウジャ》が実戦においてモリビトと合間見えるのはもっと先だと想定していたが、案外、事実は小説より奇なり、か。さて、どう出る? モリビトタイプよ。我々の包囲を抜けられると思うな。それに地上にはナナツーがまだ配置されている。砲撃を見舞うのも難しくはない。この状況下で、完全に相手を破壊し尽くすのは困難を窮めると思われるが」

 

 リックベイの提言に通信回線が不意に開いた。音声のみの回線の中、敵操主は静かに嗤っていた。

 

『……やっぱり、使い慣れていないと難しいよなぁ、モリビト。どれだけ優れた機体って言っても、机上の空論。これが関の山か』

 

「モリビトの操主。その機体はやはりモリビトなのか」

 

『分かり切った事だろうが。いちいち聞くなっての。間抜けを絵に描いたみたいだぜ、その質問。……まぁ、しかし、実力は馬鹿に出来ない感じだ。トウジャタイプ、か。煮え湯を飲まされた相手は覚えておくのが筋ってもんだ』

 

「どうしてゾル国に味方する?」

 

『さてね。その辺りは政の範囲だ。オレは知らねぇよ』

 

 依然としてプレッシャーライフルの照準は向けられ続けているというのに、モリビトタイプもその操主にも、どこにも焦った様子はない。それどころかこちらの包囲など抜け切れる自信があるかのようだ。

 

『照準に入れている! 迂闊な事をすれば!』

 

『撃つ、ってか? 案外、C連合の皆様方もお優しいもんだ。照準警告なんてしてくれるんだからよ』

 

 何を、と声が響き渡る前に、羽根槍が中空を射抜いた。羽根槍は射出せずとも攻撃が出来る。それを示すかのようにブルブラッド大気を引き裂いた白い稲光に、遠雷が応じているようであった。

 

 ――侮れば待っているのは死だと。

 

 リックベイは自身の《スロウストウジャ》の片手を上げさせる。それはプレッシャーライフルの照準を逸らせ、という意であった。

 

『少佐! でもこいつ、みすみす……』

 

「それをどうこうするかは政の領域、と言ったな、モリビトの操主。なるほど、貴様も生粋の軍人と見える。ここで我々がその機体を射抜き、命をかけて撃墜したとしても、それが栄光になるどうかは別の話、というわけだ」

 

『分かっている人間もいるようで。そうさ。ここでオレのモリビトを破壊するのは簡単だぜ? てめぇらの持っているトウジャならな。だが、その後の事まで考えないほどの無鉄砲ってわけじゃねぇようだ。モリビトの撃墜がどういう意味を持つのか、分からない輩ばかりじゃないらしい』

 

 モリビトタイプの撃墜は誉れだ。それこそ、賞賛されるべき。だが同時に、対外的な事象に首を突っ込んだとして、その軍人は恐らく一生表舞台に立つ事は出来ないだろう。モリビトタイプを国が運用している。その事実が導く先を理解しているというのならば、ここでのモリビトの破壊は急務ではない。

 

「むしろ、冷静になった。モリビトタイプがゾル国に媚を売ったのだと、そう考えて差し支えないのであれば」

 

『どう感じようと自由さ。ただ、軍の狗っていうのに、そこまで選択肢があるとは思えねぇがな』

 

 リックベイは通信回線に吹き込んだ。

 

「全機、撤退準備」

 

 その命令に部下達が色めき立つ。

 

『少佐? 何考えているんです? ここでモリビトを落とせば――』

 

「ここでモリビトを撃墜しても我々側に得られるものは少なく、ともすればマイナスだと判断する。それにナナツー部隊は完全に足が止まっている。彼らを放って我々だけが攻勢に出たとして、では全体としての作戦成功かと言えば疑問が残る」

 

『さすがは、C連合の銀狼だな。その判断力、噂だけじゃねぇてわけだ』

 

 リックベイはナナツー部隊へと通達する。

 

「地上ナナツー部隊へ。全機、撤退に入れ。今次作戦は成功とし、一人でも生きて帰るように」

 

 軍人としては珍しい命令だろう。一人でも生きて帰れなど。無論、敵兵がそこまで許すと言う保証もないのだが、リックベイにはモリビトタイプの操主がそこまで妄執に囚われているわけでもない事を看破していた。

 

 それどころか、敵操主にはナナツーを追い詰めると言う気迫も、《スロウストウジャ》部隊をどうにかしようという野心もない。ここでゾル国が有効なカードとして保持出来るのは「モリビトという存在を確保している」という事実。

 

 その結果として自分達は動くしかない。タカフミが直通回線を開き、こちらへと問いかける。

 

『でも、少佐! トウジャがこれだけ揃っているのに、敵の破片の一つも土産がないなんて』

 

《スロウストウジャ》の事実上の初陣を飾るのにモリビトの部品は決定的だろう。本国でも《スロウストウジャ》の量産体制に力を入れざる得ない。だが、今はこのモリビト相手にうまく立ち回れる自信がなかった。

 

 何よりも両肩に装備された羽根槍の攻撃力と底知れなさ。つぶさに観察しても、完全には理解出来ない代物であるのは明白。

 

 今、ここで追いすがって致命打を受けるのは旨みがないだろう。相手はもしもの時には機体を捨てる程度の覚悟だが、こちらは《スロウストウジャ》を一機でも失いたくはない。

 

「分かれ。アイザワ少尉。我が方が《スロウストウジャ》を一機でも持ち帰れば、その分、次の戦闘では優位に繋がる。一回の戦いのみで勝敗が決すると思うな」

 

 タカフミは不承ながらに《スロウストウジャ》を下がらせていく。これで大方、撤退準備にかかったかと、リックベイはモリビトタイプを見据える。

 

「一つ、聞く。そのモリビト、名前は?」

 

 今までの三機とはまるで製造における思想が異なるようであった。相手操主は鼻を鳴らす。

 

『聞いてどうするんだ? モリビトの名前なんざ、知ってってしょうがねぇだろ』

 

「ああ、しょうがないとも。だがな、因縁というものがある。こうやって回線を開き、話せているという事は話が分かる相手だという証明だ」

 

 その言葉に敵操主はほくそ笑んだようであった。

 

『……いいぜ。教えてやるよ。こいつの名前は《モリビトタナトス》。死を司るモリビトだ』

 

《モリビトタナトス》という名前を紡がれた敵人機が赤い眼窩を煌かせる。リックベイはしかとその名を胸に刻んだ。

 

「《モリビトタナトス》か……。覚えておこう」

 

 プレッシャーライフルを速射し、牽制を張ってからリックベイは撤退軌道に入る。不思議と敵は追ってこなかった。《バーゴイル》部隊はほとんど満身創痍だ。あの基地における優位性は完全に消え去ったと思っていいだろう。

 

 しかし、煮え切らないな、とリックベイは胸中に結ぶ。

 

 新型のモリビトタイプ。さらにいえば、それと協定を結んでいたゾル国という国家。どこかで見えないパズルのピースが絡まり合い、不可思議な形を構築しているのが窺えた。それがたとえ国家の謀だとしても、自分達軍人には最低限の事しか知らされまい。

 

『少佐ぁ……こんなんじゃ全然っすよ! 《スロウストウジャ》の強さ! 示すんじゃなかったんですか』

 

 タカフミの鬱憤もよく分かるが、あのモリビトを相手にしてでは無傷で生還出来るかといえばそれはノーであろう。

 

「では君だけであの《モリビトタナトス》と戦ってくるかね?」

 

 そう返してやるとタカフミは首を引っ込めた。

 

『冗談! あんなの、一騎打ちなんて無理っすよ』

 

「ではそれ相応の作戦を練らなければ勝てない相手だという事になる。いたずらに兵を失いたくはないからな」

 

『でもですよ、少佐。《スロウストウジャ》なら勝てたかも』

 

「かも、や、では、という仮定の話を持ち込まないのが戦場だ。《スロウストウジャ》は未知数の人機。これから先どれだけでも伸びしろがある。今は、一つでもこいつに戦闘経験値を与えてやるのが我々の仕事だ」

 

 地上で粉塵を巻き上げながらナナツー部隊が撤退していく。半数ほどは残ったが、半数は恐らく機動不能状態に追い込まれた。それほどまでにあの羽根の槍は驚異的であった。

 

 人機そのものから離れた自律兵器など、誰が考えつくだろうか。モリビトであると同時にあの武装への対策も練らなければならないだろう。

 

『でも、あの《モリビトタナトス》っての、無茶苦茶っすね、あの強さ。あれ、本気出してませんよ』

 

 やはりタカフミには分かるか。熟練操主ならば相手が本気で来ているのかどうか位は分かるものだが、《モリビトタナトス》にも、敵操主にも本気はなかった。

 

 むしろ体よくモリビトを試している様子であった。こちらが実験として敵陣に乗り込んだつもりが、いつの間にか試される側に成っていたとは皮肉にもほどがある。

 

「《スロウストウジャ》の戦闘データを今のうちにバックアップしておけ。あの機体は追ってこないかもしれないが、少しの誤差が命取りになる」

 

『ナナツーの足並みに揃えていたら日が暮れちまいますよ』

 

 タカフミが駆る《スロウストウジャ》が天高く飛翔し、その速力を増した。今まで《バーゴイル》くらいでしか昇れなかった高度に一瞬にして昇ってみせる能力にはさすがにリックベイも驚嘆の息をつくしかない。

 

「これが……トウジャの力か」

 

 トウジャタイプたったの五機で敵の前線基地をほとんど壊滅まで追い込んだ。この実績は買われるべきだろう。問題なのは出現した《モリビトタナトス》をどのように利用するか、それに尽きる。

 

 ゾル国のこれからの公式声明次第で世界はまたしても大きく変動するだろう。

 

 その予兆をリックベイは感じ取っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯129 英雄と道化

《モリビトタナトス》の性能面における能力は敵の新型人機を退けるのに充分であった。ガエルは新たな機構を完全に物にするまでは時間がかかるな、と感じつつ操縦桿を引く。

 

 敵人機を照準し、ある程度の自律稼動を約束する新型兵装「Rブリューナク」。平時は羽根のように拡張し、機体バランスを整える役割を果たすこの武装は、射出し、物理攻撃可能な槍として、あるいは射撃武器としても有効だ。

 

 さすがに初めての武器を使うのには神経をすり減らす。相手方のトウジャの引き際が潔かったからいいものの、あちらが少しでも粘っていれば消耗戦になる可能性すらあった。そうならなかったのは相手のリーダー格の判断の優秀さである。

 

「あれが……C連合のカリスマ、リックベイ・サカグチかよ」

 

 R兵装で固めたトウジャの中で唯一、実体剣を使って《モリビトタナトス》を止めてみせた実力、恐れるべきだ、とガエルは判断していた。リックベイの実力は星の裏側まで聞き及んでいる。

 

 型落ちの《ナナツー弐式》で《バーゴイル》大隊を壊滅させただの、飛翔するロンド相手に大立ち回りを決めただのどれも疑わしいと思っていたが、いざ戦場で矛を交えると、どれもあながち嘘ではなかったのかもしれないと感じさせる。

 

 降り立った《モリビトタナトス》は超電磁リバウンド効果の浮力で浮かび上がっていた質量を基地の滑走路へと落とした。質量をリバウンド効果で減らしている事によって高速機動を可能にしている《モリビトタナトス》は接地時にその余剰質量を足元に晒す欠点がある。

 

 対地迎撃には向いていないと前置かれていたが、このような理由からか、とガエルは操縦桿から手を離した。操主服の中は汗ばんでおり、Rブリューナク二基を用いるのがどれほどの技術なのかを痛感する。

 

「ただ、便利ではあるよなぁ、この兵装。一機で三機分、いや、もっと立ち回る事が出来る」

 

 これならばともすれば、モリビト三機が襲ってきてもこちらへと優位に運ぶ事が出来るかもしれない。そう考えていた矢先、不意打ち気味の喝采が響き渡った。

 

 何だ、とガエルが周囲を見渡すと、生き延びた兵士達が出てきてそれぞれ声を上げている。

 

 モリビトが味方になった、という叫びを聞き、ガエルは、ああ、と感じ取った。これがレギオンの言う「正義の味方」への第一段階なのだろう。モリビトタイプがゾル国前線基地から出撃する。この意味を分からないほど相手も無知蒙昧ではあるまい。

 

 ガエルはコックピットから歩み出て拳を掲げた。するとその動作に呼応して百人ほどの人々がうねりを上げる。

 

 単純に恍惚が勝った。人々を扇動している。人々が自分の思い通りになる。カリスマの心地でガエルは喜悦に浸る。

 

 ――なるほどな。これが、勝利の美酒ってわけかい。

 

 独りごちたガエルは英雄の座につくのも悪くはない、と笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『聞いたかよ。地上の戦闘』

 

『ああ、トウジャが持ち込まれたんだって?』

 

『それだけじゃないってよ。聞いて驚くな。ゾル国の格納庫から、モリビトが出撃したって言うんだ』

 

 にわかに沸き立つ外延軌道のステーションでカイルは《グラトニートウジャ》の中にこもっていた。

 

 どうせ、医務室を占拠していても不可思議に思われる。それならば愛機に乗っているほうがまだマシだと判断した彼は夜の時間帯のうちに《グラトニートウジャ》に乗り込み、今も篭城を続けていた。

 

 しかし、操主が乗機にこだわるのは珍しくはない。《グラトニートウジャ》に収まったカイルへと追及はなされなかった。

 

 代わりに彼はあらゆる通信回線に割り込み、人々の声を聞き届ける。

 

『でも、トウジャって、うちの国だけじゃなかったのかよ』

 

《グラトニートウジャ》を仰いだ兵士の目線にカイルは覚えず身を縮こまらせる。今の自分の姿を誰にも見させるわけにはいかなかった。

 

 無論、相手からは見えていない事くらいは理解している。それでも、全天候周モニターが反射する己の姿でさえも忌まわしいのだ。

 

『分からないもんだよな。こっちがコスト切って一機製造している間に、向こうは五機だったみたいだぜ?』

 

『五機も実戦投入? それで? 現地の奴ら、生き残ったのかよ?』

 

『そこにモリビトが絡んでくるみたいなんだよな。まだ正式発表はされていないが、ブルブラッドキャリアと本国が組んだって噂も立っている』

 

 その言葉を聞きつけ、カイルは目を見開いた。

 

「……ブルブラッドキャリアと、戦いを生み出す権化と我が国が、手を組んだ……だと」

 

 信じ難い言葉の羅列に戦慄いていると一般兵は手を払った。

 

『まあ、さもありなんだよな。いくらモリビトを打ち倒そうと頑張ったところで、こちとら《バーゴイル》数機とトウジャ一機。この情勢をどうにかしたいって思うんなら、ありえない選択肢じゃないだろ』

 

 何を言っているのだ、とカイルは全天候周モニターに爪を立てる。誇り高いゾル国は、本国はそのような瑣末事で理想を曲げるような国家ではない。そう叫びたかったが、喉から漏れたのは醜悪な獣の声であった。

 

 カイルはリニアシートの上で蹲る。どうして、一回の搭乗でこのような醜い姿に成り果ててしまったのか。皮膚は黒ずみ、整っていた歯茎からは犬歯が発達し、身体の至るところから、強い毛髪が生えていた。

 

 何が起こったのかなど問い質すまでもない。

 

 ハイアルファー【バアル・ゼブル】。その反動なのだと説明されずとも理解出来る。だが理解出来るのと、納得出来るのは別の話であった。

 

 どうして、ハイアルファーを使った程度でこの身が醜く爛れなければならないのか。カイルは全てを呪うしかなかった。この境遇も。この人機も。

 

『にしたって、宇宙から降りるなってのはどういう風の吹き回しだ?』

 

『まだ上はブルブラッドキャリア殲滅を諦めていないって事だろ。いい加減にしてもらいたいもんだぜ。戦力は《バーゴイル》とこのトウジャだけ。どうやって勝つって言うんだ?』

 

『こっちに振るなよ。大方、やんごとなき人々には及びもつかないほどの考えがあるんだろうさ』

 

 これが前線に立つ者達の言葉か、とカイルは怒りにさえ駆られた。ブルブラッドキャリア殲滅の任に充てられながら、その重責を放棄するかのような言い草である。自分ならば一も二もなく承諾するであろう、この重要な作戦に泥を塗っているようなものであった。

 

『しかし、馬鹿だよな。特務大尉も』

 

 自分の階級が紡がれ、カイルはハッとする。

 

『ああ、このデカブツトウジャに乗り込んでさ』

 

 兵士達は潜んだような笑い声を交し合い、《グラトニートウジャ》へと一瞥をくれる。

 

『一機でどうにかなるんだったら今までだってどうにかなるって言うのによ。息せき切って、張り切っちゃって、何頑張ってるの? って感じだよ』

 

 まさか兵士達にそのように思われているなど、カイルは夢にも思っていなかった。嘘だろう、と全天候周モニターに張り付く。

 

 しかし集音器の拾い上げる声音には冷笑が混じっていた。

 

『自分が広告塔に使われているって自覚もないんだろうなぁ。でも前には出てくれるから、大助かりって感じだ』

 

『そりゃ、言えてるな! 前にだけは出てくれるからよ。臆病者には大助かりだ』

 

 カイルは己の信じていたものがガラガラと音を立てて崩れていくのを感じ取っていた。兵士からの信頼も厚いと思い込んでいた。皆が尊敬の眼差しで自分を見てくれているのだと。勇気ある存在だと讃えてくれているのだと思っていたのに、これではまるで道化である。

 

 カイルはモニターに爪を立て、コックピットで咽び泣いた。

 

 ガエルに会いたい。叔父に会えばきっと、あのような兵士の世迷言、一蹴してくれるだろう。叔父だけが自分の世界の全てだ。叔父に褒めてもらえれば、自分はどれほど兵士から見捨てられても戦える。母親は自分を捨てた。父親も当てにはしてない。

 

 この世で一番に自分を見てくれる人間はきっと、ガエル・シーザーだけなのだ。

 

 異常に突き出た喉笛が地獄からの呼び声のような涙声を発する。自分の声だなど思いたくないだみ声。それでも、ガエルならば受け入れてくれるだろう。

 

 まだ自分は穢れていないのだ。《グラトニートウジャ》の呪縛から逃れた場所にいられるとすれば、それはガエルの傍だけである。

 

 カイルは笑おうとして、モニターに反射したその笑みのあまりの醜悪さに爪で引っ掻いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯130 未来のために

 送迎は簡素で、整備スタッフ数名と担当官のみであった。桃の担当官は見当たらず、鉄菜は首を巡らせたが、当の桃は頭を振った。

 

「あの人は、来ないから」

 

 どのような確執があるのかは分からない。しかし三人ともがまともではないのはもう分かりきっている事であった。

 

《ノエルカルテット》がフルスペックモード用と大気圏離脱用のコンテナを担ぎ、《シルヴァリンク》はバード形態のまま、惑星へと再び降り立つ手はずである。

 

 奇妙な因果だと感じたのは、前回は誰の目もなく降りなければならなかったのが、今回は桃と二人で、という点であった。しかも反目し合った相手と共同戦線を張るのは鉄菜の胸中に不可思議な感情を作った。

 

「桃・リップバーン。地上降下に当たって不安点はあるか?」

 

 どうしてそのような事を尋ねたのか分からない。ともすれば、己の不安を誰かに言い当てて欲しかっただけなのかもしれない。

 

『どうして? クロ、何かあったの?』

 

 目ざとい、というわけでもないか。普段無口な自分から話題を投げれば自然と何かあったのだと勘繰るだろう。

 

「いや、特に何も……」

 

 はぐらかしたのもどうしてだか分からなかった。別段、気恥ずかしいわけでもない。しかし、彩芽との約束は二人のものだ、と鉄菜は感じていた。二人の約束に、わざわざ水を差す事はあるまい。

 

『なーんか、隠している感じだけれど、別にいいわ。モモも、隠し事くらいはあるからね』

 

 追及してこないのはどこか彼女らしくなかったが、これからまた地上での戦いの連鎖だと思うと、自然と身が強張っているのかもしれない。

 

 鉄菜は操縦桿を握り締め、一呼吸ついた。降下タイミングは敵に気取らせないためにわざと《シルヴァリンク》のほうが先になっている。

 

 離れていく整備士達に続いて、誘導灯が照り輝きカタパルトに接続した《シルヴァリンク》に出撃を促した。

 

『全権を二号機に委譲します。出撃、どうぞ』

 

 鉄菜は息を積め、操縦桿を握り締めた。

 

「《モリビトシルヴァリンク》、鉄菜・ノヴァリス。出る!」

 

 胃の腑へと圧し掛かる重圧を感じつつ、バード形態の《シルヴァリンク》が宇宙の常闇を引き裂き、銀翼を拡張させる。

 

 次第に遠ざかっていくブルブラッドキャリア本隊に、鉄菜は聞きたかった事、聞くべきであった事を回顧していた。

 

 自分の基になった人間の事。時折脳裏を掠めるイメージに関して、結局、決定的な事は聞けず仕舞いだった。だが、それでいいのだろうと鉄菜は感じていた。

 

 聞けば、決断に迷いが生じていたかもしれない。

 

 地上に降下し、ブルブラッドキャリアの執行者として戦うのに、荷物は邪魔なだけであった。それがたとえ必要なものであっても、自分達は切り捨てて生きていくしかないのだ。モリビトという機動兵器を操るがゆえに、心まで鋼鉄に固めなければ戦い抜く事は出来ないだろう。

 

《バーゴイル》部隊の妨害に遭う可能性もあったが、鉄菜の降下予測コースには敵影は確認出来ない。最初に降りた時には、三機の《バーゴイル》がいたな、と今さらに思い返す。

 

 迂闊な行動と謗られても仕方がないほどに雑であったと、今の自分ならば感じられた。

 

《シルヴァリンク》が降下軌道に入り、赤い熱と虹の皮膜が機体を覆いつくしていく。鉄菜はアンシーリーコートを部分解放させながら降下予測地点を割り出した。どうやら前回と同じく、敵の密集域ではない海岸線に降り立てるようだ。

 

 リバウンドフィールドの皮膜を突き破り、青い大気に抱かれた機体が軋みを上げる。《キリビトプロト》を破壊した際、惑星の大気汚染は深刻化したと聞いたが、体感的にはそれほどの濃度ではないように思われた。

 

 鉄菜は全天候周モニターの一角を突き、コンソールをせり出させる。浮かび上がったポップアップ型のディスプレイには現時点での惑星の情勢が様々に映し出されていた。その中の一つにジロウが目を留める。

 

『鉄菜……これは、妙なニュースマジよ』

 

 ジロウが寄越したニュースサイトへとアクセスし、鉄菜は飛び込んできたニュースの文字に目を見開いた。

 

「モリビトが……ゾル国の戦力だと?」

 

 信じ難い文字の羅列に鉄菜は映像へと繋がせる。ゾル国の国会議事堂で羽根を広げた奇異な形状のモリビトタイプが佇んでいた。それを後姿にゾル国代表が宣誓する。

 

『モリビトは我が国に下った! これがどのような意味を持つのか、他国、ひいては反政府組織からしてみれば明白であろう。世界の情勢が塗り変わろうとしている。その瞬間があるとすれば、それは今だ!』

 

 高らかに拳を掲げる政治家に、各国メディアがこぞって報道していた。

 

「ブルブラッドキャリアの事実上の降伏宣言」、「一国の独裁が成り立とうとしている」、「ブルーガーデン国家への牽制か」などなど……。

 

 だがどれを取ってしてみても言えるのは、全く身に覚えのない事であった。

 

「ジロウ……間違いないとは思うが、ブルブラッドキャリアがゾル国へと協定を結んだ可能性は……」

 

『あり得ないマジよ、それは! だってさっき送り出したところマジ! そんな場所に鉄菜と他のモリビトを分かっていて送り込んだのだとすればそれは……』

 

 濁した先を鉄菜は理解する。

 

 送り込んだのだとすれば、死地へと招かれた事になる。鉄菜は改めて地上の情勢を見守らなければならない事を確認したが、それには《シルヴァリンク》一機では不可能だ。

 

 バベルを搭載している《ノエルカルテット》との合流。それが急務であった。

 

 皮肉だな、と鉄菜は歯噛みする。

 

「まさか、降りてすぐに、また桃・リップバーンの世話にならないといけないとは」

 

 それに眼前で展開されている現実にも立ち向かわなければならない。相手が何であれ、これはブルブラッドキャリアへの挑戦に他ならないからだ。

 

 モリビトを騙るなど、最もあってはならぬ行為。鉄菜は映し出されているモリビトタイプへと敵を見る眼を据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「現状、全てがうまくいっていると言ってもいいだろうな」

 

 上官はゾル国の宣言を確認し、こちらへと目線を振り向ける。リックベイはやはりというべきか、判断を迫られていた。

 

「どう思う? 少佐」

 

「情報操作にしてはリスクが高過ぎます。かといって、ブルブラッドキャリアが寝返ったと判断するのは早計かと」

 

「このような時でも冷静だな。さすがは《スロウストウジャ》を駆って前線に出ているだけはある」

 

 上官は微笑んだ後、数々の諜報機関が積み上げてきた資料の紙束を卓上に上げた。

 

「ここまで調べは尽くしているのに、未だに正体の見えぬブルブラッドキャリアという組織が一国に寝返るなど、あってはならない、いや、あり得て欲しくはないがね。モリビトという求心力は絶対だ。あれはこの星の人々に恐怖と共に信仰を打ち立てた。どうして、信仰心は神だけでは成り立たないのだと思う?」

 

 唐突な質問にもリックベイは即座に応じてみせる。

 

「恐怖、というものがどのような人種、どのような境遇の人間であれ共通のものだからでしょう。神を信じるかどうかは千差万別ですが、悪魔を信じるかどうかで言えば随分と絞れる。悪魔は誰の心にも存在するのです」

 

 その返答に満足いったのか、上官は首肯して言葉を継ぐ。

 

「悪魔の存在を証明するのは簡単だ。例えばそれは高高度爆撃機でもいいし、重量子ミサイルでもいい。あるは新型の、モリビトという姿を取った人機でも、だ」

 

 感想を求められている。リックベイは《モリビトタナトス》と名乗ったあの機体との戦闘を反芻する。どうにも今までのモリビトタイプとは違う戦闘の感触であったが、あれがモリビトであるのは疑いようのない事実であろう。

 

 モリビトのガワだけ模しただけの機体ではない。あれは内部骨格から、その設計思想に至るまで生粋のモリビトタイプであった。

 

「偽物の可能性は棄却してもいいかと」

 

「君が偽物ではないと判断するのならば、そうであろうな。《スロウストウジャ》に乗り換えたからと言って腕が鈍ったわけでもあるまい。で、あるとすれば、本物のモリビトがゾル国を守ると言っているという事になる。これは奇妙な符号だ」

 

「モリビトと言う名を一度は排除すべき敵と断定した国家が、再びモリビトにすがる、ですか」

 

「どこまでも民意に踊らされる国家だよ。だが、だからこそやりにくい。軍事国家ならば、軍事で攻めればいい。謀が得意ならば、それを上回れば。だが、こうも先手を打たれると我々でもどうしようもない部分は存在する」

 

「《スロウストウジャ》はいつでも出せます」

 

「よろしい。ではかねてより計画されていた装備プランを実行せよ」

 

 その言葉に予測出来ていたとは言え、リックベイは一家言あった。

 

「カウンターモリビト部隊……、確かに編成案には目を通しました。問題も……ないとは思われます」

 

「含んだような言い草だな。正直に言うといい。無碍にはしない」

 

「では……。《モリビトタナトス》という一機を破壊するためですか? それとも、現時点で確認されている三機を破壊するためですか?」

 

 この返答如何で話は大きく変わってくる。上官は一度その言葉を受け止めた後、なるほどと頷く。

 

「君がどこで引っかかっているのかはよく分かった。いいだろう。上の判断を口にしよう。上は現時点での三機を破壊すべきだと考えている」

 

 やはり、というべきか。手の内がある程度割れている三機を破壊するほうがまだ現実的なプランだと思われているのだろう。しかし、上は、と前置きしたのだ。眼前の上官の意見は違うのだろう。

 

「上は、ですか」

 

「個人的には、《モリビトタナトス》なる機体も、現時点での三機も、同様に対処すべきだと感じているが、難しいのは《モリビトタナトス》への攻撃はゾル国という国家への攻撃となる、という部分だろうな」

 

「あのモリビトは国家という笠を着ています。その状態でカウンターモリビト部隊の編成案、それそのものが翻ればゾル国との戦争への引き金になりかねない」

 

「何も、そちらのモリビトとは言っていない、と抗弁したところで無駄だろう。現状、モリビトを擁するとあの国家が声高に主張したのだ。我が方のモリビトへの牽制はあの国家への挑戦状だと断定されかねない。しかし、こうなってくると問題が発生するのは……」

 

「ブルブラッドキャリアのモリビトでしょう。彼らがどう動くのかで、ゾル国も対応が変わってくる」

 

 上官は微笑みを浮かべ、書類を叩く。

 

「これだけ情報を集めたんだ。それが全て水泡に帰す、というのはよろしくない。ブルブラッドキャリアには抵抗してもらわなければ困る」

 

「ですが、ブルブラッドキャリアのモリビトがゾル国に叛意を翻せば、それはゾル国内部の分裂を生みかねない。国が引き裂けますよ」

 

「言っている事が無茶苦茶だ、とさすがの民も言い始めるだろうな。《モリビトタナトス》とやらの機体を鹵獲した、と言い訳したところで、それは遠大なる自滅の道に他ならない。ゾル国が真に賢しいのならば、ブルブラッドキャリアの一部層と合意した、とでも言うべきところなのだが、あの国家の意地か、ブルブラッドキャリアに勝ったと、どうしても言いたいらしい」

 

 戦ってもいないのに勝ったとは片腹痛い、とリックベイは感じつつ、先ほどから再生されているゾル国の政治家の宣言を見やる。

 

「珍しいですね……。シーザー議員のほうですか」

 

「ああ。息子のほうはよくメディアに出るが、本人のほうは慎重なのか、なかなか顔を出さなかったところでこの発言だ。影のフィクサーとの情報も多々出てくる。ゾル国を現状、牛耳っているとされる一族の、その首長の発言か」

 

「カイル・シーザーへの民の好感度は高いでしょう。その父親となれば自然と民意が向く」

 

「息子はモリビトを前線で退治し、父親はその骸を必死に飾り立て、結果作りに躍起か。いや、そこまでの必死さは感じないな。これも打てる手のうちの一つ、とでも言いたげだ」

 

《モリビトタナトス》が実際のところブルブラッドキャリアの機体なのか、そうでないのかは関係がないのだ。現状、一国家に味方するモリビトがいる時点で、この論理は破綻している。ブルブラッドキャリア側が声明を打とうにも、ここまで先手を打たれれば下手な宣言は自滅に値する。

 

 この状況でブルブラッドキャリアが実行するとすれば、それは恐らく一つ――。

 

「気づいているな? 彼らが今まで通り、世界を試すと言うのならばここでも試さなければならない。今度は世界ではなく、己になるであろうが。ブルブラッドキャリア側の意見を明確にするためには、この《モリビトタナトス》なる機体を完全に破壊し、その上でゾル国との完全なる離別。離反を表すのには、最も相応しい対応策として」

 

「モリビト対ゾル国という構図ですか。我々C連合としては対岸の火事を決め込めばいい。その間に拡充すべきなのは、《スロウストウジャ》量産計画」

 

 全て心得ていると言うリックベイの声音に上官は満足気であった。

 

「ゾル国がわざわざ世界を背負って出るというのならばそれに便乗しない手はないよ。あるいは、こう考えるべきか。しなくてもいい喧嘩を買って出ているゾル国に、感謝とでも」

 

 言い方は違えど、結局ゾル国の声明には不明瞭な部分が多く、このままでは現場指揮にも関わるだろう。

 

 兵士達がただの政治家の言葉を鵜呑みにするわけではない。しかし、この宣言はカイル・シーザーの父親が発したもの。それなりの意味があると判断するべき。

 

「しかし、《モリビトタナトス》がどれほど強力な機体であっても、モリビト三機と打ち合えば……」

 

「少佐。君の主観でいい。あれはモリビトとブルブラッドキャリアに勝てそうか?」

 

 リックベイは一拍の逡巡を挟んだ後、応じていた。

 

「五分五分、でしょうか。わたしが経験したのは青いモリビトとの対峙のみです。それと比較すれば、なるほど、操主としての熟練度は《モリビトタナトス》のほうに軍配が上がるでしょう。しかし、モリビト三機が完全な連携を見せたとすれば、その圧勝にも翳りが見える」

 

「一対一と多数対一は違う、というわけだ。《モリビトタナトス》の操主と話したレコーダーが残っているな。聞かせてもらったが相手は相当な自信家なのか、あるいは馬鹿なのかは推し量るしかないが、《スロウストウジャ》との戦いの最中でも余裕が窺えた。高名な操主を立てたのだろうか、とも考えられるが、《スロウストウジャ》五機でも厳しいかね?」

 

「トウジャはまだ実験段階の機体です。あまり過度な戦力だとは思わないほうが賢明かと」

 

「君のそういうところが冷静だと、判断している。己が乗っている機体だからと言って慢心もしない。《スロウストウジャ》の実力を客観視出来ているのは君くらいなものか」

 

「いえ、うちの部隊にもう一人」

 

 そう切り出すと上官はおいおい、と笑みを浮かべた。

 

「アイザワ少尉か? あれは確かに戦闘センスの点で言えばずば抜けているが、政に口は出せんタイプの軍人だ。それくらいは見れば分かる。それとも、君は彼に戦闘以外の面で可能性を見ているのかな」

 

「アイザワ少尉の実戦データは《スロウストウジャ》全体の白兵戦闘のデータに反映されるそうです。トウジャをある意味では使いこなしている」

 

「天性のものか、あるいは若さか。はかりかねているのはよく分かるよ、少佐。だが、カウンターモリビト部隊を編成するに当たって一つでも勝てる要因は欲しい。彼が特別にせよ、そうでないにせよ、厳重な目で審査するように」

 

 話は以上だ、とでも言うように上官は卓を叩いた。挙手敬礼を返してから、リックベイは部屋を後にする。

 

《モリビトタナトス》を前面に押し出してブルブラッドキャリアが味方になったと錯覚させて一番に得をするのはどこか。思案を巡らせていると行き会ったスタッフが書類を手渡してきた。自分に? と訝しげに書類に視線を落とすと、そこに書かれていたのはブルーガーデンの捕虜――瑞葉の処遇に関してであった。

 

「瑞葉君を、どうにかするのにわたしの許可が要るのかね?」

 

「上官に直訴してもいいのですが、彼女はサカグチ少佐に判断してもらいたい、と……どうします? ブルーガーデンの、強化人間です。どう扱っても文句は出ないと思いますよ」

 

 ここで廃棄を命じても、あるいは存命を巡って言い争ってもほとんど鶴の一声で彼女の処遇が決まるというわけか。

 

 リックベイは書類を突き返し、言いやった。

 

「ならば彼女に直接聞けばいい」

 

 スタッフが自分を制する前に、リックベイは医務室へと通信を繋げていた。歩きながら、医務室へのアポイントメントを取る。

 

「勝手過ぎますよ! あんなの、放っておけば」

 

「だが、わたしのサインがいるのだろう? だから、こんなまどろっこしい真似をしてきた。本音はどうだ? ブルーガーデンの強化兵など、気味が悪くってさっさと処分して欲しい、か?」

 

 目線を伏せたスタッフにリックベイは言葉を投げる。

 

「わたしが判断する。書類は受け取っておく。別命あるまで待機するといい」

 

 その背中に、「知りませんよ」と抗弁が発せられた。

 

 どうせ、彼女は戻るべき国家も、信じるべきものも見失った。どう扱っても誰も咎めないだろう。捕虜としての扱いに関しても精神点滴や整備モジュールの観点から金がかかる。費用だけかさむ捕虜など殺してしまったほうがマシ、というのが大多数の意見に違いなかった。

 

 リックベイは医務室を訪れる。ノックして入ると、瑞葉は機械の翼を広げて上体を起こしていた。窓から差し込む陽射しを受け、呆けたように外を眺めている。

 

「何か見えるかね?」

 

「いや……この星は、もう終わりが近いのだろうな。だから、諦めもつく」

 

「それは己の境遇も含めて、か?」

 

 どこか察しているのだろう。自嘲気味に瑞葉は口にする。

 

「わたしをどのように処分するのか、そろそろ議題に上がったところか」

 

 リックベイは素直に書類を手渡す。そこには自分の一存で強化兵、瑞葉を処分出来る事が綴られている。

 

 ショックかと言えばそういうわけでもないようであった。諦観を浮かべた瑞葉は目線を伏せる。

 

「……やはりか。どこへ行っても、居場所はないのだな」

 

「ここにわたしがサインするだけで、君は恐らく分析、解体の上で処理されるだろう。廃棄処分という事になっている」

 

「では、何故そこに署名しない?」

 

 瑞葉の質問にリックベイは書類へと手をかけ、そのまま破り捨てた。バラバラになった紙が舞う中、リックベイは静かに言いやる。

 

「これで、君を縛るものはなくなった」

 

「……今さら自由なんて」

 

「ないのかもしれないな。ブルーガーデンで兵力として扱われ、それ以上のない生活であったと聞いている。だが、わたしはそう思っていない。ブルーガーデンは滅びた。だからと言ってその価値がなくなったなどと」

 

「どう生きろというんだ。わたしは兵器だ」

 

「違う」

 

 リックベイはハッキリと言ってのけた。その言葉の響きに瑞葉が瞠目する。

 

「違う。……簡単に己の事を兵器などと断じるな。まだ歳若い。戦う事しか選べない人生であったなどと全てを後悔と懺悔のうちに身を置くのは、諦めでしかない。わたしは諦めて欲しくはない。ここまで生き抜いた。その生きる力は賞賛されるべきだ」

 

「生き意地が汚かっただけだ。わたしには何も……」

 

「何もないはずがない。己の信じるもののためにあの汚染領域で戦った。それだけでも充分に讃えられるべきだ。わたしはそう思っている」

 

 リックベイのてらいのない賞賛に瑞葉は視線を逸らす。

 

「……殺し、殺されしか知らない身だ」

 

「一度、よく考えるといい。本当に殺人機械としてしか、自分の価値が集約されないのかどうかを」

 

 医務室を立ち去ろうとして、その背中を呼び止められる。

 

「リックベイ・サカグチ少佐。あなたは何のために戦っている?」

 

 リックベイは迷わずに答える。

 

「いつか、我々の軍務など必要のなくなる、未来のためだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯131 強欲の罪

『《モリビトタナトス》、あれは上々だな。よくあのような機体を用意したものだ。レギオンも』

 

 水無瀬の通信を聞きつつ、ガエルはコックピットの中でふんぞり返っていた。全て、レギオンのシナリオ通りとは言え、ここまでうまく事が運ぶと逆に己が駒のように思われて気分はよくない。

 

「《モリビトタナトス》が張子の虎扱いだ」

 

『それも仕方のない事だろうな。モリビトの戦力的価値は既にブルブラッドキャリアの三機が証明済み。有り体に言わせれば、《モリビトタナトス》はそこに存在しているだけでいい、マネキンのようなものだ』

 

 ガエルは後頭部を掻き、嘆息をつく。

 

「性に合わねぇな、ったくよぉ。オレはモリビト同士のとんでもねぇ、戦争をやりたくって請け負ったんだ。だって言うのに、実際は戦わなくっていいだ? んなもん、吐いて捨てるような感触だぜ」

 

『しかし、収穫として大きいものもあったのではないのかね。カイル・シーザーの所在』

 

 やはり水無瀬は勘付いていたか。ガエルは舌打ち混じりに言いやる。

 

「……もう使い物にならねぇかもな」

 

『ハイアルファー【バアル・ゼブル】。どのような効力であったのかは知る由もないが、対価があったはずだ。それが今、カイル・シーザーが塞ぎ込んでいる理由かな』

 

「ハイアルファーっての、オレは使わなくって正解だったとマジに思えるぜ。確かにハイリターンだが、ハイリスクにもほどがある。あれでも序の口みたいな対価なんだろ? ぞっとする」

 

『調べた限りでは現存するハイアルファーは【ライフ・エラーズ】と【ベイルハルコン】というものがあるらしい。どちらも搭乗者の精神、あるいは肉体に過度の負荷をかける代物だ』

 

 いつの間に調べを尽くしていたのか、などと聞くのは野暮だ。人間型端末を自称する水無瀬にとっては一度でもアクセスすれば全て見通せるのだろう。

 

「どんだけ操主が強くなったって、人機にそれほどリスクかける意味が分からねぇよな。トウジャの量産型も似たようなもんなのか?」

 

『戦った《スロウストウジャ》か。あれなのだが……不思議な事にハイアルファーは確認出来ていない。つまり、あれは純粋な人機としての性能を突き詰めた機体となる』

 

「ハイアルファーって言う数値化出来ないものに頼るよりかは随分と合理的だな。そんなもんは廃して、ただの人機にしちまえばいいって事かよ」

 

『単純に言えばそうなるな。だが、これにはもっと大きな意味があると考える。ガエル。戦った感触はどうだった? あのトウジャという機体の性能に、恐れるべきものはなかったかな?』

 

 どこまでも見透かしたような事を言う。ガエルは隠し立てするのも面倒だと判断して言い返す。

 

「……ああ。反応速度なんて《バーゴイル》の比じゃねぇ。さらに言えば、装甲はナナツーより堅く、ロンドなんかよりも器用だ。戦った感じはちょうど……モリビトに近いな」

 

 帰結した言葉に水無瀬が通信越しにでも笑みを浮かべたのが伝わった。

 

『やはり、か。封印された人機だ。その三機は似通っている、と思うべきだろう』

 

「モリビト、トウジャ……それにもう一機か。でもよ、モリビト野郎は宇宙で打ち止めだろ? カイルや《バーゴイル》部隊だって馬鹿じゃねぇ。地上に降ろすって言っても三機とも降りてくるわけじゃないはずだ」

 

『今までのブルブラッドキャリアの経験則から言わせてもらえば、一機は地上戦力の分断にかかるはずだ。いずれにせよ、《モリビトタナトス》はどれか一機を相手取る事になる』

 

「どれか一機、か」

 

 自然と青いモリビトの姿が脳裏に浮かんだのは度重なる因縁のせいであろうか。あの機体と打ち合っても負ける気はしないが。

 

『しかし、《モリビトタナトス》のカタログスペックに目を通させてもらっているが、相当な機体だな。如何にして、レギオンはそれを建造したのか、知りたいほどだ』

 

「そいつはオレも気になるところだ。前の、《バーゴイルシザー》ならまだ理解出来た。《バーゴイル》の改造版だってな。だが、こいつだけはどうにもしっくりこねぇ。どこをどう扱っても新型機のそれだ。何か、基になった機体でもあるんじゃねぇのか、とは疑っているが」

 

『……ガエル。その推測はあながち間違っていないかもしれないな。ゾル国へと、開発、譲渡される予定であったトウジャタイプが一機、行方不明になっている。ソース通りならば空輸時に問題が生じ、そこから先の通信が途絶している。これは……ちょうどブルーガーデンが滅んだ時間と一致する』

 

 つまり、ブルーガーデンで噴火が起こった最中、一機のトウジャが行方を眩ませた、という事になる。その命題の帰結する先にガエルはうろたえた。

 

「こいつも、トウジャだってのかよ」

 

『その可能性は高い。ハイアルファーは確認出来ていないが、その機体にハイアルファーは?』

 

「あったら乗るのなんてやめてるっての。この機体、反射速度も、何もかも桁違いだが、ハイアルファーってのは乗っている限りじゃ、感じられねぇぜ?」

 

『と、なるとハイアルファーをオミットしたか。技術的な問題が立ち塞がるが、可能であったのならば、恐らくその機体はトウジャをベースにしている』

 

 ガエルは今、自分の乗っている機体がまさか、ハイリスクだとのたまったトウジャだとは思えず、周囲の機器を探った。

 

「……ハイアルファーなんてものはありそうにもないが」

 

『照合したところ、その機体に該当すると思われるのは一機。グリードトウジャと呼称されている。だが、その機体の最も象徴である武装、確かRブリューナクだったか』

 

「ああ。こいつは強ぇな。まるで無敵だ」

 

『その所在だけが確認出来ない。どこからか拾って来たにせよ、規格外の武装だ。ハイアルファーなしでのシステムを実用化出来ているのだとすれば、それは恐るべき代物だとも』

 

 Rブリューナク周りは確かに今まで経験した事のないシステムである。だが、これがハイアルファーかと問われれば疑問が残る。自分には今のところ、目立った対価はないのだから。

 

「……あのインチキ将校、とんでもねぇもんを掴ませやがったな」

 

『Rブリューナクに関しての試作機ですら挙がって来ないんだ。これは情報の閲覧制限が設けられていると考えるべきか。あるいは、そもそもその武装自体が特別か』

 

「いざという時、切り離せる武器ってのは魅力的だがな」

 

『調べは進めておく。ガエル、君はその機体で何を望む? シーザー議員が言ってのけたように、ブルブラッドキャリアを装って世界を欺くかね?』

 

「欺き、騙され合いのレートにはもう乗ってんよ。問題なのは、カイルの親父が本気でこの機体一機でどうにか出来ると考えているかどうかだ」

 

『その点、青臭いのは息子と同じか……。理想主義と言われかねない部分だな。会ったのか?』

 

「いや、顔合わせはしてねぇな。そもそも、シーザー議員は表舞台には出ないのが今までの傾向だったはずだ。……何が酔狂で、今、矢面に立つってんだ?」

 

『案外、君の正体に勘付いているのかもしれない。息子についた悪い虫だとも』

 

「おいおい! 心外だぜ。悪い虫に仕立て上げたのはどこのどいつだって話だ」

 

 レギオンが自分の身分でさえも偽ってみせたのだ。ガエルはただ従っているに過ぎない。

 

『《モリビトタナトス》、その機体に関しても調査継続と行こうか。何か重大な見落としがあるのかもしれない』

 

「頼むぜ、マジに……。後からやばいハイアルファーを突っ込まれている、ってのは勘弁願いたいからな」

 

 通信を切り、ガエルは《モリビトタナトス》のリニアシート周りを観察する。正式名称グリードトウジャ、という名前に口角を吊り上げた。

 

「……いいじゃねぇか。てめぇの本当の名前は強欲のトウジャかよ。この巡り合わせ、仕組んだヤツはオレの事を分かってる」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯132 時代の良心

 降下するなり飛び込んできたニュースに、桃は唖然としていた。

 

 ブルブラッドキャリアがゾル国の味方になる。寝耳に水にもほどがある情報に、バベルで裏づけをさせた。

 

 結果、シーザー議員を含める軍部の急進派によるでっち上げである事が判明したものの、世界はこの声明を信じ込んでいる。

 

 鉄菜からの通信が入り、次の行動の相談になっていた。

 

『このまま、モリビトをゾル国の物とするのは反対だ』

 

「その気持ちは分かる……クロ。でも下手に行動出来ないわ。モリビト対モリビトなんて構図、誰に旨みがあると思っているの? これで得をするのは地上勢力のみ。ともすればブルブラッドキャリア内の分散に捉えられる。分散、いえ、分裂を悟られれば、またしても資源衛星に強襲が仕掛けられかねない。今の守りはアヤ姉だけよ。《インペルベイン》もまともに出せないのに、もしやられれば……」

 

 最悪の事態を想定する桃に対し、鉄菜は判断を保留していた。

 

『……私の一存ではどうしようもない。桃・リップバーン。作戦立案はお前に一任する』

 

「珍しいじゃない。クロにしては殊勝ね」

 

『それくらい、事は重大だと言う意味だ。仕掛け間違えればブルブラッドキャリアは詰みになる』

 

 それも重々分かった上でのこのやり口なのだとすれば、地上の人々もなかなかに抜け目がない。《モリビトタナトス》の情報をあらゆる方面から弾き出そうとするが、どこかで阻害されるのが分かった。

 

「バベルでも閲覧出来ない?」

 

『情報源が少な過ぎるんだよ、桃。《モリビトタナトス》に関しての情報はないに等しい』

 

 しかしその戦闘の映像は残っている。戦っているのはまさかのトウジャタイプであった。ベージュ色のトウジャ五機への情報は即座にもたらされる。

 

「《スロウストウジャ》……C連合の新型人機ね。こんなものを用意したなんて」

 

『スペック上ではモリビトとほぼ同じだね。こんなのが五機……やり合えるかどうか』

 

 グランマの不安に桃は戦闘する《モリビトタナトス》と《スロウストウジャ》部隊を観察する。

 

《モリビトタナトス》の肩口に装備された羽根のような槍が射出され、自律稼動兵器として《スロウストウジャ》を追い詰める。

 

「見た事のない武器ね……。グランマ、該当データは」

 

『存在しない……。これは全くの新しい概念の武器だよ』

 

『自律稼動兵器を装備している。これだけでも充分な脅威だ。Aプラス相当に値する』

 

 鉄菜の脅威判断でそこまで高いとなると、実際に相手取ればもっと厄介だろう。しかもこれはR兵装でもある。今までの実体弾に対する行動では遅れを取る場合も考えられた。

 

「……嘗めてかかると痛い目に遭う、か。でもこちらが何もせずに手をこまねいていれば、相手の都合がいいように解釈される。難しい局面ね。モリビトが動かなければゾル国の支配に甘んじる事になる。かといって動けば、ゾル国、C連合からの集中攻撃の対象。それにこの《モリビトタナトス》と対峙すれば、ブルブラッドキャリア内部での軋轢を世界に示すようなもの。……一番に理想的なのは《モリビトタナトス》がC連合のトウジャに破壊されて、その後に介入する事だけれど……」

 

 まず無理であろう事は予想出来た。《モリビトタナトス》が姿形だけでもモリビトを模している分、余計に厄介だ。かといって《スロウストウジャ》五機を相手取って勝てるかと言えばそうでもない。

 

 どちらと敵対してもモリビト二機では対応が難しいところである。

 

『桃・リップバーン。私の意見でいいのならば、《モリビトタナトス》も《スロウストウジャ》も同等の脅威だ』

 

「だから何? 両方を同時破壊なんて言わないわよね?」

 

 それがどれほどに難しいのかは鉄菜でも分かるはず。鉄菜は首肯し、言葉を継いだ。

 

『どちらかを、徹底的に叩き潰す。それしかないだろう』

 

 自分が思い浮かべていたのと同じ想定だ。結局、物理的な優位に立つしか現状を打開する方法はない。

 

「……脳筋な考えだけれど、モモも同じ。モリビトはどちらの勢力にも与しないのだと、ハッキリ示すしかないわ。その途中で《モリビトタナトス》が出てくれば、これを破壊。……出来る?」

 

『弱気な発言だな。いつもの調子はどうした?』

 

「アヤ姉がいないんじゃ、この人機だけを落とせばいいって簡単なもんじゃないってのはよく分かるから……。クロ、モリビト二機で合流後、フルスペックモードへと換装。《シルヴァリンク》は全戦力をもってC連合前線基地を攻撃。徹底的な殲滅戦に打って出る。《モリビトタナトス》、あるいは《スロウストウジャ》と会敵した場合、これを撃破……。難しい事を言っているのは分かっているけれど、それしかない。ゾル国の高慢ちきな鼻っ柱を折ってあげましょう。モリビトは地上の誰の味方でもないのだと、今一度突きつけるしかない」

 

『モリビトの脅威を今一度……か。だが現状、モリビトはゾル国の味方として扱われている。宣言されればこれほどやり辛いとはな。相手は大手を振るって《モリビトタナトス》を運用出来る。比して、こちらはたったの二機か』

 

「たったの、じゃないわ。精鋭された二機よ。《ノエルカルテット》と《シルヴァリンク》がいれば勝てる……でしょう?」

 

 鉄菜にも負けるつもりはないはずだ。彼女は鼻を鳴らし、言葉を継ぐ。

 

『無論だとも。しかし、《モリビトタナトス》、出所が気になるな。どこからこんな機体を建造した? 惑星にはモリビトのデータベースは存在しないはずだが』

 

 そのはずだ。モリビトは複製不可能であるからこそ今まで優位を保ってこられた。

 

「……どこかでモリビトの情報が漏れている……? 裏切り者?」

 

 帰結した考えに早計だと諌めつつも、それでも裏切りの線が濃厚であった。誰かが裏切っている。その場合、一番に考え付くのは――。

 

『……言いたい事は分かる。また私が、作戦を無視して強行している可能性か』

 

「ゴメン、クロ……疑いたくはないの。でも、あんたは一回」

 

『分かっている。同じ立場ならば私でも疑うだろう。それはない、と伝えるのには《シルヴァリンク》のシステムログを差し出せばいいか?』

 

 桃は目を見開いていた。鉄菜は《シルヴァリンク》にこだわるあまり自分達には決して二号機の性能面を打ち明けようとはしなかったはずだ。その逡巡が伝わったのか、鉄菜は言いやる。

 

『……彩芽・サギサカの言うように、もういがみ合っている場合でも、ましてや牽制を投げ合う場合でもない。私達は再び、手を取り合うべきだ』

 

 それが計算ずくの結論であったとしても、桃には鉄菜の素直な成長に思われた。ここまで来れば一蓮托生。《シルヴァリンク》のシステムログを精査する中、桃はグランマに命じる。

 

「バベルを出来るだけ拡張させて。この作戦だけは絶対に失敗出来ない。――《モリビトタナトス》を完全に破壊する」

 

『それはいいが……桃、勝てる見込みはあるのかい?』

 

「愚問よ。モモ達はもう、勝つしかないんだから。宇宙で戦った時から……いいえ、ビートブレイクを使った時からそう。あるいはモリビトに乗った時からかも。モモ達はこの惑星からしてみれば反逆者。戦う事でしか己を示せないもの」

 

『……分かった。バベルの性能をフルにしてでも、《モリビトタナトス》に関して探ろう』

 

「ゴメンね、グランマ。モモ、無茶言っているのは分かっている」

 

『無茶でも何でもないよ。お前は正しく、ブルブラッドキャリアのあり方を示そうとしているんだ。だったら、その背中を応援出来ないでどうする』

 

 ああ、この人格システムの基になった人間は絶対に言わないであろう言葉だ。自分は自分のAIを欺いてまで優しい言葉を切望している。それが正しいのか正しくないのかの議論は放置したままで。

 

「……ありがとう。グランマ。お陰でモモ、もう少しだけ頑張れそう」

 

『《モリビトタナトス》を破壊するにしても、どこを攻撃する? どの基地に出るのかを把握していなければ無駄足だぞ』

 

 鉄菜の言う事も一理ある。闇雲に仕掛けたところで、それはゾル国の掌の上だ。

 

「やっぱり、狙うとすれば一極集中でしょうね。C連合前線基地……一番近い場所にある基地へと攻め込んで、敵戦力を一網打尽にする。それによってシーザー議員の言う通りではない事を示せば少しは抵抗になるかもしれない」

 

『だが、それさえも目論見通りであったとすれば……』

 

 慎重になるのは分かる。だが、ここで二の足を踏んでいる時間もないのだ。

 

「クロ、ここから先は及び腰になったほうが負ける。アヤ姉がいないのよ。《インペルベイン》の補助なしで、モモ達だけで戦い抜かなくてはならない」

 

 今まで幾度となく《インペルベイン》の助けと彩芽の的確な指示があったからこそ生き残れてきた。今は、それら二つが決定的に欠けていたとしても、自分達はブルブラッドキャリア。戦い抜くしかないのだ。

 

 その覚悟は鉄菜にも伝わったのか、彼女は首肯する。

 

『……分かった。作戦には従う』

 

 今は伝わった安堵は元より、これから先の行動次第で戦局が変化する事を心に刻むべきだ。

 

 ――一手間違えれば打ち負ける。

 

 その極度の緊張に、桃は唾を飲み下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話が違う、と切り出したこちらに比して相手は幾分か冷静であった。

 

「席に座ってください。タチバナ博士」

 

 シーザー議員の使いにタチバナは紛議する。

 

「貴様ら、何をしたのか分かっておるのか? モリビトを国家の象徴として祀り上げるだと? その危険性を理解した上での行動だと、本当に……!」

 

「落ち着いてください。議員はそれを分からぬ人ではない」

 

「ならば! まずは戦争を焚きつけるような真似をしない事だ! これではC連合にも喧嘩を売ったようなものだぞ!」

 

 既に耳には入っている。ユヤマを通して軟禁状態からでも世界を見通す事が出来ていた。

 

 C連合の新たなる戦力。《スロウストウジャ》。どこで誰が開発していてもおかしくはない人機であったが、それが導入されるのがあまりにも速い。一国レベルだけではない。何ものかの悪意が見え隠れする。

 

「お静かに願います。議論というのはいつだって冷静な状態で発するべきです」

 

「分かっておるのならば今すぐにあのモリビトを撤回しろ。あんなものを使ったところで平和はやって来ない!」

 

 ぴくりとシーザー議員の部下は眉を跳ねさせた。サングラス越しの視線がタチバナを射る。

 

「……失礼ながら、タチバナ博士、あなたは平和主義者だったのですか?」

 

「……人機開発者が平和を望んではいけないというのか」

 

「いえ、あまりにもその在り方が不均衡であったものですから。……そうですね、《モリビトタナトス》を我が国家の主軸とする、このやり方に疑念を覚えるのは、まだ分かります。ですが、何を及び腰になる必要があるので? 相手とて不要な武力を有している。これは抑止力ですよ」

 

「抑止力、だと……詭弁を!」

 

「詭弁は人類が発明したものの中でも優れた開発の一つです。詭弁がなくては、人々は正直な気持ちだけでぶつかり合う。それは闘争ですよ。生き地獄です」

 

「地獄でも、変わろうとすればともすれば、人には可能性があるかもしれん。《モリビトタナトス》はそうではない」

 

「おや? まるで《モリビトタナトス》のスペックを知っているかのような語り口だ」

 

 思わぬ攻め手にタチバナは言葉を詰まらせた。ユヤマとのコネクションは極秘でなければならない。

 

 加えて自分の個人所有端末にはモリビトに対抗するための兵器の概要がごまんとある。これをゾル国政府に奪取でもされればそれこそ余計な火種を招く。

 

「……観れば分かる。あれは、今までにない兵器だ」

 

「人機開発におけるオブザーバーの言葉と思えば無碍には出来ませんね。ですが、それも理解せずして、議員が強行したとでも?」

 

「あの男に、兵器のイロハは分からんよ。分かるのは政において、誰が優位に立ち、誰が敗者として辛酸を舐めるかの事実だけだ」

 

「それだけあれば充分ではないですか。敗者は地を這い蹲り、強者のみが生き残る。理屈としてはこれ以上のないほどにシンプルです」

 

「単純がゆえに、その在り方は考えも、ましてや熟考もないと言っているのだ! 思考停止の政治家がどこにいる!」

 

 声を荒らげたタチバナに比して議員の使いはどこまでも冷静であった。

 

「優れた政治家がどうであったかは歴史が証明します。それが如何にして形成され、如何にして後の世を作ったのか。結果論でしかないのです。発明家は、その歴史のうねりの前では思想というものは塵芥に過ぎません」

 

「ワシを使い捨てるか? だがこの老躯、ただでは死なんぞ」

 

 強気に出たタチバナに黒服は笑う。

 

「殺しませんよ。誰が殺すものですか。あなたには生きてもらわなければならない。生きて、《モリビトタナトス》が後の世を切り開く、生き証人であった事を証明してもらわなければ。依然としてあなたの発言力は高いのですよ、ドクトル」

 

「だというのならば今すぐに、あのモリビトを使用停止処分にしろ。そうでなければ戦争が――」

 

「残念です。戦争はもう起こりつつある」

 

 黒服が手にした端末からはC連合を見張る静止衛星映像が新たなるプラントの開発に乗り出しているのが窺えた。タチバナはうろたえ気味に後退する。

 

 祖国は、悪魔に魂を売り渡したのか。トウジャというパンドラの箱は魅力的であっただろう。自分がいなくとも、世界は動く。

 

「……どれほどヒトが過ちを繰り返す生き物であったとしても、火種を自分で処理するくらいは出来よう」

 

「その機会には永遠に恵まれない事でしょう。人間には過ぎたる玩具だった。百五十年前の人機も、この戦いの場も」

 

「今一度言うぞ。《モリビトタナトス》を退かせろ。そうでなければ後悔する事になる」

 

「誰がでしょうか? ドクトルタチバナ。考えてもみてください。この惑星で、モリビトへの対抗策を具体的に打ち出さずして、何ヶ月も、何年も消耗戦を繰り広げるとしましょう。なるほど、表面上は平和かもしれない。モリビトの脅威があるとは言っても、それは言うなれば、今はもう枯れ果てた密林で獣に行き遭うほどの確率。ほとんど無視してもいいほどの。ですが、密林に獣は依然としていたままなのです。それでは安心して誰も密林に分け入る事は出来ない。文明の叡智を、その領域に拡張する事は出来ないのです。それだけで人類は大きく衰退し、成長の機会を失う」

 

「密林に分け入り、獣の領分を侵した。その結果が百五十年前だ」

 

 強い語調にもシーザーの部下はうろたえる様子さえも見せない。

 

「それも、一面では正しいのでしょう。ですが、勇気ある人類は獣に打ち勝ち、かちどきを上げなければならない。いつまでも獣に怯え、震え上がっているようでは勇者は生まれないのです」

 

「勇者が《モリビトタナトス》だというのか。馬鹿げている」

 

「いいえ、何も馬鹿げた事など。モリビトと、敵と同じ姿を取る事は原始的にも非常に有効です」

 

「鏡を見ろと言いたいな。あの過剰なほどの武装は明らかにC連合への牽制の意味も入っている」

 

 タチバナの論調にも気圧される事なく、相手は切り返す。

 

「敵国への牽制が入っていては、ではどうしていけないのですか? 敵ですよ。撃つべき敵です。それをはかりかねて、いつまでも手をこまねく事こそ、愚かではないですか?」

 

「敵はブルブラッドキャリアだけで充分だろう! どうして、事ここに及んで人同士が醜く争わなければならないのだ!」

 

 声を荒らげたタチバナに黒服は顎に手を添える。

 

「難しい事を仰るのですね。人同士が、何故、争うのか? それはとてつもなく、いや途方もなく、最果てもない疑問です。何千年も前から繰り返された命題を、この世代で絶つ、と? いささか傲岸不遜が過ぎるのでは?」

 

 これ以上黒服との平行線の言葉繰りをしていても無駄であろう。タチバナは己の端末からシーザー議員へと呼びかけようとする。

 

「ワシが直訴する。《モリビトタナトス》は使うな、とな」

 

 しかしコール音が虚しく響くばかりで一向に相手は出る様子はない。

 

「議員はお忙しいんです。だから一介の護衛役である自分のような人間があなたについている」

 

「老人の話し相手をして時間を引き延ばせ、か? それともわがままで融通の利かない老人をここで退場させろ、とでも?」

 

 黒服は肩を竦め、タチバナへと言いやる。

 

「博士、攻撃的になるのは勝手です。しかし、何も誰一人として味方がいないわけではないのですよ」

 

「貴様らは敵だ。それだけは確かだよ」

 

 言い捨てたタチバナに黒服は熟考する。

 

「これは……難しいですね。信用もされない。ここであなたと向き合っているのは何も酔狂だけではないのというのに」

 

 再びコールするがシーザー議員は出る様子がない。タチバナは言い方を改めた。

 

「……ワシを軟禁して、結局のところ何をしたい? 自国の圧倒か? それとも、軍事的な支持者を祀り上げるために、ワシのデータベースを利用するか?」

 

「どちらも非常に魅力的な提案ですが我々はそうではありません。ゾル国の国益になるようにあなたを見張っているだけです」

 

「老人一人、いつでも殺せよう。死なせないのは貴様らのシナリオ通りか。それとも、ワシに死なれてはまだ迷惑か」

 

「ご理解いただいているのならば幸いですよ。まだ、死なれては困るのです。これから先、人機開発は躍進する。第二、第三の《モリビトタナトス》は生まれますよ。その時、あなたには判断をしていただきたい。兵器として、及第点を得ているかどうかを」

 

 畢竟、自分は兵器に採点するだけの存在なのだ。それが強力かどうか、使えるかどうかを判定するだけの目安。

 

 ただの、採点基準。

 

「……皮肉な事に、今すぐここで首を掻っ切りたいほど、貴様らは度し難い。だが自決しないためにお前さんはおるのだろうな」

 

「分かっているのならば休まれてはどうですか? ご老体にこれ以上負担をかけさせたくない」

 

 タチバナは額に浮いた汗を拭い、舌打ちする。

 

「悪党め。貴様らは悪だ」

 

「正義になったつもりはありません。しかし、ブルブラッドキャリアのように無差別に殺しをするつもりもない。正義も悪も、流動ですよ、ドクトル。この世に至っては」

 

 きっとそれが正答なのだろう。この男と話していても何も進展しないのは分かっている。タチバナは椅子に座り込んだ。端末を指し示し、口にする。

 

「さすがに通信くらいは」

 

「どうぞ。ご自由に」

 

 タチバナがコールしたのはしかしシーザー議員ではない。この状況を打開する人間にであった。

 

『はい。こちらユヤマです』

 

 相手が出たのを確認してからタチバナは声を吹き込む。

 

「タチバナだ。のっぴきならない事態に陥った。単刀直入に聞く。この状況を打開出来るか?」

 

『その場所から助け出すのはさすがに無理ですな。ゾル国の中枢です。何よりも、怖いモリビトが見張っているんじゃ何にも出来やしません』

 

 だがそこまで分かっているのならば話は決まっている。

 

「頼みがある。恐らく、君に頼むのはこれ一回きりだろう」

 

『天下のタチバナ博士の頼みとなれば無下には出来ませんね』

 

「老人の繰り言だと馬鹿にしてくれても構わん。ただ、――世界を止めてくれ。こんな風に転がっていくのは見たくはない」

 

 僅かな沈黙が流れる。その後に、ユヤマは静かに応じていた。

 

『……承りました。ですがアタシも一介のトップ屋。こんな身分で言える事はたかが知れています』

 

「それでもいい。何か手を打って欲しい」

 

「誰と話しているんです?」

 

 黒服が歩み寄ってくる。タチバナは端末を頭上に掲げた。

 

「さらばだ」

 

 直後、端末を床に叩きつける。砕けた端末の欠片が赤い絨毯の上を転がった。

 

 ――自分の打てる手は全て尽くした。あとはもう。

 

「時代に任せるだけだ。せめて、この時代の良心に」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯133 静かなる英雄

《モリビトタナトス》の報をもたらした相手に、桐哉は視線を向ける。道場でただひたすらに剣を振るっていた自分にそのニュースペーパーを投げた相手は確かアイザワという名前であったか。

 

「どう思うよ? 元モリビトとしては」

 

 拾い上げたその号外には「ゾル国の新たなる守り手」とも「真のモリビト」とも書かれている。

 

 この男はこれを自分に見せて何をしたいのだろう、と桐哉は号外を突っぱねた。

 

「今忙しい。後にしてくれ」

 

「気になるんじゃないのか? モリビトだろ、お前」

 

「……その名はもう捨てた。機動兵器の名前だ」

 

「でもよ、割り切っていないんだって、傍から見りゃ丸分かりだよ。……少佐は、お前のそういうところも見込んで零式の後継者なんてしたのかもしれないけれどよ、おれは違うぜ」

 

 何が違うというのだろう。以前までのように自分の居場所を奪おうというのか。桐哉の視線が知らず鋭くなっていたせいだろう。アイザワはうろたえた。

 

「ご、誤解すんな! 別に今さらその居場所を追おうだとか、そんな陰険じゃないっての。たださ、感想を聞きたいだけだよ」

 

「感想?」

 

 アイザワは赤毛を掻きながら、参ったなとぼやく。

 

「おれってば、一応は話の材料くらいは考えてきたのに、どうにもお前、苦手だ」

 

 苦手意識を持たれるのは慣れている。気を向ける必要もない、と桐哉は再び素振りに戻ろうとする。

 

「待てって! 話聞けよ……」

 

「聞いて、どうするんだ」

 

 剣を振るいつつ、桐哉は問いを重ねる。自分のような英雄の座から追われた人間に、今さらモリビトの是非を問うなど。

 

「《モリビトタナトス》だとか言う、この機動兵器、いや人機か。お前はさ、どう思ってんのかな、って」

 

「どうも」

 

「んなわけないだろ! だって、こいつはお前の祖国の機体で、なおかつ英雄だなんて持て囃されているんだぞ! 何にも感じないわけ――」

 

「俺が、その存在に痛みを覚えているとでも言えば、では納得するのか」

 

 聞き返すとアイザワは憔悴したようであった。

 

「……そんなつもりは、ないけれど」

 

「職務に戻るといい。ここに長居するとリックベイ少佐はいい顔をしないはずだ」

 

「……お前にとっては、少佐は少佐じゃないだろ」

 

「かもしれない。正規軍人ではなく捕虜の扱いには違いないからな。だがこの道場にいる以上は、あの人の教えを乞う。そうと決めた」

 

「そんな事は知って……いや、もういい」

 

 あまりに会話が平行線のせいだろう。アイザワは意気消沈して号外に視線を落とした。自分が猛り狂って掴みかかりでもすれば満足だったのだろうか。あるいは嘆き苦しみでもすれば少しは人間らしいのだろうか。

 

 だが、今の自分にはどちらも不要だ。

 

 ――戦って勝つ。いずれモリビトへと積年の恨みをぶつけるのには、この身はまだ弱々しい。もっと強くならなければ。

 

「……聞いたか。ブルーガーデンの強化兵を、少佐は今、匿っている」

 

 だから、その言葉に一瞬、集中を掻き乱された。正確さを欠いた刃が中空で止まる。

 

「……今、何て」

 

「少佐は! 今ブルーガーデンの、あの独裁国家の強化兵を率先して匿っているんだよ。危険性は分かっているはずなのにな」

 

「何でそんな事を……ブルーガーデンの強化兵は処分しろという不文律が――」

 

「あの人には関係ないんだろうさ。大体、それ言い出せばお前だってそうだろ。祖国を追われた英雄なんて、こぞってこんな場所で鍛錬するなんてよ」

 

 言われてしまえばそこまでの理論である。自分が許されて他者は許せないなど、何と狭い認識か。

 

「だがブルーガーデン国家の強化兵になど手塩をかけたところで、あの国は薬物を用いた強化実験を行っていると……」

 

「その辺も込みで、だろ。……おれにはまだおっかなくって一人きりで会えるなんていう少佐の肝の据わり方がとんでもないって思えるよ。薬物の効果一つでどれだけでも人を殺せる殺戮マシーンになる人間なんて、出来れば望んで会いたくもない」

 

「リックベイ少佐は、どうしてそのような危険な真似を」

 

 その言葉にアイザワが眉根を寄せて桐哉を指し示す。うろたえ気味に桐哉は口を開いた。

 

「……何だ?」

 

「それ、お前が言う、って話だよ。《プライドトウジャ》なんていうとんでもない機体に乗ってきて、なおかつハイアルファーで死なないんだぜ? お前だって強化兵の事は言えないだろ。同じ穴の狢とまでは言わないけれどよ。自分の立場棚に上げるのはどうかと思うぜ。少佐は、お前も、ブルーガーデンの回し者も同じように扱っている。それを何の特別性もなく、当たり前だと思えているんだとすれば、相当に愚鈍だ」

 

 アイザワの論調に言い返せない。自分はリックベイに拾われ、零式抜刀術を教わっている身。リックベイの一存でどうとでもなる。敵国に囲われ、その上で自分の行く末を掴まれているのであればそのブルーガーデン兵と同じだ。

 

「……会うのは、駄目だろうか」

 

 だからか、不意に浮かんだ疑問にアイザワが眉根を寄せる。

 

「会うって、誰と誰が?」

 

「俺と、その、強化兵が」

 

 アイザワはその提言に声を上ずらせた。道場に響き渡った声音に彼自身困惑する。

 

「おまっ……そんな事、少佐がお許しになるわけがないだろ! それに性質の悪い冗談だぜ。堕ちた英雄と、独裁国家の切り離された兵士なんざ!」

 

 その言葉を発した直後、アイザワはハッとして口を噤む。堕ちた英雄、というのはタブーである事を理解したのだろう。だが、それもまた事実だ。否定するものではない。

 

「……俺の事はどう言ってもらっても構わない。ただ……同じ恩人に拾われた人間同士だ。何か、通じ合うものがあるかもしれない……ないかもしれないが」

 

 言葉尻には自信がなかった。ブルーガーデンの兵士は皆、薬物によって強制的に忠誠心を仕立て上げられていると聞いている。その兵士が、C連合の捕虜にされて黙っているだろうか。

 

 それこそ謀反の恐れもある。アイザワは咳払いをして言葉を継ぐ。

 

「そんなの、少佐にだって分からないだろうよ。……大体、敵国の兵士を二人も囲っている事そのものが、やばいんだってあの人だって気づいているはずなんだ。だって言うのに、他人には迷惑をかけない、の一点張りで……」

 

 リックベイも上下からの圧力に晒されているのかもしれない。ならばこそ、力になりたいと思うのは当然であった。

 

「俺程度でいいのならば、何かしたい」

 

「……お前、ここで剣を振るっていろって言われたんだろ」

 

「ああ、俺にはまだ、掴めていないと……。零式の真髄が」

 

「だったらよ。それだけ考えておけよ。余計な事は、考えずに、な」

 

「だが、そのモリビトの一件とブルーガーデン兵の事、教えたのはお前だ」

 

 アイザワが後頭部を掻いて舌打ちする。

 

「……嫌がらせのつもりだったんだよ。悪かったな。そこまで実直だとは思わなくてよ。でもま、それもそうか。守るべき人々が無事であっただけで泣いちまう人間なんだもんな、お前。おれには成れない何かに、お前は成れるのかもしれない」

 

 アイザワには成れない何か。それは何なのであろう。自分は守り人の資格を剥奪された。本国からも切られた孤立無援の存在。

 

 そんな自分に何が出来る? 何が変えられる? まめの出来始めた掌に問いかけても答えは出なかった。

 

「そろそろお暇するぜ。ここでお前に余計な事吹き込んだって少佐にばれたらまずい」

 

 号外を手に、アイザワは踵を返そうとする。その背中に桐哉は呼び止めていた。

 

「一つ、教えて欲しい。ブルブラッドキャリアのモリビトは、どうするつもりなんだ? それが分かっているのなら」

 

 教えてくれ、という言葉にアイザワが片手を払う。

 

「勘違いすんなってのはそれも含めてだ。今のお前じゃ、何かに成れるだけの可能性に過ぎない。何かを成す果実ってのはもっと熟す時を待つもんだ……少佐の受け売りだけれどよ」

 

 まだ自分には何かを成し遂げるだけの力はない。これからか、と桐哉は歯噛みする。全ての選択はこれからなされる。

 

「すまなかった……それと、ありがとう」

 

 謝辞にアイザワは頬を掻いた。

 

「……ワケ分からないけれどな。おれみたいなのにお礼するってのも」

 

「世界が今、どういう状況なのか知れた。余計に、だ。余計に、俺は零式を習得しなければならない。それを今一度、心に刻めただけでも充分だ」

 

 その語調にアイザワは一瞥を投げる。

 

「……本当に少佐の言う通りなんだよな」

 

 その言葉を追及する前にアイザワは去っていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯134 保留の答え

 自分のような存在に関わっていていいのか。

 

 それを再三問いかけても、リックベイは果実の皮を剥くばかりであった。強化兵の自分に実際に歯を立てて食べる食事は必要ない。そう断じていても、彼は高騰しているであろう果物を買い付け、自分のベッドの傍に置いた。

 

 器用な手さばきでそれらの皮を剥いていく。

 

「君は、少しばかり考え過ぎだと、わたしは感じている」

 

 雑念などまるでないかのような声音に瑞葉は戸惑うばかりであった。自分の周りは今まで全て敵であった。復讐しかないと思っていたこの身に今、何が出来るというのだろう。

 

 あるいは、この男もまた、自分に軍事的価値があると判断し、《ラーストウジャ》の搭乗者へと再び選定しようというのか。

 

 疑いの眼差しはすぐに見抜かれてしまった。

 

「《ラーストウジャカルマ》、だったか。あれに君を二度と乗せない事を上官に取り付けた」

 

「どうして……わたしには戦うしかない。兵士なんだ」

 

「兵士である前に一人の人間だ。我々はそれを履き違えるほど、傲慢に出来ていない」

 

 瑞葉は目を見開いたまま、きょとんとしてしまう。まさか自分を人間扱いするなど思いもしない。

 

「……こんな姿の人間はいない」

 

 整備モジュールが持ち上がり、片翼を形成する。痩せこけた身体に釣り合わない巨大な羽根。生きている限り飼われ続ける宿命のようなもの。

 

 しかしリックベイは果実を切り分け、その考えを否定する。

 

「人間の姿形、定義はさまざまだ。だが、言葉を話し、他人の感情を窺う事が出来るのならば、それは人間に値するのではないか、とわたしは感じている」

 

 詭弁だ、と言い捨ててもよかったが、リックベイの口調にはいささかのてらいもない。心底、そう思っているような口ぶりであった。

 

 だとすれば相当な理想論者だ。それか、ロマンチストに違いない。

 

「……ブルーガーデンの兵士は強化人間で、会敵すればまず撃墜する事を考えなければ逆に墜とされる、と教えられなかったのか」

 

「教えられた。訓練生時代にはよく、ロンド系列を操るのは人間ではない、とも詰め込まれたものだ」

 

 だとすれば何故、と面を上げた瑞葉はリックベイの眼差しと不意に目があってしまう。暫時、沈黙が流れた後、彼が果実を皿に取り分ける。

 

「食べるといい」

 

「……歯が退化している。噛み砕けるかどうか」

 

「だがやってみるのも悪くはないのではないか?」

 

 瑞葉は果実の皿を膝元に持ってくる。手で掴むと瑞々しい果実の水滴が指先にこびりついた。ブルーガーデンでは食事の必要はなかった。液体食料か、それか薬物で事足りたのだ。

 

 固体の食事など数年間、摂っていない。瑞葉は果実に齧り付きかけて、顎が思ったよりも強く噛み締められないのを思い知った。

 

 リックベイが皿を取り、持ってきた器材で果実を磨り潰す。

 

「すまなかった。配慮が足りていなかったな」

 

「……こんな事をして何になる? わたしが、あの場で唯一の生き残りであったからか。あの汚染された祖国で、戦い続けていたからか? 貴様らは、あの国の保有する血塊炉を自由自在に欲しいだけだろう! 殺してしまうか薬物漬けにすればいい! こんなまどろっこしい真似をして、何が楽しいんだ!」

 

 爆発した感情の行方を持て余し、瑞葉は息を荒らげる。リックベイは静かにその言葉に応じていた。

 

「国家として、ブルーガーデン国土に眠る血塊炉は魅力的だ。その保有数をこれから決めるのに、ゾル国に先手を打たれた。新型人機、《モリビトタナトス》。ブルブラッドキャリアがゾル国に下った、と」

 

 初めて聞いた事柄に瑞葉はうろたえる。ブルブラッドキャリアが――あの時共に戦った「クロナ」が、ゾル国に寝返ったというのか?

 

 にわかには信じられず、瑞葉は判断材料を掴みかねた。

 

「本当なのか……」

 

「一部の過激派による偏向報道の域を出ない、という判断もあるが、C連合では《モリビトタナトス》なる機体を確実に排除する方向へと向かっている。そのための軍備増強。《スロウストウジャ》の機体数の確保。カウンターモリビト部隊の配備」

 

「……そのために、わたしや、《ラーストウジャカルマ》が欲しいというのか」

 

「それが軍隊であるのならば、な。しかしわたしは、それは違うと感じている」

 

 リックベイの言葉は矛盾している。軍部であるのならば正しい判断を下すべきだ。

 

「違うというのも、詭弁だろう」

 

「《ラーストウジャカルマ》に君はもう乗せない。代わりの人員を充てる事もない。あれは危険な人機だ。先人達がそうしたように、封印するのがいいだろう」

 

「どうしてだ。何が望みなんだ? 何のつもりで、わたし相手にこんな……! まるで、人間にそうするような扱いをする?」

 

「君が人間だからだ」

 

 放たれた言葉に瑞葉は反論出来なくなる。自分が、人間だと言うのか。

 

「……あり得ない」

 

「どうしてだ? わたしは先に述べたな? 人間の条件を君は満たしている。ならば、捕虜として扱えばいい」

 

「こんなの、捕虜じゃない。ただの大病人だ」

 

「その通りだ。君は今、病気を患っている。戦争病、という癒え辛い病だ。この国家では、君を兵士として扱う事はない、その点は保障する」

 

 何故、そのような世迷言を吐けるのだろう。自分は兵士だ。価値はそれに集約される。だというのに、リックベイの扱い方はまるで――ただの少女にするかのように。

 

「わたしは戦士だ。瑞葉という名の強化人間だ」

 

 拳を握り締めた瑞葉にリックベイは磨り潰した果実の皿を差し出す。

 

「要らない!」

 

 払った手が皿を叩き落し、床に果実が散らばった。これで少しくらいはリックベイも自分に失望するだろう。

 

 そう感じていた瑞葉は彼が激昂する事もなく、淡々と皿に片づけているのを目にして驚愕した。

 

「……もう少し食べやすい食事を用意しよう」

 

「……何なんだ。どうしてなんだ、リックベイ・サカグチ! お前はどうして、わたしにそんな扱いを向ける?」

 

「必要だからだ」

 

「必要? 兵器だぞ、わたしは。ミサイルに食事が必要か? 重火器に睡眠が要るのか? 相手を狙い撃つだけの砲塔に、何か気の利いた言葉が要るというのか!」

 

 掴みかかりかねない剣幕で言いやったこの言葉で隔絶は明らかだろうと思われた。しかし、リックベイは静かな眼差しを湛えたまま、平時の口調で返す。

 

「そこまで言えるのならば、君は人間だと言っている」

 

 リックベイは果実の籠を手に、医務室を後にしようとした。どうしてなのだろう。その背中に一片の諦めの意思も見えないのは。

 

「……篭絡したって、兵士だ」

 

 それは出来の悪い抗弁に思われた。リックベイは背中を向けたまま、そうか、と呟く。

 

「わたしにはそれが、人間の証に思われるのだがな」

 

 去っていくリックベイの背中を追う前に、医務室のドアが閉まる。己の中で渦巻く感情に瑞葉は結論がつけられないでいた。

 

 リックベイは何なのだ。何がしたい? 何のために、自分のような兵器を飼い慣らそうとしている?

 

 どう足掻いたって罪は消せない。今まで撃墜し、殺してきた証は拭えないのに。彼はまるでそこいらの町娘を相手にするかのように、自分に接してくる。

 

 それが逆に理解し難い。どこまでも度し難い行動に思えて仕方がない。

 

 苛立ちもある。だがそれ以上に分からない。理由も、理解も不能だ。彼の行動原理も、己の心の行き着く先も。

 

 漂着する先を見失った感情は不格好な帆を立てたまま、誰かに当り散らしたいだけであった。果物ナイフがその時、目に入る。リックベイはわざと置いていったのか、手の届く範囲にあったナイフへと伸ばしかけた時、扉が開く。

 

 赤毛の青年仕官がこちらの動向に気づいたのと、ナイフを取ったのは同時だった。

 

「お前……!」

 

「来るな!」

 

 ナイフを突き出す。青年仕官は周囲を見渡し、医師がいない事に舌打ちする。

 

「仕事しろっての……。おい、その……瑞葉って言ったか? 落ち着け、落ち着いてくれよ。おれは忘れ物をしたって聞いたから少佐のお手伝いを……」

 

「繰り言はやめろ! 貴様らはどうせ、わたしを道具のように使い捨てればいい! だというのに、まどろっこしい真似をして、何がしたい? 兵器に希望を持たせる実験か? そんななら、もっとそれっぽくやるんだな。こんな、非効率的な実験をやって、何になると言うんだ!」

 

 放たれた怒りの感情に青年仕官はうろたえたままであったが、ナイフを見やりつつ、言葉を発する。

 

「分かんないって、おれだってさ……。少佐が何を考えているのかなんて。でも、お前、嬉しくはないのかよ」

 

「嬉しい? そんな感情は要らない! わたしは兵器だ! 強化実験兵なんだぞ! 感情なんて数値でどれだけでも調整出来る。そんなものに寄りすがったって、何もいい事なんてあるはずがない!」

 

「……そうかよ。でも少佐は、そんなお前に、それだけじゃないって言いたいんだろ」

 

「黙れ! わたしがどれだけ執念を燃やしていたのか、貴様なんぞに!」

 

 ナイフを突き出そうとして、青年仕官が咄嗟に構えを取る。自分は所詮、強化兵とは言え、人機から降りれば常人以下の運動能力しかない。

 

 青年仕官にナイフを握る手を締め上げられ、すぐに取り押さえられてしまった。

 

「どうして……わたしには力が足りないのか!」

 

「力だとか、少佐がどう思っているだとかは抜きにしてさ、何でお前らってそう、似た者同士なんだろうな」

 

「似た者同士? 誰と誰がだ!」

 

 吼え立てる瑞葉に青年仕官は嘆息をついてナイフを取り上げる。

 

「少佐もさ、多分どっかで他人に感情移入し過ぎなんだろうな。あの人は軍人らしいように見えて、一番軍人っぽくないよ」

 

「リックベイ・サカグチは何を考えている? わたしを生かして、何の得がある?」

 

「得なんてないんじゃないか?」

 

 返された言葉に瑞葉は唖然とする。

 

「何だと……?」

 

「得なんて、……損得なんて考える人だったら、あいつもお前も放っておくだろうさ。でも、あの人は戦士には敬意を払う。そういう気質の持ち主だから、どれだけ非情に徹し切った言葉を繰っても、結局のところ、非情にはなり切れないんだろうな」

 

「……分からぬ事を」

 

「だな。おれも分からない。お前と同じだ」

 

 微笑みかけた青年仕官に瑞葉は困惑してしまう。自分の敵だと思っていた連中が味方になって、己の中でも折り合いがつかないのかもしれない。

 

 ベッドに腰かけた瑞葉は額に手をやった。何を信じ、何を寄る辺にすればいいのか。何のためにこれから先、生きればいいのだろうか。

 

「……どうすればいい。枯葉、鴫葉……、お前らの死にわたしは報いる事が出来ない」

 

「報いるとか、難しい事考えるんだな、お前」

 

 青年仕官のどこか無責任な態度に瑞葉は怒りを滲ませた。

 

「当たり前だ! わたしは指揮官なんだぞ! 部下の命を預かる立場だ! そんなわたしが何も考えずしてどうする!」

 

 噛み付きかねない剣幕に、青年仕官は、そっか、と口にしていた。

 

「それ、多分少佐もその気持ちなんだろうな」

 

 返されて瑞葉はハッとする。リックベイも自分と同じものを抱えていた。抱えていたからこそ、同じものを目にしている自分には温情を与えているのだとすれば。

 

「……迷惑だ、そんなもの」

 

「少佐はそういうの、気にしない人間だから。お前が迷惑でも関係ないだろうさ」

 

「……人道的に扱ってどうするというんだ。わたしにはあの汚染域で戦い続けるだけの体力も、それに残された気力もなくなりかけている。C連合はどうせ、血塊炉が欲しいだけだろう。わたしみたいな足枷は壊してしまえばいい」

 

「まぁ、本音はそうなんだろうけれど、割り切れないものってのがあるんだろうさ。おれにはよく分からないけれどな」

 

「……よく分からないのに、あの男に付くのだな」

 

 瑞葉の疑念に青年仕官は当たり前のように応じていた。

 

「そりゃ、当然。少佐は強いから尊敬出来る。単純に、それだけだよ」

 

 ――強いから、か。

 

 瑞葉は自分が弱いばかりに散っていった者達を反芻する。だからと言って、もう闇雲にモリビトを憎むつもりもない。「クロナ」との共闘でその怨念は失せた部分が大きい。

 

「強ければ正義、弱ければ悪、という単純な図式だな」

 

「いいだろ? 単純。分かりやすいし」

 

 はにかんだ青年仕官に瑞葉は自然と口元を綻ばせていた。いつ振りだろう、てらいなく笑えるようになったのは。

 

 そして、執念と恩讐を忘れられそうな気持ちになれたのは。

 

「分からないな、まだわたしには」

 

「そうかよ」

 

「……貴様、名前は何という?」

 

 その質問に青年仕官はうろたえた。

 

「おいおい、教えたからっておれを恨むのは筋違いってもんじゃ」

 

「違う。ただ単に、リックベイ・サカグチしか知らないのはどこか、フェアではないと思っただけだ」

 

「……まぁ、少佐も少佐だし、他人の自己紹介なんてするタイプじゃないか。おれはタカフミ・アイザワ。C連合の、言っちまうとエースだ」

 

「自分でエースとのたまう奴は初めて会った」

 

「そうか? これでも自負はある」

 

 フッと笑みが浮かんだ。どうしてだろうか。

 

 ここにいると、今まで自分を縛っていた全ての因縁から逃れられそうな気さえもしてくる。

 

 どこまで無理をしていたのかが如実に分かってくるほどであった。

 

 瑞葉はタカフミが落としたニュースペーパーを拾い上げる。そこにはゾル国がモリビトなる新型機体を立ち上げた事が書かれていた。

 

「ああっ! しまった、それ……」

 

「既にリックベイから聞いている。《モリビトタナトス》、というらしいな」

 

「知ってるのかよ……」

 

「情報としてだけだ。しかし、ゾル国が、モリビト、か……」

 

 その時、脳内で弾けた記憶に瑞葉は目を見開く。不明人機のシグナルを発していた機体を自分は《ラーストウジャ》で追いすがった。あの機体の識別コードは確かにモリビトであったが、見た目は完全に《バーゴイル》のそれであった。

 

 この符号は偶然であろうか。モリビトの名前を冠する人機をゾル国が保有する。

 

 もし、これが全て仕組まれた事だとすれば、相手はブルブラッドキャリアですら利用する腹積もりであった事になる。

 

 しかしその帰結に行き着けば、自ずと見えてくるのはこの世界の醜悪さだ。

 

「……まさかあの時、既に?」

 

「どうかしたのか?」

 

 勘繰ってくるタカフミに瑞葉は頭を振った。

 

「いや……そんな事があるわけが、……あってはならない」

 

「よく分かんないが、思うところがあんのか? この《モリビトタナトス》って奴によ」

 

「そういうところだ。貴様は?」

 

「おれか? おれはリベンジマッチと行きたいな。《スロウストウジャ》で負けるはずがないんだ。おれなら、次にやれば勝てる」

 

 拳を固く握り締めたタカフミに瑞葉は言いやる。

 

「次にやれば、か。だが戦場は次を常に用意してくれるほど甘くはない」

 

「だから、一回ずつの戦いが大事なんだろ?」

 

 リックベイの腰巾着かと思えば急に分かった風な事も言う。瑞葉の中でもタカフミの評価は決めあぐねていた。

 

「しかし、モリビトが跳梁跋扈する戦場か。世界はどう転がっていくのだろうな」

 

 ニュースペーパーを受け取ったタカフミが眉根を寄せて答える。

 

「そんなの、上の方のお偉いさんに任せとけばいいんじゃないか? おれ達みたいのは、戦うしか知らないし」

 

 兵士はただ眼前に釣り上げられた獲物を狩るだけが仕事。そう割り切れれば幾分か楽なのだろう。

 

 瑞葉はどう結論付けるべきか、己の中で燻らせていた。

 

 C連合を無根拠に信じる事も出来ず、リックベイの厚意に甘えるのも戦士としては違うと感じている。

 

 だが、今の自分に何が出来ると言うのだ。

 

 モリビトをゾル国が保有したとして、トウジャで追いすがって狩り尽くせるほど、今の自分には余力がない。

 

 どう足掻いたところで、力不足の感は否めない。

 

「……戦えれば。全てを示せるのに」

 

 浮かんだ悔恨にタカフミは頬を掻いた。

 

「あのよ、多分だけれど、少佐はお前をもう戦場に出す気はないぜ?」

 

「敵国の兵士をむざむざ戦場に出すのは間違いだからだろう」

 

「いや、そうじゃなくってさ……。あの人もお人好しなのか計算なのかよく分からないんだけれど、女を前線に出すようなクズじゃないのだけは、確かだと思う」

 

 その言葉にきょとんとした。

 

 ――女。

 

 そのような事、今まで感じた事も、ましてや改めて言われた事もない。あまりに自分が呆然としていたからか、タカフミが取り成す。

 

「いや、別に侮辱したとかそういうんじゃないぜ? でも、ホラ、生物学的には女だろ?」

 

 どう切り返せばいいのか分からない。瑞葉は判然としない感情を掌の視線に落とした。

 

「わたしは、女……?」

 

「そこ、疑問視するところ?」

 

 今まで戦場で幾度となく死線を潜ってきた自分に女という評価を下す人間は生まれて初めてであった。どう反応すればいいのか、まるで分からない。

 

「わたしは、ブルーガーデンの兵士だ。強化兵で、実験兵で、《ラーストウジャカルマ》の操主で……」

 

「難しく考える事なのか? それ。別にいいんじゃねぇの? 女だろうが、男だろうがさ」

 

 手をひらひらと振るタカフミは本当に何も考えていないようであった。苛立ちや不安よりも、困惑が勝る。

 

 このような時、どういう風に振る舞うのが正解なのか分からなかった。

 

「わたしは……」

 

「まぁ、答えなんて千差万別だろ。別に女将校なんて珍しくないし、少佐がそういう人だってだけの話でさ」

 

 あっけらかんとしているタカフミに瑞葉は言葉もなかった。どうして、自分を恐れないのだろう。

 

 自分はどれだけのナナツーや《バーゴイル》を撃墜してきたのかも分からないほどの、根っからの軍人。兵器なのだ。それを前にして、どうして――まるで本当に、ただの女を相手にしているかのように対処出来る?

 

 理解に苦しむ行動に瑞葉は沈黙する。その静寂をどう解釈したのか、タカフミは踵を返した。

 

「おれはもう戻るけれどその……自殺したりとかはすんなよ。後味が悪いからさ」

 

 立ち去ろうとするタカフミの背中に、瑞葉は一言だけ投げた。

 

「わたしはもう、兵器としては失格なのか?」

 

 足を止めたタカフミがうぅんと呻る。

 

「兵器とか、強化兵とか……、そんな他人がつけたラベルなんて気にすんなって。自分でこうだって言える事、どれだけブルーガーデンが酷い国だったからってあるだろ? だったらそれに従えばいい」

 

「わたしが、これだと言えるもの……?」

 

 自分にとって確固たる信念は国家が滅びるのと復讐を遂げた時に消え去った。今、この身に流れているのはただただ、兵器以前に「瑞葉」という一人の人間そのもの。

 

 それを頼りにすればいいのだろうか。瑞葉には答えが出せない。

 

「慌てて出すようなもんでもないし、気長に考えろよ。おれらもそういうの、別に追及するつもりもないし」

 

 遠ざかっていくタカフミに瑞葉は呆けたように口を開けていた。

 

 誰も答えを焦らせる事はない。自分で答えを導き出し、そして決めろ――。

 

 だが、それは今までよりも遥かに難しい事に思えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯135 カウンターモリビトⅠ

 何よりも混迷を極めているのは市民だろう、と鉄菜は民間の放送局に繋がせた。

 

 ゾル国、C連合、それらの傘下にある弱小国。全ての情報が同期される中、《モリビトタナトス》の影響力は墨を落としたように広がっているのが窺えた。

 

 どの報道機関も「ブルブラッドキャリアの事実上の解散宣言」だと報じている。自分達がこうして海上を疾走しているのが不思議であった。《モリビトタナトス》一機でこうも世界の評価は変わってしまうのか。その結果に鉄菜は薄ら寒さを覚える。

 

「私達が、どれだけやったところで、逆効果、とでも言いたいかのようだ」

 

『そうマジねぇ……世論は確実にブルブラッドキャリア排斥運動がうまくいったと思っているマジ。これじゃ今までの作戦行動も台無しマジよ』

 

 やはり形勢を逆転させるのには《モリビトタナトス》を破壊し、加えて新型のトウジャ部隊を一掃するしかない。桃から繋がれた通信回線に鉄菜は応じていた。

 

『クロ、いきなり《モリビトタナトス》を破壊しに行くのはやはりリスクが高いし、何よりもどこにいるのかも分からない相手をしらみつぶしにするのは現実的じゃないわ』

 

「では、やはり打ち合わせ通りに」

 

 通信の向こうで桃が頷く。

 

『C連合の新型トウジャなら、どこに配備されているのかがある程度掴めた。バベルの位置情報を同期し、これより二機のモリビトはC連合への攻撃作戦に入る』

 

 既に領海には入っており、鉄菜は標的を据える瞳を全天候周モニターに向けた。C連合の中継基地の沿岸はナナツー弐式の砲撃隊が囲っている。それらの対空砲撃が目標を狙い澄まし、陸地に上がらせないつもりなのだろう。だが、《シルヴァリンク》のフルスペックモードはその眼を欺く。

 

 高度な光学迷彩が施された外套は熱源探知センサーでもない限り直前まで察知不能であった。海上を疾走する物体に気づいた時には時既に遅し。

 

 攻撃射程に入った《シルヴァリンク》のRクナイが駆動し、施されたクナイガンの弾丸がナナツー弐式のキャノピーを打ち据えた。倒れた数機の挙動に困惑の声が上がる。

 

『何だ? 何が起こった?』

 

 通信網を震わせるオープン回線に《シルヴァリンク》の操るRクナイがナナツー弐式を分断していく。奔ったRソードの剣戟がその胴体を割った。

 

 迸るブルブラッドの血潮と火花の中、ナナツー弐式部隊が攻撃姿勢にようやく入る。

 

『敵襲! 敵襲ー!』

 

「叫びも全て、何もかも遅い」

 

 ナナツー部隊を牽引する隊長機へと肉迫し、Rソードを腹腔へと叩き込んだ。ぶくぶくと青い血が沸騰し、内側から焼け爛れていく。

 

 指揮官機を失った部隊は散り散りになるのは目に見えている。あらぬ方向を砲撃が射抜き、それを嚆矢として混乱が伝播していく。

 

『敵はどこにいるんだ?』

 

『海上だ! 沖を狙え!』

 

 既にその背後に回っているというのに、海上へと狙いを定めたナナツーを後ろから叩き斬っていく。悲鳴と怒号が入り混じる戦場で《シルヴァリンク》は外套に青い血を浴びてまず戦端を開いた。

 

 上空から《ノエルカルテット》がゆっくりと降下してくる。

 

『オーケー、クロ。上出来よ。あとは内地の守りを突き崩せばいいだけ。《スロウストウジャ》は確認出来るだけの分を破壊する』

 

「全機破壊してはいけないのか?」

 

『もちろん、蹂躙するに越した事はないわ。でも敵も考えなしにモリビトに立ち向かってくるとは思えない。倒せても二機、というのがバベルとグランマの見立てね』

 

「二機、か」

 

 自ずとエース機がやってくるのは思案の内に入る。鉄菜は雪崩れ込むようにこちらへと地鳴りを起こしながら接近するナナツー部隊を見据えた。

 

『《ノエルカルテット》は《スロウストウジャ》のために温存しておく。クロ、わかっていると思うけれど地上は』

 

「ああ。私が制圧する」

 

 Rソードを顕現させ、《シルヴァリンク》はナナツー部隊へと飛び込む。ほとんどがナナツー弐式であったが新型の《ナナツー参式》も混じっていた。

 

 小銃が吼え、《シルヴァリンク》の装甲を叩く。盾を構えさせ、鉄菜は叫んだ。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 反射した実体弾がナナツーを押し戻していく。うろたえたC連合の兵士へと《シルヴァリンク》が切り込み、おっとり刀の対応に対して鋭く刃を突き刺した。

 

 血潮が蒸発する中、《シルヴァリンク》が跳躍し背後に回った途端、四基のRクナイが駆動してナナツーを分断していた。

 

 バラバラに砕かれたナナツーを目にして兵士達が怯えたのが伝わる。しかし、ここで終わらせるわけにはいかない。やるのならば徹底的であった。

 

 地上を滑走するように《シルヴァリンク》が肉薄し、リバウンドの刃で敵の銃身を溶断する。近接武装へと持ち替えさせる前に振るった刃がその腕の肘から先を奪っていた。

 

『助け……』

 

 声が響き渡る前にRソードがキャノピー型コックピットを貫く。その威容にナナツー部隊は包囲陣を敷いておきながらたじろいでいる。

 

「来るのならば来い。後悔せずに済む」

 

 ナナツーを駆る操主達が吼え、《シルヴァリンク》へとナナツーが立ち向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「強襲? 強襲だと? どうしてこのタイミングで」

 

 もたらされた報告にリックベイは考えを巡らせる。この状況でモリビトがC連合前線基地を押さえようとする。その目的の帰結は恐らく《モリビトタナトス》への牽制。ブルブラッドキャリアが世界に下ったわけではない、という宣誓だろう。

 

「少佐! 《スロウストウジャ》で出ましょう。なに、この人機ならモリビトくらい……」

 

「待て、アイザワ少尉」

 

 リックベイは顎に手を添えて思案する。ここで《スロウストウジャ》五機を投入すれば、なるほど、勝てるかもしれない。だがもしそれが敵の目論見通りならば。

 

《スロウストウジャ》のスペックを知り、第二陣において確実に駆逐するための策だとすれば、《スロウストウジャ》をあまり見せてやるのは旨みがない。

 

「……アイザワ少尉、《スロウストウジャ》は二機のみの配置とする」

 

 その決定に異議があるのだろう。タカフミはいきり立って反発した。

 

「何でです? 《スロウストウジャ》なら勝てる!」

 

「冷静になって物事を俯瞰してみせろ。世界はブルブラッドキャリアがゾル国に下ったのだと思っている。だというのに、もたらされた報告では現れたのは青いモリビトと赤と白のモリビトの二機。つまりこれまで確認されていた機体だ。これはおかしいとは思わないか?」

 

「……戦力がないんでしょう?」

 

「それもあるかもしれない。だが、《モリビトタナトス》で一気呵成に攻め立てるのが、軍としては正しい判断だ。ここに来て既存のモリビトを送り込んでくるのは、二つに一つ。一つは、《モリビトタナトス》を出すのを渋って、既知のモリビトで相手の戦力をはかる、という作戦。もう一つはこの二機は完全にゾル国とは無関係であり、それを示すために、わざわざ《スロウストウジャ》を炙り出そうとしている」

 

「何だってそんな事を? だって、トウジャがどれほどの機体なのかは」

 

「相手とて熟知しているはずだ。トウジャの性能を。だが、それでもこの作戦に乗らなければならない理由としては、《モリビトタナトス》とゾル国のスタンスの否定、と考えれば辻褄は合う。つまり、ブルブラッドキャリアはゾル国に下ってなどいない」

 

「……当て推量ですよね?」

 

「だな。しかし、確率は高いと思うぞ」

 

《スロウストウジャ》は整備が終わったものも含めれば五機とも出せるが、ここで全機投入はともすれば愚策。リックベイは格納庫に収まる《ナナツーゼクウ》と《ナナツー是式》を視野に入れた。

 

「わたしと君はナナツーで出る」

 

 その言葉にタカフミが反論する。

 

「いや、でもナナツーじゃ……」

 

「負ける、というのかね?」

 

 タカフミがうろたえた。負けるつもりで戦っているわけではないだろう。彼は、いえと応じる。

 

「負けるつもりはありませんから」

 

「結構。ならば作戦には従いたまえ。これは命令だ」

 

 命令となれば、タカフミはわざわざ《スロウストウジャ》に乗り込もうとは思わないのだろう。身を翻して声を張り上げた。

 

「おれの《ナナツー是式》! 出せるよな?」

 

 切り替えが早いのはさすがとしか言いようがない。リックベイは待機している《スロウストウジャ》の操主三人を見定めた。

 

「君らのうち、二人は《スロウストウジャ》に乗ってもらう。ただし、一機は通常装備。もう一機は重武装の後方援護だ」

 

「《スロウストウジャ》で後方援護、ですか……そりゃまた……」

 

 白兵戦でも充分に戦えると証明された機体で後方支援は逆に人機の個性を殺すと判断されるのは分かっている。だが、リックベイはここでモリビト二機に手の内を晒すのは危険だと判断した。

 

「来るカウンターモリビト部隊においては後方支援も役割の一つとして考えられている。モリビトという強大な人機を相手取るのにただ闇雲に突っ込めばいいというものでもない。如何にトウジャが優れた人機であろうとも、操るのは人間に他ならないのだ」

 

 指示を受け、兵士達が挙手敬礼をする。残された一人には《ナナツー参式》に搭乗するように言い含めた。

 

「ただし、攻撃は重装備型と同じく、後方からでいい。間違っても前に出るなよ。前は、わたしとアイザワ少尉のナナツーが引き受ける」

 

 タラップを駆け上がり、自身の《ナナツーゼクウ》のキャノピーへと辿り着く。取り付いていたメカニックが声を張った。

 

「少佐の機体はいつでも行けるようにしてあります!」

 

「結構。《ナナツーゼクウ》の足の速さで間に合うか?」

 

「情報では、海岸線のナナツー弐式編隊がやられているそうです。内地のナナツー部隊が向かったそうですが、何分持つかは運次第と言うところで……」

 

「出来るだけ急げ、という事か。分かりやすくっていい」

 

 操縦桿を握り締めたリックベイに整備士は声を投げる。

 

「ペダルの重さはいつもより重めに設定してあります。いくら少佐でも《スロウストウジャ》の後じゃ、踏み込みが浅くなると思ったんで!」

 

「感謝する」

 

 サムズアップを寄越しリックベイは《ナナツーゼクウ》を発着用のカタパルトまで前進させた。途中、タカフミの《ナナツー是式》が別のカタパルトへと移送されていくのを目にする。

 

 まさか新型が配備されたというのに旧式機で出るとは思いもしなかっただろう。タカフミには悪い事をしていると考えつつ、リックベイは丹田に力を込めた。

 

 シグナルがオールグリーンになり、誘導灯を振るう整備士が目に入る。

 

『少佐のナナツーが出るぞ!』

 

 張り上げられた声にリックベイは叫んだ。

 

「《ナナツーゼクウ》、リックベイ・サカグチ。出るぞ!」

 

 発進するなり砂利を踏み締めて砂塵を作り出した《ナナツーゼクウ》の機動力は健在だ。メカニックの言うように《スロウストウジャ》よりも深く踏み込む事によって今まで通りのポテンシャルが出せている。

 

 遅れて発進した《スロウストウジャ》二機が空中機動に入り、片方は大きく下がって後方支援に入った。

 

 地を踏み締めていているのは自分とタカフミの《ナナツー是式》、それにもう一機の《ナナツー参式》である。

 

『現場までの距離はさほど遠くはないですが、相手はモリビトです。全滅覚悟で行ったほうがいいでしょうね』

 

《ナナツー参式》に収まる操主の声にリックベイは首肯する。

 

「考えたくはないがな。……しかしモリビト、少しばかり粗雑だぞ」

 

『何がです、少佐』

 

 通信に割って入ってきたタカフミへとリックベイは持論を述べる。

 

「ブルブラッドキャリアはもう少し慎重な作戦を実施する組織だと思っていた。それこそ、毎回の基地への襲撃とて計算ずくだとな。だが、今回は……まるで自分達の汚名をそそぐためだけの行動だ。視野が狭いというべきか……大局的な行動を取れていない」

 

『それだけ必死なんじゃ? 《モリビトタナトス》はとんでもない戦力だって思っている可能性もありますし』

 

 タカフミの言う通りであるのも事実。《モリビトタナトス》の脅威にブルブラッドキャリアも後先を考えられなくなったか。

 

 あるいは――考えたくはないがこの作戦行動でさえも。

 

 そこから先の推論をリックベイは口にしなかった。

 

 ――これさえも、世界のうねりの前に導き出されてしまった致し方なしの行動である可能性。

 

 モリビトとブルブラッドキャリアも既にこの惑星の運命と一蓮托生なのかもしれない。トウジャが開発され、一国家が汚染に埋没し、仮想敵国が偽りの同盟を騙る。

 

 どれも人の原罪よりもなお深い、罪状だ。

 

 これ以上の罪を重ねる前に、ブルブラッドキャリアが肩代わりするというのか。それも馬鹿馬鹿しい考えである。相手は自分の思考領域でのみ行動するわけではない。

 

 そうは思っていても、敵の行動がいつになく突拍子もないと、やはりどこかで名折れだと考えてしまう。

 

「ブルブラッドキャリア……罪を突きつけるその名に相応しい行動をして欲しいというのは、ただのエゴか?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯136 カウンターモリビトⅡ

 ナナツー部隊を蹴散らしていく鉄菜の《シルヴァリンク》を視野に入れつつ、桃はこれからの作戦行動と、取るべき方策を思案していた。バベルからもたらされる情報域の中に、《スロウストウジャ》発進の報告が入る。

 

「クロ、トウジャが出てくる。でも、これはたった二機……?」

 

 どうして全機投入してこないのだろう。モリビト二機に対してその程度でも充分だと嘗められているのだろうか。

 

『戦力を温存する余裕があるのかもしれないな』

 

《シルヴァリンク》が襲いかかってきた《ナナツー参式》の刃を掻い潜り、その腹腔を蹴り飛ばす。

 

 四基のRクナイが奔り、直後には《ナナツー参式》を分解していた。

 

「温存って……確かに《モリビトタナトス》に敗北を喫した現状では、モリビト相手に手の内を見せるのは危険、っていうのは分かるけれど、それでもこっちの戦力に対してたった二機? ……馬鹿にしているの?」

 

『恐らくは相手にも軍師がいる。そうでなければ考えなしにトウジャを投入してくる事だろう。この二機でモリビトとどれだけ渡り合えるのか、試金石にするつもりかもしれない』

 

 グランマの忠言に桃は鼻を鳴らした。相手がそのつもりならば徹底的に蹂躙するまでだ。

 

「そんなの、モモ達に敵うなんて! それこそ驕りよ! クロ、見せ付けてあげましょう」

 

 レーザー網が前衛を務めるナナツー二機の信号を捉えた。新型ナナツー二機がまず前を行き、《スロウストウジャ》は空中から仕掛けるつもりらしい。

 

『前のナナツー二機を排除する。桃・リップバーン。お前は』

 

「空を行く《スロウストウジャ》を駆逐する! 行くわよ!」

 

 ロプロスの翼を折り畳み、R兵装の砲塔を突き出す。照準器に捉えた《スロウストウジャ》が高高度へと至ろうとする前に一射された光条が、青く汚染された空気を煤けさせる。

 

『逃がさない』

 

《シルヴァリンク》が前衛のナナツー二機へと突撃を見舞うが、うち一機がプレッシャーライフルを捨て、大剣を振り翳した。Rソードと干渉し合った剣にお互いが後退する。

 

『こいつ……あの時の』

 

 何かを勘付いたのか、鉄菜の挙動に迷いが生じた。桃が問い質す前に射程から逃れた《ナナツー参式》が《ノエルカルテット》へとプレッシャーライフルの光条を見舞う。

 

「敵もR兵装を? そこまで技術が進んでいるなんて」

 

 やはりここで打ち止めにするしかない。桃はR兵装の二門の砲塔を突き出し、敵ナナツーに向けようとして突然の照準警告にうろたえた。

 

 ミサイルと重火器による連撃が《ノエルカルテット》へと襲いかかる。照準を切って《ノエルカルテット》を急速に後退させた。

 

 推進剤をフルに焚いて空間を移動した《ノエルカルテット》へと誘導機能を失ったミサイルが地面に着弾する。

 

 これは当てるための武器掃射ではない。後方援護がいる、という事を相手に示すための一射だ。つまり下手に前に出る事は出来ず、かといって《スロウストウジャ》一機に標的を絞る事も出来ない。

 

「トウジャが二機……どっちも分かっていての配置って事……。じゃあ、どっちかを墜とさないとね!」

 

《ノエルカルテット》へと追いすがる一機の《スロウストウジャ》へと脚部に装填されたミサイルを掃射する。しかし《スロウストウジャ》の機動力は伊達ではない。ミサイルの誘導を全て無効化したばかりか、いくつかはプレッシャーライフルによって迎撃されてしまう。

 

 爆発の光輪が瞬く中、桃は出来るだけ《スロウストウジャ》から距離を取っていた。あまりに近づき過ぎれば相手のスペックも不明な点が多い以上、こちらが食われかねない。

 

 それに何よりも、《ノエルカルテット》の弱点は超接近戦。敵を一定距離から近づかせない事こそが王道の勝利パターンである。

 

 桃は《スロウストウジャ》の機動力を観察しつつ、どこかで仕掛けられないかと思案を巡らせる。しかし《スロウストウジャ》は常に一ところには留まらない機動でこちらを翻弄する。

 

「ちょこまかと……、小手先ばっかりの人機なんて!」

 

 袖口に装備したR兵装のガトリングでその行く手を阻もうとするが《スロウストウジャ》は素早く方向転換し、プレッシャーライフルの銃口をこちらへと向ける。

 

「当たると思っているの? 《ノエルカルテット》!」

 

 後退した《ノエルカルテット》は射線から逃れたはずであった。しかし、コックピットの中を接近警報が劈く。

 

 仰ぎ見たその時、重装備の《スロウストウジャ》が高空を破って肉迫していた。後方支援型が接近するはずがない、という先入観が仇となった。

 

 トウジャタイプはモリビトとほとんど機動力は同じ。否、それ以上を有していると考えてもいい。

 

 後方支援の《スロウストウジャ》が片手にプレッシャーソードを発振させる。桃はガトリングで牽制するも《スロウストウジャ》の勢いは止まらない。

 

 オープン回線に操主の声が弾けた。

 

『もらった! モリビト!』

 

「させない! ロプロス!」

 

 分離したロプロスが首を持ち上げ、機体内に持つ小型ミサイルを掃射する。《スロウストウジャ》の狙いが逸れ、《ノエルカルテット》は下に抜けていった。一瞬だけ分離したロプロスを再び合体させ、地面を背に砲塔を突き上げる。

 

 確実に捉えたと認識した桃へと激震が見舞われた。

 

 もう一機の《スロウストウジャ》がプレッシャーライフルを発射したのである。肩口を撃たれた形の《ノエルカルテット》が砲撃から注意を逸らす。

 

《スロウストウジャ》が身につけた重装備からミサイルと離脱弾頭を解き放ち、《ノエルカルテット》の眼前を炎と灼熱で染め上げる。

 

 熱光学センサーが異常を来たし、桃は直後に有視界センサーに切り替えた。

 

 その時には《スロウストウジャ》は挟み撃ちの形を取っている。二機がプレッシャーソードを放ち、桃は咄嗟に分離させた。

 

 ロプロスと接合した形のパイルダーと、ロデムとポセイドンが解き放たれる。

 

 パイルダーは上空に抜け、ロデムが電磁牙を軋らせてプレッシャーソードと打ち合った。プレッシャーソードはしかし、こちらの想定以上の出力であったようだ。

 

 ロデムの電磁牙を弾き返し、ポセイドンの放ったミサイルと小銃の嵐からことごとく逃げ切る。

 

「なんて、器用な……」

 

 舌打ちを漏らしつつ、桃は《スロウストウジャ》二機による挟撃から逃れる術を探していた。

 

 二機が見張る空域から逃れるのには《シルヴァリンク》の協力は不可欠なのに、鉄菜はナナツー二機に苦戦している様子であった。

 

 掻い潜った《ナナツー参式》がミサイルポッドを放ち、《ノエルカルテット》を追い詰めようとしてくる。

 

 R兵装で焼き尽くそうとしても相手に隙がなければ下手を撃てない。この状況下でどう足掻いたとしても、敵の攻撃網より一手先を行くのには《シルヴァリンク》がナナツー部隊を蹴散らすしかないのだが。

 

「クロ、ナナツー二機に構ってないで、こっちにも」

 

『すまない、桃・リップバーン。この二機、なかなかにやる』

 

 Rソードと実体剣が干渉し、スパークの火花を咲かせる。鉄菜は何も手を抜いているわけではない。新型ナナツー一機が《シルヴァリンク》の近接を引き受け、もう一機がその隙を突いて攻撃する、という二重の構え。

 

 如何に《シルヴァリンク》の機動性が高くとも常に挟まれているのではやり難いのだろう。

 

 加えて空には《スロウストウジャ》が展開している。自分を狙っているだけではないのは先ほどまでの攻撃を見れば明らかであった。

 

 余力があれば鉄菜の二号機も射程に入れている。つまり《シルヴァリンク》はここから逃れるためだけにアンシーリーコートを撃てない。接地状態での発動はあまりに危険であるのは既に分かり切っている。

 

 ――どうする? 桃は脳内にこの場を凌ぐ方法を導き出そうとするが、どうしても突破の方策は思いつかない。

 

 いつもならば三機ともが独自に行動していても切り抜けられるのに、《インペルベイン》一機を欠いただけでこの醜態。

 

 桃は歯噛みしつつ《スロウストウジャ》に視線を投じる。

 

 二機はこちらが下手を撃てない事を理解しているのか、あるいはまだ見ぬ攻撃があると警戒しているのか、なかなか射線に入ってこない。

 

 これでは消耗戦だ。

 

 桃は決断を迫られていた。

 

 敵の本拠地に乗り込んでおいてむざむざ敗走するか。それともこれ以上モリビトに負荷をかけさせてどちらかを失うか。

 

 屈辱を被りつつも、ここでどちらかを失うのに比べれば後者のほうが賢いように思える。

 

 しかし一度の敗走は続けての雪辱に繋がりやすい。何よりも、自分達は《モリビトタナトス》による世論の影響力を鑑みて行動に移したはずだ。だというのに、ここで《スロウストウジャ》たったの二機相手に苦戦するのでは行動の意味がない。

 

「……好きにはさせないつもりだったのに」

 

 これでは形無しもいいところ。苦悩する桃へと、鉄菜が通信回線を開く。

 

『桃・リップバーン。私はこの状況、好ましくないと判断する』

 

 まさか鉄菜から弱気な発言が出るとは思っていなかった。桃は問い返す。

 

「逃げろ、というの?」

 

『それも考慮のうちだという事だ。《スロウストウジャ》だけを叩けばいいと考えていた私達は甘かったように感じる。このナナツー二機さえも振り解けないのでは、勝てるものも勝てない』

 

 Rソードを振り翳し、二機の新型ナナツーへと攻撃を見舞う《シルヴァリンク》だが、相手はその軌道をほとんど見切っているように映った。このままやっても、鉄菜にも勝てる見込みは薄い。

 

「……認めたくないわね。モモ達の行動が、甘かっただなんて」

 

『強襲に際して相手の行動が迅速であった、と見るべきだろう。沿岸のナナツー部隊は完全に無力化した。その行動だけで世界の評価を待つしかない』

 

 悔恨に桃は歯噛みする。

 

「逃げるというのも選択肢、というわけね。グランマ、相手の行動の隙は」

 

『R兵装を放射して、一時的に二号機を逃がす。二号機はあの二機に苦戦しているようだから、一度でも離脱させればアンシーリーコートの眩惑でこちらにも大きな益が生じる』

 

 つまり、いずれにせよ自分一人では何も出来ないという事実。桃は全天候周モニターを叩いた。

 

「なんて、屈辱……」

 

『それでも、仕方のない戦局は存在するよ』

 

 桃は操縦桿を握り締め、ロプロスと接合したパイルダーにR兵装の発射を促した。狙ったのは《シルヴァリンク》と交戦している二機である。当然のように避けられてしまうが、その好機だけでも鉄菜からしてみれば充分だったのだろう。

 

 離脱した《シルヴァリンク》が中空に位置取る《スロウストウジャ》へとクナイガンで牽制を浴びせる。

 

《スロウストウジャ》のうち一機がプレッシャーソードを振りかぶり、《シルヴァリンク》へと接近した。

 

 しかし接近戦では《シルヴァリンク》のほうが群を抜いている。Rクナイが駆動しプレッシャーソードを防いだかと思うと、Rソードによる剣戟が浴びせかけられた。

 

 《スロウストウジャ》は危険を感じて即座に離脱したが、それでも片腕を犠牲にする。

 

『この、モリビトめが……!』

 

 忌々しい声を聞きつつ、鉄菜が通信に吹き込んだ。

 

『三号機に告ぐ。今しかない』

 

 鉄菜も理解しているのだろう。桃はロデム、ポセイドンと接合し、《ノエルカルテット》が保有する実体弾を放射した。弾幕を張り、相手の目を晦ませてから、《シルヴァリンク》と共に戦線を離脱する。

 

 相手も深追いはしない主義のようだ。ぐんぐんと離れていく戦域に桃は目を伏せる。

 

「負けた……モモ達が……」

 

 一度の敗北でも決定的なのは前回までと違い、相手に損耗がない事だ。モリビトの完全敗北。それは恐らく大きな影響を及ぼすだろう。

 

 コンソールに拳を叩きつける。これしかなかったのか、と問われても今は判断を下せない。自分達はどれほどまでに世界を変えるとのたまったところで、戦力差の前には無意味だというのか。

 

『桃・リップバーン。三号機が損傷していないのならば、作戦行動を継続出来る』

 

「作戦行動? もう、C連合に仕掛けるなんて」

 

『違う。C連合の実力は分かった。今の私達では同等の戦いさえも望めない事が』

 

 耳に痛い話である。だが鉄菜の語調には諦めが浮かんでいるわけではない。

 

「どうするって……」

 

『ゾル国へと仕掛ける布石が出来た』

 

 思わぬ言葉に桃はうろたえる。

 

「ゾル国に仕掛けるって……だってモモ達は負けたんだよ? それなのに、ゾル国に仕掛けたって」

 

『仕掛けるのはC連合だ。私達が先導するわけではない』

 

 鉄菜の言っている事の意味が分からず桃は戸惑いを浮かべる。

 

「……クロ、分かりやすく言って。今のモモじゃ、それもよく」

 

『モリビトの実力が分かったのだと、C連合は高を括っているはずだ。この場合、絶対に逃げないモリビトと、今驚異的な戦力を潰せるとすればどこか』

 

 その言葉の帰結する先に桃はハッとする。

 

「《モリビトタナトス》……逃げも隠れもしないモリビトに仕掛けるのに、今の戦いは試金石だった……?」

 

『そう見るのが妥当だろう。どうして《スロウストウジャ》を全投入してこなかったのか。それは二機のトウジャとナナツーの新型でどれほど渡り合えるかを試すため。そう考えると腑に落ちる』

 

「でも待って……。《モリビトタナトス》はモモ達のモリビトとは違う。単純に試す要因にはならないんじゃ?」

 

『だからこそ、つけ入る隙はあると言っているんだ。世界からしてみれば《モリビトタナトス》と私達のモリビトは同じ。ブルブラッドキャリアがゾル国に下ったのだと思っているのだからな。ゆえに、C連合前線基地への襲撃はそのまま、ゾル国によるモリビトを使用した、強襲攻撃という結果になる』

 

「結果論ではあるけれど、ゾル国とC連合の戦端が開けた形になったわけか……。それもトウジャとモリビトとの戦闘で」

 

『だから、私達が撤退したのは正解だったんだ。《モリビトタナトス》と《スロウストウジャ》が場合によっては相討ちになる可能性もある』

 

 自分よりもよっぽど鉄菜のほうが冷静であった。戦いにおいて、やはりまだまだ自分は未熟者である。

 

「そこまで頭が回らなかった……クロは最初から?」

 

『いや、私も結果論を言っているだけだ。彩芽・サギサカのように全てが読めているわけではない』

 

 彩芽一人を欠いているだけでここまでモリビトの運用に支障を来たすとは。しかし、結果的ではあるが、《モリビトタナトス》を炙り出す方法は見えた。

 

「あとは、《モリビトタナトス》と《スロウストウジャ》の戦闘に割って入るか、あるいは戦いが終わってから介入するかだけれど……」

 

『しかし、あまり静観している場合でもない。事実として仕掛けた、というわけではないにせよ、C連合とゾル国の緊張状態を加速させた事にはなる』

 

 惑星内での紛争を起こさせる。それは報復作戦の本意ではない。だが、現状、モリビトでは《スロウストウジャ》二機編成でも勝利出来ないという事実は揺るぎないのだ。

 

「ゾル国とC連合の流れの赴くままに任せる……それもあるかもしれないけれど、でもそんなの」

 

『ああ、そんなものはブルブラッドキャリアの真意ではないだろう』

 

 鉄菜の言葉尻には力強いものを感じる。何か、今の戦いで得るものがあったのだろうか。

 

「クロ……? 何かあったの?」

 

『いや……私の本当にするべき事が何なのかを、今一度問い質さなければならないと感じただけだ』

 

 新型ナナツー相手に苦戦していたのでは、組織内での評価も危ぶまれるだろう。それでも鉄菜には自分を曲げてでも生き抜こうとする賢しさはない。

 

 むしろ、その逆だ。

 

 鉄菜にとっては、大きな信念さえ曲げなければ己とモリビトであるという確信がある。

 

 自分と違うのはその点だろう。

 

 鉄菜は強い。操縦面での脆さや人間としての成熟さはないものの、揺るぎないものを一つ持っているのだけは分かる。

 

「戦い続ける事であったとしても、クロは……」

 

『迷う事はない。《モリビトタナトス》を迎撃するぞ、桃・リップバーン』

 

 今はその言葉の力強さに救われるものもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通信回線の向こう側でタカフミが息を切らしている。《ナナツー是式》でのモリビト戦はそういえば初めてであったか、とリックベイは思い直した。

 

『少佐……奴、速くって……』

 

「それでもよくついてきたものだ。《スロウストウジャ》の性能に胡坐を掻いているわけではない、という事だな」

 

 それは分かっていたつもりだが、タカフミには自信過剰な部分がある。ここで諌めておかなければ《スロウストウジャ》の性能だけで勝っていると思われかねない。

 

『青いモリビト……あの状態のあいつ、反則ですよ』

 

 四基の自律稼動型のプレート状の短剣を有し、なおかつ熱光学センサーを晦ませる外套の装備。あの状態で地上戦に持ち込んだのはこちらも初だが、思いのほか《ナナツーゼクウ》はよく馴染んでくれている。

 

 少しだけ《スロウストウジャ》に浮気したとは言ってもやはり自分によく馴染むのはナナツータイプなのだと思い直した。

 

「しかしあれと赤と白のデカブツのモリビトが同時展開していただけ、か。灰色と緑のモリビトはどこへ行った?」

 

『そんなもん、探している余裕もなかったでしたって。何よりもあの武器腕のモリビトなんて来たら対処出来ませんよ』

 

「そうだな。不幸中の幸い、というべきか」

 

 沿岸部を拡大させると火の手が上がっており、ナナツー弐式のスクラップが出来上がっていた。青いモリビトの仕業だろう。リックベイは拳を強く握り締める。

 

『野郎……! もう少しおれ達が早ければこんな勝手……!』

 

「そうだな。だがアイザワ少尉、あれを見るといい」

 

 降り立った《スロウストウジャ》とこちらの部隊に、沿岸警護の部隊の生き残り兵達がかちどきを上げていた。うなりのような声音にタカフミがうろたえる。

 

『あれ、何で? おれら負けたんですよ?』

 

「否、勝ったんだ。今回は正真正銘、な。覚えておけ、アイザワ少尉。これが勝者にのみ許された特権、勝利の美酒というものだ」

 

『勝利の美酒……』

 

 青い汚染大気の下で兵士達が叫ぶ。その咆哮は明日へと繋がる希望に思えた。

 

「帰るぞ、アイザワ少尉」

 

『待ってくださいよ、少佐。おれ、酔っちゃって……』

 

 その素直な返答にリックベイはフッと口元を綻ばせる。

 

「これも覚えておけ、少尉。いつも勝てるとは限らない。快勝の瞬間を常に己の中に持っておく事だ。そうする事で初めて、戦士足りえる」

 

『戦士……おれも、戦士、ですか』

 

「そうだ。信念を貫き戦うものは皆、戦士の資質を持つ」

 

 リックベイの《ナナツーゼクウ》が身を翻し、スラスターを焚く。この戦場を救った戦士達は、兵士達に見送られながら帰投した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯137 不死鳥戦線

「今、こちらに報告が上がった。モリビト二機はC連合の《スロウストウジャ》の前に迎撃されたと」

 

 渡良瀬の声にレミィが質問を振り向ける。

 

「撃墜、だというのか?」

 

「そこまで正確な情報ではないが、C連合側に一つ、白星がついた事、それは大きな意味を持つのではないか?」

 

「確かに、C連合がこれ以上国力を増強するのならば、ゾル国に拠点を置く我々が動きにくくなる事は必定」

 

 舷窓からレミィは眼下に広がる景色を窺う。ゾル国の全翼型ステルス機は三機編隊を組み、現在、ブルーガーデン跡地に入っていた。

 

『高濃度ブルブラッド汚染を確認。搭乗者は念のため、マスクの着用をお願いします』

 

 アナウンスが流れる中、レミィは隣接する席につく渡良瀬へと問いかける。

 

「元老院の老人達は焦っている。世界が変わっていくのを。わたしとしては、生身の身体を得て感じたのは、その焦燥すらも世界の流転の一つだという事。貴様はどうだ、渡良瀬。ブルブラッドキャリアを裏切り、こちらについているのだからな」

 

「裏切ったつもりはない。今でもこの脳内に情報は同期される。ブルブラッドキャリアの秘匿情報のレベル5までの閲覧権限はある」

 

「ではレベル5までの権限で世界を止められるか?」

 

 その問いに渡良瀬は頭を振った。

 

「ナンセンスだな。もう、転がり出した石だ」

 

「淡白な事だ。自分達が世界を変えると息巻いていた連中だとばかり思っていた」

 

「そちらこそ、元老院の再生人間にしては随分と非合理的な判断で動く。……最終的に何が得たい」

 

 レミィは口元を綻ばせ、肩をすくめる。

 

「それほどに野心家に見えるか?」

 

「少なくとも、ここで禁断の人機を引き上げようと言うんだ。野心がないわけではあるまい」

 

 地上すれすれを滑空する《バーゴイル》部隊が高密度汚染地域へと入ったという連絡が端末にもたらされる。

 

 次の瞬間、《バーゴイル》部隊の通信回線が開けた。

 

『何だ、ここ……。重力反転! ここは、一体どうなって……』

 

 息を詰まらせる《バーゴイル》の操主達の困惑を尻目にレミィは冷静に解釈する。

 

「相当巨大な血塊炉を積んでいたと見える。高濃度ブルブラッドとそれに伴う重力磁場の消失。汚染は確実に星の寿命をついばみ、人の棲めない場所をまた一つ作り上げた」

 

「《キリビトプロト》、か。元老院は、エデンの処遇を?」

 

「保留、という事で決着はついたようだが、凍結と何ら変わりはない。エデンの情報処理速度を使ってキリビトを再開発する見通しかもしれないな」

 

「それは、元老院ネットワークから外れたそちらでは分からないか」

 

「案外、脳内を覗かれないというのは気分がいい。百年以上同じ状態であったのだからな」

 

 こめかみを突いたレミィに渡良瀬は皮肉の笑みを浮かべる。

 

「女であるのも、か?」

 

「性別に頓着するつもりはないが、人機を操るのならば女のほうが都合のいい。わざわざ適性の高い再生人間を選んでいるのもデータに基づく結果だ」

 

「全ては血続、という事実上の神話に基づく仮説、……いや、オカルトか」

 

「血続至上主義を掲げる輩などこの惑星には存在しない。だからこそ、我々だけが血続の真の強さを知って優位に立てる。……ブルブラッドキャリアは知っている可能性があるが」

 

「簡単に喋ると思うか?」

 

「……だろうな」

 

 高濃度汚染地帯では汚染の青い稲光が発し、全翼機を揺さぶらせる。

 

「ゾル国の最新鋭ステルスであっても、高濃度ブルブラッド汚染と重力反転地帯への潜入には時間がかかるようだな」

 

「加えてキリビトという未知の人機のサルベージ作業も伴っている。あまり時間はかけられない。作戦のリミットはたったの十分足らずだ」

 

 なにせ、この場所はC連合前線基地と隣接している。ゾル国が《モリビトタナトス》を盾に汚染地帯へと踏み込む事自体がそもそも高度な政治的干渉を必要とする。

 

 いわば招かれざる客。《バーゴイル》部隊の手際を端末で観察するレミィは、《キリビトプロト》の想定外の大きさに感嘆の息をついた。

 

 寸胴の機体が大地に突っ伏している。三角錐型の推進器勘を有しており、その全長だけでも通常人機の六倍はある。漏れ出ているのは炉心から融解した血塊だろう。青い霧が埋め尽くす中で《バーゴイル》を操る兵士達が死に物狂いで解体を進めている。

 

《バーゴイル》部隊に与えられた装備では二次的な汚染は免れないだろう。上役はあえてそこには触れず、汚染地帯の調査という名目のみを与えた。

 

 ある意味では解体作業に当たっている者達は捨て駒だ。

 

《キリビトプロト》の腕が付け根から切り外されていく。エデンより予め《キリビトプロト》の設計図を得ていたのが幸いしてか、その行動によどみはない。

 

「しかし、キリビト、か。何に使うつもりか、などという野暮な事は聞かないが、あんなものを二機も三機も量産出来るのか?」

 

「タチバナ博士の助手であった割にはリアリストだな。天才の力を信じてみたらどうだ?」

 

「過信したところで、あの人も所詮は人の子、今はただの老躯だ。確かに生み出される莫大な資本はあるだろう。タチバナ博士の、たった一人の号令で《キリビトプロト》は丸裸同然にまで解析される。それほどの権限を持つ老人ではあるが、いささか保守的が過ぎてね」

 

「変わろうとしない人間の一人、か」

 

《キリビトプロト》の両腕が取り外され、次は胴体部の分解に取り掛かっていた。既に五分が経過している。

 

《バーゴイル》の操主達は汚染により、二度とまともな人生は送れないだろう。

 

「C連合が仕掛けてこないとも限らない場所だ。可及的速やかに行いたいものではあるが……それでも犠牲になるのは《バーゴイル》に乗った者達だけか」

 

 不幸だな、とレミィは独りごちる。渡良瀬はその冗談に、今さら何を、と笑ってみせた。

 

「元老院は人間を都合のいいパーツとしてしか見ていない。オラクル市民を抱き込んで、再生人間を量産、《キリビトプロト》の体のいい整備士に仕立て上げるなど、惨たらしくてわたしには思いつきもしない」

 

《キリビトプロト》は常に汚染物質を撒き散らしている可能性がある。そのため、ゾル国の整備士ではその改修が滞りなく行われない可能性も加味していた。

 

 そのためのオラクル市民。そのための再生人間のストックだ。元老院は百万人以上のオラクル市民をまるで使い捨ての駒のように扱い、《キリビトプロト》を完全なものとする事だろう。

 

「全てはブルブラッドキャリアが突きつけた原罪だ。今さら赤の他人の顔をする事など許されない」

 

「わたしは協力者という身分に過ぎない。モリビトの執行者とはわけが違う。ただ、変わる世界を観察する権限を持たされた、不幸なる人間型端末の一つだよ」

 

 渡良瀬もまた、自分のようにエゴの塊なのかもしれない。元老院ネットワークから切り離された今の身のほうが気は楽などと考えている己に、レミィはどこか不可思議な感触を覚えていた。

 

 少し前までは同期ネットワークに晒されているのが当然であったのに、生身の肉体は恐ろしい、と口角を吊り上げる。どこまでも欲望に忠実なまま、生きていける事が出来るのだから。

 

「元老院ネットワークでも《キリビトプロト》に関する情報の秘匿権限は高い。ある種のタブーだ。それを口にする事さえも憚られる。だが、キリビトを味方につけられれば、これ以上ないほどに心強いだろう」

 

「敵の敵は味方、か。それで? キリビトのような化け物を操ってどうしたい? まさかブルブラッドキャリア殲滅で終わりのはずがないだろう?」

 

 やはり食えない男だ、とレミィは再確認する。それも当然か。タチバナの下で何年も潜伏してきたのだ。それなりに頭が冴えなくては困る。

 

「表向きはブルブラッドキャリア殲滅に充てる。だが、それだけに留まらないのは確実。どれほどまでに危険視していても、人はその力の求心力から逃れられない。キリビトは量産されるだろう。予言してもいい」

 

 百五十年前に人々を絶望に陥れた代物が再び芽吹き、今度は人間に福音を与えるのか、あるいは滅びを促すのか。そこまでは不明であったが、キリビトは革新的であるのだけは確かだ。

 

 これまでの人機製造技術を塗り替える発明だろう。

 

「……惜しむらくはタチバナ博士が非協力的である事か。あの人もプライドなんて捨てればいいものを」

 

「人間である限り、捨てられないものもあるのだろう。我々のように、ヒトを超越しなければ見られない景色はある」

 

 胴体部を切り離し、内蔵血塊炉を取り出していく。目を見開いたのはその血塊炉の巨大さだ。覚えず身を乗り出して端末を覗き込む。

 

「……血塊炉だけで、《バーゴイル》と同じ大きさか」

 

「しかもこれは、一基ではないな。二基以上の血塊炉を組み合わせている。なるほど、出力もそれ相応なわけだ。《キリビトプロト》、試作品にしてはこの出来、やはり人類の原罪そのものか」

 

 たとえその存在が罪そのものであっても、ブルブラッドキャリア排斥とその先に待つ栄光のためには必要な代物だ。レミィは調査隊から送られてくるデータを参照する。

 

「これは……驚くべき数値だな。《キリビトプロト》、あれだけでここ近辺の重力磁場異常を引き起こしている」

 

「あの血塊炉にプラントが反応したわけではないのか」

 

「血塊炉のプラントはこの先だ。汚染状態は現状よりもなお色濃いが、それでも驚愕したよ。プラント設備と血塊炉が呼応した形だと思っていたからな」

 

《バーゴイル》が《キリビトプロト》の足先を切り離していく。血塊炉さえ奪えれば、と感じていたレミィはその視界の中にR兵装の光が焼きついたのを確認した。

 

「何だ……」

 

《バーゴイル》へと放たれた一条の光線に調査隊が次々と飛翔機動に移る。

 

『何だあれは……迎撃! 敵は人機を所有している!』

 

 青く煙った視界の中、R兵装を放射する敵に《バーゴイル》部隊が当惑している。レミィは調査隊の一人の《バーゴイル》の視界と端末を同期させ、それを視認する。

 

「これは、C連合の人機ではない」

 

 相手も飛翔する羽根を有しており、軽量化された敵人機は蝿のような形状であった。

 

 腹腔からR兵装を発射し、調査隊を圧倒するその性能にレミィは顎に手を添える。

 

「《キリビトプロト》の護衛機か。この汚染の中であるとするならば、無人の機体……」

 

「こちらでも確認した。《キリビトプロト》を援護するためだけに製造された機体のようだ。製造された年月日、名称は不明だが、あの蝿型人機はこちらの《バーゴイル》を圧倒するぞ」

 

 その証明のように蝿型人機は飛び上がった。総数にして五機前後であったが、恐ろしいのはその物量よりも性能面である。

 

 操主を有していない人機は有人よりも遥かに自由な機動を得る。アサルトライフルの火線が瞬く中で蝿型人機は《バーゴイル》の懐へと飛び込み、口腔部から針を射出した。

 

 正確無比に頭部コックピットを貫かれた《バーゴイル》が沈黙する。

 

『撃て! 敵はたったの五機だ!』

 

 命じる声にアサルトライフルが火を噴くが、それでも蝿型人機の機動力を抑える事さえも出来ない。高空へと躍り上がった蝿型人機に恐れを成したのか、ステルスの武器格納庫から機銃が掃射された。

 

 蝿型人機がこちらへと気づく。

 

「余計な事を……」

 

 真っ直ぐに向かってくる蝿型人機に全翼型のステルスからミサイルが投下される。膨れ上がった灼熱に焼かれ、蝿型人機が散弾を前に飛翔高度を弱める。

 

『今ならば!』

 

《バーゴイル》部隊がアサルトライフルの照準を一機に見定め、集中砲火を浴びせた。羽根をもがれた蝿型人機が撃墜されていく。

 

 しかし、それでようやく一機。まだ四機が残っている敵の残存兵力に《バーゴイル》部隊がうろたえつつも対応する。

 

『迎撃しつつ散開! R兵装にやられるぞ!』

 

 腹腔から放たれたプレッシャー砲に《バーゴイル》が飛び退る。プラズマソードを発振させた一機の《バーゴイル》が太刀筋を見舞った。

 

 蝿型人機が頭部を両断され、甲高い鳴き声を上げて呻く。そのままゼロ距離でアサルトライフルを掃射される。

 

 二機目が沈黙するも、蝿型人機の挙動に《バーゴイル》の乗り手達は明らかに狼狽していた。無理もない。重力下でこちらを上回る機動力など、モリビト以外に知らない者達だ。彼らからしてみればモリビト以上の脅威。

 

《バーゴイル》は出来るだけ上を取ろうとするが、それさえも児戯に等しいとでも嘲笑うかのように蝿型人機は口腔部から針を連続射出する。《バーゴイル》の体躯に突き刺さり、次の瞬間、針が内側から膨れ上がって炸裂した。

 

 血塊炉から青い血潮を迸らせつつ、《バーゴイル》が高度を失って撃墜されていく。

 

 針に爆発性能があるのだ。そうと知った《バーゴイル》調査部隊は出来るだけ距離を取りつつ、対応策に回ろうとしたが、その中で一機だけ、抜きん出て前に出る機体があった。

 

 先ほどゼロ距離で蝿型人機を迎撃したのと同じ機体だ。

 

 肩口に赤い不死鳥のマーキングが施された《バーゴイル》は針の射出を恐れずに肉迫し、何と蝿型人機へと蹴りを見舞った。

 

 よろめいた蝿型人機の頭部を引っ掴み、そのままアサルトライフルの銃口を顎に押し当てさせる。

 

 またしてもゼロ距離射撃。

 

 咲いた火線は瞬きとなって蝿型を黙らせる。残存機からのプレッシャー砲をその機体は遊泳するかのように軽やかに回避した。

 

 プレッシャー砲に巻き込まれた蝿型が誘爆し、光の輪を広げる中、不死鳥の意匠が施された《バーゴイル》の乗り手は蝿型人機へと果敢にも接近する。

 

 だが無謀だ、とレミィは判断していた。

 

 どれほど勇気があっても、性能差だけは埋まる事はない。蝿型人機が反応し、針を射出しようとする。

 

 果たして発射された針は《バーゴイル》の膝頭を射抜いた。爆発する、と予感したその直後、何と不死鳥の《バーゴイル》は針を引き抜き、そのまま相手へと投げ返したのである。

 

 灼熱が膨れて蝿型人機の頭部へと針が突き刺さった。

 

 残り一機のみが黒煙を引き裂いて《バーゴイル》へと猪突する。アサルトライフルを構えた《バーゴイル》は速射モードに設定し、蝿型を近づかせない戦法を取ろうとしたが、プレッシャー砲はその機体を確実に狙い澄ます。

 

 どうする気だ、と固唾を呑んで見守っていたレミィは、《バーゴイル》が汚染された《キリビトプロト》のパーツを手に、それを盾代わりに使ったのを目にしていた。

 

 プレッシャー砲の一撃が逸れ、その刹那にはプラズマソードが発振されている。アサルトライフルを下段から突き上げて蝿型人機へと一射し、その頭部を刃が落とした。

 

 汚染区域でこれほどまでに軽やかに戦ってみせた一人の操主にレミィも、渡良瀬も唖然としている。

 

「何なんだ、あの操主……」

 

「調査部隊に配属された人間、のはずだな……? あれほどまでの実力……」

 

 見た事がない、と言外に付け加えた渡良瀬は剣を払い、こちらを仰ぎ見ている《バーゴイル》の視線から覚えず目を逸らしたようであった。

 

 レミィは高鳴る鼓動を感じる。

 

 どうやらまだ、人間も捨てたものではないらしい。

 

「本国に帰った後のいい土産話になりそうだ。不死鳥の《バーゴイル》の操主……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯138 死神の狂気

『シーザー議員は強硬姿勢だな。モリビトによるC連合への強襲を我が物顔で自分の手柄のように飾り立てるつもりだ。より強く、《モリビトタナトス》が重要なファクターとなってきたわけだが……聞いているのか?』

 

 水無瀬の声音にガエルは片手を上げた。

 

「聞いてんよ。……狸親父め。どこまでも利用出来るものは利用するって寸法かい」

 

 節操のない事だ、とガエルは呆れ返る。水無瀬はそのまま報告を続けた。

 

『また、ゾル国の一部派閥がC連合の……的確に言うのならばブルーガーデン領地へと潜入作戦を取った。どうにもあの場所、ただの汚染地帯ではないらしい。何かがある』

 

「知ったこっちゃねぇよ。オレは《モリビトタナトス》を動かす。それでいいんだろ?」

 

『簡潔に言えば、ね。だが、そうも容易く行くかどうかは不明だ。これを』

 

 コックピットの中に表示されたポップアップにガエルは訝しげな目を向ける。

 

「これは……この基地の位置情報か」

 

『わざとオープンチャンネルになっている。これをブルブラッドキャリアに掴ませる算段だろう』

 

「なるほどな。それで労せずしてモリビト対モリビトの図式を作り上げるわけか。相手が攻めてきたとして、どういう言い訳を考えているのかは分からねぇけれどよ」

 

『きっと、ブルブラッドキャリアの離反者、というラベルを想定しているのだろう』

 

 ブルブラッドキャリアはゾル国を前に下ったという事実を覆さないのならば、敵対するモリビトはブルブラッドキャリアを裏切り、ゾル国に下らなかった兵士。C連合とうまく行けば密約を交わし、反逆者の処刑に回る事が出来る。

 

「なんて事はねぇ、モリビトもブルブラッドなんちゃらも、政治の前には形無しだ」

 

『その政の中心軸にいる気分はどうだね?』

 

 リニアシートを倒していたガエルは上体を起こし、通信回線の向こうの水無瀬と顔を合わせる。

 

「悪くはねぇ。ただ、シーザー議員は息子の事はどうだっていいのかねぇ、とは思うな」

 

『カイル・シーザーに関して、レギオンの追求は?』

 

「それがぱったりと。今まで粘着だったのが不思議なくらい、ねぇんだわ」

 

 手を開いたり閉じたりするガエルに水無瀬は考えを浮かべる。

 

『……ただの踏み台にしてはカイル・シーザーは大物過ぎる。何か裏があると見るべきか』

 

「ま、いずれ踏み台にするのは分かっていた事だけれどよ。ハイアルファーは恐ろしいねぇ。あいつから何もかもを奪い去ってしまうなんざ」

 

 醜く爛れたカイルの相貌を思い返す。あれは二目と見られるものではなかった。彼のみが宇宙に取り残され、自分は地上で《モリビトタナトス》を操っている。これが何者かの考えたシナリオの上に成り立っているのは明らかだ。

 

『まったく、酷い話だ。英雄の転落劇をこうも何度も見せ付けられるなど』

 

「桐哉、とかだったか。モリビトの異名の。あれはどうなったんだ?」

 

『行方不明扱いだ。もっとも、ゾル国としてはそのほうが手っ取り早く、なおかつ都合がいいのだろう』

 

 いずれにせよ、対モリビト戦はそう遠くはないだろう。否、ともすれば今、まさにかもしれないのだ。

 

「二つの大国が睨みを利かせる中で、ただただ状況に流されるだけってのも情けねぇよなぁ。レギオンの連中も相当に狸だが、カイルの父親もそれ以上だ。あいつは見離されていたのさ。何もかもからな。そのためだけに生きていたようなもんだ」

 

『おや、同情かね?』

 

「違ぇよ。同情なんてしていたらこの戦場じゃ真っ先にお陀仏だ。同情はしねぇよ、あんなもん。ただ運がなかっただけだ」

 

『君から言わせれば不運だったの一言か。どこまでも残酷だな。戦場というものは』

 

「矢面に立たない役割でホッとしてんだろ? これ以上、身体に風穴開ける事もねぇ」

 

『まだ疼くよ、カイル青年の撃った脚はね』

 

 しかし、とガエルは考えを巡らせる。ここまでお膳立てしておいて、レギオンが事ここに至って淡白なのはどこか不自然だ。レギオンのやり方が従来通りならば、これから先もコントロールしていないとおかしい。ここで手綱を切る理由が見当たらない。

 

 あるいは、手綱を切っていると見せかけて、ずっと握られているのだろうか。自分は自由になったのだと錯覚している憐れな存在なのかもしれない。

 

 誰が憐憫するでもないが、戦場に放り込まれた以上、自分だけをかわいそうがるのは馬鹿馬鹿しい。

 

 カイルも、自分も、モリビトも、等しく煉獄の炎に焼かれてのた打ち回る罪人なのだ。

 

 自分だけが特別などと考えているのだとすれば、それは相当におめでたい。敵も味方も、参謀も一兵卒も全てにおいて、戦場で賭けるレートは同じ。それを理解せずして戦いを語る事の、どれほどまでに無知蒙昧な事か。

 

 一度放られたこの鉄火場で何が優先されるのかと言えば、それは生き抜くための方策。相手を殺すか殺されるかに食らいつく獣の意地。

 

 意地汚くない人間などこの世の一人としていないのだ。殺し合いにおいて騎士道も何もかもは机上の空論、夢見がちな空想。

 

 殺戮するのに、鉛弾が必要だと心得ておけばいい。それが出来ない人間は死んでいく。

 

 単純な話であった。自分は理解出来ているからこそ戦争をビジネスとして渡り歩く事が出来る。戦争を悲劇だ、悲惨だと飾り立てるのは勝手だが、飾ったとしても、人間は美学を求めて争うわけではない。

 

 いつだって、争いの種はほんの些細な事なのだ。それを大げさにしたいだけの事。

 

『そういえば、そちらの基地に軍部の急進派の視察が入るとの情報がある』

 

「いつの話だ、そりゃ」

 

『今、まさに、実行中のようだな。見ておきたいんだろうさ。《モリビトタナトス》を』

 

「馬鹿言うんじゃねぇ。オレとこの機体は地下格納庫にあるんだぜ? 見るなんてそんな事」

 

 全天候周モニターに視線を投じてもお歴々の姿は見えない。どうやって視察するというのか。そう考えていた矢先、警報が静寂を劈いた。

 

 赤色光に塗り固められた基地の中でガエルは通信を吹き込む。

 

「おい、どうした? またトウジャか?」

 

『いえ、この機体照合結果は……。来ます! モリビトです!』

 

 悲鳴のような声にガエルは目を見開く。ここで、おあつらえ向きにモリビトが現れる。その事実そのものが性質の悪い冗談に思えた。

 

「C連合のトウジャ部隊ならまだ理解出来るんだが……モリビトだと? それはマジなのか?」

 

『《バーゴイル》第一小隊が交戦中! 援軍を求む、との事です!』

 

 通信を切り、ガエルは思案する。

 

「おいおい、どういうこった。軍のお偉いさんが視察している最中、《モリビトタナトス》とブルブラッドなんちゃらのモリビトが戦うだと? これじゃまるで……」

 

 そこから先を濁す。まるで、仕組まれているようだ、と言いかけて、あまりの数奇な運命に困惑する。

 

『あるいはそれも加味して、か。ガエル・ローレンツ。死ぬなよ』

 

「死ぬかよ、マヌケ。ここで死んだらそれこそ名折れだ。なに、《モリビトタナトス》のRブリューナクの力、如何なく発揮させてもらえるんだって思えばよ!」

 

『《モリビトタナトス》発進準備に入ります。カタパルトデッキへと移送』

 

 地下格納庫から《モリビトタナトス》の機体が移動し、地上へと続くルートが開く。隔壁が次々と展開する中、《モリビトタナトス》の整備をガエルは一つずつ、指差し確認していく。

 

「Rブリューナク対応OS、正常稼動。全天候型のシステムにひずみなし。こちらの反応速度に《モリビトタナトス》への順応速度、コンマ三秒以内に補正。いつでも出られる」

 

『了解。《モリビトタナトス》、発進準備完了。シグナル、オールグリーン』

 

 ガエルは腹腔に力を溜めて叫ぶ。

 

「ガエル・シーザー、《モリビトタナトス》。行くぜ!」

 

 全身に重力が圧し掛かり、カタパルトデッキを機体が駆け上っていく。地上へと続く扉が開いた途端、火線の瞬く戦場が視界に入った。

 

《バーゴイル》の部隊がモリビトを退けようと対空砲火を咲かせている。それに対してモリビト二機はそれぞれの役割を理解して対応していた。

 

 青いモリビトが四基の短剣で絶対防衛網を敷きつつ、射程にかかった《バーゴイル》を一機、また一機と破壊していく。その迷いのない行動、さらに言えば青いモリビトの操主には因縁がある。

 

「またヤられに来たわけか! モリビトのガキぃ!」

 

 鎌を保持した《モリビトタナトス》が一気に躍り出て青いモリビトの射程に入った。敵は全方位の短剣で応戦してくるも、その太刀筋は拙い。

 

「遅ぇ、遅ぇんだよ! モリビトォ!」

 

 鎌でいなしたガエルがそのまま攻撃を打ち降ろす。Rソードと干渉し火花が弾け飛んだ。

 

『お前は……まさか、どうして』

 

「どうしてだぁ? そいつはおかしな事を聞く。言ったはずだぜ? 《バーゴイルシザー》は破棄だとな。もっと強ぇ機体となれば、それこそモリビトだろうが!」

 

『……お前のような人間がモリビトに乗るなど、許されるものか!』

 

 返す刀を弾き返し、《モリビトタナトス》は両肩に保有するRブリューナクを照準する。

 

「てめぇに許されたくって戦争してんじゃねぇよ、マヌケが! 行けよ、Rブリューナク!」

 

 羽根の形状を持った槍がそれぞれの幾何学軌道を描き、青いモリビトへと肉迫する。青いモリビトが四基の刃で落とそうとするが、その速度よりもRブリューナクの攻撃が速い。

 

 白い光条を煌かせ、Rブリューナクの槍の穂がモリビトの射程に入った。そのまま胴体へと突き刺さるかに思われたRブリューナクをモリビトの操主はRソードの刃でギリギリ受け止める。

 

 舌打ちと共に、こうでなくては、と精神が昂揚する。

 

 この程度で撃墜されるのならば世界の敵を名乗ってもらうのには足りない。

 

「まだまだ行くぜ! そぅら! 真後ろだ!」

 

 Rブリューナクの軌道に気を取られて本体である《モリビトタナトス》への注意が霧散している。鎌が青いモリビトを引き裂こうとしたが、その時、熱源反応が耳朶を打った。

 

 習い性の身体が機体を退けさせる。

 

 先ほどまでいた空間をR兵装の光条が撃ち抜いていた。砲塔から蒸気を棚引かせ、もう一機のモリビトがこちらへと狙いを澄ます。

 

「なんだァ? てめぇもヤられてぇのか!」

 

 跳ね上がった《モリビトタナトス》を追って大型人機のモリビトがミサイルを放射する。途中で分散弾頭と化した攻撃は多面的に《モリビトタナトス》を排除しようとしていた。

 

「だが、そんな小手先。穿て! Rブリューナク!」

 

 機体側面へと回り込んできたRブリューナクから白い光軸が発射されミサイルを叩き落していく。宙に舞い上がる火の粉と破壊の爪痕に大型のモリビトが追い討ちの砲門を貫こうとしてくるが、その時には既に片方のRブリューナクが上空へと舞い上がり、照準に入れていた。

 

「墜ちろよ、デカブツが!」

 

 Rブリューナク発射に大型のモリビトが勘付くも既に遅い。確実に頭部コックピットを消し炭にしたかと思われた一撃は思わぬものに遮られた。

 

 青いモリビトが前に出て盾を展開したのである。しかし、リバウンドの盾は実体弾のみを跳ね返す仕様のようだ。Rブリューナクの光線を完全には無力化出来ず、結果として攻撃の威力を弱めた形となった。

 

 それでも充分なのだろう。左手の盾を払った青いモリビトにガエルは口角を吊り上げる。

 

「……んだよ、率先してヤって欲しいのなら、喜んで相手してやるぜ。楽しもうじゃねぇか! モリビト!」

 

 Rブリューナクが青いモリビトともつれ合うように突撃する。盾で受け止めたモリビトはRソードで槍を剥がすも、その時には直下に回り込んでいた《モリビトタナトス》の餌食だ。

 

「考えが足りねぇな! Rブリューナクだけを相手にしてりゃいいってもんじゃねぇんだぜ!」

 

 放った鎌の一閃に青いモリビトは背後へと向けて一斉に四基の刃を繰り出した。短剣一つ一つの攻撃力は弱いが、こちらの勢いを削ぐのには充分である。

 

 振り返った青いモリビトがRソードを振り上げた。その剣筋と鎌がぶつかり合う。

 

『……聞くが、どうしてこんな真似をする? お前は、何になりたいんだ?』

 

「何に、か。面白いから言ってやる。オレは正義の味方になるんだよ。そのために、てめぇらは全て犠牲になるのさ。これから先、法になるのはゾル国でも、ましてやC連合でもねぇ! オレという個人だ!」

 

『妄言を……』

 

「どうだかな! 案外、遠くねぇ未来かも知れない、ぜっ!」

 

 弾かれ合い二機が離れる。青いモリビトの操主としての格は知れている。《バーゴイルシザー》で引き分けたのだ。《モリビトタナトス》で負けるはずがない。

 

 そう感じていた矢先であった。

 

『……正義の味方。国家でもなく、特権層でもなく、ただの一兵士が、支配者を気取るって言うの……』

 

 震えた少女の声音が発せられたのは大型のモリビトからであった。ガエルは哄笑を浴びせる。

 

「こいつぁ、驚きだ! モリビトってのは女しか乗れねぇのか? それも、まだマセガキの域だな。こんな小娘連中が世界を変えるって? そいつはお笑い種だ!」

 

 途端、発せられたプレッシャーに肌が粟立った。ガエルは瞬間的にRブリューナクを引っ込め、機体を大きく後退させる。

 

 大型のモリビトの眼窩が赤く煌き、こちらを睥睨していた。

 

 ――これは敵意だ。

 

 しかも、明確に感じられるほどに強い代物。大型のモリビトは二門の砲塔を突きつけ、声を吹き込んでいた。

 

『……もう一度だけ問う。本当に自分一人が天に立つだなんて思っているの? その意思に迷いも、ましてや間違いだという意識もないの?』

 

 大型のモリビトから発せられる敵意は本物だ。しかしまだ理性の一線が保たれているのが分かった。

 

 この質問の答え如何では、その理性のラインは消え失せるだろうが。

 

 だがガエルは臆する事もない。それどころか高らかに叫ぶ。

 

「ああ、そうだ! オレが正義の味方として立つ! それ以外なんて考えもしねぇ!」

 

 直後、全ての感情を廃したような冷たい声音が背筋に突き刺さる。

 

『――そうか。分かった』

 

 大型のモリビトから大口径のR兵装が発射される。それだけに留まらない。即座に連続放射された小型ミサイル群がこちらを狙いつける。

 

 ガエルはRブリューナクの放射熱線で叩き落としていくが、その火炎の只中から別の熱源が現れた。

 

 灼熱を引き裂き、獣型の人機が牙に電磁を纏いつかせる。

 

 その牙をガエルは鎌で受け止めた。だが敵の動きはもう一つあった。

 

 上空へと瞬時に飛翔した機影が急降下してくる。翼にリバウンドの刃を展開した翼竜に、ガエルは舌打ち混じりにRブリューナクを発する。

 

 槍の穂が翼竜の翼と打ち合い、激しいスパークを弾かせる。

 

 直後、コックピットを激震させたのはミサイルと小銃の嵐だ。銃火器のロックオン警告が幾重にも重なり、《モリビトタナトス》へと銃撃網が浴びせかけられる。

 

 分離した脚部がどこか甲殻類のような形状から全方位へと火線を見舞っていた。

 

「……面白ぇ。全力で潰す気満々ってわけだ! てめぇらは!」

 

『口を閉じていろ。この――』

 

 最後に立ち現れたのは頭部と肩部のみで構築された部位であった。申し訳程度の推進剤で浮いているその機体は隙だらけに映る。だが、ガエルの第六感か、これまで戦場で鍛え上げてきた感覚が最大の危険性を訴えていた。

 

 ガエルはRブリューナク一基を前に突き出す。

 

 直後、Rブリューナクの装甲が次々と剥がされていった。《モリビトタナトス》と同じだけの強度で出来ているはずのRブリューナクが丸裸同然にまで磨り潰されていく。その光景は性質の悪い冗談としか言えなかった。

 

 Rブリューナクは瞬時に分解され、内側から解体されていく。

 

『この人間の、――クズが』

 

 発せられた声音のあまりの冷徹さにガエルは久しぶりに背筋が寒くなったのを感じた。これは戦力差でも、ましてや性能差でもない。

 

 これは自分とは別種のものに感じる本能的な忌避だ。

 

 ほとんど弱点同然の機体が最も危うく、《モリビトタナトス》を脅かしている。

 

 息を詰めたガエルは刹那、肉迫してきた青いモリビトの刃を受け止めた。

 

「おっと、こっちの相手もしなきゃあなぁ。だが、ヤバイのはよく分かったぜ、デカブツのほう。オレもなかなか拝んだ事のねぇ力だ。こういうの何て言うんだっけな」

 

 ガエルは推進剤を全開にして青いモリビトと鍔迫り合いを繰り広げつつ、大型のモリビトの射程から逃れようとする。

 

 それを阻んだのは翼竜であった。

 

『逃がさない』

 

 その意思と力の奔流にガエルは怯えている自分を発見した。久しく感じていなかった命を脅かされる恐怖。それが恍惚とも、昂揚とも取れぬ感覚となってガエルの快感中枢を突き抜ける。

 

 愉悦に口角を吊り上げたガエルは背後へとRブリューナクを放つ。今度は距離を取っての一射であったが、それさえも弱点に映る機体部は跳ね飛ばした。

 

「……くわばわくわばら。まさかR兵装を何の護りもねぇ人機の部品が弾くなんてな。本当に怖いのはてめぇのほうだぜ」

 

『よそ見すると!』

 

 青いモリビトがRソードを振り翳す。ガエルは心得たように鎌で弾き合った。

 

「こういうプレイがお望みなんだろ、色ボケのガキが! オレにして欲しかったらねだってみな!」

 

『お前は、ここで墜とす!』

 

「出来んのかよ? そんなへっぴり腰で! 鳴くのならもっと甲高く、いい声で鳴けよ!」

 

 鎌で下段から弾き上げ、機体をひねり込ませて蹴りを打ち込む。よろめいた青いモリビトへととどめのRブリューナクを一射しようとして、通信が割って入った。

 

『お楽しみのところすまない、ガエル・ローレンツ』

 

 自分を操る将校の声だ。今の今まで戦闘に介入して来た事がないのにどうして、と滑り落ちる思考の中、ガエルはRブリューナクの発射に待ったをかけた。

 

 完全に虚を突かれた青いモリビトがうろたえている。

 

「……何だ?」

 

『まだ理性はあるようだな。こちらの訴えに、咄嗟にトリガーから指を外すのはお手の物か』

 

「てめぇが戦闘に割って入るのなんて珍しいを通り越して不気味だよ、クソッタレが。何だ? こいつらを殺しちゃいけねぇってのか?」

 

『優先対象というものがある。そこから見えるな、ガエル・ローレンツ。前線基地で今も《モリビトタナトス》の力量をはかっている、ゾル国の急進派が』

 

 拡大すると管制塔からこちらをモニターしているゾル国上層部が窺えた。

 

「見えるが……何だ? お偉いさんの前だからもう少しお行儀よく戦えってか?」

 

『違うよ。君に《モリビトタナトス》を与えた意味、それを理解したまえ。何のために、そこまでの力を用意したと思っている?』

 

「まどろっこしいな。こっちは! 戦いの最中なんだよ!」

 

 青いモリビトの剣筋をいなし、降り注ぐミサイルの雨を《モリビトタナトス》はRブリューナクの放射で回避させる。

 

「とっとと話せ」

 

『では手短に。《モリビトタナトス》で軍上層部のタカ派の方々を、抹殺しろ』

 

 その言葉にガエルは耳を疑った。今、この将校は何と言ったのか。

 

「……聞き返しても」

 

『変わらないよ。そこから見える軍の上層部の者達を跡形も残さず消し飛ばせ』

 

 意味も分からないまま、大型人機の用いる翼竜と獣型人機の攻撃からガエルは後ずさりつつ、その真意を問い質す。

 

「どういうこった? ああいう連中に取り入るために、この《モリビトタナトス》はあるんじゃねぇのかよ」

 

『それは意見の相違だな。《モリビトタナトス》は最初から、邪魔な者達を黙らせるためにある』

 

 つまりレギオンからしてみれば、ゾル国の急進派は邪魔。その意味を思案に浮かべつつ、ガエルは電子通信へと切り替える。水無瀬への直通電子通信は誰かに傍受される心配はない。

 

 片手でキーを打ちつつ、ガエルは戦線をRブリューナク一本で応戦する。

 

 だが、さすがに限界はある。背後から迫る青いモリビトの剣と、全方位から焼き尽くさんとする大型人機の使い魔の攻撃全てをさばき切るのは不可能だ。ガエルは左腕を突き出し、青いモリビトの剣を受け止めさせた。溶断された左腕には頓着せず、すぐさまRブリューナクで攻撃し、誘爆させて視界を奪う。

 

 その隙に後退機動を描いて問い返した。

 

「おい、もう一回、イカレたんじゃねぇって証明のために聞いておくぜ? ゾル国のお歴々を抹消する? 何でそんな事をする必要がある? てめぇらの目的は何だ?」

 

『言わねばならないかね? それこそ戦いの只中で』

 

 ガエルは胸中に毒づく。この将校はいつでも都合の悪い時に交換条件を持ちかけてくる。

 

 現状、モリビト二機との交戦中に、ただでさえ決定権を窺わなければならないほどの重要案件をするりと潜り込ませてくる。

 

「ふざけんな。こちとらさっきからRブリューナクの照準合わせでてんてこ舞いだってのに、そんな後先考えねぇ決断なんて出来っかよ!」

 

『ならば、《モリビトタナトス》は要らないかね? せっかくの力だというのに』

 

 この将校は理解している。今、決断を渋って少しでも集中の糸を切らせば、モリビト二機に追い込まれてしまう事を。加えて、今決定しなければ二度と選択の機会は訪れない事も。

 

 水無瀬からの電子通信には応答はない。ただでさえブルブラッド大気濃度の濃い中、通信が混線している可能性もある。

 

 ガエルは蜘蛛の糸のように吊るされたこの一縷の望みに賭けるしかなくなった。結果的にレギオンの考えを容認しないつもりであったのがこの瞬間に逆転する。

 

 レギオンの言う通りにしなければ危ういのは自分の命。名誉や栄光よりも、今まさに戦っているモリビト二機は規格外だ。青いモリビトに意識を割き過ぎれば大型のモリビトから放たれる不明の殺意に呑まれる事になる。

 

 前と後ろを塞がれた形の《モリビトタナトス》では完全勝利は難しい。Rブリューナクも一基を失った。

 

 ここで思案するべきは太く短く生きるか、それとも細く長く継続するべきか。

 

 前者の場合は、《モリビトタナトス》の撃墜、即ち自分の戦士としての再起不能さえも視野に入っている。

 

 ガエルは突然にはらわたが煮えくり返ってきた。ふざけるな、という思考に脳内が塗り潰されていく。

 

 身勝手に正義の味方に祀り上げられ、カイルという厄介者を押し付けられた挙句、《モリビトタナトス》の――「死」の象徴の腹の中で死んでいく。

 

 そのような運命、あってなるものか。

 

 Rブリューナクの照準が管制塔を捉える。

 

 青いモリビトが攻撃を警戒して一旦、退いたのが好機となった。

 

 放たれた白銀の槍の一射は管制塔を焼き尽くし、そこにいた者達共々、一瞬のうちに蒸発させる。死んだ、という思考を浮かべる暇もなかっただろう。

 

 こちらの攻撃が逸れたのだと勘違いした者達が必死に管制塔へと通信を繋ぐのがオープン回線に交錯する。

 

『管制塔? こちら、《バーゴイル》第二小隊! 応答せよ! 繰り返す! 応答せよ!』

 

『どうして……、それは我が方だぞ!』

 

『いや、モリビトとの戦闘中に照準が逸れたんだ。……惜しい事を』

 

 理解ある《バーゴイル》の操主達の声が滑り落ちていく中、ガエルは面を伏せたまま――嗤っていた。

 

 胸のうちから溢れ出す黒々とした笑いが止まらない。ついには高笑いへと変わり、通信回線を繋いでいるモリビトの操主二人が怪訝そうにする。

 

『……狂ったのか』

 

「狂った? いや違うさ。本当にもう……度し難いこって。人間ってヤツはよォ!」

 

 鎌を握り直した《モリビトタナトス》が青いモリビトと激しく打ち合う。干渉波のスパークが舞う中、青いモリビトの操主が問いかけた。

 

『司令部を撃ったな……何故だ! お前にとっては、味方も敵も、関係がないというのか!』

 

「ああ、そうともさ。イカれた世界で生き残るのにシンプルな答えを教えてやんよ、モリビトのガキ。――どれだけ壊れられるかだ。オレはもう、壊れちまった。いや、とっくの昔に壊れたまんまだったのかもなぁ。今さら、己の壊れを、他人のせいには出来ねぇんだよ、クソッタレ。だからよ! てめぇらも地獄に堕ちろよ! モリビト!」

 

 振るった鎌と剣が鍔迫り合いを繰り広げ、青いモリビトが盾の重力波を変動させて急加速を得た。

 

 刃の干渉部を支点に踊り上がった青いモリビトの四基の刃が直上より襲いかかる。《モリビトタナトス》はしかし、既にRブリューナクを呼び戻していた。

 

「取った!」

 

 青いモリビトの背後でRブリューナクが充填される。その輝きが青いモリビトの射抜いたのが直後のイメージとして鮮烈に脳裏へと浮かび上がった。

 

 しかし、Rブリューナクの発射した光線は青いモリビトを突き破っていない。

 

 大型のモリビトから放たれた不可視の力が作用し、Rブリューナクの照準を大きく乱れさせた。

 

「ガキが! 素直にヤられちまえよ!」

 

 四基の刃の暴風が《モリビトタナトス》の装甲を引き裂いていく。直撃による致命打は免れたが、装甲は半壊し、これ以上の継続戦は無意味であった。

 

 背後に降り立った青いモリビトの太刀筋を弾き返し、《モリビトタナトス》は離脱機動に入る。

 

『逃げるな! 戦え!』

 

「冗談。これ以上イカレられっかよ!」

 

 推進剤を焚き、Rブリューナクの牽制を放ちつつ《モリビトタナトス》は戦域を離れていく。恐らく上層部、友軍共に評価は「健闘した」というものだろう。モリビト二機相手に善戦、その末に起こった悲劇なのだと、誰もが納得するはずだ。

 

 しかし、自分だけがそうでないのを知っている。これは呪縛のようなものであった。

 

 己の中に時限爆弾のような呪いを抱えたまま、ガエルはコンソールに拳を叩きつけた。

 

「ふざけやがって! あのクサレ将校が!」

 

 どこまで自分を悪の側に引き込もうとする? 決して戻れぬ修羅の道に。どれだけでも悪徳に塗れられると覚悟したはずのこの身でさえも、引き裂かれかねないほどの自責の念があった。

 

 大量殺戮の怨霊達を自分一人で抱えるのはどだい無理な話だ。この闇をどこで吐き出せばいいと言うのだろう。

 

『ガエル・ローレンツ? 通信が回復した。何があったんだ? 友軍の指揮系統がぐちゃぐちゃになっている。この状態ならば、わたし一人でも脱出出来そうだが……』

 

「だってんなら、逃げろよ! クソが! どこにも逃げ場なんてねぇ、とんだ立場だぜ! 正義の味方ってのはよォ!」

 

 嘆くつもりも、ましてや誰かに当り散らすつもりもなかった。しかし、どうしても我慢ならなかったのだ。

 

 理由のない悪意を人間はどこまでも溜め込めるほど強く出来ていない。自分のような悪の側の人間ですら、躊躇う領域というのは存在する。

 

 それを平然とやってのけさせた、レギオンの将校。

 

 彼こそがそこいらの悪よりも最も性質の悪い、諸悪の根源であった。

 

『……何かあったな。《モリビトタナトス》の状態は?』

 

「……よくはねぇ。Rブリューナクを一基失っちまった。再生産は可能だろうが、こいつ自体も相当食らってる。今は、モリビト同士で食い合うのは旨みがねぇな」

 

 少しだけ冷静になれた声音に通信越しの水無瀬が、よし、と声を放つ。

 

『ならば、地下施設か、あるいは近場の基地に身を隠すのが先決だろう。《モリビトタナトス》をここで失うのは惜しい。いいな?』

 

 確認を促す水無瀬にようやくガエルは平時の精神を取り戻しつつあった。

 

「……ああ。そうだな。《モリビトタナトス》はせっかくの力だ。こいつを手離すのは、間違っている」

 

『……一朝一夕で解決出来ない問題のようだ。その前線基地は離れたほうがいい。モリビト二機の強襲だろう?』

 

「バーゴイル部隊だけじゃ、よくて半数、悪く転がったら一割程度しか残らねぇだろうな。……それも加味して、あいつは言いやがったのか」

 

『君は今までにないほど取り乱している。自分でもよく分かっているだろう』

 

「ああ、その通りだ。こんな状態で……クソッ! まさかの戦線離脱なんてな」

 

『泥を被るわけではないだろう。生き残って来い』

 

 通信が切られたコックピットの中でガエルは独りごちた。

 

「泥を被るわけじゃない、か。確かにオレは泥なんて被るわけがねぇ。むしろ、祖国のために尽くした英雄だ。英雄だ、このオレが」

 

 乾いた笑いが漏れてくる。星の裏側で殺し合いをしていたどこの俗物とも知れない人間が、一国の英雄にまで登り詰める。その感覚はガエルに異様な昂揚感をもたらしていた。

 

 今しがた焼き払った者達の怨嗟の声など、もう届くまい。

 

 この身は国家の礎となるのだ。

 

 そう考えると、笑いが止まらなかった。だがどうしてだか、それと同じく頬を伝う熱も止め処なかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯139 振り翳す拳

「桃・リップバーン……、その能力は」

 

 息を詰めさせた鉄菜に対して桃の通信越しの声は言葉少なだった。

 

『……クロ、撤退するわ』

 

「撤退? 《モリビトタナトス》を排除出来た。この基地は徹底的に潰すべきだ」

 

『……もう、その必要、ある?』

 

 そう言われてしまえば立つ瀬もなかった。《モリビトタナトス》の友軍への攻撃。それは癒えない爪痕となって刻まれていた。恐らくここの管理を統括していた管制塔が焼け落ち、困惑したゾル国兵達はモリビト二機が立ち竦んでいるのに攻撃してくる事もない。

 

 誰も、この状況を把握出来ないのだ。

 

《モリビトタナトス》、反逆の象徴が軍の上層部を塵一つ残さず抹消した。

 

《バーゴイル》を操る者達には決して理解出来ぬ何かが起こったのは間違いない。それは鉄菜も同じであった。

 

 戦っていた《モリビトタナトス》の動きが鈍ったかと思った直後のフレンドリーファイア。それが偶発的なもののはずがない。何よりも、あの機体に乗っている操主はそのようなミスを犯すとは思えなかった。

 

「意図的……まさか、望んで友軍を撃ったと? あのモリビトの操主、何を考えて……」

 

『クロ、一旦離脱よ。この基地はもう、制御を失っている。モモ達の戦いは一度、様子見をすべきなのは明らか』

 

 その声が震えている。鉄菜は問い質さなければならない事のあまりの膨大さに、言葉を失っていた。

 

《ノエルカルテット》の謎の機構。加えて、今回、《ノエルカルテット》はやり過ぎた。

 

 能力を晒したのもそうだが、あまりに過剰な暴力に打ちのめされた基地はそこらかしこで炎が燻っており、灼熱に焼かれて炭化した兵士達が転がっていた。

 

 ヒトが、こうも無残に、ヒトを殺す。

 

 分かっていた事ではある。覚悟もしていた。だが、こうも一方的な能力を、誰かの掌の上で躍らされているとなれば胸中は穏やかではない。

 

 何よりも、組織ではなく、全く別の誰かに自分達は操作されている。

 

 それは疑いようのない事実であった。

 

「……了解した。《シルヴァリンク》、戦線を離脱。《ノエルカルテット》は」

 

『合体して高空へと離脱する。……今のこの基地の《バーゴイル》に、追ってくる気概のある人間なんていないでしょ』

 

 どこか自嘲気味に放たれた言葉に鉄菜は沈黙を是とする。

 

 惨状を目にしても眉一つ動かさなかった自分も、今回の戦場にはどうにも腑に落ちなかった。

 

《モリビトタナトス》に勝ったでも負けたでもない事も拍車をかけていたのかもしれない。自分の信念を貫き、相手を打ち倒せていたのならばまた違っていただろう。

 

 結果として《モリビトタナトス》は逃げおおせ、自分達は勝ったのに敗北の気分を味わったまま、戦地を後にする。

 

 それは酷く卑怯なものに思われた。

 

『鉄菜……今は撤退するのが正解マジ。ここにいたって、何もならないマジよ』

 

「そうだな。私達は、結局何のために降りて、何のために戦っているのだろうな」

 

『報復作戦のためマジ。ブルブラッドキャリアの理想のために……』

 

「その理想が、誰かの都合で勝手に歪められ、誰かに都合のいいように解釈されたものであってもか? こんなもの、私の望んでいた……」

 

 戦場ではない、と言いかけて鉄菜はハッとする。

 

 結局、殺し合いの世界ではないか。相手が間違っているから刃を突きつける。相手を容認出来ないから戦うしかない。

 

 許せる戦場と許せない戦場があるなど甘えだ。第一、大義名分を掲げれば殺せて、なければ殺せないなど、それこそ詭弁の最たるものではないか。

 

 自分の中で線を引いて、許せればまばたきする間に殺せるくせに、許せなければいつまでも迷い、戸惑う。

 

 身勝手にもほどがあった。戦うと決めた身であるはずなのに。この身体はブルブラッドキャリアの崇高なる目的のためにあると、決意して《シルヴァリンク》に乗っているというのに。

 

 どこまでも傲慢だ。誰かに一言、イエスと言ってもらえれば躊躇いのない殺意を振り翳せる。しかし、誰もイエスという人間がいなければ、引き金さえも引けないなど。

 

「……引き金を引く覚悟さえも、私はないのか。彩芽・サギサカのように、後悔してでも前に進むような決意が、私にはないのか!」

 

 叫んだところで誰も答えは出せない。今まで彩芽や組織に投げていた事が返ってきているだけの話だ。

 

 考えずに戦ってきた。考えないように、見ないようにしてきたのに、《モリビトタナトス》との戦いが、自分の歪みを直視させた。

 

 許されなくとも戦うという確固たる決意もなく、傷つきながらも前に進むほどの勇気もなく、ただ力だけを持て余した小さい自分が、この鋼鉄の巨人の中に収まっているだけ。

 

 どうして、と声が漏れた。命令してくれれば誰だって撃とう。命令されれば、作戦ならばどんな人間でも殺せる。子供でも、若者でも、老人でも、男でも、女でも――。

 

 だが自分で考えろと言われれば、何も出来やしない。自分で考え、自分の意思で照準をする事さえも叶わないのだ。それで世界を変える、戦場を渡り歩くというのだから笑い話にも出来ない。

 

「……私は、こんなにも無力なのか」

 

『鉄菜……気にする事もないマジ。モリビト三機でのオペレーションを主軸に置いた作戦だって言うのに、二機でも善戦マジよ』

 

「だが私は! 奴を止められなかった! 戦っていたのに、私の剣では……!」

 

 届かなかった。それが何よりも悔やまれる。誰の目論見であれ、それを食い止められるのは世界でただ一つ、モリビトだけなのに。

 

『鉄菜……』

 

 燻る炎を見やり、鉄菜は操縦桿を握り締める。

 

「……基地からの撤退を開始する」

 

 それでも割り切らなくてはならないのだ。ここでの敗北をずるずると引きずっているのでは、いつまで経っても勝利は出来ない。

 

 何よりも、桃とて辛いはずだ。自分だけ可哀想がる事なんて出来やしないのだ。

 

 鉄菜は虹の皮膜に包まれた空を仰ぐ。宇宙では戦闘が開始されているのだろうか。彩芽は、ブルブラッドキャリア本隊は無事だろうか。

 

 地上での無様な敗退が全体の指揮に関わらないとも言えない。

 

《モリビトタナトス》の報告に関しても届いているかどうかはまだ分からない。せめて前線で戦う自分達は弱さを見せない事だ。脆く崩れれば、全てが潰える。

 

 モリビトを操る自分は、何よりも鋼鉄の存在でなくてはならない。

 

 それが分かっていても、弱さが滲み出てしまうのは、やはり未熟者だからか。

 

 拳を固めた鉄菜は振り翳しかけて、彷徨わせた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯140 冒涜者

 運び込まれた《キリビトプロト》の装甲はブルブラッド大気で腐食を始めており、すぐにでも浄化作業が求められた。

 

 あれだけ高濃度大気の中にあったのだ。腐食や装甲の錆び付きは当然であったが、《キリビトプロト》の最も驚くべきところは、解体したパーツ同士が引かれ合うように接続を始めているところであった。

 

「まるで自動修復でも働いているみたいですよ」

 

 汚染区画の整備班長はマスクと浄化装置をつけてタチバナに語りかけていた。タチバナはここまで連れて来た自分の助手に糾弾の目線を浴びせる。

 

「まさかお主が裏切っていたとはな、渡良瀬」

 

「裏切りではありませんよ。全ては世界をよりよく回すための行動です」

 

 どうだか、とタチバナは鼻を鳴らす。《キリビトプロト》の存在も寝耳に水であるのならば、ゾル国が率先してこれを回収し、再生計画を掲げている事も初耳。

 

「で、これをどうさせたい? ワシに百五十年前の禁忌を、繰り返せというのか」

 

「まさか。繰り返すのではありませんよ。ここから、新たに始めるのです。博士、全ては世界平和のためですよ」

 

 世界平和のため。詭弁だ。それも使い古されたような言葉ばかり。自分は誰一人として信頼に足る人間などに囲まれていはいなかった。しかし手は打ってある。ユヤマがどのように行動するのかは不明だが、この時代の良心に任せたいと思ったのは本心だ。

 

「ワシに、《キリビトプロト》を造り直せと?」

 

「そのためのノウハウは揃っています。加えてあなたの命令一つで作業に没頭する優秀な整備班も。全ては博士の一存なのですよ」

 

「ワシの一存? 馬鹿を言え。ワシがここで誤った選択をすれば、また軟禁状態に逆戻りだろう」

 

「そうならないために、慎重に決断をお願いします。わたしの見た限りでは、《キリビトプロト》以外にこの戦争に駆り立てられた世界を止める方法はない」

 

《モリビトタナトス》の存在はゾル国のタカ派の求心力を高め、国家は戦争へと邁進するであろう。その歩みを止めさせるのには、毒をもって毒を制するしかない。

 

 キリビトという存在を扱い、モリビトの暴走を食い止める。

 

 これが、ゾル国穏健派の切り札というわけか。

 

 確かにカタログスペックだけでもキリビトならばモリビトを破壊出来る可能性があった。そこに自分の手が加われば、キリビトは他に比肩するもののない最高の人機へと仕上がるであろう。

 

「《キリビトプロト》の改修プランはもう出来ておるのか?」

 

「やる気になってもらえましたか?」

 

「老い先短いこの命。どうせ死ぬのならば少しでも世界の良心を信じたいだけよ」

 

「英断だと」

 

 渡良瀬も随分とおべっかがうまくなったものだ。助手として長年連れ添った間柄でも、一度の裏切りでもう相手の心が分からなくなる。

 

「《キリビトプロト》のデータがしかし足りない。この自己修復めいた現象を解き明かさなくてはどうにも出来ない」

 

 タラップを降りてタチバナは汚染の激しい《キリビトプロト》の装甲に歩み寄った。危険だと訴える整備士を振り払い、灰色の装甲を凝視する。

 

 自己再生を行っている箇所の汚染状態を測ってみるとブルブラッド汚染濃度が閾値を遥かに超えているのが窺えた。

 

「なるほどな。面白い」

 

「博士? 急いでいただかないとゾル国の急進派の目に留まりかねません。あまり見物としゃれ込むわけにはいかないのです」

 

「だが、モノを見なければどうにも判断出来まい。この機体、ブルーガーデンが秘密裏に改修とアップデートを繰り返し、その果てに造り出した人機なのだと言ったな?」

 

「ええ。なので部分部分の機能はほとんど最新です。いじられていないのは恐らく、中枢に近い部分だけかと」

 

「では、それを見せてもらおう」

 

 取り外された血塊炉は通常人機の三倍ほどはある。大型血塊炉から漏れる汚染値は測るまでもなく危険域であった。

 

「あまり近づかれては……」

 

 制止をかけようとする整備士の声に、タチバナは質問を返す。

 

「内蔵血塊炉の年代測定は?」

 

 整備班は解析器を用いて内蔵血塊炉へとケーブルを繋がせる。全てにおいて急造品のスタッフの慌てようではキリビトの改修案が通っても難しそうだ、とタチバナは思案していた。

 

「結果出ました。この血塊炉が産出されたのは……百五十年以上前です」

 

 驚愕した整備士に対しタチバナはやはり、という感触を新たにした。この人機は災厄の導き手だ。

 

「百五十年前のブルブラッド噴火、テーブルダストポイントゼロ地点の汚染。それら全ての原因である可能性が出てきたな」

 

「まさか、この人機一体で? 今日の惑星全土を覆う汚染の大元だと?」

 

「決め付けてかかるのはあまり好きではないが、この人機が百五十年持つ血塊炉を有している事実と、ポイントゼロ地点で採掘を続けられたブルーガーデンの国家としての体裁上、これが汚染元であるという特定をしても何ら問題はあるまい」

 

「ですが、そうなるとこの人機を使うのは……」

 

「神を冒涜する行為、か。今さらのような気はするがな。とっくに人類の事など、神は見限っておるだろう。どれだけ原罪を重ねても同じ事だ。《キリビトプロト》の改修、請け負おう」

 

 その言葉が意外であったのか、渡良瀬は目に見えて動揺する。

 

「……素直ですね」

 

「老人がどれだけ繰り言をしたところで、今を動かすのはワシのような人間の発言ではあるまい。それに、下手な人間に弄らせればこのゾル国とて、汚染の爆心地にならんとも限らんぞ? それほどの危険性はあるのだからな」

 

 タチバナの言葉を聞き届けていた数名が震え上がった。ゾル国がブルーガーデンの二の舞になるのは防ぎたいのだろう。

 

「では、改修は慎重に行うべきですか」

 

「内蔵血塊炉と自己修復を始めておる部品だけ取り除け。あとは新規の建造プランを練る」

 

「他の部位を使わないというのですか?」

 

 こちらに声を振り向ける渡良瀬にタチバナは冷静に返した。

 

「どうせ、汚染で使い物にはなるまい。この人機を新たに戦力とするのならば、ブルーガーデンの寄せ集めの技術は捨て置け。ゾル国の最新鋭の人機建造技術の粋を用いる。伊達に《バーゴイル》を量産しているわけではないのだろう? 新技術を使ってこのキリビトを完全なる人機とする」

 

 タチバナの宣誓に誰もが呆気に取られていた。完全な人機の創造。それは神の領域だと誰もが暗黙に感じていたからだろう。

 

「し、しかし、タチバナ博士。新型人機の建造は国際条約で厳しく取り締まりが……」

 

「《スロウストウジャ》なる人機を祖国が建造し、今もワシの目に見えないところで新型を作って鎬を削っておる貴様らがよく言う。最早、条約の効力などゼロに等しい。どうせ、国防の建前を使えば、どれだけでも人機建造は可能だろう」

 

 その言葉には誰も言い返せない。トウジャの技術がゾル国の中でもオープンソースとなろうとしているのはもう分かり切っている。

 

 今は、体勢に逆らうよりも身を任せるべき時だ。タチバナ一人の反逆で世界は変えられないが、この世界を少しでもよくしようとするのならば、ここで行うべきは反抗ではなく、世界の流れを如何に読み取るか。

 

 人機技術でさえも日進月歩になってしまった今、自分一人が古臭い考えを振り翳したところでこのうねりは止められまい。

 

 戦うのならば、自分の戦場はここだ。人機開発という部門でしか、自分は戦えない。

 

「データを集めてくる。《キリビトプロト》のスペックを寄越せ」

 

 うろたえ気味に整備班長は《キリビトプロト》のデータが入った端末を手渡す。タチバナはそれを引っ手繰り、踵を返した。

 

「博士。まさか、また……」

 

「勘違いをするな。ワシとて現場で指揮をするようには出来ておらんわ。机上の理論こそが、ワシの戦える唯一の場所だ。これは持ち帰らせてもらう」

 

 渡良瀬が困惑のうちに覚えず言葉を滑らせる。

 

「……まさかそれと共に」

 

「心中するとでも思うか? ……長年、共に研究分野を拓いてきたつもりであったが、お主は何も分かっておらんかったようだな。ワシは無責任な事はせんよ。政治家でも、ましてや兵士でもない。ワシはただの研究者。責任を放り投げて自決するくらいならば、悪にでも染まろう」

 

 もうその道は分かたれた。

 

 格納庫を後にするタチバナの足を誰も止める事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思った以上に偏屈だな。タチバナ博士は」

 

 渡良瀬へと声をかけたレミィは汗を浮かばせている渡良瀬に冷笑を浴びせた。

 

「そこまで緊張するか?」

 

「……あの人はどこか見通しているように感じる。わたしの見立てが甘かったかもしれない。もっと博士は理想主義だと、そう思い込んでいた。いや、思いたかった、と言うべきか。よくよく考えればあの人は人殺しの道具に是非を毎回与えているんだ。心がそう簡単に折れるはずがない」

 

「これも、大量殺戮の道具と成り果てるか」

 

 分解された《キリビトプロト》へと視線を放ったレミィは内蔵血塊炉の巨大さに目を見開く。

 

 幸いにして血塊炉には傷一つない。だが他の部位は虫食いのような状態であり、コックピットに至っては新造を余儀なくされるだろう。

 

「自己修復を開始している部位を残せ、というのは……今一つ理解出来ない。外せ、ならば飲み込めたが」

 

 青い結晶が《キリビトプロト》の破損部位へとかさぶたのように覆っている。人機そのものが自己修復を始めるなど聞いた事もない。

 

「《キリビトプロト》はそれだけ特殊な人機、というべきか。これを再開発出来ればそれこそ国家が持ち直す。C連合とのこう着状態も解消されるだろう」

 

「その事なのだが……先ほど通信が入った。まだ一般兵や国民には流布されていないが……」

 

 手招く渡良瀬にレミィは端末を受け取った。暗号通信には一つの事実が記されている。「ゾル国上層部タカ派の抹殺を確認」と。

 

 レミィは表情に出さないようにしながら、端末を渡良瀬へと返した。今も解体作業が進められている《キリビトプロト》を眺めながら、平静を装って返す。

 

「……事実なのか」

 

「事実のようだ。前線基地に査察に入っていた上層部の急進派の面々が、戦火に巻き込まれて行方不明に。……モニターしていた人々は確実に抹消された、と」

 

「誰に、という話だな。《スロウストウジャ》が?」

 

「いや、前線基地に潜り込んで来たのはモリビトタイプだ。青いモリビトと大型のモリビトの二機。それと交戦中であった《モリビトタナトス》の流れ弾が管制塔に突き刺さり、この事態を引き起こしたのだとされている」

 

「流れ弾? まさか、《モリビトタナトス》の?」

 

 胡乱そうに返したのはタカ派の象徴であった《モリビトタナトス》の戦闘中に起こった、という皮肉があまりにも出来過ぎていたからだろう。渡良瀬は声を震わせ、首肯する。

 

「そう記録されている。現場はしっちゃかめっちゃかだ。《バーゴイル》小隊がほとんど壊滅。基地も手痛い打撃を食らった。この状態から持ち直すのは難しいと判断されている。《モリビトタナトス》は小破だがダメージを負って後退。敵のモリビトは未だ健在、と」

 

 なるほど。それも加味した《キリビトプロト》の一日でも早い改修、というわけか。《モリビトタナトス》とタカ派が失われたとなれば強気に出ていたゾル国そのものが歩みを止める事になる。国家の衰退はこの情勢では一気にC連合への併合という形に収束しかねない。

 

「タチバナ博士の軟禁を解いたのは何もこれ以上、あの老人の精神、肉体が限界という事態を考慮したわけではないというわけか。あの老人には動いてもらわなければならない。それがたとえ、汚れ仕事、泥を被る事であったとしても」

 

「世界の真実を知っている者同士、苦しいところだよ」

 

 元老院の望むように《キリビトプロト》を改修させるわけにはいかない。またエデンの好き勝手にさせて壊してしまったのでは元も子もないからだ。

 

「……既に手は」

 

「打ってある。何よりも、博士が直々に改修作業に当たるというんだ。わたしも口を挟みやすい」

 

「どれだけ世界が穢れていようとも、なすべき事は一つ、か」

 

「それだけ選択肢は狭まった、というべきだ。ブルーガーデンという国家が倒れた事は二つの国とブルブラッドキャリアという組織に否が応でも変革をもたらした。血塊炉の安定供給の手綱をC連合が握ってしまえば、そこまでの話に収まってしまう。ゾル国にも相手と一戦交えるだけの矛が欲しいと言うのが本音か」

 

「カイル・シーザーは? 《グラトニートウジャ》はどうなった?」

 

 渡良瀬は天井を仰ぎ、頭を振った。

 

「宇宙からの交信はまるでない。彼らの役目はブルブラッドキャリア本隊への再度襲撃だ。地上で国家が編成され、《モリビトタナトス》がゾル国の代表となっているなど、まるで関知出来ないだろうさ」

 

 宇宙の部隊には宇宙の情報しか与えられていない。ある意味では正解だ。ブルブラッドキャリアとやり合うのに、彼らに不安を募らせる真似はしても仕方ない。

 

「しかし、元老院は口を挟んでくるだろうな。どれだけ機密を整えても」

 

「それがわたしを含め、長く生き過ぎた人間のエゴだよ。あの義体から解き放たれてようやく分かった。生身の悦楽を。どうして百年前後の人間の生の躯体に意味があるのかを、な」

 

「一度死んで身に沁みたか?」

 

 レミィは記憶の中にある《プライドトウジャ》を思い返す。そういえばあの機体はどうなったのだろう。辺境基地防衛任務の際、ゾル国のカイル部隊が視認した時にはほとんど戦闘不能にまで追い込まれていたと聞くが、それ以降の音沙汰はない。

 

 もし、これから先イレギュラーとして立ちはだかってくるとするのならば、それはあの《プライドトウジャ》の、死を超越した桐哉なのかもしれない。

 

 だが、如何にハイアルファー【ライフ・エラーズ】の加護を得たとは言え人間である事に変わりはないはず。細切れにされれば死ぬであろうし、爆発に巻き込まれて灼熱に焼かれても同じだろう。

 

 人間をある種超えなければ、【ライフ・エラーズ】は応えてくれないはずだ。

 

「あのトウジャは行方不明……いや、そもそもあの戦場のデータが欠けている。二機のトウジャを確認したものの、両方を取り逃し、モリビトにも打ち負けたあの戦場の責任者が誰かと言えば、シーザー議員の息子となってくる」

 

「その息子は今、宇宙か。シーザー議員も冷たいものだ。血の繋がった我が子を宇宙に置き去りにして、地上での派閥争いに必死とは」

 

「議員はカイル・シーザーに関してはどうとも思っていないのだろうな。それこそ、自分の一声一つでどうとでもなる駒だとしか」

 

 実の子供の事でさえも冷徹に思考出来る人間が一国家の行く末を見定めるのに、冷静さを失わないわけがない。

 

 レミィは切り離されていく《キリビトプロト》の外装を視野に入れつつ、踵を返した。

 

「見物していかないのか」

 

「これから会わなければならない人間がいてね。あの戦場で、唯一《バーゴイル》で善戦したというのは勲章ものだが、彼らの戦いは記録されないものとして扱われている。あまりにもったいないとは思わないか?」

 

 渡良瀬も同じ人物を想起したのだろう。彼はフッと笑みを浮かべた。

 

「不死鳥の戦士か。捨て駒部隊だと割り切られているのにあのマーキングは目を引いた」

 

「その戦士、興味はないか?」

 

 レミィの問いかけに渡良瀬は頭を振る。

 

「生憎のところ、戦士のメンタリティには疎くてね」

 

 渡良瀬はタチバナの右腕として長年仕えてきた分、研究者としての目線が強いのだろう。レミィはタラップを駆け上がっていった。

 

「ともすれば面白いものが出来上がるかもしれない。それも、操主次第ではあるが」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯141 戦場を行く獣

 海上の巡洋艦に収められた《モリビトタナトス》を横目に、将校は口火を切っていた。

 

「《モリビトタナトス》の運用、ご苦労だった」

 

 ガエルは将校を睨み据えつつ、真意を問い質す。

 

「そいつはどうも。だが、オレが今、誰を一番に撃ちたいかくらいは分かるよなぁ? てめぇ」

 

「戦闘中に声をかけたのがそれほどまでに不服かね」

 

「違ぇよ、クソが。ワケの分からねぇ命令を下しやがったのが、だ。モリビト相手に楽勝ってほどでもねぇんだよ」

 

「それはそれは。買い被り過ぎたかな」

 

 どこまでも人を嘗めたような口振りである。ガエルは安全装置を外し、銃口を突きつけていた。

 

「ここで撃ち殺してもいい」

 

「それは、正義の味方の職務を投げる、と考えてもいいのだろうか」

 

「マリオネットの正義の味方なんて笑えてくるぜ。てめぇらの都合のいいように動くだけの駒が欲しけりゃもっと馬鹿を連れて来るんだったな。生憎、ここまでコケにされて黙ってもいられねぇんだよ」

 

「《モリビトタナトス》を操るに相応しいメンタルだ。それでこそ正義の味方だよ」

 

 銃声が一発、静寂を劈いた。将校の足元に着弾した一撃に、彼は笑みさえも浮かべてみせる。

 

「どうして笑える? イカレか? てめぇ」

 

「いや、ここまで人間らしいとも思わなくってね。想定外だ、ガエル・ローレンツ」

 

「そりゃどうも。これが人間らしいかどうかはさておきとして、てめぇらが人間やめてるのはよく分かったよ」

 

「やめている? 馬鹿を言うな。我々の行動原理は突き詰めれば人間という種、そのものをこの惑星で残すための手段だよ」

 

「軍の上層部を眉一つ動かさずに殺せる連中を、人間とは呼ばねぇんだよ」

 

「何を迷う? 君が今までやってきた事と何が違う? 名も知らぬ戦士を撃ち、どこの傭兵かも分からぬ者達を足蹴に、泥水と血の中、硝煙の舞う戦場を駆け抜ける。それと、何が違うというんだ。同じ事だ。さして特別な事を命じているつもりはない。君が今まで眉一つ動かさずに殺してこられたのに、どうして今、良心の呵責に苦しんでいると言える? 名無しの戦士と軍を動かす上層部は違うのかね? それとも、色んなものを背負った手前、もうただの戦争屋には戻れないと? それは身勝手な理屈だ、ガエル・ローレンツ。君は、この世界を背負って立つ、最後の希望。正義の味方になるんだ。多少の犠牲はやむを得ない」

 

「多少の犠牲? 意味も分からず殺しを行えばいいってもんじゃねぇ。そりゃ、オレは殺しが好きで好きで堪らない、人格破綻者に見えるんだろうな。だが、まったく意味不明な事を命じられて、自分の命すらレートに賭けられているのを見過ごせるほど、そこまで人間腐っちゃいねぇんだよ」

 

「見込み違いかな?」

 

「見込みも何も真意が見えねぇ。いい加減、話してもらおうか。てめぇらの組織が掲げる理念を」

 

 将校は巡洋艦の格納庫で修復を受ける《モリビトタナトス》を視野に入れ、穏やかな表情のまま応じる。

 

「理念、か。そのような瑣末事、気にしないのだと思い込んでいたが。いいだろう。我々が何のため、誰のために、行動を開始したのか、説明しようじゃないか」

 

「手短に話せよ。苛立たせるとドタマ撃ち抜く」

 

 銃をちらつかせるガエルに将校は肩を竦めた。

 

「怖い怖い。だがね、君のように端的に物事を俯瞰出来る人間は貴重なんだ。ほとんどの人間が無知蒙昧の中に日々を生き、その意味さえも理解しないままに死んでいく。浪費だ。言ってしまえばね。その浪費を少しでも意味のあるものにしようというのが、我々の総意だよ」

 

《モリビトタナトス》のRブリューナクが取り外され、スペアパーツと傷ついた外装が交換されていく。ガエルは将校から射線を外さず、その先を促した。

 

「てめぇら、何のためにオレなんかを雇った? もっと効率よく、馬鹿のように言う事を聞くヤツだっていたはずだ」

 

「そうだとも。それこそ馬鹿のように言う事を聞く人間と、君は既に会っているだろう?」

 

 脳裏に結んだカイルの姿に覚えず苦味を噛み締める。

 

「……オレを基点に国家を動かすのが、そっちの腹積もりだった、ってワケか」

 

「ゾル国というのは民主主義のようで、実は一党支配の強い国家だ。C連合は様々な弱小コミューンから成り立つ国家という特性上、一国家が群を抜いて支配するという図式にはなりづらい。落とすのならばゾル国から、という前提条件はあった」

 

「国家転覆。その先をどう考えていた?」

 

「《モリビトタナトス》はまだ使える。あれの修復をよく見ておきたい。歩きながら話そうじゃないか」

 

 ブリッジを歩んでいく将校の後ろについて、ガエルは質問を重ねる。

 

「ゾル国みたいなコミューンを支配して、てめぇら何がしたい?」

 

「ゾル国は全世界の人工の三分の一を占めている。残りはほとんどC連合だ。ブルーガーデンなんてこの二国に比べれば弱小もいいところ。あの独裁国家は何も出来やしなかった」

 

「民草の言葉が、何もそのまま支配の言葉になるワケじゃねぇだろ。独裁国家ブルーガーデンはともかくとして、C連合を陥落させれば世界は墜ちたも同然だったんじゃねぇのか?」

 

「そこまでシンプルに考えてはいないよ。何よりもC連合は御し辛い。あの国家にはどことなく我々の考えを浸透させにくいものがある。比してゾル国は市民先導のようで、実のところは官僚主義だ。国家中枢に潜り込めさえすれば、後は容易い。君にシーザー家を名乗らせたのはそれもある」

 

「まだ貴族の真似事をしろって言うのか?」

 

「まだ? 何を言っている。始まったばかりだよ。シーザー家のカイル・シーザーはもう、君の色に染まっただろう?」

 

 足を止めた将校が向き直って笑みを形づくる。その邪悪さに、ガエルは手を強張らせた。

 

「……あの坊ちゃんを最初からオレの色に染めるつもりで」

 

「当然だろう。ああいうひたむきな人間は御しやすい。そうなってしまえば、もうどこへなりと転がるというのは予測出来る。ゾル国の国家中枢の貴族、シーザー家は君の物に下ったも同然。あとはシーザー議員だが、彼は放っておいても問題あるまい。理想を掲げる人間というのは得てして戦場を眺めた事もないロマンチスト。血と硝煙からは最も遠い場所にいる」

 

「シーザー家を物にして、じゃあ、どうするって言うんだ? ゾル国を支配して、てめぇら、何を得る? ただの一国家の影のフィクサーに収まるにしちゃあ、そのやり方はあまりにも大胆不敵が過ぎるぜ。モリビトなんて建造する当たり、な。どこから撃たれても文句は言えねぇやり口だ」

 

「《モリビトタナトス》は想定以上だっただろう? あれを使えたのは誉れだったに違いない。モリビト、ブルブラッドキャリア、反逆の象徴。それを国家が運用する。その時点で、支配の逆転構造が起きている事に市民は気づけていない。気づかぬうちに、支配被支配が裏返っている。モリビトは世界の敵であった。だが、あまりに力を見せ付けたモリビトは恐怖の対象となり、その恐怖が翻って自国の味方になればこれ以上に頼もしい相手もいない。畢竟、国民というのは勝手だが、しかし国家という肉体に血を通すのは国民の役目だ」

 

 将校の言葉には節々に傲慢が見え隠れしたが、レギオンの真意をどこかぼやかすような言葉振りだった。

 

「国民を騙して、民意を得る。そのためのモリビトかよ」

 

「騙す? 逆だよ。信用を得るために、彼らには協力を仰がなければならない。一番に恐れているのが何なのか、君には分かるかね?」

 

「……少なくともブルブラッドなんたらじゃねぇな」

 

 将校は指を鳴らし、歩みを再開する。

 

「一番に恐れるべきは、民草だよ。何故かというと、この星にいるのは九割以上が、何も成さずに死んでいく人間だからね。しかし、彼らの悪意が、彼らの害意が、世界を滅ぼす要因になる。ヒトは、総体なんだ。誤解しているかもしれないが、ブルーガーデンのような独裁国家が長続きしないように、民を軽んじた国は容易く瓦解する。我々はね、民こそが、人の、ひいては世界の真なる姿ではないかと考えている」

 

「民衆に責任ぶん投げて、上層特権を得る人間は胡坐を掻くってヤツか」

 

「胡坐を掻いていられたのは今までそうなるように民がコントロールしてきたからだ。分かるかね? 何の力もない、流されるがままの市民こそ、最も恐れるべき隣人であり、敵よりもなお対策を考えるべき存在なのだと」

 

 市民の民意を操作し、その心象さえも掌握する。レギオン――群体の意味するところはそこに着地すると言うのか。

 

「……そのための《モリビトタナトス》、ってワケかよ」

 

「理解が早くて助かるよ。モリビトはゾル国の撃墜王の名前であり、世界の敵の名前であり、なおかつこれから先の繁栄を築く礎の名前でもある。人は、名前に意味を見出す生き物だ。その意味も、時代と共に推移する。踊るか踊らされるかの違いだ。《モリビトタナトス》はゾル国の象徴として、これから先何十年、何百年の安寧を約束する」

 

 階段を降りていく将校の靴音が残響する。全ては民草の心象を操作するため。ブルブラッドキャリアでさえも、そのための踏み台でしかなかった。

 

「……モリビトという名前に踊らされて英雄を座から降ろし、その末にモリビトに守られる市民、か。とんだ茶番だ」

 

「だが、この世は常に流動する茶番だというのは、君の身分ならばよく分かるはずだ。茶番と思える事象こそ、最も真なる部分を突いているのだと。この世界は茶番と戯曲だ。それに彩られた舞台だと言う事を誰しも深層意識では理解しながらも認めたくはない。それは、ピエロに過ぎない民衆も、トリックスターの天才達も、どちらも等しく舞台に立っているだけの役者なのだと、完全に飲み込んでしまえばそこまでだからだ。人も、民意もそこまででしかない。モリビトは敵だが、《モリビトタナトス》の恩恵には与る。ゾル国とC連合の戦争には巻き込まれたくはないが、隣人を支配し、抑圧し、黙殺する事は容認する。大小の差はあれど、闘争の中に生きているのだと、納得して生きている人間などいない。それは、人の本質が争いであるなど考えたくもない者達が作り上げた虚像の地獄があるからだ」

 

「この世界は地獄の波の上で浮かぶ危うい船って言いたいのかよ」

 

「そうではないのか? 君のような人間は必要悪だ。どこかでガス抜きをしなければ平和というものは維持出来ない。そういう風に出来上がったシステム。代理戦争の仕組み。今さら問い質すまでもなく、被害者面を決め込める人間がこの世には一人としていない事を、君と《モリビトタナトス》は突き付ける。その役目がある」

 

 ガエルは鼻を鳴らし、引き金に指をかけた。

 

「……トチ狂ってやがる……とは言い切れないのが我ながら惜しいな。てめぇの理屈は世界を俯瞰し、一人一人の役割を熟考した末の判断だ。だから間違っているなんて言えねぇし、それがどれほど飛躍した理論か、なんて事も糾弾出来ねぇ」

 

《モリビトタナトス》の修復作業を視野に入れながら、将校は満足気に笑みを浮かべる。

 

「死を司るモリビトを駆り、君は戦場を走り抜けろ。その身に纏いついた死の約定でさえも振り切り、己が死の具現者となって戦い続けるんだ。それこそ、君に相応しい。そして、相応しい働きには報酬を。正義の味方、という誉れを」

 

「最終的に手に入れるのが、ゾル国か、あるいは世界か……どっちのつもりなんだ?」

 

 将校は頭を振り、その結論を保留にさせた。

 

「なに、間違いの道を行っているわけではないよ。それだけは保証しよう。我々の言う通りに行動すれば、何もミスをする事はない。世界を動かすのは何の力も持たぬ市民の側。そちらを制御する術は心得ている。今まで、君はあらゆる局面で損をしてきたはずだ。割を食ってきた、と言ってもいい。その宿命から逃れられるんだ。戦争屋、などと名乗らなくてもよくなる。英雄の座、魅力的ではないかな?」

 

 モリビトを操り、ゾル国の政治家の力添えも得て、自分は正義の味方としてこの地上に降り立つ。その時、全ての見方が変わるだろう。

 

 ガエルは掲げていた拳銃を降ろした。もう、将校に逆らうつもりもない。

 

「……てめぇらの言う通りに従えば、この先安泰。ゾル国という国家をも支配し、オレは負け知らずの撃墜王、って寸法か」

 

「気に食わないかね?」

 

「いんや、気に入ったぜ。総体、民衆の思うがままの正義の味方。成ってやろうじゃねぇか。全てを支配し、その末に立つ玉座ってヤツを、見てみたくなったんでな」

 

 その答えに将校は首肯する。

 

「賢明な判断だよ、ガエル・ローレンツ。君は末代まで英雄として称えられるだろう」

 

 上辺だけの賞賛を受け流し、ガエルは踵を返した。

 

「どうせ、《モリビトタナトス》が修理出来るまでやる事なんてねぇんだろ?」

 

「そうだな。確かに地上では、ないな」

 

 含むところのある言い草に自分にはまだ利用価値があるのだと悟る。

 

「……地上では、か。次の戦場が決まってるなら話せ。どこへなりと行ってやるよ」

 

 咳払いし、将校は言いつけた。

 

「では、ガエル・シーザーとして戦っていただこう。次なる戦場は――」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯142 力とぬくもり

 順当な場所を見つけ出す事も出来ず、《シルヴァリンク》は合流地点である離れ小島のブルブラッド大気濃度が六十パーセント以下である事に僥倖を見出した。

 

 あのまま敗走し、モリビトを追跡されていれば確実に見つかる場所であったが、この時、モリビトを追い立てようなどという命知らずはいない。

 

《シルヴァリンク》が小島に辿りついた時には《ノエルカルテット》が雲間を裂いて現れた。

 

 平時と違うのは、その能力があまりに桁違いである事を知ってしまった鉄菜の胸中にある。《ノエルカルテット》は波間を立ててリバウンドの反重力波を浮かび上がらせた。

 

 桃がコックピットから這い出てくる。ブルブラッド大気濃度が低いため簡易マスク程度で済んでいた。

 

『鉄菜……どうするつもりマジ?』

 

「どうするも何も、問い質す」

 

『でも、桃だって多分、傷ついているマジよ』

 

 ジロウの言い草に鉄菜は嘆息をついた。

 

「……ではお互いに傷を舐め合うように何も言うな、と?」

 

『そうは言わないマジが……出来るだけ言葉には気をつけたほうがいいマジ。これから先、《ノエルカルテット》の補助なしでは重力圏を抜けられないマジよ』

 

 ジロウは自分と桃が仲違いをするとでも思っているのだろうか。今までの行動を顧みれば、なるほど浮かばない懸念ではない。しかし、今はそのような瑣末事、気を遣っている時間もない。

 

「私の流儀でやる。口を挟むな」

 

 コックピットブロックから出た鉄菜は青く煤けた風に黒髪をなびかせる。桃は《ノエルカルテット》からなかなか離れようとしなかった。

 

 仕方なく、鉄菜は声を張り上げる。

 

「桃・リップバーン! 聞きたい事がある!」

 

 通信回線を使えばいい。そのような合理性もかなぐり捨てて、鉄菜は問い質すべきであった。

 

 桃の力の事。《ノエルカルテット》に隠された能力の全てを。

 

 肩をびくつかせた桃に鉄菜は言葉を重ねる。

 

「あの力は何だ! どうして、あの力の事を予め言わなかった!」

 

 コックピット内部の通信回線が開き、桃の小声が残響する。

 

『……クロ、怒ってるの?』

 

「怒っていない! ただ、ハッキリしておくべきだと感じたまでだ!」

 

『……やっぱり、怒ってるじゃない』

 

 桃は《ノエルカルテット》より砂浜へと降り立つ。鉄菜も一足飛びで砂浜に着地した。

 

「あの力は何だ? どうして、黙っていた」

 

「言ったところでどうにかなるものじゃないと思ったから……」

 

 歩み寄った鉄菜は覚えず、手を掲げていた。張り手の予感に桃が縮こまる。振り上げた手を、鉄菜は彷徨わせる。

 

「……黙っていたのは理由があるからか?」

 

「ろくな理由じゃない。モモの身勝手。二人にはこの力の事、知って欲しくなかった」

 

「あれは何だ? どういう武装だ」

 

「武装とかじゃない。モモの、生まれ持った力を拡張しただけのものなの。《ノエルカルテット》にはその能力を対人機相手に行使する権限が与えられている」

 

「……敵の自律武装が反転し、装甲が剥離した。あれほどの性能の能力、私は知らない」

 

「……クロ、サイコキネシス、って言えば分かる?」

 

 サイコキネシス。知識としてはあったが、言われてもピンと来ない。

 

「超能力の一種か。念動力とも言われる領域だな」

 

「モモには、それがある」

 

 目の前にしても鉄菜には全く、その意図するところが分からない。桃にサイコキネシスがあると言われても、それがイコールあの現象の証明とは思えなかった。

 

「……今、出来るのか」

 

「そこに、ブルブラッドで出来た鉱物がある。それを見ていて」

 

 ブルブラッド鉱石で構築された木の幹に亀裂が走る。直後、人機の装甲ほどの堅牢さを誇るブルブラッドの樹が折れ曲がり、支点から引き千切られていった。

 

 瞠目する鉄菜は桃の瞳が赤く染まっているのを目にする。桃はどこか息を切らしつつ面を伏せる。

 

「……これが証明か」

 

「悪かった、とは思っている」

 

「では何故、今まで明かさなかったか、という部分だな。どうして、言わなかった」

 

「クロ、こんなモモを、気味が悪いと思うでしょう?」

 

 突然の問いかけに鉄菜は困惑する。言葉を返す前に桃が自嘲した。

 

「当然よね。だって、こんなの、ヒトが持っていい力じゃないもの。この能力の解明のためにどれほどブルブラッドキャリアが奔走したのか、今のモモには分かる。見方一つで制御不能な、敵にもなる力だもん。誰だって傍に置きたくはないよ……」

 

「……担当官は」

 

「知っている。でも、一言も追及してこない。きっと、あの人はモモの事が邪魔なの。だから、何も言ってこないし、何も切り出さない。何も期待していないのかもしれない。モモが、こんな力で自滅しちゃえばいいんだって、どこかで思っているのかもしれない。ブルブラッドキャリアに貢献するしか、モモには先がないの。クロ、あんたには分からないかもしれない。だって、そっちは、ブルブラッドキャリアが威信をかけて造り上げた血続だもんね。廃棄処分なんて勿体無くて出来ないと思う。でも、モモは? こんな力を生まれながらにして持ってしまった、モモみたいな悪魔は? ……きっと、戦場で惨たらしく死ぬのがお似合いなんだよ。だからモリビトの操主に選ばれた。自分達の関知しないところで死んで欲しいから」

 

 桃の能力は本物だ。本物の超能力者である。

 

 だがそれゆえに、今まで組織で信じられるものがなかったのだろう。執行者として戦い抜いてきたのも全て、己の有用性を示すため。組織に見捨てられないため。

 

 ――自分と似たようなものだ。

 

《シルヴァリンク》から降ろされるのだけが許せなくて、これまでしがみついてきた自分と。血続という特殊な事情を組み込まれても勝利を掴む事の出来なかった自分自身と。

 

 誰も信じられないのだろう。鉄菜もそうであった。だから組織の命令は絶対だった。

 

 組織の言う通りに戦っていれば何の迷いも差し挟まなくっていいから。だが、それが逃げではないと誰が言えよう。

 

 彩芽ならばこういう時、どうするのか。鉄菜は一歩、桃へと歩み寄った。桃が肩をびくつかせる。

 

 きっと張り手か、あるいは拒絶の意思が来ると感じたのだろう。

 

 しかし、次の瞬間、鉄菜は桃を抱き締めていた。

 

 自分でもどうしてこのような行動に至ったのか分からない。ただ、ここで相手を拒絶するのは違うと感じたのだ。ここにいない彩芽ならばきっと、突き放すような事はしないだろう。

 

 桃の体温が自分の体温と混じり合う。

 

 渾然一体となった桃の身体は小さな命の灯火であった。

 

「……どうして。モモなんて、クロからしてみれば邪魔でしょう?」

 

「邪魔ではない。私は、それこそ作戦遂行に桃・リップバーンと三号機の力が必要と判断する」

 

「こんな力、持っていたって何の得でもないよ……! こんなの、モモ自体、いないほうがいいに決まって――!」

 

「いないほうがいい人間なんてこの世にはいない」

 

 どこから口にしたのか分からない言葉であった。自分の中に今までは生まれなかった感情が芽生え始めている。その感情が桃を包み込み、ここで彼女を一人にしてはならないのだと告げている。

 

「クロ……?」

 

「都合の悪い力だから、なかったほうがいい、この世にいないほうがいいと思うのは勝手だ。だが、お前は、自分一人で立っているのか? 違うだろう。私達モリビトの操主は、三人でようやく一人前だ。何のために三人いると思っている。それは、お互いを牽制するためだけではない。お互いを……多分、支え合うためにあるのだろう」

 

「支え、合う……。クロも、そう思っているの?」

 

 分からない。まだ自分には何一つ。この言葉も、ともすれば彩芽からの受け売りだ。しかし、鉄菜はここで桃を手離してはいけないのだと感じていた。

 

「ああ。きっと、その通りなんだろう」

 

 桃は茫然自失の表情のまま、鉄菜の体温に身を任せた。その口元が綻ぶ。

 

「あったかいんだね。クロは」

 

「ああ。私も温かいのだとは、思わなかった」

 

 これほどまでに、人は一人では生きられないように出来ているのだと、誰が教えてくれたのだろう。

 

 それは自分の基になった人間であるのかもしれないし、彩芽の存在であったのかもしれない。

 

 胸中に灯した心の明かり一つで、世界の見え方は変わる。

 

 悪意しかないように思えた世界でも、きっとよく出来る。これから先、変える事が出来るのだと思える。

 

 鉄菜は自分には今まで見えていなかったのだと再認識した。

 

 一人で報復作戦を行っていたのならばきっと、このような気持ちとは無縁であっただろう。ブルブラッドキャリアの戦闘兵士として、何も感じず、ただ黙々と任務を遂行するだけの、ヒトの姿を模した人形。

 

 誰に命じられるわけでもなく、人殺しと破壊に全てを見出すだけの存在であったに違いない。

 

 しかし、今この手には、自分の命一つでは購えないものがある。桃の命、彩芽の命、ブルブラッドキャリアの、皆の命。

 

 数多の出会いの末に、鉄菜は自分がただのパーツではない事を感じ取っていた。

 

《シルヴァリンク》の付属品ではない。「鉄菜・ノヴァリス」として、この世界を感じる必要がある。そのための戦いを自分は行っているのだ。

 

 自分が自分として在るために。自分らしく、生きていくために。

 

「クロ、もう……大丈夫。大丈夫だから」

 

 浮かんだ涙の粒を拭って桃は言葉に力を込めようとした。大丈夫と何度も言い聞かせる。

 

「クロやアヤ姉にばかり、甘えてはいられないもの。モモも、自分で自分を、誇れるようになりたい。この力がどれほど忌むべきものでも、……好きにはなれなくっても、付き合い方を見つけていきたい」

 

「そう、か」

 

 自分は半分も分かっていない。桃の事も、彩芽の事も、ましてや自分の事なんて。

 

 ほとんど暗中模索に近いのに、このような軽薄さで桃の道筋を決めてよかったのだろうか。彼女にはモリビトから降りる、という選択肢もあったのかもしれない。

 

 そのような後悔が胸を掠める前に、手首に装着された通信端末から緊急通信が入った。

 

『鉄菜! 大変マジ! 宇宙に駐在していたゾル国がまた……!』

 

 慌てるジロウに鉄菜は冷静に問い質す。

 

「まさか、ブルブラッドキャリア本隊に?」

 

 一拍挟んで、ジロウは口にしていた。

 

『今度は、《インペルベイン》だけマジ。現状、攻め込まれればまずいマジよ』

 

 ならばすぐにでも宇宙に出なければ。しかし、《ノエルカルテット》と《シルヴァリンク》がどれほど性能を引き出したところで、今すぐは不可能だ。

 

 先の戦闘で二機とも貧血に近い状態である。

 

 ステータスを呼び出すと一日は休息しなければ使い物にならないとあった。

 

「このままでは……ブルブラッドキャリアが全滅する」

 

 しかし急造品のモリビトでは戦力にもならない。鉄菜は歯噛みする。

 

「重力圏を抜けようと思えば抜けられるけれど、そんな状態じゃ、多分助けにもならないと思う。悔しいけれど、今は信じるしかない」

 

 彩芽とブルブラッドキャリア本隊を。せめてもの幸運を祈るしかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯143 最後の引き金

 出撃の報に胸を撫で下ろしたのは本心であった。

 

 カタパルトデッキへと接続した《グラトニートウジャ》は横倒しになって出撃姿勢に入る。

 

 カイルはずっとコックピットに篭っていた。ガエルもいない。自分の理解者などこの場所には一人もいなかった。

 

 全天候周モニターに反射する己の異形にカイルは呻きを上げる。その声でさえも醜く、聞いていられなかった。

 

 兵士達は勝手な妄想を飾り立てて、カイルの収まる《グラトニートウジャ》の集音器へと言葉を投げる。

 

『……おい、シーザー大尉、おかしくないか? ずっとトウジャの中で……』、『放っておけよ。やんごとなき方には俺らには分からないものがあるんだろうさ』、『澄ましちゃってよ。一回や二回の撃墜でいい気になってもらっても困るんだけれどなぁ』

 

 とんでもない。自分は慢心しない。ましてや、前回の出撃でもモリビトを仕損じたのだ。その程度で満足しているはずがない。今までならば顔を見て、しっかりと話せば自分の意見に賛同してくれるものばかりであった。だが、こうして妙な行動を取れば、すぐにでも瓦解する場所に自分の信頼というものはあったのだ。

 

 誰も信用出来ない。誰も信用してくれない。

 

 ここにガエルが……叔父がいればと何度も思う。

 

 彼さえ理解を示してくれれば全てが救われるのに。自分はたった一人の孤独のまま、戦闘へと放り込まれる。だが、戦闘になればまだ楽だ。

 

 戦って勝てばいい。まだ人機操縦のセンスの是非でさえも否定されたわけではない。

 

 きっと成果さえ持ち帰れば、皆が納得してくれるだろう。ハイアルファー【バアル・ゼブル】の代償も、きっと誰もが納得してくれるに違いない。

 

 戦いの、名誉の負傷だと。

 

 そう信じてカイルは操縦桿を握り締めた。まめの浮いた掌が操縦桿に触れる。長く巻いた爪が茶褐色に染まっていた。

 

『《グラトニートウジャ》、発進どうぞ』

 

 返答はしない。この声さえも最早、聞けるものではなくなってしまった。だからこそ、カイルは胸中に叫ぶ。

 

 ――《グラトニートウジャ》、カイル・シーザー。行く!

 

 カタパルトから射出された《グラトニートウジャ》の肥満体が空間を駆け抜け、先遣隊の《バーゴイル》へと追いつく。推進剤の性能も、装甲強度も見直された《グラトニートウジャ》は敵への攻撃を仕掛ける矢面に立つ。

 

 カイルは暗礁宙域の常闇を睨んだ。このデブリの中にブルブラッドキャリアがいる。世界の敵、戦争の火種である相手が。

 

 墜とせばいい。一機でも撃墜し、破壊し、その首を標にすれば、自分への信頼は戻るはずだ。

 

《グラトニートウジャ》が推進剤を開いて戦闘宙域の前線へと躍り出る。先の戦闘と同じ場所に相手が展開しているのならば、さして怖くもない。

 

 そう判じた矢先、照準警告が耳朶を打った。カイルは咄嗟に《グラトニートウジャ》の巨躯を跳ね上がらせる。先ほどまで機体があった空間を重火器が引き裂いていた。

 

「現れたか、モリビト!」

 

 灰色と緑のモリビトがデブリの陰から狙撃したのだろう。相変わらず姑息な真似をする。

 

《グラトニートウジャ》が片腕を払った。粉塵と共に砲門が顎の様相を呈した腕から出現する。

 

 R兵装の砲口を《グラトニートウジャ》は構え、直後、黄色い光軸がデブリを粉砕していった。

 

 塵芥に還ったその威力に《バーゴイル》の操主達が感嘆の息を漏らす。

 

『すごい……これが、トウジャか』

 

 その通り。これが《グラトニートウジャ》の、自分の実力だ。

 

 カイルは必殺の攻撃に満足しかけて、背後への接近警告にコックピットを揺さぶられた。

 

 機体を反転させて振り返った視線の先にいたのは見た事もない人機である。白を基調とした痩身の機体はナイフとアサルトライフルを手にしており、白兵戦用のナイフが《グラトニートウジャ》の装甲を切り裂こうとした。

 

 当然の事ながら、ナイフ程度で《グラトニートウジャ》の装甲には傷一つつかない。うろたえつつも、カイルはもう一方の腕で敵人機の胴体を噛み砕こうとする。

 

 挟まれた敵の人機が軋みを上げ、接触回線から悲鳴が上がった。

 

『嫌! 死にたくない! 死にたくない、死にたく――!』

 

 少女のものの悲鳴と断末魔が爆発の光に上塗りされていく。

 

 ――今、自分は何を墜とした?

 

 その感慨を噛み締める前に、次の照準が《グラトニートウジャ》を打ち据えた。アサルトライフルの火線が瞬き、こちらの堅牢な装甲を叩く。

 

 接近した不明人機から声が迸る。

 

『墜としたな……墜としたな! お前ェッ!』

 

 ナイフを装備した敵人機の攻撃網を掻い潜り、《グラトニートウジャ》の顎の腕が両腕を噛み千切る。

 

 それでも猪突してくる相手の頭部へと砲身を向けた。光軸の向こう側へと敵の意識が葬り去られていく。

 

「何なんだ、何だって言うんだ、こいつら」

 

 上半身を失った敵の人機が彷徨う中、さらにデブリの陰から仕掛けて来たのはモリビトではない。

 

 先の二機と同じ人機であるが、肩に重装備のガトリングを備え付けており、間断のない銃撃が見舞われた。《グラトニートウジャ》が装甲で弾きつつ接近し、血塊炉を擁する躯体へと固めた拳を浴びせる。

 

 敵がよろめいたのを確認する前に照準した砲門からR兵装の光が放たれた。塵に還る敵人機を確認したカイルは直後に背面への接近警告に目を見開く。

 

 ナイフを手にした同系統の人機が背筋を割ろうと一太刀浴びせかかった。しかしその威力はあまりに弱小。

 

 振り返り様の末端肥大の拳で敵の人機の頭部を打ち砕く。

 

 カイルは熱源センサーに切り替え、周囲を見渡した。まだ十機近くの敵影がある。これほどまでの戦力を擁している事に驚きを隠せなかった。

 

「何だって言うんだ。お前らは……何だって言うんだよォ!」

 

 押し寄せてくる不明人機の影に、カイルは怒りに塗れた砲撃を引き絞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『《アサルトハシャ》部隊はうまく敵のエースを押さえている。今のうちに《バーゴイル》部隊を全滅させる事ね。彩芽』

 

 もたらされた通信に彩芽は目を伏せる。白亜の人機――《アサルトハシャ》。それはブルブラッドキャリアが開発していた二軍の人機部隊であった。

 

 宇宙産の血塊炉を擁した《アサルトハシャ》は出力、装備共に純惑星産の血塊炉を持つ人機に遥かに劣る。

 

 ただし、安価で量産が可能であり、今の《インペルベイン》の整備状況では真正面から打ち勝つのは不可能だと考えたニナイからの提言で出撃を許された新たな人機であった。

 

《インペルベイン》はまだ修復が万全ではない。Rトリガーフィールドは展開可能なものの、《グラトニートウジャ》の前では意味がないのは前回の戦闘で分かり切っている。

 

 だからこそ、今次戦闘では敵の戦力を減らす事に重点が置かれていた。

 

《アサルトハシャ》部隊が《グラトニートウジャ》を釘付けにし、その隙に《バーゴイル》を蹴散らしていく。

 

 孤立した《グラトニートウジャ》を最後は物量戦で押し出すという寸法だ。

 

 しかし、そううまくはいかないのは目に見えていた。

 

《アサルトハシャ》に乗り込むのはまだ年端も行かぬ少年兵達。彼ら彼女らには一通りのマニュアルしか与えられておらず当然の事ながら人機同士の戦闘など初めてであった。

 

 だが彼らに頼らなくては、今の自分では《バーゴイル》部隊さえも殲滅出来ないのだ。

 

 その事実が単純に悔しかった。

 

 奥歯を噛み締めた彩芽は口中に呟く。

 

「……許して欲しい、なんて言わないわ。だってわたくしだって、同じ穴のムジナだもの。でもだからこそ、犠牲は無駄にしない」

 

《アサルトハシャ》と《グラトニートウジャ》の戦闘に夢中になっている《バーゴイル》へと《インペルベイン》は音もなく仕掛ける。

 

 接近したのも一瞬。交錯の間に相手のコックピットを溶断していた。

 

 こちらの接近に相手方が気づいた刹那、全武装を解除し、照準を直上の《バーゴイル》へと向ける。

 

 胃の腑へと重圧が圧しかかる中、彩芽は叫んだ。

 

「アルベリッヒレイン!」

 

 重火器が《バーゴイル》の機体を嬲り、一瞬で無効化する。上昇して抜けていった《インペルベイン》が直下に数機の《バーゴイル》を照準に入れた。

 

 フルスペックモードの追加バーニアが翼の如く展開し、こちらの機動力を補助する。今度は押し込まれるような急転直下だ。

 

 ガトリング砲が回転し銃弾を《バーゴイル》へと浴びせかける。反対側に位置する《バーゴイル》へと追加武装の小型ミサイルが追尾し、《バーゴイル》が火線を張って爆発の光を拡大させた。

 

 今ので恐らく《グラトニートウジャ》にもこちらの位置が割れた。ここから先は出たとこ勝負である。

 

 どちらが根負けするか、どちらが相手の戦力を見極め、的確にさばき切るかの勝敗でしかない。

 

《インペルベイン》は追加ブースターを焚いて《バーゴイル》の背後へと回り込む。そのまま溶断クローを走らせ、血塊炉を引き抜いた。熟練度ではこちらのほうが遥かに上。

 

 前回、《シルヴァリンク》を苦戦させた《バーゴイル》は参加していないようであった。

 

 好都合だ、と彩芽は乾いた唇を舐める。裏返ったクロー内部の武器腕が火を噴き、《バーゴイル》を蹴散らしていく。

 

 しかしこれは《グラトニートウジャ》が追いつくまでの一時的な優勢に過ぎない。

 

《アサルトハシャ》が懸命に《グラトニートウジャ》の行く手を遮ろうとするが、高火力の《グラトニートウジャ》の砲撃が次々と《アサルトハシャ》を打ち砕いていく。

 

 視線を逸らしかけて、彩芽は己を叱責した。

 

「……何をやっているのよ、彩芽。貴女のせいでしょう! 貴女が、もっと強ければ、こんな事には……!」

 

 背後を取った《バーゴイル》へと振り返り様に銃撃を一射する。今は武装の無力化などという生易しい真似を取っている場合ではない。

 

 一機でも速く墜とす。そのためには積極的にコックピットを狙うしかない。

 

 銃撃網が奔り、《バーゴイル》を一機、また一機と片づけていく。だが相手も負けているわけではない。

 

《グラトニートウジャ》の砲撃が《アサルトハシャ》だけに留まらず、《バーゴイル》部隊の一部を巻き込んだ。

 

 拡大させたモニターの中に赤い眼光をぎらつかせた《グラトニートウジャ》の姿がある。

 

 刹那、展開されたのは常闇を飲み込むエネルギーフィールドの皮膜であった。

 

「……Rトリガーフィールド。一度でも取り込めば使えるって言うの……」

 

『来るよ、マスター!』

 

 ルイの声が弾ける間に、射線上の《アサルトハシャ》が次々と撃墜されていった。彼らの命の灯火などまるで度外視した破壊。鬼のように《グラトニートウジャ》から放たれた無数の黄色いR兵装の射撃が《アサルトハシャ》を貫いていく。きりもみながら放たれるR兵装に友軍機である《バーゴイル》でさえも及び腰になっていった。

 

『あんなもの……あんなものを我が軍は使っているというのか……!』

 

 震撼した《バーゴイル》の操主の声が次の瞬間には断末魔に変わる。《グラトニートウジャ》の射線には敵味方の区別がない。回転を加えながら放たれるR兵装の射撃には味方機を巻き込んででも相手を殲滅するという執念があった。

 

 怨嗟の声が響く中、彩芽は腹腔に力を込める。ちら、と目線を配った先にRトリガーフィールドの有効時間が表示されていた。

 

 たったの百二十秒。平時より一分も削られている。それでも今、展開せずしていつ使うというのだ。彩芽はRトリガーフィールドの展開準備をしようとして、《グラトニートウジャ》が《アサルトハシャ》の頭部を打ち砕いたのを目の当たりにする。

 

 少女のものの悲鳴が通信網を震わせた。

 

 目を見開く。その声はあの日、自分と出会った無垢な少女の声と同一であったからだ。

 

「まさか、そんな……!」

 

『ブルブラッドキャリアの少年兵って言うのは、やっぱり訓練も積んでいない子供達……! 組織はなんて事を……!』

 

 歯噛みした彩芽と《インペルベイン》に《グラトニートウジャ》が接近する。彩芽は雄叫びを上げつつRトリガーフィールドを拡大させた。

 

 虹の皮膜が常闇を切り裂き、二つの領域が干渉し合う。

 

 ぶつかり合った箇所から剥離し、二つの虹が宇宙空間に極彩色の染みを与える。

 

 Rトリガーフィールド同士の干渉は完全な想定外だ。何が起こるのか全く分からない。

 

 それでも、彩芽は《インペルベイン》を懸命に駆け抜けさせる。重火器が《グラトニートウジャ》を打ち据える中、相手は砲門を《インペルベイン》へと向けた。

 

 放たれたR兵装の光軸がRトリガーフィールドに弾かれ、拡散したエネルギーが友軍機である《バーゴイル》をも巻き込んでいく。

 

「味方も関係なしってわけ。だったら貴方が墜ちなさいよ!」

 

《インペルベイン》の弾丸の嵐に抱かれて《グラトニートウジャ》が機体を回転させる。放射されたR兵装の射線に入らないように《インペルベイン》は機動力を上げた。

 

 瞬時に相手の懐へと潜り込み、溶断クローを展開する。

 

 それと敵が顎の腕を突き出すのは同時。

 

 溶断クローが顎の腕の内側を焼くが、強靭な顎の腕に装甲がひき潰されていく。片腕をパージし、《インペルベイン》は咄嗟に距離を取った。

 

 先ほどまでコックピットがあった空間をもう一方の腕から放たれた砲撃が射抜いている。

 

 一秒の油断さえも許されない攻防。下方へと抜けた《インペルベイン》は《バーゴイル》部隊が二つのRトリガーフィールドに阻まれて動きを止めているのを認識する。

 

「今ならば《バーゴイル》は取れる」

 

『でも、《アサルトハシャ》はその半数以上を失った。こんな状態で、勝つなんて……』

 

「それでも勝てって話でしょう。どれだけわたくしが足掻いたって、結局組織にとっては……」

 

 濁した彩芽は照準警告に《インペルベイン》を横滑りさせる。《グラトニートウジャ》の攻撃は緩む事がない。

 

 それどころかさらに激しい暴風となって、宇宙の常闇を切り裂いていく。

 

「レディには優しくしなさいって教わらなかった? そんなだから、慎みもない!」

 

 仰ぎ見た《インペルベイン》の照準を補正させ、全弾丸を《グラトニートウジャ》へと叩き込む。

 

 敵人機が上方へと逃げていくのを、《インペルベイン》は果敢に追いかけた。

 

 ここで逃がすわけにはいかない。《アサルトハシャ》を――若い魂を失ったその代償はここで払わせる。

 

《インペルベイン》と《グラトニートウジャ》はRトリガーフィールドの中で激しくぶつかり合った。溶断クローを突き出し、敵の装甲を打ち破ろうとするが、《グラトニートウジャ》にはほとんど隙はない。少しでも離脱が遅れれば、相手の砲撃網に捉えられ、《インペルベイン》は前回のような醜態を晒す事だろう。

 

 彩芽はここで墜とす、という意思を固めて敵人機の関節部位を狙い澄ました。

 

 如何に《グラトニートウジャ》が重装甲の塊であっても稼動するための小さな弱点は存在するはずだ。

 

 針の穴ほどの活路を懸命に探し、弾丸が届いた途端、《グラトニートウジャ》から黒煙が燻った。

 

 内部で連鎖爆発を迸らせているのである。青い血が噴き出し、《グラトニートウジャ》の推力が急速に下がっていく。

 

「今なら! アルベリッヒレイン!」

 

 銃撃を軋らせ、《グラトニートウジャ》の弱点を突いていく。相手は出来るだけ外部装甲を盾にして防御を張ろうとしてくるが、それでも耐え切れない部分があるはずだ。

 

 彩芽は喉元から叫びを迸らせて敵人機のコックピットを狙う。溶断クローより熱が放射され、その頭部を砕くかに思われた。

 

『やらせない……、僕の、僕が、こんなにもなったのに、負けるなんて……。やらせるものかァ!』

 

 直後、Rトリガーフィールドが縮小する。リバウンドのエネルギー波が《グラトニートウジャ》の装甲に纏いつき、虹色の光を帯びた。

 

 溶断クローがコックピットへと命中するも、それは虚しく弾かれる。

 

 Rトリガーフィールドのもう一つの使い方だ。

 

 重量が極めて大きく設定されるために重力圏では使用不可能な代物であるが、宇宙ならば何の問題もない。

 

 Rトリガーフィールドを自身の機体表面に張りつけ、装甲を覆うリバウンドの盾を得る。

 

 この状態に達した場合、R兵装以外の武器は全く通らない。

 

 それを何よりも彩芽は理解しているからこそ、この隙が完全に勝敗を分ける事も理解していた。

 

 よろめいた形の《インペルベイン》へと《グラトニートウジャ》が照準を幾重にも重ねる。

 

 彩芽はフットペダルを踏み込み、離脱機動に移ろうとしたが、あまりに近い。掃射されたR兵装の嵐に呑み込まれ、《インペルベイン》が手足をもがれる。全身に裂傷のような損耗を与えられながら、必死に距離を取ろうとする。

 

『マスター! このままじゃ……!』

 

「分かっている! ルイ、後退しつつ全照準を相手のコックピットに注いで!」

 

『マスター? 何を言って――』

 

「早く! 今が千載一遇のチャンスなの!」

 

 四肢を失い、《インペルベイン》は宇宙の闇の中に消え去ろうとする。残された火器を振り絞り、銃撃網を《グラトニートウジャ》へと与えた。

 

 暴風のような火線に《グラトニートウジャ》が傾ぎ、装甲板が剥離する。重量級の熱に冒された機体表層が焼け爛れ、いくつかの弾丸が弱点部位を射抜いたのか、そこらかしこから紫色の爆風が噴き出した。

 

 しかし、それでも相手は健在だ。

 

《グラトニートウジャ》は確かに、これ以上の戦闘継続は難しくなっただろう。だが、それはこちらも同じ。

 

 翼の追加バーニアで逃げ切った《インペルベイン》は射程から遠く離れ、常闇を彷徨っていた。

 

 全天候周モニターはノイズに塗れ、ブルブラッドキャリアからの位置情報管理も儘ならない状態である。

 

『……彩芽。《インペルベイン》はここで回収を待つしかない』

 

「《グラトニートウジャ》に、負けたのよね」

 

 その言葉に立体映像のルイは頭を振る。

 

『健闘だよ。これ以上ないほどの。だって、相手はもう仕掛けられないでしょう』

 

 満身創痍の今、彩芽の脳裏に浮かんでいたのは一つであった。

 

《アサルトハシャ》部隊。命の灯火を使い捨てにする、自分の所属する組織。彼らにはもっとよりよい未来を描く可能性に満ちていた。こんなところで名もなき兵士として死なずに済んだのに。

 

 彩芽は浮かび上がる涙の玉を堪え切れず、コックピットで呻く。どうしようもなかったと言えばそこまでだが、どうにか出来ると、自分がもっと強ければ、対抗出来たかもしれない。

 

 結果に甘えて怠慢であったのは己自身だ。

 

「……ルイ。《インペルベイン》の制御系統、任せられるわよね」

 

『彩芽? 何を考えて』

 

 次の瞬間、彩芽はリニアシートのベルトを外し、背もたれに自決用の時限爆弾をセットした。

 

「わたくしはここで一度死ぬ」

 

『何を……、彩芽、どういうつもりなの』

 

 動揺するルイに彩芽は言葉を振る。

 

「……ここで組織を俯瞰するのには、一度縁を切るしかない。鉄菜と桃には申し訳ないけれど、それもこれも本当の正しさを見極めるため。このまま組織にいたんじゃ、わたくしはきっと、壊れてしまう」

 

《アサルトハシャ》のような犠牲を出してはいけない。そう強く感じているからこそ、ここで《インペルベイン》を降りる覚悟は出来ていた。

 

『降りてどうするの。ここからどうやって惑星に……』

 

「血塊炉を貫いた《バーゴイル》が無数にいるでしょう? 操主は逃げ出している可能性が高い。どれかに乗ってこの戦闘圏を離脱する」

 

 既に《バーゴイル》の当てはあった。彩芽の言葉にルイはうろたえる。

 

『何だってそんな……二号機操主と三号機操主に、どう説明すれば……!』

 

「わたくしは死んだ、って言っておいて。セットした爆弾でリニアシートを焼けば、ある程度信じるでしょう。何よりも、人機を破壊し過ぎたせいでブルブラッド濃度が高いから、検知されにくいはず。今しか、この決断を遂行する時はない」

 

 青く煙った闇の中、彩芽はコックピットブロックを開け放とうとして、ルイのシステム妨害に遭った。ルイは面を伏せたまま全てのシステムを掌握している。

 

「ルイ、制御系を解除して」

 

『出来ないよ……だって、マスターがいないブルブラッドキャリアなんて』

 

「それでも、よ。貴女は明日を描くために……《アサルトハシャ》部隊のような犠牲をもう出さないために内側から戦うの。わたくしは外から戦う」

 

『でも! そこにマスターはいないじゃない!』

 

 感情の堰を切ったようなルイの声音に彩芽は優しく返した。

 

「ルイは他人の事を思いやれる。多分、AI以上なんだと思う。それで導いてあげて。鉄菜と桃を。辛い戦いを強いるかもしれないけれど、それでもわたくしは、この戦いに納得するために」

 

 緊急射出装置に手をかける。それでもルイのシステム承認が必要だ。

 

『出来ない……出来ない、出来ない! マスターがいないのに、生きていたって……』

 

「約束するわ、ルイ。必ず戻ってくるから。だからその時まで、お願い」

 

 彩芽は小指を突き出す。ルイの立体映像の指が絡まった。体温さえも感じない約束。しかし、この時は確かに、ルイの息遣いを感じた。

 

「さよならね。鉄菜、桃。あとは任せたわ」

 

 コックピットから緊急射出された彩芽は宇宙の闇の中を掻いていく。すぐ近くに血塊炉を損傷した《バーゴイル》を発見し、推進装置を焚かせつつ相対速度を合わせた。

 

 コックピットに取り付き、気密を確認する。どうやら操主は撃墜されたと思ってすぐに救助を求めて逃げ出したらしい。《グラトニートウジャ》と《インペルベイン》の戦いに巻き込まれるよりかはマシだと判断したのだろう。

 

 彩芽はコックピット内の気密管理を完了させてから、右手に収まった起爆装置のスイッチを押した。

 

 音もなく、《インペルベイン》のコックピットが火を噴く。

 

 爆発としては小さいが操主一人が死んだと思わせるのには充分だろう。

 

 彩芽は内蔵血塊炉の炉心状態を確認してから、帰還用の推進剤を焚かせつつ救難信号を打った。

 

《バーゴイル》部隊が生き残っているのならば、無事に回収されるはずだ。

 

 離れていく愛機を目にしつつ、彩芽は頬を流れる熱が玉になって浮かぶのを噛み締めていた。

 

「これしかなかったのか……って何度も後悔するかもしれない。でも、今わたくしが出来る事は、きっと」

 

 流れる機体に任せて、彩芽は虹の皮膜に包まれた星を見つめていた。今も静謐に守られた惑星。どれだけの汚泥を抱えても、美しく輝く母なる星。

 

「偽りの美しさを納得出来なかった。きっと、それだけなのよ」

 

 それだけの、シンプルな答えの齟齬。その一つが自分を衝き動かした。

 

 程なくして一機の人機が帰投していく《バーゴイル》とは全く正反対の方向へと駆け抜けていくのが視界に入った。

 

 この世界がどう転ぶのかは全て、ここから先の人の意思に委ねられたのだ。

 

 自分は、世界を変える資格を拒否した。破滅への引き金を引く事に躊躇いを覚えた。

 

 搭乗する《バーゴイル》が他の機体に補助されてカタパルトへと収まっていく。彩芽は明日をも知れぬ星の息吹を、その目に宿していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯144 世界の拒絶

「倒した……僕は、モリビトを倒した!」

 

 哄笑を上げたカイルは敵から奪ったR兵装が時間切れを起こしたのを目にしていた。それでも、重武装のモリビトは確実に撃墜した事だろう。《グラトニートウジャ》の全身がレッドゾーンに晒されていたが、最早恐れるものはない。このまま、敵陣に潜り込み、敵兵を抹殺すればいいだけだ。

 

 白い不明人機が射程外から火線を張ってくるも、それら全てが児戯のように弱々しい。カイルは推進剤を焚かせて《グラトニートウジャ》のR兵装を掃射した。

 

 黄色いエネルギーの突風に敵人機が次々と撃墜されていく。最早、撃墜スコアを数える事さえもしていないが、圧倒的であるのは明らかだ。

 

《グラトニートウジャ》と自分ならば、覇権を握れる。このまま、帰ってまた栄誉ある身分に戻れるだろう。

 

 全天候周モニターに反射する自分はしかし、出撃前よりもより醜悪に変異していた。全身から煤けたような体毛が生え、背骨が折れ曲がり、獣と言っても差し支えないほどの全容になっている。

 

 顎の関節が外れ、異常発達した下顎から呼気が漏れた。カイルはそのまま敵人機を標的に据えようとする。

 

 宙域を流れていくのは《バーゴイル》の装甲もあった。だが、避けない彼らが悪かったのだ。

 

 自分を蔑み、その果てに避ける事も出来ない弱き者達。そのような人間は生きている価値などない。

 

 自分を崇拝しない人間は邪魔なだけだ。カイルは再びの栄光のために機体を走らせようとして、こちらへと一直線に向かってくる人機の反応に目線を振り向けた。

 

 背後から接近して来たのは白い《バーゴイル》である。その姿にカイルは幻か、と目をしばたたく。

 

「まさか、そんな……。僕のアルビノ……」

 

 眼前に迫っていたのは《バーゴイルアルビノ》であった。自分の愛機。誇りある白カラス。その機体がこちらに向かってくるのは夢のようであった。

 

 誰が操縦しているのだろう。

 

 自分と共に栄冠を掴むために、かつての愛機は相応しい。カイルは喜びに打ち震えていた。

 

「行こう。《バーゴイルアルビノ》。僕達の栄光のために、ブルブラッドキャリアを殲滅して――」

 

 そこから先の言葉を遮ったのは一射された攻撃であった。《グラトニートウジャ》が激震する。コックピットの中でカイルは周囲を見渡した。

 

 何に攻撃されたのか。最初、それが理解出来なかった。

 

 振り仰いだ先に、こちらへと照準を据える人機を目にする。

 

「……嘘だろう。僕のアルビノが……」

 

《バーゴイルアルビノ》に装備されたプレッシャーライフルが攻撃の残滓を漂わせている。驚愕の眼差しでそれを凝視していたカイルへと再び一条の射撃が放たれた。

 

 完全に虚を突かれた形の《グラトニートウジャ》は右肩から先の神経系統を奪われていく。

 

「何で、僕のアルビノが、どうして……。誰なんだ、誰が、僕のを!」

 

 カイルの戦闘神経が昂り、ハイアルファー【バアル・ゼブル】が起動する。とどめのつもりで放たれたプレッシャーライフルのエネルギーをハイアルファーの加護が吸い取った。

 

《バーゴイルアルビノ》は自身の誉れであった騎士の剣に持ち替え、こちらへと接近してくる。

 

 吼え立てつつカイルは顎の腕で応戦しようとした。しかし、相手は巧みに回避し、こちらの損傷した関節部位をちくちくと痛めつけていく。

 

 青い血潮が常闇に噴き出し、カイルは何度もコンソールに額を打ちつけた。

 

「何で、何で何で何で何で何で! 僕のアルビノだぞ!」

 

 叫びも虚しく、《バーゴイルアルビノ》が剣を振り翳し、《グラトニートウジャ》の血塊炉へと剣筋を見舞おうとする。

 

 こちらの砲門による攻撃網を潜り抜け、《バーゴイルアルビノ》は闇の中で照り輝いた赤い眼窩を自分に向けていた。

 

 主人であるはずの自分に。敵意が渦巻く赤い瞳を。

 

「誰なんだ……。僕のアルビノを使って、僕を傷つける事は、許されない!」

 

『許されないもクソもあるかよ、チクショウが』

 

 発せられた通信回線の声にカイルは絶句する。相手は、ここにいるはずのない人間であったからだ。

 

「叔父、さん……?」

 

 何かの間違いだと信じたかった。だが現実は無情にもその声を響かせる。

 

『悪いな、坊ちゃん。もう、善良な叔父さんを演じるのも疲れたんだわ。それに、もうやらなくっていいっていうお達しも出たんでな。ここいらで鬱憤を解消させてもらうぜ』

 

「何だって、何だって叔父さんが! 僕のアルビノで僕を……殺すはずなんて」

 

『ない、ってか? どこまでも度し難いってのはこの事を言うのかねぇ。どこから説明したって、てめぇには一生理解出来ねぇよ、温室が』

 

《バーゴイルアルビノ》の剣が《グラトニートウジャ》へと斬りつける。その一閃を浴びつつも、カイルは声を返していた。

 

「どういう事なんですか! 僕の叔父さんは、そんな人じゃない!」

 

『その自信もどこから来るのか不明だな。おかしいとは思わなかったのか? それなりに軍にいて、政治家の父親もいるのに、今さら遠縁の叔父? しかも、そいつが分かった風な事ばっかり言う。ここまで出来過ぎた偶然があるかよ』

 

 呆然とするカイルへと《バーゴイルアルビノ》の容赦のない剣筋が見舞われた。《グラトニートウジャ》が斬りつけられ、その度に機体が軋む。

 

「……何で。意味が分からない」

 

『ひっでぇ声になったもんだな、てめぇも。ハイアルファーに頼った末路ってわけか。今、お前が出てきても誰もカイル・シーザーだとは思わないだろうぜ。そんな化け物を討伐するのに、黒いカラスの中の唯一の白カラスってのは冗談にしても性質が悪い』

 

「どういう……だって、叔父さんは僕の事を理解してくれていて、僕の一番の話し相手で、理解者で、何もかも叔父さんは……」

 

『正しい、と思ったか? そいつが間違いの始まりだな、小僧。オレの本当の稼業は人殺しを生業とする戦争屋だ。てめぇらみたいなのとは一生縁がないと思っていたが、案外人生ってのは分からないらしい』

 

 戦争屋。紡がれた言葉にカイルは震撼する。

 

「嘘、でしょう……? 嘘ですよね、叔父さん。そんな嘘をついて、僕を動揺させて……、ああ、そうか。サプライズだ、これは。撃墜王の僕に、サプライズプレゼントをくれるって話ですよね? だって、モリビトをやった!」

 

 そう信じて視線を投じたカイルへと、《バーゴイルアルビノ》が剣を振り上げる。

 

『そうだな。モリビトをやったのは褒めてやってもいい。ただし、その撃墜の箔も、オレのモンだけれどな。てめぇには何一つ残らねぇのよ。野獣になっちまった広告塔の優男なんて誰も相手しねぇって話だ。サプライズだとすれば、一番はそれだな。てめぇは、自分を取り巻く全てが嘘だった、っていうトンデモ級のサプライズに抱かれて、死ぬ』

 

 ハッとした直後にはコックピットへと剣が打ち下ろされていた。刃が入り、操主服を貫通して血飛沫が舞う。

 

 瞬時に気密補助の機能が発生した《グラトニートウジャ》は逆にカイルを苦しめる結果になった。

 

 刃をくわえ込んだまま離さない事態にガエルがせせら笑う。

 

『こいつぁ、とんだ災難だな。最新鋭機がゆえに容易く死なせてもくれねぇってのはよォ!』

 

 刃が軋る。カイルは半身を切り裂かれた激痛に声も出なかった。今にも閉じそうな意識の中、赤い血潮がコックピットを埋め尽くしていく。

 

「叔父、さん……嘘だって、言ってください」

 

『ああ、嘘だぜ。てめぇに今までくれてやった全部の言葉がな。思い出しても、こいつは……虫唾が走るってもんだ!』

 

《バーゴイルアルビノ》が剣を手放し、プレッシャーライフルを速射モードに設定して連射する。

 

《グラトニートウジャ》から青い血が噴き出す中、噴煙に塗れた景色でカイルは手を伸ばしていた。

 

 自分の愛機、《バーゴイルアルビノ》へと救いの手を。

 

 その銃口が自分を捉える。

 

 直後、激しい爆風と衝撃波に意識が完全に閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ぐ、《グラトニートウジャ》を、撃墜した……?』

 

 うろたえる宙域の《バーゴイル》部隊へとガエルは通信を繋がせる。

 

「オープン回線で告げる。《グラトニートウジャ》は暴走したため、適切な処置を行う事になった。この戦域は既に壊滅的だ。一時撤退し、次の命令を待つ。《グラトニートウジャ》は回収。操主は即死であると思われる」

 

 その言葉に《バーゴイル》部隊の操主達は戸惑っているのが手に取るように分かった。ガエルはとどめの言葉を放つ。

 

「これはシーザー議員の勅命だ。モリビト撃墜の報は我が軍に絶大な士気高揚をもたらすだろう。同時にこの人機の暴走を許してしまった事を悔いている。ここで死ぬはずのなかった戦士達に黙祷を捧げつつ、今は撤退してもらいたい」

 

 白い《バーゴイル》は哀悼の証だ。《バーゴイルアルビノ》が弔砲のプレッシャーライフルを上方へと一射する。

 

 他の《バーゴイル》もそれに倣って天上に放った。

 

 撤退信号の光通信がもたらされる中、ガエルは《バーゴイルアルビノ》の中で静かに嗤っていた。

 

 眼前にはコックピットを潰され、大破した《グラトニートウジャ》が一機。本国はこの人機を忌むべきものとして封印するだろう。

 

 全ての手柄は自分のものというわけだ。モリビト撃墜も、《グラトニートウジャ》の戦歴も、何もかも。

 

 これで可笑しくないはずがない。ガエルは常闇に向けて高笑いしていた。

 

 自分の天下だ。これより先に待っているのは栄光のみである。

 

 虹の皮膜に包まれた星を見やり、ガエルは口角を吊り上げた。

 

「あとは、てめぇらだけだよなァ。モリビトよォ!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯145 喪失

『――報告します。《アサルトハシャ》七番機より、入電。《モリビトインペルベイン》を回収。機体損耗率が高く、操主の生存は絶望的かと』

 

 高濃度ブルブラッドのレーザーかく乱がようやく鎮まった頃にもたらされた情報は、ニナイを含むブルブラッドキャリア管制室を震撼させるのには充分であった。

 

 十分程度の通信中断。その間に起こったのは、敵対人機によるモリビトの撃墜という事実。ニナイは再三、確認する。

 

「モリビトの操主は? 一号機はどのような状態?」

 

『一号機は……四肢がもがれていて、武器も損傷。血塊炉は辛うじて無事のようですが、当のコックピットが潰れていて……』

 

 濁した言葉にニナイは最悪の事態を想定した。

 

「そう……分かった。地上のモリビトの執行者二人にも伝えなくてはいけない。即座に回収の後、確認を。その後、ブルブラッドキャリアは《アサルトハシャ》の残存兵を確認」

 

 報告の声を振り向けてから、ニナイは別室へと向かった。

 

 その途中の廊下で拳を壁に叩きつける。

 

 ――彩芽が死んだ。

 

 まだ事実確認は不明だがそう考えたほうがいいだろう。無事ならば通信を送ってくるはずだ。だというのに、それもないという事は執行者一人を失った事になる。

 

 なんていう失態。

 

 ニナイは眩暈にも似た感覚を覚えつつ、この状況を打開する方法を編み出そうとした。現状、《アサルトハシャ》残存部隊によるブルブラッドキャリアの守りは手薄だ。

 

 今、トウジャクラスの人機に攻め込まれれば確実に詰む。

 

 何とかしなければ、と思案するも、考えは空回りするばかりであった。この事態を重く受け止めているのは何も自分だけではない。ブルブラッドキャリア全体の指揮にも関わってくる。

 

「彩芽が死んだのだとすれば、次の手を打たないと。どうにかして、ブルブラッドキャリアがここで壊滅しないために、方策を……」

 

「お困りのようですね、ニナイ担当官」

 

 声をかけてきたのは鉄菜の担当官のリードマンであった。読めない笑みを浮かべた彼にニナイは眉根を寄せる。

 

「……何か?」

 

「そうつっけんどんにするものでもないでしょう。執行者が一人、失われた。しかも自分の担当する人間となればショックが大きいのも頷けます」

 

「まだ、彩芽が死んだとは限らない」

 

「ですが、事態は最悪の想定を浮かべるべきでしょう? モリビト一機分の損失。それは純粋にこちらの戦力が削がれた事を意味する」

 

「何が言いたい?」

 

「こんなところでいがみ合っていても仕方がない、という事です。担当官同士、お互いに干渉しないというルールではあった。でももう今さらです。ここは一つでも情報が欲しいところ。無論、それぞれの執行者への伝手も、ね」

 

 既に根回しをしている、と言いたいのか。ニナイは手を払い、その提言を断った。

 

「必要ない、とこちらが判断していれば、それは過干渉となる。担当官同士がすり寄ったところで、事がうまく運ぶとも限らない」

 

「ですが、ここから先は《シルヴァリンク》と《ノエルカルテット》のみの運用となる。……《インペルベイン》はもう使えないでしょう。それとも、未熟な少年兵を乗せて、モリビトを不要な危機に晒しますか?」

 

 それは決してあってはならないだろう。モリビトの執行者に足る存在の選定には慎重に慎重を重ねて行われた。それを自分達の代で汚すのは間違っている。

 

「オガワラ博士の……ブルブラッドキャリアの真意に背く」

 

「分かっているのならば話は早い。モリビト二機の即時呼び戻しを。そうでなければ手遅れになる」

 

「……だが地上も混迷を極めている。現状、こちらの守りだけを堅牢にしても」

 

「報復作戦そのものをご破算にするか、それとも次の機会を求めるか、という話にもなってくる。こちらとしてみれば次の機会に委ねたい。今、これ以上モリビトを失うのは惜しいんです」

 

 分かっているつもりではあった。頭では何もかも理解している。ただ、理屈ではない部分で承服しかねているだけ。

 

「……他二人の操主に、精神的破綻を来たさないとも限らない」

 

「ですが引き伸ばしには出来ない問題です。《インペルベイン》を失った事は戦局に関わってくる。執行者には教えたほうがいいでしょう」

 

 地上に取り残された二人の操主に彩芽が死んだと告げるのか。それはとてつもなく残酷な事のように思われた。

 

「ともすれば、執行者の離反を早める結果にも……」

 

「それでも、です。それでも、ブルブラッドキャリアのために戦う、という人間でなければ執行者は務まらない。それは、あなたが一番よく分かっているはずですが」

 

 逃げ切る口実もない。ここで執行者二人をさらに失う可能性に賭けるか、あるいはブルブラッドキャリア継続の形を取るかどうかで話は変わってくる。

 

「……一番に残酷な事を突きつけるというの」

 

「担当官としてアドバイスは送れます。ただ、決定権はニナイ担当官、一号機操主の担当であったあなたに集約されている。《インペルベイン》を失うだけならばまだ、取り戻せます。他二名の即時帰還命令を出す決定を」

 

 ニナイは拳を握り締める。どうして、ここまで立て続けに自分が結論を早めなければならないのか。

 

 彩芽を失った事に、動揺していないわけではないのに。

 

 この胸の中は考えていたよりもずっとざわめいている。彩芽も一つの駒として見ていたはずなのに、いつの間にか感情移入していたのだろう。

 

 それが担当官としては正しくないと分かっていても。彩芽とはそうでなくとも長いのだ。

 

 彼女の戦う意味を分かっていて駆り立てていたのは自分自身。

 

「地上のブルブラッドキャリアの執行者へと命令を。宇宙に戻るように」

 

 リードマンはその言葉を受けて身を翻す。

 

「了解しました。後の事は、こちらから話しておきましょう。二人の担当官の仕事まであなたが背負い込む必要はない」

 

 リードマンが立ち去ってから、ニナイは軽減された重力の中を漂った。

 

 涙の粒が浮かび上がり、堰を切ったように感情が溢れ出す。どうして、と自分でも分からず呻いた。

 

「彩芽に、ここまで入れ込んでいたなんて……」

 

 他の操主には道具以上の感情を見出せなかったのに、彩芽だけは別だったというのか。それは勝手だ。勝手な思い込みと、勝手な価値観で、他人の命を弄んだ。

 

 きっと、彼女とて許しはしないだろう。

 

 ここから先、彩芽の犠牲を無駄にしないためには戦い抜くしかない。最後の最後まで。たとえ意地汚くても。

 

「彩芽……あなたはこんな孤独を味わっていたのね」

 

 彼女は操主になるために同朋を殺し、たった一人で戦い続けていた。その結果が戦死ならば何も報われない。

 

 絶対の孤独の中、ニナイはこれから先のブルブラッドキャリアの行く末を思案する必要があった。

 

 宙域戦闘の結果から既にこの廃棄資源衛星の中でも本丸がある場所は絞れているだろう。

 

 どれだけ相手を消耗させ、引き伸ばせるかだ。それにかかっている。一つでも打ち間違えれば、この局面では大敗を喫する。

 

 それだけは避けなければならない。ブルブラッドキャリアの全滅はまだ、計画の前段階に組み込まれていないのだ。

 

 まだ、世界は変わる途上。

 

 今、自分達がいなくなるわけにはいかない。

 

「彩芽、遂げてみせるわ。ブルブラッドキャリアに、失敗は許されない。でしょう?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯146 悪魔の繭

 すぐに来て欲しい、という報告を受け、タチバナは格納庫へと呼び出されていた。

 

 下仕官はどこから説明すればいいものか、と言葉を探りあぐねている。

 

「とにかく、急だったんです。何もかも、そう、とても急な話で。だから、我々としても手を打つだけの時間もなかったので……。説明が難しい事象なのは間違いないんですが」

 

「渡良瀬にモニターをさせていたはずだ。彼からの定時連絡がない」

 

「それも込みなんです。今、現場はしっちゃかめっちゃかで……上も下も、どうしようもない感じなんです。上層部は、あんなもの、今すぐ汚染域に捨て去れっていう強硬派も居るくらいで……」

 

 額に浮かんだ汗を拭った下士官の慌てようはただ事ではない。タチバナは落ち着くように言いやった。

 

「ここで慌ててもどうしようもなかろう」

 

「その通りなんですが……一刻を争う事態なんです。このまま静観していれば、この基地そのものを捨てざるを得ない状況で……」

 

 基地を捨てざるを得ないほどの極地に立たされているというのは言い過ぎだろう、とタチバナは顎鬚を撫でて考える。

 

 ここで妄言と切り捨てるのも一つの選択肢だったが、キリビトの改修計画を台無しにするのも旨みはない。

 

 どこまで人は原罪に寄り添えるのか。その試金石にするのに、キリビトという題材は打ってつけであった。

 

 最下層格納庫に辿り着いたタチバナは鼻をつく臭気に眉をひそめる。

 

「汚染大気だ……!」

 

 すぐさまハンカチで鼻と口を覆ったが、それでも少し肺に取り込んでしまった。下仕官が慌ててマスクを用意し、浄化装置をオンにする。

 

 タチバナの分を取り付けようとする下士官の手を振り払い、自分で装着した。

 

「ああ、すいません、ドクトル。ですが、この状況を見てもらえば分かるように、誰もが混乱しているのです」

 

 紺碧の霧がたゆたう中、タチバナは歩みを進める。《キリビトプロト》の切除作業が行われていた区画に陣取っていたのは巨大な有機物であった。

 

 繭である。

 

 薄く青に彩られた繭が、格納庫の一画を支配していたのである。

 

「繭……、これは、何の冗談だ?」

 

「冗談ではないのです、ドクトルタチバナ。つい二時間前に観測された現象なのです、これは。静止カメラを確認しても、急速な現象でして誰もこれをモニター出来ないほどの速度で……」

 

「手短に話せ。これは、《キリビトプロト》だと言うのか?」

 

 下仕官が結論を下しかねていると、ブリッジから渡良瀬が降りてきた。厳重装備の浄化服に自分がどれほど軽装なのかを思い知らされる。

 

「博士……、これは、その」

 

「渡良瀬。ワシを裏切るのは、まだよかろう。だが、国家に歯向かったとなれば、貴様もそれ相応の報いを受けるぞ」

 

「違うんです、これは……わたしも想定外で」

 

「想定外? この有機物は何だ? 人機の改修作業をワシは命じたはずだな?」

 

 渡良瀬も困惑しているのか、なかなか言葉を継げないようであった。そんな中、歩み出た影が口を差し挟む。

 

「タチバナ博士。これは恐らく、血塊炉の暴走現象だと思われます」

 

 女の声にタチバナが胡乱そうにしていると、渡良瀬が説明に入った。

 

「……《キリビトプロト》の専属操主になる予定の兵士です」

 

「ほう、専属操主とは。なかなかの物好きだ」

 

「あなたほどではないでしょう、プロフェッサー。《キリビトプロト》の自己増殖機能に目をつけ、あえてその部分のみを切除せずに残せと言い置いた結果が目の前の繭です」

 

 どこか糾弾する響きにタチバナは鼻を鳴らした。

 

「ワシのせいだと言うのか?」

 

「被害が出ていないからいいものの、これは責任問題に直結します」

 

「笑わせる。ワシを軟禁し、好き放題に開発を進めておいて今さら責任の擦り付け合いか。それこそ、どの口が、という話だ」

 

 一触即発の空気に渡良瀬が咳払いし、状況を説明する。

 

「……つい二時間前、《キリビトプロト》改修作業中に、繭が発生。それより十分もしないうちにここは高濃度ブルブラッド汚染に晒されました。現状の濃度は七十パーセント越えです」

 

「汚染域に老人を連れて来るとは。ここで死ねと言いたいのか?」

 

 言葉を飲み下した渡良瀬に対し、女操主はどこか強気であった。

 

「わたし達では所詮、現場としての判断しか下せません。専門家のご意見と助力を乞います」

 

 厚顔無恥とも言えるその言い草にタチバナは辟易を浮かべつつも、現状を俯瞰していた。

 

「これは……高濃度ブルブラッド汚染から鑑みて、血塊炉の暴走現象と結論付けるしかない。ただし、内蔵血塊炉が通常の三倍近くあったな? あれが暴走し、意図的に起こった現象なのだと仮定して繭の中では、原始的な進化現象が行われていると推測する」

 

「繭の中で、人機が自律進化を?」

 

 考えられない、という声の渡良瀬にタチバナは言いやった。

 

「それで何年、ワシの右腕を経験してきた? ブルブラッドは時折、理論だけでは説明出来ない現象を巻き起こす。高濃度ブルブラッド汚染の中では人の呼吸は白く煙ると言う。通常の現象とはまるで別の、この世の全ての現象とは全く正反対の事実が突き付けられると考えられてもおかしくはないのだ。その事実を前に、人類とはかくも弱く、脆いもの。百五十年前に起こった悲劇から何も学んでおらん」

 

「タチバナ博士。《キリビトプロト》が自律進化の過程に入ったとして、ではどうして、高濃度ブルブラッド大気の散布を? これでは近づけません」

 

「そのつもり……なのかもしれんな」

 

 タチバナの憶測に渡良瀬が戸惑う。

 

「どういう……」

 

「ワシら人類の干渉を拒み、《キリビトプロト》は次の段階に入った、という事なのかもしれん。独裁国家ブルーガーデンの虎の子であった機体。加えて百五十年前の叡智がそのまま残された人機。何が起こっても不思議ではない。それが人類には早過ぎる事象であってもな」

 

「《キリビトプロト》は、我々の干渉を拒んでいるとでも?」

 

「可能性としては。だがワシは、この繭を廃棄するのには反対だな」

 

「ですが……高圧縮されたブルブラッド大気はそれだけでも猛毒です。こんな……排気能率も悪い地下格納庫で隠し通せるのも限界がある。ゾル国上層部に、自分達の真下で爆弾が精製されていると割れれば、誰もが逃げ出すでしょう。今、この国に支配の亀裂を走らせてはいけないのです」

 

「渡良瀬、随分と国家に忠実な主義者になったではないか。それだけ飼い犬根性が染み付いていれば、なるほど、祖国を裏切っても痛くも痒くもないと見える」

 

 息を詰まらせた渡良瀬の代わりに女操主が問いかけた。

 

「現状、この繭の存在を完全に隔離する事は不可能です。もう、上のある程度の人間には知られてしまっている」

 

「ではリスクを押してでもキリビトの完成を待つか、あるいはこのままこの区画を永久封印して、また百五十年前の愚策を繰り返すか否か、と言ったところだな」

 

「……我々だけでは《キリビトプロト》が進化しているのかも判断しかねるのです」

 

「そのための老人か。ワシには簡易マスクと適当な浄化装置だけで、まさかこのブルブラッドの塊に触れろとでも?」

 

 下仕官が慌てて厳重な浄化服を用意するがもう遅いだろう。どうせ、早く死ぬだけの話だ。タチバナは突っぱねて繭へと歩み寄っていった。

 

 繭の中では胎動が確認出来る。中で何かが跳ね回っているのだ。

 

 青白い鼓動にタチバナは研究者としての知的好奇心を抑えられなかった。

 

 触れるつもりはなかったのに、高濃度のブルブラッドの塊へと、直に手を触れる。

 

 途端、結晶が肩口まで至った。激痛を感じた時には、結晶体が皮膚へと突き刺さっている。

 

「博士!」

 

 渡良瀬が駆け寄り、その手へと視線を注いだ。少し血が出ているが、大した怪我ではない。それよりも、とタチバナは再度繭に触れる。

 

 今度は抵抗もなかった。

 

「やはり、この繭、生きている」

 

「生きて……? 人機は兵器ですよ」

 

「血塊炉というものの成り立ちを知れば、あながちそう兵器とも断じられんものだ。お主らは血塊炉が何で出来ているのか、知ろうともしない」

 

「それは……」

 

 口ごもった渡良瀬に女操主が声を差し挟む。

 

「命の欠片……降り積もった惑星そのものの命の結晶体こそが、血塊炉の大元。古代人機は命の河……全ての生命体の源を守る守護者」

 

 淀みないその返答にタチバナは目を見開く。

 

「……驚いたな。ゾル国では古代人機は侵略生物だと断じて皆、考えを改めないと思っていたが」

 

「一部の思想家にはありふれた感覚です。古代人機をただの撃墜スコアだと考えているのは、それこそ末端兵のみ」

 

 自分はそうではない、とでも言いたげだ。タチバナはフッと笑みを浮かべ、言葉の先を繰ってやった。

 

「……英雄、モリビトの名前をただ妄信しているわけではないという事か。いいだろう。ならば命の結晶体である血塊炉から、新たな命が生まれる事に何らおかしな理論の飛躍はあるまい」

 

「で、ですが、博士! 《キリビトプロト》は間違いなく、沈黙していた! あれは破壊された人機であったはず!」

 

 この場で一番に狼狽しているのが自分の右腕を長年務めた渡良瀬だというのは冗談にしても性質が悪かった。タチバナは一拍置いて、キリビトを内包する繭へと視線を投げる。

 

「自律進化のきっかけは、恐らく、自己再生能力に端を発していたはず。この人機は元々、自分の最適な姿を自ら模索し、その形状へと進化するものであった。それが、本来のキリビトの姿。ブルーガーデンの者達はその上から覆いをかけ、キリビトの真の力を封じる事で、支配を可能にしていた、と仮定すれば」

 

 まさか、と渡良瀬が息を呑んだ。

 

「破壊された事で、ようやく本来の姿に戻れた、とでも……」

 

 ブルーガーデンは元々、余計な事をしていた。何もしなければキリビトは進化し続ける人機であった。それに追加武装をつけ、自らが御しやすいように「調整」していたのが、《キリビトプロト》、という人機の姿であった。

 

 そう考えれば腑に落ちる部分もある。自己再生能力はこの人機が元々持ち合わせている初期能力。キリビトがどうして汚染の爆心地になったのかも同義。

 

 キリビトは「生きている」人機であった、と考えれば飛躍でも何でもない。ただ、本来の姿に戻ろうとしているだけ。

 

「ですがそう考えると、我々の改修計画そのものが破綻します。思うように進化してくれるとは限らない」

 

「そうさな。だからこそ、どこかで布石を打つ必要がある」

 

「布石? まさか、繭に働きかけて進化を決定付けられるとでも?」

 

 タチバナは振り返り、システム筐体を視界に入れた。歩み寄り、筐体からケーブルを引き出す。

 

 システムケーブルを繭に触れさせると瞬時に繭がそれを取り込んだ。

 

 瞠目する渡良瀬にタチバナは命じる。

 

「こちらから、《キリビトプロト》の完成形をある程度予測する事は可能だ。これは人機であるのには違いないのだからな。ブルーガーデンが出来た事、ゾル国が出来ないはずもあるまい」

 

「ですが、どうやって……電気信号を受け付けるとでも?」

 

 困惑の中、渡良瀬はどこか自暴自棄になっている。タチバナは落ち着いて指を振った。

 

「浅慮だな、渡良瀬。元々、人機開発自体、血塊炉という未知の物質に働きかけ、その力を最大限まで得るもの。電気信号で現行の人機は制御されている。相手が巨大な繭になったからと言って急に制御から離れるという道理もあるまい」

 

「つまり……今まで通りで構わないと?」

 

 女操主は飲み込みが早い。タチバナは首肯し、繭に視線を注いだ。

 

「そうだ。今までのように装甲を継ぎ足していく方式とは異なるが、電気信号を与え、進化の方向性を限りなく寄せる事は可能のはず。我々の制御下に置くように、キリビトの完成形を深層心理に叩き込めばいい」

 

「問題なのは、時間、ですね。上も下もてんてこ舞い。この状態ではいつ、このプロジェクトそのものが打ち切られないとも限らない」

 

「繭の孵化がいつになるのかはワシも分からん。こればっかりは人間の寛容さに賭けるしかないな」

 

 踵を返したタチバナに渡良瀬は言葉を投げかける。

 

「博士! これ以上何をすれば……!」

 

 タチバナは冷徹に、一瞥を向ける。

 

「ワシが言った事以上の事はしなくてもいい。簡単に言えば何もするな、というのが正しいのだが、お主らがそれでもキリビトを兵器として運用したいのならば、可能性に賭けろとしか言えんな。《キリビトプロト》がまだ、人間の制御域に留まろうとしているのか、それを見極めるのは何も一朝一夕では出来まい」

 

 エレベーターに戻ろうとしたタチバナに渡良瀬が叫ぶ。

 

「離反行為ですよ! ゾル国の国益に背く!」

 

「元々、ワシはこの国のために動くつもりはないのでな。軟禁され、動く事も儘ならぬ間に貴様らが勝手にワシの動向を覗き見して、その挙句に造り上げたのがトウジャだろう? 今さら責任逃れの言葉が通用すると思うな」

 

 タチバナは視界いっぱいに広がる繭を眺め、感嘆の息をつく。

 

「……まだ、世界は分からんものだな。分かった風なつもりになっていただけか。モリビトも、何もかも」

 

 扉が閉じ、タチバナはマスクの中を呼気で曇らせた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯147 赤い血

 定期暗号通信は二時間も遅れていた。

 

 何かがあったのは疑いようもないが、鉄菜は無闇に動くべきではないと判断していた。ここでモリビトが不要な動きを見せればそれこそ世界からしてみれば好機となる。《モリビトタナトス》も完全に破壊したわけではない。迂闊は死を招く可能性は充分にあった。

 

 ジロウがその時、不意に全天候周モニターを仰ぐ。もたらされたのは緊急暗号通信であった。

 

 ジロウが解析にかかり、鉄菜は問いかける。

 

「二時間も待たせた言い訳か?」

 

『どうやら、それだけじゃないみたいマジ……。宙域戦闘における被害と、地上での作戦行動の中断命令、それにこれは……』

 

 口を噤んだジロウに鉄菜は違和感を覚える。

 

「どうした? 何か別の注文でも?」

 

『……鉄菜。一号機が……彩芽が戦闘中に死亡した、という報告が入っているマジ』

 

 最初、何を言われているのか分からなかった。

 

 彩芽の死亡。その報告だけ妙に浮いて聞こえたほどだ。

 

「何だって? こんな時に冗談なんて……」

 

『冗談なら! 言いたくないマジよ! でも、これは、全AIサポーターに同期されていて……確定情報マジ!』

 

 まさか、と鉄菜は虚脱した身体をリニアシートに預けた。

 

 彩芽が死んだ。一号機は大破したのだろうか。そのような考えを他所に悲鳴が通信を震わせた。

 

 慌ててコックピットから出た鉄菜は桃が耳を塞いでコックピットから危うい足取りで這い出たのを目にしていた。

 

「桃・リップバーン……今の報告を……」

 

「嫌! 何も聞きたくない! そんな……アヤ姉が、死んだなんて」

 

 やはり聞いたのだ。鉄菜はアルファーで《シルヴァリンク》を操作し、《ノエルカルテット》に寄せる。よろめいて落下しかけた桃の身体を鉄菜は跳躍して受け止めた。

 

 着地時に軋んだ関節を感じたものの、桃は無事であった。

 

「嘘、嘘よ……アヤ姉が死んだなんて、嘘に決まって……」

 

「桃・リップバーン。ここで私達を混乱させたところで組織に得るものはない。恐らくは事実だ」

 

 本当に彩芽は死んだのだろう。それを受け止めなければどうしようもなかった。桃は耳を塞いで叫びを迸らせる。

 

「嫌! 何で、どうして! どこまで世界はモモ達を試すの? どうして、こんな目に……!」

 

 理不尽には怒る権利はある。だが、それは常人の場合のみだ。自分達はブルブラッドキャリア。理不尽と戦う権利を持っている数少ない存在。

 

 理不尽に打ち克つのには戦うしかない。戦って勝ち取る事のみが、この不条理な世界を生き抜く術なのだ。嫌というほどそういう世界を見て来たはずなのに、いざとなれば覚悟が足りていない。

 

 鉄菜は自然と頬を流れる熱を止められなかった。何がこの胸に押し寄せているのか、全く不明なのに、この感情を与えてくれた人間は分かる。その相手を失った事も。

 

「……桃・リップバーン。彩芽・サギサカは死んだ。それを受け止めるのならば、ここから先は慎重を期す必要がある」

 

 肩に手を置こうとした鉄菜を、桃は振り払う。

 

「クロは、何でいつも、そうやって冷静に……! あんたが裏切った時、一番信じていたのは、アヤ姉だったのよ!」

 

「ブルブラッドキャリアのために行動した結果だ。あれを裏切りだとすれば、これから行う事全てが裏切りになりかねない」

 

「……そうやって澄まして。アヤ姉は、そんなあんたでも信じて、最後の最後まで助けようとしたのに! 何で、アヤ姉が死んじゃうの! どうして……何も、悪い事なんてしていないのに……」

 

 善人だけが生き残るのならばこの世は如何に棲み易いことだろうか。実際には、悪人がのさばり、善人は割を食って消えていく運命だ。

 

 悪の芽を絶つためには自分達が悪だと罵られようとも剣を取らなければならない。剣を振るって、その末に待っているのが地獄の炎であっても、それでも休む事なく剣戟の中に生きなければならないのだ。

 

「……ジロウ。他の情報は」

 

 手首の端末が点滅し、ジロウの音声を伝える。

 

『そのまま宇宙への帰投任務が出ているマジが……今の《ノエルカルテット》の状態ではとても地力では上がれないマジ。マスドライバー施設を借りて、重力圏を抜け切るしかないマジが……』

 

 濁したジロウに鉄菜は先を促す。

 

「どうした? マスドライバー施設を奪取し、それを使えばいいのだろう?」

 

『簡単に言うマジけれど……マスドライバー施設を持っているのは現状、C連合だけマジ。また、C連合に仕掛けなければならないマジよ』

 

「つまり、戦えばいいだけだ」

 

 鉄菜は桃の腕を引っ掴み、そのまま立たせようとする。虚脱した桃は頭を振った。

 

「もう、戦いたくないの……」

 

「立て。まだ私達の戦いは終わっていない」

 

「終わったも同然じゃない……。アヤ姉が死んだ。今の報告だけで、ブルブラッドキャリアは少年兵までつぎ込んで資源衛星を守ったけれど、それでももうほとんど本丸を特定されている。次の決戦でブルブラッドキャリアは大敗する。もう、決まったようなもの」

 

「それは私達の行動如何にかかっている。マスドライバーを奪取し、宇宙に上がる。三号機のジャミング性能が頼りだ。立ち上がれ。桃・リップバーン」

 

 キッと睨み上げた桃が赤い瞳を向ける。鉄菜の頭部がある空間が歪み、不可視の力がそのまま押し潰そうと迫った。

 

 それでも、鉄菜は退かない。ここで退けば、桃は二度と戦う事はないだろうと直感したからだ。

 

「……何で逃げないの。潰しちゃうよ」

 

「逃げれば、ではお前は戦うのか?」

 

「……どうして。嫌な事から逃げて、何が悪いの? もう嫌! こんな力も、こんなものにすがるしかないモモも! 戦いばかりのこんな世界も! 何もかも!」

 

 鉄菜は機体を仰ぎ見る。相棒の《シルヴァリンク》は緑色のデュアルアイセンサーでこちらを見据えていた。

 

 まだ戦う意思がある。この心は折れていない。その確認のように、鉄菜は頷く。

 

「報いる確実な方法は、戦う事だ。私達が諦めなければブルブラッドキャリアは再起出来る。まだ、逆転の手は……」

 

「そうやって言葉を弄して! みっともないと思わないの!」

 

 鉄菜の額の近くで不可視の力が弾け飛んだ。空気の刃が眉間を切り裂く。滴った赤い血に、鉄菜は掌に視線を落としていた。

 

 ――まだ、赤い血だ。

 

 まだ自分は人間なのだ。人間である、という証明がここにある。

 

「……桃・リップバーン。お前に言っていない事があった」

 

「何? どうせ、今さら説得なんて」

 

「違う。私自身の、欠陥についてだ。私は、どうやら人造血続らしい。組織が人為的に造り上げた、完全なる強化人間。だが、私には致命的なミスがある。それを、上も分かっていて、私を《シルヴァリンク》に乗せている」

 

「致命的な、ミス……?」

 

 こうやって他人に話すのは初めてだ。纏り切らない己の業を、鉄菜は切り出した。

 

「私は、人造人間。言ってしまえば人類の被造物……人機と同じだ。この身体に流れるのが人機と同じ、青い血でも何らおかしくはないと思っている。いつか、この身も、人機と同じになってしまうのではないかと、殺戮機械に成り下がってしまうのだと私は直感的に思っている。だから、私は《シルヴァリンク》に乗り続けるしかないんだ。造られた存在だから、私が生きる理由は、戦う事しかない」

 

 青い血の悪夢。それは自分を戦場へと縛り付ける呪縛だ。自分の生きられる場所が戦場しかないのだと誰に教えられたわけでもないのに感じ取っている。被造物の宿命、造られた人間は争いの絶えない火の中でしか己を見出す事も叶わない。

 

「クロ……あんた、そんな事を考えて……」

 

「そう思わないとやっていけない時もある。私の生きている意味が何なのか、ブルブラッドキャリアに貢献し続ける事だけが、私の生存を唯一許す理由なんだ。この手も、足も、耳も鼓動も、感じ取る何もかもが、シミュレートされ試算され、何者かに掌握された代物に過ぎない。私は、私の存在そのものを嫌悪する。こんなものにすがってまで、生きていかなければならないのは私のほうだ。計算済みの身体に、計算済みの思考回路。どこまで行っても、私には人間というものが持つ不可解な行動原理が理解出来ない。だからなのか……こうやって自分に赤い血が流れているのを見ると、少しだけ安堵する。まだ、私は人間の側なのであると」

 

「クロ……」

 

 人間である証明などどこにもない。自分の担当官であるリードマンでさえも、鉄菜の本当の正体に関しては明かしてくれなかった。人造血続である、という事実のみ。

 

 そして、似姿を殺し続け、二号機の操主に任命された事だけが明確に脳内で記憶として結ばれている実感。

 

「私は、ブルブラッドキャリアのために戦うしか道がない。それ以外は不適格だからだ。《シルヴァリンク》を降ろされるのならば、それの意味するところは私という個体の存在証明の消失……つまり無価値になった、という事だろう。私がこの世で最も恐怖するのは、私がここにいる価値さえもなくなってしまう事。なら、私は戦場でもいい。私が私でいいと誰も言ってくれないのならば、業火の中で争い続けるのが、私らしいというのならば……」

 

 握り締めかけた拳に桃がそっと手を翳していた。鉄菜はハッとする。桃の頬を伝い落ちる涙と自分の頬を流れるものは等価値なのだろうか。「人間」と「自分」とでは、同じ現象でも全く違う意味を描くではないだろうか。

 

 観察していると桃が首を横に振った。

 

「クロ、そんな事ないよ。クロは、だって生きている。この手も、あたたかいもの」

 

「あたたかい……体温がなければ生物は活動を持続出来ない。だから、必然の要素として熱を持っているだけだ。ただの現象。ただの事柄の羅列に過ぎない。それを生きていると仮定出来るのかどうか、私には分からない」

 

 桃の手が自分の手を包み込んでくる。小さな手。何も掴めないような、弱々しい代物。これで世界を変えるとのたまうのだから笑いものだろう。自分達は結局、小さな世界しか知らなかったのだ。

 

 世界の広さを知らず、何を知り、何を求めればいいのか分からないまま、流転する世界の律動の勢いに呑まれかけている。

 

 ――呑まれてはならない。

 

 鉄菜は桃の手を握り返した。仰天したような桃に鉄菜は言い返す。

 

「これが、生きているのだと、まだ生きて、ここにいるのだと証明出来るのならば、私は戦うべきだと思っている。それこそが、ブルブラッドキャリアに出来る事なのだと」

 

「でも……クロ。アヤ姉がいないんだよ」

 

「彩芽・サギサカと《インペルベイン》がないのは痛いが、今すべき事を模索するのに、何も遅くはない。私達だけでも、ブルブラッドキャリアのために……何よりも志半ばで散っていった彩芽・サギサカのために、報いるべきだ」

 

 こちらの決意を他所に桃は不安に顔を翳らせる。

 

「それは、でもとても難しい事だと思う……。だって、《モリビトタナトス》だって倒し切れていない。他の、トウジャなんてもっとそう。今のままじゃ、分の悪い消耗戦を続けるだけだよ」

 

 やはり勝算が必要か。鉄菜は思考を巡らせた後、一つの結論に行き着いた。

 

「……桃・リップバーン。最小限の戦闘で最大限の利益を得られるのが、私達が今、やるべき事だと感じている」

 

「それは、その通りだけれどでもだからって最善策なんて」

 

「突破口となるのは、一つだ」

 

 言い放った鉄菜に桃が息を呑む。

 

「……考えがあるのね?」

 

「賭けに近い。だが、いずれにせよ避けられない道だ。私達がブルブラッドキャリアであるというのならば」

 

 まだ不安を拭い切れていないのだろう。桃の瞳には迷いが浮かんでいたが、それでも、と唇を引き結ぶ。

 

「……いいよ。やろう、クロ。もう、モモ達だけでこの星を相手取るしかない」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯148 遠回りでも

 ブルブラッド大気汚染濃度があまりに濃いと、観測室の弾き出す数字ですらエラーが巻き起こる。今も内容不明のプログラムシートが引き出され、観測係は嘆息を漏らした。

 

「暇だよな、ここ……」

 

 そのぼやきに相方がキーを打つ手を止めずに応じる。

 

「仕方ないだろ。ここで出張っていろって言われたんだから」

 

 だからと言って警戒任務ほど欠伸の出る代物はない。無数に仕掛けられたカメラの中には重力の反転した異空間が広がっていた。

 

 塵芥は上空へと昇っていき、人機の装甲のような重厚な物質ほど中空を漂う。これではまるで宇宙の常闇である。それも、青く濁った宇宙の。

 

「でもよ、国家も暇だよな。こんな辺境地……ブルーガーデンだろ?」

 

「もうその国家は存在しないって。あそこに広がっているのはただただ、ブルブラッドで汚れた平地でしかない」

 

「つまんねー。ポーカーしようぜ」

 

 その言葉に一瞥を向けた相方は毒づく。

 

「そのカード、さっき確認したが、トリックカードだろうが」

 

 ばれていたのならばゲームセット。運よくぼったくれるのだと思ったが。男はトランプをコンソールに並べつつ口を開いた。

 

「ブルーガーデンの崩壊理由、聞いてるかよ」

 

「妙な人機を使ったせいって言うのは。本国の格納庫にこれがあるってよ」

 

 端末を振り翳した相方は投射画面に細身の青い人機を映し出していた。

 

「これが……トウジャ、って奴か」

 

「詳しくは知らないが、最新鋭機である事だけは間違いないらしい。でもま、おれらには関係のない話だけれど。塔から敵国を見張るだけの仕事。ガキでも出来る」

 

「それで金がもらえている状況は儲けたと思うがなー。だってよ、もう復活しない敵国の監視だろ? 予算の無駄遣いだろ」

 

「この世には予算を無駄遣いしないと困る人間がいるって事だ。そもそも人機開発が予算食いって言われている部門だってのにどこの国だって絶対に削らないのはそれが圧倒的な力の象徴だって理解しているからだろ。理解もしてなきゃそいつはただの」

 

「馬鹿、って事か。軍人身分はお互い辛いもんだな」

 

「名残惜しければ故郷のママのところにでも帰れよ。そいつが一番安心だろ」

 

 その言葉に男は微笑んだ。

 

「遠慮する。うちの母親ケツのでかいデブだからよ。青い景色見ているほうがまだ癒されるってもんだ」

 

「ま、帰れる時に帰っておけって。おれも再来週有給取るからよ」

 

「帰れる場所、か。独裁国家連中の帰れる場所って何なんだろうな。帰ったって、結局嫌な事の繰り返しだろ?」

 

 ちょうど山札から引いたトランプはジョーカーで、こちらをせせら笑っている。

 

「嫌だって事さえも感覚の外なのかもな。その点、C連合はしっかりしてる。ナナツーはほとんど陸戦だが、融通も利くしな。こちとらいざ、殲滅戦になったら案外粘り強いはずだろ。それがいいか悪いかはともかくとして」

 

 相方はふぅんとどこ吹く風だ。

 

「軍人連中は大変だねぇ」

 

「お前だって軍人だろ?」

 

「正規軍とは違うって話。あいつら、モリビトとやり合うってんだぜ? 狂ってる」

 

 頭を振る相方に男は言ってやった。

 

「そのモリビトだって、案外近いのかもな」

 

 潜めたその声には隠し切れない事情が滲み出ている。誰もが噂するのだ。人の口に戸は立てられない。

 

「……マジなのか? ゾル国のモリビト……もとい、英雄を拾ったってのは」

 

「マジみたいだぜ。上は隠し通したいらしいが、銀狼が怖くって言い返せないんだとよ」

 

 その事実に相方が首を引っ込める。

 

「先読みのサカグチには恐れ入る。とてもじゃないが」

 

「銀狼は墜ちた英雄でさえも手懐けるってわけだ。そいつはC連合のカリスマなところってもんだな」

 

 どこか冷笑の響きを伴わせた声音に相方は純粋に気になる様子であった。

 

「C連合から戦争なんて、吹っかけないよな?」

 

「ゾル国が馬鹿なんだよ。モリビトタイプを味方につけたからって、じゃあC連合のお上がキレて戦争? そこまで上も馬鹿じゃない。確かにブルブラッドキャリアは脅威だし、他国からしてみても戦争を吹っかけるいい契機だ。でもよ、このトランプと同じさ。政治だってな。あまりに見え透いた罠には裏があるって事が分かる」

 

 ぴらりと裏返したトランプはスペードのエースである。

 

「C連合も喧嘩っ早い国じゃないって事か……。安心出来るよな。国が平和だと」

 

「どれだけこの向こう側の空が穢れていても、ここで見張りをするだけの仕事の人間には、対岸の火事にもほどがあるってこった。第一、世界が燃え墜ちても、この場所ならば助かりそうでもある」

 

「そいつは笑える」

 

 相方の失笑に男は監視塔が捉えたノイズに目線を走らせた。策敵センサーに何かがかかったらしい。どうせデブリだろうと判断するが、一応は監視役の務め。報告を果たせば仕事をやっているという証明になる。

 

「ノイズだな。ここ最近、ずっとこんな調子だ」

 

「ここは世界から見離された土地だからな。何が起こってもおかしくはない」

 

 何が起こっても、と繰り返しかけた男はレンズの向こう側に捉えた機影に息を呑んだ。

 

 飛翔人機、それも一機ではない。

 

 空を覆いつくさんばかりの小型人機が一斉に飛び立ち、羽音を集音器へと寄せ集めている。

 

 瞬く間に無音状態から騒音に掻き乱された男と相方は慌てて報告を上げた。

 

「なっ……これ、敵襲だ! 敵襲!」

 

 耳を劈くブザーのけたたましさ。襲撃時には必ず押せと明言されているボタンを押したのはしかし、この時初めてであった。

 

 元々独裁国家ブルーガーデンの潜入を危ぶんだ上層部の作りたてた部門ではあるがほとんど飾り。

 

 自分も、誰しもそうだろう。

 

 本当に敵が来るなど、欠片も思っていないのだ。

 

 押し寄せてくる敵人機を高解像度のセンサーにかける。

 

「標的は……小型人機。虫に似ている……、該当データなし。データなし? 嘘だろ?」

 

 現状、データの存在しない、完全なアンノウンの人機は一つしか存在しない。

 

 ――ブルブラッドキャリアの、モリビト。

 

 まさか、と策敵の手を休めずに男は外周警護のナナツー部隊へと伝令する。

 

「達す。標的の飛翔人機は一体のみではない。目視出来る範囲で……二十体以上? こんなの、どう報告すれば……」

 

 困惑している間にも状況は転がっていく。男はとかく警護役のナナツーへと声を走らせていた。

 

「飛翔人機は二個体編成以上の数! 装備は不明。所在もはっきりしない。撃墜の許可を乞う! 繰り返す! 本部に伝令。不明人機撃墜の許可を……」

 

 刹那、飛翔人機の腹腔がオレンジ色に輝いた。十字を描いた砲門から放たれたのは灼熱のプレッシャー兵器である。

 

 監視塔が焼け爛れ、報告係の二人は死を認識する暇もなく、この世から消し去られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしもし? オーバー? 報告どうぞ! 監視塔!」

 

 観測所へともたらされた情報は断片的で誰にも状況判断の是非は請えなかったが、一人だけ例外がいた。

 

 この場所に赴いていたタカフミである。観測所には時折足を運んでいるのは、やはり差し迫った危機のほうが脅威として認識しやすいからだろう。

 

 タカフミは異常を関知するなり身を翻した。

 

 飛翔人機、空を覆いつくす数……これらを総括して導き出されるのは、前回煮え湯を呑まされた蝿型人機。

 

 あれが移動を始めた? では何故?

 

 考えるよりも身体が行動していた。格納庫へのロック解除を申請し、すぐさま駆け抜けていく。

 

「少尉! どこへ!」

 

「おれだって操主だ! こういう時くらいは、少佐の手を煩わせないようにしないとな」

 

「不明人機は十機以上です。《スロウストウジャ》の出撃申請は降りませんよ!」

 

《スロウストウジャ》は国家機密。集団での行動が義務付けられている。ならば、とタカフミは別の機体へと出撃申請を出した。

 

「《ナナツー是式》。こっちなら出せるだろ?」

 

 その言葉に管制室の人々が困惑とざわめきに陥る。

 

「……正気ですか? 陸戦のナナツーでは飛翔型の人機には……」

 

「だからって、何もやらずに指をくわえてられるかよ!」

 

 格納庫へと向かう途中ですれ違った者達が、おいおいと声を投げる。

 

「どうせデブリの誤認だろ?」

 

 通常はそう思うかもしれない。だが、自分は瑞葉を助けたあの戦場で目にした。蹂躙する蝿型人機。もし、同型機であったのならば打ち漏らしだ。かといってリックベイに許可を願ったのでは何重にも手続きがいる。

 

 タカフミは出来るだけ早くに戦える好機を願っていた。あれは危険な存在だ。悠長に血塊炉プラントの捜索などやっている場合ではい。

 

 もし、一匹でもコミューンに潜り込めれば内側から破壊出来るほどの高出力兵器を持つ蝿型人機はすぐさま潰しておかなければならないのだ。

 

 格納庫に並び立つナナツーとトウジャタイプの間を掻い潜り、整備班に声を張り上げた。

 

「おれのナナツー! 出してくれ!」

 

 ひょっこり顔を出した整備班長が問い返す。

 

「何ですって? どうして《スロウストウジャ》ではなくナナツーで……」

 

「説明は後にして欲しい! 敵が来る!」

 

 この場合、敵とはゾル国の場合を想定したのだろう。青ざめた整備スタッフが顔を見合わせる。

 

「どうするんだよ……これ」

 

「どうもこうも……少佐からの許可は……」

 

「取り付け済みだ」

 

 そう言わなければ彼らの了承は得られないだろう。タカフミはナナツー是色のコックピットへと乗り込む。機動状態を確かめている通信が入ってきた。

 

 回線の向こう側ではリックベイがデスクで渋面を造っている。

 

「その……やっぱマズったですかね?」

 

『ミスだとは思わない。正しい選択だ。ただ、ナナツー是色でどれほど出来るかは判定しかねる』

 

「小型蝿人機二十体でしょう? やりますよ」

 

『あれに相当辛酸を舐めさせられたのを忘れたのかね』

 

 痛いところを突かれたが言い訳は既に考えてある。

 

「実はおれ、思いついたんす。あの反重力で戦い抜く術。何て言うのかな……コツ? とにかく! おれがやるの、ちょっとだけ黙って見ていてくれませんか?」

 

『今さら水を差すつもりもない。だが、どうする? 勝てないかもしれない』

 

「その時は、葬式に線香の一本でも手向けてください」

 

『……笑えん冗談だよ』

 

 タカフミはサムズアップを寄越し、キャノピー型のコックピットでシステムをチェックする。カタパルトへと移送されていく中、《ナナツー是式》のシステムは最良の数値を叩き出していた。コンソールを撫でてタカフミは言いやる。

 

「トウジャに浮気してゴメンな。でも、ここで戦わなきゃ漢が廃る。おれに力を貸してくれ。《ナナツー是式》」

 

 カタパルトデッキへと至った《ナナツー是式》へとシグナル、オールグリーンの報告がもたらされる。タカフミは腹腔より声を張り上げた。

 

「《ナナツー是式》、タカフミ・アイザワ。行くぜ!」

 

 背筋に備え付けられた電源ケーブルがたわみ、《ナナツー是式》がわずかにつんのめりながら出撃する。タカフミは策敵センサーを厳にしたが、そうするまでもなく、敵からの第一射は訪れた。

 

 プレッシャー砲による一撃を《ナナツー是式》は軽いステップでかわし、応戦の銃撃を浴びせようとする。

 

 照準器に捉えた蝿型人機の挙動は前回よりも素早かった。実体弾は当たり前のように回避される。

 

 奥歯を食いしばり、タカフミは肩に懸架させたプレッシャーカノンに持ち替えさせる。

 

 やはりただの弾丸ではあまりに速度不足。蝿型人機は解析部門によれば無人の機体なのだと言う。

 

「無人機……っての、どういうつもりか知らないけれどよ。人機ってのは人が乗るから強いんだって事、思い知らせてやるよ!」

 

 プレッシャーカノンから一射された光軸に晒され、蝿型人機が貫かれる。やはりR兵装ならば、と思いかけたタカフミへと一斉に照準が向いた。

 

 計二十機前後の機体による全方位からの照準警告。通常ならば地獄への葬送曲にしか聞こえないそれを聞き届け、タカフミは――笑みを浮かべてみせた。

 

「……いいぜ、来い、来い、来い! そうでなくっちゃ、おれはモリビトとはやれ合えない。それに、少佐だってよ! おれの実力、認めざる得ないだろ! 天才なんだからよ!」

 

 プレッシャー砲の第一射は左方向より一挙であった。タカフミはフットペダルを踏み込み、加速度に身を任せて《ナナツー是式》を滑り込ませるように機動させる。

 

 大地を蹴り、《ナナツー是式》が砕かれた砂礫を足場に変えた。

 

 粉塵の舞う中、陸戦のナナツーが空中へと飛び上がる。飛翔人機である蝿型からしてみれば、それは格好の的でしかないであろう。

 

 だがタカフミは飛翔型の人機を相手取るのに、これ以上とない好機を感じ取っていた。

 

 全方位からの敵意。彼方から向かってくるのは恐ろしいほどの密度の攻撃力。

 

 どれを目にしても四面楚歌。ここで抗い、戦い抜いてもリックベイはこっちを向いてくれないかもしれない。桐哉や瑞葉にかまけてばかりで、自分の事など眼中にないのかもしれない。

 

 だが、それでも。

 

 ここで戦い抜く事で、己を示せるのならば。強さを示すのに、自分は勝利しか知らない。勝利でもって、結果で根拠を作っていく事でのみ、自分が舞い上がれる場所があるというのならば。どこまでも戦い続けてみせよう。

 

 プレッシャーカノンを振り返り様に照射する。

 

 背後に迫った蝿型人機の頭部が炸裂した。

 

「近接戦なんてよ、飛んで火に入るってね!」

 

 しかしプレッシャーカノンの反動か、あるいは無茶な機動をかけたからか、《ナナツー是式》の機体は無様に地面を転がっていく。

 

 機体立て直しに成功させるのには肘に導入させた推進剤を噴射させるしかない。

 

《ナナツー是式》が軽業師のようにバック宙を決める。重武装かつ、機体反応速度の鈍いナナツーでは難しいこの挙動をタカフミは寸分の狂いなく実行した。

 

《スロウストウジャ》に乗った時の感覚が活きている。あの人機は自分の理想をダイレクトに反映させられた。しかし、それは機体が優秀なだけだ。自分の優秀さを成立させる事には繋がらない。

 

 大写しになったのは蝿型人機の口腔部よりせり出されていく針であった。射出された針をタカフミは息を詰まらせ、マニピュレーターを稼動させる。

 

《ナナツー是式》の腕が跳ね上がり、針をなんと掴み取った。

 

 灼熱の領域まで高められた針の熱に一瞬にして掌が溶解するが、それでも不意を突くのには充分であったのだろう。

 

 敵がその実効力に隙を見せたのをタカフミの《ナナツー是式》は見過ごさない。プレッシャーカノンの銃撃がその頭部を射抜いた。

 

「これで、二機……」

 

 だが残り十八機を超える敵は依然として自分を囲んでいる。それら全てから同時にプレッシャー砲が出されればそこまで。

 

 否、もう詰んでいるか。タカフミは機体ががたついたのを認識する。

 

 針を受け止めるなどという離れ業をやってのけたせいか、片腕の動作が鈍る。

 

 それだけならばまだいいのよかったのだが、《ナナツー是式》の内部骨格が軋みを上げ、プレッシャーカノンを握るもう片方の腕にさえも異常を発生させていた。

 

 それだけの速度で放たれた針を受け止めたのだ。《ナナツー是式》ではこれ以上の戦闘継続は不可能だと判断している。全身の駆動系が、撤退を訴えかける中、タカフミは静かに怒りを滲ませた。

 

「……ふざけるな。まだ、出たばかりだろ、《ナナツー是式》。お前も! おれも! まだこの世に、何も刻んじゃいないんだ! だったなら、せっかく生きてこの世に来たんだ! 刻んでみせろよ! 《ナナツー是式》!」

 

 蝿型人機がこちらの隙を関知してプレッシャー砲の照準を向けてくる。今一度、回避機動に移ろうとしたが、《ナナツー是式》の骨格が震え、機体内部からかっ血するように青い血が噴き出した。

 

 ブルブラッドエンジンの臨界値。つまりは人機の限界。

 

 敵は全く疲弊していないのに、自分と愛機はもうここまでなのか。

 

 タカフミは唇の端から滴った血の赤に、フッと口元を緩めた。

 

「やっぱ、駄目だったか。おれ、もっと強くなりたかったな……。そうすりゃ、少しくらい……」

 

 少しくらいは、生きている意味があったのだろうか。

 

 何も刻めないまま、こうして終わりを告げるのが自分に相応しいのならば、甘んじて受け入れよう。

 

 プレッシャー砲の黄昏の光に抱かれ、タカフミは最期の時を迎える準備をしていた。

 

 その時である。

 

『いや、貴様はまだ、ここで終わるな』

 

 通信網を震わせた声音に反応する前に、空間を奔ったのは蛇腹剣である。

 

 蝿型人機が叩き落とされていく中、青い痩躯の人機が両脚をくねらせ、紺碧の大気を駆け抜ける。

 

 脚に備え付けられた刃節が軋り、蝿型を両断した。

 

「あれは……あの人機、ブルーガーデンの……」

 

『もうその国は存在しない。彼女は我が方の友軍だ』

 

 繋がったリックベイの声にタカフミは素っ頓狂な悲鳴を上げてしまう。

 

「少佐……、あの、おれ、いい感じに死ぬところだったんですけれど……」

 

『君は自己完結が過ぎる。まだ死ぬ事はわたしが許さない』

 

「……それ、命令っすか」

 

『命令だ』

 

 空を切り裂いていくのは青いトウジャタイプであった。X字の眼窩を赤く滾らせ、両脚で踊るように蝿型を駆逐していく。

 

 プレッシャー砲の反撃が射抜こうとするが、それらを物ともせずに反応し、両手に保持したプレッシャーカノンを引き絞った。

 

 払われた改造型プレッシャーカノンの威力は自分の持つものの三杯近くの光軸を空間に描く。

 

 トウジャタイプが瞬く間に蝿型人機を撃墜し、空へとその軌跡を刻んでいく。

 

 まるでそれは自分の理想のようであった。

 

 両脚の蛇腹剣が蝿型を叩き斬り、両手のプレッシャーカノンが敵人機の密集地帯を斬り進んでいく。

 

 どこまでも勇猛果敢。そして命知らずだ。

 

 プレッシャーカノンの第二射だけで五機以上の蝿型が撃ち落とされ、それと同じくして跳ね上がった蛇腹剣の一閃が後方から迎撃しようとしていた蝿型を一掃する。

 

 呆けたように眺めていたタカフミは操縦桿を握り締めたまま、まるで銀幕のように展開される光景に黙りこくる。最後の一機が撃たれるのをその目に焼き付け、トウジャタイプが降り立った。

 

『リックベイ・サカグチからの伝令だ。ここで死ぬな、と』

 

 放たれた語調にタカフミは失笑混じりに言い返す。

 

「聞いてるよ。もう。カッコつけさせてもくれないんだな。少佐もお前も」

 

『戦場において一分でも生き残る事が最善だと、わたしは考えている。だから、出撃した。それだけだ』

 

 本当にそれだけのようにトウジャの操主――瑞葉は応じてみせた。

 

 ここで助けられた事を、生き恥だとは思わない。リックベイはまたしても自分を救ってくれたのだ。

 

 ――彼のまなこに、自分は映っている。

 

 それが再確認出来ただけでも、今はいい。

 

 青いトウジャに手を差し伸べられる形で《ナナツー是式》が尻餅をついた姿勢から起き上がる。

 

 直後、片腕が衝撃で砕け落ちた。これでは立つ瀬もないほどにボロボロだ。

 

「まだ難しいのかな。おれが、本当のエースになるってのは」

 

『……貴様はエースだろう。C連合の』

 

「ブルーガーデンのエースに言われるんなら、おれもまだ捨てたもんじゃないって事かねぇ」

 

 キャノピー越しに振り向けた視線にトウジャを操る瑞葉は沈黙を寄越した。その唐突さにタカフミは困惑する。

 

「どうした? 急に黙って」

 

『……いや。あの国では、わたしはエースという称号すらなかったのだな、と思い直してな。そうか。わたしはエースだったのか』

 

 その言葉にてらいがない事をタカフミは理解している。誰も彼も不器用なのだ。

 

「お前も、桐哉も、みんなどっか抜けてるよな。自分の事を謙遜し過ぎだぜ。あんまり謙遜が過ぎると逆にもどかしく思えちまう」

 

『謙遜……そうか、これはそういう感情だったか』

 

「どっちにせよ、助かった。礼はいわないとな。あんがとよ、えっと……瑞葉、でいいんだったか」

 

『……こういう時に、どう返せばいいのか』

 

「そりゃどうも、とか、お互い様、とかでいいんだよ。まったく、難しく考えるよな。みーんなそうだ」

 

 リックベイも含めて、皆が不器用なのだ。瑞葉は通信回線越しに、どこか当惑した声音を返した。

 

『その、お互い様……。変な感じだ。こんな会話を、もう何十年もしていなかったような気がする。帰れる場所なんて、どこにもなかったかのような』

 

 幸福かどうかは分からない。彼女にとってブルーガーデンの支配から逃れ、今の境遇が最善とも言えない。だから自分は結局のところ、蚊帳の外から見守るしかないのだ。

 

「いいじゃん。人間らしい」

 

『人間……そうか、人らしさとはこのような』

 

 感極まったような口調にタカフミは軽く言いやる。

 

「そんな難しく……ああ、もうっ。本当、おれ達は遠回りばっかりだ」

 

 損な役回りだよな、とタカフミは微笑んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯149 敗走の只中

 バベルの捉えた情報に間違いがないのならば、C連合とブルーガーデンの国境地で戦闘が発生した事になる。この局面でのブルーガーデン側の残存戦力による抗戦はある種、好機であった。

 

『クロ、今しかない。C連合中の目が、ブルーガーデン側に向いている。今なら、目的の場所に辿り着ける』

 

 桃の横顔に浮かんだ決意に、鉄菜はただ頷く。通信回線越しとはいえ、お互いの胸中をさらけ出した間柄は今までの割り切ったブルブラッドキャリアの執行者同士ではなかった。

 

 それをどう呼ぶのか、鉄菜には答えを出せず仕舞いであったが。

 

 海上を疾走する《シルヴァリンク》は不可視の外套を身に纏い、熱源以外の関知を避けて紺碧の大気を引き裂いていく。

 

「桃・リップバーン。事前に示し合わせた通りでいいんだな? C連合の持つマスドライバー施設の強襲と奪取。それならば宇宙に上がれる、と」

 

 高高度に至った《ノエルカルテット》のシステム補助を受け、《シルヴァリンク》は位置情報を把握する。

 

『ゾル国は軌道エレベーターによる成層圏への進出を確約しているけれど、軌道エレベーターなんて今のモモ達じゃ占拠は出来ない。でもC連合の持つマスドライバー施設なら、辛うじてこちらのものに出来るかもしれない。そうすれば、後は……』

 

「本隊と合流し、宇宙で待つゾル国残存戦力を一掃する。そうするしか、私達が生き残る術はない」

 

 再三繰り返しても、あまり実感が湧かなかった。モリビトが追い込まれ、世界の中でも爪弾きされつつある。自分達が追い込んでいたはずなのに、狩人と獲物が逆転したのだ。モリビトは敵を狩るためにあったのに、これでは皮肉でしかない。

 

「せめて、この刃が相手に届く事を」

 

 祈るしかない。鉄菜は操縦桿を握り締め、《シルヴァリンク》より伝わる振動に身を任せた。

 

 間もなく敵の射程範囲に入る。目視出来ないはずの《シルヴァリンク》の狙撃は杞憂だろうが、それでも気は張り詰めておくべきだ。

 

 どこへなりと敵の弾丸が降ってこないとも限らない。この世界では、もう転がり始めた石なのだ。モリビトはゾル国の隷属として認知され、よしんば《モリビトタナトス》の破壊に成功したとしても、居場所はどこにもない。

 

 宇宙に上がり、ゾル国の大部隊と交戦したとしても、何も得られないかもしれない。

 

 鉄菜は拳をぎゅっと握り締めた。今は、それらに翻弄され行く木の葉のような我が身が堪らなく悔しいのだ。

 

 彩芽が死んだ。多大な被害が出た。今、モリビトは再び宇宙に戻らなければならない。混迷の地上を置き去りにして、自分達はただ生存のために宇宙へと舞い戻る。それはどこか逃げという感覚が付き纏わない事もない。

 

「ジロウ。私達が地上でやるべき事は、もっとあるのではないだろうか。こんな……逃げの形に落ち着いていいはずが……」

 

『逃げじゃないマジ。鉄菜達は充分に戦って、その結果世界がこう動いただけマジよ。いつだって自分達の思い通りに何でも進むわけじゃないのは分かり切っているマジ。どれだけ戦力的な圧倒があっても、軍事は常に追いついてくる。それは歴史が証明しているマジ。だから、何も悪くは――』

 

「ジロウ。私は、これでよかったのかはかりかねている」

 

『鉄菜……』

 

「《シルヴァリンク》に乗る資格なんてあるのか。私は人造血続だ。造られた人間なんだ。だから、人機と何も大差はない。この鋼鉄の塊と、何も……」

 

『鉄菜は人間マジ! 何を言っているマジか!』

 

 張り上げられた声に鉄菜は自嘲する。

 

「こんなナリで人間なんて笑わせる」

 

 自分は兵器として送り込まれた。ブルブラッドキャリアの怨嗟を体現した操主。《シルヴァリンク》を動かすためのパーツに過ぎない。だがら、何もかも欠陥だらけだ。

 

 彩芽は心を失うな、と言った。

 

 しかし、その心の在り処は未だに分からぬまま。何が心なのか。何が人間なのかの単純な答えは保留のままだ。そんな状態で上がっても、足を引っ張るだけではないのか。現状の自分にブルブラッドキャリアの戦いを好転させるだけの機能があるとは思えない。

 

『鉄菜、人間であるのに、証明なんて、きっと要らないマジ。生きていれば誰だって、人間でも、何でも、証明なんて必要ないはずマジよ』

 

「必要ない? だが、私は戦うために造り出された。戦い、相手を狩り、この惑星を制圧するのに製造された、ただの兵器。弾丸と同じだ。標的に突き刺さるためにある鉛弾と、その実用性は同じのはずだ。だから、彩芽・サギサカの言った事が分からないのは、きっと私が引き絞られた弓であり、弾丸だからだ。引き金を引くのに理由は必要ないが、引き金を引く人間には理由がいる。私は、撃つ側でしかない」

 

『鉄菜……でも、そこまで思い詰める事は……』

 

 策敵センサーが領海を巡航中の艦を捉える。まだ会敵には早いと思っていただけに神経を尖らせた鉄菜は議論を打ち切った。

 

「《モリビトシルヴァリンク》。目標を駆逐する」

 

 Rソードを振るい上げ、《シルヴァリンク》が巡洋艦へと降り立った。甲板警護のナナツーが不可視の存在にたたらを踏んだ途端、発振したRソードの刃がキャノピーを焼き払う。

 

 警護用の《ナナツー弐式》の銃撃を掻い潜り、《シルヴァリンク》の有する四基のRクナイが稼動し敵人機の四肢を断裂させた。

 

「この艦に敵は少ないな。やはり本国の守りに入っている機体が多いのだろう。今ならば、盤面を引っくり返せる」

 

 巡洋艦から飛び立った《シルヴァリンク》へと送り狼の銃弾が見舞われるが一発でさえも掠らない。

 

 その時、天空を引き裂いてR兵装の太い光軸が巡洋艦を貫いた。折れ曲がった艦が軋んでR兵装の出力に負けていく。大穴を開けられた形の巡洋艦が海水に侵され、ナナツー部隊を道連れに海底へと引きずりこまれていった。

 

《ノエルカルテット》の援護砲撃に鉄菜は一瞥を投げていた。

 

「このまま、本土へと向かう」

 

 小国コミューンが有するのは天を衝くかの如き威容を持つ長大なレールであった。その建築物は遥か古代に人が造り上げた傲慢の証の塔の様相を呈している。

 

 物資を宇宙に上げるために存在するマスドライバー施設。今ならば充分に占拠可能だ。

 

 鉄菜の役割はマスドライバー警護のナナツー部隊の一掃。

 

 大地を踏み締めた《シルヴァリンク》は周辺一帯の警戒任務についていた《ナナツー弐式》へと刃を打ち下ろした。

 

 灼熱のRソードが《ナナツー弐式》の腕を溶断し、奔ったRクナイガンの弾丸がキャノピー型コックピットを正確に狙い澄ます。

 

 ここで重視されるのは何よりも速さと正確さ。

 

 敵を早期討伐し、マスドライバーを完全制圧するのに、さほど時間はかからないように思われた。

 

 鉄菜は《ナナツー弐式》の血塊炉を刺し貫き、そのままほとんど棒立ちの機体へと放り投げる。

 

 将棋倒しになった機体は突然のモリビト襲来にうろたえてばかりで、何一つまともな対応を出来ていない。

 

 この戦局、取った――そう認識した、鉄菜は桃へと通信を繋ぐ。

 

「地上は手薄だ。このままなら容易くこちらの手に落ちる」

 

『分かった。バベルでシステムを完全掌握。他コミューンからの介入を拒ませて……。何これ。どういう事?』

 

 桃の声の調子がおかしい。バベルによる電子戦はお手の物だろうに。

 

「桃・リップバーン? どうした? 敵襲か?」

 

『違うの、これは……バベルが塗り替わっていく?』

 

 塗り変わる? 何を言っているのだと問い質す前にジロウへと変化が訪れた。

 

 ネットワークに接続しているジロウがエラーを弾き出し、機械音声を発する。

 

「ジロウ? おい、どうした!」

 

『鉄、菜……、システムを何者かが食い破って……。ここに、いちゃいけないマジ……』

 

「何を言っている? 桃・リップバーン! どうした! 何が起こっているんだ!」

 

 叫び返す鉄菜に桃と繋がった通信回線は砂嵐に閉ざされていた。

 

『……分からないの。何も分からないのに……バベルが、グランマやロデム、ロプロス、ポセイドンのシステム領域が侵されて……。何者かがバベルを内側から書き換えているとしか思えない』

 

「何者か、だと……」

 

 周囲へと視線を走らせる。敵の操主にシステムエラーを起こすほどの高性能人機がいるとは思えない。ならばこれは内部からのハッキングだ。

 

 バベルが塗り替わる、という言葉通りならば、電子的な侵略を受けているのは自分と三号機。

 

 鉄菜は緊急時のマニュアルに従い、ジロウのシステムネットワーク回線を引き千切った。

 

 無線ネットワークを全てオフラインに設定し、有線ネットワーク回線を文字通り切断する。

 

 ジロウの痙攣が治まり、システムエラーが停止する。だが、《ノエルカルテット》はこうはいかないだろう。あれは全身が精密機器のようなものだ。

 

 遥か上空に位置するはずの《ノエルカルテット》は今や、危うい均衡の上で成り立っている爆弾のようなものであった。

 

「モリビトのシステムに介入し、相手のバベルを塗り替える? そんな芸当、出来る人間がいるとは思えない。この戦場にはどこにも。だとすればこれは……」

 

 ――裏切り。浮かんだ思考に鉄菜は《ノエルカルテット》を仰ぎ見た。

 

 細やかに推進剤を焚きつつ、その高度が次第に落ちていくのが視界に入る。《ノエルカルテット》を構築する四機のそれぞれの人機が空中分解寸前であった。

 

「桃・リップバーン! 機体高度が落ちている。このままでは海に激突するぞ!」

 

『書き換えているのに! 何も言う事を聞かないのよ! バベルも、何もかも! 嫌! 死にたくない! モモはまだ、何も……!』

 

 完全に錯乱しているようだ。鉄菜は《シルヴァリンク》を駆け抜けさせる。二基のコンテナを両肩に担いだ《ノエルカルテット》からR兵装の勢いが失せ、機体から力が消失していく。

 

 直後、ロデム、ロプロス、ポセイドンの各部が分離した。残された形のパイルダー部を鉄菜は《シルヴァリンク》で受け止めさせる。

 

 間一髪、海面への激突を避けられたパイルダーの中で桃は喘いでいた。

 

 何が起こったのか。まるで分からないままであったが、ここにいてはまずい。ジロウの忠告が思い起こされ、鉄菜は三機のサポートマシンへと視線を注いだ。

 

 サポートマシンはそれぞれ動きが鈍っている。ここで撃墜されれば《ノエルカルテット》そのものの無力化に繋がってしまう。

 

「待っていろ。今、三機のサポートマシンを助ける」

 

 外套を翻らせ、《シルヴァリンク》は光の乱反射を周囲へと放った。眩惑されたナナツー部隊が足を止めた間にサポートマシンへと伝達回路を繋ぐ。

 

「ジロウ! 三機の命令系統を《シルヴァリンク》へと委譲、出来るな?」

 

『出来ない事はないマジが、もし、ウイルスか何かに三号機が冒されている場合、《シルヴァリンク》にも影響が及ぶ可能性があるマジよ』

 

 その懸念を今は飲み込むしかなかった。鉄菜は了承の信号を出す。

 

「構わない。やってくれ。現状、三号機を失うのは大きな損失だ」

 

 頷いたジロウが三機へとローカル接続を行う。《シルヴァリンク》の半径百メートル以内での遠隔操作だ。無論、三号機ほど無敵ではない。

 

 一時の従属の命令を三機は受け入れた。ロデム、ロプロス、ポセイドンの指揮系統を読み込んだ《シルヴァリンク》はしかし、明らかに過剰な性能を受け止め切れていない。

 

 それぞれのOSと命令伝達がない交ぜになり、《シルヴァリンク》そのもののOSを圧迫する。

 

 このままでは戦闘も儘ならなかった。

 

「……桃・リップバーン。一度、撤退するしかない。三機の命令を伝達出来るほど《シルヴァリンク》に余裕はないんだ」

 

『でも、クロ……ここで宇宙に上がる契機を逃したら、モモ達は……』

 

「だが、戦闘継続は不可能だ。ジロウでもどうしようもない」

 

 システムの圧迫は思った以上に深刻であった。戦闘用の視野がほとんどシステムバックアップに書き換わり、全天候周モニターを埋めているのは三機への遠隔操作マニュアルであった。

 

 恐れ入るのは、《ノエルカルテット》は常時、この状態を保っていたという事実。

 

《シルヴァリンク》では決して肩代わり出来ない領域を操っていた事には素直に感服せざる得ない。

 

『クロ……ここで逃げちゃえば、でももうマスドライバーになんて……』

 

「辿り着けない、か。そうかもしれないが、戦闘続行をしても旨みはない。敵は本気であるし、それにモリビト強襲の報はすぐさま本国へともたらされるだろう。時間をかければかけるほど、私達には不利だ」

 

 逡巡の沈黙が流れたが、その余裕さえもない。今にもナナツー部隊が大挙として押し寄せるかもしれないこの現場に留まっているだけでも精一杯だ。

 

 ここは一度退いて様子を見るしかない。自分達にはこれ以上戦い続けるような愚を冒すほどの余裕など欠片も存在しない。

 

 鉄菜は三機を引き連れて海上へと取って返すしかなかった。敵は待ってくれない。背後からミサイルと銃撃の嵐が追ってきたが振り返るような余裕は一時もなかった。

 

 三機のシステムを全て背負った形の《シルヴァリンク》では応戦の一打も与える事は難しい。

 

 何よりも、バベルが牛耳られた。その事実を確かめなければ迂闊に宇宙になど上がれるはずもなかった。ブルブラッドキャリアの要たるバベルが何者かに冒された。何が起こっているのかを解き明かさなくては、敵がどれほどの脅威なのかを理解する事もまた、不可能であろう。

 

 今は、ただ――。

 

 鉄菜は敗走の屈辱よりもなお色濃い、疑念の只中に落とし込まれていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯150 元老院、陥落

 一瞬、時間が止まった。

 

 そう誰もが錯覚したのは何も間違いではない。事実、彼らの時は止まったのだ。それを認識する前に、もたらされたのは声であった。

 

「――こんなところにいらっしゃったんですね。皆様方」

 

 歩みを進める人影を関知した迎撃システムがタレットの照準を注ぐ。

 

『何者だ!』

 

『ここをどこと心得る! この惑星を管理する元老院の』

 

「総本山、でしょう? 存じていますよ。何も、分からずしてあなた方と話し合おうだなんて思っちゃいない。アタシがそれほど無鉄砲に見えますかな」

 

 元老院の義体達がその人物をカメラに捉えようとするが、どうしてもノイズがかかっており、人物の顔だけが加工されていた。

 

 獅子の皮を被った何者かは潜めたように嗤う。

 

『貴様……何奴』

 

『元老院を知って、この空間に潜り込んだ、という事は死んでも文句は言えない、と分かっての狼藉か』

 

「あなた方は偏狭ですなぁ。そんなだから、百五十年も、地下のこんな陰気臭い場所で、世界を回し続けていたわけですか」

 

 そこまで理解して、と元老院のシステムが総毛立つ。一体、この相手は何者なのだ、と。

 

『……ここに、人間が来られるはずがない』

 

『敵対システムか?』

 

「生身の人間ですよ。正真正銘。ただ、あなた方と違うのは、アタシはたった一人の、この世界を止めて欲しいっていう願いのために来たって事ですかな。大義名分も無論、ありますがね。まずは個人として、この元老院の最高決定議会に足を踏み入れたのだと、認識していただければ」

 

『……命がよほど要らぬと見える』

 

 タレットの照準がその獅子の面を狙いつける。獅子の顔を持つ人物はせせら笑った。

 

「しかし、あなた方もよっぽどこの世界を変えるのが意地汚く、どこまでも無茶無謀だと信じていると思えますなぁ。そんなに面倒ですか? 罪を直視するのは」

 

『人は罪を直視するようには出来ていない』

 

『左様。人間は繰り返す。どうしようもなく愚かなのだ。だからこそ、半永久的に支配する存在がいなくてはならない。客観的に判定を下す、真の裁定者が』

 

 元老院の放つ覇気に圧された様子もなく、獅子の人物は笑みを浮かべる。

 

 見れば見るほどに奇妙な取り合わせだ。獅子の顔立ちであるのに、口元の輪郭はヒトのそれである。

 

「それがあなた方、元老院、と。ここまでよく出来たシナリオであったと思いますよ。プラネットシェル計画、三つの国家へのそれぞれの支配権、ブルブラッドキャリアを使っての誘導。全て、あなた方の仕向けた通りに動いた事でしょう。ですが、こうは考えませんでしたか? ――人間は、それほど簡単ではない、とも」

 

『何が言いたい? 狼藉者が』

 

『貴様の開く口などない。ここで蜂の巣になる前に、答えよ。どこの回し者か』

 

「回し者とは、随分な言われようだ。何なら調べればどうですか? お得意の世界を見渡すシステム――バベルを使ってね」

 

 バベル。その呼称は元老院の中でも秘匿レベルの最大値に高い名前だ。それを紡いだ時点で、眼前の人物は命を捨てたも同然。

 

『バベルの事を知っているとは、貴様、ますます怪しいな。どこで仕入れた?』

 

「世界を回すのが少数の特権層だと思い込んでいるあなた方には一生分からないような場所から、ですよ。アタシはドブの中でも生き永らえる……虫けらのような存在です。悠久の時を生きてきたあなた方からしてみればそりゃあ、羽虫の些事でしょう。ですが、羽虫ってのは怖いんですよ。蚊の媒介する病原菌は遥か昔、人類の死滅原因とさえもされていましたからね」

 

『何者かと聞いている。バベルを知って、ただで済むはずがない』

 

『ブルーガーデンの生き残りか? あるいは、ブルブラッドキャリアの諜報員か』

 

「いい線行っていますよ。ほら、もう一声。それで真実が詳らかになる」

 

 乾いた拍手を浴びせる相手にタレットの銃弾が床を抉った。拍手が止み、沈黙が降り立つ。

 

『嘗めないでもらおうか。さぁ、言え。何者なのだ、貴様は』

 

「……何者でもありませんよ。世界は、名もなき何者にも成り得ない者達で構築されているんです。それは、確かに小さなうねりであったかもしれません。ですが、それを百年、二百年と積み重ねられたら? 代を重ね、その都度、世界の広さを知る事が出来たとすれば? 人類が霊長の頂点に達する事が出来たのは何も一代限りの強力な進化系統樹のためではないでしょう? 生物は、進化をする事が出来る。そして、学ぶ事が出来る。過去の過ちから、未来にすべき事象までを」

 

『人類に叡智は必要ない。我々が支配し、屈服させ、そして隷属させる。それこそが幸福なのだ』

 

「そう信じて疑わないのならば、それでも結構ですがね。アタシは違うと思いますよ。だって、百五十年前、この場所に来られた人間がいましたか? いえ、おりませんとも。これから先も、恐らくはずっと。アタシだから出来たんです」

 

『驕りが過ぎるぞ、凡人。我々に牙を剥く事、どれほどの反逆か知れ』

 

 タレットがその額へと照準する。しかし獅子の人物はその言葉の調子を緩める事もない。

 

「ここは静かでいいですなぁ。地上の喧騒も、人々の争いも、ましてやブルブラッドキャリアの闘争も、全てが世界の向こう側の出来事です。あなた方は世界の向こう側、本当に届かない場所から今まで観察してきた。だから出来た偉業もある。プラネットシェル、それが大きな一つであった。惑星をリバウンドフィールドで覆い、人々をこの惑星の保護下に置く。一見、良心的に見えます。汚染大気を宇宙に放ってはいけない。人類の原罪はこの星で留めなければ。……ですが、その実は違うでしょう? あなた方はただ、闇雲に進化していく人類が怖かっただけだ。この星から進出し、銀河を渡る術さえも手に入れた人類を籠の中に入れたかっただけ。小心者の作った小心者のためのシステム。それがプラネットシェル。自分達の制御出来る人間以外は必用ないという、これこそ比肩する者のいない傲慢。その過ちのしっぺ返しが、ブルブラッドキャリア。……とまぁ、ここまでは用意周到なあなた方の事だ。予測は出来たんじゃないんですか? だがまさかそれが三大禁忌の代物とは、思わなかったのでしょうが」

 

 眼前のこの人物が話す真実に、元老院は震撼していた。どうして、誰も知る由もない事を、こうもつらつらと言ってのける? この獅子面の人物は何者なのだ、と。

 

『……ブルブラッドキャリアも焼きが回ったな。口が軽いと命も軽い。それを理解していないようだ』

 

「おんや? 理解していないのはそちらも同じでしょう? この地下都市に人類が一人でも踏み込めば、それは大きな損失となる。プラネットシェルの詭弁も、人類の生存圏の保護、という大義名分も、ましてやコミューン国家に今までやらせていた戦争もどきだって、もう通用しなくなる。バベルは人類史に残る発明です。まさしく、神代の領域の産物だ。ヒトの動き、人類の方向性を画一化させ、統一し、何もかもを監視下に置く。我々が唯一掴み損ねたのは、バベルがここにある一基だけではなく、もう一基存在する事。そっちとこっちを統合させて初めて、可能であると」

 

『可能、だと……、何がだ』

 

 獅子面が浮かべたのはこの上なく卑しい笑みであった。

 

「――人類の統一と新たなる歴史の創造。ヒトは、少数者に回されるのではなく、多数者こそがこの世界を回すのに相応しいのだという再確認」

 

 その言葉に元老院が固唾を呑んだ。このたった一人に過ぎない存在が、自分達の存在を揺るがそうとしている。そのあまりに現実からかけ離れた行動に、義体が哄笑を上げた。

 

『馬鹿な! 人類に今以上の幸福など、あり得ない! 歴史の創造と言ったな、小童が! 歴史を紡いで来たのはいつだって強者だ。それを理解せずして、何が!』

 

『理想論だけでは世界は回らん。しかも貴様は小さき肉体が一つ。そんなもの、塵芥以下だ。我々のような高尚な存在に任せればいい』

 

「高尚? 機械の中に自分の脳みそを浮かべて、ガチガチの鎧で固めたその身が高尚ですか? それはまた、随分と」

 

 ほくそ笑む獅子面に元老院からの叱責が飛んだ。

 

『無礼もその辺りにしておくのだな! 人間風情が! 我々元老院の導き出す答えこそが人類をより、高度な場所へと引き上げるのだ!」

 

『モリビトも、ましてやブルブラッドキャリアも無用。我々の頭脳さえ、永久に生き続ければいい』

 

「あなた方はこう思っていらっしゃるんで? 一部の特権層が生き残れば人類が消滅し切ってもまだ、望みがあると?」

 

『そう思っていて、何が悪い?』

 

「いや、悪いとは一言も言っておりませんとも。ただ、非現実なのはどちらなのか、という話です」

 

『喋り過ぎたな、狼藉者。ここいらで打ち止めと行こうか。貴様の口の軽さも、何もかもを』

 

 タレットの照準は五十個以上。確実に獅子面を葬り去るであろう。だが、この極地に至っても獅子面から余裕は消えない。

 

「あら? 命乞いでもしたほうがよかったですかね?」

 

『今さら遅い。最後に聞いておこう。どの組織の使い走りか』

 

 獅子面は頭を振って、これだから、と述べる。

 

「あなた方は古い、と言っているのです。組織という楔という概念は最早、この星の生命体には相応しくない。我々は大勢がゆえに。群体なのですよ、アタシ達レギオンはね」

 

『聞いた事もない組織だな。ならばここで潰えろ。レギオンとやら』

 

 タレットが弾丸を放つかに思われた。しかし、どのタレットからも銃弾が発射される気配はない。それどころか元老院の人々にもたらされたのは電力面のレッドゾーンであった。

 

 次々と地下都市の電力が奪われていく。その緊急事態に全員が困惑した。

『地下都市の電源が……!』

 

『謀ったか!』

 

「謀るも何も、何も対策せずして来るはずもありませんでしょうに。あなた方を生かし続けるのは地下都市に張り巡らされた電力と言う名の生命の果実。それも、ここまでです。義体になったのが仇でしたね。どれほど優れた義体であろうとも電力を奪われれば、たちどころに消滅する」

 

『馬鹿を言え! この地下都市の電力は二重三重の策が施されている。落ちるはずが……!』

 

「では、ごゆるりとこの映像を」

 

 元老院ネットワークへと映像が強制投射される。

 

 そこには元老院が秘匿し続けてきた地上のエネルギー施設へと一斉に攻撃が成されていた。

 

 傍目に見ればどこのコミューンに使われているのかも分からない施設ばかり。それらを同時多発的に、確実に焼き払っている。

 

 あり得ない、と元老院の一人が告げる。

 

『分散して、情報を細分化していたはず……。元老院のネットワークですら、電源の位置を完全に把握していないのに』

 

「では、バベルを上回った、という賞賛と受け取っていいのでしょうかね」

 

『貴様ァッ!』

 

 タレットへと電力が行き届かない。それどころか義体の維持すら難しくなっていった。常時の電力が失われ、元老院の議席が一つ、また一つと空席になっていく。

 

 灰色に染まった元老院の義体が永遠の眠りにつく中、最後の足掻きを元老院ネットワークへと続けた。

 

「どれほど怒りに震えたところで無駄だという事です。今や、世界は我々レギオンの手に落ちた。多数派が少数派を圧倒し、その力を世界に示す」

 

『……何がしたい。多数による偽りの民主主義はいずれ破綻する。少数派が回すべきなのだ、世界は。そうでなければ壊れるのは目に見えているというのに……!』

 

「壊れてもいいから、今の世界を変えたいんですよ。いけませんかね?」

 

 元老院の生き残りが笑止と鼻を鳴らす。

 

『それはブルブラッドキャリアと何が違う』

 

「彼らの理想も、いずれは潰えますよ。なに、もう終焉は見えています。モリビト三機は完全に駆逐され、安寧のうちに世界は回り続ける。よかったではないですか。完全に我々のものになる世界を目に出来て。光栄な瞬間ですよ、これは」

 

 元老院はバベルへと直結させる。しかし、その行動を予見したようにバベルにウイルスが流し込まれていた。

 

 汚染した元老院メンバーが断末魔の叫びを上げながら義体から黒煙を噴き出させる。

 

「ほら、余計な事をするとこうなります。バベルはもう使えませんよ」

 

『貴様……ただで済むと思っているのか。百五十年だぞ! その平和を、一時の感情で破局させるなど』

 

「一時の感情? 確かに百年以上も生き永らえれば、一刹那でしょうね。でも、人間っ

て言うのは、その瞬間瞬間に生きているものなんですよ。この地下都市……ソドムは我々レギオンが管轄する」

 

『傲慢な! 結局支配の頭が挿げ替わるだけだ!』

 

「ですがあなた方に任せるよりかはマシなはずです。なに、もうすぐそこまで来ていますから。安心して、死んでいいんですよ」

 

 元老院が声を荒らげ、全タレットに命令を下す。

 

『殺せッ! このちっぽけな人間を、生かして帰すな!』

 

 しかし、その命令も誰の聴覚をも震わせなかった。議席の半分以上が既に死んでいる。元老院消滅は時間の問題であった。

 

「さて、こんなちっぽけな人間一人殺せずに、死していくのは少しばかりかわいそうだ。あなた方はそもそも、間違っていた。その種明かしでもしましょうか」

 

『間違っていた、だと……』

 

「バベルです。惑星を掌握し、全ての選択権を持っていた高次システム。それがブルブラッドキャリアに踏み台にされていた事、まさか全く気づいていなかったのですか」

 

 生き延びた元老院はその情報を同期するも、誰一人として知り得ていなかった。まさか、忌むべきブルブラッドキャリアに踏み台にされた?

 

 その事実を飲み込めない元老院に獅子面は笑みを浮かべる。

 

「愚かなのは、あなた方そもそもだったって事です。バベルのような万能システム、押さえた側の勝ちなのは揺るぎない。おかしいとは、おもいませんでしたか。惑星から追放された者達が、どうして惑星の現状を誰よりも速く察知出来たのか。あなた方の読み取る情報が筒抜けだったんですよ。三大禁忌も、重要拠点も、何もかも。言ってしまえば罪人は惑星の人々ではなく、あなた方元老院であった。罪人達にせっせと情報を与え、報復の機会を与えていたのは他ならぬあなた方であったのですよ」

 

 まさか、と絶望に身を震わせる義体達が声を荒らげる。

 

『あり得ない! それだけは、決して! それではまるで我々は道化ではないか! 何のために、今日の平和を築いてきたと思っているのだ。全て! ブルブラッドキャリアの! 百五十年前の悲劇を繰り返さないためだぞ! だというのに最も罪深いのが我々など、そのような事、あって堪るものか!』

 

 元老院の振り絞った声に獅子面は醒めた様子で頬を掻く。

 

「実際、その通りなんですがねぇ。死ぬ間際でも認められませんか。悲しいもんですなぁ」

 

 議席が一つ、また一つと失われていく。機能停止した義体を他所に残った元老院はネットワーク接続を強行した。ウイルスに感染したメンバーを振り払い、踏み越え、全てを犠牲にしてでもネットの海に逃げ込もうとする。獅子面が指をパチンと弾いた。

 

 途端、電源システムがダウンし、全ての義体は表面上の稼動を停止する。

 

 元老院の面々はただただネットの海を目指した。生き延びるために。そのために潜り込んだのはバベル使用履歴である。キャッシュに侵入した元老院の構成メンバーは最後の足掻きを使って自分の足跡を消し去った。

 

 元老院議席が静寂に沈む。

 

 地下都市、ソドムに居を構えていた元老院は、百五十年の隆盛を感じさせるような暇もなく、闇の中に沈殿した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「陥落しましたよ。元老院は」

 

 ユヤマが偽装ホロを引き剥がし、伝達する。通話先の相手は満足そうに声にした。

 

『そうか。では我らレギオンの行動は次の段階へと引き上がる』

 

「ええ。義体は残っています。地下都市ソドムに残存するデータを使い、この元老院議会から、世界を回す手はずくらいは整えられましょう。これから先を動かすのは、今を生きている人間。生身のそれなのだとね。彼らは特別でありましたが、だからと言って少数がいつまでも他者を引きずっていいものではない」

 

『全ては総体のために。多数派の、何も持たぬ人間こそが、支配層になる。時代を作るのは我々レギオンであり、凡人の集まりだ』

 

「ですが……これはこれは。妙なところで逃げ道を造ってしまったようですなぁ」

 

 義体の一つに端末を繋ぐと最終アクセス地点が割り出される。皮肉な事に、それはたった一機の人機のメインメモリーであった。

 

『どうした? 元老院議会は電源を完全に落とされて義体は全員死んだはずだろう?』

 

「それが、数名のお歴々は逃げ切ったようです。甘く見ていました。ですが、この逃げ場所は絶好の機会です。送り狼を出しましょう」

 

『了承した。掃除屋に任せるとするか』

 

 端末に位置情報を伝え、ユヤマはあまりに広大な地下空間を見渡す。義体数十機のために百五十年も保存された人間の罪悪の象徴。

 

 選民思想の最たるものである元老院の議席の中、たった一人の生身であるユヤマはただ嘲った。

 

「惑星の罪悪を背負った特権層がその場所に逃げ隠れするとは、それもまた、相応しい末路かもしれませんなぁ。果たして、彼らはあなた方を赦しますかな?」

 

 それさえも賭けだ、と胸中に結び、ユヤマは沈黙した義体を仰ぎ見る。

 

 惑星の汚染から隔絶された地下都市。どれほどまでも利用価値はある。ここを発信源にして、レギオンは生まれ変わるのだ。

 

 総体が惑星を管理する。

 

 人々の意思の塊を代弁する存在が必要なのだ。それを買って出ている。今は小さなうねりでもいずれは変わってくるだろう。

 

 そのための布石が打たれた形となった。

 

「人が封じた因縁は、人によって解き明かされる。地下都市ソドム。罪の象徴たるバベルを奪取されてどう動くと言うんです?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯151 翼を捨てる時

 生き延びた、という意識は少ない。

 

 ただ、何もかも闇雲に手を伸ばした結果である、というのがタカフミの判断であった。

 

《スロウストウジャ》で出なかった責任を問い質されるかと思われたが、案外にリックベイの送った言葉は多くはない。

 

「生きていたな。アイザワ少尉」

 

「馬鹿やった、って叱らないんすね」

 

「あの状況で本国へと昆虫型人機が攻め込めば甚大な被害をもたらした。君は軍人として正しい行いをしたんだ」

 

「誇りに思うべき、ですか?」

 

 皮肉に口元を緩めたタカフミにリックベイは卓上に肘をついたまま、自分の様子を仔細に観察する。

 

「……もう大丈夫そうだな」

 

「減らず口が利けますから。で、おれの言いたい事も多分、先読みの少佐なら分かるんですよね?」

 

「瑞葉君を出したのはわたしの判断だ」

 

 あの戦場で戦いを買って出た《ラーストウジャカルマ》の一騎当千の活躍はC連合内でも噂になっている。それまで話題に挙がっているとは言ってもどこか遠い出来事であったブルーガーデンの強化兵の存在は最早、公然のものとなっていた。

 

「瑞葉は、もう人機には乗らないつもりだったんじゃ?」

 

「あの時、動かせるのが彼女しかいなかった。他の者達ではハイアルファー人機を稼動させるのに及び腰になるだろう」

 

「ハイアルファー人機……やっぱり、ただの人機じゃないんですね。《ラーストウジャカルマ》は」

 

 リックベイは投射画面に機体のステータスを呼び出す。瑞葉の脳波と連動しており、彼女の有する片翼こそが《ラーストウジャカルマ》を動かす基本骨子であった。

 

「一時的な接続状態と思ってもいい。《ラーストウジャカルマ》に搭載されたハイアルファー【ベイルハルコン】は怒りの感情に呼応し、機体追従性能を引き上げる。急加速やオールレンジ攻撃を可能とするのはこの部分だな。《ラーストウジャカルマ》の両腕は修復不能であったため、《スロウストウジャ》の予備部品を使ったが、彼の国は思った以上に技術躍進が発達していたらしい。他国の造り上げた人機の余剰パーツはすぐに馴染んだ」

 

 ハイアルファーの存在。それが自分と瑞葉、それに桐哉を分ける代物だ。

 

「《スロウストウジャ》には、そんな危ないものはついていないんですよね」

 

「安心して欲しい。わたしが保証する。《スロウストウジャ》は完全に、兵器としての人機の側面を強めた機体だ。ハイアルファーという予測不可能な物質に頼る事はしていない」

 

 通常ならばそれに安堵していただろう。しかし、タカフミの問いただしたいのはその事実ではない。

 

 彼は卓上を手で叩く。リックベイが眉を跳ねさせた。

 

「……おれ、別に自滅覚悟で向かっていったわけじゃないんです。でも、女に助けられるほど、落ちぶれたつもりもありません」

 

「軍属において男女は平等だ。そこに貴賎はない」

 

「そうではなくって! おれは、あんなに傷ついた奴に助けられて、悔しいんですよ!」

 

 瑞葉は充分に苦しんできた。ブルーガーデンという国家に辱められ、どこまでも兵器として扱われてきたはずだ。もう戦わなくていい。それは彼女にとっての救いの言葉になるはずだったのに、その誓いを破ったのが他ならぬリックベイである事が、今のタカフミには許せない。

 

 それを了承したのか、リックベイは目を伏せる。

 

「……彼女は療養を必要とする身である事は重々承知している。それでも、自分の尻拭いはする、と言ってくれたのだ。ブルーガーデン国土からあの人機が再度迫ってくるようならば迎撃の矢面に自分と《ラーストウジャカルマ》を向けてくれ、との願いを持っている」

 

「だから、それでも少佐は許しちゃいけなかったんですよ。あいつ……これ以上、何も憎みたくないはずなんです」

 

 瑞葉は敵を欲していた。それは兵器として純粋な在り方だ。だが、人としては歪な在り方だとも思う。

 

 常に敵を想定して生きていくなど自分では考えられない。軍属であっても、それは敵を葬り続ける機械になるのではないのだ。

 

「憎みたく、か。アイザワ少尉、《ナナツー是式》での戦闘データ、有意義であった。君の《スロウストウジャ》に反映させておこう」

 

「話、逸らさないでもらえませんか? おれが今言いたい事、少佐なら先読みするまでもなく、分かるはずですよね?」

 

 いつになく真剣な気迫が伝わったのだろう。リックベイは嘆息をついて、投射画面を別窓に切り替える。

 

「……瑞葉君を気遣う気持ちは分かる。わたしとて人でなしになったつもりはない。彼女には戦わない道もある。まだ歳若い。どんな未来でも描けるはずだ。しかし、それを彼女自身が拒んでいる。自分は幸せになってはいけないのだと、呪縛をかけているんだ」

 

「どうしてそんな……、だって国家に勝手に改造されて、勝手に兵力扱いされて、それでですよ? どうしてその国が滅びた後でも運命を翻弄されなきゃならないんですか」

 

「君の純粋さにはわたしも言葉を返し損ねる。ここから先はあまり大きな声では言えないが……」

 

 前置いたリックベイにタカフミは首肯する。

 

「いいですよ。秘密は守ります。口は堅いんで」

 

「上は瑞葉君を処分しないのならば兵力の一つとして数えろ、と言ってきている。有り体に考えれば捕虜ならば捕虜らしく振る舞え、という事だな。彼女を療養の必要な被害者だとは思っていない。《ラーストウジャカルマ》という強力な人機を動かせる、パーツのような扱いだ」

 

 唖然としていた。予測出来ていたとは言え、自らの所属する軍部がそこまで割り切っているなど。タカフミはきつく目を瞑り、ようやく言葉を発する。

 

「……それは、上の絶対命令ですか」

 

「ブルーガーデンの兵士を遊ばせておく余裕もない、という帰結なのだろう。かといって下々のスタッフでは気味悪がって彼女の回復など待ってはいられない。状況は動く。アイザワ少尉、先刻、報告が入った。我が方のマスドライバー施設に、モリビト二機が強襲。ナナツー弐式編隊が打撃を受けた。これによって我が国の上層部はかねてより計画していたブルブラッドキャリア排斥を決意。半数以上の議決が得られたため、今まで保留にされていたカウンターモリビト部隊の編成案が通った。《スロウストウジャ》をこれから先、自由に運用出来る、というわけだ」

 

「そんなの……、そんなの、勝手じゃないですか!」

 

 拳を叩きつけたタカフミにリックベイはどこまでも冷静な眼差しを注ぐ。

 

「これが軍部だ」

 

「軍であったとしても、瑞葉は外すべきです! だって、もう猛り狂う必要も、ましてや誰かを恨んでまで戦う必要もないじゃないですか」

 

「怨嗟、恨みの感情で動くハイアルファーを正常稼動させるために、上は薬物の使用も検討している。何よりも、先の戦闘が彼女の戦力的意義を確立させてしまった。わたしのほうで隠し立てするのはもう難しい。《ラーストウジャカルマ》を動かしたくなければ二つに一つだ」

 

 リックベイは卓上に拳銃を置く。鈍い光沢を放つ暴力の象徴を見据え、その言葉を紡いだ。

 

「――彼女を撃て。アイザワ少尉」

 

「何ですって……少佐、今何を」

 

 戦慄くタカフミへとどこまでも冷たい言葉が投げられる。

 

「死ぬ事でしか、彼女は救われない。友軍による攻撃で死ねば、それは致し方なしとして処理される。何よりも、彼女を保護するものは何一つない。わたしの権限も死んだも同然。彼女を真に救いたければ、殺すしかない」

 

「他に、他に方法はあるはずでしょう? だって少佐は、先読みのサカグチじゃないですか……。今までどんな戦場でも切り抜けてきた歴戦の英雄です! そんな人が、こんな……こんな結末を望むはずが」

 

「理想では人間は動かない。いつだって時を進めるのにはどこかで間違いが必要だ。その間違いの引き金を引く、覚悟はあるのか? アイザワ少尉」

 

 タカフミは拳銃に視線を落とし、自らの掌と見比べた。

 

 今まで、敵と断じた相手を迷いなく葬ってきたエースの誉れ。それはただ単に軍属として、命令に背かなければいいと思っていた。

 

 しかし、そうではないのだ。この世には白と黒だけでは割り切れないものがある。そうと分かってからでは遅いというのに、いつだって決断は急に迫られる。

 

 タカフミは拳を固め、卓上の銃を握り締めた。

 

「……おれの判断でいいんですね?」

 

「ああ、もうわたしでは止められない。一介の軍人崩れでしかないのだ。わたしも、君も」

 

 身を翻したタカフミは部屋を出ていた。すぐさま向かったのは瑞葉の待つ医務室である。

 

 瑞葉は前回までと同様、白いベッドで上体を起こしていた。片翼が広がり、機械天使はただただ囁く。

 

「……生きていたか、タカフミ・アイザワ」

 

「少佐の命令で動いたわけじゃないんだって?」

 

 瑞葉は少し目を伏せた後、首を横に振る。

 

「命令など、あの人はしなかった。強制されて《ラーストウジャカルマ》に乗ったわけではない。ただ、知っている人間がこれ以上死ぬのは、寝覚めが悪いだけだ」

 

「おれもよ。死ぬつもりで立ち向かったつもりはなかった。でも、《スロウストウジャ》を出すのには手続きがいる。あの場ですぐに出せたのが《ナナツー是式》だったってだけ。別に命を捨てた捨て身ってわけじゃなかった」

 

「そうか。それならばいい。命を捨ててまで国家に尽くすのは、わたしのような愚か者だけでいいと思っている」

 

 瑞葉はどこか自嘲気味に語る。これから先の運命を既に受け入れている様子であった。

 

 カウンターモリビト部隊に編成され、瑞葉は戦場にしか生きる場所を見つけられない道具となる。

 

 戦う事でしか己を示せない、悲しい存在に逆戻りだ。

 

 そうなるのならば、せめて――。

 

 タカフミは受け取った拳銃を瑞葉へと突きつけた。それでさえも、彼女は分かっているように目を伏せる。

 

「お前は、ここで死んだほうが幸福かもしれない」

 

「そう思う人間がいるというのは理解出来る。結局のところ、頭が挿げ替わっただけだ。ブルーガーデンからC連合に。飼い犬根性が染みついている。どこへ行っても、わたしは兵器だ。それが一番に納得のいく結果であるのは分かり切っている」

 

 タカフミは安全装置を外した。銃口は真っ直ぐに瑞葉の心臓を狙い澄ましている。

 

「撃つのなら、何発も撃つのはおススメしない。この肉体は兵器だ。自動迎撃システムが存在するかもしれない。やるのならば一息に、一発で」

 

 瑞葉が目を閉じる。タカフミは引き金へと指をかけ、瑞葉へと言いやった。

 

「どっちがいい。人間として死ぬか、兵器として処分の扱いを受けるか」

 

 瑞葉は何も望む事はない。ただ淡々と述べる。

 

「どちらでも、貴様らのやりやすいほうでいい。どうせ、わたしは《ラーストウジャカルマ》と運命を共にしている。わたしを殺せば《ラーストウジャカルマ》は動かない。それだけのシンプルな答えだ。分かり切っているのかもしれないが」

 

「ああ、分かり切っているとも」

 

 銃声が静寂を劈く。

 

 一発の弾丸が射抜いたのは、部屋に置かれた花瓶であった。砕け散る花瓶と花びらに瑞葉が瞠目する。

 

「何で……殺すのならば一発で――」

 

 そこから先を塞いだのは抱き留めたタカフミの行動であった。狼狽する瑞葉にタカフミは叫ぶ。

 

「殺せるかよ! ……死んだほうがマシだからって、殺すなんて出来るわけないだろ!」

 

「……どうしてだ? だってわたしはただの強化人間。兵器だ。殺すんじゃない。壊すだけなのに」

 

「もう、そんな風には見えないって話だ」

 

 タカフミは瑞葉を直視する。灰色の瞳、灰色の髪。天使の翼を持つ、痩躯の少女。

 

 ――彼女を救いたい。

 

 今、タカフミの胸を占めているのはその一事であった。

 

「そんな風には見えない……? 断じろ。割り切れ、タカフミ・アイザワ。ここでの選択は間違いじゃない。不安要素を持ち込むくらいならば破壊したって……」

 

「だから! そんな風に狭く自分を切り売りすんなよ! おれはさ……女子供に胸を張れる軍人になりたい。モリビトから国家を守ったんだ、すげぇだろって、言えるようになりたいんだ。そんな平和が誰か一人の理不尽の上に成り立っているなんて、思いたくないからよ」

 

 瑞葉は心底理解出来ないようにタカフミの視線から目を逸らす。

 

「……何でなんだ。貴様らは何で……わたしみたいなのに、生きた人間を見る事が出来る? ここにいるのは破壊すべき兵器だ! 唾棄すべき、人類の罪悪なのに……!」

 

「だから、さ。おれも少佐も、多分馬鹿なんだって」

 

 微笑んだタカフミに瑞葉が言葉をなくす。きっと、この答えでいいはずだ。リックベイは任せると言った。ならば、自分の価値と信条に従えばいい。

 

「……わたしを殺さないでおくと、きっと後悔する」

 

「かもな」

 

「こんな……敵国の強化兵など、入れ込んだところで仕方ない。状況は否応なく動く。それが軍だ。それが戦争だ。だから、この判断、甘いのだと、わたしは思っている」

 

「ああ、極甘だろうな。でもおれ、さ。そういう、甘ったるい未来、嫌いじゃないんだよ」

 

 瑞葉はベッドの脇に捨てられた銃を見やり、そっと呟いた。

 

「……貴様らは大馬鹿者だ。こんなわたしに、生きている価値があるなんて、思い込ませるなんて。どこまでも冷酷な殺人者になりきれない、こんな殺戮機械としても欠陥品のわたしを……」

 

「欠陥品じゃないだろ。人間としては、これ以上ないほどに、適格だ」

 

 瑞葉の瞳が潤む。彼女は困惑の声を上げた。

 

「何だ、これは……。体験した事の少ない事象だ。こんなもの、戦闘昂揚時に出るものではないのに……」

 

「泣けるってのはさ。人間だけなんだよ。感情で泣くのは、人間だけだ」

 

 ハッとした瑞葉は零れ落ちる涙にどこか嬉しそうに掌に視線を落とした。

 

「そう、か。これが、枯葉や鴫葉が伝えたかった、生きるという事か……。ようやく分かったよ」

 

「強化兵、瑞葉はここで表舞台から退場しても、いいんじゃないか?」

 

「表から消えて、わたしはどうなる?」

 

 そうだな、とタカフミは頬を掻く。

 

「軍人の恋人になる、なんてどうだ?」

 

 提案された言葉に瑞葉は言葉を詰まらせていた。さすがにこれは浮き過ぎか、とタカフミは取り消そうとする。

 

「や、これはやっぱないか。さすがに冗談で――」

 

 そこから先の言葉を、瑞葉は袖口を引っ張って口にした。

 

「冗談に、しないでもらえるか……。その、わたしもこの感情は分からないのだが……」

 

 一時の感情に浮かされたわけではない。ただ、ここで殺したのは名もなき強化兵であった、という自分の決断。

 

 天使の翼を持つ少女とタカフミは、静かに唇を重ねた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯152 エクステンドチャージ

 逃れついたのは、岩礁地帯であった。

 

《ノエルカルテットパイルダー》とロデム、ロプロス、ポセイドンを引き連れての長期行動には無理が生じる。

 

 鉄菜は四機分のシステムを引き継いだ《シルヴァリンク》が悲鳴を上げているのが手に取るように分かった。

 

『鉄菜、やっぱり四機も処理するのには《シルヴァリンク》じゃ足りないマジよ』

 

「分かっている。だがそれでも、あそこで放っておくわけにはいかなかった。……ジロウ。何が起こった? 解析出来ているか?」

 

 ジロウは指先をコンソールに触れさせ、モリビト三機を補助しているシステムを呼び出した。

 

 桃から幾度となく聞かされていた特殊システム、バベル。その内情はモリビト全機に共通するOSの一部でもあったのだ。

 

『モリビトの高性能を補助するのに、バベルは絶対に必要だったマジ。そのバベルへの直接のアクセス権を持っていたのが、三号機。このバベルマジが、世界を覆っているシステムと同期しているため、惑星の事で分からないという事は存在し得ないつくりになっているマジね』

 

「つまり、バベルがある限り、優位を保てていたわけか」

 

 それが覆された。鉄菜は《シルヴァリンク》から降ろした《ノエルカルテットパイルダー》に通信を繋ぐ。

 

『……モモが言えるのは、もう《ノエルカルテット》にバベルへのアクセス優先権がないという事実だけ。どうしてバベルのアクセス権が奪われたのか、それは全く分からない』

 

「打つ手なし、か」

 

 嘆息をついた鉄菜はロデム、ロプロス、ポセイドンのシステムに目を向ける。それぞれの自律OSを支えていたのもバベル。それが奪われたという事は、もう《ノエルカルテット》は平時の能力をほとんど失っているも同義。

 

『これから先、どうするマジか? もうあのマスドライバー施設は使えないマジ。C連合も張っているマジし、どこへ行こうにも今まではバベルによる先読みで相手の出方が分かった強みがあったマジ。それを失ってただ闇雲に突っ込むのは自殺行為マジよ。今は、C連合も《スロウストウジャ》を保持している状態。こんな時に攻め込まれたら……』

 

「一巻の終わり、だな。私の《シルヴァリンク》しかまともに戦えない」

 

 如何にしてこの絶望的な状況を潜り抜けるのか。前髪をかき上げた鉄菜はシステムログの一つに解明不能な部分が存在するのを関知した。

 

「……ジロウ。この領域だけが読み込めていない。何か不備でも?」

 

『ちょっと待つマジ……。ウイルスだったらお終いマジよ』

 

「それでも、やってくれ」

 

『システム遣いが粗いマジなぁ。……これは、人格データマジか?』

 

 読み込んだ直後、ジロウの声帯を震わせたのは別の声であった。

 

『ようやく……読み込んでくれたか』

 

 重々しい老人のような声音に鉄菜は反射的にアルファーへと手を伸ばす。

 

「……何者だ」

 

『名乗れば長くなるが……この惑星における支配特権層。つまり、君達ブルブラッドキャリアの討伐対象だと言えば、分かるかな』

 

 討伐対象。その言葉に鉄菜は肌を粟立たせる。

 

「支配特権層……、惑星の裏の支配者だとでも?」

 

『有り体に言えばそうなる』

 

「そんな存在がどうしてモリビトのシステムログの中にいる? いや、これは正しくはバベルのシステムログ内か。どういうカラクリだ?」

 

『それも、話せば長くなるのだが……今は君達に呼びかけるとすれば、ここはもう安全圏ではないという事だ』

 

 どういう、と問い質す前に、策敵レーザーを一機の高速移動体が察知する。

 

 鉄菜は咄嗟に操縦桿を引き、《シルヴァリンク》を後退させた。

 

 先ほどまで《シルヴァリンク》のいた空間を奔ったのは白銀の光である。

 

「まさか……!」

 

『そうよ。ここまで追ってきたってワケだ。……ったく、連中にも参るぜ。宇宙に上がったと思えば、今度は地上にとんぼ返りだ。でもよ、すぐにモリビトの位置を把握したのにはビビッたぜ。いつからそんな優位に立ったんだ、って聞いても教えやがらないのは癪だがな』

 

 その言葉振りと中空に佇む機影は見間違えるはずがない。

 

 片方の羽根槍を失ってはいるが、その戦力は依然として健在である。

 

「《モリビトタナトス》……」

 

『その機体の中に居やがるんだろ? そいつを差し出せば、ここで死ぬのは勘弁してやるって上が言ってやがる。交渉だ、モリビトのガキ』

 

 差し出す、という言葉にジロウのシステムを掌握した何者かを鉄菜は知覚する。相手はジロウの身体を使って否定した。

 

『ここで我々を失えば、君達は未来永劫、勝利の機会を失う事だろう。連中の好きにさせれば必ず、惑星は破綻する。それだけは阻止せねばならない』

 

「分からないな。お前達はブルブラッドキャリアの敵だろう。惑星の未来を脅かし、私達を星から追放した存在だ。言う事を聞くとでも?」

 

『……信じてもらえるかは分からないが、我々は平和を作り上げるためにこの支配を磐石にした。そのためのモリビト排斥であったのだが、事情が変わったのだ。ここでモリビトが潰えればきっと、星にとって悪い運命に転がる。それだけは確かなんだ。君達からしてみれば仇そのものだろう。憎き我々を生かす意味など、ないのかもしれないが……』

 

『聞いた通りだ、ガキ。そいつは元老院って言ってよ、この星を裏から動かし続けた支配層さ。そんでもって、ブルブラッドキャリアの復讐を作る温床となった忌むべき存在だ。そいつをただ明け渡すだけでいい。そうすりゃ、ここでの戦闘は勘弁してやる。見た限り、デカブツのモリビトは戦闘不能。てめぇ一人でオレとは渡り合えないだろ? 悪くない交渉条件だとは思うがな』

 

《ノエルカルテット》は使えず、バベルも使用不可能な今、《モリビトタナトス》に勝利出来る可能性はほとんどない。

 

《シルヴァリンク》だけで勝算がないのは幾度となく刃を交えてきた事からも明らかだ。

 

 加えて、ジロウを支配しているこのシステムはブルブラッドキャリアの敵。憎き仇なのだと言われれば、このシステムを保護する道理もない。

 

 切り捨てるのが賢いやり方に思われた。

 

『モリビトよォ、ハッキリ行動しな。そいつは悪党だぜ? この星の命なんて蚊ほどにも重んじちゃいねぇ。根っからの大罪人さ。つい数時間前までモリビトを破壊する術を試算していた連中じゃ信じるに値しないだろ? さっさと渡せよ』

 

 鉄菜は考えを巡らせる。ブルブラッドキャリアの、組織の敵。それがこのジロウの中に収まっている。好機とも考えられる。

 

 ジロウ共々破壊すれば、この戦いは終わる。惑星を支配し続けた特権層は消え失せ、新たなる時代が生まれるだろう。

 

 あるいは《モリビトタナトス》の操主に明け渡し、ここでの戦闘は一旦打ち止めにするのも一つの手。

 

 面を伏せた鉄菜にジロウの中にいる存在は諦めている様子であった。

 

『……我々は確かに、この星の人々の、その運命を弄んだ。断罪されても当然なのかもしれない。だが、ここでは死ねないのだ。まだ、死ぬわけにはいかない。それだけは、確かに……!』

 

『どうするよ? モリビトのガキ。大局的に考えな。黒幕を差し出せば、この戦いそのものは終わりを告げるんだぜ? ブルブラッドキャリアの自治権とやらも、取り戻せるだけの算段はついている。そいつが全ての元凶だ。システムログの一パーセントにも満たない虫けら以下の存在。今のてめぇなら、判断は難しくはないはずだろ?』

 

 そうだ。今の自分ならばこの存在をどう扱おうと自分次第。

 

 ここで戦いを終わらせるか。それとも愚かにも戦いを続ける道を選ぶか。

 

「……答えなんて、分かり切っている」

 

『だろ? さぁ、そいつを』

 

「リバウンド、フォール」

 

 左腕に装備された盾の反重力を用い、《シルヴァリンク》が躍り上がる。Rソードを発振させ、《モリビトタナトス》へと斬りかかった。攻撃に際し、Rブリューナクが反応して太刀筋を受け止める。

 

『……こりゃ、どういう了見だ? モリビトのガキ』

 

『クロ……?』

 

『ブルブラッドキャリア……』

 

「私は私を信じる。彩芽・サギサカが言っていたように、最後の最後、信頼出来るのは他でもない、自分のここなのだという事を」

 

 鉄菜は胸元を指差す。まだ心の在り方は分からない。どう行動するのが正解なのかも霧の向こうだ。それでも、彩芽はその心とやらに従って戦い抜いた。ならば、自分もその志を継がなくてどうする。

 

「《モリビトシルヴァリンク》。ここでの重要なシステムの譲渡は組織への、ひいては私達への不利益に繋がる。よって、私は抵抗する。たとえこの者が私達の道を妨げてきた元凶であろうとも、お前を信じるよりかはマシだ」

 

『ブルブラッドキャリア……、貴様は我々を』

 

『そうかよ。ま、想定内だ。てめぇの反骨精神丸出しの解答はよ。それに、オレもホントのところはここでてめぇらに引導を渡したかったのもある。スッキリしたいんだよ。ヤらせろよ! モリビトォ!』

 

 Rブリューナクが駆動し、《シルヴァリンク》へと白銀の輝きを放つ。後退した《シルヴァリンク》はRクナイを疾走させ、攻撃への防御陣を敷いた。Rブリューナクはたった一基になったとは言え、その速度に衰えは見せない。

 

 むしろ、今まで二基同時稼動を実現させていたのが不思議なほど、正確無比に《シルヴァリンク》の関節部位を狙い澄ます。

 

 Rクナイと盾で防ごうとするが、Rブリューナクの性能はR兵装と同義。その威力を完全に殺し切る事は出来ない。

 

 減殺し切れない余剰衝撃波に嬲られる形で《シルヴァリンク》がじわじわと追い込まれていく。

 

《モリビトタナトス》が肉薄し、鎌を振るい上げた。実体の鎌とRソードが干渉し合い激しくスパーク光を散らす。

 

『モリビトの操主! ここで我々を見離すんだ! あまりにも不利じゃないか、こんな戦闘……! ブルブラッドキャリアが生き残らなくては、レギオンの暴走を止めるものはいない! ここは細く長く選択肢を……』

 

「黙っていろ。今は私が、戦っている!」

 

 そうだとも。今は自分の戦いだ。誰かのためでも、ましてや元老院のためでもない。自分が納得出来ないから戦っているだけだ。

 

 そこに理念も、ましてや高尚な思想もない。

 

 ただ、この身が許せないだけ。

 

 個人的な怨嗟に巻き込んでしまって、全ての運命を棚上げしようとしている。自分の責務も、ブルブラッドキャリアの命運も。

 

 だが、それでも構わない。構わないと思える。

 

 ――彩芽・サギサカ。こういう事なんだろう? お前が言っていた「心」という代物は。

 

 Rソードが干渉波に負けて横滑りする。その隙を《モリビトタナトス》は見逃さなかった。蹴り上げた一打が《シルヴァリンク》の防御網を抜ける。

 

 Rブリューナクが迫り、鉄菜はRクナイを疾走させた。クナイガンから放たれた弾丸がRブリューナクを撃墜すべく動くが、どの軌道も全て遅い。

 

 白銀の槍の一閃を前に、Rクナイが勢いをなくす。そのまま直進して突き刺さらんとする敵の武装に鉄菜は舌打ち混じりにフルスペックモードを解除させた。

 

 胴体からパージしたRクナイ四基の分だけ軽量化した《シルヴァリンク》が飛び退る。

 

 それでも、Rブリューナクの照準からは逃れられない。

 

 海面に移動した《シルヴァリンク》を襲ったのは高密度の蒸気噴射であった。Rブリューナクが海面温度を上げて蒸発させ、霧を作り上げたのだ。

 

 濃霧の中、センサー類が眩惑される。

 

 どこから《モリビトタナトス》が来るのか分からない恐怖に震えたのも一瞬、鉄菜は動物的反射能力でRソードを薙ぎ払う。

 

 刃の切っ先が鎌と打ち合い、両者、大きく後退する形となった。

 

『勘が鈍ったわけじゃなさそうだな。だがよ、そいつは賢くない選択だ。これからの世界、何が通用するのか、何が価値をなくすのか、即座に理解出来ないヤツは淘汰される。今までの進化の歴史からしてそうだ。オレは戦争屋だからよ、偉そうな事は言えねぇが、戦ってっと分かるんだよ。弱いから死ぬ。弱者だから滅びる。世の常っていう真理。そいつを肌で感じられる。やっぱり戦争ってのは辞められねぇ! クスリなんかよりもよっぽどだぜ! 昂揚するのは魂だ。根幹の部分だよ。てめぇも感じてんだろ! モリビトのガキィ!』

 

「私は、お前とは違う!」

 

 振るい上げたRソードに《モリビトタナトス》が接近し、鎌を払う。盾で受け止めるもその攻撃力の凶悪さに打ち負ける形となった。

 

『何が違う? オレもてめぇも、どっちも同じこった! 戦争って言うアブノーマルなプレイに感じんのさ。そいつに興じる事が出来るのが素晴らしい事だって、分かってんだろ! 同じなんだよ、戦争やってんだ! 綺麗事並べ立てたって、オレとてめぇは、似た者同士ってワケだ!』

 

「違う! 私は、少なくとも私と《シルヴァリンク》は! そんな事のために戦っているんじゃない!」

 

 言葉とは裏腹にRソードは敵の鎌の一振るいの前に押し負け、今にも《シルヴァリンク》は分解寸前の軌道を描いている。

 

 次の一手は、次の一手は、と考え続けなければ負けるのは明白だというのに、脳が考えを捨て去っている。

 

 本能で戦っている状態の鉄菜は、敵の言葉一つ一つに掻き乱された。

 

『どうかな。てめぇ、思ったよりずっとだ! ずっと戦争に適応力がある。オレと同じか、それ以上にな! 案外、生きていけねぇんだろ? 戦いがないとよ、張り合いもねぇってもんだ! 戦う事だけが己の存在意義だとか、思ってんだろ!』

 

 突き上げられたRブリューナクと鎌による一撃よりもなお色濃い逡巡が鉄菜を満たしていた。

 

 そうなのだろうか。

 

 自分は、戦う事しか知らない、戦闘マシーン。人機と同じく、青い血が流れているかもしれない、殺戮機械。

 

 違いなんて瑣末なものだ。鋼鉄か、生身か、それだけの事。

 

 自分はともすれば、人機以下の、ただ壊す事しか知らない、人間のクズ。

 

 操縦桿を握る手から力が失せていく。凪いだ敵意を見逃す相手ではない。《シルヴァリンク》の頭部を叩き割る一撃が、今にも放たれようとしていた。

 

 刹那、声が弾ける。

 

『違う!』

 

 不可視の力が《モリビトタナトス》を締め上げる。その声の主へと鉄菜は目線を向けていた。桃の搭乗する《ノエルカルテット》パイルダーが浮き上がっていく。

 

「桃・リップバーン……」

 

『違う! クロは、あんたなんかと……、戦争を楽しんでいる人間とは、違う! どれだけ苦しんでいるのか、知りもしないで!』

 

『喧しいぞ! 毛も生えてねぇ、クソガキが! ヤッてやるから黙って順番待ってろ!』

 

 Rブリューナクが駆動し、《ノエルカルテット》パイルダーに一撃を見舞う。その一閃でパイルダーから力が萎えかけたが、桃が声を張り上げた。

 

『モモは! ずっとクロの事を見ていた! だから言ってあげる! クロは、あんたみたいな人でなしじゃない! 心があるもん!』

 

「心……」

 

 呟いた鉄菜は胸元に手をやる。この皮膚の下で脈打つもの。鼓動に似た存在。

 

 それを心と呼ぶのだろうか。それを、大切にしろと、彩芽は言っていたのだろうか。

 

 Rブリューナクを伴い、《モリビトタナトス》が《ノエルカルテット》に肉迫した。

 

『うざってぇんだよ、ガキィ! 鳴くならもっといい声で鳴けよ! 戦場にてめぇの自慰の喘ぎなんて持ち出すんじゃねぇ!』

 

《ノエルカルテットパイルダー》を破壊せしめようとした一撃を封じたのは横合いから牙を閃かせたロデムだ。

 

 機獣の攻撃に《モリビトタナトス》の操主は舌打ちする。

 

『自律稼動兵器なんざ。行け、Rブリューナク!』

 

 Rブリューナクの一条の光線がロデムの腹腔を破る。その機体から青い血が滴った。

 

『ロデム!』

 

『妙な力使いやがる……。ふざけんのも大概にしろ!』

 

 Rブリューナクの照準に入ったのは上空より舞い降りたロプロスであった。鋼の翼がRブリューナクの射撃をぶれさせる。さらにポセイドンの弾幕が《モリビトタナトス》の目を奪った。

 

 周囲に巻き起こる粉塵に《モリビトタナトス》が赤い眼窩をぎらつかせて視線を巡らせる。

 

『ざけやがって……束になってかかってくるのならもっとうまくやるんだな! オレの眼には! てめぇらの足掻きなんて見えてんだよ! Rブリューナク!』

 

 上空へと飛翔したRブリューナクの槍の穂から拡散して放たれたのは白銀の散弾であった。

 

 ロデムの背筋を叩き、ロプロスの翼を融かし、ポセイドンの機体を震わせる。

 

 直後には、三機の機獣は戦闘不能にまで追い込まれていた。《モリビトタナトス》一機が鎌を振り上げ、《ノエルカルテットパイルダー》を睥睨する。

 

『ロデム……ロプロス……ポセイドン……、みんな……』

 

『お遊戯をやりたきゃ他所でやれ、ガキが。無茶苦茶にしてやる』

 

 Rブリューナクの照準が《ノエルカルテットパイルダー》を狙い澄ます。鉄菜は《シルヴァリンク》を疾走させようとしたが、あまりにダメージを負ってきたせいで、機体が軋みを上げる。

 

 これ以上は限界だと機体各所がレッドゾーンに染まった。

 

「まだだ! 《シルヴァリンク》! ここで桃・リップバーンを助けられなければ、私はきっと! 一生私自身を許せない!」

 

 だから一度でもいい。ここで無謀にも立ち向かう事を許してくれ。その願いとは裏腹に、機体のダメージは深刻であった。

 

 最早一対一の戦闘でさえも奨励されていない。ここは逃げ出すべきだ。撤退すべきだと冷静な頭が判断しようとするが、鉄菜は必死にもがいた。

 

 ここで逃げてどうする?

 

 敵は一機。己も一機だ。

 

 何を迷う? 何を躊躇う。ここで潰える事をこそ、恥と知れ。

 

 戦い、血反吐を吐いてでも前に進む。それがブルブラッドキャリア。それがモリビトだ。

 

 この星を相手取るのならば、どこまでも罪深く。どこまでも大罪人の謗りを受ける覚悟で戦え。

 

 自分は永遠の罪人。それをもう、運命が受け入れている。

 

『モリビトの操主……。それでも戦うのか。こんなになってまで、どうして戦う? どこへなりと逃げても、誰も嗤いはしない。どうとでも自分を誤魔化せるはずだ。だというのに、どうして……』

 

 元老院の問いかけに鉄菜は奥歯を噛み締めて言い放った。

 

「知れた事。私は、私のために戦う。そうと決めたからだ。決めた事をやり通す。遂行するのが、ブルブラッドキャリアの執行者。モリビトの操主を務める資格を持つ。たとえ先に待つのが惨たらしい死でも、私はそれを……選び取る」

 

 そうだ。選択したのは自分自身。

 

 ならばその決定に異議を挟むまでもない。己の事は己で決める。

 

《シルヴァリンク》の機体がびりびりと震える。操縦桿に伝わるのは今にも息絶えそうな人機の脈動。

 

 こんなか弱い機体に重石を乗せて、エゴでしかない最後の足掻きをしようとしている。

 

 ――それでも。諦めを踏み越えるのならば。

 

 ジロウに憑依している元老院はその意思を感じ取ったように首肯した。

 

『分かった。ならば授けよう。惑星における最も忌まわしき禁断の果実。我々が封印し続けた、最後の力を。受け取れ、この能力こそが、我らの最も恐れた人の力。その名を――』

 

 刹那、機体に黄金の輝きが纏いつく。

 

 先ほどまで過負荷を訴えていたアラートが消え去り、直後に待っていたのは急加速であった。

 

 鉄菜の知覚を飛び超え、《モリビトタナトス》の振るった鎌を《シルヴァリンク》の左手が受け止めている。

 

 一瞬、何が起こったのか、自分でも分からない。

 

 距離があったはずの《モリビトタナトス》の眼前に立ち現れた《シルヴァリンク》と己にただ戸惑うのみであった。

 

『……何だ、その輝きは……』

 

 機体ステータスが書き換わっていく。バベルに繋がった《シルヴァリンク》の全天候周モニターに散っていたのは黄金の花吹雪であった。

 

 金色の花弁が《シルヴァリンク》を覆い尽くしている。平時と違い、赤く染まった眼窩が《モリビトタナトス》を睨み返していた。

 

『モリビトが、金色に染まった……』

 

 桃の茫然自失の声音に鉄菜は対応しようとした敵のRブリューナクを視野に入れる。

 

 操縦桿を引いた途端、今までの手応えとはまるで違う感覚が纏いついた。瞬時に飛翔した《シルヴァリンク》はRブリューナクの射程を飛び越え、上空に位置する。

 

 その速度に《モリビトタナトス》が圧倒されていた。遅れてRブリューナクの白銀の射撃が空間を射抜く。

 

『どう、なってんだ、そりゃあ……。何を起こしやがった! モリビト!』

 

『全ての人機には資格がある』

 

 そう告げたのはジロウの姿を取る元老院であった。問い質す前に《モリビトタナトス》が舞い上がり、Rブリューナクの照準を据えようとする。鉄菜はフットペダルを踏み込み、Rソードを走らせた。

 

 Rソードの出力が相手の鎌に勝り、刃を寸断する。

 

「これは……こんな攻撃性能……」

 

『だが、その資格を百五十年前に剥奪した。バベルの中に全てを封じ、最後の最後、箱の底にそれは秘匿されてきた。今では名を紡ぐ者さえもいない、禁断の人機操縦技術。血塊炉の有する命の河へのアクセス権を復活させ、その性能を引き上げる。今こそ、その名の復権を誓おう。その名称を』

 

 コンソールにシステムの名称が刻まれていく。鉄菜はそのまま口にしていた。

 

「エクステンド、チャージ……」

 

《シルヴァリンク》がRソードを振るい上げ、《モリビトタナトス》のがら空きの腕を叩き斬る。余剰衝撃波が巻き起こり、波間を切り裂いた。《モリビトタナトス》のRブリューナクが《シルヴァリンク》を狙うも、その一撃は大きく逸れた。

 

《シルヴァリンク》の薙ぎ払った太刀筋にRブリューナクが煽られ、その照準をぶれさせる。

 

『何だ、こりゃあ……』

 

「これは、何が起こって……」

 

『エクステンドチャージ。純惑星産の血塊炉に刻まれた種の記憶。命の河へのアクセス権を開いた。これは我々元老院と接続している君の人機でのみ、有効な手段だ』

 

 黄金を宿した《シルヴァリンク》が踊り上がり、Rソードを十字に刻む。《モリビトタナトス》の機体が軋み、残っていたもう片方の腕を盾に相手が撤退軌道に入る。

 

『ふっざんな……! こんな無茶苦茶なの、聞いてねぇぞ……!』

 

 離れていく《モリビトタナトス》を見やり、鉄菜は《シルヴァリンク》に剣を振るわせる。

 

 装甲を染める黄金の輝きに鉄菜は感じ入ったように口にしていた。

 

「これが、エクステンド……命の力……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 タチバナは緊急招集の指令を受け、すぐさま格納庫に向かっていた。

 

 悪い予感が胸を占める中、繭が胎動しているという報告を受ける。

 

「生まれるというのか……」

 

 何が、とは言わない。それが災厄の導き手であっても、自分達の行った事に間違いはないはずであった。

 

 マスクと浄化装置に身を包み、先遣隊が火炎放射器片手に歩み出た時には、繭から半分ほど機体が顔を出しているところであった。

 

 緑色の機体色を持つその巨躯は本来の《キリビトプロト》の倍近くはある。巨大人機が格納庫の中で身じろぎし、片腕を掲げた。

 

 途端、巻き起こったリバウンドの斥力が働き、格納庫の備品を叩き潰していく。

 

 繭にまだ機体が留まっている今が好機であったが、タチバナは咄嗟に判断を下せなかった。

 

「これが、人機の進化だと言うのか」

 

「博士、すぐにご判断を。これが害悪であるのか、それとも我々に福音をもたらすのか、全ては……」

 

 自分の判断一つだというのか。言葉を失っていたタチバナを他所に、歩み出ていたのは専属操主の予定であった女である。

 

 マスクも浄化装置もつけていない。自殺行為の彼女を止める者はいなかった。

 

「レミィ上等大尉! ここでの勝手な行動は!」

 

「慎め、か? だが、これは福音だよ、ゾル国の諸君。世界は、わたしとキリビトを選んだんだ」

 

「……何やら分かった風な事を言う。お主、何のつもりだ」

 

 タチバナの追求にレミィは片手を振るう。

 

「ドクトル。人機は生きていると、そういう存在だと言いましたね? 全くの同感ですよ。《キリビトプロト》は人類の原罪の生き証人。ならばその生き証人を使って何を成すべきか。決まっている。事は一つ。この世の罪を裁くとすれば、それはこの人機に他ならない」

 

 レミィへとキリビトの繭から触手が伸びる。絡め取ったその身体を抱き、繭の中へとレミィは吸い込まれていった。

 

「人を、呑んだ……」

 

「人機は……《キリビトプロト》はそれさえも超えると言うのか……」

 

 茫然自失の人々へと繭を引き裂いて現れたのは全く新しい姿へと生まれ変わった人機であった。

 

 頭部形状はまるで悪鬼のように一対の角を持ち、デュアルアイが人々を睨み据える。

 

 繭を破砕し、キリビトは翼の形状を持つスラスターを焚かせた。

 

 退避の声が響く中、タチバナは舌打ちする。

 

「まさか、人の域を超えると言うのか……貴様は」

 

『既に超えているのですよ、ドクトルタチバナ』

 

 反響したレミィの声はまるで絶対者のように格納庫の人間達を威圧する。圧倒された人々が神を見るようにへたり込んだ。

 

「キリビト、なのか……」

 

『これは最早、試作機の領域を超えた、長の資格を持つ人機だ。これからは《キリビトエルダー》と名乗る』

 

 腕を天へと掲げた《キリビトエルダー》の動きにタチバナは真っ先に叫んでいた。

 

「いかん! 伏せろ!」

 

 その言葉に何人が反応出来ただろうか。反応出来た人間は直後の黒白の眩惑を直接網膜へと焼き付けずに済んだ。

 

 しかし、数人の軍人達は逃れ得なかったのだろう。目を塞いで呻く者達の怨嗟を受けて、《キリビトエルダー》が天地を射抜く一撃を放っていた。

 

 穴が開いた基地を仰ぎ、《キリビトエルダー》が飛翔に移ろうとする。タチバナは通信機を引っ掴んで声を吹き込んでいた。

 

「そこの操主! 何が望みだ!」

 

『望み? 全てですよ、タチバナ博士。ブルブラッドキャリア断罪にこれ以上とない人機。そして、わたしは元老院より解き放たれた存在。星の罪を裁くのに、わたしより相応しい存在はいないでしょう』

 

「傲慢な……」

 

『どれほど喚こうともう遅い。《キリビトエルダー》は揺籃の時を超え、今、巣立つ』

 

 噴射剤が基地内の人々の視界を塞ぐ。直後には《キリビトエルダー》の巨体が舞い上がっていた。

 

 基地を貫き、虹色の天蓋へと一瞬で至る。

 

《キリビトエルダー》が片腕を翳し、天蓋に触れた。電磁パルスが流転し、虹の皮膜が焼け落ちるように円形に抉られていく。

 

 その場所を基点としてリバウンドフィールドが解かれていた。

 

 まさか、と全員が息を呑む。

 

「百五十年続いたリバウンドフィールドの護りが……たった人機一機で……」

 

「解かれた、という事か。あの人機、ただの機体ではないのは分かっていたが、これほどまでとは」

 

 感嘆する者達を他所に、タチバナは拳を握り締める。

 

 災厄を解き放ってしまった。ブルブラッドキャリアが滅びるか、それとも自らの過ちで人類が滅びるのか。

 

 最早、選択肢は多くない。たとえブルブラッドキャリアを倒したとしても《キリビトエルダー》の脅威は世界を縛り付けるだろう。

 

 最後の最後に、間違いを犯したのは自分のほうだ。

 

 その悔恨に、タチバナはただただ面を伏せるしかない。

 

「ヒトの可能性を信じるのならば、ここで勝利するのを願うのは、いけない事なのだろうか」

 

 どちらが勝利しても、人類の歴史は塗り替わる。

 

 融け落ちたリバウンドの天蓋はその事実を、地上を這うしかない弱者へと、否応なく突きつけているようであった。

 

 

 

 

 

 

第七章 了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八章 鋼鉄の絆
♯153 因果の決着


 薫るのは戦闘の昂揚が生み出す幻覚か。あるいは、ここ死狂いの境地に至ってのみ発現され得る感覚であろうか。

 

 対岸の敵を前にして、桐哉の胸中は思いのほか静かであった。恨みもなければ、わだかまりもない。ただ、あるのはここまで登り詰めさせてくれた感謝のみ。

 

 その謝辞も、今はただの弊害となる。構えは正眼。お互いに摺り足で対峙する。

 

 この抜刀術に、面や防具の類は必要ない。

 

 否、それはただ単に邪魔なだけだ。研ぎ澄まされた感覚を塞ぐのは安全装置という名の気の緩み。

 

 最早、一瞬でも気を抜けば食らわれるであろう事は明白。桐哉は言葉を発しようともしなかった。

 

 戦いの最果てに言葉は無用。誰もが言葉を弄し、それを使って相手との交渉を試みようとする。それは有史以前より人間が扱ってきた「平和」という張りぼてを維持するための装置である。

 

 だが、戦いから人間は逃れられない。その舞台装置が外れた時、ではどうするか。

 

 答えは単純明快。相手の喉笛へと決死の覚悟で食らいつく。牙が折れ、爪が逆剥けても、それでも相手へと食らいつくのをやめない闘志こそが、人間の持つ最も原子的でなおかつ遺伝子の根底に刻まれた闘争の本質である。

 

 零式抜刀術はその本質を明るみにする。

 

 ヒトが理性というたがをもって相手との平和的解決を主とするのならば、零式抜刀術の赴く先は本能である。

 

 どこをどう打ち込めば相手を制する事が出来るのか。どこを無効化すれば相手を殺し尽くす事が出来るのか。

 

 野蛮とも言えなくもないその考えは本能で構築されている。相手の弱点を即座に見抜く洞察力。その上で力量を冷静に俯瞰する咄嗟の判断力。

 

 それら全てを包括して使用するのがこの戦闘術の真髄。

 

 ――だが、それは頭で分かっている領域に過ぎない。

 

 本能を理解するのに、理性で分析する、というのは相反する事象に他ならないのである。

 

 実のところ、本能的にこの戦術を叩き込むのには戦うしか最短の道標はない。つまりは実戦あるのみ。

 

 相手との鍔迫り合いと闘争の中でしか、この戦闘法は極みを知らないのだ。

 

 なればこそ、ここで向かい合うは必定。桐哉は僅かに姿勢制御を変えた。爪先へと重心を落とし、相手の首を取る構えへと変位させる。

 

 この構えの動きはまさしく精密な筋肉と骨の連動が生み出す最たるものであり、己の身体を知り尽くしていなければ生み出せない。

 

 幾度の鍛錬の後、桐哉はこの零式抜刀術が言うほど容易くないのを思い知った。

 

 肉体と精神を極限まで削り、さらに己を知る、という原初に立ち返らなければ習得は難しい。

 

 加えて言えば、立ち合い相手がいなければ一生、この戦術は馴染まないであろう。

 

 立ち合いなしでこれを習得出来るのは一部の天才のみ。

 

 ゆえに、眼前の相手は天才、――否、羅刹であった。

 

 銀髪をなびかせ、向かい合うは先読みの異名を取る自らの師。

 

 行くぞ、とも、いざ、とも声はかからない。だが、どこから打ち込んでも反撃が来るのは分かっていた。

 

 それほどまでに隙は微塵にもない。立ち振る舞いから読み取れるのは相手がどれほどの剣の高みにいるのか、という純粋なる事実。

 

 取れるか、という逡巡でさえも今は邪魔だ。

 

 取る、という実感がなければすぐさま蹴散らされてしまうだろう。

 

 また、薫ったのはどこかで嗅いだものだ。どこなのかは明瞭に意識を結べないが、それが恐らくは戦場であり、なおかつ自分の身を焼くような恩讐の彼方である事は容易に想像がつく。

 

 剣筋を立て、呼吸を整えようとする。一拍の乱れだけで万死の隙が生まれる。

 

 爪先に比重を置いて姿勢を沈ませ、リックベイへと一閃を叩き込む――何度も脳内で諳んじているその事柄が、踏み込む段において急速に現実の色をなくしていくのはやはり実力者を前にしているからか。

 

 正眼の構えが崩れれば敵の踏み込みが瞬きの間に入ってくる。その時は決して遠い出来事ではない。

 

 一秒後にでも訪れないとも限らない。

 

 伝った汗が顎から滴り落ちる。

 

 集中を切らさないようにしてもう何分経っただろうか。

 

 零式の戦闘訓練は集中力を要する。殊に、師範であるところのリックベイとの立ち合いはまさに己の限界点との戦い。

 

 ギリギリのところで踏み込むか踏み込まないかの差が埋めがたい溝となって横たわっている。

 

 勇気、無謀、果敢――あらゆる言葉で言い換えられるそれは、いざ刃を向かい合わせれば単純な帰結として存在する。

 

 それは力。

 

 力でしかない。

 

 向かい合うから勇気があるわけでもなければ、踏み込みを躊躇うから無謀なわけでもなく、戦いへと駆り立てる神経が果敢なわけでも決してない。

 

 力だけなのだ。

 

 この世でシンプルに、なおかつ本能の上に立つエネルギーは力でしかない。

 

 野蛮人の理論のように思われがちだが、桐哉は打ち込めないリックベイを前にして、確かにそう感じる。

 

 力だけ。その純粋な力の値が足りていない。

 

 まだ、自分は拙い刃の扱い手だ。

 

 しかし拙いなりにこれでも修練は積んだ。戦いにおいての真理を突き詰めてきた。ならば、この牙、どこかで届くはずである。

 

 それがどのような形を伴っていようとも。野獣の牙はどこかで狩人の領域へと変ずる。

 

 切り込んだのは、隙があったからでも、ましてやどちらかの集中がなくなったわけでもない。

 

 斬り時。

 

 刃を振るうべきその瞬間が訪れた、という、ただそれだけの話。

 

 踏み込んだのは両者同時。だが姿勢を沈ませていた桐哉の剣が僅かに勝っている。その切っ先がリックベイの額を割ろうとした。

 

 銀狼の剣筋が桐哉の太刀筋を払い、その軸となる足を狙って返す刀が振るわれる。

 

 させるものか、と応戦の刃を薙ぎ払った桐哉は直後に飛び退っていた。

 

 極度の集中のせいか、吐き気を催す。精神に追従出来ない臓器が拒絶反応を起こそうとしている。

 

 無理やり封じ込めさせたその一瞬の隙に、リックベイはまたしても踏み込んでいた。

 

 横薙ぎに払われる一閃を桐哉は足を摺らせて防御する。下段より上方へと放った刃は即座に打ち下ろす一撃と相成る。

 

 銀狼は焦りもしない。竹刀同士が激しくぶつかり合い、銃声にも似た炸裂音を幾度となく響かせる。

 

 集中の臨界点が訪れたのは桐哉のほうが先であった。ぶれた剣筋を見切り、リックベイが下段より打ち払う。構えを解かれた桐哉の隙だらけの胸元へと突きが叩き込まれようとしていた。

 

 打突の予感に桐哉は踵に力を込める。解かれた構えは何も決定的な敗北の一手ではない。むしろ、逆だ。

 

 ここで反撃せしめる事こそが、零式抜刀術の心得。

 

 胸元を叩くであろう一撃を桐哉は瞬時の判断で踏み込んだ。通常、敵の間合いへとさらに接近するのは下策であったが、予想外の踏み込みはリックベイの切っ先に迷いを生じさせる。

 

 迷った側が敗北の奈落へと足をかけたも同義。

 

 胸元に纏った衣が爆発的な突きに引き裂かれる。桐哉は太刀を握り締めた片手を振るい上げ、そのままの勢いを殺さずに打ち下ろした。

 

 お互いに硬直する。

 

 突きの放たれた桐哉の胸元の服飾が血の赤に滲んでいく。

 

 リックベイはその唇よりようやく、言葉を紡いだ。

 

「――見事だ。桐哉・クサカベ」

 

 その額に一条の傷が走り、血が滴る。

 

 お互いに一歩も退かない戦いはリックベイの放った言葉によってようやく終わりを告げた。桐哉は自分が酷く疲労しているのを理解する。集中力、体力共に研ぎ澄まさなければ勝ち取れなかった勝利。同時に、薄皮一枚の危ういものであったのも事実。

 

 リックベイはタオルで額の傷を拭くが、その程度では血は出続けるだけだ。

 

 ふむ、と彼は呼びつける。

 

「アイザワ少尉、手当ての包帯を」

 

 先ほどから放心して戦いを見守っていたタカフミがようやく、と言った様子で声にしていた。

 

「し、少佐ぁ……ビビリましたよ、こんな」

 

「包帯を。それと出撃の許可証も、だな」

 

 こちらへと一瞥を向けたリックベイに桐哉は首肯する。

 

 そうだ。まだ勝利の感慨に耽っている場合ではない。自分はここから飛び立つのだ。そのためにリックベイから白星が必要であった。

 

 零式抜刀術の正当なる後継者である事を示すための戦いを。

 

「教える事は全て教えた。あとは君が示すといい。己の戦場で」

 

「感謝します。リックベイ・サカグチ少佐」

 

 頭を下げた桐哉にリックベイは、なに、と首を振る。

 

「ちょうどこちらも零式の後継者が欲しかったところだ。お互いに渡りに船であった、という単純な話だよ」

 

 そのようなわけがない。リックベイは零式抜刀術を今までどのような実績のある兵士にも教えなかった。それを自分のような、仮想敵国の相手に教えるという事は、相当なる覚悟が必要であったはずだ。

 

 当然、割れれば罰を受けるという可能性もあり得る。しかしリックベイの立ち振る舞いにはどこにも惑ったところなどない。心底、ただ教えるだけ教えた、と言うかのようであった。

 

 後は自分次第。桐哉は拳を握り締める。

 

 包帯を額に巻いた銀狼は歩み出していた。その背中をタカフミが呼び止めようとする。

 

「少佐、本当にいいんですか? だって、《プライドトウジャ》はまだ……」

 

「解析の余地はある。だが、もう今さらであろう。やるべき事は尽くした。それに通すべき仁義もな。彼に道理は通用するだろう。因縁の決着のために必要な要素は揃えておいた。ついて来い、桐哉・クサカベ」

 

 道場から一転、機械的な廊下を進み、踏み出たのは格納庫であった。

 

 その最奥に位置するのは、己の半身とも呼べる機体。

 

 この機体があったから悲劇に見舞われた。だが同時に、救うための力が手に入ったのだ。己の義を通すだけの力――守り人としての信念を。

 

 漆黒の人機はただただこちらを見下ろすばかりだ。X字のデュアルアイセンサーからは初めて出会った時と同じように高圧的な眼差しが送られている。

 

 違うのはお互いの覚悟だろう。

 

 百五十年の眠りから解き放たれた《プライドトウジャ》には最新鋭の装備が施されていた。

 

 整備士が順番に説明する。

 

「左腕には連装パイルバンカーが。こいつの破砕力なら、リバウンドの盾だって理論上は砕けます。今まで両手二発ずつしかなかったのを片腕にしたのは少佐のオーダーでしたが……」

 

 濁した語尾にリックベイは《プライドトウジャ》の片腕に顎をしゃくる。左腕にはリボルバーを想起させる意匠を持つ武装が施されており、長さを調節され、射出速度を増したパイルバンカーが内包されている。

 

 腰から提げているのは実体剣であった。その装備の仕様が端末に表示される。

 

 一振りの刀であったが、異様なのは刀身に開いた穴であろう。折れ曲がった刃に無数の小さな穴が開いており、脆さを予見させる。

 

「最新のリバウンド装備の研究成果を形にしたものです。実体剣であっても、リバウンド効果を最大限に利用するために、穴を開けてあります。何でも、こうする事で刀身にリバウンドのエネルギーが行き渡りやすくなるんだとか。……でもこれは」

 

「存じている。ブルーガーデンの技術だ」

 

 リックベイの下した言葉にタカフミが唾を飲み下した。

 

「《ラーストウジャカルマ》の、蛇腹剣の技術ですよね……これ」

 

 あらゆる人機の遺伝子を受け継ぎ、自分へと繋げてくれようとしている《プライドトウジャ》に桐哉は見つめ返す。

 

 赤い眼窩が試す眼光を伴わせた。

 

「ハイアルファー【ライフ・エラーズ】は適性値に振ってある。それと、これを持っていくといい」

 

 手渡された端末に表示されたのは新たな操縦システムであった。アームレイカーを接続し、身体を包み込むような機械に目を瞠る。

 

「これは……」

 

「トレースシステムというらしい。人機へと操主の操縦技術をダイレクトに叩き込む。零式抜刀術を最大限に活かすのに、これ以上とないものであろう」

 

 授かったのは何も《プライドトウジャ》と零式だけではない。これからの未来まで背負って、自分は戦うのだ。

 

 桐哉は仰いだ視界の中に入った悪鬼の人機に、ふと言葉を浮かべていた。

 

「リックベイ・サカグチ少佐。あなたには感謝してもし切れない。俺を鍛え直してくれて……なおかつ、こうして戦えるだけのチャンスをくれた。でも、一つだけ。最後のほんの些細なわがままを、聞いてもらえるか」

 

 振り向けた視線に伊達や酔狂で言っているわけではない事が伝わったのだろう。リックベイは首肯した。

 

「我々に出来る事なら、対応しよう」

 

 桐哉はその文言を紡ぐ。最後の、ほんの些細なわがまま。だが、これを全うせねば、自分は納得出来ないだろう。

 

 少しだけリックベイが眉を跳ねさせたのが窺えたが、その言葉にどこか得心がいったのか、彼は微笑んだ。

 

「いいだろう。そのオーダー、請け負った」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に、よかったんですかねぇ」

 

 タカフミの言葉繰りにリックベイは既に行ってしまった後継者の背中を思う。

 

「何か不満でも?」

 

「不満と言うか、あいつに一人で行かせてもよかったんで? だって、おれ達だってもうすぐ宇宙に上がる。合同作戦と行っても別に」

 

「アイザワ少尉。彼は祖国に裏切られ、友を亡くし、恐らくは信じるべき全てに見離された。そんな男を、どのような言葉で止められるという?」

 

 それは、とタカフミは口ごもる。彼の境遇を不幸とは断じない。それは彼の生き方を狭く縛るものであるからだ。

 

 だからこそ、最大限の誠意を持って彼を見送りたかった。額の傷の疼きが心地よいほどだ。

 

 彼は、強くなっただろう。

 

 振るうべき刃の切っ先を見定めた戦士はどのような結果であれ、受け止めるだけの心を持っている。

 

「……やっぱ、分からないです、おれ。少佐の事も、あいつの事も。少しは分かったつもりだったんだけれどなぁ」

 

「分かったつもりになれるだけだ。人間同士は、結局、分かったつもりを繰り返すだけの存在に過ぎない。本当に分かり合おうと思えば、それは相手の人生を背負い込まなければならない。だが、我々は軍属だ、アイザワ少尉。銃弾一発ごとに敵の人生を背負えば、すぐに瓦解する。だからこそ、己の中に覚悟を飼うしかないのだ。飼い慣らせなくとも、その覚悟と共にあるのならば、自分を保つ事が出来る。それこそが」

 

「自制心……もっと言えば闘志、ですかね」

 

 先を読んだ言い草にリックベイは目を瞠る。やはりいつまでも己の時代だとは思わない事だな、と胸中に微笑ましかった。

 

 タカフミは頬を掻く。

 

「おれ、またやっちゃいました?」

 

「……まったく、君は飽きんよ」

 

「そりゃどうも。して、少佐。カウンターモリビト部隊の配備は整っています。全勢力をもって、モリビトを討伐するのならば今かと」

 

 モリビトの位置情報がどうしてだかオープンチャンネルになっている。それはつい数時間前からの出来事であった。ゾル国が捕捉したのか、あるいは別の勢力かは不明だがこの期を逃すほど愚かではない。

 

「カウンターモリビト部隊を配置。まずは地上戦ともつれ込む。《ナナツー参式》による討伐部隊を編成。連中の行き先は……マスドライバー施設か。全戦力をもってモリビト二機を追撃。出来うる事ならば宇宙にも上がらせるものか」

 

「了解です。しかし、おれらの仕事がなくなりますが」

 

「なに、仕事と気苦労が減るに、越した事はない。それに連中が地上で潰れるとも思えないのでな。わたしとしては、備えは多いほうがいい」

 

 よっしゃ、とタカフミが自分の頬を叩いて気合を入れる。

 

「遂に決着だぜ! モリビト!」

 

 決着か、とリックベイは胸中に呟く。果たして、これでブルブラッドキャリアと惑星の因縁はそそげるのだろうか。

 

 百五十年の溝である。

 

 その罪と罰を自分達の世代で手打ちにする。今はそれだけ分かっていればいい。

 

「モリビト……これで終わりとも思えんが、やるのならば徹底的だ。わたしは容赦など、元よりするつもりはない」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯154 生還の先に

 数度目の再起動を試みたが、やはりバベルの九割近くを乗っ取られたのは間違いないらしい。

 

《ノエルカルテット》は合体状態を維持するだけで精一杯のようであった。

 

 普段のようにR兵装とバベルを併用した無敵の情報戦術機体の本領は発揮出来そうにない。

 

 鉄菜はロデムより血塊炉の供給を受けながらコックピットに佇むジロウの姿を取った元老院へと言葉を突きつける。

 

「これが、お前らの望んだブルブラッドキャリアの排斥か」

 

 元老院の生き残りは自分達がもう存続不可能な状態である事。与り知らぬ組織に全てを掌握された事を語った。

 

 残りカスのような元老院はバベルの最も深い部分のみを持ち去っているだけで、その大部分は使用不可能であるとの結論を下す。

 

『悔しいところだが、連中の根回しに我々は完全に読み負けた、という事になる。事ここに至って元老院の擁する戦力は全滅……いや、全滅ならばまだいい。恐らくは逆利用された』

 

「レギオン、っていう組織に、ね。モモ達じゃ、どう足掻いたって勝てないくらいに大規模な組織だって言われても、今は何の論拠もないわ」

 

 バベルが使用出来ない現状、それを確かめる術もない。元老院が嘘を言っている可能性もあったが、鉄菜は先の現象を突き止める事が先決だと感じていた。

 

「エクステンドチャージとあったな。あれはどういう仕組みだ」

 

『元々、全ての血塊炉に組み込まれているシステムだ。制御の核となるのは大型のシステムOS……ここで言うところのバベルだな。バベルのシステムを組み込んだ人機ならば事実上、全て適応範囲にある』

 

「モリビトじゃなくっても、っていう事?」

 

 問題なのはそこであった。モリビトでなくともこの力が使えるのならば《スロウストウジャ》部隊に逆利用される事もあり得る。しかし、元老院はその可能性を棄却した。

 

『惑星の人機には厳しい制限がかかっている。これは百五十年前の三大禁忌よりもなお深い階層の権限だ。レギオンが気づくとしてもそれは数年を要するだろう。今はまだ、こちらに優位があると思っていい』

 

「優位、ね。でも《ノエルカルテット》はその能力のほとんどを封じられて、頼みの綱はクロの《シルヴァリンク》だけだけれど」

 

 心許ないのはお互い様だ。二機のモリビトだけで最新鋭の《スロウストウジャ》に勝利出来るとは思っていない。

 

 元老院はジロウの姿を借りながらモリビトのシステムに接続した。

 

『エクステンドチャージは血塊炉に多大な負荷を強いる。連続使用は不可能だと判断して、一回に使えるのはせいぜい三分。加えて使用後には血塊炉の出力は大きく落ちる。R兵装を主とするモリビトでは一日に一回きりだと思っていいだろう』

 

 一日一度しか使えない切り札。鉄菜と桃は視線を交し合った。

 

「バベルのシステム影響下にあれば《ノエルカルテット》でも使える……。桃・リップバーン。今、私達がすべき事は一つだ」

 

「分かっている。もう一度マスドライバー施設に仕掛けて宇宙に上がる事……。でもクロ、そんな事、相手も予期していないはずが」

 

「だからこそ、蹴散らしながら行く」

 

 その言葉の意味を汲んだのか、桃が驚嘆に目を見開いた。

 

「《ノエルカルテット》の一点突破……不可能じゃないかもしれないけれどでも、そうなった場合、《シルヴァリンク》だけで他の人機を相手取らなきゃいけない。リスクが高過ぎる」

 

「だが、他に方法もあるまい。三号機の合体状態を維持するのは《シルヴァリンク》が引き受ける。一発でいい。敵の鉄壁の城砦を打ち砕く一発を放った後、全てのシステムをそれぞれの機体に譲渡。そこから先は出たとこ勝負だ」

 

 たとえどれほどに拙い作戦であっても、自分達の出来る最善を行うしかない。握り締めた拳に、桃は不意に笑い出す。

 

 その様子に鉄菜は怪訝そうな視線を注いだ。

 

「……何故笑う?」

 

「何でだろう? 分かんない。状況的には不利なのに、絶望するしかないって言うのに、なんかね……クロ、別人になったみたい。最初に出会った時から考えると、ね」

 

「私が、別人?」

 

 考えられない言葉に鉄菜は面食らう。桃は頬を掻いて言いやった。

 

「でも、それも当たり前なのかもね。クロは、だってたくさん戦ってきたもの。今まで宇宙の常闇でしか知らなかった、知識でしかなかったものから、自分で選び取るまで。きっと、クロは成長したんだよ。アヤ姉がいたら喜んだだろうけれど」

 

 その言葉尻に僅かに悔恨が混じる。彩芽を救えなかった。だが、彼女の言葉は今も生き続けている。己の中で。燻り続ける炎となって。

 

「彩芽・サギサカは……私に変わって欲しかったのだろうか。心に従えと、言っていた。心というものが何なのか、私にはまだほとんど分からない。形骸上の代物だとも思うし、そんなもの、どこにもないのだとも思えてしまう。それでも信じたいんだ。それは……いけない事なのだろうか」

 

「いいえ、クロ。きっと、アヤ姉もそれを望んでいると思う。……行きましょうか。モモ達の戦いは、終わっていないんだから」

 

 血塊炉の供給が完了し、鉄菜は《シルヴァリンク》へと乗り込む。四機分のシステムを背負った《シルヴァリンク》は明らかにオーバースペックだ。これでは通常の戦いの半分の力も出せないだろう。

 

 元老院のシステム補助を借りてようやく、《ノエルカルテット》が四機合体を果たす。しかし、合体した直後から既に分離までのタイムリミットは迫っていた。刻限が表示される中、鉄菜は面を上げる。

 

「行くぞ。私達の存在意義を、示すために」

 

 操縦桿を握り締めた鉄菜の双眸に、最早迷いはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呼びかけても応答がないばかりか、シグナル消失の報告にニナイは焦りを募らせるばかりであった。

 

 地上のモリビト二機のシステムが書き換わり、バベルの認証コードが何度試行しても再認不可能になった。

 

 その事実はブルブラッドキャリア全体の指揮系統に影響を与えていた。

 

「続けて。バベルが使えないとなれば、次仕掛けられれば終わりなんだから」

 

 構成員達の言葉が継ぐ中、不意に声が投げられた。

 

「バベルが使用不可能に陥った場合。想定されていない状況ではないんだけれどね」

 

 リードマンの落ち着き払った声音にニナイは敵意を飛ばす。

 

「あなただって責任者でしょう?」

 

「担当官は自分の担当の操主を気にするものさ。僕の場合は鉄菜・ノヴァリスだからね。今の君のように我を失っている場合でもない」

 

 その言葉はニナイの神経を逆撫でするのに充分であった。眉を跳ねさせ、ニナイは言いやる。

 

「……こちらに落ち度があったと?」

 

「そこまでは。ただ、落ち着けと言っているんだ。コーヒーでも飲んで」

 

 差し出されたマグカップをニナイは手で払い落とした。

 

「彩芽が死んだのはこちらのせいだって言いたいんでしょう! そんなに蔑みたいのなら……!」

 

 そこまで言いかけて構成員達の視線が注がれている事にニナイは気づく。咳払いし、言葉を継いだ。

 

「……失礼。みんなはバベルへのアクセスを実行して。このままじゃ攻め立てられた時に対処出来ない」

 

 了解の復誦が返る中、ニナイは地上のモリビトのシグナルが最後に示した場所を睨んでいた。

 

 岩礁地帯でモリビト二機は別のシステムに乗っ取られた可能性が高い。バベルの守りがあればそのような事はあり得ないのだがバベルが掌握された最悪のシナリオを想定した場合、モリビト二機の拿捕さえも視野に入れる必要がある。

 

「……捕らえられれば噛み付くくらいはするとは思うがね」

 

 こちらの思惑を悟ったような言い草をするリードマンにニナイは刺々しく言葉を放つ。

 

「どうかしら。あなた達の造った人造血続じゃ、そんな気概もないんじゃないの」

 

「手厳しいな。確かに戦闘中に昏倒してしまうのは想定外だったが、彼女はまだこれからだ。伸びしろはある」

 

「どれだけ伸びしろがあっても、その機会さえも失われれば終わりだと言っているのよ」

 

「では逆に問うが、ここでモリビト二機が鹵獲され、なおかつ敵に回ったと仮定した場合、敵からの布告がないのは奇妙ではないか?」

 

 それは、とニナイは口ごもる。《モリビトタナトス》の前例がある以上、少しでも陣営に優位に働くのならば情報が動くはずだ。

 

 それがない、という事はまだモリビト二機は生きている可能性もあるが希望的観測にすがっていれば裏切られた時が痛い。

 

 リードマンはコーヒーを啜り、どこか達観した言葉を継ぐ。

 

「《シルヴァリンク》も、《ノエルカルテット》も簡単にやられるようには出来ていない。抗うというのならばまずは信じる事だ。そうしないと何も始まらない」

 

 信じるとは言っても、もう自分の駒は消えたのだ。彩芽はもう二度と戻っては来ない。その事実が重く圧し掛かり、ニナイは沈痛に面を伏せた。

 

「どうしろって言うの……。モリビトの安否は不明。それに執行者二人では地上戦線を生き延びる事すらも難しい。このブルブラッドキャリア本隊に、合流してくるかどうかさえも怪しいのよ。期待するなんて」

 

「期待しろと言っているんじゃない。ただ、少しばかり信用しても罰は当たらないと思うがね」

 

 信用。今まで、彩芽に対して勝手に抱いてきた一方的な感情だ。それを他者に向けるなど考えも出来なかった。

 

「……信用は一朝一夕で築けるものじゃない」

 

「だからこそ、だ。我々にとってモリビトの存在は希望そのものだろう。今は、座してその希望がどのように花開くのか、それを待つ事だ。待って、少しでもいい未来が訪れる事を」

 

 少しでもいい未来。そのようなささやかな願い、叶える事は許されるのだろうか。自分達は惑星から追放された逆賊の徒。そのような人間に明日を描く資格など。

 

 その時、緊急暗号通信が開いた。

 

 管制室のウィンドウに開いたのは地上からの通信回線である。

 

 まさか、と視線をやったニナイはその通信域がゾル国である事を確認した。

 

「これは……ゾル国本国が宇宙に駐在する部隊に送った通信ですね」

 

 偶然に拾い上げたというわけか。ニナイは接続させる。

 

「繋いで」

 

『……達す。宇宙に位置するブルブラッドキャリア殲滅隊に告げる。この機体を決して防衛ラインから剥がすな』

 

 上官らしき男の命じた声と共にデータが送信されてくる。暗号化された機体認証データを開封すると、そこには見た事もない人機の集積データが入っていた。

 

「……何だ、これ」

 

 鉤爪を思わせる四肢。緑色に染まった機体は特徴的な頭部の意匠を持っており、全身これ武器とでも言うように刺々しかった。

 

 今まで該当する機体は存在しない。上官は重々しく口を開く。

 

『諸君には……見覚えのない機体だろう。国家の威信をかけて命じる。この人機、《キリビトエルダー》を完全破壊せよ。既に降りているブルブラッドキャリア殲滅指令は後回しにして構わない。この人機は災厄の導き手だ。これを見れば、君達には事の重大さが分かるだろう』

 

 続いて映し出されたのは融け落ちたように円形に穿たれたリバウンドフィールドであった。

 

 修復する気配もない世界の穴は間違いが解き放たれた事を示唆している。

 

『繰り返す。《キリビトエルダー》を破壊せよ。この人機に対して、手加減は無用だ。モリビト以上の脅威とする』

 

「モリビト以上の脅威……? どういう事? 地上で何が……」

 

 探ろうにもバベルが破損している現状ではこちらの優位は保てない。リードマンはコーヒーを飲み干しつつ、事実を反芻した。

 

「地上の、キリビトタイプの一機か。封じられた人機のはずだ。だというのに、今、それが暴走している。……言わんとしている事ははっきりしている。ゾル国は尻拭いをさせるつもりだ。現地軍に、ね。だが、恐らくは失敗するだろう」

 

「どうして、そう言い切れる?」

 

 リードマンはマグカップを掲げて皮肉な笑みを浮かべてみせた。

 

「リバウンドフィールドを地力で破れるような化け物相手に、《バーゴイル》の寄せ集めでは敵うはずもない。時間稼ぎが関の山か」

 

「この人機を捕捉する事は」

 

「無理だろうね。しかし、《キリビトエルダー》を操る操主の思想は見透かされる」

 

 思わぬ言葉にニナイは振り向いた。

 

「この人機が何のために宇宙に上がってきたのか、分かるって言うの?」

 

「なに、至極単純さ。宇宙にいるのは我々とゾル国の駐在軍のみ。となれば、潰したいのは何なのか、分からないはずもない」

 

 その段に至ってニナイは《キリビトエルダー》の思想が理解された。しかし、まさかと声を震わせる。

 

「キリビトタイプが、ブルブラッドキャリア壊滅のための、切り札だって……?」

 

「そう考えるのが妥当だろう。ゾル国はそのために取っておいた機体が暴走したものだから躍起になって火消しに奔走している。……やれやれだ。大国とは言っても、ここまで愚かしく動く事になろうとは誰も思っていないだろうね」

 

 ニナイは奥歯を噛み締め、管制室に厳命を下ろした。

 

「……総員に告げるわ。キリビトタイプの接近を許すわけにはいかない。《アサルトハシャ》の発進準備を進める」

 

「ですが、《アサルトハシャ》はもう残存兵も少なく、これ以上の消耗は……」

 

「それでも、よ。生き延びなければ意味がないもの。……そうでしょう、彩芽」

 

 問いかけた先の言葉は虚しく残響するだけであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯155 共鳴の宇宙

 命令系統に乱れが生じているのは、友軍機を落とせ、という指令が間違っているのではないか、と誰かが言い出したからだ。

 

 それでも現場の兵士達は動くしかない。《バーゴイル》へと搭乗し、一機、また一機とカタパルトより射出される黒カラスの機体達は常闇の宇宙をゆっくりと浮かび上がっていく巨大人機に目を奪われていた。

 

「なんて、大きさ……」

 

 通常人機の六倍はあるであろうか。鉤爪のような四肢と緑色の機影にあれが情報の、と誰もが息を呑む。

 

『あんなの、無茶苦茶な大きさじゃないか……』

 

 それでも命令を無視して逃げ帰るわけにはいかない。現地にようやく行き届いたプレッシャーカノンの試作型を保持した《バーゴイル》部隊が認証コード《キリビトエルダー》を包囲する。

 

《キリビトエルダー》はその巨体がゆえに反応は随分と鈍い様子だ。完全に包囲が済んでから、リーダー機が通信を繋ぐ。

 

『達する! 《キリビトエルダー》に搭乗する操主! ここで投降し、我が軍に下ってもらおう。そうでなければその機体には破壊命令が降りている。ここでプレッシャーカノンの錆となるか』

 

 突きつけた銃口に通信網を震わせたのは哄笑であった。

 

 まさか、と全員が言葉を飲み下す。嗤っているのだ、と分かった時、一機の《バーゴイル》が先走った。

 

 絞ったプレッシャーカノンの光条が《キリビトエルダー》に突き刺さろうと迫る。瞬間、《キリビトエルダー》の表層に何かが展開された。

 

 それが何なのかを判ずる前に、霧散したプレッシャーカノンの弾道にハッとする。

 

『プレッシャーカノンが……無力化された?』

 

 咀嚼する前に四肢を拡張させた《キリビトエルダー》の機体内部に収納されていた小型ミサイルが宙域を見据える。

 

 一斉射された弾頭に《バーゴイル》部隊が三々五々に逃げ出すも、その策敵範囲は遥かに広かった。

 

 プレッシャーカノンでミサイルを迎撃しようとする者は数多いが、ミサイルの手数に圧倒される。

 

 爆発の光輪が広がったかと思うとレーザーがジャミングを受けた。有視界戦闘へと切り替えようとするその数秒間のロスをつき、《キリビトエルダー》の四肢から放たれた光条が《バーゴイル》部隊を引き裂いていく。

 

『敵はR兵装を保持! 距離を取ってミサイルを潜り抜けろ! 簡単に勝てる相手じゃない!』

 

『逃げられるとでも。《キリビトエルダー》!』

 

 通信網の中に紛れ込んだのは聞き間違えようもなく女の声であった。直後、《キリビトエルダー》の眼窩が煌き、射出されたのは小型の球形兵器である。小型、とは言っても現状の人機と同サイズのそれは素早く動き、磁石のように《バーゴイル》に纏いつく。三基が一組となって《バーゴイル》に追従してきたそれを撃墜しようとした瞬間、電磁波が瞬いた。

 

《バーゴイル》を覆ったのは強烈なリバウンドフィールドそのものである。リバウンドの皮膜に抱かれ、《バーゴイル》が一機、また一機と音もなく潰されていく。

 

 逃げ切ろうと戦場の隅まで離脱した《バーゴイル》でさえも、その小型兵器は追いすがった。

 

 プレッシャーカノンの弾丸を潜り抜け、小型の球が《バーゴイル》を包囲する。おっとり刀で近接戦闘に切り替え、プラズマソードを引き抜いた。小型兵器は一つを落とせば、リバウンドの皮膜の構築は不可能らしい。

 

 辛うじてリバウンドに抱かれずに逃げ込んだ《バーゴイル》の残存兵を待っていたのは《キリビトエルダー》の三角の推進部位から放出された蝿型人機の応酬であった。

 

 蝿型が口腔部より針を射出し、《バーゴイル》の手足を潰していく。胴体とコックピットだけになった《バーゴイル》へと取り付いた蝿型が腹腔からプレッシャー砲を放ち、《バーゴイル》を無力化していった。

 

『こんなの……一方的じゃないか』

 

 プレッシャーカノンを届かせようとしても、リバウンドの絶対の鉄壁に覆われた《キリビトエルダー》本体には決して爪が届かず、かといって蝿型や小型兵器を潰そうとしていれば集中力が削がれる。

 

 どちらかの攻撃を受けざるを得ない《バーゴイル》部隊は開始数分でその残存戦力を半数にまで減らしていた。

 

『こんなのどうすれば……《グラトニートウジャ》は? あの機体なら、この逆境を』

 

 しかし頼みの綱の《グラトニートウジャ》は前回の戦闘で破壊されてしまった。残った《バーゴイル》の兵士達はただただ刈り取られていく恐怖に抗うしかない。

 

 狂気に取り憑かれた《バーゴイル》乗りがプレッシャーカノンを無茶苦茶に撃ち放つ。蝿型の針に胴体を射抜かれ、血塊炉が停止した機体を小型兵器のリバウンドフィールドが押し潰した。

 

 こんなものは戦闘ですらない。

 

 ただ蹂躙されていく虐殺だ。

 

 プレッシャーカノンを撃とうとして上方からの蝿型の一撃に《バーゴイル》がよろめく。さらに追撃の小型兵器のリバウンドに冒され、四肢をもがれた。

 

 急速に回転していく視界の中で《キリビトエルダー》の悪鬼のような姿に慄く。

 

《キリビトエルダー》からR兵装が放たれようとしたその時、白銀の輝きが散弾の勢いを伴わせて《キリビトエルダー》の装甲を打ち据えた。

 

 全員がハッと振り仰ぐ。

 

《モリビトタナトス》が腕を組んで佇んでいた。

 

「モリビト……我々の助けに?」

 

 希望が湧き起こる前に、《キリビトエルダー》から間断のない攻撃が見舞われる。小型兵器によるリバウンドフィールドの乱射を《モリビトタナトス》は掻い潜り、その懐へと入ってみせた。だがそれは死地とどう違うのか兵士達には分からない。

 

《キリビトエルダー》から電撃が見舞われようとする。紫色に輝く雷鳴の中を、《モリビトタナトス》は恐れも知らず進み、鎌を機体の装甲へと叩き込んだ。

 

《キリビトエルダー》がここに来て初めてうろたえたような挙動を見せる。

 

『何だ、貴様は』

 

『ガエル・シーザー特務大尉である。残存している《バーゴイル》部隊に告げる。こちらの援護を頼みたい。無論、射程外からで構わない。このキリビトタイプはR兵装を弾くが、どうやら実体弾と実体兵器は弾けないらしい。総員、アサルトライフルに持ち替え。ただの弾丸ならば届く』

 

『笑止! ただの弾丸で、《キリビトエルダー》の堅牢な装甲を破れるものか!』

 

 放たれた無数の光条を《モリビトタナトス》は回避しつつ、片方の羽根槍を機動させ、《キリビトエルダー》へと打ち込んだ。

 

 白銀の槍の穂が《キリビトエルダー》を押し留める。

 

《バーゴイル》部隊に僅かながら希望が舞い戻っていた。その象徴がモリビトなのは戸惑うしかないが、それでも友軍の果敢なる戦い振りに心動かされた人間は少なくはない。

 

『う、撃てーっ! 実体弾ならば徹る!』

 

 無反動砲やアサルトライフルの応酬が《キリビトエルダー》の機体中心軸に位置する血塊炉を震わせる。

 

《モリビトタナトス》は先ほどから劈く雷撃を避けつつ、装甲へと鎌による一撃を軋らせていた。

 

 火花が舞い散り、《モリビトタナトス》は即座に攻撃を貫通せしめた部位へと追撃を見舞う。

 

《モリビトタナトス》にはまるで《キリビトエルダー》の弱点が看破されているようであった。その挙動に迷いはなく、《キリビトエルダー》の放つプレッシャーの波にも全く押された様子もない。

 

 この勝負、勝てる、と誰かが思い始めた。否、ここにいる全員の胸の中に希望として浮かび上がろうとしていたのだ。

 

 その灯火が力となって《キリビトエルダー》の巨躯を押し戻そうとする。《モリビトタナトス》が《キリビトエルダー》の上方へと舞い上がり、鎌を打ち下ろそうとした。

 

 頭部コックピットへととどめの一撃が放たれかけて、《キリビトエルダー》が激しく雷鳴を打ち鳴らす。

 

 紫色の電撃が《モリビトタナトス》を引き剥がし、《キリビトエルダー》から放出された小型兵器と蝿型人機がこちらの機体を押し戻そうとしてくる。

 

 どれだけ距離を取っても《バーゴイル》では限界が生じる。《モリビトタナトス》は自律兵器の槍を使って小型兵器を撃墜していくが、それでも数が間に合わない。

 

 断末魔の叫びと怨嗟が戦場を推し包んでいく中、《モリビトタナトス》の操主はふと口にしていた。

 

『よぉ、キリビトの操主。ここいらで手打ちにしねぇか? 時間稼ぎにしちゃ、上等なところだろ?』

 

 その言葉に生き残っていた《バーゴイル》の操主は震撼する。何を言っているのだ。相手は落とすべき敵であるのに。

 

 交渉を持ちかけられた《キリビトエルダー》の操主は存外に冷静に返していた。

 

『……ブルブラッドキャリアの手先、ではなさそうだな』

 

『分かってもらえて光栄だぜ。モリビトを操っているとどちらから撃たれても文句は言えねぇからな』

 

『どういう了見だ? ここで《キリビトエルダー》の進軍を止めるなど』

 

『お歴々からしてみれば、暴走したキリビトを止めるための抑止力と言う名のパフォーマンスが必要なんだとよ。それで、地上から宇宙にまた急に来いって言われてこのザマさ。ったく、人遣いが荒いにもほどがあるだろうに』

 

 生き延びたのは自分ともう一機のみだ。たった二機の《バーゴイル》になってからというもの、《モリビトタナトス》と《キリビトエルダー》の間に降り立ったのは奇妙としか言いようのない空間であった。

 

 先ほどまで殺し合いをしていたとは思えないほど、二機の操主は落ち着き払っている。むしろ、それが当然とでも言うように。

 

『地上の人間はリバウンドの天蓋が潰されただけでも衝撃だろう。なるほど、貴様は彼らの溜飲を下げるための、ある種の抑止力か』

 

『正解。どこかで抗っておかないと、このままおたくがブルブラッドなんたらを潰してくれたとしてもその後始末が大変だってな。やっぱり人間、保身に走るもんなんだよ』

 

『ここで《モリビトタナトス》が応戦に入った、という状況が必要であった。その事実さえあれば、他はどうとでも言い繕える』

 

 何を喋っているのだ。震撼する《バーゴイル》乗りは《モリビトタナトス》の赤い眼窩がこちらを見据えた事に肩をびくつかせる。

 

『……たった二機とはいえ、ログが残ると厄介だ。潰しておくか』

 

 途端、《モリビトタナトス》の羽根槍が機動し、《バーゴイル》の退路を塞いだ。その穂先に白銀の輝きが充填されていく。

 

「な、何故! どうして! 《モリビトタナトス》は我が方の味方なのでは……!」

 

『勘違いすんな、木っ端兵士。オレは戦争屋、どこの味方でもねぇよ。散れ』

 

 直後、血塊炉を貫いた光と共に意識は完全に閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガエルは《モリビトタナトス》のコックピット内部で紫煙をくゆらせる。

 

 酷い戦場であった。《バーゴイル》の破片が舞う中で、通常人機の六倍近くある《キリビトエルダー》がゆっくりと進む。

 

『ここでわたしを封じたのは、他国への牽制の意味も持っているな? C連合か』

 

「あんまし頭が回り過ぎるのも考えものだぜ? 手当たり次第ぶっ壊したいだけのヤツが言っているにしちゃ、冷静ってのもな」

 

『《キリビトエルダー》は選ばれた機体だ。この惑星を揺籃の時から目覚めさせ、ようやく、覚醒を促す事が出来る』

 

「それがてめぇら、元老院の共通の目的ってワケかい」

 

 その言葉振りに相手は驚嘆を浮かべる。

 

『……驚いたな。元老院の存在を知っていてまだ命があるとは』

 

「だが、保守的な元老院が《キリビトエルダー》をわざわざブルブラッドなんたら殲滅のために解き放つとも思えない。だからこれはてめぇ一人の独断専行だ。元老院の老人連中はみんな、今頃お陀仏だろうぜ」

 

『……殺したのか』

 

「寿命だよ、寿命。ヤツら生き過ぎたんだよ」

 

 その皮肉めいた言い草に通話先の相手は鼻を鳴らす。

 

『どこまでも……読めない男だ、貴様は。ガエル・シーザーだったか』

 

「そいつは偽名だ。っても、もうほとんどオレの本名みたいなもんだけれどな。シーザー家から甘い蜜を吸って生きていくしかねぇ、ハイエナよ」

 

 とは言っても、とガエルはつい数時間前のモリビトとの戦闘を思い返す。突然の黄金に包まれた青いモリビトの機動性能はこちらの領域を遥かに超えていた。あれがもし、宇宙に上がってくれば、ともすれば《キリビトエルダー》を止める手になるかもしれない。

 

 もっとも、宇宙に上がるのにはゾル国の軌道エレベーターかあるいはC連合のマスドライバーしかない。後者を選ぶしか選択肢のないモリビトでは試算しても可能性は低いだろう。

 

『ハイエナ、か。いずれにせよ、わたしはもう、元老院に戻るつもりはない。あの統率された、思考体系は心地よいのかもしれないが、分かってしまったのでね』

 

「機械の身体よりも生身のほうがいいって事かよ」

 

『皮肉めいていているが、百五十年も他人に頭の中を覗かれていると、それがない生身というのは存外に気分がいい。昂揚感もある。これが、人間として生きる、という事なのだろう』

 

 ガエルはブルブラッドの煙草を吹きつつ、《キリビトエルダー》の損耗率を目にする。あれだけパフォーマンスとして破壊したものの、その全容からしてみれば二割にも満たない。やはり、この機体を潰すのには《モリビトタナトス》でさえも難しいのだろう。

 

「この先に行くには、通行のための駄賃ってのがいるぜ。寄越すんだな」

 

『元老院時代に持っていた情報網か、貴様らが欲しがっているのは』

 

「よく分かってるじゃねぇか。そうだよ、まだ掌握し切れていないらしいんでな。支配の磐石にはそれが必要らしいのよ」

 

『元老院から離れ、一個体として生きようとしているわたしに、まだ求めるものがあるとはな』

 

 それだけ元老院システムが支配していた百五十年は平和であったという事なのだ。それが偽りであったとしても。今、平和の鍵はこちらに渡されようとしていた。《モリビトタナトス》の内部メモリーに引き移されていくのは元老院のパスコードだ。

 

 これで元老院のシステムは九割を支配した事になる。しかし、それでも青いモリビトが発現せしめた状態だけは解明し切れなかった。

 

 あるいは、その鍵を持ち出したのが元老院の残存体なのかもしれない。

 

「駄賃を預かっておくぜ。その馬鹿でかい人機で、てめぇはどうしたい?」

 

 その質問にはナンセンスとでも言うべき声音が返ってきた。

 

『知れた事。ブルブラッドキャリアの殲滅』

 

「それにしちゃ、随分とオーバースペックだ。もし、だ。ブルブラッドなんたらをどうにかしたとしても、さっきみたいな《バーゴイル》との戦闘履歴や、リバウンドフィールドを融かしたほどの性能が眠っているとなれば、人類の敵になるのはそう遅い話でもないと思うぜ?」

 

 どうせ矛を交える事になる。そうなった時、どうする算段でもついているのだろうか。ガエルの問い質した声に相手は、だからこそと切り返す。

 

『必要なのだよ。全てを破壊するだけの力が』

 

 力に呑まれている、というほど迂闊な人間とも思えない。かといって酔っていないというのは嘘のようだ。

 

 全てを破壊する。本当に、心の底からそれしか信じていないのだとすれば。そう考えれば辻褄は合う。

 

 破壊のために《キリビトエルダー》は駆り出された。人類を断罪する絶対者として。

 

「……まぁ与り知らぬ事、って言えばそこまでだ。オレみたいな戦闘狂にはよ」

 

『いずれ分かるだろう。この世界がどうなるのか、それを嫌でも思い知る事になる』

 

 通り過ぎていく《キリビトエルダー》にガエルは言い置いていた。

 

「ああ、でも気ぃつけな。人類は、てめぇが思うほどやわじゃねぇかもしれないぜ?」

 

 その言葉には返さず、《キリビトエルダー》は宇宙の常闇を進んでいった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯156 カウンターモリビトⅢ

 ここまで固めたところで、と《ナナツー参式》に乗り込む操主の一人がぼやいていた。

 

「どうせ、二回も三回もマスドライバーに仕掛けるなんてしないっての」

 

 既に前回、モリビトを退けた矜持がある。全員がどこかのほほんと構えていた。

 

『だな。モリビトだって馬鹿じゃないんだ。本国で配備されている《スロウストウジャ》にも勝てやしないのに、宇宙にわざわざ上がりたがるのは割に合わない』

 

 ナナツーの操主はコックピットに持ち込んだ携帯食料を齧り、その味気ない栄養食を飲み込んでから言いやった。

 

『ゾル国が胡乱な動きをしているってよ。ネット上では話題だな。ブルーガーデンの最終兵器をゾル国が持ち出して、それを改造してるって言う』

 

『おいおい、ゴシップはほどほどにしておけよ』

 

 仲間達の笑い話に《ナナツー参式》乗りは笑みをこぼす。ここまで緊張感のない戦場も珍しかったが、今やモリビトでさえも大した脅威になり得ない。

 

 現状では唾棄すべき存在でありながらも、実際に現れたところでマニュアルめいた対処がそろそろ出来上がってくる頃合だ。

 

 惑星に牙を剥いたところで、こちらには何十年という人機戦術の壁がある。

 

 宇宙の辺境地でぬくぬくと育ったモリビトの操主ではどこかで限界が来るのは明白であっただろう。

 

 彼らは一様に待機命令を持て余していた。モリビトがどう仕掛けてきても《スロウストウジャ》のバックアップに頼るまでもなく応戦出来る。

 

 そう思い込んでいた矢先、海上を急速接近する目標が捕捉された。

 

『もしかして、モリビトか?』

 

 その声音もどこか囃し立てるようで、やはり本気度は薄い。誰かが海上を疾走する機体を最大望遠で捉え、それを全員の機体に同期させた。

 

 直後、弛緩していた海上警護部隊に緊張が走る。

 

『何だ、ありゃあ……。モリビトが、金色に輝いて……』

 

 同期された映像には金色の燐光を纏い付かせた大型のモリビトの姿があった。

 

 海上を行くその速度は今まで観測されたどの人機よりも速い。瞬く間に警戒水域に至り、おっとり刀の警報が鳴り響く。

 

『全機、照準! モリビト二機を確認! 長距離砲にて迎撃する!』

 

《ナナツー参式》は弐式に比して装備の幅が段違いだ。弐式では腕ごと換装するしかなかった長距離迎撃装備も、肩口にマウントされた兵装ラックが補助してくれる。

 

 全機体が長距離滑空砲を装備し、その照準器を黄金のモリビトへと据えた。

 

 モリビトは速いがこちらが張っている事には無頓着であろう。その機体が地上に辿り着く前に十機以上の《ナナツー参式》による迎撃の前に沈むのは確定。

 

 引き金に指をかけようとしたその時、大型のモリビトが砲塔を突き上げた。

 

 充填されゆくエネルギーの余波で空間が歪む。灼熱でモリビトの姿が揺らめいた瞬間、まずいと感じたのは何人だっただろう。

 

 少なくとも、まずいと感じて咄嗟に《ナナツー参式》を下がらせられたのはほんの一握り。

 

 それ以外は直後に放出されたR兵装の強大な衝撃波に叩き潰されていた。この世に存在したという尊厳さえも消し去るほどの長距離兵器による余剰電磁波で通信が途絶する。

 

 ナナツー部隊のうち、生き延びた数名が粉塵を引き裂いて後退していた。

 

『何なんだ! 何なんだ、あの人機は! こんな破壊力……!』

 

 絶句したのは海上に面する沿岸部を抉った爪痕であろう。C連合の造り上げた造船所は見る影もなく消え失せ、警戒水域を見張る灯台は消滅していた。

 

『生き残った機体は寄り集まれ! 三機編隊を維持し、海上より来るモリビトの第二波に備え――』

 

 その言葉尻を引き裂いたのはリバウンドの刃を振り翳す青いモリビトであった。

 

 大型人機のモリビトを乗り捨てて上陸した青いモリビトが滑るように《ナナツー参式》の射程に入り、その刃で胴体を叩き割っていく。

 

 しかしこちらとてただやられるためだけに存在しているわけではない。ブレードを持ち替えた《ナナツー参式》がRソードと打ち合う。

 

 干渉波のスパークが散る中、昂揚した神経が言い放っていた。

 

「どうだ! これが、C連合のナナツーの力!」

 

 そのまま横薙ぎに振るおうとしたブレードを割って入った何かが噛み砕く。

 

 電磁の牙を軋らせ、機獣が《ナナツー参式》の懐へと潜り込む。何が起こっているのか、判ずる前に転がっていく状況の中、翼竜が空を舞い、海上より支援機のミサイルと銃弾が陸地の《ナナツー参式》を圧倒した。

 

 加えて青いモリビトの近接兵装にはマニュアルが出来上がりつつあるものの、それでも現場の操主には負担が大きい。

 

 ブレードをいなした青いモリビトが《ナナツー参式》を蹴り上げ、機獣と共に内地を目指す。リーダー機が声を張り上げた。

 

『逃がすな! 連中の目的はマスドライバー施設の占拠だ!』

 

《ナナツー参式》数機が青いモリビトを追う機動に入るが、それを制したのは翼竜の翼であった。

 

 叩きつけられた鋼の翼の一閃にナナツー部隊がたたらを踏む。

 

『おのれ、自律兵器風情が!』

 

 アサルトライフルに持ち替えた《ナナツー参式》の機銃掃射が翼竜へと狙いをつける。翼竜は身を挺してでも青いモリビトの進路と、もう一機――頭部だけになった大型人機のモリビトを守っていた。

 

 大型人機のモリビトへと照準を変えようとすると海上からのミサイルによる一斉射を食らう。

 

《ナナツー参式》が砂塵を踏みしだきつつ、現状の把握に努めようとした。

 

『青いモリビトと赤と白のモリビトを守るために、この三機が囮になっているというのか』

 

『まさか、マスドライバー施設を占拠するためだけに? モリビトは戦力を捨てるとでも?』

 

 これまでのモリビトの行動原理からは明らかに外れている。それでも自分達は兵士だ。与えられた命令を実行するしかない。

 

 翼竜の人機は先ほどのような高出力R兵装はもう撃てないようであった。翼で打つ攻撃を繰り返すが、どこか動きが鈍く単調である。

 

 機獣の人機も同じようであった。電磁の牙は恐ろしいものの、こちらの機動力にまるで付いて来られていない。

 

『……おい、こいつら、事前に聞いていたよりもずっと……』

 

『ああ、弱い……でも、これも作戦じゃないという確証もない。このまま我々を油断させる腹積もりの可能性もある。今は、モリビト本体を追いつつ、この三機を蹴散らしにかかるぞ。ナナツー部隊、それぞれの人機を押さえる。各機、散開! こいつらは一機ごとに潰せばいけないわけでは――』

 

 その言葉尻を引き裂いたのは翼竜の突撃であった。ブレードを翳した《ナナツー参式》がその馬力に気圧されるが、押し返せないほどのパワーではない。切り返したブレードの一閃が翼竜の腹腔に叩き込まれた。

 

 呻く翼竜にナナツー部隊は確信する。

 

 この三機ならば狩れると。

 

 だが、どうして、という疑念もついて回った。大型人機のモリビトはこの三機ありきの存在のはず。だというのに、自身の戦力を削ってまでマスドライバー施設にこだわる理由が見出せない。

 

『宇宙に上がるためだけに? それだけのために、ここで戦力を? ……解せないな。やはり一機くらいはモリビトを追うのに割くべきか』

 

『でも、《ナナツー参式》一機でモリビト二機を相手取るのは』

 

 分かり切っている。この状態でモリビトを追撃するのは難しくなった。三機を相手にしている間に敵はその目的を達成する事だろう。

 

 しかし、ただ単にやられるためだけにこの施設はあるのではない。

 

 ナナツー部隊を率いる小隊長は通信に吹き込んでいた。

 

『……サカグチ少佐の言った通りになったのなら、作戦をフェイズ2に移行する。敵モリビトを確実にここで取り押さえるぞ』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯157 サヨナラ

 ロプロスの鋼の翼でも《ナナツー参式》を完全に押さえ込むのは難しいらしい。

 

 やはりR兵装を封じられた形の《ノエルカルテット》では敵を征圧する事など出来ない。パイルダーのみになってしまった《ノエルカルテット》はマスドライバー施設に押し入っていた。

 

『《ノエルカルテット》、サイコロジックモード! 血塊炉炉心システムを有する敵の防衛網を突破する!』

 

 桃の声が弾け、直後には自動砲台などの防衛システムが破損していた。

 

 桃の力――サイコキネシスが作動し、敵の防衛策を完全に封殺する。《シルヴァリンク》はマスドライバー施設に常設されているコンテナのシャッターを開けた。

 

『ここは任されて欲しい』

 

 元老院システムが敵の射出プログラムを書き換え、コンテナの放出を完全にこちらのものへと掌握する。

 

「これでお膳立ては整った。あとは……」

 

 コンテナに収納されてマスドライバーから宇宙に上がるだけ。そう感じた矢先、ジロウの姿を取った元老院が身悶えした。

 

 全天候周モニターにノイズが走り、システムが次々と切断されていく。

 

「これは……何が起こった! 元老院!」

 

『まさか……我々がマスドライバーを掌握するために一時的なプログラムに入る事を読まれていた? これは抗生プログラムだ、モリビトの内部OSへと押し入ってくるぞ……!』

 

「どうすれば……何とか押し出せないのか」

 

『無理だ……我々は所詮、バベルの残りカス。この抗生システムに抗う術はない……』

 

 唇を噛み締める。こんなところで、なのか。もう少しで宇宙に上がり、本隊と合流出来るという段階で、諦めざるを得ないのか。

 

 それが自分達の運命だと、嘲笑う死神に鉄菜はコンソールに拳を叩きつけた。

 

「こんなところで……! 立ち止まるわけにはいかない!」

 

 だが言葉とは裏腹に全てのシステムがダウンし、《シルヴァリンク》は完全に沈黙を余儀なくされていた。

 

《ノエルカルテットパイルダー》だけではここを乗り切れない。

 

 希望は潰えた。そう思った、その時であった。

 

『……大丈夫、マジ。鉄菜はここで諦めるような人間じゃないマジよ』

 

 元老院の声ではない。鉄菜は目を見開いていた。

 

「ジロウ……なのか」

 

『確かに元老院のプログラムは敵に塗り替えられるかもしれないマジが、その肩代わりをすればいいだけの話マジ。これでもモリビトの専属AIなら、抗生プログラムをこちらに誘導するくらいわけないマジよ』

 

『だがそれは、君の消滅を意味するぞ……モリビトのシステムAI』

 

 元老院の言葉に鉄菜は咄嗟にジロウへと手を伸ばした。

 

「駄目だ、ジロウ! お前は! ここで消えちゃいけない!」

 

 自分でも驚くほどに声を張り上げていた。ジロウが消えてしまえば、自分は何を寄る辺にして戦えばいいというのだろう。この惑星に降り立ってから、ジロウに幾度となく救われてきた。

 

 自分一人では《シルヴァリンク》で目的の達成など出来なかったのは言うまでもない。

 

 ジロウは汚染されていくシステムの中、静かに言いやっていた。

 

『大丈夫、マジ、鉄菜。……鉄菜はもう充分に、強くなったマジよ』

 

「違う……まだだ。まだなんだ、ジロウ。お前がいないのならば私は……《シルヴァリンク》に乗る資格なんてない」

 

 頭を振った鉄菜は頬を流れる熱いものを感じていた。これは、と息を呑む。

 

「私が……泣いて」

 

『誰かのために泣けるのは、人間だけマジ。鉄菜は正真正銘、人間マジよ。何の心配も要らないマジ。安心して、旅立てそうマジ』

 

 ジロウのシステムが攻勢プログラムに掻き消されていく。その最後の残りカスに鉄菜は手を伸ばした。

 

「駄目だ! ジロウ! 傍に……いてくれ」

 

 ジロウはただのアルマジロ型のAIだ。だがその瞬間、確かに――微笑んでくれたような気がした。

 

『……さよならマジ。鉄菜』

 

 抗生プログラムの呪縛が消滅し、全天候周モニターが復活する。

 

 だがそれは、ジロウというかけがえのない存在との永遠の別れの象徴であった。

 

『……モリビトの操主。彼が行ってしまった。我々が生き残るべきでは、なかったのかもしれない』

 

 元老院の声音に鉄菜は面を伏せたまま応じていた。

 

「……いや、エクステンドチャージをこれからも使用するのならば、元老院とバベルは潰えてはいけない。ジロウの判断は正しい。最善のはずだ」

 

『だが、鉄菜・ノヴァリス……それは』

 

「黙っていてくれ。今だけは、どうか黙っていて欲しい」

 

 鉄菜はRソードを振るい上げ、シャッターを解除させる。《ノエルカルテットパイルダー》を収納し、《シルヴァリンク》が続こうとした刹那、一機の《ナナツー参式》が襲いかかってきた。

 

『まさか、少佐の先読みが外れるとはな。だが、ここまでだ! 潰えろ、モリビトォ!』

 

 ブレードを掲げた《ナナツー参式》が《シルヴァリンク》へとその刃を打ち下ろす。

 

 鉄菜はRソードでブレードと打ち合い、拡張する干渉波のスパークの中に、ジロウとの思い出を見ていた。

 

 最初に降り立つ前よりジロウは欠かす事の出来ない相棒であった。

 

《シルヴァリンク》を構成する一パーツ以上の存在であった。自分が間違えそうになっても、ジロウだけは、自分を信じてくれるのだと思っていた。

 

 絶対に信用出来る味方。本当の理解者。ある意味では親兄弟以上の――大切な……。

 

「ジロウ。お前が作ってくれた活路、無駄にはしない。だから、ここでこいつを潰すのは、ただの八つ当たりだ。それでも!」

 

《シルヴァリンク》がRソードを弾き上げ、敵人機へと膝蹴りを叩き込む。よろめいた《ナナツー参式》の胴体を剣筋が斬りさばき、返す刀が上半身を両断する。

 

 寸断された《ナナツー参式》を睨み据えた《シルヴァリンク》がRソードを突きつける。

 

 キャノピーから逃げ延びる操主を見送ってから《ナナツー参式》のコックピットを叩き潰した。

 

『クロ……』

 

「大丈夫だ。桃・リップバーン。もう私は、元のブルブラッドキャリアの執行者だ」

 

 コンテナのシステムに介入し、シャッターを閉じさせる。マスドライバー施設の入力は自動的に行われ射出のカウントダウンに入った。

 

 直後、胃の腑を押し込む重力がコンテナにかかり、二機分の重量を抱えたコンテナが放出される。

 

 速度を増し、成層圏へと続く虹の皮膜を突き抜け、すぐさまコンテナは無重力の虜になった。

 

 重力圏を抜けたのはあまりに呆気ない。だが、それでも犠牲になったものがいる。

 

『ロプロス、ロデム、ポセイドン……。ゴメンね、みんな。モモが弱いから、こんな事に……』

 

《ノエルカルテット》を構成する三機の血塊炉が犠牲になった上に、ジロウはもう戻ってこない。

 

 それだけでも充分に痛手であったが、鉄菜はそれを実感している暇もないと理解していた。まず宇宙に上がった事を本隊に報告せねばならない。そうでなければバベルを掌握された今となっては地上での作戦行動は不可能だと元老院が結論付けている。

 

「すぐにでも、本隊に位置情報を送信して……」

 

 言いかけたその時、熱源反応の急速な接近に鉄菜は瞠目する。

 

 人機の放った攻撃熱源が真っ直ぐにコンテナへと直進している。このままでは、と鉄菜は操縦桿を握り締めた。

 

「《シルヴァリンク》!」

 

 Rソードを発振させ、コンテナを内部から溶断する。

 

 切り裂いた鉄菜の視界に入ったのはミサイル弾頭だった。まずい、と判じたその時には爆発の光が拡散していた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯158 宇宙を舞う

『取ったァッ!』

 

 タカフミの声が通信を震わせる中、リックベイは戦局を見守っていた。

 

 宇宙に上がる前に弊害が発生すると思っていたが、どうやら相手は第一段階のこちらの作戦を上回ってきたらしい。

 

 だが、第二段階までは読めまい。

 

 衛星軌道上に展開する《スロウストウジャ》の編隊を誰が予見出来るものか。

 

 リックベイはタカフミの放った一撃に忠告する。

 

「取った、などと軽率に言うなよ、アイザワ少尉。連中は今まで幾度となく我々の思惑の先を行ってきた」

 

『でも、少佐の言う通りじゃないですか! コンテナに乗ってマスドライバーで来るってのは、先読み通りでしたよ!』

 

 むしろ、地上部隊がもう少し粘ると思っていたのだが、それはこちらも買い被っていたのかもしれない。いずれにせよ、モリビトにマスドライバーを明け渡した事は重大な汚点の一つだ。

 

 もっとも、すぐにそそげる汚点など、汚点とも呼べないものであったが。

 

「モリビト二機。地上から逃がすと思ったか。容易くその進路、明け渡すわけにはいかない。《スロウストウジャ》部隊――別命、カウンターモリビト部隊、参る!」

 

《スロウストウジャ》十機編隊がX字の眼窩を煌かせて爆発の煙の只中にあるモリビトを睨む。

 

 その時、煙が不意に晴れた。

 

 盾を有する青いモリビトが実体弾を跳ね返したらしい。だがもう一機は満身創痍である。

 

『デカブツのモリビト、首から上しかありませんよ? あれ、何のつもりなんですかね』

 

「置いてきた、と思うべきか。まだ地上部隊からの情報が来ないから何とも言えないが、何かしら切り捨てを行ったのは間違いない」

 

 青いモリビトがRソードを振るう。しかし、如何にモリビトが優れていようとも戦闘出来るのはたったの一機。

 

 押し込める、とリックベイは感じていた。

 

『ここで会ったが百年目だぜ! モリビト! 大人しくお縄につきやがれ!』

 

 タカフミの挑発に青いモリビトが銀翼を拡張させた。どうやら戦意は凪いでいないらしい。

 

 十機編成の《スロウストウジャ》を前にして、勝てる、と思い込めるメンタリティ。それこそが、とリックベイは笑みを刻む。

 

「……いいだろう。最後の最後まで世界の敵としてあるか、モリビトよ。ならば受けるがいい。《スロウストウジャ》の鉄槌を」

 

 リックベイが手を払った瞬間、三機の《スロウストウジャ》が前衛を取った。

 

 まずは小手調べ。プレッシャーカノンを有する標準装備の《スロウストウジャ》が青いモリビトを囲い込む。

 

 逃げ場をなくし、プレッシャーカノンのタイミングをずらしつつ掃射する。

 

 青いモリビトは機敏に反応しつつもどこか、その動きには迷いが生じている。《スロウストウジャ》十機を相手にするのに、温存、という選択肢を取るつもりなのだろう。あるいは本隊との合流を目論んでいるのか。

 

 あまり長期戦が出来ないのは同じ。

 

 リックベイはプレッシャーカノンを手にじわじわと包囲陣を固めていく《スロウストウジャ》の第一部隊の攻勢を確信する。

 

 近づけばプレッシャーソードによる近接戦で対応出来る。そう思い込んでいた刹那、青いモリビトの全身に金色の血脈が至った。

 

 何だ、と思う前にその姿が掻き消える。

 

 何が起こったのか誰も理解出来なかった。否、理解などする前に、包囲しようとしていた三機の《スロウストウジャ》は一瞬のうちに破壊されていた。

 

 迸った断末魔もリックベイは信じられなかったほどだ。三機の《スロウストウジャ》が撃墜され、青い血飛沫を常闇に浮かばせている。

 

 まさか、と息を呑んだ矢先、青いモリビトの熱源反応が急速にリックベイの機体へと接近していた。

 

 現状のどの人機をも上回る機動性能にリックベイは射撃兵装よりも近接武装を選んでいた。

 

 それは習い性の感覚がそうさせたのだろう、発振したプレッシャーソードの刃と敵のRソードが打ち合っていた。しかし、敵の出力のほうが遥かに上だ。

 

 金色の燐光を散らしつつ、眼窩を赤く染めたモリビトがこちらを睥睨する。

 

「モリビト……貴様、その力、如何にして」

 

『教えるつもりはない。ここで、お前達は全滅する』

 

「ほざけ!」

 

 振るった刃が空を切る。まさかの感覚にリックベイは急速に機体を後退させる。

 

 直上から打ち下ろされたRソードの余剰衝撃波だけで《スロウストウジャ》の装甲が激しく震えた。

 

「掠めただけで……か。だが、その威力、諸刃の剣と拝見した。そう長くは続くまい。カウンターモリビト部隊! 狙うのは隙だらけのデカブツのほうだ。そちらを包囲し、捕獲せよ!」

 

 自分の位置まで来るのに青いモリビトは相当な推進剤を使ったはずだ。当然、すぐに守りには入れないだろうと言う考えの下の指揮であった。

 

 しかし、射線に入った《スロウストウジャ》二機が頭だけのモリビトを前にして銃身を震えさせる。

 

 何だ、と思う前に《スロウストウジャ》二機がそれぞれお互いを狙って攻撃した。

 

「何をしている!」

 

『ち、違うんです、少佐……機体が勝手に……!』

 

『このモリビト、まさか俺達を操ってやがるのか……』

 

 一パーツレベルにしか思えないモリビトが二機の《スロウストウジャ》を支配のうちに入れている。リックベイはすぐさま命令を飛ばそうとして青いモリビトの剣筋に邪魔された。

 

「……型は粗いが、威力だけ底上げされると厄介なタイプだな。モリビト、貴様を討つというのは我々も同じ事。ここで潰えるのは我が方かそちらか、それだけの話だ!」

 

 薙ぎ払った一閃から敵人機は離脱し、一転して攻勢を見舞おうとする。やはりこちらとまともに打ち合うのは危険と判断している。操主としての腕では未熟に等しいが、単純な暴力というのは時に何よりも度し難く厄介だ。

 

 ただ殴ればいいという考えは他の危険性や視野の狭さを凌駕する。

 

 つまり、一撃必殺の戦法を純粋な戦闘神経が編み出す帰結へと相成るのだ。

 

 敵も必死、こちらも必死。お互いに譲れない線まで来ている以上、ここで退くという選択肢は浮かばない。

 

 タカフミの率いる実体武装の《スロウストウジャ》が青いモリビトを追って火線を開いたが、左腕の盾が実体弾を防御した。

 

「いかん! 反射が来るぞ!」

 

 リックベイの忠告が通信を飛び越える前に、反射した弾丸を受けたのは二機の《スロウストウジャ》であった。

 

 タカフミは辛うじて回避した形になったが、戦慄しているのが通話越しに伝わる。

 

『少佐……こいつの速度、全部前とは段違いに……』

 

「ああ、上がっている。悔しいが、一騎当千とはこの事か」

 

 青いモリビトが燐光を棚引かせながらリックベイへと間断のない攻撃を浴びせようとする。刃を受けながらリックベイは思案した。

 

 どうして、ここまで度の過ぎた能力を有しながら、全滅にこだわらず隊長機である自分へと攻撃を集中させるのか。

 

 近づいてきた敵を一機ずつ落としたほうが確実であるはずだ。だというのに、先ほどから攻撃はあくまで、敵からの追撃が来た場合のみ。モリビト自体は自分を狙い続けている。

 

 この事実が帰結する先は大きく二つ。

 

 自分への脅威度が高く、隊長機を潰せば、この即席に過ぎないカウンターモリビト部隊は総崩れになるのだという事を理解している聡明な操主であるという事。

 

 もう一つは、単純に時間との戦い。

 

 時間制限があり、なおかつ自分の腕に自信がないからこそ、隊長機を執拗に追い詰め、部隊全体に恐れを抱かせる。

 

 この二つの可能性は似ているようで実はベクトルは正反対だ。

 

 前者ならばいつでもこのカウンターモリビト部隊を潰せる腹積もりがあるはず。総崩れになるという理解の下ならば、この一撃一撃にもしっかりとした意味がある。

 

 だが後者であるのならば、これらは考えなしの一撃ずつだ。ただ闇雲に払っている刃ほど無意味なものはない。

 

 リックベイは何度目かの刃を受け止め、この敵操主がそれほどの熟練度を短期間で習得するはずがない事実に思い至る。

 

 ならば、モリビトの操主が現状使っているこの黄金の戦闘術自体に大きなデメリットがある可能性が高い。

 

 時間制限いっぱいまでに自分達を一機残らず退けなければならない。そのために最小限の被害のみで《スロウストウジャ》を退かせるのには、隊長機を狙うのが最も適している。

 

「……慌てているな、モリビト。その太刀筋、迷いが見えてきた」

 

 その言葉にモリビトがこちらの刃に激しくRソードをぶつけてくる。違う、という意思表示ほど分かりやすいものはない。

 

 やはりこの操主、身につけたその力を使いこなせていない。

 

 ならば打つ手はいくらでもあった。個別通信チャンネルを開き、他の機体に繋ぐ。

 

「《スロウストウジャ》の残存兵に告ぐ。このモリビトはわたしとの戦いに夢中だ。背中を撃て」

 

 その命令には全員が震撼したようであった。

 

『……少佐、しかしこの距離では少佐の紫電に当たってしまいます』

 

「構わん。こいつの性格ではわたしは恐らく、無傷で済むだろうからな」

 

『そんな論拠のない……』

 

「いいから撃て。でなければしなくていい怪我をする事になるぞ」

 

 有無を言わせぬリックベイの声音に実体弾を持つ三機の《スロウストウジャ》が一斉掃射する。弾丸が青いモリビトに突き刺さりかけて、振り返り様にその盾で防御する。

 

 好機であった。

 

 リックベイは己の《スロウストウジャ紫電》に打突の構えを取らせる。その構えが平時のものではないのを悟ったのはあまりに遅い。

 

 実体弾を防御している間、青いモリビトは完全に硬直している。

 

 その懐に叩き込むのならば、今をおいて他にない。

 

「零式抜刀術――参の陣。暗夜疾風の辻風」

 

 放った打突の刃をモリビトは避ける術がない。その背筋に切っ先が突き刺さったのをリックベイは予感する。

 

 しかし、モリビトは防御陣を無理やり振り解き、Rソードで切り返してきた。一閃同士がぶつかり合い、お互いに大きく後退する。

 

『少佐、今のじゃ失敗に……!』

 

「いや、成功だ」

 

 その言葉を放った直後、モリビトから黄金の輝きが失せていった。電磁を纏っていた全身が軋みを上げ、燐光の残滓さえも窺わせない。

 

 タイムリミットだ。リックベイは全機に命じる。

 

「墜とすのならば、今が絶好の機会。カウンターモリビト部隊に告ぐ。全砲門、開け。目標、近接型のモリビト」

 

 カウンターモリビト部隊の照準が一機のモリビトへと注がれる。敵は逃れようともがくが、あまりにその挙動が鈍い。諸刃の剣である、という見立ては間違いではなかったようだ。

 

「ここで終わりだ。モリビトよ」

 

 一斉射の号令を出そうとリックベイは腹腔に力を込める。

 

 敵に最早逃亡の術はない。ここで潰えるのは目に見えていた。

 

 その時、通信を震わせたのは他でもない、熱源反応接近の警報であった。

 

「新たな熱源……? これは」

 

 最大望遠に入った敵影にリックベイは一斉掃射の声を仕舞わせる。

 

『少佐。近づいてくる機体群があります。これは……この羽音は』

 

 聞き間違えようもない。リックベイは敵の群れへと《スロウストウジャ紫電》を向かい合わせた。

 

 常闇の中でオレンジ色の眼窩をぎらつかせるのは蝿型の人機である。その数、二十機余り。

 

 地上で潰したはずの蝿型人機が何故宇宙に? という疑問を抱かせる前に、タカフミが叫んでいた。

 

『蝿型の? 少佐、こいつら地上と同じ……!』

 

「ああ。しかし解せんな。何故、ブルーガーデンの人機がここに」

 

『どっちにせよ、こいつら放ってはおけないでしょう! 見境ないんですから』

 

「それには同意だ」

 

《スロウストウジャ》部隊を率い、リックベイはこちらへと迫りつつある蝿型人機の群れに敵を見る目を据える。

 

「命拾いしたな、モリビト。だが今度は逃がさない」

 

 リックベイは号令し、蝿型人機にカウンターモリビト部隊を走らせた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯159 敵地

「蝿型の……地上でキリビトを倒した時にいた……」

 

 茫然自失の鉄菜は《シルヴァリンク》の中で声にしていた。今の瞬間、撃墜されてもおかしくはなかった。偶然とはいえ、蝿型人機に助けられる形になるとは。

 

『クロ……《シルヴァリンク》の血塊炉がオーバーヒート寸前になっているわ。今、《ノエルカルテット》で本隊に位置情報を送った。もう、この距離ならC連合のトウジャ部隊に勘付かれる事はないと思うけれど……』

 

 その言葉尻に不安が混じっていたのは、全くの意想外であった待ち伏せにであろう。

 

 マスドライバー施設を使い、宇宙に上がる事を読まれていた。そこまで読める人間は一人をおいて他にいない。

 

「リックベイ・サカグチ……。このままじゃ、いずれにせよやられる」

 

 どこかで手打ちにする必要があった。だが、現状の《シルヴァリンク》ではそれは遥かに難しい。エクステンドチャージで出ばなをくじけたものの、それは最初だけだろう。

 

 あれだけの人機が目撃者だ。すぐに対策は練られるに違いなかった。

 

 鉄菜は不安要素を残したまま、一機の《アサルトハシャ》がこちらを見つけたのを目にする。《アサルトハシャ》は確か少年兵が搭乗していたはずだ。

 

『モリビト二機を回収しました。周囲に敵影はなし。どうやら、先に出ていたキリビトタイプの放った哨戒機に気を取られている様子です』

 

《シルヴァリンク》と《ノエルカルテット》は《アサルトハシャ》に牽引される形で本隊へと向かっていた。

 

 まさか実戦部隊である自分達がここまでボロボロになっているなど誰も思わなかっただろう。通信回線に繋がったのは彩芽の担当官であるニナイであった。

 

『モリビトの執行者二人……いいえ、もう堅苦しく言うのはやめるわ。鉄菜と桃、生き延びてくれた事、まずは感謝します。それと、謝罪を。彩芽という、欠いてはならない一人を欠いてしまった』

 

 ニナイの声音には悔恨が滲み出ている。その言葉でようやく鉄菜は心底思い知った。

 

 本当に彩芽は死んでしまったのだと。その歴然とした事実がようやく形を伴った。

 

 桃がコックピットの中で咽び泣いているのが漏れ聞こえてくる。鉄菜は一度に失ったものがあまりに多過ぎてどう処理すればいいのか分からなかった。

 

 彩芽の死。ジロウとの別れ。組織はほとんど疲弊し切っている。そんな中、敵は着実に強くなっているのが分かった。

 

 このままではジリ貧よりも性質が悪い。戦えなくなるだけではない。ブルブラッドキャリアそのものが壊滅する恐れすらあった。

 

「……私は、組織に忠義を誓った。だからこそ聞かせてもらう。これ以上、戦う意味はあるのか?」

 

 桃が息を呑む。ニナイも通信越しに絶句したのが伝わった。これ以上戦うのは、生き意地が汚いだけではないのか。

 

 問いかけの答え次第では、戦闘行為そのものが無意味だ。

 

『……今までならば、それがブルブラッドキャリアのやり方、執行者は従えばいい、と、それだけを言えた。でも、今それを問い質されると、分からない。本当に、分からなくなってしまった。だから、何も確信めいた事は言えない。ただ、この時代の流れの中、ブルブラッドキャリアが滅ぼされるためだけに居ただなんて、そんな事を信じたくはない。彩芽の死が、そんな事のためだけにあっただなんて、思いたくないのよ。……わがままに聞こえるかもしれないけれど』

 

 滅ぼされるためだけにある存在だと思いたくはない。その気持ちだけは同じであった。この時代のうねりに、ただ翻弄されるのがブルブラッドキャリアの存在意義であったなど間違っている。

 

「……分かった。その答えが聞けただけでもよかった。合流の後、打って出る」

 

『鉄菜、担当官が会いたがっている。帰還したら、まず彼と会って欲しい。……あなたの基になった、ある科学者の話がしたいと』

 

 自分の基になった人間の話。それは、今まで遠回しにしてきた事を改めて突きつけられるという証明であった。

 

「……同意した。《シルヴァリンク》は貧血状態だ。《ノエルカルテット》も三機のしもべを失った。この状態では出せそうにない」

 

『桃も、担当官と会いなさい。あの人は、言葉少なだけれど、それでもあなたの事を、想っていないはずはない』

 

 桃は無言で首肯する。地上から帰還しようとしている執行者二人は痛みを抱いたまま、ブルブラッドキャリアの資源衛星に辿り着こうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 咆哮と一閃が混じったのは、蝿型人機を敵として見ているタカフミの興奮の一端であったのだろう。

 

 彼の操る《スロウストウジャ》は実体弾による遠隔射撃よりも敵地に潜り込んでの魂を削る戦法が見合っている。蝿型人機を両断したプレッシャーソードを払い、タカフミが昂揚感に身を任せる。

 

『どうした、どうした! そんなんで、おれ達が押し負けるとでも思ってるのか!』

 

 彼の一撃一撃ごとに研ぎ澄まされていくものは天性の戦闘センスだ。《スロウストウジャ》に搭載された白兵戦データは彼の戦い方を主軸に置いている。

 

 改めてその判断は間違いではなかったとリックベイは痛感した。

 

 針を射出しようとする蝿型人機の直上を取り、プレッシャーカノンで頭部を粉砕する。半数ほどまでに減っただろうか、とリックベイは策敵に意識を割かせた。

 

「アイザワ少尉、それにカウンターモリビト部隊に通達。敵の勢いは削がれつつある。このまま押し込むぞ。全機、掃討陣形」

 

『了解!』

 

 復誦が返る中、リックベイはこの蝿型人機の群れがどこから来たのかを考えていた。もし、ブルーガーデンのあの濃霧と同じ場所から来たのだとすれば、宇宙に進出するほどの性能を誇っている人機という事になる。

 

 しかし、それを頭で認めるのにはいくつかの弊害があった。

 

 一つにリバウンドフィールドを突破出来る人機は限られている事。二つ目は、蝿型人機の数だ。

 

 これほどの大部隊を投入出来るほどの資財、及び統率するためのシステムがどこに存在するというのか。

 

 考えている間にも状況は動く。プレッシャー砲の照準を向けようとした蝿型をリックベイは急速接近して懐へと飛び込み、下腹部から引き裂いた。

 

 蝿型一機ごとの耐久率は極めて低い。プレッシャーソードでなくとも応戦出来る脆さであったが、問題なのは機動力とその数。

 

《スロウストウジャ》でやっと追いつけるほど、敵は装甲を犠牲にして素早さに振っている。加えて群れを伴って来る蝿型人機には熟練度の低い操主では如何にトウジャタイプとは言え、上を行かれる可能性もあった。

 

 だがカウンターモリビト部隊は自分が選び抜いた精鋭達。彼らにとって、油断はあってはならない。

 

 プレッシャーカノンが一射され、最後の蝿型人機を叩き落す。これで、と構えを解こうとしたリックベイの耳を劈いたのは新たな敵の熱源であった。

 

「ここに来て、まだ来るか」

 

 銃口を向けた先にいたのはゾル国のカラス部隊である。《バーゴイル》が編隊を組んでこちらへと接近していた。

 

『少佐? こいつら、まさか』

 

 考えた事は同じだろう。資財の不足、及び能力値を補正するために、ゾル国が蝿型人機の量産に踏み切った。

 

 つまり彼らの尻拭いをさせられたのだと。

 

 通信チャンネルが繋がれ、リックベイは応じていた。

 

「そちらに尋ねたい。今しがたの人機の群れは、その方の部隊か」

 

 返答次第では、とカウンターモリビト部隊が銃身を構える。ゾル国で応じたのは《バーゴイル》を率いる一機の人機であった。

 

 機体識別とその佇まいが何よりも証明している。

 

 本物の――《モリビトタナトス》である、という事を。

 

『通信を受け取った。こちら、《モリビトタナトス》。ガエル・シーザー特務大尉である』

 

 シーザー家の噂はC連合にも及んでいる。ゾル国を陰から動かすフィクサー。建国に当たっての幾つかの神話にさえも登場する名のある家系。

 

 その一族の人物がモリビトの搭乗者となれば穏やかな話ではない。

 

「応答感謝する。して、先ほどの人機部隊の所属であるが」

 

『我々のものではない、と伝えておこう。そちらに拠点は?』

 

「駐在用の拠点はない。各国共同のステーションに落ち着く予定であったが」

 

『ゾル国の軌道エレベーターまで来ていただきたい。これは、急務を要する事柄である』

 

 ゾル国側からの歩み寄りは初めてだ。読み違えればこれは《スロウストウジャ》という新型をむざむざ晒す事になりかねない。

 

『お断りだね。そっちの都合に付き合わされて新型を解析でもされれば面白くない。少佐、そうでしょう?』

 

 タカフミの言う通りだ。ここではゾル国との協定を結ぶよりも先に、ブルブラッドキャリアを追い詰める算段をつけるべきである。

 

『先ほどの無人人機をどう対処するのか、それも含めて会合の機会をいただきたい』

 

 蝿型の所在を知っているのか。あるいは、それこそがゾル国のアキレス腱か。リックベイは熟考の末に言葉を紡ぎ出す。

 

「……よかろう。カウンターモリビト部隊はこれよりゾル国駐在地にて合流。作戦行動を共にする」

 

『少佐? でも、そんな事をしたって』

 

 分かっている。こちらにデメリットしかない、と言いたいのだろう。だが、蝿型人機が先ほどのようにブルブラッドキャリアとの戦闘中に現れでもすれば、それこそ一大事だ。

 

 仕留め損ねるのを二度も三度も繰り返していいはずもない。

 

 ――次こそは撃つ。

 

 そのためには一つでも確実な手を踏む事だ。一つでもうまく立ち回れればブルブラッドキャリアとモリビトを追い詰める一手となる。

 

「その代わり、情報交換をしたい。我々はブルブラッドキャリアの切り札の情報を持っている」

 

 青いモリビトが発現させた金色の燐光。あれを知っているのはC連合のみのはずだ。当然、生き延びたのもこちらが初めてのはず。

 

 充分な交渉のカードにはなり得る。

 

《モリビトタナトス》を操るガエルは軽く手を払わせた。

 

『了承した。お互いに知っている事、知らない事を整理する必要があるらしい。我々は貴殿らを歓迎する』

 

 ブルブラッドキャリア排斥、ならびに蝿型人機の出所を洗い出すのには、自分達だけの力では時間がかかってしまう。

 

 出来れば余分なタイムロスは避けたいのだ。一秒でも早く、モリビトを追い込むのには情報が必要となる。

 

 相手の思惑を上回る情報が。

 

 歓迎とは名ばかりで、周囲を《バーゴイル》が囲っている状況は好ましくはない。《スロウストウジャ》の操主達にも苛立ちが見て取れた。

 

『……少佐、連中、おれ達を生かして帰すつもりなんてないんじゃ』

 

「だとしても、ここは彼らの提案に乗るのが一番だ。相手から言ってきたのだからな。交渉がしたいと」

 

『そりゃ、そうですけれど……方便でしょ?』

 

「口八丁で騙されて、か。いずれにせよ、我々はゾル国との衝突は避けられない。それが遅いか早いかの違いだけだ。なに、《スロウストウジャ》を容易く奪われるような者達だけで構成したつもりはない。いざとなればゾル国駐在地を掌握する」

 

 秘匿回線の向こう側でタカフミが息を呑んだのが伝わった。

 

『……下りますかね、連中』

 

「《スロウストウジャ》には力がある。何だ、もう自信をなくしたのか?」

 

『いえ、そんな事は……。ただ、先の戦闘で三機失いました。それは大きいかと』

 

 自分もまさかモリビト相手とはいえ、《スロウストウジャ》を三機も撃墜されるとは思ってもみなかった。これは単純に読み不足だ。

 

「失った兵の事を考えても仕方あるまい。だが、ツケは返す。その心持ちだけ失わなければいい」

 

 モリビト相手に因縁がまた出来たというわけだ。タカフミは通話越しに力ある言葉を放った。

 

『……絶対に、追い詰めてみせますよ』

 

 そうでなければ、と言葉が継げられる。そうでなければ何のために、《スロウストウジャ》という力を手に入れたというのか。

 

 全てはモリビトを倒すためだ。

 

 世界を変革させようとする相手を御するためにはさらなる力が必要となる。《スロウストウジャ》はその尖兵。これから先、百五十年前の隆盛を超える人機開発が行われる事だろう。

 

 先駆けとなるのはC連合だ。決して、ゾル国ではない。

 

 その矜持だけは胸の中にある。遅れは取るまい。無論、それは相手も同じはずだ。ゾル国がどのような事情で今回、協定を結ぼうとしているのかは不明であるが、恐らくはC連合にとっては優位に働く。

 

《スロウストウジャ》の技術だけで何年かは相手側の優位を覆せるはずだ。ゾル国が持っている《バーゴイル》の大部隊もトウジャタイプ相手では形無し同然のはず。

 

 調停はお互いのためにも一度執り行われるべき。

 

 ここでの停戦はいずれこの星の覇権を握るのはどちらか、という戦いの前哨戦に過ぎない。そこまで考えて、皮肉だな、とリックベイは自嘲する。

 

「どれほどまでにブルブラッドキャリアが策を弄しようとも、畢竟、争い合うのは地上の人間達か。どこまでも……」

 

 ――度し難いものだ。

 

 そう感じつつ、リックベイはゾル国の機動エレベーターを視野に入れていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯160 これまでの事、これからの事

 《ノエルカルテット》の修復が最優先に行われていたが、《シルヴァリンク》にも相当な過負荷がかかっていたようである。

 

 改めてデッキに佇む愛機は酷く損耗しており、ここまでの戦いの苛烈さを物語っていた。

 

 訪れたのはニナイである。自分と桃を見やった後、強く頷いた。

 

「よく……生きていてくれた」

 

 彩芽の担当官であった彼女には思うところでもあるのかもしれない。鉄菜は早速、言葉にしていた。

 

「彩芽・サギサカは本当に……」

 

 ニナイは首肯する。

 

「残念だったわ」

 

 桃の瞳に涙が浮かぶ。鉄菜はしかし、戦士の面持ちを崩さなかった。

 

「ここでの作戦管理と、これからの戦いの優先度を請う」

 

「作戦管理はこちらに一任してもらって構わない。問題なのは戦いの優先度だろうけれど、あなた達はもう、その標的と出会っている」

 

「……トウジャか」

 

 ニナイに連れられ、二人は管制室へと招かれた。管制室では今も情報の同期が行われていたが、やはりというべきか、混乱が支配していた。

 

「駄目です、ニナイ担当官。やはり地上の様子はまるで掴めません。敵の人機の情報も」

 

「バベルを失ったから……」

 

 桃の発した言葉にニナイは髪をかき上げ、やっぱり、と口にする。

 

「バベルは、どこへ?」

 

『それを説明するのには我々の存在は欠かせないだろう』

 

 急にシステムに割り込んできた存在に管制室の人々が目を見開く。元老院システムについて、話さなければならなかった。

 

「あれは、惑星を牛耳っていた支配者……いや、旧支配者、と呼ぶべきか」

 

「二号機操主、何があったというの?」

 

『我々は見事に踏み台にされていたわけだな。我々が階層制限を設け、わざわざ秘匿していた情報を開示する度に、君達に優位に運んでいたわけか』

 

「何者なの。答えなさい」

 

『バベルを管理する者達。こう言えば簡潔だろう。元老院だ』

 

 その言葉にニナイの表情が凍り付く。まさか、とその唇が動いた。

 

「惑星の支配特権層……」

 

 ニナイの眼が鉄菜へと注がれる。どういう事なのか、という問いかけに鉄菜は口を開いていた。

 

「もう、連中に敵意はない。それどころか、私達はこいつにすがらなければならないだろう」

 

 これまでの事、そしてこれからの事をゆっくりと話し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イザナミに搭載された学習機能は正しく働いていたらしい。

 

 燐華の思った通りに動くのは何も人機セラピーの一環というだけではないようだ。人機がまるで自分の手足の延長のように稼動する。少し汗ばむくらいにイザナミと同調して手足を動かすと、軽い運動と気晴らしにはなった。

 

 そこまで、というヒイラギの言葉に燐華は息をついて水分を補給する。

 

「大分、よくなってきたね。まるで歴戦の人機操主のようだ」

 

「からかわないでくださいよ。イザナミがいい子だから……」

 

 人機の操縦技術など、一度も学んだ事はない。それでもイザナミはどこまでも自分に追従してきてくれる気がしていた。

 

 この世で信じるべきものがなくなっても、イザナミだけは自分を信頼してくれる。そのような無償の信頼関係が築けつつある。

 

 ヒイラギが手渡したのはファストフードのハンバーガーであった。なかなか屋敷ではこういった食べ物を取る機会はない。

 

 ハンバーガーを頬張ると塩辛さが口中に沁みた。

 

「安全宣言が出されて三日目、か」

 

 その言葉に燐華は面を伏せる。コミューンの穴が塞がり、大気循環システムが正常に作動して、災害時よりも大気に含まれるブルブラッド濃度が低くなってようやく三日目。政府からの許しが出て、人々は元の暮らしに戻りつつある。

 

 それでも失ったものと時間だけは取り戻しようがない。

 

 誰もが痛みを抱えながら生きていくしかないのだ。それがどれほどまでに残酷であろうとも、ヒトは痛みなくして前には進めない。

 

 その事実を、この一ヵ月前後で理解してしまった。理解せざる得なかった。

 

 兄の不在、親友の死、イザナミとの出会い――。

 

 それらが一ヶ月の間に起こったとは思えず、燐華はふとこぼしていた。

 

「……鉄菜が生きていたら、今頃なんて言っていたでしょうか。あたし、分かんないんです。だってあまりに短かったから。でも、鉄菜の事、絶対に忘れたくない。忘れたら、もうあたしがあたしじゃなくなってしまいそうで……」

 

 抱えた鉄片の冷たさが肌に染み入る。親友との証がこんなにまで冷たい鉄片一つだなんて。

 

 ハンバーガーを口に運びつつ、ヒイラギは告げていた。

 

「僕にだって答えは分からない。でも、彼女は強く生きていただろうとは思う。流されず、自分の思った通りの事を、成し遂げようとしているんじゃないかな」

 

「成し遂げる……ですか」

 

「ああ。いつだって人間には難しい命題が降りかかる。問題なのは、その命題を前にして、逃げるか立ち向かうか、その二つだけなんだと思う。彼女は立ち向かう側だった」

 

 しかし、立ち向かった先が無慈悲な死であるのならば、燐華は立ち向かって欲しくなかった。

 

 それは兄、桐哉も同じである。

 

 立ち向かって、運命に抗った先に待っているのが陰惨な死なら、最初から逃げてくれればいい。逃げる事もまた、勇気なのではないのだろうか。

 

「……あたし、ずるい事考えてる。運命がどれだけ残酷でも、逃げちゃえばいいって。逃げちゃえば、そんなの、関係なくなるんだって。……でも、にいにい様も、鉄菜も逃げなかった。だったら、あたしは二人の背中に続きたい。どれだけ辛くたって、逃げなかった二人みたいに、なりたいんです」

 

「勇気ある決断を毎回迫られるのは強者の特権でもある。君は別段……弱くたっていい」

 

 弱くてもいい。それは許しを乞われていると思ってもいいのだろう。許されている、何もしなくともいい。だがそれは立ち向かう事を放棄しているのと何が違う。

 

「あたしは、弱虫です。それに、とっても怖がり。卑怯で卑屈で……こんな自分が大嫌い。でも、鉄菜とにいにい様はこんなあたしを、……少しでもいい、好きでいてくれた。だったらあたしは二人に報いたい。二人の善意にばかり、甘えてちゃ、いけないんだって」

 

 ハンバーガーを頬張り、燐華はイザナミを見やる。己の力になるかもしれない才能機。使いこなせれば、何かしら道が拓ける。そのような予感がしている。

 

 ヒイラギもハンバーガーを平らげ、紙包みを丸めていた。

 

「僕は君の助けをしたい。それが独善に満ちた考えであったとしても」

 

「あたしは先生に感謝しています。居場所を、与えてくださいましたから」

 

「僕が与えたものなんてささやかなものさ。そのささやかさに意味を見出したのは、君自身だ」

 

 自分が勝ち取ったというのならば、最後まで足掻こう。最後まで、誰に決められたわけでもない道筋を行こう。

 

 燐華は最後の一切れを口に放り込み、立ち上がった。

 

「操縦訓練をやります。あたし、もう逃げたくない」

 

 ヒイラギは少しだけ瞳を翳らせたが、燐華の言葉に後押しされたように頷く。

 

「いいよ。やろう。君が満足いくまで、僕は付き合うよ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯161 空白の盤面

 野獣のような眼光の持ち主だな、というのがガエル・シーザーの初見であった。

 

 リックベイは顔合わせをするなり、まずは、と提言される。

 

「そちらの有する《スロウストウジャ》、でしたっけ。その機体の参照データを我々に開示いただきたい」

 

「何のため、ですかな」

 

 軌道エレベーターの長い廊下を歩みつつ、リックベイは分かり切った答えを問い質す。

 

「自分も、このような直截的な事は申し上げにくいのですが、ゾル国は焦っています。それもこれも、火消しのために」

 

「火消し? 仮想敵国同士ではあるが、今まで直接対決は避けてきた間柄だが」

 

「そうではありません。これを」

 

 手渡された端末に表示されたのは異様に発達した四肢を持つ人機であった。通常人機の六倍ほどはあるであろう全長にリックベイは息を呑む。

 

 緑色の機体色に、鉤爪のように鋭く尖ったフォルム。現行のどの人機とも異なる設計思想であった。

 

「これは……」

 

「我が方の諜報部門が仕入れた極秘人機です。名称を《キリビトエルダー》」

 

「キリビト……禁断の人機の名前だな」

 

「ご存知でしたか。いや、失礼な話かもしれない。C連合の銀狼に、今さらの知識を問うなど」

 

 肩を竦めたガエルにリックベイは言いやる。

 

「まさか、これを破壊しろ、とでも?」

 

 そのための協定なのだとすれば頷けるが、問題なのはこのような強力な人機がどのような手順を踏んでゾル国の物となったのか、である。

 

 それを明瞭にしなければこの戦、ただこき使われるだけになってしまうだろう。

 

「破壊は急務ではありません。むしろ、我々としては静観を貫くために、そちらとの情報の同期を願いたく、この機体を参照していただいたまでです」

 

 破壊は急務ではない、という言い草には二つ以上の意味が含まれる。

 

 一つ、可能性として浮かぶのはこの機体はゾル国の手のものであり、機体そのものには価値があるという事。出来れば生け捕り、もしくは機体参照データを取るため、最低限の戦闘行為で無力化したい。

 

 もう一つ浮かぶとすればこの機体を自分達C連合の兵士に見せる事によっての牽制。キリビトタイプを有する、という事実をちらつかせる事によってこちらの動きを制する事が出来る。

 

 加えて相手は《モリビトタナトス》の操主。先のシーザー議員の発言も鑑みればブルブラッドキャリアとの蜜月もあり得る。《キリビトエルダー》の所在をあえて明言しないのは、この人機が敵になるかもしれないと伝える意味もあるのだ。

 

 下手な手を打てば《キリビトエルダー》は乗り越え難い敵として屹立する。

 

 やられた、とすればこの情報を一方的に出させた事か。あるいは、こちらの部隊が《スロウストウジャ》のみである事をもう明かしている点か。

 

 いずれにせよ先手は打たれた。

 

 協定を結ぶ結ばない以前に、この男は鼻が利くようだ。何を優先順位として持ってくればこちらの先読みをうまくかわせるかと心得ている。

 

 政治家くずれ、もしくは生粋の勝負師。

 

 そう当たりをつけたリックベイはなるほど、と返す。

 

「我々《スロウストウジャ》部隊にこれを破壊はせずとも、静観せよ、と言いたいわけか」

 

「察しがよくて助かります」

 

 蝿型人機も恐らくは《キリビトエルダー》の手のもの。だからこそ、これ以上邪魔をするな、とゾル国はこちらに忠告を寄越したい。

 

 しかしながら、この男の語り口だけを信じていいものか、という疑念も残る。

 

「ガエル・シーザー特務大尉であったな。シーザー議員とは旧知の?」

 

「親戚ですよ。遠縁の、ね」

 

 どうにもはぐらかされている感が否めないが、それでもリックベイはここで追及すべき事柄を纏め上げる。

 

「では、シーザー議員に問い質しても痛くも痒くもない、という事だな。今回のゾル国との協定は」

 

 その言葉に、ガエルの表情が一瞬であったが硬直する。リックベイに確証はない。しかし、ただの遠縁の関係にしてはこの男、知り過ぎている。ともすれば、この男一人の因縁で全てが片づけられてしまいそうでもあった。

 

《モリビトタナトス》の操主として祀り上げられたのはその通りであろうが、果たして真にただの親戚同士の関係で国家を挙げての操主に抜擢されるであろうか。

 

「偶然に」親戚である人間が軍属で、「偶然に」モリビトタイプを操るに足る技術の持ち主であった――。

 

 偶然の一致にしてはこれらの事柄は出来過ぎている。どこか作り物めいた虚飾さえも窺わせて。

 

「……読めないお人だ。いや、それこそが先読みのサカグチの所以ですかな」

 

 こちらが一瞬でもゾル国の政の側面に切り込める手があるのだと強調すれば、この男は身動き一つ出来なくなる。その予感があった。

 

 現場でこそ輝くタイプの人間性を従えている軍人と言うのは、えてして他の部分に大きな弱点を隠し持っている。

 

 その欠陥部分をどのように補えるかどうかも、軍人としての資質の一つ。

 

 リックベイに政治家の心得はない。しかし、騙し騙されの世界で渡り歩くだけの胆力は持ち合わせている。

 

 この場合は、現場における瞬時の判断力。そして、間違えさえも自分の中に置くという覚悟。

 

 ここでもし、自分にそのようなコネクションがないとしても突かれて痛い部分は少ないが、ガエルの場合は別だ。

 

 政治家か、あるいはそれ以上をバックに持っている男は一つでもまかり間違えればお終いのはずである。そのラインを攻めるのに、リックベイは躊躇をしない。

 

 事実、ガエルは攻勢に出ていた話題から逆転させざるを得なくなっているのが伝わってきた。

 

 こちらに《キリビトエルダー》を静観せよ、あるいはゾル国の作戦に下り、戦力を譲渡せよという要求はここに来て一発のブラフによって破綻を迎えようとしていたのだ。

 

 シーザー議員が何も知らぬ張子の虎であったのならば、このガエル・シーザーなる男の足元を支えているのは全く別の組織という事になる。逆にシーザー議員がその言葉通り、この男を全面バックアップしているのならば、《キリビトエルダー》という存在そのものが政界におけるウィークポイントになりかねない。

 

 己の放った獣で、己を雁字搦めにする。

 

 ゾル国はうまく立ち回ればC連合を傘下に加え、ブルブラッドキャリア排斥に向かえたのだろうが、自分という障害を考慮出来なかった時点でこの局面における無傷の勝利はあり得なくなった。

 

 ここで勝利を得ようとすれば、無理やりにでも自分達カウンターモリビト部隊を従える必要がある。その選択肢を取るのならば、シーザー議員かこのガエルという男、いずれかの破滅は免れまい。

 

 さぁ、どう出るか――。

 

 リックベイは相手の次の出方を見る。

 

 ガエルはフッと口角を緩めた。

 

「……食えない男だってのは本当みたいですなぁ。先読みのサカグチの異名、衰えていないと見える」

 

 認めるのか、とリックベイは次の言葉を読もうとしたが、ガエルは端末を掲げる。

 

「シーザー議員にお電話なさいますか? いつでも繋がりますよ」

 

 端末上に示されたシーザー議員の電話番号にリックベイは食いつきかけて、否、と判じた。

 

 そうだ。誰もシーザー議員本人をろくに知らない。

 

 議員は常に陰から政界を動かしてきた存在。その声が公になったのは後にも先にも前回の《モリビトタナトス》のお披露目一回きり。

 

 その議員とて、本人の可能性は薄い。

 

 考えたな、とリックベイは歯噛みする。ここで通信の先に出たのが本人を騙る何者かであっても、リックベイにはそれを虚偽だと断じる術がないのだ。

 

 こちらがシーザー議員と繋がりがある、と示唆したブラフが瞬時に紙切れ同然の浅慮と成り果てる。

 

 これ以上の腹の探り合いには旨みがない。

 

「……いや、やめておこう。議員はお忙しいであろうからな」

 

「そうですね。やんごとなきお方だ。我々のような人間が踏み入っていい領域じゃない」

 

 端末を下げたガエルにリックベイは了承する。

 

「《キリビトエルダー》に関しての静観、であったな。請け負おう。それと、これは国際社会に亀裂を走らせかねない事案だが、我々は関知しない、と」

 

「助かります。我々は所詮、軍属ですからね。軍人に政治の話なんてするもんじゃない」

 

 C連合とゾル国の密約は結ばれた。現場指揮官である自分の判断だ。ここで裁かれるであろう人間は自分一人。上官も、部下も誰も咎を負う必要はない。

 

 たとえ《キリビトエルダー》を放置していればブルーガーデン汚染領域のような地獄を作り出す遠因になったとしても、ここではお互い踏み込まないのがルールとなった。

 

「しかして、どうするという。ブルブラッドキャリアの脅威は過ぎ去っていない。《キリビトエルダー》に、まさか全てを任せるとでも?」

 

「それにはいささか賭けが過ぎます。なので、我々も動きますよ。カウンターモリビト部隊、でしたか。配備された数と現状の数が釣り合わない。これっておかしいのではないですかねぇ」

 

 先の戦闘でモリビトに三機撃墜された事実をこの男は知らないはず。ならば事前情報でリークがあったか。あるいは、《モリビトタナトス》に乗り続けているのがこの男であったのならば、地上におけるゾル国基地への強襲時に何機配備されていたのかを覚えていたか。

 

 しかし一度として《スロウストウジャ》が何機存在するかは明かされていないはず。これも牽制の一つか、とリックベイは、そうかとかわした。

 

「実際の配置数と他国へともたらされる情報に差異があるのはいつの時代も同じであろう。まさか我々が逐一、ゾル国に実際の人機の開発数を教えるとでも?」

 

「いやいや、それはまさか。だってこちらだって《モリビトタナトス》の配置は極秘だった。お互い様の領域ですよ。ただ、気になっただけです」

 

 気になっただけで配備数の齟齬を看破出来るものか。ある程度察しがつく情報が出回っているか、あるいはこの男の天性の勘が鋭いのか。

 

 いずれにせよ、長く喋っていると痛くもない横腹を突かれるような気がして、リックベイは曲がり角で話を打ち切る事に決めた。

 

「ここまでだな。我々は所詮、軍属。上の決定を覆す事は出来ない」

 

「そうですな。こちらの内々で決めた約定なんて、すぐに破られるのがオチです。だからこそ、後ろから撃たれないかだけをハッキリさせておきたかったのですが」

 

 それはこちらとて同じ事。戦場で撃たれないかだけを明言化したのはある意味大きかったかもしれない。

 

「有意義な話を聞けた。感謝する」

 

「いえ。自分は無頼の輩です。こんな男の戯れ言に銀狼をつき合わせて申し訳ないほどですよ」

 

 握手を交わし、ガエルはふと自分の背後に目を留める。振り返るとタカフミが立ち竦んでいた。

 

「話のお邪魔かな、と思いまして……」

 

 苦笑する赤毛の青年にガエルは顎をしゃくる。

 

「先の戦闘、頼もしい限りですね。彼のようなエースがいる」

 

「そうだな。それは確かに頼もしい」

 

 身を翻したガエルを見送り、リックベイは嘆息をついた。

 

「あの……おれ、空気読めないっすか? やっぱ」

 

「いや、いい具合の時に来てくれた。あれ以上、あの男と話すと要らん事まで口に出さなければいけなさそうになったところだ」

 

「じゃあ、タイミングとしてはよかったって事ですかね」

 

 頬を掻くタカフミにリックベイは尋ねる。

 

「《スロウストウジャ》は? 解析されていないだろうな」

 

「まさか。向こうさんのメカニックには触れさせもしませんよ。こっちだって最新鋭機の手だれです。やっちゃいけない事くらい分からせますよ」

 

「その調子でいい。《スロウストウジャ》の分析などされてしまえばこれから先の戦局に響いてくる」

 

 その言葉振りにタカフミは胡乱そうに聞き返す。

 

「その……ゾル国との戦争っていうか、冷戦ですか。まだ続くと少佐は睨んで?」

 

「当たり前だろう。ブルブラッドキャリア排斥のために一時的に手を組んだだけの国家だ。百五十年、いや、もっと深い確執がある国家同士がただ単に居座る場所が同じなだけで分かり合えるものか」

 

 どうあっても、ここでの協定以外では銃口を向けられてもおかしくはない。《キリビトエルダー》に関する情報交換だけで済んだのはある種、ガエルという男の先見の明があるからか。

 

 ただし、多くを語りたくはないタイプではあったが。

 

「にしたって、あいつ、やばいですよ」

 

「何がだ。君の意見はいつも要領を得ないな」

 

「眼ですよ、眼。気づきませんでした? 野犬みたいな眼、してますよ、あの男。おれ、こんな事言うの情けないですけれどブルってしまって話しかけたくありませんし」

 

 首を引っ込めるタカフミにリックベイは、案外直上型の馬鹿でもないらしい、と評価する。

 

 あの男の眼光の中に潜む野心を窺い知るとは。なかなかに出来た操主だ。

 

「同感だな。出来れば戦場以外では会いたくないタイプだ」

 

「でも、戦場で会えば確実に敵味方でしか括れない人間ですよね、あいつ。どちらでもない、っていう選択肢がないというか」

 

「他人の評価を下している場合でもないかもしれんぞ、アイザワ少尉。我々はゾル国の、仮想敵国の真っ只中にいるのだからな」

 

「馬鹿なのはどっちなんだか、って話ですか」

 

「《スロウストウジャ》に近づけさせない、なるほど、賢明だ。だがそれをいつまでも許してもらえるほどに甘いとは思っていない」

 

「そりゃ、間借りしているも同然ですからね。さっさとここから出ましょう、少佐。ゾル国くさいったらありゃしない」

 

 しかし、一度でも停戦し、ここでメンテナンスを受けた事実があれば、後々うまく立ち回れる事を分かっているからこそ、ガエルのあの態度なのだろう。

 

 納得がいかないとすれば、それはガエルとゾル国の厚顔無恥よりも自分達の無力さである。

 

 モリビト相手に優位を運べると判断した己の判断の迂闊さを呪うしかない。

 

「……トウジャは、スペック上、モリビトより上のはずであった」

 

「仕方ありませんよ。隠し玉がでかすぎた」

 

「あの黄金の。地上の分析班には?」

 

「きっちり解析をしてもらっています。あ、それと朗報が」

 

 差し出されたメモリーカードを端末に差し込むと地上で巨体のモリビトを構築していた三機の人機を完全に捕縛した、という報告が上がっていた。

 

「あの機獣の機体か。よく三機とも……しかもデータ上、ほとんど無傷での回収か」

 

「地上の《ナナツー参式》班は思っていたよりも有能だった、って事ですね。あの高出力人機をまさか生け捕りにするなんて思いもしないですよ」

 

 リックベイは顎に手を添え、考えを巡らせる。今まで他の機体を圧倒してきた大型人機のモリビトがどうしてここに来て能力の低さを露呈したのか。それに、青いモリビトの秘策も含め、何かが変わり始めている事を予見した。

 

 自分達の足元を瓦解させかねない何かが、静かに蠢動しているような感覚だ。

 

「少佐? 何か気になりますか?」

 

 この部下も目ざとくなったものだ。自分の変化にすぐに順応する。

 

「いや、まさかな、と思う事が一つ増えただけの話だ。モリビトを相手取るのに一つでも不安は排除したほうがいいだろう」

 

「しかし、次はモリビトの本拠地を叩くんでしょう? ゾル国が足手纏いになるんじゃないですかね」

 

「なるのならば、ここいらで手打ちにするのも悪くはないが、少なくとも《モリビトタナトス》を敵に回すよりかは建設的だろう」

 

「後ろから撃たれないように、ですか。《バーゴイル》はともかく、《モリビトタナトス》があの二機のモリビトと完全に無関係だって、よくよく考えれば証明されていないんですよね」

 

「確かにな。だが、ガエル・シーザーという男がそこまで加味した裏切りを用意していればさすがに誰かは気づくはず。現状はモリビト二機と、《モリビトタナトス》は無関係だとする見方を現場ではするべきだろう」

 

 たとえ政の領域では両者共に同じ穴のムジナだとしても、現場判断というものがある。リックベイは二機のモリビトと《モリビトタナトス》が同じ勢力だとはどうしても思えなかった。

 

「……となってくるとシーザー議員の発言の矛盾ですが、こりゃ一杯食わされたと思うべきなんですかね」

 

《スロウストウジャ》で基地へと強襲した事も含め、体のいい牽制の材料だったと思えば納得出来ない事もない。

 

《モリビトタナトス》もモリビトの名を冠しているだけで、これまでの三機とは設計思想が異なるとすれば、ブルブラッドキャリアの動きを制するための一種の起爆剤だったとも考えられる。

 

「ブルブラッドキャリアのモリビトを制するためのやり口……にしては大仰であった気もするが。いずれにせよ、我々の関知せぬ部分だ。政治家と軍人ではスケールが違う。信憑性も、な」

 

「現場では《モリビトタナトス》が味方でも、政治とか駆け引きじゃ、そうでもないって話ですか。難しいですね。おれにはちんぷんかんぷんだ」

 

 眉間に皴を寄せるタカフミにリックベイは言い含める。

 

「軍人に駆け引きを理解する頭は必要ない。我々は駒だ。それを忘れなければいいだけの事。駒は、打ち手を裏切って勝手に動く事はしないものだ。独断専行が最も嫌われる」

 

「お伺いを立てようにも、ここはもう惑星の圏外ですよ?」

 

「宇宙にまで政治を持ち込むのはナンセンス極まりない。それこそ、現場判断だ。駒なりの、な」

 

「……分かんないもんですねぇ。打ち手の存在しないゲームがあるっていうんですか?」

 

 タカフミの質問にリックベイはフッと口元を緩める。

 

「大方にして、ゲームとはそのようなものだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯162 過去よりの手向け

 ニナイの説明には納得の行かない部分もあるものの、鉄菜は情報の摺り合わせが一番に必要だと判断していた。

 

 敵人機の名称と戦力の解析。バベルを失ったブルブラッドキャリアに勝機はあるのか。

 

 ニナイから出た結論は分からない、であった。

 

「バベルなしでのオペレーションは確かに、全く加味されていないわけではない。でも、それは最悪の想定に近いもの。……残ったモリビトは二機。《アサルトハシャ》も随分と減った。残存戦力は通常の作戦時の半分以下だと思っていいわ」

 

 苦しい結論であっただろうが、それが実情だろう。鉄菜は元老院へと目線を配る。

 

「お前らは、どれくらい粘れる? 地上のシステムと二国のハッキング相手に立ち回れるか?」

 

『難しい問いかけをするな、モリビトの操主。最早我々は細分化されたシステムの残滓。つまりは残りカスだ。エクステンドチャージの許諾以外にはほとんど能力はないに等しい』

 

「そのエクステンドチャージだけれど、今、分析班にかけてもらっている。他の人機でも使えないかって」

 

 ジロウの姿を取った元老院は首を振った。

 

『それは無理な話かもしれない。バベルを内包する必要がある。《アサルトハシャ》であったか、あの人機は地上産ではない。血塊炉の質が異なればエクステンドチャージは不可能だ』

 

 つまり、その言葉の帰結するところ、現状最大稼動が可能なのは、二機のモリビトのみ。

 

「アヤ姉の、《インぺルべイン》は……?」

 

「無理ね。コックピットを損傷している。直す事は出来るけれど操主がいない」

 

 《インぺルべイン》を乗りこなせる操主はそうそう見つかるはずもない。鉄菜は事ここに至って、何が可能なのかを割り出した。

 

「私の《シルヴァリンク》と、桃・リップバーンの《ノエルカルテット》。この二機での最大戦力化を求める」

 

「フルスペックモードの導入にしても、敵との彼我戦力差が開き過ぎているわ。この状態で立ち回るのは得策じゃない」

 

「でも……モモはどうにかしたい。《ノエルカルテットパイルダー》のサイコロジックモードのリミッターを解除してでも、敵を倒せれば……そうしたら少しくらいは未来が開けるんじゃないかって」

 

「未来、とは言っても、こちらの戦力ではどうとも……」

 

「言えばいいじゃないか」

 

 割り込んできたのは鉄菜の知らない男であった。白衣を纏った男はどこか自嘲気味に口にする。

 

「タキザワ技術主任……。何の権限があって」

 

「サイコロジックモードでは不安が残るが、今まで温存してきたものがあるだろう?」

 

 タキザワと名乗った男は不敵な笑みを浮かべる。ニナイがハッと目を見開いた。

 

「《ノエルカルテット》フルスペックモード……。でもそれは、それこそ桃の担当官の許可がないと」

 

「あの人なら許可を下すだろう。問題なのは、桃、彼女の心持ち次第だ」

 

 名指しされて桃はうろたえる。

 

「モモ、の……」

 

「駄目だ、許可出来ない! あれは今までの制御系とはまるで別物だ! サイコロジックモードのほうがまだ現実的に思えるほどの」

 

「聞いてはいるはずだ。《ノエルカルテット》フルスペックモード。重力下試験が不可能といわれた幻の性能の人機。ガンツウエポンの装備状態を」

 

「話を聞きなさい! この場の最高指揮官は私よ! そんなもの、許可出来るわけが――」

 

「落ち着けよ、ニナイ局長。君の言いたい事は分かる。これ以上、モリビトの執行者を失う失態だけは避けたい、と。仲間思いなのはいい事だが、失ってから初めて気づく迂闊さは直したほうがいい」

 

 痛いところを突かれたのかニナイは押し黙る。タキザワは桃へと探る目線を振ってきた。

 

「どうかな? ここで選択権があるのは君だ、三号機操主。《ノエルカルテット》フルスペックモード、説明は受けたはずだ」

 

 桃は拳をぎゅっと握り締める。何か言おうとして、その言葉がついて出ないようであった。

 

 歩み寄ろうとしたタキザワを鉄菜は前に出て制する。

 

「……詳しくは知らないがその形態、桃・リップバーンに負荷を強いるものというだけは理解出来る」

 

「何だい? まさか止めるとでも?」

 

「桃・リップバーンが言えないのならば私が言おう。お前らは私達の戦いに高みの見物を決め込むだけだ。結局のところ、今までとスタンスは変わらない。執行者は孤独な戦いを強いられ、私達は命を削る戦場で足掻くしかない」

 

「それがモリビトの執行者、ではないのかな」

 

「ああ、今までは、それに疑問は挟まなかった。だが、言わせてもらう。私達は都合のいい駒じゃない。お前達が思っているほど、私達は体よく動かされないと言っている」

 

 ほう、とタキザワが感嘆の息を漏らす。桃は自分の言い出した言葉に何も言えないようであった。

 

「吹くようになったじゃないか。リードマンの造った人造血続の操主は、ここまで他人に口ごたえ出来るようになったのかい?」

 

「私の命がヒトを模して造られたものであれ、関係がない。私はモリビトの執行者、鉄菜・ノヴァリスだ。それが全てだと断言する。私達の命がたとえ消費されるものでしかないとしても、ただ闇雲に戦場に駆り出されるのは間違いだと考える。ゆえに、お前達の人形ではない。私達の命は私達のものだ。その決定権は桃・リップバーンに委ねられるものだと判断する」

 

 タキザワが口笛を吹く。桃は、というと今しがたの自分の発言に面食らっているようであった。

 

「く、クロ? でも、もうモモ達に選択肢なんて……」

 

「ある。自分の命をどうするかは、自分で決めればいい。彩芽・サギサカがそう言っていた。だから従う」

 

「言うねぇ。だが、この状態でどうすると? フルスペックモードを拒んでも君達に益があるとは思えないが」

 

「組織の命令には従順であろうと思っている。だが、個人のその場しのぎの道具にはなりたくないだけだ」

 

 鉄菜の言い草にタキザワは肩を竦めた。

 

「矛盾だ。鉄菜・ノヴァリス。それは大きな矛盾点だよ。組織に従うのならば、組織の命令系統である我々に従うのが道理」

 

「私はオガワラ博士の、ブルブラッドキャリアの思想に同意しただけだ。お前達が生き永らえるために剣を振るうつもりはない」

 

 鉄菜の強気な発言は管制室に収まる人々をざわつかせるのには充分であった。彼らからしてみれば自分達の命のさじ加減を決める執行者が口ごたえしている現状は看過出来ないのだろう。

 

「……《シルヴァリンク》の修復はこちらの裁量一つ。それが先延ばしにされてもいいのかい?」

 

「では逆に尋ねるが、モリビトの力なくして、ここでお前達が生存出来るとでも?」

 

 一歩も譲らない両者にニナイが口を挟みかねていると、リードマンが歩み出た。

 

「もう、やめておくといい。タキザワ技術主任。性の悪さが滲み出ているぞ」

 

 その言葉にタキザワは一歩引く。

 

「かな。負けたよ、鉄菜・ノヴァリス。聞いていたよりも随分と物事を客観的に見られるようになったじゃないか。それもこれも、教育の賜物かな」

 

「茶化さないでくれ。すまない、鉄菜。侮辱するような言い方になってしまったかもしれないが僕達には単純に今、モリビトの力添えが必要だ。それを分かっていて、彼は君を試した。無礼を許して欲しい」

 

 タキザワは懐から取り出した端末を差し出す。鉄菜は訝しげにそれを睨んだ。

 

「これは?」

 

「《ノエルカルテット》フルスペックモードの仕様書だよ。安心するといい。桃君には負担はほとんどない。こちらの仕様書通りに、我々管制室が常にバックアップする」

 

《ノエルカルテット》フルスペックモードの仕様書をどうしてここで自分に差し出すのか、その理由を見出せないでいるとタキザワは快活に笑った。

 

「君の勝ちだ、鉄菜・ノヴァリス。いやはや、聞いていたよりもずっと豪胆だな。二号機の中で昏倒する操主なんて大した事がないと思っていたが」

 

 鉄菜はわけの分からない賞賛に戸惑うばかりである。その後はリードマンが引き継いだ。

 

「鉄菜、僕と共に来て欲しい。君に教えていなかった、最後の鍵を教えよう」

 

 どうやらここから先は担当官と会う手はずのようである。桃も別室へと案内されていた。

 

「……まだ話は」

 

「終わっていない、か? だがあれほど言えれば一丁前だ。鉄菜、僕は君がまだ完成されていないのだと思っていたが、この短期間でよく成長した。彼女の言っていた通りになったわけだ」

 

 彼女。今までぼやかされ続け、自分の記憶の片隅を逃れてきた存在に今、向き合わなくてはならなかった。

 

「何者なんだ。私は、その人の影響を受けたはず。今、その人がいないという事は……死んだのか」

 

「彼女は人機を愛していた。同時に人機もまた、彼女を愛した。血続とはそういうものらしい。青い血に惹かれ、機械油と血塊炉の生み出すただの現象に過ぎない永久電池の人機という鋼鉄の塊に命を見出した。古き時代、血続は地上に繫栄したと言う。だが、元老院は、当時の人々はそれを快く思わなかった。それが原罪だ」

 

 元老院は懺悔していた。まさか、ブルブラッドキャリアが追放された真の意味は――。

 

「血続……ブルブラッドキャリアの創始者達は血続であったというのか」

 

 前を行くリードマンは振り返りもせずに応じる。

 

「そうであった、とされる文献資料とデータがあるだけだ。実際に血続と認定されたのはたった一人だけであった。それこそが、君の基になった彼女の物語」

 

 ラボに辿り着く。培養液が入ったいくつものカプセルが並び立つ中、リードマンは原罪を語った。

 

「ここで彼女は君に託した。オガワラ博士の血を引くブルブラッドキャリアの創始者の一人、黒羽博士は」

 

 黒羽。それが自分の遺伝子の深くに刻まれた名前であったのか、それは定かではない。

 

 ただ、鉄菜はこの時初めてその名前を聞いたにもかかわらず、その瞳から零れ落ちる涙を止められなかった。

 

「何だ、これは……どうして、名を聞いただけで」

 

「懐かしいんだろう。君の消された記憶……いや、戦士には必要ないとして切り捨てられた情報の一つだ。それが今、懐かしさを覚えている。僕にはそれだけで嬉しい。彼女の事を、君は覚えている」

 

 リードマンの語り口に鉄菜は詰問する。

 

「教えろ。黒羽という人間は、私に何をさせたかった? 私を……何に仕立て上げたかったんだ?」

 

 疑問が口をついて出る中、リードマンは一つ呼吸を挟む。

 

「何を、か。それこそとりとめのないものだろう。君を、人造血続の運命から解き放ちたかった。この世界はまだ美しいのだと、教えたかったに違いない。これが、彼女の遺したメッセージだ」

 

 引き出しから取り出されたのは小さなメモリーチップであった。

 

「君が知りたい時に閲覧するといい。僕は、君と彼女の再会まで邪魔立てする気はない」

 

「……意外だな。お前は私の担当官なのだろう?」

 

 リードマンはその言葉に自嘲気味に返した。

 

「確かに担当官だが、君の人生まで左右するほどの権限はないよ。彼女の弁を借りるとすれば、君達の、であるかもしれないが」

 

 全てはこの手の中にある。鉄菜は掌のメモリーチップに視線を落とした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯163 グランマ

 

 あそこまで鉄菜がこだわるのは想定外であった、とタキザワが述べる。

 

「本当に、人間らしくなったんだな。二号機の操主は」

 

「だから、モモを庇ってくれた、とでも?」

 

「そうじゃないと説明がつかないだろう。鉄菜・ノヴァリス、か。もっと情報を閲覧しておくんだった。バベルのない今、彼女の情報を持つのは担当官のみだ」

 

 趣味が悪い、と桃は睨む。

 

「女の子の個人情報ですよ」

 

「そうかい? でも、君はそうこだわる性質でもなさそうだ。……《ノエルカルテット》フルスペックモードの事、聞いていないはずがないからね」

 

 鉄菜には言わなかったが、《ノエルカルテット》のセカンドステージ案は真っ先に知らされていた。それが空間戦闘を加味したものである事も、最初に教えられていたのだ。どれほどまでに自分に負担を強いるのかも計算の上で了承したはずである。

 

 しかし、いざそれが眼前に迫ると怖くて仕方がない。《ノエルカルテット》の最終形態。それは今までの三号機の操縦技術とはかけ離れたものであるからだ。

 

「着いたよ。ここから先は、自分自身で」

 

 だからなのか、目の前の扉一つ開くのも、自分でしか出来ないのが酷く恐ろしい。恐怖で身が竦む。

 

「技術主任、という仕事も楽じゃなくってね。君に言ってしまえば、《モリビトシン》を任せたいところなんだが、あれはまだ極秘でね。だから、今回ばかりは担当官に一任するしかない」

 

「……モモの担当官の事、知っているんでしょう」

 

「AI、グランマの構成人格の一つだとは。それ以上は何も」

 

 そうだ。幾度となく自分を助けてくれた《ノエルカルテット》の擬似人格AI、グランマ。その基になった人間。そう知らされている。

 

 だが、何度会っても実感が湧かなかった。《ノエルカルテット》のグランマはいつだって優しいのに、自分の担当官は――。

 

「ここまで来たら、そろそろ本音でぶつかったほうがいいと、少しばかりは思うけれどね。それがたとえ、モリビトの執行者が一人減る、という結果になったとしても」

 

 そのような言葉を残して、タキザワは来た道を引き返していく。退路はない。桃はそっとエアロックの解除キーを打ち込んだ。

 

 開いた扉の向こう側にいたのはベッドに横たわる老婆であった。

 

 人工呼吸器に、生命維持装置を取り付けられた老婆は最早、機械と同化しているようにも映る。

 

 桃は歩み出て小さく言葉を発した。

 

「……桃・リップバーン。帰還しました」

 

 相手からの返事はない。桃は今回の戦闘における損害を報告する。

 

「《ノエルカルテット》は三機のサポートメカを失い、パイルダーのみとなりましたが、戦闘続行が不可能なわけではありません。かねてより提案されていたセカンドステージ案……フルスペックモードへの移行準備は滞りなく進んでいると……」

 

 コンソールに文字が表示される。そこにはただ一言。『作戦を続行せよ』とあった。

 

 作戦。ブルブラッドキャリアの要、報復作戦の実行。自分がフルスペックモードに乗り込むのに、一つも言葉を投げてはくれないのだろうか。

 

 今まで通り、このコンソールに表示された文字に従い、自分はただただ戦うための道具として、彼女に従い続ければいいと言うのだろうか。

 

 ――違う。

 

 桃は拳を握り締めていた。ここで恐れていてどうする。次の戦場で生きている保証はないのだ。

 

「……モモは、死にたくありません」

 

 その言葉にコンソールの文字列が変化する。『死にたくない、というのは形骸上のものに過ぎない。異論があるのならば申し出ろ。なければモリビトに乗れ』と。

 

 ああ、今まで通りだ。この拒絶するかのような文字列から逃げるように戦場に向かい、戦って磨耗していく。

 

 それが自分の生き方なのだといつしか思い込んでいた。自分自身に刻み込んでいた。

 

 だが、ここで。傷つきたくない自分とは決別する必要があった。

 

「担当官。モモは、これ以上戦って何かあるのでしょうか。何が得られるのでしょうか」

 

 文字列はまたしても変位する。『それを知ってどうする? 執行者をやめる事など出来まい』。

 

 その通りだ。今さらモリビトの執行者を降りるというのはあり得ない選択である。しかし、タキザワはそれでもいいのだと教えてくれた。それよりも大事な事は今まで自分と担当官は本音でぶつかりあった事などなかった、という事実だけ。

 

 鉄菜の事を一方的に糾弾は出来ない。自分とて先延ばしにしてきた事柄があるのだ。桃は呼吸を落ち着け、担当官へと再三言いやった。

 

「モモは、まだ死にたくないんです」

 

『それを知って何になる。モリビトの執行者は死ぬまでが責務だ』と返ってきた言葉の残酷さに桃は今にも消え入りたくなってしまう。それでも、事実から逃れる事は出来ない。この世の真理から逃げて、何もなかった事には出来ないのだ。

 

「……モモは、自分で戦うかどうか決めます。グランマ……おばあちゃんの思い通りの人形じゃない」

 

 改めて突きつけた血縁に担当官は文字列を変動させる。

 

『殺す事しか出来ない殺戮能力者の分際で、血縁者を否定するのか』。その言葉は桃の中に重く沈殿していく。

 

 しかし、これ以上、自分は心にもない事を胸に戦う気にはなれなかった。

 

「おばあちゃん。グランマは消えました。ロデムも、ロプロスも、ポセイドンも。……おばあちゃんがモモを閉じ込めていた、あの場所で飼っていた子達は、みんな死んじゃったんです」

 

 今でも思い出す滅菌されたような白亜の部屋。その中での唯一の娯楽と言えば、水槽に飼われていた熱帯魚と、一羽の籠の中の鳥と、首輪をつけられた獣との出会い。

 

 彼らの人格データがそのまま、三機の機獣の基礎データとして刻まれていた。だからこそ、彼らは命を賭してでも自分を守ってくれた。

 

 ――だが、AIグランマだけは。

 

 それだけは自分の思い描いた幻想だ。自分がいつまでも大人になれないがゆえに、空想で築き上げた偽りの祖母の姿である。

 

 今は、本物の祖母と会っている。

 

 自分を、唯一の血縁者をブルブラッドキャリアの執行者に仕立て上げた祖母。恐らくは星を憎み、その憎悪の糧にするためだけに母も父も知らぬ哀れで醜い少女を育て上げた、恩讐の徒。

 

 その祖母と向き合う必要があった。祖母の憎悪を取り込んで、戦うのが己の姿なのだろうか。

 

 違うはずだ。そのような事は断じて。

 

 自分は自分のために戦う。ブルブラッドキャリアの執行者として、最後になるかもしれない戦いに赴くのに、血の清算は絶対であった。

 

 今までは命令に服従してきた。だが、最後の戦いくらい自分の意思で行かせて欲しい。そのようなわがままも通らないのならば、執行者が一人減るという最悪の想定でさえも構わないと思える。

 

 祖母からの返事はない。文字列の点滅するキーは新たな言葉を浮かべようともしない。それが答えか、と身を翻そうとして、明滅する文字列が新たな言葉を刻んだ。

 

『それがお前の、辿り着いた答えだというのか』。

 

 非情なる担当官の声音ではないような気がした。今だけは、自分と血の繋がった祖母の問いかけのような気がしたのだ。

 

「うん……モモは、もうこれ以上、誤魔化したくない」

 

『なら、自分に正直に生きなさい』。

 

 その一言だけで充分であった。桃は首肯し、言葉を反芻する。

 

 ――自分に正直に生きる。

 

 今まで達成されなかった悲願でもあった。自分はモリビトの操主、《ノエルカルテット》を操る執行者。

 

 だからこそ、ブルブラッドキャリアのために前進する事はあっても、自分のために歩みを進める事はないのだと。

 

 それがようやく解き放たれた。籠の鳥であった自分に、思うままに生きていていいといいう許可がようやく下りたのだ。

 

「……分かった。でも、おばあちゃん。モモは、帰ってくるよ。絶対。だって、選んだのはモモだもん」

 

 ブルブラッドキャリアの執行者の道を、ただただ与えられたから進んでいたわけではない。その道に誇りを持っていた。

 

 だからこそ、最後の戦いを前に覚悟が必要であった。己の中で退かない覚悟、真の執行者としての戦いを達成するのに。

 

 踵を返した桃は担当官の部屋を後にしていた。もう、祖母と話す事はないだろう。この戦いの以後、ブルブラッドキャリアがどうなるのか、全く予測は出来ない。

 

 しかし、生きて帰る、という意思だけはあった。必ず生きて、彩芽の分まで組織のこれからを見守るのだと。

 

 出たところで、タキザワが待ち構えていた。気安く片手を上げた彼に桃は胡乱そうにする。

 

「……張っていたんですか」

 

「嫌な顔をしないで欲しいな。君の《ノエルカルテット》の最終確認を任せられたんだから」

 

「フルスペックモードでしょう。もうマニュアルには目を通しました」

 

「それだけで、覚悟の道を行けるとは思っているのかい?」

 

 お見通しというわけだ。桃は嘆息をついて追及する。

 

「モモは、組織のために戦います。でも、技術主任、あんたはどうなんですか。いつまでもフワフワとしたスタンスで戦い抜けるとでも?」

 

「そうだねぇ……僕も、それなりに覚悟を決めなければ、とは思っている。それがどのような形であれ、組織に対してのケジメだとも」

 

 意外な発言であった。タキザワの立場ならばのらりくらりと逃れるかもしれないとも思っていたからだ。

 

「……逃げないんですね」

 

「そこまで失望して欲しくはないな。僕だって、ブルブラッドキャリアの構成員だ」

 

 ブルブラッドキャリアの、か。それが逃げ口上になっていないだけマシだと思うべきか。

 

「でも、技術主任には関係のない話でしょう」

 

「そうでもないさ。執行者のメンテナンスは全員の役目だ。当然、僕も」

 

「そうですか? そうには見えませんけれど」

 

 タキザワは肩を竦める。

 

「手厳しいな。だが、君とブルブラッドキャリア幹部連との繋がりはそれなりに分かっているつもりだけれど」

 

 足を止めた桃はタキザワを睨む。彼はどこにも臆した様子はない。

 

「……あの人はただのモモの祖母です。幹部連とは関係がない」

 

「そうかい? だがブルブラッドキャリア大幹部達の繋がりを示す論拠にはなるだろう。無論、桃・リップバーン。君の出自にも」

 

「事ここに至って惑わすつもりならば、話はそこまでです」

 

「待てって。君はもう少し慎重になるべきだ。本題に移ろう。……鉄菜・ノヴァリスの持ち帰った元老院システムと、その成果、エクステンドチャージ」

 

 この男の口から鉄菜の名前が出る事に、桃は嫌な予感がしていた。

 

「それが何か?」

 

「《ノエルカルテット》における適合実験を行ったのだが、どうやらシステムは一機のみに適応するらしく、なおかつ現段階の規模では二機同時のエクステンドチャージは難しい。そうなった場合、地上での使用と同じく、どちらかのモリビトがシステムを一手に背負う事になる」

 

 地上のログを読んだのか。その感情と共に桃は軽蔑の眼差しを振り向けた。

 

「それで? モモ達の戦いを盗み見た成果はありましたか?」

 

「そう刺々しくなるなよ。ハッキリ言うと、《ノエルカルテット》にエクステンドチャージを積む事は見送られた。フルスペックモードのみにおける敵との多数対一の戦闘が予見される。それでも、君は」

 

 やるのか、と。問いただす瞳に桃は言い放つ。

 

「……ブルブラッドキャリアに失敗は許されません。どんな状況でも戦いましょう」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯164 希望の徒

 通信を繋いだのは唯一地上との交信が許されたスペースで、タカフミは咳払い一つでコールした。

 

 通信先の相手が出る。どこか及び腰になってしまいかけて、タカフミは一挙に言いやった。

 

「もしもし、瑞葉。その、話があってな」

 

 どこかまごついてしまう。これから先に待ち受けている運命を前に、一度清算しておく必要があった。己の事、他人の事、そして、守るべき人の事を。

 

『アイザワ、か。どうした?』

 

「あまり時間はかけられないんだ。ここ、ゾル国の軌道エレベーターだからさ」

 

 その意味するところを元々軍人であった彼女はすぐさま悟ったようである。

 

『……他国の監視下にあるのか』

 

「そういう事。まぁ、おれも少佐もほとんど気にしちゃいないが、向こうさんはそうでもないだろって話だ。……だから手短になる。その、さ。帰ったら、ちょっとばかし重要な話があるんだ」

 

『帰るつもりのない人間のような言い草だ』

 

 その言葉に攻撃性がないのは、どこか微笑ましい。タカフミは頬を掻いて言いやる。

 

「未来、とか、そういうのおれには縁がないもんだとばっかり思っていたけれどさ。おれ、この戦いには未来がかかっているんだと思う。それこそ、惑星の未来だとか……おれ達の未来だとか」

 

 気恥ずかしさに言葉は彷徨う。向こうのほうが随分と冷静なのか、その先を声にした。

 

『わたし達の、か。アイザワ。わたしは待っている。だから、安心して戦って欲しい』

 

 男だというのに、相手に先に決意を言わせてどうする。タカフミは頭を振って返答する。

 

「……悪い。甲斐性なしだな、おれ」

 

『そのような事はない。モリビト相手だ。死ぬかもしれない、というのだろう』

 

 彼女もモリビトと祖国のために命を削ってきた。自分の気持ちは痛いほど分かるはずだ。

 

「絶対帰るからさ。だから、その、気長に待ってくれって言うのは、ずるいか?」

 

『ああ、ずるいとも。だが、待っているとしよう。わたしも、信じていたいから』

 

 未来に祝福があるのだとすれば、きっとそれはこのような形なのだろう。人がこれから先を信じるのに、あるいは未来を描くのには一人では無理なのだ。

 

 誰かと共に描けるからこそ、意味のある世界がある。

 

「おれと少佐の《スロウストウジャ》は無敵だ。だからさ……これはお願いっていうよりも、おれの勝手な理想の押し付けなんだが……もう、お前には戦わないで欲しい」

 

 今まで散々傷ついてきた。自分を削ってでも戦い続けてきた、抗い続けてきた想い人に、もうこれ以上の重石は必要ないのだ。

 

 それが戦士としての称号の侮辱に繋がる事は理解している。罵られても仕方がなかった。

 

 だが、瑞葉は思いのほかその言葉を素直に受け取った。

 

『……もう随分と、忘れていた感覚だ。誰かに背中を任せるなんて。いや、それは戦士の感覚か。ただの、女としてあるなんて。考えもしなかった』

 

「おれと少佐がモリビトの首なら持ち帰るからよ。それを楽しみにしてくれ。だから、信じて欲しい。おれ達の武運を」

 

 帰って来られる保証はない。敵はさらに戦力を増強し、立ち向かってくる恐れもある。さらに言えば、不明人機、キリビトの存在。これを明るみに出せば、瑞葉も黙っていないだろう。

 

《ラーストウジャカルマ》で出撃すると言いかねない。だからタカフミはあえて黙っていた。

 

 もう瑞葉に過酷な道を歩んで欲しくはないのだ。

 

 生きる上のでの苦しみをこれ以上なく味わってきたはずである。ならば、これから先は生きていく事に苦難を感じる必要はない。

 

 人生を歩むのに、戦い以外の道があると言う事を知ってもいいはずだとタカフミは感じていた。

 

『そうだな。武運長久を祈っておこう。わたしは、望む事が許されるのならばこのような道を……』

 

 言葉にならないとでも言うように瑞葉は沈黙する。タカフミは声を大にした。

 

「約束する! おれが絶対に、モリビトをぶっ倒す! で、平和を勝ち取ってやる!」

 

 リックベイに頼らずとも己の力のみで平和を得る。それが、自分に出来る最大限の貢献だ。

 

『そう、か。……安心した』

 

 今は瑞葉に一つでも不安の種を感じさせたくはない。少しでもいい未来が待っているのだと信じたかった。

 

 お互いのために。明日があると感じられるために。

 

「……もう通話は切る。でも、おれはお前が……」

 

『それ以上は言わなくていい』

 

 言わなくとも分かっている。確かめられただけでもよかった。

 

 タカフミは端末の通話を切り、整備デッキへと向かう。道中、ゾル国兵士と出くわしたが、彼らの面持ち浮かんでいたのは不安であった。

 

 どうにもこの軌道エレベーターでの駐在兵達は不安要素に支配されているらしい。

 

 何が彼らの頭上に降り立っているのかは不明であったが、二度もブルブラッドキャリアに仕掛けたのだ。それなりに地獄は見てきたはずである。

 

《スロウストウジャ》の整備士には、カウンターモリビト部隊と共に宇宙に上がってきたC連合の人間が充てられていた。

 

 彼らからしてみれば敵地での機体修復である。どこで横槍が入ってもおかしくはないというのは緊張感をはらんでいる。

 

「損傷は?」

 

 尋ねたタカフミに整備士は面持ちを翳らせる。

 

「駄目ですね、資源が足りてないのと、何よりもここは敵地なので、迂闊な情報を流せないのも……。正直、この倍は整備士の数が欲しいところですよ」

 

「上の裁量もある。これが限界なんだ、踏ん張ってくれ」

 

「少佐と少尉が信じてくださるんですから応えたいのは山々なんですが、ほとんどの整備士は少佐の紫電に充てられている形で……。ログの中にある金色に染まったモリビトの解析作業と、それと打ち合った紫電にはダメージが大きいんです。優先順位が前後してしまうのは」

 

「ああ、仕方がないだろう。しかし、宇宙に上がった途端、三機もやられるなんて思ってもみなかった」

 

 拳を握り締めたタカフミは青いモリビト打倒を心に誓う。カウンターモリビト部隊の手だれが三人も死んだ。その無念は晴らすべきだ。

 

「モリビトは減ったとは言え、それでも強敵、と見るべきですか。にしたって《スロウストウジャ》をどうにかしたいっての……見え見えですよ、連中。どうして補給を受けつつ腹の探り合いまで……」

 

 ゾル国の軌道エレベーターを使っているという都合上、仕方がないのは分かる。問題なのは、士気への乱れだ。

 

 統率が取れなくなってしまえばお終いである。

 

「ゾル国の目があるのは痛いが、それでも耐えてくれとしか言えない。連中を完全に出し抜くのは無理っぽいからな」

 

「ここが分水嶺ですか……」

 

 ゾル国の《バーゴイル》の戦力と《モリビトタナトス》の解析に、と行ければ上々なのだが、こちらも人手が足りていない。

 

 やはり、ここは欲を出さず、自分達の機体をベストコンディションに持っていくのが限度だろう。

 

「敵地での修復ってだけでも無理は話だ。出来る限りでいい。おれ達はそう簡単には負けやしない」

 

「心強いですよ。……少し、サカグチ少佐に似てきましたか?」

 

「おれが? 少佐に?」

 

 あまりに突拍子もない評価にタカフミは目を白黒させる。整備士はふふと笑った。

 

「似てくるんじゃないですか。上官と部下であれ、あれだけ近くいると。その分、こっちは俄然やる気が出ますよ。忠義を尽くすのに、少尉も相応しくなってきました」

 

「何だよ、それまではその資格がなかったみたいな言い草だな」

 

 肩を突き、笑みを交し合う。一歩間違えれば死が待っている戦場で笑えるだけマシであった。

 

 あと数時間後に迫った出撃にタカフミは掌に視線を落とす。

 

 今度こそ必ず、と拳に変えた。

 

「おれが、モリビトを墜とす」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「妬けるねえ」

 

 コックピットの中でガエルは呟いていた。タカフミと名乗ったC連合の士官の告白を盗聴していた身となれば、その境遇にもそうであったが、まだ希望があると考えている事にもであった。

 

『そちらの動向はどうなっている?』

 

 通信先の水無瀬にガエルは言いやる。

 

「一応、計画通り、みたいだぜ。《キリビトエルダー》を無罪放免にするって話はな。撃墜しなけりゃいいんだろ、要は」

 

『簡単そうに言うが、《キリビトエルダー》の操主データにアクセスしたところ、意外な人物が出た。これを』

 

 水無瀬の送信した暗号化ファイルを開くと、そこには一人の女の個人情報があった。

 

「レミィ? こいつがどうかしたのか?」

 

『生年月日と没年の欄を見て欲しい』

 

 参照した瞬間、ガエルは薄ら寒いものを感じた。

 

「こいつは……! 四十年も前に、死んでやがるだと?」

 

『それが正式な情報であるのは確認済みだ。さらに言えば、そのレミィなる人物、複数の目撃証言と照らし合わせた結果、つい数日前までゾル国の整備士であった、と報告がある』

 

 あの基地に居たというのか。その事実にガエルは戦慄する。

 

「おいおい、死人が闊歩するってのはあんまりいい話じゃねぇな」

 

『ハイアルファーの加護を受けているわけでもない。この個人は正確な情報では四十年前の死人だが、気になるのはその遺体の埋葬先だ。オラクル、とある』

 

「分を弁えない独立国家か。あの国周辺がきな臭いってわけかい」

 

『点が線になりつつあるが、こちらの情報網ではこの程度だ』

 

「充分だよ。軟禁状態にあるのにどうやって、って聞きたいくらいだぜ」

 

『なに、それこそ人間型端末の本領だよ。少しでも通信状態が回復すれば、宇宙に情報を送信するくらいはわけないのでね』

 

 改めてブルブラッドキャリアのやり口には恐れ入る、とガエルは笑みを浮かべた。このような人間型端末を一基のみならず三基も投入していたのだから。

 

 世界が牛耳られていたとしてもおかしくはない力。それが己の手の中にあるという全能感。敵の戦力とは言え、全てが自分のために転がっていくのは気分がいい。

 

 昂揚感に身を浸していると、不意に通信が繋がった。音声のみの相手にガエルは咄嗟に水無瀬との通話を中断する。

 

「何だ?」

 

『経過報告をしようと思ってね。バベルはほとんど我々の側に掌握されたと言ってもいい。ただ、一つ懸念事項があるとすれば、それは一割の誤算』

 

 自分が取り逃がした元老院の事だろう。ガエルは罰を受け入れる気はあった。

 

「……あのモリビト、武装には恐れ入る。何だって言うんだ、ありゃ」

 

『エクステンドチャージ。検索をかけてみても出なかったが、バベルによるシステムログならば話は別だ。何せ、相手もバベルを使っているという性質上、履歴は残るのだからな』

 

 その意味するところを、ガエルは瞬時に読み取る。

 

「……奴さんの位置情報も割れたって事か」

 

『理解が早くて助かるよ。連中がエクステンドチャージという諸刃の剣に頼っている以上、システムログはどこまでも残り続ける。つまり相手にとっての切り札が、我々にとっては都合よく進むというわけだ』

 

 どこまでもブルブラッドキャリアには不利に進むわけか。ガエルは恐らくは笑みを浮かべているであろう通話先の将校に切り返す。

 

「で? オレにやれって言うのは青いモリビトの破壊か?」

 

『両方だ。ブルブラッドキャリアの残存戦力を殲滅し、なおかつエクステンドチャージを顕現させたモリビトを完全に駆逐せよ。そうでなければ撃ち漏らしという結果になる』

 

「そいつは不名誉なこって。だがよ、あの金色のヤツ、予想以上の機動力だ。《モリビトタナトス》でも修復がうまくいっていない。Rブリューナク一基で落とし切れると思うのか?」

 

『それこそ、野暮ではないのかね? まさか撃墜出来ないとでも?』

 

 今さら弱音を吐くな、と言いたいのだろう。どこまでも人を食ったような連中だ。

 

 ケッと毒づき、ガエルは《モリビトタナトス》の最終システムチェックに入る。

 

「悪いが、保障は出来ねぇぜ? 勝負ってのは時の運だからよ」

 

『その時の運を掌握して見せるのが、君の十八番だろう?』

 

 自分の引き出しもお見通しか。レギオンの構成員がどこまでに及ぶのか分からない以上、下手な裏切りは死を招く。

 

 かといって連中と最後まで沈むつもりもない。つるむとしてもお互いにビジネスの関係の上で、だ。その関係性が瓦解すれば、どちらとも言えず容易く裏切るだろう。

 

「地上に帰ってもろくな事がねぇな」

 

『そうでもないさ。君が生き延びれば、シーザー議員は今度こそハッキリと、君を立てると言ってくれている。つまり、激戦を生き残った本当の生き証人。真なる英雄の出来上がりだ』

 

「正義の味方、ねぇ……。てめぇらの都合よく、事は進むのかよ。言っておくが、《キリビトエルダー》に勝つような無謀はするつもりはねぇぞ」

 

『《キリビトエルダー》の相手はブルブラッドキャリアに任せればいい。あれも、ゾル国の汚点の一つ。なに、そちらには《スロウストウジャ》部隊がいるのだろう? もしもの時に連中に引き受けさせればいい』

 

 こちらの都合を知りもしないで勝手な事を言う。だが、《スロウストウジャ》残り六機ならば《キリビトエルダー》と引き分けくらいには持ち込めるかもしれない。

 

「こちとら、モリビトとの戦闘も控えてるんだ。いい加減な話なら切るぜ」

 

『ガエル・シーザー。君は我々の希望の星だ。勝って結果を残したまえ。そうする事でしか、君の存在証明は成されない』

 

 その言葉を潮に通信は切れた。ガエルはコンソールに拳を叩きつける。

 

「……上等だ、レギオン連中。てめぇらがそう来るって言うのなら、オレもそうするまで。どこまでも利用して、生き残ってやる。それこそ、泥水でも啜ってなぁ」

 

 ガエルの視線の先には《スロウストウジャ》のメンテナンスを手伝うタカフミの姿があった。

 

 幸福の只中にいる男。そういう人間ほど陥れやすい。

 

 覚えずその口角が釣り上がっている事に彼自身、気づかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯165 to Mother

 静寂に包まれているのはいつか彩芽と話した公園であった。

 

 夜に没した資源衛星の中で、鉄菜は彩芽と共に座ったベンチに腰かける。どうすればいいのか。それは分かり切っている。

 

 戦い、生き残る。

 

 それしか自分達の存在を証明する手段はない。

 

 しかし、それだけでいいのか。戦って、勝ち残って、その先に何が残っている。

 

 彩芽は死んだ。ブルブラッドキャリアのたくさんの少年兵達も。鉄菜は己の手の中にあるメモリーチップへと視線を落とす。

 

 記憶への扉は今、手の中にあった。

 

 今までぼやかされていた自分の出生。チップを端末に入れて再生すればたちどころに分かるだろう。

 

 だが、それでいいのか、と手が彷徨う。

 

「……私は、知るのが怖いのか」

 

 知っても戻れない。何も知らなかった頃には、もう。

 

 それでも、前に進むのならば。諦めを踏み越えるのならば。

 

 鉄菜はチップを端末に挿入し、静かに再生ボタンを押した。

 

 投射画面に現れたのは自分の似姿であった。だが、その眼差しが慈愛に満ちているのを目にして鉄菜は確信する。

 

 これが、ツザキ博士。自分の基になった血続の女性。

 

 想像していたよりも若い事に鉄菜は目を瞠っていた。

 

「お前が……」

 

『はじめまして。クロナ』

 

 返答が来た事に鉄菜は困惑する。まさか、と息を呑んだところで画面の中の女性は微笑んだ。

 

『これをあなたが見ている頃には、私はもういないでしょう。クロナ、と名付ける事にしました。何番目の個体が成功するのか、それも私には見届ける術はないのだから』

 

 カメラが移動し、培養液に浮かんだ肉腫を映し出す。まだ、この時点では自分は生まれてすらいないのだ。その事実に鉄菜は絶句した。

 

「お前は、まだ生まれてすらいなかった私に、そう名付けたのか……」

 

『クロナ。この名前にした理由ってよく聞かれるけれど、特にないの。ただ、あなたに名前は必要だと思った。ブルブラッドキャリアの、私達の明日を担うのに名前のない血続では意味がないもの。他の人達は、あなたを不当に、戦闘兵器として造り出せと言っているけれど私はそれが正しくないと思っている』

 

 画面が暗転し、映像が切り替わる。どうやら断片的な記録映像らしい。

 

 培養液に浮かんでいる無数の肉腫はほとんど死に絶えていた。残ったのは十個前後のカプセルのみ。

 

『クロナ。あなたが生まれてくる確率は相当低くなったみたい。私達の研究分野を、組織は必要としていない、と言われたわ。でも、私は賭けてみたいと思う。あなたがこの世に祝福されて生まれてくる事を。そして、その先にあるのはきっと、いい未来だという事を』

 

 ツザキ博士は自分に何を見ていたのだろう。ブルブラッドキャリアの繁栄か、あるいはそれ以上に自分という存在の祝福か。

 

 いずれにせよ、その志とは違う形で自分は結実してしまった。

 

 モリビトを操る人造血続。世界と戦う一人の操主として。

 

「博士……私は」

 

 記録映像が切り替わり、ツザキ博士は喜びに満ちた表情で一人の赤子を抱いていた。

 

『ようやく……! 産まれてくれた。この子がクロナ。私達の希望。……でも、まだあなたには組織の持つ宿命も、惑星から追放された事実も、何もかも遠い出来事であって欲しい。あなたにはあなたの未来があるの。だから、掻き消されないで。あなたは、私の……』

 

 映像が暗転し、ノイズが走った。これで終わりか、と思った鉄菜は次の映像でツザキ博士がベッドに横たわっているのを目にしていた。

 

 痩せ細っており、力のない瞳を画面に向けている。

 

『……ゴメンね、クロナ。あなたの成長を、見守れそうにない。血続は、長く生きられるように出来ていないの。あなたは特別に調整を受けたから、通常よりも強く、惑星の汚染に耐えられるでしょう。でも、私はもう無理みたい。これが最後の記録になると思うわ。強く生きてね、クロナ』

 

 微笑んだツザキ博士の映像が途切れ、数秒後に流れたのはツザキ博士の墓前での映像であった。

 

『……彼女は君を愛した。人機を愛し、人機に愛された最後の血続、黒羽・ツザキ博士。我々は恐らく、君の遺した最愛の存在に、残酷な運命を強いるだろう。それでも、その運命の過酷さにもし負けないような強さを手にしたのならば、きっとその少女は強く生きてくれるに違いない。勝手な理想の押し付けかもしれないが、そう信じている。クロナ、という我々の希望に、僕らはすがるしか出来ないんだ。そんな弱い存在でしかない。惑星を追放され、禁忌に手を染め、その先に待つ罰を受け入れる。きっと、僕達の意味はそこに集約される。出来得るのならば、星の命運を見届けていたかったが、それは叶わないだろう。クロナ、よく見ておくといい』

 

 カメラが移動し、その先にいたのは手を繋いだ幼い少女であった。髪が短く、あどけないが間違いない。その少女は――。

 

「私……なのか。これが、私……」

 

『君を愛した人とさよならしなければならない。同時に、この記録はもう二度と閲覧される事はないかもしれない。君は記憶をリセットされ、二号機の操主に相応しくなるべく三年の訓練を受ける。もう、僕の保護下からは離れるんだから』

 

 三年。その言葉に鉄菜は眩暈を覚える。

 

「そう、だ。私は、三年間しか、戦闘訓練を受けていない……」

 

 だが、だとすればたった三年間で成長した事になる。その事実とツザキ博士の言葉が合致した。

 

 ――血続は長命ではない。

 

「私は、まだ生まれ落ちてそんなに時間が経っていない?」

 

 自身の手に視線を落とす。いつか、ツザキ博士と繋いだ手。リードマンと繋いだ手。数多の同朋を殺した手。

 

 そして――《シルヴァリンク》を動かすための手。

 

 全てを思い出せたわけではない。しかし、それでも己がこの世界に祝福されるべくして生まれた事。自分を生み出すために、全てを削ってくれた人がいた事を再確認出来た。

 

「私は、殺すためだけに生み出されたわけじゃない」

 

 だが、その言葉すら言い訳ではないと誰が言い切れるだろう。今までの罪が消えるわけではない。

 

 ならば、これからのために戦うまでだ。

 

 ツザキ博士が自らの生を全うして造ってくれたこの命。誰かのためではなく、自分のために使う。それこそが、彼女の望んだ事であるだろう。

 

 ジロウと永遠の別れを経験した。もうあのような目には遭いたくない。何も出来ず、この手を滑り落ちていく命などあってはならないのだ。

 

 立ち上がった鉄菜はその双眸を資源衛星の外へと向けた。もう迷うまい。決めた志を強く握り締める。

 

「私がたとえ造られた存在であっても、望まれない命であっても、今、ここで鼓動を刻んでいるのは、私自身の意思だ。私が望んでここに立っている。ならば、私のする事はただ一つだ」

 

 どれほどまでに業の深い人の罪が横たわっていたとしても。自分の行うべきは罪を罰する事ではない。その罪と共に生きていくしかないのだ。衛星から窺える今宵の星は、その罪の証を刻み込んだかのように、真っ赤に染まっていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯166 ただいまの場所

 いざ使用するとなればマニュアルも必要にはなる。それでも使用しないのが推奨されていた兵器に手を出した時点で下策だ。

 

 ニナイは三次元図に表示される機体を自らのラボで注視していた。《モリビトノエルカルテット》フルスペックモード。空間戦闘にのみ特化したその機体は二基の円筒状のコンテナを背負い、メイン武装として長大な砲門を有する大口径プレッシャーカノンが突き出ている。ハリネズミのように武装を施された《ノエルカルテット》は地上で猛威を振るっていた頃とはまた違う装いを得て、敵を蹴散らすべく整備されていた。

 

 整備状況にニナイは通信を繋ぐ。

 

「こちら局長室。《ノエルカルテット》は?」

 

『現状ではフルスペックモードの準備は滞りなく。問題なのは二号機のほうですよ』

 

「《シルヴァリンク》が、何か?」

 

『エクステンドチャージのせい、って言えばいいんですかね。ところどころに激しい損耗が。関節部位が外れかけていて、整備が少しでも遅れていたら毛細血管が破裂、行く末は貧血だったでしょう』

 

 そこまで機体を酷使するエクステンドチャージなる現象の解明も急がれていたが、ニナイには元老院への直接のアクセス権はない。

 

「出来るだけ、二機をベストコンディションに。《アサルトハシャ》はもう」

 

『品切れ、ってところですね。操主もいませんし。無人機として使用する事ならば視野に入れますが』

 

「《ノエルカルテット》の疑似餌、か。サイコロジックモードも可能なら、盾くらいにはなりそうね」

 

 桃の念動力で操主なしの《アサルトハシャ》を操り、敵を翻弄する。プランの一つとしては数えられていた。

 

『とかく、現状の装備は付けられるだけ付けておきます。オプションも含めて』

 

「頼んだわ」

 

 通信を切り、ニナイは目頭を揉む。この数時間で圧し掛かってきた局長任務という重圧。その責務に悲鳴を上げたいのは山々だったが、立場がそれを許してはくれない。

 

「彩芽……ここで退いたら負け、でしょう。分かっている。あなたを失ったのはこちらの落ち度でもあるもの」

 

 別の格納庫に移送されていく《インペルベイン》をニナイはウィンドウに浮かべさせた。

 

 コックピットの破損状況から修復は諦められてしまった。血塊炉は幸いにして使えるので、次世代機の基盤に充てられる予定だ。

 

 だが、次世代機の頼みの綱など、それは生き残ればの話。

 

 ここで死ねば、何もかも水泡に帰す。

 

 それだけは、とニナイは拳を握り締める。彩芽の犠牲があった。《アサルトハシャ》部隊に身を投じた少年兵達の死を踏み越えた。鉄菜や桃は地上で激戦を潜り抜けてきた。彼らの生き様を無下にするのは簡単だ。

 

 しかし、それだけは、と己の理性の一線が叫ぶ。

 

 ――そこまで人でなしであったのか、と。

 

「……駄目ね。どこかで非情になり切れない。こんなところも、あなたはお見通しだったのかしら」

 

 涙を浮かべている場合ではない。泣いていいのは、その境遇にある者だけだ。自分は今、涙していいような身分にない。

 

 構成員達を駒のように扱ってきた。そのツケを払わされている。

 

 何十年、いや、数秒に過ぎないとしても、そのツケはきっと最後の最後にやってくるはずなのだ。

 

 代償を払わずして、世界を変えるなどのたまえるものか。

 

 変革には必ず犠牲と消え去っていった灯火がある。それを実感出来ないのは愚か者の思考回路だ。

 

「まだ、泣いていい状況じゃないもの」

 

 立ち上がったニナイはラボの電源を落としていく。今は、食ってかかってきた彩芽も、その遣いであるAIルイもいない。

 

 彼女らは遠くへ行ってしまった。ルイは次世代のために格納され、《インペルベイン》も次に繋ぐために使われる。

 

 そう、全てはここでは終わらせないために。

 

 ここで潰えるのならば最初から足掻きなどするべきではなかった。こんなところで諦めるくらいならば、世界に刃など突きつけても仕方がなかった。

 

 終われない。終わるものか。

 

 最後の電源に指をかけかけて、ニナイはラボを見渡した。

 

 どこか殺風景な部屋は他人の訪れを想定していない。

 

 自分は誰も必要としていなかった。それが表面上とは言え、冷たくあしらうように彩芽を追い込んでしまった。

 

 全ては自分の罪だ。

 

 だからこそ、贖う。この身が焼け焦がれても、罪の最果てを。

 

「彩芽。寂しくなるわね」

 

 ラボの電源を落とす。最後の灯火が、今、消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の存在意義を見失いそうになる。

 

 そうこぼしたのは整備士の一人であった。先導される形で無重力ブロックを進む桃はRスーツを着込み、取り付けられていく武装ユニットを見やる。

 

 円筒型のコンテナを二基装備し、大出力ブースターという機動力の要を得た《ノエルカルテット》は平時の機体バランスから大きく離れていた。

 

 それそのものが巨大な要塞のような人機である。

 

「こんな大型人機を見繕うとなれば、我々整備班も必死……。正直、よく分かりますよ。自分一人欠けたところで問題ないんだって事がね」

 

 皮肉を漏らす整備士に桃は執行者の冷徹を向けた。

 

「そんな事はない。一つでもボルトが外れればお終いでしょう? だったら、そんな野暮な事は言わないで」

 

「あっ、すいません……。つい、ぼやきを漏らしたくなるんです。だって、これが正真正銘、最後の戦いだって言うんですから」

 

 一号機が大破し、三号機のフルスペックモード案という不確かなものに頼らざる得ない状況から鑑みて、スタッフの負荷は推し量るべきだ。

 

「《ノエルカルテットパイルダー》は?」

 

「中央に。この機体の軸となる部分に組み込まれます。もしもの時に分離出来るよう、仮初めではありますが胴体を作っておきました。とは言っても、分離戦闘は視野に入れてはいませんけれどね」

 

《ノエルカルテットパイルダー》には《アサルトハシャ》のものと思われる胴体が接合されている。もしこの武器庫が破壊されても、最悪逃げ切る事は出来るというわけか。

 

「基本は、この弾薬庫をメインに戦う、ってわけね」

 

「今までのようにAIサポーターも、ましてやバベルも存在しない、完全な物理による圧倒手段です。下策と漏らすスタッフもいますが、これは宇宙でないと使えない、というのは納得ですよ。整備に格納庫の半分以上を使うなんて」

 

《ノエルカルテット》のフルスペックモードはあまりに巨大なため、その大質量を重力圏で使用する事は想定されていない。

 

 これは《ノエルカルテット》のみフルスペックモード実働を見送られた一因でもある。

 

「武器弾薬の補充は……」

 

「一度資源衛星を経由するしかありませんが、そうなれば敵は追ってくるでしょう。ありったけの武器を積んでおきました」

 

 暗に、自分達の安全のために帰ってくるなと言われているようであった。スタッフにはその気はないのだろうが、自分には重責が増したように感じる。

 

「一度でも敵を捕捉すれば絶対に一個大隊を粉砕出来るくらいはあるのよね?」

 

「《ノエルカルテット》の時と使用感覚は変わらないと思います。問題なのは、あまりに火器管制システムが多岐に渡るため、操主の集中力不足、体力の限界を加味していない点です」

 

「少しでも意識を切らせばそれが勝負の分かれ目、か……」

 

 平時の《ノエルカルテット》以上に、自分の判断力を求められるだろう。桃は嘆息をつきつつ、刺々しいフルスペックモードを見送った。

 

「見ていかないんですか?」

 

「信用はしている。モモには……戦う前に、ちょっとね」

 

 格納庫を抜け、桃は居住区へと続く区画へと足を進めていた。今は、戦いのための準備よりも、後悔しないための心構えをしておきたい。これが最後、と何度も諳んじるうちに、本当に何もかもが取り返しがつかなくなってしまいそうであった。

 

 人影のなくなった公園で人工太陽が夜の時間に入り、漆黒を作り出している。

 

 陰影の下りた遊具やベンチの中に桃は見知ったシルエットを見つけた。

 

「……クロ?」

 

 鉄菜がベンチに腰掛け、項垂れている。呼びかけてみて、その瞳が濡れている事に気づいた。

 

「クロ……何があったの?」

 

「いや……何でもない」

 

 端末を咄嗟に隠した鉄菜に桃は先ほど、管制室でのやり取りを思い返していた。鉄菜は自分の過去と向き合ったのかもしれない。

 

「クロ、あのさ……。今度の戦いが最後かも、知れないんだよね」

 

「承知している。最早資源衛星の宙域も割れている今、逃げも隠れも出来ないだろう」

 

 その声音には普段の鉄菜の心強さが宿っている。しかし、彼女とて脆い部分があるのだ。一手に託されたエクステンドチャージという切り札。それに鉄菜自身、別れがあったはずである。

 

「クロは、さ、やっぱり怖くないの?」

 

「ブルブラッドキャリアに、失敗は許されない。今度の任務もまた、同じだ。失敗の許されない中で戦うのみ」

 

「でも、モモは……怖いよ。何だか、何もかもが、いつの間にか取り返しのつかない場所に行ってしまったみたいで」

 

 彩芽の事も言外に付け加えていた。鉄菜は掌に視線を落とす。

 

「そのような事、今さらの認識だろう。私達は復讐者だ。報復のために惑星へと送り込まれた。モリビトという力と共に」

 

「でも、モリビトは希望でもあった。惑星の人々を変える……それにブルブラッドキャリアの人達にとっても」

 

 モリビトの名前が絶望の象徴というわけではない。むしろ、その逆だ。モリビトは人に希望を与えるために遣わされた名前のはずであった。

 

「だが、実際には国家を滅ぼし、人を滅ぼすための力だ。私達がどれだけ言い繕おうとしても、人機は力でしかない」

 

 それは、と桃は口ごもる。人機は力でしかない。それはその通りであろう。機動兵器であるという事実は消せない。

 

 しかし、それを簡単に認めてしまえば、鉄菜の存在意義でさえもその言葉に掻き消されてしまう。

 

「……モモはでも、クロを力のためだけだなんて思いたくないよ」

 

「最初に会った時には利害を第一に考えていた人間とは思えない発言だ」

 

「そりゃ、あの時はまだ、モモはモリビト同士の力関係をはからなければいけなかったから。でも、今はそうじゃない。でしょう?」

 

「希望的観測だ。モリビトの力以上のものを見出すのに、我々はあまりにも愚かしかった」

 

 地上への報復攻撃にしてもそうだ。場当たり的な戦いに終始していたのは単純に拙いから。

 

 ブルブラッドキャリアの指示する作戦が全て、正しいのだと思い込んでいた。

 

 今、それに異を唱えてくれる彩芽はいない。バベルも失われた。

 

 現状、手詰まりの域を脱する方法はないのだ。

 

 だからこそ希望にすがりたい。だからこそ、今は力だけに頼りたくはなかった。

 

 力に陶酔してしまう事は簡単だ。その余りある能力を発揮して敵を凌駕する事も。

 

 だが、それでは駄目なのだと思い知った。力を振るう意味を知らずに振り上げた刃は行き場をなくすのみ。

 

 その行く末に待つのはただの虚無だ。鋼鉄に包まれ、弾薬をただ闇雲に放つだけの虚無に生きるしかなくなる。

 

 その生き方は人のものではない。兵器そのものであった。

 

「モモは、《ノエルカルテット》に乗るのが怖くなったのかな……? どうして、こんなにも弱くなっちゃったんだろう」

 

 最初期ならば他人を切り捨て自分の生存を最優先にしていたであろう自分は、いつしか他者の生存に意味を見出していた。

 

 他人が生きている事が自分の生きている事以上に嬉しくなっていたのだ。

 

 そうなってしまえば戦士としては失格かもしれない。誰かのために自分の命を投げ打つなど、それはモリビトの執行者として相応しいメンタリティではないだろう。

 

 しかし鉄菜は責めなかった。眼差しを星々へと向けて静かに細める。

 

「私達は、何も戦うためだけに生きているわけではないのかもしれない。だが、桃・リップバーン。私にはまだ分からない。本当に、戦う以外で私の存在意義を見出せるのか。本当に、戦わない事などという選択肢はあるのか。……未だ、見えないままだ」

 

 鉄菜にとっては本当に分からないのだろう。自分が何故ここにいるのか。何のために戦うのか。

 

「でも、クロは今までブルブラッドキャリアの意志だけで動いてきたわけじゃないでしょう?」

 

 自分とは違うはずだ。鉄菜には心がある。しっかりとした、設計されただけではない、心が。

 

 その在り処を鉄菜は掴みかねているようであったが、元老院を守った事と言い、命令に反した事と言い、鉄菜の中で何かが芽生え始めているのは確かなはずだ。

 

 彼女は手を開いたり閉じたりして、その感覚を反芻する。

 

「私は、生きているのだろうか。桃・リップバーン。私には、その感覚がまだ掴めない。生みの親が誰なのか分かっていても、あるいは何のために造り出されたのかが漠然と分かっていても、やはりどこかで掴みかねているんだ。己の存在意義を」

 

「多分、そんなに難しい事じゃないよ。クロはだって、クロだもん」

 

 戦いへと赴くのにこの感情は邪魔かもしれない。それでも、自分の信じる鉄菜ならばこう言うはずだ。「そのようなものは関係がない」と。

 

 鉄菜は困惑の目線を振り向けてから、どこかうろたえ気味に口にする。

 

「エクステンドチャージも……本当に私の《シルヴァリンク》だけでいいのだろうか。《ノエルカルテット》にも積んだほうが」

 

「戦力の分散よりも一点突破を狙う。この戦局を考えればその通りだろうと思う。なに? クロらしくないよ? 弱音なんて」

 

「私らしくない、か。私は、どのような形が自分らしかったのか、もう分からなくなってしまった……」

 

 道を見失ったに等しいのだろう。桃は鉄菜の手を、そっと握り締めた。思っていたよりもずっと温かい。人の温もりのある手だ。

 

「……何を」

 

「クロは、間違いなく人間だよ」

 

「……だが私は人造血続だ」

 

「それでも! クロは、モモのかけがえのない、仲間だもん。それとも、クロはもう、モモの事、嫌になった?」

 

 鉄菜は目線を伏せる。どのように答えればいいのか分からないのだろう。桃は胸元へと手を持ってくる。

 

「モモは、クロの事が好き。だって、もうモモ達は他人同士じゃない」

 

「私の事が、好き……」

 

 その言葉の存在感を問いかけるように鉄菜は反芻する。桃はこの時だけでも気丈にと振る舞う。

 

「クロも、モモの事、フルネームじゃなくって桃って呼んで。そんなに遠い間柄じゃないでしょう?」

 

「桃……。不思議だな。他人をこれまで、名前だけで呼んだ事はなかった」

 

「初めての感じはどう?」

 

「ああ……悪くはない」

 

 桃は微笑んで鉄菜を抱き寄せる。突然の事に鉄菜は面食らった様子であった。

 

「桃……何を」

 

「クロ。また絶対に、帰ってこようね!」

 

「それは……確約出来ない」

 

「でも、世界を変えるんでしょう?」

 

「それは……」

 

 口ごもった鉄菜に桃は言いやる。

 

「だったら! 帰ってこないと。そしてみんなに言うの。ただいまって」

 

「ただいま……? どういう意味なんだ、それは」

 

 思わぬ言葉に桃は目を見開いた。

 

「ただいまの意味、分からないの?」

 

「語彙としてはインプットされている。使い方も分かるはずなのだが、どこか己には相応しくないと、齟齬を感じる」

 

「何も、てらいを感じる必要もないって! だってここが家みたいなものでしょう?」

 

「ブルブラッドキャリアが、家……家族?」

 

「そう! 家族! そう思わないと。きっとアヤ姉もそう思いながら戦ったはずだから」

 

 鉄菜は空を仰いだ。この場所が家なのだと、感覚的に思う事は難しいのかもしれない。彼女は組織の被害者だ。だからこそ、簡単に受け入れる事など出来ないのだろう。

 

 それでも、家族の一人くらいには無事を祈らせて欲しい。

 

「クロ……モモは守りたい家族のために戦う。その中にはクロも入っているから」

 

「私も……。だが私は」

 

「分かってる。でも、クロは出来れば守りたい誰かを、どこかで想っていて。そうするときっと、この戦いにも意味があるはずだから」

 

 守りたい誰か。それがたとえブルブラッドキャリアの中にいなくとも構わない。

 

 己の信じるべき道さえ違えなければいいのだ。

 

 桃はこの時、ようやく迷いを振り切れた。この戦いはきっと、自分の守るべきものを見つけるための戦いなのだ。

 

 ならば、納得出来る。

 

 力を振るうのに躊躇もない。

 

「モモは、戦うよ」

 

 発した決意に、鉄菜は何も返さなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯167 残響宙域

 ゾル国の《バーゴイル》部隊と肩を並べ合うのはどこか気味が悪い、と部下の一人がこぼした。

 

 その疑念も詮無い思考だとリックベイは切り捨てるしかない。今は、ブルブラッドキャリアを陥落させる。そのために共同戦線を張るほかないのだ。

 

《スロウストウジャ紫電》のコックピットの中は静かであった。こちらの事情を知り尽くしている整備士達の立てる僅かな音のみが、装甲越しに伝わってくる。

 

 鋼鉄の中に抱かれて、宇宙の常闇に踏み出すのにはいささか勇気がいる。それを無謀と言い換えてもいいほどの。

 

『少佐。アイザワ機、発進準備に入りました』

 

 通信を震わせたタカフミの声にリックベイは声を吹き込む。

 

「瑞葉君との話は済ませたのか」

 

 その言葉にタカフミがうろたえる。

 

『えっ……何で知って――』

 

「あの段階で瑞葉君を始末しなかったんだ。特別な仲になっていると、勘繰るまでもない」

 

 そうするように仕向けた部分もあるが。リックベイの胸中を掠めた感傷に、タカフミは浮ついた声を出す。

 

『いやぁ、その……。全部少佐のお見通しってわけですか』

 

「先読みは伊達ではないさ。大事にするといい。守ると決めた男の底力には期待している」

 

『……冷やかされているみたいですよ』

 

 無論、冷やかしなどではない。彼は瑞葉に帰ってくると誓ったはずだ。タカフミはこれまでの戦いを乗り越えてきた、早年ながら最早戦士の領域。その実力、読み違えるわけもない。

 

「誓ったものを守り通す。男ならば誰しも通る道だ」

 

『少佐も、ですか……』

 

「プライベートは」

 

『慎め、でしたよね。でも聞いて来たのは少佐ですよ』

 

 そうであったな、と笑みを浮かべる。すぐ傍にある希望に浮ついているのは何もタカフミだけではないらしい。

 

「アイザワ少尉。《スロウストウジャ》の指揮権はわたしが持っているがいざという時には君に預ける」

 

 自分の言ういざという時、というのは黄金のモリビトとの対峙だ。そうなった場合、六機編隊を組むほどの余裕はなくなってくる。

 

『少佐の零式は信用していますよ。おれがどんだけ踏ん張れるか、でしょう?』

 

「分かっているじゃないか」

 

 整備士からゴーサインが出た。リックベイは《スロウストウジャ紫電》をカタパルトへと移動させる。

 

 ゾル国式のカタパルトデッキは軽量の《バーゴイル》を射出するために出来ており、ナナツーに親しんだ自分達からしてみれば、それは少しばかり薄く弱々しい印象を受ける。

 

 しかし《スロウストウジャ》ならばその違和感も飛び越えるはずだ。スリッパ型のカタパルトに固定させ、リックベイは腹腔に力を込めた。

 

 発進シグナルが青く点滅する。

 

「《スロウストウジャ紫電》、リックベイ・サカグチ。出るぞ」

 

 胃の腑を押し込むような重圧がかかったのも一瞬。直後には無重力の虜となった《スロウストウジャ紫電》はスラスターの青い残滓を引きつつ、軌道エレベーターから遠ざかっていく。

 

 これが最後の戦いになる。

 

 そう考えると並走する《バーゴイル》の物々しさもどこか納得がいった。軽量が売りの《バーゴイル》にごてごてと装備されたミサイルや物量兵器。明らかに出力を無視した形のリアクターなど、彼らはここが死地とでも心得ているかのようだ。

 

 タカフミの《スロウストウジャ》が出撃し、すぐさまこちらの速度に合わせてくる。

 

 肩に触れ合った接触回線が開き、タカフミが嘆息をついた。

 

『連中、死にに行くような武装じゃないですか』

 

「実際、それくらいの気持ちがなければ、モリビトは墜とせないのかもしれないな。資源衛星に二度も仕掛けた経験則だろう。三度目はない、というわけだ」

 

『物騒な考えですよねぇ。自爆とかされたらとんでもない』

 

「なに、人機の自爆には二重三重のセーフティがかかっている。それを実行する前に流れ弾が命中するだろう」

 

 笑い声一つでタカフミが接触回線を外す。継いで通信を震わせたのは広域回線であった。

 

『C連合カウンターモリビト部隊。おれに続け!』

 

 タカフミの号令に四機の《スロウストウジャ》が後続する。カウンターモリビト部隊は任せたとは言っていたが、あまり逸ると自滅するぞ、と言い含めるべきであったか、と軽い後悔を覚えた。

 

 しかし戦場では後悔した人間が早死にするもの。ならば一拍の逡巡もなく。敵に照準し刃を向けた側の勝利だろう。

 

 リックベイはゾル国側を指揮する《バーゴイル》の隊長機に繋いだ。

 

「聞くが、敵の位置情報は掴めているのだろうな」

 

『その辺りはつつがなく。宙域の特定まで出来ている。しかしながら、その情報を共有するのはギリギリにしておきたい』

 

「その気持ちは理解出来る。同士討ちを避けるのには問題のない作戦だ。なにせ、こちらは慣れもしない宙域戦闘。C連合の公式記録では、貴公らゾル国の兵士ほどに宇宙での訓練は出来ていないのだからな」

 

『理解、感謝する。我々が先行する形を取り、後続についていただきたい。《バーゴイル》の足の速さをもってすれば敵の位置情報の特定を多面的に実行する事が可能だ。あとは』

 

「心得ている。逆サイドからの敵への攻撃。つまり、挟み撃ちだな?」

 

 向こうの指揮官も馬鹿ではないらしい。《モリビトタナトス》が部隊編成にいないのは気にかかったが、あの男ならば別の場所で手ぐすねを引いていても何も不自然ではなかった。

 

 重装備型の《バーゴイル》が次々と敵の巣穴と推測されるデブリ帯へと突入していく。

 

 こちらからしてみれば危ういほどの機動であったがやはり慣れている者とそうではない者の隔絶は埋めようのないほどであるらしい。

 

 重々しい装備をつけているに関わらず、平時の重力圏とさほど変わらぬ機動力で《バーゴイル》はデブリを突っ切っていく。

 

『連中、速いな……』

 

 タカフミの漏らした感想にリックベイも首肯していた。腐っても惑星外延を任された国家の端くれか。

 

《バーゴイル》がデブリ帯を幾何学の軌道を描きつつ入り組んだ道に入っていく。どうやらそれが最短コースらしい。

 

「水先案内人は務める、と言ってくれている。せいぜいご相伴に預かろうじゃないか」

 

『了解しましたが、何か、妙な気配が……』

 

 タカフミはあえてカウンターモリビト部隊を止めた。その意図するところにリックベイは首を傾げる。

 

「どうした? アイザワ少尉」

 

『いや、うまく行き過ぎている状況ってのは得てして何かあるもんです。少佐が教えてくださったんじゃないですか』

 

「そうだったか。だが《バーゴイル》とゾル国が過ちを犯すとは思えないが」

 

『ですが、慎重を期すべきですよ。この宙域、見張られている感覚がある』

 

 それも若さゆえに発芽する第六感か。リックベイは自らの人機を止め、《バーゴイル》の先行隊を監察する。

 

 必要なデブリに爆雷を仕掛け、どこからモリビトが来ても対応出来るようにしていた。

 

「目晦ましも兼ねて、か。思ったより連中、やる」

 

 前哨戦は既に手は打ってある形か。それでも、タカフミは頑として動こうとしなかった。戦士の感覚には素直にあやかるべきだ。

 

 リックベイは《スロウストウジャ紫電》をいたずらに駆け巡らせようとはしなかった。

 

 刹那、前を行っていた《バーゴイル》が突然に推進剤を切り、構えを取った。

 

『全機、照準! 前方に敵方の人機確認!』

 

 白亜の人機が三機、周囲を警戒しているように首を巡らせる。《バーゴイル》部隊はそれぞれの携行火器をオープンにし、まずは長距離ライフルを携行する機体が戦端を拓いた。

 

 見事に頭部コックピットに命中し、白い人機が宙域を漂う。

 

『やったぞ! 初撃はこちらの――』

 

 優位にと継ごうとした言葉を遮ったのは一発の弾丸であった。頭を潰されたはずの白い人機が挙動し、《バーゴイル》部隊に風穴を開けていた。

 

『な、何故……! コックピットに直撃のはず……!』

 

 矢継ぎ早に白い人機三機編隊が《バーゴイル》へと包囲陣を迫ってくる。先行を取った形であったはずの《バーゴイル》部隊はうろたえ気味に対応した。

 

『撃て! 血塊炉に当てるんだ! そうすればさすがに止まるはず……』

 

 腹部へと集中砲火が見舞われた。白亜の人機の胴体に穴が開き、青い血潮が漏れ出す。

 

 直撃、しかし、相手の人機はそれでも動き続ける。まるで幽鬼のように。

 

『ど、どうして……。血塊炉を砕いたのに!』

 

 悲鳴が劈き、《バーゴイル》部隊が蜘蛛の子を散らしたように分散していく。たった三機の謎の人機を前に《バーゴイル》の編成隊は撤退に追い込まれていた。

 

 血塊炉を砕いても死なない。頭部を射抜いても止まらない。その前情報にリックベイは唾を飲み下す。

 

「死人の人機だとでも言うのか……」

 

『まさか! 血塊炉を撃ち抜いて生きているなんてあり得ませんよ!』

 

 部下の言葉にリックベイはしかし、と眼前の事実を反芻する。白亜の人機たった三機だ。その三機が十機以上の《バーゴイル》の編成に穴を開けるほどの脅威となっている。

 

 誰かがデブリに仕掛けた爆雷を起爆させた。眩惑の光に遮光フィルターを張っていたこちらはまだしも、敵人機が耐えられるはずがない。

 

『今ならば! 総員、構え!』

 

《バーゴイル》がプレスガンを照準する。しかし、白い人機は止まる事がない。明らかに眩惑されている距離にもかかわらず、猪突してくる勢いの敵に《バーゴイル》が逆に気圧された。

 

 無茶苦茶な照準で放ったプレスガンは命中せず、あさっての方向を射抜くのみ。

 

 頭部と血塊炉を砕かれた白い人機が《バーゴイル》に追突し、爆発の光を瞬かせた。自爆。それも至近距離での。

 

 操主は即死だろう。

 

 青い血潮を撒き散らした一機を顧みる事もなく、もう二機が《バーゴイル》へと追撃の銃弾を見舞う。

 

《バーゴイル》部隊は混乱のるつぼに落とし込まれた結果だ。これでは統率など取れはしない。

 

「助太刀に……」

 

『いえ、駄目です、少佐。今行けば、恐らくはミイラ取りがミイラになるだけ。ここは静観すべきです』

 

 タカフミにしては随分と慎重な発言であったが、この現象を解き明かせない以上、そのスタンスが正解であった。

 

「しかし……なぶり殺しにされるぞ」

 

 それを見過ごせと言うのか。謎の白い人機の照合結果がコンソールに表示される。

 

《アサルトハシャ》、と弾き出された名前に敵の人機が片腕を振るい上げた。ブレードを有する手が《バーゴイル》を両断する。

 

 決して馬力の低い人機ではない。しかし、血塊炉で動いている様子はない。

 

 違和感に押し黙っているとふと、閃くものがあった。

 

「……アイザワ少尉。敵のカラクリが見えたやもしれん」

 

『しかし、少佐が特攻する事は……!』

 

「誰かが行かねばならん。このままでは消耗戦だ。なに、やってみせるさ。わたしの零式ならば!」

 

《スロウストウジャ紫電》が推進剤を焚いて戦闘宙域へと飛び込んでいく。《アサルトハシャ》がこちらへと照準した。高出力バーニアの推進性能が二機による照準を掻い潜り、その奥に位置するカラクリの主へと攻撃を加えた。

 

 プレッシャーカノンの光条を弾いたのは、宙域に完全に擬態していた人機であった。

 

 動き出した人機の全容にリックベイは言葉をなくす。

 

《スロウストウジャ》の五倍近くある巨大人機であった。灰色の武装コンテナを背負い、円筒状のコンテナ二基と大出力ブースター四基、さらに突き出す形の大口径プレッシャー砲台を有している。

 

「まさしく決戦兵器か……」

 

 呟いたリックベイはすぐさま後退していた。謎の巨大人機は《アサルトハシャ》二機を伴い、宙域へと進出してくる。

 

 先の愚行を払わんとするプライドか、《バーゴイル》部隊が一斉に飛びかかった。

 

『こけおどしを!』

 

 円筒状のコンテナが開き、内側から放出されたのは無数の信管を持つミサイルであった。

 

 三角錐の形状のミサイルポッドから放たれた殺意の塊に対応する前に彼らは業火に抱かれた。

 

《バーゴイル》部隊がたった一機の人機と、三機の操り人形を前に半数が壊滅していた。

 

『あれは……? モリビトだって言うんですか! あんなのも!』

 

 識別信号は依然、不明人機のまま。即ち、惑星基準でのモリビトの規定となっている。

 

 リックベイは迂闊な接近は危険だと判じていた。カラクリが破れたとは言え、敵は常に二機の捨て駒を持っている。

 

「血塊炉を砕かれても動く疑似餌か。考えたな、ブルブラッドキャリア」

 

 しかし、この戦場に参加する操主達は一度種の割れたマジックに臆するような者達ではない。

 

『大型人機は小回りが利かないはず! 懐に潜り込め! 下方から集中砲火を浴びせる』

 

 撤退しないのは美学だが、敵の正体も分からぬ以上、無闇な接近は下策であった。

 

 リックベイは通信に吹き込みかけて、ハッと気配に面を上げる。

 

 何かがこの動乱の最中、過ぎ去ろうとしている。予感めいた感覚に衝き動かされるまま、上方へとプレッシャーカノンを一射していた。

 

 予見通りと言うべきか、高出力推進剤を切り捨て、何かがこの宙域を全速力で突破していった。

 

 ――謀られた、とリックベイは歯噛みする。

 

 本隊は恐らく今通り過ぎたほうだ。こちらは陽動。

 

 反転しかけて、《アサルトハシャ》と不明人機の弾幕がこちらを阻害する。

 

「……ここから逃がす気は、毛頭ないというわけか」

 

 呻いたリックベイはプレッシャーカノンを《アサルトハシャ》に向けて掃射した。頭部破損、片腕をもいだ形になったが、それでもまだ動く。

 

 ゾル国の兵士達は大型人機の下腹部に潜り込んでいた。存外容易く潜り込ませた敵人機の懐で《バーゴイル》が照準を向けさせる。

 

『構え……撃て!』

 

 一斉掃射されたプレスガンは確実にその機体を射抜いたはずであった。

 

 ――命中直後に反射する皮膜が存在しなかったのならば。

 

 ほとんど常闇に溶け込んでいる皮膜がプレスガンをことごとく反射し、《バーゴイル》部隊が己の弾丸を受け止める形となった。

 

『反射……? こんな事が……!』

 

 一機の《バーゴイル》が実体砲撃を見舞おうとするが、その時には敵も動いている。

 

 コンテナの基部、中心軸に位置するのは紛れもない、02と呼称したモリビトであった。地上で目にした部位のうち、胴体より上しか存在しないものの、簡素なアームがその機動を補助している。

 

 アームがコンテナより一丁のプレスガンを呼び出し、その一条の弾丸が《バーゴイル》の肩口を射抜く。

 

 肩に装備していた実体弾に引火し、瞬く間に火達磨になった《バーゴイル》が爆散した。《スロウストウジャ》を指揮するタカフミも呆然と呟くのみである。

 

『嘘だろ……十機以上いたんだぞ……』

 

 絶句も窺い知れる。十機以上の編隊を組んでいた《バーゴイル》が残り五機まで追い込まれていた。

 

《アサルトハシャ》が空間を奔り、《バーゴイル》を道連れにしようとする。リックベイは丹田に力を込め、腰だめにしていた刀を引き抜いていた。

 

 鯉口を切った刃が《アサルトハシャ》を両断し、《バーゴイル》の操主が唖然としているのが伝わる。

 

『こ、こんな事が……』

 

「下がれ! 今は、体勢を整える時だ。このような状態ではゾル国の名誉に関わるぞ!」

 

 それに、《バーゴイル》部隊がお荷物であるのも加味している。現状では巨大人機に対抗出来るのは我が方の《スロウストウジャ》のみだ。《バーゴイル》の援護は逆効果になる。

 

『退くわけには……。我々とて兵士だ!』

 

 制止を振り切り、《バーゴイル》が不明人機へと猪突する。《アサルトハシャ》の機銃掃射が《バーゴイル》を撃ち抜こうとするが、持ち前の機動力で《バーゴイル》はその射線を潜り抜けた。

 

 あとは大型人機の中央に位置するモリビトを討つのみ。そう判じた《バーゴイル》が武装を解除し、プラズマソードを発振させる。

 

 戦士の雄叫びが通信を震わせる中、大型人機が無情にもその勇猛果敢な一閃を遮った。

 

 アームが伸長し、投擲したプラズマソードが《バーゴイル》の血塊炉へと突き刺さったのである。

 

 その壮絶な最期にリックベイは呆然とする。

 

「まさか……」

 

『モリビト……貴様らは、どうして……』

 

《アサルトハシャ》の銃撃が頭部コックピットを破砕する。リックベイは考える前に動いていた。前進を促した《スロウストウジャ紫電》の血塊炉へと《アサルトハシャ》が応戦しようとする。

 

 しかしその射撃、あまりに拙い。

 

 まるで児戯であった。

 

「心のない人形の放つ弾丸など……虚しいだけだ!」

 

 頭上より一閃させた零式の太刀筋が《アサルトハシャ》を両断する。さしもの操り人形でも真っ二つにされれば対抗のしようもない。

 

《アサルトハシャ》を蹴りつけ、リックベイは大型人機へと肉迫する。

 

 プラズマソードがコンテナより引き出され、それぞれがまるで意思を持ったかのように発振直後、幾何学の軌道を描いてリックベイの《スロウストウジャ紫電》へと突き刺さりかける。

 

 最早、退路など不要。

 

 振り翳した刃が心のない太刀を完全に押し切り、大型人機へと引導を渡そうとする。

 

「その首、もらったァッ!」

 

 零式抜刀術の切っ先がモリビトへと突き刺さりかける。

 

 刹那、習い性の危機回避能力が肌を粟立たせた。プレッシャーの正体を読み解く前に既に機体はその射線から離脱している。

 

 伸びたアームがコンテナより新たな武装を引き出させていた。

 

 発射されたのは一発の砲弾である。しかし、その砲弾はただの実体弾ではない。おびただしいほどの穴が開いており、発射されるや否や、空間で固定された。

 

 直後、その砲弾より掃射されたのはR兵装の散弾である。内部に血塊炉と同等の出力機を含んでいるのか、R兵装の散弾の勢いは留まらずリックベイを立ち止まらせるのには充分であった。

 

 大型人機が推進剤を焚いて戦域を突っ切っていく。

 

 その行く先がこちらの本陣であるのは言うに及ばず。一点突破を狙ってくるのは見えていた。

 

 立ち往生するしかない自分の不甲斐なさに歯噛みしたリックベイは通信に吹き込む。

 

「カウンターモリビト部隊! 総員に告ぐ! この大型人機、否、モリビトを何としても止めろ! 彼奴の目的は我々の陣地を完全に粉砕する事だ!」

 

 この悪魔は必ず止めなければならない。使命感に駆られた《スロウストウジャ》部隊がプレッシャーカノンを放つが、敵はR兵装をことごとく反射する皮膜の持ち主だ。

 

『どうするって……R兵装は効かないんでしょう?』

 

『馬鹿野郎! 効かないからって、じゃあ黙っていられるかってんだ!』

 

 部隊より進み出たのはタカフミである。最大出力に設定した《スロウストウジャ》が大型のモリビトへと肉迫する。

 

 阻もうとするのは爆雷であった。アームがコンテナより爆弾を投擲する。光の牡丹の輝きがタカフミの《スロウストウジャ》の道を阻もうとしたが、彼の操る《スロウストウジャ》はその程度では臆しない。

 

 爆撃を回避し、《スロウストウジャ》の刃が大出力ブースターへとかかる。

 

『どれだけ無敵な皮膜って言ったって、その中じゃどうよ!』

 

 皮膜の内側に入ったのだろう。タカフミの《スロウストウジャ》が推進剤を手がかりにして相手へと一撃を見舞おうとして、不意に彼の機体が傾いだ。

 

 否、傾いだのではない。大出力ブースターごと切り離されたのだ。

 

 パージの勢いで《スロウストウジャ》が回転し、大型のモリビトより引き離されていく。

 

 必死に空を掻くタカフミだが、その遅れを取り戻せるほど《スロウストウジャ》の性能を引き出せていない。

 

 残り四機が追い込もうとするも、爆雷を投げられれば後退するしかない。タカフミほどの執念の持ち主がそう何人もいるはずもなかった。

 

『野郎……おれ達の居場所を、どれだけ奪えば気が済むって言うんだ!』

 

 叫んだタカフミの《スロウストウジャ》がようやく持ち直す。全開出力値に設定した推進剤が青い尾を引いて大型のモリビトに追いすがる。それでも埋めようのない距離の差があった。

 

 必死に手繰るタカフミだがその行く手を爆雷が遮る。

 

『なんのっ! 零式抜刀術、四の陣! 銀糸の爪痕!』

 

 発振したプレッシャーソードが加速度による幻影である三つの刃を顕現させ、爆雷を引き裂いた。

 

 その妙技にリックベイは言葉をなくす。

 

「アイザワ少尉……零式をいつの間に……」

 

『スイマセン、少佐! パクらせてもらいました! にしたって、おれ、案外やるじゃん!』

 

 昂揚した神経が生み出す刹那の幻か、それとも現実か。タカフミの《スロウストウジャ》が零式抜刀術を用いてモリビトとの距離を埋めていく。

 

 その刃が装甲にかかりかけて、モリビトの二基のコンテナより黒い球体が放たれた。頭上に打ち出された球体二つより、火花が発生し瞬間的に周囲へと榴弾を撃ち出す。

 

 タカフミの操る《スロウストウジャ》の装甲が焼け爛れた。仰け反った形の《スロウストウジャ》へと反転したモリビトが砲塔を向ける。

 

 ここで確実に潰すつもりだ。リックベイはフットペダルを踏み込み、タカフミを救わんと駆け抜ける。しかし、あまりにもモリビトに接近していたタカフミへと援護するのには距離が足りない。馬力も、この埋めようのない隔絶を埋めるのには《スロウストウジャ紫電》であっても不可能の領域であった。

 

「アイザワ少尉! 踏ん張るんだ! 今の一撃は眩惑、つまり、攻撃自体は有効のはず」

 

 自分に言い聞かせるようにリックベイは言いやり、タカフミへと諦めないように口にする。

 

 大口径の砲塔が《スロウストウジャ》へと狙いを定めようとする。どれほど中空を掻いても、どれほど手を伸ばしても間に合わない。

 

 充填されたR兵装の光にタカフミの《スロウストウジャ》が貫かれかけて、その行く手を遮った影があった。

 

『少尉! 退いてください!』

 

 部下の《スロウストウジャ》が割って入り、プレッシャーカノンを引き絞る。敵のR兵装が発射され、その熱が《スロウストウジャ》の胴体を射抜いた。

 

 直後、機体が四散し、爆発の輝きが二機の《スロウストウジャ》を照らす。

 

 呆然とする中、もう一機の《スロウストウジャ》が敵人機を上方から攻め立てた。プレッシャーカノンを掃射しつつ、接近して白兵戦に持ち込もうとする。

 

『アイザワ少尉、それに少佐! ご武運を!』

 

 特攻した《スロウストウジャ》が皮膜に触れたが、その瞬間に爆発の輝きが視界を埋め尽くす。

 

 不可視の反射皮膜に亀裂が走ったのが窺えた。

 

 その一瞬の隙を見逃すリックベイとタカフミではない。

 

「撃つぞ! アイザワ少尉!」

 

『合点です! 暗礁に散れ! モリビトォッ!』

 

 二機のプレッシャーカノンが相乗し巨大人機の皮膜を打ち破った。これでR兵装が届くはず。そう感じたリックベイは直後に弾き出されたミサイルの砲台に瞠目した。

 

「追尾性能……! アイザワ少尉、動けるか?」

 

『とちっちゃって……。少しだけ目視戦闘が難しいですね』

 

 はは、と通信越しに返すタカフミにリックベイはミサイルの群れを視野に入れる。プレッシャーカノンで撃ち落とすのにはあまりにも膨大。

 

 それでも、と銃口を向けた刹那であった。

 

 白銀の雨が降り注ぎ、ミサイルを爆発の向こう側に消し去っていく。

 

 不意に振り仰いだ視界の中に入ったのは《モリビトタナトス》であった。

 

「……シーザー家の」

 

 まさかあの男が助けてくれたのか。その感慨を踏み締める前に、鎌を振るい上げた《モリビトタナトス》が巨体へと潜り込んだ。

 

 円筒状コンテナを掻い潜り、その下腹部に入った《モリビトタナトス》が刃を振るう。

 

 攻撃不能な射程に中央部のモリビトが補助アームを伸ばし、プレッシャーカノンを番え、一射する。

 

《モリビトタナトス》は下がりつつ、こちらへと合流した。

 

 接触回線が開き、その声が弾ける。

 

『先は引き受けます。これ以上《スロウストウジャ》部隊をすり減らす事もないでしょう?』

 

「応援感謝する。だが、ここでは退けん。退けない男の意地というものがある」

 

『死んでも、ですか?』

 

 問われれば、是と答えるまで。沈黙こそが答えであった。

 

《モリビトタナトス》が肩口から手を離す。

 

『了解しました。こちらも万全じゃないので、すり減らしくらいで離脱させてもらいますよ』

 

 先ほど白銀の雨を降らせた自律兵器が敵のモリビトの射線へと潜り込む。コンテナから引き出されたのは炸薬を繋げたワイヤー兵器であった。

 

 まるで結界のようにモリビトを保護したワイヤーに抱かれ自律兵器が粉砕される。しかし、それさえも加味していたのだろう。

 

 射程に入ったのは《モリビトタナトス》自身だ。鎌を突き上げ、下段より勢いをつける。

 

 その刃が片側の円筒状コンテナを破壊した。パージされた武器コンテナが内側より膨れ上がって爆発する。

 

 モリビトの放ったプレッシャーカノンの射線が《モリビトタナトス》の肩口を捉える。打ち砕かれた《モリビトタナトス》はこれ以上の戦闘は無意味と判断してか、すぐさま戦闘領域を離脱していった。

 

 リックベイはタカフミへと問いかける。

 

「行けるか、アイザワ少尉」

 

『愚問っすよ。散っていった命、部下達の無念、晴らさないわけにはいかないでしょう』

 

 だな、とリックベイは笑みを刻む。ここで退くくらいならば死を選ぼう。モリビトは長大な砲身をこちらへと照準しようとしてくる。

 

「散るぞ! アイザワ少尉、それに残った二機に告ぐ! 当初の作戦通り、挟撃を仕掛ける!」

 

『了解!』

 

 それぞれの声音が弾け、カウンターモリビト部隊が敵を葬らんと推進剤を焚く。

 

 敵人機がもう一方の円筒状コンテナより武器を射出した。ミサイルと先ほど使ったのと同じ、砲弾であった。

 

 無数に穴が開けられた砲弾よりR兵装の散弾が放射される。それとミサイルの併せ技は通常ならば無数の人機を塵芥に還しただろう。

 

 だが、ここで踏みとどまるはまさしく死の瀬戸際に立つ死狂い。

 

 そのようなこけおどしにいちいち及び腰になるような戦士はいない。R兵装の散弾を各機が回避し、敵人機へとプレッシャーカノンを引き絞る。

 

 コンテナに命中した一撃から内側に引火し、敵はコンテナ部を分離させた。

 

 残ったのは取り回しだけが難しい砲身とブースターを保持するための装甲のみ。

 

 ここでどう動くか、とリックベイは構える。

 

 モリビトは機体へと制動をかけようとして、不意に発した熱源に機体を照らし出させた。

 

「何だ!」

 

 その視野に映ったのは雷光。宇宙の常闇を掻き消すほどの稲光であった。

 

『少佐? これ、何だって言うんです!』

 

 悲鳴を発したタカフミに、リックベイはまさか、と稲妻の位置を捕捉する。超長距離より発せられたそれはデータにあった《キリビトエルダー》より生じたものであった。

 

「まさか、キリビトタイプ……なるほど、早期に《モリビトタナトス》が離脱した理由はこれか」

 

 巻き込まれれば《モリビトタナトス》とて撃墜されかねない。退き際を心得ているのは向こうのほうであったか。

 

 紫色の電光はモリビトを消耗させるのには充分であった。

 

 装甲が焼け爛れ、変色した弾薬庫からは燻る白煙が棚引いている。

 

 直後、モリビトは砲身を外し、武器弾薬庫から離脱した。白亜の装甲は先んじて破壊した《アサルトハシャ》のものであろう。

 

 デカブツのモリビトであった頃の名残の装甲を残して、たった一機の機体と化したモリビトが自機の数倍はある砲塔を構えたまま、こちらへと睥睨を向ける。

 

『少佐……これは降伏、と取るべきですかね』

 

「いや、まだだ。奴はまだ武器を持っている。これは応戦の構えだろう」

 

 しかし、こちらは消耗したとは言え、《スロウストウジャ》は四機。比して相手は虎の子の武器要塞を失った事になる。

 

 これで同等の戦いが繰り広げられるものか。リックベイはしかし、ここでこそ、恐れるべきだと判断していた。

 

「気を引き締めろよ、皆の者。獣は、追い詰められた時が最も恐ろしい」

 

 ここで獅子奮迅の活躍をするかどうか。モリビトは長大な砲身を構え、そこから充填したR兵装の攻撃を放射した。

 

 散開した《スロウストウジャ》がそれぞれの軌道を描いてモリビトへととどめを見舞おうとする。

 

 今のモリビトは追い込まれている。ここで四機が連携を密にすれば敵は墜とせるはずであった。

 

 しかし、モリビトの次の行動に《スロウストウジャ》部隊は驚愕する。砲塔を捨て去り、モリビトは機体をそのまま走らせたのである。

 

 その行く先にいたのはリックベイ自身であった。

 

 まさかの特攻か、とリックベイは実体剣を引き抜きかけて、モリビトが手にしている銀糸を発見していた。

 

 目を凝らさなければ見えないほどの細いワイヤーが分離された武器庫へと接続されている。

 

 リックベイは反射的に機体へと制動をかけさせ、部隊へと号令する。

 

「いかん! 全機、離脱機動に入れ! モリビトは我々を――!」

 

 その言葉が弾けるか弾けないかの刹那、武器弾薬庫から全方位へと向けて弾丸が放射される。

 

 追い込んだと思い込んでいたが違った。敵は最後の最後まで諦めていなかったのだ。モリビトの奇策を前に《スロウストウジャ》二機が推進剤と武器を失う。

 

 完全に虚を突かれた瞬間、モリビトはもう一方の手の中に仕舞っていた何かを起爆させた。

 

 直後、捨て去ったはずの砲身が推進剤を焚いて挙動し、リックベイを狙い済ます。

 

「遠隔操作……最初から特攻したと思わせて、こちらの不意を突いて全滅に追い込む腹積もりだったか……」

 

 砲口の照準から逃れるのにはあまりに近づき過ぎている。万事休すか、とリックベイはその時、命中の予感に全身の力を抜いていた。

 

 終わる時というのはかくも虚しく、唐突に訪れるものなのだ。

 

 今まで幾多の戦場を駆け抜けてきたからこそ分かる。これは自分の番なのだと。

 

 終わりは潔く受け入れたほうがいい。砲身から発射される一撃を予感したリックベイは、不意打ち気味に視界を遮った機影に目を見開いた。

 

『少佐! 危ない!』

 

 タカフミの《スロウストウジャ》が割って入り、その胸元を大出力のR兵装が貫く。

 

 血塊炉へと引火した一撃に《スロウストウジャ》がスパークの火花を散らした。

 

「アイザワ少尉!」

 

 まさか、何故タカフミが。

 

 血塊炉を破損したタカフミの《スロウストウジャ》が振り返り様のプレッシャーカノンを一射し、モリビトの下腹部を射抜く。

 

 接触回線に舌打ちが混じった。

 

『……やっぱそう都合よく……一矢報いる事は出来ないか』

 

《スロウストウジャ》の安全装置を作動させるべく、リックベイは声を張り上げる。

 

「アイザワ少尉! 脱出を!」

 

『少佐……スイマセン。最後の最後に役立たずで。零式パクった報いかな、これ。瑞葉を……』

 

《スロウストウジャ》が内側から爆発し、急速に推力が失われていく。煙を棚引かせながらタカフミの機体が糸の切れた人形のように項垂れた。

 

 リックベイはモリビトを睨み据える。

 

 半身を失ってもモリビトは未だに健在であった。それどころかこちらへと手繰り寄せた長大な砲身を向けて一撃を打ち込まんとしてくる。

 

 リックベイは刃を振るい上げ、タカフミの機体を下げさせた。

 

「アイザワ少尉。その武勲、胸にしかと刻んだ! モリビト! ここで潰えるは貴様だ!」

 

 砲身を振り回し、モリビトがR兵装を連射する。リックベイは《スロウストウジャ紫電》を駆け抜けさせた。

 

 敵の攻撃速度よりも速く、その射線の隙に潜り込めばいい。

 

 通常の人機と操主ならば不可能かもしれないが、今のリックベイと《スロウストウジャ紫電》には可能であった。

 

 青い推進剤の尾を引きつつ、《スロウストウジャ紫電》が刃を振るい上げる。

 

 接近されれば成す術はあるまい。そう考えていたリックベイに、モリビトは袖口からプレッシャーソードを引き出す。

 

 打ち合った途端、干渉波が激しくぶつかり合い、鍔迫り合いを繰り広げさせた。

 

 だがその太刀筋、あまりに脆弱。

 

 すぐに打ち返したリックベイはモリビトへと肩口から突撃を仕掛ける。圧された形のモリビトがプレッシャーソードを振り払い、こちらの刃を止めようとするが、その拙い剣先では零式抜刀術を超える事叶わない。

 

「未熟……そう断じてもいいが、わたしはあえて言おう。ここまで苦戦せしめたモリビト、その強さに敬意を表する。同時に、貴様を倒すのはこのリックベイ・サカグチであると! さぁ、どうだ! モリビトよ!」

 

 実体剣が空間を奔り、モリビトの肩口を引き裂く。離脱しようとモリビトが後退するが、その退路を塞いだのは武器を失った二機の部下の《スロウストウジャ》であった。

 

『武器がなくとも!』

 

『少佐! 一撃を!』

 

 部下の声を受け、リックベイは《スロウストウジャ紫電》の太刀筋を極めさせる。切っ先に全ての集中力を注ぎ、敵の血塊炉を見据えた。

 

 狙うはその胸元。

 

 推進剤を全開にし掛けて、敵のモリビトは《スロウストウジャ》の拘束を振り解き、プレッシャーソードを突き上げてきた。

 

 広域通信チャンネルに操主の声が弾ける。

 

『負けない、負けたくない、――負けられないのよ!』

 

「退けぬ戦いか! それはこちらも同じ事!」

 

 互いの咆哮が通信網を震わせる中、《スロウストウジャ紫電》の刃がモリビトのプレッシャーソードの剣筋を突き抜けた。

 

 頭部コックピットを掠めた一撃に敵が傾ぐ。

 

「取った!」

 

 そのまま剣を打ち下ろそうとして、モリビトの背面より補助アームが伸長した。補助アームの指先がプラズマソードを発振させる。

 

 リックベイの接触状態にある《スロウストウジャ紫電》の胴をプラズマソードが叩き割った。奥歯を噛み締めて衝撃に耐え、リックベイは吼える。

 

 刃がモリビトの躯体を引き裂いた。しかし向こうも負けていない。各部から展開された支持アームががっちりと《スロウストウジャ紫電》を拘束する。

 

「巻き添えにするつもりか」

 

『心中なんて御免よ。モモは、生き残るんだからっ!』

 

「その意気やよし。だが! 戦争とはどちらの主張も通るようには、出来ておらんのだ!」

 

 支持アームが機体を押し潰そうとしてくる。軋む人機の中でリックベイは接触部位より牽制用の銃火器を用いた。

 

 敵との距離が僅かに開き、切っ先を突き上げる。頭部を割ろうとした一撃を敵は腕を掲げて制した。

 

 手首が回転しプレッシャーソードが《スロウストウジャ紫電》の肩口を焼く。

 

 リックベイは研ぎ澄まされた戦闘本能に衝き動かされ、リニアシートのベルトを外していた。

 

 そのままコックピット内部に格納されたアサルトライフルを手に宇宙空間へと踏み出す。

 

 静寂の常闇でモリビトが軋みを上げながらこちらへと向き直ろうとする。リックベイは推進剤を焚いて姿勢を維持し、アサルトライフルの照準をモリビトのコックピットへと向けた。

 

 銃撃がモリビトの頭部を割る。そのまま続け様の銃弾にモリビトが沈黙した。

 

 終わったか、と脱力する。

 

 宇宙を漂うタカフミの《スロウストウジャ》へとリックベイは進んでいた。

 

 ――無事でいてくれ、と祈るリックベイは不意に脛を射抜いた一撃に苦悶する。

 

 コックピットから這い出ていたモリビトの操主が銃口を向けていた。その姿がまだ幼い少女であるのをシルエットで確認する。

 

「……乙女か」

 

『お前は、ここで!』

 

「同じ事を言わせるな! モリビト、貴様らは生かしておけん!」

 

 銃弾がお互いに発射される。

 

 こちらの銃撃が少女操主の肩を貫いた。相手の弾丸がリックベイの保持する推進剤を撃ち抜き、圧縮空気が無茶苦茶な軌道を描かせる。

 

 上下が目まぐるしく変わる中、リックベイはその視界の中にモリビトへと戻って行った操主を入れていた。

 

 まだ戦うつもりなのか。

 

 タカフミの《スロウストウジャ》へと手が届く。鋼鉄の虚無は静寂を守り続けていた。棚引く白煙にリックベイは緊急用のハッチへと足をかけ、レバーを引く。

 

 圧縮空気によって射出された《スロウストウジャ》のコックピットの中で、タカフミが項垂れていた。

 

 不幸中の幸いか、外傷は見られない。リックベイはタカフミの肩を引っ掴み、揺すって起こそうとする。

 

「アイザワ少尉! 起きろ! 戦いは終わった。我が方の勝利に――」

 

 その言葉尻を引き裂いたのは《スロウストウジャ紫電》を両断したモリビトであった。

 

 まだ動ける気力が残っていたか。プレッシャーソードを手に、モリビトがこちらを睥睨する。

 

「来る、か」

 

 こちらは剥き出しの状態。センサー類は先ほどの圧縮空気で吹き飛ばしてしまった。現状では戦闘継続は不可能に近い。

 

 唾を飲み下したリックベイに、敵の人機が爆発の光に包まれた《スロウストウジャ紫電》を蹴りつける。

 

 照り受けた輝きを受け、モリビトがプレッシャーソードを構えた。

 

 このままでは何もせずして貫かれる。

 

 どうするべきか、と逡巡したリックベイの脳裏に声が響き渡る。

 

『し、少佐……。おれ、まだ……』

 

 タカフミの搾り出すような声にリックベイはその肩を掴んだ。

 

 まだ生きている。まだ望みは残っている。

 

「アイザワ少尉。わたしの、わがままだ。ここでケリをつけるぞ。モリビトとの」

 

 タカフミはほとんど夢遊病のような状態にも関わらずしっかりと操縦桿は握り締めている。戦士の足掻きは可能だ。

 

 リックベイはその手へと己の手を添える。

 

 センサーや策敵の類を完全に吹き飛ばした《スロウストウジャ》に残されたのは目視戦闘のみ。それも、宇宙の常闇における対物戦闘は明らかに人間のスケールを超える。

 

 この立ち合いで勝てる見込みは薄い。

 

 それでもやらなければならなかった。退けない戦いがあるとすれば、今だ。

 

 今しかない。

 

 リックベイとタカフミは習い性の操縦で《スロウストウジャ》へと構えを取らせる。零式抜刀術の構えであった。

 

 モリビトがプレッシャーソードを手にこちらへと殺到してくる。

 

 その速度にいささかの緩みはない。殺すと判断した太刀筋に迷いはなかった。こちらも同じだ。

 

 モリビトを倒し、平和を手に入れる。

 

 そのためならば、今、この刹那の命さえ、惜しくはない。

 

「行くぞ、タカフミ・アイザワ!」

 

『了解、しました! 少佐!』

 

 二人分の咆哮が闇を引き裂き、モリビトへと突撃の姿勢を取らせる。

 

 一気にモリビトが肉迫した感覚に一瞬だけびくつきそうになったが、それでも前に進む手を止めない。

 

 この刃は悪を断つためにある。

 

 プレッシャーソードがモリビトの脇腹を切り払った。相手のプレッシャーソードが頭上を行き過ぎる。

 

 コックピットを狙った相手の一閃は僅かなところで逸れ、こちらの切り払いが腹腔へと突き刺さる。

 

 ちょうど、お互いのプレッシャーソードの発振が掻き消えた。

 

 光源を失った無辺の闇の中、両機が頭部をぶつけ合う。リックベイはその向こうに幼い少女の姿を見たような気がした。

 

 モリビトが《スロウストウジャ》を仕留め損ない、空間を流れていく。

 

 その後姿にとどめを刺そうとは思わなかった。もう、両者、手は尽くした。これ以上の食い合いはただの悪足掻きだ。

 

『少佐……。おれ達、勝ったんですか……?』

 

 うろたえ気味のタカフミの言葉にリックベイは首肯する。

 

「ああ、我々の勝利だ」

 

 平時ならばその言葉にタカフミは歓声を上げただろう。だが、この時、タカフミからは何の声も上がらなかった。

 

 代わりに渇いたような笑い声が木霊する。

 

『そりゃ、よかった……』

 

 力を出し尽くした戦士は闇の中、静かに漂い続けていた。リックベイはその手を握り締め、言いやる。

 

「勝ったんだ。だから君は……」

 

 戻ってきていい。その感情を抱き締め、デブリの漂う宇宙の中、声にならない呻きを上げた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯168 禁忌

 管制室にもたらされた情報は《モリビトノエルカルテット》のシグナルが限りなく弱くなった、という事実であった。

 

 ニナイはすぐさま声を吹き込む。

 

「回収部隊の用意を」

 

「しかし、局長! 今、我々が回収に向かえば、迎撃される恐れも……!」

 

「それはないわ。桃がよくやってくれた。《スロウストウジャ》部隊はほぼ全滅。《バーゴイル》も追っては来ないでしょう」

 

 それでも警戒は怠るべきではない。こちらに残った手持ちは限りなく少ないのだ。

 

 慎重に、という構成員がいるのも頷けた。

 

「《ノエルカルテット》は?」

 

「シグナルの弱さから、恐らくは貧血状態で大破。……最悪のシナリオを描けば、完全に破壊された可能性もある」

 

 尋ねてきたタキザワはばつが悪そうに顔を伏せた。

 

「いつだって、僕らはそうであったな。彼女らの戦いを、見守るしか出来ないんだ。だっていうのに偉そうに……」

 

 彼にも悔恨の意思はあるのだろう。《ノエルカルテット》は完全に破壊されたとすれば、こちら側に残されたモリビトはたった一機。

 

「鉄菜の……《シルヴァリンク》の位置は?」

 

「《シルヴァリンク》、ブーストコンテナに入ったまま、敵陣へと強攻するはずでしたが、この反応は……。新たなる人機のシグナル関知! これは……大きい、とても大きい!」

 

 要領を得ない構成員の言葉にニナイはすぐさま命令を飛ばす。

 

「メインモニターに」

 

 大型のスクリーンに表示されたのは現状の人機開発では起こり得ないほどの血塊炉の関知であった。

 

「大型人機か……。血塊炉五個、いや、六個分はあるぞ、この反応……」

 

 タキザワの呆然とした声を受け、ニナイは通信に吹き込もうとする。

 

「鉄菜! ブーストコンテナによる敵陣への強襲を中断! 《モリビトシルヴァリンク》による応戦を……」

 

 そこから先を通信障害が遮った。まさか、ジャミングが施されているというのか。

 

「……今は、彼女と……二号機を信じるしかない」

 

 こちらからは何も出来ないというのか。

 

 歯がゆさにニナイはマイクを叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 稲光が外部カメラに映った直後の出来事であった。

 

 闇を引き裂く紫の一閃。強力なエネルギーによる光波は強襲を仕掛けようとしていたこちらの軌道を遮る。

 

 鉄菜は無理やり軌道を変化させ、押し込んでくる重圧に耐えた。

 

「何が……この攻撃は……」

 

 再び闇を裂いたのは紫の電流である。それも明確な攻撃意志を持った雷撃に鉄菜は強襲用コンテナの下部に位置するブースターを全開にする。

 

 それでも逃げ切れない。鉤爪のように視界を覆った雷の一撃に鉄菜は《シルヴァリンク》の操縦系統へと切り替えさせた。

 

「コンテナから這い出る! 行くぞ!」

 

 銀翼を拡張させ、内側からコンテナを破り、紫の電撃から逃れる。

 

 ブーストコンテナは稲妻に抱かれて粉砕していた。少しでも判断が遅れていれば巻き添えであっただろう。

 

 鉄菜は攻撃を放った敵人機を索敵しようとして、相手からの先制攻撃を関知する。

 

 稲妻がそのまま砲撃へと変位したような攻撃であった。

 

 大出力のR兵装が幾条も火線を咲かせて《シルヴァリンク》を狙い澄ます。

 

 鉄菜は重圧のかかるコックピットの中で敵を睨み据えた。

 

 緑色の装甲に、鉤爪のような鋭い四肢を持った大型の人機であった。

 

 その全長は先んじて目にしていた《ノエルカルテット》フルスペックモードを超えるであろう。

 

 あまりのスケール比に眩暈さえも覚える。大型人機はしかし、全く身に覚えのない機体ではない。

 

 そこから導き出された機体名称に鉄菜は目を戦慄かせる。

 

「キリビト……こいつが、キリビトだというのか」

 

『《キリビトエルダー》だ。モリビトの操主よ』

 

 こちらの通信チャンネルにいつの間にか合わせている。その事実に震撼する前に《キリビトエルダー》なる人機は攻撃を中断した。

 

「……何のつもりだ」

 

『なに、物分りのいい操主ならばここで差し出すと思ってね。……持っているのだろう。バベルの最後の一欠けらを』

 

 やはり連中の目的はそれか。鉄菜はしかし、強く言い放つ。

 

「私は持っていない」

 

『……嘘ではなさそうだな。なるほど、ここで潰えるのはモリビトの操主のみ、というわけか。細く長くの道を選んだというわけだな』

 

「勘違いをするな。私は何も切り捨てられたなどと考えていない」

 

《シルヴァリンク》が盾の裏側よりRソードを発振させる。その切っ先を《キリビトエルダー》に向けた。

 

『……どういう意味だ』

 

「私は私のために戦う。……心に従うと決めた」

 

 まだ心の何たるかなど分かっていない。それでも、ここで抗うのがブルブラッドキャリアの執行者だという事だけは分かる。

 

 相手の操主はその志を一笑に付す。

 

『何が出来ると言うのだ! ただのモリビトの、たった一機の人機で!』

 

「さぁな。それでも、何もやらないよりかはマシだ!」

 

《シルヴァリンク》が《キリビトエルダー》へと駆け抜ける。《キリビトエルダー》は背面の三角錐型の格納庫より蝿型人機を放った。五機の蝿型人機が一斉に《シルヴァリンク》へと襲いかかる。

 

 鉄菜はRクナイを疾駆させた。空間を奔ったRクナイが一機の蝿型の頭部を射抜き、ワイヤーを足がかりにしてもう一機へとその機体をぶつけさせる。二機が衝突した衝撃を使い、《シルヴァリンク》は舞い上がっていた。二基のRクナイが射出され、蝿型人機の目を潰す。

 

 五機のうち、三機を無効化した《シルヴァリンク》はRクナイ内部に備え付けられたクナイガンを稼動させていた。

 

 銃撃が蝿型人機を打ち破り、横殴りに払ったRクナイがもう二機の蝿型を狙い澄ます。血塊炉へと正確無比な弾丸が打ち込まれ、蝿型は青い血潮を撒き散らして沈黙する。

 

『まさか、ここまでやるとは。青いモリビト、弱くはないらしい』

 

「そちらも、嘗めていると怪我をする」

 

 ワイヤーで引き戻されたRクナイを仕舞い込み、《シルヴァリンク》は外套を身に纏った。

 

 不可視の外套は宇宙空間では破られる道理はない。このまま肉迫し、コックピットを引き裂けば――。

 

 そう感じた矢先の鉄菜へと冷たい声音が差し込まれる。

 

『だったら、手加減は必要ない、か』

 

 不意に発した稲光が《シルヴァリンク》の行く手を遮った。偶然か、と後退した《シルヴァリンク》へと雷撃が追尾する。

 

「まさか、あり得ない。熱光学センサーをかく乱する装備が、この外套には……」

 

『その程度の技術、追えなくって何が禁断の人機か! 罪の結晶はモリビトを凌駕する! 行け! Rブリューナク!』

 

 四肢の末端より射出されたのは自律兵器であった。槍の形状を模した自律兵器が推進剤を焚きながら《シルヴァリンク》へと四方八方より襲いかかる。白銀の輝きが散弾のように撃ち出され、《シルヴァリンク》の外套を焼き払った。

 

「まさか、耐熱装備が貫通される……」

 

『耐熱? その程度で、耐熱とは片腹痛い!』

 

 Rブリューナク四基がそれぞれ幾何学の軌道を描きつつ《シルヴァリンク》へと突き刺さりかける。

 

 ここまでか、と外套を引き剥がし、鉄菜はRクナイを稼動させた。

 

 Rクナイが迫り来るRブリューナクとぶつかり合い、お互いの剣先を消滅させる。

 

 ちょうど四基分、両者、刃を失った形となった。これでは重石だ、と鉄菜は腹部コンテナをパージする。

 

『ようやく、本来の姿に戻ったか、モリビト。だが、それでも《キリビトエルダー》には敵わない。この人機は! まさしくヒトの罪の、その具現なのだから!』

 

 闇を照り輝かせるのは禁断の雷鳴であった。紫の稲妻が《シルヴァリンク》へと襲い来る。《シルヴァリンク》は雷撃を回避しつつ、《キリビトエルダー》へと一撃の機会を窺っていた。

 

 Rブリューナクと蝿型人機を使い果たしたはずだ。この稲光とて何度も撃てる代物ではないはず。必ず、隙が生まれる。その契機を逃すわけにはいかない。

 

 雷の刃がかかりかけて、鉄菜はRソードを掲げる。刃と何倍もある稲妻が干渉波のスパークを散らせる中、相手操主の声が轟く。

 

『この人機は! 貴様らの常識を塗り替える! まさしく、神に等しい機体だ!』

 

 四肢より放たれる雷撃の勢いは弱まる様子はない。鉄菜はRソードで弾いて距離を取るも、追尾してきた稲妻の輝きに盾を構えさせる。

 

 リバウンドフォールの姿勢に入った《シルヴァリンク》へと稲光が貫通し、電撃が機体を駆け抜けた。各所が注意色に染まり、瞬く間に危険域へと入っていく。

 

「まさか……こんな力なんて」

 

『ブルブラッドキャリア! 貴様らに、実際のところ世界を変える事は出来なかった! だが、わたしと《キリビトエルダー》ならば! 変える事が出来る、それこそ! 現状を打破するこの暗く沈んだ未来を!』

 

 今の世界に明日はないと言うのか。今の星に未来はないと言うのか。

 

 ――否。鉄菜は断じて否と刃を振るう。

 

「違う! お前は力に呑まれ、諦めを言い訳にしているだけだ! 世界は変えられる!」

 

『だとすれば吼えるだけではなく、証明してみせろ! モリビトよ!』

 

 稲妻の一閃が打ち下ろされ、鉄菜はRソードで切り返す。それでも、こちらが打ち合う度に消耗しているのが窺えた。

 

 敵人機の出力は桁違いだ。《シルヴァリンク》では勝利出来ないかもしれない。

 

 雷鳴が迸り、紫の電光が《シルヴァリンク》へと注がれる。Rソードで弾いて返そうとするも、その度に刃が磨耗していった。

 

『無駄だという事が、分からないようだな、モリビト! ならば潔く散るといい。行くぞ。《キリビトエルダー》。その性能を見せ付けろ! ハイリバウンド――』

 

 四肢から凝縮されたリバウンドのエネルギー波が中心軸に寄り集まり、宇宙を照らす禁断の灯火を発生させる。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》を上昇させようとするが、そこで危険域に達していた箇所が悲鳴を上げた。

 

 僅かに出力値が下がったその隙を相手は見逃さない。

 

 視界を覆い尽くすリバウンドの嵐が大写しになった。

 

『プレッシャー!』

 

 闇を消し去り、全てを粉砕する禁断の業火が一条の傷痕を宇宙に刻み込んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯169 撃滅の剣

「《シルヴァリンク》、シグナル消失……。応答、ありません」

 

 管制室にもたらされた情報に、全員が息を呑む。やはり自分達の足掻きは無駄であったのか。時代のうねりの前に掻き消されるだけの、ただの爪痕にもならない存在証明でしかなかったのか。

 

 ニナイには局長としての判断が求められていた。

 

 資源衛星はもう充分な領域まで撤退している。ここで回収を優先すべきは《ノエルカルテット》のみ。命令を下すのは自分だ。

 

《シルヴァリンク》を完全に切って、桃だけを回収するか。あるいは二人の生存を祈ってこの宙域に留まるか。

 

 多くを生かすためには少数を犠牲にする心持ちが必要になる。切り捨てた命を無駄ではないと証明するのには、これから先も継続する戦いが求められるのだ。

 

 今は逃げに徹するべき。

 

 管制室の構成員達全員の命を預かる手前、ニナイは非情な判断を迫られていた。

 

「……二号機の回収は諦める。三号機、桃のみを回収するために《アサルトハシャ》二機を遣わせて」

 

「でも、シグナルが届かないだけでもしかしたら……」

 

「聞こえなかったの? 二号機は強襲のために作戦行動している。ならば、それが失敗した可能性が濃厚な以上、深追いは出来ないのよ」

 

 そう、出来ないのだ。やるやらないではなく、出来ない。それだけの単純な答え。

 

 了解の復誦が返りかけて、「待って欲しい」と声がかかった。

 

 管制室に入ってきたリードマンはアルマジロAIに取り憑いている元老院と共に声を発する。

 

「鉄菜の生存を、どうかギリギリまで諦めないでもらいたい」

 

「担当官として、私情を挟みたいのは分かるわ。でも、これ以上どうやって……」

 

『我々も同意見だ。それに、簡単に撃墜されるようには見えなかった。彼女は死にに行ったわけではない』

 

 惑星の仇敵が偉そうな口を、と返しかけて管制室に伝令が届いた。

 

「急速熱源反応! これは……二号機のシグナル消失地点へと、何かが接近しています!」

 

「まさか、C連合の送り狼?」

 

「いえ、シグナル上はどの国家にも属していません……。我々と同じく、不明人機です」

 

 この状況に至って不明人機。ニナイは転がっていく戦局に眩暈を覚える。一体何が起こっているのだ。それを解明する前に、元老院が声にしていた。

 

『彼女はまだ生きている。《シルヴァリンク》、その機体の本当の意味を知っているのならば』

 

「ああ、僕も同意見だ。我々と鉄菜の――鋼鉄の絆は切れたわけではない」

 

〝鋼鉄の絆〟。《モリビトシルヴァリンク》の開発コード名――。

 

「……あやかりたいのは分かる。でも現実の戦場はいつだって……そんな夢想が通用するようには出来ていないのよ。彩芽だって、現実の前に命を散らした。我々にはいつだって、非情なる現実だけが突きつけられる。その刃に抗う事も出来ずに」

 

 拳を固く握り締める。どれほど強く、どれほど願ったところで人の望みなど容易く途切れてしまうだろう。

 

 それが強靭な精神力で支えられた願いと祈りであったとしても。

 

「だが、信じ抜く事は出来る。ここまで生き残ってきた鉄菜を、僕は信じたい。黒羽博士が彼女に託した、祈りの光を」

 

 誰だって明日を信じたい。そうに決まっている。だが、祈りは潰え、希望は音を立てて崩れていく。

 

『我々に、長く心はなかった。義体となり、惑星を支配して百五十年以上……。同胞達の死を目にしてようやく、自分を知り、死にたくないというただ単純な願いに目覚めた。……羞恥の限りだ。我々はかくも弱い身でありながら、これで世界を牛耳っていたつもりであったのだから』

 

「懺悔なら後でして。今は、聞くのも憚られる」

 

 冷たく言い放ち、ニナイは決断を下す。現状、多数を生かし、少数を切り捨てる非情さを。

 

「ブルブラッドキャリア本隊はこのまま後退。《アサルトハシャ》による《ノエルカルテット》の血塊炉と操主を確保後、全力で戦場を離脱する。その後の救援は中止。我々は休眠期に入らざるを得ない」

 

 誰も異論を挟めるはずもない。担当官であるリードマンや技術主任であるタキザワとて分かっている。

 

 ここで下される決断に間違いはないと。

 

「……でも信じたいじゃないか」

 

 抗弁のように発せられたリードマンの言葉を無視して、ニナイは手を払った。

 

「資源衛星全域の推進剤に火を入れて。人機の足なら追撃も予想される。《アサルトハシャ》二機は《ノエルカルテット》のみを回収後、すぐにB地点で合流」

 

 この判断にどこにも迷いはない。そのはずであった。

 

 しかし、ニナイは手が震え出すのを止められなかった。どこかで致命的な間違いを犯しているのではないか。何かを決定的に間違っているのではないか。

 

 そのような思考が脳裏を掠め、きつく目を瞑る。

 

 ――落ち着け、と言い聞かせても止まらない。

 

 また失うのか、と囁き声のような誰かの言葉が耳に入った。

 

 自分はまた、大切なものをこの手から零れ落とそうとしているのか。救えるはずの命を。

 

 しかし、現状で希望を振り翳して全滅したのでは意味がない。一ミリの希望にすがって死を迎えるより、少しでも可能性の高い絶望へと足を進めたほうがいいではないか。

 

 そのはずなのだ。

 

 頭では分かっていても、何かが納得していなかった。それが何なのか、ここで突き詰めるべきではないような気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「消え去ったか」

 

 微粒子さえも消し飛ばすハイリバウンドプレッシャーの後ではさすがの《キリビトエルダー》も貧血状態に近い。末端四肢に血が行き渡っていないせいか、この時《キリビトエルダー》は丸腰同然であった。

 

 だが、眼前の羽虫は薙ぎ払った。再び静寂を取り戻した宇宙の闇に視線を投じ、レミィはくっくっと押し殺した笑いが漏れてくるのを止められなかった。

 

「これが……これがキリビトの力! 人類を次のステージに導く、本物の人機の能力! 恐れを成す間もない。モリビトなど、前時代の遺物に過ぎないのだ。これからはこの《キリビトエルダー》が新たなる礎として、無知蒙昧なる人々に突きつける。本物の支配を! 元老院による仮初めではない。無論の事、ブルブラッドキャリアによる恐怖政治でもない。ゾル国、C連合の垣根を越えて、キリビトとわたしこそが、王になる!」

 

 その確信を得た拳は無敵であった。無敵の力を振るう権利が、ただの一個人に与えられている。全能感に酔いしれた生身の身体の快感はひとしおであった。

 

 これまでにない感覚だ。義体に収まり、全員が全員の脳内を覗き込んでいたあの窮屈な箱庭とは違う。真の支配者はただ一人でいい。

 

 陰のフィクサーは消滅し、分かりやすい力による統治がもたらされる。

 

 押し殺した笑いはいつしか高笑いへと変わっていた。

 

 王の支配を前に児戯に等しい蝿は消し去るべし。ブルブラッドキャリアの、その希望の残滓すら消し飛ばしてみせよう。

 

《キリビトエルダー》はこの戦域から離れようとしている不自然な資源衛星を関知していた。

 

 通常の人機ならば見過ごすであろう策敵範囲だが、キリビトならば別。

 

「よろしい。ブルブラッドキャリア、その足掻きの一滴すら、踏み潰してやろう!」

 

《キリビトエルダー》を前進させようとした、その時であった。

 

 雷撃のような一閃が《キリビトエルダー》の鉤爪状の四肢を掻っ切る。途端にレッドゾーンに沈んだ右の鉤爪の消失にレミィはうろたえた。

 

「何だ? まだ、敵の戦力が……」

 

 その眼が捉えたのは棚引く黄金の燐光。眼窩を赤く滾らせたモリビトが金色の輝きを放ちつつ、大剣で《キリビトエルダー》の四肢を切り裂かんと迫る。

 

 その速度に稲光の発振が遅れた。

 

 付け根より切断された《キリビトエルダー》の鉤爪が中空を彷徨う。

 

「まさか……! まだ悪足掻きを……!」

 

『……ではない』

 

「何だと?」

 

 通信網を震わせたのは相手操主の強い声音であった。

 

『私達は、羽虫などではない!』

 

 突き上げられた刃が輝きを乱反射し、《キリビトエルダー》の中心部にあるエネルギー収束機関を引き裂いた。

 

 ハイリバウンドプレッシャーを放った部位が赤く点滅し、逆流してきたエネルギー波が末端四肢を焼き尽くしていく。

 

「エネルギーが逆転して……。四肢へのブルブラッド供給をストップさせなければ……」

 

 しかし、《キリビトエルダー》はその巨体ゆえに一度実行したプロセスの中断には時間がかかる。

 

 モリビトはその間にも、《キリビトエルダー》へと刃を突きつけてくる。リバウンドの刃が入り、亀裂を生じさせる前に、一閃が爆発を誘引させた。

 

 全身に走ったダメージを一度分離しなければ、とレミィは身体に接続されているデバイスに命令を送ろうとするが、その命令権が全て途中で何者かにハッキングされていく。

 

「命令が、中断されて……」

 

『ここで、打ち倒す!』

 

 モリビトの大剣が血塊炉付近を叩き斬る。あまりの威力に血潮が沸騰し、メインブロックが危険域へと落とし込まれた。

 

「き、貴様らなど……! 時代の風に掻き消されるだけの塵芥であろうが!」

 

『確かに時代の波には逆らえないかもしれない。だが、私達は! ブルブラッドキャリアは全ての理不尽に報復するために、ここにいる。ここに在るんだ!』

 

 刃が血脈を引き裂き、《キリビトエルダー》が瞬く間に戦闘不能の領域まで能力値が減殺されていく。

 

 眼前のモリビトだけではない。何者かがこの《キリビトエルダー》へとリアルタイムでの妨害行為を行っているに違いなかった。

 

「何者だ! この神聖なるキリビトに触れるなど……!」

 

『その驕りが、結局身を滅ぼすのだよ。元老院の離反者、レミィ』

 

 その声の主を自分は知っている。だが、まさか、という思いが勝った。

 

「何故だ……。何故、このような真似を! 渡良瀬!」

 

『新世界を導くのは、旧世代の頭しか持っていない老人の人形ではない、という事だ。人形遊びには随分と時間を費やしたようだが、もう潮時だよ』

 

「馬鹿な……! 《キリビトエルダー》以上に世界を引っ張っていく力など」

 

『だから、目に見えている範囲が狭いって言っているんだ。所詮、外見を取り繕っても、中身は変えられなかった、というだけの、シンプルな答えだ』

 

 通信へと怒りを滲ませかけて、黄金の残像を引いたモリビトの姿が大写しになる。レミィは最後の足掻きに、と出力を最大に設定したリバウンドプレッシャーを照射させる。

 

「ふざけるな……! わたしが消える? ならば貴様ら諸共だ! モリビトォ!」

 

『《モリビトシルヴァリンク》! 対象、《キリビトエルダー》をSSランク相当の脅威と判断し――撃滅する!』

 

 刃が《キリビトエルダー》の頭蓋に入るのと捨て身のリバウンドプレッシャーがモリビトの装甲を焼いたのは同時であった。

 

 仰け反ったモリビトより黄金の光が拡散していく。レミィは頭上に迫った金色の剣筋に哄笑を上げていた。

 

「モリビト! どうやらわたしはここで負けるらしい。だが勝利者は貴様らではないようだ! それだけが、堪らなく狂おしい!」

 

 レミィの嘲笑をリバウンドの熱波が吹き飛ばし、沸騰したブルブラッドの蒸気が絶対零度の宇宙へと溶け出していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯170 鋼鉄の絆

《キリビトエルダー》のコックピットに入った刃は確かな手応えを持っていた。

 

 鉄菜は息を切らしつつ、最後の最後に聞こえてきた操主の声を思い返す。

 

「勝利者は、私達ではない……?」

 

 どういう意味なのか。それを問い質すような時間もなかった。

 

 エクステンドチャージの残り時間ギリギリまですり減らした機体の損耗率は五割を切っている。帰投に必要な血塊炉の出力を概算しても限界であった。

 

「帰るんだ……。私達は、そのために……」

 

 身を翻しかけた《シルヴァリンク》のコックピットを震わせたのは接近警告であった。熱源に習い性の身体が盾を構えさせる。

 

 射出されたのは実体弾のパイルバンカーであった。リバウンドの盾へと命中したパイルバンカーが亀裂を生じさせる。

 

 あまりの威力にリバウンドフォールが発動しなかったのである。

 

「まさか……まだ敵が……!」

 

 視線を投じた先にいたのは赤く照り輝く流星であった。宇宙の常闇の中でも一段と映える色彩を持った機体がこちらへと急接近する。

 

 左腕にはリボルバー式のパイルバンカー射出装置を持ち、右手は腰に装備した得物を握り締めていた。

 

『――待ち焦がれた。この時を、今か今かと。俺は、この瞬間のために生きていた!』

 

 不意に入ってきた通信チャンネルと共に不明人機が抜刀する。鉄菜はRソードを突き上げ、その太刀筋を受け止めていた。

 

 干渉波のスパークが激しく散る。驚くべき事に相手の武装は実体剣であった。

 

「ただの……刀だと言うのか」

 

 否、その刀身には穴が無数に開いており、リバウンド効果を内側より発生させ、穴を星座のように稲妻が繋いでいる。

 

『幾たびの戦い、数多の犠牲と魂の怨嗟を受け……ここに馳せ参じた。この俺と! 《プライドトウジャスカーレット》が!』

 

 向かい合った剣の圧力は本物だ。本物の強者の刃。鉄菜はRソードの出力を上げて応戦する。

 

「お前は……何者なんだ!」

 

『忘れたとは言わせない……。この宿命、この因果! 俺を堕落させ、この星に落ちてきた凶星そのものが!』

 

 繋いだ通信回線の声に鉄菜は思い出していた。惑星に降りた日、執拗なまでに追ってきた《バーゴイル》の使い手を。その操主の声を。

 

「まさか、あの時の……」

 

『ようやく思い出したか。だが、まだだ! モリビトッ!』

 

 薙ぎ払われた一閃が《シルヴァリンク》の肩口を削る。Rソードでも完全な受け流しは出来ないほどの刃。その洗練された太刀筋は最初の比ではない。似た感触を、鉄菜は覚えている。

 

「C連合のリックベイ・サカグチの剣術……。だがどうしてそれをお前が……」

 

『知る必要はない。貴様に人生を狂わされた俺が、自らの手で! 報復の刃を向けるだけなのだから!』

 

 実体剣の生み出す辻風にエクステンドチャージで損耗した機体が震える。盾で受け止めようとしてリバウンドの効果が完全に剥がれ落ちている事に気づいた。

 

「リバウンドフォールが……」

 

 視線をやると突き出たパイルバンカー同士が電子を伴って繋ぎ合わされ、ジャミングの電磁波を放出していた。

 

『この連装型パイルはリバウンド兵器を麻痺させる。それだけではない。貴様を討つのに、この装備は相応しい!』

 

 リボルバーよりパイルバンカーが連射される。鉄菜は盾で受け流そうとするがあまりに相手の威力が高いためか、あるいは執念がそうさせたのか、盾が左腕諸共引き剥がされる。

 

 残った左手で刃を受け止めようとしてその掌が寸断された。

 

「何を望む! この戦い、お前は何のためにここまで来た!」

 

『何を、だと? 知れた事。俺は全てを守り通す。この手から滑り落ちたもの、その全てを取り戻すんだ。そのためならば鬼にも悪魔にもなろう。そうだ、俺が――守り人だ!』

 

「お前が、モリビトだと」

 

 気圧された勢いで振るわれた刃にRソードが弾き飛ばされそうになる。鉄菜は今にも吹き飛ばされそうな操縦桿を必死に持ち堪えさせて応戦の刃を振るっていた。

 

 相手はモリビトを名乗っている。それも己から全てを奪ったであろう、呪縛の名前を。

 

 だが、と鉄菜は奥歯を噛み締める。それは自分達にとっての希望の名前。決して呪いであってはいけないのだ。

 

「違う! お前は、モリビトではない!」

 

 呼応した刃が《プライドトウジャスカーレット》の左腕を落とす。敵は激しく推進剤を焚いて後退しつつ、実体剣を振るった。密集したリバウンドのエネルギーが刃の形となって結実し、こちらへと剣閃を飛ばす。

 

 Rソードでも打ち返せないほどの密度を持つ残像の刃に鉄菜は舌打ちした。

 

『俺は全てを守ってみせる。俺の手で、何もかもを。それこそ世界さえも!』

 

「傲慢な! そのような事、人間が出来るはずもない!」

 

『ならば、人間なんてやめるさ。俺は全てを捨ててきたんだからな。今さらヒトを超える事に、いささかの躊躇いもあるものか!』

 

「違う! それは諦めただけだ! 強さと履き違えてるんじゃない!」

 

 自分がそうであったように。何かを諦める事でしか、前に進めないというのならば、それは強さではない。ただの弱者の抗弁だ。

 

 斬り返したRソードの二の太刀が《プライドトウジャスカーレット》の胸元を引き裂く。血塊炉の青い血潮が瞬時に蒸発して焼き付いた。

 

 相手の剣筋が《シルヴァリンク》の頭部を射抜く。過負荷に耐えかねた頭部が引き裂け、青い血が迸った。

 

『頭が弱点ではないのか。……だが、そんな事さえも関係がない。俺は強くなったんだ。高みへと到達した。守り人として、全てを守る。貴様に奪われた何もかもを。恨みの代行者、人々の声を聞け! モリビトォッ!』

 

「その声から耳を背けているのは、お前自身だ! お前の傲慢な考えが、また罪を重ねる!」

 

《シルヴァリンク》が顔面の半分を失いながらも《プライドトウジャスカーレット》を睨み据える。隻眼のデュアルアイセンサーが倒すべき敵へと向けられた。

 

《プライドトウジャスカーレット》は己の機体を回転軸にして竜巻のような剣筋を見舞う。Rソードで弾き返しつつ、その竜巻の中心軸を狙った。

 

 破、と声にした一突きは敵人機の右足を貫いていた。

 

 足を犠牲にした敵が大きく周回し、こちらへと最後の一閃を見舞おうとする。

 

『傲慢でもいいさ。願うのならば、傲慢なほうが!』

 

「それをエゴだと! お前自身が分かっていないのならば! 私はお前を斬る! 《モリビトシルヴァリンク》! 鉄菜・ノヴァリス!」

 

『いいだろう! その力で俺の正義を曲げられるというのならば! 俺はこの力を押し通す! 《プライドトウジャスカーレット》! 桐哉・クサカベ!』

 

 お互いの咆哮が相乗し合い、相手へと浴びせる一太刀に全てを賭ける。自分の心。これまで培ってきた何もかもを。

 

 切っ先と一撃に信念を。

 

 赤い流星と青い軌跡がうねり合い、もつれ込んで――直後、全てが弾け飛んだ。

 

 どこをどう貫いたのか、刃がどのように切り裂いたのか、それはどちらにも分からなかった。

 

 今、自分達の持つ全てを乗せた争いの剣は、互いの人機を打ち破る。

 

『リーザ……燐華、俺は――』

 

「モリビト、私は……」

 

 青い血潮が宇宙の闇に散り、爆発と共に二つの人機は消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 指先がコンソールに触れて、ああ、まだ生きているのか、と感じる。

 

 コツンと冷たい感触。耳朶を打つのは先ほどから漏れ聞こえている救難信号であった。あらゆる通信チャンネルが介在し、この宙域における生存者を問いかけている。

 

 つんとブルブラッド特有の刺激臭が鼻腔を突き抜けて、桃はようやく目を覚ました。

 

《ノエルカルテット》はほとんど大破同然であった。外部から働きかけられて、この宙域を少しずつ離れているのが分かった。

 

「ここは……」

 

 ヘルメットの一部が割れたからか、額に疼痛を感じる。血が滴っており、片目が開けなかった。

 

『無事ですか、三号機操主様』

 

 問いかける声に桃は逆に質問を返していた。

 

「クロは……?」

 

 その名前に相手は沈黙を是とする。桃はコックピットの中で項垂れた。思えばフルスペックモードで出撃したのに、残ったのは損耗した中心軸の機体だけ。これだけ自分が争い合ったのだ。本陣へと奇襲をかけた鉄菜が無事なわけもない。

 

 だが、どこかで期待もしていた。鉄菜ならば生きていてくれる。自分にないものを持っているのだと。

 

 その詮無い希望が、現実の前に打ち砕かれる。

 

 桃は本隊よりもたらされる情報を聞いていた。

 

『ブルブラッドキャリア本隊は安全地帯まで撤退いたしました。この回収作業が最後の出撃となります』

 

 その言葉に桃は操縦桿を握り締めていた。《ノエルカルテット》を稼動させ、《アサルトハシャ》の拘束を振り解く。

 

『……どこへ! 三号機操主!』

 

「クロを、助けなきゃ……。きっと、一人で、寂しい思いをしている。あの子、見た目よりずっと、脆いから。儚いから……。誰よりも、傷つきやすいから。だからモモが……」

 

 しかしすぐに《アサルトハシャ》に追いつかれその行く手を遮られた。

 

『いけません! 今、離反すればそれこそブルブラッドキャリア全体の指揮権に――』

 

「組織なんて関係がない! ……モモは、モモは、クロを助けたいのっ!」

 

 初めて発露した感情は頬を伝う涙となって熱く燻る。しかし《アサルトハシャ》二機は譲らなかった。

 

『ここでの敗走はまだ決定的ではありません。まだブルブラッドキャリアはやれます。そのために、無事帰投していただきたい』

 

「でも、クロも、アヤ姉もいないブルブラッドキャリアなんて! そんなの家じゃない! 家族の形じゃ……ない」

 

 搾り出した声には嗚咽が混じっていた。もう自分の知っている居場所は奪われてしまったのかもしれない。そう思うと居てもたってもいられない。しかし、《アサルトハシャ》の操主は落ち着けと返す。

 

『それこそ、相手の目論見通りになります! 今、三号機操主様が失われてしまえば、それこそどうしようもないのですよ!』

 

 荒らげた声音にはこれから先の未来を憂うものがあった。しかし、桃からしてみれば、それは決定的な今を失う事。

 

 今を失いたくはない。

 

 彩芽も、鉄菜も、今のために戦ったはずだ。

 

 無論、未来も含まれていただろう。だが、今がなければ未来はない。過去を洗い流せないように、誰しも今を生きているのだ。

 

「でも……モモはモモの今のために、クロを失ってまで……」

 

『達する。三号機操主』

 

 ニナイの通信であった。《アサルトハシャ》の操主がうろたえる。

 

『き、局長……。操主様が……』

 

『桃・リップバーン。あなたの功績は素晴らしいわ。だからこそ、現状、帰還しなさい。《スロウストウジャ》部隊を全滅せしめ、さらに生き延びた経験があれば、ブルブラッドキャリアは次に行ける』

 

 この女も次しか考えていない。自分達に、次があるものか。

 

「冗談……! クロを助けなくっちゃ……そうしないと何もかもが――」

 

『自惚れないで!』

 

 怒声に桃は硬直する。ニナイは一拍置いてから、平時の声を吹き込む。

 

『……三人失うのと、二人失うのは違うのよ』

 

 彼女も彩芽を失った。担当官としてあってはならない失態のはずだ。それでも持ち直そうとしている。未来を見据えようとしているのだ。

 

 だから、ここでの敗走は決定的な敗北ではない。

 

 いつかの勝利を掴むための、必要な足がかり。

 

 鉄菜を助け出す事はもう不可能であった。宙域を後続の《バーゴイル》部隊が包囲しようとしている。熱源反応に《アサルトハシャ》の操主が逸る。

 

『操主様! 一刻も早く』

 

 戦いの心得がない操主からしてみれば包囲陣を敷かれ、戦闘態勢に入った敵に勝つ術はないのだろう。

 

 桃は項垂れたまま、返答した。

 

「了解。《ノエルカルテット》、三号機操主、帰還します……」

 

 それしか選択肢はない。だが、それは今だけの話だ。次がある、とニナイは言っている。皆が皆、そうとは限らないが、ブルブラッドキャリアはここで潰えるべきではないはず。

 

 ならば、その次に繋げるための一手を育むために。

 

 桃は拳をぎゅっと握り締めていた。戦いの螺旋はまだ終わりではない。勝手に終わらせていい命では、もうなくなってしまった。

 

 組織のためでも、ましてや担当官のためでもない。

 

 自分のために、桃は生き残る事を決めた。

 

「クロ……それにアヤ姉。いつか、きっと。だから、その時に強くなるから。今だけは、モモを叱らないで……」

 

 一番に叱責したいのは自分自身であったが、桃は奥歯を噛み締めてその言葉を霧散させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吊り天井の星空が眩く輝いている。無辺の闇に手を掻いた。世界はどこまでも空虚に広がっており、連動して動いた人機の腕でも何も掴めそうにない。

 

 呼吸が途切れかけている。

 

 生命維持装置は正常に働いていたが、意識は靄のように薄らいでいた。

 

 眼下に映るのは虹色に染まった惑星。罪の象徴たる果実が熟れたように滲む。

 

 あの罪の地上から解き放たれた命がいくつもの軌跡を描いて崩落した戦場へと、青い推進剤の光を棚引かせていた。

 

 終わりを告げた戦地。何もかもが静寂の中に漂う。

 

 誰かの刃。誰かの命。誰かの信念。誰かの覚悟。誰かの涙。

 

 ――違う。この涙だけは誰かのものではない。

 

「泣いているのは……私」

 

 どうしてだろう。止め処ない涙の粒がヘルメットの中で浮かび上がり、鉄菜は白く染まった息を吐く。

 

 どうして、こんな風にしか生きられないのだろう。

 

 どうして、こんな風にしか死ねないのだろう。

 

 何もかも分からないまま、モリビトの機体が黎明の光を受ける。果てしなき宇宙に広がる太陽の恵み。

 

 罪を知っていても、あるいは知りもしないでか、日は昇り、朝を迎え、夜の帳は落ち、世界は一日を繰り返す。

 

 どこかで誰かが殺し合っているかもしれない世界。どこかで誰かが愛し合っているかもしれない世界。

 

 気の触れた兵士が世界のどこかで死体を撃つ。

 

 慈愛に満ちた聖母が世界のどこかで赤子を抱く。

 

 飢えた子供が世界のどこかで盗みを働く。

 

 満たされない日常に没する少女が世界のどこかで己を切り売りする。

 

 今も世界では、銃弾が飛び交っているのかもしれない。

 

 あるいは、愛し合う言葉が交わされ合っているのかもしれない。

 

 どちらも等価だ。

 

 どちらが優れ、どちらが劣っているわけでもない。どちらも同じく、世界の事象。切り捨てられない世界の現象。

 

 ならば、せめて銃弾の代わりに愛を。

 

 そう願うしかなかった。

 

 願う事だけが何にも邪魔されない。願う事だけが誰にも冒されない。

 

 祈りは淘汰され、悲しみは西の空に沈む。

 

 陰惨な現実は遊離し、希望は東の空に昇る。

 

 ただ手を伸ばすだけだった。この世界を掴み取る手を。未来を、手にするべき指先を。

 

 しかし、この指は闇を掻くばかり。

 

《シルヴァリンク》の残骸が宇宙を流れていく。

 

 無数の人機の骸と同じように、モリビトであったという証明もなく、世界の中では全てが当たり前に同じ価値でしかない。

 

 うねりの只中にある惑星は今日も明日を夢見る。

 

 明日には終わっているかもしれない世界。

 

 昨日には始まっていたかもしれない世界。

 

 そして、夢想する。

 

 いつか、今日よりもよくなっているいつかを。それがいつになるのか。誰にも分からない。分かる人間などいるはずもない。

 

 世界を変えようなど、傲慢の一言だろう。

 

 触れてはいけない場所だったのかもしれない。

 

 だが、人々は禁断に手を伸ばした。禁忌を操った。

 

 そうでもしないと、明日が変えられないから。今よりいい未来を描けないから。

 

 ――ああ、今にして思えば分かる。

 

「私達はきっと、一瞬よりずっと、長く感じていたかったんだ。幸福を」

 

 掴めば消えてしまう砂のように儚いもの。言葉にすれば陳腐な泡のような代物。

 

 それでも人々は願った。祈った。誓った。戦った。削った。殺した。愛した。

 

 愛した誰かが殺し、祈った誰かが死に、戦った誰かが祈り、削った誰かが願い、目指した世界を手に入れようともがく。

 

 それがどれほどまでに穢れていようとも。

 

 罪の上に成り立つ世界を変えたくって、この指は彷徨う。

 

 虚空に伸ばしていた手が力を失い、コンソールの上に落ちた。

 

 ――それでもただ、未来を信じては、いけないのだろうか。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯エピローグ 

 古代人機が百体近く、今日もコミューン外壁に近い場所を大移動した。

 

 一説によれば、それは地殻変動の前触れだと言うが定かではない。地質学者ではないので、その辺りには疎かった。

 

 ただ、ここに集まった百機近い人機に乗る操主の皆が、同じ志な事だけはハッキリしている。

 

 彼は《バーゴイル》に乗っていたが、他の人機はまちまちだ。製造年月日もさる事ながら国籍、素性、経歴、戦果、何もかもが違う者達が、たった一機の人機の下に集っている。

 

 その事実だけは変えられない。

 

『……テステス。お前も、ここに辿り着いたってわけか』

 

 通信チャンネルに割り込んできた無節操な声に彼はマイクを突く。

 

「百機はいるか……。こんなに集まっていたなんてな」

 

『それだけみんな、救いが欲しいのさ。それがどのような形であっても』

 

 一機の経年劣化の激しいナナツーがその人機へと歩み寄る。まるで傅くように、ナナツーは膝を落としていた。

 

「信仰は自由だ。だが、こんな終末の惑星で、まさかこんな願いだけが集まるなんて思いも寄らない」

 

『終末だからだよ。末期なのさ。誰もがそうだと分かっている。病理を切り離す事は出来ないが、苦しみを取り除く事、やわらげる事は出来る』

 

「そんなもんか。でもまぁ、それもあり方の一つなのかもしれないな」

 

 古代人機の大移動を観察していた者達へとその人機が振り返った。

 

 配線ケーブルを髪のように剥き出しにした頭部。特徴的な薄紫色のデュアルアイ。

 

 錫杖をついたその機体から声が発せられる。それだけで津波のように人々が平伏した。

 

『これより、教えを説く。惑星を博愛すべきとする我々の団体活動は始まったばかりだ』

 

 頭を垂れていたナナツーから通信が漏れ聞こえる。今しがた通信チャンネルを繋いでいた操主はどこの国か分からないが、経文を唱えていた。

 

 自分も何かに祈るべきかと思ったが信仰の対象は生憎存在しない。

 

 だからこそ、ここに来たのでもあるが。

 

『集った人機の数、ゆうに百を超えます。サンゾウ様。お声を』

 

 錫杖を振り翳し、その人機の操主は重々しい言葉を紡ぎ出した。

 

『よく集まってくれた。この終わりに近づく星で、少しでも多くの人間が分かり合い、触れ合える事が、全ての幸福に繋がるのだと思っている』

 

『あれが……《ダグラーガ》か』

 

 その機体の名称に男は息を呑む。

 

《ダグラーガ》。この世界最後の中立。

 

 ブルブラッドキャリアの脅威が過ぎ去ってからというもの、世界は難航した。《キリビトエルダー》という禁断の人機を生み出した事をゾル国は糾弾され、その実効力は失われて久しい。

 

 C連合の《スロウストウジャ》という人機が正式採用され、世界の人機市場は大きく塗り変わった。

 

 ナナツー、《バーゴイル》、ロンドで合い争う時代は終わりを告げた。新世代人機の旋風にしかし、乗り切れなかった者達が零れ落ち、どこに与するべきか分からなくなった人々は自然と信仰を求めた。

 

 戦わないでいい自由ではない。

 

 争わないでいい理由でもない。

 

 ただ、何かを信じたかった。信じなければ自分という存在さえも危うくなりそうで。

 

 世界は着実に変わろうとしている。男は通信チャンネルをアクティブにした。世界規模で編成が進められている組織が人機の発信する電波を傍受し、一機一機に語りかけるようにして教えを説いている。

 

『その人機は連邦の登録認証が成されていません。コードを入力し、登録をお願いします。登録されていない人機は正式な軍規から抹消され、罰則を受ける場合があります』

 

 笑わせる話だ。終わる世界においては教えを説く声は電子音声と自動認証システムである。

 

 ならば、自分はまだこちらのほうが信じられた。

 

《ダグラーガ》が錫杖を振り上げる。

 

『行こう。檻なき世界へ』

 

 その教えの行き着く先を、今は誰も知らない。ただ、希望があるような気がしただけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新型トウジャの編成案には目を通したか?」

 

 問われてリックベイは返礼する。

 

「少しばかりコストがかさむかと。現状の《スロウストウジャ弐式》をスタンダードで進める方向性に現実味を感じます」

 

「君のそういうリアリストなところはいい」

 

 上官は微笑んでロールアウト間際の新型機のテストショットを手にする。リックベイは直立不動のまま言葉を継いだ。

 

「C連合の併合を拒むコミューンもいます。《スロウストウジャ》による軍備増強にしたところでやはり血塊炉問題は避けられないかと」

 

「彼の国は面倒な遺産を遺したものだな。血塊炉産出プラントが我が国に下ったのはいいが、そこに入れるものは一握りの実力者とは」

 

 今期の血塊炉産出に当たっての部隊編成の声がかかるのだと思って呼ばれてみれば、上官でも決めあぐねている事案の相談であった。よくある事だとリックベイは文句の一つも言わない。

 

「コミューン統合連邦の草案にはまだ遠いようですね」

 

「理想論だよ。地に足がついていない話というのはいくらでも言える。政治家連中は分かっていないようだ。理想を実現するのには力がいる。今は、その力を蓄える時なのだと」

 

 力がないばかりに取りこぼされていく理想もある。思いも力も、どちらか片方だけでは回らないのだ。

 

「平和にはまだ遠い道のりですか」

 

「ブルブラッドキャリアの活動が沈静化しても、やはりヒトは争いを求めるという事が浮き彫りになってしまった。どれほど言い繕っても闘争本能を消せないのが、人類というそれそのものの業か」

 

 分かりやすい敵意が渦巻かなくなっただけだ。事態は混迷を極めているのは変わらないらしい。

 

「トウジャ部隊の編成、その早期実現こそが、近道のようではあります。ですが、逸り過ぎても道を違えるというもの。星の人々には足並みを揃える、という事を学ばなければならない」

 

「そのための連邦法案……しかしどこの勢力も面白がるはずがない。C連合が畢竟、全てを支配する、と言っているようなものなのだから」

 

「世界警察は必要です。今までは三点に分散されていただけの事。一極化は危険だという有識者の忠言もありますが、この百五十年、人類は一つになれませんでした。その大いなる一歩なのでは」

 

「君のように、誰もがそう賢しくあれるわけではないよ。言葉の裏と相手の想定を覆す事ばかりに長けてしまった。悲しい事実だ」

 

 上官はトンと指先で書類を叩く。今言うべき事柄は終わった、というサインであった。

 

「《スロウストウジャ》の量産計画は進んでいます。ゾル国……いえ、未だ傘下に加わらない、旧態然としたコミューンへの働きかけは行っていますが現地での妨害が強く、実現は難しいと兵士達もぼやいている」

 

「どれほど研究と兵器の分野が進んでも、やはり体制への反発はいつの時代もある。人機の識別信号の一本化、こちらからも話は通しているのだがなかなか、ね。旧ゾル国コミューン勢にタチバナ博士レベルの人間が話し合いを申し出ているそうだが……」

 

 濁したという事は却下され続けているのだろう。あの戦局で現れた《キリビトエルダー》開発に関わったとして、タチバナ博士は半年間、ゾル国に拘留されていたが、ゾル国という国家の存在基盤が危うく消え去りそうな中、そのような権力図式自体が時代錯誤だとして罪状は消滅した、と表向きなっている。

 

 しかし裏ではC連合が手を回し、自国の利益を進めさせた結果だ。タチバナ博士の頭脳はトウジャ量産化計画には欠かせないだろう。

 

 殊にモリビトとの戦局を変えてみせたほどの人機製造者となれば、こぞってどの陣営も欲しがるのは必定。

 

「モリビトですか……。ブルブラッドキャリアという名の幻想を掲げ、誰もが剣を振り翳せた時代はもう、終わったのでしょうか」

 

「さぁね。その権利は誰にでもあるようで誰にでもないものだ。タチバナ博士の所在如何だけでどうにかなる問題でもないさ」

 

「現場では不満の声もあります。ナナツーに戻せというわけではありませんが、トウジャの利便性はあまりにも新参兵の弱さを浮き立たせる」

 

「オートマチックな技術はいつの時代でも叩かれる。格好の対象だ。なに、マニュアルに長けた人間がいただろう? 君の部下には」

 

 指し示す人物が誰なのか分かり、リックベイは辟易する。

 

「……彼に頼るのは」

 

「少しは部下を信じてやりたまえ。独り立ち出来る雛まで巣に残す事はあるまい。少佐、今日はここまでだ」

 

 下がってよし、の指示にリックベイは返礼し、踵を返した。

 

 廊下ですれ違う兵士達も知らない顔が増えた。否、あの戦い以降、兵士の図式が変わったと言ってもいい。

 

 志願理由がブルブラッドキャリアのような急進派を生み出さないため、というような兵士を自分はいくつも見てきた。ある意味ではあの組織は、時代を変えたのだ。少し前まではブルーガーデンやゾル国への牽制程度にしか軍属を認識していなかった人々へと、曲がりなりにも現実を再認識させた事になる。

 

「……皮肉な。世界をたばかった存在が、同時に人々の意識を変えたなど」

 

 部屋に入った途端、赤毛の青年がこちらに視線を向けた。リックベイは眉間に皴を寄せる。

 

「あ、おかえりなさい。少佐」

 

「……どうして君は相も変わらず、わたしの部屋に勝手に入ってくる。アイザワ少尉」

 

「やだなぁ、少佐。おれ、これでも偉くなったんですよ? 今は中尉です」

 

 勲章を掲げてみせるあの戦場の勝者にリックベイは眩暈を覚えた。

 

「変わらないものもある、か」

 

「どうしたんです? また上に呼ばれて?」

 

「《スロウストウジャ》量産化計画を上は焦りたいらしい。時期尚早だ。民衆にはあの機体に馴染みのない部分がある。新型人機などここ百五十年製造されていなかった、という名目がある以上、表立っての運用は危険だと諭したつもりだが、やはり分かりやすい力の誇示は必要か」

 

「少佐、よく喋りますね。何かいい事でも?」

 

 にやついたタカフミがチャンネルを替える。片手には自分宛の甘菓子があった。

 

「君のほうこそ、プライベートの順風満帆が手に取るように分かる。……昨日は瑞葉君と西欧料理だったらしい」

 

 その指摘にタカフミは硬直して甘菓子を取り落とした。

 

「し、少佐? どうしてそれを……」

 

「慌てふためいても君は顔に出やすい。先読みを嘗めない事だな」

 

「お、お見それしました……」

 

 それでもにやつきを止めない辺り、タカフミは瑞葉とうまくいっているらしい。部下のコンディションのよさはそのまま戦場へと伝播する。タカフミも今は一個中隊レベルならば任せていいほどの腕前だ。

 

 ご機嫌に投射画面に視線をやったタカフミは反政府コミューンが掲げる凱旋パレードの模様を映していた。先頭には白い《バーゴイル》が立ち、操主が民衆へと手を振っている。

 

 あの戦いの時、《モリビトタナトス》へと搭乗していた人間――ガエル・シーザーは王権の復活とその理想を掲げた団体の支持者に持ち上げられ、今や旧ゾル国の希望の星だ。

 

「何か、変な感じっすね。だってあいつ、《モリビトタナトス》に乗っていたんでしょう? 誰も何も知らないで……」

 

「知らない事がある意味では救いの時もある。民衆にはシーザー家の威光を示すのに充分なカリスマに映るのだろう」

 

「そんなもんですかねぇ」

 

 甘菓子を頬張ったタカフミにリックベイは嘆息をつく。どれほど併合が進んでも、やはり人類は一つになれない。仕事用の端末を立ち上げてメールフォルダに入っている機密ファイルを開く。

 

 そこには治安維持部隊設立の草案が挙がっていた。

 

 連邦法案だけでは世界を縛り切れない、という考えの表れだろう。刻まれているその組織名に、これも因縁か、とリックベイは目頭を揉んだ。

 

「世界は、簡単なようで、まだそう容易くはない、か」

 

 誰もが自らの罪と罰を直視出来ず、彷徨う時代が続いている。ブルブラッドキャリアはその時代に終止符を打ちたかったのだろうか。問いかけても答えはない。

 

「あっ、そういや、瑞葉が少佐にって。これを」

 

 手渡されたのは瑞葉の診断書であった。少しずつではあるが、投薬と催眠治療に頼らない道を模索している。彼女も国家亡き今、強くあろうとしているのだ。

 

 機械天使は翼を失い、ただの人に戻ろうとしている。その着実な歩みを素直に祝福すべきだろう。

 

「そう、か。早期治療が進めばいいな」

 

「ええ、最近では料理の味が分かるからって自分でも何か出来ないかなって言っていますよ」

 

 微笑んだタカフミにリックベイは手を掲げる。

 

「そこまでだ、アイザワ中尉。まさかわたしの部屋に来たのは報告でも何でもなく、ただの色恋の話をしに来たのかね?」

 

 あ、とタカフミが頬を引きつらせる。リックベイは笑みを刻んだ。

 

「スイマセン、少佐……。また、やっちゃいました?」

 

「さぁな。そこまでは関知せんよ」

 

「し、少佐ぁ……」

 

 情けない声を出すタカフミにリックベイはわざと視線を背けてやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キーを叩く音は等間隔に。それでいて情報は等価に。

 

 ネズミがキィと鳴いて足元を通り過ぎていく。大気浄化システムは万全の様子だな、と彼女は吹かした煙草のにおいで感じ取った。

 

 安物のブルブラッド煙草は甘ったるく、肺の中に残りやすい。パッケージには「あなたの健康を損なう恐れが」の聞き慣れた警句。

 

 しかしこの仕事、煙草の一つでもなければやっていけなかった。

 

 OL時代に培った技術か、あるいは潜在的に眠っていたものか。潜入捜査は思いのほか、性に合っていた。

 

 路地裏の端末へとハッキングし、コミューン外壁からの監視カメラにアクセスして、そこから映る将官の端末に映るパスコードを入力する。程なくして、完全に隔離された機密情報へと連絡が成された。

 

「相変わらず手早いね」

 

 その様子を観察していたのは一人の女性である。褐色肌の女は壁にもたれかかったままこちらの仕事を注視する。

 

「見てるだけ?」

 

「まさか。こっちも別の仕官の端末に入ったところやし」

 

 女の眼球に施されたカメラが弛緩と収束を繰り返し、その稼動状況を伝えた。彼女の視界にはリアルタイムで情報が同期されているのだ。

 

「世知辛い事ね。わたくし達はこんなところで……。ネズミと同居なんて」

 

「それ、うちの事言ってる?」

 

 褐色の女は艶やかに微笑む。端末内にデータをダウンロードし終え、彼女は相棒のノート端末を畳んだ。

 

「ここまでね。これ以上は察知される」

 

「退き際がいいんもさすがの一言。どこで諜報員やっとったん?」

 

 表に出た彼女はセミロングの茶髪に指を絡め、唇の前で立てた。

 

「秘密、よ」

 

「そりゃ、いいわ。女には秘密が多いほうがええもんなぁ」

 

「行きましょう。わたくし達の、戦いを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「拝見させてもらったよ。資料は完璧だ。偽装もされていない」

 

 吹き込んだ声に相手は満足そうに応じていた。

 

『そうですか。いやはや、この程度の仕事を頼んで恐縮です』

 

 何を今さら、と言い返す。

 

「ワシを体よく利用した人間が、言えた話か」

 

『それも、そちらとアタシ達の理念が一致したからという話ですよ。なに、細く長く行こうじゃありませんか。きっと、一生の付き合いですよ。我々と博士は』

 

 これも穢れの一つか、と通話中止ボタンを押す。

 

 机の上には新型人機の開発資料と様々な組織からの招待状。それに、あらゆる機密資料が無作為に転がっている。

 

 以前までならばこれらを全て一人の秘書に任せていたのだが、あの一件以来手持ちの仕事は誰の目にも通さない事にしていた。

 

 所詮は老人の繰り言。老い先短い人間の、最後のわがままだ。

 

 端末上に表示された個別資料には新たな機密名簿がある。目頭を揉んだタチバナは息をついて腰を下ろした。

 

「これが……惑星の希望となるか、はたまた破滅への遠因となるか……」

 

 それも自分の決める事ではない。

 

 資料の文頭にはこう記されていた。

 

「血続反応が確認された人物」と。そこに顔写真付きで羅列されている中に、タチバナは見知った面持ちを見つける。

 

 操主志願者、燐華・クサカベ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 銃弾が跳ねる。ナナツーが推進剤を焚きつつ後退してようやく、敵の仔細な配置が明らかとなったらしい。

 

「敵部隊は《バーゴイル》六機! それぞれ機動戦闘に秀でているタイプだ。随分と前のサイクルの機体を使っている」

 

 その言葉に仲間は歯噛みする。

 

「俺達みたいなのを殺すのに、トウジャなんて要らないって事かよ……!」

 

 またしても銃弾が跳ねる。何も敵は人機だけではない。歩兵部隊も脅威であった。人機に乗っていない自分達など丸裸も同然。

 

《バーゴイル》が飛翔し、悪鬼の翼を広げてその手に握ったプレスガンを照射する。

 

 拠点が爆発の振動に揺れ動き、砂埃が舞う。

 

「ここも終わりか……」

 

 呻いた仲間は右腕がなかった。視界に入る者達は皆、負傷している。

 

 五体満足な人間は操主として前線に立つしかない。まだ両腕があるだけ御の字だ。旧式のナナツーがプレスガンの攻撃を受け、キャノピーから黒煙を棚引かせる。

 

 自分の操るナナツーもほとんど強度限界であった。R兵装に耐えられるようには出来ていない。コミューン同士の小競り合いに大国が介入するはずもなく、安値で買い叩かれる命は今日もこうして日に没していく。

 

 最早、玉砕の構え。

 

 鈴なりに装備した爆弾の信管を抜き、特攻するしかないと思われた。

 

「このクソッタレな支配に、一撃を――!」

 

 前進したナナツーへとプレスガンの集中砲火が見舞われる。足が弾け飛び、次いでつんのめった機体が地面を滑った。爆弾は発動しない。

 

 敵人機のジャミングか、こちらの電子機器が砂嵐を浮かべる。

 

 夕陽を背にして《バーゴイル》が構えた。次の瞬間にはプレスガンの一斉射撃が自分達へと雨のように降り注ぐ。

 

 そのはず、であった。

 

 目を閉じた刹那、発生した破砕音はこちらのものではない。

 

 中空の《バーゴイル》が何かに弾かれたように寸断され、生き別れになった上半身が壊滅状態のビルへと突っ込んだ。

 

 残る五機がプレスガンの照準を彷徨わせている間に状況は一変する。

 

 黄昏の色彩を纏わせた一閃が三機の《バーゴイル》を纏めて粉砕した。何かが降り立ったのは分かる。

 

 しかし、誰もその何かを形容する言葉を持たない。

 

 照り輝く銀翼を広げて、何かは右手に備えた剣を払う。

 

 青く燻る大気の中、リバウンドの刃が断罪の鋭さを伴わせた。

 

「あれは……」

 

 振り返ったその人機は隻眼であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「テスト66から再認証。これより、定期稼動試験データを取る。立会人は僕、タキザワ技術主任とこの人機の専属操主だ」

 

 記録映像に語りかけてタキザワは浮き上がる。無重力の中、最奥に収まった一機の人機を中心に人々が散り散りになっていく。

 

 ケーブルに繋がれた人機は肩口に長大なウイングスラスターを有していた。両肩のそれは翼であるのと同時に盾のように扁平である。

 

 タキザワは漂いながら構成員達に呼びかける。その声音が弾んでいた。

 

「ようやく……六割、か。システムがまだ馴染んでくれていないが、これは新たなる一歩となる。起動実験開始」

 

 復誦の声が上がる中、その人機は胸元に刻まれた三つの球体のうち、二つに光を灯らせた。

 

 眼窩に生命の輝きが宿り、その人機が稼動する。

 

「罪に塗れた世界へようこそ。零号機、《モリビトシン》」

 

 

 

 

 

 

 

ジンキ・エクステンドSins つづく

 




なかがきと共に三週間のお休みをいただき、2ndシーズンへと続きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

なかがき

 

なかがき

 

 拙作、『ジンキ・エクステンドSins』をここまで読んでくださりありがとうございます。

 ♯エピローグの通り、ファーストシーズンは終了しました。

 ひいては三週間のお休みをいただき、セカンドシーズンに突入するわけですが、ここで一旦、幕間としてのなかがきを挟ませてもらいます。どうかご容赦を。

 さて、そもそも何故今さら……いやもっと乱暴な言い方をするのならば何故「ジンキ」シリーズの二次創作をここまでしようと思ったのか。それに関して語らせてもらいます。

 前作を知っている方はどれくらいいるでしょうか。『ジンキ・エクステンド 翠聖の翼』で大正時代を舞台に「ジンキ・エクステンド」のいわば前日譚を描かせていただきました。

 しかしやはりと言いますか、大正時代では時代考証に無理があったのと、何よりも「対人機戦」を全くと言っていいほど描けなかったのがやはり不満点として残っていました。

 鋼鉄同士がぶつかり合うメカバトルをほとんどやれなかったのはやはり後悔としてあり、ちょうど公式である綱島士郎先生がチャンピオンREDにて『人狼機ウィンヴルガ』を開始され「ジンキ」シリーズの新たなる可能性を見た時、やはり強く感じたのです。

「これを徹底的にやってみたい」と。

 そう思ったらつらつらと出てきたのです。シルヴァリンクをはじめとする人機の設定とSF考証(と言えるほどのものではないと思っていますが)が。

 モリビトが対惑星の切り札として徴用され、宇宙よりの報復作戦が実行される――という流れはもう見れば分かるといいますか『ガンダム』ですね、どう考えても。

 しかもほとんどWと00みたいなものです。

 ですがこれを「ジンキ」シリーズで出来ることに意義があるのではないかと感じ、書き始めれば出るわ出るわの新設定に新解釈。

 書いてみて正直久しぶりに「楽しい!」という感覚でした。

 ジンキSinsのことを考えているのが一番に楽しく、また綱島先生のウィンヴルガもどんどんと新設定や新展開が出てきて本当に楽しかったんです。

 だからなのか分かりませんがこの作品、ほとんど読者さんの受けは悪かったです。

 もう作者が完全に自給自足で楽しんでいる領域と言いますか、「読者の事考えていないかもな……」というのはどこか頭としてあって、それに関しては申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 自分だけ楽しい、というのはやっぱりよくないのかな、とは思いつつも「じゃあ自分が楽しめなければ誰が最初に楽しむんだ?」という命題が突きつけられていて、何が悪いのだろう……、ひょっとしてこの展開は伝わりにくいんじゃないかな、という部分に関してはセカンドシーズンでもっと分かりやすく噛み砕こうと思っています。

 ですがやっていてこれほどに楽しく、また充足感が得られた作品もありませんでした。

 そもそも「ジンキ」シリーズと出会ったのは中学生の頃。

 まだ新聞の番組欄がアニメかバラエティなのか分からない頃に偶然、深夜に録画したアニメがありました。

 それが『ジンキ・エクステンド』です。

 正直、衝撃を受けました。

 当時、確かエウレカセブンやファフナー、アクエリオンというオリジナルロボットの流れはあったものの、それは何というか言い方を悪くすれば「それって地方民は楽しめないですよね」という感じでした。(エウレカは映りましたけれど)

 その地方民がよく分からない深夜二時頃の時間に、よく分からないまま録画できたよく分からないロボットアニメ……。

 第一話のキリビトザイ対モリビト二号のアバンでなんというか……頭の中身が割れたかと思うほどの衝撃を受け、そして本屋に行くとその原作本を見て二度衝撃。

「ほとんどアニメとそん色ないカラーイラストじゃないか!」と。

 当時、ロボット漫画というのは今ほど間口が広くはなく、さらに言えば描ける人も限られていて、その中でオリジナルロボット! なおかつ人物もびっくりするほど上手い! となればハマったのは必定でした。

 その後もジンキシリーズを買い続け、今『人狼機ウィンヴルガ』を愛読しております。

 そんなファンとしての関わりあいの中でどこかで「ジンキを自分なりに動かしてみたい」という欲求があったのでしょう。

 ちょうど、と言いますか別件でロボットものに関われる機会があり、その上一応は小説を書いて報酬をいただけるようになったので、この機会に恩返しと言いますか、これまで自分を育んでくれたジャンルに、自分なりのアンサーをぶつけてみたいと思ったのです。

 それがジンキSinsを書く土台でした。

 正直、オリジナリティがないとか、使い回しみたいな設定とか言われかねないな、という懸念はありましたが一応は軸として「罪」を置き、その罪に対して人間はどう関われるのだろう、どう償っていけるのだろう、というのがメインテーマではありました。

 鉄菜達ブルブラッドキャリアの側で見るか、惑星の側で見るかは読者様次第です。

 ただファーストシーズンではとりあえずどちらの視点からも楽しめるようにした結果、ちょっととっちらかったかもしれない、という感じはありました。

 続いてメカニックの部門ですが……もうどう足掻いても本家「ジンキ」には敵わない程度の貧弱なイメージ力ですので分かりにくいメカ設定だったり、ぱっとしないデザインだったりだとか思われていたかもしれません。

 その点に関しては本当にすいませんでした。私の完全な力不足です。

 あとは完全に作者の都合であれなのですが「プラネットシェル」という固有名詞や「地球ではなく惑星」とする意味など一応は伏線……のつもりです。

 ナナツーやらバーゴイルやらモリビト、キリビト、トウジャやらを本家よりお借りしての作品であったのでもうほとんど自分の考えたと呼べないものかもしれませんが、そこは二次創作として生温かい眼で見てください……。

 さてセカンドシーズンですが、今のところ四割程度は書けています。なのでそこまで投稿速度で困らせる事はないかと。

 生き残った人々はあの後どうなったのか。鉄菜やブルブラッドキャリアは世界を本当に変えられたのか。全ては『ジンキ・エクステンドSins』セカンドシーズンにて。

 あとは名称の発想方法に関して、今作独自のものがあったのでその補足だけ。

「ブルブラッドキャリア」という名前に関して。とりあえずこれまでの色んなロボット漫画やアニメに出てくる名前との混合だけは避けたいということを前提に考えていましたので、「これ!」というのが出たら即採用と思っていた時にこれが割とすとんと出てきて助かりました。

 血塊炉――ブルブラッドエンジンが青い血を象徴するものであることと、キャリア=感染体などを意味するので極大解釈をして「青い血の者達」というような意味となっております。

 青い血と言えば自分の中では『ラーゼフォン』の感覚が強いので本質的に「別種」、「分かり合えない存在」という暗喩も含んでいます。

 C連合、ゾル国、ブルーガーデンに関して。「コミューン」という共同体をすぐに出す事は決まったのでそのコミューンを統括する連合体は出るだろうと、C連合が一番に決まりました。一番大きい国家なので汎用性の高い機体を使っているだろうということでナナツーのイメージがすぐに定着しました。

 二番目がゾル国。綱島先生の作品にザコ敵として「ゾール」というのがいたような気がしたのでそれにあやかってゾル国。色んな先行作品と出来るだけ被らないような名称という点でもグッドだったので即採用。確かゾールを使っていたのがキョムだったのでそのままバーゴイル。

 最後にブルーガーデンですが、この作品の特性上、絶対に強化人間的なものと+独裁国家は存在すると考えたので余り物の考え方ですが、青い霧に包まれた秘境のイメージでつけました。ロンド系列にしたのはこれも余り物の考え方ですね。

 血続に関してもファーストシーズンではほとんどさわりだけの扱いだったのでセカンドシーズンでは掘り下げたいと思います。

 続いてモリビトの名前ですが、実はシルヴァリンク、一発で決まりました。鋼鉄の絆、という開発コードと一緒にすんなりと。剣を持っている近接戦闘機でなおかつ主人公の人機なのも何故か一瞬で確定したのです。不思議なめぐり合わせですがこの時点で既に主人公の名前で「クロハ」というものがありました。

 原作の名付け法則で行くと「色+植物」という感じなので「黒」、しかしそのままだとひねりがないので鉄から前半だけ拝借して「鉄」。普通ならば「葉」ですが、「鉄」に「葉」はグーグルで調べると「ブリキ」と読むらしくこれはまずいな、ということで植物系列のネーミングで「菜」、と来て「鉄菜」が出来上がりました。これまた不思議な巡り会わせで、下の名前のノヴァリスですが、調べてみるとこれは外国の作家でその作中になんとこの作品で一番に意義があったであろう「青い花」が出てくるのです。

 多分何かの検索中に偶然目にしたものを結びつけたのでしょうが運命を感じました。

 続いて彩芽ですが、これはポケモンのほうで使った名前をそのまま使って「彩芽」と。実はよく使っているのに自分では自覚のない「サギサカ」という苗字にしました。これもすんなりと決まりました。

 鉄菜と同時期に決めたのが桃で、前の二人が植物なのでもうそのまま果実の名前でいいじゃないか、ということで簡単に決まりました。ただ、彼女の乗機である「ノエルカルテット」に関しては最後の最後、本当に書き始めるまで悩んでいました。

 安直過ぎないか? と思ったので。

 当初より三機のモリビトを出すのならばタイトルの「Sins」にちなんでいるのが面白いと思っていたのでまずはシルヴァリンクの「S」。これは当て嵌めたつもりもなく勝手に決まったので次はインペルベインの「I」。これに苦戦した記憶があります。

 インペルで検索すると……まぁ出るわ出るわ某海賊漫画のインペルダウン。しかも英語の記事さえもこの使い方を参照しているほどのあれでしたので、インペルの原語を調べてみるとどうやら「(奈落へと)落とす」的な意味のようでしたので、ベイン(破滅)と合わせて、これも極大解釈をして「破滅への引き金」になりました。

 そして最後の「S」であるところのモリビトシン。実はこれ、出すつもりは全くなかったんですが、「成功した三機だけだと物足りないし欠陥品があってもいいな」と思ったので急遽追加。

 結果論ですが「Sins」には意味がつきました。

 ちなみに「N」は本当に悩み抜いての「ノエルカルテット」でした。もう読んで字の如く「福音の四重奏」。こいつだけ意味適当じゃね? と思われたら仕方ありません。カルテット……重奏のイメージから合体する大型人機にして少しでもギミックを足そうとはしたんですけれど……。

 色々と苦しいところの多い作品だったと思いますが、セカンドシーズンも読んでいただけたら幸いです。

 あとは綱島先生の描くジンキシリーズを毎月楽しみにしているだけの、ただの読者ですので、本当にジンキにご多幸のあることを願って筆を置かせていただきます。

 ではセカンドシーズンでまた。

 

2018年3月19日 オンドゥル大使より

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九章 破界の果実
♯プロローグ1


 青い土壌を血潮が塗りたくる。

 

 赤く染まった大地で一人、また一人と兵士が倒れていった。アサルトライフルを手に接近する敵兵へと怨嗟の言葉が浴びせられる。

 

 その言葉の皆まで聞かず、放たれた銃弾が一人の兵士の頭蓋を射抜いた。

 

 三々五々に兵士が散る中、塹壕から迷彩色にカラーリングされた《バーゴイル》が出撃する。

 

 レールガンが射出され、敵兵を押し出そうとした。兵士達の悲鳴が通信機を劈く。

 

『何だあれは! あんな人機、滅茶苦茶じゃないか!』

 

『こちらB班! 敵人機と遭遇! 応援を求む!』

 

『あれが……C連邦の……』

 

 直後、何かが潰れる音が通信網に焼け付いた。《バーゴイル》の操主二人が光通信で会話する。

 

「ひでぇもんだ。どうやらここが殿らしい」

 

『どこへ行っても、か。押されているな。巻き返せるか?』

 

「誰にもの言ってるんだ、よっ!」

 

 発振したプラズマソードを振り翳し、《バーゴイル》が前線の兵士達を蹴散らさんと機動する。おっとり刀の兵士達はすぐさま撤退していった。

 

 仲間の皮肉が飛ぶ。

 

『これ……自分達は撤退しても旨味があるって判断だよな。俺達が死に物狂いでここで戦端を開いたって無意味だって』

 

「それでも、やるっきゃないだろ。ここを陥落させられたらお終いだ。《バーゴイル》、行くぞ!」

 

 飛翔した《バーゴイル》のスラスターノズルには土くれが溜まっている。ほとんど塹壕での待ち伏せに使っていたせいだ。

 

 久方振りの飛行はがたついていたがさすがは旧ゾル国勢の機体。すぐに持ち直し、《バーゴイル》のシステムコンソールが安定機動をもたらした。途端――。

 

 一条の光線が戦場を奔り、青い空気を引き裂いていく。

 

《バーゴイル》の肩口を貫かれた。

 

 よろめいた《バーゴイル》へと青い戦場の向こうから死神がやってくる。

 

 赤く塗装された機体はX字の眼窩をぎらつかせた。

 

『トウジャだ! 全軍退避ーっ! あれと打ち合って勝てるのは……!』

 

「ああ。人機だけだ」

 

《バーゴイル》を安定稼動させ、先を行った仲間へと援護射撃する。ハンドレールガンの射程はせいぜい人機一体を相手取る程度。だが、邪魔な雑兵を蹴散らすくらいは造作もない。

 

『派手に行こうぜ! C連邦の……独裁の狗がァッ!』

 

 仲間の《バーゴイル》が後部に積載した重火器を《バーゴイル》に持たせた。ガトリングライフルが火を噴き、《スロウストウジャ弐式》の装甲を叩く。

 

 しかしただの純粋火器では《スロウストウジャ弐式》はびくともしない。

 

『やっぱりR兵装じゃなきゃ駄目か!』

 

 舌打ち混じりに仲間は《スロウストウジャ弐式》に向けて火線を張り続ける。それが分かっているからこその弾幕だ。

 

 こちらには塹壕の底に埋めておいた虎の子の高出力プレッシャーライフルがある。

 

《スロウストウジャ弐式》が接近してきた時こそ、その真価を発揮するだろう。仲間がダメ押しの弾幕で相手の視界を奪っているのはそのためだ。さしものトウジャタイプと言っても、火線を張り続ける相手の裏を掻いた行動には瞠目せざる得ないはず。

 

 ハンドレールガンで援護しつつ、《バーゴイル》にプレッシャーライフルを握らせようとした。

 

 その時、不意に中空から地上へと縫い止める雷撃が放たれる。緑色のリバウンド兵装の輝きは推し量るまでもなかった。

 

 手先でプレッシャーライフルが引火し、爆発の光に包まれていく。

 

 慌てて《バーゴイル》に飛翔機動を取らせ、誘爆から逃れた。

 

「トウジャ……! 新型の!」

 

 中空に佇むのはX字の眼窩は同じものの、紫色に塗装された機体であった。黄色く染まったアイカメラセンサーがこちらを睥睨する。

 

 後部に《スロウストウジャ弐式》よりも発達した推進機関を有していた。高機動型のスロウストウジャの発展型。その名前は――。

 

「《ゼノスロウストウジャ》……! 本国のアンヘル!」

 

《ゼノスロウストウジャ》と呼ばれた機体へと仲間が火線を張る。その猛攻を《ゼノスロウストウジャ》は腕を払って弾き返した。

 

 言葉通りの意味で。腕を振るっただけで弾丸の位相が変化し、銃撃がこちらへと反射してくる。

 

「連中、リバウンド装甲だ! 実体弾で応戦なんてするな!」

 

『分かってんよ! クソっ! じゃあ斬り合いで!』

 

 発振したプラズマソードと《ゼノスロウストウジャ》の腕が干渉波のスパークを散らせた。相手からしてみれば何でもない。ただ単に腕を振るうよりも下策の攻撃が放たれたのみ。

 

《ゼノスロウストウジャ》が《バーゴイル》の頭部を引っ掴む。仲間の《バーゴイル》がガトリングを引き絞るが、表層を叩いただけの銃撃は虚しく響くのみ。

 

『チッ、クショウ! 墜ちろよ!』

 

 ガトリングを捨てた《バーゴイル》が袖口に仕込んだ機雷へと起爆させようとしたところで、《ゼノスロウストウジャ》が頭部を握り潰した。まるで果実のように青い血潮が絞られていく。

 

 こちらには最早手立てはない。雄叫びを上げながら、《バーゴイル》のハンドレールガンで猪突する。

 

「このっ! よくも、俺達を! このコミューンをォッ!」

 

 ハンドレールガンの弾丸を相手が振るった片手でいなし、沈黙した《バーゴイル》を投げ捨てる。

 

 頭部を潰された《バーゴイル》が大写しになった直後、《ゼノスロウストウジャ》が片腕を薙ぎ払った。

 

 袖口より発振されたプレッシャーダガーが仲間の《バーゴイル》ごとこちらの血塊炉を引き裂く。

 

 血塊炉不全状態――貧血に陥った《バーゴイル》が撃墜されるのは予測された範疇であった。

 

 背筋より落下した二機の《バーゴイル》の重量に、操主は眩惑される。

 

 頭を振ってハンドレールガンを構えたが貧血状態から武器を撃てるはずもなし。

 

《ゼノスロウストウジャ》と《スロウストウジャ弐式》が自分達を取り囲む。

 

 彼らの標準装備であるプレッシャーライフルの照準警告が瞬時にコックピットで鳴り響いた。

 

 血反吐を吐きつつ、操主は両手を上げる。

 

「まだ……死にたく……」

 

 その言葉が紡がれる前に、四方八方からプレッシャーライフルの光条が《バーゴイル》二機を撃ち抜いた。灼熱が迸り、青く染まった大地を染め上げる。

 

 白い霧が上がったところで《ゼノスロウストウジャ》の操主が通信に吹き込んでいた。

 

『状況終了。このコミューンは完全に陥落した』

 

『元々、反政府派のただの悪足掻きでしょ。造作もないですよ』

 

『そうかな。案外、我々には健闘したほうかもしれない。世界の抑止力に抗うなど、無駄な事なのに』

 

『スロウストウジャ部隊に損害はありません。最小限の武力で最大限の貢献をする。我々アンヘルの理念が生きていますよ』

 

《ゼノスロウストウジャ》がプレッシャーダガーを発振した腕を掲げる。「A」へと交差する「X」が描かれたエンブレムが青い景色に映えた。

 

『アンヘルに歯向かうなど、ただの愚者だ』

 

『その愚者がこのコミューンの設計者なんでしょう? まったく、どれほど人命を無駄にしたか』

 

『捕虜と難民問題は本国の頭を抱えたお歴々の分類だ。我々、前線の兵士には関係のない事だ』

 

 その時、一人の女が塹壕より這い出てきた。

 

 高濃度ブルブラッドの中、女は子供を抱えている。何か呪詛の言葉を吐いているようであった。

 

『……どうします? 隊長』

 

『どうもこうもない』

 

《ゼノスロウストウジャ》がすっと片腕を向ける。見向きもせずに放たれたプレッシャーダガーの熱気が親子を消し炭にした。

 

『こうするように、本国からは仰せつかっている。殲滅戦だ』

 

『……御意に』

 

《ゼノスロウストウジャ》が戦場を舞い上がる。それに続いて《スロウストウジャ弐式》部隊が飛翔した。

 

 青く爛れた戦場を俯瞰し、《ゼノスロウストウジャ》のコックピットに収まる男はふんと鼻を鳴らす。

 

「ただただ、違っただけの話。運命の巡りが、な。それだけだ。シンプルでいいだろう? 弱者は地を這い蹲り、強者のみが舞い上がれる。紺碧の空は我々のものだ」

 

《ゼノスロウストウジャ》が両腕の袖口に備え付けられたプレッシャー装備の放射口を地上へと向ける。

 

 直後、土くれを舞い上がらせ、地表を幾度となく叩きつける雷撃が戦場を蹂躙する。

 

 まだ生きている兵士はいただろう。あるいはまだ守られている一般人も。

 

 しかし、これは殲滅戦。

 

 一匹も逃すな、というお達しだ。

 

 だから塵芥でさえも見過ごさない。たとえその命が虫けらの如しであろうとも、一匹も生き永らえさせてはいけない。

 

《スロウストウジャ弐式》から口笛が漏れ聞こえた。

 

『怖ぇえー。俺、本当にC連邦の側でよかったですわ。だってこんな風に……リバウンドプレッシャーの砲弾で撃ち抜かれるなんて想像もしたくないですもん』

 

「なに、瑣末な違いだよ」

 

《ゼノスロウストウジャ》の中で男は腕に巻いたリストバンドを目にしていた。

 

 バンドの先には焼け爛れたネックレスの欠片が括りつけられている。

 

「ほんの瑣末な……それこそ取るに足らない差だろう」

 

『《スロウストウジャ弐式》、全機帰投します』

 

 コックピットの中で投射画面が開き、本部からの打診を訴える。

 

『アンヘル第三小隊。損傷は軽微か?』

 

『損傷どころか、怪我一つ負っていませんよ』

 

 部下の軽口を無視して司令官は咳払いする。

 

『隊長機、そちらの判断は?』

 

 一拍だけ置いてから、男は応じていた。

 

「《バーゴイル》が二機、それだけです。高出力プレッシャー兵器を確認しました。恐らくは第三国……弱小コミューンから流れ着いた代物でしょう」

 

『よろしい。洗い出しを行う。シリアルナンバーを参照せよ』

 

「51B、73DF469」

 

 その番号が復誦され、自分専属のライブラリが開いた。

 

 ライブラリの中に同じ特徴を持つ兵器を発見する。

 

「これですね。高出力Rプレッシャーライフル。……驚いたな。旧ゾル国の正式採用機」

 

『《バーゴイル》が出てきた時点で推し量りでしょう?』

 

『判断を仰ぎたい。そのコミューンにまだ、対抗勢力は存在するか』

 

 司令官の問いかけに男は地平線を注視した。

 

 紺碧の大気が染める戦場には塵一つ残っていない。人機どころか、人間でさえも殺し尽くした虐殺の丘。

 

「……いえ、目視出来る範囲には」

 

『いいだろう。帰還したまえ。アンヘルの御許に』

 

「栄光あれ」

 

 復誦した自分に倣い、部下達も声にする。

 

『栄光あれ……。ねぇ、これってやっぱり宗教って奴じゃないですか?』

 

 ローカル通信の部下の苦言に男は笑みを刻んだ。

 

「そうでもないさ。信仰は生きているかもしれないが、宗教は死に絶えた。それに、我々が仰ぐべき天使は存在しない。我々こそが、天使なのだ」

 

『虐殺天使、なんて揶揄されちまってますけれど……』

 

「言わせておけ。連中は所詮、ネットの中でしか吼えられない弱者。そのしわ寄せがどこに行くのかの想像も出来てはいまい」

 

《ゼノスロウストウジャ》が帰還信号を空に放つ。

 

 青く染まった大気を引き裂いて、プレッシャーの赤黒い光が地表を照らし出した。

 

 忌むべき色の夜明け。

 

 戦場の終焉。

 

 ――また一つ、この惑星からコミューンが地図より消えた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 廊下を折れたところで、リックベイは自分達とは違う制服の一団と遭遇する。

 

 赤い詰襟の制服。戦場を舞う死の天使と呼称される虐殺部隊。「A」を交差する「X」字が切り裂いているのはその正義の絶対性の表れであった。

 

「失礼。貴君らはアンヘルの」

 

「ええ。上級仕官です」

 

 自信たっぷりに言ってのけたのは痩せぎすの青年仕官であった。眼だけが煌々としている。人殺しの眼だ、とリックベイは警戒した。

 

「アンヘルの流儀、聞かせてもらっている。そちらの武勲は相当に昇るようだ」

 

「無論でしょう。我々特務部隊がいなければ、C連邦の今日の平和はあり得ませんから」

 

 先ほどからお喋りな部下に比して隊長と思しき上官はこちらを真っ直ぐに見据えるのみであった。

 

 屈強な体格の隊長へと、リックベイは視線を流す。

 

「貴君はどう思う? アンヘルの働きを」

 

「ちょっと! 銀狼だからと言って、我々に軽率に話しかけないでもらいたいですね! どこの世界の英雄譚だか知らないけれどさぁ!」

 

「失礼。わたしは彼と話している」

 

 侮辱されたと感じたのか、痩せぎすの仕官が歯噛みしたのが伝わった。

 

「……部下が失礼した」

 

「構わない。わたしこそ分を弁えない質問だったかな?」

 

「いえ、C連合の……いえ、旧C連合の銀狼と言えば、それは英雄の証。軽んじるわけもありますまい」

 

 言葉の上だけの賛美か、とリックベイは身を強張らせた。

 

 この上官、格上の相手に歯向かうような性質の悪い真似はしないが、使い手には違いないだろう。

 

 リックベイは素直に感嘆する。

 

「先の戦闘条件を見させてもらった。有意義なデータだ。これから先、連合勢力内でも参照したい」

 

「連邦の、って何度言わせれば……! もう古いんですよ、それ」

 

 痩せぎすの青年仕官を遮って隊長が口を開く。

 

「いえ。同じ国家の中で共有はされるべきです。リックベイ・サカグチ少佐。しかしそれは六年前の栄光ですよね? 今は違うはずです」

 

「……もっともなご意見だ。我々連合勢力はいわゆる旧時代の……お荷物と言われている」

 

「分かっていて話しかけているって認識でいいんですか? いくら階級の上では仕官だからって、今を保っているのはアンヘルのほうです」

 

「忠言痛み入る。だが、その今を形作ったのは我々だという事も、忘れないでいただきたい」

 

 それ以上の口論を隊長が遮った。

 

「肝に銘じておきましょう。我々はブリーフィングがありますので、この程度で」

 

「ああ。参考になった」

 

「こちらも。代わり映えしないようで」

 

 すれ違う間際にも言葉の応酬は止まらなかったが直截的な物言いはお互いに避けているのは当然だろう。

 

 同じ国家で仲違いしたところで旨味などない。

 

 歩み去っていくアンヘルの構成員の背中を見送ったリックベイはこちらへと駆け寄ってくる人影を発見していた。

 

 背が随分と低い。銀髪の少女はどう見てもアンヘルの赤い詰襟制服に「着られて」いた。

 

 青いカチューシャを留めている少女にリックベイは言葉をなくす。向こうも話しかけようとしては何度も失敗して口を噤んだ。

 

「失礼……。君もアンヘルの」

 

「ええ、えっと……ごめんなさいっ! キジマ中尉はああいう物言いがその……得意で……サカグチ少佐には失礼だったかな……なんて」

 

 おどおどした少女にリックベイは困惑していた。アンヘルの部隊員と同行しているという事は彼女もまた自分達――旧連合勢力とは対立しているはずだ。

 

「失礼などとは思っていない。君達アンヘルが今を切り拓いている事は立派な事実だ。誇りを持っていい」

 

 その言葉一つで少女の顔がぱあっと明るくなる。どうにもやり辛いな、とリックベイは頬を掻く。

 

「わたしのほうこそ、喧嘩腰であったかもしれない。大人気なかったとすればこちらだ」

 

「いえっ……! 少佐が大人気ないなんてそんな事……。そのっ……あたし、まだまだ操主としてはイマイチで……。よく少佐の作られたシミュレーターを練習相手にさせてもらっていますっ。だから、その……ふ、ファン、っていうか……っ」

 

 もじもじする少女にリックベイはどうにも掴みかねていた。これが獲物を一滴も残さずに喰らい尽くす猟犬部隊の一員だというのか。

 

 これではまるで――そう、まるで乙女だ。

 

「おい! コソコソしてるんじゃねぇぞ! ウスノロ!」

 

 先ほどの痩せぎすが声を張った。そのせいか、少女がうろたえる。

 

「はいっ! ただいまっ! ……お話したいんですけれど、あたしの……部隊長と連合の人は仲良くしないみたいで……」

 

「ああ、それはそうだろう。我々は旧陣営だと言われている。新進気鋭のアンヘル部隊員が何もうろたえる必要はない」

 

「でもっ……さっきは失礼でしたよね。謝ります」

 

 ぺこりと頭を下げた少女にリックベイはこちらこそと言いかけて痩せぎすの声に遮られた。

 

「おい! 早く来いって言ってんだろ!」

 

「ああっ、はい! ただいまぁっ……!」

 

 駆けていく少女の背中を呼び止めかけてリックベイにはそれほどの価値が自分にはないことを再認識する。

 

 アンヘルの部隊員。つまりは人殺しの尖兵だ。だが、あの少女はまるで違う。いや、そもそも少女と呼んでいいのかさえも不明。

 

 アンヘルに入っている以上は一定の「商品価値」を持っているはずであったが、まるでその気配は感じられなかった。

 

「……分からんものだな。いつの時代も組織は」

 

 こぼして、リックベイは召集をかけられていた上官の部屋へと書類を届けるべく、歩みを早めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯プロローグ2

 

 戦場でうろたえれば死を招く。

 

 そう胸に刻んでいた少年は自分の名前も、ましてや出生も知らない。だから、大人達に呼ばれる俗称だけが彼の証明であった。

 

「おい、レン! てめぇ、遅かったじゃねぇか! 何を道草食っていた?」

 

 苛立った大人が自分の肩口を引っ掴んで腹腔を蹴り上げる。激痛よりもこの後に対応する言葉が浮かんだ。

 

「……すんません」

 

「すいませんで済むか! ……ったく、鈍っちい愚図だな、てめぇは」

 

「……すんません」

 

「まぁま。そこまでにしようじゃないか。我々だって急いでいるわけじゃないんだから」

 

 諌めてくれた大人はいい人間を装っているが、レンはその大人が戦場に放り込まれると一番に女子供を犯し、殺し尽くすのを知っている。

 

 いい人はどこまで行ってもいい人じゃない。

 

 レンが学んだ戦場の常套句の一つであった。

 

「レン。召集には遅れるものじゃない。それとも、理由があるのかな?」

 

 問いかけた相手にレンは真正面から言葉を投げる。

 

「いえ、犬が」

 

「犬だぁ?」

 

「居たもので。撃ち殺してきました」

 

「おい、レン! てめぇ、オレらが頭悪いんだと思って適当こいてんじゃねぇぞ! 犬なんて百五十年以上前に絶滅しただろうが! 野良なんているはずがねぇ!」

 

「……じゃあ、分かりました。連れてきます」

 

 レンはこうなる事を何となく分かっていたので、息の根を止める前の「犬」を連れて来た。

 

「犬」は他国の言葉で必死に命乞いをする。先ほどまで自分を叱っていた男が愉悦に口角を吊り上げた。

 

「レンよぉ……そういうところ、嫌いじゃねぇぜ」

 

「……どうも」

 

「犬」は自分の上官のお気に入りになったらしい。首根っこを引っ掴まれて上官の下へと運ばれていく。

 

 ――よかった。これで一つ、いい事をした。

 

 安堵したレンに上官を諌めてくれた大人が肩を叩く。

 

「レン。あれの事を今でも……犬だと思っているのかい?」

 

「ええ、犬です。他国の女なんて、犬でしょう?」

 

 破顔一笑した大人はレンの肩を何度も叩いた。

 

「そうだ。よく言ったな、レン」

 

「また一つ、コミューンが陥落したらしい」

 

 奥まった場所に座するのは自分達の統率者だ。浄化装置のマスクで顔を覆い、背中には大型の洗浄モジュールをつけている。

 

「またですか……連中、やり方がどんどん過激になっている」

 

「我々としても兵士を失いたくはない。だから、これは大きな躍進となるだろう。レン、前へ」

 

「はい」

 

 歩み出たレンは統率者からキーを受け取る。刻印の施されたキーにレンは統率者を見やった。

 

「今日からお前が切り込み隊長だ」

 

 その発言の天啓にレンは膝を折って感嘆する。

 

「ああ、なんと……畏れ多い」

 

「レン。お前が今日からみんなを守るんだ。とてつもない務めだぞ? 出来るな?」

 

「ええ。分かっています。でも、俺、心配事が一つ」

 

 頬を掻いて口にした言葉に大人達が囁いた。

 

「何だ? 言ってご覧なさい」

 

「……相手を、殺してしまってもいいんですよね?」

 

 その問いに統率者がマスクの下で呵呵大笑と笑った。

 

「レン。お前は優しいからな。殺すのが惜しいと思う事もあるだろう。だが、安心していい。その鍵は人殺しを許された人間のためにある」

 

 レンは今一度鍵を握り締め、統率者へと頭を垂れる。

 

「おおせのままに」

 

 身を翻したレンは灰色の街並みを抜け、一目散に裏路地へと入っていった。裏路地と裏路地の間に不意に沸いた、小さな空き地。そこが自分の帰る場所だ。

 

「レンにいちゃんだ!」

 

 声を上げた妹達にレンは笑みを浮かべて頷く。

 

 まだまだ笑い方を学んでいる途中であったが、妹達の前では自然と顔が綻んだ。

 

「ただいま」

 

「おかえり!」

 

 六人の妹達はそれぞれ首筋にチップが埋め込まれている。統率者曰く、いずれ必要になるらしい。

 

 それは素晴らしい事のように思えた。この世の中は必要のないもののほうが遥かに多いのに妹達は未来を約束されている。

 

 統率者は心優しい存在だ。

 

 駆け寄ってきた妹達の髪を撫で、レンはキーを見せる。

 

 目を瞠った妹達にレンは言いやった。

 

「ようやく、人機に乗れるぞ!」

 

「ホント? レンにいちゃん、人機乗りになるの?」

 

「ああ。これがあればもっと守れる。もっと、色んなものを。大きなものだって」

 

 妹達が口々に自分の事を褒め称える。

 

「レンにいちゃんはやっぱりすごいね! だって一番だもん!」

 

「オヤシロ様に連絡しなきゃね」

 

 妹の一人が先導し、コミューンの最奥に位置するエレベーターへと踊るような足取りで歩んでいた。

 

 自分も身体が軽い。

 

 今まで人機の戦闘経験はなかった。だからこそ、ここまで生き残れたという事実でもあったが、ようやく人機に乗れるのだ。

 

 妹達をより強い力で守る事が出来る。

 

 六人の妹と自分を乗せ、中型エレベーターが下降していく。

 

 紺碧の汚染大気が濃くなってきた。

 

 レンは迷う事なくマスクを妹達に貸し与える。

 

「一人三分な」

 

「レンにいちゃん、大好きー!」

 

「あたしのぉ! あたしが被るんだもんっ!」

 

 妹達の取り合いを微笑ましく眺めながらレンは彼女らの服飾を観察していた。

 

 擦り切れた一枚布。機械油でまだらに汚れた服装。

 

 また上官に頭を下げなくては、とレンは感じていた。妹達の存在は秘密にしてある。彼女らの身の上を話せば、きっと上官も黙っていないからだ。

 

 だから他人よりも多く布を買いつけ、他人よりも多く服飾を持ち寄った。そのせいでレンの手取りは減る一方であったが、妹達の安全がなくなるよりかはずっといい。

 

 自分の出生も、ましてや経歴もまるで不明なレンが唯一の寄る辺にしているのが六人の妹達。

 

 彼女らの笑顔さえあればいい。他はどうなったところで知った事ではない。

 

 たとえ他国のコミューンからのスパイが殺されようとも犯されようとも、別にどうだっていい。ただそれだけで妹達への追及が逃れるのならば安いものだ。

 

 今月の手取りを計算しようとして、レンはそういえば百の位より先は計算出来ない事をまた思い出した。

 

「あっ、レンにいちゃん、着いたよ」

 

「オヤシロ様だぁー」

 

 妹達が一目散に駆けていく。こけるなよ、と声を投げてからレンはコミューン地下施設に存在する空洞地帯を仰いだ。ここは上層の光もほとんど差し込まない。汚染大気濃度は深刻で、呼気は白く染まる。妹達はろくに大気汚染防備も行っていないので推奨はされないのだが、自分は何か事があると地下空洞の最奥に位置する社へと向かっていた。

 

 鳥居をいくつも潜り、錆色に彩られた「オヤシロ様」の前で妹達が踊っていた。

 

 思い思いの乱舞にレンは笑みがこぼれる。

 

「オヤシロ様」は静かにこちらを見下ろしている。その眼差しは慈悲に溢れていた。

 

「オヤシロ様の前だぞ。あまりみっともない真似をするなよ」

 

 そう注意してやると妹達はオヤシロ様の御前でぴたりと歩みを止め、それぞれ深々と頭を垂れた。

 

 自分も同じように倣う。

 

 オヤシロ様の存在を知っているのは大人でも一握りであり、ここまでのルートを熟知している大人はといえばほとんどいないはずだ。最早、久しく忘れ去られた代物である。

 

 レンは、自分と妹達を匿っていた男からそれを伝えられていた。

 

 その男は最後まで抗い、自分と妹達を守り通した。時折夢に見るその相貌はどこかレンの胸に感傷をもたらす。

 

「オヤシロ様、オヤシロ様。レンにいちゃんが晴れて〝モリビト〟に選ばれました」

 

 妹達の報告にオヤシロ様は下層地区を吹き抜ける風を受けていた。菩薩を思わせるその面構えが妹達の報を喜んでいるようにも映る。

 

「照れるからやめろって。それに〝モリビト〟には死ななきゃなれないんだぞ」

 

 まだ〝モリビト〟には遠い。そう確信しながら、レンはオヤシロ様へと供物を差し出す。

 

 鉄製品を足元の賽銭箱に入れてやると、オヤシロ様は何か一つ願いを叶えてくれるのだという。

 

 この汚染大気の中、侵食を受けていない鉄製品はそれだけでも貴重。すがりたい気持ちの表れであったのかもしれないが、レンは特に気にしていなかった。

 

 オヤシロ様の恩恵も、〝モリビト〟になれると言う事実も、どこか遊離している。

 

 それは前線に立って引き金を絞っていると充分に理解出来た。

 

 銃弾を前に倒れる人間は無力。

 

 錆を欠かさず取ってやっている手持ちのアサルトライフルは幾人もの兵士を殺してきた。

 

 鉛弾を撃ち出し、相手を屠る。

 

 シンプルに彩られた世界は、レンにとってしてみれば、理解が容易いという意味で胸に染み渡った。

 

 ヒトは銃撃を前に無力。ちょっとでも急所を狙えばすぐに死んでしまい「モノ」に成り果てる。

 

「モノ」ならばどれだけ撃ち込んでも罪悪感はない。銃弾が相手の額に吸い込まれれば僥倖。

 

 それ以外の箇所でも相手がよろめき、一瞬でも隙を見せれば心の臓か、あるいは他の部位を撃ち抜く事が出来る。

 

 どこまでもシンプル。

 

 どこまでも分かり切った事象。それが自分の世界であり、妹達とは地続きではない世界であった。

 

 妹達はこの世界がどれほどまでに短絡的なのかは知らないだろう。踊り子の衣装を腰に纏い、オヤシロ様の前で半裸になって喜びの舞を奏でてみせる。

 

 妹達の歌声にレンは心の底から癒された。

 

 この世界がどれほどまでに短絡的でどうしようもなくとも、妹達だけは守らなければならない。

 

 そのための鍵だ。

 

 レンは今一度、手にした鍵を握り締めた。

 

「〝モリビト〟になってやる。俺が、妹を守るために」

 

 仰いだオヤシロ様の相貌が静かにその決意を受け止めていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯プロローグ3

 こういうのは慣れない、と前置きした上で、タカフミは同席していた。

 

 お歴々がスタンド席で観覧する中、自分は人機の操縦席に収まっている。変動する数値を調整してやりながら、上官に声を吹き込んだ。

 

「その……手加減とか出来ませんから、おれ」

 

『それは分かっている。しかし、少佐のお墨付きがついている君ならば、頼める、というのが大筋の見立てだ』

 

「だから、それが買い被りだって……。ここ地軸悪いですよ。大気汚染も酷い」

 

 見渡した戦場は紺碧の暗夜に染まっている。見通しは悪い。有視界戦闘では本調子は出ないだろう。

 

 熱光学センサーに切り替えようとして、上官の声が飛んだ。

 

『出来るだけ、有視界で交戦。それでデータを取るとの事だ』

 

 上はいつだって勝手だ。タカフミは嘆息をつきつつ、操縦桿を握り締めた。

 

「一寸先も見えない青の闇……こんなので模擬戦ってのがどうかしているんですよ」

 

『相手側からの申し出でね。出来るだけ汚染地帯を、との事だ』

 

「そいつはまた……酔狂ですよね。人機のコックピットの中だからって絶対の安全が保障されたわけじゃないんですよ」

 

『こちらは出来うる限り相手の意見を汲む。旧ゾル国の中でも相手はまだ実効力を持っている。それに、このコンペディション。うまく運べば旧ゾル国の面子の鼻っ柱を折る事が可能だ』

 

 どうせ、その最終目的も織り込み済みだろう。タカフミはため息を漏らして、フットペダルに体重をかけた。

 

 推進力を得た連邦の新型機体が紺碧の大気を流れるように移動する。

 

 正式採用されるのはまだ先との話だが、いつだって現実は予想より速く回るものだ。

 

 六年間、嫌というほど思い知らされてきた。

 

 X字の眼窩が煌き、水色に塗装された最新機が大地を流れ行く風を受け止める。

 

「《スロウストウジャ参式》……、馴染んではくれている。ただ心持ちペダルが三度ほど軽い気がしますね。もうちょっと重めに設定しないと、新兵は蹴躓く」

 

『言うようになったな。さすがは六年前の殲滅戦の生き残りか』

 

 その評にタカフミはうんざりとでも言うように返す。

 

「あのですね……おれだって、いつまでも少佐におんぶにだっこじゃないですよ。一端にやって見せますって」

 

『期待している。来るぞ』

 

 熱光学センサーに浮かび上がったのは《バーゴイル》を思わせる痩躯だ。汚染大気が濃い中を《スロウストウジャ参式》よりも随分と速く接近してくる。

 

 近接格闘型の人機は開発を遅らされて久しいはず。珍しい型か、とタカフミは僅かに操主服の中で汗を滲ませた。

 

 こちらに許された装備はプレッシャーソードと牽制用のプレッシャーガンのみ。そのプレッシャーガンの中身はペイント弾だ。プレッシャーソードも最小出力に抑えられており、ここで殺し合いをするつもりは毛頭ない。

 

 あくまで模擬戦、あくまで相手を制圧するだけだ。

 

 しかし、《バーゴイル》を模したであろう機体は一気に飛翔した。

 

「高濃度ブルブラッド大気は重いだろうに……あの機体、全然重さがないみたいに」

 

《スロウストウジャ参式》でも充分にその重さを実感している。機動力はマイナス五十ほど削がれていると思っていい。それでも、敵側の《バーゴイル》型の機体の素早さは異常だ。

 

 超電磁リバウンドの効力で重さを消しているにせよ、あまりに軽快な動きである。

 

 タカフミは一度下がるべきか、と《スロウストウジャ参式》を構えさせた。

 

 姿勢を沈めさせ、片腕にプレッシャーソードの柄を握り締めさせる。

 

 敵の距離間から鑑みて高高度よりの奇襲、あるいは一気呵成の攻撃。

 

 操縦席の中でタカフミはぐっと息を詰めた。

 

《バーゴイル》タイプの機体が一挙に舞い降りてくる。

 

 やはり高高度よりの奇襲型か。そう判断したタカフミがプレッシャーソードを払う。

 

 相手の格闘兵器とぶつかり合ったプレッシャーソードが火花を散らした。

 

 その刹那、敵の武装が明らかになる。

 

「今時、実体剣?」

 

 まさか、と《スロウストウジャ参式》は肩にマウントされたバルカンで牽制する。紺碧の大気を引き裂いて敵人機がこちらへと踊りかかった。

 

 その姿、躯体共に《バーゴイル》のそれであったが、違うのはゾル国の象徴である黒カラスではない事だ。金色の機体色は戦場を闊歩するのにはあまりに装飾華美。

 

 黄金の不死鳥が肉薄し、片手に構えた実体剣で攻撃を見舞う。

 

 浴びせかけられた剣閃をタカフミは防御し、次の攻撃への布石を打つ。

 

 返す刀の一閃。相手は腰に装備したもう一刀を薙ぎ払った。

 

 まさか、とタカフミは息を呑む。

 

「二刀流だと!」

 

 ペイント弾を速射モードに設定し、相手の機動力を削ごうとするが、敵人機はすぐさま青い霧の中に隠れてしまった。

 

 機動力では遥かに相手のほうが上。しかも、見た限りでは敵の人機は機銃さえも装備していない。

 

「単純な格闘タイプの人機……。少佐の紫電みたいな奴だな」

 

 構えたタカフミは自分の中の教えを諳んじる。青い闇の中からこちらを狙い澄ます敵に、刃が閃いた。

 

「零式抜刀術は、ただの格闘術に非ず!」

 

 呼気一閃。敵の人機が浴びせかけた剣とこちらの剣が交差する。

 

《バーゴイル》型の敵人機の二の太刀がコックピットを割らんと迫った。

 

 推進剤を全力に設定し、粉塵を舞い上がらせる。即席の目晦ましに敵がたたらを踏んだその一瞬の隙。

 

 下段より打ち上げた刀が敵人機を割る機動を見せた。プレッシャーソードの出力は最小値に設定されているが、人機に組み込まれている安全装置が模擬戦の終わりをブザーで告げる。

 

『勝負あり』

 

 その言葉でようやく息をついた。

 

 敵の人機はこちらの射線から離れ、コミューンの中へと戻っていく。

 

『よくやってくれた。タカフミ・アイザワ大尉』

 

「冗談じゃないですよ……。少佐の代役だって言うからやったものの……」

 

 敵は遥かにこちらの予想を上回っている。旧ゾル国の面子をかけた機体は伊達ではないという事が証明されてしまった。

 

 コミューンへと舞い戻ったタカフミと《バーゴイル》タイプの人機はお歴々の賞賛の拍手を受けていた。

 

 どこか余所余所しく、その拍手を受け止める。

 

「……こんなのなら、代役なんて買って出なければよかった」

 

『聞こえているぞ、大尉』

 

「すんません……!」

 

 びくついたタカフミに上官は笑みをこぼす。

 

『だが、よくやった。あれ相手にあそこまで立ち回ったのはデータ試算以上だ』

 

「……あれの正式名称は」

 

 金色の不死鳥の機体を旧ゾル国の高官達は喜んで出迎えている。

 

 まるで英雄の機体だとでも言うように。

 

『《バーゴイルフェネクス》。参照コードでは《フェネクス》の名前が用いられているな。《バーゴイル》の発展型だ。だが既存の人機と違うのはその機動性能もだが、用いられている特殊な仕様もだろう』

 

 特殊仕様、という物言いにまさか、とタカフミは唾を飲み下す。

 

「ハイアルファー人機って言うんじゃ……」

 

 その言葉に上官は笑い返した。

 

『まさか。あり得んよ。国際条約でハイアルファー人機の使用は固く禁じられて久しい。非人道的な人機は廃され、今の戦場はクリーンになっている。六年も経てばそうなるだろうさ』

 

 ハイアルファー人機の悪夢を自分は知っている。だからこそ、出た言葉であったのだが、杞憂だと言われてしまえばそこまでだ。

 

「……じゃあ特殊仕様って言うのは」

 

『今までの《バーゴイル》のOSから一転、全く別種のものを使っているらしい。らしい、というのは確定情報を向こうがまるで与えてくれる様子がないからなのだが』

 

 タカフミは渇いた喉を携行食糧で潤していた。どうにも胡散臭い。そう思いつつ、敵人機を仔細に観察する。

 

 二刀を腰の両端にマウントしているのではなく、片側に集中して二刀を装備していた。

 

 やり辛そうな機体だな、というのが総評だ。《バーゴイル》の機動性を極限まで高めた機体だが、装甲自体はさほど堅牢ではないように映る。

 

 むしろ《バーゴイル》よりも脆くなったのでは、という懸念さえも纏いついた。

 

《フェネクス》の高機動を実現するに足るのはやはり黄金の装甲板であろうか。どこで採掘されたのかも知れない黄金の機体色にタカフミは警戒を注いでいた。

 

 敵の人機を観察し、そのレポートを提出するまでが今回の自分の仕事だ。全く嫌になる

と考えつつタカフミはレポートの序文を書き始めていた。

 

『そちらの操主』

 

 不意に通信回線が開き、タカフミはうろたえる。

 

「な、何ですか」

 

《フェネクス》側からの通信であった。許諾した回線を震わせたのはまだ歳若い声音だ。

 

『いい模擬戦であった。《スロウストウジャ参式》はこれからのスタンダードになるだろう』

 

「……どうも」

 

 世事でも嬉しくないわけではない。《フェネクス》がこちらへと接近して、タカフミは構えさせる。

 

 すると相手はマニピュレーターを差し出した。

 

『健闘の握手を』

 

 あまりに想定外であったため、タカフミは声が上ずってしまう。

 

「握手、か……?」

 

『《フェネクス》はまだまだ先に行ける。それを証明してくれただけでも嬉しい』

 

 機体の鬱陶しさに比べれば随分と溌剌とした操主の気風である。タカフミは警戒しつつも《スロウストウジャ参式》のマニピュレーターを握らせていた。

 

 数枚の写真が撮影されているのが窺える。この一枚を大げさにあげつらって、「C連邦と旧ゾル国の和平」を謳うのは容易いだろう。

 

 そのような外交的矢面に立たされているのはやはりというべきか、慣れない。

 

 しかしリックベイは幾度となくそのような面倒を押し付けられてきたはずなのだ。

 

 ならば弟子である自分が引き継がなくってどうする。

 

『《フェネクス》の整備に入りたい。もういいか?』

 

 自分から握手を申し出たくせにもういいか、とは変な話だ。タカフミはどこか毒気を抜かれたように後頭部を掻く。

 

「ああ、うん。いいんじゃないか」

 

『感謝する』

 

 離れていく《フェネクス》を尻目に、上官の声が飛んだ。

 

『アイザワ大尉。感覚は?』

 

 問われた意味が分からず、タカフミは尋ね返していた。

 

「感覚って……」

 

『あの人機、まさか握手だけを目的にしたわけではあるまい。今の接触の際にこちらの通信コードくらいは抜き取られていてもおかしくはないはずだ』

 

 あ、と思わず声が漏れる。抜き取られた形跡はないが、それをされても何もおかしくはない。

 

 上官がため息をつく。

 

『……少佐ほどであれとは言わないが、もう少し軍人としての緊張感は欲しいものだ』

 

「……すんません。おれ、またやっちゃいましたか?」

 

『大目に見よう。少佐でもそう判断するだろうからな』

 

 作り笑いを浮かべつつ、タカフミは項垂れさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へい、彼女」

 

 そう口にされて瑞葉は周囲を見渡した。どこにもそれらしい影が見当たらないのをようやく認識して、自分にかけられた声なのだと思い知る。

 

「わたし、か……?」

 

 小首を傾げているとナンパ男はこちらを覗き込んでくる。

 

「一人? いい店知ってるけれど」

 

 まさか自分を相手にナンパを仕掛けてくる人間がいるとは到底思えなかったが、瑞葉はやんわりと断る。

 

「いや、連れがいるんだ。それを待っている」

 

「そんなのいいからさ。遊ばない? いい場所知ってるよ?」

 

 どうにもこういう輩は振り払いづらい。こちらが作り笑いを浮かべていると、ナンパ男はつけ上がった。

 

「せっかく声かけているんだからさぁ。何かリアクションしてよ。もしかして、そーいうの出来ないタイプ?」

 

 出来ないも何も、とまごついた瑞葉の肩を男が引っ掴む。

 

 その行動に習い性の身体が反応した。

 

 男の腕の付け根を逆に折れ曲がらせ、すぐさま腕を締めて相手の背中を取る。

 

「いたた……! お姉さん痛いって! ジョーダン! ジョーダンだから!」

 

 その言葉でようやく離した瑞葉はナンパ男が懐からナイフを取り出したのをどこか遊離したように眺めていた。

 

「調子づきやがって……! 恥かかせてんじゃねぇよ!」

 

 どうするか、と瑞葉は比して醒めた脳裏で思考する。ナイフ程度ならば護身術でどうにでもなるが、ここは穏便に済ませるのが吉だろう。

 

 ナイフを取り上げて相手の心臓に突き刺し返すのは簡単だが、それを許されている身分ではない。

 

 考えている間にもナンパ男はこちらの胸倉を掴んでくる。

 

「無視してんじゃねぇぞ!」

 

 眼前にぎらつくナイフに致し方なし、と瑞葉は攻撃を打ち込みかけて、響いた声に制された。

 

「ちょーっと、すんません! 連れが迷惑かけましたか?」

 

 駆け寄ってきた赤毛の青年にナンパ男がぎょっとする。

 

「……軍人の女かよ」

 

 軍服のまま来たせいだろう。ナンパ男はナイフを仕舞って退散する。

 

 ふぃーっと彼がため息をついた。

 

「ああいう手合いは恥かかせるとヤバイからなぁ。何にもなかったか? 瑞葉」

 

「ああ、うん。何もなかったぞ」

 

「そっか。じゃあとりあえず予約していた店まで行くとするか」

 

 こちらの手を引いた青年に瑞葉は声を投げる。

 

「アイザワ。わたしは今日はどうにも塩辛いものが食べたいようだ」

 

「うん? じゃあそうするとしますか。……しかし、お医者様からあんまり衝動的な飲み食いは避けろって言われていなかったか?」

 

 その物言いに瑞葉はむくれる。

 

「ちゃんと薬は飲んでいる。問題ない」

 

「怒るなって……、台無しだろ。せっかく整備モジュールが取れた記念なんだからさ」

 

 瑞葉は一週間前まで自分の背中に生えていた忌まわしい片羽根が消えたのを、今でも信じられない心地でさすっていた。

 

 羽根が生えていた箇所にも何も問題はない。最初から、自分は機械天使などではなかったかのように。

 

「……夢みたいだ。もう、整備モジュールからの精神点滴が必要ないなんて」

 

「それだけ連邦の技術も進歩しているってわけだろ。それに、お前だって投薬制限もそろそろ解ける。……ホントなら、もっと早くにこうするべきだったんだろうな」

 

 少し顔を翳らせたタカフミに瑞葉は窺っていた。

 

「……何かあったのか?」

 

「いや、ちょっとトチッちゃって……。少佐ほどうまくは出来ないなぁって実感した。おれ、やっぱり零式の継承者は向いていないのかなぁ」

 

「向いている、いないではなく、弟子として認定したのだろう? 少佐は」

 

「そうなんだけれど……重たいんだよ、ちょっとな。たまたま少佐の部隊でおれが零式を……いい意味でパクるのがうまかったって話。他の連中でもよかったんじゃないかってたまに思う」

 

「アイザワ。……軍に不満でも?」

 

「不満はないって! そりゃ、ないよ、瑞葉。だって、おれは少佐の代役も買って出ているし、仕事はきっちりこなせている。……でもさ、満足と不満って別に同時に存在しないわけでもない感じっていうか……」

 

「話は、後で聞きたい」

 

 瑞葉はタカフミの袖を引く。

 

 ああ、と彼が悟ったらしい。

 

「腹減ってるのか。待たせて悪かったな」

 

「いい。軍の仕事だ。仕方ない」

 

 粉雪がコミューンを舞う。コミューン内部で天候でさえも単純に設定可能であると知った時には素直に驚いたものだ。

 

 その日の都合で天気を操れるなど神の所業だと慄いた。

 

 しかし今ではそれに慣れつつある。不思議なものであった。六年前には戦う事でしか、己を示せないと感じていたのに、今では他の方法がいくらでも思いつく。

 

 それもこれも、戦地から離れたお陰だろうか。

 

「あのさ、瑞葉。また髪の毛伸ばしてるのか?」

 

 肩口まである灰色のセミロングを、瑞葉は指で巻く。

 

「そうだが……、似合っていないか?」

 

「いやっ! 似合ってるよ、すげぇ……うん。似合ってる!」

 

「……そう、か。似合っていないと言われたら、どうしようかと思っていた」

 

 戦うばかりであった日々はもうほとんど記憶の彼方に赴こうとしている。軍籍を剥奪され、C連邦の民間人の国籍を与えられてもう三年。

 

 三年の月日が経ったのだ。それなりに変化もあった。

 

 高層ビルのオーロラビジョンでキャスターがニュースを読み上げている。

 

『昨日未明、小型コミューン、ゼルストがC連邦を含む大型コミューンに対し、宣戦布告を声明しました。それに関してC連邦政府は、特務部隊アンヘルによる強行作戦の実施を検討しているとの考えを……』

 

 特務部隊アンヘル。世界が変わったとすればその一つとして含まれるであろう事柄であった。

 

 この六年でC連合は連邦派と連合派閥へと分裂。連邦派は《スロウストウジャ弐式》を前提とした強攻部隊を採決し、それを実行。弱小コミューンで勃発する紛争を次々と解決へと導いている。

 

 その実績に比して連合派閥は肩身が狭く、実績も上げ辛い。リックベイは上官に義を通すため連合派閥に属しているが、彼ほどの人格者は連邦派に祀り上げられるべきという意見も少なくはない。

 

「……少佐は、まだ」

 

「ああ。調印式にも参加しなかったし、やっぱり連合派閥の上からは逃れられないみたいだ。あの人も不幸と言えば不幸だよな。上のしがらみに囚われて六年前のカウンターモリビト戦においての英雄的な働きもまるで無視。未だに少佐という役職なのは……おれとしてもちょっとな。思うところはある」

 

 この六年で二階級特進を遂げたタカフミは連邦派閥に属している。はからずも師匠であるリックベイとは対立構図になってしまっているのが、瑞葉としてはいたたまれなかった。

 

「アンヘル……、いい噂は聞かない」

 

「あまりおれらがどうこう言っても仕方ない話でもあるんだけれどな。アンヘルは別系統の命令を持っているし、おれは出来るだけ平和的解決が望ましいって思っているが……、っと、やめようぜ? だってせっかくのイヴだろ?」

 

 オーロラビジョンのニュースが切り替わり、クリスマスイヴの続報を告げる。

 

 そのような行事、ブルーガーデンには存在しなかった。信仰というよりも、ここで生きているのは娯楽である。

 

 娯楽という観念をまるで理解出来なかったのは六年も前の話。

 

 今では自分の中に染みついているのだから妙なものだ。

 

「そう、だな……。アイザワ。店というのはどこだ?」

 

 タカフミは折れ曲がった通路の先を指差す。

 

「あそこの窓際。一番いい席を取っておいた」

 

 温かな明かりの灯る店構えは今まで来た事もない高級店であった。

 

「大丈夫なのか……? わたし……なんかが居ても」

 

「何言ってるんだって。羽根も取れたし、全然大丈夫だろ」

 

 予約を取り付けていたタカフミは迷わず入り、窓際の席へと自分を導いた。

 

 不思議な事に他の客はいない。

 

「……空いているんだな」

 

「いや、貸し切りなんだよ」

 

 その言葉の意味が分からずに、瑞葉は小首を傾げた。

 

「何で貸し切りなんだ? 別にそこまで気を遣わなくっても……」

 

「いや、おれが気ぃ遣っているのは、その……そういう事じゃなくってだな」

 

 どこか要領を得ない言葉振りに瑞葉は当惑する。

 

 自分のような人間を招くのにはやはりこのような高級店は好ましくないのではないか。

 

 そう思った矢先、店主が赤い薔薇の花束を持ってくる。

 

 誰に渡すのだろう、と視線を流していた瑞葉はその花束をタカフミが受け取った意味が分からなかった。

 

 店側からのサービスだろうか、と窺っているとタカフミは姿勢を沈めて自分に花束を突き出した。

 

「その……瑞葉。整備モジュール取れたの、おめでとうって言いたい」

 

 まさか自分への花束だとは思いもしない。

 

 瑞葉は口元を押さえて頭を振った。

 

「アイザワ……、そんなの別にいいのに」

 

「おれがよくないんだっての。……それと……すげぇ後付け感と、ついでの用事感がパなくって……渡すのはすげぇ憚られるんだけれど」

 

「何だ、アイザワ。ハッキリ言ってくれ」

 

 花束だけでも充分に嬉しい。ようやく機械天使の宿命から逃れる事が出来た。その証明になる。

 

 タカフミは膝を折った姿勢のまま、ポケットから小さなケースを取り出した。

 

 何だろう、とその掌サイズのケースを観察する。

 

「おれと……結婚してくれないか」

 

 不意に出た単語に瑞葉は理解が追いつかなかった。

 

 結婚。

 

 浮いた言葉である以上に、自分にはまるで縁のない言葉であった。

 

「あっ……またやっちったか? おれ……」

 

 言葉尻が不安定になるところもタカフミらしい。微笑もうとして瑞葉は頬を大粒の涙が伝うのを止められなかった。

 

「あれ? 何だ、これ……」

 

「ああっ! ゴメン! 瑞葉! それっぽい格好もせずに軍服で告られたら、やっぱり嫌だよな? 次からはちゃんとするからさ! だから、嫌になったとかその……出来れば言わないで欲しいし……」

 

「いや……嫌とか言う感情はないが……。わたしはどうすればいいのか、分からない。頷けば……アイザワ、頷けばいいのか?」

 

「それ……彼氏に聞くか……? えっと、おれの心情としては頷いてくれるとすげぇ嬉しい……っ!」

 

 タカフミが嬉しいのならば自分も嬉しいはずだ。瑞葉は胸の中がどことなく温かくなっていくのを感じていた。

 

 今まで感じた事のない、満たされているという感覚。

 

 体温がじわりと上がってきたのを関知する。以前までならば体調不良だとして精神点滴が打たれていた現象はしかしこの時、誰にも邪魔されなかった。

 

 これが、自分の感情。

 

 誰に可視化される事もない、自分だけの想い。

 

「嬉しい……ありがとう、アイザワ」

 

「その……瑞葉。アイザワっての、これからはなしにしようぜ。だってさ、これ受けてくれたって事は、お前もアイザワになるんだぜ?」

 

「わたしも……アイザワ?」

 

「いや、だってよ! これプロポーズじゃん! どう考えても! だったら、ほら、ファミリーネームは一緒のほうがいいっつうか……。女々しいかもだけれどっ! おれなりのケジメにしたいんだよ。瑞葉、お前今までファミリーネームなかったろ?」

 

「なくともC連邦内では身分は保証されている」

 

「じゃなくってさ! おれはその……お前と、家族になりたいんだって!」

 

「家族……」

 

 初めての言葉であった。自分にこれまで家族などいたであろうか。鴫葉や枯葉は戦友であって家族ではない。

 

 近しい間柄などタカフミを除けばリックベイ程度しか思い浮かばない。その程度の、自分の世界。自分の認識。

 

 だというのに、この手を伸ばせば届く距離に、家族がいる。家族になって欲しいと言ってくれている大切な人間がいる。

 

 かつては取りこぼしたものだ。

 

 戦火の中でしか、見出せなかったもの。それがどこでもない、硝煙の臭いもしないレストランで、ここまで満たされた気持ちで味わえるなど思いもしない。

 

 ――自分でも人並みになれるのだ。

 

 噛み締めた感慨に瑞葉は首肯していた。

 

「うん。わたしも……アイザワと家族になりたい」

 

「だからアイザワじゃ、お前もアイザワじゃん……」

 

 後頭部を掻いたタカフミに瑞葉は自然と笑みがこぼれていた。どうしてだろう。こうもてらいなく笑える。こうも、誰かのためを思って笑う事が出来る。

 

 どうしてだろう。

 

 どうして今までここまで得がたかったものが、この手の中にあるのだろう。大切なもの、手離したくないものを、瑞葉はようやく見つけていた。

 

「でも、六年もアイザワだったのに、今さら呼び方を変えられるか」

 

「じゃあ、アイザワでいいっての。っつたく、お前はいっつも強情だよな」

 

「……言われたくない。アイザワにだけは」

 

「そうかよ」

 

 店主からしてみれば仲睦まじい二人なのだろう。感極まった店主が鼻をすすっていた。

 

「あ、すんません、シェフ……。おれら、勝手にイチャついちゃって」

 

「いいですよ。お二方。今日は何もかもが変わった日です。それをただただ祝おうじゃありませんか。最高のワインと食事で」

 

 タカフミがサムズアップを寄越す。店主も心得ているのか、それに返した。

 

「しかし……アイザワ。一つだけ疑問が……」

 

「な、何だ? まさか俗に言う、マリッジブルーって奴……? 早くね?」

 

「いや、そのだな。栄養状態がよくなったので、この指輪、わたしの指のサイズに合わないぞ?」

 

 手に取って見ても指のサイズより一回り小さい。タカフミの顔が青くなった。

 

「げっ……マジで?」

 

「マジだ。アイザワ。これではどうしようもない」

 

「えっ……こんな事で婚約破棄? 嫌だぜ、おれ」

 

 その言葉にはこちらもむくれるしかない。

 

「嫌なのはお互い様だ。指輪というものは慎重を期して買うものだと聞く。これではご破綻になってもおかしくはない」

 

「いや……っ、そのさ……! だってサイズ確認なんてする時間もねぇって言うか……」

 

「笑って誤魔化しても駄目だ。アイザワ。この怠慢は大きいぞ」

 

「……少佐みたいな口振りだよなぁ、瑞葉は」

 

「当然だとも。わたしはリックベイ・サカグチ少佐を尊敬している」

 

「……おれは?」

 

「……言わせるな。ばか」

 

 自然と紅潮した面持ちがその証であった。タカフミは嘆息をつく。

 

「お互いに、難儀だよなぁ」

 

「家族になるんだろう。そりゃそうだ」

 

「おれもまさか天使と結婚する羽目になるなんて……」

 

 そこまで口にして失言だと理解したのだろう。慌ててタカフミが言葉を訂正する。

 

「いやっ、違くて……。別にあの……お前のあの姿を揶揄したわけじゃないって言うか……悪い。テンパってる」

 

「新型人機に乗る時よりも、か?」

 

「……数十倍くらい」

 

 瑞葉はやれやれとでも言うように肩を竦めた。

 

「わたしも天使をやめてこんな事になるなんて。……正直テンパっている」

 

「意味分かって言ってる?」

 

「ばかにするな。……ばか」

 

 ワインが運ばれてくる。高級料理のフルコースも、であった。

 

 ようやく生え揃った永久歯が、物を噛んで食べるという生物ならば当たり前の感覚を瑞葉に与えていた。

 

 解き放たれた機械天使は、ようやく堕天した。ブルーガーデンという永遠の楽園から追放され、C連邦の、一軍人の妻という、当たり前の幸せの帰結を描こうとしている。

 

 それが自分でもどこか可笑しくって、覚えず瑞葉は微笑んでいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯プロローグ4

 気分が悪いと医務室への申請届けを書く途中で、後ろからペンと紙を引っ手繰られた。

 

「へイル中尉。あたしの申請届け……返してくださいっ」

 

 ヘイルと呼ばれた痩せぎすの仕官は、ペンをわざとらしく持ち上げてふふんと鼻を鳴らした。

 

「おい、ヒイラギよぉ。てめぇ、たるんでるんじゃねぇのか? 日に何回も医務室に行くんじゃねぇよ。隊長も迷惑してる」

 

「それは……! だってあたしは……」

 

「知ってんよォ。純正品らしいじゃねぇか。だからどうしたって話だがな」

 

 ヘイルはペンを握り締めて折り曲げた。痩躯とは言え軍人。それくらいの鍛錬は欠かしていないのだろう。

 

「あたしは隊長に許可を得ています」

 

「だから? 許可があるから休んでいいってのは怠慢じゃねぇのかねぇ。もしかして俺達の仕事嘗めてんのか?」

 

「嘗めてなんか……。ただ一定のパフォーマンスを保つために、必要な措置で――!」

 

 不意に歩み寄られ、顎を掴まれる。万力のような握力に呼吸困難に陥ったかと錯覚したほどだ。

 

「勘違いをしてるみたいだな。アンヘルに、お荷物は要らねぇんだよ。いいか? アンヘルは何のために存在しているか! 六か条言ってみろ!」

 

 顎に触れていた手がそのまま喉元へと至る。このままでは絞め殺されてしまう。助けを呼ぼうにも周りには誰もいなかった。

 

「い、一か条目は……」

 

「聴こえねぇな!」

 

 投げ飛ばされ、ダストボックスへと激しく背中を打ちつけた。それを目にしてヘイルが吐き捨てる。

 

「男だけでいいんだよ。アンヘルの特殊部隊になんざ。女なんて慰めモノ以外で必要あるかよ。隊長は心が広い以上に少しばかり迂闊だからな。ヒイラギ。お前みたいなどうでもいい羽虫を迎え入れたりする。俺からしてみれば不愉快極まりねぇ。お前の適性はCのはず。だって言うのに、B以上の権限持ちに意見するのか?」

 

「あ……あたし、はぁ……っ」

 

「一発で呼吸困難かよ。ハッキリ言うぜ。――弱ぇ」

 

 突きつけられた事実に返す言葉もない。どう取り繕ったって、自分の適性がCなのには変わりないのだから。

 

「どうやって取り入ったんだか知らないが、てめぇみたいなのがうろちょろされると目さわりなんだよ。さっさと撃墜でもされればまだマシなんだが、生き意地だけは汚いと見えるからな。それか、お前の人機に爆弾でも括りつけてやろうか? したら、少しはマシな働きになるかもしれねぇぜ?」

 

 哄笑を上げるヘイルに何も言えないまま、ただただ耐え抜くしかない。

自分は弱い。自分は何一つまともには出来やしない。それは六年前から痛いほど分かっているはずなのに。

 

「おっと召集命令だ。大方、ゼルストに攻め込む手はずだろうさ。ヒイラギ、てめぇは来てくれるなよ。何てったって、ブリーフィングの空気が悪くなるからなぁ!」

 

 高笑いが聞こえなくなるまで、ぎゅっと拳を握り締めていた。どこへ行っても変わらない。

 

 どこへ行っても代わり映えはしない。

 

 何になっても何を成しても。

 

 自分はどん詰まりなのだ。

 

 その時、不意に名前を呼び止められた。またヘイルか、と面を上げた視界に映ったのは隊長である。

 

「ヒイラギ准尉。ブリーフィングルームへと招集をかけたはずだが」

 

 厳しい物言いにやはりか、と面を伏せる。

 

「……あたしがいないほうが、作戦は回りやすいはずです」

 

 隊長は何も言わない。それが答えのようであった。

 

「あたしを……っ! さっさと後ろから撃っちゃえばいいのに……!」

 

「友軍機だ。無下には出来ない。それに、ヒイラギ准尉。勘違いしているようだから言っておこう。アンヘルのメンバーは誰一人欠けてはならない。どのような境遇であっても、だ。自分はそう評価しているし、そのような総括だから、君らを同じチームで纏めている」

 

 これではただ駄々をこねているだけだ。ヘイルに水を差されるから戦いたくないなど、一番にみっともない。

 

 戦士として恥じ入るべき言動であったと目を伏せた。

 

「顔を上げろ。戦いにおいて足元を見る必要性はない。前だけを見て駆け抜けろ。それに……ヒイラギ准尉。今回ばかりは総員参加の構えで向かわねばならないかもしれない」

 

 不意に弱小コミューン、ゼルストの前情報をそういえば仕入れていなかった事に気づく。

 

 迂闊だったか、と考える前に隊長が自前の端末に情報を呼び出す。

 

「ゼルスト。元々は旧ゾル国コミューンの一つだ。しかしながら、三十年前に国交が断絶。そこから先はC連合国家におんぶにだっこの状態だったが、ここ数年で過激思想にかぶれたらしい。革命家によって事を成し遂げんとする……危険な連中だ」

 

 隊長は自分を手招く。歩きながらの説明という事だろう。

 

「革命家……この時代にもそんなものが……」

 

「いるのだから始末に終えない。情報は均一化され、統一されて久しいはずなのに、人々の自己認識における不和だけは解消しようがない」

 

「テロとか……ですか」

 

「始末に終えない、というのはそれもある。テロだけならばどれほどいいか。思想面での侵略行為はなまじ鉄砲玉よりも厄介だ。C連邦の賢明なる市民にそのような心配はないと思うが……保健を打っておくに越した事はない」

 

 先手で敵の出鼻を挫く。今回の作戦概要はそれに集約されていると言っても過言ではないだろう。

 

「これから先の作戦概要でも話すが、敵は所詮、旧型人機の寄せ集めだ。《バーゴイル》に《ナナツー弐式》、それにロンドか。我々の持つトウジャの敵ではない」

 

 今までも幾度となく死線は潜ってきたつもりである。それでも毎回、対人機戦になるとどうしても気持ちが前に出ないのだ。

 

「《スロウストウジャ弐式》と《ゼノスロウストウジャ》で、ですか……?」

 

「制圧戦になる。情報を向こうのほうが持っている感じではないが、用心するに越した事はない」

 

 ブリーフィングルームに隊長を連れ立って現れたものだから、ヘイルが目を見開く。また、隊長に色目を使っているだの侮辱されるだろう。

 

「よく集ってくれた。もう知っている者もいるかと思うが、次の制圧任務の場所の概要を説明する。コミューン、ゼルスト。入り組んだ路地も多いからな。一つでも確定情報が欲しいところではある」

 

 何の気にも留めない隊長に比して隊員達は明らかに嫌悪の眼差しを自分に注いでいた。

 

 ――准尉のくせに。

 

 ――Cのくせに。

 

 言葉にされなくともありありと伝わってくる。後ろ手に拳をぎゅっと握りしめ、その視線に耐え凌いだ。

 

 だが真に耐えなければならないのはこれから先の戦場だ。言い訳の利かない戦場に送り込まれれば、もうそこまで。戦って勝つしか選択肢はない。軍人としてここまで来たのは純粋に戦って勝つしかない場所に投げ込まれるという事実。

 

 負け犬の言い草も、ましてや戦わぬ言葉も、慈悲も何もかも塵芥でしかない。

 

 それらは真っ先に硝煙に掻き消され、銃声の前に無意味と化す代物。

 

 世界はそのように出来ているのだと、それほどまでに過酷なのだと知るのには、この六年は充分であった。

 

 誰もが皆失いつつも前に進んでいる。可哀想がられたくって生きているわけではない。

 

 鳥籠の中で生きていた自分は、畢竟、ただただ現実を前に打ちのめされたのみであった。

 

「ゼルストは大中様々なコミューンが寄せ集めで完成した合併型の副次コミューン。ゆえに毎度の事ながら継ぎ目を使って潜入する」

 

 継ぎ目、とあだ名されるのはコミューン外壁に存在する生活圏に支障のないレベルでの抜け穴である。

 

 今回のように副次型コミューンの場合、コミューンそのものが次々と増改築を繰り返されたため、自然と継ぎ目が出来やすくなるのだ。自分の棲んでいたコミューンではまるで考えられない事柄であったが、C連合下の弱小コミューンにおいて継ぎ目は恒常的に存在しており、世界史の教科書には決して載らないが、コミューンという生活圏の基盤を揺るがす事実であった。

 

「まぁーた、継ぎ目ですか。今回は誰が一番乗りにします?」

 

 隊員の声を聞き流しながら隊長は視線をこちらへと流した。

 

「ヒイラギ准尉。今次作戦において継ぎ目に仕掛ける役割を任せたい」

 

 隊員全体に亀裂が走ったのが伝わる。自分のような出来損ないに務まる役目ではないのは分かり切っている。

 

「隊長、でもそいつ……」

 

「適性試験の結果が悪ければ実地で試す。それが自分の心得だ。殊、特務部隊アンヘルにおいて、一人でも使えない隊員はいないようにしたい。分かるな?」

 

 有無を言わせぬ隊長の声音に全員が文句を仕舞ったのが窺える。隊長は再度目配せした。

 

「ヒイラギ准尉。《スロウストウジャ弐式》を伴っての外周破壊任務。実行せよ」

 

 軍規において可能不可能の議論はない。やるか、やらずに故郷に帰るかの二択。特務部隊アンヘルにおいて逃げ腰は許されない。

 

 ここで求められているのはただただ実行するだけの言葉であった。

 

「……はい。やれます」

 

 ヘイルがケッと毒づく。

 

「でも、いいんですか、隊長。継ぎ目の破壊なんて、こんな……細い神経にやらせて。継ぎ目の破壊ってのはつまるところ……」

 

 分かっている。拳を固く握り締め、過去のトラウマのフラッシュバックを耐え忍んだ。

 

 親友を失う感覚。何もかもが壊れていく。青い大気、崩壊する日常――。

 

 一呼吸のうちに何度吐き気に襲われたか。それでもヘイルの挑発には耐えられた。

 

「我々はアンヘル。外敵を駆逐する守護天使だ。守るべき国民のためならば喜んで汚れ役を引き受けるという大義。まさか持っていないわけではあるまい」

 

 一度の敗走がアンヘル全体の衰退へと繋がる。ゆえに失敗は許されない。

 

「……やります。やらせてください」

 

 言うしかないと誘導されたとはいえ、これも選び取るという事だ。未来を。果てには自分の境遇を。

 

 教え込まれたではないか。

 

 自分が生きていくための術を。

 

「では実行までの数時間。ヒイラギ准尉には個別の部屋に移ってもらう。そこで継ぎ目の詳細任務を通達。ジュークボックスを飲んでおけ」

 

 挙手敬礼し、その場を去る際、ヘイルが口汚く罵った。

 

「Cの分際で! 臆病者の雌狐が!」

 

 隊長がすぐさま制したが、ヘイルの言葉に言い返す事も出来なかった。今はただ結果で示すしかない。

 

 ゼルスト陥落までのシナリオを紡ぐのに、他の隊員は邪魔なだけである。

 

 個別の独房めいた部屋に移され、すぐさま壁より錠剤のセットがせり出された。

 

 精神安定薬「ジュークボックス」。

 

 継ぎ目の破壊任務に当たる人間は皆、これを飲んでから出撃する。

 

 自分は今まで飲まずに済んでいたのに、こんな時まで臆病であった。

 

 ジュークボックスを口に放りかけて何度も胃液が逆流する。これを飲めばどうなるのか、自分はよく知っている。だからこそ、飲む気にはなれなかった。

 

 錠剤を踏み潰し、飲んだかのように偽装すればいい。

 

 どうせ自分に誰も期待してなどいないのだ。ならば失敗作の烙印を押されてでも、謗りを受けてでも、「人間」でいたかった。

 

 数十分後、直通通信がもたらされる。

 

『ヒイラギ准尉。ジュークボックスを飲んだか?』

 

「……はい」

 

 虚脱したような声になればいい。ジュークボックスの「常習者」から聞いた演技であったが、隊長はそのまま続けた。

 

『気分はどうだ?』

 

「……最高です」

 

 ジュークボックスを飲めば精神が全て上向きに補正され、その人間は好戦的になる。

 

 一昔前にブルーガーデンの強化兵士がやっていた「精神点滴」とやらを少しばかり安全にしただけの代物。

 

 だがどの国際条約でも縛れない、裏の代物であった。

 

 隊長はその様子に一つ頷く。

 

『そう、か。言葉は? 理解出来るな?』

 

「無論です」

 

 ジュークボックスの精神作用にその名前通り頭の中で音楽が流れているという錯覚がある。

 

 人によってはそれがオーケストラであったり、または流行の曲であったり、あるいは子守唄であったりするという。

 

 人間を脳内麻薬で欺くシステム。それがジュークボックスの作用であった。

 

『結構。では作戦概要を伝える。これは継ぎ目を破壊する君にのみ与えられた情報であり、情報の均一化は……』

 

 先遣隊を務める自分にしか教えられない潜入情報にただただ頷くしかない。

 

 だがその中の一つに不意に身を固くした。

 

『……よって、君の操る《スロウストウジャ弐式》はコミューン内部の大気循環装置を破壊。これをもってして、相手の出鼻を挫く』

 

 コミューンの大気循環装置の破壊。それは、かつて自分が――。

 

 返答が遅れたせいだろう。隊長が訝しげに問いかける。

 

『ヒイラギ准尉? 聞こえているな?』

 

「……ええ。もちろん」

 

 ジュークボックス服用時には少し程度ならば認識の誤差が許容される。それを装ったつもりだったが、どうだろうか。隊長はすぐに事務的な言葉に戻ったが、今の一瞬で看破されていればお終いである。

 

『では、ヒイラギ准尉。この後、二十時間の休息の後、人機にて出撃。ゼルストでの戦端を開く。どうだ? 今ならば人殺しが出来そうか?』

 

 吐き気を催しつつも、首肯するしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気に入らない、とダストシュートを蹴りつけたヘイルに数名が諌める。

 

「ヘイル。まだ隊長は何もあの半端者を認めたわけじゃないだろ」

 

「でもよ! あんなひよっこ女が前に立つだけで気に入らねぇんだよ! ああっ、クソッ! 敵兵なら後ろから撃って犯してやるのによ!」

 

「やめとけよ。隊長は絶対に覆さないだろ。決定したんだ。今回の継ぎ目破壊だけさ。二度目はないかもしれないだろ?」

 

 隊員の声にヘイルはハッと思いついた。

 

 途端、愉悦に声が弾ける。

 

「そうだな。二度目はないかもしれない。それ、いいな」

 

 端末を取り出した事で悟った人間もいたのだろう。

 

「おい……! それは……!」

 

「別にいいだろ? 元々ゼルストの諜報部門が聡かった。俺達アンヘルは出遅れた。そういう風にしておけばいい」

 

「……隊長は黙っては」

 

「どうかな? あの人も案外気楽だからな。アンヘルの失敗は確かに! C連邦全体の衰退かもしれないが、一末端兵士がちょっとトチるくらい、今までだってあったろ?」

 

「……バレたら」

 

 弱腰の隊員達にヘイルは唾を飛ばして叫んでいた。

 

「てめぇら、どこに目ぇ、つけてんだ! この赤は! 血の赤だって思い知らされてきたクチだろうが!」

 

 詰襟の制服の左胸を叩く。この制服の赤は鮮血の赤。自分達が染め上げる戦場の色に他ならない。

 

 隊員達はそれでも難色を示す。

 

「ヘイル……俺達は何も、今回にこだわる事はないって思っているんだ。あいつは放っておいても自滅する。今まで軍にいたらそれこそ嫌と言うほど見てきたろ? どうせ適性値もCだ。自分で辞めて行くさ。それまで待てばいいだけの事だろ?」

 

「待っていたら、あいつはつけ上がるだろうが! それこそ、俺達の事を下に見るぜ!」

 

 ヘイルは我慢の限界であった。端末に繋ぎ、コールする。

 

 隊員達は止めたという体は崩していないが、それでも自分の行動を本当に阻止するのならばとっくにしているだろう。

 

 全員、気に入らないはずなのだ。

 

 ならば自分が少しくらい、破滅に向けて背中を押したところで何も問題はあるまい。

 

「あんた、革命派の諜報員だな? 少し耳寄りな情報があってよ……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯プロローグ5

 

 旧ゾル国陣営としての参加、という大義名分に異を唱えるつもりはない。

 

 ただ、「旧」という文言を取って欲しいと願い出ただけだ。

 

 無論、その提案は却下されたが。

 

「シーア中尉。君が不死鳥隊列に加えられてから何年経ったかな?」

 

 前を行く上官に事実のみを応える。

 

「六年です」

 

「その前は、ゾル国軍部の」

 

「下仕官でした。ただの」

 

 足を止めた上官は上下に流れ行くホログラムの滝の前でこちらへとようやく振り返った。

 

 艦隊の中のはずなのに滝。これは兵士の精神を落ち着かせるセラピーホロの一つである。

 

 下は生命の息吹の欠片もない、汚染された海上で滝を見るというのはどこか冗談じみている。

 

「分隊長をやっていたお父上がいたはずだな?」

 

「父の記憶はほとんどありません。あの人は、自分が物心ついた時より既に辺境基地の守りについていました」

 

 事実のみであった。自分には父親の記憶がほとんどない。母親と二人の兄弟に挟まれ共にゾル国の中心コミューンでほとんど不自由ない生活を送っていた。

 

「承知していると思うが、君の父上は立派であった。立派に、辺境基地を守り通した。あの地獄の一年……モリビトとブルブラッドキャリアという脅威に晒された前線地区で」

 

「六年前には自分は一介の《バーゴイル》乗りでしたので、記憶はしています。ただ、実感がないだけです」

 

「父親という人が死んだ、というか?」

 

「はい」

 

 澱みなく応える。上官は少しだけ眉を吊り上げて困ったように頭を振った。

 

「君の実力は買っている。《バーゴイルフェネクス》……いや、《フェネクス》の新規量産に踏み切れたのは君の実力あっての事だ。推薦人は君を高く評価し、六年前に我々へと評定を下していた」

 

「恩人です。そのお方は」

 

 その人物の事は父親と同じくよくは知らない。ただ自分の戦歴を買ってくれているというのならば、それに応じるのが礼儀であった。

 

「……厳しい戦士になったものだ。私は君が小さい頃からよく知っている」

 

「グルー准将。私情は挟まないでください。自分は戦闘機械です。仰ってくださればどこにでも赴きます。前回の模擬戦の時のように、C連邦の機体から暗号コードを抜くくらいは――」

 

 そこまで言って上官は唇の前に指を立てた。どこに耳があるか分かったものではない、という意味だろう。

 

 軽率だった、と口を噤む。

 

「……物分りが良過ぎるのも考えものだな。私は君の事を戦闘機械などと思った事は一度もないよ。よく知っている……戦友の子の姿だ」

 

「准将。指示をください。そうすればこのレジーナ・シーア。どこにでも赴きます。あなたの剣になりましょう」

 

 上官は嘆息をついて滝を眺めた。

 

「滝はいい。生きている自然の心地がする」

 

「ブルブラッド大気に汚染されて百五十年。自然界において水質は悪化。滝など、見れたものではないでしょうね」

 

 淡々とした事実を告げるレジーナに上官は滝に視線をやりつつ、口を開く。

 

「生きている自然はいいものだ。父上もよく、辺境基地で今も生きている古代人機の写真を送ってくれた。この星は決して人間だけのものではない。天に見放され、地に追放され、自然界を歩む術が最早鋼鉄の巨体に頼る他なくなったとしても、だ。それでも雄大なのは自然界。決して人間には冒されない鉄の掟」

 

「古代人機の撃墜数がかつて物を言っていたゾル国ならではの感受性でしょう。古代人機は自分達の箔をつけるためのものでもあり、よき隣人でもあった」

 

「今も、そうであると信じたいがね。だが、確実に言えるのは古代人機を狩っても今の世の中、誰も評価してはくれないという事だ」

 

「対人機戦の有用性が説かれて久しい現状では、古代人機はただの動く的です」

六年前までは古代人機狩りもそれなりの意義はあった。三国――C連合、ゾル国、ブルーガーデンの軋轢を解消するためのガス抜きとして。

しかし、ほとんどC連邦の一強となってしまった現在において古代人機狩りはただの臆病者の仕出かす行為だ。単に自然界を冒涜しているとも言える。

 

「動く的、か……。悲しいがその評価は定まっている。シーア中尉。先の件であるがやはり旧は消せんよ。今の世界情勢を鑑みた結果の話だ。一昔前までは古代人機を狩る事で作り上げられていた仮初めの平和も、今はもうないのだ。何かに頼る事でしか、戦いと実力を示す事は出来ない。我々は旧ゾル国陣営として、今回のC連邦との新型機体コンペディションに移る事になる」

 

「自分は剣です。だから、仰られればどこへでも、誰でも撃ちましょう」

 

「逸るな、と言っているんだ。うまく転べばC連邦の《スロウストウジャ参式》よりも《フェネクス》の有用性を語って聞かせる事も出来る。問題なのは、やはりC連邦一強の現在、どのようにして我々の意見を挟み込む隙が生まれるかだろう」

 

 政の領域に兵士は口を挟めない。それは痛いほどに分かっている。

 

「不死鳥隊列は我が方だけの戦力にしておくのには惜しい、という事ですか」

 

「その通りだ。C連邦がどれほど傲慢だとて、《フェネクス》の性能を看過出来まい。必ず、何かしらのアクションがある。それを見逃すものではない」

 

 ようやく、上官が歩み出す。その背中にレジーナは続いた。

 

「自分は《フェネクス》を最大まで活かす事が出来ます」

 

「なればこそ、急いては事を仕損じる。なに、相手も馬鹿ではあるまい。《フェネクス》の対策を練っている間、こちらはゆっくりと、相手の手の内も読むまでだ」

 

 艦隊内部に通信が木霊する。

 

『艦隊はこれより、C連邦領海に到達。繰り返す、領海に到達』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《スロウストウジャ弐式》へと乗り込んだ際、再び隊長の通信が開いた。

 

『ヒイラギ准尉。継ぎ目の破壊任務、頭に入っているな?』

 

 確認の声音に自分はただただ首肯する。

 

「はい。もちろん」

 

『ならば結構。先遣隊として出撃するが、継ぎ目の破壊を確認と同時にアンヘルは君の援護に入る。滞りなく済ませたまえ』

 

「了解しました。ヒイラギ准尉、《スロウストウジャ弐式》、出ます!」

 

 赤く塗装された《スロウストウジャ弐式》がX字の眼窩を煌かせて出撃する。カタパルトから放り出された際、本当に単独任務なのだな、という事を周囲の熱源で関知した。

 

 誰も頼るべきものなどない。

 

 継ぎ目破壊が成し遂げられた時、ようやく自分は一端になれる。

 

 コミューンまでの長距離を航行するのに、《スロウストウジャ弐式》には特別なバックパックが施されていた。

 

 使い捨ての高出力マニューバの推進剤。それらが人機を補助し、目標までの速度を維持する。

 

 コミューン外壁警護の敵が少なからず存在するはずだ。息を詰めたが、ドーム型のコミューンに外壁警護はほとんど存在しなかった。

 

 機銃牽制程度の相手に《スロウストウジャ弐式》が稼動し、出力を絞ったプレッシャーライフルで狙い撃つ。

 

 機銃破壊を相手が確認した時は既に懐へと忍び込んでいる手はずであった。

 

 半球型のドームとドームの密集する場所。継ぎ目が有視界に入ってくる。

 

 プレッシャーライフルの出力値を上げて一発で仕留めようとした、その時である。

 

 背後からの警告反応に機体を跳ねさせる前に、一撃が突き刺さった。

 

 激しくコックピット内で揺さぶられる。

 

「……これは……超長距離滑空砲? そんなもの、どうやって……」

 

 問い質す前に第二射が《スロウストウジャ弐式》を激震する。誘爆した背面バーニアを分離し、敵の射線から逃れようとするが、前面からの照準警告にハッと面を上げた。

 

 継ぎ目付近にナナツー数機が点在しており、それらが一斉に機銃を向ける。

 

 まさか、と息を呑んだ時には、銃撃が火を噴いていた。《スロウストウジャ弐式》がナナツーの武装に煽られる。

 

 どれほど堅牢な装甲とは言え、物量戦ではさすがに撤退するしかない。

 

 援護を呼ぼうとしてジャミングがかけられた。通信障害の砂嵐が耳朶を打つ中、一際巨大な狙撃砲を持つナナツーの一撃が《スロウストウジャ弐式》の血塊炉付近に命中する。

 

 急激に高度を下げていき、コミューン外壁に至ったところで、数体のロンド系列が周囲を完全に固めていた。

 

 逃げられない、と悟った瞬間、幾重もの照準警告が響き渡る。

 

 この状況ではコックピットを狙い撃たれても仕方あるまい。

 

 投降信号が出されていた。

 

 アンヘルにとって相手に下るのは死も同じ。しかし、ここで何もしなくとも、《スロウストウジャ弐式》の単機を破壊するのにはさして時間はかからないだろう。

 

 投降信号を受諾し、コックピットハッチを開いた。

 

 人機の頚部から両手を上げて投降する。

 

《ホワイトロンド》が歩み寄り、銃口を向けながら自分と《スロウストウジャ弐式》を引き剥がした。

 

『情報は的確だな。本当に単機で来るとは、アンヘルも相当俺達を嘗めていると見える』

 

 ――情報? とその言葉を勘繰る。

 

 アンヘルの情報網は現状最も優れており、機密性で弱小コミューンの先を行かれる事はないはずだ。

 

《ホワイトロンド》のマニピュレーターに掴まれたまま、《スロウストウジャ弐式》がナナツーに回収されていく。

 

『こいつ、女か?』

 

 看破されてびくりと肩を震わせる。人機の操主が立て続けに哄笑を上げたのが通信網を震わせた。

 

『お笑い種だぜ! ゼルストの守りを突き崩すのに、女操主で充分だと思われていたなんてな!』

 

『トウジャは出来るだけ傷をつけずに回収しろよ。あとでいくらでも使えるからな』

 

 暗に操主はどうでもいいと言われているようなものだった。

 

 操主を殺したところで代えはどれだけでも立つ。

 

 ゼルストに運び込まれていく中、最悪の想定に転がっている事だけは、確かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外壁警護の者達は欠伸をかみ殺す。

 

 紺碧の地平線より昇る朝日がじわりと関節を暖めた。

 

「どうにも、退屈だな。外壁警護なんて」

 

「ルーティンだからな。ま、何もないのが一番だろ」

 

 トランプの博打を重ねつつ、外壁警護のナナツーの上で胡坐を掻いた男達はマスクを指差す。

 

「お前のマスク、大分汚れているな。買い換えろよ」

 

「うるせぇっての。んな金ねぇんだよ。ほれ、ロイヤルストレートフラッシュ」

 

 相手は舌打ちを漏らす。

 

「マスクのノズルにカスが溜まるといざという時、窒息死しちまうぞ」

 

「ありがたく言葉と金だけ頂戴しておくよ」

 

「おっ死んじまえ。クソッタレ」

 

 その時、外壁のセンサーに反応があった。双眼鏡を手にすると地平線よりこちらに向かってくるトレーラーが一台、視界に入る。

 

「今時珍しいな。地上の運送業か」

 

「トレーラーだろ? ゼルストの補給部隊かもしれん」

 

「呼びかけてみるか。そこのトレーラー! 止まれ! チェックを行う」

 

 トレーラーが停車し、ゼルストの検問にかかる。

 

 ナナツーが照準しながら、もう一人がトレーラーを仔細に観察した。

 

 黒く染まった棺おけのようなコンテナは随分とお目にかかっていないタイプだ。

 

「珍しいもの載せてるな。ブルーガーデンが昔使っていたタイプの貨物か」

 

 トレーラーから降りてきたのは外套を頭からすっぽり被った背の低い運転手だった。背丈だけ見れば少女か、と疑ってしまう。

 

 無論、この青く染まった大地で女一人という事はあるまい。どこかに伏兵でも潜んでいる可能性はあった。

 

「何を積んでいる?」

 

「ゼルストへの補給を」

 

 驚くべき事にその声も少女のものであった。一気に疑わしくなり、男はアサルトライフルを手に運転手を見渡す。

 

「あんた……何をしにやってきた?」

 

「だから補給だ。見て分からないのか?」

 

「にしては、ちぃとばかし迂闊だろ。ゼルストへの補給経路を辿りたいのならきっちり認証コードを」

 

「07D987、S23、FRだ。このコードに間違いはないはず」

 

 参照したが確かに言われたコードには間違いはない。

 

 だがただ通すわけにもいかなかった。

 

「悪いが、ここは通せないな。つい一時間前ほどに戦闘行為があったばかりだ」

 

「戦闘行為?」

 

「アンヘルの……虐殺天使共の尖兵が間抜けにも捕まったんだよ」

 

「アンヘル……C連邦の特殊部隊か」

 

『なぁ、そいつ通さないのならさっさとお帰り願いな。こちとら暇じゃねぇんだよ』

 

 ナナツーに乗った男からの追及が飛ぶ。

 

「と、いうわけだ。通せない」

 

「そうか。……ならば押し通る」

 

 その言葉が耳朶を打ったのが早いか、それとも相手が跳ね上がったのが早いか。

 

 跳躍した相手が自分の首根っこを押さえる。そのまま体重に任せて背後から羽交い絞めされた。

 

 首筋へと鉄片が押し当てられる。

 

「なっ……何なんだ、てめぇは!」

 

「眠ってもらう」

 

 鉄片から電磁が迸り、男を昏倒させる。

 

 ナナツーに搭乗していたもう一人がおっとり刀で照準を向けようとしたその時には、運転手の手にしたワイヤーガンが人機の腹腔へと打ち込まれていた。

 

 電磁波が干渉し、血塊炉が瞬間的にダウンする。

 

 復旧までの時間はたったの五分だが、その五分が明暗を分けた。こちらへと駆け抜けてきた運転手が軽業師めいた動きで人機へと跳び移り、すぐさまキャノピー型のナナツーのコックピットへと至る。

 

 銃口を突きつけられて男は絶句していた。

 

 この間、三十秒とない。まさか、と声が震える。

 

「お前は……何者なんだ」

 

「知る必要は、ない」

 

 銃撃が男の額を正確に射抜く。マスクの中で血潮が溜まる中、操主を蹴り飛ばし、ナナツーの駆動系を確かめた。

 

「コードを書き換える。コミューン、ゼルスト。……ここが次の戦場か」

 

 呟いた言葉は誰にも聞きとめられなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯171 彼女の見た戦場

 薄く瞼を上げる。

 

 男達が言い争いをしていた。

 

「だから、アンヘルの操主服だけでも高くつく! ここはこいつを売る事も考えて壊すなって言ってるんだ!」

 

「仕方ないだろ! この操主服自体にロックがかかっていて壊す以外に選択肢がなかったんだからよ!」

 

 操主服、という言葉に自分の姿を目にする。

 

 眩んだ視界の中、黒のインナー一枚になっていた。

 

 ハッと顔を上げた瞬間、男達が下卑た笑みを浮かべる。

 

「お目覚めか? 虐殺天使の尖兵」

 

「しかし、女かよ。随分と嘗められたもんだよなぁ」

 

 インナー一枚では抵抗も出来ない。アンヘルの操主服は首筋のロックを銃弾で破壊されており、操主服がもたらす副次効果も期待出来なかった。

 

「しかし脱がしてみるとまぁ……華奢だな。こんなので本当にC連邦の兵士なのか?」

 

 恥辱に歯噛みする。手錠もはめられており、言い返す言葉もない。

 

「トウジャタイプは高値で売れる。いや、それ以上にゼルストの戦力にもなるだろう。この操主服もな。だが……操主は要らねぇな」

 

 すっと銃口が向けられる。終わりを予感したが男の一人が制した。

 

「まぁ待てって。殺すのは勿体ないぜ? 一発もヤってねぇんだから」

 

 その言葉にゼルストのリーダーと思しき男は銃口を下ろす。

 

「……大概にしておけよ」

 

 男達が立ち去っていく。一対一で男と共に残された形となった。

 

 男がインナーを引っ掴む。

 

「C連邦の女を犯すのは楽しみで仕方がねぇな。アンヘルの尖兵って言ったって、操主服もなければ人機もねぇ。そんな状態じゃ、何も出来ねぇだろ!」

 

 肩口からインナーを引き剥がされかける。

 

 刹那、銃声が木霊した。

 

 固く目を瞑っていたが、自分が撃たれたわけではないようだ。男が倒れ伏したのを音で感じ取り、薄く目を開ける。

 

 外套の人物がこちらへと拳銃を突きつけていた。

 

 誰なのか。身をよじって抵抗しようとした矢先、外套の人物がハッと声にする。

 

「……まさか。燐華・クサカベか?」

 

 久しく呼ばれていなかった自分の本当の名前を紡がれ、ヒイラギ――燐華は瞠目する。

 

 この名前を知っているのは一部の人間のみのはず。相手はすっぽり被った外套を剥ぎ取った。

 

 黒い長髪に、紫色の虹彩。あの日、別たれたはずの存在が何の因果か、目の前に存在していた。

 

「嘘、でしょ……。鉄菜、なの?」

 

 全てが壊れ、揺るがされたブルブラッド大気汚染テロ。その時に別れを告げたはずの親友が眼前で怜悧な瞳を携えていた。

 

 どう見ても鉄菜にしか見えない相手がこちらの様子を観察し、男と見比べる。

 

「……売られたのか」

 

 誤解をしているようであったが、アンヘルの兵士だと告げるよりかはマシだろう。燐華は面を伏せた。

 

 鉄菜は手錠を銃弾で破り、拘束を解く。

 

「ここはすぐに戦場になる。燐華・クサカベ。脱出経路を取るぞ」

 

 外套を手渡され、燐華はそれを羽織る。

 

「脱出って……」

 

「十分前に掴んだ。C連邦の兵士奪還のためにアンヘルがこの基地を強襲する。そうなってしまえばここも虐殺に抱かれるだろう。最短距離で向かう。ついて来られるな?」

 

 手を引いた鉄菜に燐華は戸惑いっ放しであった。どうして生きているのか。どうして、アンヘルの情報を掴んでいるのか。

 

 聞きたい事は山ほどあるのに、どれも口をついてでない。困惑する燐華は鉄菜に先導されるまま、脱出のための道筋を辿っていた。

 

 言うべきではないのか。

 

 自分こそがアンヘルの兵士なのだと。

 

 しかし証明する手段は一つもない。

 

 操主服もなければ《スロウストウジャ弐式》がどこに運び込まれたのかも不明なのだ。

 

「待て」

 

 鉄菜が立ち止まり、折れた角を見やる。

 

「……厄介だな。ゼルストの守り自体は容易いが、敵の接近までの時刻は迫っている。燐華・クサカベ。お前は私の提示するルートで脱出しろ。一人ならばものの十分程度で行き着く事が出来る」

 

「そんな……鉄菜はどうするの?」

 

「私はやらなければならない事がある。すぐには退けない。燐華・クサカベ。この端末に記されている通りの道を行け。売られた身とは言え難しい話ではないはずだ」

 

「鉄菜……。勘違いを――」

 

 言いかけたのを鉄菜が制する。

 

「時間がない。やれ」

 

 直後には鉄菜は飛び込んでいた。銃声が幾重にも交差する中、親友の無事を確かめる事も出来ずに、燐華は逆の道を辿っていた。

 

 せっかく再会出来たのに、何も言えなかった。何も聞けなかった。その悔恨が涙として流れる。

 

 鉄菜の記した脱出経路は確かにコミューンから安全に脱出するまでの道筋を示していたが、自分はただ逃げるだけではいけないはず。

 

 右手の甲に埋め込まれている遠隔操作用のコンソールへと、燐華は呼びかけていた。

 

「《スロウストウジャ弐式》。あたしのところに来て」

 

 どこに収容されているのか分からなくとも、コミューン一個程度ならばこの遠隔通信は届くはずだ。

 

 愛機を待つ間にも状況は動いていく。

 

 蘇った通信網に燐華は隊長の声を聞いていた。

 

『ヒイラギ准尉……、応答せよ。通信途絶より二時間が経過した。アンヘルは作戦失敗を加味し、援護に向かう。繰り返す……』

 

 ここが戦場になる。その感覚に燐華は慌てて吹き込む。

 

 またしても鉄菜を失うのは嫌だった。

 

「隊長! あたしは無事ですから……っ、攻撃の中断を……!」

 

『ヒイラギ准尉。……ようやく、か。だが間に合わん。もう継ぎ目までの射程に入っている』

 

 瞬間、轟音がコミューンを激震する。

 

 継ぎ目が破壊され、ドーム型のコミューンの天上に亀裂が走っていた。

 

「空が……割れる……」

 

 天蓋が砕け落ち、灼熱の息吹と共に赤い虐殺天使達が降り立つ。青く逆巻いた汚染大気がコミューンを襲う。

 

《ゼノスロウストウジャ》が自分を回収するために降り立った。

 

 隊長の声が飛ぶ。

 

『ヒイラギ准尉……、トウジャは』

 

「……奪われましたが今、呼び戻しています。多分、三分以内には戻ってくるかと」

 

『そうか。……拷問を受けたのか?』

 

「……いえ。どこも。何も話していません」

 

『そう、か。作戦続行に支障は?』

 

「いえ、全くありません。トウジャさえ戻ってくればいつでも」

 

『結構。全員に通達。コミューンゼルストは我々アンヘルに牙を剥いた。よってこのコミューンに棲息する全ての反抗勢力を――駆逐する』

 

 隊長が一度そう口にすればもう止まらない。虐殺天使は放たれた。

 

『すぐに隊列に加われ。准尉』

 

 そう言い残して《ゼノスロウストウジャ》が駆け抜けていく。

 

 燐華は硝煙に支配される感覚にぐっと目を瞑った。

 

 また鉄菜を失うかもしれないのか。

 

 今度は間違えようもない自分のエゴで。

 

「鉄菜……お願い、逃げて……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「総員、対人機戦闘用意! アンヘルが攻め込んで来やがった!」

 

 悲鳴のような声が迸る中、ゼルストの兵士が次々にナナツーと《ホワイトロンド》へと乗り込む。

 

 型落ち品とは言え、人機は人機のはず。

 

 そう考えて搭乗した者達は降り立った赤い虐殺天使に絶句していた。

 

「あれが……アンヘルのトウジャ……」

 

 一機の《スロウストウジャ弐式》が推進剤の尾を引きながらこちらに猪突する。機銃掃射を見舞ったが、高速機動の中で《スロウストウジャ弐式》は軽やかに回避してみせる。

 

「嘘だろ……、弾道予測だって出来ないはずなのに……」

 

「化け物かよ……」

 

 接近した相手へとブレードに持ち替える前にプレッシャーソードが発振する。

 

 ナナツーの腕が切り上げられ、宙を舞った。その最中にも敵のプレッシャーライフルの銃口がキャノピーを狙い済ます。

 

 絶叫が上がる前にR兵装の灼熱が操主を蒸発させていた。

 

 そこいらで炎が上がる中、ナナツー部隊が《スロウストウジャ弐式》を押し切らんと機銃を引き絞る。

 

「押せ、押せーっ! どれほど堅牢と言っても、弾幕を見舞えば……!」

 

 垣間見えた勝機を掻き消すかのように、上空より間断のない砲撃が見舞われる。

 

《ゼノスロウストウジャ》が浴びせかけた砲撃を嚆矢として《スロウストウジャ弐式》編隊がナナツーを押し切り、瞬く間に無力化していく。

 

『弾幕だと? 嘗めてんのか! てめぇらの銃弾なんざ、蚊が刺したほどでもねぇんだよ!』

 

 接触回線に開いた声が弾ける間にも、《スロウストウジャ弐式》が赤い装甲を翻らせ、ビルの上に展開する《ホワイトロンド》を撃ち落としていく。

 

 完全に虚を突いたはずの《ホワイトロンド》による狙撃を予期したかのように、《スロウストウジャ弐式》部隊が舞い上がり、プレッシャーライフルを浴びせかけた。

 

「どうしてなんだ……、見えているはずがないのに……」

 

 肉迫した《スロウストウジャ弐式》が《ホワイトロンド》をプレシャーソードで両断する。

 

『答えは……あの世で知りな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は……何なんだ……!」

 

 声を上げようとした男を撃ち殺し、鉄菜は激震するコミューンの様子を確認する。

 

 外に出るなり、銃撃とR兵装独特の臭気が鼻をついた。

 

「遅かったか……。アンヘルの人機が既に展開している。手遅れになる前に……」

 

 コードを書き換えたナナツーへと飛び乗り、鉄菜はコンテナを肩口に背負わせつつ、ナナツーを挙動させた。

 

 戦場に割って入った識別不明のナナツーを相手にゼルストのナナツーが応答を命じる。

 

『貴様……、味方か?』

 

 その問いかけに鉄菜はブレードで返していた。

 

 敵ナナツーの血塊炉付近を切り裂き、飛び退って左腕に固定した機銃で距離を取る。

 

『味方を撃つなど……!』

 

「勘違いをするな。私は、どちらの味方でもない」

 

 背後に迫ったプレッシャーの波に鉄菜は瞬時にブレードを翳す。《スロウストウジャ弐式》のプレッシャーソードの高出力に、ブレードが融解していく。

 

『何だぁ? お前、同士討ちでもしてるのか?』

 

「同士討ちだと? 何度も言わせるな。私は、どちらの味方でも、――ない!」

 

 呼気一閃で相手のプレッシャーソードをいなし、機銃をコックピットに向けて浴びせかける。

 

 しかし、《スロウストウジャ弐式》の装甲は健在であった。

 

「ほぼゼロ距離で撃ち込んでこれか」

 

 ゼルストのナナツーにまともな部品が行き渡っていないのもある。下段から切り上げたプレッシャーソードに、鉄菜は後退用の推進剤を全開にして回避していた。

 

『ナナツーの癖によく動くな。だが、何もかも足りねぇんだよ! その程度で、《スロウストウジャ弐式》を墜とせるなんて!』

 

《スロウストウジャ弐式》が滑るようにこちらの射線へと潜り込んでくる。どれほど相手の攻撃を読んでも、機体性能で遥かに押し負けている。

 

 これでは勝機を見出せなかった。

 

 ブレードで弾き返そうとするが、その前にナナツーの腕の関節部位が悲鳴を上げ、火花と共に折れ曲がった。

 

 機銃掃射で敵を退けようとするも、全てが遅い。

 

 プレッシャーソードが血塊炉を引き裂く。

 

「……ここまでか」

 

『そうらしいな。このまま切り上げてキャノピーごとぶった切ってやるよ!』

 

 敵がプレッシャーソードを切り上げさせる前に、鉄菜はコックピットより脱出していた。

 

 人機の装甲を蹴ってコンテナへと潜り込む。

 

 隠し持っていたアルファーを額に翳した。末端神経が弾け飛ぶイメージと共にコンテナが開いていく。

 

『何だ? 新型の武装でも――』

 

 そこから先を引き裂いたのは黄昏色の刃であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯172 銀翼の来訪者

「半数まで減ったか。これより、殲滅戦を開始する。反抗勢力の人間を一人も逃がすな。全力で殺し尽くせ」

 

 命令に了解の復誦が返った刹那、一機の《スロウストウジャ弐式》のシグナルが消失した。

 

 立て続けに二機、三機と機体識別信号が消えていく。

 

 まさか、新手か、と警戒した瞬間、後ろを守っていた隊員の声が弾けた。

 

『隊長! こいつは――!』

 

 おっとり刀の攻撃を弾き返したのは黄昏の灼熱。左腕を切断された《スロウストウジャ弐式》がたたらを踏む。

 

 対象の人機へと《ゼノスロウストウジャ》が砲撃を叩き込もうとするが、その一撃は片腕に保持されている盾で防がれた。

 

「まさか――!」

 

 銀翼が拡張する。左側の盾には亀裂が走っており、今にも崩れ落ちそうであった。それを補強するかのように外套を身に纏っている。

 

 半身が景色に溶けていた。

 

 光学迷彩と右手に保持したオレンジ色の刀身を持つリバウンドソード。機体の頭部のデュアルアイセンサーは破損し、緑色の隻眼が射る光を灯す。

 

 それは見間違えようもなく――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく《スロウストウジャ弐式》に搭乗した燐華は隊長機と鍔迫り合いを繰り広げる敵を目にしていた。

 

 新型機か、と機体照合がかけられる。その照合結果が信じられない名前を紡ぎ出した。

 

「モリビト……、あれが……モリビトなの?」

 

 青い機体へと「モリビト03」の照合が合致する。六年前に駆逐されたはずの機体が銀翼を広げ、《スロウストウジャ弐式》と《ゼノスロウストウジャ》相手に激しく交戦する。Rソードを発振させた青いモリビトが肉迫し、《ゼノスロウストウジャ》の生じさせた黄色のプレッシャーダガーとぶつかり合う。

 

《スロウストウジャ弐式》が弾幕を見舞おうとして、モリビトの挙動に気圧されている様子であった。

 

 単純な戦力の差だけではない。モリビト、という象徴が虐殺天使のあだ名を取る猛者達をも圧倒している。

 

 六年前に殲滅したはずの因子が蘇り、再び世界に牙を剥くなど冗談にしても性質が悪い。

 

「モリビト……あれが、あたしの居場所と……鉄菜を、殺した……」

 

 先ほどまで鉄菜と邂逅したのはやはり幻であったのだ。合間見えれば嫌でも分かる。鉄菜の生存という幻影に囚われるよりも眼前の敵を屠るほうが遥かに現実味があった。

 

 だが、燐華は射撃ボタンを押せなかった。

 

 引き金を絞るべき相手なのに、過呼吸に達した燐華は何度も操縦席で吐き気を催す。敵を前にしても、一発の銃弾も浴びせられないのか。

 

 その情けなさと鉄菜を求める感情が燐華の中で渦を巻く。

 

「鉄菜ぁ……、あたし……あたしは……っ」

 

 頭部を押さえて蹲るしかない。この戦いに介入出来るほど、今の自分は強くなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ブルブラッドキャリアだと!』

 

 弾けた接触回線にRソードを交錯させる。振るい落とした斬撃を《ゼノスロウストウジャ》が弾き返した。

 

 やはり出力面では向こうのほうが上か。六年前にも苦戦した相手が強化されているのだ。当然と言えば当然。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》を後退させ、《ゼノスロウストウジャ》と対峙する。

 

 他の《スロウストウジャ弐式》も射程内であったが、圧倒されているかのようにこちらには干渉して来ない。

 

 そのほうが都合はいい、と鉄菜は腹腔に力を込めた。

 

「《モリビトシルヴァリンク》、鉄菜・ノヴァリス。目標を脅威判定、Sランク相当と断定し、これを破壊する!」

 

 猪突した《シルヴァリンク》のRソードを《ゼノスロウストウジャ》が袖口より発振させた黄色のプレッシャーダガーで受け止める。

 

『世界の敵……、またしても我々に牙を剥くか。貴様らの目的は何だ!』

 

 呼気と共に払われた剣筋を《シルヴァリンク》は打ち落とした刃で応戦する。

 

「――私はただの破壊者だ」

 

『何だと?』

 

「だが破壊者ゆえの意地がある。壊すのならば、それは次の再生のために。だがお前達は、骸ばかりを作り立てる。そのような世界と混沌を――!」

 

 Rソードが出力を上げてプレッシャーダガーを押し返した。左腕の盾を翳して《ゼノスロウストウジャ》の至近まで肉迫する。

 

「この私が、破壊する!」

 

 放った雄叫びと共にRソードを薙ぎ払う。相手が舌打ちを漏らし、《ゼノスロウストウジャ》が後退した。

 

『まさか《ゼノスロウストウジャ》を下がらせるとは』

 

『隊長! こいつ、モリビトなら全機で……!』

 

『いや、分からせてやる必要があるだろう。もうこの世界は、貴様らブルブラッドキャリアの生み出した混沌の……先にある世界だという事を!』

 

《ゼノスロウストウジャ》が両腕を突き出して砲弾を連射する。

 

 建築物を蹴りつけ、大地を踏み締めながら《シルヴァリンク》は下がるが、やはり相手の連射速度のほうが遥かに上。

 

 掠めただけでも《シルヴァリンク》の躯体が激しく軋む。

 

 その隙を逃さず、《ゼノスロウストウジャ》がこちらへと接近の嚆矢を作った。振るわれた刃とRソードが干渉波を生み出したのも一瞬。相手の僅かに出力を上げただけのプレッシャーダガーにRソードが押し負けてしまう。

 

『モリビトとは言え、六年前の機体! そのような骨董品では、我が《ゼノスロウストウジャ》は墜とせん!』

 

 もう片方の腕からゼロ距離の砲撃が見舞われる。血塊炉付近がレッドゾーンに染まり、《シルヴァリンク》の継続戦闘を危ぶませた。

 

 後退し様にRソードを払うが、瞬間、接近警報がコックピットを劈く。

 

 いつの間に回り込んでいたのかもう一機の《スロウストウジャ弐式》が左側から刃を見舞う。

 

 咄嗟に盾で受けたが、リバウンド効果のない盾ではやはりというべきか、十秒と持たない。

 

 盾が切り裂かれ、よろめいた《シルヴァリンク》へと牽制のバルカン砲が放たれる。それだけでも充分に脅威。

 

《シルヴァリンク》の青い装甲が削られてゆき、注意勧告に染まったシグナルに鉄菜は歯噛みした。

 

『隊長! せっかくのモリビトなんですから俺にやらせてくださいよォ! こんな手負いの獣、隊長が潰すまでもないでしょう!』

 

 その部下の言葉に隊長機と思しき《ゼノスロウストウジャ》が下がる。

 

『データが欲しい。完全に破壊するな。血塊炉を止めて回収する』

 

『了解です! さぁモリビトよォ! 派手に踊ってくれよ!』

 

 プレッシャーソードを発振させた《スロウストウジャ弐式》に鉄菜は右手に保持したRソードで応戦する。

 

 しかし、相手のほうが出力も、もっと言えば性能は遥かな高み。

 

 押し返されるよりも関節部が軋みを上げ、このままでは右腕ごと持っていかれるのは必定であった。

 

『いい声で鳴けよ、モリビト! 六年前から来た骨董品が!』

 

《スロウストウジャ弐式》が滑るように懐へと潜り込む。鉄菜は盾の裏側に隠しておいたクナイガンを投擲した。

 

 敵人機の肩口にクナイガンが突き刺さるのと、プレッシャーソードの衝撃波で左腕が肩口から弾け飛ぶのは同時であった。

 

『ワイヤー装備?』

 

 鉄菜は引き金を絞る。クナイガンより発射された実体弾が敵人機の右肩を射抜いた。

 

 内側からの誘爆に敵もうろたえたのが伝わる。

 

 だが、こちらのほうが圧倒的に不利なのには違いない。

 

 隠し武器のクナイガンを晒し、左側の盾と光学迷彩の外套は焼け爛れている。

 

 こちらの武装は残りRソード一本のみ。

 

 鉄菜は肩で息をする。次第に追い詰められている実感に操縦桿を握る手を汗ばませた。

 

 ――恐らく持ってあと五分か、それ以下。

 

 その判定に間違いはないだろう。六年もの間あらゆる戦場を渡り歩いてきた第六感がそう告げている。

 

 退き時だ、と。

 

 先ほど救助した燐華の事もある。容易く退けば、このコミューンは人っ子一人残さず殲滅されるだろう。

 

 それを阻止するために潜入したのだ。

 

現状、有視界戦闘で、数えられる範囲だけで戦闘可能な《スロウストウジャ弐式》は八機。《ゼノスロウストウジャ》はほとんど手傷も追っていない。

 

「九機編成……一機も減らないのはきついな」

 

 奇襲をかけて三機を行動不能にしたはずだが、それでも相手は立ち上がってくる。

 

《シルヴァリンク》であってもここまでか、と鉄菜は歯軋りした。

 

『モリビトォ! よくも右肩をイカレさせやがったな……! だがユニバーサルスタンダードの方式が取られている《スロウストウジャ弐式》は! どちらの腕でも同じような感覚で操縦出来る! 甘く見たな、モリビトよォ!』

 

 プレッシャーソードを左手に持ち替えた《スロウストウジャ弐式》が踏み込んでくる。

 

 Rソードで弾き返そうとして、体重をかけていた脚部に過負荷がかかった。

 

 僅かに体重移動にロスが入る。その瞬間を相手は見逃さない。

 

 プレッシャーソードが右肩から下を引き裂いた。両腕を失った形の《シルヴァリンク》が後ずさろうとしたが、背面には退路を塞ぐように建築物が並んでいる。

 

 手詰まりか、と鉄菜は歯噛みする。

 

『これでェ――っ! 砕けろ!』

 

 プレッシャーソードが血塊炉に向けて突き込まれようとする。鉄菜は有事の際に、と全天候周モニターの一角を叩いた。

 

 自爆専用のシークエンスに突入させようとした刹那、大出力の熱源反応が耳朶を打つ。

 

 とどめを差そうとしていた《スロウストウジャ弐式》を制する形でピンク色の光軸が空間を穿った。

 

『高出力R兵装、だと……?』

 

 敵が目にした熱源の正体を鉄菜も見ていた。

 

 四つ足を持った獣型の人機である。背負った大砲型のR兵装が火を噴いたのだと、棚引く灼熱で関知出来た。

 

《スロウストウジャ弐式》編隊が獣型の人機へと襲いかかる。

 

『シグナル不明……? この人機は!』

 

 プレッシャーライフルを構えた《スロウストウジャ弐式》部隊へと、獣型の人機が尻尾を振るった。

 

 細長い尻尾が段階的に開いていき、内部に充填された青白いミサイルが全方位へと放射された。

 

《スロウストウジャ弐式》編隊は当然の事ながらそのミサイルを撃墜する。だが、その瞬間、敵の動きが鈍った。

 

『これは……隊長! 人機の動きが……極端に鈍くなって……』

 

「アンチブルブラッド兵装……、まさか……」

 

 鉄菜は戦場を回った際、幾度か目にした事がある。人機を無力化するための武装であるが、その起動には血塊炉内蔵機では不可能という欠点と、何よりも人機が干渉する武装である。ゆえに自分の機体を巻き込みかねないために、惑星では人機の兵装として組み込まれていないはず。

 

 それを人機が使用した、という一点のみにおいてもこの場では驚愕されるべきであっただろう。

 

《ゼノスロウストウジャ》が黄色の粒子色を持つ砲弾を叩き込もうとする。

 

 獣型の人機は襟巻きのような頬当てを展開する。瞬間、青白い粒子の束が《ゼノスロウストウジャ》の砲撃を弾いた。

 

『R兵装を……弾いた?』

 

 現状の武装ではR兵装を弾く事は出来ないはず。だというのにそれを可能にした不明人機に、《スロウストウジャ弐式》部隊がうろたえる。

 

 しかし一機の勇猛果敢な《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーソードを手に、背面より襲いかかった。

 

『獣型の人機モドキが! さすがに背中に眼はないだろ!』

 

 振るい上げられた刃を受け止めたのは背筋から突き出た腕であった。

 

『腕が……六本?』

 

 息を呑んだ敵人機の操主の声が響き渡ったのも一瞬。

 

 前足を脚部へと変え、後ろ足を仕舞い込んだ獣型の人機は腕から取り出した高出力Rソードで《スロウストウジャ弐式》の奇襲に対応していた。

 

 立脚した不明人機が頭部を顕現させ、緑色のデュアルアイセンサーが奇襲をかけた敵を睨み据える。

 

 相手が離脱挙動に移る前に、もう一方の腕が手にした砲塔が《スロウストウジャ弐式》の血塊炉へと突き出された。

 

 四肢が破損し、飛び散る中、高出力R兵装の砲撃が《スロウストウジャ弐式》を胴体から割った。

 

 まさか新型人機が塵芥に還るとは思ってもみなかったのだろう。隊長機も絶句しているようであった。

 

『あれは……何なんだ』

 

 R兵装の砲塔を手にした人機が展開する《スロウストウジャ弐式》を見据える。

 

 その矛先に隊長機から舌打ちが漏れた。

 

『……不明人機とモリビト……、ここで戦えば無用な犠牲が出るのは必定か』

 

『隊長? まさか退くって言うんじゃ……』

 

 回線に漏れ聞こえた部下の声音に隊長機が接触回線で何やら口にした様子であった。

 

 色めき立っていた戦地の蠢動が鎮まっていく。

 

『……了解』

 

 不承ながらに飲み込んだ敵の人機乗り達が離脱していく。一機の《スロウストウジャ弐式》が乗り遅れていたが、それを《ゼノスロウストウジャ》が随伴した。

 

 いずれにせよ、《シルヴァリンク》の現状では追いすがる事も出来ない。

 

「……立ち去ったのか」

 

 その時、不意打ち気味に秘匿通信が直通する。久しく使われていなかった通信コードに鉄菜は目を見開いた。

 

 それはモリビトの執行者同士が用いる秘匿回線であったからだ。

 

 恐る恐るコードを認証する。

 

 通信ウィンドウに開けたのは桃色の髪を一本に縛った少女であった。

 

 それが誰なのか、鉄菜は瞬時に理解する。

 

「まさか……桃・リップバーンか?」

 

『まさか……なんてご挨拶ね、クロ。せっかく助けてあげたのに』

 

 声音も全て、六年前と同じ……否、六年の月日は桃を大人びた風貌に変えていた。

 

 落ち着いた瞳の色に鉄菜は敵意を仕舞って尋ね返す。

 

「それも……モリビトなのか?」

 

『そう。モモの新しいモリビト。《モリビトナインライヴス》』

 

《ナインライヴス》と呼称されたモリビトがこちらを見据える。鉄菜は大破した《シルヴァリンク》に目を伏せた。

 

「そう、か。六年間、経ったんだな」

 

『クロ。これから大きな事が起こる。全部、あんたを待っていたんだからね。生きているのならって。そこいらで銀翼隻眼の謎の人機の噂は聞いていたから、生きているのは何となく分かっていたけれど』

 

「大きな事……? 桃、何が起こるというんだ」

 

 問いかけた鉄菜に桃はウインクする。

 

『六年間、ブルブラッドキャリアは何も無為に過ごしてきたわけじゃないって事。それにモリビトの執行者は、モモとクロだけじゃないからね』

 

「執行者……、私達以外の……?」

 

 要領を得ない言葉の中、鉄菜は状況だけが転がっていくのを感じていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯173 報復者の再臨

 

 ソナーが捉えた熱源は誤認であろう、というのが二分前に立てられた大筋の意見であった。

 

 艦隊を襲う人機など現状の世界にいるはずがない。居ても、それは不可能な領域だ。

 

 策敵班は答えを口にする。

 

「人機に水中戦は不可能ですからね」

 

「どれだけ年代が下っても、海だけは適応出来ない。適応出来ている人機がいるとすれば、それは海底に縛り付けられた罪人のみだ」

 

 ブルーガーデンでは昔、罪人の乗る人機に錘をつけて周辺の領海警護に当たらせていた、という噂があった。だが、所詮は噂話程度。

 

 本当に海中用の人機など百五十年前でも開発されていなかった。それは人機が精密機器の塊であるのもあったが、何よりも水中で陸のように機敏に動ける人機など想定されていなかったせいだ。

 

 水中戦と空間戦闘はほとんど前人未踏の領域。

 

 しかも、それに特化した人機などただの予算食いでしかない。空間戦闘ならば辛うじてトウジャと《バーゴイル》に軍配が上がるが、それでも本来の用途からは外れているだろう。

 

 だから、人機サイズの熱源など存在するはずがなかったのだが――。

 

「艦長。この熱源、妙ですよ……。さっきから着々と、接近しています。それに、この音……」

 

 海水を掻き回す音が艦内で共有されたがやはりというべきか誰も信じようとしない。

 

「生物の誤認でもないのならば、どこかの間抜けが人機を水没させて必死に水掻きでもしているのか?」

 

 生物の誤認は汚染された海域ではあり得ないのだが、この段階でも人機だとは思われていなかった。

 

 だからか、直後の激震に誰もが困惑する。

 

 艦隊に伝令が響き渡った。警告のブザーが艦隊を震撼させる。

 

「まさか……! 敵襲だとでも言うのか! ここは海のど真ん中だぞ!」

 

「まさかC連邦の……トウジャ?」

 

 しかし識別反応は不明人機を示している。トウジャではない、という事実に誰もが震えた。

 

「トウジャでさえもない……。ならば、何だと言うのだ……、この人機は……」

 

「船外カメラに映像、出ます!」

 

 カメラに映し出されたのは奇妙な形状のシルエットであった。

 

 扁平な甲羅の形状を模した謎の機体が艦隊中央へと内蔵フィンで音もなく接近する。先ほどからソナーを震わせている甲高い音が響き渡り、直後、魚雷が艦隊中央へと叩き込まれた。

 

 完全に虚を突かれた艦隊が出遅れた判断を下す。

 

『何が起こっている? 敵襲か?』

 

「敵襲? まさか! ここは人機ならば一瞬で錆び付くほどの汚染濃度ですよ! そんな中で、これが人機など……」

 

 再び魚雷が発射され、艦隊中央部が離れていく。

 

 最早、可能不可能を論じている場合でもなかった。

 

 艦隊全域へと発布したのは人機による奇襲警報だ。

 

「伝令! 人機による奇襲を確認! 所属不明機です!」

 

「勝手な真似をするな! 人機による奇襲など、あるはず……」

 

 言葉尻を衝撃が遮る。海の中で人機に襲われているなどという冗談があって堪るものか、と誰もが思っているがこの現実を塗り替えるだけの説得力もない。

 

 何よりも、ゾル国の御旗であるところの艦隊中央に穴でも開けられればそれこそ国家の名折れである。

 

「指揮艦より入電! 艦隊中央部は離脱航行に入る! 《バーゴイル》部隊による掃討を願う! 繰り返す……」

 

「《バーゴイル》を出せだと? 敵は……海の中だぞ」

 

 正気を疑ったが、現状のどの現実把握よりも迎撃に回るほうがよっぽど正気。

 

 射出カタパルトより《バーゴイル》への出撃指令が入った。

 

「《バーゴイル》部隊! 海域の不明人機を殲滅せよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲鳴のように劈いた通信網に《バーゴイル》乗り達はしかし、敵を見つけられなかった。

 

 どこを見渡しても人機の反応などありはしない。それどころか、熱源でさえも見受けられなかった。

 

「勘違いじゃないのか? 人機なんてどこにも……」

 

 直後、海面より対空爆撃が放たれた。

 

 まさか、と息を呑んだ者達が《バーゴイル》に離脱挙動を取らせる。それでも相手のミサイルはしつこく追尾してきた。

 

 その弾頭が青く染まっている事を眼のいい《バーゴイル》乗りは視認する。

 

「青い……ミサイルだって……?」

 

 プレスガンでようやく迎撃した《バーゴイル》乗りが息をつく前に、接近警報がコックピットを揺さぶった。

 

 何かが《バーゴイル》の背を蹴りつけ高空へと至った。

 

 その何かを共有する前に、一機の《バーゴイル》が両断される。

 

《バーゴイル》部隊に亀裂を走らせた人機は緑色のR兵装で堅牢な装甲のはずである人機を真っ二つに切り裂く。

 

 その武装は通常では考えられないほどの高出力であった。

 

「あり得ん……、《バーゴイル》の七倍以上のエネルギーゲインなど……」

 

 計測した複座式《バーゴイル》へと光条が撃ち込まれた。血塊炉を貫いた一撃に《バーゴイル》が次々に沈んでいく。

 

 その背筋へと数機の《バーゴイル》がプレスガンを見舞ったが、盾のように展開した背面武装がプレスガンの弾頭を空間に固定化した。

 

「まさか……その武装は……!」

 

『――リバウンド、フォール!』

 

 機体の通信網に割って入った声音と共にリバウンドの盾で反射された弾丸が《バーゴイル》を打ち抜いていく。

 

 必死に自我を保とうと《バーゴイル》乗り達は艦隊へと通信を繋いだ。

 

「こちら《バーゴイル》第一班! 敵はリバウンドフォールを装備した……あれは、まさか……」

 

 再び飛翔した不明人機の眼窩に報告していた操主は絶句する。

 

 象徴たる三つのアイサイトがオレンジ色に輝いている。

 

「モリビト……」

 

 その言葉が通信に焼き付いた最後の言葉となった。不明人機が武装を薙ぎ払い、《バーゴイル》の胴体を引き裂いていく。

 

 生き別れになった《バーゴイル》がそれぞれ指示を失い、不明人機へと猪突する。

 

「こんな……こんな人機が居て――」

 

『居るんだからしょーがないじゃん』

 

 あまりに歳若い操主の声音に《バーゴイル》部隊全員が言葉を失う。稼動を忘れた《バーゴイル》達へと、不明人機は拡張させた甲羅の末端よりミサイルを射出する。

 

『あとさぁ、隙だらけなんだけれど』

 

 放射されたミサイルが一機、また一機と《バーゴイル》を恐慌のるつぼへと押し込んでいく。

 

 狂気に駆られた《バーゴイル》乗りがプレスガンを連射しつつ不明人機へと強襲する。それを不明人機はうろたえる事もなく、手にした武装で対処した。

 

 発振されたのは緑色エネルギー粒子刃を持つ――斧。

 

 両手に斧を有した不明人機が軽やかに飛翔し、《バーゴイル》を叩き割っていく。接近する《バーゴイル》へは迷いなき殺意を。撤退する《バーゴイル》には執念を持った戦意を。

 

 ミサイルが青白い雲を引きながら《バーゴイル》をどこまでも追い詰める。

 

「まさか……不可能のはずだ! ブルブラッド大気濃度は八十を上回っているんだぞ! 誘導兵器なんて!」

 

『だから、それが古い認識なんだよね』

 

 その言葉と共に誘導ミサイルに焼かれた《バーゴイル》が汚染された海へと墜落する。

 

 甲羅から推進剤を焚いて滑空していた不明人機が艦隊を足蹴にした。その大質量で艦の装甲がたわむ。

 

『何事だ!』、『迎撃に出た《バーゴイル》は何をして……』という声が流れていく中、不明人機は振り翳した斧を艦隊へと打ち下ろす。

 

 干渉波の火花が散る中、不明人機の斧による一閃がブリッジを焼き払った。

 

 灼熱に煙る景色の中、オレンジ色の眼窩をぎらつかせた不明人機が必死に逃げようとする《バーゴイル》の生き残りを睨んだ。

 

 甲羅が装甲を拡張し、内側よりミサイルを放射させる。プレスガンで応戦しようとした《バーゴイル》だったが、その数が桁違いであった。

 

 接近したミサイル弾頭が破裂し、百を超える散弾が《バーゴイル》の装甲を滅多打ちにする。

 

 墜落した《バーゴイル》はほとんど原型を留めていなかった。

 

 不明人機は骸と化した眼下の艦に斧を突き立て、周囲を索敵する。

 

 艦隊司令部へと音声データがもたらされた。

 

『あーっ、テステス。入ってる、これ? まぁいいや。キミらがどれほど生き意地汚く足掻いても、無駄だって事を、ボク達は教えろって言われてきたんだし。こっち見えてる?』

 

 通信網を困惑が満たしていく。

 

「少女の……声?」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯174 激動する世界

「えーっと……、何言えばいいんだっけ?」

 

 アームレイカーに片手を突っ込んだ緑髪の少女が中空を見つめる。返答が来ないので、下で索敵している栗色の髪の少女の頭を蹴った。

 

「いった……っ、何するの! 林檎!」

 

「いや、ゴメンて。でも反応しないからさ。それに……セリフ忘れちゃったかも」

 

 てへ、と舌を出す林檎と呼ばれた少女に、栗色の髪を二つ結びにした少女はため息を漏らす。

 

「ブルブラッドキャリアの宣戦布告でしょ? ……抜けてるんだから」

 

「あー! そうだったそうだった! えーっと、これゾル国の艦隊だよね? ボクらはブルブラッドキャリア。そのモリビトの、執行者だ!」

 

 あまりに軽率な声音に下で策敵をしていた少女は唇の前で指を立てる。

 

「しーっ! あんまり言っちゃうと機密事項に触れるよ!」

 

「あっ、そうだっけ? まぁいいや。だってこの艦隊、全滅でしょ?」

 

「……林檎。考えなしの行動はミィ、よくないと思う」

 

「悪かったって。でも蜜柑だってさっきから策敵ばっかり。何してるの? もう《バーゴイル》は全部落としたじゃん」

 

「逃げた《バーゴイル》がいないか探しているの。一機でも逃がしちゃいけないんだから」

 

 バイザー型の策敵センサーから海域を見張る蜜柑に林檎はため息を漏らす。

 

「マメだねぇ。大丈夫だって。一機逃したって、もうそいつ、分かんないでしょ。この機体の事も、自分達に何が起こったのかも」

 

「それでも、だよ。モリビトの執行者は一糸たりとも乱れちゃいけないんだから」

 

「桃姉に褒められたいから?」

 

 にんまりと笑みを浮かべながら放った言葉に蜜柑がぷいと顔を背ける。

 

「ふんだ。林檎なんて知らないもん。ミィがちょっとでも策敵を怠ったら、すぐにやられちゃうくせに」

 

「不貞腐れないでよ。それに、ウィザードだけでもこの機体は充分に動くし。型落ち《バーゴイル》相手なんて勿体ないほどだよ。この《モリビトイドラオルガノン》には」

 

「よく言うよ。ガンナーがいないとさっきの敵だって逃してた」

 

 蜜柑はバイザーの中を覗きつつ、引き金と連動した操縦桿を握り締めている。

 

 それだけではない。足元にはキーボードが無数に点在しており、蜜柑は裸足でのオペレーションである。

 

 林檎は赤色のRスーツを首筋から足まですっぽりと着ており、袖口を何度か叩く。

 

「いいなぁ、蜜柑は。だって私服でもいいんじゃん」

 

「ミィは足でも作業するからなの。林檎は動かすだけでしょ」

 

「足でも作業って……、それ行儀悪いじゃん」

 

「じゃあ林檎がガンナー出来るの?」

 

 バイザーから視線を外した蜜柑が林檎を睨み上げる。林檎は頬を掻いて、ははと乾いた笑みを浮かべた。

 

「そりゃ勘弁かな。だってボクのガンナー適性ってEだし」

 

「十メートル先の敵に狙いもつけられないもんね。林檎は」

 

 ガンナーとしての誇りがある蜜柑は照準に関しては姉である自分に臆する事なく言ってのける。

 

 他はどこか自信なさげな妹の数少ない長所だ。無論、執行者としての冷静さもあるが。

 

「で、どうしよっか。艦隊中央部はもう離れているから通信も繋がらないだろうけれど、送ってくるのかな。まだ戦力を」

 

「送ってくるのならば撃墜すればいいだけの話じゃん。艦隊を分散させ、旧ゾル国の戦力を潰す。それが《イドラオルガノン》に与えられた、第一フェイズ」

 

《イドラオルガノン》が眼窩をぎらつかせ、新たな敵の到来に空を仰いだ。雲を切って接近する《バーゴイル》三機に林檎はへぇ、と笑みを浮かべる。

 

「一応、送り狼くらいは出すんだ」

 

「威信がそれなりにあるのかもね」

 

「でも、キミらの人機じゃ、モリビトには追いつけない! 《イドラオルガノン》、ガンナー頼むよ! 蜜柑!」

 

「そっちこそ。ウィザード、トチらないでね、林檎」

 

「誰に物を!」

 

 飛翔した《イドラオルガノン》が《バーゴイル》を射線に入れる。

 

 甲羅が拡張し、ミサイルが全方位にむけて放射された。《バーゴイル》部隊は先ほどの失敗から学んだのか出来るだけ距離を取ろうとしてくる。

 

 しかし、ガンナーである蜜柑の真髄はただ単にミサイルの砲手をやるだけではない。

 

「敵人機の次手を確認。敵は次に十時の方向に流れる」

 

「了解!」

 

 先読みした《イドラオルガノン》が敵の位置情報を更新し、回り込んだ。まさか《バーゴイル》の機動力についてこられるとは思っていなかったのだろう。

 

 急制動をかけようとした敵をリバウンドトマホークで両断する。もう二機が弾かれたように離脱しようとするのを蜜柑の放ったミサイルが邪魔をする。

 

 青い弾頭を持つアンチブルブラッドミサイルは汚染濃度の高い大気内でも敵を捉え、なおかつ着弾しなくとも人機の動きを鈍らせる。

 

 効力が発揮され、軋みを上げる《バーゴイル》へと《イドラオルガノン》が跳躍していた。

 

 Rトマホークが敵をX字に引き裂き、最後の一機へと視線が据えられる。

 

 最後の《バーゴイル》が弾幕を張って抗った。しかし《イドラオルガノン》は相手の攻撃へと牽制を見舞う必要性もない。

 

 姿勢を沈めて甲羅を銃弾の射線に入れる。甲羅の表面で弾丸に力場が加わった。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 反射された弾丸が《バーゴイル》を射抜いていく。操縦不可能に陥った《バーゴイル》は海に没していった。

 

 さすがにこれ以上の戦力は割けないのだろう。

 

 こちらへの追撃を諦めた艦隊に林檎は呆れ返る。

 

「弱過ぎ! こんなのじゃ、肩慣らしにもなりゃしない!」

 

「モリビトの脅威を再び知らしめるのが、ミィ達の役目。これでも任務は遂行出来ている」

 

「そうじゃなくってさ。エースってのはいないのかな? 六年前にはそいつらに苦戦したんでしょ?」

 

「今のところ接近してくる《バーゴイル》はなし。持ち堪えただけマシだよ」

 

「つまんなーい!」

 

 文句を垂れる林檎に蜜柑は嘆息を漏らす。

 

「……《イドラオルガノン》はこのまま艦隊の残骸と共に行動。後の指示を《モリビトナインライヴス》……桃お姉ちゃんに託す」

 

「桃姉は見つけたのかな。六年前のお仲間」

 

「執行者……鉄菜・ノヴァリスさん、だっけ?」

 

 データ上では二人とも知っている。だが実際に見た事はなかった。

 

「ま、結局旧式の人造血続でしょ? ボクらには敵わないよ。ブルブラッドキャリアの、最新型の血続だもん」

 

《イドラオルガノン》を預かっている以上、それなりの強さは自負している。蜜柑も同意見であったが、あまり会ってもいない人間の判定を下すのは慣れていない。

 

「合流出来れば、だね」

 

「いいって。こっちの《イドラオルガノン》と《ナインライヴス》だけでも充分でしょ。問題なのは、あれを動かせるかどうかってだけで」

 

 あれと示された人機に蜜柑は情報を呼び出す。

 

 禁断の人機。原初の罪――。

 

「一人でも戦力が多いほうが優位なのはそうだと思う。どれだけ弱くっても」

 

「弱かったらそもそも大迷惑だけれどね。この六年間、逃げ回ってきたその実力だけは買おうじゃん」

 

 艦の骸の上で《イドラオルガノン》は静かに水平線を睨んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燐華は震える視界の中、隊長の眼差しに耐えていた。

 

 インナースーツのみの自分を慮って隊長は操主服を支給してくれたが、それでも解せない事があったらしい。

 

 彼は静かに詰問する。

 

「今回、事前に情報が漏れていたとしか思えない動きの迅速さで、敵のコミューンは動いた。我が方にも落ち度はあったのかもしれない」

 

 何よりも、自分が情報を漏らしたのではないか、という危惧だろう。一度でもそのような事があれば兵士としては失格だ。

 

 燐華は何かを訴えかけようとして、あの戦場で目にした鉄菜の幻影に何も言えなくなっていた。

 

「何も言えない、というのが不利な事くらいは分かるな?」

 

「それは……、あの場所で、その……」

 

「秘匿義務はあるかもしれない。だが、君はアンヘルの兵士だ。何よりも情報開示を求められればすぐにでも応じる義務がある」

 

 何も言えない、それ事態がやましい事があるという証明。燐華はぎゅっと拳を握り締め、言うべきかどうかの逡巡を浮かべる。

 

 隊長ならば分かってくれるかもしれない。

 

 そう考えた矢先、隊長の端末が鳴った。

 

「失礼。……どうした? ……なに? ブルブラッドキャリアの声明が、全コミューンに?」

 

 目を見開いた隊長がこちらへと視線を振る。

 

「そうか……。兵士は一同に会しろ、と。了解した」

 

 通信を切った隊長は首肯する。

 

「査問を開いている場合でもないらしい。ヒイラギ准尉。ブルブラッドキャリアが来るぞ」

 

 ブルブラッドキャリア、モリビト――。

 

 滑り落ちていく言葉の数々に燐華は沈痛に顔を伏せた。

 

 あの日、自分達から全てを奪った敵。何もかもを捨てざるを得なかった燐華の人生に汚点をつけた相手。

 

「戦えるな?」

 

 その問いには燐華は迷わなかった。

 

「はい。……ブルブラッドキャリアは世界の敵です。倒さないと」

 

 今はその言葉だけでも充分だったのだろう。隊長は告げていた。

 

「ついて来い。倒すべき敵を見据える。それはいい経験だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『惑星に棲む全ての人類へと勧告する。我々はブルブラッドキャリア。機動兵器モリビトを有する反逆の組織である。この映像が流れているという事は、人々は変わるべくして変わったが、それは無知蒙昧な網に遮られ、間違った再生を遂げた事だろう。我々ブルブラッドキャリアは、モリビトを使い、世界に是非を問う。これが本当に君達の望んだ末路か。それともまだこの星には救いがあるのか。原罪を直視出来る者のみが生き残れるはずだ。勇気ある者のみが、ここにいるはずだ。ならば、問う。罪に塗れた星で、君達はどう生きる? どうやって終わりにすればいい? 我々は終わりを導く、とまでは言わない。そこまで傲慢に成り果てたつもりもない。だが、人間は、自身で終末の形をいくらでも描ける生き物だ。ゆえに、この終末に異議を唱える。我らの報復作戦が再び、意味を成す事を。ここに宣言しよう』

 

 

 

 

 

 

 

 

「オガワラ博士……。あなたはそれでも前に進むというのか。モリビトがどれほど穢れていようとも。この星がどれほどまでに、間違いを正す機能を失っていようとも、それでも、か……」

 

 声明を聞き届けていたリックベイは悔恨に歯噛みする。

 

 六年前で終わりではなかった。新たなモリビトと新たな報復作戦が始まる。

 

 その予感はリックベイの中に一滴の墨のように黒々とした疑念を渦巻かせるのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新たなるブルブラッドキャリアの声明文が届きました。これを」

 

 開示された情報に面を上げたのは強い顎鬚の老人であった。

 

「ワシに、まだブルブラッドキャリアの相手をしろとでも?」

 

「六年前に打ち漏らした。それだけでも危険視すべき代物です。それに……タチバナ博士。あなたは現状の人機開発における最重要人物。アンヘルの人機が敗北するかもしれない試算を立てられるのは世界でもあなたしかいない」

 

 応じた黒服の答えにタチバナはふんと鼻を鳴らす。

 

「ワシの一意見など無視してどれだけでも人機を量産すればよかろう」

 

「そうもいかないのです。あなたが見た、そして納得した、という理由だけで、その人機の信頼度は跳ね上がる。ブルブラッドキャリアの脅威が再び世界を覆おうとしている中、あなたが信頼度を置いた陣営に軍配が上がると言っていい」

 

「ハッキリ言えばいい。ワシが一度でも頷けば、人機市場が潤うと」

 

 黒服はそれ以上言及してこない。いずれにせよ、ブルブラッドキャリア。あの壊滅的な打撃を受けても、まだ復旧可能であったとは。

 

 恐るべきは人の執念か、とさえも感じる。

 

「新型トウジャの開発予算も滞りなく国会を通りつつあります。タチバナ博士。あなたの一意見は重要なのです。私見に過ぎなくとも、世界を動かせるだけの力がある」

 

 それだけの力があれば、六年前にキリビトエルダーなどという危険な人機の暴走を許さなかっただろう。

 

 この身は贖罪のためだけにあると言ってもいい。

 

「……本国に帰還して、もう四年、か。ゾル国はほとんど解体され、旧陣営が声を張り上げても所詮はその程度。連邦国家制定の前には、ただ吹き消されるだけの火と同じ」

 

「《スロウストウジャ参式》がロールアウト間近です。それに関するレポートも仕上げてもらいたい」

 

「ワシはもう老躯に等しい。それに鞭打ってでも抵抗する必要が?」

 

 黒服は首肯する。

 

「あなたは世界の希望なのですよ」

 

 どうだか。いい加減一老人の意見など無視して人機開発を進めたいと言えばいいだろうに。

 

 老人がいつまでも人機開発の最先端に立てるほど生易しい事業ではないのは分かり切っているはずだ。

 

「アンヘルの《ゼノスロウストウジャ》。あれが打ち立てる武勲の数々こそが人機開発がどれほど進んだのかの証明だろう」

 

「それでも、です。軍の上級仕官はあなたの意見を参考にしています」

 

 戦いもしない老人の意見など一蹴すればいいものを。タチバナは嘆息をつき、窓の外へと視線をやった。

 

「また、荒れるというのか。この世界が」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 回収された鉄菜はコックピットから出てきた桃の姿を目にする。

 

 まさか、六年もの月日を経て再会出来るとは思いもしなかった。

 

 桃は随分と背丈も伸びており大人びた雰囲気の女性に変わっていた。一つ結びにした髪に鉄菜は凡庸に尋ねるのみであった。

 

「髪型を、変えたんだな」

 

「もう、クロったら何年経ったと思っているの? 六年よ。そりゃ髪型くらいは」

 

「だが私は変わっていない。そうだろう?」

 

 桃は言葉を詰まらせた様子だ。自分の容姿は六年前に別れてから先、全く変容していないはず。

 

 自分でも気づいている。この身体は成長しないのだ。

 

「……クロ。モモ達は再び、世界に是非を問う」

 

「ブルブラッドキャリアの……執行者として、か」

 

「そう。新しいモリビトはそのためのもの。そして、クロ。あんたに乗って欲しいのは、この機体」

 

 端末に投射された機体の三次元図に鉄菜は絶句する。

 

 機体中央部に逆三角形の意匠。頭部形状は《インペルベイン》のアイサイトを踏襲しているように見える。赤と銀に彩られた見た事もない人機であった。

 

「これは……」

 

「《モリビトシン》。モモ達の切り札であり、クロ。あんたが搭乗する新しいモリビトよ」

 

「私の……モリビト」

 

 投射画面に浮かび上がった自身の新たなる機体に鉄菜は唾を飲み下した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 声明を受け取った何名かはすぐにでも応戦しようと声を高らかに上げたが、それを制したのは前を行く一機であった。

 

 静かなる面持ちの機体が錫杖を手に古代人機の大移動を見守る。それに続くのは百機以上の型落ち人機達であった。

 

 それぞれの操主は声を漏らす。

 

『やはりブルブラッドキャリア、生きていたか……』

 

『こっちから仕掛けるしかないんじゃ? あれは世界の敵……翻れば惑星の敵だ』

 

『落ち着けよ……、まずは情報を仕入れないと』

 

 それらの滑り落ちていく声音を尻目に古代人機の大移動を見守っていた機体から広域通信がもたらされる。

 

『我々は、この星の意志に従うまでだ』

 

 その言葉の重々しさにナナツーやロンド、《バーゴイル》が平伏していく。彼らの目には等しく、たった一機の人機が神の如く映っていた。

 

 その人機――《ダグラーガ》に収まるサンゾウは人機の隊列に声を振る。

 

「世界がどう動くのか。今一度見極める時が来た。そして意に沿わぬならば、我らが出るほかあるまい」

 

『我ら惑星博愛主義者、ラヴァーズ! 星の敵を叩くもの也!』

 

 人機からの通信が漏れ聞こえる中、サンゾウは静かに瞑目する。

 

 ――戦う宿命なのか。モリビトと、自分は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急務である、という報告に男は歩み出ていた。

 

 軍の機密ブロックを抜けていく男は鬼の面を被っている。その面の下には痛々しい傷跡が垣間見えた。

 

 鬼面の男は動乱に落ちる軍施設の中、ただただ事実のみを反芻する。

 

 モリビトの再出現。ブルブラッドキャリアの新たなる声明。

 

 それが帰結する先は一つ。

 

 自分の役目もまた、今一度蘇ったと言ってもいい。

 

 一度死んだ身なれど、この身体はただ戦うためだけにある。

 

 モリビトとの決着を。世界への結論を。

 

「そうか。また、我々の道を阻むか、モリビト。……いいとも、それでこそ、我が怨敵の、資格があるというものだ。全て叩き潰す。何故ならば、――俺が、守り人だからだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もたらされた情報に手が止まっている、と忠告された。

 

「やっぱり、それなりに衝撃? まさか生きていたとはねぇ。ブルブラッドキャリア」

 

 同業者の声を聞きながら、彼女はフッと笑みを浮かべる。

 

「しぶといわけね。わたくし達の世界を再び混迷に引き戻そうとするなんて」

 

「せっかく平和になったのに」

 

 愚痴に彼女は微笑み返し、茶髪の髪先を指で弄る。

 

「なに、まだまだ、どうなるかなんて分かったものじゃないわ。世界がどう転ぶのかも」

 

「こっちの情報網にかかっただけでも、相当数の組織が動き始めている。ぼやぼやしていられないやんね。彩芽」

 

 その声音に彩芽は頷いていた。

 

「ええ。少しでも情報を集めて、彼らに接触しましょう。六年間の雌伏の期間が無駄ではなかったという事を」

 

 そして古巣に決着をつけるために。

 

 彩芽は端末を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第九章了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十章 新たなる力
♯175 罪の呼び声


『レポートナンバー123番を開放。実験レポート、《モリビトシン》。稼動実験を開始する。準備はいいかな? 桃・リップバーン』

 

 タキザワの声を聞きつつ、桃はコックピットの中で首肯する。いくつかの稼動実験に必要なシステムを立ち上げ、ブルブラッドエンジンが稼動領域まで高まるように充分に温める。

 

「こちら操主、桃・リップバーン。《モリビトシン》の内蔵血塊炉を臨界点まで引き上げる。実験、開始」

 

『了解。実験を開始する。血塊炉を臨界点まで』

 

 起動実験が開始され、《モリビトシン》の全身へとブルブラッドが行き渡っていく。少しずつではあるが《モリビトシン》が他の人機同様に起動段階まで押し上げられていくのを感じる。

 

 問題なのはここから。臨界値が六割を超えたところで不意に訪れる。

 

 エラーが吐き出され、コックピットが赤色光に塗り固められた。

 

『起動臨界値急速下降! 《モリビトシン》、内蔵血塊炉がエラーを弾き出して……、このままではゼロ号機は……!』

 

『稼動前にブルブラッドの毒に蝕まれて内側から破損する、か。だがそうならないために、君が乗っている』

 

「心得ています。ですが、これまでのエラーと同様に……いえ、これまで以上に、どのシステムバックアップを呼び出しても……」

 

 エラー時の参照データは常に保存されているはずだが、バックアップファイルがまるで役に立たず、さらにエラーが上塗りされていく。

 

 赤色光に《モリビトシン》の三つのアイサイトが輝いた。

 

『暴走するぞ……。桃・リップバーン!』

 

 タキザワの叫びに桃は緊急防護装置を稼動させる。コックピット内部からの緊急信号で《モリビトシン》の関節部位から青い血が迸った。

 

 操主からの最終判断で強制的に貧血状態に陥らせる事によって《モリビトシン》を強制停止する。

 

 愚策には違いないが、これを実行しなければ暴走で自分まで巻き添えになってしまう。

 

 一人でも失うわけにはいかない執行者がここで失われれば、ゼロ号機、《モリビトシン》は永久凍結されてしまうだろう。

 

 今は、それだけは避けなくてはならない。《モリビトシン》はまだ稼動実験に値するものなのだと証明しなければいつお取り潰しになってもおかしくはない機体であった。

 

 貧血状態からさらに強制停止まで追い込まれた《モリビトシン》が軋みを上げつつ完全に沈黙する。

 

 それを待ってからタキザワが声を吹き込んだ。

 

『今次実験も失敗。《モリビトシン》のエラー参照番号は?』

 

『エラー番号1288です。やはりこれは……』

 

『組み込んだ血塊炉の作用か。だがこれが最大限の譲歩のはず。やはり内蔵血塊炉の安定稼動のためにと取り付けたものの、宇宙産では……』

 

 複数の構成員に引き上げられ、桃は《モリビトシン》の操縦席より離脱する。

 

 無重力ブロックを行き来し、気密が確保されたのを確認してからヘルメットを脱いだ。

 

 桃色の髪を一つ結びにして、首を振る。

 

 汗の玉が空間に浮かび上がる。

 

「お疲れ様。今回も……駄目だったね」

 

 タキザワはどこか憔悴し切った面持ちで《モリビトシン》のステータスを見やる。桃はもたらされたエラー番号にやはり、と口火を切った。

 

「宇宙産の血塊炉では……安定供給の代わりに出力値が犠牲になっていますね」

 

「それだけならばまだいいさ。頭を抱えているのはこの三位一体の血塊炉安定循環システム――トリニティブルブラッドシステムに欠陥があるのだと、上に思われてしまう事かな」

 

 トリニティブルブラッドシステム。《モリビトシン》は従来通りの血塊炉の循環システムでは謎のエラーと暴走を引き起こす。そのために安定稼動がはかられた結果、導き出された最適解であった。

 

 一つの巨大血塊炉の安全性を確保するため、もう二つの血塊炉を同時稼動させる。《ノエルカルテット》の時に使われた四基合体の血塊炉ともまた違う。あれは単純に四倍の血塊炉貯蔵量となったが、トリニティブルブラッドシステムは出力値を全く減らさず、如何なく《モリビトシン》の本当の力を発揮出来る、そのはずであった。

 

「実際には、《モリビトシン》は目覚めさえもしない。目覚めの兆候があるとしても、それは暴走と紙一重……。よく上が許しますね、この稼動実験」

 

「上は新型の開発に躍起になっている。《ノエルカルテット》のノウハウを利用した《モリビトナインライヴス》。それにまだ操主選定中の五号機、《モリビトイドラオルガノン》だったか。こっちに目が向いている間が華だろうさ。実験結果とエラーを挙げられれば言い訳も出来ないんだから」

 

 桃はコンソールに触れようとして直結されている球体型の自律演算システムに呼びかける。

 

「ゴロウ。処理速度は?」

 

『まずまずだな。このまま循環域を止めていても《モリビトシン》に対していい影響があるとも思えない。これまで通り、上の目は掻い潜りつつ、実験を継続する。なに、世界の目を欺いてきたんだ。今さら、ブルブラッドキャリア内のデータの改ざんくらいはわけないよ』

 

 そう言いやって演算システムが身体を持ち上げる。銀色のアルマジロ型の形状はかつて鉄菜のAIサポーターであった「ジロウ」のものだが中身は違っている。

 

「惑星の元老院システムの言葉だ。当てになると思っていいんだろうね?」

 

 タキザワの追及に元老院システムの残滓は首肯する。

 

『もう、この場ではゴロウ、の呼び名が相応しいんだろう? こちらとしてもほとんど元老院システムの閲覧権限は奪われて久しい。もう元老院などと驕り昂っている場合でもないさ』

 

「よく分かっているわね。でも、その試算じゃやっぱり……」

 

『ああ、やはり推奨されるべきなのは保管されている二つのオリジナルの血塊炉。《インペルベイン》と《ノエルカルテット》の血塊炉を使用すべきだろう。トリニティブルブラッドシステムにこだわれるのならば余計に、ね』

 

「だが僕らには、その血塊炉の場所さえも開示されていない。……新型二機の開発には惑星産の血塊炉ではなく、宇宙産の血塊炉が使用されると聞いた。エクステンドチャージを、まだ使用すべきではないという判断は分かる」

 

『不信感が強いのだろう。エクステンドチャージは我々がもたらしたもの。出来るだけ惑星からの禍根は断ちたい、か。上のエゴが見え隠れするな』

 

 桃へと視線が流される。やはりこの場において突破口となるのは自分だけ。

 

「……モモに、惑星産の血塊炉を奪取しろって言うんでしょ? ……簡単そうに」

 

『難しくとも、やっていただきたいものだ。無論、そうなった場合は、我々は組織からも追われる羽目になるが』

 

「そのためのノアの方舟は用意してある。《ゴフェル》の整備は順調だよ。ただ、これを使用すると決めたその時には、ニナイ局長含む僕らは裏切り者扱い……。ブルブラッドキャリア本隊からも追われかねない。そうなった場合、どうする? 地上は虐殺天使が跳梁跋扈し、宇宙にも居場所を失ってしまう」

 

『楽園を追われた君達からしてみれば不本意そのものだろう。それでも、計画する意義はあると思っているのか?』

 

 ゴロウの問いかけに桃は幾ばくかの逡巡を置いてから頷いていた。

 

「きっと、《モリビトシン》が必要になる時が来る。その時、ブルブラッドキャリアのしがらみの中にあって起動出来ないんじゃ本末転倒もいいところ。モモは、賭けてみたい。これを動かせるだけの操主に……。そして生きている事を。あの子が……」

 

「鉄菜・ノヴァリス、か。この五年余り、彼女のシグナルは途絶えて久しい。担当官であるリードマンが言うのには、事実上、生存していたとしてもその肉体は……」

 

 濁したタキザワに桃は強く言いやる。

 

「鉄菜が絶望しない限り、モモ達はこれを預けるべきなんだと思う。原初の罪、《モリビトシン》。それを操るのに相応しいのは……きっと……」

 

 隔離された《モリビトシン》の鋭い眼光を桃は睨み返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殴りつけられて血の味が口中に広がった。

 

 まさか他の仕官が見ている前で殴られるとは思っていなかった身体がよろけ、喫煙所の煤けた空気の中で燐華は倒れる。

 

「お前が先導するから! 余計な被害が出ただろうが!」

 

 ヘイルの怒声に誰も諌めようとしないのは心のどこかで同じ事を思っているからだろうか。

 

 燐華は頭を振って立ち上がりかけて、腹腔を蹴り上げられる。

 

 激痛に身を起こす事も出来ない。前髪を引っ張られ、無理やり顔を上げられた。

 

「分かってるのか? お前のせいで、二人死んだ! 死んだんだぞ! お前が! ヘマをしたばっかりに!」

 

 現実は現実だ。二人死んだのは事実。燐華はヘイルのヤニ臭い呼気に顔をしかめた。

 

「……自分は、作戦を全うしただけです」

 

「全うだと? 笑わせるな、クソッタレ! ろくに人機を動かす事も出来ないくせに、調子づきやがって!」

 

 背筋を蹴られ、燐華は短く悲鳴を上げた。

 

 ――ここでも同じだ。

 

 どこに行っても、同じ事がついて回る。自分の人生において、同じ場所をただただぐるぐる回っているだけだと思える瞬間。

 

 意味のない流転ばかりだと思える時間。

 

 ただ罵倒を受け、なじられても何も反抗しなければいい、と諦めの中に己を置こうとして、鉄菜の言葉が蘇ってくる。

 

 あの時、手を差し伸べてくれたぬくもりは本物だった。偽りや幻ではない。

 

 そのはずなのに、鉄菜には結局あの後、会えず仕舞いだ。

 

 ヘイル達が去っていった喫煙ルームで燐華はよろよろと立ち上がる。全身が軋んだが、それでも恥辱の記憶を塗り替えるのには痛みのほうがマシであった。

 

 新型人機に乗っていながら、敵兵に捉えられ拷問を受けかけた。その事実に、燐華は何度も吐き気を催す。

 

 自分が汚されても何らおかしくなかった戦場。その中で奇跡的に救ってくれたのは学生の時と同じ眼差しであった。

 

「生きていて……くれたんだ。鉄菜……」

 

 しかしよくよく考えればおかしな話である。どうして鉄菜はあの時から全く成長していなかったのだろう。

 

 背丈も何もかもあの日のままであった。

 

 まさか、と自分の記憶でさえも疑ってしまう。自分は飲まなかったはずのジュークボックスが作り出した偽りの記憶で助かったと思い込みたいだけなのか。

 

 あの場で汚された記憶を塗り替えたいがために、鉄菜の幻を作っているだけなのではないか。

 

 その可能性に、何度も燐華は吐きそうになる。自分という存在が既に汚らわしいのだと感じられて、この場で命を断ち切りたくなった。

 

 その時、端末が不意にコールされる。隊長の番号であった。

 

「はい、ヒイラギ准尉です」

 

『ヒイラギ准尉。前回の戦闘の記録情報の擦り合わせを行っている最中だ。君の私見を聞きたい。指揮官室に来て欲しい』

 

「私見、ですか……。でも自分よりも、他の人のほうが……」

 

『君とてアンヘルの下仕官だ。記録情報は照合されてこそ意味がある。二十分以内に自機の戦闘データと共に来訪する事。以上だ』

 

 隊長の一方的な通話に燐華は虚しさを覚える。勘付いていないはずがないのに、隊長はあえて中立を守っている。

 

 間違ってはいない。そのほうが組織を預かる上でむしろ適しているだろう。

 

 それでも、隊長に味方になって欲しいと思うのはただのエゴだろうか。

 

 ここまでよくしてくれているのだ。もう少しだけ踏み込んでくれてもいいのに、隊長は決して手を差し伸べる事はしない。

 

 痛みを押し殺して、燐華は整備デッキへと向かった。

 

 自分の《スロウストウジャ弐式》に取り付いている整備士へと燐華は声をかける。

 

「その……あたしのトウジャは……」

 

「ああ、准尉の《スロウストウジャ弐式》ね。どこもデータを盗まれた形跡はなし。よかったね。まだ無事で」

 

 自分がどうなったかよりも人機が傷物になっていないかのほうが重要なのだ。その認識に燐華は嫌気が差してくる。

 

「そう、ですか……」

 

「連中、革命派だったんだろ? これでもまだマシ。部品も取られていないし、准尉のはいつでも出せるよ」

 

 燐華はおずおずと尋ねる。

 

「その……戦闘データを参照したいって隊長が……」

 

「ああ、このメモリーチップに入れてある。持っていきな」

 

 コックピット周りの点検に余念がない整備士に燐華は頭を下げてからメモリーチップを手に隊長の部屋へと向かう。

 

 途中、数人のC連邦仕官とすれ違った。

 

「うわっ、アンヘルの……」、「虐殺天使だろ……、怖いよな。赤い詰襟、おっかねぇ……」

 

 彼らからしてみれば自分もアンヘルの一員。人殺しを平然と行う、虐殺天使が一人。

 

 そうではないと声を張り上げたかったが無駄だろう。引き金を引くのにももう随分と慣れてしまった。

 

「……失礼します」

 

 ノックして入った燐華は執務机に書類を山積させた隊長と向かい合う。

 

「よく来てくれた。チップを。戦闘データのすり合わせは重要だ。次に勝利するために、な」

 

 どこか含んだような物言いに燐華は聞いてしまっていた。

 

「その……先の戦闘、すいませんでした。あたしのせい……ですよね?」

 

 こちらを見据えた隊長はどこか冷淡に応じていた。

 

「そうだな。作戦を先導する上でヒイラギ准尉には難しい部分があったと思われる」

 

 やはり隊長にもお荷物だと思われているのだ。しかし、と隊長は言葉を継いだ。

 

「失敗は誰にでもある。一つ一つで落ち込んでいれば持たないぞ」

 

 どうして優しい言葉をかけてくれるのだろう。自分など愚図でノロマなだけなのに。隊長はシステムチェックを怠らず、目線さえも合わせない。

 

「……でも、全体に響き得る失敗でした」

 

「そうだな。仲間が死んだ。心を痛めるべきなのは分かる」

 

 どうして全体を預かる隊長はそこまで冷静なのだろう。自分相手に怒鳴り散らしてもおかしくはないのに。

 

「隊長は……怒らないんですね」

 

「怒らない? 必要な処罰があれば追って伝える。そういうのが軍隊だろう」

 

「軍隊、ですか。でもあたしは……」

 

 先ほど蹴られた箇所がひりつく。軍隊であってもこれまでであっても、変わるところはない。弱き者は搾取され、いつまでも踏み台にされるだけだ。

 

 面を伏せた自分に隊長はいつの間にか顔を上げていた。

 

「ヒイラギ准尉。作戦失敗は誰のせいでもない。あの場にモリビトがいた。誰がその責を取れるというのだ。モリビトの存在などこの六年、観測さえもされなかった」

 

 隊長がモニターを点ける。各国の取材陣がこぞって放送していたのは禿頭の男性の声明であった。

 

「これは……」

 

「オガワラ博士。ブルブラッドキャリアの頭目とされている人物の新たなる声明だ。各国諜報機関が飛び回っている事だろう。あのブルブラッドキャリアが、復活を宣言した」

 

「ブルブラッドキャリアが……テロリストが復活を……」

 

 フラッシュバックするのはブルブラッド大気汚染テロの地獄絵図であった。人々が倒れ伏す中、自分だけが何事もなく立ち竦むだけという何度も見た悪夢――。

 

「今頃本国でも調査機関が調べを進めているだろうが、我々に出来る事は少ない。これまで通り、否、これまで以上の戦闘が予測される事だろう」

 

 これまで以上の戦闘。それは自分が役立たずである事を再認識するだけではないのか。

 

 目線を振り向けた燐華に隊長は応じていた。

 

「ゆえに一人でも欠ける事は許されない。ヒイラギ准尉。気を引き締めておいて欲しい」

 

 アンヘルから逃れる事も出来ず、ここでただただ人殺しを続けるだけ。後ろ指を差されつつも、ここにしか居場所がないのならば。

 

 ここでしか生きていけないのならば。

 

 ――自分は虐殺天使になるしかない。

 

 燐華は踵を合わせ挙手敬礼していた。

 

「ヒイラギ准尉、職務を全うします」

 

 その言葉に隊長が頷く。

 

「戦場での働きを期待する」

 

 戦場での働き。まだ殺せというのか。どれほどまでに弱小コミューンを襲い、人々を蹂躙してもそれでも自分に審判の時は永遠に訪れないかに思われた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大人達が会合する、というのでレンは自分しか知らない道筋を使って会合部屋の天井裏に張り付いていた。

 

 いつになく物々しい大人達がモニターへと視線を注いでいる。垣間見える映像には禿頭の男性がいた。ただの何も動きのない映像に大人達は恐れ戦く。

 

「まさか……またブルブラッドキャリアかよ」

 

「ヤバイな。ガキ共を丸め込むのにも限界が来るんじゃないか? だって本物のモリビトなんて……」

 

 ざわめく大人達を統率者は諌めた。

 

「よいか。絶対に兵士には悟らせるな。殊にレンにはな」

 

「あいつは頭のネジ飛んでるからな。モリビトだって聞いた途端飛び出しかけないぜ」

 

 どういう意味なのだろう。モリビトは自分に与えられた誉れある名前のはずなのに。

 

「それだけではない。レンはあれで聡い。少しでも無闇な事を言えば敵になりかねない」

 

 統率者の声音に大人達は身を固める。

 

「……やっぱ、ヤバイよな。あいつの眼。……どこ見てんだ、って思う時あるし」

 

「人殺しの目を生まれながらにしている奴ってのは、怖いよな。あいつの記憶……まだ大丈夫だよな?」

 

 記憶が大丈夫とはどういう意味なのだろう。必死に耳をそばだてていると、不意に会合部屋に一人の兵士が入ってきた。

 

「統率者……! ゼルストが墜ちたって……」

 

 その言葉に全員が色めき立つ。

 

「ゼルストって……近場のコミューンじゃないか」

 

「まさかアンヘルが? あの虐殺天使の?」

 

「どうやらそうらしい……。情報を統合したいから、全員、チップを入れてくれ」

 

 大人達のこめかみには特殊な機械が埋め込まれており、そこにメモリーチップを挿入する事で全員が同じ情報を均一化する事が出来る。

 

 まだ自分には施されていない処置であった。

 

 大人達が拳を固く握り締める。

 

「何てこった……。こいつはヤバイんじゃねぇか? だってほとんど隣接状態のコミューンの壊滅なんて……」

 

「ゼルストからの難民の事も考えないとな。まぁ、この戦局じゃ、生きている奴がいるかも怪しいが……」

 

「あそこからは兵力も買っていた。履歴から辿られればうちのコミューンだって充分にまずい。統率者……どうします?」

 

 統率者は毛髪に刺したかんざしの一つを引き抜き、それを舐める。確か、統率者のかんざしには心を鎮める効力があるとレンは聞いていた。

 

「まだ静観すべきだろう。アンヘルとてモリビトの介入にまごついているはず」

 

「だが、真に恐れるべきは連邦だろうな。あっちは国家、比してこっちは集団。勝ち目はないだろ」

 

「連邦法の制定も近いし……、アンヘルが法になったってそう遠くは……」

 

「だから、今は待てと言っている。取り乱せば、レンに影響が及びかねない」

 

 その言葉に大人達は硬直した。

 

「……あれは戦闘機械だろ。ぶつけちまったほうが早いんじゃ?」

 

「だから気を急くなと言っている。なに、あれの価値はまだ我々しか知らん。それが強みとなるだろう」

 

 何の事を言われているのかは不明であったが、レンは自分が頼りにされている事だけは確かだと感じて天井裏から立ち去った。

 

 裏路地を飛び回り、野営地に降り立つ。

 

「あっ、レンにいちゃん!」

 

 妹達は今日も元気であった。彼女らは優雅に踊りつつ、レンの無事を確かめる。

 

「何もされなかった?」

 

「大丈夫。……ただ、よく分かんなくってな。大人達がざわついている」

 

「オヤシロ様のところに行く?」

 

 レンは首肯し、物資を降下するエレベーターに乗っていた。六人の妹達もどこか沈痛に顔を伏せている。

 

「どうした? いつもみたいに笑ってくれよ」

 

「でも、レンにいちゃんが怖い顔していると……」

 

 途端、妹の顔がぶれた。何かが浮かび上がろうとして、レンの中の何かが拒絶する。

 

 一瞬だけ目をきつく瞑れば、もうその影はなかった。

 

「レンにいちゃん?」

 

「……何でもない。ほら、オヤシロ様の御前だ」

 

「オヤシロ様だぁ」

 

 喜びの舞を踊りつつ妹達はオヤシロ様に祈りを捧げる。

 

「こわくなりませんように」

 

「世界がよくなりますように」

 

 妹達と一緒にレンも願った。

 

 戦うのは別に構わない。殺すのも慣れている。

 

 ただ妹達だけは、無害な場所にいて欲しい。ただそれだけの切なる願いであった。

 

 オヤシロ様はその願いを菩薩の面持ちで受け止めていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯176 運命の鎖

 

 お飾りですか、と叫んだこちらに上官が頭を振る。

 

「いけない。今行けば、大事な戦力を失う事になる」

 

「自分だけが戦力じゃありません! 他の《バーゴイル》乗りだって充分な戦力です!」

 

「分かってくれ、シーア中尉。今、不死鳥戦線を失うわけにはいかないんだ」

 

 それは理解しているつもりだった。他の《バーゴイル》とこの中央艦隊に収められている新型機――《フェネクス》は別物だと。

 

 しかし、だからと言って他の《バーゴイル》乗りがモリビトの牙にかかっていい理由にはならないはずだ。

 

「《フェネクス》全機を出せないなら、自分だけでも――」

 

「驕るな、中尉! 君だけではどうしようもない!」

 

 それは恐らく事実だろう。新型と思しきモリビト相手に、たとえ《フェネクス》に乗った自分が全力を出してもどうにもならない。

 

 だが、だからと言って艦隊を切り捨てて見過ごすだけなど耐えられるはずもない。

 

「……多くを生かし、少数を切り捨てる。軍としての在り方は分かります。ですが! それでも目の前で死んでいくゾル国の軍人に、敬意も払えないのは違うでしょう!」

 

「シーア中尉! 言葉を慎め! 我々は最小限の犠牲で生き延びるしかないのだ。そうでなければ! ゾル国の再起など誰が望めよう!」

 

 拳を固く握り締める。大義はここにある。ゾル国の再興。そのためには《フェネクス》だけではない。

 

 もっと大きなものを見据える必要がある。眼前の敵にのみ注力していてはいつまで経っても成し遂げられないであろう。

 

「……しかし、死んでいるのは兵士です」

 

「犠牲の上にこそ、大儀は成り立つ。君の命はここに預かっている。それを無碍に散らせる事、それこそが君をここまで成長させた推薦人の意に反する事だと私は思っている」

 

 推薦人。自分をここまで押し上げてくれた恩人の名に、この場では苦味を飲み込むしかないと判ずる。

 

 そうでなければ何のため。誰がために救われた命か。

 

 何のためにここにあるというのか。

 

 納得の上に成り立たせようとする自分と、今すぐに飛び出してモリビトを駆逐せねばとする自分がせめぎ合う。

 

 己の中の葛藤に彼は一言で決着をつけた。

 

「……大義は、こちらにある」

 

「その通りだ。モリビトも、C連邦も、先が読めているとは到底思えない。我々にこそ、栄光は輝く」

 

 今はその言葉に満足するしかない。ここでむざむざ出て撃たれるよりかは現実的だと。

 

「モリビト……、いずれ仇は返す……絶対にだ」

 

 左胸に輝く不死鳥の紋章に、今は確かに誓うのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《シルヴァリンク》をコンテナに収め、《ナインライヴス》が地を駆け抜ける。

 

 その反射速度、膂力はかつての《ノエルカルテット》に相当するだろう。それほどの新型人機が、血塊炉たった一つで動いている、という説明に、即席の座席に収まった鉄菜は瞠目していた。

 

「《ノエルカルテット》のような、複合式の人機じゃないのか、これは……」

 

「宇宙で産出された新しいエネルギーを使っているのよ。宇宙産の血塊炉ね。コスモブルブラッドエンジンって上は呼んでいるけれど、結局は資源衛星にあった《アサルトハシャ》だとか動かすのの延長。はい、クロ」

 

 差し出された携行食糧に鉄菜は謝辞を述べて受け取った。そういえば久しくまともな食事を取っていない。

 

「感謝する。桃」

 

「……なーんか、他人行儀よね」

 

「仕方ないだろう。私は、六年も誰にも頼らずに生きてきたんだ。喋り方も忘れてしまっている」

 

 それに桃は成長していた。一つ結びの髪に、背丈も自分を追い越してしまった。大人びた表情にはこれまでの過酷な日々が窺える。ピンク色のRスーツを纏っている変化だけでも充分だろう。

 

「クロは……やっぱり成長しないんだよね」

 

「聞いていたのか」

 

「ちょっとだけ、ね。可能性の話らしかったけれど、目の前にすると……」

 

 どうして桃のほうが参っているのだろう。自分の身体の変化は自分が一番よく分かっている。

 

「人造血続は、設定された年齢より先には老化しない。だが、それは死に向かわないというわけではない。着実に遺伝子は消えているだろう」

 

 それでも淡々と話せる事には自分でも少しだけ驚いていた。携行食糧を頬張る。チーズ味、と書かれたラベルを読み取った。

 

 口の中に広がった久方振りの汚染されていない食料の味。オアシスの一滴のように乾いた身体に染み渡る。自分はこの汚染された大地で常に戦いを練り歩いてきた。だからこそ、久方振りに心を休ませられる相手との遭遇に戸惑っている部分もある。

 

「クロ……、あまり気を張り詰めないでね。そりゃ、モモ達は不利っていう事実は変えられないけれど、でも相手方も兵装の面ではまだ対処出来ないはずよ」

 

「アンチブルブラッド兵装か。まさか実用化されていたとはな」

 

 青い弾頭のブルブラッド兵装は幾度か目にした事はあるが、それは人間側が使うものであった。人機のメイン武装として据えるのにはいくつかの弊害が存在する。

 

「それも、宇宙産の血塊炉の恩恵ね。惑星産の血塊炉はこのアンチブルブラッド兵器に過剰に反応するけれど、コスモブルブラッドエンジンはこの兵装の問題点からは逃れられるのよ。だから、この点でのみモモ達は優位を取れる」

 

「だが、その点でのみ、だ。見た限り、《スロウストウジャ弐式》編隊と対等以上に渡り合うのには出力値が足りていない。敵は六年前のモリビトと同等、いやそれ以上と思ったほうがいい」

 

 こちらの声音に桃は嘆息を挟んだ。

 

「悔しいけれど事実、ね。第二世代のモリビトとはいえ、完全にトウジャを超える事は出来ない。スペック上の話だけではなく、禁断の人機が野に放たれるというのはそういう事なの。百五十年前の禁忌が意味を成してきたわけね。地上はトウジャタイプの楽園になった」

 

「汚染された焦土を血で塗りたくる虐殺天使……。私達は、桃、教えてくれ。これが私達の目指した世界の形なのか? 私達はこんな世界にするために、六年前に戦ったというのか?」

 

「モモも、まだ答えは出せていない。でも、抵抗したいって思えるのは確か。だから《ナインライヴス》に乗っている」

 

 桃が操縦桿を引いて《ナインライヴス》を立ち止まらせる。四つ足のビースト形態の《ナインライヴス》が周囲に視線を振った。

 

 獣の眼窩に、額の逆三角のアイサイトが周囲へと注意を配る。

 

「どうした?」

 

「どこに罠があるか分かったもんじゃないから。地上はトウジャの動きやすいようになっている。クロだって分かるでしょ」

 

「……天使の檻か」

 

「正解。その地雷原の真っ只中ね、この近辺」

 

 天使の檻、と呼ばれているのはアンヘルが独自に開発した機雷の事を指す。人機の血塊炉反応に呼応し発動、対象人機が連邦の参照データにない場合、相手を一時間もの間拘束し、血塊炉付近へと重大なダメージを与える。鉄菜も渡り歩く際、警戒していたものだ。

 

「私は《シルヴァリンク》をブルーガーデン製のコンテナに収容していた。それは天使の檻の発動条件を掻い潜るためだ」

 

「ブルーガーデン製は光波、熱光学、何もかもを通さない鉄の棺だものね。まさか滅びた国の遺産がこういう形で役立っているなんて」

 

「私くらいだ、ブルーガーデン製をこぞって使うなんて。他の者達は使っているのさえ見た事がない」

 

「クロが賢いのか、それとも他の連中が臆病なだけなのか。どっちにせよ、《ナインライヴス》でこの先を通るのには少しばかり手間取るわ」

 

「どうするんだ? 宇宙に出るためにはどこかでシャトルでも手配しなければならない。地上警戒が解かれるとは思えないが」

 

「その点に関しては当てがあるのよ。ゴロウ、聞こえる?」

 

『何だ、桃・リップバーン』

 

 通信ウィンドウの先に現れた姿に鉄菜は絶句する。

 

「ジロウ……?」

 

『六年もの間会っていなければ誤認するか。久しいな、鉄菜・ノヴァリス』

 

 その言葉振りにさすがの鉄菜でも対象があのジロウではない事を認識した。

 

「……元老院」

 

『そう気を張るな。我々と君達はもう共同戦線を張って随分と経つ。我々も地上から追われた、罪人なのだ』

 

「だが、私達に擦り寄って何がしたい?」

 

『何が? 鉄菜・ノヴァリス。君達に我々は感謝する事はあっても害を成す事はない。事ここに至って、我々の生存圏に関し、君達のほうが上手だからな。それに、地上は楽園を追われた事さえも気づいていないアダムとイヴの饗宴となっているだろう』

 

 信じられるのか、と桃に目配せする。彼女はそっと頷いた。

 

「ゴロウ、って呼んでいる。さすがに元老院コンピュータのままじゃ、ね。不自由だし」

 

『その名前で通っている』

 

「……何が出来る。地上を追われた罪人風情が」

 

『そっくりそのまま返したいが、今はその時間さえも惜しいのだろう? 桃・リップバーン』

 

「察しがいい事ね。シャトルの手配を頼むわ。ここから片道二時間あれば中型コミューンに辿り着く」

 

「まさか……、こいつらに頼むというのか」

 

 信じられない、という声音に桃は手を振る。

 

「案外、地上との交流手段を取るのにゴロウは便利なのよ? まだ元老院の支配の爪痕は残っている。地上に残されたバベルの断片を彼らは有効利用出来る」

 

「……手前勝手にジャミングくらいは、という事か」

 

『そういう意味だとも。弱小コミューンは未だにバベルの支配から抜け出せてはいないものも多い。如何にアンヘルとは言え、一つ一つのシステムの抜けを確認するほど暇ではないのだろう。システムの抜けを使って我々は地上と行き来する』

 

「だが、問題があるはずだ。地上からシャトルが出れば、宇宙の駐在部隊が気づく」

 

「そこから先は、出たとこ勝負ね。宇宙に上がるまでは何とかなるけれど、上がってからは追われるのも込みで考えるしかない」

 

「……勝手なものだ」

 

 呆れ返った鉄菜に桃はウインクする。

 

「でも、悪くないでしょ?」

 

 いつの間にかより強かになった桃に鉄菜は嘆息をつく。

 

「で、ゴロウ。お前は何が出来る?」

 

『バベルの断片を使い、シャトルの貨物偽装くらいはわけない。まぁ、宇宙に上がれば必然的に駐在部隊の監査を受ける。宇宙の監視網は厳しい。ゆえに、君達には偽装ルートを辿ってもらう』

 

「偽装ルート?」

 

 問いかけた鉄菜に桃は投射画面を立ち上げる。宇宙に上がった際のルートが刻み込まれており、デブリ帯を矢印が突っ切っている。

 

「このルートを辿る事で本隊を探らせないようにする。六年前、ブルブラッドキャリアの本隊がほとんど知られてしまった。その偽装のための資源衛星をモモ達はいくつも持っている。そのうちの一つ」

 

「そこに、私のモリビトがあるのか」

 

『《モリビトシン》、全てのモリビトの原初であり、最初の罪だ。……だが、言っていなかったのか、桃・リップバーン。《モリビトシン》には問題点があると言う事を』

 

「問題点?」

 

 これから自分が搭乗する予定のモリビトに何か問題があるというのか。桃は明らかに嫌悪の表情を浮かべる。

 

「ゴロウ……あんたのそういうところ、嫌い」

 

『好かれるために動いているわけではないのでね。……何だ、言っていなかったのか』

 

「どういう意味だ? 桃」

 

「……天使の檻を越えてから話しましょう。一分でも時間がずれれば貨物に紛れ込ませられない」

 

『それは同意だ。通信を切ろう。……鉄菜・ノヴァリス』

 

 名を呼ばれ、鉄菜は向き直る。

 

「何だ」

 

『……無事に帰還を願っている。これは……何もかもを失った機械であるはずの我々が唯一考え得る人間的思考だ。どうしてだか……六年前に君が信じてくれたからかもしれないが、我々の中に正体不明の何かが宿ったのは間違いない』

 

 鉄菜は通信越しのゴロウを睨み据え、言ってやる。

 

「教えてやろう。それが心だ」

 

 かつて自分も教えられた身。この胸の中にある名状しがたい何か。それを「心」と呼ぶのだと。

 

 ゴロウは感じ入ったように沈黙していたが、やがて声にした。

 

『そう、か。これが心、か。勉強になるよ、鉄菜・ノヴァリス。帰還を願っているのは、てらいない真実だ。《モリビトシン》の問題点を、君ならば克服出来る。根拠はないが、そのような気がする』

 

「切るわよ、ゴロウ」

 

 通話が途切れ、桃の《ナインライヴス》が周辺に注いでいた警戒網を一点に見定めた。

 

《ナインライヴス》が獣の姿から人機へと可変する。前足がそのまま脚部になり、後ろ足が腕と化す。背部に担いでいた高出力Rランチャーをその腕が掴み、地平線を照準した。

 

「人機の熱源に反応するって言うんなら……、地の果てまで、飛んでいっちゃえーっ!」

 

 Rランチャーの砲口にピンク色のエネルギー波が充填される。直後、放たれた地を裂く稲光が地平線へと真っ直ぐに発射された。

 

 地面が捲り上がり、熱源を追って天使の檻が発動する。無数の刃節を持った檻が熱源を狙う形で中空を捕縛した。

 

 ここいら一帯にある罠が全て発動し、地面に奇形のモニュメントを屹立させる。

 

「……さ、ってと。これであらかた片付いたでしょ」

 

 鉄菜は《ナインライヴス》の性能に呆然と口を開いていた。かつての桃の乗機、《ノエルカルテット》よりも遥かに上のR兵装を積んでいる。

 

 出力面では惑星産に劣ると言っていたが、それでもこれほどの威力は想定外であった。汚染された地面を焼き切り、青い濃霧を引き裂いている。

 

「……コスモブルブラッドエンジンは、惑星のものに遥か劣るのでは……」

 

「計算上の話よ。確かに長期戦に持ち込まれれば、《ナインライヴス》は不利。でも、短期決戦なら、多分トウジャにだって負けないわ」

 

 自信たっぷりの桃に鉄菜はどこか安心していた。彼女にも変わらない部分はある。

 

「そうか……。安心した」

 

「安心? クロってたまに変な事言うよね。その辺、変わってない。モモも安心した」

 

 二人で笑みを交し合う。六年の月日の隔たりはもっと深刻かと思っていたが自分が思っていたほどではないらしい。

 

《ナインライヴス》がビースト形態へと変形し、大地を蹴りつける。

 

 一定間隔の振動がコックピットを揺さぶる中、鉄菜は尋ねていた。

 

「……《モリビトシン》の、問題点というのは」

 

 聞かなくとも、桃を信用している。そのつもりであったが、ゴロウの思わせぶりな態度から鑑みて、それなりのリスクだと判断すべきだろう。

 

 桃は、小さく口火を切った。

 

「一度も……起動に成功した事のない人機なの」

 

 その言葉に鉄菜は硬直する。まさか一度も、という部分の沈黙に桃はため息をつく。

 

「そうよね。……そういう反応になるか」

 

「一度もまともに起動した事のないモリビトに、私を乗せようとしていたのか」

 

「誤解しないで、クロ。別にあんたに心中して欲しくって乗せるわけじゃない。それに、《モリビトシン》にはまだ試していない機構があるの」

 

「……先に説明されたな。トリニティブルブラッドシステム。二つのブルブラッドエンジンを、中央に位置する巨大なメイン血塊炉の補助のために用いる、と……。機構としては《ノエルカルテット》が近いが」

 

「だから、最初は桃がその操主のはずだった。クロ、黙っていたってしょうがないから言うけれど、六年前の時点で、《モリビトシン》の操主にモモは据えられていたの。あんたとアヤ姉が失敗してもいいように」

 

 意外であったが、組織ならばそのような行いはしていても何らおかしくはない。むしろ保険は打っておくべきだ。

 

「そう、か。私のモリビトというわけではないんだな」

 

「でも、《モリビトシン》は何度も他のコスモブルブラッドエンジンとの組み合わせを試みたけれど失敗。掛け合わせの問題だと思われていたけれど、もっと深刻なものがあるのかもしれない。……まだ掛け合わせていない組み合わせは、《ノエルカルテット》のメイン血塊炉と、《インペルベイン》の血塊炉を副炉心に据え、《モリビトシン》の血塊炉を安定させる、というもの。これならば七割以上の成功率が見込めるとされている」

 

「ならば何故、それをしない? まさか失敗の可能性が高いのか?」

 

 桃は頭を振って、額に手をやる。

 

「逆よ。……それで失敗すれば後がないから。《モリビトシン》のプロジェクトはお取り潰しになり、《モリビトシン》に与えられていたパーツは全て新規のモリビトの開発に充てられるでしょう。そうなると困る誰かさんのエゴなのよ」

 

 組織内部で《モリビトシン》の計画を進めるためならば、成功率の高い組み合わせは最後に持ってくる、というわけか。未だにブルブラッドキャリアの中でも軋轢があるのが窺える。

 

「……だが、そのような瑣末事にこだわっている間にも地上は激変する。この六年……たったの六年で技術がどれほど進歩したか。トウジャタイプはC連邦のスタンダードになり、ナナツー、《バーゴイル》は一気に型落ちと化した。私はそれを戦場で常に見てきた。トウジャは放っておいても脅威になり得る。私達がいがみ合っている間にも、地上は介入不可能な場所に成り果てるだろう」

 

「クロがそう言ってくれれば、上も少しは見てくれるかもね。それでも、怪しいのが現状のブルブラッドキャリア……。身内の恥みたいでなかなか気が引けるわ」

 

「だが、《ナインライヴス》を送って来たのは正しい。私は、お前に助けられなければ死ぬところだった。ありがとう、桃」

 

 桃がいなければアンヘルの精鋭を前に返り討ちに遭っていた事だろう。感謝の言葉を述べると、桃は瞠目した。

 

「クロ……本当に変わったのね。六年前にはそんな事、言わなかったのに」

 

「戦場を渡り歩いていると、一回の謝辞でも述べておくべきだったと思う事もある。それがたまたま染み付いていただけだ」

 

「……何か、嫌な感じね」

 

《ナインライヴス》が大地を四つ足で強く踏み締める。まだ見ぬ《モリビトシン》への思いに、鉄菜は空を仰いだ。

 

 紺碧の濃霧。靄がかかったように煙る太陽。

 

 地上がどれほど荒廃し切っても、ある種自分達は変わらぬ営みを貫いている。人類の強かさそのものが罪ならば、人はどこに行けばいいのだろう。

 

 どこで終わりにすればいい。

 

 その是非を問うためには力を得るしかない。力の証明がなければ、その問いかけに対して何も応じる口はないからだ。

 

 ――少なくとも自分は選択した。ならば、その答えは戦いの先にこそある。

 

 見据えた地表は青く錆ついている。

 

 待ち行く運命に鉄菜はただただ唾を飲み下すのみであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯177 始まりの物語

 家族が丸ごと引っ越すのには少しばかり手狭で、かといって独りでは持て余すほどの空間が広がっている。

 

 執事であるセバスチャンが契約書へと目を通している間、ベルはすぐにでも次の家を見ておきたいとわがままを垂れていた。

 

「お嬢様、暫しお待ちを。このトリアナ城は元々、旧ゾル国の所有地です。我々が移り住むのには、いくつかの契約条件に目を通さなければ……」

 

「待てないわ! そんなの!」

 

 ベルはドレスを着たまま城の中へと駆け出す。その背中をセバスチャンが止めようとしたが、契約会社の男に邪魔される形となった。

 

「ベルお嬢様! あまり奥には行きませんよう!」

 

「口うるさいセバスチャン……。あたしはこのお城が気に入ったから引越しに賛成したのに……」

 

 使用人達が周囲の安全装置を確認する中、ベルは薄緑色のドレスのスカートを摘んで廊下を抜けていく。

 

「お嬢様。あまりセバスチャン様を困らせぬよう」

 

 給仕役達が微笑ましく見守る。彼ら彼女らの目線にベルは手を払っていた。

 

「子供じゃないのよ!」

 

 今年十三になったばかりだが、もう充分に大人のつもりであった。世の中の大抵の事は知ったつもりだったし、舞踏会の礼節は頭に入っている。大人のレディなのだ、と彼らに言うと、どこか困惑したように使用人達は言いやるのだ。

 

「まぁ! ちょっと前まで夜に一人でお手洗いにも行けなかったベルお嬢様が?」

 

 その言葉にはさすがに言い返せない。事実を覆すのは難しいのだと、ベルは感じていた。

 

 だが孤独には慣れたつもりだ。母親はC連邦所属コミューンの女優。父親は同じくC連邦の上級仕官。いつだってベルは孤独な夜が待ち構えていたが、もうどれだけ通り過ぎて行ったのか分からない。

 

 だから、ちょっとくらい独りでも寂しくはない。

 

 泣きそうな夜もあったが、もう十三才なのだ。社交界に出れば、華麗に踊って見せる自信はあった。

 

 紳士にエスコートさせて、誰もいない場所で愛を囁かれても、うろたえないだけの令嬢にはなったつもりだ。

 

 しかし、ベルの心の中には冒険心がある。

 

 まだ見ぬもの、まだ知らぬものへの好奇心が。

 

 だから、見てはならないと言われると見たくなるし、聞いてはいけないと言われると耳をそばだてる。こればっかりは仕方ない。家庭環境のせいだ、とベルは結論付けていた。

 

 この旧ゾル国コミューン、トリアナの最たる象徴、トリアナ城の所有権を得た時、ベルは真っ先にこの城の秘密を自分だけのものにしたいとかねてより思っていた。

 

 ベルの周りはほとんど監視の目で固められている。生まれてから、今までずっと。自分の知らない事は使用人達が知っているし、自分が知っている事ならばなおさらだ。

 

 だから一つくらいは胸の中に秘密が欲しかった。

 

 十三才の小娘の戯れ言だと蔑まれても、一つや二つの秘密を抱えるのが一人前のレディというものだ。

 

 豊かな金髪を揺らしながら、ベルは城の奥深くまで潜入していた。父親が何度かしてくれた軍の通信の真似事をする。

 

「こちらベル。トリアナ城の深部に到着。周囲に敵影はなし」

 

 うふふ、と笑いが漏れてくる。独りでも寂しくない。くるくると舞い踊りつつ、ベルは歌を口ずさんだ。

 

 母親が何度かブロードウェイで歌った世界を魅了する歌。それを幼いながらの声で歌いつつ、ベルは自分の手を引いてくれる誰かを夢想した。

 

 誰かはきっと、この手を導いてくれる。

 

 誰かはきっと、自分の知らない世界に連れて行ってくれるはず。

 

 小うるさいセバスチャンや、何でも知った風な使用人達でも知らない、本物の世界へと。

 

 鼻歌混じりに踊っていたベルは不意に手をついた壁の文様に小首を傾げた。

 

「変だわ、この壁……。ここだけ模様が違う……」

 

 そっと手で押し出してみると、真横の雑居棚がスライドした。

 

 まさか、とベルは不意に空いた謎の空間を覗き込む。

 

 地下へと続く階段が伸びており、ベルは一瞬にして物語の主役になったかのような間隔を覚えた。

 

「素敵! 見ず知らずのお城で、誰も知らない小道があるなんて!」

 

 歩み出すと僅かに湿っている。その感触が余計にベルの好奇心を駆り立たせた。明かりさえも差さない地下への階段を駆け降り、ベルは歌う。

 

「誰も知らない、古城の地下階段! ワクワクしちゃう!」

 

 壁に手をつきつつも、階段を駆け降りる足は止めない。螺旋状になっている階段を降り切ると、不意にクレーターのような広大な地下領域に足を踏み入れた。

 

 地上から僅かに日が差し込んでいる。

 

 足元を這う爬虫類も、ベルからしてみれば物珍しいファンタジーの世界の装飾物。

 

「ヘビやカエル、それに虫さん! ここは物語の世界かしら!」

 

 地上ではほとんど滅菌され切っており、爬虫類も滅多に見なくなった。カエル達が鳴き声を上げながら跳ね回っていく。

 

 それらを追っていると不意に屹立する壁に行き当たった。

 

 手をつくと、酷く苔むしている。

 

 虫達の苗床になっている何かから視線を感じてベルは宙を仰ぐ。

 

 壁と思われた何かは白亜の色をところどころに晒しており、よく目を凝らして後ずさると、それが巨大な神像である事が分かった。

 

 神像の頭部にはX字の切れ込みがある。

 

「どこの神様かしら……? 見た事のない神像だわ」

 

 呆然と見つめていると不意に背後の空間が蠢動する。

 

 また虫か爬虫類かと思われたが、明らかに動きが速い。加えてその存在感は羽虫やヘビなどでは決してなかった。

 

 何かは自分を仔細に観察しているようであった。

 

 暗がりの中、出来るだけ明かりから身体を離し、自分に悟られぬようこちらを見据えているのが伝わる。

 

 ベルはむっとして叫んでいた。

 

「出てきなさいっ! こそこそするのは駄目なんだからっ!」

 

 ベルの声音に何かが背後へと降り立つ。振り返った瞬間、その何かが顔をベルへと近づけていた。

 

 独特の臭気が鼻をつく。獣の臭いに、ベルは覚えず後ずさっていた。

 

 土色の毛に覆われた何かがベルをじっと見つめている。背筋が折れ曲がっており、猫背でありながら大人の体躯の倍近くはあった。

 

 通常ならば叫んで逃げ出すであろう。

 

 しかし、ベルはこのけだものとの出会いさえもどこか物語の中の出来事のように思われていた。

 

 目を輝かせてベルは尋ねる。

 

「もしかして……このお城の亡霊さん?」

 

 何かは喉で呻り声を上げてベルを威嚇しようとする。

 

 乱杭歯が覗いており、両手の爪は容易く皮膚を引き裂くであろう。それでもベルが恐れ知らずであったのは、このような運命的な出会いをどこかで夢見ているからであった。

 

 誰も知らない地下空洞に棲む、誰も知らないけだもの。

 

 自分はさしずめ運命の王女。

 

 その物語に陶酔したベルは芝居がかった仕草で尋ねる。

 

「あなた、お名前は?」

 

 何かは激しく吼え立てた。雄々しい叫びが地下空間に木霊する。それでも、ベルは臆さなかった。このような拒絶も物語ではよくある事だからだ。

 

「お名前が分からないの? あたしはベル。このお城を買い取ったのよ」

 

 何かはベルへと警戒の眼差しを注いでいる。暗闇の中でも金色に輝く瞳にベルはすっかり惹き込まれていた。

 

「あなたの目、まるで宝石みたいね! ダイヤよりも輝いている!」

 

 その言葉にけだものは気圧された様子であった。自分の事を恐れないばかりか、まさか賞賛してくるとは思ってもみなかったのだろう。

 

 けだものが叫び、神像へと飛び移る。その軽やかさにベルは感心していた。

 

「とっても身軽なのね! 本当に物語みたい!」

 

 けだものが神像に張り付いたまま、こちらへと注視する。ベルは次の言葉を紡ぎかけて、手にしていた端末が激しく鳴った事で現実に引き戻された。

 

 あの小うるさい執事のセバスチャンが、痺れを切らして電話してきたのだろう。

 

「ごめんなさい、今日はここまでみたい。でも、あなたずっとここにいるの? お名前は?」

 

 尋ねてもけだものは答えようともしない。それでも、ベルは収穫があったと感じていた。

 

 古城の隠された主。秘めやかな邂逅。それだけで物語の始まりには充分だ。

 

「あたし、また来るから! ごめんなさいね! 次からはもっとお話しましょう!」

 

 地下階段を駆け上がったベルは隠し扉を閉ざし、元の調子を装う。

 

 物語の始まりを知っているのは自分だけ。高鳴る胸を抑えながら、ベルはセバスチャンの下へと駆けていった。

 

 モノクル越しに鋭い一瞥を向けたセバスチャンは開口一番に怒鳴る。

 

「お嬢様! あまりお戯れが過ぎますと……!」

 

「分かっているわ、セバスチャン。でもあたし、すっかりこのお城の虜になっちゃった! ねぇ、早く買い取りましょう!」

 

「……ご主人様の道楽趣味にも困ったものです。いくらコミューン一個分を買い取れば居城がついてくるとはいえ、まさかこの時代に古城なんて買い取ったところで……」

 

「お父様への陰口?」

 

 ふんと胸を反らすとセバスチャンは取り成した。

 

「いえ、そのようなわけでは……。ただ、管理が大変という話です」

 

 セバスチャンは端末を手に使用人達に声をかけていく。

 

「管理が大変でも、あたし、気に入っちゃったから。買い戻しなんて許さないわよ?」

 

「……困ったお嬢様だ。管理区域をブロックごとに管轄しても、まだあり余る……。前時代の遺物ですよ、この城は。解析に回したほうが無駄な金食い虫というもの」

 

「じゃあ、管理なんてなぁなぁでいいんじゃないの? そのほうがきっと楽しいわ!」

 

 ベルの言葉にセバスチャンは苦い顔をした。

 

「しかし……管理出来ないのは困るのです。前の所有主がほとんど所有権を放棄しているから、どのような場所に何があるのかも不明というのは……」

 

「命令出来ないから? でも、そのほうがいいに決まっている!」

 

「……お嬢様はよくっても我々が困るのです。管理ブロックの解析は後回しにするしかないようですね」

 

 モノクルの奥の瞳を憔悴させたセバスチャンに、ベルはくるくると舞い踊る。

 

「あたし、このお城、気に入っちゃった! ここに住みましょう!」

 

 セバスチャンは咳払いをして、仲介業者に声をかける。

 

「買い取りは……ああ、例の値段で。トゥリス家がこの古城の所有権を得る、という話で。……ええ、大丈夫です」

 

「小難しい事言っていないで! 舞踏会を開くのよ! そうすればきっとみんな幸せだわ!」

 

 ベルは夢想する。黄金に彩られた舞踏会で自分が主役になるのを。きっとこの世の誰よりも祝福されているに違いない。

 

「……困ったものですね。お父上は予算の範囲内ならばお嬢様のお好きに、とは仰いましたが」

 

「だったらここにしましょう! ここが好きになったわ!」

 

 自分しか知らない地下空洞。自分しか知らない地下の怪物。

 

 ――ああ、ワクワクする。まるで夢の中だ。

 

 高鳴る鼓動はきっと、幸福な物語への導入なのだろう。

 

 ベルはこの世界の誰よりも、自分が幸せなのだと感じていた。

 

 セバスチャンは困り果てた様子であったが、やがて書類管理を一任する。

 

「いずれにせよ、使用人達にはここの管理を一括させねばなりません。お嬢様、少しの間、過ごし難いかもしれませんが……」

 

「過ごし難いくらいがちょうどいいのよ! きっとそうに違いないわ!」

 

 やれやれ、とセバスチャンが頭を振る。

 

「旧ゾル国陣営の所有地、コミューン、トリアナ。その古城管理ですか。なかなかに骨の折れるものだ」

 

 トリアナ城は自分にとって物語の一ページ。これから先、綴られる物語にベルは目を輝かせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈痛に顔を伏せた上官は、まずは、と書類を差し出した。

 

 リックベイはそれを受け取り、正式な辞令かどうかを確かめる。

 

「この通りで?」

 

「ああ。我々連合陣営が肩身を狭くしている一方で、連邦陣営は少しずつ発言力を増している。……全く忌々しい事だ。モリビトの出現も、ブルブラッドキャリアの再起も、彼らからしてみれば都合のいい軍備拡大の文句の一つ」

 

「アンヘルの非常事態宣言下におけるスクランブル出撃の容認。まさかこれに判を押せと?」

 

 上官は憔悴し切った面持ちで頷く。

 

「お歴々は自分達の蹴落とし合いで躍起だ。下がどのような苦労を背負っているのかなど考えもしない。アンヘルがこれ以上に発言力を増し、どのような事態でも有事となれば出撃許可が容易に下りれば、我々はより動きにくくなる」

 

「ブルブラッドキャリアの駆逐任務が正式に下れば、それは有事を示します。アンヘルが地上を席巻する」

 

「そうなれば、こちらも難しいだろう。少佐、君をこの地位に縛り付けているのは何をどう繕ってもこちら側のエゴに過ぎない。……正直なところ、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。連邦陣営に下れば大佐……いや、准将は軽いだろうに」

 

「いえ、自分にはこの階級が性に合っています」

 

「さらりと言ってのける辺り、さすがだとしか言いようがないよ。だが、銀狼の腕でも鈍る事はある」

 

「軍人が闇雲に前線に出ないのは理想です。平和に繋がる」

 

「偽りに糊塗された平和でも、かね? アンヘルが弱小コミューンを襲撃しているのは歴然とした事実だ」

 

「しかし彼らにも否がある以上、アンヘルの介入を非人道的だと非難するわけにもいきません。実際に連邦に下らないとした弱小コミューンは大小、四十近くあるのです」

 

「管理、管轄をよしとせず、自活のみでコミューンを回す、か。理想論だが、ここまで極まってくると性質が悪い。元々連合傘下にあったコミューンまで反抗している。曰く、連合の言い分には従うが連邦の……アンヘルには下らない、か。これも説得が厄介だな」

 

 目頭を揉んだ上官にリックベイは口にしていた。

 

「連邦と連合は言ってしまえば命令系統が少し違うだけでほとんど同じです。問題なのは、上がどう判断するか、でしょう」

 

「そこに集約される分、下々には負担をかけている。現状、連邦傘下のコミューンのほうが遥かに平和的だと国際社会が判断しているのは皮肉としか言いようがない。虐殺天使とあだ名される彼らとて、平和に向けて邁進していないわけでもないというのは」

 

「基本的に、C連邦の主張は平和主義です。我々と違うところなど、それこそ上の都合の一事」

 

「平和、平和、か。……少佐。君の所見を聞こう。この六年、世界は平和になったと思うかね?」

 

 その疑問にリックベイは六年間で起こった出来事を脳内で反芻する。アンヘルの発足、トウジャタイプのスタンダード化。戦場の隔離、厳重な地上管理――。

 

「……一言で言うのならば、一国家の独占状態に近いかと。六年前に危惧されていた陣営の一極化。それが急速に成されたのが、この六年」

 

 その解答に上官は満足気に頷く。

 

「六年前にはブルーガーデンの強化兵を憎み、《バーゴイル》を駆るゾル国との緊張状態を維持する。それが平和であった。……平和というのは時代と共に意味が移り変わる。モリビトがそれを変えた。否、我々に見えるように分かりやすくした。戦場を、もっと言えば国家のしがらみを」

 

「ブルーガーデンの滅亡、ゾル国の衰退……。どれも歴史の一ピースには違いありません。ただ、そのしがらみに囚われるのが正しいのか、正しくないのかの違いのみ」

 

「少佐。C連邦がほとんど世界警察と言っても過言ではないこの時代。民草は生きやすくなったと思うか?」

 

 生きやすく、か。随分と難しい質問だ。民の視点に立たなければ国家は成り立たない。それでも、市民の視点だけでは国家の眼差しは内に向くばかり。外交手段と共に国家の繁栄はある。

 

 その手段の多様化、軍国主義に傾倒する事によって他国との緊張状態の加速、という意味においては、現状、市民は飼い殺しも同然。

 

「……情報統制が敷かれていたブルーガーデンのほうが、ともすればまだ人間であったかもしれません。今の市民は考えを棄却し、国家の眼差しを依拠している。これでは外交も何もない」

 

「正しい、正しくないを選択するのは常に国民であるはずだ。上に立つ人間はその代表者、代弁者に過ぎない。しかし、アンヘルという組織の台頭はその動きを鈍らせる。市民は平和を享受するだろう。それがどれほどまでの犠牲の上に成り立っているのかも知らぬまま」

 

 しかし、民からしてみれば、弱小コミューンの明日よりも自分達の明日だろう。

 

 この星のどこかでコミューンが一つ地図から消えたから、だからどうだと言うのだ。それで平和になるのならばいいのではないか、という思考停止が市民の目を翳らせている。

 

「しかし、アンヘルの主義主張を否定し尽くすのは難しい。アンヘルがあるからこそ、未然に防がれたテロもいくつかあるはずです」

 

「まさしく、転ばぬ先の、というわけだ。アンヘルがその芽を摘んだ悪は確かに存在するだろう。しかし、それでもこのままでは、C連邦国家の軍国主義に、何もかもを任せてしまいそうになる」

 

「ですが、選択するのは民草のはずです。アンヘルが正義だというのならば、それは市民が選んだ結果」

 

 リックベイの言葉振りに上官は微笑む。

 

「悔しいながら、それを認めざる得ないのが、世界の情勢か。ブルブラッドキャリアがどれほど吼えようとも、世界は変わらないだろう。アンヘルと一騎討ちを仕掛けたところで、この星の運命を変えるほどのうねりにはならないのだ。ブルブラッドキャリアがモリビトをけしかけ、アンヘルがトウジャで応戦する。その図式に、誰も異議を挟まないのがこの惑星の原罪だ」

 

 ともすれば自分達はそのうねりを加速させた側かもしれない。トウジャタイプの今日における隆盛を形作ったのは元はと言えば、六年前の自分達の行いだ。

 

 だから、何の責任も負えないというのはただの無責任なだけである。

 

「わたしは時代の目撃者として、責務を果たすべきだと思っています。たとえ、その行き着く先が国家の先鋭化であっても」

 

「うねりのまま、か。少佐、すまなかったな。ほとんど愚痴を聞かせてしまって」

 

 いえ、と謙遜したリックベイへと上官は真新しいニュースを放つ。

 

「アイザワ大尉、よくやってくれている。彼の操る《スロウストウジャ参式》のデータは間もなく反映されるだろう」

 

 タカフミの名前にもう随分と会っていないとリックベイは回顧する。かつての部下は遠い場所に行ってしまった。

 

「零式を継がせたのです。それなりに働いてくれるでしょう」

 

「君の理念そのものだからな。彼はいい兵士だ。ただ……」

 

 ただ、兵士であってもそれがいい将校になるかは別の話。彼は抜き身の刃であろう。だからこそ、政には一切干渉出来ない。

 

 自分が背負うべきなのは、刃の鞘の部分だ。鞘がない刀ばかりで、合戦は出来まい。

 

「もし……問題があれば報告を。対処します」

 

「対処すると言っても彼は連邦側の兵士だ。干渉に、向こうはいい顔をしないだろうな」

 

「それでも、彼は兵士以前にわたしの受け持った弟子です。責任は負うべきでしょう」

 

「いい返答だ。少佐、職務に戻りたまえ」

 

 挙手敬礼し、踵を返したリックベイの背に、上官は静かにこぼしていた。

 

「君のように、物分りのいい輩ばかりならば、何も苦労はせんのにな」

 

 恐らく、それは一生ついて回るだろう。誰もが物分りのいい兵士ならば、それは軍とは呼ばない。ただの機械と同じだ。

 

 自分は機械であるつもりはなかったが、いつしか上官の言葉に異議を挟むよりも、是と答えるほうが得意なだけの士官に成り果てていたのかもしれない。

 

「……非を唱えるだけが部下ではないとは言え、是非を問えない兵士は、最早それは……」

 

 兵士ではない。そう言いかけてそれが決定的な断絶に思われた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯178 モリビトの脈動

 

 欠伸を噛み殺した常駐兵は宇宙から望める虹の裾野を視野に入れていた。

 

 以前はゾル国の《バーゴイル》が担当していた部署はそっくりそのままC連邦政府に委託され、全ての権限がゾル国より奪われて久しい。

 

 六年の隔たりはかつての隆盛を誇った国家より誇りを略奪するのに充分であった。もうゾル国の赤い《バーゴイル》が宇宙を飛び回る事はない。C連邦の政府高官がつい先日、そのような発言をして更迭処分に処せられたが、結局はその通りなのだ。

 

 ゾル国において憧れの職業――スカーレット隊の伝説は消え失せ、「モリビト」の称号は機動兵器の名前に塗り替えられた。

 

 歴史の教科書にもうすぐ掲載されるらしい、と伝え聞いた常駐兵は娘と妻の写真が入ったフォトケースを《スロウストウジャ弐式》のコックピットに置いていた。

 

 無重力を漂う扁平なフォトケースには今までの思い出が詰まっている。

 

《スロウストウジャ弐式》と言ってもアンヘルのそれとはまるで武装が異なっていた。アンヘルのコミューン制圧用の武装は宙域ではほとんど使用されない。プレッシャーライフルでさえも過剰武装だとして旧ゾル国陣営が抗議してくるからだ。

 

「なぁ……宇宙って広いんだな」

 

 そのような言葉を吐いたのは何も常駐任務が年中暇だからだけではない。見渡した惑星の広大さに自分達の国家間の隔たりなどほとんど無為だと思わされたからである。

 

『まぁな。スカーレット隊って言うのは花形だったらしいが、それもこうじゃ……結局どうだったのか問い質そうにも面々は死んだらしいからな』

 

「モリビトは? 英雄って言われたの……誰だったか?」

 

『確か……キリヤ……とか言ったか? もう覚えてないぜ?』

 

『誰も覚えちゃいないだろ。堕ちた英雄の名前なんて』

 

 違いない、と通信網に笑い声が木霊する。宇宙の常闇の中、虹色の星が静かな面持ちを湛えていた。

 

「綺麗だよな……俺達の星」

 

『争い合うのなんて馬鹿馬鹿しく思えるくらいにはな』

 

『でもま、この駐在任務の一番いいところはそれだろ? 仕事なのにセラピー気分だ』

 

 駐在任務につくのには五十時間以上の宇宙における訓練経験が必要であったが、トウジャが一般化してからは取得するのも難しくなくなった。

 

 以前はナナツーで取ろうものならば命をかける心構えであったのに、技術の進歩は恐ろしい。

 

 トウジャタイプの浸透によって新兵でも人機操縦で蹴躓かなくなった。それを嘆かわしいとするベテラン操主もいるのだが、彼らは時代に取りこぼされた存在だ。今さらトウジャだのナナツーだのにこだわっているだけ、前時代的な考え方だと言えよう。

 

『星が綺麗で、眠っていても邪魔されない。天国か、ここは』

 

「おい、マジに眠っているのか? さすがにどやされるぞ」

 

『誰もコックピットなんて覗かないっての。お前も寝とけ。この任務のうまい汁をすすれる間にな』

 

「……お前ら、さすがにいつか天罰が下るぞ」

 

 その冗談に二人して声を上げて笑われた。

 

『天罰とは、そいつはいい! スパイスのジョークはたまに必要だな』

 

『宇宙でトウジャと打ち合うなんてテロリストでも思いつかないって。連中、《バーゴイル》だろ? 型落ち品の』

 

『大気圏に落ちるのが怖いからってんで、まともな塗装もされていない《バーゴイル》じゃ、燃え尽きちまうだろ。スカーレット装甲だよ』

 

 呆れて物も言えない。自分達の駐在地は、そのスカーレット装甲によって守られているというのに。

 

「あんまり先人を悪く言うな。マジに祟られるぞ」

 

『この宇宙の闇にやられたか? ここまで来て亡霊もクソもねぇよ』

 

『軌道エレベーターを赤い装甲が守っているのだって、もうすぐ塗り替えって話だろ? 前時代的なんだよ、何もかもが』

 

 C連邦に属している自分達からしてみれば、たとえ軌道エレベーターが赤になろうが青になろうがどうでもいい。ただ安全の保障さえしてもらえれば。

 

 まったく、と息をついた途端、航行ルートを外れた一機のシャトルが目に入った。

 

 よくあるルートミスだと注意勧告を送っておく。しかし、シャトルのルートは変更されない。

 

 このままでは駐在地を僅かに掠める軌道だ。再びC連邦駐在軍の名前で送信するが、それでもシャトルの機動に変化はない。

 

 まさか、とプレッシャーライフルを握らせた《スロウストウジャ弐式》を宙域へと出す。他の仲間が訝しげに声をかけた。

 

『どうした? シャトルの航行ルートミスなんて放っておけ。仕事熱心過ぎんだよ、お前』

 

「いや、しかし……。このルートでは掠める。シャトルが危ない」

 

『あっちのミスだろ? ログだって残ってる。まぁ、後々文句はあるかもしれないが、こっちに非はないだろ』

 

 それもそうだが、と照準器から目線を離した直後、下部に積載したコンテナが開いていた。

 

 内部より現れた人機の照合コードにハッと声を上げる。

 

「識別不能人機……? まさか……!」

 

 つい数時間前のモリビト襲来のニュースが脳裏に呼び起こされたその時には、ピンク色の光軸が《スロウストウジャ弐式》を掠めていた。激震するコックピットで通信網が飛ぶ。

 

『シャトルより不明人機出現……! 照合結果、敵性人機はモリビトの可能性があり!』

 

『嘘だろ……、モリビトなんて……』

 

 及び腰になりかけた仲間に声を絞り出す。

 

「怯むな! 敵はモリビトとは言え、六年前の機体のはず! 対人機において六年の開きがどれほどのものなのか……」

 

 それを知らないほど平和ボケしているわけではない。すぐに散開機動に入った《スロウストウジャ弐式》編隊が敵人機へとプレッシャーライフルを照射する。

 

 それぞれの機体とまともに打ち合う気はないようで大型のR兵装を手にするモリビトは小型の小銃で応戦していた。

 

「あのデカブツ兵器……連射は不可能と見た! 各員、じりじりと相手を追い詰める!」

 

 了解の復誦が返る中、しかし何故だ、と思わざるを得なかった。シャトルのちょっとした誤差のルートを相手に気取らせないようにするだけならば、まだ楽なはず。

 

 ここでわざわざモリビトを晒さなくともどれほどでも策はある。だというのに、相手はモリビトを出してきた。

 

 この疑問の帰結する先は――と今度はシャトルの軌道上にあるルートを概算させる。

 

 シャトルはこの先、デブリ帯を真っ直ぐに突っ切る針路を辿っている。デブリ帯……、と口中に呟いた男はまさか、と閃いた。

 

「連中、もしかして……」

 

 デブリの合間にある間接カメラへと照合をかける。すると一つのデブリに熱源が関知された。

 

 シャトルの接近に伴い、資源衛星にしか見えなかった何かが開いていく。

 

 常闇に灯った誘導灯に確信の声音を吹き込んだ。

 

「待て! もしかすると、あのシャトル、とんだ食わせ者かもしれない」

 

『どういう意味だ? このモリビトをどうにかしなくっていいのか?』

 

「ともすれば……こちらのほうが重要かもな。シャトルの行き先でガイドビーコンが点灯している。ただの資源衛星のはずの場所で、だ。もしかして、相手がモリビトをわざわざ晒した意味は……」

 

『まさか、シャトルの水先案内人だって? そのためにモリビトなんて大げさな……』

 

 大げさでないとすれば。それこそ、ブルブラッドキャリアの本懐はシャトルが行き着く事にあるとすれば。

 

 自然と反転し、《スロウストウジャ弐式》にシャトルを追わせる。

 

『何やって……! モリビトを止めるほうが……!』

 

「いや、こっちのほうが多分……まずい」

 

 何が、という主語を欠いたまま《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーライフルを引き絞る。

 

 光条がシャトルを貫かんとするが、相手は推進剤を焚いて回避した。

 

 ――やはり、モリビトは囮。

 

 まさか、世界の敵であるモリビトでさえも囮にした作戦があるとは思いもしない。だが、何かが存在しているのだけは確かだ。

 

《スロウストウジャ弐式》の進行先をモリビトの放った極太の光線が阻んだ。

 

 やはり相手はシャトルには指一本触れさせる気はないらしい。

 

 それが疑念を確信に変える。

 

「……全機、シャトルを追うぞ。モリビトは囮だ。本当の目的はデブリ帯の中にある」

 

『嘘だろ、おい! 振り切れって言うのかよ! 目の前まで来てるんだぞ!』

 

「こっちで追う。もし無理そうなら適当にいなすほうが無難だ。そのモリビト、あまり長期戦には向いていないんだろう。だから先んじて出した」

 

 そう考えれば辻褄も合う。残り二機はしかし、モリビト相手に苦戦を強いられていた。

 

『張り付いてくれば離れないんだよ……! 簡単に言ってくれる!』

 

 最新鋭機であるはずの《スロウストウジャ弐式》に負けず劣らずの攻撃を見舞ってくるモリビトを完全に振り切るのは難しいだろう。

 

 自分一人でも、と彼は《スロウストウジャ弐式》にシャトルを追跡させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『クロ……そっちに一機行ったわ。この二機はこっちで抑えられるけれど一機だけは難しいかも』

 

 その通信を受け、鉄菜はシャトルを遠隔操作する操縦桿に力を入れた。

 

 シャトルが推進剤を焚いて右へ左へとトウジャのR兵装を回避する。さしものブルブラッドキャリアでも貨物シャトル一機を偽装するだけで限界。

 

 そのシャトルの耐久性や武装まで気が回らなかったのだろう。

 

 あるいは気づいていても言わなかったか。鉄菜は今にも分解しそうなほどに軋んだシャトルに加速をかけさせた。

 

《スロウストウジャ弐式》はしかし、しつこく追いすがってくる。

 

 単純な機動力で負けているのだ。シャトル程度の推進力で人機から逃れるなど敵うはずもない。

 

 プレッシャーライフルの照準がこちらに据えられる。照準警告が響き渡る中、鉄菜は腹腔に深く呼吸した。

 

「一瞬、か。だが、ここまで来れば……!」

 

 発射された光条がシャトルを射抜く。炎が上がる中、シャトルが燃え尽きかけた。瞬間、下部コンテナを突き破り、銀翼の機体が躍り出る。

 

 機首のない面妖な形のバード形態はこの時、正常稼動した。

 

《シルヴァリンク》が滑空形態のまま宙域を駆け抜ける。《スロウストウジャ弐式》は突然に現れたもう一機のモリビトに面食らった様子であったが、すぐに持ち直して照準を向けてくる。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》のコックピットの中で加速度を最大まで与えた。推進剤の尾を引いて《シルヴァリンク》が向かう先には誘導灯が照らし出すブルブラッドキャリアの資源衛星がある。

 

 そこに至るまで、あと二分足らず。

 

《スロウストウジャ弐式》の照準が《シルヴァリンク》を完全に捉えていた。

 

 一射されたR兵装が尾翼を焼き切る。それでもここで止まるわけにはいかない。

 

「……耐えてくれ。《シルヴァリンク》……」

 

 さらにもう一段階の加速。敵人機が速射モードに切り替え、こちらを撃墜しようとしてくる。

 

 先ほどまでより苛烈なR兵装の雨に鉄菜は奥歯を噛み締める。

 

 銀翼が剥がれ落ち、照射された先から融解していく。

 

 あと一分もない。しかし、このままでは辿り着く前に撃墜されるだろう。

 

「《シルヴァリンク》……最後の、足掻きだ。封印武装開放! 唸れ! 銀翼の――!」

 

 機体が黄昏色のエネルギーフィールドに包まれていく。この六年間、出来るだけ使用を制限してきた封印武装が紡ぎ出され、宇宙の常闇を掻っ切った。

 

 物理攻撃皮膜に包まれた《シルヴァリンク》へと敵人機が武装を開放した。

 

 実体弾まで飛び出した火線が《シルヴァリンク》の機体装甲板を叩き砕いていく。

 

 各所がレッドゾーンに染まる中、鉄菜は雄叫びを上げていた。

 

 ――届け。

 

 その願いが形となり、最後の翼を羽ばたかせる。《スロウストウジャ弐式》のプレッシャーライフルの火線を抜け、《シルヴァリンク》は資源衛星へと雪崩れ込んでいた。

 

 コックピットが激震し、機体の全方位から警告音が鳴り響く。赤色光に染まった機体中枢部が強制パージされ、球体のコックピットが空間に射出される。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》の心臓部とも言えるコックピットから這い出ていた。

 

 長年付き添った相棒の機体のコックピットを蹴りつけ、カタパルトにセットされた新たな機体を目にする。

 

「これが……《モリビトシン》……私の、新しいモリビト」

 

《インペルベイン》に似た三つ目のアイサイト。右肩にシールドが固定されており、肘先まで菱型の扁平なそれが伸びている。機体のカラーリングは赤と銀であり、コックピットは頚部にあった。

 

 簡素な宇宙服に取り付けられていた推進剤を用いて姿勢を制御し、《モリビトシン》のコックピットへと入る。

 

 桃から予め教わっていた通り、《モリビトシン》の機体制御系統は独特であった。

 

 身体を包み込むかのような操縦基盤は血続専用のトレースシステムを用いているのだという。

 

 ゆえに、「もう自分には乗りこなせない」と言っていた。

 

 トレースシステムのアームレイカーに腕を通し、両足をフットペダルにかける。機体が遠隔起動し、血続の搭乗を認証した。

 

『鉄菜。その人機こそが我々の、最後の希望だ。《モリビトシン》にはトリニティブルブラッドシステム……《インペルベイン》と《ノエルカルテット》の血塊炉が機体の中枢血塊炉を補助するように出来ている』

 

 タキザワの通信に鉄菜は首肯して、システムをチェックする。だがそのような余裕さえもない。

 

 資源衛星に飛び込んだ自分を追って《スロウストウジャ弐式》がもうすぐ傍まで来ているはずだ。

 

「聞き及んでいる。起動臨界値には?」

 

『まだ足りていない。……やはり惑星産の血塊炉を用いても……駄目なのか』

 

「諦めるな。悲観するのにはまだ早い。私はここに来た。この人機と会うために。この人機を動かすために。ならば、答えは一つしかない」

 

 起動シークエンスのステップをほとんど飛ばし、鉄菜は一気に稼動をかけようとする。

 

 しかし《モリビトシン》は応えてくれない。ならば、と鉄菜はコンソールに存在するコードを打ち込んでいた。それを察知したタキザワが声を荒らげる。

 

『鉄菜! まさか君は――』

 

「エクステンドチャージ、起動」

 

 惑星産の血塊炉ならば適応されているはず。黄金に染まっていく機体が稼動臨界点まで至ろうとするが、それでもコックピットの中は静かなままだ。

 

『エクステンドチャージでも……駄目か……』

 

 直後、《モリビトシン》のコックピット内で警笛が鳴り響く。エラーが算出され、《モリビトシン》は鉄菜の制御下を離れ、暴走しようとしていた。

 

 カタパルトに《モリビトシン》を止めるだけの拘束具はない。

 

 赤く眼窩をぎらつかせた《モリビトシン》が軋みを上げる。

 

『鉄菜! 今すぐ脱出を! エクステンドチャージのせいで、《モリビトシン》の内蔵血塊炉がメルトダウンするぞ! 鉄菜!』

 

 タキザワの呼ぶ声が今は遠く聞こえていた。鉄菜は耳を澄ます。

 

《モリビトシン》の内奥より呼びかける声に。

 

 この人機の本当の言葉に。

 

 何を望んでいるのか。何のためにここにいるのか。

 

 自分という異物を投げ込まれた《モリビトシン》は猛り狂っていた。己の中にある異物を排除しようとしている。

 

 鉄菜はアームレイカーの中の手を固く握り締めた。

 

 ――感じる。

 

 鉄菜は薄く瞼を閉じ、《モリビトシン》の中にある言葉に耳を傾けた。

 

 強い怨嗟。罪の重力。一つでもまかり間違えれば、この血塊炉の中で渦巻く魂に引っ張り込まれそうになる。

 

 血塊炉の内側から渦巻くのは逃すまいとする執念であった。

 

 罪の中で死ね。罪に抱かれて死ね。罪で全身を塗りたくられ、その重みに耐え切れず、罪人は自壊する。

 

 この人機は数多の魂を吸ってきたのだろう。今までもきっと。

 

 だが、それを断ち切る事が出来るのは自分だけだ。

 

 自分しか、この因果を終わらせる事が出来ない。

 

 ならば、と鉄菜はアームレイカーを握る。

 

「動いてくれ。《モリビトシン》。私は!」

 

 面を上げる。見据えた先に《スロウストウジャ弐式》がカタパルトを覗き込んでいた。そのプレッシャーライフルの銃口がこちらを捉える。

 

『鉄菜! 脱出しろ!』

 

『クロ? お願い、逃げて――!』

 

「逃げる? 冗談じゃない。私は、お前を乗りこなすために来た。お前に呑まれるために来たんじゃない! 《モリビトシン》、ここにいるのは半端な操主じゃないぞ! 私の魂は《シルヴァリンク》の魂でもある。それを取り込もうというのなら、覚悟しろ! 私は――!」

 

 地上で戦い抜いた《シルヴァリンク》の誇りと。彩芽の魂を受け継いだ《インペルベイン》と。桃の力を補助してきた《ノエルカルテット》の血塊炉と――。

 

「――ブルブラッドキャリアの執行者が、ここにいる!」

 

 刹那、《モリビトシン》の内奥で何かが脈打った。

 

 放たれたプレッシャーライフルの閃光を《モリビトシン》は咄嗟の行動で肩に装備された盾で防御する。

 

 相手が息を呑んだのが伝わった。

 

 黄金色に染まっていた《モリビトシン》の表層から、黄金の輝きが解け落ちていく。

 

 赤く染まっていた眼光が緑色に変容した。

 

『この現象は……』

 

 困惑したタキザワに鉄菜は覚悟の双眸を湛える。真っ直ぐに見据えた先にいる《スロウストウジャ弐式》を視界に入れていた。

 

「――《モリビトシン》、鉄菜・ノヴァリス。出る!」

 

 カタパルトより射出された《モリビトシン》の機体がそのままの勢いを殺さずに《スロウストウジャ弐式》へと衝突していた。鋼鉄がぶつかり合う中、敵の接触回線が入る。

 

『モリビト……! まさか、新たなモリビトだと言うのか……!』

 

「そうだ。これが――!」

 

《モリビトシン》の大質量が《スロウストウジャ弐式》を組み伏せようとする。その馬力は並大抵ではない。三位一体の血塊炉が生み出す膂力は並の人機の装甲を砕くのに値する。

 

 逃げおおせようとした敵人機のプレッシャーライフルの銃身を《モリビトシン》の腕が握り潰していた。

 

 爆ぜた火花を物ともしない。

 

 メイン武装を失った敵人機がこちらから出来るだけ距離を取ろうとする。

 

『距離さえ取ってしまえば、どうという事……』

 

 接続された敵の回線に鉄菜は《モリビトシン》の武装をポップアップに呼び出す。全天候周モニターから最適な武装が編み出され、アームレイカーの先端部に接続されたキーを押す事によってそれが承認される。

 

《モリビトシン》が右肩のウイングスラスターを兼ねている扁平な盾へと手を翳す。

 

 出現したのはグリップ部であった。掴むと、歯車型の基部を伴った盾そのものが引き出される。

 

『盾を……武器とするのか……』

 

 相手が副兵装のミサイルの弾幕を張ろうとするのを、鉄菜は手にした新型武装で応戦していた。

 

 左手を突き出すイメージだけで、《モリビトシン》が同期して動き、歯車型の基部を中心軸にして盾の先端部が半回転する。

 

 盾の先端部には銃口が備え付けられており、コックピット内部に照準補正の赤いCGロックオンサイトが現れた。

 

 鉄菜の目線の先で照準器が敵人機を捉える。

 

 アームレイカーに標準装備された引き金を引くと、緑色のリバウンドエネルギーの弾丸が発射された。

 

 完全に虚を突かれた形の相手人機へと命中し、肩口より延焼させる。

 

 敵は一部装甲をパージして難を逃れたが、鉄菜はここで相手を葬るつもりであった。

 

 矢継ぎ早に盾型の銃――リバウンドシェルライフルを発射する。うろたえ気味の相手が後退しながら腰に装備した炸裂弾頭を投擲した。

 

 引火した炸裂弾頭より濃紺の防御煙幕が張られる。

 

『この視界の中ならば! トウジャが有利!』

 

 プレッシャーソードが引き抜かれ、敵人機が無様に接近した《モリビトシン》を叩き割ろうとする。

 

 鉄菜は手にしたリバウンドシェルライフルの基部を半回転させた。

 

 元の場所に戻った盾の銃は変形し、扁平な部位が灼熱の域に達する。

 

 それこそが盾の剣――リバウンドシェルソードであった。

 

 盾の剣がプレッシャーソードと鍔迫り合いを繰り広げたのも一瞬。その攻撃力が、プレッシャーソードの粒子束を引き裂く。

 

「これが、私達の――モリビトだ!」

 

 叫んだ鉄菜の呼気と共に一閃。《スロウストウジャ弐式》の胴体が生き別れとなり、血塊炉が焼かれて爆発の光が宇宙を照らす。

 

 噴煙を引き裂いて現れた《モリビトシン》に相手は深追いをしなかった。

 

《ナインライヴス》を相手取っていた敵人機二体が離れていく。

 

 通信回線が開き、桃が声にしていた。

 

『クロ……、それが《モリビトシン》の……』

 

「ああ。これが私の新しい……モリビトの力……」

 

 振るった刃に《モリビトシン》が鋭い眼光を惑星へと注ぐ。

 

 三つ目のアイサイトが睨むべき標的を見据えていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯179 仮初めの世界

 

 楽しみ、という感情がもたらす昂揚感は何なのだろう。

 

 精神点滴でも得られなかった充足に、瑞葉は満たされていた。タカフミからメッセージが端末に届いている。今日のディナーの誘いに、瑞葉は了承を返していた。

 

 まだぎこちないお互いの関係。それでも、前に進めている自覚がある。

 

 瑞葉が軍の研究施設から預かった自宅には無数の生態認証がある。それもこれも、まだ瑞葉を自由には出来ないという表れであったが、今の自分にはそれらの足枷もどうでもよかった。

 

 どうしてなのだろう。

 

 他人じゃなくなって欲しい、なんていう申し出、きっと六年前の自分ならば突っぱねていた。

 

 戦闘機械でしかない、あのブルーガーデンの天使ならば、断れたのだろう。

 

 しかし今は違う。ただの、一人の「女」になれている。それだけでもこの六年間の進歩だ。

 

 枯葉と鴫葉の事を忘れた日はない。散っていったブルーガーデン兵の事も。だが、彼女らももう、しがらみに囚われる必要はないといってくれているような気がした。

 

「……わたしは、ようやく一端になれる」

 

 指にはめたリングがそれを物語っている。断ち切れる事のない約束。違えるはずのない絆。

 

 そうだ。ようやく人並みになれるのだ。戦う事しか知らなかった強化実験兵が。ただの人間に戻れる。

 

 これほど嬉しい事はない。瑞葉は暫し指輪を眺めていたが、その時、インターフォンが鳴り響いた。

 

 タカフミがやってきたのだろうか、と胸を高鳴らせて扉に向かう。

 

 何一つ、警戒する事もなく開いた扉の先にいたのは愛を交し合った相手ではなかった。

 

 赤い詰襟の集団に、瑞葉はハッと身を引き締める。

 

 相手方はまさか私服姿の自分が出てくるとは思いもしなかったのだろう。一瞬だけ驚嘆したようであったが、やがて事務的に口にする。

 

「瑞葉、だな? ブルーガーデン、強化兵士」

 

 忌むべき名前に瑞葉は敵を見る眼を注ぐ。

 

「貴様らは……」

 

「失礼。申し遅れた。我々はC連邦政府直属部隊、アンヘル。その諜報部門である。貴官の自由と権限はC連邦政府に帰属するものであり、よってここに拘束する」

 

 歩み寄ったアンヘル兵を瑞葉は腕で制する。しかし、一喝された声に動きを鈍らせた。

 

「抵抗は無意味だ。それとも、こう言ったほうがいいか? ――愛する人間が悲しむぞ」

 

 まさかタカフミの身柄を。そう感じた時には高圧電流を身体に流されていた。虚脱した両腕を手錠が拘束し、続けてID証の首輪をはめられる。

 

「貴様ら……はっ……」

 

「悪く思わない事だ。アンヘルとC連邦のこれからのために、ブルーガーデンの兵力である貴官の力は必要である。再びあの禁断の力……《ラーストウジャカルマ》を稼動させるのにはな」

 

 瑞葉はその紡がれた名前に身をよじる。それでも、アンヘル兵を引き剥がす事さえも出来ない。

 

「無理はしないほうがいい。我々は貴官を無傷で運びたい。それだけなのだ。世界で活動を始めたモリビトとブルブラッドキャリアの力を抑制し、こちらが制圧するのに、あのハイアルファー【ベイルハルコン】は使える。ただ、ハイアルファーというものは一度認証した相手以外には使用不可能というデメリットが存在する。ゆえに、瑞葉、その肉体が必須なのだよ。たとえブルーガーデンの日々を忘れ、安寧と惰弱に塗れたただの女に成り果てていたとしても。その身柄があれば……」

 

 そこから先の言葉は闇の中に埋没する意識に閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 待ち合わせに遅れるのは珍しい、とタカフミは時計を気にしていた。

 

 瑞葉はいつも待ち合わせればその時間よりも一時間は早く到着するというのに。仕方なく、タカフミは街頭モニターのニュースキャスターへと視線を注いでいた。

 

 紡ぎ出されるのはやはりというべきか、モリビトとブルブラッドキャリアの脅威。正直なところ聞き飽きたニュースに誰も足を止めようとしない。

 

 少し端末にかけてみるか、と考えた矢先、通話が繋がった。

 

 しかしそれは軍の番号である。しかも自分からしてみれば決して無関係ではない相手の。

 

 どうして今、と小首を傾げながらタカフミは通話に出た。

 

「もしもし? どうしたんです? おれ、一応休暇届は出しましたけれど……」

 

『そうではない。アイザワ少尉。そこはC連邦のコミューンだな?』

 

 荒立たせた呼吸にタカフミは疑問を抱く。

 

「そうですけれど……何だって今? この電話にかけてきたって、意味なんて――」

 

 その瞬間、背後に気配を察知した。その一撃に対応出来たのはひとえに鍛えていた自分の第六感と、通話相手に叩き込まれた戦闘術のお陰である。

 

 振るわれた警棒の一撃は確実にこちらを昏倒せしめるつもりであったのだろう。大きく振るうモーションは隙が出やすい。

 

 よろめいたタカフミは相手の顔をまじまじと見つめていた。

 

 黒い覆面を被った相手の面持ちは読み取れないがカタギではないのだけは確かだ。

 

「おいおい……いくらなんでもここじゃ……」

 

 誰も気に留めていないとはいえ、ここは街中。戦闘行為があれば見過ごされないはず。

 

 しかし、相手は躊躇う事なく拳銃へと手を伸ばしていた。

 

 ホルスターに留められたそれのグリップを掴むまでの一瞬の間。

 

 タカフミは逆に相手の懐に飛び込んでいた。

 

 うろたえた相手から警棒を奪い取り、横っ腹へと一撃を見舞う。

 

 後退した相手にタカフミは警棒を半身になって構えた。

 

「……関係ないって事かよ。それと関係あるんですかね、この通話は」

 

『――その通りだ』

 

 道路を逆走した車が激しく横滑りしながら路肩に停車する。

 

 運転席から顔を出した意外な人物が拳銃を一射する。

 

 覆面の相手が建築物の陰に隠れようとしたところで、タカフミは通話先の相手と目を合わせた。

 

「本当に……いつまでも退屈させてくれませんね。少佐は」

 

 リックベイが後部座席を開放し、タカフミを手招く。

 

「乗れ。アイザワ少尉」

 

「了解です。あと、おれ、もう大尉ですよ?」

 

 その言葉を皆まで聞かず、車が走り出す。舌を噛みそうになったタカフミはぐんぐん離れていく中央街にふぅと息をついていた。

 

 手には謎の覆面の武器がある。しかも今、リックベイは迷わず相手を撃った。それには理由があるに違いなかった。

 

 運転席のリックベイから漂う物々しさにこの状況が生易しいものではない事を察知する。

 

「少佐、おれが何で襲われたのか、見当はあるんですか?」

 

「つい数時間前の事だ。これを見るといい。まだC連合もC連邦も正式発表はしないが……」

 

 濁した先に手渡された端末に表示された機密文書を読む。

 

「ブルブラッドキャリアの……新型のモリビトを宇宙で確認……? こっちに被害がって……これは! 少佐!」

 

「まずいところで火を点けてくれたな、モリビト。アンヘルの軍備増強政策が国会を通過すると思われた矢先にこれでは、まさしく燃料だ。アンヘルの発言力は増し、ただでさえ弱小なC連合の高官達は疑心暗鬼のC連邦の高官に捕縛されている。加えて……君にとっては最悪のニュースだろう」

 

 下にスクロールすると、C連邦の所有物を確保、という文書に行き当たった。

 

 その「所有物」の内容にタカフミは絶句する。

 

「嘘、だろ……。こんなの……」

 

「残念ながら嘘ではない。確かに彼女の身柄は宙ぶらりんの状態だった。C連邦政府の所有物だと言われてしまえば立つ瀬もない。アンヘルが強硬手段に打って出たと考えれば、君があそこで待ちぼうけを食らっていたのも頷ける」

 

 ハンドルを切ったリックベイにタカフミは目を戦慄かせていた。

 

「だって……瑞葉は人ですよ? 一人の……女性なのに」

 

「上はそうは見ていないという話だ。ちょっと前までC連邦政府の機密に近い部分にいた一般人を逮捕するのに、大義名分は要らない。ただ、所有物を取り返しに来た、だけでいい」

 

「でも! そんなのってあんまりじゃないですか! 瑞葉はもう、ブルーガーデンとも……、軍とも無関係で……」

 

「だから、それは対外的な事情を抜きにした場合……言ってしまえば人情だ。だが冷静な頭で考えれば、瑞葉君はC連邦の捕虜であり、しかもブルーガーデン元強化兵となれば、捕虜以下の扱いとなる。現在、部下に追わせているが行方を晦まされた。十中八九、アンヘルの手際だろう」

 

 そんな、とタカフミは項垂れる。ようやく平和を手に入れたのに、こんな仕打ち、と言葉もない。

 

「……アイザワ少尉。君はC連邦の仕官だ。よって、君には少しばかりの恩情があるとは思われたが、捕獲対象と深く関わった人間をでは正式に査問するかと言えば、それはノーであろう。そのような瑣末事にこだわるよりも、自白剤でも飲ませて洗いざらい喋ってもらうほうがいい」

 

 リックベイはそれを見越して自分へと接触して来たというのか。面を上げたタカフミの視線とフロントミラーのリックベイの眼差しが交錯する。

 

「……君はわたしの……零式を叩き込んだ一番弟子だ。それがこのような帰結を辿る事、静観出来るほどわたしは大人ではなかった。それだけの話だよ」

 

「……やっぱり、少佐は少佐なんですね。おれらの事をいつも一番に考えてくれている。……でも、そうなると少佐の立場が危ういんじゃ? だってアンヘルなんでしょう? 相手は。だったら、C連合の士官である少佐は……!」

 

「今は他人の心配よりも自分の心配をする事だな。情況は思ったよりも早く動くぞ。わたしを軽んじられる前に、相手がどのような強攻策に打って出るか……。正直なところ読めんのだよ。どれだけこの眼を研鑽したつもりでもな。未来が曇っている」

 

 先読みのサカグチをもってしても、読めない未来に自分は生きているというのか。タカフミは手の中にある機密情報に奥歯を噛み締めた。きっと、自分は何も出来ない。瑞葉を守る事も、自分自身をどうこうする事さえも。

 

 だからこそ、悔しい。何も出来ぬまま事態だけが転がっていく。

 

 手をこまねいている間にもアンヘルと連邦側の主義者によって自分達の居場所は失われていくのだ。

 

「アイザワ少尉……、瑞葉君の居場所の察知はわたしでも難しい。だが、君ならばまだ可能かもしれない」

 

「どういう……だっておれも狙われた」

 

「しかし君はC連邦の仕官だ。方法は一つしかないが、これならば瑞葉君を守る事が出来るかもしれない」

 

 リックベイの考えている方法を、タカフミは察知知る。だが、それは、と口ごもった。

 

「アンヘルに……入れという事ですか……」

 

「それが最短距離だ。アンヘルに警戒されながらでも、君は属する事が出来る。しかし、連合側のわたしでは難しい。それだけの事」

 

「でも……! あんな連中と一緒になんて……!」

 

 忌々しげに放った言葉にリックベイはミラー越しの視線を振り向ける。

 

「だが瑞葉君がまたしても破壊の使者になってしまうよりかは、英断だろう。わたしとて彼女を無碍にはしたくない。ここまで努力した君達の日々を、壊させたくないんだ」

 

 それは自分も同じだ。六年もかかった。それだけの時間を要した自分達の関係を一瞬で壊されて堪るものか。

 

「……でも、上が許すでしょうか」

 

「君はC連邦のエースだ。転属はさほど難しくはないだろう。もしもの時はわたしからも上を説得する。……これはわたしのエゴでもあるな。自分が救えないからと言って君にばかり押し付けている」

 

「いえ! 少佐はだって……いつでもおれ達のために……」

 

 そうだ、リックベイはいつでも自分達の事を考えてくれている。今は、それに報いる手段を取るべきだろう。

 

「アンヘルの正式部隊が君を襲ったわけではないから、転属は可能だろう。わたしはしかし、顔が利き過ぎている。ともすれば今回の一件で更迭されるかもしれんな」

 

 危うい綱渡りの上で自分を救ってくれたのだ。感謝してもし切れなかった。震える拳をタカフミは握り締める。

 

「でも……、少佐はいつだって、そうじゃないですか。先読みのサカグチなんですよ、いつになったって。おれらにとって少佐は……」

 

「そこから先は言わないほうがいい。わたしは国家に対しての反逆者になる可能性すらある。義を立てる必要性はない」

 

 しかし、義がなければ、リックベイはここまで尽くしてはくれないだろう。タカフミはきつく目を瞑っていた。

 

「すんません……少佐。おれ、何も出来ていないですよね」

 

「これから行えばいい。それにしても……新型のモリビト、か。ブルブラッドキャリア。どこまで我々を弄べば気が済む」

 

 ブルブラッドキャリアを憎めばいいのだろうか。憎しみの矛先は依然として不明なまま、タカフミはただ見据えるべき明日を心に番えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯180 闘争の予感

「新型のモリビトだと!」

 

 もたらされた情報にヘイルが壁を拳で殴りつけた。駐在部隊のうち一機が撃墜。それだけでも充分にセンセーショナルであったが、新型のモリビトとブルブラッドキャリアの声明が合わさってくれば、自ずと帰結は導かれる。

 

「ブルブラッドキャリア……またしても惑星に刃を向けるのか」

 

「どっちにしたって俺達がやるしかないって事かよ。俺達アンヘルが……!」

 

 弱小コミューンのテロの芽を摘むだけでも充分に時間と労力を要するのに、そこにモリビトという新たな脅威を抱き込むのは得策とは言えない。しかし、ブルブラッドキャリアは第一級の敵。国家が威信をかけて潰さなければならない相手だろう。

 

「《スロウストウジャ弐式》の整備状況は?」

 

「出せるには出せるが……こっちから仕掛ける旨味はあるのか? 相手が宇宙に陣取っているって言うのに」

 

「駐在地の連中に……地上での展開を抑えろとしか言いようがない、か。……隊長は何だって?」

 

 仲間は頭を振った。

 

「まだ何も。……存外、焦っていないのかもな」

 

「焦らないのはあの人の悪い癖だ。……あのポンコツにばっかりかまけて。隊長はロリコンなのか?」

 

「知らないって」

 

 いずれにせよ、ヘイルからしてみれば面白い話ではない。休憩室から飛び出して、彼は整備デッキへと向かっていた。

 

 デッキに並び立つ自分達の愛機を見つめ、整備士に問い質す。

 

「聞いているか? ブルブラッドキャリアが」

 

「ええ、存じていますよ。また声明を出したって。でも、《スロウストウジャ弐式》なら、モリビト相手だって困らないはずですが……」

 

 しかし自分達は新型一機とやり合っている。六年前の機体だと侮らないほうが無難であった。

 

「《スロウストウジャ弐式》をもっと強くは出来ないのか?」

 

「もっと強く、ですか……。操主ごとに合わせた改造を施していますが……。例えばヘイル中尉なら、随分と照準補正にかけていますよ? 正確無比な射撃が得意ですからね。人機はそれぞれの操主専用にカスタマイズしています。それを今以上となるとやはり……」

 

 濁した言葉の先を予測する。

 

 やはり――アンヘルで独自の新型を造るしかない。

 

 しかし、新型人機の製造は上がなかなか首を縦に振らない領域でもある。

 

 それに自分達前線の兵士では、トウジャタイプの新型など全く及びもつかなかった。《スロウストウジャ弐式》は最善の機体のはず。

 

 これに勝るだけの人機などそうそう思いつかない。

 

「トウジャタイプ以上のスペックを弾き出す人機なんてなかなかいませんよ。そもそもトウジャは拡張性の高い人機なんです。重火器型、軽装格闘戦型、様々なバリエーションを生み出せる……画期的な人機なんですよ。それを今以上に手を尽くすとなると、やはり《ゼノスロウストウジャ》レベルでの変位しか……」

 

 隊長機にのみ許されたあの性能。どうしても――欲しい。《ゼノスロウストウジャ》はしかし、アンヘル全体を見ても三機程度しか量産されていない。

 

 それだけ特別性が高いのと、量産に不向きなのだ。

 

 やはり自分達は《スロウストウジャ弐式》に頼るしかないのだろうか。

 

「今は……まだ有事とは言い難いですからね。ただ、六年前もそうであったように、実際にモリビトの脅威が高まれば、自ずと新型は製造されると思います。今は、待つのがいいかと」

 

 待つ、か。アンヘル……虐殺天使とあだ名されている自分達が待つしかないなどそれは愚策に思われた。

 

 不審を口にする前に端末が鳴り響く。

 

 通話を取ると、アンヘル諜報部からであった。

 

「どうした?」

 

『こちらでパッケージは確保。あとの事後処理は任せます』

 

 動かしていた駒がうまく作動したか。ヘイルは声を吹き込む。

 

「了解した。……隊長には」

 

『気取られていないはずです。しかし、アンヘル全体の決定でもありますまい。これを実行しても本当によかったので?』

 

「どうせ、転がり出した石だ。誰かが駒を進めるしか、方法はない」

 

 通話を切ると、整備士が問いかけてきた。

 

「何か、あったので?」

 

「いや、世界は思いのほか悪意に満ちている。それだけの話だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 収容された《モリビトシン》は炉心状態を確認されていた。

 

 大破した《シルヴァリンク》が別の資源衛星に移されていく中、鉄菜は無重力地帯で桃と顔を合わせる。

 

 ウインクした桃の手と鉄菜はハイタッチした。

 

「何とか……うまくいったみたいね」

 

「ギリギリだったがな。エクステンドチャージで無理やり叩き起こした」

 

「ホント……クロはいつも無茶するんだから」

 

「お互い様だ」

 

 軽口を交し合って整備デッキを抜けていくと、見知った影が待ち構えていた。

 

 タキザワと呼ばれた技術主任がジロウの姿を取った元老院を抱えている。

 

 傍らに立つのは自分の担当官であるリードマンであった。

 

「まさかいきなりエクステンドチャージを使うとは。炉心融解してもおかしくはなかった」

 

 その忠言を受け止めつつ、鉄菜は言い返す。

 

「あれが、《モリビトシン》の力か」

 

「まだ性能の一割も出しちゃいない。正式装備を整えておくように言いつけてあるからね。次の出撃にはまだマシになっているだろう」

 

 余裕の笑みを浮かべるタキザワに比してリードマンはただただこちらを見つめ返していた。

 

「鉄菜。生きていたとはね」

 

「リードマン。私は、死んでいてもおかしくはなかった。そうだろう?」

 

 フッと口元に笑みを刻んだ彼はついてくるように促した。

 

「君自身、六年もの間メンテナンスを受けていないはずだ。一度状態を見たい」

 

 リードマンの背中に続く鉄菜に桃が言葉を投げる。

 

「クロ……! どんな事があっても、クロはモモの知っているクロだから……! だから、その……」

 

「ああ。分かっている。何が待っていようとも、簡単に諦めて堪るか」

 

 その発言が桃を勇気付けたのだろう。彼女は微笑んでタキザワに続いた。

 

「……六年の間の隔たりか。それともあの最終決戦で変わったのか。君はまるで別物になった」

 

「それは、設計通りではないという意味か?」

 

 皮肉に対し、リードマンは首を横に振る。

 

「いや、いい傾向だ。我々は驕っていたのかもしれない。命を生み出した、などと」

 

 リードマンの研究室は六年前とさして変わらない。深海魚の遊泳する水槽が緑色に沈んだ研究室の中で怪しく輝いている。

 

「鉄菜・ノヴァリス。君も薄々勘付いてはいるのだろうが、言っておこう。人造血続は設定以上の年齢にはならない」

 

「そう設計したのは、お前らだろうに」

 

 リードマンは卓上を片づけて三次元図を呼び出す。遺伝子配列と文字列が並んでいた。

 

「人造血続計画の最たるものである君は、歳を取らないが、それは不老不死というわけではない。むしろ、その逆だ。寿命は著しく縮み、長くは生きていられない」

 

「ハッキリと言え。私の残り時間はどれくらいだ?」

 

 双眸を交し合った後、リードマンは言いやっていた。

 

「……持って残り三年。いや、もっと短いかもしれない」

 

 ――三年。思った以上に時間はないのだな、と鉄菜は感慨を握り締める。これから先の時代を生きていくのに、三年のリミットはあまりにも短い。だが、それが分かっただけでも上々だ。

 

「……リードマン。私は逃げも隠れもするつもりはない。何よりも、ブルブラッドキャリアにまだ抵抗の意思があるのならば、私は喜んで矢面に立とう。《モリビトシン》と共に」

 

「……そう、か。君はもう、とっくに覚悟をしていたんだな。ならば、このリミットなんてほとんど意味はないだろう。戦い続けると決めている限り、今の君に限界なんてないのだから」

 

「《モリビトシン》は? どれくらいやれる?」

 

「まだ試算の最中だ。性能面では純粋な惑星産の血塊炉を三基も使っている。当然の事ながら、《ナインライヴス》よりも強力なはずだが、その性能を最大限まで引き出すのは困難だろう。つい先日までの眠り姫だ。それを叩き起こしたのだからね」

 

 性能面での強さがそのまま安定性に結びつくわけではない、という事か。鉄菜はどこか納得しつつ、リードマンの研究室に居並んだ空のカプセルへと視線を流していた。

 

 自分もこの中にいたのだろうか。その考えを見透かしたように彼は言い放つ。

 

「君は、黒羽博士の生み出した最初で最後の人造血続のはずだった。だからこそ、生きていてくれてとても嬉しい。よく……生きていてくれた」

 

「それは創造主としての言葉か?」

 

 鉄菜の厳しい声音にリードマンは首を横に振る。

 

「いや……単純にブルブラッドキャリアの、仲間としての言葉だよ」

 

 仲間。しばらく忘れていた感覚である。自分以外に頼るもののない六年間を過ごしてきた。誰一人として当てにならない日々。その戦いの螺旋はまだ終わっていないのだ。

 

「……だが私は兵器だ。戦う事しか出来ない、破壊者なんだ」

 

「そんな事はない……などと、生易しい言葉を振るのには、こちらには立場なんてないのだが。禁忌を犯した、ヒトが扱ってはいけない領域を。……だからこそ、贖罪が欲しい。誰かを救う事が出来るのならば、この手で……」

 

 贖罪、か。誰しも望んでいながら手に出来ないのだろう。

 

 自分は罪を贖うつもりはなかった。むしろ罪と共に生きてやる。

 

《モリビトシン》。その姿が原罪そのものだと言うのならば、罪を飼い慣らす。それこそが、自分が出来る唯一の抵抗だ。

 

「私は、《モリビトシン》の……操主だ。だから戦い抜く。この戦い、逃げるわけにはいかない」

 

「思い詰めているな。それもこれも、こちらの責任と言えばそうなのだが。だが、これだけは考えて欲しい。今の君は、決して一人ではないんだ」

 

 一人ではない。その言葉に自然と桃やタキザワ、ゴロウの姿が思い描かれた。

 

 自分はもう、一人で戦い抜く孤独を背負わなくっていい。

 

 そう思うとどうしてだろうか。少しだけ胸の内が楽になったような気がしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「《モリビトシン》の稼動は我々ブルブラッドキャリアに選択肢を突きつけた」

 

 前を行くタキザワの声音に桃は厳しく言いやる。

 

「それは、報復作戦の実行、という形で?」

 

 こちらへと振り返ったタキザワはフッと笑みを刻んだ。

 

「手厳しいな、相変わらず」

 

「クロを乗せたところで、起動するかも分からないものに賭けたんだもの。信用なるわけないでしょう」

 

 もっとも、それを見透かしていて鉄菜を導いた自分も同罪であったが。

 

『そこまで考える必要性はないだろう。いずれにせよ、鉄菜・ノヴァリスはこちらへの帰還を望んでいた』

 

 ゴロウの言葉振りに桃はふんと鼻を鳴らす。

 

「あんた達って相変わらず、見ているだけなのに傲慢なのね」

 

『傍観者のポジションが正解の場合もある。少なくともこれから見せるものの完成には、傍観者を貫く必要性があった』

 

 無重力ブロックを抜けて行き、辿り着いたのはブルブラッドキャリアの資源衛星の最下層であった。

 

 広く取られた整備デッキは暗黒に沈んでいる。

 

 タキザワがゴロウに、照明を、と言いやると重々しい音と共に明かりが灯った。

 

 一瞬の眩惑の後に視界に入ったのは巨大な船舶である。

 

 海上を行く地上の艦隊勢力と同等か、あるいはそれ以上の規模。砲門を備えたその姿はまさしく戦艦と呼ぶに相応しい。

 

「これは……」

 

「君にも内密で進めていた計画の一つだ。しかし、ニナイ局長はこれを了承している。強襲揚陸艦、《ゴフェル》」

 

「まさか……もう完成していたなんて……」

 

 こちらに目線を振り向けたタキザワは驚くべき事を言ってのけた。

 

「桃。君と鉄菜はこれより、ブルブラッドキャリアを脱退してもらいたい」

 

 その言葉の赴く先の事実に桃は目を戦慄かせる。

 

「どういう……」

 

『上はよく思っていない、という事だ』

 

 口を差し挟んだゴロウは投射画面にデータを弾き出した。

 

 転送されたのはブルブラッドキャリアの議事録である。読み上げた桃は、そこに書かれている事実に震撼する。

 

「まさか……執行者の選定を再考する、って……」

 

「お歴々はあまりに自分達の言う事を聞かない部下に愛想を尽かしている。ならば、言う事さえ聞く操り人形のほうがマシだ、ともね。まだ本決定ではないが、恐らくはニナイ局長でも難しいだろう。その決定は間もなく発布される。《モリビトシン》がせっかく起動したのに、それも含めてのお取り潰しだ。《イドラオルガノン》はあえて地上展開させたのはそのためでもある。彼女らは……第二世代だからね。上には逆らえない可能性もあった」

 

 それゆえに、自分と鉄菜のみ本隊に帰した、というわけか。桃は、議事録を読み進めるうち、一つの疑念に行き当たった。

 

「でも……ブルブラッドキャリアの分裂なんて、それこそ惑星勢力の思うままに……」

 

「それも込みなのだろう。我々が首を縦に振らなければ、地上に売り渡す手はずでも整えていたっておかしくはない」

 

「……反発する下を揃えるよりも、従順な地上と手を組む、か。でも、それって本末転倒なんじゃ……」

 

『いや、そうでもない。ブルブラッドキャリア上層部は百五十年前の報復、という一点のみに囚われた妄執の集団だ。百五十年前の追放を許されるのならば、それでいいのだろう。案外、上はシンプルな価値観を取る』

 

「それは、かつて元老院という支配階級だった事から言える経験則?」

 

 皮肉をぶつけてやると、ゴロウはさぁね、とはぐらかした。

 

「しかし今の地上勢力で最も力を持つのはアンヘルという虐殺部隊。それと手を組む事は僕らとしても反発したい。だからこそ、次の作戦を実行に移して欲しい」

 

 端末へと次の作戦概要が入ってくる。桃は訝しげにその面持ちを窺った。

 

「《モリビトシン》が実戦投入に足るかどうかはまだ微妙なんでしょう?」

 

「ここで足踏みしていれば機会を逃す。ニナイ局長の了解は得ている」

 

 それでも、桃は問い返さずにはいられなかった。

 

「……意味は分かっている、と考えても? ブルブラッドキャリア上層部が敵になる」

 

「我々はオガワラ博士の意思を継ぐ者として、ハッキリしなければいけない。報復作戦を実行するか、そうではないかを。そのための《ゴフェル》だ」

 

 方舟の名を冠する戦艦を横目に、桃は次の作戦の内容を口にしていた。

 

「ブルブラッドキャリア包囲網よりの脱出作戦。タイムリミット付きの電撃作戦が……しかも出たとこ勝負」

 

「無茶は承知だが……今まで無茶を道理でこじ開けてきた執行者ならば可能だろう」

 

「それ、どこまで皮肉なのか分かっていて? ……了解しました。《ナインライヴス》の整備状況は?」

 

「コスモブルブラッドエンジンのリチャージが済んだらすぐにでも」

 

 桃は無重力地帯で地面を蹴った。

 

 眼下に収まった《ゴフェル》の威容に唾を飲み下す。

 

 彼らは本気なのだろう。本気で世界を敵に回した挙句、味方とも戦う。六年前とは比にならないほどの闘争の予感に、桃は絶句していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯181 示された道

 どれほど説得を重ねても無意味、という状況は完全なる停滞を示す。

 

 顔を見せる気もない上層部とのやり取りに、ニナイはいい加減に業を煮やしていた。

 

『ニナイ局長。二号機操主が戻ったようだな』

 

「はい。三時間前に確認しました」

 

『《モリビトシン》……、食わせ物のタキザワ技術主任の道楽か。よく機能したものだ。百五十年前の罪そのものが』

 

 それをどの口が言う、とニナイは並び立つデータの羅列のみの上層部を睨み据えた。百五十年間……元老院と同じ方法で生き永らえてきた罪深い老人達はこの機会を逃すつもりはないらしい。

 

『ならば手は打てるだろう。今こそ惑星への報復を』

 

「簡単には仰らないほうがよろしいかと。惑星側はトウジャタイプの量産を進めています。現状、闇雲に仕掛ければ返り討ちの可能性も」

 

『しかし仕掛けなければ同じだろう。我々は、百五十年と、六年もの間、待ったのだ』

 

『左様。これだけの期間、待つしかなかった人間の精神が理解出来るかね? 今、現場を預かっているとはいえ、君の立場など我々の権限があれば一瞬だ』

 

「……ですが《モリビトシン》はまだ不完全です」

 

『《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》を最大限に利用すればいいはずだ。試算上は勝利出来るだろう』

 

 そのシミュレーションと実戦は違うのだ、と何度言って聞かせたところで老人達は納得すまい。

 

「ですが……我々は何も同士討ちを考えているわけではないはずです。勝利というのは、ただ単に同じ攻撃力で成り立つものではありません」

 

『それをまだ若く、ただの肉体に縛られた君が言うかね?』

 

『人間である事を辞めた我々ほど、君は賢しいとでも?』

 

 辞めたのがまるで賢明であるかのような言い草だ。諦めただけだろう、と言い返したかった。

 

「しかし、ここまで待ったがゆえの、四人なのです。失いたくはない」

 

『六年前の執行者……彩芽・サギサカの末路を思い出すか? もう失態は許されんぞ』

 

『担当官であるのならば、もっとうまく執行者を使うのだな。そうでなければ評価は下がる一方だ』

 

「……執行者は物ではありません」

 

 ちょっとばかしの反発にもお歴々は口を差し挟む。

 

『我らの決定に異議でも?』

 

『申し立てをするのならば手順を踏むといい。その場凌ぎの言い草が、この場で通るとは思わない事だ』

 

「承知しています。……重々」

 

『《モリビトシン》の性能レポートを提出するといい。それが君程度にでも出来る、組織への貢献だ』

 

 お歴々の気配が失せていく。

 

 明かりが点いた会議室で、ニナイは踵を返していた。

 

 廊下に出たところで、執行者である桃と鉢合わせる。

 

「あ……ニナイ局長」

 

「桃……、鉄菜は?」

 

「今、リードマン担当官が。局長は、上に?」

 

 肩を竦める。

 

「理解は難しそうね。このままじゃ、多分《モリビトシン》でさえも使い捨ての道具としか思われないでしょう」

 

「じゃあ、例の件を……」

 

 濁した桃の肩を、ニナイは叩く。

 

「……期待しているわよ」

 

 抜けようとしたニナイを桃が呼び止める。

 

「でも……本当にこれでいいのでしょうか? 鉄菜は帰ってきた。少しくらいは歩みを止めても……」

 

「そうね。でもこちらが歩みを止めればきっと、色んな人間の思惑に雁字搦めになる。それがブルブラッドキャリアとして正しいとは思えない」

 

 何よりも、散っていった者達への報いとして、自分が許せなかった。

 

 これはケジメなのだ。

 

 六年前に彩芽を失わざるを得なかった己の弱さに直面するのに。

 

 ニナイは作戦実行までの時間を概算する。

 

 残り四時間で、大いなる反逆が成されるはずであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 居住区は六年前と代わり映えしないのだな、と鉄菜は歩みを進めていた。

 

 公園があり、近場には地上の居住地域を模した街頭が並んでいる。彩芽と最後に交わした言葉を思い返していた。

 

「……彩芽。お前はどうして、あの時、私に……」

 

 その時、名を呼ばれた。振り返った鉄菜はこちらへと歩み寄る桃を視界に入れる。

 

「……桃。作戦は聞いた。本当に実行するのか?」

 

「そうね。聞けばそういうリアクションになる、か……」

 

 自分も不安ならば桃はもっとだろう。これから先、組織の後ろ盾は期待出来ないのだ。そうなってくれば自ずと世界を敵に回すのには不向きに思える。

 

 沈痛に顔を沈めた桃に、鉄菜は服飾店を指差した。

 

「桃。ウィンドウショッピングとやらを、するか?」

 

 その言葉があまりに浮いていたせいだろう。桃が歩み出てこちらの額に触れた。

 

「……何だ?」

 

「いや、熱でもあるのかなー、なんて」

 

 その手を払い、鉄菜は言いやる。

 

「私は本気だぞ」

 

「本気って……、クロ、六年間で何かあったの? それとも、今さらオシャレに目覚めたとか?」

 

 からかう桃に鉄菜は正直に口にしていた。

 

「……彩芽が、六年前、最後の出撃を前に私を誘ってくれた。それがどういう意図だったのか、未だに分からない。だから反芻すれば分かるかと思っただけだ」

 

 彩芽の名を出した途端、桃は、そっか、と静かに声にする。

 

「もう、六年も前なんだよね。アヤ姉がいなくなってから。……いいよ、クロ。ウィンドウショッピング、しよ」

 

 ただ、自分でも勝手が分からなかった。六年前のように突然訪ねてもいいのだろうか、とまごついていると桃は手慣れた様子で店に入っていった。

 

 こちらが執行者だと分かると、店員は笑顔になる。

 

「ちょっと見ていいですか?」

 

「どうぞ。執行者様」

 

 手招く桃に鉄菜は絶句していた。

 

「慣れているんだな」

 

「そりゃ、クロよりかは、ね。居住区で過ごしたのもそこそこだったし」

 

 居住区での記憶はまるでない。自分は成すべくして《シルヴァリンク》に乗り、地上へと下りたのだろう。そこに何の疑問も挟まず。

 

 今にして思えばどれほどに狭い考えであったか。

 

 ただただ報復作戦のためだけに用意された駒。人造血続、という枷。

 

 どう言い繕っても、自分は戦闘機械なのだ。言い訳なんて通用しない。

 

 そんな自分の表情を盗み見た桃は、一着の服装を自分に当てた。フリルのついた純白の服である。

 

「うん、似合う」

 

「……多分、似合わないと思うが。それにこれはお前の趣味だろう」

 

「モモだって、この六年間で思い知ったし……。自分の身の丈に合う、って言うのかな」

 

「背が伸びた」

 

「もうっ。クロってばそういう事言っているんじゃないって。ホラ、このフリフリつきなのも可愛い!」

 

 鉄菜はまたしても着せ替え人形状態だ。だが、この状況を悪くないと思えている自分に僅かに視線を翳らせた。

 

「……どうしたの? やっぱり、嫌だった?」

 

 窺う桃に鉄菜は首を横に振る。

 

「違う……。彩芽の事を少しだけ、思い出していただけだ。あの時、無理やりだったがこうして、私に似合う服を見繕ってくれた。……結局、服に袖は通さず仕舞いであったが」

 

「……そっか。アヤ姉との大切な思い出なんだね。クロだけの」

 

「私だけの?」

 

 尋ね返した鉄菜に桃は頷く。

 

「クロだけの思い出だよ。それって多分、アヤ姉から何度も言われていた、心って言う奴なんじゃないかな」

 

「心、か……」

 

 どこにあるのか定かではない。六年経っても見当たらない心の在り処。それでも、以前よりかはマシになったのだろうか。

 

 少しでも前に進めているのだろうか。

 

 分からない。分からないなりに、立ち向かっていくしかない。

 

 それが現実だ。破壊者だと己を断じたのならば、その行動に迷いは許されない。

 

「桃。今度こそは、服に袖を通したいと思う」

 

 その言葉に桃の顔が明るくなる。

 

「うんっ! じゃあ、クロにはこの真っ白なワンピース!」

 

「だからそれはお前の趣味だろうに……」

 

 辟易する鉄菜に、桃は引っ付いてくる。六年経っても切れなかった絆。決して衰えなかったものもこの世にはある。

 

 今は、それを信じられるだけでもよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刻限が迫る中、タキザワは無重力ブロックにてニナイと顔を合わせた。

 

 いつになく緊張した面持ちに肩を叩く。

 

「リラックスしなよ。ギリギリまでは僕らだって引きつけ役だ」

 

 ニナイは手を払い、キッと睨みつける。

 

「……随分と能天気ね。それもこれも、頼みの綱である《モリビトシン》が稼動したから?」

 

「手厳しいな……。別に僕は冷血漢というわけじゃない」

 

「それでも、《モリビトシン》が動かなければこの作戦もあり得なかった」

 

「正確には、鉄菜が了承してくれたから、だけれどね。執行者二人が頷いてくれたから、僕らは動ける」

 

「そうでなければ、今でも監視と制裁の中だって?」

 

「思慮の内には入るだろう。……上は相当焦っている」

 

「そりゃそうよね。トウジャタイプの楽園と化した地上。それに宇宙だって資源衛星一個じゃバレやしないとはいえ、手は晒してしまった。敵が来るのは時間の問題」

 

「その前に、《ゴフェル》でトンズラするしかなさそうだ」

 

 仰ぎ見たニナイは最終点検中の戦艦、《ゴフェル》を視界に入れていた。

 

「これが、《ゴフェル》……。我々の方舟」

 

「見た目以上に器用だ。《ゴフェル》は水中戦闘も加味している」

 

「……《イドラオルガノン》の操主からは?」

 

「継続戦闘の定時連絡が十分前に来たばかり。僕らは彼女らを回収する任も帯びている」

 

「いずれにせよ、宇宙で燻っていていいはずもなし、か……」

 

「ただ、《ゴフェル》の完成を急がせたのは他でもない、時代の抑止力なのではないか、と僕は思っている」

 

「時代の……」

 

 濁したニナイにタキザワは言いやる。

 

「新しい息吹と、六年前に失くしてしまったもの。その二つがようやく揃った。《モリビトシン》を操る鉄菜の働きに、期待している」

 

「馬鹿馬鹿しい。あなた達は、いつだって性能に期待しているだけでしょう。働きなんて、まるで人間みたいな事……」

 

「嘘じゃない。彼女らを人間以上だと、思っている」

 

 タキザワの言葉繰りにニナイはため息を漏らしていた。

 

「人造血続なのよ……。鉄菜は自分の宿命を呪いぞすれ、協力なんてする保証は……」

 

「いや、この六年は操主、鉄菜・ノヴァリスを思った以上に人間にしてくれた。今の彼女ならば託す事が出来そうだ」

 

 ブルブラッドキャリアの未来を、と言外に付け加えたタキザワにニナイは冷笑を浴びせる。

 

「言っておくけれど、未来なんてないかもしれない。何せ、ブルブラッドキャリア本隊には、《アサルトハシャ》部隊が何機いるか……。しかも連中、アンチブルブラッド兵装を使いこなしている。純正血塊炉の《モリビトシン》じゃ不利でしょうに。《アサルトハシャ》に抜擢された操主達も、鉄菜達のバックアップのために補填された操主候補生よ。弱いわけじゃない」

 

 それだけはタキザワも懸念事項であった。《アサルトハシャ》部隊は化石燃料とコスモブルブラッドエンジンの混合血塊炉を使用している。アンチブルブラッド兵装を使用されれば、《モリビトシン》は確かに危うい。

 

「でも、そのための執行者二人だ」

 

「桃は協力すると思う? あの子は一番に分かっている。この六年間、どれほど組織が生き意地が汚かったのかを。たとえ離反の道であっても、こっちだってブルブラッドキャリアには違いないのよ」

 

 どちらの道を選んでも、組織の存続という点において桃は満足しないかもしれない。だが、それでも信じてみたいのだ。

 

 鉄菜を追い続け、信じ続けた桃の心を。そして、恐らくは変化した鉄菜自身を。

 

「……信じるのは、駄目なのだろうか。だって、鉄菜も桃も、まだ信じたいはずだ。自分ではない誰かを。そのためにあの最終決戦、最後まで粘った。未来を勝ち取るために。その未来が、暗黒に沈んでいちゃ、いけないはずなんだ」

 

「……最悪の想定を浮かべておく事ね。《モリビトシン》の銃口が自分に向くかもしれない、という事くらいは」

 

 肝に銘じておこう。そう感じてタキザワは時計を目にしていた。

 

 作戦実行まで、残り一時間もない。

 

「……それでも、せめて戦う事の未熟さを、棚に上げたくはないじゃないか」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯182 離反

『外周戦闘か……。まったく、考えなしだな』

 

《モリビトシン》が資源衛星から出た事を察知し、ブルブラッドキャリアの上層部ネットワークは情報を同期する。

 

『少しでもデータが欲しいのだろうがタキザワ技術主任は焦り過ぎだ。トウジャに察知されればどうする?』

 

『前回の戦闘でモリビトタイプの新型という点では割れているも同義。対策を練られればまずいだろうに』

 

『……待て。この《モリビトシン》の機動は……どこかおかしい』

 

『何がだ? 外周戦闘程度……』

 

『違う……。上だ!』

 

 叫びが迸った直後、本隊の資源衛星を激震が見舞う。攻撃されたのだ、と察知した途端、メインコンソールへの全ての経路を隔壁で閉じる。

 

『どうなっている……? 今、監視塔を走らせたが、ここまで誰もいないだと?』

 

『構成員の熱源は? どこにある?』

 

『熱源探知……、別の資源衛星の無重力ブロック……? 《モリビトシン》の稼動実験の場所に、何故……』

 

 さらに一撃、衛星へと《モリビトシン》の銃撃が叩き込まれる。

 

 このままでは何もせずに破壊されてしまうだろう。すぐに指令を飛ばした。

 

『《モリビトシン》! いや、二号機操主! 攻撃対象を誤認している!』

 

 その言葉に《モリビトシン》より通信が接続される。

 

『誤認していない。私はブルブラッドキャリア本隊より離脱する。これは決定事項だ』

 

 馬鹿な、と怒声を飛ばす前に、別の宙域からエネルギー波が放射された。

 

 咄嗟に資源衛星に設置されたリバウンドフィールドを稼動させた上層部は難を逃れた形となる。

 

『……まさか、《ナインライヴス》まで……!』

 

 カメラが捉えた《モリビトナインライヴス》のRランチャーの照射に上層部は怒号を上げる。

 

『貴様ら……誰に反逆しているのか分かっているのか! 創造主への反逆だ! その罪、万死に値する!』

 

『うるさいわね。創造主? 傲慢なのもいい加減にして。モモ達は、あんた達に生み出されたわけじゃない』

 

 Rランチャーの照準がこちらを捕捉するのを、周囲にアンチブルブラッド兵装の煙幕を焚く事で防衛する。

 

 その隙に防御機構を働かせた。

 

 常在している《アサルトハシャ》部隊へと連絡が電撃のように行き渡る。

 

『《アサルトハシャ》第一小隊! 執行者の離反を確認。モリビト二機を殲滅せよ! 繰り返す! モリビト二機を殲滅せよ!』

 

『このような事になってしまって残念だ。二号機操主、それに三号機操主』

 

 煙幕を引き裂いて《アサルトハシャ》が発進する。この六年間でアップデートされた《アサルトハシャ》の攻撃力はモリビトに比肩するはずだ。

 

 プレッシャーガンが矢継ぎ早に放たれ、《モリビトシン》を追い詰めようとする。

 

《モリビトシン》が機体背面をデブリに衝突させた。

 

 隙だらけのその機体へと挟撃が走る。

 

『所詮は、六年間、地上で食い合いを繰り広げていただけのハイエナ! 我らブルブラッドキャリアの実力に及びもしない!』

 

《アサルトハシャ》二機がプレッシャーガンを《モリビトシン》の頭部に照準した。

 

《モリビトシン》は諦めたのか、重火器を手離す。

 

『完全に……こちらを嘗めていたようだな! 旧型血続が!』

 

 その時、両肩のウイングスラスターより、グリップを伸長させ、《モリビトシン》が盾の銃を交差する。

 

 一瞬の出来事であった。

 

 交差した銃撃が《アサルトハシャ》のプレッシャーガンを寸分の狂いもなく、銃口より爆ぜさせる。

 

 武器を失った《アサルトハシャ》が惑うよりも先に、肉迫した《モリビトシン》が盾の銃を剣へと変位させ、胴体を叩き割っていた。

 

 もう片方の《アサルトハシャ》がRランチャーの光軸を受けて塵芥に還る。

 

 茫然自失の上層部へと《モリビトシン》より声が吹き込まれた。

 

『……嘗めていたのはお互い様のようだな。旧型の老人が』

 

『貴様ッ……! 《アサルトハシャ》! 出せるだけ出せ! この場で分不相応な反逆を企てたモリビト二機を完全に破壊せよ!』

 

 その指令と共に資源衛星から《アサルトハシャ》部隊が推進剤の尾を引いて出撃していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『だって……、クロ、相手を怒らせるの得意ね?』

 

「別に怒らせたつもりはない。ただ、《アサルトハシャ》を全機、こちらに向かわせたのならばタキザワ達が動きやすくなるだろう」

 

『案外、大局を見れているのはモモ達ってわけ。で? 何機墜とす?』

 

 構えた《ナインライヴス》へと鉄菜の《モリビトシン》が盾の剣を払う。Rシェルソードの剣筋が灼熱を帯びた。

 

「――知れている。向かってくる敵、全てだ。《モリビトシン》、《アサルトハシャ》部隊を殲滅させる」

 

『やっぱ、そうなる、か。いいわ。《モリビトナインライヴス》! 《アサルトハシャ》を迎撃!』

 

《ナインライヴス》のRランチャーは広範囲を攻撃出来る分、連射には向かない。それを相手も察知しているのだろう。

 

 すぐさま三々五々にばらけた敵編隊を《モリビトシン》で照準する。

 

 片腕のRシェルライフルで牽制の弾幕を張りつつ、《モリビトシン》は手近な敵人機へと接近していた。

 

 両肩に有するウイングスラスターが高機動を補填する。それだけではない。トリニティブルブラッドシステムの生み出した高出力が鉄菜の思い描いた通り――否、それ以上の強さを約束していた。

 

 すぐさま《アサルトハシャ》の背面を取り、その銃撃が背中の推進装置を破壊する。足を止めればこちらのものだ。

 

《アサルトハシャ》の出力はたかが知れている。出撃前に何度かデータを参照したが、どれもモリビトには遠く及ばない。

 

《アサルトハシャ》がプレッシャーガンで応戦してくるのを、鉄菜はフットペダルを踏み込み、臆する事もなく肉迫する。

 

「確かに……性能だけで言えば、六年前のモリビトに比肩する。だが、それは性能だけだ。私達は! 何も性能だけで戦ってきたわけじゃない!」

 

 振り上げたRシェルソードが《アサルトハシャ》を両断する。

 

『助け……』

 

 接触回線に響いた声に鉄菜は瞑目した。今は、感傷に浸っている場合ではない。

 

 相手がたとえ自分と同じような立場だったとしても、自分達はブルブラッドキャリア。その在り方は明日を切り拓くためにある。

 

 ここで潰えるのならばとっくに費えているはずだ。

 

 プレッシャーガンが《モリビトシン》を射抜こうと幾重にも攻めてくる。立体機動で宙域へと入ってくる《アサルトハシャ》は確かに手だれだろう。

 

 だが、ただのそれだけだ。戦い慣れている、という点では自分のほうが場数はどれだけでも上。

 

《モリビトシン》が接近してきた《アサルトハシャ》へと回し蹴りを叩き込む。よろめいた敵人機をRシェルライフルの銃弾が撃ち抜いた。

 

 リバウンドの銃弾は相手に突き刺さればすぐにでも爆ぜさせる。上方へと抜けた《モリビトシン》へと重装備の《アサルトハシャ》が追いすがった。

 

 その身体にハリネズミの如く装備されたミサイルが一斉掃射される。

 

 青い尾を引くそれはアンチブルブラッド兵装であろう。

 

 純正血塊炉で動く《モリビトシン》にとっては何よりの毒。

 

 しかし――、と鉄菜は《モリビトシン》に加速度をかけた。ウイングスラスターを折り畳み、《モリビトシン》が弾丸の如く宙域を駆け抜けていく。

 

 その速度に追いつけず、幾つかのミサイルが途中で暴発する。

 

 何発かは抜けてきたが、ほとんど軌道を見失っているも同義。翻り様に放ったRシェルライフルの銃撃網に抱かれてミサイルが誘爆していく。

 

 青い噴煙を拡張させながらアンチブルブラッド兵装が消失していった。

 

「……来る前に打ち倒せばいいだけだ」

 

 しかし、そこで気を抜いたせいか、咄嗟の接近警告を見抜けなかった。

 

 背面よりプレッシャーナイフを発振させた《アサルトハシャ》がコックピットを狙ってくる。

 

 舌打ち混じりに応戦しかけて、粉塵を掻っ切って肉迫してきた重装備の《アサルトハシャ》を眼前に入れていた。

 

 そうだ。《アサルトハシャ》は混合血塊炉。アンチブルブラッドの効力がある噴煙を物ともせずに突っ込む事が出来るのだ。

 

 気づいた瞬間、回線へと声が弾けた。

 

『もらったァッ! 《モリビトシン》!』

 

「そう簡単に……やらせない!」

 

 突き上げたRシェルソードで上方よりの相手をさばき、瞬時の狙い付けで前方の《アサルトハシャ》へと弾幕を張る。

 

 プレッシャーナイフの射線は逃れたものの、前から猪突してきた《アサルトハシャ》の応戦には間に合わなかった。

 

 衝撃がコックピットの中を激震する。

 

 突撃してきた《アサルトハシャ》から警告音が響き渡った。

 

「自爆警告……? まさか……! どうして、そこまで出来る!」

 

『逆に聞くが……どうしてモリビトの執行者にまで選ばれたのに、裏切るなどという愚策を冒す!』

 

 彼ら彼女らは自分達に成れなかった存在。モリビトの操主選定にあと一歩で届かず、《アサルトハシャ》に搭乗するしかなかった存在。紙一重だ。自分だってそうなっていたかもしれなかった。

 

 その逡巡が鉄菜に引き金を引かせる事を躊躇わせる。

 

 刹那、下方より伸びたリバウンドの光条が組み付いていた《アサルトハシャ》の背部を焼き払った。

 

『クロ! 迷っていたら墜とされる!』

 

 桃の声でようやく我に帰った鉄菜は手元のRシェルライフルを《アサルトハシャ》の胴体に押し当てた。

 

「押し通る!」

 

 声音が弾けると共にRシェルライフルが中心軸の歯車を基点として回転し、剣となって《アサルトハシャ》の血塊炉を引き裂いた。

 

 よろめいた敵人機へと《モリビトシン》は両手のRシェルライフルで銃撃網を叩き込む。

 

『どうして……なんだ。お前らと私達に……さしたる差なんて……』

 

 その声が回線にこびりつき、爆発の光が拡大した。思っていたよりも息を荒立たせていた自分に鉄菜は落ち着くように言い聞かせる。

 

 ――撃たなければ撃たれていた。

 

 戦場ではそれに集約される。撃たなければ、撃ち返されても文句は言えないのだ。それが戦場なのだと何度も思い知ったはずなのに。

 

 それでもここで掠める感傷は、立場など所詮はちょっとした行き違いであるという事実。自分が《アサルトハシャ》の操主になっていたという可能性もあるのだ。

 

 当惑する鉄菜に《ナインライヴス》が接近して肩へと触れた。接触回線で桃の顔が開いて少しだけ落ち着く。

 

『クロ……今はあまり考えないで。《アサルトハシャ》は倒すべき敵なの。もし、ここでモモ達が日和見になれば、どれほどの犠牲があるか、分かるでしょう? タキザワやニナイ、みんなのこれまでの苦労が水の泡になるの。非情になれって言っているわけじゃないけれど、クロ。相手に感情移入だけはしないで。モモ達はモリビトの執行者。相手はそうじゃない。大丈夫?』

 

 そうだ。相手は《アサルトハシャ》。倒すべき敵なのだ。それを理解していないわけがない。非情になれ、という教えも今さらに過ぎない。だが……それでも痛みを覚えてはいけないのだろうか。

 

 どこかで食い違った何かを考えないというのは、それは何もかもを放棄しているのではないか。

 

 今はしかし、そのような熟慮でさえも無意味。

 

 相手は殺すべくして向かってくる。ならば殺し返さなければむざむざ命を明け渡すようなもの。

 

 鉄菜は何度か呼吸を整え、桃へと言いやった。

 

「……大丈夫、だ。桃。私達はモリビトの執行者。《アサルトハシャ》を……撃滅する」

 

 頷いた桃が《ナインライヴス》を離していく。

 

『今は、それでいい。……後でいくらでも咎は受ける。それがモモ達の役目。モリビトの……執行者であるという事!』

 

 Rランチャーの一射が《アサルトハシャ》編隊を爆発の向こう側に消し去って行く。それでもなお向かってくる相手を斬るのが自分の役目だ。

 

 闘志は相手も尽きないはず。当然だ。自分達にないものを相手が持っている。それだけで羨望の対象にはなるのだから。

 

 彼ら彼女らは一生、ブルブラッドキャリアに隷属するしかない。こうやって使い捨ての駒として扱われ、戦えなくなれば自爆特攻でも何でもやらされる。

 

 それが日常であった。それが当たり前であった日々は既に通り過ぎていた。

 

 今の自分は選び取れる。自分の意思で後悔しない選択肢に至れるはず。

 

『クロ!』

 

 鉄菜は呼気を詰め、操縦桿を握り締めた。

 

「《モリビトシン》、鉄菜・ノヴァリス……。《アサルトハシャ》編隊を、殲滅する!」

 

 今はそうとしか選べないのならばせめて苦しまずに。決意した鉄菜の太刀筋が《アサルトハシャ》を両断する。

 

 重装備型の《アサルトハシャ》がアンチブルブラッド兵装のミサイルで追い詰めようとする。

 

 ウイングスラスターを折り畳み《モリビトシン》が離脱挙動に入った。

 

《アサルトハシャ》の追撃の銃弾を鉄菜は《モリビトシン》に受け止めさせる。

 

 両肩に装備されたウイングスラスターを兼ねる盾の表面で銃弾が位相を変えた。浮き上がった弾痕が瞬時に跳ね返る。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 反射した弾丸がミサイルを焼き払っていく。どうやら焼夷弾であったらしい。引火した《アサルトハシャ》が炎に抱かれて沈黙していく。

 

 それでも追撃部隊の足並みは変わらない。

 

《アサルトハシャ》だけならば量産も容易なためだろう。数もほとんど減っていなかった。

 

 しかし、と鉄菜は全天候周モニターの一角に表示されているタイムリミットを見やる。あと三分。それだけ持たせればいい。

 

 両肩のスラスターを逆噴射させ、鉄菜の駆る《モリビトシン》が《アサルトハシャ》三機編成へと割って入った。

 

 突然に減速した《モリビトシン》の挙動は見抜けなかったのだろう。奔った剣閃が三機のうち、二機を行動不能にしていた。

 

 それだけではない。追撃網を抜けた《モリビトシン》は隙だらけな《アサルトハシャ》三機へと照準する。

 

『ま、待て……! 我々は……』

 

「許しを乞うつもりはない。《モリビトシン》!」

 

 引き絞ったRシェルライフルの銃弾が《アサルトハシャ》を撃ち抜いていく。撃墜した《アサルトハシャ》が爆発の光に押し包まれていった。

 

『今一度……貴様らに問う。本当に我々ブルブラッドキャリアの意に沿わぬというのか。それが貴様らの意思か』

 

 上層部ネットワークの問いかけに鉄菜は問い返していた。

 

「ここで許しを乞えば、では今まで通り、というわけでもあるまい。まさかそこまで無知蒙昧だと?」

 

 六年間もたった一人で戦い抜いて来たのはこのような甘言に乗らないだけの精神力を形作った。

 

 自分の意思は自分で決める。

 

 ただそれのみを遂行するために――。

 

『そう、か。残念だよ、モリビトの執行者を……貴重なA判定以上の人間を二人も失うのは』

 

《アサルトハシャ》部隊が一斉に退いていく。何が、と感じる前に資源衛星から発進したのは高機動型の人機であった。

 

 すぐさま《モリビトシン》へと突撃し、こちらへと組み付いてくる。その膂力は今までの《アサルトハシャ》とは桁違いであった。

 

 こちらの斬撃の腕を押し返すだけの馬力に鉄菜は瞠目する。

 

「まさか……この人機は……!」

 

 三つのアイサイトの眼窩が赤く煌き、《モリビトシン》の緑色の眼光と交錯した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯183 方舟は征く

『モリビトタイプ……まさか量産に着手していないとでも思ったかね? トウジャのノウハウは我々に静謐を破るだけの力を与えた! そう! 裏切り者には死を!』

 

 紛い物のモリビトへとほとんど至近の銃撃を見舞うが、そのどれもが見極められ、紙一重で回避されていく。

 

 紛い物のモリビトは背面に長大なサブアームを有していた。甲殻類の節足を思わせるサブアームが展開し、四方八方にリバウンドの光線を見舞う。

 

 鉄菜はウイングスラスターの加速度を自らに課し、戦闘射程から急速に離脱した。それでも相手の速度は全く落ちる事はない。節足を翼のように束ねたモリビトが急加速を得て《モリビトシン》へと追撃する。

 

 その手からRソードの光が瞬き、こちらのRシェルソードと打ち合った。鍔迫り合いの中、相手操主の声が響き渡る。

 

『如何に六年間、戦い抜いたと言っても、その実力は骨董品の人機を操っている程度ではたかが知れる。その能力の振れ幅も』

 

 耳馴染みのある声に鉄菜はRシェルライフルを乱射する。

 

 相手のモリビトが瞬時に距離を取り、下方へと抜けていった。

 

 桃の《ナインライヴス》がRランチャーで照準するもその光軸を相手は回避し様に減速。《ナインライヴス》にまさかの接近戦を挑んでいた。

 

 Rソードと《ナインライヴス》の砲塔に仕込まれていたプレスシールドが干渉波の火花を散らせる。

 

『何だって言うのよ! この人機は!』

 

 桃の悲鳴に、相手のモリビトは即座に背面へと潜り込んでいた。滑るようにRソードを《ナインライヴス》の胴体へと向けようとする。

 

 咄嗟に退いた桃の《ナインライヴス》が攻撃を回避するが、今の動きだけでも鉄菜には相手のモリビトが何を基にしているのか理解出来てしまった。

 

 ――相手の懐へと果敢に潜り込み、近接攻撃を仕掛ける。その手腕はまるで……。

 

 Rソードを振るったモリビトがこちらを睨む。

 

『《モリビトセプテムライン》。このモリビトは第一世代のモリビトの戦闘データを反映して設計されている。殊に、近接戦闘においては、《モリビトシルヴァリンク》の、な。六年間にも及ぶデータが蓄積されている!』

 

 やはり脳裏を掠めた既視感は自分が戦う時のもの。鉄菜は歯噛みする。

 

 まさか自分自身の鏡のような存在と戦う事になるなど。

 

 Rソードを突きつけた《セプテムライン》に桃の《ナインライヴス》がこちらを窺った。

 

『クロ……相手もモリビトなら、あまりこちらの手を出し尽くすのに旨味はないわ。出来るだけ中距離でさばいて離脱。分かっているわよね?』

 

 無論、理屈ではそうだろう。今、ここでブルブラッドキャリア本隊に時間をかけている場合ではないのだ。

 

 ――だが、と鉄菜は相手操主の声音を思い返す。

 

 まるで……かつての自分のような冷たい声。戦闘機械としてしか生きる事を許されていない人間の代物。

 

「……桃。私はここで《セプテムライン》を撃墜する」

 

 Rシェルソードを突き出した鉄菜に、桃はうろたえる。

 

『クロ? 意固地になったって……!』

 

「意固地じゃない。これは……許せないだけだ。お互いに相手の存在が」

 

『それは奇遇だな。こちらも、許すつもりはない。ブルブラッドキャリアの理念を足蹴にする愚か者め。ここで撃滅する』

 

 突きつけられたRソードの勢いは自分と同じ。だがこの六年間で自分は失い、相手が得たものもある。鉄菜は敵を見据える瞳を《セプテムライン》に向けていた。

 

「《モリビトシン》、鉄菜・ノヴァリス。……そちらは」

 

『名乗るほどの名前はない。製造番号457号。人造血続のセカンドステージである』

 

 本当に、それ以外の情報は不必要とでも断じたような口調。鉄菜はここで潰さなければ、彼女はまた繰り返すと感じていた。

 

 ここで正さなければならない因縁がある。ここで倒さなければ、きっと同じ事を組織はやってのけるに違いない。自分達が離反しようとしまいと、人造血続の禍根は絶っておくべきだ。

 

「では……《モリビトシン》。目標を撃滅する」

 

『その台詞はこちらのものだ。《セプテムライン》、離反者を殲滅する』

 

『クロ!』

 

 Rランチャーの光軸を《セプテムライン》は回避し、《モリビトシン》へと果敢に攻め立てる。振るわれたRソードとこちらのRシェルソードがぶつかり合い、干渉波のスパーク光が激しく散った。

 

 一撃で、と叩き込みかけた銃撃を《セプテムライン》は半身になって避けてから、その拳を固めた。

 

 まさか、と思う間に血塊炉を拳で殴りつけられる。

 

「武器があれば……やられていたって言うのか!」

 

『その意味が分からぬほど愚か者でもあるまい』

 

 敵人機を振り払おうとウイングスラスターを畳んで加速度をかけるが、敵も背面の節足を固め、羽根のように構築する。

 

 速度面ではしかしこちらに軍配が上がった。純正血塊炉を三基搭載している《モリビトシン》が振り返り様に剣戟を放つ。

 

 Rソードが片側の剣を弾いたが、薙ぎ払う軌道を描いたもう片方は防ぎ切れまい。

 

 血塊炉を叩き割ろうとした一撃を《セプテムライン》は迷わず左手を突き出して防御した。

 

 左手のマニピュレーターより火花が散り、その指先を両断する。

 

 それでも勢いが殺された事には変わりない。相手の人機が特攻覚悟で《モリビトシン》へと追突する。

 

 鋼鉄の機体同士が衝突し、コックピットが激震した。

 

 照準器が補正値を振る前に《セプテムライン》がRソードを振り上げ、《モリビトシン》へと打ち下ろそうとする。

 

 鉄菜は満身で叫んでいた。

 

「嘗めるな! 《モリビトシン》!」

 

 眼窩を煌かせた《モリビトシン》がウイングスラスターを兼ねている盾を前方に掲げる。

 

 発生したリバウンド重力波が敵人機を無理やり引き剥がした。宙域の中でもがく相手にRシェルライフルの弾丸を掃射する。

 

 手足がもげ、《セプテムライン》を戦闘不能領域まで追い込もうとする。

 

『……機体性能か』

 

 忌々しげに放たれた声に鉄菜は全ての因果を終わらせるべく、Rシェルソードを振るい上げた。

 

《セプテムライン》をコックピットごと両断する。そうと決めた刃が打ち下ろされる瞬間、タイムリミットのブザーが鳴り響く。

 

 資源衛星の陰から現れたのは巨大な海洋生物を思わせる紺碧の戦艦であった。

 

 そこから放たれた支援信号に鉄菜は硬直する。

 

『クロ、潮時よ。《ゴフェル》の警護に回らないと今度はせっかくのお膳立てが無駄になる』

 

《ナインライヴス》が戦闘宙域を離脱していく。鉄菜は振るいかけた刃を仕舞い、身を翻させた。

 

『待て。戦え。殺すのならば殺せばいい』

 

 背後にかかる声を鉄菜は無視して《ゴフェル》の警護任務に入る。先ほどまで散っていた《アサルトハシャ》が攻撃を加えようとするのを《モリビトシン》で決死に防いだ。

 

《ゴフェル》から機銃掃射とリバウンド砲による援護射撃がもたらされる。《アサルトハシャ》を撃墜していく流れと共に通信がもたらされた。

 

『ブルブラッドキャリア本隊に告ぐ。我々は上層部から離脱し、独自行動を取る。舟の名前は《ゴフェル》。希望を載せた舟』

 

 ニナイの宣言に《アサルトハシャ》部隊が艦へと取り付かんと迫る。《ナインライヴス》のRランチャーが塵芥に還し、《モリビトシン》の銃撃が敵人機を悶えさせた。

 

 硬直した《アサルトハシャ》をRシェルソードが叩き割っていく。

 

 確実に敵戦力を削いでいく中、ブルブラッドキャリア上層部の声が宙域に響き渡った。

 

『貴様ら……我々を裏切るというのか。宇宙に追放された我らに居場所など存在しない。惑星へと報復の刃を向け、取り戻すしかないのだ。あの楽園を! それも分からぬ無知蒙昧な連中が、笑わせてくれる。予言してくれよう。貴様らは滅びる。それも自らの放った毒によって』

 

 哄笑が宙域通信を満たす中、鉄菜と桃は《ゴフェル》の甲板に愛機を着地させていた。

 

『行くわよ。鉄菜、桃。何のために戦うのか。それを問い質すための、旅路に』

 

 ニナイの言葉に鉄菜は宙域の《アサルトハシャ》に回収されていく《セプテムライン》を目にしていた。

 

 あの機体は《シルヴァリンク》の機体反映技術が生きている。ともすれば、また刃を交わす事になるかもしれない。

 

 ――その時は迷わず斬る。そう断じる事でしか、今を超えられそうになかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯184 瑞葉救出作戦

 所有物、として扱われると言っても、捕虜の扱いと何ら変わりはない。

 

 違うところと言えば、六年前の扱いは厚待遇であった事を再認識した程度か。手錠がはめられ、首輪のIDで管理されている自分はまさしく、囚われの身。

 

 何度か尋問官に問いかけをされたが、どれも要領を得なかった。

 

 ブルーガーデン技術に関する事、自分という強化人間に関しての研究レポート。どれも関係がなかった。

 

 今の自分を構築するのに、あまりにもかけ離れている。誰かがそうだと言って自分を飾り立てているに等しい言葉達は、皮膚の表層を滑っていくのみ。

 

 それでも尋問官の確認のような言葉には瑞葉は応じていた。

 

「《ラーストウジャカルマ》はもう動かせない。わたしが、動かすのを拒否している限り、誰も。あの機体を動かすのに足る要素が、もうわたしの中にはない」

 

 機械天使であった頃ならば動かす手立てはどれだけでも存在しただろう。しかし、ハイアルファーも使わなくなって六年以上経つ。【ベイルハルコン】が起動するかどうかも不明。そもそも、C連邦は《ラーストウジャカルマ》をまだ所有していた事に疑問が突き立つ。

 

 リックベイならば恐らくはあの人機を廃する方向性に持っていったはず。ならば、あの忌々しい人機が残っているとすれば、それはリックベイ以上の権限を持つ人間が賢しくも残していたという事になる。

 

 彼の努力が全く意味を成さなかった。それだけでも随分とこのC連邦という国家に疑念を挟むのには充分であった。

 

「言っておくが……アンヘルの尋問はこんなもんじゃないぞ」

 

 尋問官が部屋を立ち去り際に言ってのけた台詞に、瑞葉は重く瞼を伏せる。

 

 このまま自分はアンヘルへと身柄を移され、ハイアルファー人機の実験材料にされるのだろう。それくらいは容易に想像がつく。

 

 そこから先は……地獄かも知れない。

 

《ラーストウジャカルマ》に再び乗せられたとして、この六年で培ってきた「瑞葉」としての人格は恐らく消え失せるだろう。

 

 風に翻弄される木の葉の如く、自分という存在は脆く崩れ去る。

 

 この六年間の記憶を反芻して、瑞葉はきつく目を瞑った。

 

 目頭が熱くなる。リックベイとタカフミが自分に「人間」を教えてくれた。人間らしくあってもいいのだと諭してくれた。

 

 だというのに、こんな簡単に終わる時は一瞬なのだと思い知る。

 

 どう足掻いても、抵抗しても、もう帰ってこないのだ。日常も。大切に思えた輝きの日々も。

 

 自分はC連邦の所有物。

 

 所有物は抵抗もしなければ、抗う事もない。

 

 今、こうして考えている人格でさえも、上書きする手はずくらいはあるはずだ。だからこそ、こうして誰かを想えるうちに想っておきたかった。

 

 タカフミが助けに来る事はない。それは分かっている。どれだけわがままになったところで、これはC連邦内部での軋轢。彼は軍人だ。だから決定に異論は挟めない。

 

 だというのに、分かり切っているのにどうして――。涙が頬を伝うのだろう。

 

 タカフミの事を考えれば考えるほどに、熱は止め処なかった。

 

 誰かのために自分を犠牲にする。そんな考え、六年前には持っていなかった。六年前にあったのはただの機械天使としての自分のみ。

 

 相手を殺し、殺し返される世界でのみ生きるのを許されたブルーガーデンの兵士。

 

 だが、今は、そのような日々に戻ってしまうのが堪らなく怖い。もう、天使の羽根は要らなかった。拒みたかった。

 

 だというのに、尋問官が侮蔑と共に告げたのは整備モジュールの再接続への日取りであった。

 

 整備モジュールを接続すれば少しばかり従順になるであろう、という考えなのだろう。

 

 確かに機械天使には戻れる。精神点滴でこのような瑣末事も考えずに済むだろう。

 

 だが、そうなってしまえば、もう二度とタカフミに会えない。タカフミの笑顔に返せない。

 

 タカフミの思いに答えられない。

 

「……助けてくれ」

 

 無駄な言葉だというのは分かり切っている。それでも願ってはいけないのだろうか。考えてはいけないのだろうか。

 

 誰かに、託してはいけないのだろうか。

 

 この胸が張り裂けそうな思いを。自分という人格が六年かけて必死に紡ぎ出した答えでさえも。

 

 もう「瑞葉」である事さえも許されないのならば。

 

 いっその事、死んだほうがマシであった。

 

《ラーストウジャカルマ》を動かすためだけのパーツに成り下がる程度ならば。

 

 ここで自害して果ててもいい。

 

 だが、手錠は固く、首輪のIDが少しでも異常な精神数値を検知すれば敵兵がやってくる。

 

 何も出来ない。

 

 何も行動出来ぬまま、自分は天使に戻るのか。

 

「誰か……助けて……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 連合側のコミューンに戻ったのは何も偽装のためだけではない。

 

 連邦国家内では自分達の足取りは容易く掴めてしまう。だからこそ、リックベイはタカフミを「拿捕」という形で連合側の整備デッキへと送り込んでいた。

 

 それを聞いたタカフミが後ろに続きながら声にする。

 

「それじゃ……少佐が泥を被るようなものじゃ……」

 

「ではあの場で口封じをよしとしたかね? 殺されていても何の文句も言えなかった」

 

 ぐっと言葉を詰まらせるタカフミは、でもと振り絞った。

 

「そんな事をしたら、少佐は二度と……その、昇進のチャンスは」

 

「今さら昇進など諦めている。それに、C連邦の一強となれば連合側の口ごたえなど無意味だろう。わたしが、君を誘拐したというシナリオにするのがどっちにしても手っ取り早い」

 

 部屋に招いたタカフミは暫時、口を開けて呆けていた。三次元図を卓上に呼び出したリックベイは怪訝そうにする。

 

「……どうした? 作戦概要を説明する」

 

「いや……久しぶりだなぁ、って思って。連邦のほうに入ってから随分と……ここには帰っていないなって」

 

「……言っておくがここはわたしの部屋だ。帰る場所ならば家があるだろう」

 

「いやだな、少佐。帰るべくして帰る場所ってのがあるくらい、分かるでしょう」

 

 少しは同意出来てしまうのが癪なところだ。リックベイは事務的な口調に切り替える。

 

「わたしが誘拐したと言うシナリオ上、トウジャは出せん。トウジャタイプに乗っていたなどと後で明らかになれば、君は連邦法で裁かれるだろう。ゆえに、我が方でも型落ちの機体に乗ってもらう」

 

 投げた端末に投射された機体に、タカフミは笑みを刻んだ。

 

「……冗談キツイっすよ、少佐。おあつらえ向きってのはこういうのを言えば?」

 

「どうとでも解釈しろ。君にはそれのスペックを頭に叩き込んでもらい、出撃して欲しい。わたしと君だけのツーマンセルだ。他の軍人を巻き込むわけにはいかないのでな」

 

「でも整備士は? 彼らはどうするんです?」

 

「わたしが脅したとでも証言すればいい。先読みのサカグチに脅されれば後先を考える暇もなかった、と」

 

「……案外、ズルイっすよね。少佐も」

 

「狡猾にいかなければアンヘルに読み負ける。敵の部隊は最新鋭のトウジャタイプ。虐殺天使の名前をほしいままにしている連中の強さを侮っては勝てん。ここは敵の意表を突く。どうあっても勝利しなければならない戦いだ」

 

 卓上に呼び出したのは瑞葉が監禁されているであろう施設の外装であった。監視塔が四方にそれぞれ一つずつ。出撃してくるのは間違いなくトウジャタイプの最新鋭機。

 

 それを相手取るのに、正式採用の機体では後々禍根が残る。

 

 ゆえに、型落ち機。それも、連合からしてみても痛くも痒くもないような機体でなくてはならない。

 

 自分は上官にも部下にも責任を負わせられないのだ。これは自分とタカフミのみの抵抗である。

 

「久しぶりっすよね。この機体で少佐と並ぶのは」

 

「三時間後には出撃する。言っておくが、瑞葉君以外も助けようなどとは思うな。投獄されている全員が無罪というわけでもない」

 

「承知していますって。それに、そんな余裕もないでしょ」

 

 首肯したリックベイは卓上の監視施設を睨んだ。

 

 敵の牙城に踏み込むのにこの兵力では不足。それは分かり切っているのだが、これ以上の力を割く事も出来ない。

 

 畢竟、己の力不足を痛感する。

 

「でも、ありがとうございます。おれらのために、ここまでしてくれて」

 

「勘違いをするな、アイザワ少尉。わたしとしてもアンヘルの動きは気に食わない。それだけだ」

 

 その返答にタカフミは笑みを浮かべる。

 

「相変わらずなんですね、少佐は」

 

「君も、な。一も二もなく乗ってくる辺り、まだ勘は鈍っていないと見える」

 

「当然でしょ。俄然、やる気が湧いてきましたよ。アンヘルに一泡吹かせてやりましょう」

 

「……そのような向こう見ずなところ、嫌いではない」

 

 視線を交し合ったかつての部下は以前までの力強さはそのままに挙手敬礼した。

 

「お供しますよ。地獄の果てまで、ね」

 

「感謝する。アイザワ少尉」

 

 返礼したところで彼は破顔一笑する。

 

「ところで……一個だけ、いいっすか?」

 

「何だ? この機体のスペックに不満があるのならば……」

 

「いえ。違くて。おれ、もう大尉なんです」

 

 リックベイはフッと笑みを浮かべてから椅子に腰かけた。

 

「そうだったな。協力願おう、アイザワ大尉」

 

「どもっす!」

 

 全ては瑞葉を救うため。だが、それだけで終わる事はないだろう。ともすれば、この反抗が少しでも時代の良心に影響すれば。

 

 そう願うのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ゴフェル》内部は思ったより手広い。

 

 何年かけて建造された艦なのかは不明であったが、人機をゆうに十機余りは収容出来る整備デッキの充実に鉄菜は言葉をなくした。

 

「本隊の資源衛星に引けを取らないな」

 

「そりゃ、最新型のモリビトの整備なんだもの。出来ないと困るって」

 

《ナインライヴス》のコックピットから這い出た桃と無重力空間でタッチを交わす。さすがに先ほどまでの戦闘は肝が冷えたのか、桃は汗の玉を浮かべていた。

 

「あのモリビト……《セプテムライン》のデータを統合しておく必要がある」

 

「もう、戦わないかもよ?」

 

「いや、それはあり得ないだろう」

 

 自分の第六感が告げている。あの名もなき兵士とはいずれ決着をつけなければならないと。それが生み出された人造血続の運命のはずだ。

 

 こちらが難しく考えているのを見越してか、桃が顔色を窺ってくる。

 

「あの、さ。別にクロが全部背負う事ないよ。人造血続計画だって上がやった事だもん。クロだけの因縁じゃないって」

 

 そう言われてしまえばそうなのかもしれない。だが、生み出されたがゆえに分かる事はある。彼女は戦うしか選択肢がない。自分と同じく、思い詰めた存在だ。

 

「桃。セカンドステージの人造血続に関して、聞きたい事がある」

 

「それなら、これからブリーフィングルームに行くから、その時にリードマンかタキザワ技術主任にでも聞けば? あの人達のほうが詳しいでしょ」

 

 人造血続計画がどこまでの領域に行っているのかは知らなければ出遅れる。その意識のまま、ブリーフィングルームへと入る。

 

 集っていたのはニナイとリードマン、それにタキザワに抱かれたゴロウであった。

 

「来たわね。先の戦闘、お疲れ様。こちらも最小限の損耗で離脱出来た」

 

 握手を求めるニナイに鉄菜は応じないまま、目線を振り向けた。

 

「聞きたい事がいくつか」

 

『その前に、時間も惜しい。次の作戦の説明に入っていいだろうか』

 

 ゴロウの提言に鉄菜は自分の意見を仕舞った。確かにこの場ではまだ発言すべきではない。

 

 頷いた鉄菜にゴロウは投射画面を呼び出す。

 

 監獄を思わせる威容の建築物が全員から見て部屋の中心地に屹立する。

 

『C連邦の統合施設。有り体に言えば、自分達に都合の悪い人物を秘密裏に監視、処刑するために建造されたものだ。言論統制の敷かれた国家ではありがちだな』

 

「これがどうしたの? 見た限り、モモ達には関係なさそうだけれど」

 

 ニナイは赤縁眼鏡のブリッジを上げる。そういえば、眼鏡など六年前にはしていなかったな、と鉄菜は思い出していた。

 

「バベル……かつてこちらが所有していた強みはどこにあるか、知っている? それは元老院コンピュータの集積地点に用意されていた。つまり元老院こそが、バベルの絶対性を補強するように出来ていた」

 

『君達を排斥すべく掻き集めた情報が、全て筒抜けだったのは衝撃であったよ』

 

 ゴロウの皮肉には誰も笑わなかった。代わりに鉄菜が顎をしゃくる。

 

「ここに、何か重要なものが?」

 

「バベルは無数のサーバーに分けて安置されている。そのサーバーの一地点が、ここ」

 

 示された場所はC連邦の末端地区である。現在のC連邦のコミューンはかつてゾル国や他の弱小国家に編成されていたはず。その地図に記されていた地名に鉄菜は目を見開いていた。

 

「オラクル……か」

 

 国土の名称はオラクル。かつて独立を企て、ブルブラッドキャリアによってその目論見を挫かれた国家の成れの果ては思想犯の投獄施設だとは。

 

 因縁の名前にゴロウが嘆息をつく。

 

『我々としても重要拠点だと思っていたコミューンだ。……これを言えば反発が来るだろうが、かつての元老院は再生人間と呼ばれる人間態のスペアを生成していた。そのスペアが寄り集まっていた場所、と言えばいいだろうか』

 

 その帰結する先にこちらより先に桃が過剰反応した。

 

「まさか……! そんな人を人とも思わない事なんて……!」

 

「だが事実だ。反芻した結果、数サイクル毎に遺伝子組成として同じ人間が構成されていたデータもある。つまり、元老院が世の中を見て回るためだけに量産していた、人間の魔窟」

 

 タキザワの付け加えにゴロウは頭を振る。

 

『……この世の悪のような言い草だな』

 

「実際、悪には違いないだろう。元老院ネットワークはこのオラクルを基点に、再生人間計画を練っていた」

 

 衝撃的な事実であったが、今はそれを糾弾するべき時でもないのだろう。ニナイは先を促す。

 

「その再生人間……、オラクル国土で生まれた人間の脳内には生まれついて生態チップが埋め込まれている。元老院の人格データを流し込みやすくするために」

 

「まさか、この施設はその人達を……?」

 

 桃の疑問にリードマンが応じていた。

 

「解析し、解剖するため……そういう施設だと見ていいだろう」

 

 口元を押さえた桃に対して全員が冷静であったのは、おぞましきその研究でさえも次の作戦実行の際、掻き消されるほどの事実であるのを了承しているからだろう。

 

「どうすればいい?」

 

 端的に尋ねた鉄菜に、ニナイが答える。

 

「地上に残した《イドラオルガノン》は真っ直ぐ次の作戦地……オラクルへと向かっている。合流し、モリビト三機で施設を強襲。再生人間の解析施設を破壊する」

 

「でも……再生人間って言ったって、この人達は何も分かっていないんでしょう? だっていうのに、モモ達が介入すれば……」

 

『世界からは大量殺戮の謗りは免れないだろうな』

 

 結果論として、殺人者に成り果てるのみ。だが、それが泥を被ると決めた自分達には相応しいのだろう。

 

「でも、非人道的な扱いをこのまま継続させるよりかは、まだマシだと思うしかない。それにモリビト三機の合同オペレーションはこれが初になる。出てくるのは、恐らくはアンヘルの最新鋭機……《スロウストウジャ弐式》のはず。トウジャタイプを駆逐するって言うのは《アサルトハシャ》相手とは格が違うと思ったほうがいい」

 

 それは六年間地上の戦地を見てきた自分が一番よく分かっている。《スロウストウジャ弐式》は遥かに敵としての強さが桁違い。《シルヴァリンク》でも逃げに徹するべきだと考えていた相手だ。

 

「でも……仮に破壊工作がうまく行ったとして……その前後は? どうやって《ゴフェル》で逃げ切るというの?」

 

 桃の当然の疑問にゴロウが手を開き、投射画面を切り替えた。《ゴフェル》の全景モニターが表示される。

 

 海洋生物を思わせるそのフォルムは相手の不意をつくためにあるような、攻撃的な姿だ。

 

『《ゴフェル》は大気圏突破性能を持つ。だが、この艦の強みはそれだけではない。陸海空、ほとんど全てに適応した強襲揚陸艦だ。ゆえに、今までの人機戦略を覆せる。《ゴフェル》が目指すべきはここだ』

 

 示されたポイントは六年間、全く閉じなかったリバウンドフィールドの傷口であった。《キリビトエルダー》が皮膜を中和、相殺した結果、今日の技術であってもこの傷痕のみが癒えない。

 

「リバウンドフィールドの穴から飛び込んで、オラクル国土を目指す。空中でモリビト二機は出撃。先んじて張っているであろう《イドラオルガノン》と合流し、これを援護。施設を破壊してもらうわ」

 

 既に布石は打ってあるわけか。鉄菜は現状、この任務に対して特に異議はなかった。

 

 その時、ゴロウが中空を見据える。

 

『これは……新情報だ、皆の衆。今入ったものだが……この施設に収容されている人間のリストの中に気になる人物の名前を見つけた』

 

 ゴロウがタキザワの腕から這い出てころころと転がり、投射画面を自ら書き換える。施設の全容と共に無数の名簿が羅列された。

 

『ほとんどがオラクル市民……だが、数名であるがイレギュラーが。無論、C連邦が推し進める思想統合のために無罪でありながら投獄されている人間もいるのだが……、この人物の経歴を』

 

 照合されたデータと名前に鉄菜は目を見開く。

 

「ミズハ……?」

 

『C連合の内部情報にアクセスすれば自ずと出てくる。このミズハ、なる人物だけ妙に浮いているために追跡情報を掻い潜ったところ……』

 

「危ない事をするなぁ……」

 

 タキザワの感嘆を他所に、ゴロウはデータを次々に洗い出していく。元老院であった頃の習い性であろう。徐々にデータの深部に入っていくのにも躊躇いがない。

 

『……出た。彼女はブルーガーデンの、かつての強化兵だ』

 

 その事実に全員が息を呑んだように沈黙する中、鉄菜だけが、やはりか、と呟いていた。

 

「やはり? クロ、知り合いなの?」

 

「ブルーガーデン潜入時、キリビトプロトとの交戦の際に共闘したトウジャタイプがあった。その操主の名前が確かミズハ、と言ったはず」

 

『だとすれば、恐るべき偶然だな。この女性はブルーガーデンの唯一の生き残りだ。ついこの間までC連邦の研究施設に入っていたようだが、ようやく自由の身になったところを……皮肉な事に我々、ブルブラッドキャリアに対抗するために解析される予定らしい』

 

 自分達が捩じ曲げたのか。歯噛みする鉄菜にゴロウは淡々と事実のみを告げる。

 

「だとすれば……彼女も被害者だって?」

 

『可能性としては、な。だが、どうする? このままでは厄介な操主が生まれかねない。かつてのハイアルファーを備えたトウジャタイプの操主となれば、その実力は折り紙つきのはず。放置しておけば恐ろしい障害となる』

 

 帰結する先は見えている。ニナイは全員の沈黙の意図を読み取ったようであった。

 

「……再生人間と共にこのミズハなる人物も抹殺。そうしなければ再び世界は動乱の中に陥る」

 

 やはりそれが順当な判断なのだろうか。自分達はブルブラッドキャリア本隊からも離脱した身。

 

 余計な芽は早期に摘んでおくのが正しい。

 

 それが正しいのだと、分かっていても……。

 

 鉄菜はかつて、青い地獄の中で共に戦った感触を思い返す。彼女はあの闇の中でも「人間」であった。たとえブルーガーデンの強化兵でも、自ら選択したからこそここまで生き永らえたはずなのだ。それをこちらの手前勝手で摘んでいいとは思えない。

 

「……確認事項は以上よ。モリビトの執行者は三時間の休息を義務付けるわ」

 

 作戦概要はこれまで、と断じたニナイに鉄菜は追いすがっていた。廊下でニナイを呼び止める。

 

 まさか自分が異議を申し立てるとは思わなかったのだろう。ニナイは面食らった様子であった。

 

「どうかした? 鉄菜」

 

「……もし、可能であるのならば。ミズハを救出してもいいだろうか」

 

 自分でもどうしてこのような事を聞いているのか分からない。だが、どうしても譲れない点であった。ニナイは言い含める。

 

「……兵器なのよ、彼女は」

 

「それでも、だ。私も似たようなものに過ぎない。だから助けたい。それでは駄目か?」

 

 暫時、沈黙の後、ニナイは口にしていた。

 

「本当に……桃の言う通り変わったのね、鉄菜。彩芽がいれば何て言ってくれるか……」

 

 感極まったようなニナイは一瞬だけ眼鏡を外して浮かんだ涙を拭ってから、命令の声をこちらに注いだ。

 

「救出作戦を表立っては出来ないわ。でも、鉄菜。《モリビトシン》に余裕があるのならば許可します」

 

「了解した。地上の動きをリアルタイムで知りたい」

 

「それも、送っておくわ」

 

 身を翻しかけた鉄菜をニナイは呼び止めた。

 

「何だ?」

 

「いえ、その……。気を悪くしないで欲しいんだけれど、鉄菜。あなたは戦うだけが道じゃない、と私は思っている」

 

 戦うだけが道ではない、か。自分はしかし、ただの破壊者だ。それに集約される。その道筋で、時折気紛れのように誰かを助けられれば僥倖なだけ。

 

「……だが今は戦うしかない。それが勝ち取るために必要ならば」

 

 そう断じて鉄菜は無重力の廊下を蹴った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯185 交錯の一瞬

『完全に離脱した、か』

 

 声にした上層部は今回のニナイを含む数十名の離反者リストを参照していた。

 

 同期された情報網が彼女らを追い詰めるのは時間の問題に思われたが、今のブルブラッドキャリア全体から鑑みて、逃げた連中を追うのは得策ではない。

 

『なに、従順な駒はまだ揃っている。《アサルトハシャ》も完全に駆逐されたわけではない。むしろ、彼らは我々に必要な泥を被ってくれたと思うべきだ』

 

『《ゴフェル》……あのような艦を建造していたのは読めなかったな。あちら側にあるバベルの断片……元老院のパーツのせいか。意図的に情報が秘匿されていた』

 

『それでも、我々側に落ち度はない。こちらに関しての弱みも。そうであろう?』

 

 上層部の視線を一身に受けるのは漆黒のRスーツに身を包んだ少女であった。傅く少女が面を上げる。

 

 その相貌は離反した鉄菜と全く同じであった。

 

『人造血続計画は次の段階へと移行しつつある。彼奴らは旧式の血続をわざわざ骨董品の人機に搭載しているだけ。我々は違う。最新型の血続がここにいる』

 

『完全に離反者共に一杯食わされたわけでもない。こちらにはリードマン担当官の手記を含め、担当官全員のデータベースが閲覧可能だ。これを基にして最強の血続を造ればいいだけの事』

 

『代わりはいくらでも利く。その点、連中は失策だな。旧型血続と、純正血塊炉三基、それにいつ暴走するかもしれない骨董品人機。分が悪いのはどちらか』

 

『いずれにせよ、決定は決定だ。こちらは静観を貫く。どうせ惑星の者達に区別はつくまい。矢面に立つというのならば立ってもらおう。それこそ有効的にね』

 

『457号血続。君の意見を聞こう。鉄菜・ノヴァリスとの戦闘はどうであったか』

 

 型番で呼ばれた血続の少女は淀みなく感想を告げる。

 

「機体性能だと思われます。あとは、純粋に出力かと。それ以外では負ける気はしません」

 

『結構。ならば次は勝て。言っておくが組織は二度も三度も汚名返上のチャンスを与えるほどに甘くはない。使えないのならば次の血続への繋ぎ手になってもらう』

 

 その言葉振りに少女は恭しく頭を垂れる。

 

「御意に」

 

 その双眸に迷いどころか、何一つ感情は存在していなかった。

 

『足取りだけでも掴んでおく必要はあるだろう。彼らが向かうのは』

 

『惑星のC連邦の末端地……これは……面白い事をやるものだ。因縁の地、オラクルか』

 

 オラクル国土に関するデータが同期され、上層部は皮肉を述べる。

 

『再生人間共の巣窟か。既にC連邦の手が入っていると聞くが』

 

『破壊工作をするのにも旨味はないと思われている。どういう考えなのかは分かろうとも思わないがね』

 

『いずれにせよ、《ゴフェル》の継続監視は怠らず、我々は静観のスタンスだ。こちらに矛が向けば《アサルトハシャ》部隊と《モリビトセプテムライン》で迎撃』

 

『それに、我々には既存のモリビトタイプだけではない』

 

 上層部が中心地に新たなる人機の設計図を呼び出す。新型のフレームは今までのどの人機とも異なっていた。

 

『勝利すべきは我々ブルブラッドキャリアだ。その最終決定のみ覆されなければそれでよい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 骸に乗った死神が青い霧の向こうからやってくる。

 

 そのような迷信が飛び交うのは、やはりどこか前時代的な建築物の佇まいも影響しているのだろう。

 

 海域警護に当たっているのは旧式機の謗りを受ける《ナナツー参式》編隊である。それでも、現状の《バーゴイル》よりかは整備も行き届いており、トウジャタイプを運用するよりもコストは割安。

 

《ナナツー参式》はC連邦政府にとっては安価で兵士を人機に乗せて送り出せる理想の兵器だ。タチバナ博士のお墨付きもあり、C連邦の《ナナツー参式》はベージュの機体色の装甲にごてごてとした長距離武装を運用していた。

 

『なぁ、こんな警戒任務、意味あるのかなぁ』

 

 誰かのぼやきに通信警戒中だぞ、とお手本のような声が返ってくる。

 

『通信警戒って……、海域監視だろ? 何が来るって言うんだよ』

 

『さぁな。噂通り、死神かも』

 

 その言葉にはさすがに笑いが漏れていた。

 

『あのさぁ……、そういう怪談にだけは事欠かないよな、この紺碧の大地でも』

 

『海を渡ってくる人機なんているわけないだろ。それだけの出力を維持しようと思えばそれこそトウジャか、あるいは《バーゴイル》だが、旧ゾル国の人機なんてどれだけ撃墜訓練を積んだか。……目ぇ閉じていても墜とせるぜ?』

 

 海域を飛翔するだけの性能を持つのは最早《バーゴイル》のみ。トウジャならば友軍機であるし、かつてのロンドはほとんど見る影もなく衰退した。

 

 ロンド系列を使用しているのはそれこそジリ貧のコミューンのみだ。《バーゴイル》を買い付けるほどの財力もなく、ナナツーだけでは賄えない戦場にロンドは投入される。

 

 ロンド同士が食い合うかのように潰し合っている戦場を何度か目にした事がある。まさしく弱小同士、ただの喰らい合い。

 

 生産性のない戦闘行為が今も惑星の裏側では行われている事だろう。

 

『参式の眼はいいほうだろ? 警戒海域に入れば、それこそすぐに警報が鳴る』

 

『上から攻められればどうなる?』

 

『どうにもならないさ。内地の《スロウストウジャ弐式》とやらに任せるんだろ?』

 

 この場所の守りを司っている者達にトウジャタイプの搭乗経験はない。トウジャは一部のエリート層に配属される人機であり、未だに下仕官にはナナツーで充分だという認識である。

 

『トウジャかぁ……。なぁ、乗ってみたいか?』

 

『嫌だね。あんなのに乗れば戦場の真っ只中に押し込められる。そうなっちまえば、死ぬのが早いか狂うのが早いか』

 

『俺も同意。トウジャなんてアンヘルの連中が乗っていればいいのさ。人殺し大好き集団』

 

 茶化すと数名が同調して笑ったのが伝わる。

 

『海は今日も平和だねぇ』

 

 海鳴りを聞きつつ、倒したシートに寝そべっていた操主は、不意に劈くように響いた警報に叩き起こされた。

 

『何だ?』

 

『誤認だろ?』

 

『いや、海域を見ろ! あれは……ゾル国の巡洋艦?』

 

 煙る景色の中、こちらへと真っ直ぐに向かってくるのはゾル国巡洋艦のマーカーが施された艦であったが、異質な事にその艦には生命反応がなかった。

 

 シグナルも消失しており、ゾル国巡洋艦で「あった」という識別信号のみが存在している。

 

『おいおい、幽霊船か?』

 

 長距離砲を保持した《ナナツー参式》編隊が目標を狙い澄ます。さすがに内地に侵攻されればこちらの立つ瀬もない。

 

 射線に入ったところで迎撃。何度も諳んじたその行動に、割って入ったのは識別不能人機の反応であった。

 

『不明人機……? あの艦に……?』

 

 一人の操主が長距離狙撃用のバイザーを覗き込む。

 

 朽ちた巡洋艦の上に一機の人機が佇んでいた。背面に亀の甲羅のような意匠を身につけ、灰色と緑のカラーリングに彩られている。

 

 その人機が不意にこちらを見据えた。オレンジ色の眼光に、ひっ、と短く悲鳴を漏らしたのも一瞬。

 

 不明人機は骸の艦を蹴りつけた。

 

 直後、滑空砲の一撃が巡洋艦に突き刺さる。《ナナツー参式》の長距離砲を受けてゾル国の艦が轟沈していった。しかし先ほどの人機が見当たらない。

 

 どこへ、と首を巡らせた操主達へと青白い尾を引くミサイルが地面に突き刺さった。

 

 着弾したミサイルから霧が放射される。それに併せて《ナナツー参式》の動きが鈍くなった。システムが次々にダウンし、センサー類が点滅を繰り返す。

 

『これは……! まさか、アンチブルブラッド兵装? 人機がどうして……!』

 

 その疑問に応じる前に、発振された緑色のリバウンド刃が《ナナツー参式》の胴体を叩き割った。

 

 滑り込むかのように懐に入った不明人機がキャノピー型のコックピットを的確に潰していく。

 

 その背面に狙撃するも、甲羅型の背中が拡張し、砲弾を着弾時に跳ねさせた。

 

『まさか……その武装は!』

 

『リバウンド、フォール!』

 

 弾けた声音と共に砲弾が一斉に反射される。《ナナツー参式》編隊はほとんど全滅もいいところであった。

 

 数名のナナツー乗りが離脱しようとして、新たな接近警報に目を見開く。

 

『別働隊か? 何機いるんだ……?』

 

『確認出来るだけでも二機……、いや、このシグナルは奇妙だ!』

 

 叫んだ操主に問い返す前に参照データが呼び起こされた。

 

 その機体名称に兵士達が戦慄く。

 

『どうして……。だってこの二機は、確か……!』

 

 刹那、焼夷弾が投げ込まれた。煉獄の炎に抱かれた《ナナツー参式》へと長距離滑空砲が見舞われる。

 

 それを放った人機はたった二機。

 

 紫色のパーソナルカラーに彩られたナナツーと、濃紺のカラーリングのナナツーである。

 

 どちらも存在は知っている。C連邦兵からしてみれば伝説の代物だ。

 

『《ナナツーゼクウ》と、《ナナツー是式》……。まさか、先読みのサカグチの機体だと……!』

 

 紫色のナナツーが粉塵を踏み締めて腰に装備した実体剣を構える。おっとり刀でブレードに持ち替えた《ナナツー参式》はその剣と打ち合った。

 

 しかし明らかに相手の膂力、さらに言えば技量が上。

 

 押し返された《ナナツー参式》の胴体を《ナナツーゼクウ》が叩き砕く。

 

『……未熟』

 

 その通信網を震わせた声も、まさしくリックベイ・サカグチそのもの。

 

 C連邦兵は突如として現れた不明人機と二機の伝説のナナツーを結びつける事も出来ぬまま、一機ずつ撃墜されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ? 蜜柑。ナナツーなんて作戦の中にあったっけ?」

 

「いや、なかったと思う……。何でなんだろ。あの二機、C連邦のナナツーと戦ってるよ?」

 

 林檎は緑色の髪を掻いて不明な事柄から目を逸らした。

 

「まぁいいや。敵機が減ってこっちもラッキー」

 

「もうっ、林檎は楽観的過ぎだよ。あのナナツーが敵に回るかもしれないんだよ?」

 

「別にナナツーなんて《イドラオルガノン》の敵じゃないじゃん」

 

 口笛を吹いてみせる林檎に蜜柑はほとほと呆れたようであった。

 

「……目的の分からない人機の動きがあれば、少しでも慎重になったほうがいいね」

 

「どうせ上から応援が来るんでしょ? 待ってりゃいいのに」

 

「そうもいかないよ。実際、ブルブラッドキャリア本隊から逃れるのだって必死だろうし。……どれくらいの損耗なのかも分かんないし」

 

 思案を浮かべる蜜柑の後頭部を林檎は蹴りつけた。周辺警戒のバイザーを覗いていた蜜柑が涙を浮かべて抗議する。

 

「もうっ! 何するの! 林檎!」

 

「いや、難しい事ばっか考えているからさ。そんな必要ないんじゃない? ってほぐそうとしただけ」

 

「ほぐすのに頭蹴らないでっ! そんなだから林檎のオペレーションは不安なんだよ」

 

 妹の諫言に林檎はむすっとする。

 

「海岸沿いのナナツーはあらかた片づけたけれどね。……ボクの《イドラオルガノン》が」

 

「ミィ達の、でしょ。一人じゃ何も出来ないくせに」

 

「ガンナーがいなくたって、ナナツーくらい」

 

「どうだか。照準補正も出来ない林檎じゃ、最初の長距離砲も避けられていたか」

 

 蜜柑との言い合いを続けていても始まらない。林檎は戦場を俯瞰した。

 

「……これ、どう見る?」

 

「ナナツー同士が戦っている。どっちに味方すればいいのかはよく分かんない」

 

「じゃあ、ここは喧嘩両成敗といく?」

 

「簡単に言わないで。《イドラオルガノン》単騎じゃあのナナツーの……特に紫色のブレードアンテナの奴、墜とせないよ」

 

 確信に満ちた声音に林檎は尋ね返す。

 

「そのこころは?」

 

「近接格闘においてずば抜けている。あんなの、中距離向けのD装備のままの《イドラオルガノン》じゃ押し負けちゃう。近接支援型の武装に切り替えれば、もしかしたらだけれど」

 

「それでも勝てる確率は?」

 

「五分五分……かな。あのナナツー、とんでもないよ。随伴しているもう一機もそう。あの動き、ナナツーじゃないみたい……」

 

 蜜柑がそれほどまでに脅威に上げているとなれば下手な手出しは出来ない。林檎は両手を上げて叫んでいた。

 

「あーっ! つまんない、つまんないーっ! ゾル国の巡洋艦を攻め落としてここまで海路を行ったのに、足止め? そんなのってないよ」

 

「喚かないで、林檎。ミィだって辛いもん」

 

「じゃあさ。当初の目的通り、施設を攻め落とすのは? それもダメなの?」

 

「今は……様子見かな。桃お姉ちゃんが降りてくればまだ動けるけれど」

 

「桃姉遅いーっ! 早く降りてきてよーっ!」

 

 足をばたつかせた途端、照準警告が幾重にも鳴り響く。いつの間にか敵の第二陣がこちらを射線に入れていたらしい。

 

 慌てて操縦桿を握った林檎は近場の地面に着弾した長距離砲に動きを遮られる形となった。

 

「……蜜柑が警戒を怠るから」

 

「ミィが? 林檎がうるさいからでしょ!」

 

 喧嘩をする前に敵の長距離砲は確実に《イドラオルガノン》を照準している。二人はお互いに目線を交わして、何度か深呼吸した。

 

「落ち着いて……喧嘩している場合じゃ」

 

「ない。林檎、ここから逃げ出すのには少しばかり手間取る。近接格闘と敵の弾道予測を任せるから、後は」

 

「こっちの領域だ!」

 

 アームレイカーを引いた林檎の動きに同期して《イドラオルガノン》が跳躍する。亀甲型の背部コンテナが開き、内側からアンチブルブラッドミサイルを掃射した。

 

 着地点にいるナナツーに林檎は声を張り上げる。

 

「退けェッ!」

 

 振り上げたRトマホークの一閃がナナツーを両断した。しかし矢継ぎ早に照準警告がコックピットの中を劈く。

 

 舌打ちした林檎が次の獲物を狩ろうした瞬間、ピンク色の光軸が空より放たれた。

 

 ナナツーが塵芥に還っていく。その攻撃の主を、自分達は知っている。

 

「降りてきてくれた! 桃姉が!」

 

 こちらへと真っ直ぐに降下してくる《ナインライヴス》と、もう一機。両肩に盾を装備したモリビトタイプを二人は確認していた。

 

「あれが……暴走していた例の……」

 

「《モリビトシン》、か」

 

《モリビトシン》が肩口から盾型の武装を取り出す。歯車の基部を中心に回転した武装が銃器となり、地上のナナツー部隊へとリバウンドの弾丸を浴びせた。

 

 牽制の銃撃にナナツー部隊が火線を張る。その中を果敢に進み、放射されたミサイルの弾幕に《モリビトシン》の姿が掻き消える。

 

「まさか、早速撃墜?」

 

 否、そう見えただけだ。

 

 噴煙を引き裂き、《モリビトシン》が武装を振り翳す。銃器に見えた扁平な武装にリバウンドの灼熱が宿り、降り立った瞬間、ナナツーを叩き割った。

 

 後ろに回り込んだナナツーへとまるで目があるかのように滑るように接近し、下段から剣閃を浴びせかける。

 

 よろめいたナナツーに《モリビトシン》は武装を変形させて銃弾を見舞いつつ、後退。近場のナナツーが必死に機銃で応戦するのを、《モリビトシン》は剣の盾で弾丸を弾きつつ、そのまま打突でキャノピーのコックピットを貫いた。

 

 その在り様、戦闘の研鑽は紛れもなく、強者の佇まい。

 

 桃から聞いていた以上であった。《モリビトシン》の操主――鉄菜・ノヴァリスは数秒と経たずナナツー三機を撃墜する。

 

「すごい……」

 

 感嘆の息を蜜柑が漏らす。林檎は歯噛みしていた。悔しいが、近接戦は遥かに鉄菜のほうが上手を行っている。

 

 あれが六年間……ブルブラッドキャリアの支援なしで戦ってきた猛者だというのか。

 

『林檎、蜜柑? 二人とも無事?』

 

 桃が通信ウィンドウに現れ、茫然自失だった二人は慌てて声を吹き込む。

 

「う、うんっ! 何とか」

 

「桃姉、そいつが……」

 

 桃は首肯する。

 

『ええ。クロ、施設に強襲をかけるわ』

 

『了解した。しかし、もう施設警護のナナツーは出撃しているようだが』

 

 冷たい声音であった。まるで冷水を浴びせかけられたかのように。

 

『まだトウジャが出てくる。それに……何か妙ね。既に戦端が開かれているなんて』

 

 降り立った《ナインライヴス》がRランチャーを構え周辺を警戒する。《イドラオルガノン》を駆け抜けさせて合流しようとした、その時であった。

 

《モリビトシン》がこちらに向けて疾走する。何が、と思う前に剣がこちらに敵意と共に向いた。

 

 まさか、と林檎は瞠目する。敵味方識別も出来ないのか、とRトマホークを掲げかけたその瞬間、《モリビトシン》の剣筋が閃き、《イドラオルガノン》の背後に迫っていた《スロウストウジャ弐式》を突き飛ばした。

 

 無様に転がった《スロウストウジャ弐式》であったが、すぐに体勢を立て直してプレッシャーソードを所持する。

 

 その腕を《モリビトシン》の二の太刀が引き裂き、宙に舞った腕が落下する前に、もう片方の盾から顕現させた剣が敵人機を袈裟切りにする。

 

 交差した刃に相手の人機はよろめきつつ、その場に突っ伏した。

 

『警戒を怠るな。トウジャタイプが出てきている』

 

 今の一瞬、林檎は撃たれるかと思っていた。どっと湧いた汗に動悸が早鐘を打つ。

 

 了解、の声を吹き込むと、《モリビトシン》は施設の強襲任務へと入っていた。

 

 あれが――鉄菜・ノヴァリス。

 

 自分達より前の世代の血続。

 

 林檎は味方でありながら恐れるべきものを目にしたような心地でアームレイカーを握り締めていた。

 

「……あんなの、抜き身の刀だ」

 

 言い捨てた林檎は操縦桿を引き、《イドラオルガノン》を跳躍させる。

 

 これから先、あの操主と共に戦わなければならない、という事実に忌避の念が黒々と胸の中に染み渡っていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯186 希望の指先

『トウジャタイプが出てきていますね……ヤッベェな……こりゃ』

 

 タカフミの報告にリックベイは久方振りの《ナナツーゼクウ》を走らせる。機動力こそトウジャに劣るものの、汎用性では他に比肩する者のないナナツーの実力は依然として有効。

 

 何年も振るっていなかった刃も、身に馴染むのは早い。実体剣が外周警護の《ナナツー参式》を切り裂く。これだけで重罪人。祖国に刃を向けたも同義。だが、それでも果たさなければならない大義がある。そのためならばここでは死ねなかった。

 

「アイザワ少尉。《ナナツー是式》の調子はどうか。まさか、久しぶりのナナツーで手足がうまく動かぬとは言うまいな」

 

『冗談、っしょ!』

 

 組み付いていた敵人機をタカフミの《ナナツー是式》がプレッシャーライフルで打ちのめしていく。相手の《ナナツー参式》とて型落ちとまでは言えないはずだ。整備は行き届いている相手に対してこちらは何年も乗っていなかった愛機同士。たった二機による反逆はしかし、この時思いのほかうまく事が進んでいた。

 

 それには恐らく、もう一つの理由があるに違いない、とリックベイは分析する。

 

「少尉。気づいているか?」

 

『ええ、新兵共が浮き足立っています。これ、何かでかいのが来ているって証拠ですよね』

 

 施設警護の《ナナツー参式》は機体状況こそ最新型だが、乗っている兵士の熟練度は低いはず。

 

 彼らが浮き足立つ理由を、自分達はそれほど多く知らない。

 

 加えてトウジャが先ほどから出撃しているにも関わらず、ナナツーである自分達には全く見向きもせず、海岸沿いへと戦力を注いでいるのは一つしか考えられない。

 

「ブルブラッドキャリア……まさかこのタイミングで、か」

 

『こっちに都合よく考えるなら、モリビトに気が削がれている間がチャンスでしょ』

 

 その通りであったが、《ナナツーゼクウ》では一秒も油断出来ない。《ナナツー参式》部隊がミサイルの放射を見舞い、こちらの足を潰しにかかってくる。生憎、トウジャのように飛翔も出来ない陸戦型の機体ではミサイルの誘導弾頭を無効化も敵わない。

 

 ただ無様に足を止め、タカフミがプレッシャーライフルで敵の注意を引いた時に自分は肉薄、その隙を断つのみであった。

 

 刃が下段より振るわれ、《ナナツー参式》の腕を吹き飛ばす。返す刀で血塊炉を切り裂いた。

 

 殺しはしない。だがそれは出来るだけ、というエゴそのもの。殺さずに相手を生かしたまま無効化するほどこちらはよく出来てはいない。それに武装を殺したところで、敵人機そのものは生きている。敵の戦力が完全に消えたわけではない。

 

 戦場において非殺しの誓いなど、一番に不合理的で、なおかつエゴの塊だ。

 

 自分達はエゴを背負ってここまで来た。裁かれるのを覚悟して来たのだ。ならば、綺麗事で飾り立てるつもりもなし。

 

 零式抜刀術が奔り、十機目の《ナナツー参式》を撃墜した。さすがに息が上がってくるのは久しく操主をやってこなかったからか。《ナナツーゼクウ》はトウジャとは違いマニュアルの部分が大きい。そのせいで余計に神経を使い潰してしまう。

 

 タカフミの《ナナツー是式》も似たようなものらしい。いつもならば機動力で翻弄出来る距離でも、《ナナツー是式》ではそれは死線に近い。出来るだけ相手との距離を取りつつ、隙が生じれば格闘戦術に切り替えるだけの頭があるだけマシだろう。

 

『瑞葉のいるブロックは……』

 

 事前に情報を仕入れてこなかったのは、この出撃そのものを止められてしまえば本末転倒である事もあるが、何よりも事前情報が当てになるとは思っていなかった。情報は統括されて久しい。こちらからアクセスすれば禍根の芽は早期に摘まれる事だろう。強襲も儘ならないのでは意味がない。

 

《ナナツーゼクウ》の進行方向に照準警告が入り、急制動用の推進剤を焚かせる。現れたのは《スロウストウジャ弐式》の三機編隊だ。

 

 ほとんどがモリビトの警戒に出ている以上、これが限界であるに違いない。

 

「アイザワ少尉。この三機さえ突破すれば恐らくは行けるはず。今一度気合いを入れ直せ」

 

『了解です。……あと少佐、おれ、大尉ですよっ、と!』

 

 タカフミの《ナナツー是式》がブレードに持ち替え、眼前の《ナナツー参式》を突き飛ばす。

 

 接近してきた《スロウストウジャ弐式》にリックベイはまず、機銃掃射で応戦した。

 

 しかし実体弾はほとんど弾かれてしまう。それは乗っていれば身に沁みて分かっている事だ。トウジャタイプの装甲は並大抵ではない。ならば破る手段は自ずと限られてくる。

 

 リックベイは弾切れになった機銃を捨て、実体剣のみを両手で構えた。正眼の構えから、《スロウストウジャ弐式》と相対する。

 

 プレッシャーライフルの一射が注がれ、地面が陥没した。加速用推進剤を用い、一時として同じ場所に留まらないように機動する。敵人機がプレッシャーソードを手に刃を打ち下ろそうとする。

 

 実体剣を掲げ、その太刀筋を受け止めた。干渉波のスパークが散る中、キャノピー型のコックピットに減殺フィルターがかかる。

 

 一撃は重い。

 

 トウジャタイプの攻撃力はナナツー四機以上に相当する。踏み締めた大地に少しずつ脚部が埋まっていくのを感じた。

 

 このまま地に縫い付けられるか、と予感したリックベイであったが、次手によってはこちらの優位に転がる。

 

 ――さて、どう出る、と銀狼の勝負勘が極まった。

 

 下唇を舐めたリックベイは敵人機が次の一撃の補強のために、一度刃を離したその隙を見逃さない。

 

 雄叫びと共に急加速をかけ、相手の懐に飛び込む。敵は当然の事ながら、こちらを引き裂こうとするだろう。

 

 しかし、トウジャの射線は自分にとっては読み切った代物。完全に懐に入ってしまえば、プレッシャーソードの刃は届かない。リックベイは《ナナツーゼクウ》の袖口から隠し剣を出現させる。

 

 袖から射出された刃が《スロウストウジャ弐式》の血塊炉を打ち砕いた。

 

 青い血を噴き出させながら敵人機がよろめいていく。その首筋に向けてリックベイは実体剣を軋らせた。

 

 満身から放つ殺意が刃となって顕現し、《スロウストウジャ弐式》の首を狩る。生き別れになった《スロウストウジャ弐式》の頭部から青い血が雨のように降り注いだ。

 

 剣筋を払い、《ナナツーゼクウ》は次の敵を睨む。

 

 しかし、そうするまでもなかった。

 

 もう一機はタカフミが応戦しており、プレッシャーライフルで五分五分の戦いを繰り広げている。

 

『トウジャがどれほど速かろうとよ! その動きのクセまでは失くせないはず!』

 

 空中機動の相手に対して、陸戦の《ナナツー是式》が優位に立ち回る。敵の銃撃は命中しないのにこちらの射撃は当たる事に相手は困惑している事だろう。その困惑の隙をタカフミは逃さない。肩口に装備した電撃ワイヤーが射出され、放たれた高圧電流に《スロウストウジャ弐式》が痙攣する。下降した相手へとタカフミは雄叫びを上げてブレードを奔らせた。相手人機の胴体が断ち割られ、血塊炉の血飛沫が舞う。

 

『これであと一機! どう来るよ!』

 

 空中から戦場を俯瞰していた最後の一機が身を翻した。敵前逃亡であってもその行動は納得出来る。型落ち品のナナツーでトウジャタイプを圧倒する相手など。

 

『あれ……? 追ってこないのか』

 

「アイザワ少尉。これで戦端は開けたはず。あとは雑兵を蹴散らしつつ、瑞葉君を助けに行くぞ」

 

『了解です、少佐! ……あ! またおれの事、少尉って!』

 

《ナナツーゼクウ》が施設に接近しようとする中、不意に《スロウストウジャ弐式》が前方へと割り込んできた。

 

 両肩に盾を持った新型のモリビトが剣筋で敵人機を追い詰める。相手はモリビトに圧されて施設まで後退してきたのだろう。

 

 厄介な、とリックベイは毒づく。

 

 モリビトとブルブラッドキャリアの目的も、この施設にあるというのか。

 

 新型機が敵人機を両断し、施設へと銃弾を見舞う。相手には施設のどこに人がいてどこに人がいないのか分かっているのか。それとも無差別か、と考えてリックベイはその射線に《ナナツーゼクウ》を挟み込ませた。

 

 実体剣を振り上げ、新型モリビトへと襲いかかる。相手のモリビトが奇異な形状の剣を下段より振り上げた。ぶつかり合った剣筋がスパークの火花を散らせ、お互いに剣閃を交わす。

 

「ここまで来たのだ……! 邪魔はさせんぞ、モリビト!」

 

 モリビトの三つの眼窩が煌き、もう一方の手より銃器に可変していた剣を打ち下ろそうとする。

 

 袖口に装備していた短剣で弾き返すと、モリビトは飛翔してこちらの返す刀を読み切っていた。

 

「この太刀筋……、どこかで……」

 

 既視感を覚えつつも、リックベイはここで優先すべき順番を間違えない事だ、と自分に言い聞かせる。

 

 ここで打ち間違えれば自分達の敗北へと容易に繋がってしまう。それだけは避けなければならないシナリオのはず。

 

 慎重に、と後ずさりかけて、巨大な砲門を持つモリビトが一条の光軸を放った。

 

 光の中に消えていく《スロウストウジャ弐式》の追撃部隊を目にし、両盾のモリビトが下がる。

 

 その腕が施設に押し込まれた。

 

 何かを掴んだモリビトが飛翔し、離脱機動に移ろうとする。これで目的を果たしたとでも言うように。

 

 まさか、とリックベイは慄いた。

 

「相手の目的も……瑞葉君であったというのか……」

 

 いや、その可能性もあり得る。瑞葉は強化兵。復活を目論むアンヘルやC連邦の出端を挫くのには抹殺も加味されているべき。

 

 自分達のほうが甘かった。この状況では歯噛みするしかない。

 

『少佐! あれ、瑞葉なんじゃ……』

 

「残念だが、相手も同じ目論見であった、と思うべきか。瑞葉君の奪還か、あるいは施設への強襲任務か。いずれにせよ、深追いは出来ない。我々はナナツーでしかないのだ」

 

『納得出来ませんよ! おれ、追います! 瑞葉があそこにいるんなら!』

 

《ナナツー是式》が無茶無謀を通り越してプレッシャーライフルとブレードのみでモリビトと打ち合おうとする。

 

 巨大な砲門を持つモリビトが立ち塞がり、その進路を妨げた。

 

『退けよっ! モリビトォ!』

 

 無論、相手とてそう容易く退くはずもなし。ここで間違ったのは自分達であったと認めるしかなかった。

 

「アイザワ少尉……、悔しいが退却を。施設の半壊を受けて、アンヘルの実行部隊がやってくる。連中相手ではナナツー程度ならば児戯にも等しいだろう」

 

『ここで退けって言うんですか! 瑞葉をあいつらにむざむざ渡して……退けって!』

 

「……これは決定事項だ。タカフミ・アイザワ大尉」

 

 重苦しい声音で返すとさすがにタカフミも納得したらしい。プレッシャーライフルを速射モードに設定して放射しつつ、敵人機から離れた。

 

 リックベイも撤退に入っている。自ずとその拳がコンソールを叩き据えた。

 

「ここまで来ておいて……、むざむざ、か。悔恨は滲むな」

 

 瑞葉を助けられなかった。それだけが二人の間に重く沈殿した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パッケージを入手した。私はいつでも撤退していい」

 

『了解、クロ。レーダーに一個小隊の反応がある。多分、アンヘルね』

 

「相手取っている場合ではない。一度、下がるべきだ」

 

『それには同意。林檎、蜜柑、あんた達もよ』

 

 言葉を振りかけられて《イドラオルガノン》に収まる操主二人は、バルカンを放射しつつ敵人機より離脱する。

 

《モリビトシン》が飛翔し、それに続いて《ナインライヴス》、《イドラオルガノン》がそれぞれの帰投コースを描いた。

 

《ナインライヴス》は陸路を、《イドラオルガノン》は海路を行く形だ。

 

「驚いた……水中戦特化なのか、あのモリビト」

 

 その事実もそうだが、《モリビトシン》の手の中にある一つの命もそうであった。

 

 手錠をはめられた一人の女性。灰色の髪に灰色の瞳が射る光を灯す。

 

 これが「ミズハ」。あの時、自分と共闘した相手か。

 

『何のつもりだ……、ブルブラッドキャリア……!』

 

 さすがに因縁が勝るのだろう。鉄菜は声を吹き込んだ。

 

「強攻策を取ってすまない。しかし、放ってはおけないと私が判断した」

 

『その声は……青いモリビトの……。まさかクロナ、か?』

 

 相手も覚えていたとは予想外だ。自分だけあの戦場を見ていたのだというのは早計だったのだろう。

 

 鉄菜は《モリビトシン》の頚部コックピットハッチを開き、自動操縦に設定した《モリビトシン》から這い出た。

 

 六年越しの双眸がお互いを見つめる。

 

 相手を実際には見た事もないはずだ。それでも、一度の交錯だけで何かを感じ合えたのは確かである。

 

「ミズハ。私はお前が捕まっているという情報を得てこの作戦における救出を提言した」

 

「クロナ……。生きていたとは。青いモリビトを含め、ブルブラッドキャリアは事実上、壊滅したとばかり……」

 

「生き意地が汚かっただけだ。コックピットに入れ。高高度を行く」

 

 それだけで承認が取れたのだろう。《モリビトシン》の手がコックピットハッチ付近まで上がり、鉄菜はその手を取っていた。

 

 六年前には憎しみ合い、殺し殺されの世界でしか生きていけなかったブルーガーデンの強化兵。それが巡り巡って自分と手を繋ぐなど思ってもみない。

 

 コックピットに入ったミズハは口火を切った。

 

「……敵兵をコックピットに招くなど」

 

「もう、敵でもないのだろう。アンヘルによって幽閉されたと聞いている」

 

「……お見通しか」

 

「上がるぞ。人機にしばらく乗っていないのならば高度で耳が一時的に聞こえなくなるかもしれない」

 

 鉄菜はアームレイカーを引いて《モリビトシン》を高高度飛翔機動に入らせる。

 

 ミズハは黙ってついていた。

 

「……不思議な心地だ。あれだけ憎み、倒す事のみを考えていたモリビトに、まさか救われるなんて」

 

「私も、だ。幾度となく《シルヴァリンク》と私に立ち塞がっていた操主をい、まさか助ける側になるとは」

 

 互いに数奇な運命の巡り合わせが生んだ奇跡であった。

 

《モリビトシン》がウイングスラスターを折り畳み、加速度をかける。《ゴフェル》との合流軌道を描いた《モリビトシン》は青く錆び付いた地上を俯瞰した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『施設は半壊……、こちらの解析部隊はほぼ全滅、か』

 

 通信に吹き込んだ隊長の声に燐華は大破した友軍機を目にしていた。モリビトの仕業に違いないその有り様には目を背けるしかない。

 

「トウジャが……こんな風にやられるなんて……」

 

 ふつふつと怒りが湧いてくる。相手はどこまで行っても自分の怨敵。鉄菜を殺し、コミューンの人々を死に追いやった。

 

 今もまた世界を混乱のるつぼに陥れようというのか。

 

 許される罪ではない、と燐華は操縦桿を固く握り締める。

 

『新型のモリビトの話も出ている。解析班に任せるとしても、施設の復旧は不可能か。手痛い打撃だな』

 

「隊長、この施設は……」

 

『思想犯を閉じ込めておくため、だと前置かれているが、ここも研究施設だな。C連邦に紛れ込んでいたブルーガーデン兵の、その尋問に使われていたらしい』

 

「ブルーガーデン兵、って……例の強化人間の?」

 

 資料に書かれていた事実を思い返し、燐華は身震いする。あれは殺人しか知らない強化人間のはず。そのようなものが自分達のコミューンに紛れていたなど穏やかな心地ではない。

 

『殺人マシーンがいたっていうんですか? それを祖国はどうしようって……』

 

『そこまでは分からん。ただ、ブルーガーデン跡地からもたらされる血塊炉は年々増えている。そのための尋問であったのかもな。……ここまで壊されれば、もう同じ働きは無理だろうが』

 

『野郎……! どこまで俺達をコケにする……モリビト……!』

 

 ヘイルの忌々しげな声音に燐華は両断された《スロウストウジャ弐式》を視野に入れていた。頭から真っ二つ。そのような悪魔の所業、モリビトとブルブラッドキャリアでなければ出来まい。

 

 彼らはこの惑星に報復の剣を向けるべくして下りてきた凶星なのだ。そのような存在、理解したいとも思わなかった。

 

『復旧作業を手伝えれば手伝いたい。そちらに物資はあるか?』

 

 隊長が施設長に繋いだが、相手は憔悴し切った声音であった。

 

『トウジャ部隊が蹴散らされて……、本国の復旧を待つしかありません。せっかくのアンヘルのご厚意を……』

 

『いい。データがあれば乞う。敵兵の能力を知りたい』

 

 モリビトのデータがもたらされるのだと、当然の事ながら燐華は思っていた。しかし、送信されたのはナナツーの機体データである。

 

『……間違えたのか? これは……だって《ナナツーゼクウ》と《ナナツー是式》……。伝説の撃墜王のナナツーじゃないか』

 

 ヘイルの困惑も分かる。どうして本国の英雄的な操主を陥れるようなデータが送られてきたのだろう。

 

 隊長も送信ミスを疑ったようだ。

 

『……これに間違いはないのか?』

 

『ええ。我が方のトウジャ部隊を蹴散らしにかかったのは、ブルブラッドキャリアだけじゃありません。……この二機です』

 

 まさか、と燐華は隊長に繋ぐ。

 

「でも、隊長。この二機を操る操主は……」

 

『ああ、了承している。まさか、そうは考えたくはないな。C連合の銀狼、リックベイ・サカグチ少佐。彼が裏切り者など……』

 

 つい先日、会ったばかりの相手だ。雲の上の存在だと思っていただけに、再びその名前を聞くのが敵としてなど思いもしない。

 

「C連合の銀狼……、先読みのサカグチが……敵?」

 

『まだ決まったわけではないがな。連邦政府とアンヘルが視察を送る事だろう。我々兵士は、前線を張る事しか出来ん。それに、今回、ブルーガーデン兵の徴用など、こちらにも不明瞭な動きが多かった。……案外敵は近いのかもしれないな』

 

 それでも、内部に離反者を抱えているとなればC連邦内でも意見が飛び交う事だろう。

 

 敵は外側のみに非ず、と燐華は鉛を呑んだように押し黙るしかなかった。アンヘルの機体が空を舞うのに、施設の人々が手を振っている。

 

 自分達も誰かの希望になれるのだ。

 

 たとえ虐殺天使とあだ名されていても、どこかで希望が……。

 

 そうだと思わなければやっていけなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯187 貫くべき意志

 最初に帰投したのが《イドラオルガノン》であったのは順当であろう。

 

《ゴフェル》は海に潜り、隔壁を張っていた。海中戦闘用の《イドラオルガノン》が持ち帰った戦果は大きい。早速、ニナイが整備士に声を振りかける。

 

「《イドラオルガノン》は?」

 

「順調ですよ。惑星内で単騎オペレーションをしたにしては、充分過ぎるほどに。あの二人も使いこなしています。複座式の人機なんて、開発が一番に遅れるかと思っていましたが、操主が優秀ですね」

 

 林檎と蜜柑。この姉妹操主のデータに目を通す。

 

 第二世代血続のマークが施された個人データには、林檎が機体全般の動きを司る上操主――ウィザード適性がA。下操主である蜜柑には照準、及び火器管制システムを一括する能力がA適性振られている。下操主はその能力からガンナーと呼称される事もあるらしい。

 

 この第二世代血続に関しては自分の関知する部分は少ない。彩芽から引き継いだ形の二人とは言え、やはり彩芽ほどうまくは扱えなかった。

 

 ゆえに、この二人の育成には桃が上官として管理した部分が大きい。

 

 この姉妹操主には実質的に、担当官がいないのだ。それがどれほどの危険性なのか、分かっていないわけではない。

 

「……《イドラオルガノン》の戦闘データを」

 

「ここに。しかし、驚くべき撃墜数ですよ。上操主と下操主がしっかりと判断を誤らず、それぞれの役割を百パーセント担う。それが出来ているから、ここまでやれたんでしょうね」

 

 撃墜スコアは巡洋艦一隻。《バーゴイル》を十機近く。ナナツーも五機以上。どこかの国家に配属されればエース級であるのは疑いようもない。

 

 しかし、ニナイはどこか不安げであった。この撃墜数がそのまま操主としての成熟に繋がるとは限らない。

 

「継続調査を……するべきね。二人は?」

 

「電算室でしょう? 会っているはずですよ」

 

「……ルイ、か」

 

 呟いたニナイは重力の投網にかけられた身体がつんのめった。ここは既に惑星の中。しかも海中に位置する。無重力に慣れた身体ではなかなかに辛い。

 

「リハビリプログラムは受けたんだけれどね……」

 

「無理ないですよ。みんな、《ゴフェル》完成と本隊よりの離脱にかまけたせいで、必要な運動もこなせていません」

 

 整備士も一定数は《イドラオルガノン》についているものの、その数は十名もいない。

 

「……あと五名ほどは?」

 

「重力酔いって言うんですかね。身体が重いだの、熱病だのに浮かされています。仕方がないとは思いますよ」

 

 無理に彼らを連れ出したのだ。そのツケはきっちり払うべきだろう。

 

「回復したらまた言って。一人でも失うのは惜しいから」

 

 その言葉に整備士は笑みを浮かべる。

 

「本隊じゃ、ほとんど我々は使い捨てのパーツです。そう言っていただけるだけ」

 

 彼らは《アサルトハシャ》や新型人機を構築するためだけに使い捨てられていた。自分達が見ないようにしていた部分でもある。

 

 本隊が抱えている闇は未だに根強い。もし、鉄菜が申し出通りにブルーガーデンの強化兵を連れて来たものならば一悶着はありそうだ。その時に、クルーを統括するのが自分の役目なのだが。

 

「……電算室に行ってくるわ。会わないと」

 

 姉妹操主に面会しなければ、自分の立てた反逆に彼女らが同意したのかも分からない。

 

 廊下を折れるとちょうど、二人が連れ立って歩いてくるところだった。

 

 声をかけそびれて、緑色の髪の少女がこちらを睨み据える。

 

「確か……ニナイ局長、だっけ?」

 

「林檎ってば、失礼だって。あ、局長! ミィ達の撃墜成績、どうでした?」

 

 人懐っこそうな栗毛を二つ結びにした少女は蜜柑だったか。返答の声をなかなか発せずにいると、林檎が得意気に鼻を鳴らす。

 

「まぁ、当然だよね? ボクらは最新鋭の血続。あの撃墜スコア、ちょっとビビリましたか? 局長さん」

 

 嫌味たっぷりの声音に蜜柑が諌める。

 

「もうっ! 林檎は調子に乗り過ぎ! あの……局長。ダメならダメって言ってもらったほうがいいですよ?」

 

 二人分の視線にニナイは頭を振る。

 

「駄目じゃないわ。二人ともよく健闘してくれたわね」

 

 彩芽にも言った事のないような台詞を吐く自分の白々しさ。これをもし、彩芽に言ってやれれば、と思うと嫌気が差す。

 

「そりゃ、ボクらは強いですから。《イドラオルガノン》の整備はお願いしますよ。せいぜい、トウジャ程度で苦戦しないようにしてくださいね。……あ、それと局長さん」

 

 思い返したように口にした林檎はどこか苦々しい面持ちであった。

 

「何かあった?」

 

「……いや、旧式の血続が乗っているんだよね? あの両盾のモリビト」

 

「《モリビトシン》の事? ……旧式、なんて呼び方はやめたほうが。あの子は六年間も、たった一人で戦ってきたんだし」

 

「そんなのさ、知ったこっちゃないじゃん。勝手に一人で戦って、それが偉いの? 六年間も隠れ潜んで、闇討ちばっかりがうまくなっただけでしょ?」

 

「林檎っ! ダメだよ、そんな事言っちゃ……。あの、局長。鉄菜さん、でしたっけ? 《シルヴァリンク》の操主の……。林檎はこういうのだから、嫌味しか言えませんけれど、尊敬しているって伝えてもらえれば」

 

「尊敬なんてしていないよ。あんなの……一緒に戦うなんてどうかしている」

 

 吐き捨てた林檎がすたすたと立ち去っていく。その背中を追いながら、蜜柑が頭を下げていた。

 

 この姉妹操主もなかなかに癖がある。彩芽の時に言えなかった言葉を吐いて楽になった気持ちにはなれそうにもない。

 

 ニナイは電算室に足を運んでいた。

 

 周囲に粒子が舞っており、入るなり警戒色に塗り固められる。

 

「……そう嫌わないで。ルイ」

 

 その言葉と共に、投射画面で一人の少女が形作られた。銀髪にカニバサミの髪留めをつけている。勝気に吊り上がった瞳がニナイを睨んだ。

 

『……何しに来たの、ニナイ局長』

 

「相変わらずね。……あの姉妹操主のデータを取りに来たのよ」

 

『局長権限で勝手に持っていけば? どうせ《ゴフェル》の艦長でもあるんだから』

 

「でも、あなたがいないと《ゴフェル》はまともに機能しないわ。だって今やあなたは《ゴフェル》のメインコンソールなんだもの」

 

 その言葉にふんとルイは顔を背ける。

 

『成りたくって成ったわけじゃない。それに、あの姉妹操主のデータを知ってどうするの? 《イドラオルガノン》はよくやっていると褒めるの?』

 

 暗に六年前にそれが出来なかったくせに、となじられているようであった。しかし、無能の謗りを受けても自分は進まなくてはならない。

 

「地上に真っ先に降りた二人だから、何か異常がないかだけは知っておかないと。もしもの時に後悔しても遅いから……」

 

 その言葉に宿る湿っぽさを悟ったのだろう。ルイが情報を開示する。

 

『姉のほうは林檎・ミキタカ。第二世代血続の中でも群を抜いているのはその空間認識能力。空間戦闘から水中戦、さらに言えば地上の重力下戦闘でもほとんど誤差なく行動出来る。機体制御OSの助けをほとんど得ずに人機の能力を引き出すのに長けている。……反面、相手からの殺気を悟ったり、攻撃の予兆を読んだりするのはてんで駄目ね。照準警告が鳴ってからようやく避ける、という思考回路だから、ダメージ比率も高い。それを補助するのが……』

 

「下操主ね。蜜柑、だったかしら」

 

 ルイは首肯し、蜜柑のデータベースにアクセスする。

 

『蜜柑・ミキタカ。第二世代血続の中で最もガンナーとしての適性が高い。一度に複数の火器管制システムを脳内で描く事が出来る。無重力、重力下、どちらにしても完璧なほどの照準と命中率。……ただ、ほとんどを上操主――ウィザード任せにしている部分が高いから、操主としての格は低いと評価されている。つまりは二人でようやく一人前の操主レベルっていう事。無論、二人合わさればそこいらの操主なんて裸足で逃げ出すほどの熟練度だけれど』

 

 そうでなくてはモリビトの操主など務まらないだろう。ニナイはそれだけではない、と付け加えていた。

 

「あの操主二人とも……自信があるというか……、今まで見てきた操主とは違うわね」

 

『第二世代血続の成功例だからかもしれないけれど、少し自信過剰な部分はある。今のところ、それがマイナスに働いていないから口は挟めないよ』

 

 だがこれから先に行われるのはモリビト三機の連携任務。少しでも綻びが生まれてしまえばお終いなのだ。

 

「……私達は《スロウストウジャ弐式》や、《ゼノスロウストウジャ》を軽く見ていない。あれだけでモリビト一機……いいえ、三機相当と見てもいいほどに」

 

『それがじゃんじゃん量産されるんだから心中穏やかでもない、か。《ゼノスロウストウジャ》は確認出来るだけで地上に三機配備。《スロウストウジャ弐式》なんて次世代機が生まれようとしている。こんなんじゃ、のらりくらりとかわせるのも限界が出てくると言ってもいい』

 

「分かっているのなら、あの二人にもう少し警戒心と……あとはチームワークを」

 

『それは担当官の仕事でしょ。こっちに回してこないでよ』

 

 その言い分も当たっているのだ。担当官さえいれば、彼女らを統括出来るのに、六年前の旧式の担当官の仕組みでは第二世代血続を制御出来ない恐れがある。

 

「……今は桃に頼むしか」

 

『桃・リップバーンだって、あれは脆さを抱えている。完璧だなんて思わないほうがいい。だって、元々ただの生き残りだから、上官に充てられただけでしょ? 兵士が急に指揮官になれるはずがない』

 

 桃には辛い役目を強いている自覚はある。それでも、局長として……もっと言えば《ゴフェル》の艦長として、誰かの役割を変える事なんて出来ない。

 

「……そうね。ルイの言う通り。でも、それでも私達は前に進むしかないの。それがしゃにむに進んでいるようにしか見えなくとも、それでも前にしか……」

 

『活路を見出せない、か。でも、もしもの時には判断を下すのは局長様だ。もし……ミキタカ姉妹が暴走すれば、その責を負うのはそっちだよ』

 

 心得ている。第二世代血続を使うというのがどれほどの危険に塗れているのかなど。分かっていたところで使うしかないのがブルブラッドキャリアの弱いところなのだ。

 

「……犠牲を無駄には出来ない。ルイ、私は戻る。鉄菜や桃を迎えなければならない」

 

『そ。でも、彩芽にした事、二度と償いなんて出来ないんだから』

 

 電算室を出た後、ニナイは胸を占めていく痛みにきつく目を閉じた。

 

 彩芽を失ったのは自分のせい。自分が背負うべき罪。ルイはそれを否応なく突きつけてくる。

 

「彩芽……、こういう時、あなたならどうしていた? ……なんて、聞いたらきっと怒るわよね。だから……」

 

 だから問うまい、と決めた胸中はそれでも脆く儚いものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 整備兵も、無論、その基地にいた全員が査問対象であった。

 

《ナナツーゼクウ》と《ナナツー是式》。この二機の出撃指令を如何にしたのか、という礼状は思ったよりも素早く、上官に突きつけられていた。

 

 アンヘルの兵士達がC連合基地に出入りし、全員のアリバイを問い質しているのを、リックベイは歩み出て制していた。

 

「貴官らの疑問はもっともだ。しかし、今回の事の顛末はわたしの独断。ゆえに、捕縛するのならばわたし一人にするといい」

 

 アンヘルの諜報官はふんと鼻を鳴らす。

 

「いいんですか? あなた一人で、となれば極刑も免れませんよ?」

 

「構わん。この身一つで、全員の潔白となるのならば、好きにすればいい」

 

 腕を突き出したリックベイにアンヘルの諜報部の人々は当惑した様子であったが、いずれにせよ、誰かが捕まらなければこの事態、容易く収まるものでもないだろう。

 

 自分に手錠をかけたところで、整備デッキに固定されていた《ナナツー是式》が起動していた。その鋼鉄の腕でアンヘルの者達を追い詰めようとする。

 

 通信網からタカフミの声が迸った。

 

『お前らは……! こんな時まで、内々の犯人探しに躍起かよ! そんなだから……!』

 

《ナナツー是式》相手に駐在していた《スロウストウジャ弐式》編隊がプレッシャーライフルを構える。掃射の叫び声が上がる前に、リックベイが喝と声にしていた。

 

「やめろ! 貴様ら!」

 

 その怒声に誰もが硬直する。

 

 今しがた引き金に指をかけようとしていた両者が水を打ったように静まり返った。

 

「……わたしの責だ。その罪を贖うのは当然の事……」

 

『少佐! しかしこいつら、自分の事は棚に上げて……!』

 

「言う事を聞け! タカフミ・アイザワ! 貴官はまだ、未来を閉ざされるべき仕官ではない!」

 

 自分の怒声などほとんど初めて聞いたからだろう。タカフミを含め、この場にいる全員が指一本動かせないでいた。

 

「アンヘルの諸氏。君らは何も間違った事はしていない。疑うべきは罰すればいい。わたし一人で充分だ。それでいいな?」

 

 その声音に諜報官はうろたえていた様子であったが、やがて首肯した。

 

「総員、銃を下ろせ」

 

 緊張状態が解かれ、誰一人として血を見ずに場が収まる。しかし、ここから先は、とリックベイは護送車の中で面を伏せていた。

 

「……せめて祈るべきだろうか。誰かが、止めてくれる事を……。あるいはこう考えればいいのだろうか。ブルブラッドキャリア。その貫くべき信念を、わたしは……」

 

 信じたい、と身勝手な思いを巡らせるしかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯188 籠の鳥

 家族はほとんど帰ってこない。だからか、ベルの冒険はほとんど一日中であった。

 

 地下室への階段は口うるさいセバスチャンにも知られていない。他の使用人も自分を追って城内に深追いすれば、後戻り出来なくなるからか、誰も諌めようとはしなかった。

 

 地下室は涼しげな風が吹きつける。青い大気ではないので、汚染はされていないはずだ。

 

 怪物は自分を白亜の神像の上からじっと見下ろしている。ベルは今日も使用人が作った焼き菓子を持ってきていた。芳しい香りに、きっと怪物とも仲良く出来るはずだ、と思っていた矢先、怪物が降り立ち、ベルを金色の瞳で睨み据える。

 

 その眼差しの眩しさにベルは手を打っていた。

 

「なんて綺麗なの! あなたの瞳!」

 

 宝石を散りばめてもこれほどまでに輝くまい。怪物はベルから焼き菓子を引っ手繰り、再び神像の上に跳躍してぼりぼりと齧り始めた。

 

 ベルはそれを微笑ましく見守る。

 

「あなたの事、なんて呼べばいいかしら? お名前はやっぱり、ないの?」

 

 怪物はぐるると喉の奥で呻ってから、神像を伝い、ベルの眼前に降り立つ。もしかしたら名前を教えてくれるのか、と期待したベルへと、怪物は大口を開けて威嚇した。

 

 通常ならばこれで逃げ出すだろう。しかし、ベルにはその気はなかった。

 

「……とっても大きいお口なのね!」

 

 物語の世界に陶酔し切ったベルにとって、怪物の威嚇の一つや二つは、ストーリーの中であってもおかしくはないもの。むしろ余計に冒険心を駆り立てられた。

 

 怪物は毒気を抜かれたように咆哮をやめ、そのまま後ずさる。ベルは、今しかないと尋ねていた。

 

「ねぇ、お名前は? あるのよね?」

 

 怪物は酷く澱んだ声で何かを呟いた。その声をベルは聞き取る。

 

「クリーチャー? それが、あなたのお名前?」

 

 怪物はおずおずと首肯していた。ベルは自分の中でその名前を咀嚼する。まさか、怪物自ら、獣の名前を名乗るとは意外であった。

 

「クリーチャーさん。あなた、ずっとこのお城に居るの? この、トリアナ城に?」

 

 怪物は口を開こうとしない。それが了承だと感じてベルは話を進めた。

 

「こんな辺境のお城にずっと……、寂しかったでしょう?」

 

 クリーチャーが頭を振るって、跳躍する。人間離れした身体能力でクリーチャーは神像に張り付いていた。

 

 その動きでベルは得心が行く。

 

「そっか! そのご神像がお友達なのね!」

 

 クリーチャーは何か言いたげであったが、それでもここで言及はしないようであった。

 

「あたしはね……友達って言うのはいないの。ずっと、セバスチャンと、使用人に囲まれて生きてきた。……あ、別に両親がいないわけじゃないのよ? でも、二人ともお忙しいから……あたしなんかに構っている暇はないのよ。帰ってきてもあたしが今、何才なのかも分からないと思うし……」

 

 沈痛に面を伏せたベルにクリーチャーが唸り声を上げる。どうしてだか、励まされている気がした。

 

「……優しいのね。クリーチャーさん。でも、あたし、励まされるような人間じゃないの。このお城を無理言って買い取ったのも、何もかも、忘れたいから。お父様も、お母様も、二人の娘であるのも、忘れたいのよ。だって、あの二人はあたしを見ていないもの。見ていられない人間なんて忘れられちゃえば……!」

 

 その時、クリーチャーが不意に下りてきた。また焼き菓子がいるのだろうか、と思って差し出すと、クリーチャーは何やら喉の奥から声を発する。

 

 何と言っているのかほとんど聞き取れないが、それでも何か、重要な事を言っているのが窺えた。

 

「慰めてくれているの?」

 

 クリーチャーは肯定も否定もしない。ただ、獣のように唸るのみ。

 

 それでも、傍に誰かがいてくれるだけでも救いであった。ベルは座り込んだまま、声を発する。

 

「……セバスチャンはね、あたしの執事として雇われた人なの。でも、口うるさいし、お金の勘定が大好きな、ちょっとケチ臭いおじさんって感じかな。使用人のみんなも、そう。あたしをこの城に閉じ込めておくために雇われたのよ。お父様やお母様が管理しやすいように……。あたしは、いつまで経っても籠の鳥。こんなんじゃ、生きている価値なんて……」

 

 そこでクリーチャーは爪の伸びた奇異な腕をベルの肩に寄せる。鋭い爪でベルを傷つけないようにわざと拳を丸めさせていた。

 

「……優しいのね。クリーチャーさんは。どうしてこんな優しい人を、地下深くに閉じ込めておく必要があるのかしら? ここが気に入っている?」

 

 クリーチャーは逡巡の後に頷いていた。

 

「そっか。自分の居場所があるのね、あなたは……」

 

 自分には何もない。管理され、行く末をレールで敷かれた自分には何も。忘却のためだけにこの場所を用意され、虚飾の城で多感な時期を過ごすしかないのだ。

 

 その時、端末が鳴った。セバスチャンが自分を探しているのだろう。

 

「そろそろ行かないと。ごめんなさいね、クリーチャーさん。でも、お話出来てとても楽しかったわ」

 

 手を振って離れていくのが少しだけ名残惜しい。もっと彼とは話していたかった。別段、己の傷を慰撫してもらいたかっただけではない。ただ、この城の地下深く、こんな場所でしか生きられない彼にどこかで自分を重ねていたのだろう。

 

 自分は籠の鳥。

 

 ここでしか生きられないという点では同じようなものだ。

 

 セバスチャンは中庭にいた。どうやら自分が中庭で遊んでいるのだと思い込んでいたようだ。

 

「お嬢様! どこにいらっしゃったのですか!」

 

「えっと……お友達と遊んでいて」

 

「お友達? ご冗談を。この城には誰も住んでおりませんよ」

 

「ほら! 鳥や花もお友達でしょう?」

 

 夢見がちな少女を装えばセバスチャンはすぐに納得した。

 

「……ドレスに泥が跳ねていますよ。レディとして、最低限の立ち振る舞いはお忘れなきよう」

 

「はぁーい。……セバスチャン、このお城って、元々ゾル国のものだったのよね?」

 

「ええ。ゾル国富裕層の所持するコミューンの一つでしたから。城下町も含めて、城の所有者のものでした。今は、ほとんど城下に住む人間はいませんが。……もしや城から出られているのですか?」

 

 友達、と言ったのが城下町の人間だと思い込んだのだろう。ベルは慌てて否定する。

 

「そんなわけ! だって、城から外に出ていたらすぐには戻れないでしょう?」

 

「それはそうですが……。城の外はほとんど卑しい者達の住処です。くれぐれも勝手に外出なさりませんよう」

 

 コミューン、トリアナの八割を占める城下町はほとんどスラム同然らしい。それくらいは頭に入っている。

 

「このトリアナで……昔何かあったとかいう記録は?」

 

「何か……戦争などでしょうか。すいません、こちらの記録には何も」

 

 端末で調べつつもこちらを窺うセバスチャンにベルは慌てて取り成した。

 

「何でもないならいいのよ! ただ……あまりにもお城が格安だったんでしょう? 何かあるのかな、って思って」

 

「何か……お調べしておきましょうか?」

 

「いや、調べるとかそんなんじゃ……」

 

 もし徹底的に調べ尽くされればクリーチャーの事も明るみになるかもしれない。それはお互いにとってよくないだろう。

 

「ですがお嬢様。出来るだけ勝手は慎まれますよう。ご両親は心配なされてします。毎晩、こちらには定期連絡をなさるほどに」

 

 セバスチャンには連絡しているのか。その事実にベルは拳を握り締めた。

 

「……あたしには直接、しないんだ」

 

「お二方ともお忙しいゆえ、夜半過ぎになります。仕方ないでしょう」

 

 それでも、とベルは怒りがふつふつと湧いてくるのを止められなかった。自分がいつまでも子供だと思っているのか。

 

 それとも、セバスチャンに定期連絡しておけばそれで手綱が取れる程度の娘だとでも?

 

「……ゴメン。一人にさせて」

 

 駆け出したベルをセバスチャンが呼び止める。

 

「くれぐれも勝手なさりませんよう! ……まったく、手に余る」

 

 最後の言葉まで聞こえていたが、ベルはわざと無視していた。自分の居場所なんてない。この場所もまた、籠の中。檻に閉じ込められた世界で自分はいつまでも生きていくしかない。

 

 それが堪らなく悔しいのに、何も出来ない己を持て余すしかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯189 もう一人の自分

 陸路を行く《ナインライヴス》が収容されたのは施設強襲より三時間後の事であった。完全にC連邦部隊を撒いた事を確認し、ようやく《ナインライヴス》が《ゴフェル》との合流地点で信号を発する。

 

 海面より浮かび上がった《ゴフェル》の甲板に《ナインライヴス》が飛び移った。

 

「確か……クロもここで収容されるはず……」

 

 空を仰いでいると紺碧の雲間を裂いて《モリビトシン》が降下してきた。

 

 ゆっくりと降り立った《モリビトシン》と《ナインライヴス》がカタパルトより艦の整備デッキへと誘導される。

 

「随分と疲弊していますね。《ナインライヴス》」

 

 すぐに取り付いた整備士がミネラルウォーターを手渡しつつ、《ナインライヴス》の整備状況を伝える。

 

「まぁね。コスモブルブラッドエンジンの出力じゃ、何回も自律行動は出来ないから」

 

「それでも、よくやっていますよ、この機体も、桃さんも」

 

 浮いた汗の玉をタオルで拭いつつ、桃は重力の投網にかかった艦内で鉄菜を呼び止める。

 

 鉄菜は見た事もない灰色の髪の女を連れていた。

 

「それが、例の?」

 

「ああ。ミズハ、だ」

 

 ミズハと呼ばれた女性は周囲をおっかなびっくりに見渡している。これがかつてのブルーガーデンの強化兵だとは言われなければ気づかないであろう。

 

「その、桃・リップバーンです。よろしく」

 

 手を差し出すと、ミズハは逡巡しつつも握り返してきた。

 

「瑞葉……です。瑞々しいの瑞に、葉っぱの葉で……」

 

「ああ、漢字なんだ? じゃあモモやクロと同じですね」

 

「クロ……?」

 

 小首を傾げた瑞葉に鉄菜は説明する。

 

「私の愛称だ。そう呼ぶのは桃だけだがな」

 

「じゃあ、わたしはなんて呼べば……」

 

「何でもいい。元々なんと呼ばれようと反応出来る」

 

「じゃあ、クロナで……今まで通りに」

 

「ああ。こっちもミズハ、と呼ぶ」

 

 どこか物々しい空気に桃は何かあったのだろうかと二人を窺う。

 

「その……この艦はブルブラッドキャリアの強襲揚陸艦なんです。クロ、案内出来る?」

 

「構わないが、《モリビトシン》の稼働率は」

 

「モモが見ておくから。クロはほとんど連戦でしょう? 休むといいよ」

 

「……ではお言葉に甘えさせてもらおう。それに、いずれにしたところで、ニナイに許可は得なければならないだろうからな」

 

 瑞葉は余所者だ。だからこそニナイには会わなければならないだろう。歩み去っていく二人の背中を凝視していると、整備士が声を振りかけてきた。

 

「嫉妬ですか?」

 

「ばか。そんなんじゃないって。……でも、不思議な縁よね。ブルーガーデンの、ただの兵力に過ぎなかった人が今、普通の人間みたいに振る舞っているのって」

 

 ブルーガーデン兵は人間らしさが完全に欠如していると聞いていたが、あれはほとんど常人だ。どこがむしろ間違いなのか分からないほどの。

 

「きっとあの瑞葉っていう人も随分と苦労したんでしょう。鉄菜さんと同じように」

 

「クロは……不器用だから。ちょっとずつ歩み寄れればいいんだけれどね」

 

「《モリビトシン》の稼動結果出ます。モニターしてください」

 

 端末を手に取ると《モリビトシン》の稼働率が読み込まれていく。液体栄養剤を飲みながら、桃は概算される数値に驚愕した。

 

「……すごいわね、これ。だって、純粋に言っても《ノエルカルテット》より……」

 

「ええ、五倍以上のパワーゲインです。凄まじいですよ。これでもまだ安定領域ではないんですから」

 

 出力、機動力共に高水準だが、どこかに不安定要素を抱えているようであった。出力値のグラフが急に落ち込んでいる。

 

「これは? 何でこんなに落ちているの?」

 

「理由は皆目……、ただ、やっぱりトリニティブルブラッドシステムの弊害と言うべきでしょうか。どこかで三基の血塊炉が同調し損ねている感覚ですね。三基ともの主張が激しいんですよ」

 

「どれも一端のモリビトの血塊炉……そりゃ補助に回れって言うのが無理な話か……」

 

 むしろ空中分解せずにここまで機動しているのが奇跡なほどだ。桃はグラフを眺めつつ、《モリビトシン》の相貌を見据える。三つのアイサイトを持つ赤と銀の機体は罪を直視するのに充分な性能を持つ反面、その本質をまだ自分達には見せていない。

 

「どれほどだっていうの……《モリビトシン》っていう人機は」

 

「今、タキザワ技術主任を呼んできます。《モリビトシン》に関して言えば、あの人が一番でしょうから」

 

 結局、タキザワに頼るしかないのか。桃は《ナインライヴス》のピンク色の装甲を撫でる。愛機は充分に馴染んでくれているが、やはり問題となってくるのが出力面と性能面。これまで純正の血塊炉を使っていたのを、宇宙産に切り替えたのはやはり功罪として大きい。

 

「《ナインライヴス》……お願いだから耐えてね。モモだって、もっと強くならないといけないんだから」

 

「コスモブルブラッドエンジンは地上の過負荷に耐えられるかどうか、ってところですかね。宇宙で産出されたものは、やっぱり宇宙じゃないと使えないんでしょうか……」

 

 そうだとすれば現状、ブルブラッドキャリアに残された戦力では世界に立ち向かえない事になってしまう。それではあまりにも虚しい。

 

「……でもモモ達は、強くあらなければならないの。それがたとえ間違った道でも」

 

 違えたのならば、こちらは補給の線を捨ててでも戦い抜くしかない。戦い抜いて、己を示す事でしか、未来に繋げないのだ。

 

 沈痛に面を伏せた桃へと声がかけられる。

 

「……また難しい事を考えているね」

 

 タキザワがゴロウを抱いてこちらに歩み出ていた。桃は早速切り出す。

 

「《ナインライヴス》の出力値……もう少しどうにかなりませんか? Rランチャーを撃ったらもう限界ギリギリなんて……」

 

『桃・リップバーン。悔しいがそれはどうにもならない。惑星産の血塊炉ならばまだしも、コスモブルブラッドエンジンはまだ安定の目処が立っていない分野だ。これで人機が動いているだけでも儲け物だと思って欲しい。これまでの電力と僅かなコスモブルブラッドによる混在血塊炉に替わる新たな安定方式なのだからな』

 

 ゴロウの言葉には一理ある。だからこそ、六年もの間、地上に参入出来なかったのだ。

 

「……でも、本隊もこれを使っている。もし、地上勢力と本隊が手でも組めば……」

 

「最悪のシナリオだが考えられなくもないのが困る。《ゴフェル》を墜とすのに、それが最も合理的だ」

 

「だったら余計に……」

 

「しかし今は、安定稼動している《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》よりも、こっちのほうが重傷でね」

 

 指し示したタキザワの視線の先には《モリビトシン》が整備デッキに収まっていた。整備班は悲鳴を上げている。

 

「一度にタスクを五も進めるなってば! 一タスク分でも見過ごせば、《モリビトシン》は稼動しないんだ!」

 

「そんな事言ったって、ここで稼動手順を少しでも早めなければ次の出撃に間に合うかよ!」

 

 言い合いを、タキザワは諌める。

 

「まぁ、苛立たないで。僕が責任を持って見るから、君らはコーヒーでも飲んで落ち着くといい」

 

 タキザワが仲裁した事によってその場は収まったが、それでも整備班同士のいがみ合いは完全に収束した様子ではない。

 

《モリビトシン》。原初の罪のモリビトは静かな眼差しを注いでいた。《インペルベイン》によく似た頭部構造だが、それでももう鉄菜の人機であるのはよく伝わってくる。

 

 鉄菜はこの人機をほとんど実力で乗りこなしている。否、乗りこなしているように見せているというべきか。

 

 六年の雌伏の歳月は鉄菜を充分な操主に仕上げるのには打ってつけであったらしい。恐らく今の鉄菜ならば、どのモリビトでも乗りこなせるだろう。

 

「……《モリビトシン》。稼働率に目を通しました。これ、危ないですよね?」

 

「分かるか。その危ないのも加味して、鉄菜には乗ってもらっている」

 

「もし、ですけれど、飛翔中にウイングスラスターが開かなくなったら? いえ、もっと言えば、血塊炉がオーバーヒートしたら、どうするんです? 戦場で棒立ちなんて笑えませんよ」

 

「その危険性は話した。だが鉄菜は譲らない。これが自分に許された力だと、《モリビトシン》を降りる気はないだろう」

 

「それは、鉄菜も思い詰めているから……。《シルヴァリンク》を失くしたばっかりですし……」

 

「そうだね。六年もの愛機を失い、縋る術がないとすれば、《モリビトシン》を操らざるを得なくなる。だが、これは諸刃の剣だ。《セプテムライン》との戦闘データを出しておいた。閲覧権限はある」

 

 差し出されたメモリーチップを端末に差し込むと、実戦データと外部カメラが捉えた《セプテムライン》との戦いが投射される。

 

 その戦力差が近似値を示していた事に、桃は絶句していた。

 

「あの戦い……やられてもおかしくなかったと?」

 

「それくらい、本隊は必死だという事だろう。《セプテムライン》、急造のモリビトにしてはよくやる。コスモブルブラッドエンジンだろうが、見た限りこれは三基積んでいるだろうね。出力安定値が《ナインライヴス》や《イドラオルガノン》とは段違いだ。《ノエルカルテット》に近い機体コンセプトでありながら、《シルヴァリンク》のような近接格闘における術を確立し、また《インペルベイン》のような拡張性、及び機能性を獲得している。まさしく前世代のモリビトの集大成、とでも言ったところか」

 

「感心している場合ですか? だって、これが襲ってくるって事に――」

 

『それはない』

 

 断言したゴロウに桃はぴくりと眉を跳ねさせる。

 

「それは、何で? 根拠、あるんでしょうね?」

 

『この機体の性能面とデータを算出したが……これでは《ナインライヴス》や《イドラオルガノン》にも及ばないだろう』

 

「……今しがた、その二機に勝てるって言ったばっかりじゃ」

 

『性能を純粋に突き詰めれば、ね。操主の熟練度があまりに違う』

 

 自分や鉄菜、林檎と蜜柑に比べれば相手操主は格下だというのか。あまり自惚れないほうがいいのでは、と危惧する。

 

「……確かに経験の差はあるけれど、人造血続の第二ステージ。それなりに強いと思ったほうがいいんじゃ? クロも負けかけたんでしょう?」

 

『この血続の成熟データベースに入った』

 

「また危ない事をするなぁ……」

 

 タキザワが言葉をなくしていると、ゴロウは淀みなくステータスを呼び出す。

 

『この血続が経験以上に足りていないのは、生産されてからの日数だ。まだ重力圏どころか、空間戦闘でさえも危ういだろう。身体が未完成のまま、戦場に送り出されたんだ。今頃はメンテナンスに奔走している事くらいは予想出来る。それくらい、人造血続というのは成功例が少ない。それに、このプランが現実味を帯びれば一番に危ういのは血続ではない、君だろう?』

 

 言葉もない。自分は血続でも何でもないのだから。

 

《モリビトシン》と《イドラオルガノン》に使用されている血族専用トレースシステムを、自分の《ナインライヴス》は適応出来ないのだ。

 

「……確かに、血続生産計画がもっと発達すれば、モモなんて要らないでしょうけれど」

 

『血続を安定生産するのはまず無理だと思ったほうがいい。これはモリビトを一機造るよりも多大なリスクと供給値を必要とする割には、実績がついていかない分野だ。だからこそ、人造血続計画に対して上は慎重であった。今回、まだ安定している血続を使用したのだろうが、それでも無為に帰す可能性は大いに高い。《セプテムライン》が追撃してくるのはあり得ないと言ってもいいだろう』

 

「しかし……《アサルトハシャ》部隊は? 彼らを動かしているのはブルブラッドキャリアの少年兵達のはず」

 

 タキザワの疑問にゴロウは頭を振る。

 

『愚問だな、タキザワ技術主任。それこそ、替えの利かない人間そのものだ。ともすれば他の可能性もあるのに、そうそう使い潰すと? 《ゴフェル》に乗っている人間、一人一人に意味があるように、本隊からしてみても自分達の味方は少ないと思っていると断言していい』

 

 その言葉振りに桃とタキザワは暫時、沈黙する。その静寂をゴロウが訝しげに首を振った。

 

『何だ? 二人して押し黙って』

 

「いや、思ったより人間らしい考え方をするなぁ、って。ねぇ?」

 

「ホント、そう。ゴロウ、あんたって元老院のコンピュータだったんでしょ?」

 

『……六年もこの躯体を使っていれば考え方は変位する。逆に言えば、我々は百五十年も同じ義体の中に収まっていたから、考え方が狭かったのだろうな。宇宙で自分達の開発分野を押し広げる人間達を目の当たりにして確信したよ。我々元老院は滅びるべくして滅びたのだと』

 

 自らの滅びの原因をゴロウはこうも淡々と語る。それはもう、六年前までの敵対関係は清算した、と考えているからなのだろう。

 

 桃も今さらゴロウを糾弾する気にはなれない。もう一蓮托生だからだ。

 

 ゴロウの頭を戯れに撫でてやると、嫌そうに手を払われた。

 

『……何だ。気色悪いぞ』

 

「気色悪いって思えるのも、成長よ。ゴロウ」

 

 桃の態度にゴロウは鼻を鳴らす。

 

『……鉄菜・ノヴァリスも着実に成長しているな。ログを閲覧したが、彼女はああいう性格ではなかったはずだ。それこそ、相手の血続と同じく、何も考えず、ただの殺戮機械であったのだろう。それが何をもって変わったのか、我々には分からず仕舞いだがね』

 

 肩を竦めたゴロウに桃は、あら、と言ってやる。

 

「分からない? クロは変わろうとした。それって多分、人間だからでしょ」

 

「そうだね。人間だからだ」

 

 同調したタキザワにゴロウが不機嫌そうな声を出す。

 

『……二人して奇妙な間を作るな。何なんだ。分からないこっちが馬鹿みたいじゃないか』

 

「そう思えるだけでも成長よ。ゴロウちゃん、っと」

 

 デコピンをしてやると、ゴロウは身体を球状に変形させた。

 

『……もう知らん。情報開示を拒むぞ』

 

 その様子をタキザワと共に微笑ましく見守る。こうやってみんな、少しずつでも変わる事が出来るのだ。かつての敵であった元老院でさえも。

 

 その変化のうねりの中にあるのが、少しでも前に進めている気がして、桃は口元を綻ばせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 面会に、と立ち会った赤髪の女性は眼鏡の奥の怜悧な瞳を細める。

 

 鉄菜に促されるまま、ここに来てしまった事に対して、釈明でも述べるべきだろうか、と考えていると先に口火を切られた。

 

「鉄菜……まさか本当に助けてくるなんてね」

 

「私は一度でも口にした事は実行する」

 

 全く退く様子のない鉄菜に相手は辟易する。

 

「そうね……そうだった。でも、もし私が棄却すれば? 瑞葉さん、でしたっけ? あなたの身柄を我々ブルブラッドキャリアが有効活用……つまり兵器転用するとでも言えば?」

 

「私はお前達の敵になる」

 

 迷わず発せられた鉄菜の口調の冷たさに瑞葉は硬直してしまう。相手は肩を竦めて言いやった。

 

「……冗談よ。鉄菜、あなたをちょっとばかし、見くびっていたみたい。ナナツーとトウジャが展開する戦場から、よくたった一人を……救い出してくれたわね」

 

「私が死ぬとでも思っていたのか?」

 

「手痛い反撃を食らう程度なら」

 

 差し出された手に瑞葉は逡巡する。

 

「ニナイよ。ここでは艦長でも……局長でも好きな役職を」

 

 しかしその手を素直に握れる気持ちにはなれなかった。

 

 自分はかつてブルブラッドキャリアを憎み、モリビトを恨んで戦ってきた。敵同士のはずだ。鉄菜だけならばまだしも、他の人間まで自分を受け入れられるはずがない。

 

「……わたしに、その資格なんて」

 

「大丈夫よ。みんな、ブルブラッドキャリア本隊を裏切ってきたも同じなんだから」

 

 その言葉に瑞葉は瞠目する。意味をはかりかねていると鉄菜が補足した。

 

「我々は、ブルブラッドキャリア上層部に反目し、地上へとこの《ゴフェル》で降りてきた……いわば反乱軍だ。私達の敵は地上の人々でもあり、なおかつブルブラッドキャリア本隊でもある」

 

「痛いところよね。上からも下からも睨みを利かされるなんて」

 

 目頭を揉んだニナイに瑞葉は驚愕して口を開けたままになってしまう。それほどまでの極限状態で、何故自分を助けたのか、より一層分からなくなってしまった。

 

「……何で自分が助けられたのか、分からないって顔」

 

 見透かされて瑞葉は押し黙る。鉄菜が歩み出ていた。

 

「ニナイ。瑞葉は疲労が溜まっているだろう。休息の義務を感じる」

 

「了解。きっちりとした部屋は余っているからそれは安心して。《ゴフェル》は百日間くらい、どこからの補給もなしに航行出来るように設計されている。無論、人員が増えてもそれなりには、ね」

 

 身を翻したニナイは卓上に備わった三次元図をタッチし、瑞葉の部屋をアナウンスする。あまりにその行動に淀みがなかったせいだろう。瑞葉は自分から言い放っていた。

 

「……いいのか? わたしは敵兵だぞ? 内部から破壊工作を行うくらい、わけないはずなのに……」

 

「敵兵があんなところにいないでしょう」

 

「同意だ。敵兵ならば相応しい場所に配置される。あのような扱いでは捕虜と同じだ。敵だと断じるだけの材料が足りない」

 

「クロナ……、でもお前とは……かつて敵同士だった。お互いに憎しみをぶつけ合うしか知らなかったはずなのに」

 

「それは以前までの話だ。今は現状と未来の話をしている」

 

 あまりにも返答が意想外であったせいだろう。瑞葉はまたしても言葉に窮していた。鉄菜の決意は本物だ。本当に自分を助け出すためだけにあの場所に赴いたというのか。

 

 敵兵のど真ん中に。

 

 たった三機のモリビトで。

 

 その事実が今さらに重く圧し掛かり、瑞葉は面を伏せる。

 

「……危険な作戦だったはずだろう。わたしは、咎は負うべきだと感じている」

 

「ここはどの国家でもない。法律も、条約も存在しない」

 

「そういう問題じゃないんだ、クロナ……。わたし自身ケジメがつかない。……これは少佐とアイザワがよく言っていた事だから受け売りだが」

 

「ケジメ、ねぇ。案外ちゃんとしているじゃない。もっと破天荒な人物かと思ったわ」

 

 ニナイが茶化すのをどうにかしたいと思ったが、鉄菜はその言葉を受け入れた。

 

「了承した。ニナイ、扱い上は捕虜でいい。ただし、三食はきっちり出し、艦内での揉め事は私が処理する」

 

 だがそれでは鉄菜に甘えてしまう事になる。そう言いかけたが、ニナイはそれで了解したようだ。

 

「分かった。……鉄菜がここまで言うのは相当よ? これ以上粘ったってよくもならないし、悪くもならないと思うけれど?」

 

 瑞葉は渋々頷く。

 

「艦内Eブロックの居住区画まで案内する。ついて来い、ミズハ」

 

 黒髪を翻した鉄菜に、瑞葉は慌てて背中を追う。部屋を出る前にニナイから声がかかった。

 

「……何か?」

 

「いや、思っていたよりも人間らしくって、安心した。じゃあね」

 

 安心、と言われても何がどう映ったのかまるで判然としない。どうして自分だけがあの施設から助けられたのかもよく分かっていないのだ。

 

 前を行く鉄菜の手を掴む。鉄菜は振り返るなり、渋面を作った。

 

「何だ? 言っておくがあれ以上待遇を悪くしても、どうしたって心象までは悪くならない。お前の事を知っているのはほとんど私だけだ。私からの伝聞で成り立っているこの艦では、連邦や他国のような偏見はない。無理に敵役に回る必要もない」

 

 全て代弁された気がして、瑞葉は口ごもる。敵を装う必要性もない。無論、誰かに嫌われる事も。

 

 だが、それでは自分の気持ちの落としどころが見当たらないのだ。せっかく鉄菜に助けてもらった恩義は感じている。それでも、生きていていいのかと問えばやはり疑問が残る。

 

「……クロナ。わたしは、ブルーガーデンの唯一の生き残り。それも、強化実験兵だ。敵兵を捕らえれば、それに帰結するところは見えている。拷問も、陵辱も、何だって甘んじて受けよう。わたしは……! だって……もうまともではないのだから」

 

 面を伏せた瑞葉に鉄菜は紫色の瞳で問い返す。

 

「まとも、とは何だ? ミズハ」

 

 その問いかけが皮肉でも何でもなく、鉄菜の奥底から溢れ出たものだと、瑞葉はその瞳に反射する己を目にして息を呑む。

 

 鉄菜には、まともの価値観すら存在していないのだ。

 

「それ、は……」

 

「C連邦政府の庇護にあればまともなのか? それとも、どこかのコミューンで家族とやらに囲まれていればまともか? ……あるいは、戦場で拳銃を手に、銃弾の風切り音を聞いているのがまともなのか? 敵兵を躊躇いもなく撃ち殺すのが、まともなのか?」

 

「もういいっ! やめてくれ! クロナ! だってお前は……!」

 

 そこまで言って瑞葉はハッとする。鉄菜にとってこの世の「まとも」など存在しない。彼女は戦い続けている。今もまだ、戦いの中にいるのだ。

 

 自分は、もう兵士ではない。身分上でもそうだが、兵士の心を捨てた。タカフミと会う度に心が高鳴っていた、ただの「女」。タカフミの笑顔一つで心揺り動かされる「人間」そのもの。

 

 しかし、鉄菜はまだ違う。

 

 まだ、彼女の戦争は終わっていない。鉄菜は自分よりもなお深い場所にいるのだ。

 

「……すまない、クロナ。……お前の戦場を、侮辱した……」

 

 その事実に気づいて謝ったところで、鉄菜は何でもない事のように言ってのける。

 

「気にするな。そういう事もある」

 

 きっと、それで割り切ってきたのだろう。何年戦ってきたのだろう。あるいは、今も何のために戦い続けているのだろう。

 

 世界を変えるため? 変革のための刃を振るうのに? 

 

 そんな理由だけで、彼女が戦っているとは思えなかった。自分は鉄菜と共に戦場を駆け抜けた。

 

 だからこそ、分かる。

 

 鉄菜は合理的なだけで動いているわけではない。

 

 非合理も、何もかも全てをひっくるめて彼女――「鉄菜・ノヴァリス」なのだろう。

 

 自分はまだマシなほうだ。タカフミに愛され、リックベイに道を諭された。人機にはもう乗らなくてよくなったし、誰もそれを強制しない。

 

 だが、ひとたび掘り起こされれば、そこにあるのはただの機械天使であった頃の名残。

 

 人殺しの兵士であっただけの存在。データに羅列されるのはその事実なのだ。

 

 自然と瑞葉は肩口に手をやっていた。つい数ヶ月前まで、この肩に備わっていた天使の翼。

 

 その傷跡がじくりと痛んだような気がしたのだ。

 

「クロナ……、でもわたしは……お前だけに戦う道を強制させられない」

 

「私は誰に強制されたわけでもない。着いたぞ、ここだ」

 

 空気圧の扉が開く。中は簡素ながら、自傷防止のクッション素材の壁であり、空間戦闘や水域戦闘でも壊れにくい構造であるのが窺えた。

 

 本当に、ただの一民間人として扱われている。

 

 その事実に、瑞葉は覚えず反感の念を覚えていた。

 

「クロナ……わたしだって、戦える」

 

「もう戦う必要はない。本国でも軍籍は剥奪されているはずだ。そのようにデータにあった」

 

 それはその通りなのだろう。リックベイとタカフミが取り計らってくれたお陰だ。だが、だからこそ自分は報いる人生を送りたいのだ。ただ与えられるだけではない。誰かを助けられる人間に。

 

 しかし、この身は未だに誰かに罪を贖ってもらうばかりで、自ら購う事を放棄している。これではいつまで経っても、本当の意味の贖罪は存在し得ないだろう。

 

「クロナ! わたしは、お前にばかり傷ついて欲しくないんだ!」

 

 放たれた言葉は廊下に虚しく残響する。鉄菜は双眸に湛えた光を崩す事もなく、そのまま言い返す。

 

「私はお前に死んで欲しくなかった。だから助けた。理由としては充分だろう」

 

 それは、と口ごもってしまう。

 

 ――駄目だ、言えない。

 

 言えば鉄菜の道を閉ざしてしまいそうで、何も言い出せない。弱々しい自分に嫌気が差す。守られてばかりで、何一つ守った事のない穢れた身体。枯葉にも、鴫葉にも、――そしてタカフミやリックベイにも、繋げられた命。

 

 この命を散らせて誰かに報いる事が出来るのならば、どれほどいいだろう。しかし現実は厳しく屹立する。

 

 鉄菜という一人の人間として。

 

 彼女の生き方を曲げられない。何故なら、彼女は――。

 

「用がないのならば行く。黙っていても三食出てくる。今は療養するといい。尋問で怪我をさせられたなら、医務室に寄ればいい。リードマンという……胡散臭い男が処置してくれるだろう」

 

 立ち去ろうとした鉄菜に、瑞葉はその手を強く握っていた。

 

「クロナ! お前はわたしだ! もう一人の……わたしなんだ……」

 

 その言葉の意味するところを理解出来なかったのだろう。鉄菜は疑問符を浮かべた様子であった。

 

「……もう一人の、ミズハ……?」

 

「わたしなんだ……。うまく言えないが……お前は! 立場さえ違ったらわたしだった!」

 

 そうだ。立場さえ違えば自分も逡巡など挟まないだろう。地上へと報復し、脅威となる兵士を排除し、ただ命令が止むまで戦うのみ。

 

 それが自分と鉄菜で何が違う? ただ立ち位置が偶然に異なっただけ。

 

 やっている事は似たようなものだ。

 

 鉄菜は次の言葉を繰り出そうとして、何度か迷っている様子であった。

 

 瑞葉は勇気を振り絞って言いやる。

 

「だから、死んで欲しくないんだ。お前は……わたしだから」

 

「私が……ミズハ? ……理由と理屈が不明瞭だ。私は……この個体は鉄菜・ノヴァリスであるはずだ。だからそのような事……」

 

 その時、激震が《ゴフェル》の居住ブロックを揺さぶった。明滅する電灯に鉄菜が警戒の眼差しを天井に注ぐ。

 

「……敵襲か」

 

『モリビト三機の執行者は至急、整備デッキへ! 繰り返す! モリビト三機の執行者は至急、整備デッキへ向かうように!』

 

 アナウンスが響く中、鉄菜は自分を部屋へと押し込ませようとする。

 

「まだ……第一警戒レベルだ。特定はされていないが、この海域を見張られればいずればれるだろう。禍根の芽は摘み取っておく」

 

 駆け出そうとした鉄菜の背へと、自分は呼び止めていた。鉄菜が足を止める。しかし、気の利いた言葉一つ言い出せない。

 

「……何だ。まだ何か?」

 

「……クロナ。お願いだから、生きて帰ってくれ。お前が死ぬのを、わたしは見たくないんだ……」

 

 震える声で懇願したのは自分でも驚くほどであった。誰かの生死にここまで入れ込んだのはいつ以来だろう。誰にも消えて欲しくない。鉄菜にも、リックベイにも、タカフミにも。そう願うのはいけない事なのだろうか。

 

 分不相応な願いなのだろうか。

 

 鉄菜は振り返らずに首肯する。

 

「……分かった。約束しよう」

 

 駆け出した鉄菜を止める言葉は、もうなかった。

 

 赤色光に染まる廊下で瑞葉はただ立ち竦むのみであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯190 重力の投網

 

 意味が分かったわけではない。瑞葉の言いたい事が、身に沁みたわけでも。

 

 ただ、死ぬなという命令は久しぶりだな、と鉄菜は感じていた。六年前、ブルブラッドキャリア存続をかけたあの戦い以来、誰かのために戦う事などなかった。

 

 ただ自分が生き延びるため。一秒でも生存を勝ち取るための方策を練っていたのみだ。

 

 それを生きているのだと、今までは思っていた。だが、瑞葉からしてみれば違うらしい。

 

 自分は、本当に生きているのか。今さら鎌首をもたげた疑問を振り払うように、鉄菜は整備デッキに辿り着くなり乗機について尋ねていた。

 

「《モリビトシン》は?」

 

「行けます! ただ、相手が相手ですね……。上を取られています。厄介ですよ、こいつら……」

 

 定点カメラが映し出した最大望遠にはアンヘルの所有する《スロウストウジャ弐式》の機体が爆雷を投下している様子が映し出されている。

 

《ゴフェル》は爆撃を回避するためにさらに深海へと潜っているようであったが、海の底はブルブラッド汚染の温床。あまりに潜り過ぎれば、艦艇自体が損壊する。

 

「……落ち切る前に、私が出ればいいのだな?」

 

「理解が早くって。でもそうじゃないみたいです。あとはタキザワ技術主任からの直通で!」

 

 離れていく整備士にサインを返しつつ、鉄菜は《モリビトシン》の頚部コックピットへと潜り込んでいた。

 

 全天候周モニターが点くと同時にタキザワからの通信がもたらされる。

 

『鉄菜。敵は炸裂弾を投下。そこいらの海域をとりあえず滅茶苦茶に、って感じだ。出て行けば格好の的になるが、出て行かなくともこれ以上の消耗戦は避けたい』

 

「情報を」

 

 その言葉にゴロウが応じる。

 

『敵戦力は《スロウストウジャ弐式》が四機編隊。加えてもう一機、厄介なのは隊長機だな』

 

「……《ゼノスロウストウジャ》か」

 

 忌々しげに口にしたのは一度として勝ち星がないからだ。撤退戦かあるいは目晦ましばかりで真正面から打ち合った事はない。それは危険だと鉄菜の習い性の判断が告げていた。

 

『隊長機は他四機の補佐。爆撃は二機によるものだ。もう二機は海域を慎重に見張っている感じか……。相手側も相当に事態を重く見ているようだな。恐らくは《ナインライヴス》の跡を追われたのだろう。陸戦型のツケが回ってきた形か』

 

「御託はいい。《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》は?」

 

 桃の通信ウィンドウが開き、《ナインライヴス》に直通する。

 

『出るとしても、甲板上からの狙撃程度ね。それに《ナインライヴス》は陸戦機だから。……ゴメンね、クロ。モモがドジしたから……』

 

「誰のせいでもない」

 

 システムコンソールを立ち上げながら鉄菜は声に吹き込む。そうだとも。誰のせいでもないだろう。もしかすれば、瑞葉に枝がつけられていた可能性もある。自分が糾弾されても何もおかしくはない。

 

『《イドラオルガノン》はS型装備で甲板より攻撃準備を行っている。あれは水中戦も出来るからね。《モリビトシン》は下部格納コンテナより出撃。……辛いところだが、トリニティブルブラッドシステムに火を通して一気に海上へと突破。敵機の不意を突く』

 

 全天候周モニターに記された作戦に鉄菜は難色を示した。

 

「そう容易く行くのか。《モリビトシン》の出力だけでは……」

 

『《イドラオルガノン》の予備パーツを推進剤に使うといい。もう二人は出ている。異論は挟ませない』

 

 しかしそれでは反感を買うだけではないのか。脳裏を掠めた感傷も一瞬。鉄菜は戦闘用に己を研ぎ澄ましていた。《モリビトシン》で出撃しなければいずれにせよ、《ゴフェル》は大打撃を受ける。何よりも……今は瑞葉の事が気にかかっていた。

 

「了解した。……時に、ゴロウ。私は私以外だと思うか?」

 

 そのあまりに不明瞭な質問に相手は疑問符を浮かべる。

 

『どういう意味だ? 何を言わせたい?』

 

「いや……何でもない。何でもないのだろう」

 

 そう、何でもないはずだ。この程度の設問、何でもないはずであった。しかし、どこか胸がざわめく。

 

 この感覚は以前にも体感した事があった。彩芽に心について語られた時、自分の中でさざなみが立った。心とは何なのか。未だに決着のつかない疑問。

 

 未だに、自分の中で正解の出ない問答。

 

『大丈夫かい? 《モリビトシン》に何か疑問があれば応じるが……』

 

「いや、何でもない。下部コンテナに移送してくれ」

 

 その命令で《モリビトシン》の機体が横倒しになり、下部コンテナへとゆっくりと運び込まれていく。

 

《モリビトシン》は《シルヴァリンク》と同じ設計思想のコックピット機構を有しており、球体のコックピットは常に操主に最善の状態を約束する。たとえ機体が横倒しでも、最善の視野を確約する球体型コックピットでは鉄菜は真正面を見据えていた。

 

 照準器の先が僅かにぶれる。

 

 ――もう一人の、自分。

 

 問い返しても何も答えは出ない。もう一人の自分という瑞葉の考えに合致出来ない事に歯がゆさでも覚えているのか。

 

 どうしても理解出来ない問いを前にすると足が竦む。身が強張る。どうしたって理解出来ないものに対して、身体が拒否反応を起こす。

 

 だが、全くの理解の範疇ではないのが厄介であった。相手を拒否すればいい、拒絶すればいいわけではない。

 

 瑞葉は何かを悟ってその言葉を発したに違いないからだ。

 

 だとすれば余計に……その問いの先が見えない。

 

『下部コンテナに移送完了。発進シークエンスを鉄菜・ノヴァリスに委譲します』

 

 アナウンスが響き、鉄菜はアームレイカーを引いていた。

 

「了解した。鉄菜・ノヴァリス。《モリビトシン》、出る!」

 

 ハッチがゆっくりと開き、コンテナから開放された機体が水圧に軋んだ。人機はやはり水中戦は出来るようになっていない。《モリビトシン》はそうでなくとも空戦用の人機。鉄菜は脚部に取り付けられた補助推進剤のステータスを呼び出した。

 

 幾重にもヒレのついたジェットエンジン機構を持つ補助推進剤が稼動し、《モリビトシン》の機体重心を持ち上げていく。水を掻く音が明瞭に耳朶を打つ中、鉄菜はすぐ傍で弾けた炸裂弾頭に咄嗟に身を引いた。

 

 相手は全くの考えなしで狙っているわけではない。

 

 やはり、瑞葉に枝でもついていたのか。その場合、自分の禍根である。ぐっと奥歯を噛み締めたのも一瞬。鉄菜はアームレイカーを身体に押し当て、フットペダルを踏み切っていた。

 

 両盾を機体前方に可変させた《モリビトシン》がリバウンドの斥力で水を押し上げ、そのまま勢いを殺さず海面から上昇する。

 

 水圧からは逃れたが重力の投網にかかった機体の姿勢制御弁に黄色の注意勧告が光った。

 

 一瞬の隙。しかし、相手からしてみればそれは格好の機会。

 

 硬直した《モリビトシン》へと《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーライフルを構える。炸裂弾頭を持っていない二機に、鉄菜は瞬間的に機体をひねらせていた。

 

 放たれた一射が《モリビトシン》のすぐ傍の海面を蒸発させる。

 

 脚部補助推進剤をパージした途端、その部品が撃ち抜かれた。こちらの動きはやはり相当に警戒されている。

 

《モリビトシン》が飛翔機動に移るまでの十秒程度。

 

 完全なロスが生まれた形のこちらを追撃しない手はないのだろう。敵人機が標的を狙い澄ます。

 

 舌打ちを漏らした鉄菜は背面で瞬間的に膨れ上がった熱量反応にハッとした。

 

 水中より放たれた一条の黄色い光軸が《スロウストウジャ弐式》の肩口を焼く。

 

 上昇してきた《ゴフェル》の甲板に、超長距離砲撃銃身を装備した《イドラオルガノン》が狙いをつけていた。

 

 完全に腹ばいになったその姿は前時代的な粘性を持つ甲殻生物のようだ。甲羅で防御を敷きつつ、《イドラオルガノン》は長距離砲撃を敵へと向ける。

 

 間断のない狙撃に敵人機の隊列が乱れた。

 

 その隙を突いて鉄菜の《モリビトシン》が高度に至る。

 

「……応援、感謝する」

 

『別に助けたわけじゃないしー』

 

 相手の操主の声を聞きながら、鉄菜は《モリビトシン》の右手にRシェルライフルを握らせていた。

 

 銃撃が敵人機を翻弄させる。

 

 炸裂弾を担っていた敵へと照準を向けた途端、接近警告が激しく劈いた。

 

 基部を回転させ、Rシェルソードでその一撃をいなす。

 

 肉迫した機体の重圧に鉄菜は刃を薙ぎ払っていた。

 

 干渉波のスパークが焼きつく中、紫色の機体色を持つ隊長機に鉄菜は吐き捨てる。

 

「《ゼノスロウストウジャ》……! 私を押さえに来るか……!」

 

 プレッシャーダガーが発振され、《モリビトシン》へと打ち下ろされた。その一閃を剣筋でかわし、横一文字の切れ込みを入れようとする。

 

 だが相手も接近戦の心得はあるようだ。

 

 退くべき時には退く。《ゼノスロウストウジャ》は一打が決まらなければ中距離に身を置き、両腕のプレッシャーエネルギー発射口より砲弾を乱射した。

 

《モリビトシン》は空中機動で撃ち出される砲弾を回避する。それでも機体が重いのがアームレイカー越しに伝わる。

 

「これが……重力……」

 

 今までも感じなかったわけではない。ただ、《モリビトシン》の場合、それがより顕著なのだ。

 

《シルヴァリンク》を扱っていた頃には海上戦闘など視野に入れていなかった。それだけに少しでも緊張を切らせば海面に落下するというのはそれだけで神経をすり減らす。

 

 黄色い砲弾が海面を波立たせた。水飛沫が舞う中、海面激突の注意アラートが激しく鳴り響く。

 

 このままでは対等な戦闘さえも危ぶまれた。接近してくる一機の《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーソードに持ち替える。

 

 その刹那、鉄菜は《モリビトシン》の前面に盾を張らせ、リバウンドの反重力で機体を反転させていた。

 

 瞬時に照準が敵人機を狙い澄ます。至近の距離で放たれたRシェルライフルの銃弾に《スロウストウジャ弐式》が引き剥がされていった。

 

 だが相手も分かっている。二機目は追ってこない。《ゼノスロウストウジャ》を先頭にして二機の《スロウストウジャ弐式》が隊列を組み、プレッシャーライフルで攻め立ててくる。他二機は《ゴフェル》を轟沈させるべく炸裂弾頭を投擲し続けていた。

 

 このままではジリ貧。そうでなくとも、ここで《ゴフェル》の位置を特定されれば後々、やり辛くなってくる。鉄菜は五機の中の一機でもいい。突破口になる機体がないか視線を巡らせるが、さすがはアンヘルというべきか、特殊部隊の面汚しをするような愚を冒す機体など存在しなかった。

 

 舌打ち混じりにRシェルライフルをもう一基、盾より引き抜いて照射する。それでも照準器に収まりさえもしない相手の機動力に舌を巻いた。

 

《スロウストウジャ弐式》はこちらのモリビトよりも汎用性が高く、一点特化のモリビトでは逆に返り討ちになりかねない。

 

 前回は施設強襲と言う目論見が成功したからこそ、ある程度は押せたが今回はそうではない。

 

 こちらが強襲される側なのだ。当然の事ながら、相手の力量が勝っていない限り、攻撃など仕掛けてこないだろう。

 

 勝てる算段があるから、アンヘルは仕掛けてくる。鉄菜はRシェルライフルの照準を彷徨わせた。

 

 どの機体に浴びせれば効果的なのか、まるで分からない。

 

 こちらの焦燥を上塗りするのは先ほどからコックピット内で劈く海面激突注意のアラート。

 

「《モリビトシン》が……性能を発揮出来ていない……」

 

 それに何よりも、アームレイカーにかかった荷重が全身に重力を実感させる。

 

 ――重い。

 

 照準がぶれ、敵を撃ち損なった弾丸が抜けていく中、《ゼノスロウストウジャ》が先陣を切る。

 

 切り込める、と判断したのだろう。

 

 鉄菜は丹田に力を込めて機体を立て直させた。ウイングスラスターを開き、反重力リバウンドで無理やり機体を叩き起こす。

 

 結果として関節部に負荷が圧し掛かったが、それでも一太刀を受けなければならなかった。

 

 基部を稼動させ、Rシェルソードを打ち下ろす。敵のプレッシャーダガーは明らかに取りに来ていた。

 

 首を狩るべく、その切っ先が滑る。

 

 もう一本のRシェルライフルの牽制の銃撃で距離を取ろうとするが、距離が開けば相手はこちらへと容赦のない砲撃網を仕掛けてくる。

 

 上がる水柱に照準どころか、《モリビトシン》の挙動が危ぶまれた。

 

「押し負ける……」

 

 水柱を引き裂いて蒸発させ、隊長機がこちらを御しにかかる。太刀筋自体は見極めるのは容易いものの、それでも実力者の気配を漂わせた剣圧には素直に身震いした。

 

 ギリギリでかわした刃に鉄菜は先ほどから先手を取れないもどかしさに声を上げていた。

 

「これでは……勝利なんて……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯191 地上戦線

「あーあ。てんでダメじゃん。あれ」

 

 林檎がアームレイカーに入れた手を口元に持っていって欠伸する。上操主はS型装備の《イドラオルガノン》ではほとんどやる事は少ない。

 

 それでも周辺警戒を怠らなければ死が待っているだろう。腹ばいになった《イドラオルガノン》の照準が《スロウストウジャ弐式》を捉えかけて、その弾丸が空を穿った。

 

「惜しいっ!」

 

「惜しいじゃない。今のは避けられて当たり前なの。……精密狙撃中だからあんまり余計な事言わないで」

 

 蜜柑が狙撃スコープを覗き込みながら口うるさく言いやる。林檎は炸裂弾を投下する二機を視野に入れていた。

 

「……あのさ、あの二機、ちょうどよく……」

 

「ダメだよ。墜とすのはあっちじゃなくって、鉄菜さんを狙っているほうでしょ。隊長機と随伴機二体がしつこく追い回している。その間中、炸裂弾を持つ二機がじりじりと《ゴフェル》の船体を削っていく」

 

「やな戦法だなぁ」

 

 頬を掻いた林檎に蜜柑は厳しく言いつける。

 

「それでも、戦法としては上々だよ。相手はこっちのモリビトの性能なんて分からないんだから。艦を狙って足止めするのが一番いい。その艦が動かないとなれば、援軍も呼べるし」

 

「……ジャミングすればいいんじゃないの?」

 

「ジャミングもダメ。鉄菜さんと通信が切れたらそれこそ敵の思うつぼ。ここは狙撃して敵を引き剥がしつつ、炸裂弾の敵も運がよければ狙えばいい」

 

「運がよければって……そんな安全祈願したって、どうせ敵は撃ってくるんだからさ。こっちから撃ち返せばいいじゃん」

 

「D型装備ならね。今の《イドラオルガノン》じゃ、上昇もまともに出来ないでしょ」

 

「……だーかーら、S型は嫌いなんだよ。何にも出来ないじゃん、ボク。これじゃホントにカメだよ」

 

「昔、地上に棲息していたって言う、ね。とろとろと動くのが特徴だったみたいだけれど。あとは甲羅か」

 

 まさしく現状の《イドラオルガノン》そのものである。鈍重なくせに、ちまちま狙撃しか出来ないなんて。

 

 この状態を面白く思っていない林檎はふんふんと鼻歌を漏らす。それさえも蜜柑に制された。

 

「鼻歌しないで! 気が散る……!」

 

「……ねぇ、でもさ。ボクらが甲板からこうやって狙撃するなんて馬鹿げていない?」

 

「馬鹿げていないよ、何のためのS型装備だと思っているの?」

 

「そりゃ、狙撃も含むけれどさ。元々、《イドラオルガノン》はどんな戦局でも勝ち抜けるように出来ているんじゃん。だってのに、新型機と……旧式の援護射撃だけなんて」

 

「旧式って言っちゃダメだってニナイ艦長から言われたでしょ。鉄菜さんはミィ達よりも長く戦っているんだから」

 

 それも不満の一つだ。林檎はフットペダルにかけた足をそのまま少しずつ、心持ち力を入れさせる。

 

 すると精密狙撃が僅かに逸れた。《イドラオルガノン》から発せられた制動用の推進剤のせいである。

 

 しかもこの時、狙い澄ましたのは敵人機ではなかった。《モリビトシン》の退路を塞ぐ形で水柱が屹立する。

 

 当然の事ながら《モリビトシン》がきりもみながら姿勢を崩していった。《ゼノスロウストウジャ》がそれに追いすがる。

 

「林檎! 今……!」

 

 狙撃スコープから視線を外してこちらを睨み据えた蜜柑に、林檎は悪びれもしない。

 

 にひひ、と笑みを浮かべる。

 

「やったじゃん」

 

「墜とされたらどうするの! 責任取れないでしょ!」

 

「大丈夫だって。この程度で墜ちるんなら最初から要らないし。それより、前、ホラ」

 

 こちらの弾道から現在地を読み取った《スロウストウジャ弐式》が真っ直ぐに向かってくる。たった一機だ、と照準しようとするが蜜柑はこうなると弱い。いつもならば冷静なはずの照準器がぶれ、超長距離砲撃が明後日の方向を射抜く。

 

「ダメ……来ないでっ……!」

 

《スロウストウジャ弐式》の所持するプレッシャーライフルの銃口がこちらを狙った。林檎は腹腔に力を込める。

 

「だから言ったじゃん。最終的にっ! 物を言うのは実効力だって!」

 

 立ち上がった《イドラオルガノン》が腰に装備していた武装を一回転させ、伸長させる。

 

 発振されたリバウンドの刃を林檎はそのまま正眼に打ち下ろした。

 

 それと敵のプレッシャーライフルが照射されたのは同時。一条の閃光をRトマホークが受け止め――そのまま寸断していた。

 

 周囲の水面がプレッシャーの圧力に蒸発していく。

 

 蜜柑は確実に命中したと思ったのだろう。虚脱し切った妹から火器管制システムを奪う。

 

「林檎? 何を……!」

 

「今の蜜柑じゃ無理でしょ。ボクがやる」

 

「林檎じゃ、命中なんて……!」

 

「しないって? それはどうかなっ、と!」

 

 甲羅が拡張し、内部に充填されたアンチブルブラッドミサイルが掃射される。こちらから逸れる軌道で逃げ切ろうとした《スロウストウジャ弐式》はプレッシャーライフルを速射した。

 

 周囲に垂れ込めたアンチブルブラッド兵装の靄が敵人機を悶えさせる。

 

 完全に痙攣した敵人機がそのまま海中に没した。

 

「今だ!」

 

《イドラオルガノン》が迷わず水中に入り、そのまま追撃する。フィンが水を掻いて敵人機がすぐさま射程に入った。悶える敵がプレッシャーライフルの銃口を向けようとするが、その動きは全て――遅い。

 

「海の中で、ボクの《イドラオルガノン》に勝てると、思うなァーっ!」

 

 眼窩がオレンジ色に輝く。Rトマホークを振り翳した《イドラオルガノン》が《スロウストウジャ弐式》を両断した。完全に命の灯火が消えた敵人機は海底へと沈んでいく。

 

「どうだい! 海で《イドラオルガノン》に勝てるなんて! ……あれ? 蜜柑?」

 

 下操縦席で震えている妹に、林檎は言葉を振りかけていた。どうにも、意想外の事になると蜜柑は弱々しい。

 

 その背中を足で蹴ってやる。

 

「もう敵は消えたって。いつまでビビッてるのさ」

 

「林檎のバカっ! ミィ達は持ち場から離れちゃダメな役割だったのに……こんな事したら怒られちゃうよ!」

 

「バカって……そんな言い方ないじゃん。だって、何もしなければ撃たれていたのこっちだし」

 

「そもそも林檎が精密狙撃中に余計な事をしたからでしょ! 戻らなくっちゃ……」

 

 海域から跳躍しようとするがS型装備で海面を蹴る事さえも叶わない。

 

「潜るのは楽なんだけれどねぇ」

 

「……林檎、怒るよ」

 

 押し殺した蜜柑の声に、これは本気だ、と林檎は取り成した。

 

「ゴメンって。でも、どっちにしたってこれで嚆矢になったんじゃない? だって敵が一機削がれた」

 

「削がれたって言っても、《モリビトシン》が撃墜されたら意味ないのに……」

 

 言い合いを続ける二人に直通通信が繋がれた。桃からの通信に林檎は佇まいを正す。

 

「……えっと、桃姉、何か……」

 

『言いたい事は分かるわよね? 林檎?』

 

 まずいな。こちらも本気だ、と林檎はかしこまる。

 

「……まずったかな?」

 

 嘆息をついた桃は頭を振る。

 

『……いい。追及したって仕方ないもの。今、《ゴフェル》の甲板から《ナインライヴス》で出撃した。本当はもうちょっと隠し通したかったんだけれど』

 

 たはは、と乾いた笑いを浮かべるこちらに蜜柑はぷいと視線を背ける。

 

「桃お姉ちゃん。林檎のせいだから」

 

「蜜柑! 桃姉、確かにそうなんだけれどそうじゃないって言うか……! 聞いてくれる?」

 

 通信越しに手を合わせて懇願すると桃は戦闘の気配を漂わせた視線で一点を睨んでいた。

 

『責任追及は後でするから、早く上がってきなさい。せっかくの長距離砲門が晒し者になっている。これじゃ体のいい的じゃない』

 

 あ、と林檎は声に出す。その段階で蜜柑はほとほと呆れた様子であった。

 

「超長距離砲台だってタダじゃないんだからね! 林檎!」

 

「……分かったよ。今回はボクが悪かった」

 

『S型じゃ上がりにくいのは分かるけれど、せいぜい敵に狙われないようにしておいて。こっちは目視出来る範囲を……撃滅する!』

 

 桃の《ナインライヴス》がRランチャーの広域放射で敵の隊列を乱す。炸裂弾を投擲していた敵が散った瞬間に、アンチブルブラッドミサイルがその進路を塞いだ。中空で破裂したミサイル弾頭が百の散弾に分かれ、《スロウストウジャ弐式》を打ち据える。

 

 さらに敵の動きを制限するアンチブルブラッドの靄が広がった。

 

 片方の敵は出来るだけ射線から逃れようとするが、もう片方の敵は逃げられないと悟ったのか《ナインライヴス》へと果敢に攻め立てようとする。

 

 プレッシャーソードが引き抜かれ、《ナインライヴス》に打ち下ろされた。

 

 その一閃を《ナインライヴス》が砲身で受け止める。

 

『嘗めないでっ! 接近戦はこの六年間で!』

 

 片腕で巨大な砲門を備えつつ、もう片方の腕が可変する。ビーストモード時に後ろ足となる腕に嵌められた鉄甲が浮き上がり、溶断クローと化した。

 

 その鉤爪が敵人機を引き裂く。

 

 視界全面を引っ掻いたその一撃によろめいた相手に対し、《ナインライヴス》は砲門を押し当てた。

 

 ゼロ距離でのRランチャーによる殲滅砲撃。

 

 太い光軸が空へと吸い込まれる中、敵人機の上半身が吹き飛んでいた。

 

 全ての現象が遅れを取ったように、残骸が仰向けに倒れる。

 

 それを目にしていた二人は唖然としていた。

 

 地上に降りてからの本気の桃を見たのはともすれば初めてかもしれない。

 

 宇宙で何度も訓練を重ねたとは言え、やはり実戦となればその強さが浮き彫りになってくる。

 

『……何を海面で漂っているの? 早く砲撃準備! さっさとする!』

 

 桃の怒声に林檎は慌てて《イドラオルガノン》を跳躍させる。

 

 甲板に取り付いた機体が狙撃準備に入るより先に、戦局が切り替わっている事に気づいた。

 

《モリビトシン》と《ゼノスロウストウジャ》の戦いは苛烈さを増していた。

 

「……嘘でしょ。だってまだ二分と経っていない……」

 

『二分もあれば戦場は移り変わるわ。よく見ていなさい。あれが、クロよ』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯192 ヒトの証明

 

 ――撃たれた?

 

 最初の印象はそれであった。進行方向を塞がれた形の水柱に推力が下がっていく。

 

 海面激突、のアラート表示が前面に浮き出ると共に背筋を強く打ちつけた。咄嗟にウイングスラスターを立てた結果、着水は防いだが、それでも姿勢制御が言う事を聞かない。

 

 今の不意打ちのような一撃で逃げに徹していたこちらの攻勢は削がれた。周囲を見渡すより先に、肌を粟立たせた緊張感に鉄菜は習い性の剣閃を見舞っていた。

 

 幸運であったのはまだ勝負勘が鈍っていなかった事か。刃がプレッシャーダガーと打ち合う。

 

《スロウストウジャ弐式》の随伴機のうち、一機が《ゴフェル》へと向かっていった。弾道予測されれば位置関係など探るまでもないのだろう。

 

 それとも、ここまで追い込まれれば一機程度減ったところで問題ないと判断したか。

 

 打ち合う干渉波の鋭さとは裏腹に《ゼノスロウストウジャ》は余裕を見せていた。もう片方の腕より砲撃が浴びせかけられる。

 

 盾を前面に翳して防御しようとするが、リバウンド兵器は反射出来ない。せいぜいその威力を減殺するだけだ。

 

 激震が見舞う中、鉄菜は上方を取った敵人機の姿を目にしていた。プレッシャーダガーが必殺の勢いを灯らせる。

 

 この一瞬。Rシェルソードで受け止めようとしたが、そうすれば次の二の太刀を受け止める事は不可能だろう。

 

 だからと言って、推力を上げて逃げ切ろうとしても重力の投網は纏いついてくる。これ以上速度を出せば、重力下戦闘では無意味な醜態を晒すのみ。

 

 何よりも、鉄菜は完璧なタイミングで退路を塞ぐべく入った《スロウストウジャ弐式》を関知していた。

 

《ゼノスロウストウジャ》が前を塞ぎ、随伴機が挟み撃ちを仕掛けるという計算ずくの攻撃。

 

 どちらに転んでも、今の《モリビトシン》には荷が重いだろう。

 

 刃を翻しかけて、瑞葉の言葉が脳裏に残響する。

 

 ――もう一人の、自分……。

 

 どうしてこんな時に、と振り解きかけた刹那には、敵の射線に入っていた。

 

 鉄菜はぐっと奥歯を噛み締め、フットペダルを限界まで踏み締める。

 

 推進剤が閾値まで焚かれ、背面の《スロウストウジャ弐式》の視野を眩惑させた。

 

 それと同時に加速。隊長機の懐に入った形の《モリビトシン》はそのまま突撃を与えていた。

 

 ただの突進ではない。リバウンドの盾で入った懐から反重力を発生。斥力で無理やり敵をこの位置から引き剥がす。

 

 出力規定外の警告音が響き渡り、コックピットの中が赤く染まっていく。

 

《ゼノスロウストウジャ》はしかし、その程度では離れまいと踏ん張る。それこそが鉄菜の好機であった。

 

 全身の循環パイプを軋ませ、身を反らせた《モリビトシン》が弾かれたように跳ね上がる。

 

 その挙動は全ての人機の基礎法則より乱れていただろう。

 

 この六年間で会得した、人機の高等戦闘術――。

 

「――空中ファントム」

 

 擬似的な超加速を得る操縦技術は《シルヴァリンク》を操っていた頃より身に馴染んでいる。使う機会に恵まれなかったのは、《シルヴァリンク》の損耗度合いが酷くなっていたからだ。

 

 万全の人機ならば、どのような機体状況であれ、この操縦技術で敵を翻弄出来る。

 

 完全に《ゼノスロウストウジャ》の背後を取った。Rシェルソードが必殺の勢いに煌く。

 

「もらった!」

 

 打ち下ろされた一撃は、しかし《ゼノスロウストウジャ》の頭部コックピットを引き裂けなかった。

 

 割って入った《スロウストウジャ弐式》がほぼ半身を犠牲にして隊長機への引導を肩代わりする。

 

 入った一撃は《スロウストウジャ弐式》をほとんど寸断した。

 

 それでも届かない――。

 

 歯噛みした鉄菜が後退するのと、《ゼノスロウストウジャ》がプレッシャーダガーを突き出すのは同時であった。

 

 こちらも撤退の判断を下さなければ腕の一本くらいは持っていかれていただろう。

 

 距離を取った《モリビトシン》に対し、隊長機が随伴機を気遣うようにその機体を受け止める。

 

 ここで追いすがるか、とRシェルソードを構えた《モリビトシン》に対し、隊長機が撤退信号を放った。

 

《スロウストウジャ弐式》がそれぞれ射撃で弾幕を張りつつ、安全に戦闘領域外に出て行こうとする。

 

 その背中に闇雲に爪を立てるほど、こちらは獣ではなかった。

 

 鉄菜は肩で息をしつつ、《モリビトシン》の全身のステータスを確認する。

 

 トリニティブルブラッドシステムには異常は見られなかったが、恐らくはこの機体での初めてのファントムであっただろう。

 

 相当な負荷がかかっていると思っていいはずであった。

 

 重力下でのファントムはそうでなくとも異常を来たしやすい。敵が完全に逃亡してから鉄菜は《ゴフェル》へと引き返した。《ゴフェル》の甲板上に二機のモリビトが並び立っている。その間へと《モリビトシン》を降下させた。

 

 途端、どっと汗を掻く。極限状態に晒された神経が今さらに興奮を伝えてくるのだった。

 

 鼓動が早鐘を打つ中、鉄菜は桃へと通信を繋ぐ。

 

「桃。そちらに損耗は……?」

 

『大きくは……。クロ、大丈夫なの?』

 

「問題ない。ファントムを初めて使ってやると大抵の人機はこうなってしまう。この《モリビトシン》には三基のブルブラッドエンジンが入っている。余計に、だろうな。タキザワを呼んでおいてくれ。予期せぬエラーがあるかもしれない」

 

『もう呼んでおいたよ……。それよりもクロが心配。大丈夫だったの?』

 

 鉄菜は深呼吸を二、三度して己を落ち着かせようとする。それでも必殺の間合いに入った時の冷水を浴びせかけられたかのような感覚は何度も味わいたいものではなかった。敵陣に踏み込んだだけでも威圧に掻き消されそうにある。

 

《ゼノスロウストウジャ》を操る隊長は相当な手だれであろう。あの状況で、友軍機を守ったばかりではない。

 

《ゴフェル》を足止めし、この海域に留まらせた。それだけでも充分な成果だ。

 

「桃、《ゴフェル》が敵に関知された可能性がある。一度でも航行予測を立てられれば厄介だ。敵は先の先を読んでくる」

 

『バベル、ね……。ニナイに聞いてみるけれど、次の戦局はそう遠くないと思うわ』

 

 自分達が奪われた切り札。バベルの閲覧権限と対象予測さえ立てればある程度の動きは簡単に把握される。殊に、こちらはそうでなくとも孤軍奮闘状態。《ゴフェル》の位置情報がオープンソースになればC連邦だけではない。他の国家もブルブラッドキャリア狩りに乗り出してくるかもしれない。

 

 敵は多ければ多いほど難しくなるのは当然の帰結。

 

 鉄菜は《モリビトシン》のステータスを一つ一つ確認しつつ、《ゴフェル》甲板上からデッキへと降下していった。

 

 整備班の声が張り上げられる。

 

「《モリビトシン》! 被弾ですか?」

 

「分からん! だが最善の状態にしておけとタキザワ技術主任からのお達しだ! 《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》も、次の戦場で動けなければ話にならないんだからな!」

 

「《モリビトシン》、整備ユニットを取り付けます! 第三コンテナへ!」

 

 誘導されるまま、《モリビトシン》へと無数の自動整備装置が取り付けられ、鉄菜が確認していた状況を引き継いでいく。

 

 頚部コックピットから這い出た鉄菜は整備デッキまで来ていた瑞葉と顔を合わせていた。

 

 瑞葉はまるで自分の事のように顔を翳らせている。タラップを駆け上がると、その手を強く引かれた。

 

「待って欲しい、クロナ。傷ついて欲しくないんだ……。まだ、モリビトで戦うと言うのか」

 

「……敵との情況は芳しくない。相手を完全に駆逐するのには、モリビトで再度脅威を示すしか……」

 

「そうではないだろう! わたしが、邪魔なのではないのか……?」

 

 瑞葉は気づき始めている。当然か。彼女とて戦士であったのだ。自分に枝がつけられている可能性など一番に思い至るだろう。

 

「……お前のせいじゃない」

 

「じゃあ、誰のせいにすればいいんだ! 解析でもしてくれないと、わたしの気も収まらない!」

 

 鉄菜は無言で手を振り解く。

 

「そこまでする必要性がない。お前を捕虜として扱う気はないからだ」

 

「それ、反対だなぁ」

 

 口を差し込んできたのは《イドラオルガノン》から上がったばかりの操主であった。そういえば顔を合わせるのは初めてか、と鉄菜は目線を振り向ける。

 

 緑色の髪に、勝気な瞳。赤いRスーツを纏った少女と、もう一人。黄色いRスーツの少女は栗毛を二つ結びにしてどこか弱々しげに二人を見合わせている。在りし日の桃を想起させた。

 

 緑髪の少女が歩み出て、胸を反らす。

 

「何の不都合がある?」

 

「不都合も何も、そいつスパイじゃないの? だから《ゴフェル》の位置が割れた」

 

 単刀直入な物言いに鉄菜は眉根を寄せる。

 

「その論拠はない」

 

「あるじゃん。ここに攻撃されたって言う証拠」

 

「相手は我々のモリビトを追跡してきただけだ。ミズハに責はない」

 

 その論調に少女は舌打ちする。

 

「……どうにもさぁ、ナマイキだよね、キミ。言っておくけれど、ボクと蜜柑は第二世代の血続。ブルブラッドキャリアが威信をかけて造り上げた、最新鋭の兵士なんだ」

 

 蜜柑と呼ばれた少女が肩をびくりと震わせる。

 

「姉妹操主だと聞いている。お前は……」

 

「林檎。林檎・ミキタカ。上操主……《モリビトイドラオルガノン》のウィザードをやっている」

 

 複座式と思しきモリビトを一瞥し、鉄菜は、そうか、とだけ言い残して立ち去ろうとした。

 

 その進行方向を林檎が遮る。

 

「……退け」

 

「退けない。分を弁えていない相手って言うのはどうしてこう、度し難いかなぁ。キミ一人の独断で《ゴフェル》を危険に晒してどうするの? そのミズハっての、解析なり解剖なりさせればいいじゃん。そうしたらよく分かるよ。キミが意固地になってまで守りたいものは、《ゴフェル》なのか、その女なのかって言うのがね」

 

「私はブルブラッドキャリアを裏切る気はない。無論、《ゴフェル》の全クルーも」

 

「じゃあさ、証を立てて見せなよ! その女が疑わしいのなんてみんな思っている! そいつが来た途端にこの艦の位置が割れた。それってさ! つまりはそーいう事でしょ!」

 

「……分かるように言え。何を私に言わせたい」

 

 振り切ろうとすると林檎は張り手を見舞った。乾いた音が整備デッキに残響する。

 

 ひりついた頬の痛みに、鉄菜は相手を見据える。林檎は煮え滾った怒りをそのままに口にしていた。

 

「バカにすんな! ボクらが自分より性能で劣る人機に乗っているからって! 《モリビトシン》の性能だけで勝っているだけだ!」

 

「林檎! ダメだよっ!」

 

 割って入った蜜柑を林檎が突き飛ばす。鉄菜はよろめいた彼女を受け止めていた。その動きに林檎が眉を跳ねさせる。

 

「蜜柑に触るな! 汚らわしいっ!」

 

「……おかしな事を言う。暴力の矛先は一つに絞れ。そうでなければ失わなくっていいものまで失う事になる」

 

 話はそれだけであった。立ち去ろうとする鉄菜に林檎は言い捨てる。

 

「旧式風情が……! 古いんだよ、キミは」

 

 鉄菜は瑞葉の手を取り、廊下を歩んでいく。衆目の離れたところで瑞葉は静かに口火を切っていた。

 

「……彼女の言う事は何も間違っていない。わたしを解析くらいはするべきだ」

 

「では、もし解析結果として、お前自身、どうしても掻き消せない枝があった場合、どうすると言うんだ? まさかお前を撃って海に捨てろとでも?」

 

 瑞葉は手を振り払う。向き直った鉄菜に、彼女は首肯していた。

 

「それが、最も適切な手段なら……」

 

 その言い草に鉄菜は嘆息をつく。

 

「お前はもう、ブルーガーデン兵ではないはずだ。当然の事ながら戦力の一つとしても数えられていない。民間人だ。それを勝手な都合で解剖するだと? ……私はそんな組織を是とするつもりはない」

 

「でも……! わたしの存在で皆が不自由する! それなら、いっその事……」

 

「死んだほうがマシだと言えるのは一端の兵隊だけだ。お前はもう、戦士でさえもない」

 

 言い切った鉄菜に瑞葉は言葉をなくしているようであった。自分でもどうしてここまで意固地になるのか分からない。だが、もし瑞葉に問題があった場合、彼女を始末するのはこの手になるはずだ。

 

 その未来を認めたくないから、事実として可能性に上がる物事を否定したいだけなのかもしれない。

 

「……でもあんな風に言い合わないでくれ。モリビトの……操主同士なんだろう?」

 

「向こうが吹っかけてきた。私は乗ってすらいない」

 

 そもそも林檎と蜜柑の姉妹操主に直に会ったのは初めてのはず。だというのにあそこまで敵意を剥き出しにされるいわれもない。

 

「クロナ……わたしはただただ心配なんだ。お前が……このままではどこか遠くに行ってしまいそうで……」

 

「この《ゴフェル》から離れる予定はない」

 

「そういう事じゃなくって! ……傷ついて欲しくないだけなんだ……わたしのエゴで……」

 

「ミズハ。先刻言っていたもう一人の自分とやらの言葉だが、私にはやはり理解は出来ない。この個体は一つだけだし、……それに私は、ただ相手を葬るだけの破壊者だ。壊すだけの存在に、戦う以外の価値はない」

 

 そう断じた鉄菜は身を翻す。

 

 その背中へと瑞葉が必死に呼びかけていた。

 

「それでもヒトのはずだろう!」

 

 立ち止まらなかったのは素直に分からなかったからだ。

 

 それでも、自分はヒトなのだろうか。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯193 シビト

『野郎! 二機も落としやがった……! アンヘルのトウジャを……!』

 

 通信を震わせた怒りの声に、燐華は重く圧し掛かるような疲労感を覚えつつ、瞼を開いていた。

 

 隊長に迫ったモリビトの刃を肩代わりした自分はもう、死んだのだとばかり思っていたからだ。

 

 それなのにいつまで経っても、静寂の闇は訪れない。ここがまだ現世である事を否が応でも感じるのはヘイルの声に返答する冷静な隊長の通信を聞いていたからだ。

 

『少しばかり……嘗めていたようだな、こちらも。マーカー通りに仕掛ければ戦力を潰せるかと思っていたが、迂闊であったのはお互い様か。トウジャを二機失ったのは大きい。我々アンヘル第三小隊は一度、継続戦闘から脱しろとの命令が下った』

 

『冗談でしょう! この仇、今すぐにでも……!』

 

『逸るな、と上から言われているのだ。アンヘルのトウジャ部隊を失うのはナナツーや《バーゴイル》とは違うのだと。代わりに第二小隊が前線に出ると言う。艦隊規模の駆逐戦だ。こちらのほうがより効率的に、さらに言えば確実性が高いだろう』

 

『第二小隊……、って言えば、噂の……』

 

『ああ。死なずの男が前線に出る。ほとんど彼のワンマン部隊らしいからな。噂通りかはともかくとして』

 

『信用出来るんですかねぇ……。だってそいつ、仮面で顔を隠しているって……』

 

『傷を抱えているのは前回、隊長同士顔を合わせた時に目にしたが、実力までは聞き及んでいない。本当に死なずなのか。拝ませてもらおうじゃないか』

 

「隊、長……」

 

 声にした燐華に隊長が直通通信を繋ぐ。

 

『起きたか、ヒイラギ准尉。まったく無茶をする。少しでもずれていれば両断されていたぞ』

 

 機体ステータスへと視線を注ぐと、半身が赤く染まっているのが窺えた。どうやらモリビトに半分持っていかれたらしい。

 

「すいません……お荷物に……なっちゃって……」

 

『気にするなとまでは楽観的にはなれないな。君は自分の後ろから敵へと攻撃しろと伝えたはずだ。その禁を破ってまで敵の前に出た行為は、迂闊を通り過ぎて無茶無謀だ。推奨はされない』

 

 やはり、隊長も自分の行動にはさすがに怒りを覚えるのだろうか。瞼を閉じかけた燐華に、しかし、と彼は付け加える。

 

『君の援護がなければ死んでいたのはこちらかもしれない。その点では感謝している。ヒイラギ准尉、すまなかった』

 

 まさか自分が誰かの役に立てるなど、燐華は思いもしなかった。ただただ厄介なだけだと思っていたこの身が少しでも隊長や他の人員のために働けた。

 

 それだけでも充分に満足であったが、機体を大破させておいて満足など片腹痛い。

 

 まだまだ強くならなければならなかった。

 

「隊長……すいません、でした……」

 

『謝れるだけマシだ。意識を閉ざすなよ、ヒイラギ准尉。もうすぐ待機していた艦に辿り着く』

 

 視線の先にはブルブラッドキャリア追撃のために展開していた三隻の巡洋艦が波間を裂いていた。そのうち一隻に降下する。

 

 大破した自分の《スロウストウジャ弐式》がすぐさま運び込まれ、操主である自分も医務室へと急行された。

 

 その途上、口々に声が聞こえてくる。

 

「斬られかけた隊長を庇ったんだと」

 

「泣かせるねぇ。アンヘルの女操主か」

 

「とはいえマーカーは健在だ。このまま追いすがるしかないだろうな」

 

 自分がいなくとも世界は回る。そう感じつつ、燐華はゆっくりと意識を闇に落とさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘイルは燐華が隊長を庇ったという事実に、少しばかり驚愕していた。逆はあってもそのような事はあり得ないと思っていたからだ。自分が情報操作などしなくとも、ああやって死んでいくのならばまだ使い道があるのだが、最新の医療設備に入れられれば燐華は一命を取り留めるだろう。それほどまでに酷い怪我ではないのは既に目にしている。

 

 整備デッキに収まった愛機から這い出たヘイルは隊長と顔を合わせていた。生き残りは自分と隊長と燐華、という最悪の形になった。それでも闘志が消えていないのはその双眸を見れば明らかである。

 

「隊長……ヒイラギ准尉が、庇ったってのは」

 

「本当だ。あの局面、撃たれていたのは自分だった」

 

 てらいのない言葉にヘイルは言いやる。

 

「どうしてなんです? あんな一兵卒、盾にでも何でもすればいいでしょう? どうして奴にそんなに入れ込むんですか?」

 

 自分からしてみれば不思議でしかない。隊長はしかし、その面持ちに逡巡さえも浮かべなかった。

 

「ヘイル。今回、モリビトを前に死した操主の名前を言えるか?」

 

 ヘイルは一拍置いてから、その二人の名前を紡いだ。隊長は頷く。

 

「彼女に特別入れ込んでいるわけではない。自分からしてみれば、お前達も充分に大事な隊員だ。失うわけにはいかない」

 

 思わぬ言葉であった。隊長はストイックな性格だから、死んだ人間には目もくれないのだとばかり思い込んでいた。

 

「……隊長」

 

「我々第三小隊は一度、様子見だ。いずれにしたところで、今の戦力ではモリビトを追い詰められまい。あの艦も、な。しかし、このまま我が方の軍艦が相手に追いつきさえすれば戦局は一変するだろう。敵はどちらにしても選択を迫られるはずだ。ここで退くか、あるいは沈むかの、な」

 

 ヘイルは整備デッキに固定された第二小隊の機体を視野に入れる。赤い《スロウストウジャ弐式》は共通であったが、隊長機に当たる《ゼノスロウストウジャ》には特殊な改造が施されている。

 

「……なかなか見ない井出達ですね。今時、実体剣がメイン装備なんて」

 

「加えてあの機体には中距離兵装として牽制用の低出力リバウンドバルカンのみ。珍しい、を通り越して奇妙ですらある。あの機体の様式は」

 

 紫色に塗装された隊長機には鬼の角を思わせる意匠が施されている。

 

「名前は……」

 

「《ゼノスロウストウジャ》白兵戦闘特化改造機。全部隊への参照コードとして《コボルト》の呼称が与えられている」

 

「《コボルト》……」

 

 鬼、か。ヘイルは胸中に独りごちる。《コボルト》より這い出てきた男の姿に隊長が歩み寄っていく。自分もその後に続いていた。

 

 相手は操主服さえも身に纏っていない。赤い詰襟服のまま人機に乗るというのか。その有り様にヘイルが絶句していると隊長が淀みなく声にする。

 

「第三小隊、これより第二小隊へと継続任務を委譲する。……苦労をかける」

 

 滲み出た慮る語調に相手は返礼してから声を投げかけた。

 

「こちらはすぐにでも出られる。その方の戦果、我が第二小隊にしてみても相当に有益であった。援護程度ならばしてくれるという口約束であったが」

 

「喜んで果たさせてもらおう」

 

 隊長が差し出した手を、相手は一瞥しただけで握り返しもしない。

 

「援護に際して、二、三言いつけておきたい事が」

 

「何か?」

 

「俺が不要と判断した場合、援護射撃は打ち切っていただきたい。こちらは敵へと超接近戦を挑む。その場合、味方の火線すら足枷になる可能性は否めない」

 

 なんて物言いなのだ、とヘイルは空いた口が塞がらなかった。自分達は援護が要らないほどの熟練度だとでも言いたいのか。

 

「承知した。しかし、どうしてもと判断した場合は」

 

「多少の援護は歓迎する。しかし、俺が此より先は不要と断じた場合、絶対に援護はしないでいただきたい」

 

「ちょ……っ、あんた! どういう物を言っているのか分かっているのか! 相手は腐ってもモリビトなんだぞ! 援護するなとか、そんな事を言える立場じゃ……」

 

「ヘイル。……了承した。援護は最低限に留めておこう」

 

「理解があって助かる」

 

 相手は毛ほどにも思っていないようであった。身を翻したその背中を忌々しげに睨んで、ヘイルは毒づいた。

 

「……何だって言うんですか。あいつ。……言ってやりましょうか。アンヘルでなんて呼ばれているのかって」

 

「いい。死なずの、の矜持をわざわざ奪ってやる事もあるまい。それに、本人が要らないと申し出たのだ。我々は最小限の援護でいいというのは前に出るな、という言いつけでもある。あれはあれで、こちらの損耗度合いを分かっている。だからこそ出る言葉なのだろう」

 

「どうして! 隊長はそう物分りが良過ぎるんですか。あいつに言ってやればいいんですよ。〝シビト〟って奴を」

 

「ヘイル。それは禁句だ」

 

 分かっていたがここまでコケにされれば言わざるを得ない。モリビト相手に立ち回れるとでも言うのか。

 

 シビト――UDの異名を取るあの男が。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯194 戦場の外で

 張り手を見舞われた理由が分からない、と林檎は食い下がる。

 

 桃は身を翻しかけて問い返していた。

 

「本当に分からない? どうして、怒られているのかも」

 

「そりゃあさ! 勝手やったとは思ってるよ! でも、そんなのあいつだって同じじゃんか! 何であいつはよくって、ボクはダメなのさ!」

 

 林檎を納得させる言葉は多くはないだろう。桃は上官としてしっかりと言い聞かせる必要があると思っていた。

 

「《ゴフェル》を危険に晒した。それだけじゃない。味方への誤射も。ここが軍部かブルブラッドキャリア本隊ならばもっと厳しいはず」

 

「ここは軍じゃない! それに、本隊でも! だっていうのに桃姉がそこまで怒るのは……理解は出来る。でも、何で旧式のあいつはいいのに、ボクら最新の血続が我慢しなくっちゃいけないの? それが分からないって言ってるんだよ!」

 

 林檎も蜜柑も、まだ操主としては未熟もいいところ。それでも腕が立つから最前線に送っている。自分達の至らなさのしわ寄せが来ている世代であった。呪うのならば自分も呪えばいいのに、林檎の矛先は鉄菜へと向いているらしい。

 

 諌めなければ、と桃は慎重に言葉を繰る。

 

「林檎、旧式なんて言わないで。クロは六年もの間、たった独りで戦ってきた。ブルブラッドキャリアによって世界が変わったかの是非を問うために。それでも、剣を取る事を選んだのはクロなのよ。世界や組織が強制したわけじゃない。あの子は、六年前とは違う……人間として選び取ろうとしている」

 

「だから偉いって……? 反吐が出る理論だ」

 

 踵を返した林檎を呼び止めようかと思ったが、彼女にこれ以上強いても仕方がないだろう。不平等を感じているのは窺える。蜜柑が頭を下げて林檎についていった。この操主姉妹と鉄菜の仲をどうにかして取り持つのも自分の役割。

 

「辛いところだね、ストレスの溜まる役目を選んだものだ」

 

 嘆息をついた自分にタキザワは言いやる。桃は目頭を揉んだ。

 

「放っておいてください。それに、あの子達だってまだまだなんです。……六年前の……昔の自分達を見ているみたいで」

 

「そういえば反目していたんだったか、最初は。何がきっかけでどうなるか分からないものだ」

 

「……三機のステータスは?」

 

『どの機体も推力が落ちている。ブルブラッド活性機をつけて今、血塊炉を休ませつつ調整を行っている最中だ』

 

 ゴロウの声に三機それぞれに尻尾のように装着された血塊炉補助活性機を見やる。円環を描いて内部へと熱が通る仕組みになっていた。

 

 これで平時の血塊炉の様子をモニターしつつ、最低限の稼働率で最大効率の状態を予見出来る。

 

「《イドラオルガノン》はS型装備だった。次はD型で出すとしよう。ただ《ナインライヴス》は……随分と無茶をしたものだ」

 

 ゼロ距離砲撃はそうでなくとも機体に損耗をもたらす。桃はパイプにもたれかかっていた。

 

「……よくないですか、やっぱり」

 

『《ナインライヴス》は可変人機だ。通常は中距離よりの敵への砲撃、及び陸戦における強襲がメインとなる。ゼロ距離射撃など誰が推奨するものか』

 

「けどああしないと、二人とも納得しなかった」

 

 林檎と蜜柑に言い聞かせるのには少しばかりでも自分が責任を負わなければならないだろう。そのための無茶なら喜んで買って出る。

 

「鉄菜は意固地になっているような気もするけれどね。自分が助けた瑞葉君を、僕らには任せられないって事かな」

 

「そうでもないと思いますよ。クロはきっと……自分で守れるものは守りたいだけなんだと思います。その手で守れるものが限られているんだって、嫌でも分かっているはずですから」

 

 六年前に痛感した。彩芽を失い、ブルブラッドキャリアの大半を失ったあの戦いで。自分達は弱いのだと。まだまだ世界に突きつけるのには足らなかったのだと分かってしまったのだ。

 

 だからこそ、強くあろうとした。

 

 鉄菜は独力で世界の戦場を見て回り、自分はブルブラッドキャリア本隊での上官任務。

 

 どちらが楽であったかという話ではない。どちらについていても、きっと今は戦うしかないのだろう。

 

「しかし僕らはブルブラッドキャリア本隊に唾を吐いたも同然。上がどう判断してくるかにもよるが、《ゴフェル》を沈ませられるわけにはいかない。この舟は文字通り、最後の希望なんだ。それをむざむざやられて堪るか」

 

「その気持ちだけは同意ですよ。こっちだって、ただ闇雲に強くなったわけじゃないですから」

 

 己の掌を眺める。六年間で獲得した強さは世界に再び是非を問いかけるのには充分であろう。問題なのは、自分が強くなったからと言って状況がついて来るわけでもない事。

 

『三機の中で最も安定率が高いのは《ナインライヴス》だ。これを無茶な戦いで失うのは手痛い事になるくらいは分かるな?』

 

 ゴロウに問い質されるまでもない。三機のうち一機でも撃墜されればお終いなのだ。

 

「……慎重になればいいんでしょう? なるわよ。でも、クロにはあまり言ってあげないで。そうじゃなくても瑞葉さんの事で神経を尖らせているはずだから」

 

「ミキタカ姉妹があそこまで反発してくるとは意外だったなぁ」

 

「そうですか? モモは、別に意外だとも思っていませんよ。あの子……林檎は特にそうだったですし。他の操主候補生と並べても一番に……努力家でした。陰に隠れて努力するタイプだから実力面を否定されるのが何よりも嫌なんでしょう。勝ち取った操主の座に、容易くクロが位置するのも」

 

『分かっていても言えない、か。しかし、歪を抱えればいずれ自壊するぞ。瑞葉という一人の人間を匿っただけでこの有り様では、これから先が思いやられる。それにアンヘルはまだ本領を発揮していないと思ったほうがいい』

 

「バベル、か……」

 

 六年前には自分のものであった代物。世界を見渡せる万能の器、バベル。それを奪取されてから惑星は様変わりした。

 

 アンヘル――C連邦の一強へと転がったこの星の駒を進めるのは容易い事だ。誰かが汚れ役を買って出ればいい。その共通の敵に向けて、という名目でバベルを一時でも最大活用すれば、世界はその骨の髄まで見透かせる事だろう。

 

 今のところは利権争いでも発展しているのか、バベルの個人による最大活用は行われていない様子であったが。

 

「バベルを敵が臆面もなく使ってくれば《ゴフェル》の位置なんて一発だろう。たとえ瑞葉君に枝なんてなかったとしてもね」

 

「それを分かっていないはずもないのに……言葉で言うほど容易くないですね。他人に教えるのって」

 

「もう泣き言かい? あの二人を引き受けたのは君の発案だろう?」

 

「……泣き言も言いたくなりますよ。最初は何でも言う事を聞く子達だと思っていたのに、そうでもなかったんだってなると」

 

「それこそ、六年前の君達じゃないか。鉄菜が最初から言う事を聞いたか?」

 

 そう言われてしまえば立つ瀬もない。自分だって最初は組織の意向を無視した動きで実力をはかっていた。

 

『……《モリビトシン》の内部ストレージに入った。ファントムの使用による血塊炉の損耗は認められない。あれだけ強引な機動をしたのに、頑強なものだ』

 

「操主に似ている、な。三基の血塊炉の現在の実数値を」

 

 タキザワの端末に振られていく数値表を目にして、桃はため息をついた。

 

「また、落ちたり上がったり……」

 

「これさえ安定させられれば《モリビトシン》は本来の性能を発揮するはずなんだが……、今のところ打開案はなし。難しいところだが戦闘を重ねつつ様子見、しかないな」

 

 顎に手を添えて考え込むタキザワに桃は言いやっていた。

 

「無責任過ぎやしませんか? メカニックの人達は必死なのに、決定的な事は何も出来ないって」

 

「いつだって技術分野は案外いい加減なものだ。先進になると特に、ね。ファントムで人機が停止しなかっただけマシだと思うしかない。……そういえば君はファントムを?」

 

「使えませんよ。《ナインライヴス》の重量を見れば分かるでしょう?」

 

 不貞腐れた桃にタキザワは笑みを浮かべる。

 

「どうかな? 重さだけならほとんど《モリビトシン》と変わらない。使い手のせいかも……」

 

 そこまで言ってこちらの視線が鋭くなったのを関知したのだろう。彼は口笛を吹かせた。

 

『だが性能面では《ゼノスロウストウジャ》の安定性には及ばない。地上には確認出来るだけで三機。それぞれ配備されている隊長機クラスが全部向かってくれば、それこそ厄介だぞ』

 

「トウジャタイプのサンプルが欲しいところなんだけれど、さすがに残骸も残っていなければ、ね。前回のは上半身ごと吹き飛ばしたから血塊炉も残っていないし」

 

 苦言を受けつつも、桃は手を払っていた。

 

「トウジャのサンプルは手に入りませんから。こっちだって必死です。やられないように立ち回っていれば、自然と敵の残骸なんて」

 

『だが地上の国家は少しずつではあるが国力を増している。その上で《ゴフェル》とブルブラッドキャリアの立ち回りを考えれば、トウジャ一機分程度のサンプルは欲しいところだ』

 

 実際問題、惑星産の血塊炉に頼らなくなって久しい。ブルブラッドキャリアは自給自足が可能となったが、それは強力な人機を扱えるわけでは決してない。

 

 コスモブルブラッドエンジンではやはり出力面での無理が強い。打開策は、とタキザワを見やったが彼は肩を竦めた。

 

「何もないところからはさすがに生み出せなくってね。その点で言えば、我々は実に無力だ」

 

 攻勢に移ろうとしても、どこかで弊害がある。《ゴフェル》が現状、敵に打って出るほどの戦力ではないのと同じだ。

 

 ブルブラッドキャリアが上層部と離反した事さえも機密事項。これが割れれば《ゴフェル》を叩けばいいという判断に落ち着いても何ら不思議ではない。

 

「内々の問題を抱えつつ、どうにかして地上とは対等以上に戦い抜かなければならない……。これほどまでに辛いとは思いませんでしたよ」

 

「加えて操主姉妹の教育が君にはついて回る。鉄菜の事を心配している場合でもないかもしれないな」

 

 ため息を漏らすと、ゴロウがデータを参照し始めた。

 

『待て、……タキザワ技術主任。C連邦からアンヘルへの命令書だ。抜き出せたわけではないが、今次作戦の方向性として、やはり《ゴフェル》への攻撃が予定されているのだという』

 

「連邦政府との合同作戦、か……」

 

 投射画面に浮き上がった作戦指示書にゴロウは慎重な声を発する。

 

『あくまで仮定ではあるが……艦隊レベルの攻撃が待っているとすれば、こちらはたったの三機。打ち合えるかどうかさえも怪しい』

 

「C連邦艦隊が総力を持って駆逐にかかれば、確かにね。だがそうなってくると国内の守りが手薄になる」

 

「今さらなんじゃ? だってもう連合側なんてほとんど権限なんてないでしょう?」

 

『連邦国家編成計画に入っていないコミューンは打ち捨てられたも同義。加えて少しでも妙な真似をすればアンヘルによる強攻策が入ってくる。……まさしく独裁か』

 

「それを独裁とも思わないように情報が操作されているのだとすれば……」

 

 帰結する先にタキザワは首肯する。

 

「バベルの使用もそう遠くはない、か。使われれば一気に追い込まれる。その前にどうにかこちらの戦力だけは揃えたいところだけれどね。うまく立ち回れるかは……」

 

 自分達次第、という事なのだろう。桃は、ええ、と声にしていた。

 

「それがモリビトの、執行者に与えられた使命ならば」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯195 戦慄海域

 物珍しいのだろう。整備デッキに軍人が寄り集まっていた。

 

 三角形の扁平な機体形状に、針のように尖った尻尾。数珠繋ぎの爆雷が腹腔に収められており、頭部コックピットはモリビトタイプを踏襲している。

 

 ゲテモノだ、と誰かが口にしていた。

 

「海中戦闘用人機だってよ。お歴々も好きだねぇ……わけ分かんない人機に投資するのが」

 

「この人機……使えるのか?」

 

「ブルブラッドキャリアの艦に仕掛けるのが初の試運転だとよ。大方、本国の富裕層のスポンサーを納得させたいんだろうさ」

 

「海中用人機なんて、誰が乗るんだよ。ブルブラッド汚染は海を完全に生物が棲めなくしたっていうのに」

 

「だから、捨て駒なんだろ。そういう事だ」

 

 兵士達の言葉が表層を滑り落ちていくのを感じつつ、彼は廊下を折れた。

 

 整備デッキを一瞥したのは今次作戦において障害が発生しないように言い含めるためでもある。

 

 実際、自分の奇異な格好に誰もが圧倒されていた。赤い詰襟制服に、鬼の仮面。顔に刻まれた癒えない傷痕に、すれ違った兵士達が自然と道を譲る。

 

 その背中に囁き声がかかった。

 

「おい、あれ……。例の死なずか?」

 

「ヤバイだろ……。第二小隊って言うのはオカルト戦域だって言うのは聞いたが、マジなのかよ」

 

「本当に噂通りなのか……、UDって名前は……」

 

 彼は特段その言葉繰りを気にするわけでもない。相手に言わせておけばいいと考えているのみだ。

 

 だからこそ、自分はこの艦にいられる。第二小隊を引っ張るのには適度な恐怖心は格好の材料になった。第二小隊の者達は既に自機の点検に入らせている。過度なブリーフィングは必要ない。

 

 ただ戦闘前に自身を研鑽する時間は絶対に必要不可欠。

 

 彼らには戦闘前には三十分の瞑想を義務付けてある。そのお陰かどうかは知らないが、第二小隊の被弾率は他二つに比して極端に低い。

 

 熟練者が戦い、戦場を俯瞰する。

 

 それこそがアンヘル。それこそが、自分の預かる部下達。

 

 空気圧の扉を潜った先にいたのはC連邦の上官であった。挙手敬礼をしてから相手はまず、こちらの作戦を確認する。

 

「第二小隊によるブルブラッドキャリアの艦への強襲任務。危険度は高いが、他の操主達は?」

 

「皆、自身の人機と向き合っている。部下には必要な時間だ」

 

 その声の澱みなさに相手は笑みを浮かべた。

 

「噂通り……というわけか。君の事は、なんと呼称すればいい?」

 

「UDで通っている。それで構わない」

 

「蔑称になり得ないかと心配でね。戦場では少しの気の緩みも命取りになる」

 

 この上官はまだ分かっているほうだ。愛想笑いでも、自分の存在に異を挟もうとはしない。

 

「格納庫にあった、あの人機は……」

 

「人機と呼べるのか、という話かね? あれも人機だよ。広義では、という部分になってくるが血塊炉で動く機動兵器は漏れなく人機だ」

 

「しかし海中用となればリスクが高い。運用には」

 

「細心の注意を払っている。なに、兵士達が言っているほど上は人でなしではないさ。あの人機……海中戦闘用試作型、《マサムネ》を操るのはね」

 

《マサムネ》、と紡がれた人機の名称に自分は一拍置いてから口を開く。

 

「その辺りを理解しているのならば結構。それと、我が隊の動きだが」

 

「承知しているとも。海上の敵人機を主に迎撃。艦への強襲攻撃を防ぐ。信頼はしている。君には、ね。《コボルト》もそれなりに応えてくれるだろう」

 

「我が愛機の整備班への忠告、感謝する。あれは少しばかり急造ではあるが、モリビトとやり合うのにはどうしても必要であった」

 

「まったく……ワンオフの実体剣、か。取り寄せには苦労した。しかし君の眼鏡に適ったとなれば、想定以上の攻勢に移る事は可能だろう」

 

「助かる。俺は《コボルト》で出る。他の敵は」

 

「蹴散らせ、だろう? 難しい事でも何でもない。今までC連邦がやってきた事の繰り返しさ」

 

 少しばかり軽口を叩く上官が今はちょうどいい。ブルブラッドキャリアを軽視しているわけではないが、あまりに重要視すれば足元をすくわれる。その駆け引きを分かっている口振りだ。

 

 敵は外にのみ非ず。内側にも目を向けるべきなのだ。

 

「第三小隊に援護射撃を受け持ってもらっている。隊長には借りを作る」

 

「相手側からも後方援護のほうが都合はいいとの事だ。なに、合致しただけの話だよ。お互いの利害が」

 

 それでも第三小隊の隊長は紳士に見えた。それと同時に武士だとも。

 

「俺は斬り込む。艦隊警護までは頭が回らないかもしれない」

 

「モリビトを前にすれば、か。……よかろう。君はアンヘルの中でも特段に指示権限が強い。存分に切り込んでくれるといい」

 

「感謝する」

 

 踵を返した背中に上官が声を投げる。

 

「して、今回、斬るべき敵はいると思うかな?」

 

 その問いには手短に返すのみだ。

 

「斬るべき、か。可笑しな事を。世界の敵を斬るのに躊躇など」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医務室を訪れたのは自分でもどうしてだったのだろう。

 

 不思議で仕方ないのに、ここに来なければ、という使命感が渦巻いていた。瑞葉は数度のノックの後、医務室の奥で書類整理をしているリードマンなる男を目にしていた。

 

 鉄菜は少しでも怪我をすればこの男に頼むといいと言っていた。それはつまり、彼女も少しばかりは信用している相手という事なのだろう。

 

 背中を向けたままのリードマンが声をかける。

 

「負傷でも?」

 

「いや……少しだけ話を聞きたくって来た。いいだろうか?」

 

 その言葉にリードマンは椅子を引き寄せてくる。瑞葉は腰かけて彼を仔細に観察した。

 

 白衣を纏った痩せぎすの男。それ以外にさしたる印象はない。落ち着いた物腰でリードマンは尋ねていた。

 

「……鉄菜かな?」

 

「ああ。わたしは……ここにいていいのだろうか」

 

「鉄菜ならば、君にあるリスクも含めて承知しているはずだろう。心配は要らない」

 

「そうと……クロナにも言われた。何の心配もするな、と。だが、わたしは知らない間に枝でもつけられているのかもしれない。それどころか……もしかしたら、この艦を窮地に陥れているのかも」

 

 リードマンはその言葉を受け止め、しかし、と返す。

 

「鉄菜に言われていてね。解析なんて真似はするな、と」

 

 既に言い含められていたのか。瑞葉は食い下がっていた。

 

「何か……自分の中に異物がないかだけでもいい」

 

「しかしもし、あったとすれば? それを僕と鉄菜しか知らなければ後々禍根を残す。それこそ裏切りという名の、ね。だから迂闊な事はしないよ。鉄菜が許可しない限りは」

 

「だが、わたしは兵士だ! 捕虜の扱いでも、おかしくは……」

 

「ブルーガーデンは滅んだ。忠義を尽くすべき上官もいないはずだ。それなのに何故、君は義を通そうとする? これは鉄菜に聞かれたからではない、純粋な疑問なのだが……、地上のどの勢力に与したところで、君には益などないはずだ。どうしてC連邦に?」

 

 元々、機械天使であった身。C連邦政府に保護される理由が分からないのだろう。瑞葉はタカフミとリックベイの面持ちを思い返していた。

 

「……わたしは、二人の兵士に救われた。人間でいてもいいと、言ってくれた人がいたんだ」

 

「人間でも、か。それが君をブルーガーデン兵から、一市民まで守るために奔走した……僕から言わせれば変わり者、かな」

 

 その評に瑞葉は自嘲する。

 

「そうだな……。あの二人は本当に、変わり者だったのだろう。自分のような存在に意味を見出してくれた。ここにいてもいいのだと、当たり前の幸せを掴んでいいのだと、諭してくれたんだ」

 

 今、その二人と遠く離れている事が正答なのかは分からない。だが、お荷物になっているのならばここにいないほうがいいに決まっていた。

 

「……責任を負うべきでもないとは思うがね。君はもう兵士ではない。ならば庇護されても何もおかしくはない。鉄菜はそうだと決めれば譲らないし、僕だってかつての彼女の担当官であっただけだ。六年の隔たりはほとんど別人にしたと言ってもいい」

 

「担当官……、ブルブラッドキャリアは、鉄菜をどういう風に見ていたんだ?」

 

「それは詰問かな?」

 

 切り返されて、このような事、訊くのはずるいのだと嫌でも痛感する。鉄菜の口からはしかし、一生聞き出せないだろう。

 

 担当官を名乗るリードマンからしか、彼女の遍歴は辿れないのだ。

 

「……すまない。わたしだって聞かれれば嫌なはずなのに」

 

「当然と言えば当然だな。鉄菜は……元々は君とさして変わらない立場であった。組織のために忠義を尽くし、時に命さえも投げ打つように設計された、人造人間。……血続、というのを知っているか?」

 

 馴染みのない言葉に瑞葉は素直に首を横に振っていた。

 

「人機との繋がりが強い一部の人間を指す。百五十年前には撃墜王のあだ名であったらしい。血続操主というのは人機を手足のように操る術に長けている。しかしながら、鉄菜の操主適性は六年前の時点ではBマイナス。決して高い数値ではなかった」

 

「では、どうしてクロナは惑星に降りてきた……?」

 

 鉄菜のルーツを知らなければ自分はどこにも行けない。そう断じた瑞葉にリードマンは言葉少なに応じていた。

 

「知ってどうする? 彼女の痛みを肩代わり出来るとでも?」

 

「分からない……。ただクロナに守られてばかりなのは……嫌なんだ。同じように苦難の道を行っているはずなのに、自分だけ被害者ぶるのも……」

 

「なるほど。君はとても義理堅い。本当にブルーガーデンの強化兵であったのか疑わしいほどに。……失礼、今のは失言だな」

 

「いや、いいんだ。わたしも困惑している。強化人間でしかなかった自分がこうして普通に……誰かと喋って、誰かの事を想えるなんて……」

 

 タカフミがくれた心。それがたとえ手作りの代物でも、自分という機械天使には必要なものであった。作り物の肉体に作り物の自我。作り物でしかない己。被造物として使い潰されるのみであった自分に意味を与えてくれたのは自己の補完には必要とは思えない他人。

 

 そう、他人だ。

 

 他人という代物が人間を形作る。

 

 鉄菜も、タカフミも、リックベイも。

 

 他人以上に思える他人。

 

 その心が機械天使を解き放った。

 

「……わたしは、クロナに甘えている。その事に関しても、聞きたかった」

 

「鉄菜は別段、君に借りを返して欲しいとも思っていないだろう。……僕も困惑しているんだ。彼女は、六年前にはあんな風じゃなかった。自分というルーツを知っても眉一つ動かさない、冷血な人造人間。だが、何が彼女を変えたのか僕にも分からない。……分かった風になっていただけなのかもしれないな。担当官だからと言って」

 

「だが、クロナの……生まれに関わったのだろう?」

 

 その問いにリードマンは頭を振る。

 

「本当に彼女を生み出したのは僕じゃない。一人の女研究者であった。黒羽・ツザキ博士。あの人がいなければ、鉄菜は今のようにならなかっただろう。それこそ、他者を他者とも思わず、踏み潰し蹂躙するだけの殺戮機械に」

 

 鉄菜の人格形成に影響を与えたのはリードマンではないのか。その事を詳しく聞こうとして腰を浮かした瞬間、激震が部屋を見舞った。

 

 よろめいた瑞葉をリードマンが受け止める。

 

 明滅する照明にまさか、と息を呑んだ。

 

「敵襲? こんな……早過ぎる……」

 

 前回からまだ六時間も経っていない。リードマンは通信を繋いでいた。

 

「ニナイ艦長、これは?」

 

『砲撃ね。対艦レベルの。この位置が割れているとしか思えない精度だけれど……。まだ敵艦は射程内にも入っていない。こっちから仕掛けるのは下策』

 

「だが、砲撃を何度も食らって大丈夫なほど、《ゴフェル》は……」

 

『《イドラオルガノン》に出撃命令を出しておいたわ。《モリビトシン》は調整後出撃、《ナインライヴス》は来るであろう敵の空襲部隊を叩く』

 

 首肯したリードマンは瑞葉を一瞥する。

 

「保護対象がいる。この部屋で預かっても」

 

『……構わないけれど鉄菜は?』

 

「了承は取る。この部屋から外に出るほうが危険だ」

 

『……分かった。隔壁は第三警護レベルで閉ざしてある。一応は、敵艦を轟沈させる構えだけれどうまくいくかどうかは……』

 

 濁された声音にこの作戦がどのように転がっているのかを推し量った。

 

 ブルブラッドキャリアにとっては分の悪い賭け。敵がそもそも何故、こうも立て続けに自分達の位置を捕捉するのか。

 

 その帰結を口にしようとしてリードマンが手を翳した。

 

「……今は冷静な意見を聞けるような条件じゃない」

 

 噤んだ瑞葉はしかし、と悔恨を滲ませる。

 

「クロナが……傷つくんだ」

 

「それも彼女の望んだ事だ。見守るしかない。僕らには」

 

 出来る事なんてそれくらいなのだから、とリードマンは寂しげに紡いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『《イドラオルガノン》、発進準備!』

 

 カタパルトに固定され、林檎は開いた先を目にしていた。

 

 ブルブラッド汚染の色濃い海中。自分達のホームグラウンドである水中戦ならば前回の汚名もそそげる。アームレイカーに腕を入れた林檎に対して、個別通信が繋がれる。

 

『林檎、今回、敵艦の撃沈が目的ではあるけれどあまり《ゴフェル》から離れ過ぎないで。もしもの時に守りが手薄になる』

 

「了解。……でも、《ゴフェル》が狙われているのってさ。もっと他に考える事ないの?」

 

 こちらの問いかけにニナイは沈黙する。

 

『……《イドラオルガノン》はそうじゃなくっても海中戦闘に特化している。相手の出方次第では切り札なのはあなた達なのよ』

 

 おべっかで取り繕ったって、どうせ自分達に期待もしていないくせに。薄っぺらな賛辞は必要なかった。

 

「はいはい。じゃあせいぜい立ち回りますか」

 

「林檎、失礼だよ。すいません、艦長。でも今回はガンナー主体の装備ではないので、もし林檎が勝手してもミィには……」

 

「何さ、いい子ぶっちゃって。蜜柑だって思っているくせに。お荷物さえいなければ気楽だってね!」

 

 キッと睨み返した蜜柑に林檎は涼しげにする。通信越しのニナイが呆れた声を出した。

 

『……お願いだから出撃前に揉めないで』

 

「分かっているよ。コントロール権こっちに譲渡! どうぞ!」

 

『《モリビトイドラオルガノン》、発進、どうぞ』

 

「《イドラオルガノン》、林檎・ミキタカ! 出るよ!」

 

「蜜柑・ミキタカ! 行きます!」

 

 カタパルトが火花を散らし、射出された《イドラオルガノン》は甲羅の合間よりフィンを稼動させ、水を掻いていく。

 

 音もなく相手へと接近。その後に敵を轟沈させる。

 

 林檎は射程外より仕掛けてくる敵艦をソナーに捉えていた。熱源関知センサーとソナーの両構えで《モリビトイドラオルガノン》は海中での優位性を得る。

 

「臆病者の理論だ。相手に近づき過ぎてダメなんて」

 

「林檎? 艦長の作戦指示通りに……!」

 

「いや。従ってやるまでもないよ。それに! ボクらの有用性を確かめるのには、単騎で艦を落とすのが一番のはず!」

 

《イドラオルガノン》が推力を上げて敵艦へと肉迫する。

 

《ゴフェル》の監視網の円より離れ、通信域を離脱した。敵艦までの距離を概算しようとして、蜜柑が訝しげに声にする。

 

「何……、この音……」

 

「音? 何聴いているのさ」

 

「ソナーに反応がある……。でも、こんな推進音……あり得ないはず」

 

「勝手に分かった風にならないでよ。分からないボクがバカみたいだろ」

 

 蜜柑は音を共有する。《イドラオルガノン》のコックピット内に響くのは、水を掻く推進音であった。

 

「……まさか、今時魚雷?」

 

「違う……。魚雷ならもっと早く到達しているはず……。この感じ……よく知っている。これ……! 海中用人機の推進音だよ……!」

 

 言い放った蜜柑に林檎は、仰天した。

 

「あり得ない、あり得ないって! だって海中用なんて、地上の人間が思いつくわけ……」

 

「でも、《イドラオルガノン》の推進フィンの音とそっくり……。これ、もし事実だとすれば……!」

 

 海中用人機が《ゴフェル》に向かっているという事になる。だが、林檎はその憶測を振り払った。

 

「ないない! あり得ないって! 海の中で人機戦? もし会敵したのなら、それこそボクらの十八番だ!」

 

 敵を索敵しようとして、砂を食んだような音が捕捉を拒んだ。

 

「これ……、ジャミング?」

 

「まずいよ……林檎……。敵は多分、ミィ達が《ゴフェル》から離れるのを見越して、海中用の人機を寄越してきた。通信領域外に出た以上、敵艦を落とすしか方法論はなくなってしまった……。これじゃ、守りの手薄になった《ゴフェル》が……!」

 

 まさか、と林檎は息を呑む。《ゴフェル》が墜ちる。他でもない、自分達のせいで。

 

 這い登ってくるその恐怖に林檎は通信を確かめたが、先ほど領域外に出たばかりだ。当然の事ながら復旧するはずもない。

 

「別の手立ては? 信号弾を撃つとか……」

 

「撃てても《ゴフェル》には意味が分からないと思う……。予め作戦を練っていなかったから……」

 

 諦めるしかないというのか。林檎はアームレイカーを殴りつける。自分達の失態で艦を危険に晒すなどあってはならない。

 

 しかし、ここから出来る事はたかが知れている。このまま敵艦に仕掛けたところで、その時にはもう《ゴフェル》が轟沈していれば話にならないのだ。

 

 孤立した一機を倒すくらいわけないだろう。

 

 堂々巡りの思考の中、林檎は一つの結論に辿り着いた。

 

「……水中から敵が来るって知らせる」

 

「どうやって! 敵とすれ違ったのに?」

 

「絶対にこっちのほうが速い物体を射出して、海底に意識を向かせれば……。魚雷でも何でもいい! 《ゴフェル》の横っ面に何かを浴びせて、水中から来る人機を警戒させる!」

 

「でも、最善の武装なんて……」

 

 ガンナーである蜜柑が武器を選択する。林檎は《イドラオルガノン》に装備された武器の中で最も素早い武装を探し出していた。

 

「……アンチブルブラッドミサイル……、これしかない」

 

「でも! これを撃ったら、あの海域では血塊炉の兵器が使えなくなっちゃう! 《モリビトシン》は出せないよ!」

 

 ともすれば、これこそ組織への離反行為だと見なされるかも知れない。だが、それでも行動しなくては、今のままでは犬死にだ。

 

「……発射権限をボクに移譲して。そうすればいける」

 

「どうだって言うの! 林檎は照準だって合わせられないのに!」

 

「だからだって! ボクは照準なんて苦手だ。だからこそ……、《ゴフェル》に当てない軌道で相手を狙えばいい!」

 

 その意味するところを悟ったのか、蜜柑が絶句する。

 

「……そんな賭け……」

 

「でも、これしかない。迷っている時間はないんだ!」

 

 蜜柑はぐっと息を詰め、直後にはミサイルの発射権限をこちらに譲っていた。林檎は照準器を覗き込み、《ゴフェル》を視野に入れる。ブルブラッド汚染海域では目視戦闘はほとんど役に立たない。

 

 濁った海水が捕捉を邪魔する。それでも、この一撃が届けばいい。

 

 せめて、気づいてくれ、と祈った一撃を林檎は放っていた。

 

「届けーっ!」

 

 直後、《イドラオルガノン》より発射されたミサイルが《ゴフェル》へと殺到する。

 

 これが吉と出るか凶と出るかは全く不明。それでも、自分達は進むしかない。

 

「蜜柑! 敵艦を落とす。そうじゃないと、ボクらの意味が!」

 

 ここまで来れば腹をくくったのか、蜜柑は引き金へと指をかける。

 

「分かっている! ダメモトでも、やるしかないもん!」

 

《イドラオルガノン》は海中を掻き、敵艦へと速度を上げた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯196 動乱の戦場

「海中より熱源! これは……遠隔魚雷?」

 

 直後、《ゴフェル》の艦艇を激震させたのはミサイル群であった。放たれた一撃はしかし、《ゴフェル》の周辺の海中を穿ったのみだ。

 

「海中警戒! ……《イドラオルガノン》よりのフレンドリーファイア……?」

 

 その解析結果にブリッジに収まった全員が困惑する。《イドラオルガノン》が撃ってきた? だがどうして?

 

 当惑している時間も惜しい。ニナイは判断を迫られていた。海底からの攻撃。その意図を。

 

 まさか、とニナイはすぐさま策敵を切り替えさせる。

 

「策敵モードを切り替えて! 広域熱源監視モードに!」

 

「ですが艦長! 広域熱源監視じゃ、海の上の敵も関知してしまう事に……!」

 

「それでも、よ。この一撃が無駄じゃないと信じるのならば……」

 

 ただの友軍への攻撃ではないとすれば、その意味を自分達は解読しなければならない。そうでなければ読み負けるであろう。

 

 広域熱源監視モードに移ったレーザーに不意に浮かび上がった影に、ブリッジの者達は息を呑んだ。

 

「何だ、これ……。三角形の……敵?」

 

 三角形の謎の機影をすぐさま照合にかける。結果が弾き出された。

 

「敵影と思しき存在を捕捉! 認識パターン出ます! ……嘘だろ、これが……人機?」

 

 算出された結論にまさか、と身構える。ニナイは声を張り上げていた。

 

「海底にて敵を関知! 鉄菜、聞こえる? 敵は《イドラオルガノン》と同じく……海中用人機と思われるわ」

 

『その論拠はあるのか』

 

 返ってきた言葉にニナイは完全な憶測であるとは述べられず、ただただ言葉にする。

 

「……優秀な操主二人の判断よ」

 

 それで伝わってくれるだろうか、と懸念したのも一瞬。鉄菜は決意を固めた声を発する。

 

『了解した。《モリビトシン》は出せるな? 敵人機を叩く』

 

「……でも、鉄菜。これは確定じゃ……」

 

『頼れる優秀な操主二人の判断なのだろう? ならば私は信じる』

 

 鉄菜の言葉にどこか毒気を抜かれたように唖然としていたニナイへと声が迸る。

 

「敵! さらに接近!」

 

「時間がないわ! 鉄菜、出撃シークエンスをあなたに預ける!」

 

『分かった。《モリビトシン》、鉄菜・ノヴァリス。出る!』

 

 下部カタパルトより《モリビトシン》が出撃したというシグナルが伝令される。ニナイは拳を握り締めてこの不明瞭な状況を飲み込んだ。

 

 今は、一つでも確定の欲しいところ。

 

 だというのに、操主に言える事が一つとして絶対ではない。

 

 ――もう、彩芽を失った時のようには。

 

 そうは思っていても、気が急くばかり。

 

「鉄菜……、どうか無事で」

 

 願うしかなかった。《イドラオルガノン》からの友軍への攻撃だとすれば、次は自分達がどう動くべきなのか。どう判断すべきなのかを預けられているのに、自分は何も出来やしない。

 

《ゴフェル》を指揮する者としては失格だ。

 

「艦長……、《モリビトシン》、出撃しました。……今は祈りましょう」

 

 祈る。そのような不確かなものにしか縋る事が出来ないのならば。

 

 ニナイは桃へと通信を繋ぐ。

 

「桃、もし鉄菜が上がってこなかった時には」

 

『最悪の想定だけれど、もしもの時には《ゴフェル》を全速前進させて、敵艦へと超長距離砲撃。それで一泡吹かせた隙に離脱。この海域を少しでも離れる。……分かっちゃいるけれどやるせないわね。敵を前にしてむざむざ逃げる選択肢を上げないといけないなんて』

 

「仕方ないわ。イレギュラーが立て続けに起こっている。少しでも状況をマシにするためには、悪い事も浮かべないと」

 

 だが、その結果論として戦士を失うわけにはいかない。自分達は反逆の方舟。《ゴフェル》はその意志を乗せて進む希望。

 

 戦うしかないのだろう。

 

 逃げる事など許されない。

 

 自分達は抗いの炎に身を投げるしかない罪人達。

 

 その刃が相手の喉笛を掻っ切るのならば――。その瞬間まで希望を捨てるべきではない。

 

「希望を繋ぐのに……なんて不確かな……」

 

 それでも前に進むのがブルブラッドキャリアだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出撃した《モリビトシン》の全身が黄色い注意色に塗り固められた事に、鉄菜は瞠目する。

 

「ブルブラッド海域汚染……いや、それだけじゃないな。アンチブルブラッド兵装か」

 

《イドラオルガノン》から放たれたミサイルが影響しているのだろう。この絶海の水域で、自分は孤軍奮闘するしかない。鉄菜は広域熱源監視に切り替えた。敵はブルブラッドの海中に潜む。《イドラオルガノン》と同じタイプなのだとすれば、もう肉迫している可能性もあった。

 

 直後、劈いた接近警報に《モリビトシン》がRシェルソードを抜き放つ。

 

 払った剣筋と敵のアームが打ち合った。想定外の大きさに鉄菜は絶句する。

 

「……これが、人機?」

 

《モリビトシン》の倍以上の機体である相手は三角の形状を模しており、赤い眼窩が射る光を灯していた。単眼が《モリビトシン》を睨む。

 

 三本の鉤爪が高速回転し、《モリビトシン》の剣を叩き折ろうとする。

 

「こんな人機が……! 《モリビトシン》!」

 

 もう片方の盾からも刃を顕現させ、鉄菜は敵の腕を切り裂かんと振るい上げた。

 

 その時には相手は炸裂弾を駆使して《モリビトシン》の動きを減殺させる。水中の中を自由自在に遊泳する相手に、《モリビトシン》に収まった鉄菜は舌打ちした。

 

「接近を許せば相手のアームクローの膂力が上……。かといって中距離では恐らく……」

 

 可変させたRシェルライフルから銃撃を見舞わせる。だが予想通り、その弾丸は相手を穿つ事もなく水中に消えていった。

 

「海中内ではリバウンド武装は減殺される。それも加味しての敵か」

 

 厄介な、と身構えた鉄菜に敵人機は円弧を描きながら二本のアームクローを軋らせる。

 

 高速回転するクローを《モリビトシン》がRシェルソードで捉えた。もう片方の武装を銃器にさせ、ゼロ距離で叩き込むも、相手の装甲には傷一つない。

 

「……なるほど。海中戦特化ならば、リバウンド装甲でもさしたる不利にはならない。機体重量の不利益を被らずに済む」

 

 敵人機が推進装置を駆動させ、《モリビトシン》の後ろを取ろうとする。この状況で少しでも隙を見せればやられる。

 

 そう確信した鉄菜は相手を常に真正面に見据えようとするが、敵の機動力が遥かに上だ。

 

 こちらを翻弄するかのように、相手は一ところに留まらない。ジェット推進の敵を捉えるのには、既存の銃火器ではあまりに足らない。

 

「それでも……私達は前に進むしかない。そのはずだ! ならば!」

 

 アームクローを鋭く回転させる敵へと、《モリビトシン》は真正面から打ち合おうとする。しかし、その駆動域に入れば折られるのは必定だろう。

 

 入った刃が三本の鉤爪に押さえ込まれ、軋みを上げる。過負荷に耐えかねた武装が破砕される寸前、鉄菜は武装を可変させていた。

 

 基部を軸にしてRシェルソードがライフルモードに変形する。ゼロ距離射撃が意味がないのは、装甲だけのはずだ。

 

「マニピュレーターまでは、リバウンド装甲ではないはず!」

 

 狙い澄ました銃撃の嵐が敵のアームクローの軸を粉砕する。爆発の水泡が上がり、敵のクローの片方の回転が緩まっていく。

 

 今しかない、と鉄菜は飛び込んだ。

 

 少しでも敵の攻撃網が弱まれば、相手を両断出来る、と。

 

 しかし、その目論見を淡く砕くかのように、敵が出現させたのは三本目の腕であった。

 

 推進装置と見えた後方の二本の回転軸は、それそのものも腕。

 

「四本腕の……水中用人機」

 

 両側に二対の腕を引き出させた相手へと《モリビトシン》はむざむざ接近した事になる。

 

 敵のアームクロー三本が回転し、《モリビトシン》を引き裂き、砕かんと迫った。

 

「やらせるか!」

 

 先ほど過負荷を与えられたRシェルライフルをソードモードへと切り替え、鉄菜は海中で投擲する。

 

 敵人機がクローで武器を捉えた瞬間を狙い、もう一方のRシェルライフルの銃弾を走らせた。

 

 粉砕された武装が誘爆し、敵がくわえ込んだクローを叩き潰す。

 

 四本のうち、二本の爪が使い物にならなくなっていた。

 

「残り一本……」

 

 だがここちらの武装も残っているのはRシェルソード一振り。このままではまずいのは双方共に。

 

 ウイングスラスターを立ててリバウンドの斥力を発生させる。

 

 その速度に手伝わせ、加速度を得た。

 

《モリビトシン》が刃を振るい上げる。敵はしかし、一本でも強靭なアームクローをこちらの血塊炉目がけて奔らせる。

 

 鉄菜は《モリビトシン》の駆動系に過負荷を強いた。仰け反った《モリビトシン》の循環パイプが軋み、速度と海中の重圧が干渉し合い、内蔵血塊炉が鼓動を爆発させる。

 

 刹那、《モリビトシン》の機体は跳ね上がっていた。

 

 海中内でのファントム。試した事はなかったが、《モリビトシン》の血塊炉ならば出来る、という確信があった。

 

 敵の鉤爪が捉え損なって空を穿つ。

 

 頭上に回った《モリビトシン》の刃がそのまま敵の頭蓋を打ち砕いた。

 

 一撃に留まらせるつもりはない。開いた嚆矢をそのままに、亀裂に向かってRシェルライフルを連射する。

 

 瞬く間に敵人機の装甲が膨れ上がり、内側から破裂音が響き渡った。

 

 リバウンド装甲は堅牢だが、内部に潜った銃弾が跳ね回るという欠点がある。この場合、内側へと一発でも亀裂が走ればそれだけでもこちらの好機となった。

 

 敵人機が加速を失い、緩やかに海底へと没していく。

 

 鉄菜は敵を蹴りつけさせ、《モリビトシン》を一気に海上へと飛ばせた。海面を跳ね出た途端、大写しになったのは敵艦である。

 

「もうここまで来ていたのか。……《モリビトシン》、目標を撃滅する!」

 

 敵艦のブリッジを狙い、鉄菜は《モリビトシン》を疾走させた。

 

 こちらのRシェルソードが熱を帯び、ブリッジを叩き割らんとする。

 

 確実に取った、と感じた瞬間。

 

 接近警報が耳朶を打ち、何かが《モリビトシン》へと猪突する。

 

 激震の中、鉄菜は眼前に大写しとなった新たな敵を見据えた。

 

「こいつ……突進してきた? 機体照合は……」

 

 照合結果が出る前に、敵からなんと人機の詳細情報が送信されてくる。

 

「《ゼノスロウストウジャ》……白兵戦闘特化改造機、コード、《コボルト》……。この機体の名前か。自ら名乗るなど!」

 

 奔らせた剣閃を相手は紙一重で回避し、得物を振るい上げる。

 

 一振りの大剣が迫り、鉄菜は《モリビトシン》を咄嗟に横滑りさせた。

 

 相手が打ち下ろした直後を狙い、刃を血塊炉に叩き込もうとする。だが、その太刀筋さえも読んだかのように相手は袖口から出現させた小太刀を用いて受け止めていた。

 

「こいつ……!」

 

 歯噛みした鉄菜がRシェルソードを下段より振るい上げる。敵は刃を沿わせ、《モリビトシン》の首を狙って一閃させた。

 

 それをこちらはわざと身を反らせて回避し、返す刀を敵の片腕を取るべく打ち上げる。

 

 一閃を相手は機体を反転させて凌ぎ、大剣を横薙ぎに払った。

 

 叩き込まれかけた一撃を《モリビトシン》の剣筋がいなす。

 

「こちらの太刀筋を読んでくる? ……何者だ、この操主!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯197 恩讐の敵

 

 間違いなかった。打ち合えば自然と分かる。予感はあったのだ。しかしその予感が確信と変わった瞬間の、何と甘美な事か。

 

 モリビト出現の報より打ち震えていたこの身体が、生命の喜びに発露する。

 

《コボルト》が刃を軋らせ、敵人機と壮絶に打ち合った。お互い、少しでも気を緩めれば一撃。その太刀筋、見間違えようのない。

 

「……よもやまた合間見えるとは。俺の宿願……、この戦場で生きる事への執着。我が滅びぬ身体を祝福と受け取ったのは初めてだ! モリビト!」

 

 打ち下ろした一閃を相手は受け流しつつ、こちらの血塊炉を引き裂かんと迫る。その挙動に、UDは高鳴っていた。

 

 昂っていたのだ。

 

 この戦い――あの時のモリビトとその操主。

 

「まさかの因縁、まさかの邂逅! 生きてこの身を恥じた事を、少しばかり後悔した! 今はただ、戦場の一太刀に生きる羅刹だ!」

 

 刃が干渉し合い、敵人機が盾のような翼を前面に展開する。無理やり引き剥がされた形の《コボルト》へと銃撃が見舞われた。

 

「なんと! 銃にもなるのか! だがこちらは! ただただ貴様と打ち合うのみに在り!」

 

 袖口に装備していた小太刀を《コボルト》は射出させる。

 

 モリビトが飛翔して、放たれた小太刀を避けた。途端、小太刀が爆砕する。

 

 伸ばしていたワイヤーを《コボルト》は引き戻した。

 

「……小手先は通じんか。それでこそだ! モリビト!」

 

《コボルト》が急加速してモリビトへと刃を見舞う。斜へと奔った一閃を敵は剣で受け止めた。

 

 干渉波のスパークが散る中、UDは確信する。

 

 このモリビトこそ、自分の怨敵。打ち倒すべき相手であると。

 

「一度の邂逅で喜んでばかりもいられまいな。だが! その一刹那に生きるのが! 死狂いと言うもの!」

 

 剣先を変位させ、首狩りの一撃を浴びせるが、敵はそれさえも読んでくる。心地よい昂揚感が虚無の身体を満たしていく。

 

「死を忘れ、亡国の徒と成り果てたこの身でさえも歓喜させよ! そして知るがいい! この身を流れる恩讐の血は! その一機のみでは贖えると思うな!」

 

 正眼に打ち下ろした一撃を敵は受け止める。《コボルト》は下方に入ったモリビトを蹴りつけた。

 

 海面を弾かせて挙動するモリビトを《コボルト》が追い立てる。

 

 海面ギリギリ。こちらでさえもいつ、何が起こって海に没するか分からない。

 

 だが、それでも知った事か。

 

 戦う事でのみこの身体が贖えるのならば。罪に塗れたその体躯が浄罪する術がその一つに集約されるのならば。

 

「……貴様を討ち滅ぼせるのなら、俺は喜んで、羅刹に魂を売り渡す!」

 

 小太刀がワイヤーを伸長させて発射される。敵人機はそれを弾き落とし、高空へと至った。

 

 上空よりの銃撃網が《コボルト》を襲うが、その程度なんて事はない。

 

「剣で弾けるのならば! 恐れるまでもないぞ!」

 

 太刀で弾き落としたこちらの挙動に相手は当惑した様子。その隙を逃さず、《コボルト》は至近距離戦闘を選んだ。

 

 間合いを詰めて刃を薙ぎ払う。

 

 一閃を飛び越えた相手とこちらの眼差しが交錯した。

 

 モリビトの緑の眼光と《コボルト》の赤い眼光が中空で睨み合う。それさえも暫時の瞬き。

 

 直後にはお互いに放った剣筋が相手へと叩き込まれたかに思われたが、両者共に決定打とはならない。

 

「……いいぞ。この程度で墜ちてくれるな。もっと俺を! この魂を意味あるものに変えてみせろ! モリビト!」

 

《コボルト》と共に雄叫びを上げつつ、UDはモリビトへと刃を浴びせかけんとする。あちらも必殺の勢いを伴わせて剣を打ち下ろした。

 

 両者、剣筋が決しようとしたその時、横合いから放たれた銃撃に、習い性の身体が制動をかける。

 

 モリビトの剣もかかる前に止まった。

 

「何奴!」

 

 走った声音に敵影を照準させる。

 

 その目視する先にあったのは、間違いなく《バーゴイル》であった。

 

 ただし、その国籍と所属軍歴は抹消されている。

 

「……登録認証のない人機だと。まさか!」

 

《バーゴイル》よりプレスガンが見舞われる。それも一つや二つではない。

 

「十機編成を超える《バーゴイル》の集団……。あれが音に聞く惑星博愛の徒。その名は確か……」

 

 紡ぐ前に狙われているのはこちらであった。

 

 さすがに水が差されたとなれば決戦は持ち越しにするしかない。

 

 ちょうど旗艦も敵の照準に入ったところであろう。艦を守り通すのが自分の責務である。

 

「……モリビト。これで終わりと思うな。我が名はUD。貴様を討つために全てを捨てた、シビトである」

 

《コボルト》が反転し、艦の守りへと戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何だったんだ。あの操主」

 

 凄まじい打ち合いを中断させたのはどちらかの火線ではない。不意に湧いた銃撃の先を目にした鉄菜は熱源の数に仰天する。

 

「……二十を超える高熱源……。軍隊か?」

 

 こちらの守りに入った《バーゴイル》はしかし、登録認証を剥奪されていた。色もゾル国ベースの黒ではない。灰色の《バーゴイル》がアンヘル相手に弾幕を張る。

 

 相手は戸惑っているのか、あるいは織り込み済みの事象なのか、本腰を入れて撃ってくる気配はない。

 

 アンヘルとC連邦の旗艦が反転機動に入ったのを確認して、《バーゴイル》十機編隊はプレスガンの銃撃網を仕舞った。

 

 浮上した《ゴフェル》から通信が接続される。

 

『クロ! 無事……?』

 

「ああ。私は何とか。だが、こいつらは……」

 

 言葉をなくしている鉄菜へと、暗号通信が用いられる。敵の通信領域に入れば厄介なのは疑いようもない。鉄菜は《ゴフェル》に繋がせた。

 

「敵が通信を打ってきている。ゴロウにハブさせてくれ。こちらが直通させるのは間違っているだろう」

 

『分かったわ。ゴロウ、暗号通信よ。出来るわよね?』

 

『誰に物を言っている。そちらの所属を問う。此の方がブルブラッドキャリアだと知っていて援護に入ったのか』

 

 その質問に相手は応じる。

 

『通信感謝する。我々の名前は惑星博愛主義者、ラヴァーズ。その旗艦である《ビッグナナツー》が合流を求めている』

 

「《ビッグナナツー》……」

 

 見渡した視線の先にいたのは、艦船クラスの人機の反応であった。

 

 まさか、と鉄菜は息を呑む。ナナツーの象徴たるキャノピーをそのまま引き移したかのような意匠を持つ甲板には、無数の人機が駐在していた。

 

《バーゴイル》は二十機以上。ナナツーも十機は確実。そのような軍隊などどこを探してもあるはずがない。

 

 戸惑う鉄菜を他所に、相手はゴロウへと交渉を試みていた。

 

『どうだろうか。我々ラヴァーズと合同戦線を結んでもらうのは』

 

『……助けてもらって恐縮だが、我々はそう容易く相手を信用出来なくってね。そちらの目的と、人員と、それにラヴァーズなる組織の是非を問う』

 

『待ってくれ。こちらの代表者は甲板にいる。通信は……実はこちらも自由ではないんだ。完全に通信網を明け渡していて、一方通行しか出来ない』

 

 そのような組織などあるものか。鉄菜は浮上した《ゴフェル》の甲板に《モリビトシン》を降り立たせた。

 

 ビーストモードで相手を射線に入れている《ナインライヴス》に接触回線を開かせる。

 

「……どう見る?」

 

『ラヴァーズ。地上で情報を集めていた時に小耳に挟んだ事はあるわ。でも、まさか実在していたなんて』

 

「実在が危ぶまれるほどの組織か?」

 

『……その信条はただ一つ。惑星を害意から守る事のみ。この星をこれ以上汚染と破壊の只中に起きたくないだけ……と聞き及んでいるけれど』

 

 どうにも信用し難い。そのような組織が存在しているなど。

 

「……桃。接触は慎重のほうがいいだろう。ゴロウも」

 

『分かっているとも。あちらに情報の優位は握らせない。それに、気になるのは……如何に強大な組織といえども、C連邦とアンヘルが尻尾を巻いて逃げ出すか、という話だ』

 

 言われてみれば確かに相手の撤退の速度はあまりに速かった。まるで心得ているか、あるいは最初から話がついているかのような動きである。

 

「アンヘルと繋がりが」

 

『ないとも限らんな。相手の艦船に注意を払え。そうでなくとも三十機近くの人機が相手では、こちらはたったの三機。逃げ腰にもなる』

 

 そういえば、と鉄菜は桃へと問い返していた。

 

「《イドラオルガノン》は……?」

 

『それが……戦闘の中で通信が途絶してしまって……。それ以降足取りが掴めないの。こちらにミサイルを撃ってきたところまでは捕捉しているんだけれど』

 

「三機どころではないな。二機ではさすがに何も出来ない」

 

 自分達に海中用人機の危機を教えてくれた《イドラオルガノン》には感謝すべきであったが、その相手が今、どこを漂っているのかさえも分からない。

 

 鉄菜は《ビッグナナツー》の甲板で錫杖を手にする人機を視野に入れていた。

 

 他の人機とは構造がまるで違う。その一機だけ時の流れから取りこぼされたかのようだ。毛髪を思わせるケーブルをなびかせ、その人機が錫杖を払う。

 

 それだけで他、三十機近い人機が統率され、甲板へと降り立った。

 

 絶対的な一が、十を支配している。

 

 驚嘆すべき相手の動きに、言葉を失っているのも暫時。相手からの広域通信が耳朶を打った。

 

『……達する。そちらはブルブラッドキャリアだな? 我が方はラヴァーズの……不本意でありながらも頭目を取らせてもらっている。サンゾウと名乗らせてもらう。この人機の名前は《ダグラーガ》。誰がつけたわけでもないが……世界最後の中立と呼ばれている』

 

「世界最後の……中立だと」

 

 訝しげな言葉が並ぶ中、警戒を怠らない鉄菜へと《ダグラーガ》が錫杖を甲板で突いた。

 

『こちらに害意はない。貴君らが撃ってきても、何一つ抵抗はしないと誓おう。その代わりに、問いたい事がある。ブルブラッドキャリア。その目的は未だに……惑星への報復なのか?』

 

 この答え如何では、という予感があった。鉄菜は《ゴフェル》に収まるニナイに判断を仰がせる。

 

「この場合は、ニナイが応じるべきだろう」

 

 暫時、沈黙が流れる。慎重を期す答えの先をニナイが口にしていた。

 

『……その答えは、惑星次第と言うべきかしら。今は、アンヘルの横暴が許せず、こうして抗いの刃を振るっている。それのみ』

 

 相手側も沈黙する。警戒を解かない鉄菜へと《ダグラーガ》のピンク色のデュアルアイセンサーが見据えた。

 

『……いいだろう。その志、害はないと推測する。皆の者、ブルブラッドキャリアの者達を迎え入れる。我らラヴァーズに』

 

《バーゴイル》が高空で警戒しつつ、ナナツーの照準が解かれていく。三十機近い敵意の波が凪いでいくのはどこか滑稽でもあった。

 

『迎え入れる、か……。未だに読めないな。接触は極めて限定的に行うべきだろう』

 

 ゴロウの忠言に鉄菜は唾を飲み下す。新たなる脅威の存在に、ただただ口を閉ざすのみであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯198 2人の島

 離れ小島があっただけでも幸運だと思うべきか。あるいは、《ゴフェル》の関知領域を離れた時点で下策か。

 

《イドラオルガノン》は敵艦への強襲を仕掛けようと足掻いたが、結局、空中で展開される《モリビトシン》と敵人機の壮絶な戦いを前に何も出来なかった。

 

 援護も儘ならず、敵艦の下を撃たれないように息を殺すという醜態を演じた。

 

 蜜柑は言葉少なであったし、林檎はもっとそうだ。

 

 何かを成すためにここまで来たというのに、何も出来ないままだとは。

 

 アームレイカーに入れた手を拳に変え、林檎は歯噛みする。

 

 ただただ、無力感を噛み締めるのみ。

 

「……林檎、接近する敵影を前にして、逃亡を選んだのは何も間違いじゃないと思う」

 

「でも、その結果が……何も出来ないなんて……笑えもしない」

 

 浮上した《イドラオルガノン》が周辺を見渡す。ブルブラッド大気汚染は濃いままだ。通信も途絶した今となっては、《ゴフェル》への合流手段も限られている。

 

「エネルギー残量も少しだけまずい。ここは様子見にしよう、林檎。あまり動いても仕方ないよ」

 

 蜜柑がガンナーのスコープから視線を外し、こちらを仰ぎ見る。

 

 林檎はアームレイカーから手を離していた。

 

「……何も出来ない。ボクらは……何も」

 

「……せめて海中用人機の被害が少なかったのを祈るのみ、だね……」

 

 敵影を前にして、このような失態、自分自身が何よりも許せない。

 

 頚部コックピットを開き、林檎は《イドラオルガノン》より降り立っていた。

 

 第二世代の人造血続である自分達は汚染大気の中でもマスクと浄化装置なしで行動出来る。

 

 軽業師めいた動きで砂浜に下りた林檎に比して、蜜柑は慎重に、昇降用エレベーターに足をかけていた。

 

 いつもの事ながら、蜜柑は鈍くさい。呆れた林檎はそのまま、ブルブラッドの原生林へと入っていた。

 

 離れ小島はブルブラッド鉱石で出来た樹木と岩礁ばかり。

 

 青く光沢を放つその岩礁に林檎は腰かけていた。

 

 寄せては返す波。この世の終わりのように空を覆う虹色の皮膜。水平線は虹と青で醜く澱んでいる。

 

 潮騒を聴くたびに、林檎は胸に押し寄せてくる感情を拭えなかった。

 

 身体を折り曲げて、林檎は咽び泣く。

 

「……どうして、ボクがこんな惨めな目に遭わなくっちゃいけないんだ!」

 

 叫んだ声と共に拳を打ち下ろす。行き場のない衝動が胸の中で蠢動する。

 

 ――どうして勝てなかった? どうしてこんな失態ばかり。

 

 その念に支配された林檎はただただ、泣き喚くのみであった。

 

 さめざめと頬を濡らす涙に、ああと呻く。

 

「ボクはこんなにも……無力だったなんて」

 

 嘆いたところで何も始まるまい。だが嘆くだけの余裕もなかった。《ゴフェル》では強く振舞うしかなかったし、その前の操主選定試験ではもっとだ。

 

 一度として弱音を吐けなかった。その悔恨ばかりが去来する。

 

「ボクは……何のために……造られたんだ……」

 

 こんな惨めな存在を自覚するためなのか。旧式の血続に遅れを取る自分なんていないほうが……。

 

 そう考えた瞬間、背後に気配を覚えた。

 

「蜜柑……」

 

 振り返った林檎の視線の先にいたのは、しかし蜜柑ではない。

 

 知らない女性であった。鍛え上げられたその体躯がインナースーツで露になっている。

 

 手にあるのが銃だと認識したのは恐らくこちらのほうが随分と遅かっただろう。射線に入れられて、林檎は言葉をなくす。

 

「動くな……、お前は……もしかしてC連邦の新兵か?」

 

 違うとも言えず、相手の気迫を前に林檎は押し黙る。

 

「何とか言え! この有毒大気の中で、よくも……!」

 

 マスクなしの自分を女性は警戒しているようであった。林檎は慎重に口を開く。ここで返答をまかり間違えれば撃たれるだろう。

 

 しかし、頭の中に気の利いた台詞は浮かんでこない。こういった時のマニュアルはあったはずだが、咄嗟には役に立たないものだ。

 

 口ごもっている林檎に、相手は歩み寄って気づいたらしい。

 

「……泣いていたのか」

 

 その言葉に林檎は涙を拭う。

 

「……泣いてないっ!」

 

 必死に取り繕ったこちらに、相手は銃口を下ろす。何が起因したのか、敵兵は殺意を緩ませた。

 

「……この海域にはC連邦と……悪名高いアンヘルが作戦展開していた。ブルブラッドキャリアも……! だから、もしはぐれただけの連邦兵ならば今は逃がす。はぐれ兵を殺してまで武勲を得たいとは思わないからだ」

 

 どこか潔いその声音に林檎は唖然としていた。相手の思惑も分からないのに殺さずに捨て置くというのか。馬鹿にされているような気がして林檎はいきり立った。

 

「……何言っているんだ。敵兵は見つければ殺すのが常識だろ!」

 

 食ってかかったこちらに、相手は身を翻す。どこか涼しげなその眼差しがこちらの浮き足立った動きを嘲笑した。

 

「……このような孤島で殺し合いか? どこの国の所属かは知らないが、野蛮人の理論だ」

 

 地上の人間に嗤われるいわれはない。林檎はむきになって言い返していた。

 

「そっちだって! バカじゃないの? インナー姿で出てくるなんてさ!」

 

「この濃度のブルブラッド大気下でマスクなしの人間に言われたくもない」

 

 ぐっと言葉を詰まらせた林檎に相手は森林地帯を指差す。

 

「ここから五十メートルのところに洞穴がある。自分は本隊と合流するまでそこで駐留予定だ」

 

「……どうしてそれをボクに言う?」

 

「……さぁな。泣き顔を見た借りかもしれん」

 

「だから! 泣いてないっての!」

 

 譲らない林檎に相手は顎をしゃくった。

 

「好きにしろ。いずれにしたところで、今日中は動けないとは思うがな」

 

 歩み去っていくその背中に、林檎は駆け出しかけて手首の通信装置が起動したのを確認する。

 

「蜜柑? ……どうかした?」

 

『計測したところ、今より三十分以内に高濃度ブルブラッドの酸性雨が降ってくる。霧も濃いし、今日中は《ゴフェル》との合流は無理かも。霧が晴れてからの行動になるけれど……』

 

 林檎は呆然とする。まさか、それを読んでいたというのか。惑星の人間が?

 

 ここで《イドラオルガノン》に戻って待機、という手もある。しかし、どこかその足取りが気になっていた。

 

 敵兵ならば一人でも殺してみせる。たとえ蜜柑やモリビトの助けがなくとも、自分は第二世代血続。はぐれ兵一人殺す程度、わけはないはずだ。

 

「……蜜柑。ボクはちょっとばかし野暮用が出来た」

 

『……よくないよ、そういうの。殺したって、さっきのその人が言っていたみたいに、武勲には……』

 

「聴いていたの?」

 

 その問いかけに通信の先の蜜柑が声を詰まらせた。

 

「信じらんない! 盗み聞きなんて!」

 

『……だって、どう考えてもモリビトを捨てるのは得策じゃないもん』

 

「だからって、ボクのプライベート覗くなんて! ……いいよっ! 蜜柑なんて知らないっ!」

 

 歩み出しかけた林檎へと蜜柑が通話を繋ぐ。

 

『怒らないでよ……林檎。敵兵と二人きりで過ごそうなんて……』

 

「過ごす? バカ言わないでよ。首を取ってきてやる」

 

 そうと決めた林檎は早速行動に移していた。

 

 通信域を切ってから、ブルブラッド鉱石の針葉樹へと跳躍する。身体能力ならば確実に相手より上回れるはず。樹木を蹴って足場にし、林檎は相手の動きを観察していた。

 

 自分で言った通り、洞穴があり、そこで一晩過ごすようだ。

 

「……バカな兵士。ここで殺されるとも知らずに」

 

 林檎は手近なところにあったブルブラッドの鉱石を手に取る。先端が尖った鉱石はこれだけでも充分に凶器となった。

 

 まずは音もなく接近。その後に首を掻っ切る。

 

 なに、手はずは見えている。相手に気取られなければ何も問題はないはずだ。

 

 鉱石を握り締めた林檎は樹木を掻い潜り、相手の上方に出る樹を見据えた。あの枝を蹴れば一足飛びで肉迫出来る。

 

 計算した脳裏に林檎は枝を蹴りつけ、敵兵の上を取る。確実にその刃が首を狩った、と思ったその時には、敵兵の眼差しがこちらを捉えていた。

 

 軽く半身をかわし、相手は刃を回避する。ステップを踏んだ相手の足先が林檎の顔面を捉えかけた。

 

 咄嗟に翳した手で攻撃を受け止めるも、即座に交わされた肘打ちが林檎の背筋を打ち据えた。

 

 Rスーツが痛みを殺してくれているはずなのに、背筋にビィンと振動が伝わってくる。

 

 一瞬だけ動けなくなったこちらを相手は逃さない。拳が空気を引き裂き、林檎の頬を掻っ切っていた。

 

 離脱した林檎は頬から滴る鮮血に荒く息をつく。

 

 相手は疲弊した様子もない。どうして、と林檎は睨む眼を向ける。

 

「動きに無駄が多過ぎる。そんなのでは、相手を狩るのも時間がかかる事だろう」

 

「黙れっ! ボクの何が――!」

 

 駆け抜けた林檎が呼気を詰めて鉱石を払う。敵兵は最低限の動きのみでその攻撃をさばき、足並みが砂地を蹴って林檎の鳩尾へと放たれた。

 

 膝蹴りによろめいた林檎へとすぐさまとどめの一撃が入る。

 

 取られた、と目を瞑ったその時、痛みはいつまで経っても訪れなかった。

 

 恐る恐る目を開けると、相手は拳を眼前で寸止めしていた。

 

 腰が砕けた林檎がその場にへたり込む。

 

 相手は手を払った。

 

「勝負あったな」

 

 林檎は歯噛みする。人造血続であるこちらのほうが心肺機能も、もっと言えば全身の能力も確実に地上の人間より上のはずなのに、完全に読み負けた。その悔恨を滲ませる前に相手は身を返す。

 

「無駄な動きと、やたらと主張する殺気のせいでどこをどう狙いたいのか見え過ぎだ。相手に次手を悟らせたくなければ、見せない事だな」

 

「……敵兵の癖に」

 

「こちらもその論法は可能だが、帰結する先は見えている。さて、どうするか」

 

 洞穴の前に埋まった岩石に相手は腰かける。

 

 その手が自分の武器にしていた鉱石を引っ手繰っていた。いつの間に、と林檎は眼を戦慄かせる。

 

「自分としてはここでお前が酸性雨と濃霧に抱かれて死ぬのと見てもいい」

 

 選択肢は少ないというわけだ。林檎は暫しの逡巡の後、応じていた。

 

「……敵兵と一緒に洞穴探検なんて」

 

「嫌なら死ぬか? さすがに頑丈に出来ている身体とは言え、ブルブラッド汚染そのものへの耐性は低いだろう。血中に入ったブルブラッド汚染大気はすぐにでも部分的壊死を引き起こすぞ?」

 

 引っ掻かれた頬を思い返し、林檎はさぁっと血の気が引いていくのを感じていた。

 

 無論、その程度で人造血続が死ぬはずがない。

 

 だが、よりによって顔を、ブルブラッド大気で汚染されると言われてしまえば恐怖が勝っていた。

 

 相手は得心したように頷く。

 

「医療用キットはある。その方にはないようだが」

 

《イドラオルガノン》に今からでも戻るか、と考えたが、目の前の相手から逃げ出すようでそれは出来なかった。

 

 ここでは相手の言うままに従うしかない。

 

 それがどれほどまでに不本意でも。

 

「……洞穴って言うのは、二人分くらいは」

 

「容易いはずだ。最初から素直になればいいものを。ついて来い」

 

 マスクを白く曇らせながら、敵兵が洞穴を案内する。林檎は敵の装備を今一度仔細に見つめ直した。

 

 インナー服はどこのものとも分からない。マスク形状も世界基準のものだ。現状、先ほどの発言からC連邦の兵士ではない事くらいしか明瞭ではない。

 

「……そちらの服装、見ないものだな。連邦の標準採用操主服か?」

 

 追及すれば面倒そうだ。林檎は、まぁね、と促しておく。

 

「今時の操主服はバリヤーの効果もあるのか……。マスクなしでその動きなど」

 

 どうやら相手はこちらのRスーツが特別な結界を張っているとでも思い込んでいるようだ。言及するとややこしくなるので、林檎は黙っておく。

 

 洞穴は奥まで続いており、湿った空気に白く輝く息が漏れた。

 

「寒くもないのに……」

 

「知らなかったのか? 高濃度のブルブラッド大気下では呼気は白くなる。温度は高いはずなのにな。まるで逆の現象が起こるんだ」

 

「……詳しいんだね」

 

「極地戦闘マニュアルには目を通してある。だが、自分も初めてだ。ここまでの高濃度となれば訓練通りにはいかないかもしれない」

 

「訓練、ね。見たところ、軍人……それも操主みたいだけれど」

 

「軍籍を名乗らないのが、ここでは流儀だろう。呼びにくければ名前程度は明かしてもいい」

 

 どうして相手のほうがこちらを見下しているのだろう。優位なのは自分のはずだ。

 

「ボクは林檎。林檎・ミキタカ」

 

 初めに名乗る事で優位を取ったつもりであった。しかし相手は事もなさげに言い放つ。

 

「そうか。林檎、だが敵を前にして名乗ればでは、殺しにくくなるかと言えばそうでもない」

 

 その手にある鉱石に林檎は怖気が走る。まさか、と身構えた身体に相手はフッと笑みを浮かべる。

 

「冗談だ」

 

 どこまでが冗談なのか判ぜられないまま、林檎は相手の野営地に辿り着いていた。相手は洞穴の深部にテントを張っており、コンロや緊急用の備蓄食料が既に完備されていた。

 

「……遭難兵なの?」

 

「話せば長くなるが……自分は艦から出撃停止命令を無視して敵を追撃し、その末に人機の推力が落ちたのを確認してここで休息を取る事にした。ちょうど大規模な戦闘があったようだったからな。その流れ弾に当たらないように、という意味も込めて早めの野営をこしらえていたら、砂浜の影に出くわしたわけだ」

 

 それが自分だったというのはとてつもなく間抜けに思えた。林檎はふんと鼻を鳴らす。

 

「放っておけばよかったのに」

 

「そうもいかない。敵兵は殺せという鉄則だ。だが……その敵が未熟となれば話は変ってくる」

 

「殺そうとしたのに?」

 

「……それも込みで未熟ならば」

 

 どう言い繕ってもこちらの落ち度は消せそうにない。林檎はその場に座り込んだ。相手が救急キットから絆創膏を取り出す。

 

「運がいいな。まだ壊死は始まっていない」

 

 貼られた絆創膏より消毒液が滲み出てくる。その痛みに林檎はきつく目を瞑った。

 

「おかしな兵士だ。殺し合いには慣れている様子なのに、どことなくぎこちない。……C連邦の兵士の熟練度じゃないな」

 

「そっちだって。連邦兵なら先の戦闘で割りを食うからってここなんかを選んだりしないはず。……他国の兵士なら、何だってこんな場所まで来たのさ」

 

 その問いかけに相手はコンロを点けつつ応じていた。コンロの火は白くたゆたっている。

 

「……とある因縁でな。艦隊が大打撃を受けた。その人機を追う事を、自分は許されていなかった。自分とその中央艦にいる兵士は別物だと。だが……そのような事で割り切れるはずもない。別物だというのならば、果敢に向かって散っていった兵士の命は意味がない代物だとでも? そのような論法、反吐が出るだけだ」

 

 どことなく反骨精神が見え隠れする兵士であった。そこまで思い詰めて、まさかC連邦の真っ只中の海域まで追跡してきたというのか。

 

「それ、どうかしている。だって兵士にはそれぞれの役割があるはず。キミが、死ぬべきじゃないって判断したのならば、その時点で選定は行われているんだ。この世は残酷だからさ。選ばれる時はすぐ、だよ。ふるいにかけられている」

 

 第二世代の血続選定の時を思い返しながら放った言葉に、相手は沈痛に面を伏せていた。

 

「……それでも、自分が散っていった彼らに報いる事が出来るのか、と言えば不安になるものだ」

 

 敵兵がマスクを外す。そういえば、と林檎は鼻を利かせた。この場所は少しばかりブルブラッド大気汚染が薄い。

 

「汚染濃度ギリギリ上限を下回った。あまりに使い過ぎればいざという時にどうしようもなくなる。自分の体力を信じるしかない時もある」

 

「それこそ、野蛮人の理論じゃん」

 

 マスクを外した相手のかんばせは麗しい女性というよりも、猛々しい青年のそれに近かった。

 

 目つきは涼しげでありながら、顔全体はシャープな印象を受ける。もしインナー姿でなければ男と見間違えていたかもしれない。

 

「……かもな。自分でもどうしようもし難いのさ。この世で生きていくのならば」

 

「あのさ、コンロの火、何で白いの?」

 

 問いかけた林檎に相手は一瞥をくれる。

 

「これも逆転現象の一つ。ブルブラッド汚染下では火は白くなる」

 

「でも、ミサイルとか爆風とかは白くならないじゃん」

 

「知らん。自分は学者ではない」

 

「……何さ。知ったかぶっちゃって」

 

 膝を立てて座り込んだ相手の相貌が白い明かりに照らされて妖艶に映る。男でも女でもないような気がした。

 

「お前は……何で泣いていた?」

 

 蒸し返されて林檎はむすっと頬を膨らませる。

 

「答えたくない」

 

「そうか。腹は減らないか?」

 

 その問いには腹の虫がきゅぅと応じていた。赤面する林檎に相手は携行食を投げる。

 

「正直なのは腹だけか」

 

「悪かったね」

 

 スティック型の携行食を頬張りつつ、林檎は洞穴の天上を仰ぎ見ていた。てらてらと湿った岩壁に、何百年の営みを感じさせる鍾乳洞。

 

「ここってさ……、何百年くらいこんな感じなんだろ」

 

 惑星に降りてからずっとこの方、《イドラオルガノン》に乗りっ放しである。他の場所に訪れる余裕などなかった。

 

「さぁな。だが我々が原罪を冒す前からなのは確実だろう」

 

 百五十年前の事を言っているのか。あれは人為的な事故だったとブルブラッドキャリアでは結論付けられていた。

 

「ねぇ、そういうのってさ。別に人間全部で背負う必要あるのかな……。だって、そんなの一部の奴らがやったツケじゃん」

 

「ツケ、か。だがそのツケを払わされるのが後の世の人間だ。ならばここで手打ちにしたいと思うのは、いけない事か?」

 

 いけないわけではない。だが、そこまでしてツケを払う必要性も感じないだけだった。自分は惑星に降りた思い出が戦いしかない。

 

 ずっと資源衛星で育ってきた。だからこそ、地上の価値観は分からない。

 

 どうして人々はこんな虹の皮膜の星をすぐに出ていなかったのか。どうして、もっと深刻になる前に手段を取ろうとしなかったのか。何もかも手遅れになってから、では償おうというのは筋違いも甚だしいのではないか。

 

「……分かんないな。だって、もっと賢い大人って居なかったのかなってさ」

 

「賢い大人は居たはずだ。だが賢い大人が、では導き手になりうるかと言えばそうではないのだろう。賢ければ、誰もが従うかという話に直結しないのと同じだ」

 

「ヒトは争う生き物だからね」

 

 きっと下らない事で争っている間に何もかもが手遅れになってしまったに違いない。この星ももう腐り落ちる前の果実なのだ。

 

 いつ誰が、その判断を下してもおかしくはない。誰もが保留にしようとしているその決断を誰が下すのか。

 

 その判定者こそがブルブラッドキャリアなのだと思っていた。

 

 熟し切る前に、果実を剪定する。それが自分達の役目なのだと。

 

 しかし、そのような大局、所詮は隠れ蓑の言い訳に過ぎない。

 

 どれほどまでに理想を高く掲げたところで、狩り取る手段を持つのは一握りなのだ。それを鉄菜との差で痛いほどに分かった。

自分達はスペック上の数値を見ていたに過ぎない。数値で測れない事が多過ぎて、林檎の頭の中はパンクしそうだった。

 

「……難しい事を考えているな。顔に似合わないぞ、サル顔」

 

 気にしていた事を言われ、林檎はむかっ腹が立った。

 

「むっ! それ、言っちゃいけない事だね、ボクには!」

 

「ではどうするか。先ほどから聞こえてくるだろう? 雨はもう降り始めている。外には出れないぞ」

 

 分かっていて言ったのだろうか。そう考えると林檎は馬鹿正直に向き合っているのも嫌になった。

 

「……男女」

 

「言われ慣れている」

 

 その一言でこちらの攻勢を削いだ相手に林檎は先ほどからペースを崩されっ放しであった。新たに相手は道具を出す。ランタンが点き、より一層、洞窟内を照らし出した。

 

 その瞬間、林檎の視界に大写しになったのは不気味なほどに真っ青に染まった岩肌であった。

 

 どれもこれも、生き物の気配一つない。

 

 虫けらでも飛んでいればまだマシだ。何の気配もない。生物の吐息を完全に潰し切った静寂の岩壁ばかりであった。

 

「……本当に、生き物は絶滅したんだ」

 

「外に出てそれを実感する兵が多いと聞く。コミューンの中ではまだ虫も、小動物も生きているからな。だが、百五十年前の環境を取り戻すのにはまだ足りないのだと言う。まだまだ、この星は棲めぬ領域だ。ヒトだけがこうして人機という鋼鉄の鎧を着て闊歩するのは、ともすれば間違っているのかもしれないな」

 

「学者じゃないって言ったじゃん」

 

「ああ。兵士の一意見だ。参考にする必要はない」

 

 コンロで沸かしているのはコーヒーであろう。芳しい香りが洞窟に充満する。

 

「……ここってさ。果ての果てなのかもね。生き物の辿り着く……」

 

 どうして自分でもそのような言葉が出たのかは分からない。分からないが、この星が重罪を抱えつつ流転しているのは窺えた。

 

「だとすれば、この場所は輪廻の果て。地獄絵図だろうな。一歩でも外に出れば汚染の染み渡った酸性雨と濃霧、それに紺碧の暗夜。……どれほどまでに悪逆を積めば、このような場所に堕とされるのだろうな」

 

 それこそ、人類全体のツケの事を彼女は言っているのだろうか。その答えだけが保留のまま、沸点に達したコーヒーを相手はカップに注ぐ。

 

 手渡されて、ハッと林檎は硬直した。

 

「何だ?」

 

「……毒入りかも」

 

「では自分が先に飲む」

 

 迷わず飲んでみせた相手に林檎はどこかむきになって沸騰した器に手を伸ばした。

 

「おい、危な――」

 

「熱っ!」

 

 指先が触れただけで器が倒れ、コーヒーが砂を濡らしていく。黒々とした液体から湯気が漂うのを林檎は放心したように眺めていた。

 

「……また沸かし直しか」

 

「……ゴメン。ボク……」

 

「いい。信用出来ないのは当たり前だ」

 

 それでも相手はどこか信用していたからコーヒーを差し出してくれたのではないか。そう慮った林檎に相手は無口であった。

 

 携行食を食べ切って再びコンロを点ける。暫し、気まずい沈黙が流れた。

 

 相手がどうしてだかテントに入らないのを、林檎は訝しげに見やる。

 

「……休みなよ。ボクが見ているから」

 

「そうはいかない。火は熾したものの責任だ。それを全うする」

 

 火は熾したものの責任。その言葉が重く沈殿する。

 

 この戦火は果たして惑星か、それともブルブラッドキャリアか。どっちが始めた戦いだとはもう言えなかった。

 

 ただ互いに譲れない領域まで来てしまったのだけは確かな様子だ。

 

「火と言うものを見ている時折、考える事がある。人機で戦って、相手と鍔迫り合いを繰り広げて起こす火も、間違いなくこれと同じもののはずなのに、どうしてこちらは……純粋な目で見られるのだろう。大きいか小さいかだけの差だ。そこに、善悪を介入させる余地はないはずなのに」

 

 その火に線引きを与えるのが人なのだろう。これは自分達のための火。これは相手を葬るための火。

 

 違いなんてどっちにもありはしない。ただ都合のいいほうに傾けているだけだ。

 

「……ボクも、こうやって落ち着いて火を見るのは初めてかもしれない。ずっと、どっちかの火ばっかり見てきたから。自分達のための火なのか。誰かのための火なのかって」

 

「答えは出るか?」

 

 林檎は黙って頭を振る。相手も同じ答えのようだった。

 

「そうだな。そう容易く答えが出れば……何百年も人は争い合っていないだろう」

 

 この火に意味を見出すのは勝手だ。だが答えなんて傲慢が過ぎる。

 

 そんな不確かなものを争い合って、何百年も平行線など。

 

「キミは? なんていう名前なのさ」

 

「聞いてどうなる? 明日にはともすれば敵同士になる身分だ」

 

 かもしれない。だが、それでも他人に名前を聞くのは生まれて初めてのことだった。

 

「……名前を知らない人間ばっかりだったからさ。妹以外、まともに名前知っている大人なんて、片手で数えるほどしかいないや」

 

 自嘲気味に口にしたのを、相手はどう思ったのだろう。

 

 淡白に、それを告げていた。

 

「……レジーナだ」

 

「レジーナ? それがキミの?」

 

「ああ。男でも女でもないような人間にはお似合いの名前さ」

 

 そうとは思わなかった。素敵な名前だ、と口にしようとして、あまりにもくさいとやはり口を噤んだ。

 

「人機に乗れば、相手の顔なんて見えない」

 

「撃てばいいだけだからな」

 

「でも、それって思考停止なんじゃないかって、今考えてる」

 

「そうでもないだろう。どの新兵でも叩き込まれる事だ。相手の家族も、相手の背景も、何も考える必要はない。引き金を絞ればいいだけだ。それだけのシンプルな帰結に集約される」

 

 それが戦場。それが自分達の合い争う理由。理解出来ていても、どうしてここまで虚しいのだろう。

 

 銃弾を撃ち込むためだけに、この指はあるはずじゃないのに。

 

 掌を見やっていた林檎にレジーナは口にする。

 

「深くは考えるな。兵士の役目はいつだって、そういったロジックとはかけ離れた場所にある。ロジックは暇潰しの道具にはもってこいだが、それを戦場に持ち込めば自滅する。誰もが分かっていて答えを出さないのは、それが自分の命の導線に繋がっているのだと、理解しているからだ」

 

 だとすれば、と林檎は自然と口走っていた。

 

「……大人ってズルイ」

 

「かもしれないな」

 

 コンロの火をずっと見ていると、林檎はこれまでの日々が回顧されていくようであった。

 

 戦いに明け暮れ、何もかもが試練だと割り切ったこれまで。地上に降りてもその役目は敵陣への突っ切る事に集約される。

 

 相手を倒す事のみを考えればいいのだろうか。

 

 桃も、蜜柑も……ニナイ達大人も、それを期待しているのだろうか。

 

 鉄菜は、そうではないような気がしていた。だから気に食わないのかもしれない。だから、どこかで分かり合えないのだと思い込んでいるのかもしれなかった。

 

 自分にないものを持っているから。自分にない眼差しで、世界を見ているから。

 

「……多分、でもこの世界をどうこう出来る奴っていうのは、大人ってズルイなんて、言わないんだと思う」

 

「同感だな。他人の狡さや割を食う事を考えるよりもまず、自分のするべき事を全うする。それしか頭にないような人間が、実のところ世界には相応しいのかもしれない」

 

 自分は、と考えかけてカップが差し出された。

 

 鼻腔を突き抜ける甘ったるい香りのコーヒーに、今度は自然と受け取っていた。

 

「コーヒーだけは裏切らない。特定の湿度、特定の沸点、特定の温度調節でのみ抽出される味はこの世で一番に信用出来る。鉛弾よりも」

 

 その言葉振りを聞きつつ、林檎は口をつけていた。思っていたよりも熱く、舌を出してしまう。

 

「……苦いね」

 

「そういうものなのだろう」

 

 レジーナもコーヒーを呷る。二人して呆けたように天上へと視線を吸い込ませていた。

 

「きっと、こういうほうがいいんだろうな。虹色なんて言う、まやかしの色よりかは」

 

 それがどれほどまでに汚れた証でも、まやかしを見せ付けられるよりかはマシなのかもしれない。

 

「かもね。でも、ボクらはまやかしに生きるしかない」

 

 そうだとも。この瞬間だってまやかしだ。自分とレジーナは人機に乗れば敵同士。銃口を突きつけあうのがどれほど虚しいのか語っても、あるいはお互いの境遇をどれほど知ったところで、きっと戦場で意味を成すのは単純な答えなのだろう。

 

 相手を撃つか、撃たれるか。

 

 そんな意味を見出すために、自分は生まれてきた。ほとんどの地上の人間はどうだか知らないが、自分に限っては確かにそうだ。この世に生れ落ちたのは、相手を倒すために。地上へと報復の刃を向けるためだけに。

 

 そう思い切っていた。思い込んでいた。

 

 誰かを殺せばそれが功績になると。葬った数だけ誉れなのだと。

 

 しかし地上に棲む人間がもしレジーナのようであるのならば。

 

 自分は少しばかり引き金を躊躇するかもしれない。撃つ代わりに話し合おうとでも、酔狂に言い出すかもしれない。

 

 そんな邂逅を約束してもいいくらいのコーヒーの味だった。そんなもしもを仮定してもいいくらいの、酸性雨の夜だった。

 

 雨脚が強まってくる。洞穴の中はいやに涼しげで、この世界がこんな小さな穴の中に集約されたかのようだ。

 

 この場所だけが世界で、あとは全部、悪い夢であったかのよう。

 

「……戦場に戻ったって」

 

 だからかそんな言葉が口をついて出る。レジーナはきっと、それも残酷な世界の側面だと言うはずだ。そう予感して入ると彼女はその言葉に同調した。

 

「そうだな。戦場に戻ったって、そこには憎しみと怨嗟があるだけ。こんな静かな夜は、もう期待出来ないだろう」

 

 雨音が染み渡る闇夜。戦場の足音はいやでも聞こえてくるのに、それでもこの瞬間だけは目を逸らしてもいいのではないかとお互いに感じていた。今はただ雨音だけで。

 

 それだけでいいのならば、どれほどまでに楽だろうか。

 

 生きていく事も。殺し合わずに済む事も。何もかも、落ちてきた凶星である自分には叶わない。

 

 ここで禍根の芽を摘む事も不可能ではないが、その気はもう失せていた。

 

 火を見つめたままのレジーナに林檎は尋ねる。

 

「ねぇ、もし……この島を去る時、お互いに人機を見ないのはどう?」

 

「それは敵同士である事を知らないためか」

 

 一番いいだろうと思えたのだ。自分はブルブラッドキャリアの人造血続。殺し殺されの世界でしか生きていけない。ならば、この眼前の人間とだけでも、殺し合わない誓い程度なら、まだ赦されるのではないかと。

 

 しかしレジーナは首を横に振った。

 

「駄目だな。自分達は次に会えば殺し合わなければならない。敵国であるのならばなおさらだ。目を背けて生きていく事は簡単だ。だが、ほとんどの場合、意図的に見ないようにしてきた事柄にはそれなりのツケがついて回る。ブルブラッド汚染も、この星の未来も。見ないようにしてきたから、払わされる事にも気づけない。……愚かなのは人の業以上に、見たいものしか見ないという身勝手だ」

 

「でもさ! ダメなの? 見たいものだけ見ちゃ……!」

 

 見たいものだけに目を向けて、見たくないものからは目を背けて生きるのは許されないのだろうか。林檎の問いかけにレジーナは嘆息をつく。

 

「……戦士ならば、そのようなやり方は不覚悟もいいところ。人の命を奪う事をもう自分の人生の勘定に入れているのならば、見ないようにする、などというのは既に許されるはずもない。殺してきた者達に失礼だ」

 

 自分は、もうとっくに汚れた手でその覚悟を手放そうとしていた。もう血に濡れているのに。これ以上、汚れたくないからと言って身勝手な物言いに違いない。

 

「……ボクは」

 

「深くは考えるな。どうせ、ロジックと本能は噛み合わない。それは、分かり切っている事だからだ」

 

「……ボクも、眠くなるまで火を見ているよ」

 

「いい。テントで休め」

 

「いや、ボクも見ておく」

 

 きっと、今は同じ火を見つめる事しか出来ない。そうする事でしか、自己を正当化出来ないほどに、自分達は桁違いの罪を抱えている。

 

 レジーナも自分も等しく罪人だ。

 

 殺してきたから、その言い訳をするつもりがない彼女のほうがまだ潔い。

 

 そうだ。殺してきた。何の迷いもなく、その遂行任務こそが自分の存在理由だと。

 

 領分を侵されたから、鉄菜を憎んでいただけなのだろうか。それはお門違いだというのに。

 

 自分の意志で殺してきたくせに、いざ自分が使い物にならないとなれば、言い訳ばかり並べ立てる。

 

 子供のような理屈で、誰かを傷つけ自分も傷つけていく。

 

 いつまで経っても――度し難いほどに愚か者。

 

 だから、戦い抜くしかないと思っていた。しかし、《ゴフェル》に銃口を向けた手前、そう容易くも帰れない。

 

「林檎、火とは大義だ」

 

 語り聞かせるレジーナはその双眸に寂しさを浮かべる。

 

「大義……?」

 

「大義の炎に投げ込まれた薪は燃え尽くすのみ。我々は薪なんだ。どこまでも炎を延焼させる事しか出来ない、何の力も持たない燃料。それが人間だ。だが大義のためならば、人はどこまででも炎を大きく出来る。それが星を覆うものになったとしても」

 

 その大義の炎が、世界とブルブラッドキャリアの間に横たわるものだというのか。誰かの投げ込んだ薪が、大義の炎で惑星の人々との協調を拒絶する。

 

 自分が薪なのか、それとも炎を燃やす側なのか、まるで分からなかった。

 

「……戦う事になったら、嫌だね」

 

「ああ。嫌だな。だが、それでも戦うからこそ、兵士なのだろう。嫌だと言う理屈で外れていいのは戦士ではない。それならばただの女であればいい。しかし、自分達は人機という鋼鉄の虚無を動かす事に人生を捧げる戦士だ。ならば、もう帰り道は見えなくてもいいのだろう」

 

 たとえ一方通行なだけの矢でも、自分達はもう引き絞られている。標的に命中するか、それとも空を穿つかだけの違い。

 

 そんな瑣末な違いで争い合う。

 

 林檎はコンロの火を眺め続けていた。

 

 この火が消えぬうちは、まだこのような静かな時間が続いてもいいような約束手形のような気がして、意識が落ちるまで目に焼き付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……林檎、林檎……』

 

 漏れ聞こえた通信にハッと目を覚ます。眼前にコンロはなかった。それどころかテントもレジーナがいた痕跡もない。

 

 幻だったのか、と口にしかけて、地面に置かれている携行食糧の袋が視線に入った。掴み上げると裏側には乱雑な文字が記されている。

 

「……レジーナ。行っちゃったのか。でも……」

 

 書かれているのは軍用のボールペンで刻まれたであろう文字であった。小さく、整った書体で「戦場以外で会える時を望む」と書かれている。

 

『林檎ってば……。通信が途絶してもう六時間以上! 《ゴフェル》がこっちを見つけたみたいだから、移動を開始するよ』

 

 蜜柑の声に林檎は携行食糧を手に洞穴を抜け、砂浜を駆けていった。

 

 水平線の向こう側で《ゴフェル》の甲板が朝陽に煌く。

 

 ぎゅっと握り締めた携行食糧を今一度目にする前に、移動してきた蜜柑の《イドラオルガノン》が樹林を潜ってくる。

 

『林檎! 早く戻らないと。そりゃ、不満はあるかもしれないけれど……』

 

 蜜柑は自分が戻るのをまだ渋ると考えているのだろう。林檎は素直に《イドラオルガノン》のマニピュレーターに掴まった。

 

 そのまま頚部コックピットハッチに至り、ウィザードの操縦席に座る。

 

「もうっ! こういうのはなしにしてよ……、心配したんだから。敵兵と話し込むなんて……!」

 

 蜜柑の苦言を聞き流しつつ、林檎は暗号通信がもたらされている事に気づいていた。蜜柑に見えない位置で暗号を解く。

 

 暗号に使用されているパスコードは携行食糧の末尾に記されているものと同じであった。

 

 番号は「0422」。昨日の日付である。

 

 参照機体データが浮かび上がった。

 

「《バーゴイルフェネクス》。操主、レジーナ・シーア」と記録されていた。自分にしか読む事の出来ない、レジーナの足跡である。

 

 林檎は参照アドレスに暗号メールを送った。

 

「……何してるの? 妙に静かだけれど」

 

「いや、何でも。戻ろうか、蜜柑」

 

「う、うん……。何だか昨日の事が嘘みたいだね。敵兵と会敵した事は……」

 

「報告はするよ」

 

 だがレジーナとの誓いまでは話すまい。昨夜の事は自分達だけの秘密だ。

 

 決して誰にも脅かされる事のない静謐に包まれた夜。罪の只中にあっても、ヒトはこうして、分かり合ったようになれる。

 

 人造血続であっても、それは関係のない事なのであろう。

 

 ある意味では、鉄菜が瑞葉に入れ込むような意味も分かった。

 

「……こうやって、あの旧式……いや、鉄菜は変わっていったのか」

 

「林檎……? 《イドラオルガノン》を出すよ?」

 

「うん。出してくれ」

 

《イドラオルガノン》が海中に移行し、《ゴフェル》へと帰投軌道に入った。

 

 ――きっとこの夜の事を、自分は一生忘れないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『暗号通信です。中尉に、ですよ』

 

 迎えに来た同じ隊の《フェネクス》が関知したそのメールを、レジーナは開いていた。

 

 パスコードは自分が設定したのと同じ。林檎と出会った日、昨日の夜の日付――。

 

「《モリビトイドラオルガノン》。林檎・ミキタカ」の文字列にレジーナは暫し、沈黙を挟んだ。

 

 相手は義を通してきた。ならば自分も……。

 

『どうなさいましたか? 中尉。艦隊司令部に戻れば報告をしなければならないのは分かりますが……』

 

 そうだ、兵士ならばこのメールの中身を上官に報告せねばならないだろう。

 

 世界の敵、モリビトの足跡。

 

 しかしレジーナは、そのメールを機密ファイル扱いに設定し、《フェネクス》の中に隠した。

 

 自分だけ知ればいい。彼女との夜は、得がたいものであった。ゾル国に「男」として所属しているこの身では、同性との会話など。

 

 レジーナは操主服の気密を確かめ、返答の声を吹き込む。

 

「いや、何でもない。レジーナ・シーア。帰投する」

 

 空を駆けていく黄金の《フェネクス》の軌跡が、自分の思いを物語っていた。

 

 虹のまやかしの中で、自分達は出会ったのだ。それがほとんど間違いであったとしても、これから先の戦いにおいての覚悟には必要であった。

 

 通信を遮断し、レジーナは静かに言いやる。

 

「林檎……、出来るのならば戦場以外で会いたいと思った。その気持ちに、嘘はなかったんだ」

 

 それでも、相手がモリビトならば仕方あるまい。

 

 自分はゾル国最後の要――不死鳥戦列の隊長である。

 

《フェネクス》が墜ちる時はゾル国崩落の時だ。

 

 そうと決めたレジーナの声音にもう、迷いはなかった。

 

「自分は……不死鳥の人機乗りだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰投コードが入力されたのを確認し、ニナイは《ビッグナナツー》の甲板に降り立っていた。

 

 二機のモリビトの警護はあっても、それでも物々しい空気には変わるまい。相手方は三十機近い人機の編成。物量で押し負ければこの海域で地獄に落ちるのみ。

 

 それでも、一両日経ってラヴァーズを名乗る組織からの敵対信号はなかった。

 

 それどころか、こちらの補給を易々と受け入れた相手の懐の深さに、警戒心を覚えたほどだ。

 

『……聞こえているか。ニナイ』

 

 耳にはめ込まれたゴロウへの直通にニナイは首肯する。

 

「聞こえているわよ。にしたところで、やっぱり……どこか気圧されるわね」

 

 人機ばかりが並び立つ異様な光景。甲板上に位置するナナツー警護隊は銃火器を仕舞い込み、三叉の槍を構えていた。そのままナナツーの機体を心持ち傾斜させて、頭を垂れている。

 

 まるで敬謙な信徒のように。

 

 ――否、実際に彼らは信徒なのだろう。

 

 ラヴァーズという組織を信奉する者達。最奥に位置する金色の機体が、こちらを睥睨していた。

 

 世界最後の中立。データとしては存在していたがほとんど眉唾物であった。しかし、実在の証明がこれほどまでに圧倒的だとは思いもしない。

 

《ビッグナナツー》の艦橋の前で《ダグラーガ》が頭部コックピットを明け放っている。

 

 信徒達からしてみれば、「あり得ない」光景だそうだ。操主の姿を一切見せず、この組織は成り立っていたというのか。

 

 その不確かさに怖気を覚えるより先に、曝け出された操主の姿を目にしたニナイは硬直していた。

 

 背筋に埋め込まれた循環パイプ。首から提げた数珠。僧衣を纏っているが、全身これ武器とでも言うように、彼の身体には一つとしてまともなものは見受けられなかった。

 

 どれもこれも、異様な存在感だ。

 

『……失礼。拙僧は人機からは降りられなくってな。無礼を詫びたい』

 

「……いいえ、大丈夫です。こちらも、モリビトの操主は見せていません。おあいこのようなものです」

 

 笑みを浮かべた僧兵は《ダグラーガ》を傾斜させる。驚くべき事にその操縦方法はどの国でも廃棄されているはずのマニュアルであった。

 

 二十を超える物理操縦桿に、三十を超える機体補佐の機構。どれもこれもが、この人機がこの世に在らざる存在であると告げている。

 

《ダグラーガ》から身体を持ち上げた相手がすっと手を差し出してきた。

 

 僧兵は傅くように名乗った。その唇が紡ぎ出したとは思えないほどに、硬質な声音で。

 

「サンゾウと申し上げる。この世を見つめ続けてきた俗物の名前に過ぎないが」

 

 それでも、世界最後の中立の名前には違いない。

 

 他の人機乗り達も恐らくは今も今まで知らなかったであろうラヴァーズの頭目の名前に、ニナイは差し出された手を見つめ返すのみであった。

 

 サンゾウは首を傾げる。

 

「おや……宇宙ではこの流儀は違ったかな? ブルブラッドキャリアの諸君」

 

「いえ……とても紳士的だと。ニナイです。《ゴフェル》の艦長を務めています。地上に降りたブルブラッドキャリアの、責任者も」

 

 握り返した手は人間とは思えないほど冷たかった。

 

「ニナイ女史。我々ラヴァーズはブルブラッドキャリアを……歓迎する。そして願わくは我が大願の成就、その手伝いをしていただけると助かる」

 

 ラヴァーズが何を目的にして自分達に近づくのか、どうしてアンヘルからこちらを援護したのか。

 

 謎のままに事態だけが転がっていく。

 

 少なくとも何の考えもなしに協力したわけではないのだろう。

 

 三十機近い人機が見守る中、ニナイはこの時ほど笑みが引きつった時はないと思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十章了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一章 撃つべき相手を
♯199 悪の華


 ――よう、ナナツーに乗ったっきりだったよな?

 

 そう声をかけてきた戦友は今、キャノピー型コックピットに銃撃を受けて死亡していた。黒煙の上がった空を舞うのは赤い虐殺天使達である。

 

 怨敵を睨み上げるように仰いだバーゴイルのカスタム機がプレッシャーライフルを一射した。

 

 敵から奪ったプレッシャーライフルをバーゴイル専用にダウンサイジングし、さらにその反動を殺した特別仕様の弾道が赤い天使を射抜く。

 

 命中した衝動に叫び出したい声を押し殺し、彼はバーゴイルで地上を疾駆した。飛翔に特化したバーゴイルであったが、彼の機体からはリバウンド力場を発生させる高電磁モーターが取り外され、その代わりに地を踏み締めるキャタピラが装備されていた。

 

 下半身の機動力を犠牲にした、バーゴイルの亜種。

 

 ほとんど前時代の戦車の様相に近いその機体の名を、仲間は呼んでいた。

 

『《バーゴイルネオテニー》に続け! プレッシャーの銃弾があれば相手を足止め出来る!』

 

 無論、足止め以上の事を誰も考えていないはずもなかった。ここは消耗戦。地獄の淵の淵。この世の終わりに爪先立ちの状態だ。

 

 それでも抵抗しなければ無意味に詰まれていく命。それを惜しいと思わないほど人でなしではない。

 

 彼の《バーゴイルネオテニー》を含め、現状、火線を張っている人機はどれも一線級あった。

 

 改造型の人機は相手からしてみればマニュアルの範疇外であろう。如何に悪名高いアンヘルといえども、違法改造に近い人機を相手取るのには時間がかかるらしい。

 

 こちらもただ無為に戦端を切り拓いているわけでもない。

 

 地上を行く歩兵部隊に声がかかった。

 

『アンチブルブラッド爆雷! ゴー! ゴー! ゴー!』

 

 地上より空中へと撃ち放たれたのは青白い瘴気を棚引かせる炸裂弾であった。それに触れた途端、赤い《スロウストウジャ弐式》の動きが鈍っていく。

 

 アンチブルブラッド兵器は市場流通している、最も人機へと有効な兵装であった。歩兵が主に使用するのは、所詮、そのおこぼれの一部以下であったが、有能な指揮官が使用すればその威力は何倍にも増す。

 

 アンヘルの人機が少しずつ高度を落とすのを、高高度狙撃用に片腕を犠牲にしたナナツーが撃墜していく。

 

『消耗品兵共が……』

 

 相手の声音が通信網に焼きつく。

 

 消耗品兵。自分達は大国にそのように呼ばれているらしい。このコミューンで運用されている人機の形状に由来しているそうだ。

 

 どの人機もどこかが欠損している。

 

 自分のバーゴイルは翼をもがれ、狙撃用のナナツーは片腕、あるいは足がない。

 

 他の機体も然り。

 

 頭のないロンドは地上で遠隔操作されており、両腕がなくさらに言えば足さえもない胴体だけの人機も使われているほどだ。

 

 胴体だけの人機の使い道はそれ以外のハードポイントに武器を装備出来る事。

 

 人機の持つ汎用性が最大限に活かされた結果だ。

 

 頭に砲門、両腕にガトリング、足にはキャタピラ。最早、人機の面影を残していない兵器でも、この末端の戦場では役立つ。

 

『何時間だ!』

 

 叫んだ仲間へと広域通信がもたらされた。

 

『現状、アンヘルが介入して六時間……、快挙ですよ、これは!』

 

 そうだとも。アンヘルにここまで手こずらせるコミューンはそうそうあるまい。

 

 ほとんどの人機が型落ち以下なのに対して相手は新型で向かってくるしかないのだが、如何せん、こちらの戦力を舐め切った相手の戦法ではいわゆる「ゲテモノ人機」は相手取れないだろう。

 

 こっちは足も手も、何もかも失った達磨でも、相手へと牙を剥ける。比して、敵は新型機でおっかなびっくりの射撃を繰り返すばかり。

 

 懐に潜り込んで先ほど、ナナツーが血塊炉に巻いていた炸裂爆雷で足を止めた仲間の事を覚えているのだろう。

 

 戦場で棒立ちになった《スロウストウジャ弐式》を自分達は滅多打ちにした。

 

 まず手足をもぎ、コックピット部である頭部を引っぺがしてから、じわじわとコックピットに刃を差し込んでいく。

 

 この戦法が思いのほか効いたらしい。敵はこちらへと積極的な白兵戦闘を選んでくる事はなくなった。

 

 六時間も凌げているのはそれも一因。あとは腕のいい操主達が揃っているからだ。

 

 たとえどの人機も欠陥品であったとしても、ジャンクを一級品の武器に変えるのは操主の腕一つ。

 

《バーゴイルネオテニー》も本部が生み出した新たなる人機の形であった。

 

 プレッシャー兵器に耐え得るために、肩口に増強された装甲。膨れ上がった末端肥大気味な両腕は他のバーゴイルにはない圧倒的な膂力を携える。

 

 その力で敵兵の骸を跳ね飛ばし、プレッシャーライフルを今も空域で困惑しているトウジャへと照射する。

 

 また一機、撃墜された機体がコミューン外壁へと落下した。

 

 焦土は青く染まり、人機の血が流れている。

 

 絶えずガトリングで応戦するこちらに対して相手は全く有効打を見出せないようであった。

 

 せせら笑う声が通信に響く。

 

『ビビッてやんの。撃ちたきゃ撃てよ! 腰抜け!』

 

 狙撃用ナナツーがトウジャの編成を狂わせる。その精密狙撃に相手の最新型のOSが悲鳴を上げているようであった。

 

『型落ちって舐め腐ってんな! こちとらてめぇらが母親の腹ん中にいる時から、ずぅっと戦場だ!』

 

 鉛弾を撃ち込む事にかけてはほとんどプロ。連中は所詮、寄せ集めの才能の塊であるのだが、こちらは先鋭された衆愚の成れの果てであった。

 

 愚か者でも、矢を番い追い立てる事に長ければ、それは最早、狩人。

 

 狩人の集団に迷い込んだ高品種の子羊など、何の価値があるものか。同じ草食の平原で育ったとしても天と地ほどの開きがある。

 

 こちらは生きるためならば生き血を啜り、時には同族の肉をも食らう事を選んだ雑食兵。

 

 相手はまだまだひよっこの新兵ばかり。

 

 その差が如実に現れ、敵兵がうろたえている間にも、こちらの放った焼夷弾が先ほど撃墜したトウジャを炎で押し包んだ。

 

 全身から青い血を噴き出したトウジャをナナツー編隊が削り飛ばしていく。

 

 地を駆け抜けるナナツー部隊が持つのは鍬のような武装であった。鍬と槍。この二つで武装したナナツーを使役する。

 

 百姓編隊、とあだ名されている彼らは実際のところ、戦線を切り拓くのには欠かせない。

 

 彼らが墜ちた敵機を奪い取り、さらに言えば新たな武器を生み出す事で、型落ち部隊にも潤いが満たされる。

 

 彼らの努力なくして、戦線は維持出来ないのだ。

 

 感謝の信号弾を送りつつ、自分はアンヘルの部隊を削るのに一時として隙は見せない。

 

 プレッシャー兵器の飛び交う戦場を歩兵が行く様はどこか滑稽であり、なおかつ危なっかしいが、人機だけで賄い切れない戦場を歩兵は充填する。

 

 何よりも歩兵部隊しか、アンチブルブラッド兵装は使用出来ない。人機に積めばたちどころに使用不可能になるからだ。諸刃の剣を使いこなしつつ、虐殺天使達がにわかに押され始めているのを感じていた。

 

『行ける……、行けるぜ! この戦場!』

 

『ああ! 覆せる!』

 

 その声が武勇となり、彼らの行く道に勇気と言う名の松明を灯した。ナナツー編隊、バーゴイル部隊が最新型のトウジャを圧倒し、打ち克つ。

 

 そのビジョンが脳内で実感を伴った瞬間、何かが戦場の地平に降り立った。

 

『はぁ? 白い……バーゴイルだと?』

 

 仲間の発した素っ頓狂な声に《バーゴイルネオテニー》を操る自分は目を白黒させる。

 

 高高度狙撃用ナナツーから同期された映像には克明に白いバーゴイルが映し出されていた。

 

『黒カラス部隊でなく、白いカラスを使うだって? 赤い天使共も随分と疲弊して来やがったもんだ!』

 

 C連邦とアンヘルがゾル国に下ったというニュースはない。ならばあれは鹵獲した機体であろうか。鹵獲の証に敵機をパーソナルカラーに染め上げるのは何も珍しい文化ではない。

 

『ありったけの弾丸を叩き込んでやれ! 俺達の流儀を教育してやるぞ!』

 

 応、の声音が連鎖する中、プレッシャーライフルを引き絞った。トウジャ部隊はほとんど総崩れに近い。

 

 このまま押し切れば、世界初の、アンヘルの襲撃に際し防衛したコミューンとして名声を得るだろう。そのうねりはやがて世界をも動かし、自分達は英雄と持て囃されるに違いない。

 

『そうだとも……! これからの時代、俺達が英雄だ!』

 

 狙撃用ナナツー、ロンド、全部隊が混在一体となって、トウジャを押し出そうとする。ここまでの力のうねり。ここまでの力の集合体。誰にも打ち崩せまい。本能がそう予言し、脳内はほとんどブルブラッド麻薬をキめた状態に近い。

 

 昂揚する精神の赴くまま、銃撃がアンヘルをこの地から追いやろうとする。それを阻んだのは白いバーゴイルの動作であった。

 

 時代錯誤な実体剣を鞘から抜き放ったバーゴイルはそのまま地を蹴ってこちらへと猪突してくる。

 

『おいおい! 命が要らないってのかい? ボーヤ!』

 

 前衛を行っていた近接装備のナナツーが鍬を振るい上げる。どの動作を取ってしてみてもこちらのほうが速い。そう誰もが確信する中、白いバーゴイルが鮮やかな手並みでナナツーの一閃を薙ぎ払った。

 

 両腕が飛ばされてから、ナナツーの操主が間抜けな声を上げるまでの一秒にも満たない時間。

 

 戦場に一撃が叩き込まれた。

 

 実体剣を打ち下ろした白いバーゴイルが赤い眼窩をぎらつかせる。

 

 ナナツーのキャノピーが破られ、斬られた両腕をだらんと垂らしたその動作でようやく、先駆けした一機が粉砕されたのだと認識出来た。

 

 しかし、地獄はそれで終わらない。

 

 滑らかに次の獲物を狩るべく白いバーゴイルが横合いの一機に剣筋を入れる。血塊炉が打ち割られ青い血がどっと噴き出した。

 

 噴水のように溢れ出る青い血を目にしてもなお、戦場の狂気に取り付かれた者達はまだ、こちら側が押されているなど思いもしなかっただろう。

 

 しかし、百姓編隊が一機、また一機と確実に潰されていくのを数分かけて見せ付けられ、ようやく、と言った様子で部隊に緊張が走った。

 

『……何だ、あのバーゴイル……』

 

 白いカラスは青い血を浴びている。それでもなお、その高潔な輝きは失われる事はない。

 

 切っ先が地上展開していた歩兵を薙ぎ払った。アンチブルブラッド兵装を怖がりもせず、白いバーゴイルがこちらを視野に入れる。

 

 赤い眼差しに背筋が凍った刹那、全員がその機体へと照準していた。

 

 遅れて敵人機の参照データが入ってくる。

 

 参照機「《バーゴイルアルビノ》」の表記を目にする前にまずは一機、達磨状態の人機が打ち倒された。

 

 頭のないロンドが荒れ狂った暴風のように弾丸を叩き込む。

 

 それで終わったのならばどれほどまでに幸運か。敵人機は剣を翳し、その弾幕を完全に防御していた。

 

 自分に命中する弾丸のみを見分けられなければ出来ない芸当に舌を巻く前に、投擲された実体剣の銀閃がロンドを貫いていた。

 

 袖口にワイヤーを隠し持っている。そう露見しても、《バーゴイルアルビノ》とやらは臆する様子もない。ワイヤーを巻き取りつつこちらの戦域へと潜入してきた。

 

 だが真正面からの攻撃など、と狙撃用ナナツーが高精度の射撃を見舞う。

 

『愚直なんだよ……、手だれだか何だか知らないが!』

 

 確実に取ったと思われた一撃だったが、《バーゴイルアルビノ》は片腕を翳しただけでその弾丸を跳ね除けていた。

 

 片腕の装甲板が銀色に煌き、実体弾を浮き上がらせる。

 

 まずい、という声が走る前に反射された弾丸がナナツーのキャノピーに突き刺さった。空を仰いだ形の狙撃用ナナツーがその巨躯を転がらせる。

 

 いつの間に潜んでいたのか、《バーゴイルアルビノ》の這わせていた別のワイヤーがナナツーの足に絡みつき、その巨体を軽々と浮かせる。

 

 こちらの銃撃にナナツーを盾にした相手がいなした。

 

 まさか、と息を呑む間もない。

 

 仲間のナナツー越しにバルカンの小銃が空間を奔る。ただの弾丸ならば、と冷静になりかけた仲間の人機に命中した一発が炸裂し、機体の半分を削いだ。

 

 半壊した機体を目にしてようやくこちら側の陣営にも恐れが宿ったらしい。

 

 自分を含め、今の数分間で何が行われたのか一切が不明であった。だが不明なりに分かった事がある。

 

 それはこの《バーゴイルアルビノ》が虐殺天使を上回る相手だという事。

 

 全機がかからなければやられる、という本能が命令系統を掻き乱した。狙撃用が無闇に前に出て《バーゴイルアルビノ》に両断される。その隙を突いた形であったはずのホワイトロンドの頭蓋を相手は蹴りで砕き、ゴーグル型の視野を奪った。

 

 それだけに飽き足らず、敵はホワイトロンドの頭部を引っこ抜き、それを投擲する。

 

 まごついた兵士達はその頭部に爆薬が巻かれている事に最後まで気づかなかった。

 

 地上を鳴動させる爆発が人機の統率を乱す。今の爆薬には人機の目と耳を潰す炸薬が詰まっていたらしい。

 

 無音の地獄の中、一機また一機と狩られるのだけが伝わってくる。悲鳴さえも聞こえないのに、次は自分の番だ、という恐怖だけが這い登る。

 

 無茶苦茶に吼え立てて、周囲へと銃撃を見舞った。味方も多数巻き込んだかもしれない。

 

 それでも生き延びるのに必死であった。

 

 弾丸も尽き、敵人機の機影も遠巻きになった。トウジャの編隊が戦意は凪いだかのように上空へと抜けていく。

 

 助かったのだ、という安堵を得た自分は酷く憔悴していた。

 

 荒く呼吸し、生きている己に嘲笑が浮かんでくる。

 

「生きている……生き延びた! 俺は! 生き延びたん――!」

 

『よう』

 

 眼前に大写しになった白亜の機体から銀色の光が瞬いた途端、操主の意識は闇の向こうに没した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『お見事です。さすがは大佐殿』

 

 通信を滑り落ちていく新兵の言葉に、ガエルは倒れ伏した敵兵を眺めていた。

 

 青い血に塗れた大地で鋼鉄の兵隊達が骸を晒している。どの姿も、こちらが削る前から欠損状態であったのは情報通りであった。

 

 ブルブラッドを沁み込ませた煙草に火を点けると馬鹿正直なOSが火災感知の報を知らせる。そのアラートを無視していると他機に警告を気取られてしまった。

 

『大尉殿……警告音が聞こえていますが……』

 

 通信をアクティブにしたままであった。間抜けな、と思いつつも、ガエルはそのまま声を吹き込む。

 

「失礼……システムエラーだ。あまりにもたくさんの人機を薙ぎ倒したからな」

 

 新兵が心底から陶酔したような声を漏らす。

 

『さすが大佐殿……! 人機が狂うほどの戦歴というわけですね』

 

 どこまでが冗談でどこまでが本気なのか分からないのが、アンヘルの兵隊共のおべっかであった。

 

 ガエルは今にも吐き出しそうな渋面を作りつつ、通信の声だけは紳士に振る舞う。

 

「しかし、ここのコミューンも陥落したな。これで少しばかり、マシになればいいのだが……」

 

 自分の仕事が、と言外に付け加えたガエルに新兵は浮き足立った物言いを返す。

 

『……こいつら、物々しい人機だったんで、つい油断してしまいました』

 

『馬鹿、そんな言い訳が通用するかよ。……すいません、大佐。教育のなっていないチームの統率役なんてものを頼んでしまいまして……』

 

 この隊で自分の次に順列の高い兵士が声にする。その教育課程でこれほどの人機を相手取るのだから笑えない。

 

 アンヘルの虐殺天使を形作るのに、一端の戦場は知っておかなければならないというわけか。いずれにせよ、敵兵を屠るを知るに、このコミューンは充分であった。

 

 改造型の人機とイレギュラーな戦場。押される状況を知れば、自ずと勝利の方程式は見えてくる。敗北を知らなければどこが分水嶺なのかも分からないまま戦う事になるだろう。それでは新兵のうちは華だが、ベテランになれば痛い目に遭う。

 

 死臭の漂う残骸の砂礫を、ガエルの《バーゴイルアルビノ》は歩んでいった。

 

 先ほどまで苛烈に抵抗を続けていたバーゴイルの改造機は頭を潰されて沈黙している。

 

『珍しい型です。プレッシャーライフルを撃てるほど重装備のバーゴイルなんて』

 

 こちらの視線を読んだのか、随伴機が感想を漏らす。

 

「やはり、末端コミューンまで兵力は行き渡っているようだな」

 

『武器屋くずれでしょうか……いずれにせよ、倒さなければならない悪なのは明白』

 

 その悪と同じ穴のムジナだと言えば相手はすっ転がるであろうか。ガエルは己の境遇を彼らに見ていた。

 

 立ち位置さえ違えば、恐らくは自分もこの一員になっていたであろう戦争屋達。戦えば分かる。彼らは統率された部隊ではない。各々の兵力の寄せ集めだが、一機ごとの戦闘における馬力が段違いだ。

 

 彼らも名は違えど自分と同じ。

 

 だが、成り損なった自分の影だ。

 

 自分は成就した。この世の正義として。そう、この身は――大国と星を回すためにある。

 

『しかし……、新兵達も大佐の戦い振りを見れば少しばかり考えを改めるでしょうか。トウジャタイプは決して万能ではない、と』

 

 教師役の彼からしてみれば急務だろう。アンヘルで使える兵隊を一人でも増やす。そのために尽力しているのだ。自分はしかし、この喰い場で争い合う以上、どちらも似たようなものだと思っていた。

 

 トウジャの優位性を教えるための戦場。構築された歴戦の猛者達。しかしバーチャルな戦歴と実際の戦場では食い違う。

 

 彼らがどれほどシミュレーターで撃墜王を名乗っても、一機も墜とせないなどザルだ。むしろこの教育はそのためにある。撃墜どころか撤退戦に持ち込んでも、それでも戦い抜かなければならない意地汚さを学ぶのに、今の戦場は少しばかりクリーンが過ぎるのだ。

 

 これでは硝煙に酔う事も、血潮で滾る事も出来ない。

 

 相手の頭をかち割る瞬間に感じる恍惚も、彼らには無縁だろう。

 

 人機における戦場は心がどれほどまでに子供の兵士でも前に行ける勇猛果敢さを作った。どれほど心が荒んでいなくとも銃弾を撃ち込めるほどに戦場は清潔である。

 

 死体を見て夜も眠れなくなる兵士などこの中にはいまい。居るとすれば相当に神経が細い奴だ。戦うのには向いていまい。戦場に合致するのはいつだって線の切れた人間なのだ。

 

 線の切れた人間の相手をするのには慣れている。

 

 彼らに出来ない事を、自分が教えるのみであったが、遠巻きに眺める生徒相手に、自分だけ斬り込むというのはどうにも……。

 

「旨味がねぇなぁ」

 

 呟いた声音が平時と違ったからだろう。教師役が問い返した。

 

『シーザー大佐?』

 

 問いかけられた名前に、そうだ、今の自分は「ガエル・シーザー大佐」なのだと思い直す。

 

「いや、何でもない。兵士に生死の是非を問うのに、あまりこちらばかりが前に出ても仕方があるまいと感じたまで」

 

『ああ、それは確かに旨味のない……。本当は新兵達にもっと前に出て欲しいのですが……今の兵士はどうにも銃弾が怖いらしくって』

 

「リバウンドの?」

 

『いえ、実銃が。実体弾のほうが怖いと言うのです。何でもこっちに向かってくる感じがする、とか言って。変な話ですよね。我々の世代ではプレッシャー兵器なんてそれこそ恐ろしくて近づけなかったのに、彼らからしてみれば、実在の弾丸のほうが近づき難いんですよ。リバウンド兵器に慣れた子供達は末恐ろしいものです』

 

 言葉尻に教育者のそれを滲ませた相手にガエルは毒づきたくなった。

 

 ――この世で一番に嫌いな相手だ。

 

 自分は安全圏から見守るくせに、相手に意見ばかり食らわせる。そういう手合いを見ていると反吐が出そうであった。

 

 脳裏を掠めた自分の上官の姿に、それこそ冗談ではないと冷笑が浮かぶ。

 

「兵士は年月で生まれ変わる。これもそういう流れなのだと思うしかないだろう」

 

『ああ、本当に……。彼らには全うなアンヘルの兵士になって欲しいものです』

 

 全うな……虐殺天使に、か。それはなかなかに笑えるジョークだ、とガエルは笑みを吊り上げていた。

 

「《バーゴイルアルビノ》の調子が悪い。ちょっと張り切り過ぎたかもしれん。兵を下げて欲しい。その間にメンテナンスする」

 

『大佐は本当に……整備班泣かせだと言われていますよ。毎回どこかしら壊して帰ってくるのに、自分でその壊れた箇所の事をよく分かっているって。これじゃ、メカニックが要らないじゃないかって』

 

 それもそうだ。自分はつい六年前のある日まで、惑星の裏側でいつ終わるとも知れない戦争を繰り広げていたのだから。

 

 戦場では常にメカニックに頼れるわけではない。だからある程度は自分で修理出来るようになるのは当たり前であったが……彼らに言っても仕方なかろう。

 

 教員の《スロウストウジャ弐式》を先頭にして新兵達の機体が戦域を離脱していく。まるで幼児の行進を見ているようでガエルは通信域を離れた途端、悪態をついた。

 

「……ゴミみてぇな連中の尻拭いたぁ、オレもヤキが回ったねぇ……ったくよぉ!」

 

 同期して蹴り上げた《バーゴイルアルビノ》が敵兵の人機を足蹴にする。その背筋に何度も剣を突き立てていた。

 

 収まらなかったのだ。渇きも、飢えも、何もかもが。

 

 戦場で血を啜り、泥水の中でも生き永らえてきた自分のアイデンティティがどうして戦場に奪われなければならないのか。

 

 その理不尽さに青い血を噴き出す骸を斬りつけた。

 

「っとーに! ムシャクシャするぜ! てめぇらもてめぇらだ! 何、ガキ共にヤられてやがる! それでも戦争屋か! マヌケ共!」

 

 切り上げ、何度もコックピットを抉ってやる。その度に抑え切れない衝動が口をついて出た。

 

「やってられっか! クソッタレが! 正義の味方になってやるこたぁ、新兵共のケツを見て回る事か? それとも! てめぇらみてぇな、木っ端戦争役人共をぶち殺して! その人機に大穴空けてやる事か? 馬鹿馬鹿しい! どっちもクソ食らえだぜ! 弱ぇてめぇらが割を食うのは分かる! そいつは弱ぇからだ! 他のなんでもねぇ。だがよ! オレが割を食うのは間違ってんだろ! この世界の! 勝利者がよ!」

 

 血塊炉の炉心を蹴り砕き、何度も踏みつけてからようやく冷静になった頭にブルブラッドの毒が沁みてきた。

 

 煙草で一服吹かしてから、ようやく息をつく。

 

「クソ下らねぇ戦場……、クソ下らねぇ役目! 連中のドタマぶち抜いてやりたいぜ、クソが!」

 

『その程度にするといい、ガエル・ローレンツ。いや、今はガエル・シーザー大佐殿かな』

 

 急に繋がる通信も最早慣れたものだ。六年間ずっとこの調子である。どこにいたところで、自分に自由などなかった。

 

「……おい、プライベートって言葉知ってるか?」

 

『それは失礼した。だが君は選んだのだ。この星で、唯一の勝利者になる事を。ならば選択の末に成り立った身分であるのは承知だと思ったのだが』

 

「選んで成ったにしちゃ、随分と狭い身分だったな、って話よ。正義の味方ってのはあれかい? まだケツの青い連中に戦争って言うのはこうするんですよ、ってレクチャーする身分だったってのか?」

 

 その問いかけに相手は満足いったように声を弾ませる。

 

『……相も変わらず、君は我々の予想通り……いや、それ以上を言ってのける。バベルで全てを閲覧しているというのに、それでも君は筒抜けの通信域で喚くのをやめないのだな』

 

「筒抜けだからっていちいち肩肘張ってるとよ、何も出来やしねぇんだよ、クソッタレめ。第一、この星で! てめぇらに視えていないものなんてないんだろ?」

 

『そうだな……。計画が外郭の段階に入った。ブルブラッドキャリアだ』

 

 その名称だけでこの雌伏の六年間に意味があったのだと宣言された。ガエルはケッと毒づく。

 

「どうせガセだろ?」

 

『ガセで戦争中の君に繋ぐと思うかね? きっちりと周りが剥がれてから繋いでやっただろう?』

 

「上から目線だな。神様にでもなったつもりか? 鋼鉄の義体から覗く世界は甘いかよ」

 

 こちらの舌鋒鋭い応戦にも相手は全く動じない。それもそうか、と胸中で納得する。相手は文字通り、神になったつもりなのだから。

 

『……言われてしまえば、その通りだ。義体が馴染んでもう六年……この六年間であらゆる世界の事象を観てきた。恐ろしい情報密度だよ、この場所は。君も繋いでみるといい』

 

「遠慮しておくぜ。まだ、人間の肉の快楽のほうが眩しくってよ」

 

 相手のように全てを閲覧出来る高次権限はどれほど強欲に振る舞っていても願い下げであった。それは最早、人間ではない。

 

 相手は通信の先で軽く笑い、上機嫌に返してくる。

 

『精神点滴も思いのままだ。君のように怒りの感情に任せて相手を刺し貫く愚を冒す事もない。完全なる存在だよ』

 

「そうかよ、カミサマ。じゃあ道楽ついでに聞いてくれよ。オレのこのクソみたいな待遇はいつまで続くんだ? 神様なら何でもお見通しだろ?」

 

『言ったはずだ。計画を進められる段階に入った、と。ブルブラッドキャリアは多くの離反者を抱え、地上に降りてきた。この絶好の隙、逃すわけにはいかない』

 

「宇宙の本隊に仕掛けるのか? 六年前の繰り返しにゃならねぇのかよ?」

 

『いや、今度は地上だ。地上に降りた者達を君の流儀でついばめ』

 

 その言葉振りにガエルは違和感を覚える。本隊が地上に降りる事はしないはず。ならば、離反した側をさらに追い詰めるというのか。それは……。

 

「そりゃ……臆病者の理論だな。弱者を痛めつけて楽しいかねぇ」

 

『君にだけは言われたくはないが、そうさな。……この帰結ではそう思うのも不思議ではない。では地上の離反者に目を向ける理由は何か? 答えはこれだ』

 

 送信されてきたファイルにガエルは目を通す。新型人機の戦闘データがアンヘルに蓄積されている最新鋭のコンピュータから抜き取られていた。

 

「前線に出てる……《ゼノスロウストウジャ》とか言ったか? そいつと……こりゃ、モリビトか?」

 

 問い返したのは六年前とはまるで違うモリビトの形状に驚きを感じたからである。こちらの感慨を他所に将校は告げる。

 

『モリビトの新たなる戦力。それだけならば何も怖くはないのだが、両肩に盾を装備しているモリビトを照合にかけた結果、面白い事実が判明してね』

 

 どうせ連中の言う「面白い」など自分からしてみれば鼻で笑うまでもないほどの事実であろう。あしらう程度に聞く事にする。

 

「何もかも見通す千里眼みたいなの持っているくせに面白い、と来たか。何だよ」

 

『そのモリビトの素体となっているのは、百五十年前に惑星より持ち出された、モリビトの第一先行量産機というデータが出ている』

 

 第一先行量産機。その意味するところをガエルは問い質す。

 

「つまり……最初のモリビトって言いたいのか?」

 

『突き詰めればそうなるな。原初の罪……モリビトゼロ号機。よもやそのような骨董品を使ってくるとも思えないが……気にはなる。ガワだけ真似た代物かもしれないが、出力、性能面共に六年前のモリビトを凌駕している』

 

「そいつぁ、結構なこって! 六年前にゃ随分とひ弱なイメージだったからな。少しくらいは歯ごたえがねぇとつまんないってもんだ」

 

 こちらの哄笑に相手は満足そうに返す。

 

『本当、つくづく君は……この世に君臨する正義の味方が相応しい逸材だよ。データを送っておく。人形屋敷に一度戻って欲しい』

 

 人形屋敷。そうあだ名される場所を思い返しガエルは身震いする。

 

「おいおい、あんな辛気臭い場所、行けって言うのかよ」

 

『そう言うな。義体を拒んでいるのだから当然の任務だと思いたまえ。その脳みそを覗く事が出来ないのは残念極まりない』

 

「そうかよ、クソッタレ。こっちは覗かれなくって随分と気分はいいぜ?」

 

 舌鋒鋭く返したのにもかかわらず相手はどこか機嫌がよさ気であった。

 

『……減らず口も叩けるうちはいい。人間らしくってね』

 

 一方的に通話が切られる。この通信方式も身勝手な代物だ。ガエルは足元の骸を蹴飛ばし、《バーゴイルアルビノ》に踵を返させた。

 

 もうこの戦場に留まる理由もない。

 

 だが、新たなる戦場は常に用意される。

 

「それに……モリビト、か。楽しませてくれよ、せいぜいな。ブルブラッドなんたらよォ!」

 

 飛翔した白カラスは焼け付いた空の向こうへと飛び去っていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯200 博愛の徒

 信用問題が何よりも優先される、と繋いだ桃の声に、鉄菜は甲板で佇む人機の集団を睨んでいた。

 

 ゆうに三十機を超える人機。軍隊でもここまでの規模の展開はしない数だ。なればこそ、その脅威度も高く設定されて然るべき……。

 

「桃、ニナイからの通信は?」

 

『切ってるみたい。相手も人機の集団だからね。盗聴を関知されればまずいからでしょ。その代わりゴロウからの定期連絡を受けているみたいだから、大丈夫だとは思うけれど……』

 

 その言葉尻がどこか頼りなくなっているのは、連中の異様さも拍車をかけている事だろう。

 

 惑星博愛主義組織、ラヴァーズ。

 

 六年間戦場を渡り歩いてきて、聞いた事のない組織というわけでもなかった。

 

『ねぇ……クロはラヴァーズに関する知識は……』

 

「持っているが、あまりいい心象ではないな。この黙示の世界で成り立っている新興宗教だとも、あるいはカルト教団だとも言われている。その実態がここまで統率された旧式人機の集まりだとは思いもしなかったがな」

 

『戦場で会った事は、ないみたいね』

 

「戦場で会えば撃っている。この連中、型落ち人機の集まりにしては統率も高く、反撃されれば手痛い相手だろう。アンヘルほどの軍隊ではないにせよ、三十機の人機が一度に敵に回るという状況がまず旨味がない」

 

 だからこそ、アンヘルは撤退したのだろうと推測された。如何にナナツーやバーゴイルによる烏合の衆に近い相手だとしても、では五機以下の《スロウストウジャ弐式》で圧倒出来るかと言えば答えはノーになる。

 

 加えて先の戦闘では一機の《ゼノスロウストウジャ》の改造型――《コボルト》が先行し過ぎていた。あれ以上一機のみの独断を許せばそれはアンヘルの統率を歪める。

 

「……あいつは、何だったんだ」

 

 問いかけても答えは出ない。特別に恨まれる覚えはあるが、あれほどの執念を携えた相手となれば二度目、三度目の生還は難しいかもしれない。

 

 次に会敵した際には鬼札を切る事も視野に入れなければならない。

 

 こちらの最大の切り札――エクステンドチャージ。

 

 まだ制御段階としては乏しい現状で《モリビトシン》に負荷をかけるのは望ましくないが、もしもの時には使用の是非は自分にあるように、とタキザワに厳命しておいた。

 

 ただしタキザワから言わせれば使うとすればそれは下策、との事であったが。

 

『……ねぇ、これだけ人機が密集していて、何でじゃあ誰も気づかないのかしら。だって、《ゴフェル》だって関知されたのに、この《ビッグナナツー》……だっけ? こんな巨大艦、確認されないはずがないんじゃ……』

 

 それは違和感であった。《ゴフェル》は恐らく敵が躍起になって探しているからだろうと思われるが、《ビッグナナツー》とて、航海上では脅威に上がるはず。

 

 これを今まで轟沈させずに済んだ要因は、と問えば自ずと答えは見えてくる。

 

「最後の中立……《ダグラーガ》の存在感」

 

 そう結論付けた理由は無数に存在するが、やはり初見の衝撃が大きかった。

 

 人機から降りられぬ身体を持つ男――サンゾウ。あれはどうして、いや、いつからああなってしまっているのか。

 

 下衆の勘繰りには違いないが、あのような異質今まで誰も突き詰めなかった事が奇妙だ。

 

 この場にいる人間は……と問いかけてそれが無為である事に気づく。絶対的な信仰心を兼ね備えるカリスマに、誰が異を唱えるであろう。

 

 それこそ神をも恐れぬ所業に違いない。

 

『でも……あの人機、見た事もない形状をしてる……あれが世界最後の中立? さっきから照合データと示し合わせているけれど全然引っかからないもの』

 

 桃はバベルから離れたとは言ってもその解析能力は依然として持っているらしい。あるいはゴロウによるサポートか。いずれにせよ、《ダグラーガ》なる人機は既存のプロセスからはかけ離れた代物だろう。

 

「禁断の人機……なのかもしれないな、あれも」

 

 その《ダグラーガ》に視線を流すが、肝心の話の内容に関しては他の信徒達が囲っており、盗み聞きは出来ないようであった。

 

『ねぇ、桃姉。ボクら、来たと思ったらこんなので……どうしろって言うの?』

 

 漏れた文句は《イドラオルガノン》に収まる林檎からであった。彼女らはつい一時間前に合流し、現在ブルブラッドキャリアとラヴァーズが交渉条件に入っていると告げている。

 

『林檎、それに蜜柑も。よく帰ってきてくれたわ。……でも、今はちょっと複雑な状態みたいだから、後で、ね』

 

 桃も年長者の風格を漂わせて応じていたが、操主姉妹は納得していないのが窺えた。何よりも鉄菜は先の戦闘における不手際を正すべきだと感じていたが、それは自分も同じ事。責められるようないわれはないだろう。自分からは何もいわないほうがいいに違いなかった。

 

『はぁーい。……でも、ヘンな集まり。ナナツーとかバーゴイルの、しかも正規部品を使っている相手じゃないじゃん。どれも型落ちの……連邦の軍規から離れた奴を使ってる。いいの? これ。絶対に足枷になるよ』

 

 その進言も間違っていないのだが、桃は冷静に返していた。

 

『足枷になるかどうかは、ニナイに託している。今はそれを待つしかないのよ』

 

『つまんないー。これでアンヘルが来ないって言う保証もないんでしょ?』

 

 問いかけた林檎に鉄菜が繋いでやる。

 

「だが前回の海中用人機は撃墜出来た。礼を言う」

 

 そちらの状況判断のお陰だ、と言ったつもりであったが、相手からしてみればそれは嬉しくも何ともないらしい。

 

『……褒められたって、だから? って感じだけれど』

 

『林檎! ……すいません、鉄菜さん。林檎、まだ疲れていて……』

 

「いや、別に構わない。私は何も気にしていない」

 

『その言い草……ボクは気にしているみたいじゃん』

 

 実際、《イドラオルガノン》が失われるかもしれないリスクに比べれば嫌われるくらいどうという事はない。その思いを察知してか、桃が直通回線を開く。

 

『……ゴメンね、クロ。まだ二人とも、気持ちの整理がついていないんだと思う。《ゴフェル》に……まかり間違ったとはいえ攻撃しちゃったんだから』

 

 いつまでも気に病むものでもないだろう。鉄菜は何でもないように言ってやる。

 

「いい。ミキタカ姉妹が無事で何よりだ。この言葉も、嘘くさいのだと思われるのかもしれないが……」

 

 それでも、モリビトの執行者は、今は一糸たりとも乱れてはならない。敵は強大になりつつある。このままアンヘルと戦うのに、こちらの戦力はあまりに弱々しい。

 

『アンヘルの動き次第、な部分もあるけれど、ニナイが何を持ち帰ってくるかにも寄るから……。実際、この世最後の中立が何を望んでいるのかは、モモ達じゃ……』

 

 分からない、か。鉄菜は《ビッグナナツー》の艦橋を睨む。

 

「全ては、相手の思うがまま、か」

 

 

 

 信用問題が何よりも優先される、と繋いだ桃の声に、鉄菜は甲板で佇む人機の集団を睨んでいた。

 

 ゆうに三十機を超える人機。軍隊でもここまでの規模の展開はしない数だ。なればこそ、その脅威度も高く設定されて然るべき……。

 

「桃、ニナイからの通信は?」

 

『切ってるみたい。相手も人機の集団だからね。盗聴を関知されればまずいからでしょ。その代わりゴロウからの定期連絡を受けているみたいだから、大丈夫だとは思うけれど……』

 

 その言葉尻がどこか頼りなくなっているのは、連中の異様さも拍車をかけている事だろう。

 

 惑星博愛主義組織、ラヴァーズ。

 

 六年間戦場を渡り歩いてきて、聞いた事のない組織というわけでもなかった。

 

『ねぇ……クロはラヴァーズに関する知識は……』

 

「持っているが、あまりいい心象ではないな。この黙示の世界で成り立っている新興宗教だとも、あるいはカルト教団だとも言われている。その実態がここまで統率された旧式人機の集まりだとは思いもしなかったがな」

 

『戦場で会った事は、ないみたいね』

 

「戦場で会えば撃っている。この連中、型落ち人機の集まりにしては統率も高く、反撃されれば手痛い相手だろう。アンヘルほどの軍隊ではないにせよ、三十機の人機が一度に敵に回るという状況がまず旨味がない」

 

 だからこそ、アンヘルは撤退したのだろうと推測された。如何にナナツーやバーゴイルによる烏合の衆に近い相手だとしても、では五機以下の《スロウストウジャ弐式》で圧倒出来るかと言えば答えはノーになる。

 

 加えて先の戦闘では一機の《ゼノスロウストウジャ》の改造型――《コボルト》が先行し過ぎていた。あれ以上一機のみの独断を許せばそれはアンヘルの統率を歪める。

 

「……あいつは、何だったんだ」

 

 問いかけても答えは出ない。特別に恨まれる覚えはあるが、あれほどの執念を携えた相手となれば二度目、三度目の生還は難しいかもしれない。

 

 次に会敵した際には鬼札を切る事も視野に入れなければならない。

 

 こちらの最大の切り札――エクステンドチャージ。

 

 まだ制御段階としては乏しい現状で《モリビトシン》に負荷をかけるのは望ましくないが、もしもの時には使用の是非は自分にあるように、とタキザワに厳命しておいた。

 

 ただしタキザワから言わせれば使うとすればそれは下策、との事であったが。

 

『……ねぇ、これだけ人機が密集していて、何でじゃあ誰も気づかないのかしら。だって、《ゴフェル》だって関知されたのに、この《ビッグナナツー》……だっけ? こんな巨大艦、確認されないはずがないんじゃ……』

 

 それは違和感であった。《ゴフェル》は恐らく敵が躍起になって探しているからだろうと思われるが、《ビッグナナツー》とて、航海上では脅威に上がるはず。

 

 これを今まで轟沈させずに済んだ要因は、と問えば自ずと答えは見えてくる。

 

「最後の中立……《ダグラーガ》の存在感」

 

 そう結論付けた理由は無数に存在するが、やはり初見の衝撃が大きかった。

 

 人機から降りられぬ身体を持つ男――サンゾウ。あれはどうして、いや、いつからああなってしまっているのか。

 

 下衆の勘繰りには違いないが、あのような異質今まで誰も突き詰めなかった事が奇妙だ。

 

 この場にいる人間は……と問いかけてそれが無為である事に気づく。絶対的な信仰心を兼ね備えるカリスマに、誰が異を唱えるであろう。

 

 それこそ神をも恐れぬ所業に違いない。

 

『でも……あの人機、見た事もない形状をしてる……あれが世界最後の中立? さっきから照合データと示し合わせているけれど全然引っかからないもの』

 

 桃はバベルから離れたとは言ってもその解析能力は依然として持っているらしい。あるいはゴロウによるサポートか。いずれにせよ、《ダグラーガ》なる人機は既存のプロセスからはかけ離れた代物だろう。

 

「禁断の人機……なのかもしれないな、あれも」

 

 その《ダグラーガ》に視線を流すが、肝心の話の内容に関しては他の信徒達が囲っており、盗み聞きは出来ないようであった。

 

『ねぇ、桃姉。ボクら、来たと思ったらこんなので……どうしろって言うの?』

 

 漏れた文句は《イドラオルガノン》に収まる林檎からであった。彼女らはつい一時間前に合流し、現在ブルブラッドキャリアとラヴァーズが交渉条件に入っていると告げている。

 

『林檎、それに蜜柑も。よく帰ってきてくれたわ。……でも、今はちょっと複雑な状態みたいだから、後で、ね』

 

 桃も年長者の風格を漂わせて応じていたが、操主姉妹は納得していないのが窺えた。何よりも鉄菜は先の戦闘における不手際を正すべきだと感じていたが、それは自分も同じ事。責められるようないわれはないだろう。自分からは何もいわないほうがいいに違いなかった。

 

『はぁーい。……でも、ヘンな集まり。ナナツーとかバーゴイルの、しかも正規部品を使っている相手じゃないじゃん。どれも型落ちの……連邦の軍規から離れた奴を使ってる。いいの? これ。絶対に足枷になるよ』

 

 その進言も間違っていないのだが、桃は冷静に返していた。

 

『足枷になるかどうかは、ニナイに託している。今はそれを待つしかないのよ』

 

『つまんないー。これでアンヘルが来ないって言う保証もないんでしょ?』

 

 問いかけた林檎に鉄菜が繋いでやる。

 

「だが前回の海中用人機は撃墜出来た。礼を言う」

 

 そちらの状況判断のお陰だ、と言ったつもりであったが、相手からしてみればそれは嬉しくも何ともないらしい。

 

『……褒められたって、だから? って感じだけれど』

 

『林檎! ……すいません、鉄菜さん。林檎、まだ疲れていて……』

 

「いや、別に構わない。私は何も気にしていない」

 

『その言い草……ボクは気にしているみたいじゃん』

 

 実際、《イドラオルガノン》が失われるかもしれないリスクに比べれば嫌われるくらいどうという事はない。その思いを察知してか、桃が直通回線を開く。

 

『……ゴメンね、クロ。まだ二人とも、気持ちの整理がついていないんだと思う。《ゴフェル》に……まかり間違ったとはいえ攻撃しちゃったんだから』

 

 いつまでも気に病むものでもないだろう。鉄菜は何でもないように言ってやる。

 

「いい。ミキタカ姉妹が無事で何よりだ。この言葉も、嘘くさいのだと思われるのかもしれないが……」

 

 それでも、モリビトの執行者は、今は一糸たりとも乱れてはならない。敵は強大になりつつある。このままアンヘルと戦うのに、こちらの戦力はあまりに弱々しい。

 

『アンヘルの動き次第、な部分もあるけれど、ニナイが何を持ち帰ってくるかにも寄るから……。実際、この世最後の中立が何を望んでいるのかは、モモ達じゃ……』

 

 分からない、か。鉄菜は《ビッグナナツー》の艦橋を睨む。

 

「全ては、相手の思うがまま、か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 招かれた《ビッグナナツー》の艦橋には無数の人機乗りが駐在しており、《ダグラーガ》と自分が監査の目を注ぐのを、相手は頭を垂れて見守っていた。

 

『《ビッグナナツー》は元々、C連合が開発したナナツータイプの発展型だ。艦載可能な巨大人機を目的にして製造されたこの艦は純粋血塊炉七つで稼動しており、実質的には大型人機にカテゴライズされる』

 

 ゴロウの分析を聞きながら、ニナイは周囲へと視線を巡らせる。ナナツー、バーゴイルが忙しなく行き交っていた。

 

 中にはブルーガーデンのロンド系列の姿も見られる。

 

『国家の枠組みは関係ない。この中立地帯において、それは邪魔なだけだ』

 

 そう語った《ダグラーガ》の操主にニナイは再び問いかけていた。

 

「あなた一人で、ラヴァーズを?」

 

『拙僧のやった事は少ない。勝手に立ち上がった、と言えば語弊があるかもしれないが、その通りなのだ。この組織は勝手に立ち上がり、勝手にここまで拡大した』

 

 嘘を言っている風ではない。そもそもラヴァーズなる組織が謎の大きい代物である。

 

「惑星博愛主義組織……聞こえだけはいいようですが、具体的には何を?」

 

『ブルブラッド汚染地帯を見て回っている。この惑星は汚染の只中にあり、今もまた、戦場が拡大している。戦時需要に応えるべく、成り立ったのが人機開発。今日の地獄は人類そのものが生み出した功罪』

 

「それは……原罪も含めてと言いたいんですか?」

 

 ニナイの質問にサンゾウは、そうさなと言葉を躊躇わせる。

 

『何もかもを見てきたわけではないが、人より多くを見てきたつもりではある。古代人機の大移動、ブルブラッドの汚染領域は重力が反転し、何もかもが崩れていく様、プレッシャー兵器の隆盛……、どれも一個人の人間では見るも叶わぬものばかり』

 

 サンゾウの身体を目にした自分はその言葉の意味するところがどことなく理解出来ていた。

 

 彼は恐らく人間の寿命単位で物事を俯瞰しているわけではない。もっと大きな目線でこの惑星を目にしてきたはずだ。

 

 人類の愚かさを。どうしようもない罪の連鎖を。それでも、彼は中立を止めなかったのだろう。中立である、というのは誰にも与しない、最善が分かっていても誰にも助言しないという事。

 

 滅びが見えていても彼は静観するしかなかった。その苦しみの一端が窺えたわけでもない。自分は所詮、分かった風になれるだけ。

 

 ただ、《ダグラーガ》という人機と共に彼が見てきた世界が何も崩れ落ちるだけだとは思いたくはなかった。

 

 人機と生命を共にする、という事実はこちらの罪である人造血続計画にも直結する。決して彼だけが地獄の側面を眺め続けていたわけでもない。

 

『言葉少なだな。何か思うところでも?』

 

「いえ……、こちらの艦への補給、ありがたいと思っております。アンヘルとの戦いはほとんど消耗戦ですから」

 

『その事だが、ハッキリさせておきたい。我々、ラヴァーズは前回の戦闘で割って入ったがあれは拙僧の本意ではない。じっくり話し合いたいから、アンヘルを一時的に退けたまで。次の戦闘では……』

 

「存じています。ラヴァーズはあくまでも惑星博愛主義組織。戦闘組織ではないのだと」

 

 彼らに戦闘による助力を得るのはほとんど不可能だろう。前回はただサンゾウがこちらに興味を持っていたから成立したまでの事。次の戦いはしかし、アンヘルもラヴァーズを潰しにかかってくると見て間違いないだろう。

 

 その場合どうするのか、問い質す必要があった。

 

『……だが甘くはないのだと、承知している。一度でもアンヘルと矛を構えたのならば、二度目も覚悟しておくべきだと』

 

 案外物分りがいいのは長く生きているからか。それとも、全てを諦観のうちに置いていったからか。いずれにせよ、手を貸すのは最大でも次までと言われてしまっているのだ。

 

 こちらはあまりラヴァーズの戦力を過大評価は出来ないし、相手もこちらが守ってくれるとは思ってもいないだろう。

 

 それは末端の構成員一人を取ってしてみても明らかであった。彼らは惑星を愛しているが、ヒトは愛していないのだ。だから人機での作業に没頭出来る。人間をやめた――ある種では合理性を求めた果ての存在なのだから。

 

『合理的、などとは思わないで欲しい』

 

 だからか、こちらの思惑を見透かされたようでニナイは心臓が止まるかと思った。

 

 仰ぎ見た《ダグラーガ》が新たなシステムブロックへとアクセスし、《ビッグナナツー》の甲板そのものが巨大なエスカレーターとして下降する。

 

 思わぬ仕掛けだったが、これも人機なのだ、と説明されればそれくらいは理解出来た。《ダグラーガ》と自分以外は表に残った形となる。

 

 モリビト三機とのリンクも失われればもしもの時に仕損じる。ニナイはモリビトの執行者へと直通する腕時計型の端末を握り締めていた。

 

 これを押せばモリビト三機は有事と判断し、すぐさま飛び込んでくるだろう。

 

 それでも不安が勝ったのはやはり、自分達を囲んでいた人機の目がなくなったからか。《ダグラーガ》のみとなったこの場で、自分という「人間」ではあまりにも心許ない。

 

「……どういう、意味ですか」

 

 すっ呆けたわけではない。ただ意味をはかりかねた。《ダグラーガ》はピンク色のデュアルアイセンサーを輝かせつつ、こちらを見やる。人機に比すれば小さな人間の身。いつでも踏み潰せる、という余裕は相手にはないようであった。

 

 むしろ、相手は人機に搭乗していても自分と同じように物を見ている。自分と同じ目線に立ってくれているような気がしていた。

 

『拙僧は……《ダグラーガ》と一体になって久しい。だから、この身体が人機のような合理性を突き詰めたものだとは思わないで欲しいという意味だ。惑いもするし、逡巡も浮かべる。まだまだ、常世を断ち切れていないのだ。合理的など最も縁遠い事』

 

 そういう意味か、とニナイは安堵の息をつく。

 

「いえ、《ダグラーガ》はもう、ほとんどそれ単体で強みを発揮しています。既に抑止力の域なのでは?」

 

 これはともすると多大な干渉かもしれない。それでもニナイは問わずにはいられなかった。

 

 ――あなたはもう、この星にとっての脅威として、既に確立されているのでは、と。

 

 星や世界がその脅威度をはかったのならば、それはもう、抑止の意味を持つ存在。この世界そのものを構築する勢力が一つ。

 

 だからこそのラヴァーズ。そうだとも思っていた。惑星を愛するなどという大きな一つ事を成し遂げようとするのならば、それは霊長の頂点に立つくらいではないと意味がない、とも。

 

 だからか、直後に《ダグラーガ》より振り向けられたあまりに弱々しい声音に、ニナイは驚愕した。

 

『……買い被らないで欲しい。抑止力などと、高を括るつもりも、ましてや霊長類の頂点に立ったつもりもない。むしろ、この身体は逆であろう』

 

「逆……ですか」

 

『そうに違いない』

 

 ゴゥン、ゴゥンとエレベーターが下降していく。どこまで降りるのだろうか、とニナイは周囲を見渡した。この《ビッグナナツー》の艦艇は想定していたよりもずっと巨大だ。

 

「ですが……あなたはラヴァーズの」

 

『頭目、だと言いたいのだろうが、先にも申し上げた通り担ぎ上げられた、というのが正しい。ゆえに、この身が頂点に立つものの目線に相応しいかどうかは、甚だ疑問だ。頂点に立つしては、あまりにも不利な部分が大きい』

 

「でも、人機と一体化するなんて。出来るものじゃないですよ」

 

『……褒められたものでも、ないと思うがな』

 

 言ってから失言だったとニナイは反省する。自分はいつもこうだ。取り返しがつかなくなってから反省という機能を思い出す。

 

「すいません……私……」

 

『いい。人機と一体になった、傍から見ればまるで万能のように映るのは間違いではないだろう。だからこそ、彼らは拙僧に神を見ている。しかし……こう言ってしまえば何の変哲もないのだが、神などいないのだ。見捨てられたのだよ、この星は』

 

 見捨てられた。その見解にニナイは尋ね返していた。

 

「それは……ブルブラッド汚染があるから……?」

 

『紺碧の毒はその前兆に過ぎない。今に、ヒトは神より捨てられたこの地の意味を知る。……しかし拙僧にもその確証はないのだ。ゆえ、これは世迷言と切り捨ててもらっても結構。人機と一体化した、狂人の戯言とでも』

 

 そうだと言い切れるだけの材料が自分にはない。自分達だって勝手に星の海から渡ってきただけの者達だ。地上に故郷を持たず、この星のどこにも帰る場所はないくせに、ただ権利ばかりを主張する。

 

 ブルブラッドキャリアとは、楽園を追放された挙句、その楽園を取り戻そうとする、卑しいだけのケダモノ。

 

「……いえ、私にも思うところはありますから」

 

『……貴殿は心に闇を飼っているな』

 

 だからか、言い当てられた語調に全身が竦む。もしや、と震え出した身体はかつての罪悪を余人に知られたという恐怖に慄いていた。

 

 ――彩芽の事を?

 

 否、と頭を振る。知っているはずがない。誰も、知らないはずだ。知っていても、どうして、何故……、そのような思いばかりが空回りしていく中、《ダグラーガ》に収まるサンゾウは冷静に口にする。

 

『何も、闇のない人間はいない。どこに恐怖を抱く必要がある? 誰しも闇の只中、悟りに至る事など出来はしない』

 

 僧ならではの言葉繰りであったのか。それと気づいた時には、ニナイは頬を紅潮させていた。

 

「……私は――!」

 

『いい。言わずとも。誰しも知られたくない闇はある。殊に、貴殿はその闇に喰われかねない様相であるから注意したまでの事』

 

 暗に自分の立ち位置の不明瞭さを言い当てられたようで、ニナイはこれまでにない羞恥を抱えていた。一目見ただけでも、分かってしまうほどに、自分は不完全なのだな、と。

 

 エレベーターが最下層に到着する。

 

《ダグラーガ》が歩み出て電源システムに入った。重々しい音と共に照明が点灯する。

 

 眩さに目をしばたたいたのも一瞬、眼前に佇む巨大な水槽に視線を奪われていた。

 

 水槽だと思ったそれは果たして、ただの水槽ではなかった。

 

 ブルブラッドの青に染まった水の中に浮かんでいるのは血塊炉の原石である青い石であった。

 

 それも人機に用いるような大きさではない。ゆうに通常人機の五倍はあるその巨大さに絶句する。

 

「これ、は……」

 

『原初のブルブラッドシステムを使っている。この血塊自体は、古代人機より預かった』

 

「預かった……? でも古代人機は、現状の兵器とはまるで異なるはず」

 

『違う、古代人機は惑星の血脈を継ぎ、次世代に繋ぐために紡ぎ出された生命の吐息。命の使者。あれが動けば地層も動く。あれが怒れば地表も憤怒に染まる。そういう風に、この星は出来ているのだ。なればこそ、この血塊は彼らより預かった、というのが正しい』

 

 サンゾウの論法は、理解は出来る。血塊炉そのものの成り立ちを考えれば、元々は地脈より出でた産物。この星の命そのもの。

 

 命を繋ぐ、という意味で言えば、古代人機も現行の兵装人機も何も変わりはしない。

 

 両者共に純然たる命を使い潰し、別の何かに変換している。

 

 それが焦土の火であるか、古代の息吹であるかだけの違いだろう。

 

 青い水槽の中で揺らめく生命の原初風景にニナイはてらいのない感想を漏らしていた。

 

「綺麗……」

 

『どのような人間とて、これを目にすればそう言うだろう。だが、我々はゆえに戦わなければならない。これが美しいがため、ヒトは争う。これを自分のものにしたいという欲求のために、ヒトは殺し合える』

 

 見てきたかのような言い草だが実際に見てきたのだろう。血塊炉一つを巡って人間同士が醜く食い合う様を。どこへなりとも行けず、誰しもが血の中に生きるしかない地獄絵図を。

 

 ヒトは、血の一片一つでも争ってしまう。

 

 そのようなシンプルがゆえに残酷な現実を自分の前に突きつけられているようであった。

 

 それに、とニナイは分かってしまった。これを自分に見せた意味を。《ダグラーガ》に収まるサンゾウが、何を言いたいのか、その答えが。

 

 だが、その答えに至ればブルブラッドキャリアは自壊する。分かっているからこそ、ここでサンゾウの意見を素直に呑むわけにもいかなかった。

 

「……せっかくですが、申し出お断りします」

 

『そう、か。残念だ。ヒトは、一つの石のために争う事も出来るが、一つの石を守るために、協調も出来るかと思ったのだが』

 

 それを認めてしまえば、星から追放された自分達は戦う意義をなくす。ここでサンゾウの導きに答えるのは容易い事だ。

 

 ラヴァーズの教えに従うのも、心地よいだろう。人間として、自分達に価値があるのだと彼は言ってくれている。

 

 星の人々が一度としてブルブラッドキャリアを人間と認めないのに比して、彼は一見しただけで認めてくれた。

 

 それだけでも価値はあるのだ。しかし、一つ事を成すために、ここで簡単に膝を折り、救いを求める敬謙な使途になる事は出来なかった。

 

 自分達にはまだやるべき事がある。ここで膝を折り、頭を垂れて、許しを乞うのではない。最後の最後まで、銃を手に争う道こそが本懐。

 

 それがどれほど間違っているのかを、この血塊一つで示されたところで、自分達には退路はないのだ。

 

 ここまで来た以上、誰にもその領分は冒せない。

 

「……過ぎた言葉かもしれませんが、私達はブルブラッドキャリア。惑星に牙を剥いた者。無知蒙昧にこのまま星の言う通りに生きる事など最初から出来ないのです。たとえそれが、星の意志であっても」

 

 人間なのだ。

 

 ニナイは拳をぎゅっと握り締める。

 

 自分達は星の意思を全うするただの使徒ではない。人間という、血の穢れの中にある存在なのだ。

 

 ならば最後まで、その決着は血と共に在るべきだろう。

 

 こちらの決意を悟ったのか、《ダグラーガ》から静かな声が残響する。

 

『……拙僧も疲れ果てた、というのが正しいな。貴殿らの決意が崇高であるがゆえに、ここで問答をしたくなってしまった。それがどっちにとっていいとは言わない。ただ道を説きたかったのみ。嗚呼、傲慢であろう。この身は、酷く穢れているのだ。拙僧も人なれば』

 

 サンゾウも元はただの人間のはず。

 

 その出生を問いかけて、不意に発したアラートが遮った。

 

『敵襲! アンヘルの送り狼か……!』

 

 忌々しげに放った桃の声にニナイは《ダグラーガ》を仰ぎ見る。彼の助力を自分は身勝手な理由で断った。だからこれも、言ってしまえば彼らを巻き込んだ戦い。

 

「……協力してくれ、とは言いません」

 

『いや、協力させて欲しい。ここで拙僧の問答に、是と言わなかっただけの人間の輝き、見たくなった』

 

 目を白黒させるニナイに《ダグラーガ》が広域通信を張った。

 

『達す。こちら《ダグラーガ》。世界最後の中立を背負う者である! この艦とブルブラッドキャリアに仕掛けるものならば、我々は即時の武力行使に移ると宣誓する!』

 

 まさか、とニナイは耳を疑っていた。彼に義理を通す事などないのに。しかし、サンゾウは迷いもしない。

 

『こちら、アンヘル第二小隊。ラヴァーズなる組織の真偽は不明として貴君らは、ブルブラッドキャリアに味方するのか』

 

 それは世界の敵となる、という論調にサンゾウは言い放った。

 

『構うものか。彼らは義を通した! ならば我々は最大限の礼で返すのみ!』

 

『応!』と通信越しに甲板上の人機乗り達が臨戦態勢に移ったのが伝わった。三十機編隊とモリビト三機。

 

 勝てるかどうか、と固唾を呑んだ直後、アンヘルより直通がもたらされる。

 

『……この世最後の中立を前にして、身が竦んでいる兵士も多数いる。ゆえに、ここは一騎討ちを望みたい』

 

『一騎討ちだと? 何ゆえ?』

 

『……詳細は明かせないが、端的に言えば、ここにも武人がいた、という事だ』

 

《ダグラーガ》へともたらされた投射画面がこちらへと転送される。ニナイは敵艦の甲板に腕を組んで聳え立つ一機の赤い人機を目にしていた。

 

 鬼のような頭部形状に、射竦ませるのには充分な眼光を含んでいる。まさか、その人機と《ダグラーガ》の一騎討ちとでも言うのか。

 

『……よかろう。その鬼面の人機と拙僧が――』

 

『勘違いを、しないでもらおうか。俺は、そこの! 両盾のモリビトに用がある!』

 

 放たれた言葉にニナイは即座に《モリビトシン》の姿を思い描いた。まさか、モリビトとの一騎討ちを相手は所望しているというのか。

 

『……クロとの一騎討ち……? 怪しいのが見え見え! ニナイ、この状況ならば断っちゃえる。それに《モリビトシン》は……』

 

 桃の言いたい事は分かる。《モリビトシン》は不完全。現状、出して容易い駒ではない。

 

 しかしここで出し惜しみをすれば間違いなく、禍根が残るだろう。ラヴァーズの面々が不信感を抱くのは目に見えている。もしもの時、離反したラヴァーズの兵隊がこちらの手を塞ぐのは一番に避けるべきだ。

 

 どうするか、逡巡を浮かべたニナイに新たな通信が繋がれた。

 

『ニナイ。私は別に構わない。艦長であるお前の命令権さえあればいつでも出よう』

 

「鉄菜? でも、あなた一人を出すなんて……」

 

『逆だ。私一人でいいのならば今、《ゴフェル》は逃げ切れる。現状、そちらの部隊との共闘は望めないのだろう? ならば私単騎に目が向いている間にお互いに離脱する。距離を稼いだ隙に』

 

『有耶無耶に出来る、か。だが、拙僧はそこまで薄情ではない。ラヴァーズの面々もそうであろう。この海域からの離脱くらいは手伝わせていただきたい』

 

 思わぬ申し出であった。サンゾウもまだ人の温情が残っているのだろうか。

 

 窺った眼差しに、《ダグラーガ》が頭を振る。

 

「あなたは……」

 

『誤解しないで欲しいのは、我々はただ利益のためだけに動いているのではない、という事だ。貴君らの戦いは素直に賞賛する。世界を相手取っているのだからな。しかし、その戦いの末に待つのが破滅だと判断した場合、我々は即座に矛を構える。その覚悟はあるのだろう? ブルブラッドキャリア』

 

 ラヴァーズが最悪、敵になる事もあり得る。だがこの場では、互いに銃口を向けずに済む。その一事にただ安堵するしかなかった。

 

『この場では、か。信用出来るのか出来ないのかはお前が判断しろ、ニナイ』

 

 自分に託されている。ニナイは拳をぎゅっと握り締めた後、声を吹き込んだ。

 

「……鉄菜、《モリビトシン》による迎撃を許可するわ。それと共に《ゴフェル》は離脱挙動に入る。もしもの時の備えに《イドラオルガノン》を甲板に出して。《ナインライヴス》も出撃準備に。いつでも出せるようにして」

 

『……でもさー、艦長。勝てるの? モリビト一機で』

 

 それには疑問を抱かざるを得ないが、今は信じるしかない。相手も一騎討ちなど想定外である、という甘い考えで向かってくるとしか。

 

「……私は鉄菜を信じる」

 

 ニナイの発した言葉に林檎が嘆息をついた。

 

『……ま、いいけど。《イドラオルガノン》はD型装備で待機するよ。せいぜい見せてもらおうじゃない。一騎討ちでどこまで出来るのかってね』

 

 林檎と蜜柑の操主姉妹は鉄菜に対しどこか敵愾心を抱いている節がある。当の鉄菜は意に介してもいないようであるが。

 

 現状を打破するのにはこの一騎討ちもさほど意味はないだろう。しかし敵方を引き剥がすのには要求を呑まなければならない。そうでなければ爆撃を受けても何もおかしくはない距離にある。

 

『達す。ブルブラッドキャリア。準備は出来たか』

 

 相手からの通信にニナイは応答する。

 

「……ええ。《モリビトシン》、出撃」

 

『了解した。鉄菜・ノヴァリス。《モリビトシン》、出る!』

 

 カタパルトから火花を上げつつ出撃した《モリビトシン》の映像を《ダグラーガ》は投射する。それを目にしつつ、我が身の不実を呪うしかなかった。

 

 ここで共闘を受け入れていればもっと上手く出来たのではないか。彩芽を失った時に近い後悔が胸を占めていく中、サンゾウが口にする。

 

『ニナイ艦長、あなた方は義を通した。ゆえに、この戦い、最後まで見守らせてもらう』

 

 身勝手に離脱はしない、という宣誓にもニナイは苦々しいものを感じるしかなかった。

 

 結局は鉄菜を生贄に捧げたようなもの。

 

 ここで彼女が生き残るかどうかも分の悪い賭けだ。それでも出撃した鉄菜の《モリビトシン》を、今は信じるしかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯201 貫くもの

『……敵方のモリビトは要望通り、たった一機でこちらへと接近している。これでよかったのだろう? UD』

 

 艦隊司令部の上官の言葉にコックピットに収まった鬼面の男は重々しく是とする。

 

「感謝する」

 

『いいさ。君の権限は我々よりも遥かに上だと言われている。その君が一騎討ちを所望しているのなら、それに適うようにするまでだ。こちらも消耗しているのは確かだからね。《マサムネ》を失った旗艦は守りに徹するのが定石。しかし、ここでブルブラッドキャリアのモリビトの実力と我が方の実力の均衡をはかれるのならばそうしたい。連中だってこの海域からは一刻も早く逃れたいはず。相手を一秒でも縫い止めるのに、決闘はある種、正しいだろう。……しかし両盾のモリビトにそこまでの因縁が?』

 

「個人的な代物に過ぎないが、あの両盾のモリビトは枷になる。ゆえに、即座に潰すのが必要だと判断した」

 

 それもこれも自分の身勝手なわがままであったが、理解ある上官は、なるほどと笑みを浮かべた。

 

『個人的な執念、か。君を衝き動かすものに従うのは戦士としての信念だろう。いいさ、アンヘルの飼い犬とあだ名されてもここは義を通す。それが君流ならば』

 

 両盾のモリビトが射程に入る。艦隊司令部へと《コボルト》が手を払った。

 

 その指示に従い、艦隊はこの海域を離れていく。相手からしてみても意外だろう。

 

 こちらはブルブラッドキャリアの艦を落とすためにいるのだと思い込んでいるはずだ。誘い込まれた形のモリビトを包囲するでもなく、この勝負は本当に一対一の決闘で済ますなど。

 

 モリビトが肩口から扁平な武装を取り出す。

 

 前回、片手剣であったそれを今は両手に保持していた。

 

「双剣の使い手となったか。……いいだろう。それでも俺が信じるのは、この一振りのみ!」

 

 腰に装備した実体剣を《コボルト》が振るい上げる。その挙動に迷いはない。モリビトへと突きつけた刃に敵も戦意が宿る。

 

「いざ、尋常に――」

 

 UDが操縦桿を握り締める。汗ばんだ掌は緊張に張り詰めている。一瞬の気の緩みが命取り。それでもこの決闘、通さなければ戦士の名が廃る。

 

 モリビトが双剣を構え、身を沈めた。紺碧の大気が流れる中、一瞬の辻風が濃霧を発生させる。

 

 お互いに視野を削がれたその一瞬、《コボルト》は推進剤を焚いて肉迫していた。

 

 相手も同じ考えであったのだろう。霧を引き裂いて切っ先が首を狩ろうとする。

 

「すぐにでも決着をつけたいか! だが俺は!」

 

 刀身で一閃を受け止めつつ、軽業師めいた動きで敵の胸元を蹴りつける。互いに僅かな距離が開いたのも束の間、下段より振り上げられた一撃を袖口に仕込んだ刃で押さえ込む。

 

 火花が散る中、敵人機は打ち下ろした一撃による両断を試みた。

 

 破、と叫んだUDが刀でその一打を受け止める。それに留まらず、返す刀を敵の肩口へと叩き込んだ。

 

 変幻自在、鞭のようにしなった銀閃にモリビトが後退する。そのうろたえを逃すほどこちらは甘くはない。

 

 刃が軋り、モリビトの片腕を狙い澄ました。

 

「もらうぞ! その腕!」

 

 敵の装備が切り替わり、剣であった得物が銃へと変化する。リバウンドの銃弾が見舞われ、ほとんど至近の距離では命中を約束したかに思われた。

 

「反応出来ないとでも? 自惚れるんじゃないぞ!」

 

 刀身で銃弾を全ていなし、次の一手へと繋げようとする。敵人機は銃撃を浴びせつつ円弧の軌道を描き、距離を取ろうとしていた。

 

「《コボルト》相手に、中距離を選ぶのは上策だ! その射撃精度に頼るのも! だがな!」

 

 敵の張る弾幕を《コボルト》はことごとく弾き落としていく。リバウンド兵装を打ち落とす加護を得ている刃は少しばかりの銃弾ではびくともしない。

 

 それどころか戦闘の只中に置かれた刃は煌きを帯びている。自分と同じく、武士のために存在する代物。戦いの昂揚の中でのみ輝きを許される至高の逸品だ。

 

「刀が吼えている。貴様を斬れと! 轟き叫んでいるぞ! モリビト!」

 

 波間を引き裂き、水蒸気の濃霧を物ともせず、《コボルト》は果敢に刃を振るい上げる。モリビトは海面ギリギリの高度では上手く照準をつけられないようだ。

 

 明後日の方向を射抜く銃弾に《コボルト》に搭乗したUDが鼻を鳴らす。

 

「そんなものか! そんなもので、世界を敵に回すとは、片腹痛いぞ! モリビト!」

 

 打ち下ろした刃を敵人機はほぼ同じ速度の一撃で応戦する。じりじりと干渉波のスパークが散る中、こちらは一振りを。相手は二刀を交差させて相手の首を狙っている。

 

「その刃! 届かぬと知れ!」

 

《スロウストウジャ弐式》をさらに改良し、四肢の膂力に割いた《コボルト》の特殊仕様は伊達ではない。通常の推進力や稼働時間を犠牲に、この機体は至近距離において無双を得た。

 

 ゆえに、この距離は――。

 

「それは、俺の距離だ!」

 

 均衡が破れる。打ち下ろした刃が敵を両断した気配を漂わせた。

 

 きりもみながら、海面を跳ねて距離を稼いだモリビトへと《コボルト》の赤い眼差しが追いすがる。

 

「上手くかわしたな。だが、その身は満身創痍! 見えたぞ、勝利への軌跡が!」

 

《コボルト》が背面の霧を放出した推進剤で弾き飛ばす。敵には上がるだけの機動力への余裕も、ましてやこちらの全身全霊に応じるだけのパワーもないと見た。

 

 海面から離れられないモリビトは最早蜘蛛の巣に捕えたも同然。

 

 ここで潰えるのに何の疑問もない。

 

「貫くぞ。《コボルト》、零式抜刀術、七の陣! 月影の帳!」

 

 刃を突き出した《コボルト》がモリビトをその切っ先に捉えるべく疾走する。海面への激突警報が響くが全く意に介する事はない。敵を貫いた末に海面に衝突し、この身が四散しても、それは本望だ。

 

 モリビトは海上すれすれから逃れられない。この一撃、確実にその血塊炉を打ち抜いた。

 

 そう確信した《コボルト》は直後に黄金の燐光を目にしていた。

 

 何が起こったのか、最初は分からなかったほどだ。

 

「……消えた?」

 

 まさか。敵を逃すほど自分は甘い鍛錬を積んできたわけではない。では、消えたとしか思えない敵はどこへ行ったのか。

 

 直後にコックピットを劈いた照準警告にUDは習い性の身体を動かしていた。

 

 咄嗟に背後を警戒したのは我ながら正答であったと言えよう。刀が敵人機の刃を受け止めていた。

 

 一秒でも反応が遅かったら、と思うとぞっとする。それと同時に、眼前のモリビトが変化している事実にUDは冷水でも浴びせかけられたかのように硬直していた。

 

「黄金の……モリビト」

 

 燐光を棚引かせるモリビトが剣を振るい上げる。その挙動一つを取ってしてみても明らかに「違う」。瞬時に後退した《コボルト》は引き裂かれた波間と蒸発した濃紺の霧を前にびりびりと機体を震えさせていた。

 

 操縦桿越しにも伝わる緊迫。少しの油断が命取りになる、とは先ほどまでも思っていた。だが、これは、現状まで相手取っていた存在とは根本が異なる。

 

 畏怖にも似た感情が湧き上がるのをUDは抑えられなかった。

 

「これが……これこそが六年前、我が方を窮地に陥れた黄金の……! だが……」

 

 唇が恐れから笑みへと無理やり吊り上げられる。戦闘時の昂揚が脳内を満たしていき、UDは眼前から恐るべき速度で迫り来るモリビトを相手に――嗤っていた。

 

「これだ! これとやりたかった!」

 

 激突の瞬間、《コボルト》の機体の内部フレームが激震に軋む。パワーもスピードも桁違いだ。

 

 こちらを一閃で蹴散らし、モリビトは円弧の軌道を描きつつ銃撃を浴びせてきた。確実にこちらを取ったつもりの背面への銃弾。

 

 しかし、こちらもただただ六年間を甘んじていたわけではない。

 

 振り返った《コボルト》が刀の鍔で銃弾の雨を全て、受け流していた。

 

「嘗めるなよ、モリビト! 俺はこれを倒すために鍛え上げてきた!」

 

 モリビトが武装を剣へと可変させ、こちらを切り裂かんと迫る。通常ならばここで後退するのが定石。

 

 しかし、UDは《コボルト》のフットペダルを思い切り踏み込んでいた。丹田に篭った力を放出し、推進剤の加護を得た《コボルト》が黄金のモリビトへと急速接近する。

 

「……ここで退けば、それは確かに賢しい判断だ。だが! 退けばそれは、己が死狂いに非ず!」

 

 刀を振るい上げた《コボルト》の剣筋と敵人機の剣閃が交差する。打ち合っただけで片腕がレッドゾーンに染まった。警告音が先ほどから響き渡る中、UDはコックピットを殴りつける。

 

「黙っていろ! 今は俺が、戦っている!」

 

 黄金の燐光をなびかせるモリビトはまさしく脅威であろう。悪鬼の如く三つのアイサイトが赤くぎらついている。

 

 その眼光をUDは睨み返していた。

 

 口元には死狂いの笑みが張り付いている。

 

「ここでたとえ朽ち果てようとも! この命の一滴は最後の最後まで、戦場にある!」

 

 刀を保持する右腕が過負荷に耐えかねている。今にも吹き飛びそうな剣をUDは持ち堪えさせた。

 

 もう片方の腕を突き出し、袖口に仕込んだ射出用の刃をモリビトへと突きつける。

 

 察知したモリビトが剣筋を払い、瞬間移動と見紛うほどの速度で一気に離れていた。

 

 剣圧を失った機体がよろめく。まさしく重圧そのもの。相手から与えられるプレッシャーに、UDはしかしながら恐れにびくつく本能を隠した。

 

 ここで顕現すべきはもっと原初の生き物の咎。獣のような本性だ。

 

「行くぞ!」

 

 刀を振るい上げ、《コボルト》がモリビトへと一気に距離を詰める。敵はしかし、黄金を纏い付かせた一閃でこちらの想定速度を遥かに上回った。

 

 剣と剣がぶつかっただけでコックピット内部に備え付けられたエアバックが起動し、操主へのこれ以上の戦闘継続への危険性が全神経に伝達される。

 

 しかし、UDはそれらを無視した。アラートによる機体の安全装置を解除し、追従性を通常の三倍に設定する。

 

 そうでなくとも《コボルト》は常時の人機に備え付けられている速度制限と機体反射制限のリミッターを解除している人機。

 

 この時、《コボルト》は完全に人機のたがを外れ、UDの手足となっていた。

 

「金色のモリビト……、その因果、累乗の先まで持っていこう!」

 

 刀が融けるか機体が持たないか、と思われたその直後、モリビトから唐突に黄金の勢いが削がれた。

 

 それどころか先ほどまで果敢に攻め立てていたモリビトから推力が奪われていく。

 

 黄金の外装が剥がれ落ち、相手人機は海面へと激しく激突した。

 

 今のは、とUDは呆気に取られていた。確実に必殺の間合いに入ったのに、相手から殺気が消え失せる。

 

 その帰結する先を導き出し、UDは諦観に面を伏せた。

 

「なるほど……その機体、万全ではないと見える」

 

 亀裂の入った実体剣を《コボルト》はモリビトの頭部へと突きつける。ここで振るえば、なるほど、こちらの勝利にはなるだろう。

 

 だがそれは、己の本懐ではない。

 

 UDは近接空間にオープン回線を開く。あえて声はダミー音声に設定した。

 

「モリビトの操主に告げる。ここでの勝負は打ち止めだ。一騎討ちを所望するのに、相手が万全でないとなれば、それは勝負とは言わない。ゆえに、あえて言おう。斬る価値もなし、と」

 

『何だと……』

 

 戸惑いの只中にあるモリビトの操主の声が漏れ聞こえる。

 

 やはりというべきか、予感した通り、相手は六年前に合間見えた少女のようであった。

 

「また戦場で会おう。モリビトよ。我が名はUD。この常世を彷徨い続ける永遠のシビトである」

 

『U、D……』

 

「さらばだ」

 

 名前を告げたのはどうしてなのか、自分でも分からない。ただ、この勝負を持ち越しにするのに、少しばかり温情が欲しいと思ったのだけは事実であった。

 

 身を翻した《コボルト》が海上を突っ切っていく。

 

 その最中、先ほどより全く動かない右腕と接触しただけで麻痺した左腕をパージした。

 

「両腕共に破損、か。これでは痛み分けだな」

 

 いずれにせよ勝負にはならなかった。こちらとてギリギリの綱渡り。しかし、それ以上に相手のほうが分の悪い賭けに出ている事をUDは悟っていた。

 

 ――あれは諸刃の剣。

 

 一度でも刃を交わせば分かる。あの黄金の姿、そう何度も使える代物ではないだろう。

 

「……感謝すべき、なのかも知れんな。自分単騎に、あれを使わせるほどの価値があったと、認識させたのは」

 

 海域を突っ切っていく《コボルト》は今にも分解寸前であった。しかし、こちらが指定したよりも随分と近い距離に艦隊が待ち構えていた。

 

「……行けと言ったはず」

 

『そう捨て置けんよ。戦士の帰還だ』

 

 上官の言葉振りにUDはフッと笑みを浮かべる。

 

「まだまだ、常世は捨てたものでもない、か」

 

 そう独りごちて、《コボルト》を甲板に不時着させた。甲板に足をつくなり、過負荷に耐えかねた機体が膝を折る。

 

 急揃えの整備スタッフがすぐに取り付いた。

 

「まだまだ、だな。《コボルト》では、まだ俺の宿願を果たせない、か。もっと強い人機が要る。俺の理想通りに動く……人機が」

 

 握り締めた拳には悔恨が滲んでいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯202 勝てない相手

 海中より引き上げられた形の《モリビトシン》の中で、鉄菜は茫然自失に声にしていた。

 

「エクステンドチャージが……通用しない敵」

 

 これは元より切り札であった。使うつもりもなかった鬼札を用いてもなお、相手は上回って見せた。

 

 その姿を脳裏に描き、鉄菜は歯噛みする。

 

 鬼面の人機の乗り手。名を――。

 

「U、D……。あの人機と操主に、今の私と《モリビトシン》では……勝てない」

 

 突きつけられた現実にただただ悔しさを感じるしかない。息せき切って相手の挑発に乗り、自分一人でも戦えると高を括っていた。

 

《モリビトシン》の性能と六年間の積み重ねに胡坐を掻いていたのもある。

 

「まだまだ、私は弱いと言うのか……。ここまで戦い抜いても」

 

『クロ……? あんな無茶苦茶な人機なんて毎回出てくるわけじゃない。気にする必要なんて……』

 

「いや、桃。私は、まだまだだ。それが分かっただけでも、きっと、よかったのだろう」

 

 仲間に甘えなくては勝利すら掴めないのならば、もっと強くなる必要がある。

 

 それでも怒りの行く末を掴みかねて、鉄菜は全天候周モニターの一角を殴りつけた。

 

 こんなものただの八つ当たりだ。それでも、前に進みたい。

 

 これは初めての感情であった。

 

「……私は、あの人機と操主に……勝ちたい」

 

 芽生えた感情の行方を持て余し、鉄菜は《モリビトシン》の中でまだ見ぬ明日を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 敵は射程外に離れた、という報を受けて林檎はようやく息をつく。

 

『《イドラオルガノン》はそのまま甲板にて待機。こちらも礼を尽くす。《ビッグナナツー》の航路くらいは……』

 

 保証したい、という旨のニナイの言葉をどこか他人事のように聞いていた。

 

「……林檎、聞いてる?」

 

「あっ……うん、聞いてる。《ビッグナナツー》の航路を援護する……だっけ?」

 

 先ほどの戦闘に中てられたのか、どこか遊離したような出来事に感じられる。

 

 蜜柑が下の操縦席で嘆息をついた。

 

「しっかりしてよ。島でも結局何が起こったのか話してくれなかったし。危ないんだからね、単独行動は」

 

 蜜柑の忠言を聞きつつ、頭は別の事を考えていた。

 

 黄金の残滓を描く《モリビトシン》の圧倒的な挙動。

 

 あれがエクステンドチャージ。惑星産の血塊炉でのみ稼動する、最大規模の戦術兵装。

 

「……六年前にはあんなものが」

 

 絶句したのは機動力の凄まじさだけではない。敵へと追いすがるという執念がなければあのようなシステム、ただ取り込まれるだけだろう。

 

 六年前のモリビトの執行者……少なくとも鉄菜と桃は、あのシステムを完全に掌握し、使いこなしてブルブラッドキャリア本隊を守り抜いた。

 

 その武勲が嘘ではなかった事に、今はただただ言葉をなくしていた。

 

 所詮、前時代の遺物、自分達新型の血続を前にすれば機体性能の差など瑣末なもの。そう判断していた先刻までの己を叱責したい気分である。

 

 機体能力、操主としての状況判断、敵の行動予測――全てを取ってしても、自分と《イドラオルガノン》では賄えない。

 

 もし、エクステンドチャージがこの手にあっても、あれほど苛烈な戦闘を描くのは不可能であろう。

 

「あれが……ボクらと旧式の……鉄菜・ノヴァリスの違いだって言うのか……だって言うのなら」

 

 自分は一生追いつけない。不意に湧いたその弱気に、林檎は全天候周モニターを殴りつけていた。

 

 蜜柑がびくりと反応する。

 

「……林檎?」

 

「ボクは……ボクと《イドラオルガノン》じゃ……鉄菜・ノヴァリスには勝てない」

 

 敗北を直接経験したわけではないのに、色濃く胸を占めていく敗北感に、林檎は歯軋りした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『なんと……醜悪な戦闘よ』

 

 一人が口にした言葉にこの場でネットワークを共有している全員が是を返す。

 

『まさしく失態。あのような形でエクステンドチャージを晒すとは。離反した挙句、我が方の切り札を衆目に……、ふざけた扱い以前に、愚かだ』

 

『左様。ブルブラッドキャリア本隊の価値がこれでは下がるのみ。アンヘル程度の衆愚を相手取るのには型落ちの《モリビトシン》が適任だが、あれには三基もの血塊炉が積まれている』

 

『皮肉にも、オリジナルの血塊炉が、な。しかし三位一体方式……トリニティブルブラッドシステムも底が割れたようなものよ』

 

 本隊では《モリビトシン》の擁するトリニティブルブラッドシステムに対して特一級の警戒がもたらされていたがどうやら危惧に終わりそうだ。

 

『あれでは現行人機に通用しないばかりか、《モリビトシン》という最新鋭機にも影響する。やはり我々本隊こそが、ブルブラッドキャリアの理想を描けそうだ。……貴君もそう思うだろう? 新型血続よ』

 

 義体の見下ろす中心地で、先ほどから拷問椅子に縛り付けられた少女が苦悶していた。ヘッドギアをつけており、脳内へと直接これまでの血続理論を叩き込んでいる。

 

 その余波でか、何度も胃液を吐き、聖地に等しいこの場所を汚していた。

 

『……肉の躯体とはかくも醜いものか。やはり血続も機械化が望まれるのでは?』

 

『いや、リードマンや他の担当官の残した手記では痛みを感じる肉体こそが血続には必要不可欠だと表記されている。ならば、今はそれに倣って調教するまでだ』

 

『ヘッドギアを外させよ。……さすがに醜悪が過ぎる。観ていて汚らわしいとはこの事だな』

 

 ヘッドギアが外され、拷問椅子の拘束が解かれると、少女血続はよろよろと歩み出てその場に突っ伏した。

 

 しかしそれを許すような場ではない。

 

 流れた電流が無理やり少女血続に覚醒を促す。

 

 痙攣する相手へと声がもたらされた。

 

『立て。そうでなければその身体、失敗作と断ずる』

 

 失敗となれば別の躯体を探す羽目になる。その帰結はこの肉体の消滅だ。さすがにその反応には身が竦んだのか、少女血続が立ち上がった。

 

 だがそれも一瞬の事。

 

 すぐに身体を折り曲げ、何度もかっ血する。

 

『汚らわしい、血の臭いを充満させる……。これだから人間は好かん』

 

『あの星に置いていかれたに過ぎない罪の肉体と同じではないはず。我々が最適値に調整した身体だ。よもや傅く事も出来ないと?』

 

 試す物言いに少女血続は膝を折り曲げ、面を伏せた。

 

 その姿勢に、ひとまず満足する。

 

『よろしい。では、次の段階に移る。……旧式血続の教育方法ではこの段階で名前をつけたらしい。どのような名前が適任か』

 

『初期の血続選定時に、最も武勲を挙げた血続の名前がライブラリに存在する。その名前をいただこう』

 

『……やれやれ、験を担ぐ、ではないがこのような不確かなものに縋らなければならないとはな。しかし、この血続……確かに素晴らしい能力値だ。どうして廃棄になった?』

 

『自殺だ』

 

 淡々と告げた義体の声に、なるほど、と返答する。

 

『だがその当時の血続管理は甘かった。現状はそうではない。自害するようならばすぐさま破棄すればいいだけの事。よかろう、この名前を継承させる。新型の血続としての名前だ。よく聞くがいい。貴様の名前は今日より〝リシュー〟――梨朱・アイアスとなった。これに対して不満はあるか?』

 

 その問いかけに血続は頭を振る。

 

「……いいえ、ありません」

 

『結構。ならば梨朱・アイアス。貴様を我が方の擁する血続の最新パターンとして登録。ミキタカ姉妹のデータもまだ存在する。桃・リップバーンもな。これらの優秀な操主や血続のデータを掛け合わせれば完成を見るはず。最強の血続操主が』

 

 梨朱と名付けられた少女血続はただただ、その決定に異議を挟む事もなく、肉体を震わせる激痛に耐え忍んでいた。

 

 この程度の人造血続、いつでも造り直せばいい。失敗すれば次の手を打つまでだ。これもサンプルに過ぎない。

 

 痛み、などという不確かな情報は排除すべきという声も上がったが、全体の完成度を上げるためにあえて痛覚は残しておいた。

 

 そのほうが完成までの時間は短縮出来る、という客観的なデータも存在する。

 

『こちらの人機の完成度は?』

 

『まだ四割、と言ったところだ。だがほとんどの戦力は愚直にも地上に降りた《ゴフェル》の側に割かれている。馬鹿な連中だ。我々ブルブラッドキャリアの本隊への攻撃も忘れ、目先の敵に集中するなど』

 

『だがだからこそ、こちらも隙があるというもの。惑星は我々を侮辱し続けた。百五十年もの間、な。そのツケは払ってもらおう。その命をもって』

 

『我らこそが真の支配に相応しい。追放したその罪、惑星そのものを滅ぼしてもまだ足りんわ。惑星の特権層には死を』

 

『愚昧なる民草には鉄槌を』

 

 全員が審議に是を唱え、この場での査問が取り決められる。

 

『梨朱・アイアス。その完成までには膨大な時間を要する。ゆえに、我々は静観を貫かせてもらうとしよう。《ゴフェル》の舟に乗って降り立った者共も思い知るがいい。星の原罪を。その身もまた穢れ果てているのだと言う事を』

 

 名を授かった梨朱が恭しく頭を垂れる。血続の最終形態を形作るのに適切なモデルはまだ模索中だ。梨朱が駄目でも次がある。有限の弾数しか持ち合わせていない《ゴフェル》と自分達は大きく異なるのはその点だ。

 

 如何にブルブラッドキャリア本隊が宇宙の辺境であろうとも、こちらには宇宙産のブルブラッドエンジンを生産し続けるだけのノウハウと、《アサルトハシャ》を始めとした物量による圧倒がある。

 

 それを無視して相手は戦えないだろう。

 

『今頃は降りた事、それそのものを後悔するがいい。《ゴフェル》の裏切り者達よ』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯203 支配者たちの悦楽

 人形屋敷、とあだ名される場所に入るのには二重三重のセキュリティロックを掻い潜る必要があったが、ガエルはその生態認証だけで門を潜る事を許されている数少ない人間だ。

 

 地下通路へと通じる空間には無数の義体が糸で吊るされ、天井に縫い止められている。ゆえにこの場所は『人形屋敷』。義体の集積地点である地を呼ぶのには相応しい。

 

 しかし別の名前もある。その名称を紡ぐ事は極力避けれられているが、ガエルはマーキングされたその標を独りごちていた。

 

「ソドム……か」

 

『それは禁じられた名前だ』

 

 発せられた声にガエルは操主服の襟元に風を通しつつ応対する。

 

「そうかい。こちとら星の裏側でまーた戦争稼業だ。飽きもせずによくやるよ、と我ながら褒めたくなる」

 

『アンヘルの実務部隊の教育、か。ご苦労だな、ガエル・ローレンツ』

 

「その名前はもう、ほとんど呼ぶヤツはいねぇがな。てめぇくらいだよ、クソッタレ」

 

『人間であった頃の名残がある。それだけこの義体という奴も所詮は機械仕掛けの代物だという事だ』

 

 義体、とガエルは巨大な円筒型のシステム端末を視野に入れる。かつての上官――レギオンの将校が肉体を捨て、脳だけになって中に入っている「らしい」という噂の機体。

 

 定かではないのは、この義体を落とせばレギオンが墜ちるわけではないという客観的な事象を鑑みても明らかである。レギオンの本体は細分化され、自分という個人では最早、その形状を掴む事さえも難しく成り果ててしまった。まさに群体、巨大に膨れ上がったレギオンを象徴する相手はガエル一人では陥落不可能の領域である。

 

 無論、それはブルブラッドキャリアでも同じ事。

 

 相手がどれほどまでに強力な人機を用いても、集団無意識とも呼べるレギオンを完全に駆逐する事は出来ない。星に棲む大多数の生命を抹殺する術がないように。

 

 それほどまでにレギオンは根を張った。この六年間でさらに深く。

 

 星と一体化したに等しいレギオンを止められる者はもういないだろう。その生命を断つ事は星を殺す事とでも言えばいいだろうか。

 

「……で? こちとらまだ教育課程の坊ちゃん方を放っておいてここまでご足労したんだ。何かあるんだろうな?」

 

『無論だとも』

 

 円筒型の義体が集積する中心地に投射画面が現れる。楕円の形状を持つその物体はまだ三次元図の状態であったが、いつでも構築出来るだけのノウハウが揃っているはずであった。

 

「……話にあったブルブラッド重量子爆弾ってヤツか。これを大国コミューンに落とすとでも?」

 

 原寸大のブルブラッド重量子爆弾は大の大人二人分ほどの大きさしかない。だが、これが炸裂すればコミューンを焼き払うどころか、百年は人の棲めない土地に変貌させる事が出来る。

 

 どうしてそのような破壊兵器を生み出すのかは、レギオンの者達が構築するネットワークの海の中にしかない。答えなど自分がアクセス出来る権限にはないのだ。

 

『まさか。考え過ぎだよ。我々は何も破壊を望んでいるわけではない。むしろ、逆だ。幸福に、誰もが権利ある生活を保証したいと思っている』

 

 口先にしても性質が悪い言葉ばかりだ。ガエルはケッと毒づいた。

 

「そうかい。じゃあどうしてこの爆弾の開発なんて進める?」

 

『抑止力が必要だ。世界には常に、ね。六年前まで世界を押し止めるのは三国間での緊張状態、冷戦であった。しかし、その均衡は破られて久しい。C連合は連邦国家と連合国家に分裂し、アンヘルという強攻組織が生まれた。加えて小国コミューンでは毎日のように小競り合い……紛争、虐殺、血潮の流れる事件にだけは事欠かない星……代わり映えなどしない、この星は六年前より……否、百五十年以上前からずっと同じ事を繰り返している』

 

「そこに一石を投じるのに、この爆弾が要るってのか?」

 

『間違えるなよ、ガエル・ローレンツ。爆弾は、落とす事に意義があるのではない。ここに在る事に意義があるのだ。かつて、コミューンの爆撃が封じられる以前、人機による交戦がそれほどまでに苛烈ではなかった頃、三国は爆弾作りに躍起だった。しかし、一度として敵対コミューンに落とされたものは正式には存在しない。つまり、これは落としてはいけないのだ。爆弾が在れば、それでいい』

 

「随分と器量の狭い言葉振りじゃねぇか。自分達が支配するのに爆弾一つで事足りるって言い様だ」

 

『実際にその通りなのだよ。重量子爆弾は驚異的な破壊力を約束するが、星を棲めない場所にするのは忍びない。抑止力なのだ。これも一種の。だからこそ、敵対勢力を黙らせるのに役立つ』

 

「知ってんよ。ブルブラッドなんたらが降りてきたんだって?」

 

『耳聡いな。いや、アンヘルの上級仕官ならば当然と言えば当然か。現在、ブルブラッドキャリアは海上に位置。惑星博愛主義組織ラヴァーズと合流し、共闘……のような空気を見せている』

 

「まずいのか? ラヴァーズってのは」

 

『あれそのものはただの三十機前後の旧式機の集まりだ。問題なのは人々の心に浸透した、信仰という名前の病魔だよ』

 

「病魔、ねぇ……」

 

『ヒトは、信仰のためならば喜んで命を捨てられる。久しく忘れられていた代物だが、あれが呼び起こした。世界最後の中立にして最古の人機……《ダグラーガ》』

 

「会った事はねぇけれどよ、相当みたいだな」

 

《ダグラーガ》。何度か耳にする事はあった。それも戦場を闊歩する都市伝説のような形で。青い霧の向こう側に現れる天秤の使い手。

 

 この世界が最後に残した良心。

 

 だが、その《ダグラーガ》のスペックは依然として謎に包まれており、レギオンの擁する最大の情報端末――バベルでも閲覧不可能であるらしい。

 

 しかし、会敵すればただの人機だろう。大方、噂ばかりが一人歩きしているに違いない。ガエルは戦場の怪談だけは何度も経験している。ブルブラッドの亡霊も、レーダーの効かない場所での戦いも。

 

 それなりに経験しているからこそ、《ダグラーガ》そのものに対しての恐怖は薄かった。

 

 むしろ恐れるべきは《ダグラーガ》一機を寄る辺にして集った三十機前後の旧式人機。彼らのメンタリティこそ、真に恐怖すべきなのだ。

 

 死を恐れない人間というのは一番に厄介である。

 

 それが薬物でも何でもなく信仰という形で実現するというのが特に性質が悪い。

 

『《ダグラーガ》撃墜は不可能に近いだろう。ゆえに、今回はお荷物を狙うとする』

 

「お荷物、ねぇ……。ブルブラッド何たらもヤキが回ったもんだ」

 

 投射画面が切り替わり、静止衛星上から捉えたブルブラッドキャリアの旗艦とラヴァーズの艦が映し出された。どちらもほとんど立ち往生している。叩くのならば今だろう。

 

 しかし、送り狼のアンヘル部隊が周囲に見当たらないのはどうした事か。

 

「おいおい、実戦部隊は何やってんだ? あんなの体のいい的だろうが」

 

『既に実戦部隊は送り込まれたが、ブルブラッドキャリアの擁する新型のモリビトを前に敗走、これ以上の継続戦闘は旨味がないと判断し、一時撤退を敢行した』

 

「撤退だぁ? 甘いだろ。第一、モリビトだってそんなに強くなっているのか? 六年前たぁ、違うって言っても所詮は人機だろうが」

 

『六年前のデータと照合しても、相手方の人機には読めない兵装も多くってね。アンチブルブラッド兵装を使用してくるらしい』

 

 血塊炉使用兵器に一番に効いてくるあの武装か。思い浮かべたガエルは舌打ちする。

 

「賢しくなったもんで」

 

『ブルブラッドキャリアの真に恐れるべきは常闇の宇宙でモリビトを建造し、我々の人機技術を遥かに追い抜いて見せた事だろう。連中は持っているのだ。核心に近い何かを』

 

「でもよ、バベルはもうこっちのもん。んで、星で見渡せない場所なんてねぇ。こんな状態で消耗戦を続けたって、分があるとは思えないがな」

 

『大いに納得するが、それでも読めない代物は存在する。この映像情報を』

 

 展開されたのは黄金のモリビトが《スロウストウジャ弐式》の改造型を相手に圧倒する場面であった。明らかに既存の人機の機動力を超えている。

 

 その輝きには見覚えがあった。

 

「……あの時の金色のモリビトか」

 

『敵の鬼札だ。それをもし、三機同時展開でもされてみろ。アンヘルの実戦部隊とは言え、全滅の恐れもある』

 

「だから退かせたって? お優しいこって」

 

 こちらの浮かべた皮肉に将校はただただ淡々と返す。

 

『今、盤面を覆されるのは面白味がない。ここは慎重に行く』

 

「それはいいけれどよ。オレを呼び戻した理由くらいは言ってもらいてぇもんだな。一応、仕事は有り余っているんだぜ? まだまだひよっ子のアンヘルの教育隊の、一応は取りまとめなんだからな」

 

『失礼した。ガエル・ローレンツ。久しぶりに掃除を依頼したい』

 

 その言葉だけで了承が取れていた。「掃除」。意味するところは決まっている。

 

「……何が目障りなんだ?」

 

『C連邦の統合を拒んでいるコミューンがあってね。統合出来ないのならば武力による介入に打って出ると警告しているにも関わらず、あちらは強気だ。一度、痛い目を見てもらう』

 

 そのための自分、か。ガエルは舌打ちする。

 

「オレはてめぇらのいいようにだけ動く兵隊じゃねぇ」

 

『だが分を弁えた兵のはずだ。君は、ね』

 

 どこまでもこちらの動きを読んだかのような言い草は相変わらずだ。機械に呑まれたからと言って今さら変化する人格でもないのだろう。ガエルは踵を返していた。

 

「一つ言っておくが、あれを使うんなら手加減はしねぇぜ?」

 

『構わない。君の流儀を叩き込んでやるといい』

 

 それも織り込み済み、というわけか。何もかも掌の上で動かされているようで癪に障る。

 

 人形屋敷を去る間際になって、人影が自分へと接触してくる。自分の背後に立つとは、物好きな人間もいたものだ。

 

「義体……じゃねぇな。何だ?」

 

「お伝えしたく参りました。ガエル・シーザー様。例の機体、出すのならばアンヘルの目に触れれば毒。別窓を用意してございます」

 

「そりゃ、随分と結構なこって。それともあれか? てめぇらが管理する自信もねぇから、オレに全部おっ被せるか?」

 

「どうとでも。しかし、あなたにはこれが必要なはず」

 

「そう……かよっ!」

 

 振り返り様に銃撃を浴びせる。弾丸が吸い込まれた先にいたのは天井より吊られている人形のうちの一つであった。

 

 これも一種の義体。だが人間のような気配を感じた。機械ではない、何かがこの中に入っていたらしい。

 

 ガエルは人形のこめかみに埋め込まれているメモリーチップを引き出す。一つでも相手を上回れる算段は取っておくべきだ。

 

「しかし、あれだな。てめぇら余程好きと見えるぜ。この世界を支配する、っていう妄言がな」

 

 言い捨てて、ガエルは暗黒に沈んだ地下都市を後にした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯204 鋼鉄の心

 

 鉄菜は、と目線で問いかけるとタキザワは頭を振った。

 

「どうにも、な。ショックだったらしい。エクステンドチャージでも倒せない敵が」

 

「そう……。《モリビトシン》の整備状況は?」

 

『悪くはないが、オーバーヒートを起こしている。三位一体血塊炉を積んでいなければ今頃、完全に起動不能に陥っていてもおかしくはなかった』

 

 淡々と事実を述べるゴロウにタキザワは肩を竦める。

 

「ショックなのは僕も同じ、かな……。六年間、無意味に費やしてきたつもりはないのに、実戦で操主に不安を持たせたとなれば」

 

「《ナインライヴス》や《イドラオルガノン》には、別状は」

 

『特にないな。《イドラオルガノン》は一応、精密検査に回しておいたが、《モリビトシン》よりかはマシだろう。三位一体血塊炉の組み直し、というほどの余裕もない。我々はそうでなくとも有限の資源でやり繰りするしかないのだから』

 

 桃は整備の火花をところどころで咲かせる《モリビトシン》を横目に見ながら、ふとこぼしていた。

 

「でも……よかったのかもしれない」

 

「よかった? それは何で?」

 

「クロは……一人で突っ走ってしまうから。もし、エクステンドチャージを完全に物にしていたら、今頃一人で行っちゃっていた。そんな気がするんです」

 

 自分の知らぬ間に強くなっていた鉄菜は、どこまでも独りで進んでいくようなイメージがあった。六年間も単独行動をしていたのだ。それくらいは当然かもしれない。

 

 だが、これ以上離れてしまわれると、本当に心の距離でさえも後戻り出来なさそうで、桃は不安に駆られていた。

 

「鉄菜には足枷くらいがちょうどいい、のかもね。《モリビトシン》があまりに強大な人機であったのならば、彼女はブルブラッドキャリアでさえも必要としなかったかもしれない」

 

「でも、それって悲し過ぎますよ。……悲し過ぎる」

 

 整備デッキに並んだ《ナインライヴス》がメンテナンス用の装甲を開いている。《ナインライヴス》は元々、陸戦型。海中戦は全くの想定外であった。

 

 だからか、ところどころに腐食がある、と整備班が声を飛ばす。

 

「仕方ないでしょう! こちとら慣れない重力下で!」

 

「やるんだよ! 《ナインライヴス》のRランチャーの照準補正、しっかりかけておけ! 重力と地軸の補正値をわざわざ操主に負担させていたら持たないだろうが!」

 

 滑り落ちていく整備スタッフの怒声に桃は手すりにもたれかかった。

 

「……モモ、何も出来ていませんね」

 

「上出来だとも。今のところ《ゴフェル》へのダメージは想定内だ。それに、《モリビトシン》が出せないとは言っても、エクステンドチャージを推奨しないだけで別に全く出せなくなったわけじゃない」

 

「でも、敵は待ってくれないんですよ」

 

『あの機体……《スロウストウジャ弐式》の改造機か。《モリビトシン》に律儀にもデータを送ってきている。《コボルト》、と呼称するらしい。白兵戦特化の機体だが、凄まじいほどの数値だ。推進力と近接戦における反応速度に全部の値を振っている。他はほとんどどうでもいいとでも言うように。ここまで極端な例はあまりないだろう。だからこそ、《モリビトシン》が苦戦したとも言える』

 

「極端に数値を振られた機体には対応し切れない……。量産体制の敷かれている《スロウストウジャ弐式》を対処するのに頭を回し過ぎたかもしれないな。本当のエース機って言うのは極端なものだ」

 

「それも功罪でしょう? モリビトはたったの三機なんですから」

 

 端末をタッチしつつ、タキザワは嘆息を漏らした。

 

「そうだね。たったの三機。それもここまで絞り込むのに随分と苦労した割には、敵は思った以上に力をつけてきている。《スロウストウジャ弐式》だけを相手取ればいいって言うものでもない。《ゼノスロウストウジャ》、それに《コボルト》、か。先の海中戦用の人機も気になる。連邦側にいいスポンサーでもいるのだろうか」

 

「スポンサー……ですか」

 

『そうでなければあのような機体など道楽でも造らない、という事だ』

 

 ゴロウの弾き出したデータをすぐさま寄越される。前回、水中より襲い掛かってきた人機を製造するのにかかるだけの予算と審議をシミュレートしたものであった。

 

 それによると、あの規模の人機を造るのには一朝一夕の議論では不可能という結論らしい。

 

「……一強のスポンサーが、人機製造を牛耳っている?」

 

「そうとしか考えられなくってね。あるいは酔狂な金持ちが、アンヘルに資金を横流ししている」

 

「……あまり気持ちのいいニュースじゃないですね」

 

 三次元図の海中用の人機は《モリビトシン》単騎で破壊出来たのが不思議なほど精緻であった。四本のクローをそれぞれ推進力にも用いられるように応用されており、中距離から近距離において海中では無双を誇るであろう性能を叩き出している。

 

「それでも勝ち星を取れるだけまだ分がある、と思いたいね。鉄菜は確実に強くなっているし、君だってそうだ。《ナインライヴス》を操るのに適した操主になっている」

 

「……褒めてます?」

 

「上々に、だ」

 

 鼻を鳴らした桃は愛機へと視線を流していた。

 

「でも……このままの戦局じゃ何も好転しませんよ」

 

『それには同意だな。ラヴァーズからありったけの資財を持ち込んでもらっても、《ゴフェル》が重くなるだけだ。どうやったところで、この海域から一度離脱しなければ』

 

「縫い止められている以上、一時撤退が望ましい、って事でしょ。でも、どこに逃げるって言うの? だって地上は」

 

「バベルに見張られて久しい。虐殺天使の楽園だ」

 

 結んだタキザワに、分かっているのなら、と桃は抗弁を発する。

 

「何か手を打ってくださいよ」

 

『悔しいが打てる手も少なくってね。ラヴァーズ……いや、《ダグラーガ》か。あの機体が理解を示してくれたお陰で補給難には陥らないだろうが、一度敵の重要拠点を抑える必要がある』

 

「……攻めに転ずる、って言いたいの?」

 

「それが出来れば苦労はしないよ。何か考えが?」

 

 アルマジロの姿のまま、ゴロウは手を必死に伸ばして情報を手繰る。

 

『懇親会……とでも言うべきか、C連邦コミューンにて、アンヘルの上層部が一同に会する会合が催される。今、解析に入った。三日後、だそうだ』

 

「また危ない事をするなぁ……」

 

 呆気に取られるタキザワを他所にゴロウは勝手に自分の名前を出席者名簿に書き連ねる。

 

「何やってるの!」

 

『スポンサー連を抑えるのにはこれが最適解だろう。会合に潜入し、要人を暗殺する』

 

「簡単に言ってくれるよ……」

 

 額を押さえたタキザワにゴロウが不思議そうに目線を振った。

 

『何が難しい? 今まで重要拠点に潜り込んできた実績のあるモリビトの執行者ならばむしろ簡単なミッションに入るはずだが?』

 

「……ニナイの許可なしにそんな事を決めないで。そういえば、ニナイは?」

 

「《ダグラーガ》との話し合いだってさ。ラヴァーズと身の振り方を考えると慎重に行きたいみたいだ。相手が敵になるのだけは避けたいからね」

 

 三十機前後の人機が一斉に敵に回ればさしものモリビトでも対応出来ないだろう。艦長として出来る事はやっているわけか。

 

「……じゃあモモ達は、そのスポンサー会に潜入するのが目下の仕事ってわけ?」

 

『モリビトの整備状況もある。《ゴフェル》をどこへなりと停泊させたいのが本音だが、どこの港も当たり前のようにアンヘルが押さえていてね。地上で信用出来るコミューンは一個もない。だが、ラヴァーズがうまく弾除けをしてくれるのならば』

 

「少しばかりの時間はある、って事か。……計算高過ぎないか? それってラヴァーズがこちらの思う通りに動く前提だろう? 彼らがそうとは思えない」

 

『だが敵意を向けるのならばとっくにやっている。むしろ、時間は取らせた分だけこちらには優位に働くと思っていい』

 

 タキザワとゴロウの言い合いに桃は割って入る。

 

「要するに、こっちがあまりにも情報不足だから執行者でも足で稼げって言いたいんでしょ。……まったく、これだからシステムAIって言うのは」

 

『失敬だな。こちらは何度もハッキングの危険性のある機密情報にアクセスし足跡を消して情報だけを抜き取っている。これを君達にやってもらいたいところだが、なにぶん、人間では無理だろう』

 

 自分達に出来る精一杯をやれ、というゴロウの弁は何も間違っていない。問題なのは鉄菜だ。彼女がやる気になるかは分からない。

 

「……クロの考えが分からない」

 

「話し合わないのか? もう腹を割って話せないって言うような仲じゃないだろう」

 

「そういう風に勘繰らないでくださいよ。モモだって、空気は読みます」

 

『空気、か。しかし桃・リップバーン。あれは思ったよりも深刻そうだぞ』

 

 ゴロウが中空を眺めている。その視野が鉄菜の部屋を覗いているのを感知して、桃はその頭を殴りつけた。

 

 ゴロウが振り返って抗議する。

 

『何をする! 情報の取得中に精密機械を殴る人間がいるか!』

 

「こっちの台詞! それって覗き見でしょ! 悪趣味!」

 

『執行者の管理は一任されている! 口を挟むな!』

 

「どこが! ただの女の子の部屋のノゾキ! 何を偉そうに!」

 

「まぁまぁ……。まったく、君らはそうも元気なのに、元気を出して欲しい人間は元気じゃないって言うのは……どうにも出来ないのかなぁ」

 

 後頭部を掻いたタキザワは搬入されてくるコンテナを視野に入れて嘆息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 医務室に立ち寄ったのは自分でもよく分かっていなかった。

 

 メンテナンスして欲しかったのだろうか。それとも、この心に湧いた不安を取り除いて欲しかったのだろうか。

 

 いずれにせよ、ノックした鉄菜をリードマンは快く受け入れていた。

 

 彼は猫背を向けたまま、こちらへと問いかける。

 

「《モリビトシン》、健闘したみたいじゃないか」

 

「だが、負けた」

 

「敗北は何も悪い事じゃない。一度問題点が出たほうがもしもの時にはフィードバック出来る」

 

「……いや、あれは取れた。そのはずなんだ」

 

 そう、そのはずであった。《コボルト》を叩き潰すために刃を振り上げた刹那、コックピットが赤色光に塗り固められ、《モリビトシン》が動かなくなった。

 

 エクステンドチャージ。こちらの切り札が使い潰されたも同然。これでは自分に価値など……と思いかけたその時、リードマンが振り返っていた。

 

「……かつてのように、自分に価値なんてない、と思い詰める必要はないよ。ここはブルブラッドキャリア本隊じゃないし、誰も君に責なんて負わせないさ」

 

「だが……勝てたんだ」

 

「しかし結果は結果として重く受け止めるべきだ。鉄菜。一度仕損じればお終いだと、そういう考えはもうなくしてもいいんじゃないかな? そこまでして君をモリビトから降ろしたい人間なんてここには一人もいないんだから」

 

《ゴフェル》は一人でも欠けないほど、今は困窮している。だから必要とされるのだろう。《モリビトシン》も同じようなものだ。骨董品の人機であっても、可能性があるから前に出る事が許されている。

 

 それも今回の一件でどう転ぶか、鉄菜には全く読めなかった。

 

「……頼みがある」

 

「言っておくが、もうモリビトの執行者を云々、という権限はない。ここにいる以上はただの医療スタッフだ」

 

「それでも。私の担当官として、だ。私を、モリビトから降ろさないで欲しい。もう失いたくないんだ。何もかも」

 

 六年前には至らないばかりに彩芽を失い、多くの犠牲を払って生き永らえた。もう誰も失いたくないというのはエゴかもしれない。

 

 それでも、このエゴを通しきるだけの力が欲しい。誰にも口を挟めないほどの圧倒的な力が。

 

 リードマンはこちらの眼差しを真っ直ぐに受け止めた後に嘆息をつく。

 

「……君達は何も、もう実験体でもなければ、誰かのために生きているスケープゴートでもない。ここにいる、人間なんだ。どうして、君も瑞葉君も思い詰めたがる? 自分に価値がなければそこまでだって? そんな風に人生を狭く考える事はないはずだ」

 

「ミズハ……もなのか?」

 

「彼女は責任を感じている。自分のせいで《ゴフェル》が動かせないんだ、とでもね」

 

 その言葉に鉄菜は立ち上がっていた。拳をぎゅっと握り締め、リードマンを睨む。

 

「……そう言ったのか? ミズハが?」

 

「座るんだ。落ち着いて話を聞くといい」

 

 諭され、鉄菜は腰を下ろす。

 

「ミズハをこの状況に落とし込んだのは私だ。責を負うのは私でいい」

 

「ところが、あちらもあちらで君の事を心配している。前にばかり出るのを悪いとは言わない。だが、帰りを心配してくれる誰かがいるんだ。あまり無鉄砲に戦うのはよしたほうがいい」

 

「私が……無鉄砲に戦っているように見えるって言うのか?」

 

「そうでないのなら、どうしてエクステンドチャージを使ったからと言って僕のところに来た? 審議して欲しいからだろう? 自分の存在価値を」

 

 図星を刺され、鉄菜は押し黙る。そうだ。自分が失態を犯したのだと誰かから責められるのならばまだ楽であっただろう。

 

 誰も、自分の失敗を責めない。それどころかよくやったと言う。そのような賞賛は、六年も孤独に戦ってきた身からしてみれば逆に毒であった。

 

「……六年間。独りでやるしかなかった」

 

「だがここにいるのは君だけじゃないはずだ。もっと頼ってもいい。他のスタッフやモリビトの執行者にも」

 

「だが、桃は充分に苦しんできたはずだ。あの操主姉妹も組織の犠牲者だろう。私は……私で終わらせられるのならば、何もかもを――」

 

「それは驕りだよ」

 

 遮られて鉄菜は面を伏せていた。《モリビトシン》。原罪の象徴を手にして一番に思い上がっていたのは自分だったのかもしれない。

 

 全ての罪に決着をつける、と。

 

 しかし、この身体は依然として弱々しく、《モリビトシン》を操るのにはまだ脆弱。

 

 どれほどまでに強くなれば、何も失わないで済むのだろうか。どこまで孤独を極めれば苦しまないでいいのだろうか。

 

 堂々巡りの思考は結局、分からない、という一点に集約される。

 

《モリビトシン》を今のまま、自分が扱っていいのかも。これまでのような考え方で戦っていいのかも。

 

 ――もう一人の自分。

 

 瑞葉の口にした言葉が不意に蘇ってくる。瑞葉は自分の事をもう一人の己だと言っていた。それは何も境遇だけではないのかもしれない。

 

 戦いを続けるのに、今のままでいいのか。鉄菜は自分の掌に視点を落とす。まだトレースシステムのアームレイカーに慣れていない手。しかしながら六年間も《シルヴァリンク》を操り、世界を敵に回してきた手。

 

 どちらも同じだ。同じでありながら、決定的に違う。これから先、戦い続けるのには、この手では足りない。

 

 もっと強くならなくては。そうでなければ何も守り通せやしない。

 

「鉄菜、瑞葉君も君も充分に苦しんだ。だからもう、そこまで思い詰めたところで」

 

「だが私は……モリビトの執行者だ。まだ、さじを投げるわけにはいかない」

 

 この世界を諦めるのには、今の立場では早過ぎる。リードマンは頭を振り、鉄菜へと目線を振る。

 

「……だからと言って一人で背負い込んでも仕方ないだろう。四人いる意味を、履き違えてはいけない」

 

 執行者の数がいても結局は世界に是非を問えないのならば同じ。鉄菜は立ち上がっていた。

 

「私は、自分を慰めるための言葉が欲しかったわけじゃない」

 

「だが、君を責め立てるような卑怯者はこの舟にはいない」

 

 だからなのだろう。だからこそ、自分で自分を許せない。

 

 医務室を後にした際、ちょうど瑞葉と鉢合わせした。お互いに何を言うべきか逡巡したのも一瞬、鉄菜は声にしていた。

 

「無事でよかった」

 

「それは……クロナのほうだろう。敵機に苦戦したと聞いた」

 

「大した事じゃない」

 

 そう言い放つしか出来ない。自分が鬼札を晒しても勝てなかったなど、ただの不安材料でしかないだろう。

 

「そう、か。だが、わたしは……」

 

「医務室に何の用だ? リードマンはさほど有能ではない」

 

 こちらの言葉に瑞葉は面を伏せていた。

 

「……どうにも、まだわたしは一端の人間に成れていないらしい」

 

 思わぬ告白に鉄菜は瞠目する。

 

「どういう……」

 

「後遺症、とでも言えばいいのか。リードマンに詳細を尋ねてある。その……クロナ、よければ聞いてくれないか。わたしの……罪を」

 

 強化兵の後遺症。鉄菜は今しがた出て行った医務室に再び戻る事になった。

 

 リードマンがわざとらしく言いやる。

 

「おや? 早かったじゃないか」

 

「ミズハの後遺症とは何だ?」

 

 問い詰めた鉄菜にリードマンは端末を差し出す。そこに記されていたのは、瑞葉の身体検査記録であった。

 

「強化実験兵としてのプログラムはまだ、完全に消されたわけじゃない、という事だ。定期的な投薬が必要になってくる。その薬物を、我々では用意出来ない」

 

 恥じ入ったように顔を上げない瑞葉に、鉄菜は前に歩み出た。

 

「用意出来ないのなら、奪えばいい。生産されているコミューンの場所くらいは分かるのだろう?」

 

「クロナ! わたしは……みんなに迷惑はかけられない……」

 

「だが後遺症だ。放置し続ければ何か決定的な事が起こってからでは遅い」

 

「その発言には同意だね。瑞葉君。生産施設のデータはあったが、ここに行くのにはちょっとやそっとでは難しい」

 

 示されたコミューンに鉄菜はデータを受け取って踵を返した。その背中に声がかかる。

 

「待ってくれ! クロナ!」

 

 足を止めると、瑞葉は声を搾り出していた。

 

「……わたしなんかのために……危険は冒さないで欲しい」

 

「それでも、必要ならばやるまでだ。生産施設を押さえれば何とかなるはず。それに、コミューン自体は連邦より委託されている弱小コミューンだ。アンヘルの攻撃の心配もないだろう」

 

「だが……また血が流れるのは……」

 

 看過出来ない、というような瑞葉の声に鉄菜は瞼をきつく閉じていた。

 

 どうしたところで、誰かが割を食わなければならない。そういう風に、世界は出来ているのだ。

 

「《モリビトシン》で強襲する」

 

「鉄菜、許可は降りないと思ったほうがいい」

 

 リードマンの忠言に鉄菜は反抗的な声を上げる。

 

「ではどうしろと? ……私に、何もしない事を是としろと言うのか」

 

「落ち着くんだ、鉄菜。どう考えたって、《モリビトシン》による強襲許可が下りるとは思えない」

 

「だが、ミズハの危機だ」

 

「その瑞葉君だって、君の独断でこの艦に置いている。あまり多数の了承は得られないと考えるべきだ」

 

「……了承が降りなくたって、私が行けばいい」

 

 否が応でも通そうとする鉄菜にリードマンは嘆息をついた。

 

「……一度言い出すと聞かない。それは六年前から同じか。ニナイ艦長に報告はしておこう」

 

「……助かる、なんて事は言わない」

 

「それでいいさ。そっちのほうが君らしい」

 

 リードマンの言葉に背を向け、鉄菜は廊下に出ていた。瑞葉は困惑気味にこちらへと尋ねる。

 

「クロナ……わたしも作戦としては上策とは思えない。ブルブラッドキャリアがどういう命令系統を辿っているのかは分からないが、今は一刻も早く、この海域を離れるべきだろう。アンヘルに目をつけられているのなら」

 

「だが離脱方法がまだ定かではない。それに、ここを逃れたところで、では地上で相手の眼がない場所があるかと言えば難しいだろう。今はニナイや、他のスタッフの判断に任せるしかないはず」

 

「……そんな中で、わたしを助けるというのはやはり、無駄だとしか思えないんだ」

 

 瑞葉は自分を軽んじている。その事実に鉄菜は言い返していた。

 

「ミズハ。私はお前に敬意を払っているつもりだ。ブルーガーデンの強化兵であった、という過去も含めて。だからこそ、私はお前を助けたい。……言ったな。私とお前は同じだと。なら、自分の事のように考えてもいいはずだ」

 

「でも、クロナ……。そういう意味で言ったんじゃ……」

 

 濁す瑞葉に鉄菜はわざと聞こえない振りをした。分かっている。そのような浅い意味で言った事ではないくらい。だが、瑞葉を救うと決めたのは自分自身。単純に曲げられないだけなのだ。自分が決めた事ならば最後まで責任を取ろう。

 

「《モリビトシン》で出る」

 

 歩み去ろうとした鉄菜の手を瑞葉は掴んでいた。彼女は首を横に振る。

 

「だったら、わたしもついていく」

 

 思わぬ言葉に鉄菜は目を見開いていた。

 

「だが……お前が来たところで」

 

「それでも。クロナだけに痛みを背負わせる事は出来ない」

 

 ああ、これが、と鉄菜は思い知る。

 

 もうこの舟で自分だけに責任をおっ被せるような人間はいない。分かっている。分かり切っているのに、そのような甘い考えを飲み込む事が出来ない。

 

 それは戦い続けてきたからか。孤独を貫いてきたから、今さらの誰かの優しさを受け止められないだけの、狭い心のせいなのか。

 

 判ずる術もないまま、鉄菜は首肯していた。

 

「……危険だぞ」

 

「それでも」

 

 こちらの目を真っ直ぐに見返す瑞葉に鉄菜はこれ以上の問答を打ち切った。

 

「ニナイの許可が出ればすぐに出撃する。用意はしておくといい」

 

 どうしてなのだろう。

 

 自分の意見を飲んでくれた瑞葉へと正体不明の感情が渦巻いていた。この感情の赴く先を決めるのにはやはり、「心」とやらが必要なのだろうか。

 

 だが、それを決めるだけのものがまだどこにもない。

 

 どれだけ独りでいても、心の在り処だけはまだ依然として不明であった。

 

 ――教えてくれ。彩芽。心はどこにある?

 

 問いかけても答えなんて出るはずもなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯205 災厄の少女

《ビッグナナツー》を稼動させるブリッジへと案内され、ニナイは困惑していた。

 

 共闘は結ばない、という結論は出たのに、《ダグラーガ》とそれに収まるサンゾウはある条件を提案してきた。

 

「その……もう一度聞きますが、ここでお互いに身を引く条件として、ラヴァーズの構成員を一人、受け入れろというのは……」

 

『難しい事だろうか』

 

 無論、《ゴフェル》に余裕がないという抗弁を使う事も出来た。しかし、三十機前後の人機を擁するラヴァーズの構成員をたった一人受け入れるだけでここは知らぬ存ぜぬを通せる、という破格の条件を信じ込めなかっただけだ。

 

「いえ、難しくは。補給も受けましたし、充分に航行は可能です。ただ……」

 

 濁したのはこの海域は既にアンヘルに張られているという事実。ラヴァーズが壁になってくれても自分達は決断を下さざるを得ないだろう。

 

 地上任務が継続不可能ならば宇宙に出る事も視野に入れねばならない。

 

 だが、宇宙には自分達が裏切ったブルブラッドキャリア本隊が位置している。

 

 どう決断すべきなのか、ニナイは自分の中で先延ばしにしていた。

 

『アンヘルからの攻撃は我々が受ける事は可能だ。しかし、そちらにこれからの展望がなければ一時的な弾除けに過ぎないだろう。ニナイ艦長、如何にするおつもりか?』

 

 分かっている。自分が結論を述べなければ何も好転しない事くらいは。

 

 先の戦闘における《モリビトシン》の不具合も含め、どこかでこれからを判断しなければならないだろう。

 

「《モリビトシン》は……タキザワ技術主任の分野です。だからこそ、私が意見出来るかどうかは怪しい」

 

『しかし、貴殿は《ゴフェル》の責任者のはず。誰かに棚上げ出来ない決定はあるだろう』

 

 その一つが構成員の受け入れか。昇降用のエレベーターがブリッジに到達し、ニナイは歩み出ていた。

 

 ブリッジに人影がまるでないのを意外とは思わなかった。甲板警護の人機がネットワークを構築し、ブリッジでの処理などほとんど無用の長物と化しているからだろう。

 

 しかし、艦長が座るべき座席に、一人だけ――小さな人影が位置していた。

 

 窺う前に相手がこちらへと一瞥も振り向けずに口にする。

 

「《ダグラーガ》。先の戦闘で我が方が不利益を被ったのは正直なところ、痛いのだと言う事は理解しているわね?」

 

 有無を言わせぬ声の持ち主はまだ少女のものだ。しかし、《ダグラーガ》に収まったサンゾウは恭しく返していた。

 

『戦士としての判断であった。間違いならば正そう』

 

「いい。どうせ、人機乗りの判断なんてその場凌ぎのものだもの。まともな人間なんて居やしない」

 

 手を払った少女が艦長席から降り立つ。

 

 青い髪を短く切り揃えた少女は銀色の眼差しをニナイに注いだ。どこか興味の対象であったその目が細められる。

 

「コードネーム、ニナイ。本当の名前は、里香・マッディーニ」

 

 ニナイは硬直する。自分の本当の名前を知っているのはブルブラッドキャリアでも一握りのみ。それも閲覧不可能な領域のはずだ。

 

 こちらの反応を目にして少女は鈴を鳴らしたような笑い声で手を払う。

 

「なに? 驚いているの? こんなの、バベルを見れば一発なのに」

 

 まさか、バベルへの閲覧権限を持っているというのか。その証拠とでも言うように少女は手を掲げた。

 

 その一動作だけでブリッジのコンピュータが起動し、現在のアンヘル艦隊の位置を割り出した。不用意な動きにこちらが警戒する前に少女は言い放つ。

 

「大丈夫よ。相手からは見えていないから。こっちからの一方的な盗み見。ま、お互い様だけれど。相手だってバベルが使えるんだから」

 

 その動きに舌を巻いていたニナイは《ダグラーガ》に収まっているサンゾウへと尋ねていた。

 

「彼女は……」

 

「紹介が遅れたわね、ミスニナイ。吾の名前は茉莉花。ファミリーネームはないわ。茉莉花だけで結構」

 

 茉莉花と名乗った少女が気安く握手を求めてくる。ニナイはその手を握り返した。

 

 想定していたよりもずっと冷たい手だ。

 

 茉莉花はすぐさま手を離し、ブリッジ内部のコンピュータを指差していく。するとコンソールが起動し、モニターにあらゆる情報が表示された。

 

「情報は絶えず同期される。それが世界のどこであったとしても。吾はどこであったとしても、バベルの力を借りて相手を捕捉出来る。現状のどのレーダーや対人機兵装よりも有効な手段でしょう。吾にとってしてみれば、この世界は丸裸も同然。ちょっと指差して念じてやればデータなんて隠し立ても不要なほど。これが、モリビト三機のデータね」

 

 映し出されたモリビト三機のステータスにニナイは当惑する。どうして、彼女には何もかもがお見通しなのか。窺う視線を《ダグラーガ》に注ぐと、彼は答えていた。

 

『茉莉花。拙僧と《ダグラーガ》が見つけ出した、この世最後の中立を真の意味で体現する存在。究極へと至る鍵』

 

「お褒めに預かり光栄だけれど《ダグラーガ》のメンテナンスの時間よ。怠るとそんなオンボロ機じゃすぐに前線で使い物にはならなくなる」

 

 舌鋒鋭い茉莉花にもサンゾウは礼節を怠る事はない。

 

『肝に銘じておく。して、茉莉花。話していた、例の』

 

「あー、はいはい。ブルブラッドキャリアね。わざわざ本隊から離反してきた上に、地上勢力を無駄に潰そうと奮闘する、馬鹿な人達」

 

 その言葉にはさすがに一家言あったが、ニナイはこの場で繰り広げられている事実に先に驚愕した。

 

《ダグラーガ》が教えたのか、と目線で窺ったが、サンゾウは否定する。

 

『茉莉花に、特別な言葉は必要ないのだ。彼女には全てが見えている』

 

「この世は数式で構築されているのだというのはご存知?」

 

 不意に問いかけられてニナイは絶句してしまう。その間にも、茉莉花は言葉を継ぐ。

 

「数式通りに行動すれば、何もかも簡単に掌握出来る。星の運命だって、吾からしてみれば、児戯に等しい」

 

「あなた……何者だって言うの」

 

 覚えず尋ねていたニナイに茉莉花は微笑む。

 

「いいわ、無知の体現者、って言うのはいつ見ても、ね。馬鹿馬鹿しい事に、頭の上に浮かんでいる疑問符が透けて見えるわよ。何を考えているのかは体臭やその発汗量をモニターする数式で明らかになる。動揺しているのは分かるけれど、その手を懐に隠した銃へと伸ばすのはお勧め出来ないわ」

 

 まさか、とニナイは目を見開く。本当に次の行動が予見出来ているというのか。このような感覚は味わった事がない。

 

 全ての行動が彼女には筒抜けのようであった。

 

「どこまで無知を気取ったところで、あなた達は馬鹿にはなり切れないはず。この世界を、変えるって言うのならね。サンゾウ、吾の身柄を彼らに渡す事、同意しましょう」

 

 勝手に進んでいく事象にニナイは口を差し挟んでいた。

 

「ちょ、ちょっと待って! 私達はまだ了承なんて……」

 

「してもしなくても、結果は同じじゃない? いや、しない場合はより悪い結果がもたらされる。あなた達、どん詰まりよ? 吾に少しでも興味があるのならば、むしろ快く受け入れる事のほうが随分と賢い。それとも、熟考の時間があるとお思い?」

 

 無論、現状で考え込むほどの時間はない。一刻も惜しい事を相手は理解しているのだろう。

 

 茉莉花は試すような物言いでニナイを窺った。銀色の瞳孔が射抜く光を灯す。

 

「あなた……経歴を見ると面白いわね。そっか。そういう風に振る舞えばブルブラッドキャリアの側から引き抜かれるわけか」

 

 自分の経歴など彩芽くらいしか話した事はないはず。どこまで知っているのだ、と問いかけてそれが薮蛇である事を悟る。

 

 いや、とっくに相手からは看破されているのかもしれない。いずれにせよ、ここでの選択権は多いと思わないほうがいい。

 

「……サンゾウさん。この少女を、我々が保護しろと?」

 

「保護、というのは正し言い方じゃないわ。スカウトするのよ。あなた達ブルブラッドキャリアが、必要不可欠な駒として」

 

 言い放った茉莉花の言葉をどこまで信用すればいいのかは分からない。しかし、この少女に対してどこかサンゾウが特別なものを抱いているのは間違いないらしい。

 

「では……あなたを私達がスカウトするとして……でもどうして? ラヴァーズだって人員は惜しいはず」

 

「これから滅び行く組織と、相手を天秤にかけた結果でしょう? サンゾウ。あなたはいつだってそう。何もかもが見えているくせに、何も言ってあげないのね。それって理不尽よ?」

 

 声をかけられたサンゾウはただ是とするばかりであった。

 

『返す言葉もない』

 

 どうして世界最後の中立であるサンゾウが言葉少ななのか。理解出来ない頭のまま、ニナイは茉莉花を見下ろす。

 

 ブルブラッドそのもののような青い血が馴染んだ髪。この世を見透かす銀色の瞳。どれもこれもが、現実から遊離している。

 

 自分達は人造血続という咎を背負っている。だが、この少女はそれ以上の――人類そのもの原罪のような気がした。

 

「軽い自己紹介でいいと思うわ。吾もすぐに《ゴフェル》の……ブルブラッドキャリア側の戦力をはかりたい。それが済んだらまずは次の一手を打つために行動しましょう」

 

「次の手……見えているというの?」 

 

 自分にはまるで次なんて見えないというのに。茉莉花はこちらへと侮蔑の眼差しを向けてきた。

 

「……あなた指揮官でしょう? 見えないでどうするの? ……まぁいいわ。せっかくだし、前回あのトウジャとやり合ったモリビトを実際に見せてちょうだい。あれ、ちょっとだけ面白いかも」

 

「《モリビトシン》は……極秘にしたい」

 

 こちらの実情に茉莉花は嘆息を漏らす。

 

「今さら? ……これだから大人って奴は。融通が利かないって言ってるの。モリビト全機を今から完全に隠し立てなんて出来ないのよ? バベルで既にある程度の情報はアンヘル側にも移っているし、何よりも何回も出せば自ずと手が割れるくらい分からないの? 無知を相手にするのは平気だけれど、馬鹿を相手にするのは疲れるのよ」

 

 どこまでも他人を嘗めた口調の茉莉花に言い返そうとした瞬間、通信網に連絡が吹き込まれた。

 

『ニナイ。そちらの動向の加減は分からないがこちらで動きがあった。鉄菜が出撃許可を求めている』

 

 意味不明なゴロウの文句にニナイは尋ね返す。

 

「鉄菜が? 何で?」

 

『瑞葉の体調を維持するのに、我々の持ち得る医療機器では足りないらしい。どうしても後遺症が残るとの事だ。ゆえに鉄菜は症状を鎮める薬剤を求めて弱小コミューンに移動したいとの申し出だが』

 

「無理よ。今の状態で他国に渡るなんて」

 

『それも承知のようだがな。輸送機に《モリビトシン》を格納、既に発進準備は出来ているとの事だ』

 

「勝手な真似させないで。鉄菜は重要な……戦力なのよ」

 

『承知しないでこのような事を言い出すとも思えない。鉄菜・ノヴァリスなりに考えがあるのだろう。こちらとしては出来る限り早期に結論を求められたい』

 

「どうしてそう……。みんながみんな身勝手な事……」

 

 今だって頭痛の種は消えてくれないのに、これ以上自分に重石をかけないで欲しい。そのような言い草になっていたのだろう。茉莉花が肩を竦めた。

 

「相当にオーバーワークみたいね? 肩代わりならいつでも出来るわよ?」

 

 今は、このいけ好かない少女に弱みは見せられない。ニナイは指揮官の声を吹き込んでいた。

 

「……鉄菜に繋いで」

 

『ニナイ。約束する。必ず戻ってくると』

 

「それは当たり前。……そうじゃなくって……瑞葉さんは承知しているの?」

 

『瑞葉を連れていく。これで義は通せるはずだ』

 

「だからどうしてみんなそうやって……。鉄菜、《モリビトシン》を出すのにはタキザワ技術主任の許可が」

 

『もう出してあるよ』

 

 割って入ったタキザワの通信にニナイは苦味を噛み締めた。

 

「どうして……」

 

『言ったって聞かない。そんなだから、六年も生き延びられたんだ。それに、鉄菜を信じている。僕はそう言いたい』

 

 個人的な心象を言えば、自分だって鉄菜の事は信用している。そういう事ではない。今は指揮官としての判断を迫られているのだ。

 

 しかも現状、茉莉花に見張られている中で下手を打てば彼女に《ゴフェル》の全てを牛耳られても何もおかしくはない。相手は手を払ってだけで魔法のように電子機器を操ってみせるのだ。

 

 不明点の多い相手を前にして無闇な事は言えない。

 

 口を噤んだ形のニナイに鉄菜から再三の許可申請が来る。

 

『ニナイ。《モリビトシン》は一回や二回の継続戦闘の不安要素だけで出撃を渋ってはいけない。相手に付け込む隙を与えてしまう』

 

「そりゃ……そうかもしれないけれど」

 

『アンヘルを駆逐したいのならばむしろ失敗を糧とすべきだ』

 

 鉄菜の言い分は分かる。自分とて失敗程度でたじろぎたくはない。だが、状況が状況なのだ。

 

 アンヘルに押され、さらに言えばラヴァーズにも呑まれかねない。正体不明の少女相手に、こうもブルブラッドキャリアが弱腰になるなどそれだけでも恥辱。

 

 だが結論を先延ばしにしか出来ない。どうする、と歯噛みしたその時、桃の通信が入った。

 

『ニナイ。モモや林檎達だって弱くはない。アンヘルの強襲くらいは叩いてみせる。モリビトの執行者を信じて』

 

 信じる、とニナイは己の中で繰り返す。信じられなかったから彩芽を失った。もうあのような喪失感は味わいたくないのだ。

 

「鉄菜……。許可は出します。でも約束して。……絶対に生きて帰ってくる、無茶はしないって」

 

 自分が何を思ってこのような事を口にしたのか、鉄菜には理解出来たのだろう。

 

『了解した。必ず帰ってくる。それに無茶な事は仕出かさない。約束しよう』

 

 ニナイは額に手をやる。その様子を茉莉花は観察していた。

 

「……おかしいでしょう? 世界の敵を名乗るのに、こんなにも弱いなんて」

 

「いいえ。逆に信用出来たわ。それくらいの不合理性を秘めてないと、機械と同じだもの。サンゾウ、ブルブラッドキャリアにつくわ。あなたが止めても」

 

『止めはしない。その御身は自由と檻なき世界のためにある』

 

「……あなた達のために在ったつもりは、ないんだけれどね」

 

 茉莉花はブリッジを抜けていく。その背中に声を投げかけて、彼女は一瞥をくれた。

 

「言っておくけれど、少しでも油断したら寝首を掻くから。それくらいは覚悟の上で、吾を使ってよね」

 

 指鉄砲を向けた茉莉花に自分は何も言えなくなってしまう。彼女が離れ切ってからサンゾウが口火を切った。

 

『……あの少女はこの世の残酷さ、不条理そのもの。ゆえに、貴殿らの下が相応しいだろう』

 

「あの子は何者なの?」

 

 その問いにサンゾウが明確な答えを出す事はなかった。

 

『この世界が生み落とした、災厄の導き手、とでも言うべきか。いずれにせよ、滅び行く世界で縋る術は、拙僧に非ず。あのような少女の双肩にはしかし、荷が重いものもあるだろう。支えてやってくれ』

 

 答えになってはいなかったが、サンゾウが茉莉花の事を自分の存在以上に感じているのは理解出来た。

 

 この世界最後の中立の寄越した出会いは、少し苦味が滲むものであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯206 ヒトを超えたもの

「……何であの旧式のために、桃姉が頭下げるのさ」

 

 林檎が廊下で声をかけたのを、桃はポニーテールを揺らして振り返る。自分達の目標、憧れの先にある存在。だというのに、桃はいつだって鉄菜の味方ばかりをする。それがどうしても看過出来ない。

 

「林檎、クロは瑞葉さんのために、命を張る覚悟なのよ。それを応援はしても、ここで阻むべきじゃないのは分からない?」

 

「分かんない。全然っ! だって、桃姉は正しいじゃん! なのに、あの旧式は正しくない。古いくせに、口ばっかり達者で……」

 

「古いって言うのなら、こっちだって同じよ」

 

「桃姉は違うよ! ……違う、違うに決まってる! だって、桃姉はいつだってさ、本隊にいた時でもボクと蜜柑をよくしてくれた。操主志願者なんて自殺と同じだって、本隊では教えられなかったけれど、桃姉は逃げずに……ボクらに言ってくれたじゃないか! そういう汚いのも含めて、どう判断するかって! ……ああ言ってくれた桃姉は、もういなくなっちゃったの……?」

 

 だとすれば、と林檎は震える。誰も理解者なんてこの《ゴフェル》にはいない。誰一人として……。そう思いかけた自分を桃は優しく抱擁した。温かな体温と鼓動に波風の立った心が凪いでいく。

 

「そんな事はないわ。いつだって、林檎や蜜柑と一緒にいるもの。絶対にあなた達を、孤立させたりはしない。独りにさせない」

 

「ボクと……蜜柑も?」

 

 桃は視線を合わせて頷いてくれる。しかし胸に湧いた一抹の疑念はまだ払拭出来なかった。

 

「でも……あいつだけ特別だ。桃姉からしてみれば特別なんだ」

 

「……ええ、そうなのかもね。六年間も離れていたからかな。クロは……ずっと離れ離れになっていた自分の一部みたいなものなの。六年前に、崩れ落ちてしまった自分の、一欠けら」

 

 自分の手を握りながら発せられた言葉に、言ってはいけないと思いながらも問い質さずにはいられなかった。

 

「……それは、アヤメって言う人と同じように?」

 

 桃と共に世界に刃を突きつけた伝説の操主の一人。そして、三人の中で唯一、永遠に失われてしまった操主。桃は彼女を思い返したのか、少しだけ目元を潤ませた。

 

「そう……アヤ姉も同じ気持ちだったのかもね。こういう気持ちで、見てくれていたのかもしれない。不充分な自分達を」

 

 林檎は恥じ入るわけではなかったが、桃にこのような顔をさせたのは少しばかり自責の念が湧いた。聞いてはならぬ事くらい人ならば一つや二つはあるもの。

 

 自分は踏み入ってはいけない場所に土足で踏み入ったのかもしれない。

 

「……桃姉も、今は同じ気持ちなの?」

 

「ええ。林檎と蜜柑が成長してくれるのが、一番に嬉しいわ」

 

「それは……鉄菜よりも?」

 

 ずるい問いかけであった。このような卑怯な問答、自分でも嫌気が差す。それでも聞かざるを得なかった。聞いてハッキリさせたかった。

 

 自分達のほうが大切だと。組織も、桃も必要としているのは自分達姉妹なのだと。

 

 だが、桃は簡単に首を縦には振らなかった。

 

「林檎……、もっと自分を大事にして。誰かと比べるだけが生きる目的じゃないはずよ」

 

「でも……! ボクは最新鋭の血続だ! その……自負だけは持っておきたい」

 

「その最新鋭、って言うのも、本当は言わないで欲しいのよ。だって生きているのに最新も旧式もないんだもの」

 

「……綺麗事だ、そんなの」

 

 ついつい口をついて出た言葉を訂正する間もなく、林檎は踵を返していた。

 

 どうしても認められなかった。認めたくなかったのだ。

 

 自分達が優れている証明なんて、組織から離れてしまえば存在しないなんて。

 

 だから鉄菜の事が許せないのか。組織からずっと離反していたくせに、当たり前のようにみんなの重要なポストにいる、鉄菜が。

 

 廊下を折れたところで蜜柑が所在なさげにうろたえていた。

 

「……聞いていたの?」

 

 これもずるい言葉。蜜柑は当惑しつつも、恥じ入るように面を伏せた。

 

「うん……。だって林檎、先の戦闘からずっとヘンだし……。そんなにさ、ミィ達が鉄菜さんよりすごいって言う、証明って要るの? そんなのに縋らなくたって結果を出せば……」

 

「そういう場さえ、与えてくれない。《イドラオルガノン》だけの単騎オペレーションなんて推奨してくれないだろ」

 

「そりゃ……そうかもしれないけれど、それはアンヘルの軍備を警戒して」

 

「もういい。いくらでも、言い訳なんて並べられる。蜜柑は、いっつもそうだよね……。言い訳ばっかり」

 

 ハッと気づいた時には、蜜柑が涙ぐんでいた。自分の半身を泣かせるつもりなんてなかったのに、こういうところで他人を傷つける。だから自分が嫌になる。自分の汚いところを自分が一番よく知っているから。

 

「……泣きたきゃ泣きなよ。ボクは行く」

 

 一人でも、戦えるというのならば。鉄菜より優れた結果を出せるのならば。

 

 その背中に、誰も言葉を投げてくれる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両腕を失った《コボルト》での帰還に、まず返礼が届いた事にUDは当惑していたが、自分の武勲だ、と胸を張る事にした。

 

 こちらも挙手敬礼を返し、整備デッキを歩み出ていく。

 

「やりましたね! 両盾のモリビトを圧倒するなんて!」

 

 整備班長の興奮気味の言葉にUDは頭を振った。

 

「まだまだだ。あのモリビト、底知れぬ。まだ先がある」

 

 黄金の燐光はこれから先の蠢動を窺わせたが、整備士達は浮き足立っているようであった。

 

「怖いもの知らずでさぁ! モリビトと一騎討ちなんて」

 

「……どうかな。一度死んだからかもしれない」

 

 その言葉を冗談と受け取ったのか、それとも本音と捉えたのかは判然としない。彼らの面持ちを探る前に進路を塞いだのは第三小隊の隊長であった。

 

 明らかに軍人気質、と言った佇まいの隊長にUDは声を投げる。

 

「単独行動……気に食わん、か」

 

「本音を言えば。しかし、この場においてモリビト相手に単騎で立ち回った事は賞賛に値する。素直に、力ある兵士だと」

 

 おべっかは言えないタイプのはず。UDは賛辞を言葉の表面だけ受け取った。

 

「……感謝する。援護射撃をしなかった事は」

 

「命令にあった。それだけの事だ」

 

 まさしく、本当にそれだけとでも言うように切り捨ててみせるのはやはり軍人としては適格以上の代物だろう。こういう時に形だけの賛美を言えるかどうかは大きく二分されるものだ。

 

 眼前の隊長は明らかに、相手を形式だけの評価に留めてはおかない性質だろう。こちらの戦い振りもしっかりと目に焼き付けているはず。

 

「あの両盾のモリビト、強いな。あれとやり合ったそちらも充分に」

 

 戦士だ、と言外に付け加えたUDに相手が返礼する。

 

 その時、後ろから彼の部下がどこかいけ好かないような顔をして現れた。自分を見るなり、苦々しい面持ちになる。

 

「あのよ、アンヘル内部で勝手が許されるのは、そっちが少しばかり撃墜が多いからだ。それ以外の何でもないって事くらいは覚えておけ」

 

 上官のいる前で相手に直接言ってのける胆力だけは買う。あるいは上官の前でぼろくそに言っておきたかったか。いずれにせよ、こういうタイプの兵士は伸びる。自分がわざわざ彼の短所を言ってやる事もあるまい。

 

「すまないな、UD。部下の教育がなっていなくって」

 

「隊長……! でも、援護も要らないって、嘗めているとしか……!」

 

「そういう性質なのだ、と……言葉を沿えてやるまでもない部分もあるだろう」

 

「理解感謝する。第二小隊を預かる手前、こちらの流儀というものもあるからな。流儀に合わせてくれ、とは言わない。無論、この戦いを完全に理解して欲しいとも」

 

「分かっている口振りだ。だが作戦を下すのはあくまでも上層部」

 

 そう、上が是と言えば是が通るのがアンヘルという組織。隊長はその分を弁えているようであったが、部下のほうは上からの圧力が来るという脅しと取ったらしい。

 

「そうだぜ、どれほど現場で勝手が出来ても、上が許さなきゃ……」

 

「ヘイル。もういい。時間を取らせたな」

 

 踵を返した隊長にヘイルと呼ばれた部下がうろたえる。思わぬところで恥を掻いた事になったのだろう。真っ赤になって、彼は言い捨てる。

 

「……所詮、お飾りだ。第二小隊なんて」

 

 その言葉だけを吐いたヘイルは隊長の後に続いていった。

 

 お飾り――そう揶揄されても仕方ないのかもしれない。第二小隊は他の隊に比べれば特殊な形式を取っている。

 

 UDは真っ先に自分の直属の上官の下に向かった。

 

 ブリッジでこの戦いの音頭を取った艦長に、まずは挙手敬礼する。

 

 相手は返礼してから笑みを浮かべた。

 

「いい戦い振りだ」

 

「一対一という無理を通した事、ここで謝罪させて欲しい」

 

「いいさ。お陰様で相手の実力も見えた。あの黄金の姿……データ上にはあったがまさか再現可能だとは」

 

「六年前の照合データにはやはり……」

 

「ああ、これだな。僅かに残った重力下での戦闘データだが。ナナツー相手なので少しばかり画素が粗い」

 

 それでも六年前に世界を敵に回した赤と白のモリビトが黄金に染まり、ナナツーをそのあり余る出力で蒸発させたのが窺える。

 

「何という出力……これが来れば危うかった」

 

「しかし、君相手にこれを使うような暇はなかったのじゃないか? 常に近接を念頭に置く相手なんて対人機戦闘においてはイレギュラーもいいところだからな」

 

 貶しているわけではない。艦長は自分の強みも理解した上で発言している。

 

「だが、こちらも気にはなっていた。俺相手に使ってきたモリビトは六年前の……」

 

 仮面の下で疼く傷を押さえる。そうだと。この傷痕の相手はまさしく――。

 

「青と銀のモリビト、か。君が因縁の相手だと決めた人機であったな」

 

「あれの操主だという確率は高い」

 

「戦場で再び行き会う、か。それこそ因果だ」

 

 笑い話にした艦長にUDは真剣な面持ちで尋ねていた。

 

「相手の艦の追撃は?」

 

「今はしない、という判断だ。上役も第三小隊を損耗して惜しんでいる。無論、警戒は続けるがこちらから相手に仕掛ける事は、な」

 

「……ラヴァーズが」

 

「それも関係しているとも。惑星博愛主義組織、か。厄介この上ないのはその中枢に収まっている人機の象徴。世界最後の中立、《ダグラーガ》」

 

「まだ、上層部では中立相手に立ち回るのは早計だと考えている、と」

 

 艦長は帽子を被り直し、苦々しげに言ってのけた。

 

「古い観念だとも。しかしながら戦場を俯瞰するのはいつだって古い頭の持ち主だ」

 

「いや、慎重なのはいい事だ。無闇に仕掛けて兵を失うのは下策。この状況ならばこう着状態が正しい」

 

「意外だな。君ならばすぐにでも仕掛けるとでも言ってのけるかと思ったが……」

 

 自分とてそこまで向こう見ずではない。組織というものは嫌でも身に沁みている。そのしがらみでさえも。

 

「ラヴァーズは現場判断で駆逐するのは危険な相手だ。ここで一度お歴々にご機嫌を窺うのも、何も不思議ではあるまい」

 

「それだけならば、まだいいんだが。連邦政府は焦っている、という噂も流れ始めている。施設へのモリビトの強襲、及びアンヘルの擁するトウジャが一方的な攻勢を打てないとなれば、それなりに策を弄するべきだとする一派が生まれても何もおかしくはない」

 

「連邦の穏健派か。いつだって足の引っ張りあいは特権層の十八番だな」

 

「そう皮肉るなよ。我々だって特権層には違いない。アンヘル、という前線部隊という違いではあるが。連中は机の上で戦争をすればいいのだと思っている。現場に一度くらいご視察になれば嫌でも分かりますよ、とは言いたいがね」

 

 口元を緩めてみせた艦長にUDは敵艦の待つであろう海上を視野に入れていた。

 

 この汚染された水平線の上でまだ敵は手をこまねいている。次は如何にしてこちらを潰すべきかの判断を講じているはず。

 

 じっとしてはいられない。UDは身を翻していた。

 

「おっと、どこへ?」

 

「鍛錬をする。邪魔は」

 

「させないとも。いつもの鍛錬場は開けてある。最新鋭の艦にあんな場所、と訝しげにする兵士は多いが気にする事はない。艦長命令だ」

 

 笑ってみせた艦長にUDは返礼する。

 

 廊下を渡り歩く際にも、UDは囁き声を聞いていた。

 

「おい、あれ……シビトだろ?」、「マジかよ……対モリビト戦で帰ってくるなんて、化け物じゃねぇか」、「しかも一対一……、こりゃいよいよ危うくなってきやがった」

 

 どれほど陰口を叩こうとも結構。自分の武勲に変わりはない。

 

 UDがエアロックを超えてカードキーを通した先に待っていたのは木目細工の道場であった。

 

 奥座敷には水墨画が飾られている。

 

 時代錯誤にもほどがある場所で、UDは一礼し、座敷に佇んでいる刀剣を手にしていた。

 

「……剣客たるもの、刃紋を見れば、己の状態は手に取るように分かるもの。今の俺は、少しばかり浮き足立っているのか。一度の白星だぞ」

 

 しかも相手が迂闊なだけで取れた勝利。このようなもの、勝利とは呼べない。

 

 刀を置き、立てかけられている竹刀を手に取った。

 

 今でも正眼の構えを取ると心の波風が凪いで行く。教え込まれた流儀に従い、UDは破、と声を上げた。

 

 振るい落とした一撃にはしかし、迷いが浮かんでいた。

 

「まだ、悟りの境地には至れず……。この型も完全ではない。やはり、一度会うべきか。我が師範に」

 

 竹刀を握り締めたUDは骨が浮かぶほどに悔恨を滲ませていた。

 

 ――未だ自分は弱い。

 

 そう感じた心は収まるべき鞘を失っているように思われた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯207 死を掌握するモリビト

 理解出来ない、と燐華は声を張り上げるべきだったのだろう。

 

 実際、ヘイルは反感を浮かべていた。

 

「何でですか! 次の任務が陸地でなんて!」

 

「落ち着け、ヘイル。我々は残り三人、どれほど御託を並べても、な」

 

 ブリーフィングルームで顔を合わせたヘイルに自分は面を伏せていた。隊長を庇って得た名誉の負傷もただただ痛々しいだけの代物。

 

 きっとヘイルにはその怪我も計算高いものに見えていたに違いない。

 

 自分とて、隊長を庇おうと思って割って入ったわけではない。覚えずモリビトの剣筋に入っていたのだ。

 

 それが危険だと誰よりも分かっていながら。

 

 拳を握り締めた燐華に、ヘイルが舌打ちする。

 

「そりゃ、三人ですよ。でも! 精鋭には違いないでしょう! 第二小隊にでも話を通して……」

 

「第二小隊は待機命令が下っている。現状、アンヘルのどの部隊も動けない状態だ。分かるな? 《マサムネ》と他の隊員を失ったのは思ったよりも大きな損失であったと」

 

「そりゃあ……」

 

 分かっているに決まっている。海中戦特化の人機を失い、さらに言えば貴重なアンヘルの人材まで失ったとなれば胸中は穏やかではないはず。

 

 しかしながら、隊長の声音にはどこにも怒りの感情は読み取れなかった。それどころかいつも以上に冷静な声が飛ぶ。

 

「今は、どう捉えても三人だ。だからこそ、地上任務でも貴重だと判断する」

 

「……納得は出来ますよ。そりゃ、理屈ですもん。でも! モリビトを追わないでいいなんて逃げでしょう! あいつは一対一をやってのけた!」

 

「ゆえにこそ、だと考えろ。モリビトの底を一旦でも見せ付けられた。ここは一時撤退、その後に分析し、戦局を読み取って対応する」

 

 どこにも間違いなんてないはずだ。ただ一つ、人間的な感情を除いては。

 

 ヘイルは押さえ切れなかったのだろう、言葉に怒りを滲ませた。

 

「……弔い合戦も出来ないのかよ」

 

「真に失った兵の事を思うのならば命令には従え。それが彼らへの手向けとなる」

 

「……了解」

 

 ヘイルがブリーフィングルームを後にする。残された自分も退席しかけて、隊長に声をかけられた。

 

「待て、ヒイラギ准尉。話がある」

 

 ああ、きっと責められる、と燐華は予感していた。命令違反の上に乗機を失ったとなればそれは多大なる損害だと。

 

 隊長の前に歩み出た燐華はそれこそ平手が来てもおかしくはないと感じていた。

 

 だからだろう、かけられた言葉の優しさに、困惑してしまった。

 

「……ヒイラギ准尉、また借りが出来てしまったな」

 

 面を上げた燐華は隊長がフッと笑みを浮かべているのを目にした。

 

「……怒らないんですか」

 

「怒ってどうなる。怒れば失った兵は蘇るかね?」

 

「いえ、それは……」

 

「冷静さを欠けばそこまでだ。むしろ、チャンスだと思っているほうだとも」

 

「チャンス……ですか」

 

 隊長は卓上の三次元図を呼び出す。ブルブラッドキャリアの艦の予想三次元図であった。海上から窺える敵のデータと、海の中にある敵艦のデータが合致している事の不明瞭さに、燐華は唖然としていた。

 

「どうして……こんなしっかりとした輪郭が……」

 

「《マサムネ》が送信したデータのお陰だ。彼らは命を賭して、モリビトとブルブラッドキャリアを追い詰めてくれた」

 

 その言葉にハッとする。ただただ闇雲に消費されていく命など、この世にはいないという事に。

 

「……すいません」

 

「どうして謝る?」

 

「あたし……無駄死にだとか思っていました」

 

 今度こそ叱責されても文句は言えない。だが、隊長は冷静であった。

 

「そう、か。それを過ちだと思える精神、授かった事に感謝せねば、な」

 

 隊長の言葉はどこまでも優しい。ここまで人に優しくあれる人がどうしてアンヘルなんかに在籍しているのだろう。

 

 燐華は思わず口にしていた。

 

「……その、隊長はどうして、アンヘルに……」

 

 聞いてはいけない事の一つだったのかもしれない。言ってから気づく愚鈍さに我ながら嫌になる。羞恥に顔を伏せた燐華に隊長は僅かな逡巡の後に言葉を紡いだ。

 

「……妹がいた。ちょうど君と同じくらいの」

 

「妹……」

 

「よく懐いてくれていたよ。連合の軍に在籍していた頃、一週間に一度は手紙を寄越してくれた。何度も、上からはからかわれたし下からはいい眼では見られなかったな」

 

 そこまで口にしてから、その帰結が決して幸福ではなかった事に燐華は勘付いていた。

 

「……今は」

 

「妹は自分が軍務についていたその時、テロで死んだ。それを企てたのは地上でブルブラッドキャリアを支持する少数派であった」

 

 まさか、と燐華は目を戦慄かせる。自分と同じ、いやそれ以上に苛烈にブルブラッドキャリアを憎む理由が隊長にはある。

 

 それなのにどうして我を失わないで済むのだろう。

 

 これ以上聞けば詮索し過ぎだ、とは思っていても燐華は尋ねずにはいられなかった。

 

「……ブルブラッドキャリアを、憎まないんですか」

 

「憎んでいるさ。殺したいほどに。だからアンヘルに入隊した。何度も地獄を見たクチだよ。当初の世界情勢は悪化の一途を辿っており、今よりも反抗的なコミューンはたくさんあった。その時に気づけたのだ。ブルブラッドキャリアのような、ただ闇雲に憎悪と怨嗟をぶつけるだけなのは間違っているのだと。その先に待っているのは、ただの虚無だ」

 

「虚無……」

 

「憎しみ続け、恨み続けても敵は依然として存在する。ならばどこまで憎めばいい? どこで手打ちにするのが正解か。自分の中で、自ずと答えは出た。虚無への戸口に立った時、このまま戦い続けても生むのは憎しみの連鎖ばかり。……終わらせられるのならばそれに越した事はないだろう?」

 

 隊長は全ての恨みを終わらせるために、アンヘルで戦い続ける道を選んだのか。その在り方の眩しさに、燐華は恥じ入った。

 

 自分はただただモリビトとブルブラッドキャリアが許せないだけ。子供の理屈で戦場を嗅ぎ回られたのでは堪ったものではないはずだ。

 

 ヘイルはそれを分かっている。見通していて自分を下に見ているのだ。隊長も分からないはずがないのに。

 

「……あたしは、そこまで高潔にあれません」

 

「いいさ。これは自分の生き方だ。誰かに強制すべきだとも思っていない。ただ、生きていくのに恨みだけでは辛くなる。それだけの話だ」

 

 隊長が踵を返す。話はそこでお終いのようであった。その背中に燐華は永遠に失ったはずの面影を見ていた。

 

 兄の背中……もう絶対に会えない人の影。

 

「……にいにい様」

 

 口にした言葉はアンヘルに入ってから一度だって漏らした事のない本音であった。いつだって縋りたかった。だが縋れば負けだと思っていた。

 

 自分の戦う理由、根底にある自分の憧れ。

 

 それを使って誰かに甘えてしまえば自分はきっとそれっきりになる。鉄菜を失った時のように、何もかもを投げ出したくなるだけ。

 

「……逃げても誰も責を追わない。しかし、戦うのならば、前を向け。ヒイラギ准尉」

 

 そう言い置いて隊長はブリーフィングルームを去った。残された自分は呻くのみであった。

 

 絶対に甘えないと決めたのに、すぐ近くにいる人をまた、自分は不幸にする。また、誰かを当てにしようとする。そんな自分がとことん醜く嫌気が差した。

 

「……にいにい様も、鉄菜も、もういないのに。それでもあたし……!」

 

 常に持ち歩いている鉄片を取り出す。鉄菜の遺した彼女の欠片。今は脈打つ仮初めの鼓動で、消え入りそうな心を慰めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 輸送機の振動に鉄菜は言葉を投げる。

 

「気分は? 大丈夫か?」

 

「……平気だ。クロナ、やはりわたしは……我慢するべきだったのではないだろうか」

 

 そう言葉を寄越す瑞葉に鉄菜は淡白に返す。

 

「何を。我慢出来る代物ではないのだろう?」

 

「……別段、そうでもない。リードマン先生がちょっと大げさに病状を書いてくれたんだ。わたしなんかのために……」

 

「……シートベルトをつけていろ。連邦の輸送機のコードを使っているがアンヘルと会敵した場合にはすぐさま出る」

 

「そうなれば……クロナ、また戦うのか?」

 

 自分と《モリビトシン》は出撃する運命だろう。鉄菜は迷いなく首肯する。

 

「ああ。輸送機はオートマチックに設定出来る。操縦桿さえ握っていれば誰でも……」

 

「違う! クロナ! もう、……戦って欲しくないんだ……」

 

 嗚咽混じりの言葉に鉄菜は前を向いたまま、沈黙を持て余していた。どうして、自分を兵器以上の価値観に置けるのだろう。周りはみんなそうだ。

 

 六年間も戦い抜いてきた。その在り方にどうして皆が皆、綺麗なものを期待する。自分は硝煙と血に塗れた兵隊の一人。

 

 幾分かブルブラッドキャリアの価値観に疑問は持つ事は出来るが、それ以上は何も出来ない。ただのでくの坊だ。

 

 だというのに、今の自分にみんなが引き寄せられるように尋ねてくる。

 

 今の自分ならば、その問いかけに応じられる価値があるかのように。

 

 やめて欲しい、というのが本音であった。自分はだって、ただの――。

 

「……破壊者だ」

 

 口にした言葉に瑞葉は首を横に振る。

 

「違う。破壊者なんかじゃない」

 

「では、私は何だと言うんだ? 《モリビトシン》に搭乗し、敵を葬り、抗う連中を皆殺しにする……そういう風に仕立て上げられた破壊兵器以外に何がある? 私を……何か意味のあるもののように飾り立てるのはやめてくれ。桃も、ニナイも……お前もだ、ミズハ」

 

「わたし、も……」

 

 絶句した瑞葉に鉄菜は声を続けさせる。

 

「私には何もない。本当の虚無が、この胸の中には広がっているんだ。戦って、何があった? 憎しみと怨嗟と、途方もないほどの怒りだけだ。人間はここまで他者に対して憤怒を抱けるのかと思ったほどだ。私が渡り歩いてきた戦場はどこもそうであった。人が人を恨み、殺し、陵辱する。その価値観を葬り去る事に全部を振り絞っている。……ならば、このような地獄の上に浮いている世界に何の価値がある? 私は……殺戮兵器なんだ。そう思うしかなかった。そう思って銃弾の音に慣れ、むせ返るような血の臭気に対して何の感慨も浮かべずに次の手を打ち、そして冷静に引き金を引く……。それだけなんだ。だから、私を……何か綺麗なもののように考えるのはやめてくれ。私はここまで……汚いんだから」

 

「クロナ……でもそれは……」

 

 分かっている。瑞葉はそれでも自分の事を強いのだと賞賛するだろう。だがそれも偽りに過ぎない。自分を見た相手が何を感じようが勝手だが、虚飾塗れの己がどこまでも卑しく思えるだけの事だ。

 

「ミズハ、私は……」

 

 言いかけて、鉄菜は輸送機の察知した熱源反応に身を引き締めた。

 

 ブルブラッド大気濃度を計測する。

 

「大気濃度……九十パーセント以上……。馬鹿な、ここまでの汚染」

 

 そこまで言いかけて、鉄菜は咄嗟にマスクを投げていた。自分は平気だが瑞葉に危害が及ぶ。

 

 瑞葉も機転は利いたのか、マスクを装着した後に周囲を見渡す。

 

「汚染域に?」

 

「ああ。いつの間にか入っていた。だが……こんな数値見た事なんて……」

 

 瞬間、輸送機のバランサーが崩れた。今までの揚力を得ていた翼が急激に軋む。

 

「高重力……! まさか、あの青い地獄と同じような……」

 

 瑞葉は何かを察知した様子だが自分はまださっぱりであった。今にも手落としそうな操縦桿を必死に握り締め、輸送機の姿勢制御を取らせる。

 

 全自動の制御パターンは当てにならなくなっていた。

 

 マニュアルに設定し直し、鉄菜は近似値を振る。

 

「こんな重力……、地上じゃないような……」

 

「クロナ! 前を!」

 

 瑞葉が指差した先にあったのは青い炎に抱かれた地獄の釜であった。

 

 コミューン全域が焼け爛れ、黒煙を発している。汚染された市街地から離れれば離れるほどに、煙が白く変わり、次いで重力が反転しているようであった。

 

「コミューンへの……爆撃か」

 

「まさか! そんなものは条約で禁止されて――」

 

 瑞葉の放った言葉に禁止されている代物を試した人間がいる、という帰結へと辿り着く。

 

 人間はまたしても禁断の果実を手に取ってしまったのか。奥歯を噛み締めた鉄菜はコミューン中心街を焼き払う機影を目にしていた。

 

 漆黒の人機が白銀の光を放つ槍を用い、人々を灰塵に帰している。逃げ惑う市民を蹂躙する槍は自律稼動しており、羽根のような形状のそれが幾何学の軌道を描いて市街地に突き刺さった。

 

 白い光が拡散し、ビル街を薙ぎ払っていく。

 

 色濃い破壊の爪痕に鉄菜は操縦桿を骨が浮くまで握り締める。

 

「あの人機……楽しんで……!」

 

 覚えず鉄菜は席を立っていた。その背中に瑞葉が声を投げる。

 

「駄目! クロナ! 行ってはいけない!」

 

 分かっている。あの暴力に自分も呑まれかねないのだと瑞葉は危惧しているのだ。だが、鉄菜は誓った。

 

「……必ず戻る。帰ってくると。あのコミューンこそが、私達の目標地点だった。それを破壊する……そのようなやり方を、是とした覚えはない!」

 

 放った声と共に輸送機をオートに設定する。瑞葉の懇願の声が上がる中、鉄菜は下部コンテナに格納された《モリビトシン》の頚部コックピットに入っていた。

 

 起動させた《モリビトシン》は昂っているかのようにすぐさま目標を捕捉する。敵性人機は逃げるでもなく、こちらを窺う眼差しを注いでいた。漆黒の機体に、三つのアイサイトが赤くぎらついている。その姿はまるで――。

 

「……モリビトだと?」

 

 識別信号はモリビトタイプを示している。しかし、ブルブラッドキャリア以外のモリビトは存在しないはずだ。ならばあれは何なのか。

 

 確かめるのには飛び出すしかない。

 

 下部コンテナが開き切り、鉄菜は《モリビトシン》へと起動シークエンスをかける。

 

「《モリビトシン》、鉄菜・ノヴァリス。出る!」

 

 投下された《モリビトシン》が両翼を拡張させ、敵機へと肉迫した。こちらに気づいた敵のモリビトが鎌を振るい上げる。

 

 抜き放ったRシェルソードと干渉波のスパークが散った。

 

 漆黒のモリビトは鉤十字の背面スラスターを有しており、それらが展開してこちらの膂力を押し返そうとする。

 

「このモリビトは……まさか……!」

 

『そうよ……、そのまさかってヤツだ!』

 

 不意に繋がった通信に鉄菜は通信領域を確かめる。接触回線が開いた事に気づいた時には、敵機は《モリビトシン》の剣筋を叩き返していた。

 

 距離を取り、鉄菜は声を張り上げる。

 

「貴様……《モリビトタナトス》!」

 

『正確には違うんだがな。こいつの名前は《モリビトサマエル》! 六年前よりももっといい人機だ! ……にしたって、まさか会えるとは思いもしなかったぜ、モリビト……しかも、あの時死んだと思った青いモリビトのガキじゃねぇか! こいつは運命ってヤツを信じてもいいのかねぇ!』

 

「黙っていろ! 貴様のような人間が、どうして生き永らえている!」

 

 払ったRシェルソードで切り裂こうとして、敵人機の鎌に阻まれた。瞬間、敵の背面に備え付けられている鉤十字の機構が分散した。

 

『行けよ! Rブリューナク!』

 

 四つの自律兵器が《モリビトシン》を狙い澄ます。弾いて距離を取った《モリビトシン》が高空に至るが、すぐさま機動力を上げて追ってきた。

 

 Rシェルライフルへと可変させて狙い撃とうとするも、Rブリューナクは幾何学の軌道を描いて《モリビトシン》の死角へと入り込む。

 

 放たれた白銀の槍の穂が《モリビトシン》を打ち据えた。銃撃で撃墜しようとするが、遥かに勝る小回りのよさで敵の羽根槍は潜り込んでくる。

 

 舌打ち混じりに鉄菜は《モリビトシン》を奔らせた。刃が軋り、本体である《モリビトサマエル》を打ち崩そうとするが相手の構えは堅牢。

 

 両刃を受け切った《モリビトサマエル》は赤い眼窩をぎらつかせた。

 

『どうして生き永らえているだァ? んなもん、簡単な帰結だろうが! 強ぇからだよ。強くなけりゃ、とっくにお陀仏よ! この世界はなァ! てめぇも分かっているんだろ! モリビトのガキィ!』

 

「口を閉じていろ! このクズが!」

 

 払い上げた刃を相手は難なく回避し、返す刀を叩き込んできた。《モリビトサマエル》の腰の構造体が変異し、内側から刃がせり出してくる。不意に巻き起こった旋風に《モリビトシン》は大きく後退した。

 

「隠し腕?」

 

『ヤるじゃねぇか! 《モリビトサマエル》の隠し腕を一発目で避けるたァ、ちっとはマシになったか! その実力もよォ!』

 

《モリビトサマエル》の隠された武器は腰の構造体だけではなさそうであった。まだあの機体には触れられない何かがある。

 

 そう確信して鉄菜は接近を慎重にすべきだと判断した。六年間の戦場での習い性が危険な人機との交戦においてどの具合で戦うべきなのかを徹底的に自分に叩き込んでいる。

 

 だが、冷静に物事を俯瞰する自分とは裏腹に、今すぐにでも敵の懐に飛び込んで叩き割りたい衝動があった。

 

 敵は許されざる罪悪だ。それを六年もの間、野放しにした事が自分でも看過出来ない。

 

 ここで打ち止めにする、と鉄菜はアームレイカーに入れた手を強張らせる。

 

『おいおい! せっかく再会したんだ! もっと楽しもうぜ! モリビトよォ! それとも何だ? ビビッてんのか? 分かるぜ、《モリビトサマエル》はヤベェ人機だって察知したんならよ、間違いじゃねぇ。だが! ここで退くかねぇ! 例えば、そう!』

 

 不意に敵がコミューンへと狙いを定める。その照準の先に生命反応が関知されたのを鉄菜は理解した。

 

「まさか……やめろ!」

 

『やめて欲しけりゃいくらでも方法はあるだろうが。《モリビトサマエル》の懐に飛び込むか? それとも、生存者のために身体を張るか。どっちだっていいさ! てめぇの道化が見えるだけの話だからよ!』

 

「やめろと……言っている!」

 

 推進剤を全開にし、鉄菜は《モリビトサマエル》の射線へと飛び込んでいた。

 

 敵機は袖口からリバウンドの銃撃を見舞う。両盾を前方に展開した《モリビトシン》で受け止めさせるが、それを相手も予見していたのだろう。

 

 大写しになった敵の鎌に鉄菜は咄嗟にRシェルライフルで受けていた。じりじりと干渉波が飛び散る中、敵からの哄笑が上がる。

 

『滑稽だ! 滑稽だぜ、モリビトォ! てめぇのその道化、命を救いたいなんていう大義名分! 全部滑稽だ! 嘘くせぇ人間性で張りぼての価値観なんて浮かべてよ、そんなもんじゃねぇだろ! もっと獣になろうぜ! モリビトよォ!』

 

「ふざけるな! 私は、獣ではない!」

 

 Rシェルライフルを可変させ、剣戟を見舞うも、敵人機から放出された四基の自律稼動兵器が《モリビトシン》の向こう側へと進み行く。

 

 まさか、と身構えた鉄菜はRブリューナクの軌跡を追っていた。

 

 生命反応に向けて白銀の輝きが宿る。

 

 ――届け、と願った鉄菜の眼前で、子供を抱えた母親の姿がモニターに表示された。

 

 こちらを仰ぎ見るその瞳は恐れに慄いている。

 

 光が、母子を焼き切ろうとした。

 

「やめろ!」

 

『目の前で守れたはずの命が散る。傑作だろ? モリビト』

 

 四基のRブリューナクが発射した白銀が人影を完全に消し去っていた。灼熱の反応が弾けた眼前には窪地が大穴を開けている。

 

 助けられなかった。

 

 その一事に、鉄菜の思考は塗り潰されていく。殺させるつもりはなかった命。それを目の前で散らされた。

 

 黒々とした感情が胸の中で渦巻く。

 

 これは、怒りだ。

 

 鉄菜は振り返らせた《モリビトシン》にRシェルソードを握らせる。

 

「お前だけは……墜とす!」

 

 加速度をかけさせた《モリビトシン》が敵人機へと接近する。鎌を振るい上げた相手へとRシェルソードを薙ぎ払わせた。

 

《モリビトサマエル》は腕に備えた刃でこちらの剣筋を受ける。

 

『マジになってんじゃねぇよ、モリビト! こんなもん、戦場の常だろうが!』

 

「だからと言って……貴様は、無為な人殺しを!」

 

『無為だと? 人殺しに無為もクソもあるか! 戦争処女が! いいか? てめぇで守れなかったもんは、全部クソッタレの代物だ! 力不足なんだよ、そんな上等な機体に乗っておいて!』

 

 呼気一閃、敵の鎌へとRシェルソードを叩き込む。

 

 それでも敵の守りは突き崩せない。それどころか立体的に四方をRブリューナクが包囲した。

 

「《モリビトシン》!」

 

 前面にリバウンドフォールによる重力変動を張り、機体の姿勢制御をわざと下げさせて敵の照準をぶれさせる。

 

 よろめいた《モリビトシン》を即座に立て直して攻撃しかけて、《モリビトサマエル》が上空から蹴りを見舞った。

 

《モリビトシン》が迂闊にもコミューン外壁にそのまま落下する。《モリビトサマエル》が手を開き、四基のRブリューナクの照準を絞らせた。

 

『イっちまえよ! モリビト!』

 

「させるか!」

 

 背面にリバウンドの斥力を発生させ、軽業師のように機体を反転。敵の白銀の散弾を《モリビトシン》は紙一重で回避する。

 

 鉄菜はRシェルライフルで自律兵器を打ち落とそうとするが、その前に四基のRブリューナクは《モリビトサマエル》の背面スラスターとして戻っていた。

 

 鉤十字の翼を得た《モリビトサマエル》が高空に達する。

 

『悪いが、あんまり遊んでもいられねぇんでな! 今回はこの程度にしておいてやるよ。だが、その首、忘れるんじゃねぇぞ。いつでも取れるって事をな』

 

「待て! 私と戦え!」

 

 敵機が領域を離脱するまで鉄菜は銃撃を続けていた。その攻撃も意味を成さないと分かってから、全天候周モニターの一角を殴りつける。

 

「私は! また……!」

 

 衝動のままに戦い、相手を取り逃がした。それだけならばまだいい。

 

 目標としていたコミューンは陥落した。この状況では瑞葉のための薬剤も無事ではないだろう。

 

 任務失敗。重く圧し掛かってくるその事実に、鉄菜は領域外で飛翔している輸送機への帰投信号を放った。

 

 瑞葉とニナイに誓った。生きて帰ってくると。だから、今はどれほどまでに自分の愚かしさが呪わしくても、生きて帰るべきだ。

 

 灼熱に抱かれたコミューンはもう、復興は絶望的だろう。また一つ、取りこぼした命。

 

 鉄菜は《モリビトシン》を飛翔させ、輸送機へと誘導灯を点滅させた。相対速度を合わせた輸送機に抱かれ、《モリビトシン》から這い出た鉄菜は、自分が酷く疲弊しているのを発見した。

 

 荒く息をつき、《モリビトシン》の頚部コックピットハッチで膝を折る。

 

「私、は……まだ、拭えていないのか。因縁も、何もかもを……」

 

「クロナ!」

 

 瑞葉がコンテナの気密が入ったのを確認してからこちらに歩み寄ってくる。鉄菜はばつが悪そうに顔を背けた。

 

「すまない……薬剤は調達出来な――」

 

 その言葉を遮ったのは瑞葉の抱擁であった。思わぬ行動に鉄菜は目を見開く。

 

「何をやっているんだ! 死ぬ気だったのか! あんな機体に単独で向かうなんて無茶だ!」

 

 瑞葉の言葉に鉄菜は沈黙するしかない。許せなかった。どうしても相手を撃墜しなければ気が済まなかったのだ。

 

 自分とあの機体を操る男との因縁を話そうとしたが、そういう意味で瑞葉は怒っているのではないだろう。

 

 自分があまりにも軽率に、命を散らそうとした事を、彼女は怒っているに違いなかった。

 

「……すまない、瑞葉。だが分かって欲しい。私は、戦うしかないのだと」

 

「それでも! もっと賢いやり方はあったはずだ! そうだろう!」

 

 分からない。本当にもっとマシな方法があったのか。自分がただ闇雲に突っ込んだだけなのかなど。

 

 ただ、ここで一人の女性を悲しませている事だけはハッキリしていた。

 

「……分からない。本当に、分からないんだ」

 

 そう口にするしかない。自分でも戦う以外の方策はあったのかどうかなんて、戦ってみなければ何も分からないのだ。瑞葉は頬を濡らす。

 

「どうして……クロナ、お前はどうしてそこまで……」

 

 嗚咽する瑞葉に鉄菜は何も言えなかった。

 

 そう容易く結論を言ってしまえるような事ではない。それは誰よりも自分が、一番よく分かっていたからだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯208 世界への抵抗

 クッキーを焼いたのだと、ベルは自慢したかった。

 

 だから使用人達のいない時間を見計らってクッキーを用意し、手提げの籠に入れて地下階段を下っていった。

 

 最近ではクリーチャーに会うのが一日のうち、一番の楽しみになっていた。

 

 彼はいつも新鮮な反応をする。

 

 この間、養殖された魚介類を持って行った時など、黄金の瞳を丸くして驚いていた。

 

 あれにはベルも笑いが漏れたほどだ。

 

 今のコミューンの技術なら、絶滅した生物の再生は出来るのだと、言い聞かせると彼は魚介類に齧り付いた。

 

 きっとお腹が空いていたのだろう。そういえば、ベルは彼が何を食べているのかも知らない。

 

 ならば、次は手作りでもっと驚かせてやろう。

 

 そう思ってクッキーを焼いてきたのだ。

 

 慣れない料理で指先を火傷もしたが、今はそれも勲章。地下の階層に至ると、クリーチャーはいつものように神像の上で四肢を広げていた。

 

 彼は僅かに差し込む日光を得ようとして神像の上に佇み、末端四肢を温めているのだ。

 

 ベルは呼びかける。

 

 すると、クリーチャーは目にも留まらぬ速度で舞い降り、眼前に迫った。鋭く尖った牙に、曲がりくねった爪。

 

 一瞬、心臓を鷲掴みにされたかのように驚いてしまうが、それも慣れたものだった。

 

 ベルはドレスの下に隠した籠を取り出す。

 

「じゃじゃーん! クリーチャーさん! クッキーを焼いてきたの!」

 

 ベルの言葉に相手は首を傾げたようである。彼女は自慢げに説明を始めた。

 

「チョコレート味に、ミルク味、他にもフルーツ味があるわ。どれがいいかしら?」

 

 こちらが選別する前に、クリーチャーは籠を引っ手繰り、その中にあったクッキーをごっそりと手に握って齧りついていた。

 

 その様子にベルは微笑ましく応じる。

 

「おいしい?」

 

 クリーチャーが何か意味のある呻り声を発する。

 

 彼の言葉の全てが分かるわけではないが、どことなく、言わんとしている事は理解出来るようになっていた。

 

「そう! とってもおいしいのね! よかった……あたしも初めてだったから、うまく出来たのか不安だったの」

 

 籠の中にあるクッキーを平らげたクリーチャーが籠を放り投げる。それを拾い上げベルは満面の笑顔を作った。

 

「ねぇ、クリーチャーさん。あたし、あなたの物語が聞きたいわ。今日はどんな物語を聞かせてくれるの?」

 

 クリーチャーは天上を振り仰いだ後、一声咆哮する。

 

 彼の物語はたった一声であったり、あるいは意味を成さない呻り声の連鎖であったりしたが、それでも一定の法則があるのをベルは発見していた。

 

 何かを伝えたい時の雰囲気とでも言えばいいのだろうか。

 

「そう……外の世界の話をしてくれるのね」

 

 ベルは腰を下ろす。漏れた声は羨望であった。

 

「いいなぁ……、クリーチャーさんは外に出た事があるんだ……」

 

 彼が呻る。ベルは頭を振った。

 

「外が汚らわしいって? そんな事はないと思うわ! だって、お外は素晴らしいんでしょう? こんな、殻に篭っているよりもずっといいに決まっているじゃない!」

 

 クリーチャーは爪で地面を引っ掻き回す。

 

「そりゃあね。あたしだって外の知識はあるのよ。……ブルブラッド汚染大気。そういう毒が、外では蔓延しているんだって。病気も多いって聞くわ。でも、あたし、こんな場所でずっといるほうが、病気になっちゃうんじゃないかって思うの。だってそうでしょう? 自由な外に比べて、ここは息が詰まっちゃいそう! セバスチャンの言いつけは守らないと怒られちゃうし、使用人の眼も厳しいわ! こんな場所、まるで箱庭みたい! ……だから、ね、お外に行けるのなら行ってみたいの。どれだけ毒の大気に溢れていたって構わない。外はきっと、とても綺麗な世界のはずだもの!」

 

 陶酔したように口にしたベルに、クリーチャーは遠吠えする。その様子にベルは笑みを浮かべた。

 

「あなたも、恋しいのね。お外が。……そうよね。ここはとっても寂しい。こんなお城の地下なんか、嫌に決まっているわ」

 

 クリーチャーが神像へと這い登っていく。それは二人の間に降り立った、今日はここまで、という合図であった。

 

「バイバイ。また明日会いましょう。あたし、あなたの物語が大好きなのよ」

 

 地下階段を上っていく。隠し通路への扉を開けかけて、不意に発せられたセバスチャンの声に身を潜めた。

 

「お嬢様! どこへ行かれたのです!」

 

「……嫌だ、見つかっちゃった? もうっ、セバスチャンったら、眠ったって言ったのに……」

 

 息を殺していると使用人が追いついてきたらしい。

 

「セバスチャン様……、こちらにもお見えになっていません」

 

「やはりか……。この城は構造上、まだ分からない場所も多い。まったく、お転婆にもほどがあるというものだ。ご両親から預かっているこちらの身にもなって欲しい」

 

「本当ですよね。お嬢様の身勝手さに振り回されるばかりで……。そりゃ、このお仕事は割がいいから我慢は出来ますが」

 

「あのお転婆を見ているだけで一生は安泰だ。なに、そうと考えれば難しい仕事でもないのだが……」

 

 ベルはぎゅっと拳を握り締めていた。

 

 そう思われているのは、何となく分かっていた。自分のご機嫌を取るだけで彼らには金が行き渡っているのだ。その関係性を理解していないわけではない。

 

 だが、いざ口にされるとベルは頬を伝う熱いものを止められなかった。

 

 ――ここに居場所なんてない。

 

 自分は籠の鳥も同じ。誰かに監視され、そのままレールの敷かれた一生を歩んでいくのみ。

 

 どこにいたって同じならば、籠の中で終われと、彼らは思っている。

 

 自分はクリーチャーの事を笑えないのだ。彼は地下の階層にどれくらいの長い時間、閉じ込められていたのだろう。言葉も忘れるほどの悠久の時間に違いなかった。

 

 それと自分の何が違う? 何が異なっている。

 

「……お願い、助けて、クリーチャーさん。あたしを、独りにしないで……」

 

 呻いた声にベルは痛みを押し殺すのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、これがモリビトだって言うの」

 

 整備デッキに現れたのは青い髪色の少女であった。銀色の瞳が並び立ったモリビト二機を観察している。

 

 色めき立ったのはタキザワだけではない。整備班全員であった。

 

 部外者がどうして、という眼差しに彼女はふんと鼻を鳴らす。

 

「無知蒙昧ね。こんなんじゃ、モリビトだって本来の性能も発揮出来てやいないでしょう」

 

 踵を返しかけた少女へとタキザワが声を投げる。

 

「待て! 何者なんだ!」

 

 足を止めた少女がタキザワを睨み据えた。その眼光だけで彼は射竦められてしまう。

 

「何者? 本当に分を弁えていないのね。いえ、ここにいる全員が、かしら。モリビト二機、見た限りこのままじゃ先はないように見えるけれど」

 

 思わぬ反論に整備スタッフが息を呑む。タキザワが言い返そうとして、声が弾けた。

 

『ほう、興味深いな。そういうタイプの人間に会うのは久しぶりだ』

 

「ゴロウ……。どういう意味だ? そういうタイプ、って言うのは」

 

 電算機に接続されていたゴロウが面を上げ、タキザワの手を煩わせる事もなく、転がってその足元に歩み寄る。

 

『彼女は君達流の古い言い方をすれば、調停者……、その役職に相当する権限を持っているだろう』

 

 放たれた言葉にタキザワは絶句する。

 

「まさか……、調停者はだって全員……」

 

『男性型、しか製造されていないはず。否、発見されていなかっただけかもしれないな。いずれにせよ、面白い逸材だ』

 

「そっちも見た限りじゃ、随分と変な数式ね。そのアルマジロの中に入っているの、元々の持ち主じゃないでしょ?」

 

『見通すか。しかし、分からないな。どこで紛れ込んだ?』

 

「そっちこそ。誰の許可を得てその躯体を使っているのかしらね?」

 

 一歩も譲らない双方の論点を逸らしたのは現れたニナイの言葉であった。

 

「みんな。この子の名前は茉莉花。ラヴァーズより預かった……条件とでも言えば、分かりやすいかもね」

 

「条件……?」

 

「吾はこの《ゴフェル》に関心がある。だからまずはモリビトから見ていこうと思ったんだけれど……とんだ見込み違いだったわ。だって、陸戦型と海中戦闘を加味した機体? 頭打ちになるのは分かっていてこういうコンセプトにしたの? ……理解し難いわね」

 

 それは整備班への侮蔑に繋がる。彼らの眼差しに敵意が宿ったのを、タキザワは見逃さなかった。

 

「そんな物言い……」

 

「怒らないで。こういう子みたいなの」

 

 ニナイの説明に茉莉花は鼻を鳴らす。

 

「ま、いいんじゃない? 吾が担当したらモリビトはもっと先を行けるけれど、今はその時じゃないでしょう。この中で一番に権限を持っているのは……そこの男ね」

 

 顎をしゃくられてタキザワは困惑する。

 

「僕、か……?」

 

「他に誰がいるの? 困惑の数式になっているけれど、まぁいいわ。頭は一番マシなようだし。少なくともその他大勢に比べればね」

 

 敵を増やすような言い草にニナイはフォローを浮かべる。

 

「お願いだから、今は敵視しないで。詳しい事は後で説明するから……」

 

「ニナイ艦長。この《ゴフェル》のメインフレームに案内を。……とは言ってもさっきから一方的に見られているのは分かっているんだけれどね」

 

 ニナイが少女を先導する。その場から立ち去った少女に一人の整備士が悪態をついた。

 

「何だって言うんだ、クソッ!」

 

「……ゴロウ。彼女は……」

 

『調停者相当の存在。いや……もっと言えばそれそのものか。まさかまだ生き残っていたとはな。禁断の鍵、真理への扉……。人間型端末だよ、あの少女は』

 

 予見されていた事とは言え、タキザワは二の句を継げなかった。

 

「まさか……」

 

『だが全ての事象がそれを証明している。どこへなりとも接続出来るだけのデバイス権限、それにあの立ち振る舞い……何もかもが見えているに違いない』

 

「しかし、調停者は三人しかいないはずだった。……それも六年前の戦いで全員が行方不明……あるいは死亡したはずだ。水無瀬、渡良瀬……それに白波瀬」

 

『だが、全員の行方は知られず、その死体も確認されていない。……ともすれば新世代の人間型端末かもしれないな。それをラヴァーズが囲っていたのはどうにも皮肉めいているが』

 

「ラヴァーズは何を考えて……。だって戦局を鑑みれば、あれを僕らに渡すよりかは」

 

『自分達で運用したほうがうまく立ち回れるはず。それを条件、と銘打って差し出したのには考えがあるはずだ』

 

「……ゴロウ」

 

『言われるまでもない、調べは尽くしておこう』

 

 この六年間で以心伝心となったアルマジロ型AIにタキザワは薄ら寒いものを感じていた。

 

 自分達でもどうしようも出来ないほどの何か、窺い知れないもの。

 

「……まだ、この世界には僕らの認知では及ばないものがあるっていうのか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっきから後ろを見ているのは、感心しないわね」

 

 不意に茉莉花が声にしたのでニナイは足を止めていた。

 

「私……?」

 

「いいえ。この《ゴフェル》の中心者よ」

 

 そう言われて初めて、ニナイは茉莉花の不愉快そうな面持ちを理解した。

 

「……彼女は、でも《ゴフェル》を管轄している、システムで」

 

「それも分かっている。いちいち説明しないで、馬鹿馬鹿しい。で? メインフレームの巣穴はここってわけ?」

 

 ニナイが首肯するとエアロックが解除された。

 

 楕円型の一室の中、粒子が寄り集まり少女の投射映像を顕現させる。

 

「……ルイ」

 

 ニナイの声にルイは敵意を浮かべた眼差しで応じる。

 

『……嫌なのを連れて来たわね。こっちへの当てつけ?』

 

「へぇ……システムAIだからあのアルマジロと同じかと思ったら、あなたは攻勢システムね。元々は戦術機に搭載されていた」

 

『……ねぇ、経歴を覗かれるのはいい趣味だとは思えないけれど』

 

「お互い様でしょう? さっきからずっと追跡してたくせに」

 

 舌鋒の鋭さでは負けると判断したのか、ルイは後退して先を促した。

 

『……で? 何のために《ゴフェル》に? だってラヴァーズの端末でしょう?』

 

「条件なのよ。吾の身柄を預かるって言う、ね。ま、破格の条件だと思っていいわ。だって、あなた達、このままじゃジリ貧だもの。ラヴァーズの共闘も断って、アンヘルに位置を捕捉されている。どう足掻いたってよくて一週間、悪ければ三日程度の命しかない」

 

 発言された実情にニナイは拳を握り締めた。それを理解しているからこそ、どうしてサンゾウが茉莉花を寄越したのかが分からない。

 

 どうせ滅びるのならばせめて足掻けとでも言いたいのだろうか。

 

『あなたはそれをよく出来る……いや、言い方を変えないと。その未来を変えられる』

 

 ルイの言葉にニナイは問い返していた。

 

「それって……本当なの? ルイ」

 

『ハッキリした事はこいつに聞けば?』

 

 視線を茉莉花に据えると彼女は嘆息をついた。

 

「現状、燃やされちゃう舟に吾を預けたって言うのは馬鹿馬鹿しいからね。状況を打破しろ、って意味なんでしょう。でも、不思議。この艦に入って、すぐにその方策は見えたって言うのに……今まで誰も気づかなかったの?」

 

 見えた、という言葉にニナイは身を強張らせる。

 

「この艦の、中に?」

 

「あなただって気づいているんでしょう? ルイ。いえ、気づいていてあえて教えてなかった、と言ったほうが正しいかしら?」

 

 試すような物言いにルイは視線を背ける。

 

『何の事だか』

 

「とぼけるだけの権限持ちなのは分かるけれど、破滅願望なんていい兆候とは言えないわね。この艦に入って、真っ先に見えた数式。誰も気に留めなかったのが不可思議だけれど、この《ゴフェル》が生き残る唯一の術。分かっていて秘匿しているんでしょう?」

 

 ルイがこちらへと一瞥を投げる。ニナイは茉莉花へと問い質していた。

 

「どういう意味なの?」

 

「一つ一つ解き解すのはあまり好きじゃないんだけれど、言ってしまえば《ゴフェル》は今のままじゃ撃たれてしまう。でも撃たれないような方策を練るのに、このルイとかいうのは知っていてあなた達に助言しなかった。……何か恨みでも買ったの?」

 

 彩芽の事が思い出され、ニナイは口を噤んだ。その様子に茉莉花は悟ったようである。

 

「……ふぅん。色々あるのね。いずれにしたって、この方法論を用いなければこの艦は轟沈する。そうなってしまうのが嫌なら、吾の助言に従う事ね」

 

『……いきなり来て偉そうに』

 

「でも、あなたよりかはマシなはず。知っていて何も言わないなんて。このまま地上でブルブラッドキャリアが潰えるのがお望み?」

 

 ルイは舌打ちして部屋の中を舞った。その手から構築されたのは宇宙へと到達するためのマップである。

 

「地上に降りたのと同じルートで……? でも相手だってそれくらいは」

 

「分かっていて然るべき。問題なのはそこから先よ、艦長。あなた達は宇宙に上がっても、ブルブラッドキャリア本隊に阻まれるのだと思い込んでいる。だからどこにも居場所なんてないのだと。逆転の策はないのだとどこかで諦観を浮かべている。でも、逆転の策は存在する」

 

 茉莉花の言い草にニナイは瞠目していた。ルイは説明を始める。

 

『このルートに沿えば宇宙には上がれる』

 

「何で、その先を言わないの? ブルブラッドキャリア本隊に帰して、むざむざこの舟を明け渡すつもり? そうなればメインフレームであるあなただって無事では済まないはずよ」

 

 ルイは何か重大な事を隠し立てしている。それを茉莉花は看破する術を持ち合わせているようであった。

 

『でも……この情報の秘匿レベルはAプラス以上』

 

「今さら秘匿レベルを気にしていられる状態? もうそういうところは過ぎ去ったのよ。情報を開示しなさい。そうでなければモリビトも、ブルブラッドキャリアもここで死に絶える。……もっとも、あなたからしてみればそれが本望かもしれないけれど」

 

 ルイは秘匿権限のあるファイルをニナイの端末に送信する。茉莉花が手を繰ると、まるで魔法のように暗号コードが解読され、内部ファイルが開放された。

 

「これが……私達の生き延びるための術……」

 

 開示された情報源には「バベルへのアクセス権限の復活」と記されていた。

 

「バベルに今一度アクセスする。そうする事でしか、ブルブラッドキャリアは復権出来ない」

 

「でも、このバベルの場所は確か惑星の地下深くだってゴロウが……」

 

 端末に表示されたエリアは宇宙の常闇の只中であった。何もない場所を示している。

 

「そこには月があるはずよ」

 

「月……? 月というのは何?」

 

 尋ね返したニナイに茉莉花は、まさかと目線を鋭くした。

 

「月を知らないの?」

 

「そんなものは……何の事を言っているの?」

 

 嘆息をついた茉莉花は端末をタッチする。それだけで何もない場所を示していたエリアマップに円形の資源衛星が浮かび上がった。

 

 ニナイは絶句する。

 

「これ、は……」

 

「人類はバベルを二つに分けた。一つが掌握されてももう一つが機能出来るように。正しい道を歩む事が出来るように。一つは惑星の地下深く、地下都市ソドムに封じられた。そして、これはもう一つのバベル。月面都市ゴモラに封印されたバベルであり、月はモリビトが生まれ出た場所でもある」

 

「どうしてそこまで……」

 

 茉莉花はこめかみを突いた。

 

「この艦にいれば、嫌でも情報は入ってくる。あのアルマジロのゴロウとか言うのが潜在的に封印している情報もそうなら、このルイとか言うのが意図的に見せないようにしている情報も」

 

「モリビトの……製造場所だって言うの」

 

「今まで、どうやって宇宙の、何の資源もない場所から新型人機を開発出来たと思っているの? 全ては衛星である月からの供給だったのよ。あなた達には、人機の製造プロセスは意図的に伏せられていたみたいだけれどね」

 

 モリビトが生まれたのは月という場所だというのか。しかし、茉莉花が可視化出来るようにしてくれたが、その宙域は依然として「何もない」状態のままだ。

 

「……今、見えるようにしてくれたけれど、他のマップ情報を比較すると、この宙域には何も存在しないって」

 

「そりゃ、そうかもね。平時は見えないようになっている。地上からはリバウンドフィールドの皮膜で視覚情報が封じられているし、宇宙に出ても特殊な外装でその宙域に存在している事を隠されている。つまり、誰にも見つけられない衛星、誰の目にも留まらない最大の拠点」

 

 ブルブラッドキャリア上層部はこれを分かっていて伏せていたというのか。だとすれば、自分達は最初から分の悪い賭けに出た事になる。

 

「……月に行けば、何か分かるって言うの?」

 

「分かるというよりも月に赴かなければ《ゴフェル》に未来はないわ。モリビトを強化しようと思っても地上じゃジリ貧。コミューンに頼ろうとしても敵のほうが素早い。現状、最も現実的なプランは月面都市をこちらが押さえ、モリビトを強化する事。吾の思っている通りに」

 

 茉莉花が手を払うとモリビトの強化案が空間を満たしていった。それらの強化実装は今まで思いつきもしなかったものも混じっている。

 

「月面都市ゴモラ……、その場所に希望が?」

 

「全ての希望かどうかは、まだ分からないと言うしかないけれど。それでも抗うのならば、モリビト三機を召集し、この期を逃さず宇宙へと赴く。幸いにして現状、アンヘルは射程外に離れている。次の一手が来るまでに《ゴフェル》で重力圏外まで出る」

 

「でも、それほどまでの推力なんて……」

 

『ニナイ。これは試算上だけれど、モリビト二機のコスモブルブラッドエンジンを艦の動力に繋げば、重力圏を抜ける事くらいは出来る。その後は出たとこ勝負になるけれど』

 

 まさかルイからの助言があるとは思いもしない。唖然とするニナイにルイは視線を背けた。

 

『もうこれ以上、破滅を願っていても、見透かされているみたいだからね』

 

「よく分かっているじゃない。ここで足止めでもして出来るだけ敵に損耗させる腹積もりだったんだろうけれど、残念だったわね。吾がいる」

 

 ルイは舌打ち混じりに消えていった。それを追おうとして茉莉花に止められる。

 

「やめておいたほうがいいわ。あれも意固地になっている。それにしたって……機械に恨まれるなんてね。相当相手からしてみれば敵対する理由があるのか。いずれにせよ、身の破滅からは少しだけ逃れられた形よ」

 

「茉莉花……あなたはどうして、私達の味方をするの?」

 

「味方? 変な事を言うのね。吾は生き延びるための最善策を練ったまで。ここに寄越されてむざむざ死ぬなんて、それこそ絶対に阻止したいもの」

 

 歩み去っていく茉莉花の背に、ニナイは何も言えなかった。

 

 ただ一つだけハッキリしたのは自分では力不足だった事のみ。ルイから聞き出したのは茉莉花の力だ。

 

 もし、自分が下手なプライドを持って艦長の職務を続けていればそれは緩やかな破滅が待っていた事だろう。

 

 メインフレームの部屋から出たニナイは拳を骨が浮くほど握り締めた。

 

「駄目ね、私……。彩芽を失った負い目を、まだ持っているなんて」

 

 そんなだから、ルイにたばかられる。ニナイはただただ痛みに呻くのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 掃除ご苦労、という報告にガエルはケッと毒づく。

 

「にしちゃ……随分と今回は演出過多だったじゃねぇか。まさか新型のモリビトと会敵させてくれるなんて思っちゃいなかったよ」

 

 ブルブラッドの煙草に火を点けたガエルに通信先の相手が声にする。

 

『あれは完全なイレギュラーであった。しかし、必要な措置であっただろう。いずれにせよ、《モリビトサマエル》で勝てない相手ではなかったはず』

 

「ああ、《モリビトサマエル》はほとんど無敵だよ。これを実戦で使いたいほどだぜ」

 

『……ガエル・シーザーとしての名が今の君のほとんど全てだ。《モリビトサマエル》は露払い程度にしか使えない』

 

「分かってんよ、それくらい。ったく、冗談も通じやしねぇ」

 

 言い捨てたガエルに通信相手は咳払いをする。

 

『いいかな? あまり時間は取れないのだが』

 

「んだよ、また続け様に掃除かぁ?」

 

『ブルブラッドキャリアがラヴァーズと合流、その後、両者は共闘するでもなく、お互いの艦を離れさせている。この意味するところを、君に推理してもらいたい』

 

「オレは探偵じゃねぇぞ?」

 

『一意見として、戦士の勘を聞きたいのだよ。我々では所詮は総体、一人の軍属には負ける』

 

 こういう時だけ総体の弱さを晒してくる。ガエルは舌打ち混じりに言い返した。

 

「そっちにも、戦闘のエキスパートでも呼べばいい。その上で、レギオンの優位性を説けば、喜んで脳髄サンプルを差し出すだろ?」

 

『戦闘のエキスパートというものは得てしてこのような義体に封じ込めてしまった時点で、それはもう意味を失くす。戦場を闊歩する、生の声が聞きたいのだ』

 

 こういう時だけ持ち上げてくる。

 

 ガエルはレギオンの静止衛星カメラが監視するラヴァーズの舟を目にしていた。全体像としては海に浮かぶ巨大なナナツーだろうか。甲板には三十機近い人機が位置している。

 

 どれも型落ち品でありながら、数による圧倒を理解している布陣であった。

 

「相手は型落ちだがそれなりに戦場を行き来した猛者ってヤツが揃っている様子だな。まぁ、だからこそ惑星博愛主義なんて言う、欠伸の出る代物が通っているんだろうが。しっかし、敵陣も馬鹿に出来ねぇな。ラヴァーズって言うの、博愛が聞いて呆れるぜ。結局は相手を打ちのめすための最短距離を練ってやがる」

 

『《モリビトサマエル》で一掃出来る相手では』

 

「ない、っていうのが結論だな。しかも、前に出ている相手だけじゃないと見た。居るんだろ? この世界最後の中立っていうの」

 

『《ダグラーガ》か。こちらのデータライブラリが六年間、……六年間だ。ずっとその足跡を追っているのにも関わらず、実情が未だに知れない人機。元老院の老人達は余程恐れていたのか、バベルの深層に封じ込められている』

 

「じゃあ、んなもんに関わっている暇はねぇだろ。もっとやりやすい相手を潰せばいい」

 

『ブルブラッドキャリア……、あの両盾のモリビトはどれほどの脅威だ?』

 

「脅威ぃ? んなもん、ねぇよ。ゼロだ、ゼロ。あの機体、随分と改良が加えられているみたいだがそれでも乗り手が駄目だな。あのモリビトのガキ、ちっとはマシになったかと思ったが、直情的なのは変わりはしねぇ。突っ込んで自滅するタイプだ。そこまで恐れる必要はねぇと思うがな」

 

『そう、か。君はそう結論付けたか』

 

 何か、自分では窺い知れない事実に相手は肉迫しているようであったが、ここで解答を迫っても恐らくははぐらかされるだけだろう。

 

「他にもモリビトはいるんだろ? そいつらのデータはどうなんだよ」

 

『計測中、としか言いようがないな。敵の戦力分析を出すのにはまだ、データが足りていない』

 

 どれほど高速演算システムの中に自己を浸してもそれでも情報不足に苛まれるのか。やはり義体の身は退屈だろうとガエルは感じていた。

 

 肉体を燻らせるほどの衝動もなく、かといって、欲望にも衝き動かされない究極の客観的な躯体。

 

 それを得たとしても、では何が通用すると言うのだ。

 

 戦場を行き来するのに、義体のような冷静さは逆に邪魔であろう。

 

 生の肉体を震わせる快感と、伴う絶望が必要なのだ。

 

 機械の身体など戦場の第六感を鈍らせるだけ。

 

『して、ガエル・シーザー。君には次の配備場所が決定している』

 

 藪から棒の言い草にガエルはくわれた煙草がまずくなったのを感じる。

 

「配備、ねぇ……。そいつはあれか? シーザー家の希望の星としての役職か?」

 

『どちらとも取っていい。いずれにせよ、アンヘルはブルブラッドキャリアから一時撤退を提言している。その状態ならば、二日程度のこう着状態は思案されるべきだろう』

 

「尻尾巻いて逃げたわけじゃ、ねぇって事か」

 

『上は焦る必要はないと考えている。しかし、我々としては考えそのものが別でね。所詮、肉体に支配された人間の繰り言など、大局を見据えるのには不都合な代物。モリビトの脅威を前に、及び腰になっても仕方がない、というわけだ』

 

「てめぇらほど、人間様の上は冷酷にも、ましてや冷静にもなれないってワケかい」

 

『配備場所は既に送信してある。参考に隊列の名簿も送っておいた』

 

「仕事が早いこって」

 

 ガエルは片手で送られてきたデータを参照する。アンヘルの第三小隊、その生き残りが警備を担当する場所の「計数されざる兵士」としての参列。

 

「この感じだと……《モリビトサマエル》でいいって事か?」

 

『気取られる心配がないのならば』

 

 アンヘル側にも《モリビトサマエル》のスペック、存在共に伏せられている。不用意に味方側にも背中を向けられないのはなかなかに痛いが、それでも《モリビトサマエル》の性能を鑑みればお釣りが返ってくるほどだ。

 

 この一機でまさしく、ほとんどの人機を相手取れる。無敵の人機――それこそがこの漆黒のモリビト。

 

「白カラスで出るのはそれなりに怖ぇんだぜ? あの機体の性能じゃあな」

 

『それでも、一騎当千の実力なのは窺い知っている』

 

 それは褒めているのか、それとも馬鹿にしているのか。どちらとも取れる気がして、ガエルは嘲笑に口角を吊り上げた。

 

「分かったよ。任務了解ってヤツだ。切るぜ」

 

 通信遮断を選びかけて相手から忠言が飛んだ。

 

『ガエル・シーザー。あまり、迂闊な事はするべきではない。モリビトを挑発しても、君のその力があってこその賜物だ。不用意な言動は死を招く』

 

 先ほどの戦闘をモニターしていたのか。どこまでも抜け目ない。

 

「……考慮しておくよ」

 

『では。善戦を期待している』

 

 通信が一方的に切られる。ガエルは舌打ちを漏らしていた。

 

「善戦、ね。心にもない事を言いやがる。ああ、でもそうか。心なんてもうねぇのか。機械だもんな」

 

 独りごちたガエルへと新たな通信がもたらされた。特殊暗号通信を用いられている。ガエルは自分と相手のみが知るパスコードを打ち込んだ。

 

 程なくして相手の声が聞こえてくる。

 

『息災か、ガエル・ローレンツ』

 

「その名前は一般的には死んでんだよ、水無瀬」

 

 相手の名前を呼んでやると、水無瀬は冷笑を浴びせてきた。

 

『相も変わらず戦争屋稼業か』

 

「そっちこそ。アンヘルの諜報部門に居座る気分はどうよ? 世界の敵から一転、この星を牛耳る側になったんだもんな」

 

 水無瀬は抑揚のない声で応じる。

 

『悪くない座り心地だ』

 

「わざわざ今、オレにかけてきたって事はあれかい。連中の尻尾でも掴めたか?」

 

『レギオンはなかなか尻尾なんて掴ませてはくれないな。地下深く……人形屋敷とあだ名される場所の位置情報だって、君を追尾していても未だにハッキリしないのだから』

 

「オレから言うつもりはねぇぜ」

 

『それはそうだろう。裏切りが分かれば怖い連中だ』

 

 心得ている水無瀬にガエルは問いかけていた。

 

「じゃあ、何だよ。まさか何の用もないのにかけてくるほど暇でもあるめぇし」

 

『ラヴァーズの動きに関して、少しばかり、な。ラヴァーズはブルブラッドキャリアの艦から離れ、独自の航路を辿っている。しかし、これは奇妙だとは思わないか?』

 

「わざわざ利害の一致している相手を前にして、何もせずに撤退ってのは……」

 

『怪しいの一言だろう。そのため、ちょっとばかしラヴァーズの使用している回線に潜り込んでみた。なに、実際には三十機近くいる人機の中の一つの守秘回線への潜入だ。それほど難しくはなかった』

 

 簡単に言ってのけるが相手はアンヘルの本部でも手をこまねいているはず。それを単騎で、という部分が化け物じみている。

 

「で? 何か分かったのかよ」

 

『大きく二つ、一つは、もうブルブラッドキャリアとラヴァーズは協定を結ぶつもりはない事。もう一つが、ラヴァーズ側から、何者かがブルブラッドキャリアに差し出された事だ』

 

「何者か……ってのは」

 

『無論、そこまで潜り込めるほどの胆力はなくってね。分が悪くなる前に打ち止めにした』

 

 退き際は潔いほうがいい。この場合、水無瀬の判断は間違っていないだろう。

 

「っつー事は、ラヴァーズ側も何らかの交渉を持ちかけたと考えるべきだな」

 

『あるいは足枷か、いずれにせよ、ブルブラッドキャリアのやり方が変わってくる可能性はある、という事実には違いない』

 

 ガエルは思案を浮かべる。ブルブラッドキャリアのモリビト、自分と戦ったあのタイプがこの空域にいたのは偶然であったのだろうか。あれさえも仕組まれていたとすれば、自分の脅威をモリビト相手にわざわざ晒した事になる。それはレギオン側にとって大きな損失のはずだ。

 

 比してモリビト側も不利な局面に至っているのはレギオンと水無瀬の情報をすり合わせても明らか。畢竟、盤面を覆すだけの力を持っているのは今のところどちらでもない。

 

「こう着状態……悔しいが上の言う通りだな。どっちが仕掛けても下手を打つ」

 

『何だ、レギオンもその判断なのか。間違ってはいないだろうが、あまり時間をかけ過ぎれば互いに戻れなくなる。アンヘルはいつでも出せるように戦力の温存を行っている。海中戦用の人機を潰されて少しばかり及び腰になっている面もあるだろう』

 

「海中戦用? 馬鹿馬鹿しいもんを造ったんだな、アンヘルも。海の中でしか使えない人機なんざ……」

 

 そこまで口にしてガエルはある推論を浮かべていた。海の中でしか使えない人機。そのような道楽に等しいものに、予算を割くだけの余裕がアンヘル側にはある。

 

 もし、その予算を捻出している先、スポンサー連を押さえられれば……。

 

 脳裏に浮かべた可能性にガエルは水無瀬へと命じていた。

 

「おい、水無瀬。アンヘルのスポンサー連の名簿を洗い出せ。出来るだろ?」

 

『難しくはないが……、何だ、君特有の勘という奴か』

 

「そういうこった。いいから出来るんならば一秒でも早くやれよ」

 

『今、送信した。何の役に立つのかは分からないが……』

 

「オレもまだ確証はねぇさ。ただ……ちぃとばかし、つけ入る隙は、案外あるんじゃねぇか、と思っただけだ」

 

 スポンサーに連なる名簿をガエルは目にする。

 

 これがこちらの切り札になるか否かはこれからの戦局にかかっていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯209 破壊者の宿命

 輸送機が誘導灯に従って《ゴフェル》に収容されたのはその日の夕刻になってからであった。

 

 すぐさま《モリビトシン》が整備班によって運搬される。

 

「酷い損傷だね」

 

 通路を行き交う際、声にしたタキザワに鉄菜は苦味を噛み締めていた。

 

「……会敵した。情報の連携は厳にする」

 

『こちらでも把握した。……なるほど、これは《モリビトタナトス》の発展機。名称、《モリビトサマエル》……このようなものを裏で開発していたとはね。アンヘルも抜け目ない事だ』

 

 鉄菜は手すりへと思い切り拳を打ちつけていた。その様子にタキザワが目を丸くする。

 

「……鉄菜?」

 

「何も! 何も出来なかった! 《モリビトシン》であっても! ……私は、まだ奴に勝てない……!」

 

「落ち着くんだ、鉄菜。何があったかは後で聞く。部屋で休むといい」

 

「……ああ。そうさせてもらう」

 

 今の自分は我を忘れているだろう。このような状況で誰かに噛み付いたところで意味のない事。

 

 そう断じて通路を渡り歩こうとした際、小さな影が道を阻んだ。

 

「……誰だ?」

 

 濃紺の髪に、銀色の瞳を持つ少女であった。彼女は勝気な様子で鉄菜を見据える。

 

「……あなたが、鉄菜・ノヴァリス?」

 

「何者だ、お前」

 

「まるで獣ね。抜き身の刃、とでも言い換えれば相応しいかも」

 

「何者だと、問うている」

 

 ホルスターのアルファーに手を伸ばしかけた鉄菜に、ニナイが慌てて声を飛ばす。

 

「鉄菜! その子は……!」

 

「ニナイ。……任務を完遂出来なかった。瑞葉に必要な薬剤は手に入れられなかった」

 

「それでも、あなたが帰ってきてくれただけでもよかったわ」

 

 どこかニナイは憔悴しているようであった。その根源が目の前の少女にあるのだろうか、と窺う眼差しを投げると、少女は首を横に振る。

 

「吾のせい、みたいな顔。言っておくけれど、ブルブラッドキャリアが疲弊し切っているのは誰でもない、あなた達自身の過ちよ」

 

「……知った風な口を」

 

「鉄菜、彼女は茉莉花。ラヴァーズより条件として託された……人間型端末よ」

 

 まさか、と鉄菜は目を見開く。人間型端末、その因縁は六年前を否が応でも思い出させた。

 

 水無瀬なる存在。あの時の再現になりかねないと思うと、鉄菜は自然と身構えていた。

 

「では、余計に信用ならないな。ラヴァーズは何のつもりで私達の道を閉ざそうとする」

 

「道が閉じるかどうかは、これから先のあなた達の行動にかかっていると思っていいけれど? それにしても、思ったよりも変な数式なのね、あなた。冷静かと思ったら、いきなり身を焼きかねない怒りを抱いている。……まるで人間みたい」

 

「茉莉花。鉄菜は人間よ」

 

「薄っぺらい嘘もそこまでにしたら? 血続でしょう? それも造られた」

 

 自分の経歴を丸裸にされるのはいい気分ではない。鉄菜は茉莉花を睨み据えた。

 

「お前は……私達をどうするつもりなんだ」

 

「どうもこうもない。言ったはずでしょう? 条件であった、と。吾は別に、ラヴァーズにいてもよかった。それをこんな……破滅を目前にしている艦に引き渡されたのは何も酔狂ではないと願いたいわね」

 

「ニナイ、どういう事なのか、説明を」

 

 こちらの問いかけにニナイは額に手をやった。

 

「ごめんなさい、鉄菜。私も混乱していて……」

 

「ハッキリしている事だけ言ってあげる。吾がいないとあなた達は何も出来ない」

 

 ふふん、と鼻で笑った相手に鉄菜は声を投げていた。

 

「一つだけ質問させろ。……そのふざけた格好は何だ?」

 

 茉莉花は黒衣を身に纏い、帽子を傾けていた。

 

「知らない? 魔女の正装よ。吾があなた達にとって、理解出来ない魔女という、証明みたいなものね」

 

 歩み去っていくその背中を鉄菜はいつまでも見据えていた。ニナイが割って入る。

 

「ごめん、鉄菜。何かハッキリした事を言えればよかったんだけれど」

 

「……いい。そちらも疲れている様子だ」

 

 ニナイは手すりに体重を預け、嘆息をついた。

 

「分かった事が多過ぎてね。……鉄菜は、月、っていうものを知っていた?」

 

「……いや、何だそれは」

 

「やっぱり、普通は知らないのか。じゃあ、どうやって、茉莉花は月の存在を……」

 

 顎に手を添えて考え込んだニナイの顔を鉄菜は覗き込む。

 

「大丈夫か?」

 

「ああ、うん。心配しないで。でも、《モリビトシン》は……」

 

 投げられた一瞥に鉄菜は目を伏せる。

 

「ああ。敵わなかった。歯が立たなかったと言ってもいい。ほとんど六年前と、実力差が埋まっていなかったのは当たり前というべきか……、苦味が残った」

 

「《モリビトサマエル》……妙な人機も存在したものね。でも、現状の惑星の情勢でモリビトタイプなんて要らない混乱を招くだけだと思うけれど」

 

「相手がどこに与しているのかも分からない。難しい立ち回りになるだろう」

 

 それと、と鉄菜は付け加える。

 

「瑞葉の事だ。薬剤を確保出来なかった。……単刀直入に聞く。どれくらい持つ?」

 

 鉄菜にとっては重要な疑念はそれであった。自分の至らなさも相まって瑞葉の必要なものを仕入れられなかった。このままでは瑞葉は壊れてしまうのではないか。その危惧にニナイは頭を振る。

 

「正確な数値までは……。ただ、長くはないと、思ったほうがいいかもしれないわ」

 

「そう、か」

 

 予見していた事とは言えやはりショックではあった。自分のせいで、瑞葉は追い込まれてしまう。

 

 あの時、エクステンドチャージを使ってでも《モリビトサマエル》を撃墜すべきだったのではないか。

 

 握り締めた悔恨にニナイが運び込まれていく《モリビトシン》を視野に入れていた。

 

「でも、鉄菜は善戦した。それは間違いないのでしょう?」

 

 それに、とニナイの手が鉄菜の拳を包み込む。

 

「しっかりと……約束は果たしてくれた。帰ってこないと思っていた」

 

 温かな体温に鉄菜はわざと突き放す物言いを選んだ。

 

「何も出来なかっただけのでくの坊だ」

 

「それでも……一つの約束を守っただけでも、これまでのあなたじゃないのは分かるわ」

 

 これまでの自分じゃない。その言い草に鉄菜は毒気を抜かれたようになった。

 

 今までの人造血続である「鉄菜・ノヴァリス」ではないのか。では、何になろうとしているのか。それが一切分からない今、ただただ不安の胸中を持て余す。

 

「ニナイ。作戦をくれ。その言葉だけで、私はどこへなりと行こう」

 

 急いた言葉にニナイは首を横に振る。

 

「作戦は後で追って伝える。今は休みなさい。戦士にも休息が必要、でしょう?」

 

 ニナイもこれまでの彼女からは想像出来ないような事を言う。鉄菜は混乱の中、ただ頷いていた。

 

 何もかもが変わろうとしている。その変化の只中にあって、何も出来ないのはもどかしいだけであった。

 

 タキザワとゴロウに話を振ろうとして、彼らも同じような事を口にする。

 

「現状、《モリビトシン》の修復にはそれなりに時間がかかる。少しくらいは休んでもいい」

 

「……だが、作戦は待ってくれない」

 

『作戦までの時間をどう過ごすのかも必要な要素だろう。《モリビトシン》の修復と情報の共有化……あらゆる難題が山積している』

 

 ゴロウも先ほどの少女に一杯食わされたのかどこか苦々しげな口調であった。

 

 しかし作戦まで何もせずに待っていられるほど、自分は甘く考えてはいない。

 

「……私は誤魔化せるかもしれない。だが、誰もが作戦の延期に異議を挟めないとも思えない」

 

『それほどまでに信用出来ないか? 茉莉花という少女が』

 

「それ以上に、私が納得出来ないだけだ。モリビトを使えないなんて」

 

「安心するといい。鉄菜。任務はある」

 

 端末を放ったタキザワに鉄菜は受け取って投射された内容を目にする。

 

「……スポンサー連への。潜入調査?」

 

「近々、記されているコミューンでアンヘルの高官達が集る。連なる企業の上役も、だ」

 

「奇襲をかけるのか?」

 

 鉄菜の問いかけにタキザワは肩を竦めた。

 

「あまり物騒に考えるものでもない。今回は本当に、ただの潜入任務だ」

 

「しかし、アンヘルに露見すればすかさず戦闘に持ち込む事になるだろう」

 

「モリビトは遣わすさ。ただし、《モリビトシン》以外の機体で、だけれどね」

 

 今の状態の《モリビトシン》を無理やり使ったところで意味がないのは理解出来る。だが、これほどの重要度の任務に武装もなく潜入するのは危険だと判断した。

 

「簡単そうには思えないが」

 

「《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》をもっと信用するといい。鉄菜、君には《ナインライヴス》に搭乗してもらう」

 

「……桃はどうなる?」

 

 胡乱そうに尋ね返したのが伝わったのだろう、ゴロウがすかさず応答した。

 

『桃・リップバーンはこの作戦の中核を担っている。彼女が潜入任務の大役を務める事になった』

 

 ゴロウの淡白な言い草に鉄菜は反感を覚える。

 

「私は、しかし《シルヴァリンク》と《モリビトシン》以外のモリビトには……」

 

「なに、マニュアルには目を通してあるだろう。そりゃ、桃ほどうまく動かせとは言っていないさ。もしもの時の待機に《ナインライヴス》に乗って欲しいという話だ」

 

 もしもの時、しかしアンヘルの――敵の巣窟に飛び込むようなもの。戦闘は容易に想像出来る。

 

「……心配しなくとも、平和的な解決を考えている。モリビトは本当に、有事の際、程度で考えていいだろう」

 

「アンヘルがそこまで日和見だとも思えないが……。上役やスポンサーの会合だというのならばそれなりの警備があるはずだ」

 

『それも、あの少女が問題点を浮き彫りにしてくれた。我々だけでは恐らく、捕まっていてもおかしくはなかっただろうが、茉莉花という少女は凄まじい逸材だ。警備上の問題点をピックアップし、それを解析にかけた事で、ほとんどこちらの作業がなくなったほどに』

 

 ゴロウは茉莉花を歓迎しているのだろうか。自分はどうにも信用出来かねていた。

 

「……ラヴァーズの尖兵の可能性もある」

 

「しかしラヴァーズからしてみれば、せっかくの人間型端末を我々に寄越す、という時点で戦力を捨てている事になる。彼女が何を知っているかはともかく、今は素直に歓迎したほうがいい」

 

 タキザワの判断は間違っていないだろう。自分は個人的な心象で拒んでいるだけに過ぎない。

 

「……少しだけ頭を冷やそう」

 

「そのほうがいい。リードマンに話を通そうか?」

 

「いや、いい」

 

 鉄菜は廊下を伝っていった。部屋に戻る前に、操主姉妹が壁に背を預けていた。

 

 歩み去ろうとするとその背中に声がかけられる。

 

「待ちなよ、旧式」

 

「林檎……、鉄菜さん困っているじゃない」

 

 蜜柑はおどおどとしているが林檎は強硬姿勢であった。

 

「……何だ? 次の任務まで時間が惜しいんじゃないのか?」

 

「別に、さ、キミが行かなくってもよかったんじゃないの? 瑞葉とか言ったっけ? ブルーガーデンの強化兵、別段、放っておいたって、問題ないレベルなんでしょ?」

 

「……だが、いつ限界が来るかは分からない」

 

「来たってさ、キミのせいじゃないじゃん。別に他人のために命を張る必要性もないし、それにモリビトを介入させる事だってない」

 

「林檎! 鉄菜さん、すいません……! 林檎は瑞葉さんをこの艦で保護している事に疑問を感じているみたいで」

 

「それ、みんな思っているからね? ボクだけじゃない」

 

 なるほど。モリビトを使ってまで他人のために動く自分が不合理だとでも言いたいのだろう。実際、その通りなのだから何も言い返せない。

 

 鉄菜が無言を貫いていると林檎が壁を拳で殴りつけた。

 

「何か言いなよ。それとも、ボクら程度には開く口もないって?」

 

「……ああ言えばこう言うとはよく言ったものだ。私が何か言っても気に食わないのだろう。ならば、ここでの問答は意味がない」

 

「……嘗めて」

 

「《イドラオルガノン》の整備状況に問題はないはず。何故、私の《モリビトシン》に突っかかる。自分のモリビトが万全ならばそれでいいはずだ」

 

「……ふざけないで! ボクがキミなんかと、同じようなものだと思わないでもらいたいね……! こっちは最新の血続なんだ!」

 

 今までならばこのような安い挑発にも乗らなかっただろう。だが、今の自分の胸中に渦巻いていたのは黒々とした感情であった。

 

《モリビトサマエル》との一戦がまだ燻っている。自分の中で折り合いをつけられない何かが、吼え立てていた。

 

「それがどうした? 最新でも使えなければ意味がない」

 

「……蜜柑。やっぱ気に入らない。こいつ、一回分からせてやらないと」

 

 林檎がにわかに動き出しかける。その動作を予測し、鉄菜は懐に飛び込んでいた。相手の反応が一拍遅れたのを関知する前に、足払いして姿勢を崩させる。鉄菜はホルスターから抜き放ったアルファーを林檎の首筋に押し当てていた。

 

 こちらの力加減一つでいつでも首を掻っ切る事が出来る位置だ。

 

 あまりにも易々と王手をかけられたせいだろう。林檎は呼吸すら儘ならないようであった。

 

「……こんな」

 

「悪いが、ままごとに付き合っている暇はない。――今の私に、話しかけるな。死にたくなければ、な」

 

 相手に否が応でも頷かせるようにアルファーの切っ先を頚動脈に当てる。蜜柑が叫んでいた。

 

「やめてください! 鉄菜さん! ミィ達が悪かったんですから! ……林檎を傷つけないで」

 

 その懇願に鉄菜はアルファーを離す。林檎が荒く息をついて距離を取っていた。その瞳には涙が浮かんでいる。

 

 無理もない。今の一瞬、死んでもおかしくはなかった。その緊張に置かれては如何に最新の血続と言っても恐怖くらいは覚えるものだろう。

 

「いい気になって……嘗めるな、旧式!」

 

 吼えた林檎に鉄菜は身を翻していた。これ以上同じ土俵で戦ったところで結果は見えている。

 

 その背中にいくつかの罵声が投げられたが鉄菜は気にするまでもなかった。

 

 本来ならばあの程度、冷静に対処すればいいだけだ。

 

 だというのに、本気になったのは自分でもどこか追い込まれているせいだろうか。

 

 茉莉花という人間型端末の少女に、新たな任務。さらに言えば瑞葉の薬剤を確保出来なかった己の未熟さ。

 

 抱えきれない重石が感情の堰を決壊させようとしていた。

 

 それでも一線を引いて自分は冷静さを欠いてはならない。ここで一糸でも乱れれば全てが水泡に帰す。

 

 これからの戦いに必要なら、自分は剣を振るう鬼になろう。

 

 何も感じず、ただ敵を葬る破壊者に。人機と同じような鋼鉄に心まで武装し、何があっても戦い抜いてみせよう。

 

「……私は、単なる破壊者。それに過ぎないのだから」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯210 船出

 

 桃は目に留めていたがわざと介入しなかった。

 

 そのせいで林檎が傷ついても、それでもここは彼女らの問題だと思ったからだ。

 

 林檎は壁を殴りつけて吼え立てる。

 

「あの旧式! ボクを軽く見て!」

 

「違うよ……林檎……、鉄菜さんはそんなんじゃ……」

 

「うるさいな! 蜜柑に何が分かるのさ! あんな旧式を信じるって言うの? ボクよりも?」

 

 そう迫られれば蜜柑も返事に窮するしかないのだろう。その様子を目にして林檎は舌打ちした。

 

「……次の任務で差を分からせてやる。戦闘がなくっても、ボクらのほうがブルブラッドキャリアに必要だって」

 

 歩み去っていく二人を視野に入れつつ、桃は独りごちていた。

 

「……いつの時代だって、分かり合えないものなの、かもね……」

 

 自分と鉄菜と彩芽の折り合いが最初、悪かったのと同じだと言ってしまえばそこまでだ。だが、鉄菜はそれを変えてみせた。己が変わる事で自分達に、諍いが無意味だと証明してくれたのだ。

 

 その鉄菜本人をどうしても拒絶してしまう林檎の気持ちは分からないでもない。

 

 彼女は最新鋭の血続である事に誇りを持っている。それを傷つけかねない鉄菜の存在は看過しようがないだろう。

 

 どこまで行っても、傷つけ合うのが人の常ならば、次の任務で証明する、と言い張ってみせた林檎の存在はまだ真っ当だ。

 

 自分のほうが歪である。分かった風になって、こうやって介入もしない。

 

 傍観者を気取る事に慣れてしまったせいか、誰かに自分を曝け出す事も出来ない。

 

「アヤ姉……こういう気持ちだったの? モモ達を見ていたのは」

 

 分からない、と拳を握り締めていると不意に曲がり角を折れた少女とかち合った。

 

「あら? 確かモリビトの操主」

 

 ブルブラッドと同じ色の髪をした少女が目を細める。銀色の眼差し、と桃は息を詰めた。

 

「……はじめまして、でいいのかしら」

 

「ふぅん、妙な数式ね。人智を越えている? 何、その能力」

 

 ハッと桃は後ずさる。まさか、自分の特殊能力が視えているというのか。

 

 相手は小首を傾げた。

 

「分からないなぁ……それほどの力を持っていながら、人機に乗る際には封じ込めている。《ナインライヴス》だっけ? あれも、先に行けないのは操主がまだ人機を信用していないからって言うのもあるかもね」

 

「……《ナインライヴス》の、何を知って……」

 

「視れば、分かるもの」

 

 その声音の説得力に桃は言葉を失った。相手は、でも、と中空を睨む。

 

「その気がないのなら、同じかもね。モリビトの操主の中で、あなたが一番、隠している。あの姉妹は確かに性能面では上でしょう。でも、本当に怖いのはあなたみたいなタイプよ。実際のスペックは相当なものなのに、能ある鷹は爪を隠すじゃないけれど、如何に能があってもここまで隠し通されているんじゃ意味がない。他のモリビトとの連携にも響いてくるでしょう」

 

「……視ただけで分かるって言ったわよね? それはモモ達の関係性も、だって言うの?」

 

「そこまでは。ただ大雑把には、ね。あなた達、そうでなくとも明け透けよ。心の秘密を隠すのに、そこまで数式に書いてあるんじゃ意味がないって言っているの」

 

 数式、と桃は何か策を講じようとして何もない事に気づく。相手の見ている世界の証明もなければ、こちらが明け透けだという証明もない。

 

「……言葉を弄して、楽しい?」

 

「楽しいわけないでしょう。……《ゴフェル》に来て、少しはマシな連中だと期待していたのに。サンゾウはとことん、見る目がなかったと言うべきね。いや、期待し過ぎていたのはお互い様かも。メインコンソールにいるAIは重大な秘密を隠していたし、全員が似たようなもの。大きな秘密と傷痕を隠し立てしているのに、協調性があるみたいに装っている。そっちのほうがよっぽど不気味」

 

 言い当てられた事への驚愕よりも、全員が全員、隠し立てしている、という事実のほうが震撼した。

 

 ニナイも、鉄菜、誰もがどこかで線を引いている。その線引きをこの少女は見透かすとでも言うのか。

 

 ――だがそれは……。

 

「でも、それは人間ならみんなそうよ。何もかも隠す事のない人間なんて、居やしないでしょう?」

 

「そうかもね。……でもラヴァーズは違った。信仰、というものをご存知?」

 

 試すような物言いに桃は自分の知識の範囲で応じていた。

 

「……昔、地上にあったものよね。何か……神様みたいなものを信じようとする、そういう力」

 

「別に信仰は神様なんて特別なものがいなくたって通用するのよ。それが説明し辛い、分かりにくい事象だった場合、神様の存在を言い訳に使うだけで。例えばそれは圧倒的な能力を誇る人機でもいい。変換出来ない事象をどうにかして自分達の認識に落とし込む場合、信仰というのはとても便利な道具に成り下がる」

 

「……つまり、《ダグラーガ》は神様でも何でもなかったって言いたいの?」

 

 その問いかけに茉莉花は肩を竦めた。

 

「さぁ? あれに神様を見るのは……あるかもしれないけれど、吾の前では間違いようもなくサンゾウは人間だった。そう、どこまでも人間……度し難いほどにね」

 

 どこか苦味を伴わせた論調に桃は怪訝そうになる。茉莉花は、それよりも、と話題を変えた。

 

「サンゾウや《ダグラーガ》よりあなたのほうが奇妙。その能力、知っているのは?」

 

「……一応、全員が知っているわ」

 

 そう、六年前の戦闘の後、自分は全スタッフにこの能力の事を教えた。それでもついてきてくれるのならば、と。

 

 実際、気味悪く感じた人間もいるだろう。それでも、今のところ、不自由はしていない。

 

「そう、隠しているわけじゃないんだ? じゃあどうしてなのかしら? あなたの完璧な能力を誰も当てにしないのは……」

 

 心底、不可思議で仕方がない、とでも言うような茉莉花に桃は言いやっていた。

 

「きっと、それだけの時間が過ぎた。結局、そういう事なんだと思う」

 

 異常を異常として検知して、排斥するだけでは組織は成り立たない。自分と他人が違う事など有り触れているはずなのだ。その違いを、茉莉花はどこか飲み込めていないようであった。

 

「……時間が過ぎたから? そんな事で、あなたの特異性が通用するわけ」

 

「でも通用している。違う?」

 

 茉莉花は顎に手を添えてただひたすらに呻るだけであった。

 

「……理解出来ない」

 

「それも、いいんじゃない? 理解出来ないのが人だって思っているのなら」

 

「……癪に障るわね。吾の眼に視えていて、不可能なんてないんだからっ! モリビトの強化最適プランだってこの眼には視えている! それを否定するって言うの?」

 

「否定はしないわ。ただ、自分はまだ幸運だなって思っただけ」

 

 茉莉花は足元を蹴り上げる。

 

「本っ当ぉーに! 癪に障るわ! あなたも《ゴフェル》の連中も!」

 

 言い捨てて歩み去っていった茉莉花に桃は知らず言葉を浮かべていた。

 

「それが人なんじゃないかな、って、言ったら怒るかしら」

 

 分かった風な口を利いて、と。かもしれない。だが、それが人なのだと理解する事が出来た。自分はそれだけできっと救われたのだろう。

 

 桃は静かに踵を返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤い詰襟は少しばかり窮屈であった。

 

 だが、慣れなければならない。そうでなければ、ここから爪弾きにされるのは自分のほうだ。

 

 こちらを窺った上官にタカフミは後頭部を掻いていた。

 

「……何かありました?」

 

「いや……君がその制服に、袖を通すとは思わなかった、とでも言えば正しいか」

 

 リックベイの直属でもあった上官はどこか苦々しげに語る。タカフミはエレベーターに入る前に口にしていた。

 

「少佐が戦えないんです。おれがやらないと」

 

「……いつだって、犠牲になるのは若人だな」

 

「おれも若くはないですよ。もっと若いのが先陣を切っている。それが今の時代です」

 

 肩を竦めて言いやったタカフミはシースルーのエレベーターで面を伏せた。

 

 本来ならば忌むべき赤。虐殺天使の血の色。

 

 だが、それでも纏わなければならない。纏わなければ、戦う意志さえも踏み潰されてしまう。

 

「連邦側として見れば、確かに一人でも志願兵が欲しいところだ。アンヘルへの志願は一存では握り潰せない。……辛いところだよ」

 

「おれの思った事ですから。何も……」

 

「そうではない。少佐は、どう思うだろうな、と考えただけだ」

 

 遮られてタカフミの顔から貼り付いた笑顔が消えた。リックベイも瑞葉も、何もかもを失ってしまった。

 

 この胸にあるのはただ虚無のみだ。相手を否定し、抗う事でのみ自らの存在意義を示せる、という虚無のみが大穴を空けている。

 

「きっと……怒られちゃいますよ。おれ、またトチっちゃったから」

 

 無理やり笑い話にしようとするのを上官はやんわりと頭を振る。

 

「無理に笑うな。君は、無理に笑っているとすぐに分かる」

 

 もう偽りの顔も利かなくなってきたか。タカフミは拳を固く握り締める。

 

「……本当なら、今すぐに人機で飛び出して、ブルブラッドキャリアに……いや、これも言い訳っすよね。当り散らす何かが欲しいだけなんだ、おれは」

 

「零式を学び取ったのは伊達ではないな。怒りで我を忘れる事はないか」

 

「よしてください。褒められたって、今のおれじゃ、気の利いた返事だって出来やしないんですから」

 

「少佐はいい部下を持ったものだ」

 

 上層に辿り着き、開いた扉から上官が先導する。事務手続きと転属願いの書類に判を押してもらわなければならない。

 

 見知った連邦軍側のオフィスも今日でお別れだと思うとどこか名残惜しかった。

 

「事実上、君の転属は向こうに一方的に許可され、もうこちらに権限はない。その制服を着ている時点で、君はアンヘルの一員だ」

 

 決して袖を通す事はないと思っていた制服。その想定外の重みにタカフミは息をついた。

 

「……重いっすね、この制服」

 

「世界の憎悪を一身に背負うというのだ。重くなくってどうする」

 

 世界をよりよくするために、自分達が泥を被る。その組織理念こそがアンヘルの、元よりの設立の根幹であったはず。

 

 だが今は、世界情勢を食い漁り、情報を一手に担う、悪逆非道な虐殺天使。

 

 そうあだ名されても、彼らの組織転属願いは一年に一本あるかないか程度だという。それだけ待遇がいいのか、あるいは組織の基盤が硬いのか。

 

 いずれにせよ、茨道が待っているのは疑いようがない。

 

 リックベイと瑞葉の分、果たせなくってどうする。

 

「君がこの部屋に来るのも最後、か。少佐はいつも言っていたとも。自分には真似出来ない若さだと」

 

 腰かけた上官が自分の書類を呼び出していた。そこに電子署名すればもう自分はアンヘルの兵士。

 

 どこで石を投げられても文句は言えない立場だ。

 

「だから、もう若くないですって」

 

 冗談めかしても相手は愛想笑いも浮かべなかった。

 

「……正直なところを言わせてくれ。まだ正式には、アンヘルの兵士ではない君に。タカフミ・アイザワという戦士に」

 

「何ですか、改まって」

 

 こちらは虚飾の笑みを浮かべているのに相手は真に迫ったような面持ちで告げていた。

 

「我が方での働き、立派であった、と。大義を理解し、その上で己の成すべきを考え、それを実行する。単なる一兵士にはもったいないほどの逸材であった」

 

「死ぬんじゃないんですから、大げさな」

 

 笑ってみせるが、連邦兵としては死んだも同然。もうここに戻る事はない。戻る時には、自分は棺おけに入っていることだろう。

 

 だがもう決めたのだ。人機という鋼鉄の棺おけで死ぬ。戦場という喧騒の中で死に絶える。

 

 それが自分に与えられた使命なのだと。この世で生きていくのに、値する価値なのだと。

 

「……だからこれはわがままだ。上官としてでもない、ほんの小さな、判を押す事しか出来ない老人の繰り言だと思ってくれれば。……死ぬな、タカフミ・アイザワ。アンヘルに呑まれず、生きて任務を実行してみせろ。……きっと、少佐ならばこう言って送り出すはずだ」

 

 ――ああ、その通りだろう。

 

 いつだってリックベイは背中を押す言葉を投げてくれた。激励の言葉はいつも彼からであった。

 

 今はもう、甘えられる立場ではない。リックベイを救い出す。瑞葉の仇を取る。それらを成すのに、連邦軍人として綺麗なままで終わるつもりはなかった。

 

 たとえ血の色だと恨まれようが、蔑まれようが、自分の成すべきと思った事を成す。

 

 それが自分に課せられた、最後の――命令であろう。

 

 挙手敬礼し、タカフミは踵を揃えた。

 

「了解しました! タカフミ・アイザワ大尉、任務を実行します! ……って、気負い過ぎか、おれ……」

 

 上官は目頭を揉んでいた。その仕草をさすがに茶化す事は出来ず、タカフミは無言を貫く。

 

「ここに。タカフミ・アイザワ大尉の転属志願を許可する。もう部下ではなくなった。ゆえに、かけられる言葉は上官としてではない。友として、君の生存を望む」

 

 電子署名が成され、タカフミは書類の上でも実質的にも、もう連邦兵ではなくなった。

 

 言葉少なに上官の部屋を後にする。

 

 嗚咽が漏れ聞こえた気がしたが、何も言わなかった。

 

 自分も泣いていたからだ。

 

 だが、このような場所で涙を容易く見せるのは大義を背負った男らしくない。

 

「……そうさ。まだ泣くまいよ。ここから進むんだからな。――泣くもんか」

 

 斜陽のコミューンを見上げ、タカフミは静かに頬を伝ったものを拭い去った。

 

 泣くのは全てが終わってからだ。

 

 だからこれは「連邦兵としての涙」でいい。次に泣くのは仇を討ったときでいい。

 

 だが、今はどれほどまでに世界が残酷でも、夕日だけはずるかった。姑息なだけの黄昏は切り捨てようとした涙に、深く沁みた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯211 時の残酷さ

 

「動作チェック、完了しました。複座シークエンスを実行します」

 

 その言葉が復誦されて、鉄菜は備え付けられたリニアシートに身体を預けていた。

 

「緊張してる?」

 

 後ろからかけられた声に平時の声を返す。

 

「どうだろうか。私は、緊張しているのだろうか」

 

「尋ねているのはこっち。もうっ、クロってばそういうところ変わらないんだから」

 

 頬をむくれさせた桃は《ナインライヴス》の最終点検に入っていた。メイン操主は桃のため、自分は擬似的な副操主――《イドラオルガノン》で言う「ガンナー」の位置についていた。

 

 下操主、というものは初めてだが複座人機自体は珍しくはない。マニュアルは目にした事もある。何も不安はない、はずであった。

 

 桃が、静かに口火を切る。

 

「……ねぇ、クロ。どこかに、行っちゃったりしないよね?」

 

「どこかに……? これ以上彷徨う意味はない。六年間も一人で戦ってきた」

 

「そうじゃなくってさ……! モモ達の知らないクロに、なっちゃわないよね……?」

 

 桃は出撃前に問い質したいのだろう。最終安全点検が疎かになっていた。鉄菜は一度だけ振り返り、頭を振る。

 

「……どこにも行く予定はない。私は、ブルブラッドキャリアの、モリビトの執行者だ」

 

「そう……、それが聞けただけでも……」

 

 何か言いたげであったがこれ以上長引かせれば胡乱に思われるのだと感じているのだろう。桃は手早く最終安全点検を済ませた。

 

「桃・リップバーンから整備班へ。こちらはシステムオールグリーン。《モリビトナインライヴス》、いつでも出撃出来ます」

 

『鉄菜、それに桃。持ち物はちゃんと持ったわよね?』

 

 開けた通信網のニナイの声音に桃が冗談めかす。

 

「ピクニックに行くんじゃないんだからさ」

 

 これから訪れる予定のコミューンの三次元図が展開される。陸までは《イドラオルガノン》が水先案内人になっており、彼女らの支援は必須であった。

 

 陸戦型の《ナインライヴス》では長距離の飛行も儘ならない。ゆえに、操主姉妹との連携に支障が出る鉄菜の起用はギリギリまで危ぶまれていたらしい。

 

 結局、今出来る最上の手段として自分が徴用されたわけであったが。

 

『鉄菜・ノヴァリスに、桃・リップバーン。それに最新型の操主姉妹、通信はオーケー?』

 

 茉莉花の言葉に林檎が言い返す。

 

『その他大勢みたいな言い方やめてよ』

 

『林檎……、でもミィ達はもしもの時の支援だし……』

 

『だからってさ。何でそいつが仕切ってるの?』

 

 そいつ呼ばわりされた茉莉花は髪を払う。

 

『艦長の適材適所への振り分け、感謝するわ。この執行者四人だけで作戦概要を諳んじさせるのは少し無理がありそう』

 

 わざとこちらが突っかかりやすい言葉を選んでいる。律儀な事だ、と鉄菜は適当に流していた。

 

 案の定、林檎が食ってかかる。

 

『……あんまりブリッジが信用出来ないとモリビトの運用にも』

 

『ごめんなさい、みんな。私が全責任を被る。だから茉莉花に今は、何も言わないであげて』

 

 そこまでニナイがするほどの相手なのだろうか。鉄菜は疑問視したままである。林檎も同じなのだろうが艦長の顔を立てられてしまえば仕方ないのだろう。

 

『……作戦にもモチベーションっていうのがある。不満はボクだけじゃないと思うね』

 

『よく出来ました。じゃああなた達の任務を言えるかしら? モリビトにおける強襲は最終手段。平和的に解決しましょう』

 

「平和的、ね……。さすが惑星博愛主義の末端、説得力が違うわ」

 

 桃が冷やかすが茉莉花は気にも留めた様子はない。

 

『全機、カタパルトデッキへと移行。後の出撃シークエンスを各々の機体へと譲渡するわ。ま、陸地でまで案内が要るほどじゃないでしょう』

 

 茉莉花の通信はそれっきりだった。鉄菜は桃へと問いかける。

 

「人間型端末という事だったが……その評が正しいのならば通信を割り込んでいくらでも介入出来る。甘く見ないほうがいい」

 

「クロ、それは忠告?」

 

「……経験則だ」

 

 苦々しいものであったが。

 

《イドラオルガノン》がまず甲板に上がり、《ナインライヴス》に先行する形で出撃姿勢を取る。

 

『林檎・ミキタカ! 《モリビトイドラオルガノン》!』

 

『つ、続いて蜜柑・ミキタカ! 行きます!』

 

 出撃した《イドラオルガノン》が波間を立てて海上を突っ切っていく。周回軌道に入ったところで甲板に出ていた《ナインライヴス》が機獣形態の頭部を持ち上げた。

 

 ピンク色の装甲に緑の眼窩。額には三角の複眼アイサイトを有している。

 

 出来るだけ燃料は温存しつつ、陸地まで赴かなければならない。

 

「鉄菜・ノヴァリス。出撃準備完了。発進タイミングを上操主へと」

 

 パネルを組み直し、複座任務を叩き込む。桃がアームレイカーを引いた。

 

「桃・リップバーン。《モリビトナインライヴス》、行きます!」

 

《ナインライヴス》が跳ね上がり《イドラオルガノン》の甲羅へと飛び乗った。

 

 巡航機動に入った《イドラオルガノン》はフィンで水流を巻き上げつつ、陸地へと真っ直ぐに航路を刻む。

 

『……上に乗っちゃってナマイキに』

 

『林檎……接触回線なんだから丸聞こえだよ』

 

 林檎が鼻を鳴らす。大方、聞こえるように言っているのだろう。

 

「……クロ、陸地に潜り込んだら、手はず通りに」

 

「ああ。偽装IDを使用し、アンヘルのスポンサー連の会合へと潜入。……だが、少しだけ疑問を感じるな」

 

「何が? アンヘルの企業連ならオープンソースに」

 

「いや、あまりにも軽率とでも言うべきか。そういった事は秘密裏に行うべきだ」

 

 その感想に桃は嘆息をついた。

 

「いつの時代だって、お金持ちは散財したがりなのよ」

 

「そのようなものか」

 

 自分は戦場を渡り歩いてきた経験しかない。ゆえに、富裕層独特の考えは読めない傾向にあった。

 

「だが、名だたる企業が名を連ねているな。中には旧ゾル国陣営の企業もある」

 

 コンソール上でスクロールさせる鉄菜に桃は尋ねる。

 

「クロ、企業とかよく知ってるの?」

 

「地上で戦っていれば嫌でも知らなければならない。殊に、人機製造に関わる企業は、な。系列が違うだけで武装がまるで役に立たないなどざらだ」

 

「それこそ、経験則、ってわけね」

 

《イドラオルガノン》との接触回線が開かれている。今、話すべきではないと感じたが、鉄菜は桃に尋ねていた。

 

「……怒らないのか」

 

「《モリビトシン》を出した事? それとも瑞葉さんとの単独行動?」

 

「……悔しいがどちらも、だ」

 

「怒ったって、クロの決めた事だもん。モモは怒らないよ。クロが納得しているんなら」

 

 納得、己の中で反芻する。納得の上で進めているのならばまだ自分の中で折り合いはつけられた。問題なのは、何もかも状況に流されつつある現実だろう。

 

「正直なところ、分からない。《モリビトシン》をあそこで出すべきではなかったのではないか、という後悔もある。だが、瑞葉に関して動いた事には、どこにも及び腰になるところはない。それが今だ」

 

「……じゃあ、よかったじゃない」

 

「よかった? だが結局は敗走した。これを是としていいのか?」

 

「……クロは、さ、完璧を求め過ぎだよ。モモ達に、完璧なんてあり得ないんだから。だって、六年前の介入時点ならまだしも、今はもう世界に差をつけられている。どうしたって、負い目や判断ミスが出て来るんだよ。だから、さ。出来るだけその時々で、自分を褒めてあげられたらいいんじゃないかな」

 

「褒める、か。承服し難い話だ」

 

「大事だよ? 褒めてあげるのって。そうしないと……伸び悩んじゃうから」

 

「お前がそうだったのか? 桃」

 

 尋ね返したのは自分でもはかりかねていたからだ。桃が操主の上官役をやる。最初に聞かされた時からどこか違和感が纏いつく。

 

 彼女が適任だった、ではない。恐らく組織は、彼女以外の選択肢を意図的に削除した。

 

 その帰結する先は、六年前の自分達は間違いの上に成り立っていた、というものだ。

 

 六年前の執行者三人は不足であった。だから、新しく組み直す。組織の意図が透けて見えるかのようであった。

 

 浅はかでありながら、失敗を失敗と断じるだけの冷酷さ。

 

 それがブルブラッドキャリアという組織なのだろう。そのようなものが当たり前だと、六年前は妄信していた。

 

 しかし、力を得た一方で多くを失い、血反吐を吐くような苦難を乗り越えたのは、組織の力添えではない。

 

 自分の手足だ。

 

 自分の血肉だ。

 

 この「鉄菜・ノヴァリス」という自分なのだ。

 

 それが実感出来ただけでも、意味はあったのだろう。

 

 ゆえにこそ、この疑問に突き当たる。本当に桃は望んで林檎達を育成したのか。

 

 こちらの意図を汲んだのだろう。桃は静かに口火を切る。

 

「……そりゃあね。モモじゃ、難しい役目だったかもしれない。でも、クロ。誰かがやらなければならなかった。そうでなければ、モモ達は何にもなれやしなかったのよ」

 

 何にも成れない。その恐怖に押し潰されかねない宇宙の常闇で、彼女は自分なりに選択したのだ。

 

 それが聞けただけでも今は僥倖であった。

 

「……分かった。余計な口は、もう挟まない」

 

「クロ、ありがとね。何だか、本当に別人になったみたい。六年前じゃ、考えられなかった」

 

 笑ってみせた桃に鉄菜は一瞥を寄越す。

 

「それが時の残酷さだろうさ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯212 再会

 スーツなんて、とヘイルは苦言を呈していた。

 

 隊長が軍服は目立つ、と注意する。

 

「そうでなくとも赤い詰襟服のアンヘルは虐殺天使とあだ名されている。会合の席では我々が居る事さえも本来は知られてはいけないのだ」

 

「そりゃ、そうかもしれないですけれど……動きにくくって」

 

 ヘイルは年中軍服のほうが性にあっているクチだろう。それは燐華も似たようなものであった。

 

 久方振りに袖を通したドレスはどうにも馴染みづらい。もうお飾りの人形ではないつもりであったが、結局のところ、アンヘルの軍服がいつの間にか身に染みついているのだろう。

 

 ヘイルはこちらを目にするなり、舌打ちする。

 

「お嬢様はよくお似合いのこって」

 

「ヘイル。これからヒイラギ准尉のお父上に会う。失礼のないようにしろ」

 

「はいはい。分かりました。せいぜい、上品さを気取っておきますよ」

 

 燐華はパーティ会場に既に待ち合わせている予定の相手を探す。スポンサーの集う会合は華やかな式典の装いであった。

 

「……すげぇな、こりゃ。全員アンヘルを動かす大富豪ってわけか」

 

 集まったのはゆうに五十人を超える。これら全員が世界よりアンヘルに支援を行っている企業や個人であった。

 

 無論、彼らが全員、C連邦政府の市民というわけではない。だが広義で連邦政府のスタンダードに従っている人々であり、国境、信仰、あらゆる差異はあれど、アンヘルという大部分を動かすという点においては似通っていた。

 

「民間企業も含めての参加だ。それなりの規模にはなる」

 

 隊長の言葉に燐華は身を強張らせた。

 

「下手な事は出来ない……ですよね」

 

「なに、今日ばかりは別段、気を張る事もない。実父との久しぶりの再会だろう。親子水入らずを楽しんでくれればいい」

 

「隊長、能天気ですよ。こいつ、どうせ俺達がいたっていなくたって、毎回そんな調子でしょう」

 

 ヘイルの言葉を受けながら燐華は見える範囲に知った影を探す。その時、白いタキシードを着込んだ男がこちらを振り返った。

 

 彼だ、と燐華は一目散に走り出す。

 

「おい! 走るなって!」

 

 ヘイルの注意も今は別の次元の出来事だ。燐華は眼前まで駆け込んで、その面持ちを確かめた。

 

「……立派になった事だね。燐華」

 

「ええ。先生も息災で」

 

「先生?」

 

 ヘイルの疑念の眼差しに慌てて燐華は訂正する。

 

「……すいません。お父様」

 

「いや、いいんだ。紹介しますよ。娘の燐華です」

 

 装飾華美な大人達に囲まれ、燐華は萎縮してしまう。いつもならこれの数十倍居心地は悪いはずなのに、今はヒイラギと共に居られるだけで心が安らいでいた。

 

 ヘイルが視界の隅で悪態をついたのが窺える。

 

 今だけはアンヘルのヒイラギ准尉ではなく、ただの小娘としての自分で振る舞える。

 

 ヒイラギは個人個人の挨拶を手短に済ませた。また手腕が上手くなっているのを実感する。

 

「せんせ……お父様。社交界がよく似合うようになったんですね」

 

「燐華だって頑張っているんだからね。僕が頑張らないでどうする」

 

「まぁ! 逞しいお父様だこと!」

 

「ご婦人、僕は所詮、この歳になっても子離れの出来ない恥ずかしい親ですよ」

 

 謙遜もまた場を盛り上げるためのスパイス。それを心得ているヒイラギの傍は自然と本来の自分でいられるような気がした。

 

 アンヘルの部隊員として戦い、戦場で凌ぎを削るよりもずっと、自然体だ。

 

 本来ならばこういう場が似合ったのだろう、と己でも分かる。だが、今はパーティの一員であるのと同時にアンヘルの警護班の一員。

 

 第三小隊に命じられた任務は大きく二つ。

 

 一つは会合の警護任務。

 

 もう一つは、予測される会合へのテロ行為の抑止。

 

 隊長とヘイルは上場企業の社長とその部下という「設定」であった。隊長は他の富豪達から浴びせられる言葉を難なくかわしている。ヘイルは少しばかり緊張しているらしい。いつものように破天荒にやってみろ、と胸中に言いやってみせる。

 

「しかし、旧ゾル国陣営の企業が軒並みC連邦に吸収合併されてもう五年ほどになりますか。……あのトウジャという人機を最初こそ訝しげに見ていた人々はもう慣れた様子ですな」

 

「C連邦には元々、ナナツーのノウハウしかなかった。そこにバーゴイルのフレーム設計を持ち込んだのはゾル国です。今でもゾル国の供給がなければ前線でのトウジャの活躍はないでしょう」

 

 事実認識として、トウジャはバーゴイルの発展機――否、正しく言えば先祖還りであるというのは教習期間に教え込まれた。

 

 元々、百五十年前にトウジャの設計思想を色濃く受け継いだのがバーゴイルであると。コストダウンの意味合いも込められた功罪の証は、今となっては量産計画のための礎と化している。

 

 百五十年前、人々は正しくあろうとしてモリビト、トウジャ、キリビトを封印した。

 

 だが禁は破られ、今の世界情勢を巻き込んだ形になってしまった。それらは畢竟、ブルブラッドキャリアのモリビトのせいだ。

 

 モリビトが最初に封印を解かなければ、惑星がここまで混沌を極める事はなかったはずである。

 

「いずれにせよ、トウジャは希望の星ですな。それを操るアンヘルは、もっと!」

 

 一人の富豪は酔いが回ったのか、シャンパングラスを掲げる。それに相乗するように他の富豪も続いた。

 

「アンヘルには多額の資金を投資しています。それもこれも、明るい未来のため。子供達が安心して世界に羽ばたけるためです」

 

「C連邦の制定する法案のどれもが平和法であると言われていますからね。実際、そこからこぼれ落ちた者達の末路というのは……どうにもいただけない」

 

 渋面を作った富豪の言葉に燐華の脳裏を戦場が掠めた。

 

 ブルブラッドの濃霧と血潮が舞う、虐殺の映像。

 

 兵士達が銃弾に倒れ、人機は爆発の炎に包まれる。焼夷弾で焼け爛れた身体を晒す敵兵を塹壕に押し込んで、一気に燃やした事もあった。

 

 それらの残虐行為が脳内に充満し、燐華はここではないどこかの血に酔いが回ってしまった。

 

「……燐華? 顔が青い。気分でも?」

 

「大丈夫、です、お父様。ちょっと、場酔いしちゃって」

 

「すいません。娘はあまり慣れていないです。ちょっと送っても?」

 

「構いませんよ。それにしたところで、よく出来た娘さんだ。まさしく社交界の華ですな。父親としても鼻高々でしょう」

 

 ヒイラギは愛想笑いで誤魔化し、会合の席を抜けていく。

 

 本来ならば、会合の中心で守りを司るのが自分の役目なのに、これでは意味がない。

 

 戻りかけて、ヒイラギが制する。

 

「……顔が真っ青だ。ちょっと休んだほうがいいのかもしれない」

 

「ごめんなさい……先生。あたし、誤魔化しも出来ない愚図で」

 

「いいさ。そのほうが、君らしいとも」

 

 囁きかけた言葉には優しさがこもっていた。会場を後にした燐華はそのまま近くのベンチにへたり込む。

 

「……疲れてる?」

 

「すいません、色々と……あったもので」

 

「アンヘルの激務に、社交界で娘を気取れ、というのは無理な話だ」

 

 笑いかけたヒイラギに燐華はふとこぼす。

 

「先生は……ずっとこんな事を?」

 

「たまに、だけれどね。それでも、アンヘルへの資金投資を惜しまない人々を監視する役目はある。悪い事にお金を使っているんじゃないかって」

 

「そんな事……、でも……」

 

 濁した燐華にヒイラギが視線を合わせる。

 

「言ってごらん。僕は口だけは堅いほうだ」

 

 その声音に安堵しつつ、燐華はここ数日の激戦を反芻していた。

 

「……色々、ありました。本当に色々……。先生、仲間が、何人も死んだんです」

 

 顔を伏せた燐華にヒイラギは淡々と返す。

 

「そうか。だが軍部だ。そういう事もあるだろう」

 

「あたし、押し潰されちゃいそうになる。どうにかなっちゃったほうが、楽なんじゃないかってたまに思ってしまう……いけない子なんです。叱ってくれる、いい人もいるんですけれど……」

 

「上官に恵まれているのならば、まだいいさ。希望が持てる」

 

「希望……ですか。でも戦場では、そんなもの真っ先に……」

 

 口にしてみても嫌になる。自分達は希望を潰えさせるのが仕事のはずだ。誰かの願いを摘むのがこの職務の本懐である。

 

 そんな形に成り果てたつもりはないのに。それでも成ってしまったものには責任を持たなければならない。

 

 燐華は掌に視線を落とす。

 

 もう何十人も、手にかけた人殺しの手である。それが分かっていても、どこかで戻れるのではないかと思ってしまう。どこかで取り返しがつくのではないか、と。

 

 お笑い種だ。取り返しなんてつかない。人殺しは、一回でも百回でも、同じ事だ。無間地獄に堕ちるのがお似合いの末路のはずである。

 

「……先生。あたし、人機を扱えれば見えるんだと思っていました。にいにい様の、見ていた景色が。何に希望を抱いて、軍属として散っていったのかを」

 

 だが、人機は扱えば扱うほどに目の前を塞いでいく魔物だ。撃墜数の分だけ人間をやめられればどれほどに楽な事か。

 

 実際にはより自分の人間としての、卑しい部分を強調される。

 

 生き意地汚い自分が、より浮き彫りになってしまうだけ。

 

「戦争に、綺麗事なんて僕は言うつもりはないよ。だが、間違っていないとするのならば、あの時の君を持ち直すのに、人機は必要であった。違うかな?」

 

「感謝はしています。人機セラピーのお陰で、人並みに戻れたんですから。それに、アンヘルにも推薦状を書いていただいて……。先生には、どれほど感謝しても……」

 

「自分を卑下するものじゃないさ。君に才能があった。それだけなんだよ」

 

 分かっている。分かっているからこそ、自分はこの意地を貫き通したい。戦い抜きたいのだ。しかし、それにはあまりにも力不足。

 

 この手で守れるものなど緒戦はたかが知れているのだと毎回思い知らされるのみ。

 

「あたしは……」

 

 そこで不意にパーティ会場が沸いた。燐華が視線をやると、一際美しい桃色の髪の女性が手を振っている。

 

 まさしく社交界の華。自分のような穢れた仇花とはまるで違う。

 

 麗しい視線で富豪達の目を虜にしていく女性の身辺を、隙のない気配で守り通している従者がいた。

 

 背は低く、男性用のスーツに身を包んでいる。しかし、その黒髪と紫色の虹彩は間違いようもない――。

 

「……鉄菜?」

 

 口にしてから、そのようなはずがない、と燐華は頭を振った。数日前の戦場で彼女の幻と出会った時、あれは自分勝手な幻想であったと結論付けたはず。それに常識的に考えれば、彼女が生きているはずがない。

 

 戦場とこのようなパーティの喧騒はまるで別世界だ。どうして同じ場所に鉄菜の幻が現れるのだろう。

 

 燐華は目頭を揉んだ。相当に疲れが溜まっているのだろうか。

 

「どうかしたかい?」

 

「いえ……、先生。ちょっとあたし、パーティ会場に忘れ物をしたみたい。見てきます」

 

 足早に立ち去っていく自分にヒイラギは声をかけそびれたらしい。鉄菜らしき従者は貴婦人の横合いを抜けて遠くなっていく。

 

 ヒールを脱ぎ捨てた。裸足になって駆けていく。

 

 待って欲しい。今は、少しでも――。

 

「待って! 鉄菜!」

 

 パーティ会場の裏手でようやく、燐華は追いついていた。相手は青い帽子を被っているが、振り返った双眸は間違いなかった。

 

「……燐華・クサカベか?」

 

 相手も予想外であったらしい。燐華は微笑んで頷いていた。

 

「嘘みたい……、鉄菜。また会えるなんて……」

 

 感極まったこちらに比して、鉄菜の側はどこか冷静であった。

 

「……そうか。逃れたのか」

 

 鉄菜には自分があのコミューンに売り渡され、その後にアンヘルに助け出されたのだという考えで結びついたのだろう。

 

 今はその認識でも構わないと燐華は歩み寄ろうとする。

 

「鉄菜……話したい事がたくさんあるの。どうして……どうして、その……」

 

 言いたい事はどれほど数えても足りないはずなのに。口をついて出ようとする言葉はどこか彷徨っていた。

 

 どこから話すべきなのだろう。

 

 あのコミューンでどうやって生き延びたのか、か? それとも、どうして生きているのか、あの時と寸分変わらぬ佇まいなのはどうしてなのか? あるいは、どうして自分の前に現れてくれたのだ、というのか。

 

 どれも口にしてしまえば陳腐で、どれも嘘くさい。

 

 何を言うべきか迷っている間に鉄菜は冷徹に告げた。

 

「燐華・クサカベ。このパーティに呼ばれたのならば、お前は分かっているのだな? アンヘルという組織がこの世界を動かしている。現状を」

 

 ここにいるのは皆、アンヘルのスポンサー。自分もその一員だと彼女は判断したのだろう。燐華はうろたえ気味に首肯する。

 

 鉄菜はどこか残念そうに目を伏せた。

 

「そう、か。アンヘルの事を、正しいと思っているのか? 世界で紛争と怨嗟が生まれ続けている。今もまた、どこかの名も知らぬ兵士が、アンヘルの人機を前に踏み潰されているだろう。それを是とする側に、お前はついたのだな?」

 

 鉄菜の口調はどこか責め立てるようであった。まるでその戦争を目にしてきたかのような厳しい声音。

 

 燐華は口を噤んでしまう。

 

 自分がその悪夢の連鎖を生み出している側だとは言えなかった。

 

「……分からない。だって、でも……今の世界は平和になったはずだよ! 六年前……鉄菜が居なくなったあの日よりも! あたしは、よりよい未来のために、アンヘルが戦っているんだと思う。そうじゃなきゃ……」

 

 そうでなければ、虚しいだけだ。自分の闘争が闇を生むだけという帰結など。しかし、鉄菜の眼差しにはどこか諦観が宿っていた。

 

「それが……人々の認識なのだろうな。この世界を、変えるために戦ったのが誰なのかなど、誰も気に留めない。この世界が、本当によりよくなっているのかの指標は、何でもない、朝のニュースキャスターの機嫌であったり、浪費されていくだけであったりする言葉に過ぎないのだろう」

 

「鉄菜……?」

 

 怪訝そうに見守る中、鉄菜は首を横に振っていた。

 

「燐華・クサカベ。今の地位は知らない。だが、あの日渡したのは、ただ生きていてくれという願いだけではない。ただ生きるだけならば、それは他の生命体でもいい。私は、私だけにしか出来ない生き方を探したい。だからあの場を去った」

 

 そんな理由で、自分の前から消えたというのか。そんな理由で、死んだ事にされたというのか。

 

 だとすれば、鉄菜の生き方は苛烈だ。その苛烈さについていけなかった己の弱さを恥じ入るだけである。

 

「鉄菜……、でもあたし……強くなったんだよ? 多分、あの時よりも強く……」

 

「燐華・クサカベ。……お陰で決意は決まった。私は私にしか出来ない生き方で、戦い抜きたいんだ。だから……」

 

 身を翻そうとした鉄菜に燐華は叫んでいた。

 

「また! 消えちゃうの? また、あたしの前からいなくなっちゃうの! そんなの嫌だよ! 嫌だよ……鉄菜ぁ……ぅ」

 

 嗚咽を漏らす燐華に鉄菜は立ち去りかけた足を止めていた。分かっている。自分はただ駄々を捏ねているだけ。理不尽なのは鉄菜ではない。自分のほうだ。

 

 相手にいなくなって欲しくない。消えて欲しくないというエゴで、彼女を困らせている。

 

 鉄菜が何を背負っているのかは分からない。分からないが、ここで呼び止めなければ、また喪失の苦しみを抱くだけだ。

 

 また、自分の前から誰かがいなくなってしまう。自分の与り知らぬところで。

 

 そんな事はもうたくさんだと、思ったからアンヘルに入った。力も手に入れたつもりだった。

 

 だが、現実にはかくも無力だ。

 

 どこまで行っても、自分はあの日、取り残された側でしかない。忘れ去られて、消えていくだけの存在でしかない。

 

 そうは思いたくないから、ここまで来た。何もかもを投げ打って。名前さえも消し去って。因縁を全部振り解いてきたつもりだった。

 

 それでも、届かない。指先さえも、体温も、何もかも遠い。

 

 鉄菜との距離はちょっとのものなのに、永遠の隔絶に思われた。

 

 自分は咽ぶだけだ。そうする事でしか誰かを繋ぎ止められない。どこまでも打算めいた、脆くも弱い存在。

 

「燐華・クサカベ……、私は私の生き方を貫くだけだ。それだけに過ぎない。お前が泣く事はない」

 

「でも! 鉄菜はいなくなっちゃうんでしょう! ……もう、一生会えないんでしょう……?」

 

 沈黙が降り立つ。氷のように冷たい眼差し。あの日と何も変わらない。たった数日間の友情を感じていた日々と、何一つ。

 

 だが自分は変わってしまった。打算と欲望で、誰かを雁字搦めにする事に慣れてしまった。

 

 力を持ち合わせているばかりに、その身は傲慢に成り果てる。

 

 隊長も、鉄菜も、ヒイラギも、優しい人はどうしてこうも自分を遠巻きに見るのだろう。もっと近くに来て欲しい。もっと感じて欲しい。

 

 もっと――あたしを愛して欲しい。

 

 花火が夜空に咲く。パーティも閉幕に近くになってきたのだろう。

 

 鉄菜の横顔が宵闇を彩る極彩色の火に注がれていた。

 

 自分と見ている世界が違う人間だと思った。だが、今ほどではない。

 

 あの火に、自分は戦場を思い出しかけている。こうまで醜くなった己に嫌気が差すほどに。

 

「……燐華・クサカベ。私は、お前が羨ましい。いや、これは羨ましい、という感情で合っているのか」

 

 はかりかねた様子の鉄菜は自分を真っ直ぐに見据えていた。逃げる事のない紫色の瞳に、何も言えなくなってしまう。

 

「鉄菜……?」

 

「学校、というものもそうであった。たった数日間であったが、何か得難いものがあったのだろう。私は、いつも探している。そう、探しているんだ。自分の居場所を。どこに行けばいいのか。どこが最終目的地なのか。……どこに行っても、私は異邦人だ」

 

 寂しげな光を湛えた鉄菜の眼に、燐華は初めて彼女の心情を打ち明けられた事を感じていた。

 

 学校では助けられてばかりであった。あの日の別れでもそう。何もかもを変えてくれたのは鉄菜の側のはずなのに、彼女はどうしていつも、傷ついたような瞳なのだろう。一番に逃げ出していいのは鉄菜のはずなのに。

 

 自分は甘えている。彼女の強さに。今も昔も。

 

 だから、ここで言うべきなのは……。

 

「鉄菜……あたしは……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯213 舞踊の夜

 会合の席において桃は手はず通りにこのパーティの最有力権限の持ち主へと接触しようとしていた。

 

 アンヘルのスポンサー連は全て頭に叩き込んである。

 

「いや、しかし見目麗しい。あなたのような方を今まで社交界で見逃すなんて」

 

 形ばかりの賛辞を受け流し、桃は歩み寄っていた。

 

「失礼、タチバナ婦人ですよね?」

 

 こちらへと振り返ったのは金髪の女性であった。落ち着き払った物腰に、柔らかな慈愛の瞳がこちらを視野に入れる。

 

「あら? あなたは……」

 

「こういうものです」

 

 桃は偽名と偽装IDを明かす。その名前は彼女にとって親しいものの名前であった。

 

「ああ、あの時の。何のご用事かしら?」

 

「社交界で会える日を楽しみにしていまして。……私はお父様の最新の論文に目を通しております」

 

「まぁ、父の? それじゃあ、あなたも人機関係の?」

 

「開発者をやっております」

 

「そう、人機の話ならちょっとここでは出来ないわね。テラスに回りましょうか」

 

 タチバナ婦人はテラスに赴く途中でシャンパングラスを手に取った。桃はそれを受け取り、声にする。

 

「お父様……タチバナ博士の提唱する、新機軸の人機は拝見しました。素晴らしい性能だと思います」

 

「……おべっかはよして。私は、ね。父にあまりいい思い出はないの」

 

「存じております。先日、タチバナ博士と直接お会いした際、話を。あまり家族の思い出を作れなかった、と」

 

「あの人でも反省はするのね」

 

 皮肉めいた笑みを浮かべたタチバナ婦人はコミューンの空を眺めた。窺い知れない孤独があったのだろう。タチバナ博士の実の娘となれば、それなりに近づいてくる男も多いはずだ。

 

 利権目当ての大人達に幼少期から晒されてきた少女は今、大人になって何を思うのだろうか。

 

 寂しげな眼差しが桃へと振り向けられた。

 

「人機は嫌いよ。人殺しの道具だもの」

 

「ですが平和を生み出す道具でもあります」

 

「……夫と似たような事を言うのね」

 

 タチバナ婦人は既婚者だ。彼女の夫にまで調べは回っていなかったが、桃は順当に応じていた。

 

「現場責任を預かる身となれば、人機の事を一方的に糾弾も出来ません」

 

「恨む事さえも許されないのね。この世界の礎だ、だとか難しい事をよく昔から聞かされてきたけれど」

 

「ですが今日の平和は連邦と勝ち取ってきた人々の賜物です。私は、それを少しだけお手伝いしているだけのもので」

 

「謙遜したって仕方ないわ。でも……夫は金を渋る事はない。アンヘル、という組織に随分とご執心のようなのよ。娘の事も放っておいて……その辺り、父にそっくりだわ」

 

 少しばかり酔いが回っているのか、タチバナ婦人は思ったよりも饒舌だ。桃はすぐに本題を切り出すのも難しくはないと感じていた。

 

「タチバナ博士は今でも、缶詰状態ですか」

 

「おかしい話でしょう? 家族でもあの人がどこにいるのかは分からないのよ。……まぁ、どうせこの地上のどこかで今も人機を造っているのでしょうけれど」

 

「私は……元々、ナナツー関連の整備担当をしておりました。その辺りがここ数年間で一気に……塗り変わった印象があります」

 

「トウジャでしょう? 私もデータでは参照したわ」

 

 タチバナ婦人の役職は軍の参謀官。決して軽んじられる役職ではない。ゆえに、人機に対しても恨みはあれどどこかで一線を引いているものだと予想していた。

 

「トウジャタイプは次の人機市場を席巻します。恐ろしいほどに高性能で……、六年前のモリビトが児戯に思えるほど」

 

「モリビトの参照データね。確か六年前に、大型のモリビトが放置した三機の自律型人機よりデータが抜き取られた。そこから前回、アンヘルで使用された海戦用の人機が造られたのだと……夫は言っていたわ。《マサムネ》、だとか」

 

《マサムネ》と呼ばれたあの海中用人機は元々、ノエルカルテットの――ポセイドンのデータを運用されているのだ。

 

 予測はしていたがやはりショックであった。自分達が切り捨ててきたものが牙を剥いていたなど。

 

「他にもモリビトのデータを使用した人機は存在するので?」

 

「……新聞記者みたいよ、あなた。せっかく綺麗なのに」

 

 ここで訝しげに思われれば意味がない。桃は少しばかり相好を崩した。

 

「……仕事人間だと、揶揄されます」

 

「ちょっとくらい肩の力を抜いたら? 女が女としていられる場なんて、こういうパーティくらいなんだから。軍属なんてね」

 

 花火が打ち上がった。そろそろパーティもお開きに近いらしい。富豪達が空に咲いた極彩色を指差す。

 

「では同じ女性として……。タチバナ博士のような存在を近親者に持つと、気苦労が絶えないかと思いますが」

 

「逆かもね。ああいう、偉人と呼ばれる人が近くにいると案外どうでもいいものなのよ。才能という目に見えないものを信奉する人間は多いけれど、私には引き継がれなかったみたいだから」

 

「でも、軍の参謀をやっておられます」

 

「序列よ。なんて事はないわ。父は……軍に入った事に反対もしてくれなかった」

 

 きっと、軍属になる事を猛反発されたほうが彼女にとっては幸福であったのだろう。

 

 だが現実はタチバナ博士という一代限りの才覚を頼り、その血縁を蔑ろにした。

 

「……似たようなものです。私も、父親には反対の一言も言われませんでした。あまり余裕のある家庭ではなかったので」

 

「貧困層の軍属化、選択肢はほとんど存在しない中、兵士になってしまえば楽かと言えばそうでもない。……私はね、せめて娘にはまだ夢を見させてあげたいと思っている」

 

「立派な心がけです」

 

 表層だけの謝辞を吐いて、桃は核心に迫る言葉で追及した。

 

「アンヘルのスポンサーは、ここにいる人間だけではないと聞きました」

 

 アンヘルを影から動かすフィクサー。それを詳らかにする事こそがこの任務の本懐。

 

 タチバナ婦人は、ああ、と声にしていた。

 

「何度か会った事は。でも彼らはどことなく、正体が知れなくってあんまり好きにはなれなかったわ。C連邦の参謀としても正直なところ信用は置けなかった」

 

「このパーティには……」

 

「あそこにいるのが代表者のはずよ」

 

 指差された先にはダンスに興じている男と女がいた。彼らは今宵を楽しみ、享楽に身を浸しているのだろう。

 

 自分はそのような人間の内面を引き剥がすためにここにいる。

 

 歩み寄ろうとして、タチバナ婦人に向けて一人の少女が駆け抜けてきた。

 

「ママ!」

 

 タチバナ婦人が抱き留めた少女の姿に、桃は目を戦慄かせる。

 

 その少女の髪の色こそ違うものの、相貌は間違いようもなく――。

 

「……私?」

 

 不意に発した言葉に少女がタチバナ婦人のスカートの陰に隠れた。婦人はにこやかに言い放つ。

 

「紹介するわ。娘の理沙よ。そういえば……あなたによく似ているわね」

 

 タチバナ婦人は半ば冗談のつもりで口にしたのだろう。だが、桃には分かる。決定的な事実として認識出来る。

 

 ――この少女は寸分変わらず自分そのものであった。

 

 二つに揺った髪も、その瞳の色も、まるでかつての自分の鏡像。

 

 どうして、と息を詰まらせた桃にタチバナ婦人は笑いかける。

 

「……驚いているの? でも、世の中には似ている人間が一人や二人はいるって聞くし、それにこの子は間違いようもなく、私達の子供なのよ? まるで幽霊に行き遭ったみたいな顔をしているわ」

 

「ママ! このお姉ちゃん、何だか……」

 

 相手も直感的に理解しているのかもしれない。自分と桃が同じ存在であると。

 

 だが、どうして全く同じ顔の人間が目の前にいるというのか。相手は惑星の住民のはずである。

 

 後ずさった桃に、おっとと声がかけられた。

 

 振り返ると一人の男性がこちらににこやかな笑みを寄越している。

 

「理沙、ママに会いたいって言う事を聞かなくってね。こちらのお嬢さんは?」

 

「連邦の整備職についているお方よ」

 

 交わされる会話の嘘くささに桃は踵を返していた。どうしても耐えられなかったのだ。

 

 同じ存在との邂逅に。自分自身との禁じられた出会いに。

 

 何が起こったのか、何がどうなっているのか、それらを頭の中で反芻する前に躓いてしまった。

 

 倒れかけた桃の姿勢を整えたのは、先ほどまでダンスに興じていた男である。

 

 好機だ、と感じた桃はしおらしく接していた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 微笑みかけた相手の優しさにつけ込み、淑女の佇まいを正す。

 

「いえ……ちょっと驚いてしまって」

 

「よければ、ダンスでも如何ですか? 落ち着くのにいいかもしれません」

 

 音楽が変わる。男が桃の手を引き、そのまま乱舞にもつれ込んだ。

 

 桃は先ほどの衝撃から抜け出し切れていなかった。あの少女は自分自身だ。恐らくは相手もどこかで理解している。

 

 だがどうして? 何故、同じ存在がこんな場所にいる?

 

 堂々巡りの思考に切り込んで来たのは音楽に掻き消されそうな囁きであった。

 

「気になりますか? タチバナ夫妻の娘が何故、あなたに似ているのか?」

 

 思わぬ言葉に桃は絶句する。その面持ちを読んで男は声にしていた。

 

「あまり衝撃的な顔をするものでもない。まぁ、ドッペルゲンガーに行き会ったようなものです。怖がらないほうがおかしい」

 

「……失礼ながらあなたは?」

 

「申し遅れました。わたしの名前は渡良瀬。渡良瀬と言います。あるいは、あなた方にはこう言ったほうがいいでしょうか? 人間型端末、と」

 

 まさか、と桃は驚愕に身体を強張らせる。相手が人間型端末だと。

 

 その名前はこの数時間で嫌でも身に沁みたものであった。確かめる言葉を探り当てる前に相手は余裕を口にする。

 

「だが……まさかモリビトの執行者がこのような場所に来るとは思いもしない」

 

「……あんたは、モリビトの事を……」

 

「存じていますよ。かつて失敗した半身、水無瀬の事も。無論、あなた方が展開する作戦も。まさか本隊を裏切って星に降りて来るとは思いもしない」

 

 水無瀬の名前は鉄菜より聞いている。やはり相手は人間型端末。しかし、何故、彼はここで自分を告発しないのか。周囲はC連邦の者達ばかり。スポンサー連だけではないのは分かり切っている。衛兵にでも突き出せば一発のはずだ。

 

「解せない、とでも言いたげだ。あるいは、どうして自分を前にしてこうも余裕を浮かべていられるのか、と」

 

「モリビトの執行者は、伊達じゃない」

 

「理解はしていますとも。しかし、その足元が今にもぐらつきそうな事はそちらでも分かっていますまい」

 

 こちらの戦局的不利を読んでいるのか。動揺が足先を怪しくさせる。思わずよろめいた桃を相手は軽やかに持ち直した。

 

 周囲から見てみれば、今の一瞬の心の隙など全く分からないであろう。

 

「……あんたは何?」

 

「詳しい事はこの宴席の後にでも。なに、悪くはしませんよ。ただ提案がしたいだけ」

 

「提案?」

 

「ブルブラッドキャリアとこの罪なる惑星……どちらも相互理解し、共存の道を探れないか、というお話です」

 

 その言葉に桃は怒りを滲ませた。

 

「ふざけないで……今さら共存共栄なんて……!」

 

「それは感情面で拒んでいるだけでしょう。しかし我々の盤面と思想を理解すれば、嫌でもこの提案、呑まなければならないはず」

 

 渡良瀬は読めない笑みを浮かべた。

 

 ここで下手を打てば自分は死ぬだけ。相手の情報を一つでも得る事だ。

 

 音楽が止み、互いに頭を垂れる。自分の似姿の事、そして人間型端末の事。知らなければならない事はあまりにも膨大であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯214 喰らい合い

「ねぇ、蜜柑。何でボクらはこんな場所で待機なんだろ」

 

 ふとこぼした疑問に蜜柑は策敵を怠らずに応じていた。

 

「そりゃ、桃お姉ちゃんが作戦を実行出来るように、でしょ」

 

 林檎は後頭部に手をやって蜜柑の言葉を咀嚼する。

 

「でもさ、ボクらでも桃姉の守りくらいは出来た」

 

「……鉄菜さんがついているのが信用出来ないの?」

 

 ハッキリ言えばそうなってしまう。だが、どこか順当な落としどころを見つけたくって林檎ははぐらかした。

 

「ええ、どうかなぁ……。《イドラオルガノン》で運んだんだから、それくらいはって話なんだけれど。ってかさ、こんな悠長な事、やっている暇あるの?」

 

「策敵任務も立派な作戦だよ。今のところ領空にトウジャもバーゴイルもなし。当然の事ながら他の人機も」

 

「暇ぁっ!」

 

 足をばたつかせた林檎が蜜柑の後頭部を踏んづけてしまった。沈黙が降り立つ。

 

 まずい、と林檎は先に謝った。

 

「あ、ゴメン……」

 

「……林檎、そんなに文句あるならさ、別にミィから言ってもいいんだよ。《イドラオルガノン》はガンナーだけで充分ですって」

 

 蜜柑の反撃は時として何よりも恐ろしい形となってやってくる。彼女の場合、具体例が確実に列挙されるのだ。それを押さえられれば自分は一巻の終わりであるものから、全て。

 

 この妹は姉である自分の弱点などお見通し。

 

 元より、二人で一人のようなもの。互いの腹の探り合いなど旨味はない、と早々に理解した。

 

「……分かったよ。ゴメン、蜜柑」

 

 本音のトーンで返すと蜜柑も少しばかり頭を冷やしたらしい。

 

「ミィ達の作戦展開は何も間違っていない。海中用人機を墜としたのは確かに鉄菜さんだけれど、《イドラオルガノン》の行動がなければ《ゴフェル》は沈んでいた。冷静に考えれば分かるでしょ? 必要とされていないわけじゃないんだって」

 

 それは冷静に考えれば、の話である。鉄菜や《ゴフェル》の面々とて自分を軽視しているわけではない。それくらい、少し頭をひねれば分かる。

 

 問題なのは、それでも自分の中で燻り続けるものであった。

 

 鉄菜を初めて目にした時から、――あるいは《モリビトシン》と初めて共闘してからずっと感じ続けている劣等感。

 

 どうして自分はあれのようにうまくやれないのだ、という感覚。

 

 新型のはずだ、六年も前の旧式とは物が違うはず。そう信じていても、否、信じているからこそ、ほとんど埋めようのない隔絶に言葉をなくしてしまう。

 

《モリビトシン》が与えられているからだけではない。さらに言えば、エクステンドチャージを唯一使えるからでも。

 

 これは、大前提として、依存心が自分の中で膨れ上がっているのが挙げられるだろう。

 

 上官であり、信用出来る大人であった桃に、誰よりも信頼を置かれている鉄菜へと、結局のところ嫉妬しているのだ。

 

 どうして自分達が見てもらえない? 鉄菜なんて型落ちのはずだ。

 

 頭では分かっている。

 

 比較したところで、物が違うというのならば、そもそもこの前提そのものが間違っているのだと。

 

 自分と鉄菜は見てきたものも感じてきたものも違う。だから、反目し合うよりも別方向を向いて互いに共闘したほうが望ましい。

 

 冷静な部分では判断出来る代物のはずなのに、どこかで熱くなっているのだ。

 

 その不明瞭さが自分でももどかしい。

 

「……分かんないんだよ、ボク。何でこんな事で思い悩んじゃうのか。誰も教えてくれなかったからさ。ブルブラッドキャリアの大人達も、桃姉も。それに……何だか最近の桃姉、ボクらと一緒にいた頃よりも楽しそうなんだもん」

 

「昔の仲間と会えて、安心しているんじゃないの?」

 

「それだけじゃないような気がする。……六年前、詳しくは知らないけれどさ。桃姉、きっと自分の価値観を揺さぶるような何かがあったんだと思う。それを与えたのが、旧式……鉄菜・ノヴァリスなんだとすれば」

 

「頷ける?」

 

 問いかけに林檎は頭を振った。

 

「……やっぱりダメだ。分かろうとしても、分かりたくない。こんがらがっちゃうんだ、多分」

 

「じゃあ、それでいいんじゃないの?」

 

「これで?」

 

 思わぬ言葉に林檎は面食らう。蜜柑は策敵レーザーから視線を外してわざわざ上操主である自分を見据えた。

 

「林檎が、納得いかないんなら、ミィも付き合うよ。だってミィ達は、この世界でたった二人だけの……血の繋がった家族じゃない」

 

「家族……でもボクらは、元々血続としての基本配列を基にして形式上、姉妹として構築された、人造血続で――」

 

「そういうの、抜きにしようよ。もう、組織の本隊に戻る必要もない。小難しい事は……ミィ、あまり好きじゃないから。林檎が家族だって事は、ハッキリと分かる。それだけじゃダメなの?」

 

 絶句するしかない。蜜柑にそこまで考えさせてしまっていたなど。思えば、島での単独行動を含め、蜜柑には責任を負わせ過ぎた。

 

 自分勝手に振る舞うのには、この身は少しばかり雁字搦めになっているのかもしれない。それが分けようのない、血縁と言う名のものであるのならば。

 

 蜜柑は自分達の境遇をひっくるめて、「家族」で片づけようとしている。

 

 無論、それでも構わない。蜜柑が恐らくは一人の時間を耐え抜いて、搾り出した結果だろう。ならば、姉である自分がそれを受け止めないでどうする。

 

 しかし上手く言葉がついて出なかった。

 

 どう口にすれば、この胸に渦巻く感情を形に出来るのだろう。どう処理すれば、棘もなく伝えられるのだろう。

 

 まごついている林檎は不意に劈いた接近警報に空を振り仰いだ。

 

「反応? 上!」

 

 ウィザードとしての習い性が即座に《イドラオルガノン》を後退させる。天空より紺碧の闇を引き裂いて、白金の稲光が襲ってきた。

 

 瞬時に海面は蒸発し、ブルブラッドの濃霧が発生する。

 

「熱源? そんな、策敵センサーは万全のはずなのに……!」

 

 蜜柑が周囲へとレーダー網を走らせる。その間にも敵から放たれる強力なプレッシャーの波に林檎は操主としての勘で応戦していた。

 

 夜を引き移したかのような漆黒を身に宿した機体が雪崩れ込むように実体武装を振るい落とす。

 

 咄嗟にRトマホークの安全装置を解除し、発振させたのは我ながら上出来と言えただろう。

 

 干渉波のスパークが激しく散る中、林檎は敵方の機体が持つ意匠に愕然としていた。

 

 特徴的な三つのアイサイトに、機体の基礎フレームはまるで――。

 

「モリビト……、これは、モリビトだって言うのか!」

 

「林檎、もしかしてこの機体、……鉄菜さんが会敵したって言う……」

 

 参照データを探す蜜柑に林檎は予見する。

 

「これが……《モリビトサマエル》……。桃姉が苦戦したって何度も言っていた、《モリビトタナトス》の発展機……」

 

 同時に鉄菜が幾度となく挑み、撃墜出来なかった機体だと伝え聞いている。

 

 林檎の胸の中で、脈動が跳ねた。

 

 ――この機体を墜とせれば、鉄菜以上に……。

 

 鎌首をもたげたその欲望に感化されたかのごとく、《モリビトサマエル》が鎌を跳ねさせ、こちらの気勢を削ごうとする。

 

 負けるものか、と林檎は歯を食いしばってRトマホークをもう片方の腕に保持させた。

 

 回転させながらの呼気一閃。腕の一本くらいは取った、と予感した林檎は敵影が上方へと逃れたのを遅れた関知センサーの報で思い知る。

 

 背後に敵の気配を感じたのも一瞬。すぐさま距離が詰められ、激震が《イドラオルガノン》を揺さぶる。

 

 まさか、このような人機――、と林檎は吼え立てた。

 

 がなった声に呼応した《イドラオルガノン》のRトマホークによる交差斬撃が《モリビトサマエル》を後退させる。

 

 それでも相手の勢いが衰える事はない。急に存在感を増した敵の殺意に林檎は咄嗟の判断でRトマホークを掲げさせる。

 

 何か、確信があったわけではない。だが今までの戦いと鍛錬は無駄ではなかった。

 

 白銀の槍の穂の一撃を《イドラオルガノン》は受け止める。

 

「この人機……無数の自律兵器を持っている! 今、一基射出された!」

 

 ガンナーである蜜柑は《イドラオルガノン》の周囲の敵性反応に目を向けようとするがあまりにもその反射速度が速いためか、さばき切れていない。この場合、ウィザードである自分が先んじて判断し、機体を動かさなければ取られる。

 

 敵の自律兵器がどこから来るのかは高濃度ブルブラッド大気のせいでほとんど予見出来ない。自分達が隠れやすい場所を見繕ったのに、いざ戦場となれば不利に転がるのは笑えなかった。

 

 舌打ち混じりにRトマホークを一閃させる。自律兵器は闇に紛れ、こちらを嘲笑うかのように刃を逃れた。

 

「この……遊んでいるのか! お前!」

 

『どーっかで見たような機体だなと思って降りてみりゃ、驚きだぜ。モリビトじゃねぇか! それも、お見かけしていないタイプだ。こいつぁ! 当たりを引いたかもなぁ! レギオン連中のケツを巻くための仕事にも、ちぃっとばかし意味があったワケだ!』

 

「男の……声」

 

 絶句する蜜柑はようやく照合データが取れたのか、《モリビトサマエル》の敵性表示を投射画に実行させる。

 

 火器管制システムはほとんど意味を成さないような距離での鍔迫り合い。

 

 自律兵器が火を噴き、《モリビトサマエル》は執拗に攻め立ててくる。防戦一方の《イドラオルガノン》がオレンジの眼窩を輝かせてRトマホークを薙ぎ払った。

 

 敵は射線だけは心得ているのか、不利になればすぐに距離を取る。その駆け引きがもどかしい。

 

「少しでも油断すれば取れるはずなのに……」

 

 その油断がまるでないのだ。敵の立ち振る舞いでありながら、今まで目にしたどの人機の交戦記録よりも凄まじい。

 

 シミュレーターでは間違いなく味わえない昂揚感と緊張に、林檎は肩で息をしていた。

 

 ――このままでは呑まれかねない。

 

 唾を飲み下したその時、敵が片腕を持ち上げる。

 

『おい、モリビトの! 聞こえてんだろ! それとも、あのガキ共みたいにゃ、反応しねぇか! 直情型の馬鹿ばっかり集めた連中じゃなくなったか、あるいは喋れないほど、イっちまっているかのどっちかよ!』

 

「……こいつ、こっちの照準を全部読んでいるって言うの……」

 

 歯噛みした蜜柑に比して林檎はここで応じなければ、自分もまた戦場の波に打ち消されそうで、オープン回線に設定していた。

 

「……《モリビトサマエル》。六年前と同じ操主か!」

 

 叫んだ林檎に蜜柑が慌てて声にする。

 

「林檎? 不用意に通信なんて……」

 

 割って入った蜜柑の声が耳に届く前に敵の哄笑が漏れ聞こえる。

 

『こいつぁ、笑えるな! 六年前と同じか! モリビトってのはケツの青いガキしか、乗っちゃいけねぇ決まりでもあんのか? それも、本当にメスガキだ! てめぇら全員、ヤられたくって来てんのかよ!』

 

「なんて、下劣な……」

 

 蜜柑の感想が通信を震わせる前に林檎は問い質していた。

 

「聞きたい……。お前が、六年前からずっと……鉄菜・ノヴァリスが勝てていない、モリビトの操主なのか!」

 

「林檎! ダメだよ! 操主の名前は……!」

 

 慌てふためいたとしてももう遅い。敵は胡乱そうに問い返していた。

 

「クロナ? そいつがモリビトの操主の名前か? 分かんねぇ事言いやがるぜ。戦場で女がケツ振って前に出てりゃ、ヤるしかねぇだろうが!」

 

《モリビトサマエル》が鎌を振り上げてこちらへと肉迫する。林檎はRトマホークの片方で刃を受け止め、もう片腕で下段より一閃を見舞おうとした。

 

 確実に敵の関知の外だ。墜とせるはず――。

 

 そう確信した《イドラオルガノン》の片腕が肘先から両断されていた。破損のアラートでようやく、左腕が切り飛ばされた事を実感する。

 

 どこから? と疑問符を浮かべたのも一瞬。肌を粟立たせる危険域の信号に従って林檎は《イドラオルガノン》を下がらせていた。

 

 敵の脛から白銀の刃が迸っている。今の瞬間、後退を選ばなければ二の太刀でコックピットを両断されていてもおかしくはなかった。その予感に芯から震える。身体に這い登ってくる恐怖は潜在的なものであった。

 

 人間が獲得した先天的な直感に過ぎなかったが、林檎は油断すればモリビトだとしても容赦なく斬られる感覚に目を戦慄かせる。

 

 特別な機体など関係がない。自分達の境遇も全て。灼熱のR兵装の前に破壊される程度の些事に過ぎない。

 

 敵が白銀の刃を仕舞ってからようやく、林檎は呼吸が出来た。暫時の呼吸停止で吐き気を催す。

 

『おいおい、つまんねぇ操主だな。あのモリビトのガキのほうがまだよっぽどだぜ? 何だかそのモリビト、ガッタガタだ。いつ壊れてもおかしくねぇ感じに見えやがる。どういう仕組みになってんだか知らねぇが、つまんねぇ醜態晒すなよ、モリビト。もっと楽しもうぜ! せっかくの戦場だ! モリビト同士が! こうしてカチ込めるんだからな!』

 

 鎌を振るい上げた敵影に蜜柑は震える声を発していた。

 

「く……狂っている」

 

『それがどうしたァ! 最大の褒め言葉だぜ、そりゃァ! 狂わなくっちゃどうやってこの時代、こういう人機に乗っていられるかよ!』

 

 赤い眼窩をぎらつかせ、《モリビトサマエル》が再度接近する。林檎は四肢に力を込めようとするが、上手く機能しない事に気づいた。全身で駆け抜けるイメージはあるのに、《イドラオルガノン》が稼動してくれない。

 

「蜜柑? 動かなくっちゃ……!」

 

「違う……林檎。どうして、動いてくれないの……、このままじゃ……」

 

 蜜柑の側からしてもイレギュラーだという事なのか。自分の身体もまるで動くビジョンが描けない。

 

 推進剤の輝きを棚引かせて《モリビトサマエル》が大上段に鎌を振るう。

 

 その寸前で動いたのは、やはり死の瀬戸際の本能か。遅れた《イドラオルガノン》が右腕を持ち上げ、Rトマホークで敵の鎌を受け流そうとする。

 

 だが、敵の勢いは想定していたよりも遥かに上であった。

 

 何よりも片腕だけで御し切れる敵とも思えない。

 

 林檎は今にも身体がはち切れそうな感覚を覚えつつ、蜜柑へと叫んでいた。

 

「蜜柑! アンチブルブラッド兵装、発射用意を! 敵は惑星の人機だ! だから……!」

 

 そこから先はガンナーとしての蜜柑の処理能力が素早い。甲羅が拡張し、内側よりアンチブルブラッドミサイルを掃射させた。

 

 その軌道が敵への命中ではなく、周囲への爆散であった事に、相手は勘付いたのだろうか。《モリビトサマエル》が構えを解いて上空へと抜けた。

 

《イドラオルガノン》の周りが高濃度アンチブルブラッドの青い闇に閉ざされていく。

 

 その霧の中で、林檎は胃の中のものを吐き出していた。極度の緊張下に置かれた神経が耐えかねたのだ。

 

 蜜柑は耳を塞ぎ、肩を震えさせている。

 

 ――自分がせめてしっかりしなければ。

 

 ようやく取り戻した最初の感覚はそれであった。胃液が鼻腔を突き抜ける中、林檎はアームレイカーを引き、機体の姿勢を制御する。

 

「まだ……終わって堪るかぁっ!」

 

 叫んだ声と共に《イドラオルガノン》が推進剤を焚いて後退する。先ほどまで機体があった空間を白銀の槍が射抜いていた。

 

 通信網に舌打ちが混じる。

 

『……ここで墜ちてりゃ、地獄を見ずに済むのによ。てめぇら、とことん不幸と言う名の死神に! 好まれていると見えるぜ! 骨の髄までなァッ!』

 

 敵が二基の自律兵器を発射させる。ようやく眼が慣れてきたお陰か、あるいは高濃度アンチブルブラッドが敵の軌道を分かり易くしたからか。

 

 林檎はアームレイカーを限界まで引き、フットペダルを踏み込んだ。

 

 Rトマホークを回転させ、白銀の連続攻撃を《イドラオルガノン》が弾く。敵の声音に感嘆の色が窺えた。

 

『……ただでは死なねぇって寸法かい。ちぃっとばかし、嘗めプが過ぎたかねぇ。いいぜ。いい声で啼けよ! てめぇらが感じた事のねぇ快楽ってヤツを! 味わわせてやるよ! Rブリューナク!』

 

 射出された自律兵器の弾道を予見し、《イドラオルガノン》が直進する。

 

 林檎はただ前だけを見ていた。片腕を落とされている今、這い登ってくる恐れを跳ね除け、敵へと牙を届かせるのには広い視野は逆に邪魔だ。

 

 ――全てを投げ打ってでも、その漆黒の装甲に爪痕を刻んでやる。

 

 執念にも似た感情が渦巻き、不思議と恐れはなかった。

 

 命中すると予感した敵の射撃のみをRトマホークの回転軸で弾き返していく。果敢にも敵へと機体を躍り上がらせた。

 

 空中戦は想定していない。だが、勝つのには絶対に必要だ。

 

 地に這い蹲るのでは一生牙は届かない。ならば、湖面に映る残像でもいい。その影を引き裂け。闇を殺げ。

 

 咆哮した林檎の操る《イドラオルガノン》の一閃が《モリビトサマエル》の鎌と打ち合った。

 

『おっと……、さっきよりかぁ、マシな攻撃が来やがったな。これだから、ガキってのは始末に終えねぇ。たった一回の戦いでも研ぎ澄まされたみたいになるヤツがいる。まさに今! 目の前のてめぇみたいにな!』

 

「……喋っていると、舌を噛むぞ」

 

 放った声の黒々とした感情に自分でも驚くほどであった。敵を墜とす、という意地だけではない。

 

 身のうちから焼きかねないほどに脳内を白濁化させるこれは間違いようもなく――純然たる殺意。

 

 殺意が身体を動かし、飛ばせ、敵へとかかろうとしている。

 

 その呼気に蜜柑が耐えかねたように叫んでいた。

 

「もう、やめてぇっ! 林檎ぉっ!」

 

 蜜柑の制止の声もほとんど意味を成していない。林檎の頭の中では今、静謐な自己と荘厳な管楽器の音色の二つに支配されていた。

 

 殺意を剥き出しにして戦う己を、どこか醒めたように観察する自分がいる一方で、陶酔したかのような管楽器の放つオーケストラが戦場を奏でている。

 

 敵が攻撃の物理反応点を支点にして瞬時に《イドラオルガノン》の背後を取った。薙ぎ払われる一撃の予感に、獣のような雄叫びが舞う。

 

 Rトマホークの反応さえも追いつかない。

 

 甲羅を半面、打ち砕かれた形の《イドラオルガノン》がよろめくが、ただでは食らわない。

 

 リバウンドの鏡面が照り輝き、反重力を発生させた。

 

「リバウンドッ――、フォール!」

 

 この世に在らざる動きで《イドラオルガノン》が敵の攻撃を支点にして今度は射程から逃れる。

 

 さしもの《モリビトサマエル》でもそれは予見出来なかったのだろう。下段より打ち上げたRトマホークの一閃と共に甲羅に収納した火器が火を噴いた。

 

『ゼロ距離で……! こいつ、生意気なんだよ!』

 

 雄叫びが意識を先鋭化させる。奏でられる音楽が、一手、また一手と獣の領域へと林檎を押し出していく。

 

 Rトマホークの緑のエネルギーゲインが反転した。ネガの色を伴わせた刃に敵がうろたえたのが伝わってくる。

 

『……闇色の刃……。何を犠牲にしやがった……、モリビトォ!』

 

 相手が自律兵器を今度は四基、射出する。今の今まで敵の背後に構築されていた鉤十字型の翼に気づけなかった。それでも、今は分かる。

 

 どこから敵の射線が来て、どこならば避け切れるのかが。

 

《イドラオルガノン》はわざと制動用の推進剤を切って機体をよろめかせた。その動作で一撃が紙一重で回避される。もう一撃、今度は明瞭に像を結ぶ。

 

 真正面から発射された一基に隠れる形で射出されたもう一基。その射線を読んで、林檎は袖口に隠されたRクナイを投擲する。

 

 読み通り、Rクナイが自律兵器に突き刺さり、火花を散らせた。

 

《モリビトサマエル》がもう三基の自律兵器を棚引かせつつ、鎌を下段に構えてこちらへと猪突する。

 

 ――来るのならば来い。

 

 応戦の構えを取らせた林檎は《イドラオルガノン》の火器管制を掌握していた。ガンナーである蜜柑は先ほどから小さく震えるばかり。

 

 ならば自分がやる。

 

 自分だけで、この死神を追い払ってみせる。

 

 鉄菜の勝てなかった悪鬼を、ここで葬り去ってみせよう。

 

「ボクは……、ボクはァッ!」

 

『イきりやがって! 一回の戦闘の昂揚だけでイっちまうのが勿体ねぇよなァ! 勝手に感じてんじゃねぇぞ! ガキの自慰を見せ付けられるほど、暇やってんじゃねぇんだよ!』

 

 ぶつかり合った干渉波に敵の怒声が混じる。

 

『戦争ってのはなァ! 教えてやるよ、ガキが! 一回や二回の読みの差で決まるんじゃねぇ! 場数踏んでもいないクセに、昂りだけで上にイったつもりか? 戦場嘗め腐ってると、その脳髄を一物でシェイクしたって足りねぇんだよ! 教育してやらァッ!』

 

 鎌でRトマホークが弾き返される。それでも敵から剥がれるような無様を晒すつもりはない。

 

 前のめりに猪突した《イドラオルガノン》の機動に敵がうろたえ声を出す。

 

『……ッてめぇ!』

 

「墜ちろぉっ!」

 

 二機がもつれ合いながら、コミューン外壁へと迫りつつあった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯215 終わりのない怨嗟

 音楽を、と渡良瀬がオーダーする。

 

 荘厳な管楽器の調べに彩られ、プライベートルームへと桃は案内されていた。

 

 形式上は、パーティの主催者が自分を気に入った、という体裁。

 

 だが、本当のところは違うだろう。現状のブルブラッドキャリアに探りを入れるために、渡良瀬はこちらを招いたはずだからだ。

 

「……何が知りたいの」

 

「せっかちだな。それとも、ブルブラッドキャリアの執行者というのは以前よりそうだったか? よくご覧よ。旧世紀の遺物だが」

 

 安楽椅子に座り込んだ渡良瀬が振り仰いだ先にあったのは壁画であった。羽根のついた人間が黒々とした深層の人間を眺め、笑みを浮かべている。

 

「反応でも見ているの」

 

「天国と、地獄、というものらしい。人々は死後裁きに遭い、天国と地獄に分別される。……無論、現在でも生きていないわけではないさ。このような信仰はね。しかし、末端の戦場では信仰などまるで度外視される。あるのはこのような四肢と、それを扱うために必要な神経、それに敵へと火線を張るだけの銃火器。……これが現時点での星の人々だ」

 

 渡良瀬が銃を構える真似をする。桃は耐えかねて言い放っていた。

 

「……裁きを待つだけが、人間じゃない!」

 

「だがその裁きを代行するのがブルブラッドキャリアであったはず。……しかし、今はどうだ? 裁く側が裁かれ、貶められるはずのない罪悪を背負い、地上で肩身を狭くして震えている。そんな天使を、誰が見たい?」

 

「貴様達が、そういう状況を作った!」

 

 こちらが声を荒立てるのに比して渡良瀬はどこまでも冷静であった。

 

「こういう状況? 状況なんてものに流されるために、ブルブラッドキャリアが君達……執行者を造ったとでも? それならば、とんだ欠陥品だ。血続としても、操主としても、執行者としても」

 

「モモ達は、世界の悪意に流されるためにいるわけじゃない!」

 

 隠していた拳銃を桃は突きつける。この男は、自分は何もしていないと言いながら破滅を喜ぶ悪の根源だ。

 

 そのような邪悪を生かしておくつもりもなかった。

 

 しかし渡良瀬は突きつけられた銃口にも笑みを浮かべるのみ。

 

「おいおい、よしてくれ。前時代的だろう? まさか銃口一つで裁けると思っているのか? 言ってあげよう。あの時、六年前の殲滅戦……思い出せるともさ、いつだって。わたし達は始末される恐れがあった。他でもないブルブラッドキャリアによって」

 

「……何だって?」

 

 引き金を絞りかけた指が彷徨う。目を見開いた桃に渡良瀬は余裕たっぷりに言ってのけた。

 

「本当だとも。ブルブラッドキャリアの計画の最終段階では、執行者と調停者……我々人間型端末は捨て駒であった。欠損した我々のデータを寄せ集め、新たに世界を再構築する。いずれにせよ、君達の滅びは確約されていたのだよ。組織によって、ね」

 

「世迷言を!」

 

「そう思うかどうかは個人の裁量だが、予感はしていたんじゃないか? 自分達の境遇がどこかで誰かに都合よく計算された代物である事を。だからこそ、君は前に出た。しゃにむに前に出て、銃弾を浴び、戦い抜いた。その結果が現状だ。ブルブラッドキャリアの事実上の分裂。誰が予言したでもない。これは世界に待望されていた!」

 

 渡良瀬の言葉を跳ね返そうと桃は声を張り上げる。

 

「それでもっ! モモ達の戦いを侮辱するのは!」

 

「侮辱? 何か勘違いをしていないか? 侮辱しているのはブルブラッドキャリアという組織そのもの。そして、この世界。だが、我々はむしろ君達を歓迎したい。世界の刻限を進めるのは老人でも、ましてやごく少数派でもない。多数の総体なのだと言う事を。レギオンの名を」

 

 その名前が像を結び、桃は目を戦慄かせる。

 

「レギ、オン……。元老院を、破滅させた……」

 

「悪い噂話だな。それは向こう側からの都合だろう? わたし達は世界をよくした。その証拠に、知っているはずだ! アンヘルとトウジャ! あれを上手く使っている! 老人達ではこんな事は出来なかった! ブルブラッドキャリアに巣食う古き支配者でも、だ! 組織をクリーンにし、世界を掃除しているのは我々の職務。言わば、天使の無償の施し。愛なんだよ、見返りを求めない、何もかも完璧な……愛そのものだ!」

 

「愛? こんな世界が、愛だって?」

 

 ふざけるな、と桃は歯軋りする。愛はこんなにも残酷だと言うのか。愛は、人を陥れ、騙し、殺しつくす代物だとでも言いたいのか。

 

 ――違う! 

 

「違う……、断じて! 貴様らの所業が! 愛なんて! 飾り立てられて堪るものか!」

 

 このような悪逆が愛だとすれば、どれほどまでに愛が残酷だというのだ。愛が人を救わない、非情なる存在だと言いたいのだ。

 

 張り上げた声に渡良瀬はナンセンスと頭を振った。

 

「理解出来ないのか? 大局を見極め、世界にとってよりよい効率的な解決を求める。それこそがブルブラッドキャリアの、在るべき姿だ」

 

「モモ達は! そういう思惑を砕くために降りてきた! この星に!」

 

「そう信じたければ勝手にするといい。だが、世界を実質的に動かしているのは総体、多数派だ。君達のような少数派が望んだ世界になんてならない。この世界は、無数の悪意と無数の善意が渦巻いている事によって成り立つ。どちらかに均衡を振れば、それこそ破滅だ。だからこそ、わたしはここに名乗ろう。レギオンの中でも調停を司る存在――我らアムニスはね」

 

「調停者を集めて、何をしようとしている? レギオンは、何のために言論の統制なんて」

 

「統制? それは違う。統制されていくのではない。統一されていくのだ。人の意識は散漫になり過ぎた。この百五十年……いやもっと長い時間をかけて、か。意識は統一され、統治され、そして統合されなくてはならない。ヒトは、争いを繰り返す。過ちも、どれほど警告しても。ならば、その方向性を画一化させてやればいい。アムニスはそのためにある。人をあるべき姿へと変革させる」

 

「……人間の意識の流れを操って、その行く末に未来なんて……」

 

 震えさせた銃口にも及び腰にならない渡良瀬は天井を仰いだ。

 

「ならば、誰が裁く? 天国も地獄も、この世にはないんだ。誰も決められない、誰も審判なんて出来ない。ゆえにこそ、こう教えるのが正しい。この世界に天国も地獄もない。等しくそれはここにある」

 

 こめかみを突いた渡良瀬に桃は首を横に振る。

 

「そんな事って! じゃあモモ達は、何のために戦ったって言うの! 何のために、失ったって言うのよ!」

 

「安心するといい。保護すべき遺伝子は保全され、安定した供給が約束されている。君の遺伝子配列だってそうだ」

 

 先に目にしていたタチバナ夫妻の娘の姿が思い起こされる。あれは、まさしく自分自身であった。

 

 硬直した桃へと渡良瀬が言葉を振る。

 

「おかしいかな? しかし優れた血縁は優先的に保護されるべきだ。タチバナ夫妻は、了承して、遺伝子改良にサインした。あれが君に似ているのは、君の大元もまた、同じであるからだろう。惑星で百五十年も前に、君の血縁は永続的な生存を確約された」

 

 まさか、と桃はよろめく。

 

「モモ、自身も……」

 

「そうだ。恐らくはブルブラッドキャリアが星より持ち出したのはモリビトの製造データと、血続の情報だけではない。操主として優れた能力を持つ存在を恒久的に保存するための……遺伝子配列も」

 

 だとすれば自分の担当官は。いや、そもそも自分は? 何者なのだ。どうしてここに立っているのだ?

 

「……モモは、何?」

 

「難しく考える事はないさ。優れた血の人間であるというだけ」

 

「黙って!」

 

 引き金を絞る。当然、その当り散らしたような銃撃は渡良瀬に命中もしない。

 

「……そろそろ気づいたらどうなんだ? 君もわたしも、変わりはしないのだよ。選ばれてここにいるんだ。ゆえに、わたしは君を仲間に引き入れてもいいと思っている」

 

「仲間……レギオンの手先なんて!」

 

「勘違いしないでくれ。尖兵としてではない。この星を回す側として、こちらの観察眼が欲しくはないか? わたし達の視点に立てれば無敵だ。君は何も思い悩む事はなくなるし、モリビトに乗って死に物狂いで戦う必要もない。悪くはない条件だとは思うがね」

 

 星を回す側の視点。自分達ブルブラッドキャリアは所詮、手駒程度にしか執行者を考えてはいなかった。ならばもっと大局的に、もっと細く長く……。

 

 間違っていない判断だろう。

 

 合理的に考えるのならば。

 

 しかし、桃は銃口を真っ直ぐに渡良瀬の身体へと照準していた。今度こそは迷いなく、間違えようもない自分の意志で。

 

「……驚いたな。まだ抵抗するというのか?」

 

「抵抗? そうね、あんた達からしてみれば抵抗かもしれない。こんなの所詮、ちょっと足掻いているだけ。悪足掻きにも等しいでしょう。……でもね、嘗めないで。たとえ宿命付けられた命だとしても! この身体に流れる血潮がたとえ、誰かの似姿でも! 構いはしないわ、だってモモはモモなの! 何年も組織の言う通りに生きてきたわけじゃない。六年前の殲滅戦だってそう! モモは自分の意志で、生き残る事を選んだ! 断じてあんた達の掌の上なんかじゃない!」

 

 引き金を絞りかけて、その銃身を横合いからの弾丸が射抜いた。

 

 ビィンと震える手に激痛を覚えた桃は振り返る。

 

「アムニスの序列五位、アルマロス・ヴァイヴス。執行者相当の権限を持っている」

 

 銃口を向けたドレス姿の女に、桃は咄嗟の逃走経路を辿っていた。窓枠へと駆け込み、身体ごとぶち破る。

 

 降り立つなり、すぐに鉄菜へと通信を繋いだ。

 

「クロ! すぐに来て! 《ナインライヴス》で出るわ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳にはめ込んだ緊急通信回線が開いたのを鉄菜は感覚し、燐華との会話に打ち止めをかける。

 

「……燐華・クサカベ。もう会う事はないだろう」

 

 踵を返した鉄菜に燐華が追いすがる声を発する。

 

「待って! 鉄菜! あたしを置いていかないで!」

 

 その言葉を振り払い、鉄菜は合流地点に向けて駆け抜けた。

 

《ナインライヴス》がアイドリングモードのまま機体を蹲らせている。パーティ会場より少し離れた森の中だ。人目はないだろう。

 

 鉄菜が乗り込んだ瞬間、メイン操主である桃の位置情報が送られてきた。パーティ会場を抜け、別方向へと駆けている。

 

「《モリビトナインライヴス》、副操主の権限で起動を開始。メイン操主である桃を拾う。スタンディング形態へと可変」

 

《ナインライヴス》が獣の姿から人型へと変形を果たす。

 

 桃を拾い、情報を纏め直さなければ。

 

 そう考える冷静な自分に比して、先ほどまで燐華と話していた自分が遊離する。

 

「……燐華・クサカベ。私は完全に突き放せなかった。これも弱さか」

 

 もっとハッキリ言えばよかった。住む世界が違うとでも。見ている世界があまりにも異なっている。

 

 燐華はいくらでも取り返しのつくポジションだ。どれだけあのテロで友人を失ったとは言え、どれだけでも人生において戻れる場所にいるはず。

 

 それに比べ自分はもう戻る事など許されない戦いの連鎖の中にいるのだ。

 

 だからこそ、燐華を切り離せなかったとも言える。

 

 どこかで感じている非情になり切れていない側面が邪魔をしたのだ。

 

「私は……まだ」

 

 その時、不意打ち気味にコミューン外壁を激震が見舞った。策敵熱源反応が二機の人機を映し出す。

 

「《イドラオルガノン》……? もう一機の反応は……」

 

 照合データに鉄菜は絶句した。

 

「《モリビトサマエル》……。どうしてこの空域に!」

 

 眼下の桃が風に煽られつつ《ナインライヴス》を迎える。拾い上げ、操縦席へと導いた。

 

 ドレス姿の桃がすぐさまメインコンソールへと情報を打ち込んでいく。

 

「クロ……モモ達が本当に倒さなければならないのは……組織そのものなのかもしれない」

 

「……興味深い言葉だが今は悠長に聞いている時間もない。《イドラオルガノン》が《モリビトサマエル》と戦闘をしている。コミューン外壁に穴を開けた。再生機能が働くとは言え、あの機体のみで戦闘はまずい」

 

 こちらの状況判断に桃は首肯する。

 

「林檎達だけで《モリビトサマエル》と? 危険過ぎるわね。すぐに応援に向かうわよ、クロ!」

 

「分かっている。《モリビトナインライヴス》」

 

「このまま《モリビトサマエル》と会敵する!」

 

 可変した《ナインライヴス》が吼え立て、機獣形態で駆け抜けていく。一刻も早く援護に向かわなければ、間違いなく――。

 

「……やられるぞ、《イドラオルガノン》は」

 

 瞬く火線に鉄菜は腹腔に力を込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パーティ会場上空を人機の反応が抜けた、というアラートが響き渡り、燐華は鉄菜を追う事を諦めざるを得なかった。

 

 隊長とヘイルがすぐさま通信に吹き込む。

 

『ヒイラギ准尉、聞こえているか』

 

『こちらヘイル。……奴さんは……モリビトだ。照合中だが、敵影はモリビトタイプだと……こっちからは見えています!』

 

 燐華は目を戦慄かせた。どこまでも自分の運命を弄べば気が済むのだ。

 

 モリビトに、ブルブラッドキャリア。

 

 拳を骨が浮くほどに握り締める。

 

 ――憎い、……憎い!

 

『……ヒイラギ准尉! 返事を』

 

「……聞こえています。隊長、すぐにでもモリビトを追えますか」

 

『いや、まだお歴々が残っているだろう。彼らの帰り際に戦闘にでもなれば流れ弾が怖い。責任追及の矛先がアンヘルに向くからな』

 

『現状、動くなってのが一番に賢いですか。……にしたって、もどかしいな。モリビト相手に、一矢報いる事も出来ないのかよ……』

 

 ヘイルの悔恨は自分も同じであった。どれほどに煮え湯を呑まされた事か。モリビトには因縁を返さなければならない。

 

「……あたしの《スロウストウジャ弐式》は裏に待機させてあります。一機でも向かえれば」

 

 駆け出しかけた燐華に声が投げられる。

 

 ヒイラギが心配そうにこちらを見やっていた。

 

「……クサカベさん、君は……」

 

「先生、あたしはもう、クサカベじゃありません。アンヘルの兵士、燐華・ヒイラギです」

 

 無情に言い放った声音にヒイラギは面を伏せる。

 

「そう、だったな……。君が選び取ったんだ。自らの過去を切り捨てる事を」

 

「行きます」

 

 短く言い捨てて、燐華は自分の人機の下へと駆けていった。

 

 その背中を追うものは誰もいない。

 

 因果の決着のため、全てを振り払った戦士の赴く先は一つ――。

 

 モリビトを倒す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「興奮気味に! よくもやってくれたじゃねぇか! 頭沸騰して何も考えられなくなっているにしちゃ、健闘のほうだぜ!」

 

《モリビトサマエル》を操るガエルは眼前のモリビトに対して推進剤を焚いて距離を取っていた。コミューン外壁の再生機能に巻き込まれかけたモリビトが火線を張り、わざとコミューンに穴を開けて飛び立とうとする。

 

「これじゃ、侵略者はまさしくそっちだな!」

 

『黙っていろ、貴様はぁっ!』

 

 ネガ色に染まったリバウンドの斧を受け止め、ガエルは思案する。こちらには熟考出来るほどの余裕があるが敵はほとんど特攻の構え。こういう時のしつこさは一番に身に沁みている。

 

 執拗な敵の追及を追い払うのに的確なのは二つに一つ。

 

 ここで敵の闘争心を汲んでやって飲まれてやるか。もしくは……。

 

「冷静に事を俯瞰するか、だな。この場合は後者か。……戦争屋嘗めんなよォッ!」

 

 笑みを刻んだガエルがモリビトを押し返す。敵が再びリバウンドの甲羅と推進剤を使って接近しようとしたその時、新たな熱源警告に《モリビトサマエル》を急上昇させた。

 

 ピンク色の光軸が先ほどまでいた空間を穿つ。

 

「……新手か。だがまぁ、楽しめたぜ。それなりにはな。次はもっといい声で啼いてくれよ」

 

 急に醒めたこちらに比して相手はまだ深追いをするつもりである。

 

『待て! 戦えよ!』

 

「やなこって。てめぇ勝手に動きたきゃ、他を当たりな。こっちだって暇じゃねぇんだよ。戦争処女相手に立ち回るのも疲れる」

 

『この、……臆病者が!』

 

「おーおー、どれだけでも罵ってくれや。言っておくが、オレは戦争をビジネスとして考えている。分かるか? 酔いたい時に好きなだけ酔える、って言うのは酔いが回った状態を熟知している人間の特権だ。醒め時も心得ているワケよ」

 

《モリビトサマエル》の機体状況と、敵の数も含めて退き時だろう。撤退機動に入ったこちらへと何度か当たりもしない砲撃が見舞われる。

 

 これも相手が退き時を理解しているからだろう。あの甲羅のモリビトに乗った操主にはそのセンスがなかった。まだ発達途上の精神性では自分と対等な戦場に立つ事さえも許されない。

 

「……さぁて、レギオン連中よ。お膳立ては整えてやったぜ? 後は好きに場を掻き乱すなり何なり、好きにしろよ。オレにはまだ仕事があるからな。正義の味方って言う」

 

《モリビトサマエル》の損耗状態を確かめる。Rブリューナクを一基失ったのはまだ想定内だ。

 

 モリビト相手に善戦したほうだろう。

 

「ケツに火が点いたのは、モリビトかオレ達か。せいぜい見定めさせてもらうぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《イドラオルガノン》が左腕を失ってもなお、闘争心を失っていない事に鉄菜は驚愕していた。

 

 ほとんど機体は半壊。

 

 それでも《モリビトサマエル》を追おうとする苛烈な姿勢に桃から叱責が飛ぶ。

 

「林檎! 蜜柑! 二人とも落ち着いて! 《モリビトサマエル》を今の状態じゃ撃墜なんて出来ない!」

 

《ナインライヴス》がその進路を遮るのを《イドラオルガノン》が無理やり押し通ろうとする。

 

『退いてよ、桃姉! あいつは、墜とさなくっちゃいけないんだ!』

 

「それには同意見だが、現状を鑑みろ。《イドラオルガノン》は中破している」

 

『うるさいんだよ……! 旧式風情が!』

 

 こちらの意見は通らない、か。鉄菜は相手の目を覚ます方法を考慮したが、その時には《ナインライヴス》のRランチャーが《イドラオルガノン》を照準していた。

 

 その行動に鉄菜は瞠目する。

 

「桃……?」

 

『桃姉……、何を』

 

「林檎、落ち着きなさい。そうでなければ操主として不適格と判断し、ここで撃墜する」

 

 桃の切り詰めた冷たい声音に鉄菜でさえも冷水を浴びせかけられたような感覚に陥る。林檎はもっとだろう。

 

『……でも、追わないとっ』

 

「今追ったって体のいい的になるだけよ。それとも、そんな簡単な事が分からないほど、駄目になったって言うの?」

 

 上官としての桃の声音に林檎は急速に事態を理解したのか、《イドラオルガノン》を下がらせた。

 

 左腕を失い、リバウンドの盾の仕様も含まれている甲羅には亀裂が入っている。

 

 どう考えても戦闘継続は不可能であった。

 

 操主ならばそれを理解して然るべきはず。桃の強硬姿勢は無意味ではない。

 

『……ごめん、ちょっと冷静じゃなかった』

 

「それが分かっただけ、いいわ。帰投コースに入る。戻りながらでいいけれど……三人とも聞いて欲しい。ブルブラッドキャリアが本当に戦うべき、敵に関して、よ」

 

 桃はやはりあのパーティ会場で何者かと遭遇した様子だ。

 

 探りを入れたのは無駄ではなかったらしい。

 

「桃、それは私達が本気で向かい合うべき問題なのか」

 

 問いかけた鉄菜に桃は静かに首肯する。

 

「ええ。これまでとは違う戦いが待っている……。それは間違いようのない事実のはずよ」

 

 宵闇に染まった戦域をモリビト二機が駆け抜けていく。

 

 その果てに夜明けがあるのかは依然として知れないままであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 照準器を覗き込んでいた燐華は、敵が離れていったのを確認して荒く息をつく。

 

 コックピットに荒々しく乗り込んだ自分は裸足で、ドレス姿のままであった。こんな状態で何が出来る、と問われればそれも致し方なしとしか言いようがない。

 

 モリビトの背中に照準したのも束の間、すぐに鉄菜の言葉が思い浮かんでしまう。

 

「……もう会えないなんて、嘘だよね……鉄菜」

 

 滲んだ視界で嗚咽を漏らす。どうして、自分から遠ざかっていく人ばかりなのだろう。この世は、どうして自分に少しでも優しくしてくれないのだろうか。

 

 いつからこうまで世界は残酷だと知ったのか。燐華はアームレイカーを握り締めつつ、頭を振る。

 

「にいにい様……助けて。鉄菜ぁ……、傍にいてよぉ……っ」

 

 浮かんだ弱さを拭い去る事も出来ず、燐華は痛みに呻いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十一章 了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二章 罪なるは
♯216 屈辱の戦場


『こちら不死鳥戦列。ラヴァーズの艦を発見しました』

 

 先遣隊の通信網に海上で波間を弾けさせる旗艦に収まったレジーナは声を吹き込ませる。

 

「ブルブラッドキャリアは?」

 

『現状、一隻のみです』

 

 これをどう見るか、それは隊長である自分にかかっている。ラヴァーズの旗艦――《ビッグナナツー》を連動通信で視野に入れたレジーナは水分を補給しふとこぼしていた。

 

「やはり一隻……、モリビトは出てこないか」

 

 どこかで、あの夜に出会った林檎との戦いを予見していたのであるが、杞憂に終わるのかもしれない。いや、今は先延ばしになっただけで、結局因果はそそげないか。

 

 レジーナは操縦桿を握り締め、上官へと問いかけていた。

 

「ラヴァーズの艦は発見出来ましたが、肝心のブルブラッドキャリアは見当たりません。もし、潜行している可能性もあるのならば、不死鳥戦列を前に出し過ぎれば艦を叩かれえる恐れもあります」

 

『シーア中尉、先のアンヘルからの伝令でブルブラッドキャリアは別航路を取ったという情報もある。ここはラヴァーズのみを叩け。そのほうが上も納得する』

 

 了承し難い命令であった。ブルブラッドキャリアをあえて叩かず、一時的な共闘関係にあったラヴァーズを奇襲するなど。

 

 しかし、自分達に大した選択肢など与えられていないのだ。

 

 レジーナは《フェネクス》の最終調整を行う。

 

「《バーゴイルフェネクス》、不死鳥戦列の隊員に告げる。第一種戦闘配置」

 

『シーア隊長からの命令が下った! 全機、いつでも出撃出来るように配備! 《フェネクス》の底力を見せてやるぞ!』

 

 応、と放たれた声音にレジーナは息をつく。

 

 彼らの在り方に関して異論を挟むつもりはないが、どうしたところで敵は待ってくれない。なれば自分達から赴くべきだ、というのは何も間違った帰結ではないのだ。

 

 ただ、それがあまりにも強情だと、別の軋轢を生む事になる。

 

 自分達は所詮、旧ゾル国陣営。

 

 亡国の徒なれば、与えられた運命のうねりの中で最善策を模索するしかない。

 

 まったく、因果なもの、とレジーナはコックピットの中で《フェネクス》の出撃シークエンスに手をかける。

 

《フェネクス》の強みは機動力だ。旗艦から敵艦までは相当離れているが、《フェネクス》のスピードをもってすれば、三分以内に強襲可能であろう。

 

 加えて敵は型落ち品ばかりの二流人機達。如何に三十機近い編成が組み込まれていようとも、本国で何度も《スロウストウジャ弐式》を前提にした模擬戦を繰り広げてきた自分達の敵ではない。

 

 否、ともすれば敵よりもなお、こちら側に近いのかもしれないが、今は考えないでおいた。敵の敵は味方など、そのような理論がまかり通るのはいわゆるファンタジーだ。

 

 いつの時代とて、敵は敵でしかなく、叩くべき相手を見定め切れなかった陣営は滅びるのみ。

 

 今回の場合、ブルブラッドキャリアの支援がないのはある種、僥倖である。

 

 モリビトが出てくる最悪の事態も加味した上での作戦、失態を晒すわけにはいかない。

 

「《フェネクス》、シーア機、射出用カタパルトへと移行」

 

『了解。リニアボルテージ、出力入ります』

 

 円筒型の射出用カタパルトへと、《フェネクス》の機体が運び込まれていく。翼を折り畳んだ形の《フェネクス》は今か今かと出撃を心待ちにしているようであった。

 

 しかし、このような形の初陣とは、とレジーナは奥歯を噛み締める。

 

「……どう足掻いたところで、決定には逆らえない。国と国とが定めた政の上に、軍事は成り立つ。軍が先行してはならない」

 

 それが分かっていてもなお、悔恨は苦々しいものとして残る。

 

《フェネクス》をC連邦のスタンダードに鑑みれば、やはりコンペディションを経ての実戦配備こそが理想であっただろう。

 

 だが、理想通りに話が進むなど誰も思っていなかった。不死鳥戦列の者達は、皆が強者だ。

 

 バーゴイル乗りの中でも生え抜きが選び取られ、先鋭された操主は《フェネクス》の高機動に耐え得るだけの素質を持ち合わせている。

 

 自分達こそが亡国の希望。旧ゾル国を新たに一国家レベルへと押し上げるのには生贄の子羊が必要だ。

 

 その子羊がたまたまラヴァーズであっただけの話。

 

「恨みはない。だが、我々のために消すも已む無し。……許せとも言わない」

 

『カタパルト位置固定、どうぞ』

 

 シグナルがオールグリーンに染まり、レジーナは腹腔から声を張り上げた。

 

「レジーナ・シーア。《バーゴイルフェネクス》一番機、出るぞ!」

 

 上空へと超電磁リバウンドの効果で放出される。射出された《フェネクス》はそのまま降下軌道に移る前に両翼を広げた。R兵装の反重力が黄金の不死鳥に翼を与える。

 

 続いて出撃したのは三機であった。現状の《フェネクス》の配備数を考えればまだこれでも譲歩した部分。

 

 しかしたった三機で三十機余りを相手取れいうのはあまりに無茶なオーダーである。

 

 レジーナは空中機動における《フェネクス》の安定性を精査した。今のところリバウンド揚力に問題はなし。全武装もアクティブに設定されている。

 

『隊長、これが《フェネクス》の初陣なんですか。こんな……当り散らしどころを間違えた、暴力みたいなものが』

 

 やはり隊の中には思うところのある操主もいるようであった。自分達は旧ゾル国復権のために礎となる覚悟を持って《フェネクス》に乗り込んでいる。生半可な気持ちの人間などいないだろう。しかし、理想は時として弊害になる。

 

「命令には従う。それが軍人だ。今回の作戦、何も間違ってはいない。ラヴァーズはブルブラッドキャリアと手を組んだ。それだけの事」

 

『でも、その後始末を我々が任せられるのって……。やっぱりアンヘルにいいようにあしらわれているんじゃ……』

 

 そう考えるのは何も間違いではない。C連邦政府と上の軋轢に巻き込まれ、現場の兵士が疑問を浮かべながら引き金を引く。あってはならぬ事だがまかり通っているのが現状。

 

 迷いなく誰かを撃てる戦場など限られている。まだ今回、上が責任を取ると言っているだけでも良心的だと思うべきなのだ。

 

『あまり難しく考えるなよ。これから相手するのは、三十機前後の人機の編隊……、中途半端で戦えば命はないぞ』

 

 正しい認識だ。何一つ、間違ってはいない。ただ、《フェネクス》をこのような形で晒して一番に心を痛めているのは自分達、兵士なのだ。

 

 この黄金の不死鳥は矜持であった。だというのに、ほとんど闇討ちのような作戦に仕立て上げられている。

 

 侮辱、と感じるのももっともであったが、誰もその事には言及しない。よく訓練された兵士なのだ。いちいち戦場に懐疑を持ち込めば死ぬのは自分であると理解している。

 

 レジーナは《フェネクス》の高度を落とした。海面ぎりぎりを黄金の機体が突っ切っていく。白い波を弾けさせ、リバウンド効果が汚染された海面を叩きつけた。

 

『無茶しますね……、これから戦いなのに』

 

 感嘆した様子の部下にレジーナは言いやる。

 

「どれほどの無茶が出来るのかを試すのも戦場のうちだ。墜とされる事はないだろうが、最悪の想定も浮かべておけ」

 

 そう、最悪の想定――撃墜という憂き目も考えておかなければこの場合は読み負ける。

 

 敵にも手だれはいるだろう。如何にラヴァーズが博愛を掲げたところで、その不可侵を実現させているのは意思とは正反対の過剰武装。

 

 それに……とレジーナはデータを参照する。

 

 世界最後の中立、最後の信仰と名高い人機の映像が反映された。

 

「《ダグラーガ》……逃げも隠れもしないか」

 

 ラヴァーズにおいて最も警戒すべき人機であった。どれほどの型落ち品なのかも想像出来ないほど、機体は損耗している。それでも、矢面に立つのはこの人機だという確信があった。ゆえにこそ、最新鋭の《フェネクス》に軽視した部分はない。

 

 対C連邦のアンヘルを加味した武装配置で仕掛けているのは、敵兵を嘗めていない証拠でもあった。《フェネクス》は何も卑怯なだけの戦いに用いられるわけではない。そう言い訳を作っておきたい精神は分かる。

 

 そもそも不死鳥戦列にそのような世迷言は必要ないのだ。敵を屠り、確実に殲滅する事にのみ特化した兵士達。

 

 アンヘルなどまだ生ぬるい。旧ゾル国市民の明日への希望となるのが《フェネクス》の戦い振り。

 

『間もなく会敵します』

 

 その報告にレジーナは出撃前の上官の横顔を思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何故ですか! 我々不死鳥戦列がラヴァーズへの……送り狼など」

 

 あまりにも自分達を軽視している。そのような戦い、まともな戦場とは呼べない。

 

 レジーナの言い分を上官は看破したようであった。

 

「……君は戦場に道徳心を持ち込みたいのか?」

 

 覚えず言葉に窮してしまうが、それでも反抗心だけは失わない。

 

「時と場合を間違えれば……不死鳥戦列に要らぬ傷がつくと言いたいのです! そうでなくともゾル国陣営は影が差している」

 

「その通りだ。しかし、これはC連邦と上が交わした密約の一つでね。ブルブラッドキャリア相手に負け戦をしたアンヘルに何度も出させるのは下策だと」

 

「……では、我々はいいと言うのですか。我らの経歴に泥を被せられても……」

 

「《フェネクス》の性能を上も期待している。無論、C連邦も軽んじてはいないだろう」

 

「ではどうして……!」

 

「軽んじていないからこそ、データを取りたいのではないか、というのが大筋の見立てだ」

 

 その言葉にレジーナは拳を握り締める。

 

「……体のいい試金石になれと?」

 

「そうでなければゾル国陣営のみの作戦展開など許されないだろう。ある意味ではチャンスだと感じている」

 

「しかし、敵に筒抜けの好機など、好機とは呼びません」

 

 こちらの強い言い分にも上官は頭を振る。

 

「C連邦と上役はいいビジネスパートナーだ。国家間において、良好な関係性を築けていると思っていいだろう。問題なのは末端兵の意識だよ。アンヘルをいい共闘関係だとは思えていないだろう?」

 

「それは……その通りですが」

 

 悔しいがアンヘルと共に戦って国家の安泰が築けるとは思っていない。その反感の意思が眼差しに出ていたのだろう。上官は微笑んだ。

 

「安心するといい。これでも好条件なほどだ。アンヘルが割って入る事はないし、我々独自の作戦形態を実行出来る」

 

「……ですが連中の庭ですよ」

 

 見張られたまま戦うなど自分達らしくはないだろう。不死鳥戦列の名が泣く。

 

 こちらの意図を汲み取った上官は《フェネクス》の三次元図を端末に呼び出した。

 

「《フェネクス》の性能を見せ付けてやる、という風な気概でいてもいい。あちら側の《スロウストウジャ弐式》など、敵ではないというように」

 

 むしろ、今次作戦は《フェネクス》の脅威を相手に知らしめるのに充分だと言いたいのだろう。前向きに考えればそれも頷ける。

 

 だが、やはりレジーナには敵陣営の見張る空域で不死鳥が羽ばたけるとは思えなかった。思うままに翼を広げられない不死鳥など、それは意味を成さない。

 

「……《フェネクス》のデータが一方的に取られるのは、承服しかねます」

 

「言い忘れていたな。これは命令である」

 

 今さら、ずるいだけだ、とレジーナは奥歯を噛み締める。しかし軍人ならば命令は絶対。

 

 いくら《フェネクス》の機体がかわいくとも、使わなければそれは人機としての価値の消失を意味する。

 

 戦場に駆り出されなければ、それは兵器ではない。飾っておくだけならば操主は要らないだろう。

 

《フェネクス》はお飾りではない。それを証明するための戦いが、万人の目がある仕組まれた戦地。

 

 どこまでも――亡国は亡国らしく、振る舞えといわれているかのようであった。

 

「……了解しました。不死鳥戦列、第一種戦闘配置に入ります」

 

 挙手敬礼したレジーナは踵を返す。その背中に声が投げられた。

 

「しかし、シーア中尉。何も連中に都合よく、戦ってやる必要もない。……誰も全滅させるなとは言っていないのだからな」

 

 その言葉が唯一の寄る辺であった。

 

 ――そうだ。不死鳥の戦いを見せつけてやる。

 

 矜持を胸にレジーナは歩み出していた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯217 憂う偶像

 射程に入った、という報告を受け、レジーナは《フェネクス》に制動用の推進剤を焚かせる。あまりに前のめりに戦地へと赴けば、要らぬしっぺ返しを食らうのは明白。

 

 まずは中距離から攻め立てる。

 

《フェネクス》の大腿部に装備された焼夷弾頭が発射され、《ビッグナナツー》の甲板へと降り注いだ。

 

 展開していたナナツーとバーゴイルがおっとり刀で対応する。火線が瞬時に張られ、弾幕を前に《フェネクス》が立体機動に入った。

 

《フェネクス》が既存のバーゴイルと大きく違うのは、全身に備え付けられた超電磁リバウンドのスラスター翼である。

 

 最初から《フェネクス》は空間戦闘まで加味し、重力下においても、敵の人機を翻弄する動きを実行出来る。

 

 まるで無重力のように《フェネクス》が火線を潜り抜けていく。

 

 球体型のコックピットは《フェネクス》の機動力に操主がついて行けるように施された措置だ。

 

 たとえ人機がどのような姿勢であっても常に均等な視野を確約する。《フェネクス》の立体機動力に敵兵がうろたえたのが伝わった。

 

 ナナツー部隊が前に出て長距離砲を突き出す。重火器を積んだナナツーが甲板より爆風を散らせて《フェネクス》を遮ろうとする。

 

 粉塵の中に極彩色のガラス片を混じらせた特殊弾頭を《フェネクス》は肩より発射した。すぐさま武器弾薬をパージし、機動力を底上げする。

 

『これは……ジャミング弾幕だ! 全機、有視界戦闘に……!』

 

「遅い。不死鳥戦列、甲板に降り立ちナナツー部隊を殲滅していく」

 

 了解の復誦が返る中、レジーナの《フェネクス》が甲板へと接地した。駆け抜ける速度は陸戦のナナツーを遥かに凌駕する。

 

 腰より実体剣を抜き放った。

 

 ナナツーの腕を両断し、もう一刀がキャノピーを叩き潰す。

 

「これが、不死鳥戦列の二天一流奥義……!」

 

 銃火器が舞い散り、索敵しようとするが敵の速度はあまりにも遅かった。滑るように射線に潜り込み、棒立ち状態のバーゴイルを寸断していく。

 

 敵艦の真上にもかかわらず、ここは自分の戦場だという確信があった。陶酔出来る戦場がここにある。

 

 ロンドが小銃を撃って後退するが、そのおっかなびっくりの照準では当たるものも当たらない。剣の柄で銃身を叩きのめし照準を無様にずらしてやってから、もう一方の刀で突き上げる。

 

 頭部コックピットを引き裂かれたロンドがよろめいた。

 

《フェネクス》は瞬時に飛翔し、敵の機銃交差を回避する。同士討ちになったバーゴイルを眼下に入れ、《フェネクス》は甲に備え付けられた有線クローを射出した。くわえ込まれたナナツーがこちらの射程に引きずられていく。

 

『い、嫌だ……! 誰か! 誰かこいつを墜としてくれ!』

 

 接触回線に開いた声音にレジーナは舌打ちする。

 

 この程度の兵士の熟練度ならば恐れるまでもない。《フェネクス》が推進剤を棚引かせて敵の懐へと潜り込もうとしたところで横合いからの接近警報が耳を劈いた。

 

 咄嗟に刀を翳し、敵の一撃を食い止める。

 

 錫杖を有する敵機がデュアルアイセンサーを煌かせた。

 

「《ダグラーガ》……!」

 

 有線クローを引き剥がし、《ダグラーガ》を狙う。しかし、相手はこちらの射線を読んだかのように甲板の上を巧みに回避していく。

 

 プレッシャーライフルを手にした随伴機から悪態の声が漏れ聞こえた。

 

『こいつ……! プレッシャー兵器より速いって言うのかよ!』

 

 否、とレジーナは直感する。R兵装よりも素早いなどあり得ない。問題視するとすれば、それはこちらの照準器であった。

 

 敵はロックオンされればその射線を読む。逆に全く照準しなくともこちらの射程を熟知し、最適な動きを選択する。

 

「……どれほどの年数を戦ってきたのかは知らないが、新型機相手に嘗めているわけでもないな。だが!」

 

 剣を振り掲げた《フェネクス》に対し、《ダグラーガ》が錫杖で受け止める。横薙ぎに払った一閃が《ダグラーガ》の胴体を割りかけた。

 

 瞬間、相手は胸元に隠していた推進剤を放射する。瞬間的にこちらの剣筋を逃れた《ダグラーガ》が甲板に落ちていた小銃を拾い上げ、火線を見舞った。

 

《フェネクス》の装甲はスカーレット隊のものよりも上質でありながら、この距離での実体弾は想定していない。

 

 必然的に下がるしかないこちらに比して敵はどこか余裕があるかのようであった。

 

 それだけではない。

 

『みんな! 《ダグラーガ》が応戦してくれているんだ。この戦い……勝てるぞ!』

 

 応、とオープン回線を声が相乗する。

 

『隊長……こいつら《ダグラーガ》一機だけの応援で、まるで……』

 

「ああ、まるで百人力とでも言うような。……これが信仰という奴か」

 

 厄介な、と歯噛みしたレジーナへと一機のナナツーがブレードを手に猪突してくる。当然、その程度は押し返せるのだが一機の自滅覚悟の特攻ではない。

 

 二機、三機と続け様に連携攻撃を浴びせてくる。

 

「こいつら……さっきまで全く、連携なんて取れていなかったのに!」

 

《ダグラーガ》の存在が彼らの思考を統一化したとでもいうのか。レジーナは操縦桿を引いて敵の剣圧に合わせる。

 

 連携が出来ていると言っても付け焼刃だ。こちらの先んじた動きまでは読めないはず。

 

 一閃で敵を退け、二の太刀で確実にコックピットを断つ。それだけで充分に無力化出来るはずであった。

 

 不意打ち気味に照準警告が鳴り響く。バズーカを担いだナナツーの一撃を後退して回避したその時、二機のバーゴイルが激突してきた。

 

「ちょこざいな……」

 

 バランサーが異常値を叩き出す。まさか、とレジーナは足場がなくなっている事に気づいた。甲板からいつの間にか弾き出されていたのだ。

 

 飛翔機動に入ろうとした《フェネクス》からしつこくバーゴイルは離れようとしない。

 

 高度を下げた《フェネクス》を狙撃用のロンドとナナツーの高高度射撃が狙い澄ます。

 

 まさか、こんなところで――、とレジーナはフットペダルを踏み込んだ。

 

「ふざけるな。……不死鳥隊列だぞ!」

 

 超電磁リバウンドのウイングスラスターが開き、ぐんぐんとバーゴイルを引きずったまま、瞬間的に高度を上げていく。

 

 遂にはバーゴイル二機の限界高度に達したのか、不意に拘束が外れた。レジーナは胃の腑に圧し掛かる重力を感じながら急速直下機動に移る。

 

 視野が一瞬だけブラックアウトし、血液が急速に背中へと流れていくのを体感した。甲板に再び降り立った《フェネクス》が赤いアイセンサーをぎらつかせる。

 

「撤退戦なんて……そんな無様、許されるか! 《フェネクス》!」

 

 二刀を手にした《フェネクス》が照準をつけかねている敵へと肉迫し、その砲身を溶断した。

 

 不意を突かれた敵兵がよろめいたその時には血塊炉へと突きを見舞っている。青い血反吐を吐いた敵人機を払い、次の獲物へと接近した。小銃の弾丸がすぐ傍を掠めていく中、《フェネクス》を操るレジーナは迷いのない殺意をぶつけていた。

 

 まずは腕を寸断し、次に返した刀の柄でコックピットを激震する。脳震とうを起こしたかのように後ずさった相手の心臓部へと、刃を軋らせた。

 

 敵は舞い降りたレジーナの《フェネクス》に呆気に取られている様子であった。それもそのはずだ。こちらとて限界機動力以上の攻撃を浴びせている。

 

 操縦桿を握り締める手は痙攣寸前であるし、いつ身体が過負荷に耐えかねて止まるかも分からない。

 

 だが、それほどの死狂いにならなければ墜とせないのならば、悪鬼にでもなろう。

 

 敵人機が覚えずと言った様子で距離を取っていた。

 

 青い血を浴び、黄金のフレームを汚した《フェネクス》と向き合えるのは、この艦で一機のみ。

 

《ダグラーガ》が風圧に毛髪のようなケーブルをなびかせていた。

 

「《ダグラーガ》!」

 

 二刀を振るい上げた《フェネクス》が推進剤の青い光を棚引かせ、《ダグラーガ》へと大上段より太刀を浴びせかける。

 

 敵は錫杖で一撃を受けたが、返した二の太刀は読めなかったのだろう。

 

 敵のケーブルの先端部が切り裂かれる。よろめいた《ダグラーガ》に、《フェネクス》は突撃した。

 

 肩から衝突した《フェネクス》の攻撃に《ダグラーガ》がここに来て初めて、自らの武装を展開する。

 

 背筋が割れ、内側から引き出されていったのは小型の自律兵器であった。

 

 楕円の自律兵器が《フェネクス》へと突き刺さりかける。

 

 まずい、と判じた習い性で後退したレジーナは楕円の武装が炸裂したのを目にする。

 

「目晦まし? これでは……」

 

 有視界白兵戦闘を行っていた《フェネクス》では咄嗟の判断が出来ない。このままでは、取られる、という予感にレジーナは超電磁リバウンドの皮膜を前方に張らせた。

 

 錫杖の突きが防がれ、《ダグラーガ》がよろめく。

 

 その隙を逃さず、《フェネクス》は高高度へと飛翔していた。

 

「……敵の損耗率」

 

 荒く肩で息をつきながら随伴機に尋ねる。即座に弾き出されたのは、五割の敵を無力化した、という報告であった。

 

『どうします? 敵もこれ以上の損耗は防ぎたいところだと思いますが……』

 

 こちらはたったの三機。それだけでも優位性を引き出せたほうだろう。レジーナはこれ以上の《フェネクス》の性能をC連邦に見せてやるのは旨味がないと判断する。

 

「……全機、帰投準備。ラヴァーズに壊滅的打撃を与えた我が方の勝利だ」

 

 だが胸中では複雑な思いが渦巻いていた。ラヴァーズに仕掛けたにしては、敵の殿である《ダグラーガ》の性能の一割も引き出せなかった。

 

 これではほとんど消耗戦である。

 

 だが今回の戦闘はあくまで上を納得させるためのもの。義を唱えるのならばこれから先の戦闘でも出来る。

 

 今は、一機も漏らさず帰投する事こそが不死鳥戦列の価値を高める。

 

 機体を翻した三機はそれぞれの損耗状態を同期していた。

 

『二番機、損耗は二割未満』

 

『同じく三番機も。……隊長は』

 

 試算した《フェネクス》の損耗率にレジーナはコンソールへと拳を叩きつけた。

 

「……四十パーセント。こんなに消耗するなんて」

 

『ですが、敵は三十機以上いたんです。生き延びただけでも健闘でしょう』

 

 頭では分かっている。この作戦はほとんど捨て石のような扱いであった。生き延びるだけでも御の字。

 

 だが、これでは理想に遥か及ばない。本当に旧ゾル国陣営に栄光をもたらしたいのならば、敵を全滅させる他なかった。

 

 慢心の結果がこれでは手土産もない。

 

『隊長……』

 

 慮った部下の声音にレジーナは隊長としての声を振り向けた。

 

「分かっている。不死鳥戦列、艦に戻るぞ。ラヴァーズへの奇襲作戦は成功した」

 

 そう、成功したのだ。そう思わなければやっていけなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甲板上で灼熱が燻っている。

 

 敵を退けた、それだけでも歓声が上がってもいいはずなのに、誰もが押し黙っているのはたった三機に十機以上が犠牲になったからだろう。

 

 ラヴァーズの構成員は誰しも、戦いから逃げたいからこの道に縋った者達ばかりだ。信仰という名の道に殉じられれば、それでいいと。

 

 彼らは誰しも惨い戦場を経験してきた。だからこそ、もう戦わないでいいはずの惑星博愛主義に賛同した。

 

 しかし、目の前で展開されたのはバーゴイルの発展機による蹂躙と虐殺。

 

 アンヘルならばまだ理解出来た人々は恐らくは旧ゾル国陣営からの強襲に茫然自失であった。

 

『……畜生。相棒がやられた。アンヘル連中なら、今すぐに憎み返せるのに……!』

 

 頭部を引き裂かれたバーゴイルを弔っている彼もまた国家に裏切られたも同義であろう。

 

 信じるべきものも、準ずるべき信念も失い、逃げ出した後も国家によって迫害は続く。

 

 どこまで逃げおおせても人は宿命から逃れる事は敵わない。否、もし自分が茉莉花を手放していなければ無用な被害は避けられたのかもしれない。

 

 しかし、今はブルブラッドキャリアを、世界を変えるために奮闘する良心を信じるしかなかった。

 

 自分程度で出来る事などたかが知れている。

 

 ブルブラッドキャリアの下にいれば茉莉花も本当の力を発揮出来るだろう。彼女の力を必要としているのは自分達のような臆病者の側ではない。

 

「ブルブラッドキャリア……、貴殿らならばこの状況、どう切り抜ける……。まだ問わずにはいられないのは悟りの境地に至れていないからか」

 

 死んでいった者達は戻ってこない。どれほど願ったところで。何を信じたところで同じ事。人は何かに縋らなくては生きていけない。何度でも裏切られるのに。それでも、明日を描くためには信じる寄る辺が必要なのだ。

 

 組織であっても、信仰であっても、それは意義を持つ。この世界と関わり続ける限り、誰も信じない無頼の輩などあり得ない。

 

『《ダグラーガ》……、我々に光を……、明日を見せてください』

 

 一人の人機操主の呻き声がすぐさま伝播し、甲板を埋め尽くす信仰のうねりとなる。サンゾウはこの光景にただただ瞑目するだけであった。

 

 人は、見たいものしか見ない。

 

 信じたいものしか信じないように出来ている。だから、仲間の死を誤魔化せるだけの奇跡が欲しいのだろう。

 

 そんなもの、どこにもありはしないのに。

 

《ダグラーガ》が錫杖を掲げる。背面武器弾薬庫に装備していた照明弾を炸裂させ、後光を作った。

 

 これもただの武器。ただの人殺しの兵器の一部。

 

 しかし、彼らが見ているのは神の姿だ。信仰するべき上位存在を彼らは人機越しに眺めている。それを否定する事は出来ないし、誰も肯定する事も出来ない。

 

 ただ神を見る。原始的な本能に根ざした論拠も何もない、「信じる」という人間として当たり前の代物。

 

 それでこの地獄が少しでも和らぐのならば。見ずに済むのならば。それは現実逃避では決してない。語るべき明日と、見据えるべき未来を目にするために必要なのだ。

 

 ゆえにこそ、《ダグラーガ》は偶像として在る。

 

 この人機に、ただの兵器に、神を見るのならば。信仰を発生させる事が唯一の機能だと言うなら。

 

『おお……、《ダグラーガ》から後光が差している……!』

 

 人機が平伏し、荒くれ立った気配が凪いでいく。それでも死した者が蘇るわけではない。これは仮初めだ。

 

 仮初めの均衡の上に成り立つ平穏。

 

 そんなものばかり求めて、《ダグラーガ》とラヴァーズは博愛を謳ってきた。その先に待つのが悲哀だとは誰も思いたくないのだ。

 

 ゆえにこそ、自分が立とう。如何にこの身が偶像としては脆くとも、儚くとも。それでも佇む事だけが、人間の証明である。

 

 人は、かつて黎明の空に神を見た。黄昏に神々の死を幻視した。宵闇に死神の足音を聞いた。

 

 それらは全部、作り物ではない。

 

 張りぼての代物では断じてないのだ。

 

 人は、神を作り出せる。偽りであっても、それが神に値するのならば、人は信じる事で己を養える。

 

『《ダグラーガ》が憂いている。我々は博愛主義者ラヴァーズ……復讐の火の粉に身をやつすべきではないのだ……』

 

 勝手な解釈でも構わない。それで戦場を見ないで済むのならば。

 

 先延ばしの結論でも、今は縋るしかないのだ。それが人の弱さなのだから。

 

 傅く人機の群れに《ダグラーガ》に納まったサンゾウは静かに呟いていた。

 

「……これもまた、人の業であるのならば、拙僧はそれを愛そう。愛する事のみが、我らの……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯218 星を待つ人

 回収された《イドラオルガノン》は一度、大規模修復に回すべきだと判断された。その言葉に林檎は無論、反論していた。

 

「何だってボクの《イドラオルガノン》が……! あの場で一番に健闘したのは、ボクだ!」

 

 その自負がある。自分がいなければ《モリビトサマエル》にパーティ会場が押さえられてもおかしくはなかっただろう。

 

 だがその認識に鉄菜は異を唱える。

 

「無用な戦闘を引き起こした。《モリビトサマエル》に、テロ行為を実行するような他意はなかったと見える」

 

「……よっぽど知り尽くしているんだね。ボクと《イドラオルガノン》より、あの下衆な操主を信じるんだ?」

 

 喧嘩腰のこちらに比して鉄菜は冷静であった。

 

「《モリビトサマエル》……いや、《モリビトタナトス》の操主は無用な戦闘行為を引き起こしてまで、自分達に益のある戦いはしない。動くのならば必要最低限のはずだ。今回、大方のところ、モリビトタイプが自分の潜伏地点と被ったためにちょっとした攻撃を加えてきた……、大筋の見立てではそういうところだろう」

 

「だから! 何で相手を擁護するのさ! 奴は敵だった! モリビトだったんだ! それとも、戦えば分かるって? 分かり合えるって? ……旧式じみた考えだ。古臭い!」

 

 舌鋒鋭く鉄菜を糾弾する林檎に桃が仲裁する。

 

「まぁ、待って。林檎、あれはでも確かに過剰防衛だった。《モリビトサマエル》は多分、あのパーティ会場を見張れって程度にしか命令を与えられていなかったのだと思う」

 

「どうしてそんな……! 桃姉までこの旧式の味方だって?」

 

「旧式じゃない」

 

 鉄菜の抗弁に林檎は鼻を鳴らす。

 

「論拠がない!」

 

「いえ、あるわ。クロ、それに二人も聞いて欲しい。ニナイは……」

 

「現状、メインサーバーで会議中だ。ルイと一緒にね。モリビトのセカンドステージ案を練っているらしい」

 

「セカンドステージ……。《シルヴァリンク》の時のように、先があるというのか?」

 

「話、逸らさないでもらえるかな」

 

 攻撃的な口調にタキザワが身を引く。

 

「こりゃ、失礼」

 

『だが、セカンドステージ案を実行するのに、現在の《ゴフェル》の整備状況では不可能だろう。話にあった、月面への大気圏突破作戦の実行も――』

 

「ゴロウ! 黙っていて! ボクが喋っている!」

 

 いきり立った林檎に桃が訝しげにする。

 

「……林檎、確かに健闘だったのは認めるわ。でも、《イドラオルガノン》はほとんど中破、次の戦闘には出られない。これは、分かるわよね?」

 

「……強敵との戦闘だったんだ。仕方ないじゃないか。名誉の負傷だよ」

 

「その名誉の負傷に、蜜柑まで巻き込んだのは?」

 

 それは、と返事に窮してしまう。蜜柑は先ほどからずっと震えており、ブランケットをかけられていた。

 

「策敵と火器管制は、ミキタカ妹のものだろう」

 

「……なに、その呼び方。言っておくけれど、操主としての判断も! 能力もボクらのほうが……!」

 

「落ち着いてって言ってるの。……これは大事な話なんだから。ニナイも同席して欲しかったけれど、ゴロウがログを纏めるくらいは」

 

『造作もない』

 

 一階層上で応じてみせたゴロウに頷き、桃は状況の説明に入った。

 

「あのパーティ会場には、こちらの目論見通り、スポンサー連がいた。そしてアンヘルを動かす機密存在も。レギオン、という組織、クロは聞き覚えがあるわよね?」

 

「……元老院を破滅させたという、集団か。だがあれ以降、音沙汰はなかった。私が戦場を見て回った限りではそれらしい存在をにおわされた事もない」

 

「やっぱり、ね……。レギオンは巧妙に支配を固め、もうアンヘルを掌握している。いえ、アンヘルこそ、レギオンの私兵と言っても過言じゃない」

 

「その論拠は、持ち帰ってきたんだろうな?」

 

 鉄菜の追及に桃は申し訳なさそうに頭を振る。

 

「……桃姉のせいじゃない」

 

「いいえ、こちらの落ち度よ。頭に血が回っていた……、だってあんなもの……」

 

「あんなもの?」

 

 問いかけた鉄菜を桃は、いいえ、とはぐらかす。

 

「何でもない。レギオンはほとんどこの惑星を掴んでいる。多分だけれど……《モリビトサマエル》も」

 

「なるほどな。六年前の時点で既にレギオンの支配が始まっていたのだとすれば、《モリビトサマエル》の操主はあの時点で……世界を動かすための駒だった、というわけか」

 

 どうしてだか、二人で納得している。その空気が煩わしくって林檎は分け入っていた。

 

「つまりはさ! そいつらを潰せばいいんでしょ? レギオンとか言うのを!」

 

「物事は……そう簡単じゃないのよ、林檎。相手は元々ブルブラッドキャリアの……調停者だった」

 

 調停者という身分は自分達でも知っている。諜報任務に身をやつし、ブルブラッドキャリアの大元であるバベルへの接続権限を持つ人間型端末だ。しかし実際に会った事はなかった。

 

 その言葉に過剰に反応したのは鉄菜のほうだ。

 

「人間型端末……、しかも調停者、か。水無瀬……奴なら借りを返せる」

 

「いいえ、クロ、相手は渡良瀬と名乗っていた。水無瀬、という調停者もグルかもしれないけれど、今は、むしろ想定すべきは別よ」

 

「調停者レベルの裏切りを我々は六年間、看過し続けた、か。大打撃だな。ではこちらの情報は」

 

「ええ、ほとんど筒抜けだったと思っていい」

 

「アンヘルが上手を行けるわけだ。バベルの大元に調停者クラスの高官……こちらの情報網は紙切れ程度の価値しかない」

 

「……あのさ、さっきから勝手言っているけれど、ボクらはキミを探すのだって、血眼になって探したんだ。それなのに、今冷静にこっちの落ち度だって言えるの……信じられないよ」

 

「でも、事実なのよ、林檎。こっちが決死の覚悟でダイブしたこの星は、もうほとんど支配のうちにあったのは」

 

「あえて、生かされていたと思うべきだろうな。そいつらからしてみればアンヘルの発言力を増す、いいさじ加減にでもなったと言うべきか」

 

「だから……何だって冷静に……」

 

『鉄菜。メインコンソール室まで来て。艦長命令よ』

 

 ニナイの声が反響し、鉄菜が即座に歩み去ろうとする。その手首を林檎は掴んでいた。

 

「待てよ……、まだ話は」

 

「いえ、林檎、クロには別の役目がある。後で報告書を渡しておくわ」

 

 桃にそう言われてしまえば林檎は諦めざるを得ない。離れていく鉄菜が隔壁の向こうに消えてから、林檎は地団太を踏んだ。

 

「何でさ! 何で桃姉はあいつに甘いんだよ!」

 

「林檎、落ち着いて。戦闘後の昂揚よ、我を忘れている」

 

「忘れてなんていない! ボクは、勝てたんだ! あの《モリビトサマエル》に! 旧式の勝てなかった人機に!」

 

 それは矜持を持つべきだ、と語るこちらに比して桃はどこまでも冷徹な眼差しであった。

 

「それは、本当だと思う? 本当に、勝てたんだと思っているの?」

 

 そう問い返されると、不安が勝ってしまう。しかし、自分は実力以上を発揮し、敵を追い詰めたのには変わりはないはず。

 

「……自律兵器を一基、墜とした」

 

「ログは見たわ。随分と無茶をしたようね。《イドラオルガノン》を、ほとんど一人で動かした」

 

「そう……そうだよ! 《イドラオルガノン》はボクのものだ! ボクの言う通りに動いてくれた! だからこの手柄はボクだけの――!」

 

「それを、蜜柑の前で言っていて、恥ずかしくないの?」

 

 不意に訪れた侮蔑の視線に林檎は困惑してしまう。恥ずかしい? 振り返った先にいた蜜柑は肩を震わせていた。

 

 何度も小声で、「ごめんなさい」と繰り返している。

 

「蜜柑……」

 

「林檎、いいように戦場が回っている時はね、むしろ冷静にならなきゃいけないのよ。それが相手によって踊らされている可能性も視野に入れて、ね」

 

「……何で。どうして! どうして誰もボクを認めてくれないの! ボクが強かったから! 《イドラオルガノン》を操るのに長けていたから、今回の戦果に繋がったんでしょう?」

 

「戦果? 本当にそう思っている? 《イドラオルガノン》は中破、次の戦闘では使えない、それに……蜜柑に大きな心の傷を作ってまで」

 

 一瞥を振り向けた林檎はあまりに自分の言い分が通じないせいか苛立っていた。

 

 どうして、自分達だけ二人で一人前なのだ。自分一人でも充分に出来たはずだろう。

 

 それを分かろうとしない桃と、思った通りに動きもしない愚図の蜜柑に、今は怒りが勝っていた。

 

「……蜜柑がいなくたって、ボクは《イドラオルガノン》を一番うまく使えるんだ!」

 

 直後、頬に熱を感じた。張り手を見舞われたのだと、数秒間、気づけなかった。

 

 何をされたのか、という疑問符だけが脳内で浮かぶ中、桃は声を震わせていた。

 

「今の……本気で言ったわけじゃないわよね? 取り消しなさい、林檎」

 

 いつになく冷たい論調に林檎は意地になっていた。ここまでどうして理解されないのだ。どうして、誰も思った通りに動いてくれないのだ。

 

「嫌だ! 桃姉のバカ! 他の奴らだって! 何で旧式ばっかり可愛がるのさ! あんなのがいいんだったらどれだけだって……ボクのほうが優秀なのに!」

 

 桃が手を振り上げる。張り手に怯えた身体が縮こまっていた。

 

 暫時、沈黙が降り立つ。桃の手が肩にそっと置かれていた。

 

 殴られないのか、と薄目を開けた林檎は桃の瞳に浮かぶ涙に困惑していた。

 

「……何で、桃姉が泣くの?」

 

「……いいえ、どうしてかしらね。自分でも分からない。分からないけれど、でも……ゴメン、二人を教育するのはこっちの役目なのに……」

 

 何度もゴメンと繰り返す桃に林檎は突き放された気分だった。いっその事、本当に怒鳴り散らしてくれたほうが幾分かマシだ。

 

 何も考えていない、仲間の事を尊重していない、妹さえも信じてない、心底馬鹿だと言ってくれたほうがまだ。

 

 目の前で完璧を取り繕えなくなった桃と、心に傷を抱えた蜜柑に林檎はどうすればいいのか分からなくなった。

 

 当たり構わず吼え立てたくなった。何もかもぶち壊しにしたかった。

 

 吼えて振り上げた拳はしかし、何も捉えない。

 

 ただ惨めなだけだ。桃も自分も、蜜柑も……誰も完璧じゃない。

 

 どうして、道を諭してくれる人がいないのだろう。どうして誰も彼も不完全なのだ。

 

 堪らなくなって林檎は逃げ出していた。桃の声が背中にかかるが鎌ってもいられなかった。

 

 隔壁を駆け抜け、廊下をいくつ曲がっても、一人になれない。完全に単なる一個人に成り果てられない自分は、性質の悪い出来損ないである。

 

 身体が千切れるかと思うほど、怒りの声を張り上げた。何度も壁を拳で殴りつける。

 

 それでも何もかも足りなかった。この心も身体も、何もかもが不足している。

 

 戦いに勝てれば、それでいいではないか。どうしてそんな簡単な帰結を描いてはいけないのだ。

 

 どうして、そんな簡単な事で終わらせてくれなかったのだ。

 

 誰も褒めてくれない。誰も貶めるわけでもない。中途半端な優しさが一番にささくれ立った心には毒だった。

 

 荒く息をついた林檎は目頭が不意に熱くなったのを感じた。張り手を浴びせられた時には何も考えられなかったのに、今さら渦巻いてきた後悔に胸を締め付けられそうになる。

 

 蹲った林檎はただ咽び泣いていた。

 

 ――誰も助けてくれない。誰も分かってくれない。

 

 自分だけが優秀なはずだ。完璧を求められて製造された最新の血続のはずなのだ。

 

 だというのに誰も……。

 

「みんな……大ッ嫌いだ」

 

 こぼした言葉に不意に声が投げかけられた。

 

 瑞葉がこちらへと言葉をかけそびれている。聞かれた羞恥心に顔が真っ赤になった。

 

「……何だよ。ブルーガーデンの強化兵」

 

 ついつい攻撃的な口調になってしまう。瑞葉はどこか困惑しつつも、林檎へと言葉を紡いでいた。

 

「その……クロナと同じ、なのだな? モリビトの、操主なんだな、お前も」

 

「だから、何だって。あんなのと一緒にすんな! ボクはもっと強い! もっと優れた血続なんだ! だからあんなのとは……!」

 

「……うまく言葉には出来ない。クロナ相手にも、何度も怒らせてしまった。だが、お前は……同じものを背負っている気がする。クロナ以上に、わたしと……」

 

 躊躇気味にかけられた声に林檎はどう怒りをぶつければいいのか分からなかった。

 

「……そっちと同じって……ボクは強化兵じゃない」

 

「分かっているつもりだ。わたしとお前達は違う。どこまでも違うはずなんだ。クロナを見ていると、どれだけ自分の考えが浅はかだったのか思い知らされる。わたしはたまたま、運が良かっただけなんだ。強化兵はほとんど死に絶えた。その事実は……」

 

 窺った目線に林檎は鼻を鳴らす。

 

「一般常識じゃん」

 

「そう、なのか……。今の世界では、強化実験兵が失われた事が、一般常識なのか」

 

 どこか傷ついたような声音に林檎は問い質していた。

 

「あのさ、なに? ボクをバカにしているの? それとも、自分のほうがかわいそうだって? そういうの、うんざりなんだけれど!」

 

「いや、お前達のほうがよっぽど、大変だったはずだ。世界を敵に回し、今もまた戦おうとしている。わたしには、真似出来そうにない……。クロナの痛みの肩代わりだって、出来ないんだ」

 

 急に目を伏せて泣き出しそうになった相手に林檎はうろたえていた。これも強化兵独特の情緒不安定なのだろうか。

 

「……何? キミ、何なの? ボクをバカにするんならもっと賢い方法が……」

 

「馬鹿になんて、出来るものか! お前達には……一生返せないほどの借りがあるんだ。クロナが、ブルブラッドキャリアが行動しなければわたしはあの青い地獄の中で死に絶えていただろう。《ラーストウジャカルマ》を操り、ただ羅刹のように生きるだけで。……いや、それは死んでいるのと同じか。わたしは、捨て駒なんだ。生まれた時から。……この言い方も語弊があるな。造られた時から終わりが定められているんだ。どう死んでどう国家に貢献するのか。それしか設計されていなかった。それだけの……人機と同じ、部品だったんだ。だから、今のお前達をどう足掻いたって馬鹿には出来ない。クロナは、それを地で行こうとしている。その道が修羅の道だって分かっていても、止められない、止める方法を知らないんだ。だから、まだ戻れるのならば戻ったほうがいい。……うまくは言えないな。言語化の方法を、アイザワにあれほど教わったはずなのに……。何でわたしはこうも……作り物なのだろうな」

 

 作り物。その言葉が胸を打ったわけではない。同じ境遇だと、簡単に重ねたわけでもない。ただ、瑞葉も苦しんできた。国家によって規定され、散り様さえも計算のうちだった。

 

 その在り方が、素直に――悲しかっただけだ。

 

「……よければ、でいいんだけれど。いや、やっぱいいや。これ、今のボクじゃ耐えれないかも」

 

「……何が、だ?」

 

 これは胸に湧いた異常な感情なのかもしれない。あるいは単に「お節介」とでも呼ぶべき。だが、自分達がただ単に消費されて未来があるわけではないと信じたかった。

 

 誰かのために、自分の生があるのだとどこかで寄る辺が欲しかったのもある。

 

「……すっごい余計なお世話だけれど、他にも居たんでしょ? 強化兵って」

 

「ああ、何人も」

 

「だからさ……差し障りがなければ教えてよ。その人達がどういう人だったのか。……強化兵でも、見えたのかな、って」

 

「見えた?」

 

 林檎は自然と中空を見据えていた。

 

「星が、綺麗だって事、かな」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯219 イクシオンの眼

「遅いわよ。ラグタイム三秒以上。戦場では死を招く」

 

 コンソールでゴーグルをかけた茉莉花が作業している。鉄菜はそれを視野に入れつつニナイに歩み寄った。

 

 ルイが高速演算に身を浸し、現状の《ゴフェル》の守りが手薄である事を伝えている。

 

「……何の真似だ」

 

「誤解しないで欲しいの。何も、守りを捨てたわけじゃない」

 

「しかし、今攻められればモリビトは二機……それも、中破した《イドラオルガノン》は出せず仕舞いで私の《モリビトシン》と《ナインライヴス》でのみ迎撃可能だ。これでは容易に」

 

「攻め落とされるわね。確実に」

 

 言葉を継いだ茉莉花に鉄菜は反感の眼差しを注いだ。

 

「分かっているのならば、どうしてルイをこんな事に駆り出す? 《ゴフェル》が失われればお前も死ぬ」

 

「人間というのは、死ぬと分かっていても、確率の高いほうに賭けたいものなのよ。分の悪いギャンブルより、確率のいい勝算に、ね」

 

 視線を振り向けもしない茉莉花に焦燥を募らせているうちに、ニナイが口火を切った。

 

「現在、《ゴフェル》は大気圏突破用のシークエンスを整えている。来たのと同じ、リバウンドフィールドの穴を通って」

 

「それくらい、アンヘルは読んでいる」

 

「でしょうね……、分かっているんだけれど」

 

 憔悴し切った様子のニナイはあまり建設的な議論はしたくはないと言いたげだった。その帰結へと導いた諸悪の根源へと、鉄菜は言葉を飛ばす。

 

「人間型端末、茉莉花。セカンドステージ案を練るのはいいが、それは月面とやらに辿り着ければの話だろう。今は、目の前の障害を片づける」

 

「目の前の障害? それが見えていないのはどっちかしらね。吾は必死にシステムを構築しているのよ。この艦、ほとんどバックアップがなかったから。それらをこのルイに頼り切っていた。いざという時の手綱は人間が握れないといけない」

 

 システムコンソールの中でルイが浮遊する。茉莉花を突き抜けて白磁の肌が眼前に迫った。

 

『……悔しいけれど私の策は切れた。この茉莉花という人間を招いた時点でね』

 

「……どういう意味だ」

 

「ルイは組織を恨んでいた。だから、私達にとって生存率の低い作戦を今まで立案してきた」

 

 ニナイの補足に鉄菜は睨み上げた。

 

「切る、腹積もりだったわけか」

 

『悪くは思わないでね。それもこれも、マスターを軽んじたブルブラッドキャリアが悪いんだから』

 

「組織のやり方に問題があったのは認める。私の命が欲しいのならば、それでも。ルイ、今のあなたは、でもそうではないのよね?」

 

 問いかけたニナイにルイは肩を竦めた。

 

『もう、ね……。この小娘に立てていた作戦全部を立案され直してしまった。もう私のバックアップデータに、ブルブラッドキャリアを……《ゴフェル》を破滅させるためのプランは一つもない。その代わり、新たにデータが紡ぎ出されている』

 

「あなた達が、一秒でも生存出来るような作戦を、とのオーダーだったからね。安心なさい。今のルイは味方よ」

 

 まさか、と鉄菜は目を戦慄かせる。システムの裏切りでさえもこの少女は看破したと言うのか。今まで表面上にも出なかったルイの感情を読み取ったとでも。

 

「そこの血続……吾を見ている暇があれば、ニナイ艦長より次の作戦を聞く事」

 

 視線さえも読まれていた。鉄菜はニナイへと向き直る。彼女は咳払いして言葉を継いだ。

 

「大気圏突破は見抜かれているでしょう。でもそれを、最大の速度と最大の規模で行えば話は別のはずよ」

 

「最大規模……まさか」

 

 こちらの読みに茉莉花がゴーグルを上げる。

 

「さすがに、六年間、伊達に孤立無援で生き残ってきたわけじゃないか。分かるわよね? 鉄菜・ノヴァリス」

 

 問い質されて鉄菜は返事に窮する。

 

「……だが、それは難しいだろう」

 

「何を今さらな事を言っているの? あなた達、その無理を道理で覆すために、今まで戦ってきたんでしょうに」

 

「……悔しいけれど事実。私達が弱気になってはいけない」

 

『鉄菜。《モリビトシン》のスペックデータよ。受け取って』

 

 ルイが差し出したデータを鉄菜は自身の端末に読み込ませる。次の作戦における負荷も加味されていた。

 

「……やるんだな?」

 

 問いかけたのは不安だからではない。これを実行するかしないかはニナイの一存にかかっている。

 

 彼女に艦長としての責任を負わせなければならないのだ。そうでなければ読み負けるのみ。

 

 ニナイは瞑目して、嘆息をついた。

 

「……正直なところ、ね。自信はないわ。でも、鉄菜。あなた達が全力を尽くしてくれるのなら、私はもう地獄だって構わないと思っている。それくらい一蓮托生なのよ。あなたも私も」

 

「……ルイは」

 

『こっちも策は丸潰れだし、破滅を悠々と見ようと思ってもその小娘が、ね。許さないから』

 

「よく分かっているじゃない、っと! これにてバックアップは終了。後は、この作戦の中核を担うあなたの判断ね。鉄菜・ノヴァリス」

 

 こちらに全ては投げられた形か。鉄菜は逡巡も浮かべず、ただ頷いていた。

 

「了承した。鉄菜・ノヴァリス。作戦を実行する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦に戻れば自然と佇まいも戻るかと思われたが、ヘイルはやはりと言うべきか落ち着かなかった。それもこれも、パーティなどという門外漢の場所に呼ばれたせいもあるのだろう。

 

「……戦場以外、性に合わないってのに」

 

 こぼした言葉にちょうど廊下を折れた人影とかち合った。相手の仮面越しでも分かる凄味に、ヘイルは唾を飲み下す。

 

「……シビト」

 

「UD、が軍規コードで通っている。そちらで呼んでもらえると助かる」

 

 赤っ恥を晒してしまった。ヘイルは恥の上塗りにはなるまいと声の調子を上げた。

 

「何だって言うんだよ、あんた。この艦はいつから、第二小隊の専属艦になったって言うんだ?」

 

 皮肉を浮かべてやるもUDは一笑もしない。その在り方が正直に癪に障る。

 

「……おい、澄ましてないで答えろよ。第二小隊なんて、お株がないんだってよ! 上も理解しているぜ? あんたみたいなのを陸地に上げりゃ、それこそお陀仏するってな! 死人に引き寄せられるのは御免だとよ!」

 

 精一杯強がりを吐いたつもりであった。当然、相手からの反発はあるものだとも。しかし、UDはその相貌に何の感情も浮かべない。まさしく死者であるかのように。眉一つ上げないのだ。その反応にはヘイルのほうがたじろいだ。

 

「……なっ、てめぇ、何か言ったら――」

 

「言えば、解決するのか? お前の言いたい事はある程度理解した。目障りだと、言われるのは慣れている」

 

 何事もなかったかのように通り抜けていく。その背中が憎らしく、ヘイルはこれが醜態になるのを分かっていても声を張り上げていた。

 

「てめぇなんて要らないんだよ! 何がシビトだ、気味悪がられているだけだろうが! 死なずだって言うんならモリビトの首くらい、取ってきやがれ!」

 

 UDの足が止まる。さすがにこれは看過出来ないか、と笑みを浮かべたのも束の間、その眼差しから発せられた寒気にヘイルは息も出来なくなっていた。

 

 ――これは殺意だ。

 

 今まで感じた事もないほどの密度の濃い殺意が首を締め上げていくのが分かる。急速に周りの空気が凍てつく明確な殺気。中てられないほうがどうかしている。

 

「……忠言痛み入る。だが、俺は何もモリビトの首を諦めたわけではない。むしろ、激情だよ、この身を焦がすのは。あの首を、何があっても、たとえこの首が刎ねられるのが先であっても、狩ってみせるという執念。そう、執念だ。恩讐の彼方にのみ、我が悲願は成就する」

 

 ヘイルは後ずさる事で殺意の波から辛くも逃れる。だが、それでも目にしているUDそのものから溢れ出す殺気だけは押し留めようがなかった。

 

「……あんた何……」

 

「何者でもない、戯れ言だ。俺は、もうシビトなのだからな」

 

 殺意が急速に凪いでいく。歩み去っていったUDの背中からしばらくは目線を外せなかった。

 

「何だって言うんだよ、クソッ!」

 

 悪態をついて精一杯自分を持ち直す程度しか出来ない。それほどまでにあの男の妄執は強かった。

 

 モリビトという存在に対しての忌避感、いや、憎悪だろうか。

 

 よくもまぁ人間の形を保っていられるものだ。

 

「あんなもん……人間じゃねぇ」

 

 ぼやいたヘイルは艦長の待つブリッジへと向かっていた。隊長が既に到着しており、作戦指示を待っているところである。

 

「遅いぞ、ヘイル」

 

「……すいません。あの、第二小隊は」

 

 口をついて出たのは先ほど目にしたからであろう。艦長が頭を振る。

 

「彼にも休暇が必要だという判断でね。今次作戦は第三小隊と、補充要員による作戦展開となる。何か不安でも?」

 

「いえ……それならいいんですけれど」

 

「艦長、第三小隊のトウジャは」

 

「既に修復、配備済みだ。問題なのは上から送られてくる特務員だな」

 

 艦長席に腰かけ、その情報を呼び出す。窺ったこちらへと情報が送信されてきた。

 

 端末に浮かび上がったのは戦場とは無縁そうな優男である。

 

「……彼は」

 

「シェムハザ・サルヴァルディ。アンヘルにおける実行部隊よりもなお、高次権限を持つ人間だ。正直なところ、彼が是と言えば全てが是になるほどの」

 

「まさか、そんな権限……」

 

 息を呑んだヘイルに比して隊長は冷静であった。

 

「彼と部隊を組めと?」

 

「いや、彼は独自作戦展開だろう。ゆえに、我々も出撃後における彼の位置は秘匿してある。敵に掴まれれば惜しいからな」

 

「独自作戦って……要はUDと同じでしょう? そんなの信用なるんですか?」

 

「そこのところはアンヘルの上層部が決める事だ。現場判断じゃない」

 

 どこか艦長もやけっぱちのような気がしていた。このシェムハザという男に関してのデータをスクロールするが、どれも黒塗りにされている。

 

「参照データが少な過ぎる」

 

「勘弁してくれ。それでも譲歩したほうだ。上役はあまり教えたくないのだと」

 

 その時、不意に通信が入る。艦長が声を吹き込んだ。

 

「何だ? ……そうか」

 

 顔を振り向けた艦長が笑みを浮かべた。

 

「喜べ、二人とも。件の彼と会えるぞ。あと十分で甲板に来る。新型機と一緒にな」

 

「新型……」

 

「まぁ、百聞は一見にしかずだろう。見てくるといい」

 

 挙手敬礼を返した隊長がブリッジを後にする。その背中へとヘイルは慌てて追いついていた。

 

「……気に入りませんよ、こいつ」

 

「そう言うな。何よりもアンヘルの上役から派遣されてきた人間なのだからな。無碍には出来ん」

 

「でも、新型って……! 俺らに与えられるべきじゃないですか。前線でブルブラッドキャリアと戦ってきたのは誰だと……!」

 

「いつの時代でも、特権層がその部分は支配する。喚いたところで始まらんさ。せめて、甲板に来るという新型機だけでも見させてもらうとしよう」

 

「……隊長、あまりにも無欲が過ぎますって。あいつにもお咎めなしですし」

 

「ヒイラギ准尉か? 彼女を咎める理由がない」

 

「パーティ会場で! 勝手に持ち場を抜けて、あまつさえもトウジャの出撃を!」

 

「あの場では適任だった。それだけの話だ」

 

 しかし、気に入らない。どうして燐華は許されて自分は駄目なのだ。歯軋りするヘイルに隊長が言いやる。

 

「適材適所はある。ヘイル、お前が輝ける戦場がこの先、必ず存在する」

 

「……どうも。ですけれど、この先なんてあるんですか? 上役が寄越したこいつが、全部掻っ攫ってしまったら?」

 

「それはないだろう」

 

「分かりませんよ。新型機なんでしょう?」

 

「どこまで万能を気取ろうが、どこまで最新鋭であろうが、どうにも出来ない一線はある。それを見極めて、我々は戦えばいい」

 

「……尻拭いでも、ですか」

 

「アンヘルは統合組織だ。一糸の乱れが命取りになる」

 

「了解しました」

 

 ここで言い返したところで何も意味はない。情況は転がりつつある。今は、一つでも確定を押さえる事だ。

 

 甲板に出ているのは自分達だけではなかった。兵士は赤い操主服に身を包み、大気浄化モードに設定している。

 

 自分達もヘルメットの気密を確かめて水平線上からこちらへと接近する熱源を目にしていた。

 

 全体的なフォルムではトウジャの疾駆に近いが、機体のカラーリングが異なる。戦場では装飾華美に当たるほどの眩いオレンジのカラー。異常に細い腰関節と比して球体型の肩を有していた。全体的な印象では上半身の密度が高い。

 

 面長な頭部コックピットより操主が這い出た。

 

「眼は三つ、か」

 

 呟いた隊長の声に額とデュアルアイセンサーを有する機体をヘイルは仰ぎ見ていた。

 

 背中には二つの砲身を持つ重火器を携えている。

 

 こちらへと振り向けられた眼差しにヘイルは覚えず身を強張らせていた。

 

「そちらが今回、我々と作戦行動を共にする機体か」

 

 臆する事なく、隊長は通信を繋いだ。その胆力に毎度の事ながら仰天する。

 

 相手は通信チャンネルを合わせ、こちらへと返事する。

 

『よろしく頼みますよ。モリビトを撃墜するのに、この機体だけでは足りませんからね。アンヘル第三小隊の働きに期待しています』

 

 中性的な声であった。全体として感じた印象は、若過ぎる、という点であろうか。

 

「機体名称は」

 

『新しいフレーム構造を体現しています。試作型ですが、これから先のスタンダードになるかと。イクシオンフレームタイプ一号機。《イクシオンアルファ》です』

 

 イクシオンフレーム。聞いた事のない機体の型だな、という感覚を持ったヘイルを他所に、隊長は作戦概要を送信する。

 

「これに沿って戦ってもらいたい。我々は海上からブルブラッドキャリアの艦を押さえにかかる」

 

『信用していますよ。第三小隊には』

 

《イクシオンアルファ》が格納庫へと運搬されていく。それを横目に見ながらヘイルは口走っていた。

 

「……生意気な」

 

 それでも作戦を共にする以上、ある程度は信頼するしかない。たとえそれが、偽りに糊塗された代物であったとしても。

 

 煤けた風が甲板を吹き抜けたのを、ヘイルは実感した。戦場が近い空気だ。

 

 このままもつれ込むかのように次の作戦が訪れるのであろう。

 

 その時は決して遠くないような気がしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯220 怒りを求むる者

 作戦に参加しなくとも、という問いかけに燐華は首を横に振っていた。

 

「許可は得ています」

 

「そう、か。アンヘルの仕事は大変だろう?」

 

「いえ、もう慣れました」

 

 冷淡に応じるこちらにヒイラギはどこか気後れしているようであった。自分の今までの力では駄目だ、というのを痛いほどに感じた。このままでは何も守れない、何も成し遂げられないと。

 

 ヒイラギは封印措置の取られた格納庫に赴いていた。彼はアンヘルの高官に当たる。ゆえに、封印指定の場所へのアクセス権があった。

 

「本来ならば……君をここに招くべきでもないのだろう。しかし、僕は求められれば応じるしかなくってね。アンヘルの兵士が情報開示を求めるのならば、それを拒むか、あるいは許諾するか。……今回、拒む理由はない」

 

 一つの格納デッキには無数の呪符が貼り付けられていた。効果的かどうかはともかく、中にあるものが忌避すべき代物である事は疑いようもない。

 

 ヒイラギは淀みなくパスコードを打ち込み、格納デッキを展開させた。内側に収まっていた機体は高濃度ブルブラッドの作用で結晶化が進んでいる。

 

 それでも、その機体形状は見間違えようもなく――。

 

「トウジャ……」

 

「《ラーストウジャカルマ》。これが君の求めたトウジャの姿だ」

 

 噂話程度にしか感じていなかった。実在を危ぶまれてきた人機であり、なおかつ、保管は厳重に行われており、一般兵では見る事など叶わないだろう。

 

 ヒイラギのコネクションを利用しなければ自分には一生縁がなかった、最強の一角。

 

「使えますか?」

 

 問いかけた言葉にヒイラギが苦々しく面を伏せる。

 

「使えるか使えないか、という観点で言えば、最新の操縦システムを組み込めばどれだけでも。ただし、これには条約で禁止された装備がいくつか確認されている」

 

「ハイアルファー……ですね」

 

「調べ済みか。ハイアルファー人機は非人道的という触れ込みから、現状の戦闘には使ってはならない、禁断の力だと言われている」

 

「ですが、その禁忌にも縋らなければ、モリビトは墜とせません」

 

 こちらの強い論調にヒイラギは心底参ったようであった。

 

「……そこまでして、どうして自分でモリビトの首を取ろうとする? 君がやらなくとも組織全体がそういう風に動いているはずだ。《ラーストウジャカルマ》なんて厄介な機体を動かすまでもない。ここで何も知らず、何も見ていないと言って小隊に戻り、《スロウストウジャ弐式》を操れば――」

 

「先生。それはあたしにとっては逃げなんです」

 

 逃げ、と断言されてヒイラギは絶句した様子であった。

 

 そうだ、自分にとっては逃げの方便。今まで通り、戦う事も出来る。だがそれは、隊長や他の人員を犠牲にして得る仮初めの平和。

 

 自分だけが生き残ればいいというのならばそれでも是とするべきだろう。だが、もう自分の中でそのような甘えは許されないのだ。

 

 モリビトを撃墜するためならば、自分は心を鬼に売り渡してもいい。何よりも、鉄菜を遠ざけるモリビトという幻影に、決着をつけなければならなかった。

 

 もう一度、鉄菜と会うためにはモリビトのいない世界にしなくてはならない。ブルブラッドキャリアを排斥し、全てが終わった平穏な世界を掴むために、自分は泥でも何でも被ろう。

 

「……そこまで思い詰めているとは考えもしなかった」

 

「先生。《ラーストウジャカルマ》をあたしにください。そうすれば、成し遂げられる」

 

「だが、これは恐ろしい兵器だ。人の心を食い荒らす」

 

「兵器に、貴賎はありません。所詮、どれも、敵兵を殺すためのものです」

 

「……正論だな。僕の言っている事なんて所詮は現場を知らない理想論か」

 

 ヒイラギが最後のパスコードを打ち込もうとした、その時、封印倉庫に入ってきた人影があった。

 

「困ります! 大尉! ここは封印指定で……!」

 

「もう大尉じゃないっての! 少尉相当官まで下がった」

 

「だったらなおさらですって! 封印指定の機体の譲渡なんて出来ません!」

 

「アンヘルに行くんなら手土産くらいはないとな。そうじゃないと嘗められちまうだろ」

 

 仕官とスタッフのやり取りにヒイラギが言葉を挟んだ。

 

「何事だ?」

 

「あんたが責任者? 《ラーストウジャカルマ》を、貰い受けに来た」

 

 思わぬ言葉に燐華は心臓が収縮したのを感じた。赤毛の青年仕官がヒイラギと向かい合う。

 

「それは……あの人機がどのような機体か分かっての言葉かい?」

 

「弄するまでもない。おれはあの人機をよく知っている。……大切な奴の人機だ。だからこそ! ブルブラッドキャリアにケリをつけるのには、あの機体じゃないと駄目なんだ! おれが、《ラーストウジャカルマ》を乗りこなす!」

 

 自分にはない自信であった。青年仕官の言葉にヒイラギは尋ね返す。

 

「……その方の名前は」

 

「タカフミ・アイザワ。連邦軍からアンヘルに異動になった。本日付けでアンヘル第三小隊勤務となる」

 

 まさか、と燐華は息を呑む。六年前の殲滅戦を生き残った伝説の操主。それがどうして自分と同じ《ラーストウジャカルマ》を求めるというのだ。

 

 タカフミは自分を見つけ訝しげに声にする。

 

「……アンヘルの仕官か。どうして《ラーストウジャカルマ》の事を?」

 

「聞きたいのはこちらです。あなたこそどうして」

 

「おれは、因縁って奴がある。どうしても、果たさなければならない、な。そのためにはこの暴れ馬だって乗りこなさなきゃならないのさ」

 

「あたしは……アンヘルの正式な辞令を得てこの人機の接収にかかっています。何か問題でも?」

 

「大有りだね。女の子にはこんな人機、任せられない」

 

 それが、騎士道精神か、あるいは高潔な志から来ているものだというのは窺えたが、今の自分からしてみれば道を阻まれているも同義であった。

 

「……自分はアンヘルの仕官です。操主としての経験も積んでいます。それに……」

 

「血続適性、だったか? アンヘルの兵士はみんなそうだって聞いた」

 

 思わぬ言葉であった。アンヘルが血続の集りだと分かっていて、門外漢であるこの男は割って入ろうとしているのか。

 

 その姿勢に腹が立ってしまう。

 

「血続でもないくせに……偉そうな事を」

 

「血続じゃないが、それなりに戦い抜いてきたつもりだ。なに? もしかしておれの事、知らない?」

 

「ええ」

 

 燐華からしてみれば相手がどれだけの手だれでも関係がなかった。自分は鉄菜を救うため、この世界の間違いを正すためにここにいる。他の事は全て些事だ。

 

 参ったな、とタカフミは後頭部を掻く。

 

「……まぁ、百歩譲っておれの事は知らないとしよう。じゃあ、何だってこんな人機に乗りたがる? これはハイアルファー人機だ」

 

「存じています」

 

「人道にもとると判断された封印指定機だぞ?」

 

「それも」

 

 こちらが何もかもに対して是と言うものだから相手も困惑しているようであった。

 

「……まぁ、おれもこの人機を使おうって言っているんだから同じ穴の、か。で? お前はこの人機を使ってどうしたい? それを聞かせてくれ」

 

「ただ平和を」

 

 簡潔に応じた燐華にタカフミは眉を跳ねさせる。

 

「平和を?」

 

「脅かされない平和が欲しいだけです。何の恐怖もない、真の意味の平穏が」

 

 その言葉にタカフミは胡乱そうにヒイラギへと視線を移す。

 

「失礼ながら、薬物の使用の疑いは? 洗脳なんてしてるんじゃないだろうな?」

 

 思わぬ言いがかりに燐華は憤慨していた。

 

「先生は! そんな事する人じゃありません!」

 

 自分の身の丈からは考えられないほどの大声であったからだろう。タカフミは大仰に後ずさっていた。

 

「……悪かったよ。だが、おれだってここで退いたら男じゃない。いっちょこの人機を操るに足るか、腕前を見せてもらう」

 

「撃墜成績ですか」

 

「まさか。そんなもので比べたらこっちに軍配が上がる。そうじゃない、実力面だ。シミュレーター、出せるな?」

 

 問いかけたタカフミにスタッフが目を丸くする。

 

「まさか、やる気で?」

 

「当然だろ。てこでも動かないって眼をしてる。だったら、理解させてやるまでだ」

 

 燐華は転がっていく状況にヒイラギへと目線を配る。彼は頭を振っていた。

 

「……僕ではどうしようもない」

 

「では、決闘の準備を」

 

「おっ、やる気はあるってわけか」

 

「ええ。やらなければならないのならば」

 

 受けて立つ、と退かない瞳にタカフミが感嘆の息をついた。

 

「……いつの時代でもいるもんだな。潔い撤退に、うんって言わない奴は。まぁおれもそのクチだ。《スロウストウジャ弐式》でいい。武装は?」

 

「スタンダードで」

 

「じゃあ標準のB型装備! それで腕前を見る!」

 

「でも大尉! 本気ですか? だって相手はアンヘルの」

 

「おれだってアンヘルだ。もう、な」

 

 どこか自嘲気味に放たれた声にスタッフが声を潜める。

 

「……虐殺天使です。連邦の軍規とはワケが違うところで動いていた兵隊ですよ? 分が悪いのでは……」

 

「おれを誰だと思っている? 六年前の殲滅戦、絶対無理だって戦局で道理を蹴っ飛ばして今の今まで生き残った、その兵士だぜ? モリビトだってぶっ倒してみせるさ。この手でな!」

 

 その思想まで被っているのならば余計に、であった。モリビトを倒すのは自分である。

 

「模擬戦、入ってください。いつでも行けます」

 

「言うねぇ……、だったらさっさと行こうぜ」

 

 タカフミと共に封印指定の格納庫を抜け、陽の当たる場所まで歩んでいく。ヒイラギはどこか及び腰であった。

 

「本当に、やるのかい? 別段、《ラーストウジャカルマ》にこだわる事もない。あれはハイアルファーという危険因子を積んだ人機。別の当てを探せば……」

 

「いえ、先生。ここで気持ち負けすれば、あたしは一生、モリビトに勝てない」

 

 鉄菜との日々を取り戻し、この星に平穏をもたらすのだ。そのためならば同じ部隊とは言え、弊害は叩き潰す。

 

 その意志を湛えた眼差しにタカフミが、へぇ、と笑みを浮かべる。

 

「面白い奴もいたもんだ。アンヘルに異動したの、案外馬鹿を見るだけじゃないかもな」

 

 互いの人機が用意されるまで、一時間程度。覚悟の戦場へと赴くのには充分な時間であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯221 罪の化身

《フェネクス》による帰還、まずは最大限の功績を称える、と上官より賞賛された。だが自分はそのようなものが欲しくって戦場に赴き、殺してきたわけではない。

 

「C連邦は、どのように?」

 

 まず仮想敵国の手の内を見る。そのように判じた精神に上官は苦笑した。

 

「まったく……衰えないな、君は」

 

「衰えては負けです。連邦の動きを」

 

「相手は《フェネクス》の戦果をきっちりと見ている。今回、ラヴァーズに仕掛けたのも監視されての事だったらしいな。よくやったと」

 

「表層上の賛辞は不要です。どう、政府は動きましたか」

 

 戦果を挙げたところで揉み消されれば何の意味もない。上官はブリッジを抜け、廊下を歩んでいった。その後姿に続きつつ、次の言葉を待つ。

 

「……連邦政府は我々、旧ゾル国の動きに対して若干の軽視……つまり、あまりよくは思われていないという状況が継続している。《フェネクス》でラヴァーズを壊滅寸前まで追い込んだとは言っても、それはやはりアンヘルの代わりにゾル国側の軍が動いた、程度の認識でしかない」

 

「ですが……《フェネクス》は最新鋭機です!」

 

 覚えず声を荒らげ、上官の前に歩み出る。相手は憔悴した面持ちで頷いていた。

 

「それも……加味した結果だよ。最新鋭機《フェネクス》の事実上の初陣、それもラヴァーズという未確認の敵性組織への強襲……。どれもこれも難易度の高いミッションだ。一つでも失われれば惜しい人機を全機投入した、とまで粘ったが……」

 

「……連邦の姿勢は変わらない、と」

 

「悔しいがね。相手はそれこそモリビトでも墜として来いとでも言いたいらしい」

 

「モリビトなら……墜とします」

 

 僅かな逡巡を挟んだのは林檎の事が思い出されたからか。それでも、敵ならば撃墜する。その覚悟は常に持っていた。しかし、上官はゆっくりと首を横に振る。

 

「様子見だと、相手に言われてしまえばそこまでだ。我々としてもあまり強くは出られない立場でね。ここまで、と制せられればそれ以上は言及出来ない」

 

「……何者かの圧力でも」

 

「それを予見していても何も言えないのが実情なのだよ」

 

 レジーナは拳を握り締める。どれほどまでに戦果を挙げても、これでは無意味ではないか。国家の威信をかけて戦うどころか、そもそもカウントさえもされない戦場など。

 

 こちらの思惑が垣間見えたのか、上官は重々しく口にする。

 

「兵を軽んじているわけではない。少なくともゾル国では。こちらの陣営としても苦渋の選択であった、とは言っておいた。そう易々と出せる戦力ではないのだと」

 

「……ですが今回、《フェネクス》はデータを晒したも同義」

 

「そこが痛いな。アンヘルのトウジャ部隊のデータはまだ黒塗りの部分が多いというのにこちらばかりが手札を切るなど」

 

「……命じられればアンヘルでも」

 

「逸るな、シーア中尉。逸れば足元をすくわれるぞ。急いて仕損じるほど、馬鹿げた事もあるまい。敵を見据え、墜とすべき時に戦う。それが出来るのならば不死鳥戦列はいつでも輝く」

 

「ですが大きな転機であったはずです……! それを逃したのは素直に……」

 

「連邦政府に《フェネクス》の脅威を突きつけるのにはまだ弱い、というべきか。模擬戦と相手の監視下での強襲戦闘。この二つを加味してもまだ、相手の喉笛にも届かないとは。……こちらとしても難しいところだ。これから先、戦力を小出しにすればしかし、それこそ敵の目論見だろう。相手はトウジャを世界のスタンダードにしようとしている。我々は、出来ればそれを抑えたい。トウジャを実戦配備の難しい人機だと断定させるのには、《フェネクス》の実戦データが不可欠」

 

「……しかし、《フェネクス》をあまりに衆目に晒せばまた」

 

 上官が首肯する。

 

「そうだ。また人機の技術面におけるブレイクスルーが起きるだろう。今回は六年前のようにトウジャ、という分かりやすい形ではないかもしれない。連邦政府は何かを隠し持っている。その感覚だけは毎度、こちらに嫌でも伝わってくる」

 

「相手の動きも分からない今、下手に《フェネクス》を出す事さえも危険……」

 

 だが、それならば何のためにラヴァーズと矛を交えた。何もこちらは伊達や酔狂で人機に乗っているわけではないのだ。国家を背負っての戦いである。大義ある戦いに政を持ち出されれば軍人としてみれば苦味が先に立つ。

 

 それでも、言葉を飲み込んで戦ったというのに、これでは何のための戦であったのか、まるで意味を成さない。

 

「……シーア中尉、分かっているのならばいい。まだ大義はこちらにある。今は休みたまえ。《フェネクス》三機で三十機前後の人機とやり合ったのだ。磨耗して困るのは何も人機のパーツだけではないぞ」

 

 操主とて盤面を構築するのに重要なファクター。それは分かっている。分かっているのだが、突きつけられないもどかしさにレジーナは歯噛みする。

 

「……不十分、だというのですか」

 

「いや、充分だとも。時が熟すのを待て、シーア中尉。《フェネクス》は……不死鳥戦列には必ず、意義のある戦いが待っているはずだ」

 

 歩み去っていった背中を睨み、レジーナは口にしていた。

 

「意義のある戦い……ですがそれが、あまりにも遅ければその意味なんて……」

 

 言葉にしかねて、レジーナは壁を殴りつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イクシオンフレーム、シェムハザに任せて大丈夫だったの?」

 

 こちらに言葉を振ったアルマロスに渡良瀬は息をつく。安楽椅子に腰かけた渡良瀬は天井に描かれた天国の図柄に向けて拳を掲げていた。

 

「アルマロス、力というものはいつの世にも分散してはいけない。それがどれほどの高潔な意思によるものであったとしても」

 

 アルマロスは淑女の面持ちを崩さずに、静かに微笑む。

 

「それが調停者の達観?」

 

「まさか。経験則だよ。調停者に関してもそうだ。未だに行方の掴めない水無瀬に、六年前にぷっつりと消息を絶った白波瀬……。この二人を探し出し、わたしの傘下に置くのは急務だよ」

 

「殺さないんだ?」

 

 茶目っ気たっぷりに言ってのけたアルマロスに渡良瀬はフッと笑みを浮かべる。

 

「惜しい事を言うね、君は。いや、残酷だと、言うべきかな? 惑星で生まれ育った執行者というものは」

 

「執行者として必要なものは持っているつもりだけれど?」

 

「無論だとも。その身体に流れる血潮も含めて、執行者としては適任」

 

「それもそうでしょ。シェムハザだってそうじゃない」

 

「彼も執行者としてはよく出来ている。問題なのは大局を見据える事だよ、アルマロス。それが出来なければ旧態然とした元老院の百五十年の支配と、何一つ変わらない。彼らは百五十年もの間、星の人々の進化を押し止めた。だが、少しでも地獄の蓋を開けてみればどうだ? トウジャの技術一つで、人間はここまで残忍になれる。天国へと届く梯子をかけられるほどの」

 

 アルマロスは部屋の中にある写真立てに触れようとした。その指先が写真立てをすり抜ける。この部屋に置かれた調度品は全て、ホログラフによる偽造品だ。

 

 屋内を木目調の落ち着いた色調に保っているが、このホロを一度でも剥がせば、滅菌されたような白亜の天井と床が広がっているのは分かり切っている。

 

 安楽椅子ぐらいが自分の目立った所持品であった。

 

「天国に、届くと思う? 人間程度が」

 

 その問いには渡良瀬も微笑む。

 

「届くさ。届くために、わたし達はいた。水無瀬、白波瀬、……そしてどこに隠れ潜んでいるのだか知らないがエホバも。我々四人は何のために造られたのか、その本質を見極めれば何もこの帰結は突拍子もないものでもない」

 

「でもさ、切れちゃったんでしょ? リンクが」

 

「繋ぎ直せばいい。バベルは健在だ」

 

「レギオンの……勘違い連中の手にあっても?」

 

 渡良瀬は椅子に深く腰かけ、息を吸い込む。それだけがある種の問題ではあった。

 

 レギオンは確かに総体。総体であるがゆえに目立たず、総体であるがゆえに星の意思を汲み取って世界を回す。

 

 しかし、その行方が退屈ならば話も違ってくる。

 

「タチバナ博士……あの方の右腕を何年もやっていた」

 

「知っているよ」

 

「天才の視点というのは得がたい代物……ギフトだ。天が人に与えた、ね。そのギフトを眼前にした時の末端の感情など、瑣末に等しい。何の行動も起こせない人間というのはどうにも度し難く、さらに言えば何の価値もないのだと実感したとも。だからわたしはレギオンの思想に、半分は賛成で、半分は反対なんだ」

 

「それが、造った理由?」

 

「そうだとも。天使達を創造したのは何も酔狂ではない。変えようのある未来というものは存在する。かつて数多の人間が挑戦した。時にそれは星の皮膜を引き千切るほどの、巨大な爪痕となって。……レミィ、元老院から離れ、《キリビトエルダー》を動かした。あの時点では間違いではなかったさ。だが、その肉の躯体に不必要なほどの野心を描いた。それが彼女の失態だ」

 

「人間って言うのは面倒だなぁ。野心なんて考えちゃうんだ?」

 

「野心があるから、人は道を誤る。時に野心のお陰で歴史に名を刻む事もあるが、多くは不名誉だろう。わたしは違うさ。レギオンの……総体の中での最善を導き出す。そのためにこの頭脳はある。惑星の全てのネットに接続出来る、この能力も!」

 

 崩れ落ちそうな天蓋を仰ぎ見た渡良瀬にアルマロスはふふっ、と笑った。

 

「でも変な話だね。レギオンを構成していたほとんどの主要メンバーは毛嫌いしていた義体に入って、脳みそだけの存在になった。あれだけ元老院の陥落を求めていたのに、今はその元老院と何も変わる事もない」

 

「ゆえにこそ、わたしは天使を作り上げた。アルマロス、シェムハザ、アザゼル、そして……。君達の命はこの星に本物の罪を突きつけるためにある」

 

「そりゃそうじゃん? だって天使だし」

 

 アルマロスは純真だ。白磁のように透き通った肌。しなやかに伸びた四肢。人間が妖精を想像したのならばこのように形作るであろう、煌びやかな星の輝きを内包した瞳。

 

「罪の化身は、もう違うのだよ、ブルブラッドキャリア。星の外にいる老人達にも教えなければならない。何が、今、必要とされているのかを」

 

「追放された奴らに?」

 

 アルマロスが手を払うとホロが構築され、無数のアゲハチョウが舞い遊んだ。この世の楽園のような場所から世界を俯瞰する。

 

 それは天使を操る自分自身――神域の存在に相応しい。

 

「イクシオンフレーム、新たなる罪の形に震えるがいい。旧来の者共よ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯222 部品未満

 

「どうせ、次の出撃はしなくたっていいんだってさ」

 

 やけっぱちに言い放った自分は彼女にどう映っていただろうか。少なくともモリビトの執行者としては半人前の烙印を押されてもおかしくはない。

 

 瑞葉の部屋は片づけが行き届いており、自分の部屋に比べると見栄えもいい。

 

「へぇ、片付いてるじゃん」

 

「散らかすと悪いと、思っているから」

 

「それは、あの旧式に?」

 

 瑞葉は応じずにコーヒーメーカーから抽出する。マグカップに注がれていく液体に林檎は手を払った。

 

「砂糖多目でね。あとミルクも」

 

「分かった」

 

 淡々と応じる瑞葉はまるで人形のようだ。まさか、まだブルーガーデンの洗脳が解けていないのではないかと思わせられる。

 

「あのさ、その答え方、やめれば? 作り物みたいだよ」

 

 林檎の理不尽な言い草にも瑞葉はどこか壊れかけたかのようにぎこちなく微笑むばかりであった。

 

「すまない」

 

「……何だかな。ボクが全面的に悪いみたいじゃん。そりゃ、部屋にお邪魔して図々しいとは思う。でも、そっちが呼んできたんでしょ?」

 

「あなた達は、惑星の外で?」

 

「あー、そうだよ。造られた。んでもって、モリビトに乗って戦っている」

 

 自分だけが悲劇のヒロインじゃない。そう言いやったつもりであったが、瑞葉は複雑な顔をしていた。

 

「……嫌にならないのか?」

 

「嫌に? なったらそこまでだよ。だってボクらの存在意義ってそこに集約されるんだもん。モリビトを動かせなくなれば、もう用済み。はいサヨナラ、ってね。執行者なんてそんなもんだよ。人機のパーツ……いや、パーツなら直せるか。直るかどうかも分からない、不完全な何かだよ」

 

 そう、パーツ以下の代物なのだ。だから破損して初めて、自分の至らなさに嫌気が差す。

 

 鉄菜のように褒め称えられたかったのか? 桃のようにどこまでも強くありたかったのか? それとも、他の誰かのように何の使命も帯びず、ただ生きていたかったのか。

 

 何もかもが分からない。堂々巡りの胸中で、結んだ言葉はあまりにも情けなかった。

 

「……そうだよ。パーツでよかったんだ。ボクなんて」

 

 だがパーツという生き方ではない。その生き方は間違っているのだと桃に諭された。訓練生時代、何度も桃が自分達に教え込んだのは人機を動かす側という責任感であった。

 

 この手は破滅への引き金になる。同時に何かを救い出せもする、救済者の役割にも。どちらに意味を見出すかは自分で考えろと言われてきた。

 

 今、その答えが出せるかと言えば微妙だ。握り締めた拳には何の確信もない。

 

「……パーツでいいのだと、誰かが言ったのか?」

 

「まさか。桃姉は逆。パーツになるなって何度も何度も……。しつこいくらいに」

 

「だったら、よかったじゃないか」

 

「よかった? 知った風な口を……」

 

 紡ぎかけた反感をコーヒーメーカーの抽出音が遮った。マグカップが差し出され、林檎はコーヒーに砂糖をありったけ入れ、ミルクを注いだ。

 

 甘ったるい味に仕上がったコーヒーを一気飲みする。呷って呼気を放った林檎は、どこか自分の境遇に嫌気が差していた。

 

 モリビトの執行者を降ろすと言われたわけでもない。自分勝手に解釈して、鉄菜に嫉妬した結果、自分で自分の居場所を狭めただけ。

 

 ただの空回りだ。

 

「……蜜柑にだけは、悪い事をしたな」

 

 震えていた。泣き出しそうであった。それでも、精一杯自分を保って、モリビトの操縦桿を握っていた。

 

 そんな妹を、どこか馬鹿にするかのような眼差しであったのは事実。

 

 謝るとすればまずは蜜柑にだろうと考えていた林檎は、瑞葉の放った言葉に面食らっていた。

 

「……別に、自棄になってもいい」

 

「何だって?」

 

「わたしは、自棄になった。かつてブルーガーデンに居た頃……、何もかもがどうでもよかった。モリビトを撃墜出来れば、他には何も要らないと思えるほど、怒りに身を焦がしていた。《ラーストウジャカルマ》はそれに応えてくれた」

 

「……その理屈じゃ、ボクが旧式に怒りを覚えるのも同じだって言いたいの? 自分と?」

 

 瑞葉は静かに頭を振る。

 

「いや、違うだろう。わたしはそれを思い知ったのは仲間を失ってようやく、だった。枯葉や鴫葉、彼女達が命を賭して、自分に繋げてくれたんだ。それは別段、戦うという場合においてのみではない。生きる、という事を、わたしは間接的ながら彼女らから教わった。もし、あのままブルーガーデンの目論見通りに事が進んでいれば、わたしはここにはいないだろう。廃棄され、国家と共に滅びたか、あるいは明日も知れぬ戦場に身を投じていたのみだ」

 

「よく……分かんないな。戦いを避ける、って言いたそうだけれど違うだろうし。なに? ボクと旧式がぶつかり合うのがそんなに嫌?」

 

「端的に言えば」

 

 その答えに林檎は頬杖をついてマグカップを弄ぶ。瑞葉は目線をコーヒーに落としたまま、どこかばつが悪そうに沈黙している。

 

 恐らくは自分で呼んでおきながら答えを持っていないのだろう。

 

 だが、それは誰しも同じ。この艦にいる大人達が訳知り顔で語る「答え」など吐き捨てたいほどに邪悪だ。

 

 鉄菜がそれほどまでに健闘した? 六年間、苦しんできた? そのような瑣末事、唾棄すべき事実であった。

 

 ――だからどうした。

 

 自分のスタンスはこの一言に集約される。

 

 鉄菜がどれほどに苦しみぬいて今に至ったのかは知らない。知るはずもない。データの上で知っていたつもりでも目の前にすれば違った。

 

 ただの旧式血続だと思い込んでいた相手は自分を追い込みかねないほどの抜き身の刃であった。あんな諸刃の剣、そこいらに放っているほうがどうかしている。

 

 もっと厳重に管理し、自分達以上に自由は剥奪されるべきなのだ。

 

 だというのに、我が物顔であれは《ゴフェル》を歩き回る。

 

 それが堪らなく――許せなかった。

 

 覚えず力が入っていたのだろう。マグカップに亀裂が走る。あ、と気づいた時にはマグカップは半分に割れていた。

 

 床に落ちたマグカップを瑞葉は慌てて拾い上げる。その途中で切ったのだろう、赤い血が滲んだ。

 

 その段に至って、林檎は呆然とする。

 

「赤い血……なんだ」

 

 瑞葉は掌から滴り落ちる血を見つめ、そうだな、と呟いた。

 

「わたし自身、赤い血が流れているなんて思いもしなかった。ブルーガーデンの兵士であった頃なんて、ほとんど人機と接続されている時間のほうが長かったくらいだ。人機の青い血が流れているのだと、説明されても頷いていただろう」

 

「その……絆創膏……あるなら貼るよ」

 

 マグカップを割ったのは自分の失敗だ。申し訳なさを感じた林檎は瑞葉より絆創膏を受け取っていた。

 

 それを貼ろうとして、自分の手に視線が行く。

 

 この身体にも赤い血が流れているのだろうか。訓練生時代、何度も血は見た。赤い血であったのは覚えている。

 

 しかし、その記憶が偽物ならば? 自分も青い血の……人機と同じ戦闘機械であるという可能性は捨て切れない。

 

「いや……そのほうがよかったのかもしれないな。考えずに済むから」

 

 ぼやいた言葉に瑞葉は呆然とする。慌てて絆創膏を貼ってやり、その思考を打ち切った。

 

 割れたマグカップを片づける瑞葉へと林檎は語りかけていた。

 

「そういうの、さ、どこで教わったの?」

 

 瑞葉の手が硬直する。灰色の瞳がこちらを窺っていた。

 

「そういうの、とは」

 

「コーヒーを淹れてあげるとか、他人に遠慮するとか、思い出話をするとか、そういうの。……何かさ、拍子抜けだよ。ブルーガーデンの人造兵士って聞いていたからもっと冷徹で、とんでもないほどに研ぎ澄まされた刃を想像していたのに……ただの女じゃないか」

 

 別段、何かに期待していたわけでもない。ただ、この女性がかつて強化兵であった、というのはどこか作り話めいていたからだ。

 

 瑞葉は絆創膏の貼られた手を見やり、そうだな、と口火を切っていた。

 

「きっと、あいつが教えてくれたんだ。わたしに、足りないものを。一緒に、この景色から始めてくれた人がいる。何もないわたしの、何もない空虚な心に、手作りを与えてくれた相手が」

 

「……恋人?」

 

 その問いかけに瑞葉は微笑んだ。

 

「どうだろうな。……わたしは、そうだと思っていたし、向こうもそうだったかもしれない。だが、今となっては何も。分からなくなってしまった。翼をなくし、精神点滴に頼る必要もなくなったはずなのに、この心に空いたどうしようもない欠落を、埋める術がないんだ。あいつが生きているのかも分からない。可笑しいだろう? こんなのがブルーガーデンの、かつて恐れられた強化実験兵なんて」

 

 自嘲する瑞葉に林檎は完全に毒気を抜かれていた。こうもてらいなく笑える時点で、この女性はもう――。

 

 林檎は身を翻していた。その背中に声がかかる。

 

「……怒らせてしまったか?」

 

「分かんない。分かんないけれど、さ。キミは満ち足りていたんだね。ボクとは違う。どこかに帰る場所があったんだ。それを作ってくれた人も」

 

 手作りでも、どれほどに拙くとも、帰るべき場所があった。自分には、それが今はない。

 

 どこに帰るべきなのか、何をもって帰れるのかも、分からなくなってしまった。手探りの状態で闇の中を進んでいるに等しい。瑞葉のように灯りが欲しかった。闇を照らす灯り、人の心を、映し出す揺らめき。瑞葉はあらゆる困難の末にそれを得たのだろう。自分はそれを得られるのか、何もかもが不明瞭のままだ。

 

「ただ、さ。待っている人がいるってのは、幸福だと思うよ」

 

 そう言い捨てて、林檎は部屋を後にしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯223 決闘

 向かい合う形の《スロウストウジャ弐式》同士を、こういった形で見るとは思わなかった。

 

 燐華は腹腔に力を込める。相手は歴戦の猛者。少しでも油断すれば取られる、という確信があった。

 

 ゆえにこそ、万全の姿勢で、なおかつ強気に向かう。倒すのには最善策を模索するしかない。

 

 モニターの一角にこちらを不安げな眼差しで見守るヒイラギを発見する。

 

 彼を含め、数人の連邦の兵士、スタッフが固唾を呑んで見つめる中、タカフミの人機が駆動する。

 

『あのよ、最初にも聞いたがハンデなしってのは、大丈夫なのか? いくらおれがアンヘルの兵士としては未熟だからって何も対等な条件でやる事はないんだぜ?』

 

「いえ、この条件で構いません」

 

 武装は最小出力に絞ったプレッシャーライフルとプレッシャーソード。この出力値ならばダメージは与えられず、純粋に命中した事のみが理解出来る。

 

 モニター席から声がかけられた。

 

『お二方とも、準備はよろしいですか』

 

『いつでも!』

 

 自信満々なタカフミに比して自分は慎重に言葉を継いだ。

 

「……始めてください」

 

『では。制限時間は三分間。その間に敵に命中させたポイントの高いほうが勝利となります。血塊炉、コックピットへの打撃は五十ポイント。その他の箇所は重要度の順番にポイントが振られ、百ポイント先取で勝利という条件でよろしかったですか?』

 

『いいぜ。分かりやすくっていい』

 

「はい。その条件で。勝利者には《ラーストウジャカルマ》への搭乗許可を。加えて、この裁量には一切関わっていないという署名も」

 

 後々、面倒ごとを起こされれば処理が重複する。今回、勝利者には素直に《ラーストウジャカルマ》への専属操主としての権利を。敗者には一切の異論を挟めない、という署名、というシンプルな落ち着けどころとなった。

 

『開始カウントダウン! 五秒前! 四! 三、二、一……』

 

 信号が青に染まる。燐華はスタートの声がかかるや否や早速仕掛けていた。

 

 速射モードのプレッシャーライフルによる銃撃。当然、一度相手は後退か、あるいは回避運動を取らなければならないだろう。

 

 その場合、大きな隙が生じる事を燐華は実戦経験で理解している。《スロウストウジャ弐式》が最も隙だらけなのは回避時であった。

 

 高出力の推進剤による小刻みな動きが確約されているのだと、操主でない人間ならば思い込みがちだ。

 

 実際には、トウジャの操縦感覚は大雑把である。

 

 新兵でも、熟練の兵士でも同じように扱えるため、という大義名分はあるが、その代わり両者に溝のように降り立つ操縦センスの壁は取り払われて久しい。

 

 つまりベテランであればあるほど、新型人機を過信してその動きの雑多さに翻弄される。

 

 読み通り、タカフミは最小限のスラスター推力で回避した。プレッシャーライフル下部に備え付けられている炸薬を放射する。

 

 眩惑の輝きに敵人機が足を止めた。

 

 大きな隙だ。見逃すはずもない。プレッシャーソードを引き抜き、燐華は血塊炉へと薙ぎ払ったつもりであった。

 

 一撃で決める。その覚悟は寸前、肌を粟立たせる殺意の波に遮られた。

 

 ハッと習い性の身体が機体を横滑りさせる。下段より振るわれたプレッシャーソードの一閃が肩口を切り裂いていた。

 

 通常時の出力ならば腕を落とされている一撃。

 

 燐華は息をつきつつ後退する。

 

 二の太刀が血塊炉を叩き割らんと迫っていた。

 

『惜しいな。勘はいいみたいじゃんか』

 

 プレッシャーソードを構えるタカフミの機体にはどこにも気負った風はない。自然体の動きで、自分の必勝の先手が潰された。

 

 その事実に燐華は目を戦慄かせる。

 

「これが……六年前の殲滅戦で生き残った、操主の実力……」

 

 肩口への剣筋は二十ポイント。だが、まだ腕は繋がっている。まだ動く、と燐華はマニピュレーターを握らせた。

 

 実戦ならばもう片腕を落とされている絶体絶命だが、これは模擬戦。せいぜい生き意地汚く戦い抜けばいい。

 

 最終的に百ポイント取れば勝ちなのだ。片腕程度では掠り傷にもならない。

 

『……片腕取られた、って意味、分からないわけじゃないだろ。降参するなら、今だぜ?』

 

 タカフミの言葉振りに燐華は奥歯を軋らせた。

 

「馬鹿にして……! まだ二十ポイント!」

 

 プレッシャーライフルの照準を敵機に向ける。掃射された銃撃をタカフミの機体は軽やかに回避し、周回軌道を描いてこちらへと接近しようとする。

 

 させない、とプレッシャーソードを引き抜き、その剣筋とぶつかり合わせた。最小出力値でも鍔迫り合いの干渉波が飛び散る。

 

『解せないな』

 

 接触回線に弾けた声に燐華は言い返していた。

 

「何が!」

 

『そこまで意固地になって、あの人機に乗る事はねぇって話。おれの一撃を避けてみせたんだ。《スロウストウジャ弐式》でも充分な戦果は上げられるはずだぜ? あんな危険な人機に乗らなくたって』

 

「その危険な人機に、あなたは乗ろうとしているでしょうに!」

 

 弾き返した一閃に敵機は滑るように銃弾を避けていく。

 

『そりゃあ、な。理由がある。おれには。……どうしたって、ブルブラッドキャリアと戦わなきゃならない。……少佐と瑞葉が、おれに繋いでくれているんだ。だったら! 応えないのは男じゃないだろ!』

 

「あたしだって! 理由なら、ある!」

 

 鉄菜を守るために。もう彼女が傷つくような世界を変えるために。この世界を揺さぶる絶対的な一撃が必要なのだ。

 

 そのための力ならば喜んで受けよう。罰や咎でも、それが自分に与えられた責務だというのならば。

 

『どっこい、おれとお前じゃ、覚悟の質ってもんが違うんだよ。……あんまし言いたくはないんだけれどよ。言わせてもらうぜ、諦めの悪いアンヘルの新兵』

 

「射程に入っている! 舌を噛むぞ!」

 

 速射モードの銃撃網が敵機を追い込もうとするが、タカフミの機体は跳ね上がり、全身を軋ませた。

 

 その動きの既視感に燐華はハッと後ずさろうとする。

 

 その時には、眼前に敵人機が迫っていた。

 

『――ファントム。エース嘗めんな』

 

 先の戦闘で両盾のモリビトが発揮してみせたファントムを目にしていたお陰か、あるいは本能的な部分か、瞬間的に距離を詰めた敵人機に対するうろたえは少なかっただろう。

 

 それでも、一閃、二の太刀、三の太刀が閃く。

 

 片脚、両腕の肘から先を斬られた。

 

 通常時の戦闘ならば、継続戦闘は間違いなく不可能な深手。

 

 模擬戦だ、と自分を落ち着かせようとするが、プレッシャーソードを構える敵機に息が上がってくる。

 

 ――これがエース。これが、伝説の操主の力か。

 

 それに比すれば自分などよちよち歩きの雛のようなもの。

 

 勝てる勝てないの次元ではない。物が違う。

 

 覚えずアームレイカーに入った力が緩む。それを見越して敵は刃を突きつけてきた。

 

『降参、なら受け付けるぜ。もう、実戦なら使い物にならないほどだ。分かるだろ?』

 

「まだ……まだ」

 

 あまりにも意地汚く戦いを続行するこちらに、タカフミはどこか冷笑気味に声にしていた。

 

『……そうかよ。物分りが悪いと、戦場では一番に命がないって教えられなかったのかね。次はコックピットを両断する』

 

 その非情なる宣告に燐華は身を強張らせる。出力が高い低いなど、関係がない。

 

 次で決められてしまう。

 

 その予感に、全身が虚脱したのを感じた。もう戦えない。戦えるような条件ではない。

 

 ポイント加算を目にする。既に六十ポイントの大差。これ以上差を広げられれば追い込むのは実質的に不可能。

 

 さらに言えば先ほどから緊張が持続しているのにも関わらず、戦意は今にも消え去りそうであった。

 

 萎えかけた己の意志に火を通すのに、燐華は丹田を殴りつける。

 

 痛みだけが、今は証明だ。この戦場にいるという。

 

『あんまし時間はかけさせないでくれよ。……ついでに教えてくれ。何であんなのを求める? あれは禁断の人機。あっちゃいけない人機なんだ。おれはあれを物にした後、誰にも悪用されないように自爆させるつもりだ。おれがあの力に呑まれても同じく。それくらい、あっちゃいけない力、人間を破滅させるものだ。それを分かっていて、……何であんなのに縋る? 何を求めているんだ? お前は』

 

 求めているもの。燐華は硬直してしまう。

 

 何を求めて戦場に意味を見出すのか。ずっと保留にし続けてきた一事に、覚えず力が入らなくなってしまう。

 

 タカフミはそれでも容赦をする気はないらしい。懐に踏み込み、一撃を与えに来る。寸前で回避するが、敵は張り付いて離れない。必然的に白兵戦闘を選ぶしかなくなり、プレッシャーソードを引き抜いていた。

 

 この至近距離ではファントムも意味を成さない。だが相手はどれほどの死線も超えてみせた歴戦の猛者。

 

 容易く血塊炉への一撃を与えさせてはくれなかった。どの剣筋もぶつかる前に霧散する。受け切られたこちらの切っ先にタカフミが嘆息をついた。

 

『無駄だぜ。もうその刃、先は見えている。答えを保留にしたままで、おれに勝てるなんて思うな。何を求めて戦場に意味を見出す? ……正直な話、お前みたいなタイプが血飛沫舞う戦場にいるなんて、信じたくはねぇよ』

 

 そうだ。自分は一つでも違えば、社交界に出て、一夜の享楽を貪り、ただ平和を甘受するだけの側だっただろう。それを変えたのは――。

 

「……負けられない」

 

『何だって?』

 

「あたしはぁ……っ! 友達のために。負けない! 負けたくない!」

 

 敵のプレッシャーソードを片腕で受け止める。まさか刃を素手で受けるとは思っていなかったのだろう。

 

 加算されていくポイントが視野に入る中、燐華は満身で声にしていた。

 

「負けられないのよぉっ!」

 

 吼えた機体がタカフミの機体へと猪突する。敵の刃が手の中をすり抜け、首筋へと入った。

 

 それと同じくして燐華の剣が血塊炉へと叩き込まれる。

 

 タカフミが刃を薙ぎ払ったのと、燐華が切っ先を突き込んだのはほぼ同時。

 

 両者のポイント加算に百が入る。

 

『ビデオ判定!』

 

 審判の声が響き渡り、先ほどの自分の攻撃がスロー再生される。

 

 血塊炉へと刃が入った。それと首筋にタカフミの剣筋が入ったのまではほとんど差異はない。

 

 だが、血塊炉を叩き割った一閃と、こちらの首を取った一撃にはコンマ一秒以下の誤差があった。

 

 審判が信じられない声音で判定を下す。

 

『し……勝者はアンヘルの操主! 燐華・ヒイラギ!』

 

 まさか、という空気に場が凍り付く。しかし、タカフミは潔く受け入れていた。

 

『負けた……か。まぁ、おれも修行不足って事かな』

 

 その言葉でようやく、燐華は自分が勝利したのだと実感する。全身が疲労感に包まれていく中、タカフミの通信の気安さが入る。

 

『お疲れさん。……だがまぁ、これからが本当の戦いだ。《ラーストウジャカルマ》、あの人機を動かすのには並大抵じゃ駄目になっちまうだけだぜ。それこそ、怒りに身をやつすしかない。心を燃やし、信念を焼き尽くすほどの怒りに。……だがおれは、怒りだけで戦場に出るもんでも、ねぇと思うがな』

 

《スロウストウジャ弐式》から降り立ったタカフミはこちらへとサムズアップを寄越す。

 

 勝ったのだ、という感慨を噛み締める前に、燐華は次の戦いへと己の信念を燃やしていた。

 

「あたしが……《ラーストウジャカルマ》を動かす。そしてモリビトを……墜とす」

 

 乗り越えた試練の先は、果てない闇夜に覆われていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯224 血潮舞う

 既に出撃した、という報告にUDは艦長へと声を振りかける。

 

「あのイクシオンフレームとか言う機体……信用出来かねる」

 

「それは操主が、かね?」

 

「……両方だ。悔しいがな」

 

「我々にももたらされた情報は少ないのだよ。ただ、あれは上役のお気に入りらしい。君と同じく、特別高次権限を持っている」

 

「お気に入りだけで戦場が飾れると思わないほうがいい。戦地はデスク回りではないんだ」

 

「……勇気が出れば忠告しておこう。ただ……あの人機、スペックだけ見れば確かにとてつもない。トウジャを踏み越えるほどの」

 

 艦長より暗号パスコードで秘匿された情報がもたらされる。UDは手持ちの端末で閲覧していた。

 

「……気になるな。リバウンド兵器の新たなる可能性、という触れ込み」

 

「なに、構造自体は六年前……赤と白のモリビトが使っていたものと同じらしい。今の今までその再現を行う事に若干のタブー視が入っていたのは否めない。結局、戦場に思想を持ち込むなと言っている側であっても、担ぎたいのだろう。験というものを」

 

「それと共に、このフレーム、明らかにトウジャよりも軽いな。内部構造上の欠点があると思わせられるほどに」

 

「旧ゾル国陣営は協力的との事だ。バーゴイルのフレームを発展させ、その上に全く別系統の機体思想を入れ込む。話に聞く限りでは、モリビトの機体構造に近いとの事だ」

 

「モリビトの……。やはりそうか」

 

「予感していたのかね?」

 

 艦長の試すような物言いにUDは嘆息をつく。

 

「どこかあの機体、モリビトを髣髴とさせた。……我が因縁の集約点であるところの……青いモリビトに近い」

 

「03、か。その機体ももう時代遅れだろう。これからの戦場はトウジャとイクシオンが席巻する。時代遅れの産物に過ぎない人機は排除され、新たに戦場が整えられる事だろう。お歴々はさながらデザイナー気分か」

 

「だがそのような気概で戦場を掻き乱されれば純然たる兵士は困惑する。あの機体と他の機体、編成を分けたほうがいい」

 

「それに関しては安心して欲しい。高次権限でね。もうイクシオンがどこにいるのか、何を見ているのかさえもこっちでは同期出来ない」

 

「……便利なものだ。高次権限というのは」

 

 踵を返したこちらに艦長は問いかける。

 

「どうするというんだ? 現状、第三小隊に任せてある」

 

「……俺は道場で剣を振るうのみ。作戦があれば聞こう。口出しは」

 

「無用、だったな。いいだろう。死なずのその実力。発揮されるのを心待ちにする」

 

「感謝しよう」

 

 立ち去っていく自分に対してそれ以上の言葉は投げられなかった。UDは展開されている作戦の同期映像を参照する。

 

 第三小隊の先陣――《ゼノスロウストウジャ》よりの策敵視界には敵艦が見受けられない事を発見した。

 

「潜んでいる……? だが、あの海域を見張られているに等しい。前回の戦闘の焼き増しだぞ、ブルブラッドキャリア。それとも……何か策でもあるというのか」

 

 それでこそ、とUDは密かに笑みを刻んだ。

 

 ――それでこそ、我が怨敵に等しい。

 

 獲物を狩るのにその甲斐もないほどに弱ければ、斬る価値も見出せない。

 

「逃げ回るもよし。あるいは……隠れ潜む事なく、立ち向かってくればなおよし。それでこそ、モリビト。次に会った時には必ず……」

 

 UDは親指で首筋を掻っ切っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『策敵センサーに反応なし。やっぱり敵は海中ですか』

 

 ヘイルのこぼした言葉に隊長はどこか得心した声音で応じていた。

 

「ならば炸薬で炙り出すのみ。……しかしブルブラッドキャリア。解せんな」

 

『海の中なら安全ってわけでもない、って学習しないんですかね』

 

「あるいは違う策を見せてくるか。いずれにせよ、我々は今回、端役だ。この戦場の主役は……」

 

『関知出来ませんね。こっちもどこに潜んでいるのやら』

 

 イクシオンフレーム。もたらされた情報だけで《ゼノスロウストウジャ》に比肩するものだというのは理解出来た。ただし、量産出来ないという点においてはこちらにまだ分があると思っていい。

 

「ヘイル。どう見る? あの機体」

 

『どうって……。強そうだとは思いました』

 

「強そうだとは、か。実に君らしい」

 

『だってそうでしょう? 操主次第でどんな人機だって化けるんですから。スペックが高くたって、中身ですよ。中身』

 

「同意見だが、トウジャを操っているとあながちそうでもないのではないかと思えてくる。この人機の機体追従性は前世代の人機を遥かに凌駕する。人機と操主……、切っても切り離せぬ仲であるのは明白」

 

『でもですよ。俺らに隠れてあんなの造るなんて、上も読めないって言うか……』

 

「政の領域の、やんごとなき方々だ。軍属には分からない事も多々あるだろう」

 

 ただ、と隊長は言葉を渋らせていた。イクシオンフレームに乗り込んでいたあの操主。あまりにも華奢であった。

 

 少女と言われても納得出来るほどの体躯でどうやって高性能人機を動かすというのか。どこか、《イクシオンアルファ》だけではない。あの操主にも秘密があるのでは、と邪推する。

 

 その時、声が弾けた。

 

『隊長! 策敵に反応! 敵艦と思われ……。何だよ、これ……』

 

 絶句するヘイルに隊長は声を被せる。

 

「どうした? ヘイル。状況を報告しろ。我が方の機体で迎撃する」

 

『いや……どんどんと熱量が上がっていって……。隊長! こいつ、マズイ!』

 

 何が、という主語を欠いて波間が弾け飛んだ。海水を爆発させるような勢いで黄金の輝きが棚引く。

 

 驚くべき速度で大質量が持ち上がっていく様は天地の終わりを想起させた。

 

「敵艦が……垂直機動を……」

 

 ブルブラッドキャリアの艦が真っ直ぐに天上を目指して跳ね上がっていく。その姿にヘイルも目を奪われていた。

 

『どういう……事なんだ、こりゃあ……』

 

 すぐに平静を取り戻したのは我ながら正答であっただろう。通信に対応を吹き込む。

 

「ヘイル! 照準! 合わせ! 敵艦はこのまま……大気圏まで突っ切るつもりだ」

 

『まさか! こんな大質量が大気圏まで持つはずが……』

 

「……現に持っているのだから仕方あるまい。この黄金の……あのモリビトと同じ輝きか。艦規模で実行可能だとは恐れ入ったな」

 

『感心している場合ですか! 墜としますよ!』

 

 ヘイルの機体が銃撃を見舞うがほとんどが弾かれてしまう。やはりあの輝き、特殊な力場を構築している。

 

 隊長は平静に静めた心持ちで照準し、プレッシャー砲を敵艦の機関部に狙いをつける。

 

「無敵というわけでもあるまい。もらった!」

 

 放たれたリバウンドの黄色い砲弾が機関部に直撃する。黒煙が上がる中、それでも敵艦はぐんぐんと離れていく。

 

『……射程外に、出ました』

 

「戦いは持ち越しか」

 

 レンジ外の警告が鳴る中、隊長は敵艦の進路に輝く何かを目にしていた。

 

「あれは……」

 

 すぐさま拡大する。

 

 飛び込んできた事実に目を戦慄かせた。

 

「あんな高高度にいつの間に……。《イクシオンアルファ》……。何のつもりだ」

 

 現状の人機では到達出来ないほどの高度で《イクシオンアルファ》が背中に装備した砲塔を突き出す。

 

 二問の砲身が熱を帯び、灼熱の域に達して煙が棚引いた。

 

「まさか……。轟沈せしめるというのか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《イクシオンアルファ》のデータは全て正常値を示していた。

 

 全天候周モニターには直上に迫るリバウンドフィールドの虹色の皮膜が捉えられている。

 

 シェムハザは淀みない仕草で敵艦との距離を概算し、地軸、重力、射程の数値を入れる。

 

 そうすれば水先案内人はバベルのサポートが務めてくれる。

 

 アームレイカーに腕を入れたシェムハザは笑みを刻んでいた。その吐息が白く輝いてヘルメットの中で漂う。

 

「……《イクシオンアルファ》、広域射程リバウンドブラスター。敵艦をロックオン。全ての計算値は正常域に固定。トリガーをこちらに移譲」

 

 格納された照準器がせり出し、シェムハザの視野を覆った。高精度照準補正によって黄金の軌跡を辿る敵艦へと五つもの照準器によるロックオンが入る。

 

 誤差はほとんどゼロ。機関部へと直撃させる。

 

「アムニスの序列三位。シェムハザ・サルヴァルディ。目標を迎撃する!」

 

 引き絞った一撃が膨れ上がり強大な光の瀑布となって《ゴフェル》へと直撃した。爆砕したのは間違いなく実感するも、敵艦は勢いを衰えさせる事はなく、宇宙へと向かっていく。

 

 舌打ち混じりにシェムハザは現状を報告した。

 

「……轟沈に失敗。しかし、大気圏の熱量も含め、あれではエクステンドチャージは尽きてしまうはず。外縁軌道に入っている別働隊に連絡。送り狼を出させろ」

 

『了解。旧ゾル国陣営に報告します』

 

 シェムハザは詰めた操主服の襟元を緩め、息をつく。

 

「ここで墜ちる程度なら、面白くないからね。楽しませてくれよ、ブルブラッドキャリア」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バーゴイル部隊が駐在地から離脱し、敵の軌道予測のデータを同期していた。

 

『奴さんも馬鹿だねぇ。また宇宙に上がってくるなんて。余程に墜とされたいらしい』

 

『旧ゾル国の意地を嘗めるな! ブルブラッドキャリアに教え込んでやろうぜ!』

 

 応、と声を響かせた同朋達は一斉に見え始めた敵艦へと照準を向けた。

 

『バーゴイル二十機編隊……どうやって切り抜けるよ? 上がってくるのに、相当ロスしたはずだろうが!』

 

 敵艦は格好の的のはず。その前提でプレッシャーライフルを引き絞ろうとした一機を予測地点とは別の場所からの銃撃が浴びせられた。

 

 撃墜の報に全員が驚嘆を浮かべる。

 

『撃墜? どうして……モリビトはあの中のはずだろう? 黄金の光を使えるのは、モリビトだけのはず……。それを利用して、上がってきたはずじゃ……』

 

 震撼する通信網へと新たな予測地点より急速接近する熱源が確認された。

 

 ブルブラッドキャリアの艦とは離れた位置から両盾のモリビトが銃口を向けて猛進してくる。

 

 宇宙を引き裂くその速度におっとり刀の銃撃は防御され、奔った一閃がバーゴイルを叩き割った。

 

『どうして……モリビトを出す暇なんてなかったはずだ!』

 

 吼えながらバーゴイル乗り達が応戦の弾幕を張る。敵機は軽やかにすり抜けて一機、また一機と撃墜していく。

 

 そのうち、リーダー機がある予感に凍りついた。

 

 だが、まさか、と何度も声を震えさせる。

 

『まさか、大気圏で? リバウンドフィールドを抜けてからすぐに射出を? 燃え尽きるはずだろう、そんな事をして、人機が!』

 

 しかし目の前の事象はそれを裏付けている。二十機の編隊が崩れ始めた。統率が乱れ、それぞれが三々五々に散る。

 

『固まれ! 散るなーっ! 敵は一機だぞ!』

 

『冗談じゃねぇ! あんな化け物、相手に出来るか!』

 

『おい! どこへ行く! モリビトとは言え、所詮はただの人機ィッ! 墜とせない道理など……!』

 

 瞬間的に接近した敵の姿にバーゴイル乗りが絶句する。その唇から悲鳴を迸らせる前に、両盾のモリビトが血塊炉を寸断した。

 

『ふ……ファントムだ! 敵はファントムを使用するぞ!』

 

 ゾル国のバーゴイル乗りならば誰もが憧れる最強の誉れ高い操縦技法、ファントム。しかし、それは実際には伝説に近い代物で誰も実現せしめた者はいないとされている。

 

 相手はそれを会得し、完全に自分のものにしている。

 

 それだけでもバーゴイル乗り達はこの場から逃げるのに充分な理由となっていた。

 

 隊列が乱れた隙を突き、中枢に近い位置にいる指揮官機へとモリビトが肉迫する。逃げる間もなく、機体が両断され、銃撃網は全て回避されてしまう。

 

『このっ……このォッ! 墜ちろよォッ!』

 

 プレッシャー兵器を掻い潜り、モリビトがリバウンドの銃弾を放つ。よろめいたこちらへと瞬く間に接近。その刃がコックピットを叩き割った。

 

 ものの三分にも満たない。外縁軌道のバーゴイルはほとんど全滅に等しい打撃を受けていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯225 新たなる希望

 

『《ゴフェル》、安定機動に入ります。……クロ、お疲れ様』

 

 鉄菜は宙域を漂う敵人機のデブリを弾き、《モリビトシン》を佇ませる。

 

「しかし、無茶な作戦を立案する。エクステンドチャージは確かに、惑星産の血塊炉ならば可能だと、ゴロウは言っていた。……だがまさかそれを、《シルヴァリンク》の血塊炉で実行するなんて」

 

『あら? おかしい? どうせ格納庫で眠っているだけにしておくんなら、有効活用、でしょ?』

 

 悪びれもせずに言ってのけた茉莉花に鉄菜は嘆息をつく。厚顔無恥と言うべきか、あるいは策士とでも評するべきか。

 

「艦もよく持ったものだ。賭けに等しい作戦はあまり推奨出来ない」

 

『賭け? 何を今さら。あなた達ずっと賭けっ放しでしょう?』

 

 言われてしまえば立つ瀬もなし。鉄菜は宙域に敵性反応が消えたのを確認してから《ゴフェル》へと機体を翻させた。

 

「《モリビトシン》、一時帰投する。だが、外縁軌道にあまり留まってもいられないだろう。ここはもう、奴らの領域だ」

 

 旧ゾル国の軌道エレベーターの守備領域であり、かつての古巣の目が届く場所でもある。

 

『ブルブラッドキャリア本隊が一両日中に仕掛けてくる可能性も加味しておくわ。鉄菜、とりあえず《モリビトシン》を一旦、メンテナンスへ。さすがに大気圏突破からの強攻出撃は機体負荷が相当なはずよ』

 

 ニナイの言う通り、《モリビトシン》の内部骨格ががたついている。このままでは破損もあり得ただろう。

 

「次の戦闘までの時間はあまり取れないだろうな。本隊……《アサルトハシャ》が襲ってこないとも限らない」

 

『それだけなら、まだ、ね。問題なのは敵にも血続がいる事』

 

《モリビトセプテムライン》を操る最新鋭の血続。それとかち合えば今度こそ雌雄を決する事になり得るはずだ。

 

 戦いは慎重を期さなければならない。

 

《ゴフェル》の甲板に取り付き、格納庫へと誘導灯を頼りにして入っていく。

 

 収容確認を視界に入れて鉄菜はコックピットの気密を解いた。既に無重力の虜となった艦内でコックピットハッチより浮き上がる。

 

「クロ、このままブリーフィングルームへ。ニナイと茉莉花から月面軌道への突入作戦とやらを聞きましょう」

 

 手を取った桃に連れられ、鉄菜は整備デッキを抜ける。

 

「月面軌道……だが、宇宙に出てもそれらしい建造物はない。……本当にあるんだろうな? 月とやらは」

 

「あると思わないとやっていけないでしょ?」

 

 それはその通りだ。ここまでの苦労が水泡に帰すのだけは勘弁願いたい。

 

 ブリーフィングルームには既にミキタカ姉妹が到着していた。二人はどことなくギスギスとした空気を漂わせている。

 

 桃も、二人とは目線を合わせなかった。

 

「揃ったわね」

 

 茉莉花が中空を手で払うと投射映像が飛び出す。リアルタイムで映し出されている宙域にはしかし、何もないようにしか見えない。

 

「……これが月だと?」

 

「偽装迷彩よ。何百年単位の、ね。太陽光エネルギーでずっと稼動している。《シルヴァリンク》の光学迷彩と同じ仕組みだと思ってもらって結構」

 

 月とやらがどれほどの規模なのかは分からないが、モリビトを建造出来るプラント設備が存在する、という前情報だけでもそれなりの大きさだと見るべきだろう。

 

「大質量を……光学迷彩で」

 

「分からない話でもないわ。これを」

 

 画面が切り替わり、ゾル国の外縁軌道部隊の偵察ルートが記されている。

 

 鉄菜はそのルートの法則性に気づいた。

 

「月があると思しきルートが、危険域に?」

 

「そう、外縁軌道部隊は元々スカーレット隊の役割を汲んだ部隊だけれど、そのスカーレット隊の頃から、このルートの内月面軌道は危険域、レッドゾーンに指定されている。理由は分かる?」

 

 誰もが首を傾げる中、茉莉花は腰に手を当てて説教するように言いやった。

 

「……憶測でも言いなさいって。まったく、これだから頭を動かさない輩は」

 

「じゃあ、何だって言うのさ。その理由って」

 

 林檎の鋭い追及に茉莉花は胸を反らす。

 

「質問出来るだけ偉いわね。重力圏、経験したから分かるでしょうけれど、月面にも重力が存在する。とは言っても、地上の六分の一程度でしょうけれど」

 

「その六分の一Gに吸い寄せられるとでも?」

 

 桃の問いに茉莉花は頷いていた。

 

「そう、この圏内は魔の宙域とされている。古くの文献資料には月の存在は示唆されていたけれど、ほとんどは元老院によって封印されていた。何故だと思う?」

 

「地上の言論統制……思想の均一化、か」

 

 こぼした声音に茉莉花は指を振った。

 

「ノンノン、それだけなら、月の存在を隠す必要はないでしょう? 彼らは恐れていたのよ。宇宙からの襲撃者を。最初から、追放したブルブラッドキャリアの巣窟として、月はマークされていた」

 

 だが、そうなると疑問が生じる。

 

「どうして、今の今まで月は監視外に?」

 

『それは、こちらから補足しよう』

 

 転がり出たゴロウは投射画面を操作する。月軌道への突入ルートが試算される中、月面の予測図面が表示された。

 

 その大きさに、鉄菜を含め全員が絶句する。

 

 思っていたのは所詮は資源衛星よりも少し大きい程度であったが、あまりにも巨大なその威容に息を呑む。

 

「こんな巨大な衛星が……」

 

『今の今までどうして月が地上から観測不可能であったのか。それは我々、元老院の措置がある。百五十年前……月面にも人機製造プラントは存在し、宇宙でも人機は造られ続けていた。地上から血塊炉を輸出し、月は独自の文化を築き上げていたのだ。ただのプラント設備があるだけではない。月には人が移住していた。地上人の数パーセントは月で働き、人機の安定供給を実現していた』

 

「……じゃあ何で、月の情報が人々から抜け落ちていたの? それじゃまるで……」

 

 言葉を濁した桃にゴロウは首肯する。

 

『そう、まるでではない。まさしく、宇宙の人々は棄民されたのだよ。百五十年前の功罪と、リバウンドフィールドの天蓋でね。それこそが、プラネットシェル計画の最たるものであった』

 

 プラネットシェル。元老院が推し進めていたリバウンドフィールドによる超高高度からの爆撃、あるいは各国による攻撃を抑止するための政策。それらは三国によって補強され、百五十年の平和を約束していた。

 

「……プラネットシェルを確立するためには、月という存在は邪魔だった、というわけか」

 

 鉄菜の直感にゴロウは是とする。

 

『その通りだ。大気圏より先にあるのはゾル国の軌道エレベーターのみ。その関係性が三国の緊張を加速させていた。いや、ほどよく彼らの舵取りが出来たとでも言うべきか。地上は地上の人間のみで合い争う。その図式を少しでも間違わせれば、三国はどうなったと思う?』

 

「恐らくは、現状よりも混沌とした戦場が広がっていたでしょうね」

 

 桃の指摘にゴロウは頷いた。

 

『三国の均衡性を守るためには月からの攻撃、という可能性は棄却せねばならなかった。月面などという場所は存在しない、と思い込ませるのが一番であったのだ』

 

「でも、生きている人間はそれを覚えているはず。百五十年前の生き証人が……」

 

『そのようなものはいない。百五十年前、月面の存在を知り得ていた層はほとんど死に絶えた。ブルブラッド大気汚染より身を守る術を確立した世代はもう生きてはいまい。それは二十年前にはもう確認済みだ』

 

 全て、元老院の思うままに進んでいたという事だろう。自分達、ブルブラッドキャリアが攻めてくるまでは。

 

「月面でのモリビトの製造……ブルブラッドキャリアの報復作戦が強行されるまではお前らは高みの見物を決め込めたわけか」

 

『その見物状態も解かれた。モリビトという存在によって』

 

 しかし、それならば何故、月面をすぐに脅威判定に挙げなかったのだ。モリビトが製造されているとすれば月だとすぐに予感出来たのではないか。

 

 疑問の帰結に茉莉花が口を差し挟んでいた。

 

「たとえ地上の元老院が月からの資源を疑えても、他の三国には教えられなかった。月の存在は。だってどこかの国のものになってしまえばそれこそ事だもの。月面クラスの資源が恒久的に採掘出来るとすれば、三国はブルブラッドキャリアには目もくれず、互いの利権争いに必死になっていたでしょう。現状のC連邦の一強はより早く、強固になっていたでしょうね」

 

『月面採掘……その魅力に人類が勝てるとは思えなかった。ゆえに、我々はモリビトとブルブラッドキャリアの巣窟が月だと半ば分かっていても、放置せざるを得なかった』

 

 全ては人類の功罪がため、か。惑星の人々はブルーガーデンが滅びただけでもバランスを崩した。そこに月面という魅力的な資源が絡めば情勢は悪化する一方であろう。

 

「でも、月にモリビト製造プラント以外に、何があるというの? 血塊炉は、だって採掘出来ないんでしょう?」

 

 桃の疑問に茉莉花はデータを羅列する。

 

「血塊炉は無理でもガワとなる人機自体はどれだけでも製造出来る。月面を押さえる事が出来れば、こちらの不利は一変すると言ってもいい。吾の考案したセカンドステージ案を実行するのには、ね」

 

 モリビトのセカンドステージ案。《モリビトシン》、《イドラオルガノン》、《ナインライヴス》、全てをこれまで以上に強化する事が可能だというのか。

 

 今のままではトウジャ相手に苦戦するばかり。打破したいのは自分も同じであった。

 

「協力はする。月面をブルブラッドキャリアから取り返せばいいんだな?」

 

「言うには容易そうだけれど、月面はこの百五十年で完全にブルブラッドキャリアの牙城と化した可能性が濃厚よ。だってあなた達だって教えてこられなかったんでしょ?」

 

 それは、とニナイが口ごもる。ブルブラッドキャリア上層部の支配する魔の領域。モリビトの生まれた場所。

 

「《アサルトハシャ》程度が守っているとも思えない。もっと強大なセキュリティシステムがあると思ったほうがいい」

 

「……それこそモリビトクラスか」

 

「それでも大分、低い見積もりだけれどね。吾も試算したけれど、もしかすると想像を超える何かが守っている可能性が高い」

 

 想像を絶する存在。唾を飲み下した桃に鉄菜は前に歩み出る。

 

「いずれにせよ、奪還以外の選択肢はない。宙域に漂っていれば体のいい的だ。ゾル国やアンヘルもいつ追いついてこないとも限らない。月面奪還作戦を決行してくれ。いつでも行ける」

 

 鉄菜の強気な言葉に茉莉花は頬を緩める。

 

「……いい返事じゃない。モリビトは三機とも投入するわ。《イドラオルガノン》は修復したてだけれど戦線を張ってもらう。海中戦闘用の《イドラオルガノン》は空間戦闘も視野に入れているから。それなりの働きを期待するわ」

 

「誰に物を……ボクらは墜とせと言われたものを墜とすだけだよ」

 

「よく出来ました。百点満点の解答よ」

 

 乾いた拍手に林檎は吐き捨てる。

 

「バカにして……」

 

「いずれにせよ、月面への強襲作戦は急務。みんな、ここが踏ん張りどころよ。ブルブラッドキャリア本隊より月を奪取する」

 

「そこから先は、任せて頂戴。セカンドステージ案もプラント設備さえ掌握出来れば二時間で実行可能なものがある。鉄菜・ノヴァリス。あなたの《モリビトシン》をまずは完璧にする」

 

「私のモリビトを?」

 

 問いかけた瞳に当たり前でしょう? と茉莉花は腰に手を当てて言いやる。

 

「あなたの《モリビトシン》、あのままじゃ不確定要素が大き過ぎる。あんなの出せないわよ、これからの戦い。作戦において少しでも不利を解消するのには《モリビトシン》に追加増設パーツが必要だと判断するわ」

 

「追加増設パーツ……」

 

 茉莉花は手を払い、その強化案を浮かび上がらせる。巨大な盾の威容を持つ戦闘機であった。鋭く尖った意匠に鉄菜は息を呑む。

 

「そう、《モリビトシン》のセカンドステージ……《クリオネルディバイダー》はね」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯226 戻れぬ修羅

 

『愚かなる者達は地上での応戦を諦めたか。あるいは我らの術中にはまる事をよしとしたか』

 

 上層部の議案には《ゴフェル》の殲滅作戦が提言されていた。他の端末もそれを認可する。

 

『いずれにせよ、裏切り者には死を。それがブルブラッドキャリアの鉄則だ』

 

『しかし、このままの軌道ルートを経れば連中……月へと至る。どこで情報を仕入れたのかは知らないが、月面の守りは』

 

『無論、疎かではない。月には最大の功罪を用意してある。この百年余り、ほとんど稼動確認が成されなかった代物だがゾル国のバーゴイル乗りには語り継がれているらしい。魔の領域――ムーンライトトライアングルが』

 

『皮肉なものだな。月の存在は知り得ていないはずの連中にそのような名前のみが伝え聞かれているなど』

 

『いずれにせよ、あの機体を撃墜するのは不可能だ。その射線を潜り抜けるのも、な。あれは百年の鉄壁を誇っている。先の殲滅戦であれを資源衛星の守りにする作戦もあったが、我々は細く長く、ブルブラッドキャリアの組織存続を選び、今日に至った。組織内部でもあれの存在を知っているのは我々のみのはず』

 

『だが、月面都市ゴモラを掌握されれば権限は地に堕ちる。守りは過剰なまでに、がちょうどいい』

 

『軽んじてはいないとも。あれを出させろ』

 

 全議席の承認が取れ、今まで拷問椅子に括りつけられていた少女がよろめきながら議会の前に歩み出ていた。

 

 黒かった長髪は白く染まっており、痩せこけた身体は今にも崩れ落ちそうだ。

 

 それでも、その瞳孔に宿った殺意だけは本物だ。

 

『リードマン、それに他の担当官の手記を基に完成を見た、新たなる最強の血続だ。梨朱・アイアス。作戦を執行せよ』

 

「……仰せのままに」

 

 傅いた下僕に議会の人々は完全勝利を予感した。

 

『《モリビトセプテムライン》、整備は完了している。搭乗し、敵を撃滅。我らの背信者を確実に地獄へと叩き落せ』

 

「……仰せのままに」

 

『これが完成形か?』

 

『そのはずだが……今一つ反応が鈍いな。もっと調整が必要か』

 

 その言葉に梨朱は目を戦慄かせてさらに頭を垂れた。どうやら調教によるこちらへの忠義は完璧らしい。

 

『成果を期待している』

 

「はっ。……この梨朱、一命にかけて任務を……遂行します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゾル国の軌道エレベーターは既にC連邦傘下に入ったとは聞いていたが、まさか自分達を快く出迎えるとは思っても見なかった。

 

 こちらを視野に入れたゾル国高官が笑みを刻む。

 

「よく来てくださいました」

 

 まさかそこまでの歓迎が待っているとも思えず、燐華はうろたえたほどだ。だがその賛辞のほとんどはヒイラギに向けられたものであった。

 

「よろしく頼みたい。娘の……ちょっとした戦場に」

 

「なに、サポートは惜しみませんよ」

 

 高官の人のいい声音に燐華は不安に駆られたほどだ。C連邦と旧ゾル国陣営は建前上、協力関係にはあるが、それは所詮、建前の話。実際の戦地になればお互いに反目し合う様を見てきたこちらからしみれば薄気味悪かった。

 

 ヒイラギの袖を引き、燐華は目で問いかける。ヒイラギは強く頷いた。

 

「ちょっとした借りがあってね。軌道エレベーターの監視員は友人なんだ」

 

 そのような容易い間柄ではないはず。如何に自分がアンヘルで汚いものを見てきたのかがよく分かった。ヒイラギの言葉でさえも今は信用出来ない。

 

 借り、と言われてしまえばそれは国家を揺るがすレベルであると容易に想像出来てしまった。

 

 思えばヒイラギはどう考えても高次権限の持ち主である。

 

《ラーストウジャカルマ》の封印場所を知っていただけではない。自分をアンヘルに入れ、クサカベの名前を完全に消し去った。

 

 それだけでも驚嘆すべきなのに、今まで疑わなかったほうが不思議であった。

 

「しかし、ご令嬢、まさか操主であったとは」

 

「アンヘルのまだ新兵ですが、腕は確かです。タカフミ・アイザワ大尉に勝利してみせましたほどですから」

 

 タカフミの名前は六年前の殲滅戦で敵にも語り継がれている。その名前を出しただけで高官は目を丸くした。

 

「あの白兵の天才の? それはそれは! 楽しみですな!」

 

 恰幅のいい高官は身体を揺らして笑う。どこかこの状況が素っ頓狂に思えてしまって、燐華は目を伏せていた。

 

 これから先、実行される作戦とはまるで遊離している。

 

 軌道エレベーターの最上階に辿り着き、無重力の虜となった身体を浮遊させた。

 

「バーゴイルが常に三十機は駐在しております。……ですが、つい一時間ほど前、そのうち十機前後が大破しました」

 

「……もしやブルブラッドキャリア?」

 

 高官は重々しく頷く。燐華は拳を骨が浮くほど握り締めていた。

 

 ――ブルブラッドキャリア。宇宙まで上がってくるなんて。

 

 余程自分との決着をつけたいと見える。双眸に意志を湛えた燐華を見やり、高官が笑い声を上げる。

 

「頼もしい面持ちですな! ご令嬢は大物だ!」

 

 この太っちょの軍人は今まで何を見てきたのだろうか。軌道エレベーター勤務は確かほとんど戦場とは無縁と聞く。

 

 この男は地上で繰り広げられている阿鼻叫喚の地獄絵図にはまるで無知。知らぬ存ぜぬが通用する世界で生きているのだ。それならば笑いの数が多くなっても頷ける。

 

 整備デッキには既に宇宙にリニアで上げられていた愛機が佇んでいた。整備班が必死になってケーブルを繋ぎ、内部点検に勤しんでいる。

 

 太っちょが近づくと全員が挙手敬礼した。それに返礼し、高官は声にする。

 

「状況は?」

 

「フレーム周りに僅かな痛みがありますが、予測範囲内です。それにどうせこの人機、両腕が換装されているので使い道はいくらでも。そちらのオーダー通りに両手両脚は全盛期のものに差し替えておきました。ちょっとシステム面は特殊ですが、血続のトレースシステムに慣れていれば難しくはないはずです」

 

 端末を差し出した整備スタッフに、高官は目を通してからヒイラギへと振り返っていた。

 

「如何ですか! 我が方の技術スタッフは! 優秀でしょう!」

 

 どうしていちいち声を張り上げなければならないのだろう。それほどまでに自信がないのだろうか、と燐華は勘繰ってしまう。

 

 ヒイラギはスペック表を見やり、次いで当の人機を眺めた。

 

 紺色の機体色に、両腕両脚は特殊な刃節によって固定され、刺々しい刃を帯びている。

 

 全盛期に、というオーダーにはもっと時間がかかるかに思われたが、実際に整備を始めてみればものの三時間程度で済んでしまった。これにはヒイラギも驚きを隠せないようである。

 

「こんなに早く……整備出来るなんて。思いませんでしたよ」

 

「なに! トウジャのメインフレームを輸出しているのは我が方です! 六年もの間トウジャの安定供給を約束しているのならば同じトウジャフレームならば容易い事!」

 

 それは自分の特権ではないだろうに。この高官はまるで全てが自分の手柄のように言ってのける。

 

「スペック上の参照値がありませんので予測値に過ぎませんが、これならばブルーガーデンの強化兵が使っていた頃よりも使いやすく、なおかつ操主の期待通りに動くはずです。この《ラーストウジャカルマ》はね」

 

 六年の月日は強化兵しか使えなかった人機を一般向けにまで引き下げた。技術の進歩に感謝すべきか。あるいは、これを使っていた名もない強化兵に感謝すべきだろうか。

 

「しかし、不安要素はありますね。ハイアルファー……」

 

 こぼしたヒイラギに高官は鼻を鳴らしていた。

 

「なに、さほどの脅威ではありませんよ。【ベイルハルコン】でしたかな。怒りの感情を吸い上げ、機体追従性能を大幅に上げるハイアルファー。実のところ、ほとんどデメリットはないのです」

 

 思わぬ言葉にヒイラギは問い返していた。

 

「本当ですか? しかし、ハイアルファーは非人道的だと」

 

「条約では決まっていますね。ですが、それは所詮過去の産物なのです。今の技術と操主を用いればハイアルファーなどオカルトですよ。血続操主であるのならば、【ベイルハルコン】の放つ巨大な残留思念には中てられずに済むでしょう」

 

「残留思念……ですか」

 

 どこか現実からは遊離した言葉に燐華は尋ねていた。

 

「ええ、そう表現するのが妥当でしょう。【ベイルハルコン】は戦場の残留思念を吸い込む性質があります。だから泥仕合になればなるほどに、これは危険度を増す。ですが……今の戦場はほとんどトウジャの一強。現時点において何度か試行しておりますが、一度も残留思念で仮想シミュレーターが破損した事はありません」

 

 だがそれはこの者達が想像出来る程度の戦場に過ぎない。実際の戦いとなればイレギュラーはつき物のはず。

 

 こちらの不安要素を汲み取ったように高官は《ラーストウジャカルマ》に触れてみせた。

 

「これが、恐れられていた封印指定の人機ですかな? わたしのような門外漢でも触れられますよ?」

 

 それは内側に操主を内包していないからだ。あるいは、六年もの間、恩讐を飲み込まずに済んでいたからか。

 

 今の《ラーストウジャカルマ》はほとんど生まれたての雛に等しい。この雛はしかし、人を容易く呑み込む魔の人機だ。

 

「早速ですが、アンヘルより命令が下っています。この人機の実戦配備計画を」

 

 燐華はこれ以上高官との繰り言に時間を費やす気もなかった。無論、と応じかけた高官の端末が鳴る。

 

「失礼。……なに? もう一機上がってくるだと? その機体で試せというのか。モリビトを!」

 

 声を荒らげた高官と、モリビトという単語に燐華は目を見開く。高官は今までのふざけ切った面持ちからは一転、深刻そうに顔を翳らせる。

 

「……申し訳ありません。ヒイラギ様、それにご令嬢。出撃は後回しになりそうです」

 

「……何で!」

 

 掴みかかりかけた燐華に高官が声を漏らす。

 

「地上より別働隊の機体が……! そちらを先に出せとアンヘル上層部より……」

 

「でも、あたしの《ラーストウジャカルマ》でも行けるはず」

 

「……分かりやすく言いましょう。高次権限持ちです」

 

 高次権限。アンヘルにおいて独自の作戦形態が可能な人間を差す言葉だ。彼らの作戦は何よりも優先される。

 

「……でも、せっかく宇宙に来たのに……!」

 

 悔恨を噛み締める燐華に高官はやんわりと言ってのける。

 

「その……別にいいではありませんか。モリビトと会敵せずに済むのですから」

 

「そんなだから! 日和見だって言われるんですよ!」

 

 燐華の放った言葉はこの場にいる全員に響き渡っただろう。沈黙が凍りついたように降り立つ中、ヒイラギがフォローした。

 

「……高官殿。では次の約束と行きましょう。次こそは、《ラーストウジャカルマ》を前線に出すと」

 

「先生……! でも……」

 

「これでも最大限の譲歩だろう。高次権限持ちに逆らえば君の立場も危うい」

 

 確かにアンヘルの軍規に従うのならば、高次権限持ちに噛み付くべきではない。

 

 だが、もしこれでモリビトが撃墜でもされれば、自分は誰を恨めばいいのだ。何のために、伝説の操主を上回ってみせたのだと言うのか。

 

「……あたしは」

 

「呑み込むんだ。次の戦場では前に行ける。今は、それだけを糧に」

 

 呑み込む。この六年間で何度も行ってきた事だ。どれほどの理不尽でも、呑むしかない事案はある。

 

 燐華は高官を睨み据えた。相手がひっ、と短い悲鳴を上げる。

 

「あたしと、《ラーストウジャカルマ》。次の戦場で必ずや、それに見合う戦果を挙げてみせましょう」

 

 その言葉を潮に身を翻す。背中にかかったのは、「まるで夜叉だ」という言葉であった。

 

 いいとも。夜叉でも何でも、好きに飾り立てればいい。

 

 自分はもう戦い抜く道しか残されていないのだから。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯227 追えない背中

 廊下を折れたところで不意に出くわした瑞葉に、茉莉花は目を見開いていた。その数式に思うところがあったのだ。

 

「……あなたね。すごい数式。面白いわ。ブルーガーデンの造り上げた、最大の功績。強化実験兵の生き残りなんて」

 

 瑞葉は悲しげに眉を伏せる。おかしい、と茉莉花は感じていた。

 

 数式が戦闘を主とする者にしてみてはあまりにも……変動している。

 

「ねぇ、人機には乗らないの? あなたのためなら見繕ってあげるわ。ジャンクでも、あなたなら一級の人機に仕立て上げるでしょう?」

 

 茉莉花は少しばかり浮き足立っていた。人造兵士。その中でも最上級に位置する強化兵をどれほどの高みに持っていけるのか。ワクワクする、という感情が最も適任であった。

 

 ――しかし、瑞葉からはまるで戦闘の気配は感じられなかった。それどころか、現れたのは凡俗の数式である。

 

「……わたしはもう、人機に乗る事は」

 

「ねぇ、どうして? あなた、だってよっぽど……あの血続姉妹よりももっとよ? もっと適任なのに、何で? 何で乗らないの? 人機に乗れば一番高いところに行けるわ。素晴らしい領域に! だって言うのに、何で拒絶するの? 戦いへの意志を! その崇高な数式を! ホラ! 今もこの数式……信じられない、これほどの人機との適合率なんて、見た事ないわ!」

 

 興奮気味に語るこちらに比して、瑞葉はどこか醒め切っていた。

 

「……クロナに誓ったんだ。もう戦わないと。クロナだけじゃない。タカフミにも、少佐にも誓った。……戦わないでいい未来があるのだと。彼らに教えてもらったわたしが、そう軽々と人機に乗っていいわけがない。わたしからしてみればそれは安直な逃げだ。自分の居場所が、人機の操主席にしかない、なんて」

 

 茉莉花は瑞葉の言葉に胡乱そうに眉をひそめた。

 

「何それ。……言っておくけれど、あの操主姉妹のどっちにも言わない事ね。それ、嫌味以外の何者でもないわよ。鉄菜・ノヴァリス、桃・リップバーン、それにミキタカ姉妹……そのどれもを凌駕する才能を持っていながら、その言い草? ……持たざる者には一生分からないものでしょうね。才覚があるのに使わないなんてもったいないったらありゃしない! 今からでも《モリビトシン》のシステムOSをあなた専用に作り変えてもいいくらいに! とっても人機に見合っているのに、何で? 何で戦いを拒絶するの!」

 

 瑞葉は言葉を選びかねている。当然だろう。これ以上ない適任者だ。人機を動かすのに、最良の存在だというのに。

 

「……戦わないでいいのだと、教えてくれた人達を、わたしは裏切れない。彼らは必死になってわたしの居場所を作ってくれた。どれだけでも、無茶をして……。だから応えなければならないんだ。わたしは、戦わない事で」

 

 その発言を聞いて茉莉花は呆れ返っていた。過ぎた日和見もここまで来れば重傷である。

 

「……戦わない事で何が示せるって言うの? 《ゴフェル》にいる以上、最悪の場合は戦ってもらうわよ。たとえそれを鉄菜・ノヴァリスが拒んでも。あなたが戦わない事で消えてしまう命もあるって覚えておく事ね」

 

 鼻を鳴らし、茉莉花は身を翻そうとする。その背へと声が投げられた。

 

「……わたしに、戦う以外に出来る事はないのだろうか。クロナや、みんなのために、出来る事を模索したい」

 

 どこまでも、と茉莉花は苛立ちを募らせる。

 

「……さぁ? 知らないわ。身勝手に戦いたくないって言うくせに、今度は役に立ちたいですって? 自惚れない事ね。戦いしか向いていない人間がそうも容易く色んな事が出来るなんて。あなたは戦闘機械なのよ。どれだけ言い繕ったって、ブルーガーデンの強化兵。だって言うのに、一端の人間みたいな事を言っちゃって……。気に食わないったらありゃしない」

 

 こちらが不機嫌になるのに、瑞葉は困惑しているようであった。

 

「……すまない。わたしには、誰かを幸福に出来るような、そんな資格はないのだろう。それでも、クロナには……恩を返したい。どれほど返し難いものでも、それでもわたしは……」

 

「恩義、ね。勝手な都合よ、そんなもの。鉄菜・ノヴァリスが勝手やって、あなたまで勝手に振る舞えば吾みたいに気に食わないって思う人間は出てくる。せいぜい、後ろから撃たれない事ね」

 

 手を振って会話を打ち切る。

 

 もっと有意義な事が聞けるかと期待していた。相手はブルーガーデンの生き残り。ともすれば自分の求めていた答えがあるかも知れない、と。

 

 だが、とんだ見込み違いであった。

 

 あんな眼をした人間は、戦士ではない。

 

「……本当に、とんだ見込み違いばっかり。この舟は」

 

 こぼした途端、アラートが鳴り響いた。茉莉花は瞬時にシステムへと繋ぎ、敵の熱源関知を脳内に叩き込む。

 

 廊下でうろたえている瑞葉に叫んでいた。

 

「敵襲よ! 戦えない人間はさっさと逃げ隠れすれば?」

 

 自分は他の者達をバックアップしなければならない。駆け出し始めた茉莉花は真っ直ぐにメインブリッジに向かっていた。

 

 ニナイがこちらへと向き直る。

 

「早かったわね」

 

「嘗めないで。システムを掌握しているのよ? で? 何が近づいてきているって?」

 

「人機が一機……。信号はアンヘル。でも、妙なのは識別信号に参照データが存在しない事」

 

「未確認の人機、っていうわけ。四人とも、聞こえているわね?」

 

 整備デッキに向かっているであろう操主四人へと茉莉花は接続する。

 

「現状、《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》は下手に出せないわ。《モリビトシン》による単騎迎撃に入る。もしもの時のバックアップに《ナインライヴス》は甲板に固定。《イドラオルガノン》は待機」

 

『待機? 冗談! 出られる!』

 

 林檎の声に茉莉花は舌打ちする。

 

「出てもいいけれど、墜とされるわよ。それと分かっていてなら、話は別だけれど」

 

 林檎が渋々と言った様子で引き下がる。モニターに鉄菜の姿が映し出された。

 

『《モリビトシン》で迎撃……。月面へは?』

 

「まだ半日はかかる見込み。その間攻められれば痛い。この敵、どうしても墜とさなければ禍根を残すわ」

 

『了解した。発進シークエンスに入る』

 

 通信を切った鉄菜に茉莉花は息をつく。ニナイが顔を覗き込んできた。

 

「……何かあった?」

 

「……どうして分かるの?」

 

「ちょっと、らしくなかったから」

 

「らしくなかった、か。そうね、らしくなかったかもしれない。……ニナイ艦長、あれは分かっていて収容しているのよね? ブルーガーデンの生態兵器」

 

 どうしても誰かに問い質したかった。分かってて戦闘をさせないようにしているのか、と。

 

「……鉄菜の提案よ。無碍には出来ないわ」

 

「その言い草じゃ、あなたも疑問には感じているわけ。あの瑞葉って言うのあまりにも……人間らしいから」

 

「そうね。思っていたよりずっと人間っぽくって私達も掴みかねている。でも、それはいいんじゃないの?」

 

「いい? どういう事?」

 

 問い返した眼差しにニナイはどこか明日への展望を浮かべていた。

 

「だって、鉄菜は変えられた、って思えたから彼女を連れて来たんでしょう? それはきっと、いい事なのよ」

 

「いい事、ね。……どうにも解せないわ」

 

「解する必要も、ないのかもしれないけれどね」

 

 それが解せないという事なのであるが、茉莉花は答えを保留にした。

 

 今は月面到達まで少しでも損耗を避けたい。理解出来ない事象は後回しだ。

 

「にしても……あの人機」

 

 拡大モニターに表示された敵人機に茉莉花は絶句する。

 

 トウジャとも他の現存する機体とも違う。紺色の疾駆に違いない姿なのであるが、肩口が異様に発達しており、背中には増設ブースターを備え付けられている。

 

 一目で高機動型だと判断出来るが、問題なのはその手首から先であった。

 

「手首から先が……ないように見えるわね」

 

 手首から先のない人機など目にした事がない。どのような特殊機構が組み込まれているのか全く不明であった。

 

 数式を読もうとしても、宇宙空間であるせいか、上手く読み取れない。

 

「……只者ではない。それだけは確か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「《モリビトシン》、鉄菜・ノヴァリス。出る!」

 

 カタパルトより火花を散らせて出撃した《モリビトシン》がすぐさま敵影との会敵ルートへと入る。

 

 先んじて送られてきたデータには手首から先のない人機である事が留意するように、と送付されている。

 

「手首から先がない……? 面妖な」

 

 Rシェルソードを抜き放ち、《モリビトシン》は敵人機へと推進剤を棚引かせて肉迫した。

 

 敵がどう対応するのか、全く読めない。それでもこちらの剣筋のほうが速ければ何の問題もない。

 

 確実に両断すると思われた一閃を、不明人機は手首より顕現させた粒子束で受け止めていた。干渉波のスパークが散る中、鉄菜は目を見開く。

 

「まさか……リバウンド兵器の手だと?」

 

 袖口より現出したのは一本の刃である。黄色いリバウンドの刃によってこちらの剣が押し返された。

 

 再び刃を叩き込もうとRシェルライフルで牽制の弾幕を張る。敵人機は刃を突きつけた。分散した刃が後光のように拡張し、こちらのリバウンドの銃撃を全て弾き返す。

 

「リバウンドシールド? そんな技術が……!」

 

 周回軌道より呼気一閃。寸断の勢いを伴わせた一撃を敵はリバウンドの手で受け止めていた。黄色く染まったリバウンドの指先がRシェルソードの刀身を融かしていく。

 

「何ていう熱量……、だが!」

 

 振り払った勢いで敵人機を蹴りつける。距離が離れた一瞬の隙をついて銃撃を浴びせようとしたが、不明人機の反応は遥かに素早い。

 

 すぐさま下方へと流れていった敵の機動力に鉄菜は舌を巻く。

 

「高機動人機……、それも接近戦用の。相性は悪くはないはずだが」

 

 敵を捕捉しようと照準器に入れた鉄菜が何度も引き金を絞る。それでも敵人機に追いつく事さえも出来ない。

 

 遠大な軌道を描いて敵がこちらへと接近を試みる。粒子束の刃が鋭く輝き、引き裂かんと迫った。

 

 ここで退くわけにはいかない。Rシェルソードを振るい上げそのまま打ち下ろす。

 

 スパーク光が激しく明滅する中、敵人機の肩口が不意に開いた。

 

 展開した部位から放出されたのはブロック状の外套である。リバウンドエネルギーの外套を身に纏った敵に、何だ、と疑問を浮かべる前に思わぬ斥力が《モリビトシン》を激震した。

 

 敵はリバウンドの外套を払っただけだ。

 

 それだけなのに、敵から大きく距離を離された。

 

 ダメージは、と目にした鉄菜は瞬時に注意色に染まった機体データに目を戦慄かせる。

 

「あの外套……瞬間的なダメージを人機に叩き込むのか」

 

 敵は両肩より外套を翻させ、両腕からは悪鬼の如きリバウンドの爪を放出している。

 

 近づけばRシェルソードでさえも対抗し切れないほどの粒子エネルギーで引き裂かれる。かといって距離を取ろうにも敵の機動力は遥かに上だ。

 

 超至近距離に持ち込めば思わぬダメージを受ける。敵には今のところ、死角がないように思われた。

 

 だが、と鉄菜は持ち直す。弱点のない人機など存在しない。この六年間、嫌でも思い知ったはずだ。どのような堅牢な人機であっても必ず攻め立てる弱点はある。

 

《モリビトシン》に武器を構え直させる。敵人機が推進剤を焚いてこちらへと白兵戦を実践してきた。両手のRシェルソードでまずは薙ぎ払う。その一閃を敵が受け止めた際、ゼロ距離でのリバウンドの銃撃を叩き込んだ。

 

 少なからずダメージになったはず、という目論見は辛くも外れた事を思い知る。敵の外套が前方に集中し、防御膜を形成していたのだ。

 

「防御にも転用可能なんて……」

 

 咄嗟にこちらのリバウンドの盾を前方に翳し、相手からのダメージを減殺する。それでもリニアシートが震え、機体ががたついた。

 

 右手に保持したRシェルソードが中心から切り裂かれているのを目にする。敵の出力に《モリビトシン》の武装が追いつけていないのだ。これ以上の継続戦闘は、と鉄菜は舌打ちする。

 

 敵の出方次第、と注意深く敵を観察していると、不意に空間を裂いたピンク色の光軸が不明人機を引き剥がした。

 

《ナインライヴス》の援護射撃に敵が下がっていく。元々、こちらの戦力をはかるつもりで仕掛けていたのか、敵の退き際は潔い。すぐさま戦闘領域を離脱した相手に、鉄菜は荒く息をついていた。

 

「あれほどの性能の人機……」

 

 まかり間違えればやられていた。その実感に背筋が震える。

 

『クロ! あいつ、逃げて……』

 

「今は、追わないほうが無難だろうな。こちらも損耗している。……Rシェルソードを焼き切るなんて」

 

 その言葉に桃は憮然と言葉を吐いた。

 

『ここで墜とさないと、厄介な敵になりそうね』

 

「だがあの機動力では追いついても薮蛇だろうな」

 

『二人とも、聞こえているわね? 月面までの軌道ルートが取れたわ。敵の人機が完全に離脱したのを確認後、《モリビトシン》は戻ってきて』

 

 茉莉花の言葉に桃は《ナインライヴス》のRランチャーを振りつつ、声を張り上げていた。

 

『クロの《モリビトシン》にダメージが! すぐに看てあげて』

 

『……《モリビトシン》を退けるか。それなりの敵であったという事だな。今、照合データをアンヘル内に探した』

 

 ゴロウの声音に《モリビトシン》を《ゴフェル》へと引き返させる。

 

『危ない事するなぁ……』

 

 タキザワの感嘆を他所にゴロウは告げる。

 

『あれは全く新しい機構の人機だ。我々の関知データには存在しない。ゆえに、新型機だと判断出来る。トウジャよりも素早く、どちらかと言えばモリビトに近い』

 

「モリビト……あれも、モリビトだと言うのか」

 

『確定情報ではないがね。モリビトに近いあの機体、アンヘルに転属命令が出ている機体との照合データが合致した。イクシオンフレームというらしい。アルファ……一号機が地上で《ゴフェル》の機関部を狙ってきた機体だ。さしずめあれは《イクシオンベータ》……二号機か』

 

「《イクシオンベータ》……、あれほどの機体、乱戦になれば必ず難しい敵となる。……墜とせなかったのは私の実力不足だ」

 

『そうね。推力、出力共に《イクシオンベータ》が勝っているわ。現状のモリビトでは勝利出来ないでしょう』

 

 茉莉花の言い草に、鉄菜は思うところがあった。

 

「現状の……と言ったな。当てはあるのか?」

 

『月面都市に入れば、ね。この状況からでも打開は可能よ。ただし、月面に何も仕掛けてないほど、ブルブラッドキャリアが迂闊だとも思えないけれど』

 

 月面には罠が存在すると見て間違いないだろう。それでも、と鉄菜は頷いていた。

 

「進むしかないだろう。たとえ敵の術中でも」

 

 茉莉花が嘆息をつく。

 

『今しがた仕掛けられたのにそれでも信じ抜く、か。……そういうところなのかもね』

 

「何がだ? 《モリビトシン》を動かすのに、何か不手際でも?」

 

『……いいえ。そういうところなのよ、きっと』

 

 理解出来ぬまま、鉄菜は《モリビトシン》を整備デッキまで移送する。《ナインライヴス》が前方を警戒しつつ、Rランチャーの広域射程で艦の保護を兼任する。

 

『……クロ。敵は確実に強くなっている。あまり《モリビトシン》で突っ込み過ぎないほうがいい』

 

 すれ違い様の桃の接触回線に鉄菜は返答していた。

 

「だが、《モリビトシン》のみが、今は空間戦闘で優位を打てる人機だ。《イドラオルガノン》は未だに修復が成っていない」

 

『それでも、先行し過ぎれば援護も難しいって話』

 

 それほどまでにのめり込んでいるように見えただろうか。だとすれば迂闊であったのは痛感する。

 

「……次からは気をつける」

 

『敵も次を毎回残してくれるとは限らない。殊に、月面都市はモモ達にとって』

 

「ああ、福音となるか、それとも道を阻む悪魔となるか。全ては……」

 

 全てはまだこの暗礁の常闇の中であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯228 夜明け前の

 大人達が叫んでいるのを耳にして、レンは身を潜めた。

 

 集会場でブルブラッドの煙草を吹かしながら、数人が言い合いをしている。

 

「だから! 地上戦闘用のナナツーをもっと回せって業者に! あり余ってるんだろうが!」

 

「斡旋する業者もアンヘルの根回しが怖くってだろうな。……足元見てきやがる。高値の中古品なんて要るかよ」

 

「それでも、買わなきゃこちとら生き死にがかかってるんだ。呑まなきゃならんだろうな」

 

 一人の大人が酒を呷り、グラスを地面に叩きつける。

 

「ふざけてやがる! 何もかもが! 俺達を嘗めてかかって、地上戦力の分散って考えもしないのかよ」

 

「そういや、話には聞いたがC連邦のアンヘル連中、締め付けが厳しくなるって噂だ。どうにも……ブルブラッドキャリアが降りたって聞いてからきな臭くなったよな」

 

 その言葉にケッと毒づく。

 

「じゃあよ、連中のケツに火が点いている間に俺達は徒党でも組むかい! そのブルブラッドキャリアとよォ!」

 

 やけっぱちな言葉振りに全員が目を伏せていた。

 

「……連邦の取り締まりはきつくなる一方だ。ナナツー、バーゴイルの安定供給も渋くなってきたところだし。ロンドなんて回っても来ない」

 

「ラヴァーズとか言う……連中への伝手は?」

 

 大人は頭を振った。

 

「あれは狂信者達の群れだ。俺達みたいな明日の我が身をどうこう言っている奴らとは水が合わないんだろうさ。実際、ラヴァーズ連中が一番に中古人機の中でも質がいいのを使っているのは皮肉だよな。武装に頼らない組織のくせに」

 

「《ダグラーガ》だろ。中立が信仰として成り立っているのさ。そういう性質の奴らには何言ったって。もうお花畑が沸いているんだよ。だからこそ、兵器を渡せって言っているんだが」

 

「いざという時の兵力には困りたくない。本当、人機を手にしてから人間ってのは」

 

 大人は薪をくべたドラム缶へと新聞紙を丸めて捨てる。確か、一ヶ月前の敵前線基地の情報であったか。

 

「業者が持ってくる敵の位置情報、当てになるのか? 今時、紙媒体なんて」

 

「さぁな。敵陣に踏み込まないと分からないもんだろ、こいつも。このコミューンに住んでいる奴らは腰が引けているんだよ。ナナツー乗りって言ったって、連邦じゃ一兵卒のレベルですらねぇ」

 

「トウジャを何とかして拿捕出来ないもんかねぇ……」

 

「馬鹿言ってんなって。トウジャなんて第三国に流れた噂すら聞かない代物だぞ? それに、連中が製造ラインを押さえている。どう考えたって無理だって」

 

「……でも、うちにもあるだろ? トウジャ……」

 

 その言葉にレンは耳をそばだてた。トウジャがこのコミューンにある?

 

「馬鹿、お前、それは言わないように約束立てがされていただろうが。……どこにレンの奴、潜んでいるのか分からねぇんだ。下手な事聞かれりゃ、お前、これだぜ?」

 

 首筋を引っ掻く真似をする大人に対面の大人は笑い声を上げた。

 

「レンに聞かれりゃヤバイ、か。アホらしいよな。このコミューンで唯一残ったガキ相手に、俺らはビビッてる」

 

「人殺しの眼ぇ、してる奴だ。見たら分かるだろ?」

 

「ああ、あん時は酷かったな。レンの妹とか言うガキを――」

 

 そこから先を聞く前にケーブルを引きずった統率者が顔を出していた。大人達が傅く。

 

「統率者……、そろそろこのコミューンもヤバイって噂です。どうします? レンを出させますか?」

 

「いや、まだだ。モリビトの扱いは慎重にせねばならん。……そういう取り決めになっておる」

 

「仰せのままに……。ですが、いざという時、何も出来なきゃ事ですよ?」

 

「あれを使うのは最終手段だ。封印されていた記憶が蘇る可能性がある。そうなった時、貴様ら……レンに撃たれないという確信があるのか?」

 

 その問いかけに大人達は渋面を作って頭を振った。

 

 何か隠されている。その予感はあったが、レンにはとんと見当もつかない。

 

 これ以上の情報収集は無駄か、とレンは裏路地を駆け抜けていた。トタン屋根を蹴っ飛ばし、一足飛びで二階層分を跳躍する。

 

 降り立った庭園では妹達が踊っていた。

 

「あっ、レンにいちゃん、おかえりー」

 

 妹達の声に癒される。彼女らは美しい花を摘んでいた。それらを王冠やアクセサリーにして遊んでいる。

 

 平穏だ、とレンは感じる。

 

 どこまでも平和な光景。自分達が決して冒されざる絶対領域。

 

 この場所に帰ってこられれば何もかもを忘れられる。嫌な事も、ささくれ立った心も、何もかもを。

 

「大人達は深刻そうな顔をしていた……。俺に出来る事はないのだろうか。せっかく……モリビトの鍵をもらったのに」

 

 首から提げている鍵をレンは掌に乗せていた。この鍵一つで自分は切り込み隊長を名乗れる。だが、切り込むべき戦場がなければこの大役も意味はない。

 

 欲を言うのならば、誰も死なないのが一番いいと思っていた。戦う必要性に駆られないのならば、それでいいではないか、と。

 

 だがそれは臆病者の理論だろう。闇雲でも敵を射抜くための技を会得するほうがまだ、生き甲斐になるというものだ。

 

 このコミューンは、とレンは空を仰ぐ。

 

 ――錆びたような黄昏の空。いつもそうだ。

 

 コミューン外壁の空は統率者が設計していると聞く。ならば、この斜陽の光景も常に統率者が管理しているのだろうか。

 

 夜が訪れる事のない、永遠の夕刻。代わりに昼も朝も知らない。知識以上では聞いた事もない。

 

「なぁ、このコミューンから、出たいか?」

 

 尋ねたのはどういう心境だったのだろう。自分はともかく、妹達はコミューンを世界の全てだと信用して欲しくはないからか。

 

 しかし、妹達はめいめいに答える。

 

「レンにいちゃんと一緒がいいー」

 

「一緒じゃなきゃ、やだー」

 

 まだまだ子供だな、とレンは妹達の頭を撫でていく。彼女らには自分が必要なのだ。

 

「ああ、そうだな。俺もモリビトなんだ。お前達を守り通してやるよ。全力で、な」

 

「うれしい! ねぇ、レンにいちゃん、オヤシロ様のところに行こー」

 

 その提案にレンは快く応じていた。階層を移動する大型エレベーターに乗り、舞を奏でる妹達を視野に入れながらレンは鍵を握り締める。

 

 いつか必要な力。いつか必要な身なのだ。ならば、一日でも長く戦えるように祈っておくべきだろう。

 

 辿り着いた地下階層でオヤシロ様が静かにこちらを見据えていた。レンは歩み寄り、その眼前で跪く。

 

「オヤシロ様、オヤシロ様……どうか俺達に、平穏を。敵には然るべき報いを」

 

「オヤシロ様ーっ、レンにいちゃんをまもってーっ」

 

「あたし、踊るからーっ」

 

 思い思いに踊り始める妹達にレンは諌める声を発していた。

 

「こら。あんまりふざけちゃ駄目だぞ」

 

「ふざけてないよ。オヤシロ様に喜んでもらうための舞だもん」

 

 訝しげに見つつも、レンはこの平和がいつまでも、絶える事なく続いてくれる事を切に願っていた。

 

「あっ、飛行機!」

 

 妹の一人が出し抜けに声にする。

 

 コミューン上空を全翼機が高度ギリギリで突っ切っていく。

 

「……だいぶ低いな」

 

 まさか爆撃機か、と身体を強張らせたレンに妹が声を上げた。

 

「オヤシロ様……怒ってる……」

 

 振り仰いだレンはオヤシロ様の苔むした頭部が赤く輝いているのを目にしていた。オヤシロ様が怒りに震えている。

 

 レンは合掌して唱えていた。

 

「オヤシロ様……お鎮まりください。お鎮まりください……」

 

「おしずまりくださいーっ」

 

 妹達も一緒になって唱える。幸いにして、先ほどの機影は爆撃機ではなかったようだ。

 

 完全にその姿が消えてから、汗を拭う。

 

「ああいうのがいるから、大人達が物騒な事を言うんだ」

 

 この平和を誰にも掻き乱されたくない。

 

 だからこそ、自分が前に出ていいのならばそれを喜んで受けよう。

 

 戦いは最終手段だが、別段、悪手とも思っていない。それが必要ならば、迷わず遂行するまでであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弱小コミューンの上空を飛翔するのは要らない緊張状態を加速するだけなのでは、という懸念はあった。

 

 だがこの位置で見たいという懇願ならば請け負うのがこの職務だ。

 

 眼下に広がるのはブルブラッドの濃霧が支配する荒涼とした大地。その中に点在する、白亜の中型コミューンの群れ。

 

 楕円の形状を持つコミューンはどれも似たり寄ったりであった。その思想も、である。

 

「攻撃的な思想を持つコミューンは排斥すべき、だと連邦内でも声が高まっている。しかし我が方は出来るだけ穏便な対処を、というのが前提でね。あまりアンヘル以外の部隊にはヨゴレを負わせたくはないのもあるが」

 

 そう切り出した連邦高官に形だけの謝辞を送る。

 

「立派な心がけだと」

 

「そうかな? 臆病者、と揶揄する声もあるよ。アンヘルが市民権を得ているのは、何もブルブラッドキャリアの脅威一つのせいではない。……つい数日前、攻撃論を唱えていた弱小コミューンが地図から消えたな」

 

 切り込んできた声音にやはりここでハッキリさせるつもりらしい、とこちらもカードを切っていた。

 

「……静止衛星上からの画像です。粗くって申し訳ありませんが関知されないギリギリの範囲でとの事でしたので」

 

 端末に送信した画像に高官はふんと鼻を鳴らす。

 

「……またこいつか。黒い謎の人機」

 

「情報は常に最新に進めております。ですが、隠密を主とする我々でもなかなか察知は難しく……」

 

「能書きはいいとも。これは何だね? もう何回も打ち合わせを踏んでいるが、誰も判で押したように同じ返答だ。調査中です、と」

 

 ここでは少しばかり発展的な議論が要求される。仕方ない、と機密情報レベルの低いものから口にする事にした。

 

「……我が方が独自に察知した情報網によると、あれはモリビトとの事です」

 

「モリビト? ブルブラッドキャリアが地上のがん細胞を焼いて回っていると?」

 

 無論、この論法には無理が生じるのも理解しての口振りであった。ブルブラッドキャリアはそれこそ数週間前までは敵視もされなかった勢力。完全に潜伏し、アンヘルの魔女狩りにも全く関知されずに済んだ連中だ。

 

 それが行動の範囲外から、コミューンを攻撃して回っているというのは理解し難いであろう。

 

「ブルブラッドキャリアの理念には地上勢力への報復が入っています。この機体……尖兵の可能性も捨て切れないかと」

 

「……だがアンヘルより連絡は来ている。海上にモリビトの艦は固定した、と。アンヘルの構成員は生え抜きだ。嘘を言うとも思えない」

 

 連邦議員の面持ちでありながら信用するのはアンヘルの情報筋か。その時点で歪んでいるのだと言ってやりたかったが、ここは我慢する。

 

「彼らは実際、事実を言っているのだと思いますよ。モリビトの艦は海に縫い止めた。ですが別働隊の線は拭い去れません。ブルブラッドキャリア……六年前にはモリビト以外の人機も導入したと言う話です。何も一小隊レベルの動きだけではないでしょう」

 

「詳しいな。関係者目線だ」

 

 どちらにしても勘繰られれば痛い横腹を晒している。この程度の揺さぶりは児戯だ。

 

「ちょっとばかし昔の職場の経験則が生きているだけです」

 

 その言葉に高官は感嘆の息をつく。

 

「軍人くずれには見えないな」

 

「それも、わたくし達の仕事ですので」

 

「存じているとも。しかし、情報が何よりも商品として機能するこの時代において、君達のようなまさしく、時代の寵児とこうして会話出来るとは思えなかったよ。名は……」

 

「――グリフィスと名乗っております」

 

 組織の名前を口にすると高官はフッと笑みを浮かべた。

 

「黄金を守る伝承の獣か。君達の守護する黄金、如何なるものか、未だ判別をつけかねている。それにはやはり、我々の関知の外にある情報というのが大きくってね。どうして一国家のレベルが追い詰められないのに、君達は常に先を行くのか」

 

「足並みの問題でしょう。国家が目を光らせるのと、神獣が見張る宝物では、質が違うというもの」

 

 暗に国家では一生かかってもこちらの目線は得られないという皮肉のつもりであったが、高官は特に意に介した様子はない。

 

「君のように、軍人くずればかりなのか? それとも、別系統の情報筋を?」

 

「申し上げられません。勝手に映るかもしれませんが……」

 

「いいとも。我々と君達はこうして対等以上の取引に持ち込む事が出来ている。その時点で、勝利者は決まっているようなものだ」

 

 まさか、この高官は自分達連邦国家こそが勝利者だと思い込んでいるのだろうか。だとすれば……とんだお笑い種であった。

 

「……貴方のような聡明な方ばかりならば助かるのですが」

 

「そうではないだろう? なに、同じ身分でも見ているものが違うとね。自然と何もかもが食い違うものなのだよ。食い違った連中を相手取るのは大変だろう?」

 

「顧客は選ばせてもらっていますので」

 

 高官は憮然と鼻息を漏らす。選ばれた側の顧客だという認識には間違いではない。

 

 ただし、愚直な人間も含ませてもらっている、とは言わないでおいたが。

 

「してこの人機……我々連邦国家に味方しているとも映らなくはない。利用は出来ないか?」

 

「利用……、ですか。思想が見えない事には難しいですね」

 

「ブルブラッドキャリアならば報復だろう。先ほど言ったばかりではないか」

 

「言いましたが、それは確定情報ではございません。ブルブラッドキャリアの線もある、という話でして」

 

「当てにならない事だ」

 

 相手の物言いに文句があってもこちらからは切り込んではやらない。どうせそれを後悔する頃には相手は失脚しているだろう。

 

 この情報戦でも高官は危うい綱渡りをしている。自国の諜報部に頼らず、こうして旅がらすの情報筋に頼っているのがその証。

 

 連邦国家の諜報部ならばそれなりの利益が見込めるだろうに、当てにしないのはこの男が諜報部への伝手を持っていないか、あるいは独善的な野心の塊かのどちらかだろう。

 

 後者ならばつけ込みやすくなる、と思案を浮かべていた。

 

「モリビトも、それに割く戦力も増してきている。ブルブラッドキャリアにはもう少し、出てくる時期を狙って欲しかったものだ。選挙が間近ならばまだよかったのに」

 

「得票率を左右するのに軍事への切り込みは絶対でしょうからね。我々を頼ってくれている分には、貴方の次の当選は確約しておきましょう」

 

 こちらの言葉振りに、当然だ、と相手はふんぞり返る。

 

「大枚を叩いている。それなりの働きは期待しているとも」

 

「この全翼機での会合も、無償ではありませんから」

 

 その時、手首に巻いた端末に新たな情報が舞い込んできた。にこやかに笑みを浮かべて、「失礼」と下がっていく。

 

 全翼機のスタッフルームで一人の女性が壁に背を預けていた。

 

「何?」

 

「何やないやろ? あの高官、これ以上の情報は持ってへんやろうし、もう引き止める意味もないやん。――彩芽」

 

 名を呼ばれ彩芽は逡巡を浮かべる。

 

「でもわざわざステルス一機を貸し切りにしてまで話したいって言うのは相手も相当な覚悟があるはずよ。まだ聞き出し切れていない」

 

 何のために航空許可証を取り付けて全翼機を飛ばしたと思っているのだ。相手がどれほどの富裕層でも大金を何の未練もなく払う意味はない。

 

「……こっちが思ってるより相手の持っている情報、しょうもないかもよ? あっちは謎の人機を照合しろの一点張りやん、さっきから」

 

「それが切り札なのかもしれないわね」

 

 彩芽は謎の人機と目されている機体の名称まで割り出していた。別のフォルダには不明人機の推定スペックまで特定済みである。

 

 相手が知りたい情報は持っている。問題なのは渋られてしまえば、こちらもとんだ大損だという事。

 

「さっさと情報、出したほうがええ時もあるよ? あんまし情報出さなくても警戒されるし……。なに? 情報をもう買い押さえている別勢力でもあった?」

 

「いや、これに関してはないけれど……、妙なのよね。連邦国家だって自分達の仕事を横から掻っ攫われていい気分なはずもない。むしろ、不気味に感じているはずなのよ。この不明人機に関しては。だって言うのに、あの高官止まりなのが」

 

「不自然、か」

 

 言葉尻を継いだ相手に、彩芽は言い含める。

 

「もう少し粘ってみる。それでも無理ならちょっとしたお小遣いで帰ってもらうわ」

 

「グリフィスの情報網にもかからんとなると……本格的にアレかもなぁ。彩芽、あんたの言っていた……」

 

「――バベル、かしらね。それで情報制限をかけているとしても痕跡は残るのよ。その痕跡さえも消しているとなれば穏やかじゃないわ」

 

 バベルを発展させたか、あるいはそれ以外の情報手段に打って出ている可能性がある。

 

 いずれにせよ、連邦政府の陰謀が見え隠れする現在、高官を揺さぶるのが一番効果的であろう。

 

「あれ、ほんまに知らん顔かもよ? それかしらを切る達人か」

 

「どれだけ能面貫けたって、ここから弱小コミューンに降ろすって言えば口を滑らせるでしょう?」

 

 その言葉振りに相手は微笑む。

 

「ほんま、退屈せんわ。彩芽、あんたと組んでからというもの、な」

 

「グリフィスの眼からは逃れられない。黄金を抱えている以上、その監視網から逃れる術はない」

 

 高官が黄金を持っている確証はある。問題なのはその黄金が情報筋なのか、あるいはそもそも彼の存在そのものなのか。

 

 見極めは自分達自身で行うしかない。

 

「貴女も口説けば?」

 

 彩芽の提案に相手は手を払った。

 

「無理無理。うちやったらすぐにこれやわ」

 

 指鉄砲を向ける真似をする相手に彩芽は、そうねと笑う。

 

「底意地悪くても、相手に合わせるのが商売ですもの。もうちょっとだけ、ラウンド決めてみるわ」

 

「無理そうやったら強攻部隊を呼んで。いつでも行くから」

 

「当てにしている」

 

 そう言い置いて彩芽は高官の前に出ていた。

 

 自分が取って返していた間、情報の進展があったのか、何やら眉根を寄せている。

 

 こういう時に相手を掌握するのが自分の仕事だ。

 

「さぁ、腹を割って話しましょう。これからの良好な関係性のために」

 

 次の幕が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘイルは自分を見つけるなり、おいと声を張り上げた。

 

「お前……ヒイラギ! 自分が何をしたのか、分かって――」

 

 怒声を制したのは隊長である。燐華は挙手敬礼を寄越した。相手が返礼し、言葉を発する。

 

「……命令違反で封印指定の人機の確保。どれほどの重罪なのかは承知だな?」

 

「分かっています。ですがこれがなければモリビトには追いつけない」

 

「だからって、《ラーストウジャカルマ》だと! あれは、まだ解析措置の途中なんだぞ!」

 

 噛み付きかねない剣幕のヘイルに比して隊長は冷静であった。いつもと同じ面持ちで問いかけてくる。

 

「ヒイラギ准尉。お父上の力を借りたと聞いた。その方は?」

 

「今は、偉い方々とお話し中です。あたしはただのアンヘルの兵士ですので、政には」

 

「それを分かっていて、権力を使ったって言うのか!」

 

 諌める隊長の声にも意に介せずヘイルは吼え立てる。しかし燐華は今までのような子犬の対応からは一転した態度を取っていた。

 

「いけませんか? あたしだってアンヘルの仕官です。封印指定を閲覧する権利は持っています。それでも不服ならば、これを。現場からいただいた許可証です。タカフミ大尉の署名が入っています」

 

「許可証だと……」

 

 こちらが翳した端末をヘイルが引っ手繰る。その面持ちが少しずつ青くなっていくのが窺えた。どれもこれも、嘘を言っているわけではないと理解したのだろう。

 

「タカフミ・アイザワ……。本当にあの伝説の操主のサインなのか?」

 

「間違いないかどうかは問い合わせていただけば」

 

 ヘイルは隊長へと端末を手渡す。隊長は一度首肯した後、すぐに自分に返していた。

 

「間違いない。彼の文字だ。しかし、《ラーストウジャカルマ》とは。大きな借りをお父上に作ったものだ」

 

「そ、そうだぜ! お前、勝手にこんなものを宇宙にまで上げて……。部隊責任ってものを知らないらしいな!」

 

「ですが、あたしが先行しなければまさかブルブラッドキャリアが宇宙に上がっているなど、誰も予想出来なかったのではありませんか? だからこそ、第三小隊に辞令が下りるのが早かった、とも」

 

「……てめぇのお陰だって言いたいのか」

 

 眉を跳ねさせたヘイルを隊長は一声で制する。

 

「ヘイル、落ち着け。現場判断という面においてはヒイラギ准尉の言い分にも分はある」

 

「しかし、隊長! 俺らが地上でモリビトを追っていたのが、まるで無駄みたいな言い草を……!」

 

「これは大きな借りだと思うべきだ。宇宙に我が方の部隊員がいたお陰で、旧ゾル国の軌道エレベーターへの許可が降りた。いい塩梅にモリビトを追える口実が出来た」

 

「……こいつの功績だって、隊長も言いたいんですか」

 

「全面的に肯定はしないとも。だが、一部分では認めざるを得ない」

 

 隊長の言い草にヘイルは鼻を鳴らす。

 

「……ちょっと外の空気を。ゾル国くさいったらありゃしねぇ」

 

 整備デッキを離れていくヘイルの背中を見送った後、燐華はどっと疲弊したのを感じた。

 

 彼を前にしてここまで毅然とした態度を取ったのは初めてである。いつもは草食動物のように怯えるしかなかった自分が、相手に食ってかかった。それだけでも背筋に嫌な汗を掻く。

 

 慮ってか、隊長が笑みを浮かべた。

 

「言うようになったな。准尉」

 

 その語調に少しだけ救われた自分を発見しつつ、燐華は声を小さくする。

 

「……その、やはり軍規違反でしょうか」

 

「厳密にはそうなるだろう。上官である自分が告発すれば」

 

《ラーストウジャカルマ》を眺めた隊長に燐華はどのような罰でも、と自分に言い聞かせようとしたが、やはり駄目であった。

 

 自ずと涙が溢れ出てしまう。

 

「すいません……、隊長」

 

「泣くのは早いぞ、ヒイラギ准尉。まだ慣らし運転もしていないのだろう?」

 

 思わぬ言葉に燐華は目を見開く。隊長は口元を綻ばせた。

 

「部下のちょっとした冒険心、潰えさせるのが上官の正しい在り方とも思えん」

 

「許して……くださるんですか……」

 

「ヒイラギ准尉。戦果だ」

 

 不意に発せられた声に燐華は面食らってしまう。

 

「……何を」

 

「戦果こそが、過ちを取り戻す術だと言っている。自分にまだ使いこなすと言う自負がないのならばせめて戦果を挙げてみせろ。それがモリビトの腕一本でも、武器一丁でもいい。しゃにむにしか思えない働きでも構わない。君なりの戦果を挙げる事だ。これは何も武勲とイコールではない」

 

「武勲では……ない?」

 

 疑問符を浮かべた燐華に隊長は視線を流す。

 

「アイザワ大尉ほどの人物が認めたんだ。それなりの無茶をしたのは窺える。その無茶をもう一度とは言わん。戦場では無茶は許されない。無謀も然り。だが、地に足のついた戦果ならば話は別だ。君は戦果をもたらせ。我が方に、な。どのような形でもいい。《ラーストウジャカルマ》……封印された力を使うというのならば、君にしか出来ない戦果を期待する。自分が言いたいのはそれだけだ」

 

 隊長は怒ってもいいはずだ。自分に対して、身勝手な事をした、と叱っていい身分のはずなのに。

 

 どうして隊長はこうも優しいのだろう。その言葉と振る舞いに、ついついかつての兄を見てしまう。

 

「……隊長は、あたしの……兄と同じような事を言ってくださるんですね。兄はいつでも、身体の弱いあたしに勇気を与えてくれました。どんな場所でだって羽ばたけるだけの資格があるんだと」

 

「そうか……。いいお兄様を持ったな」

 

 その兄も、もういない。この世に自分を繋ぎ止めてくれる人達はみんなどこかへと旅立ってしまう。

 

 ならば、もう世界への未練は捨てよう。この生に執着するよりも全ての因縁を返す。

 

 それこそが今ここに生きている自分に課せられた使命なのだ。

 

「あたし、《ラーストウジャカルマ》に乗ります。隊長が言ってくれたお陰で、最後の戸惑いが消えました」

 

 約束された戦地での、最大の戦果を。敬礼した燐華に隊長は首を横に振る。

 

「何も、大した事はしていない。歩みを進めたのは君の意思だ。ヒイラギ准尉。ならばせめて止まるな。我々が立ち止まっても君だけは歩み続けろ。それこそが、憤怒の罪を背負うだけの覚悟になる」

 

「最大の戦果を! そしてアンヘルに勝利を!」

 

 掲げた声音に隊長は微笑んだ。

 

「気負うなよ。君だけの作戦ではない。我々全員で勝ち取るんだ。本物の勝利を」

 

 その時こそ、自分の前に栄光は輝く。

 

 燐華は胸に刻んで、《ラーストウジャカルマ》を視野に入れる。

 

「戦い抜きます……。だから見ていて、鉄菜……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯229 月軌道へ

 月面軌道に入った、と言われても全くピンと来ないのは何も浮かび上がってこないからだろうか。

 

 ニナイは最大望遠、と声を吹き込む。

 

「ですが……艦長。何もありません。……熱源も何もかも。暗礁宙域ですよ」

 

 自分も目にしている映像がその通りならば、指定された場所には何もない、ただのデブリ帯が広がっている事になる。

 

 まさか茉莉花に担がされたか、と疑ったのも一瞬、現れた当の本人にニナイは問いかけていた。

 

「茉莉花……依然として何も」

 

「そりゃそうでしょうね。まだ策敵範囲に入っていないもの」

 

「策敵範囲って……、これ以上、あなたの言うような大質量があるのだとすれば、近づく事でさえ……!」

 

「危うい? 心配ないわ。月軌道に入れば自然と引力で着陸出来るはずだし」

 

「でも、月面都市にはバベルがある。何の守りもないとは思えない」

 

「そうよね……そのはずなんだけれど」

 

 茉莉花の数式を見る瞳には何が映っているのだろうか。その視野を肩代わり出来ない自分には一生解けない命題だろう。

 

「ちょっと待ってください? ……これは」

 

 熱源監視モニターには何も表示されないが反応したのは音波探知であった。

 

 まさか、この無重力無音の宇宙に音なんて。

 

「誤認じゃ……」

 

 声にし掛けて新たな反応がブリッジを激震する。

 

「これは……確認した事もないほどの……対ブルブラッド反応……?」

 

「解析、出ます! この音……間違いない、ブルブラッドの永久電磁が放つ高周波そっくりなんだ……」

 

 解析モニターに表示されたのは広大な裾野であった。ブルブラッドの濃度を反転表示させる分析データでようやくその全体像が露になる。

 

 遥か彼方まで続く、星の地平へと《ゴフェル》は至ろうとしていた。

 

 同時に、これほどの大質量、と全員が息を呑む。

 

「こんなものが……今まで見えなかったなんて」

 

 あり得ない、と口にした構成員に茉莉花は返す。

 

「いいえ。あなた達何を見てきたの? 《シルヴァリンク》のフルスペックモードに似た仕様があったはずでしょう? あれを、衛星規模で行えばこれくらい、わけないわよ」

 

「でも、ここは宇宙よ? 血塊炉の加護もなしに……」

 

「だから、あるのよ。巨大な血塊炉が。反応、出して」

 

「まだ解析中……」

 

「いいから。反応を。どうせ相手だって相当なものを用意しているはずだもの」

 

 急かす茉莉花に感知したブルブラッド反応が艦内モニターに拡大表示された。

 

 最初、それはただ漂っているだけのデブリに見えた。だがデブリにしてはあまりにもその質量が巨大だ。

 

《ゴフェル》と同じか、それ以上の影にニナイは咄嗟に声を吹き込む。

 

「艦、反転! ぶつかるわ!」

 

 瞬時に制動用の推進剤が焚かれ、激突の直前で《ゴフェル》が慣性移動に移り変わった。流れていく視界の中にニナイはその機体を呆然と見つめる。

 

 艦ほどの大きさが在るそれは、紛れもなく――。

 

「参照データに反応あり! この巨大質量兵器は……モリビトの識別コードが出されました……」

 

 信じられない心地でブリッジから声が上がる。まさか、とニナイは絶句していた。

 

「こんなものが、モリビトだって言うの……」

 

「正確には、モリビトのOSを組み込んだ対艦用特殊人機ね。これは惑星との全面戦争の時まで伏せられているはずの切り札だった」

 

 やはりその特別な眼には視えているのか、得心した様子の茉莉花にニナイは問い質していた。

 

「秘匿されていたって言うの? 私達に?」

 

「ブルブラッドキャリア上層部のみが持つ特権措置によってのみ起動する兵器よ。下々が知らなくっても無理はないわ」

 

「どうしてあなたにはそれが分かるって言うの?」

 

 茉莉花はこめかみを突く。

 

「見えているのよ。ブルブラッドキャリアの残した数式が。今も変動値を示し続けている」

 

「ちょっと待ってください……、対ブルブラッド反応炉の熱量が増大! こんな放出熱……!」

 

「何が起こっているって? 状況を!」

 

「問い返すまでもないわ」

 

 どこか落ち着き払った様子の茉莉花にニナイは目を戦慄かせていた。彼女は何気ない所作で口にする。

 

「――こんな場所で呆けていたら、轟沈するわよ、この舟」

 

 その言葉を問い返す前にアラートが劈いた。

 

「リバウンド熱量反応、急速に増加!」

 

「先ほどまでより高周波が大きく……。これは間違いありません。敵性人機、稼動!」

 

「稼動って……。こんな大きさの人機……いえ、これを人機と呼んでいいの?」

 

 大質量の十字架が中央に収まっていた眼窩をぎらつかせた。十字架の中央に磔にされているのは間違いない。

 

「モリビトが……磔に……」

 

 呆然とするスタッフに比して磔状態のモリビトが痙攣したように稼動し、ほとんど骨身のフレームを揺さぶってこちらを睥睨した。

 

 ――罪人。

 

 その言葉が真っ先に脳裏に浮かぶ。磔に処された罪人が今、幾星霜の時を経て、動き出した。

 

 裏切り者を排除するためだけに。

 

 人類の咎を体現させたモリビトの姿。

 

 十字架の形状をした武装モジュールに熱が篭り、オレンジ色に内側から燻っていく。中央のモリビトが無音の宇宙に吼えたのが伝わってきた。

 

「来る……」

 

 主語を欠いた言葉にブリッジが放たれた残光に焼きついたのは同時であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 整備デッキを衝撃が激震する。

 

 機関部を破砕されたのではないか、というほどの衝撃に何名かは無重力の中よろめいた。

 

 鉄菜もその一人であった。浮かび上がった身体に桃が手を繋ぐ。その手を強く握り返し、鉄菜は周囲に視線を配った。

 

「デブリの激突……?」

 

 桃の疑問にゴロウが球体になって床を転がる。

 

『どうやら違うらしい。……映像を出す。言っておくが、パニックになるなよ』

 

 ゴロウが投射した映像には今の今まで確認されなかった巨大衛星の裾野と、衛星を守護するように浮かぶ三つの十字架があった。

 

 その十字架一つをとってしてみても《ゴフェル》と同じか、それ以上の大質量。

 

 うち一つが火を噴いたのだ、と十字架が輝いている事で察知出来た。

 

「何だ、これは……」

 

『この十字架……三機ともどうやら人機のようだ』

 

「人機? こんな大きいの、人機って呼んで……」

 

『だがブルブラッドで動く兵器を人機と仮定するのならば、これも立派な人機にカテゴライズされる。内蔵ブルブラッド炉心の数は計測中だが、現状でも六基をゆうに超えている』

 

「六基だって? あり得ない! そのどれもに火を通すなんて事は出来ないはずだ!」

 

 タキザワが今にもスロープから転げ落ちそうになりながら声を上げる。ゴロウは冷静に返していた。

 

『月面より給電を受けている。なるほど、考えたな。ブルブラッド炉心を一個ずつ、稼動させるのには遠大な時間が必要だが、外部電源に任せていいのならば、それら一つ一つに単純な命令だけで済む。それに燃費もいい』

 

「感心している場合? これが敵になるって言うの!」

 

 桃の声音にゴロウは困惑の間を浮かべる。

 

『……確定情報がない。だが、今言える事はただ一つ。――この距離は、最早至近だ』

 

 爆雷のような衝撃が《ゴフェル》に連鎖する。全スタッフが必死に破砕の爆音に耐えていた。

 

「……これ、《ゴフェル》に孔でも空いているんじゃ……」

 

 桃の不安げな声に鉄菜は問い質していた。

 

「ゴロウ。艦内に警告を出せ。ニナイが出せないのならば私の命令でいい」

 

『案外、艦長は優秀だよ』

 

 その言葉が消える前にニナイの伝令が艦内に響き渡った。

 

『全員、無事……? 今、《ゴフェル》は攻撃を受けているわ! モリビトの執行者は出撃準備! いえ、スクランブルね。これは……悠長に構えている時間はなさそう』

 

 艦内アナウンスに鉄菜は直通を繋いでいた。

 

「ニナイ、ブリッジは無事なのか?」

 

『何とかね……。敵も老朽化が進んでいたせいかしら。一発目は明後日の方向を打ち抜いたわ』

 

「……見当違いでもこの威力か」

 

 そちらのほうが遥かに脅威である。ニナイは自分達に冷静な対処を求めているようであった。

 

『……違えないでね、四人とも。この人機……月面を守護するブルブラッドキャリアの敵性人機は排除せねばならない。それと同時に茉莉花から報告よ』

 

『あー、聞こえている? 執行者の四人。モリビトには乗っておきなさいよ。いざという時、何も出来ずに墜ちるのは嫌でしょう?』

 

 その言葉を受けながら鉄菜は《モリビトシン》の頚部コックピットより潜り込む。桃も《ナインライヴス》に搭乗したところであった。

 

 ミキタカ姉妹は予め待機していたのか、伝令には真っ先に応えていた。

 

『今のは何? 《イドラオルガノン》で出ていいのなら……』

 

『逸らないの。焦って出た途端に撃墜されるのは癪のはず。まずは敵の射線をこちらで分析するわ。あなた達は敵の射線を潜り抜けて敵性人機……もう隠し立てしても仕方ないわね。敵はモリビトタイプ。とは言ってもこちらとは戦力も火力も大違いだけれど』

 

「モリビト……。あんな無茶苦茶なものがモリビトだというのか……」

 

 同期された映像の中で三機の十字架人機のうち、一機が中央に磔にされた機体の眼窩を輝かせている。

 

 他二機は沈黙しているのが逆に不気味であった。

 

『人機だというのならばもしや、と思ったが……。やはりあれはモリビトか。ブルブラッドキャリア本隊はあまりにも重い罪悪を抱えていた事になる』

 

『どうして残り二つは攻撃してこないの? 三機で挟み撃ちにでもすれば……』

 

『老朽化が進んでいた、とさっきニナイが言ったでしょう? その通りみたいね。幸か不幸か、三機のうち、稼動しているのは一機のみ。二機はリンクが切れている。再接続までの試算は約二日以上。つまり、この局面で敵になるのは一機のみよ』

 

 だが一機だけとは言ってもそれが戦術級となれば話が違ってくる。モリビト単体で勝利出来るような規模ではない。

 

「……こちらからの要らぬ忠言かもしれないが、あんなものは人機とは呼ばない。戦術兵器だ」

 

『同感ね。ああいうのは丸ごと……何もかもを焼き払うのに使うのよ』

 

『でも……あんなの相手取れるの? あまりにも桁違いじゃ……』

 

「それでも、やるのがモリビトの執行者。そう言いたいのだろう? お前は」

 

 茉莉花の次の言葉を読んだこちらに、相手は鼻を鳴らす。

 

『……発破をかけるまでもないみたいね』

 

「言われるまでもない。《モリビトシン》、出撃シークエンスに。射出タイミングを鉄菜・ノヴァリスに移譲。許可を」

 

『待って、鉄菜! 許可出来ない!』

 

 ニナイの声が弾け、カタパルトデッキへの移動を中断させた。

 

「ニナイ。だが今出なければ《ゴフェル》は沈むぞ」

 

『それでも許可なんて降ろせないわ! むざむざ死なせろというの! あなた達を……私はまた……安全圏で』

 

 彩芽を失った時の感覚を思い返しているのだろう。桃は何も言わなかった。林檎と蜜柑もそうだ。

 

 しかし鉄菜はここで口を開いていた。

 

「……ニナイ。六年前とは違う、とは言い切れない。私達も、終わる時は案外呆気ないのかもしれない。それでも――信じてくれ。私達モリビトの、執行者を」

 

 信じて欲しい。六年前には口をついて出なかった言葉だ。

 

 沈黙が降り立つ中、鉄菜はそれ以上の言葉を継ごうとも思っていなかった。これで説得出来なければそれでもいいとさえ思っていた。

 

 ただ、ニナイには納得の上で送り出して欲しい。

 

 鉄菜の胸の中にあったのはただその一事のみ。

 

 暫時、砂を食んだようなノイズを挟んだ後、ニナイの声が伝わった。

 

『……モリビトの執行者全員に告ぎます。絶対に、生きて帰って。これは命令よ』

 

 発進許可が下りる。鉄菜はカタパルトデッキへと移送される《モリビトシン》の中で桃の声を聞いていた。

 

『……やっぱりクロ、変わったね。あんな事、言えるなんて思わなかった』

 

「私が言わなければお前が言っていただろう」

 

『……そのつもりだったけれど、モモも、ハッキリとは言えなかったかもしれない。ニナイの気持ちも分かるもの』

 

「艦長命令だ。生きて帰るぞ」

 

『了解。クロ、……帰ったら瑞葉さんに、話してあげて』

 

「話す? 何をだ」

 

 胡乱そうに返したこちらに桃は直通回線を開いてウインクする。

 

『クロが思っている本当の事を。心の在り処を』

 

 心。六年前に彩芽に託された代物。そして今、この胸で脈打っている何か。それを心と呼ぶのならば。呼んでもいいのならば。

 

 ようやく心を、この滑り落ちていくだけの手に、掴む事が出来る。

 

 何もかもが抜け落ちていくだけに思えた戦場に、ようやく意味を見出せる。

 

 リニアボルテージの雷光が迸る中、鉄菜は腹腔に力を入れた。

 

 ――必ず帰る。

 

「《モリビトシン》、鉄菜・ノヴァリス。出る!」

 

『《モリビトナインライヴス》、桃・リップバーン! 行きます!』

 

『《モリビトイドラオルガノン》、林檎・ミキタカ!』

 

『続いて蜜柑・ミキタカ! 発進します!』

 

 モリビト三機が推進剤の軌跡を描いて《ゴフェル》より出撃する。それぞれが見据えた先にはクレーターの大穴を無数に開けた大地が広がっていた。

 

 窪地には迎撃用の銃座が備え付けられており、めいめいに鎌首をもたげた。

 

「来るぞ!」

 

『分かってる! 林檎! 蜜柑も!』

 

『合点!』

 

『避けてみせる!』

 

 火線が張られ、弾幕が支配する硝煙の宇宙を《モリビトシン》が突っ切っていく。《イドラオルガノン》と《ナインライヴス》に対地迎撃は任せ、自分は巨大なモリビトタイプへと肉迫していた。

 

 接近すればするほどにスケール感の麻痺する巨大さ。絶句する熱量に、鉄菜は気圧されないように深呼吸して息を詰めた。

 

「《モリビトシン》、目標を脅威判定、SSランクに認定。敵モリビトタイプを……撃滅する!」

 

 抜き放ったRシェルソードが磔にされている中央のモリビトへと剣筋を見舞おうとする。

 

 その刃を不意打ち気味の接近警告が劈いた。

 

 習い性の機体を飛び退らせた鉄菜は、眼前を掻っ切った高機動の機体に目を見開く。背面に高推進力の翼型スラスターを装備した相手の照合データに鉄菜は咄嗟にRシェルソードを掲げた。

 

 円弧を描いて再接近した相手がRソードを抜き放ち、斬撃を打ち下ろす。

 

「《モリビトセプテムライン》……」

 

 因縁の機体に鉄菜は歯噛みする。ここで阻むか、と振り払いかけて接触通信に滲んだ声にぞっとした。

 

『鉄菜……鉄菜・ノヴァリスだな……?』

 

 冥界から這い出てきたかのような声に全身が総毛立つ。Rソードを振るった相手から怨嗟の殺気が溢れ出ていた。

 

「貴様は……」

 

『私の名前は梨朱。梨朱・アイアスだ』

 

「……最新鋭の人造血続か」

 

『違う!』

 

 拒絶の刃に鉄菜は《モリビトシン》を後退させる。《セプテムライン》に装備された増設砲身がこちらの退避軌道を読んだかのように引き裂いていた。

 

 光軸をギリギリで回避しつつ、鉄菜は上へ下へと流れる宙域の視野の中、《セプテムライン》を照準に入れる。

 

 Rシェルライフルの銃弾を満身に浴びつつ、全く衰えない恩讐が研ぎ澄まされた刃となって肉迫した。

 

「銃撃を避けない?」

 

『この痛み、この苦渋、この身を走る怨念の数々……。そうか、これが!』

 

 Rソードとの干渉波のスパークが散る中、鉄菜は舌打ちしていた。明らかに以前会敵した時よりも脅威が上がっている。

 

 それに、と鍔迫り合いを繰り広げる相手の剣に宿った怨念を拾い上げていた。こちらへと向かい合ってくるのは命令だけに寄るものではない。純然たる――殺気。

 

 おぞましいほどの気迫がこちらの刃を怯ませる。

 

「貴様……何を手にした?」

 

『何を、だと……』

 

 通信先の相手が哄笑を上げる。狂気に染まった笑い声であった。

 

『全て、だ! 私はお前達、執行者の教育の全てを授かった……最強の血続! 最強の――モリビトだ!』

 

 薙ぎ払われた剣筋にも迷いはない。こちらを墜とすという決意に、《モリビトシン》の内部フレームが軋みを上げる。

 

《セプテムライン》は赤く染まった眼光を向け、切っ先を突きつけた。

 

『貰うぞ! その首! そして私が成る……最強の鉄菜・ノヴァリスに!』

 

「……錯乱しているのか。あるいは洗脳か。いずれにせよ、戦場にまで悲観を持ち込むつもりはない!」

 

 Rシェルソードと敵のRソードが打ち合う。激しいスパーク光が焼きつく中、鉄菜は《ゴフェル》より送られてくるリアルタイムの情報を視野に入れていた。

 

「……十字架のモリビト。攻撃予測範囲か」

 

 その範囲には《ゴフェル》だけではない。自分達モリビトの活動範囲とさらに言えば月面の武装群も攻撃射程に入っている。

 

「……諸共、か。どこまでも生き意地の……」

 

『他所を見るな! 私だけを見ろ! 鉄菜・ノヴァリス!』

 

《セプテムライン》が無理やりの機動で《モリビトシン》の針路上に割り込む。激突の衝撃が互いの人機を揺さぶる中、先に引き金を引いたのは鉄菜のほうだった。

 

「……お前だけを見ろだと? 悪いな。戦場で一匹の敵に頓着していれば足元をすくわれる。痛いほど理解しているのでな!」

 

 Rシェルライフルの銃撃網が《セプテムライン》の関節軸を狙い澄まし、一時的な麻痺状態へと陥れる。

 

 その隙に、と反転した《モリビトシン》は十字架のモリビトタイプへと機体を走らせていた。

 

 宙域を漂う十字架のモリビト自体は緩慢な動作だ。血塊炉さえ破壊すれば、と鉄菜は敵の炉心を探ろうとした。

 

 その時である。

 

 肌を粟立たせた殺意の波に鉄菜は機体を咄嗟に下がらせていた。先ほどまで機体がいた空間を引き裂いていくのは四肢より分裂した蛇腹剣である。

 

 宙域を寸断、両断、灼熱の刃の向こう側に落とし込む敵影に、鉄菜は息を呑んでいた。

 

「この反応……六年前の……。瑞葉の乗っていたトウジャか?」

 

 だがどうしてその機体が宇宙に? 疑問が氷解する前に敵影が瞬時に接近する。

 

 トウジャタイプ特有のX字の眼窩が赤く輝いていた。

 

「……《ラーストウジャカルマ》。まだその業を切り離しきれないか」

 

 Rシェルソードを払って敵を引き剥がそうとするが、その時には別方向からの熱源に意識を割く事になってしまった。

 

 デブリ帯より現れたのは未確認の人機である。発見すればまず間違いなく撃墜対象に上るであろうほどのオレンジ色を機体色に引き移した新型に鉄菜は当惑していた。

 

「新型人機……? アンヘルか」

 

『《モリビトシン》。アムニスの序列三位を誇るこの――シェムハザ・サルヴァルディ! 《イクシオンアルファ》! 試させてもらう!』

 

 敵がRランチャーに似た兵装で暗礁の空間に光軸を刻み込む。《ラーストウジャカルマ》が《イクシオンアルファ》とやらの機体に阻まれた形となった。

 

『先を行かせてもらいますよ! これも作戦ですからね!』

 

《ラーストウジャカルマ》が射程より離れていく中、鉄菜は向かい合った《イクシオンアルファ》を睨み上げる。

 

「邪魔をするなら!」

 

『撃ってくるかい? それとも! 撃たれるか! 《モリビトシン》!』

 

 背面に《ノエルカルテット》を想起させる砲塔を仕舞い込み、《イクシオンアルファ》がプレッシャーソードを発振させる。

 

 粒子束の色は高出力の黄色であった。

 

 Rシェルソードで打ち合うも敵の出力のほうが遥かに高い。

 

 後方熱源のアラートがコックピットの中で響き渡る。《イクシオンアルファ》の攻撃を弾いて、《モリビトシン》が踊り上がった。

 

《セプテムライン》が少しでも油断をすればこちらを照準してくる。その引き金にはいささかの迷いも見られない。

 

 舌打ち混じりに、鉄菜は稼動していない十字架のモリビトの陰へと機体を走らせた。

 

『逃がしませんよ!』

 

《イクシオンアルファ》と《セプテムライン》が追いすがってくる。どちらかは撒けるかと思っていたが、《セプテムライン》は《イクシオンアルファ》へと火線を見舞った。

 

『……モリビト同士が? 分からない事を!』

 

 急速に速度を落とした《イクシオンアルファ》が慣性機動で《セプテムライン》に相対速度を合わせ瞬時に切り裂く。

 

 だがその一閃は読まれていたらしい。Rソードとプレッシャーソードが激しく打ち合う。

 

「……少しなら、時間は稼げるか」

 

 鉄菜は上がっていた呼吸を整え、十字架のモリビトの裏側で詰めていた息を吐き出す。

 

《セプテムライン》もそうだが、《イクシオンアルファ》も恐るべき機体だ。二体同時には相手取れないだろう。

 

「どこかで桃に……。いや、他力本願は私らしくないな。どちらかを撃墜する。そうでしか……」

 

 不意に背後から殺意を浴びせかけられる。十字架のモリビトへと拡張した蛇腹剣による一閃が見舞われていた。稼動していない超大型の機体が雪崩れたように傾ぐほどの膂力。

 

《ラーストウジャカルマ》がもつれ合った二機を追い越し、こちらへと再接近する。

 

「……来るか」

 

 Rシェルライフルを速射モードに設定し、銃撃網で翻弄する。敵は全身に装備された補助推進剤で細やかな機動力を実現し、こちらの正確無比な狙い撃ちを巧みに避けてみせた。

 

「……ただの操主じゃないな」

 

 敵が大きく腕を引き、蛇腹剣をぶつけてくる。その刃から漂う怨嗟に、鉄菜は吼えていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯230 燃える月

 

「クロっ! 二機に挟まれて……」

 

 桃は月面都市の制圧任務が充てられていたが鉄菜を放って自分だけのうのうと任務を遂行など出来るはずもない。援護の火線を張ろうとRランチャーで敵を照準する。

 

「《モリビトナインライヴス》、Rランチャー、最大出力モードでっ!」

 

 放たれた光の瀑布に対し、不意に射線に熱源が現れていた。それを確認した時には、Rランチャーの光軸が逸れ、全く別の方向を射抜く。

 

「……どうして。熱源なんて今まで見えなかったのに」

 

 粉塵を引き裂いた敵は前回、鉄菜のRシェルソードを一基破損させた人機であった。ゴーグル型の頭部より射る光が灯される。

 

「機体参照……《イクシオンベータ》。こいつ、まさかモモの《ナインライヴス》の、最大出力Rランチャーを弾いたって……!」

 

 戦慄く視界の中、《イクシオンベータ》が紺色の機体を跳ねさせた。両袖口より金色の粒子束の爪を顕現させる。悪鬼の如き爪が迫り、桃は《ナインライヴス》を下がらせようとした。だが相手の機動力は予測以上である。すぐさまこちらの予測軌道を直角に折れ曲がった敵が爪による一閃を《ナインライヴス》へと浴びせてきた。砲塔で受け止めさせると、スパーク光が焼け付く。

 

 袖口よりリバウンドの剣を顕現させた相手は変幻自在の攻撃網で《ナインライヴス》を追い立てた。

 

 距離を取ろうとするが敵機の速度が圧倒的である。追いすがってくる相手に《ナインライヴス》の溶断クローをぶつけさせた。

 

 敵の爪と激突した直後、破損警告がコックピットに響き渡る。

 

「壊された? まさか、たった一撃で?」

 

 クローの破損に桃は後退しようとするが敵性人機は即座に背後へと回り込んでいた。滑るような動きに桃は舌打ち混じりの応戦を放つ。

 

 アンチブルブラッド兵装のロックを解除し、自機の至近で炸裂させた。敵は純正血塊炉の持ち主のはず。

 

 敵の爪がかかる前に相手の動きが青い濃霧に鈍る。つけ入る好機、と桃はRランチャーを超至近距離で構えた。

 

「絶対に、外さない!」

 

 そのはずの距離で敵は跳ね上がる。まさか、と桃は目をしばたたいた。

 

 アンチブルブラッド兵装を受けてすぐには動けないはず。どうやって、と首を巡らせた直後、敵の爪が装甲を切り裂かんと迫っていた。

 

 片腕を差し出し、爪の高出力に引き裂かれる。肘から先が吹き飛んだ左腕を犠牲にし、桃は敵人機へとRランチャーを手に猪突していた。

 

 単純な質量による圧倒。砲身で殴りつけた敵がよろめいた。

 

「逃がさせてもらうわ。相性悪そうだからね!」

 

 アンチブルブラッド兵装を最大まで照準し、敵と《ナインライヴス》との間に爆風を作り出す。

 

 青い濃霧が舞う中、桃は《ナインライヴス》のステータスを視野に入れていた。

 

「左腕をロスト……。それに敵はこっちよりも機動力、総合性能共に高い。……どうしてだかアンチブルブラッド兵装も上手く効いていない様子。逃げるが勝ちね」

 

 推進剤の尾を引いて《ナインライヴス》が宙域を駆け抜ける。巨大な十字架のモリビトへの攻撃はほとんど不可能となった。

 

 今は、月面の銃座を一つでも減らし、《ゴフェル》の道を作る。

 

 Rランチャーを構えたところで横合いから接近警告が鳴り響く。

 

 アンヘルの《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーライフルを引き絞っていた。

 

「……止まれば格好の的ってわけ」

 

 アンチブルブラッドミサイルで弾幕を張りつつ、《ナインライヴス》を月面の地表ギリギリで疾走させる。

 

 しかし純正血塊炉のほうが出力は上である。すぐさま追いすがった《スロウストウジャ弐式》がいくつかの銃撃を見舞った。

 

 機体を翻させ、桃はRランチャーの砲口の下部に備え付けられた低出力の速射プレッシャー砲を放つ。

 

 しかし牽制にもならない。敵は余裕で回避し、プレッシャーソードを引き抜いた。砲身で攻撃を受け止め、桃は歯噛みする。

 

「しつこいってのよ! あんた達は!」

 

 砲身を振るい、《ナインライヴス》を可変させる。機獣モードとなった《ナインライヴス》が地表へと着陸し、実体弾の攻撃を敵へと浴びせる。

 

「月面に来たからって優位でもないのね。……こけおどし!」

 

《スロウストウジャ弐式》が《ゼノスロウストウジャ》にハンドサインを送る。それを受けて《ゼノスロウストウジャ》が《ゴフェル》へと向かっていった。

 

「……ここは食い止めるって? 嘗めるな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『隊長! ヒイラギの奴、独断先行して……! 両盾のモリビトに喰われますよ!』

 

「いや……案外上手くやっている。ハイアルファーにはいささかの不安要素はあったが、乗りこなしているな」

 

 その評にヘイルはケッと毒づく。

 

『いつの間に習得したんだか』

 

「ヘイル、獣型のモリビトはどうだ?」

 

『こっちで食い止められますよ。幸いにして衛星に縫い止めました。簡単には振り解けないはずです』

 

「よし、では我が方は敵艦を落としにかかる。……高次権限持ちがモリビトを押さえてくれるのならば、こちらは純粋に敵の巣窟を排除出来る」

 

《ゼノスロウストウジャ》を反転させ、敵艦へのルートを作る。敵艦は宙域を遊泳しつつ、弾幕を張って衛星への逃走経路を取ろうとしていた。

 

「……衛星軌道に入ろうというのか。何のつもりか知らないが、その動きは許されない」

 

《ゼノスロウストウジャ》で敵艦の懐へと潜り込み、両腕を突き出す。砲口からリバウンドプレッシャーがいくつも放たれた。敵艦から青白い噴煙を吐き出すミサイルが掃射される。

 

 アンチブルブラッド兵装だ。すぐさま距離を取り、中距離から敵艦を攻め立てた。

 

 月面より激しい銃撃が浴びせかけられる。それは自分達とて例外ではない。弾幕に隊長はある一定距離までの追い立てしか出来ないと判断した。

 

「この衛星……巨大質量がゆえに重力がある程度発生していると鑑みても、この拒絶感……。まさに鉄壁の要塞か」

 

 機体を制動用の推進剤で距離を取らせ、敵艦を注視する。

 

 ブルブラッドキャリアの舟はこのまま衛星の内部へと向かおうとしている。

 

「死出の旅か……。あるいは無策と見せかけての……」

 

 その時、通信網に割って入ったのは別系統の命令であった。

 

『第三小隊に告ぐ。こちらの損耗率は低く見積もれ。敵へと無為な強襲は避けられたい』

 

「その命令の赴くところを知りたい。どういう意味か」

 

『監査中である。ゲストはこちらの部隊と共に……イクシオンフレームの性能試験がしたいと』

 

 その言葉の帰結する先はこの戦場でさえも試金石にしている上の傲慢さが見て取れた。しかし隊長は口を挟むわけでもない。

 

「……了解した。無茶はさせないでおこう。イクシオンフレームの援護に回れ、という意味で」

 

『それで構わない』

 

 イクシオンフレームは一機が両盾のモリビトに。もう一機が機獣のモリビトとの戦闘から抜け、衛星の重力圏に入ろうとする敵艦へと再接近を試みようとしていた。

 

 あくまで脇役。《ゼノスロウストウジャ》を下がらせ、リバウンドの砲撃を見舞う。

 

 機体参照データが送信され、二号機――《イクシオンベータ》が敵艦へと仕掛けようとする。その勢いを削ぐように狙撃のリバウンド兵器の光条が戦場を掻っ切った。

 

 甲羅を持つモリビトが高精度の狙撃用ライフルを構え、《イクシオンベータ》を追い立てる。

 

「……脇役……引き立て役はせめて、だな」

 

《ゼノスロウストウジャ》を衛星の重力圏へと駆け抜けさせる。惑星の重力の約六分の一の荷重がかかる中、隊長は計器を調整しつつ甲羅のモリビトへとプレッシャーダガーを発振させていた。

 

「見極めさせてもらう!」

 

 振るったプレッシャーダガーを敵のリバウンドの斧が受け止める。干渉波のスパークが散る中、敵は武装を持ち替えた。

 

 リバウンドの小銃を片手にした敵の牽制の銃撃を、《ゼノスロウストウジャ》は回避行動を取りつつ、横合いから劈く衛星の防衛システムに舌打ちした。

 

「どこもかしこも……。これでは泥仕合だ」

 

 巻き上がったクレーターの壁に身を隠し、隊長は息をつく。

 

 敵モリビトの攻撃力は折り紙つき。両盾のモリビトほどではないが白兵戦も不可能ではない。

 

 だがこちらが適当にあしらえばその狙撃網が《イクシオンベータ》へと及ぶ。

 

 現状、優先すべきはイクシオンフレームの戦果。この場合、自分の役割は一つに集約される。

 

「……悪く思うな、モリビト。あしらってやる戦いほど……どちらもやりにくい事、この上ないがな!」

 

 壁面から飛び出した《ゼノスロウストウジャ》がモリビトへとプレッシャーの砲撃を見舞う。敵はトマホークを回転させて攻撃を弾き返し、そのまま下段より刃を振るい上げた。

 

 プレッシャーダガーと斧が干渉し合う。激しく鍔迫り合いを繰り広げる中、隊長は《イクシオンベータ》が着実に敵艦を攻め立てているのを目にしていた。

 

「引き立て役だろう! ならば全うしてみせる!」

 

 返す刀で敵の肩口へと切り込む。敵モリビトはたたらを踏んだ。その隙を逃さずその機体へと浴びせ蹴りを見舞う。鋼鉄の機体同士がぶつかり合い、衛星の地表で砂塵を巻き起こらせた。

 

 敵が斧を振るい上げ一閃を見舞おうとする。それをステップで回避し、拳を鳩尾へと打ち込んだ。

 

 さらにプレッシャー砲口よりの一撃。

 

 確実に血塊炉を破砕した、と思われた一打は敵が不意に加速度を増した事で逸れてしまった。

 

「甲羅のリバウンド効果か。だが小手先だ!」

 

 プレッシャーダガーを敵の頭部へと浴びせかける。敵はもう一方の手に携えた小銃を捨て、トマホークを両手に保持した。

 

 薙ぎ払った一閃と、打ち下ろした一撃が交差する。さすがに出力負けはしないものの、白兵戦闘はやり辛い。

 

 それでもモリビトに援護の機会を与えない、という本懐は維持している。

 

「機体が逸れているぞ! モリビト!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こいつ……! ボクらを引き剥がさないつもりか!」

 

 先ほどから執拗に攻撃を仕掛けてくる《ゼノスロウストウジャ》に林檎は歯噛みしていた。

 

 これでは《ゴフェル》へと攻撃を仕掛ける新型機を撃墜出来ない。それどころか、地表に縫い止められて体のいい的にでもなりかねなかった。

 

「林檎……、アンチブルブラッドミサイルを炸裂させて敵を鈍らせる。その隙に……!」

 

「距離を取って離脱! 《ゴフェル》の援護でしょ! やるよ!」

 

 照準器を見据えた蜜柑が引き金を引く。アンチブルブラッドミサイルが拡張した甲羅より発射され、敵機へと追尾性能を取った。

 

 敵が後退する。刹那、炸裂させて青い濃霧を発生させた。

 

 これで敵は不用意に近づけないだろう。《イドラオルガノン》はその間に別の場所へと陣取り、《ゴフェル》の警護に当たるしかなかった。

 

 地表を蹴りつけて逃げおおせるのに六分の一の重力が僅かに邪魔をする。

 

「低重力……、でもこんなにやりにくいなんて……!」

 

 狙撃用のライフルを構え直し、林檎はウィザードとして機体制御を任せられる。

 

 拡大モニターの中に《セプテムライン》と《ラーストウジャカルマ》に追い立てられている《モリビトシン》を発見した。

 

 もう一機の新型機も攻撃を浴びせかけている。

 

「鉄菜さんが……! 援護を」

 

「やめておきなよ。旧式に援護したってしょうがないだろ。ボクらの任務は《ゴフェル》を守る事だ」

 

 機体をクレーターの中に滑り込ませ、林檎は全天候周モニターを叩く。

 

《モリビトシン》は十字架の巨大構造物のモリビトへと破壊工作を試みようとしているようであったが、やはりというべきか敵の攻撃に阻害されている。

 

「……ねぇ、おかしくない? ブルブラッドキャリアが、ミィ達の道を阻むなんて」

 

「おかしくはないだろ。本隊はもう裏切ったものとして見てるんだから」

 

 地軸、重力の変動値を設定。蜜柑の精密狙撃への力添えにする。

 

「……そう、なんだよね。でも、全く対話の余地もないなんて」

 

「そういうもんだよ。あっちからしてみれば勝手に資産を持ち逃げしたも同じなんだし。憎くって仕方ないんでしょ」

 

「……ねぇ、林檎。ミィ達は本当のところ、誰を撃つべきなのかな……?」

 

「そんな事考えていたらまた《ゼノスロウストウジャ》に追い込まれる。せっかく撒いたんだ。射撃位置より特定される前に、新型機を迎撃する」

 

「……うん。そうだよね……。これ、必要な戦い……なんだよね?」

 

 そんなもの知るものか、と林檎は胸中に毒づいていた。必要な戦いかどうかなど、誰が決めるというのだ。それこそ結果論に過ぎない。

 

 蜜柑は気にし過ぎだ。そんな事に気を取られているから、せっかくの《イドラオルガノン》の性能を無駄にする。

 

「早く狙いなよ。好位置だ」

 

「……うん。《イドラオルガノン》! 精密狙撃に入る!」

 

 敵の新型機が射線を読んで回避する。見る限り機動力、出力共にこちらのモリビトを圧倒している。

 

 あれに目をつけられれば厄介だな、と思った直後、新型機のゴーグル型の眼窩がこちらを睨んだ。

 

「あ、……まずいかも」

 

 咄嗟に機体を引き上げる。逸れた狙撃を敵はきりもみながら回避し、その袖口より爪を顕現させた。

 

「林檎? 敵に見つかって……!」

 

「いや、チャンスだ」

 

「チャンス? どういう……」

 

「舌を噛むよ! 敵との超至近距離白兵戦に入る!」

 

《イドラオルガノン》の推進剤を全開にし、敵機へとRトマホークを振るい落とす。それを受け止めた相手へともう片方の手に握らせた二の太刀を走らせた。

 

 血塊炉を寸断したかに思えた一閃はしかし、敵の装甲を掠める事も出来ない。

 

 後退した相手にアンチブルブラッド兵装を叩き込む。青白い煙を棚引かせたミサイルを敵は袖口より放射した黄色いリバウンドの粒子爆風で止めていた。

 

「そういう使い方も出来るのか……。ただの近接型じゃないって!」

 

 Rトマホークを薙ぎ払わせる。敵は臆せず至近距離に入り、袖口よりレイピア型の刃を作り出した。

 

 敵の剣とこちらの斧がぶつかり合う。スパークの光が照り返す中で、林檎は吼え立てていた。

 

 Rトマホークの出力を上げ、敵を両断しようとする。その一閃を敵はステップで回避し、手首から先のない腕を突きつけてきた。

 

「……来る!」

 

 予感した身体が総毛立つ。敵の攻撃射程を読んだ《イドラオルガノン》が大きく後退していた。

 

 伸長した敵の刃を避け切った機体で安堵の息をつこうとして不意打ち気味の接近警告に《イドラオルガノン》はリバウンドの甲羅の斥力を使って機体を弾かせていた。

 

 先ほどまで機体があった空間をプレッシャーダガーが引き裂く。

 

 いつの間に接近していたのか、《ゼノスロウストウジャ》の介入に林檎は舌打ちする。

 

「お前の相手は、している暇はないんだよ!」

 

 Rトマホークを振るい上げて応戦するも敵は剥がれてくれない。新型機が袖口より低出力の銃撃を掃射し、射線から逃れていく。

 

 また《ゴフェル》を狙うつもりだろう。

 

「させない! 蜜柑!」

 

「分かってる! アンチブルブラッドミサイル、全弾、発射っ!」

 

《イドラオルガノン》に装填されているアンチブルブラッドミサイルが幾何学の軌道を描いて新型機へと突き刺さろうとする。

 

 敵は機銃掃射でミサイルを破壊するも、広域に拡散したアンチブルブラッド濃霧を引き裂く事は出来ないようだ。

 

 これで、《ゴフェル》へと攻撃はさせない。

 

「どうだい! 見たか!」

 

「林檎! 前の敵! 油断しないで!」

 

 そうだ。新型機の動きは抑えられたが地表を踏み締める《ゼノスロウストウジャ》だけはその濃霧の外である。

 

 ここで決着をつけなければならないのは、眼前の人機であった。

 

「来いよ! ボクと《イドラオルガノン》が、駆逐してやる!」

 

 吼えた林檎はその時、巨大熱量放出の警告をコックピットで聞いていた。何が、と振り仰いだその時、十字架のモリビトが淡く輝く。

 

 その巨大構造物から眩い光の渦を発生させ、刹那、月面が灼熱に抱かれていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯231 罪との決別

 ――アンチブルブラッド兵装の広域濃霧のせいで敵艦に仕掛けられない。

 

 その報告が同期された時、渡良瀬は歯噛みしていた。イクシオンフレームの弱点があるとすればそれは純正血塊炉である事だろう。高機動、高出力を実現する代わりにその楔からは逃れられない。因果なものだ、と渡良瀬が感じている中、かけられた言葉があった。

 

「渡良瀬。久方振りに顔を見せたかと思えば……ご自慢のイクシオンフレームの品評会に、ワシなんぞを呼んで何のつもりだ?」

 

 タチバナの射るような眼光に渡良瀬は余裕を浮かべてみせる。ゾル国軌道エレベーターより各国のお歴々が集い、次世代人機の品評会という体裁の下、ブルブラッドキャリアへと仕掛けたのだ。

 

 アムニスの発言力を増すためにもスポンサーは絶対である。現状のアンヘルへの資金繰りの流れをこちらへと流している形でも通用はするが、これから先イクシオンフレームの流通を完備するのには公式の形で実力を認めさせる事が必要であった。

 

「博士、あなたの目から見て、イクシオンフレームはどうです? 素晴らしい機動力と性能でしょう? 皆さまもどうぞ、ご観覧を! 我が方のイクシオンフレームがまさに、モリビトと戦っております!」

 

 双眼鏡を携えた人々が戦いの様子を観察し、それぞれ配っておいた機体のデータに目を通す。

 

「新型機のお披露目と、ブルブラッドキャリアの駆逐……。体よく資産も回したい、か。随分とあくどくなったではないか、渡良瀬」

 

「手段を選ばなくなっただけですよ。あなたと同じだ、博士。六年前、《キリビトエルダー》の出現にあなたは絶望したがわたしは希望を見たのですよ。あれだけの人機まで登り詰められる。ならば人機産業はこれから先、老人の動かす部署ではない、と」

 

 言葉を選ばない渡良瀬の自信にタチバナは鼻を鳴らしていた。

 

「どうだかな。破滅への遠因は案外、近くにあるものだ。謎の巨大質量の衛星にあれは……《キリビトエルダー》と同種の人機か。あのようなもの、のさばらせていいわけがない」

 

「そのために力が要るのですよ、博士。圧倒的な、ね」

 

「違えたな。ワシと貴様は決定的に、見ているものが違う」

 

 それも老人の繰り言だろう、と渡良瀬は流した直後、唯一稼動している十字架の機体に動きがあったのを目にしていた。

 

 灼熱のリバウンド兵器の砲撃網が月面を睨み据え、全方位より黄昏色の攻撃が放たれた。

 

 四方八方を引き裂くリバウンドの砲撃が月面の土くれを巻き上がらせる。渡良瀬は思わず脳内のローカル通信を繋いでいた。

 

 ――イクシオンフレームは?

 

 シェムハザとアザゼルの返答がすぐさま脳に反射された。

 

 ――こちらシェムハザ。……今の砲撃……地上へのものであった。こちらにダメージはない。

 

 ――こちらアザゼル。《イクシオンベータ》は直前に地上を離れていた。こちらも損耗はゼロだ。

 

 ホッと安堵に胸を撫で下ろしたのも束の間、高官が叫ぶ。

 

「今のは何だ? あれは人機なのか!」

 

「落ち着いてください。あれはどうやら衛星軌道を見張る……敵性人機の様子ですが三機のうち一機しか稼動していません。その一機の狙いもずさんなもの。今の砲撃で我が方に損害はないのでご安心を」

 

「口八丁でたぶらかすか。渡良瀬、今の砲撃……確かに貴様の売りたいイクシオンフレームには損害はないかもしれんな。だが、アンヘルにはどうだ?」

 

 その言葉に高官達がめいめいに声を発する。

 

「アンヘルには多額の出費をしている! こんなところで第三小隊を失うわけにはいかん!」

 

「どう責任を取るのだ! 渡良瀬! 新進気鋭の部隊とは言え、本隊を無視した独断専行は許されないぞ!」

 

 どの口が、と渡良瀬は歯噛みする。この連中には現場判断などまるで見えていないのに、こういう時だけ現場の空気に立とうとする。

 

「ですから……心配はないと……。第三小隊は手だれでしょう?」

 

「だからこそだ。失いたくはない駒を、貴様の道楽で失って堪るか、という」

 

 タチバナの声に数人が同調した。

 

「品評会という触れ込みで来たが……こんな無茶苦茶な戦局では話にならんのではないかね?」

 

 一人が身を翻すと全員が醒めたようにこの場を立ち去ろうとする。

 

「お、お待ちを! 確実にモリビトを破壊してみせます! だから、今しばらく……!」

 

「品評会を気取ったのならばイレギュラーは廃するべきだ。渡良瀬、悪手を取ったな」

 

「博士は黙っていてもらいたい! 我が方の問題です」

 

 肩を竦めるタチバナに渡良瀬は必死に高官達のご機嫌を取った。

 

「見てください! イクシオンフレームは健在です! あの宙域を!」

 

 訝しげに高官達は双眼鏡を覗く。

 

 宙域で高機動を実現した《イクシオンアルファ》が一気に高高度へと飛び上がっていた。

 

 これも必要なパフォーマンスの一つ。今は《モリビトシン》を追うのは中断し、《イクシオンアルファ》には見世物になってもらう。

 

 十字架の機体へと回り込み、即座に背後を取った。その挙動に拍手が漏れる。

 

「トウジャより速いな」

 

「現行の人機を遥かに凌駕している」

 

 賞賛の言葉に渡良瀬は恭しく頭を下げる。

 

「それはそうでしょう。イクシオンフレームは現状の人機開発を一変させます! モリビトなど、最早前時代の遺物! あんなものを恐れているよりも、今は国家間の緊張状態を加速させ、連邦国家の礎を――」

 

「渡良瀬。失態だな。モリビトが抜けてきた」

 

 タチバナの言葉に渡良瀬は両盾のモリビトが射線を抜け、もう一機のモリビトと激しく交戦しているのを目にしていた。

 

 今はしかし高官を納得させる事だ。

 

「……い、一回限りでしょう! モリビトなんて」

 

「戯れに言葉を弄するのは勝手だが、モリビトを軽んじるな。あれは禁断の人機だ」

 

「黙っていてもらえますかね。……老躯の分際で」

 

 怒りを滲ませた渡良瀬にタチバナは目を細める。

 

「モリビト。この戦局、どう切り抜ける?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鉄菜の《モリビトシン》がイクシオンフレーム一機の警戒網を抜けました! しかし、依然として《セプテムライン》が……!」

 

 もたらされる報告にニナイは声を飛ばしていた。

 

「出来るだけ弾幕を薄めないで! 《ゴフェル》はこのままの機動力を維持して前に進み続けて! ……茉莉花、何を」

 

 茉莉花がコンソールに先ほどから取り付き、ずっと作業している。その行動にはいささかの澱みもない。

 

《ゴフェル》は攻撃を受けている。いつ沈むかも分からないほどの高密度の敵の包囲網にニナイは奥歯を噛み締めていた。

 

 このままでは、と思ったところで茉莉花がやっと声にする。

 

「……繋がった。ニナイ、これで生存率が上がったわ」

 

「茉莉花、さっきから何をしていたの?」

 

 茉莉花は額の汗を拭って振り向く。

 

「月面の監視塔へのハッキング。十五個もあるから手間取ったけれど、今より十分間だけ、全部無効出来る。今のうちに《ゴフェル》を最大船速。一気に月面の中枢に入るわ」

 

「そうは言われても敵の攻撃が……!」

 

 今も張り付いている敵人機からの銃撃網を何とか持ち堪えているところだ。しかし茉莉花はこめかみを突いた。

 

「頭を使いなさい。どうやって地上の敵を振り切ってきたのか」

 

 まさか、とニナイは息を呑む。

 

「エクステンドチャージ……。でも、無理よ! 使用限界を超えてしまう!」

 

「どうせ使わない血塊炉ならギリギリまで使いなさい。それとも、ここで死にたいの?」

 

 火線が咲き、《ゴフェル》が激震する。よろめきながらニナイは茉莉花の眼差しを見据えた。

 

 彼女は何も酔狂で口にしているわけではない。この艦と運命を共にする覚悟を持っているから、言えるのだ。

 

「……当てにするわよ」

 

「結構。さっさとおやりなさい」

 

 ニナイは艦内に通信を吹き込ませた。

 

「整備デッキへと入電! 艦の出力を最大に設定する。エクステンドチャージを稼動! 一気に月中枢へと潜入する!」

 

『無茶だ! 艦長! 《ゴフェル》のエンジンだってギリギリの推力なんだ。これ以上無茶をすれば航行に支障が出るぞ!』

 

 タキザワの忠言にそれも分かっているとニナイは拳を握り締めた。

 

「それでも、やるのよ。今はそれしかない。茉莉花が作り出してくれた好機、逃すわけにはいかない」

 

『ニナイ艦長。エクステンドチャージに頼るのはいい。だがその場合、月面に入った直後より《ゴフェル》は完全な機能停止状態に追い込まれるだろう。試算して約三十分。三十分も立ち往生する艦を敵が逃がすとは思えない』

 

 その場合の事を予期していないわけではない。それでも、実行するしかこの状況を打開する方法がないのだ。

 

「ゴロウ、それにタキザワ技術主任、艦長命令です。《ゴフェル》にエクステンドチャージの実行を。その後の航行状態の悪化に関しても全て、私が責任を取ります」

 

 その言葉に暫時沈黙が流れた。今も爆発の余波が広がる中、そっと言葉が返される。

 

『……了解。艦長がそこまで腹を括っているのなら、僕達がビビッている場合でもない』

 

『同感だ。システム上の試算として、生存率は下がっているようにしか思えないが……君達はいつもその計算の先を行ってみせた。こちらも信じるとしよう』

 

「……感謝します」

 

 その言葉の直後、ブリッジを声が満たす。

 

「エクステンドチャージ準備! 実行可能時間は三分にも満たないと推測されます!」

 

「おやりなさい。艦の軌道ルートは吾が導くわ。月面中枢までの道案内は任せて」

 

 茉莉花がコンソールに取り付き、キーを激しく叩く。その背中にニナイはこぼしていた。

 

「……ありがとう」

 

「……まだ何も成し得ていないのにありがとうは言うべきじゃないわね。それに、超大型のモリビトの動きも解せない。月面への先ほどの攻撃……何かを潰すためだったとしか……」

 

 ハッとしたニナイはすぐさま通信を繋ごうとした。

 

「モリビト三機の消息は? 四人とも無事なの?」

 

「現在、高濃度アンチブルブラッドジャミングによって計測不能!」

 

 先ほど《イドラオルガノン》が掃射したミサイルが仇となったか。今はただ、四人を信じるしかない。それしか出来ない自分が歯がゆくとも、モリビトの力に頼るのがこの場での正答。掻き乱すべきではない。少なくとも自分は艦長なのだ。

 

 現場判断を預かるだけの地位に立っている。

 

 月面の地表より間断なく注がれる銃火器の火線を受けつつ、《ゴフェル》が大きく振動する。

 

『……ニナイ艦長。今一度だけ、確認する? ……いいんだな?』

 

 タキザワの言葉振りにニナイは拳をぎゅっと握り締める。

 

 ――彩芽、私達を導いて。

 

「……ええ。実行して」

 

《ゴフェル》が黄金の皮膜に包まれる。先ほどまで激しく甲板を叩いていた火線の勢いが衰えた。ほとんどの攻撃を弾き返す、ブルブラッドの加護を受けた《ゴフェル》が最大加速で月面へと突っ込んでいく。

 

 瞬時に大写しになる地面に誰もが激突を危惧した。

 

「ぶつかる……!」

 

「そんなわけ……ないでしょうっ!」

 

 茉莉花がエンターキーを押した途端、月面中枢の内部機構が開いていく。内側からガイドビーコンが点灯し《ゴフェル》を安全ルートへと導いた。

 

 月面中枢はまだ砂礫の装いの強い地表とは打って変わって機械の内壁であった。全てが自動的に構築されている様は惑星のコミューンよりもなお濃い人類の叡智の結晶である。

 

「これが……月の中……」

 

 こぼしたニナイに加速度を得た《ゴフェル》が内壁へと完全に突入する。茉莉花がその直後に忙しくキーを打ち始めた。

 

「茉莉花? もう突入出来て」

 

「ここからでしょう。他の連中まで招いていたら意味ないわよ」

 

 その言葉でまだ油断すべきではないのだとニナイはハッとする。エクステンドチャージの終了まで残り三十秒とない。

 

 茉莉花は外壁をハッキングし、突入に使った扉を閉ざそうとしている。

 

 その時、ブリッジが赤色光に染まった。

 

「何?」

 

「……おいでなすったわね。ブルブラッドキャリア本隊からの直接ハッキング! 《ゴフェル》をこれ以上進ませる気はないみたいね」

 

 ここに来て古巣が邪魔をする。その事実に歯噛みした直後、モニター全域が黒く染まった。

 

 全てのモニターへの同時ハッキングにニナイが命令の声を飛ばす前に、重々しい通信域が骨の髄まで身震いさせた。

 

『……来たか。罪の果実に塗れし者達』

 

 まさか、と冷や水を浴びせかけられたかのように硬直したのはニナイだけではない。ブリッジの全員がその語調に絶句する。

 

「まさか……」

 

『久しいな。だがここまでだ。貴様らはこれ以上、我々の財産を食い潰す意義はない。ここで潰えろ。そのためにそこにいる、醜く汚い生態部品を使ってきたのだろう?』

 

 生態部品、という言葉に茉莉花が反論する。

 

「最悪ね。あなた達思っていた通りに……卑怯で臆病な、軟弱者の群れ!」

 

 言い捨てた茉莉花にも意に介さず、相手は声にする。

 

『ここで足を止めるのならば、まだ温情をくれてやろう』

 

『左様。ブルブラッドキャリア離反の罪を、不問に伏すと言っているのだ。これ以上の譲歩はあるまい』

 

『既に見てきた通り、月は我が方の支配下にある。これを覆すのは貴様らが如何に度量を積んだところで不可能であろう』

 

「どうかしら? あなた達が縋ってきたあの十字架の巨大人機、動きもしない!」

 

『生態部品がよく吼える』

 

『動きもしない、と言ったな。確かに、対人機戦では、な。だが使い道は他にもある』

 

 他の使い道、と脳内で反芻している間にもブルブラッドキャリア上層部は交渉を試みる。

 

『悪くはないはずだ。月面にあるバベルへ手を触れる事は許されないが、その恩恵には与れる。つまり、これまで通り、……いや、これまで以上に貴様らを使ってやろうというのだ。我らが組織の理念のため。百五十年にも渡る因縁の決着に』

 

 そうだ。自分達は上の命令のままに生きてきた。百五十年前の罪。それをそそぐため、その一心で。

 

 ――だが、ふと足を止めてみればどうだろうか。

 

 自分達は百五十年どころか、まだ五十年も生きていない。だというのに、上の作り上げたレールを疑わず、無知蒙昧にも信じ続け、数多の若い命を失ってきた。

 

 彩芽も失い、何もかもを失って初めて、ようやく一端の人の目線になれた気がしたのだ。

 

 だというのに、ここで元に戻る? ここで、また思考停止が正しいのだと信じ込むというのか?

 

 それは……。

 

「……上層部の方々。それは我が方にとっての利益にはなり得ません」

 

 口をついて出ていた言葉にブリッジのスタッフが息を呑む。茉莉花だけが笑みを浮かべていた。

 

『ほう。では何のためにあるというのだ。貴様らの命は計算と調整の上に成り立っている。緻密な計算式を貴様らの代で終わらせるというのか? その場凌ぎの人間の欠陥部品となって、この月面で潰えるというのか?』

 

「いえ、私達は潰えません。ここで消えるために、この命があるはずではないからです」

 

『痴れ者が。言葉を慎め。貴様らを造り上げたのは我々だぞ。百五十年前……遺伝子組成を惑星より持ち出し、禁忌とされてきた人間の遺伝子をもって造り上げた末端兵共が、調子づきよって』

 

「それなら、より一層、です。だって、造られたはずの彼女は……鉄菜は人間でした。だったら、余計に胸を張れます。鉄菜が今を生きているのですから。同じ穴のムジナだというのならば私達だって生きていけないはずがないのですから」

 

 暫時沈黙が凍て付いたように降り立った。全ての時間を清算してもなお足りないほどの隔絶。それを噛み締めた末に待っていたのは相手の最終確認であった。

 

『……艦長だけの妄言ではないと判断するぞ。貴様ら全員の、罪の烙印だとな』

 

「……構いやしませんよ」

 

 不意に漏れた言葉はレーダー班の船員の声であった。彼は震える唇で言葉を紡ぐ。

 

「構いやしません……。だって、何のためにだとか誰のためになんて、どうだっていい! どうだっていいんだ! 俺達は……だって生きているんですから……命として生まれた以上、それは俺達の人生だ! あんた達の人生の勝手のいい駒じゃない!」

 

 手を振るったレーダー班は自分の仕出かした事の大きさに気づいたのか、顔を伏せて恥じ入った。

 

 だが、何も恥じ入る事も、ましてや憤りを感じたその心を否定する事もない。

 

「その通りです。私達はもう、一個ずつの命。だからあなた方の意見に反する事もまた、命だからです」

 

『余計な試行反射を作り上げてしまった。脳内に寄生するバグだ。悪い虫を取り除いてやろうというのに、それを甘受出来んか。愚か者共め』

 

『こちらの菩薩の如き慈愛を忘れ、生んでやった恩義も忘れるか。離反者風情が、作り物の命一つで、何が出来る?』

 

『造物主に反して、貴様らは何を手に入れたい? 報復作戦だけならば、もう成る。それを何も、負け犬の側で見る事もない。勝者の目線に立ちたくはないのか?』

 

「まことに勝手ながら、そんな目線なんて――クソ食らえです、皆様方。私達はブルブラッドキャリア。抗いの声を上げる者達。その声を止める事なんて誰にも出来ない。それが作り物でも! それが、あなた達の意に反するものであったとしても!」

 

『……致命的な欠陥だ。貴様らは全員、廃棄処分としよう。なに、もう五年あればもっと優秀な人間を造れる。その間の惑星との緊張状態の計画はもう練れてある。貴様らは大きな好機を逃した。その過ちを知るがいい。我らが鉄槌を持って!』

 

『来い! 梨朱・アイアス! 《モリビトセプテムライン》が裁く!』

 

 茉莉花がハッとしてキーを叩く。しかし誘導灯が灯ったままのゲートは閉じる事がなかった。

 

「ゲート開閉システムに強制介入……、他のシステムは捨て去って完全に《ゴフェル》を破壊する気ってわけ……」

 

 睨み上げた茉莉花に上層部は嘲笑う。

 

『相応しい末路というものがある。貴様らはここで、最も惨く死に絶えろ。ブルブラッドキャリアの明日の礎……最強の血続の経験値として!』

 

『なに、デブリになっても部品はいくらでも使えよう。その身、死しても組織の糧となれる事、幸運に思うがいい』

 

 ニナイは歩み出て、画面越しの相手へとサムズダウンを寄越した。

 

「――クソッタレです。皆様方」

 

『……つまらん人間になったな、ニナイ。育ての恩を忘れた人造種など、その程度よ』

 

 通信が途絶し《ゴフェル》のシステムが戻ってくる。それでも、与えられた衝撃は大きかった。ニナイは覚えずよろめく。

 

 ――自分達も広義では鉄菜と同じ人造種……。

 

 分かっていたつもりではあった。理屈では飲み込めた。それでも、やはりというべきか、心で理解出来るかどうかでは違っていた。

 

「……ニナイ。今は相手の繰り言に呆けている暇はないわ。《セプテムライン》が真っ直ぐに来る。《モリビトシン》との戦いを打ち切ってまで、ね」

 

「どうするの……。ゲートは閉ざせない」

 

「簡単な事よ。安全牌を振りたくって扉を閉ざす道を選んだだけ。迷わないのなら、進めばいい!」

 

 ニナイは面を上げる。漆黒の暗闇と機械の密集地へと。迷わないのならば、ただひたすらに進め。

 

 拳に力を込め、ニナイは言い放っていた。

 

「《ゴフェル》、そのまま前進! こうなったら意地でも進み通すわよ。私達の道を!」

 

 それが罪に塗れていても、構うものか。もうこの身一つの命だ。

 

 ブリッジの全員から了解の復誦が返る。タキザワが通信を繋いでいた。

 

「……馬鹿やったって、思ってる?」

 

『いいや。最高だったよ。これまでで一番、リーダーらしかった』

 

 掲げられたサムズアップにニナイは苦笑を寄越していた。

 

「ああ、もうこれまでね」

 

『ああ、これまでだとも。だが同時にこうとも言える。これからだ、と』

 

 そう、最早退路は消え去った。ここからはただしゃにむにでも、進むだけ。

 

「前方に熱源感知!」

 

 レーダー班の報にニナイは声を飛ばす。

 

「銃座?」

 

「いえ、これは……。精密機械です、とてつもなく大きな……。何だこれは……。特徴的な高周波を確認! いくつも重なって……音楽……?」

 

「音楽?」

 

 覚えず聞き返してしまう。レーダー班が別の言い回しを探ろうとしている中、茉莉花は言い放つ。

 

「いえ、合っているわよ、多分。宇宙の真空の闇を、引き裂く高周波。禁断の音響楽器。それは災厄をもたらす……」

 

「茉莉花……どういう」

 

「辿り着いた、という事よ。ご覧なさい、あれが――」

 

 眼前に迫ったのは広大な機械の洞であった。周囲の偽装皮膜が解除され、その全容を晒していく。

 

「これが、月面の……プラントだって言うの?」

 

「ええ。モリビトの生まれた場所。そして、還る場所でもある」

 

 どこか得心が言ったように口にする茉莉花は気密服に袖を通していた。どういうつもりか、問い質す前にこちらのサイズに合ったものを突き出される。

 

「艦長でしょう? 来なさい。来る義務があるわ」

 

 その強い語調にニナイは躊躇う。

 

「でも……艦のみんなを残して……」

 

「時間がないのよ。どれほど鉄菜・ノヴァリスが時間稼ぎをしてももう十分もない。艦内の全員を連れて行く事は出来ないわ。同行はタキザワ技術主任とあの胡散臭いアルマジロ……ゴロウだけにしなさい」

 

 ブリッジの全員に視線を巡らせる。彼らはただしっかりと頷いていた。

 

 たとえ作り物でも信頼関係だけは本物のはずだ。今まで潜り抜けてきた。これからも同じと信じたい。

 

「……分かったわ。みんな、艦を」

 

「任せてください」

 

「《セプテムライン》を押し返せばいいんでしょう? 砲撃手は腕利きですから」

 

 掲げた拳も少し震えている。彼らだって怖いはずだ。それでも繋ごうとしてくれている。

 

 前に、進もうとしてくれている。

 

 ならば、自分は進むべきだ。そうと決めたのならば。

 

「艦内に。タキザワ技術主任とゴロウは艦外へとこれから向かってもらいます。詳しくは……」

 

 歩きながら仔細を語ろうとしたところで、ブリッジに入ってきた瑞葉と鉢合わせする。

 

 両者共に言葉をなくした。瑞葉はしどろもどろになる。

 

「なに? 時間はないのよ」

 

 茉莉花の単刀直入な物言いに瑞葉はようやく口にしていた。

 

「その……わたしも連れて行ってもらえないだろうか」

 

「……どうして? あなたに何が出来るの? 人機にも乗れないくせに」

 

 どこか茉莉花には突き放す語調がある。探りかねていると瑞葉は前のめりに言い放っていた。

 

「人機にも……必要ならば乗る。だからわたしを……クロナだけに戦わせたくないんだ、わたしにも出来る事があるのなら……」

 

「……聞いていたでしょう? さっきの。同情しているの?」

 

 自分達も広義では被造物に過ぎない。その面が全くないわけではなかったのだろう、瑞葉は面を伏せる。

 

 茉莉花は腰に手を当ててハッキリと言い切っていた。

 

「作り物、作り物って……あなた達、よくこだわるわね。さっきの艦長のあれが答えよ。その答えに同意し切れないのなら、あなたは残りなさい」

 

 思わぬ茉莉花の言葉に気圧されつつ、ニナイは瑞葉を見据える。

 

「……私達は、前に進みたい」

 

 それががむしゃらな答えになるのならば。躊躇っていた瑞葉は頭を振って、声にしていた。

 

「わたしも……力になりたいんだ。……同じだとか言えば、気分を害するかもしれないが……」

 

「とんでもないわ。瑞葉さん、あなたはもう、立派な……」

 

 そこから先を口にしようとして茉莉花が背中を叩いた。

 

「湿っぽいのはなし! さっさと気密服を取ってきなさい!」

 

 前を行く茉莉花に瑞葉はこぼしていた。

 

「ありがとう……」

 

「……認めたわけじゃないっての」

 

 どこかで窺い知れない何かがあったのかもしれない。そう思いつつ、ニナイは通信に声を吹き込んでいた。

 

「タキザワ技術主任とゴロウ、それに茉莉花と瑞葉さんが同行してくれるわ。月面のプラント設備に仕掛けるわよ」

 

『仕掛けるって……おっと、爆薬でも置いていくって言うのかい?』

 

「もっと連中にとって痛い置き土産よ。喜びなさい」

 

 茉莉花の介入した声音に、『おっかないんだから、もう』とタキザワは文句を漏らす。

 

 整備デッキに訪れるとちょうど気密服に袖を通そうとして、つんのめっているところのタキザワを発見した。

 

「……何をやってるの」

 

「慣れない役目だからね。現場に赴くって言うのは」

 

「だからって、整備デッキで今まで気密服なしでいたって言うの?」

 

 整備デッキは当然の事ながらカタパルトへと通じている。いつ穴が開いてもおかしくはない場所なのだ。

 

 タキザワは愛想笑いを浮かべて頬を掻く。

 

「いや、色々あったからね。ちょっとばかし……浮かれていたのかも」

 

 それだけではないのは彼の目線からしても伝わってくる。先ほど上層部に喧嘩を売ったのが聞こえていないはずはないのだ。

 

「……あれが答えかい?」

 

 気密服のメンテナンスをしながら彼が尋ねる。ニナイは首を横に振っていた。

 

「分からない。……場の空気で言っちゃっただけかも」

 

「いいさ。そっちのほうが、よっぽど……」

 

 濁した言葉の先を追及する前に整備スタッフが声を飛ばしていた。

 

「艦長! 第三カタパルトを開けておきます! そこから!」

 

「了解したわ!」

 

 整備班が拳を固めて掲げる。

 

「先ほどの艦長の啖呵、痺れましたっ!」

 

 どこか気恥ずかしさを覚えながらニナイは手を振る。前を行く茉莉花は振り返る事もなく、機械の洞へと足を踏み入れていた。

 

 周囲は完全な闇の中に没している。

 

 気密服に備え付けられたライトだけが頼りであった。

 

「茉莉花、よく迷いなく……」

 

「数式はハッキリと見えているから、ブリッジよりかはマシよ」

 

 そのようなものなのだろうか。機械の洞の入り口へと茉莉花は淀みなくコンソールへと取り付き、パスコードを打ち込んでいく。

 

 展開した扉と格納コンテナの間に位置する小さなダストシュートへと茉莉花は誘導していった。

 

「大きな扉のほうじゃなく?」

 

「あれは出撃用のカタパルトよ。人間はこっち」

 

 人一人分が入れればいいほどの申し訳程度の穴である。壁に手をつきながらゆっくりと進もうとするが、茉莉花は迷わず前を進む。

 

 本当に彼女には数式が視えているのだろうか。今さらその眼を疑うわけではなかったが、ここまで逡巡の一つも浮かべないとなれば余計に怪しい。

 

『……疑ってる?』

 

 タキザワが肩に触れ接触回線で聞いてきた。彼にも思うところがあるのだろう。気密服の接触回線は他の者には盗聴されない。

 

『少し、ね……。茉莉花に何度も助けられたけれど、それでもまだ信じられないのよ。人間型端末だなんて』

 

『存在情報として知っているのと、目の前にするのは違う、か。……僕だって完全な信用を置いているわけじゃないよ。ただ、僕らを陥れるのならば先ほどの罵り合い、こっちにつく利はないね』

 

 それはその通りであろう。茉莉花が真に利益のみを求めるのならばブルブラッドキャリア本隊についてもおかしくはないはずだった。

 

『……試しているって?』

 

『そこまでは。ただ、まだ読めない腹はあるって事だよ。こうやって声を潜めていても、向こうにはバレバレかもしれないが』

 

「着いたわよ」

 

 茉莉花が立ち止まった先には本当に何もなかった。ただの壁があるのみだ。

 

 まさか、行き止まりか、と声を詰まらせた一同に茉莉花が目線を振る。

 

「高速演算モードに入る。もう時間もあまり残されていないでしょう。ゴロウ、艦内データは」

 

『逐次保存している』

 

「結構。回線を繋いで。あなたと吾が最高のパフォーマンスを発揮すれば、ものの五分……いえ、三分で構築してみせましょう」

 

 ゴロウが内側からケーブルを差し出す。茉莉花はそれを引っ手繰り、壁に取り付けた。

 

 瞬間、壁が銀色に波打ち、直後にはモニターやコンソールが浮かび上がっていた。

 

「最新型の、これは……電算回路?」

 

 モニターに表示された三次元図は盾と剣を合わせたような形状の鋭角的なフォルムをしていた。

 

「これより、《モリビトシン》の拡張パーツ……《クリオネルディバイダー》を設計する。なに、設計って言っても、一からやるわけじゃないわ。もう組み上がっている設計図通りにプラント設備を動かせばいいだけ」

 

 プラント全体が蠢動し、今まで静謐を貫いていた機械群が一斉に動き始める。

 

「……間に合うの?」

 

「それは賭けよ。好きでしょう? 分の悪いギャンブル」

 

 その言葉にはさすがに反論しかけて茉莉花は鋭い声音で遮っていた。

 

「声をかけないで。少しでも設計が狂えば完成しないんだから。三分か五分程度、お口をチャックするだけよ」

 

 制御系列に血脈が走り、プラントが本格的に稼動し始めていた。これを全て茉莉花一人でまかなっているのか、とその背中を見やる。

 

 今にも崩れ落ちそうなほど、小さな背中。幼い容貌に汗を浮かべ、その手は一切休まる事はない。

 

『……今は、黙って信じよう』

 

 タキザワの接触回線にニナイはその手を重ねるのみであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯232 歩み出すために

《セプテムライン》が急速に機体を反転させた。その赴く先を理解出来ないほど、刃が鈍ったわけではない。

 

「……《ゴフェル》に何か……」

 

 鉄菜は《モリビトシン》を駆け抜けさせる。その途上で蛇腹剣が進路を遮った。

 

《ラーストウジャカルマ》の妄執の刃をRシェルソードで受け流そうとする。しかし、敵の剣はまるで怨念そのもののように重く、そして決意が固い。

 

「瑞葉はこんなものを操っていたのか……。だが!」

 

 即座に切り返し、Rシェルライフルの銃撃を見舞う。敵機は上方に逸れていった。その一瞬の隙でいい。鉄菜はウイングスラスターを背面に位置させ、リバウンドの斥力で一気に宙域を抜けようとした。

 

 それを《ラーストウジャカルマ》の脚部の剣が阻もうとする。四肢が全て武器。全包囲へと攻撃を見舞えるだけのその性能。

 

「……恐るべき人機だな。それに、この高追従性……ただ強いだけの人機じゃない」

 

 確信を浮かべた鉄菜は《モリビトシン》のRシェルソードで巻きついた剣を跳ね返そうとする。だが敵の膂力が遥かに上であった。

 

 巻き戻す力にRシェルソードを持っていかれそうになってしまう。唯一の武器、と推進力を向上させようとフットペダルを踏み込みかけて、鉄菜は月面に不意に開いた亀裂へと視野を向けていた。

 

《セプテムライン》は迷う事もなく真っ直ぐに亀裂へと機体を走らせる。

 

 あの先に、何かがある。そう感じた鉄菜はRシェルソードを捨てていた。

 

 巻き戻す勢いの強さで《ラーストウジャカルマ》がこちらの刃まで引き戻してしまう。僅かにつんのめった敵へと鉄菜は一顧だにせず機体を駆け抜けさせていた。

 

《セプテムライン》を追わなければならない。使命感に衝き動かされ、鉄菜は敵機と並走する。追加ブースターを相手は捨て去った。推力を絞り尽くした部品のデッドウィエイト化を防ぐための措置だろう。鉄菜は宙域を舞う敵の部品を回避し、《セプテムライン》の下方へと潜り込む。

 

 月面の銃座から激しい火線の応酬が見舞われた。近づく者を全て敵だと判断しているのか、その矛先は《セプテムライン》にも及ぶ。

 

 敵機へと銃弾が浴びせられた。こちらの速度が勝る。しかし、直後に鉄菜は《モリビトシン》が急激に重くなったのを感じていた。

 

 全天候周モニターを振り返ると《セプテムライン》がこちらの足へと縋りついている。

 

「……そこまでするか」

 

『……私は、貴様に成る! 鉄菜・ノヴァリスに成るんだ! こんなところで、墜ちている場合では……!』

 

「それはこちらも同じだ。射程に入ったな、撃墜する」

 

 機体を反転させて鉄菜はきりもみながら月面へと《モリビトシン》を強制着陸させる。

 

 砂塵が舞い散る中、敵機が地面に頭から落下したのを鉄菜は確認しようと首を巡らせた。

 

 刹那、不意に機体がよろめく。

 

 歪んだ照準器の中、《セプテムライン》が殴りつけてきたのだと鉄菜は直感した。

 

「……リバウンド兵器で斬るでもなく、殴るだと」

 

 理解に苦しむ行動であったが、次いで漏れ聞こえた恩讐の声音に考えを改めた。

 

『私は! お前に成るんだ! そのためならば!』

 

 頭部コックピットを押さえ込まれる。敵機の膂力にコックピットの耐久度がイエローゾーンに達した。

 

「させるか!」

 

 蹴り払い《セプテムライン》を転倒させる。つんのめった敵の頭部カメラ位置に膝蹴りを見舞っていた。

 

 仰向けになった敵を突き飛ばして離陸しようとした《モリビトシン》を敵はRソードで牽制する。

 

 砂塵が掻っ切れ、瞬間的な真空波が《モリビトシン》の機体を煽った。

 

『最初から……こうすればよかった……!』

 

「同感だな。だがこちらとしては助かった。武器は、もうないのでな」

 

『死ねェッ!』

 

 一閃を《モリビトシン》はステップで回避する。だが六分の一Gは容易く馴染んでくれない。僅かに姿勢を崩した隙を逃さず、敵機が懐へと肩口より猪突した。

 

 激震にコックピットが揺さぶられる中、不意に肌を粟立たせた殺気の波に制動用の推進剤を全開にする。

 

 眩く焼き付いた噴射剤の光が相手との距離を離していた。敵はメインカメラを直撃されたはずだ。

 

「……今ならば……」

 

 六分の一の重力の虜から逃れ、《モリビトシン》は月面の洞へと機体を直進させていた。推進剤のステータスが注意色に染まる。イクシオンフレームと、二機の相手に時間を割き過ぎた。

 

「……持ってくれ」

 

 願った瞬間、接近警告がコックピットを劈く。《セプテムライン》がこちらに向けて中距離用のプレッシャーガンを放っていた。間断なく放たれる殺意の弾丸に鉄菜は歯噛みする。

 

「もう少しなのに……」

 

 敵影が不意に消え去った。「LOST」の警告に鉄菜が視野を巡らせた瞬間、上方から敵機が降り立ってきた。首を狩らんと迫った刃を鉄菜は機体を後退させて避け切る。胃の腑に圧し掛かる重圧が何度も血潮をシェイクする。

 

 ブラックアウト寸前の脳内で鉄菜は瞬く間に敵が距離を詰めてきたのを目にしていた。

 

 まさか、と息を呑む。

 

「これは……ファントムか!」

 

『貴様に成るためならば……私は何にでも成ってやる……何もかもを、この身体には習得させられた! ブルブラッドキャリアの技術の粋を!』

 

 またしても機体を軋ませ、《セプテムライン》がファントムを使って肉迫する。振り上げられたRソードの斬撃に鉄菜はフットペダルを限界まで踏み込んだ。

 

「……ファントム!」

 

 幻影を使ってまで自分に追いすがろうというのならば、自分もまた幻影を解禁するしかない。

 

 超加速の域に達した《モリビトシン》が《セプテムライン》の血塊炉に向けて拳を固め、打ち放つ。

 

 これでブルブラッドシステムがダウンするはず、と予想していた鉄菜は《セプテムライン》の眼窩が極限の輝きに極まったのを目にしていた。

 

 ――まだ動く。

 

 そう直感した自分の反応が少しでも遅れていれば狩られていただろう。Rソードが振り下ろされると共にその刃が拡散した。

 

 リバウンド粒子が分散して機体を打ち据える。激震の中、鉄菜は各所が注意色に染まっていくのを視界に入れていた。

 

 ファントムを使用しただけでも相当な負荷のはず。加えて敵とのほとんどゼロ距離での戦闘、空中分解もあり得る機動に機体各部が軋んだ。

 

《モリビトシン》の装甲が剥離し、赤と銀に染まった機体の表層が融解していく。幸いにしてコックピットへの直撃は免れたが、三位一体血塊炉へとアラートが響き渡った。

 

「血塊炉の臨界点……、長引かせるわけにはいかない」

 

『墜ちろォッ!』

 

 薙ぎ払われたRソードの軌跡を鉄菜は読み取って上方へと逃げ切ろうとする。その軌道を《セプテムライン》が仰ぎ見た。

 

「……まだ追ってくるか」

 

『貴様を! 貴様をォッ!』

 

 推進剤を焚いた《セプテムライン》が《モリビトシン》へと追突する。突き上げられ《モリビトシン》は背筋を激しく天井へと衝突させた。

 

 肺の中の空気が全て出たかと思えるほどの身体への過負荷。息を上がらせた鉄菜は眼前の敵を見据える。

 

 ほとんどもつれ合いの状態で《セプテムライン》が《モリビトシン》を抱え込んでいる。鉄菜はアームレイカーを引き、敵機を引き剥がそうともがくが、敵はマニピュレーターを食い込ませて執拗に追いすがった。

 

「……そこまでするか」

 

『私は! 貴様にィッ!』

 

「どこでそこまでの怨念を買ったかは知らないが、私はこんな場所まで敵を連れてくるほど……愚か者ではない!」

 

 機体をきりもみさせて鉄菜は《モリビトシン》を自由落下に任せる。波打つ機械が蠢動する中へと自分の機体ごと敵機を押し込んだ。

 

《セプテムライン》が片腕を巻き込まれ、火花を散らせる。《モリビトシン》はほぼ全身に警戒色を引き受けながらも、稼動限界ギリギリまで機体を走らせようとする。

 

『させない……私が負けるなど、あり得るものかァッ!』

 

 敵人機が片腕をパージする。プラント設備に巻き込まれた形の《セプテムライン》が窮地を脱し、《モリビトシン》へとファントムによる激突を見舞う。

 

 周囲の機械を巻き込みながら二機が激しく揺さぶられ、鉄菜はあまりの衝撃に朦朧とした視野でアームレイカーを握り締める。

 

「……機体状況は」

 

 瞬間、《モリビトシン》のウイングスラスターが締め付けられた。プラント設備へと盾の一部が巻き込まれ、そのまま引きずり込まれようとしている。

 

 リバウンドの斥力で吹き飛ばそうとしたその一瞬の隙を相手は見逃さない。

 

 払われた浴びせ蹴りがコックピットを激震した。今まで緊張の一線を保っていた身体が急速に虚脱していく。

 

「まだ、だ……。まだ、私は……」

 

 次いで咲いたのは拡散Rソードの眩惑であった。

 

 直近で放たれたリバウンドの火花が《モリビトシン》の機体を熱で炙る。三位一体血塊炉が急速に機能を縮退させていき、遂には一時的な機能停止が《モリビトシン》を襲った。

 

「まだ……こんなところで……」

 

 伸ばした手の先が無情にも全天候周モニターの暗黒に支配されていく。

 

 敵人機がRソードを振り被ったところで鉄菜の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「外部フレーム形成完了……、続いて内部動力炉の概算に入る」

 

 茉莉花の行動を自分達は見守る事しか出来ない。プラント内で構築されていく新型機は空域戦闘に特化した先鋭戦闘機の様相であった。

 

「これが《クリオネルディバイダー》……」

 

「まだ半分ほどよ。血塊炉があるはず……。プラント設備内の血塊炉を検索。最適のものを搭載する」

 

『了解した。プラント内に該当する血塊炉は二十個存在。……だが、待て』

 

 ゴロウが声にした直後、回線が焼き切られた。直前に茉莉花が素手で有線を引き剥がしていたお陰でゴロウ本体は無事の様子であった。

 

「今のは……」

 

「最悪、ね。血塊炉まで明け渡す気はないみたい。リアルタイムで敵の妨害に遭っている。ゴロウが使えないとなれば、効率は三十パーセントまで落ちる」

 

「そんな……! だとすれば《クリオネルディバイダー》は……」

 

「……このままじゃ完成すらしない。血塊炉さえあれば動く見込みまで構築出来たのに、これじゃ外見だけを繕ったものよ。こんなの、出せない」

 

 絶望的な宣告にニナイは衝撃を受ける前に、プラント設備を爆発が見舞った事でよろめいていた。

 

 タキザワに抱き留められる中、周囲へと首を巡らせる。

 

「来たのね……」

 

 プラント設備の外壁を焼き切るリバウンドの輝きが連鎖する。

 

 片腕を失った形ではあるが、それでも恩讐の念をその眼窩にぎらつかせ、《モリビトセプテムライン》が襲撃していた。

 

『……目標発見。殲滅する』

 

 Rソードに光が灯る。次の瞬間にはリバウンドの灼熱に焼き切られる予感が支配していた。

 

 恐怖に引きつる全員に茉莉花が声を張り上げる。

 

「《クリオネルディバイダー》が完成していれば……。全員、姿勢を沈めて!」

 

 咄嗟に対応出来たのはこの数日間の賜物であったのかもしれない。全員が姿勢を沈めたそのすぐ上をリバウンドの溶解熱が断ち切っていく。

 

 茉莉花が慌ててコンソールに取り付くが、やはりというべきか、プラント設備は沈黙していた。

 

 その拳が叩きつけられる。

 

「何てこと……! あと少しだったのに……!」

 

 悔しさを滲ませる茉莉花に、《セプテムライン》がリバウンドの剣筋を突きつける。今にも焼かれかねないほどの高熱が支配する最中、敵操主の声が響き渡った。

 

『目標を殲滅……これで成れる……。私が、鉄菜・ノヴァリスに……!』

 

 全員が直後の意識出来ないほどの死を予見していた。

 

『――悪いが、その予定は白紙だ』

 

 響き渡った広域通信と共に《モリビトシン》がプラントへと割って入る。《セプテムライン》がたたらを踏んだ。

 

『貴様……どうやって……!』

 

『プラント設備に巻き込まれた右腕を粉砕させ、離脱した。それだけだ』

 

《モリビトシン》は酷く損耗していた。表面の装甲は剥離し、ほとんど灰色に染まっている。右腕の肘から先を失い、リバウンドの盾も末端は引き裂かれている。

 

 それほどの激闘を経てもなお、鉄菜の戦意は折れない。

 

 雄叫びを上げた鉄菜の《モリビトシン》が《セプテムライン》を押し返す。Rソードの拡散粒子が機体を襲う中、片腕で敵をプラントの内側へと追い込んでいく。

 

 固めた左手で殴り据え、《セプテムライン》の機体を引きずった。新たに咲いたRソードの一閃がコックピットのすぐ脇を掠める。

 

 肩口に突き刺さった光の剣に臆する事なく、鉄菜は《モリビトシン》の全身でもって敵機をカタパルトデッキへと押し出した。

 

『茉莉花! 五番カタパルトだ!』

 

 その声に茉莉花は残っていたコンソールをハッキングする。

 

「任せて……! 五番カタパルト、緊急射出用シークエンス……! これか!」

 

 緊急用の赤いボタンを拳で殴りつけたと同時に隔壁が開き、カタパルトデッキでもつれ合っていた二機が射出される。

 

 リニアボルテージの電磁を纏いつかせ、二機はそのまま月面へと追い出されていた。

 

 呆気に取られる一同は今しがた迫った死の気配を引きずっていた。

 

「……ぼんやりしないで。特にタキザワ」

 

「ぼ、僕かい?」

 

 不意に呼び止められてタキザワがうろたえる。茉莉花はキーを打つ手を休めずに声にする。

 

「プラント内の血塊炉には全て封印措置が取られている。現状では奪取は不可能。でもこれを届けなければ……鉄菜・ノヴァリスは敗北するわ。《モリビトシン》の状態を見たでしょう? あんなダメージで勝てるとは思えない」

 

「だが……血塊炉なんて……」

 

「あるでしょう? 一基だけ、今使えるのが」

 

 茉莉花の言葉の赴く先を予見したタキザワが、まさかと目を戦慄かせる。

 

「あれを使えと? それこそイレギュラーが……!」

 

「そんな事はとっくに分かっているわよ。現状、クリオネルをまだ半分の状態で出す事の下策も。でもこれしかない。クリオネルは自動では動けないわ。――瑞葉」

 

 まさかここで瑞葉の名前が挙がるとは思っていなかった。全員の目線が瑞葉に集る。

 

「……出来るわよね?」

 

 茉莉花の言葉は短いながらも全てが集約されていた。不完全な状態の《クリオネルディバイダー》を鉄菜の下へと届ける。そのためには「操主」が必要だと言う事を。

 

 瑞葉は僅かな逡巡の後に強く頷く。

 

「……わたしが、やれるならば」

 

「結構。タキザワは二分以内に血塊炉を持ってきなさい。システム面ではまだ不安要素が残るわ。ゴロウをコックピットに乗せてサブシステムとして運用する」

 

『異論は、挟めそうにないな』

 

 どこか達観した様子のゴロウに比して茉莉花はヘルメットの中で汗を滲ませていた。

 

「頼むわよ……プラント。あと二分でいいんだから」

 

 ニナイはタキザワとヘルメット越しの視線を交わし合い、《ゴフェル》へと伝達する。

 

「聞こえる? みんな――」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯233 真なるモリビト

 怨嗟の声。どこまでも自分を恨む悪鬼の如き敵の嘆きを聞きつつ、鉄菜は月面周回軌道まで《モリビトシン》と《セプテムライン》が射出されたのを位置情報で確認する。

 一気に盤面は白紙に戻ったわけだ。リバウンドの盾を前面に配置し、斥力で《セプテムライン》を引き剥がす。

 

《セプテムライン》も相当なダメージを負っているはずだ。すぐにこちらを追いすがる軌道に入れないのは限界値が近いからだろう。

 

 肩を荒立たせた鉄菜は不意に劈いた接近警告に機体を下がらせていた。

 

《ゼノスロウストウジャ》を含む《ラーストウジャカルマ》の編隊がこちらを狙い澄ましている。

 

「……こいつらの射程にむざむざ入ったわけか」

 

《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーライフルを引き絞り、こちらへと火線を見舞う。

 

 敵はたったの三機。だがそれでも一騎当千に値するだけの機体が少なくとも二機は存在する。

 

 逃げに徹するしかない。鉄菜はウイングスラスターを背面に位置取らせ、斥力のリバウンド効果で《スロウストウジャ弐式》の射程から逃れようとする。

 

 その最中、モニターの一角に表示されたのは血塊炉の残量不足――即ち貧血の警告であった。

 

「まさか……こんな時に……!」

 

 推力が急速に落ちていく。三位一体血塊炉が徐々に省電力モードに入る中、鉄菜は必死にフットペダルを踏んだ。

 

 だがそれでも前に進んでくれない。

 

 機体が、継続戦闘を拒んでいた。

 

 敵機が追いすがる。《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーライフルの銃口を機体中心軸へと照準した。

 

『これで終わりだ! 墜ちろ、モリビト!』

 

 広域通信に紛れた敵兵の声に、鉄菜は敗北を悟る。ここまで来て、何も成せないのか。

 

 何も出来ないまま、潰えていくのか。

 

 拳を握り締めコンソールを殴り据えた。

 

「こんなところで私は……、終わるわけにはいかないんだ! だから、応えろ! モリビト!」

 

 発射されたプレッシャーライフルの閃光が焼きつく。

 

 ――もう、終わるしかないのか。

 

 諦めかけたその時であった。

 

 高熱源関知の報を受けた鉄菜が面を上げる。不意に発射されたリバウンドの高出力放射がプレッシャーライフルの弾道を消し去った。

 

「何が……」

 

 起こったのか、それを反芻する前に宙域に入ってきた別の反応を鉄菜はコックピットの中で伝え知る。

 

「戦闘機……。この激戦宙域に?」

 

『何だぁ? 盾みたいな、戦闘機が……』

 

 敵の広域通信が割って入る中、鉄菜は直通回線が開いたのを目にしていた。

 

 回線越しの相手に覚えず目を瞠る。

 

「……瑞葉?」

 

『クロナ……! よかった、無事で……』

 

 よかった、ではない。操主服に身を包んだ瑞葉がどうしてだかこちらへと戦闘機で接近してくる。その事実に理解が追いつかなかった。

 

「どうして……、その戦闘機は……」

 

『鉄菜・ノヴァリス。説明の時間は惜しい。暗号圧縮さえ出来ない。敵に傍受される可能性があるが、この機体のデータを受け取れ。《クリオネルディバイダー》は、このためにある』

 

 送られてきた機体参照データに鉄菜はハッとしていた。ゴロウによって最適化されたデータの羅列が《モリビトシン》の火器管制システムに割り込む。

 

 その赴く先を鉄菜は即座に理解した。

 

「そう、か……。《モリビトシン》の新しい武装……」

 

『ちょこざいな。撃墜してやる!』

 

《スロウストウジャ弐式》が機動力を増して《クリオネルディバイダー》を墜とすべく空間を走っていく。

 

《クリオネルディバイダー》は敵の火線を潜り抜けつつ、《モリビトシン》への合流ルートを取っていた。

 

『クロナ! この機体は、《モリビトシン》の……その本当の力を示すために!』

 

「分かっている。全てのデータを確認した。瑞葉、ドッキングに入るぞ!」

 

『《クリオネルディバイダー》ドッキング形態に移行。全参照データを《モリビトシン》へと移譲し、これより武器運用想定の形態に入る。ガイドビーコンを送信』

 

《クリオネルディバイダー》が制動用の推進剤を焚きつつ、小刻みに軌道修正し、《モリビトシン》の右腕側のウイングスラスター下部――ウエポンラック部へと接続軌道を取る。

 

 ウイングスラスターが大きく開いていき、平時ならばRシェルソードが格納されている場所へと赤いガイドビーコンを送り込んでいた。

 

 誘導に沿って機体が接続されていく。

 

 コックピット内にあらゆる情報がアクティブウィンドウとして処理され、接続への準備を手助けする。

 

 鉄菜は最小限のデータを参照し、《モリビトシン》と《クリオネルディバイダー》の合体に身を任せていた。

 

《クリオネルディバイダー》の接続ユニットがウエポンラック内に潜入し、内側より《モリビトシン》のシステムデータへと介入する。

 

 切り替えられていく視界の中、鉄菜は機体参照データがじりじりと砂嵐を帯びたのを目にしていた。

 

《モリビトシン》のユニットデータが書き換えられ、その名称を紡いでいく。

 

「《モリビトシン》が……進化する、というのか……」

 

『これは……、《クリオネルディバイダー》を擁する状態へと自律変動して……』

 

『これこそが、《モリビトシン》の……その本当の名前』

 

 刻まれた名称は「Sin」の文字に「S」が付け加えられた形であった。同時に鉄菜は窺い知る。

 

《クリオネルディバイダー》の内側に存在する血塊炉の、元の持ち主を。

 

「そうか……《シルヴァリンク》の、内蔵血塊炉が……」

 

 機体が輝きを帯び、外部ステータス状況のカメラより《モリビトシン》の剥がれた表層が復元されていくのを鉄菜は目にしていた。

 

 修復された装甲の色は――。

 

『青と銀の……モリビト』

 

 連結完了の表示が成され、鉄菜は《モリビトシン》を――否、新たに生まれ変わった機体の翼を広げていた。

 

「これが私の……《モリビトシンス》」

 

「SinS」の表記に鉄菜は胸に湧いた感慨を抱き締める。《シルヴァリンク》の血塊炉を抱いた、新しい力。

 

『……だから、どうだって言うんだよ! 機体に追加武装を施した程度で!』

 

《スロウストウジャ弐式》のプレッシャーライフルが《モリビトシンス》を狙い澄ます。鉄菜はアームレイカーを引き、フットペダルを踏み込んでいた。

 

 今までとはまるで違う。

 

 遥かに機体の機動力が上がっている事に鉄菜は供給されていく血塊炉の血潮を視野に入れつつ頷く。

 

「これが私達の――、《モリビトシンス》だ!」

 

 プレッシャーライフルの追従性能を確実に凌駕した機体が月面を滑るように走っていく。遂には捉えられないと感じたのか、《スロウストウジャ弐式》が射線を切った。

 

 その眼前を《ラーストウジャカルマ》が先行する。

 

 鉄菜は追ってくる《ラーストウジャカルマ》に一瞥を向けた。

 

「来る、か」

 

 その両腕の蛇腹剣が疾走する。機体を翻させ、蛇腹剣が月面上の銃座を打ち砕いていくのが視線に入った。

 

 敵の妄執は消える事はない。それでも、この機体ならば、という希望が勝る。

 

《モリビトシンス》ならば全てを拭い去れる。この機体には、だって……。

 

「そうだ。ここには、今までのモリビトだけじゃない。瑞葉とゴロウ、それに《シルヴァリンク》と――私が、ここにいる!」

 

 機体を急減速させ、鉄菜は相対速度を敵機に合わせた。不意打ち気味に流れてきた《モリビトシンス》に敵人機の対応が遅れる。

 

《クリオネルディバイダー》の機首より刃が現出した。高出力リバウンドの刃が黄昏色に煌く。

 

 右側の翼から発振された刃が《ラーストウジャカルマ》の咄嗟に交差させた両腕を叩き斬っていた。

 

 まさか敵もそれほどの威力だとは思いもしなかったのだろう。明らかに防御の遅れた敵機へと鉄菜は背面へと流された機体の両翼に力を込めさせる。

 

 リバウンドの推力が白銀に輝き、敵人機の隙が垣間見えた。

 

「ここで、破壊する」

 

《モリビトシンス》が左腕を《クリオネルディバイダー》の下部へと伸ばす。先ほど発振させたリバウンドの刃の柄を握り締め、瞬時に引き抜いていた。

 

 左手が保持したのはリバウンドの長物である。

 

 これまでの機体が持っていたのとは比にならないほどの出力を抱えた柄から出現したのはオレンジのエネルギー刃。柄頭からも放出された双刃に敵機がうろたえた挙動を見せた。

 

 おっとり刀の脚部がばらけ、蛇腹剣が空間を奔る。

 

 だがそれよりも《モリビトシンス》の保持する新たなる剣のほうが遥かに高出力であった。

 

 薙ぎ払っただけの一閃。

 

 ほんのそれだけなのに、月面の地表がリバウンドの反重力でたわんだ。

 

 銃座が誘爆し、地面に焼き跡を刻む。地表を切り裂きつつ、鉄菜は叫んでいた。

 

「リバウンド――ッ、ディバイダーソードッ!」

 

 噴煙を巻き上げながらリバウンドの剣が敵の蛇腹剣を粉砕する。次々と砕けていく刃節に敵は誘爆の恐れを抱いたのだろう。脚部を根元よりパージした。

 

 足を失った敵人機がうろたえ気味に両腕を突き出す。放射された腕の刃を鉄菜はリバウンドディバイダーソードで受け止める。

 

 灼熱が《ラーストウジャカルマ》の鋼鉄の躯体を震わせ、その内部骨格を焼き払っていく。

 

「私が、破壊する!」

 

 返した刀の勢いで敵機が翻弄されたように回転した。蛇腹剣の軌道を制御出来ていないのだろう。

 

《ラーストウジャカルマ》がX字の眼窩に初めて、恐怖を浮かべた。

 

 操主の恐怖心と連動している。鉄菜は取るのならば今しかないと判断した。《モリビトシンス》を駆け抜けさせ、その懐へと潜り込む。

 

 狙うのは一点。血塊炉を擁する腹腔を寸断する。

 

 大きく引いた刃が《ラーストウジャカルマ》を粉砕するかに思われた。

 

 吼え立てて鉄菜はアームレイカーを押し出す。

 

 双刃が願いを内奥に充填し、リバウンドの刃を屈折角の向こう側へと叩き込んだ。

 

 その時であった。

 

《ゼノスロウストウジャ》が不意に割って入る。プレッシャーダガーを展開させた敵機がリバウンドディバイダーソードを受け止めにかかった。

 

 無論、その程度の出力で耐え凌げるはずもない。黄昏色の灼熱が《ゼノスロウストウジャ》のプレッシャーダガーを突き抜け、機体を斜に叩き割る。

 

 刹那、声を聞いた気がした。

 

『ヒイラギ准尉……いいや、燐華。君は希望の――』

 

 その言葉がリバウンドの粉塵を舞い上げ、消失点の向こう側に爆風と共に追いやられたのはほんの一瞬の出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞いてはならぬ問いであったのかもしれない。

 

 だが、燐華はこれまで幾度となく助けられてきた隊長には義を通すべきだと感じていた。

 

 整備デッキにて搬入される《ゼノスロウストウジャ》を注視している隊長に燐華は尋ねていた。

 

「隊長は……怒らないんですね。あたしに」

 

 ふっと面を上げた彼は頭を振る。

 

「何をしても怒らないわけじゃない」

 

「でも……あたし、今回、悪い子なんです。勝手に自分の権限を使って、《ラーストウジャカルマ》を物にした。罵られたって別にいいはずなのに……それを力だって、受け止めてくださるのは何でですか……」

 

 怒って欲しかった。責めて欲しかった。そのほうが自分が特別扱いされているという認識を捨てるのに足る。

 

 だが隊長は少しの逡巡の後に静かに応えていた。

 

「君は……ヒイラギという名前ではないな」

 

 不意に心臓を鷲掴みにされた気分だった。いや、隊長は全てを知ってその上で自分をアンヘルに迎え入れていても不思議はないのだ。

 

 身辺を偽装していた事はとっくにお見通しだったのか。燐華はうろたえ気味に頷く。

 

「……はい。隊長は、分かっていて」

 

「いや、確信したのはこの間のパーティだ。お父上を先生と呼ぶ君の姿を見て、もしや、と思ったが……。勘もたまには当たるな」

 

 薮蛇を突かれたわけだ。燐華は目を伏せる。

 

「……じゃあ、余計にじゃないですか。あたしを告発すれば……」

 

「今からでも《ラーストウジャカルマ》は我が方の味方になる、か? だがそれはもう成っている。何を掻き乱す必要性がある?」

 

 問われてしまえばそこまでであった。掻き乱したところで誰にも利益があるわけではない。しかし散っていった仲間への手向けだと考えれば、それも理に適うはずだ。

 

「……あたし、悪い子なんですよ。ずるくて卑怯で、そのくせ臆病者の癖に、何もかもを騙し抜いて……その末にここにいるんです。今だって、本心では……怖い」

 

 ハイアルファーの洗礼は自分を自分でなくすかもしれない、と先に説明されていても恐怖心が勝っていた。隊長は震える自分にただ静かに声を放つのみだ。

 

「恐怖しない兵はいない。誰しもその恐怖心を、飼い慣らすために戦場へと赴く。時に、それは銃弾であったり、兵士の悶える声であったり、あるいは敵兵に掻き消されるほどしかない、味方の軍勢の……生き意地の汚い雄叫びであったりするわけだが……恐怖というものは人を竦ませるものではない。人間を、成長させるものだ」

 

「成長……ですか」

 

「君は戦場に、何を持ち込んでいる? 道徳心か? それとも、抑え切れない憎悪か? いずれにせよ、それらは思いのほか軽い。命も、何もかも。戦場ではふとした瞬間に消えてなくなる。泡のように」

 

 自分の感情も、これまで抱いてきた思いも軽い代物だと言いたいのだろうか。だから戦いには出るな、とでも。

 

「……お言葉ですが、あたし……その程度では臆しませんよ。臆しちゃ、いけないんだ……」

 

「その通りだ、ヒイラギ准尉。いや、燐華」

 

 咄嗟にどういう顔をすればいいのか、分からなくなってしまった。隊長の面持ちは平時の厳しいものではなくなったからだ。

 

 まさか、と燐華は声を震わせる。

 

「隊長は……もしかして」

 

「これを君に」

 

 差し出されたのは隊長が操主服の内側に入れているネックレスであった。確か家族の思い出の写真が入っていると聞いた事がある。

 

「そんな……受け取れません」

 

「受け取って欲しい。君には我を忘れて欲しくはないんだ。獣のように戦うのは簡単だ。だが我々は人間。地に足のついた人間そのものなんだ。どれほどに虐殺天使の謗りを受けようとも、あるいはどれほどの怨嗟と憎しみの上に自分が成り立っているのだと知っていようとも……それこそが人の業、人間の抱える罪そのものだ。君は罪の代行者として、憤怒のトウジャと共に行け。自分はその後姿を、精一杯支えるのみだ」

 

 それは何だか突き放されているようで、燐華はネックレスを受け取ってもその言葉までは飲み込めなかった。

 

「隊長……あたし……っ。あたし、弱いんです……、卑怯で、醜くって……っ」

 

 しゃくり上げながら発した言葉はどこまでも卑屈であった。自分は誰かに希望を与えてもらう側では決してないのだ。だというのに、こうして不意に誰かから授かってしまう。

 

 六年前の鉄菜からの時のように。ヒイラギによって道を諭された時のように。あるいは今のように、誰かの思いを受け止めてしまう。それがどれほど崇高でも、自分が触れれば穢れてしまう。壊してしまう。

 

 だから触れてはいけない。差し伸べられる優しさを受け取ってはいけないのだと心の奥底で禁を作っていた。そのためにアンヘルに入隊した。

 

 何もかもを失ってもいいように。あの日失った鉄菜のような少女を、今一度出さないために。

 

 世界がどれほどに背いても約束された希望のために戦う。それがアンヘルの理念だと信じてきた。

 

 だが、今足場をぐらつかせているのは……。

 

 隊長のてらいのない優しさにまた戻ろうとしている。どこまでも世間知らずでどこまでも無知であったあの頃に。

 

 戻ってもいいのだと、思い返そうとしている。

 

「……あたしみたいな人間、いちゃいけないんです」

 

「君がいなければでは誰が君のような境遇の人間を救う? 燐華、君が救え。君のように絶望の淵に立つであろう子供達を、君自身の手で。それが、君の役目だ」

 

「でもっ……! 隊長の分まで背負えません……! あたし、弱くて汚いから……隊長の思い出を穢してしまう……」

 

「それでも、受け取って欲しいというのはエゴかな?」

 

 差し出されたネックレスを燐華は震える手で受け止める。また、重石を受け止めてしまった。

 

 六年前に鉄菜から鉄片を受け取った時と同じ。

 

 誰かの願いを授かってしまったのだ。ならばもう逃げる事は許されない。

 

 このまま進み切るしかない。

 

「……ご期待に添えるかどうかは」

 

「構わないさ。君のしたいようにすればいい。自分も、したいようにするだけだ。燐華、そのための足だろう? 君は希望に向けて歩いてゆけ。それが君の役目だ」

 

 言葉振りに燐華は隊長へと問いかけようとしてしまう。

 

 だがそれは決して問いかけてはいけないような気がしていた。

 

 ――にいにい様なんですか?

 

 そんな野暮な事を、言ってはいけない。だからこれは心の奥底に封じよう。

 

 そして勝利するのだ。モリビトに。ブルブラッドキャリアに。

 

 勝利の果てにこそ待つ栄光へと、自分は手を伸ばしてもいい。拒絶されても、それでもしゃにむに手を伸ばしても。

 

 だから、願いを受け取った。願いを叶えるのは勝利者の務めだ。

 

「……勝ちます。モリビトに」

 

「それでこそだ。出るぞ、ヒイラギ准尉」

 

 そこから先はいつもと同じ隊長の語調であった。だがそれでも信頼出来る。この人のためならば命を賭してもいいと思えるほどの。

 

 ぎゅっと拳を握り締めた燐華は口にしていた。

 

「……未来を掴みます。あなたの描いた、未来を」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯234 声の戦場

 

 だから、目の前の光景は嘘だと言って欲しかった。

 

 隊長の《ゼノスロウストウジャ》が青く染まったモリビトに引き裂かれる。その一閃が自分を庇うものであった事を、燐華は理解していた。だが理解の外であったのは、最後に焼き付いた通信の声だろう。

 

『ヒイラギ准尉……いいや、燐華。君は希望の――』

 

 爆発の光輪が周囲へと拡散する。粉砕された《ゼノスロウストウジャ》の機体に、燐華は絶句していた。

 

「……隊長? どこへ……嘘ですよね? だって、あんなに……あんなに強かったのに」

 

 漂うこちらへと両盾のモリビトが斬り込んでくる。その射線をヘイルの《スロウストウジャ弐式》の放った光条が遮った。

 

『野郎……隊長を……よくも。墜としやがったなァッ!』

 

 ヘイルの機体がモリビトを追い詰めんとプレッシャーソードを引き抜いて応戦する。それら全てがまるで虚飾のようであった。

 

 何もかもが嘘くさい。

 

 何もかもが現実めいていない。

 

 だが、この絶望は。この身を焦がす――灼熱の怒りは。

 

 コックピットが赤く染まっていく。急速に脳内を塗り替えていく憤怒に燐華はアームレイカーを引いていた。

 

 瞬間、飛び越えたとしか思えないほどの速度で《ラーストウジャカルマ》がモリビトへと肉迫する。

 

 燐華の怒りを受けたハイアルファーが照り輝き、脚部を失った人機に戦闘の灯火を点けていた。

 

「隊長は……! 隊長はいい人だった……! にいにい様だったんだぁっ!」

 

 蛇腹剣が宙域を引き裂きモリビトへと命中しようとする。しかし、敵機の速度があまりにずば抜けていた。

 

 こちらの機動力を凌駕するモリビトの機動にヘイルが照準をつけかねている。

 

『なんて、速さだ……。照準が追いつかねぇ』

 

 モリビトは右側に拡張パーツを得ただけのはずだ。だというのに先ほどまでとはまるで別種の動きをする。

 

「それでも……墜とせない道理があるものか!」

 

 両腕の蛇腹剣を叩きつける。モリビトが巨大構造物の陰に入り、十字架の巨大構造物が傾いだ。

 

「邪魔だァッ!」

 

 巻きついた蛇腹剣がハイアルファー【ベイルハルコン】の力を引き移し、余りある膂力で十字架の巨大人機を引き戻していく。

 

『おい! ヒイラギ! 無茶苦茶すんな! 戦場が乱れる!』

 

 ヘイルの警告も今はほとんど意味を成さない。モリビトを新たに照準器に捉えた燐華は蛇腹剣を剥がし、再接近する。

 

 その速度、神速と言ってもいい。

 

 操主の追従性をほとんど無視した形のハイアルファーの加護が機体を即座にモリビトへと走らせる。

 

 蛇腹剣を拡張させず、そのままモリビトへと叩き込んだ。敵がリバウンドの刃で受ける。

 

「このまま……墜ちてしまえェッ!」

 

 X字の眼窩が悪鬼の如く輝き、全身に怨嗟の血を巡らせる。敵は片腕を失っている形だ。押さえ込めば何とかなる。

 

 そう考えた矢先であった。

 

 敵機が黄金に包まれていく。話に聞いていた新型武装か、と燐華が機体を剥がそうとした刹那、声が響き渡った。

 

 ――この機体、どこまでもしつこいな。

 

 不意に脳裏を走った声音に燐華は我に帰る。

 

「……鉄菜の、声……?」

 

 何が起こっているのかまるで分からない。ハイアルファーの拡大化した思惟が拾い上げた幻聴であったのかもしれない。

 

 それでも、燐華はこの硝煙の宇宙に確かに親友の声を聞いていた。

 

「嘘でしょ……どこ? どこにいるの?」

 

 ハイアルファーの幻覚症状だという確証もなく、燐華は首を巡らせる。

 

 まさか、と燐華は干渉波の火花が散る先――接触回線を開いていた。

 

「鉄菜……なの?」

 

『まさか……この声は。燐華・クサカベか?』

 

 今度は実体の耳朶を打った声に燐華は頭を振っていた。

 

「い、いや……、いや……何で? 何でこんな……。鉄菜ぁっ……モリビトなんて……嘘でしょう?」

 

 舌打ち混じりに敵機が弾き返す。追いついてきたヘイルがプレッシャーライフルで援護した。

 

『何やってんだ! ヒイラギ! せっかくの高性能機を無茶に晒して!』

 

 燐華はコックピットの中で過呼吸に襲われていた。モリビトの中から鉄菜の声がした。それが今までの偶然と結び付けられる。

 

 ――あの時も、あの時も、鉄菜と再会した直後にモリビトが現れた。

 

 それは最初からそうであった。

 

 鉄菜がいたから、コミューンをテロが襲った。

 

 ――自分達を殺そうとしたのは、鉄菜だった。

 

 その結論に燐華は咽び泣いていた。

 

「いや、いやぁっ……! 鉄菜ぁっ……嘘って言ってよぉっ!」

 

『錯乱しているのか。動かせないのならさっさと帰投しろ! あとは引き受ける!』

 

 ヘイルがモリビトへと追撃を見舞う。燐華は宙域を漂いながら手を伸ばしていた。

 

 この手に、もう友情は存在しなかった。

 

 否、最初からそのようなものはなかったのだ。

 

 鉄菜はモリビトの遣いであった。だから自分達を殺そうとしたのは、大勢殺したのは、鉄菜自身なのだ。

 

 自分は馬鹿正直にも、今まで鉄菜を親友だと思い込んでいた。

 

 それがたった一度で何もかも瓦解した。

 

「隊長を……にいにい様を……殺したなァッ!」

 

 怨嗟をハイアルファーが吸い上げ、《ラーストウジャカルマ》が再び挙動しようとしたが、それを阻んだのは機体の破損率であった。

 

 既にスペックの限界値を超えている。《ラーストウジャカルマ》がこれ以上の継続戦闘を拒んでいた。

 

 燐華は拳で全天候周モニターを殴りつける。

 

「こんな時に! あたしは何も出来ないなんて!」

 

 口惜しく、燐華は怒りに歯噛みした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エクステンドチャージに入る! 敵機から離脱するぞ!」

 

 鉄菜の声に瑞葉とゴロウが応じる。

 

『待ってくれ……。何だこれは。声が……』

 

「声?」

 

 鍔迫り合いを繰り広げる敵機から漏れ聞こえたのは通信回線を介してのものではない。

 

 別の声であった。

 

 ――どうして、隊長を……にいにい様を墜とした!

 

 その声の主に鉄菜は目を見開く。

 

「まさか……燐華・クサカベだというのか。この機体に乗っているのは……」

 

 だがどうして声が突然聞こえるようになったのか。それを判ずる前に鉄菜は敵機を引き剥がし、敵の射線を潜り抜ける。

 

 今しがたの精神の邂逅は何であったのか、判別する術がない。だが、鉄菜はまずはこの戦場を終わらせる事だと割り切った。

 

 宙域を飛び交う敵機の数を表示させる。

 

「新型機は両方とも健在か。《イドラオルガノン》と《ナインライヴス》は?」

 

『二機とも生存を確認。どうやら月面地表に縫い止められているようだ。イクシオンフレームのうち一機が抜けてくるぞ』

 

 鉄菜は黄金に染まった《モリビトシンス》で宙域を駆け抜ける。エクステンドチャージが安定域に達した自信はない。だが、先ほどの《ラーストウジャカルマ》より離脱するのには必要であった。

 

『クロナ……さっきの……《ラーストウジャカルマ》に乗っていた者の声……』

 

 やはり瑞葉にも聞こえていたのか。鉄菜は静かに応じる。

 

「……今は、頓着している場合ではない。イクシオンフレームを撃墜する」

 

『来るぞ! 敵機接近!』

 

 参照機体、《イクシオンアルファ》が月面の銃座の火線を抜けてこちらへと追いすがってくる。

 

『損耗機体なんて! 墜ちなさい!』

 

 巨大な砲塔から掃射される光軸に鉄菜は《モリビトシンス》を限界機動まで離脱させようとする。しかし、機体損耗率は先ほどから変わらない。表層装甲が塗り変わっただけだ。

 

 依然として右腕は肘から先が存在せず、機体各所は注意色に染まっている。

 

『あまり無茶は出来ないぞ。どうする気だ』

 

「……《イクシオンアルファ》を迎撃する。《モリビトシンス》! リバウンドディバイダーソードで!」

 

 急速に加速度を得た機体が楕円の軌道を描いて周回し、《イクシオンアルファ》へと向かい合う。

 

 敵機のリバウンドの砲撃を抜け、鉄菜は射程距離へと入ろうとした。

 

「ここで切り裂く!」

 

『盾が一個増えた程度で! こちらはアムニスの序列三位ですよ!』

 

 敵の機体が砲身を仕舞い込み、驚くべき機動力でこちらとの距離を詰めていく。誤算があるとすれば、こちらの距離の概算と相手の速度が違っていた点であろう。

 

 鉄菜はアームレイカーを慌てて引こうとするが、増えた質量分だけ反応が僅かに鈍い。

 

 制動用の推進剤を焚き切れずに《イクシオンアルファ》の引き抜いたプレッシャーソードの斬撃が《モリビトシンス》を両断したイメージが脳内を支配した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《イクシオンアルファ》の剣筋が敵のモリビトを撃墜する。

 

 頭部から完全に両断されたその姿にシェムハザは哄笑を上げていた。

 

「これが! アムニスの序列三位の力! 見ましたか、渡良瀬! 我が方の勝利ですよ!」

 

 声を張り上げたシェムハザだったがどうしてだか応答の声がない。胡乱そうに通信機を確かめようとして、周囲が靄に包まれているのを目にしていた。

 

 機器でさえも曖昧になる。

 

 何が巻き起こっているのか分からなかった。確かに斬り据えたはずの敵機でさえも掻き消える。

 

 シェムハザは周囲に何もないという感覚に恐怖を覚えていた。

 

「何だ? 何が起こった!」

 

 その声さえも喉を震わせている自覚がない。

 

 直後、不意に時間が巻き戻っていた。

 

 敵モリビトが射線に入ったところで自分の機体は呆然と佇んでいるだけである。

 

 プレッシャーソードは引き抜いていたが、払う様子もない。

 

 ハッとアームレイカーを引こうとしたその時には、敵の高出力Rソードが片腕を落としていた。

 

 激震が見舞う中、シェムハザはもう一方の腕に装備したプレッシャーソードで薙ぎ払う。

 

 今度はより明瞭であった。

 

 時間感覚が異常に引き伸ばされ、敵を斬るイメージばかりが先行し、実際の動きが追いついていない。

 

「これは……どうなっているんだ!」

 

 敵はしかし、切り離された時間の中を唯一同一の速度で切り抜けていた。

 

 こちらの剣筋を見切り、逆方向から斜に剣を浴びせかける。血塊炉が引き裂かれた瞬間、《イクシオンアルファ》の頭部が空気噴射され脱出していた。

 

 炎に包まれ、《イクシオンアルファ》が粉砕される。

 

 その光景をシェムハザは歯噛みして見つめていた。

 

「まさか……負けた? この、アムニスの序列三位……大天使であるはずの、こちらが?」

 

 これは報告しなければならない。渡良瀬に一刻も早く、と脳内リンクを接続しようとしたが、接続領域はどうしてだか圏外であった。

 

 何かが起こっている。だがそれを明確に口にする事は出来ないでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確実に両断されたと思った。

 

 自分だけではないはずだ。《クリオネルディバイダー》に搭乗する瑞葉とゴロウもそう感じたに違いないのに。

 

 今の一瞬、時間がまるで巻き戻ったかのように全ての事象が変動していた。

 

《モリビトシンス》がリバウンドディバイダーソードを手に宙域を抜けていく。

 

「……何だったんだ、今のは……」

 

 確証を得られずにいると桃の《ナインライヴス》より緊急通信がもたらされた。

 

『クロ! 敵が下がっていく……』

 

『こちら《イドラオルガノン》……。地上に縫い止められていたけれど、敵が退いて……』

 

 二人の報告にひとまずは無事であった事にホッと胸を撫で下ろした。

 

 だが解せない事が無数に起きていた。

 

《ラーストウジャカルマ》の操主は本当に燐華であったのか。確かめようのない感覚に鉄菜は困惑していた。

 

『クロナ。とりあえず今は艦に戻るべきだ。《ゴフェル》は月面内部で立ち往生しているはず』

 

 それに、と瑞葉が機体状況を伝える。依然として《モリビトシンス》はほとんど中破の状態。

 

 あまり継続して戦闘するべきでもない。

 

「……了承した。《ゴフェル》へと帰還する」

 

 敵機が下がっていく軌跡を見つめつつ、鉄菜はアームレイカーを握り締め、フットペダルを踏み込んでいた。

 

《ゴフェル》は月面の亀裂の奥で艦内の動力を停止させていた。敵に捕捉される恐れがあるからだろう。

 

 甲板に降り立った《モリビトシンス》と戻ってきた《ナインライヴス》、それに《イドラオルガノン》が並び立つ。

 

『クロ、それが……』

 

 桃の声音に鉄菜は首肯していた。

 

「ああ。新しいモリビトだ」

 

『……それ、強いの? 片方に比重がかかるだけじゃん』

 

 林檎の指摘ももっともであった。現状ではバランサーが限界の調整であり、これから細部を弄っていかなくては実際の戦闘では支障を来たすだろう。

 

「《モリビトシンス》、帰還した」

 

 信号を《ゴフェル》に送信するとすかさず茉莉花の声が返ってくる。

 

「鉄菜・ノヴァリス。もちろん、《セプテムライン》は撃墜したのよね?」

 

 その問いかけに鉄菜は思い返す。途中より《セプテムライン》は離脱した。敵の撤退軍にも混ざっていた様子はない。

 

 まさか、と息を呑んだ瞬間、アラートが響き渡った。茉莉花がコンソールへと取り付き、直後には拳を叩きつけていた。

 

『……やられたわ。月面のバベルが奪取された。それに、月面プラントで生産途中であった敵の新型機も』

 

 新型、という言葉に鉄菜は反射的に機体を翻していた。損傷状態など関係がない。今、逃せば大きな禍根となる。

 

「《モリビトシンス》、迎撃行動に入る!」

 

『待って! クロ! そんな機体で……』

 

 桃の制止がかかったがその前に鉄菜は月面に出ていた。《モリビトシンス》へと敵の位置が送信されていく。

 

「月の裏側……そこにバベルが」

 

 自分達がなんとしてでも奪還しなければならないもの。それを奪われたとなれば作戦成功とはならない。

 

 宙域を見据える鉄菜は《セプテムライン》が未確認の機体と連結し、月面の重力圏を離れようとしているのを目にしていた。

 

「ここで墜とす! 《クリオネルディバイダー》、高出力リバウンドブラスター用意」

 

《クリオネルディバイダー》の両翼に装備された砲身が《セプテムライン》を照準する。捕捉した敵影へと鉄菜は引き金を引いていた。

 

 リバウンドのオレンジの光軸が宙域を引き裂いていく。そのまま《セプテムライン》へと突き刺さるかに思われた砲撃はしかし、謎の皮膜に弾かれていた。

 

「これは……リバウンドフィールドか」

 

 連結した巨大構造物が作用していたのか、咄嗟のリバウンドフィールドを引き剥がす術はない。

 

 遂には射程外となり、鉄菜は拳を叩きつけていた。

 

「……逃がした」

 

『クロナ……今、深追いは禁物だと思う。バベルが奪われたのは確かに大きいが、わたし達は月面プラントを手に入れた』

 

『瑞葉の言う通りだ。鉄菜・ノヴァリス。現状、あれだけ苦戦した《セプテムライン》に一矢報いる事は難しいだろう。プラント設備が奪還出来たという事は大きい。《モリビトシンス》を修復する事も容易になった、という事だからな』

 

 瑞葉とゴロウの説得を受け、鉄菜は脳内をクールダウンさせた。それでも割り切れない事は多い。

 

 何故、敵の刃からこの機体は逃れ得たのか。そもそも、《モリビトシンス》の力を自分はまだ、何も知らない。

 

「……《モリビトシンス》。何か、この人機にはある」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯235 pain

《セプテムライン》は離脱時に一回限りのリバウンドフィールドを使用していたが、それが結果的に功を奏した。

 

 敵は追いすがってこない。その事実に梨朱は本隊へと通信を繋ぐ。

 

「《モリビトシン》より離脱を確認。敵は追撃を諦めたようです」

 

『よくやった。梨朱・アイアス。バベルを敵に渡すわけにはいかないからな』

 

『連中は傲慢にバベルまで手にしようとしたようだが、そうはさせんよ。敵の術中に落ちるくらいならば破壊せしめるのが我々の本懐』

 

『左様。だが彼らは無駄な道を選んだ。無用な血が流れるだけの愚策をな。真の賢者は我らだと証明されたようなものだ』

 

 賢者。その言葉に梨朱はせせら笑う。この連中はどれほどに自分が追い込まれ、どれほどの執念で追いすがったのか、気にも留めない。

 

 それだけの傲慢さが宇宙に根を張っている。その事実だけで忌々しい。

 

『バベル本体と新型機の接収、これによって我が方の優位性はまだ保たれている』

 

『月面都市ゴモラをしかし、大部分では引き渡してしまった事になるな』

 

『構わんだろう。まだ我らの手が潰えたわけではない』

 

『《モリビトルナティック》……三機のうち一機しかリンクを張れなかったが、それでも充分に作用するだろう。こちらの手札は尽きていない』

 

 ブルブラッドキャリア本隊はまだ、真の脅威がなんたるかを理解していないのだろう。だからこその無知蒙昧。だからこそのこれほど戦場との理解の隔絶がある。

 

 ――しかしそれこそが。

 

 梨朱は覚えず笑みを形作っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アンヘル第三小隊の隊長が……そう、か。他の二名は無事だな? ……ああ、分かっている」

 

 地上で報告を受けた艦長が目頭を揉む。その様子をUDは注視していた。

 

「宇宙の隊列に何か?」

 

「……第三小隊の隊長が殉職した」

 

 その言葉にUDは淡々と返していた。

 

「そうか。惜しい人間を亡くしたな」

 

「アンヘルの中でも人格者に分類される人間であっただろう。どうしていい人間ほど、死に行くのだろうな」

 

「それが世の常だ」

 

 そう返したUDは先ほど提示した作戦書の実行を艦長に目で窺っていた。彼は嘆息をつく。

 

「……承認すれば、こちらのクビも飛ぶ」

 

「心配は要らない。俺の独断だと言ってくれれば」

 

「この艦から《コボルト》を出せば同じようなものだ。……とは言っても止められないのも分かっている。ああ、分かっているさ。この命令にはこちらにも異議がある。だが所詮は、アンヘルの艦隊の一個小隊を管轄するだけ。上に指図するだけの権限はない」

 

「俺が助け出す」

 

「……君は全てを投げ打ってまでその地位に甘んじた。だからこそ、ケジメのつもりだろう。……分かった。作戦指示書に判を押された、という体裁を取る。これでいいのだろう?」

 

「感謝する」

 

 UDはブリッジを抜けていく。その背中に艦長が声をかけた。

 

「だが……君はもう、俗世間とはかけ離れた場所にいるのだと、思い込んでいたよ」

 

「俗世より離れても因果はそそげず。俺もまた、因縁に囚われた人間だという事だ」

 

 エアロックの先に待っていたのは整備が完了した《コボルト》であった。UDは整備スタッフへと声を飛ばす。

 

「修復は?」

 

「完璧です。ですが……本当にやるつもりで?」

 

 艦内ではもう噂になっているのか。今さら隠し立てする事もない、とUDは応じていた。

 

「ああ。これは俺の意見だ。押し通す」

 

「ですが一応は……上の仕立て上げた反逆者という見方もあります。そりゃ、リックベイ少佐には恩義のある連中も多い。同時に、上は快く思っていなかったでしょうね。いつまでも自分達の軍門に下らない……銀狼なんて」

 

 賢しい獣も行き過ぎれば狩人の反感を買う。銀狼を支持する層は圧倒的でありながら上がこの命令に踏み切ったのはアンヘルの発言力を増すためだろう。

 

「リックベイ・サカグチ少佐の処刑命令……看過出来んな」

 

「だからと言って《コボルト》で出るなんて……。無茶ですよ」

 

「無茶でも通さなければならないのが漢というものだ。それを彼に教わった」

 

 それ以上の問答は無用だと感じたのか、整備スタッフが離れていく。UDは腹腔に力を込めていた。

 

 カタパルトデッキへと移送される《コボルト》でアンヘルの収容施設への強襲とリックベイの救出。

 

 出来るか、と胸中に問いかけたのはほんの一瞬である。

 

 あとはやるしかない、という使命感が勝っていた。

 

「UD。《コボルト》、出陣する!」

 

 射出された《コボルト》が海上を引き裂き、落ち行く夕陽をその視野に入れた。斜陽の光景にUDはふとこぼす。

 

「……こんな夕焼けであったか。俺があの人に教えを乞うた、最後の日も」

 

 この身に染み付いた剣術。その師範を救うのにいささかの躊躇いもない。《コボルト》は艦隊より離れ、紺碧の空を飛翔した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして……。鉄菜がモリビトなんかに……」

 

 燐華は撤退する機体群の中で不意にこぼす。

 

 今の戦い、隊長を失っただけではない。もっと大きなものまで揺るがされていた。親友を信じるというただの純粋な願いさえも裏切られたも同然であった。

 

 ――鉄菜はモリビトの操主だった。あの日から?

 

 あの日、学園で彼女は命を散らせたと思い込んだあの日からずっと。今まで。

 

 だとすれば自分は騙されていた。鉄菜・ノヴァリスという少女に。その幻影に。

 

 燐華は頬を引きつらせていた。

 

「ずっと……騙していたんだ、あたしを……。何もかも、友達だって言うのも全部……。だったら、だったらあたしは、モリビトを――鉄菜・ノヴァリスを撃墜するのに何も……躊躇いはない……躊躇いなんて」

 

 ない、と言い聞かせていたがその手は震えている。まだ信じたいのだろう。どれほど騙されていたとしても。どれほどに汚い過去があったとしても、それでも一度信じた相手を信じ抜けるのは短慮を通り越して最早、愚直なだけであった。

 

『ヒイラギ。《ラーストウジャカルマ》を先にデッキに戻せ。そいつの損傷がやばい』

 

 ヘイルの声もどこか震えている。無理もない。隊長が死んだのだ。その激情をぶつけたいのに、今は撤退戦。当り散らしどころも見つからないに違いない。

 

「了解……。あたし達は」

 

『何も言うな。……何も……言ってくれるんじゃねぇ』

 

 一番に心を痛めているのだろう。燐華は《ラーストウジャカルマ》をガイドビーコンに沿わせ、整備デッキのネットに向けて一気に収容させた。スタッフが寄り集まり、自機へと取り付いていく。

 

「酷いですね……、元のパーツをそのままも使えそうにないですし新規の装備品に替えなければならないかもしれません……。基盤であるハイアルファーには目立った損耗はないものの、機体各部を修復するのに……」

 

 濁した整備班に燐華は問いかける。

 

「何日程度で?」

 

「……早くても三日は……」

 

 それだけ特殊な人機であったという事なのだろう。燐華は目を伏せ、頷いていた。

 

「お願いします……」

 

「分かりました……。第三小隊の、隊長は」

 

「死にました。モリビトに、撃墜されたんです」

 

 その言葉に整備スタッフが黙りこくる。誰しも気の利いた言葉を発せられない中、ヘイルがデッキを浮遊する。

 

 何を言っていいのか分からなかった。ここで殴られても文句は言えない。そう感じていた燐華にヘイルは無言であった。

 

 何も言わず、通り過ぎていく。その背中を覚えず呼び止めていた。

 

「何も……言わないんですか」

 

「……納得づくの戦いだったんだろ。《ラーストウジャカルマ》を使ったのも、何もかも」

 

「それは……その通りですけれど」

 

「だったら、俺達は前に進むべきなんだろうさ。隊長ならそう言う。俺は、一人の死人に足を引っ張られるのは御免だね。戦局は移り変わっていく。誰かが死んだからっていちいち悲しんでいたら、どこにも行けやしないんだ」

 

「そんな言い草……、だって隊長はいい人でした」

 

「じゃあ何だって言うんだよ!」

 

 張り上げられた声に燐華は肩をびくつかせる。ヘイルは面を伏せてがなり立てる。

 

「いい人だから、じゃあ悲しめって? 特別な涙を流せって? そりゃあ、そうしたいさ! そう出来たならどれだけ楽か! でもあの人は、部下が何人も死んだからってそうしなかった! だったら、あの人のやり方を否定しないのは、涙しない事だけだろうがよ!」

 

 燐華は胸を打たれていた。涙しない事だけが、隊長への弔い。そんな簡単な事にも気づけなかったなんて。

 

 燐華は瞳に浮かんだ涙の玉を拭う。隊長ならばいちいち泣かないはずだ。

 

 涙するよりも次の戦場で借りを返す。そのようなスタンスだろう。

 

「……すいません」

 

「謝んな。……頼むから、謝らないでくれ。一方的に責めたいのはずっと、同じだ。でもよ、あの人はいつでも飲み込んできた。だったら、あの人の意思を継ぐって事はそういう事だろう」

 

 ヘイルは感情を飲み込んででも前に進もうとしている。自分とは違った。自分は、感情の赴くままに戦おうとしていた。

 

 それは軍属として正しくはないのだ。

 

 仇討ちだけで生きるのならば、獣と同じである。隊長なら、それを諌めてくれるはずだ。

 

 エアロックの向こう側に消えていくヘイルの背中を見送ってから、燐華は自らの頬を引っ叩いた。

 

 乾いた音が整備デッキに残響する。

 

 痛みだけが、唯一の寄る辺であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予想以上ね、と声を投げられて、ニナイは振り返っていた。

 

 プラント設備へと《ゴフェル》のメインコンソールが繋がれ、モリビト三機の修復作業が一手に行われている。それを指揮する茉莉花は小さくこぼしていた。

 

「このプラント設備……モリビトを量産出来たわけよ。ほとんど地上に頼らずして、資財だけならば獲得出来る。百五十年かけて貯め込んだ純正血塊炉もまだまだあるし、しばらくは補給には困らないでしょう」

 

 そう言いつつも、相貌には陰が差している。ニナイは尋ね返していた。

 

「……問題点でも?」

 

「あるとすれば、バベルが奪われた事ね。結局、こっちの優位性は書き換えられないまま。ブルブラッドキャリア本隊は未だにあの巨大な人機の権利を持っている」

 

「確か……《モリビトルナティック》だったかしら」

 

 膨大な参照データは月面軌道上に浮かぶ三機の巨大人機の名前を示していた。

 

 投射画面を弄りつつ、茉莉花は嘆息をつく。

 

「どうにも……あの三機を抑えられたのは痛いわね。破壊しようにも、共通して装備されている機構があまりにも強力で……簡単には破壊出来ないようになっている」

 

 投射画面に三次元図として表示された《モリビトルナティック》には機体各所に備え付けられたエネルギーフィールド発生装置による力場が投影されていた。

 

「まさかリバウンドフィールドを地力発生させるだけの血塊炉の持ち主なんて……。かつてのキリビトタイプと同じ……いえ、それ以上の脅威ね」

 

「厄介なのはそれだけじゃないわ。《モリビトルナティック》は質量兵器としての側面も持っている。上を押さえられている以上、あまり動き回れないのよ。癪だけれどね」

 

「いつでも月に落とせる、ってわけか……」

 

 ではやはり本隊に自分達は通用しないのだろうか。翳らせたニナイに茉莉花は、でもと声にしていた。

 

「プラントを押さえられたのは大きいわね。これでセカンドステージ案が通りやすくなった。《ゴフェル》の内部メカニックだけでは不充分だったもの。それを開発出来るだけでも儲け物よ」

 

 投射画面にいくつかのモリビトの強化プランが映し出される。このまま開発を続けていけば、確実にぶつかるであろう留意点を網羅したのはさすがというべきか。

 

「《モリビトシンス》は? 《クリオネルディバイダー》の再開発をするのに」

 

 その問いには茉莉花は渋面を作る。

 

「難しいのよね。一度ドッキング成功した機体をまた外して再開発するのは。馴染ませたOSが《モリビトシン》とピッタリ合っているのよ。だからあんな無茶な事が出来たわけだけれど。戦闘中に合体なんて」

 

 本来ならば推奨されるプランでもなかったのだろう。あまりの突貫工事に茉莉花は不愉快そうであった。

 

「戻せないって事?」

 

「不可逆性のある代物を強化案として浮かべるわけがないでしょう? 分離は可能よ。ただ、分離したところで今、利益がないだけの話。すぐにでも出せる戦力という点で言えば、《モリビトシンス》は強力そのもの。もし本隊が《モリビトルナティック》による強攻作戦を練ってきた場合、一番に矢面に立って敵人機と対峙出来るのは《モリビトシンス》だけでしょうね」

 

 他の二機では不足が生じる、というわけか。確かに前回の戦闘データを反芻するに、《ナインライヴス》も《イドラオルガノン》も、今のままでは新型機に通用しない事が実証された。

 

「勝てない……って言いたいの?」

 

「悔しいけれどね。勝率は低いままだわ。《モリビトシンス》を優先して修理、修復、及びアップデート。そうしないと読み負けてしまう。今のところ、《ナインライヴス》はどうにかなるけれど、《イドラオルガノン》が、ね」

 

 投射画面が切り替わり、三機のリアルタイムデータが送信されてくる。ニナイはそれらを眺めつつ、《イドラオルガノン》の能力が著しく下がっているのを確認した。

 

「……操主のせい?」

 

「言いたくはないけれどそうね。あの二人の最大の持ち味……連携に乱れが現れ始めている。ウィザードとガンナーの連携が少しでも乱れれば次のセカンドステージ案を実行に移し難い。それは分かるわよね?」

 

 何度か適性を見てきたクチだ。林檎と蜜柑に関しては、自分も一枚噛んでいる。

 

「でも、優秀な操主姉妹のはずよ?」

 

「そう……優秀な、そのはずなんだけれどね。データ試算上は。でも、問題なのはデータに映らないところみたいね」

 

「データに……映らないところ……」

 

 それは精神の面か、とニナイはプラント内に運搬されていくモリビトを視野に入れる。

 

「で? この後の展望について艦長には聞きたいんだけれど」

 

 茉莉花がこちらへと視線を振り向けずに言いやる。ニナイは肩を竦めていた。

 

「正直、ね。あそこまで自分でも啖呵を切れるなんて思わなかった」

 

「こっちから始めた喧嘩よ。後始末はこっちでつけないとね」

 

 耳に痛い。ニナイは現状を顧みる。何とか月面の奪取は成ったものの軌道上には破壊出来ない巨大な人機と、それに大きなアドバンテージとしてのバベルをまたしても失ってしまった。

 

 この状況からの打開は難しいだろう。

 

「……どれだけ《モリビトシンス》一機が優れていても、このままじゃ」

 

「月面に陣取っているのがばれている以上、あまり軽率な事は出来ないわ。有り体に言えば、月面から出る、というやり方自体が下策」

 

 分かっているつもりであった。プラント設備を擁しているという事は、ここに拠点を置く――つまりはアンヘル側からしてみても本隊からしてみても狙いやすくなったというだけ。

 

 地上で海中に身を潜めていた時より好転はしていない。ニナイは拳を握り締める。

 

「でも、何とかしなくっちゃいけない」

 

「その何とか、を知りたいのよ。敵地に攻め込むにしても作戦を下すのはあなたでしょう?」

 

 自分一人の指示でしかし、艦内のスタッフ全員を危険に晒すのは避けたい。どっちつかずの身に、茉莉花はため息をこぼす。

 

「言っておくけれど、今さら艦長命令に逆らう、なんてのはいないでしょう? だったら、もっと自信を持って命令なさい」

 

 小娘に言われてしまえば立つ瀬もない。しかしニナイは慎重を期す必要があると感じていた。

 

「気になるのよ……。イクシオンフレームとか言うのに、アンヘルに渡っていた《ラーストウジャカルマ》……。瑞葉さんの話じゃあの機体は封印されていたらしいし。何か、私達でも窺い知れないものがアンヘルの中で蠢いているんじゃないかって」

 

「内部抗争? でもそんな事をしたって」

 

「そう、よね……。意味がないどころか空中分解なんて憂き目に遭いかねない。だったら何故、前回、あのトウジャが出てきたのかしら……」

 

 湧き出す疑問を他所に茉莉花は手を休める事はない。

 

「どっちにしたって、今はモリビト三機を万全にする事。それがこっちの役目。艦長の役目を果たせば?」

 

「艦長の、役目……ね。そう簡単に見つけられれば苦労なんて……」

 

 そこまで口にしたところでニナイは通信機に入ってきた声を聞いていた。

 

『……ニナイ。聞こえている?』

 

「桃? あなた何を?」

 

『秘匿通信に設定してある。……いえ、もう秘密にするのも実はよくないのだろうけれど、艦長と執行者四人で話がしたい。出来れば茉莉花も』

 

「茉莉花は……」

 

「いいわよ。リアルタイムで議決を送ってくれれば。対応は出来るわ」

 

 茉莉花にはこの秘匿通信もお見通しらしい。桃が通信先で声にする。

 

『じゃあ、《ゴフェル》のブリーフィングルームに。すぐに来て欲しい』

 

 ニナイはその声を受けて茉莉花の下を離れようとする。

 

「茉莉花、その……」

 

「なに? 検査には何の問題も」

 

「いえ……。ありがとう。ここまでしてくれて。どう感謝の言葉を述べればいいのか……」

 

「そんな事を気にしているの? いいわよ。吾がやりたくてやった事だし。あなたは自分の責務を果たしなさい」

 

 茉莉花のほうが随分と前を見据えている。自分も見習わなくてはならなかった。

 

《ゴフェル》へと渡り、ブリーフィングルームのエアロックの向こう側には既に召集された四人が待機していた。

 

 その中には瑞葉とゴロウの姿もある。鉄菜が必要と判じて呼んだのだろう。

 

「揃ったわね。じゃあ、始めたいと思うけれど」

 

 この場を取り仕切る桃にニナイは尋ねていた。

 

「何かあったの? 秘匿回線なんて」

 

『どうにも……あまり公にはしたくない事のようだな』

 

 ゴロウの指摘に桃は首を横に振った。

 

「艦の全員に知ってもらってもいいのかもしれない。でも、まずは執行者と艦長に、って思ったから」

 

「地上で言っていた、本当に戦うべき、敵の話か」

 

 鉄菜の言葉振りに桃は首肯する。

 

「パーティ会場で、モモは自分と瓜二つの女の子に出会った。でも、それは当たり前だったみたい。モモ達は、百五十年前に、組織が優生だと判断した遺伝子を基にして構築された人造人間……。だから、モモと同じ人間がいても不思議はない」

 

 それは前回の戦闘でブリッジにもたらされた事実と合致する部分があった。ブルブラッドキャリアの人々は多かれ少なかれ地上の人間の模倣であると。

 

「それならば、既に情報として同期しているはず。他にもあるな?」

 

 鉄菜の追及に桃は口火を切った。

 

「パーティ会場のスポンサー連の大元……アンヘルの資金源はかつてモモ達を支援していた調停者……渡良瀬が支配していた。ここまでは、クロにも言ったよね?」

 

「ああ。調停者レベルの裏切りがあった。だが、その先はまだ聞いていなかったな」

 

「……調停者渡良瀬が作り上げた……私設武装組織と言っていいのか分からないけれど、イクシオンフレームに搭乗していた人間は遥かに通常の操主の分を超えていた。多分、相手の切り札なんだと思う」

 

「私も、敵の声を聞いた。アムニス、と名乗っていたか」

 

「アムニス……、それが敵の……アンヘル上層部を牛耳っていると?」

 

 顎に手を添えたニナイの疑問に桃は声に翳りを見せた。

 

「……そこまでは言い切れない。でも、アムニスがこちらの執行者と同じようなものだというのは実際に戦闘したみんななら分かると思う」

 

「《イクシオンベータ》とか言うのもそうだけれど、あの新型機を動かしていたの、ただの操主じゃないと思う。直感的に言うのならば……血続」

 

 林檎の憶測に誰かが口を挟むかに思われたが、案外誰も異論を口にしなかった。

 

「納得……は難しいが、血続だとして、では惑星に血続を保存する術があったのかどうかは疑問だ。もし血続ならばあれだけの高性能機を手足のように動かせたのも頷けるが」

 

「そうなった場合、血続同士の戦闘になる……。その事ね、桃。執行者四人を呼び出したのは」

 

 こちらの言葉に桃は全員を見渡した。

 

「アムニスとやらがどこまでの戦力かは読めない。でも、血続との戦いとなれば必然的にミッションの成功難度が跳ね上がる。……ここで提言するのは、月に残ってもいい、という事」

 

 戦う道からは逸れ、裏方に回ってもいい、と桃は言っているのだ。その理由は分かる。理屈も飲み込める。

 

 月面という拠点を得た。今ならば前線にただ闇雲に出るだけだった状況からは少しだけ離れられると言っているのだ。

 

 だがその提案に是を返す人間はこの場にはいなかった。

 

「桃。私達はもう、後戻り出来ない場所まで来ている。何よりも、私はもう、モリビトを降りる気はない」

 

 鉄菜の決意は固い。視線が瑞葉に向けられた。彼女は戦わなくっていいはずだ。しかし、彼女も強い決意を双眸に浮かべる。

 

「……わたしも、クロナが戦うのならば。それを応援したい。出来る事は何でもやる。だから……」

 

 そこから先を桃は慮っていた。

 

「分かった。ゴロウは」

 

『こちらに自由意志などあるまい。やるとも。《クリオネルディバイダー》はまだ発展性のある、面白い機体だ』

 

 まさかゴロウが前線に出ると言い出すとは思わなかった。だが彼からしてみれば裏切られた借りを返せる立場にある。その叛意はある程度、約束されていたものだろう。

 

「二人は……」

 

 林檎と蜜柑に視線が自然と行った。林檎は軽く言い放つ。

 

「まだ借りを返せていない。ボクはやるよ。たった一人でも」

 

 その言葉が棘を帯びているのを桃はあえて指摘しなかった。二人で一人のはずのミキタカ姉妹に乱れが生じている。ニナイはこの場でそれをありありと見せ付けられるとは思いもしなかった。

 

 蜜柑は暫しの逡巡の後、声にする。

 

「……やります。まだ平和を勝ち取ったわけじゃないもの」

 

 全員の了承が取れた事を確認し、桃は言い放つ。

 

「敵はさらに強くなったと思っていいわ。これまで以上に、厳しい戦いが待っているとも」

 

「だが逃げ出すわけにはいかない。私達はモリビトの執行者。戦うべくしてここにいる存在だ」

 

 ニナイは言葉を差し挟もうとした。そこまで狭く考える事はない、と。だが、この四人の背中を押す事こそが、自分に課せられた役目なのだと悟る。

 

「……みんな、これまでよりも過酷な戦いが待っていると思う。それでも、前に進んでくれる? 私達と一緒に」

 

 最初に桃が頷いていた。

 

「もう、ここまで来れば、ね。《ゴフェル》を守り通しましょう」

 

「やるよ。《イドラオルガノン》はボクの人機だ」

 

 蜜柑はどこか気圧され気味ながら静かに声に力を篭らせる。

 

「……戦います。ガンナーとして」

 

 最後の確認が鉄菜に向けられる。彼女は紫色の双眸に意思の輝きを宿した。

 

「何があっても前に進む。それがブルブラッドキャリアだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯236 罪の雷

 渡良瀬は悔恨を噛み締めていた。帰投した《イクシオンベータ》からのデータ抽出に時間がかかっている事、撃墜されたシェムハザの次機の補填など課題が数多い。その最中、お歴々のご機嫌うかがいまでしなければならないとは。

 

『イクシオンフレーム……、あんなものを戦果と呼べるとでも?』

 

『正直、苦味が勝りましたな。現状のトウジャの一強を廃止してまで進めるべきではないかと』

 

『拍子抜け、というのが正しいでしょう。思ったほどではなかった。渡良瀬主任、あなたがどこまで推し進めたくても結果が伴わないのでは』

 

 お歴々は相も変わらず勝手気ままだ。このコンペディションに参加したいと言い出したのは向こうのはず。だというのに、使えない人機の品評会など時間の無駄だったとでも言いたげであった。

 

「イクシオンフレームは必ず次世代機を勝ち取ります! なので今一度、チャンスを……!」

 

『チャンスと言っても君……、もう片方は墜とされたんだろう? あまり整備班を酷使すべきではないと感じるが』

 

『モリビトとブルブラッドキャリアに対抗するのに余計な予算の食い潰しは避けるべきだよ。《スロウストウジャ弐式》の全部隊への配置。そちらのほうがよっぽど有意義に思えるが』

 

 それでは自分がここまで登り詰めた意味がない。渡良瀬は食い下がっていた。

 

「しかし! イクシオンフレームの持ち帰ったデータはかなり有意義で……!」

 

『有意義かどうかはこれからの戦場が決める。その点に関して言えば、無価値だよ。初陣で撃墜される人機など』

 

 説得は無意味なのか。奥歯を噛み締めた渡良瀬に通信域の一人の老人が言いやる。

 

『まぁ、お待ちください、皆様方。何もすぐに結果を求めずともよろしいでしょう。トウジャの今日の配備とて、すぐに出た結果ではありますまい。長い目で見る事こそが人機開発において必要不可欠な目線だと思いますが』

 

 タチバナの一家言だけでお歴々は態度を百八十度変えた。

 

『……ドクトルが仰るのならば』

 

『タチバナ博士の意見となれば見過ごせませんな。渡良瀬主任、首の皮一枚で繋がったな』

 

 まさかここに来て自分がこの老躯に助けられたなど、渡良瀬からしてみれば一番の屈辱であった。

 

 次々と通信を打ち切るお歴々の中、最後にタチバナが居残る。

 

「……何のつもりですか。わたしを嗤いたくって残ったんですか」

 

『いや……かつての右腕だ。邪険にするつもりはない』

 

「戻りませんよ! 時間も、立場も、何もかも! わたしは絶対に、あなたの下の……ただの役所仕事になんて戻るつもりはない!」

 

 言い捨てた言葉にタチバナは何もいきり立つ事もない。ただ冷静に事の次第を見つめていた。

 

『それならばそれでよし。自分でやれるところまでやってみせろ』

 

 その言葉を潮にして通信が切られた。まだ自分はタチバナの重圧から逃れられていない。

 

 所詮はタチバナに意見出来るだけのポジションにいたから、というだけの結果論だ。それでイクシオンフレームの話が通ったに過ぎない。その現実に端末を叩きつけようとして、不意に着信が鳴り響いた。

 

 シェムハザからである。彼はアンヘルの撤退軍の中にいたはずだ。

 

「……何だ」

 

『ちょっと参照してもらいたいデータがあるんです。送ってもよろしいでしょうか』

 

「今でなければ駄目なのか?」

 

『ええ、出来るだけ早いほうが。……どうなさいました?』

 

 こちらの対応を胡乱そうに返され、渡良瀬は憤りをぶつける。

 

「何でもない! 貴様はわたしの造り上げた天使だ! どうして負けた!」

 

 その言葉に彼は淡々と返す。

 

『……ですからその原因を、今からお送りします。大丈夫ですか?』

 

「ああ、分かっている。分かっているとも」

 

 シェムハザだけのせいではない。自分がイクシオンフレームに夢想し過ぎていたのか、あるいは別の要因が働いたのかを見極めなければならないのだ。

 

 送信されてきた戦闘データに渡良瀬は目を見開いていた。

 

 機体各部が追加武装を施されたモリビトを確実に「撃墜」した、と認識している。だというのに、その瞬間、《イクシオンアルファ》は完全に静止していた。

 

 操主からのレポートでも撃墜を確認したとある。思わぬ食い違いに渡良瀬は顎に手を添えた。

 

 幾分か冷静になった頭で事態を分析する。

 

「これは……機体が誤認している?」

 

『こちらでもそう考えたのですが、あの時、確実に撃墜した感触がありました。あそこまで生々しい感覚があったのにも関わらず……敵機は撃墜出来ていなかった』

 

「事実情報の食い違いだけで見るのならば、あのモリビト……こちらの計器をジャミングしたのか?」

 

『いえ、不可能のはずです。アンチブルブラッド兵装でもイクシオンフレームの干渉度は五十パーセント以下。現行の人機では遅れを取る部門で先を行けるイクシオンフレームが、ただの計器の誤認など』

 

 さらに付け加えるのならばシェムハザが見誤ったのも考え辛い。彼らは自分の造り上げた優秀な天使のはずだ。だというのにそう容易く敗れるはずもない。

 

「……このモリビト、厳重注意だな。次に会敵した際には」

 

『ええ。真っ先に取りにいきましょう』

 

 前回はこちらも読みが浅かった。イクシオンフレームの真価を試す品評会紛いだった、というのもあるはずだ。

 

 今度こそ、確実にモリビトを墜とす。そうすれば自ずと見えてくるはずだ。こちらの有用性も。

 

「見ていろよ、モリビト。それにブルブラッドキャリア。勝者はこの渡良瀬だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 付けられてはいないだろうな、と真っ先にシステムが警戒した。水無瀬は両手を上げる。

 

 全身を観測する光線に、十秒ほど当てられただろうか。すぐさま確認の報告が届いた。

 

「結構な場所だな。人形屋敷とやらは」

 

 招かれたのは初めてとなる。水無瀬はそこいらに位置する培養液の入ったカプセルや、吊られている義体人形などを目にしていた。

 

 どうにも人間の精神的な介入を拒むように造られている様子だ。

 

 脳内リンクを張ろうとしたが、その前に重々しい声が空間に響く。

 

『その方か。水無瀬、と言ったな』

 

「ええ。まさかお招きいただけるとは歓迎ですよ。現状の支配特権層になんて」

 

 こちらの物言いに円筒型の義体に入った人々は口々に言いやった。

 

『ガエル・シーザーの』

 

「友人ですよ。諜報に顔が利く」

 

『参照した』

 

 今の一瞬で地上の情報網を閲覧したのだろう。恐れ入る、と水無瀬は感じていた。彼らの有するバベルをもってすれば自分など羽虫に等しいはず。さらに今日のネットワーク網を用いればその羽虫を完全に社会的にも「なかった事」にするなど児戯にも等しい。

 

 水無瀬はここに召喚された意味を問い質していた。

 

「わたしはガエルの友人ですよ。ただの、ね。何をまさか、こんな場所まで呼ばれるいわれがあるなんて」

 

『ガエル・シーザーは我が方の作り上げた英雄。彼の元の稼業は』

 

「戦争屋でしょう? それくらい、友人ならば知っていますとも」

 

 だが、それは彼らからしてみれば地上から消し去ったはずの情報。それを持っているだけで警戒に値すると思われても仕方はない。

 

『……友人、というからには、君は我々の事も嗅ぎ回っているようだな』

 

「彼のやりたいようにやらせるためにはそれなりには。ですがここに呼ばれるいわれが分かりません。何か仕出かしましたか?」

 

 ――さて、ぼろを先の出すのはどちらだ? 

 

 試す眼差しを注いだ水無瀬に義体に収まった者達は納得した様子であった。

 

『胆力もある。それなりの知識も』

 

「……どうも」

 

『だが世界を回すのは、我々レギオンだ。それを忘れないでもらいたいな。先刻の行き過ぎた諜報活動、見過ごしていないとも思ったか』

 

 やはり、相手の狙いはそれか。水無瀬はとぼけてみせる。

 

「さぁ? 諜報部はどの部門もそれなりに機密が厳しいもので」

 

『分からないとは言わせないとも。ガエル・シーザーの《モリビトサマエル》を介して情報収集が出来るのは我が方だけの特権のはず。それに《モリビトサマエル》の存在自体が極秘中の極秘。何故、踏み台の仕方を知っている?』

 

 そこまで悟られているのならば話は早い。水無瀬は肩を竦めてみせる。

 

「わたしは賛同してるんですよ。思想自体には」

 

『現状の、アンヘルの支配に満足している、というわけか』

 

「ええ、そうですとも。だから今の支配構造を崩したいだとか、彼を利用してどうにか成し上がりたいだとか、そういう野心は一切ないんです。本当に、彼とは馬が会うだけの話」

 

 何なら思考を明け透けに見られても構わない。脳内を透視しても自分とガエルにやましいところは一つもなかった。

 

 自分達は単純に利益が合致しているだけ。それ以上の旨味は感じていない。だからこそ、ここでは強く出られる。レギオンの上層部連中が危惧しているのは、現状の支配域の崩壊。

 

 亀裂を入れる可能性があるとすれば、それは自分ではない。

 

『君の経歴を調べてもいい』

 

「どうぞ、ご自由に。どれほどわたしの経歴を丸裸にしても、やましいところなんて全くと言っていいほど」

 

 そう、ないのだ。自分がたとえブルブラッドキャリアの人間型端末であったと割れたところで、最早裏切られた身。この身分に頓着しているわけではない。

 

 むしろ、逆であった。

 

 生まれ持った能力は最大限に活かすべきだ。それこそ、自分の輝ける場所で。ブルブラッドキャリア、組織に使い潰されるくらいならばとガエルと組んだ以上、もう何も怖いものなどありはしない。

 

 相手はこの沈黙をどう感じたのか、再び重々しく声が響き渡る。

 

『査問の必要はなさそうだな』

 

「疑わしければ罰する、という思考回路ではないだけでも」

 

『当然だとも。我々は旧態然とした支配からの脱却を願っていたのだ。彼らと同じでどうする』

 

 その割には義体の着心地は随分とよさそうではあるが。

 

 皮肉を飲み込んで水無瀬は問いかけていた。せっかく人形屋敷に招かれたのだ。詰問するのは何も相手だけの特権ではない。

 

「何を求めていらっしゃるんです? 《モリビトサマエル》を使って。彼は表の肩書きではアンヘルの上等構成員ですよ? あまり掃除ばかりさせるものでもない」

 

『君の意見を聞くまでもない事だ。彼は納得づくでやっている』

 

 口を挟むな、か。しかしそれにしては自分というイレギュラーをここに迎えた時点で何かを期待しているのが窺えた。

 

「そうですか。ですが、宇宙ではそうもいかないのでは?」

 

 その言葉振りに義体から注がれる視線が強くなった気がした。やはり、というべきか、相手の関心はブルブラッドキャリア。そのモリビトの運用と昨日よりニュースを騒がせる天体に関してだろう。

 

『……月の存在は極秘裏であった』

 

「ですが、知っていたんですよね? あそこにブルブラッドキャリアの拠点があると」

 

『知っていても、仕掛けられない局面というのは存在する。宇宙の何もない場所に爆撃を浴びせたところで誰一人として納得はし得ないはずだ』

 

 そう、昨日未明まで、謎の衛星は地上から観測不可能であった。アンヘルの地上部隊はそれこそ上へ下へと大騒ぎである。

 

 ブルブラッドキャリアの最新型天体兵器、という見方が上層部を一色に染めていた。

 

 つまり宇宙を押さえられたも同義。この条件下でどう動くかはアンヘル上層部――ひいてはレギオンの一挙手一投足にかかっていると言っても過言ではない。

 

 ――さて惑星をどう回す? 

 

 水無瀬の試す眼差しに相手は応じていた。

 

『楽しそうだな。まるでガエル・シーザー、彼と同じ目線のようだ』

 

「いえ、楽しいわけでは。決して。ですが、ここでどう動くかによってブルブラッドキャリアとの決戦は別の展開を迎えるでしょう。それが気にならないほど無頓着にもなれませんもので」

 

『あまりに関心が多ければ要らぬ横腹まで突く事になる』

 

「控えましょう。しかし、それでも、です。どう対応するのかは世界が見ている」

 

 自分が目にせずとも世界が固唾を呑んで見守っているに違いない。ブルブラッドキャリアの拠点と思しき衛星を墜とすのか、墜とさないのか。そのさじ加減一つでアンヘルのこれからも左右されるだろう。

 

 世界を支配せしめるのに彼らは有効なのか、否か。その審議が今、問われていた。

 

 ここいらでぼろを出すのが正直のところ、水無瀬の考えだ。レギオンも頭打ちに達するのではないか、と。

 

 だが、彼らは高圧的な物言いを正す事はない。

 

『我々がこの程度で遅れを取るなど、あってはならない』

 

「ですが情況は転がりつつあります。天体兵器……大いに結構でしょう。どうせリバウンドフィールドの守りがある、と民衆には情報統制をかけられる。ですが、実際に星が落ちてくるのは全くの別の話。市民の納得と、星の命運は別種なのです」

 

『お喋りだな』

 

「それが仕事なもので」

 

 本当にブルブラッドキャリアの天体兵器ならばここいらでオガワラ博士の声明があってもいいはず。それを揉み消しているのか、あるいはまだ存在しないのか。それを確かめる手段は今の自分にはない。

 

 だがレギオンの次手でそれを読む事は可能だ。どのような隠し玉があるのか、せいぜい見させてもらうとしよう。

 

 なにせ、ここは地上で最も安全な場所。地下都市、ソドム。名を変え、今は人形屋敷とあだ名されているが、それでも本来の機能は備えているはず。

 

 かつての支配特権層――元老院の作り上げた最大の功罪。星が滅びても生き延びられる算段があると言われている無敵のシェルター施設は有効のはずだ。

 

 さぁ、どう出る、と沈黙を読み解いていると、不意に別の回線が接続された。

 

『……そう、か。なるほど、水無瀬と言ったな。準備が整ったようだ』

 

「何のです? まさか、衛星を破壊する術でも?」

 

『その通りだとも』

 

 冗談交じりに問いかけたはずの言葉は意外な返答に覆された。絶句する水無瀬を他所に彼らは投射画面を構築する。

 

 それはどこともしれない辺境コミューンであった。

 

『これは反政府運動を掲げているコミューン施設だ。もう十サイクル以上前の情報を用いている』

 

「それは、骨董品ですね」

 

『そう、骨董品……つまりはゴミのようなものだ。ゴミは掃除せねばならない。分かるな?』

 

「《モリビトサマエル》を出して虐殺ショーですか?」

 

 その程度を自分に見せて何とする。もう随分と見慣れた光景だ。

 

 しかし、相手方はそれを否定する。

 

『それとは違う、もっと鮮烈なものを見せてあげよう。見た事を後悔するであろう、地獄を』

 

 衛星軌道上へとカメラが切り替わった。衛星軌道を周回するのは一機のバーゴイルである。

 

 そのバーゴイルの腹部が異常に膨れ上がっていた。楕円の形状の腹部構造にはスマートさを備えるバーゴイルらしくない措置が施されている。

 

「……血塊炉、ですか?」

 

『純粋血塊炉を培養し、繁殖させ、その命の総量を遥かに倍増させた。あれこそが、新たなる星の功罪。人類へと突きつけられる鉄槌そのものだ』

 

 何を、と思っている傍にも、そのバーゴイルは星の守りを突破した。施されているのはスカーレット装甲である。

 

 リバウンドフィールドを突破し、ほとんど機体を焼け焦げさせたバーゴイルがコミューン上空へと迫る。

 

 刹那、青い煌きが瞬いた。

 

 直後にはコミューン上空で炸裂したバーゴイルより青白い炎が放射され、地表を焼き払っていた。

 

 同心円状に広がった高熱の瀑布がコミューン外壁を打ち破り、その内部にまで到達する。

 

 三秒と待たず、コミューンはこの地上より消滅していた。濃紺の爆風が周囲を焼け焦がし、大地から粉塵を巻き上げる。

 

 遥か上空へと舞い上げられた砂礫が一気に何倍にも増幅した重力で押し潰された形となった。

 

 コミューンの跡地をさらうのは異常な数値を観測する反重力と濃紺の火炎であった。

 

 ブルブラッド大気濃度が一気に上昇し、地図上に新たな汚染領域を刻む。

 

 まさか、と水無瀬は言葉を失っていた。

 

 これが、ガエルの口にしていた例の……。

 

『どうだね? ブルブラッド重量子爆弾――ゴルゴダの威力は』

 

 予想以上であった。どのように運用するのか一切明かされていなかった爆弾がまさかたった一機の人機の犠牲だけで成り立つなど。

 

 しかも型落ちのスカーレット機で任務は遂行された。こちらにかかるコストはほとんどないに等しい。

 

「これが……新時代の掃除、というわけですか」

 

『その通りだ。ガエル・シーザー。彼に赴いてもらってもいいのだがいささか目立つ。無論、目立つ事も彼の存在意義の一つなのだが、隠密に、なおかつ確実に処理したい場合はこれを使用する事を、アンヘル上層部には強く薦めよう。既に世界各国の首脳がこれを目にしている』

 

 それは同時に、このブルブラッド重量子爆弾――ゴルゴダの脅威と危険度を見せ付けると共に競売のスタートでもあった。

 

 ゴルゴダを手にした国家が覇権を握ると言っても過言ではない。否、これまで以上にアンヘルの締め付けが強くなる事だろう。

 

 地獄の到来を自分はまざまざと見せつけられたわけだ。

 

 世界一安全なこの場所で。

 

 水無瀬は額に浮いた汗を拭っていた。あのようなものが頭上に落ちればそれこそ天体兵器など生易しいほどである。

 

「……しかし、条約でコミューンへの直接的な爆撃は禁止されています」

 

『まるでマニュアルのような事を言うのだな。条約を作るのは強国の役目だ。ルールを制定し、その規範に沿った国家を編成するのも』

 

 つまり、今まで三国を縛り付けていた古めかしい条約は、この青い爆薬の下には無意味だと言いたいのだろう。

 

 しかもこの爆弾は法の抜け道をしっかりと作っている。あれは爆弾ではない。厳密に言えば異常発達した血塊炉を有するだけの人機。

 

 人機がコミューン上空を飛ぶくらいなんて事はない。日常の光景だ。

 

 これから先、その日常が地獄への始まりだとは誰も思わないだろう。

 

 新型爆弾ではない。あくまで人機の装備、と言い張れる。

 

 やられた、と水無瀬はよろめいていた。レギオンは天体兵器を恐れてアンヘルの軍縮でも行うつもりかと思っていたがまるで逆。

 

 天体兵器程度、恐れるまでもない。こちらにはゴルゴダ――罪の爆薬がある。

 

 ある意味ではブルブラッドキャリアへの過剰とも言える挑発行為。しかし情報統制が敷かれた今、それを知るのは真にブルブラッドキャリアとアンヘルの一部だけ。

 

「……やられましたな。あなた方は、戦争をやりたいんですか?」

 

『何を言っている? これは平和への第一歩だよ。ブルブラッドキャリア、月面で何を講じても彼らに道はあるまい。この新型兵器は宇宙でも使える』

 

 血塊炉さえあればゴルゴダは容易に量産が出来る。それだけではない。人機の活動範囲ならばどこにだってこれを用いられる。

 

 ある意味では突きつけたのはこちら側だ。

 

 ゴルゴダというカードを前にブルブラッドキャリアはどう判断するか。

 

 この場で心を掻き乱されているのは自分だけだろう。

 

 義体の群れに囲まれ、水無瀬はただの肉体でしかない己の無力さを噛み締めていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯237 戦いの行方

 

「何、これ……」

 

 声を詰まらせた茉莉花にスタッフが視線を投げる。

 

「どうした? 茉莉花ちゃん。幽霊でも見たみたいな青い顔をして」

 

 いつもならば呼び方で噛み付くのだが、茉莉花は整備スタッフに頓着している場合ではなかった。月面へともたらされた情報に茉莉花は即座に艦内通信を使う。

 

「今すぐに、モリビトの執行者とニナイ、それにタキザワとゴロウはここに来て。とんでもない情報がオープンソースに上がっている」

 

 戦慄く視界の中、茉莉花は青い爆風が地上を包んでいくのを目にしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 処刑は滞りなく行われる、と聞き、リックベイは拘束具に包まれたまま項垂れる。

 

 もうどれだけ言葉を弄したところで無駄であろう。徒労に終わるのは目に見えていた。

 

「……リックベイ・サカグチ。本国では英雄だったな。でもここじゃ、ただの罪人だ」

 

 自分を担当する看守の声にリックベイは面を上げる。

 

「怖い顔すんなよ。こっちだって仕事なんだ。今や、アンヘルが法も同然。……正直、憧れていたよ。銀狼には。でも、ここで繋がれているあんたは、剥き出しの野性の狼どころか、ただの負け犬だ」

 

 どれほど侮蔑されても構わない。どうせこの命、長くはないのだから。

 

 そう諦観のうちに浮かべていた、その時であった。

 

 施設を緊急警報が駆け抜ける。赤色光に染まった懲罰室の中で看守が声を張り上げた。

 

「何が起こった!」

 

「人機が接近! 討伐部隊へとスクランブルが!」

 

「人機だぁ……? どこの所属だ! 未確認なら!」

 

「それが……アンヘルの《コボルト》です。……シビトの」

 

 その言葉に看守の表情が凍り付く。

 

「シビト……だと。あの悪魔が、どうしてここに?」

 

「分かりませんよ! 応戦部隊は出ています。目的の知れない以上、囚人達を第三警戒ブロックまで!」

 

「……お、おう。立て! このまま第三警戒ブロックまで下がってもらう!」

 

 どうせ口答えは出来ない。抗う事も。リックベイは鎖で繋がれたまま、看守に引き連れられ、施設内を移動していく。

 

 その最中、窓辺をリバウンドの火線が瞬いた。

 

「……マジかよ、もうここまで来てるってのか。早くしろ! 殺されるぞ!」

 

 鎖を強く引いた看守にリックベイはよろめいてその場で転倒してしまう。舌打ちをした看守が身体を蹴りつけた。

 

「てめぇ……足手纏いになりたいのか!」

 

 張り上げた声の直後、人機の巨大な腕が施設の壁を突き破ったのは同時であった。

 

 よろけた看守を人機のマニピュレーターが掴み上げる。何やら喚いた看守を握り潰したのは投光機の光を浴びた真紅の人機であった。

 

 鬼の面のような意匠を施された人機がこちらを睥睨する。

 

 X字の眼窩にトウジャである事が窺えた。

 

 再び火線が咲く。《スロウストウジャ弐式》部隊がプレッシャーライフルの光条を放ち、鬼面のトウジャを引き剥がそうとするが相手はその射線を読み切って推進剤を棚引かせ、護衛機へと飛びかかっていた。

 

 まるで獣のような俊敏さでありながら、抜き放たれた刃の計算高さにリックベイは息を呑む。

 

 ――あの人機が用いる戦闘術は紛れもなく……。

 

 実体剣がトウジャ部隊の腹腔を引き裂き、血塊炉の青い血潮を迸らせた。

 

 頭蓋を砕いた一閃で他の人機が及び腰になる。その隙をついて鬼面のトウジャがこちらへと接近していた。

 

『……迎えに来た。リックベイ・サカグチ』

 

 その声に間違いないとリックベイは立ち上がる。

 

 猿ぐつわがかまされているせいで声を上げられなかったが、直後に鬼面のトウジャが腰に装備した手榴弾を投擲する。

 

 アンチブルブラッド作用のある濃霧が発生する中、鬼面のトウジャが自分を抱えて施設より飛び退っていた。

 

 その挙動は計算されつくしているかのように迷いはない。

 

 いくつかの銃火器がこちらを狙おうとしたが、アンチブルブラッドの濃霧の中ではうまく照準をつけられないのだろう。

 

 どれもが見当違いの方向を引き裂いていく。

 

 施設より充分に離れた場所で鬼面のトウジャが高度を下げた。ブルブラッド汚染大気もさほど心配の要らない入江である。

 

 静かに降下したトウジャが自分を陸地へと導く。

 

 リックベイは頭部コックピットより這い出た人影を注視していた。

 

 アンヘルと言えば赤い操主服のイメージがあるが相手は操主服を纏っていない。それだけでもイレギュラーなのに、その存在の奇抜さを彩っているのは鬼を模した仮面であった。

 

 そこから覗く相貌には癒えない傷跡が刻まれている。

 

 彼は降り立つなり自分の口に噛まされていた猿ぐつわを取り去った。咳き込みながら、リックベイは相手を見据える。

 

「……まさか。キリ――」

 

「その男は、もうこの世にはいない。死んだ」

 

 遮られた言葉にリックベイは感慨を新たにする。そうか。彼はもう、あの姿では存在しないのか。

 

 眼前の男こそが、その答えであった。

 

「零式を使ったな? 名は?」

 

「UD、と呼称されている。アンヘル第二小隊、たった一人の所属隊員であり、隊長だ」

 

 噂には伝え聞いた事がある。アンヘルには地獄より蘇ってきた「死なず」の男がいると。だがそれがまさか、彼だとは夢にも思わなかった。

 

「アンデッド、か。……皮肉な名前を名乗るものだ」

 

 UDは腰に提げている刀の鯉口を切る。奔った一閃が拘束具を切り裂いていた。自由になった手足をリックベイは確かめる。

 

「……わたしを自由にして、どうする? もう処刑される身だ」

 

「俺は高次権限……アンヘルにおける独自命令権を持っている。既に上には取り付けた。俺の命令権の下で、リックベイ・サカグチ。――あなたを生かす」

 

 思わぬ言葉であった。かつて自分によって死よりも色濃い修羅の道へと導かれた青年が、今度は自分に道を諭すというのか。

 

「……どの道、生きていないほうがいいはずだ。わたしなど」

 

「それがそうもいかないようでな。モリビトが動き出している。世界は再び、先読みのサカグチを必要としているはずだ」

 

「当てにしたところで、わたしは古い人間だ。今の価値観には合わない」

 

「勘違いをするな、リックベイ・サカグチ。俺はかつての借りを今、返したまで。そこから先は俺に従ってもらう」

 

 自分の意思など無関係に、か。随分と強靭に生まれ変わったものだ。

 

「……全ては君のさじ加減次第か。だが、どうしたい? わたしに何を求む?」

 

 UDは刀を掲げる。

 

「零式の最終奥義の習得を。それでもって我が怨敵との戦いは完遂される」

 

「……教えるべき事は全て教えたはずだが」

 

「いや、まだだ。まだ、零式は遠く、蒼穹を断つに及ばない。俺はこの六年間、零式を極めたつもりだった。だが、それでもまだ、なお……だ。振るえば振るうほどにこの刃には悔恨が滲む。もっと先に行けるはずだ、という悔恨が」

 

「買い被るな。わたしの独自戦闘術にそこまでの価値はない」

 

「価値を付与するのは俺の役割だ。リックベイ・サカグチ。まだ教えていない、奥義があるはず。それを授けてもらうか、あるいは」

 

 その刃が瞬時に空気を裂き、首筋へとかかる。リックベイは違えずにその眼差しを見据えた。

 

「あるいは……ここでわたしを斬る、か。それも道の一つだろう」

 

「眉一つ動かさないのだな」

 

「君と同じだ。既に死んでいるも同義だよ」

 

 潮騒を聞きつつ、リックベイは水平線を眺めた。UDは静かに刀を仕舞う。

 

「俺はもう生きてはいない。シビトだ。だが死んでいるなりの意地はある。たとえこの身が朽ちても構わない。モリビトへと雪辱を晴らす」

 

「復讐心か。今の君を動かすのは」

 

「――いいや、使命感だ。俺以外でモリビトを倒すなど、許されない」

 

 どこまでも傲慢に成り果てたものだ。だがその傲慢さこそ、六年前に見出した傑物でもある。

 

「まずは義を立てよ。わたしは隠居をするつもりはない。生きているのならば、法で裁かれる腹積もりだ」

 

「……アンヘルに帰せと?」

 

「それが全うな道でもある」

 

 暫し睨み合いが続いた。彼の目的から鑑みればアンヘルへと帰すのは下策のはず。だが、UDはその要求を呑んだ。

 

「……いいだろう」

 

 UDが鬼面のトウジャの手へと招く。リックベイはコックピットへと導かれた。

 

 即席の副操縦席で不意に尋ねる。

 

「この機体の名は? 何という?」

 

「《ゼノスロウストウジャ》白兵戦闘特化型仕様……《コボルト》の参照コードを使っている」

 

「《コボルト》……鬼、か」

 

 呟いた途端、《コボルト》が浮き上がった。

 

「出るぞ。舌を噛むな」

 

 果てのないブルブラッドの海へと、《コボルト》は機体を反射させる。連鎖する光の波に、リックベイは生き永らえた己を回顧していた。

 

 ――まだ生きている。ならば出来る事はあるはずだ。

 

 そう考える一方で、生きるのを放棄し、シビトとなった男が一人。

 

 彼はあのまま生きていては不幸であったのだろう。それでも、生きるのを諦めて欲しくなかったというのはやはりエゴであろうか。

 

 それさえも見えず、先読みは曇ったままであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは……」

 

 ニナイが息を呑む。集った者達は青い炎が地表を焼いていく光景に唖然としていた。

 

 タキザワがその中でも淡々と言葉を継ぐ。

 

「ブルブラッド……血塊炉そのものを利用した……大量破壊兵器。理論上では可能だが、それを実行に移すとなれば大きな弊害が発生するはずだ。……倫理観、という名のね」

 

 唾を飲み下した桃は投射画面の映像を指差す。

 

「本物、なの……?」

 

「正真正銘、惑星で観測された事象だ。どうしてだか、月面へとわざわざ最速で送られてきた。……この意味が分かるな?」

 

 茉莉花の問いかけに鉄菜は歩み出ていた。

 

「月面を押さえた事は何もアドバンテージにならない。それどころか、相手はこちらを上回る兵器を保有している、という、一種の警告」

 

 茉莉花は首肯し、映像を解析にかける。

 

「下手に《モリビトルナティック》なんてものを浮かばせているがゆえに、敵は僅かに逸ったな。ここで血塊炉の爆弾を晒すのは相手も本懐ではなかっただろうに。それでも、情報が挑発じみた感覚で送られてくるのは癪でしかない」

 

 歯噛みした茉莉花にニナイは問いかける。

 

「どうやって……これだけの大質量爆撃を可能に? そのプロセスが分からない限りは……」

 

「ああ、打つ手はない」

 

 断言された結論に林檎が声を上げる。

 

「やられる前にやっちゃえばいいじゃん。相手はアンヘルでしょ?」

 

「それが……そうとも限らなくってな。アンヘルにしてはやり方がずさんだ。これでは要らない反感まで買ってしまう。別の組織が動いていると見ていいかもしれない」

 

「別の……」

 

 その言い草に誰もがアムニスの事を思い浮かべただろう。アンヘルの上級組織。このタイミングで仕掛けてくるのは確かに頷けるが、それでも前回、戦っただけのイクシオンフレームの持ち主が短絡的に切り返したにしては無理がある。

 

「別の組織とは言っても、それはともすればアンヘルには近くないのかもしれない。……もっと別の」

 

「別の別のって言うがな……、どれだけ調査してもこの爆弾の出所は不明なんだ。どうやってこれだけの規模の爆発を起こしたのかも……! 手詰まりなんだ、今のところ」

 

 悔しげに呻いた茉莉花にニナイが肩に手をやろうとして、不意に投射画面が乱れた。

 

 プラント設備付属のこの場所だけではない。艦内で同じ現象が多発しているようであった。

 

『何だ、通信機が……』、『電波ジャック? 月面で?』

 

 通信に混じる困惑にニナイが応じようとした矢先、声が響き渡った。

 

『惑星からの宣戦布告を我々は受け取った』

 

 そう口火を切ったのは間違いようのない――。

 

「オガワラ博士……」

 

 呆然とした声にオガワラ博士にしか見えない禿頭の男性は言葉を継ぐ。

 

『星の原罪を正すために、我々は粛清の十字架を打ち立てる。見えているだろう、白き凶星が! 貴公らの頭上に位置する、星の原罪そのものが! これより衛星に付属する我らの兵器を行使し、貴君らの三十二時間以内の全武力の解除を願う。もしこれが実行に移されない場合、貴公らは体験するだろう。星が落ちてくる光景を。罪そのものが質量破壊兵器として、降り立つ地獄を。空が砕け落ちるのを否が応でも感じるだろう。そして知るのだ。我々の報復作戦は第二段階へと移った。白き凶星は貴君らとの戦いの前線基地として使用される。惑星の罪をそそぐべき宇宙の涙を思い知るがいい』

 

 呆気に取られていた一同に茉莉花は慌ててコンソールへと取り付く。直後、拳で殴りつけていた。

 

「やられた! 今のはオガワラ博士の声明を装った……ブルブラッドキャリア本隊の声明だ! 奴ら、使うつもりだよ。《モリビトルナティック》を。質量兵器として!」

 

 思わぬ言葉に桃は混乱していた。

 

「ちょ、ちょっと待って! 意味が……」

 

「分からないのか! 星の連中はあんな爆弾を用意していた。それに対抗すべく、《モリビトルナティック》を惑星に落とす、って言っているんだ。しかも、連中はほとんど手を汚さない。月面からの、という建前にした以上、攻撃の矢面に立つのはこの《ゴフェル》と、月そのものだぞ……!」

 

 茉莉花が苦渋に顔を歪ませる。瑞葉はゴロウを抱き留め、その意味を反芻していた。

 

「……宇宙と星とで、戦争が起きる……。それも今までの比じゃない、戦争が……」

 

「ああ、クソッ! 手を打つのが遅過ぎたのか? いや……惑星からの挑発が送られてきたのは今だった。となれば相手はバベルを奪還された前提で、同じバベルへと情報を同期した事になる……。相手からしてみれば本隊もこちらも同じブルブラッドキャリア。攻撃する理由は充分にある」

 

「全面戦争だって言うの……。でもそんなの……勝ち目なんて……」

 

 皆まで聞く前に鉄菜は身を翻していた。その背中へと声がかかる。

 

「鉄菜! どこへ!」

 

「《モリビトシンス》で月面に浮遊している敵人機を駆逐する。そうすればこの戦争をどちらともなく終わらせられるはずだ」

 

「そんなの綺麗事じゃん。無理に決まってるよ」

 

 手を払う林檎に鉄菜は強く言い放つ。

 

「私と《モリビトシンス》ならば出来る」

 

 論調が気に食わなかったのか、林檎は噛み付いてきた。

 

「……あのさ、根拠のない自信、大いに結構だけれど、ボクらの進退がかかっているのによくそんな事言えるよね」

 

「修復出来たのならば《モリビトシンス》で出る」

 

「話を聞けっての! それとも……ボクなんて話すまでもないって?」

 

 挑発する林檎に鉄菜は一刻でも惜しかった。茉莉花へと視線を流すと彼女が頭を振る。

 

「……駄目ね。《モリビトルナティック》の構造上、一撃での破壊は難しい。それに、現状の《モリビトシンス》にドッキングされている《クリオネルディバイダー》はまだ五割未満の完成度。正直なところ、確実なパフォーマンスを期待出来るかは分からない」

 

「ホラ、ね? 勝手に一人でしゃしゃり出て勝てる戦局じゃないんだよ」

 

「ではどうすると言うんだ。このまま静観するとでも?」

 

「それは……」

 

 濁した言葉振りに不意に通信が接続された。ゴロウが首を巡らせ、直通回線を開く。

 

『……何だこれは。暗号通信回線……地上からの?』

 

 ゴロウが目配せする。茉莉花は首肯していた。

 

「繋いで。このモニターに」

 

 接続された先にいたのは獅子の顔を持つ人影であった。ホログラムで偽装されたその姿に全員が息を呑む。

 

「何者……」

 

『何者、か。その問答は意味がないですなぁ、ブルブラッドキャリアの諸君。いや、こう言ったほうがいいでしょうか。離反兵の方々』

 

 見透かされている。だが、地上で自分達と本隊を見分ける術はないはずだ。

 

 自然と帰結は導かれていた。

 

「……ラヴァーズ?」

 

 そうだとも。ラヴァーズしか自分達の内情は知らないはず。応答した言葉に相手はわざとらしい拍手を打つ。

 

『いやはや、咄嗟の状況判断にしては素晴らしい。確かに、地上ではラヴァーズくらいしかあなた方には接触していない。しかし、こうは考えませんか? それらを上回る情報網が存在する、とは』

 

 全員の脳裏に浮かんだのは恐らく同じ単語であっただろう。

 

「レギオンか……」

 

 苦々しく口にした茉莉花に相手は、ノン、と応じていた。

 

『レギオンならば爆弾作りに躍起でしょう。相手方もそちらの上役も相当に、戦争がしたい様子。ですが我々はそうではないのです』

 

「名を名乗れ。そうでなければ話にならん」

 

 断じた茉莉花の声に相手は逡巡する。

 

『そうですなぁ……。では組織の名前を。我らはグリフィス。情報を資本としている組織です』

 

 グリフィス、の名前を同時並行で検索させる。それでも、出てくるのは伝承上の生物の姿だけであった。

 

 頭部は鳥、身体は獅子の伝説上の生き物。

 

「グリフィス……? 聞いた事もない」

 

『それはそうでしょう。我々はレギオンにも察知されていない極秘組織』

 

「馬鹿な事を。地上でレギオンのバベルを抜けられるのは独自のネットワーク権限を張っているラヴァーズくらいのものだろう。それでも彼らだってアンヘルからは逃げられない」

 

『合理的に考えれば。しかし、こうは思いませんか。誰もがアンヘルとレギオンの支配に、是と言っているのか、と』

 

 そうではない、と言うのか。だが地上はほとんど多数派に掌握されたに等しいはず。現実的に考えて別の組織が発足するのはあり得ない。

 

 あるとすれば――それこそレギオン内部での軋轢。

 

「内通者か。レギオンも一枚岩ではないと見える」

 

『そこまで分かっていらっしゃるのならば話は早い。どうです? こちらの情報を買いませんか?』

 

 その提言に全員が固唾を呑んだ。

 

「買う、だと?」

 

『ええ、そうですとも。言いましたよね? 我々は情報が資本だと。そういう取引で成り立っているんですよ。この世を渡り歩くのに何も人機でガチガチに武装するだけが力ではありますまい』

 

 胡乱そうな眼差しを注ぐ中、ニナイが歩み出ていた。

 

「もし……断った場合は」

 

 相手がパチンと指を鳴らす。

 

 モニター上にブルブラッドの爆弾の炸裂範囲が表示された。この情報さえも極秘のはず。それをちょっとした手札として扱ってみせた胆力に素直に感嘆する。

 

『地上と宇宙は引き離され、二度と交わらないか、あるいはブルブラッドの血潮の舞う、地獄絵図が発生するでしょうなぁ。そうなってしまうと立ち行かなくなる部分もあるのですよ』

 

「平和を望む……っていう短絡思想でもなさそうね」

 

 桃の評に相手は得意気に獅子の顔で微笑んだ。

 

『平和というのはいつの世も民衆が革命の先に勝ち取ってきたもの。革命を抑止されたこの時代、それ自体を間違っていると言ってはいけませんか?』

 

 グリフィスを信じて情報を買わなければブルブラッドキャリアは《モリビトルナティック》を星に落とす。しかし星の切り札であるブルブラッドの爆弾がどれほどの性能かははかり知れない。最悪の想定を浮かべれば惑星が二度と人間の住めない焦土になる可能性だってある。

 

 突きつけられた現実はシンプルな二択であった。

 

 このまま何もせずに戦端が開かれるのを待つか、あるいは抗うか。

 

 鉄菜は獅子顔の相手へと問いかける。

 

「お前は……もし私達が情報を買ったらどうする? その情報をレギオン側にも流さないとは限らないはずだ」

 

「そうだな。二枚舌を使い分けて一番の利益を得る。それが情報を資本だと言うのならば考え得る可能性だ」

 

 獅子顔の相手はしかし、それさえも予定調和とでも言うように返答した。

 

『星がどうこうなるという瀬戸際に、そこまで考えますかな?』

 

「そこまで考えるからこその情報組織なのだと判断する」

 

 譲らないこちらに対して相手は嘆息をついた。

 

『どうにも……納得が行かない様子。いいでしょう。無料サービスです。これを』

 

 送信された情報はアンヘル内部で構築されている暗号通信であった。羅列された情報を茉莉花が即座に読み取る。

 

「……敵がどこに爆弾を仕掛けているかの陣地図……。そこまで見せて……これがブラフであるかもしれない」

 

『それを最終判断するのはそちらです。どうです? ここまでが無料の範囲内です。ここからは、それなりの物を貰わなくては』

 

 爆弾の位置情報が分かったのならば先回りして破壊すれば最悪ブルブラッドの爆散は防げる。宇宙に紺碧の濃霧による汚染を作り出さずに済むかもしれない。

 

 そうなった場合、本隊を如何にして食い止めるかが鍵になってくる。

 

 板ばさみの状況の中、全権は艦長であるニナイへと託されていた。

 

「……決めるのは艦長だ」

 

 譲った鉄菜に彼女は思案を浮かべた。だがそれも一瞬。すぐに艦長の面持ちとなったニナイは決断する。

 

「買いましょう、情報を。この現状、本隊と地上との闘争を食い止めなくては未来がないもの。私達で出来る事をする。そして失敗はしない。それがブルブラッドキャリアよ」

 

 ニナイの言葉に獅子面は余裕しゃくしゃくで手を叩く。

 

『賢明な方で助かります』

 

「当然、支払うのはお金じゃなさそうだけれど」

 

『そうですね。ブルブラッドキャリアのモリビト……その機体情報、いただけますか?』

 

 思わぬ切り返しであった。こちらの主力をむざむざ晒せというのか。息を呑んだニナイに、茉莉花は心得たように頷く。

 

「分かったわ。モリビトの機体データを引き渡す。その代わり、分かっているわよね?」

 

『ええ、顧客には最大限のサービスを。モリビトのデータとなればそれは国家予算にも値する。それなりに継続的な関係を続けていきましょう』

 

 ここで手打ちにするつもりはない、というわけか。

 

 だが互いに利用し尽くさなければこの惨状を止められないだろう。

 

 鉄菜は相手を睨み据え、言い放った。

 

「お前らの思い通りにはならない。ブルブラッドキャリアはこちらのやり方で行く」

 

『ええ、結構ですとも。あなた方の前途に希望があらん事を』

 

 通信が打ち切られた。しかし情報だけはしっかりと送られてきていたらしい。ゴロウが目線を合わせる。

 

『……本物だな。敵の配置図と爆弾の設計データ。それに《モリビトルナティック》が落ちるとして……どの軌道で落ちるかまでの予測……。つい先刻まで月の存在すら知らなかったとは思えないほどの精密さだ。これをどう見る?』

 

 問いかけたゴロウにニナイは言いやる。

 

「どうもこうもないわ。交渉は交わされた。各部署に通達! これより《ゴフェル》はモリビト三機の修復後、《モリビトルナティック》の降下と爆弾の起爆を阻止します! 全員、第一種戦闘配置!」

 

 今は相手の良心をただ信じるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なかなか食わせ者もいる、ってさ」

 

 リーダーからの通達に手渡された端末に残留するデータを洗い出す。

 

「……モリビトの機体データ……。よく引き渡したわね」

 

「それ渡さんと地上には十字架が落ちてくるんやろ? 相手さんも本意じゃないんやったら、そういう決断になるやろ」

 

 しかし彩芽は確証を新たにしていた。

 

 ――やはり今のブルブラッドキャリア。離反兵は本隊ほどの冷徹さはない。

 

 まだつけ込める。そう感じた彩芽はリーダーに繋いだ。

 

「お忙しいところすいません、ブルブラッドキャリアに関してですが」

 

『ああ。無論、あなたの言った通り、モリビトの機体データを引き渡してもらいましたが』

 

「それだけじゃありません。もっと引き出せます。最大限に搾り尽くしてから、我々の本懐と行きましょう」

 

 その言葉に通話先のリーダーが笑い声を上げる。

 

『古巣に対しても容赦なし、か。アタシゃ、嫌いじゃないですよ』

 

「どこかで相手は及び腰になる。そこを突けば、もっと欲しい情報が手に入る」

 

「彩芽、あんた貪欲やねぇ。どこまでやるつもりなん?」

 

 その問いかけに彩芽は答えていた。

 

「全て、よ。あの組織から全てを奪い去った時、わたくしの本懐は成るもの」

 

 口にした彩芽は笑みを刻んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 情報感謝します、という形だけの賛辞にタチバナは苦笑する。

 

 軌道ステーションで身体を無重力に流しつつ、タチバナは窓の外から望める白い月を凝視していた。

 

 月の軌道上には罪の枝そのものの十字架。あれが落ちてくるとなれば無知蒙昧な人々とて無関心ではいられまい。

 

「まだ生きておったとはな」

 

『そう容易く死にはしませんよ。前線におられるので?』

 

「老人にはきつい職務だよ」

 

 通話先の相手は笑いながらも正鵠を射る質問だけは心得ている。

 

「アンヘル……妙な噂を聞きましたよ。彼ら、普通の人間じゃないんでしょう?」

 

 どこで嗅ぎ付けたのか。アンヘルの組織内部の構成員は極秘のはずである。しかし、タチバナはこの男ならばそれも可能かとどこかで考えていた。

 

「ああ。ワシが直々に情報を閲覧し、精鋭を選んでおいた。彼らは血続。遠い昔に地上から忘れ去られ追放された、人機に愛された種族だ」

 

『やはり、そうでしたか。血続がアンヘルに蔓延っている。ですが、それだけでもありますまい』

 

 渡良瀬の使う私兵の事も看破しているのだろうか。だが薮蛇は慎んだ。

 

「さぁな。ワシとてオブザーバー以上の権限は持たんよ」

 

『まぁ、いいでしょう。アタシと博士の友情に、六年越しの乾杯といきましょう』

 

 乾杯か、とタチバナは自嘲する。

 

「この腐れ縁がまさか途切れないとはな。だが、これは老人の警句だ。どこで背中を狙われているのかお互いに分からん身だぞ? ――ユヤマ」

 

 その名前に相手は喉の奥で嗤う。

 

『なに、だったらせめて撃たれて困らない背中にだけはしておきましょうよ。死に体の背中に何も背負っていないのでは、あまりに愚策』

 

 その点だけは同意であった。タチバナは口角を吊り上げる。

 

「時代に取り残された者同士、噛み付くとするか。この時代のうねりそのものに」

 

『そして新時代の幕開けに』

 

 乾杯、とユヤマは続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 第十二章 了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三章 天地、縫い止める楔
♯238 月の脅威


 

 威圧される、とはこの事を言うのだろう、と誰かがこぼした。

 

 通信回線に漏れ聞こえた弱音を是正するほど、この編成隊の熟練度は高くはない。元々、前回の衛星での大規模戦闘の残りカスのようなもの。型落ち品に等しいバーゴイルが宙域を青い推進剤の尾を引いて行き交う。

 

 ハンドサインを送った随伴機に彼は素直に感嘆していた。

 

「あれが……ブルブラッドキャリアの衛星兵器……」

 

 予め聞き及んでいたとは言え、実際に会敵すればそのスケール比に眩暈がする。識別情報を《モリビトルナティック》という名称に固定し、バーゴイル乗り達は巨体の周囲を囲い込んだ。

 

 小手調べとしか言いようのない作戦であったがやらないよりかはマシだという上の判断である。二機の先行するバーゴイルがワイヤーを張って《モリビトルナティック》へと肉迫する。

 

『しかし……今さら爆導索なんて通用するのかよ』

 

 弱音も仕方あるまい。三機のモリビトは突如として現れた謎の資源衛星――識別信号「月」の軌道上に浮遊しており、先のブルブラッドキャリアの声明が正しいのならばこれを惑星へと落下させるのだという。

 

 だが、旧ゾル国面のお歴々はどこか悠長であった。

 

 大質量人機を惑星へと落とす、という不可能に近いその夢想めいた作戦に対しての嘗め切った態度というわけではない。むしろ、上層部にしては慎重な体勢を取ったほどだ。

 

 だがやはり、人機を落として何になる、という部分が大きいのは事実。

 

「こんなの惑星に落としたって……リバウンドフィールドが」

 

 そう、惑星を保護する虹色の皮膜。プラネットシェル計画の最たるものであるところのリバウンドフィールドは衛星軌道上からのあらゆる攻撃を無効化する。それはかつて旧時代に隆盛を誇ったミサイル兵器であったり、あるいはコミューンへの高高度爆撃であったりしたのだ。リバウンドフィールドは人類に突きつけられた罪の象徴であり、なおかつこれ以上の過ちを犯させないための安全措置。

 

 人は、惑星の檻の中で睨み合いを続けても、非人道的な攻撃に走る事はなかったのだ。

 

 ブルブラッド大気汚染を宇宙まで持ち込まない、という大義名分を抜きにしても、人はまだ平和的解決の糸口があった。

 

 星の人々はまだ理解があった。

 

 しかし、ブルブラッドキャリア――追放者達は違う。

 

 星の外側で手ぐすねを引いていた者達は惑星の内側で燻る炎に頓着などしない。だから、衛星兵器などを考え出す事が出来る。

 

 そう思わないとやっていけなかった。彼らは本質的に自分達とは「違う」のだと。別種の生物とでも思わなければ。

 

《モリビトルナティック》へと爆導索がかかるまでのリミットが表示される。

 

 あと五秒、と念じた彼は敵人機にワイヤーがかかった途端、爆発の光輪がいくつも数珠繋ぎになったのを目にしていた。

 

 通常の艦隊ならば全滅のレベルに値する炸薬を用いた。それをもってモリビトの破壊は成ったと誰もが確信したはずだ。

 

 敵機健在の報を聞くまでは。

 

「健在? ダメージは?」

 

『見られません! どこにも……。なんていう装甲なんだ……』

 

 こぼしたその声音にワイヤーを手繰っていた二機が周回軌道を描いてモリビトの背面を取った。

 

 保持しているのはプレッシャーライフルである。如何に強靭な装甲といえども、リバウンド兵器の前では無意味のはず。

 

 構えを取った二機がそれぞれ機体の中心軸に向けて引き金を絞った。二つの光条が常闇を裂いていく。

 

 突き刺さった感覚はあった。だが、粉塵の向こう側に現出した虹色の輝きに彼らは瞠目する。

 

『まさか……嘘だろ……! これは、――リバウンドフィールド?』

 

 虹の表皮を纏ったモリビトが十字架の側面より火器を引き出す。繋ぎ合わされた大口径の火器を呆然と見つめていた彼らは直後に襲いかかってきたオレンジ色のリバウンド兵器におっとり刀で対応していた。

 

『散れ、散れーっ! 撃墜されるぞ!』

 

 バーゴイルがそれぞれの軌道を描いて散開するも、オレンジ色の光条はまるで目でもあるかのように人機を追尾する。

 

 一機、また一機と爆発の光に包まれていく中、彼は震える操縦桿を必死に押し留め、バーゴイルを上昇させていた。

 

 それでも追いついてくる。死そのものが。膨大な熱量となって。

 

「嫌だ! 死にたくない! 死にたくない! こんなところで、どうして……」

 

 熱源接近のアラートが喧しく鳴り響く。涙が溢れ、ヘルメットの中を満たした。怨嗟の叫びと懇願の悲鳴がコックピットを塗り固めていく。

 

 高熱源関知、回避不能の文字が大写しになった時、彼は終わりを予見した。

 

 きつく目を瞑ったが、すぐに終わりは訪れなかった。

 

 ああ、これが死ぬ間際の走馬灯という奴か、と彼は死の瀬戸際にしてはあまりに長い時間を感じ取る。

 

 だが、違和感が先についた。

 

 どうして、まだ何も起きない? 目を開き、振り返った彼は一機の不明人機が盾を掲げ、高出力のリバウンド火器を跳ね返したのを視界に入れていた。

 

 識別信号に覚えず声にする。

 

「モリビト……」

 

 両盾のモリビトが右肩に肥大化した盾を担ぎ、十字架のモリビトの攻撃を防ぎ切る。その背中に彼は呆然と見つめるのみであった。

 

 ――まさか、モリビトが自分を守った?

 

 思わぬ事態に脳内が混乱する中、合成音声が繋がれる。

 

『まだ生きているか、バーゴイルの操主。生きているのならばすぐに離脱しろ。お前らでは手に負えない』

 

 淡々と、突き放すかのような物言い。平時ならば噛み付いていてもおかしくはなかったが、今の彼にそこまでの気力はなかった。

 

 戦闘領域を離脱する判断をしたのは何もその言葉に感化されたからだけではない。

 

 自分以外のバーゴイルは全て撃墜されていたからだ。

 

 たった一機、されども惑星を敵に回すと断じた一機にバーゴイル乗り達は矜持を奪われ、その命を散らせていた。

 

 仲間の装甲が宙域を舞うのが視界に入る。

 

 彼は離脱途中、モリビトの背中へと振り返っていた。

 

 あのモリビトもたった一機だ。

 

 たった一機で状況を変えようというのか。

 

 その姿に傲慢さよりも、彼は羨望を見ていた。戦い抜くと決めた者の背中を映し出したモリビトが十字架の人機へと駆け抜けていく。

 

 今は少しでも武運を。そう感じて、静かに敬礼を送っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「《モリビトルナティック》は前回同様、一機のみが稼動している。三機とものリンクが張られているという最悪の想定は免れた形となったか……」

 

 こぼした鉄菜は《モリビトルナティック》がまだ月軌道上から離れていない事を再確認する。

 

『クロナ、この人機、まだ突入軌道には』

 

「ああ、入っていない。だからこそ、ここで――斬り伏せるのみ!」

 

《モリビトシンス》の眼窩が青く輝き、左側の翼のウエポンラックに装備されていたRシェルソードを引き抜いた。

 

 刃の輝きを宿したまま、《モリビトシンス》が駆け抜ける。敵人機が十字架の側面を開き、内奥から大口径R兵装を現出させた。そこから弾き出されたのは幾重にも交差したオレンジ色の光条。

 

 闇を引き裂き、全てを払う熱量であった。通常人機の編成では確実に全滅は免れないだろう。

 

《モリビトシンス》は敵機の火器管制システムの限界領域まで試す事にした。フットペダルを踏み込み、《モリビトシンス》の機動力でその火力を掻い潜る。

 

 一つ一つの威力が高いものの命中精度はそれほどでもない。一回につき、十基前後の火線が瞬くのも手伝ってか、一つを潜り抜ければ二つ、三つとその死の猛火を抜けるのはさほど難しくはなかった。

 

 ――否、と鉄菜はアームレイカーを握り締めながら感じ取る。

 

 これは《モリビトシンス》の性能のお陰か。

 

《モリビトシンス》へとスペックが上がってからというもの妙な感覚がついて回る。今までならば絶望視していたであろう状況に、希望の芽が芽吹いたのだ。

 

 それは何も単純な性能面での向上だけではないはず。

 

 何かが、自分の中で変わり始めている。その何かを明確に結ぶ術を持たなかったが、鉄菜は迷わずに《モリビトシンス》を敵機の近接射程領域へと肉迫させた。

 

「《モリビトシンス》。対象の人機を、脅威SSランクと断定し、これを撃滅する!」

 

 左手の刃が軋り、《モリビトルナティック》の制御系が内包されているはずの中心機へと一閃を見舞っていた。

 

 しかし、その一撃は虚しく空を裂くのみ。確実に当てたはずの刃が弾かれていた。その堅さに鉄菜は歯噛みする。

 

「リバウンドフィールド装甲……。茉莉花の性能判断通りというわけか」

 

 となれば、タキザワの推測した性能は正しかった事になる。鉄菜は出撃前のブリーフィングを思い返していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯239 エクステンドディバイダー

 ゴロウが投射画面を切り替え、《モリビトルナティック》の断面図を全員に同期させた。

 

 十字架の断面にはいくつかの血塊炉の固有反応がある。

 

「見ての通り、あれは十基前後のサブ血塊炉と、六基相当のメイン血塊炉で成り立っている。……脅威で言えば六年前のキリビトを軽く凌駕する存在だ」

 

 送信されてきた資料に鉄菜は眉根を寄せた。

 

「破壊は不可能だと?」

 

「そうでもない。リバウンドフィールドさえ無効化すれば、通常人機と同じ装甲の厚さのはず。壊せない道理はない」

 

『だがそれは、数値上の話だ。実際にあれを完全に粉砕し、地上への衝撃を限りなくゼロにしようと思えば、相当な熱量の爆薬が必要になるだろう』

 

「それこそ……地上を覆ってみせたあの血塊炉の爆弾ほどには、ね……。悔しいが一歩先を行かれているのは確かなんだ」

 

 地上勢力の放った爆弾の威力は正しく《モリビトルナティック》を破壊せしめるだろう。その結論に桃は手を挙げていた。

 

「でも……それじゃあモモ達の意味はないんじゃ? ……モリビトでも破壊は難しいんでしょう?」

 

『普通にやるのならば、な。モリビトにおける対人機戦闘で今までの火力には限度があった。高火力が強みであるはずの《ナインライヴス》でさえ、前回、Rランチャーの最大出力を弾かれたデータがある』

 

 その言葉に桃は苦味を噛み締めた様子である。弾いた機体はイクシオンフレームであった。

 

「……悔しいけれど、一手ずつ、私達は追い込まれていると思っていい。それくらい慎重じゃないと読み負ける」

 

 ニナイの総括に林檎が声を上げる。

 

「じゃあどうしろって? 分かんないんだったら作戦会議じゃないじゃん」

 

「そうね。分からないのならば、ね」

 

 含みのある言い方の茉莉花に鉄菜は問いかけていた。

 

「当てはあるんだな?」

 

「当然。プラントを一日でも占拠出来れば軽いものよ。ここには血塊炉が揃っている。加えて必要な資財も。実行するわ。モリビトタイプのセカンドステージ案を」

 

 茉莉花が手を払うとモリビトの強化案を示した図柄が次々と投影されていく。それら一つ一つに、タキザワは感嘆する。

 

「よくやるよ、まったく。つい数時間前に占拠したと思ったらここまで?」

 

「設計図は元から練ってあったからね。プラント設備は思ったよりも円滑にその案を推進出来るほどの代物だった」

 

 胸を反らす茉莉花に蜜柑がおずおずと手を挙げる。

 

「でもこれ……。半分の完成度って書いてありますけれど……」

 

 その言葉に茉莉花は肩を竦めた。

 

「時間の制約。その中で最高のパフォーマンスを、って言えば、やっぱり五割以下に成っちゃう。難しいところだったわ」

 

 セカンドステージ案が実行されたと言っても五割を切る程度。それでこのうねりを止められるのか、という懸念を抱いていたのは自分だけではないらしい。

 

「あのさぁ、こんなんで止められるの? 実際使えなかった、じゃ済まされないんでしょ?」

 

「同感。これを実行したとして、今次作戦の成功如何はどこに?」

 

 詰問に茉莉花はこきりと首を鳴らす。

 

「それは、あなた達にかかっているのよ。モリビトの執行者さん達」

 

「私達に? だが、五割以下のセカンドステージ案では」

 

「実行不可? まさかそこまで弱り切っていないわよね? だって今まで、どんな逆境も乗り越えてきたんですもの。まさかこの程度で音を上げるとでも?」

 

 安い挑発だ。乗るまでもない、と断じたのは自分と桃だけで、林檎は食らいついていた。

 

「何言って! 外野はいっつも見てるだけじゃんか!」

 

「そう、見てるだけよ。でも見ているなりに気づける事はある。ニナイ艦長、今回の作戦概要の説明を。……吾が話すとどうしても噛み付くみたいだからね」

 

 仕方なしという形でニナイが歩み出る。投射画面には《モリビトルナティック》の軌道予測データが表示されていた。

 

「この軌道で落ちていくのはほとんど確定のようなもの。だからこの予測進路を阻む。ただし、これには厳重なタイムリミットが」

 

 予測時間はたったの三時間であった。そんな早く惑星に到達すると言うのか。

 

「速過ぎない? だって、《ゴフェル》で月まで行くのにほとんど半日もかかったのに」

 

「いいえ、これが正しい試算よ。もっと言えば、正しい試算よりも少しばかり早めただけ。これに近い速度で相手は惑星外縁に入ると思っていい」

 

「その論拠は?」

 

 桃の問いかけにニナイは先ほどの断面図を呼び出していた。

 

「六基のメイン血塊炉と十基前後のサブ血塊炉の存在。《ゴフェル》だってほとんどコスモブルブラッドエンジン三基で動いているに近いのに、相手は純正血塊炉でそれも六基。さらにそれを補助する形で十基近く。……単純計算でも《ゴフェル》より足が速いはず」

 

「その数値は僕が導き出した。間違いではないと思う」

 

 タキザワの確証も得てニナイは一つ頷く。

 

「艦より速い質量兵器か……。だが、だとすれば余計に追いつく術はないんじゃ? 一度でも点火されれば」

 

 人機程度の速度、すぐに追い越してしまうだろう。ニナイは視線を自分へと向け直した。

 

「だからこそ、今回のミッションは二段構えにする。まず鉄菜、あなたは《モリビトルナティック》の第一次破壊任務についてもらいます」

 

 その発言に林檎が噛み付いていた。

 

「ちょっと待ってよ! ボクらは度外視だって言うの!」

 

「話を最後まで聞きなさい、林檎。考えが……あるのよね?」

 

 制した桃にニナイは別の経路図を投影させる。

 

「地上から既に何機か上げられているという情報もある。モリビト三機のうち二機はブルブラッドの爆弾の起爆阻止に向かってもらいます」

 

「起爆阻止……。でもそんなの、ボクらの任務じゃ――」

 

「林檎、作戦説明中よ」

 

「でもさ! 起爆阻止って事はデカブツの破壊には参加出来ないって事じゃん!」

 

 どうやら林檎の中では《モリビトルナティック》の破壊にかける情熱が高いようだ。それともこれが大きな貢献度を持っているのだと理解して口にしているのだろうか。

 

 組織の中で自分達の優位性を高めるのには、確かに大質量兵器の破壊は急務である。

 

「林檎……これも大事なの。私達の目的はそもそも、上が作り上げようとしているシナリオの阻止にある。このままじゃ、宇宙対地上という盤面に踊らされるだけじゃない。私達《ゴフェル》のブルブラッドキャリアにばかり矢面に立たされて、上は戦力が出揃うまでの静観を決め込むつもりよ。そうなってしまえば全てがお終い。いい? 私達は生き残る。そして、この計画を打破する」

 

 ニナイのいつになく強気な声音に林檎は気圧された様子であった。

 

「……それでも、ボクと《イドラオルガノン》のほうが強いはずなんだ……」

 

 抗弁のように発せられた言葉を茉莉花が拾い上げた。

 

「そうね。《イドラオルガノン》には期待している。セカンドステージ案で最も機体のスペックが向上するのは《イドラオルガノン》と出た。ゆえに、なのよ、ミキタカ姉妹。あなた達の本当の性能を示すのはまだここじゃないって話」

 

「……上手い事転がそうたって……」

 

「そう? 個人的には割と本当に期待しているのよ? 換装自在であった《イドラオルガノン》、それがもし、換装時のロスもなく全ての状況に順応出来れば、って。そう思った事はない?」

 

《イドラオルガノン》のフルスペック形態。その予感に林檎は目を開いて打ち震えたようであった。自分の機体が強くなるという感覚に昂揚するのは鉄菜でも分かる。

 

「だが、爆弾を阻止するのと敵機の落下阻止、両方を同時に実行するのには無理がある」

 

「そうね。でも、《モリビトシンス》には既にその手は打ってあるとすれば? 後はあなた次第に、もうなっているのよ」

 

 茉莉花の不敵な笑みに鉄菜は自分の機体に何か仕掛けられたのでは、と胡乱そうに見据える。

 

「……何をした?」

 

「害になる事は何も。ただ、確実に強くなっているわよ。あなたのモリビトはね」

 

 そういえば、と鉄菜は思い返す。前回、《イクシオンアルファ》に両断されたと感じた直後に発生した現象に関して、茉莉花にも、ましてやニナイ達にも話していなかった。タキザワくらいには話を通しておくべきだろうか、と考えあぐねている間にこの状況になったのだ。

時間が余った時でいいだろう、と鉄菜は判断する。

 

「《クリオネルディバイダー》に搭乗してもらう事になるけれど、いいわよね? 瑞葉」

 

 突然に名前を呼ばれ、瑞葉は困惑した様子であった。それも仕方ないだろう。前回、成り行きとは言えかつての自分の乗機との戦いがあった。戦地に再び舞い戻るのには迷いがあってもおかしくはない。

 

「わたしは……きっちりサポート出来るのか……」

 

「出来るわよ。《クリオネルディバイダー》側に誰か乗っていないと逆にどうしようもないもの。今回の作戦の要には、ね」

 

 作戦の要。鉄菜は問い返していた。

 

「何が出来る?」

 

 茉莉花は一拍置いた後にふふんと鼻を鳴らす。

 

「あなた達は多分、聞いて驚くし実際に使ってみても驚く。《クリオネルディバイダー》の真の価値――エクステンドディバイダーにはね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火線が幾重にもこちらを追い込もうとする。鉄菜は機体の両翼を広げて追尾性能を持つリバウンドの光条を追いやっていた。

 

 いくつかの光線は追尾性能を失い、月面に激突する。粉塵が上がる中、機体を翻させてその皮膜を引き裂いた。

 

《モリビトルナティック》はこちらの排除にかまけているだけの時間もないはずだ。本隊の目論見がこの人機の落下にあるとなれば、あまり時間は割きたくないはず。

 

「……取りにかかるぞ」

 

 その声に《クリオネルディバイダー》に収まった瑞葉とゴロウが応じていた。

 

『……了解した。クロナ。でもあの機体、あまりにも』

 

『取り回しが悪そう、だな』

 

 それに関しては同意であった。側面に備え付けられている大口径の連装リバウンド砲は強大な武装ではあるが、一定以上の機能を持つ人機には通用しまい。ある意味では型落ち機の烙印を押されてもいい性能の《モリビトルナティック》を、このまま何の弊害もなく、惑星へと落とすというのか。

 

 それはあまりにも……。

 

「……短絡的。いや、向こう見ずだ。これでは、本隊の計画も成功するまい」

 

『じゃあ、やっぱり最初から……?』

 

 最初から地上との戦争状態を作り出すための詭弁か。あるいは他に何か……。探っていた鉄菜は《モリビトルナティック》の背面が開いたのを目にしていた。

 

「推進剤……! 移動を始めるつもりか」

 

 予定軌道に回り込んでその気勢を削ぐ。《モリビトシンス》が最大出力で敵機の前方へと位置し、予定されていた攻撃の準備を始めようとした。

 

 その時である。

 

 高熱源反応の警告が劈き、鉄菜は機体を後退させていた。

 

 熱源反応に目線を振り向けると、リバウンドの光軸が常闇に光の軌跡を刻み込む。

 

 機体識別に鉄菜は歯噛みした。

 

「《イクシオンアルファ》……。やはり……そういう事か」

 

『ご推察どうも! こちらとて、ただ闇雲に仕掛けたわけじゃないんですよ!』

 

 前回、墜とした機体が装備を新たにしてこちらへとプレッシャーソードを見舞う。浴びせかけられた斬撃に鉄菜はRシェルソードで受けていた。

 

 干渉波のスパークが散る中で問い質す。

 

「お前らは……、最初から《モリビトルナティック》の落下を……!」

 

『知っていましたとも。それこそが、真の意味での統治が近くなる!』

 

 応じる相手に鉄菜は苦味を噛み締める。

 

 茉莉花の推測の一つが当たった事になった。

 

「……単騎戦力でどれほど勝っていようとも、《モリビトルナティック》の落着をそれだけで遂行出来るとは思えない。どこかで糸を引いている第三者がいるという見立ては、当たったようだな」

 

『へぇ……作戦を予期出来るくらいの頭は残っているんですか。そちらにも。ですが! こちらは虐殺天使の上を行く、大天使ィッ!』

 

《イクシオンアルファ》が剣筋を払う。鉄菜は弾かせてからRシェルライフルへと可変させ、銃撃を浴びせかけた。《イクシオンアルファ》はその疾駆に似合う機動力で攻撃を回避する。

 

「……アムニスか」

 

『知っているのならば話は早いですねェッ! アムニスの序列三位、シェムハザ! 前回の雪辱、晴らさせてもらいますよ!』

 

《イクシオンアルファ》が接近しプレッシャーソードを下段より払い上げる。その剣を打ち合わせ、鉄菜は右の盾に連動する高出力リバウンド砲を充填させた。《クリオネルディバイダー》の両翼に取り付けられたリバウンド砲身が火を噴き《イクシオンアルファ》へと光軸を見舞う。

 

 その軌道を読んだ相手が上方へと駆け上がっていき、真上からリバウンドの低出力連装砲を照射した。

 

 盾で受け流しつつ、《モリビトシンス》を相手の速度に合わせる。その間にも目標は移動を開始する。

 

 鉄菜は舌打ち混じりに盾を払った。優先度では確実に《モリビトルナティック》が勝っている。今は、《イクシオンアルファ》を相手取っている場合ではない。

 

 再び巨大な機体へと近づこうとした《モリビトシンス》の肩口を《イクシオンアルファ》が引っ掴んだ。

 

『機動力ではこちらのほうが上のようですね!』

 

「……しつこさ、の間違いだろう!」

 

 振り返り様に一閃。それを相手は距離を取って回避し、銃撃網を張る。一瞬だけ視野が眩惑されたその隙を逃さず、敵機は肩から追突を極めていた。

 

 衝撃にリニアシートのエアバックが起動する。瑞葉の呻き声が通信に入り混じった。彼女は随分と戦地に出ていないはずだ。これほどの密度の戦いは恐ろしく集中力を要するはず。

 

 消耗は避けたい、と鉄菜は左手を《クリオネルディバイダー》の下部へと伸ばす。こちらの射程を予見した敵機が上方へと逃れた。

 

 瞬時に引き抜いたリバウンドディバイダーソードの剣筋が何もない空を裂く。

 

『二度も同じ手が! 通用するとお思いですか!』

 

 プレッシャーソードを発振させた敵人機が一挙に接近する。RDソードでの射程はまだ自分も慣れていない。基本はRシェルソードで受け流しつつの隙を狙うしかないのだが、《イクシオンアルファ》にはその隙がまるで存在しなかった。

 

 腹腔を蹴りつけられ、プレッシャーソードが頭上に迫る。おっとり刀の後退用の推進剤を全開にし、敵の剣筋を逃れた。すぐさま切り返すが、やはりというべきか刃が読まれている。

 

 余裕で回避した敵機が間断のない弾幕を張り、《モリビトシンス》を翻弄する。

 

『そっちのほうが優れているわけがないでしょう。我々は執行者を越えるために造られた! 最上の天使!』

 

 声と共に一閃が浴びせかけられる。左側の盾で受けたが、それでも受け流しきれなかった衝撃が《モリビトシンス》を後退させた。

 

『クロナ! 《モリビトルナティック》が……!』

 

 月軌道より離れていく相手を逃がすわけにはいかない。しかし眼前に迫るのは《イクシオンアルファ》の攻撃。

 

 鉄菜は刃が差し迫った瞬間に、フットペダルを踏み込んでいた。機体を仰け反らせ、軋んだ刹那には相手の射線を飛び越えている。

 

『ファントムか!』

 

 一発限りしか使えない手であったが、鉄菜は《イクシオンアルファ》の射程からようやく逃れていた。すぐさま《モリビトルナティック》の針路に戻ろうとするが、やはりというべきか、その推進力にはまるで敵わない。

 

『クロナ……このままでは』

 

 瑞葉の懸念ももっともだ。だからこそ、ここで出し惜しみをするつもりはなかった。

 

「……ミズハ、ゴロウ。エクステンドチャージを使う。システム補助を!」

 

 言うが早いか、《モリビトシンス》は黄金の輝きに包まれていた。眼窩が赤く染まり、瞬時に空間を飛び越える。だがそれだけの速度でも《モリビトルナティック》の高推進力を超える事は出来なかった。

 

 否、本懐は相手を超える事に非ず。

 

『システムクリア。……充填完了! クロナ!』

 

 瑞葉の声に鉄菜は右手のRシェルソードをウエポンラックに仕舞い込む。《クリオネルディバイダー》が拡張し、下部より照準補正用のアームが出現した。アームと右手のマニピュレーターを繋ぎ合わせた途端、全天候周モニターが変化する。高精度照準モードに入った《モリビトシンス》がその矛先を《モリビトルナティック》の背面へと向けた。

 

『させませんよ! 砲撃なんて!』

 

《イクシオンアルファ》が弾丸の勢いでこちらへと迫る。時間もない。鉄菜は右手側のアームレイカーを握り締め、内部に格納されているボタンへと一定のコードを押し込んだ。隠しコードが照合され、《モリビトシンス》の黄金が右側へと充填される。《クリオネルディバイダー》が灼熱に爛れたような純金を纏い、《モリビトシンス》が右手を大きく掲げた。赤く煮え滾った《モリビトシンス》の右盾がリバウンドの瀑布を帯びる。《イクシオンアルファ》からシェムハザが舌打ちを漏らしつつ、リバウンドの砲撃を浴びせかけようとした。

 

「ミズハ! 《モリビトルナティック》撃墜に神経を集中する! 守りは」

 

『任された』

 

『分かっている! 砲撃を仕返すのみ!』

 

《クリオネルディバイダー》の両翼が可変し、リバウンドの砲門が《イクシオンアルファ》を引き剥がす。加えて展開した一時的なリバウンドフォールが相手の猛攻を跳ね返した。

 

『リバウンドフォール……! モリビトの名前に恥じない程度ではある、というわけですか』

 

 システムが出力値臨界を示す中、鉄菜は腹腔より叫んでいた。

 

「エクステンド――ディバイダー!」

 

 放出された赤熱の輝きが《モリビトルナティック》の背筋を割らんと迫る。しかしながらその先端は虚しく空を穿った。

 

『残念ですね! そんなんじゃ、如何に《モリビトルナティック》の図体が大きくたって! 狙い撃つ側の照準精度の粗さじゃ!』

 

《イクシオンアルファ》が再接近を試みようと推進剤を煌かせる。鉄菜は放出した赤いリバウンド力場に対して、アームレイカーを引き上げ、眼前へと掲げた。

 

 シェムハザが消滅しない砲撃の余波に疑念を抱く。

 

『砲撃にしては……随分と残留するリバウンドのエネルギーが……』

 

 疑念を払拭させる前に鉄菜はアームレイカーを押し上げていた。赤熱の輝きがじりじりと動いていく。

 

 砲撃に見えたその瞬きが凝結し、一振りの刃と化した。

 

『砲撃じゃ……ない? これは……リバウンドソードだと言うのか!』

 

 雄叫びを上げ、エクステンドディバイダー――超高出力のリバウンドソードを払おうとする。《イクシオンアルファ》はあまりにも不用意に近づいていたのだろう。

 

 その機体が掠めただけで装甲を磨耗させる。

 

『この熱量……! 射線に近いだけでダメージがあるなんて』

 

《イクシオンアルファ》が制動用の推進剤を全開にして離れていく。赤熱のリバウンドの剣を鉄菜は《モリビトルナティック》の背面に向けて打ち下ろしていた。

 

 十字架の機体に亀裂が走る。

 

 着弾の手応えにそのまま引きずり落とそうとして敵人機の側面武装格納庫が開いたのを目にしていた。

 

 こちらへと注がれるオレンジ色の軌道光条弾。

 

 このまま攻撃を敢行すべきか。あるいは一度離脱して様子を見るべきか――。

 

 そのような迷いが脳裏を掠めたのも一瞬。鉄菜は奥歯を噛み締めていた。

 

「……私は、逃げない。逃げないと、決めた!」

 

 高出力Rソードが十字架を叩き割ろうとする。このままあと十秒もすれば確実に両断出来るだろう。だが、問題なのは出力臨界と敵から殺到するリバウンドの散弾の雨。

 

 エクステンドディバイダーはそうでなくとも血塊炉に負担をかける。ちょっとばかし安定圏に入ったとは言えまだ《モリビトシンス》そのものが危うい代物だ。このまま敵の攻撃を受ければ、それこそ撃墜もあり得るだろう。

 

『クロナ! リバウンドフォールで防ぎ切ろうにも、この数じゃ……!』

 

『手数は相手が圧倒的だな。リバウンドフォールでは弾き切れないのが簡単に概算しても四十発以上はある。《モリビトシンス》は耐え切れないぞ』

 

 瑞葉とゴロウの声に鉄菜はもう少しで敵の核に至るであろう刃を収縮させた。

 

 霧散するエネルギー波に《モリビトシンス》が挙動する。両翼を拡張させて敵の追尾弾幕から逃れていった。

 

 しかしそれは同時に、《モリビトルナティック》に追い討ちをかけるだけの時間を帳消しにした事実に直結する。

 

 散弾が消滅してから鉄菜は繋いでいた。

 

「ゴロウ……敵の損耗率」

 

『三十パーセント以下だ。予測されていた損耗率との誤差はマイナス二十。これでは惑星圏へとそのまま《モリビトルナティック》は墜落する』

 

 そうなれば、訪れる悲劇は推し量るまでもない。鉄菜はアームレイカーを握り締め、ぐっと悔恨を噛み締めていた。

 

 何も出来なかったわけではない。それでも自分の役目はここまでであった、という事実は消せないのだ。

 

『……クロナ。でも《イクシオンアルファ》が出てきたのに比べればこれでも善戦のはず』

 

 伏兵の存在は予見されていたがまさかイクシオンフレームだとは。鉄菜は宙域に視線を走らせる。

 

 デブリが舞う常闇で《イクシオンアルファ》が狙いをつけているのが窺えた。

 

 先ほどのエクステンドディバイダー、通常の読みならばここでただ単に逃げに徹するはずもない。相手がそれなりの野心の持ち主ならば――。

 

 刹那、肌を粟立たせた殺意の波と共に激しくリバウンドの光条が暗礁を引き裂いていく。

 

《モリビトシンス》で下方に逃れた鉄菜は真正面に位置取っている敵機を見据えていた。

 

『先ほどの攻撃……驚かされましたよ。まさかそこまでの性能だとはね。ですが! あれほどの高出力リバウンド兵器! リスクがないわけもなし!』

 

 鉄菜は翼の下にマウントされていたRシェルソードを引き抜く。相手も抜刀し、こちらへと一挙に距離を詰めてきた。

 

 上段よりの打ち下ろした刃を《モリビトシンス》が受け止める。干渉波が瞬く間にも敵の哄笑は止まない。

 

『勝った! 我が方の作戦があなた達を凌駕した!』

 

《モリビトルナティック》は降下軌道に入っている。このままでは惑星圏の重力に間もなく抱かれるであろう。

 

「……一つ、聞きたい。お前達を動かしている大元は、何のために執行者相当の人造血続を造った?」

 

 鍔迫り合いを繰り広げる中、相手が通信先でフッと笑ったのが伝わる。

 

『血続? 執行者? 何を勘違いなさっているんです?』

 

「何だと?」

 

《イクシオンアルファ》が機体を翻し、振り返り様の浴びせ蹴りを見舞う。よろめいた《モリビトシンス》へと下段から刃が迫った。即座に距離を取り、Rシェルライフルを引き絞ろうとして敵機が刃で無理やり銃口を逸らす。

 

『我々は血続ではないのですよ。そうですね……分かりやすく言えば旧時代の遺物。天使達をより高次に達する事の出来た存在とでも言いましょうか』

 

「答えになっていないが、それでもいいんだな?」

 

 問い返した鉄菜にシェムハザが高笑いを上げる。

 

『何が! ここで墜ちるあなたに選択権など!』

 

 打突の構えを取った《イクシオンアルファ》に鉄菜は咄嗟にアームレイカーを引いていた。半身になった《モリビトシンス》が刃を紙一重でかわす。交差したRシェルソードが相手のプレッシャーソードを弾き落とした。

 

 突然の事に敵は状況認識すら遅れているようであった。鉄菜は言い放つ。

 

「――ここで貴様を、撃墜しても。《モリビトシンス》、目標を……!」

 

 振るい上げたRシェルソードの切っ先に《イクシオンアルファ》が右腕をパージする。外された腕から煙幕が舞い上がった。

 

『スモーク! ……ここでは逃げに徹しさせてもらいましょう。嘗めていると怪我をしそうだ』

 

 舌打ちした鉄菜はそのまま刃を打ち下ろす。しかし、もう《イクシオンアルファ》の機影は見当たらなかった。

 

 周囲を見渡し、完全に敵機が消え去った事と、迎撃目標を射程より逃した事を痛感する。

 

「……ミッション失敗」

 

 滲んだ悔恨に鉄菜は怒りを吐き捨てるよりも、今は次の一手を信じる事に決めていた。

 

 元々、自分一人であれだけの質量を破壊出来るとは想定されていない。

 

『あとは……《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》に任せるしかない、か』

 

 こぼしたゴロウに鉄菜は呻くのみであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯240 フルスペックモードⅡ

 逃した、という報に渡良瀬は舌打ちを混じらせていた。

 

「両盾のモリビト……それほどまでの戦力だったと言うのか」

 

 口走った渡良瀬に脳内リンクされた情報が同期される。

 

「エクステンドディバイダー……。なるほど、こんなものが。……だが《モリビトルナティック》の破壊には至らなかった。上々だよ、シェムハザ。機体を無事に帰して来るといい。撃墜ほどの価値はそこまで加味していない。今回はせいぜい、傍観者を決め込ませてもらう」

 

 元々、レギオンとブルブラッドキャリアが開こうとしている戦端。それに一枚噛ませてもらったのみ。言ってしまえばおこぼれに預かれればそれだけでも収穫であった。

 

 敵の奥の手が知れただけマシだ。

 

『しかし……クリエイター。あの人機はただの人機の枠を超えようとしていますよ。それこそ、星を砕きかねないほどの兵器へと』

 

 ふんと渡良瀬は鼻を鳴らす。

 

「存外、連中のほうが性質の悪いのかもしれない。ブルブラッド重量子爆弾……ゴルゴダ。得た情報だけならばそこまでの脅威でもない。対策さえ練れば、な。なに、これから先何十年かは人機の滑空でさえも信じられない時代が来るかもしれない。だが我々のやり方には何の支障もない。それどころか、福音とも呼べる。連邦の姿勢が強化されれば、ラヴァーズなどという根無し草も駆逐出来る。声が通りやすくなれば僥倖」

 

 そうでなくとも、ゴルゴダという兵器自体には魅力を感じる。

 

 レギオンの勝手な主義主張を通すための殺戮兵器だが、使い方次第では何も広範囲汚染と爆発を起こすだけの短絡的な兵器にならずに済む。いつの時代とて爆弾を落とすだけならば猿でも出来た。

 

 自分達は高次存在。爆弾を落とすのではなくせいぜい、利用させてもらうとしよう。

 

『ですが、驚きましたよ。あのモリビトの動き。まるで、あれほどの超高出力R兵装を撃ってもまだ余裕があったかのように……』

 

 シェムハザの危機感はそのままアムニスへの危惧に繋がるだろう。ブルブラッドキャリアは思ったよりもやる。少しばかり脅威判定を上方修正しなければならないらしい。

 

「しかし……解せないな。喧嘩を売ってきたのは向こうも同じのはず」

 

 どうしてブルブラッドキャリアが《モリビトルナティック》の阻止に回る。考えられる理由はそう多くはなかった。

 

『組織内部での離反……、そこまで酷くはないと考えていたが思ったよりも深刻なのかもしれませんね』

 

「……月面を支配に置いた連中と、あの舟の連中は別物、と考えるべきか。だがそうすると違和感が拭えない」

 

『ブルブラッドキャリアはどうして、離反兵をそのまま生かしておくのか』

 

 こちらの疑問を読み取ったシェムハザの言葉に渡良瀬は中軌道ステーションから望める宙域を睨んでいた。

 

 こちらはせいぜいイクシオンフレームを高値で売りつけるだけの算段がつくかどうかの話だが、もし敵が二重三重に枝分かれしているのであれば、つけ入る隙は充分にある。

 

「……仮定の話だが、ブルブラッドキャリア内で相当な考え方の相違があったとして、誰が得をするのか。彼らの目的は……いや、翻ればわたしも、か」

 

 古巣の考えを考察するのにこうも皮肉な結果に相成ってしまったのは自分でも苦笑するしかない。それでも、ブルブラッドキャリア上層部の考えははかりかねていた。

 

『モリビトの大量生産だって出来たはず。だというのに、敵はあくまで月面にもう一つのバベルを隠す、という一点のみであった』

 

「そこに疑問点が収束する。バベルを秘匿し、月面をいつまでも誰の手も及ばない最強の要塞にする事は難しくはなかった。だが、その目論見は外れた。他ならぬ自分達の中から出た膿みによって」

 

 離反兵に対しての処分が手ぬるいのだ。本当に月面を譲渡したくなければ殲滅戦を挑んでもまだ足りないはず。

 

 相手は強襲揚陸艦一隻。どうとでもなったはずなのに、ブルブラッドキャリアはそうしなかった。その理由を鑑みると、渡良瀬はとある推測を浮かべていた。

 

「……もしや、ブルブラッドキャリアは自浄作用を期待しているのか……?」

 

『自浄作用……、組織内部を一本化するとでも?』

 

「しかし、それだと語弊があるな。離反兵そのものが、そもそもブルブラッドキャリアに生まれた澱みそのもの……。離反兵を一掃すればすぐに事は成せる。だが、あくまで放置し、月面への侵攻をよしとした。……どこか、誰かの意思が垣間見える……」

 

『まさか。何者かがブルブラッドキャリア上層部駆逐を狙っているとでも? その尖兵に、いつの間にか離反兵が?』

 

「駆り立てられているのだとすれば、恐るべきなのは凄まじい能力を誇るモリビトでも、あるいは今まさに惑星へと落ちようとしている罪の証そのものでもない。……地上で何かあったな? その結果、月面を上層部の考えよりも早く発見した。……いや、探し出した、というべきか。月面の存在はしかし、バベルの底の底……第七深層レベルの情報のはず。そこに至るのには我々調停者レベルの脳内リンクがなければ……」

 

 そこまで口にして、まさかと渡良瀬は硬直する。

 

 シェムハザはその沈黙を悟ったようであった。

 

『……調停者の誰かが裏切った、という可能性は……?』

 

「いや、ない。あり得ないはずだ! 調停者は死んだはずの水無瀬、今も行方を晦ませている白波瀬……そしてわたしだけのはず。だというのに、この見立てでは……調停者が存在する事になってしまう……」

 

 そうだとすれば地上のどこかで調停者が人知れず設計されていた事になる。渡良瀬は深呼吸を一つしてから、考えを纏めようとした。

 

「地上勢力のどこかが……調停者を造ったというのか……地上の蛮族の技術で……」

 

『クリエイター。ひとまず戦闘領域を離脱しました。このままゴルゴダとの合流ポイントまで向かっても』

 

「いや、君は帰投しろ、シェムハザ。如何にイクシオンフレームが安価で製造可能とは言え、何度も失うのは旨味がない。それに……これは内偵を放つ必要があるかもしれない」

 

 身内の裏切りを加味するのが最適解ではある。しかし、そう考えると浮かんでくるのは一つ。

 

 ――自分が上回られた。

 

 その事実だけはどうしても認められなかった。ブルブラッドキャリアを切り、元老院を利用して《キリビトエルダー》の製造まで漕ぎ付けた自分が、まだ何者かの掌の上であったなど。

 

「……ふざけるなよ。ドクトルじゃないんだ。あの人の右腕であった渡良瀬は死んだ。これからはわたしが……クリエイターだ」

 

 創造主の声音を伴わせ、渡良瀬は宙域を睨み据えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気味が悪い、と兵士から苦言が漏れる。

 

 常闇に紛れないように赤い塗装が施されたバーゴイルを兵士達は歓迎しなかった。血塊炉を擁する腹部が異常発達しており、手足はそれに比すれば赤子のように短い。

 

 あれはバーゴイルとは呼べない、と数名が口にしていた。

 

 ローカル通信でぼやきが交わされる。

 

『今時、旧世代のスカーレットを利用するなんて……上も変わった事を考えたもんだな』

 

『それもこれも、ブルブラッドキャリアの宣戦布告のせいだろ。質量兵器を落とすって言ってるんだ。そいつはもう、この星がどうなっちまうか分からないってもんだぜ』

 

『どうなのかねぇ……、本当のところ。踊らされているのは同じかもしれないが……』

 

 濁した兵士は牽引されているバーゴイルスカーレットを視野に入れていた。お上の考える事は分からない。それで済ませてもよかったが妙な胸騒ぎがする。

 

 周囲へと熱源を探っていた複座式のバーゴイルがその眼球を一点に留めた。

 

『……ちょっと待て。ポイントD2までの距離は?』

 

『ちょうど五分圏内だが』

 

 前衛を務めるバーゴイルを伴い、複座の探査型バーゴイルが前に出ていた。プレッシャーライフルの銃身を振ったバーゴイルがハンドサインを送る。

 

『何があったって言うんだ? 質量兵器との会敵速度にはまだ』

 

『いや……妙な熱源が捕捉されて……。モニターに同期する』

 

 前衛のバーゴイル乗りが投射画面に入れていたのは楕円の形状をした構造物であった。

 

 しかし、大きさは通常人機と同程度。質量兵器とは思えない。

 

『……何だ? 繭……?』

 

 白亜の装甲からそう推測したバーゴイル乗りに繭が突然に開いた。殻を思わせる装甲が四枚に分裂し、可変翼となって一機の機体を支えている。

 

 その人機の識別信号にバーゴイル乗りは目を見開いていた。

 

『モリビト……? しかしあんな機体は……』

 

 慌ててアンヘルとの信号同期に入ろうとする。その刹那、敵の機体が大型の砲身を構えた。充填されていくリバウンドの光子エネルギーが渦を巻き、流転し、エネルギーの波動となるまでの時間は今まで観測したどの兵器よりも素早い。

 

 こちらが回避運動に入る前に、放たれたピンク色の光軸が闇を引き裂き、前衛のバーゴイルを蒸発させた。

 

 複座のバーゴイルが慌てて離れ、全部隊に信号を放つ。

 

『敵機発見! 目標は高出力R兵装を保持! アンヘルの出動を乞う! 繰り返す……、目標は高出力R兵装を保持!』

 

 照準をつけ直した敵機が複座のバーゴイルを狙おうとする。しかし、策敵機であるこの機体にはアンチブルブラッドの煙幕弾が装填されており、この時それは正常に作動した。

 

 血塊炉を用いる誘導兵装ならばこれで眩惑出来るはず。そう判じていたバーゴイル乗り二人はほとんど誤差もなく、高出力のリバウンドエネルギーの束がすぐ傍を掠めたのに背筋を凍らせた。

 

『どうして……、ロックオン出来ないはずだ!』

 

『それに……こんな素早く装填なんて現状の人機では……。どういう兵器の理屈だって言うんだ!』

 

 逃げ出そうと姿勢制御バーニアに火を点け、身を翻したバーゴイルの背筋を再発射された光線が破る。

 

 超電磁リバウンドの羽根をもがれた形のバーゴイルが手足をばたつかせて宙域をもがいた。上へ下へと流れていく視界の中、四枚の甲殻を翼のように展開した敵機が甲殻の外側から誘導兵器を掃射していた。

 

 アンチブルブラッドの煙幕を貫通したミサイルが突き刺さり、内側から装甲に潜り込んで爆ぜさせる。

 

『この兵器は……ブルブラッド内蔵連鎖炸薬? こんなもの、どうやって……!』

 

 そこから先の言葉は爆発の光に遮られていた。

 

 他のバーゴイル乗り達が先行した策敵機の撃墜にうろたえる。

 

『何が起こりやがった!』

 

『モリビトだ! モリビトが来ている!』

 

『単騎だろ、ビビッてるんじゃ――』

 

『ところが、単騎じゃないんだよね』

 

 通信に割って入った少女の声音と共にバーゴイル編隊へと潜り込んでいたのは甲羅付きのモリビトであった。オレンジ色の眼窩を煌かせ、緑色の斧を払う。バーゴイル乗り達が一斉にプレッシャーライフルを引き絞った。中には重火力装備のバーゴイルも編成されていた。

 

 ミサイルや炸裂弾が殺到する先にいたモリビトは巨大な手甲を保持している。全身に纏った鎧をモリビトが内側に引き寄せた。機体を中心軸に保持したまま、装甲板が回転する。

 

 回転軸から電磁が放出されこちらのプレッシャーライフルを弾き返していた。反射された形の火線がそのままバーゴイルを焼き払っていく。

 

『リバウンドフォール……。まさかあの機体、全身がリバウンド装甲で出来ているのか!』

 

 生き残ったバーゴイルへと回転をやめたモリビトが睨み据える。

 

 否、リバウンド装甲だけに非ず。

 

 内側からせり上がった装甲の継ぎ目にはミサイル弾頭が密集している。

 

 まず手甲から放たれたミサイルが青白い軌跡を描いてバーゴイルへと発射された。激しく推進剤を焚いて逃げおおせようとするバーゴイルだが、それでも敵の誘導兵器の速度が遥かに凌駕している。

 

 抵抗虚しく、機体が爆発の炎に抱かれ、一条の光線に血塊炉が貫かれる。

 

 幾重にも装甲を着込んだ重装備のモリビトは内側に精密狙撃用のライフルを抱えていた。

 

『こいつ……どれだけ武器があるって言うんだ!』

 

『さぁ! 存分に驚いてくれよ。それでこそ、この機体の華々しい初陣になる! ボクと、《モリビトイドラオルガノンカーディガン》の!』

 

 甲羅が拡張し、手足に仕込まれた砲弾や銃弾が全宙域を照準する。ロックオンの警告が幾重にも響いたのは地獄としか言いようがなかった。

 

『マルチロックオン、フルバースト!』

 

 放たれたミサイルや銃弾が幾何学の軌道を描いてスカーレットを守っていた機体達を灰塵に帰していく。

 

 逃れる術を持たず、バーゴイルの十機編隊近い精鋭部隊はことごとく破壊と蹂躙に踏み潰されていた。

 

『くそっ……だったら!』

 

 一機のバーゴイルが殺到するミサイルから逃れ、推進剤を全開にしてもう一機のモリビトへと駆け抜けていく。

 

『こっちを潰すまでだ!』

 

 引き抜いたプラズマソードが青く輝きを刻みながら白亜の翼を広げたモリビトへと振るい落とされた。

 

 剣筋と砲門が干渉し、火花を散らす。

 

『それだけ大振りならば!』

 

 プラズマソードを捨て、バーゴイルがモリビトの背後へと回り込んだ。確実に死角だと判じたバーゴイル乗りの眼前に迫っていたのは甲殻の翼の内側より迫る無数の支持アームであった。

 

『隠し腕、だとぉっ!』

 

 支持アームがバーゴイルを押さえ込む。細腕の支持アームでありながらがっちりとくわえ込んでおり、バーゴイルには逃れる術がなかった。

 

 そのまま振り返ったモリビトがゆっくりとリバウンドの砲門を頭部コックピットへと向ける。

 

『や、やめろぉっ!』

 

『やめろと言われて、止めていたんじゃ、もうとっくにやめているわよ』

 

 内側からリバウンドエネルギーが充填され、直後、放たれた光の瀑布によってバーゴイルの上半身は跡形もなく蒸発していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『えっげつないの、桃姉』

 

 通信網に聞こえてきた林檎の囃し声に冷静に返す。

 

「聞こえているわよ、林檎」

 

『あっ……ゴメン』

 

『林檎ってば、いくらリバウンド装甲が理論上は無敵だからって、無茶しすぎだよ。こんなんじゃどれだけ敵をさばけばいいのか分からない』

 

 蜜柑の苦言に林檎は口笛を吹かす。

 

『勝ったからいいじゃん』

 

 そう口にするだけの事はあって、装甲を多重に纏ったように映る《イドラオルガノン》は周囲一帯の敵を確実に潰していた。

 

 自分は、と言えば未だに機体制御にばかり時間を割く。

 

 コンソール上の数値と、実際の機体の流れ方では随分と差があった。

 

「急造品、って茉莉花は言っていたけれど、その通りみたいね。この多重装甲」

 

《ナインライヴス》を保護する形で四枚の翼型のバインダーが伸びている。甲殻のように堅牢な防御を約束する形には意図があるそうだ。

 

 曰く、「砲撃特化の《ナインライヴス》の長期運用に耐え得る装備」と。

 

「拠点制圧用って言っても、限度があるからって言ったんだけれど、それも込みで解決してくれたってわけ。恐れ入るわ。この四枚のバインダー、サブ血塊炉が入っている。お陰様で《ナインライヴス》に今までつき物だった貧血はまるで兆候もなし。加えてRランチャーの次弾装填までの時間の極限までの短縮に、速射モードの追加……」

 

 ため息が漏れる。ここまで至れり尽くせりだと作戦失敗などしてくれるな、と圧力をかけられているようであった。

 

『いい事尽くめじゃん。さぁーて。止めよっか。まずは生き残ったスカーレットを』

 

《イドラオルガノン》が攻撃を加えようと構えるがバーゴイルスカーレットは身動きさえもしない。

 

 やはり読み通りの無人機。さらに言えば、咄嗟の回避運動も出来やしない。

 

「……林檎。手はず通りに行くわよ。クロが月面で相当に頑張ってくれたはずだから、《モリビトルナティック》は損耗しているはず」

 

『どうかな? 全然食らっていないかもよ?』

 

 先ほど鉄菜よりメールが入っていた。そこには敵機の損耗率と、撃ち漏らしたという事実が列挙されていたが、林檎達にはあえて共有化していない。知らないほうがいい真実もある。

 

 彼女らの闘争の種を教育係である自分が作ってどうするというのだ。

 

 嘆息を漏らし、桃は《ナインライヴス》の新たなる姿の名を紡いだ。

 

「《モリビトナインライヴスピューパ》。これより惑星圏内に入るであろう、《モリビトルナティック》の迎撃を行う。そのためには、各所に配置されたバーゴイルスカーレットの確保」

 

《イドラオルガノン》が用意されていた推進装置をスカーレットに装備させていた。静かに戦局を離れていくスカーレットを見送りながら、桃は《ナインライヴス》を支える四枚の翼を内側に固定させる。

 

 まさしく「繭」の様相を呈した《ナインライヴス》は甲殻に備え付けられている補助推進バーニアに点火する。直後、宇宙の常闇を弾丸のように疾走した。

 

《ナインライヴス》の機動性能の確保。それもこの《ナインライヴスピューパ》の課題であった。今までの機体では砲撃位置につく事さえも難しかった《ナインライヴス》にとって、一気に距離を詰められるこの追加装備はまさしく理想である。

 

 加えて言うのならば、甲殻じみた追加装甲は飾りではない。

 

 敵の集積地点がぐんぐんと迫ってくる。今度はバーゴイルなどという生易しい敵ではなかった。

 

「……予測ポイントまで残り二十セコンド。《ナインライヴスピューパ》。このまま突っ切る!」

 

《スロウストウジャ弐式》部隊がプレッシャーライフルを構えていた。矢継ぎ早に発射された光条を装甲が弾いていく。暗礁の宇宙に火線が舞い遊んだ。

 

 その中心地に向けて放たれていく繭の形状をした《ナインライヴス》が一気に敵地のど真ん中で制動用の推進剤を焚いた。

 

 急速に胃の腑を押し上げるGはこれでも軽減したほうだという。それでも、桃は一瞬のブラックアウトは余儀なくされた。

 

 奥歯を噛み締め、《ナインライヴス》の甲殻を開く。四枚の羽根を慣性機動に用いて《ナインライヴス》は四方八方を《スロウストウジャ弐式》に囲まれた宙域でRランチャーを保持していた。

 

「……照準、発射!」

 

 放たれたリバウンドの光軸をそのまま薙ぎ払う。何機かの敵人機は巻き込めたもののやはりアンヘルの精鋭となれば話は違ってくる。上方と下方に散開し、それぞれの角度からこちらを狙い澄ましてくる速度も精密さも健在。

 

 自分は格好の獲物だろう。敵陣にむざむざ飛び込んだ馬鹿に見えたかもしれない。

 

「――でも、残念ね。今回ばかりは! 獲物はそちらよ! 《ナインライヴスピューパ》!」

 

 手に保持されているRランチャーを支持アームが肩代わりし、代わりに甲殻の内側より引き出したのはRハンドガンである。取り回しの強い銃撃が敵人機を打ち据えた。四方八方を敵に囲まれた中で、弾幕が張られ敵をうろたえさせる。

 

 支持アームがRランチャーを放射する。桃は別窓を開き、バインダー内部より新たな武装を取り出していた。

 

 四枚のバインダーの内側で四つに分割された武装が連結されていく。合体を果たしたのは《ナインライヴス》の全長を凌駕するほどの大砲門。

 

「Rハイメガランチャー。敵人機部隊を一掃する!」

 

 Rハイメガランチャーの内側に赤と青の輝きが充填されていき、直後、広大な爆炎が敵人機部隊を焼き払った。

 

 無数の光の輪を発生させながら、《ナインライヴス》が敵を撃墜していく。無論、敵からの応戦の銃撃はあったが、それらを防御せしめたのは甲殻の防御力である。

 

「嘗めないでよね。リバウンドフィールド装甲を!」

 

 自動防衛システムが《ナインライヴス》に鉄壁の防御を敷き、全く別方向を射抜くRランチャーの勢い共々に押され、敵の部隊が退いていく。

 

 ハンドサインを送りつつ撤退する敵機に追いすがるほどの執念はない。

 

「いい子。これで、敵の包囲は取り払った。スカーレットを確保に入る」

 

 予想通り、敵陣の只中にバーゴイルスカーレットが用意されていた。桃は息をついて次のポイントへと指示を飛ばす。

 

「林檎、あと一ポイント。それさえ押さえれば」

 

『ボクらの勝ちでしょ? 案外、余裕じゃん。《イドラオルガノンカーディガン》! 敵陣に分け入る!』

 

《イドラオルガノン》がまだ敵の包囲の強い場所へとその重装備を感じさせない機動力で割って入った。敵人機からのプレッシャーライフルの洗礼に、リバウンドの装甲板を輝かせて反射攻撃を行う。

 

『リバウンド、フォール!』

 

 跳ね返った銃撃を受けたのはしかし数機程度。やはり熟練度の域においてアンヘルを凌駕するのはまだ難しそうだ。

 

「でも、これで二個の爆弾はモモ達の管理下に入った。茉莉花、そっちでモニター出来る範囲には?」

 

 通信を繋いだ茉莉花が忙しくキーを打ちつつ応対する。

 

『あと一個……のはずよ。少なくとも急造品で用意出来る数としては、ね』

 

 含むところのある声音に桃は尋ね返していた。

 

「……隠し玉の存在を?」

 

『否定は出来ない。三つ押さえれば終わり、なんて都合よく話が進むともね。それでも、こっちでは充分に計算をしているんだけれど……バベルの概算する距離があまりにも離れていて……』

 

「《モリビトルナティック》は、まだ有視界には入らないわ。クロは結構……」

 

『エクステンドディバイダーを使ったんだし、それなりの戦果は、ね。ただ、それでも《イクシオンアルファ》を振り払えなかったのは痛いけれど』

 

 今の《モリビトシンス》の援護は得られまい。桃はRハイメガランチャーの次弾を装填し、焼き切れたヒューズを交換する。

 

 撃鉄を起こし、いつでも戦闘部隊が現れてもいいように準備する。平時より数倍のパフォーマンスを実行する《ナインライヴス》はほとんど息切れ状態だ。このままでは全システムの掌握も儘ならない。

 

「……まだまだ、慣れてはくれないか」

 

 それでも、可能性を手に入れられただけマシだ。《ナインライヴスピューパ》ならば最大出力でRハイメガランチャーを照射すれば《モリビトルナティック》を破砕出来る試算はある。

 

 問題なのは目標の損耗率と、こちらの状況。アンヘルの第一隊は撤退に入ったが、《イドラオルガノン》が戦っている第二布陣だけで終わるとも思えない。

 

 必ず、本隊がやってくるはず。

 

 それに備えなければ、今は戦い抜いたとは言えない。

 

 桃はRハイメガランチャーを携え、戦場を睨んだ。

 

「……必ず、戦い抜いてみせる」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯241 激戦の渦中

 

《イドラオルガノンカーディガン》のコックピットは平常時よりもなお色濃い緊張に包まれていた。

 

 それもこれも、この形態がガンナーとウィザードの連携を今まで以上に必要とするからである。ガンナーである蜜柑はこちらには一瞥もくれず、ずっと照準補正に回っていた。

 

 マルチロックオンシステム。茉莉花の提唱した新たなる武装は《イドラオルガノン》に常勝の翼を与えた。敵人機が一度でも射線に入れば《イドラオルガノン》に備え付けられた無数のロックオンサイトが照準し、内奥に備えたミサイルを掃射する。

 

 以前までと確実に異なるのは機体追従性だ。自分の思い通りに《イドラオルガノン》が機動するのは素直に快適であった。戦場の昂揚感も相まって林檎は今の機体に無敵という感情を抱く。

 

 この姿ならば鉄菜をも超えられるであろうという自負。

 

「やれる……今の《イドラオルガノン》なら! ボクらは飛べるんだ!」

 

 飛び込んできた《スロウストウジャ弐式》へと《イドラオルガノン》は真っ直ぐに突き進み、Rトマホークを払った。出力の向上した緑色の斧が《スロウストウジャ弐式》のプレッシャーソードを弾き返し、そのまま血塊炉へと一撃を叩き込む。

 

 すぐさま別の敵を見つけた蜜柑が反対側へとミサイルと銃撃で弾幕を張った。うろたえた形の敵機へとすぐさま振り返り様の一閃。両断された敵人機を視野に入れ、林檎は鼻を鳴らす。

 

「こけおどし! こんなの、お遊びじゃん!」

 

「林檎、あまり接近し過ぎないで。敵を狙い難くなる」

 

 先ほどからスコープを覗きっ放しの蜜柑は精密狙撃と拡大した策敵範囲に意識を割かれているようであった。

 

 そんな状態の妹に、言ってやる事はなかったが、林檎はあえて口にしていた。

 

「今の《イドラオルガノン》なら、あんな旧式には負けない」

 

「ダメだよ、林檎。鉄菜さんだって任務がきっちりあって、それを果たしてくれたんだから」

 

「わかんないじゃん。ひょっとしたら《モリビトルナティック》を破壊出来なかったのかも」

 

 その言い草に蜜柑は嘆息をつく。

 

「……どうしてそういう考え方しか出来ないの? それに、ミィ達は敵地のど真ん中にいるんだよ? 油断なんて一瞬でもすれば」

 

 熱源反応に林檎は腕を払わせる。リバウンド装甲がプレッシャーライフルの光条を跳ね返し、振るった勢いで推進剤を全開にする。

 

 後退しながら銃撃を見舞う相手に、林檎は容赦のない一閃を浴びせかけた。頭部から一刀両断。完全に引き裂かれた《スロウストウジャ弐式》がスパークの火花を散らせて爆発する。

 

「……こんなのでも?」

 

 にやりと笑みを浮かべる。蜜柑はしかし、それを推奨しなかった。

 

「……だからあまり近づき過ぎないでってば。敵を捕捉し辛い」

 

「ちまちま遠隔戦なんてしていたら時間オーバーしちゃうよ。せっかく敵の攻撃が効かなくなったのに」

 

「効かなくなったわけじゃないよ。一時的なリバウンド効果による反射膜の構築と、リバウンドフォール有効範囲の拡大。……プレッシャーソードなんかは弾けないんだから」

 

「そんな高出力機、出てくるわけないじゃん」

 

 ふんと鼻を鳴らした林檎はこの編隊が守り通そうとしているスカーレットを目にしていた。《スロウストウジャ弐式》が四機編隊を組んで出来るだけ距離を稼ごうとする。

 

 そうはさせない、と林檎は《イドラオルガノン》を突き進ませようとした。

 

 フットペダルを踏み込み、相手へと至近の攻撃を浴びせかけようとする。振り上げたRトマホークが攻撃の光を帯びたその時、不意打ち気味に接近警告がコックピットを劈いた。

 

「接近? 何が……!」

 

 衝撃がコックピットを激震させる。蜜柑が悲鳴を上げた。

 

「何!」

 

「実体攻撃……、この刃は……」

 

 伸長してきた蛇腹剣の一撃に、林檎は敵を睨み据える。払われた一撃の主がX字の眼窩をぎらつかせた。

 

「《ラーストウジャカルマ》……、この人機は!」

 

『……さない』

 

 接触回線より漏れ聞こえた声に林檎は目を見開く。《ラーストウジャカルマ》を操る怨嗟が脚部の蛇腹剣を放出していた。

 

『全てを奪ったブルブラッドキャリアを! あたしは絶対に! 許さない! お前らは、ここで墜ちろォッ!』

 

 打ち下ろされた一撃を回避し様にミサイルを掃射しようとして、前面より迫ってきた脚部蛇腹剣に圧倒される。

 

 ただの機体性能の是非ではない。恩讐とでも呼ぶべき代物が、あの人機をスペック以上に駆り立てている。

 

「冗談! 今さら許されようなんて!」

 

 袖口に隠し持っていたナパーム弾を投擲し、蛇腹剣の拘束を解く。見据えた刃の先にいる敵に、林檎は舌打ちしていた。

 

「こんなところで……、墜ちられるわけ、ないだろ!」

 

 Rトマホークと敵人機の扁平な刃が干渉する。スパーク光が眩く焼きつく中、敵が怨念を浴びせかける。

 

『どうして! あたしを裏切った! にいにい様を、殺したんだ! 鉄菜ァッ!』

 

「鉄菜? ボクはあんな低級血続じゃない!」

 

 ここに来てまさか鉄菜の名前が出るとは思っていなかった林檎はそのまま叫び返していた。《ラーストウジャカルマ》が他の人機の編成を他所にこちらへと間断のない応酬を見舞う。

 

 ここまでの執念、ただの一個人にしては強烈であった。

 

「蜜柑! アンチブルブラッド爆雷で距離を!」

 

「やっているけれど! 隙がないんだってば!」

 

 敵から浴びせられる刃の波に、林檎は歯噛みする。ここでも自分の至らなさが痛感させられるなんて。

 

「……ボクが劣るって? あんな旧式に! 劣るわけないだろ!」

 

 Rトマホークを回転させて弾き返し、その機体へと突撃をかけようとして桃の制止の声が響き渡った。

 

『林檎! 今はそいつに構わないで! 爆弾の回収を!』

 

「そう言われたってさ! 相手はやる気満々なんだ、ここで墜とさなくっちゃ、絶対にヤバイ!」

 

 禍根が残る戦いをするべきではないという第六感が働く。しかし、桃の命令は絶対であった。

 

『命令よ、林檎。その一機にかまけている間に、敵陣がまた集り始めている。冷静さを取り戻されればそこまでなのよ。こちらは所詮、寄せ集めなんだからね』

 

 それも理解はしているつもりであった。だが、眼前の敵を墜とせずして、何がブルブラッドキャリアか、何が血続か、という意地がある。

 

 林檎は猛攻を浴びせかけようとしたが、その途中で蜜柑がアンチブルブラッド爆雷を点火させた。

 

《ラーストウジャカルマ》とこちらの距離が開いていく。

 

「蜜柑! やらなくっちゃやられるのに!」

 

「さっき林檎が言ったんでしょ! それに、桃お姉ちゃんの言う通りだよ。一機に集中すれば編隊を組まれる。そうなってしまえば不利なんだよ? そんな事も分からないの?」

 

 妹に説教をされるいわれはない。林檎はアームレイカーを引いていた。

 

「こんなところで! 敵に押されている場合じゃないんだ!」

 

「だから! 状況を立て直すんでしょ! 林檎、落ち着いて!」

 

「ボクは落ち着いている!」

 

 言い返しながら、ここで蜜柑相手に時間をかけたところ、無意味であるのをどこか冷静な頭が悟っていた。

 

《ラーストウジャカルマ》を相手取っている時間も惜しい。爆弾を押さえなければいずれにせよ、こちらの破滅なのだ。

 

「……ミィが先導する。林檎は《イドラオルガノン》の機体制御に意識を割いて。他の事はやらなくっていい」

 

 冷たく切り捨てた声音に林檎は奥歯を噛み締める。

 

「……何なんだよ。みんなして、ボクを否定するって言うのか」

 

《イドラオルガノン》が爆弾を囲っている敵陣へと踏み込む。蜜柑の精密狙撃が《スロウストウジャ弐式》の編成に乱れを生じさせた。その隙に一気に敵の包囲網の中に入った《イドラオルガノン》が全身からミサイルを掃射する。

 

 誘導兵器の威力とアンチブルブラッドの効力によって敵が散開した。爆弾は眼前にある。

 

「《イドラオルガノンカーディガン》、目標の回収を完了。……これでいいんでしょ」

 

 どこかやけっぱちな声に蜜柑は返答しなかった。

 

『よくやってくれたわ。でも、《ラーストウジャカルマ》がそこにいるのよね? 少しでも引き剥がさないと邪魔をされるわ。《ナインライヴス》が今すぐに向かって――』

 

 その言葉尻を引き裂いたのは策敵反応であった。

 

《ナインライヴス》と敵性人機が戦闘にもつれ込む。

 

「識別反応……《イクシオンベータ》……」

 

 前回の近接戦闘機か。林檎は爆弾を視野に入れつつ、どう行動すべきか思案する。

 

 少しでも退けば《ラーストウジャカルマ》の射線に入る。しかし《ナインライヴス》を支援するほどの余裕もなし。

 

 このままでは――。そう感じていた矢先であった。

 

《ナインライヴス》に仕掛けていた《イクシオンベータ》を砲撃が引き剥がす。

 

「……来た」

 

 蜜柑の声に対空弾幕を張る《ゴフェル》の姿が大写しになった。こちらへと真っ直ぐに向かってくる船体に《ナインライヴス》が戦闘領域を離脱し、艦の防御に入る。

 

『爆弾の先行部隊を引き剥がしてくれたお陰で好位置に入れたわ。艦の接近を勘付かれなかったのもある』

 

 ニナイの声に林檎は返していた。

 

「でも、《ラーストウジャカルマ》が……」

 

 懸念の人機は他の部隊に取り押さえられていた。どうやら相手方としても《ラーストウジャカルマ》の暴走は意想外であったらしい。

 

『このまま《ゴフェル》は爆弾を回収後、《モリビトルナティック》の落着を阻止します。《ナインライヴスピューパ》、それに《イドラオルガノンカーディガン》は予め伝えておいた編成に入って』

 

 了解の復誦が返る中、林檎だけが納得しかねていた。

 

 このまま自分達の取り分もなしに帰還というのはただ単に癪に障る。そう感じていた心の内側を見透かしたように茉莉花が声にしていた。

 

『撃墜数が今は物を言うわけじゃないわ。戻りなさい、《イドラオルガノン》とその操主』

 

「林檎……」

 

 ようやく精密狙撃のスコープから視線を外した蜜柑の窺う眼差しに、林檎は頷いていた。

 

「飲み込むしかないんだろ。……了解」

 

 推進剤の青い軌跡を棚引かせつつ、《イドラオルガノン》は《ゴフェル》の甲板へと降り立つ。《ナインライヴスピューパ》も艦の守りに入っていた。

 

『よくやってくれたわ。上出来よ、林檎、それに蜜柑』

 

「……そりゃどうも」

 

「林檎、機嫌が悪いからって桃お姉ちゃんにそんな言い草……」

 

「別に。機嫌が悪いわけじゃない」

 

 子供じみた抗弁にも桃は殊更言葉を投げてくるわけではない。だが、今はそれが逆に癇に障った。

 

『そういう時もあるわ。気にしないで、蜜柑』

 

「……何だよ。これじゃ、蜜柑のほうが大人みたいに……」

 

 愚痴っている間にも状況は転がる。艦内よりもたらされた伝令に林檎は姿勢を沈めさせた。

 

『全機、爆弾の回収ルートには入れたわね? これより《モリビトルナティック》を完全に破壊するためのミッションに入ります。ブルブラッド重量子爆弾の威力は底知れないけれど、それを単純に破壊のみに留めれば、利用可能なはずよ』

 

「……要は、さ。敵の作った爆弾で敵の作ったレールに乗る、って話じゃないか」

 

「でも、そうじゃないと《モリビトルナティック》の落着で大きな被害が出ちゃう。敵の重量子爆弾も解析すれば、次からは優位を打てるかも」

 

「次って……そう容易く次なんて用意してくれるのかな」

 

 疑問は尽きなかったが、林檎はようやくこちらとの会敵コースに入った《モリビトルナティック》を見据える。

 

 十字架の天辺を失った形ではあったが、半分ほどの質量は保ったままだ。鉄菜が撃ち漏らした、という感触に林檎は舌打ちする。

 

「……旧式がやった失敗は棚上げか」

 

 その悔恨は墨のように林檎の胸中に黒々と広がっていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯242 灼熱の憤怒

 

《ラーストウジャカルマ》を制した一機の《スロウストウジャ弐式》に、燐華は声を荒らげていた。

 

「離してください! 離して! あたしがブルブラッドキャリアをやらなくっちゃ、だって思い出が……あの日々が偽物だって……だからァッ!」

 

 機動をかけようとした機体を相手の人機が強く縛る。まるで人機の弱点を知り尽くしているかのような動きに燐華は閉口していた。

 

『落ち着くんだ。ヒイラギ准尉。その機体、手離すのは惜しいはずだろう』

 

 その声の主に燐華は硬直する。

 

「アイザワ……大尉……」

 

『遅くなってすまない。おれが前の戦闘に割って入れたらもうちょっとマシだったかもしれないのにな。……隊長は……』

 

 濁した口振りに燐華は面を伏せる。

 

「そう、そうだよ……隊長を……にいにい様を殺した。あの人機を! あのモリビトを許しちゃいけないんだ!」

 

『落ち着けって。おれも大した事は言えない。アンヘルに入ってしまえば連邦の仕官としての肩書きなんて紙切れだからな。だがそれでも、おれは納得の上でその機体を渡したんだぜ? ここでむざむざ墜とすためじゃない』

 

 強い語調に燐華は言葉をなくしていた。むざむざ撃墜される。そのように映ってしまっていたのか。

 

 玉砕覚悟で戦っているわけではない。それどころか、生き延びて、泥水をすすってでもブルブラッドキャリアには報復しなければならない。気が済まない身分のはずだ。それなのにモリビトを目にすれば冷静さを欠いてしまう。

 

「……そんなに危うく……見えましたか?」

 

『ああ。危うい。それにこの戦闘領域で深追いは禁物だ。見ろ、あれを』

 

 同期された望遠映像に燐華は視線を投じる。粉砕された十字架の質量兵器がまさに軌道上に迫ろうとしていた。

 

 そのスケール比は月面で一度目にしたとは言え、やはり途方もない。あんなものを星に落とそうというのかと改めて絶句する。

 

「これが……ブルブラッドキャリアの、やり方だって言うの」

 

『連中はそのつもりだ。だからこそ、おれ達が冷静かつ迅速に行動しないといけない。アンヘルの名は伊達じゃないんだろ? 見せてくれよ、その実力を』

 

 ぽんと背中を押すような気楽さでありながらも、しっかりとこちらを守ってくれる頼もしさを漂わせたタカフミの声に燐華の中で燻っていた敵意が凪いでいく。

 

 ――まだ、こういう人が組織にいるのか。

 

 隊長を失い、自暴自棄に陥った自分をまだ立て直せると思わせてくれる。だがそれは虚飾。失ったものは二度と戻っては来ないのだ。

 

 自分の元の名前、兄という掛け替えのない存在、そして鉄菜という無二の親友――。

 

 何もかもを失ってしまってからその価値に気づける愚か者。

 

 それが自分なのだ。だからこそ、今回ばかりは失うだけの戦いはしたくなかった。全てがこの手からこぼれ落ちてしまうのならば、無理やりでも掴んでみせる。未来を、この手に栄光を。

 

 そのためなら何でもやろう。どのような泥でも被ろう。それこそが自分にだけ出来る抵抗なのだから。

 

《ラーストウジャカルマ》を手に入れたのは何も伊達や酔狂の行動ではない。自分が真に覚悟した上で立ち向かいたいと思えたから。だからこの力を手に入れたのに、何もかもこの手から消え去ろうとしている。

 

 コックピットの中で燐華は胸元を押さえて嗚咽した。

 

「隊長……、隊長はだって、にいにい様だったんでしょう? なら……あたしをずっと守ってくれたのに……なのにあたし……何も出来なかった! にいにい様を二度も失ったなんて……!」

 

 抑え切れない感情の堰が涙として頬を伝う。タカフミの機体は隊列を離れようとした他の機体を諌める。話だけには聞いていたがC連合のリックベイ・サカグチの正等後継者なだけはある。他者を纏め上げるカリスマ、それに度量は今まで見てきたどのような操主よりも優れているように思えた。

 

 その時、一機の《スロウストウジャ弐式》が接触回線を接続させる。

 

 ヘイルの機体であった。また小言を言われるのだろう、と身構えていた燐華にヘイルは何か言いかけて何度も口をつぐむ。

 

『……お前、本当に一人で戦い抜くつもりなのか?』

 

 だからか、思わぬ質問であった。ヘイルはいつでも自分を下に見ている。自分なんていないほうがいいといつでも吹かしていたのはヘイルのはずだ。

 

 その彼がどこか毒気が抜かれたような事を口にする。

 

「……あたしは、戦い続けるしかありません。隊長の意思を、無駄にしたくないんですから」

 

『……気持ちは分かる、なんて軽率に言うつもりはねぇよ。でも、そんなの……隊長は望んでいるのかよ。あの人は本当に、いつだって感情優先で、他人の事ばっかり考えていた。でも、あの人が他人の目を気にしていたわけじゃないのは、一番に知っているだろ』

 

「だからって、仇討ちをしないのは信条にもとります」

 

 こちらの揺るがぬ決意にヘイルはうろたえた様子であった。

 

『……ンだよ、ヒイラギの癖に……。お前が隊長の分を背負うって言うんなら、俺も背負う。いくら一班兵だからって、嘗めるなよ。俺達はまだやれる。まだ何か、出来る事があるはずなんだ。あの人がいなくなったからって悲しんでいる暇なんてないはずなんだよ。俺達第三小隊は、な』

 

「……ヘイル中尉?」

 

『何でもない。この会話は忘れろ。仇討ち、結構じゃねぇか。モリビトをぶちのめそうぜ。……隊長が育ててくれた俺達の実力を咲かせるのには最適の戦場だ』

 

 ヘイルの言葉振りには平時のような嘲笑は含まれていない。それどころか、彼もまた一人の武人のように振る舞ってみせる。

 

 隊長はひねくれ者の彼をも変えたのだ。ならば報いるのが部下の務め。

 

「隊長……あたしは……」

 

 その時、不意に広域通信が開いた。

 

『全部隊に通達。ブルブラッド重量子爆弾、ゴルゴダの使用をこれより別働隊であった第一小隊が担当する。貴殿らの任務は解かれ、全機、旧ゾル国駐在ステーションに帰還すべし』

 

 思わぬ命令に燐華はうろたえる。

 

「今から……、ゾル国の駐在ステーションに? でもそれじゃ……」

 

『ブルブラッドキャリアを見過ごすって?』

 

 ヘイルの声音に命令は一通りであった。

 

『繰り返す。第三小隊、及びアンヘル第四小隊以降は別命あるまで旧ゾル国駐在ステーションで待機。あとは第一小隊が背負って立つ』

 

『第一小隊……俺達以上の秘密主義集団だ。まさか存在すら危ぶまれていた連中が後を引き継ぐなんてな……』

 

 皮肉以外の何者でもないはずである。悔恨を滲ませたヘイルに燐華は声を張り上げる。

 

「《ラーストウジャカルマ》! 燐華・ヒイラギ准尉はまだ出られます! ギリギリまでブルブラッドキャリアの追撃を! 爆弾を三つも相手に握られている状態での撤退は正しくありません!」

 

 命令違反はアンヘルでは降格以上に除隊さえも意味する。それでも抗いの声を上げずにはいられなかった。こちらの抗弁に上層部は動こうとしない。

 

『これは絶対命令である』

 

 その一言だけで全ての了承が取れているようであった。燐華はアームレイカーを骨が浮くほどに握り締める。

 

 こんなところで何も出来ないのか。何もせぬまま終わっていいのか。

 

 ――否。断じて否のはず。

 

 ブルブラッドキャリアを何としてでも追い詰めなければならないのだ。

 

 爆弾を奪われた現状では相手に優位を与えてしまった事になる。責任は、この場で取るべきだ。

 

「燐華・ヒイラギ。スクランブルを強攻します。これより視界に入るブルブラッドキャリア旗艦への攻撃を!」

 

 推進剤を全開に設定した燐華を止めようとタカフミが割って入りかけて、その手を制したのはヘイルであった。

 

『俺達のケジメです』

 

 その一声でタカフミを振り払い、ヘイルが自分の機体に追従する。思わぬ行動に燐華はうろたえていた。

 

「ヘイル中尉……」

 

『ヒイラギ。俺は前に、お前を売ろうとした。敵に捕まっちまって、殺されてでもしてくれりゃ、楽だと思っていたんだ』

 

 思わぬ告白に燐華は衝撃を受ける。そういえば、あの時情報が漏洩したのだと隊長は口にしていた。

 

 まさかその主が今、並走しているとは思いも寄らない。

 

『……謝ったってどうしようもないのは分かる。酷い目に遭わせちまったってな。でも、でもよ……俺も馬鹿でさ。隊長が死んじまってどうしたらいいのか分からないんだ。燻ってるんだよ。何もかも。半端なまま終わりたくない。きっと隊長だって、そういうつもりで戦ってきたはずなんだからな』

 

 ヘイルは最後までやり通すつもりだ。それこそ自分と同じように。その志を馬鹿に出来るはずもない。

 

「……心強いです。ヘイル中尉」

 

『おべっかはよせよ。似合ってないからな』

 

 一つ微笑んで燐華は操縦桿に力を込める。ここにいるのは何も一人ではない。仇討ちを決めるのに、一人だけの力ではないのだ。それが分かっただけでも随分と安堵した。

 

 隊長の死を絶対に無駄にしたくない。させるものか。その意地だけでアンヘルの命令を無視した。

 

 懲罰は免れないだろう。

 

 それでも、戦い抜くという意志だけは貫ければいい。それさえ実行出来るのならば他には何も要らない。この俗世への未練さえも。

 

「……ハイアルファー【ベイルハルコン】。起動」

 

 だから、禁断の力にも手を伸ばせる。禁忌を操ってでも、自分は成し遂げてみせよう。何もかもを。恩讐の果てを。

 

 赤く染まるコックピットが憤怒の感情を吸い上げる。人の感情を糧とする禁断の人機。それがこの《ラーストウジャカルマ》だ。

 

 業の名を背負った機体が唸りを上げる。刃節を軋ませ、《ラーストウジャカルマ》は空間を飛び越えていった。因果の果て、何もかもを投げ打ってでも勝つために。成し遂げるために。それを手に入れる術を知っているのならば……。

 

「あたしは、もう何も要らない」

 

 決意した言葉は身を焼くほどの灼熱の怒りに掻き消されていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯243 残された未来

 爆弾の解析は即座に行われるべきだと茉莉花は進言していた。

 

「頭部を外せよ。恐らく敵は人機の遠隔操作技術で爆弾の信管をどうこう出来るはずだ。頭がついたままだといつ爆発してもおかしくはない」

 

 おっかなびっくりのメカニックが予め頭部を粉砕しておいたバーゴイルスカーレット三機を艦内に招き入れていた。

 

 少しの衝撃でも《ゴフェル》は塵芥に還るだろう。それほどの威力だと皆が知らされているはずである。茉莉花は整備班を指示するタキザワの声を聞いていた。

 

「理論上、血塊炉を利用した爆弾なんだ。人機として操れなければ何も出来ない。とりあえず慎重に。それだけ気に留めてくれ」

 

 茉莉花は浮遊してタキザワの肩に触れる。接触回線が開き、声を潜めた。

 

『妙だと、思わないか?』

 

『妙、とは?』

 

『……敵陣に突っ込んでまで爆弾を奪取した執行者三人には悪いが、これで終わりとも思えない』

 

『それには同感だね。敵がこの程度で読み負けるのなら、今までどうして取れなかったんだって話だ』

 

『月面を支配下に置いたと言ってもほとんど張りぼてなんだ。それを看破している可能性が高い惑星の支配層がこちらの動きを読めないはずがない。どこかで、想定以上が来る。それを予見しなければこちらは敗北する』

 

『接触回線なのはいい判断だ。他のクルーには聞かせられない』

 

 ふんと茉莉花は鼻を鳴らし、言葉を継いだ。

 

『相棒がいなくって寂しいだろう』

 

『ゴロウの事かい? ……そうだね。彼は上手くやっているだろうか』

 

『彼、か。この六年間で随分と仲良くなったらしい。あれは元々、惑星の支配特権層だろう? 本来ならば敵同士のはずだ』

 

『敵の敵は味方、って理論でもないけれど案外、彼は信用出来る。それは思いのほか、すぐに分かった事だ。百五十年の静謐を守ってきた人格というのは保守的であったが、同時に支配と平和の塩梅を弁えている存在でもある。分を超える言い草はしてこないからね』

 

『都合のいい相手だというわけだ』

 

『……言い方悪いなぁ。一応、これでも友情は感じているんだ』

 

『言ってろ。《ナインライヴスピューパ》と《イドラオルガノンカーディガン》のステータス』

 

 タキザワは端末を掲げる。

 

『想定していた以上の働きだ。これならば作戦の実行に支障はない』

 

『このままならば、の話でもあるが』

 

 この程度で惑星側が諦めるとも思えない。たった三つのブルブラッド重量子爆弾で質量兵器を防ぐと言い放つのはどうにも腑に落ちないからだ。

 

『星の連中には? どう伝わっているんだ?』

 

『ブルブラッドキャリアの質量兵器に対して、C連邦と旧ゾル国の共闘で阻止作戦が行われている……というシナリオだ。バーゴイルが出ていただろう?』

 

『国家間の蜜月は常に、か。ゾル国の面子は発言力を強めたい。格好の機会で互いの利益の一致があったわけだ。皮肉にもブルブラッドキャリアの攻撃が、その契機となったのは』

 

『どうにも苦々しいけれどね。それでも、元はそういう理念で戦ってきたんだ。今さら世界に是非は問わないよ。あっちからしてみれば、《ゴフェル》も本隊も同じ穴のムジナだ』

 

 世界はこちらがどのように足掻こうが、目線はフラットに均一、と言ったところか。癪だが世論の事まで考えるほどの余裕もなし。今は迫り来る《モリビトルナティック》の破壊作戦の成功のみが念頭にあった。

 

『《モリビトルナティック》、質量の三十パーセントの削減に成功……。それでも《モリビトシンス》はここまで追いつけない』

 

『仕方ないといえばそうなんだけれどね。月面での戦いを鉄菜達が引き受けてくれた以上、星の前線では僕らが張るしかない』

 

《ゴフェル》と二機のモリビトを引き連れてきたのだ。守りは任されたという自負を持つのが鉄菜達に報いる術である。

 

『血塊炉の爆弾を使ったミッション……仕掛けてくる敵の総数のシミュレートは?』

 

『実行中。ただ、試算以上の敵が来るという見積もりが高い。一番に来て欲しくないのは、しつこかったイクシオンフレームだね』

 

 タキザワは端末に表示されたイクシオンフレーム二機の詳細データを見据え、苦々しく呟く。今の《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》ならば勝利の試算が高いものの、そちらに気を割いているような余力は現状、存在しない。

 

『質量兵器の破壊に関しての成功率』

 

 弾き出された勝算は四十パーセント。どこまでも渋い計算だ。だが、これでも高くなったのだと思うしかない。戦うのに、いつの時代とて勝率だけで割り切れるほど簡単な戦局は存在し得ないのだ。

 

『ご自慢の数式を視る眼でも無理かい?』

 

 冗談めかした言葉に茉莉花はそっぽを向く。

 

『簡単に言ってくれるな。吾の能力は所詮、見積もりだ。実際にどうなるのかは戦場に出て見なければ分からない』

 

『殊勝じゃないか。以前までの高圧的な態度が嘘のようだ』

 

『……喧嘩でもしたいのか?』

 

『まさか。褒めているんだよ』

 

 茉莉花は嘆息をついて改めて血塊炉の爆弾を見やる。映った数式に奥歯を噛み締めた。

 

『……正直なところ、今回の戦局は視えないんだ。あまりにも不確定要素が多過ぎて。いや、月面の戦場からか。《モリビトシン》が《クリオネルディバイダー》を得てあそこまで跳ね上がるとは思っていなかった』

 

 こちらの想定範囲外の能力の上昇には戸惑ったほどだ。それに関わっているのはやはり……。

 

『鉄菜・ノヴァリス。彼女か』

 

 言葉の先を予見したタキザワの口振りに茉莉花は、悔しいがと前置きする。

 

『計算式以上のものを弾き出す能力を、あいつは持っている。……本人には言うなよ』

 

『言わなくても分かっているとは思うけれどね。《モリビトシンス》、青く染まったのは何も偶然ではないと僕は考えているんだ』

 

『《シルヴァリンク》の加護、とでも? オカルトだ』

 

『たまにはオカルトも信奉しようじゃないか。計算式が全てじゃないんだろう?』

 

 茉莉花は肩から手を離す。無重力の中で浮遊して手持ちの端末から呼びかけた。

 

「《ナインライヴスピューパ》……今回の要だ。機体の調子は?」

 

『悪くはないわ。今までの弱点をほとんど網羅している。こっちでも驚いているくらいに』

 

「言っておくが、どれだけRランチャーの取り回しがよくなったとは言え、まだ試作品なんだ。あまり無茶はさせるなよ」

 

 言い置いた言葉に桃は笑い声を返した。

 

「……何だ」

 

『いいえ、茉莉花。あなた、随分と人間らしくなったのね。最初に会った時の感じじゃない』

 

 先ほどタキザワにも茶化されたばかりだ。自分としては好ましい評価ではない。

 

「……他人を冷やかすくらいの元気があり余っているのならそれでいい。《イドラオルガノン》に繋ぐ前に聞いておきたい。戦場分析。得意だろう?」

 

 桃は教育係として操主選定に噛んでいた経歴がある。ならば、混戦状態の今をどう見るのかを聞いておくのも悪くはないと考えていた。

 

 通信先で桃は呻る。

 

『難しい局面だというのはハッキリ言える。敵が撤退状態に入った以上、ここでの優位点は取れたと考えてもいいのかもしれないけれど……』

 

 煮え切らないのはどこかで懸念事項を浮かべているからだろう。

 

「……潔過ぎる敵は時に警戒の対象になる」

 

『そうね。……結構身体を張ったつもりだけれど、それでも敵があまりにも程よい塩梅を心得ている、と評するべきなのかも。優秀な指揮官がいる風でもないのに』

 

 桃の評価軸は当てになる。茉莉花は戦場を過ぎ行く青い流星を眺めていた。敵機はほとんど駐在地に戻った今、《モリビトルナティック》を迎撃するのには最適。

 

 だがこの静寂、どこか胸がざわつく。

 

 ざわめきなど、地上で生まれ落ちて以来、一度として覚えた事はなかったのに、この焦燥感は何だ。

 

 胸を締め付けるこの感覚。

 

 何かが来る。その決定的な主語を結べずに、茉莉花は言葉にしていた。

 

「……敵の布陣はまだ本調子ではない、という意味でもあるのか」

 

『そんな事はないと思うわ。こちらを囲っていた相手の戦意は本物だった。殺すつもりで来ていた連中ばかりだったもの。問題なのは、その連中でさえもどこか前哨戦のように感じられてしまう、この状況よ』

 

 本陣を予見して動くべきか、と思案を浮かべた刹那、策敵信号が艦内に木霊する。

 

『急速に接近する敵影あり。二機のトウジャです! 一機は……《ラーストウジャカルマ》の信号を発信!』

 

 戦域を離れたはずの相手が再び舞い戻ってくる。突きつけられた事実は不穏さを漂わせていたが、今は迎撃に出るしかない。

 

「《イドラオルガノンカーディガン》、二人とも出られるな?」

 

『当たり前! まだ倒し足りないくらいだし!』

 

 強気に応じた林檎の声に蜜柑が続く。

 

『出させてください。この機体ならばまだやれます』

 

「よし。艦長、いいな?」

 

 直通を繋いだニナイが了承の声を返す。

 

『今は、一つでも障害を取り除いて』

 

「だ、そうだ。《イドラオルガノン》を出撃姿勢に固定!」

 

『ドンと来い! 一機でも、墜とす! 《イドラオルガノンカーディガン》! 林檎・ミキタカ!』

 

『続いて蜜柑・ミキタカ。行きます!』

 

 出撃信号を発した《イドラオルガノン》を見送り、茉莉花は艦橋に降り立った。手すりに掴まって携行飲料を口に含む。ストローをくわえつつ、解せない、と感じていた。

 

「どうして、《ラーストウジャカルマ》はこちらに攻撃を仕掛ける? 今の敵陣の包囲網ならば、単独行動は危険な事くらいは承知のはず」

 

『案外、利益だけを求めているわけじゃないのかもね』

 

 ニナイの声に通信を繋ぎっ放しだった、と茉莉花は思い出す。

 

「どう見る? 艦長として、この戦局」

 

『そうね……。こちらは最大限に敵を迎撃して回っている。でも、相手は爆弾を運んでいた。手段と方法が違うだけで、やっている事の帰結は同じ。……確かにブルブラッド重量子爆弾を勝手に使わせてしまえば、こちらの思惑と上層部の思惑とは違える。本隊と地上の蜜月に手を貸すつもりはないもの』

 

「それ、だな。本隊と地上がここに来て、手を取ってこちらを排斥しようとしている。その動きにどこか……不穏なものが混じっている気がしてならない」

 

『月面を取ったから?』

 

「盤面上では。それでもバベルは本隊の手にある。こっちはかさむだけの陣地を相手に向けているのみ。月面プラントの製造環境がなければ確かに《モリビトシンス》も、ましてや残り二機のフルスペックモードの発案から実装までこれほど早くは行かなかっただろう。それでも、相手はプラント設備を切ってもまだ余裕があると思うべきなんだ」

 

 月面のプラントはいわば用済み、と考えても差し支えない。もう必要なくなった陣地を明け渡されて喜んでいるような暇があるほど、こちらが優位とも思えない。

 

『……気になるのは、地上の支配特権層と、本隊とがどうやってやり取りをしているのか』

 

「案外、やり取りなんてしていないのかもな。示し合わせたように動きが合致したのは、偶然とでも」

 

 それこそ相手からしてみれば僥倖なのだろう。月の本拠地から離れた事で完全に本隊は行方を晦ませた。地上からしてみればブルブラッドキャリアは月に陣取っていると言っているようなもの。共通の睨むべき敵は自分達。いいように誘導されて月に辿り着いた醜態を晒したと評価しても何ら不可思議ではない。

 

『……イクシオンフレームを使う一派も気になるわね。アムニス、だったかしら』

 

「どこまで相手が腹の探り合いをしているのかも謎の中、こっちがあまり下手を打てばどん詰まりになるのは目に見えている。慎重に……と言ってもあの操主姉妹では危うそうだが」

 

『意外ね。あなたは鉄菜の心配をしているんだと思った』

 

 ニナイの評に茉莉花は鼻を鳴らす。

 

「あそこまで行けば、もう馬鹿と言ってもいい。馬鹿に何を言ったところで」

 

 言い捨てた声音にニナイが笑みを含ませる。

 

「……何?」

 

『いいえ。茉莉花。鉄菜の事、考えてあげているんだなって思って』

 

「気色の悪い事を言うな。馬鹿につける薬はないだけだ」

 

『それでも、馬鹿なりに気にはしてあげているんでしょう?』

 

 そう言われてしまえば続ける句もない。鉄菜が現状の《ゴフェル》を引っ張っているのは確かだからだ。

 

 ――もし、鉄菜がただの人造血続で終わらないのならば。これから先も人々を引っ張っていけるだけの人間に成長するのならば。

 

 その時自分は……。

 

 手を払った茉莉花は詮無い考えを打ち切った。

 

「どっちにしたって《ラーストウジャカルマ》を片づけない限りは目に入る範囲の安心感も得られない。《イドラオルガノン》には健闘してもらう」

 

『《ゴフェル》も爆弾の解析が終わり次第、次のフェイズに入るわ。それまで《ナインライヴス》の整備は』

 

「任されている。なに、月面でほとんどの確認作業は終えた。あとは……」

 

 あとは、操主である桃次第。結局、託す事しか出来ない自分の歯がゆさに、茉莉花は歯噛みした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯244 相克する心

 想定速度よりも素早く、敵機は一目散に《ゴフェル》へと向かってくる。識別信号を振った相手を林檎は見据えた。

 

「《ラーストウジャカルマ》。……瑞葉が昔乗っていたって言う」

 

 鉄菜と共に今は月面で戦闘を行っているはずの瑞葉。あれも旧世代の戦闘機械のはずだ。それ以上であるはずがないのに。

 

 林檎は部屋で交わした言葉を思い返していた。彼女はどこまでも「人間」であった。強化兵であった名残などまるで感じさせない、ただの「女」……。

 

 あれも自分達とは違う。もう出遅れた代物のはずだ。だというのに、どこかあの時、部屋を出たのは負け戦のような気がしていた。

 

 自分は彼女に輝きを見ていた。それが届くはずのない、羨望のように映って……。

 

「林檎、《ラーストウジャカルマ》、速いよ。近接戦になるかも」

 

 下操主の蜜柑の言葉が考えを霧散させる。今は、ただ勝つだけだ。勝つ事だけが次への糧となる。

 

 林檎はアームレイカーに入れた両手を引き込み、フットペダルを踏み込んだ。

 

「蜜柑! 接近前にアンチブルブラッドのミサイル弾頭、張れるよね?」

 

「それは大丈夫だけれど……、相手の動き、どこか変だよ。止まる事なんて考えていないみたいに……」

 

 それはこちらも同じだ。一度でも立ち止まれば自分の至らなさに押し潰されそうになってしまう。敗走は許されない。ましてや停滞など。前進するしか出来ない身分なのだ。

 

「足踏みしている場合じゃない。ミサイル掃射後、距離を詰めて両断する!」

 

 マルチロックオンシステムが稼動し、両手両脚の鎧より放たれたミサイルと銃撃網が《ラーストウジャカルマ》を打ち据えた。そのはずであったのに。

 

「止まらない……? うそ、命中したよ! だって言うのに……!」

 

「上等ッ!」

 

 うろたえる蜜柑を他所に林檎は《イドラオルガノン》を挙動させていた。振り上げたRトマホークと敵の腕が交錯し、赤と青のスパーク光が網膜に焼きつく。

 

 開かれた接触回線に滲んだ敵意が林檎の耳朶を打った。

 

『モリビトォッ! お前らはどうして、無益な争いを生み出すんだ!』

 

「無益? それ、どの口が言う!」

 

 弾き返した一閃を翻させ、機体を横合いより寸断させようとする。その太刀筋を読んだ敵機が片腕で受け止めた。

 

 もう片方の腕が突き出される。

 

 蛇腹剣の打突が来る、と予感した身体が《イドラオルガノン》の機体を仰け反らせていた。Rトマホークの軸で蛇腹剣の勢いを受け流そうとするがその切れ味は本物であった。

 

 軸が断ち割られ、Rトマホーク一本が使い物にならなくなる。林檎はすぐさまそれを相手に向かって投擲し袖口に潜ませていた機銃を撃ち込んだ。

 

 内部に搭載されていたリバウンドジェネレーターに引火したRトマホークが眩い輝きを放つ。

 

 一時的な照明弾の役割を果たしたRトマホークを手がかりに《イドラオルガノン》は《ラーストウジャカルマ》の背後へと回り込んでいた。

 

「その首! もらったァッ!」

 

 薙ぎ払った一閃を不意に割って入った機体がプレッシャーソードで弾かせる。

 

 舌打ちと共に回線が漏れ聞こえていた。

 

『ヒイラギ! よそ見してるな! 敵は取りに来ているぞ!』

 

「助言なんて、戦場でよく吹かす!」

 

《スロウストウジャ弐式》を押し込もうとした《イドラオルガノン》へと照準警告が響き渡った。

 

 脚部を拡張させた敵人機が別の方位よりこちらへと攻撃を見舞おうとする。蜜柑が機体を流し、その一撃を回避させた。

 

「林檎! あまり接近し過ぎると危ないよ!」

 

「分かってる! 分かっているけれどこいつら! 殺し合いの場でじゃれあっているんじゃない!」

 

 袖口に隠したR兵装の機銃で《スロウストウジャ弐式》を引き剥がそうと目論むが、相手側の二機は心得たようにお互いの背を守っている。

 

 見せ付けられた信頼関係に林檎は舌打ちする。

 

「見せ付けてくれて……! 一緒に墜ちろよ!」

 

 Rトマホークを《スロウストウジャ弐式》に打ち下ろしかけて、横合いからの《ラーストウジャカルマ》の援護攻撃が本懐だと悟る。《スロウストウジャ弐式》は所詮隙を限りなくゼロにしているだけの弱者。

 

 二人ならば墜ち難いとでも思ったのか、放たれたプレッシャーライフルの光条にはどこか自信が窺えた。

 

「連携って言うの……。そーいうのさぁ! 見せるんならもっと上手く見せなよ! ただのこけおどしに! この《イドラオルガノン》が臆するとでも!」

 

 プレッシャーソードと打ち合った直後、ゼロ距離でミサイルを炸裂させる。アンチブルブラッドの靄が暗礁宙域に漂った。《スロウストウジャ弐式》が明らかに挙動を鈍くする。

 

 まずは一機、と判じた神経に声が交錯した。

 

『墜とさせない! あたしが、守るんだからぁっ!』

 

「くどいよ! 分かり切っている事をぺちゃくちゃ喋って、掻き乱すんなら出てくるなよ!」

 

 蛇腹剣が四方八方より迫り《イドラオルガノン》を包囲しようとする。あまりに近接戦を選んでも旨味はない。その理屈は分かり切っているのに。

 

「……分かっていても、退くもんか」

 

 こぼした林檎は刃を軋らせる。どちらか片方でも撃墜すれば必ず隙は生まれる。そう確信しての行動であったが、蜜柑が悲鳴を上げていた。

 

「林檎! 近づき過ぎないでって! 照準が全然……!」

 

「ここで剥がれたら、じゃあどうするって言うんだ!」

 

 アンチブルブラッド兵装の有効時間はまだ余裕がある。コスモブルブラッドエンジンを採用している《イドラオルガノン》ならば相手に一方的な打撃を与えられるはずなのに。

 

《ラーストウジャカルマ》はX字の眼窩をぎらつかせ、こちらを睥睨する。

 

『守る……守りたい! 動いて、あたしの身体……、トウジャ!』

 

「両断する!」

 

 打ち下ろした刃がその瞬間、空を切った。

 

 虚しく裂いた常闇に林檎はハッとする。

 

「どこへ……」

 

 首を巡らせる前に、接近警報が激しくコックピットを掻き乱し、激震が浴びせかけられた。

 

 蛇腹剣が片腕の鎧に突き刺さっている。誘爆の危険性を判じて即座にパージさせた。爆発の光がすぐ傍で広がる。

 

 冷や汗がどっと背筋を伝う中、林檎は今しがたの現象を《ラーストウジャカルマ》の異様な機動性によるものだと実感した。

 

「まさか……ファントム?」

 

 ハイアルファー人機は人間を弄ぶ機体。精神が瓦解した操主では理性的な判断を下せないはずであった。

 

 だというのにファントムという高等技術を使われた。

 

 それそのものが深い侮辱となって胸の中を占めていく。

 

「林檎! 直上に敵!」

 

 蜜柑の声もどこか遊離していた。今、この一瞬。相手にファントムを許した自分自身。

 

 ――それがとてつもなく許せない。

 

 仰ぎ見た林檎は敵に剥き出しの嫉妬を重ねていた。

 

「旧式風情がァッ!」

 

 払った剣閃を敵人機が片腕で払い除ける。一撃の下に頭蓋を割られる予感に林檎は一気に体温が下がっていくのを自覚した。

 

 終わりの瞬間。

 

 それがこうも生々しく、身体を這い進む虫の如く戦闘神経に毒牙をかける。

 

《ラーストウジャカルマ》が大きく引いた蛇腹剣を《イドラオルガノン》へと打ち込みかけた。その時である。

 

 茫然自失の自分に代わり、《イドラオルガノン》の腕が挙動していた。

 

 アンチブルブラッド爆雷が炸裂し、敵の視野を眩惑する。その隙を突いて《イドラオルガノン》は鎧の各所に装備された後退用の推進剤に火を通していた。

 

 敵の蛇腹剣が眼前を行き過ぎる。

 

 垣間見えた死神の予兆に心臓が今さらの爆発を起こしそうであった。

 

 今、墜とされていても何らおかしくはなかった。

 

 首裏に滲んだ汗を他所に、《イドラオルガノン》は弾幕を張って戦闘領域から徐々に離れていく。

 

 随分と時間が経ってから、全権が蜜柑に移譲されていた事を思い知った。

 

 声を投げようとして蜜柑が咽び泣いているのを耳にする。

 

「……お願いだから。あっちへ行って。来ないで……ぇっ」

 

 自分達操主は二人で一人のはずだ。だというのに、またしても独断専攻をしてしまった。その悔恨を噛み締める間にも機体は《ゴフェル》への帰投ルートへと入っていた。

 

 逃げるに徹した相手を追うほど、敵も馬鹿ではないのだろう。磨耗した心を引きずって離脱した《イドラオルガノン》は完全に負け犬であった。

 

「また……ボクは負けたって言うのか。どうしたって、また……!」

 

 こんなに近くにいるのに二人の心の距離は離れているのが痛いほどに分かってしまう。

 

 相克する心を持ち寄って、《イドラオルガノン》は敗走を辿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヒイラギ! モリビトが撤退を……!』

 

 ヘイルの声に燐華は息を切らしていた。肺が今にもはち切れそうだ。枯渇した怒りの一滴さえも吸い込んで《ラーストウジャカルマ》は敵を見据えようとする。

 

「まだ……敵、敵がそこに……!」

 

『ヒイラギ? もう敵は逃げた。俺達の勝ちなんだ!』

 

 肩を押さえようとしたヘイルの《スロウストウジャ弐式》を燐華は蛇腹剣で制していた。突きつけた刃に相手は絶句している。

 

『……ヒイラギ』

 

「来ないで。来ないでください。……今のあたし、誰彼構わず、斬ってしまいそうで……」

 

 怒りに呑まれながらの戦いであった。隊長の弔い合戦のはずが、自分の醜態を晒しただけの手慰みのような戦に終わるなど。

 

 奥歯を噛み締めた燐華はこの戦いでの勝利者を呪う。

 

 大局的には勝ったのは自分達かもしれない。だがたった一機のモリビト相手に自分はここまで苦戦した。ここまで磨耗したのだ。

 

「……まだ、あたしは弱い」

 

 もっと力が欲しかった。こんなところで終わらない。終わりようのないほどの途方もない暴力が。

 

 その力の波に酔いしれられたらどれほど楽だろう。

 

 引き戻した蛇腹剣にようやく冷静な頭が戻ってきたのか、燐華は酷く疲弊している自分を発見した。

 

 ――こんな戦い、隊長は望んでいないだろう。

 

 嗚咽を漏らした燐華はしばらくその場から動けないでいた。また、間違ってしまった。自分はどうしようもない愚か者だ。

 

 モリビトを狩れればいいと命令違反しておきながら実際にはただ単に吐き捨て所のない暴力を吐いたのみ。

 

 こんなもの、軍人のそれではない。

 

 兵士の、矜持があるはずもないのだ。

 

 隊長はいつだって矜持だけは忘れなかった。胸にある信じるべき信念に従い、心を通してきた人であった。だというのに、今の自分の醜態はどうだ。

 

 怒りに我を忘れ、ただ敵を狩る事のみに特化した先鋭兵。こんなもの、爆弾と何が違う。

 

 信管を引き抜けば起爆するだけの自動機雷と何一つ変わらない。心を失った戦闘機械だ。

 

「隊長ぉ……っ、許して……っ。許して、ください……。あたし、まだ弱いから……。隊長みたいに出来ないんです……っ」

 

『……ヒイラギ、お前』

 

 その時、照明弾が暗礁宙域を照らし出した。帰投命令の信号にヘイルが声の調子を取り戻す。

 

『……行くぞ。お前はやったんだ。それだけは確かだろ』

 

 糸の切れた人形のような《ラーストウジャカルマ》をヘイルが牽引する。手を引かれなくては前にも後ろにも行けない駄々っ子。それが今の自分であった。

 

 燐華は項垂れて慟哭する。

 

「隊長ぉ……ぅ。にいにい様ぁ……っ。お願い、今は叱らないで。駄目なあたしを……まだ駄目って言わないでぇ……っ」

 

 死者に許しを乞うてどうすると言うのか。誰も生きている自分の手を引いてはくれない。

 

 今を生きる人間の手を引けるのは同時に生きている相手だけなのだ。すぐ傍にある温もりさえも、過去を回顧する自分には邪魔なだけであった。

 

 ここにいない誰かに頼る事しか、擦り切れそうな自己を繋ぎ止める方法は、この時存在しなかった。どこまでも醜く、どこまでも虚弱。

 

 ヘルメットの中を涙の粒が浮かぶ。泣いているのは自分。しかし一番に叱責したいのも自分。

 

 このままでいいはずもなかった。保留にし続ける期間はもうとっくに過ぎているはずなのだ。

 

 モリビトを倒す。仇を取る。――だがそれは、迷いを断ち切れない自分からしてみれば酷く困難な事。

 

 鉄菜を信じる。友情を裏切らない。――だがそれは、現実を直視しない逃げの方便。

 

 何を実行したくってこの人機に乗ったというのだ。

 

 元々は全ての無念を晴らすためだろう。雪辱を、屈辱を、恥辱を、何もかもを。

 

 しかし、勇気の一歩が踏み出せない。いつになっても、この足はその一歩を重々しく受け止めている。

 

 足踏みしている弱者の言い訳に、この人機を使っていいはずがなかった。

 

 タカフミより勝ち取ったもの。ヒイラギの助けを得たもの。そして――自分自身の決意の表れであったはずのもの。

 

 隊長は言ってくれた。戦いを評価してくれた。だが彼の人はもう二度と届かぬ場所にいる。

 

 ならば、足掻いても。ならば、苦しんでも。どうあったとしても、この手を振り翳すべきなのだ。

 

 刃は帰結する先を求めている。行き着く先をいつまでも睨んでいる。

 

 復讐鬼になるのか、それともただ怨嗟を撒き散らすだけの怨霊に成り果てるのか。

 

 全ては自分次第でありながら、誰か他の人に結論を求めたがっていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯245 禁断の夜明け

「そう……分かったわ。《イドラオルガノン》の回収後、次のフェイズに入る。策敵反応もなし。……静かなものよ、原罪の星の軌道上は」

 

 ニナイは眼下に収まる虹色の星を見やっていた。熟れた罪の果実は執行の時を待ちわびているのか、あるいは全ての罪を忘れ去り、無知蒙昧の果てを辿ろうとしているのか。

 

 いずれにせよ、この決定如何で世界は動く。

 

 ブリッジに収まるクルーへとニナイは声を飛ばしていた。

 

「《ゴフェル》は現時刻より、ブルブラッド重量子爆弾の阻止作戦に入ります。三つだけとも思えないけれど……それでもこの三つを解析出来たのは大きいはず。《ナインライヴスピューパ》による最大出力の砲撃とこちらの手にある爆弾で敵の抑止、ならびに落着軌道に入っている《モリビトルナティック》を完全に粉砕する事。それが私達の役目よ。……ちょっとばかし、損な役回りだけれどね」

 

 付け加えた言葉にクルー達が頬を緩ませた。少しでも緊張の材料を取れればそれに越した事はない。

 

「いいんじゃないですか。執行者四人は頑張ってくれていますよ」

 

「我々の役目を果たしましょう」

 

 めいめいの声音にニナイは作戦実行の言葉を搾り出しかけて、モニターに映し出された《モリビトルナティック》の現状を目にする。

 

 三割の破損率、と鉄菜からは聞かされていた。背面より十字架の中心に向けての切り口。

 

 奥の手であるエクステンドディバイダーでも完全破壊は不可能であった。ならばこちらは二段構えの作戦を展開するまでだ。

 

「桃、準備はいい?」

 

『いいけれど……。出て蜂の巣にされるのは御免よ?』

 

「辺りに敵影はない。今のところは、だけれど。《ラーストウジャカルマ》と随伴機は《イドラオルガノン》が退散させてくれた。好きにやりなさい」

 

『好きに……って言うけれどさ。もし破壊をミスったら……』

 

「弱気な事は言わないで……、とまで傲慢にはなれないわね。私も不安なのは一緒。これを仕損じれば、っていう気持ちなのは」

 

 惑星に質量兵器の魔の手が迫る。それだけではない。完全にブルブラッドキャリアは星の敵になるだろう。

 

 これまでのようなアンヘルの締め付けよりも過剰な支配が待っている。その裏で手ぐすねを引いているのはアムニスなる存在。しかしここでの《モリビトルナティック》の破壊のために罪なる星の兵器を使わせても、それは禍根を残す。

 

 何も敵はブルブラッドキャリアだけではないのだ。惑星側に爆弾の実戦データを取らせられれば、それは明日よりの恐慌の幕開けに繋がる。

 

 人々はコミューンの天蓋が砕け散る悪夢に怯えなければならない。

 

 ならば今回の場合、動くべきは自分達。

 

 矢面に立って爆弾を回収し、《モリビトルナティック》の完全破壊を実行する。

 

 グリフィスなる組織が気にはかかったが、彼らが今は有益な友だと思うしかなかった。

 

「《モリビトルナティック》、間もなく阻止限界軌道に入ります」

 

『おいでなすったわよ。こっちは準備出来てる』

 

 桃の言い分にニナイは返していた。

 

「了解。……桃、大役を任せて……」

 

『何を今さら。悔やむんならもっと早くにしてよね』

 

 軽口が叩けるだけマシだ。鉄菜が合流するまではずっと張り詰めっ放しであった。彼女は、《ゴフェル》をいいほうへと進めている。

 

 六年前に、心の在り方が分からないと口にしていた人間とはまるで別人のように。

 

 指導者を思わせる貫禄で今、全員の精神的支柱となっていた。

 

 ――ここで失敗すれば、鉄菜が落胆する。それだけはさせてはならない。

 

 どうしてだか、全員の胸の中にその気持ちがあるのは窺えた。

 

 不思議な縁だ。《ゴフェル》という舟に乗って終わりのない旅路に出たと思ったのに。離反兵として地上と宇宙、どちらにも居場所がないと思っていた自分達がいつの間にか、成すべき事を見据えているというのは。

 

「……そうよ。ブルブラッドキャリアに、失敗は許されない」

 

『《モリビトナインライヴスピューパ》。桃・リップバーン! 行きます!』

 

 カタパルトより出撃した《ナインライヴス》が四枚羽根を用いて慣性移動し、甲板に降り立った。

 

 予め構築しておいた衝撃減殺用の機材へと人機を固定させ、《ナインライヴス》は羽根に収まっているパーツを接続させる。

 

 大口径Rハイメガランチャー。現状持ち得る最大に近い武装である。

 

 その姿を外周カメラ越しに見つめてから、ニナイは声を振った。

 

「茉莉花、爆弾の投擲準備」

 

『やってる。RLボルテージ砲、発射準備、復誦して』

 

 どこか不承でありながらも、茉莉花はこの作戦に前向きであった。彼女とて馴染んでいるわけではないだろう。状況が否応なくそうさせている部分も多いに違いない。

 

 それでも、今は手を取り合ってくれている事に感謝するしかなかった。

 

「了解。艦主砲――リバウンドリニアボルテージ砲門、照準開始!」

 

「照準、目標、《モリビトルナティック》!」

 

「目標との誤差、レイコンマ6以内。障壁、及びデブリによる照準補正、実行します!」

 

《モリビトルナティック》との距離と、着弾までの試算が導き出され、目まぐるしく数値が変動する。全てが閾値に到達した事を確認する段階に至り、ニナイは声を張り上げていた。

 

「補正、照準、及び全管制装置をブリッジに固定。トリガーを!」

 

 その声と共に床がせり上がり、引き金のついた火器管制システムの集合体が眼前に聳える。

 

 これは所詮お飾りの代物だ、とは茉莉花から聞かされていた。

 

 ただ、引き金を引く覚悟は持っておいたほうがいい、とも。

 

 今まで誰かに託し続けていた引き金。ある側面ではそれが彩芽との別れを招いた。この瞬間、ニナイは自分の意志で引き金を引く事を選んでいた。

 

 グリップを握り締め、人差し指をかける。

 

 一拍、深呼吸をついてブリッジの先――標的を睨んだ。

 

「――発射!」

 

 発射の報が艦内を揺るがし、直後、《ゴフェル》の中心軸より突き出ていたリバウンドリニアボルテージ砲から二つの砲弾が電磁場を散らせながら宇宙に投げ出されていた。

 

 砲弾用に最適化した、ブルブラッド重量子爆弾。

 

《モリビトルナティック》への着弾よりも早く、《ナインライヴス》が狙いをつける。

 

『Rハイメガランチャー。目標を捕捉。直撃と同時に爆弾へと点火――、敵を滅殺する!』

 

 砲弾が《モリビトルナティック》へと着弾するまでの僅かな時間。

 

 十秒にも満たないその針の穴のような活路を《ナインライヴス》に収まる桃は切り拓く。

 

「減殺フィルター展開!」

 

 ブリッジに減殺措置を施したフィルターが落ちるのと《ナインライヴス》の最大出力の砲撃が甲板を激震させたのは同時であった。

 

《ゴフェル》そのものを最大限の足場として放った光軸が《モリビトルナティック》と、爆弾と、そして《ゴフェル》とを結んだ。

 

 一直線に全てが繋がった瞬間、カメラ越しに捉えた《モリビトルナティック》へと二つの青い光の渦が発生していた。宇宙に感じるはずのない暴風を予感させる青白い輝きの拡散。

 

 眩く青い光はまさしく……。

 

「宇宙の……禁断の夜明け」

 

 覚えずこぼしていたニナイにクルーも茫然自失の様子であった。

 

 二つの渦が内奥から干渉し合い、光の瀑布を広げながら互いに質量を吸収していく。その様に絶句していた。

 

 大質量兵器であるはずの《モリビトルナティック》が分解され、青い闇に押し込まれるようにしてその十字の姿をすり減らしていく。

 

 あれがもし誤爆でもしていれば、という今さらの恐怖が這い登ってきていた。

 

 質量を呑み、物質を際限なく分解する毒の青。

 

《モリビトルナティック》は爆弾による作用と《ナインライヴス》の放った光線によってほとんどその巨躯を磨耗させていた。

 

 灰塵に帰していく罪の十字架に思うところでもあったのだろうか。クルーの一部が瞑目し、何やら唱えている。

 

 信じるべき神のいないニナイでさえも、これは禁断の領域である事は容易に想像出来た。

 

 ヒトが冒してはならない場所。神の指先のみが触れる禁忌。

 

 惑星の人々は自らを滅ぼし得る兵器を、自ら生み出したのだ。

 

 百五十年の静謐を破ったのは実のところブルブラッドキャリアではない。惑星の側だ。これはどちらからしてみても、造り上げてはならない、禁断の果実であった。

 

 最早ほとんど暗礁の宇宙に消え失せた目標物を今さら目視するほどでもなかった。

 

《モリビトルナティック》は四散し、そこにあった証明すらも消し去られている。

 

 ――終わった、という感慨にニナイを含め全員が項垂れていた。

 

 これで惑星への脅威は一旦去った。あとは後始末をするだけである。

 

『……艦長、お疲れ様』

 

 茉莉花の声も今は皮肉を伴わせていない。先ほどの青い残光に思うところがあるのかもしれなかった。

 

「ええ、そっちも。……システムの最終チェックまでありがとう」

 

『仕事よ、仕事』

 

 そうは言っても、茉莉花の助力なしではこの任務は遂行出来なかった。今はただ、純粋な礼を、と思いかけて不意打ち気味の熱源反応にブリッジがざわめく。

 

「高熱源探知! これは……人、機?」

 

 疑問符を伴わせたのは膨大なその出力値に誰もが艦隊クラスを想像したからだ。分析班が声を張る。

 

「これは……巨大人機、です……。該当データを算出中……」

 

「逃がしてはくれないってわけ……。モニターに!」

 

 投射画面に映し出されたのは鉤爪型の四肢を持つ大型人機であった。その威容に全員が唾を飲み下す。

 

「この……人機は……」

 

「データ合致! これは……キリビト……対象はキリビトタイプ!」

 

 まさか、とニナイは絶句した。

 

「キリビト……。こんなもの、どうやって……」

 

 だが今は一刻も早くこの宙域を脱出しなければならない。爆弾を発動させた状態であまりに居残れば逆に不利に転がるのは目に見えている。

 

「桃! キリビトタイプが……!」

 

『見えている。……《ナインライヴス》の出力はでも……今の砲撃で』

 

「限界、か……。こんなところで……」

 

「広域通信探知! これは……キリビトタイプから?」

 

 ニナイへと目線が流される。首肯すると、投射画面に相手の操主が顔を晒した。

 

 切れ長の瞳を持つ操主だが、男にも女にも見える。中性的な顔立ちそのままの印象である高いテノールの声で相手は告げていた。

 

『お初にお目にかかる、ブルブラッドキャリア……いいや、《ゴフェル》の諸君』

 

「艦の名前を……!」

 

『君達は思っているよりもずっと有名でね。それに嘗めないほうがいい。我々、アムニスを』

 

 アムニス。その名前に震撼したクルー達に代わり、ニナイは歩み出ていた。

 

「何の用? 言っておくけれど投降なんて」

 

『投降? そんな生易しい結末。今さら、用意しているとでも? 君達は戦争を、しかも宇宙と地上、織り込み済みの戦いを邪魔した。それは大きな弊害となる。ここで墜とすも已む無し』

 

 緊張が走る。固唾を呑んで次の言葉を待つ中、別窓で開いた茉莉花が策を講じているのが分かった。彼女の策が発動するのが先かキリビトに撃たれるのが先か。

 

 相手はせせら笑う。

 

『誤解しないでいただきたいのは、アムニスの利益とアンヘル……いいや、ここで言うところのアンヘルはレギオンの意思、は別のところにあると思ってもらえれば』

 

 レギオン。惑星を牛耳る組織の名前にニナイは尋ねていた。

 

「レギオンの手先がアムニスなのでは?」

 

 その問いに相手はにこやかに微笑んだ。まるで戦場とは無縁の、紳士然とした笑い声が通信網に響く。

 

『……これは、困ったな。いや、彼らは確かに支配層ではある。そう、支配特権層……六年前に挿げ替わった頭の一部だとね。そちらではこう呼んでいるんでしたっけ? 元老院』

 

 まさか元老院の事も承知の上でこちらに打って出たというのか。にわかに色めき立ったニナイに比して相手は冷静そのものであった。

 

『あなた方は旧態然とした世界の破壊こそが目的であった。いや、そちらの言葉をお借りするのならば報復、が。しかし、報復は成されなかった。世界は変革の刃を拒み、今もまた流れるに任せている。その一因はレギオンにもある。彼らは変わろうとする人間の総意であった、多数派そのもので、あった』

 

「……まるで、今は違うような言い草ね」

 

『そう、と断言してもいいかもしれない。支配した人間の次なる欲求は、何だと思う?』

 

「クイズをやっている場合でもないのよ」

 

『そうかな? こちらの新たなるキリビト……《キリビトアカシャ》はその艦を破壊するのに充分な出力を持っている。それに、先ほどの砲撃、出し切ったと見た。クイズの解答くらいの時間は欲しい。それはそっち側の言葉じゃないかな』

 

 だからこそ仕掛けてきたのだろう。用意周到な人間がアムニスを支配しているようだ。

 

「……支配欲求の変遷なんてたかが知れているわ。完全なる抑圧」

 

 その答えに相手は乾いた拍手を送る。

 

『なかなかの観察眼。実際、その通りなんだ。レギオンはもう廃れた組織も同じでね。彼らの支配欲求は抑圧、統率、そして独占にある。まったく、ここまでくると旧支配者である元老院と何も変わらない。それを理解しない古い頭がレギオンを回している。だが彼らの真に厄介なのは力を持つ老人達である事だ。元老院の支配が百五十年続いたように、彼らの持つ支配力も磐石』

 

「何が言いたいの? まさかこっちの放った爆弾に、恐れを成したとでも?」

 

 挑発めいた言い分にブリッジが戦々恐々の空気に包まれる。相手操主はフッと口元を綻ばせた。

 

『……銃口を突きつけているのに臆する事もないその物言い。嫌いじゃない。いや、そもそも世界に刃を突き立てた身分、今さら何を恐れる、という事か。甘く見ていたようだね。単刀直入に言おう。レギオンの作った爆弾を、我々に譲渡していただきたい』

 

「同じ根のはずでしょう?」

 

『ところが、上はそうではなくってね。爆弾、奪取したのは三つのはずだ。今の爆発の余韻は二つ。一つ、隠し持っているな?』

 

 これから分析と対策を練ろうとしていた爆弾を相手に渡すわけにはいかない。別窓越しの茉莉花の返答も同じようであった。彼女は首を横に振る。

 

「……その答えの論拠は? 今の爆風、三つのものであった」

 

 ニナイの返答に相手は快活に笑う。

 

『嘘はいけないなぁ、ブルブラッドキャリアの諸君。カタログスペック上では三つも爆発を連鎖させればもっと綺麗に、それこそピザを切るような手際であのモリビトは破壊出来た。だが、大量のデブリを予見しての完全破壊、その布石の大出力R兵装。ここまでお膳立てが整って、まさか三つとも? あり得ない。普通ならば鬼札を取っておく』

 

 読まれている。こちらの手のことごとく。歯噛みしたニナイに相手は確証を深くしたらしい。

 

『忠告しておこう。頭目にしてはその顔、あまりに出過ぎていると』

 

 自分の一挙手一投足が艦の全員の命の手綱を握っている。その重石にニナイは呼吸困難に陥りそうになる。

 

 ――自分が一手でも間違えれば、それこそ彩芽の時のように。

 

 一つでも過ちは繰り返せない。焦燥感に駆られたニナイは声を荒らげていた。

 

「そちらなんかの……! 都合のいいようには……!」

 

『どうだかね。君はまだ話が出来るほうだと思っていたが買い被っていたようだ。ブルブラッドキャリア離反兵の方々、ここでさよならと行こう』

 

《キリビトアカシャ》が中心に緑色の稲光を凝縮していく。どれほどの威力なのかは推し量るまでもない。

 

《ナインライヴス》は甲板上で砲門を突きつけたがそれでも相手が攻撃を中断する予兆もなかった。

 

『ここで潰えるといい。反逆の者達よ』

 

 今まさに、その雷撃がブリッジを貫くかに思われた、その時であった。

 

 今しがた爆弾を発射したはずの主砲から新たに砲弾が射出される。

 

「……まさか」

 

『ここで連中にくれてやるといいわ。欲しがっていたんでしょう? これ』

 

 茉莉花のハッキングにより、リバウンドリニアボルテージ砲が起動させられたのだ。

 

 砲弾はそのまま相手を射抜く軌道を取る。確実に命中した、と誰もが確信しただろう。

 

 キリビトタイプは取り回しもよくない。回避には向かないと。

 

 だが、その稲光が直後には拡散し、まるで網のように爆弾を抱え込んで見せた。

 

 茉莉花が絶望的に呟く。

 

『質量の無効化……』

 

『危ないな。いや、ある程度は分かっていた。だからここまで譲歩してやったんだ。話し合いで解決するのが理想だったんだが、君らはそこまで牙を抜かれた獣でもあるまい。その主砲が火を噴く事を予期して、リバウンドを使っておいて正解だった』

 

「今の……まさかリバウンドフォールだって言うの……」

 

『広義には、ね。実体質量兵器の運動エネルギーを減殺し、相手へと反射する攻撃を総称するのならば。しかし《キリビトアカシャ》はその遥か上を行く。反射するのではない。こちらへと完全に運動エネルギーを相殺し、物にする』

 

 爆弾が《キリビトアカシャ》の眼前で、完全に静止した。その光景にクルー達の震撼が伝わる。

 

 反射攻撃が来る、という予感。

 

 だが、相手は反射する事はなかった。それどころか《キリビトアカシャ》は宙域を少しずつ離れていく。

 

「どういう……!」

 

『君達の相手をするような暇もないという事だよ。なに、次にもし命があったら戦おう、《ゴフェル》の諸君。我が名はメタトロン。この身はアムニスの序列一位! せいぜい、生き残る道を探す事だ。なぁ! アザゼル!』

 

 別軌道よりの熱源に探知センサーが震える。

 

「高速熱源接近! 人機です! 識別情報、イクシオンフレーム!」

 

『ここは君に譲るよ。《キリビトアカシャ》の仕事はこの爆弾を無事、アンヘルに届ける事。その後は……まだ教えられないけれどね』

 

「待ちなさい! 桃!」

 

『無理! 爆弾を抱えているって事はこっちにすぐ発射出来る距離でもあるから……!』

 

「下手に撃てば諸共、か……!」

 

 奥歯を噛み締めたニナイは上方を飛翔する《イクシオンベータ》の放ったリバウンドの散弾にブリッジを揺さぶられた。

 

 よろめいたニナイは声を張り上げる。

 

「キリビトは去った! 《イクシオンベータ》を破壊して! 桃、それに《イドラオルガノン》も!」

 

『言われなくっても!』

 

「《イドラオルガノン》発進を確認! ですが、イクシオンフレームのほうが随分と……」

 

 濁した先をニナイは床を蹴って近づく。投射画面に表示された《イクシオンベータ》の機動性は前回に比して倍近くあった。

 

「どういう事……? 単なる強化じゃ……」

 

「それでも、あり得ませんよ。この数値じゃ、小破した《イドラオルガノン》と、今の《ナインライヴス》では……」

 

 結果は見えている、というわけか。それも含めて相手は撤退を選んだのかもしれない。

 

 ニナイは拳を握り締める。

 

 ――この借りは必ず返す。

 

 そう誓って《ゴフェル》の艦内に命令を飛ばした。

 

「《ゴフェル》は安全圏内まで後退するわ! 艦内スタッフに伝達します! もしもの時には地上に降りる事になる!」

 

 その判断に茉莉花が声を飛ばした。

 

『もしもの時、でもなさそうよ。あの《イクシオンベータ》……何かが違う……』

 

 数式を視る彼女には数値以上のものが見えているに違いない。対決の結果が分かっていても、それでもモリビトでの対抗策は捨てるべきではなかった。

 

『だが、艦長。鉄菜との合流が……』

 

 タキザワの声にニナイは苦味を噛み締める。ここで艦の安全を取るか、鉄菜との合流を取るか。

 

 事態は刻一刻と悪化する。今、やるべき事。これから先を見据えて、成すべき事……。

 

「《モリビトシンス》との合流を中断。《ゴフェル》は《イクシオンベータ》からの攻撃圏の撤退を優先します」

 

 それも苦渋に滲んだ選択肢だったのは伝わったのだろう。通信越しのタキザワは、重々しく頷いていた。

 

『……了解』

 

 地上に降りる愚を冒すのに、《モリビトシンス》の助けを得られないとなれば、苦戦が強いられるだろう。

 

 何よりも執行者一人分を欠いた状態で生き残れるのか。

 

「《ゴフェル》、戦闘離脱を優先。繰り返す! 戦闘離脱を優先!」

 

 響き渡る声を他所にニナイは、これも間違いではない事を祈るばかりであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯246 敵意、渦巻く

 

「逃がすと、思っているのか」

 

《イクシオンベータ》に収まったアザゼルへと通信が繋がれる。

 

『《キリビトアカシャ》が離脱出来る領域まででいい。深追いはするなよ』

 

 その声音にアザゼルは眉根を寄せる。

 

「……貴様、序列が少し高いくらいで」

 

『それでも君よりかは上だ。その事実、変えられないだろう?』

 

 気に食わない。それだけの一事であったが、今は大局のために動くのみ。大砲のモリビトは四枚羽根で防御しつつ、こちらへと牽制の銃撃を見舞う。

 

《イクシオンベータ》は自慢の疾駆で攻撃を軽やかに回避し、袖口から散弾を掃射した。

 

 黄色いリバウンドの粒子色は高出力を意味する。四枚羽根を駆使して防御するモリビトはほとんどの出力を先の砲撃で使い尽くしたのだろう。甲板に居座るだけの木偶だ。

 

「木偶は……、墜ちろ」

 

 一気に周回軌道より接近し、横合いからの爪の一撃を払う。凝結したリバウンドの鍵爪が四枚羽根のモリビトを叩き据えた。

 

 しかし――。

 

「……耐えた、だと」

 

 渾身の勢いで放ったはずの一撃をモリビトは耐え忍ぶ。羽根の隙間からの銃撃網が《イクシオンベータ》を貫こうとしたが、その時には既に上方へと離脱している。

 

「嘗めるな。こちらとて……アムニスだ」

 

 振り上げた爪の一閃。詰めた呼気と共にさらに下段より一撃。押された形のモリビトを完全に封殺しようと、ゼロ距離での散弾を叩き込もうとした刹那、接近警報が弾ける。

 

 瞬時に甲板を蹴って避けたアザゼルはリバウンドの斧を持つ、鎧のモリビトがこちらを睨んだのを視野に入れている。

 

「二機、か。来るのならば来い。この《イクシオンベータ》は敗北しない」

 

『随分と嘗められているみたいね。Rランチャーで!』

 

 四枚羽根が不意に羽根を弾き上げる。内奥に充填していたRランチャーが火を噴き、ピンク色の光軸を刻んだ。

 

 完全な不意打ちのつもりだったのだろう。それも、自分には通用しない。

 

《イクシオンベータ》が肩口よりリバウンドの外套を纏いつかせていた。

 

「リバウンドコート。展開」

 

 リバウンドコートが《イクシオンベータ》を包み、その放射軸を変位させた。明後日の方向を射抜いた砲撃から息もつかせずもう一機のモリビトが仕掛けてくる。斧を打ち下ろした一撃。

 

 イクシオンフレームが軋んだが、その程度ではダメージにもならない。

 

 リバウンドの爪が斧をくわえ込む。

 

「話にならんな。出力負けだ、モリビト」

 

 斧が爪の斬撃を前に細切れになった。接近武器を失ったモリビトが下がったのと同時に四枚羽根のモリビトが前に出てくる。

 

「接近戦が出来るのか? そこまで器用には見えないが」

 

『器用じゃなくっても、やるのよ! クロが、ここに来るんだから!』

 

 打ち下ろされたのはリバウンドコーティングを施されたハンドガンだ。爪の一撃を耐え、懐へと潜り込んでくる。

 

「なるほど、戦術としては有効、だな。だが」

 

 外套を瞬時に前面へと持ってくる。相手のハンドガンは外套によって断ち切られていた。

 

『……嘘。切断性能も?』

 

「だから、嘗めるなと言っている。アムニスの、《イクシオンベータ》だ」

 

 腹腔を蹴り上げると相手が後退した。直後、青白い尾を引くミサイルが掃射され、《イクシオンベータ》は必然的に甲板を蹴って飛翔する。

 

 瞬間、《ゴフェル》の銃座がこちらを狙い澄ましてきたが、反射外套がその虚しい銃撃を弾いた。

 

「……落ちている、のか」

 

 観察の目を注げば《ゴフェル》そのものが惑星の重力圏に向かいつつある。このまま重力の虜になるのをよしとするわけにもいかない。

 

「……離脱領域確認。残り二十セコンド以内に敵艦から離れる」

 

『待ちなさいよ! そう都合よく!』

 

 モリビトの砲撃を受け切り、《イクシオンベータ》は敵艦へとリバウンドの散弾を注いだ。

 

 銃座が炎に包まれ、噴煙を上げながら艦が重力に抱かれていく。モリビト二機が甲板より内側に戻っていった。

 

 アザゼルは《イクシオンベータ》のコックピットより落ちていく敵を見据えていた。

 

「このまま地上の闇に落ちるがいい。貴様らには、その末路が相応しい」

 

 モリビトには再度突きつけられるであろう。

 

 この星の罪の是非を。

 

『アザゼル。《キリビトアカシャ》は帰還した。アンヘルに戻るといい』

 

「了解。……我々は依然、第一小隊として」

 

『ああ、活動してくれ。なに、ゴルゴダを手に入れた、という事はレギオンへの拮抗手段を持ち得る、という事だ』

 

 交渉条件のカードは揃ったというわけか。アザゼルは通信に問い返す。

 

「しかし、モリビトを一機も墜とせなかった。このまま宙域を離脱していいものか」

 

『心配は要らない。既に手は打ってある。その発動を待つだけだ』

 

 相手の声音にアザゼルは首肯していた。

 

「理解した。モリビト破壊にこだわる必要性がない事も」

 

『ならば戻ってくるといい。イクシオンフレームの有用性は説かれている。このまま無傷での帰還こそが望ましい』

 

「ああ。渡良瀬、敵はどう出ると?」

 

『珍しいな。質問か』

 

「少し……気になっただけだ」

 

『どう出ると言っても地上はアンヘルの目が届く範囲で占められている。ブルブラッドキャリアはこれまで以上に苦戦を強いられるはずだ。月面という拠点より離れたのは失策であったと思い知るだろう。その月面も地上勢力の届かぬ未知の場所。畢竟、まだ互いに牽制を投げ合えるだけの余裕は残っている』

 

 まだ話し合いでどうにか出来る部分は多いにあると思っていいだろう。アザゼルは機体を翻し様、渡良瀬に尋ねる。

 

「では……地上の運命はこれまで通りに?」

 

『ああ。我々アムニスが全てを支配する』

 

 その言葉振りに迷いは見られなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆け抜けた声音にレンは振り返っていた。

 

 大人達ががなり声を上げて端末に寄り集まっている。

 

「どうしましたか」

 

「おお、レン。今しがた入った情報だ。ブルブラッドキャリアが地上に降りてくるってよ」

 

 初めて聞いた名称だな、とレンは小首を傾げる。

 

「その組織は……?」

 

「何言ってやがる。ブルブラッドキャリアと言えば……」

 

「待て。そうか、レンは知らないんだったな」

 

 大人の一人が発した言葉に全員が沈黙した。何か深い理由でもあるのか、彼らは口を噤む。

 

「……何でもない。レン、お前は下がってろ。モリビトの役割を果たすんだろ」

 

 その言葉には了承し、レンは走り去っていた。しかし、どうしても気になる。別の経路を用いて大人達が会合に使っている部屋の屋根裏へとレンは忍び込んでいた。

 

 大人達が悪態をつく。

 

「クソが! ただでさえアンヘルの締め付けが苦しいってのに、ブルブラッドキャリアだと? こんなもん、まかり通って堪るかってんだ!」

 

「だが敵の敵は味方かもしれないぞ。ラヴァーズと共闘したって」

 

「惑星博愛なんて言っている頭の湧いた連中だろ? 信用出来るかよ」

 

 大人達が嘆息を混じらせる中、統率者が声にする。

 

「ブルブラッドキャリアの情報……レンに伝えるでないぞ」

 

「御意に……。ですが、レンとて馬鹿じゃありません。今もどこかで聞き耳を立てているかも……」

 

 レンは心臓が収縮したのを感じた。見透かされているのか、と思った矢先、統率者が声にする。

 

「そうなってしまえば、封じていた戒めも解かれてしまうだろうな」

 

「冗談じゃねぇ。あいつ……初めから人殺しの眼をしてるんだ。そうなったら俺達が一番に……殺されちまう」

 

 声を震えさせた大人に統率者は諌める。

 

「だから取り乱すでないと、言っている。レンには何重にも記憶の封印が成されているはずだ。如何なる事があってもレンの封じている記憶を呼び覚まさない、それに尽きる。敵は何もアンヘルだけではないのだからな」

 

「……内々の脅威に怯えなくっちゃならないって事ですかい。全く、恥なこって」

 

「でも、お前だって同罪だろ。あの時レンの妹を――」

 

 その刹那、同期していた端末が鳴り響く。統率者が情報を受け取って重々しく頷いていた。

 

「これは……なるほど、意義のある情報だ」

 

「……信じていいんですかい?」

 

「信じなくては、我々の反政府活動も意味を成さないだろう。実を結ぶのにはまずは行動から、だと」

 

「ですが……統率者。このコミューンは何年も戦いを免れています。今さら敵からの攻撃なんて受けたら……」

 

「ゆえにこそ、力は必要なのだ。この者達の買い値で人機を買っておけ。来るべき戦いに備えて、な」

 

「人機、か……。もう二サイクルは乗ってねぇ」

 

「鈍っている者はマニュアルに目を通しておくといい。もしもの時にはアンヘルが使っているジュークボックスの使用も検討する」

 

「冗談。あんなもの、殺戮者の常備薬でしょう」

 

「殺戮者になるかもって事だろ。いつ相手が来てもいいように銃弾だけは鈍らせるなよ、ってな」

 

「へいへい、せいぜい、銃の扱いだけは忘れないようにしておくかね。……この事、レンには……」

 

 統率者は頭を振る。

 

「言わぬほうがよいだろうな。モリビトの名前を冠しているとは言え、あれはまだ子供。来るべき時に我々の傀儡となれればいい」

 

「身内にビビッてるんじゃ話にならねぇって事だろ」

 

 せせら笑う大人に、一人が眉根を寄せた。

 

「それくらい分かってんよ。ただ、忘れんなよ。全員が、レンにとっては忌むべき敵なんだって事をな」

 

 どういう意味なのか。レンは探ろうとして前屈みになった途端、体重に天井が軋んだのを感じ取った。

 

「誰だ!」

 

 大人達の銃口が一斉に天井に向けられる。レンは務めて平静を装った。呼吸を殺し、気配を消す。

 

 数秒経ってから彼らは諦めた様子であった。

 

「……空耳か」

 

「怖がり過ぎなんだよ。敵はアンヘルだろ?」

 

「ブルブラッドキャリアだってどう動くのか読めない。……世界はまた混迷か」

 

 呟いた大人は唾を吐き捨てていた。

 

「せめて世界がもう少し読みやすければ、こうも転がらないんだろうけれどな。往々にして、世の中の仕組みが簡単になるなんて、あり得ないんだ」

 

 大人達の警戒が解かれてから、レンは屋根裏を駆け抜けていた。何がどうなっているのかまるで分からない。

 

 だが見据えるべき敵を、大人達は自分自身だと言っていた。その意味を胸の中に問い質す。

 

「俺は……大人を憎んでいるのか?」

 

 呟いてみても特別な感慨はない。漠然とした不安だけが胸中に墨のように広がっていくのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 情報はもたらされる光よりも速く、をモットーにしているにしては、その情報が端末にもたらされたのはあまりにも遅かった。

 

「……この情報」

 

 呟いた彩芽は端末上に示された事柄を反芻する。覗き込んできた相棒はどこか胡乱そうであった。

 

「彩芽、それ、何なん? 暗号化された通信みたいやけれど」

 

「そっちの眼でも同期して。この情報、意図的な改ざんが見られるわ」

 

 彩芽の言葉に相手は片目を収縮させる。眼球の端末に情報を送信してやると、ああと頷いていた。

 

「大質量兵器の破壊……、アンヘルのお陰って言う声明になっているみたいやね。でも、これやったんは……」

 

「間違いなくブルブラッドキャリア。それも、オガワラ博士の発言を使ったほうではない、……これは」

 

 離反兵と見られている側だろう。間に合ったのか、と彩芽は息をつく。

 

「でも、連中、本隊からも見離されてよぉやるわ。地上からも褒められやしないし、宇宙でも孤独のはずやろ?」

 

「それでも、実行する。それがブルブラッドキャリア――とでも言いたいんでしょうね」

 

 かつての古巣の理念を諳んじ、彩芽は情報に関してのレポートを組んでいた。相棒が口笛を吹かす。

 

「相変わらず仕事は早いんやね。急がんでも、こっちに益はあるようになっとるんやろ?」

 

「完全に上を信じ込むのは現実的じゃないのよ、理沙」

 

 名前を呼んでやると褐色肌の女は笑みを浮かべる。

 

「それ、つまりリーダーも信じてへんって意味?」

 

「信じる信じないのレートは常に変動する。殊に、わたくし達はグリフィス。情報を武器とする組織の兵隊よ? 容易く何もかもを信じてはいけない身分なの」

 

「せいぜい、肝に銘じておくわ」

 

 肩を竦めた理沙に彩芽はキーを打っていた。この情報が一般向けに開示されるのは十二時間は必要だろう。それまで市民は大質量の機動兵器を連邦が対処しているのだと思い込んでいる。

 

 どこまで行っても騙し騙され。民衆は無知蒙昧にも他者の力を信用するしかない。それがどれほどまでに血で贖われているのか知りもせずに。

 

「……彩芽? 妙な情報が入ってきたわ」

 

 理沙の声に彩芽はキーを打つ手を止める。

 

「……アンヘル内の、追撃の暗号情報……? 驚いたわね、ブルブラッドキャリア、まだ生きていたってわけ」

 

「生き意地汚いのはどっちかって話やね」

 

 その言葉には同意せざるを得ない。どうやら運だけは持っている様子だ。

 

「つまりアンヘルは撃ち漏らしたって事。……これ、使えないかしら?」

 

「連邦の高官にでも通話してみる?」

 

 彩芽はそれも視野に入れるべきだと感じていた。連邦とアンヘルは別系統の命令を持っているはずだが、自分の庭先で暴れられるのは相手とて面白くはないはず。

 

「どこに落ちても、ブルブラッドキャリアを追い込めるように情報操作。……怖い怖い。アンヘルを顎で使って殲滅戦?」

 

「そう行けば、いくらかは楽なんでしょうけれどね。繋ぐわ。お元気でしたか?」

 

 相手の名前を呼んでやると、高官は声を潜めていた。

 

『……どういう事なんだね? アンヘルがブルブラッドキャリアを撃ち漏らすなど』

 

「耳聡くって助かります。あるいはこう言うべきでしょうか。随分と情報に長けた部下がいらっしゃるんですね?」

 

 こちらの探りに高官は声を荒らげる。

 

『……失策だぞ! これでは面子も立たん』

 

「連邦からしてみれば、アンヘルに大きな借りを作った形ですからね。これまで以上に、アンヘルに従属……もっと言えば体のいい資金源になる事でしょう」

 

『……どうにかしたい。連邦の権限持ちはアンヘルの台頭を面白がっている連中だけではないのだ』

 

「重々、承知していますよ。貴方も含め、連邦の方々はとても正義感が強く、悪を見過ごせない性格であると」

 

 通信の先で相手が痺れを切らしたのが伝わった。理沙は先ほどから笑いを堪えている。

 

『言葉繰りはいい。グリフィスの情報網、当てにしていいのだろうな?』

 

「そこは、間違いなさらぬよう。我々は対価に見合った働きを致します」

 

 つまり、ここで黄金を差し出すのは相手の側。高官は慎重にカードを切っていた。

 

『……連邦から報酬は回す』

 

「それだけでは足りません。最新鋭の人機を一個小隊分、いただけると助かります」

 

 こちらの要求に相手は絶句していた。理沙もその要求は読めなかったのか、呆然としている。

 

『何を言っているのか……! ただの情報屋風情に連邦が人機を横流しするなど、許されるはずが……!』

 

「ではそのただの情報屋に、これまで払ってきた請求書をリークでもされれば、一番に痛い横腹を持っているのはどちらでしょうか? 人機一個小隊で確約されるのです。安いものだと、わたくしは思いますが」

 

 相手は苦渋の滲んだ声を通信越しに弾けさせた。

 

『悪党め。貴様らは悪辣の芽だ』

 

 そのような罵詈雑言、わざわざ額面通りに受け取るまでもない。

 

「お買い上げ、感謝します」

 

 ぶつり、と通話が切られる。理沙が笑いを堪え切れず、ぷっと吹き出した。

 

「やっぱ最高やわ! あんたと居ったら退屈だけはせぇへんよ、彩芽。どこでそんな手腕身につけたん?」

 

 かつての古巣で、と言い返しかけてリーダーからの暗号化通信が繋がれた。

 

『グリフィスはこれより、高値の買い取り作戦に入ります。アタシらの力、見せ付けてやりましょうじゃないですか。高官達から既に請求書は取ってありますとも』

 

「こちらも御意に」

 

 返答した彩芽にリーダーは探る声音を寄越す。

 

『エージェントA、あなた随分と手早い事ですねぇ。もしかしてブルブラッドキャリアと因縁でも?』

 

 グリフィスの中で勘繰りは推奨されない。それでも、自分のような実質的な力だけで成り上がってきた人間は不可思議に映るのだろう。

 

「いえ、もう過ぎたる事です」

 

『そうですか。それにしては、取立てに容赦がない。ブルブラッドキャリア離反兵に、まるで恨みでもあるような……』

 

「リーダー。勘繰りはせぇへん主義やろ?」

 

 声を差し挟んだ理沙に話題は打ち切られた形となったが、それでも禍根は残る。どこかでこの組織でさえも裏切りの基盤にあるのではないか、という危惧。

 

 ――どこにいても、何をしていても自分は爪弾き者だ。

 

 この星で闊歩する事を許されない、異端者。

 

 ――魔女と揶揄されているのを聞いた事がある。

 

 グリフィスの目を欺く術を持つラプラスの魔女、と。それは組織の中では誉れの名前だ。情報戦に特化した事を味方からも認められている。

 

 だが、あまりにも自分に見合ったあだ名に少しばかり辟易する。

 

 堕落した魔女の名前はまさしく宇宙より降りてきた凶星そのものである自分に似合っている。

 

 あるいはグリフィスという純粋なる怪異を飼い慣らす魔女の誉れか。

 

 いずれにせよ、魔女と呼ばれるからにはそれなりの働きはしてみせよう。どれだけ悪に染まり、悪を征する側になったとしても。

 

 自分は歩みを止めぬ魔女の遣い。

 

「やってみせましょう。わたくしへとどれほどまでに疑念があろうとも。それを上回る成果を」

 

 その言葉にはリーダーも同調する。

 

『そうですな。実際、エージェントA、そちらの戦果は凄まじい。ブルブラッドキャリア離反兵から得たモリビトの基礎データはどれほどの価格帯でも第三国に売れますからね』

 

「第三国に横流しするのは面白味がありません。真正面から打って出ましょう」

 

 自分の言葉が意味するところを理沙とリーダーは関知していた。

 

「まさか……」

 

『これはこれは。国取りをなさるつもりで?』

 

「そこまで大それた事は。ですが、敵将の馬を射るくらいは」

 

 首を取るとまでは言わない。しかし、その足を止めるくらいは出来る自負がある。あまりの言葉に理沙もフォローを失っているようであった。

 

 リーダーはしかし、声音に喜色を滲ませる。

 

『……面白い。面白いですねぇ、複雑化した国家間の牽制を、我々がリードする、という未来ですか』

 

「複雑化? ご冗談を。C連邦政府の敷いたレールに取りこぼされた国家が抗っているだけです。六年前に比べれば御しやすいですよ」

 

『一国の競争の激化はそれだけ他国の不満を買う。それでさえも、あなたはやってのけると? 馬を射ん、と』

 

「可能ではあります」

 

「ちょっと……あまり出過ぎた事を言うとると、足元をすくわれ――」

 

「わたくし達はグリフィス。欲望に塗れた人間より黄金を守る事を責務とする守護獣です。守護獣には守護獣らしい、振る舞いが要求されるでしょう」

 

 これから先のグリフィスの未来でさえも自分が手綱を握ってみせる、という自信。あまりに軽率だ、と諌めようとした理沙の声を遮ったのはリーダーの高笑いであった。

 

『いやはや……野心、いいえ、これは明確な自負、ですなぁ。これほどのもの、浴びると心地よいものです。殊に、何百年とそれが封じられてきた禁忌の星で、吼え立てようものならば』

 

「トウジャはまだ新しい罪です。わたくしは人間の原罪を引っぺがす」

 

『吼えてみるものですなぁ。いいでしょう。アクセスコードを譲渡します。エージェントA、あなたには禁断の鍵へと進むための針路を』

 

 眼前で展開される事象に、理沙は言葉を失っていた。自分が真実へと肉薄せしめている。その事実がまるで受け入れられないように目を見開いている。

 

「アクセスコード……。バベルへの優先権……」

 

「感謝し致します」

 

 言葉の表層だけの謝辞を受け取り、リーダーは声にする。

 

『しかし、気をつけるのですよ、エージェントA。何も戦場で撃たれるのは真正面からだけではありませんからねぇ』

 

 重々承知しているとも、と通信を切った。息をつくと理沙が乾いた拍手をこちらに向けていた。

 

「いやはや……あんたには毎回驚かされるわ。ホント、退屈だけはさせへん」

 

「褒めても何も出ないわよ。アクセスコード……はい」

 

 理沙の片目が収縮し、同期したアクセスコードを確認する。

 

「紛れもない、バベルへの優先権。こんなもん、不用意にうちにあげていいん? うちかて敵かもしれんよ?」

 

「敵だったら、アクセスコードをあげたら悠長にお喋りしていないでしょ。ここで後頭部を撃ったほうが早い」

 

 その論調に理沙は笑みを浮かべる。

 

「彩芽……、思ったよりも面白いもんをもらったんやね。バベルの開発権限とモリビトの基礎データ。それに一個小隊の人機。これ、全部揃えたらアンヘルに対抗出来るやん」

 

 地力で人機を量産し、改造。連邦の照合データで偽装したモリビトタイプの製造も可能である。それを理解しているのはこのグリフィスでは理沙とリーダーのみであろう。

 

 揃った三つの矢が何を示すのか。真に理解するのは難しいに違いない。

 

「三本の矢の故事……分かる?」

 

「一本なら折れるけれど三本なら折れないって奴?」

 

「そう……一つ一つはさしたるものではないかもしれない。でも三つ揃えば強大な武器となる。一つ、バベルへの優先度の高いアクセス権」

 

「もう一つは……モリビトのデータ?」

 

 首肯し、言葉を継ぐ。

 

「最後の一つは既存の人機そのもの。一個小隊あれば部品の取り替えには困らないでしょう」

 

「……ねぇ、彩芽。何を造りたいんか、そろそろ教えてくれへんかね?」

 

 好奇心に口角を吊り上げた理沙へと、彩芽は唇の前で指を立てる。

 

「女には秘密が多いほうがいいのよ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯247 次のために

 端末の拾い上げるデータがどれもあまりに異常なニュースばかりで、ベルは地下室で欠伸を漏らした。

 

 眼前には自分の焼いたクッキーを頬張っているクリーチャーの姿がある。彼は自分の至らない料理をいつでも美味しそうに食べてくれていた。

 

「おいしい?」

 

 クリーチャーは頷く暇も惜しいほどにクッキーを貪る。ベルは座り込んだまま、言葉を口にしていた。

 

「……ねぇ、クリーチャーさん。星が落ちてくるんだって。よく分かんないよね」

 

 ベルのこぼした言葉にクリーチャーが動きを止める。何か、彼の過去に関わる事であったのだろうか。ベルは苔むした地下室を見やり、水気を帯びた天井を仰いだ。

 

「だって、そんなの関係がないじゃない。あたしは、そんなので世界が終わっちゃうんなら、終わっちゃえって思う。……いけない子なのかな」

 

 クリーチャーの反応を窺う。彼は黄金の瞳でこちらを見据えている。

 

 その感情の赴く先がベルには自然と分かるようになっていた。彼との時間が長いお陰か、語らずとも本懐は伝わる。

 

「そう、よね……。いけない子よね。でも、お父様もお母様も、……セバスチャンも、みぃーんな、いなくなっちゃえって思っちゃう時があるの。とっても罪深いわ。でも、そういう事を考えている時、胸がドキドキして止まらない。あなたと会っている時と同じよ、クリーチャーさん」

 

 物語の始まりを予感した。その胸の高鳴りと禁断への欲求が同じなど、本来は認めてはならないのかもしれない。それでも、自分は手を伸ばした。この地下室の扉を開け放ったのだ。

 

 禁断の扉をノックしたのは、間違いだとは思っていない。

 

 クリーチャーが喉の奥を鳴らす。その一声だけで充分。

 

「……不思議よね。世界は終わりに向かっているのに、あたし、あなたといるといつまでも終わる事のない物語の中にいるみたいなの。こんな世界、なくなっちゃっても、あなたとあたしだけはいなくならない、って……変かな?」

 

 都合のいい夢想に違いない。少女趣味を現実に持ち込んで、美談に終わった物語なんてこの世にはないのだ。

 

 それでも、信じたかった。この黄金の怪物と一緒にいれば自分は解き放たれるのだと。

 

 退屈な日々の牢獄から、ようやく自由になれるのだと。

 

 クリーチャーが何か言葉を口にしようとする。耳を傾けかけて不意に劈いた悲鳴にベルは振り返っていた。

 

 地下室の扉が開いていたのか、それともつけられていたのかは分からない。ランタンを手にした侍女が見開いた眼でクリーチャーを凝視する。

 

 ベルは言い訳を探そうとして、それより速く空間を奔ったクリーチャーの爪に覚えず声を荒らげていた。

 

「殺さないでっ!」

 

 クリーチャーの爪が静止する。侍女の首筋を掻っ切ろうとしたクリーチャーがこちらへと振り返る中、彼女は真っ直ぐに地上に向けて駆け抜けていた。その足を止める術を持たない。

 

 すぐに屋敷の者達が包囲してくるはずだ。

 

 逃げられない。物語の中にはもう二度と戻れないのだ。

 

 ベルは床に落とした端末が伝えるニュースキャスターの声が妙に浮いた響きを伴わせるのを聞いていた。

 

『ご覧ください! これは終末の光景でしょうか? 今! まさに大質量兵器が惑星に迫りつつあります。しかし、ご安心ください。既にC連邦の精鋭部隊が宇宙に上がっており、質量兵器は静止されるとの見通しを政府が局へと提出しました。つきましてはコミューンに点在する自治体は良識ある行動を、と勧告されています! 繰り返しお伝えします。コミューンへの落着の可能性はあり得ません。よって市民の皆さまにおきましては……良識ある行動を……』

 

 世界が終わりに向かう只中、自分の物語は虚しく崩れ落ちようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大気圏突破用の防護フィルターでも減殺し切れないのは、リバウンドフィールドの穴を選んで落着するほどの余裕がなかったせいもある。

 

 エクステンドチャージによって黄金に染まった《ゴフェル》が激震する。ブリッジが赤色光に染まり、《ゴフェル》は大気圏突破の配置に入っているにも関わらず、大規模なダメージを負っていた。次々に注意色から警戒色に染まるステータスが全てを物語っている。

 

「各員! 配置からは離れないで! 《ゴフェル》は海上に落着の予定です! 不時着時の衝撃は計算の数値内に固定! 格納部を含め、各所には冷静な対策を……」

 

『ニナイ。この計算式だと《ゴフェル》は三日も動けない。この状態でアムニスに攻められると……』

 

 茉莉花の声音にブリッジのクルーが悲鳴を上げる。

 

「嫌だ! 死にたくない!」

 

 頭を抱えたクルーにニナイは声を荒らげる。

 

「死ぬかどうかは私達次第でしょう! ブリッジは絶対に諦めちゃいけないのよ! 月で本隊に吼えた時の根性を見せなさい!」

 

 自分でもあまりにも不条理な言葉だとは思う。月で啖呵を切った時とはまた別の脅威には違いないのだ。あの時の勇気をもう一度、などという都合のいい弁明が通用するはずもない。

 

 重力圏に抱かれて焼け死ぬイメージの結ぶ鮮烈さに、ニナイは奥歯を噛み締めていた。

 

「……せっかく《モリビトルナティック》を撃墜したのに……」

 

 悔恨が滲む中、不意に繋がれた接触回線にニナイは面を上げていた。

 

『……達す。ブルブラッドキャリア旗艦。重力下装備を全面に張れ』

 

「そちらは?」

 

『……ちら……、ァーズ。……サンゾウ、……位置している』

 

 位置情報マップが受信され、茉莉花が声を張り上げた。

 

『これは……ラヴァーズからの安全圏のマッピングだ! 最小限の衝撃で不時着出来る可能性が高い。艦長、《ゴフェル》のシステムコンソールをラヴァーズの誘導に任せるぞ! ここはラヴァーズを信用するしかない』

 

 茉莉花が言うのだから確かなのだろう。いずれにせよ、恐慌に駆られたブリッジを収める方法は多く見当たらない。

 

 ニナイはブリッジに伝令する。

 

「ラヴァーズのガイドビーコンに従って! 不時着姿勢に入ります!」

 

「ですが……本当に洋上に入れるんですか……。その前に燃え尽きる恐れも……」

 

「今は、一分でも生き残れる可能性に賭けるのよ。今までだってそうしてきたでしょう」

 

 そう、分の悪い賭けは今に始まった事ではない。《ゴフェル》の耐熱フィルターが次々と剥がれていく。

 

「第一層に到達! 持ちませんよ!」

 

『推進剤を使いなさい! 加速をかけてすぐにラヴァーズの誘導に乗れば……』

 

 助かる、というのか。今は迷っている時間もない。

 

「加速前進! 船体の装甲を維持しつつ、そのまま落着します!」

 

「加速了解……。ですが……どうなったって」

 

 そのぼやきを聞きながらもニナイは必死に身体を持ち堪えさせた。艦長である自分だけは絶対によろめいてはならないと。

 

『直下にラヴァーズの艦を確認! これは……人機で?』

 

 茉莉花の言葉の真意を探る前に数機のバーゴイルが編隊を組んで《ゴフェル》へと取りついてくる。

 

 何をするのか、と問い質す間もなく、バーゴイル数機が制動用の推進装置に火を通していた。

 

「バーゴイルは元々、大気圏突破も加味されている……。その機体なら、《ゴフェル》を持ち堪えさせる事も……」

 

 だが理論上可能である事と、実際に実行するのとはわけが違う。減速に入った《ゴフェル》の衝撃波についてこられずにバーゴイル二機が吹き飛ばされた。操主は即死だろう。焼け落ちた人機にブリッジのクルーが面を伏せる。

 

 ニナイは決して顔を背けなかった。彼らの死に目を逸らしては報いる事が出来ない。

 

『《ゴフェル》……熱量低下。衝撃波を最大まで減らして……このまま洋上に不時着出来る……』

 

 茉莉花の声に着水までのカウントが表示される。ニナイは声を張り上げていた。

 

「総員、不時着に備えて! 衝撃波、来るわよ!」

 

 直後、船体を激震させた揺れに席についていたクルーでさえもつんのめる。ニナイは必死に身体を安定させようとする。

 

 着水時に舞い上がった水柱が《ゴフェル》の青い甲板を叩いていた。

 

 衝撃波が完全に消え去ってからようやく、ラヴァーズの旗艦から通信が繋がれる。

 

『無事であったか』

 

 サンゾウの声である。それを聞いて、ああまだ生きている、と実感した。

 

「何とか……と言ったところですね。ご協力、感謝します」

 

『宇宙に向かってからまさか再度合間見えるとは。これも運命なのかもしれんな』

 

 サブモニターの茉莉花に視線をやると彼女はどこか不遜そうに腰に手を当てている。

 

『で? ラヴァーズがどうしてこちらの位置を?』

 

 そう言われてみれば確かに、ラヴァーズの情報網では《ゴフェル》の位置特定など不可能のはず。返された答えは単純明快であった。

 

『接触してきた情報機関があった。彼らがグリフィスと名乗り、《ゴフェル》の落下予測をこちらに伝えた』

 

 やはり、グリフィス。自分達を操っているのは何も本隊やアンヘルの者達だけではない。グリフィスという新たなしがらみが何もかもを掌握しようとしている。

 

 その目論見にまんまとはまってしまったわけだ。

 

「……グリフィス……」

 

『借りが出来たわね。燃え尽きたっておかしくはなかった』

 

『必要はない。そちらに預けた運命の御子が生きているのならば』

 

 茉莉花の事だろうか。彼女はその言葉にぷいと顔を背けていた。

 

『いずれにしたって、これから《ゴフェル》が地上で活動するに当たっては大きな制約が纏いつく。しばらくはお荷物になるわよ、この艦』

 

『構わない。……我々も貴殿らと離れた後、多くの兵を失った』

 

 ラヴァーズに襲撃を仕掛けるような勢力がいたというのか。その事実に驚愕しつつも、ニナイは礼節を述べていた。

 

「……感謝します。何度も助けられて」

 

『いや、こちらの身勝手を貫いているのみだ。何も気負う事はない。大質量兵器の落着……それを阻止した貴殿らの勇気を称したい』

 

 だが地上ではアンヘルの行いになっているはずだ。それに自分達はせっかく奪取した爆弾を一つ奪われている。完全な任務遂行とは言えない。

 

『嫌味かしらね。それとも素で? こっちは大分すり減らしたって言うのに……。艦長、一応は信号弾を合流地点に放っておいた。《モリビトシンス》が無事に合流地点まで来られれば、の話だけれど』

 

 自分達は欠いてはならない戦力を欠いている。この状態でラヴァーズの世話になってもほとんど健闘は難しいだろう。

 

「……ラヴァーズ。そちらとの再度の会合を望みます」

 

 艦長として出来る事はやっておきたい。その姿勢にサンゾウは了承を浮かべる。

 

『こちらも、話しておかなければならない事がある。地上はアンヘルの発言力が増して久しい。ほんの十日にも満たない別行動であったが、それでも変わったものが存在する。これより先、アンヘルに拮抗するのには必ず、弊害が発生するだろう。それをどのように除去するのか』

 

 話し合いはお互いのために、であろう。ニナイは首肯し、通信を切っていた。

 

『……で? 本当に話し合いをするの?』

 

 茉莉花の言い草は分からないでもない。共闘関係を切って宇宙に上がった手前、また都合よく手を取り合う、というのは虫が良い話だ。

 

「……お互いの利害のため、っていう建前があっても、それでも情報の共有化はされるべきでしょう」

 

『グリフィスに張られている、って分かっていても?』

 

 それは、とニナイは言葉を濁す。今の自分達を縛っているのはアンヘルのみに非ず。アムニスという上位存在に、地上を手玉に取っていると思われる別勢力。正直な事を言うのならば、ここで一時でも留まっているような余裕はない。

 

 しかし、桃や林檎と蜜柑は連戦続きのはず。一度、休息を取れるような兵力の余裕は持つべきだ。

 

「……モリビトの執行者には無理を強いている。私が矢面に立って、それで彼女らが休めるのならば」

 

『まぁ、確かにモリビトばかりを使うのは下策ね。かといって余裕のある兵力があるわけでもなし。ここはラヴァーズのおこぼれに預かるのも一興ではある』

 

 セカンドステージ案もほとんど開発から実装までの期間はないに等しい。一度、改良した部分を見返すのには時間が必要なのは明白であった。

 

「全員のために……ラヴァーズとの共闘を結びます。異議は……」

 

 伝令したニナイに桃が個別回線を繋ぐ。

 

『ニナイ。異議はないけれど、それでも一つだけ。モモ達は逃れ逃れてここまで来た。それも含めて、提案がある』

 

「提案?」

 

 桃は一呼吸置いて言いやっていた。

 

『――もう逃げたくない』

 

 その言葉には同意であったが、それでも逃げないという選択肢は少ないのだ。モリビトを前線に立たせるだけが能だと言いたくはない。

 

「……桃、言いたい事は分かるわ。逃げたくない、という意志もね。でも、現実的に考えればラヴァーズとの共闘においてモリビトを隠し玉にするのには大きなメリットが存在する。別段、彼らを隠れ蓑にしようというわけでもない。ここは温存する、という動きを見せたほうが得ではあるの」

 

 そう、戦力の温存。今まで実行出来なかったその考えをここに来て実行させるのにはラヴァーズと手を結ぶのはちょうどいいのだ。

 

 しかし桃は納得していないようであった。

 

『クロは……単騎で宇宙に残った。あの子が帰れる場所を保ってあげないと』

 

《ゴフェル》が今、轟沈するわけにはいかない。鉄菜がせめて合流するまでは、戦い抜かなければならない。

 

『桃・リップバーン。焦りは実感している。こっちもね。でも、今は鉄菜・ノヴァリスを信じてあげたら? 瑞葉とゴロウだってついている。何も単独で残ったわけじゃない。それに、《モリビトシンス》を欠いて一番に惜しいのはこっちなのよ。アンヘルの強襲に耐えられるかどうかは水物。無論、アムニスの使う新型にもね。存外、こっちのほうが危うい綱渡りをしている。心配するのならばまずは自分の事からにしたほうがいい』

 

 他者を慮るのはいい事だが、現状を見据えるのなら無用な戦いは避けるべき。まさか茉莉花の口からそのような言葉が出るとは思わなかった。

 

 桃はその返答に閉口する。

 

『……でも、モモ達は交渉道具じゃない』

 

『交渉道具じゃないからこそ、前に出したくはないといっているのよ。それも伝わらない?』

 

 茉莉花の言葉振りに桃は意見を仕舞った。

 

『……分かった。でもニナイ。もしもの時には』

 

「ええ。モリビトでの迎撃は視野に入れている。それに、鉄菜の早期回収も」

 

 そう結ぶと桃は通信を切った。嘆息をつくこちらに茉莉花が声を投げる。

 

『疲れてる?』

 

「正直、ね。でも意外……あなたの口からあんな言葉が出るなんて」

 

 茉莉花はもっと達観しているのだと思っていた。彼女はぷいと視線を逸らす。

 

『……合理的な判断に任せたまでよ』

 

 その返答にニナイはクスッと微笑んだ。存外、彼女も人間なのだ。

 

「ラヴァーズとの話し合いにもつれ込めただけでも御の字。せめて次の戦いまでは休みましょう」

 

 異議はなかったのか茉莉花は通信を切る。クルー達も疲れが溜まっている事だろう。ニナイは艦内に伝令する。

 

「総員、第一種戦闘態勢を解除。今は少しでも休息して。次の戦いのために」

 

 そう、全ては次の戦いで百パーセントのパフォーマンスを出すために、であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯248 消えゆく日々に

 

 まさか本当に回収してくるとは、とアンヘルの構成員達は物珍しそうに爆弾を眺めていた。

 

 高濃度ブルブラッド汚染の可能性が高いために全員が防護服に身を包んでいたが、それでも血続で固められたアンヘルの兵士の中には操主服のみの者もいる。

 

「あれが……ブルブラッド重量子爆弾」

 

 呟いたヘイルに補足が成された。

 

「ゴルゴダ、の名前で通っています」

 

 そう口にしたのは線の細い兵士であった。軍人とは思えないほどの涼しげな眼差し。流した紫色の髪が広告塔のような容貌を整えている。

 

「……第一小隊の」

 

「メタトロンと申します」

 

 差し出された手にヘイルはわざと無視を貫いた。

 

「あの爆弾、誤爆の可能性は?」

 

 メタトロンは芝居めかした動きで肩を竦める。

 

「あり得ませんよ。受信機がないですから」

 

「受信機……人機の頭、か」

 

「元々無人の機体です。頭部コックピットを受信機として用いた新たなる武器。歴史が塗り替わりますよ」

 

 どこか自分の手柄のように話すメタトロンにヘイルは目線を流していた。

 

「……だがあんなもの、あっていいのか。ただの純粋な……破壊兵器じゃないか。大量殺戮の道具なんて」

 

「今さら、そんな事をアンヘルの構成員が言うとは思いませんでしたよ。あなたは思ったよりもロマンチストのようだ。我々のあだ名は」

 

「虐殺天使……。分かっていても違うんだよ」

 

 そう、違うのだ。今までは何も考えなくともよかった。隊長が全ての泥を肩代わりしてくれた。全ての罰を受け持ってくれた。

 

 しかし、その隊長はもういない。そうなってしまえば自分と燐華だけの第三小隊、どれほどに無力なのかは前回の戦闘で思い知った。

 

 誰も罪を肩代わりしてくれない戦場。そのような場所では、あまりにも燐華は脆い。あのような少女に今まで自分は言いがかりをつけ、無理を強いてきたのか、と考えると我ながら恥じ入っていた。

 

 隊長は分かっていて、何も言わなかったのだろう。

 

 燐華は戦場に赴く度に、研ぎ澄まされていく刃そのものだ。《ラーストウジャカルマ》が彼女の狂気を浮き彫りにさせている。

 

 それに比すれば自分などただの一兵士。駒に過ぎない己を顧みれば、殺戮天使のあだ名もどこか遊離して思える。

 

「俺は……言うほど人でなしになれていなかった」

 

「謙遜ですか。らしくもない」

 

「らしくもない、か……。そうなのかもな」

 

 隊長に依存していたのは何も燐華だけではなかったのだ。自分もどれほどに隊長に助けられたのか知れない。

 

 殺戮天使の謗りも、アンヘルの血の赤の矜持も全て、誰かがフィルターを通してくれていた評価。直視せずに済んでいたいくつかの事象なのだ。

 

 いざ目にすればこれほどまでに自分は弱い。燐華ほどの覚悟もなく、隊長ほどに何もかもを包み込めるほどの度量もない。

 

 中途半端な己を持て余すのが一番に厄介なのは目に見えている。

 

「思っていたよりも馬鹿だったって話だよ。第一小隊のエリートには分からないかもしれないが」

 

「アンヘルは皆、平等ですよ。いいではないですか。力こそが正義。その正義を振り翳す特権を持っている。この地上最後の、本当の意味での良心として」

 

 良心。その言葉一つでいくつの命が葬られてきたのだろう。屠るのも一つの良心だと疑わなかった。

 

 半端に生かすのならば殺したほうがマシだと、自分に言い聞かせてきた部分もある。

 

「……その良心の結晶が、あんな爆弾かよ」

 

「何を責める事が? ゴルゴダはクリーンな兵器ですよ」

 

「クリーン? 俺は宇宙で青い夜明けを見た。あんなものをクリーンと呼ぶのだとすれば……この世はもう狂っている」

 

 禁断の青の夜明け。敵の質量兵器を完全に消滅させたあの爆発が今も網膜の裏にちらつく。

 

 あんなものをもし、地上で起爆させられればどうなるか。地表は青い地獄に染まり、毒の大気がこれまで以上に人々を苦しめるだろう。

 

 そのような簡単な想像力でさえも欠如していたのが今までの自分だ。それを責める人間がいなかったのもあるが。

 

 隊長を失って初めて、自分で考える意義を持てた。頭を使って戦場を歩み進む、という理性がなければ燐華はすぐに彼岸へと行ってしまう。隊長は分かっていたのだろうか。

 

 燐華がそれほどまでに危うい場所にいる事を。自分達の中で最も、狂気に染まりやすいという事実を。

 

「……分かりませんね。あなたのパーソナルデータを閲覧しても、別段変わった兵士というわけでもない。それこそ、普通のアンヘルの兵士です。メンタルチェックでも、フィジカルチェックでも一度も引っかかっていない。兵士としては理想なほどです。何を迷うんですか? ゴルゴダは福音ですよ」

 

「福音? 生憎俺は、何もかも上の言う事を聞いていられるほど……」

 

 馬鹿ではない、つもりか。あるいは愚かではないとも。

 

 しかし、そんな事、今まで考えすらしてこなかったではないか。放棄して来た選択肢を突きつけられて賢しくなった気でいるなど。

 

「……愚者は惑うものです。賢者も然り。ですがどちらでもない……凡人の域ならば、迷う事も、ましてや考える事も少なくって済む。胸を張っていい。あなたは凡人ですよ」

 

 どこまでも他人を食ったような物言いに以前ならば噛み付いていただろう。しかし、今は彼を相手取っている事さえも惜しい。

 

 横合いを抜けていくヘイルの背にメタトロンが声をかける。

 

「女の事なんて! 戦場で気にすれば負けですよ」

 

 それくらいは分かっている。分かっているつもりであった。それでも、とヘイルは抗弁を発していた。

 

「何も考えずに引き金だけ引いてりゃいいんだったら、操主なんて要らないだろ」

 

 言い置いてヘイルは格納デッキへと向かっていた。別のブロックに収容された《ラーストウジャカルマ》へと急ごしらえではあったが、改修処理が施されている。それを指揮する人物へとヘイルは近づいていた。

 

「ヘイル中尉。爆弾を見てきたんだろ」

 

 こちらに気づいた様子の相手にヘイルは目を背ける。

 

「ええ、まぁ……」

 

「硬くなるなって。おれのほうがここでは新参だ」

 

 朗らかに応じてみせる相手の名をヘイルは口にしていた。

 

「その……アイザワ大尉。どうしてあいつに……ヒイラギにこの機体を。大尉ほどの権限持ちなら、わざわざ対等な勝負に持ち込まなくたって……」

 

《ラーストウジャカルマ》を渡さずに済んだのに。そのような女々しい悔恨に彼は顎に手を添えて考え込んでいた。

 

「何でって……おれも馬鹿だからさ。少佐……リックベイ・サカグチの背中をずっと追ってきたせいか、分かるんだよ。覚悟を持って戦っている奴っていうのが」

 

「覚悟、ですか……。しかし、ヒイラギは准尉です」

 

「随分と心配しているみたいだな。まぁ、お前みたいな上官がいたんならあのヒイラギ准尉も安泰か」

 

 ――違う、とヘイルは骨が浮くほど拳を握り締める。

 

 自分は理想の上官どころか、相手を陥れようとしていた。死んでもいいとまで思っていたのだ。

 

 今さら虫のいい事に相手の事を慮れるような立場ではない。

 

「……自分は、そんなによく出来た人間じゃありませんよ」

 

「みんなそんなもんだろ。よく出来た上官なんてそうそういない。ただ、誰か一人の眼にそう映ったのなら、それでいいんだ。何も多数の前で善人であれとまでは言わない」

 

 眩しいほどのタカフミの評にヘイルは覚えず面を伏せていた。今まで自分が燐華に抱き続けていた嫉妬が情けない。

 

 彼女を死地へと追い込んだ。戻れない場所まで追い詰めてしまった。

 

「……ヒイラギは」

 

「医務室に。ハイアルファーの負荷を確かめているみたいだな」

 

 ハイアルファー、という言葉を紡いだタカフミの眼差しは僅かに嫌悪に染まっていた。

 

「……失礼ながら六年前の殲滅戦を生き抜いた大尉にお聞きしたい事が。ハイアルファー人機とはどのようなものなのですか」

 

 その質問にタカフミは一拍置いてから応じていた。

 

「……ハイアルファー人機。学科で学んだはずだろう」

 

「それ以上の事を、現場の見地で聞きたいのです」

 

 人の精神を苗床にする禁断の兵装だと、そのような表面だけの話ではない。もっと具体的な部分に踏み込みたかった。

 

 これ以上《ラーストウジャカルマ》に乗り続ければ燐華はどうなってしまうのか。

 

 タカフミは慎重に言葉を選んでいる様子であった。

 

「……非人道的な兵器。国家間でも使用を控えるべきだという調印が成されたほどの。だが、おれが見た限りでは、そういうお偉いさんの決めた部分を遥かに超えている。あれは悪魔の兵装だ」

 

「悪魔の……」

 

「人の精神を蝕み、その負の部分を増長させて人間を……人ではない人でなしに仕立て上げてしまう最悪の兵器。おれは昔、こいつに呑まれかけていた操主を見た事がある」

 

 確認されている限りではハイアルファーは三つだけのはずだ。六年前に失われた【ライフ・エラーズ】。現存する【ベイルハルコン】。そして完全にその出所も、どこに封印されたのかも知れない禁忌である【バアル・ゼブル】――。

 

 情報の上ではその特性を知っていても、実際の戦場で猛威を振るったものを目にしたのは一つだけだ。

 

 憎しみと憤怒で機体の追従性を上げる【ベイルハルコン】。赤く染まった眼窩で敵を睨んだ《ラーストウジャカルマ》の姿は鮮烈に記憶に刻まれている。

 

「それは……」

 

 この機体のかつての操主なのか。そう聞きそびれたヘイルにタカフミは言いやる。

 

「どこまでも愚直で、どこまでも真っ直ぐで……どこまでも貧乏くじを引いちまった奴だった。でもそいつは……世界から拒絶されてもたった一個の寄る辺を見つけ出したんだ。素直に尊敬すべきだったと、今ならば思える。そいつは誰にも信用されず、誰にも信頼を置かずに戦い抜いた。殲滅戦の後、おれが零式を引き継がなかったら間違いなくそいつが後継者であっただろう」

 

 零式抜刀術の正当後継者。タカフミはリックベイより、その戦闘術を叩き込まれた教え子だったと聞く。しかし今の話し振りではまるで別にそのような人間がいたかのような……。

 

「零式を引き継げるほどの……」

 

「ああ。実力者だった。何よりも執念が段違いだったんだ。そいつは、一夜にして英雄から逆賊へと堕ちた。だからこそなんだろうな。世界を憎む事も出来たのに、そいつは世界を憎悪せずに戦いを全うした。本物の武士であったんだと、分かるまでには時間がかかり過ぎた」

 

 実力者であるはずのタカフミの経歴に残る汚点そのもののような口調に、ヘイルは《ラーストウジャカルマ》を仰いでいた。

 

 蛇腹剣の四肢をそのままに、別の武器を備え付けられようとしている。

 

「……地上用に改造するんですか」

 

「ブルブラッドキャリアの舟が地上に逃れた、っていう報告があったからな。当然、アンヘル第三小隊は追いすがりにかかる」

 

「……でも、俺達なんて。もう上は期待していないでしょう」

 

 第一小隊が出てきた時点で、お役御免の位置づけのはずだ。しかしタカフミの眼差しは死んでいなかった。

 

 むしろこれから先こそが本懐だとでも言うかのように、彼の眼の奥は燃えている。

 

「役割を見出すのは兵士の役目じゃない。だが、その役割に意味をつけられるかどうかは戦士の振る舞い次第だ。おれはそう教わった」

 

「……ですが俺達はアンヘルです」

 

 正規軍の流儀はここでは通用しない。それは錆び付いた理論だ。綺麗事で片付くのならば虐殺天使の謗りは受けない。

 

 それを分かっていないはずもないのに、タカフミの声音には諦めはなかった。

 

「アンヘルでも、精一杯足掻いてやろうじゃんか」

 

 タカフミが《ラーストウジャカルマ》の改修指示に戻る。その背中を見やりつつ、ヘイルは口走っていた。

 

「……何もかも、失ってから分かるほどに、俺達は愚かしいんだ。足掻きなんて……無駄なんだよ」

 

 そう思わないと失ったものに押し潰されそうでやっていけなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通信が繋いである、という言葉に燐華は面食らっていた。

 

 まさかゾル国駐在基地にまで私信を送ってくる相手など、自分には身覚えがなかったからである。

 

 しかしその名前を紡がれ、燐華は通信を受け取っていた。

 

「先生……こんな場所まで……」

 

『やっぱり……失礼だったかな。もう立派なアンヘルの士官である君に、僕が口を差し挟むのは』

 

「いえ、先生のお陰で……、《ラーストウジャカルマ》を動かせているんです。あたし、感謝してもし切れないほどに」

 

 感極まりそうになった燐華の声にヒイラギはこちらを窺う。

 

『……その様子だと機体に呑まれてはいないようだね』

 

 ハイアルファーの禁忌は聞かされていたが、自分は戦闘時以外での精神的な病理は見受けられないという診断結果を受けていた。ハイアルファーの精神汚染は誤差の範囲内に収まっている。導き出された結論に研究者達が眉根を寄せたほどだ。

 

「あたし、【ベイルハルコン】とは相性がいいみたいで。ほとんど精神汚染も見られないって、みんなが言ってくれています。これならあたし……まだ戦える」

 

 握り締めた拳にヒイラギが残念そうに声を落とす。

 

『そう、か……』

 

「先生? あたし、また何かいけない事を言ってしまいましたか? お元気が……」

 

『いや、これは素直に受け止めるべきなんだろうね。君は、【ベイルハルコン】に選ばれた。その事実を……僕は』

 

 いつになくヒイラギの調子が不自然だ。燐華は探りを入れていた。

 

「先生、あたしの事、どう聞いているのかは分かりません。でも思ったよりうまくやれているんです。モリビトとも対等に戦えています。この力であたし、アンヘルのお役に……隊長を欠いた第三小隊の役に……」

 

 そこまで口にして燐華は嗚咽した。どうしても流れる涙を止められない。浮かび上がった感情の堰が涙の粒となって無重力を漂う。

 

『燐華。君はそこまで無理をする事はないんだ。嫌ならばアンヘルの役職を解いてもいい』

 

「そんな……! あたし、大丈夫ですから! だから先生……戦わなくっていいなんて言わないでください。もうあたしを……逃げさせないでください」

 

 懇願にヒイラギは言葉をなくしたようであった。もう自分には戦場以外の日常など望めまい。モリビトを破壊し鉄菜を――無二の親友を取り戻す。その悪夢の腕から。

 

 誓った信念のためならば命くらいは投げ打とう。それくらいの覚悟がなくって何が戦士か。何が憤怒のトウジャの使い手か。

 

 ヒイラギはしかし、こちらの言葉に比してどことなく悲観気味であった。

 

『……本当ならば君をアンヘルに入れた時点で、僕は罰せられるべきであった。エゴで君から選択肢を奪った。全てが見えているくせに、何も見えていない振りを続けていた。彼の言う通りだ。いつまで、傍観者を気取っていれば気が済むんだ、僕は。目の前の救える命に対して、いつでも他人で……』

 

「先生?」

 

『ゴメンよ。君を追い詰めたのは、僕だ。他ならぬ僕の罪なんだ』

 

「そんな! そんな事はないです! あたしが選んだんです!」

 

『いや、僕はあまりにも長い時間、この世界に諦めを抱いていた。世界なんて変えられるはずもないと、高を括って何もかもが流れるに任せるのが一番だと。それが間違いだったなんて、もう遅いのかもしれない。懺悔も、後悔も。してはいけない身分であるのは重々承知している。でも僕はもう、逃げたくはないんだ。教え子である君が前に進むというのならば、僕も覚悟を決めよう』

 

「先生? おかしな事を言わないで。先生はいつだってあたしに道を説いてくださいました。だから、そんな……自分を否定なんて――」

 

『これはケジメなんだ。百五十年の静謐を諦観の上に置いた僕自身の。贖うべき罰の証。僕は、こうも罪深かった』

 

 何を言っているのか燐華にはまるで分からなかった。ヒイラギに背負うべき罪などない。むしろ自分を導いてくれて感謝さえしているというのに。

 

「先生……? 駄目なのはあたしのほうなんです。力に酔いしれたのは、あたしの罪だから……だから……」

 

『君をそこまで追い詰めた事こそが、僕の責任なんだ。燐華……いや、クサカベさん。正しい事を成そうと思う』

 

 正しい事? 燐華は問い質す。

 

「正しい事って……それは何の罪にも問われない事ですか? 何かを踏み台にしないと何も得られないんです。この世界は、そういう風に……」

 

 出来ているのだと知ってしまった。汚れてしまったのだ。

 

 だから勝手に罪に雁字搦めにはならないで欲しい。出来得る事ならば、ヒイラギだけは綺麗なままの自分の記憶の中にいて欲しかったのだ。

 

 しかし彼は譲らなかった。

 

『僕は僕のやり方で贖うよ。クサカベさん、君が君のやり方で贖っているように』

 

 その言葉を潮にして通話が途切れた。不穏な予感に燐華は何度もコールし直したが、もう繋がる事はなかった。

 

「どうして……どうしてあたしの周りの人は、罪に囚われていくの……? 鉄菜……、助けて。にいにい様……、隊長ぉっ……!」

 

 呻いても嘆いても、眼前にあるのは現実のみ。踏み締めるべきは、現実という超え難い壁であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯249 悪魔の取引

 定期通信が途切れて三時間半。

 

 その間、何もしなかったわけではない。ゴロウが《クリオネルディバイダー》側からもたらされる最新の情報を同期していたが、惑星圏の情報は既に統制されており、その情報も六時間以上のロスがある、という結果に終わっていた。

 

「六時間……、それほどの時間差があれば根回しも容易いだろう」

 

『作戦が成功したとしても、我々の側に喝采はないだろうな。栄光は全て、アンヘルが持ち逃げしたわけだ』

 

 苦々しい思いを噛み締めた鉄菜はアームレイカーを握っていた。エクステンドディバイダーからの脱却にはそれだけで三十分を要した。元の状態に血塊炉を戻せたのはつい一時間前だ。

 

 それまで内蔵血塊炉は平時の半分以下の供給量であった。

 

「……これがエクステンドディバイダーの功罪か。使えばしっぺ返しが来る」

 

 ようやく《モリビトシンス》が通常時の機動性能に落ち着いた事に安堵しつつも、これではまるで戦いの最中では使えないな、と判断を下さざるを得なかった。

 

『乱戦では難しい、というのがそちらの判断か」

 

 ゴロウの問いかけに鉄菜は頷く。

 

「こんなもの、使う暇があるとは思えない。今回は大質量兵器の破壊という大雑把な任務だからこそ役に立った。動き回る敵には撃てないだろうな」

 

『でも、クロナ。これが一度使えれば改善策だって」

 

 前向きな言葉を口にする瑞葉であったが、鉄菜はそれが容易くはない事を熟知していた。

 

「《ゴフェル》にデータを持ち帰れなければ改善も何もない。茉莉花の頭脳が必要になってくる」

 

 それに、と鉄菜は随分と離れた月面を視野に入れていた。

 

「月面を拠点に置く事を念頭にした装備だ。もし、《ゴフェル》が帰ってこられなければ……」

 

 最悪の想定に瑞葉が返す。

 

『定期通信が途切れて三時間……。何かあったと思うしかない」

 

 せめて、轟沈だけはよしてくれと考えていた。自分のいないところで仲間達が死んだなど、どれほど恨んでも恨み切れない。

 

『ランデブーポイントまで残り三十秒」

 

 ゴロウのルート開示に鉄菜は暗礁宙域を見据えていた。

 

 やはりと言うべきか。合流地点には《ゴフェル》の船体は存在しない。それどころか、デブリの浮遊する周囲に嫌でも最悪の事態を駆り立てられる。

 

「……戦闘の痕跡だ。アンヘルの一個小隊レベルとの交戦が見られる。どれがどの機体のデブリなのかは分からないが……」

 

 レーザーが索敵した一部の破片に鉄菜はブルブラッドキャリアのマーキングを発見する。まさか、と息を呑んで接近すると《イドラオルガノン》の使っているRトマホークの部品であった。

 

「……《イドラオルガノン》の部品を確認」

 

 その声の調子があまりにも絶望的であったからか、瑞葉はフォローする。

 

『まだ……墜ちたと決まったわけじゃ』

 

「いや、墜ちたにせよ、そうでないにせよ、《イドラオルガノン》が欠損するほどのダメージを負った。その時点で、もう下策に転がっていると思ったほうがいい」

 

 しかし、惑星に《モリビトルナティック》が落着した、という報告はない。

 

 阻止作戦までは上手くいっていたと仮定して、その後の作戦展開に支障が発生したと思うべきだろう。

 

 歯噛みした鉄菜は不意に湧いた熱源警告に面を上げた。

 

 視線の先で首を巡らせていたのは複座のバーゴイルである。外周警護のバーゴイルが宙域を探索している、という事実に鉄菜は息を殺してデブリの陰に隠れた。

 

 相手が熱源関知センサーを使っていれば意味のない行動であったが、宙域内の汚染濃度を計測して瞠目する。

 

「汚染領域……七十パーセント以上だと? これでは地上と変わらない」

 

 ブルブラッド汚染が拡大しているという事は爆弾が使用されたのだろう。問題なのは、これほどの汚染の中、生き残った人間がいるのかどうか。

 

《ゴフェル》が周囲にいないという事はこの宙域を離脱しているはず。しかしランデブーポイントに位置していない以上、何かあったと思うしかない。

 

 異常は複座のバーゴイルが見回していることからしても明らか。ブルブラッドキャリア側の勝利だけで終わった戦場ではないのだろう。

 

 デブリを鬱陶しそうに払うバーゴイルに鉄菜は息を詰めていた。

 

「アンヘルの送り狼だと判断するか」

 

『クロナ。前向きに考えるのなら、相手は《ゴフェル》を見失った。だから痕跡を探そうとしているんじゃないだろうか。ここに戻ってくると相手も仮定して』

 

『だとすれば、ここでバーゴイルをやり過ごすのは間違いではないが……発見されるとアンヘルが大挙として押し寄せる。それくらいは』

 

「ああ、理解しているとも。そう考えれば、ここで行うべきは一つだ」

 

 鉄菜はフットペダルを踏み込み、《クリオネルディバイダー》の補助推進も手伝って銀色の軌道を描く。

 

《モリビトシンス》は機動力が持ち味のはずのバーゴイルの背後へと、瞬時に接近した。相手が接近警告を聞いた時にはその背筋に刃が突きつけられている。

 

「動くな。通信を放っても殺す。何か少しでも動きがあれば迷いなく墜とす」

 

 こちらのオープン回線に相手はうろたえているようであった。

 

『な、何でモリビトが……? もうブルブラッドキャリアなんていないからって後始末を頼まれてきたって言うのに……』

 

「それは災難だったな。ブルブラッドキャリアの艦はどうなった?」

 

『し、知るかよぉ! 俺達はゾル国の駐在軍に所属しているんだ! アンヘルの動きなんて分かるわけ……』

 

「分からずして、ただ闇雲に宙域を漂っていたにしては迂闊だぞ。複座のバーゴイルなんて目的は残存兵の策敵か、あるいは殲滅に限られている」

 

 つまり相手の言った通りの後始末――ここに《モリビトシンス》が帰ってくる事を見越しての行動のはずなのだ。

 

 敵操主は息を詰めた様子であった。Rシェルソードがいつでもバーゴイルを叩き割れるように位置する。

 

『……黙っていても好転はしなさそうだな。知っている限りでいいのならば』

 

「ああ。話せ」

 

『……ブルブラッドキャリアの艦はダメージを負って……地上に逃げ延びたんだと聞いていた。アンヘルが上手い事交渉を持ちかけたんだと、俺達は作戦前に聞かされている。こちらの展開部隊があまりにも消耗したから、俺らは調査の名目で出されたんだ。爆弾の起爆する様子を、目に焼き付けたからな。ブルブラッド汚染がどれほどに深刻なのかを計るのも兼ねている』

 

「その調査だけにしては、武装している理由を聞かせてもらえるか。プレッシャーライフルを装備しているのは探索だけにしては重いはずだ」

 

『信じてくれ! 本当に調査が第一なんだ! ブルブラッドの爆弾……あれの破壊領域は上でさえも関知し切れていない! だから、アンヘルの足をすくうのならば今だって……お歴々からのお達しで……』

 

 ある意味では上層部の足の引っ張りあいに巻き込まれた形か。旧ゾル国連はC連邦の一強を面白く思ってはいないはず。

 

『鉄菜、恐らくこれは本音だろう。このバーゴイルはそれしか教えられていない。アンヘルの手の者ではないと分かった以上、この宙域にこいつを縛り付けておくと枝をつけられるぞ』

 

 こちらの首を絞めるような真似はしない。鉄菜はバーゴイルから少しずつ離脱していく。充分な距離を取ったところで、相手が機体を反転させた。

 

『タダでは帰れるかよ! 馬鹿野郎が!」

 

 プレッシャーライフルを相手が手にする前に、Rシェルソードが可変し、ライフルモードの銃撃が敵の頭部コックピットを射抜いた。

 

 頭部から黒煙を棚引かせつつ、複座のバーゴイルがデブリと共に流れていく。

 

「一機だけだな。囮でもない」

 

 反応を確かめていたが、伏兵の可能性は薄くなった。裏で糸を引いている人間がいるかもしれないが今は仕掛けては来ないのだろう。

 

『モリビトを釣ろうとするにしてはあまりに迂闊だ。恐らく調査名目というのも嘘ではなかったのだろう。ただ、餌と行き遭った不幸だけだ』

 

 ゴロウの声音に鉄菜は虹の皮膜に包まれた罪の星を見下ろす。

 

 単騎で降りられるかどうかのシミュレーションはゴロウが担当してくれるだろう。問題なのは瑞葉であった。

 

「瑞葉、お前はここまでついてくる事はない。月までは送り届ける。少し待ってくれれば無事に地上にも。だから、ここで――」

 

『嫌だ。クロナ、わたしを軽く見てもらっては困る。ここまで来たんだ。最後まで同行させて欲しい』

 

 だが、これより先は撤退戦になる可能性も高い。六年前の戦いは真に覚悟した者達だけの戦場であった。あのような場所に瑞葉を置きたくはないのだ。

 

「……月に残った者達もいる。不満はないはずだ」

 

『それでも。わたしはクロナと共にいたい。そのつもりで《クリオネルディバイダー》に乗っているんだ』

 

 彼女もまた覚悟してここにいる。その心根を侮辱する事は出来ない。

 

「……分かった。だが地上は以前までより更なる地獄に染まっているだろう。これまでの戦いの比ではない危険性が伴う」

 

『鉄菜。どれだけ説いたところで無駄だ。彼女もまた戦士なのだから』

 

 ゴロウが分かった風な事を言う。そんな事は百も承知だ。

 

「分かっている。……分かっているから辛いんだ」

 

《モリビトシンス》の降下予測を立てる。《ゴフェル》と狙って合流する事は難しいだろう。それでも、自分は罪なる星に赴かなくてはならない。

 

 月面という安息の地はあった。だがそれも結局は地上の罪をそそがなくてはどうしようもない事。

 

 ブルブラッドキャリア本隊との軋轢もある。月面に残れば生き延びられるという保証もない。

 

 だが今、自分と共に地上に降りることのほうがよっぽどだろう。過酷な道をいつだって瑞葉は選び取ってきた。それは彼女の人生の矜持そのものだ。その鋼鉄のような矜持を崩す事は自分には出来ない。

 

「ミズハ。《モリビトシンス》で降下ルートに入る。ゴロウが試算してくれるだろうが、大気圏突破直後に何かしらの襲撃はあるかもしれない。覚悟してくれ」

 

『分かった。……クロナ』

 

「何だ?」

 

『ありがとう。わたしは……まだ役に立てている』

 

 そのような事、礼として言葉にするまでも、と言いかけて、否、と鉄菜は頭を振った。分かり合えているうちに言葉にしなくては意味がない事もあるのだ。

 

 それを違えれば一生、袂を分かつ事にもなりかねない。

 

「……ミズハ。私は、最低だろうか」

 

 だからか、そのような問いかけが口をついて出ていた。迷いそのものの言葉が自分の喉を震わせている。

 

『何故だ? ブルブラッドキャリアのために戦っている』

 

「しかし私は……、同時に大きなものを切り捨ててしまった。切り捨てた事にも気づけずに」

 

 月面で邂逅した燐華の声。あれがもし、本当に燐華だとすれば自分は大きな間違いを犯した事になる。

 

 それを拭い去るのにはどうすればいいのか、今はまだ分からなかった。

 

 だからこそ、他人に尋ねるなんて事を仕出かす。

 

 今まで全ての決定権は自分で持ってきた。自分だけが最後の引き金を引けるのだと思い込んでいた。だがそれは驕りだ。

 

 引き金を引く覚悟を棚上げしてきただけで、結局のところ、本当に手詰まりになってしまえば何も出来ない。何も証明を刻めない。

 

 この世に生きていた意味さえもまかり間違ってしまいそうで――。

 

 瑞葉は静かにその迷いの胸中に語りかけていた。

 

『分からない。……だがわたしは救われた。あのままではアンヘルによって処刑されていただろう。ここに生きているわたしは、クロナのお陰なんだ。もっと誇りを持って欲しい。勝手な押し付けかもしれないが』

 

 勝手などではない。瑞葉は実行出来た。自分の考える事、目指す場所に自分から飛び込んできたのだ。

 

 だから彼女には勇気がある。

 

 自分は……まだ踏ん切りがつかない。とっくの昔に清算したと思っていた事象を前に足踏みをしている。

 

 ――こんなところで燻っている場合ではない。

 

 今はただ、そう決めた拳を振るうだけだ。

 

「……《モリビトシンス》。鉄菜・ノヴァリス。これより惑星圏内に入る。ゴロウ、サポートをよろしく頼む。私だけでは無理だからな」

 

『了解した。……鉄菜。余計な助言かもしれないが君は生きているうちにそれに気づけている。充分だと思うが』

 

 元老院として、生ける死体であった自分を顧みているのだろうか。ゴロウの言葉は胸の中に重く沈殿した。

 

 ――心の在り処を未だに知れぬ空虚の身体。人造細工の欠陥品。

 

 そう断じてはいても、鉄菜は背負っているものまで偽物だとは思いたくはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降りた、という報告を受けて渡良瀬は笑みを刻む。ゾル国駐在ステーションにて一機の複座バーゴイルの撃墜が確認されて数分。鉛を呑んだような静寂が管制室を包み込んでいる。

 

 無理もない。ブルブラッドキャリアを排斥したと思い込んでいる上からすればとんだ凶報だろう。生き残っていたモリビトには質量兵器を三割がた破壊せしめる装備が施されている、というだけで。

 

 この低軌道ステーションも落とされかねない。その事実に管制室に佇む司令官はどこか緊張気味であった。恐々と部下へと尋ねている。

 

「モリビトは……」

 

「確認不能です。しかし複座のバーゴイルのシグナルが消失した時点で……」

 

「こちらに……来るかもしれないのか」

 

 ぐっと唾を飲み下した司令官は格好の獲物であった。渡良瀬は声を差し挟む。

 

「モリビトを退けるだけの兵力、欲しくはありませんか?」

 

「ミスター渡良瀬。その手腕、聞き及んでいる。ドクトルタチバナの右腕であった、という経歴。それだけでも誉れ高い。どうだろうか。モリビトは……来るのだろうか……」

 

 恐怖に支配された人間の精神ほどつけ込みやすいものはない。渡良瀬はわざと返答を鈍らせた。

 

「どうでしょうかね。来るかもしれないですし、来ないかもしれない」

 

「言葉を弄している場合では……! 敵は衛星兵器規模の攻撃力を有していると……! そちらの情報であったはずだ」

 

 情報漏洩は罪に問われるだろうが自分達アムニスはレギオンの命令系統を一時的に介さない情報処理が可能になっている。

 

 脳内リンクによって知り得たモリビトの新武装の映像を出力し、レギオンのバベルをわざと外して旧ゾル国連へとその映像はもたらされていた。

 

 片腕に装着された盾が赤熱化し、黄金の刃が質量兵器の背筋を両断せんと迫る。

 

 巨大なリバウンドの剣はそれだけでも圧倒される材料だろう。殊にゾル国はC連邦との情報戦に躍起だ。この新情報、飛びつかないほうがどうかしている。

 

「こんなものが……。本当に可能だというのならばモリビト……恐るべき……」

 

「ですから、我々の技術を買わないか、と提案しているのはこれもあるのです。アンヘルは購入を渋っている。今ならば、お安く提供出来ますが」

 

 無論、相手とて二枚舌は心得ているのだろう。どこか信用出来ないという眼差しを注いできた。

 

「……こちらの一存では。旧ゾル国低軌道ステーションはコミューンでさえもない」

 

「ですがこれがなければ地上の電力施設は困窮する。そういう場所のはずです、ここは。C連邦の体のいい運搬会社に成り下がる気ですか? これでは国家でさえもない」

 

 国家ではない、という一語が彼らの神経を刺激したはずだ。旧ゾル国はプライドだけは人一倍の連中の集まりである。

 

「……我々を侮辱するか」

 

「侮辱しているのはC連邦です。どうしますか? 連邦にこれ以上、二束三文で買い叩かれる通路でこれから先もやっていくか。それとも国家として! 本当の意味で外交を行えるか。分水嶺はここですよ」

 

 国家として、という部分を司令官は反芻する。そう、国家としてやっていくのならば戦力は必須のはず。

 

 C連邦とアンヘルには別口を通してあった。この状況で旧ゾル国の面子は何よりも眼前に迫ったモリビトの脅威の排除にあるはずだ。

 

 そこに蜜の味を入り混じらせる。

 

 モリビトの排除と、圧倒的軍事力の保持。それらが同時に実行出来るとなれば甘い囁きに乗らないだけの度量もなし。

 

 据え膳を食わぬほど牙を抜かれたわけでもあるまい。

 

「……いくらで実行出来るのだね?」

 

 この場において密約が交わされるとあってもゾル国の命令系統は既に腐り切っている。上司の勝手を密告するほどの考えなしもいないだろう。

 

「簡単な手続きで可能です。お支払いはまた後日」

 

「……偉くなったものだ。ドクトルタチバナの腰巾着が」

 

 そう言い返すだけしか出来ないだろう。それでも充分だと自分でも知らない間に線を引いているはず。

 

 ゾル国はこの時、超えてはならぬラインを超えた。

 

 その瞬間の愉悦に渡良瀬は口角を吊り上げる。

 

「《イクシオンガンマ》。モリビトの追撃に入れ」

 

『了解』

 

 もたらされた復誦に管制室が固唾を呑む。

 

「なんと……、まだ手持ちがあったのか」

 

「当然でしょう? 下々を見下ろす天使は思っているよりも数多い。人と交わりたいと思っている者達はね」

 

「……さしずめ堕天使か」

 

「いいえ。我々こそが、能天使。世界を見張る監視者そのものなのです」

 

 実際にその一部と繋がっているなど彼らは想像も出来ないだろう。世界を末端まで繋いでみせるネットワークの存在。

 

 バベルという絶対者の眼など。

 

 渡良瀬は司令官の肩を叩き、耳元で囁いていた。

 

「いい買い物をなさいましたよ。あなた達は」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯250 最悪の因果

 

 昨日まで見えなかった星が空に浮かんでいる。

 

 それはあまりにも突飛で、あまりにも現実味がない。

 

 ベルははめ殺しの窓から覗ける外の世界を眺めていた。外壁が薄くなり、夜の一定の時間は汚染された外気の向こう側の景色が明らかとなる。その景色だけでいくつ物語を紡げただろう。いくつ、夢想出来ただろうか。

 

「……そんなの、この世にはないんだわ」

 

 部屋の扉は固く鍵がかけられており、外は物々しい憲兵隊が囲んでいるのが張り上げられる怒声から窺えた。

 

 ――きっとクリーチャーは殺されてしまう。

 

 誰でもない自分のせいで。

 

 ベルは項垂れて涙を滴らせていた。この世にあってはならない出会いだったのかもしれない。あるいは禁じられた遊びとでも。

 

 それでも彼は自分の中の物語であった。物語の主役を彩る存在であったのだ。

 

 眩いばかりの黄金の瞳。美しい金色の毛並み。牙も爪も、何もかも均整を保った怪物の面持ち。

 

 彼は美しかった。

 

 少なくとも自分にはそう見えたのだ。美しい獣が、大人達の汚いエゴで誅殺される。その名の下は正義か。それとも怪物を許さぬ人間という種の傲慢か。

 

 いずれにせよ、扉を開いたのは自分だ。彼を殺す遠因を作ったのは自分自身なのだ。

 

「神様……」

 

 祈っても縋っても、自分にはもう何も出来ない。何も……、と思ったところで扉がノックされた。

 

 外側から三重の鍵が解除され、現れたのはどこか物悲しい面持ちの従者であった。

 

「セバスチャン……」

 

「お嬢様。非常に……残念です」

 

「あの方を殺したの」

 

 あまりにも自分の言葉振りが刺々しかったからだろう。セバスチャンは柔らかく微笑んで否定する。

 

「いえ、そのような事をするはずがありません。我々は人間。怪物とは違います」

 

「どう違うって言うの。あの方を、殺そうとして! 憲兵まで連れて来たくせに!」

 

「お嬢様、落ち着いてください。落ち着いて、今の自分の状況のご理解を。あなたは怪物にかどわかされそうになった。強欲で……言葉にするもおぞましい手口で。それを我々は、人間の代表者として救います。そのための憲兵隊」

 

「欺瞞だわ! あなた達は汚いものを汚いと……! 怖いものを怖いって言いたいだけでしょう! 臆病者っ!」

 

「――それの何がいけないのですか?」

 

 不意に静けさを取り戻したセバスチャンの声音にベルは背筋が凍ったのを感じる。

 

「何、ですって……」

 

「何がいけないのですか? 違うものを違うと。恐怖の対象を恐怖と。扱う事に何の不満が? お嬢様、あなたはまだ世界を知っていない。この世界には……罪深く青に沈んだこの世の中はもっと複雑で、もっと狂気が渦巻いていて……そしてもっとおぞましい。それを箱庭程度の価値観で語って欲しくはないのですよ。我々の願いなのです」

 

 ベルは憔悴したように論調を引っ込ませる。今のセバスチャンは平時の口うるさい従者ではない、別の何かに思われたのだ。

 

 人間の悪意というものが形を取ったとすればまさしくその権化のように――。

 

「願いなんて……おこがましいわ。だってあの方だって……生きているのよ」

 

「お嬢様。このようなお話を聞かせるのは大変心が痛むのですが……今はご了承を。かつて人は数多のケダモノと共に生きていました。共生の時代があったのです。ケダモノとの、ね」

 

「……動物園の話をしているの?」

 

 父母が帰った時にはよく連れて行ってもらったものだ。動物園――滅びた生物達が同居している施設。

 

 別の名称では「保護区」、とも呼ばれていたか。

 

「犬や猫……もっと恐ろしい、熊やライオンでさえも、あの檻の中では等価です。どれほどの猛り狂っていても、あるいはどれほどまでに高潔でも、彼らと我々は違います。それはお分かりですね?」

 

 動物と人間は違う。それは分かり切っている。そのような事、今さら聞かされるまでもない。

 

「そんなの……分かっているわ。いつまでも子供だと思って、馬鹿にしないで!」

 

「ではあの怪物は? 何がヒトと同じですかな?」

 

 その問いかけに反論しようとして、何もない事に気がついた。

 

 反論する余地などない。人間との共通項を探すよりも、人間と違う箇所を探すほうがよっぽど手早いという事実に、ベルは絶句してしまう。

 

「それは……」

 

「違いましょう。あれは違うのです、お嬢様。別種のものを形容するのに相応しい言葉を我々は持っております。動物、ケダモノ、化け物。……怪物」

 

「あの人は怪物じゃないわ! 心があるもの!」

 

「心? 地下室を調べさせていただきましたが、お嬢様。手塩にかけていたご様子ですね」

 

 セバスチャンはわざとらしい語り口で部屋の中を歩き回る。

 

「……そんな言い方しないで」

 

「餌をあげたり、あの恐怖しかない遠吠えを聞いたり……愚痴をこぼしたり。まさしく動物と人間の関係でした」

 

「違うわ! あの人とあたしは心で繋がっているもの!」

 

 だから、と言葉を継ごうとしてセバスチャンの厳しい声音に遮られる。

 

「心とは! 片腹痛いにもほどがある! お嬢様、心は人間にしかないのです。あれはただただ汚物を撒き散らし、貪欲に生き血を啜る事のみに長けた獣。あのような存在、本来は出会ってはいけなかった。あなたのような高貴な方が、一秒だって世話をしてはいけなかったのです」

 

 セバスチャンの言葉は一つずつ、クリーチャーとの思い出を否定するかのようであった。あれも嘘、これも嘘、どれもこれも自分勝手に作り上げた――独善的な一人遊びだと。

 

 ベルは頬を涙が伝うのを止められなかった。大人の言葉を否定出来ない。セバスチャンの言い分は百の大人の声のようであった。

 

 一でしかない子供は……一ですらないかもしれない子供である自分は、何も言い返せない。自分は外の世界などまるで知らない。コミューンの外になど一度として出た事などないからだ。外の世界で使われているという「ジンキ」という兵器もよく分かっていない。

 

 国の事も、まだ勉強中の身だ。何も言い返せるだけの知力がなかった。あるいは言い返せるだけの説得力が。セバスチャンの言葉は現実を知っている。自分は夢見がちな少女の戯れ言に過ぎない。どこまでも妄信的に物語を信用し切っている。その物語に裏切られた時の衝撃を知りもしないで。

 

 あるいは知っていてもなお、物語の持つ甘美な囁きを信じたいのだろう。

 

 裏切られても、物語の世界に浸っていたいという独善的なわがまま。

 

「世話なんて……、あたしとあの方は対等なのよ……」

 

「対等? お嬢様、どうか目を覚ましてください。対等という言葉は本当に意味を持つ間柄でのみ有効なのです。あれは何ですか? 怪物以外にどう形容しろとでも?」

 

「でも! 怪物でも! あの人はあたしをないがしろになんてしなかった! 一人の人間として扱ってくれたわ!」

 

 こちらが声を張り上げるのをセバスチャンは呆れた様子で肩を竦める。

 

「お嬢様……過ぎたる言葉かと思いますがご容赦を。いいですか? あれは怪物なのです。あなたはヒトの側、それに何よりも高貴な存在です。このコミューンを買い取ったのはあなたのご両親の誠意そのもの。外の世界では国家間の争いが飛び火しています。その中で、旧ゾル国に味方すると発言しながらもそれでも連邦よりの迫害を受けないで済んでいるのは、ご両親の人柄です。人徳がなければ今頃、このコミューンもあなたも蹂躙されていてもおかしくはない」

 

「それは、あなただって同じでしょう! セバスチャン!」

 

 しかしセバスチャンはフッと笑みを浮かべた。

 

「残念ながら。政治的な思想の偏りは我々使用人にはございません。もっと成長してからお教えすべきだと思っていましたが、ここで言っておきましょう。あなたの味方など誰もいない。我々はご両親に支えられて生きてはいますが、あなたを主人だと思った事など一度もない」

 

 その宣告にベルは絶句する。今まで自分の味方だと思っていたものが虚しく音を立てて崩れ落ちていく。どこまでも空虚で、どこまでも無意味。

 

 それが自分という存在の集約だったのだと思い知った時、ベルは涙を流していた。

 

「ひどいわ……ひどい……」

 

「酷い? そうですか? そうとは思いません。あんなものを地下室に飼っていた事のほうがよっぽどだと思いますが。いずれにせよ、憲兵隊があれを殺します。あなたはこの部屋で何も出来ずに待っていればいい」

 

 立ち去ろうとするセバスチャンへとベルは全身で体当たりしていた。よろめいたセバスチャンの一瞬の隙をつき、扉を開け放つ。

 

「行っても無駄ですよ! 残酷な真実を知るだけだ!」

 

 その言葉を背中に聞きながらベルは城の廊下を駆け抜けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 抵抗はしなかった。無意味だと悟っていたのだ。

 

 憲兵隊が到達した頃にはクリーチャーは爪も牙も仕舞い、拘束されていた。

 

 両手両脚を鎖で繋がれ、壁際に立たされている。憲兵が槍を取り出し、脇腹に穂を突き刺した。奥歯を噛み締めて耐え忍ぶクリーチャーに憲兵が訝しげにする。

 

「随分と大人しいな。この魔物」

 

「大方、諦めているんだろ。しかし、まさか貴族様の屋敷の地下にこんなものがいたなんてな」

 

 憲兵達がブルブラッドの煙草を吹かす中、数人がかりで壁と同化した神像を引き剥がそうとしていた。

 

「駄目だ! 全然動かない!」

 

「妙な代物だよな。貴族の屋敷の下に怪物と人機なんて」

 

「何かを隠そうとした、っていう見立てが大筋だが、使用人ばっかりでまともな証言も聞けやしない」

 

 憲兵は端末を手繰り、神像の情報を同期しようとしたがあまりにその情報は劣化していた。黒塗りばかりの情報網に全員が辟易する。

 

「これって……つまりは登録抹消って事か?」

 

「そうみたいだな。連邦のデータベースにもない。分かっているのは、こいつが人機である事と、この怪物が操主であった、という事実だ」

 

 こちらへと向けられた一瞥には鋭いものが混じっていた。憲兵が煙い息をこちらへと吐き出す。

 

「このザマでよくもまぁ、操主だと? 軍属とも思えない上に、こいつの出所も分からない以上、どうするか……」

 

「やるしかないだろ。大枚叩いてもらっているんだ。要求通りに拷問した後に殺せばいい」

 

 槍がクリーチャーの腹腔を貫く。激痛にクリーチャーは身悶えした。

 

「しかし健気なもんだ。呻き声一つ上げない」

 

「大方、ここの頭のイッちまったお嬢様への律儀な忠誠心か。そのお嬢様も今頃現実を見ているだろうぜ。怪物なんかに関わるんじゃなかったってな」

 

 せせら笑う憲兵にクリーチャーは吼え立てた。自分を嗤うのならばまだ分かる。だが、彼女を――ベルを嗤うのは許せない。

 

 その怒声に全員の顔が凍りついた。

 

「おい、こいつ……」

 

「意識があるって言うのか。人間みたいな人格が」

 

 槍を構えた憲兵が一斉にその穂を片腕に向けて突き刺した。鮮血が迸る。

 

「赤い血かよ。こんなのでも」

 

「人機と同じ青い血なら、もっとやりやすいっていうのに」

 

 吐き捨てた憲兵が鞭をしならせクリーチャーの顔を叩き据えた。獣を無条件に屈服させる鞭の音にクリーチャーが牙を軋らせる。

 

「ケダモノには鞭って昔から決まっている。それに、こいつ……どうにも気味が悪いよな。眼は動物のそれって言うよりも人間みたいな作りだし、骨格があまりにかけ離れてはいるが、動物と人間の混合みたいな有り様だ」

 

「何なのか分からないのは相変わらずだがな。どうする? 殺すのは簡単だが……」

 

 ブルブラッドの煙草を吸って、憲兵の隊長が言いやった。

 

「待て。依頼主の条件はあくまでも、調査してからの抹殺だ。人機にも触れられない今、殺すのは早い」

 

「でも隊長。こいつ、いつになったら死ぬって言うんですか。さっきからの折檻がまるで効いていないみたいに」

 

「……そうだな。生存率だけは高そうだ。しかし、拘束には従った。よって、意識と呼ばれるものはあると……推測される」

 

「こんな化け物に意識、ですか」

 

 おぞましい、とでも言うような声音に隊長は鼻を鳴らす。

 

「なに、獣なりの本能だろう。どうせすぐに壊れるさ。それよりも人機だ! これを連邦政府に献上すれば旧ゾル国の面子も立つかもしれないとのお達しだ」

 

「ですが……先ほどからどのOSの命令も受け付けないんですよ、これ。苔むしていて、結晶化も進んでいます。既存の人機じゃないみたいに」

 

 隊長は思案を浮かべた後、こちらへと目線を配った。

 

「……こいつを乗せてみるか」

 

「正気ですか? 隊長! こんなの乗せたって人機なんて動かせるわけないでしょう!」

 

「かもしれない。だが乗せるだけならば、大丈夫だろう」

 

 隊長が歩み寄りクリーチャーの眉間へと銃口を突きつけた。

 

「言葉が話せるのならば言うのは今だぞ? 人機の動かし方が分かるのか?」

 

 クリーチャーは血反吐を吐きつけた。隊長の純白の服飾に血がこびりつく。

 

「た、隊長……!」

 

「うろたえるな。今の狼藉くらいは許してやる。言え! 人機の動かし方を!」

 

 眉間に押し当てられた拳銃の冷たさにクリーチャーは覚悟を決める。ここで静観を貫き、あの人機を二度と誰の手にも渡らぬようにする。

 

 それこそが自分の役目なのだと。

 

 押し黙ったクリーチャーに隊長が舌打ちを漏らした。

 

「そうか……!」

 

 引き金が絞られると感じた、その刹那である。

 

「殺さないで!」

 

 弾けた声に憲兵隊が振り返る。クリーチャーが我が目を疑っていた。

 

 ベルが頬を濡らし、地下室へと再び赴いていた。現実なのか、と困惑したほどだ。

 

「お嬢様……? こんなところに来てはいけませんよ」

 

 紳士の声音で隊長は言いやる。

 

 ベルはキッと全員を睨んだ。

 

「あなた達……恥ずかしくないの! 全員でクリーチャーさんをいじめて! 人間だって言うのなら、こんな……優しさの欠片もない……!」

 

 絶句した様子のベルに隊長が歩み寄った。さめざめと泣くベルを見下ろし、隊長はその身体を蹴りつける。

 

 想定外の行動に憲兵隊がざわめいた。

 

「隊長? このお嬢様は依頼主の……」

 

「構うものか。我々がやったという証明もない。いざとなればいつでも、怪物のせいに出来るんだからな」

 

 ベルの肩口を踏みつけた隊長は声を振りかける。

 

「お嬢様。あなたは色々と勘違いをなさっている。まず一つ。あの怪物に、人間らしさなんてありません。ただの本能のケダモノです。そしてもう一つは……ここに一人で来るべきではありませんでしたね。ケダモノは、ヒトの中にもいる」

 

 ハッと振り仰いだベルの胸元を隊長が引き剥がす。ベルは必死に抵抗しようとしたが大人の力には敵うはずもない。

 

「いや……っ! いやぁ……ぅ……! クリーチャーさん!」

 

「あんなものの名を呼んだところで! 貴族を犯すのは最高に気分がいい!」

 

 スカートの下から潜り込んだ指先にベルが悲鳴を上げる。地下室に残響した声にクリーチャーが満身で吼え立てた。

 

 オォン、と何かが呼応する。

 

 憲兵がその雄叫びの先に気づき、顔を上げた。

 

 X字の眼窩が赤くぎらつき、今まで微動だにしなかった人機が稼動している。

 

「人機が……!」

 

 うろたえ気味の憲兵が下がる中、人機の照合結果が投射画面に導き出される。

 

「照合……《グラトニートウジャ》……。そんな……六年前にロストしたはずの機体が、何故……」

 

 憲兵が逃げ去る前に彼らを包み込んだのは虹色の皮膜であった。

 

 一人一人を泡のようなものが拘束する。ベルに手をかけようとしていた隊長でさえもその魔の手からは逃れられなかった。

 

「何だこれは! 何が起こっている……!」

 

 泡を叩き破ろうとした隊長へとクリーチャーは声を絞り出す。

 

「ハイアルファー……【バアル・ゼブル】……起動」

 

「まさか……喋って……」

 

 面を上げたクリーチャーが睨み据えた。

 

「叩き潰せ」

 

 瞬間、泡が収縮し、内側にあった身体を重力が押しつぶしていた。

 

 鮮血が泡の内側で一滴に至るまで消し去られ、憲兵の半数が削られる。

 

「クリーチャー……さん……?」

 

 クリーチャーはグラトニートウジャより流れてくるハイアルファーの力を鎖に凝縮させる。鎖が泡に包まれて破砕しクリーチャーはつんのめった。

 

 その身体を駆け寄ったベルが支える。

 

「よかった……よかった、クリーチャーさん……」

 

「……ここに来る事なんてなかった」

 

 人語を話す事はもうないと思っていた。この醜く爛れた声を誰かに聞かせる事など。しかし、ベルは頭を振る。

 

「ようやく……声を聞かせてくれたのね……あなたの声、とっても綺麗」

 

 この少女はどこまでも愚鈍であろう。怪物の側に足を踏み入れて幸福なはずもない。

 

 それでも今だけは。

 

 今だけはこの罪を許してくれる事を切に願うしかなかった。クリーチャーはベルを抱き留めようとして人機の稼動音に天井を仰ぐ。

 

 放たれたのは青い閃光だ。

 

 プレッシャーライフルの攻撃が地下室の天井を打ち砕く。その衝撃波を愛機である《グラトニートウジャ》に防がせる。

 

 ハイアルファー【バアル・ゼブル】の取り込んだモリビトの特殊兵装はまだ有効であった。

 

 完全に敵のエネルギーを減殺し切ったこちらに、無数の黒カラスが宙に浮かんで睥睨する。クリーチャーは決意を迫られていた。

 

 ここでたばかったところで、どうせ行く当てなんてない。死に場所がここになっただけの話だ。朽ちて死ぬか、戦って死ぬかだけの違い。

 

 だが、その宿命に彼女を巻き込む事はない。

 

「……逃げてくれ。僕一人で行く」

 

《グラトニートウジャ》が頭を垂れる。そのコックピットに入ろうとしてベルの声が遮っていた。

 

「置いていかないで!」

 

 クリーチャーは再びベルを見やる。その濡れた瞳が懇願していた。

 

「置いて……いかないで。あたしをもう……一人にしないで」

 

「……ヒトの側に留まったほうがいい」

 

「あたしは! 物語が始まったと思った! あなたと一緒にいれば、物語はどこまでも広がっていると思えたの! クリーチャーさん! あたしは……あなたの事が……」

 

 濁した声音にクリーチャーは面を伏せる。人間の側で生きていける彼女を連れ出すのは、最早大義も何もない。ただの悪辣な獣としての役割。

 

 ヒトの世界から自分のような爪弾き者の側へと入る事はないのだ。まだ戻れる。ベルは、自分の事を知らないと言えばいい。何もなかったと、しらを切ればいい。自分はバーゴイルの群れに猪突して死ねば、物語はそれで終幕。

 

 そう、何も始まっていなかった。物語も、自分の悲劇も。何もかも始まる前に終わればいいのだ。

 

「……ヒトの側でいてくれ」

 

 こちらの願いにもベルは首を横に振る。

 

「もう……人間の側じゃなくってもいい。あなたと一緒にいたい。それじゃ……駄目なの?」

 

 純粋なる願いそのもの。しかし無垢なる誓いはいずれ裏切られる。自分が何もかもから見離されたように。

 

 世界から敵視されるのは自分だけでいいはずだ。

 

 それなのに、自分は今、願ってしまった。祈ってしまった。誰かに、縋ってしまった。

 

 ――こんな自分でも今一度、誰かに必要とされたい、と。

 

 禁断なる願いが《グラトニートウジャ》の苗床になる。

 

「……ついて来ても、いい事なんて一つもない」

 

「それでもいいわ。あなたがいるのなら……」

 

 クリーチャーは手を伸ばしかけて、逆巻いた爪を重力の泡沫で叩き割った。姫の手を引くのに、穢れた爪ではいけないと思ったからだ。

 

 手を引いて《グラトニートウジャ》のコックピットに入る。

 

 結晶化が進んでいたが、自分が搭乗した途端、全てのブルブラッド結晶が粉砕された。代わりに投射画面に機体名称が映し出される。

 

「《グラトニートウジャ》……フリークス?」

 

 紡ぎ出したベルにクリーチャーは自嘲した。この六年間、静謐を守ってきた自分の機体は新たなる進化を遂げていたわけか。

 

「……行くぞ。《グラトニートウジャフリークス》。クリーチャー、出る」

 

《グラトニートウジャ》の四肢に点火し、機体が地下室を突き破って城を抜けていく。バーゴイルの群れがおっとり刀で対応した。

 

『あれは何だ!』

 

『識別コード……トウジャ? あんなものがトウジャだと言うのか!』

 

『撃っていいのか? 撃つぞ!』

 

 困惑する兵士達の声音にクリーチャーは項垂れる。自分の事など誰一人として覚えていない。ゾル国のために尽くし、ゾル国のために身を捧げた自分など誰も。

 

 その現実に押し潰されそうなクリーチャーの手を、ベルは優しく包んだ。

 

「クリーチャーさん。あたしは、ここにいるから」

 

 誰も覚えていなくとも。その武勲が記録されていなくても。ここに自分を知ってくれている人がいる。大切な人が手を握ってくれている。

 

 それだけで、ハイアルファーの毒が中和されていく。恨みと憎悪に染まった視界が開けていく気がした。

 

「敵を確認……。全機体を照準、粉砕する」

 

《グラトニートウジャフリークス》が両腕を掲げる。内側からせり出した巨大な砲門がバーゴイルを照準した。

 

 敵から放たれるプレッシャーライフルの猛攻を《グラトニートウジャフリークス》の装甲が弾いていく。ちょっとしたR兵装ではこの機体に穴さえも開けられない。

 

「火力充填。……撃つ」

 

 照射した黄色い光軸がバーゴイルを巻き添えにしていく。爆発の光輪が広がる中、クリーチャーは、ああと呻いていた。

 

 もう戻れない。もう何もない場所には……あの冷たい地下室には戻れない。

 

 物語を紡いでもよかった。何も起こらない事を幸福だと思ってもよかったのに。ここに、《グラトニートウジャ》は進化して再臨した。

 

 悪魔の人機が再び世界を混迷に陥れるだろう。

 

 悪鬼のはらわたでクリーチャーは集中の糸が切れたベルを抱き留めていた。人機同士の戦闘など見た事がないのだろう。一瞬で失神してしまった彼女をこのまま帰すべきか逡巡する。

 

 途端、拡大モニターに投影されたのはベルの従者であった。

 

 壮年の従者はこちらを睨むなり、どこかに通信を送っている。その通信先を機体が瞬時に拾い上げた。

 

 その通話先にクリーチャーは震撼する。

 

「まさか……ベルの父親というのは……この男だというのか。この男が……ベルの……」

 

 特定された名前にクリーチャーは爪を立てる。

 

 紳士然とした面持ちをしているが、この男の顔だけは六年間、忘れた事など一時もなかった。

 

 全天候周モニターに映ったその顔にクリーチャーは唸り声を上げる。

 

「ガエル・シーザー……。貴様が、ベルの父親だと言うのならば僕は……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯251 裁きを待つ世界

 

 人形屋敷で受け取った通信に将校が応じていた。ガエルはアンヘルより待機命令を出されていたが、そのアンヘルを統括するレギオンの中枢はいやに静かで逆に胸騒ぎがしたほどだ。

 

 本当に質量兵器が落着するほどの危機に晒されているのか分からないほどの静寂。円筒形の義体が鎮座するメインコンソールで将校は声にしていた。

 

『ガエル・シーザー。愛娘のいるコミューンに識別不能の人機が出現した。その人機は君の娘を奪取し、バーゴイルを数体、破壊した』

 

 愛娘、という言葉にガエルは鼻を鳴らす。

 

「戯れで選出されたガキだろ。オレの立場をハッキリさせるために、人工授精のガキの父親に抜擢させられて」

 

『いい気分はしなかったかね?』

 

「ガキなんて犯すか殺すかに限る」

 

 言い捨てたガエルに将校はしかし、気分よく声にする。

 

『それにしては……様々な偶然が重なったらしい』

 

「何だよ。万年つまらなさそうにしているてめぇにしちゃ浮いた声を出しやがる」

 

『因縁とはこの事を言うのかもしれないな。不明人機の名前が特定された。名称を、《グラトニートウジャ》』

 

 その名前を聞いた途端、ガエルはこの事案が聞き流していいものではない事を察知する。

 

「……おいおい、六年前にそそいだはずの因縁だぜ?」

 

『殺したはずであった、か。だが彼は生きていた。それはハイアルファーの加護か、あるいはそうさせたのかは分からないが、生き永らえた彼は再び《グラトニートウジャ》に乗り、我々に牙を剥いた』

 

「ブルブラッドなんたらを先に始末するんじゃねぇのかよ。連中の落ちた先は知ってるんだろ?」

 

『そちらには別働隊を派遣しよう。ガエル。君はこちらを担当するといい』

 

 その命令にケッと毒づく。

 

「今さら坊ちゃんの尻拭いか。アホらしい。死んだヤツは棺おけから出ちゃいけないって教わらなかったのかよ」

 

『その棺おけが動き出したんだ。これは看過していいレベルではない。相手はハイアルファー人機だ』

 

 それくらいは熟知している。ハイアルファー【バアル・ゼブル】。そのおぞましい副作用も。

 

 ヒトをヒトでないものに変換する、ハイアルファー……。

 

「しっかし、分からねぇものだな。あんな姿になってまで生き長らえるのが幸福かねぇ」

 

『殺し損ねた、とハッキリ言ってもいい。今一度殺してきたまえ』

 

 将校の口調にガエルは反感の眼差しを注いだ。

 

「あのよぉ……てめぇらの身勝手に付き合わされるの、いい加減疲れてきたぜ。てめぇらの仕立て上げた偶像だろうが。いくらでもアンヘルの私兵も動かせる今! オレが行く意味なんてあるのか?」

 

『……彼を再び絶望させるのに最適だと言っているのだ。父親としての責務は果たすといい』

 

「父親? 笑えて来るぜ! ヤった覚えのねぇ女とのガキなんて知るわけねぇ!」

 

 その言葉に将校は一拍の沈黙を挟んだ後に、口にしていた。

 

『ならば命令を変えよう。《グラトニートウジャ》のハイアルファー自体は有益だ。我々としては、それを破壊するのは惜しい、と言っている』

 

「じゃあヤツがこっちにつくとでも言いたいのかよ」

 

『可能性は低いだろうが、操主だけを仕留めるのは得意のはずだ』

 

 畢竟、この連中はまだハイアルファー人機という革新的な技術を諦め切れないのだ。全てを自分達の手の中に入れないと気が済まない強欲。

 

 支配の中に入っていないものを看過出来ない貪欲さ。

 

 惑星を手中に入れてもまだ、その欲は尽きないというのか。

 

「……破壊すんな、ってのは難しいぜ」

 

『最終的に破壊に至っても構わない。データが欲しい』

 

 ガエルは身を翻していた。どうにも禅問答だ。

 

「言っておくが、かどわかされたって言う娘も、オレからしてみりゃどうだっていい。それこそ、犯されようが殺されようが」

 

『スタンスはいつもの通りで頼む。君は紳士だ。正義の味方なのだよ』

 

 どれだけでもおだてればいい。その嘘くささが際立ってくる。

 

 格納デッキで佇んでいる《モリビトサマエル》を仰いでいる人影を見つけた。

 

「おい。こんなところで居たらそれこそ……」

 

「心配は要らない。ガエル・ローレンツ。既に彼らの眼には侵入済みだ。わたしがここにいる事を相手は発見出来ない」

 

 ならば声をかけるのは野暮か。ガエルは《モリビトサマエル》を仰ぎ見た。

 

 死神の狂気を宿した愛機。鉤十字の翼を有する漆黒の機体。

 

「素晴らしいと、わたしは思うね。このような事態に陥った事、それそのものが」

 

 無言を貫くガエルに相手は耳元を突く。

 

「今、声紋を掌握した。口を利いても構わないぞ」

 

「……じゃあ言わせてもらうぜ。レギオンの庭先でよくもまぁ、いけしゃあしゃあと。水無瀬、てめぇ、思ったよりもタヌキだな」

 

 水無瀬はその言葉振りに笑みを浮かべる。

 

「君ほどではないとも。アンヘルの上級仕官であり、なおかつ旧ゾル国の支援者そのもの、か。顔が多いと大変だろう?」

 

「経験則か、そりゃ。オレが演じた覚えのない顔まで存在するからよ。困ってんだ」

 

「だが……今からその顔の一つを潰してくるのだろう?」

 

 お見通しか。ガエルは舌打ちをする。

 

「どこまで知ってるんだ? 落ちてくるブルブラッドなんたらの質量兵器。それに連中の作った爆弾。どこまでが計算内でどこからが計算の外なんだ?」

 

「些事だよ、ガエル。計算の中だろうが外だろうが。わたしとしては、ね。確かにゴルゴダには驚かされたさ。あれは血塊炉を三十倍の高重力で精製した時のみ、発生する爆弾だ。そう何個も造れはしない」

 

「調べ済みってのが薄気味悪いぜ。レギオンは衰えんのか?」

 

 その問いかけに水無瀬は首を横に振る。

 

「まさか。衰えているどころかその支配は磐石だよ。誰かが風穴でも開けない限りはバベルの支配からは逃れられないだろう。今に惑星の隅々まで監視の目が行き渡る。辺境など存在し得ない、真の支配が」

 

 ガエルは手すりに体重を預け、水無瀬の言葉を反芻する。

 

「真の支配、か。にしちゃ、面白くは思ってねぇ言い草だな」

 

 水無瀬は読めない笑みを浮かべた面持ちで振り向く。

 

「ガエル。得てして支配など……つまらないものだと思わないかね? レギオン。多数派による掌握は何かを変えるかに思われた。だが事実、彼らのやっている事は元老院時代の支配を兵力に置き換えたのみだ。ヒトがやれる支配など、知れているのだよ。どれほどの崇高なる理念を持っていても。あるいは唾棄すべき野望でも然りだ。ヒトは、考え得る限りの方法でしか、支配は出来ない。そこに超越者の眼差しは存在しない」

 

「てめぇなら、そのつまらねぇ支配ってヤツにどうこう出来そうな物言いだ。そんなに万能だって言いたいのか?」

 

 ガエルは指鉄砲を作り、《モリビトサマエル》に向かって放つ。世界に風穴を開ける刃。忌むべき死神の黒。

 

 自分だけが世界を変えられる、とのたまう人間などたかが知れている。野心も、野望も、どれほどにヒトが時代を下ろうとも、それはヒトでしかない。

 

「笑わせるぜ、連中。元老院の老人がやっていたのと変わりゃしねぇんだと、薄々勘付いてはいやがる。それでも認めたくないんだろうさ。世界規模で行った反逆が意味を成さなかったなんて。それこそ、張りぼての支配だ。アンヘルが武装と恐怖で今の世の中を縛っている。しかし完璧に全員が右向け右ってワケにはいかないんだと言うのが一番にな」

 

 いくつものコミューンを叩き潰してきた。いくつもの対抗勢力の志を聞いてきた。だがどれも同じ事だ。

 

 ――今の支配が気に食わない。

 

 言葉を荒らげても、声高に叫んでも似たり寄ったり。ヒトは、気に食わないという一事だけで世界さえも敵に回せる。

 

「あまり意味がないと思わない事だ。意味消失はモチベーションの低下を招く」

 

「実際、もう焼いても焼いても何度だって立ち上がってくる民衆ってのには飽き飽きしてるクチだ。レギオンは多数派の意見だって言ってのけていた時代が生易しいほどだぜ」

 

 肩を竦めたガエルに水無瀬は言いやった。

 

「しかし、世界を潰せるのはモリビトの特権だ。それも死を司るモリビトの」

 

「そりゃあそうだ。オレと《モリビトサマエル》だけが、裁く権利を持っている。他のパチモンは知らねぇよ? ブルブラッドなんたらがどれほどに抵抗したって、世界は流れるに任せる状態に陥りつつある。天は割れないし、地の底から亡者は生き返らない。それが道理ってもんだ。道理を蹴破って墓穴に転がり落ちた馬鹿を何人も知っているんでね」

 

 水無瀬は満足気に頷く。

 

「君は道理を蹴破らない側かな」

 

「当たり前だろうが。道理なんて蹴破っちまえばお仕舞いよ。そいつには壁が見えてねぇのさ。人間、行き過ぎるとマジに後戻り出来なくなっちまう。そいつを心得ているか、いないかってのは存外でけぇもんだ」

 

「《モリビトサマエル》は《グラトニートウジャ》を……過去からの死者を裁けると言うのかね」

 

「耳聡いな。今しがたオレの教わった事を同期してるってなれば、マークされるのも遠い日じゃねぇぞ?」

 

 警告のつもりであったが、水無瀬は不敵に微笑む。

 

「忠言痛み入る。だがね、わたしはまだ成し遂げていない。成し遂げるまでは死ねないのだ」

 

「そいつは、ブルブラッドなんたらの理念かい? それともてめぇの美学か?」

 

 水無瀬はあえて答えなかった。ガエルは《モリビトサマエル》の頚部コックピットへと昇降エレベーターで向かう。

 

「一つ聞く。もし……この世界に裁くものが居なくなった時、《モリビトサマエル》の刃は何を捉える?」

 

 戦場を行き交うだけの獣であった自分が収まるべき鞘の話だろう。だがそのような結論、出した上で何もかもを承知しているに決まっている。

 

「それこそ、この世の悪を、だろうな。知らないか? 善悪の観念の中で無意識的に最初に芽生えるのは、悪のほうなんだぜ?」

 

「……小気味いい返事だ。戦果を期待しよう」

 

 言われるまでもない。ガエルはリニアシートに座り込み、操縦桿を握った。

 

「さぁ、おっ始めようぜ。清算したはずの因縁をそそぐ! マジな殺し合いをなァ!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯252 命の番人

 熱源警告の報に最初に反応したのは瑞葉であった。

 

『クロナ! 敵が追ってきている!』

 

 悲鳴にまさかと鉄菜は《モリビトシンス》を機動させる。先ほどまで機体がいた空間をリバウンドの特殊兵装が引き裂いた。

 

 赤い光を発する棘である。棘の槍が空間を射抜き、それぞれ幾何学の軌道を描いて《モリビトシンス》を追尾する。

 

『ただの敵じゃない!』

 

「ああ、この可動性……《モリビトサマエル》のRブリューナクと同じ性能か」

 

 機体識別コードがイクシオンフレームの照合結果を弾き出す。鉄菜はアームレイカーを思い切り引き込んでいた。

 

 制動用の推進剤が焚かれる中、慣性機動でこちらを追い越した相手が視野に大写しになる。

 

 緑色の基本カラーに赤い光を放つ棘の武装を施されていた。機体を翻し、敵機がすぐさまこちらへと武器を振るい上げる。

 

 赤く染まった棍棒の武装に鉄菜はRシェルソードを対応させていた。火花が弾け、スパークが焼きつく。

 

『アムニスの序列六位! 鉄腕のペネム!』

 

 敵人機の腕に内蔵された人造筋肉が膨れ上がった。膂力が一気に倍増しRシェルソードとの均衡を破る。

 

「人機に……生身の筋肉だと!」

 

『天使の御業、嘗めるな!』

 

 弾き返した敵に《モリビトシンス》が急降下する。減殺し切れない熱が機体を押し包んだ。自分だけならばまだいい。ここには瑞葉も乗っているのだ。無茶な機動は命取りであった。

 

『逃げに徹するか、モリビト!』

 

 敵が棍棒を背中にマウントする。直後、棍棒から放出された赤い輝きが推進剤と渾然一体と化し、《モリビトシンス》を追い越していた。

 

「急加速……まさか、ファントムか」

 

『それをも超える叡智だ。雷撃の如き速度で敵を討つ。名を冠するのならば、ライジングファントム!』

 

 急加速からの急旋回。眼前に舞い戻ってきた相手を撃つべくRシェルライフルを掃射する。しかし敵にはその弾道がことごとく予測されているようであった。

 

 互いに赤い熱の皮膜を帯びながら大気圏で合い争う。こちらの太刀筋と敵の棍棒が何度も打ち合った。

 

 荒く呼吸をつき、牽制の弾幕を張る。敵機が棍棒を薙ぎ払い、リバウンドの銃弾を跳ね返した。

 

「どこまでも追ってくるか……アムニス!」

 

 フットペダルを踏み込み、機体を仰け反らせた。巡る循環ケーブルに過負荷がかかり、直後、機体が輝きを伴って飛び越えていた。

 

 ファントムによる敵の翻弄。だが、相手には通用しなかった。棍棒がこちらの剣先を予期して動く。

 

『言ったはずだ。嘗めるな、と!』

 

「嘗めているつもりはない。容赦をする気も!」

 

 右手の《クリオネルディバイダー》を支持アームで保持し、装備された大口径のリバウンド砲を発射した。

 

 消し炭になってもおかしくはないほどの威力が至近で爆発する。それでも、敵機は譲る様子はなかった。

 

 棍棒を突き上げ《モリビトシンス》の腹腔を叩き据える。

 

 激震に鉄菜は奥歯を噛み締めた。

 

『血塊炉を砕く!』

 

「どの口が……。その前にお前の機体を両断する!」

 

 Rシェルソードを軋らせ敵人機を叩き割ろうとした。棍棒がその刃を弾きお互いの機体がぶつかり合う。衝撃に耐えたのはこちらのほうであった。

 

 次手が紡ぎ出され、大口径リバウンド砲がミサイル群と共に掃射される。

 

 敵は雷撃のファントムを用いて射程から一気に剥がれようと高推進で逃れた。だがこちらの誘導ミサイルはただのミサイルではない。

 

 炸裂した眩惑の弾頭が敵機の精密なセンサーをかく乱する。

 

「今しかない。ミズハ、ゴロウ! 少々無茶な機動で降りるぞ!」

 

 ここで戦っても互いに消耗し続けるだけ。その分、敵機のほうがこの戦闘は慣れているはずだ。今は少しでも自分達が優位な場所へと移動する。

 

 逃れた《モリビトシンス》に追撃の気配はなかった。すぐさま海が大写しとなり、鉄菜は青い海面を割って洋上を疾走する。

 

「……これで、少しはマシになったか」

 

 息をついたのも束の間、ゴロウが接触回線に声を飛ばす。

 

『鉄菜! 瑞葉が異常な熱を感知している。恐らくは大気圏で戦ったせいだ』

 

 いつになく真剣な声音に鉄菜は問い質していた。

 

「ミズハ! 大丈夫なのか?」

 

『クロ、ナ……。気にしないで、くれ。……人機にここまで、長い時間乗ったのは……久しぶり……だった、から……』

 

「私のような調整を受けていない。無理がたたったのだろう。ゴロウ! 休める場所をピックアップしてくれ。そこに降りる」

 

『やれやれ、システム遣いの荒い事だよ。位置情報をマッピングしたが、忘れるな。もう惑星の圏内だ。バベルの眼がいつ届いてもおかしくはない』

 

 いつ戦闘が再開しても不思議ではない場所だ。鉄菜はゴロウの用意した小島へと機体を寄せていた。制動用の推進剤を焚いて離れ小島の岩礁に《モリビトシンス》を隠す。

 

「汚染大気測定……、七十パーセントか。推奨されないな。《クリオネルディバイダー》の内部温度を下げるしかない」

 

 自分ならばいざ知らず、瑞葉はもうただの人間だ。汚染大気に出すわけにはいかない。ゴロウが《クリオネルディバイダー》の機体内を冷ましている間に、鉄菜は言い置いていた。

 

「自動策敵に入ってくれ。私は……ちょっと降りる」

 

『鉄菜? 油断ならない、と忠告したが』

 

「分かっている。……ただこの場所は……少し馴染みがあるだけだ」

 

 位置情報を同期し、《モリビトシンス》の頚部コックピットハッチより這い出る。汚染大気を吸い込み、鉄菜は跳躍していた。

 

 粗い石粒が目立つ砂浜を歩み、鉄菜は数年振りに日記を起動させた。

 

「鉄菜・ノヴァリスの経過報告。……現在地は六年前のあの日と、奇しくも同じ。天候は晴れ。ブルブラッド大気濃度は七割」

 

 馬鹿馬鹿しい代物だ。もう自分で体調の管理くらいは出来る。そうでなくとも惑星で六年もの間戦ってきたのに、誰に報告するでもない記録など。

 

 どうしてそのような瑣末事に駆られたのかと言えば、ブルブラッドの針葉樹林に囲まれたこの場所を、自分は知っていたからだ。

 

 一面に広がっていたのは青い花であった。

 

 あの日、意味もなく焦がれていた青い花。黒羽博士の夢見ていた景色。同時に自分の原風景でもある。

 

 花園に踏み入って鉄菜はいくつかの青い花は枯れたように色をなくしているのを発見していた。

 

「……ブルブラッドの花も枯れていく。いつかは……どのような命も消え行くのか」

 

 自分もいつかは死んでいく。この花と同じように。否、人機がいずれは壊れて動かなくなるように、か。

 

 花に自分をなぞらえるほど、華奢に出来た覚えはない。

 

 この身は鋼鉄の巨躯と似たようなものだ。

 

 一輪の花を摘みかけて、鉄菜は様々な事を思い返した。

 

 六年前、《インぺルべイン》と共に仕掛けてきた彩芽の事を。その後の出会いと別れ、そして永劫の離別を。

 

「ジロウ……彩芽。お前達は私に、何を見てくれていたんだ。私は……ただの破壊者なのに。今もこうやって、壊す事しか出来ない」

 

 摘み取った花が結晶のように砕け落ちていく。自分が触れれば、万物は消えていく。指先で少しでも干渉しただけで、何もかもが壊れていくのが運命だというのならば。

 

 その過酷な運命を自分は受け入れよう。壊す事しか出来ない拙い指先を。壊す事しか知らぬ脆いこの身体を。

 

 だから、どうしてなのだろうか。

 

 ――涙が零れ落ちる。

 

 分からなかった。何が悲しくって泣いているのか。何が悔しいのか。

 

 何が……この胸を掻き毟るのか。六年前の最終決戦、刃で全てを貫いたあの時もそうだ。

 

 虹色の星の果実に。憂いを帯びた命の星に、自分は何を見たのだろう。何を覚えて、このような機能を獲得したのだろうか。

 

 分からない。全てがこの手から滑り落ちていく砂粒のように。

 

 儚いだけの代物。手にする事さえも叶わない、一握の幻。

 

 幻を追い求めるのは人間の特権だ。しかし自分は――人間ではない。戦えば戦うほどに痛感する。

 

 この身体は、紛れもなく、人間ではない、という事を。人間離れした機能を付与された、ただの怪物だ。

 

「……クロナ?」

 

 不意に背で弾けた声音に鉄菜は振り返っていた。マスクをつけた瑞葉がゴロウを抱えている。

 

 すぐに鉄菜は平時の口調を取り戻した。

 

「ゴロウ……周辺警戒は」

 

『メイン操主が出たというのに周辺警戒もあるか。なに、《モリビトシンス》の隠れた岩礁は幸いにしてブルブラッドの塊だ。敵のセンサーを誤認出来る』

 

「そのような保証のない事を……」

 

「クロナ……。どうして泣いているんだ?」

 

 涙ばかりは誤魔化せなかったか。鉄菜は伝い落ちる涙を拭おうとする。

 

「何でもない。何でもない機能だ」

 

「……花が、咲いているんだな」

 

「ああ。ブルブラッドの汚染大気の下でしか咲けないという……大罪の結果だ」

 

「わたしは、そうだとは思わない」

 

 意想外の返答に鉄菜は面食らう。

 

「思わない……?」

 

 歩み寄った瑞葉は優しく花を摘む。今度は結晶の花は砕け落ちなかった。

 

「綺麗な花だ。……だが綺麗という概念は、わたしにとって後付けの代物なんだ」

 

 かつての青い地獄の罪。ブルーガーデンで彼女と自分は合い争った。それでも、今は手を取り合えている。どのような因縁の結果か、今は仲間意識を持てている。

 

「私にも……綺麗だという概念だけが外付けみたいなものだ。この花を、ただ見たかった。原初の記憶はそこにあった……らしい」

 

「クロナ。リードマン先生から話は聞いた。元になった人間の事。お前がどうして、ここに生まれ落ちたのか、という事も。……老いないその身体の事も」

 

 お喋りめ、と鉄菜は辟易する。だが瑞葉はその眼差しに羨望を輝かせた。

 

「羨ましい、と思えた」

 

「羨ましい? 私が、か?」

 

 どうやって出たのか分からない言葉に困惑する。瑞葉は花園を見渡した。

 

「ここに咲く花と同じように、お前は咲いている。命の証明を、示し続けている。戦う事で、自分の存在証明を必死に刻もうとしている。その在り方が、ただ純粋に、眩しいんだ」

 

「私にはお前のほうが……、恵まれていたとまでは言わないが真っ当であったと思う」

 

 瑞葉は肩口をさすって薄く笑った。天使の羽根の痕。彼女がこの世に降りた証。

 

「天使の羽根をなくして、初めて見えたものもある。……大切な人が出来たんだ。守りたいと思える……信頼関係が。この世の何にも替え難いものが。……だがそれも……何処かへと消えてしまった。幻を見ていたのかもしれない。果てのない、夢の一端を」

 

 その夢がしかし、自分には眩しい。誰かのために生きる事なんて出来やしない、この欠陥品では。

 

「……ミズハ。お前は心というものが、どこにあるのか知っているのか」

 

 だからか出し抜けにそのような質問をしてしまった。彼女は愛する事を知っているようだ。愛せるという事は、心の在り処も分かるのかもしれない。

 

 他人を自分以上に尊重出来る。何よりも替え難いと思える。それが彩芽の言っていた心の証明なのだとすれば。

 

 しかし、瑞葉は言葉を彷徨わせた。

 

「どう……なのだろうな。わたしは、知った風になっていたつもりなだけかもしれない。最悪な境遇からは抜け出せた。尊敬する人も出来た。尊重出来ていると、思える誰かもいた。……だが、答えは出せないんだ。クロナ。わたしにもまだ、心はどこにあるのか、分からない」

 

「そう、か……」

 

 誰か近くにいる人に教えて欲しかったのかもしれない。心はそこにある、と言ってもらえれば、自分はその言葉を信じられる。

 

 妄信してでも、心の在り処を問い質せる。

 

 だが誰も、心はあると言ってはくれない。どうして誰もが言葉を濁す? どうして、誰かが決定的な事を教えてはくれない?

 

 鉄菜は花へと手を伸ばした。瑞葉の包み込んだ結晶の花。触れた途端、思った通り、青い花は砕け散ってしまった。

 

「私は、こういう存在なんだ。やっぱり」

 

「クロナ、そんな事はない。わたしだって、血に濡れた手だ」

 

「違うんだ、ミズハ。私とお前は……違う。お前は誰かを愛せた。人間なんだ、絶対に。だが私は? 誰も愛せやしない。誰も、敬えもしない。誰かを……自分以上に大切に思える事もない。……欠陥品の出来損ないだ。命を演じる事しか出来ない、木偶人形に等しい」

 

「クロナ……そんな事を、言わないで欲しい」

 

 懇願めいた声音に鉄菜は自嘲していた。

 

「どうしてだろうな……。壊す事を宿命づけられた。私は、何かを壊して、崩して、千切って、引き裂いて……その先にしか何かを描く事は出来ない。何かを、この手は生む事なんて……」

 

「クロナ! 違う! わたしは、お前に救われた! それは確かなんだ! だからそんな事を……言わないで欲しい」

 

 どうしてなのだろう。誰かのために声を張れる。誰かのために自分まで傷ついたような顔になれる。

 

 誰かのために、――泣ける。

 

 泣き顔の瑞葉の在り方が心底分からなくなってしまった。どうして涙するのだろう。傷ついたわけでもあるまい。苦しいわけでもないのに。

 

 どうして、涙が止め処ないのだ。

 

「……私には、何もかもが。何もかも足りていないんだ。人並みの心もない。人並みの理性も、人並みの感情も。……ミキタカ姉妹が私に向けてくる感情も。ニナイや桃が無償で預けてくれる感情もそうだ。私は、分かった風を装っているだけの演者なんだ。彼女らの気持ちなんて一切分からない……分かった事もない。誰かのために泣くことも出来なければ誰かのために怒る事も出来ない……ただの……!」

 

 その手を瑞葉が握り締めていた。瑞葉は全く視線を背けず、自分を見据える。

 

「……ミズハ?」

 

 直後、彼女はマスクを取り外していた。その行動に鉄菜は瞠目する。ヘルメットのバイザーを上げた面持ちには迷いがなかった。

 

 慌てて行動を制する。

 

「何をしているんだ……ミズハ! ヘルメットを! マスクをするんだ!」

 

「しない……。クロナがその考え方を改めないのなら、わたしはここで死んでもいい」

 

「何を言って……何を言っているのか、分かっているのか! 私は人造血続だ! ちょっとの汚染大気では死なないし、頑丈に出来ている。だがお前は! 人間だろう!」

 

「……クロナも人間のはずだ」

 

「私は……っ!」

 

 言葉をなくす。どうすればいいのか分からなくなってしまう。彷徨い始めた思考回路は、瑞葉へと真摯な言葉を投げる事を誓わせた。

 

「……ミズハ。ヘルメットを。それとマスクも」

 

 冷静な声音になったのは先ほどまでの取り乱しがこの行動の原因だと理解していたからだろう。瑞葉はバイザーを下ろし、マスクを装着する。

 

 安堵に胸を撫で下ろした途端、瑞葉はぐんと顔を近づけて口にしていた。

 

「クロナ。……多分、それが心だ」

 

 不意打ち気味の言葉に何も返答出来なかった。何を言われたのか最初、分からなかったほどだ。

 

「……これが、心」

 

「今、わたしのためを思って言ってくれた。わたしの事を案じて、バイザーを下ろせと、マスクをつけろと言ってくれた。その時点で、もう持っているじゃないか。心を」

 

「私は……」

 

 心が、今まで分からないとのたまってきたものが突然に手にあると言われてもピンと来ない。今、自分の言動には何もおかしなところはなかったはずだ。不自然なところも。

 

 すとんと、この感情が落ち着きどころを見つける事もない。

 

 それどころか先ほどまでより胸の中はざわめいていた。

 

 ――これが、心? こんな単純な事が?

 

 理解出来ない。否、理解したくはなかった。

 

 探し求めてきたものが既に持っていたなんていう道化を、認めたくなかったのかもしれない。

 

「……分からない」

 

「今はそれでいいのかもしれない。今は……」

 

 静かな口振りで瑞葉は言いやる。いつかは分かるのだろうか。

 

 心の在り処も。何をどう呼べばいいのかも。

 

 口を継ぎかけてゴロウが言葉を発する。

 

『……どうやら、相手も勘が鋭いらしい。接近する機影あり』

 

「まさか、さっきのイクシオンフレームか」

 

 警戒を厳にした鉄菜にゴロウはいや、と声に翳りを見せた。

 

『この反応……海中から、か? この水域で生きていける生命体なんて……』

 

 不意に波間が割れた。屹立した鍵穴の構造物に鉄菜は息を呑む。

 

 通常人機の五倍はある巨躯。藍色の機体が光源を反射している。

 

『……古代人機、か。しかしこれほどの大型だとは……』

 

 ゴロウも絶句している。そういえばゴロウは元老院から宇宙に上がって以来、地上はモニターしていないのだったか。

 

 彼とて知らないほどの巨大な古代人機に鉄菜は色めき立っていた。この古代人機がもし、《モリビトシンス》を敵だと判断すればそれも厄介。

 

 古代人機がこちらへと注意を向ける。致し方なし、と鉄菜はアルファーをホルスターより引き出し、額の上で弾けるイメージを持った。

 

 神経が空間を跳躍し、《モリビトシンス》が起動する。飛翔した《モリビトシンス》がこちらへと接近するまでの間、不意に甲高い鳴き声が連鎖した。

 

 海面が次々と砕け、白波を立たせつつ古代人機が無数に顔を出す。

 

『何という事だ……。ここは、古代人機の巣か……!』

 

 忌々しげに言い放った声音に鉄菜は質問する。

 

「戦闘が必要か?」

 

『分からない。だがゆうに十機近く。……悠長に構えていればやられるだろうな』

 

「各個撃破する! 《モリビトシンス》!」

 

《モリビトシンス》が降り立ち、自分達を手の上に乗せようとして、その背筋を攻撃が襲いかかった。つんのめった《モリビトシンス》に鉄菜はハッとする。

 

「攻撃……? 古代人機が?」

 

『いや……勘の鋭いほうが、のようだ』

 

 飛翔制空圏内に鉄菜は先ほどのイクシオンフレームを発見する。赤く棘のついた棍棒を振り翳し、敵機はこちらを睥睨していた。

 

『まさかわざわざ操主が降りているとは。その隙、命取りだと思え!』

 

《イクシオンデルタ》が棍棒を振りかぶり、一気に勝負を決めようとしてくる。《モリビトシンス》を遠隔で操ろうとするが間に合いそうにない。

 

 確実に砂浜を抉り、自分達諸共消し去ろうとした衝撃波を予見した。

 

 次の瞬間には、身体がバラバラに砕けているだろうと。だが、予想に反していつまで経っても痛みも終わりも訪れなかった。

 

「クロナ……。古代人機が……」

 

 呆然とする瑞葉の声に鉄菜は薄目を開ける。古代人機が砲門を《イクシオンデルタ》に向け、激しく砲撃を行っていた。

 

 触手を持つ古代人機が《イクシオンデルタ》の機体を絡め取る。他の個体が動きを鈍らせた相手を打ち据えた。

 

『何なんだ、こいつら……! 血塊炉の成れの果てがぁっ!』

 

 棍棒が振るわれ古代人機の頭部を割る。青い血潮が舞い散る中、一際巨大な古代人機が汽笛のような遠吠えを放った。

 

 刹那、地面が鳴動する。何が起こったのか、と周囲に首を巡らせると、崖の上から小型の古代人機が寄り集まり、《イクシオンデルタ》へと群がっていった。

 

 瞬く間に古代人機に埋め尽くされた《イクシオンデルタ》から呻きが迸る。

 

『こんな……! こんな事が! 自動機械風情にぃっ!』

 

 薙ぎ払われた一撃で数体の古代人機が絶命する。それでも彼らは攻撃をやめない。《イクシオンデルタ》をちまちまと攻撃するその姿に圧倒すら覚えた。

 

「……クロナ。古代人機が、わたし達を……」

 

「守って……くれているのか?」

 

 だがどうして。古代人機からしてみれば同じようなもののはずだ。

 

 大型の古代人機が《イクシオンデルタ》の前に出る。その瞬間を見計らっていたのか、古代人機に埋め尽くされたかに思われていた《イクシオンデルタ》の放った一振りが大型の古代人機の胴を打ち抜いた。覚えず、と言った様子で瑞葉が目を背ける。

 

 哄笑が通信網を震わせた。

 

『勝った……勝った! 負けるはずがない! アムニスの序列六位! この天使の格を持つこちらが! 古代人機風情に遅れを取るわけが……!』

 

 不意にその声音を遮ったのは巨大な個体の声であった。

 

 甲高い鳴き声から一転、地の底より湧いたとしか思えない、不気味な重低音が鳴り響く。

 

 空間を木霊させたその一声を、他の古代人機も模倣する。離れ小島を包囲する古代人機が怨嗟の呼び声を放っていた。

 

『黙れ……黙れよ! 貴様らなど、足元にも及ばない!』

 

《イクシオンデルタ》が立ち上がりかけて、突然よろめいた。巻き起こった現象に鉄菜は息を呑む。

 

「人機の装甲が、融解している?」

 

 だが灼熱が巻き起こった気配はない。砲撃も止んだ。古代人機は吼えるばかりで、何もしていないはず。

 

 だというのに、触れた箇所から、次々と《イクシオンデルタ》はカビが生え、堅牢なはずのその装甲が融け始めている。

 

『何だ、この現象は……! 貴様らのせいか! 古代人機ィ……! ただの……生命体が、このイクシオンフレームを……!』

 

 打ち抜いた棍棒に赤い火が灯る。点火した赤が拡大し、直後に円環を描いた。紅蓮の炎が内側から古代人機をぐずぐずに焦がしていく。

 

『これこそが人の叡智! 野生生物が! 死に絶えろ!』

 

 その勢いを殺さずに振るわれた鉄の一撃が古代人機の胴を引き裂いた。甲高い断末魔が空間を満たす。

 

 相手の笑い声が響く中、古代人機達が一斉に、それこそ時が止まったかのように干渉をやめた。

 

 磁石の如く、彼らは大型個体に群がっていく。《イクシオンデルタ》の開けた風穴を塞ごうとでも言うのか、傷口に触手を伸ばす。

 

 その個体を一つ、また一つと棍棒が叩き潰していく。

 

 見ていられなかった。遠隔操縦でも、と《モリビトシンス》を走らせる。

 

 割って入った《モリビトシンス》を相手は待ち構えていたのか、関節を極めて羽交い絞めにする。

 

 そうなってしまえば、遠隔ではどうしようもない。奥歯を噛み締めた鉄菜を、《イクシオンデルタ》が見下ろす。

 

『機体を失えば、如何に優秀な操主とて無意味! ここで引導を渡す! モリビト! 血塊炉を叩き壊してやる!』

 

 振るい上げた《イクシオンデルタ》の指先にまだ一匹、古代人機が纏わりついていた。

 

『邪魔だ!』

 

 振るった勢いで古代人機が岩礁に叩きつけられる。青い血潮を撒き散らした古代人機は、破砕された瞬間、確かに自分達を見ていた。

 

 彼らには目鼻はないはずであったが、それでも超常的な感覚器と呼べるものが、確実に。自分と瑞葉を見据えていた。

 

 鉄菜はアルファー越しにその声を聞き届ける。

 

「……任せておけ、だと?」

 

『どこを見ている……。モリビトの執行者! 我々のほうが貴様より上だ! 潰される愛機を見ておけ!』

 

 軋みを上げる《モリビトシンス》が直後、出し抜けに開放された。否、開放されたのではい。

 

《イクシオンデルタ》側の両腕が不意に落ちたのだ。だがこちらからは何も指示を出していない。それどころか巻き起こる事象に驚愕しているばかりだ。

 

「腕が……落ちたって?」

 

『……これはカビ、か……? 血塊炉の炉心内部に異常が……! 貴様ら、何をしたァッ!』

 

 棍棒を振り回す《イクシオンデルタ》に無数の古代人機が一斉に砲撃する。装甲がぐずぐずに融けて古代人機に圧された《イクシオンデルタ》から怨嗟の声が漏れる。

 

『ふざけるなよ……。旧式生命体が! この天使を侮辱するなど!』

 

 雷撃のファントムによって一瞬で肉迫した《イクシオンデルタ》が古代人機を踏み潰していく。しかし彼らは恐れを成した様子もない。

 

 寄り集まっていく古代人機から甲高い声が相乗し、《イクシオンデルタ》はすぐさま穴ぼこだらけの醜態を晒した。

 

『どうなっている! この《イクシオンデルタ》がこんな事で……!』

 

 直後、頭部が圧縮空気で放出され、救命ポッドへと可変を果たした。残った躯体を古代人機が腐食させていく。

 

「勝った……のか?」

 

 瑞葉の疑問符に鉄菜は首を横に振った。

 

「分からない……。だが彼らは……」

 

 先ほど感じ取ったのは嘘ではないのだろう。任せておけ、と言っていた。彼らの意思との疎通は可能なのだ。

 

 倒れ伏した大型の古代人機を波間がさらっていく。海中へと古代人機達は帰っていった。こちらの《モリビトシンス》を一顧だにしない。その在り方が鉄菜には不審に映った。

 

「お前達は……何なんだ」

 

 直後、翳したアルファーに声が跳ね返ってくる。電撃的に脳内に閃いた声を鉄菜は反芻していた。

 

「命の……番人……?」

 

 そう名乗った彼らは戦闘などなかったかのような静寂を降り立たせ、海の底へと《イクシオンデルタ》を引きずり込んでいった。

 

「……クロナ。彼らは……」

 

 息を呑んだ瑞葉に鉄菜はただ不明のままの事態を言葉にするのみであった。

 

「分からない……分からないが、助けられたのは事実のようだ」

 

 この星に棲む自分達とは別種の生命体。彼らの営みの一端を自分は窺い知ったのみ。

 

 その側面だけで、正義も悪も断じられるはずもなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯253 天使達の嘲り

 救命ポッドが生物の吐息さえもない海上を突っ切っていく。

 

 機体を捨てた。その事実よりもペネムを支配していたのは、古代人機程度に遅れを取ったという敗北であった。

 

 拳を震わせ、全天候周モニターを叩き据える。

 

「馬鹿な! ……敗北したと言うのか。アムニスの序列六位……この鉄腕のペネムが!」

 

 ブルブラッドキャリアのモリビトや他の人機相手に敗退したのならばまだ言い訳も立つ。だがよりにもよって自然現象に等しい古代人機に撤退を与えられたなど恥辱でしかない。

 

「《モリビトシンス》……古代人機の援護さえなければあのような機体……今頃破壊し尽くしていたのに……!」

 

 どれほどの言葉を言い繕っても、負け犬の遠吠えには違いない。ペネムは敗退した時のための通信回線へと接続していた。

 

「……申し訳ありません。渡良瀬様。このペネム……敗北いたしました」

 

『こちらでもモニターしている。《イクシオンデルタ》……何度も製造出来ると思うな』

 

「ですが次こそは……! あのモリビトを血祭りにあげてご覧にいれましょう!」

 

『ペネム。いい加減な事を言う天使は必要ない』

 

 冷徹に切り捨てられた声音にペネムは慌てて声を吹き込む。

 

「ライジングファントムは有効でした! 勝てる要素はあったのです! みすみす……!」

 

『勝てる要素はあった、か。まさかそれほどまでに堕ちていたとは思うまい。いいか? 勝てたかもしれない、などという不確定要素は我々には必要ないのだ』

 

 熱源反応にペネムは眼前へと視線を向ける。

 

 こちらへと高出力R兵装を向けている《イクシオンアルファ》にペネムは目を戦慄かせた。

 

「お許しを! 次こそは必ずこのペネム、勝利を! 勝利の栄光を……!」

 

『遣えない天使を使役するほど、神に暇はない。よく知っているはずですよ、ペネム。……いや、序列六位では知りようもない、か』

 

「貴様……シェムハザ! 貴様とて一度敗北したはずだ! 立場は同じだろうに!」

 

『言葉を慎みなさい。序列三位の御前です』

 

「ならばその砲門を退けろ! 《イクシオンデルタ》の性能を一番に引き出せるのはこのペネムだ! 渡良瀬様! この不埒者に、言い聞かせてやってください!」

 

『残念だが……さよならのようだ、ペネム。なに、君の経験は引き継がれるさ。次の天使に』

 

「嫌だ……、渡良瀬様!」

 

 声を響かせたペネムへと高出力リバウンド兵装が照準される。

 

『聞き分けのない天使には仕置きが必要。分かり切っているでしょうに。ここまでなんですよ。ペネム、いや、最早その名前すら惜しい。人造強化兵576番』

 

「その名前で呼ぶな! シェムハザァッ!」

 

 救命ポッドを無慈悲なリバウンドの光が覆い尽くし、直後にはその証明すらこの地上から消し去られていた。

 

 最後の記憶野に焼き付いたのは怒りであった。白熱化した怒りが動機ネットワークに蓄積され、ペネムの最後の仕事を終えさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「怒り……。面白いものを置き土産にしましたね、ペネム」

 

『同期ネットワークにおいて感情は有意義な選択肢だ。シェムハザ、全員に同期させろ』

 

「御意に」

 

 シェムハザの脳内ネットワークを基盤として全天使にペネムの最期が告げられた。

 

 だが誰も残念であったとも、惜しい存在を亡くしたとも言わない。ただ事実を反芻するのみだ。

 

『古代人機による戦闘記録? ……奇妙なログを残したのね』

 

 返して来たのは今も渡良瀬と共にいるはずのアルマロスだ。戦場に出てこない天使など、とシェムハザは皮肉を返す。

 

「気になりますか? 前線に出ないのに」

 

『出ないのではなく、出る必要がないのよ。その辺分からないみたいね、シェムハザ』

 

 どこか人を食ったような態度が気に食わない。それでもシェムハザは冷静に事の次第を分析していた。

 

「……どう思います? 渡良瀬。古代人機が通常人機を破壊するなど」

 

『あり得ない、と言ってもよかったが、あまりに断言し過ぎても仕方がないだろう。これはそういう現実であった、と受け止めるべきだ』

 

『しかし、古代人機ねぇ……。こっちには関係のない事象で』

 

 そうこぼしたのは序列一位のメタトロンである。彼は宇宙でのブルブラッドキャリアへの対応のための作戦展開中のはずであった。

 

 シェムハザは油断出来ないと感じる。

 

 メタトロンは実力面でも、機体の性能でも自分を上回る天使。ちょっとした態度の違いでさえも機敏に反射する。

 

「宇宙には……古代人機は上がってこないですから。それよりもブルブラッドキャリアの舟はどこに落ちたんで?」

 

 周囲には艦影は見当たらない。とすれば《モリビトシンス》と《ゴフェル》は完全な別行動だと判断すべきだ。

 

『合流を見誤ったか。あるいは別の目算があるのか。いずれにせよ、我々アムニスの仕事は変わらない』

 

「見敵必殺。分かっていますよ。《ゴフェル》を発見次第、駆逐します」

 

 しかし、とシェムハザは同期ネットワークにあえて流さなかったぺネムの戦闘記録を別の端末に転送していた。

 

 映像が投射される中、いくつかの事象が気にかかる。

 

「……古代人機にこちらの装甲を腐食させるほどの性能はないはずだ。だというのにこのザマ……ただ単にペネムが愚かであったとだけで断ずるのは惜しい……」

 

 何か別の要因が働いたと見るべきである。そうでなければペネムとてこのような醜態を晒すものか。アムニスで少しでもその地位に乱れが生じればすぐさま上と下は入れ替わる。代わりはいくらでもいるのだ。

 

「《モリビトシンス》を性能面では僅かに圧倒していた。それなのに、直前の戦闘ではほとんど損耗した様子もない。古代人機には我々ほどの領域でも未知の性能が隠されていると思うべきか」

 

 それとも、《モリビトシンス》に古代人機が呼応した可能性もある。あの人機は通常のそれを遥かに上回る性能を誇っているからだ。

 

 思い返すだけでぞっとする。

 

《モリビトルナティック》を砕いてみせたあの大剣。赤熱化したリバウンドの刃。

 

「《クリオネルディバイダー》……。あんなただの武器一個で《モリビトシン》があそこまで強化されたというのか……。あり得ないと言ってもいいが、可能性世界の話は捨て切れない。何よりも直に目で見たのだから否定も出来ませんね……。これまで以上に用心しなければ如何に我らとて……」

 

 敗れるかもしれない。その可能性は飲み込んでおいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯254 賢者と愚者

 

「そうか。地上にも出たか。イクシオンフレームが」

 

 タチバナは予感していた。既に連中は量産体制を進めていると。先のパフォーマンスは所詮、お歴々の納得という太鼓判を押させるためだけの形骸化した代物。

 

 彼らが是と言えばもっと大々的に売り出せる。アンヘル相手に上々の売り上げを見せられれば人機市場を席巻出来る。

 

 分かりやすいものだ、とタチバナは嘆息を漏らす。

 

『いいんですか? かつての弟子が道を違えているんでしょう?』

 

 通信相手の要らぬ心配にタチバナは鼻を鳴らした。

 

「奴がやりたくってやっておるのだ。止めても無駄だろう」

 

 どれほどその道が間違えていると言っても、六年前に《キリビトエルダー》を放った時点で、もう違う道を歩んでいるに等しい。

 

『ではこちらは静観を貫かせてもらってもいいですかね?』

 

「静観? 馬鹿を言え。貴様ら、ブルブラッドキャリアに接近しておるはずだ」

 

『何の事だか』

 

「嘘が下手になったな、ユヤマ。この局面でブルブラッドキャリアが質量兵器の破壊と、その阻止に回った時点で、彼らは組織内部に軋轢を持っているのは明白。加えて月という絶好の拠点を得た連中からしてみれば、質量兵器を止める理由は他に思い当たらない。一枚岩ではない、というのはもう分かり切っている」

 

『お見それしました。その慧眼、曇っていないと見えますなぁ』

 

「そちらも。相手を安く見るのはやめておけ。その分だけ自分の命も軽くなるぞ」

 

 忠言にユヤマは笑い声を漏らした。

 

『博士くらいですよ。アタシをどうにか出来るなんて』

 

 もうどうにもならぬ領域に達しているのだと暗に示しているのか。タチバナはそれ以上詮索しなかった。

 

「で? イクシオンフレームの出所があるはずだ。どこが開発に手を貸している」

 

『……ここから先は別料金となりますが』

 

「いくらでも出す。言え」

 

 有無を言わさぬ声音は他の人間ならばたちどころに従えるだけの覇気を持っているはずだが、ユヤマはうろたえた様子もなかった。

 

『旧ゾル国がメインフレームを貸し与えているみたいですなぁ。まぁ推し量りでしょう。彼の国はバーゴイルのノウハウがあります。宇宙と地上、両方で使える機体を製造するのならば、まずはゾル国』

 

「だが国力は随分と衰えたはずだ。こちらの見立てではあのような新型機、極秘裏でも開発は渋りたい」

 

『……随分と気前のいいスポンサーがいるみたいですよ』

 

「スポンサー? 地上の企業はアンヘルが抑えたはずだ。ほとんどの有力者はアンヘル側についている」

 

『そうではない企業で調べを尽くせば、案外見えてきますよ? この盤面、誰が動かしているのかを』

 

 これより先は別料金以上のものを要求されそうだ。タチバナは話を打ち切っていた。

 

「そういえば妙な噂話を耳にした。グリフィス……という新進気鋭の組織がレギオンの眼を掻い潜る術を持っていると」

 

 ユヤマはさすがにこの情報には一拍置いて返答を考えていたらしい。

 

『……どこでお聞きに?』

 

「別料金だ」

 

 切り捨てると相手は心得たような声音になった。

 

『嫌ですなぁ、博士。なかなかにいやらしい』

 

「お互い様だろう。こちらの情報網を潰されては堪ったものではないのでな」

 

『深くは知りません。小さな組織ですよ』

 

 嘘であろう。グリフィスがユヤマの情報網にかからないはずもないのだ。

 

 予測ではグリフィスという組織の頭目に近い位置にユヤマはいるはずであった。そうでなければレギオンの放つバベルの監視網を逃れる組織など発足するものか。

 

 少しでも情報を漏らせば痛いと感じているのを見せた、それだけでユヤマはグリフィスを知っているのだと暗に教えたようなもの。

 

 情報の手綱では僅かにこちらが勝っていた。

 

「弱小組織がバベルを欺けるものか。ワシの予測ではその組織、随分と水面下で動くのに長けておる様子だ。さながら獲物を狩る狼のように」

 

『狼とは。前時代的なたとえを持ち出されたものですな』

 

「知らんのか? 狼は群れで獲物を狩る。それも、じっと息を潜め、相手が弱り切るのを待ってな。狡猾なる狩人だ」

 

 その言葉の帰結する先を予見したのか、ユヤマは乾いた笑いを発する。

 

『買い被られたものですなぁ、その組織も』

 

「ユヤマ。今ならばまだ間に合う。……世界がどこに転ぼうとしているのかを説け。無知蒙昧なる人々に教えろ。バベルを欺き、それくらいはしておくのが先人の務めだ」

 

 これは願いでもあった。ユヤマは悪人ではない。当然、善人ではないだろうが、悪の道に容易に転ぶような醜態を冒す事はないだろうと。

 

 だからこそ、信じたかったのだ。人の善性、善き方向に進もうとする祈りを。

 

 しかしユヤマは非情なる宣告を寄越す。

 

『無理ですよ。もう、全てが動き始めた。止めるのには、ブレーキベタ踏みでもまだ足りない。どれだけ止まろうとしたって止まらない運命。そのようなしがらみに、もうアタシもあなたももつれ込んでいる。博士、一蓮托生とはこの事ですよ。今さら善人気取れるほど、綺麗じゃないんです』

 

「それでも……」

 

 それでも、この祈りは掻き消されていくのみなのだろうか。老人の繰り言なのは理解している。所詮は意味のない言葉を弄するのみ。

 

 だが、今を生きる人々は。今を生きる人間達は、そう容易く未来を投げ捨ててしまえるのか。未来を放棄した結果が、この地獄だというのか。

 

 ――違う。

 

 違うと叫びたい。

 

 そうでなければ何のためのモリビトか。何のためのアンヘルか。

 

「……ユヤマ。ワシは六年前、貴様に言ったな? 人の善性を、今よりもよりよくなりたいと信じる人間に賭ける、と」

 

『ええ。人間は今を切り拓くだけの力がある、とも』

 

「ならば、ワシは再び信じよう。ブルブラッドキャリアではない。かといってアンヘルでもない。……辛い事に、民衆でもない。この時代を変革しようとしている、誰かがいる事を。その誰かの存在を」

 

 恐らくは会った事もない誰か――これから先も出会う事はないであろう何者か。彼らが道を知っている。引っ張ってくれているはずだ。

 

 その瞬きを信じたい。

 

 ただそれだけの、小さな願い一粒であった。

 

『驚きましたな。世界の頭脳と評されるほどのタチバナ博士が最後に縋るのは、名も知らぬ誰かですか』

 

「ああ、ワシは……もう長い事絶望してきた。人間に、他者に、……そして人機を生む事しか出来ない、この愚かしい自分自身に。自己嫌悪なのだ。結局は。だが嫌悪した全てに真正面から目を向けてでも、ワシはこの星に祈りたい。まだ人間は捨てたものではない、と」

 

『その願い……受け取りましたよ。六年前と同じく』

 

「どうかな? 貴様は六年前とは違うかもしれん」

 

 こちらの試す物言いにユヤマは通話先で嗤ったのが窺えた。

 

『――だから、それも買い被りなんですよ』

 

 通話が途切れる。もう自分に出来る事など僅かしかない。

 

「ここにいらっしゃいましたか。博士」

 

 廊下を歩いてくるのは嘘くさい笑みを張り付かせたかつての弟子。自身の右腕と判断していた男。

 

「渡良瀬。世界は、貴様の思い通りにはならない」

 

 足を止めた渡良瀬は、口角を吊り上げた。

 

「……分からないなぁ。博士、あなたにならばわたしの計画を話してもいい。程よい理解者です。あなたならば、冷静に、全てを俯瞰出来るはず。何が最善で、何が愚策なのか。それらを余す事なく、完全に網羅し、理解し、そして掌握する。わたしの知っているドクトルタチバナはそのような人間でした」

 

 渡良瀬の評にタチバナは笑みを歪ませる。

 

「……申し訳ないが、それは買い被りというものだ。ワシは結局はただの老人。世界を回すのに最適な側ではなかった」

 

「そのようで」

 

 肩を竦めた渡良瀬の表情には愉悦がある。既に手は打ったと言う顔だ。

 

「……貴様、あの星で何を見てきた? 今までワシの下で、何を学んできたのだ」

 

 視点を惑星へと向ける。つい数時間前には滅びのカウントダウンが下されていた星は静かなものであった。熟れた罪の果実が虹色に瞬く。

 

「星、ですか。あの星は……とてもつまらない場所だった」

 

 急に言葉に熱を帯びさせた渡良瀬にタチバナは先を促す。

 

「つまらない?」

 

「だってそうでしょう? 愚者ばかりだ。どれもこれも。二流、三流……いやもっと性質が悪い。衆愚が支配する民主主義の皮を被った……ゴミ溜めだ。あんな場所で生まれなかった事だけがわたしの誇りですよ、博士。あの星で生まれた時点で、皆、罪の子なのですよ? 耐えられそうにない、わたしには……そのような汚点」

 

「汚点、か。汚点と評すか。あの母なる星に抱かれた事を」

 

「母? 博士、冗談もほどほどに。母なんて、何の意味があるんです? そんなものは形骸上の代物だ。母親も父親も要らないでしょう? 真に賢しい子供はどちらも必要としないのですよ。そして、大人になる! 力を手に入れる!」

 

 拳を握り締めてみせた渡良瀬はしかし、これまで以上にタチバナには子供じみて見えていた。

 

「そうして……身体だけが大人の、子供が出来上がるわけか」

 

「何なんです? 不満なんですか? ……ああ、そうか。分かった。嫉妬しているんだ! わたしの立場に! そりゃ、そうでしょうね。人機市場を回すのはわたしだ! この渡良瀬だ!」

 

 こちらを指差した渡良瀬にタチバナは冷笑を送る。

 

「人機市場なんてものを支配したいのか、貴様。くれてやるわ、そんなもの。欲しければどれだけでも、な。だが、それで満足か? 血と硝煙に塗れ、命を知らず、もっと言えば……何も知らない子供の分際で」

 

「何ですか……。大人が偉いって言うのかよ! 歳食えば偉いって言いたいのかよ!」

 

 平時の落ち着きをなくした渡良瀬は剥き出しの子供であった。今まで理性を持っていたと少しでも思っていた事が誤りであった。

 

 我が身の不実にタチバナは瞑目する。

 

「貴様はただ単に憎悪を撒き散らすだけの野生だ。ケダモノめ。そんなものでもどうにかしてやれたのだと、思っていた自分が憎々しいわ」

 

「……平行線の話はやめましょうか、博士。わたしは勝った! あなたは負けた! それだけの差だ!」

 

「そうだとも。ワシは敗者だ。地に這い蹲り、赦しを乞うのがお似合いの罪人だ」

 

「だったら! わたしの前に立つんじゃない! イクシオンフレームは完璧だった! 違うか! タチバナ!」

 

「……お歴々を説得出来なかった自分の弱さを他人に棚上げするか。言ってやろう。イクシオンフレーム。面白い代物ではあった。子供の玩具にしては、な。だが使う側がなっていない。人機は道具だ。使う側の知恵次第でどれだけでも化ける。どれだけでも変わる。どれだけでも、つまらないだけの兵器から、変容出来る」

 

「……あなたがそれを言うか。戦地を赴き、自らの足で人機を売りさばいてきた、死の商人が」

 

「そうだとも。ワシとて馬鹿の所業よ」

 

 頬を引きつらせた渡良瀬は声を張った。

 

「だったら! 何故だ! 何故わたしのイクシオンフレームは駄目で、あなたの人機は通る?」

 

「そのような瑣末事も分からんようになったか? 人機……あれは人殺しの道具。どこまで行っても拳銃と意味は変わらん。だが、貴様、違えたな? 銃を作る人間はでは、皆が罪人か?」

 

 その問答に渡良瀬が手を払った。寄り集まってきたのはアンヘルの私兵である。

 

「渡良瀬。このおじいちゃん、どうするの?」

 

 その中でも見目麗しい女性が問いかけた。渡良瀬は顎をしゃくる。

 

「思い知らせる。わたしが正しいのだと。時代を先導するのは、このわたし……渡良瀬……いや、もうその名も古い。アムニスの序列最上位! 大天使ミカエルなのだと!」

 

 アムニス。聞いた事のない組織の名前に、やはりという念が強かった。

 

「貴様、どこまで人でなしになれる? 人をたばかった末にあるのは破滅だぞ?」

 

「黙っていろ! わたしが喋っている!」

 

 女性兵士が歩み寄り、タチバナの鳩尾へと拳を見舞った。女性とは思えない膂力に振り回される。

 

 強化ガラス一枚で隔てられた窓へとタチバナの身体が叩きつけられていた。

 

「渡良瀬! 殺しちゃおうよ!」

 

 銃口を突きつけた女性兵士の笑みにタチバナは睨みを返す。

 

「まだ早いさ。その老人には出来るだけ充分に、身の程って言うものを知ってもらわないと。そのためには、必要なのは時間と理解。イクシオンフレームが人機市場を席巻し、わたしの放ったアムニスの天使達がレギオンをも超える! ……多数派の支配基盤。それは確かに素晴らしく偉大だ。敬意を表しよう。だが、博士。知っていましたか? 平和というのは得てして、つまらないものなのですよ。アンヘルが構築され、組織され、世界の八割を見張るようになった今! そう、まさしく今でも! 世界中で銃弾は飛び交っている! 分かり合えないヒトとヒトが、殺し合い、お互いを潰す事に一生を費やす! ……わたしはね、それこそが愛すべき人間の情なのだと思っているのです」

 

「……情? 情だと? 酔いしれるのも大概にしろ、渡良瀬。それは悪辣なる人間の本能、こう呼ぶのだ。――悪性と」

 

「黙っていろ!」

 

 渡良瀬の怒号に女性兵士が蹴りを見舞う。肩口が焼け爛れたのではないかと思うほどの激痛に視界が白んだ。

 

「渡良瀬。老人なんて殺しちゃえばいいのに。こういうの、生かしておいたって」

 

「アルマロス。君は師を知らない。師とは、敬うべきなんだ。わたしは最大限にこの人を敬っている。敬った上で、超える。それが弟子の役目だ」

 

「歪んだ……な、渡良瀬。歪み切っている、ぞ……。貴様の、目線は……」

 

 見下ろした渡良瀬の眼差しには慈悲など欠片もなかった。本当に戯れで人間を殺す――人間の屑の目線。

 

「天使はわたしの理想を完成させるために遣わせた。博士、あなただって興味がないはずがないんだ。彼らの身体の仕組みを」

 

 渡良瀬に促され、アルマロスと呼ばれた女性が背中を向け肩口を晒す。その光景にタチバナは絶句していた。

 

「まさか……渡良瀬、貴様ぁ……っ!」

 

「怒らないでくださいよ。これが人間の進化だ」

 

「進化だと……! 言うに事欠いて貴様、進化と言ったか! それは進化でも何でもない! 禁断の果実に手を伸ばせと囁く蛇が……、こんなにも近くにいたとはな!」

 

「褒めているんですか? それとも侮辱を?」

 

 怒りで白熱化した脳内でタチバナは思いつく限りの罵声を浴びせようとして、アルマロスに制された。

 

「渡良瀬の悪口言うんなら、この口要らないよ」

 

 突きつけられた銃口の殺意にタチバナは言葉を噤むしかなかった。渡良瀬が星を視野に入れる。

 

「モリビトは降りた。ブルブラッドキャリアの離反兵達も。既に時は満ちたのですよ、博士。成すべき時は来た!」

 

 哄笑を上げる渡良瀬にタチバナは最後の抵抗のように口にしていた。

 

「……必ず、貴様の野望を阻止する人間が現れる」

 

「おや? 博士。随分と三下の台詞が似合うようになりましたね?」

 

「その者達は貴様だけではない。愚かしい野望を抱く、全ての賢者気取り達に鉄槌を下すであろう! それほどの覚悟ある、時代の良心だ!」

 

 渡良瀬はぷっと吹き出した。アルマロスも腹を抱えて笑う。

 

「博士、あなたはもう時代遅れ。それを認めれば早いんですよ? なに、それでも頭脳は最上位に近い。いくらでも利用価値はあります。ちょっと人間じゃなくなるくらい、簡単なんですよ。こうすればいいだけの話で」

 

 こめかみを突いた渡良瀬にタチバナは今までの疑問が氷解したのを覚えた。

 

「……貴様、まさか脳内量子リンクを持った……人造人間か」

 

「正解! 最後の最後に大当たりを引きましたね、博士」

 

 だとすれば、その配置された意味は自ずと導き出される。

 

「……何をトチ狂った。貴様の意味合いなど、ブルブラッドキャリアの思想であろう」

 

 その言葉に渡良瀬が不意に顔から表情を消失させる。

 

「……違いますよ。わたしは、わたしの意思で動いている」

 

「いいや、違うな。愚かしくも賢しいつもりの、賢者気取りはここまで始末に終えないとはな。ブルブラッドキャリアが貴様を、そういう存在として造ったという事は、貴様とて生まれからは逃れられないという事だ。なんという事はない。人形が人形を遣っているなど! 冗談にしても――!」

 

 そこから先の言葉は銃声に遮られていた。渡良瀬の放った銃弾が腹部を射抜いている。瞬く間に血に染まる白衣に、渡良瀬の狂気が覆い被さった。

 

「違う。謝れ、わたしに。わたしに……謝れ! 他はどうとでもいいさ、許してやろう。だがそれだけは! ドクトルタチバナ! それだけは許しておけん! 死に行く前に謝れ! わたしに謝罪しろ! わたしは最上位の天使! 世界を変えるために遣わされた、真の救済者だ!」

 

「救済者……? 笑わせる……。誰かが救えと貴様に命じたか? それを請うたか? 馬鹿馬鹿しい、それこそ自己満足の代物だ」

 

「黙れ!」

 

 爆ぜた銃声に終わりを予見したが、その銃弾はすぐ脇の強化ガラスに着弾していた。

 

 アルマロスが銃身を握り、射線を逸らしたのである。

 

「……渡良瀬、落ち着いて。タチバナ博士は殺すのは惜しいはず」

 

 アルマロスの声に渡良瀬は悪態をついた。

 

「ああ、クソッ! 確かに! 大局を見据えれば殺すのは間違っている。……運がよかったですね、博士。あなたはまだ生きていられますよ。人機を生み出す、殺戮者の先駆としてね!」

 

 それが精一杯の皮肉だったのだろう。タチバナは閉じていく意識の中に没していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯255 勝ち取るために

 

 現状を、と問い質したニナイに《ダグラーガ》に収まったサンゾウは苦々しく言いやる。

 

「……旧ゾル国の新型人機によって我らは削られた。恐らくアンヘルの命令によるものなのだろうが、それそのものは重要ではない。問題なのは、恐るべき速度で状況が転がっている事だろう。これを」

 

 同期された情報に端末を手にする茉莉花が息を呑んだ。

 

「……驚いたわね。情報統制は完璧だと思ったけれど、アンヘルと爆弾を結び付けてはいないわけ、か」

 

 ニナイはその言葉の仔細を探る。

 

「つまり……アンヘルが運用した、という事を隠していると?」

 

「不都合な事実に抵触するのよ。ブルブラッドの爆弾……これは多分相手方からしても鬼札。その鬼札を持っているのはアンヘルではない、という可能性」

 

 ニナイはブルブラッド重量子爆弾の正式名称を目にしていた。ゴルゴダ――罪の名前。

 

「アンヘルが運用するのに、アンヘルの名義は使えない、と言いたいの?」

 

「正確には、使えないではなく、使いたくない、が正しいかしらね。アンヘルはこれほどの戦術兵器を隠し持っている事を世間に露呈させたくない」

 

「世論は思ったよりも慎重だという事だろう。殊にC連邦政府の加護にあるコミューンはな。アンヘルでさえも平和的解決の一つだと思っているはず」

 

 平和的解決。最も縁遠いと思えるその言葉がアンヘルを象徴しているのは皮肉としか言いようがない。

 

「ゴルゴダを使用するのは極力避ける、という方針だと考えて、間違いは?」

 

「ないだろう。だが、いざとなればどれだけでもこのカードを切れる、という牽制でも」

 

 ニナイは額に手をやって考え込む。現状では《ゴフェル》はあまりに微力。加えて鉄菜と合流も出来ていない今、下手にアンヘルに仕掛ける事も出来ない。

 

「こう着状態……ってわけね。どちらが動いても不利益に繋がる」

 

 ある意味では宇宙で爆弾の性能を確かめたのは無駄ではないのだろう。あれほどの威力が地上で爆ぜたと思うだけで身震いする。

 

「切り札を持っているがゆえに、踏み込んだ作戦を出来ないのはお互い様だろう。いずれにせよ、我々ラヴァーズは出来る事から貢献したい。そちらの人機の整備くらいは」

 

 サンゾウの声にニナイは、いえと拒否していた。

 

「そこまで背負わせるわけにはいきません。私達も相当痛手を負っています。だというのに、あまりにも……」

 

「背負う分が大きい。確かにそうね。ラヴァーズがこれから先、滅びていくだけの組織だというのならば存分に利用させてもらうのだけれど、そのつもりもないのでしょう?」

 

 思わぬ挑発の声音を発する茉莉花にニナイは目を見開いていた。元々は彼女の古巣のはずである。

 

 それなのに、問答無用の言葉を吐ける精神力に感嘆した。

 

 サンゾウは意に介した様子もない。淡々と事実を述べる。

 

「まだ、ラヴァーズには出来る事があるはず。そう信じている。末法の星で何がやれるのか……何が出来るのか。我々の生に意味はあるのか」

 

「そこまで哲学するつもりはないけれど、吾もちょっと考えたい事があるのよ。ニナイ、ちょっとの間だけ、ラヴァーズ側のメインコンソールを使わせてもらうわ。その間、《ゴフェル》の守りは手薄になるけれど」

 

「ええ、こっちで対応を。……でも大丈夫なの?」

 

 問いかけたのは別段ラヴァーズに不満があったからではない。それよりも茉莉花が行き着く先を決めかねているように思えたからだ。彼女はこちらの考慮を知ってか知らずか、フッと微笑む。

 

「裏切りはしないわよ。今さら、そんなのに意味はないし。翻れば《ゴフェル》のため……こう言っても信じてもらえない?」

 

「……いえ、信じるわ。そうしないと前に進めないもの」

 

 返答に茉莉花は拍手を寄越す。

 

「よく出来ました。ニナイ、あなたもちょっとは考え方が変わったみたいね」

 

 変わった。そうなのだろうかと自問する。もし、変わったとするのならば――。

 

「それは鉄菜のお陰なんでしょうね」

 

 鉄菜が引っ張ってくれたから、今の自分達がある。彼女が無茶でも道理を蹴飛ばして戦い抜いたからこの状況に落ち着いている。

 

 しかし、今の《ゴフェル》は致命的な命運を欠いていた。鉄菜という求心力を失った《ゴフェル》ではどこか誰もが困惑気味だ。

 

「なに、鉄菜は戻ってくるわよ。心配しなくたって。六年間待ったんでしょ?」

 

 それは、と口ごもる。鉄菜の生存を第一として掲げていた。それは間違いない。しかし、状況も違う。

 

 アンヘルの軍備増強に新型爆弾。これほどの条件が揃っていながら、仕掛けてこないはずもないのだ。

 

 一日の平穏か、あるいはあと数分にも満たないほどの静謐か。現状が長続きしない事だけは、ハッキリと分かっていた。

 

「……六年間の沈黙とはわけが違う。私達は踏み出した。だから、もう戻れない」

 

「そうね。戻れない。それは吾だって同じ」

 

「……あなたも?」

 

「気づかない? ……まぁいいけれど。モリビトの執行者のメンテナンスは頼むわ。やる事があるからね」

 

《ビッグナナツー》へと歩み去っていく背中を《ダグラーガ》に収まったサンゾウも見つめていた。

 

「……情けない。拙僧がいながら、ラヴァーズは半数以上の命を失った」

 

 深い懺悔にニナイはフォローしようとする。

 

「でも、あなたのせいじゃ……」

 

「いや、拙僧のせいなのだ。ラヴァーズは元々、この終末の惑星で救いを求める声を聞き届けて結成された組織。拙僧には責務がある。救いを、実行するという重責が。それなのに、命一つ救えないで、何が世界最後の中立か、何が……救済か」

 

 彼自身、自己矛盾を抱えているのだろう。《ダグラーガ》に関する情報は乏しいが、彼が幾星霜の孤独の末にラヴァーズという組織に流れ着いたのか、想像はつく。

 

 結局、星の人々は身勝手に救いを求めて、身勝手に離れていく。それが宿命のように。

 

「……私達だって身勝手です。別に、世界をよくしたいだとか、今さら報復の刃を向けたいだとかじゃないんです。ただ、このままでいいのか。それだけがある。それだけの行動理念で動いている。このままでいいのかだけが、胸に突き立っている疑問なのです」

 

 その疑問点だけで自分達は戦ってこられた。だが、これほどまでに世界の悪意をまざまざと見せ付けられて、それでも前に進めというのか。過酷でしかない運命のうねりと共に、どこまで行けというのだろう。

 

 自分にはもう分からない。ただ目の前の事態を止めるべきだとする胸の衝動だけはある。

 

「……案外、拙僧と貴殿は似たもの同士なのかもしれないな。いや、これは貴殿に失礼か。世界を敵に回し、何もかもを失ってでも前に進もうとする者達には」

 

「そこまで崇高じゃありませんよ。ただ、放っておけない、それだけなんだと思います」

 

 そう、それだけのシンプルな答えなのだ。ニナイは自分の胸中にそう繰り返していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯256 存在の集約

「《ナインライヴスピューパ》のエネルギー能率を鑑みれば、この損耗程度、痛くはない……はずだ」

 

 どこか自信なさげなタキザワに桃は言い放っていた。

 

「相棒がいなくって不安なんですか」

 

 その言葉振りにタキザワは苦笑する。

 

「正直、ね。ゴロウはいつの間にか自分の欠けてはならない一部になっていた。いい話し相手でもあったからね」

 

「……でも、元は敵ですよ」

 

 元老院。この星を回していた陰のフィクサー。それと対等に話せていたのだからタキザワはフラットな目線を持っていたのだろう。彼はどこか所在なく声にする。

 

「……彼らの気持ちも、分からないでもないんだ。自分達が支配していたつもりの星で、勝手な狼藉を働かれて、その挙句に追放……言ってしまえば僕らと似たようなものだ。因果応報とでも言えば、それで済むんだろうけれどさ」

 

 自分は、欠いてはならないものを欠いたまま、ずっと戦い続けている。この六年間もそうだ。彩芽を永遠に失い、鉄菜を探し続けた。その日々は心を磨耗させるのには充分であった。

 

「……操主として、戦い抜けるのならそれでいいんです。戦うに足る理由もあれば」

 

「何か言いたげだね。鉄菜の事が心配かい?」

 

「そりゃ……! そうでしょう。だってクロは……人一倍脆いから」

 

「脆い、か。それは鉄菜を近くで見てきた君だからこそ出る言葉だろう。六年間の隔たりを感じさせないのも君がよくやっているからだと思うよ」

 

「……何ですか、急に褒めて。何も出ませんよ」

 

 返答にタキザワは笑う。

 

「そうだね、こんな事を、している場合でもないのかもしれない。今すぐに鉄菜を助けに行って、アンヘルも壊滅させる。それくらいの気概があればいいんだが」

 

「まるでないみたいな言い草ですね」

 

《ナインライヴス》の整備データを端末に読み込ませながら、タキザワは顔を翳らせた。

 

「……正直、分からなくなる時がある。本当にこれで正しいのか。この道で自分達の理想に辿り着けるのか。靄がかかったみたいに、分からなくなる時が」

 

「意外ですね。タキザワ技術主任はそういうの、気にしないと思っていました」

 

「僕だって人間だよ。いや、本隊の言い方を借りるのならば造られた人間、か」

 

 笑い話に出来ないのは、桃も自分の遺伝子が別の形で息づいているのを知っているからだ。自分達は優秀な遺伝子を掻き集めて造られた人造人間達。誰もが同じ穴のムジナだと分かった今、《ゴフェル》のクルー達は独自の判断が求められる事だろう。

 

 これまでのように流されて戦うのではない。本当の意味で覚悟して戦うために。

 

「……気にするものでもないと思いますよ。だって、自分の生まれなんていい加減なものですし」

 

「そうだね。生まれた瞬間を記録する事は出来ても、記憶する事は出来ない。客観によってのみ、自分がこの世に生を受けた実感を得られるものだ。……頭では分かっている。割り切れる理論もあるさ。ただ、突きつけられるとしんどいな、というだけの話」

 

 しかし鉄菜はそれらを分かっても前に進んでいる。彼女は造られたという十字架を一番に背負っているはずだ。造られた存在、人機と似たようなもの。いつ殺戮機械になってもおかしくはない、という恐怖――。六年前に聞いた彼女のルーツは今でも鮮明に思い出せる。

 

 鉄菜がそこまで苦しんでいるなんて傍目では分からなかった。それでも、一番に辛いのは鉄菜のはずなのだ。

 

「クロは……失いながら進んでいるんだと思います。だってあの子は不器用だから。失って、切り捨てて、その先にしか未来を描けないんですよ。それでも、クロは前を向いている。一度だって振り返る事はない。どれほどの後悔に苛まれても、どれほど苦難が待ち構えていても、クロは一度だって歩みを止める事も、ましてや後退なんてする事はなかった。だから眩しいんだと思うんです。だって、クロは……」

 

「一人だが、独りではない、か。強いな、彼女は」

 

 言葉尻を引き継いだタキザワに桃は微笑む。

 

「分かっているじゃないですか」

 

「僕だってデータ人間だとは思われたくないからね。感情はある」

 

《ナインライヴス》のコックピットに繋いでいた端子を引き抜き、タキザワは数値を参照した。

 

「四枚羽根によるウエポンマウントシステムと防御皮膜は健在、地上でも使えるだろう。問題なのはどのような戦闘に巻き込まれるのか、まるで予測不可能という点だ。敵はこちらの位置を捕捉出来る。有り体に言ってしまえば、上から爆弾を落とされればお終いだっていう事」

 

「分かりやすくっていいじゃないですか。敵は絶対に来る。それさえ分かっていれば」

 

 どれだけでも対応策はある。拳を固めた桃にタキザワはフッと笑みを浮かべた。

 

「……何ですか?」

 

「いや、君だって強い。鉄菜とどっこいか、それ以上に」

 

「……馬鹿にしています?」

 

「いや、褒めているよ」

 

 コックピットから離れたタキザワは不意に湧いた怒声に目線を振り向けた。メカニックと林檎が言い争いをしている。桃も身を乗り出していた。

 

「あの子、また……!」

 

「桃、あまり君の手を煩わせるものでもない。僕が見に行こう」

 

「……言っておきますけれど、林檎は簡単に屁理屈で納得する子じゃないですよ」

 

「重々承知だとも。君だってそうじゃないか。屁理屈では納得しない」

 

 そう結んでタキザワは《イドラオルガノン》のほうへと歩み寄っていった。桃はリニアシートに体重を預け、ふと息をつく。

 

 事ここに至るまでほとんど休みなんてなかった。今は、敵の動きを見つつも少しばかりは休める事に感謝するしかない。

 

「……クロ。どうか無事でいて」

 

 天井を仰ぎ、桃は呟いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから、《イドラオルガノン》はまだやれるって言ってるんだ!」

 

「無茶を言わないでくれ! 大分損耗している。後方支援に徹するべきだ」

 

 メカニックの言葉に林檎は食ってかかっていた。冗談ではない。せっかく強くなった《イドラオルガノン》が後ろに下がれというのか。

 

 承服しかねて林檎は言いやる。

 

「せっかくのセカンドステージ案だろ! 何のために重くしたと思っているんだ!」

 

「……それもある。《イドラオルガノンカーディガン》は防御に優れているとは言え、敵の弾幕を一点にもらって大丈夫なほど堅牢でもない。ウィザードとガンナーの息が合わなければ一番に難しいモリビトなんだ」

 

「合っているだろ! 何を今さら……!」

 

 噛み付きかけた林檎を歩み寄ってきたタキザワが制する。

 

「双方、落ち着いて。何があった?」

 

 メカニックは困惑顔でタキザワに説明する。

 

「《イドラオルガノン》のダメージは深刻なんです。それに、ウィザードとガンナーの同調率が……」

 

 端末を目にして示し合わされるのが一番に苛立つ。林檎は手を払っていた。

 

「勝てばいいんだろ! ……勝てるさ!」

 

「いや、林檎・ミキタカ。一度落ち着いたほうがいい。今、ラヴァーズの援護が期待出来るからこそ、モリビトの戦力は温存しておくべきだ」

 

「そんな及び腰……ボク達らしくないだろ!」

 

 叫んだ林檎にタキザワは冷静な声を差し挟む。

 

「それでも、この状態で出せば格好の的だ。モリビトは一機でも欠いてはならない戦力。今の《ゴフェル》がどういう状況なのか、分からないわけじゃないだろう?」

 

「《ゴフェル》がどうこうじゃない! ボクのモリビトだ! ボクが判断する!」

 

 林檎の言い分にタキザワは辟易しているようであった。

 

「……勘違いをしないでもらいたい。モリビトは貴重な戦力。個人のものではない」

 

 どうして大人達はこうも冷静でいられる。それもこれも、皆が実戦に赴く自分達の苦労なんて理解しようとも思っていないからだ。

 

 誰もが身勝手でいい加減。林檎はそのような状況に飽き飽きしていた。

 

「だったらさ! どうして強化したんだ! 強化しなけりゃ、いい話じゃんか!」

 

「物事はそう簡単じゃない。ブルブラッドの爆弾を抑止するためには《イドラオルガノンカーディガン》の投入は必須であったし、何よりも《モリビトルナティック》落着阻止という大きなミッションでもあった。これまで以上に、モリビトの執行者には慎重な行動が求められるはずだ」

 

「何それ……。まるで今のボクがまともじゃないみたいに」

 

「冷静な判断力を欠いている。少し頭を冷やしたほうがいい」

 

 林檎は怒りをそのままに吐き出した。

 

「ふざけるな! ボクはモリビトの、執行者だ!」

 

「そうだと言うのならば、もっと謙虚に振舞う事だ。《ゴフェル》に来る事を望んだ以上、少しの軋轢だって許されない」

 

「……あの旧式みたいに、従順でいろって言うの?」

 

 林檎の脳裏に浮かんだのは鉄菜の後ろ姿であった。いつだって自分なんて相手にしていないあの背中。冷徹な眼差し。どれもこれも癇に障る。

 

「鉄菜は関係がないはずだ」

 

「関係がない? 本当にそう思っているんだとすれば、キミ達おめでたいよ。《モリビトシンス》に乗っているからって、何が! 機体の性能で勝っているだけだ!」

 

 タキザワは返す言葉を失ったようであった。その通りであろう。《モリビトシンス》、あの機体が優れているから、自分達より上に立てている。それだけのはずだ。

 

「……そう思っているのならば、僕はもう言う事はない」

 

 急速に興味をなくしたかのようにタキザワが踵を返す。メカニックも淡々と整備に戻った。この空間の中で自分だけが燻っている。その感覚に林檎は羞恥の念で顔が真っ赤になる。

 

「……何だよ、ボクが怒っているのが馬鹿馬鹿しいみたいに……何なんだよ、みんなして! そんなに旧式が好きなら、あいつにだけこびへつらえばいいだろ! 知らないよ!」

 

 身を翻そうとした林檎の背中を呼び止めた声があった。コックピットより這い出た蜜柑の眼差しに林檎は目を背ける。

 

「……林檎」

 

「なに、蜜柑。同情でもしてくれるって言うの? ……何もかも要らない。憐憫も、何もかも! みんな、大ッ嫌いだ!」

 

 駆け出した林檎の背に蜜柑の声がかかる。自分以外の誰もが敵になった気分だった。この世で信じるべきものが一つもない。

 

 艦内を走り抜けた林檎は静かに息をついていた。強化された心肺機能がちょっとした運動ならばすぐに回復を約束する。それほどまでに優れているのに、どうして哀れみなど受けなければならないのか。

 

 自分が引っ張れるだけの資格を持っているはずなのだ。だというのに……何もかも見えない。

 

「ボクは……この《ゴフェル》に居場所なんて……」

 

 そう口にした時、扉から人影が出てきた。覚えず視線を合わせる。

 

 白衣を纏った男に林檎は警戒を浮かべた。

 

「リードマン……」

 

「久しいね。林檎・ミキタカ」

 

「何? ……嗤おうっての?」

 

「いや、たまたまだ。何かあったのかい?」

 

 説明する気も起きず、林檎は沈黙を是とする。リードマンは嘆息をついた。

 

「トラブルメーカーだな。だが、鉄菜もそうであった」

 

「あの旧式と比べないでよ」

 

「そうか? だが君達のほうが最新の血続だ。組織の生み出した人造血続計画。その最たるもののはず」

 

「……そうだよ、そのはずなんだ。だって言うのに、どうして誰も彼も、鉄菜、鉄菜って……。そんなに旧式がいいのか」

 

「僕は鉄菜の担当官だ」

 

 だから自分の味方にはなれない、とでも言うのか。それならばそれで構わない。

 

「味方なんて、期待していないよ」

 

「誤解をしないでもらいたい。鉄菜のいなくなった六年間、僕は君達二人の副教育係でもあった」

 

 そうだ。リードマンは桃のバックアップとして自分達の教育を買って出ていたはず。

 

「……ボクと旧式の、差って何?」

 

 思わず尋ねていた。自分と鉄菜の差なんてないはずだ。性能以外では完全に別個体。だというのに何故勝てない。

 

 リードマンは逡巡の後に応じていた。

 

「鉄菜は、心がない……と本人は思っている」

 

「心? そんなの単純じゃん。自分が自分であるという自信。それさえあれば心なんてどうとでも……」

 

「だが彼女はそれを追い求め続けている。どこまでも、ね。愚直にも見えるその行動原理こそが、鉄菜・ノヴァリスという血続の特徴だ。他の血続や操主では見られなかった、彼女自身のルーツなんだ」

 

「ルーツ……。でも、そんなの! 心がないって言うんなら、ボクらのほうが優れているはず! そんな事で思い悩まない!」

 

 断言した口調にリードマンは首肯する。

 

「そう、君達はその程度では思い悩まない。性能に変調は挟まないだろう。それほどまでに、さしたる意味もない事なんだ。どこに心があるかなんて。そもそも自我の発生自体、心の証明に他ならないのだが……彼女はそれが分からない。自分を衝き動かすのが自分自身から発生した動機なのか、それとも誰かより授けられたものなのか、その線引きが出来ないんだ。それが鉄菜という少女の全てでもある」

 

「……まどろっこしいな。ハッキリ言いなよ。そんなちょっとした差じゃないだろ? 性能面! 感情制御面! 他諸々、違うはずだ! 旧式には何を施した!」

 

 何か、特別な措置でも施されているはずだ。そうでなければ自分が負けるはずがない。

 

 しかしリードマンは頭を振った。

 

「何も。キミに施されていない処置を鉄菜にはされていないし、鉄菜は完全に何世代か遅れた血続だ。君が旧式と呼んでも差し支えないほどの」

 

 絶句する。では、鉄菜には何も特別な措置がないとでも言うのか。ただの型落ちの血続だと。

 

「……そんなはずはない。じゃあ何で! 何でみんなあれに縋る? どうしてあれに頼るんだ! ボクと蜜柑のほうがやれるのが分かっていて、あんな事を言うってのか!」

 

「そう、性能だけで言えば、鉄菜はどうという事はない。君達二人には絶対に勝てないだろう。しかし、彼女には経験がある」

 

「経験……それが埋めようのない差だって?」

 

 しかし操主としての経験値など、性能差で埋められるはずだ。そうでなければ何のための最新の血続か。

 

「君は誤解しているようだが、戦闘の経験じゃない。彼女は世界に触れた。あらゆる人々の営みに、この六年間触れてきたはずだ。星では何が起こっているのか、何が正義とされ何が悪だと断罪されるのか。どれほどの不条理が目の前に佇んでいるのか。それらを全て、理解した上で、彼女は超えようとしている。この世界の是非を問うのに、自分が相応しいかどうかをきっちり見定めるだけの眼。それが備わっている。だからこそ、鉄菜は強い。鉄菜は眩しい。《ゴフェル》にいる誰もが思っている事だろう。鉄菜が自分達を導く、北極星のような存在なのだという事を」

 

 戦闘経験値ではない、別種の部分で鉄菜のほうが優れていると言うのか。そのようなもの、と林檎は拳を握り締める。

 

「そんなもの……吹けば飛ぶような代物じゃないか! そんな事で、ボクと蜜柑が軽く見られているとでも? そんなものだけで?」

 

「……もう一つ、誤解しているようだ。《ゴフェル》の皆は君達二人を軽く見てなどいない。尊重すべき操主だと思っているはずだ」

 

「嘘だ! そんなもの、嘘に決まっている! だって、誰も必要としていないじゃないか。誰も、……ボクらを褒めてくれないじゃないか」

 

 鉄菜がいなければそれが決定的な欠落のように振る舞うのに、自分達がいなくても誰も問題はないだろう。

 

 それが分かる。予見出来る。だからこそ、こうも胸が苦しい。

 

「……林檎・ミキタカ。もう一度だけ、考え直すといい。本当に君達二人が、ただ単に戦うためだけに生み出されたのかどうかという事を。本隊は確かにそうとしか考えていなかったのかもしれない。だが、ここは《ゴフェル》。希望の舟だ。その舟で、単純に戦闘力だけが追い求められているとは、思えないがね」

 

 リードマンの言葉に何も言い返せない。当然だ。鉄菜の強さは戦闘能力ではないのだと思い知ってしまった。だからこそ、何も言えない。自分の抗弁がどこまでも幼いのだと理解出来てしまう。

 

 それでも、自分が示したいのは――。

 

「ボクは……」

 

 そこで不意に《ゴフェル》が激震した。明滅する廊下の照明にリードマンが天井を仰ぐ。

 

「……来たか」

 

『熱源関知! こちらへと高熱源が放射されました! 《ゴフェル》はこれより第一種戦闘配置に移行! ニナイ艦長の指示を待って反撃に打って出ます! 繰り返す……。第一種戦闘配置! 執行者はモリビトへと急行してください!』

 

 敵が来る。その予感に身が震えた。

 

 敵が来れば自分の強さを示せる。自分の有用性を、再びこの舟に突きつけられる。

 

「……戦わなくっちゃ」

 

 駆け出しかけたその背中にリードマンが呼び止める。

 

「答えは出たのかい?」

 

「……分からないよ。まだ。でも、ボクはモリビトの執行者だ。ここで逃げ出すわけにはいかない。戦いで埋められるのなら、何もかもを背負ってやる!」

 

 向かったのは格納デッキである。駆け出したその胸の中はしかし、まだ晴れない焦燥に駆られていた。

 

 ――どうすればいいのか。何も分かっていない。

 

 それでも今は一手でも前に進め。戦いでしか鉄菜を追い越せないのならば、それで示すしかない。

 

「……だってそうだろ。ボクは、《モリビトイドラオルガノン》の操主なんだから」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯257 死闘、そして

「状況は!」

 

 ブリッジへと急行したニナイは通信の先で返答を聞いていた。

 

『芳しくありません。完全に頭を押さえられた形です。《ゴフェル》の現状では対艦防御も難しく……銃座もほとんど月面の戦闘でやられてしまっていて……』

 

 今の《ゴフェル》ではアンヘルを退ける事など出来ないか。歯噛みしたニナイは通信に吹き込んでいた。

 

「クルーの三分の一を月面に置いたのも痛かったわね……。敵影は?」

 

『待ってください……、一つ、二つ……、敵は二機! 照合結果出ました! イクシオンフレームです!』

 

 悲鳴のような声にニナイはやはりと確信を持った。この状況で仕掛けてくるのはアムニスをおいて他にない。

 

「ブリッジ、戦闘準備! モリビトは?」

 

「既に出撃カタパルトに入っていますが……」

 

 そこから先を遮ったのは《ゴフェル》へと向けられたリバウンドの散弾による攻撃であった。黄色い粒子が跳ね回り、ブリッジの眼前へと《イクシオンベータ》が迫る。

 

『もらった!』

 

 回線が開き、敵の鉤爪が発振した、その時であった。

 

 カタパルトをピンク色の光軸が撃ち抜く。高出力リバウンド兵装の輝きがブリッジの減殺フィルター越しでも焼き付いた。

 

《イクシオンベータ》が直下より放たれた砲撃にうろたえ、おっとり刀で後退する。

 

「か、甲板に穴が……! これは!」

 

『ゴメン、ニナイ。わざわざカタパルトから出てあげるような時間も惜しくってさ』

 

 融け落ちた格納デッキから《ナインライヴスピューパ》が上昇する。四枚羽根を広げたその後ろ姿にニナイは返していた。

 

「……勝てれば問題ないわ」

 

『それは結構な答えで! 行くわよ、《ナインライヴスピューパ》! 目標を撃滅する!』

 

 Rランチャーを構えた《ナインライヴス》が《イクシオンベータ》を相手取ろうとするが、敵機も相性くらいは頭に入っているのだろう。即座に後退した《イクシオンベータ》に代わり、もう一機のイクシオンフレームが前に出ていた。

 

「あれは……! 機体照合!」

 

「やっていますが! イクシオンフレームだという以外の決定的なデータが足りません!」

 

 新たなイクシオンフレームは棍棒を手にしていた。赤く照り輝くリバウンドの輝きを纏いつかせ、薄緑色の敵人機が《ナインライヴス》へと接近する。

 

『接近戦なんて! バインダー! Rハンドガン!』

 

 即座に甲殻の内側からハンドガンに持ち替えた《ナインライヴス》が応戦するが、敵は棍棒を携えたまま、瞬時に空間を飛び越えた。

 

 まさしく瞬間移動としか思えないほどの高速戦闘に桃がうろたえる。

 

『跳躍……?』

 

「今のは……ファントム?」

 

 しかし現状のファントムとはまるで異なる次元であった。雷撃さえも軌跡に刻んだファントムで敵機は《ナインライヴス》を翻弄する。

 

 虚しく空を穿った《ナインライヴス》の銃撃に敵人機が回り込んで棍棒を打ち払う。

 

 羽根で受け止めた《ナインライヴス》であったが、その衝撃は推し量るよりも強大であったらしい。《ナインライヴス》の巨躯が跳ね飛ばされる。

 

「桃!」

 

 叫んだニナイは真正面よりリバウンドの散弾を放出しようとしている《イクシオンベータ》を視野に入れていた。

 

 相手の狙いは《ゴフェル》の早期沈黙。

 

 そのためならばいちいち相手取る因縁も考えないというわけか。

 

 苦味を噛み締めた途端、カタパルト区画より出撃申請が受諾されていた。

 

『《モリビトイドラオルガノンカーディガン》! 敵イクシオンフレームを駆逐する!』

 

 Rトマホークを振り翳した《イドラオルガノン》の一撃を《イクシオンベータ》が受け止める。

 

『……また阻むというのか。モリビト』

 

『当然だろっ! ボクらは、この《ゴフェル》を守り通す!』

 

 干渉波のスパークが散る中、通信が繋がれていた。

 

「……サンゾウ? 何か」

 

『援護が必要ならば出す。現状どうか』

 

「それは……」

 

 ニナイは言葉を彷徨わせる。モリビト二機ではイクシオンフレーム相手に遅れを取る可能性も捨てきれない。

 

「もしもの時には、お願い出来ますか」

 

『承諾した。援護射撃で敵をかく乱する程度ならば』

 

「感謝します……」

 

《イドラオルガノン》が《イクシオンベータ》と鍔迫り合いを繰り広げる。Rトマホークを払ったところで相手の鉤爪が弾き返した。

 

「桃、林檎、蜜柑……どうか生き残って……」

 

 今は願うしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こいつ……纏わりついて……!』

 

 林檎の声音が通信網に焼きつく。桃は新たなイクシオンフレームと交戦していた。羽根のバインダーで敵の一撃をいなし、その懐へと銃撃を浴びせる――この必勝の構図がしかし、今は当てはまらない。

 

 敵は棍棒で攻撃したかと思うと、すぐにこちらの射線を読んで離脱し、その機体を決して一ところに留めなかった。

 

 あまりにも違う機動力に桃は舌打ちする。

 

「これ……ファントムだって言うの……」

 

『正しくは違うかな。ライジングファントム。通常、ファントムは機体の循環ケーブルに過負荷を発生させ、その戻りと機体の推進力を相乗させて生み出す代物。だけれど、この! 《イクシオンガンマ》は! それを最初から可能にする! ま、前に使っていた奴はこの性能を活かし切れずに墜とされたちゃったけれどね。あの両盾のモリビトに』

 

「両盾のモリビト……クロがあんた達と戦ったって言うの?」

 

 敵機は人がするようにおっと、と肩を竦めた。

 

『いけないいけない。あんまり口が過ぎると怒られちゃう』

 

「……言いなさい。クロはどこ?」

 

『教えると思った?』

 

「……でしょうね。《ナインライヴス》!」

 

《ナインライヴス》が脚部を前足に据え、両腕を後ろ足へと引き出す。四枚羽根のバインダーはそのまま機体後部を覆う尻尾と化した。

 

 獣型形態へと移行した《ナインライヴス》に敵が口笛を吹く。

 

『それで来るんだ? そっちのほうが速いの?』

 

「教える義理はない、のはこっちも同じよ!」

 

 四枚羽根がそれぞれ開く。刹那、高推進力が生み出され、獣型の《ナインライヴス》が滑るように敵へと猪突していた。《イクシオンガンマ》が棍棒を薙ぎ払う。

 

『頭、もーらいっ!』

 

「そんな容易いわけ!」

 

 操縦桿を引き込んだ瞬間、バインダー内部に格納されていた武装が火を噴いた。裏返った羽根の内側より爆発的な威力の火線が舞い散る。

 

《イクシオンガンマ》は直撃を免れようと上に逃げたがそれこそ愚の骨頂。

 

 背筋に装備したRランチャーの射線であった。

 

「もらった!」

 

『そのままセリフ、返させてもらうよ! 容易いわけ、ないじゃん!』

 

 雷撃のファントムが空間から《イクシオンガンマ》の姿を掻き消した。何もない中空をRランチャーが射抜く。

 

 甲板に降り立った《イクシオンガンマ》が振り返り様の一撃を見舞おうとした。桃は雄叫びを上げて《ナインライヴス》の四枚羽根に推進力を灯す。

 

 獣型の機体が横ロールをして敵の棍棒をすり抜けた。まさしく野性の獣がそうするかのように機敏に回避して見せたのである。

 

 その機動にはさすがの相手も虚を突かれたのか、《イクシオンガンマ》に隙が宿る。

 

 後退機動を取りつつ、《ナインライヴス》が人型へと可変する。その手にはRランチャーが握られていた。

 

「その首、もらった!」

 

 照準から砲撃まで一秒もない。それでも、敵人機は硬直した機体に火を通した。

 

『そんなもの! ライジング――ファントム!』

 

「Rランチャー! フルバースト!」

 

 四枚羽根が裏返り、内側に格納されていた武装が支持アームで敵へと向けられる。無数の銃口よりリバウンドの攻撃が《イクシオンガンマ》を破砕すべく放射された。

 

 敵の速度はしかし、それを上回る。瞬時に跳ね上がった敵機はそのまま急角度で加速度を得て棍棒を振りかぶった。

 

 必殺の間合い、と判じた桃は《ナインライヴス》の攻撃の反動を利用して後退させる。

 

 棍棒が甲板を打ち据え、装甲を捲れ上がらせた。

 

『ざーんねん、殺せたのに』

 

 敵は本気で取りに来ている、その感覚に桃はRスーツを纏った首筋が冷えたのを感じ取った。

 

「……驚いたわね。そんなに戦えたんだ。……あの男のお付きなだけかと思ったのに」

 

『案外、執行者クラスってのは馬鹿に出来ないでしょ? どう? 桃・リップバーン。モリビトの執行者としては負けた感じになった?』

 

「どう……かしらねっ!」

 

 Rランチャーの砲口を《イクシオンガンマ》へと向ける。ゴーグル越しのアイカメラがこちらを睨み、砲撃を軽業で回避してみせた。

 

『無ぅー理! 無理だから! 勝てないよ! そんなんじゃ!』

 

「……男におべっか振るだけの女かと思ったらっ!」

 

 照射のまま砲口を振るう。《イクシオンガンマ》が跳ね上がり、棍棒を突き上げた。

 

『墜ちちゃえっ!』

 

「やらせるわけ……ない!」

 

 半身で避けた《ナインライヴス》が四枚羽根の甲殻を翳し、そのまま敵の懐へと潜り込もうとした。その手には支持アームで譲り受けたRハンドガンがある。

 

 至近での射撃。しかしながら、敵は驚くべき機動力でその銃撃を無為に帰した。

 

「接近?」

 

 近接格闘の域に達した《イクシオンガンマ》が肩口から衝突する。接近警報がコックピットを赤く染めた。

 

『ぶつかってくるのは想定外? だったって、勝てないでしょ! モリビトォッ!』

 

「そう、ね……」

 

《ナインライヴス》がマニピュレーターを回転させ、敵の血塊炉付近へと腕を捩じ込んだ。確実に取った、と感じた距離。

 

 しかし、それでも相手は流れをこちらに預ける事はない。蹴飛ばされて初めて、桃は敵人機がそれほどまでの格闘戦術に秀でているのだと認識した。

 

「銃を、蹴るなんて……」

 

『お行儀よく戦場で戦えなんて習ったの? ブルブラッドキャリアでは!』

 

 棍棒が頭蓋を砕かんと迫る。桃は咄嗟にバインダーの内側から取り出した武装で頭上へと近づいた武装を弾いていた。

 

『……トンファー。面白いわね。時代錯誤だけれど』

 

「黙っていなさい……! 舌を噛み切る!」

 

 トンファーが内側から青く輝いた。その様に相手が驚愕の声を出す。

 

『トンファーの中に、まさか……』

 

「ご明察!」

 

 返す刀のトンファーの一打を敵は咄嗟の判断で後ずさる。トンファーの一撃が食い込んだ甲板から爆風が生じ、青い衝撃波が人機一体分のスペースを巻き込んだ。

 

《イクシオンガンマ》が棍棒を払う。

 

『……驚いた。小さい血塊炉を積んでいるのね。小型の血塊炉をブルブラッド重量子爆弾……ゴルゴダの技術を使って限定的ながら爆発による膨大な衝撃波を生み出せるように設計されている。それ、もろに食らったら純正血塊炉の人機は確実に動きを止められる』

 

 そこまで悟られれば二度はないだろう。《ナインライヴス》はトンファーを両手に構えつつ、四枚羽根のバインダーを後部に位置させる。

 

 一点に寄り集まったバインダーより放射熱がもたらされた。

 

「近づかないつもり?」

 

『そのほうがいいでしょ。近づいてくるのならば迎撃するけれど』

 

 敵機が棍棒に火を灯す。赤く煮え滾ったように燃える棍棒の攻撃性能は恐らく奇しくもこちらのトンファーと同じような性能であろう。

 

 触れるだけで衝撃波の嵐がお互いの人機を磨耗させる。

 

 ゆえにここから先は互いを削る心積もりで戦うしかない。

 

「……あんた、生きて帰れとは言われていないんだ?」

 

『ああ、その辺シビアでね。確かにお気に入りよ? でもね、代わりもいくらでもいるんだって』

 

「……寂しくないの」

 

『ぜーんぜん。だって、天使なのよ? 天使に悲しみなんて感情は必要? 我々は地上の人間達を見下ろし、囁きかけ、武器を与え、道を違えさせるために降りてきた、天使の一族!』

 

《イクシオンガンマ》が焼け爛れたように赤く映える棍棒を突き出す。あちら側とて必死の構え。その構えに、こちらとて負けていられない。

 

 ――勝利するのに、一瞬でも気を抜けるものか。

 

 桃はトンファーで狙う部位を探る。やるのならば、敵のコックピットを叩き据えて一発……と行きたいところだが、敵も白兵戦用。そう容易く至近距離に潜り込めるとは思わないほうがいいだろう。

 

 ならば、ここは敵の武装をさばきつつ一撃、そしてもう一撃と繋げる。それこそが最短距離。

 

 勝利への最短を脳裏に描いた桃は《ナインライヴス》へと布石を打っていた。

 

「言っておくけれど、勝つわよ」

 

『そう? ビビッているのはそっちに見えたけれど。《イクシオンガンマ》……ライジング――』

 

「そっちがその気なら、こっちもやるまで! 《ナインライヴスピューパ》!」

 

 声が相乗したのは同時。

 

「『ファントム!』」

 

 重なった声と共に人機が掻き消える。桃とてファントムを会得していないわけではない。

 

 ただ《ナインライヴス》で起用するのには加速度に頼るこの戦術、あまりにも下策なのだ。

 

 重量級の人機である《ナインライヴス》では軽量級人機の放つファントムの速度にはどうしたって追いつけない。

 

 だからこそ、この時、ウイングバインダーを後部に集中させていた。

 

 前に行く事のみを考えた加速。次いで追いついてくる重力。胃の腑を押し上げるGに二機の人機がもつれ合う。

 

 赤い灼熱を宿した敵機がこちらのトンファーと打ち合った。無論、一撃でも交わせば爆発力は発揮されるはずであったが、衝撃波の到達よりも速く、敵は回り込もうとする。

 

 ハッと気づいて瞬間的な攻撃を見舞った。ウイングバインダーでまずは一撃を受け、生じた隙を突いての必殺。

 

 頭で分かっていても実際に行動に移せるかは別だ。

 

 操縦桿も、機体制御も何もかも追いついてこない。ウイングバインダーが敵の放った一撃にたわむ。荷重装甲が音を立てて軋んだのを実感した桃は吼えていた。

 

 ウイングバインダーの甲殻が剥がれたのを見越しての一撃。突き上げた形のトンファーはしかし空を穿った。

 

 敵人機はそれさえも予期して後ずさっている。不格好に振りかぶった《ナインライヴス》は格好の的であった。

 

『もらった!』

 

《イクシオンガンマ》が姿勢を沈める。こちらには一手の遅れ。

 

 一枚のウイングバインダーが剥がれ、今にも防御皮膜は瓦解しそうである。その針の穴のような活路を逃すほどの愚者であるはずもなく。

 

 敵の人機が真っ直ぐにこちらに向かってくる。

 

 恐らくはその一撃でバインダーを叩き壊し、二撃で仕留めるつもりだろう。分かっていた。相手の手など、分かり切っている。

 

 この状況下で打つべき手段はそう多くはない。

 

 灼熱の一振りがバインダーを払い、打ち壊した。

 

 雷撃のファントムの加速度も借りたその一閃には全く迷いなどなかっただろう。一枚剥がせば、《ナインライヴス》は剥き出しも同然。

 

 そのはず――であった。

 

『高熱源?』

 

 気づかれた。桃はしかし、相手を破砕すべく細いワイヤーによる実行装置を引き抜く。

 

 宙に舞ったバインダーの内側に格納された、Rランチャー。その砲口からピンク色のエネルギー波が充填されていく。

 

 バインダーが壊される事は想定内。

 

 問題なのはこの手に相手がどの段階で気づくかどうかであった。敵の加速と破壊力を加味した作戦。

 

 敵は確実に今、こちらを倒しにかかっている。ならば、必殺の間合いは同時に、反撃の間合いへと転じるはず。

 

「……《ナインライヴスピューパ》のウイングバインダー一枚一枚には、サブ血塊炉が組み込まれている。純正の、血塊炉がね。そのお陰で、《ナインライヴス》はRランチャーの連射と、エネルギー効率の向上化を図れた。ゆえに、ウイングスラスター一枚でも、それは人機一機分に等しい」

 

 人機一機分の特攻。敵が悟った時にはもう遅い。

 

 後ずさろうとした敵機を《ナインライヴス》が真正面から組み付いた。

 

「逃がすわけ……ないでしょう」

 

『こんな! こんな事で! アムニスの序列五位なのよ? 渡良瀬だって!』

 

「知らないわよ、あんたが何位だって。モモ達は! 踏み越えるために戦ってきたんだから!」

 

 Rランチャーの砲身は寸分の狂いもなく、敵の人機を焼き尽くせる軌道にあった。

 

 そのためならば腕の一本や二本は犠牲にしても構わない。

 

 それほどの覚悟の一撃であったのに――。

 

『冗談じゃないわ! 心中なんて御免よ! 《イクシオンガンマ》!』

 

 敵が棍棒を投擲する。まさかの行動であった。近接武器を投げるなど。

 

 その軌道は中空のウイングスラスターへと命中し――、爆ぜた光の瀑布が敵の人機の半身を焼いた。

 

 悲鳴が接触回線を劈く。断末魔の声に桃は《ナインライヴス》のステータスが赤色光に染まっていくのを目にしていた。

 

「こんなところで……離すもんか……!」

 

『離せェッ!』

 

 バインダーの内側から支持アームを伸ばす。がっちりとくわえ込んだ《イクシオンガンマ》の機体が直後、震えた。

 

 圧縮空気で打ち出された敵の頭部コックピットが翼を得て空域から離れていく。

 

 融け落ちた《イクシオンガンマ》の機体が傾ぎ、Rランチャーの光芒の中に消えていった。

 

 桃は荒い息をつく。今の瞬間、死んでもおかしくはなかった。

 

 力を失ったウイングバインダーが甲板に落下する。半分の全天候周モニターが砂嵐に浸食された視界で、桃は《イクシオンベータ》と鍔迫り合いを繰り広げる《イドラオルガノン》を目にしていた。

 

「……お願い、林檎……蜜柑、生きて……」

 

 桃の意識はそこで闇に没した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯258 相似形のモリビト

『……しつこいな』

 

 何度かこちらとの交戦を打ち切って《ゴフェル》へと向かおうとする《イクシオンベータ》を林檎は決して自分の距離からは離さなかった。

 

 Rトマホーク一本でも、と敵へと間断のない攻撃を見舞う。

 

「しつこさは……折り紙つきでね!」

 

 敵の鉤爪とこちらの斧が干渉し合う。スパーク光が弾ける視野で敵の通信が入っていた。

 

『貴様らは……どこまで度し難い抵抗を続ける? この世界は既にレギオンと……我々アムニスのものだ。……もう変わりようがない。世界はこう動くべくして……動いている』

 

 その言葉に反論が出来なかった。自分も半分は分かっているのだ。

 

 ここまで抵抗したところで無意味。世界を変えるなんて大それた事、出来るわけがないと。

 

 最初ならばまだ息巻けた。だが、もう自信は失われていた。自分一人で変えられるのか? 何も変えられず時代の波に取りこぼされるのがおちではないのか。

 

 沈黙した林檎に蜜柑が声を返す。

 

「しっかりして! 林檎! ミィ達ブルブラッドキャリアの理念は、その程度では折れないって言って!」

 

 いつもは弱気な蜜柑が声を張り上げている。その理由が分からずに林檎はアームレイカーを握る手の力を緩めていた。

 

「……何でそんな必死に……」

 

「林檎?」

 

『……もらった』

 

 敵の鉤爪が《イドラオルガノン》の胸元へと入る。引き裂かれた形の機体から青い血が迸った。注意色に塗り固められるステータスを目にしながら、林檎は虚脱していた。

 

 何のために戦うのか。誰のために戦えばいいのか。

 

 リードマンは鉄菜の強さは心がない事だと言っていた。それを探し求める事だと。

 

 だが自分には心の在り処程度分かる。そんなものに迷っていれば真っ先に戦場で足元をすくわれる。

 

 だというのに、どうして鉄菜は強くって自分は弱い?

 

 どうして、こんな事に甘んじなければならないのだ。

 

 仰け反った《イドラオルガノン》へと敵人機が鉤爪の粒子束を収束させる。一本のレイピアの剣と化したその一閃が横腹に入り、血塊炉へと重大なエラーを発生させた。

 

「コスモブルブラッドエンジンが……! 林檎! 《イドラオルガノン》の……ウィザードなんでしょ! 早く!」

 

「……ボクは」

 

 何も考えられない。何かに向かうための指標が持てない。どこへ向かうべきなのか。何を掲げるべきなのか分からない。

 

『モリビト……因果はここでお終いにする』

 

 粒子の散弾が至近で弾けかける。もう駄目だ、と林檎は目を瞑った。

 

 その時である。

 

《イクシオンベータ》を実体弾が打ち据えた。不意に開いた通信に林檎は目を見開く。

 

『モリビトの操主! 無事か?』

 

「ラヴァーズの……援護?」

 

 戦慄く視界の中、林檎はナナツーやバーゴイルがこちらへと援護射撃を見舞っているのを視界に入れた。《イクシオンベータ》が袖口からのリバウンドを拡散させ、盾として用いる。

 

『ラヴァーズの抵抗か……。だが、無駄だ……』

 

《イクシオンベータ》が飛翔し、ラヴァーズの艦へと乗り移る。うろたえたナナツーを一閃が引き裂いた。猪突したバーゴイルを両断する。

 

 その一撃に迷いはない。

 

 いくつもの命が、目の前で詰まれていく。自分は何も出来ない。何か出来る気がしない。

 

「……林檎。どうして? 今までは戦ってこられた! どうしてなの!」

 

「……分からないんだよ、ボクだって。やれるはずなんだ、出来るはずなんだ、だって言うのに……! 身体がまるで鉛みたいに重くってさ……」

 

 鉤爪がまたラヴァーズの人機を破壊する。それを見ていられないと思ったのは蜜柑のほうなのだろう。

 

 彼女は声を詰まらせていた。

 

「……じゃあ、いい。ミィが行く」

 

「……蜜柑?」

 

「《イドラオルガノン》のウィザード権限を移行。ガンナー、蜜柑・ミキタカによるオペレーションを実行」

 

 蜜柑がコンソールに打ち込んでいく命令に林檎は面を上げていた。

 

「何を……何をやっているんだ、蜜柑!」

 

「林檎が出来ないなら、ミィがやらなくっちゃ……だって、ミィ達は……《モリビトイドラオルガノンカーディガン》の……執行者でしょう?」

 

「それは……」

 

 口ごもった林檎に蜜柑は最後の命令を施行する。

 

「出来ないならミィがやる。それしか……ないんなら」

 

 引き金だけ握っていたはずの蜜柑へと、コックピット内部の機構が変形し、簡素ながら操縦桿が当てられる。足元の照準補正用のキーは廃され、フットペダルが出現した。

 

「蜜柑……でもキミじゃ……」

 

「やるしか……ないじゃない。だって誰も! 死んで欲しくないもの! 《モリビトイドラオルガノン》! 蜜柑・ミキタカ!」

 

 雄叫びを上げた蜜柑が《イドラオルガノン》の操縦系統を指揮し、機体が跳ね上がった。どこかおっかなびっくりの《イドラオルガノン》が甲板を蹴ってラヴァーズの甲板へと跳躍する。

 

 こちらへと振り向いた《イクシオンベータ》は照り輝く炎と青い血を浴びていた。ゴーグル型の表情のない容貌に、蜜柑は睨み据える。

 

『……先ほどまでと気配が変わった。そういえば複座の人機であったな。……もう一人か』

 

「来なさい……。《イドラオルガノン》は負けない」

 

『気丈な台詞だ。……聞いていて涙が出るほどの。……乙女が、銃を握ってこちらへと、その小動物のような眼で睨んでいる……、そのようなイメージを持てる』

 

「負けない……、負けたくない。――負けられないんだぁっ!」

 

 加速した《イドラオルガノン》は林檎の目からしても愚策だ。どう考えても周りが見えていない。

 

 ただ闇雲に突っ込むだけでは敵の武装の餌食となる。

 

「蜜柑! 操縦系統の指揮をボクに戻せ! 八つ裂きにされるぞ!」

 

『その見方……正しいと言っておく』

 

 鉤爪が発振し《イドラオルガノン》のRトマホークを肘から掻っ捌いていた。格闘武器を失った《イドラオルガノン》が格納していた銃火器で応戦しようとするのを、敵のリバウンドの腕が頭を掴んだ事で制されてしまう。

 

 電磁場が放出され、アームレイカーが痺れた。コックピットは、今やプラズマ磁場の中心地だ。

 

「このままじゃ……焼き殺される」

 

『その恐怖も正しい。……ひき潰す。《イクシオンベータ》、貫くぞ』

 

 もう一方の腕から発振されるリバウンド粒子が一本へと収束し、その太刀筋が血塊炉を引き裂いていた。メイン血塊炉ダウンのポップアップ警告が赤く明滅する。

 

「終わった……」

 

 絶望的な呟きに敵が声を被せる。

 

『そのようだな。悪足掻きしなければこのまま、操主だけは生かしておいてやろう。……これは慈悲だ。天使の……な』

 

「慈悲……? 慈悲だって? そんなものが欲しくって……ミィ達は戦っているんじゃない!」

 

 吼え立てた蜜柑が全天候周モニターの一角を叩く。モニターが切り替わり、蜜柑の下操主席が後方へと格納された。

 

「まさか……、蜜柑」

 

 直後、《イドラオルガノン》を覆っていた鎧が引き剥がされていく。甲羅部分に位置していた灰色の拡張武装に血脈が宿った。青い血潮を滾らせて、光を乱反射する装甲板が捲れ上がる。それは《イドラオルガノン》の切り札。用意されていた「複座式の人機として」の追加武装であり、もう一機の――。

 

『第二の血塊炉反応……? この照合データは……モリビトだと!』

 

『そう、これこそがミィ達の切り札……』

 

 装甲が裏返り、内側に収納されていたマニピュレーターが出現する。頭部に位置する単眼が赤い光を灯した。

 

《イドラオルガノンカーディガン》より剥がれた機体が飛翔する。灰色の機体に蜜柑は搭乗していた。

 

「……《イドラオルガノンジェミニ》……」

 

 その名前を紡いだ途端、《イドラオルガノンジェミニ》が炸薬を用いて《イクシオンベータ》を眩惑する。

 

『まさかもう一機隠されていようとは、な……。だが無意味だ』

 

 敵の肩口よりリバウンドの外套が引き出される。その堅牢さは《ナインライヴス》のRランチャーを弾いた事からも明らかだ。

 

 しかし、《イドラオルガノンジェミニ》は敵の防御皮膜へと手を伸ばす。

 

 その機体から黄金の燐光が発せられた。

 

『エクステンドチャージ……、まさか! どうしてそれを……』

 

『この機体は! 純正血塊炉が使用されている! だから使える、モリビトの真の力を!』

 

 機体の袖口が敵機のリバウンドの外套を中和し、その内側へとミサイルが埋め込まれた腕を肉迫させる。

 

『こんな事で……こんな事で、アムニスが敗北するはずが……!』

 

『ミィ達は負けない……負けちゃいけないんだ!』

 

 アンチブルブラッドのミサイルがゼロ距離で発射され《イクシオンベータ》が大きく損傷する。その機体へと矢継ぎ早にリバウンド兵装が火を噴いていた。

 

 誘爆した機体が噴煙に包まれていく。

 

『我々は……天使であるというのに……!』

 

『墜ちろぉっ!』

 

 爆発が連鎖し、《イクシオンベータ》は完全に葬り去られていた。逃げようとした敵の頭部コックピットを《イドラオルガノンジェミニ》が掴み取る。

 

『逃がすわけ……ないでしょう』

 

『離せ! ここで死ねば、計画に歪みが……』

 

『全ての不条理を正すために、ミィ達は存在している! だったら、自分の手を汚すくらいは!』

 

 掴んだコックピットに亀裂が走る。叫び声が木霊する中、銃口が当てられた。

 

『……撃つと……貴様らのエゴで! 世界の平和的な循環を乱すと言うのか!』

 

『世界の平和なんて、ミィ達はどうだっていい! ここで――勝つ!』

 

 発射されたリバウンド兵装が敵のコックピットを撃ち抜いていた。林檎は完全に圧倒されたまま、言葉を継ぐ事も出来ない。

 

 蜜柑が自らの意思で、隠し武装であった《イドラオルガノンジェミニ》の封印を説いた。それだけでも充分に衝撃であった。

 

「……蜜柑」

 

 通信網にすすり泣く声が漏れ聞こえる。蜜柑は自ら選択した。

 

 ――ならば、自分は?

 

 自分は何に成るというのだろう。どうしたいと言うのだろうか。

 

「ボクは……結局どっちつかずで……」

 

 呻いた林檎は項垂れるしかなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯259 妄執のUD

 

 日が昇るな、とリックベイは口にしていた。

 

 どれほどの残酷さが鮮血となって今日も流されようとも、日はまた昇る。そのあまりの無情さに世界はかくも冷徹かと思わざるを得なかった。

 

「一度どこかのコミューンに寄るのが正しいのかもしれない」

 

《コボルト》を操縦するUDはしかし、その提案を棄却する。

 

「アンヘルの兵隊が下手にコミューンなんて寄れるわけがない。補給を受けるにせよ、当てはある。あと三時間もすれば合流出来るはずだ」

 

 だが、とリックベイは重く状況を考えていた。

 

「君はわたしを助けた。その時点で裏切り者の謗りを受けても仕方ない身分だ」

 

「何を今さら。俺は、この世界の何もかもから見離されている。もう、裏切りの恐怖なんてものとは無縁だ」

 

 そうだろうなとリックベイは感じてしまう。彼は自分の名前も、身分も、名声も何もかもから離別をせざる得なかった。彼を受け止めるだけの世界はもう存在しないのだ。

 

 この世で生きていく限り、彼はUDという名前でしか己を示せない。

 

「……残酷な事を、してしまったか」

 

「そうでもない。俺は一度死んだほうがよかった。お陰で動きやすい。アンヘル内部では、特に実力が何よりも買われる。零式を継承した事、一度として後悔はしていない」

 

 その継承者はタカフミ、という形になってしまっている。彼が表舞台に立てる事は、二度とないであろう。

 

 どれほどに現実が彼を追い詰めても、UDの論調は変わらなかった。

 

「俺が要求する事はたった一つ。たった一つの、シンプルなものだ。零式の最終奥義の直伝。それによってのみ、俺はこの因縁から勝利出来る。因果を自分の力で突破出来る。モリビトという、呪わしき名前から」

 

「……そこまで自分を追い込む事はない。君はもう立派な戦士だ」

 

 立派な戦士に仕立てたつもりであった。彼は迷いを全て捨ててでも、戦場の一瞬に生きる死狂いとなったはずなのだ。

 

 だが、今の彼には恩讐が見え隠れする。モリビトという存在への妄執。どこまでも追い詰める、という狂った矜持。

 

 間違っていると断じるのは簡単だ。しかしここまで苦しんだ彼を否定していいものか、とリックベイは思い悩む。

 

 元はと言えば自分の救った命。それがどのように花開こうが、それはもう彼の人生だ。だから口出しなど本当は容易に出来るはずもない。自分の人生観の押し付けほど、彼の戦いを侮辱するものはないだろう。

 

「……アイザワ少尉は」

 

 だからなのか、彼の口からタカフミの名が出た事にリックベイは面食らっていた。既に俗世から身を置いた人間が俗世そのものの人間の事を気にするなど。

 

 あるいは、彼には眩しかったのかも知れない。ありのままの自分で、零式を継承したタカフミの在り方そのものが。彼にはない価値観が。

 

「ああ、彼は……いや、元気だとは言えない。わたしが巻き込んでしまった。瑞葉君を救う、という大義名分で彼の出世の道を阻んだようなものだ」

 

「そうか。だが、リックベイ・サカグチ。あなたが気に病む事はないだろう。彼はもう立派な戦士なのだから」

 

 UDは別口でタカフミに会った事があるのだろうか。しかし、会えばたちどころに分かるはずだ。お互いに、他人というわけでもないのだから。

 

「……キリ……UD、君は戦いの中で何を得たい? アンヘルの第二小隊としての戦果、聞き及んでいないわけでもない。死なずの第二小隊、たった一人の……シビト」

 

 これが侮蔑の言葉だという事は重々承知している。それでも、彼を形容する言葉のうちの一つには違いないのだ。

 

「どう呼ばれようが俺には関係のない事。戦いで相手を屠る。それだけを気に留めていればいい」

 

《コボルト》が着地地点を発見する。計測した大気汚染濃度は五割程度であった。

 

「マスクを。それと浄化装置の装着を」

 

「あ、ああ……、ここで降りるのか?」

 

「《コボルト》とてトウジャには違いない。帰投ルートから相手に逆算されるのは面白味に欠ける。一度別ルートを辿って艦隊司令部に伝令、後に合流する」

 

 トウジャの動きはアンヘルが熟知している。だからこそ、すぐさま察知されるのは避けたいという事なのだろう。UDは彼なりに考えている。しかし、どれほど言い繕っても、自分の存在だけは消せないだろう。

 

「……処刑されている身だ」

 

「どうかな。どのレベルまであなたの処刑が実行されていたのかは不明だ。もしかするとお歴々の一部がその発言権を危惧して処刑を早めたのかもしれない」

 

「……どこの情報だ」

 

「ただの推測だとも」

 

 しかし彼は六年もの間、アンヘルとC連邦で戦い抜いてきた。ただの第六感ではないはずだ。

 

 降下した《コボルト》が砂浜の上で制動をかける。辿り着いた離れ小島一つで《コボルト》が血塊炉を停止させた。

 

「敵影は見られないが、油断は禁物だ。一度《コボルト》の整備に入る。その間はやる事がない。降りてもらっても」

 

「ああ、構わないが」

 

 ここで自分を放っておくわけでもあるまい。リックベイは素直に汚染された波が反復する砂浜に降り立っていた。生命の息吹一つ感じられない海。しかしながら、この海より全てが発生したとする仮説が存在する。

 

 今は、ただ汚染の青を反射するだけの水面だ。

 

「……これが百五十年の功罪か」

 

 ヒトは罪を直視するようには出来ていない。とはいってもほとんどの領域が汚染に晒された現状、闇雲に戦っている場合でもないのは分かり切っているのに。

 

 それでもヒトは合い争う。どこまでも愚かしく、どこまでも打算に満ちた戦いを。

 

 それが嫌だから、彼はシビトを選んだのだろう。決して死ぬ事のないのだと誤認した命。【ライフ・エラーズ】の十字架を背負いながら。

 

「……だがそれは悲しい。UD……君を救う道があるのならばわたしは……」

 

 だが何をすればいいのだ。彼はもう、全てを諦め切っている。返り咲くような事も夢見ていない上に、この先何があっても、彼の人生は幸福には彩られないだろう。

 

 戦いでしか自己を示せないなどという矛盾と激しさ。それを教えたのは他でもない自分だ。

 

 自分が弱くなければ戦い抜けと教え込んだ。自分の罪そのものなのだ。

 

 UDは自分が作り上げた、争いと言う名の罪。

 

 零式抜刀術の継承が終わった時、彼はまた間断のない争いの只中にいる事だろう。どこまで行っても離脱出来ない無間地獄。そのような奈落に落としたのは自分ではないか。それを今さら後悔しても遅い。

 

「……わたしは……君を救えなかった。近しい者の救いだけで、自分が許されたのだと思ってしまっていた。だが、それこそ驕りだったのだ。わたしは君を、不幸にしてしまった。その罪を贖えるだけのものが、わたしの中には……」

 

 砂浜を歩いていくと不意に開けた場所を発見する。青い花園に抱かれた空間で、一機のナナツーが打ち上げられていた。

 

「……生存者か?」

 

 駆け寄ってキャノピー型のコックピットを覗き込む。敵兵である可能性も捨てきれないため、リックベイはUDより渡された武器に手をかけていた。

 

 拳銃を突きつけるも、中にいたのは物言わぬ骸であった。

 

 ブルブラッドの汚染で死亡した操主であろう、ほとんど砂と入り混じった姿にリックベイは暫しの間、絶句していた。

 

 ――これがヒトの末路か。これが人間の、最後の姿だとでも言うのか。

 

 救いなどなく、ただ戦地に駆り出され、意味も分からないままに死んでいく。

 

 成れの果てだ、とリックベイはこぼしていた。

 

 これはこの星に棲む全ての人間の最果て。このような姿にまで堕ちてようやく、自分達の過ちを知る。

 

 その時、不意に《コボルト》が飛翔した。慌てて通信に吹き込む。

 

「何があった?」

 

『……リックベイ・サカグチ少佐。流れ弾の来ない場所に隠れていて欲しい』

 

 険しいUDの声音に平時ではない事を悟る。

 

「何かが来ているのか? 旧ゾル国か? それともアンヘルの別働隊でも?」

 

『この反応と識別コード……間違いない。このような場所で合間見えるとは。やはり、俺と貴様は! 戦う運命にあった!』

 

《コボルト》が弾かれたように飛んでいく空の向こう側に現れた影に、リックベイは絶句する。

 

「モリビト……だと」

 

 見間違えようのない。新型のモリビトが飛翔高度を保っていた。《コボルト》が鯉口を切って相手へと肉迫する。

 

 敵も気づいたのだろう。盾より引き抜いた剣で応戦した。リバウンドのスパークが激しく散る。

 

『ここで会ったが百年目だな! モリビト!』

 

 猛り狂ったその声音にリックベイは言葉を失う。隠れていろと言われた。恐らくは戦うのに邪魔だからだろう。

 

 だが、このような戦い、黙って見ていろというのか。指をくわえてこの戦いを看過しろと。

 

 そのような事、出来るはずもなかった。

 

「UD! やめろ! ここで戦うべきではない!」

 

『少佐、あなたは黙って見ていればいい。俺が! 報復の刃を向けるだけなのだから!』

 

《コボルト》の剣筋がモリビトを断ち割ろうとする。その一閃を相手は掻い潜り、突きを見舞ってきた。《コボルト》は後退しながらリバウンドのガトリングで牽制する。

 

 敵機は上方へと逃げ、銃撃で応戦してきた。波間が弾け、海上を疾走する《コボルト》が上空へと一気に跳ね上がった。

 

「……ファントムか」

 

 それほどの操縦技術、並大抵では身につくまい。血反吐を吐いても鍛え抜いたはずだ。それほどまでの研鑽を、ただモリビトを倒す事にのみ向けた男。

 

 無論、その在り方を否定は出来ない。しかし悲しいとリックベイは拳を握り締めた。

 

 タカフミは大切なものを手に入れた。決して欠けてはならないピースを見つけ出した。この終末の世界で、輝かしいものを見出した。自分の目と、自分の手で。

 

 だが片や彼のように大切なものを全て失い、復讐にのみかける悪鬼を自分は生み出してしまった。最早、この世への未練はないだろう。戦う事にだけ特化した戦闘機械。人機と何も大差はない。

 

「……やめろ、UD。やめてくれ! こんな戦いを君は……」

 

 吼え立てたUDが戦闘本能を剥き出しにしてモリビトへと刀で叩きのめそうとする。その一撃をモリビトが受け止め、返す刀を浴びせた。半身になった《コボルト》が拳でモリビトの胸元を叩く。姿勢を崩したモリビトへと振りかぶった剣が一刀両断の輝きを宿した。

 

『斬り捨てる!』

 

 打ち下ろした刃はしかし、何も捉えない。敵機は瞬時に後退していた。相手もファントムを会得しているのだ。

 

『いいさ、それくらいのほうが……! 斬り甲斐があるというもの!』

 

 最早、UDは戦いにしか己を見出せない完全なる狂戦士。その声を一つ聞くたびに胸が痛む。

 

「頼む……UD……。もう、やめてくれ……」

 

 リックベイは骨が浮くほど拳を握り締める。ここまでの悔恨、人生で味わった事はなかった。

 

 自分の罪だ。だからこそ、これを拭い去るべく動くのが人間である。

 

 ふと、ナナツーを視野に入れた。

 

 骨董品だが、ともすれば、とキャノピーを強制解除する。開けたコックピットに居座る亡者に合掌し、彼を解放してやった。

 

 砂のようになっていた操主はリックベイが座った途端に霧散する。この汚染地獄でずっと骸を晒すよりかは、自分に預けてくれたのだと今は前向きに考えた。

 

 操縦桿を握り、リックベイは人機の血塊炉にスターターをかける。

 

「動いて……くれよ」

 

 血塊炉が正常作動し、ナナツーのスペックデータが浮かび上がる。

 

「ナナツー参式か。飛翔機能はついているな。まだ二サイクル前の機体だ」

 

 血塊炉が稼動し、眠りについていたナナツー参式が産声を上げる。全身に染み渡っていく血脈を確認し、リックベイは装備されている武装を目にしていた。

 

「ブレードと残弾僅かのアサルトライフル……、それでも、ないよりかはマシか」

 

 戦闘空域を睨む。UDとモリビトが激しく鍔迫り合いを繰り広げていた。

 

「……UD、君はここまで地獄を見てきたはず。これ以上、地獄に生きる事はないんだ」

 

 だから、というわけでもない。そこまで傲慢に考えたわけではないのだ。しかし、救いがあるのならば、彼を救済するのは自分しかいない。罪の十字架を与えたのは自分だからだ。

 

「贖えるのならば……その罪を、わたしが……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯260 怨鬼の罪

 

「墜ちないか……。強固な性能を持って、再び我が眼前に姿を現したな! モリビト!」

 

 右肩に装備されている巨大な盾の様相を持つ機動兵器。それこそが両盾のモリビトの性能を底上げしている。UDは前回よりも剣の冴えが上がった相手を前にして奮い立っていた。

 

「いいぞ……我が敵となるのには! それくらいでなくてはな!」

 

 刃を打ち下ろす。敵機はこの重力下では重石としか思えないほどのバランスを持っているにも関わらず、銀色の輝きを伴わせて素早く回避する。

 

「まるで重力知らずだな。戦いにはもってこいだ! 行くぞ、手加減は無用と見た! ファントム!」

 

《コボルト》が機体を仰け反らせ、循環ケーブルに過負荷をかけて瞬間的な加速を得る。モリビトはその軌道を読んで予め上方へと逃げたが、それさえも読みのうち。

 

「貴様の逃げ腰は、みっともないぞ! モリビト!」

 

 急上昇した《コボルト》へと敵機が剣を振るい落とす。その切っ先を、すれすれのところで避け、すかさず一閃を叩き込んだ。

 

 相手も心得ているのか、刃を半身になって回避する。

 

 敵の性能が上がった事に、UDは感嘆の息をついていた。

 

「射線が見えるようになったか。モリビト! その強さ、我が胸に刻んだ上で、あえて言おう! これが恩讐の鬼の姿! 《コボルト》だ!」

 

《コボルト》が上段からの一撃を浴びせようとする。モリビトが剣で受け止める動きを取るも、それはフェイク。

 

 実際には瞬いた二の太刀こそが真髄。

 

「零式抜刀術、五の陣! 影法師!」

 

 二の太刀がさらに分裂し、三、四と敵を引き裂く無限の刃を生み出す。零式抜刀術を前に両盾のモリビトはうろたえたように機体を硬直させた。

 

「隙ありィッ!」

 

 右肩の盾を狙った一閃を敵は真正面から受ける。その装甲表面でリバウンドの光が爆ぜた。

 

 予見したUDが後退したのと、刃が融けたのは同時であった。

 

 高出力のリバウンド力場が瞬間的に爆発し、こちらの切っ先を融解させている。

 

「……驚いたぞ。少し止まっただけなのにリバウンドフォールとは。油断大敵だな」

 

《コボルト》は使い物にならなくなった剣を捨てる。新たに抜刀し、敵を見据えた。

 

「だが……その真髄、見えた、と言っておこう。性能も見せ過ぎれば毒となる。貴様は我が術中に、既にはまっているのだ。行くぞ! 今一度、渾身のファントム!」

 

 超加速に浸ったこちらへと両盾のモリビトは追従してくる。その加速度は尋常ではないはずだ。軽量化に軽量化を重ね、重力下でのファントム実装を視野に入れたこの機体とはわけが違うはずなのに。

 

「ついてくるか……。よかろう! ついてこられるものならば!」

 

 切れる間際になって制動用の推進剤を全開に設定し、《コボルト》は直角の機動を実現していた。

 

 二段階目――重加速の多段ファントム。

 

 この状態にはさすがの自分でも二年は要した。見てすぐに覚えられる領域ではない。ここより先は修羅の領域。

 

 鬼の間合いなのだ。

 

 敵機のファントムが切れた。ファントムを使用する機体の最大のデメリットは使用後の著しい硬直。どれほど血塊炉を積み重ねようがこればかりはどうしようもない。機体が、という次元ではないのだ。

 

「その首! もらった!」

 

 打ち下ろした刃が首を跳ねるイメージを脳裏に結ぶ。だが、その剣先は何もない空を裂くのみ。

 

 刹那、UDは全身を粟立たせる殺意の波を関知した。

 

 咄嗟に機体を横滑りさせる。衝撃がコックピットを激震した。

 

「……左腕を」

 

 左腕が根元から断ち切られている。相手が硬直からすぐに脱したとは思えない。

 

 ――ならば。

 

「……そこだァッ!」

 

 第六感が映え渡り、敵機を貫かんと刃が軋る。敵人機の剣筋が交差した。

 

 干渉波のスパークが散る中で、UDは黄金の燐光を纏ったモリビトを正面に据えた。

 

「これだ……! これこそが、我が宿願! 我が怨敵のその真の姿!」

 

 UDは操縦桿を無理やり引き、敵人機の太刀筋を反射させる。この状態のモリビトの膂力、トウジャのカスタム機であるはずの《コボルト》を遥かに凌駕する。

 

「……リスクは百も承知。だが、向かわずして、何が武士か!」

 

 黄金のモリビトは出来るだけ距離を取って銃撃でこちらを仕留めようとする。それは相手もこちらの距離が分かっているからだ。無闇に踏み込めば、その機体は四散するであろう。

 

《コボルト》が追従するのも限界がある。内部フレームが軋み、注意色にステータスが塗り変わった。

 

「ここで退いて! 何も成し得ぬままむざむざ生き延びてどうする! 《コボルト》! 貴様もそのはずだ! その志があるからこそ、我が刃となった! 違うか!」

 

《コボルト》のX字の眼窩が煌く。赤く煮え滾った光を宿した《コボルト》は、最早、先ほどまでのトウジャではなかった。

 

 人機としての格を超え、敵を葬る事にのみ特化した、真の姿。

 

「その真名を紡ごう! 《プライドトウジャコボルト》!」

 

 偽装装甲が剥がれ落ち、《コボルト》が内に秘めた装甲が引き出されていく。赤く染まった人機は復讐の血の色であった。

 

 刀身にリバウンド効果によるビーム刃が発生する。リミッターを解除した時にのみ、現れる事を許された新たなる牙。

 

「貴様を狩る時にのみ、これを出すと自らに律していた。モリビトよ! ここでその因果、そそぐ覚悟である!」

 

 急加速を得た《コボルト》が波間を引き裂き、白波を立てて黄金のモリビトへと刃を浴びせかける。黄金のモリビトは剣先で受けて反撃に転じようとする。

 

 相手の押し返す力はあまりにも強大。一本しか腕がない《コボルト》では押し切れはしないだろう。

 

「ゆえに! 俺はこの切り札を出す!」

 

 袖口よりアンカー武装が発射され、ワイヤーが自機とモリビトを繋ぎ止めた。相手もまさかワイヤー装備で黄金の力を封じようとするとは思わなかったのだろう。

 

 想定外、という動きにUDは笑みの形に口角を吊り上げていた。

 

「貴様を葬るのに、今さら人間面などしていられるものか……!」

 

 唇の端から血が滴り落ちる。どれほど死なずの身体とは言っても、その肉体を酷使すれば血も流れる上に、激痛が苛む。

 

 それでも、とUDは操縦桿を握り締めていた。

 

「戦うしかなかろう……。戦いで示すほか、ないのだ! 俺も貴様も、もうその域に達している、ただの戦闘狂! 人でなしだ!」

 

 ワイヤーを引き戻し、敵機を呼気一閃で切り捨てようとする。

 

 瞬間、敵の黄金の輝きが一点に寄り集まった。

 

 右盾が異常に赤熱化する。接近して、UDはまずいと判断していた。

 

 これは経験則によるものというより、生物的な本能。これ以上近づけば、確実に右盾より放出される何かに自分は貫かれるだろう。

 

 ――だが、それでもいいか、とUDは達観していた。

 

「ここで斬られるのならば、本望!」

 

 勇猛果敢に接近した《コボルト》が刃を奔らせ、雄叫びを相乗させる。

 

 相手の盾から赤い光が爆ぜ、巨大なリバウンドエネルギーの瀑布が視界いっぱいを圧し包んだ。

 

 ああ、終われる。ようやく、この悪い夢から醒められる。

 

 UDは迫り来るリバウンド熱波に救済を予感していた。

 

 その時である。

 

『UD!』

 

 飛び込んできたのは一機の型落ちのナナツーであった。ナナツーが《コボルト》を突き飛ばす。

 

 何が起こったのか、一瞬分からなかった。どうして今にも壊れそうなナナツーが戦闘に割って入ったのかも。その声の主がどうして人機に乗っているのかも。

 

 直後には、全てが弾け飛んでいた。

 

 放出された高熱のリバウンドの砲撃にナナツーの後部が焼け爛れ、血塊炉が瞬く間に蒸発していく。青い血を撒き散らす前に、そのナナツーは紙切れのように半身を失っていた。

 

「……まさか。嘘だろう」

 

 ナナツーが海面に落下する。モリビトから黄金の光は失せていた。今の砲撃で力を使い果たしたのだろう。

 

 離脱機動に移るモリビトも今は視野に入らなかった。

 

「嘘だと……言ってくれ! 少佐ァッ!」

 

 ずぶずぶと沈んでいくナナツーをUDはモリビトとの決戦の機会であるワイヤーを切断してまで助け出そうとした。

 

 どうしてなのか自分でも分からない。ただ、彼を死なせてはいけない。それだけは、という思いが先行する。

 

 刀を捨てナナツーの腕を掴み上げるが、ほとんど崩落していた。機体各所が蒸発し、血塊炉は融け落ちている。

 

 これで操主が生きているとはとてもではないが思えなかったが、UDはその可能性に賭けた。

 

 残骸に等しいナナツーを引き上げ《コボルト》の推進力を全開にして離れ小島へと着地する。

 

 コックピットブロックを開け放ち、UDはナナツーのキャノピーへと飛び移っていた。緊急射出のシステムを呼び起こし、キャノピーを強制排除する。

 

「少佐! リックベイ・サカグチ少佐!」

 

 声を荒らげたUDは直後に飛び込んできたリックベイの有り様に言葉を失う。

 

 リバウンド兵器で焼かれたのだ。即死でもおかしくはないはずなのに、彼は生きていた。半身が赤く染まったコックピットで虚ろな眼を注いでいる。

 

「……桐哉……君は生きろ……」

 

「どうしてあなたは! こんな時まで他人の心配なんて……! 少佐!」

 

 コックピットから這いずり出したリックベイの痛ましい姿にUDは覚えず目を逸らす。身体の半分が消し炭に等しい。これでもまだ意識があるのは生き地獄だろう。

 

《コボルト》の手にリックベイを寝かせ、そのまま蘇生措置を取ろうとしたが、どのような手段を持ってしても、ここからの回復は無理だと理解していた。

 

「どうすればいいんだ……。こんな事になるなんて……。あなたに、助けられた。俺は、あなたに、命を救われたんだ! だって言うのに……俺が、殺したと言うのか。俺があなたを……多くに愛された男を……殺してしまったって言うのか!」

 

 慟哭もほとんど聞こえていない様子であった。この状態ではあと数分も持つまい。

 

 どうすれば、とUDは考えを巡らせる。ここでリックベイを死なせてはいけない。死んでいい男ではない。

 

 ならば、自分は全てを投げ打つべきだ。

 

 鬼だ、悪魔だと、謗られ罵られようとも、この男だけは、死んではいけないのだと、一つ事だけを考えよ――。

 

 不意に脳裏に閃いた考えは、だが……悪魔の囁きであった。

 

 頭上を仰ぐ。その本来の頭部を晒した《コボルト》が試すようにこちらを睥睨していた。

 

「まさか……お前も、俺を許さないというのか、《コボルト》……! 復讐鬼であれと、お前が願ったはずだ! 俺に、こうなってくれと、お前が望んだはずだろう! だって言うのに、さらに人でなしになれというのか! もう、俺に俗世に戻る選択肢など……一つもないと言いたいのか……」

 

 拳を握り締める。だが、もうこれしかない。

 

 選択肢はこの時、無数にあったはずなのに、UDが導き出したのは最もシンプルな答えであった。

 

《コボルト》を傅かせ、そのコックピットへとリックベイを運び込む。

 

 全天候周モニターとリニアシートはアンヘルの兵隊を騙すための偽装だ。本当の兵装は別に存在する。

 

 コンソールの一角を突き、UDが呼び出したシステムに《コボルト》が赤く眼窩をぎらつかせて唸る。

 

 モニターが砕け、内側から引き出されたのは悪魔の拷問器具であった。

 

 リニアシートへと運ばれたリックベイへと扁平なシステムデバイスが吸い付く。肩口を押さえ込んだその一打にリックベイが満身から叫んでいた。

 

「やめろぉ! やめてくれぇっ! 嫌だぁっ!」

 

 聞いていられなかった。これが彼の本心から出た言葉にせよ、反射的に出た言葉にせよ。

 

「……すまない。だが、俺はあなたを死なせてまで平気でいられるほど、強くはないんだ。だからここであなたを生かすのは禁断のシステム。封じられた忌むべきハイアルファー。起動せよ【ライフ・エラーズ】……やれるな?」

 

 その問いに応じるようにコックピットが血の赤に染まった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯261 修羅乙女

 一度どこかに降りるべきだ、とゴロウよりの声が飛んで鉄菜はようやく、息をついていた。

 

「……今の敵は……」

 

 墜とされてもおかしくはなかった。それほどの密度の戦いが繰り広げられたのだ。操主ならばいざ知らず、一般人である瑞葉は限界を超えているだろう。

 

 岩礁へと一時的に降り立ち、鉄菜は《クリオネルディバイダー》の操縦席より這い出た瑞葉を目にしていた。

 

 如何に操主としての経験あがあったとは言え、それはもう六年も前。ほとんどただの人間に等しい瑞葉は息を荒立たせ、びっしょりと汗を掻いていた。

 

 比して自分は少し息が上がった程度。やはり人造血続は別種なのだ、と痛感させられる。

 

『鉄菜。瑞葉へと言葉をかけるといい』

 

「言葉……。だがゴロウ、今のミズハに何を言えば……」

 

『それは君が考えるんだな』

 

 分かった風な事を言う。鉄菜は頚部コックピットより外に出ていた。汚染外気の濃度は低い。ヘルメットを脱ぎ捨て、鉄菜は岩礁へと跳躍する。

 

「クロ、ナ……。すまない……。格好がつかないな……。出られる時は出ると、茉莉花に息巻いておきながら……」

 

 瑞葉は胃の中のものを吐き出す。その背中をさすり、鉄菜は声にしていた。

 

「いい。喋るな。もうお前は、強化実験兵じゃない。その証明だろう」

 

「……ありがとう。クロナ」

 

 まさか礼を言われるとは思っても見なかった。何か言え、とゴロウに促されたなど、ここでは言えないな、と継ぎかけた台詞を呑み込む。

 

「……いい。先ほどの敵は驚異的だった。私単騎でも、前回は負けたほどだ」

 

「さっきの……は……」

 

『情報としては出来上がっている』

 

 不意に通信を繋いだゴロウに鉄菜は眉根を寄せた。

 

「ならば、何故警告しなかった?」

 

『あれの所属コードが書き換わっていたからだ。しかも一度ではない、二度、だ。戦闘中に人機の固有コードが書き換わるなんて現象はこの《モリビトシンス》以外に見た事がない』

 

 そのような暇はなかった。確認するような隙を生じさせれば相手には確実に取られただろう。ゆえに、鉄菜はほとんど本能で戦っていた。

 

 ファントムも、エクステンドチャージも必要だから使ったまで。乗っている瑞葉の事を忘れていたのは自分の落ち度だ。

 

「……どうなったって言うんだ?」

 

『あとで確認してもらいたい。瑞葉、無理ならば《クリオネルディバイダー》のみでの《ゴフェル》との合流ルートを辿る。自動操縦でも問題なければ』

 

 思わぬ言葉に鉄菜は目を見開いていた。

 

「《クリオネルディバイダー》だけの単独だと? それは危険だ。推奨出来ない」

 

『だが《モリビトシンス》として動けば動くほどに、瑞葉の肉体は蝕まれていく。これは合理的な判断だ』

 

「合理的? 迎撃されるぞ」

 

『その心配はほとんどない。今しがたキャッチした情報だが、《ゴフェル》はラヴァーズと行動を共にしているのだという。敵陣が攻めてくるとすればそれは動かない《ゴフェル》を優先してだろう。こちらは二手に分かれ、別ルートを取る。この場合、撃墜される確率は下がる』

 

「どこの試算だ、それは。《モリビトシンス》でのオペレーションを念頭に置いているはずだ。それ以外でトウジャと会敵すれば、どうなる?」

 

『鉄菜、君ならば《スロウストウジャ弐式》の一体や二体いなせるだろう。問題なのは瑞葉だ』

 

 そう言われて、鉄菜は今も身体を折り曲げている瑞葉を見やった。苦しげに呻きつつ、瑞葉は立ち上がる。

 

「大丈、夫だ……。まだ、やれる……」

 

 大丈夫でないのは見るに明らか。戦闘続行などさせるべきではない。

 

「ミズハ……そこまで無茶を……」

 

「クロナ……ゴロウを説得する。無茶なんかじゃない、と。わたしは、まだ……」

 

 その足取りがおぼつかない事に、鉄菜は気づいていた。気づいていながら、その言葉を口に出来ない。決定的な断絶に思えて。何よりも、理性的な判断は《クリオネルディバイダー》との合同オペレーションを推奨している。

 

 だが、今は理性に抗った。

 

 鉄菜は前に歩み出て《モリビトシンス》を睨み上げる。

 

「……やれるんだな? ゴロウ」

 

『無論だとも。出来ない勝負をけしかけるような性格だと思うか?』

 

「クロナ……、何を……」

 

 鉄菜は身を翻し様、瑞葉の鳩尾へと拳を打ち込んでいた。瑞葉から意識の糸が手離される。

 

「クロ、ナ……」

 

 完全に脱力した瑞葉を抱え、鉄菜は言い放つ。

 

「これでいいんだろう?」

 

『感謝する。実のところ……《クリオネルディバイダー》のコックピットの中で彼女をずっと見ていたんだが……見るに堪えなくてね。無理もない。彼女は一般人だ。六年前にはたとえ最上級の操主だったとしても一線を退いて久しい人間には、《モリビトシンス》の高機動は毒にしかならないだろう』

 

「エクステンドチャージも、ファントムも、か……。私は何て事を……」

 

『責めるな、鉄菜。致し方なかった。それでいい』

 

「《ゴフェル》には、無事に送り届けてくれ」

 

《クリオネルディバイダー》のコックピットに乗せた際、ゴロウをさする。彼は回転して前足を突き出した。

 

 まるでサムズアップのように。

 

『任せてくれ。ただその間……《モリビトシンス》は不完全に逆戻り。茉莉花のプランでは想定していない事態になるだろう』

 

「構わないさ。《モリビトシン》に戻ったとしても、私は勝ち抜いてみせる。《ゴフェル》のみんなには……必ず合流すると伝えてくれ」

 

『まるで死にに行くような物言いだな』

 

 ゴロウの皮肉に鉄菜は言い返す事も出来なかった。実際、先の戦闘では撃たれても何一つおかしくはなかった。あのレベルの敵が依然として星に存在するとなれば、警戒は解くべきではないだろう。

 

『……安心するといい。《ゴフェル》には出来るだけ早くの合流を言いつけておく。《モリビトシン》の現在地ならばこちらからでも逆探知が可能だ』

 

「……感謝する。ゴロウ」

 

『君から感謝とは。天地がひっくり返るな』

 

 その言葉を潮にして鉄菜は岩礁へと降り立つ。《クリオネルディバイダー》が分離され、戦闘機として浮遊した。

 

 逆巻く風に黒髪をなびかせ、鉄菜はその姿を見据える。きっとゴロウの事だ。確実に《ゴフェル》と合流出来るだけの手はずが整ったから、こういう提案をしてきたのだろう。

 

 裏を返せばこれ以上の瑞葉への負荷は彼女を殺しかねないという警告。

 

 自分の手で大切な人を手にかける前にゴロウは押さえ込んでくれたのだ。その事だけでも感謝してもし切れない。

 

《クリオネルディバイダー》が東の空へと離れていく。黎明の輝きを受けた盾の威容を持つ機体は即座に空域を突っ切っていった。

 

 自分という鎖がないだけで、《クリオネルディバイダー》も瑞葉も、どこまでも行ける。

 

 鉄菜は己の掌へと視線を落としていた。畢竟、人殺しにのみ意味が集約される手。何かを掴もうとしても、壊してしまう破壊者の腕。

 

 救えるものなんてないのかもしれない。それでも――諦めたくはなかった。

 

《クリオネルディバイダー》が離れても不思議と《モリビトシン》の色は変わらなかった。青と銀の自分に馴染んだ色に落ち着いている。

 

「……行こうか。《モリビトシン》」

 

 ここから先は自分一人の戦い。

 

《ゴフェル》と無事合流出来れば御の字。そうでなければ――。

 

 最悪の想定を浮かべた刹那、熱源反応に鉄菜は反射的に機体を退かせていた。

 

「……プレッシャーライフルの一撃。上か!」

 

 青く染まった雲間を引き裂き、降りてきた影に鉄菜は息を呑む。

 

 衛星軌道を越えてきた敵機は高熱を遮断する防御皮膜を解除していた。

 

 三機の編隊がそれぞれリバウンドの虹の防御膜に包まれている。シャボン玉のようにも映るそれを相手は引き剥がした。

 

 照合データに機体参照名が現れる。

 

「《ラーストウジャカルマ》……? いや、違う……! この機体は!」

 

 打ち下ろされた一撃に鉄菜は咄嗟にRシェルソードを掲げさせる。火花が舞い散り、強靭な一撃を前に後ずさる結果となった。

 

 先ほどまで自分達のいた岩礁地帯を踏みしだく。

 

《ラーストウジャカルマ》と大きく異なるのは異常発達した片腕だろう。それそのものが命を刈り取る鉤の形状をしていた。

 

 加えて追加武装も施されている。背筋が割れ、引き出されたのは――。

 

「尻尾、だと……」

 

 新たに出現した武装に驚愕している場合でもない。一機の《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーライフルの光条を放ち、こちらを追い詰める間に《ラーストウジャカルマ》の発展機は降り立っていた。

 

 四肢を今までは全て蛇腹剣にしていたのと違い、右腕のみが逆立った刃であった。尻尾を有するその機体は前傾姿勢を取って威嚇する。

 

 驚くべき事にそのトウジャのX字の眼窩の下には口腔部が存在した。

 

 罅割れた口角を晒し、新たな息吹を灯されたトウジャが吼え立てる。

 

「この……人機は……」

 

 現実を直視する前に新たに発信された警報に鉄菜は習い性の身体を動かす。右手より攻め立てたトウジャは《スロウストウジャ弐式》の肩口に大出力バーニアを増設した新型機であった。

 

 色彩は白銀。まるでその身に纏った正義を体現するかのごとき機体は実体剣を伴わせていた。

 

 接触回線が開き、敵操主の声が響き渡る。

 

『零式抜刀術……壱の陣』

 

 まさか、と鉄菜は後退し様に銃撃で弾幕を張っていた。そのお陰か、敵の発した斬撃の射程外へと離脱する。

 

 一瞬でも判断が遅れていれば首を刈られていただろう。白銀の一閃には迷いも何もない。

 

 純粋に、討つという信念が見え隠れする。

 

「……《スロウストウジャ弐式》と《ラーストウジャカルマ》の発展機。それに別の新型機か……」

 

『モリビト……、あれもモリビトだって言うのなら……あたしは』

 

 漏れ聞こえた通信に鉄菜は驚愕を露にする。

 

「乗っていると言うのか……、燐華・クサカベ!」

 

『その名前は――捨てたァッ!』

 

 獣のトウジャが襲いかかる。片腕の刃節を開放し、辺り一面を刃の渦に叩き込んだ。まるで螺旋する剣術の只中。

 

 以前までに装備していた蛇腹剣の射程の比ではない。

 

「射程距離が三倍……いや、五倍近くに……」

 

『お前を撃墜するためなら、あたしは! 鉄菜に約束したんだから!』

 

 獣のトウジャが全方位より斬撃を見舞う。飛翔して逃れた鉄菜はその軌道を読んだかの如く空中展開していた新型機に上を塞がれた。

 

「……《モリビトシン》の上を行く?」

 

『あえて名乗ろう。この機体は! 《スロウストウジャ是式》!』

 

 白銀の機体が実体剣を打ち下ろす。Rシェルソードで受け止めて、鉄菜はその刃の発する圧力に言葉をなくしていた。

 

 先刻のトウジャとは違う。あのトウジャの操主は恩讐の討ち手であった。だがこの機体の操主は、義で戦っている。

 

 義を貫き通すために、何もかもを投げ打った剣筋であった。

 

「どうして……こうも強敵ばかりが」

 

 弾き返した《モリビトシン》の退路をプレッシャーライフルの光線が塞ぐ。

 

『退かせるかよっ! ここでお前は墜ちるんだ!』

 

 この三機はどれも自分に因縁を持っている様子。しかし、鉄菜の集中は一機の攻撃に注がれていた。

 

 燐華の声が漏れ聞こえる獣のトウジャ。どうして戦場で燐華の声が聞こえるのか。それを問い質さなければならない。

 

「どうして……! どうしてなんだ! 燐華・クサカベ!」

 

『気安く……人の名前を呼ぶなァッ! モリビトォッ!』

 

 獣の人機が姿勢を沈め、一気に跳躍する。推進剤を用いずに高空の飛翔距離まで上昇したその機動性に、鉄菜は息を呑んだ。

 

「その機体に……乗っているのか。そんな、機体に……!」

 

『鉄菜の声で……これ以上あたしの思い出を穢すな! 薄汚いモリビトが!』

 

 獣の人機が瞬時に肉迫する。両盾を前面に展開し、リバウンドの皮膜を張らせた。通常ならば一回程度は退かせられるはず。

 

 だが、その機体が生んだ執念か。あるいは単純なる性能か。

 

 獣の人機は、牙を軋らせリバウンドフィールドを――。

 

「噛み切った……だと……?」

 

 千切られたリバウンドフィールドの向こう側で獣の人機が吼える。

 

『散れェッ! モリビトォッ!』

 

 歯噛みし、鉄菜はフットペダルを踏み込んだ。

 

「――ファントム!」

 

 超加速に身を置いた機体が敵機を押し返し、一撃を無効化させる。剥がれた獣のトウジャを視野に入れつつ、《モリビトシン》は高空へと逃げおおせようとしていた。

 

「このまま……離脱を……」

 

『悪いな。うちのエースが、お前を墜とせって、叫んでいるからよ。だったら! 応えるのが強い奴の勤めってもんだ!』

 

 一瞬のうちに《モリビトシン》の加速距離を追い越されていた。その事実を認識する前に激震がコックピットを揺さぶる。

 

《モリビトシン》が海面に激突しかけて咄嗟に盾を背部へと移動させていた。

 

 リバウンド力場が発生し、直撃は免れたものの、機体が海上を跳ねる。

 

 その衝撃だけで脳震とうは免れないほどの。ブラックアウトが意識を包み込んだのを関知したその時には、前方に位置した《スロウストウジャ弐式》の銃口がこちらを捉えていた。

 

『墜ちろォッ!』

 

 プレッシャーライフルの光条を紙一重で回避し、鉄菜はRシェルソードの剣先を整える。まずは一機、と敵人機を睨み据えた瞬間、横合いからの接近警告が耳朶を打った。

 

『墜とさせない! あたしの前で! 二度と誰かを死なせたりするもんかぁっ!』

 

 獣のトウジャがこちらへと猪突する。そのあまりの勢いに鉄菜は機体制御へと全神経を研ぎ澄ませる。

 

 もつれ合った機体同士がぶつかり合い、鋼鉄の巨躯を震わせた。

 

 獣のトウジャが大きく右腕を引く。

 

 ファントムを使った直後だ。機体はほとんど硬直している。そんな中で刃の嵐を受ければ、確実に撃墜されるだろう。

 

「……エクステンドっ!」

 

 黄金に《モリビトシン》が染まっていく。赤い眼窩をぎらつかせ、《モリビトシン》は空間を飛び越えていた。

 

 刹那、強化された蛇腹剣が全方位より空間を引き裂く。暴風に近い刃の応酬を鉄菜は急加速で抜けていた。

 

 直角上昇したせいで作り物とは言え、身体から血の気が失せる感覚に支配される。虚脱した指先はほとんど体温を感じなかった。

 

 萎えかけた全身に、鉄菜は奥歯を強く噛み締めて今一度、と火を灯させる。

 

「まだ……やるべき事が……!」

 

 Rシェルソードをライフルモードに可変させ、リバウンドエネルギーを充填した。流転した三位一体血塊炉の高熱波が銃口へと寄り集まっていく。

 

「だから……死ねない……!」

 

 つぅ、と唇に血の味を感じる。鼻の血管が切れたのだろう。その程度で止まるわけにはいかない。

 

 高充填したリバウンドの砲弾を、鉄菜は放出していた。

 

「死ねないんだァッ!」

 

 発射されたリバウンドの砲撃を獣の人機は避ける事はなかった。それどころか、右手を突き上げて蛇腹剣を展開させる。

 

『……Rジャミングガーデン……展開』

 

 刃節が分割され、獣の人機の周囲へと一つ一つが位置していく。それらから青い電磁場が迸ったかと思うと、こちらの放ったリバウンドの熱線が完全に霧散した。

 

 何も生まれなかったかのように、ぱったりと途絶えたのだ。その事象に鉄菜は瞠目する。

 

「……リバウンドのエネルギーを……無効化しただと」

 

 敵機は尻尾を引き出し、割れた背筋からは背びれを生じさせていた。濃紺に染まった背びれからエネルギーフィールドが発生し、全方位に放った刃がその電磁を拡散させている。

 

 まさしく、刃の庭。

 

 息を荒立たせた燐華の声が、通信網を震わせる。

 

『……行く、よ……。――《ラーストウジャイザナミ》』

 

 紡がれた知らぬ名称に戦慄いたその時、割って入った機体の剣術が《モリビトシン》を追い詰める。

 

『零式抜刀術! 参の陣!』

 

「お前の相手をしている暇は!」

 

 Rシェルソードでさばき切ろうとするが今しがたの攻撃による磨耗で、可変時に異常を来たしたのだろう。その堅牢なはずの刃が砕け散る。

 

 衝撃をまともに受けた機体が海面を滑走する。後退した《モリビトシン》に追従するプレッシャーライフルの一撃があった。

 

『これが! 新生第三小隊の、力だ!』

 

《モリビトシン》の左肩へと光線が突き刺さる。仰け反った機体に大写しになったのは跳躍した《ラーストウジャイザナミ》の、その姿であった。

 

「……燐華……」

 

『これで、終わるんだね……。悪夢は終わる。……ああ、鉄菜。あたしの傍にいて……』

 

 突き出されたその刃が胸元を叩き割り、内蔵された血塊炉を打ち砕いたのを、鉄菜は伝導したコックピットの衝撃で関知する。

 

《モリビトシン》のコックピットが赤色光に塗り固められた。明滅するのは血塊炉不全の表示。

 

 海面に叩きつけられ、《モリビトシン》はその機体を漂泊させた。

 

 激突の直後に粉砕したのだろう、盾が波間に浮かび上がっている。

 

「……燐華。お前は……」

 

 降り立った獣のトウジャが赤く染まったX字の眼窩をぎらつかせ、けたたましい哄笑を上げた。

 

『勝った! あたしが勝ったんだ!』

 

 それは在りし日の燐華とは比べ物にならない、戦場の狂気に染まった声であった。

 

 鉄菜は死が静かな足音を立てて歩み寄ってくるのを感じる。

 

 ――ああ、終わりはこんなにも呆気なく。

 

 幾たびの戦場を潜り抜けて、自分は不敗だと思い込んでいた。そう結論付けたかった。

 

 だが、どれほどに弱い。敗北と死は同時に突きつけられるものなのだ。

 

《スロウストウジャ是式》が率先して歩み出る。恐らくはこの部隊の指揮官機。最後の足掻きまで計算しての行動だろう。

 

『近づくなよ。おれがケリをつける。……モリビト。悪く思うな』

 

 実体剣が高く掲げられる。その切っ先が鋭く輝いたのを鉄菜は目にしていた。

 

 今まで何度も他人に打ち下ろしてきた断罪の刃が自分に下ろされる番になったか。

 

 その感慨だけが妙に浮いて発露していた。

 

 音もなく、刃は下ろされた――はずであった。

 

 刹那、空域に割って入った謎の機動物体が光条を発するまでは。

 

『何だこれは……! ヘイル中尉! ヒイラギ准尉! この武装は……まさか!』

 

 真っ先に退いた《スロウストウジャ是式》の動きに、他の二機は追従出来なかった様子であった。

 

 もろに機関部へと攻撃を受けた獣のトウジャともう一機がシステムダウンする。

 

『……何者だ。なんて事を問うのは無粋か。なら、ここではどう挨拶すべきなのかな……。シーザー家の!』

 

 吐き捨てられた声音に視界に入った機影が四基の自律稼動兵器を背筋へと収納する。

 

 鉤十字の形状を持つそれは……紛れもなく。

 

「……《モリビトサマエル》、だと……?」

 

 漆黒の人機はこちらへと一瞥を向けた後に、興味が失せたかのように敵へと向かい合った。

 

 ――戦わなければ。

 

 相手は極悪非道。人を人とも思わない残虐な操主と人機。

 

 ここで立ち上がらなくては、と思う反面、意識は鉛のように重く、直後には闇に溶けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……熱源が引きやがったな。完全にお寝んね、か。戦場で呑気なこって」

 

 言い捨てたガエルは周囲を取り囲む三機を視野に入れていた。

 

「てめぇらもそうだろ! わざわざ宇宙からお出でなすったにしちゃ! 随分とまぁ、妙な人機を引き連れて! そいつぁ、《ラーストウジャカルマ》の改造機か?」

 

 挑発するガエルに獣のトウジャが吼え立てた。驚くべき事に、操主の声は少女であった。

 

『お前も……モリビトか……!』

 

「おーっ、おーっ。お前さんら、変な操主を仕立て上げたもんだな。ハイアルファーか? それとも洗脳か? どっちにせよ、面白ぇ! 面白ぇぞ! その獣のトウジャの操主!」

 

『《ラーストウジャイザナミ》だ……、モリビトは……生かしはしない。ここで破壊する! そうじゃなくっちゃ……鉄菜が……死んじゃったの……。鉄菜ぁ……っ』

 

「アンヘルってのは非人道的とは聞いちゃいたが、ここまでとはな。壊れかけの玩具を愛するのは楽しいかよ! どうなんだよ、てめぇら! アブノーマルなプレイに感じてんのか!」

 

 こちらの挑発に一機の《スロウストウジャ弐式》が乗った。プレッシャーライフルを引き絞り、敵機が接近する。

 

『よくも……よくもヒイラギのプライドを……コケにしたなぁ!』

 

 ガエルは舌打ち混じりに戦場を俯瞰する。

 

「……ンだよ。オレはそこのお嬢ちゃんとヤり合いたかったんだがな。案外、つまんねぇ獲物が釣れちまうもんだ。それも――こんな安い挑発に乗る、駄目操主じゃあなぁ!」

 

 Rブリューナクを一基、接近してくる敵に放出する。自律兵器に慣れていないのか、《スロウストウジャ弐式》が足を止めたのを見計らい、《モリビトサマエル》を上昇させていた。

 

 見た限りこの三機は連携が取れているようでてんでバラバラ。即席のチームワークでモリビトに勝利した程度だろう。

 

 ガエルは指先で放ったRブリューナクを操りつつ、この戦場を支配する一機へと通信を繋いでいた。

 

「よぉ、久しぶりか? C連合の色男。いや、もうアンヘルか?」

 

『ガエル・シーザー……。貴様、何でここにいる! どうして、そんな人機に乗っているんだ!』

 

「そいつは、とんだ災難よ。《モリビトサマエル》の事をご存知ねぇとは。まぁ、知らねぇうちに、世界は回っているってこった。学習しろよ、そのちっこい脳みそにな」

 

 こめかみを突いたガエルに敵機が急上昇して襲い掛かろうとする。だが、既に布石は打った。

 

 海面に潜ませていたもう一基のRブリューナクが新型機の高推進を確約するバーニアを根元から引き裂く。

 

 すぐさまパージさせて誘爆は防いだ形であったが、《モリビトサマエル》の機動力に追いつく事は出来ないだろう。

 

『……貴様』

 

「ちっとは頭ぁ、冷えたかよ、おい。勝ち目のねぇ戦いに部下二人を赴かせるか? それとも、リックベイ・サカグチの術理をそれなりに受け継ぐんだ。退き際って奴は心得てるはずだろ?」

 

 新型機が中空へと撤退信号の弾頭を発射する。その命令に納得がいかなかったのだろう。二機の操主が食い下がった。

 

『しかし! みすみす……!』

 

『鉄菜が、まだ傍にいないのに!』

 

『……駄目だ。二人とも、少しは落ち着け。相手はモリビトの……しかも新型機。三機でかかったところで勝てる目算は薄い。それに……個人的にあの相手は、容易く勝てる操主じゃないと分かっている』

 

「理解があって助かるよ、クソッタレ。で? 撤退してくれんのかよ」

 

《スロウストウジャ是式》がハンドサインを送る。二機はそのまま後ずさっていった。

 通信網にタカフミの苦渋が混じる。

 

『……覚えておけよ』

 

 ガエルは離脱した敵を見据えてから、血塊炉を砕かれたモリビトへと視線を向ける。

 

「……どうにも、厄介な事になったもんだな。なぁ、モリビトよォ」

 

 その言葉振りに相手は返答しなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯262 答えにはまだ

 整備は手伝う、という名目でラヴァーズの操主達を《ゴフェル》へと引き入れたのは結果的に功を奏したと言えよう。

 

 ほとんどベテランに近い人機乗り達はこの時、モリビトという圧倒を前にしてもうろたえなかった。それよりも、と手を動かす人間のほうが多かったくらいだ。

 

「モリビト……煮え湯を飲まされてきた相手だがこうしてまさか、整備する側に回るなんてな」

 

 こぼされた言葉にタキザワは苦笑する。

 

「すまないね。君達の艦……《ビッグナナツー》だって余裕がないだろうに」

 

「いいさ。俺達は元々、この世界から爪弾きにされたようなものだからな」

 

 信仰を求める彼らは今の現実主義の世界には合わないのだろう。アンヘルの脅威が常に張り付いた世界に生きるのは辛く苦しい。だから、ラヴァーズに属し、世界を俯瞰する。

 

「……戦い疲れたのか? やっぱりみんな」

 

 自分でも失礼に値する言葉だというのはよく分かっている。それでも、問わずにはいられなかった。彼らにだって矜持はあるはず。相手はコンソールを操作しながら頭を振った。

 

「どう……なんだろうな。疲れたと言えばそうなのかもしれない。だが、俺達はただ単に疲労したからと言って《ダグラーガ》の……信仰の光に逃げているわけでもないんだ。いざという時には戦うつもりでもある。もし、世界が間違って転がるというのならば、な。だが、世界からしてみれば間違っているのは俺達のほうらしい」

 

《ダグラーガ》に縋った彼らの在り方は誰も否定出来ないはずだ。何故ならば彼らは皆、歴戦の猛者。それなりに操主としての経験を積み、戦士として戦えるだけの実力を備えている。

 

 それでも世界からの評価が「逃げ出した」というものならば、彼らは甘んじて受けるのだろうか。それだけが気にかかった。

 

「しかし……モリビトの操主が、まさか女子供だなんて」

 

 意外そうな言葉にタキザワは返答していた。

 

「信じられないかい?」

 

「……ああ。悪い夢でも見ているようだ。俺は六年前、C連合の辺境地に配属されていたんだが、オラクル独立の時にあの国家と戦い抜いたモリビトの力を見た事がある。あれに……少女が乗っていただなんて考えられない」

 

 モリビトの力は絶対であった。だが今は、その優位性は崩れかけている。回収したイクシオンフレームの性能試験から鑑みてもモリビトと同じ性能か、あるいはそれ以上を確約するのは間違いない。

 

 世界は確実に変位しているのだ。

 

「存外、分からないものだろう。しかし、ブルブラッドキャリアに遺された文献資料には、人類の何パーセントかは人機の青い血潮に呼応し、血塊炉の声を聞く事が出来る種族がいた、と記されている」

 

「小耳に挟んだ事はある。血続……だったか」

 

「知っているのか?」

 

 地上では常識からは外れた概念だと思い込んでいた。百五十年前の禁忌に触れる知識であったからだ。

 

「血続……そういう、人機操縦に長けた連中が一箇所に集められて、それで組織を作ったんだって聞いた事がある。今のアンヘルの兵士の八割は血続反応が確認された操主だとも」

 

 タキザワは絶句する。それはさすがに初耳であった。

 

「今のアンヘルを構成するのが……血続?」

 

「……そこまで意外な話でもないだろう? 虐殺天使の人機を操るのに、特別な人間が仕立て上げられていたとしても」

 

「ああ、だがしかし……、血続というのは数が限られているはずなんだ。自然発生するとは思えないほどの低確率のはず……」

 

「どうにも、そこそこの人数はいたみたいだぞ? コミューン同士の連携が取れていなかった六年前には考えられなかったみたいだが、連邦が一本化した時に、そういう、人機と一体化出来る人間の選定が行われた、とも」

 

「……選定の責任者は?」

 

 男は顎に手を添えて考え込む。

 

「確か……タチバナ博士だったか。ほら、人機の権威の」

 

 タチバナ博士。幾度となく耳にした名前であったが、彼の人物が血続の事を熟知していたのならばその人員だけの組織を提言してもおかしくはない。しかし、血続は絶えた、と組織から聞かされていたせいで、アンヘルの八割が血続など信じ難い事実であった。

 

「まぁ、そこまで深刻に考える事でもないだろ。今は、モリビトを修繕しないと」

 

「あ、ああ。そうだね。モリビト二機の修復。いや、正確には三機、か」

 

 バインダーを一枚引き剥がされた《ナインライヴスピューパ》と、分離した《イドラオルガノンカーディガン》。どちらも最優先で修復すべきであった。

 

「戦闘映像、観たぞ。とんでもない敵と戦っていたんだな、あんたら」

 

 イクシオンフレームとの戦闘データはラヴァーズと提携してある。それは互いに攻められた時の対処がしやすいように、という考えの下であった。

 

「あれは多分、量産もしやすい。それくらいに、簡易的なフレーム構造なんだ。トウジャよりも素早く、モリビトよりもパワーが出る。それに加えて、純正血塊炉の小型化によるエネルギー効率の向上……どこに隙があるって言うんだ、って言いたくなってしまうほどの」

 

「向かうところ敵なし、か。そんな人機がいたなんてな」

 

「世界は、着実に変わろうとしている、という事実さ。……っと」

 

 プログラムを組み終えたタキザワは額の汗を拭った。男がタオルを差し出す。

 

「不眠不休だろ? 休めばいいんじゃないか?」

 

「そうもいかなくってね。僕は技術主任、モリビトの一から十までを管理しなければいけない身分だ。ここで休めば次の襲来に備えられない」

 

「……そういえば、両盾のモリビトはいないよな? あれは? はぐれたのか?」

 

 何とも言えずタキザワは濁すしかなかった。鉄菜との合流。それは可及的速やかに行われるべきであるはずなのに、《ゴフェル》の機関部の修復にはどう概算してもあと二日はかかる。その間、この海域に縫い止められたままだ。

 

 敵に攻めてくれと言っているようなものである。

 

「……鉄菜。まだなのか」

 

 虚空に問いかけたタキザワは《ナインライヴス》のコックピットから出てきた桃と視線を交わす。彼女はタラップを駆け上がるなり、尋ねてきた。

 

「……クロは?」

 

「まだ、のようだ。惑星に降りているのならばそろそろ圏内のはずなんだが……反応も見られない。アンヘルを警戒してわざと迂回路を取っている可能性もある」

 

「……ミイラ取りがミイラに、なんて事は避けたい。それはクロも分かっているはずですから」

 

 鉄菜の有する《モリビトシンス》は《ゴフェル》からしてみても切り札。容易く敵に追従されてしまうわけにはいかない手前、いつもより慎重を期している可能性が高い。

 

「二機……いや、三機とも血塊炉の補充は出来た。貧血状態からは脱せられたはずだよ」

 

 ラヴァーズの強みは純正血塊炉の人機を多く有している点だ。純正の血塊炉からブルブラッドを配線で繋いでコスモブルブラッドエンジンを満たしている。

 

「……でも、まさか蜜柑が使うなんて、思いもしなかった」

 

 桃の視線は《イドラオルガノン》より分離されたもう一つの人機――《イドラオルガノンジェミニ》へと注がれていた。

 

「いざという時のカウンターがこうも早く相手に割れるとは思わなかった。《イドラオルガノンカーディガン》のまま、もう少し隠し立てするつもりだったんだけれど」

 

「……勝てない勝負よりも勝てる計算を、か。蜜柑が思ったよりも冷静で助かったと思うべきでしょうね」

 

「君は彼女らの教育係だろう? 教官として、ミキタカ姉妹の事を、どう考えているんだ?」

 

「やめてくださいよ。そういう聞き方、ずるいです」

 

 操主を物としか考えていない問いかけであったかもしれない。それでも、ミキタカ姉妹には歪がある。

 

「君が一番よく分かっている。……姉のほうが限界に近いかもしれない」

 

「林檎は替えの利く道具じゃないんですよ」

 

「もちろん、分かっているとも。ミキタカ姉妹だけじゃない。君だってそうだ。あまり無茶な戦いはやるもんじゃない。今回の戦闘、イクシオンフレームを倒すためとはいえ、無理が過ぎた」

 

「……責めているんですか」

 

「いや、ただの忠告だよ。モリビトは一機でも欠いてはいけない」

 

 タキザワの論調に桃は前髪をかき上げた。

 

「重々……承知していますよ。でも、勝つのにはあれくらいのリスクは背負わなきゃいけなかった」

 

「何のためのセカンドステージ案だ、って茉莉花ならば怒るだろうね」

 

「……その当の茉莉花は?」

 

 タキザワは《ビッグナナツー》の監視データに入ろうとして、障壁に邪魔をされたのを関知した。

 

「……何とも。向こうのほうが聡いんだ。こっちで追おうとしても無理が出る」

 

「茉莉花は……ラヴァーズに残るんでしょうか?」

 

「分からないよ。ただ、彼女の選択を誰も止める事は出来ない、それだけは確かなはずだ。だって、僕らは彼女に助けられてきた。《モリビトルナティック》落着阻止も、ブルブラッド重量子爆弾の回収任務も、全部彼女の立てた作戦に乗っただけだ」

 

「要を失えば、今の《ゴフェル》じゃ厳しいでしょうに」

 

「だからと言って、口は差し挟めない。辛い現状だよ」

 

「あの……こっちの作業は終わったが……」

 

 すっかり存在を忘れていたラヴァーズの構成員にタキザワは礼を述べる。

 

「すまないね。手伝ってもらっちゃって」

 

「いや、別に……」

 

 先ほどまでより妙に余所余所しいのはすぐ傍にモリビトの操主がいるからだろう。少しばかり緊張しているのかもしれない。

 

「そう固くならないで。彼女なんてそんなに大したものじゃない」

 

「その言い方……、まぁその通りですけれど」

 

 しかし相手は警戒を解けない様子であった。

 

「その……六年前から、モリビトに?」

 

「ええ。昔で言う、赤と白のモリビトに乗っていたわ」

 

「……嘘だろ。あのデカブツのモリビトの操主……」

 

 余計に怖がらせてしまったらしい。タキザワは諌める。

 

「桃、分かっているだろう?」

 

「……分かっているけれど事実じゃないですか」

 

「……す、すいません。俺、ちょっと急用を思い出しちゃって……!」

 

 逃げるように立ち去っていく男の後ろ姿を眺めながらタキザワは嘆息をつく。

 

「未だに傷は癒えず、か。モリビトというだけで地上の人間は恐れてしまう。ある意味では報復作戦の成功の証だが、軋轢を生むんじゃどうしようもない」

 

「……こっちのせいじゃないでしょう」

 

「その通り。君らには何の責もない。ただ、これが世界の結果だと言うだけだ」

 

 モリビトの操主は恐れられる。どれだけ言い繕っても、モリビトは星の人々にとっては敵性兵器なのだ。

 

「《ナインライヴスピューパ》は?」

 

「手伝ってもらったお陰で申し分ない。次はすぐに出せるだろう。問題なのは……」

 

 濁した先に《イドラオルガノン》の姿を見据える。桃も見やってからため息を漏らしていた。

 

「……分かっています。教官としての措置、でしょう?」

 

「分かっているじゃないか。だがあまり踏み込み過ぎるなよ。少しばかりデリケートになってしまっている」

 

「理解はしているつもりですけれど」

 

「こっちだって、ゴロウがいない手前、作業能率は下がっているんだ。あまり彼女らに歩み寄る事も出来ない」

 

 肩を竦めたタキザワに桃は一つに結った髪を揺らした。

 

「……単刀直入に聞きます。《イドラオルガノンカーディガン》、本来の性能のどれくらいが現状ですか?」

 

「……言っていいのならば、六割、と言ったところだ」

 

 その数値に桃は面を伏せる。

 

「六割……それって多分」

 

「ああ。想定以下だね。本来ならば二人の息がピッタリと合えばこれほどに強力な人機もないはずなんだが……」

 

 濁したのはそうではないから。ミキタカ姉妹は少しずつではあるが、こちらの予想よりも遥かに早く操主としての寿命を縮めつつある。

 

 早期解決には桃の助力は必要不可欠であった。

 

「……分かっていて、それですか?」

 

「分かっていてもそれなんだよ。僕らは所詮、外側から君達の戦いを見る事しか出来ない。他人事と思われればそれまでだが、これでもバックアップはしているつもりだ」

 

 桃は少しの逡巡の後に搾り出していた。

 

「……分かりました。林檎と、話をつけてきます」

 

「気をつけろよ。感情面での破綻がきっかけで操主を一人失うのは痛いからね」

 

「そこは、女の子を扱うんですから。分かったもんじゃありませんよ」

 

 桃は手を払って言い放ち、格納デッキを後にしようと踵を返した。

 

 その時であった。

 

『熱源警告! 《ゴフェル》へと真っ直ぐに向かってくる機影あり!』

 

 全員がその報告に気を引き締める。桃はすかさず通信に尋ね返していた。

 

「数は?」

 

『一機です! ですがこの機体参照データは……』

 

「探っている時間も惜しい。《ナインライヴス》で出る」

 

 桃がタラップを駆け降りる際、タキザワは言いやる。

 

「無茶は」

 

「しないつもりですよ、っと!」

 

 コックピットに飛び乗った桃へと報告がもたらされる前に、機体照合のデータがコンソールにもたらされた。タキザワはその機体名称に瞠目する。

 

「これは……? 本当なのか?」

 

『事実です! 接近する機影は……《クリオネルディバイダー》と推定!』

 

『《クリオネルディバイダー》……? じゃあクロが?』

 

 スタンディング形態に移行した《ナインライヴス》が甲板より出ようとする。刹那、帰投信号が発信された。

 

「《クリオネルディバイダー》よりの帰投信号……ゴロウか?」

 

『ガイドビーコンの要請あり! どうしますか! タキザワ技術主任!』

 

 転がっていく状況の中、タキザワは瞬時の判断を求められていた。

 

「……許諾する。桃、もしもの時は格納デッキで」

 

『鹵獲されている場合ですよね……。やります』

 

 Rランチャーを構えた《ナインライヴス》が警戒を注ぐ。カタパルトが開き、《クリオネルディバイダー》が誘導灯に沿ってゆっくりとこちらへと入ってきた。

 

『……鉄菜が、戻ってきたの?』

 

「ニナイか。分からない。現状、鉄菜じゃない可能性も……」

 

 キャノピーが開いていく。乗り合わせていたのは項垂れた瑞葉と、ゴロウであった。すぐさま彼は通信を飛ばす。

 

『撃つなよ。こっちは丸腰だ』

 

『ゴロウ……? クロはどうしたの?』

 

 その問いかけにゴロウは声を渋らせる。

 

『……どこから話せばいいものか……。鉄菜は別行動を取った。この時間帯で合流出来ていないという事は、何かがあったに違いない』

 

「何か……」

 

 その言葉の主語を欠いたまま、タキザワはとんでもない方向に事態が変位しつつある事だけは予感した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯263 エゴの向こうに

 刃の冴えはそのままに。静かな呼気と共に一閃を払う。

 

 一人、また一人と斬り倒していく中で、生まれたものは何もなかった。

 

 何もない、虚無。何もない、虚空。

 

 血潮だけが嘘のように鮮烈に迸り、薄暗闇の空間を満たす。放った刃の切っ先が敵の首筋を掻っ切った。

 

 黒い血潮。それが遅れて生じたのを目にした自分を俯瞰する。

 

 黒い仮面を被った自分は赤くぎらついた眼差しで敵を睨む。次なる敵を求めて暗黒空間を疾走する。

 

 闇を掻き、敵を裂き、魔を討つ。

 

 それのみに特化した神経。それのみに特化した剣。

 

 それが自分であった。撃滅のための剣。破滅をもたらすためだけに遣わされた少女の躯体。

 

 不意に銃声が劈き、自分を撃ち抜いた。

 

 滴った血の色にああ、と呻く。

 

「青い血だ」

 

 青い血、人機と同じ殺戮兵器の証。それを認めた直後、暗闇よりもたらされた斬撃が何度も自分を貫いた。

 

 痛みを感じるよりも虚しさが勝る。血の色は青。痛みは薄ぼんやりとしたフィルターの向こう。

 

 所詮、自分など造られただけの存在。いつ、青い血に目覚め、人間らしさなど欠如した戦いに身をやつすのか分からない。

 

 そもそも、この身体は持つのだろうか。

 

 リードマンは三年だと断言した。残り三年。その程度しか設定されなかった人造血続の悲哀。

 

 だが、後ろを振り返る事は許されない。一度として、弱音を吐く事も。

 

「――心はどこにあるんだ?」

 

 問いかけた自分へと応じる声があった。

 

「鉄菜、心はここにあるのよ」

 

 胸元を、こつんと彩芽の拳が叩く。

 

 嘘だ。そんな場所に心なんてありはしない。

 

 拒絶した意思が刀となって彩芽を切り払った。彩芽の影が寸断される。

 

 その時になってようやく、鉄菜は喉を震わせて叫んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢の中の叫びが現実の喉を震わせる。

 

 絶叫と共にまどろみの膜は剥がれ、大写しになった視野には青く靄が揺らめいていた。星々の瞬きがその向こう側で乱反射している。

 

「……ッったく、女ってのは湿っぽくていけねぇな」

 

 その声の主を鉄菜は認めた瞬間、ハッと身を引いていた。

 

 戦場を行くハイエナの瞳。煌々とした戦闘の輝きを宿した男が火を焚いている。ブルブラッド汚染大気下であるにも関わらず、男はマスクさえも着用していなかった。

 

 それどころか、ブルブラッドの煙草を吹かし、青い息を吐いている。

 

 焚かれた火はブルブラッドの反応を受けて白く照り輝いていた。

 

 焚き火を挟んで男と対峙している形の鉄菜は、自分がヘルメットを外されている事に気づいた途端、額に巻かれた包帯より疼痛を覚えた。

 

「ああ、素人療法には違いねぇんだが、ヘルメットが割れていてな。そのまま放っておいてもいいんだが、ブルブラッド大気下じゃ、傷はすぐに膿んじまう。そうしときゃ、死にはしねぇだろ」

 

 男は非常食の養殖肉を頬張る。その姿と佇まい、そして声に鉄菜は一人の男の影を見ていた。

 

「貴様は……《モリビトサマエル》の」

 

「ああ、そうだ。こうしてガン突き合わせるのは初めてか? モリビトのガキ。まさか六年経っても似たような身体だとはな。恐れ入るぜ。星の向こうの連中はよほど禁忌が好きと見える」

 

《モリビトサマエル》の操主。それは同時に今まで憎み続けた相手そのものである、という事実であった。《バーゴイルシザー》でコミューンを襲い、幾度となく自分達の道を阻んできた敵そのもの。

 

 それが眼前で肩の力を抜いている事に、鉄菜は瞠目していた。

 

「お前は……何で私を……」

 

「助けた、ってか? 自惚れんな。別に助けたかったわけじゃねぇさ。ただ、他の連中にてめぇの首を取らせるのは癪だったってだけの話よ。動かねぇ敵を潰して、何が面白ぇっていう、戦争屋のメンタリティだ」

 

 やはり相手は戦争屋。それも今まで世界から搾取してきた、本当の狩人。

 

 鉄菜はホルスターよりアルファーを引き出し、額で弾けるイメージを伴わせた。

 

 しかし――。

 

「……《モリビトシン》が……来ない?」

 

「そりゃ、来ねぇだろうな。血塊炉がヤられちまってる。あんな状態じゃまともな人機は動かねぇよ」

 

 そんな状態で自分はこの男と会っている。話し振りから察するに《モリビトサマエル》はいつでも出せるようにしているはず。自分だけが不利な現状に鉄菜は後ずさりした。

 

「……何が目的だ」

 

「目的ィ? とんだオノボリさんだな。目的がなきゃ、動いちゃいけねぇってのか?」

 

「貴様は戦争屋だ。殺ししか快楽の行き場がない、本物の人間の屑のはず」

 

「とんだ言い草だが、間違っちゃいねぇ」

 

「そんなお前が! 何故私を……」

 

 睨み据えると相手はこちらを真正面から見据えた。その瞳に恐れの一欠片さえもない。

 

「殺さない理由、か。結構あるんだが、まぁ教えてやんよ。第一に、てめぇは別段、殺されるほど強くもねぇはず。モリビトのガキが生きていた事にゃ、驚きだがだからと言って殺すかと言えば、それも面倒くせぇ」

 

「殺すほどの価値もない、か」

 

「物分りはよくなったじゃねぇか。そうだよ。殺したって、じゃあオレに富は来るか? 名声は来るか? 報酬は? ……結局、カネと、得するかって話よ。そういう点で言えば、正確な形でモリビトを狩る分にはいいんだが、こういう場外試合でモリビトを倒したってオレには旨味がねぇ。オレは正義の味方だからな」

 

 眼前の男から出たとは思えない言葉に、鉄菜は反芻する。

 

「正義の……味方だと」

 

「だってそうだろうが。てめぇらは惑星から追われる身分。比してオレは? レギオンの中枢に近づき、表じゃアンヘルの教育隊の隊長と、それにシーザー家のお墨付き。これを正義といわずして何というって言うんだ?」

 

 笑みの形に口角を吊り上げた男に鉄菜は嫌悪の眼差しを飛ばす。

 

「……悪党が」

 

「そりゃどうも。褒めてんのかねぇ。いいか? オレは、オレに得のある戦いしかしねぇつもりだ。もうレギオンの使いパシリにもうんざりなんだよ。……まぁ連中の恩恵は受けてるぜ? どこに敵がいても分かるし、どこに敵が隠れたって無駄さ。オレと《モリビトサマエル》の前じゃ、意味がねぇ」

 

「……どうしてコミューンを焼いた」

 

 その問いに男は膝を叩いた。

 

「今聞く事がそれか! こいつァ、とんだ傑物だな! あれもレギオンの依頼する掃除ってヤツさ。対立コミューンをいい塩梅に潰せばアンヘルの仕事も減る。どうにも最近、レギオン連中も気づき始めている様子だ。自分達の作り上げたこの世界を、うまい事そのおいしい汁だけ啜っている連中がいるって事にな」

 

 脳裏で閃くものを感じ、鉄菜は呟いていた。

 

「……それがアムニスか」

 

「あんがとよ。オレの中には確証はなかったんだが、名前を教えてもらった上にその存在まで知っているとなれば、上を行けるな」

 

 しまった、と口を噤んだ時にはもう遅い。レギオンに突き出されるか、と身構えた鉄菜は相手が何も行動しない事に面食らっていた。

 

「……レギオンに突き出さないのか」

 

「喜ぶかねぇ。レギオンに今さら、モリビトのガキ一匹突き出した程度で。てめぇはよく分かってねぇかもしれないが、案外、戦場はつまんなくなっちまったんだよ。トウジャって言う元から強ぇ人機が跳梁跋扈して、な。血と硝煙には酔えなくなっちまって久しい。女も……上質な女が揃っているのは申し分ねぇんだが、管理下にあると萎えちまう。そういうもんなんだよ、戦場ってのは」

 

 鉄菜は読めない相手の思考回路に辟易していた。

 

「私を殺さないのは、ただ単に利益にならないからか」

 

「それ以外に何かあるって言うんなら、お伺いを立てたいところだねぇ。てめぇを殺して、オレが得するんなら、今頃犯して殺してんよ。だが、ちょっとばかし、情勢がハッキリしなくなっちまってる。アンヘルに属してりゃ、安泰でもねぇ。かといってシーザー家の周りもきな臭ぇんだよ。オレはそもそも六年前に、殺し損ねたちょっとした虫を蹴散らしに行く途中でてめぇを見つけただけだからな」

 

 煙草を吹かす男に鉄菜は問い質していた。

 

「そこまで俯瞰出来ていて、何故……何故六年前! コミューンを無差別テロで襲った!」

 

 男はこちらを眺め、不意に哄笑を上げた。

 

「……何が可笑しい」

 

「いや! てめぇ、そういうのはアツくならねぇタイプだと思ってたからな! 声を荒らげたのが……可笑しくって可笑しくって……。あんなもん、次いでの用事だろうが。今さら蒸し返してるんじゃねぇよ、つまんねぇ」

 

「次いで……だと。あれで死んだ人間もたくさんいたはずだ!」

 

「それ、そっくりそのままお返しするぜ? オラクルだけじゃねぇ、色んなところで殺して回ったのはお互い様だろうが」

 

 言葉を詰まらせた鉄菜に男は岩場に煙草をこすり付けて揉み消す。

 

「……私達には使命があった」

 

「おーっ、その使命ってヤツで、じゃあ死んだ連中はノーカウントって言いてぇのか? 随分と都合のいい理論だ。殺しても罪にはならねぇって言う観点で言えば、てめぇらのほうがよっぽど厚顔無恥だぜ?」

 

「貴様とは……違う!」

 

「どう違う? 殺して犯して略奪する。それは世の常だろうが。オレは欲望に忠実に、嘘は出来るだけつかねぇつもりだ。綺麗事で飾るつもりも、な。だがてめぇは違う。使命だ大義だで人を殺し、都合の悪い死に様には異を唱える。それ、よっぽど歪んでるぜ? 人間の性に正直じゃねぇ生き方だ。そういうのってよォ、叩き込まれたって感じだ。誰かに補正された生き方なんざ、そんなもん、人形と変わらないだろうが。オレは違うぜ? 人形であるつもりはねぇ」

 

「シーザー家の威光を借りているくせに……」

 

「そうさ。借りてるんだよ、あくまでも。それはオレの意思だ。戦場を一つでも多く生き延びるための処世術よ。オレは借り物の使命なら喜んで受けるが、てめぇのその信念ってのは偽物だ。反吐が出るぜ」

 

 自分の戦いを侮辱するのか。この男が。何もかも自分のために、己のためだけに生きてきた利己主義そのもののこの男が。この鉄菜・ノヴァリスの生き方を否定するというのか。

 

 胸の中に渦巻く黒々とした感情に、語気を強めていた。

 

「……取り消せ。私の……これまでの戦いが無駄だったなんて」

 

「あン? てめぇ、まさか褒められたくって戦ってるんじゃねぇだろうな? お笑い種だぜ! 戦場ってのはよォ、己の根源欲求を満たすための材料だろうが! だって言うのに大義や使命、果てにゃ賞賛だと? どうやらあれほどまでにモリビトで殺しておいて、それを綺麗事で纏めたいらしいな」

 

「私は……! 世界を変えるために」

 

「その変えた先の未来が絶対的にいい方向になるなんて誰も保証出来ないだろうが。まさかてめぇ、神の目線にでもなったつもりか? ブルブラッドキャリアの行いが全て、報われるとでも? 世の中嘗めてる……いや、嘗めてるってのさえおこがましい。てめぇ、本当はエゴイストの主義者だって理解も出来ないんだろ? 自分の中の罪を直視すら出来ねぇ、半端者だ」

 

 半端者。今までその点を糾弾された事はなかった。自分はこの星の命運を変えるために、自分の意思で動けているのだと思っていた。

 

 だというのに、戦争屋の言葉を借りるのならば、それらは全て糊塗されたエゴの塊。自分の使命に忠実ではない、ただの奴隷のような戦い。

 

「私は……」

 

 拳を骨が浮くほどに握り締める。ここまで存在証明を揺さぶられたのは初めてだった。

 

 相手はフッと笑みを浮かべる。

 

「そこまで深刻な事でもねぇだろ? 殺し、殺され、自分の意見を押し通す。そのために、生きてきたはずだ。だってのに、墜とすべき相手を前にして、こうも揺さぶりが通用するとはねぇ。そこまでの甘ちゃんだとは想定外」

 

 相手が立ち上がる。鉄菜はびくりと肩を震わせた。

 

 超越者の眼差しを持つ相手は言い放つ。

 

「脱ぎな。そうすりゃ、少しばかりは意地を認めてやってもいい」

 

「脱げ……だと」

 

「どうせガキの裸なんかにゃ興味ねぇけれどよ。世界のために命張れるって言うんならここで脱ぐくらい、造作もねぇだろ?」

 

 鉄菜はRスーツの解除口に指を押し当てていた。相手の言う事を聞く道理なんてない。だというのに、ここで逃げるのは全てから逃げ出すようで、許せなかったのだ。Rスーツの気密が解かれる。空気圧で肌に密着していたRスーツを鉄菜は上半身から脱ぎ去っていた。

 

 自分の肌――白磁の肌に、膨らみかけた双丘。決して老化しない生まれたままの姿を、鉄菜は晒していた。

 

 相手はほうと感嘆の息を漏らす。

 

「まさか、拒絶しねぇなんてな」

 

「……モリビトが動かせない今、私はここから無様に逃げ帰る事も出来ない」

 

「意固地だねぇ。だが、……気に入ったァ!」

 

 相手がタオルケットを投げる。鉄菜はそのタオルを身に纏っていた。

 

「敵兵の前で裸になるってのはなかなか出来るもんでもねぇ。覚悟だけは伝わったぜ、モリビトのガキ。来い! 《モリビトサマエル》!」

 

 相手の声音に起動した《モリビトサマエル》がリバウンドの斥力を発生させながら風圧を逆巻かせる。

 

 その背面から伸びたケーブルはそのまま、向こう側にある《モリビトシン》に接続されていた。

 

「……どうして」

 

「助けるような真似を、ってか? ……ここで死なれても寝覚めが悪いから、って言っておくぜ。動かない的を潰したってつまんねぇんだよ。最後まで足掻いてくれや。モリビトのガキ」

 

 アルファーを額に翳す。《モリビトシン》の機能が復活していた。

 

 相手は《モリビトサマエル》に向かって踵を返す。

 

「次は戦場の殺し合いの場で会おうぜ。話し合いなんて一番に合わないんだって分かったからな」

 

「……どうして何もしない」

 

「オレはロリコンじゃねぇからな。……ってのも表向きか。正直に話してやるとよ。ここでてめぇを殺せば、レギオン連中は大喜びなんだよ。その目論見に……ちぃっとばかし反抗したかった。多分それだけなんだろうぜ」

 

 鉄菜は《モリビトサマエル》に乗り込んだ相手を見据えていた。いつかは倒さなければならない敵。越えなければならない障壁。

 

『名乗ってやるぜ! モリビトのガキ! オレの名前はガエル。本当の名前は、ガエル・ローレンツだ!』

 

 これは応じるべきだ、と鉄菜は名乗りを上げていた。

 

「……鉄菜・ノヴァリス。モリビトの執行者だ」

 

 その言葉振りに相手は鼻を鳴らす。

 

『クロナ、か。次に会えば犯して殺す。じゃあな』

 

《モリビトサマエル》が鉤十字の翼を広げて飛び去っていく。その後ろ姿を暫く眺めていた鉄菜は不意に入った通信にRスーツの回線を開いた。

 

『クロ! 今、《クリオネルディバイダー》から《モリビトシン》の反応を逆探知して……』

 

「桃、か。こちらに?」

 

『《ナインライヴスピューパ》が、今!』

 

 飛翔していた《ナインライヴス》が降下してくる。逆巻く風に煽られ、鉄菜はタオルを握り締めた。

 

 こちらを認めた桃が絶句する。

 

『クロ……何が……』

 

「何でもない。ただ……自分達の戦いの証明でさえ、今は難しい。それを実感しただけの事だ」

 

 慌てて降り立った桃がこちらの顔色を窺う。鉄菜は迷わず、Rスーツを着込んでいた。

 

 桃はそれ以上追及すべきではないと感じたのだろう。言葉少なに告げられた。

 

「……帰ろう」

 

「ああ。すまなかったな、桃」

 

「謝らないで。クロのほうが辛かったのは……分かっているもの」

 

 手を引く桃の体温に鉄菜はただ感じ入っていた。

 

 ――仲間がいる。志を共にする仲間が。

 

 ならば歪んでいても前に進もう。その結果がどれほどに悪意に塗れていても、道を違える事だけはないように。後悔だけは、しないように。

 

 再び胸に刻んだ鉄菜は東の空より浮かぶ朝陽を身に受けていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯264 穢れた翼

 まどろみの中を漂っている感覚であった。

 

 覚醒と昏睡の只中、タチバナはようやく意識の手綱を取り戻していた。

 

 だが、どこか身体の調子がおかしい。平時の肉の重さをまるで感じない目覚めに、タチバナは眼前に佇む渡良瀬を視野に入れていた。

 

『渡良瀬……』

 

 その声音にぎょっとする。まるで電子音声のそれであった。

 

 渡良瀬はフッと笑みを浮かべた。

 

「お目覚めですか? ドクトルタチバナ。いえ、もうその肉体では、違いますか?」

 

 タチバナは自分の身体を確かめる。未発達な小さな手足、丸みを帯びた身体。全て、人間のそれからはかけ離れている。

 

『ワシは……』

 

「ご覧ください。あなたの今の姿です」

 

 鏡に映し出されたのはアルマジロの形状を模した小型モジュールであった。その姿が自分の手足の動きと同期する。

 

『まさか……そんな』

 

「人格の移し替えは技術として定着して久しい。どうやら成功したようですね。あの老いた肉体のままではやりにくくって仕方がない。死に体であったあなたを復元したのですよ? 感謝してもらわなくては」

 

 殺しかけたのはそちらだろう、と抗弁を放ちかけてタチバナは迸った叫びに声を詰まらせた。

 

「いやァァー! 殺して! 痛い! 痛いィィッ!」

 

 アルマロスの声である。瞠目したタチバナは渡良瀬の冷たい声音にぞっとした。

 

「アルマロス。身体の半分が消し炭なんだ。復元可能なだけでもよしとしてくれ」

 

「殺して! こんなに痛いの……殺してよォッ!」

 

「そうはいかない。序列は低いが、君はお気に入りだ。殺すのは惜しい」

 

 声を吹き込んだ渡良瀬の相貌は既に悪意に染まっていた。かつての右腕であった青年の面影を探すのは難しい。

 

『……貴様、渡良瀬。堕ちたな。下衆の極みへと』

 

「なんとでも。さて、タチバナ博士。あなたに選択肢は多くはない。もうあなたの肉体は廃棄しました。あんな欠陥だらけの肉体よりも、機械の身体のほうが随分と動きやすいはずですが?」

 

『勝手な真似を。渡良瀬、貴様は悪魔だ』

 

「どうとでも言ってください。敗者らしい負け文句です」

 

 渡良瀬は肩をすくめ、こちらの脳髄へと直接情報を送信した。現状のイクシオンフレームの配備状況と、動かせる駒の身体ステータスであった。

 

『これ、は……』

 

「あなたにはこれより、アムニスに都合のいい端末としての人生が待っています。相応しい末路でしょう? 博士」

 

『言う事を利くと思ったか……!』

 

「確信していますよ。あなたはそんな姿になっても賢明なはず。なに、ちょっとばかし寿命が延びた。そう前向きに考えればいいじゃないですか」

 

 渡良瀬にはもう、人間らしい感情など存在していないのだと、タチバナは確信する。この男にあるのはただただ尽きぬ野心と、欲望のみ。

 

『渡良瀬……地獄に堕ちるぞ』

 

「堕ちる? 可笑しな事を言いますね。わたしは大天使ミカエルの座につく事を許された最上の天使! それをどうやって座から引き摺り下ろすというのです? もう無理なんですよ。転がり始めた石です」

 

『……確かにそうかもしれん。だが、時代を動かすのは貴様のような野心の塊では決してないはずだ! 時代を動かすのは! 良心であると!』

 

「古い、古い、古くさ過ぎる! そんなもので時代が回りますか? そんなもので兵器が造れますか? ヒトが満足するとお思いですか? 全ては人間のため、世の中をよくするためなのですよ」

 

『たとえ時代遅れでも、悪魔に魂を売り渡すよりかはマシなはずだ』

 

 こちらの抗弁に渡良瀬は呆れ返るばかりであった。

 

「博士。ロマンチストとヒューマニストはいつの時代でも取りこぼされる運命なのです。リアリストこそが、世界に実効力を持って流転させられる」

 

『その流転した先が闇では! 渡良瀬、何も救えんぞ!』

 

「肺活量が上がったお陰ですか? 前の身体よりも舌が回る。よかったですね、博士」

 

 皮肉を返されてタチバナは言葉を詰まらせる。

 

『……何をさせようと言うのだ』

 

「今まで通りですよ。今まで通り、否! 今まで以上に、人機開発市場に力を入れてもらえれば!」

 

『貴様の傀儡に成れというのか』

 

「傀儡? 可笑しな事を! その躯体、傀儡以下ですよ。博士」

 

 言い返せず、タチバナは送信されたデータを参照する。イクシオンフレームで現状出せるのは限られている。どうやらブルブラッドキャリアが思ったよりも健闘したらしい。

 

 彼らの機体データにもアクセス可能なこの躯体に、タチバナは素直に言葉をなくしていた。

 

 モリビトのデータが参照出来る日が来るなど夢にも思うまい。

 

「ご満足いただけましたか?」

 

 こちらの意図を悟った渡良瀬にタチバナは拒絶の声を上げる。

 

『思い通りになると思うな』

 

「それはどうでしょうか。博士、思ったよりもこの世の中、思い通りになる事のほうが多い。それはあなたとてよく知っているはず。モリビトの脅威は! 星の人々に次なる罪を直視させるために必要な悪であった! それもご理解の上でしょう?」

 

『理解は出来る。ただ、看過は出来ん』

 

「言葉の上だけですよ。すぐに慣れる」

 

 渡良瀬は言いやって部屋を後にしようとする。

 

「博士、存分にその力。我々アムニスのために使ってくださいよ」

 

 扉が閉まり、残されたタチバナはこの室内からアクセス可能な領域へと電脳を伸ばす。拡張した意識はすぐさま波に乗った。

 

『……驚いたな。これが惑星を覆う情報網……バベルの一端か』

 

 どうして渡良瀬はここまでの権限を自分に許したのだろう。どれほど足掻いても無駄だと分かっているからだろうか。だが、バベルにアクセス出来るとなれば、針の穴ほどの活路を見出すのも可能かもしれない。

 

 いずれにせよ、今出来る全てを。

 

 そう考えた意識が飛躍し、タチバナは現在、ブルブラッドキャリアが分離しているという事実を発見した。

 

『《ゴフェル》なる艦と、衛星兵器を使って見せたブルブラッドキャリアは別のもの……。これが星の覆っていた嘘と虚飾か。こんなものを前に、無知蒙昧なままでいたなど……』

 

 許されないだろう。だが、これから先は違う。タチバナは必死に情報の手綱を握り締めた。

 

 これから先、何が起ころうとも。

 

 戦い抜く覚悟を持って。

 

 その意識の一端がある情報を捉える。

 

『……旧ゾル国のコミューンへと向かう作戦……。これは、《グラトニートウジャ》……ワシの発明したトウジャがまだ……生き残っていたのか』

 

 その事実に震撼したのも束の間、直後に展開された作戦名に絶句する。

 

『不死鳥作戦……。まさか、ゾル国同士で潰し合いだと。世界はこうも無情か……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 納得はする必要はない、という上官の声音に、レジーナは是非を問いかける。

 

「では、兵士には何も考えずに撃て、と? 引き金を絞る事のみを考えろというのですか」

 

 前を行く上官はこちらへと向き直る。ホログラムの滝の前であった。

 

「シーア中尉。君は真面目に、ゾル国の明日を考えているのだろう。それは分かる。真摯に国家の事を考えると言うのは。だがね、全てが全て、よく回るわけでもないのだ」

 

「切り捨てですか。少数を弾圧すればC連邦のポイント稼ぎになるとでも」

 

「違う、そうではない。これは必要な措置だ。作戦には目を通しただろう?」

 

 レジーナは作戦目標を反芻する。

 

「……《グラトニートウジャ》。かつての英雄の機体。まさかあのコミューンに封印されていたなんて寝耳に水、との事でしたが」

 

 無論、全く知らないわけでもあるまい。お歴々は分かっていて無知を貫いてきたのだ。

 

「撃墜せねばなるまい。ゾル国の掃除はゾル国が済ませる。そうでなければ要らぬ世話を連邦にさせる事になる」

 

「そのために、《フェネクス》に出ろと? ……失礼ながら、それは我が方への侮辱です」

 

「熱くなるな、と言っている。冷静に事態を俯瞰したまえ。《グラトニートウジャ》。確かに少しばかり難しい相手かもしれない。だが、それがどうした? 《フェネクス》ならば可能だろう」

 

 ずるい論法だ。《フェネクス》の性能を発揮したければやりたくもない戦場に出ろ、と。前回のラヴァーズ殲滅戦と何も変わるまい。

 

 畢竟、連邦の尻拭いをさせられているのみ。

 

「どれほど言い繕ったところで……同じ事ではありませんか」

 

「同じではない。我々には大義がある。それだけは誰にも否定出来ないはずなのだ」

 

 大義を都合よく解釈されているだけ。それは分かり切っている。だが、ここで拒めば《フェネクス》の不死鳥隊列は一生日の目を見ずに終わるかもしれない。

 

 隊を預かっている手前、そう容易く拒絶する事も出来ない。レジーナには非情な判断が求められていた。

 

「……《フェネクス》を出せば、満足行くんですか」

 

「《フェネクス》一機でも、充分な戦力として数えられる。連邦は分断されたモリビトを今が好機とばかりに襲撃している。その一方で、我々が世界の混乱を少しでも鎮めればこちらの要求も通りやすくなるだろう」

 

 政の領域には口を出せない。ブルブラッドキャリアへの措置は連邦のほうが遥かに勝っている。

 

 だが、だからと言って残飯処理などプライドが許さなかった。

 

「……せめて、連邦に言付けを。絶対に不死鳥隊列は必要なのだと分からせなければ」

 

「分からせてやるのには《グラトニートウジャ》を撃墜するしかあるまい。手段は限られつつある」

 

 非情ながらそれは事実。連邦と交渉するにしても、カードは少ない。一つでも交渉権を得るのには、《グラトニートウジャ》の撃墜は必須。

 

「……艦は向かっているのですか」

 

「既にコミューンへの針路は取っている。あとは君の一存だ。《フェネクス》の出撃準備をしたまえ」

 

 一存だ、など馬鹿げている。結局は踊らされているだけではないか。こんなもの、国家同士の策略とは言わない。

 

 ただ賢しいだけの、馬鹿げた動きだ。

 

 相手の顔色を窺いつつの戦いなど、それは最早、まともな戦いとは呼べないだろう。

 

 こんな事にでも身をやつさなければ、自分達は一歩も前に進めない。その事実に歯噛みする。

 

 ――嫌ならば退け。ただし二度目はない。

 

 突きつけられた現実の重たさに、レジーナは呼吸困難に陥っていた。隊をこれから先も飛躍させるのにはこれくらいの戦略は呑み込まなくてはならない。それが大人というものだ。

 

「……データの共有化を」

 

「隊の者達と共有するといい。ただし、この数値は全て六年前のもの。変異している可能性は高い」

 

 預かったデータチップの軽さにレジーナは吐き捨てたくなった。こんなもの一つで自分達は命運を引きずられてしまう。こんな軽いもの一個で。自分達の戦いは集約される。

 

 一個人の命令と、一個のチップが自分達不死鳥隊列の「これから」。そして、「これまで」の評価。

 

 嫌気が差すといえばその通りだが、跳ね除けていいはずもなし。

 

「……了解しました。不死鳥隊列、作戦行動に入ります」

 

「よろしい。《フェネクス》の性能はまだまだ伸びしろがある。ここで潰えていいはずもない」

 

 まるで自分に言い聞かせるような言い草。騙し騙しでしか、この存在を維持出来ない。

 

 その点で言えば、ブルブラッドキャリアの、なんと自由な身分な事か。彼らは惑星に矛を向けたが、その身柄は誰にも縛られる事はない。

 

 いつか、出会ったあの少女の事を思い出す。

 

 彼女――林檎は礼を尽くした。こちらの礼節に応じられるほどの理性があった人間には違いないのだ。

 

 星ではブルブラッドキャリアはアンヘル以上に虐殺の徒だというイメージが強い。それは六年前の戦いの痕跡が如実に示している。祖国とてその痛手を被った側には違いないのだ。

 

 だが、だからと言って無条件に憎めと言うのか。憎悪し、嫌悪し、ただただ殺し合うだけで、そこには理解の一欠けらもないというのか。

 

 そのようなもの……とレジーナは拳を握り締める。

 

「そんなだから……我々は星を追われたんだ」

 

 誰にとは言わない。誰のせいでもないのかもしれない。それでも、ゾル国は亡国の徒として扱われ、C連邦の独裁の天下が訪れた。誰の求めた結果でもないのかもしれない。

 

 かといって世界は何も求めなかったか。

 

 無欲のまま世界を動かしているわけでは決してないはずだ。

 

 誰しも強欲のうちにある。ゆえにこそ報復の刃は研がれた。その剣先が星へと向いたのだ。誰もが無意識のうちに罪を抱えている。だから、この星は虹色に熟れた。罪の色に染まった空は本来の青さを消し去っている。

 

「……青い空を、一度でもいいから飛んでみたい。こんな……毒の靄と虹の裾野に抱かれた空は、間違っているはずなんだ」

 

 いつも夢見る。《フェネクス》の舞う空。穢れのない、純潔のその青さを。

 

 澱んだ毒は消え去り人の罪は星の向こう側へと赴く極楽を。

 

 ……だが、夢見たところで届くものか。手を伸ばさなければ、とレジーナは双眸に決意する。

 

 しゃにむでも手を伸ばす事を諦めさえしなければ、いつかこの手に、幻の空は――。

 

「……駄目だな。隊長が夢想してどうする?」

 

 夢見るのは空を舞う者の特権かもしれない。しかし、自分達は空を裂くもの。宵闇を引き裂き、本国へと朝陽を迎えさせるための金色のカラス。

 

 罪で洗い流された地表に、平穏をもたらすために飛ぶ。それ以外の翼は要らない。

 

 本当の意味での自由の翼は、夜明けの向こう側にあるはずだから。

 

「隊長。……作戦は」

 

 デッキで愛機の整備を手伝っていた者達が次々と寄り集まってくる。皆、選りすぐりの不死鳥達。

 

 しかし、今は飛べるだけの翼をもがれた、悲しい鳥達。

 

 ならば、飛ばせられるだけの空を、自分が先導しよう。明けの明星になって、自分が彼らを導かなくって如何にする。

 

「作戦はこれだ。全機、聞かされていた通りを実行する」

 

 うち一人が悪態をついた。

 

「クソッ……! こんな、連邦の毒を呑まされるなんて……」

 

「残飯仕事だから、などと腐るな。我々は本国のカラス部隊。その誇りはまだ失われていない」

 

「でもですよ! こんなのってないです! 自分達は……誉れある不死鳥隊列……、あのお方の理想を体現する、本物の操主ではないのですか!」

 

 その言葉にレジーナは睨みつけていた。

 

「痴れ者が! そう易々とあの人の理想に適うと思うな!」

 

 うっ、と声を詰まらせた隊員にレジーナは言い放つ。拳で左胸を叩き、己を鼓舞した。

 

「この脈動は! 大義を尽くすためにある! 義を持って立っているのならば、何度だって蘇る。それが不死鳥の、あるべき姿だ! 炎の中から、何度だって……」

 

「……たとえその身が灰に塗れても、何度でも炎から蘇る……それが不死鳥」

 

 そらんじた兵士にレジーナは言いやる。

 

「貴様ら……それを忘れたわけじゃあるまい」

 

「もちろんです! いつだって、我々は使命を帯びた人機に乗っているんだって言う……。でも、こんなのってないじゃないですか! 過去の遺物の……清算なんて」

 

 確かにこれから先の未来を作る人間からしてみれば不服だろう。だが、どのような境遇であれ、戦い抜くのが軍の兵士。末端兵の意地だ。

 

「……ゾル国の名を冠する事を許されている。その重責、ゆめゆめ忘れるな。自分達の動き一つでゾル国再興への道が絶たれるかもしれないんだ」

 

「それは……、でも政と戦いは別です」

 

「別なものか。どちらも戦いだ」

 

 等価だとまでは断言出来なかった。それだけが悔やまれる。

 

「隊長。作戦をください。この艦は、向かっているんでしょう? 例のコミューンに」

 

「それは……」

 

 口ごもる。彼らは理想の体現者。だというのに現実を背負わせていいものか。その僅かな逡巡の間にも、彼らは悟ったようであった。

 

「なに、不死鳥隊列は不死身です。ちょっとくらいへこたれたって、なんて事はないですよ」

 

 笑みの中に弱さを隠した声音であった。だがそれを諌める事も出来ない。畢竟、自分のやれる事だって限られている。上官ばかりに責任の押し付けなど不可能なのだ。

 

 自分も彼らからしてみればその上官の一部なのだから。

 

「すまない……。だが、やれるな?」

 

 同期した端末の情報に全員が挙手敬礼する。

 

 踵を整えたその敬礼にレジーナは返礼した。

 

「感謝する。だが、あえて言おう。……死ぬな」

 

《グラトニートウジャ》は進化を遂げ、未知数だ。撃墜の可能性もないわけではない。だが、彼らの眼差しに恐れはなかった。

 

「隊長、それこそ、なんて事はないですよ。我々は、いつだって前に出る心積もりは出来ています」

 

 その通りだ。自分だっていざとなれば艦の盾にでも喜んでなろう。

 

「戦おう。世界に仇なす、毒を排除するために」

 

 そして理想を手に入れるため――。

 

 不死鳥隊列は飛ぶ事を決意した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯265 騎士再臨

 

『何だって言うんだ! モリビトよりよっぽど厄介だぞ! あんなの……あんなのって……』

 

 バーゴイルの操主の声が焼きつく中、クリーチャーは人機を華麗に乗りこなし、一機、また一機と撃墜していった。その立ち振る舞い、流麗さはただの化け物のそれにしては一流を極めている。否、元の木阿弥だと言うべきだろうか。

 

 ベルは覚えず絶句していた。

 

「クリーチャーさん。あなた、本当は騎士だったの?」

 

 クリーチャーは応じない。ただ単純に敵を撃ち、その憎しみを吸い上げる。ハイアルファーの苗床となった身体はもう二度と元には戻るまい。それでも、守るべきものはある。六年も乗っていなかった愛機はすぐに馴染んだ。守るべきと信じた心が、悪魔の餌となって、再び扉を開いたのだ。

 

「……皮肉な。今の僕に、祖国を撃てというのか」

 

『撃て! あんな化け物の機体! 墜としてしまえェッ!』

 

「化け物じゃ……ないわ! クリーチャーさんは化け物なんかじゃ……!」

 

 通信機に叫び返したベルの声に兵士達が困惑する。

 

『少女の、声……。貴様……見損なったぞ! 化け物とは言え人の子を人質にするなど!』 

 

 その声の主のバーゴイルが猪突してくる。さながら騎士の心持ちであろう。《グラトニートウジャフリークス》はその無様で不格好な騎士の矜持を叩き壊す。

 

「……リバウンドエネルギーキャノン。連鎖砲撃……」

 

 黄色い光軸がバーゴイルの上半身と下半身を生き別れにさせた。それに留まらず、掃射されたリバウンドのエネルギーは一機の人機を破壊するだけで終息はしなかった。

 

「僕は……守り抜く……。今度こそ……全てをだ……!」

 

 クリーチャーの言葉振りにベルが目を見開く。

 

「すごいわ! クリーチャーさん! やっつけちゃって……! みんなみんな……こんな世界なんて」

 

「ベル……。本当に君の……」

 

 そこから先は聞けなかった。本当にベルの父親はガエルなのか。未だに信じられない。

 

 あの――自分の叔父を騙り、全てを奪い取った男がこの純粋無垢な少女の父親など。その血が流れているなど思うだけで吐き気がする。

 

「クリーチャーさん! 前を!」

 

 ベルが指差した地点よりプレッシャーライフルの一斉射が行われる。しかしクリーチャーは一顧だにしない。

 

「大丈夫……だ」

 

 機体表面にかかりかけたリバウンドの銃撃は反射膜として展開させたRトリガーフィールドが引き受けた。

 

 虹の皮膜に包まれ、エネルギーが霧散していく。

 

『こんな……! こんな機体があっていいはずが……!』

 

 敵兵のうろたえを通信越しに聞きつつ、クリーチャーが《グラトニートウジャフリークス》を駆け抜けさせた。

 

 その荷重は重力下ではあまりにも緩慢な動きへと直結する。だが、後ずさる事も出来ない敵からしてみれば驚異的であろう。

 

 顎の腕に噛み付かれたバーゴイルが火花を散らして軋みを上げる。

 

『い、嫌だ! 殺さないでくれぇ!』

 

「何よ! 今までクリーチャーさんを化け物扱いしたくせに命乞いなんて! 騎士にあるまじき事だとは思わないの!」

 

 ベルの叱責に今際の際の兵隊が侮蔑の言葉を投げる。聞いていられず、クリーチャーは敵人機を叩き潰した。

 

 その威容に、隊列がたじろぐ。

 

『あ、あれは……。隊長、我々だけではどうにも……』

 

『……バーゴイルを下がらせるしかないのか』

 

 敵が諦めるのならば自分はこのままコミューンを抜けて脱出すればいい。この箱庭から出れば、少しはマシかもしれない。

 

「……ベル。この……閉ざされた場所から出る。僕は。だが君まで……一緒に来る事は……ない」

 

 道連れは必要ないと断じた声にベルはこちらの手を包み込んだ。

 

 その双眸が濡れている。

 

「いや……。もう、何も信じられなくなったの。世界も、何もかも……。でもあなたは……! あたしの物語だった。何もないあたしに、物語を紡がせてくれた……恩人だもの。それに、何度も言ったでしょう? ……クリーチャーさん。あなたは綺麗。だから、あたしは最後まで見ていたい。一緒に……いたいの」

 

「……だが血濡れの……道だ。君は知らなくて……いい世界を知る……事になるだろう」

 

「それでもっ! あたしはあなたの物語を……もっと知りたい! もっと……傍にいて欲しい……」

 

 それがたとえ彼女に間違いを犯させるとしても。自分はその道を否定する事は出来ないのだろう。

 

 かつての自分のように全てに裏切られて、何もかもを失わせるわけにはいかない。もうあのような悲劇はうんざりであった。

 

「……分かった。行こう……」

 

《グラトニートウジャフリークス》が天蓋を睨む。推進システムに火を通し、上昇しようとした矢先であった。

 

「……高熱源。……来る」

 

 何が、という主語を欠いたままクリーチャーは機体を横滑りさせる。掃射されたミサイルが爆発の光を拡散させる間に、うろたえ気味であった隊列を引き裂いて新たな部隊がこちらへと接近してきた。

 

「金色の……バーゴイル?」

 

 黒カラス部隊とはまるで違う、金色の装甲を持ったバーゴイルがあり得ない速度で迫ってくる。超スピードの機体はバーゴイルを、旧機体を凌駕していた。

 

 先陣を切る機体の腰には二本の刀がマウントされていた。

 

 瞬時に鯉口が切られ、クリーチャーは顎の腕で受け止める。火花が激しく散り、こちらの装甲を敵の刃が引き裂くのが感触で伝わった。

 

 ベルが悲鳴を上げる。

 

「しっかり……掴まっていて!」

 

 クリーチャーがもう片方の腕に砲撃を充填させる間にも、敵機は滑り込むようにこちらの懐へと入り、即座に抜刀する。

 

 その居合い、その速度、全てが並大抵ではない。

 

 切断の銀糸が空間を射抜き、《グラトニートウジャフリークス》を圧倒する。機動力で劣るこちらでは相手の格闘戦術を上回る事は出来ない。

 

 逃げの一手に徹するしかないクリーチャーへと不意に接触回線が開かれた。

 

『……問う。貴様を殺せば、ゾル国が……祖国が蘇ると我々は聞かされている。その心持はどうか』

 

「何を……」

 

 言っているのだ、というのが正直な感想であったが、矢継ぎ早にコックピットを狙い澄ます敵の熟練度にクリーチャーは今までのような一コミューンの憲兵レベルの敵ではない事だけは察知した。

 

 ――この部隊は本物だ。本物の、強者が並び立つ戦場。

 

 ゆえに、たとえ一時でも気を緩められない。一斉掃射のプレッシャーライフルの光条を回避するために《グラトニートウジャフリークス》を後退させたが、機体重量が仇となった。

 

 その重さがために、飛翔高度に至れない機体が無様に大地を踏み締める。

 

 隙を逃す相手ではない。居合いの太刀が翻り、コックピットごと寸断する勢いが見舞われた。

 

 習い性で掲げた顎の腕が防御するも、実体兵器との対決においては無双を誇るはずの装甲が悲鳴を上げる。

 

「まさか……それほどまでの剣戟だとでも……」

 

『名乗っていなかったな。《バーゴイルフェネクス》。旧ゾル国……いいや、これから先の時代を牽引する新たなる国家の礎となる……人機だ!』

 

 敵兵の声が迸り、その剣閃の鋭さにクリーチャーは何度かRトリガーフィールドの実行を模索しかけるが、隙が大き過ぎるために断念していた。

 

 何よりも……と隣を窺う。

 

 ベルを危険に晒すような機動は避けたほうがいいだろう。現状でも彼女は人機酔いを起こしかけている。

 

 人機酔いは重症化すれば痙攣、失神を引き起こす。

 

 少女の身には苦痛でしかないだろう。

 

 機体に急上昇も、急加速もかけられないのはそれも起因している。

 

『そしてこの《フェネクス》は! 今までにない剣術を操る。覚えておけ。二天一流を!』

 

「二天……一流……」

 

 聞き覚えのない剣術が奔り、《グラトニートウジャフリークス》の関節部を狙う。この機体は関節を潰されれば即座に沈黙してしまう。

 

 すぐにでも対策を練らなければ打ち負けるのは明白であったが、事ここに至ってクリーチャーは覚悟出来なかった。

 

 覚悟して敵を討つと決めてもその先に待つのはベルを危険に晒す事のみ。大切な人だと決めた、守り通すのだと誓った。だからこそ、《グラトニートウジャフリークス》の真の力を発揮は出来ない。

 

 その先に待ち受けるのは……。

 

「……いいよ。クリーチャーさん」

 

 不意に弾けた言葉にクリーチャーは瞠目する。ベルはぎゅっと拳を握り締めて頷いていた。

 

「あたしが邪魔なら……気にしなくっていい。クリーチャーさんの信じる戦いをして。だって、どんな物語だってそうだもの。逆境がないのは、物語じゃない」

 

「だが……」

 

 困惑している間にも敵人機は的確にこちらの弱点を把握していた。懐からの抜刀。血塊炉への集中攻撃。格闘戦術に意識を割けば他の《フェネクス》からの援護射撃の餌食となる。かといって、速度をこれ以上落とす事も出来ない。

 

 逆も然り、であった。

 

 加速をかければ自分ならばまだしも、ベルの身の安全が……。

 

「あたし……逃げないよ。だからお願い。あたし達の物語を! ここで終わらせないで! クリーチャーさん!」

 

『終わりだ。その頭蓋、叩き割ってやろう!』

 

 振るい上げられた剣に、傍で咲いた小さな決意に――クリーチャーは覚悟を決めていた。

 

《グラトニートウジャフリークス》が発達した末端装甲に火を灯らせ、急加速する。

 

《フェネクス》をその体躯で打ち破り、その重量がかけられた体当たりは敵をうろたえさせた。

 

『貴様……っ』

 

「逃げない、逃げられない……、逃げちゃ、いけないんだ……!」

 

 遠吠えが《グラトニートウジャフリークス》と同期し、赤く染まったX字の眼窩がぎらつく。片腕を重量に任せて振るい、《フェネクス》を引き剥がした。

 

 瞬時に両腕を背面へと向ける。顎の内側から引き出された砲門からリバウンドエネルギーの瀑布が注ぎ込まれ、地表が赤く焼け爛れた。

 

 推進剤を追加点灯させ禁忌に染まった機体が急上昇する。

 

『嘗めるな! 《フェネクス》の速度は、かつてのモリビトの金色の力を限りなく再現したもの! 当然、その最大瞬間速度は――!』

 

《フェネクス》が瞬時に掻き消えた。どう見ても瞬間移動にしか映らないほどの急加速で《フェネクス》が背後を取る。

 

 勝った、と敵には確信させられただろう。

 

 そう錯覚するように、こちらは動いていた。

 

 背面が引き裂け、内側に充填された砲門が一斉に敵人機を狙い澄ます。

 

『まさか背後を取るのを最初から……』

 

「機体の……特性から、加速が、持ち味……なのは理解……出来ていた。バーゴイルに……乗っていたんだ。嫌でも、……分かる。粗雑なのは……戦闘……経験が、少ない、からか。トウジャと渡り合うのには……足りて、いない」

 

『ふざけるなァーッ!』

 

 刃が装甲の継ぎ目に入る。注意色に染まった一部を除き、全ての照準は敵機を捉えていた。

 

「ここで……墜ちろ」

 

 引き金を絞ろうとした、その時である。

 

 不意打ち気味の熱源警告がコックピットを劈く。白銀の槍の穂がこちらに向けて一目散に向かってきた。

 

 クリーチャーは面を上げてその一撃を回避する。次いでさらに熱源警告。

 

「……全方位攻撃……」

 

《グラトニートウジャフリークス》の新たに発達した部位が点火し、その装甲を犠牲にして制動をかけた。

 

 銀色の槍が一部を射抜いていく。

 

『この……攻撃は……』

 

《フェネクス》の操主も想定外であったようだ。しかし、クリーチャーには、この男が来る事はある程度予期されていた。

 

 かつてのモリビトタナトス、その発展機である漆黒のモリビトが赤い眼窩でこちらを睥睨する。

 

『……達す。旧ゾル国陣営に告ぐ。こちらの所属はガエル・シーザー。シーザー家の命により、その機体を断罪する』

 

「聞き間違えようがない……。その声……その口ぶり……六年前と……!」

 

 憤怒に染まったクリーチャーへとベルが声をかける。

 

「クリーチャー……さん?」

 

「殺す……コロ、ス……、コロス!」

 

 怒りで白熱化した脳内には傍にベルがいる、という事さえも関知の外であった。急加速を得た《グラトニートウジャフリークス》が操主への負荷を無視して敵機へと猪突する。

 

 その勢いを敵は殺そうと全方位より自律兵器を引き絞った。だがその軌道、その軌跡……。

 

「全てが……遅い!」

 

 Rトリガーフィールドのエネルギー球が自律兵器を絡め取る。虹の皮膜に包まれた自律兵器は自らの放出した銀色の光線の反射で自壊した。

 

 漆黒のモリビトが鎌の武装を振るい上げる。顎の腕を突き上げてその一閃を受け止めさせた。

 

『……再三告げるぞ。シーザー家の意向により、その機体は破壊する。破壊せねばならない』

 

「いつまで……いつまで三文芝居を続ける……つもりなんだ……。叔父……さん。いや、ガエル!」

 

 その怒号に敵は悟ったのか、声を弾ませた。

 

『……何だァ? オレの過去を知ってやがるのか。ともすれば、と思っていたがやっぱりだとはな。ええ? てめぇも生き意地が汚ぇと見えるぜ! せっかくバーゴイルの剣で両断してやったのによ!』

 

「あの時……僕は死んだ。死ぬはずだった。……だが運命は……簡単な終結を、望ませてくれなかった。この因縁を……そそぐべきだと! 僕に苦難を与えてくれた! 貴様を倒せと……! 運命の声が……聞こえたんだ!」

 

『ケッ……どっちが三文芝居だよ、クソッタレが。てめぇその姿形になってもまだ、広告塔を続けている気分らしいな。運命だァ? それに、オレを倒すだと? 笑わせてくれるぜ! てめぇはオレに、殺されるんだよ! カイル!』

 

 鉤十字の翼を構築していた自律兵器が宙を舞い、《グラトニートウジャフリークス》を包囲する。しかし相手はたったの二基。回避するのはそれほど難しくはないはずであった。

 

「嘗めて……Rトリガー……」

 

『おいおい! そう簡単に潰させるワケ、ねぇだろうが!』

 

 打ち下ろされた鎌の一閃に機体が震える。激震がコックピットを揺るがす中でクリーチャーは顎の腕を突き上げた。鎌を食い破ろうとするのを、敵機から射出されたワイヤーが遮断する。

 

「――いけない! ベル……」

 

『逝っちまいな!』

 

 プラズマの電磁がコックピットを伝導し、操主を焼き切ろうとする。クリーチャーは電子部品からベルを遠ざけ、自らその電撃の餌食となった。

 

 全身を貫く激痛に呻きが漏れる。

 

「クリーチャーさん!」

 

「来ちゃ……駄目だ、ベル……。君は、もう……」

 

『色ボケに首突っ込んだ怪物の気分はどうよ! どうせてめぇなんざ、あの時死ぬはずだったのによォ……何で生き残って旧ゾル国のコミューンに封印されたんだか、そういう経緯はどうだっていい。上が勝手に決めた事だろうからなァ。だが、てめぇは死ぬべきだ、色男。いや……もう怪物と言ったほうがいいか! その醜悪な姿じゃ、誰も愛しちゃくれねぇよ!』

 

 哄笑が通信網を満たす。クリーチャー自身もそれは予感していた。誰にも愛されはしない。この姿を愛する人間など、この世にいるものか。

 

 諦観の只中にある思考へと、声が割り込む。

 

「……違うわ。あたしは……あたしはクリーチャーさんの事が、大好きだもの! 愛されないだなんて、そんな事はあり得ないのよ! 誰だって愛される権利を持っているんだから!」

 

 ベルの張り上げた声にガエルは胡乱そうに返す。

 

『……どういうカラクリを使った? ハイアルファーによる洗脳か? 真っ当な人間がどうやったら、てめぇみたいなのを好きになるって言うんだよ』

 

「あたしは! ……愛されていなかった。誰にも! お父様、あなたにも! ……だから愛されなかった者同士……愛し合うの! それが間違っているって言うの?」

 

 ベルの必死の訴えにガエルは舌打ちを寄越す。

 

『おい、カイル。その脳みそまで色ボケに染まったガキぃ、どうにかしろ。絞め殺すなり何なり、な。この戦いには邪魔だ。てめぇの手で殺せ。分かってんだろ? この《モリビトサマエル》とやり合うのには、ガキは邪魔だって事くらいはよ』

 

 これ以上の戦闘を続けるのならば、ベルは逃がすべきだ。その声音にベルは頭を振る。

 

「いや……クリーチャーさん。傍に……居させて」

 

 決意を秘めた眼差しに何も言えなくなる。

 

 自分がどれほどまでに穢れて、どれほどまでに身勝手に成り下がっても、それでも愛してくれる人がいる。

 

 その現実はクリーチャーに操縦桿を握らせるのには充分な理由であった。

 

「……ガエル・シーザー。ここでは退けない。それにベルも……、ここからは退かせない」

 

『てめぇのエゴでガキを殺すかよ』

 

「違う! ……僕のエゴは確かだろうさ。だが、それでも! ……譲れないたった一つの……愛そのもののために、……僕は再び剣を取る!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯266 ただ愛のために

《グラトニートウジャフリークス》の眼窩が赤く煌く。その輝きを目にして、ガエルは興ざめだと声を投げた。

 

『いつまで正義気取りでいやがるんだか。……あの時死んで、清々したんだぜ? ああ、ようやく重石が消えてくれたってな。他の連中だってそうだ。ただの広告塔の優男一人、実戦で墜ちたところで誰が気にした? 誰かてめぇの安否を気遣ったヤツはいたか? 一人もいなかっただろうさ。そういう事なんだよ、カイル! いい加減に分かれよ。誰も! てめぇを望んじゃいねぇ! 誰もが! てめぇの代わりなんていくらでもいるって思ってるんだぜ。必要とされてねぇのさ。それでもやるか? それでも、もう正義の執行者に等しいこの《モリビトサマエル》に、楯突くって言うのか?』

 

 その通りかもしれない。自分は所詮、替えの利く広告塔。ただの優男であった。

 

 何一つ、戦場で取り戻せるものなんてなかった。誰かのために生きてきたつもりが、ただのわがままと自分勝手に糊塗した偽りとで固めた評価を拠り所にして生きてきた、醜い男の末路。

 

 全天候周モニターに醜悪な姿が反射している。

 

 ある意味では、この姿こそが自分の心を映し出した真の鏡。この醜い獣は自分がずっと飼っていたエゴそのもの。

 

 だがだからこそ――。

 

「……飼い慣らす。僕は……この醜さを……自分の持つ醜悪な側面を、飼い慣らしてみせる! 今度こそ……! 自分を見誤らない! そうでなければ……どうするって言うんだ! 誰が守るって言うんだ、自分の! 本当に守りたい……大切なものを!」

 

 自分以外で誰も守れまい。本当に守りたいものを胸に抱いた男の覚悟を通すのには、自分勝手に成り下がっても構わない。

 

 ただ退けない意地を胸に刻め。戦いの中でのみ輝く鋼鉄の信念を貫き通せ。

 

 その心根が伝わったのか、ベルが自分の手を握り返す。

 

「クリーチャーさん。……あたしも……信じたい」

 

 彼女も全てに裏切られた。自分を構築する全てに。だからこそ、この世界へと真に報復する権利がある。

 

 偽りと虚飾に塗れた世界へと吼え立てるだけの抗いを、心のど真ん中に持てるはずなのだ。

 

『……似た者同士だって言いてぇのか? そのガキとてめぇが? ……都合のいい解釈してんじゃねぇよ、ゴミクズが。自分を慰めるだけの戦いなんざ、他所でやれ! 行けよ、Rブリューナク!』

 

 空間を奔ったRブリューナクの光線を拡張したバーニアに点火させて回避させる。前面に張ったRトリガーフィールドの皮膜がリバウンド兵装を反射し、荷重の機体が《モリビトサマエル》へと襲いかかった。

 

 最早、野性を隠す必要性もない。

 

 雄叫びと共に《モリビトサマエル》と《グラトニートウジャフリークス》はもつれ合う。だが相手のほうが機動力は遥かに上であった。

 

 上方に逃れた敵機が頭上より拡散した白銀の槍の散弾を見舞う。雨のように降り注ぐ敵意の刃を愛機は受け止めた。

 

 命中する攻撃のみを判別し、的確にさばく。

 

『一端の兵隊で居たいのなら! 最初から正気気取ってんじゃねぇぞ!』

 

「気取りじゃ……ない! 僕は……怪物だ! クリーチャーだ! だがそれでも! 譲れぬ意地はある!」

 

『正義はこっちにあるって言うのによ……! 邪魔なんだよ、その考え! 墜ちろ、過去の残りカスが!』

 

「墜ちるのは……貴様だ……!」

 

 顎の腕が《モリビトサマエル》の一撃を捉え、直後に放出したリバウンドの砲撃が鎌を融かした。すぐさま武器を持ち替える事は出来なかったのだろう。

 

《モリビトサマエル》へと機体が圧し掛かる。単純な重量では負ける気がしない。

 

 機動力を削いだ《モリビトサマエル》から罵声が迸った。

 

『生意気なんだよ……、今も昔も! 目の前を飛び回るだけのハエが! 墜ちろ! Rブリューナク!』

 

 Rブリューナクが背面よりこちらを照準する。背筋が割れ、背面機関に装備された砲撃網がRブリューナクを迎撃しようとした。

 

 しかし、その光条は不意に宙へと踊り上がった金色のバーゴイルが阻止する。

 

「……《フェネクス》が?」

 

『上からの命令を受けた。ここでの優先順位は明らかに謎のトウジャタイプ。ゆえに助太刀する』

 

 防御装備を展開した《フェネクス》がRブリューナクを守り通す。

 

 ガエルが笑みの形に口角を吊り上げたのが見えてなくとも分かった。

 

『応援、感謝する。……カイル、これが世界だ』

 

 こんなものが世界だと言うのか。悪意が流転し、自分の正義のために殉じる者達が利用され続ける。

 

 こんなものが、世界だと断言していいのか。

 

 クリーチャーは奥歯を軋ませる。

 

 ――否。断じて否のはず。

 

「こんなところで……終われない! お前もそうだろう! 《グラトニートウジャフリークス》!」

 

 愛機の名前を叫んだ途端、オォン、と咆哮が漏れ聞こえた気がした。

 

 コックピット内部が赤く染まり、ハイアルファー【バアル・ゼブル】の血脈が全身へと至る。

 

 ハイアルファーの加護か、今までにない膂力を発揮した機体が《モリビトサマエル》を投げ飛ばした。

 

 制動用の推進剤を焚いて必死に持ち堪えようとする敵機へと、《グラトニートウジャフリークス》が追いすがる。

 

 その速度が黄金を纏い、瞬時に空間を駆け抜けた。

 

 空間跳躍にしか見えないほどの速度にガエルが歯噛みする。

 

『ファントム……! 最後の足掻きかよ、しゃらくせぇ! 潰れろ!』

 

《モリビトサマエル》が腰にマウントした刃を取り出し、こちらの眼窩へと押し込んだ。頭部コックピットが割れ、すぐ脇を刃が掠める。

 

 皮肉にも六年前の再現に、クリーチャーは吼え立てた。

 

「ここで……貴様は!」

 

『墜ちるのはてめぇだろうが!』

 

 Rブリューナクが降り立つ。懐へと潜り込んだ自律兵器が血塊炉を狙い澄ました。回避する術はない。

 

 だがそれでも。諦めを踏み越え、最後まで足掻き続けるのならば。

 

 血塊炉を打ち砕かされたところで、それは死ではない。

 

 明日へと続く希望の道の始まりだ。

 

「《グラトニートウジャフリークス》……! カイル・シーザー! 敵機を撃墜する!」

 

『化け物風情が! 騎士道気取ってんじゃねぇ!』

 

《モリビトサマエル》の装甲パーツが裏返り、内側から引き出されたのはプレッシャーソードを持った支持アームであった。支持アームが愛機の腹腔を引き裂く。

 

 レッドゾーンに達した機体だったが、クリーチャーは退かなかった。ここで退けば敗北する。

 

 敗北するだけの人生など、もう真っ平であった。

 

「僕は……ここで、勝利者に……なる!」

 

『クソ食らえだ! 敗北者が! 《モリビトサマエル》! 全身の隠し腕を展開! こいつを八つ裂きにしちまえ!』

 

 肩口に隠されていた新たなる武装が閃き、《グラトニートウジャフリークス》を掻っ切っていく。青い血が迸り、モニターが次々と暗黒に沈んでいった。

 

 それでも押し潰そうとする力を緩める事はない。

 

 顎の腕で《モリビトサマエル》の血塊炉を圧迫する。敵機も恐らくは警戒色に塗り固められているはずだ。それでも退けないのは相手も同じ。

 

 ここで自分を潰す以外の選択肢が与えられていないのだろう。

 

 脚部に隠されたプレッシャーソードが閃き、重厚な装甲の内側に存在する継ぎ目を切りさばく。分解寸前のアラートに、クリーチャーは操縦桿を押し込んでいた。

 

《モリビトサマエル》を顎の腕が持ち上げ、挟み込んだ部分から粉砕しようとする。

 

 軋みを上げる鋼鉄に《モリビトサマエル》が片手を払った。

 

 まだ生き延びていたRブリューナクが眼前に迫る。

 

 白銀の槍が攻撃性能を帯び、コックピットへと突き刺さろうとした。

 

『焼け死ね! 化け物が!』

 

 咄嗟の判断は自分でも信じ難かった。クリーチャーは攻撃でも回避でもなく、迫り来る死の感覚に、ベルを抱き留めていた。

 

 禁断でもいい。

 

 許されなくっても構わない。

 

 ただ最後に、愛しい人と触れ合えるだけの時間が欲しかった。

 

「ベル……」

 

「クリーチャー……さん」

 

 この罪に塗れた身体を煉獄の灼熱が射抜く――そのはずであった。

 

 割って入った《フェネクス》の剣がRブリューナクを叩き割るまでは。

 

 一機の《フェネクス》が断罪の刃を振るい、二基のRブリューナクを打ち落とす。その光景に、クリーチャーは茫然自失の状態であった。

 

 ガエルも信じられないような声を発する。

 

『……味方機のはずだが』

 

『……やはり自分は。何かを犠牲にしなければならない平和なんて、甘受出来ない。たとえ! たとえこの人機を撃墜すれば絶対に! ゾル国が復興したとしても! 守るべきものくらいは自分で信じ抜きたい! それだけなんだ!』

 

 感情の堰を切ったかのような声音に《モリビトサマエル》を操るガエルは、機体を上昇させた。他の《フェネクス》は事態を飲み込めていないのか、狙撃位置から動けないでいる。

 

 自分達を守ったのはたった一機の《フェネクス》だ。先ほど二天一流を示した《フェネクス》が刃を払い、《モリビトサマエル》へと攻撃を見舞う。

 

 敵機の隠し腕による斬撃を物ともせず、《フェネクス》はその懐へと入った。滑り込むように刃を沿わせる。

 

『やらせるかよ!』

 

 隠し腕よりプレッシャーソードを受け取った《モリビトサマエル》がその剣筋を番えた。干渉波のスパークが散り、二機を照らし出す。

 

『こちら、ガエル・シーザー。どういう事か。こちらはゾル国の意向で動いている。その御許に反逆の刃を向けるとなれば、その意味くらいは分かるはず』

 

 ガエルが声音を整えて口にする。虚飾だ、と口にしようとして、通信が割って入った。

 

『……自分達は祖国のために戦ってきた。たとえ、それがもうこの世に存在しなくとも。望んでいはいけないものなのだと! 誰かに幾度となく諭されてきたとしても! それでも! 自分達には心の故郷が必要だった。だが……心の故郷を求め続けた果てに誰かのふるさとを破壊するのは……それは間違っている。蹂躙者ではないはずなんだ! この金色のバーゴイル《フェネクス》は!』

 

『理想論だ。それで国家は形成出来ない』

 

『それは……』

 

 声を詰まらせた《フェネクス》の操主にガエルは促す。

 

『見ろ。あの醜く、肥え太ったトウジャを。あんなものに、我々の居場所を奪われていいのか? あんなもののために、これまで培ってきた不死鳥隊列の経歴に泥を塗ってもいいのか? シーザー家の威光ならばすぐにでも国家機密重要案件を取り付けられる。その方法は、分かっているだろう?』

 

 クリーチャーは歯噛みする。そう、簡単な事なのだ。ここで自分達に切っ先を向け、《モリビトサマエル》に味方するだけでいい。

 

 それだけで罪は帳消しになる。

 

 しかし《フェネクス》の操主は譲らなかった。それどころか、推力を上げて《モリビトサマエル》を押し込もうとする。

 

『……理屈と、理想は違うものなのです。自分は! 理想に生きたい! 理想の中で、この黄金の人機と共に羽ばたきたいんです! その羽ばたくべき場所は、その方の傍ではない!』

 

 発せられた言葉にガエルでさえも暫時、押し黙ったのが伝わる。しかし、このような手合い、彼は慣れているはずだ。

 

『そう、か……。残念だ。聴こえているな? 各員。不死鳥隊列の切り込み役、レジーナ・シーア中尉は地に堕ちた。貴公らのやるべき事は分かるな?』

 

 問われるまでもないのだろう。一機の《フェネクス》がプレッシャーライフルを引き絞る。

 

 光条を回避した隊長機の《フェネクス》へと隊列の二機が炸薬を浴びせかけた。煙る視界を引き裂いて《モリビトサマエル》が肉薄する。

 

『賢いのは部下のほうであったようだ。それで? どうしてこちらに反抗する?』

 

『知れた事……、モリビトは……敵だ』

 

 その言葉にガエルはいつもの調子ならば哄笑を返していたのだろうが、局面が局面のためか、静かな声が返答に用いられた。

 

『モリビトの一部は我が方に下った。ブルブラッドキャリアの一部組織の離反、その技術をオープンソースに。六年前のノウハウが生きた、というだけの話』

 

『だが自分は! モリビトを破壊しろと命じられた! 他でもない、あの人に! ブルーガーデン跡地で切り詰めるだけの戦場を歩んでいた自分達を拾ってくれたのは……レミィ殿だ! そうだろう!』

 

 隊長の張り上げた声に他の機体が僅かにうろたえたのが伝わった。

 

『……隊長。ですがこれは国家の命令です』

 

『それがどうした? 自分達は使命を授かった! 不死鳥隊列の名の通り、死しても灰から蘇ってみせる! それくらいの気概であったはずだろう?』

 

 隊長機の《フェネクス》の説得はこの戦場に虚しく残響するのみであった。

 

『……全機に告ぐ。やるべき事は分かるな? 《フェネクス》指揮官機、及び眼前のトウジャタイプを駆逐する。こちらのサインに従え』

 

《モリビトサマエル》が指揮棒を振るうかのように指示すると、《フェネクス》が一斉に動き出した。クリーチャーは覚えず声を吹き込む。

 

「……よかったのか」

 

『もとより、疑問はあった。それを解消するためには一度、問い質さなければならない。その理由付けをしただけだ。部下達に志が伝わっていなかったのだけは、悔恨の一言だが』

 

 プレッシャーライフルの照準警告が《フェネクス》を狙い澄ます。クリーチャーは《グラトニートウジャフリークス》を前に出させてリバウンドの光線を受け止めた。突飛な行動に映ったのだろう。

 

『どうして……。助ける義理はないはずだ。先ほどまでは殺し合いの関係だった』

 

「確かに、……そうかもしれない。だが、……もう共闘だ。理由なんて、目指す方向次第なんじゃないか? きっと、それが見えただけでも、よかったんだ」

 

『目指す……自分の目指したい、方向は……』

 

 急降下した《フェネクス》が実体剣を引き抜く。だが、隊長機のそれと比べれば雲泥の差であった。あまりに遅い太刀筋に浅く踏み込んだだけのこちらが勝ってしまう。

 

 顎の腕で距離を突き上げて距離を取らせた刹那、背面に装填されたリバウンドビーム砲が網のように空間を奔る。

 

《フェネクス》の血塊炉を狙った一撃であったが、敵機の離脱速度はあまりにも素早い。

 

 こちらが照準した時にはもう離脱に入っている。

 

「余裕が……ある。冷静になれば……これほどやりにくい相手もない……か」

 

『そこは尽力してくれ。こちらとて慣れない相手だ』

 

 鯉口を切った《フェネクス》が見据えた先には《モリビトサマエル》の姿があった。超然とした佇まいで飛翔する《モリビトサマエル》を《フェネクス》は突きつけた刃と共に声にする。

 

『モリビト! 貴様が踏みにじったのは自分だけではない。我が方全ての自尊心と誇りだ! 不死鳥隊列を、よくも穢したな』

 

『穢した、だァ? 吼えられるねェ、三下。てめぇの部下は従順だぜ? 分不相応ってヤツを分かってる』

 

 突然に声音が変わったから混乱しているのだろう。《フェネクス》の操主にクリーチャーは語りかけていた。

 

「あれが……奴のやり方なんだ。僕も昔、死にかけた……。奴を妄信した……ばかりに」

 

『その末路がその声か……?』

 

 問い質された現実に言葉を返せないでいると、相手が謝罪した。

 

『……いや、そんな些事にこだわっている場合でもないな。今は、目的は一つ』

 

「《モリビトサマエル》……。シーザー家の威光を絞り取るハイエナめ。ここで破壊する!」

 

『出来るのかねぇ。こっちにゃ、頼んでもいねぇのに最新鋭の人機が一個小隊。さらに言えば、そこにいる太っちょのトウジャはお荷物だぜ? オレとタイマンするにはよォ!』

 

『……どうかな。二天一流――閃くぞ!』

 

《モリビトサマエル》の剣筋を受け止めた《フェネクス》が一気に血塊炉を叩き割ろうとする。だがその動きは読めないほどの巧妙さでない。むしろ稚拙をにおわせた。

 

 相手の言葉をねじ伏せるためだけの反撃は見えやすい。

 

 見透かされた一閃を跳躍し、《モリビトサマエル》が自律兵器を放つ。

 

『行けよ! Rブリューナク!』

 

 白銀の槍の穂が《フェネクス》の肩口へと突き刺さりかけた。だが、変幻自在のその動きを、まるで掌握しているかのように《フェネクス》は機動する。

 

『存外、全方位攻撃というのは見えやすい。焦っているのはお互い様のようだな』

 

 クリーチャーはあちらの戦いを気にする必要はないと判じ、刃を打ち下ろしてきた《フェネクス》一機と組み合う。

 

 顎の腕が開き、砲門からリバウンドのエネルギー波が充填されるが、チャージを邪魔したのは背後からのプレッシャーライフルの一撃であった。ベルが悲鳴を上げる。

 

「ひどいっ! 寄ってたかって……」

 

「だが……これが戦場だ」

 

 クリーチャーは実質的に稼動している敵の数を反芻する。数名かは隊長とガエルの板ばさみで苦しんでいるはず。その兵士の隙をつければ、突破口は開けるだろう。

 

 ――だが問題なのは。

 

「増援……、これ以上《フェネクス》を増やされればさしもの《グラトニートウジャフリークス》でも……」

 

『その心配はない。《フェネクス》はこれで全機だ。元々、殲滅戦の構えだったのだからな』

 

 その声音にはどこか憔悴の色が窺えた。部下に裏切られた相手操主としてみれば、せっかくの理念、大義を果たす場を台無しにしたことになる。

 

「……その、すまなかった」

 

『何故、謝る? ……いずれにしたところで自分達の舵を取れない時点で、我々として終わりは見えていたさ。それに、倒すべき悪を見据えられた。それだけでも充分だ』

 

 その切っ先が《モリビトサマエル》へと突き刺さりかける。しかし、ガエルは鎌を突き上げてその一閃を弾き返した。

 

『戦闘経験値って言うのは分かりやすいもんだ。素人童貞じゃ、どうしようもねぇのと同じでなァ!』

 

『……口を閉じていろ。英雄に化けた人間のカスが』

 

 Rブリューナクの白銀の輝きを回避し、《フェネクス》が《モリビトサマエル》へと王手をかけるべく挙動する。

 

 今はこちらの戦闘だ、とクリーチャーは切り替えた。

 

 取り囲んでいる敵機を振り払えるような推進力は残っていない。指揮官機《フェネクス》共々、どうにか出来そうな時間は限られている。

 

「……突破口はないのか……」

 

 操縦桿を握り、悔恨に歯噛みするクリーチャーへと《フェネクス》が攻撃を仕掛ける。二天一流の剣術は指揮官機だけの特権なのか、他の《フェネクス》が接近戦に打って出ないのは、こちらの高出力R兵装を理解しているからだろう。

 

 あるいは、指揮官の唐突な裏切りに頭がついてきていないのか。いずれにせよ、好機ではあった。

 

「……指揮官機に告ぐ。僕らは……何とかしてこのコミューンを突破したい。……だが、……逃がしてくれるほどの悠長な相手ではないのは……」

 

『ああ、折り紙つきだろう。獲物を逃がすな、と教え込んでいる』

 

 クリーチャーは次の一手を判じかねる。《フェネクス》部隊を振り切ってコミューンの外に出たところで、あるのは汚染大気とどこまでも広がる茫漠とした砂漠地帯。それが旧ゾル国コミューン、トリアナに残された資産そのものだろう。

 

 だがどこへ逃げたところで、今の兵力ならば容易に追いつけるはず。六年前の骨董品の機体では、逃げ切る事さえも難しいかもしれない。

 

 何よりも――、とクリーチャーはベルを視野に入れる。

 

 彼女をこれ以上の地獄へと道連れにさせるわけにはいかない。

 

 自分の因縁は自分でそそぐべきだ。

 

「……ベル。最後の……警告だ。この……トリアナを、出るしかない。このコミューンにいれば、僕は逃れられない。……だがここから出ても、待っているのは分かりやすい形の地獄だけだ。空気は汚染され、青に染まった大地と大気がどこまでも広がる不毛地帯……。君にこれ以上、辛い目を見せたくは……」

 

 そこから先を遮ったのはベルの張り手であった。

 

 クリーチャーは目を白黒させる。涙目のベルが声を張り上げた。

 

「バカっ! バカバカバカ! クリーチャーさんのバカぁーっ! あたしは! 物語が始まる事を予感してここまで来たの! それに……もう籠の鳥は嫌……。ここから連れ出してくれるのは……あなたの手だけなのに……」

 

 そうであった、とクリーチャーは頭を振る。

 

 彼女を失望させてはならない。自分も男だ。腹に決めた信念くらいは貫き通したい。

 

「……ゴメンよ。また君を……傷つけた……」

 

 その答えにベルは微笑む。

 

「クリーチャーさんは……本当はとても優しいから。ねぇ、聞かせて。逃げている途中でもいい。あなたの物語を」

 

 これから先に紡ぐための物語を言葉にするのには、幾星霜の時間が必要だろう。

 

 自分が人間を捨てていた時間、決して戻らないのだと思い込んで、悲観して、何もかもを絶望の果てに置いていた諦めの時間。

 

 それらが戻ってくる。清算出来る。誰かのためではなく、自分のために。未来のために、戦えるのだと。再び選び取れるのだと知ったのだから。

 

 だから、この爪は。この化け物の手は、騎士の剣へと変わるはずだ。

 

 クリーチャーは飛翔する《フェネクス》を睨み据えた。

 

「……ありがとう。これで後腐れなく……戦い抜ける。そうだ、逃げちゃ、いけないんだ」

 

《フェネクス》の引き絞ったプレッシャーライフルの光条に、《グラトニートウジャフリークス》が吼える。

 

 ここで退いて何になる? ここで敗北すれば全てが水泡に帰す。

 

 今は戦い抜くしかない。たとえこの先の未来が闇に閉ざされていても、それでもしゃにむに前を向く事だけが、戦い続ける条件だ。

 

「……行くぞ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯267 行き着く果て

 やり辛い相手、というのがガエルの持った感想であった。

 

 実体剣二本による近接格闘戦法。ほとんど《モリビトサマエル》と大差ないほどの使い手であったが、それでもやり辛さが先に立ったのは現行のバーゴイルとまるで異なるその速度であった。

 

「……右にいたと思えば、もう左に居やがる……。《バーゴイルフェネクス》、ってぇ名前だったが、ほとんど別物だな。バーゴイルのフレームを流用しただけの新型……いや、この感覚は……」

 

 そうだ。自分はこれに一番近い感触を既に体感している。その符号に覚えず舌打ちが漏れた。

 

「……モリビト。そうだ。この感じ……マジにブルブラッドなんたらのモリビトとそっくりだ。やり辛いわけだぜ。こんな機体を兵力が揃っていないとは言え、旧ゾル国陣営が揃えたってなれば、上は穏やかじゃねぇだろうな」

 

『余所見をすると!』

 

 剣先が《モリビトサマエル》の肩口を削ごうとする。その抜刀の才はまさしく本物だ。

 

 本物の強者の剣。その真価をまじまじと感じさせられる。だがそれゆえに……分からない事が多かった。

 

 ガエルは眼前の《フェネクス》に直通回線を繋ぐ。

 

「……おい、てめぇ。さっき湧いた事言ってやがったな? レミィとかいう……」

 

『そうだ、レミィ殿は自分達を……終わるだけの国家からすくい上げてくださった、恩人……いいや、心の師範だ!』

 

 交差した刃にガエルはフッと笑みを浮かべる。

 

「だとすりゃ……随分に愚かしいもんだ。そのレミィっての、オレは知ってるぜ? そいつの最期も、な」

 

『世迷言を。あのお方はブルブラッドキャリアとの大戦で高潔に散ったはず。貴様のような悪辣な輩が知っているものか!』

 

 突きの一撃を後退して回避しつつ、ガエルは口笛を吹かす。

 

「随分とトばすねぇ。だが、これはマジに事実だぜ? あのレミィと同一人物だとすれば、な」

 

『……貴様の物言いなど、全てまやかし……心の曇りに過ぎない!』

 

《モリビトサマエル》が鎌を振るい上げ、連鎖する剣術を叩き返す。

 

「……そうかな? レミィっての、オレは知ってる。よく知ってる。何せ、そいつの最期の戦場、オレもいたんだからな。こいつの元の機体……《モリビトタナトス》と共に」

 

 そう、「あの」レミィの事を言っているのであれば、自分ほどの生き証人もいまい。元老院コンピュータから逃れ、災厄の箱を開いた大罪人。

 

 眼前の戦士がレミィを信奉するのであるのならば。

 

『……それは初耳だな。《モリビトタナトス》はブルブラッドキャリアの我が方への貢献の証だと聞いていたが』

 

「騙されてんのさ。あの時は、世界中の誰もが、だったがな。真実を知っていたのはオレや一部の特権層と、それにブルブラッドなんたらそのもんだっただろうな。《モリビトタナトス》を操ってオレは最後の戦場に繰り出していた。その時、同時展開していた大型人機がいてな。名前を《キリビトエルダー》。聞いた事がないわけじゃないだろ? てめぇがゾル国を信じるっていうんなら、特に」

 

 敵の剣筋が止まる。殺意が凪いだのが伝わってきた。

 

 少しは話が通用する相手か、とガエルは余裕を滲ませる。

 

『《キリビトエルダー》……だと』

 

「因縁の名前だろ? なにせ……こいつのせいでてめぇらの国は今の状況に甘んじているんだからな。百五十年前の禁忌を超える事……この虹の空に穴を開けちまった、ここ最近じゃ、一番の大罪の話だ!」

 

『その《キリビトエルダー》と、レミィ殿に何の関係が……』

 

 そこまで喋って相手も悟ったのだろう。通信に浮かんだ沈黙に、ガエルは是を返す。

 

「……そうさ。そのまさかよ。《キリビトエルダー》にゃ、レミィが乗っていた。何のためだと思う?」

 

『……繰り言に、今は惑わされている場合では!』

 

 突き抜けてくる敵機だが先ほどまでの剣の冴えが鈍っている。心に迷いが生まれた証拠であった。

 

「そうか? 大分、重要な事だと思うがな。質問に答えろよ。何のために、どうしてレミィが《キリビトエルダー》なんていう、とんでもねぇ破壊兵器に乗っていたのか」

 

『だから……それが嘘だと!』

 

 突き上げた剣に殺意はみなぎっているものの、やはり一線が足りていない。一度でも迷いの只中に入れば後は容易いものだ。

 

「教えてやるよ。レミィってのは元々、この星を裏から支配していた組織……元老院のメンバーだった。だがそいつらを見限り、キリビトタイプの力に酔いしれて大罪の蓋を開けちまった。その結果がてめぇらが割を食わされてるんだってなりゃ……こいつは笑えてくるな! おい!」

 

『黙れ!』

 

 刃が軋るがあまりにも遅い。どこかで認めてしまったほうが楽な面もあるのだろう。

 

「……賢くないぜ? 分かり切っている事を反芻するなんてよ。てめぇらゾル国陣営がこの六年……六年も、だ! そんな時間、辛酸を舐めさせられ、世界のトップから転がり落ちた原因そのものが! 自分達の尊敬する人間が引き起こした、最悪の罪だったなんてなァ!」

 

『黙れェッ!』

 

 二刀に宿った殺意は先ほどまでよりも苛烈になった。ここで否定しなければ、自分達の存在意義が揺さぶられるところまで来たのだ。相手も相当焦っているはず。

 

 自分を撃墜して口を塞ぐしか、起こってしまった悲劇を収束させる方法はないのだと、理解し切っているはずだ。

 

 なればこそ、敵の刃は殺しにかかってくる。これまでよりもずっと本気で。

 

 その時にこそ、恍惚はある、とガエルは口角を吊り上げていた。

 

 憎しみ、怒り、どうしようもない嫌悪と憎悪。それが渦巻く戦場――。

 

 自分に相応しい箱庭。自分が生まれた場所であり、死に場所だと規定している小さな小さな願望。

 

 それが目の前で膨れ上がる瞬間をまざまざと見せ付けられる事ほど、こちらの喜びに勝るものはない。

 

 殺意を増幅させた《フェネクス》の使い手にガエルは挑発する。

 

「来いよ。戦えばハッキリする。だろ?」

 

『……ああ、そうだ。戦えばハッキリする。嘘を言っているのはどちらなのか……世界に相応しい真実の担い手は! どちらなのかを!』

 

「真実の担い手たァ、とんだ茶番を口にしやがるぜ! てめぇらもう、嘘の延長線上で動いてんだよォ!」

 

『引き裂いてやる!』

 

《フェネクス》が刃を下ろし、推進剤を全開に設定してこちらへと急接近する。ガエルも《モリビトサマエル》を走らせていた。

 

 お互いのエゴを抱いてぶつかり合い、果てにエゴの塊に成り果てるのはどちらなのか。

 

 見物だ、と愉悦に口元を綻ばせた、その時であった。

 

 不意に小さなシステムエラーが全天候周モニターの一点に現れる。

 

「……ンだよ。いい時にバグか?」

 

 スキップさせたが、その一つの状態異常が瞬く間に膨れ上がり、直後には視界を埋め尽くしていた。

 

 赤と黒の警戒ウィンドウが前面を満たす。

 

「な……ンだ、これ……」

 

 映し出されたのは「接続切れ」の文字列。しかし何との接続が切れたというのか。自分は誰も信用していないはずなのに。

 

 脳裏に閃いたのは一つの事実であった。

 

「まさか……バベルか?」

 

 その現実を反芻する前に、《フェネクス》の操主が声を張り上げる。

 

『死ねェッ! 国家のために!』

 

 エラー警告の合間を《フェネクス》の黄金の機体が刃を振り上げる。ガエルに確認出来たのは、そこまでであった。

 

「……へっ、やるじゃねぇか」

 

 自分でも笑えてしまう。最後の最後に出た台詞が敵への賞賛など。

 

 閃いた剣が《モリビトサマエル》の機体を直後、寸断していた。

 

 機体の半分を持っていかれた、という警告にガエルは舌打ちする。

 

「……ンだよ、簡単に死なせてもくれねぇのか……」

 

 一撃で相手の刃が頭部を割ると思っていただけに拍子抜けであった。コックピットは無事だ。

 

 機体が深刻なダメージを受けただけである。だが、返す刀のもう一刀が入れば話は変わってくる。

 

 次こそ終わりは免れまい。

 

 だが、これでもいいか、とガエルは感じていた。

 

 戦場で死ねる。それだけで、今は、と閉じかけていた意識を無理やり引き起こしたのは見知った声であった。

 

『……えているか。聞こえているか、ガエル・ローレンツ』

 

「……死に際くらい、静かにしてくれよ、水無瀬さんよォ……」

 

『生きているな。《モリビトサマエル》だけではない。今、この瞬間、地上のバベルが完全に掌握された。それを察知したレギオンは大慌てだ。火消しにレイコンマ二秒とかからないと試算していた連中は状況が三秒以上好転しない事でようやく重大なエラーを理解したらしい』

 

 水無瀬の声が浮いて聞こえる。普段からまともには取り合おうとしていないが、今日は余計にであった。

 

 身体から意識が遊離しかけている。おかしい、と自分の身体に視線を投じて気づく。

 

 砕けたモニターのガラス片が無数に突き刺さり、血を滲ませていた。大型のものが心臓を貫いている。

 

「……そりゃあ……意識も薄らぐわけだ」

 

『ガエル・ローレンツ。聞こえていれば今すぐに離脱しろ。君の《モリビトサマエル》だけではない。アンヘルのトウジャも、バベルネットワークに接続されていた世界中の諜報端末も全て、だ。全てが静止した。何が起こったのかは調査中だが、レギオンが動けない状態であるのは確実。現在地は……コミューン、トリアナか。作戦行動を中断しろ。《モリビトサマエル》は必要な駒だ。そうだろう?』

 

「ああ……うっせぇ、うっせぇな。死に際にガーガー喚くなよ」

 

 しかし、と改めて心臓を貫いたガラス片を見やる。そのあまりのスケール比に覚えず笑えて来た。

 

「こんなもんで、人間って死ぬんだな。傑作……」

 

 しかし今さら反芻するまでもないだろう。第一関節ほどもない銃弾一発で、人は死ぬ。そんな事、何度も叩き込んできたクチだろうに。

 

『しっかりしろ! 《モリビトサマエル》をオート操縦モードに切り替える。わたしの権限を潜ませておいて正解だった。調停者権限はブルブラッドキャリアの独占事項だ。ゆえにこの状態でも《モリビトサマエル》を帰す事くらいは……。死ぬんじゃないぞ、ガエル。君の野心をこんなところで終わらせるのは、わたしとしても忍びない』

 

「……ンなの……どうだっていいだろうが、よ……。こんなに静かなんだな、死ぬ前って……。ああ、煙草が吸いてぇな。ウマイ煙草が……」

 

《モリビトサマエル》が壊れた操り人形のように浮き上がる。

 

 そこから先を、ガエルは記憶していなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯268 彼女の道

 別段、気にしてやる必要もない。そう、林檎は判断していたのだが、艦の連中がこぞって鉄菜の身体の異常を気にした事に舌打ちを漏らしていた。

 

「……裸で見つかったから、何だって言うんだよ」

 

 こぼした愚痴に林檎は壁を殴りつける。結局、《ゴフェル》の面々を困らせただけの鉄菜が賞賛されて、自分達の戦いは無視される。

 

 それだけは看過出来なかった。

 

 ニナイに文句でも、と歩みかけた矢先、見慣れた白衣の男が割って入る。

 

「リードマン……。何さ。ボクのやり方に意見でも?」

 

「意見はないが、医務室の壁を叩くとせっかく寝静まった患者が起きる。人造血続の心肺機能を余計な事に使っている場合か?」

 

 そう言われて、林檎は隣接する医務室に壁が繋がっている事を意識した。羞恥の念が湧き上がってくるが、それ以上に怒りが思考を白熱化させた。

 

「どいつもこいつも……! 鉄菜、鉄菜って……! あの旧式と! ボクとで何が違うのさ! もう心がどうだとかそういう事じゃないだろう! 裸で見つかった? 単身だったのがそんなに心配? そんなの、ただの欠陥品じゃん! どうしてみんなして庇うんだよ!」

 

 堰を切ったかのような不満の声は止め処なかった。リードマンが黙って聞いていたせいもあるのかもしれない。

 

「大体……最初っから気に食わなかった。《モリビトシン》だって骨董品だ。あんなものに乗れたから、じゃあ何が優秀だって? 《イドラオルガノン》のほうが強い! それに、ボクのほうが何倍もずっと強いはずだ! それを設計したのは、キミ達研究者だろうに! 反証されて嬉しいの? そういうのが好きだって言うの? ……そんなの、とんだマゾヒスト! 欠陥品同士で、肩を並べ合って……!」

 

「そこまでにしておいたほうがいい。言わなくていい事もある」

 

 制す声音であったわけでもない。ただ、純粋にそこまでならば話を聞く、という態度であった。

 

 ハッとした林檎はまごつく。リードマンがニナイにでも告げ口すれば、自分は終わりだ。いやそうでなくとも、報告書の体でルイにでも提出されれば《イドラオルガノン》に乗る事への失格の烙印を押されるだろう。

 

 だが、林檎は歯噛みした。自身の至らなさだけではない。どうして、運命はこうも自分を突き放すのだ、という、身を焼く怒りであった。

 

「……ボク達は悪くない」

 

 そんな、抗弁にもならない言葉しか発せられない。しかしリードマンは真摯に耳を傾けていた。

 

「そうだな、悪くはない。性能面で、ミキタカ姉妹を非難するのは間違っている。それに、鉄菜を特別だと祀り上げるのも。鉄菜のやった事は下策とも言える。単身で地上にいるだけでも危ういのに、《クリオネルディバイダー》との連携を切った。その背景には今、医務室にいる瑞葉君を危険に晒すまいという精神があったのだろうが、本来ならばそんな神経は切り捨てるべきだ。それがモリビトの執行者として正しくもある」

 

 林檎は毒気を抜かれた気分であった。リードマンの言説は全てにおいて正しく、自分の主張が通っていないという前提を突き崩す。

 

 分かっているのに、という別の怒りがふつふつと湧いてきた。分かっているのに、それをよしとしているのか。

 

 分かっていないよりも性質が悪い。

 

「……それだけ言えるのに、何でこんな状態なのさ。あの旧式の担当官だろ。贔屓しているんじゃないのか」

 

「それを言われてしまえば立つ瀬もない。鉄菜……彼女に入れ込んでいるのは間違いないだろう。鉄菜は、たった一人の、人機の未来と惑星の罪を本気で贖おうとした彼女の……忘れ形見だからだ」

 

 その彼女とやらがブルブラッドキャリア全体の目を曇らせているというのか。林檎は鼻を鳴らす。

 

「……とんだ、食わせ物じゃないか。旧式なのに持て囃されるのは、それが理由?」

 

「勘違いをしないで欲しいのは、鉄菜はかつて、君と似たような事を、我々にも言っていた、という事実だ」

 

 思わぬ返答に林檎は絶句する。

 

「……あの旧式が? ボクと?」

 

 リードマンの伏せ気味の瞳がこちらに向けられる。どこか遠くを望むような眼差しに、過去を回顧しているのが窺えた。

 

「鉄菜は、ブルブラッドキャリアの執行者として、全ての記憶を抹消された……いわばパッケージの状態で納品された。惑星に初めて降りた時、彼女の思考を占めていたのは星の人機を駆逐する事と、現状の国家基盤の破壊、つまりは執行者としての責務のみであったと、記録上には存在している」

 

「……ゴロウか」

 

「その当時、ゴロウという名前ではなかった。ジロウという、鉄菜の足りない部分を補完するためのシステムAI人格が入っていた。だが、今の彼女を形成したのはそのジロウとの否応のない別れと、そして散っていった仲間へと抱いた想いそのものだろう。鉄菜は冷徹な機械として……自分を、青い血の流れる人機と大差ない破壊兵器だと規定していた。ともすれば、今もその基本は変わらないのかもしれないが」

 

「……人機と同じだって言うんなら、造物主の命令は聞かないとおかしい」

 

 鉄菜の持ち得た信頼はそのようにマシンインターフェイスのみだとは考え辛い。何かカラクリでもあったはずだ。そう疑ってかかった林檎にリードマンはそっと頭を振る。

 

 小さな間違いを是正するかのような口調であった。

 

「鉄菜は、兵器ではなかった。僕はそう思っている。だが、彼女は今、板ばさみになっている事だろう。六年間……そう、六年もの間だ。そんな期間、何も考えずに戦い抜けたものか。製造年数で言えば、彼女の年齢はまだ十年にも満たない。だというのに、たった独り、惑星での孤独な戦場を生き抜いた。きっと兵器では出来ない夜や、戦場だってあったはずだ。それを超えた鉄菜は、もうヒトであるべきだ。決して人機なんかじゃない」

 

「……それは、そっちの勝手な憶測や、押し付けじゃん」

 

「かもしれない。だが、鉄菜は我々のエゴも含めて、その双肩に背負っている。背負う事を決めたからこそ、僕らは無条件に信じられる。女の子一人に覚悟させた愚かしさを、僕らは認識しなければならない」

 

「何、それ。そんなの、おかしい。おかしいじゃん。だって、執行者は戦うためだけにいるはず……戦う以外なんて、ないはずなんだ。ボクだってそうだ。《イドラオルガノン》でどこまでだって戦い抜いてやる。それを評価すると言うのなら、喜んで地獄みたいな戦場だって繰り出してみせる! それくらいの覚悟は持っているはずなのに……何で」

 

 何で、自分が評価されず、鉄菜ばかりなのだ。

 

 その隔絶がどうしようもなく許せない。

 

 浮き彫りになった剥き出しの嫉妬心にリードマンは口にしていた。

 

「それも、人間らしい感情だ。誇っていい。鉄菜は、その獲得がまだ不充分なのだと、僕の目からしてみれば映る。まだ、人間に成り切れていないんだ。だから、みんな支えたい。人間に必死でなろうとする彼女を、どうして拒否出来るだろう。僕は応援したい。黒羽博士もきっと、望んでいたはずだから」

 

 人間らしい感情。ヒトらしい、という意義。だがどれもこれも――馬鹿馬鹿しい。戦闘には不必要な要素ばかり。そんなものを突き詰めて何になる? 何がプラスに転じるというのだ。

 

 拳を骨が浮くほどに握り締めた林檎は、吐き捨てていた。

 

「そんなものでエースになれるんなら、取ってやる。いくらだって。……でも、そうじゃない。そうじゃないのが分かる……。それが、嫌なんだ」

 

 踵を返した林檎にリードマンは言葉を投げていた。

 

「鉄菜の事を、分かってあげて欲しいとは言わない。それも君の勝手だ。執行者としては正しいかもしれない。妙な仲間意識で戦うよりかは、ドライなほうが。だが、鉄菜は変わった。それだけは確かなんだ。戦うべくして変わったのか、それとも他の要因で変わろうとしているのかは、僕にも判断はつけかねるけれどね」

 

 結局、保留の一事ではないか。そんなもので及第点を与えられた旧式と、最新型でありながら未だに点数には届かない自分。

 

 どちらが優れているかなんて問うまでもないはずなのに、答えは出せず仕舞いのまま。

 

「……聞くけれど、あの旧式が元のまま……それこそ六年前のままなら、どうなっていたと思う?」

 

 その問いには、リードマンは迷いのない語気で応じる。

 

「もう生きてはいまい。十中八九、ね」

 

 今も生きているその事実こそが、自分が超えられない所以。鉄菜・ノヴァリスの生存こそが、血続として優れているはずの自分に遅れを取らせている。

 

 歯噛みした林檎は言い捨てていた。

 

「……だったら、ボクは別の道を行く。そう決めた」

 

 リードマンは呼び止めなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯269 在り処を問う

 Rスーツも纏っていないなんて、とまずは叱責が飛んだ。

 

 桃は激しい口調で責め立てる。

 

「で? 他に理由は?」

 

「何でもない。ちょっとRスーツが窮屈だったから脱ぎ捨てていた。その一事だ」

 

 どうしてだか、《モリビトサマエル》に関しての事、ガエルと名乗った因縁の男に関して喋る事は気が引けていた。

 

 口にすればきっと桃は飛び出してしまう。その懸念があったのもあるが、自分のつけた決着だ、という思いもあったのかもしれない。

 

 腰に手を当てた桃はまだまだ言い足りない様子であったが、とりあえずは、と自分に被せられたブランケットを引っ張った。

 

「……いい? クロ。あんたは女の子なの。執行者である前に、戦士である前にたった一人の。女の子なの。だから自分を犠牲にしないで。……確かに、瑞葉さんは危うかった。あのまま《クリオネルディバイダー》に乗せて消耗させていれば命にかかわったかもしれない。でもね! クロ! あんただって大切。大切な……仲間なんだから」

 

 仲間。女の子。どれも肌の表層を滑り落ちていくだけの言葉の羅列。

 

 自分は戦士だ。モリビトの執行者であり、戦うべくして造られた人造血続。戦う以外の意義なんてない。

 

 この血の一滴まで、今はブルブラッドキャリアのためにある。報復作戦の実行のためにある――、かつての自分ならばそう答えただろうか。

 

 だが、今は。今は、何も言い返せなかった。

 

 自分の命以上に大切なもの、という観念を昔ならば理解出来なかっただろう。しかし、どうしてだろうか。今ならばどことなく、分かったような気がした。

 

 桃は自分以上に自分を心配してくれている。血続でもないのに、自分のように青い大気の中でも生きていける身体ではないはずなのに、それでも力強い言葉を投げてくれるのは、この鉄菜・ノヴァリスという個体が大事だと思ってくれているからだ。

 

 大切なのだと、規定してくれているからだろう。

 

 その論法に今までならば真っ向から対立出来た。戦って勝利する以上の感慨など邪魔だと、断じる事も出来ただろう。

 

 だが、そうではない。そうではないのだと、自分が思い知っている。

 

 瑞葉を逃がした時、あの時、通常ならば《クリオネルディバイダー》を外すなど言語道断のはずだ。《モリビトシン》の状態で勝てる領域は過ぎ去った事くらい分かり切っている。

 

 それでも瑞葉の身の安全を優先したのは、何も合理的判断の上だけではない。そのはずであった。

 

「……桃。ミズハは……」

 

「眠っている。リードマンの話じゃ、ちょっとした疲労状態が蓄積していたみたい。完全回復しても、《クリオネルディバイダー》と《モリビトシンス》のパフォーマンスについていかせるのは推奨しない、ってさ」

 

「そうか……。よかった」

 

 どうしてそのような言葉がついて出たのだろう。不明の感情を桃は見抜いていたようであった。

 

「……やっぱりね。クロ、瑞葉さんの事を、自分以上に大切に思っている」

 

「《クリオネルディバイダー》が使えないのは《モリビトシンス》の性能を極端に落とす事になる。それが分かっているからだ」

 

 口にした途端、桃が額へと人差し指で突いてきた。じんわりとした痛みが熱を帯びる。

 

「……痛いぞ」

 

「デコピンよ。話を聞こうとしないんだから。罰則のデコピン。それに、自分の気持ちにも素直じゃないからね。二回分」

 

「待て。それはやめろ。……肉体面へのダメージはなんて事はないが、何か胸の内側でつかえる」

 

「それが、心なんでしょ? クロ、もういい加減に遠回りはやめたら? 瑞葉さんからも聞いたわ。自分には心がないんだって、クロが言っていたって。……あの時も、そうだったよね。六年前の殲滅戦の前も。心なんて分からない、アヤ姉が伝えてくれたものは無駄だったんじゃないかって。……今にしてみれば、モモもクロもとても怖がっていた。死ぬかもしれない、組織のために忠義を尽くさなければならない場所まで追い込まれて、それでも居場所が分からないって喘いでいたのよ。……でも、今なら、あの時の自分を救い出せる。クロ、あんたも」

 

「私も、だと? ……だが心なんて分からない事だらけだ」

 

 その返答に桃は微笑みを浮かべる。

 

「かもね。でも、それが心なんだって、思えない? 分からないものなのよ。自分でも。制御も出来ないし、調整も効かない。落ち着けって言い聞かせてもどうしようもなくって、動けって命じたって肝心な時に役立たず。……でもそういうのを常に背負っているのが、人間なんじゃないかな。モモはそう思う」

 

「人間……。そのような不合理性が、人間の心だって言うのか? だが、私は……」

 

 決めあぐねている声音に桃は頬を指で突いた。

 

「分かっているくせに。もう何となく、掴みかけてはいるんでしょう? 心は昔、アヤ姉が言ったように、ここにあるのよ。でも、自分の身勝手で出し入れ出来るような簡単なものじゃない。メンテナンスも出来ない不条理でどうしようもない、――でも替えの利かないパーツ。それが、心って呼べるものなんじゃないかな」

 

 替えの利かないもの。鉄菜はその言葉に胸を打たれた気分だった。

 

 凪いでいた身体の芯が静かに波打っていくのを感じる。

 

 一滴の水のように、桃の言葉はすんなりと、鉄菜の胸の内に入り、波紋を広がらせた。

 

 ――これが、心だというのか? この名状しがたいものが、心だと呼べるのだろうか。

 

「……まだ、分からない。何もかも」

 

「でも、さ。クロは瑞葉さんの事を心配出来たわけじゃない。何もないって言っていた頃のクロじゃ、出来なかった事だよ」

 

「だが、私は……」

 

「――まどろっこしい事を話しているところ悪いが」

 

 格納庫の上階層でニナイとそれに付き従う茉莉花が視界に入った。茉莉花の傍には、ルイが浮き上がっている。

 

《ゴフェル》のシステムの中枢がこのような場所に赴いている事、それそのものが異常事態を分かりやすく伝えていた。

 

「……茉莉花」

 

「鉄菜、まずは一つ、言わせてもらおうかしら。ミッションご苦労様。それと、《クリオネルディバイダー》を手離した事には、馬鹿野郎とでも罵ってあげても?」

 

「……甘んじて受ける」

 

「冗談よ」

 

 ひらひらと手を振った茉莉花はニナイへと言葉を振った。

 

「艦長から優先度の高い情報をどうぞ」

 

 ニナイはこちらを見据えたまま、どこか言葉を選びかねているようであった。

 

 桃がそれを感じてか歩み出る。

 

「何かあったの?」

 

「……直近では十分前の情報よ。鉄菜も桃も、上がってきて欲しい。ブリーフィングルームに、タキザワ技術主任も呼んである」

 

「大事には違いないわ。吾だってもうちょっとラヴァーズの艦でやる事はあったんだけれど、さすがに呼び戻されちゃった。これは一大事、ってね」

 

 しかし緊急事態にしてはどこか茉莉花はのらりくらりとしている。まるでこの状況は予測出来たとでも言うように。

 

「……話を聞かせろ」

 

「鉄菜。まずは服を着て。風邪を引くわ」

 

「人造血続は風邪なんて引かない」

 

「艦長様の命令よ。受けなさい、鉄菜」

 

 茉莉花の言葉に命令、と聞いた身体が硬直する。

 

「……命令ならば」

 

 今すぐここでRスーツを着ようとして、桃に止められる。

 

「クロっ! 男の人の目もあるんだからっ! 着替えは向こうでしなさい!」

 

「時間の無駄だ」

 

「そうでもないわ。こっちも情報の整理に時間がかかっている。着替えくらいは待つわよ」

 

 茉莉花の論調に鉄菜はどこか胡乱な気配を感じ取っていた。何かが起こったのはまず間違いないのだが、その対応に追われている、という感覚ではない。

 

 むしろ、逆だ。

 

 不利でしかないはずのブルブラッドキャリアの現状に光明が差したとでも言わんばかりの態度に、鉄菜は考え込む。

 

「……何かが起こった。いや、現代進行形で起こっている。それも特大級の。……だというのに、スクランブルがかけられるでもない。……吉報か?」

 

「いいからっ。クロはさっさと着替える! 先にモモはブリーフィングルームに向かっているから。きっちり着替えてから来るのよ!」

 

 桃の言葉を背中に受けつつ、鉄菜は先に言葉を交わしたガエルの事を思い返す。

 

 野獣のような眼光を持つ戦争屋。今の今まで全ての敵であると思っていた存在。だが、命を取られる事もなく、駆け引きも行われなかった。

 

 自分はそれに値しないと判断されたのか。あるいは、あの時ガエルには自分以上に優先度の高い任務があてがわれていたのか。

 

「……いずれにしたところで、今は動き出さなければ。そうでなければ話にならない」

 

 一つでも前に進む事が戦いならば、自分はその道を行くだけだ。

 

 どうせ最初から退路なんてないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ルイを引き連れるなんて珍しいじゃない」

 

『そうでもないわ。《ゴフェル》は降りてから随分と消耗した。端末情報として新しい茉莉花と情報を同期するのは当然の事』

 

 それにしては、と桃は茉莉花との距離をつぶさに観察する。ルイと茉莉花は肩を並べているが、同じ事を考えているとは到底思えない。

 

「……何があったの? 教えてちょうだい。クロが飛び出すような事だったら、モモが伝えるかどうかの判断をする」

 

「……鉄菜の事が余程心配なのね、桃・リップバーン。あれだけイクシオンフレーム相手に苦戦しておいて他人の心配が出来るのね」

 

 茉莉花の言葉振りは依然としてこちらの神経を逆撫でするのには充分であったが、それでも聞かないわけにもいくまい。

 

「……クロの《モリビトシン》は重度の貧血に加えて血塊炉炉心に近い部分に大きな打撃を負っている。すぐには出せないわ。それくらいは分かっているわよね?」

 

「もちろん。鉄菜に負担を強いるわけにはいかない。私達はそうでなくとも地上で鉄菜と離れてしまった。これ以上単独行動を許すわけにはいかないのよ」

 

 ニナイの論調にはどこか一筋縄ではいかない響きがある。

 

「……クロを出すわけにはいかない。それは共通認識でいいのよね?」

 

 足を止めた桃に、ニナイは振り返っていた。

 

「必然的に《モリビトシンス》の力は必要になるかもしれない」

 

「冗談! クロは疲れている! それに、《モリビトシンス》だって! あんな重篤な機体を出させるわけにはいかないはず……」

 

「桃・リップバーン。落ち着きなさい。なにも最前線に出させるとは言っていない。ただ……静観を貫くにせよ、ちょっとばかしこちらの手を講じる必要に迫られている、というだけ」

 

 茉莉花の言い分はどこか信用出来ない。確かに月面までの水先案内人は務めてくれた。《モリビトルナティック》の落着阻止も然り、だ。だが、これ以上鉄菜を危険に晒してなるものか。

 

「……戦力が必要なら、《ナインライヴス》で出る」

 

「《ナインライヴスピューパ》だって万全じゃないでしょうに。今は、落ち着きなさい。落ち着いて話を聞いて欲しい。そのために呼び出しているんだから」

 

「……ルイを引き連れている時点で、嫌な予感しかしない」

 

 ルイは《ゴフェル》のメインコンソール。それが持ち場を離れるくらい、異常事態なのは自分でも分かっている。

 

 ニナイは目線を伏せて口にしていた。

 

「……今は、黙って従って。ブリーフィングルームで詳細は話すから」

 

「不都合な事なの?」

 

 問いかけた桃にニナイは答えを保留にする。

 

「だから、着いて来なさいって。そんなに信用ならない?」

 

 茉莉花の問いかけには頷かざるを得ない。

 

「……クロは物じゃないのよ」

 

「あなただって物じゃないわ。桃。だからお願い、今だけは追求しないで」

 

 ニナイがここまで言うのだ。よっぽどの事だろう。今は自分の意見は封殺して、指示を待つしかなかった。

 

 それがブルブラッドキャリアの、執行者として正しいのならば。

 

「……でも、イクシオンフレームとアムニスとの戦いでみんな連日の徹夜よ? こんな状態で、まだ、酷な事を聞かせるって言うの?」

 

 この質問も卑怯なのは分かっている。それでも、であった。せめて、ここまでは譲歩したいという願いの表れにニナイは言葉尻に悔恨を滲ませる。

 

「……本当は、私としても立て続けに戦いを強いたくはない。でも、どうしようもないのよ。世界というのは」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯270 投げられた命

 どうしてなのだろう、と見るたびに思う。

 

 灰色の髪に、華奢な身体つき。かつてはこの肉体に天使の羽根がついていた強化兵などというどこか遊離した事実が、どれだけデータを参照しても実感出来なかった。

 

 どれほどまでに姉である林檎が嫌悪しても、自分は無条件に嫌う気にはなれなかったのだ。

 

 それも弱さのうちかもしれない、と蜜柑は目を伏せていた。

 

 こうして瑞葉のベッドの傍でそのまどろみと覚醒の間を観察しているのも、林檎への贖罪の意味もあるのだろうか。

 

 動き出せなかった自分は、いつまでも弱いままだ。

 

「……どうして、ミィは鉄菜さんや、他の人を恨めないんだろう。林檎は……どうしてあんなにも他人を……羨んで、妬んで……」

 

 自分にはない感情であったのかもしれない。羨望で片づけるにしてはどこかしこりの残った胸の隙間に、蜜柑は等間隔で脈動を刻む心電図を注視していた。

 

 こんなにも穏やかな鼓動なのに、この人は自分とは違うのだ。

 

 強化人間――ブルーガーデンの遺した戦闘機械、旧世代の遺物、人類の罪の形……、どうとでも言い換えられるのに、瑞葉を物として扱うような気持ちも、ましてやその出自を呪う事も出来ない。

 

 ただ、瑞葉の辿ってきた道を考えると胸の奥がチクリと痛むだけ。それは自分もまた、強化された人間という括りならば同じだと考えているからかもしれない。

 

 血続だから優れている、と何度も教え込まれた。直属の上官である桃からはガンナーとしての基礎を叩き込まれ、戦場で的確に目標物を撃ち抜く術を馴染まされた。

 

 誰かの手を握るよりも、拳銃の引き金を握っていた時間のほうが遥かに長い。

 

 そんな手に、蜜柑は視線を落としていた。

 

 殺戮者の手、戦闘マシーンの末端。そんな名前で飾り立てたところで、この小さな手は、平時では整備士の握力にも敵わない。

 

 だが一度でも人機に乗れば、無数の命を屠る罪に塗れた指先。

 

《イドラオルガノン》は無敵だ、そう嘯く林檎にいつも注意を投げていた。

 

 自信過剰なのはいざという時に足元をすくわれるよ、と。しかし、今はひたすらその根拠のない自信が羨ましかった。

 

《イドラオルガノンジェミニ》を実戦で動かした時、自分の指先は震えていた。照準し、敵を葬るだけ。いつもやっている事の延長線上なのに、しばらく震えが収まらなかったほどだ。

 

 その理由が知りたくて、リードマンの医務室を訪れたのもある。

 

 しかし肝心な事を言い出せず、先ほどからずっと瑞葉の横顔を眺めっ放しなのであるのだが。

 

「……君のお姉さんは強いね。僕じゃ言い負ける」

 

 戻ってきたリードマンに蜜柑は頭を下げていた。

 

「すいません、ドクター。林檎がまた……」

 

「いや、いいんだ。あれくらい言い返してもらったほうが、それこそ僕が居ても意味があるんだって思わせてくれる。……手を離れた執行者を見るのは、僕は素直に辛いからね」

 

「……鉄菜さんの事、ですよね」

 

 リードマンは首肯して、椅子に腰かける。

 

「どう思った?」

 

 瑞葉のみを救うために《クリオネルディバイダー》を外した決断に関して、だろう。蜜柑は幾度か声に出しかけて、やはりと憔悴する。

 

「……分かりません。林檎みたいに、バカな事を、なんて……言えないんです。だって瑞葉さんはそうしないと、今頃……」

 

「死んでいたかも、しれないね」

 

 濁した先を、彼は言ってのける。蜜柑は項垂れて首を振った。

 

「何もかも、分からないんです。……林檎みたいに、鉄菜さんを責める気持ちにもなれないし、だからって他の事に八つ当たりも出来ないんです。だって、瑞葉さんは死んでいたかもしれないんですよね? だったら鉄菜さんは、間違った事をしたわけじゃない……はずですよね」

 

「良識の尺度に当て嵌めるのなら、ね。だが、《クリオネルディバイダー》を分離すれば、《モリビトシンス》の能力は著しく落ちる。それを鉄菜が理解していなかったわけがない。しかも孤立状態の地上で、そんな行動を取ったのは迂闊とも言える。結果的に《クリオネルディバイダー》からの情報で見つかったからいいものの、ともすれば《モリビトシン》は撃墜されていた」

 

 撃墜。その言葉の重さに蜜柑は呼吸困難に陥る。

 

「……墜ちて、いたかも……って事、ですか」

 

「可能性の話では。桃の言い分を聞くのならば《モリビトシン》は過度な戦闘の後であったとも。まぁ、僕は整備士ではないから詳しくは。だが、ちょっと《モリビトシン》を見たが素人目でも危ういのは窺えた」

 

「……ミィも、見ました」

 

《モリビトシン》は血塊炉付近に風穴を開けられていた。ステータスを確認するまでもない。戦闘不能に近い状態に、素直に息を呑んでいたほどだ。

 

 よく生き延びた、とも思った。だがそれ以上に、こんな状態になってまで、どうして鉄菜は戦ったのだろう、という疑念も突き立った。

 

 自分ならば、どうしただろう、と考えを巡らせるが駄目であった。

 

 もし、林檎と離れ離れになってまで一人で戦えるかと言えば否であろう。

 

 孤立してまで、戦い抜いた鉄菜には感嘆しかない。それを素直に受け止めた瑞葉にも。

 

 今は安定状態に近いそうだが、瑞葉の額には汗の玉が浮かんでいた。上下する胸元に、生きているのだ、と実感する。

 

 ともすれば死んでいたかもしれない命。それが眼前にまざまざと突きつけられて蜜柑は言葉を失う。

 

 今までも戦闘の極地には何度も至ったはずだ。自分達が危うくなった事も。しかし、こうして他者が死に掛けたところに立ち会うのは、ともすれば初めてかもしれなかった。

 

「……君達の訓練データを見た」

 

 こちらの思考を読んだかのように、リードマンが言葉を発する。

 

「優等生であった、と、桃の手記にはある。ミキタカ姉妹にはどこにも欠陥はない。お互いの欠点を補える、理想的な操主だと。複座式の採用が滞りなく行われたのも、君達の実戦データを参照したかららしい。あの頭の固い上役が太鼓判を押すほど、君達は優れた操主であった。……いや、これは失礼な物言いかもしれない。だった、など」

 

「いえ、その……それで合っていると思います。そう、計算上は、ミィ達が遅れを取るなんて、あり得ない……ですよね?」

 

 問いかけた蜜柑はリードマンの質問を聞いていた。

 

「君達のオペレーションは他の操主よりも連携が密になる。上操主と下操主の息が少しでもずれれば《イドラオルガノン》は当初の性能を発揮出来ない。それは分かり切っているはずだ。だが最近の君達の数値を見ると……とてもではないが及第点とは呼べない」

 

 それは自分でも分かっている。だからここに来たのだ。その理由を問い質すために。自分達姉妹は最強の操主のはず。ただ、それを強気な言葉で尋ねる事が自分には思いのほか難しいのだと、改めて理解した。

 

「《イドラオルガノンカーディガン》の……性能としての完成度は、どれくらいですか?」

 

 聞いてはいけない事の一つのような気がしていた。だがそれでも聞かなくては、自分は都合のいい出来事だけを胸に前には進めないはずであったからだ。

 

 リードマンは一拍置いて、端末を見やる。

 

「六割以下……正直なところ、これでは普通、実戦レベルではない。操主としては失格と言ってもいいくらいだ」

 

「……やっぱり」

 

 自然と自分の口から出ていた言葉に、蜜柑はハッと面を上げる。その視線がリードマンとかち合った。覚えず目を反らす。

 

「……どちらが足を引っ張っているのか、などは野暮かもしれない。君達は二人で一人の操主。だからどちらかに責任を問い質すのは」

 

「いえ、いいんです。言ってください。ミィが……林檎にとって足を引っ張っている、要因なんですよね?」

 

 リードマンは息を吐いた後、静かに頷く。

 

「足枷……そう端的に言ってしまえればそうかもしれない。だが、僕はこうも考える。君達を分けて論じるのは間違っていると」

 

「いえ、何も間違ってなんか……。だって、ミィは駄目でした。《イドラオルガノン》が……林檎が力に呑まれそうになるのが怖くって、泣いてばかりで……」

 

《モリビトサマエル》との戦いや宇宙における《ラーストウジャカルマ》との戦いで浮き彫りになった林檎の歪み。

 

 強者を追い求め、いくらでも人でなしの獣になれる姉の凶暴性に、自分は俯くばかりであった。こんなのは林檎じゃない。自分の知っている家族の一人じゃない。

 

 ただの――ケダモノだ。そのような力の証明を目にして蜜柑は目を瞑り耳を塞ぐ事しか出来なかった。何も見ないにようにするのが精一杯であったのだ。

 

 誰もが恐ろしい凶暴性を秘めている事くらいは訓練時代嫌というほど教わったはずなのに、近しい人間が修羅に落ちるのがこれほどまでに怖いとは。

 

 リードマンは息をつき、頭を振った。

 

「それは違う……。力に呑まれる人間を見るのは誰しも辛いものだ。近親者ならばなおさら、ね。君はそれを否と言える。それだけの人間性はある」

 

「でも! 戦場で生き残るのは人間性じゃ……!」

 

「そうだね。戦場で最後の最後、足掻くのは多分、人間性じゃない。そのような正論とは真逆にいるものだろう。しかし、鉄菜は僕らに説いた。人間である事を失ってまで生き残るべきではない、と。だからこそ、原初の罪は応えたのだと僕は思っている。勝手な解釈かもしれないけれどね」

 

「モリビトシンに乗れた……それそのものが価値だと言うんですか……」

 

「そういうものではないかな。鉄菜は求め、罪は応じた。全てを贖うために、鉄菜は戦い抜くよ。それはこの艦にいる人間ならば誰でも分かる代物だ」

 

「……それが、ミィ達と鉄菜さんの違いですか」

 

「分からないよ。何もかも。もしかしたら正論を言っているのは君達のほうかもしれない。林檎の行く王道に、間違いはないのかも。それでも、僕は鉄菜を応援したい。無論、君達姉妹も、だ。ブルブラッドキャリアに所属して、その理念に呼応したのならば分かるはず。戦い抜く覚悟が。この星へと刃を突きつけるという本当の意味が」

 

 分かっているはずだ。分かっていなければ何のために今まで戦ってきたのだ。

 

 全ては星の罪を贖い、報復を完了させるために。組織がどれほどまでに間違いの上にあったとしても、自分達だけは正しさを失わないために。

 

 ゆえに、モリビトの名前は在る。

 

 守るべきは、心の奥深くに存在する信念……。だが自分には。

 

「……まだ、確定的な事は何も……」

 

「それでいいだろう。それでも、前に進むべきだ。鉄菜は退路を断っている。林檎もそうだろう。君だけに答えを急くわけではないが、状況は変わりつつある。その流れに、抗うも従うも君次第だ」

 

 話はそこまでらしい。リードマンは端末に視線を落とす。蜜柑は立ち去りかけて薄く瞼を上げた瑞葉を視野に入れていた。

 

「……クロナ、は……?」

 

「瑞葉さん。鉄菜さんは無事です。もう少し休んでいてください。きっと……よくなりますから」

 

 瑞葉は頭を振った。

 

「クロナは……もう一人のわたしなんだ。ついていなくっちゃいけないのに……わたしはまた……守られた」

 

 それがどうしようもない悔恨のように彼女は口にする。

 

 守られるだけ、いいではないか。守る事も、戦う事も意義を失いかけている人間が、眼前にいるというのに。

 

 蜜柑はしかし、罵詈雑言をぶつける気にはなれない。そこまで他人を傷つけるのは、やはり憚られる。

 

 自分は結局、誰から見ても「いい人間」を装いたいだけの半端者。林檎のように恨まれる覚悟も、鉄菜のように呪いを受ける覚悟もない。

 

 状況に流され、引き金を引く事しか出来ない戦闘機械だ。

 

「……瑞葉さん。お願いだから、休んでいて。あなたの命は、鉄菜さんが救ったんだから」

 

 この言い分もずるい。鉄菜の救った命なのだから黙れと言っているようなもの。

 

 自分に干渉するな、文句の一つだって聞く気はないのだと、突き放す事も出来ないなんて。

 

 瑞葉は安心したのか、再び目を閉じた。

 

 蜜柑は医務室に言い置く。

 

「救った命の数が、でも絶対なんですか? ミィ達は滅ぼすために、遣わされたんじゃないんですか?」

 

 殺戮者の手が疼く。この指先で殺してきた者達の怨嗟が、今も脳内で反射していた。

 

 殺すための存在が、一端の人間のような口を利くなんてそれこそ傲慢の一言だ。

 

 リードマンは背中を向けたまま応じる。

 

「勘違いしないで欲しいのは、人造血続は何も、自然界の摂理に抗った結果だけではない、という事だ。君達の命は生み出された時点で君達のものだ。決定権は僕にだってない」

 

 この命を生かすも殺すも最早自分に投げられているというのか。だが、そんなまやかし、と蜜柑は頭を振る。

 

「投げられたって……決断なんて出来ない」

 

 そう言い返すのが精一杯で、蜜柑は胸の中に黒々と広がっていく感覚に、うまく名前をつけられなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯271 神を騙る男

 

「結果論から言わせてもらうと、つい十分前に世界は覆った」

 

 茉莉花の結論に鉄菜は言い返す。

 

「結果を焦り過ぎだ。何も分からない」

 

「分からない? 本当に?」

 

 茉莉花が投射画面を指先でスライドさせる。映し出されたのは惑星の世界地図であった。赤く塗り潰された地点の符合する事実にいち早く気づいたのは桃である。

 

「連邦国家のコミューンばっかり……」

 

 言われてみれば、と鉄菜は赤く塗られた場所を脳裏で関連付ける。C連邦傘下のコミューンか、あるいは新鋭のコミューンが大多数であった。

 

「それがどうしたって言うんだ?」

 

「一言で言えば、堕ちた、というべきでしょうね。全てのライフライン、並びにシステムが」

 

 やはりというべきか茉莉花の言葉は要領を得ない。わざと結論を引き延ばしているかのようである。

 

「分かりやすく話せ。つまりは……」

 

『つまり、C連邦のコミューン……バベルのシステムラインが何もかもダウンした。この現状は世界に一撃を放った』

 

 ルイの補足に鉄菜は絶句する。桃は尋ね返していた。

 

「嘘……でしょう? だってバベルは、地上のものはレギオンに支配された。アムニスもそれを握っていて……アンヘルは」

 

「そう、アンヘルはその情報を基にしてこちらを幾度となく追い込んだ。でも全てのシステムが一斉にダウンするなんて誰も想定出来ていない。ゆえに、現状を言い表せる人間は数少ない。いえ、断言してはいけない、とも言い換えられるわね。バベルなんていう、万能のシステムで星の何もかもが賄われていた、なんて」

 

「……知っているのは特権層……レギオンのみのはず」

 

「アンヘルでさえも、自分達の情報網を磐石にしているのはバベルという強大なる一だという事を理解していないはず。知っているのは一握りの権力者のみ」

 

 ニナイの言葉振りには憔悴が滲む。連鎖して巻き起こった事に気持ちがついて行っていないのかもしれない。

 

「でも! だったら余計にどうしようもないんじゃ? だって、知らないのならば何も出来やしない、混乱のるつぼに……」

 

「もうなっているわよ。これ、連邦コミューンのリアルタイム映像」

 

 茉莉花の示した投射映像には街頭モニターが砂嵐を映し出し、人々が混乱の末に車から飛び出して喚き散らしている光景が広がっていた。誰もが今、世界で何が起こっているのか分かっていないようである。

 

「そしてこれが……五分前にアンヘルと各国のトップへと送信された、最新映像」

 

 茉莉花がブリーフィングルームの中央モニターに映し出す。

 

 そこには一人の男性が映し出されていた。

 

 場所がどこなのかは分からない。白亜の部屋で男は中央の椅子に深く腰かけ、画面の向こう側を睨んでいる。

 

 その瞳には深い絶望が見て取れた。

 

 しかし何よりも、鉄菜にはその映像の男に心当たりがあった。口からついて出た名前に、自分でも動揺する。

 

「……保険医の、ヒイラギ……?」

 

「クロ、知っているの?」

 

 桃の意想外と言う声音に鉄菜は困惑する。まさか、そのはずはない、と思い直そうとしたが、直後に響き渡った声音はヒイラギのものであった。

 

『世界を束ねる者達に告ぐ。この映像が流れているという事は、僕の目論見が成功した、という事だ。いや、目論見なんて大げさなものじゃない。僕が百五十年もの間、ずっと保留にし続けてきた答えを、君達に示したのみなのだから。改めて、名乗らせてもらう。僕の名前はエホバ。……神の名を騙る事を唯一許された、この世で最も愚かしい存在だ。最初に言っておくがこの映像の逆探知は意味がない。僕の声紋データから全てを割り出すのも。僕は自分に関する記録を全て抹消した。記憶には、残っているかもしれないが、記録上、僕はどこにも存在しない。だからこの場所を割り出して君達特有の……何もかもを破壊してなかった事にしてしまう、という愚行は不可能だという事だ。僕は百五十年前に、ブルブラッドキャリアの先駆者の造り出した人造人間……、不老不死の夢を与えられた怪物だ。そして、この世界を支配している基盤である、システム、バベルへの唯一の直通のアクセス権を持っている。だから僕のやり方を真似てバベルを設定し直す事は不可能だ。僕を超える権限持ちは存在しない。エホバの名前は伊達ではない、と言わせてもらう』

 

「鉄菜、このエホバを名乗る男の事を、知っているのか?」

 

 茉莉花の問いかけに鉄菜はまさか、と思い返す。ゾル国の教員身分が、どうしたところで世界をたばかるなんて出来ないはず。

 

 だが思えはおかしな事は一つではない。燐華が軍属に入っている事、それも加味すればあの男がただの人間でなかった事の説明もつく。

 

「……だが、ヒイラギ。お前はただの人間のはずだ。何故、私を騙せた?」

 

 問いかけにも、映像の中のヒイラギは読めない視線を返す。

 

『僕は世界を……それなりに美しいものだと思っていた。いや、思いたかった。規定したルールの上でしか、人々が争えない、奪い合えない、殺し殺されのみの世界だと、絶望するのは容易かった。だが、僕だけは、それを早合点してはいけなかったんだ。だから、百五十年待った。ブルブラッドキャリアの報復作戦の後、世界がどう変わるのかを。……だが、思い過ごしだった。人々は変わらず愚かであり、それを統率する一部の特権層は吐き気がするほどの。……僕はもう、これ以上の高望みはやめる事にした。君達に世界を任せ、破壊兵器を作り立てるのを見て見ぬフリはもう出来ない。アンヘル、並びにそれを統括する上位集団――レギオンに告ぐ。これは宣戦布告でも何でもない。報復でも、ましてや争いの火種でも。ただ、僕は僕の世界を憎む。これはその、逆襲の始まりだ』

 

「レギオンの事を知っている……。いいえ、その全てを?」

 

「読み取る限りならば、ね。このエホバを名乗った男に関して、吾はそれなりに調べた。でも宣言通り、どこにも足跡はない。IDも登録番号も、ましてや出生も。記録は完全に抹消されている。加えて、世界の混乱と符合するこの発言。あまりにも容易な結びつけかもしれないけれど、この男の言う通り、バベルは掌握された、と見るべきでしょう」

 

 鉄菜はヒイラギの眼差しを見据える。人類に絶望した、と嘯いた男の眼の奥は暗黒へと通じていた。

 

 あの日、学園の日々で自分と燐華を見ていた男と同じとはとてもではないが思えない。

 

 まさしく神の如き所業を可能にする存在の双眸。

 

「……レギオンはこの声明をどう受けるか」

 

「問題はそこね。バベルを掌握した、というのが嘘でも何でもない、と言うのならば、この星に存在する全ての機動兵器は完全に無効化された事になる。だってバベルに繋がっていない兵器なんて、連邦は認めていないはず」

 

「末端機器でもバベルへの接続権を持っている世の中……。バベル一つが手に落ちただけで世界中の端末や情報が……」

 

 桃が濁した先を茉莉花は冷徹に言ってのけた。

 

「ええ。全てが白日の下に晒される。個人単位なんてものじゃないわ。機密なんて意味を持たない。国家同士の騙し騙され合いも全くの無価値に帰す。それに加えて、武力に関しても」

 

「アンヘルの機体は全て、バベルに多かれ少なかれ依存している。だからアンヘルはこの声明をまともに受けるのならば」

 

 ニナイがヒイラギの映像を睨む。その帰結する先を鉄菜は言い当てていた。

 

「アンヘルは一機とて出撃出来ない。その上、全ての情報はヒイラギ……いいやエホバというこの男の一手に集約された。下手に動けば……」

 

 茉莉花は首肯する。

 

「内部分裂なんてものじゃないわ。手を下さずして何もかもを破壊出来る」

 

 高度に発達した情報網が仇となった形だ。レギオンはその存在を晒された形となる。今まで世界を裏から回してきた事実も、エホバの前では意味を成さない。

 

「だが、連中とて馬鹿ではないはずだ。エホバを殺す術はない、というわけでもあるまい」

 

「レギオンが打てる手立ては少ないわ。兵力を潰され、情報網を殺された。こんな状態で下手に出れば、それこそこれまでの支配が水泡に帰す。恐らくはゴルゴダの使用も慎重になるでしょうね」

 

 相手の声明より先に爆弾を落とす、という手段すら潰されたわけか。レギオンがどう暗躍しても、エホバの上に立つのには一つの条件しかない。

 

 相手より高度な情報ネットワークへの早期接続。加えて兵力の確約。

 

「……バベルはもう一つある」

 

「月面へのハッキングならば、もう探知しているわ。でも、さしものレギオンでも月までは手が伸びない様子。今のところシステムに亀裂を走らされた気配はない」

 

 ホッと胸を撫で下ろすと共に、鉄菜は次なる可能性を口に出していた。

 

「ならば、今度は……」

 

「考えられるのは端的に言えば三つ。バベルネットワークに接続されていない兵力に共闘を申し出てエホバなるこの男の位置を割り出し、暗殺する。あるいはバベルのネットワークをあえて全部拒絶し、新たなネットワーク基盤の形成。最後は……これは愚策中の愚策だけれど、相手のいるであろう位置に無差別爆撃。こんなところかしら。でも、現実的なのはどれなのか、言うまでもないわよね?」

 

 桃は震える声で答えを紡ぎ出す。

 

「……バベルネットワークに繋がっていないのは、モモ達《ゴフェル》と、ラヴァーズ。それに弱小コミューン……」

 

 その解答に茉莉花は指を一本立てる。

 

「もう一つ、忘れているわよ」

 

 思い浮かばない桃に、鉄菜は言ってやる。

 

「……資源衛星に潜むブルブラッドキャリア本隊。連中はバベルを使用していない」

 

 まさか、と桃は目を戦慄かせた。

 

「だって……そんなの本末転倒じゃない! 今まで敵対してきた相手と共闘するなんて……!」

 

「あるいはそれこそがこのエホバの目的なのかもしれない。世界の統合。一つの絶対的な悪を作り出し、ブルブラッドキャリアと惑星との融和を進める……」

 

「でもそんなのは理想論。こちらもそれは分かっている」

 

 ニナイの発した言葉に鉄菜はここで決断すべきは少ないのだと予見した。

 

「ブルブラッドキャリア本隊はレギオンからの接触があった場合、条件を突きつけるはず。それも相手が逃げられないような条件を」

 

「こんな形で世界が統合されるなんてどちらからしてみても不合理そのもの。だから裏がある、と見るべきね。どっちが歩み出たとしても」

 

「それって……レギオンは月の戦力を手に入れたいというのと、ブルブラッドキャリアからしてみれば……」

 

「地上の無条件降伏、か。小さく見積もっても地上勢力をある程度こちらに丸め込むつもりだ」

 

 しかしそれは、平和の最短距離のようで最も縁遠い話だ。どちらも腹に一物を抱えているなど。

 

「……エホバなるこの男は何を目的としているのかしら。この状況でのバベルの掌握……うまく事が運ぶとは思えないのだけれど……」

 

 茉莉花の疑問に鉄菜は神の名を騙るヒイラギの容貌を見据える。

 

「……お前は何がしたい? ヒイラギ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯272 罪人達の演舞

 地上へと問い返しても、全ての通信網の途絶、という状況に司令官は椅子を蹴りつけた。

 

「何が起こっている! 地上との通信が出来ないなど!」

 

「目下確認中ですが……宙域の人機とも通信が出来ません! ローカルモードに通信設定をして、極めて限定的な空間に設定してやっとで……!」

 

「復旧急がせろ! このままでは敵に攻められても……」

 

 そこまで口にしてエアロックを潜ってきた相手に司令官は視線を合わせていた。この状況を作り出したのか、という予感に覚えず声が出る。

 

「……まさか、これを読んで」

 

「そこまでは。ですが、想定出来ない事態ではありません。我々を買う、と言ってくださったのがここまで早く、スムーズに行くとは。こちらも予想外でしたよ」

 

「……何が起こっているというのだ。渡良瀬」

 

 口にした名前に、渡良瀬は落ち着き払って応じる。

 

「バベル、というシステムをご存知で?」

 

「……空想上のものだな。世界規模でのシステム基盤。噂には上った事が何度か」

 

 だがそれらは全て夢想の代物。遠くない未来、そのようなものが出来上がるかもしれない、という想定であったはず。

 

 だからか、直後に渡良瀬が放った言葉に司令官は息を呑む。

 

「そのバベル、どうやら掌握されたようです」

 

 まさか、と声に出そうとする。

 

「アンヘルか?」

 

「いえ、アンヘルでさえもそのシステムの恩恵に与っていた。それに彼らが自分の首を絞めるような真似をする理由もない。これは別の組織の仕業でしょう」

 

「……ブルブラッドキャリアの、情報操作」

 

「あり得ない話でもないですが、ブルブラッドキャリアにしてはやり方がずさん、いえ、もっと言えば脇が甘い。情報網を押さえたのならば、モリビトによる主要都市の同時攻撃くらいはやってもいいはず」

 

 その報はない、という事はブルブラッドキャリアの仕業という線は薄い。

 

「……だが誰が……。では何者の仕業だというのだ?」

 

「考えられる該当人物は一人だけ……。ですがこれは……バベルの存在を説くよりもなお、難しいでしょう」

 

 わざとぼやかされているようで司令官は落ち着かなかった。渡良瀬に言葉を弄されているような場合でもない。

 

「……我が方が全滅してからでは……!」

 

「宇宙ならば少しは安全でしょう。ご心配なく。問題なのは地上のアンヘルと弱小コミューンのパワーバランス。この期に乗じて総攻撃、という腹積もりのないコミューンもないとは限りません」

 

 それは暗に、今ならばアンヘルを落とせる、という甘い囁きでもあった。現状、動ける兵力は極めて少ない。この状況からならば、ゾル国は復権出来る。

 

 アンヘル中枢を落とし、全てを塗り替えられる。

 

 唾を飲み下した司令官に渡良瀬は心得たように口にする。

 

「……あまり逸らぬよう。急いては事を仕損じます。ですが、我々ならば動ける」

 

「……先の協定、すぐにでも活かせると?」

 

「造作もありますまい。今のアンヘル、どこからでもつけ入る隙はある」

 

 今ならば、天下を取れる。その予兆に、心臓が高鳴った。ゾル国が再びこの世の春を謳歌する。全ては自分次第。やれと命じれば、アンヘルは壊滅する。

 

 しかし極度の緊張に晒された神経はすぐには英断を下せなかった。

 

「……情報を。その上で判断する」

 

「賢明でしょう。こちらからも集めます」

 

 身を翻した渡良瀬の背中を見送り、司令官は口走る。

 

「……悪魔め」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『エラーナンバー14586を参照』

 

『不可』

 

『では直近のエラーを呼び出せ』

 

『不可』

 

 全ての参照データが赤く塗り潰され、完全に掌握された事を理解したのは声明が届いてから十分後の事であった。

 

 地下都市、ソドムを走る電脳の情報網でも、エホバを名乗った男の位置情報は元より、どこからハッキングされたのかも全く不明。

 

 レギオンは声を軋らせる。

 

『……エホバ、だと。神を気取る愚か者が』

 

『ゴルゴダの使用を提言する』

 

 承認を取るまでもない。すぐにでも実行に移させようとした矢先であった。

 

「それでは地上が荒れますよ」

 

 靴音と共に一人の男がレギオンの義体の間に影を落とす。まさか、と全員の思考が同期した。

 

『貴様の仕業か……! 水無瀬!』

 

 その怒声に水無瀬は唇の前で指を立てる。

 

「お静かに願います。今は、立て続けに起こった事実を反芻しようじゃありませんか」

 

『落ち着いているではないか、水無瀬。バベルが奪われたのだぞ』

 

 その腹の内を探ろうとしたが、相手は同期ネットワークから外れた肉体の持ち主。顔色一つ変えずにこちらを窺う。

 

「焦ってもどうしようもないですよ。バベルは掌握された」

 

『それがどういう意味なのか、分からないわけではあるまい』

 

 言葉振りに滲む焦りに、水無瀬は頭を振った。

 

「だから、あなた方は機械に身を落とすべきではなかった。一番に恐れているのはその義体への直接的なハッキング行為でしょう? 分かっていますよ。見透かせるほどに」

 

 脳を焼かれるのが最も恐ろしい事を水無瀬は理解している。自分はその範疇にいないからここでは傍観を決め込めるのだろう。

 

『……いいのか? 水無瀬。貴様を消すくらい、この場所では造作もない』

 

「ですが死体を一つ作ってどうなるというのです? 焦り過ぎですよ皆様方。いつものように、もっと冷静に事を進めましょう。そうしないと、どこから流れ弾が飛んできてもおかしくはない。ブルブラッドキャリアか、あるいは他の弱小コミューンでも」

 

 ここで水無瀬が情報をリークし、地下都市ソドムの位置情報がどこへなりと割れれば、自分達は破滅だ。分かっていての言動なのだろう。

 

『……水無瀬、一家言ありそうだな。聞かせてもらおうか』

 

「では、ご拝聴ください。まずこのエホバなる人物。記録上、我々が辿る事は出来ません。バベルを掌握される、という事は個人データへのアクセス権すら奪われるのと同義」

 

『聞かなくとも分かる。バベルを奪われた、という事態の早期究明を……』

 

「まぁ、まずは一つ一つ、解きほぐしましょう。その上で、成り立つ事実くらいはある」

 

『……水無瀬、貴様らしくないな。まるで何か時間を稼いでいるかのような物言いだ』

 

 義体の身分である自分達はこういう時、図星という顔をしない。だが人間でしかない水無瀬はどうだ。

 

 その表情が凍りついたのを、察知しないほどに疎い連中ではない。

 

「……何の事だか」

 

『水無瀬。そういえば帰ってきていないではないか。ガエル・ローレンツ。彼はあの後どうなった? 我々では辿る手段がなくてね。彼を誘導も出来ない』

 

 こちらからガエルの位置情報を如何とする事も不可能。何も出来ないのはレギオンの側なのだが、水無瀬はこの時、愚かしくも口走っていた。

 

「……彼を墜とすつもりですか」

 

 光明が差した。その隙を見逃すほど、自分達は統合されていないわけではない。

 

『ガエル・ローレンツ。《モリビトサマエル》が今は惜しい。少しの兵力を逃すわけにもいかない現状では』

 

 こちらが先に手を打ったように思わせる。それだけで水無瀬の対応は変わるはずだ。

 

 思った通り、水無瀬は言葉を失った。

 

「……今の彼に、どうしろと」

 

『《モリビトサマエル》を扇動させて人心を掌握する。難しい事ではあるまい? あれは登録上、モリビトタイプ。我が方の戦力ではない』

 

「不可能です。今の状態では」

 

『やれといえばやる。彼はそういう男だよ』

 

 戦争屋ならば、一つでも食い扶持が欲しいはず。その心理を突いたつもりであったが、水無瀬は別の事を思い浮かべていたようだ。

 

「如何に《モリビトサマエル》とガエル・ローレンツとは言え、現状、前に出るのは……」

 

『撃墜されたか』

 

 その言葉に水無瀬が絶句したのが伝わった。憶測の域を出ない攻撃であったが、どうやら有効であったらしい。

 

「……エホバ追跡は無理です」

 

『らしくない言葉だな、水無瀬。平時の彼ならばこう言うはずだ。掃除程度なら造作もない、と』

 

 それがガエル・ローレンツという男の性だ。戦場を追い求めて涎を滴らせる獣。

 

「《モリビトサマエル》は使えません」

 

 頑として譲らない姿勢から鑑みて、《モリビトサマエル》は相当な痛手を負ったらしい。その考えの下、全員の意識が統合された。

 

《モリビトサマエル》が使用出来ない以上、自分達が使える駒は限られてくる。

 

 すぐに議決が降りたのは、誰もが奥底では考えていた事が一致したからだ。

 

『……月面へのアクセスを試みる』

 

 その決定に水無瀬が困惑する。

 

「まさか……ブルブラッドキャリアと? 不可能です! 聞き入れるはずがない!」

 

『しかし、彼らからしてみても好条件ではないかな? 地上のバベルが混乱している矢先に、こちらへと切り込める隙だと、思い込ませられる』

 

『それに連中の目的は地上への報復。ならば、させてやればいい。我々が手を組めば、その目先の靄は晴れる』

 

「……確かに、地上の人々が下る、という点においては、合致しているでしょう。ですが連中を招き入れればいずれは……」

 

 いずれはこのレギオンでさえも破滅する。そう言いたいのだろうが、そうはならないであろう秘密くらいは隠し持っている。レギオンは総体だ。この地下都市の思考義体を別の端末に移送し、内部データを取って変えるくらいは想定されている。

 

『何の問題がある? 貴様の言っているのは我々が躊躇する、という前提だ。なに、エホバなる個人に星を支配させる事に比べればこれくらい、交渉術の一つに過ぎない』

 

「しかし……ブルブラッドキャリアが頷くかどうかは……」

 

『その程度の試算、まさかされていないとでも? 傲慢の象徴たる元老院が堕ちてから、そのシミュレートは六年前に既に済んでいる。ブルブラッドキャリア側からしてみても旨味のない話ではない。地上のバベルへの介入を、一時的にせよ復活させるのだから』

 

 無論、継続的に相手への優位を与えるつもりはない。バベルを貸し与えるといっても一時的な擬似端末を介しての支配のみ。事が済めば擬似端末ごと相手を焼き切る手はずだ。

 

 水無瀬はここまで覚悟と考えが及んでいるなど少しも思い浮かばなかったのだろう。冷や汗が額に浮かんでいる。

 

「……ですが、相手は強情です。条件を提示されれば厄介なのはこちらのほう」

 

『水無瀬、どうにも随分と、相手を買い被っているようだな。再び報復の芽を蘇らせたとは言っても相手の手はず、所詮は児戯。報復作戦しか頭にない、使い古された老人の繰り言だ。最早、その考えに我々は頓着していない』

 

『必要ならば星の一部くらいは与えてやる。それくらいの温情は見せるとも』

 

 水無瀬は絶句する。苦し紛れのように、一言口走った。

 

「……読み間違えれば負けるのはこちらですよ」

 

『読み間違えれば、の話だろう。なに、我々は敗北しないさ。何のための総体、何のためのレギオンだ。星の外に追放された人々にはない叡智が我々にはある。罪の証……ゴルゴダの使用権が』

 

 その名前に水無瀬は慌てふためいた。

 

「ゴルゴダの使用はバベルによる完全な情報の秘匿、という前提条件の上であるべきもの……! それを無闇に使えば……」

 

『反感は免れない、か? だがその世論とやら、ここまでもうろくしていれば何も見えまい』

 

 世界はバベルネットワークに依存し切っている。この状態で誰が情報発信など出来るというのか。

 

「……ブルブラッドキャリアに利用されれば」

 

『そのケースは既に反証済みだ。世論には不都合な事実にこう言ってやればいい。本当にその場所が爆撃されたのか、ではご確認を、とでも。別の位置情報を取らせれば似たような地平に、似たような青い平原が広がるばかりだ。位置情報の誤認程度はわけない』

 

 それでも、と水無瀬は首をなかなか縦に振らなかった。レギオンは同期ネットワークに水無瀬の煮え切らない態度を予見させる。

 

 ――《モリビトサマエル》に何かを仕込んだか?

 

 ――いや、それにしてはあまりにも迂闊。この場合、自分が仕掛けに出て見事に鼻っ柱をへし折られたと見るべきだろう。

 

 ――……あのガエル・ローレンツだ。何か自分が生き残る術を講じていないとも限らない。水無瀬はあの男の唯一信頼を置く人間。殺すのは惜しい。

 

 ――ではこの議会では。

 

『……水無瀬。勘繰られれば惜しい腹のうちがあるのは読めるぞ。だが、ここでは探りあいはよそう。もっと建設的な意見を述べるべきだ』

 

「……ブルブラッドキャリアへのアクセス……」

 

『賢しいではないか。元々、ブルブラッドキャリアの情報端末、古巣に通話をかけるくらいは可能だろう?』

 

「ネットは絶たれて久しいのですよ。分かれば」

 

『分かれば、我々の力を借りる事もない、か。それも込みだ』

 

「……どういう意味で」

 

『かつてのブルブラッドキャリアの諜報員を人質に取っている、とでも前置きすれば相手の意見も変わるかもしれない』

 

 いずれにせよ、こちらの優位に回る事など全て織り込み済み。読み切れていないのはこの場で水無瀬のみであった。

 

 苦渋に歯噛みする水無瀬に、レギオンは総意を返す。

 

『ゴルゴダの投下を準備。それより以前に、情報操作を開始する。エホバなる人物の特定と共に、そのコミューンを爆撃。地図を少し塗り替えればいいだけだ』

 

 それ以上の議論は無駄だと判断したのだろう。水無瀬は首肯していた。

 

「……御意に」

 

『水無瀬。ブルブラッドキャリアへのアクセスは貴様に一任する。交渉も、な』

 

 自分達だけならば月のバベルへと繋げるのは容易ではない。橋渡しにはちょうどいい役割であった。

 

「……分かっております」

 

 靴音を響かせて遠ざかっていく水無瀬に、レギオンの総体は判断する。

 

『勝利者は我々、レギオンだ。者共よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――だとでも錯覚させれば、満足だろうか?」

 

 バベルのないレギオンなどただの元老院時代と同じか、あるいはそれ以下の情報網だろう。まさか端末を隠し持っているなど連中は思っていまい。

 

『よくやった。水無瀬。ゴルゴダの投下予測は』

 

「レギオンは何よりも世論を味方につけて、六年前の殲滅戦に漕ぎ付けた。今度も世論を無視しての行動は不可能だろう。アンヘルがいくら私兵とは言え、反感を一部からでも買えばそこまでだ」

 

『では我々ブルブラッドキャリア側からわざと隙を見せるとしよう。その期に乗じてレギオンにハッキングさせた、と思い込ませる。出来るな?』

 

 やらなければ死ぬだけだ。水無瀬は静かに頷く。

 

「二枚舌なんて慣れちゃいないが」

 

『よく言う。六年もの間レギオンに潜伏していた。それが何よりの証明だろう』

 

「忠義はこちらに。一時とはいえ、レギオンに味方した事、悔いている」

 

『当然だ。水無瀬、貴様は我々ブルブラッドキャリアが造り出しただけの、人間型端末に過ぎないのだから』

 

「ゴルゴダを落とされればそこまでだ。……離反兵達は?」

 

『気づき始めている頃合だろう。連中は月のバベルのネットワークを持っている。馬鹿な連中だ。わざと貸し与えているというのに。造物主への恵みを忘れた者達には鉄槌を』

 

 水無瀬は脳内ネットワークに《ゴフェル》の位置情報が浮き彫りになったのを確認する。この時点で既にレギオンより上であった。

 

「《ゴフェル》を落とすのは」

 

『どの陣営でも構わんさ。こちらの手を煩わせるな。地上の罪人達の食い合いの中で自滅すればいい。我々は惑星への侵攻計画をセカンドフェイズに切り替える』

 

 セカンドフェイズ――その情報と共に月面の重力に囚われていた一機の《モリビトルナティック》に起動がかけられた事を関知する。

 

 ブルブラッドキャリアはゴルゴダ使用の隙に乗じて、地上を完全に我が物にするつもりだ。《モリビトルナティック》落着は前回ならば相当なスキャンダルになったが、バベルネットワークのない今、誰が関知しても不都合な事実となる。

 

 それがエホバの発する情報であっても、人類は絶対に一つにはなれない。

 

「……皮肉な。神の名を騙ったところで人心を掌握は出来ない、という事か」

 

『エホバには体のいい悪役に徹してもらおう。あれも、馬鹿な事をする。百五十年……それほどまでに人類史の悪を見てきて今さらの判断だ。何が、百五十年の静謐とこの六年が違ったものか。何も違いはしない。人々は争い、血肉を貪り続けてきた。そのツケを払うまで』

 

「一つ、いいか?」

 

 尋ねた水無瀬は脳内に寄生するブルブラッドキャリアの端末を意識する。

 

『何か? まさか今さら及び腰になったなどとは言うまい』

 

「まさか。レギオン連中にはいい加減、うんざりしていたところだ。そんな折に古巣からの連絡、まさに渡りに舟であったと思うしかない。……ただ、本当にエホバが何の考えもなしに今まで静観していたと? そう考えているのか?」

 

 答えには幾ばくかの逡巡を期待していた。だが、応答は無情にも素早い。

 

『不死身の肉体を持つがゆえに、あれは考え過ぎた。今の今まで決定を保留にしたのはあれ自身の罪だ。償うのならば己の愚かさからだろう』

 

「愚かさから……か。そうかもしれない」

 

『如何にレギオンには関知されない状態になったからとは言え、貴様に繋いでいればぼろが出るかもしれん。そろそろ切るぞ。水無瀬、栄誉ある行動を期待している』

 

 一方的に切断された通信に水無瀬はフッと口元を綻ばせた。

 

「……二枚舌もここまでくれば、自分でも僥倖だろう。さて……ガエル、生きているか?」

 

 ほとんど呼吸音と大差ないが、ガエルの脈拍と返答を水無瀬は聞いていた。

 

「《モリビトサマエル》はここで潰えるのには惜しい。だが、君があの場で戦ったのは多いに意義がある。まさかハイアルファーで死人と化したカイル・シーザーと、君の書類上の娘……ベル・シーザーが蜜月の関係にあったとは。これを運命のいたずらと呼ばずして、なんと呼ぶか」

 

 内側から燻る笑いに、水無瀬は鼻を鳴らして襟元を整えた。

 

「君は少し休むといい。なに、ここから先にあるのは、地上の罪人よりももっと罪深い、本当の業を持つ者達の食い合いだよ。高みの見物が一番に賢い」

 

 エホバの位置情報は既にブルブラッドキャリアへと嘘の情報を紛れ込ませている。

 

 罪の爆弾が投下されるのは、コミューン、トリアナ――。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯273 悪夢の流星

 

 瞼を上げると、黎明の光が視野に切り込んできた。

 

 あまりにも強い光の連鎖に、もう死んだのか、と胸中で感じ取る。最後の最後に、弟子の因縁を拭い去れて本望であった、と思いながら、死出の旅に出るのが一番か――。

 

 そこまで考えていた矢先、すすり泣く声を聞いていた。

 

 閉じかけていた意識を表層へと浮かべる。伸ばした手が開け放たれたコックピットへと流れ込む汚染大気を掻いていた。

 

「……生きて、いるのか……」

 

 地獄まで汚染されているという冗談はあるまい。これは現実だ。そう判じたリックベイは身体を飛び起こしかけて、肩口へと突き刺さった拷問器具の激痛に顔をしかめた。

 

「このシステムモジュールは……」

 

 見覚えがある形状であった。旧世代の拷問椅子のように、操主を羽交い絞めにする精密機器。

 

 その名は――。

 

「……すまない、リックベイ・サカグチ……少佐ぁ……。あなたには、生きて欲しかった。俺の代わりなんて、死んで……欲しくなかったんだ」

 

 呻いた声の主へとリックベイは視線を向ける。鬼面の男が涙で顔を濡らしていた。

 

「……桐哉。わたしは、……そうだ。わたしは、お前を庇って、モリビトの一撃を受けた」

 

 廃棄されたナナツーに乗っての特攻。どう考えても生きているはずがないのに。

 

 今の自分には脈拍、呼吸共に存在しない事を、リックベイは関知する。それは習い性の戦闘神経が身体の内側を読み取った結果であった。

 

 既に、――死んでいるのだ。

 

 その事実に慄くよりも先に、鬼面の不死者は慟哭する。

 

「すまなかった……。こうするしか……なかったんだ。世界のために……あなたは生き残っているべきだと……」

 

「……罪を重ねたのか。桐哉」

 

 別段、それを責め立てるわけでもない。ただ、一度でも罪の道に塗れたのならば、それも当然の結果ではあった。

 

 身を起こしかけて、不意に通信ウィンドウが開いたのを目にする。

 

 映し出されたのは眼鏡をかけた男の独白であった。発せられる言葉の節々に、胡乱なものを感じる。

 

「……エホバ? 神を気取るか」

 

 通信を回復させようとしてその手をUDが遮った。最早、彼の眼差しはシビトのそれに戻っていた。

 

「……通信状態はつい一時間前から変わらない。ハイアルファーの弊害かとも思ったが、どうやら違うらしい。ローカル通信域でのみ、通信が可能なほど狭まっている」

 

「……大規模なハッキングでも」

 

 思い浮かんだ言葉にUDは頭を振った。

 

「分からない。分からないが、何かが……起ころうとしてるのだけは確かだ」

 

 彼は朝陽を見やる。新たなる旅路への朝焼けは、妙に鮮烈に網膜に焼き付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまで来られて幸福であった、という独白に、ベルは小首を傾げた。

 

「……どうして? だってあの人……あなたを否定して」

 

「それでも、さ。僕は元々、六年も前に存在を否定されているんだ。その戦いを、少しでも贖えた事が……」

 

 今は幸福だ、とクリーチャーは周囲を見やっていた。《フェネクス》の部隊は《モリビトサマエル》中破、という事実によって自然と隊長へと権限が戻った形らしい。

 

 口々に隊員の声が漏れ聞こえた。

 

『すいません……隊長。我々は大義を……』

 

『いや、いい。貴君らは不死鳥戦列として、最善を願った。立場が違えば自分も彼を撃っていただろう』

 

 指揮官機《フェネクス》が部下の機体を労い、《グラトニートウジャフリークス》へと向き直った。

 

「……結果的に刃を向けさせてしまった」

 

『いや、我々も随分と……遠回りをした。不死鳥隊列は大義を果たすためにあるのだと、そればかりで。……目の前の美しい花を摘む事が正しい事ではないのだと、改めて教えてくれたのは貴君だ』

 

 差し出されたマニピュレーターにクリーチャーは自身の機体の腕を目にして自嘲する。

 

「握手も出来ない……薄汚れた怪物の腕だ」

 

『それでも』

 

《フェネクス》が至近まで接近し、破壊しか知らない顎の腕を包み込んだ。どうしてだかこの時、人機越しでもあたたかい、という感慨を抱けた。

 

「……もう、何もかもを失ったものだと思い込んでいた」

 

『そんな事はない。そうだ。旧ゾル国陣営に……いや、これは身勝手なお願いか。貴君は旧ゾル国に侮辱された。それだというのに……』

 

「いや、僕も……出来れば、と思っていたところだ。守りたいものは、やっぱり変わらないみたいだ」

 

 ベルを守り抜くためには力が必要だ。絶対的な力が。それと共に志も。

 

 その志を抱くのに、かつての古巣に戻れるのならばどれほどにいいか。

 

《フェネクス》の操主が微笑んだのが伝わってきた。

 

『不可思議な話だが……墜とせと言われた相手に肩入れするなど。それでも、手を取り合ってくれないか。この間違った世界を正すために』

 

「……クリーチャーさん。泣いているの?」

 

 どうしてだろうか。裏切られ、何もかも見捨てられたはずだ。それでも、涙する事が出来たのは。

 

 騎士道は廃れない事を証明してくれたからか。あるいは、自分がこんな怪物になってしまっても、まだ信じるべき縁があったからか。

 

 少なくとも、今、この頬を濡らすのは大義の涙であった。

 

「こちらからも、よろしく頼みたい」

 

『……名を、教えてもらえると嬉しい』

 

 殺し合いの果てに待っているのは憎しみだけではない。慈しみも、戦いの向こう側に生まれる事だってある。

 

 目の前で実証され、クリーチャーは捨て去ったはずの名を紡いでいた。

 

「カイル……」

 

 もう名乗る事はないと思い込んでいた名前。完全に、自分からは奪い去られたと思っていた名前である。

 

 それを今一度名乗れるとは。これほど嬉しい事はない。

 

 その刹那、宙を振り仰いでいたベルが指差した。

 

「……クリーチャーさん。あれ、何かしら……? 真っ昼間なのに、青い一番星が……」

 

 ――青い一番星? クリーチャーは面を上げる。

 

 直後、無音地帯を青い流星が引き裂いた。

 

 瞬間、轟音と膨れ上がった熱波が、コミューントリアナを激震する。半球状の地獄の業火が、コミューンに棲む全ての生命体の息吹を消し去るのは、ほんの一秒にも満たなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第十三章了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四章 星の運命
♯274 戦慄の破壊神


 

 眩く弾けたのは流星。

 

 網膜の裏に焼きついたのは、直後の爆風であった。ゾル国の駐在地の観測所が、惑星表面をなぞるかのようにカメラで撮影した一連の変化は、それそのものが辿った恐るべきデータと共に闇に葬られる。通常ならば、それは「変化なし」として、廃棄処分になるはずであった。

 

 この時、一人の観測員がガラにもなく目を光らせていなければ。

 

 元々、ゾル国の作り上げた軌道エレベーターなど意味を成さない、観測機は使い古されて久しい。加えて旧陣営の発言力が薄くなったのも拍車をかけた。

 

 観測レンズは、何を映していても、何を撮影していても、それは「なかった事」に規定される。C連邦――アンヘルの蛮行を知っていながらにして、黙認すれば懐に金が入ってくる仕組みを作り上げたのは他でもない、お歴々だ。

 

 だから観測員はこの時の異常熱波と、視界いっぱいに広がった青い半球の業火に、息を呑んでいた。

 

 アンヘルがやってきた事を数え始めればそれは一ヵ月経ってもなお、足りないほど。破壊活動はそれほどまでに苛烈であった。

 

 だが、所詮は人機を使っての代物。言ってしまえば「知れている」事柄である。

 

 コミューンが一つ、地図から消えても、それは残虐非道なアンヘルの状況証拠ではあったが、別段、宇宙にいる身分からしてみれば何も恐怖を覚えるものではない。

 

 自分以外の誰かが死んだ。それだけの話。

 

 だが、これは。観測レンズが今も映し続けているこの事象だけは。彼の五感が震える。

 

 そして訴えかける。これだけは看過してはいけない。これだけは認めては断じてならないのだと。

 

 青い煉獄の炎の放射はたったの十秒間にも満たない。しかし、彼は目撃してしまった。レンズにも記録されている。

 

 これは一大スキャンダルだ。アンヘルか、あるいは別勢力のものかは分からない。しかし、コミューンを一個、完全に地上にあった証明すら根こそぎ消し去る兵器など、それは百五十年前の禁忌よりもなお恐ろしい。

 

 人が手を出してはいけない領分のはずだ。

 

 彼はどこに通信を預けるべきか悩んだ。咄嗟に回線を開こうとしたまではいいものの、それを誰に証拠として提出すべきなのか、直前で思考が邪魔をしたのだ。

 

 上に? 否、それでは揉み消される可能性が高い。かといって、アンヘルに言えば、それこそ薮蛇だろう。彼らの破壊工作、という可能性が濃厚な以上、下手な事を言って命を摘まれるのは御免であった。

 

 ならば誰が……、彼は頭を抱える。

 

 コミューンが謎の兵器によって破壊された。宇宙で使われたのならばいざ知らず、それを汚染の傷痕が疼く地上で使用されたのだ。

 

 どういう意味なのか、この星に生まれた者ならば誰でも分かる。

 

 星を傷つけるのは遺伝子の奥深くに刻み込まれたタブーだ。

 

 だが、どうすれば……、誰に頼めばいいのだろうか。誰に言っても信じてもらえないような気がしていた。たとえレンズの状況証拠があっても、現状では誰がこの惨劇を飲み込めるだろう。

 

 きっと、誰にも不可能に違いない。下手を打てば命が危ういのは分かり切っている。

 

 思案を浮かべた彼の耳朶を打ったのは通信回線の接続音であった。

 

 まさか、電波ジャックか、と身構えた彼は秘匿回線から漏れ聞こえた声に目を見開く。

 

『……ゾル国の監視塔の、観測班ですね?』

 

 完全にこちらの位置を掌握している。それはしかし、あり得ないのは分かっていた。

 

「……何者なんだ。だって今、地上では……」

 

『お静かに願います。地上では確かに、混乱のるつぼ。まさしく、その禁を破られた楽園の様相を呈している』

 

 地上通信は全て断絶された、と伝え聞いている。アンヘルでさえも身動き出来ない状態だとも。あの悪逆非道の組織でさえも、今は自由に羽ばたけない。その事実こそが、この回線の胡乱さを醸し出している。

 

「……だっていうのに……誰が」

 

『秘匿回線を使っている意味、理解出来ますね?』

 

 まさか、今しがた観測した爆風を相手は理解しているとでもいうのか。だが、地上からでは絶対に見えない領域であるはずだ。

 

 宇宙の常闇、静謐の只中だからこそ、偶然に捉えた地上の異変。それを相手は地上からの通信で察している。

 

 何者なのか判じようにも、彼にはそれだけのスキルがなかった。

 

「……旧ゾル国の観測所だ。意味なんて……」

 

『ですが、あなたの持っている情報は、世界を変えるでしょう。それこそ、覆る。何もかもが、支配の根底から』

 

 青く眩い輝きが網膜の裏で蘇る。あれは禁断の光だ。ヒトが目にしてはいけない灯火。

 

 原罪の火そのもの。

 

「……俺は支配者になんてなりたいわけじゃない」

 

『無論、その地位は保証しますよ。観測員、悪くはない地位でしょう。ですが、あなたは後世にこう伝えられる。世界を変えてみせた偉人の一人として』

 

 この動画が、本当に世界を変えられるのか。自分は旧ゾル国の新兵から、偉人にまで登り詰められるのだろうか。眼前に吊るされた事象に、彼は唾を飲み下す。

 

 あまりに魅力的に映る餌はこの時、彼の危機感を誘発した。

 

「……あんたは何者だ?」

 

『分かりますよ。好都合が過ぎれば人間は警戒する。そういう風に出来ている生き物だと。しかし、これは好都合でも何でもないのです。あなたは目撃者だ。時代の変革の只中にある、このうねりの。ただ一人の目撃者であり、俯瞰者でもあるのです。宇宙の闇からのみ、見通せたこの星の歪み。それを正せるのはあなただけだ』

 

 不思議と昂揚感が勝っていた。不安と疑念が広がるかに思われた胸には、名前すら明かさぬ相手におだてられた、一種の信頼が。

 

「……俺が見たものに意味があるとでも?」

 

『意味があるどころか。その映像記録を出すべきところに出せば、きっちりと。この世界は応えてくれるでしょう。あなたは報われるべきなのです。時代の目撃者は、いつだって偶然の積み重ねのうちに完成する。星が汚染された時、それを観た人間がいたはず。コミューン同士で戦争が勃発した時、それをどこか、与り知らぬ場所から観測した人間がいたはずなのです。そう、何十億もいる人類のうち、彼らは最も幸福な位置にいた。観測する、という別段階の場所に。当時の人々はどうしようもなかったかもしれない。後世に伝えるしか。だが、あなたは違うはずです。この現象を今、……そう、今、この瞬間に! 世界に発信する義務がある!』

 

 まるで扇動されているかのようだ。彼はいつの間にか、相手の声に聞き入っていた。

 

 心地よく、自分を称える言葉。偉人と同列なのだと錯覚させられる。

 

「だが……こんなものを発信しても、上には」

 

『握り潰されますか? 確かに、冷静に考えればそうでしょう。ですが、あなたにはこの道がある』

 

 アドレスが表示される。秘匿回線の向こう側にいる相手への直通だろう。

 

 真実へと至る道。そして何よりも、人間を救済するであろう道。

 

「……一つ、聞きたい。俺が見たのはそんなにも……」

 

 大それたものであったのか。惑う問いに相手は即座に応じる。

 

『人類を次の段階へと進めるのに、いつだって偉人達は悩み抜いてきた。あなたにもそれがあったはずです。葛藤の末に、この映像を放てば、世界は変わる。変わってくれる』

 

 鼓動が高鳴る。自分がエンターキーを押すだけで、何もかもが覆る。世界の常識が。世界を覆う悪意そのものの姿勢が。

 

 全能感に支配された彼は強い酩酊状態のように視界がぶれるのを感じていた。

 

「この指先一つで……」

 

『世界は変わる。変えるのです』

 

 衝き動かされるように、彼はエンターキーを押していた。直通回線へと映像記録が送信される。

 

 これで変わる。世界は変革する。

 

 その予感に彼は打ち震えた。自分一人の観測で、何もかもが覆っていくだろう。

 

 アンヘルによる恐怖政治も、C連邦一強の政策も移ろい行く。自分がエンターキーを押しただけなのに。

 

 愉悦の感覚に浸り、彼は天井を仰いでいた。

 

 直後、不意打ち気味に扉がノックされる。次の観測員が来たのだろうか。慌てて回線をシャットダウンし、彼は交代しようとする。

 

 だが、その胸には大義を成し遂げた実感が伴っていた。

 

 自分は歴史を変えた、偉人として後世まで語られる。

 

 目撃者は偶然によるものでしかないが、行動したのならばそれは偉人となる資格を満たした事になるだろう。

 

 充足感のまま、扉を開けた彼は相手が拳銃を握っているのを目にしていた。

 

 乾いた銃声が響き、心臓を無慈悲な鉛弾が射抜いた。

 

「偉人は殺されて完成する」

 

 そのような言葉を聞きつつ、彼は落ちていく意識に任せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりにもぼやけた視界の中で歩いているので、彼は、ああ自分はもう死んだのだな、と悟っていた。

 

 だが、いつ死んでも別段後悔はなかった。何もかも終わったのだ。ならば、後悔しても仕方あるまい。

 

 かつての栄光は消え去った。広告塔として祀り上げられ、一時期には白騎士の勲章でさえも胸に宿したほどだ。

 

 それも、思えば短い夢。禁じられた力は自分という存在を作り替えた。

 

 別種の存在に成り果てからの記憶は曖昧である。暗く湿った場所に幽閉され、幾星霜。

 

 何かが変化した予兆もなく、何かが変化しそうな展望もない。

 

 永遠の孤独が自分を包み込んだかに思われていた。だが、光明が差したのは不意の出会いであった。

 

 ――ベル。まだ幼い、物語を愛する少女。

 

 彼女が全てを変えてくれた。破滅しかないと思われた自分へと、別の道を模索させてくれた。

 

 今も、地獄への一路を辿っていても、あの日々だけが輝いている。社交界で王子を気取った時よりも、羨望と期待の眼差しに包まれた時よりもなお、色濃いのは充足感であろう。

 

 自分は、ただの一人の「人間」として再びこの世界に舞い戻ってこられた。

 

 それだけでもう何も要らない。もう、自分には過ぎた願いだ。

 

 だからなのか、眼前へと靄の中から現れた光の少女に、彼は目を見開いていた。

 

「……ベル。君のお陰だ。お陰でようやく旅立てる。この……忌まわしい身体を捨てて。思えば自害すればよかっただけの話なんだ。でも、それが出来なかったのは、きっとどこかで期待していたのだろう。……結果論だが、それでよかった。君に出会えた。だから生きていた、意味があったんだ」

 

 語りかけてもベルは微笑むばかりで何も応えない。いつものお喋りで夢見がちな少女の相貌ではなかった。聖母の慈愛を帯びた面持ちにうろたえてしまう。

 

「ベル……、君が変えてくれた。分かったんだ。未来は変えられる。過去だって、どうにでもなる、って。……美しくなければやり直せないなんてとんだ思い違いだった。僕には君が――」

 

 そこまで口にしたところでベルが言葉を紡ぐ。しかしそれは、音を伴っていなかった。

 

 その唇が紡いだ言葉を求めて、彼は手を伸ばした。抱き締めたかった。悪意のない指先で。害意のない唇で。誰も傷つけないで済む――愛そのもので。

 

 彼の手がベルの手を取る。

 

 その刹那、何もかもが裏返っていた。

 

 光は霧散し、赤く染まったコックピットが視界に大写しになる。

 

 彼――クリーチャーはその手を青い大樹へと伸ばしていた。大樹の枝がぽきりと折れる。

 

 機体ステータスが異常値を示し、耳を劈くブザーの音に、クリーチャーはまだ自分が《グラトニートウジャフリークス》の中にいる事を自覚する。

 

 だが、と頭を振った。

 

「……僕は、あの時……そうだ。青い流星が、ってベルが言って……。ベルは?」

 

 どこに行ったのだろう。ベルの行方だけが忽然とコックピットから消え失せていた。視線を巡らせた彼は自分が掴んでいる大樹の枝にハッとする。

 

 先ほどから視界の端でちらつくのはハイアルファー【バアル・ゼブル】の実行の文字。明滅する忌むべき赤がその命令の執行を意味していた。

 

 クリーチャーは息を呑む。ハイアルファー【バアル・ゼブル】は強大な力と引き換えに、操主を「人間ではない別の存在」へと変換するハイアルファー……。

 

 ――まさか、と大樹へと注いでいた眼差しが戦慄く。

 

「ベル……なのか?」

 

 青い大樹からは声も聞こえない。それどころか、生命でさえもないようであった。

 

 ――何も、感じない。

 

 突きつけられた現実に《グラトニートウジャフリークス》の視野が突然に開ける。

 

 周囲に点在していたはずの家屋や城下町は最初から存在しなかったかのように塵芥に還っていた。青い粒子が浮き上がり、灰色に染まった景色はどこまでも荒涼としている。

 

 何が起こったのか。自分は何をしてしまったのか。理解するまでの時間、彼は傍に佇む機体から迸った叫びを聞いていた。

 

『そんな……! 嘘だろう、そんな! 何もかもが……壊れてしまったというのか! 消えてしまったというのか……! そんなの……あまりにも惨い、惨過ぎる! こんなもの……自分の望んだ未来ではない……!』

 

《フェネクス》を押し包んでいたのは虹色の皮膜であった。取り込んだRトリガーフィールドの能力がとっさに守ったのだろう。《フェネクス》はしかし、爆発の余波で機体のほとんどを失っていた。

 

 大破した《フェネクス》が地へと這い蹲り、地面を掘り返す。

 

 まるで、消え去ってしまったものを取り戻そうとするかのように。

 

『嘘だ、嘘だ嘘だ、嘘だ! こんな事は……嘘だ! 何もないなんて! 自分達の証明が……生きていた事の……何もかもが、なかった事になるなんて……!』

 

 なかった事になる。クリーチャーは大樹を仰いでいた。

 

 ベルの存在も、なかった事になってしまったのだろうか。あるいはハイアルファーによって別種の存在へと変換させられたのだろうか。

 

 いずれにせよ、自分が手を伸ばした先にあったのは、茫漠とした暗礁の未来であった。

 

 ここから先には何もない。何もかも、灼熱と焦土の向こう側に消し飛ばされた。

 

 クリーチャーは面を伏せ、咽び泣く。頬を流れる涙に、彼は嗚咽を漏らした。

 

「ベル……もう、会えないのか……。だって、ようやく……! もう、ガエル・シーザーとの因縁も絶った。連邦も追ってこられない、ようやくここまで……! 来たって言うのに……! こんなところが僕の、終点だって言うのか……」

 

 因果は全てそそいだ。それでも贖えないのは、この罪に塗れた身体そのものだろうか。

 

 何者でもない、ケダモノの身体。どれほど望んでも得られない魂の安息。それが、ここまで……泥と血と汚染された大気の果てに、消し去られていた。

 

 何もない、空白だ。

 

 何も望めない……闇だけがある。

 

 これが自分の心だというのか。これが自分の、手を必死に伸ばした先にある答えだとでも言うのか。

 

 獣はどこまで行っても獣。少女の安らぎと願いを叶える事は出来ない。

 

 この手では、この爪では、この身体では、この声では、この魂では――どれほど祈ったところで、痛みを背負ったところで、何も叶わない。

 

 願いは裏切られた。

 

 望みは絶たれた。

 

 幾ばくかの希望は、無残にも踏みしだかれた。

 

 クリーチャーは慟哭する。声を上げて泣き叫ぶ。

 

「これが……こんなものが世界の答えだとでも言うのか……! ならば、僕は……こんな世界を……否定する!」

 

 瞬間、オォン、という咆哮が聞こえたような気がした。天高く……この地へと爆撃したであろう全翼型の機体を、どうしてだかこの時、《グラトニートウジャフリークス》を介した彼は目にした。

 

 まるで手の届く位置にいるかのように。

 

 その手を伸ばす。握り潰すイメージを伴って遥か空の彼方にいる全翼機を、茶褐色に染まった指先が爪を立てた。

 

 直後、《グラトニートウジャフリークス》が顎の腕を突き出す。引き出された砲身が青く染まったかと思うと、小さな砲弾が加速度を上げて中天へと吸い込まれた。

 

 何が起こったのか、自分でも分からなかった。

 

 だが、巻き起こったのは最後に見た景色と同じ現象である。

 

 天地が逆巻き、青い稲光が走ったかと思うと、雲間が裂けた。虹色の罪の皮膜でさえも射抜いた輝きが全翼機を貫く。

 

 青い砲撃が爆撃機の翼を焼き切っていた。直後に爆発四散した敵機に《フェネクス》の操主が絶句する。

 

『……何を。貴殿は今……何をしたんだ?』

 

 全てが不明であった。不明ながらに、全天候周モニターへと登録された新たなる武装の名前をクリーチャーは反芻する。

 

 それは禁忌の力が引き寄せた悪魔の奇跡か。あるいは天使の嘲りか。

 

「……登録武装名……ゴルゴダ」

 

 その名を紡いだ途端、白亜の《グラトニートウジャフリークス》の装甲が青く染まる。

 

 禁断の青を引き移した機体が吼え立て、世界へと怨嗟を放った。

 

「……呪ってやる! 世界よ、全てを奪い去った残酷なる世界そのものよ! 僕はここに……この星に生きる全てへの……反抗を宣言する」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯275 呪われた地へ

『撃墜? まさか! 撃墜だと?』

 

 その報告にレギオンの議席が色めき立つ。水無瀬もさすがにこの事態だけは想定外であった。

 

 全翼型の爆撃機が何らかの兵器によってゴルゴダを投下した直後に撃墜された。その事実を知ったのはブルブラッドキャリアが提供した情報網によって、である。

 

 月面のバベルを一部分のみ借り受ける交渉は滞りなく実行された。それもこれも自分の二枚舌の成せる業であったが、問題であったのは、エホバがいると目したコミューンにはエホバがいなかった事ではない。元々、ブルブラッドキャリア本隊とレギオンとの蜜月を完璧にするためのものであった。だからエホバが実際にいる、いないは問題にはならないはず。

 

 しかし、何の変哲もないコミューンに投下されたはずのゴルゴダは予想外の反撃をもたらした。

 

 無論、コミューンからの反撃など想定しているはずもない。

 

 ゴルゴダは、爆発した時点で全てを融解させ、物質を原子分解させるはずの兵器だ。あの爆風と熱波に包まれて生きている生物などいるはずもない。

 

 人機とて、高熱に抱かれて跡形もないだろう。

 

 だというのに、迎撃の謎の一射。それもただの一撃ではない。

 

 直前までモニターされたその兵器参照データにレギオンの議席は困惑していた。

 

『どういう事だ、水無瀬……。これは、ゴルゴダの識別データだ。まさか、放ったはずのゴルゴダが、そのまま跳ね返ってきたとでも?』

 

「そのようなわけが! ゴルゴダはどんな兵装でも反射なんて出来るはずがありません! リバウンドフォールでも……!」

 

 コミューン規模でリバウンドの力場を張っていたとしても、それでもゴルゴダの威力は貫通するはずだ。だというのに、モニターされた情報はたった一つの真実を突きつけていた。

 

 ゴルゴダと同等の威力の兵器が発射され、全翼機を撃墜した、という悪夢のような状況を。

 

『水無瀬……だがこれをどう説明する? ゴルゴダの反射は不可能、確かにそれはその通りだろう。……だが、ゴルゴダをレールガンに乗せて発射は出来るのではないか? やってみせた連中がいる』

 

 ここでまさか、ブルブラッドキャリアの内偵を疑われるとは思っても見ない。しかし、あまりにもスムーズに事が進んだのが裏目に出た。自分はこの場で、ブルブラッドキャリア側を見限ってレギオンの側に安易につく事は出来ない。

 

 どちらかを切ればどちらかから手痛いしっぺ返しがくる。レギオンからしてみれば苦肉の策として月面のバベルを得ているはずだ。

 

 だというのに、自分が二重スパイなどと疑われてしまえば、これから先立ち回りにくくなるのは必定。

 

 しかもこの状況をブルブラッドキャリア本隊はバベルを通して閲覧しているはず。どちらにも嘘がつけない状態は、水無瀬を呼吸困難に陥らせるのには充分であった。

 

「……決して、そのような事は」

 

『どうかな。《ゴフェル》と繋がっていたとなれば、水無瀬、貴様、背信行為では済まないぞ? 世界への反逆だ。ここで公開処刑をしてもいい』

 

『ブルブラッドキャリア相手にうまく立ち回ったつもりだろうが、最後の詰めが甘かったな。あの場にモリビトでもいれば、なるほど……不可能ではないかもしれん』

 

「それは、断じて! モリビトだとしても不可能です!」

 

 いけない。議会は冷静さを欠いてモリビトの存在を言い訳に自分の処罰を決めようとしている。モリビトがいてもいなくても関係がないのだ。

 

 その可能性の一端さえあれば、自分が裁判にかけられるのは必定。

 

『水無瀬よ。最早、その口上、どこまでも愚かしい。人心を掌握出来ても我々は騙せまい。我らはレギオン、総体であるがゆえに』

 

 モリビトに出来る出来ないではなく、自分がブルブラッドキャリアに口ぞえしたのだと一度でも思われてしまえばそこまでだ。

 

 レギオンの疑念の眼差しが四方八方から突き刺さる中、水無瀬は次の言葉を繰ろうとした。

 

 だが、何を言っても無駄だというのは自分が一番に理解している。

 

 張りぼての理論で騙せる領域は既に過ぎ去った。ゴルゴダの使用というある種の禁じ手を晒した上でなお、相手から反撃があった場合など一度だって想定していない。

 

 やはりここまでか。諦めかけたその時であった。

 

『……達する。《ゴフェル》に動きあり』

 

 別の端末が捉えた《ゴフェル》の動きを全員が同期する。

 

『これは……北に航路を取るか』

 

『北方だと? 何がある?』

 

 世界地図を呼び出したレギオンはブルブラッドキャリアの艦が取る航路の先を見据えていた。

 

『……ブルーガーデン跡地』

 

 忌々しげに放たれた言葉に水無瀬は、好機を感じ取った。

 

「やはり、というべきですかね」

 

『どういう事だ? 水無瀬、貴様まさか……』

 

 相手が義体であっても思い浮かべる事の優先度はやはり保身。それならばこのハッタリが効いてくる。

 

「相手も信用ならなかった、というわけですよ。ブルーガーデン跡地、何があるかなど問い返すまでもありますまい」

 

 このもったいぶった言い草ならば監視しているブルブラッドキャリア本隊に発破をかける事も出来る。

 

 レギオンの高官達は分かり切っているがゆえにあえて多くは語らなかった。

 

『……水無瀬。迎撃の準備を取る。アンヘルを、出せる戦力を絞り出せ』

 

「仰せのままに。しかしまだ《モリビトサマエル》は出せませんよ?」

 

『第三小隊が地上の駐在基地に位置していたな。彼らを出させろ。因縁がないわけでもない連中ばかりだ』

 

 第三小隊に追わせてモリビトを退けるつもりだろう。だが、そううまく事が進むかどうかは運次第であった。

 

「勘繰られれば厄介ですよ」

 

『なればこそ、だ。水無瀬。結果を示せ。結果は全てにおいて優先される』

 

 これ以上の会話はぼろが出るだけだと相手も判断したのだろう。水無瀬は一礼して議会から立ち去る。

 

 エアロックが閉じてようやく、彼は息をつけた。高鳴った鼓動が今さらに現実を突きつける。

 

「殺されても仕方なかった、が、結果的に功を奏したな。ブルブラッドキャリア……いいや、《ゴフェル》側の動きが」

 

 水無瀬は同期ネットワークを接続する。

 

『観ていたぞ。どういう事だ? ゴルゴダとやらはそう簡単には量産出来ないのではなかったのか?』

 

 本隊の連中には先ほどまでほど気を遣わなくっても大丈夫だろう。六年もの間、自分は騙せてきた相手だ。

 

「落ち着かれるとよろしいかと。それに、地上での些事です。何も慌てふためく事ではありますまい」

 

『……それもそうだ。今しがたの情報だ。《モリビトルナティック》を起動させ、惑星の北方に落着させる軌道を取らせた』

 

《ゴフェル》が北に動いたのはブルブラッドキャリア本隊の不手際が原因であったか。舌先三寸の嘘だったとはいえ、結果的に助けられた事に皮肉を覚える。

 

「それはそれは。では《モリビトルナティック》の落着は?」

 

『衛星軌道に入れば誰も止められまい。アンヘルの者共が気づく頃合には、もう重力の虜だ。落ちるのには支障ないだろう』

 

 何らかの情報網により、《ゴフェル》は《モリビトルナティック》の落着を予想。その結果が北への航路か。予想針路にブルーガーデン跡地がなければ自分は今頃、生きてはいないだろう。

 

『して、水無瀬。ブルーガーデン跡地にやけにこだわっていたな。何がある?』

 

 水無瀬は用意していた言葉を返す。

 

「ゴルゴダの製造基地があるのですよ。ゆえに、破壊工作は面倒かと」

 

 相手もそれで納得する。さすがにこれは読めていた。

 

『そうか。ゴルゴダなる大量破壊兵器は確かに脅威だが、宇宙では何の意味も成すまい。せめて我々の移り住む星をこれ以上汚さないように警告だけでもすべきか』

 

「心配要りません。ゴルゴダは諸刃の剣。我々としても使用は控える方針です」

 

 本隊はその結論で納得するはず。水無瀬は嘆息を漏らしていた。

 

『地上を破壊し尽くしてから、気づくのでは百五十年前の愚策と同じ。レギオンもそこまで馬鹿の集まりではないであろう。水無瀬、次なる展開を期待している』

 

 同期接続が解かれ、水無瀬はようやくまともな呼吸が出来た事に安堵する。

 

「次なる展開……か。その時には星がなくなっているかもしれないな」

 

 ならば、こちらも次の手を打つしかないだろう。水無瀬は月のバベルへと自身の通信網を飛ばそうとして、やはりというべきか、あまりの距離に阻害されたのを関知する。

 

 舌打ちを混じらせ、水無瀬は頭を押さえた。

 

「……この距離ではバベルへの直接アクセスは不可能か。バベルを現状、使用出来るのは《ゴフェル》とブルブラッドキャリア本隊……レギオンは体よく情報を使い回されているに過ぎない」

 

 しかし、と水無瀬は思い立つ。地上のバベルを断片に至るまで全て回収し、掌握したエホバの用意周到さはやはり異常であった。事ここに至るまでその姿さえも歴史に覗かせない影の存在。自分達調停者にのみ、その片鱗をにおわせていたブルブラッドキャリアそのものの革命の因子。

 

「……エホバ。何故に今、ここで人類を見限った。ここに来るまでに無数の道筋があったであろうに、何故今なんだ? 貴様は何に、――絶望した?」

 

 問いかけても答えは出そうになかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯276 怨念の少女

 北方警護隊に伝令が下ったのは夜半の出来事で、誰もが寝ぼけ頭を叩き起こされた形となった。

 

「何だ? ゾル国の攻撃かよ」

 

「いや、つい数時間前から実は本国とも連絡が取れなくって……、その言い訳だろ、どうせ」

 

 非常召集の段になっても、誰もが欠伸をかみ殺したのはやはりこの場所の特異性もあったのかもしれない。

 

 かつてのブルーガーデン国土。現在は汚染地帯の青い焦土と化している場所を見張る、死に最も近い部門。集められたのが荒れくれ者ばかりなのも拍車をかける。

 

 全員が全員、本国での出世レースから外れたどこかいわゆる「キレた」者達。アンヘルにもなれず、かといって正規軍の役職を追われた先にあったのは短い命をさらに短くすり減らせという命令に等しい極地防衛任務。

 

 青い地平を毎日眺めていれば気も狂う。精神点滴と呼ばれる代物は常設であったし、アンヘルの使用している安定剤「ジュークボックス」の平常使用も許されていた。

 

 事情を知らぬ他者が見れば、薬物に染まり切った軍隊とも呼べない統率力。だからか、召集場所に全員揃ったのは命令がかかって二十分も経った頃合であった。

 

 隊長は帽子を目深に被った軍人であった。横顔に裂傷があり、その面持ちを険しくしている。この非常召集をかけた人物そのものだというのに、彼の手にはブルブラッドの葉巻が握られていた。

 

 毒の呼吸を吸い込んで一拍、隊長が口にする。

 

「揃ったか? ……アァ、まぁ揃っていなくても構わん。貴様らに伝令が下った。つい十分前の出来事だ」

 

 時間の齟齬に誰も突っ込まないのはこの部隊では時間など律儀に守る人間は一人もいないからであった。

 

 投射画面に映し出された映像資料は古いもので、明らかに直近のものではないのだと窺い知れる磨耗具合である。

 

「北方のこの地に連中が来る。貴様らもよく知っているだろう。ブルブラッドキャリアだ」

 

 青いモリビトが街頭を駆け抜け、バーゴイルの紛い物を破壊する映像は隊員達もよく知っている。六年前のオラクル独立宣言の際に全世界中継された代物だったからだ。

 

 そんなもので危機感を煽ろうとしても無駄の一言。このモリビトが攻めてくるわけではないのだから。

 

「隊長、俺達だって暇してるんじゃないんです。冷やかしなら酒の席にしてもらえますか?」

 

 そんな、上官を上官とも思わない言葉が漏れたのも当然と言えば当然。この地では全てが意味を成さない。

 

 ブルブラッド汚染大気によって外気を十秒も吸えば死に至り、リバウンドフィールドによる重力反転現象で内地はヒトが生存出来る条件ではないのだと窺い知っている。

 

 この青い土壌を見張る事しか出来ない自分達には失うものなど少ない。ならば、有事の際に国家にかけるべき信念もない兵士に何を期待するというのか。

 

 今さらの疑念に隊長は手を払った。

 

「貴様らに死んでまでモリビトを破壊しろなんて言うかよ。そこまで期待していないだろう、本国は。これを言っておいたのは、アンヘル連中がここに来るからだ。……後から聞いてませんでした、なんて言われたら堪らんからな」

 

「虐殺天使ですか?」

 

 誰もうろたえなかったのは、この罪の丘において虐殺天使程度、児戯に等しいのだと理解していたからだ。何が来ようともこの場所ほどの地獄ではあるまい。

 

「モリビト討伐に手を貸せ、とのお達しだ。アンヘルの編成部隊は、確か今頃……」

 

 その言葉から先を羽音が消し去った。胡乱そうに空を仰いだ隊長と部隊員達の目に飛び込んできたのは、物々しい輸送機である。

 

 隊長が舌打ちを漏らす。

 

「……もうおいでなすったか。と、言うわけで貴様ら。アンヘルの方々には失礼のないように、な」

 

 隊長は葉巻を足で踏み消して輸送機へと歩み寄っていく。

 

 ドーム型コミューンの形式を取るこの警戒地では何重にも機能する隔壁によって外気が遮断され、浄化されて取り込まれてくる。

 

 輸送機が基地に降りてきたその時には、まだ全員、寝ぼけ眼を擦っていた。

 

「どういう経緯かと思ったら……。お偉いさんが来るから行儀よく、だとよ」

 

 味方が肩を突きあって笑いを交わす。ここは正気ではいられない場所。ゆえに、上官への敬意などまるで存在しない。

 

 輸送機から運ばれて来たのはなかなかに見ない代物であった。それだけでも、感嘆の息が漏れる。

 

「ブルーガーデン製の……コンテナか」

 

 光波、磁場、赤外線など何もかもを通さない鋼鉄の檻。どうしてそのようなものに封印する必要性があるのかを問い返す前に、赤い詰襟服の三人が昇降機より降りてきた。

 

 その佇まいに、冗談だろ、という声が上がった。

 

「女、だと?」

 

 銀髪の少女に、目を煌々とさせた青年仕官。その二人をつき従える人物に、さすがの末端兵もざわめいた。

 

「おい、あれ……。タカフミ・アイザワじゃないか?」

 

 さすがに堕ちた指揮とは言っても伝説の誉れ高い噂は聞き及んでいる。六年前のブルブラッドキャリア殲滅戦において、先読みのサカグチと共に戦端を切り拓いた、勇者そのもの。その武勇伝は時間だけはあり余っている兵士達にとって暇潰しにはちょうどよかった。

 

 彼の眼差しが兵士達を見据えた時、反射的に敬礼をした者が数名。残りは眼前で起こっている現実が理解出来ないでいた。

 

「アンヘル……虐殺天使に女の兵士? それを従えているのが歴戦の勇者なんて……おいおい、どういう冗談だこいつは」

 

「聞こえているぞ。……こんな僻地までよく……」

 

 隊長がタカフミと握手を交わす。タカフミは全員を見渡した後に尋ねていた。

 

「これで全員か?」

 

「末端兵でしてねぇ……。このブルーガーデン跡地を守るのには、これくらいでちょうどいいって話でさぁ」

 

「そう、か。最新情報を同期したい。ブリーフィングを開いても」

 

「ご自由に。……して、そこのお嬢さんは?」

 

 赤い詰襟服に身を包んでいてもまさかアンヘルの仕官だとは思えない。それよりも、捕虜だといわれたほうがマシであった。

 

 タカフミは視線を振り向ける。

 

「今回の作戦の要です。彼女がモリビトを抑える」

 

 その言葉にさしもの怖い者知らずの隊長でも口をあんぐりと開けていた。少女仕官は線も細く、今にも折れそうなほどに華奢だ。

 

「……失礼ながら、その方、例の……」

 

「ああ。血続だ」

 

 アンヘルは構成員全員が人機を動かすのに特別な適性を持つ兵士――血続なのだという。その噂は本当であったのか、と兵士達は息を詰める。

 

「俺も血続だ。何か文句でも?」

 

 挑発的な青年仕官の言葉にタカフミが諌める。

 

「ヘイル中尉。ここでは彼らのほうが上手だ。流儀には従う義務がある」

 

「そうですかい。にしたって……全員が全員、ヤクでもキめてるみたいに目ぇばっかり、煌々として。本当に大丈夫なんですか?」

 

 隊長は咳払いし、その言葉を制する。

 

「その辺にしたほうがよろしいかと」

 

「ああ、こちらも失礼を。これがこの基地に置いていただきたい、機体の仕様書だ」

 

 端末に送信されていく機体名称は直後には全員に同期されている。その中の一人が、声を上ずらせた。

 

「嘘だろ……。《ラーストウジャカルマ》だって?」

 

 その機体名に全員がざわつく。《ラーストウジャカルマ》、その悪名はこのような僻地でも轟いている。

 

 かつてのブルーガーデンが建造した機体であり、トウジャタイプの先駆け、ハイアルファー人機なのだという事を。

 

 全員の了承を取るようにタカフミは見渡す。

 

「古い名称ログで設定されているから混乱しないで欲しい。今は《ラーストウジャイザナミ》だ」

 

 それでも、トウジャの……最初期ロットには変わらない。アンヘルの兵士達が伊達や酔狂でこの場所を訪れたわけではない事を全員が思い知った。

 

「整備班はこちらのスタッフで対応する。その方の整備班と混同になるが構わないか?」

 

 タカフミの問いかけに隊長がうろたえ気味に応じる。

 

「そりゃ、構わんですが……、ハイアルファー人機だっていうんでしょう?」

 

「中身まで弄れとは言っていない。外装パーツの予備は既に用意してある。単純チェックだけでいい」

 

 ハイアルファー人機である事は否定をしないのか。その事実に辟易する前に、少女仕官が歩み出ていた。

 

 コンテナに入った人機へとまるで語りかけるように手をついている。

 

「……何をやっているんだ?」

 

 聞き耳を立てようとした矢先、隊長の怒声が飛んだ。

 

「貴様ら! アンヘルの名に泥を塗るような警戒をするな! モリビトは絶対にやってくる!」

 

 その声にびくついたのは兵士達だけではない。手をついていた少女仕官も、であった。

 

 彼女は振り返るなり、その双眸に憤怒を宿す。その身に不釣合いなほどの殺気に数人が中てられたのだろう。よろめいた兵士もいた。

 

「モリビトは……敵」

 

「ヒイラギ准尉。今は待て。戦いはそう遠くない」

 

 タカフミの言葉に一度は冷静さを取り戻したようであったが、まるで抜き身の刀のような声音に兵士達は怯え切っていた。

 

「……何てェ……殺気なんだ。あれ……絶対にヤベェ奴だろ」

 

 汗を拭った兵士へと、タカフミは呼び止めていた。

 

「我々が滞在出来るだけのスペースが欲しい。モリビトとの決戦になった場合、長期戦の構えもある」

 

「ああ、それなら空き部屋がいくつか。……案内してやってくれ」

 

 隊長の眼差しに浮かんだ無言の了承に、兵士達は三人をそれぞれ、別に案内した。

 

「スイマセンね、アンヘルの将校さん。うちは男衆ばっかりなんで、女に宛がう部屋がなかなかないんですよ。こっちまで来てもらえますか?」

 

 ヒイラギと呼ばれた仕官だけ別の道へと案内する。そこから先は言わずもがなであった。如何に言葉振りだけで威圧されたとはいえ所詮は女。飢えた兵士達にとって格好の獲物であるのには変わらない。

 

「……ホットケーキはみんなで選り分けるもんだぜ」

 

 言い置いた兵士に誘導を担当する兵士は手を払って応じていた。

 

 楽しみはまず自分が、という腹であろう。

 

「……あいつ、クズだからな。一人で何もかもをやった後に回してくるんだろ」

 

「勿体ないよなー。せっかくの正気の女だろ?」

 

「……いや、どうだかな」

 

 正気かどうかまでは、誰も判断を下せなかった。

 

 タカフミともう一人の青年仕官を連れて行く隊長に、数名の兵士が続いた。

 

「……物々しいな」

 

「すいませんね。ここんところ、厄介な事ばかりなもんで」

 

「存じている。各国コミューンで通信が途絶した」

 

「ご存知で? そうでさぁ。地上はてんてこまい。コミューン同士の連絡手段なんて確立されていない今では難しいんですよ。ネットが一つでも綻びが出ると。それも大規模コミューンにも影響が出てるって言うんですから、なおさらです」

 

「……大規模ジャミングの線でも捜査を進めている」

 

 それが言葉振りの意味だけではないのは、彼らも理解していた。

 

 エホバを名乗る男による全世界同時ハッキング。信じたわけではないが、神の名を取るだけのものならば、出来なくもない、というのが大方の判断であった。

 

「しかし、大尉殿がまさかこんな辺境地にやってくるとは思っても見ませんでした。それほどにブルブラッドキャリアはヤバイんで?」

 

「……相当な力をつけているのは疑いようがない。それに……我が方が警戒すべきなのはブルブラッドキャリアばかりではないのもな」

 

「分かりませんねぇ、どんな時代でも。敵の敵は味方理論ですか?」

 

 隊長ののらりくらりとした言葉繰りにタカフミは毅然として応じていた。

 

「おれ達は勝つ。そのためだけに今、ここにいる」

 

 まるでこの場所に留まるのが下策とでも言うような口調であった。普段は昼行灯の隊長もその言葉には一家言あったらしい。珍しく声音を沈ませる。

 

「……しかしですね、ここは我々の領分なんです。来るって言うんなら、別段アンヘルの力を借りなくてもいいんですよ。統率が出来ていないわけでもないですし、アンヘルに劣るとも思っていません」

 

「それは貴君らを見ればよく分かる。旧式機でよく、踏ん張ってくれているとも」

 

「監視しているだけの腰の引けた連中ばかりだとは、思わないで欲しいんですよ。いざとなればモリビトと事を構えるくらいは出来る」

 

「期待はしている。おれ達だって何も万能とまでは言わない」

 

 タカフミの言い草はしかし、どこかエリートと自分達は違うとでも言いたいようであった。さすがの隊長でも看過出来ないのか、再三言いつける。

 

「気をつけてくださいよ? 敵は、目に見える分だけじゃない」

 

 気を抜けば後ろから撃つ、という警句にも英雄の操主は動じない。

 

「気を引き締めよう」

 

 こちらの挑発にことごとく乗らない相手に業を煮やしたのか、隊長はそれ以上の会話を打ち切った。

 

「ここが、居住スペースです。用があればローカル通信で」

 

「ああ。助かる」

 

 居住区から出た隊長は、まずブルブラッドの葉巻に火を点けていた。鬱憤の表れのように、青い息を吐き出す。

 

「……なかなかに食わせ者の二人だ。下手な挑発に乗るのは下策だと分かってやがる」

 

「隊長。嘗められてるんならこっちから」

 

「いや、やめておけ。あの二人はガチの実力者だろう。……もう一人の女は、知らないがな」

 

「そういや、戻ってきませんね。ケーキは取り分けるって言っておいたのに……」

 

「独り占めかァ? おい、出ろよ」

 

 通信を繋いだ隊長は通信先で漏れ聞こえた物音に胡乱そうに眉をひそめた。

 

 何かが割れるような音。次いで、暴力の音が連鎖する。

 

「……おい。まだヤれって言ってないだろうが。気が早いにもほどが……」

 

『違う……、違うんです! 隊長! 助け……』

 

 そこから先の言葉が途切れた。何が起こったのか、全員が理解出来ない間に、通信網から怨嗟の声が漏れ聞こえる。

 

 地獄の底から発せられたような、声であった。

 

『モリビトは……敵』

 

 ブツン、と通信が切れる。胸を占めて行く嫌な予感に、焦燥に駆られた兵士達が一斉に、少女仕官の待っているであろう居住区へと駆けていった。

 

 居住区の前で、ぼろきれのように項垂れた仲間を見つけた時、疑念は確信に変わった。

 

 何が起こったのか、と隊長が問いかける。

 

 肩を揺さぶった時、仲間はもう虫の息であった。

 

「隊長……、それにお前ら……。あの女……イカレてる……」

 

 全身に裂傷を作った仲間に隊長は医務室へ、と言付ける。兵士達全員が、まるで巨獣の穴倉を凝視するかのように、少女仕官の待っているであろう居住区を声もなく眺めていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯277 大空の翼

 

《ゴフェル》の航路と同一の海域への針路を取っていたラヴァーズ旗艦からもたらされたのは、これ以上の継続的な協定は不可能、という一事であった。

 

 ニナイはその言葉を受け、《ビッグナナツー》のブリッジへと赴いていた。甲板警護に出ているほとんどの兵士達は自分達にはもう関心はないようである。

 

 この場で唯一、内側に意識が向いているのは、ブリッジに佇む《ダグラーガ》の操主――サンゾウだけであろう。

 

 彼は白波が砕ける船首を見据えていた。

 

 その眼差しは彼方へと投げられている。ここではない未来を睨んでいるかのようであった。

 

「……何を見ていらっしゃるのですか」

 

「……時を」

 

「時?」

 

「エホバなる男の宣告を目にして感じた。拙僧は時を待っていた。人類に絶望する人間が現れるであろう、その時を。ある意味では、これこそ僥倖であったのかもしれない。拙僧以外にも、ヒトに見切りをつけた存在がいたなど」

 

 サンゾウは悠久の時を生きてきたはずだ。その中で何度も絶望の淵に立ったに違いない。その声音には自然と重みがあった。

 

「……しかし神を騙るなど」

 

「いや、存外ヒトの歴史とはそのようなもの。神を騙る人間の出現を何度も待ってなお、繰り返してきた。それがヒトの業でもある」

 

 どれほどに後悔しても贖えない、罪そのものであると言うのか。

 

 ニナイは《ダグラーガ》に収まったサンゾウの声しか聞けない。彼がどのような表情をしているのか、分からないのだ。

 

「……私達も過ちの具現者だった」

 

「茉莉花より聞いた。月面での出来事を」

 

 それならば余計な言葉は必要ないのだろう。自分達だって驕りの塊だ。今の今まで、造物主の尊厳を持っていたつもりであった。

 

 それを叩き壊されても、実感はないのだ。だが鉄菜はこれをずっと抱いてきた。

 

 造られた、というコンプレックス。何者であるのか、どう生きるのかの命題を彼女はずっと探してきたのだ。

 

 モリビトと共に。

 

 その苦しみの肩代わりを今さら出来るなどと言うつもりはない。一端でも分かった風な言葉を吐くつもりも。

 

 ただ、純粋に同じ目線にはもう立てないのだという、苦味だけがあった。

 

「私達だって、所詮は……」

 

「だがヒトは、純粋な意味で言えば誰しも作り物と同じ。そこに介在する意思も、借り物に過ぎない。だからこそ、大切なのだろう。どう生きるのか、前を見つめるのにはどうすればいいのか、という覚悟を」

 

 鉄菜は六年も前にそれを理解したのだ。ならば今度は自分達の番であった。

 

「……私達は、鉄菜に報いたい」

 

「死に急いでいるようにも見えるが……忠告は後にしよう。ラヴァーズの方針として、もうブルブラッドキャリア……いや、この場合は《ゴフェル》か。旗艦との連携は取れないと判断する」

 

「それは、私達が信用ならないという話では」

 

「断じてない。むしろ、信頼はしている。だからこそ茉莉花を預けた。あの娘は……ヒトとの繋がり合いがあまりにも希薄な場所から生み出された。ゆえに諸兄らに頼むところもあっただろう。あの子を人間にしてくれた。それは感謝してもし切れない」

 

「私達は……何もしていません。茉莉花に……引っ張られっ放しで」

 

「それでも。生きる意味を見つけ出すのには最適な環境だけではいけないのだ。どこかで軋轢を作らなければ、人は人になれない」

 

 どこか達観したような声音にニナイは頭を振っていた。

 

「それでも……ヒトだと胸を張っては言えません」

 

「それくらいでいいのだろう。ヒトだと誇れる存在など、それだけで驕りだ。拙僧はまだ迷いの胸中にある。だがこれだけは言える。悟りに至っていないこの身でも、言えるのはヒトは、自ら踏み出せる。切り拓けるという事だ。未来を」

 

「未来……」

 

 茫漠とした未来などまるで描けない。それでも、その先があるというのか。これから先に、待っているというのか。

 

 六年前よりも残酷ではない未来だとも言い切れない。

 

 地獄が待っているとしても。

 

「……私達に踏み出せと?」

 

「そうするのが正しい。……正しく見える」

 

 それこそ残酷の一言だろう。ここよりいい未来が待っているとも限らないのに、闇に手を伸ばせというのか。

 

「……同じ道を行けないというのは、それも込みですか」

 

「地獄に堕ちるのはどちらかだけでいい。我々は修羅の道を行く。そうするのだと決めた者達ばかりだ。元々、信仰に生きるとはそういう事なのだろう。だが、貴君らは信仰ではない、現実を切り拓け」

 

 それが、最後の助言だとでも言うような口ぶりであった。ニナイは一礼して踵を返す。

 

 決意を揺さぶる事は出来ない。もう決まってしまった事も。

 

「……それでも、あなた達は茉莉花を私達に預けてくれるんですね」

 

「希望を載せた舟であろう? その名に恥じないようにしてもらいたい。……これもエゴか」

 

 答えを出さず、ニナイは歩み去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「《ナインライヴスピューパ》は現状、予備パーツを使っての整備……急いで! 《イドラオルガノン》もすぐに出せるように! あとは《モリビトシンス》だけれど……そっちも出来るだけ構成パーツを準備して。ゴロウだけでもエクステンドディバイダーを使用出来るようにしないと……後もないんだから」

 

 口にした茉莉花は手元の端末に最新情報を同期しつつ、脳内ネットワークで惑星の動向を探ろうとしていた。

 

 バベルネットワークが切れた今、逆に好機である。レギオンの巣窟とアムニスの情報を掠め取ってやると息巻いた自分は直後、現実の視界で誰かが立っている事に気づけなかった。

 

 ぶつかってから、苛立ちをぶつける。

 

「どこ見ている……!」

 

「すまない……。わたしも用があったから……」

 

 どこか所在なさげな言葉振りをする瑞葉に、茉莉花は全ネットワークを一度遮断した。

 

「……何の用?」

 

「もう一度……《クリオネルディバイダー》に乗せて欲しい」

 

「駄目だ。許可出来ない」

 

 ばっさりと切り捨て、その場を後にしようとする。その時、肩口を掴まれた。

 

「クロナの助けになりたいんだ!」

 

 叫んだ瑞葉は直後、息を荒立たせていた。まだ本調子ではないのはリードマンの手記をローカル通信で同期すれば分かる。

 

「……悪い事は言わない。《クリオネルディバイダー》の生み出す加速度と、《モリビトシンス》の特殊性を加味して言っている。もうあれには乗るな。乗れるのは鉄菜だけだ」

 

「だが……っ! 誰かが乗らないとエクステンドディバイダーは……!」

 

「策は打てているが……うまく機能するかまでは不明だ。だから大丈夫などという生易しい言葉は吐けない」

 

「なおさらだろう! わたしに乗せ……!」

 

 そこで腹部に激痛が走ったのだろう。瑞葉が横腹を押さえて蹲る。

 

「無理をする必要はない。お前は鉄菜の身勝手で同乗しているだけだ。いつでも降りられる」

 

「そんな……! 今さらクロナを放ってはおけない! あいつは……わたしそのものなんだ……」

 

 悔恨の滲み出た声に茉莉花は嘆息をつく。

 

「どいつもこいつも……鉄菜、鉄菜、か。お前ら、心配し過ぎだろう。どうしてそう、他人を自分以上に大切に思える?」

 

「それは……わたしにもよく分からない。ただ、知っている人間ならばこういうだろう。……それは心があるから、だと」

 

 その言葉に茉莉花は眉をぴくりと上げる。

 

「心、か。鉄菜・ノヴァリスが未だに手に入れられないと嘆いているそれを、こっちはもうとっくに……いや、あいつのお陰で……」

 

「……茉莉花?」

 

「ああ、クソッ! 冷徹であるつもりだったのに! こっちへ来い。見せたいものがある」

 

 どうしてこうも儘ならないのだろう。あるいはそれこそが人間という、合理性を欠いた代物の結末だというのか。

 

 帰結する先は全員、同じだとでも言いたいのだろうか。

 

 瑞葉がよろよろと背に続く。

 

「本当は、見せるつもりはなかったんだがな。《クリオネルディバイダー》が使用出来ない、という状況を加味して造った……言うなれば急造品だ。あまり戦力としては期待していない」

 

 案内したのは隔離された格納庫である。暗黒に染まった格納庫の照明を、重々しい音を立てて点灯させる。

 

 僅かな眩惑の後に無数のケーブルに繋がれた人機が露になった。

 

 瑞葉はその機体を目にして硬直している。

 

「この……人機は」

 

「もしもの時のために、月面の資材を集めて造らせておいた急造戦力。ロンド系列の機体だ。ただし、中身はほとんど第一世代のモリビトと変わらないがな」

 

 ゴーグル型の頭部形状に瑞葉は目を奪われているようであった。それも当然だろう。彼女がかつて操っていた乗機のデータを基にして建造したはずだからだ。

 

「装甲が……青い」

 

「ブルブラッド深度を最大まで高め、《モリビトシンス》のデータも反映した……その影響だな。血塊炉の干渉が高いと青くなってしまう。最初は白いロンドとして造ったつもりだったんだが」

 

「……名前は」

 

 中てられたような瑞葉の質問に茉莉花は応じる。

 

「――《カエルムロンド》。大空、という意味を当てた」

 

「《カエルムロンド》……。あの日見た、空と同じ色なんだな……」

 

「その空の色は知らないが、こいつならば少しは扱いやすいだろう。《クリオネルディバイダー》に無理やり乗って、鉄菜の操縦技術に合わせる必要もない。お前の適性値に振れば、これはもうお前の人機だ」

 

 だが、と瑞葉は覚えず声にしていた。

 

「わたしは……戦場で働きを得られるだろうか」

 

「それはお前次第だ。この《カエルムロンド》はそれなりに応えてくれるだろうが、実際に操主が乗ってみないと分からないのが現状だからな」

 

 元々、これを瑞葉に見せる事自体が下策なのかもしれない。瑞葉にもう一度、戦って欲しくない人間が大半だろう。それでも、彼女の意志まで止められるわけではない。

 

「……茉莉花。どうしてわたしにこれを見せる? 見せないで秘めておく事も出来たはずだ」

 

「そうなんだけれど、この艦は馬鹿ばっかりだ。自分の事は二の次の馬鹿、他人と比べて行動するしか出来ない馬鹿、それに……こうして出来る事はないかと、急かしてくる馬鹿だな」

 

「……すまない。だが、苦しいんだ。クロナの事を思うと、ここが。どうしてなのだろう。今までこんなに、息苦しかった事なんてなかったのに」

 

 瑞葉は胸元を押さえる。その理由まで言ってやる義理はなかった。

 

「次の戦闘までに使えるように仕上げておくといい。まぁ、出撃許可が下りるかどうかは知らないが」

 

 その場を後にしようとして背中に呼び止められた。

 

「茉莉花……その……恩に着る」

 

「よせばいい。慣れてない事をするものでもないし」

 

「それでも、だ。わたしは……人になりたい。心を感じる事の出来る……人間というものに」

 

「人間、か。案外、なってみるとつまらないものかもよ? 鉄菜もやけに執着してるけれど、人間を超える権利を持っているのに、行使しないなんて」

 

「多分……そうじゃないんだと思う。人間になれないのは……出来損ないでもなりたいと願うのは、憧れなんだ。わたしは、人並みになりたい」

 

「ようやく人造天使の本音が聞けたわけか。《カエルムロンド》の話はこっちから通しておく。せいぜい、人間ごっこを楽しみなさい」

 

 憎まれ口を叩いても瑞葉は言い返す事もない。

 

 この舟に乗っている連中は揃いも揃って大馬鹿者ばかりだ。

 

「……もう持っているのに、探し求めているなんて……それは」

 

 そこから先を、茉莉花は濁した。それがどれほどまでに幸福なのか、理解していないはずもないだろう。

 

 ――それは何よりも、人間の証明ではないか。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯278 覚悟の戦場へ

 答えはどこにある?

 

 そう、彷徨い続けていた。探し続け、求め続けていた。モリビトと共に。

 

 だが、答えなどなかったのかもしれない。記憶の表層に現れたのは、紺碧に沈んだ罪の大地であった。

 

 ブルブラッド汚染大気が逆巻き、死の静寂を確約する外の世界。

 

 しかし、自分はそんな世界で朝焼けを目にしている。汚染された濃霧の向こう側から、今日も太陽は昇ってくる。

 

 ぼやけた明日。滲んだ昨日。全てが過ぎ去っていくばかりの罪。贖えないという名の重石。

 

 人は、罪を直視するようには出来ていない。

 

 今もまた、救えなかったコミューンが炎に抱かれていた。朝焼けの赤と境界をぼやけさせる青、それに灼熱の赤が混ざり合う。

 

 人間の業が生み出した景色に、自分はただ、持て余した身体で砂っぽい空気を吸い込むのみであった。

 

 コンテナには愛機である《シルヴァリンク》が搭載されているが、いつまでも持つ戦いでは事は重々承知である。

 

 それでも、願った。抗った。

 

 全ての罪に銃口を向け、刃を軋らせた。それは決して無駄だと思いたくないからだ。これまでの生も、これからの生も。消え去った命の残滓も、その灯火も。

 

 何もかもを無駄だと、言い切れればどれほどに楽か。どれほど救われるか。

 

 しかし、自分は選んだのだ。モリビトと共に世界を見守り、その是非を問うと。ならば、ここで見守る景色でさえも、自分の罪過の一つ。守れなかった、後悔の産物だ。

 

 ――心はここにあるのよ。

 

 何度でも、何回でも、このような死に包まれていく景色を見る度に思う。胸の中にあると言われた心の在り処。それが悲鳴を上げている。声にならない慟哭の中にある。

 

 だが、それが正しいのか。それが、本物の「人間」の在り方なのか。誰も教えてくれない。教えてくれる人は彼岸へと旅立ってしまった。

 

「彩芽、教えてくれ。心は……どこにある?」

 

 出来損ないの人間が口にする。心なんて、どこにもない。この手は、この指先は、破壊するばかりだ。

 

 何もかもを台無しにして、虚無を広げるばかりの手。壊す事しか出来ない、壊す事、殺す事は上手くなっていくのに作り出す事は何も出来やしない。

 

 ――偽物。出来損ない。

 

 それが自分だと、鉄菜は思っていた。

 

 人間の真似事をするだけの身体器官。だがその実、人間とはまるで別種の位置にいる、人間未満の存在。

 

 ならば、炎に包まれるのが人間らしいのか。ただ、状況に踊らされ、殺し合い、死を待つだけなのが人間だとでも言うのか。

 

 ――否、と声にした肉体は《シルヴァリンク》に乗っていた。

 

 並み居る人機を一機、また一機と斬り倒していく。その太刀筋に迷いはないはずであった。今さら、人殺しに迷いなんてない。

 

 そう、断じていたはずなのに……。

 

 刃が、武装が、ナナツーやバーゴイルに押さえ込まれる。悪鬼の如くこちらを見据えた敵人機から一斉に刃が注がれた。

 

 コックピットの中の小さな存在でしかない自分の肉体を引き裂き、激痛に意識が閉じそうにある。

 

 それでも煉獄の炎に焼かれるこの肉体に、赦しは訪れない。

 

 きっと自分は炎に焼かれながら、最後の審判の日まで戦い続けるしかないのだ。

 

 だから、他人の痛みが分からない。他者の事を理解出来ない。出来損ない、仕掛けの狂った人形……。

 

「そう思いたいだけでしょう?」

 

 影のシルエットの向こう側で、彩芽が見下ろしてくる。あの日と同じ、心はこの胸にあるのだと教えてくれた双眸で。

 

「本当なのか……。本当に心は、この胸の中に……あってくれるのか?」

 

 刃が深く肉体に食い込む。それでも、手を伸ばさずにはいられなかった。戦いしか知らぬ身。戦い以外は要らないのだと、叩き込まれてきた。

 

 世界の有り様を見れば嫌でも、二者択一の道が横たわっているのだと知る。

 

 生か死か。勝者か敗者か。壊す側か守る側か。

 

 どれだけ守り手になりたくとも、「モリビト」であろうとしても、この残酷なる世界によって示された答えは……どこまでも無情。

 

「私は壊す事しか出来ない破壊者の側……」

 

 では彩芽は? 死んでいった者達はそうではなかったのだろうか。天国とやらに行けたのだろうか。

 

 自分は、と鑑みた瞬間、夢の底が抜け、身体は闇へと没した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 緊急警報が劈き、鉄菜は身を起こす。習い性の身体が既に戦闘姿勢へと入っていた。

 

「起こした?」

 

 立ち上がったのと桃がエアロックを解除して、部屋に入って来たのは同時だった。

 

「何か……」

 

「眠っていたほうがいいわ。……クロは疲れているでしょ?」

 

「いや……戦わなければならないのなら、眠っている場合でもない。エホバに動きでも?」

 

「そっちじゃないみたい。モモはクロを起こしてきて、って言われて、で今」

 

「……しかし、物々しい感覚だ。芳しくない状況に転がったか?」

 

「そのまさかみたいね」

 

 桃の背後から茉莉花がひょっこり顔を出す。浮かんでいる皮肉めいた笑みに、何かが蠢いているのを予見した。

 

「茉莉花。エホバか?」

 

「いいえ。ブリーフィングルームへ。作戦の説明を始めるわ」

 

 鉄菜は腕に刺さっていた点滴のチューブを引き千切って立ち上がる。Rスーツを着込み、桃を見据えた。

 

「でもクロ……。これ以上、傷ついて欲しくないのは、本当」

 

「だが茉莉花がいるという事は《モリビトシンス》の能力を必要だと加味されている、というのは窺える。戦局を聞く」

 

 歩み出た鉄菜に、茉莉花はこぼす。

 

「無理しないでいいのよ? 《モリビトシン》だけじゃどうにもならないわ」

 

「どうにかなるようにするのが、お前の役目だろう」

 

「分かっているじゃない」

 

 安い挑発を交わし合い、鉄菜は部屋からブリーフィングルームまでを抜けていく。途中で合流した林檎が顔を見るなり苦み走った表情を浮かべた。

 

 蜜柑が一礼する。この軋轢も含めて、今の自分には清算しなければならない出来事が数多い。

 

「揃ったわね?」

 

 ニナイの声に林檎が肩を竦める。

 

「いなくてもいい人間までいるみたいだけれど」

 

 その眼差しは瑞葉に注がれていた。彼女は、と鉄菜は声にしようとする。

 

「ミズハのこれ以上の作戦参加は不可能のはずだ」

 

「いいえ、鉄菜。これも込みで、考えていかなくてはいけないのよ」

 

 茉莉花の論調にニナイは反論を挟まない。何かがあるのは充分に理解出来た。

 

「……作戦だと?」

 

「北方に針路を取ったラヴァーズの艦と我が方に対して、ブルーガーデン駐在地よりアンヘルと連邦の部隊が多数、向かってきているという情報を得たわ」

 

 投射画面に映し出された敵機の数は相当数に上る。空を埋め尽くさんばかりのバーゴイルとそれに混じった《スロウストウジャ弐式》は掃討戦の構えを取っていた。

 

「まさか……この状態で殲滅戦だと?」

 

「神を気取った人間が現れた程度で、世界は変わらないのかもね。あるいは、北方地……ブルーガーデン跡地にはどうしても隠し立てしたい何か、があるか」

 

「何か……でもあの場所は、重力変動地のはず」

 

 口を差し挟んだ桃に、茉莉花は言い含んだ。

 

「あくまでも仮説だけれど……一国が滅び、その跡地を強国が何かに利用しないとも限らないわけじゃない? 例えば……超強力な、ブルブラッドの爆弾を整備するのに」

 

 まさか、と全員が息を呑んだ。だが考えつかない帰結でもない。

 

「あのブルブラッドの爆弾の、実験地だとでも?」

 

「確証はないけれど可能性はある」

 

「……分かった。《モリビトシンス》で敵陣に切り込む。敵の防衛網を突破し、爆弾を全て破壊する」

 

「……言うは容易いかもれないけれどさ」

 

 林檎のぼやきに茉莉花も首肯する。

 

「そうね。言うだけならばタダ。それに、作戦をまだ話していないわよ、鉄菜。今回の任務は三手に分かれてもらう」

 

「三……?」

 

 二手ならばまだ理解出来た頭に疑問符が浮かぶ。茉莉花はゴロウへと顎をしゃくった。

 

 珍しくこの場にはいないタキザワに代わり、ゴロウが後を引き継ぐ。

 

『爆弾があるという実証も薄い現状、敵陣の突破だけでは作戦完了とは言えない部分もある。さらに言わせてもらえば、頭を悩ませるのは目下、エホバとアンヘルだけでもなくってね。これを見て欲しい』

 

 投射画面が切り替わり、衛星映像が映し出したのは常闇を引き裂いて惑星へと迫り来る十字架の影であった。

 

「まさか! これって……!」

 

 桃の声音にゴロウが頷く。

 

『《モリビトルナティック》。まさかこの段階で仕掛けてくるとは思いもしない。どうやら本隊はどこかとコネクションでも持っているようだな。地上の有り様を理解していなければこうも示し合わせた事は出来ないだろう』

 

「敵は眼前のみに非ず、か」

 

 結んだ鉄菜にニナイが声にしていた。

 

「鉄菜。《モリビトシンス》には衛星兵器の破壊を頼みたいのよ。無論、接近する敵機は脅威ではある。でも、私達の火事と惑星そのものの危機、天秤にかけるのもおこがましいわ」

 

「救え、というのか。だが動乱の只中にある状況では、また利用されるだけではないのか?」

 

 こちらの考えに茉莉花は首を横に振っていた。

 

「利用するほどの情報源がないでしょう。地上はバベルを失った。どれだけこのエホバという男が神を気取っていても、迫り来る危機の前では無力でしょうね。誰かが止めなくてはいけない。アンヘルの宇宙部隊では無理だと判断し、鉄菜、《モリビトシンス》で完全に破壊して欲しいのよ」

 

「でもそれは……! クロだけに宇宙の駐在部隊と交戦させるって言うの……!」

 

 桃の抗弁に茉莉花は冷徹に返した。

 

「こう言えばいいかしら? 適材適所、と。《ナインライヴスピューパ》では《モリビトルナティック》ほどの巨大構造物は破壊出来ない。《イドラオルガノンカーディガン》でも同じよ。今、こっちの戦力で出せるのが、《モリビトシンス》だけって事」

 

「でもそれじゃ……、もしアムニスが来たら……」

 

「来ない事を祈るばかりね。それに……他人の心配ばかりもしていられないわよ? 三人には敵陣営を押さえてもらいたい。中にはアンヘルの上級部隊もいる可能性がある。地上だって馬鹿には出来ない」

 

 どこに回されようが戦場なのには変わりないのだ。互いの無事を祈るのが賢明であろう。

 

「桃、私は大丈夫だ。しかし……疑問が残る。三手、と言ったな? もう一部隊はどこに?」

 

 茉莉花は投射画面を払って地図を呼び出した。ブルーガーデン跡地が赤くマーキングされている。

 

「《ナインライヴスピューパ》と《イドラオルガノンカーディガン》は敵陣営を止めて欲しい。そしてもう一手は爆弾の在り処を探してもらうわ。ブルーガーデン跡地へと上陸。その後、破壊工作を一任する」

 

「誰が請け負う? それが問題だろうに」

 

「爆弾の破壊にはラヴァーズの残存人機とこちらからも新型を一機、寄越すわ。出来るわね? 瑞葉」

 

 思わぬところで瑞葉の名前が出て、鉄菜は一瞬、目を白黒させた。

 

 瑞葉は重々しく頷く。

 

「わたしが《カエルムロンド》で爆弾の破壊に当たる」

 

「何を……、《カエルムロンド》? 一体何を言っている……? 茉莉花、これはどういう……」

 

「言葉通りの意味よ。前回までのデータに基づき、《クリオネルディバイダー》へと搭乗するのは避けてもらう事に決定した。瑞葉には新型の《カエルムロンド》に乗ってもらう。言っておくと、こちらのほうが安全性では上だから、何の心配も――」

 

「そうじゃない! ミズハにどうして、また戦わせようとする! そういう約束ではなかったはずだ!」

 

 まさか自分が声を張り上げるとは誰も思っていなかったのだろう。暫時、静寂の降り立ったブリーフィングルームで鉄菜はハッと気づいた。

 

「私は……」

 

「鉄菜。そちらの意見は尊重する。でもね、無理なものは無理なのよ。戦力を出し渋るのも、ましてや《クリオネルディバイダー》にこれ以上乗ってもらうのもね。だから、これは最大限の譲歩。瑞葉は戦いたいと、役に立ちたいと願っている。なら、戦力になってもらうのはやぶさかではない」

 

「だが……、よりにもよってブルーガーデンだぞ……」

 

「クロナ。わたしはそこまで深刻に捉えていない。むしろ、爆弾の解除に役立てるのならよかったとも……」

 

「私は! お前に傷ついて欲しくないだけで……!」

 

 そこまで口にして鉄菜は声を詰まらせる。これは以前、瑞葉自身に言われた事の裏返しだ。

 

 ――もう一人の自分。傷ついて欲しくない相手……。

 

 まさか、それを自分が口にする番になるなんて思いもしなかった。黙りこくった鉄菜に瑞葉は言いやる。

 

「わたしが志願したんだ。それに、エクステンドチャージを使う《モリビトシンス》には、ただの足枷になるだけだから……」

 

 口から何か言葉がついて出ようとする。

 

 だが、だとかそれでも、だとか言う言葉は、どれも今まで自分が他者から言われてきたものばかりであった。

 

 それほどまでに、自分は他人を心配させてきたのか。誰かが死地へと赴くかもしれないという事は、ここまで胸の重石になるのか。

 

「クロ……瑞葉さんはモモ達が最大限、援護するわ。ラヴァーズだっているのだから……」

 

 桃が不安に駆られるほどに今の自分は脆さを露呈しているのか。これでは宇宙での単独任務にも支障が出る。

 

 ぐっと奥歯を噛み締め、鉄菜は声を搾り出す。

 

「それが……ミズハの納得した答えならば……」

 

 何も言うまい。何かを、言ってはいけない。それは今までの自分の足跡の否定にもなる。自分は許せるのに他者の道を阻むなど、決してあってはならないはずだ。

 

「鉄菜が不安に駆られるのも、まぁ分からない話でもないわ。でも、ブルーガーデンは瑞葉からしてみれば庭のようなもののはず。手っ取り早いのよ。こちらとしてもね」

 

「だからと言って……、敵人機の群れへと突っ込ませるのか?」

 

「策はあると言ったでしょう? そんなに信じられないの?」

 

 茉莉花との無言の睨み合いの末に、鉄菜は身を翻した。

 

「どこへ行くのかしら?」

 

「……これまでと違う《モリビトシンス》のオペレーションになる。それならば早く慣れておかなければならないはずだ。実際問題、敵が来るまでは時間もないだろう」

 

「そうね。敵は思ったよりも早くに到達する。問題があるとすれば、戦力差だろうけれど、それくらいは造作もないでしょう? 矢面に立つのは自分だけなんだから」

 

「茉莉花……そんな言い方……」

 

 諌めかけたニナイの声を、鉄菜は押し留める。

 

「いや、いい。それくらいで私は助かる」

 

「理解がよくって好都合だわ。《モリビトシンス》はゴロウとのオペレーションになる。せいぜい、仲良くね」

 

「……言われるまでも」

 

 立ち去りかけて、壁に背を預けていた林檎が声を差し挟む。

 

「なぁーんだ。怖いんだ?」

 

 挑発だ。乗るな、と精神面で分かっていたはずであったが、この時、鉄菜は相手の胸倉を掴んでいた。

 

 林檎もまさか反撃が来るとは思っていなかったのだろう。鉄菜の滲ませた敵意にたじろいでいるようであった。

 

「……私に、口出しするな」

 

 凄味を利かせた声音のまま突き放す。背中に林檎の声が飛んだ。

 

「今まで他人に頼らなかったくせに! いざとなったら怖いんだね! なんて身勝手!」

 

 分かっている。これは身勝手そのものだ。自分は今まで他者などどうでもよかった。戦場で実際の戦果を挙げるのは、自分一人に他ならないのだと。

 

 それを前回の戦闘で突き崩された。

 

 なんて事はない。自分だって誰かに甘えていたのだ。それが《ゴフェル》であったか、瑞葉であったかの違い。

 

 格好なんてつけられない。独りでも戦い抜くとのたまっておいてこのざまでは、林檎の言葉もさもありなんであった。

 

「私は……弱くなってしまったのか?」

 

 掌に問いかける。どこまでも他者を排し、何事においても自身の決定を優先づけてきた六年間。この孤独の六年は、何の意味もなかったのだろうか。

 

 ただ弱さと、誰かと一緒にいたいという欲求を満たすだけの、そんな甘ったれた思考回路に成り下がってしまったのか。

 

「クロ……!」

 

 背中にかかった声に鉄菜は振り返る。桃が息せき切って追いついてきていた。鉄菜はどうしてだか、桃のほうを見ていられなかった。わざと視線を逸らす。

 

「何の用だ」

 

「クロ、無理してる。放っておけないよ」

 

「放っておけないというのならばあの操主姉妹を見てやれ。あの二人には桃、お前が必要のはずだ」

 

 論理的に客観的に口にしたつもりの言葉はしかし、自分がただ独りである事の浮き彫りになる。苦渋に歯噛みしたその時、桃が歩み寄りそっと後ろから抱き留めた。

 

 それを引き剥がす事も出来たのだろう。拒絶は簡単であったはずなのに、この時自分は、桃の体温に甘えてしまった。

 

「クロ……心配したんだよ。瑞葉さんと二人でも、戦っていたのはクロだもん。ずっと……この地上で」

 

「私の責務だ。お前が気にする事はない」

 

「気にするよ! 気にする……だって、クロとはもう……家族だもん!」

 

「家族……」

 

 六年前にも交わした約束だ。あの時は殲滅戦の直前で、自分達も不安だらけであった。そもそもブルブラッドキャリアの是非を問う戦いの前夜。過ちとも言えなくもない、脆く儚い約束……。

 

 だが今は違う。六年の月日はその言葉を重くした。自分がずっとかけ離してきたもの。見ないようにしてきた欠落であった。

 

「家族……桃、まだ私の事を……家族だと言ってくれるのか?」

 

「一度だって! 忘れた事はなかったよ! クロはいっつも無茶するんだもん。誰かが支えてあげないと、遠くに行っちゃう……。そんな気はずっとしてた。だから、モモ達は……」

 

「――だが、私は血続だ。それも造られた、な。そんな忌々しいもの、家族だなんて呼ばないほうがいい」

 

 桃はうろたえた様子であった。桃の手をそっと遠ざける。

 

「私は鉄菜・ノヴァリス。《モリビトシンス》の、操主だ」

 

 そう断じた。そう理解してきた。自分はこれでいい。自分には人並みなんて要らない。孤独と、隔絶に苦しみながら、この世界で足掻くのが関の山だ。

 

 だから、人並みの扱いなんて必要ない。自分は、ただの戦闘機械。

 

 平時ならば、これで桃は懲りるはずだ。これ以上の言葉は無駄だと。賢い彼女ならすぐに判別する。

 

 だからなのか。それとも、自分が緩んでいたのか。

 

 横合いからの張り手が乾いた音を響かせた。

 

 鉄菜は呆然とする。何をされたのか、一瞬わけが分からなかったほどだ。一拍置いて、熱を帯びた頬を感じ、叩かれたのだと理解するまでのロス。

 

 桃が真正面から自分を抱き締めていた。今までにない力で。今までにないぬくもりで。

 

 完全に茫然自失の鉄菜は桃の声を聞くだけであった。

 

「馬鹿っ! モリビトの操主だからとか、執行者だからとか、そんなのもう! 関係がない! だって、そんな理由だけでクロは戦ってきたわけじゃないでしょ? もう、そんな顔の見えない誰かのために戦わないで! 世界のためだとか、報復作戦だとか関係ない! だって……クロはここにいる! ここにちゃんといるから!」

 

「関係が……ない?」

 

 全く理解の範疇の外であった。自分は何かのために戦うしかない。斃せと言われればなんでも倒してみせる。殺せと言われればどのような因果であれ、引き金を引ける。

 

 そのはずであったのに――。そのような戦闘機械であると分かっているはずなのに。

 

 どうしてなのだろう。六年振りに、感情の堰が涙となって伝い落ちる。桃が慌てて頬に手をやった。

 

「ゴメンね! ……痛かった?」

 

「痛い……。桃、分からないんだ。私は結局、まだ。何者にも成り切れていない。成り下がれてもいない……! 戦うだけなら、何も考えずに殺すだけなら……もう、難しくもなんともないはずなんだ……。それなのに……どうしてなんだ、これは。震えてしまう。瑞葉が……《クリオネルディバイダー》に乗らないほうが安全だって、一番に分かっているのは私のはずなのに……!」

 

 それなのに、この決定に一番に不服を感じている。何が自分にこう思わせるのだろう。何が、自分をここまで変えてしまったのだろう。

 

 困惑する鉄菜に、桃は頬を伝う涙を指先で拭った。

 

「クロ……あんたは機械じゃない。冷徹な殺人マシーンでも。だって、こんなにも感じる心があるじゃない! きっと、アヤ姉が言っていたのってそういう事なんじゃないかな。クロに、なって欲しかったんだよ」

 

「なる……私は何になればいい?」

 

 埋めようのない欠落。理解しようとしても出来ない齟齬。桃はもう一度だけ、ぎゅっと抱き締めてくれた。

 

「……生き残ろう! そうしたらきっと見えるよ。きっと……クロにも見えると思う」

 

 生き残る。今まで当たり前過ぎて気にも留めた事のなかった。だが、生き延びた先にしか見えない。生き残った果てにしか、きっと、行き着く先は分からないのだ。

 

 ならば、今は一つでも多く生き残る。そして、明日へと繋げるしかない。

 

 覚悟を。この胸に宿った名状しがたい感情もきっと。

 

「桃……私は、まだ……」

 

 桃が指先をそっと唇に添えて微笑む。

 

「今はいい。今は約束出来なくっても。でもいずれは……、六年前の、あの日みたいに指切り出来たらいいねっ! クロっ」

 

 桃は踵を返した。その背中を眺めながら、鉄菜は拳を固める。

 

 ――顔の見えない誰かのためでもなく、大義でもない。ただ、近くにいる人を守りたい。

 

 不思議な感情であった。本来ならば、そのようなもの、浮かべるまでもないはずなのに。この時の自分には何よりの支えとなった。踏み込みかねていた背中を押した何かに、鉄菜は駆け出す。

 

 戦う。そして、生き残る。

 

 シンプルな答えだ。何を今さら、と笑われるかもしれない。それでも、前に進むのに、必要であった。殺伐とした争いの中で、芽生えたものを邪魔だと、無為なものだと切り捨てたくないのだ。

 

 何よりもこれは捨ててはいけないのだと感じていた。自分一人の決意ではない。桃との、でもあり、この《ゴフェル》全員の意思だろう。

 

「鉄菜・ノヴァリス。遅れて申し訳ない」

 

 格納庫に駆けてきた鉄菜をタキザワが出迎える。

 

「なに、決断には少しばかり早いくらいだ。……たった一機での《モリビトルナティック》破壊作戦、正直なところ、無茶を言っているのは重々承知なんだが……」

 

「それでも、やれるのが私と《モリビトシンス》だけならばやるしかない。ブルブラッドキャリア本隊の目論見を止める」

 

 覚悟を決めた声音にタキザワは窺ってくる。

 

「……何かあったかい?」

 

 目ざといか。あるいは、それほどまでに自分が分かりやすくなったか。いずれにせよ、戦いへと赴くのに必要な志は抱けている。

 

 生き残るのだ。生き残った先に、答えはある。

 

「何でもない。ただ、ちょっとばかし、目的が出来た」

 

「目的、ね。いい傾向だ。……とは言っても、僕らは無謀な事を考えているだけかもしれない。こんな、世界を相手取ってなお、神を気取る存在とも戦おうとしている」

 

 エホバの動きは気がかりであったが、それ以上に今は戦いの先を描くしかない。

 

《モリビトルナティック》落着阻止。そのスタンスだけは変わらない。

 

 全てを諦観のうちに消し去ろうとする者も、罰として何もかもをなかった事にしようとする者も、今は全てが敵。

 

「構いはしない。私は、戦い抜く」

 

「《モリビトシンス》はゴロウとのオペレーションに振ってある。説明は?」

 

「聞いておく。私だけで勝てるとは思っていない」

 

 そこまで驕ったつもりもない。

 

 鉄菜はコックピットに収まりアームレイカーを握り締めた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯279 開戦

「さっきの、さ……」

 

 声にした林檎に蜜柑は首を傾げる。

 

「どうしたの? 《イドラオルガノンカーディガン》の性能なら大丈夫だよ。勝てるはず……」

 

「そうじゃなくって……。ボクは、やっぱりあいつを容認出来ないんだ。どうしても、あいつに任せられない」

 

 あいつ、というのが誰を指すのか、蜜柑は問い返すような愚は冒さない。代わりに、林檎をフォローする。

 

「勝てるよ。今までだってそうだったじゃない。林檎は、強いんだからさ」

 

「ボクが、強い? ……それは見せ掛け、こけおどしだ。ボクは、こんなにも弱い。分かっているんだ、さすがに自分でも。もう、気取れないって」

 

 だが自分の半身がこれほどまでに傷ついているのを黙っていられるはずもなかった。

 

「林檎っ! 絶対、大丈夫だよ! ミィ達は無敵の、ミキタカ姉妹でしょ? 今までだってそうだった。これからだってきっと……」

 

「きっと……勝てるのかな。これまでみたいに、でも無知蒙昧にはなれないんだ。もう、知ってしまった。理解してしまったんだ。自分の小ささを。この手で守り切れるものなんて、たかが知れている。そんなものなんだって。だから、ボクは……」

 

 掌に視線を落とす林檎に、蜜柑は歩み寄っていた。その手をぎゅっと握り締める。

 

「しっかりして、林檎。ミィ達なら出来るよ! 世界だって覆せる!」

 

 根拠のない言葉であった。自分が吐いたにしては相当に嘘くさい。それでも、前を向く努力をしてはいけないのだろうか。戦うのに約束手形の一つや二つくらい、あってもいいのではないのだろうか。

 

 それだから、明日を信じられる。確かな今があるからこそ。

 

「世界だって……。でも、蜜柑。世界は、思いのほか小さいんだ。ボク達は、見えるものしか守れない……」

 

 手の届く範囲がどれほど狭かろうとも。それでも、戦い抜く意地汚さがあってもいいのではないのだろうか。それこそが、自分達の……。

 

「林檎、約束しよ。ミィ達はきっと、最強の操主なんだって証明するの。この戦いで」

 

「……今さら最強がどうだとか……」

 

「それでもっ! はい、指切り!」

 

 小指を絡めさせる。こんな口約束にも満たないもの、何かの役にも立たないのかもしれない。そもそも鉄菜がミスをすれば全てが水泡に帰す作戦だ。

 

 林檎の自信喪失はしかし、それだけではないのだろう。

 

《イドラオルガノン》の隠し武装である、《イドラオルガノンジェミニ》を晒した。それだけでもかなりの痛手のはず。

 

 

 それでも前に進むのがブルブラッドキャリアの操主。人造血続の誉れ。しかし、今の林檎に差す影は……。

 

「林檎、無理はしないで欲しいの。だって、ミィ達はこの世でたった二人の……分かり合える相手じゃない」

 

「分かり合える……、か。ねぇ、蜜柑。ボクらってそんなに特別だったのかな。もしかしたら、そんな大したものじゃなかったのかもしれない」

 

「そんな! 林檎らしくないよ! いつだって、鉄菜さんに勝ってみせるって、言っていたじゃない! だから……」

 

 だから自分は付いて来られた。だから自分は、ここまで林檎の事を信じていられた。裏切らずに……たとえ組織が期待していなくとも、桃の関心が鉄菜に行っていようとも、それでも、自分だけは。この残酷な世界で自分だけこそが……。

 

「蜜柑、ボクは鉄菜・ノヴァリスに勝ちたい。でも、それが全てじゃないような気もしてきてるんだ。《イドラオルガノン》を動かせる……ウィザードであるのなら」

 

「林檎……」

 

「行こう、蜜柑。戦うしかないのなら、ボクだってまだ……」

 

 まだやってのける。まだ戦い抜ける自信がある。それだけでよかった。これまではそれだけで。

 

 だが、それ以上があるのならば。それ以上の望みを持っていいのなら。

 

「桃お姉ちゃんの期待にも沿わないと。ミィ達に、出来る事をしよう」

 

 前向きなはずの言葉はしかし、自分に言い聞かせるばかりの弱音であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通信海域に入った事を確認し、艦隊司令部は全機に声を張っていた。

 

 アンヘル第三小隊、悪名高い虐殺天使達を使役するのに、自分達はまだまだ分からぬ事の多い。それでも現場を預かる手前、命令だけは振らせてもらうという意地であった。

 

「達する。アンヘル第三小隊へ。そちらの防衛範囲とこちらの範囲の擦り合わせを願いたい」

 

『了解している。《ラーストウジャイザナミ》は前に出させた。モリビトとの会敵と同時に攻撃を開始。戦場の嚆矢になる』

 

 その声の主がアンヘルとは正反対の部分にある人物である事に、旗艦の司令官は気色ばんでいた。

 

「……これは個人的な興味であるが、やはり分からない。あなたほどの方がどうしてアンヘルに身を落として……」

 

『そうまでしてでも、守り通したいものがあるからだ。それ以外にはない』

 

 まさしく、そうだと断じた声音は戦士そのもの。期待外れな言葉を振ってしまった自身の不実に司令官は咳払いする。

 

「失礼。侮辱するような事を……」

 

『いい。理解してもらおうとも思っていない。だが、おれ達は決して、個別で成り立つようには出来ていないんだ。そんな器用には……』

 

 言い澱んだその声音にはまだ捨てきれない人の情が窺い知れる。

 

「アンヘル第三小隊には出来うる限りの援護をさせていただきたい。それが我が方に出来る唯一の」

 

 否、唯一ではないはず。彼らを支援するのに、自分達はまだまだ出来る。それなのに、戦力を出し渋るのはただ単に連邦内での軋轢もある。

 

 連邦軍人と、アンヘルの選抜兵。最も違いが浮き彫りになるとすれば、それはその立ち位置だろう。

 

 アンヘルは殲滅部隊だ。敵を葬り、屠り、争い抜く因果の只中にある。そのような渦中にあっても眉一つ動かさぬ冷徹さ。怜悧な瞳の赴く先にこそ、戦いの果てはある。

 

 そう断じた者達の集まり。そう生きるしか出来ない者達が集い、そして群れを成した。

 

 彼らは争いを決して好んでいるわけではない。むしろ、逆だ。平和への渇望は人一倍。軍人としては失格にしてもいいくらいの平和主義者達。それがアンヘルである。

 

 元々の成立起源こそ、世界警察の成立と言う高度な政治的駆け引きの一端から生まれた組織。それが組織権を持ち、発言権を持つに至ったのはやはり彼らの徹底振りだろう。

 

 崩し、壊し、嬲り抜く。

 

 それを彼らは徹底出来た。軍人なら途中で膝を折り、逃げ出すであろう戦場でも、彼らは決して背中を見せない。

 

 むしろ、背中を見せるくらいならば積極的に突っ込んでいく。

 

 銃弾飛び交う戦地へと。血潮が舞う、孤独な骸の上へと。

 

 果敢にも立ち向かえる戦士。全てを捨ててでも前に行ける武士。

 

 それがアンヘル。そうなのだと理解しているのは一部のお歴々だけだ。自分とて半分も理解していないだろう。

 

 それでも、彼らのストイックな考えには圧倒される。自分達が救わずして、誰が救うのか、という救世主としての考え。それは操主のエリート層と呼ばれる「血続」という存在をしても明らかだろう。

 

「……一つ聞きたい。これは無駄な会話かもしれないが」

 

『構わない。何か』

 

「血続……。我が方にもたらされているのは、ただの純粋な、戦闘に適した操主だとしか。だがそれだけしかないのだと、こちらでも考え始めている兵士もいてね。貴官らは何のため誰がために剣を取るのか……。それを知りたいのもある」

 

『おれは……血続じゃない。彼らを……遠くから眺めるしか出来ない。……だが、数日間でも彼らと共にすればちょっとだけでも分かる。それは彼らは全員、平和を望んでいるという事だ。平和への飽くなき執念。それだけだよ。おれ達普通の人間と違うのは、たったそれだけだ。平和にどれほどまでに執念深く爪を立てられるか。その一つなんだと、おれは思ったんだ。彼らには本当の意味で、特別な能力なんて実はないのかもしれない。もしかしたら、ただの机上の空論で今まで前線に立たされてきたのかもしれない。だが彼らの望む平和のビジョンだけは本物だ。本物以上の、理想なんだ』

 

 理想に生きている、というわけか。どこか得心している自分に司令官はフッと口元を綻ばせた。

 

「感謝したい。我が方の……ただの無理解に、理解を示してくれた事に」

 

『いい。おれも彼らに関しては同じようなものだ。彼らが見ているものを、おれは見る事は出来ないのだから』

 

 ヒトは、同じものを見ているようで違う。誰もが同じ方向性を見つめる事が出来るのならば、それはもうヒトである必要性はないだろう。

 

「……貴官らを充分に援護したい。構わないか」

 

『頼む。……前を行く二人はまだ若い。彼らの未来に幸あらん事を』

 

 自分達は、もう兵士としては熟成したも同義。だからこそ、しゃにむに前を行く者達が羨ましく、眩しくもある。

 

『全機! この空域を飛翔する人機部隊に告げる! 我が連合艦隊は最強の部隊だ。たとえ世界がどう転がろうと、動乱の中にあろうとも関係がない。エホバなる人物の声明に踊らされるな。今はただ眼前の敵を撃て! それが戦士の誉れと知れ!』

 

 人機乗り達からの歓声にも似た声が返ってきて、司令官は息をついた。今は一つ事を成すためだけでいい。その一事を見守れるのならば、今は前を向ける。ただ、前だけを睨める。

 

 射程に入ったのを確認し、司令官は丹田より叫んだ。

 

「C連邦人機大隊、これより逆賊ラヴァーズ、及びブルブラッドキャリアへの総攻撃を開始する!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯280 何者の領域

 これでよかったのか、という問いかけがなかったわけでもない。だが、戦場では惑えば死を招く。

 

 今は一つでも歩み進む。一つでも、戦い抜く。それが戦士である証明だ。

 

 バーゴイルがまず、前線を突っ切っていく。焼夷弾を装備したベージュ色に塗装されたバーゴイルはラヴァーズ艦隊へと一撃を仕掛ける予定であった。

 

 しかし、その第一射は放出されたリバウンド粒子光によって阻まれた。

 

 帯状のリバウンド光線がバーゴイル部隊を焼き払っていく。

 

「……来たな」

 

 ラヴァーズの艦首で四枚羽根を展開したモリビトが巨大な砲門を振るう。灼熱にぼやけた靄が青く滲んでいた。

 

 ブルブラッドキャリアの重装備型。やはり手を組んでいたか、という確信を新たにする前に、一機の人機が空域を突き抜けていく。

 

 青い推進剤を棚引かせて瞬く間にラヴァーズ艦に仕掛ける機体へと、《スロウストウジャ弐式》の編隊長が声を振る。

 

『迂闊だぞ! その人機!』

 

 その通りだ、と腰を浮かせた司令官は少女の声が弾けたのを聞いていた。

 

『黙れ! あたしは……ブルブラッドキャリアを……モリビトを、許さない!』

 

 恩讐の声が響き渡り、片腕を異常発達させたトウジャタイプが重装備の人機へと接近戦を浴びせかける。

 

 しかしその射程は相手も読んでいたらしい。咲く火線が優位ではない、という証明のように瞬間的な反撃が照準された。

 

 トウジャタイプが跳ね上がり、その銃撃を間一髪で回避する。あまりに危うい駆け引きに、気が気ではない司令官は次いで繋がった回線の声に呆然としていた。

 

『こちら、アンヘル第三小隊。現状、戦闘行為を行っているトウジャタイプへの無暗な支援はやめていただきたい。これは、彼女の戦いだ』

 

「しかし! あれは我が方の最新鋭機だぞ!」

 

 墜とされれば、という危惧に相手は落ち着き払った声を返す。

 

『その心配はない。敵機へと喰らいつくその執念こそが力になる。ハイアルファー人機だ』

 

 それそのものが了承のように、艦内に響き渡った。ハイアルファー人機。それは封印された災厄のはず。

 

「司令官……ハイアルファー人機って……」

 

 こちらへと視線を向ける砲撃長に司令官は重々しく席へと腰を下ろす。

 

「……承知している。ハイアルファー人機、それが意味する答えも。だが、手を出すなと言われれば、それは流儀だ」

 

 それ以上にない、と断じた声に艦内へと沈黙が降り立つ。

 

 無論の事、それは軍としては失格の判断。だが、それでも彼らには今しかないのだ。今しかないのならば、彼らの判断に身を任せるしかない。

 

 それが軍隊としては失格でも、その流儀には沿うと決めた。

 

「……見守ろう。それしか出来ないのならば」

 

 しかし棒立ちを決め込むほど、この作戦に賭けていないわけではない。型落ちのナナツー部隊が長距離砲撃を見舞い、連邦カラーの《スロウストウジャ弐式》が空を舞う。

 

 ラヴァーズ艦に攻撃を仕掛けようとした《スロウストウジャ弐式》は不意に跳躍した機体に半身を割られた。

 

 急激に推進力をなくしていく友軍機へと青い弾頭のミサイルが掃射される。

 

 ――アンチブルブラッド兵装、と断じた司令官は《スロウストウジャ弐式》の頭部を踏み越え、さらに後方の部隊へと正確無比な銃撃を見舞った人機へと目を向ける。

 

 オレンジ色の眼窩が煌めき、服飾を纏ったかのようなそのモリビトが緑色のR兵装を発振させた。

 

 リバウンド刃が人機を断ち割り、血塊炉が青く爆ぜる。

 

「あの軽業師のようなモリビト……、友軍機の動きをまるで見えているかのように……」

 

 さばき、銃撃をかわしてその懐へと潜り込む。立ち振る舞いはまるで古来存在した獣のようだ。

 

 背後に回った《スロウストウジャ弐式》が銃口を向けた刹那には、多重積載装甲が拡張し、肘からミサイルを放っていた。

 

 アンチブルブラッドの靄に襲われた機体の推進力が著しく低下する。その機を狙わないほどの容易い相手ではない。

 

 払われた一閃が人機の頭部を掻っ切っていた。それだけではない。前から果敢に迫ったこちらの機体を敵機は蹴りつける。

 

 急下降した《スロウストウジャ弐式》に叩き込まれるのは弾丸の嵐。

 

 頭部が粉砕され、機体装甲が爆ぜ飛ぶ。ガトリング銃身をそのまま重圧に任せて打ち据え、コックピットが打ち砕かれた。

 

 それでも相手は前に進むのをやめない。恐るべき執念の塊が銃撃を向け、こちらの陣営へと踏み入ってくる。

 

 敵ながらその執念深さに圧倒されたほどだ。

 

「最新鋭の《スロウストウジャ弐式》だぞ……」

 

 その部隊が、と絶句した司令官はレーダー班の声を聞いていた。

 

「前線を行く艦が!」

 

 まさか、と思う間もなく、モリビトの飛び乗った艦へと容赦のない弾丸が打ち付けられた。

 

 火の手を上げる艦隊の中、悪鬼の如くモリビトが眼光をぎらつかせた。凍てつくほどの視線に司令官は声を張り上げる。

 

「撃て、撃てーっ!」

 

 艦に留まった今こそが好機。そう判じたこちらの決断能力の鈍さを嘲笑うかのように、敵機は跳躍し、友軍機を足掛かりにさらに進撃してくる。

 

「モリビトだけではありません……。ラヴァーズ艦より、小型艇が……!」

 

 新たに捉えたのは人がそうするように小型艇に乗り合わせた型落ちのナナツーが《スロウストウジャ弐式》相手に、中距離戦を仕掛けている様子であった。砲撃が《スロウストウジャ弐式》の頭部を砕き、接近したこちらの機体と相手のブレードが干渉する。

 

 高周波の斬撃を浴びせかけた相手とプレッシャーソードが打ち合い、衝撃波が海面を蒸発させる。

 

 青く煙る景色で一機、また一機と撃墜されていくマークに、司令官は震撼した。

 

 ――ここはどうなっている? ここは誰の戦域だ?

 

 恐れに身を竦ませ、司令官は前線を行く艦隊へと命令を振りかけた。

 

「こちら艦隊司令部! 出来るだけ敵モリビトとの距離を取り、消耗戦を……」

 

 そこから先をノイズが遮る。今しがた炎を上げた艦との交信が途絶えたのだ。

 

 茫然自失の司令官はただ流れゆく状況を眺めるしか出来なかった。モリビトと我が方との喰い合い。無論、最初から綺麗な戦場になるとは思っていない。だが、相手もまさかここまで覚悟を決め込んでいるとは。

 

 世界を俯瞰すると言ってのけたエホバなる謎の人物が影響しているのか。それとも別の要因か。

 

 ブルブラッドキャリアも今までの撤退戦や一時的な交戦ではない。これからを左右する戦いに発展しているのだと、司令官は今さら思い知った。

 

「何ていう……何ていう戦いだ」

 

 これが相手も己も切り売りする戦いだというのか。これこそが本物の戦場だとでも言うのか。

 

《スロウストウジャ弐式》に搭乗したエリート達が叫びを上げて撤退機動に入る。それを諌めるだけの司令塔もいない。現状、この戦域を監督するだけの人間もおらず、ただただ闇雲な殺し合いばかりが、この戦場を闊歩する死神であった。

 

 重装備の四枚羽根がまたしても前線に赴こうとする機体の行く手を阻む。高出力のR兵装を防御する術のない機体が立ち往生していた。

 

「司令官……妙では……ありませんか?」

 

 問いかけに司令官は一拍置いてから応じる。

 

「妙……だと?」

 

「あのデカブツのモリビト……さっきからずっと艦首についています。もう一機は果敢に攻めてきていますが、まるで帰る事を考えていないような戦い方で……今までのブルブラッドキャリアではないような……」

 

 一士官の言葉とはいえ、今の戦場を俯瞰出来るのはこの距離にある艦のみ。司令官は静かに戦場を見据えていた。

 

「……モリビトは常に同じ距離を取っている。あの高出力R兵装の機体はこちらのハイアルファー人機をさばくのみ。積極的な交戦には出ず、あくまでもこちらの戦力をじりじりと……まるで時間稼ぎのように削る。時間稼ぎ……?」

 

 司令官はこの空域より脱出しようとする機体にマーキング範囲を広げる。レーダー班へと声を張った。

 

「見えているか! この空域から逃れようとしている機体が!」

 

 まさか、と息を呑んだ士官はすぐにその意味を察知した。

 

「……これは! 司令官! 一機だけ、この空域から急速に逃れていく人機の熱源が……、でもこの速度じゃ……」

 

「既に離脱機動か……」

 

 気づいたのが遅過ぎたのだ。思えばどうしてモリビトは二機しか出てこないのかを考えるべきであった。

 

 急速に離れていく機体は真っ直ぐ空を目指していた。まるで、本懐はここにはないとでも言うように。

 

「一体何が……何をやろうとしているのだ。モリビト……」

 

 その問いかけは虚しく残響するのみであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯281 行き着くのは

「クロは逃れた! 林檎、蜜柑! これからが、腕の見せどころよ!」

 

《モリビトシンス》が空域から完全に離れた事を確認し、《ナインライヴスピューパ》に収まった桃は声にしていた。しかし、一時として油断は差し挟めない。

 

 先ほどからこちらを執念深く狙ってくる人機の名称を、桃は照合結果に紡いでいた。

 

「ハイアルファー人機……《ラーストウジャイザナミ》……」

 

 振るい上げられた異形の腕がこちらの砲身と打ち合い、干渉波を拡大させる。

 

『モリビトは……敵ィ……っ!』

 

 開いた接触回線に桃は砲門を突き上げていた。

 

「やる気だって言うのなら、こっちだって! 《ナインライヴス》!」

 

 弾き返した《ナインライヴス》はしかし、明らかに勢いが足りていなかった。やはり接近戦特化の《モリビトシンス》や《イドラオルガノン》とは違い砲戦特化の機体では限界がある。

 

『遅い、鈍い! モリビトは、潰す!』

 

 反射した敵機の勢いに、桃は歯噛みする。ここまでしつこく追いすがってくる敵だ。それなりの因縁の持ち主だろう。

 

「だからって、モモは、ここでやられるわけにもいかないじゃない!」

 

 四枚羽根を回転させ、内側に収納したRピストルを掃射する。リバウンドの銃撃は相手へと吸い込まれたが、そのほとんどは霧散した。

 

「……話に聞いていた新しいハイアルファーの機能ってわけ! でもモモだって!」

 

 負けていられない。否、負けられないのだ。

 

《ラーストウジャイザナミ》が蛇腹剣を拡張させる。一気に決めるつもりの相手へと、《ナインライヴスピューパ》は四枚羽根を下ろした。

 

 四枚の防御武装羽根はそのまま、スカート状の意匠となる。

 

「《モリビトナインライヴスピューパ》、エクスターミネートモード! 行くよ、《ナインライヴス》!」

 

『こけおどしィっ!』

 

「……どうかしら」

 

 スカートから引き出した武装を素早く敵機へと投擲する。炸裂弾頭が弾け飛び相手を幻惑させた。しかし、それでも追いすがるのがハイアルファー人機のはず。

 

 なればこそ、布石は打った。

 

 次の手であるRピストルの銃撃網と、さらに奥まで相手が押し込んできた場合の想定を浮かべた武装が散る。

 

 蛇腹剣が四方八方に放たれ、拡散したリバウンドの力場がRピストルを含むこちらの武装を麻痺させる。

 

『リバウンドジャミングガーデン!』

 

 これが鉄菜の言っていたリバウンド兵装無効化の園。

 

 名の通り、全てのリバウンド兵器が内側より爆ぜ、こちらのメイン武装である砲塔でさえも砕けていく。恐るべき兵装であろう。

 

 ――それがこれ以上の戦闘経験値を積んだのならば。

 

 相手が異変に勘付いたのはこちらの仕掛けが展開し終わってからであった。スカート状に展開された羽根が磁場で繋がったまま展開され、敵機をその射程に絡め取っている。

 

『これは……!』

 

「そっちが捨て身なのは、もう前の戦闘で分かった。クロが手こずるほどなんだもの。モモが勝てる道理もない。だから、最大戦力で迎え撃たせてもらうわ。《ナインライヴスピューパ》エクスターミネートモードは、確実に葬ると決めた相手にのみ使用する。実行されたこの稼働を、誰も止める事は出来ない。……それはモモでさえも」

 

 コックピットが赤色光に染まる。それは友軍機照準の警告であった。

 

『羽根の内側に……砲門を……!』

 

 四枚羽根の内側に仕込まれたのは、それ一基が相手を葬り去るのに足るほどの高出力を秘めたRランチャー。

 

 前回のアムニスとの戦闘よりもなお色濃い戦い。なればこそ、ここでは生き抜く。戦い抜くという覚悟を。

 

 四方からの拡散型Rランチャーが《ラーストウジャイザナミ》を完全に照準に捉えた。確実に葬ったと感じた瞬間――、空域から急速下降してきたのは一機の《スロウストウジャ参式》であった。

 

『ヒイラギ! ここでお前は……!』

 

《スロウストウジャ参式》の腹腔へとリバウンドの砲撃が突き刺さる。《ラーストウジャイザナミ》は突き飛ばされた形でよろめいた。

 

『ヘイル中尉!』

 

 手を伸ばして空を掻いた《ラーストウジャイザナミ》の脚部が爆砕し、展開されたリバウンド兵装無効化の陣が解けていく。

 

 飛び込んできた《スロウストウジャ参式》を葬ろうと桃は構えさせた。

 

「一機でも!」

 

 押し迫った殺気に、敵の人機が眼光を煌めかせる。

 

『ここでっ……やられるのはお前だ! モリビト!』

 

 発振されたプレッシャーソードが赤い光を帯びる。高出力磁場の中では《スロウストウジャ参式》程度の性能では完全に動きを制したはずだ。

 

 だというのに、相手を動かすのは性能だけではない。執念が、人機を稼働させている。

 

 プレッシャーソードが割って入り、《ナインライヴス》の片腕を取った。すかさず、桃はもう片腕のRランチャーを突きつける。

 

「吹き飛べぇーっ!」

 

『滅びるのは貴様だ! ブルブラッドキャリア! ここまで貴様らはあらゆる人々の思いを冒涜した! だからこれは、俺が出来る唯一の……!』

 

《スロウストウジャ参式》の手首が回転し、プレッシャーソードの斬撃が《ナインライヴス》の肩口へと突き刺さる。

 

 桃は奥歯を噛みしめ、敵機へと食らい付いていた。

 

 雄叫びが喉から迸り、敵人機の下腹部を完全に塵芥に還す。そのままの勢いを殺さず、上半身を破砕しようとして、割り込んできた通信がとどめを躊躇わせた。

 

『……桃! 林檎達が……』

 

 その声に《イドラオルガノン》へと注意を払った一瞬の隙。

 

 敵人機は制動用の推進剤を全開に設定し、上半身だけでこの絶対の死の射程から逃れていた。

 

「逃がさない!」

 

 追いすがろうとした《ナインライヴス》の進路を阻んだのはアンヘルカラーではない《スロウストウジャ弐式》部隊であった。まるで仲間の武勲を必死に保とうとするかのような行動に、桃は歯を軋らせる。

 

「こっちだって、負けていられないんだから!」

 

 Rランチャーの虜となった相手をこの空域から逃がすはずもない。《ナインライヴス》が砲塔を構えた時には、既に別の《スロウストウジャ弐式》が射線に入っていた。

 

 光軸を払い、敵人機を駆逐する。

 

 爆風と光輪が轟き、輝く中、桃は打ち漏らした相手を睨んだ。

 

 ――《ラーストウジャイザナミ》、それに一機の《スロウストウジャ参式》。

 

 この打ち漏らしが後々、禍根になる。そのような気がして、桃は《ナインライヴス》のシステムを通常に戻す。

 

 スカート型に展開されていた四枚羽根を肩に付属させ、そのまま防御陣を敷いた。今は、鉄菜と林檎、それに蜜柑を信じるしかない。

 

『桃、敵が晴れてきたわ。第二段階に移行する』

 

 茉莉花の声に桃は射線に存在する人機を焼き払っていく。敵人機が一斉に上方に逃れた。その時である。

 

《ゴフェル》のレールガンが磁場を走らせ、円筒型の砲弾を射出する。

 

 人機一機分の大きさはあるそれに内蔵されているのは、《カエルムロンド》であった。

 

 瑞葉のみのオペレーションを看過したわけではない。だが、それでもこの作戦、一つでも勝ち星を取るのには、瑞葉の協力は不可欠。

 

 相手が今さら射出された《カエルムロンド》に気づき、応戦しようとするのを《ナインライヴスピューパ》の砲撃が遮った。

 

「あんた達は、ここで食い止める!」

 

 それが意地ならば。桃は砲身を払い、片腕で敵の大隊と向かい合った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯282 真実の赴く先

 戦闘の光だ、とリックベイは《コボルト》から望んだ景色に発見する。

 

 即席の操主席に収まったリックベイはUDの言葉を待っていた。今までの彼ならばモリビトとの介入を心待ちにしているはず。しかし、今の彼からはそのような感覚は凪いでいた。理由は分かる。自分の存在だ。

 

 ハイアルファー【ライフ・エラーズ】。意図していないとは言え、犠牲者を増やしてしまった。それが彼の心に沈殿しているのだろう。

 

 リックベイは言葉を振っていた。

 

「わたしの事は気にするな。君が……まだ人間を捨て切れなかった、その証明だ。やはり君は人間なんだ」

 

「……俺は人間じゃない。永遠に生き続ける宿命を持った生命体など、人間であるものか」

 

「いや、人間だろう。そういう風に感じられる心があるのならば、まだ人間なんだ」

 

 こちらの言葉とUDの心は平行線のようであった。自分がモリビトとの戦いに割って入らなければ、彼はこれ以上の悲しみを背負わなくてもよかったのかもしれない。

 

 あるいはそれより以前か。零式抜刀術を彼に叩き込まなければ、彼は悲しみの戦士として、戦場に舞い戻る事もなかったか。

 

 しかし、それは彼が望んだ事。モリビトと再び合間見えるため、戦いの舞台に戻るのを選んだのは彼自身なのだ。ならば、その決定に異議など挟めるわけがない。

 

 彼は、己の意地で、戦いへの螺旋を選び抜いた。ならば、それを賞賛するのが自分の役目。

 

 師であるのならば、弟子の面倒は最後まで看るべきだ。

 

「……キリ……UD、まだ、戦いを続けるのか?」

 

「艦隊司令部まで行けば、俺の権限は蘇るはず。そうなれば、《コボルト》に代わる新たな機体をあてがわれるだろう。《コボルト》を解析にかければ、あなたにかかった呪縛を解く方法も……」

 

「UD、君は誤解しているな。呪縛など、思っていないよ。君はわたしを救ってくれた。命の恩人だ。だから、わたしが君に報いる番なのだ」

 

「……身勝手な事なんだ。俺のエゴであなたに呪いをかけた」

 

「それは違う。むしろ……生き長らえた事、新たなる因果だとわたしは思う。まだ生きていろと世界が告げたのだ」

 

 掌に視線を落とす。ハイアルファーの加護が何かをもたらすかに思われたが、実際にかかってみれば、何も変わらない。

 

 脈動が消えた、それだけのシンプルな事。死んでいるのに生きているという矛盾。彼はその矛盾に長く苦しめられてきた。

 

 本当に……長い間。モリビトを追う事のみを考えて。それのみを糧として。

 

「……UD。艦隊司令部に戻ったとしても、このままでは《コボルト》における継続戦闘は不可能だろう。それに……この戦闘の光は大部隊による殲滅戦だ。恐らくはブルブラッドキャリアがいる。その戦闘へと途中介入したところで、我々に出来る事はない」

 

「……ではどうしろと」

 

「今は待て。待つのも時間を消費する術だ。機会を待ち、その上で戦う。君が今までやってこれた事だろう」

 

「だが……もしこの戦闘でブルブラッドキャリアとの雌雄が決すれば……」

 

「焦るな、とも言っている。六年間待てたんだ。今さら、それくらいなんて事はないはずだろう」

 

《コボルト》が艦隊司令部へと伝令を打つ。この戦闘でブルブラッドキャリアとの完全決着とはいかないはずだ。そこまで簡単に世界は出来ていない。しかしこれはまたしても、世界に打撃を与える戦いのはず。それだけは確信出来た。

 

「……ブルブラッドキャリア。その志がたとえ間違いでも、それでも前に進むか」

 

 自分達と同じだ。どれほどまでに間違いを犯しても、それでも前を向く。罪を直視する。それが星の人々に与えられた原罪を贖う方法だというのならば。

 

 今は従おう。

 

 それだけの答えであった。

 

「艦隊より入電。《コボルト》は後方艦隊に合流後、収容し、新たな任務を待て。……分かっていた事だが」

 

 さすがにこのまま戦闘継続ではないだろう。ある程度は理解していたが、問題なのは自分の身柄である。

 

 処刑されたはずの自分を、軍はどう認識するか。それだけが気がかりであったが、UDは言ってのける。

 

「俺には特別権限がある。特殊状況下における判断は艦隊の司令官よりも上だ。少しでも弁明を考えておくとしよう」

 

《コボルト》が推進剤を焚いて、後方艦隊へと向かっていく。前線で咲く戦闘の瞬きはさらに苛烈に、激しさを増していくのが窺えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バベルシステムの掌握という事実は、アムニスにとっては優位に働く。殊に、レギオン中枢がほとんど意味を成さない現状、脳内ローカルネットワークで接続されたアムニスは、一手先を打てていた。

 

 渡良瀬は駐在軍の司令官に声を振る。

 

「……最新の情報です。ブルブラッドキャリアの質量兵器が惑星軌道に入る……、この期に乗じ、惑星の地下より星を牛耳っている特権層を排除する。そうなれば、相手は宇宙軍の有用性を少しでも認めざるを得ないでしょう。司令官、あなたの有用性も」

 

 こうやっておだててやればアムニスは動きやすくなる。少なくとも、この宇宙駐在軍での最優先順位としては高くなるだろう。

 

 どの道、彼らに先はないのだ。惑星が潰えるか、あるいは無事に済むかという瀬戸際で、誰かに頼らざる得ない時点で選択肢は少ないだろう。

 

「……旧ゾル国陣営のコミューンへと爆弾が落とされた、という情報を得たが……」

 

「なに、間に合わせですよ。その情報でさえも。信じるか信じないかというのは、司令官の度量次第ですが」

 

「今は、質量兵器破壊に手を打ちたい。だが……」

 

 まだ決め手には薄いか。もう一手と思いかけて不意打ち気味のレーダー班の声が遮る。

 

「熱源が惑星より急接近! 我が方の射程圏内へと入ります!」

 

「何者か!」

 

 声を張った司令官へと部下が投射画面に映し出す。

 

 その姿に渡良瀬は舌打ちした。

 

「両盾のモリビト……」

 

「モリビトだと? どうして上がってきている? 惑星の防衛部隊はどうした?」

 

 防衛部隊の不手際を呪う前に、渡良瀬は魔法の言葉を吐いていた。

 

「ここで打ち間違えれば我が方の不利に転がります。どうかご判断を……」

 

 呻った司令官はすぐさま問い返す。

 

「……出来るのだろうな?」

 

「問題ないですとも。そのためにいます」

 

 身を翻した渡良瀬は脳内同期ネットワークへと問い返す。

 

 ――やれるか?

 

 応じたのは旧ゾル国カタパルトに接続されたイクシオンフレームであった。搭乗するシェムハザとアルマロスが声にする。

 

『絶対に撃墜してみせる。我々は天使だ』

 

『……ねぇ、渡良瀬ぇ……。痛いの、痛いの、痛いのよ……。どうにかしてぇ……、熱くて熱くて……』

 

 アルマロスはもう限界に近いかもしれない、と渡良瀬は感じ取る。だが、所詮は序列五位の女。そこまでならばその程度でいい。

 

 どうせ墜ちるのならば、終わりは潔いほうがいいはずだ。

 

「《イクシオンアルファ》と《イクシオンガンマ》は連携して攻撃。攻撃対象は、言うまでもないな」

 

『しかし、いいんですかね、渡良瀬。だって《モリビトルナティック》が落着すれば、地上は大災害ですよ』

 

「なに、それでも我々は天使。下々の者達を導くためにある」

 

 地上が災いに染まれば、その時こそ天使は囁く。

 

 シェムハザがフッと笑ったのが伝わる。

 

『あなたの考えはやはり読めない。ですが、それでも最後の最後まで、天使として戦い抜きたいと思いますよ』

 

『ねぇ……渡良瀬ぇ、どうにかしてよ……ぉ』

 

「《イクシオンアルファ》、及び《イクシオンガンマ》、出撃。モリビトを撃墜しろ」

 

 有無を言わせぬ命令に、カタパルトへと接続されていた二機が駐在軍より推進剤を引きながら飛び立っていく。

 

 その軌跡を眺めながら、渡良瀬は呟く。

 

「……なに、地上が堕ちてもアムニスは輝くさ。それが天使の役割ならば」

 

 モリビトが質量兵器に向かって立ち向かっていく。その小さな瞬きが今の彼らの希望なのだろう。

 

「その希望、潰えさせてもらう」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯283 夜明けの剣

 ロケットエンジンを取り外し、補助推進剤を解除した《モリビトシンス》が惑星の重力圏より離れる。

 

「《モリビトシンス》、重力の網を抜けた。このまま《モリビトルナティック》を、撃滅する!」

 

 大質量兵器へと《モリビトシンス》が左肩よりRシェルソードを抜き放つ。刃が灼熱を帯びた瞬間、熱源がレーダー網を震わせた。

 

 緊急照準警告に《モリビトシンス》が後退する。先ほどまで機体があった暗礁空間をオレンジ色の光条が貫いていた。

 

「あれは……イクシオンフレームか」

 

 二機のイクシオンフレームが急接近してくる。《イクシオンアルファ》、と名称が振られた機体がプレッシャーソードを発振させた。

 

「ここで邪魔を!」

 

 Rシェルソードとプレッシャーソードが干渉波のスパークを広げる。

 

『邪魔はさせませんよ! 今度こそは撃墜します! その人機!』

 

「それは……こちらの台詞だ! 邪魔はさせない。《モリビトルナティック》は破壊する!」

 

『そんな事――させるわけないでしょ!』

 

 もう一機が棍棒を赤く滾らせて振るい落とす。ゴロウが《クリオネルディバイダー》を稼働させ、その一撃を防御した。

 

 一撃の重さに機体が傾ぐ。

 

「二機がかりで……!」

 

『それくらい、今の局面は大事なんですよ。モリビト程度に後れを取るわけにはいかない!』

 

「何故だ! 貴様らとて、地上が火の海になれば終わりのはず!」

 

『それが認識不足なんですよ。天使には! 地上の災いは無縁なのですから! むしろその時こそ、導きの時は訪れる!』

 

「傲慢な……」

 

『ねぇっ! 熱いのよ! 身体がねぇっ! 応えてよ、モリビトがさぁッ!』

 

《イクシオンガンマ》の間断のない攻撃に《モリビトシンス》を下がらせようとしてゴロウが警告する。

 

『いけない。このままイクシオンフレーム二機にこだわり過ぎれば、阻止限界点を超えるぞ』

 

「そうならないために……ここまで来た! 私達は、潰えるために戦っているわけではない!」

 

《モリビトルナティック》が着々と迫ってくる。鉄菜は推進装置を全開に設定して、上方へと逃れた。

 

 その一瞬の隙を突き、《モリビトルナティック》へと照準する。

 

「エクステンドチャージ、起動!」

 

 黄金に染まった《モリビトシンス》が右側の盾を突きつける。燐光を棚引かせた機体が、高出力の刃を向けた。

 

「エクステンド――ディバイダー!」

 

《クリオネルディバイダー》が赤く煮え滾り、灼熱の光刃が《モリビトルナティック》へと突き刺さりかけた。

 

 しかし、その刃の切っ先は僅かに逸れる。

 

『《イクシオンガンマ》が……! データにあった雷撃のファントムか……』

 

 忌々しげに口にしたゴロウの言葉が消える前に、格段の速度で跳ね上がった《イクシオンガンマ》が棍棒を振るい上げる。

 

『墜ちろぉッ!』

 

「させるわけには……私は! ここで消えるような覚悟はしていない! 潰えるのは、私ではないはずだ!」

 

 棍棒とRシェルソードが打ち合い、衝撃に双方が砕け散る。

 

『鉄菜、これ以上時間はかけられないぞ。《モリビトルナティック》の機関部へと照準しなければ……』

 

「破壊は難しい、か。だがそれでも! 私は!」

 

『ライジング――ファントム!』

 

 跳ね上がった《イクシオンガンマ》が熱した棍棒を《モリビトシンス》へと叩き込もうとする。鉄菜は咄嗟に《クリオネルディバイダー》の接続を解除した。

 

『何を……、鉄菜?』

 

「……こんなところで、立ち止まっていられない。私は! 生き残ると決めた! 約束したんだ! なら、応えるのがモリビトの執行者だ!」

 

《クリオネルディバイダー》よりグリップが伸長する。接続を解除された盾をそのまま剣のように振るい上げる。

 

《イクシオンアルファ》が急速に射程圏より逃れていく。

 

『いけません! アルマロス! 近づき過ぎれば……!』

 

『ここで! だって序列五位なのよ! アムニスの天使がァっ!』

 

《イクシオンガンマ》の棍棒とぶつかり合ったのは灼熱の剣閃。エクステンドディバイダーの剣が装甲を融かし、《イクシオンガンマ》の両腕を溶断する。

 

『負ける? こっちが押し負けるって?』

 

 鉄菜が腹腔から雄叫びを上げる。

 

「エクステンド、ディバイダーソード!」

 

 打ち下ろした勢いをそのままに巨大な光芒が《モリビトルナティック》ごと《イクシオンガンマ》を引き剥がしていく。

 

《イクシオンガンマ》の頭部が緊急射出され、操主が逃れたのを確認するのも惜しい。

 

 そのまま振り抜いた《モリビトシンス》が剣閃を薙ぎ払う。

 

 十字の断絶が《モリビトルナティック》を打ち砕いていた。機関部に引火した大質量兵器が内側より爆ぜた。

 

 粉砕された機体が拡散する輝きに呑まれ、暗礁の宇宙に溶けていく。

 

 鉄菜は打ち下ろした姿勢のまま肩を荒立たせていた。

 

「……倒した、か」

 

『待て。大質量兵器の落下物の軌道を計算する。物によっては破壊しなければならないかもしれない……、鉄菜! 直上だ!』

 

 ゴロウの声に鉄菜は慌ててアームレイカーを引く。常闇を掻っ切ったのは巨大なリバウンドの太刀であった。

 

 巨大人機がその体躯に似合わぬ速度で肉迫し、《モリビトシンス》を押し退けていく。

 

「この機体は! ゴロウ、照合データは?」

 

『なんて事だ……。相手はキリビトタイプ……、《キリビトアカシャ》であったか……』

 

『覚えてもらって光栄だな、モリビトの操主!』

 

《キリビトアカシャ》が中央に収まる制圧モジュールから片腕を突き上げ、鉤爪から雷撃が放たれる。緑色のリバウンド力場に鉄菜は《クリオネルディバイダー》を右腕に接続し直そうとしてエラーが眼前に現れた。

 

「エラー? まさか、《クリオネルディバイダー》が……」

 

『待ってくれ。接続エラーは一時的なもののはず。鉄菜、今は逃げ切れば……』

 

『遅い! その機体、どこまでも!』

 

 リバウンドの稲光が緑色の檻となる。《モリビトシンス》は絡め取られた形だ。

 

 アームレイカーを引く鉄菜は《キリビトアカシャ》から伝達された通信に震撼する。

 

『どう出る? モリビトの最新型と言っても、キリビトには敵うまい!』

 

「そのキリビト……どこで造り上げた!」

 

『まだだ……安定接続まで残り三分……』

 

 あまりに時間がかかり過ぎてしまう。鉄菜は《モリビトシンス》が完全に拘束されたのを目にしていた。緑色の電磁が四肢を縛る。

 

 軋む機体が今にも空中分解寸前なのを伝えた。

 

『気になる、か。だが、《キリビトアカシャ》は別次元だよ。六年前の《キリビトエルダー》などとは物が違う。その域、既に神域と知れ!』

 

「まだなのか……、《クリオネルディバイダー》の接続は?」

 

『もう少しだが……このままでは分解するぞ!』

 

『墜ちろ、モリビト!』

 

 電撃の拘束具が機体の内側まで沁み込んでくる。痺れた機体が震え、《モリビトシンス》が悲鳴を上げた。

 

 ――ここで潰えるのか?

 

 疑念が脳裏を過ぎる。

 

 せっかく《モリビトルナティック》を撃墜したのに、ここで終わるのか? 何も成せずに、何者にも成れずに。

 

 何かのために、誰かのためにでもない。自分自身のための人生を描けずに――。

 

「……私は、今まで何かのために生きてきたつもりだった……」

 

『鉄菜? 何を言っている?』

 

「だが、それは真の意味で、生きているのとは違ったんだ。使命に生き、何者かに成ろうとした。鉄菜・ノヴァリスと言う名の楔に繋がれていたのは私自身だ。私は……何にも成れないまま終わりたくない。私は……こんな私でも、人並みになりたい。そうだ……人間に……成りたかった……」

 

 どうして、こんな時に望みが、願いが鎌首をもたげるのか。

 

 自分の真の望みなんてないほうがいいのに。この身はただの破壊者。何者にも成れぬまま、壊していくしか出来ないと思い込んでいたのに。

 

 桃が、瑞葉が、ニナイが、茉莉花が、《ゴフェル》のみんなが……自分に生きる価値をくれた。自分がただの破壊者ではないのだと教えてくれた。

 

 ならば、それに報いたい。戦いだけではない。その先の未来を生き延びるのが、正しいのならば。

 

「私は……未来に生きたいんだ! だから、そのためだろう! 《モリビトシンス》、お願いだ! 応えてくれ!」

 

 緑色の眼窩が煌めき、《モリビトシンス》が両腕を引き込む。拘束の電撃が膂力に引っ張られた。

 

『まさか? モリビトの性能なんて、《キリビトアカシャ》に比べれば……』

 

「そうだとも……確かに塵芥かもしれない。だが! 私と《モリビトシンス》は! ここだけにしかいない。ここだけなんだ! だから、モリビト!」

 

 再び黄金の息吹が宿り、エクステンドチャージが閾値に達した機体を更なる高みへと導こうとする。

 

『させると思っているのか! ハイリバウンドプレッシャー、発射準備!』

 

 緑色の雷光が中央に寄り集まり、中心モジュールが手を繰った。それに従い、雷撃の光芒が集約されていく。

 

『鉄菜! 接続完了! 行けるぞ!』

 

 弾けた声音に鉄菜はアームレイカーを払う。片腕の拘束を引き千切り、《モリビトシンス》が振り返り様の斬撃を見舞っていた。

 

「断ち切る。Rディバイダー、ソード!」

 

《クリオネルディバイダー》より引き抜いた剣がリバウンドの光刃を発生させ、《キリビトアカシャ》へと突き刺さる。

 

 その剣閃を敵は皮膜で弾き返した。

 

『馬鹿が! レベルが違う!』

 

 Rディバイダーソードの切っ先が霧散するかに思われた一瞬。エクステンドチャージの輝きが凝縮し、再接続した《クリオネルディバイダー》が赤く煮え滾った。

 

「……エクステンド――」

 

『まずい……。急速離脱する! 分離機動!』

 

 中央の構築モジュールが分離した瞬間、ハイリバウンドの波が押し寄せた。それと同時に《クリオネルディバイダー》が灼熱を放出する。

 

「ディバイダー!」

 

 放出されたリバウンドの光線が一振りの刃となりハイリバウンドの瀑布を引き裂く。

 

《キリビトアカシャ》の鉤爪の四肢が砕け散り、中央部へと突き刺さった。打ち砕かれた機体が爆散に抱かれる。

 

『……撃ち過ぎた、な。瑞葉が乗っていなかったのは不幸中の幸いか……』

 

 ゴロウの口にした通り、《クリオネルディバイダー》は過負荷で灰色に煤けていた。内側に操主がいれば余剰熱で死んでいただろう。

 

 放った余波で《モリビトシンス》が流れていく。鉄菜はゴロウへと問い返した。

 

「……あとどれくらいだ?」

 

『《クリオネルディバイダー》の機能を復元させるのには、三十分はかかる。この状態で仕掛けられれば……』

 

 まずい、と口走った途端、急速熱源が無数に迫った。

 

 息を呑んだ鉄菜はこちらへと編隊を組む《スロウストウジャ弐式》部隊を視野に入れる。

 

「……応戦は」

 

『Rシェルソードも、Rディバイダーソードも捨てた。勝てる手立てはない』

 

「……大人しく拘束されろとでも」

 

『落ち着くんだ、鉄菜。手立てを探している。今、必死に』

 

「無駄だ。ここで敵を打ち倒す。《モリビトシンス》!」

 

 だが、火器もほとんど積まれていないこの人機で如何にするというのか。急接近した《スロウストウジャ弐式》に唾を飲み下した直後、相手の編隊は驚くべき挙動に出た。

 

 なんと、息がかかるほどの至近にまで迫りながら、そのまま通り過ぎたのである。

 

 その接触回線が耳朶を打った。

 

『《スロウストウジャ弐式》編隊! 逃げ回るモリビトを追うぞ!』

 

「逃げ回る……? 私は……一瞬も逃げていないのに……」

 

 敵人機編隊が抜けていく中、秘匿回線が接続された。その回線の暗号コードにゴロウが絶句する。

 

『まさか……これはバベルの……』

 

 バベルの暗号化コード。六年前には幾度となく使用したそのコードの接続要請に、鉄菜は怯えながら接続した。

 

 直後、世界に是非を問うた男の顔が映し出される。

 

『……貴様は』

 

「エホバ……、いいや。ヒイラギ」

 

『覚えていたか。鉄菜・ノヴァリス。いいや……こう言ったほうがいいか。モリビトの執行者』

 

「分かっていたのか」

 

『六年前から分かっていたわけでもないさ。だが、あの日……コミューンを襲ったテロで死んだわけではないのは確信していたよ』

 

「お前は……燐華・クサカベをけしかけた」

 

『誤解だ……と言い切れないな。彼女は望んで軍属になった』

 

「貴様……」

 

 エホバは通信の向こう側で頭を振る。

 

『今は、そのような場合でもないだろう。《モリビトシンス》……なるほど、いい機体だ』

 

 一瞬にして機体情報を照合された事に、鉄菜は息を呑む。

 

「バベルか……」

 

『恐ろしいとは思わないかな? バベル……地下都市、ソドムでレギオンの中枢がこの六年間の支配のために使い尽くした。全ては群体が、支配を完全なものとするために。彼らは無数であるがゆえに強靭であり、そして無敵であった。だが……その多くは非常に傲慢であり、結局は支配特権層の頭を挿げ替えただけであった』

 

「それは……この状態で必要な演説か?」

 

『理解してはもらいたいんだ。バベルがなければ《モリビトシンス》は今頃、宇宙の藻屑だよ』

 

 優位は保ちたいという方便か。鉄菜はエホバを睨み据える。

 

「……何がしたい? 何のために、世界を敵に回した?」

 

『……君らと同じ理由だよ。この世界に、僕はもう絶望したんだ。僕はね、死なないように造られた……いわば君達の試作型、不老不死の身体を戯れで与えられ、そしてこの世界の行く末を直視させられた。僕は全てを見据えるために神を気取った者達によってこの肉体を与えられたんだ。バベルへの接続優先権と共に』

 

「世界に絶望した、と言ったな? だがそれは、どうして百五十年の静謐になったんだ」

 

 問いかけにエホバは冷静に返す。

 

『どうして、かな。多分、どこかで期待もしていたんだと思う。人間には救いようもある、とでも。だが、結局はなかった。燐華……彼女は苦しみ、足掻き、その末に何もかもを信じられなくなった。一人の少女も救えないで、何が神か。何が……万能の存在か。僕なりの贖罪なんだ、これは』

 

「贖罪……贖罪だと? だったら何故! アンヘルの跳梁跋扈を許した! 今の世界の混沌を作り上げたのは、お前も同じだ。傍観者を気取って、誰かのせいにしたいだけだ! お前は、世界を見守る事に絶望したんじゃない! 世界をこれ以上、観続ける事に怯えた臆病者だ!」

 

 自分でもどうしてここまで吼えられたのか分からない。だが、ここで言わなければ。間違っているのだと言い続けなければ、それは意味を持たないのだと。

 

 どうしてだか、この確信めいた声を響かせられたのは、自分だけの力ではない。ここまで来られたのは、決して独りの能力ではないのだ。

 

『……言うね。確かに、一面ではその通りなのかもしれない。僕は結局、怯えた負け犬。だが負け犬なりの矜持はある。世界を変えたいんだ。協力してもらえるかな? 鉄菜・ノヴァリス。ブルブラッドキャリアに』

 

『まさか……、ブルブラッドキャリアでさえも利用すると言うのか、貴様は』

 

 ゴロウのうろたえ気味の声音にエホバは微笑む。

 

『世界全てを愛するというのを標榜したラヴァーズでさえも君達は仲間にしてのけた。ならば、これくらい、呑めない要求ではないと思うのだが』

 

 ここでの選択肢は自分に振られているのだろうか。鉄菜は考えかけて、否、とアームレイカーを握り締める。

 

「だったら今まで何で、世界をよくしようと思わなかった? ちょっとでも世界を変えてやろうと思えば出来たはずだ。バベルの事も、アンヘルも、ブルブラッドキャリアも! 静観してきたのは何でなんだ! ヒイラギ!」

 

『よりよい道を選ぼうとするのならば、それには代償が付き纏う。それを選り分けるだけの審美眼も。僕は、あえて黙っていた。あえて、静観をよしとしたんだ。理由は分かるかな? それは君達そのものの自浄作用を期待していた。ヒトは、ヒト同士で分かり合えるのだと、どこかで過大評価していたんだ。それが……どれほどに愚かしい道を作り出してしまったのか、今は後悔しているとも』

 

「後悔? 後悔だって? そんなもの、だから何だって言うんだ! 懺悔が許されるのはヒトだけだ! お前は、ヒトですらない!」

 

『……鉄菜・ノヴァリス。愚かしいとは言わない。だが話を聞くといい。今の君を、ちょっとばかし敵兵の眼から逃れさせているのは僕の力だ。熱源関知センサーにモリビトを晒してもいい』

 

「そういう器量だろう、貴様は。私は戦っても構わない。最後の一滴になるまで、戦い、生き延びてみせる!」

 

 こちらの強い語調にエホバは一拍挟み、やがて乾いた拍手を浮かべた。

 

『……合格だよ。試して悪かったね。ここで僕の言葉振りに乗るかどうか、ちょっとだけ見てみたかったんだ。世界を変えるのだと豪語したブルブラッドキャリアの、覚悟、というものを』

 

「生憎だな。私の姿勢は変わらない」

 

『そのようだ。六年前と変わらぬ精神性。だが、どこかで君は人らしくなったね。あの時になかった眼差しになっている』

 

「おべっかはいい。本題に入れ」

 

 エホバはマップデータを送信する。受信したゴロウが疑問符を浮かべた。

 

『これは……どういう事だ? 大陸のど真ん中に何が……』

 

『そこに地下都市ソドムがある』

 

 思わぬ言葉に鉄菜は絶句する。

 

「何、だって……」

 

『僕はエホバだ。既にレギオンの中枢は掴んでいる。このマップデータを、僕は戦士達に譲渡するつもりだ』

 

「戦士? アンヘルか……」

 

 その疑問にエホバはやんわりと首を横に振る。

 

『いや、アンヘルではない。既に、この世界より取りこぼされた者達の居場所は掴んでいる。彼らに立ち上がってもらう』

 

『鉄菜。マップデータを同期した他の機体の情報が流されてきている。これは……旧ゾル国のコミューンに、……それに反抗コミューンのレジスタンスにも』

 

 世界中のあらゆる地点にエホバは闘争の芽を撒いた。それだけでも相当な事実だが、この情報はある一面を示していた。

 

 ――エホバは自由自在に情報を操れる。それも自分の都合のいいように偽装して。

 

 自分が矢面に立って《ゴフェル》より早くこの情報を得なければ、ともすればまかり間違った方向に進んでいたかもしれない。

 

 そう考えるだけで怖気が走る。

 

『協力を。してもらえると助かる。これは純粋なお願いだ。モリビト……特にその両盾の機体はこれから先の戦局を切り拓く糧となるだろう。充分にこちらでは吟味している』

 

『それは我々が決める事だ』

 

 応じたゴロウに鉄菜は言葉を相乗させる。

 

「私も、同じ考えだ。情報があるからと言って踊らされたのでは結局変わらない」

 

『いいとも。君達の好きなように解釈するといい。ただし、情報を与えたという事はそれ相応の見返りを要求しているという事。分かってもらいたいものだね』

 

「変わらないのか、お前は。結局、他者に……、誰かの戦いに期待して」

 

『……変わるのならば、こんな百五十年の静寂をよしとしていない。君達は変わらなかった。それが事実だ』

 

「ゴロウ。《モリビトシンス》で地上へと降りる! 旧ゾル国とレジスタンスコミューンがレギオンを掃討する前に、私がレギオンを倒す!」

 

《モリビトシンス》を駆動させかけて、鉄菜は息を呑んだ。

 

 惑星を覆う虹の皮膜が先ほどまでよりも強化されている。虹の上に虹が塗り固められ、唯一空いていた穴でさえも塞がれてしまった。

 

『させると思っているのか? リバウンドフィールド発生装置に働きかけ、プラネットシェルを実行に移した。元々、プラネットシェル計画は君達、追放者を二度と星に戻さないためにあったんだが、こうして利用出来る』

 

「……ヒイラギ、お前は! 何を求めている! 何のために、ここまでやってのけた!」

 

『……僕は僕だ。言ったろ? 絶望したって。なら、見せてくれよ。人間がどこまで汚くなれるのか。どこまで醜悪な本性を晒すのか。悲劇は止まない。苦しみは終わらない。ヒトは、これから贖罪の道を歩む。そのための、大きな痛手だ』

 

「それを決めるのは、お前じゃない!」

 

『さよならだ、鉄菜・ノヴァリス。君は二度と、仲間達には会えない』

 

 エホバの通信が切られる。ゴロウに問いかける眼差しを振ったが、彼は残念そうに目を伏せた。

 

『逆探知はやはり無理だったな。だが、示された地点に本当に、地下都市ソドムがあるのだとすれば、一気呵成に攻め立てれば陥落は可能かもしれない』

 

「レギオンの支配からの脱却。……だがヒイラギは、私達だけではないと言っていた」

 

『そこが気にかかるポイントだな。我々だけではなく……いや、ともすれば我々以上にレギオン崩壊へのシナリオを描けるだけの存在がいるというのか。この星に……』

 

 ゴロウの呟きに、鉄菜は《クリオネルディバイダー》との接続を確かめる。

 

「いずれにせよ、再突入するまでには時間が必要だ。リバウンドフィールドを本気で破るのなら、エクステンドディバイダー何回分か……。この情報、《ゴフェル》には……」

 

『暗号通信で送ったが……敵の大隊との交戦中だ。何人が気づくかは……』

 

 濁された答えに、これも賭けのようなものか、と諦観する。

 

 争いを続ける人類に絶望し、遂にその手を振るう事を決めた男――エホバ。彼は何を見てきたのだろう。

 

 何のために、今まで生きてきたというのだろうか。

 

 その生には無意味ではないという証明のために、彼は生き永らえ、悠久の時を超えて反逆した。

 

 造物主達の傲慢さもそのままに、彼は神を気取り、世界を変えようとしている。それが正しい正しくないの議論は棚上げして。

 

「……こんな事が正しいのだと、思いたくないだけなのかもしれないな。私は」

 

 呟いた鉄菜は星の向こう側で黎明の輝きが浮かび上がったのを目にしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯284 志は退かず

「質量兵器を完全破壊! 《モリビトシンス》、やりました!」

 

 ブリッジにもたらされた報告に一喜一憂するよりも先に、《スロウストウジャ弐式》編隊がプレッシャーライフルを掃射する。ラヴァーズ艦――《ビッグナナツー》が前に出てそれを応戦する形ではあったが、型落ち機ばかりでは押さえ切れるはずもなく、数機が《ゴフェル》へと抜けてくる。

 

「応戦! 機銃掃射!」

 

 今は、鉄菜の武勲を褒め称えるだけの余裕もない。銃座から《スロウストウジャ弐式》を引き剥がす火線が咲く中、茉莉花がコンソールを操りつつ歯噛みした。

 

「なんて事! 《モリビトシンス》の現状ステータスではすぐに帰投は出来ないわ。《ナインライヴス》は!」

 

「ラヴァーズ艦の艦首で応戦していますが……、先ほど《ラーストウジャイザナミ》と交戦! 損耗率……八割……」

 

 絶望的な数値にニナイは言葉を振る。

 

「《イドラオルガノン》で相手の大隊を突っ切る。状況を!」

 

「《イドラオルガノンカーディガン》! 敵大隊と交戦中! しかし……《ナインライヴス》の支援までは回れませんよ!」

 

 桃には地力で生き残れと言うしかない。酷な現実に、ニナイは奥歯を噛み締める。

 

「どうするの……ニナイ。このままじゃ、ジリ貧よ?」

 

「分かっている。でも、これ以上どうしろって……」

 

「《カエルムロンド》! ブルーガーデン跡地へと潜入したのを確認しました! 敵の指揮艦が後退していきます!」

 

「やはりブルーガーデン跡地には、掘り返されたくない何かがありそうね」

 

 茉莉花の言葉に《ゴフェル》を激震が見舞う。《スロウストウジャ弐式》の部隊がプレッシャーライフルを引き絞っていた。

 

「ラヴァーズ側に応援要請!」

 

「伝令していますが……応答なし! 《ビッグナナツー》も限界ですよ!」

 

「……ジリ貧なのはお互い様……か。持ち堪えさせて! 茉莉花! 鉄菜が帰投するのに必要な時間を概算!」

 

「やっているけれど! 《モリビトシンス》は《クリオネルディバイダー》を損傷している! こんな状態じゃ帰ってきたところで……」

 

 すぐには出せない。その事実に悔恨を噛み締める。

 

「他の機体もない……。現状、敵の大部隊との戦闘を終わらせる決定的な何かが欠けている……」

 

「敵のスタミナはこれまでと段違い。だって言うのに、こっちは損耗するばかりじゃ割に合わないわね」

 

「レールガンで武装を射出! 《ナインライヴス》に武器を預けて! ありったけの火器を持たせるのよ!」

 

「片腕ですよ! 無理なオペレーションじゃ……」

 

「……無理は百も承知よ。桃! 聞こえている?」

 

『こっちは……っ! 《ビッグナナツー》に群がってくる相手を掃討するのに必死だってのに!』

 

「武器を射出するわ。Rランチャーと予備のエネルギーパックを!」

 

『助かる……。でも、こいつらを追っ払うのには足りないかも……』

 

「弱気にならないで。今が正念場よ」

 

『……了解』

 

「レールガンに乗せ、《ナインライヴス》の武装を! タキザワ技術主任は?」

 

『お呼びかな。悪いけれど、こっちもまずい。……さっきの《スロウストウジャ弐式》のプレッシャーライフルが風穴を空けた。隔壁を閉じないと引火する。格納庫でも怪我人が出ているんだ……。最大限度のオペレーションは……』

 

「難しくてもやって。そうじゃないと、何のために……」

 

『仰せのままに! 《ナインライヴス》の武装をレールガンに乗せて射出! 行けるかい?』

 

 整備班の声が相乗し、ニナイはブリッジから望める戦闘状況を視野に入れていた。

 

 ラヴァーズと《ゴフェル》の艦載能力をもってしても、アンヘルの大部隊を相手取るのにはまだ足りていない。

 

 加えて相手も混乱があるはずだ。

 

 バベルの使えない今、機体同士のリンクも儘ならないはず。攻め込むとすれば今しかない。双方にとってもこれは好機。

 

 相手を下したほうが、これから先の優位性を得る。

 

「艦砲射撃! 目標、敵巡洋艦!」

 

「艦主砲、照準! 地軸、重力誤差、レイコンマ五に抑え! 行けます!」

 

「発射!」

 

 発射の復誦が返り、《ゴフェル》の主砲レールガンが火を噴いた。前に出ていた敵の巡洋艦を灼熱が焼き尽くし、火の手が上がる。

 

 この海域はもう地獄絵図だ。それでもお互いに下がる気配がないのは、ここで退けば状況が一変するのだと理解しているためだろう。

 

「奴さん、下がりませんよ……。ラヴァーズ艦の応戦を!」

 

「もうもらっている! これ以上の無理は言えないわ!」

 

「ですが……敵は来ますよ! 直上に熱源あり! 《スロウストウジャ弐式》です!」

 

 息を呑んだブリッジのクルー達が重武装の《スロウストウジャ弐式》を投射画面に映し出す。

 

 プレッシャーバズーカの砲口がこちらを照準した。

 

 ぐっと奥歯を噛み締めた直後、ラヴァーズ艦から一機の人機が跳躍する。黄金の機体色を持つその人機が錫杖で《スロウストウジャ弐式》を叩き落した。

 

 最新鋭の機体をもつれ合いながら、錫杖を相手の頭部へと打ち込む。

 

 制御を失った《スロウストウジャ弐式》を蹴ってその人機が《ゴフェル》の甲板へと降り立った。

 

「《ダグラーガ》……」

 

 呆然と声にしたニナイに《ダグラーガ》より通信が繋がる。

 

『ここでの撤退はあり得ないと、判断した。拙僧も出よう』

 

「ですが……《ダグラーガ》が出ればこれからの情勢が……!」

 

『もう転がり出した石だ。なに、この人機が少し損耗すれば未来を掴めるというのならば安いもの。《ダグラーガ》、出るぞ!』

 

 再び跳躍した《ダグラーガ》が機体追従性では遥かに勝るはずの《スロウストウジャ弐式》へと取り付き、錫杖一つで敵の頭部コックピットを打ち砕く。さらに相手を足がかりにして連撃を見舞うその姿にクルーが魅了されていた。

 

「すごい……あれがこの星最後の……中立」

 

 その中立の立ち位置を歪めさせたのは自分達。ニナイは声を振り絞る。

 

「今ならば状況をマシに出来る! 《ナインライヴス》に通達! 敵機を薙ぎ払って! 《ゴフェル》も前に出るわ!」

 

「正気? 今の《ゴフェル》が出たところで……」

 

 茉莉花の論調に、ニナイは頭を振る。

 

「報いたいのよ。少しでもね」

 

 してもらっているばかりでは申し訳が立たない。今は、どれほどの微力でも立ち向かう姿を見せるべきであろう。

 

 舵を取るクルーが腹腔より声にした。

 

「《ゴフェル》、全速前進!」

 

 リバウンド力場で浮遊する《ゴフェル》がラヴァーズ艦と肩を並べる。艦首で必死に敵へと応戦の火線を張っている《ナインライヴス》が視野に入った。

 

『ニナイ……、敵は撃っても撃っても……まるで底知れない数で……』

 

「分かっている。《ゴフェル》の艦砲射撃と艦主砲をもって、敵陣へと突き進む。このまま押し込むのよ」

 

「……ああ、もうっ! これじゃジリ貧どころじゃない! 無鉄砲もいいところよ! 《ゴフェル》の推進装置へとエネルギーを集約。今は、数ミリでもいい! 進んでモリビト二機を援護する」

 

 茉莉花が艦のコンソールを操作し、最適な状況を作り出そうとしてくれる。

 

「……すまないわね」

 

「本当よ。……でも、ここまで来たんだからね。無駄骨なんて許さないんだから」

 

 彼女なりの気遣いだろう。ニナイは首肯して声を張り上げた。

 

「艦を進め、アンヘル防衛網を打ち崩す!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯285 悲哀の戦場

 久方振りに自分の人機を動かすというのはやはり集中力を要する。瑞葉は《カエルムロンド》を飛翔形態に移行させ、ブルーガーデン国土を視界に入れていた。

 

 既に滅びた場所。生命の息吹一つ感じられない絶対の土地。《カエルムロンド》の操作形態が現行の人機と同じで瑞葉は安心する。これならば滞りなく作戦を実効出来るだろう。

 

「策敵高度に入った。現状、敵影は……」

 

 ない、と口にしようとして不意打ち意味の照準警告に《カエルムロンド》へと回避機動を取らせる。

 

 やはりというべきか、備えていた敵機へと《カエルムロンド》は炸裂弾頭を撃ち込んでいた。相手の視野を眩惑する弾頭が弾け飛び、最低限の戦闘でこの場を制そうとするこちらに対して火線が張られる。

 

 習い性の身体のお陰か、それとも《クリオネルディバイダー》に乗っていたのでブランクが少なかったためか、この時瑞葉は敵の包囲網を容易く抜けていた。

 

「このまま……爆弾の生成地まで……」

 

 行ければ、と思った刹那、真正面から針路を遮ってきた人機に、近接戦用の兵装を掴ませる。

 

 プレッシャーソード同士がぶつかり合い、干渉派を拡大させた。

 

「邪魔立てするのならば!」

 

 撃墜する構えを取ったこちらに、相手は剣筋を払って背後を取ろうとする。その澱みない動きに、瑞葉は舌打ちした。

 

 ――これはエースの動きだ。

 

 そう断じた瑞葉は機体を滑らせ、刃を叩き込もうとする。想定通りの場所に相手の切っ先が来て、互いに僅かな後退をする。

 

「下がれ! 下がるのならば……!」

 

 ライフルで相手を遠ざけようようとするが、敵機はこちらの銃撃を掻い潜って接近戦を試みた。

 

 プレッシャーソードを捨て去り、腰から実体剣を抜き取る。次に咲いたスパークは先ほどまでとは段違いであった。

 

 機体が確実に押されている感触に、瑞葉は歯噛みする。

 

「実力者……、それ相応の。ならば……!」

 

 敵機を蹴りつけ、距離を取ろうとするが相手は執念深くこちらへと追いすがってくる。

 

 その型式は《スロウストウジャ弐式》ではない。最新鋭の機体であるのが窺えた。

 

『ブルブラッドキャリアの人機か……。墜ちろよッ!』

 

 接触回線に響いた声音に、瑞葉はハッとする。今の声に聴き覚えがあった。

 

「まさか……まさか……」

 

『どうした、ブルブラッドキャリアのロンドモドキが。この程度かよォッ!』

 

 昂った声音もそのままだ。瑞葉は回線を開いていた。

 

「アイザワ……なのか?」

 

 その声に敵人機から殺意が凪いでいく。

 

『……どうして? 瑞葉の……声……?』

 

「アイザワ、わたしだ! 瑞葉なんだ!」

 

 声にしてもタカフミの乗っていると思しき機体は攻撃をやめない。

 

『……そういう兵器かよ。愛する人の声を騙ってェッ!』

 

「違う……違うんだ! アイザワ! 本当にわたしなんだ!」

 

『黙れよ……。ブルブラッドキャリアってのは、本当に汚いんだな、こうやって、人の心を弄ぶ……。そんなこけおどし、この《スロウストウジャ是式》に通用するかよ!』

 

《スロウストウジャ是式》が実体剣を振るい上げる。どうして、と瑞葉は頭を振った。

 

「どうして……分かり合えない。どうしてっ! こんなところで……!」

 

『黙っていろ! おれの愛する人の声で囀るなァッ!』

 

「アイザワっ! わたしは!」

 

《カエルムロンド》の保持するライフルが断ち切られる。上昇機動に移ろうとした《カエルムロンド》を《スロウストウジャ是式》は性能で凌駕した。

 

 すぐさま脚部を掴み取り、そのまま機体出力で振り回す。瑞葉は咄嗟に制動用推進剤を焚いて動きを制そうとするも、直後には銀の太刀が迫る。

 

「アイザワ! わたしなんだ……、どうしてこんなにも残酷な……、残酷な事が……」

 

『残酷なのはお前達だろうに……! この世界を混沌と闇の中に落とそうとする悪の権化、おれが、ここで打ち倒す!』

 

《スロウストウジャ是式》が突き飛ばし、《カエルムロンド》が今にも崩れ落ちそうになる。機体制御を整え、《カエルムロンド》がバックパックを点火させた。

 

 赤い翼が映え、青く染まった大地を突っ切っていく。地表ギリギリを飛翔するこちらへと、《スロウストウジャ是式》はプレッシャーライフルを引き絞った。必殺の照準だ。

 

『逃がすかよ……。世界の敵は、ここで!』

 

「アイザワ……、もう、分かり合えないのか。……だったら、わたしは、今守るべきもののために戦う! それが、クロナに報いる事だというのならば……」

 

 振り返り様に腰に提げた予備のライフルを一射する。タカフミの機体がすぐに上昇機動に移った。直上からのミサイル掃射がこちらを狙い澄まし、絶対の攻撃網へとこちらを打ちのめそうとする。

 

「嘗めるな。わたしだって……操主だ!」

 

 振り仰ぎ、《カエルムロンド》がミサイルの雨を撃ち落としていく。爆発の光輪が広がる中、真っ逆さまに銀の太刀が襲いかかった。

 

『その首、もらった!』

 

「やらせない!」

 

 プレッシャーソードを引き抜き、その一閃を受け止める。相手人機の頭部から機銃掃射が見舞われた。

 

 実体弾が《カエルムロンド》の頭蓋を打ち砕こうとしたのを辛うじて回避した。脚部スカートバーニアに点火し、《カエルムロンド》は射線を逃れようとする。

 

「このまま……爆弾の中継地点へと向かう」

 

 あくまでも自分の目的は爆弾の破壊。それが急務のはずだ。《カエルムロンド》のゴーグル型の眼窩が輝き、照準を補正させた。

 

 その時、突然に機体へと負荷がかかった。青い濃霧が押し包み、人機の関節部を軋ませていく。

 

「ブルブラッドの高重力……、中枢に近いというわけか……」

 

『逃がすかよ……、ブルブラッドキャリア!』

 

 タカフミの機体の敵意をかわし、ブルブラッド濃度の高い空間へと突っ込む。

 

 紺碧の悪夢の中、二機はそれぞれの悪意を乗せて空域を走っていく。《スロウストウジャ是式》の実体弾が空間を裂いたが、その弾頭は青い闇に包まれて失速した。

 

『高重力……そのせいで弾速が落ちるのか。なら、プレッシャー兵器で……』

 

 プレッシャーライフルを構えようとして、《スロウストウジャ是式》が急に速度を落とした。ブルブラッド濃霧が作り出す逆転重力が磁場を発し、人機の機動力を抑えていく。

 

「なんて事……。人機の機動力をどうこうしてしまうほどなんて……。これでは……、なら、出力を上げて……」

 

 推進装置を最大まで設定し、《カエルムロンド》が疾走する。加速度に包まれた直後、不意に景色が開けた。

 

『……何だこれは……』

 

 彼も知らされていなかったのだろう。眼前には、青い罪の果実が、熟れたように照り輝き、樹木を思わせる発達装置から下がっている。

 

「これが……ブルブラッド重量子爆弾の……その栽培地……」

 

 生成地ではなく「栽培」という言葉が自然と口をついて出たのは、目の前の爆弾の樹海がそれしか思い浮かべさせなかったからだろう。

 

 レギオンは世界を破壊する爆弾を「栽培」している。ヒトの理から抜けた者達が、自然の理の紛い物を使って、何もかもを破壊の向こう側に置こうとしている。

 

 それを看過出来るほど、自分は達観してもいない。

 

 起爆装置を実行し、この樹海を焼き切るのが自分の役目だ。

 

 小型誘発爆弾をライフルへと備え付けようとして、《スロウストウジャ是式》の銀閃が瞬く。《カエルムロンド》を急速後退させ、瑞葉は声を振り絞っていた。

 

「分かってくれないのか……アイザワ!」

 

『分かるも何も……、こんなもの……。だがおれは軍人だ! 兵器開発が必要だというのならば、それを推し進めるのも、軍人の……』

 

 今のタカフミはかつての自分と同じだ。規定されたようにしか動けず、その枠組みから出ようとしてもがいている。

 

 そんな似姿を、見たくはなかった。これ以上、争いと憎しみの種を生むのが世界だというのならば。

 

 ――わたしは。

 

「……アイザワ。わたしが瑞葉である、証明があればいいのだろう」

 

『何を……』

 

 コックピットのロックを外す。頭部コックピットの気密が漏れ、紺碧の有毒大気が分け入ってくる。

 

 その逆巻く風の中、瑞葉は身体一つで《スロウストウジャ是式》と向かい合っていた。

 

 タカフミが絶句したのが伝わる。

 

『まさか……そんなパフォーマンスで、おれの心をどうこう出来るとでも……!』

 

「アイザワ! わたしの声を聞いてくれ! この声を!」

 

『嫌だ……聞こえない。聞きたくない! 愛する人が……死んだと思っていたのに……それを糧にして、戦えたのに……おれは』

 

「目を背けないでくれ! わたしから、目を!」

 

 タカフミが嗚咽を漏らす。その声と共にプレッシャーライフルの一射が《カエルムロンド》のすぐ傍を掠めた。

 

 青い空間を光条が突っ切っていく。

 

『頼む……頼むから……おれにこれ以上、大切なものを失わせないでくれ……』

 

「アイザワ……。わたしも同じ気持ちだ。だから……だからこそ、この世界をよくしたい。協力してくれ! お前がいてくれるのなら、わたしはこれ以上に心強いものはない。撃つべき敵はお互いではないはずだ。ここで撃つべきなのは……見えているだろう、アイザワ! 目を背けるな!」

 

 青い樹海。人ならざる者が作り出した架空の楽園。この地獄絵図を壊すのは、人だけだ。人だけが、この闇を破壊出来るはず。

 

 タカフミは何度も躊躇いの照準を向ける。ああ、と悲痛な声が漏れ聞こえた。

 

『おれは……もう誰も……撃たなくっていいのか? 誰も、殺さなくっても……』

 

「アイザワ……。わたし達は、分かり合え――」

 

 刹那、直上より天地を割ったのは大型人機の放つ雷撃であった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯286 愚かでも

 

 緑色の稲光が天地を縫い止める。

 

 一部の重量子爆弾に引火し、青い爆風が押し広がった。

 

『瑞葉!』

 

《カエルムロンド》が傾ぎ、風圧に吹き飛ばされかける。人機から離れた身体を受け止めたのは、タカフミの《スロウストウジャ是式》であった。

 

 減殺フィルターでも殺し切れない光の瀑布がヘルメットに焼き付く。

 

「こんな事が……こんな事が……!」

 

 起爆するブルブラッド重量子爆弾に《スロウストウジャ是式》が直上の敵を睨む。

 

『……あれは……キリビト?』

 

 キリビトタイプが片腕を開き、緑色の雷光を球体に練り上げる。

 

『《キリビトアカシャ》、コアモード。ブルブラッドキャリアのモリビトと合見えるかと思えば……、何だ、アンヘルの人機に、ロンドモドキか』

 

 その腕が雷撃を纏ったのを目にし、《スロウストウジャ是式》が直下に抜ける。

 

『ゴルゴダを用意出来ないのは惜しいが、我々アムニスの考えは少し違ってね。重要な爆弾は、一個だけでいい。我が方には切り札が一個だけある。それでこそ、意味を成すんだ。消えてもらおうか、世界に仇成す敵は』

 

《スロウストウジャ是式》が《キリビトアカシャ》へとプレッシャーライフルを引き絞る。相手はリバウンドの皮膜で弾き返した。

 

『……どういうつもりかな? 確か……アイザワ大尉と言ったか』

 

「アイザワ……」

 

《スロウストウジャ是式》が眼光を煌めかせる。

 

『悪いが……この爆弾の栽培地は決して、正義だとは思えない。おれは……昔から馬鹿だからさ。何が正しいとか、何が間違っているとか、そういうの、頭悪いから分からないんだよ。少佐なら、こういう時、何に従えって言うのは分かり切っているんだけれどな』

 

『リックベイ・サカグチ少佐の事かい? そうだね、彼ならば、賢明な判断をするだろう』

 

『ああ、少佐なら、こうするはずだ』

 

 プレッシャーライフルの一射が爆弾の栽培地へと撃ち込まれかける。それを《キリビトアカシャ》が命中寸前で吸収させた。

 

『……失礼。何の真似かな』

 

『言ったろ。少佐ならこうするって。あの人は分かっている。正義とか、大義とか、そういう事じゃない。自分の中の、心に従うんだって。心の赴く先にあるものに従えっていうんなら、おれはこの景色を是と言えない。《キリビトアカシャ》、だったか。お前が阻むって言うんなら、全力で立ち向かうまでだ!』

 

『……理解出来ないな。君は軍属のはずだ。その手にいる……ブルブラッドキャリアの手先を握りつぶすほうがよっぽど賢明だと思うが』

 

『悪いな。惚れた女を殺すような外道、おれは成れないからよ』

 

「アイザワ……お前は……」

 

『瑞葉……お前がどうして、ブルブラッドキャリアにいるのか、そのロンドはどうしたのかだとか、そんな事はどうだっていい。……ああ、どうだっていいんだ。もう一度会えた。きっと、それだけで……』

 

 タカフミの感じ入ったかのような言葉に《キリビトアカシャ》が稲光を放つ。拡散した緑色の閃光が《スロウストウジャ是式》を阻んだ。

 

『人間風情が! 意気ってからに!』

 

『いくらでも吼えられるもんだ。男ってのはよ!』

 

《スロウストウジャ是式》が銀の実体剣を振るい上げ、《キリビトアカシャ》へと突き刺そうとする。敵機は上方へと逃れ、青い闇の中を漂った。

 

『嘗めるな! キリビトタイプだぞ……、こっちは!』

 

『だから何だって言うんだ? キリビトだろうがモリビトだろうが、今のおれを止められると思うなよ!』

 

 タカフミが片腕で自分を守りつつ、もう片方の腕で《キリビトアカシャ》へと間断のない斬撃を浴びせかける。《キリビトアカシャ》はこの空間に割って入った事でエネルギーを使い尽くしているのか、応戦の勢いは萎えていた。

 

『……上で戦いさえしなければ……、こんな雑魚……』

 

『そいつぁ、災難だったな。雑魚で結構!』

 

『ほざけ!』

 

《キリビトアカシャ》と《スロウストウジャ是式》がもつれ合い、相手人機の袖口からリバウンドの剣が出現する。

 

『太刀筋が甘いぜ! 零式抜刀術、壱の陣!』

 

 駆け抜けた刃が一瞬にして辻風を作り出し、《キリビトアカシャ》の鉄壁の装甲に爪痕をつけた。

 

『瑞葉!』

 

 相手が退いたほんの一瞬。《スロウストウジャ是式》のコックピットが開く。

 

 まさか迎えてもらえるとは思っていなかった。瑞葉は何日振りかの恋人の面持ちに覚えず頬を伝う熱を止められなかった。

 

「アイザワぁっ!」

 

「瑞葉……ようやく……ようやく会えた……。ゴメンな、遅くなっちまって……」

 

「まったくだ……。時間に遅れるのはいっつもだな。アイザワは」

 

「言うなよ。ほら! 手を!」

 

 伸ばされた手に瑞葉は飛び込もうとして、プレッシャーの雷光が空間を満たしたのを視野に入れた。

 

 敵機が全身から稲妻を放出し、燻る緑の輝きを片腕に凝縮する。

 

『ふざけるな……よ、人間が! 我が名はメタトロン! アムニスが序列一位の天使!』

 

《キリビトアカシャ》の片腕が黒々とした球体を編み出す。その兵器に、瑞葉は見覚えがあった。

 

「あれは……、《キリビトプロト》の質量吸収兵器と同じ……!」

 

「何だって言うんだ!」

 

『断罪だ。愚民よ。ここで貴様らは断ち切られる。《キリビトアカシャ》、Rアナイアレイター――』

 

「いけない! 離れろ! アイザワ!」

 

 この戦闘域から離れなくては。自分もタカフミも諸共、爆発に巻き込まれて死に絶えるであろう。いや、それならばまだいい。キリビトの禁断の兵器が生み出す破壊力は予測不能だ。

 

 何が起こるのかまるで分からない恐怖に、タカフミが応じる声を出していた。

 

「大丈夫だ。愛する人にまた会えた。それでいい。……おれの人生は、きっとそれでいいんだ」

 

「……アイザワ?」

 

 タカフミが人機の腰に提げた脱出用のコンテナへと自分を入れる。このコンテナはブルーガーデンの強固な代物であった。どのような熱も、攻撃も通さない、鉄壁。その代わりに、こちらの言葉は届かない。

 

 瑞葉は必死にコンテナを叩いた。

 

「アイザワ! アイザワっ! せっかく……せっかくまた会えたのに……こんな……」

 

 人並みになれると思っていた。だというのに、誓った愛情でさえも、世界の残酷さの前では無意味なのか。

 

 どれほどヒトであろうと、焦がれても機械天使は機械天使のままだというのか。

 

『ブレード!』

 

《キリビトアカシャ》の放ったのは赤黒いリバウンド刃であった。瞬く間に膨張した質量が一点に凝縮され、《スロウストウジャ是式》の肩口を貫く。

 

『取ったァっ!』

 

 着弾点から収縮が始まる。ブラックホールのように命中した箇所から《スロウストウジャ是式》が吸い込まれていく。

 

 全ての質量を灰塵に帰そうとする《キリビトアカシャ》に、《スロウストウジャ是式》はその刃を掴み取った。

 

『取ったのは……こっちの台詞だぜ。キリビト野郎!』

 

『何だと!』

 

 タカフミの考えている事は分かる。自分でもそうするであろう選択だ。だからこそ、コンテナを叩いて止めたかった。それは、だって……。

 

「アイザワ! 行かないでくれ! 傍に……いて欲しいんだ」

 

 声が届かないのは分かっている。もう、彼の声を聞く事が恐らくはない事も。

 

『《キリビトアカシャ》、因果は終わりにしようぜ。零式抜刀術、奥義!』

 

 銀色の太刀が拡張し、内側から押し広がったのはリバウンドの波であった。オレンジ色のリバウンド刃を帯びた剣を《スロウストウジャ是式》は振るう。

 

 下段に構えた姿勢のまま、機体が突き進んだ。

 

 当然、相手の吸収攻撃も続行されている。片腕が削がれ、遂には機体中心部までその切っ先が迫った。

 

『お前がおれを吸い尽くす前に、この一太刀で決める! 零の禊!』

 

 打ち上げた一閃が《キリビトアカシャ》を掻っ切った。その太刀筋へともう一閃、重ねる。さらに突き上げた一撃が《キリビトアカシャ》を追い込んでいく。

 

『人間、風情がァッ!』

 

『そうさ! 人間風情だとも。だがな、言っておくぜ。だからこそ――強い!』

 

 二の太刀、三の太刀が《キリビトアカシャ》をバラバラに打ち砕く。敵は剣閃を受け止めようとしたが、その速度はあまりにも緩慢。《スロウストウジャ是式》が推進剤を全開に設定し、《キリビトアカシャ》を質量で突き飛ばす。

 

 迫った機体頭部で、何とヘッドバットを決めてみせた。

 

 人機同士の鋼鉄の頭部がぶつかり合い、火花が一瞬だけ散る。

 

 亀裂の走った《スロウストウジャ是式》がアイカメラを煌かせた。《キリビトアカシャ》がもう一方の腕にリバウンドエネルギーを凝縮し、そのまま幾何学の軌道を描かせる。

 

『貫け!』

 

『それは……こっちの台詞だ!』

 

《キリビトアカシャ》の弾道を《スロウストウジャ是式》は打ち落としていく。しかし、その間にも侵食は止まらない。次々にブラックホールに吸い込まれ、塵に還っていく《スロウストウジャ是式》が刃を打ち下ろし、《キリビトアカシャ》の腕を寸断する。

 

 最早、半身は消え失せた。

 

 それでも止まらぬ意地に、敵操主が吼える。

 

『何がある? そこまでして、何が貴様にはあると言うんだ! アンヘルの人間だろうに! 誉れは逆賊の死ではないのか!』

 

『逆賊ぅ? ……そうさな。逆賊を殺し、追い詰め、その末に勝利を掴み取る。それがアンヘルの流儀だろうさ』

 

『ならば何故! 何故、象徴たるキリビトに刃を向ける』

 

 その問いに《スロウストウジャ是式》は切っ先を突きつけた。

 

『勘違いすんなよ、天使野郎。神様だか仏様だか知らないが、おれには今! 知ったこっちゃねぇっ! 愛した女一人守れないで、何が虐殺天使だよ、笑わせる。百を殺すより、おれは愛する一を生かす! そう決めただけの、愚か者だって話だ!』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯287 空白の勝利者

『愚者がァッ!』

 

《キリビトアカシャ》の剣が血塊炉へと入った。青い血潮を撒き散らし、痙攣しながらも、《スロウストウジャ是式》は止まらない。もう、止まらぬと決めた男の意地が、人機を衝き動かしていた。

 

『行くぜ。零式抜刀術、最終奥義……!』

 

『融けろ!』

 

《キリビトアカシャ》が鞭のようにリバウンドの剣を振るう。その膂力に《スロウストウジャ是式》は振り回されそうになったのも一瞬、剣を突き上げ、その勢いさえも借りて前に進む。

 

 最早、退路はない。彼は全てを捨ててでも、この戦いに勝つつもりであった。

 

「……アイザワ」

 

 涙が伝い落ちる。届かない叫びに、進むと決めた男の咆哮が入り混じった。

 

『――零閃、唯殺』

 

 紡がれた技の名前に、《キリビトアカシャ》と《スロウストウジャ是式》が交錯する。一瞬だけ機体が重なったと思われた刹那、《キリビトアカシャ》が剣を払い、《スロウストウジャ是式》から血塊炉を奪い取る。

 

『……見切った』

 

《スロウストウジャ是式》が激しくかっ血した。身体を半分持っていかれた形の《スロウストウジャ是式》の背筋から青い血飛沫が噴き出す。

 

『残念だったな。勝者はこのメタトロンだ!』

 

 哄笑が響き渡ったのも一瞬、直後、《キリビトアカシャ》の巨体に一条の亀裂が走る。

 

 敵人機がそのずれを押さえ込もうとしたその直後。砕かれた装甲が遊離し、キリビトの頭部が真っ二つに打ち砕かれていた。

 

『まさか……、こんな事で! モリビトでもない奴に……!』

 

『喚くなよ。性根が悪いぜ』

 

《スロウストウジャ是式》が剣を払う。その切っ先には《キリビトアカシャ》のものと思しき血塊炉が突き刺さっていた。

 

『アムニスの序列一位の、このメタトロンが……、ただの人間に負けたというのか……!』

 

『序列だとか、云々はどうだっていい。お前はおれの女に手ぇ出した。それだけの、雑魚だったって話だ』

 

《キリビトアカシャ》の機体が両断される。今までこの空域で翻弄し続けた人機は、高重力の網に抱かれ、自らの放ったブラックホールの中へと吸い込まれていった。

 

 欠片さえも残さぬ死にようやく、と口を開こうとして、《スロウストウジャ是式》も満身創痍だと知る。

 

 傾いだ人機がそのまま、青い爆弾の園へと落ちていこうとした。

 

「アイザワ!」

 

『ゴメン、な……、瑞葉。男らしい事、何にもしてやれなくって……』

 

 直下の爆弾にその機体が埋もれると思われた瞬間、一機の人機がその手を取っていた。

 

「《カエルムロンド》……どうして……」

 

 自らの捨て去ったはずの愛機がゴーグルに生命の輝きを灯らせる

 

『もしもの時にって……茉莉花の言った通りになったわね』

 

「その声は……《ゴフェル》のシステムAIの……」

 

『ルイ、よ。《ゴフェル》の守りが手薄になるから気が進まなかったんだけれど、こんな展開になるなんてね』

 

 ルイが操っている《カエルムロンド》が《スロウストウジャ是式》を担ぐ。その有り様に、瑞葉は絶句していた。

 

 空間を漂う瑞葉のコンテナを、《カエルムロンド》が回収する。

 

『ここも長くは持たない。《キリビトアカシャ》は無茶苦茶をやり過ぎた。……そのトウジャに乗っている人間も。すぐに引火するわ。そうなった場合、どれほどの規模の被害が出るか……想像も出来ない』

 

『……んだよ……カッコつけて死なせてもくれないのか……』

 

 ぼやいたタカフミに、瑞葉は言いやる。

 

「アイザワ……生きてもいいんだ。わたし達は、生きても……」

 

 その言葉が通じたのかどうかは分からない。ただ、彼の声はどこか達観を帯びていた。

 

『ああ、でもいっか……。死ぬよか、生きて瑞葉と結ばれるほうが……それはいい夢だ……』

 

《カエルムロンド》がコンテナより自分を誘導し、コックピットハッチを開く。

 

 瑞葉は飛び乗るなり、上昇機動をかけた。

 

『無茶をするわね』

 

「お互い様だろう。……どうして今になるまで出てこなかった?」

 

『それも、お互い様でしょう? 敵に愛した男がいるなんてね』

 

「……居て悪いか? アイザワはわたしの一生でたった一人の、愛した人だ」

 

『……恥ずかしげもなくよくも……。すぐに離脱するわよ!』

 

 アイザワの機体を伴い、《カエルムロンド》が空間を抜けていく。爆発の光と衝撃波が迫り、直後、空間が鳴動する。

 

《キリビトアカシャ》の残骸が塵も残さずに消え失せた。この世にあった証明も存在せずに虚無へと呑まれていく背景に、瑞葉は絶句する。

 

「こんなもの……ブルーガーデン国土が……」

 

『消滅する……』

 

 ルイの声を聞く間も惜しい。瑞葉はペダルを踏み込み、全力に振った推進剤を焚かせて青く煙る悪夢を抜け切った。

 

 しかし、余剰衝撃波はかつての祖国を地図から消し去るだけに留まらない。

 

 海面が波打ち、発生した津波が次々とアンヘルの艦隊を押し包んでいく。人機の高度に達した大津波に、艦隊がおっかなびっくりの航路を取った。

 

 瑞葉はタカフミの《スロウストウジャ是式》の通信コードを用いる。

 

『何をするの?』

 

「……この海域からの出来るだけの離脱を……」

 

『敵よ!』

 

「だからって……! こんな不条理で死んでいくのは我慢出来ない……。きっと、クロナだってそう言うはずだ!」

 

 広域通信に繋いだ《カエルムロンド》が《スロウストウジャ是式》を触媒にして回線を開く。

 

「こちらはブルブラッドキャリアの人機。故あって今! ブルーガーデン国土が大量破壊兵器によって消滅する! その余波に巻き込まれたくなければブルブラッドキャリアとラヴァーズ側の指示に沿え!」

 

『馬鹿馬鹿しい! こんなの聞き入れると思う?』

 

「相手が人道的なら……一人でも生かすはず」

 

『呆れた! ……助けるんじゃなかったかな』

 

 バベルとやらが使えない今、アンヘルでも通信障害が発生しているはず。何を信じればいいのか分からないこんな時に、何も出来ないのか。

 

 悔恨を噛み締めたその時であった。

 

 一隻の艦が自分の信号を受諾し、他の艦隊へと通達したのが伝わる。それが次々に広がっていき、艦隊司令部がようやく動き出した。

 

 前を行く《モリビトイドラオルガノン》へと、瑞葉は接続する。

 

「《イドラオルガノン》! 攻撃は中断するんだ! ブルブラッドの爆弾の余波が来るぞ!」

 

『攻撃中止……? バカな事を言わないでよ。こいつらを蹴散らせば、何もかも……』

 

「そういう領域は過ぎたんだ! 国土を消滅させるほどの爆発だ……どれほどの被害が出るか想像もつかない」

 

 こちらの声音が迫真めいていたからだろうか。《イドラオルガノン》が攻撃を中断する。

 

『……信じたわけじゃないから』

 

 捨て台詞を聞きつつ、瑞葉は背後に迫る青い靄の爆風を目にする。

 

 遠雷が響き、紺碧の霧が瞬く間に押し広がった。爆発の衝撃波だけで、近くの離れ小島が跡形もなく粉砕される。

 

 こんなもの、受ければどれほどの被害か分からない。

 

 撤退機動に入る艦隊であったが、それでも波にさらわれ、今にも航行不能に陥る艦もあった。

 

 このままでは大量の死者が出るだろう。瑞葉は握り締めた操縦桿に力を込めた。

 

《カエルムロンド》が身を翻す。

 

『瑞葉! 何をやっているの!』

 

「……人機の攻撃で少しでも減殺出来ないか、試す」

 

『無理だって! こんな規模の爆発……想定出来ていないし……何より今の《カエルムロンド》なんて……』

 

「でも、クロナなら! 最後まで抗うはずだ! たった独りでも、世界に立ち向かうはずだ! そうだろう! なら!」

 

 自分一人の犠牲でいいのなら、と《スロウストウジャ是式》を手離そうとして、そのマニピュレーターががっちり掴まれている事に気づく。

 

『……ここで、死なせるかよ……』

 

 伝わったタカフミの決意に瑞葉は爆心地を睨んだ。少しでも爆風と衝撃波を逸らせるのにはどうすればいいか。

 

 相手もブルブラッド――血塊炉の代物のはずだ。ならば、血塊炉をぶつければ、どうにか出来るはず。

 

 だが、何も思い浮かばない。そのような状況でも、紺碧の暗礁は迫る。

 

『思い浮かばないんならさっさと逃げて! 鉄菜だって……ここまでは』

 

「違う! クロナなら、絶対! どうにかしてくれるはずだ……、クロナならどうする?……クロナなら……」

 

『瑞葉……。最後まで、付き合う、からさ……。傍にいてくれよ』

 

 死に体の《スロウストウジャ是式》が起動する。光の宿ったデュアルアイに瑞葉は首肯していた。

 

「二機分の血塊炉を自爆させて、衝撃波を相殺させる」

 

『何言ってるの? そんな事をしたって、被害は――』

 

「食い止められないかもしれない。でも、一人でも助かるのならば、意義はあるはず!」

 

『瑞葉……行くぞ……』

 

 稼動した《スロウストウジャ是式》と共に、瑞葉は血塊炉の自爆シークエンスを起動させようとする。

 

 泡沫の再会であったが、これでいいのだろう。

 

 元々、結ばれようもないのだ。天使と人間は。

 

 だから、これは似合いの結末。だというのに……。

 

「ああ、涙が止まらない。止め処ないんだ……」

 

 どうして、天使に泣くなんて機能をつけたのだろう。どうして、こういう時、ヒトに成り損なった自分は何もかもを捨て切れないのだろう。

 

「鴫葉……枯葉……わたしは死ぬのが……怖い。失うのが、怖いんだ……」

 

 それでも、と自爆のキーを打ち込もううとして、ブルブラッドの濃霧が辺りを押し包んだ。瞬間的な暗黒が舞い降りる。

 

 一寸先も見えぬ闇の中、青い辻風が自分へと襲いかかろうとするのが、明瞭に「視えた」。

 

 終わりは、こうも容易いのか。

 

 闇に沈んだ視界と感覚で彷徨い、瑞葉は瞼を閉じる。

 

 その時であった。

 

 闇が不意に晴れた。

 

 ブルブラッドの大質量破壊兵器の灼熱と暗礁が消え失せ、辺り一面が唐突に元に戻る。

 

『何が……』

 

 起こったのか。それを最初に理解する術を持たなかった。

 

 眼前に訪れたのは原罪の青をそのままに引き移したような、寸胴の機体である。見知らぬ人機にたじろいだのも一瞬、ルイは敵意を滲ませた。

 

『《グラトニートウジャ》……。彩芽を……マスターをやった……!』

 

 不意に視界に大写しになった《グラトニートウジャ》とやらが迫った青い悪夢の鉤爪を、全て取り払っていた。

 

 グラトニートウジャの顎のような巨大な腕が瞬く間に吸い込んでいく。その時間は僅か一分にも満たない。

 

 全ての爆風と衝撃が失せてから、《グラトニートウジャ》が青い血潮を全身に巡らせ、蠢動した。

 

「この人機……ただの機体じゃない。まさか、この感覚は……」

 

 間違いない。自分は、この人機と同じものを「知っている」。経験がある、という確信に、瑞葉は言葉を紡いでいた。

 

「ハイアルファー……人機?」

 

 識別信号が不明のままの《グラトニートウジャ》がこの空域を俯瞰する。その眼差しには、どこか諦観が読み取れた。

 

「……お前は誰なんだ?」

 

『名乗るほどの名前もない。もう、僕には……名乗るべき相手もいなくなってしまった……』

 

 掠れたような声の操主へと声を投げようとして、不意に割って入った高機動の人機の機影に瑞葉は構える。

 

 黄金の機体色に独特のシルエットはある人機を想起させた。

 

「バーゴイル……! ゾル国の陣営か!」

 

『《フェネクス》だ。ロンド系列の機体と見受けたが……識別信号がないな。カイル、こいつを斬るぞ。いいな?』

 

 どうしてだか、その《フェネクス》なる人機は《グラトニートウジャ》に従っているようであった。振り向けた視線に、肥満体のトウジャが目を背ける。

 

『助けた命の採算だ。好きにするといい』

 

『では……ブルブラッドキャリア、その命……ここで始末する!』

 

 突如として襲いかかった剣筋に《カエルムロンド》では咄嗟の回避行動にも移れない。刃が機体へと食い込み、返す刀が血塊炉を砕こうとする。

 

 制動用推進剤を焚いて逃れようとするも、それは既に読んでいたとばかりに直上に敵が現れた。制するより先に放たれた蹴りがコックピットを激震させる。

 

 姿勢制御バーニアを焚いてようやく持ち堪えるも、やはりというべきか、がたついた機体では万全な高機動人機の攻撃に耐えられない。

 

 回し蹴りが浴びせられ《カエルムロンド》がダメージに打ち震えた。瑞葉は肩で息をしつつ、ようやく敵機を照準する。

 

『おっかなびっくりの射撃など!』

 

 飛び越えた敵機を追撃する前に機体制御系に異常が発生した。

 

『バランサーが狂ってる……! 爆風とお荷物のせいで……』

 

 お荷物。その言葉に《スロウストウジャ是式》から声が伝わる。

 

『瑞葉……手を、離してくれ。おれが荷物になってる……』

 

 外されかけたマニピュレーターを、瑞葉は必死に掴み直した。

 

「離さない! 絶対に! もう離れたくないんだ! アイザワ……」

 

『参ったな……、彼女にカッコいい台詞全部言われちゃうなんて……』

 

『戦場で飯事をするな! 汚らわしいっ!』

 

《フェネクス》の刃が軋り、《カエルムロンド》がプレッシャーソードを握り締めようとして、その袖口が寸断された。

 

『見え見えの剣など! 二天一流、参る!』

 

 後退しかけて、《フェネクス》の勢いに気圧される。敵は本気だ。本気で自分達を取りに来ている。

 

「争いなんて……生き急いでいるだけだ!」

 

『だからと言って言い訳が通用するなど! 女々しい理論を振り翳して、自分を慰めるしか出来ないのかっ!』

 

「負けない……負けたくない……」

 

 斬り返しが胸部装甲を叩き割る。ゴーグルに罅が走り、コックピットがエラーの警戒色で塗り固められた。

 

「負けられないんだぁッ! そうだろ、クロナ!」

 

『墜ちろぉっ!』

 

《フェネクス》の剣が頭部を両断する軌跡を描く。瑞葉は終わりを予見した。コックピットを太刀が叩き割り、この世界を終焉させる。

 

 今度こそ、本当に逃げ場がない。

 

 背後にはアンヘルの艦隊、前方には壁としてそそり立つグラトニートウジャと《フェネクス》。

 

 如何に万策を尽くそうとも、この場では発言権は無意味。

 

「……ようやく、諍いから逃れられると思ったのに……。ああ、クロナ……」

 

 こんな今際の際でも、自分は鉄菜に頼るしか出来ないのか。情けなさに歯噛みした瞬間、砲弾がすぐ脇を掠めた。

 

『背後から?』

 

 うろたえたルイの視界と同期して、《カエルムロンド》の視野が捉えたのは、一機の《スロウストウジャ弐式》の援護砲撃であった。その射線が《フェネクス》の機動をぶれさせる。

 

 まさか、と絶句するより先に新たな火線が咲く。

 

《フェネクス》を退けた《スロウストウジャ弐式》の部隊が上方へと抜ける。

 

『邪魔立てをぉ……っ』

 

『そのロンドの操主に告ぐ。貴官がブルブラッドキャリアであるにせよ、他の部隊に所属にせよ、一は一だ。借りは返す』

 

《スロウストウジャ弐式》編隊の統率力に《フェネクス》が翻弄される。一対多数では如何に単騎での戦闘力が高い《フェネクス》でも押し返すのは難しい。

 

 銃口を添えかねている《フェネクス》へと、《スロウストウジャ弐式》が中天に入った。散開機動に移った《スロウストウジャ弐式》が太陽を背にして銃撃を見舞う。

 

《フェネクス》はその本来の性能を発揮出来ていないようであった。通信に操主の舌打ちが混ざる。

 

『多勢に無勢か……』

 

『諦めな! この女操主に俺らは形はどうあれ、救われたんだ!』

 

『相手はブルブラッドキャリアだぞ!』

 

『それでも、だ。借りは返すのが心情なんで、ねっ!』

 

 精密狙撃が《フェネクス》の肩口を焼く。しかし金色の装甲は簡単には挫けなかった。

 

『惜しいな。だが次はコックピットに当てる』

 

 下方に逃れた三機が再び交錯し、追尾機動に移りかけたその時、黄色の光軸がそのチームワークを霧散させた。

 

『……手を煩わせるな。僕達は、もうこの世界を観続ける事に絶望したんだ。だから、もういい。祖国がどうだとか、この星がどうだとか……、そんなどうでもいい事で立ち塞がるのならば、――僕は世界の敵になる』

 

『何だって言うんだ! あのトウジャタイプ……!』

 

 急速下降していく《スロウストウジャ弐式》へと瞬間移動したとしか思えない速度で《グラトニートウジャ》が迫る。その接近に勘付けなかったのか、あるいは別の要因か、《スロウストウジャ弐式》の頭部が顎の腕に噛み砕かれた。

 

 頭部を失った人機が虚しく空を掻いて海面に没する。

 

 茫然と眺めていた瑞葉はルイの声にようやく我に帰った。

 

『離脱するなら、今しか!』

 

「でもっ! 今退けば、みんな墜とされる! みんな死ぬんだ!」

 

『馬鹿っ! だからってあんたが死んでいい理由になるの?』

 

 ぐっと唾を飲み下し、瑞葉は機体を翻そうとする。

 

『……逃すか』

 

《フェネクス》が援護の檻を超えてこちらへと急速接近する。その加速度に瑞葉は腰に据えていた小型爆弾を投擲した。

 

 元々、重量子爆弾破壊のための策であった兵器はこの時、正常に稼働した。炸薬が《フェネクス》の視界を眩惑し、敵機が後ずさる。

 

 その期に乗じて、瑞葉は火線を張りつつ離脱に入ろうとしていた。今の自分は所詮お荷物だ。

 

 ここでは一度撤退し、体勢を立て直す事が先決だろう。

 

 苦渋の末にそう判じた神経が後退という選択肢を取る前に、思わぬ一撃が割って入った。

 

 リバウンドの精密狙撃は《イドラオルガノン》のものだ。その弾頭が《フェネクス》へと牽制のように入ったのである。

 

 敵機は回避したものの、まるで硬直したように動かなくなった。

 

「何か仕掛けでも……? 《イドラオルガノン》が……?」

 

 にわかには信じられない瑞葉へと、《イドラオルガノン》が光通信を放つ。その交信を瑞葉は読み取っていた。

 

「……レジーナなのか? 何を言っているんだ、ミキタカ姉妹は……」

 

 その真偽を確かめる前に《フェネクス》もそれに応答を打つ。

 

『そうだ……って、何を言い合っているの? 早く撃墜しなさいよ! 《イドラオルガノン》!』

 

 ルイの言葉に《イドラオルガノン》が静かに銃身を向けた。迷いのない殺意に瑞葉は肌を粟立たせる。

 

 急上昇してその一撃を回避した。

 

『撃ってきた? 何で!』

 

「分からない。分からないけれど……《イドラオルガノン》は……」

 

 オレンジ色の眼窩をぎらつかせ、《イドラオルガノン》が沈黙していた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯288 決別の時

「林檎! 何をしているの! 火器系統に勝手にアクセスして……それで瑞葉さんを狙うなんて!」

 

 蜜柑の糾弾が飛ぶ中、林檎は一つの事だけを考えていた。再び光通信を打つ。

 

「レジーナ……生きていたのか。お願いだ、教えてくれ。ボクはどうすればいい?」

 

「林檎? 何をして……」

 

《フェネクス》から送信された光通信に林檎は目を伏せる。

 

「……やっぱり。納得なんて出来ないよ。このままじゃ」

 

「林檎……。何があったのかは分からない。でも、今の林檎は変だよ」

 

「変? そう見えるんだ。じゃあ、ボクは、変なんだろうね。もう、おかしくなっちゃったんだ。だから、これはエラーだよ、蜜柑」

 

 発動されたのは《イドラオルガノン》の分離プログラムであった。強制分離に蜜柑が声を上げる。

 

「何をやっているの! 今、《イドラオルガノン》単騎になれば……」

 

「蜜柑。ボクはもう、自分に惑うような場所に、いつまでもいるなんて出来ないんだ。この心の赴く先は自分で決める。……だから、決めた」

 

「林檎っ!」

 

《イドラオルガノン》の分離シークエンスが実行され、外側の装備である《イドラオルガノンジェミニ》へと蜜柑が送られる。

 

《イドラオルガノン》本体が飛翔し、なんと《フェネクス》と合流した。

 

《フェネクス》側も攻撃を仕掛けない。どうなっているのだ、と蜜柑が絶句する間に《イドラオルガノン》本体の銃口がこちらに向いた。

 

「……嘘だよね……林檎」

 

 リバウンドエネルギーが充填され、即座に放たれた銃撃から、こちらを庇ったのは《ナインライヴス》だ。

 

 羽根の一枚で受け止めた《ナインライヴス》が是非を問う。

 

『どういう……つもりなのかしら? 林檎』

 

『桃姉。もう、偽り続けるのは無理なんだ。ボクは鉄菜・ノヴァリスを許せない。それに、ブルブラッドキャリアの在り方も。本当のボクの居場所に行きたいだけなんだ』

 

『それが、裏切りの道だって言うの?』

 

 裏切り。浮かんだ言葉はどこか遊離していて、蜜柑はそのまま受け取る事は出来なかった。

 

「裏切り……、桃お姉ちゃん……林檎はちょっとおかしくなっただけなんです。裏切りなんて、そんなはずは……」

 

『ちょっとおかしくなっただけで、妹に銃は向けないわ』

 

 その説得力に蜜柑は言葉をなくす。林檎は再び銃弾を浴びせかけた。《ナインライヴス》が保護し、返す砲撃を放つ。

 

《イドラオルガノン》が舞い、《フェネクス》が前に出た。

 

 見れば《ナインライヴス》はほとんど大破している。こんな状態で戦うのは無理に等しい。それでも、桃は果敢に攻め立てた。

 

 砲塔で敵機を殴りつけようとして、剣術に翻弄される。

 

 弾かれた剣の圧力に《ナインライヴス》が傾いだ。

 

 その隙を見逃さず、浴びせ蹴りが見舞われる。後退した《ナインライヴス》に《フェネクス》の操主が口にする。

 

『最早、あまりにダメージを受けている。その傷でこれ以上如何にするつもりだ』

 

『どう、かしらね。まだいけるかもよ?』

 

『……愚かだ』

 

《フェネクス》が剣を下段に保持し、《ナインライヴス》へと真っ直ぐに向かってくる。《ナインライヴス》のRランチャーが光軸を描き、海面の水蒸気を蒸発させた。

 

 その出力に気圧されず、《フェネクス》が肉薄する。《ナインライヴス》がバインダーよりRピストルを取り出し、《フェネクス》の頭部へと据えた。

 

 しかしその照準は僅かに逸れる。《フェネクス》が肘打ちで《ナインライヴス》の腕を叩き上げたのだ。

 

 人機の構造を理解していなければ出来ない芸当。《ナインライヴス》が応戦する前に胸部を蹴り上げられ、桃の機体が一気に下がった。

 

「桃お姉ちゃん!」

 

『……強いわね。だからこそ、解せないけれど。どうしてこんな真似を?』

 

『自分達は神の奇跡に救われた。いや……あれは悪魔の気紛れと言うべきか……。いずれにせよ、帰る場所を失い、見据えるべき目的を失い、祖国への憧れも失った我々は、もう、神にすがるしかないのだ。その神がエホバと名乗るのならば、我らはその男に従おう』

 

『馬鹿馬鹿しい。あんな見せ掛けの神様になんて、縋ったって……!』

 

『見せ掛けかどうかはこちらで決める。貴様らは所詮、星の外側から来た侵略者。略奪者達だ。ならば、この星に息づく者の代表として、天罰を』

 

『だからっ! そういう考えが馬鹿馬鹿しいって言ってるのよ!』

 

 Rランチャーが放出され、《フェネクス》へと狙いがつけられるが、《フェネクス》は即座に上方へと逃れていた。その機動性に、追従する事は出来ないだろう。

 

『ここは退こう。我々の目的はブルーガーデン国土に眠っていた重量子爆弾の破壊とその力の吸収。教えてやる。《グラトニートウジャフリークス》にはエネルギー兵器を吸収するハイアルファーが組み込まれている。今のこの人機は、最早、ゴルゴダ数基分のエネルギーを溜め込んでいるのと同義。こいつを撃墜すれば……どうなるのかくらいは分かるな?』

 

『脅しってわけ。案外、そっちも余裕ないのね』

 

『どうとでも。世界の敵、ブルブラッドキャリア、天誅は後にしておいてやる』

 

《フェネクス》と《グラトニートウジャ》が機体を翻す。その背に《イドラオルガノン》が続こうとした。

 

「待って! 林檎! 行かないでよ!」

 

 悲痛なる叫びに林檎はどこか醒めたように応じる。

 

『蜜柑。ボクが間違っていると思うのならば、撃てばいい。それが一番に分かりやすいはずだ』

 

 撃つ、と蜜柑はその手にある引き金を見やる。これで撃てば、林檎を元に戻せるのだろうか。元の関係に、戻れるのだろうか。

 

 ――無理だ。きっと戻れない。

 

 撃ってしまえば、それは決定的な断絶となる。それでも、ここで林檎に行って欲しくないのが自分の欲求だった。

 

「林檎……お願い、行かないで。傍にいてよぉ……」

 

『蜜柑。そんなだから、ボクはもう、キミと一緒に人機に乗るつもりはない。戦いたくなければいくらでも道はある。今度会う時は戦場以外が、出来ればいいね』

 

《イドラオルガノン》が身を翻していく。その背中に、《ナインライヴス》も照準出来ないようであった。

 

 突然の裏切り。否、ともすればもっと前から。林檎の心には迷いが生じていたのかもしれない。

 

 それを見抜けなかったのは、一番近くにいたくせに、何も理解していなかった自分の怠慢だ。

 

「嫌……林檎、嫌……」

 

『蜜柑。現時点では撤退が望ましいわ。アンヘルも爆発で勢いを挫かれたみたいだし、今なら補給に持ち越せる』

 

「……桃お姉ちゃん。冷酷なんだね。林檎が! 行っちゃったんだよっ!」

 

『……冷酷でも、前に進まないとどうしようもないのよ。それがブルブラッドキャリアなんだから』

 

 蜜柑は呻きながら《ゴフェル》への帰投信号を受け取った。帰る場所がまだある。それだけでもまだ救われているのだろうか。

 

 林檎は、《ゴフェル》に居場所を見出せなかった。

 

 ――それだけで? それだけで何もかもを諦めてしまうなんて。

 

 しかし、理由なんて人それぞれなのだ。

 

 きっと、それだけでも、彼女からしてみれば耐え難かったのだろう。

 

 アンヘルの部隊も艦隊司令部へと帰っていく。互いに痛み分けの形でこの戦いは幕を閉じた。

 

 撃墜された人機はどれほどにも上るだろう。

 

 蜜柑は《ナインライヴス》と《カエルムロンド》、それに救われた形のトウジャの改良機と共に《ゴフェル》格納庫へと帰還する。

 

 整備班が声を張り上げた。

 

『帰還だ! 総員、整備準備! すぐに出せるように仕上げておけ!』

 

 蜜柑はしかし、すぐに《イドラオルガノン》から降りる事は出来なかった。

 

「林檎……どうして。どうしてミィに、何も言ってくれなかったの? この世界でたった二人の……、姉妹じゃないの?」

 

 替え難いものではなかったのだろうか。自分なんて所詮、ただの砲手で、ただのお荷物。

 

 その認識が林檎の全てであったのならば、自分はもう、生きていく価値なんて……。

 

 その時、コックピットを強制射出で外側から開かれた。涙が頬を伝っているのを桃に目撃される。

 

「ごめんなさい、桃お姉ちゃん……。どうしたって……無理で」

 

「いいのよ、蜜柑。よく……帰ってきてくれたわ」

 

 その言葉だけで、蜜柑は救われていた。桃の胸に寄り添い、嗚咽を漏らす。

 

 耐えられなかった。自分達に試練ばかり課すこの星と、敵意に。何がそうさせたのだろう。何が、自分達をここまで追い込んだのだろう。分からない。分かりようもない。

 

 そのような想像を抱いて、また目を腫らす。涙が止め処ない。

 

 蜜柑はこの日、血を分けた半身と別れる、残酷な運命に弄ばれていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯289 泡沫の世界

 反証、不可、というエラーが何度も明滅し、レギオンの義体ではやはりもう、バベルへの閲覧権限はないのだと知れた。

 

 それでも現場の兵士からもたらされた映像情報に彼らは苦渋を噛み締める。

 

『まさか……ゴルゴダの生成場所を破壊させられるとは……』

 

『それだけならばまだいい。ゴルゴダは汚染域で製造出来る。問題なのは、これだろう』

 

 全員の脳に同期されたのは爆風と衝撃波を根こそぎ吸い込んだ一機の人機であった。

 

『《グラトニートウジャフリークス》……、まさか、生きていたとは……』

 

『しかし、このトウジャがゴルゴダの性能を吸収したとして、何になる? 相手はただの人機。墜とせばいいのでは?』

 

『問題はそう簡単ではないのだ。ゴルゴダと内部に擁していると考えれば、破壊された時に爆発規模はとてつもないはず……。何としても惑星内での破壊は免れたい』

 

『しかし、もう一機……《フェネクス》か。どうしてこの機体まで?』

 

 全員に浮かんだ疑問に声が差し挟まれた。

 

「お答えしましょう」

 

 義体の前に現れたのは水無瀬である。まさか、と全員が勘繰った。

 

『貴様の差し金か、水無瀬』

 

「まさか。わたしとしても想定外ですよ。ただ……あの人機に関する情報は持ち合わせております」

 

『ガエル・シーザーが殲滅したはずだな? どうして生きている?』

 

「彼とて万能ではありません。ハイアルファー人機相手に善戦したと思うべきでは?」

 

『《モリビトサマエル》は伊達ではない。あれを使っておいて作戦失敗などあり得てはならないのだ』

 

「手厳しい」

 

 水無瀬が肩を竦める。レギオンの頭脳は水無瀬への追求を求めた。

 

『水無瀬、貴様、随分と冷静だな。何か、取引でもしたか?』

 

「取引、ですか。それは今から、あなた方がするのですよ」

 

『何を言って――』

 

『レギオン、惑星の支配特権層へと通達する。我々は、ブルブラッドキャリア』

 

 思わぬ相手に全員が絶句した。まさか、ブルブラッドキャリア本隊と、水無瀬が渡りをつけたとでも言うのか。

 

『ブルブラッドキャリア……』

 

『この通信は調停者水無瀬による中継ネットワークで成り立っている。バベルに関知される心配はない』

 

 一手先を行く相手の言動にレギオンの総体は返答した。

 

『どうして、我々に接触する? 破壊工作が目的のはずだ』

 

『誤解して欲しくないのは、ゴルゴダ破壊はこちらの本意ではない、という事にある。ゴルゴダのような抑止力は常に必要だ。それは分かっている。地上に降りた追放者達が勝手に仕出かした事だ』

 

『だが、それもブルブラッドキャリアだろう』

 

『広義にはそうなるだろうな。だが、我々はこう考えている。支配特権層との融和。それこそが、今求められているのではないかと』

 

 何と、過激派であるブルブラッドキャリア上層部がここに来て擦り寄ってきたというのか。しかしただではないはず、とレギオンの総体は声を強張らせた。

 

『……何の目的だ』

 

『我々としても目先の虫は払いたい。それが一番なのだよ。ブルブラッドキャリアから離反した者達はあまりに力をつけ過ぎだ。さらに言えば、エホバなる者の台頭。面白いわけがない』

 

『エホバは、こちらでも行方を掴みかねているが……そちらならば分かるというのか? エホバの目的と真意が』

 

『ある程度ならば』

 

 どこまでも信用ならない事だ。レギオンは冷静に返答の言葉を繰り出す。

 

『エホバによるバベルネットワークの掌握はひいてはそちらの惑星への報復作戦に支障が出る。敵の敵は味方、という理論か』

 

『そう思っていただいても構わない。いずれにせよ、そちらとて、月面のバベルは欲しいはず。ここは細く長く行くというのが正しい判断のはずだが』

 

 突如として現れた「月」のバベル。地上と同じだけの情報掌握能力があるのならば、それだけで形成を逆転出来る。

 

 しかし、そのバベルは今、ブルブラッドキャリアの手に落ちている。この状況、どう足掻いても交渉という段階から入らなければならないだろう。

 

『……エホバはどうして、バベルを掌握出来た? ただの人間ではないのか』

 

『そこに、ただの人間ではない者がいるだろう。エホバは恐らく、広義には、調停者と同じ能力の持ち主のはず』

 

「……そのようで」

 

 飄々とする水無瀬に、レギオンは尋ね返す。

 

『相手が調停者ならば、それほどの性能が仮にあるとして、ではどうして世界への宣戦などやってのけた。動き辛いだけのはずだろう』

 

『エホバには、それをしてでも勝てる算段があるか……あるいは、既に用意周到に、兵力は揃っているかのどちらか』

 

 いずれにせよ、レギオンは現状のままではアンヘルの制御さえも儘ならない。戦うのに矛も矢もないのでは話にならないのだ。

 

『人機市場は貴君らが支配して久しい。《スロウストウジャ弐式》の部隊はいつでも出せるはずだろう』

 

『簡単に言ってくれる。アンヘル上層部を偽装しての命令書を出すのにはバベルが必須であった。それを奪われた今では、命令一つでも……』

 

 時間がかかってしまう。その問題点をブルブラッドキャリアはなんて事はないように言ってのけた。

 

『ならば、こちらのバベルの一部を貸し与えよう。そうすれば、アンヘルは稼動するはずだ』

 

 まさか、と全員が絶句した。バベルを貸し与えるという意味を理解していない者はいないはず。

 

『……信用ならないな』

 

「ですが、手を組むのはそう難しい帰結でもないはずです。バベルは奪われた。奪い返すだけの方策もない」

 

『お前は黙っていろ、水無瀬。繰り言ばかり言って……』

 

 水無瀬が目礼して後ずさる。レギオンの総体はここに来て判断を渋っていた。バベルはこの手に掌握したい。だが、ブルブラッドキャリアの――敵の手を借りるなど真っ平御免。

 

 理想点はブルブラッドキャリア駆逐の策が出つつ、この状況でバベルを完全に我が物にする事であったが、それは限りなく難しいであろう。

 

 水無瀬が何よりもこちらだけの腹心かと思えばまだブルブラッドキャリアと繋がっていたなど、不審もいいところだ。

 

 誰を信ずる事も出来ない。周りは敵だらけだと思ってもいい。

 

『判断は、速いほうがいいかと思うが。我々の気が変わらないうちに、決定を下すといい』

 

 加えて、相手も焦っている。何がそうさせているのか、という事をレギオンのネットワークは考え抜き、やがて一つの帰結に至った。

 

 そうだ。《モリビトルナティック》。質量兵器をまたしても使ったという情報が漏れていたが、黙殺したのは眼前のブルブラッドキャリア離反者を叩くのが先決だと考えたから。

 

 相手からしてみれば、戦力を搾った末の苦渋の決断のはずだ。案外、こちらのほうが優位に立っているのかもしれない。

 

 レギオンはそれに関する情報を調べようとして、やはりというべきか閲覧権限に引っかかった。バベルは絶対に必要だ。それで何を調べるのかは、これから次第であるが。

 

『……いいだろう。要求を呑む』

 

『賢明な判断だ。ではバベルシステムの一部を譲渡する。ただし、条件がある』

 

 来たか。いや、ここで突きつけないほうがどうかしている。

 

『何か。出来る事ならば協力体制を敷きたい』

 

『操主の戦闘データが欲しい』

 

 想定していない言葉であった。共闘、あるいは謀略、何でもありだと考えていただけに、操主の戦闘データというのはまるで度外視していた。

 

『操主の?』

 

『そうだ。アンヘル、C連合、連邦、確認し得る全ての操主の戦闘データだ』

 

『……何に使う?』

 

『それはこちらの一存であろう。関係がない』

 

 これから先の局面で必要と判じたから、この選択肢が取られたはず。しかし、今は勘繰る術を持たない。

 

 大人しく従うしかないだろう。

 

『……分かった。送信しておこう』

 

『ではバベルの恩恵を。月面都市、ゴモラとのリンクを張る。ただし、気をつけてもらいたいのは、ブルブラッドキャリア離反兵達があの場にいるという事だ。いずれは月面を巡っての直接戦闘になる』

 

『抜け道を使ってのシステムの一部閲覧か。だが、そちらの上層部も同じ条件のはずだ』

 

『我々は違うのだよ』

 

 その驕りが命取りになる。レギオンは水無瀬を媒介にしていた通信を切った。水無瀬がわざとらしく微笑む。

 

「如何でしたか? 追放者達とのお話は」

 

『全て聞いていたのだろう、水無瀬。無意味だよ、最早ね』

 

「おや? ですがバベルネットワークを使用出来るのです」

 

『いずれはどちらか、だと彼らも含んでいた。これから先、バベルを手に入れられるのは、月面における最終決戦を制した者のみ。その条件も、大分絞れてきたようだがな』

 

『局地におけるリバウンドフィールドの極大化。……これはエホバが?』

 

『星を覆うリバウンドフィールドの出力を三倍に上げている。愚かしい事を。これでは星が圧死するぞ』

 

『プラネットシェルの真意を理解している者だ。ギリギリのところでの締め付けだろう。現状では、ブルブラッドキャリアの質量兵器も意味を成さない。無論、我々が宇宙に進出する事も』

 

 リバウンドフィールドの強化はこう着状態を生み出した。アンヘルには通達されていないが、宇宙駐在軍と地上軍は完全に分かれた事になる。

 

 状況を一変出来るとすれば、とレギオンは全員、《グラトニートウジャフリークス》を浮かべていた。

 

『ゴルゴダと同等のエネルギー兵器を何発も撃てるあの人機。……是非とも我が方に欲しい』

 

『しかし、エホバは簡単には渡すまい』

 

『止むを得なくなれば、強攻策に打って出るまでだ。ゴルゴダは確かにもう使用不可能であろう。だが、我らには……』

 

 ネットワーク権限が復活する。一部とは言えバベルが使えれば情報戦においてエホバと渡り合えるはず。今はアンヘルの兵士を一人でも多く、エホバに届かせる事が重要な鍵だ。

 

『……見ていろ。エホバ、神を気取る男よ。貴様のやり方では世界は救えない』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯290 嫉妬の罪

 裏切った事実を、自分で分かっていないわけではない。それでも、前に進みたいのが本音であった。

 

 そう口火を切ったところ、《フェネクス》に搭乗するレジーナは、立派だ、と返す。

 

「立派? ボクが……?」

 

『ああ。自分の領分をよく分かった上での行動だ。それは賞賛されるべきだろう』

 

「……でも、対外的にはただの裏切り者だ」

 

『それも、分かっているのならば諭すまでもない。エホバは本気だ。本気で世界を変えにかかっている』

 

 それは今まで自分達の行動が所詮は飯事であった事を暗に言われているようで気分はよくなかった。

 

「……ブルブラッドキャリアなんて要らなかったんじゃ」

 

『必要だっただろう。そうでなければ何も変わらなかった。今でも三国は互いに削り合いと牽制を繰り広げていただろうし、もっと悪い未来が待っていたかもしれない』

 

 もっと悪い未来。それを回避するために、ブルブラッドキャリアはあったのか。だが、そんなもの、全ては仮定の話だ。

 

 仮にブルブラッドキャリアがいなくとも百五十年前の禁断の人機には誰かが辿り着いたかもしれない。

 

 どれも仮の話、仮定でしか物は言えない。自分がブルブラッドキャリアを切ったのも、もしかしたらもっと悪い未来を引き寄せたかもしれないのだ。

 

『後悔はするなよ。この局面、もう転がり出している。もう、この世界は無理なのだと、自分は悟った。旧ゾル国でとても美しい関係の者達に出会ったんだ。それを……世界は必要ないのだと一蹴した。何もかもを破壊しようとしたんだ。自分はそれを許せない。ゾル国再興だとか、そんな些事はもういい。この星も、世界も、どこまでも醜悪だ。ならば、潰す側に回りたい。もう、それしかない』

 

 レジーナも随分と思い切っている。前を行く《グラトニートウジャフリークス》は沈黙したままであった。

 

「あの青いトウジャ……本当に敵の爆弾を吸収して?」

 

『ああ。彼は騎士だ。まさしく、な。だがだからこそ脆い。自分は彼の生き方に同調した。エホバの意思だけじゃない。彼だって世界と戦っている』

 

「騎士、か……。ボクは、何に成れるんだろう。あの場所では、多分一生かかっても何にも成れないような気がしていた」

 

『少なくとも英雄には成れる。我々が世界を変えるんだ』

 

 ブルブラッドキャリアではなく、エホバの支配する側で。戦う意義は変わらぬまま。

 

《グラトニートウジャフリークス》が降下に入る。その行く末にあったのは末端コミューンであった。林檎は懸念を口にする。

 

「モリビトとトウジャなんて……まずいんじゃ」

 

『その心配はない。今、エホバが全てを掌握している。大国コミューンは情報不足に喘ぐ中、小国コミューンに優先して武力と情報が行き届く。それだけで世界は様変わりした。アンヘルの上を行くのは難しくない。……まさかこんなにも、簡単だったなんて』

 

 レジーナからしてみても、大国コミューンを上回ったのは驚嘆に値するのだろう。《グラトニートウジャフリークス》と《フェネクス》、それに《イドラオルガノン》がガイドビーコンに従って整備場に入る。最初こそ、彼らは驚いていたようであったが、やがて膝を折り曲げて祈りを捧げた。

 

『全ては! エホバのお導きのままに!』

 

「……世界を変える一が出てきただけで、信仰まで様変わりするのか」

 

『そのようだな。林檎、ここは安全地帯だ。それに、見せたいものもある』

 

「見せたいもの?」

 

 コックピットハッチを開け、林檎はレジーナと再び対峙した。あの島での出来事は決して忘れていない。彼女は手を差し伸べる。自分はその手を取っていた。半端者だと自らを自嘲していたレジーナは今、見据ええるべき道を見つけている。

 

 ――自分は。

 

 自分はどうなのだ、と林檎は目を伏せた。ブルブラッドキャリアを裏切り、唯一の肉親である蜜柑までも裏切った。

 

 もう、戻れない。もう、何も知らないなんて言えない。誰かのせいにも出来ないのだ。

 

「……考えているな」

 

「分かった? ……ボクもこれで正しかったのか」

 

「分からない事だらけなんだ。だが一つだけハッキリしているのは、この世界は自分達にとって残酷だ。これ以上ないほどに、冷酷なんだ。だから、どれほどまでにも突き放せる。いくつか、得た情報を話しながら向かおう」

 

 弱小コミューンの格納庫であるのに、揃っているのは最新鋭の武器ばかりである。どうやって、と勘繰った林檎にレジーナが応じていた。

 

「簡単な話だ。流通を全て、バベルで牛耳ればいい。どこに何が届くかなんてデータでしか知りようのない人類にとっては、どこに届いたか、よりも、どこに届けられたか、が優先される」

 

 皮肉にも情報を発達させたばかりに、アンヘルでさえも自分達に届くはずの兵器が弱小コミューンに持ち込まれた事になった。

 

 せっせと新型武装を型落ち機に施そうとする者達を視界に入れつつ、林檎は尋ねていた。

 

「ここのコミューンの主義は?」

 

「旧ゾル国でも、ましてやC連合国家でもない。どちらにも与しないと決めたコミューンだ。だからこそ、こちらの人機を受け入れてくれた」

 

「レジーナ。ボクはさすがにもう……《イドラオルガノン》に乗る気はない」

 

「ブルブラッドキャリアへの義理立てか?」

 

「……分からないんだ。そういうの。でも、あれに乗って戦うのは……気が引けるって言うか」

 

「大丈夫だ。新たに乗ってもらう人機がある」

 

「新しい人機? こんな旧式コミューンに?」

 

「エホバが用意した、兵力の一つだ。厳重なセキュリティが施されており、限られた人間しか知らない」

 

 格納庫を超えた先にあった扉を開く。

 

 内部はスラム街のような街並みであった。子供達が走り回っている。

 

「豊かではないが、確かな覚悟がある。そういうコミューンだ」

 

 道を抜けていくレジーナを数人が呼び止めた。

 

「軍人さん! 頑張ってくださいね!」

 

 手を振り返したレジーナは静かに呟く。

 

「彼らは外がどうなっているのかは知らない。ただ、一定の年齢になると人機に乗せられ、何も知らぬままにアンヘルと殺し合うのを是としてきた。それが当たり前なのだと、最初から教え込まれている」

 

「……洗脳か」

 

「そこまで崇高なものでもない。彼らにとっての当たり前が、戦場であっただけの話なんだ」

 

 自分にとっての当たり前がモリビトの執行者であったのと同じか。林檎は子供達を直視出来なかった。

 

 彼らも辿る茨道。この世界はどこまでも厳しい。

 

 家屋へと入り、レジーナは奥まった空間にあった戸棚に触れる。すると、戸棚が可変し、エレベーターの扉を開かせた。

 

「下にある」

 

「随分と物々しい……」

 

「それくらいに重要視している、というわけだ」

 

 降下していくエレベーターの中でレジーナはこぼしていた。

 

「どうして……裏切る気になったんだ?」

 

 酷な質問だと分かっているのだろう。自分も言わなければならないと感じていた。

 

「……あいつが羨ましかった。妬ましかったんだ。みんなに好かれて、みんなに頼りにされて……。そんなにボクらが優れていないはずもないのに、《イドラオルガノン》の戦果になんて誰も期待しない。それが堪らなく……許せなかった。だから、ボクは逃げ出した。そう……逃げ出したんだ。裏切ったなんてそんないいもんじゃない。ただ、逃げただけだ」

 

「それが分かっているだけでもいい。林檎、自分とお前は同じものを睨めている気がする。この世界の不条理、戦う事への疑念」

 

「だから、そんな大層なものじゃないって」

 

「いや、ブルブラッドキャリアが居場所だったのだろう。それは大した決断だ」

 

 レジーナがそう言ってくれるのならば、自分はそれなりの決断を下したのだろう。退路を消した。何もかもを捨て去ってまで、こちらを選んだ。

 

 思えば、選んだという経験は初めてかもしれない。操主になるのに、選択肢なんてなかった。優れた血続は操主になる――それが当たり前であったからだ。

 

 だから、桃の訓練にも、ブルブラッドキャリアの理念にも、今の今まで疑問はなかった。

 

 しかし全てが塗り変わったとすれば、それは鉄菜の存在であろう。

 

 不完全な血続。旧式のはずなのに、自分達よりも戦果を挙げ、誰よりも現状のブルブラッドキャリアを引っ張っていた。

 

 それがどうしてだか、いつの日から許せなくなった。我慢ならなくなった。

 

 どれほど戦ったところで、どれほど苦しんだところで、評価されるのは鉄菜だけならば、自分は要らない。

 

 もう、ブルブラッドキャリアに固執する必要もない。

 

 そう考えて、この道を選び取ったのだ。

 

「着いたぞ。ここだ」

 

 開けた視野には茫漠とした闇が広がっている。何もない、と周囲を見渡しかけて、レジーナがレバーを下ろした。

 

 直後、重々しい投光機の音と共に照明が照り返す。

 

 光を受けたのはオレンジ色の人機であった。特徴的な四つ眼のアイセンサーがこちらを睨み据える。尖った肩パーツと腰のパーツ。鋭角的なフォルムとその眼窩がある人機を想起させた。

 

「……トウジャ?」

 

「このコミューンに封印されていた太古のトウジャの一つ。ハイアルファー人機、《エンヴィートウジャ》。禁じられた力だ」

 

「ハイアルファー人機……、これが?」

 

《エンヴィートウジャ》と呼称された人機は真っ直ぐに林檎を見下ろしている。鋭い眼光に射竦められた気分であった。

 

「これに……ボクが乗れって?」

 

「《イドラオルガノン》では戦い難いのだろう? これに乗ったほうがいい」

 

「でも、ハイアルファー人機は……」

 

「エホバが毒を浄化した。どういう仕組みで、なのか知らないが、ハイアルファーがもたらすデメリットを排した形らしい」

 

 にわかには信じられない。ハイアルファーは功罪含めた性能を発揮するはず。それを一方的に搾取するなど。

 

 しかし、眼前の人機だけは本物だ。

 

 本物の、新型人機……。

 

「《エンヴィートウジャ》……。どういう意味なの?」

 

「ヒトの持つ罪。嫉妬を司る、トウジャだ」

 

 嫉妬、か。自分にはお似合いのトウジャだ。林檎は《エンヴィートウジャ》の頭部へと手を伸ばし、そっと触れる。

 

 人機の脈動が、静かに感じられた。

 

「《エンヴィートウジャ》。ボクに、見せてくれ。本物の世界を」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯291 滲む苦渋

「どうしてだ!」

 

 叫んだ渡良瀬はリバウンドフィールドが強化された星を睨む。

 

 宇宙駐在軍を自分の思うように動かし、モリビトを破滅させようとしたのに、削られたのはこちらの戦力だ。無論、面白いはずもない。

 

「《キリビトアカシャ》がまさか敗北するとは……。これではどうしようもない……!」

 

『序列一位を気取っていても、その程度だったって事ですよ。残った我らは違うはず』

 

 脳内同期ネットワークに響いた声に渡良瀬は幾分か気持ちを落ち着かせる。

 

「そう、思いたいものだが……、果たしてこの転がり出した世界でどこまで行けるか……」

 

『弱気ですね、渡良瀬。いつものあなたらしくない』

 

「そう、かもしれないな。モリビトを破壊出来たのならばまだ違っただろう。だが、結果としてエホバによる星の管理の徹底化、それにあの人機は……、想定外だ」

 

 遅れてもたらされた情報には《グラトニートウジャフリークス》と呼称される人機が映し出されている。

 

 あの一機がまさかゴルゴダの製造地からの誘爆を防いだなど、冗談にしても性質が悪い。

 

「そんな絶対的な一があるのならば、どうして今まで手を打ってこなかった?」

 

『その絶対的な一に頼れなかったのでは? そう考えると辻褄は合う』

 

「……確かにこの人機、六年前にその消息が途絶えている。記録上は……なんて事だ、《バーゴイルアルビノ》による、撃墜……」

 

 最初から仕組まれていた人機であった。六年前のブルブラッドキャリア殲滅戦において、破壊も視野に入れた人機であった。

 

 六年前に死した人機が蘇ったなど、どう考えてもこちらにとって悪影響を及ぼす。

 

「その死んだ人機に、神のような力が与えられたなど。……レギオンは一手誤ったな」

 

 ゴルゴダを簡単に使うべきではなかった。ハイアルファー人機に取り込まれたのでは、もう状況が一変してきている。

 

『レギオンの同行も含めて、これから先を吟味すべきなのでは?』

 

 シェムハザの提言ももっともだ。しかし、あまりに手をこまねいていると全てが遅れを取りそうで、渡良瀬は焦っていた。

 

「……彼らは何か手を打とうとしてくるはず。この状況でアムニスに話が回ってこない事、それ自体がまずい。ここはこちらが優位を保てるよう、戦闘による制圧を考える」

 

『でも……もう残ったのは《イクシオンアルファ》と、《イクシオンガンマ》だけでは……』

 

「勘違いをするんじゃない。こうなれば……わたしも出る」

 

『渡良瀬が? ですが、あなたが出ればアムニスが……』

 

「この六年間、何もただ暗躍を続けてきたわけではない。モリビトの執行者のデータベースはある。それに適応させるだけの能力も」

 

 自分とて人機で出られる。その声音にシェムハザは不安げな言葉を振った。

 

『……ですが、アルマロスがああなのです。実質的に、戦いにはならないかもしれない』

 

「どうかな。地上のブルブラッドキャリアは疲弊しているはず。宇宙の連中と手を組めば、話は変わってくる」

 

『まさか、本隊と? ですがそれこそ連中は話を聞くかどうか……』

 

「聞くさ。星を奪還するのがほとんど不可能になったのならば、聞かざるを得ないはず。武力による惑星への報復。それしか頭にないのがブルブラッドキャリア上層部だ。彼らはもう古い。ゆえに、付け込む隙はあると見た」

 

『……《モリビトルナティック》を?』

 

「あの両盾のモリビトさえいなければ質量兵器も視野に入る。どっちにせよ、選択肢は多くはないだろう。お互いに、ね」

 

 渡良瀬は電算室へと足を進める。薄暗い部屋の中で投射画面を弄くっている丸みを帯びた物体に声を投げた。

 

「あなたもそうでしょう? タチバナ博士」

 

『……このような身体に堕としておいてまだワシを利用するか』

 

「それも、あなたの原罪ですよ。肉体は滅び、そして永遠の悦楽がある」

 

『悦楽? 情報への度重なるアクセスを悦楽だと?』

 

「苦痛ではないはずです」

 

『……物は言いようだな』

 

 しかしタチバナは情報の閲覧をやめる事はない。むしろ、この肉体になってから彼は変わった。それまでの諦観のスタンスから、世界を変えようともがき苦しむようになった。

 

 それでこそタチバナ博士だ。自分が従順に従った、あのマッドサイエンティストだ。

 

「……尊敬していますよ。死さえもあなたは超越した」

 

『尊敬、か。慣れん言葉を使うな、渡良瀬。貴様は全てを欲しているのだろう? ならば、そのような男の末路、最後まで見届けさせてもらおう』

 

「分かっているじゃないですか。いいでしょう。わたしは大天使ミカエル。アムニスを牽引する、最大の天使なのですから」

 

 鼻を鳴らし、電算室を後にする。タチバナが何を行っていても今は静観する。その後いくらでもツケは払わせてやれるだろう。

 

『……大丈夫なのですか? あの方の頭脳は人機産業を牽引してきた。それなりに脅威と判定すべきでは?』

 

「脅威? あんなもの、枯れ果てた老人の繰り言だ。何も出来やしない。分かっていて、相手も黙認しているんだ。見ただろう? あの身体。思い出すだけで笑いがこみ上げてくる。あんな小さな身体に収まってまで、あの人は一つ事を成し遂げようとしている」

 

『一つ事……、人機開発の第一人者の一つ事とは、一体……』

 

「決まっているだろう。最強の人機を造る事さ。そのためならば悪魔にでも魂を売るだろう。期待していますよ、博士。イクシオンフレームの最高傑作。《イクシオンオメガ》の開発を」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯292 イザナミへの系譜

 救命措置が取られて燐華は上体を上げる。

 

 ハッと振り仰いだ天井は白く滅菌された医務室であった。

 

「ここは……」

 

「安静に。准尉、撃墜されたんですよ」

 

「撃墜……、そうだ、あたし……モリビトに襲いかかって……。イザナミ……《ラーストウジャイザナミ》は?」

 

 相手は首を横に振る。燐華は腕に取り付けられた点滴のチューブを無理やり引き千切った。

 

「何を!」

 

「新しい人機が……要る」

 

 立ち上がった燐華は直後によろめいた。その身体を相手が受け止める。

 

「無理ですよ! リバウンド力場の干渉が高過ぎて……あの場所から生存しただけでも奇跡的なんです!」

 

「何が……何が起こったの……」

 

「それは俺の口から説明する」

 

 医務室に顔を出したのはヘイルであった。痛々しい包帯姿で、片腕は折れているのかギプスを巻いている。

 

「ヘイル……中尉」

 

「ヒイラギ。あの場で起こった事を、一から説明する。……そうしないと納得出来ないだろう。お前は」

 

「……アイザワ大尉は……」

 

「それも込みで、だ。すまないが席を外してくれ。二人きりで話をしたい」

 

 医務担当の兵士が離れ、本当に二人きりで取り残される。燐華はおずおずと尋ねていた。

 

「……状況は」

 

「芳しくはない。あの場で、何が起こったのか。まずはその大局から。ヒイラギ、艦隊司令部はほとんど打撃を受けてブルブラッドキャリア、及びラヴァーズの追撃には暫く出られそうにない。それは旧ブルーガーデン国土より発生した巨大な爆風による余波が関係している」

 

「爆風? 何があったって……」

 

「……俺も知らされたのはついさっきだ。どうやら……アンヘルは大量破壊兵器を造り出していたらしい」

 

 思わぬ言葉に燐華は絶句する。

 

「大量……破壊兵器……って」

 

「禁止されている爆弾だ。そういうのを実戦段階に移していた。その培養地をブルブラッドキャリアによって襲撃。結果、爆弾は全て破壊され、余剰衝撃波が艦隊を襲った」

 

「……死傷者は」

 

「数え切れない」

 

 燐華は額を押さえて咽び泣く。自分達が前に出たのに、意味がなかったとでも言うのか。

 

 いや、それ以上に、と燐華は涙を拭って声にした。

 

「……アイザワ大尉は……? 大尉の持ち場は陸地だったはず」

 

「あの人も、行方不明だ。機体諸共、な。識別信号は生きているが、これを辿るに……、ヒイラギ、落ち着いて聞いてくれ。《スロウストウジャ是式》の識別信号は現在、ブルブラッドキャリアの艦にある」

 

 発せられた言葉の意味が、最初分からなかった。

 

 どうしてタカフミの機体が敵の側に、と遅れた思考回路が今さらの帰結を理解する。

 

「……鹵獲された」

 

「その可能性が高い。捕虜の扱いを受けているか、あるいはもう……」

 

 濁したヘイルに燐華は咆哮し、壁を殴りつけた。壁が叩きつけられて陥没し、拳から血が滴る。

 

「落ち着けってのはそれもあるが……、先に聞いた通り、《ラーストウジャイザナミ》は戦闘継続不可能だ。もう使えないだろうと判断された」

 

「そんな……ハイアルファーも?」

 

「ああ。完全に廃棄処分だ。俺の《スロウストウジャ参式》も同じさ。撃墜され、海を漂っていたところを運よく回収された。あの戦いで生き残ったのはほんの一握りだ。ほとんどモリビトに撃破され……そのほとんどが帰投すらしていない」

 

 なんて事だ、と燐華は奥歯を噛み締める。モリビトにしてやられた。一度ならず二度までも。また、自分達は大切なものを失ったと言うのか。

 

 ――憎い。

 

 モリビトが、世界が、何よりも何も出来ない自分が、憎くって仕方がない。

 

 しかし、今は何も出来ない事をヘイルは幸いだと言いやった。

 

「今、任務がないのはある種、幸いかもな」

 

「幸い……、でも、敵はあの海上にいるんでしょう! だったら……!」

 

「型落ちの人機でもお前は出そうだ。そういう意味でも幸いだよ」

 

「……アイザワ大尉が死んだかもしれないんですよ!」

 

「だから、不幸中の、って奴だ。ヒイラギ。お前は自分を見失っている。今は、ちょっと頭を冷やせ。俺も頭を冷やす」

 

「そんな言い方……、人が死んだんだ! たくさん! だってのに……動けないなんて……」

 

 ヘイルは柱を拳で殴りつける。彼も悔しいに違いなかった。

 

「ああ、そうさ。クソッ。そうなんだ。でもよ……今は待とうぜ。エホバってのも……ワケ分からねぇし、俺達兵士ってのは、いつだってそういうもんだろう」

 

 エホバと名乗った自分の恩師。あれをどう受け止めていいのかも分からないままだ。保留の一事にしておくのにはしかし、あまりにも功罪が重い。

 

「……あたしは、戦わなきゃ。戦って、一人でも多く、殺さなくっちゃいけない。モリビトとブルブラッドキャリアを……世界の敵を、駆逐する……!」

 

「思い詰めんな。俺らにあてがわれる機体はまだ選定中だし、そう焦る事は――」

 

「今焦らなくって、いつ焦るんですか! だって、隊長も……、アイザワ大尉もいないんですよ!」

 

「分かってるよ! ンな事は! 俺だって今すぐ駆け出して、連中をぶち殺したい気分さ! でもよ、兵士ってのは冷静にならなきゃいけないんだ。そうでないと、しなくていい殺しまで請け負う事になる。弾丸は、撃ち込まれる対象を精査されるべきだ。……隊長の受け売りだけれどよ。これって大事なんじゃねぇか」

 

「隊長……いや、隊長……」

 

 痛みに呻く燐華にヘイルは言葉少なであった。

 

「ヒイラギ。次の作戦まで待とうぜ。俺達は結局、そういう風な弾丸なんだよ。だったら、せめて今度こそ、撃つべきものを間違えないように……」

 

 ヘイルが医務室を立ち去る。エアロックが完全に施錠されてから、燐華は吼え立て、毛布を引き千切った。

 

「憎い……、ブルブラッドキャリアが……この世界が! ……憎い!」

 

『――そこまで憎悪を膨れ上がらせているのならば、話は早い』

 

 不意に聞こえてきた声に燐華は周囲へと視線を振った。しかし、誰もいない。通信でも間違って受信したのか、と機器を見やったが、声の主は笑った。

 

『安心するといい。この声は君にしか聞こえていないよ』

 

 まさか、過度の戦闘による幻聴か。多いにあり得る、と燐華は耳を塞いだ。

 

「いや……まだ壊れるわけにはいかないのに……っ」

 

『そうさ。君は壊れちゃいない。ハイアルファー【ベイルハルコン】を使いこなし、あの人機を乗りこなした。これは唯一の特権だ。ハイアルファー人機に乗って精神汚染や身体的な欠損に見舞われなかった操主は君が初めてだ。誉れある第一号だよ』

 

「誰、なの……?」

 

『紹介が遅れたね。我々の名前はレギオン。この世界を見張る、総体だ』

 

「レギオン……聞いた事もない」

 

『我々はブルブラッドキャリア、そしてエホバと対立している。彼らの赴くままに世界を回されれば、いずれこの惑星は壊れてしまう』

 

「そんなの……絶対に駄目! これ以上、好きになんて……」

 

『だからこそ君が必要だ。君の脳は開けた。ハイアルファー人機に搭乗する事によって、脳の一部機能が他人よりも数段階アップしたはずだ。だからこの周波数の我々の声を聞ける』

 

「何を……言って」

 

『君は焦っているようだ。そして、渇望している。新たなる力を。それを与えようと言っているのだよ』

 

 何重にもエコーがかかって聞こえてくる声に、燐華は導かれるように立ち上がっていた。

 

「力……人機を?」

 

『そう、新型の人機を。幸いにして我が方にはまだ余力がある。アンヘルはもう、ほとんどその力を奪われたようなものだろう。エホバ側に力が集ろうとしている。それを我らは阻止したい。エホバとブルブラッドキャリア、どちらも間違っているのは明白だ。ならば真に導くのは、君のような義憤の徒が相応しい』

 

「でも、あたし……何も出来ない……」

 

『出来るさ。血続なんだろう? ならば、これを動かせるはずだ。与えよう。君のイザナミを』

 

 直後、情報が脳へと直接叩き込まれる。燐華は仰け反り、その膨大な情報量に呻き声を上げた。

 

 意識が直接切り込まれ、開かれていく感覚だ。

 

 このままでは壊れてしまう。そう予感した直前に全ての情報が脳内に収納された。

 

 肩で息をしつつ、燐華はこめかみを押さえる。

 

「これが……あたしの新しい力……《キリビトイザナミ》……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯293 怨念の刃

『接触は危険であったのでは?』

 

 レギオンの一部の抗弁に、中枢に近い陣営は、大した事ではない、と言ってのける。

 

『彼女は血続として稀有な実力を発揮している。このまま腐らせるのは惜しい』

 

『しかし、《キリビトイザナミ》……これは最終手段だぞ。もし撃墜されれば……』

 

『その心配はないだろう。《キリビトイザナミ》はエホバにとっても鬼札。彼奴の造り上げた最大級の人機であり、なおかつ一番の毒となるはずだ』

 

『キリビトタイプを量産に着手するのは不可能だ。アムニスがそれを実証している』

 

 撃墜された《キリビトアカシャ》のデータを参照し、レギオンは全員に同期処置を施した。

 

『……やったのは《スロウストウジャ是式》か。皮肉なものだ』

 

『これも、あの青い地獄で観測された、なかった事にしても構わない事象だ。一般からの接続は全て拒絶せよ』

 

『しかし、やはりバベルは有能だ。ブルブラッドキャリアの月面都市の力を一部借り受けるだけで、一兵士の脳内に切り込める』

 

『それもこれも、お膳立てが整っていたお陰でもある。エホバはあの燐華なる操主を特別視していた。あの神を気取る男が残した最大にして、最後の汚点だ。ならば、こちらで有意義に利用させてもらうとしよう。ハイアルファー人機に耐え得る性能と、操主としての能力の高さは保証されているのだから』

 

『血続性能判定が改悪されていたようだな。C判定以下になっているが、実際には燐華・クサカベの能力はSプラス判定だ。……第三小隊の隊長とエホバが共謀して彼女を隠し立てしたか』

 

『だが、揺籃の時は過ぎた。今、世界に旅立とうとしている翼まで封じる事はない。燐華・クサカベは我々のものだ。誰にも邪魔はさせない。《キリビトイザナミ》と共に、扉を開いてもらう。新世界の扉を』

 

『全ては我らレギオンのため。世界平和のために』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界を平定する一派が存在する、と口火を切って信じてもらえたかどうかは分からない。

 

 だが、目の前を行く司令官が生存していたのは僥倖であった。

 

「まさか、生きているなんて……」

 

「それを言わせるな。そちらだってよく生きていたな。《コボルト》は大破していたが……」

 

 司令官の目線はそのまま、自分の後ろを行く人物へと注がれていた。

 

 伝説の操主――リックベイ・サカグチ。まさか、その大人物と自分が合流しているなど思いも寄らなかったのだろう。

 

「……君はいつでも驚かせてくれる」

 

「あの大決戦の中、我々を収容してくれた事、感謝する」

 

「よせよ。君に救われた命だ。《コボルト》がいなければブルブラッドキャリアに轟沈させられていただろうさ」

 

 先ほどから言葉を発しないリックベイに、司令官は胡乱そうな眼差しを向けた。偽物の可能性を浮かべたのだろう。

 

 しかし、それでもリックベイは喋ろうとしない。最早、死者。喋る口も持たないというわけか。

 

「……UD。君がいつ帰ってきてもいいように、我が方は準備してきた。《コボルト》に代わる新たな刃。これが、その代物だ」

 

 パスコードを入力し、静脈認証で鋼鉄の扉が開かれていく。

 

 全身を隈なく精査されている人機は真紅の輝きを帯びていた。細身のシルエットは《コボルト》よりの高機動に適している事が窺える。

 

「《コボルト》は所詮、これのコピーであった。まぁ、ハイアルファーは移植されていたがね。そのハイアルファーも《コボルト》から再移植し、コックピットに積み込んである。真の意味で、これは君の機体だ。間違えようもなく、ね」

 

「遂に完成したか。……俺の剣」

 

「――《プライドトウジャスカーレット零式》。機体参照コード、《イザナギ》。君の新しい人機だ」

 

「《イザナギ》……。これが君の人機か。桐……UD」

 

 ようやく言葉を発したリックベイに司令官は驚愕を浮かべる。

 

「サカグチ少佐。あなたの身分をどうするかは彼にかかっています。如何に伝説の操主と言っても、今はアンヘルの発言権が強い。それに、前回の大決戦で我が方は相当な打撃を受けた。最早、消耗戦、という見方も間違いではない。ブルブラッドキャリア、ラヴァーズ、それら双方を相手取って、勝てるかと言えば……」

 

 濁した司令官にUDは口にする。

 

「勝ってみせるさ。そのための《イザナギ》だ」

 

 その強気な声音に司令官は満足そうな笑みを浮かべる。

 

「期待しているとも。君は、いつだって不可能を可能にする男だ。して……リックベイ少佐、あなたはこの艦での発言権はないに等しい。どれほどにC連合での武勲が高かろうとそも、もう死んだ扱いだ。だからこそ、あなたの存在は極秘にしたい」

 

 リックベイが自分へと視線を向ける。

 

「……わたしはアンヘルに処刑された、という体は崩さない形か」

 

「それが望ましいかと。死者が闊歩するとなれば兵士の中で余計な心労を招く。今は、一つでも不確定要素は惜しい」

 

「……UD、君はこれからどうする?」

 

「知れた事。俺はモリビトを倒すためだけにいる。アンヘルでの発言権がまだ生きているというのならば、《イザナギ》を使い、現状のブルブラッドキャリアに攻め入ろう」

 

「その手はずだが……何かと妙な情報が入ってきていてね」

 

「妙? この戦局でか」

 

「この戦局だからこそ、かもしれない。先の大決戦で生き延びたのはごく僅か。その中でも精鋭と呼ばれる者達は、ほんの一握りだ。彼らに充てる人機も用意せねばならない。次こそは、ブルブラッドキャリアとラヴァーズに、真の敗北を突きつける」

 

 それが軍の決定なのだろう。エホバなる男がどれほど神を気取ろうとも、目先の敵を葬れずして、何が軍属か。

 

「エホバ……という未確認情報に関しては? 誰も調査しないのか」

 

「出来ない、と言ったほうが正しい。アンヘルを巡っていた情報ネットワークが遮断されて、もう三十時間が経つ。宣告通りならば、あの男の仕業だろうな」

 

「バベルネットワーク。それを掌握したと」

 

 一人の人間が出来る領分を超えている。彼はまさしく神であるとでも言うのか。

 

「だが、神ならば、どうして今まで静観を貫いてきた。神を名乗りたいのなら、六年前に名乗って欲しかったものだ。ブルブラッドキャリアによる混迷期。あの時にいなかった神が、今は出てきたなんて言う冗談はない。都合のいい時だけ神を気取るのならば、それはペテン師という。我々アンヘルの決定としては、エホバに対抗する」

 

「だが、相手はアンヘルの情報ネットワークを掌握した。この会話ももしかしたら……」

 

「聞かれているかもな。だが、好都合だとも。宣戦布告せずに済む。そもそも、ナンセンスだろう? 神に宣戦するなんて」

 

 まったく、馬鹿げている、とでも言うように司令官は肩を竦めた。それにはUDも同意である。

 

 あの男は何のために、今さら出てきたのか。神だというのなら、もっと早くに出てくれば無用な死人を出さずに済んだのに。

 

 世界の見方は、あの男を特一級の犯罪者と見たほうがまだ現実的、という方針らしい。

 

「……しかし、UD。アンヘルの情報ネットワークが遮断されたとなると」

 

 リックベイの懸念に司令官は応じてみせた。

 

「ところが、だ。約二時間前から復旧が始まっていましてね。一部機能は復元されている。これをどう見るか……」

 

「アンヘル上層部が権限を取り戻すために奔走した……というのは、穿ち過ぎか」

 

「そこまで決断力のある上なら、重い腰を今まで据えていまい。何か、交渉が成されたのだと推測するが、まぁ邪推だろう。我々は兵士だからね」

 

 兵士にとって上がどう動いたかなど些事。問題は自分達がどう動くのか、それのみに尽きる。

 

「この戦い、単純な図式では収まりそうにもない。ブルブラッドキャリアとラヴァーズ、その両者を潰せばこの戦いは終わりかと言えばそうでもないだろう。問題は、もっと根深いところにある」

 

「だとすれば、俺が斬るべきは……」

 

「いや、君は難しく考えるな。《イザナギ》はもう少しで完成を見る。その時まで刃は温存しておいたほうがいい」

 

 司令官にも当てがあるという事か。UDは首肯して愛機を眺めた。

 

 真紅の装甲。二対の眼を持つ特徴的な眼窩。そして突出しているのは、《コボルト》のデータを反映させて構築された、多面装甲板と、推進バーニアであろう。

 

 六年前の戦いで失った《プライドトウジャスカーレット》よりもなお高機動の機体。果たして乗りこなせるか、という疑念が鎌首をもたげたが、UDは言い切った。

 

「……俺以外にこれは乗れまい」

 

「その自信も含めて、買っているとも。さて、リックベイ少佐。あなたには、出来るだけ人目を避けるようにしていただきたい」

 

 公には死んだ事になっているのだ。当たり前と言えば当たり前。だが、リックベイは歩み出ていた。

 

「失礼ながら、アンヘルの艦隊司令。わたしは逃げたくはない。彼は、わたしに逃げない道を作った。もう、逃げ場のない道を」

 

「……UD、まさか……」

 

 司令官の予見にUDは素直に口にしていた。

 

「ハイアルファーを……使った」

 

 なんて事だ、と司令官は額に手をやる。

 

「まさか……死なずの身になっていらっしゃったとは。だが……余計に、だろう。死なないなんてもし露見すれば……」

 

「勢力争いに巻き込まれるのは必至。しかしわたしは、責任があると感じている」

 

「責任、ですか……。確かに重責であったとは窺いましたが、それもほとんど消え失せているのです。今のアンヘルには、自浄作用など皆無。もう、内々での痛み分けなんてどうだっていい。今ならば、無罪放免にも出来ます」

 

 司令官の心情としても、リックベイは生かしたいのだろう。だが、その提案を彼は鋭い眼光で返していた。

 

「……死なないのならば、いくらでも矢面に立ちましょう」

 

「それは困るのです……。処刑されたと言ってもあなたを慕う兵士は多い、この艦にももちろん……。だからこそ、あなたは秘中の秘の存在でなくてはならない」

 

「失礼ながら、秘するのには、この身、あり余っている」

 

 リックベイは戦うつもりだ。きっと彼なりの葛藤があったに違いない。何に責任を覚えているのかまでは不明であったが、その責任の所在を、彼は死ぬまで追い続ける事だろう。ゆえにこそ……、放ってはおけなかった。

 

「リックベイ少佐。あなたは俺が助けた。拾った命だ。今度は俺の番だと、言わせてくれ。だからこそ、ここで死んでもらいたくない。あなたは希望、眩い星なんだ。もし、この戦いで多くの命が没し、多くの希望が絶望に塗り変わっても、あなたがいれば持ち堪えられる。惑星の人々は、まだ希望を捨てずに済むんだ」

 

「……大義のためにここで静観するをよしとする、か」

 

「そうだ。あなたが教えてくれた、これは大義。俺だって生きて帰るかどうかは分からない。だから、あなたには明日を」

 

「明日……」

 

「そうだ。明日を約束して欲しい。この罪深い星の、明日を」

 

 どれほどに罪に塗れた道であっても、それでもやり直せる。作り直せるのだという証明には確固たる存在が必要だ。それはリックベイ以外にはあり得ないだろう。

 

「……だが、UD。君はそんな事のためにわたしを生かしたわけではないだろう」

 

 絶句する。意外であったのもある。リックベイは、どのような境遇でも、自分の生には意味を見出すのだと思い込んでいたからだ。そんな彼が命を投げ出そうとしている。

 

 そのような侮蔑に近い事を、自分はやってしまったのだ。

 

 潰えたはずの命、その理を捩じ曲げて復活させる。それはどれほどに罪深いか、やってはいけない事であったのか。

 

 自分の眼前でそれが実証されている。自分が何をしたのか。どういう意味を持つのかをまざまざと突きつけられている。

 

「……俺は怖かっただけだ」

 

「UD? 何を言って……」

 

「あなたに……死んで欲しくなかっただけなんだ。あんなところで死んじゃいけなかった! あなたは死すべき人ではなかったんだ!」

 

 堰を切った感情に司令官が沈黙する。リックベイはこちらの眼を真っ直ぐに見据えた。

 

「人は、いずれ死ぬ。その理を曲げてはならない」

 

 あれが運命だったとでも言いたいのか。あの時、モリビトの攻撃を庇って死んだのが、自分の運命の終着点であり、そこから先は間違った生であると。

 

 ――否。断じて否である。

 

 リックベイはまだ死んではいけなかった。これだけは譲れない。

 

「……分かるはずだ。あなたは、この先何度も。あそこで死ぬ事が、間違いそのものであったと」

 

「ならば、UD。わたしも言っておこう。間違いの上に成り立った生など、それは最早、ヒトではないのだ。死地を決めたのならば、それに従うべきである」

 

 UDは拳をぎゅっと握り締める。声を震わせ、頭を振った。

 

「……それをあなたが言うのはずるい」

 

 かつて拾われた命であった。元々、《プライドトウジャ》に乗った時点で死んでいたも同義。それを捩じ曲げ、自分に零式抜刀術と生きる価値を与えてくれたのはリックベイのはず。

 

 その人が、どうしてそんな事を言うのか。それではまるで、自分がこうしてモリビトに執着して生きているのも、間違いだと言うようなものだ。

 

「ずるいのは分かっている。だが、UD。これだけは言わせて欲しい。復讐の終着点は、存外に虚しい。それがどれほどの大義の上に成り立つものであっても」

 

「……もう待機に戻る。《イザナギ》が完成したら呼んでくれ」

 

 司令官に言い置いて、UDは踵を返す。その背中に司令官が声を投げた。

 

「リックベイ少佐は……」

 

「わたしはここで、《イザナギ》とやらを見ておこう。どうせ、外に無闇に出てはいけないのだろう」

 

「それは……そうですが……」

 

 見つけ続ける存在と、歩みを進める存在と。どうして、こうも差が生まれてしまったのか。同じハイアルファーで復活したのに、それなのに自分はどうして、戦いの中でしか意味を見出せない? どうしてリックベイはこの境遇でも達観していられる?

 

 自分とリックベイ、何が違うというのだ。

 

「……同じ境遇の仲間を探していたのは、俺だったというわけか。皮肉な……」

 

 UDは悔恨を噛み締めて踏み出していた。

 

 恩讐への道を辿るために。この刃が止まるのは、モリビトの鼓動を射抜いた時でいい。それまでは、決して止まる事のない刃であろう。

 

 戦いの怨嗟の中でしか生き抜けない男は、こうして歩む事でのみ、自身の証明を作り続ける。

 

 それを間違っているのだと、誰が指摘出来よう。

 

 誰にも自分の道に文句はつけさせないつもりだったのに……。

 

 ここに来て立ち止まって如何にする? ここに来て、歩みを止めて、それで自分はどう生きるというのだ。

 

「そうだ。俺はシビト……。永遠に敵へと刃を向け続ける、シビトだ」

 

 自分へと言い聞かせる言葉はこの時ほど虚しいものはなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯294 復讐者の人機

 悪魔の虹だな、と誰かがこぼした。

 

 その言葉には同調する。

 

「そうね。あんなもの……ないほうがよかったのかもしれない」

 

「でもリバウンドフィールドの天蓋がないと、うちら生きていけへんのやろ?」

 

「それも、誰かの流したデマだったのかもね。わたくし達の頭から、考える事を放棄させるための」

 

「いずれにせよ、リバウンドの天蓋は強化されました。この状態では……予定していた月航路は」

 

「なに、ちょっとばかし計画が前倒しになっただけよ。間違ってはいないはず」

 

 彩芽はタラップを駆け上がり、眼前に入った建造途中の人機を目にしていた。組み上げられていく人機の基礎フレームは、因縁が漂う。

 

「変な人機。両手とも銃なんて」

 

「そう? わたくしは変だとは思わないけれどね」

 

「……ちゃんと向こうのデータを参照して、造った奴なんやね? これがホンマに?」

 

「大丈夫よ。乗るのはわたくしだし、何の心配も要らないわ」

 

「……聞いとらへんかったけれど、人機の搭乗経験があったんや?」

 

「……昔ちょっとね」

 

 濁して彩芽は手すりにもたれかかる。先ほどから情報端末のキーを叩いている仲間が言葉にしていた。

 

「現状のブルブラッドキャリアの持つ、モリビトのデータを統合した機体です。名前はどうなさいますか? 決定権もボスは投げられましたが……」

 

「彩芽、あんたがつければ?」

 

 元よりそのつもりであった。彩芽は赤い眼窩を持つ人機を睨む。

 

「《モリビトインペルベインアヴェンジャー》。それがこの子の名前よ」

 

「アヴェンジャー、ね……。なんて言うか、因果なもんやわ。うちらがモリビト造るなんて」

 

「グリフィスの動向を探っている第三勢力はありません。今のところ、対抗しているのはレギオンとブルブラッドキャリア、それにアムニスでしたか。しかし、アンヘルの一部機能が復活した事から鑑みて、何らかの交渉があったのは確実でしょうね。ブルブラッドキャリアは何かを代償にして、星へと月面のバベルからの情報をリークした」

 

「代償にしたのはレギオンのほうちゃうん? だって、バベルを手に入れるのに何か情報で手打ちにせぇへんと」

 

 星の防衛網はレギオンが握って久しい。恐らくブルブラッドキャリアは突破口の一つとして今回の事件を捉えている。

 

 レギオンでさえも利用し、惑星への報復を成し遂げようというのか。

 

 それはどこまでも――愚かしく、そして賢しいだけの存在であった。

 

「……また間違いを犯すのね」

 

「彩芽? エホバの動向に関しては?」

 

 自前の端末を手繰るが、まともな情報はない。そもそも地上ではほとんどのネットワークが遮断され、グリフィスの持つ特注のネットワークでようやく情報が得られるという始末。一般コミューンでは何が起こっているのかの反証も出来ないであろう。

 

「連合、連邦コミューン共に亀裂が走った形ね。エホバの声明はそれだけでも力があったのに、実効力も備えていた」

 

「バベルの掌握……ですね。一時復旧したとはいえ、民間に出回っているレベルの情報では外で何が起こっているのかなど知るよしもないでしょう。三時間前の映像、出します」

 

 端末のエンターキーが押され、それぞれの手持ち端末に情報が同期される。

 

 映し出されたのは海上での決戦であった。ブルブラッドキャリアのモリビトが巨大なナナツーを模した艦の艦首より砲撃を見舞っている。それに対抗して無数の人機が空域を満たしていた。

 

 総力戦の構えに覚えず、と言った様子で仲間達が絶句する。

 

「なんて事だ……。ブルブラッドキャリアとラヴァーズが組んだのはやはり確定事項……。となれば、あまり長引く戦いでもありませんよ」

 

「宇宙への退路も遮られた形やしなぁ。地上で幅を利かせているアンヘルに勝つのは無理ちゃうん?」

 

「加えて……、モリビトの操主は不完全ね」

 

 砲撃メインのモリビトは恐らく桃が乗っているのだろう。戦闘スタイルは六年前のままだ。もう一機だけ確認出来たが、そちらが胡乱な動きをしていた。

 

「突如として現れた二機の人機……、《バーゴイルフェネクス》と《グラトニートウジャフリークス》。この二機がブルーガーデン跡地のブルブラッド重量子爆弾の栽培地から迫った誘爆を完全に阻止。その上で、アンヘル、ブルブラッドキャリア両者共に戦いを止めてみせた……。パフォーマンスだけでここまではやれませんね」

 

「……やっぱ、こいつらエホバと……」

 

「繋がっている可能性はあるわね。それに、モリビト一機が……」

 

 濁したのは一機のモリビトがそのまま不明人機に随伴した映像を目にしたからであった。裏切り、あるいは離反者がここに来て出たか。

 

 かつての自分を見ているようでいい気分ではない。

 

「モリビトの操主が裏切ったって事? これ」

 

「分かりませんよ、不確定情報なんです。どうにしたって、あの海域はブルブラッド濃度が濃過ぎて、これ以上の観測は不可能でした」

 

 仲間の抗弁に彩芽は現状を反芻する。

 

「ブルブラッドキャリアは大きく損耗している。この状況で手を打っても、それはそれで構わないかもしれない」

 

「でもそうなると、もう利用出来んよ? ブルブラッドキャリアはギリギリまで泳がせって、ボスが」

 

「その方針にいつまでも従えるか、というのもあるのよ。事態は刻一刻と移り変わる。《インペルベインアヴェンジャー》が組み上がったらすぐにでも出撃するわ。わたくし達、グリフィスが翼を広げる時が来たのよ」

 

「了解。ってか、もう翼は広げとるけれどね」

 

 全翼型の母艦が虹の皮膜のすぐ傍を飛翔する。

 

 紺碧の雲間を抜け、漆黒のグリフィスの強襲艦――《キマイラ》は四機編隊を伴っていた。

 

 いつでも高高度爆撃に移れる場所より俯瞰する罪に塗れた地上の風景は、グリフィス構成員達の出自を物語っている。

 

「《キマイラ》一番機、情報の一部を収集。現在、末端化した情報の断片を拾い集めています」

 

 ブリッジを訪れた彩芽はもたらされる情報の速度にフッと笑みを浮かべていた。

 

「これもまた、世界の在り方ね」

 

「どうするん? 《インペルベインアヴェンジャー》でこのままブルブラッドキャリアを潰す?」

 

 冗談めかした言葉だが、いずれは成し遂げなければならない悲願だ。ブルブラッドキャリアとアンヘル、それにアムニスなる組織。それらを全て駆逐し、この世に平穏をもたらす。

 

 レギオンの監視網もなく、ましてや諍いも存在しない「完全なる世界」のために。

 

 グリフィスの金色の瞳が世界を見据えるのだ。

 

 その時にはエホバという個人でさえも邪魔である。

 

「エホバは? 索敵出来た?」

 

 レーダー班の一人に声をかける。彼は後頭部を掻いて首を横に振った。

 

「皆目見当がつきませんよ。どこかのコミューンなのは分かっているんですが、今の状況でどこが招き入れるって言うんです?」

 

「今だからこそ、よ。アンヘルの情報統制が麻痺している。弱小コミューンならつけ入る隙はあるはず」

 

「しかし……中小の弱小コミューンだけでも五十以上あります。しらみつぶしにしても性質が悪い……」

 

「本国クラスのコミューンに潜伏していれば、さらに厄介やね。どうするん?」

 

 彩芽は顎に手を添えて思案を巡らせる。どこかに突破口はあるはずだ。相手はこの百五十年の磐石たる象徴のバベルを乗っ取った。レギオン連中では捕捉出来なくとも、完全に外野である自分達ならば……。

 

「……そういえば、アンヘルの支配するコミューンには、どうやって情報が? 相手方は完全にその情報網を潰されたはず」

 

「待ってください。……三時間前に復旧作業が見られましたが……それ以前にアンヘル名義で武器の搬入データがあります。これを!」

 

 モニターに映し出されたコミューンはC連合にも連邦にも属さない小国であった。

 

「……アンヘルの自治レベルを逆手に取られたわね。虐殺天使の命ならば、疑いは挟めない。何よりも、反抗が怖いはず。それに、アンヘルの諜報員が潜伏していても、本国からの支援ならばそうすぐにはバレない。……考えたわね、エホバ」

 

「でも、うちらにバレたらそこまでやん?」

 

「エホバを追い詰めるのにはアンヘルにこの情報を横流しするのが早そうだけれど、接触は?」

 

「難しいです……。アンヘル艦隊司令部はほとんど出払っていて、つい先ほどまでの海上決戦で地上部隊はほぼ……」

 

「……タイミングも見計らったわけか。アンヘルからしてみれば、エホバの忠告を受け入れない、というスタンスの強化のためにブルブラッドキャリア……目先の蝿は払うというのが筋。ここでもし、ブルブラッドキャリアとラヴァーズがエホバ側につけば厄介だから、それを制する目的もあったんでしょう。……やられたわ。エホバは今、どの国家陣も想定出来ない場所に位置取っている」

 

「加えてバベルを奪われたなんて下々の兵隊に伝えたら不安が増す一方。バベルネットワークの掌握は表では否定しないといけない。だから、迅速な対応に出られないのはブルブラッドキャリアとの決戦による余波、としか言い訳出来ないんやね。これじゃ、本末転倒やん」

 

 兵隊も出せず、かといって調査も出来ない場所。小国コミューンに今から仕掛けるなど、部隊の統率が乱れる要因を作るだけ。

 

「……ブルブラッドキャリアは?」

 

「気づいた様子はないですね……。相手も相当疲弊しているはずです。エホバ相手の交渉術なんてないんじゃ……?」

 

「確実に動いているのはレギオンね。アムニスはどうだか分からないけれど、出せる勢力には限りがある」

 

「ラヴァーズももちろん、動けないやろね。ブルブラッドキャリアに味方して沈むんなら、最初から沈んどきゃいいのに」

 

「向こうもそこまでは想定外だったんでしょう。そして、ここに来て宇宙と地上は完全に断絶された……。行き交う術は?」

 

「キリビトクラスの高出力人機でもない限り、リバウンドの皮膜なんて超えられませんよ。中和痕もありません」

 

「……今の地上勢力が宇宙に出る事は不可能。宇宙からこっちに来るのも事実上……。なら、叩くべきは……」

 

『――帰結するのならばレギオンだが、ここではもう一ひねり必要だな』

 

 突然にモニターを占めた映像に全員が踵を揃える。

 

「ボス、この状況を読んでいらしたんですか?」

 

『状況は予見するのではなく、確定情報から導き出すものだ。ブルブラッドキャリアの艦、《ゴフェル》は動きを止めているが、本隊までは分からないはず』

 

「レギオンとの交渉をした……」

 

『バベルネットワークが復活した以上、本隊よりレギオンへと何らかの接触はあったと見るべきだろう。ゆえにこの戦局、レギオンを叩けばいいだけと見れば読み負ける』

 

「でも、ボス。バベルを掌握したとか言ってのけたエホバの鼻っ柱を折ったとは、考えへんの?」

 

『元々、バベルは二つに分割されていた。その片方を牛耳れば、もう片方を持つ勢力が肩入れしてくるのは当然。そこから先の戦局こそ、我らグリフィスのものとなる』

 

「エホバの正体は分かったんですか?」

 

『あの男の所属は明らかにはなった。しかし、これを見て欲しい』

 

 全員の端末に同期されたのは黒塗りばかりの個人情報であった。

 

「ヒイラギ」という名前以外は全て虚偽。あらゆる国籍、経歴を相手は網羅している。

 

 それもここ十年、二十年の話ではない。

 

「……辿れるだけで、五十年以上前まで? エホバは本当に不老不死の神やって言うん?」

 

『問題なのは時間ではない。その男が辿ってきた経歴。彼はもし、バベルネットワークへの占有権を持っていたのだとすれば、百年近く何もしないをよしとしてきた』

 

「……元老院の支配に甘んじてきた?」

 

『そうとも考えられるし、そうではないとも言える。世界の均衡を保ってきたのが元老院ならば、彼は全てを覆せるのにその力を行使しなかった』

 

 彩芽は考えを巡らせる。行使しても仕方がなかった、と試算すれば。バベルを掌握しても、元老院時代には意味のない抵抗であった。

 

「……ブルブラッドキャリアを……待っていた?」

 

 思わぬ思考迷宮の出口に、でもと声が上がった。

 

「報復作戦がいつなんて、分かるわけないやん!」

 

『彼からしてみれば、いつでもよかったのかもしれない。なにせ、百年以上生きている人間だ。……いや、人間と呼んでいいものか』

 

 ここまで来れば最早、それは元老院、そしてレギオンと同じかそれ以上の脅威であろう。

 

「……ボス。今からこのコミューンに仕掛けます。許可を」

 

 その言葉はブリッジ全員の反感を買った。

 

「正気? 彩芽、死にに行くようなもんよ?」

 

「どうなっているのか想像もつきません! それに、《グラトニートウジャフリークス》と《フェネクス》……確認出来ているだけでこの二機が敵なんですよ。勝算なんて……」

 

「ないのかもね。でも、わたくし達がやらないで誰がやるの? 今、バベルは無効化されている。ボス、今ならば好機です。高高度爆撃能力を持つ《キマイラ》で、小国コミューンへと奇襲。その後、制圧を行います」

 

『……だが、そうなれば敵意は我が方に向く』

 

「いえ、それはないでしょう。エホバをやるという事は、バベルを手に入れるという事。情報操作はお手の物です。我々には」

 

 その言葉に全員が沈黙を是とした。その通りである。自分達は、情報の外――世界の檻に支配されない場所から戦ってきた。

 

 今なのだ。表舞台に上がるとすれば、今しかない。

 

『……育ててきた組織が羽ばたくというのか』

 

「いつまでも育てられてばかりではいられません。爆撃と同時に人機による制圧許可を。相手も相当に強い人機で来るはずです」

 

『その作戦自体は許諾する。だが、実行は六時間後だ』

 

「六時間? 何を待っているのです?」

 

 その問いにボスは静かに応じていた。

 

『この世界の、良心と呼べるものだよ』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯295 勝利への眼差し

 勝算はないと判断されていた。だが、結果としてこうして生き延びるとは、とタカフミは敵艦だと断じていたブルブラッドキャリアの甲板で視野を巡らせる。

 

 ラヴァーズの艦には型落ち機が羽根を休めており、次なる戦闘に向けて緊張が張り巡らされていた。

 

「……こんなにも……惨い戦闘だったなんて」

 

 ブルブラッド大気濃度は八割以上。操主服を着込んでいなければまず活動不可の海域である。その絶海に浮かぶ二隻の艦は、それだけで世界と戦うにしては随分と手狭であった。

 

「タカフミ……、タカフミ・アイザワ大尉だったかしら」

 

 背後から振りかけられた声にタカフミは振り返る。操主服に身を包んだ女性が銃口を突きつけていた。

 

 表情は、ヘルメットのせいで窺えない。

 

「……おれは捕虜か」

 

「いいえ。そうもいかないのよ。世界は確実に転がり落ちている。悪いほうに、ね。ブルブラッドキャリアも一枚岩じゃないの。だからこそ、ここで問いかけたい。あなたはこの先、敵になるのか。それとも、我々のために命を張ってくれるのか」

 

 畢竟、戦いしか道はない。ここで敵対するのならば決断は早いほうがいいと言うだけの事。タカフミは空を仰いでいた。虹の皮膜で包まれた天空。この星はどこまで行っても檻がある。いや、檻しかないのだと思い込んでいた。そう、思わされていた。

 

「……正直なところ、おれも分からないんだ。でも、礼儀は通したい。一つの礼儀として、な。すまなかった。そして、ありがとう。瑞葉を……救ってくれて」

 

 その言葉に相手はうろたえたようであった。

 

「……救ったのは、クロよ。自分じゃ……」

 

「クロ、という人間がいるのか? 会わせて欲しい」

 

「会ってどうなるの」

 

 再び殺気立った相手にタカフミは説得を試みる。

 

「……礼を言いたいんだ。あのままなら、瑞葉は処刑されていた。いや、そうでなくっても、ともすればもっと悪い方向に。実験台にでもなっていたかもしれないんだ。それを、止めてくれたのは、素直に受け止めたい」

 

「憎んでいたんでしょう? ブルブラッドキャリアを」

 

「ああ、そうだとも……。おれは憎んでいた。お前らはいたずらに戦火を拡大させるだけの、悪魔だって。その考えの根本は変わらない。変わりようがない。でもよ! こう考えちゃいけないのか? 恩人だって! おれ達にもう一度、生きる意味を与えてくれたって……」

 

「……そこまで高尚じゃないわよ」

 

 だが、ブルブラッドキャリアの戦いがなければ自分もまた、何も疑わず、あの爆弾の栽培地の事も知らず、大量破壊兵器の製造に手を貸していただろう。間接的にせよ、それは変わらない。アンヘルに与していたのだ。戦いの責は負うべきである。

 

「恩返しじゃないけれどよ……、何かさせてくれ。瑞葉は……どうなったんだ?」

 

「……今は医務室で治療を受けているわ。あの《フェネクス》っていう人機と、《グラトニートウジャフリークス》と呼称される人機にやられたんだからね」

 

「《フェネクス》の情報ならおれも持っている。役に立てないだろうか」

 

 その様子に相手は怪訝そうにした。

 

「……分かっているの? 今まで世界の敵だった相手に、手を貸すって言ってるのよ? それはあなたのスタンスを、揺さぶるものじゃないの?」

 

 そうかもしれない。リックベイの犠牲、それに死んでいった数多の兵士達。モリビトの業火に焼かれた、無数の魂。それらは決してこの場でのやり取りを許しはしないだろう。

 

 彼らの抗い、彼らの犠牲、彼らの未来……。それを奪っていったモリビトを、すぐに許せるなんて出来ないと思っていた。

 

 だが実際にはどうだ。

 

 愛する人ともう一度傍に寄り添える環境を作ってくれたモリビトとブルブラッドキャリアに、感謝している。

 

 瑞葉と自分はもう二度と会えないと思っていた。だからこそ、どこまでも愚直に相手を恨めたのだ。

 

 しかし、ここに来て分かった。

 

 恨みなど、憎しみなど、それは所詮、この世を悪い方向に回すだけだ。

 

 後戻り出来ない場所まで行き着かせるだけの、悪循環なのだ。

 

 ならば、自分は変わりたい。自分一人では微力でも、それでも変わり続ける事が、瑞葉を受け入れる事になるのならば。

 

「……瑞葉は、昔言ってたんだ。機械天使から人に成るなんて考えられない。自分は人殺しのための道具だって。おれに、せめて一息に殺せとまで……。でも、おれは撃てなかった。瑞葉を、未来を信じたかったんだ。少しでもよくなる未来、少しでも前に進める明日を。そういうの、さ……願っちゃいけないのかな。考えちゃ……いけない代物なのか……?」

 

 歩み寄ろうとしたタカフミに相手が銃口を据える。

 

「来るな。来れば撃つ」

 

「そう、瑞葉にも言われた。でも、変われるんだ! 人間ってさ、もっとどうしようもないもんだと思っていたんだよ! こんな星にしちまって……たくさんの戦闘兵器を造り出して……それであまつさえ人類同士で殺し合うのが……。でも、そうじゃない世界ってあるんだろ? そうじゃない未来ってあるんだろ!」

 

「それは……」

 

「そうじゃない、もっとマシな世界を掴むための戦いならよ、おれも同行させてくれ。ただし、おれはあんたらが少しでも道を違えれば撃つぜ。迷いなく、それこそ、な」

 

「同行……、我々ブルブラッドキャリアと……?」

 

 これが正解なのかは分からない。誰も教えてはくれないのだ。だが、教えてもらえない道こそ、自分で切り拓く価値がある。

 

「どうすれば……だって憎しみは放たれた! 野に、もう放たれてしまった憎悪と悪意は、どうしろって……!」

 

「おれはそういうの、見ないようにするんじゃないと思う。直視するんだ。ヒトは、もっと罪を見なきゃいけない。もっと見つめ合わないといけない。そうじゃなきゃ、昨日に食い潰されちまう。でも、おれ達は明日に踏み出せるんだ。そうだって気づいた! だから、おれはお前らを単純に憎めない。憎んで殺してばかりが、戦いじゃないんだ! 分かり合うのも、戦いなんだ!」

 

 自分の口からついて出ているとは思えなかった。だが、瑞葉の事を、愛する人のためならばどれほどの理想論も吐ける。どれほどの綺麗事も、実行してみせようと思える。

 

 きっとこれが、リックベイの言いたかった事なのだろう。ただ憎しみをぶつけ合うのが、戦いではない。

 

 ――零の心。零式抜刀術の真髄はここに在る。

 

 相手を許し、その上で剣を極めさせる。

 

 ただ相手の肉体を断つのみが、武器の役割に非ず。

 

 認め合うのだ。そうしなければ、ただただ煉獄の炎に焼かれるのをよしとするだけの小さな、ほんの小さな人間に過ぎない。

 

 後ずさった相手はもう自分へと冷静な言葉を投げられないようであった。

 

「でも……だからって、だからってモモに、あんた達を許せって言うの! ふざけないで! あんた達はアヤ姉を殺した! それ以外にもたくさん……、数え切れないほどに。それでも、許せって? 何もかも、ここで手打ちにしろって? そんなの……判断出来ないよ。決められない……」

 

「それで構わないのよ、桃」

 

 歩み寄ってきたのは大気浄化スーツに身を包んだ数名であった。

 

「……聞いていたんなら、おれのスタンスはもう曲げない。嫌って言ってもおれはやる」

 

「いやはや、困ったね。まさかアンヘルの兵士が仲間になるとは」

 

 一人の男が肩を竦めるのを、隣にいた女性が諌める。

 

「そういう言い方も、もう正しくないんでしょうね。瑞葉さんを思うあなたの気持ち……充分に感じたわ。でも、今のブルブラッドキャリア……この《ゴフェル》は万全じゃないの。とても苦しい戦いを強いるかもしれない。それこそ、味方との戦いを」

 

 かつての友軍が敵になるか。タカフミは、それでもと前を向いていた。

 

「いいさ、やる。後ろを振り向かないのが、多分、おれの長所だからよ」

 

「機体を改修しておいた。《スロウストウジャ是式》、だったか。あれをちょっとばかし、こちら流に、アレンジさせてもらったよ」

 

「助かる。アンヘルで見てきたクチだ。相手は、すぐには攻めてこないだろう」

 

「その根拠は?」

 

 タカフミは顎をしゃくる。遥かなる地平線の向こうを煙らせていた青い霧が完全に消失していた。この紺碧の大地では珍しい、滅菌状態のような大気を誇るかつての大国の跡地。

 

「ブルーガーデン跡地で大層な爆弾を作っていた。そのデータもあれば、アンヘルを巻き添えにしてでも製造したいエゴがあった。アンヘル兵士も馬鹿じゃないさ。そろそろ自分達が何に利用され始めているのか分かっている。それに……」

 

「エホバ、だね」

 

 先んじた男の声にタカフミは首肯していた。

 

「あの二機はエホバの手先だと聞いた。この盤面を崩そうと考えているのは、何もおれ達だけじゃない。今度は、本当に総力戦の構えかもしれない」

 

「アンヘルの艦隊司令部と、ラヴァーズとの共同戦線を張っている我が方との殲滅戦……、正直、分は悪い。それに、相手の力量を決して軽んじちゃいけないだろうからね。アンヘルはこれまで以上の覚悟で向かってくるだろう」

 

「ブルブラッドキャリアとしては、どっちを倒したいんだ? エホバか、アンヘルか……」

 

 その問いに誰もすぐには答えを用意出来ないようであった。操主服の相手が頭を振る。

 

「分からない。分からないのよ、何も。エホバを倒せば世界は元に戻るわけじゃない。もう、転がり出した石。何もかも、元の調子には戻らないでしょう。世界は狂い始めた。狂気の虹が天を覆い、宇宙との交信も阻まれたこの大地で、どう生きればいいのか……」

 

 誰も教えてはくれない。ならば、とタカフミは言いやっていた。

 

「掴み取ろうぜ。誰も、気の利いた答えなんて分からないんだ。だったらさ! おれ達の力で、最高に気の利いた答えってのを! ……そうでもしないと、やるせないだろ?」

 

 自分の空元気に彼らもまた少しばかり考え直した様子であった。

 

「……ま、こういうタイプはいなかったからなぁ……。今まで深刻に考える連中ばかりで」

 

「タキザワ技術主任、あまり滅多な事は言わないように」

 

「そりゃ失敬。……でも真面目な話、どう相手が動くかは全くの未知数。それでも、やるのかい?」

 

 尋ねたタキザワなる男に、操主服の女が返した。

 

「……やる。やらないと、クロも安心して、戻って来られないよね……」

 

「おれの答えはさっきの通り」

 

 その結論に、女性は嘆息をついた。

 

「……兵力としては乏しい。さっきの戦闘でラヴァーズも深刻なダメージを受けた。出られる人機は少ないのよ。それに……宇宙にいる鉄菜との通信も阻害されている。これは恐らく、エホバが意図的に遮断しているのね」

 

「その、クロナって奴が希望の鍵なのか?」

 

「そう、ね……。クロさえいてくれれば……」

 

 タカフミは考慮の上で状況を整理する。

 

「宇宙に上がる術は今のところなし。物理的な手段じゃ、軌道エレベーターだがもちろん使えない。それに、眼前にはアンヘルの総力部隊、か。こいつは追い詰められた感じだな」

 

 しかし、とタカフミは笑った。それを操主服が銃口を向ける。

 

「……何が可笑しいの」

 

「おっと……銃はやめろって。いや、こういう土壇場っての、おれらしくってさ。ついつい笑っちまうんだよ。……少佐も、こういう時に絶対、後ろは向かなかった。ずっとおれに、前を見続けろって言ってくれるはずなんだ。だったら、おれは馬鹿正直に前を向くぜ。それがどれほど馬鹿っぽくてもな」

 

「……今はその考えがありがたい。そうだろ、ニナイ艦長」

 

「あんた、艦長だったのか。だったら頼みがある。いや……頼みって言うよりは、作戦の提案、かな」

 

「作戦の提案?」

 

 問い返されてタカフミは胸を張る。

 

「自慢じゃないが、これでも百戦錬磨のつもりだ。だから、アンヘルのやり口ってのは大抵、見え透いてくる。おかしくないか? 砲撃すれば届く距離だぜ? ここはまだ」

 

「……確かに。射線に入っているはずなのに牽制の砲撃もない」

 

「理由はピンと来たね。兵士の統率もそうだが、今一番怖いのは、上さ」

 

「上?」

 

 全員が天上を仰ぎ見る。タカフミは虹の空を睨んだ。

 

「爆弾があるって分かったんだ。だったら、それ相応にみんな警戒する。考えてもみろよ。もし、艦隊戦になって、両者もつれ込んだところに、ドカン、と来れば?」

 

 その想定にニナイと呼ばれた女性が声を震えさせる。

 

「……その可能性があると?」

 

「犬死になんて誰も望んでいないはずさ。だがその特攻のシナリオを、一番に描いているのは誰か? こう考えればそれなりに見えてくる」

 

「……エホバか、アンヘル上層部」

 

 得心した答えにタカフミは指差す。

 

「その上層部ってのも怪しい。どういう奴が頭にいるのか、まるで分からない秘密主義組織。それがアンヘルの強みであり、最大の弱点でもある」

 

「つけ入る隙はあると?」

 

「このこう着状態がどれくらい続くか、だな。それには相手の動きを見たい。何か、すげぇシステムがあるんだろ? 今まで世界を敵に回してきたんだからさ」

 

「……残念ながらそれは奪われてしまった。だから疲弊しているんだ」

 

 タキザワの返答にタカフミは頭を悩ませる。

 

「だったら、なおさらだろうな。敵の敵は味方理論じゃないが叩けば出る埃ってのは案外でかいもんだ。相手が仕掛けてくるまで、せいぜい整備を万全にしておくとしようぜ」

 

「……待っていれば勝算が見えるとでも?」

 

「待たなきゃ何も見えないだろ。そっちのほうが重要だっての」

 

 タカフミは手を振って格納庫へと足を進める。操主服の女が肩を並べた。

 

「……どうした? 何かまだ不満でも?」

 

「いや……地上の人間はみんな、あんたみたいなのかな、って。……クロがやってきた事を、あんたはやってのけている」

 

「そりゃ、誤解だろうな。おれみたいな能天気はそうそういないだろ。かといって今すぐ闇雲に仕掛けたって自滅するだけ。こっちは疲弊してるんだろ? だったら、何も前に進むだけが戦術じゃない」

 

「……それは、C連合の……リックベイ・サカグチの教えか」

 

「そうだろうな。あの人はでも、もっとドでかい事を考えるだろうし、おれなんてまだまだだよ。先読みのサカグチには負けるね」

 

「……それでも、引っ張ってくれている。何も分かっていないのは、こっちのほうだったのかもしれない」

 

「分かってくれたのなら結構。おれは出撃までちょっと休むわ。顔を出したのはどういう風に改造されるのか見てみたかったからなんだが……」

 

 タカフミが格納庫に足を踏み入れた途端、刺々しい視線が突き刺さった。当然と言えば当然だろう。敵の人機をメンテナンスしろなんてのはどだい理解出来ない話だ。

 

「……メンテナンス、どうなって……ます?」

 

 ついつい敬語になってしまった。整備士の中でも強面の男が歩み寄り、キッとこちらを睨んだ。

 

「……《スロウストウジャ是式》の操主だったか」

 

「ええ、まぁ。……タカフミ・アイザワ大尉。この場所で大尉って通用するのか分からないけれど」

 

「血塊炉に風穴空けられている。あんなもん、ガワだけ取っ払って、もう一度組み直したほうが早い」

 

「ああ、そりゃそうだろうな。キリビトタイプとやり合ったから。推進装置なんて馬鹿になってるだろうし」

 

 ギロリ、と整備士がこちらを見据える。萎縮したタカフミは視線を流した。

 

「そこの。あんたはどう思うんだ? おれの人機、直るかどうか……」

 

 女性操主は気密を確認し、ヘルメットを取り払う。桃色の髪を一つ結びにした相手は整備士に言葉を投げた。

 

「直りそう?」

 

「芳しくはありませんが、時間との勝負ですかね」

 

 自分との態度とは随分違う。それも当たり前か、とタカフミは諦めた。

 

「面影が残っているとありがたいんだが……」

 

「面影なんて残す余裕はないな。こっちだってモリビトの予備パーツを使っているんだ。格納庫のスペース食いをしているって自覚はあるのかねぇ、この操主は」

 

「じゃあせめて、名前くらいは教えてくれよ。どういう機体名になるんだ? モリビトなんとかー、とか?」

 

 笑って誤魔化そうとしたこちらに比して整備士は不機嫌に応じる。

 

「……こいつ、本当に状況を分かっているんですかね?」

 

「モモ達よりかは冷静よ。それは分かっている」

 

「……酔狂としか言いようがないですが。敵兵なんでしょう?」

 

「瑞葉さんを迎え入れたなら、素直になるしかないでしょうし……」

 

 整備士は盛大にため息をつき、言い放った。

 

「大層な名前をつけるセンスはなくってね! 混同しない単純なコードにさせてもらった。《スロウストウジャ是式》改修機、コード名称は《ジーク》。それがこれから先のこいつの名前だ」

 

「《ジーク》……、意味とかあるのか?」

 

「昔の言葉で勝利、とかだったかな。そこまで深くは考えてねぇ、さぁ! さっさと退いてくれ。仕事の邪魔だよ!」

 

 追い返されつつも、タカフミは胸に湧いた鼓動を確かめる。

 

「《ジーク》……勝利か。いいぜ。戦って勝ち抜いてみせる。未来のために、な」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯296 決意と覚悟と

 ここまで相手が熱心だとは思いもしない。桃は、機体の名前を聞いて頬を綻ばせる敵兵にうろたえていた。

 

 どうして、彼はそこまで思い切れるのだろう。愛する人のため、という大義名分はそれほどまでに人を変えるのだろうか。

 

 桃はエレベーター口より流れ、愛機の状態を確かめる。

 

「《ナインライヴス》は?」

 

「ウイングスラスターのうち、二枚はもう使い物になりません。かといって、新規に造り直す時間もないでしょう。有り合わせですが、ないよりかはマシなサブモジュールとして、Rランチャーの実弾バージョンを据えておきました」

 

「助かる。……ねぇ、どう思う?」

 

「どうって……、あの敵兵ですか」

 

「もう、敵兵とかそうじゃないとか言っていられないんだってさ。その思い切りのよさはどこから……って」

 

 こちらの嘆息に整備士は観察の目を向ける。

 

「ブルブラッドキャリアは相当に追い詰められているのに、それでもあの人……あんな顔を出来るんですね」

 

 タカフミに浮かんだ表情には絶望の二文字はない。むしろ、彼はこれから先の戦いにこそ、希望があると説いた。それには理解しかねる。

 

「……希望なんて……あるのかしら。だって、林檎まで……」

 

「しっ。桃さん……」

 

 こぼした弱音に整備士が諌める声を出す。気づいた自分が振り返った先には、蜜柑が立ち竦んでいた。

 

 すぐに駆け寄ろうとして拒絶の声が迸る。

 

「来ないで! ……来ないで、桃お姉ちゃん……。ねぇ、どうすればいいの? 林檎がいなくっちゃ……何も出来ないじゃない、ミィなんて! ただの……足手纏いだよ」

 

「そんな事はないわ。蜜柑もブルブラッドキャリアの一員……」

 

「だったら! 林檎も一員じゃない! ねぇ、林檎を返して! 返してよぉっ!」

 

 彼女の行き場のない悲しみは内側で滞留し続けるのだろう。次に林檎が現れた時、その時は撃つのだと、言い聞かせるのが教官としての務め。

 

 だがそんな残酷な事が言えようか。桃は拳を固く握り締める。

 

 この世で唯一の血縁、唯一の姉妹なのだ。それを次に会えば撃てなど、それは酷が過ぎるというもの。

 

 だがこの役目は自分のものだ。誰かに肩代わりしてもらう事は出来ない。息苦しさを覚えつつ、桃は顔を上げていた。

 

「……蜜柑。次に……《イドラオルガノン》が出てくれば、迷わず撃ちなさい」

 

「何を……何を言っているの、桃お姉ちゃん……」

 

 ああ、分かっている。何を言っているのだ、自分は。こんな、まだか弱いだけの少女に何を背負わせようというのだ。

 

 姉殺しなど。血を分けた肉親を迷わず殺せなど。

 

「撃ちなさい。命令よ」

 

 だから、心を冷たく保とうとした。何も考えないように、感じないようにすれば、この命令は降ろせると。

 

 だが、蜜柑は抵抗する。

 

「分かんない、……分かんないよっ! どうして桃お姉ちゃんがそんな事言うのか、ミィ、全然分かんない!」

 

「これは命令なのよ。《イドラオルガノン》が敵になれば、どれほど脅威なのかは一番分かっているでしょう?」

 

「待って……、何で林檎が敵になるって思うの? そう……勘違いかもしれない。勘違いだったら、それでいいじゃない! 林檎はちょっと間違えた。だから、再会しても撃たなくって――」

 

「蜜柑! 現実を見なさい。《イドラオルガノン》の本体が分離し、《フェネクス》と共に離脱した。この状況で、まだ敵じゃないなんて生易しい事が言えるとでも?」

 

「でも……でも、でもっ! もしかしたら、敵に惑わされたのかも! そうじゃないと、おかしいじゃない! 《イドラオルガノン》と林檎が……敵になるなんて……」

 

「……そのおかしい事が起きているのよ。執行者なら、やるべき事は分かるわよね?」

 

 これはずるい言い草だ。モリビトの執行者としての判断を冷徹に告げている。蜜柑は耳を塞いで目を伏せた。

 

「どれだけ逃げたって……覆せないのよ。林檎は! 敵になった!」

 

「嘘だよ! 嘘、嘘なんだから! 林檎は敵じゃない! 間違ったのは、間違っただけの……お姉ちゃんを撃つなんて……ミィには出来ない……」

 

 苦痛の末に搾り出した声音に桃は言葉を重ねかけて、蜜柑が不意に駆け出していた。

 

 その背中に追いすがる事も出来ない。弱い自分は、保留の一事に留めるしかなかった。

 

「……いいんですか? 放っておいて」

 

「……あれ以上言えないわよ。林檎を撃てって言っているだけで、もう随分と……」

 

 酷い事をしている。自分の育てた二人なのに、殺し合えなんて無理なはずなのだ。それを、自分が口にしていると思うだけで吐き気がする。

 

「……ゴメン。気分が悪くって……」

 

「《ナインライヴス》は万全にしておきます。《イドラオルガノンジェミニ》は……あの状態で出せばいいのかの判断を艦長と茉莉花さんに仰いでおきますよ」

 

「……任せ切りに……」

 

「これくらい。執行者の皆さんの苦しみに比べたら」

 

 どこまでも自分は甘えてしまう。だが、これだけは誰かに肩代わりさせられないのだ。

 

 林檎を撃つ。もしもの時は、自分の手で。あれだけ愛して、あれだけ慈しんだ林檎を……殺す。

 

 酷い吐き気に襲われて桃は廊下を走り込んだ。壁に手をつき、何度も胃の中のものを吐き出す。

 

「どうして……どうしてモモは、また過ちを……! 何でうまくやれないの……」

 

 問い詰めても仕方ない。自分の責任は自分で取るしかないのだ。

 

 林檎が離反したのは自分のせいでもある。彼女に、今のブルブラッドキャリアを見離しても言いのだと、思い込ませてしまった。教育者としての責任が。

 

「……撃てるの? モモは」

 

 あれだけ蜜柑に言い尽くしたのに、自分の問いに答えが出せない。もどかしさに爪を立てようとして、ふと人の気配に振り向く。

 

 瑞葉がこちらをじっと見つめていた。

 

「……大丈夫、か」

 

「瑞葉さん。……何でもないわ」

 

「何でもないわけがないだろう。……クロナもいないんだ。次の戦闘はわたしも前に出る」

 

「余計な事はしないで欲しい。あなたの連れて来た……アイザワとか言うのだけでも面倒なんだから」

 

 どうして、刺々しい言い回ししか出来ないのだろう。自分に嫌気が差す。

 

「……すまなかった。了承も得ずに。だが……わたしはこの《ゴフェル》を、沈ませたくないんだ。もう、ここにいていいのだと、ここ以外に居場所はないのだと分かっているから」

 

「……クロが何か」

 

 吹き込んだのか、と言いかけて瑞葉の眼差しに気圧される。

 

 覚悟を決めた瞳は鉄菜そっくりであった。

 

「――わたしは、ここを守りたい。クロナが大事にしている場所だ。なら、わたしにとっても大事なんだ」

 

「……そんな薄っぺらい理論、あなたにとっての《ゴフェル》も……ブルブラッドキャリアも関係ないじゃない」

 

「わたしの問題を清算してくれた。それを許してくれたんだ。だから、報いる。それだけの話」

 

 瑞葉のほうが筋は通っている。それでも、と桃は骨が浮くまで拳を固める。

 

「どうしろって……、どうすればいいって言うのよ! クロもいない! 林檎も消えた! だって言うのに、どうしろって……、これ以上モモに、何をしろって言うの! あんなよく分からない奴に言いくるめられて、モモは……」

 

 情けない。自分の居場所のはずなのに、確固たる言葉を口に出来るのは相手のほうだなんて。

 

 自分はこの居場所で育った。この居場所で、今まで生きてきた。本来なら、自分のほうが言葉を持っているはずだ。いくらでも、理由は言えるはずなのに。

 

 いざとなれば何も言えない。気の利いた台詞も、出てこない。

 

 持て余すばかりの状況に、桃は呻く。

 

 ――何が正しい? 何が間違っている?

 

 何のために戦えばいい……?

 

 堂々巡りの思考に、瑞葉は言葉を発する。

 

「……抗え、とクロナは言った。わたしが、死んだほうがいいのだと言った時、彼女は。《クリオネルディバイダー》に乗ってお荷物になった時も、それでも彼女は見捨てなかった。わたしはクロナの強さはただの戦闘経験値だけではないと思っている。明瞭な言葉はないが……クロナはわたしにくれたんだ。きっと……人らしいというものを。その人らしさが、まだ分からない。クロナも、分かっていないのかもしれない。彼女自身の強さはもう、心に根ざしているのだと言う事を。……離れ小島で、クロナは言ったんだ。心が分からない、と」

 

 まだ鉄菜は苦しみ続けていたのか。顔を上げた桃に、瑞葉は頭を振る。

 

「……うまい言葉が見当たらなかった。わたしの知る限り、これ以上ないほどに、クロナは人らしいはずなのに、その彼女も迷っている。戸惑いながら一歩ずつ、前に進んでいる。なら……わたしが迷っている場合じゃない。わたしが……手探りしていいはずがない」

 

 鉄菜は六年間の隔絶の後、幾度となくブルブラッドキャリアを牽引してくれた。彼女がいなければ本隊からの離反も成功しなかっただろう。ここまで生き永らえたのは間違いようもない、鉄菜のお陰なのだ。

 

 だが、その鉄菜も迷いの只中にいる。自分達ばかりが恵まれていないわけではない。

 

 迷いを捨てた一振りの刃になったと思える鉄菜でも、まだ分からない事があるのか。まだ、あの瞳は見据えるべき道を見据えていないのか。

 

「……こんなところで足踏みしていたら、クロに怒られちゃうね」

 

 その言葉に瑞葉は僅かだが表情を和らげた。

 

「そう、だな。クロナが帰ってこられるように、わたし達も戦っていたい」

 

「そのために努力は惜しまない。そうでしょう?」

 

 きっと、今はそれが正しいはず。そう思って顔を上げた、その時であった。

 

 緊急警報が廊下を赤色光に塗り固める。不意打ち気味の砲撃による激震が、《ゴフェル》を襲った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯297 奔る剣 

「敵襲?」

 

 習い性の身体が格納庫へと走る。瑞葉もその背中を追って駆け抜けた。

 

「状況は!」

 

 問い質した声に整備士が返答する。

 

「待ってください……、一機です。識別不明の人機が、単騎で襲ってきた模様! 砲撃は当てずっぽうですが、当たるとまずいですよ! ラヴァーズとの連携作戦もまだだってのに……」

 

 敵は待ってくれないというわけか。桃は《ナインライヴス》のコックピットへと飛び乗る。

 

「ニナイ! 今《ナインライヴス》で……」

 

『先走らないで。敵は一機よ。こちらの偵察かも』

 

「そんなの、当てにならないし、何よりも余裕ないじゃない。出端を挫くわ。《ナインライヴスピューパ》の発進許可を」

 

『ちょーっと待ったぁ!』

 

 急に通信に割って入った雄叫びに桃は眉をひそめる。

 

「……アイザワ、とかいう」

 

『おれに! 任せてもらえないか? ブルブラッドキャリア』

 

「……何であんたに。アンヘルと共闘して、墜とそうってんじゃ――」

 

『誤解も誤解! おれは、もう決めたんだ。愛する人を守るためにってね。それに……そのクロナって奴、今の今まで瑞葉を守ってくれていたんだろ? 礼を尽くしたい』

 

「……恥ずかしい奴。オープン回線なのよ」

 

 言い捨てて、桃は《ナインライヴス》をカタパルトへと移送させる。

 

『……アイザワ大尉の《ジーク》も発進準備させる』

 

 ニナイの決定に桃は異を唱えた。

 

「正気? 同時に撃ってくるって言うんじゃ……」

 

『あそこまで言ってのけたんだ。今は信じようじゃないか』

 

 割って入ったタキザワに桃は渋々承服する。

 

「……邪魔だけはしないで」

 

『当たり前だろ。戦場で背中を預けるんだ。こっから先は出たとこ勝負だが、役目は果たさせてもらうぜ』

 

 戦地に入ればそれなりにスイッチも入るというわけか。先ほどまでの言葉繰りとはまた別物の感覚を肌で味わい、桃はカタパルトデッキでの射出準備を待った。

 

 オールグリーンに点灯し、桃はアームレイカーを引く。

 

「桃・リップバーン。《モリビトナインライヴスピューパ》! 迎撃行動に入る!」

 

 火花を散らせて《ナインライヴス》が射出され、速度のままに海上を疾走する。仮留めのスラスターが姿勢制御に手間取る中で、桃は海面すれすれを疾走する一機の敵影を睨んだ。

 

「……真紅のトウジャ?」

 

 トウジャタイプであるのは間違いないのだが、今まで見てきたどのトウジャよりも痩躯である。しかし、その細身に似合わぬほどの大出力バーニアを各所に備えており、そのアンバランスさも相まって、敵の不透明さに怖気が走った。

 

「こちらから! 《ナインライヴス》!」

 

 Rランチャーを照準し、まずは一撃。相手の攻勢を見る。

 

 引き金に指をかけようとして、敵機が瞬間的に消失した。

 

 ハッと気づいた時、接近警告が木霊する。習い性の身体を後ずさらせた《ナインライヴス》は、先ほどまで機体があった空間を引き裂いた一閃を目にしていた。

 

「……刀」

 

 一振りの刀を持つ人機は確かな殺気を携えてその切っ先をこちらへと向ける。今の一閃、と桃は首筋をさすった。

 

「……当たれば、やられていた?」

 

 感覚的なものだ。だが、これは実戦を経て研ぎ澄まされた経験則。今の一撃には必殺の勢いが灯っていた。

 

 敵機がこちらへと猪突しようとする。

 

「嘗めてくれて! 取り回しの悪いRランチャーだから!」

 

 バインダーから取り出したRピストルで即座に銃撃を見舞うも、敵影は一時として同じ場所に留まらない。

 

 縦横無尽に空域を駆け巡る敵機の挙動は《スロウストウジャ弐式》の持っていた汎用性を捨て去ったものであった。

 

 ――機動力。そして一撃へかける重み。

 

 それのみに比重を置いた機体。ただ闇雲に駆けているのではなく、全ての軌道を理解し、相手の攻撃動作を予見し、その上を行く機体として成立している。

 

 疾駆のトウジャがまたしても射程へと潜り込んだ。そのまま薙ぎ払われかけた一撃を、《ナインライヴス》は砲塔で受け止める。

 

 干渉波のスパークが散り、余剰衝撃波がコックピットを揺さぶる。

 

「……受けているのに」

 

 その攻撃に威力があるとは到底思えないのだが、一閃には力が込められている。ただ受けるだけでは、これ以上の継続戦闘は難しいだろう。

 

 攻勢に打って出ようとして、敵機が瞬時に後退した。

 

 空間を駆け抜けたのは改修されたばかりのタカフミの機体である。

 

『退きな! 細いの! ラヴァーズとブルブラッドキャリアを守るんだろうが!』

 

 プレッシャーライフルを一射して敵を引き剥がし、すぐさま手に取ったのは実体剣であった。剣の鍔が展開し、リバウンド力場を形成する。

 

 銀色の太刀筋に光が宿り、その威力を補正した。

 

『零式抜刀術――壱の陣!』

 

 紡がれた名前に敵人機が腰だめに刀を構える。何をするのかと思えば、放たれたのは両者同時であった。

 

 同じ太刀筋が閃き、全くの同威力の攻撃が交錯する。

 

 互いに大きく後退した形の敵機とタカフミの機体は叫びを迸らせていた。

 

『どう……なってるんだ! こりゃあっ! 零式抜刀術だと!』

 

 どうやら相手も同じ戦闘術を心得ているようだ。桃は《ナインライヴス》を下がらせてRランチャーを構える。

 

 照準した敵機が上方へと逃げた。

 

『おい! 答えろよ! 何で零式をお前が持っているんだ! 何者だ! その人機!』

 

 オープン回線の呼びかけに桃は額を押さえていた。

 

「……頼むからこっちの品位を下げないでよ」

 

 光軸が一射され敵機の動きを制する。追いついたタカフミの《ジーク》が刃を軋らせた。

 

『零式抜刀術! 弐の陣!』

 

 その攻撃とまたしても同じ性能の攻撃が放たれ、互いに相殺する。このような戦局があるのか、と桃は呆然としていた。

 

 同じ操縦技術を会得しているとしても、人機の性能でそれは左右されるはずだ。

 

 だというのに、全く同じ技、全く同じ威力、同じ能力――。

 

「何者なの……相手は」

 

『こっちが聞きたいぜ。零式は! そう容易く習得は出来ない! だったら何でって話だが……、お前まさか……』

 

『考えている通りだ。アイザワ少尉。いや、今は大尉だったか』

 

 切り詰めたような冷たい声音。その声に宿るのは冷酷なる殺気である。

 

 しかし、タカフミはその声を聞いた途端、ある名前を叫んだ。

 

『……どうして……どうしてなんだ! 桐哉!』

 

 猪突した《ジーク》の旋風めいた剣筋を敵機は同じだけの手数で制する。

 

『その名は……捨てた』

 

『だったって……生きていたのかよ! 何で……どうして!』

 

『戦場で! 何でだとかどうしてだとか……女々しい事を言っているんじゃない!』

 

 切り上げられた太刀筋に《ジーク》がその攻撃を受け止める。推進剤を焚いて後退した《ジーク》は、刃を払った。

 

『……もう分かり合えないのかよ』

 

『捨てたと言ったはず。人間である事など』

 

『それにこだわらないで……何がモリビトだって言うんだ、お前は!』

 

《ジーク》が刃を振るい上げる。敵機は下段に刀を構え、そのまま直角的な太刀筋を浴びせかける。《ジーク》はというと、その軌道の刃を受け流し、火花を散らせながら肉迫する。

 

「……あんな無茶苦茶な近接……」

 

『答えろよ! 桐哉!』

 

『だから、捨てたと言った! しつこいと、舌を噛む!』

 

『意地になってんのか……。少佐はお前の事を捨てたつもりなんてないんだぞ!』

 

『零式は二人と要らぬ。《イザナギ》!』

 

 機体が瞬間的な超加速度を得て背後に回る。

 

「ライジングファントム……。まさか、重力下で?」

 

『嘗めんな!』

 

 タカフミが《ジーク》の機体を反らせ、循環パイプを軋ませた直後、その姿が掻き消えた。

 

 どこへ、と首を巡らせた桃は直上よりプレッシャーライフルを敵機に見舞った《ジーク》を目にしていた。

 

「嘘でしょ……。あいつも、なの」

 

 雷撃のファントムを操る手だれの操主が二人。海域で互いの人機を見据えている。

 

『桐哉ァッ!』

 

『捨てた名前を呼ぶな! 耳障りだ!』

 

 実体剣と刀が干渉し、スパーク光を周囲へと散らせた。思わぬ超接近戦に成り果てた戦場に、ニナイからの伝令が入る。

 

『桃、好機だわ。一度、こちらに優位な航路を取る。アイザワ大尉に今は任せましょう。そのままRランチャーで敵を警戒しつつ、艦の守りに戻って』

 

「でも……こいつら……」

 

『……因縁があるのは分かったわ。だからこそ、よ。彼だってそう簡単に墜ちる気はないでしょう』

 

 桃は了承の声を《ゴフェル》へと返した。

 

「……でも、このまま戦い続けたって……どうなるって言うの……」

 

 それも分からぬまま、二機の人機は互いの誇りのために合い争った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯298 暗雲の空

『いやはや、我々を頼ってくださったのは賢明です』

 

 そう返答した相手をヒイラギ――エホバは静かに見据える。通信の先でも異常さが際立つその装飾はやはり情報の行き届いていない原始コミューンならでは、か。精神点滴の要素を持つかんざしを挿した老人に、エホバは言いやっていた。

 

「そちらのコミューンを使わせていただいたのは天命です。ゆえに、感謝は必要ありません。ですが、まかり間違えないようにしていただきたい。戦場に成り得ますよ、ここは」

 

『その準備は出来ております』

 

 出来ているとは言ってもと、エホバはこのコミューンの軍備情報へとアクセスする。やはりというべきか、型落ち機ばかりで守りは手薄だ。

 

 だからこそ、選んだのもあるが。

 

 情報が未発達で、なおかつ制圧の必要のないほどのコミューン。さらに言えば、連邦への抵抗意思がある場所――という検索結果に適ったのがこの場所なのだから。

 

 しかし、とエホバは同期されている監視カメラ映像を脳内ネットワークで覗き見る。

 

 荒廃しきった街並み。大人達は皆、武装し、子供達でさえも肩を寄せ合ってライフルを構えている。

 

 こんな世界に誰がした、とエホバは息をついた。

 

『お疲れですか?』

 

 この「統率者」と名乗った老人のやり口も卑怯だ。何も知らぬ子供達を洗脳し、大人でさえもその情報ネットワークで劣っているがゆえに、一人だけ先を行っている。

 

 しかし、これが現状。これが世界の縮図。

 

「いや……何でもない。警戒は怠らないように。地の果てからアンヘルが襲ってくるかもしれない」

 

 その言葉に統率者は笑い返した。白髭に隠れた卑しい笑みに、エホバは嫌悪を露にする。

 

『……失礼ながら、この場所の事をよく知らないと見える』

 

「知っている。位置情報も、何もかも。この場所の歴史も」

 

『では……我々の切り札に関しても、ですかな』

 

 切り札。まさか、「あれ」の事を言っているのか。

 

「……問い返したいのですが、この地に封じられたあの禁断の罪に関して、切り札と仰られた?」

 

 統率者は満足気に頷く。

 

『脅威でしょう? あれは』

 

 やめて欲しい。悪い夢だ。あんなもの、この場所に眠っているべきではなかった。

 

「……約束して欲しいのはそれもあります。あれを出すなんて考えないでもらいたい」

 

『ですが、敵は来ますよ? 来た時に、型落ち人機だけでは対抗出来ますかな? 備えは必要です』

 

 そのための備えがあまりにも忌々しいのだ。

 

「あれを使うのは避けていただきたい」

 

『どうですかな。案外、綺麗事では通れないかもしれません』

 

 食わせ者め、と苦々しく思った途端、脳内ネットワークを何かが震わせた。関知網が望遠カメラの映像を捉え、この場所を照準する警告に気づいて立ち上がる。

 

『……どうされました?』

 

「……来る」

 

 何が、という主語を欠いたまま部屋が激震に見舞われた。統率者がよろめき、無様に転がる。

 

『何が起こった!』

 

『統率者! 攻撃です!』

 

『おのれ……、アンヘルか!』

 

 その言葉に若者は首を横に振った。

 

『これは……爆撃ですよ』

 

 まさか、と統率者の顔が青く染まる。エホバは通達していた。

 

「敵は手段を選ばない。そうは言い含めておいたはずでしょう。人機を発進させるように」

 

『い、言われるまでもない! 人機部隊、発進!』

 

 しかし、とエホバは唇をさする。

 

「……爆撃、という事は、正規軍ではないな。だが、この連中……情報マスキングを施されている。バベルで敵の詳細が閲覧出来ないだと……?」

 

 アンヘルでも、C連邦でもない。レギオンの手先か、と考えかけたが、それにしても迂闊だ。高高度爆撃は国会条約で禁止されている。後々の事を考えれば、絶対に実行出来ない作戦に、エホバはバベルより一つの組織名を拾い上げていた。

 

「……グリフィス? 何だこれは」

 

 バベルの断片の中に僅かに紛れ込んでいる情報の意図的な齟齬。それを拾い集めている最中にも、爆撃は強まる。

 

 元々、コミューンは爆撃に強い構造ではない。人機による「継ぎ目」の破壊だけでその天蓋は脆く砕ける。

 

「実行部隊へ通達。敵は高高度爆撃機を使用。今の状況で敵影を捕捉出来るのは?」

 

『こちらにはとっておきがございます』

 

 すぐに通信に出たレジーナに、そのとっておきとやらが対応したらしい。

 

 コミューン外壁よりリバウンドの狙撃が高高度を狙い澄ました。こちらでも捕捉出来ない敵影を炙り出し、その翼を掠める。

 

「さすがだな。モリビトは」

 

 カメラに映し出されたコード《イドラオルガノン》は狙撃銃の撃鉄を引く。次弾を装填した《イドラオルガノン》が爆撃機へと牽制を見舞った。

 

 敵が逃れ、空域から離れていくのが窺える。

 

「よくやった。だが、これだけではないはずだ。爆撃は初手でしかない」

 

『次は……人機による制圧戦』

 

 首肯したエホバはレジーナ、及びクリーチャー――カイルへと通信を繋げていた。

 

「レジーナ、カイル。君達が頼みだ。出てくれ」

 

『分かった。もう……これ以上争いは見たくない』

 

 応じたカイルの人機がコミューン外壁より飛翔する。重々しい形状の《グラトニートウジャフリークス》は本来重力下での戦闘は想定されていないはずであったが、あり得ないほどの高推進力を得て飛翔していた。

 

 その翼が青く穢れている。

 

「……ゴルゴダによる力か。どこまでも……ヒトは罪に寄り添うしかない」

 

『レジーナ・シーア。《フェネクス》、出る!』

 

《フェネクス》がそれに後続し、コミューンの人機部隊を連れ添う。だが、これだけではあるまい、とエホバは考えていた。

 

 この程度で済むのならば、敵は爆撃なんて真似には出ないはず。

 

「警戒を。絶対に敵の切り札がある」

 

 その時、十基のコンテナが敵の全翼機より投下された。黒々とした棺にエホバは睨み据える。

 

「ブルーガーデン製のコンテナ。全ての情報策敵を無効化する……」

 

 それを使っているという事は相手は今の今まで世界に勘繰られずに情報を回してきたという事。

 

 相当な覚悟と執念のはずだ。エホバは全域に通信を振っていた。

 

「これを聞いている皆に告げる。敵は世界の干渉の外から全てを動かしてきた害悪だ。このまま静観を貫くつもりであったのだろう。その静謐を破ってでも、この戦い勝ちに行こうとしている時点で、敵も背水の陣だ。絶対に逃してはいけない。あれも、世界の悪意が一つ」

 

『絶対に墜とせ! ナナツー、バーゴイルは自分に続け! 狙撃手は《イドラオルガノン》を援護しろ!』

 

 レジーナの戦闘感覚は生来のものも相まってカリスマめいている。今の彼女ならば間違いを犯す事はないだろう。

 

 問題なのは、と繋いだ回線で統率者が壁にかけられているレバーを落としていた。

 

「……愚かな」

 

 口走った瞬間、警笛がコミューンを満たした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯299 色欲のトウジャ

 

 モリビトとして戦える。誉れだ、と教えられ、人機に乗る直前であった。

 

「声」を聞いたのは。

 

「どうした? レン」

 

「この声、懐かしい……。何だろう、この感覚は……」

 

「声って。……警鐘か。何だってこんな時に……」

 

「これは……」

 

 その記憶野を激震したのは、血濡れのビジョンであった。何もかも赤に染まった世界の中で、妹達が、大人に陵辱されていく。

 

 見たはずのない映像。しかし、確実に自分の過去であるもの。

 

「……何だ、これ……」

 

 よろめいたレンを大人が受け止めた。

 

「どうした! レン! どうしたんだ!」

 

 叫んだ眼前の大人が妹達を犯している。その映像の矛盾と記憶の奔流に、レンは呻いた。

 

「気分が悪いのか? なら、後方部隊に――」

 

 そこから先を遮ったのは、レンの放った銀色の閃光であった。手にしたナイフが大人の首を掻っ切る。

 

 真っ赤な血潮が迸り、大人が酸素を求めて喘いだ。

 

「思い……出した。思い出した……ぞ。お前らが妹達に、何をしたのか。俺に、何をしたのか」

 

「レン……! 何を……」

 

 声を振りかけた大人へと片手の拳銃で振り向かずに銃撃する。額を射抜いた一撃で相手は即死した。

 

「……ゴメンな。ゴメンな、お前達。こんな兄ちゃんで……。今の今まで、お前達の事を……忘れていたなんて」

 

 涙しつつ、レンは迷わず人機搭乗前の大人達を迷いなく銃殺した。相手の銃撃網が走ったがなんて事はない。

 

 ――全て遅い。

 

 跳躍したレンはすぐに背後へと回り込んで喉元を掻っ切った。その背筋へと留めの刺突を行う。

 

 完全に事切れたのを確認して、レンはナイフを払う。

 

 行くべき場所、赴くべき場所は決まっていた。

 

 ナナツーを起動させ、レンはそのまま戦場を撤退する。

 

 辿り着いたのはいつもの場所であった。妹達との思い出の場所。完全なる自由の園。

 

「レンにいちゃんだー」

 

 そうめいめいに口にして踊りを奏でる妹達を、レンは冷たい眼差しで見つめていた。

 

 今の今まで、妹達だと信じ込んでいたものは、――ただの冷たい機械人形であった。

 

 ホログラムが施され、妹達の幻影を宿している。

 

 自分が今まで見ないようにしてきたもの。見えないように細工されたもの。

 

 そして……これから先、見据えなければならないもの。

 

「ゴメンな。ゴメンな、お前達。本当に……駄目な兄ちゃんだ。犯されていくお前達に、何もしてやれなかった。それどころか……、こんなもののために、用意されていたなんて」

 

 機械人形を一つ、また一つと銃弾で沈黙させていく。血に伏しても踊ろうとする機械人形へと何発も銃弾を浴びせた。

 

 レンは花園の最奥へと足を進める。エレベーターで遮られた向こう側、この世とは思えない絶対の地。

 

 鳥居の向こう側に、こちらを見据える神がいた。

 

 オヤシロ様、と今まで祈ってきた神。その正体を、レンは紡いでいた。

 

「行くぞ。オヤシロ様。――いいや、俺の人機。色欲の罪」

 

 ポケットに仕舞っていた鍵を取り出し、それを天に掲げる。瞬間、オヤシロ様の眼窩が赤く煌き、胎動の音が周囲を満たす。

 

 無数のケーブルがオヤシロ様の側頭部から引き出され、レンへと足場を作った。

 

 地獄への道標だ。ケーブルの足場を上り、レンはオヤシロ様と目を合わせる。

 

 ――否、この堕落した世界を見据える偽りの神を、レンは心底、憎悪していた。

 

「――《ラストトウジャ》。お前は、俺の罪だ」

 

 そう口にした途端、無数のケーブルにレンは包まれ、その人機が開いた口腔へと呑み込まれた。

 

 直後、今まで巨像の姿勢を保ってきた人機の眼窩に切れ込みが生じ、コンクリートで固められていた指先が罅割れていく。

 

 地面を這う形で巨大な人機はその機体を挙動させた。さながら赤子のように、細長い手を壁に沿わせ、首を持ち上げる。

 

 追いついてきた人機部隊が巨像を見据えて、うろたえ声を出した。

 

『何だあれは……、人機なのか!』

 

『あれは……まさか! レン! 記憶が――!』

 

「うるせぇよ」

 

 人機の中で口にした憎悪が、そのまま機体へと血脈となって奔り、直後、巨像が大口を開けた。

 

『なっ……口が開いたって……』

 

「――リバウンドブラスター」

 

 一射された光条がナナツーを射抜き、その血塊炉に引火させ、爆発を発生させた。もう一機が叫びを上げて銃撃する。コンクリートで硬直した部位に命中し、次々と人機そのものの装甲を露にした。

 

 無数のケーブルで覆われた装甲の継ぎ目。生物的にくねる循環チューブと、無機物の冷たさを漂わせた機体。

 

 腹腔はまるで母体のように膨れ上がっている。この人機が持つ膨大な血塊炉を引きずっているのだ。

 

 腰から先は存在せず、コミューンの地下層へとそのまま直結している。コミューン地下に眠るさらに無数のサブ血塊炉との連結。

 

 それがこの人機――《ラストトウジャ》を強固にしている。

 

《ラストトウジャ》が亀裂の入った眼窩で天上を睨んだ。顎が外れ、その口腔部より災禍の稲光が放たれる。

 

「焼け落ちろ……世界なんて! こんな、こんな醜いだけの世界、消えてしまえっ!」

 

 災禍は静かに、育んできた闇を放出した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯300 戦場の流儀

「……蜜柑みたいにはいかないな」

 

 直撃を狙ったつもりの狙撃は、どれも惜しいところを掠めるのみ。それでも敵を捕捉しているという意義はあったようでレジーナの率いる部隊が飛翔した。

 

 コミューンより天に導かれるが如く、黒カラス達が飛び立っていく。

 

「この世の光景じゃないみたい。……ってそんな感慨を浮かべている場合でもないか」

 

 慣れないガンナー兼任の操縦を手繰りつつ、林檎は敵の全翼機を撃墜しようとスコープを覗く。

 

 地軸、重力、そしてブルブラッド大気汚染により星の中では銃弾は直進しない。こんな悪条件の中、蜜柑は毎回戦っていたのだ。そう思うとやるせなかった。裏切りの傷がじくじくとと痛む。

 

「……でも、今は思い悩んでいる時間なんて」

 

 全翼機より黒い棺が投下されている。恐らくは制圧用の人機部隊。《フェネクス》を先頭にするバーゴイル編隊が降下前に迎撃しようとするが、強固なコンテナは銃弾を通さない。

 

「面倒な奴らだな。狙い撃ってやる」

 

 その刹那であった。

 

 コミューンの天蓋が割れ、高出力の細い光線が天に向けて放出されたのは。

 

 激震と舞い上がった砂塵に、一瞬視界が隠れる。

 

「何が……何が起こったんだ!」

 

 熱源光学センサーをコミューンへと向ける。コミューンの最奥から膨大な出力のブルブラッドが確認された時、林檎は覚えずスコープから視界を外していた。

 

「……何だよ、これ」

 

 高濃度ブルブラッドの滞留したガスが噴き出し、コミューンを崩落させながら出現したのは、見た事もない人機であった。

 

 頭部形状はトウジャによく似ているが、咆哮を上げるその口腔部や、引きずるような異常発達した両腕と生物的な意匠はトウジャとは呼び難い。

 

『……通信は途切れていないか』

 

「エホバ……だっけ。あれ、何なの」

 

『教えていなかったな。いや、まさかコミューンの統率者があれを解き放つとは予想外であった、と言うべきか。しかし、安心して欲しい。制御は無理だが、あれは敵を葬ってくれる。我々に邪魔立てする敵をね』

 

「敵って……」

 

 空を仰いだ途端、光の瀑布が視界を眩惑する。巨大な不明人機より再び放たれた光条が天地を射止め、そのまま全翼機の翼を融かしたのである。

 

 まさか、と林檎は絶句する。

 

「そんな高出力……、エクステンドディバイダー以上だって……?」

 

 知っている限りの知識ではあれほどの性能を維持するのに人機一機では賄えないはず。そんな思考を他所に巨大人機は異常発達した腕でコミューンの殻に手をついた。露になった膨らんだ腹部と、乳房に当たる部位。邪神を形にしたが如きその威容に、林檎は覚えず照準を振る。

 

 瞬間、不明人機と目が合った。

 

 ――まずい、という習い性で林檎が《イドラオルガノン》を飛び退らせた時、巨大人機の一部が開く。内側から射出されたのはミサイルの雨であった。宙を舞う敵のコンテナだけではない。《イドラオルガノン》まで射程に入れたミサイル群に慌てて引き金を絞る。しかし、どれも当てずっぽうで命中しなかった。

 

「こんなの……見境なしじゃないか!」

 

 狙撃銃を捨て、Rトマホークでミサイルを破砕する。しかし、その直後、機体が麻痺した。制御系が根こそぎ奪い取られ、全身が重くなっていく感覚だ。これに似たものを自分は行使した覚えがある。

 

 惑星の人機を駆逐するための兵器。青い弾頭のミサイル。

 

「まさか……アンチブルブラッド兵装? あんな機体が……」

 

 だが、それ以外に考えられない。重くなった《イドラオルガノン》へと不明人機が口腔部を開く。

 

 凝縮されていくエネルギー波に、やられる、と直感した瞬間であった。

 

《フェネクス》の統率する部隊が不明人機の頭部を打ち据える。

 

『止まるな! 攻撃し続ければこんなデカブツ……』

 

 巨大人機が手を払う。その一動作だけで大気が恐れに震えた。あの人機そのものを星の大地が忌避している。

 

「……何なんだ、あれ」

 

『《フェネクス》へ。あの人機を攻撃するな。あれは我々の目的遂行の礎である』

 

『礎だと? こんな、見境のない化け物が……』

 

 レジーナの戸惑いを他所に降下に成功したコンテナが開いていく。黒い棺から現れたのは同じく漆黒の人機であった。

 

 軽装の細身人機が刀と実体弾で武装している。

 

「あれは……ロンドか」

 

 識別信号《ブラックロンド》と規定された人機が《イドラオルガノン》へと襲いかかった。しかしその単調な動きは今までの敵に比するほどでもない。

 

「嘗めるな! 動きが遅過ぎ……!」

 

 Rトマホークで胴体を割る。向かってくる敵はしかし、無数に存在した。実体弾で弾幕が張られ、《イドラオルガノン》が縫い止められる。

 

「……こんなの、いつもなら……」

 

 そう、いつもなら蜜柑の支援でミサイル攻撃し、すぐに突破出来るはずだ。だが、今は自分にはそれがない。照準も合わせられなければ、《イドラオルガノン》の半分の性能も引き出せていない。

 

 歯噛みした林檎は巨大人機へと銃撃する《ブラックロンド》を目にしていた。

 

 不明人機を叩き据える弾丸はことごとく命中する前に中空に縫い付けられる。

 

 まさか、と息を呑んだ刹那、反射した弾丸が《ブラックロンド》を叩きつけ、すぐさま行動不能に陥らせた。

 

「リバウンドフォールまで……? なんていう無茶苦茶な人機なんだ……」

 

 巨大人機が中空を睨み、再び口腔内にエネルギーを充填する。エホバの言う通り、この人機は我が方の味方なのだろうか。疑う視線を向けていると、無数に投下される黒いコンテナを足がかりに、降りてくる一機の人機が視界に入った。

 

「……あれは……どうして。初めて見る人機のはずなのに」

 

 勝手に機体照合がかけられ、敵味方識別が味方の信号を弾き出す。どういう事なのか、と林檎は望遠映像を見やった。

 

 灰色の人機が両手の武器腕を巨大人機へと向ける。両手と肩、そして腹腔から放たれた銃撃が超火力となって巨大人機の頭部を打ち据えた。チャージをやめた巨大人機の頭頂部に飛び乗った灰色の人機が足裏に装備したリバウンドブーツで足蹴にし、背後へと回り込む。

 

 その動きの迷いのなさ、そして勇猛さに林檎は舌を巻いていた。まるで巨大人機を恐れていない立ち振る舞い。一挙手一投足でさえも無駄がない。

 

 背後から実体弾が一斉射を決めたが、それは決定打にはならない。リバウンドフォールの皮膜に阻まれた弾丸を、しかし灰色の人機は回避して見せた。

 

 自身の放った弾丸で襲われるという愚は冒さない。

 

 降り立った灰色の人機へと照合結果がもたらされる。

 

「……コード、《インぺルべイン》。《インぺルべイン》だって?」

 

 ブルブラッドキャリア内にある過去データとの照合に林檎はうろたえていた。《インぺルべイン》は伝説の機体のはずだ。

 

 六年前にブルブラッドキャリアを守るために散った執行者の機体。それと全く同じものが、今自分達の目の前にある。

 

 林檎は《イドラオルガノン》を駆け抜けさせた。確かめなければならないと感じたのだ。

 

 Rトマホークを振るい上げ、識別上《インぺルべイン》とされている機体へと襲いかかる。敵機は武器腕を反転させ、内側から熱波を放つクローで受け止めさせた。リバウンド兵器を実体兵器で受け止めた事も驚愕ならば、次手へと繋げる流麗さえもまた、驚愕。

 

 浴びせ蹴りを受けた瞬間、リバウンドブーツの重力干渉が《イドラオルガノン》を吹き飛ばす。

 

 その一刹那で至近距離まで肉迫した《インぺルべイン》が武器腕をコックピットへと突きつけていた。

 

 完全なる王手。まさかこれほどまでの力量差だとは思いもしない。

 

『……貴女、モリビトの執行者ね? 立ち振る舞いで分かるわ』

 

「何で……お前は誰なんだ……。どうして《インぺルべイン》を……ボクらの希望を振り翳す?」

 

『希望、ね。ちゃんちゃらおかしいわ。これは、ただの兵器よ? 今も昔も同じく。わたくしが動かしていた時も、ね』

 

「お前が動かしていた……? 侮辱するのか! 《インぺルべイン》に乗るのを許されていたのは……、彩芽とか言う操主だけだ!」

 

『だから、わたくしが――その彩芽よ。彩芽・サギサカなのよ』

 

 思わぬ返答にRトマホークを振るい損なう。今、相手は何と言った? 何を口走ったのだ?

 

 相手は嘆息をついて《インぺルべイン》の姿勢を沈めさせる。

 

『どうやら、分からせてあげる必要があるみたいね。それに、ちょっと見てみたい。桃が育て上げた、操主の現状の実力を』

 

「どうして桃姉の事……」

 

 言うや否や、敵機はこちらへと肉薄していた。ファントムだ、と判じた時には、敵人機の銃撃が肩口を融かす。あまりの高火力に人機の関節系が震えた。

 

『喰らい知りなさい。アルベリッヒレイン!』

 

 全砲門が開き、一斉掃射が《イドラオルガノン》を悶絶させる。わざと重要な機関を外した攻撃は、瞬間的に《イドラオルガノン》を無効化するのには充分であった。

 

 まさか、と林檎はダウンしていくシステムを目に、声にする。

 

「一撃で? 一撃でやられたって言うの……? ボクが……」

 

『……期待外れね。これじゃ、あの人機を墜とす事も出来そうにない』

 

 硝煙を棚引かせる腕を払い、《インぺルべイン》が一気に接近する。その溶断クローがコックピットを打ち砕きかけた時であった。

 

 巨大人機が咆哮する。《インぺルべイン》が一旦退き、その声が通信網に響く。

 

『状況は?』

 

『芳しくないですね……。《ブラックロンド》程度じゃ、足止めにも……』

 

『わたくしも参戦するわ。……正式名称《ラストトウジャ》……最後の罪を開いてでも、勝ちを譲らないってわけ。因果なものね。エホバという男も』

 

 林檎はほとんど大破状態の《イドラオルガノン》を項垂れさせる。勝てなかったばかりか、もう戦う価値もなし、と判断された。

 

 その苦味を噛み締める。

 

「……ふざけるなよ。ボクは、負けるために……裏切ったわけじゃない。勝つんだ。もう勝ちしか欲しくない……。だから!」

 

 推進剤を全開に設定し、《イドラオルガノン》が直進する。その先は《インぺルべイン》であった。突撃は成功し、敵機と共にもつれ合う。

 

「このまま……墜とす!」

 

『……見境ないのはこっちも同じってわけね。いい機会だから教えてあげるわ。新しいモリビトの執行者。ブルブラッドキャリアは貴女達の命なんて虫けら以下にしか思っていない。どうとでも替えが利く、戦闘機械だと』

 

「そんな事……ない! 知った風な口を!」

 

『知っているもの。六年前に実感した。わたくしは、捨てられるくらいならばこちらから捨てたのよ』

 

 林檎は相手の声の冷たさにぞっとする。まるで全てを見通しているかのような口調。自分が辿る道筋でさえも相手には分かっているようであった。

 

「だからって! さじを投げていいもんじゃない!」

 

『……そうね。だからこうして抗っている。立派なものだと思うわ』

 

「余裕ぶって! 大人ってみんなそう言う……」

 

『でもね、貴女』

 

 リバウンドブーツの靴底が《イドラオルガノン》を突き飛ばす。一撃であった。一撃で、《イドラオルガノン》の決死の特攻は無駄になった。

 

 無様に背中から転がった機体へと《インぺルべイン》が照準する。

 

『弱過ぎるのよ。何もかも。決意も、力も、意思も。そして何よりも、心が。そんなのでよく、ブルブラッドキャリアを名乗れたわね』

 

 その言葉は林檎の神経を逆撫でするのには充分であった。再び猪突しようと叫んだ林檎へと、武器腕が翻り、たった一発の弾丸を見舞う。

 

 その一発の弾丸が腹部血塊炉を射抜き、完全に機能停止させた。

 

 全システムダウンの警告を目にしつつ、林檎は暗くなっていくコックピットの中で相手の声を聞く。

 

『もっとマシになってから来なさい。そうじゃないと世界に食い殺されるわよ』

 

《インぺルべイン》が飛翔し、巨大人機へと立ち向かっていく。林檎は《イドラオルガノン》のコックピットで呻き、悲痛なる叫びを上げた。

 

 拳でコンソールを殴りつける。

 

「まだ……! ボクは非情に成れていないっていうのか……こんな情け……一番に無様だ」

 

 染み入った敗北に、林檎は咽び泣くばかりであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯301 深淵の強欲

『やるやん。彩芽。ホンマに何者なん? あんた』

 

 問われて彩芽は《インペルベインアヴェンジャー》のコックピットでパネルを操作する。あのモリビトの操主も決して弱いわけではなかった。だが賭けるものが違う。それだけで明確な力の差になる事を分かっていない。

 

「何者でもないわ。ただの情報屋くずれよ」

 

『嘘言わんで、教えてよ。だって今、生きるか死ぬかやん』

 

《ブラックロンド》部隊が銃撃を巨大人機へと間断なく見舞っているが先ほどから致命傷にはならないのは目に見えている。

 

 そもそも、敵の弱点がどこなのか、一瞬の交錯だけでは看破出来なかった。

 

 人機に久しく乗っていなかった功罪か、少し勘が鈍っている節もある。

 

「……六年前なら、あれだけ反芻材料があればもうちょっとマシな戦い方が出来たかもね」

 

 独りごちた彩芽は《インぺルべインアヴェンジャー》の照準を巨大人機に向ける。グリフィスの母艦、《キマイラ》が一隻、破壊されたという報告がもたらされていた。

 

「気をつけなさい! あの高出力リバウンド兵器、艦隊レベルの兵装よ!」

 

『当たらなければええんやろ?』

 

「……そう簡単に行くかしら、ねっ!」

 

 リバウンドブーツで跳躍した彩芽は敵の装甲へと取りついていた。ゼロ距離での攻撃を見舞おうと砲門を開く。

 

「食らいなさい! アルベリッヒ――」

 

 しかし、直前に肌を粟立たせた殺気の波に、リバウンドブーツで蹴りつける。空間を薙いだ巨大人機の手に、冷や水を浴びせられた気分であった。

 

 動きは緩慢だが、一撃の重さは完璧だ。

 

 彩芽はボスへと通信を繋いでいた。

 

「ボス。それに《キマイラ》へ。相手の情報は?」

 

『《インペルベインアヴェンジャー》へ! 敵機の名称が判明しました。敵は《ラストトウジャ》です。参照データはしかし、存在せず……百五十年前に建造されたとしか……』

 

「まさしく前時代の遺物ね。弱点は?」

 

『地下にサブ血塊炉を三十基以上積載していると思われます。内蔵メイン血塊炉は腹部に……』

 

 腹部が膨れ上がっている。あれが弱点、と判じた彩芽は《インぺルべインアヴェンジャー》を跳ね上がらせた。

 

 武器腕で牽制の銃撃を見舞いつつ、その一撃への集中を研ぎ澄ます。

 

《ラストトウジャ》が天へと咆哮した。装甲の継ぎ目から青い光が放出され、接近していた《ブラックロンド》部隊を引き剥がす。

 

『これは……高濃度ブルブラッドか……!』

 

 ブルブラッドの血潮そのものが人機に纏わりついて機体性能を落としている。相手からしてみればその血潮でさえも武器の一つ。

 

「恐るべき人機ね。……だからこそ、ここで墜とす!」

 

 問題なのは、これをエホバが制御する事。今ならばまだ制御前だ。こちらで陥落させれば、エホバ側の戦力を充分に落とせる。

 

 腕を払い、《ラストトウジャ》が吼え立てる。《インぺルべインアヴェンジャー》がリバウンドブーツを起動し、敵人機へとファントムを発動させた。

 

 掻き消えたこちらに相手は狼狽した事だろう。

 

 腹腔へと降り立った《インぺルべインアヴェンジャー》が全砲門を開き、無数の照準を合わせる。

 

「アルベリッヒレイン!」

 

 数多の武装が《ラストトウジャ》の血塊炉へと注がれた。通常ならばこれで装甲が剥がれ落ち、血塊炉が露になるはずであったが、《ラストトウジャ》の弱点は思ったよりもずっと堅牢だ。

 

「……表皮だけか」

 

 血塊炉までは至っていない。もう一度、と引き金を絞りかけて、彩芽はこちらを睥睨する《ラストトウジャ》の視線を関知する。

 

 咄嗟に後退したその時には、《ラストトウジャ》の装甲から青い光が放出されていた。

 

 波打つ光の残滓が浮かび上がり、接近戦を諦めさせる。

 

「あの光の波……受けるだけでもダメージでしょうね」

 

『どうするん? 彩芽! 《ブラックロンド》なんかじゃ……』

 

 敵人機がその手で《ブラックロンド》を掴み上げ、そのまま口へと放り込んだ。牙が《ブラックロンド》を叩き壊し、血塊炉を噛み砕く。

 

 その威容に怯んだ仲間がいたのは窺える。彼らは情報戦には秀でているが人機はからっきしだ。この状況ではいたずらに死者を増やすだけ。

 

 しかし、彩芽には一発逆転の策は思い浮かばなかった。

 

 面倒でもやはり弱点である血塊炉へと再度攻撃を見舞うしか……そう思った矢先であった。

 

『……ねぇ、彩芽。空が……』

 

「空?」

 

 振り仰いだ彩芽の視界に入ったのは虹の皮膜が薄くなる光景であった。あり得ない景色に息を呑む。

 

 何が起こっているのか、と思っている途上で通信が割って入る。

 

『《キマイラ》弐番機より、人機部隊へ! そちらへと巨大な……人機が到達しようとしている』

 

『人機? 嘘やん。どこにも人機なんて見えへんけれど……』

 

 こちらも同じ回答であった。人機の部隊など襲ってくる気配はない。

 

 襲ってくるとすれば、どこから、と視界を巡らせたその時、リバウンドフィールド発生装置の基盤である柱の地盤より砂礫が発生しているのを目にする。

 

 発生装置に何かあったのか、と望遠レンズに切り替えた途端、彩芽は絶句した。

 

「リバウンドフィールド発生装置に……足?」

 

 巨大な節足がリバウンドフィールド発生装置を持ち上げ、こちらへと恐るべき速度で接近してきているのである。

 

『何なん? あれはリバウンドフィールド発生装置やろ!』

 

『いえ……識別コード上……あれも人機として登録されています。識別信号特定! 《グリードトウジャ》……』

 

 彩芽はこれが地獄へと辿る事を一瞬で理解した。残った《ブラックロンド》部隊へと通達する。

 

「下がるわよ! みんな! このままじゃ……まずい!」

 

 何が、という主語を欠いたまま、向かってくるリバウンドフィールド発生装置はこの星で育ったものからすれば悪夢そのものでしかないだろう。

 

 空の虹が変異する中、《ラストトウジャ》が口腔部を開く。

 

 顎が外れ、今にもリバウンドの砲撃が成されようとする中、《グリードトウジャ》と呼ばれた巨大構造物より十字の輝きが瞬いた。

 

 刹那、《ラストトウジャ》の肩口を何かが抉る。余剰衝撃波が大地を震わせ、砂塵が百メートル単位で舞い上がった。

 

 よろめいた形の《ラストトウジャ》の砲撃は明後日の方向を射抜く。

 

 巨大構造物が節足を止め、十キロ以上手前で静止した。否、この距離でも相手からしてみれば至近なのだろう。

 

 思わぬ巨大人機同士のぶつかり合いに誰もが言葉をなくしている。

 

『あのフィールド発生装置には……誰が乗っとるん……?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 喜ぶべきだ、と通信が繋がった。

 

 彼はいつものように応じる。

 

「おう、水無瀬……。何だよ、辛気臭い顔してやがるな……。にしたって、ここはどこだ? 暗くって狭いし……息苦しいな。ああ、煙草くれよ。ブルブラッドの、安物でいい。煙草を……」

 

『ガエル・ローレンツ。わたしはこれを止められなかった。知っていて止めなかったのだと、君は咎めるかもしれないが、それでも仕方なかったのだ。君はレギオンと契約した。正義の味方になると。あの日に。それは誰にも、どうしようもない世界との契約だったのだ。だからこそ、わたしは惜しいと思う。君に、強欲の罪が降りかかった事を』

 

「意味分かんねぇ事言うなよ。なぁ、煙草くれよ。それに……こんな狭苦しくって息苦しいコックピットは初めてだぜ。ナナツーだってもうちょいマシだ。さっきからずっと……呼吸も出来なけりゃ、まともに喋れもしねぇ。なぁ、煙草……」

 

『ガエル。わたしは君を、親友であったと思っている。共犯者である以上に、この六年間、互いに相手の素性を知りながらも世界に抗ってきた……盟友であると。こんな帰結は残念だが、仕方あるまい。エホバの企みと、レギオンの謀略の果てだ。彼らは互いに最もやってはならない事をやった。放ってはいけないものを放ったのだ』

 

「うるせぇな。さっきからずっとうるせぇ。何だ、これ? ……耳元でキンキン何だって言うんだ? オレは! 戦争屋、ガエル・ローレンツだぞ? うるせぇ、って、言ってるんだ!」

 

 振るった拳と同期して放たれた光条が遥か先にいる巨大人機の胸元に突き刺さる。十字の光の矢にガエルは、ハッと気づいた。

 

 周囲を満たす緑色の培養液。自分の手足は既になく、頭脳のみが浮いている地獄絵図を。

 

『ガエル……すまない。そして、さよならだ。君は、晴れて世界に成れた。正義の……味方だ』

 

 その声を聞いた途端、ガエルの精神は瓦解した。咆哮が機体を震わせ、リバウンドフィールド発生装置の壁に埋め込まれた人機が顔を上げる。

 

《モリビトサマエル》の面影を残した機体が、まるで永遠の罰のようにリバウンドフィールド発生装置と一体化していた。

 

 脳内に名称が紡がれる。

 

 ――《グリードトウジャ》。この世全ての富と快楽を求め、喘ぎ、その末に全てを手に入れた強欲の象徴。

 

 リバウンドフィールド発生装置――《グリードトウジャ》が新たにリバウンド矢を番えようとして、敵人機が口腔内にエネルギーを充填し始めた。

 

 放たれる熱量を試算し、その計算結果がすぐにもたらされる。

 

 相手の放った光軸は眼前に張られたリバウンドの皮膜が受け切った。リバウンドフィールド。それも惑星規模の。

 

 鉄壁の防御を手に入れた《グリードトウジャ》が反射攻撃を見舞う。

 

 砲身が柱から出現し、一斉砲撃が敵人機へと突き刺さった。その大火力は艦隊数隻分に相当する。

 

 それだけの火力を浴びせても、敵機はほとんど無傷である。相手も化け物であるのは疑いようもない。

 

 しかし、それを考えるだけの頭脳はもうガエルには残っていなかった。

 

 今はもう、《グリードトウジャ》を支えるただのマシーンインターフェイスとしての権限しか存在せず、人間としての意識の残滓は本当にもう、残りカスのようなものであった。

 

 強欲に呑まれ、男は崩れ落ちる。

 

 尽きぬ欲望だけが、《グリードトウジャ》を動かす原動力。

 

 新たに出現した砲塔と銃身が敵人機へと総火力を浴びせかけた。最早壊す事しか知らぬ暴力の化身がこの世に解き放たれた瞬間であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯302 親愛なる友としての

『《グリードトウジャ》。よくやっている』

 

 レギオンは戦場を俯瞰しつつ、《グリードトウジャ》を使った事を僅かに後悔していた。

 

『あれは切り札であった。なにせ、この星を覆っていたリバウンドフィールド発生装置そのものを人機化するのだ。リスクも大きい』

 

『だが《ラストトウジャ》をまさかエホバが隠し持っていたとはな。あんな辺境コミューンに封印されていたのは想定外であった』

 

《ラストトウジャ》のデータが全員に同期される。百五十年前、一番に封印されたトウジャタイプ。

 

 この世を焼き尽くすと言われた災厄の兵器。

 

『だが《グリードトウジャ》は負けないだろう。あれには血塊炉だけではない、さらに膨大なエネルギーが含まれている。火力負けはしないはずだ』

 

『喜べ、ガエル・シーザー。君は永遠に正義の味方だ。人柱として、この世界を救うのだ』

 

 レギオンのネットワークの中、切り込んできたのは戦場を撤退するモリビトの影であった。

 

『六年前のモリビト01によく似ている。いや、それそのものか』

 

『我々以外にもエホバ打倒を目指す組織があるとはな。だが、全てが遅い。エホバがここで降伏しなければ、《グリードトウジャ》が世界を焼き尽くす』

 

『どちらが生き残っても人類の脅威だ。彼は賢い選択肢を選ぶはずだろう』

 

 エホバが真に人類救済を願うのならばどちらが生き残っても計画にひずみが出るはず。この状況で何も手を打たないわけがない。

 

『さぁ、見せてくれ。エホバ。せめて百五十年生きてきたその足掻きを。永遠に人類を見続ける事を放棄した男の諦めを。我々は天上より、その愚かしき行いを見続けるとしよう』

 

『悲願は叶った。我々レギオンこそが、次なる人類を牽引する。お前もその末席に加わったのだ。光栄だろう? ――水無瀬』

 

 義体の中心地で面を伏せる水無瀬を全員が見据える。

 

『まさかガエル・シーザーに特別な感情を抱いていたわけではあるまいな?』

 

『あれはああなるべくしてなったのだ。罪人には磔刑がお似合いだよ』

 

「……あなた方は罪なるを勝手に作り立て、その末に言うのか。人類は皆、罪人だと」

 

『言葉が過ぎるぞ、水無瀬。罪なる大地を生きるのは人類の宿命なのだ』

 

『左様。彼らは生き地獄を味わい続けなければならない。コミューンの外は完全なる地獄。《ラストトウジャ》が崩れ落ちれば、その内包する血塊炉による汚染はあのコミューンの外をまた染め上げるだろう。人類が棲息出来ない領域がまた増える』

 

『そこに根を張り、罪の果実を造ればよい。ゴルゴダはまた精製出来る』

 

「……ゴルゴダ製造のためならば、仲間でさえも切り売りするのですか」

 

『仲間? 思い違いをするな、水無瀬よ。上意のために、仲間などという帰属意識は不要。我々はこの星を守るために組織された無意識の正義なのだ』

 

『ブルブラッドキャリアなる侵略者を抑え込まなければ意味はない。アンヘルも、アムニスも、それにあのエホバでさえも、我らからすれば平和への礎、材料なのだよ。世界を平定するのに、犠牲はつき物だ』

 

「犠牲……、今までの平和の殻を捨て、人間に何に成れというのですか? 何に……成り下がれと言いたいのですか」

 

『水無瀬よ。その肉の躯体にも飽きてきたのではないか?』

 

『義体には空きがある。加えるための手はずを整えよう』

 

「結構ですとも。わたしは、……調停者という確かに、人間ではない存在です。ですが! 心までは捨てた覚えはない!」

 

 その言葉にレギオンから哄笑が上がる。久しく嗤う事を忘れていた者達が上げた笑い声が地下空間に木霊した。

 

『水無瀬、貴様、まさか心と言ったか? この期に及んで心と?』

 

『笑わせてくれる。心なんて不確定な代物、我らには必要なし』

 

『それは脳が捉える電子信号だ。神経が作用する麻薬の一種だよ。ヒトはまやかしで生きている。義体に潜ればよく分かるとも。脳の作り出す幻想。それをいつでも甘受出来るというのがどれほど素晴らしいか』

 

「あなた方は、人間でいるのに飽きただけだ。それを傲慢と! 怠惰だと! 誰も言わなかっただけの話! 罪はあなた達の中にある!」

 

『言葉を慎め。ここは天の座。常世を見つめ続けるのが我々レギオンだ』

 

「天の座? こんな場所が? 笑わせる、ここはただの地の底だ! そしてそんな場所に隠れ潜む事しか出来ない、あなた方は! とんでもない卑怯者だ!」

 

『水無瀬よ、その怒りという感情に身を任せ、永遠を否定するか? それは愚かだぞ?』

 

『一時の怒りなど意味を持たぬ。肉体の縛りを今こそ捨てるのだ』

 

「冗談を言わないでいただきたい。人間は! 肉体があるからこそ美しい! ガエルもそうであった! 彼も、人間であるがゆえに美しかった! 正義でも、悪でもないんだ。人間は、生きているから素晴らしいんだ!」

 

『水無瀬よ、堕ちた考えだ、どこまでも。下らぬ考えに身を浸し、俗世の正義感を振り翳す。まさかそこまで度し難いとは思いも寄らない』

 

「どうです、かねっ!」

 

 水無瀬が懐に手を入れる。

 

 その瞬間、照準したタレットの銃口が水無瀬の心臓を射抜いていた。彼はそのまま仰向けに倒れる。

 

『愚かしい、どこまでも愚かしいな、水無瀬。何に成りたかったんだ? お前は』

 

「わたし、は……」

 

 その手にあるものが拳銃でないのを、レギオンは確認する。

 

『煙草のパッケージだと?』

 

 水無瀬が懐から取り出した煙草の箱が鮮血に濡れていく。彼は、乾いた笑いを上げた。

 

「わたしは……彼と生きていて幸福であった。元々、調停者としては失格であったわたしに……生きる意味を見出させてくれた。だから、ガエル。君に与えよう。安寧を……。ああ、だが、クソッ。煙草を、くれてやりたかったとも。最後の一服を、君と……」

 

 水無瀬が瞼を閉じる。その刹那、情報がこのソドムから流出したのを関知した。

 

『しまった……! こいつ、人間型端末としての能力を!』

 

 すぐさまタレットがその頭蓋を撃ち砕き、血潮が舞う。完全に死した水無瀬はそれでも煙草のパッケージだけは手離さなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯303 【アエシュマ・デーヴァ】

「……水無瀬。そうか。君は最後の最後に、その道を選んだか」

 

 エホバは面を上げ、この空域の人々へと通達する。異質なるトウジャ同士の戦いは戦火を押し広げ、コミューンを半壊させていた。恐らくは、コミューンにいた反乱軍は《ラストトウジャ》の暴走で死に絶えただろう。

 

 現状、こちら側の戦力は限られた。

 

「レジーナ。全部隊をこの場所から撤退させてくれ。攻略法が見えた」

 

『本当だろうな? これ以上兵力を減らすわけにはいかないんだ』

 

「分かっている。もう、誰も死なせない。約束しよう」

 

 これ以上、死なせてなるものか。エホバは水無瀬より得た情報を基に、《グリードトウジャ》のデータを反芻させる。

 

「聞こえるか、カイル。《グリードトウジャ》を破壊するのには君の能力が不可欠だ。レギオンは……世界はこの場所を百年、いやもっと長く、人の棲めない場所に変貌させようとしている。全ては君が吸い込んだ悪しき力――ゴルゴダの量産のために」

 

『……この力が、また繰り返されると?』

 

「そうだ。だからここで終わらせる。今の《グラトニートウジャフリークス》ならば、二機のトウジャを破壊出来るはずだ。それと、もう一つ。《グリードトウジャ》の操主……と呼べるのか分からないが、コアユニットに搭載されているのは……ガエル・シーザーだ」

 

 因縁の名前に何を感じたのだろう。カイルは言葉少なであった。

 

『そう、か。……いずれにせよ、割って入った相手をどうする?』

 

「不明機に関しては放置していい。今最もまずいのは、レギオンの目論見通りに事が進む事。《グリードトウジャ》で《ラストトウジャ》と相討ちにさせ、この大地を汚染する。そうなってしまえば相手の思うつぼだ」

 

『了解した。《グラトニートウジャフリークス》、二機のトウジャタイプを殲滅する』

 

 割って入った《グラトニートウジャフリークス》が《ラストトウジャ》に砲門を向ける。《ラストトウジャ》が口腔部にエネルギーを凝縮させた。

 

 その一撃と、《グラトニートウジャフリークス》の放った光軸がぶつかり合う。干渉波のスパークが散り、周囲を染め上げた。

 

「……世界はこうも残酷か。ゆえにこそ、止めねばならない。誰かがこの世界を。転がりだした石を」

 

 エホバは脱出用の人機が収容されている格納庫へと足を進めていた。

 

 自分の人機。この世界を見限った時にのみ、必要とされるもの。

 

 照明に照らし出された機体は三つ目のアイサイトを持っている。忌まわしき機体の意匠を引き継いだ、最後の審判をもたらす人機。

 

「《モリビトクォヴァディス》。ヒトはどこへ行き、どこへ向かうのか、それを見届けるために」

 

 エホバは《クォヴァディス》に乗り込み、生態認証を起動させる。エホバ、神の座のみ許された認証を突破し、クォヴァディスが眼窩を煌かせた。

 

 背面に格納された六枚の翼を広げ、《クォヴァディス》は飛翔する。コミューンの天蓋を突き抜け、飛翔高度の《フェネクス》へと接触した。

 

「状況を」

 

『芳しくないな。《イドラオルガノン》がやられた。あの人機……』

 

 睨み据えたのは六年前に出現したモリビト01と同じタイプであった。

 

「……因縁か。あのモリビトは無視していい。《ラストトウジャ》と《グリードトウジャ》は相打つつもりだ。巻き込まれれば我々とて終わる。今は残存戦力を合流させて撤退。それが先決だろう」

 

『だが……どこに撤退すると?』

 

「《グリードトウジャ》の出現により、僕の構築したプラネットシェルに歪が生まれた。今ならば宇宙へ行くのは容易のはず。我々はこのままブルブラッドキャリア本隊へと攻め込むためにここは一度後退する」

 

『……もう、戻れないのだな』

 

「ああ。ミキタカ君は?」

 

『林檎は今、《エンヴィートウジャ》に乗り換えて……』

 

 その時、識別信号が放たれた。コミューンよりオレンジ色の装甲を持つトウジャが飛翔する。《エンヴィートウジャ》は解き放たれたばかりとは思えない瑞々しさを伴わせている。

 

《フェネクス》の肩に触れた《エンヴィートウジャ》から接触回線が開く。

 

『……ゴメン。《イドラオルガノン》は……』

 

『今はいい。いずれにせよ、撤退戦になる。残存戦力を伴わせて全機、この空域を離脱! 通達する!』

 

 レジーナの声にバーゴイルや生き残った人機達が一斉に移動を始める。その行く手を《ブラックロンド》部隊が遮った。

 

『行かせる思てるん? あんたら、ここが死地や!』

 

《ブラックロンド》の銃撃がバーゴイルとナナツーを怯ませる。その隙をついて接近した《ブラックロンド》は刀で血塊炉を切り裂いた。

 

『あいつ……』

 

《エンヴィートウジャ》が戦場に割って入り、敵機の刃を止める。《エンヴィートウジャ》の特徴的な鉤爪が刀を素手で受け止めさせていた。

 

『何者や! あんた!』

 

『ボクは……林檎、林檎・ミキタカだ! 《エンヴィートウジャ》!』

 

《エンヴィートウジャ》が《ブラックロンド》へと肉迫し、蹴りを浴びせる。相手は後退しつつ銃撃するも、《エンヴィートウジャ》の機動性が遥かに勝っている。懐に潜り込んだ機体が《ブラックロンド》の胸元を殴りつけ、さらに返した拳でその頭部を打ち据えた。

 

 震えた敵機を《エンヴィートウジャ》が袖口より発射したクナイで絡め取る。そのまま力任せに振り回した。《ブラックロンド》が反撃の銃弾を浴びせるも、《エンヴィートウジャ》はさらに素早く、直上へと至る。

 

 右腕に装備されたパイルバンカーが《ブラックロンド》の頭部コックピットを貫いた。

 

 そのまま仰向けになる形で倒れた《ブラックロンド》が爆発に包まれる。

 

『散りな! 半端な操主やとやられるで!』

 

 響き渡った声に《エンヴィートウジャ》が疾駆する。《ブラックロンド》二機をワイヤーで絡めてから、膂力で吹き飛ばしそのまま空中で二機をぶつけ合わせた。鋼鉄の装甲が叩きのめされ、そのまま落下したのを《エンヴィートウジャ》が一機、また一機とコックピットを叩き潰していく。

 

『化け物め……』

 

 忌々しげに放たれた声音にレジーナが意図せずこぼしていた。

 

『あれは……ハイアルファーの加護を?』

 

「いや、ほとんど受けていないだろうね。《エンヴィートウジャ》の本来のハイアルファーはあんなもんじゃない。あれはミキタカ君が自分の力だけで動かしているんだ」

 

 それにしても、モリビトに乗っていた時とはまるで相性が違う。《エンヴィートウジャ》が彼女に馴染んでいるのか、あるいは林檎自身が……。

 

『退きな! うちらがここでは不利になっとる!』

 

 戦局から、《ブラックロンド》部隊が撤退に入っていく。パイルバンカーを引き抜いた《エンヴィートウジャ》がそれを睨んだ。

 

『逃がさない……』

 

『林檎、今は退く! それが正し戦略だ!』

 

 レジーナに諭され、《エンヴィートウジャ》より戦意が凪いでいった。

 

『……了解』

 

 飛翔した《エンヴィートウジャ》が同高度に達したのを確認し、エホバは《クォヴァディス》の機能を発揮させる。

 

「空間転移する! 射程内のフィールドに入ってくれ」

 

 地軸計算のキーボードと座標計算式を打ち込み、クォヴァディス周辺の空間が歪んでいく。

 

《ラストトウジャ》がこちらへと狙いをつけようと首を振ったが、その横合いから《グリードトウジャ》の光の矢が突き刺さった。

 

《ラストトウジャ》の表皮が裂け、その傷を無数のチューブが縫合する。

 

『エホバ! カイルがまだ……!』

 

 レジーナの声にエホバは頭を振る。

 

「彼には残ってもらう」

 

『……犠牲になるというのか! カイル!』

 

『行って欲しい。これは……僕の戦いだ』

 

 自分も彼を残すのは心苦しい。だが、彼が戦わずして誰がこの場所の汚染を止めるというのだ。

 

 最早、自分はただ前だけを見ていればいいのではないのだ。

 

 全てを見通した上で決断を下さなければならない。

 

《ブラックロンド》が銃撃を見舞う。クォヴァディスを保護して数機のバーゴイルとナナツーが応戦した。

 

「みんな!」

 

『任せますぜ……! 生き残るべき責務って奴を!』

 

『俺達は元々、無頼の輩だからよ。ここで生かすべきは……未来!』

 

 ナナツーとバーゴイルが《ブラックロンド》を抑え込む。エホバは最終跳躍計算を終えた。

 

 空間が歪み、虹色の光が押し包む。皮膜が残存戦力を囲い、空間転移の前段階に入った。

 

「……ハイアルファー、【アエシュマ・デーヴァ】起動。これより、二十八機の人機と共にこの空間より離脱する。……さらばだ。カイル」

 

『ああ。いい出会いであった』

 

 瞬間、クォヴァディスを含む人機はこの場所より別の亜空間へと移動していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯304 アポカリプス

 後悔がなかったわけではない。だが、もう懺悔している場合でもない。

 

 それらは捨て去った遺物だ。もう、人間であった証明など自分にはない。いや、そもそも人間であったのか。それすらも判然としない闇の中。カイルは面を上げた。

 

 同期した《グラトニートウジャフリークス》が片腕を上げて光軸を放つ。

 

《ラストトウジャ》へと命中しかけて、青い皮膜が邪魔をした。

 

「やはり……リバウンドフィールド。それに……」

 

 次は《グリードトウジャ》に、同じ光線をぶつける。だが、こちらも虹の皮膜が遮断する。

 

「……両方か。だが、この《グラトニートウジャフリークス》と、カイル・シーザーは! ただ闇雲に時間を浪費したわけではないぞ!」

 

《ラストトウジャ》が口腔部を開く。その瞬間、《グラトニートウジャフリークス》は推進剤を焚いた。

 

 重力下ではあり得ないほどの速度を得た機体が《ラストトウジャ》の直上を取る。

 

「エネルギーでは、こっちは負け知らずだ!」

 

 ゴルゴダの無限に近いエネルギーの補助を受けた《グラトニートウジャフリークス》には貧血の心配はない。無尽蔵に取り出せるエネルギーを糧にその顎の腕を《ラストトウジャ》へと振り翳した。

 

 払った腕と共に光軸が一射される。

 

《ラストトウジャ》が皮膜を張るが、容易くその防御を突き崩した。貫通した一撃が《ラストトウジャ》の弱点たる腹部へと至る。

 

 それでも、まだ焼き切れない。

 

 やはり防御は堅牢。カイルは次なる手を打とうとして、数多の照準警告に顔を上げた。

 

《グリードトウジャ》より出現した百を超える砲門が《グラトニートウジャフリークス》を狙い澄ます。

 

 後退用の推進剤を激しく焚いて回避し、応戦の一撃を放とうとして、《ラストトウジャ》の払った手に機体を煽られた。

 

 大地へと機体が衝突する。バランサーが異常を来たしたが、カイルは手動で補正した。補正値を振っている間、《グラトニートウジャフリークス》は無力となる。

 

 その弱点を理解したように、《グリードトウジャ》の砲撃が見舞われた。激震するコックピットの中でカイルは声にする。

 

「……ガエル・シーザー。ここで決着をつける。何もかもを、その因果でさえも、……だから僕は!」

 

 砲撃が反射され、《グリードトウジャ》へと突き刺さった。

 

 リバウンドの皮膜が《グラトニートウジャフリークス》を覆い、その機体を宙へと浮かせる。

 

「……Rトリガーフィールド、開放。そして!」

 

 顎の腕を突き上げ、砲門を弾き出す。放出されたリバウンドの光軸が《グリードトウジャ》の装甲を破った。

 

 連鎖爆発を起こす《グリードトウジャ》が爆発をせき止めるために、起爆装甲を起動させ、一部を剥離させる。

 

「その程度では終わらないってわけか。……いいとも。お前達を諸共破壊するのには、これでは足りないのならば!」

 

《ラストトウジャ》が手を払う。《グラトニートウジャフリークス》は、腕を払ってリバウンドの力場を針のように尖らせる。突き刺さったリバウンド力場に《ラストトウジャ》がうろたえたのも一瞬。

 

 放出された反射皮膜の能力が《ラストトウジャ》の手をバラバラに砕いていた。

 

「Rトリガーフィールドは触れるだけでも充分に脅威。それだけではない。貴様らを倒すのに、これこそ最大の毒だろう」

 

《ラストトウジャ》が口腔部にエネルギーを充填する。それと同じくして《グリードトウジャ》が光の矢を番えた。両者共に、この人機を狙っている。

 

 それこそが――最大の狙いであった。

 

「ハイアルファー、起動。【バアル・ゼブル】!」

 

 放たれたリバウンドの光条と、光の矢が《グラトニートウジャフリークス》を塵芥に還したかに思われた。だが、着弾点で光が連鎖し、その青い装甲を染め上げる。

 

 青い毒が沁み込んでいた《グラトニートウジャフリークス》は新たなる進化を得ていた。それは二つの巨大なリバウンドエネルギーのもたらした奇跡か。あるいは神のいたずらか。ハイアルファー人機である《グラトニートウジャフリークス》の機体が憤怒の赤に変異する。

 

「名付けるのならば、これはさしずめ、《グラトニートウジャアポカリプス》! 最後の審判を受けろ! 地獄の同朋達よ!」

 

《アポカリプス》の放ったのは赤い砲撃であった。その一射だけで《ラストトウジャ》の半身が吹き飛ぶ。《グリードトウジャ》の光の矢を吸収し、力としたのである。反対に、《グリードトウジャ》に向けて放たれたのはリバウンドを凝縮した光条であった。

 

「リバウンドブラスター、恐ろしい威力の兵器だ。だが、これは。もう僕の力だ」

 

 ハイアルファー【バアル・ゼブル】は全てのエネルギー兵器を有象無象に関係なく、吸収し、自らのものとする。

 

 対価は――。

 

「……持ってくれよ。僕の身体」

 

 別の生物へと変換するハイアルファーはこの時、許容限界を超えていたらしい。肉体に亀裂が走り、次々と壊死していく。

 

 これが【バアル・ゼブル】の末路。罪なるものを使い続けた、災厄の果て。

 

「それでも……僕は誇りたい。誇っていいのだと、教えてくれた。ああ、……ベル。君の言う通りだったとも。物語は!」

 

《アポカリプス》が高出力リバウンド兵装で固め、《グリードトウジャ》へと一射した。

 

 敵は防御皮膜を張ったが、それは即座に貫通される。爆発の光が連鎖したが、敵機は部分剥離で防衛しようとする。

 

 しかし、そう何度も同じ戦術が通用するものか。

 

 瞬時に肉迫してみせた《アポカリプス》が砲撃を浴びせつつ、その柱を駆け抜ける。

 

 四方八方から砲撃が浴びせかけられたが、Rトリガーフィールドの皮膜を部分的に構築し、攻撃を全て防御する。

 

 即座の対応と、咄嗟の機転。培われた操主技術の全てをぶつけるつもりであった。

 

 グラトニートウジャが機体各部よりリバウンドの力場を放出し、《アポカリプス》を振り落とそうとする。

 

《アポカリプス》はその足裏の爪を《グリードトウジャ》に食い込ませた。そのまま基部を焼き払っていく。

 

 砲撃で柱の一部が倒壊した。落下地点には《ラストトウジャ》が位置している。このまま相討ちを狙えるか、と感じたカイルは背後に殺気を予見する。

 

《アポカリプス》が羽根を畳み、柱を蹴りつけた。

 

 その位置へと、《ラストトウジャ》のリバウンドブラスターが放たれる。

 

《グリードトウジャ》が各所より誘爆し、その機体は最早瓦解寸前であった。

 

 しかし、それは《ラストトウジャ》も同じ。

 

 倒壊した柱に巻き込まれ、《ラストトウジャ》が呻き声を上げる。

 

「……そうだとも、物語は、自分で紡がなければ意味がないのだと。そのために、僕は飛ぼう!」

 

 推進剤を全開に設定し、その質量ごと《ラストトウジャ》へと突っ込んだ。敵は掌で防御するも、そのがら空きの手へと砲身を当てる。

 

「隙だらけだ!」

 

 その刹那、掌に無数の循環チューブが出現した。触手のようにうねり、《アポカリプス》を拘束する。

 

「そんな小手先で! 《アポカリプス》!」

 

 全身から迸らせた青い余剰衝撃波がチューブの拘束を振り解いた。この身にはまだゴルゴダの加護がある。ブルブラッドの毒を受けた相手の手が腐敗した。

 

 その隙を見逃さず、砲撃で手を両断する。

 

 煤けた風が逆巻き、青い血潮が迸った。《アポカリプス》がその傷口を抜け、《ラストトウジャ》へと接近する。

 

 再び充填しようとした《ラストトウジャ》の顎を、その巨大な腕が打ち据えた。まずは小手先のアッパー。さらに、払った腕が顎を粉砕する。

 

《ラストトウジャ》の眼窩へと《アポカリプス》は砲口を向けた。これでとどめになるはず。

 

 そう感じた矢先、接触域に声が漏れ聞こえてきた。

 

『……憎い。憎い、何もかもが……。大人達が憎い、妹達を殺した奴らが憎い。この世界を犯し尽くしてもまだ、足りないほどに。《ラストトウジャ》……お前は俺だ。俺はお前なんだ。だから、これは、盟約に記された……禁断の融合』

 

《ラストトウジャ》の基部が脈打った。地面と繋がっている部位が激しく蠢動し、無数のケーブルが弾き出される。

 

 その中にはブルブラッドの青に染まったものも多く散見された。

 

「そうか……。こいつ、あのメイン血塊炉だけじゃない。地下にサブ血塊炉を無数に飼っている」

 

 ――今までの攻撃がもし「メイン血塊炉」のみによる攻撃であったのならば。

 

 そして、今まさに、その封印が解かれ、サブ血塊炉との融合が果たされたのならば。

 

 その出力値は……と、カイルが面を上げた瞬間、《ラストトウジャ》のX字の眼窩が押し広げられ、破砕した。

 

 内側から現れたのは、巨大なる単眼。

 

 生物的な意匠を持つ一つ目が《アポカリプス》を睨む。

 

 禁断のトウジャが口腔を開いた。

 

 チャージなど、ましてやその予備動作もない。

 

 瞬間的な炎熱の光軸が《アポカリプス》を押し包んでいた。灼熱に全身からアラートが発生する。

 

 咄嗟にRトリガーフィールドとゴルゴダの鎧で防いだものの、防ぎ切れなかった部分も存在した。

 

 警告が鳴り響く。黒く煤けた《アポカリプス》の装甲へと、《ラストトウジャ》が先ほど焼き払った半身を構築させた。

 

 チューブがくねり、脈打ち、それらが渾然一体となって融合を果たす。

 

 十秒にも満たない間に、粉砕したはずの半身が復活していた。血塊炉の力を取り込んだ腕を相手が翳す。

 

 掌には無数の眼球。

 

 それらから一斉に、リバウンドの光条が放たれた。

 

《アポカリプス》の堅牢なはずの装甲が焼き切られ、一部の光線は内部の重要部位を射抜いたのか、赤い警告ポップアップが眼前に現れた。

 

「……まだ、だ。《グラトニートウジャアポカリプス》……。まだ、お前は……!」

 

 ここでは死ねない。死ぬわけにはいかないはず。

 

 二つの災厄を前に、自分は任されたのだ。

 

 この戦場を。ここで宿命は手打ちにすると。

 

 ならば、成すべき事は一つだけのはず。

 

「……僕は、お前達二人を、ここで倒す」

 

 ハイアルファーの起動係数が上昇する。身体へと入った亀裂から血潮が舞った。それでもいいと、思えたのだ。

 

 全身を引き千切られたかのような激痛が走る。身体と機械との境目が消えて行き、次第に人機と自分が溶けていく。

 

「喰らえよ。《グラトニートウジャアポカリプス》。僕を喰え。喰って、喰って、満腹になったら……目の前の敵を、断罪しろ!」

 

 無数の循環ケーブルがコックピットに潜入する。それらが身体を覆った瞬間、カイルは丹田より叫んでいた。

 

「《グラトニートウジャアポカリプス》! カイル・シーザー。最後の戦いへと――行く!」

 

 閾値を越えた推進剤が瞬間的な速度を生み出した。爆発力は《ラストトウジャ》を上回る。

 

 顎の腕でそのまま、《ラストトウジャ》の顔面へと打撃を見舞った。激震に震えた敵が手でこちらを掴み上げる。

 

 内側から焼くリバウンドの網を受けたが、もうここで終わると決めた身。今さらそのようなもの……。

 

「痛くも痒くも……ないっ!」

 

《アポカリプス》が膂力だけで相手の手を振り解き、その指先を引き千切った。上昇し、《アポカリプス》は戦場を俯瞰出来る高度まで達しようとする。

 

 雲間を超え、リバウンドの虹の天蓋近くまで。

 

 この星を見下ろせる位置まで来たところで、カイルはハイアルファーの性能を最大現に発揮した。

 

「Rトリガー……フィールド!」

 

 戦場を包み込んだのはリバウンドの防御陣である。半円のリバウンド皮膜が戦地を覆っていた。

 

 戦火も、生き死にも、何もかもを慰撫する虹色の輝き。そして、全てを無に帰す禁断の囁きでもある。

 

《グリードトウジャ》も、《ラストトウジャ》も等しく射線内にあった。

 

 逃げ遅れたであろう《ブラックロンド》部隊も。

 

 カイルは静かに声にしていた。

 

 既に手は操縦桿と一体化し、肉体は機械部品に侵食されている。

 

 亀裂の入った片目を開き、その奥に宿る黄金の瞳を、カイルは確かに開いていた。

 

 瞬間、《アポカリプス》の装甲は再び青く染まった。青白い機体が膨張し、血塊炉が異常発達する。

 

 通信回線が声を拾い上げていた。

 

『……殺す。俺は……、この世界が、何もかもが……憎い。どうして奪われなければならない。どうして、奪わなければならない。こんなものは間違っている。間違っているのなら、壊さないと……』

 

「……僕もそう思っていた。今にして思えば、驕り昂っていたのかもしれない。ヒトの身で断罪し、壊すなんて、それは在ってはならないんだ。ヒトは、罪を直視し、その上で向き合わなければならない。殺したものも、生かしたものも等しく。だからガエル……いいや、叔父さん。僕と一緒に、来てください」

 

 どうして、今際の際にその呼び名を使う気になれたのだろう。憎んでいた、殺したいほどに。何度も何度もやり直しを夢見た。

 

 それでもなお……自分が焦がれた人はやはり、偽りであってもガエル・シーザーなのだ。それが意味のない張りぼてでも、あの時のガエルこそが、自分の精神的な支えであった。

 

 無視して壊すのは簡単だ。本当に大事なのは、認めてどうするのかという事。

 

「……僕は、あの時の自分の無力さも含めて、愛したい。そうでなければ……こんな姿に成り下がった僕を愛してくれた人に、申し訳が立たないから。だからこれは……」

 

 片手と同化した操縦桿に指先がかかる。引き金を、その指が絞った。

 

「僕の罪だ」

 

 直後、青い閃光が辺り一面を焼き払う。

 

 取り込んだゴルゴダの限定使用。それもRトリガーフィールドの内部では際限なく、ゴルゴダの熱気が放出される。いわば逃げ場のない籠で何度も地獄の業火に焼かれるのと同義。

 

《ラストトウジャ》が自己再生しようとするが、その直後からさらなる灼熱が装甲を融かした。《グリードトウジャ》が柱に備えた武装を次々と破砕させる。

 

 爆発の光が幾重にも瞬き、カイルはこの罪の檻の中で、死ぬまで焼かれる罪人達を思った。

 

 彼らとて戦場に生き、戦場に死ぬだけが人生ではなかったはずだ。

 

 それを自分はこの場所で、尊厳を全て奪い去って殺し尽くしている。

 

 ――虐殺であった。

 

 この世に存在したと言う証明さえも完全に滅却するほどの。

ゴルゴダを吸収した装甲から青い光が削げ落ちていく。ゴルゴダの能力を使い尽くしたのだ。

 

《グラトニートウジャアポカリプス》は、最早人機とは呼べない形状をしていた。

 

部分部分の異常発達と、細分化により、機体が分解寸前にまで変形している。

 

最後の一粒になったカイルがRトリガーフィールドを解除した。

 

青い地獄に焼かれた地平を眺め、その合間に降り立つ。

 

《ラストトウジャ》は黒々とした影を地面に焼き付けて完全に沈黙している。

 

《グリードトウジャ》は、というと、柱はほぼ全壊しているものの一部機能が生きているようであった。

 

「……まだ、死んでいない」

 

 機体を引きずりかけて、その時、不意に足首を掴まれる。

 

 地面から現れたのは、全身がケーブルで構築された《ラストトウジャ》であった。

 

 操主が生きているはずもないのに、《ラストトウジャ》はミミズのようにのたうつ循環チューブだけでまだ息を保っている。

 

「……殺し尽くすしか」

 

 そう判じて腕を振るおうとしたが直後、背面を攻撃が見舞った。

 

 まだ、《グリードトウジャ》も生きている。最後の防衛装備であろうが、倒し切れていないのは致命的であった。

 

《ラストトウジャ》が大口を開け、《アポカリプス》を噛み砕く。内部は人機の中とは思えないほど生物のようにくねっていた。

 

 牙が《アポカリプス》の装甲を砕き、コックピットが溶解液で溶かされていく。カイルはフッと、笑みを刻んでいた。

 

「……何だ。だったらもう、僕は生きていたって」

 

 ここに来て諦めがついた、というべきか。否、どこかで期待していたのもある。

 

 エホバに招かれた時、自分は自暴自棄であった。ゴルゴダによって信じていた何もかもを失い、世界を壊すと豪語した。

 

 だが――彼はさらなる憎悪を抱いていた。

 

 人類そのものへの憎悪。その深い憎しみは人間の歳月で語るのもおこがましいほどに。

 

 人間を見続けるべきシステムが、人間を恨んだ時、それは終幕への秒読みとなるのか。それとも、始まりだとでも言うのだろうか。

 

 エホバは言葉少なに、自分を説得した。

 

 ――世界を、諦めていないのならば。

 

 どこかで取り返しがつくのだと。どこかで、また新しい出会いが自分を強くするのだと願えるのは今を生きる人間だけ。

 

 エホバはそうではなかった。

 

 もう、「今」などどうでもいい。彼からしてみれば、悠然と前に在る未来と、これまで踏破してきた過去は同義。

 

 どちらも等しく、罰せられるべきもの。

 

 ならば、自分はどちらかを見据えたいと、この力を預ける事にした。

 

 未来があるのか。それとも、これまでの結果論でしか、ヒトの罪は語れないのか。

 

「……信じたかった。信じたかったんだ。エホバが現れれば、人類はまた、一つになれるって。でも、その結果がこれじゃ、彼も落胆する。……僕も疲れた」

 

 牙が装甲を打ち砕き、血塊炉が内側から弾ける。カイルは脳内で念じた。ハイアルファー【バアル・ゼブル】はこんな時でも、正常に起動した。

 

 その投射表示に、カイルは問いかける。

 

「やれるな?」

 

 応じたのか、どうなのかそれは分からない。投射画面が消えると同時に、秒読みが表示される。

 

 たったの五秒。それでも永遠と思える五秒間。

 

 カイルはほとんど意味を成さないリニアシートにもたれかかった。

 

 この生に意味はあったのだろうか。この戦いに、意味はあったのだろうか。

 

 何もかも不明のまま、死んでいくのかと思った刹那、青い光がコックピットの中で光を宿す。

 

 瞬く間にそれは少女の形を成した。

 

 最後の最後、ハイアルファーの見せた幻影か。あるいはそれが本当に、ずっと自分を見守っていたのかは分からない。

 

 ただ――最後にもう一度、出会えた。

 

「……ああ、神は最も僕を、後悔させる」

 

 手を伸ばした少女に、カイルは肉体から浮き出た魂の手で、それを手に取っていた。

 

 少女は微笑み、問いかける。

 

 ――あなたのお名前は?

 

 ああ。君に、本当の名前を告げる事が出来て、どれほどに幸福だろう。カイルは己の名前を、誇りを持って口にしていた。

 

「――カイル。カイル・シーザー」

 

 在ってはならない邂逅。在ってはならない出会いだったのかもしれない。それでも、この運命のいたずらに、感謝したい。

 

 そうでなければ、人生は随分と……つまらないものであっただろうから。

 

「……ああ。悪くなかったな。そう思うでしょう? 叔父さん」

 

 直後、《アポカリプス》の内蔵血塊炉に火が通り、《ラストトウジャ》を内側から粉砕した。

 

 爆発の光に抱かれて《ラストトウジャ》の頭部が吹き飛ぶ。

 

 その爆発は《ラストトウジャ》だけではない。《グリードトウジャ》にも及び、最後に残っていた防衛装置を破壊した。

 

 防衛装置を全て失った《グリードトウジャ》が内側から全機能停止を伝達する。

 

 巨大な柱と、青く染まった大地に抱かれて、この場における生命は全て、静謐の只中で永い眠りについた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯305 その背中に

「……どうした。茉莉花。手が止まっているけれど」

 

 タキザワの指摘に茉莉花は困惑した様子であった。その目から涙が伝い落ちたからだ。

 

「何かあったのか?」

 

 うろたえ気味に尋ねると、彼女は頭を振る。

 

「ううん……何でも。ただ、吾を含む人間型端末は同期されているから。……一人の感情が他の躯体に影響を及ぼす事もある」

 

 ならば誰の涙であったのか。問いかける術を持たず、タキザワは現状を眺めていた。

 

 否、見つめ続ける事しか出来ない。

 

 二機の人機。二人の操主の意地のぶつかり合いを。

 

 タカフミの《ジーク》が何度も剣を軋らせ、必殺の間合いを放つも相手も心得たように同じ剣筋で応じる。

 

 決着のつかない戦闘は、もう十分を超えようとしていた。

 

「対人機戦で、十分以上も戦って……」

 

「異常よね。あの人機も、タカフミとか言う、あの仕官も。《ジーク》だったかしら。ほとんど使いこなしている。そりゃ、《スロウストウジャ是式》と一部駆動系は同じよ? でも、ほとんどがこちらの既存パーツに置き換わっているのに、この実力は」

 

「相当なものだ。タカフミとかいう仕官はここで死なせるのには惜しい」

 

「同意だけれど、誰が踏み込める? あの戦場……、踏み込めばそれこそ決定的な間違いを犯す。どちらかの隙が突けるとすれば、その時ね」

 

「……援護も意味がないって言うのか」

 

 しかしこのままでは間断のない争いを繰り返すばかり。せめて艦砲射撃を、と思いかけたタキザワは整備班の諌める声を聞いていた。

 

「駄目だって! 《カエルムロンド》は……」

 

「出せないって? じゃあ何のために! わたしはアイザワを放っておけない!」

 

 出撃しようとする瑞葉を、タキザワが止めようと駆け抜けた。

 

「待ちなって! 今の二機は拮抗状態だ! どっちかの隙がそのまま勝ち負けに直結する! 分かるだろう? 操主なら」

 

「それでも……。クロナならばこんなの、見て見ぬ振りはしない」

 

「そりゃ、鉄菜なら、ね。でも、君は鉄菜じゃないだろう!」

 

 叫んだ我が身も大人気なかったが、彼女が行ったところで足枷になるのは目に見えている。だからこその言葉だったのだが、瑞葉は語気を強めた。

 

「だったら……、だったらわたしは! クロナに顔向け出来ない! 誓ったんだ。もう一人のわたし……同じ眼をしているのなら、助けたいって! ……クロナは心が分からないと言っていた。でも、もう彼女は持っている! それを……自分で分かっていないだけの話で……、わたしもかつてはそうだった。心なんて、そんな不確かなものはないんだって、言い聞かせていたんだ。でも! 知った。心は! そんな小難しい理屈じゃないんだって……。こうやって、アイザワを思うだけで胸が締め付けられる……、そういうシンプルなものなのだって!」

 

「落ち着けって! 心の在り処がどうだとか、そういう哲学、僕は専門じゃない。分からないさ。でもここで出れば、無用な死人が出るのは分かる。それだけは!」

 

 必死に止める言葉を見つけようとした。しかし、思わぬ言葉が茉莉花から出る。

 

「いいわ。出させなさい」

 

「茉莉花……彼女に死ねと……?」

 

『推奨出来ないな。それはこちらも同じだ。死にに行くようなもの』

 

「それでも行くんでしょ。そういう眼、ここに来てから何度見てきたか……。その眼になった奴に何を言っても無駄よ。出ずに後悔するよりかは、出させて後悔させたほうがいい」

 

「死ぬんだぞ! 分かっているのか!」

 

 声を荒らげたタキザワに瑞葉は首を横に振る。

 

「死ぬつもりはない。いつだって、クロナもそうだった。あいつは……死ぬつもりなんてない、生きて帰るって約束したんだ。今だって……」

 

 鉄菜の安否は不明。《モリビトルナティック》の落着を阻止した事だけしか分からない。宇宙と地上に隔てられた二人の心はしかし、繋がっている。

 

 どれほどの距離があっても、どれほどにお互いの状態が分からなくとも関係がない。彼女らの信頼は、彼女らだけのもの。

 

 だから、自分が口を挟むのも、本来どうかしている。

 

「……参ったな。鉄菜を止める言葉を、僕は多く持たないんだ」

 

「《カエルムロンド》で出る。タキザワ……ありがとう。止めてくれて」

 

「よせよ。僕は臆病者なんだ。だから死にに行く人間を見ると、……止めるくらいしか出来ない。張り手も、怒鳴る事も、全部怖いだけさ」

 

「それでも。わたしをこの艦のクルーとして見てくれている。それに感謝する」

 

《カエルムロンド》に向けて駆け出した瑞葉の背中に、タキザワは在りし日の鉄菜を幻視していた。

 

 彼女もいつだって振り返らなかった。走り出したら、ずっと猛進だ。

 

「……そういう背中を、送り出すしか出来ないって言うのは、辛いね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 司令官は感じ入ったようにUDの戦いぶりを眼にしているようであった。恐らくは彼の貫く武道の道に中てられた者の一人なのだろう。

 

「……リックベイ少佐。あの太刀筋……素晴らしいとは思わないですか。彼は成長した。見事なまでに結実したのです」

 

 しかし、リックベイの胸中は凪いだように静かであった。どうしてだか、教え子の刀を直視出来ない。それどころか、こんな戦い今すぐにやめるべきだと言いたかった。

 

 ――何故ならば相手は。

 

「……剣筋だけで分かってしまうのも、考えものだな」

 

「少佐? あれがUD……死なずの男ですよ! ああ、なんと……なんとその魂の燃え行く姿、煌びやかな炎のように……! 少佐、自分は彼の正体を知っております。知っていて、彼に投資したのです」

 

 思わぬ告白にリックベイは困惑した。ブリッジには自分と司令官しかいない。だからこそ、口火を切ったのかもしれなかったが。

 

「……知っていて、か。それはどういう酔狂で」

 

「酔狂? 少佐、あれを見てくださいよ。刃一つ一つに、彩が宿っている。あれそのものが! 精緻な芸術品なのですよ。まさか、芸術品に金を惜しまない人間の気心が知れないなど、そのような野暮は申しますまい。自分は、あれに魅せられた! 彼の苛烈なる生き方に! 彼の眼差しはいつもそうだ! 先ばかり見ている! 前しか見ていない。後ろには何もないのだと知っている瞳だ! 過去も、未来もない! 眼前の敵を屠る、それのみの純然たる兵士! 美しいとは、思いませんか! 少佐!」

 

 なるほど。敵を葬るだけの兵士。敵を殺すだけの、殺戮機械。それに美しさを見出す。分からない価値観でもない。だが――。

 

「……醜悪な」

 

 覚えず出ていたのはそのような侮蔑であった。まさか自分からそのような言葉が返ってくるとは思っていなかったのだろう。司令官は襟元を整える。

 

「……失礼。醜悪と、聞こえましたが」

 

「その通りに言ったんだ。わたしは、あれの今の在り方に、美しいなど微塵にも思えん。確かに、弱点は克服した、そのように見えるだろうが見せかけだ。UD……アンデッドなどという名前に胡坐を掻き、その命が尽きぬのを恥とも思わぬ無頼の輩。六年前の、後先を考えぬ危うさに、僅かに垣間見えた光とは違う。あれはただの怨念。ただの殺戮者だ。それを美しいなど、到底思えん」

 

「……少佐。美意識の違いでしたら、自分は飲み込みますよ。歴戦の猛者だ、あなたは。だから、見えているものが違っても構わない。ですが、彼は努力した。鍛え上げ、研がれ、極まってここにいるのです。それをどうして醜悪などとのたまえましょう。彼の鍛錬を、その血の滲むような今までの積み重ね、無駄だと断じれるので?」

 

「それは美しいだろうさ。だがな、それに美しさを見出すのは己だ。彼はもう、誰かのために戦っているわけでもなければ、本当にモリビトへの恩讐で戦っているわけでもない。彼を突き動かすのは純粋なる戦意……言ってしまえば殺意のみ。殺しを一と考え、生存を二と考えるものは兵士とは呼ばない。けだものだ」

 

 結んだリックベイに司令官はふんを鼻を鳴らす。

 

「……確かに、少佐は美しいものを見てきてこられたでしょう。ですが、ここは腐ってもアンヘル。そして彼は、そこに身を置く事を決めた猛者なのです。軽んじるような言葉は慎んでいただきたい」

 

「無論、誰の戦いも軽んじられるものではないさ。だがな、己の放った不実がこうしてぶつかり合う。それを醜悪と呼ばずして、何と呼ぶ?」

 

 零式抜刀術。自分が美しいのだと、極めたものはここに来て殺人剣術と化し、二人の愛弟子が殺し合うただの道具と成り下がった。

 

 今さら美しいだと、他の言葉で飾り立てても仕方ないのは分かっている。分かっているのだが、理性がそれを拒む。

 

 二人は全くの正反対というわけでもない。むしろ、道さえ違えば互いにそうなっていたであろう、似通った存在だ。

 

 だからこそ、今の相手の立ち位置が許せないはず。自分の鏡像を見ているようで。自分の成り損ないを見ているようで。

 

 彼らは互いに互いを否定する。

 

 否定しなければならないのだ。今の自分が間違っていないという証明には、相手の立ち位置をこれでもかというばかりに叩きのめすしかない。

 

 そこに、美学などあるものか。相手を許すまじとする争いの剣術は、もうそれは銃弾とさして変わりはしない。

 

 零式抜刀術などと格好つけたところで、戦地に持ち込まれれば一番に殺しの道具になる。

 

 彼らは自分よりそれを引き継いだ、忌むべき因子。

 

 零式同士の戦いなど、一番あってはならないはずなのに。それをアンヘルの士官達に見せつけているのも、自分には心苦しい。

 

《イザナギ》が下段の刃を弾き返し、振るい上げた一閃を敵人機が防御する。

 

 永遠に勝負がつかない打ち合いだ。相手の二手先まで読めるように零式は出来ている。それに、UDの乗り込んだ機体、あれは特別製と聞いた。

 

 その証拠のように彼の戦い振りに遥かに馴染んでいる。近接戦闘用人機を自分だけの時代だと感じていたのはやはり認識不足であったと思わざる得ない。

 

《イザナギ》が剣を払う。それを敵機は刀身で受け流し、一閃を浴びせかけた。しかし、《イザナギ》はそれすら読んで機体を仰け反らせ、無理な姿勢から刃を走らせる。

 

 下段よりの突き上げ。通常ならば避けようもないその一撃を、敵人機は予見し、応戦の剣閃を見舞う。

 

「惜しいっ!」

 

 司令官を名乗るこの男もとんだ食わせ者だ。恐らく彼はUDの戦いに敬意を表している。その武人としての在り方に憧れさえも。しかし、そんなものは見せかけ、こけおどし。彼が汚れ仕事を率先している現実を見ないようにしたいだけの仮初めに過ぎない。

 

 アンヘル連中はこの戦いをどう見るのだろう。自分以外、傍目には拮抗状態の人機戦に見えているのだろうか。それとも《イザナギ》の性能試験か。いずれにせよ、この戦い、外部要因がなければ決着もつくまい。リックベイは身を翻していた。

 

「待ってくださいよ、少佐。一体どこへ? この戦いを、見守るのが師の責務では?」

 

「残念だが、わたしと君の価値観はそこで食い違うらしいな。こんなもの……ただの喰い合いだ。人と人の戦いではない」

 

「サムライを! 期待しているのですか。……ここはただの戦場ですよ」

 

 そう、期待していた。どのような場所であれ、末端であれサムライはいるのだと。心の中に武士の志を持てば、サムライにはなれるのだと。

 

 だが、それが甘かった。自分は結果的に二人の憎しみ合いを増長させたのみ。

 

 ここは止めるのが筋であろう。

 

「待機している人機で出る。どのような機体でも構わない」

 

「……仰っている意味がお分かりで? UDは素晴らしい! 素晴らしい逸材だ。あれこそがモリビトを殺す……真のシビトですよ!」

 

「モリビトを殺す、か。皮肉なものだ。そう願った男の戦い振りにしては、あれはあまりにも……」

 

「あなたがどこまで戦いを崇高に飾ろうと勝手です。ですが《イザナギ》に、せめて傷をつけるような真似はやめてくださいよ、みっともない。あれは新型機なんですから」

 

 堕ちた指導者よりも今を切り拓く新型か。その在り方に間違いも挟めない。

 

 己が口惜しい。リックベイは踏み出してブリッジを出ていた。

 

 すぐ傍の壁を殴りつける。

 

「……UD、それにアイザワ少尉……君らを殺し合わせるのは忍びないのだ。わたしは……そんな事のために戦士を二人も野に放ったわけではない」

 

 ゆえにこそ、これは自分にしかそそげぬ罪悪。リックベイは格納庫へと急いでいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯306 戦士、舞い降りる

「何でだよ!」

 

 振るった刃が虚空を裂く。対応した剣筋を直前で受け止めて、タカフミは吼えていた。

 

「どうしてだ! お前の願った零式は! 少佐はこんな結末なんて望んじゃいなかった!」

 

『それはお互い様だ。お前だって、少佐を裏切った。恩に仇を返したんだ!』

 

 相手の呼気と共に一閃が払われる。薙ぎ払った刃が火花を散らせた。

 

「……そうかもな。でもよ、守るべきものは自分で決めろって、それは少佐の口癖だった。おれは! 守るべきものを見つけた! それだけだ!」

 

《ジーク》が実体剣で《イザナギ》の懐へと潜り込む。近接距離からの血塊炉を打ち砕く一撃は、しかし、直前に咲いた《イザナギ》の抜刀術に阻まれた。

 

『零式抜刀術……伍の陣』

 

「燕返し……、お前ぇっ!」

 

 射程外からの反転した一撃を《ジーク》は後退用の推進剤を焚かせて逃れようとするも、《イザナギ》のほうが遥かに機動力では上を行っている。

 

 上方を取られ、舌打ち混じりに軌道修正しようとしたが《イザナギ》は機体ごと蹴りを見舞ってきた。重さのかかった両足蹴りで《ジーク》が海面激突すれすれまで追い込まれる。

 

 海面で波を蒸発させて滑りつつ、《ジーク》の刃を突き上げようとした。その突きを読んだ敵が軽業師めいた動きで間合いを回避した。

 

 ――やはり読まれている。

 

 それも当然と言えば当然。同じ師より授かった戦闘術で雌雄を決する事は不可能だ。互いに力量はほぼ同じ。ならば、この戦いを左右する要因は大きく二つ。

 

 一つは、機体性能。だが、相手もまだ《イザナギ》という新型機を使いこなせていない。その部分が優位に働いている。

 

 もう一つは、外的要因。

 

 既に十分間、互いに援護砲撃すらない。

 

 両者共に様子見の状態が続いている以上、ここで発生する外的要因は、恐らく足枷になる。

 

 それを待って、というほど悠長でもない。タカフミは《ジーク》の剣先を《イザナギ》へと向けていた。

 

「……極めるぞ。桐哉ァッ!」

 

『捨てた名で吼えるな! 今はUDだ!』

 

 互いの声が相乗する。

 

「零式抜刀術!」

 

『奥義!』

 

 敵の刃が銀閃を帯びた。この攻撃は相手の首を刈る一撃必殺の太刀。無論、自分の防御など度外視している。どちらかが決まれば、どちらかが倒れるのは必至。

 

 互いに軋った剣術がとどめの一撃を打ち込もうと極まった。

 

 その瞬間である。

 

 二人の通信網を、声が震わせた。

 

『UD!』

 

『アイザワ!』

 

 艦隊司令部より一機のバーゴイルがこちらへと急接近してくる。しかし、それよりもタカフミにはもう一つの声へと振り返っていた。

 

「嘘、だろ……瑞葉……?」

 

 どうして。瑞葉の《カエルムロンド》が真っ直ぐにこちらへと向かってくるのだ。

 

 疑問を挟むより先に動いたのはUDであった。相手は硬直した《ジーク》を押し退け、真っ直ぐに《カエルムロンド》へと駆け抜ける。

 

 まさか、とタカフミが息を呑んだ。

 

「やめろ! 桐哉! そこには瑞葉が……!」

 

『ブルブラッドキャリア、世界の敵! 葬るは我に在り!』

 

《イザナギ》の剣術が《カエルムロンド》の片腕を引き裂いた。さらに一閃が走り、アサルトライフルを寸断する。

 

 瑞葉が空を掻いた腕を払った剣筋が斬りさばいた。

 

 どこまでも無慈悲に。どこまでも冷徹に。

 

 零式抜刀術が、今、自分の大切な人を奪おうとしている。

 

 受け継いだはずだ。志も、精神も、その全てを。

 

 だというのに、こんな場所で。こんなところで潰えるというのか。

 

 自分の戦う理由。自分の愛した人の命一つ守れずに。

 

「させるかァッ!」

 

《ジーク》がプレッシャーライフルを一射する。その攻撃が《イザナギ》の肩口に突き刺さった。よろめいたのも一瞬、《イザナギ》が最後の一閃を放とうとする。

 

「逃げろ! 瑞葉!」

 

《カエルムロンド》は完全に射程に入っている。相手方のバーゴイルから声が迸った。

 

『やめるんだ! UD! 戻れなくなるぞ!』

 

『俺は……もう戻れなくとも構わない。もう、その資格はない!』

 

 刃が《カエルムロンド》を断つべく振るい上げられた。

 

《カエルムロンド》より、声が迸る。

 

『こんな……こんな奴が……。すまない、クロナ……!』

 

 全ての決定は遅過ぎた。全ての行動は意味を成さなかった。全て、何もかも、狂ってしまった。誰が狂わせたのか、誰が掛け違えたのかそんな問題は分からない。

 

 ただ、散っていくのはいつだって、気づいた時には大切だったものばかりで――。

 

《ジーク》が指を伸ばす。タカフミも手を伸ばしていた。

 

 ――届かない。それは分かっている。それでも……。

 

「守りたいじゃないか……。だって……」

 

 ようやく、自分の心に従えたのに。

 

 悔恨を噛み締めた、その刹那、銀色の稲光が戦場を引き裂いた。

 

 何が起こったのか、まるで分からない。何もかも不明瞭な戦場で、最後の太刀筋が銀翼の機体に受け止められたのをタカフミは確かに目にしていた。

 

 機体は焼け爛れ、空間が熱波に歪んでいる。その只中で、輝きを放つもの。銀翼を拡張し、その手が太刀を掴み上げる。

 

 緑色の眼窩が光を宿した。決意の双眸が憎悪の眼差しと交錯する。

 

『……《モリビトシンス》……』

 

「……まさか、あれが」

 

『ようやく会えたな……、我が怨敵』

 

 それぞれの思いが巡る中で、銀と青のモリビトが掴んだ太刀を灼熱の腕で握り潰していた。

 

『クロナっ!』

 

《カエルムロンド》が武器を放る。

 

 即座にそれを掴み、刃を振るったモリビトの一撃を、《イザナギ》は腰より提げたもう一刀で遮っていた。

 

『……感謝すべきかな。ここで! 降りてきてくれた事を!』

 

『……黙っていろ。私は、破壊する。こんな世界を、破壊して――そうして、作り直せばいいっ!』

 

 弾き返した一閃の鋭さにタカフミは絶句していた。UDの操る《イザナギ》が後退する。その速度に勝るとも劣らない勢いでモリビトが剣筋を打ち下ろした。

 

《イザナギ》が防御陣でその太刀へと返答する。モリビトの膂力があまりにも強大なためか、《カエルムロンド》の太刀が崩壊した。

 

『剣のない武士など!』

 

《イザナギ》の胴を割る一撃を、モリビトは砕けた刃の切っ先のみを掴んで受け止める。

 

 一進一退の攻防、さらに言えばギリギリの一線で戦い抜いている。

 

 これがモリビトか、とタカフミは圧倒されていた。

 

《カエルムロンド》へと寄り添い、接触回線を響かせる。

 

「無茶をして……」

 

『でも、……来てくれた。クロナが……』

 

「あれが、クロナ、とか言う……。あんなものが……」

 

『クロ! 武器をレールガンで射出する!』

 

《ゴフェル》甲板部より響いた声に、モリビトがきりもみながら《イザナギ》と超至近距離戦に持ち込んでいた。

 

 鋼鉄同士がぶつかり合い、互いの頭部がかち合う。

 

『武器を失ってもまだやるか! モリビトよ!』

 

『うるさいぞ、お前。私は、……こんな感情久しぶりだな。そうだな、これを形容するのならば、機嫌が悪い、というべきか』

 

『今の鉄菜に障らないほうがいい。やらなくていい負傷をするぞ』

 

 外部から聞こえてきた声に、何者かが同乗しているのだと悟る。レールガンで海面を突っ切ってきたのは一振りの剣であった。それを、モリビトは相対速度を合わせてその手に掴む。

 

『……止められたな。何故、何もしない』

 

『恥辱。武器も持たぬ相手とし合うほど、落ちぶれてはいない』

 

『……ゴロウから聞いた。たくさんの偶然が重なったお陰で、私は降りてこられた。だが、たくさんの命が散ったのだとも。私は、許さない。戦いのみで壊す事ばかり、そんなお前達を――真の破壊者である私が、断罪する!』

 

 突きつけた刃にUDはせせら笑う。

 

『真の破壊者だと? 驕るのもよし! そうでなくては、我が宿敵の甲斐はないからな。だが、破壊者が何に成れる? 何にも成れまい、虚無を生み出し続けるだけの、破壊者は、俺と同じ。壊すしか道がないのだ!』

 

『違う! 私が壊すのはその因果、地上に人を縛り付けている、罪そのものだ。私が討つべきは、その罪にあった!』

 

『罪を憎んで何とやら、という奴か。だがモリビトよ。もう戻れぬ場所まで来ているのはお互い様よ。俺も、お前も! 戻る事は断じて許されない! 数多の魂が告げる。この行く末に待っているのは、真なる死地のみだと!』

 

『お前は破壊するだけだ。エホバも諦めた。だが、私は諦めない! エクステンド、チャージ!』

 

 黄金に染まったモリビトが神速の太刀筋を払う。確実に《イザナギ》を叩き割ったかに思われたその一閃は何もない空を裂いたのみであった。

 

 黄金のモリビトが一瞬、硬直する。

 

「……《イザナギ》が、消えた?」

 

『違う! 上だ!』

 

 瑞葉の叫びにモリビトが反転して応戦する。一瞬にして直上を取った《イザナギ》は黄金の光を携えていた。

 

 その輝き、見間違えようがない。

 

「……あのモリビトと、同じ光だって?」

 

『お前……まさか!』

 

『我々がいつまでも遅れを取ると思うな。もたらされたのだ、禁断の箱の底に眠る力が!』

 

 燐光を棚引かせて、二機が重力下とは思えぬ挙動で瞬間的に加速し、それぞれの刃を交し合う。

 

 一撃一撃が相手を葬る威力でありながら、どちらも打ち損ねているようであった。

 

「……まさか、連邦側に、ブルブラッドキャリアの技術が」

 

『……クロナ』

 

 茫然自失のタカフミへと、バーゴイルが接近する。《ジーク》を前に出させ、《カエルムロンド》を下がらせた。

 

「何だって言うんだ……、来るなら来いってんだ!」

 

『違う……。いや、君は……その声、まさか、アイザワ少尉か』

 

 繋がった回線越しの声音にタカフミは言葉を失った。

 

「まさか……少佐?」

 

 だがどうしてリックベイが? 彼は自分達の責を負って処刑されたはずでは? 堂々巡りの思考の中、《イザナギ》がモリビトを叩き落した。

 

 モリビトは随分と消耗しているらしい。煤けた機体に、焼け落ちた装甲。どれもこれも、新型機と打ち合えるようには出来ていない。

 

 タカフミは決断を迫られていた。

 

 ここでモリビトに味方すれば、まず間違いなく、連邦、ひいてはアンヘルより敵視される。

 

 だが、ここで決意せねば男が廃る。

 

『……少佐。おれ、アンヘルに残れません。残れませんよ。だって、決めたんですから。どんな事があっても守り抜くって決めた人の前で、逃げたくないですもん』

 

『アイザワ少尉……』

 

「それにっ! おれは大尉です! まぁ、軍籍なんて今さら! 行くぜ、《ジーク》! 桐哉の野郎を止めるぞ!」

 

《ジーク》を飛翔させ《イザナギ》を追う。モリビトへととどめを刺そうとした一閃を、《ジーク》は受け止めていた。

 

 しかし、その高推力と過負荷に間接が悲鳴を上げる。駆動系が瞬時に連鎖崩壊を起こした。

 

『……お前は』

 

「クロナなんだろ? 瑞葉をずっと、守ってくれたって言う。だったら! 借りは返すぜ! 使えぇっ!」

 

 片腕の挙動系を全て解除し、《イザナギ》の太刀で右腕が四散する。それと共に解き放たれていた。

 

 自分が使っていた実体剣。それを、モリビトが今――その手に掴む。

 

「預けるって言うのはよ、ガラじゃないんだがな」

 

『退けェッ!』

 

《イザナギ》の風圧が《ジーク》を吹き飛ばす。その時には、モリビトと《イザナギ》が再び刃を得てぶつかっていた。

 

 モリビトは実体剣を両手で保持し、切っ先を上げる。黄金に染まった《イザナギ》がX字の眼窩で睨んだ。

 

『何だと言うのだ。剣が変わった程度で、その剣術まで変わるものか!』

 

 奔った《イザナギ》の剣筋をモリビトは動作せず、そのまま受け止める。行き過ぎた《イザナギ》が一撃の確信に刃を払った。

 

 その途端、モリビトの胴より青い血が迸る。

 

 しかし、それは相手もであった。《イザナギ》の肩口が砕け、左腕が落ちていた。

 

『動かずして、我が奥義を砕く? しかしそれは……まさか、それは……!』

 

『無念無想、全てを断ち切る剣の極み』

 

 実体剣を翳したモリビトに、UDが猛り狂う。

 

『あり得ない……否! あり得てはいけないのだ!』

 

 辻風のように突撃した《イザナギ》をモリビトは刃で応戦する。

 

 互いの機体から黄金の輝きが失せた。

 

《イザナギ》が即座に反転し、距離を取る。

 

『限界、か……。帰投用のエネルギーくらいは温存しよう。しかして、リックベイ少佐。まさかそちらに与するので?』

 

 接触回線を繋いでいたバーゴイルが惜しむように離れていく。その姿に《ジーク》に手を伸ばさせた。

 

「待って! 待ってください! 少佐ぁっ!」

 

『アイザワ少尉。まだ、君らの味方は出来ん。それが、わたしの選んだ……贖罪の道なのだ』

 

「でも、来てくれるんでしょう! いつかは!」

 

『……分かり合えれば、いいな』

 

 その言葉を潮にしてバーゴイルと《イザナギ》が反転する。こちらも損耗がきついのは分かり切っている。その背中に追いすがる愚は冒さなかった。

 

 それでも、とタカフミはコンソールを殴りつける。

 

「どうしてっ! どうして、こんなに近くにいたのに……分かり合えないんだ! 人って奴は!」

 

 叫びはそのまま、この状況への当て所ない苛立ちとなって、空間に霧散する。

 

 先ほどまで戦闘していたモリビトが同じ高度に達した。

 

 見れば見るほどに、その機体には戦闘継続などどだい絶望的なほどの消耗がある。

 

『茉莉花に繋いでくれ。タキザワにも。……状況を一旦、整理したい』

 

『よく帰ってきてくれたわね、鉄菜。私達も……今を一旦整理するのには情報交換が必要みたい』

 

『共に、か。……ミズハ、そいつは』

 

『アイザワだ。わたしの……特別な人間だ』

 

「恥じ入ってなくってもよ。タカフミ・アイザワ。アンヘルの仕官だった。何度も……戦ったクチさ」

 

『アンヘルの……』

 

 直後、その機体が殺気を帯びた。凪いでいた敵意がまたしても生じる。

 

 突きつけられた実体剣に、タカフミはうろたえた。

 

「おいおい! その剣を渡したのはおれだろ? 恩人を斬るのかよ!」

 

『……ミズハ。こいつは』

 

『信用してくれていい。わたしも信頼している』

 

『……ならば、ここでは斬らない』

 

「物分りよくなってくれよ、お前ら……」

 

 呆れ返りつつ、仕舞われた殺気と剣筋にタカフミは《ゴフェル》へと振り返る。

 

 この戦いを見守っていた舟は静かに接近していた。

 

『鉄菜? 聞こえているわね? 《モリビトシンス》、随分と派手に壊したじゃない。エクステンドディバイダーを限界まで使ったせいね。《クリオネルディバイダー》がほとんど意味ないわよ』

 

『作り直して欲しい。今のままでは、勝てない』

 

『簡単に言ってくれちゃって。いいわ。降りてらっしゃい。あ、それと』

 

 付け加えられた文末に疑問符が宿る。

 

『何だ? 文句は後で聞く』

 

『いいえ。おかえりなさい。鉄菜』

 

 思わぬ返しだったのだろう。暫時の沈黙を挟み、鉄菜は応じていた。

 

『……ただいま、というのか。そうか、これが……ただいま、か』

 

 まるで、何もかもが欠如しているような言い草である。タカフミは《ゴフェル》の甲板部へと《ジーク》を落ち着けさせていた。

 

 すぐに出払った整備班が怒声を飛ばす。

 

「まぁーた、こんなに壊して! 新型造ってもすぐにおじゃんだ!」

 

 その声を聞きつつ、タカフミは手を引いていた《カエルムロンド》に視線をやっていた。

 

「……あんな真似すんなよ。死ぬところだった」

 

『すまない。だが、見ていられなかった。あのトウジャに乗っているのは……戦いの癖で分かる……ずっとこの舟を追い回していた操主だ。モリビトに恨みを持っている』

 

「恨み、ねぇ。恨みつらみはあるもんだ。戦場ならどこだって、な」

 

 だが、それがこんなにも因果な戦いを生み出したなど信じたくはなかった。同じ零式抜刀術を継いだ者。いわばもう一人の自分――。

 

 掌を眺めていたタカフミは、それを握り締めていた。

 

「……桐哉。お前はそうだって言うのかよ。だったら、おれは……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯307 それは迷いなき……

「あり得へんって! あんな化け物!」

 

 喚いた声に、《キマイラ》のブリッジは物々しい空気に包まれていた。

 

 投射画面には完全に生命の途絶えた領域が映し出されている。エホバを捕らえようとして、自分達が罠にかかったのでは洒落にならない。彩芽も操主服のまま、腕を組む。

 

「エホバはあそこに、あんな……トウジャタイプがいるってのを読んでいた。奇襲を受けても逃げ切れると」

 

 実際に相手は逃げおおせた。確認した画素の粗い映像には新たなシルエットを持つ人機が瞬時に空間から大部隊を掻き消したのが何度も再生されている。

 

「空間跳躍……まさか! ワープなんて出来るわけが……」

 

「出来るのよ。あの人機にはね。化け物じみたトウジャが眠っていたんだもの。それを知っているエホバは叡智を隠し持っていたっておかしくはないわ」

 

 苦渋に滲んだ仲間達の顔には失った命の重さが垣間見える。しかし、自分達とてその命を弄ぶ商人。情報という武器で、どれだけでも命をやりくりする。それを今、まざまざと見せつけられて皆が被害者面をするのはどこかまかり間違っている気がした。

 

「試算してみましたが……あの人機はあれだけの部隊を抱えて、どこに跳躍したのかは全くと言っていいほど不明……。こちらがもらっているバベルのリソースでは追い切れませんよ」

 

「完全なるバベルがない、うちらなんて虫けらやって言いたいんか? あのエホバは……」

 

「完全なるバベルは今、どの陣営にもないわ。レギオンの持つバベルは沈黙し、エホバのものになった。……でも、あの柱はレギオンの遣いでしょうね。まさかリバウンドフィールドを構築する柱がそのまま人機になるなんて思いも寄らなかったけれど」

 

 あるいは、それも計算ずくでの、惑星計画であったのか。元老院時代から仕組まれてきた事なのだとすれば頷けなくもない。

 

「あんなもん……反則やろ。何人死んだ思てるん……!」

 

「反則でも勝てば官軍、負ければその程度よ。今の情勢、最終的な勝ち星さえ拾えればどこの陣営にも軍配が上がる」

 

「最終的に勝つんは、うちらグリフィスやって……!」

 

「もちろん、そのつもりで動いているわ。そうよね? ボス」

 

 問いかけた彩芽の声にボスが音声のみで応じる。

 

『その通り。我々の本懐は情報戦術。戦いは、あのコミューンに手数がないと判じてのものだった』

 

「でも……化け物出されて、負けたのはうちらやんか……!」

 

『それは認識の齟齬だろう。むしろ、ある意味では作戦成功と言えるだろうからね』

 

「作戦成功……? ボス、仲間の命を何やと――」

 

「あの場での最大功績は! エホバの炙り出し、その戦力を使い潰させる事。一発で消耗出来るのなら相手はそんな戦力で惑星を取りにかかっているわけない。わたくし達の戦いはエホバの弱点を露呈させる事にあった」

 

「弱点……、そんなもののために、みんな死んだんか。まだ入って間もない連中もいたんやぞ! 彩芽! あんた、鬼にでも……、悪魔にでもなったつもりか!」

 

「そうよ」

 

 思わぬ返答だったのだろう。相手がうろたえたのが伝わった。

 

「何、を……」

 

「今さらじゃない。わたくしは戦局次第では鬼にも悪魔にもなる。あの戦いで一機、モリビトタイプを撃墜した。これは大きな戦果だと思うけれど。それに、トウジャ二機……いや、エホバの持つ鬼札、《グラトニートウジャフリークス》も含めれば三機、一気に削れた。これで残った戦力はもう少ないはず。あとは、詰みを相手に予感させる事」

 

「詰み……? 詰んどるんは、うちらのほうやろ! 《キマイラ》が一機、墜ちたんやぞ! 分かっとんの!」

 

「分かっているわ。でも相手は《キマイラ》を全て撃墜出来なかった。その時点で、優位に傾いている。わたくし達のデータベースは今、惑星全域を見張る眼に等しい。レギオンが使っているバベルは所詮、ブルブラッドキャリアの払い下げ。だったら、情報戦術で六年も沈黙を守ってきたわたくし達のほうが分はあると考えていいわ。敵にしたいのは何もエホバだけじゃない。レギオン、ブルブラッドキャリア本隊、離反兵……アンヘル。いいえ、もう連邦に併合されるでしょうね。アンヘルは先の戦闘で随分と戦力をすり減らした。このままブルブラッドキャリアに仕掛けるのにはあまりに力不足。何かしら手を打ってくるとすれば……」

 

 コール音が響き渡る。ボスは繋がれたコールを全域に発布した。

 

『はい。こちらの首尾は上々に』

 

『本当に……秘匿回線なのだろうな? 我々の立ち位置が後で変わっていたでは遅いのだぞ……!』

 

『ご心配なく。して、用件は』

 

『……アンヘルはブルブラッドキャリアとの決戦、及びブルーガーデン跡地からの何らかの兵器による影響により、半数以上が負傷、それに出せる人機もない。畢竟、事実上の解散状態にまで追い込まれている。アンヘルが法であったのはもう夢幻だと、そういう事だよ。兵力はC連邦へと帰属し、このまま連邦艦隊と共に、海上のブルブラッドキャリア、それに味方するラヴァーズ艦を叩く。しかし……こういう事には大義名分が必要だ。今、議会は混迷していてね。議決承認を待っていれば、敵は逃げてしまう。それは避けたいのだよ。分かるね?』

 

『ええ、充分に。敵を縫い止め、ブルブラッドキャリアの艦をあわよくば轟沈、ですかな? オーダーは』

 

『……頼むよ。極秘に、ね。君達グリフィスに繋がっていたのだとばれれば失脚だ。わたしだけではないさ。他の議員も芋づる式に。連邦は速やかに事態を収束すべく動いた、という事実さえ残ればいい』

 

『ええ、ではそのように致しましょう。ブルブラッドキャリアへと鉄槌を』

 

『もう切るが……我が方としてはこれから先の十年、二十年を見据えての判断だ。エホバとの戦いは長丁場になるという見方もある。あれは世界そのものだからな。だがブルブラッドキャリアは、……膿は潰しておきたいのが人情だ。世界の悪意と向き合う前に、侵略者を放逐する』

 

 通話が切られ、ブリッジ全員が呆然とする。

 

『これが、世界の有り様だ』

 

 ボスの言葉に誰も声を振り絞る気概さえ湧かないようであった。世界そのものが、もう舵を取り違えている。誰が矯正するのか、それは自分達の双肩にかかっていた。

 

 彩芽は歩み出て言いやる。

 

「ブルブラッドキャリアの艦を落とす。それに、争いが起こればエホバだって黙っていられないはず。焦りはあると思うわ。もうアジトも焼き払われた。逃げ場なんてどこにもないのよ。この惑星から出るとすれば、まだ望みはあるでしょうけれど、エホバの目的はあくまで、この星の意見を変える事。ブルブラッドキャリア殲滅は考えの外のはず」

 

「それも……希望的観測やん」

 

「そうよ。希望的観測。しちゃいけない? わたくし達はブルブラッドキャリアを何としても、阻まなければならない。エホバとの諍いは星の人々に任せても問題ないはず。これは、彼らの問題なのよ」

 

 自分の因縁をそそぐためにも、ここは地上勢にエホバ討伐へと向かってもらわなければならない。その最中に、ラヴァーズとブルブラッドキャリアは潰しておきたい。

 

 全員が鉛を呑んだように静まり返る。

 

 その只中でボスが声にした。

 

『……宇宙駐在軍との連携が取れそうだ。彼らは形式上はアンヘルだがほとんどゾル国陣営で占められている。このC連邦瓦解のシナリオは彼らにとっての千載一遇のチャンスのはず。一強国家を薙ぎ払い、ゾル国復権をちらつかせれば食いつかないわけもないだろう』

 

「宇宙駐在軍……、宇宙の奴らなんて」

 

「信用出来ない? 案外、星の中で周りを見渡しているよりかはマシかもしれないわよ? いずれにせよ、エホバは追う。その情報をこちらは依然として協力関係にある人々へと発信。グリフィスのスタンスは変わらないわ。わたくし達はその眼で、全てを見通すのよ」

 

 この発言に感銘を受ける人間はいるだろうか。彩芽はブリッジを見渡してから、レーダー班の声を聞いていた。

 

「《キマイラ》弐番機、信号を受信。エホバの使用したモリビトタイプの出現位置を特定しました」

 

 その言葉に全員が色めき立つ。

 

「どこへ? どこへ出るんや! あいつは!」

 

「待ってくださいよ……。これ……嘘だろ、相手の出現位置は現状、アンヘル艦隊司令部、及びC連邦艦隊が集中する海域! ブルブラッドキャリアとの戦闘の真っ只中ですよ……」

 

 まさか、と絶句した一同に比して彩芽はやはり、と考えていた。

 

 エホバはそれほど長丁場にする気はない。世界との決着も、そしてブルブラッドキャリアとの因縁も早々につけるつもりだ。世界の思惑に比して、幾星霜の時を生きてきた人間はすぐにでも手を打ちたい様子。

 

 彼からしてみれば、どれだけでも待ち続けてきたのに、絶望を突きつけられた、その一事なのだろう。禍根の芽は早くに摘みたいのは分からないでもない。

 

「……艦を海域方面へ」

 

 彩芽の指令に針路を取る構成員が声を荒らげた。

 

「正気ですか? C連邦とアンヘル、それにブルブラッドキャリアとラヴァーズの戦闘のど真ん中に、突っ込むって……」

 

「わたくし達の目的はエホバの身柄。ならば、戦地にでも赴くのが当然の帰結じゃない? それとも、危うい場所には近づかないとでも? まさかそこまで及び腰じゃないわよね?」

 

 挑発の言葉に胸倉を掴まれた。相手は目を戦慄かせている。

 

「彩芽! あんた、部外者やからって、いい気に……!」

 

「部外者? 心外ね。わたくしはもう、グリフィスの一員なのだと思っていたけれど?」

 

「《ブラックロンド》みたいな機体じゃ不安なんやって気持ち、分からんの!」

 

「じゃあ《インぺルべインアヴェンジャー》を貴女達がどうとでも動かしなさいな。わたくしは《ブラックロンド》でも構わない」

 

 嘘偽りのない声音に相手がうろたえる。自分以外では《インぺルべインアヴェンジャー》の性能を一割も引き出せずに撃墜されるだろう。それだけ自分専用に造ってある。

 

「これ以上の議論は先延ばしになるだけよ。相手だって、すぐに出てくる」

 

「……彩芽さんの言う通りです。敵は待ってくれない。空間跳躍がどれほどの負荷なのかも分からない今、敵を打倒出来るチャンスは逃すべきじゃないでしょう」

 

『それにはこちらも賛成だ。彩芽君のスタンスは何も糾弾されるべきじゃない』

 

 ボスの賛同を得てブリッジが重い空気で満たされる。その中を彩芽は行き過ぎた。

 

「《インぺルべインアヴェンジャー》の状態を見ておくわ。いつでも出せるように、ね。《キマイラ》弐番機と参番機はそれぞれ航路を戦場に取って。相手がどう対処するかは不明だけれど、その場にいないとどうにもならない」

 

 エアロックの扉を潜ると、怒声が漏れ聞こえた。

 

 ここでも軋轢はある。自分がうまく立ち回った事を気に食わない連中も多いだろう。

 

 だが、グリフィスが今の今まで情報だけで勝利出来るとでも思っていたのだとすれば、それはおめでたいの一言に尽きる。

 

 情報と言葉繰りだけで世界を生きていけるほど、この星は優しくはないのだ。

 

 格納庫に横倒しになった《インぺルべインアヴェンジャー》は自分の復讐心を引き移した灰色の躯体であった。敵を討ち、そしていずれ、ブルブラッドキャリアを――。

 

「迷わないわ。わたくしは、もう決着をつける」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯308 綺麗ごとの戦地

「酷い状態ですよ」

 

 そうこぼした整備班に、桃は回収された《モリビトシンス》を仰いでいた。

 

 機体装甲がほとんど全て黒ずんでおり、青と銀の美しさは見る影もない。煤けた装甲版が熱で捲れ上がり、分解寸前であった。

 

「よくもまぁ、これで降りてきたわね」

 

「ログをチェックしました。……驚きましたよ。エクステンドチャージを使って無理やりリバウンドフィールドを超えてきたって言うんですから。そりゃ、機体もガタが来る」

 

「……もう、無理なの?」

 

「抜本的な改修作業が必要ですね。《クリオネルディバイダー》一基では逆に過負荷になる。新しい強化プランがないと」

 

「……正直なところ、それ《ナインライヴス》も、《イドラオルガノン》も、なのよね?」

 

「ええ、嘘は言わないでおくと、そうなりますね。《ナインライヴス》はもうほとんど予備パーツもない。次に《ラーストウジャイザナミ》相手と立ち会えばもう危ないですよ。それに、《イドラオルガノン》も。……《イドラオルガノンジェミニ》だけじゃ、通常人機にも劣る」

 

「……やっぱり、あの機体は本体がないと……」

 

 しかし、《イドラオルガノン》本体はもう永遠に失われたに等しいだろう。林檎が戻ってくる確率はゼロに近い。

 

「……他の戦力は? 《カエルムロンド》と《ジーク》、だっけ?」

 

 歩きながら、桃はその二機の下へと案内される。二機の下で整備班長とタカフミが言い争いをしていた。

 

 何を、と耳を傾けると、タカフミが怒鳴る。

 

「だから! 分かんない人だな、あんたも! 《ジーク》はこのままでいいって! 直すところなんてないだろ?」

 

「あんまし、俺らの流儀に口出さないでもらえますかね、仕官殿! 《ジーク》だってほとんど性能限界なんだ! 改修するに決まっているでしょう!」

 

「使いにくくなったらどうするんだよ!」

 

「使いにくく? 少なくともアンヘルや連邦よりかは使いやすくする自信がありますよ!」

 

「だったら! どうとでも直せよ! ただし、おれの零式を活かすようにしてくれよな!」

 

「ええ! 直しますとも!」

 

 売り言葉に買い言葉とはこの事か。一しきり言い合った二人は離れ際、こちらに気づいたようであった。

 

「……ああ、ピンクのモリビトの」

 

「……アイザワ大尉、でしたっけ」

 

「もう士官階級なんて意味ないだろ。タメ口でいいって」

 

「……では。《ジーク》、まだ乗られるんですか?」

 

「だからタメでいいって。ああ、うん。せっかく部隊が取り計らってくれた《スロウストウジャ是式》を、そう簡単に乗り換えたくないってのもあるんだ。おれの機体だからな」

 

 自分の機体。それに誇りを持っている口調であった。

 

「瑞葉さんは……」

 

「瑞葉はクロナとか言うのと一緒だろ? ……おれ、びっくりしちまったよ。六年前の青いモリビトに乗っていたのってあのクロナなのか?」

 

「ええ……はい。《シルヴァリンク》の操主でした」

 

「マジか……。こんな事言うと不服かもしれないけれど、おれ、何度かあれと戦ったんだ」

 

 それは、当たり前だろう。六年前は世界全てが自分達の敵であった。連邦勢力に今は属しているタカフミが当時、どの陣営であったのかは不明だが、それでもモリビトと矛を交えなかった理由はない。

 

「それは……そうでしょうけれど」

 

「でも、一度も勝てなかったなぁ。それが今じゃ……まるでこのブルブラッドキャリアの中心だろ? すげぇよな。剣の立ち振る舞い自体は未熟って少佐は言っていたけれど、人間としちゃ充分だよ」

 

「人間としては……ですか」

 

 含むような言い草になっていたからだろう。タカフミは明らかに怪訝そうになった。

 

「……何だ、その微妙な感じ。あいつは人間だろ?」

 

 事情を、鉄菜のいないところで話すべきだろうか。逡巡したのも一瞬、桃は口火を切っていた。

 

「クロは……人造血続なんです。造られた人間、と言えば分かりやすいかと」

 

「血続なんて、アンヘルの面子はみんな血続だ。別段、珍しくもない」

 

「でも、人造種で……」

 

「あのさ、あんまし綺麗事も言いたくはないんだけれど、人造種だとか、自然だとか、そういうのって意味あるのか? おれは正直なところ、ないと思うんだよな。クロナ、とかいうのは人造血続だから強いわけじゃないだろ? あの戦い振りですぐ分かったよ。こいつは、ここが強いんだって」

 

 タカフミが拳を左胸に当てる。その佇まいを、桃は真似た。

 

「ハートが……?」

 

「そう、ハートが強い。だから、《イザナギ》相手にも劣らない戦いが出来た。正直、さ。おれ、ビビッちまっていたんだ。怖かったんだよ。あの機体が……」

 

 思わぬ発言であった。タカフミは恐れ知らずだとばかり思っていたからだ。

 

「……意外、ですね」

 

「そうか? でも、あいつは……また戦わなくっちゃいけないんだろうな。零式抜刀術を受け継いだ、使命って奴だ」

 

「使命……ですか」

 

「ああ! せっかく少佐から引き継いだ。……でもその少佐も、何だってアンヘル側に……。分からない事だらけだな。でも今はいいんだ。瑞葉がいる。それだけでいいと思える」

 

 どこか、桃はこの男の精神をはかりかねていた。不安を口にしたかと思えば、次の瞬間には戦士の面持ちで自信を口にする。

 

 どちらが彼の本当の顔なのか、まるで分からない。

 

「……瑞葉さんとは、どこで?」

 

「えっ……それは……まぁ、戦場だよな。嫌な話、そうでもしないとあいつとは会えなかった。でも今はそれでいいと思っているんだ。戦場でも、舞踏会でもいい。どこで会っても、おれは瑞葉を好きになっていただろうからさ」

 

 どうして、そこまで一途なのだろう。桃はふとこぼしていた。

 

「……羨ましいな」

 

「何がだ? お前らだってなりふり構っていないし、前を向いているだろ。別に他人の色恋沙汰にいちいち首突っ込んでいる時間もないだろうし」

 

「……そりゃ、そうですけれど」

 

 それでも、瑞葉は元々、生態兵器であった。鉄菜も同じような境遇だ。

 

 その二人が、道さえ違えば全く別の先を見据えられた。その因果に桃は歯噛みする。

 

 自分では、鉄菜を真っ当な道に戻す事は出来ないのだろうか。

 

 それに、今もまた傷ついているであろう、蜜柑にかける言葉も見つからない。何を言っても空回りしそうで怖いのだ。

 

「なに? 雁首揃えて、珍しい事もあるものね」

 

 訪れたのは茉莉花であった。彼女はニナイとタキザワを引き連れている。丸まった状態のゴロウがタキザワに抱かれていた。

 

「……タカフミ・アイザワだっけ?」

 

「そうだけれど。おチビちゃん、ここは君のような女の子が来るところじゃ――」

 

 屈んで目線を合わせたタカフミへと、遠慮のない目つぶしが放たれる。転がって呻くタカフミを他所に茉莉花は状況を伝えた。

 

「……蜜柑・ミキタカより、戦意があるかどうかはもう尋ねておいたわ。桃、あなたの仕事は一つ減った。いえ、これは喜ぶべき事ではないのかもしれないけれど」

 

 意外であった。茉莉花は精神面に関しては頓着しないとばかり思っていたのだ。

 

 それを読まれたのか、茉莉花は不貞腐れたように目を背ける。

 

「なに? そんなに吾が気にかけたのが珍しい? ……操主姉妹が一人欠けたのよ。心配もする」

 

「それは……そうかもしれないけれど」

 

「《イドラオルガノンジェミニ》は待機。《モリビトシンス》と《ナインライヴスピューパ》で迎撃する。補助に《カエルムロンド》を重武装で甲板警護。そこに転がっている馬鹿男。あんたは《ジーク》で敵陣に突っ込みなさい。出来るだけ派手に、ね」

 

「お、おう……」

 

 言葉もないのか、タカフミも気圧されているようであった。

 

「でも、敵も総力戦の構えなのよ? どうやって突破するって言うの?」

 

「……当てがある、という言い方には語弊があるけれど、ここはラヴァーズの戦力を借りましょう。敵は相当に疲弊しているはず。加えて、敵は吾らだけではない」

 

「……エホバ、ね」

 

 首肯した茉莉花は、端末を取り出して先を続ける。

 

「エホバの位置情報も未だに不明。バベルを相手も使っているのだから位置情報なんて当てにならないかもね。まぁ、そもそもの問題、我が方はどれだけうまく立ち回ってもエホバを追撃する余裕なんてないんだけれど」

 

「……まずは目の前の敵を払う」

 

「分かっているじゃない。生存率を上げるのが、目下の目標ね」

 

「でもよ、アンヘルとC連邦艦隊ってやっぱり、驚異的じゃないのか?」

 

 口を挟んだタカフミに茉莉花は舌打ちする。

 

「……そうね。元アンヘル兵士の言葉なら、素直に受け止めましょう」

 

「あんまし腐ってると、嫌われるぞ、ガキ」

 

「喧しいわね、馬鹿男。あなたはこの《ゴフェル》の何たるかを理解していないのよ。それでよく吼えられたものね」

 

 ニナイが歩み出て、ゴロウを端末に繋がせる。浮かび上がったのは敵艦隊勢力の予想合流図であった。

 

『敵艦は密集陣形を取って一点突破を狙ってくるだろう。ラヴァーズをほとんど無視し、《ゴフェル》のみに注力する形だ』

 

「これに、前の機体が前に出てくれば……」

 

 浮かべた思案に茉莉花は手を振る。

 

「いえ、その心配は要らないんじゃない? あの機体は出ないわよ」

 

「どうして言い切れるの?」

 

「それは――」

 

「あの黄金の力……多分機体に相当な負荷がかかっているはずだ。そんな数時間の休息だけでは冷却装置でさえも用意出来ないだろうし、それに元のガワは結局トウジャタイプ。多分、耐えられるようには出来ていない」

 

 台詞を奪ったタカフミがニヤリと笑う。茉莉花は彼女には珍しく地団駄を踏んだ。

 

「……とまぁ、そういう理屈よ。こちらでさえ運用に慎重を期すエクステンドチャージをそうそう連発されたら堪らないわ」

 

「つまり、突破すべきは連邦とアンヘルの集合艦隊。今までのような《スロウストウジャ弐式》部隊というわけ」

 

「……希望的観測も混じっているけれどね。でも《スロウストウジャ弐式》ならば、まだ勝機は見える。《モリビトシンス》のサードステージ案を実行させるわ。それで我々は行く」

 

 天井を指差した茉莉花にタカフミが呆然とした。

 

「上……宇宙か」

 

「月面に戻り、かねてより開発していたモリビトを受け取るわ。完全なる新型機、三機の新しいモリビトをね」

 

「新しい……モリビト……」

 

 それは《モリビトルナティック》落着時に月面で練られた計画であった。離反兵の半数は月に残る。その上で茉莉花の提示したモリビトの最新鋭機を開発する、という案だ。しかし、宇宙との交信は途絶えていたはず。

 

「開発が……間に合っていなかったら?」

 

「そういう時の事は考えない。そうでしょ? あなた達は」

 

 にべもない。桃は嘆息をついた。

 

「そうね。……今までもそうやって戦ってきた」

 

「それまでの間に合わせとして、サードステージ案を《モリビトシンス》に実行。不幸中の幸いとでも言うべきかしらね。《イドラオルガノン》の離反により予備パーツが余っている。これで《モリビトシンス》を強化するわ」

 

『実装可能なのは本当だ。その前に、敵が試算上の戦力かどうかが不明ではあるが』

 

「おれが出りゃいいんだろ?」

 

 片腕を捲り上げたタカフミに茉莉花は冷徹に告げる。

 

「そうね。精一杯、敵を引き寄せて、盛大に自爆でもしてもらえれば」

 

「かわいくないガキだぜ。でも、まぁ、最悪そうでもするさ」

 

 お互いに冗談とも呼べぬ言葉を吐きつつ、茉莉花は桃へと言葉を振った。

 

「敵は待ってくれない。すぐにでも迎撃準備に取り掛かる」

 

 身を翻しかけた茉莉花を、桃は呼び止めていた。

 

「待って! ……林檎に関しては、もう考えるな、と言いたいの?」

 

「……考えたって無駄でしょう? もう味方じゃないのよ」

 

「それでも! 蜜柑は心に傷を負ったわ。今の彼女を、どうにかしないと……!」

 

「じゃあどうにかして戦力になるの? ……戦えない兵士を慰撫している間にも敵は来るのよ。今は、戦う事だけ考えて」

 

 冷徹ながら現状を的確に捉えた言葉であった。立ち去り間際、ニナイは声にしていた。

 

「桃、分かって。これも何とかして生き延びるため。エホバとアンヘルを私達は決して過小評価していない。連邦だってそう。だから、今は、一秒でも生きる事を考えて。林檎と蜜柑の事は……後でどうにかしましょう」

 

「後で……そうやってアヤ姉を失ったんでしょ」

 

 言ってはならぬ事だと分かっていても、そう言わざるを得なかった。しかし、今は自分がかつてのニナイの立ち位置。彼女を責めるよりも、それは手痛い言葉となって自分に跳ね返ってきた。

 

「……失いたくない。それは分かるわ。争いたくないのも。でも、あの時はそうするしかなかった。今も、そうなのかもしれない。でも、六年前とは違う。鉄菜が、私達を引っ張ってくれている。あり得ないはずの出会いまで、生んでくれた」

 

 目線を向けられたタカフミが後頭部を掻く。

 

「いやぁ、まぁ、これも因縁って奴でしょ」

 

「そう、因縁なのかもね。憎んでも、憎しみは結局、虚しいだけ。恨んでも同じ事よ。負の感情は自分の足を竦ませるだけのもの」

 

「でも……だからって林檎の事を忘れられない。忘れられるわけないでしょ! そんな都合のいい話……!」

 

「そう、それは都合のいいだけの話。だから桃、あなたも見つけて。自分を責めなくてもいい、条件を」

 

「責めなくてもいい……条件」

 

「私は今のブルブラッドキャリアを継続させる、その認識を持って、彩芽を失った自責の念から、少しばかり逃れているわ。でも咎はいずれ受ける。そういう風に、自分を逃がしてあげればいい」

 

「……逃げたくないよ」

 

「桃は真面目だからね。だからと言って、背負い込み過ぎないで。私達はもう、一人一人がこの《ゴフェル》のクルーなんだから。欠いていい人員なんていないのよ」

 

 立ち去ったニナイの背中に、桃は言葉をかけ損ねていた。六年もの間、彩芽を失った後悔を抱えてきた背中。それを目の当たりにして、では自分はと問いかけても答えはまるで出なかったからだ。

 

 桃は拳を硬く握り締める。

 

「欠いていい人員なんていない。その綺麗事を、もっと早くに……言って欲しかった」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯309 与えられた使命

「健康状態に問題はなし。それどころか、数値上はよくなっている。……何があったんだ?」

 

 リードマンの問診に鉄菜は特段、と応じかけて、軌道上で目にしたエホバの宣告を思い返す。

 

 かつての学園潜入の時の保険医、ヒイラギと同人物であるのは疑いようがない。ならば、彼が燐華を戦場に駆り立てたのか。

 

 だとすれば、と鉄菜は拳を骨が浮くほど握り締める。その手へとそっと、温かな体温が添えられた。

 

「クロナ……」

 

 瑞葉は責任を感じている。自分が《クリオネルディバイダー》に乗っていれば、と。だが、あの状態ならば誰が乗っていようと同じだ。

 

「……リードマン。聞いてもらっても意味はないかもしれない。それどころか、混乱させる事にも」

 

「いいさ。僕は君の担当官だ。何でも言ってくれ」

 

「エホバ……いいや、ヒイラギの事を私は知っている。奴は保険医という身分に紛れていた」

 

「ほう、それは……興味深い話だ。今、世界を敵に回している男が保険医、か」

 

「その時の生徒に燐華・クサカベという少女がいた。……皮肉な事に、潜入作戦時、ブルブラッド大気汚染テロが起き、私は燐華と離れ離れにならざるを得なかった。その後、何があったのか、それは分からない。だが今、燐華はアンヘルにいる。……兵士として」

 

 含むところのあった言葉に二人とも重く沈黙を返していた。

 

 鉄菜は自分の中でない交ぜになっている言葉を一つ一つ、丁寧に手繰り寄せる。

 

「……私は、燐華を助けたい。殺したくないんだ。たとえ敵になっても、一時の邂逅に過ぎなくとも、燐華は……私にとっては初めての、友達と呼べる存在であった」

 

「クロナ……、でも助けると言っても、その当人がアンヘルにいたのでは……」

 

「助けるよりも撃墜したほうが早いだろう」

 

「それでも、だ」

 

 結んだ決意に鉄菜は面を上げる。

 

「私は燐華を助けたい。たとえこの身がただの破壊者であっても、それは同時に、何かを生み出せるはずなんだ。破壊は、何もかもを壊してしまうだけではない。作り直す前にも、破壊は必要なんだ」

 

「……なるほど。今まで壊すだけに使っていた力を、今度は構築のために使いたい、というのか」

 

 首肯すると、リードマンはペンを手に取った。それを握って問いかけてみせる。

 

「鉄菜。このペンで君は何が出来る?」

 

「何が……、相手の頚動脈を裂き、心臓に突き立て、あるいは急所を貫く」

 

「それが今までの君であったのだろう。だが、ペンはこう使うものだ」

 

 リードマンがカルテに文字を書きつける。それは当たり前の事であったのかもしれない。だが自分には、今までそれが見えていなかった。

 

「ペンは剣よりも強し、という言葉がある。ある時には殺傷道具よりも、こうした文明の……利器のほうが強いという事だ。鉄菜、君は変わった。これは確かなものだ。僕は君を何年も見ている。黒羽博士の下から巣立った君を。もう、君にはこれがただの殺しの道具には見えないだろう?」

 

 ペンが手渡される。鉄菜はそれをじっと見据えていた。今までの自分は、ただ殺す、壊すしか出来なかった。だが、今の自分は綴る事が出来る。

 

 このペンで、如何様にも自分の物語を。

 

「……感謝する。リードマン」

 

「いいさ。君の面倒は彼女より頼まれている。死ぬまで君の姿勢は応援しよう」

 

「私は……もう誰も死なせない。この艦の誰も、悲しませないつもりだ」

 

「そう、か。だが戦いは苛烈な方向性に向かっている。君に芽生えたその優しさ、強さが、限りなく純粋なるものであるがゆえに、これからの戦いは厳しくなるかもしれない。あるいはこれまで以上に」

 

 自分は考えずに戦ってきた。否、考えないように目を背けてきたのだ。

 

 それが一概に強さなのだと言えない事を、もう自分は分かっている。

 

「リードマン。《モリビトシンス》で活路を開く。エホバ……ヒイラギが何を考えていても、それは変わらない。あいつがどのような崇高な理想を掲げても、私は否と言いたい。神を気取った戦いには終止符を打つつもりだ」

 

「……鉄菜、しかしこの《ゴフェル》には、君だけじゃない」

 

 瑞葉が手を添える。あたたかい、という感情に鉄菜は困惑した。

 

「クロナ。お前はもう、一人じゃないんだ」

 

「……分かっている。戦いを一人で進めるのには、もう私だけの力では足りない。ブリッジに赴く。付いて来てくれ、ミズハ」

 

 医務室からブリッジまでの廊下では誰もすれ違わなかった。以前なら突っかかってきたミキタカ姉妹も見かけない。

 

 事情は聞いた。だが、飲み込めない事もある。

 

「……鉄菜?」

 

 ブリッジでこちらへと振り返ったニナイに、鉄菜は歩み出た。

 

「艦内放送を、いいだろうか?」

 

「いいけれど……何のつもり?」

 

「達する。私はモリビトの執行者、鉄菜・ノヴァリスだ」

 

「何を……」

 

「今は……黙って見ていてもらえないだろうか」

 

 瑞葉の助けもあって鉄菜は言葉を継ぐ。

 

「私はずっと、六年間戦い続けてきた。モリビトの執行者として。ブルブラッドキャリアの変えた世界が正しいのかどうか。その是非を問うために。……だが、私にはもう、分からなくなってしまった。エホバなる存在が神を騙り、アンヘルとC連邦だけではない、敵が跳梁跋扈する。この戦いそのものに意義はあるのかどうか、それさえも掴みかねている。だが、私は……こんな戦いしか知らぬなりでも……未来を信じたい。まだ、人の世はそこまで堕ちたものではないのだと、そう思いたいんだ。それはいけない事なのかもしれない。執行者には邪魔な感情なのかとも思う。だが、これは私だ。鉄菜・ノヴァリスという、私が感じた事なんだ。ブルブラッドキャリアの総意でもない、世界の意思でもない。この……小さな身体に収まる私が……戦いから得たものだ。こういう言い方は不思議かもしれないが、壊すだけの戦いに、得るものなど、それは勝利以外にないのだと思っていた。でも、違ったんだ。戦いでは勝利以外の結末もあり得る。手にしたものが、偽りである事も、または手にしていないと思ったものが、いつの間にか手に入っている事も」

 

 鉄菜は瑞葉へと一瞥を流す。彼女も頷いた。この絆も、決して計算で得たわけではない。戦いの中で自然に生まれ出るもの。戦いが、破壊以外のものも生み出せるのだという証明。

 

「私は……最後まで戦い抜く。戦い抜かなければならない。《モリビトシンス》で、全ての答えを得るまで……心がどこに在るのかを知るために。だからお願いだ。《ゴフェル》のクルーのみんな……私に、戦えるだけの力を貸して欲しい。まだ抗えるのだと、言わせてくれ」

 

 頭を下げた自分にニナイは狼狽する。きっと今まで、このような姿を見せた事がないからだろう。だが、自分は、決して一人では何も出来ないのだと痛いほどに分かった。そして戦う事はただ虚無を生み出す事でも、ましてや憎しみの連鎖だけでもない。作り出せる、という事。何もない場所から、何かを生み出せる、明日への活力になる。

 

 だから、自分の戦いに意味を見出したい。この争いの果てに――「ミライ」があるのだと思いたいのだ。

 

「……もう、今さらよ。鉄菜」

 

 ニナイが肩に手を置く。瑞葉も微笑んでいた。

 

「わたし達はもう、それくらいの覚悟は持っている。それに、クロナ。お前だけが戦っているわけでもない」

 

「……執行者さんは前に出てくださっているのは分かっていますよ。我々だって、ブルブラッドキャリアなんです。変わったところなんて、一つもない。いつだって、ここは帰るべき場所なんですから」

 

「そうですって。我々にも頼ってください」

 

 ブリッジの構成員が上げる声に、鉄菜は、そうかと感じていた。

 

 これが、仲間、これが――家族。

 

 かつて黒羽博士が自分に与えようとしていたもの。もう、手に入れていたのだ。

 

 はは、と鉄菜は乾いた笑いを出してよろめく。

 

「大丈夫か?」

 

「ああ、大丈夫。……ミズハ、こんな、単純なものだったんだ。いや、分かっていなかったのは……。まだ」

 

 瑞葉が首を横に振った。

 

「まだ戦いは終わりじゃない」

 

「ああ。終わりじゃない。その通りだとも」

 

『いい演説だったわ』

 

 繋がれた無節操な通信の相手に鉄菜は目線を向ける。

 

「茉莉花……」

 

『格納庫に来なさい。あなたの《モリビトシンス》の、最後の使命を告げる』

 

「最後の……?」

 

『鉄菜。宇宙へと上がり、最終局面に向かうために、あなたには切り拓いてもらうわ。未来を』

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯310 この武士道のみを

 艦隊に響き渡った警報に、司令部に収まっていた士官達は叩き起こされていた。

 

 僅かながら与えられた休息。それを打ち破る敵襲の予感に、全員が肌を粟立たせる。

 

「まさか……敵?」

 

「そのまさか、のようだな……。艦内警報だ。こりゃ、本格的に、なのか……?」

 

 その脇をUDがすり抜けていく。アンヘルの兵士達は自ら道を譲った。

 

「シビト……」、「あいつ、ヤバイだろ。モリビトと一騎討ちにまで持ち込んで、無傷って……」、「さすがは化け物同士。次元が違うって事かよ……」

 

 様々な言葉が滑り落ちていく中、UDは司令部のブリッジへと扉を抜けていた。

 

「状況を」

 

「……驚いたよ。まさか、この自陣の、ど真ん中に現れるとは」

 

 拡大モニターが映し出したのは、二十機を超える人機の群れであった。バーゴイルが飛翔し、それらを先導する一機が天高く確認される。

 

 その機体の意匠にUDは息を呑んでいた。

 

「モリビトタイプか……」

 

「意想外なのはそれもなんだが……、相手の識別信号は不明、つまりブルブラッドキャリア側でもなければ、ラヴァーズでも、まして旧ゾル国陣営でもない。大方のバーゴイルとナナツータイプはレジスタンスコミューンのものと合致している」

 

「……帰結する先は、そう多くはない」

 

「推測するまでもなく、あれはエホバだろう。未確認のモリビトも含め、ね」

 

 エホバ――神を気取った男はモリビトを駆るか。UDは因縁めいたものを感じていた。

 

「しかし、これから包囲陣を敷こうとしていたその矢先だ。無論、アンヘル、連邦としてはエホバ陣営をこの空域から逃がすわけにはいかない。敵の戦力を完全に駆逐する」

 

「……だが、勢力が」

 

「ああ、少しばかり足りなくってね。君の《イザナギ》も、すぐには出せない」

 

 黄金の力――バベルの奥底に眠っていた人機の真の能力を引き出せたのは、アンヘル情報部とやらの尽力のようであったが、自分は定かな事は聞いていない。

 

「《イザナギ》が出せない現状で、三十機ほどもあるエホバの軍勢は墜とせない、か」

 

「そうでもない。アンヘル……いや、この場合はC連邦上層部か。秘密裏に開発していた人機を回してくれている。これを」

 

 手渡されたデータに、UDは目を見開いた。

 

「これは……! キリビトタイプ、か」

 

「名称、《キリビトイザナミ》。まさか、禁断とされていたキリビトタイプの量産着手に打って出ていたとは思っていなかったが、それだけではない。《キリビトイザナミ》はハイアルファー人機だ」

 

 それは禁断とされた技術のはず。その眼差しに、司令官は嘆息をついた。

 

「世界が終わるかどうかというところだ。出し惜しみなんてしている暇はないのだろうな。上層部は焦っている。ブルブラッドキャリアもだが、エホバのやり口に、だろうな。バベルネットワークを封じられ、民間コミューンはほとんど情報が出回っていない。この大決戦も、後々で尾ひれやら何やらがついて民衆には伝わる。まさか、連邦とアンヘルが躍起になって、ここで殿を務めているなんて思わないだろうさ」

 

「……しかし、キリビトは危険だ」

 

「重々承知の上だろう。……操主の欄に、目を通して欲しい」

 

 そう促され、操主名を呼び出す。UDはその名前に我が身の不実を呪った。そして、ここまで自分を追い込む世界を恨んだ。

 

「……相手は俺の事を」

 

「知っていないだろう。知っていればこのような運命のいたずら、残酷が過ぎる。UD、君はどうするね? 彼女と会うか?」

 

「……いや。俺は……桐哉・クサカベは戦死した。そう、思っていたほうが幸せかもしれない」

 

「同意見だよ、UD。今回の《キリビトイザナミ》のハイアルファーはしかも、精神に強く作用するらしい。君が……いや、死んだはずの兄が生きていたとなれば、彼女の精神が折れてしまう可能性だってある」

 

「俺に、そこまでの権限はない、と言わせたいのか。上層部の決定、覆せない、と」

 

「暗にそう言っていると思ってくれて構わない。《キリビトイザナミ》は上からしてみても鬼札のはず。それを易々と晒していいわけでもあるまい。つまるところ、ここでケリをつけたいのだろうさ。因果のね」

 

「……モリビトを倒すのはこの俺だ」

 

「分からんよ、何もかも、過ぎ去ってみなければ。ただ……純粋にエホバがあのモリビトタイプに乗っていたとして、そのカウンターにはなり得るだろう」

 

「《キリビトイザナミ》による、エホバの抹殺」

 

「上が考えているシナリオはそういうところだろう。しかし、敵もまさか何の備えもなく、この海域で戦線を張ろうと言うのでもない。ここに我々がいるのは織り込み済みだろうな」

 

「……敵のほうが随分と賢しい」

 

「だが賢しいだけでは生き残れない。それは君が理解している通りだろうが」

 

「エホバを殺し、世界の主権を再び手に入れる。上の描いている青地図は何となく理解は出来る。その歩むべき先も。しかし、そこにはビジョンがない」

 

「ビジョン、か。面白い着眼点だ」

 

 UDは仮面をさすって声にする。

 

「傷を負う、というイメージが貧困なのだ。そもそも、上は本当に、生きている人間なのか。血の通った人間であるのかすら、不明」

 

「……おいおい、上層部がまさかロボットだとでも?」

 

「ロボットならばまだ、救いはあるかもしれないな」

 

「……こちらの言う事を聞かぬ、機械連中か。そう考えると無茶な作戦も理解出来なくもない。いや、そうだから今までアンヘルに血も涙もない要求を突きつけてこられた」

 

「どれも憶測だ。正鵠を射た事なんて言えんとも」

 

 だが、限りなく真実だろう、とUDは推理していた。アンヘル上層部、ひいてはC連邦を動かす頭脳は恐らく、人ならざる者達。それは誰が口にしたわけでもないが、どこかで誰もが感じている事だ。

 

 人ではないのならば、戦場で浪費されていく命など、ただの数値。それ以外の意味を持たない。

 

 だからハイアルファー人機なんて前に出せる。

 

 踵を返したUDの背中に司令官の声がかかった。

 

「君の師範と話をしたが、平行線であった」

 

 足を止めたUDは、そうであろうな、と言葉を紡ぐ。

 

「あの人は、常にそういうスタンスだ」

 

「だが、それでも連合の士官だろう。……分からないな。達観でも、ましてや諦観でもなく、ただ、静かなる心持ちで断ずるというのも」

 

「それが武士道だ。分からなくってもいい」

 

「UD、君はその武士道に殉ずるつもりか? 剣に生き、剣に死ぬとでも?」

 

「そこまでストイックではないさ。だが、我が命、炎の一滴までこの血潮は……モリビトを駆逐するためにある。恩讐の刃だ、俺は」

 

 その解答に司令官がフッと笑みを浮かべる。

 

「満点の答えだ。それに比べて……師が弟子に勝っているとも限らないのだな」

 

「どの理でも同じだろう。教えを説いたからと言って、それが正しいとは限らない。命の数だけ、答えはあるのだから」

 

 自分が掴み、縋り、信じる答えはこの胸にある。もう、誰かの言葉では惑わされない。

 

「……俺は、モリビトを討つ」

 

 信念を口にし、UDはブリッジを後にした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯311 【ハウル・シフト】

 響き渡った警告にコックピットを覗き込んでいたタキザワと茉莉花が声にした。

 

「今、説明した通りだから。鉄菜、あなたは敵を蹴散らしつつ、戦線を切り拓いてもらうわ」

 

「機体制御は前よりも扱いやすくなっているかと思う。だが、出力面の不安は拭えない……。申し訳ないがほとんど出たとこ勝負だ」

 

「構わない。《クリオネルディバイダー》の制御は?」

 

「ゴロウに一任している」

 

『と、いうわけだ。よろしく頼む、鉄菜』

 

「前回のように邪魔は入らないと思ったが……」

 

 濁したのは空域に現れた第三勢力の存在に、であった。

 

 無数のバーゴイルとナナツーに紛れ、新型人機が確認出来るだけでも二機。うち、一機のデータを照合する。

 

「《フェネクス》……。もう一機は……遠景だがトウジャに見えるな」

 

『該当データにないトウジャだ。新型の可能性が高い』

 

「いずれにせよ、私が前を務める。瑞葉、《ゴフェル》の守りは任せた」

 

『任せて欲しい。《カエルムロンドカーディガン》、……うまく動いてくれよ』

 

「桃、そちらの状態は?」

 

『《ナインライヴスピューパ》も一応は出せるけれど、あまり戦力としては期待しないで。ほとんどのパーツは《モリビトシンス》に回しているからね』

 

『おいおい、それって嫌味か?』

 

 割り込んできたタカフミに、桃は言い返す。

 

『嫌味でも何でもない。放っておいて』

 

『つれないこって。《ジーク》は前回の戦闘のフィードバックもある。《ゴフェル》の護衛をメインにさせてもらうぜ』

 

「構わない。……桃、《イドラオルガノン》は……」

 

『《イドラオルガノンジェミニ》は単騎では無理よ。……悔しいけれどね』

 

 蜜柑は、今は待機させておくしかない。それがどれほどの苦渋の選択でも。

 

《モリビトシンス》がカタパルトデッキへと移送されていく。

 

 その背には今まで右肩に装備していた《クリオネルディバイダー》が装着されていた。翼を拡張させ、盾の部位が上を向いている。

 

 両肩の盾には再度、Rシェルソードが装備され、腰には予備武装のRブレイドが装着されていた。

 

 全身、これ武器とでも言うように構えた《モリビトシンス》が起き上げられ、その足がスリッパ型のカタパルトシステムに直結させられる。

 

 信号が青を示し、ブリッジより入電させられた。

 

『発進準備完了。タイミングを、《モリビトシンス》、鉄菜・ノヴァリスに譲渡します』

 

「了解。《モリビトシンスクリアディフェンダー》、鉄菜・ノヴァリス。出る!」

 

 新たなる装備を得た《モリビトシンス》が電磁射出器で発進し、その翼を大空に羽ばたかせた。

 

 改修した《クリオネルディバイダー》による機体制御はうまくいっている。後は、自分がどれだけ立ち回れるかだ。

 

 続いて《ナインライヴス》が射出され、四枚羽根を拡張させる。

 

『……クロ。この状態じゃ、エホバを叩こうにも……』

 

「ああ。邪魔が入る可能性は多いにある」

 

 眼前にはアンヘル、及びC連邦艦隊が迫っている。直接対決はそう遠くはないだろう。

 

 まずはこちらの兵力への牽制だろうか。艦隊より《スロウストウジャ弐式》が数機、発進する。

 

「小手調べか。受けて立つ!」

 

《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーライフルを引き絞った。それらの弾道を全て回避し、《モリビトシンス》が迎撃のRシェルライフルで銃撃した。

 

 出力の上がったRシェルライフルを前に、敵機が後退する。

 

「逃がさない。Rクナイ!」

 

 袖口に仕込んだRクナイが稼動し、引き出された刃がワイヤーを伴わせて《スロウストウジャ弐式》へと突き刺さった。そのまま巻き戻そうとして、相手の人機がこちらの頭部へと照準する。

 

 ただではやられる気はないらしい。

 

 その敵機を鉄菜は《モリビトシンス》で振り回した。

 

 ワイヤーの膂力が敵人機の推進力を上回り、機体制御を失った敵人機へと、鉄菜は新武装の照準を据える。

 

 背部《クリオネルディバイダー》より腰へと延びた砲門が《スロウストウジャ弐式》を捉えた。

 

 高出力Rランチャーの赤い光軸が敵機を葬り去る。

 

「これが、《モリビトシンスクリアディフェンダー》だ!」

 

 新たなる《クリオネルディバイダー》の力を得た《モリビトシンス》が次なる一機へと標的を据える。Rシェルライフルを可変させ、その剣術が敵機を両断した。

 

 爆発する前に、すぐさま次の機体へと跳ね上げさせる。

 

 今までの起動性能とは二ランクは上の速度に相手がうろたえ気味に隊列を崩した。

 

 今ならば全滅させられる。そう確信した、その時であった。

 

 殺気の波が押し寄せ、鉄菜は機体を急速制動させる。

 

 標的とした《スロウストウジャ弐式》を、高出力リバウンド兵装が貫いた。

 

『……友軍が?』

 

 困惑気味の桃がRランチャーを構える。鉄菜は艦隊の中央部よりこちらへと急速接近するその機影を目にしていた。

 

 怒りを体現する赤に染まっているその機体は、巨大なる翼を広げて推進力だけで津波を引き起こす。

 

 飛翔した巨躯は通常人機の六倍はあった。異常に伸びた四肢に、鉤爪のようなシルエット。見覚えがある機体は中央の眼窩をぎらつかせた。

 

「キリビトタイプ……。だが、あれはアムニスのものではない……」

 

『新型!』

 

 桃がRランチャーを放つ。それを敵機は避けるでもない。その皮膜で反射させた。リバウンド兵装を完全に無効化する鉄壁を相手は得ている。

 

「リバウンドフィールドか!」

 

 鉄菜はRシェルソードを構えさせ、巨大なる不明人機へと肉迫する。敵の通信網が接触回線を震わせた。

 

『モリビト……、モリビトォッ! お前らは、何もかも奪った! あたしから、何もかもを!』

 

 声の主に、鉄菜は目を見開く。

 

「その声……、燐華・クサカベか?」

 

『鉄菜? ……ああ、やっぱり悪い夢、悪い幻。鉄菜の幻影を見せるなんて、ブルブラッドキャリアはやっぱり、滅ぼさないといけないんだ。このあたしと! 《キリビトイザナミ》が!』

 

《キリビトイザナミ》と呼称された機体の四肢よりアームが伸びる。まずい、と習い性で下がらせた瞬間、先ほどまでいた空間を高磁場のリバウンド兵装が引き裂いていた。

 

「……あの機体、出力任せのデタラメだ。だがそれゆえにやり難い。下手に飛び込めば蜂の巣になるぞ」

 

『鉄菜。それだけではない。相手方からの手痛い歓迎だ』

 

 上空より飛来したオレンジ色のトウジャに、鉄菜はRシェルソードで応戦していた。オレンジのトウジャタイプがX字の眼窩を煌かせる。

 

『お前っ! 旧式のモリビト!』

 

 思わぬ声が通信より漏れ聞こえて、鉄菜は瞠目していた。

 

「まさか……、林檎・ミキタカか? エホバ側に……」

 

『裏切った事くらい、知っているくせに。自分だけ綺麗なままで取り繕うなんて、いやらしいっ!』

 

 トウジャタイプの持つ折れ曲がった大剣に、鉄菜は《モリビトシンス》を下がらせる。

 

 どう考えても、今の林檎は正気ではないはずだ。

 

「林檎・ミキタカ! 私は後から事情を聞いたに過ぎない。だが! その立ち位置でいいのか! お前には守るべきものがあったはずだ!」

 

 その言葉に林檎の搭乗するトウジャが剣を払う。

 

『守るべきもの? 笑わせる! そんなもの、一つだってなかった! 鉄菜・ノヴァリス! お前が何もかも、全部台無しにしたんだ!』

 

「違う! お前は見ないようにしているだけだ。お前にしか出来ない事があった!」

 

『黙れよ! 旧式風情がぁっ!』

 

 トウジャタイプが大剣を振るい上げ、こちらへと接近戦を挑む。鉄菜は《モリビトシンス》を上昇させて逃れようとして、敵人機の思わぬ対空銃撃に怯んだ。

 

『林檎! そのモリビトとの戦いは因縁と見た! ならばお前には満足いく戦いを!』

 

 ナナツーとバーゴイル、それに中央で指揮する《フェネクス》が放つ火線に鉄菜は回避運動を取らせるが、それはトウジャタイプの射程であった。

 

『もらった!』

 

「させるか!」

 

 袖口より出現させたRクナイで敵人機の大剣を縛り上げる。しかし、それを物ともしないほどの膂力で敵は捕縛を引き千切っていた。

 

 明らかに細身のトウジャのパワーを超えている。機体関節各所で煌く青い輝きに、鉄菜はハッとする。

 

「ハイアルファー人機か……」

 

『そう! ハイアルファー【ハウル・シフト】、起動!』

 

 刹那、敵人機が空間を飛び越えたとか思えない速度で接近する。否、これは接近など生ぬるい。

 

 空間を跳躍し、その間の全ての事象を歪めて肉迫した。

 

「……機体のパワーとスピードの底上げ……。それだけではないな。何か……窺い知れないが、何かが……」

 

『観察している場合かよ! お前を墜とす!』

 

「墜ちるわけにはいかない! 《モリビトシンス》!」

 

 薙ぎ払われた大剣をRシェルソードで受け止め、もう一方の腕よりRクナイを発射する。

 

 クナイの切っ先に込められた銃口が火を噴き、敵トウジャタイプを怯ませようとした。だが、それを読み切ったかのように敵は一瞬にして直上に至る。

 

「……速いな」

 

『鉄菜、純粋な速度ではない。あれは、事象を捩じ曲げている』

 

「どういう事だ?」

 

『余所見を! している暇があるのか! モリビトォッ!』

 

《キリビトイザナミ》から稲光が放たれる。その放射線を《ナインライヴス》がウイングバインダーで防いでいた。

 

 しかしすぐさま血塊炉を搭載したはずのバインダーが根元から砕け落ちる。

 

『クロ! こいつの相手はモモが!』

 

『邪魔立てを! お前も、モリビトなのか!』

 

《ナインライヴス》と《キリビトイザナミ》が交戦に入ったのを確認してから、鉄菜はトウジャタイプに意識を割いた。敵機が空間に割り込み、大剣を振るう。その太刀筋自体は読めないものではない。だが、突如として空間を飛び越えるこの速度だけはどうしても習い性だけでは回避が難しい。

 

『墜ちろォッ!』

 

「Rブレイドで!」

 

 腰に提げたRブレイドを逆手に握り、敵の大剣と打ち合わせる。干渉波のスパークが散ったのも一瞬、Rブレイドより発振したリバウンド刃が大剣の軌道をぶれさせた。直後に放った高周波振動が大剣を割ろうとしたのを察知したのだろう。相手が刃を離す。

 

「……新武装であるRブレイドを、ある程度読んでくるか」

 

『ブルブラッドキャリアなら、どんな兵器を使ってくるかくらい予測がつく。そこにいたんだからね』

 

 林檎の声音に鉄菜はアームレイカーを握り締めた。

 

「どうして……、ならば何故! 裏切るような真似をした! 林檎・ミキタカ!」

 

『それはお前がいるからだろう! お前さえいなければ、ボクが最強の操主だった!』

 

 またしても瞬間移動としか言いようのない速度で敵機が迫り、鉄菜はRシェルソードで大剣を受け流しつつ、Rブレイドを装甲へと叩き込もうとする。握り手に返しがついているRブレイドは敵の実体格闘兵器を破る役目も果たしているのだが、この時、あまりにも敵の速度が想定外であった。

 

 近づいてくるのも速過ぎれば、遠ざかるのももっとそうだ。

 

 目視出来るのが不幸中の幸いだったが、それでも反応の限界点すれすれを見せてくる。

 

『鉄菜、分析の結果、あの人機は速度自体にはさほど出ているわけではない。ゆえに、お前が反応出来ているのだろう』

 

「どういう事だ。速度による圧倒ではない、と?」

 

『ハイアルファーだろうな。あれが座標軸を跳躍させている。あのハイアルファー人機は文字通り、空間を飛び越えているのだ。二点……現時点での観測結果に過ぎないが、恐らくは二点の座標を意図的に繋げ、その領域内にある物質、摩擦、空気抵抗、それにあらゆる物理干渉をなかった事にしている。極めて限定的なのはそれほどの計算軸を即座に反応に組み込めないからだろう。もし、あれが本来の用途であるところの、物質破壊に充てられているのだとすれば、今頃《モリビトシンス》など塵芥だ。こちらの位置する座標を組んで二点、ないしはそれ以上の座標軸で囲み、なかった事にすればいいだけなのだからな』

 

『お喋り。だからゴロウ、お前は好きじゃなかった』

 

 刃を突きつけるトウジャに、鉄菜は声を張り上げていた。

 

「……どうしてだ。蜜柑・ミキタカは、泣いているんだぞ!」

 

『……うるさい。そんなの! ボクに関係ないだろ! お前にだって、言われる筋合いはない! 行け! 《エンヴィートウジャ》!』

 

《エンヴィートウジャ》と呼称された人機が空間を飛び越えて懐へと入る。鉄菜はRシェルソードで弾き上げて敵を下がらせようとしたが、その間合いを相手も熟知している。

 

 浴びせ蹴りのもたらす損耗に注意色に染まるステータスを視野に入れつつ、Rブレイドで隙を突いていた。

 

 敵機が瞬時に後退する。

 

 つかず離れず、同じ距離からの近接戦闘。それはこのハイアルファー【ハウル・シフト】の真骨頂なのであろう。

 

 だが疑問が残る。それほどのハイアルファー、確実に身体を蝕む何かがあるはずなのだ。

 

 それを汲んでまで、何故自分にこだわるのか。

 

「……林檎・ミキタカ。お前には帰る場所がある。家族だっている。何が不満なんだ」

 

『……分からないだろうね。旧式には、さぁ! 持っているものの幸福感がある、お前には!』

 

「持っている、だと……。私には何も……」

 

 いつもならば、ここで否定する。だが先ほど、抱えてしまった。抱えていいのかと、皆に問いかけてしまった。ゆえに、ここで何もないと口にするのは彼らの厚意を侮辱する。

 

『そこで口ごもるのが! 気に入らないって言っているんだ!』

 

《エンヴィートウジャ》の格闘戦術が《モリビトシンス》へと叩き込まれる。《モリビトシンス》はそのまま海面すれすれを波立たせながら疾走した。

 

 Rシェルライフルを照準し、《エンヴィートウジャ》へと照射する。しかし、相手の反応速度が遥かに勝っていた。

 

 またしても空間を跳躍し、その機体が大写しになる。鉄菜はRブレイドを払っていた。

 

 大剣と打ち合うが、Rブレイドの弱点を既に看破したのだろう。敵は果敢にも攻めてくる。

 

『その刀、あんまり力を入れられないみたいだね。返しがついていたって、慣れない装備じゃあ、さぁ!』

 

 すぐに押し返され、《モリビトシンス》へと刃が叩き込まれようとする。鉄菜は《クリオネルディバイダー》の持つリバウンド出力を上げた。盾の防衛性能が波を逆立たせ、蒸発し、一時的な霧を作り出す。

 

 その霧で一撃が逸れた。いつもならば、この一瞬の隙を逃さない。

 

 しかしこの時、鉄菜は上方に逃げるだけで、致命的な一撃を加えようとは思わなかった。

 

 その様を理解してか、敵機が刃を突き上げる。

 

『嘗めるな……、今! わざと逃がしただろ!』

 

「……林檎・ミキタカ。戦いたくない。出来ればブルブラッドキャリアに――」

 

『無理に決まっているだろ! お前がいるブルブラッドキャリアなんて、願い下げだ!』

 

「だが、蜜柑・ミキタカの……、みんなのいる場所なんだぞ」

 

『みんなってなんだよ! お前が、そんなに馴れ馴れしく! そんな風にするから、ボクは!』

 

「林檎・ミキタカ! お前はまだ戻れる! 戻れる場所にいるはずだ!」

 

『戻れるもんか! 何もかも壊してやる! そのいけ好かない、《モリビトシンス》も!』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯312 最古のモリビト

 大剣を下段に構え、《エンヴィートウジャ》が掻き消える。またしても空間を超えての一閃。だが、もうある程度パターンを鉄菜は察知し始めていた。

 

 本来の使い方とは異なる使い方のハイアルファー人機には穴がある。迫った一閃をわざとバランサーをぐらつかせてよろめいて回避させる。

 

 その動きが予想外だったのか、通信の向こうで林檎が息を呑んだのが伝わった。

 

 鉄菜はRシェルソードを《エンヴィートウジャ》の横腹へと払う。

 

 装甲に至る直前でぴたりと、その刃を止めた。

 

『……何だって……』

 

「林檎・ミキタカ。もう、よそう。こんな戦いに意味はない。お前の妹が待っている。だから、今すぐに……」

 

『何だって、お前はいつも、いっつも! 偉そうに、ボクに言って、何なんだよ! 六年間戦って偉いのか? それとも、前回の執行者だから? モリビトに乗って最後まで戦えたから? 生きているから? そんなの、理由になるもんか! ボクはもっと強い! もっと生き残れるし、もっと墜とせる! いくらだって撃墜してやる! ……なのに、どうしてみんな……お前の肩ばっかり持つんだよ。どうして……誰もボクを見てくれないんだ』

 

 浮かんだ悔恨に林檎の歪みが集約されていた。彼女は戦った。それこそ執行者としては正しく。ブルブラッドキャリアの尖兵としては合格点に。

 

 だが、それは間違っているのだ。

 

 ブルブラッドキャリアの血続として生きるのは、この世界では間違い。罪悪に等しい。だから、林檎は自分の人生を生きられない。彼女の、目指すものは、もう六年前に自分達の違えた道だ。

 

「……林檎・ミキタカ。お前は……」

 

『何も言うなよ! ……何も、言って欲しくない。お前なんかに、分かった風な事を言って欲しくないんだァッ!』

 

 弾けた思惟と感情が、激憤となって《エンヴィートウジャ》を駆け抜けさせる。空間跳躍を繰り返す機体には確実にデメリットが存在するはずだ。

 

「林檎! その機体を使い続ければお前も死に至る! 分かっていてなのか!」

 

『……分かっているさ。ハイアルファー【ハウル・シフト】。こいつの対価は、身体の自由が利かなくなる事。でも……別にいいよね。だってさ! 人機は考えるだけで動かせるし、ボクは、最強の血続だからだ!』

 

《エンヴィートウジャ》が過負荷を無視して《モリビトシンス》へと肉迫する。その太刀筋は既に読めている。単調に成り果てているのを、本人は自覚しているのか。それとも、分かっていてもそうとしか戦えないのか。

 

 それは悲哀だ。鉄菜はアームレイカーを強く握り締める。

 

「……ゴロウ。林檎を救う術はあるのか」

 

『残念ながら、ハイアルファーに蝕まれたのが本当ならば、復帰の術はない。さらに言えば、精神的な拒絶もある。ブルブラッドキャリアに戻るのはまず不可能だろう』

 

「それでもっ! ……やり直せないのか。私は、やり直せた。分かれたんだ。あのまま戦い抜いて、破壊者のままでいても、何も成せない、壊すだけだって! 林檎だって、分かるはずだ。戦いの中で、分かり合えるはずだ!」

 

『喧しいんだよ! 《モリビトシンス》!』

 

 跳ね上がった敵の刃をRブレイドで受け流し、鉄菜はRシェルライフルを再び、血塊炉付近へと照準した。相手にも照準警告は伝わっているはずだ。

 

 それでも止まる気配はない。

 

『うるさいよォッ! 撃てばやられていたって? 撃ちもしないくせに!』

 

 後退した鉄菜はこの戦場を俯瞰する眼を、視野に入れていた。

 

 高空に位置するモリビトタイプ。あの中に収まっているのが、エホバであるのは疑いようのない事実。

 

「お前は……また見ているだけなのか! エホバ!」

 

『……神とは、常に下界を俯瞰する。それだけでそれあれかしと願われた存在だ。ゆえに、僕は見つめ続けよう。下界の諍いを』

 

「その目線が、傲慢だと知れ!」

 

 Rシェルライフルで銃撃を浴びせようとしたが、それを数機のバーゴイルが群れになって防いだ。まさか機体を盾にするなど思いも寄らない。

 

「エホバ! 貴様、他の人機を盾に……!」

 

『違うぞ……、モリビト。我々はもう、ここに生きるしかなくなったのだ。こうやって死ぬしかないのだ……! 世界は我々を爪弾きにした。エホバだけが、救いをくれる。救済の道を……』

 

 信仰心でいくらでも死ねる。いくらでも殺せる。そんな在り方を是とした覚えはない。

 

「……エホバぁっ!」

 

《モリビトシンス》で駆け抜けようとしたのを、《エンヴィートウジャ》が阻む。

 

『敵を前にして! 背中を向けるとはいい度胸だな!』

 

 舌打ち混じりにRシェルソードで切り払う。その一閃を相手は空間を飛び越えて回避していた。

 

 直上に立ち現れた《エンヴィートウジャ》の射線を読んで、鉄菜は機体を後退させる。

 

 一閃を打ち下ろした《エンヴィートウジャ》の腹腔へと鉄菜はRシェルライフルの出力を下げて銃弾を浴びせた。

 

 血塊炉付近を叩いた。これで機能不全に陥った《エンヴィートウジャ》は闇雲に仕掛けてこないはず。そう確信しての攻撃は、直後の薙ぎ払いによって無意味だと悟らされた。

 

《エンヴィートウジャ》はそれでも動く。恩讐の塊のように、こちらをX字の眼窩が睨んだ。

 

『……馬鹿にするな。血塊炉をちょっと掠めた程度で《エンヴィートウジャ》は止まらない!』

 

 この戦いを穏便に終える方法はないのか。鉄菜が歯噛みした直後、一機の人機がバーゴイルの助けを借りて飛翔していた。

 

 その金色の装甲に、覚えず瞠目する。

 

「まさか……《ダグラーガ》?」

 

《ダグラーガ》がバーゴイルの補助によって高空へと躍り上がる。敵陣営が囲い込む前に、《ダグラーガ》は跳躍し、エホバのモリビトタイプと鍔迫り合いを繰り広げる。

 

 錫杖が磁場を帯びてエホバの人機と打ち合った。

 

『ここで! 貴様を打ち倒すのが、拙僧の役目と知った! 無益な血を、流させるものか!』

 

『……《ダグラーガ》。最後の中立か』

 

『左様! そして、この戦場において、その本当の名前を紡ごう。この機体の真の名前は――モリビト。《モリビトダグラーガ》!』

 

 絶句したのは鉄菜だけではない。この空域にいる全員であった。まさか《ダグラーガ》が隠されたモリビトタイプなど思いもしない。

 

《ダグラーガ》の頭部が可変し、ピンクのデュアルアイセンサーを有する頭部が開放された。

 

 今まで王冠のような意匠を持っていた《ダグラーガ》の頭部から無数のケーブルが流れ、それらが外部装甲をパージさせる。

 

 身軽になった《ダグラーガ》が自由落下の中、敵のバーゴイルを踏み台にして再びエホバのモリビトへと一閃を払う。

 

 錫杖の一撃に、殺意が宿っていた。

 

『……まさか、最古のモリビトタイプか』

 

『拙僧に流れるこの血潮! それは人間のものだ。遥かなる悠久の時をこの人機と共に歩んできたが、それだけは変わらない! このサンゾウ、間違いようもなく人間である! だが、貴様はどうだ、エホバ! 神だと嘯き、大衆を欺き、そして人心を掌握する! それは神ではない。神を騙るペテン師の所業だ!』

 

《ダグラーガ》の背部が開き、光背のような飛翔機関が発達する。推進力を得た《ダグラーガ》を、エホバのモリビトは押し返していた。

 

 その手には一振りの十字架を模した剣のみ。それ以外の武器は存在しない。

 

『……さすがは最後の中立、最後の公平なる人機。しかして! それをヒトのために晒した時点で、貴様の負けなのだ! 《ダグラーガ》!』

 

『エホバ! 貴様は討たれるべきである!』

 

 もつれ合いになったエホバのモリビトと《ダグラーガ》が、互いに憎しみをぶつけ合う。それはこの世界を見守り続けた男二人の、譲れない一線であったのかもしれない。他の人機はその戦いに介入出来ないようであった。

 

『嘗めるな……。この《モリビトクォヴァディス》は! 確かに全ての性能をハイアルファーに振っている。弱いとも。だが、神とは! 得てして戦いには赴かないものだ。前線は兵士の領分である!』

 

『そうやって、他者と自分を分けて、それで満足か! 神を気取る男よ!』

 

『違うだろうさ。神と人は、違う!』

 

 錫杖でコックピットを貫こうとする《ダグラーガ》へと必死の抵抗を試みる《モリビトクォヴァディス》であったが、場数が段違いだ。

 

 すぐさま気圧され気味になったのを、《フェネクス》を含め、他の人機がアシストする。

 

『《ダグラーガ》! その首、貰い受ける!』

 

《フェネクス》が二刀を引っ提げ、《ダグラーガ》の背後に回る。速度、性能、全ての面において《フェネクス》は勝利していたはずであった。

 

 その執念、という精神面以外では。

 

《ダグラーガ》が光背より小型爆弾を射出する。眩惑の炸裂弾による一瞬の隙は、《フェネクス》を撃墜するのには充分であったのだろう。

 

《ダグラーガ》が《フェネクス》の背を蹴りつけ、錫杖を振るい上げる。

 

『討たれるは貴様だ』

 

 冷徹なる殺意が振り下ろされようとしていた。それを阻んだのは、《エンヴィートウジャ》の腕である。

 

 空間を飛び越えた林檎の人機が、《フェネクス》を庇い、錫杖を受け止めていた。

 

『林檎……』

 

『言ったろ。貸しだって。返したよ』

 

『嫉妬のトウジャか。醜き代物だ』

 

 鉄菜は空域より、円弧を描いて離脱しつつ、ゴロウに最適解を振る。

 

「ゴロウ! エホバを迎撃する!」

 

 今のエホバは丸腰同然だ。しかしながら、この空域の人機全てを掌握するだけの能力があるのは疑いようもない。《ダグラーガ》が果敢に攻めるのならば、自分もそれに加わる。

 

 今のエホバ陣営を動かしているのは求心力だ。絶対者、神を気取るエホバへの信仰心。それが彼らの全てである。ならば、エホバを撃墜すれば総崩れになるのは目に見えていた。

 

 エホバを倒すべく《クォヴァディス》の射線に入った《モリビトシンス》を、相手も発見する。

 

『……鉄菜君』

 

「エホバ……いや、ヒイラギ。こうして会うのは久しぶりか」

 

『……君には最後まで、敵になって欲しくなかったよ』

 

「貴様はさじを投げた。現状を見守る事に、何もかもを諦めで閉ざそうとしたんだ。そんな事、看過出来るわけがない!」

 

『ならば墜とすといい。君が許せないというのならば、武力で僕を否定しろ』

 

 それしかないのか。鉄菜は拳に力を込める。戦いで、武器で殺し合うだけが、自分達に与えられた唯一の自由。唯一の、発言の意義。それを、全てを諦めた男が口にしている。

 

 この世で力を持つのは結局、最後には鉛弾でしかないのだと。

 

 そんな悲しい現実を、彼は是とした。ならば、自分は突き進むしかない。

 

「鉄菜・ノヴァリス! 《モリビトクォヴァディス》を撃墜する!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯313 心の赴く場所は

《モリビトシンス》が空域を駆け抜ける。その道筋を《エンヴィートウジャ》が阻んだ。

 

『行かせるものか。《モリビトシンス》! ハイアルファー――』

 

「邪魔だァッ!」

 

 黄金に染まった《モリビトシンス》がハイアルファーを発動する前の《エンヴィートウジャ》の眼前に迫る。

 

 Rシェルソードが無慈悲にその腕を断ち切っていた。大剣が海に没する。

 

『そうだ。憎しみを抱いて来い、鉄菜・ノヴァリス。それこそが、君には相応しい』

 

「墜とす! 私のモリビトで!」

 

 Rシェルソードを振るい上げ、鉄菜は《クォヴァディス》を破壊しようと一撃を極めかける。

 

 その時、Rシェルソードが根元より寸断――否、消滅した。

 

 思わぬ攻撃に鉄菜は腕ごと抹消させられた部位を振るう。

 

「何が……」

 

 起こったのか。理性が判じる前に、本能が鉄菜へと飛び退るのを命じさせていた。

 

 先ほどまで自分の機体があった空間を、不可視の力が捩じ切っている。

 

 片腕をもがれた《エンヴィートウジャ》が、もう片方の手を開き、それを操っていた。

 

『……まさか、この短時間で会得したと言うのか。二点の空間を完全に抹消する術を』

 

 ゴロウの驚愕に、鉄菜は肘まで消し飛ばされた右腕を目にする。発現すれば面倒だとは思っていたがまさかこのタイミングだとは。

 

『……させない。絶対に! エホバは墜とさせない! ボクらの希望なんだ! ボクの居場所だ!』

 

『その通りだ。我々は、世界に裏切られた。なればこそ、報復の刃を向けるだけ。貴様らと、変わりはしない!』

 

《フェネクス》の操主が《ダグラーガ》と打ち合う。二刀流の《フェネクス》に対し、《ダグラーガ》は不利を強いられていた。

 

《エンヴィートウジャ》と《フェネクス》、それに《クォヴァディス》が囲む空域で、《ダグラーガ》と《モリビトシンス》が背中を預ける。

 

「……どうするつもりだ。サンゾウ」

 

『どうもこうもない。拙僧は、もう決めたのだ。我が決断に、逡巡を挟む暇はなし。《クォヴァディス》を撃墜し、エホバ陣営を無効化する。手を貸してくれるな?』

 

 その問いは遥か向こう、《ゴフェル》より前に出たラヴァーズ旗艦、《ビッグナナツー》の甲板で拳を掲げる人機達に向けられていた。

 

 彼もまた、信仰心で他人の人生を弄んだ者。どこかで思うところがあるのだろう。

 

『《ダグラーガ》に! ラヴァーズに栄光あれ!』

 

 おおっ、といううねりはそのまま波のようにエホバ陣営に響き渡る。

 

 彼らもまた、武器を掲げ、エホバを称えていた。

 

『神の軍勢はここに! エホバこそが絶対の存在なり!』

 

 互いに正義を譲る気配のない者同士。ここまで、と鉄菜は悔恨を滲ませる。

 

 どうして、ここまで分かり合えない。どうして、憎まなくてもいい者同士が互いを憎み合う。

 

 彼らは立ち位置さえ違えば同じだ。同じ、世界に爪弾きにされた人々なのだ。

 

 その光を《ダグラーガ》に見たか、エホバに見たかだけの瑣末なもの。

 

 本人達は気づいているはずだ。どちらのために戦ったところで、本当に幸福は訪れないのだと。

 

 自分達二人の存在が、数多の人々の運命を弄んでいるのだと。

 

 ――ならば、それを理解している自分は? ブルブラッドキャリアとして、報復の刃を向けるはずだった自分はどうすればいい?

 

《モリビトシンス》。その力をどう振るうのが正しいのか。

 

 ない交ぜになった感情が鉄菜を硬直させる。

 

 刹那、敵機の接近警報に鉄菜はRシェルソードを掲げていた。

 

《エンヴィートウジャ》が武器も持たぬまま肉迫し、その不可視の念力で座標を引き千切る。

 

 一度でも扱い方を覚えさせれば厄介。そう感じてはいたものの、戦いを先延ばしにしたのは自分だ。どこかで、林檎を……仲間を墜としたくはないのだと、駄々を捏ねているのは自分自身なのだ。

 

《ダグラーガ》のように全てを捨て去る決意も。ましてやエホバのように、何もかもを背負って立つような覚悟もない。

 

 自分は何のために戦っている? 失いたくない。誰も死なせたくないと息巻いておいて、結局死人を増やしているだけではないか。

 

「……何をやっている。鉄菜・ノヴァリス。私は! 覚悟したはずだろう!」

 

 そうだ。《ゴフェル》のみんなに誓った。もう、誰も死なせない。誰も、無意味に死んで欲しくないのだと。それなのに、自分は何をやっている?

 

 ヒイラギを殺したくはない。燐華にも、死んで欲しくない。林檎を、手にかけたくない。どれもこれも、身に過ぎたわがままだ。誰も死なせない結末なんてない。誰も殺さないで済む終わりなんてあり得ない。

 

 自分達はブルブラッドキャリア。この星へと堕ちてきた凶星そのもの。

 

『墜ちろよォッ! 鉄菜・ノヴァリス!』

 

《エンヴィートウジャ》の睨む座標が《モリビトシンス》を捉えていた。逃げ切れない。二点の間を完全に「なかった事」にする能力。それは使いこなせば無敵だ。

 

『鉄菜! 撃墜されるぞ! 回避運動を取れ! 鉄菜!』

 

 ゴロウの叫びもどこか遠い出来事であった。ここで自分が死ねばいいのではないか。ここで自分が手打ちにするのには、やはり命を終わらせるしかない。

 

 自分が生んだ憎しみ。自分が育んだ怨嗟。自分のために、争う無垢なる者。

 

「……ゴロウ。私は……」

 

『……馬鹿者が!』

 

 口走った途端、《モリビトシンス》の行動権が《クリオネルディバイダー》側に移されていた。急速後退した《モリビトシンス》が辛うじて《エンヴィートウジャ》の攻撃を回避する。

 

『何をやっているんだ! まさか、自分が死ねば何もかも終わるなんて、そう思っているのではないだろうな?』

 

 沈黙を是とした鉄菜に、ゴロウが叱責する。

 

『思い上がるな! 一人の命で贖えるものなんてたかが知れている。一人は、一人なんだ。百人の代わりにはなれない。そう、我々に教えたのは、君のはずだ! 君が、我々に心を教えた。支配と悦楽しかない我々に、友愛を説いたのは、君だろう! 鉄菜・ノヴァリス!』

 

 ハッと、鉄菜は面を上げる。合い争う人機達。その中で、自分だけ逃れようというのか。自分だけ見ないようにしたいというのか。

 

 その傲慢さに、腹が立ったのは自分自身。

 

 どうして、何のためにここまで生きてきた? 何のために六年もの間、孤独に戦い抜いた?

 

 戦う理由が分からないと、瑞葉には言った。心の在り処なんてどこにもないのだと、投げ打った。

 

 だが、違ったのだ。

 

 こうして生きている事。こうして、誰かと合い争い、それ自体を深く悲しむ事。それこそが、既に――。

 

「彩芽、心は……ここに……」

 

『墜ちろよォッ!』

 

 再び構築させられかけた念動力を、鉄菜はフットペダルを踏み込んで加速する。

 

 不意に大写しになった《モリビトシンス》に、《エンヴィートウジャ》に乗る林檎が息を呑んだのが伝わった。

 

「私は……逃げない! 壊して壊して……、何度間違えたって、壊したって、また作り直す! それが人間なんだ。それが、モリビトの――あるべき姿だ!」

 

『世迷言を!』

 

 敵の手が《モリビトシンス》を握り潰そうとする。その敵機へと、鉄菜は蹴りを浴びせていた。よろめいた《エンヴィートウジャ》に、Rシェルライフルで間断のない銃撃を見舞う。

 

 装甲が弾け飛び、機体のフレームが震えた。

 

「私は……私の罪を背負う。罪から逃げる事は出来なくとも、罪に向き合い続ける。それが、私だ!」

 

『……鉄菜・ノヴァリス。それが貴様の答えだというのか』

 

《エンヴィートウジャ》が忌々しげにこちらを見据える。鉄菜は是の代わりに、砲撃を照射していた。

 

 Rランチャーの一撃を回避し、海上を《エンヴィートウジャ》が疾走する。

 

『ああ、妬ましい! どうして、そう思い切れる! 何もかも……世界の重力から逃れて、どうしてそう、簡単に答えを決め込める! ボクが……どう頑張ってもその答えだけは否と言いたかった答えに、何で容易く手を伸ばせるんだァーっ!』

 

「それが、人間だからだ。エクステンドチャージ!」

 

 黄金の速度に至った《モリビトシンス》が《エンヴィートウジャ》と並走する。互いに相手を許すまじと判断している二機がもつれ合い、拒絶の攻撃を交し合った。

 

『どうしてなんだ! 何で、お前は全部持っている? どうして、ボクの手にはない!』

 

「私が全部持っているんじゃない。……みんなに預けたんだ。私の全てを」

 

『だからっ! それが綺麗事の塊だって、言っているんだろうが!』

 

《エンヴィートウジャ》が攻撃しようとした矢先、不意打ち気味の火線が機体へともたらされた。

 

 振り返った鉄菜はその機影にまさか、と声にする。

 

「《イドラオルガノンジェミニ》……蜜柑・ミキタカか」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯314 トガビト

 戦闘空域に割って入った《イドラオルガノンジェミニ》の砲口は確かに、《エンヴィートウジャ》を捉えていた。

 

『蜜柑! 何だってそいつの味方をするんだ。やっぱり、キミだって、ボクを憎んで――』

 

『違う!』

 

 遮って放たれた声の切迫に、林檎は言葉を失ったようであった。

 

『違うよ……、違う。何もかも、違うの、林檎……。もう、やめよう? 誰かを憎んだって、妬んだって! その果てにあるのは苦しみだけだよ! 林檎が、苦しいだけなんだ! これ以上、林檎に自分を嫌いになって欲しくないよ……』

 

《イドラオルガノンジェミニ》から注がれるのは、ただの悲しみだけ。怨嗟でも、ましてや恨みでもない。蜜柑はこれ以上、自分と林檎が争うところを見たくないのだろう。

 

『……何だよ、それ。蜜柑だけは、分かってくれると思ったのに』

 

『分かってるよ。みんなのところに帰ろう? 林檎。誰も林檎の事を恨んじゃいない。誰も嫌ってなんかいないよ。だから、《ゴフェル》に――』

 

『そんなのさ! もう無理だって、分かり切っているだろ! ボクはこいつに剣を向けたんだぞ!』

 

 林檎がハイアルファーの力を使おうとして、その片腕を《イドラオルガノンジェミニ》の正確無比な銃撃が阻んだ。銃弾が片腕を根元から叩き落す。

 

『……どうしてだ、蜜柑……』

 

『やめようよ! もう戦う必要なんてないよ! ……一緒に資源衛星に戻って、全部の戦いを終わらせて、それでまた静かに暮らそうよ。そうすればきっと、恨みだって、憎しみだって、遠い出来事になるよ。元の林檎に戻れるからっ、だから……』

 

『元のボクって何! 蜜柑にボクの、何が分かるのさ!』

 

《エンヴィートウジャ》が《イドラオルガノンジェミニ》を射程に捉える。まずい、と鉄菜は習い性の身体を動かそうとした。

 

《エンヴィートウジャ》に予備動作は必要ない。ただ、二点の座標を睨み、念じればいいだけ。《イドラオルガノンジェミニ》を守るべく、鉄菜は手を伸ばした。

 

「やめろ――!」

 

『終わりなんだ! 何もかも、全て! ボクはこの世界が大嫌いなんだ!』

 

 叫びと共にハイアルファーの力が実行されるかに思われた。

 

 その瞬間、空より放たれた一条の光線が、《エンヴィートウジャ》を貫いた。

 

 何が起こったのか、誰も理解出来なかった。この空域にいる、全員が、何が起こったのかを理解出来ぬまま、その銃撃の主を仰ぐ。

 

 虹の皮膜を超え、一機の人機が佇んでいた。

 

 片腕を開いた形でこちらを睥睨する人機は現状のどの人機の設計思想とも異なっている。

 

 仮面のような頭部形状。金色の血脈を宿らせて、全ての罪から逃れたかのような白亜の機体は断罪の指先を弾かせた。

 

 その一動作だけで無数の光条がその機体の背面から放たれ、《エンヴィートウジャ》を射抜く。

 

『……醜い争いを見せるな。下界の者達……欠陥品共め』

 

《イドラオルガノンジェミニ》が《エンヴィートウジャ》へと近づこうとする。それを、鉄菜は反射的に塞いでいた。

 

『いや! 嫌だよ! 林檎! 鉄菜さん、退いて……退いてぇっ!』

 

「駄目だ! 蜜柑! 爆発に巻き込まれるぞ!」

 

『いいのぉ……っ! 林檎と一緒にいたい!』

 

『醜悪な喰い合いに、欠陥品がまだ喚く。散れ』

 

 謎の人機より四方八方に矢じり型の武器が放たれる。高速で自律機動するその兵装を、鉄菜は知っていた。

 

「Rブリューナク……だと……」

 

 全方位から迫り来るRブリューナクを相手に、鉄菜は逃げに徹するしかなかった。その間にも、《エンヴィートウジャ》との距離は離れていく。

 

『林檎ぉっ!』

 

 蜜柑の叫びに、林檎の声が通信に入り混じった。

 

『蜜柑……こんなになっても……ボクを呼んでくれるんだ。……何だか、今までで一番、姉妹になった気分、だね……』

 

『何を言ってるの、すぐに逃げて! 林檎!』

 

《モリビトシンス》の行く手をRブリューナク数基が阻む。鉄菜は奥歯を噛み締めて上昇させていた。しかし、《イドラオルガノンジェミニ》の重量が邪魔をして、離脱挙動に入れない。

 

 確実に一基は食らう。そう確信した、瞬間だった。

 

『安心……しなよ。蜜柑は……死なせない』

 

 不可視の念動力が前方のRブリューナクを粉砕する。抜けたRブリューナクが《エンヴィートウジャ》を囲い込み、その血塊炉とコックピットに向けて、それそのものを質量粉砕兵器として、打ち込まれた。

 

《エンヴィートウジャ》の装甲が引き裂け、折れ曲がった機体フレームが次の瞬間、爆発の光に包まれた。

 

《イドラオルガノンジェミニ》から絶叫が迸る。

 

『いやぁっ! 林檎ぉっ!』

 

《イドラオルガノンジェミニ》を《ゴフェル》から支援にやってきた《カエルムロンド》と《ジーク》が受け取る。

 

『あいつ……何なんだ!』

 

『クロナ! あの機体は……』

 

 こちらの憎しみにも、相手は手を払って応じる。

 

『貴様らの地上での醜き行い、どこまでも愚行であった。神を名乗る男、エホバ。それに、解き放たれたトウジャタイプが地上を穢し、また罪を重ねる。どこまで行っても……星の者達は分からないと見える』

 

「……ブルブラッドキャリア本隊。その操主、……梨朱とか言ったか。《モリビトセプテムライン》の!」

 

『覚えてもらって光栄だな、旧式操主、鉄菜・ノヴァリス。ああ、しかしながら前回のように、この名を呼んでもさほど嫌悪と憎悪には包まれないな。やはり精神点滴の作用か。むしろ、貴様らは救済すべき……迷える衆愚なのだとさえも思えてくる』

 

 梨朱の言葉に鉄菜は迷わずRシェルライフルを引き絞っていた。銃撃を、不明人機は皮膜で弾く。

 

「リバウンドフィールドか……!」

 

『林檎ぉ……、いやっ……嫌だよぉ……っ!』

 

『弱いな。執行者とは、ここまで弱い代物であったか。裏切った個体を破棄も出来ない、出来損ない』

 

 瞬間、鉄菜の胸の中に宿ったのは灼熱であった。身を焼きかねない憤怒の衝動が《モリビトシンス》を稼動させる。

 

 エクステンドチャージの残滓を刻みながら、《モリビトシンス》がRシェルソードで敵人機へと肉迫していた。

 

 こちらの殺気に相手は涼しげに返す。

 

『……愚かしいのは貴様もか? 鉄菜・ノヴァリス』

 

「黙れ……、黙れ!」

 

 弾き返し、敵の懐に飛び込もうとして、全方位からの照準警告に鉄菜は飛び退っていた。

 

 Rブリューナクが赤い光を湛えて空間を引き裂く。

 

『賢い判断だ。飛び込めば八つ裂きだった』

 

「梨朱・アイアス……! 貴様、その人機は……!」

 

『初めてだったか。これこそが、ブルブラッドキャリアの真の切り札。惑星報復を成し遂げる人機。名を《トガビトコア》』

 

「トガビト……。新型の、人機だと」

 

『月面で粛々と新型を造り上げている貴様らとは違う。これこそが! 百五十年の叡智を掻き集めた、真の報復者! 真の復讐者だ!』

 

 そして、と《トガビトコア》が機体装甲を逆立たせる。波打った装甲からリバウンドフィールドが放たれ、あろう事か天上のリバウンドフィールドを無効化した。中和された皮膜の向こう側へと敵機は消えていく。

 

『貴様らは最早! 堕ちるしかない! この星と共に運命を共にしろ!』

 

『させるか! ハイアルファー【アエシュマ・デーヴァ】!』

 

 その言葉と共にエホバの操る《クォヴァディス》が空間を飛翔する。《トガビトコア》の背後へと、その機体は現れていた。《クォヴァディス》が十字剣を振るい上げる。その動作を、《トガビトコア》は振り向きもせずに対処していた。

 

 奔ったRブリューナクの一撃が《クォヴァディス》を射抜く。阻まれた形の機体へと、追い討ちの攻撃が放たれかけて、それを鉄菜はRシェルライフルで防衛していた。

 

『ほう……どちらの味方なのだ。貴様は』

 

「どちらでもない……、今は、お前を倒す。それが先決だと判断した」

 

『そうか。……どうせ、分かり合えぬ。だが、貴様との決着は持ち越しだ。宇宙で待っている。この愚かしき神を騙った男を罰するのも、今はやめておこう』

 

《トガビトコア》が成層圏を軽々と突破し、すぐに見えなくなった。ゴロウが解析結果にううなる。

 

『……あれは……まさしく新世代の人機だ。該当データがまるで存在しない。モリビトとも、キリビトとも違う、全く別種の機体』

 

 全く別存在の脅威に、鉄菜は歯噛みしていた。

 

 林檎を、助けられなかった。彼女を、取り戻せたかもしれないのに。それなのに、自分は愚かしくも争う道しか選べなかった。

 

 蜜柑の咽び泣く声が通信に入り混じる。鉄菜は拳でコンソールを殴りつけていた。

 

「……何が、何がモリビトだ。私は! 結局何も救えていないじゃないか……」

 

『後悔を噛み締めるのは後にするんだ。《ナインライヴス》がまずい』

 

 その言葉に、鉄菜は先ほどから《キリビトイザナミ》と激戦を繰り広げている《ナインライヴス》に視線を向けた。

 

 ウイングバインダーは四枚とも剥がれ落ちており、Rランチャーの継続放射は絶望的であった。

 

 それでも燐華の、《キリビトイザナミ》の猛攻は収まらない。

 

『行け! Rブリューナク!』

 

《キリビトイザナミ》の機動力を補助する四枚の翼が分離し、それぞれ幾何学の軌道を描いて《ナインライヴス》へと突き刺さろうとする。

 

 それを、鉄菜はRシェルライフルの銃撃で制していた。

 

 割って入った《モリビトシンス》に、桃から声が伝わる。

 

『ゴメン……、クロ。相手が、強過ぎる……』

 

「すまなかった、桃。林檎を……救えなかった……」

 

 その言葉に思うところがあったのだろう。桃も言葉少なであった。

 

『いいえ……それは、モモの……』

 

『鉄菜ぁ……っ。モリビトが……お前が、モリビトか……ぁっ!』

 

「燐華・クサカベ! 私を見ろ! 私は、《モリビトシンス》の操主、鉄菜・ノヴァリスだ!」

 

 今のステータスでは《キリビトイザナミ》には勝利出来ないだろう。片腕をもがれ、武器も損耗している。エクステンドチャージもまともに使えない。それでも、声は届くはずだ。

 

 言葉で、分かり合えればいいはずなのだ。

 

『いや……、鉄菜は……モリビトなんかには乗らない。だって、モリビトは全部奪っていった! 鉄菜も、みんなも! にいにい様も、隊長も! 何もかも奪ったのは、モリビトだァッ!』

 

 Rブリューナクが殺意を帯びて《モリビトシンス》を包囲する。鉄菜はRシェルソードに可変させ、物理性能を纏ったRブリューナクを打ち返した。

 

 燐華の呻き声が通信に混じる。

 

「燐華・クサカベ! 私は、ここにいる! ここにいる私が、鉄菜なんだ!」

 

『嘘、嘘だよぉ……っ。鉄菜はそこにいない……、あたしの傍にいてよぉ……ぅ。鉄菜ぁっ!』

 

「燐華! 私の声を聞け!」

 

 Rブリューナクの攻撃網を掻い潜り、鉄菜は《モリビトシンス》で《キリビトイザナミ》へと触れる。

 

 刹那、悲鳴が迸った。

 

 それでも呼びかけをやめない。

 

「燐華! 前を見ろ! 過去に縋るんじゃない!」

 

 瞬間、プレッシャーライフルの光条が《モリビトシンス》を狙い澄ます。後退した鉄菜は艦隊より現れた《ゼノスロウストウジャ》を見据えていた。

 

「援軍か……」

 

 口走った鉄菜は前に出た《ゼノスロウストウジャ》が燐華の搭乗する《キリビトイザナミ》を下がらせたのを目にする。

 

 これ以上の継続戦闘は不可能だと判じたのか。いずれにせよ、決着をつけなければならないのは自分も必至であった。

 

「……桃、《ゴフェル》へと帰投する」

 

『了解。……でも、蜜柑は』

 

「蜜柑も、だ。まだ、彼女には生きていてもらわなければならない。……どれほど世界が残酷でも」

 

《イドラオルガノンジェミニ》を《ナインライヴス》が回収し、鉄菜はこの混迷の戦場より離脱していた。

 

 エホバ――神の陣営は高空に位置し、こちらを見下ろしている。

 

 ラヴァーズの中枢たる《ダグラーガ》が《ビッグナナツー》甲板へと戻っていた。

 

 三つ巴の戦いは、収束の気配を漂わせぬまま、静かに継続する事になった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯315 他者の領域

『薬物投与が必要か』

 

 その通信を聞いたヘイルは、いや、と声を躊躇わせていた。

 

《キリビトイザナミ》、ハイアルファー人機を乗りこなした燐華が艦隊側面からようやく格納庫へと足を運ぶ。胃の中のものを吐き出した彼女へと、《ゼノスロウストウジャ》より飛び出した自分は駆け寄っていた。

 

「ヒイラギ! 大丈夫か……?」

 

「いやだ……ぁっ……、鉄菜……、傍にいてぇ……ぅ、あたしを、一人にしないで……」

 

 ハイアルファーのフィードバックか、とヘイルは医務室へと促そうとする。それを阻んだのは、一人の男だった。怜悧な瞳を湛えた男は医務室へと運ぶべきではない、と進言する。

 

「ハイアルファーとの同調率がまだ弱い。運ぶべきはシミュレーションルームだ」

 

「正気か? この状態のヒイラギにまだ、戦闘訓練をさせろって?」

 

「無論、正気だとも。今の情勢を見ただろう? エホバ側は暫くこの空域から逃げられない。これは好機だと判断する。アンヘルはこのまま、エホバを迎撃し、その勢いを殺さず、ブルブラッドキャリアを殲滅する」

 

「現実的じゃないって言っているんだ! 《スロウストウジャ弐式》だってもうほとんど撃墜されて……!」

 

「数の有利は失われた。だが、あの割って入った不明人機……あれはブルブラッドキャリア本隊によるものだ。まだ宇宙にいる本隊は力を失っていない。ならば、ここで叩けるものは全て叩いておくべきだ。残りは暗礁宙域で陣取るブルブラッドキャリアだけになる」

 

 ヘイルは覚えず胸倉を掴み上げていた。兵士の事をまるでただの数としてしか考えていないような言い草に苛立っていた。

 

「あんた……、それでも人か!」

 

「……そう言われれば、人ではない、と答えられる」

 

 思わぬ返答にヘイルは絶句する。男はこちらの手を振り解いた。

 

「わたしの名前は白波瀬。この地に残る事を決めた最後の人間型端末であり、惑星の平定のため、アンヘルに味方する」

 

「どういう……人間型端末……?」

 

「分かりやすく言えば人造人間だ。ブルブラッドキャリアの用意した、ね」

 

 思わぬ名前の因縁にヘイルは硬直していた。白波瀬はふんと鼻を鳴らす。

 

「聞いていなかったか。いや、所詮はアンヘルとは言え一構成員。権限はなかった、か」

 

「……おい、どういう事だ。人造人間? 人間型端末? ……馬鹿げている」

 

「馬鹿げているかどうかは、この人機を見ればいい。ようやく完成に漕ぎ付けた、最強の人機。《キリビトイザナミ》」

 

「あんたは! 人機さえ武勲を挙げれば、いいと思っているクチか!」

 

 こちらの激昂に相手は首を傾げる。

 

「それ以外に何が必要か。人機が武勲を挙げれば、それだけ死ななくていい命がある。人を救えるのは、戦いの中だけだ。それ以外にない。わたしは、六年前、ブルブラッドキャリアの報復作戦の一助として、この惑星に放たれた。だが、我々人間型端末……調停者は特別な権限が与えられていた。ブルブラッドキャリアの命令から、ある種独自の行動へと移れるだけの権限。それが我々の存在意義だ。わたし達は人を、存続可能な種かどうかを見定める役割が課されていた。そして……三人の調停者はそれぞれに使命を帯びた。一人は、ある男に肩入れした。世界を掴むという野望を抱き……その野望の前に自滅したと言ってもいいだろう。もう一人は……単独で全てを手に入れるつもりであった。いや、今も継続しているからつもりであった、というのは不可解か。彼の戦いは自分を頂点とする新たなる勢力図の構築。そして、世界を自分の意のままに動かそうとしている。……わたしは二人の調停者の全く異なる行動規範を目にし、そして考えた。この星を最大限に導くのにはどうすればいいのか。ブルブラッドキャリアの命令に反しない最大の功績は何か、と……。考えた末が、これだ」

 

「……《キリビトイザナミ》」

 

「君は知らなかったかもしれないが、彼女はね。特別なんだ。血続とは言っても君らアンヘル構成員とは別種だよ。本物の、これから先の人類を導くに足る、最強の純粋血続」

 

 歩みを進めた白波瀬はまだ呻く燐華を見下ろし、その肩に手を置く。

 

「やれるね?」

 

 問いかけた言葉に、憔悴し切った面持ちの燐華は力なく頷いた。

 

「よし。シミュレーションルームに」

 

 数人の連邦軍人を、ヘイルは殴りつけていた。その暴力に白波瀬が目を見開く。

 

「どうした? ヘイル中尉。君の職務は終了している」

 

「……納得出来ないからよ。何が、ブルブラッドキャリアの命令だ、何が、世界を導くだ! てめぇは結局、自分の自己満足のために、切り捨てるだけだろうが! ヒイラギの命でもさえも!」

 

「ふむ。君には難しかったかな。これは遠大なる、人類の生存圏の獲得に必要なのだよ。このまま行けば、人類は二分される。持つ者と持たざる者。血続と、ただの人間。しかしながら、その摩擦を、限りなくゼロに抑えるのが、彼女の役割だ。純粋血続が身を挺して惑星を守る。そのドラマは語り継がれるだろう」

 

「そんな大層な目的のために、俺もヒイラギも戦っているわけじゃねぇ!」

 

「では、何のためだ、ヘイル中尉。もうすぐ、C連邦とアンヘルは併合され、アンヘル側の発言権は消滅する。そうなれば、またしても混迷の時代へと逆戻り。支配と抑圧によって成り立っていた偽りの平和は暴かれ、六年前の繰り返しだ。また、冷戦状態になる。世界は、エホバと、それに与しない国家との間断のない争いの只中へと落とし込まれるのだ。それを防ぐのには、彼女の力しかない。《キリビトイザナミ》が、世界を導く。あるべき姿に、ね」

 

「ふざけんな!」

 

 殴りかかったヘイルを白波瀬は涼しげに回避し、その姿へと疑問を挟む。

 

「どうしてだ? 君は、燐華・ヒイラギに何ら、関係がない。ただの同じ部隊に所属するだけの、関係性の希薄な存在のはずだ。肩入れする意味もない。君は他人だよ、ヘイル中尉。我々の赴く世界からして見れも、ましてや、ヒイラギ准尉からしてみても」

 

 ヘイルは目を戦慄かせる。自分は、所詮は他人。

 

 燐華の苦しみを肩代わりする事も出来なければ、この遠大なる野望を食い止めるだけの人間にもなれない。ちっぽけな存在。ただ、状況に翻弄されるだけの端役。

 

「……それでも」

 

 ヘイルは拳を振るっていた。それを相手は身をかわし、襟元を整える。

 

「……君は何に対して怒っている? ブルブラッドキャリアを憎むのであればこれを邪魔する意味はない。それとも機体か? 《ゼノスロウストウジャ》は与えただろう? 何の不満がある?」

 

「……俺が、隊長と同じ《ゼノスロウストウジャ》が与えられたからって、はいそうですか、で引き下がる奴じゃないっていう、誤算だよ」

 

 きっと隊長だってこうしたはずだ。燐華を、一人で苦しませるような真似は許さないはず。

 

 しかし、白波瀬は心底理解出来ないとでも言うように頭を振った。

 

「肩代わり出来ない痛みが存在する。この世には、どれほど言い繕っても。君は、燐華・ヒイラギ准尉の、何者にもなれない」

 

「うるせぇな……。何者じゃなくたって、俺は! ヒイラギを守らなきゃいけないんだよ!」

 

 振るった拳を白波瀬は受け切り、そのまま腕を基点として捩り上げた。身体が浮き、直後には背中を強く打ちつける。

 

「……大局で物を見られない人間は、時に度し難いほどの愚行を犯す。君もその典型だ。せっかくだから、ハッキリさせておこうか。――君はただの兵士。ヒーローじゃない」

 

 言い捨てられ、ヘイルは連行されていく燐華の背中を眺めていた。

 

 何か言わなくてはいけないのに、声が出ない。白波瀬の言葉が胸に突き刺さっている。

 

 ――ただの他人。ヒーローにはなれない端役。

 

 胸を占める喪失感を噛み締め、ヘイルはエアロックに阻まれた通路の先を睨み続けていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯316 ゼロに還る

『これがブルブラッドキャリアの、その答えか』

 

 義体達が囁く。中央には先ほど入手した新型人機の映像があった。

 

『《トガビトコア》……、全てのデータ介入を拒んでいる。我々の権限では、どう足掻いてもこの機体を突破する情報は入手出来ない』

 

『しかし、エホバ側があの空域に現れたのは僥倖そのもの。アンヘル、C連邦艦隊を集中させ、一網打尽にする』

 

『そう容易く行くものか。敵はハイアルファー人機を有している』

 

『《モリビトクォヴァディス》』

 

 エホバの乗るモリビトの映像へと切り替わり、発生させた空間転移現象を何度も再生させる。

 

『相当な負荷がかかるはずだ。エネルギー兵器を装備していないのはそのためか』

 

『《クォヴァディス》自体の脅威度は低いだろう。問題なのは、敵陣営が三十機前後の人機の寄せ集めである事』

 

『信仰心は偉大だな。エホバという求心力だけで三十機か』

 

『比して、我が方で出せる兵力は限られている。《キリビトイザナミ》がいても、三十機は撃墜し切れるかどうか』

 

『否、今は一陣営を落とす事を第一に掲げるよりも、宇宙で待つブルブラッドキャリアのために、戦力の温存をしておくべきではないのか』

 

『だが、我々とブルブラッドキャリアは協定関係にある。あまりに決断を先延ばしにすれば勘のいい人間は疑問を挟むだろう』

 

『バベルネットワークを完全に物にするのには月面での戦闘は避けられない。ここでエホバ、ラヴァーズ、そしてブルブラッドキャリアを相手にするよりも、宇宙に兵力を回すべきなのではないか?』

 

『駐在軍より、情報は』

 

『ない。エホバの掌握したネットワークの中に宇宙との交信も含まれている。ブルブラッドキャリアの許したのは僅かな地上への拠点制圧情報のみ。言ってしまえば、《グリードトウジャ》という切り札を奪われた我々は押されている』

 

 認めたくない事実に、全員が黙りこくった。

 

 三機のトウジャタイプが地上より消え、エホバの有する最後のトウジャも《トガビトコア》に破壊された。

 

『残存戦力を渋っている場合ではない。アンヘルの解体案も議会を通りつつある』

 

『あまりにも使い勝手のよかった組織も、もう終わりか。いや、その使い勝手がゆえに、長くは持たないのは目に見えていた』

 

『我々に翼はない。この地下都市より、支配域を広めるしかないのだ。その目的のためには、最後の一滴まで、アンヘルは使わせてもらう』

 

『《キリビトイザナミ》は我らが悲願だ。あれを存分に利用し、《トガビトコア》を含む敵対勢力を駆逐する』

 

『全てはレギオンの完全なる支配のために』

 

 そう結んだ、その時であった。

 

『――いや、そこまでうまく事が進むとお思いですかねぇ』

 

 今までの通信チャンネルとは違う周波数に全員が困惑する。声の主は構わず続けた。

 

『レギオン。確かに総体がゆえに、強靭であったでしょう。ですが、世界を見る眼は腐り落ち、その理想は堕落した。だからこそ、もう手打ちにすべきではないでしょうか』

 

『何者だ。この地下都市に通信を繋ぐとは……』

 

『ブルブラッドキャリアか』

 

『いいえ。ブルブラッドキャリアではありませんとも。我々はグリフィス』

 

 投射画面に幻想の獣を象ったマークが表示され、レギオンは情報の波を漁るが、どこにもグリフィスなる組織は存在しない。

 

『……この地上に、我々の目を掻い潜れる存在など……』

 

『あなた方はずっと、バベルの眼に頼ってきた。万能の眼差しに。しかし、それを一度でも理解すれば、抜け道は容易い。知りませんでしたか? 得てして超越者というものは、小さな存在に足元をすくわれる』

 

 グリフィスの存在は不確定であったが、声紋認証がその声の主を突き止めていた。

 

『……貴様、ユヤマか! レギオンの一員であったはず……』

 

『義体化を拒み、どこへなりと消えたあの構成員が、どうして今頃……』

 

 こちらが突き止めたのを察したのか、投射画面に映し出されたのはユヤマの三次元図であった。

 

 生来の笑みを刻んだ面持ちで彼は嗤う。

 

『ばれましたか。さすがはレギオンだ』

 

『貴様はただの一構成員! ただのパーツであったはずだ。それがどうしてグリフィスなどと!』

 

『……アタシはね、世界をよくしたいんですよ。六年間、見させていただきました。あなた方の手腕を。ですが……世界は荒廃の一途を辿り、そしてやってはいけない事に手を出した。ブルブラッド重量子爆弾、ゴルゴダ』

 

『分かっているのならば話は早い。ユヤマ、我らに加わり、エホバとブルブラッドキャリアを断罪せよ』

 

 その命令にユヤマは哄笑を上げる。

 

『いや、どこまでも度し難いとはまさにこの事! あなた方は機械の身体を手に入れ、悠久の時間を約束されたがために、目が曇った。レギオンは元々、あなた方のようなトップを作るための組織ではない。世界の総体が、集団無意識が! この世界を真に掌握するに相応しいのだと、証明するためにあったはず。しかしあなた方、もう変わりませんよ。旧態然とした支配者と』

 

『言葉を慎め、ユヤマ。貴様の位置など一瞬で割れる』

 

『それは……どうですかな。何なら、今、どこにいるかお分かりで?』

 

 レギオンはバベルネットワークを駆使してユヤマの通信先を逆探知する。その結果が弾き出された時、彼らは絶句した。

 

『直上……、上空だと!』

 

『正解です。あなた方はあまりに遅かった。地下都市ソドムはいただきますよ。我々グリフィスがね』

 

 上空の全翼型飛行物体より、何かが投下される。それを迎撃すべく、コミューンの防衛装置が作動した。

 

 レギオンの秘匿された地下都市ソドムは、連邦コミューンの辺境地に位置する。

 

 そのコミューン外壁より無数の銃座が展開され、不明物体を撃墜しようと火線を瞬かせた。

 

 黒々としたコンテナに抱かれた不明機が、直後にはコンテナを捨て去り、幾何学の軌道を描いて地上へと降下する。

 

『あれは……人機か。照合を!』

 

 しかし、その照合結果にレギオンは息を呑む。

 

『モリビト01……そんなはずは! モリビト01は六年前の殲滅戦で!』

 

 撃墜されたはずの人機が、今ソドムへと襲い掛かる。その事実があまりにも遊離していたせいか、レギオンの判断は遅れた。

 

 リバウンドブーツで銃火器の弾幕を回避し、モリビトが降り立つなり、周辺の銃座を完全に沈黙させる。

 

 武器腕が銃撃を奔らせ、瞬く間に防衛機構は意味をなくした。コミューンへと真っ直ぐに突き進む相手に、こちらが打てる手は全くない。

 

『やめさせろ! ユヤマ!』

 

『残念ながら、アタシがやめろと言っても彼女はやるんですなぁ。そういう風に、もう仕上がっているんです』

 

『貴様はっ!』

 

 タレットがユヤマの三次元図を射抜くが、それは所詮投射映像。本物のユヤマではない。

 

『残念です。かつての同志を、こんな形で失う事になるとは。レギオンはいい組織であったとは思うのですが、やはり人の身は恐ろしい。過ぎたる願いを抱いてしまう。野心、独占欲、野望、渇望、欺瞞――、あなた方はやはり、ヒトであった、という事です。ヒトである事を超えられなければ、最後の戦いへと赴く資格すらない』

 

『ユヤマ! 貴様の肉体の位置をトレースする! あの全翼機に乗っているな!』

 

 逆探知した刹那、ユヤマの生命反応が消滅した。先ほどまで全翼機の中にあったユヤマの反応は一瞬にして、制圧する人機の中へと移動している。

 

『……どういう事だ。何故、モリビトの中に……』

 

『確かに奴は上にいた! それは間違いない! ……どのような手品を使った! ユヤマ!』

 

『手品? まじない? はて、まさか機械に包まれた皆様方が、そのような世迷言を吐かれるとは思いもしない』

 

 ユヤマの三次元図が再び現れ、義体の間を闊歩する。

 

『古かった、とは思いませんよ。むしろ、よくもまぁ、持ったものです。アンヘルを組織し、アムニスにそこそこの自由な権限を与え、そして、世界の人機産業を塗り替えた。勢力図は確かに、あなた方の思うままであったでしょう。言論統制、それもうまく行っていました。ただ一つ、決定的なエラーを除いて』

 

『エラーだと? 我々総体にエラーなど、存在するものか!』

 

『ええ、確かに。限りなくエラーはゼロに出来るでしょう。ですが、そこに何の理念もなければの話。集団無意識とはいえ、目指すべき指標は存在する。あなた方は元老院とは正反対だ。彼らはあくまで現状の惑星の存続を願った。これよりよくしようとは微塵にも考えなかった。それがヒトと機械の差異。彼らはもう機械と言っても差し支えなかった存在でしたがあなた方は違う。願った、奪った、そして求めた。完璧なる世界を。その先にある幸福を。しかし、それこそが最大の弱点。あなた方は人間の集団無意識であるがゆえに、頭打ちが見えたのです。それこそが唯一のエラー。人間である事を捨て切れなかったからこそ、あなた方はアタシにつけ込まれた』

 

『……ならば、ユヤマ! 貴様は人間ではないとでも!』

 

『いいえ、人間ですよ。ただ、視点が違う。アタシはね、ここまで人間をやめて、総体の長になる必要性なんてないと思っている。それこそ、人間が、人間として、それぞれの思惑を胸にして奪い合い、争い合う。それこそが人間らしいのであるとさえも』

 

『野蛮人に戻れというのか。ここまで進化した人類の歴史を! ゼロに巻き戻せと?』

 

 その言葉にユヤマは口角を吊り上げた。

 

『取り違えているのはそこも、ですな。人間は、進化なんてしちゃいない。どこまでも愚かしく、どこまでも違いを認め合えない。それが人間です。だからこそ、その差を埋めようと努力する。その壁をなくそうと次に繋げられる。それをあなた方はどうだ? 何もかも、次を棄却し、次を放棄し、次を完全に否定した。次の必要性を消したのですよ。今さえあればいいと。自分達の世代である今の総体こそが絶対だと。それが、致命的であった。あなた方は確かに集団無意識であったでしょう。それは今を生きる人間の願いそのもの。欲望の権化。ですが、時代とはそうではないのです。間違いに間違いを重ねたからこそ、禁忌は生まれた。禁断の鍵を容易く手に出来る時代は、もう終わりにしましょう』

 

 最終防衛ラインをモリビトが超える。そこから先は地下都市まで一直線であった。

 

『人機部隊を出せ! 急発進させろ!』

 

『間に合いませんよ』

 

 おっとり刀の人機部隊をモリビトは蹴散らしていく。モニターするまでもない。全滅までものの三分もかからなかった。

 

『……ユヤマ。ここまでして、何をしたい? 次など、本当に必要だと思っているのか』

 

『さぁ? それは次になってみないと分かりませんね。ですが、だからこそ、楽しみなのではないのですか? 神もいない、絶対者もいない、次の人類こそが、何を成すのかが』

 

 隔壁が爆破され、地下都市ソドムへとモリビトが侵入する。

 

 義体と吊り下げられた機械人形を、モリビトの武器腕が根こそぎ破壊していく。

 

 レギオンの議会は完全に沈黙していた。ユヤマの言う「次」、「次世代」……。どれも考えの範疇になかった事だ。自分達「今の世代」こそが、間違っていないのだと、今を生きる人間こそが、絶対なのだと思い上がっていた。

 

 それこそが致命的。それこそが、自分達のエラーそのもの。

 

 突きつけられた現実にレギオンは哄笑を上げていた。

 

『ユヤマ! これが次に繋がると思うか? これでむしろ……終わりではないのか! 何もかもが! 地上の支配特権層は消える。その後は間断のない争いだ。終わる事のない利権闘争が続くだけ! 我々レギオンは一時的とはいえ、それを打ち止めに出来た! その功績を無視して、次に期待するか? それがどれほどの愚かさだと、分かっているのか?』

 

『ええ、愚かしいかもしれません。ですが、賢しいだけの現状維持はうんざりなのです。世界は変わる。変わらなくてはならない』

 

 モリビトの銃口が義体を照準する。

 

『モリビト! 貴様は変わる時代において不要な存在だ! 切り捨てられるのだぞ! それでもか!』

 

 モリビトの操主の声が通信網を震わせる。

 

『……そう、ね。でも、それでも次を……明日を信じるのに、今日しか見ないのは間違いだもの』

 

 瞬間、銃弾の嵐が義体の存在する議会を打ち砕いた。爆発が連鎖し、地下都市ソドムはその役目を、悠久の年月における支配者の席を終えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 灼熱に抱かれるレギオンの議会を目にして彩芽は感じ入る。

 

 ――終わったのだ。これで支配者は消える。惑星は再び混迷の中。誰も支配者の座にいない時代はしかし、すぐに移り変わるだろう。世界は変化を求め、また激動の時代が訪れる。

 

 その波を止める事は出来ない。

 

『彩芽君。まだ、終わりではないとも』

 

『ええ、そうね。これからでしょう。グリフィス旗艦、《キマイラ》に通達。次なる目標へと迎撃行動に移る』

 

『承認。これより《キマイラ》はエホバ打倒を掲げ、戦闘空域へと介入します』

 

 返答に、彩芽は《インぺルべインアヴェンジャー》を飛翔させる。空想の玉座は焼け落ちた。今、これから先の時代を駆け抜けるのは、まさしく次の息吹。次なる風。それを邪魔する者、弊害は全て排除する。

 

 それがグリフィスの役割。自分の、生かされた命の役目だ。

 

『《インぺルべインアヴェンジャー》。最後の仕事に入るわよ。これより、ブルブラッドキャリアとの最終決戦へと、移行する』

 

 全ては古巣に決着をつけるため。

 

 そして神を騙る男を抹殺し、この世界を空白に戻す。

 

『世界は、変えなければならない。そのための露払いは我々、グリフィスが引き受ける。そのための組織だ』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯317 許されざる者

 

 どれほど罵られても、どれほど憎まれても仕方がないとさえ思っていた。だからだろうか。蜜柑が自分に何も言わなかった事に、意外ささえも覚えたのは。

 

 桃が蜜柑へと寄り添い、しゃくり上げた彼女を抱き留める。

 

 自分には何も出来ない。何も、成せる事はない、と通り過ぎようとして、桃が呼び止めた。

 

「待って、クロ。あんたもこっちに」

 

「私は……、林檎を……」

 

 言いかけて、桃に抱き締められた。思わぬ事態に鉄菜は困惑する。

 

「何を……」

 

「ゴメンね。辛い戦いをさせてしまった……」

 

「辛いなんて、そんなものは……」

 

 そんなものは六年間の間、どれだけでも経験してきた。どれだけでも人間は人間に対して残酷になれる。それは分かり切っていたはずなのに。それでもどこかで甘く見ていたのだろう。

 

 世界がどこかで救いもあるのだろうと。しかし、事実として、林檎は撃墜され、燐華は敵となった。

 

 どう反芻しても自分の責は免れない。

 

「私は……弱かった。あそこで《トガビトコア》を墜とせていれば……」

 

「ううん。クロは頑張ったよ。蜜柑も、頑張った……」

 

 咽び泣く蜜柑を桃は母親のように宥める。母親、と鉄菜は記憶の中に存在しない母の幻影を手繰った。

 

 黒羽博士。自分の生みの親。しかし、その記憶は永遠に失われてしまった。もうどれほど努力したところで、決して手に入れられない母の愛。

 

 自分は慈愛を知らずにここまで育った。何もかも失いながら、ここまで来たのだ。

 

 ――未だ、心の在り処を知らず、この手は虚しく空を掻くのみ。

 

 林檎を失っても、それでもどこかで冷徹な自分を発見して嫌になる。脅威は省かれた。エホバ側の優位は一時的に失われたのだと、そう賢しく分析する自分が、何よりも醜い。

 

 合流した瑞葉とタカフミへと自然と視野が行っていた。二人は生存の喜びからか、笑みを交し合っていた。

 

 不思議な宿縁だ。彼らは互いにすれ違い、争いまでしたのに、こうして笑い合える。こうして、互いの無事を心から喜べる。その精神性が分からない。

 

 どうして、他者のためにそこまでやれるのか。どうして、他人のために涙出来るのか。

 

 まだ、この身は分かっていない。本当の意味で理解していないのだ。

 

「クロ。エホバはまだ来る。完全に優位を失ったわけじゃないから、まだ……」

 

 まだ終わってはいない。辛い戦いはむしろ、これからだろう。

 

「エホバの陣営をどうにかして打ち崩せればまだ勝機はあるが……、アンヘルと連邦艦隊は躍起になってこちらの迎撃に入るだろう。それをどう押し留めるのか……」

 

 アンヘルがほとんど総崩れ状態とは言っても、最後の足掻きくらいは見せてくるはず。戦いにおいて最終局面ほど気を遣わなくてはいけないのは六年間で学習した。

 

 追い詰められた獣は時に異常なほどの能力を発揮するのだ。

 

「《ナインライヴス》はほとんど中破だろう。《イドラオルガノン》も難しいところだ。……私の《モリビトシンス》も……」

 

 修復には時間がかかるはず。せめて、月面までの道筋に邪魔が入らなければ、と鉄菜は拳を握り締めた。

 

 ここからブルブラッドキャリア本隊の待つ宇宙まで飛び立つのだけでもギリギリだろう。

 

「……桃お姉ちゃん……、ゴメン。ミィ、強くないね……、本当に大事な時、林檎の傍にいられなかった」

 

 悔恨を口にした蜜柑を桃は優しく抱擁する。鉄菜は通信を受け取っていた。

 

『鉄菜、現状の戦力ではアンヘルの擁するキリビトタイプには通用しない。いくら《モリビトシンス》が驚異的でも、どうしようもない事もある』

 

 茉莉花の通信に鉄菜は沈痛に面を伏せた。

 

「エホバ側は?」

 

『……退く気配はないわね。有利不利で言えば、微妙なところなのよ。エホバとラヴァーズはぶつかり合うのは必定でしょう。その隙に、宇宙に上がれるのが一番なんだけれど、そこまで薄情にはなれないわよね』

 

 月面都市に合流出来ればモリビトを完全修復も出来る。だが、それまでが問題なのだ。

 

 今の惑星の情勢を放っておいて、こちらだけ月に行くのは間違っている。

 

「ラヴァーズとの協定は結んだ。裏切れないのだろうな」

 

『その辺りはニナイも同じ意見みたい。ラヴァーズ側の……サンゾウは行けって言っているけれどね』

 

「それでも、借りは返すべきだ」

 

 だが目下のところ、問題なのは《キリビトイザナミ》だけではない。エホバをどう振り切るか、そこに焦点が当てられている。

 

『……待って。何、これ……』

 

 茉莉花の胡乱そうな声に鉄菜は問い返していた。

 

「どうした? 敵襲か?」

 

『いえ……でもこれは……この加速度は……。レーダー班! モニターに!』

 

 モニターと同期された鉄菜の端末に映し出されたのは黄金の燐光を棚引かせる全翼機であった。

 

 空中母艦とは思えない速度でこちらへと、紺碧の霧を裂いて迫ってくる。

 

 息を呑んだ鉄菜に、茉莉花の全領域通信が艦内に木霊する。

 

『不明機が急接近! 《ゴフェル》へと攻撃される可能性があるわ! 総員! 対ショック!』

 

 その言葉が消えるか消えないかの刹那、炸裂音が何重にも響き渡り、《ゴフェル》を激震させた。

 

 鉄菜は覚えず駆け出す。

 

「クロ! どこに……」

 

「《モリビトシンス》で出る!」

 

「無茶よ! 《モリビトシンス》はだって、損傷が……」

 

「それでも。謎の敵を見過ごすわけにはいかない。第三勢力だとすれば、恐るべきだ」

 

 駆け出そうとした鉄菜の背中を、タカフミが叩いた。

 

「待てって! おれらも出る」

 

「クロナ。わたしも協力したい」

 

「……助かる」

 

 三機編成で出られればまだ状況の確認は可能かもしれない。

 

 格納庫に収まる《モリビトシンス》はまだ修復作業中であった。

 

 そのコックピットへと近づきかけて、タキザワが制した。

 

「鉄菜! 今の《モリビトシンス》では……」

 

「それでも、出なければやられるかもしれない。敵は先制攻撃をしてきた。つまり、敵意があるという事だ」

 

「それは……、その通りかもしれないが」

 

『鉄菜。不明全翼機のデータを照合しているが、一致するものはない。これはかなり怪しい敵だ』

 

「……この地上で、バベルに合致しない空中母艦なんて、運用は出来ないはず」

 

『その通り。あれほどの艦をどうやって隠し通してきたのか。そもそも敵はアンヘルなのか、連邦なのか。……あるいは別の』

 

「ああ、もうっ! 考えたって仕方ない! 《モリビトシンス》、発進準備に入ってくれ! 詳細は出てから送信する。僕はブリッジで情報を掻き集める!」

 

「ニナイや茉莉花にも状況を聞いて欲しい。現状は……恐らく本意ではないはずだ」

 

「そりゃ、そうだろうさ!」

 

 コックピットに入った鉄菜はステータスを確かめる。片腕が使用出来ないようであったが、もう片方の腕は問題ない。

 

 カタパルトデッキへと《モリビトシンス》、《カエルムロンドカーディガン》、《ジーク》が移送されていく。

 

 ハッチが開放されリニアボルテージの出力が上がった。

 

「《モリビトシンス》、鉄菜・ノヴァリス。出る!」

 

 火花を弾けさせて飛び出した《モリビトシンス》が空中機動に入る。少しばかり機体ががたつくのは仕方ないとは言え、バランサーの調整に時間がかかりそうであった。

 

「ゴロウ。敵は上……だな」

 

 黄金の光が消え失せ、敵影が直上に位置する。

 

 全翼機、それも母艦サイズとなれば、先ほどの攻撃は爆撃だろう。第二波が来る前に迎撃せねばならない。

 

『ああ、しかし、これは……どこをどう調べても奇妙だ。アンヘルの規格でもなければ連邦の規格でもない。……照合に近いのは、ゾル国か』

 

「どこでも構わない。《モリビトシンス》、目標を駆逐する!」

 

 上昇した《モリビトシンス》へと、敵母艦より黒い棺が投下される。一発で、鉄菜はそれがブルーガーデン製のコンテナだと見抜いた。

 

「……重装甲コンテナ。ならば、接近戦で!」

 

 Rシェルソードを引き抜き、一つ一つに接近しかけて、直上からの照準警告に鉄菜は機体を飛び退らせる。

 

 次の瞬間、機体を幾度となくロックオンする謎の機影が割って入った。

 

「重武装人機か!」

 

 Rシェルライフルで迎撃しかけて、その敵影が足裏のリバウンドブーツで読めない軌道を描き、至近距離まで一気に詰めたのを目にする。

 

 これはただの高機動人機ではない。

 

「ファントム……! 新手の機体!」

 

 こちらも機体を軋ませ、過負荷をかけてファントムで応じる。打ち合った刹那、接触回線に声が響いた。

 

『久しぶりね。鉄菜』

 

 その声音と大写しになった機体の姿に、鉄菜は瞠目する。

 

 あるはずのない、否、あってはならない人機が、そこにいた。

 

 灰色のカラーリング。赤い眼窩の三つのアイサイト。そして、象徴的な、無数の重武装火器。どれもこれも、思い出の中にあるあの機体と一致している。

 

「まさか……その声は……」

 

 それに、その人機は、と言いかけて、悲鳴のような通信が劈く。

 

『鉄菜! その母艦は情報交換を寄越してきたあの組織の……グリフィスの旗艦だ! 今、情報が入った! 相手は、エホバを迎撃する、と……共闘関係を……』

 

 そこから先を、鉄菜は聞いていなかった。思うより先に、感じるより先に、身体が先行したのだ。

 

 刃で相手を斬りつけかけて、敵がすぐさま距離を取る。

 

『アルベリッヒレイン!』

 

 全砲門が火を噴き、多重ロックオンの一斉掃射が《モリビトシンス》を襲う。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 ウイングスラスターの盾を前面に展開して実弾を防御するも、その火力は圧倒的であった。

 

 六年前と同じ――いや、それ以上に驚異的な人機操縦能力。

 

 そして、この声。間違いないと思いつつも、鉄菜は否定材料を探していた。

 

 だが、その逡巡に割り込むように相手は声にする。

 

『鉄菜、ちょっとはやれるみたいね! でも、リバウンドフォールでも、跳ね返し切れないはず!』

 

「……どうしてだ。どうして、お前の声がする! 彩芽・サギサカ!」

 

 その人機――《モリビトインペルベイン》にしか見えない機体が武器腕でこちらを銃撃する。鉄菜は海面ギリギリを疾走して敵の凶弾を回避した。

 

『……彩芽? 嘘、どうして……』

 

 ブリッジからニナイの困惑が漏れ聞こえる。鉄菜は刃を手に敵人機へと斬り込んだ。その太刀筋を裏返った溶断クローが受け止める。

 

 拡張する干渉波のスパークに、声を迸らせる。

 

「お前が……彩芽・サギサカのわけがない。六年前に死んだはず!」

 

『そうね、普通なら。でも、死体は見つからなかったでしょう?』

 

 それを、彩芽の声とインペルベインで語られる事の、何たる侮辱か。鉄菜は怒りのままに、剣を打ち下ろしていた。

 

「黙れ! 私達の仲間を、その機体で嘲るな!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯318 痛みの末に

 

 しかし、振るった刃は空を切る。

 

 瞬時に反転し、距離を取った敵は六年前のインペルベインの性能を凌駕している。

 

『仲間、ね……。鉄菜、いい子に育ったのね。そうやって、仲間だって、まだ言ってくれるんだ?』

 

「……貴様は、何者だ」

 

『言って分からない? この《インぺルべインアヴェンジャー》でも? わたくしは、彩芽・サギサカよ』

 

『嘘……嘘よ! 彩芽が……生きていたの?』

 

 ニナイの慟哭に鉄菜は奥歯を噛み締める。

 

「……するな」

 

『どうしたの? 鉄菜。刃が鈍っているわよ?』

 

「私達の思い出を……穢すなぁーっ!」

 

 エクステンドチャージに入った《モリビトシンス》が怒りを体現した眼窩を煌かせ、《インぺルべインアヴェンジャー》へと肉迫する。

 

 瞬時の接近に相手は反応も出来ないはず。そのまま剣を払おうとして、敵の姿が掻き消えた。

 

 首を巡らせた時には、背後からの照準警告に機体を横滑りさせる。

 

《インぺルべインアヴェンジャー》は、こちらと同じ黄金の燐光を棚引かせていた。

 

「……まさか、エクステンドチャージだと……」

 

『言ったでしょう? 《インぺルべインアヴェンジャー》だって。それにわたくしは彩芽・サギサカ。モリビトの、執行者よ』

 

「違う! その資格は、私達だけのものだ!」

 

 拒絶の刃と敵の溶断クローがぶつかり合う。相手は余裕ありげに口にした。

 

『鉄菜。騙してごめんなさい。でも、わたくしは一度、是非を問うべきであった。世界に、そして貴方達、ブルブラッドキャリアに。そのために死を偽装した。……そうよね? ルイ』

 

 名前を紡がれた途端、《ゴフェル》から警告が発信される。《ゴフェル》の全システムがダウンした事が伝えられた。

 

「何をした!」

 

『ルイは今も昔も、わたくしを信じてくれている。嬉しいわ』

 

「だから、貴様が口にする言葉じゃない!」

 

 断じた剣筋はしかし、《インぺルべインアヴェンジャー》の軽業師のような動きについていけない。

 

 エクステンドチャージも手伝って、敵はこちらの予測を遥かに超える挙動で跳ね上がっていた。

 

『悪く思わないでね。これも、世界をあるべき姿に剪定するため。エホバと、ラヴァーズ、それにブルブラッドキャリア離反兵。貴方達はこれより、我がグリフィスの傘下に入ってもらうわ。拒否権はない。《ブラックロンド》は性能だけならばアンヘルの《スロウストウジャ弐式》に比肩する。システムダウンした《ゴフェル》で勝てるとでも?』

 

《ゴフェル》甲板へと黒いロンドが降り立っていた。それぞれ、瑞葉の機体とタカフミの機体に交戦している。

 

『こいつら……! 性能だけなら強いってわけかよ!』

 

『……油断ならない。クロナ!』

 

《ブラックロンド》はラヴァーズ戦艦、《ビッグナナツー》へと飛び乗り、甲板の人機を沈黙させていく。その戦火はエホバ陣営にも至っていた。

 

 飛行バックパックを装備した《ブラックロンド》がエホバ側の人機を撃墜していく。割って入る《フェネクス》と《クォヴァディス》だが敵の数が段違いであった。

 

「どういう……つもりだ。私達を分断して、何がしたい!」

 

『先にも言った通りよ。貴方達はまだ弱い。この世界を、あるべき姿にするのには、何もかも、ね。だから、グリフィスが裁く。鉄菜、レギオンを始末したわ。この意味、分からないわけではないでしょう?』

 

 まさか、と鉄菜は息を呑む。

 

「……惑星の支配権が……」

 

『そう、もうアンヘルにも、C連邦にも支配権はないの。今、星の大部分を牛耳っているのはわたくし達、グリフィスの陣営。指先一つで、貴方達を無力化するくらい、わけないのは、説明するまでもないでしょう?』

 

『……事実のようだ。地上のバベルネットワークがつい二時間前、完全に消滅した。ネットワーク権限は浮いているが、もし話が本当ならば……』

 

「あの母艦に、今のバベルの権限があると?」

 

『だから、そう言っているじゃない。頭が堅いのは相変わらずね』

 

《インぺルべインアヴェンジャー》が《モリビトシンス》を蹴りつける。リバウンド効果を帯びた蹴りに、《モリビトシンス》が吹き飛ばされていた。

 

「だが、どうして! どうして混迷を生む! レギオンを倒した、ならば星の生活圏は! 星に還すべきだろう!」

 

『貴女、それが言えた義理? ブルブラッドキャリアは報復作戦がメインでしょう? 星の支配を取り戻すのが、そちらの本意のはず』

 

「……今は、アンヘルとレギオン、それに連邦との決着が先決だ。それにエホバも。それなのにどうして、こんな真似をする」

 

『変わっていないのね、鉄菜。そういうカタブツなところ。いい? レギオン亡き今、バベルを掌握するのはわたくし達か、エホバか。……整備の整っていない民間になんて任せられるわけないし、連邦もアンヘルも所詮は、レギオンの傀儡よ? 今さら統治なんて出来るわけがない。支配者は、自ずとどちらかになる。エホバに、バベルを渡すわけにはいかない。それは共通認識のはずじゃ?』

 

「……だが、だからと言って貴様らが手に入れていい道理はない」

 

 その言葉に彩芽は嘆息をついた。

 

『……本当、変わらないのね。こうと決めたら真っ直ぐに、貫き通す。その志、素敵だと思うけれど、変化を望む世界には邪魔なのよ』

 

「彩芽・サギサカ! 六年前にどうしてブルブラッドキャリアを裏切ったのか……それは聞かない。私達も似たようなものだからだ。だが! ならばどうして! 今、こうして私達を阻む! どうしてモリビトを使って戦っている!」

 

 Rシェルソードを手に、《モリビトシンス》が《インぺルべインアヴェンジャー》へと疾駆する。相手は溶断クローで一撃を受けてから、次なる拳を頭蓋へと叩き込んだ。

 

 今の《モリビトシンス》は片側ががら空きだ。彩芽ほどの腕ならばどこへなりと打ち込めるはずだろう。

 

『勘違いしないでね、鉄菜。わたくし達は何も、こんな事がしたくってしているんじゃないの。でも、エホバは抹殺しないといけない、そうでしょう? 神様なんていない世界で、神様を騙られちゃ、堪ったものじゃないわ』

 

「だが……貴様らのやっている事もまた、それと同じだ。バベルを掌握し、新たな支配者になろうとしている!」

 

 薙ぎ払った剣筋を敵は後退して回避し、銃撃を見舞った。リバウンドフォールで受けようとして、続け様に至近距離まで接近した敵人機が浴びせ蹴りを放つ。

 

 姿勢制御が崩れた《モリビトシンス》のコックピットを照準警告が劈いた。

 

 完全に王手を突かれた形である。

 

『だから、誤解しないで。エホバさえ死ねば、何でもないような世界に戻してあげるって言っているの。そのために、今はちょっと動かないで欲しいだけ。貴方達の報復作戦も、部分的には遂げさせてあげる。そうすれば本隊だってそれなりに納得するわ。鉄菜、分からない? 平和的に解決しようって言っているの』

 

 平和的。誰も傷つかない結末。最小限の被害で済む道筋。それは正しいようで――。

 

「……違う」

 

『鉄菜? 貴女だって分からないわけじゃないでしょう? 六年前の殲滅戦で、かなりの痛手を負ったはずだわ。だから離反に賛同した。貴女だって、死ぬ気で戦ってきたはずよ。それを、楽にしてあげるって――』

 

「それが! 違うと言っている!」

 

《モリビトシンス》が挙動し、鋼鉄の巨躯同士がぶつかり合う。押し返した形の《モリビトシンス》が剣を振るい落とした。《インぺルべインアヴェンジャー》がそれをいなす。

 

『……どういうつもり?』

 

「私達は……確かに痛みを背負いながらここまで来た。……出さなくてもいい死人も、犠牲も、たくさん出して。だがそれは! ただ平和になればいいだけのために、死んでいったわけじゃない! 掴み取るんだ! 私達は、自分達で選んだ未来を! 誰かに与えられた予定調和の未来のために、戦ってきたわけじゃない!」

 

 自分の中から突き動かすのは、これまでの戦い。これまでの幾度となく死線を潜ってきた感覚。それらがこの結末を是としていない。このような、与する形の終わりが正解であるものか。

 

『そう……。ちょっとは戦いを経て、賢くなったかと思ったけれど。鉄菜、貴女は相変わらず、愚直で、真っ直ぐで、変なところ馬鹿正直。だからこそ……分かり合えると思ったんだけれどね』

 

「彩芽・サギサカ。お前のために、今まで痛みを背負った人間がいる」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯319 約束の銃弾

「鉄菜……」

 

 ブリッジで鉄菜のオープン通信を聞いていたニナイは、拳を握り締めていた。

 

 まさか生きているとは思ってもみなかった。しかし、それは敵としての再会。もう二度と会えないと分かっていただけに、このような形で自分と彩芽は会うべきではないと考えていたのだ。

 

 だが、それは甘い考えであった。

 

 鉄菜は、彩芽の提示する平和に異を唱えている。彩芽の事を、正しいとどこかで感じている自分とは違う。負い目だけで戦っているのではない。彼女は、本当に戦いの中から、大切なものを見出そうとしている。

 

 自分は逃げに徹してきた。彩芽が死んだ事からも。ブルブラッドキャリアより離反したのも。

 

 全て、自分の行動の先にあった未来であったのに、誰かの状況に流されているのだと。

 

『何の事を言っているの。鉄菜、貴女、意味を分かっている?』

 

『彩芽・サギサカ。お前の事を思い続け、……死んだと告げた時、一番に辛かった人間がいる』

 

『ニナイの事? 気にしていないわ。でもね、憎んでいないと言えば嘘になる。《アサルトハシャ》に少年兵、彼女がしてきた事、わたくしは絶対に許さない。許すつもりなんて、この先あり得ない』

 

 やはり、自分は彩芽に憎まれている。彩芽は自分を心底嫌悪して、だから組織を去ったのだ。

 

 面を伏せたニナイに、鉄菜の声が響き渡る。

 

『憎むのは勝手だ。許せないのも、仕方ないのかもしれない。だが、ニナイは彼女なりの贖罪をしてきた。それを、お前は全く無視して、それで間違った未来に進ませようと言うのか。罪を贖う道さえも、なかった事にするというのか。その未来では』

 

「鉄菜……」

 

「ニナイ。分かっていると思うけれど、鉄菜は問い返してくれている。あなたの罪は、そこまで重くはない。彩芽・サギサカが言うよりかは」

 

 茉莉花の励ましに、ブリッジのクルーの声が相乗する。

 

「……艦長の立場じゃ、自由にいかないのは分かっています。その中で、あなたは最良を模索してくれた。月でだって、本隊に啖呵を切ってくれたのは、艦長です」

 

 クルー全員が自分の罪を洗い流そうとしてくれている。しかし、彩芽の口調は厳しかった。

 

『……鉄菜。つまらない人間になったわね。あんな女を! 許せるようになったなんて! それこそ、貴女、お終いよ?』

 

『彩芽・サギサカ。再会出来たのは嬉しく思う。私は、未だに心の在り処を掴みかねているから。……だが、今、はっきりとしているのは、今のお前は敵だという事だ。未来を閉ざし、可能性をなかった事にして、自分の罪を棚上げする。そんな貴様を! この私と、モリビトが断罪する!』

 

《モリビトシンス》が構える。しかし、片腕がないのだ。先ほどだって彩芽がその気ならばコックピットを砕かれていた。

 

 次々とスクリーンが閉じていく。茉莉花がリアルタイムで抗生防壁を張っているが、それでも間に合わないらしい。

 

 どうやらルイの怨嗟は六年もの間で増幅した様子だ。マスターである彩芽の指示に全力で従おうとしている。

 

『やってみなさい! 貴女が出来る程度の戦いで、わたくしを止められるなんて思わない事ね!』

 

《インぺルべインアヴェンジャー》と《モリビトシンス》が向かい合う。このような悲しい対峙を、誰も望んでいないはずだ。かつての仲間同士が争い合うなど。

 

 ニナイは身を翻していた。

 

「艦長が、どこへ行くの?」

 

「……ルイを止める」

 

「分かっていて言ってる? ルイは、この《ゴフェル》のメインコンソール。彼女を止める、という意味くらいは」

 

「……分かっている。もう《ゴフェル》に、未来はないかもしれない。それでも! 私は彩芽に、報いなければいけないのよ。私なりの答えで。だって、鉄菜はそうしている! 一番辛いはずなのに! 鉄菜は戦っているのよ!」

 

 ならば自分が戦わなくってどうする。握り締めた決意に、茉莉花が嘆息をついた。

 

「……五分。作ったわ。今ならば、電算室まで直通が繋がっている」

 

 茉莉花が作った、ギリギリの五分。その間に自分は決着をつけなければならない。過去との決着を。

 

「……ありがとう」

 

 エアロックを解除し、ニナイは駆け出していた。

 

 電算室まで以外の廊下はロックされている。隔壁が次々と閉じる音が耳朶を打つ中、ニナイは電算室の扉へと辿り着いていた。

 

 エアロックを艦長の解除キーで開く。

 

 見据えた先にいたルイは赤い光に包まれ、《ゴフェル》を完全に支配下に入れていた。

 

「ルイ。彩芽は生きていたのね」

 

『……ニナイ。マスターはあんたのせいで死んだ』

 

「分かっているわ。だから今、こうして来ているのだとも。でも、ルイ。もうこれ以上、無用な争いで死者は生みたくないの。お願い。もうやめて欲しい」

 

 ルイがすっと手を掲げる。装備された防衛用タレットが一斉に照準を向けた。

 

 こちらも覚悟を相手に向ける。銃口がルイを睨んだ。

 

『撃つの? 分かってる? 撃てば《ゴフェル》はメインコンソール、つまり制御を完全に失う。宇宙にも行けなくなる』

 

「そうね。そうかもしれない。でも、それ以上に! ここで退いたら駄目なんだって、私は分かっている。これは過去との決別なのよ! ルイ!」

 

『過去、ね。マスターが死んだのはあんたにとってはもう、過去なんだ? マスターは! あんたがそんなのだから、死んだのよ!』

 

 タレットの銃弾が膝を撃ち抜く。迷いのない殺意に、ニナイは膝を折っていた。

 

『次はどこを撃って欲しい? お腹? 肩? どこだっていい、あんたに復讐出来るんなら! 一番後悔させて殺してやる!』

 

「ルイ……。あなた、憎み続けてきたのね、ブルブラッドキャリアを、私達を。……何よりも私を」

 

『当たり前じゃない! マスターは死なないで済んだのに!』

 

「じゃあどうして……っ! 今まで私達を支えてくれたの」

 

『……最高の時期を見計らっていた。あんた達が一番困窮した時に殺してやるって。それが今じゃなっていつなのよ! マスターは、だから蘇った! 《インぺルべインアヴェンジャー》! その名は復讐者として!』

 

「そう……、でもだからって、従わない道も……あったでしょうに。あなたにも、迷いはあったんじゃない、の……。私達を、ただ殺すだけじゃないっていう……心が……」

 

『システムに心なんてない!』

 

 肩口を灼熱が射抜く。滴る鮮血に今にも意識を失いそうになる。

 

『次は頭! 脳しょうぶちまけて死んで! ニナイ艦長! それがあんたの責任でしょ!』

 

「そう……責任、なのかもね……。彩芽を、救えなかった。……違うか。彩芽だけじゃない。組織の大義名分で……命を粗末に扱ってきた。鉄菜は、それでも戦っている。それでも! 彩芽と戦う道を……選んでくれた!」

 

 無理やり膝に力を通し、扉に寄りかかりながら身体を起こす。激痛と出血で、閉じそうな意識の中、ニナイはルイへと狙いをつけていた。

 

『撃てるの? 撃ったらお終いなのに!』

 

 撃てば、ともすれば全て間違った方向に行ってしまうかも知れない。これが悪手になる可能性のほうが高い。

 

 何よりも、ここで撃てば、自分に全ての責任が返ってくる。彩芽を死なせた罪だけじゃない。《ゴフェル》の道を閉ざした大きな罪を。

 

「……それ、でも……。鉄菜は行く、って言ってくれた。私に……やり直していいって、言ってくれたのよ! その期待を裏切れない! みんなが作ってくれた道なのよ、ルイ……!」

 

『綺麗事を!』

 

 タレットの銃口が脳天を狙う。その刹那、ニナイは引き金を絞っていた。

 

 投射映像のルイを突き抜け、銃弾は奥にあるメインコンソール中枢へと突き刺さる。火花が散り、ルイの映像に砂嵐が混じった。

 

 タレットの銃弾は、すぐ脇の床を撃ち抜いていた。ルイの身体が景色に溶ける。その肉体の残滓が、粒子となって漂った。

 

「ルイ……、あなたは……」

 

『黙って……。マスターのために、出来る事をやっただけだから、憐れまれる義理じゃないのよ』

 

 それでも、消えてゆくルイをただ眺め続ける事しか出来ないのか。手を伸ばしたニナイに、ルイは拒絶を示した。

 

『触らないで。……誰にも、触って欲しくない。彩芽……マスター、ようやく、やれたよ……。だから。褒めて……。でも、どうして? 何で、復讐を遂げたはずなのに、胸の奥が痛いんだろう。何なの、これ……』

 

「ルイ、それは心なのよ……」

 

 鉄菜も求め続けているもの。ルイは既にそれを宿しているのだ。

 

 その言葉に、彼女は頭を振った。

 

『システムに心なんて。でも、これが心だとすれば……、それほど悪いものでも、ないかな……』

 

 中枢のメインコンソールがダウンし、ルイの姿は跡形もなく消え失せていた。彼女の真意は分からない。復讐を遂げたかった、という言葉も本物ならば、心の在り処に戸惑っているのも本物だったのだろう。

 

 ニナイはまだスパークを弾けさせる中枢メインコンソールへと、最後の弾丸を引き絞った。

 

「これで……、彩芽、私は報いる事が出来た……?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯320 手を振るあの人へ

『《ゴフェル》のシステムが回復しとる! 彩芽! これは……!』

 

「ルイが仕留め損なったか、あるいは、ルイを誰かが……いいえ、誰かなんてナンセンスね。ニナイに決まってる」

 

『《ブラックロンド》部隊はこのまま《ゴフェル》を制圧すれば……』

 

 その言葉尻を悲鳴が劈いていた。《ゴフェル》よりのシステム補助を取り戻した青いロンドと改造型のトウジャが《ブラックロンド》を圧倒する。

 

『数だけ揃えてりゃ、いいってもんじゃねぇぜ!』

 

『……これで底が見えた。クロナ! わたし達は防衛出来る! 今は、そいつを』

 

「……だ、そうよ。どうするの? 鉄菜。どっちつかずじゃ、わたくしを殺せないのは分かるでしょう?」

 

 眼前の機体、《モリビトシンス》が剣を突きつける。しかし、片腕しかない今の相手に、《インぺルべインアヴェンジャー》を破壊するのは不可能だと彩芽は判じていた。

 

『……彩芽・サギサカ。痛みを背負った者達がいる。それをお前は、何とも思わないのか? この六年間で悪い方向だけではない、よくも変わっていったという事実から、目を背けるのか』

 

「目を背けるも何も、そんな事実はなかったのよ、鉄菜。ヒトは変わらない。元老院がレギオンになったとして、じゃあどうなった? アンヘルとか言う虐殺天使を使って、支配を広げただけじゃない。鉄菜、わたくしはね、グリフィスに入って世界を改めて目にしたわ。貧困、虐殺、それに怨嗟、終わりのない憎しみ。そんなものばかりなのよ、目に付くのは。だったら、世界なんて好きになれるわけないじゃない。それとも、鉄菜。貴女が見たものは違うって言うの? 戦場を渡り歩いてきたんでしょう? だったら、見たものは同じのはずよ」

 

『違う! クロナは――』

 

『瑞葉。私と彩芽・サギサカの話だ。今は黙っていて欲しい』

 

『クロナ……? でも』

 

「ほら、貴女だってやっぱり! どこかで線を引いている。どこかで相手と自分は違うのだと、やっぱり分かっている。この目に狂いはなかったわ。鉄菜! わたくしと一緒に何もかもを壊しましょう! そのほうがきっといいはず。貴女にとっての最良の道。偽りの神も、虐殺天使も、もっと言えば宇宙に陣取るブルブラッドキャリア本隊だって! 貴女となら何もかも壊せる! 何もかも破壊出来る! 破壊の後にこそ、創造はあるのよ。だから、これは、次なる創造への礎のために……」

 

『彩芽・サギサカ。私は破壊者だ。壊す事しか知らない。人機で他人を傷つけ、誰かの希望を潰えさせる。それが私、鉄菜・ノヴァリスだ』

 

「そうでしょう? だから――」

 

『そうだと、思い込んでいた。そう思って、希望なんて抱かないようにしていた。……それが間違いだとも知らずに』

 

「……鉄菜?」

 

《モリビトシンス》が剣を構える。確かな敵意がその構えに垣間見えた。

 

『彩芽・サギサカ。私はつい先刻までならば、その意見に耳を貸していただろう。その在り方も私だと、思っていたに違いない。だが、分かったんだ。私は、壊すだけじゃない。この手で作り直せる。何かを編み出すのに、壊すだけじゃ絶対に駄目なんだ。それだけは確固として言える。私は心がどこに在るのか、まだ分からない。しかし、それでも! 壊すだけの果てに待つのは虚無だという事は、それだけは言える! 私は、鉄菜・ノヴァリス! モリビトの執行者だ!』

 

 鉄菜の返答は意想外であった。六年前の彼女ならば、あるいはモニターした限りの鉄菜ならば、この問いかけには当たり前のように同意するかに見えた。

 

 だが、違ったらしい。とんだ、見込み違い。

 

「そう……だったら戦うしか、ないわね。理想に死ぬのよ? 貴女は」

 

『……理想を振り翳して、何が悪い』

 

「その理想に! 裏切られ続けたのが、わたくしだって言ってるの!」

 

 リバウンドブーツが起動し、《モリビトシンス》へと瞬時に距離を詰める。相手も理解しているのか、すぐさま上昇した。

 

「遅い! ファントム!」

 

 エクステンドチャージを纏い付かせたファントムが空間を飛び越え、《モリビトシンス》ともつれ合った。

 

 振るわれた刃を溶断クローで受け止める。

 

「未来なんてないのよ! 鉄菜! こんな穢れた世界に、未来なんて!」

 

『だとしても、それは諦めているだけだ! ならば私は抗いたい!』

 

「いい子ちゃんぶって……! 貴女だって、裏切られたクチでしょうに!」

 

《インぺルべインアヴェンジャー》が《モリビトシンス》を蹴りつけ、その体躯へと一斉掃射を見舞う。

 

「アルベリッヒレイン!」

 

『リバウンド、フォール!』

 

 反射された弾道を、完全に予見し、彩芽は《モリビトシンス》の懐に入っていた。溶断クローを起動させ、今度こそ、その頭蓋を打ち砕こうとする。

 

「さよならね! 鉄菜! ヒトなんて、こんなものなのよ!」

 

『そんなはずは……ない!』

 

 刹那、銀色の瞬きが網膜に焼き付いた。

 

 何が起こったのか、理解する前に《モリビトシンス》が銀色の稲光となって《インぺルべインアヴェンジャー》を突き飛ばす。

 

 物理エネルギーの瀑布に機体が震えた。

 

「これは……! まさか、アンシーリーコート?」

 

《モリビトシンス》は、と振り仰いだ瞬間、銀色の雷光になった敵影が直上に立ち現れる。

 

 咄嗟に腕を交差させて防御するも、敵の猛攻は激しかった。

 

 黄金の輝きが消え失せ、その代わりに銀色の眩い閃光が《モリビトシンス》を覆っている。

 

「これは……エクステンドチャージの、次の現象? 《モリビトシンス》はエクステンドチャージを超えたって言うの?」

 

 鉄菜の雄叫びが通信網を震わせ、その剣が《インぺルべインアヴェンジャー》の片腕を叩き切った。

 

 武器腕が肘から寸断される。

 

「このっ!」

 

 残ったガトリングともう片方の腕で応戦しようとして、機体を翻した鉄菜の浴びせ蹴りがコックピットを揺さぶった。

 

 ――確実に強くなっている。鉄菜は、戦いの中で成長している。

 

 それが分かっていながら、彩芽は先ほどより手を緩めていた。鉄菜の力がどこまで進化するのか。その行く末に何があるのか。

 

「……鉄菜。貴女の理想は何なの? 何のために、そこまでやれるの? こんな荒廃した世界で! こんなにも穢れた惑星で! 何が出来るって言うのよ!」

 

『諦めない限り、何度でもチャンスはある! ヒトは、そこまで弱くはない!』

 

「よく吼えるわね! ヒトでもないくせに!」

 

『造られた身でも、今この身体を突き動かすのは、鉄菜・ノヴァリスと言う私だ!』

 

《モリビトシンス》が銀色の雷撃を片腕に充填させる。刃と同化し、極大化した輝きが網膜に焼き付いた。

 

「……そう、それが貴女の、答えなのね」

 

《インぺルべインアヴェンジャー》の守りを一時的に解除する。瞬間、人機が腰より叩き割られていた。

 

 激震が見舞い、彩芽は頭部を激しくぶつける。

 

 鈍い痛みと共に血が滴った。

 

『……彩芽・サギサカ。今……』

 

「何も……、何も言わないで、鉄菜。貴女は勝ったの。勝利者なのよ。だから、何も」

 

 赤い警戒色に塗り固められたコックピットより《モリビトシンス》を見やる。銀色の輝きが失せ、今の鉄菜の戸惑いをそのまま引き移しているかのようであった。

 

「何やっているのよ、鉄菜。勝ったんだから、胸を張りなさい。そんな、戸惑っていないで」

 

 どうしてだろう。自分でも微笑みが出る理由が分からない。鉄菜は、それ以上に、意味が分からないと言いたげであった。

 

『……彩芽。最後、お前は手を抜いていた。私に……何を見ていたんだ』

 

「何度も言わせないで。貴女は素敵なのよ、鉄菜。破壊者としても素敵だけれど、何よりも女の子として。六年前に言ったでしょう?」

 

《インぺルべインアヴェンジャー》の血塊炉に異常が発生する。このままでは誘爆は免れないだろう。

 

『彩芽! 私はお前を……!』

 

「いいのよ。誤解したままでも。わたくしだって、貴女を六年間も騙していた。おあいこよ」

 

 その時、《ゴフェル》より出撃した人機がモニターに表示される。桃色の人機に乗っている相手へと、彩芽は通信を繋いでいた。

 

「桃、……素敵な大人のレディになったのね。立ち振る舞いだけで分かるわ」

 

『アヤ姉! こんなのってないよ! どうして! どうしてこんな形でしか……、もう一度出会えなかったの? どうして……!』

 

 ――ああ、二人ともそんなに落ち込んで。

 

 彩芽は《モリビトシンス》を見据えた。操縦桿を握り締め、腹腔に力を込める。

 

「鉄菜。貴女の答えを見せて。これが最後の問題。《インぺルべインアヴェンジャー》! エクステンドチャージ!」

 

 機体が黄金の光を帯びて《モリビトシンス》へと猪突する。鉄菜は反射的にか、あるいは習い性か、その剣筋を血塊炉へと、寸分の狂いもなく打ち込んでいた。

 

 刃が《インぺルべインアヴェンジャー》の中枢を貫通する。鉄菜の震えが剣から伝わってきた。

 

『……彩芽、お前は……』

 

『アヤ姉!』

 

「何も……何も言わないで、鉄菜。いい? 貴女は壊すだけじゃない、作り直す道も選んだ。それは多分、ただ壊すだけよりも困難な道。それでも、貴女は行くんでしょう? その足で、その手を伸ばして……、確証のない明日を手に入れるために」

 

『だが、そこにお前はいないのか? 居てはいけないのか!』

 

 その言葉に彩芽はフッと微笑んでしまう。どこまでも非情になり切れない、弱い子……。

 

「でも……優しいのね。鉄菜、貴女は強いだけじゃない、そういう面もある。忘れないで。貴女の優しさが、いずれこの星を救える」

 

『嫌だ……彩芽! ……何なんだ、これは。頬を、涙が流れる。止め処なく……! 私の意思ではないのに! こんな、身体機能、必要ないのに……』

 

 彩芽は《インぺルべインアヴェンジャー》を《モリビトシンス》より引き剥がす。その寸前に、声にしていた。

 

「鉄菜。覚えておきなさい。それが、心よ。貴女にはもう、心がある。その扱い方を持っているのなら……わたくしはもう、言い残す事はないわ。……ああ、でも出来るのならばもう一度だけ……、貴女達と一緒に、世界を飛び回ってみたかった……かな」

 

 瞼を閉じる。その瞬間、誘爆の光が《インぺルべインアヴェンジャー》を押し包んだ。

 

 どこまでも広がる累乗の虹空の向こう、彩芽は手を振っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯321 離別の先に

 

『アヤ姉……! 嫌っ……こんなお別れって……アヤ姉……ぇっ』

 

 咽び泣く桃の通信が漏れ聞こえる。鉄菜はコックピットの中で茫然自失のまま、頬を流れる涙をなぞっていた。

 

 これが、心。これが自分の探し求めていた、答え。

 

 その対価は、大切な人との再度の別れ。今度こそ、もう二度と会えないのだという、確信。

 

 自分が手にかけた。その重みに鉄菜は奥歯を噛み締める。

 

「……無理だ、彩芽。私はこれを背負えるほど……強くない。どうして、こんなにも不完全なんだ……。造られた血続のはずなのに……」

 

《ブラックロンド》部隊がエホバ側の人機と激しく交戦する。ラヴァーズ甲板に取り付いた《ブラックロンド》が型落ち人機達を蹴散らしていく。

 

『彩芽が墜とされた……? おのれ、よくも!』

 

 一機の《ブラックロンド》が飛翔し、こちらへと真っ直ぐに向かってくる。鉄菜は回避しようとも思わなかった。彩芽を失った悲しみが、深く胸に沈殿している。

 

 今の自分が本当に必要なのかさえも分からない。

 

『もらったァッ! モリビト!』

 

 その太刀筋を、阻んだのはリバウンドの光軸であった。顔を上げる。《ナインライヴス》がRランチャーを見舞っていた。

 

「……桃」

 

『クロ……、油断しないで。敵は! まだいるのよ!』

 

 無理やり奮い立てているのはその声音に滲んでいる。それでも、桃は進む事を選んだ。ここで彩芽の死に囚われず、先へと進む事を。

 

 その決意を無駄にしてはいけないのだろう。

 

 回避機動に入った《ブラックロンド》を追わず、鉄菜は《ナインライヴス》へと接触回線を響かせる。

 

「……すまない。戦局を」

 

『……《ゴフェル》のエラーは取り除かれたみたい。だから出られたんだけれど……』

 

「……ニナイが下したのか」

 

 肯定の沈黙に、鉄菜は戦場を眺める。エホバ陣営は《ブラックロンド》相手にほぼ防戦一方。ラヴァーズ側も《ダグラーガ》を中心とした猛者はいるものの、戦局を覆すほどではないようだ。

 

「……一機ずつ介入する。私はエホバ陣営の《ブラックロンド》を抑える。桃、お前はラヴァーズの援護を」

 

『クロ……、エホバを助けるの?』

 

 結果的にはそうなってしまうかもしれない。だが、いずれにせよ、この混戦の只中でアンヘルと連邦に仕掛けられれば敗北する。

 

「……私達の目的は宇宙への移動だ。それさえ果たせればいい」

 

 マニピュレーターを離し、鉄菜は《モリビトシンス》をエホバの戦局の真っ只中へと駆け抜けさせた。

 

 こちらもほぼ満身創痍。それでも、《ブラックロンド》を腰より伸長したRランチャーで引き剥がしていく。

 

『……モリビトが、加勢を?』

 

《フェネクス》の操主の声が通信網に入り混じる。鉄菜は冷徹に告げていた。

 

「エホバ。お前達はこんな混乱の中で裁かれるべきではない。裁くのは、私達だ。だから、ここでは生かす」

 

『……鉄菜君』

 

 背後より迫った《ブラックロンド》をRシェルソードで叩き割る。腰部分が砕け、血塊炉の青い血潮が迸った。

 

「……敵の母艦は、あれか」

 

 全翼機を視野に入れ、鉄菜は上昇しようとして、その道筋をさらに降下してきた《ブラックロンド》に阻まれた。

 

 ロンド系列はどれだけでも汎用性が利く。バックパックと重武装で固めた《ブラックロンド》が母艦を守るべくリバウンドの光条を咲かせる。

 

 張られた火線を掻い潜り、鉄菜は敵全翼機へと迫った。

 

 既にエクステンドチャージは途切れ、機体損耗率は五割以上である。それでも、ここで立ち向かわなければ何のために彩芽の示したビジョンを否定したのか分からない。

 

「……私は、破壊して作り直す! そのために、今はお前達を――斬る!」

 

《ブラックロンド》が武装を捨てて《モリビトシンス》へと取り付く。劈いた警告音を確かめる前に、自爆の衝撃がコックピットを激震した。

 

 血塊炉の血糊が《モリビトシンス》の装甲をより青に染める。各所の装甲が捲れ上がり、機体のダメージが七割を超えた事を警告する。

 

『鉄菜! 一時撤退を! 持たないぞ!』

 

 ゴロウの悲鳴に鉄菜は静かな心持ちでRシェルソードを構え直す。まだグリフィスの陣営は余裕がある様子だ。

 

 この状態で相手を生かすのは下策。ラヴァーズとエホバ、全員が総崩れになってしまう。

 

「……させるわけにはいかない。私は! モリビトの執行者! 鉄菜・ノヴァリスだ!」

 

 無理やり焚いた推進剤を棚引かせ、《モリビトシンス》が母艦を撃墜すべく飛翔する。取り付く敵をリバウンドフォールで弾き飛ばし、射程に入った相手を刃が断ち割った。

 

「……届く、届かないじゃない」

 

 ――届かせる。

 

 その願いに応じるように、《モリビトシンス》の眼窩が青く煌いた。ウイングスラスターを開いた《モリビトシンス》が一気に全翼機のブリッジへと至る。

 

「目標を……駆逐する!」

 

 振るい上げた剣筋に、ブリッジの中の人々が恐れに震えた、その瞬間である。

 

『そこまで』

 

 かかった声に、《モリビトシンス》の制御系が奪われていく。剣を振り翳したまま、《モリビトシンス》が硬直した。

 

「……何が……」

 

『ここまでやれたのなら、合格でしょう』

 

 それは月面でこちらへと交渉してきたグリフィスの頭目の声であった。聞き覚えのある相手の声に、《モリビトシンス》だけではない、《ブラックロンド》部隊も静止し、他の陣営の人機も同じようであった。

 

「……これは、バベルか」

 

『察しがよろしいですな。さすがはモリビトの執行者』

 

「貴様が……グリフィスの」

 

『ええ。頭目をやらせてもらっています。ユヤマと申します』

 

 名を名乗る、という事はこれまでの情勢ではないのだろう。鉄菜は相手の思惑を判じかねていた。

 

「……どういうつもりだ。私達を墜とすつもりだったのだろう」

 

『それは形式上の話。彩芽さんから聞いていませんか? もうテストは終わった、と』

 

「テスト……だと」

 

『あなた方ブルブラッドキャリアが真にこの惑星の命運を任せるべきか審議するテストですよ。彩芽さんはそれを一人で買って出た』

 

「……どういう意味だ。貴様らは、敵ではないのか」

 

『月で交わした通りですよ。我々はグリフィス。星の財宝を見張る神獣達。ですが財宝を守護するのと、それを手に入れる権利は別にあります』

 

「……ここで、お前らを斬る……」

 

 アームレイカーへと力を込めかけて、相手の声が人機を支配する。

 

『……血の気が多いですなぁ。しかし、それでこそ、というもの。我がグリフィス旗艦、《キマイラ》はこれより、《ゴフェル》の援護に回ります』

 

「……何を言って」

 

『多くを生かすための決断ですよ。ブルブラッドキャリア本隊は本気だ。本気で、星を壊そうとしている。それで報復は成るのだと。彼らを止めなければ、星の崩壊は免れない。ここは一時休戦と行きましょうよ』

 

「……それで納得出来るとでも」

 

『無論、納得出来ない方はどうとでも動いてください。これはアタシの一意見です。グリフィスを降りるのは任意で構わない』

 

 この戦局で自分達の戦力を手離すと言うのか。その声に、数機の《ブラックロンド》が動いた。

 

《キマイラ》と呼ばれた母艦をプレッシャーライフルが狙い澄ます。

 

『……やはり、こうなりますか。反発が来るのは分かっていたんですがね』

 

『ボス……、あんたはうちらの志を無視して、自分勝手に世界を回そうとしてる。それを、許すわけないやんか』

 

『確かにその通り。撃たれてもおかしくはない事をしている。それは分かっておりますよ。だからこそ、モリビトの操主、これは取引です。アタシはまだ、人類に絶望したわけでも、ましてブルブラッドキャリアのように星を壊してまで原罪を分からせるべきでもないと考えている。ヒトには、まだ可能性があるのだと』

 

 ヒトの可能性。まだ、戻れる。まだやり直せるという希望。

 

『何言っとるん! あんたが扇動したんやろ! うちらを含めて、彩芽も!』

 

『アタシの目的は最初からこの場面にあった。バベルをレギオンより奪還し、そして星を支配する特権層よりの離脱を。今撃つべきは、誰か分かるはずですよ。モリビトの操主』

 

「撃つべき、相手……」

 

 しかし、と鉄菜は逡巡する。バベルを奪い取るのは自分達だけでは成せなかった。それを交渉手段に挙げてみせたグリフィスの手腕を、今は買うべきなのだろうか。

 

 だが相手は彩芽を利用した。否、この論調ならば彩芽は分かっていて自分達との最後の戦いに臨んだのか。

 

 堂々巡りの思考が脳内を支配する隙を突き、《キマイラ》が一隻、隊列を離れる。

 

『……時間はあまりないようですな。半数はアタシの下を離れるでしょう。《ブラックロンド》も、《キマイラ》も構成員もね。それでも、アタシはこの《キマイラ》弐番機だけは、残しておくと宣言しますよ』

 

「私、は……」

 

 答えを保留にしているうちに、背後へと《ブラックロンド》が回り込んでいた。

 

『ボス! あんたごと、モリビトを消してやる!』

 

『どうするのですか。鉄菜・ノヴァリス』

 

 突きつけられた現実に鉄菜は表層の考えを捨て去った。

 

《モリビトシンス》が挙動し、剣閃を浴びせる。《ブラックロンド》の腕が肘より両断された。

 

『……そうです』

 

《キマイラ》より無数のコンテナが投下される。彼らはユヤマの考えに同意出来なかった者達だろう。

 

 ブリッジもほとんど空になっていた。

 

『……分かっていましたが辛いものですね。しかし、あなた方を宇宙に橋渡しするのには、これくらいのリスクは負います』

 

「……グリフィスの情報網が相手に渡る。結果的にバベルを得たというのは不利なのではないか」

 

『あなた方だって月まで行ければ、というところでしょう。互いに持ちつ持たれつ、戦い抜こうじゃありませんか』

 

《ブラックロンド》が離脱した《キマイラ》へと収容され、アンヘル艦隊へと合流する。新たな敵を抱いた形で、この交渉は結ばれた。

 

「エホバ陣営も今は崩れている。この期を狙っていたのか?」

 

『まさか。こうなれば僥倖、ならなければそれも時代の抑止力だと思っていただけですよ』

 

 その時、鉄菜は《ゴフェル》から繋がった通信を聞いていた。

 

『ようやく接続出来た……。鉄菜、その母艦を撃墜しない、という事は……』

 

「ああ。こいつの言う、希望とやらを信じてみたくなった」

 

『……不確定要素には違いないけれど、いいわ。帰投して』

 

「了解。ニナイは……」

 

『医務室よ。……ルイとの決着は、ついたみたいね』

 

 ニナイもまた過去との決別を果たした。自分だけではないのだ、と言い聞かせても、鉄菜はまだ頬を伝う熱を止められなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯322 守りたいから

 

「この状況下での第三勢力の合流……まさか企てていたのか」

 

 リックベイの問いかけに、まさか、と司令官は読めない笑みを浮かべる。

 

「そんなわけがないでしょう。本国も混乱している。それなのに、こんな事態を」

 

「だが、あまりにもスムーズに事が進んだ。ある程度は察しがついていたのでは?」

 

「……先読みは伊達ではありませんね。少佐ならばお分かりでしょう? グリフィスという組織とアンヘルは、一時的な交渉状態にあった」

 

 やはり、二枚舌、とリックベイは歯噛みする。

 

「そんな組織との共闘条件の締結、いい報せとは言えんな」

 

「そうでしょうか? 少佐、《ブラックロンド》はよい機体ですよ。《スロウストウジャ弐式》よりも汎用性が高く、性能面では比肩している。一部の技術はブルブラッドキャリアのものを使っている様子ですが」

 

「懸念事項はそれだけではあるまい。……バベル、と言ったか」

 

 この星を長年掌握して来たという、謎のブラックボックス。その一部を手土産にしてみせたからこそ、アンヘルはすぐさま受け入れ態勢を整えたのだろう。

 

「……これも極秘だったのですが、バベルを解析する事によって、《イザナギ》の黄金の力を引き出せた。つまり、元々グリフィスは我らの解析班としての役割も果たしていたのです」

 

「……だが、一隻はブルブラッドキャリアへ」

 

「致し方ないでしょうね。長が道を見失ったとなれば、下々は新たな場所を開拓するしかない。彼らの受け入れ先として、大きな器を見せるべきなのですよ。我らアンヘルは」

 

 何が器か。ただ単に戦力不足に喘いでいたのを解消するために、またしても一時的な同盟関係を結んだに過ぎない。

 

 六年前の禍根を思い知って、リックベイは拳を握り締めた。

 

「……手痛いしっぺ返しを食らう可能性もある」

 

「ですが、《イザナギ》はもうすぐ出せます。それに、グリフィスの母艦は宇宙での航行能力を持っている。我々は地上に戦力を縫い付ける事しか出来ないかと思っていましたが、存外うまくいくものです」

 

 アンヘルの戦力を相手方に発揮するためには宇宙への航行は必須。しかし、現状の地上勢力ではまず第一波は間に合うまい。しかしグリフィスの母艦を使えば、一部とは言え、ブルブラッドキャリア追撃に回せる。

 

「……そこまでして責められるべきであろうか。彼らは」

 

「少佐。お優しくなり過ぎですよ。銀狼はどこへ行ったのですか。敵を、その喉笛を掻っ切るまで追い詰める、あの銀狼の逸話は」

 

「……過ぎたる話だ。尾ひれもついている」

 

「しかしあなたのかつての武勲だ」

 

 今はもうその証左もないとでもいうような言い草であった。その通りだと認めるのも癪で、リックベイは視線を逸らす。

 

「グリフィスなる組織との癒着は後々の重石になるぞ」

 

「警句はありがたく受け取っておきますよ。ですが少佐。もうあなたの戦場ではない」

 

 そう、自分はもう侍たる資格を失った、ただの生き意地の汚い将校だろう。

 

「……それでも信じてはいけないのか」

 

「信じる? これを目にしてもそれが言えますか?」

 

 司令官が投射画面に《キマイラ》より輸送される《ブラックロンド》を映し出す。格納庫に並んだその漆黒の人機は壮観であった。

 

 黒き獣は放たれる準備がいつでも出来ている。後は指令を下す人間だけであった。

 

「……皮肉な。《キマイラ》……伝承の獣など」

 

「これで我が方は充分な戦力を得て飛び立てます。ブルブラッドキャリア追撃の大任と共に」

 

「《イザナギ》はいい。キリビトタイプがいたな?」

 

「あれも出しますよ。出し惜しみをする場合ではないでしょう」

 

「そうか。……そうと言われれば従うしかないのが彼らだ」

 

 そうとしか生きる事を定義されていないのがアンヘルの兵士達。彼らは上官に歯向かう事さえも忘れたただの牙持つ獣。

 

 リックベイは踵を返していた。ブリッジにこれ以上いても悪い影響を及ぼすだけだろう。

 

「……少佐。あなたを追撃部隊に任命してもいい」

 

「せっかくの申し出だが、断る。わたしにはその資格がない」

 

 扉を抜け、廊下を行き過ぎるグリフィス兵が目に入った。彼らはのらりくらりと人機の整備を観察している。そこに軍務や、軍属としての悲哀はない。

 

「……世界の外側から覗き込んでいた者達、か。その瞳に……、信念は」

 

 問い詰めたところで無駄だろうと、リックベイは頭を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 格納庫を埋める《ブラックロンド》に、ヘイルは毒づいていた。

 

「……今の今まで静観を貫いてきた連中のおこぼれに預かるのが、俺達アンヘルだって言うのかよ……」

 

 相手はうまい汁だけ啜って永らえてきた組織。そんな相手に頭を下げるような作戦、と怒りを滲ませかけて、ヘイルは歩み寄ってきたグリフィス兵を目にしていた。

 

「アンヘルの兵士? 作戦、一緒にするねんな?」

 

「……女操主か」

 

「女やとか、男やとか関係ないやん。ブルブラッドキャリアを追い詰めるんやろ?」

 

 差し出された手と、にやついた顔に、ヘイルは吐き捨てていた。

 

「せっかくだが、俺は飯事で戦争をしているつもりはないんだ。守らなくっちゃいけないものが、出来たんでな」

 

 身を翻すとその背中にわざとらしい大声がかかる。

 

「そら! 大変やね! まぁ、大義やとか、どれだけ言うても、アンヘルが虐殺して来たのは変わらんやろ!」

 

 足を止める。それだけは、言われてはならないものであった。確かに今まで血に塗れてきた過去は消えない。どれほど高尚な理想を掲げても同じ事だ。

 

 しかし、それだけは――。

 

 死んでいった隊長や他の構成員、それに……燐華を馬鹿にされているようで。

 

「……てめぇ」

 

「ええやん。来や。格の違いを見せてみぃな」

 

「後悔させてやる」

 

 固めた拳を振るいかけて、ヘイルの視線は格納庫でよろめく燐華の姿へと注がれていた。

 

「……おい、ヒイラギ!」

 

 グリフィス兵を無視し、慌ててタラップを駆け上がる。

 

 顔面蒼白の燐華は、今にも意識を閉ざしそうであった。

 

「何が……、おい、ヒイラギ! しっかりしろよ!」

 

「……壊さなくちゃ……何もかも。だって……鉄菜ぁ……ぅ、あたし、もう駄目だよぉ……っ、にいにい様? 隊長? どこに行ったの?」

 

 その瞳はここにない者達を探しているようであった。ヘイルは彼女を抱き留める。どうして、ここまで追い詰められなければならない。どうしてここまで残酷な世界が、彼女の前だけに広がっている。

 

 自分は、まだひよっこもいいところだ。

 

 彼女の暗黒面の一端さえも担う事が出来ない。

 

「おや、ヘイル中尉」

 

 わざとらしくこちらに一瞥を向けた白波瀬が笑みを浮かべる。

 

「ヒイラギに何しやがった!」

 

 吼え立てたヘイルに比して相手は冷静であった。

 

「なに、精神天敵というものをね。ああ、君達の言葉ではジュークボックスだったか。あれをちょっと過剰に飲んでいただいた。お陰で限界稼動域まで《キリビトイザナミ》は戦えそうだ」

 

「てめぇら……それでも人間かよ!」

 

 その言葉に白波瀬は哄笑を浴びせる。

 

「君が言うとは……! 笑わせてくれる。虐殺天使の赤が泣くぞ?」

 

「ぶっ殺してやる!」

 

 歩み出しかけたヘイルを燐華が押し留める。

 

「やめてください……。あたしが悪いんです。あたしが……弱いから」

 

「でもよ、こんなのってないはずだ! 誰も望んじゃいねぇ!」

 

「いいえ……あたしの意思なんです。だから、ヘイル中尉、怒らないで……。どうして、みんな近くにいないの……。隊長ぉ……、鉄菜ぁ……」

 

 どこからどう見ても燐華はもう限界であった。それでも酷使するというのか。こんなにまでなった彼女を戦場に送り出せと言うのか。

 

「……おい、白波瀬。宇宙への追撃部隊、まだ空きがあったな」

 

「そうだが、どうするつもりかね?」

 

「志願する。アンヘルからの兵士ならその権限があるはずだ」

 

 白波瀬はフッと嘲笑を浮かべた。

 

「まさか、彼女を守るつもりかね? 無理だよ。君の腕では墜とされる」

 

「やってみなけりゃ、分からないはずだ」

 

 その言葉に白波瀬はふんと鼻を鳴らした。

 

「やってみるまでもないと思うが。まぁいいだろう。志願を受諾する。司令官に話は通しておこう」

 

 いずれにせよ、燐華だけを宇宙に行かせるつもりはない。ヘイルは抱き留めた燐華に言いやっていた。

 

「心配すんな、ヒイラギ……。俺が、……お前を守ってやる。絶対に」

 

 どうしてだろう。最初は邪魔なだけだと思っていた。しかし、彼女の覚悟を幾度となく戦場で目にしてきた。だからこそ分かる。燐華は半端な気持ちで戦ってきたわけではない。いつだって理性とのせめぎ合いを一番にしてきたのは彼女だ。

 

 隊長が死んだ時も、自分は怒りと悲しみに暮れるしか出来なかった。だが燐華は前を向いた。《ラーストウジャカルマ》という呪いを一身に受けてまで、戦い抜こうとした戦友に、自分は静観を貫けるほど大人ではない。

 

「……飯事してるんは、あんたらちゃうん」

 

 グリフィス構成員からの嘲笑が飛ぶ。それでも、ヘイルは燐華を離したくなかった。

 

「ヘイル、中尉……。大丈夫です。一人で、歩けます。……歩かなきゃ、だって、もっと遠いところに、行っちゃう……」

 

 虚空へと手を彷徨わせた燐華に、ヘイルは誓っていた。

 

「約束する。俺は絶対、お前を見捨てない。お前より先には、死なないからよ。ヒイラギ! お前は生きろ! そうじゃないと、馬鹿にしてた俺も、嫌気が差すからな」

 

「生き、る……? でも、隊長と、にいにい様はあっちに行っちゃった……。遠くに行かないで」

 

 燐華との会話はまるで平行線だ。ゆえにこそ、自分は背負う。背負わなければならない。

 

「最後の戦いは、宇宙……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯323 赴くべき者達

「手痛い歓迎だな」

 

 確保されたユヤマという男に、ニナイは絶句していた。痩せぎすの中年男性。これと言った特徴もない、好々爺めいた顔だけがいやに目立つ。こんな男が、今の今まで自分達を翻弄し、世界を欺いてきたというのか。

 

 鉄菜は手錠をかけたユヤマに先を促させていた。

 

「本当に宇宙に行けるんだろうな?」

 

「疑い深いですなぁ。《キマイラ》の性能を見たでしょう? あれもエクステンドチャージが使えます。二隻分のエクステンドチャージで宇宙に上がる。それに《キマイラ》は高高度爆撃機能も有しています。先に上がるのは《キマイラ》。それに牽引される形で、《ゴフェル》を上げる」

 

「簡単そうに言うけれど、モモ達は疲弊している。……悔しいけれどね」

 

 桃は泣き腫らした目を隠そうともしなかった。それだけ強さが勝ったのだろう。彩芽を二度も失った自分は、どこかこの状況を浮いた目線で見つめていた。

 

 思えば不可思議なものだ。グリフィスという謎に包まれた組織。その実情がこのような男に弄ばれていたなど。

 

「安心してください。裏切る人間はもういませんよ。……まぁ、アタシ以外、みぃーんな、アンヘルに寝返っちまいましたがね」

 

 ブリッジにはユヤマしかいなかった。その事実に、ニナイはまだ痛みの走る身体を松葉杖で安定させる。

 

「……敵の戦力が増えた。しかも《キマイラ》は宇宙への航行能力を持つ。こう着状態はあり得ない」

 

「こちらが先に上がるか、向こうが先に上がるか、でしょう? ……何とも言えない戦局に追い込まれたわね」

 

 そう口にする茉莉花は先ほどから端末へと入力するのに余念がない。一体、何の作業をしているのかは不明であった。

 

「ですが、これで突破口は見えたはずです。月まで行ければあなた方の優位は保たれる」

 

「そこまで無事に行けるか……だけれど。アンヘル側の事もそうだし、エホバだって……」

 

 解決していない問題に閉口すると、鉄菜が口火を切った。

 

「私は……こいつの言うプランに賛成だ。いずれにせよ、地上で腐っていても仕方ない。――宇宙に行く。そこで起死回生の手段を見つけ出すしかない」

 

 頭では分かっている。ユヤマの計画に乗るしかない事を。だが、理屈ではない部分で、今、前に進む事を拒んでいた。

 

「……あなた達はでも、彩芽を利用した。たとえ彼女が望んでいたとしても。それに対する、贖罪が欲しい」

 

 分かっている。こんなもの、自分を慰める材料にしたいだけだ。自分のせいだけではない、という言い訳のためにユヤマにその一言を言わせたいだけ。どこまでも打算的で、どこまでも小汚い。それが自分なのだと、もう呑み込むしかなかった。

 

「……アタシは」

 

「いや、ニナイ。撃ったのは私だ。責めるのならば、私でいい。彩芽の死は、きっと誰に当ったところで仕方がないんだ。なら、私が咎を受ける」

 

「鉄菜……」

 

 ニナイは改めて、鉄菜の覚悟を思い知った。そうだ、彼女は撃った。撃てたのだ。自分達の憧れ、自分達の求めていたもの。

 

 彩芽を二度も失ったのは何も自分だけではない。その事実にニナイは恥じ入るように目を伏せた。

 

「そちらの言い分が正しいとして、バベルの制圧したとは言っても、あなた個人の所有物になったわけではないのでしょう?」

 

 タキザワの言及にユヤマは首肯する。

 

「ええ。バベルの所有権はアタシにありません。グリフィスが基本的に介入出来ますが、パスコードをいくつか設定しておきました。エクステンドチャージを相手が完全に物にするまでには少しばかり時間が稼げるかと」

 

「その時間で……僕らは宇宙に行く、か……」

 

 口にしてみても現実感はないのだろう。タキザワはどこか困惑気だった。

 

「《キマイラ》に重力圏突破能力はある。問題なのはタイミングでしょうね」

 

 茉莉花の言葉振りに、ゴロウが演算する。

 

『ざっと考えただけでも、アンヘルの邪魔立てに、それに連邦勢力、もっと言えばエホバに仲間割れしたグリフィスの《ブラックロンド》……、これだけの連中を吹っ切って宇宙に上がるのには、かなりの戦力が必要になる』

 

 つまり、まだ課題は山済み。この状態で本当に宇宙に行けるのか怪しくもある。

 

「なに、今までの戦いに比べれば楽でしょうとも。アンヘルはほとんど損耗している。その隊列にグリフィスが加わってもすぐには馴染まないでしょう。その隙を突く」

 

「簡単そうに言うけれど……」

 

 濁したニナイに鉄菜は言い切っていた。

 

「この期を逃すわけにはいかない。私達は月面まで飛ぶ。そして、月面で開発中の新型のモリビトを手に入れなければ勝てない。誰にも……」

 

 鉄菜はただ未来だけを見据えているようであった。それは彼女自身が過去に決定的なケリをつけたからだろう。

 

 しかし、まだ心の準備が出来ていない者も数多い。

 

 悲しみから脱し切れていない桃に、閉じ篭った蜜柑。それに瑞葉やタカフミにも問い質さなければいけないだろう。

 

 このままでいいのか。このまま、自分達と共に、最後の戦いへと赴いてくれるのか。

 

「……艦長。時間はあるようでない。全員に通達して欲しい。ここで降りるのならば、降りてもいい、と」

 

 タキザワの言葉にニナイは逡巡する。ここで《ゴフェル》の戦力が減る。それは致命的であろう。

 

 しかし、覚悟を問わなければこれから先の戦いなど絶対に立ち向かえまい。

 

 それだけは確かだった。

 

「……私にも、時間をちょうだい」

 

 ニナイは身を翻す。その背中に端末を抱えたままの茉莉花が続いた。彼女は複雑な演算式を使用しながらも、蹴躓く事さえもしない。それは彼女の生き方そのものでもあるのだろう。

 

 蹴躓いている暇があれば、無様に転がっても前に進む。どうしてそうしゃにむになれるのだろう。どうして、前だけを見て進めるのだろうか。

 

「……茉莉花。ラヴァーズとのお別れはいいの?」

 

 見当違いの質問だと分かっていても、ニナイは言葉を探っていた。茉莉花はブルブラッドと同じ青い髪をかき上げる。

 

「なんて事ないわよ。結局のところ、彼らだって選択肢でしょう? ラヴァーズがどうするか、も含めて」

 

 ニナイは立ち止まる。どうしても、自分のやった事が正解なのかどうか分からなかった。

 

「……私は、とんでもない間違いを犯したのかもしれない」

 

「ルイの事? ……でも艦長がやらないとケリはつかなかった」

 

 その代償が肩と脚の痛み。ならば甘んじて受けるべきだろう。

 

「でも……ルイは今まで……恨んでいつつも私達をサポートしてくれた。それだけは偽りのないのよ。私は……銃弾一発で、それを……」

 

 なかった事にしたわけでもない。全てを帳消しにしたわけでも。

 

 だが、弾丸は非情だ。他人の優しさや厚意を全て打ち砕く非情さがある。

 

 この世の中にあって、人の言語化出来る人情など、弾丸の冷徹一つで何もかも破壊出来るのだろう。

 

 ルイは偽らざる真実を口にして消えていった。ならば自分も、負い目と抱え込んだ不安ばかりを膨らませる事はないのかもしれない。

 

「……ニナイ。ルイが何を思っていたのか、それは彼女のものよ。こちらで推し量る事は出来ても、完全に理解は出来ない。そういうものでしょう? 人の世というのは」

 

「そう、そうなのかもね。……でもそれでも、信じたいじゃない」

 

「信じるのは勝手。でも裏切られたって文句は言っては駄目なのよ。信じたのだから。そこに裏切りという意味を見出すのは、所詮は人でしかない」

 

 そう、仲間だの、裏切りだの、それは人間でしか起こり得ない。自然界には発生しない現象。勝手に信頼して、勝手に裏切られた気持ちになるのは、そのような身勝手は人間だけだ。

 

「……でも、私の号令で全てが決まる。《ゴフェル》のみんなの、命運が……」

 

「そんなの今さらじゃない。月面で啖呵切ったのはあなたでしょう? なら、やり遂げてみせなさい」

 

「やり遂げる……」

 

 自分達も所詮、被造物。だが、それが何も特別なものでもないのだ。この世界にあまねく全ては、等しく何者かによって造られた代物。ならば、造られた悲哀を帯びて、勝手に可哀想がるのはおかしいだろう。

 

 ニナイは瞼をきつく閉じた後、目を開いた。

 

 ここから先の決断は、《ゴフェル》だけではない。星の命運をかけた、最後の戦いへと続く道。

 

 ならば、自分が惑ってどうする。

 

 ブリッジまで訪れたニナイをクルー達が立ち上がって見守る。

 

 艦長椅子に腰掛け、最後の号令へと口火を切った。

 

「みんな、これより《ゴフェル》は強襲母艦、《キマイラ》の支援を受けて宇宙へと上がります。これより先に待っているのはブルブラッドキャリア本隊、……それにアンヘル、連邦政府との最後の戦い。より熾烈を極める事になるでしょう。それでも、……ついて来てとは言わないわ。降りてもらっても構わない。それも一つの選択だから……。だから、よく考えて行動して。あなた達の、未来のために。三時間後、格納庫に同意してくれるクルーは集ってください。無理だと思うのなら、無茶はしないで」

 

 そこまで口にして、なんて非情なる宣告なのだろうと思い知る。ここで未来を変えられなければ、結局はアンヘルの支配を受け入れる形になる。

 

 否、グリフィスが今、レギオンに成り代わった以上、より酷い未来が待ち受けている可能性もある。

 

 それでも、行くか、去るか。それだけの二者択一。

 

 ニナイは艦長席から立ち上がり、ブリッジを後にする。

 

 誰も残らないかもしれない、と思っていた。もしかしたら覚悟を持っているのは一部だけで、それを総意だと勝手に思い込んでいるのかもしれない、と。

 

「……それでも、前に進みたいじゃない。彩芽、そうでしょう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『《クォヴァディス》、でしたっけ。動きませんね』

 

 甲板よりエホバ陣営を見張っていたのはアンヘルの構成員であった。彼らはもう、戻る場所を奪われた者達。連邦に帰属するのが正しい在り方であろうが、そもそもブルブラッドキャリア駆逐作戦後に、何人残っているのかも分からない捨て石なのだ。

 

 自分もその一人、とUDはエホバ陣営をブリッジより見つめていた。

 

 空中展開するエホバ陣営は半数以上減ったであろうか。先の戦闘によるグリフィスなる組織の介入により、型落ち人機はほとんど撃墜された。そうでなくとも、ラヴァーズとの苛烈な戦いがあった。

 

「……UD。信仰の自由は失われて久しいが、あれを見るといい。あの二者は信仰で成り立っている点では同じものの、決定的に異なっている。それが何かは……」

 

 仄めかした司令官にUDは言葉を継ぐ。

 

「理想か、現実か、だろうな。ラヴァーズの信仰は理想だ。《ダグラーガ》なる偶像を崇拝する事によって出来上がっている。比して、エホバ……あのモリビトタイプは確固とした現実。この空域まであれほどの人機の隊列を率いてみせた。まさしく力の象徴だろう」

 

 その答えに満足したのか司令官が笑みを刻む。

 

「エホバは、交渉には応じない、と。先ほど伝令が来ていた」

 

「まだ、アンヘル側で交渉術を?」

 

「無意味だろうと分かっていても、あれは無傷で欲しいものだ。《モリビトクォヴァディス》。空間転移を可能にする人機だからね」

 

「……結局、人はこの戦いが終わった後まで考える」

 

「君はそうではないような言い草だ」

 

 司令官の試すような物言いに、UDは応じていた。

 

「俺は……《イザナギ》であのモリビトを墜とす。それ以外は何も考えていない。モリビトを超える。それが俺の最終目的だ」

 

「命が尽きても、か。君らしい、実に武人めいた答えだな。少佐とは違う」

 

「……話したのか」

 

 振り向けた一瞥に司令官は苦々しい面持ちで返す。

 

「彼は……思ったほどではなかった。この圧倒的なリアルに、彼の精神はついて来れなかったらしい。その程度の、こけおどしだったという事だ」

 

 師範を馬鹿にされていたが、UDは黙していた。ここで言い争ったところで、リックベイの株が上がるわけではない。

 

 それに、とUDの眼差しはブルブラッドキャリア艦と合流した、全翼機に向けられていた。

 

「……あの構え、宇宙に上がる気か」

 

「阿呆な連中だよ。宇宙に上がったところで勝てる見込みは薄いというのに」

 

「しかし、アンヘルも追撃部隊を組織すると」

 

「耳聡いな。いや、君ならば当然か。志願するのだろう?」

 

「問われるまでもない」

 

 モリビトを超えられるのならばどこへなりと赴こう。それがたとえ地獄であったとしても、自分にとっては万全の死地だ。

 

「追撃部隊は最後の残りカスだ。彼らは死ににいくようなものだよ」

 

「貴殿は行かないのか?」

 

「決着がついてからの応対というものがある。上に立てば当然のものだ。分かるだろう?」

 

 そこから先は政の領域か。この司令官は軍属上がりでどうやら国の中枢にでも立つ気らしい。

 

 馬鹿馬鹿しい、とUDは断じる。戦士が戦場以外で返り咲くなど。

 

 それは侮辱の形でしかあり得ない。

 

「《イザナギ》のメンテナンスは完璧との事だ。黄金の力も使えるらしい」

 

「助力感謝する。司令官、ここまでの厚意、俺には過ぎたるものであった」

 

「謙遜はよすといい。君らしくない」

 

「俺らしく、か……」

 

 覚えず自嘲する。自分らしく、など捨て去った末の不死者の名前。だというのに、死んだこの身であっても、人間は人間らしさを強制される。

 

 ――どこまで行っても、度し難いのは人の身か。

 

 UDはブリッジを立ち去ろうと踵を返した。

 

「……これで君を見るのは最後になるのか」

 

 こぼした司令官に、UDは振り向かずに言いやる。

 

「戦場における武人は一時の幻のようなもの。幻に囚われてはいけない」

 

「肝に銘じておこう。UDという、生きた伝説の事を」

 

 司令官の敬礼には返礼せず、UDは格納庫を抜けていった。

 

 格納デッキには《イザナギ》が佇んでいる。最終決戦仕様に、と片腕には連装型パイルバンカーを。もう片手には一振りの刀を。

 

 奇しくも六年前と同じ装備に、苦笑が漏れる。

 

「あの時とは違う。モリビト、今度こそ引導を渡してくれよう。俺自身の手で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ナインライヴス》へとアクセスがかかる。桃は薄く浮かび上がった通信画面に腫れた目を向けていた。

 

 もう何度咽び泣いたか分からない。それでも、と奮い立たせようとして、何かが欠如していた。

 

「……何ですか」

 

『もうすぐ三時間経つ。君はどうする?』

 

 タキザワの無遠慮な声音に桃はぶっきらぼうに返していた。

 

「……モモは、モリビトの執行者です。降りるわけが――」

 

『艦長は降りてもいいと言った。それは、何も執行者だからだとか関係ないんじゃないか?』

 

「……じゃあ、どうしろって言うんですか! アヤ姉は死んだんですよ! 今度こそ、間違いようもなく……! 二度も大切な人を失った経験なんて、あんまりですよ……」

 

 そう、あんまりであった。どれほどこの結末を彩芽も望んでいたとしても。自分達は結局、状況に左右されるだけの駒でしかないのだ。

 

『そうだね。……二度も失うのは純粋に辛いだろう。だが、鉄菜はそれを乗り越えようとしている』

 

「クロとモモは違いますよ。……そう、違うんです。あの子みたいに、強くなれない……」

 

 それはきっと自室に閉じ篭っている蜜柑も同じだろう。半身を失い、それでも戦う意味を問い質せるのかと言えばそうでもないはずだ。

 

『……思えば君ら執行者には辛い戦いばかりを強いてきた。僕らも同じ、罪人には違いない』

 

「……でも肩代わりなんて出来ない」

 

『そう、肩代わりは出来ないんだ。誰も、他人の痛みなんて。でも、分かち合う事は出来るはずだよ』

 

 分かち合う。その言葉に桃は真っ先に鉄菜を思い浮かべていた。

 

 鉄菜はどこまでも孤独にあろうとしていた。六年もの間戦い抜き、そして合流してからもどこか一線を引いていた。

 

《モリビトシンス》が完成してからは単独で前線に出る事も多くなった。

 

 彼女が一番に辛いはずだ。あらゆる痛みを背負ってきたのに、その小さな双肩には重過ぎるほどの世界の命運を負ってでも、鉄菜は佇んでいる。

 

 確固たる自分がないのだと、心が分からないのだと喘ぎながらも、鉄菜は決して諦めない。諦めるのは最後の最後、本当のどん詰まりでいいと思っているはずだ。

 

 そのどん詰まりまで、もう来ている。ここが終着点だ。

 

 この選択次第では、生死さえも大きく関わってくるだろう。ブルブラッドキャリア本隊、それにアンヘルと連邦との決着。

 

 赴く先は地獄とも限らない。

 

「……クロは……」

 

『彼女は今、《モリビトシンス》の最終点検に入っている。重力圏の離脱には邪魔が入るとの見立てだろう。……強いものだ。一度だって後ろは振り向かないんだな』

 

 最後の最後まで戦い抜こうとしている。それに比して自分は、林檎と蜜柑を育て、その責任があるはずなのに、また逃げようとしている。

 

 今度こそ、逃げてはいけないはずなのに。

 

『あと三分だ』

 

 格納庫に集った人間が、最後の戦いへと赴くという意思を持つ。

 

 桃は、ここから出ないのも一つの選択肢か、と感じていた。

 

《ナインライヴス》に収まったまま、自分の力を発揮しないままに終わる。

 

 それも一つ。だが、もう一つ、あるとすれば……。

 

「……蜜柑?」

 

 格納庫に集った人間の中に蜜柑を発見する。林檎の一件以来、まともに口も利かず、食べ物にも手をつけなかった蜜柑が、戦う意思のある者としてその場に佇んでいた。

 

 桃は思わず《ナインライヴス》から飛び出し、タラップを駆け降りた。

 

 蜜柑の腕を握り締める。

 

 彼女は驚愕に目を見開いていた。

 

「……蜜柑、でもあなたは……」

 

「桃お姉ちゃん。……ミィも、戦うよ。戦わなくっちゃいけない」

 

「でも、《イドラオルガノン》はもう……」

 

 ほとんど戦闘不能だ。それでも、と彼女の双眸は死んでいなかった。半身を失った悲しみを背負ってでも、前に進む眼差しを向ける。

 

「でも……鉄菜さんは一度だって、後ろを振り向かなかった。一度だって……後悔の言葉なんて吐かなかった。だったら! ミィもそうなりたい……! この弱さを、飼い慣らしたい……」

 

 蜜柑は彼女なりの答えを見出したのだ。自分は、と桃はこの迷いの胸中にピリオドを打つ。

 

「……そう、よね。クロは、そう。一度だって、振り返らなかった。なら、モモ達だって……」

 

 ニナイが格納庫へと訪れる。

 

《モリビトシンス》から歩み出た鉄菜を含め、全員の決意の眼差しが艦長へと注がれていた。

 

「……みんな……」

 

「ニナイ。もう逃げない。逃げないと決めた」

 

 桃の言葉に、クルー達が頷く。感極まった様子のニナイが片腕で顔を隠した。鉄菜が声にする。

 

「――行こう。最後の、戦いだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯324 宇宙へ上がるために

「一度、ゆっくり話をしてみたかったですなぁ。この世最後の中立とやらと」

 

 防護服に身を包んだユヤマは《ゴフェル》甲板へと乗り移った《ダグラーガ》へと語りかける。絶対に交わるはずのなかった点と点。それが今、ブルブラッドキャリアの志と共に、宇宙に飛び立とうとしている。

 

「いいんですか? 決着は」

 

『……エホバは空間転移の術を持っている。追ってくるのは明白だろう』

 

「そうではなく。《ゴフェル》を認めた、と?」

 

 問いかけにサンゾウは淡白に応じていた。

 

『最後の中立とおだてられたが、結局は拙僧も人間だったという事だ。彼らの志、少しばかり眩しかった、というべきか。偶像として崇められるよりも、拙僧は人として終わりたいだけなのかもしれないが』

 

 それだけ聞ければ充分だろう。ユヤマは《キマイラ》艦橋へと収まろうとしていた。数人の《ゴフェル》クルーが《キマイラ》の挙動を補助する。

 

「アタシが艦長席に座るわけには……いかないですなぁ」

 

 空白の艦長席を横目にし、ユヤマは起動していく《キマイラ》の挙動を目にしていた。

 

「エクステンドチャージ起動開始」

 

『了解。血塊炉、火を通せ』

 

《キマイラ》の血塊炉に熱が通り、エクステンドチャージ実行までの時間が示される。準備も含め、十五分の待機時間。

 

 その刹那、接近警報が劈いた。

 

 照準勧告と共にリバウンドの光軸が艦を震わせる。ブリッジが激震し、ユヤマはよろめいた。

 

 アンヘル艦隊から一機の巨大人機が鬼のような勢いと共に迫ってくる。随伴するのは紫の《ゼノスロウストウジャ》だ。

 

「敵機接近! このままでは……!」

 

「墜ちる、ですか。しかしそのために……」

 

《ゴフェル》よりピンク色のリバウンド砲が放たれた。《キリビトイザナミ》と呼ばれた機体がその攻撃を弾く。

 

《ゼノスロウストウジャ》が前に出てプレッシャーライフルを引き絞った。

 

 その機体へと、上空よりリバウンドの銃撃が浴びせかけられる。

 

 振り仰いだ《ゼノスロウストウジャ》がプレッシャーダガーを発振させるのと、舞い降りた機体が刃を振るったのは同時であった。

 

《モリビトシンス》が《ゼノスロウストウジャ》と激しく打ち合う。

 

「……やりますな。エホバは?」

 

「依然、動きなし。……不気味なほどに……」

 

「……やはりあのハイアルファー、連発は出来ないか。宇宙への追撃のために、エホバはあえて動いていない可能性がありますなぁ。この戦いを、静観すると」

 

《ナインライヴスピューパ》が前に出て、Rランチャーを連射する。《キリビトイザナミ》はそれらを霧散させつつ、自身の翼を四方八方に放射した。

 

 Rブリューナクの白銀の輝きが宿り、《ナインライヴス》へと迫り来る。即席の四枚羽根を展開させた《ナインライヴス》は取り回しのいいRピストルへと持ち替えて迎撃しようとするが、Rブリューナクでさえも無慈悲に銃撃を弾き返した。

 

「……あの機体、全身がリバウンドフィールドですか」

 

 コストも度外視したものだろう。《キリビトイザナミ》の巨躯が《ナインライヴス》を睥睨し、鉤爪を思わせる巨大な支持アームが伸長した。

 

《ナインライヴス》を押し潰さんと、その腕が叩き込まれる。波間を衝撃波だけで吹き飛ばしたその一撃を、《ナインライヴス》は耐えていた。

 

 だが紙一重だ。少しでも四枚羽根の安定が崩れればあっという間に潰されるだろう。

 

「まだですか!」

 

 声を飛ばしたユヤマにクルーが言い返す。

 

「せめて十分は! そうでないと炉心融解しますよ!」

 

 十分の時間稼ぎ。そのために、二人のモリビトの執行者が命を削っている。

 

 戦場で、互いの信念を相手にぶつけているのだ。

 

「……肩入れしない性分でしたが……歯がゆいですなぁ。何も出来ないというのも」

 

 ユヤマは覚えず、骨が浮くほど拳を握り締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『モリビト! 貴様らは争いを生む権化だ! 生かしてはおけない!』

 

《ゼノスロウストウジャ》から飛ぶ怒声に鉄菜は雄叫びで返していた。

 

 Rシェルソードを振るって相手を弾き、右腕を照準する。

 

 肘から先が改良され、連装型のRパイルソードが新たに輝いた。射出された流線型のRパイルソードが《ゼノスロウストウジャ》の肩口に突き刺さる。

 

 そのまま誘爆するかに思われたパイルを、相手は左肩ごとパージして逃れていた。

 

 その執念も相当なもの。プレッシャーダガーが発振し、《モリビトシンス》へと肉迫する。

 

 Rシェルソードを振るい上げ、そのまま打ち下ろした。

 

 干渉波のスパークが散る中で、相手操主の声が弾ける。

 

『貴様らさえいなければ……誰も傷つかずに済んだのにィッ!』

 

「誰も傷つかない世界など……まやかしだ!」

 

 打ち返したこちらの勢いを、敵機は機体を翻させて浴びせ蹴りを放つ。

 

『まやかしを信じさせてもくれない世界など……それこそ願い下げのはずだろうに!』

 

「まやかしに逃げて……その果てにあるのは虚無だろうに! 戦い、傷つくからこそ、人は次へと歩めるはず!」

 

『次なんてない人間だっている! 分かるまい。モリビトには……、世界を包み込むこの悪意を! 絶対の孤独と悲哀なんて!』

 

《ゼノスロウストウジャ》が制動用推進剤で距離を取り、プレッシャー砲を撃ち込んでくる。《モリビトシンス》を上方へと抜けさせ、鉄菜はアームレイカーを握り締めていた。

 

「……分かり合えないのか。こんな、世界のどん詰まりになっても、人は……」

 

 接近警報が劈き、鉄菜はこの空域を狙い澄ます数基の自律兵装の翼を視野に入れる。

 

 Rブリューナク。燐華の憎しみの刃が、白銀の輝きを帯びて殺意の切っ先と化す。

 

《モリビトシンス》が疾駆し、その憎しみの照準を回避した。だが、《ゼノスロウストウジャ》が追いすがる。

 

 プレッシャーダガーの剣術が機体へと降りかかった。Rシェルソードで受け、火花散る視界で鉄菜は相対する。

 

 それ相応の怨嗟で受けるしかないのか。戦いには、憎しみばかりで。

 

 ――否。鉄菜は頭を振る。

 

 断じて否のはず。それだけだとすれば、人はどこまで行っても分かり合えないだけの茫漠とした悲しみがあるだけだ。

 

「《モリビトシンス》……、Rブリューナクを撃墜する!」

 

 背後より襲いかかったRブリューナクの穂先へと、Rパイルソードが射出される。相殺し、互いに爆発の光が拡散した。最早この空域はブルブラッドの密室に等しい。紺碧の大気は濃く穢れ、人機の血潮で満ち満ちている。

 

 コックピットの中で呼吸するだけでもその濃度に吐き気がするほどに、戦場は罪に塗れ果てていた。《ゼノスロウストウジャ》の振りかぶった一閃を、《モリビトシンス》は海面を背にして受け流す。リバウンドの圧力が白波を立たせ、海水が一気に蒸発した。

 

『奪われたんだ、何もかも! 貴様らに! ならば、俺達こそが、報復の刃を向けるのに相応しいはず!』

 

《ゼノスロウストウジャ》の殺意は本物だ。しかしどこかで割り切れていないのか、その太刀筋には微細ながら迷いが見られる。

 

 その迷いの刃を掻い潜り、《モリビトシンス》がゼロ距離でウイングスラスターを前面に展開する。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 発せられたリバウンドの斥力が《ゼノスロウストウジャ》の前面装甲を引き剥がした。しかし、相手はその程度では折れない。

 

 片腕を伸ばし、《モリビトシンス》の盾を掴む。

 

「何だと!」

 

『……墜ちるのならば、貴様も道連れに!』

 

『クロ! そいつ、撃つ! 離れて!』

 

《ナインライヴス》がRランチャーを照準する。砲撃が《ゼノスロウストウジャ》の下半身を融かした。

 

 それでも執念と言うべきか、その手は剥がれない。

 

『逃がす……かよ……ぉ! モリビト……!』

 

「押し通る!」

 

 Rパイルソードで敵人機の腕を寸断する。つんのめった機体がそのまま海面へと激突した。

 

『ヘイル中尉! モリビトォッ! お前らは、どこまでェッ!』

 

 Rブリューナクの機動速度が明らかに変異する。瞬間的な加速度を得たRブリューナクはまるで自律兵器というよりも――。

 

「一つ一つに、意思が宿ったみたいに……。遠隔操縦の域じゃ……」

 

 残り七基のRブリューナクが幾何学の軌道を描く。それも今まで見た比ではない。立体的にこちらを追い詰める機動力に、鉄菜はRシェルライフルで弾幕を張った。

 

 それでもまるで手が読まれているかのようにRブリューナクは弾丸を回避し、直上に回る。

 

 舌打ち混じりにRシェルライフルを一射し、出来るだけ距離を稼ごうとしたところで不意打ち気味の照準警告が劈いた。

 

「……あの《ゼノスロウストウジャ》……、まだ生きて……」

 

 通信網に焼き付いたのは執念の一事。

 

『モリビト……、貴様らを……俺達が……』

 

 眼前の《キリビトイザナミ》がRブリューナクを背後へと回り込ませる。それと海面で手を伸ばす《ゼノスロウストウジャ》のプレッシャー砲が《モリビトシンス》を絡め取った。

 

 その二つの砲撃が機体を挟み込もうとした刹那、警笛がコックピットを劈いた。

 

『鉄菜! 《ゴフェル》はこれより上昇機動に入る! 《キマイラ》の牽引で……宇宙まで……』

 

「準備が整ったか。なら、私はここで死ねない」

 

 機体循環パイプに負荷をかけ、瞬発力を得た《モリビトシンス》が跳ね上がった。

 

『ファントムか……!』

 

 苦々しげに放たれた言葉に、鉄菜はRシェルライフルによる銃撃を海面へと浴びせる。

 

 白波が舞い、死に体の《ゼノスロウストウジャ》の弾幕を制した。

 

『ヘイル中尉! モリビトぉッ! ここで、貴様を墜とす! 何もかもを犠牲にしたのは、お前らのせいだ!』

 

《キリビトイザナミ》が片腕を伸長させた。三角錐の腕にリバウンドの効力が宿り、巨大な矢じり型の武装が《モリビトシンス》を押し潰さんと迫った。

 

「燐華! 聞け! 私は、何も裏切ったつもりはない! 言い訳する気も……。だから、呑まれるな! 世界を本当に変えたいのならば……!」

 

『戯言を吐くなぁっ! 散れぇっ! モリビトぉッ!』

 

《キリビトイザナミ》の膂力に《モリビトシンス》の装甲が震える。空中分解寸前の機体へと、鉄菜はさらに過負荷を生じさせた。

 

 跳ね上がった《モリビトシンス》がRパイルソードを射出する。敵人機の片腕に突き刺さり、基部から爆砕した。

 

 さすがにその攻撃は想定外であったのか、その巨躯が身じろぎする。

 

 今だけが好機であった。《モリビトシンス》が機体を反転させ、離脱挙動に移る。

 

 その背へと声が投げられた。怨嗟の声だ。

 

『待て! 戦えぇっ! 戦って、殺してやる! 殺してやる、……モリビトぉっ……!』

 

 声に嗚咽が混じっている。燐華の精神は恐らくはもう臨界点を迎えているのだろう。

 

 その声に、何も応じられないのが今は歯がゆい。

 

「……すまない。だが私には、やるべき事が」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯325 エクステンドバースト

 見据えた先に海面より浮かび上がった《ゴフェル》の艦艇がある。《キマイラ》が接続部にケーブルを巻きつけていた。

 

『《ナインライヴス》、それに《モリビトシンス》、一時帰投せよ! 繰り返す! 一時帰投せよ!』

 

 通信に居残る声に鉄菜は応じようとして、不意に湧き起こった殺意の波に、反射的でありながら剣を振るっていた。

 

「……まさか、この距離に至るまで、気付けなかっただと……?」

 

『残心、を心得てはおらぬようだな。モリビト。その身あまりにも脆弱』

 

「……《ジーク》と交戦した機体か」

 

 口走った鉄菜へと敵人機が刀を突きつけた。

 

『《イザナギ》と呼べ。この人機、我が力、我が最大の恩讐よ!』

 

《イザナギ》が跳ね上がり、《モリビトシンス》へと斬撃を見舞う。その一閃をRシェルソードで受け止め、返す刀を払った時には、旋風のように機体を回転させた《イザナギ》が横合いへと潜り込んでいた。

 

 ――間合いを超えた?

 

 直感でRシェルソードを払った鉄菜は《モリビトシンス》の一部ステータスが赤く染まっているのを発見する。

 

 今の一瞬、斬られても何もおかしくなかった。

 

 撃墜の感触に、冷水を浴びせかけられたかのように身体が委縮する。

 

『どうした? にわか仕込みの剣筋ではあるまい。それとも、臆したか? 臆せば老いるのみよ。モリビト、その首、貰い受ける!』

 

「臆しただと……。どの口が……!」

 

 この身は既に戦い抜くためだけにある。ゆえにここでは負けられない。負けるわけにはいかない。

 

《モリビトシンス》のRシェルソードが《イザナギ》を正眼より取りにかかる。その真正面の太刀を敵はかわし、膝蹴りを打ち込んだ。よろめいた《モリビトシンス》へと刀が打ち下ろされる。

 

 一閃に対し、鉄菜はRパイルソードを掲げていた。敵人機が左腕を照準する。

 

 放たれた瞬間的な殺意に、鉄菜は《モリビトシンス》を下がらせていた。Rシェルソードの刀身で受け止めたのはパイルの一撃である。

 

 敵が左腕に装填したパイルバンカーを振るった。

 

『皮肉なものだな。お互いに片腕がうまく利かぬなど。だが、貴様と俺の勝敗、ただ単に武器の差で終わるわけがない!』

 

《イザナギ》が腕を交差させ、黄金の燐光に押し包まれる。棚引かせた閃光が網膜に焼き付いた。

 

「エクステンドチャージ……!」

 

『黄金の力! 貴様のみの力と思うな!』

 

 瞬間的に加速度を得た《イザナギ》が空間を蹴りつけ直上へと至る。その刃を《モリビトシンス》は受け流そうとして、全身のステータスに異常が走った。

 

『受け切れるなど! 思うな!』

 

 さらに下段より必殺の一撃が迫る。鉄菜は奥歯を噛みしめ、直後の激震に備えた。

 

 Rパイルソードで一閃に対処した直後、人機のフレームが引き裂かれんばかりの衝撃に見舞われる。

 

 赤く染まっていくステータスを横目に鉄菜はRパイルソードを掲げた。そのまま打ち下ろした一撃と相手の薙ぎ払いが交差する。

 

『こう着など! この戦いの一刹那に生きるのは、ただの死狂い! どれだけこの瞬間! この一瞬に賭けられるか否かだ! 貴様は賭けられるのか、モリビト! 俺との因果の決着に、その魂でさえも!』

 

「……魂……」

 

 自分は造られた存在だ。だから魂の在り処も、心の所在も分からない。

 

 ――だが、それでも。

 

 譲れない一線がある。揺るぎないものがある。

 

 今は、ここで折れてはいけない信念が、胸にあるはずだ。それを何と呼ぶのか、教えてくれる人を自分が手にかけたとしても、それは前に進むために――。

 

「私は! ここで退けない! 退くものか!」

 

『それでこそだ。我が怨敵に相応しい!』

 

 返された刃がこちらの首を狩ろうとする。鉄菜は反射的に機体を引き、その切っ先を回避し様にRパイルソードを射出する。

 

 敵人機の肩口に突き刺さったパイルが爆砕するその瞬間、敵機は接触部位をパージしていた。

 

 敵が右肩を犠牲にし、パイルを有する左手で刃を握る。

 

 思わぬ攻勢に鉄菜はうろたえた。その心の隙が明暗を分ける。

 

 敵人機が《モリビトシンス》の刃を抜け、その刀を血塊炉へと突き立てようとした。

 

 命を摘み取られる感触。確実に心の臓を射抜いたと思われた一撃。

 

 鉄菜はその一瞬を永遠より長く感じていた。

 

 ――自分の人生が終わる。それはこうも呆気なく、こうも無情。

 

 分かっていたつもりではあった。数多の戦場を潜り抜け、数多の銃弾を掻い潜ってきたこの身は。

 

 人が死ぬのは、案外、呆気ないものだ。どれほどの人間でも、どれほどの崇高なる目的があっても、それは違いない。

 

 どれほど足掻いたとしても、同じ結果になる。

 

 どれほどの戦果を挙げても、それはそこまでのどん詰まり。

 

 行き詰った可能性の行き着く先は、単純なる死に集約される。

 

 ――死? 違う。

 

 鉄菜は己の中で声を張り上げる何かを感じる。この胸を引き裂き、今にも張り裂けそうな何か。この身体の根本を揺さぶるもの。

 

 今の今までそれに目を向けていなかったのか。それとも、これは今際の際の魂の叫びか。死の瀬戸際に至って、ようやく剥がれ落ちた仮面の向こう側――魂の奥底。

 

 ヒトは誰しもそれを望み、ゆえにそれを手に入れ、ゆえにそれに絶望する。

 

 命への渇望。生への執着。魂の、渇いた叫び。

 

 己に魂が宿っているのか、それは確かめようがない。これは脳細胞の作り出す、幻なのかもしれない。幻影に縋り付くのが、ヒトなのだと、分かっている。

 

 ここにはない何か、見えない何かに手を伸ばすのが。

 

 ――しかし、それは愚かしいか?

 

 違う、と鉄菜は確信する。それだけは違うと断言出来る。

 

 ヒトは、愚かしくとも、間違って見えたとしても生存に縋り付くべきだ。生きる事を諦めてまで、死を達観してまで己の平穏を確約するべきじゃない。

 

 それはヒトを辞めている行為だ。断じて、「人生」とは呼ばない。

 

 だから――。

 

《モリビトシンス》が空いた片手で敵の切っ先を握る。血塊炉に突き刺さる寸前で、その剣筋が止まった。

 

『……生に執着するか。貴様は今の今まで、死をばら撒いてきたのだぞ? ならば、瀬戸際は潔くあれ』

 

「ああ、私も、そう思っていた。終わる時は呆気ない。終わる時は、誰でも来る。死は、追いかけてくるんじゃない。すぐ傍にあるんだ。見えないようにしているだけで、誰しも、すぐそこに」

 

『それが分かっていて……涅槃に至れて何故、ここで刃を止める? もしや貴様、まだブルブラッドキャリアには……モリビトには価値があると思っているのか。ここまで世界を掻き乱し、ヒトを狂わせ、何もかもを奪ってきた。許されざる背信、許されざる罪悪だ。その罪の形を見れぬものに、生きる意味など』

 

 罪の形。それがある意味では《キリビトイザナミ》であり、目の前の《イザナギ》でもある。だが、自分は……この血潮の流れる「鉄菜・ノヴァリス」という自分は――。

 

「私は、ここでは終われない。終わるわけには、いかなくなった」

 

『それは意地か? それとも、単なる生き意地の汚さか』

 

「どちらでもいい。私は、……どっちでもいいんだ。崇高に飾り立てたって、この身体を震わせるものは、同じ……」

 

 そう、死にたければアームレイカーから手を離せばいい。死んでもいいのならば今すぐに力を緩めればいい。

 

 しかし、ここにいる自分は。数多の罪を重ねてきた自分自身は。

 

「私は……ここで死ねない。死ぬのには、惜しい理由が出来た。死んで堪るかという、声が私の喉元から出ようとしている。これが……生きていたいのだと、願う事なんだ」

 

『願いだと? それを押し潰してきたのが、貴様らの業だ! モリビト!』

 

 払われた剣筋が右手を寸断する。黄金の光を棚引かせて《イザナギ》が大上段に掲げた剣を打ち下ろした。

 

 とどめの一撃のつもりであろう。

 

 その刃に宿った殺意は本物だ。本物の拒絶。本物の憎悪。そして――本物の闘志。

 

 ならば応じるべきだろう。最大の力をもって、自分も。願いを形にするのはいつだって胸に宿した志だ。炎なのだ。

 

 煉獄の灼熱ではない。そのような地獄から生まれ出でたものではなく、ヒトの生まれながらに持つ、純粋なる生存本能。

 

 それが心に炎として燻ぶる。炎として燃え盛る。熱に衝き動かされ、鉄菜はRパイルソードを敵の剣圧に返した。

 

 剣と剣が互いの信念となってぶつかり合い、干渉波のスパークを散らせる。

 

『貴様は俺から全てを奪った! 俺だけじゃない、何もかも! 地上の人々から希望を!』

 

「希望がないから絶望を振り翳すだと? それが諦めでないと、誰が言い切れる!」

 

 払った剣を敵機は刀で打ち返す。

 

『言えないさ。だが、だからこそ俺が立つ。貴様の前に。恩讐の討ち手として!』

 

「それは、人々の願いを勝手に背負っただけだ! 歪めたのはお前だって同じのはず!」

 

『歪めただと……? ……ああ、そうだろうさ。俺は歪んでいる。もう、ここに在る人間ではない。ゆえに、我が名はシビト――UDである。かつての名前を捨てた、真の死者を前にして、貴様はどう断じる? どう終わらせるつもりだ!』

 

 太刀筋が《モリビトシンス》を斜に割ろうとする。その一閃へと鉄菜は断ち割られたはずの左手を翳した。

 

「負けない、負けたくない。負けられないんだ! だから、私に力を貸せ! 《モリビトシンス》!」

 

 瞬間、コンソールに文字が浮かび上がる。それを鉄菜は昂揚した意識のままに読み取っていた。

 

「……エクステンドバースト」

 

 紡がれた名前に、敵の一閃が《モリビトシンス》を断ち割った。

 

『勝った! 俺の勝利だ! モリビト!』

 

 しかし、直後《モリビトシンス》の像が揺らめく。靄のように形状をなくした《モリビトシンス》が、直後敵機の背後へと瞬間的に位相を変えていた。

 

『小手先の技など!』

 

 敵が刃を払う。しかし、《モリビトシンス》の像を相手は捉える事が出来ない。

 

『……まやかしか』

 

「違う」

 

 鉄菜はアームレイカーに入れた拳を握り締める。違う、この力は決して小手先でも、ましてやただの現象でもない。

 

「《モリビトシンス》、私の願いに、応じてくれたか」

 

 白銀の像を引き移した《モリビトシンス》が敵の太刀を受け止める。浮かび上がったビジョンが《モリビトシンス》の機体を補強した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯326 願い、彼方へ

『何だ……。この白銀の瞬きは……。新たなる武装を顕現させたとでも言うのか! モリビト!』

 

「私はまだ……諦めるわけにはいかない。そのためならば! 何度だって刃を取る! だから、《モリビトシンスクリアディフェンダー》!」

 

 Rパイルソードを掲げた《モリビトシンス》が《イザナギ》を見下ろす。《イザナギ》はたじろいだかのように刀身を一旦下がらせた。

 

《モリビトシンス》の眼窩に青い輝きが宿り、打ち下ろされた一閃が白銀を帯びて《イザナギ》へと斜に突き刺さる。

 

 直撃を僅かに免れたのは相手の操主の技量か。血塊炉すれすれを引き裂いた一撃に敵操主の声が滲む。

 

『モリビトォッ!』

 

「私は、まだ死ねない。死ねないからこその意地だ。唸れ! 銀翼の――!」

 

 白銀の輝きが瞬時に黄昏色のエネルギー力場へと変位し、《イザナギ》へと狙いがつけられる。その照準に《イザナギ》が剣を払った。

 

『南無三!』

 

「アンシーリーコート!」

 

 射出されたRパイルソードそれそのものが質量の兵器となって《イザナギ》へと突き刺さる。《イザナギ》は刀で受けたものの、すぐにこちらを追いすがるほどの余力はない様子であった。

 

『クロ! 《キマイラ》がもう上昇に入る! 早く戻ってきて!』

 

 桃の叫びに鉄菜は機体を翻しかけて、不意の殺気を感じた。《モリビトシンス》に海面ギリギリを疾走させる。

 

 意思が宿ったかのようにこちらを狙い澄ますのは《キリビトイザナミ》のRブリューナクだ。

 

「まだ……追って来るか……」

 

《キリビトイザナミ》本体はダメージを負っていて追いすがれないがRブリューナクならばこちらの行動をギリギリまで制せるという判断だろう。

 

 そこまでの執着。そこまでの執念。そこまでの――憎悪。

 

 怨念が形となったかのように、リバウンドの軌跡が《モリビトシンス》へと追いすがる。

 

 視界の端で《ゴフェル》が浮遊する。エクステンドチャージの輝きに至った《キマイラ》による牽引はうまくいっているようだ。徐々に、重力の投網を無視して浮かび上がっていくその艦艇へと何とかして合流しかけて、幾度も自律兵装が遮る。

 

 そこには何としてでもここで潰えさせんとする怨念があった。

 

「……燐華・クサカベ。私は……」

 

 眼前に迫ったRブリューナクをピンク色の光軸が打ち破る。桃の《ナインライヴス》がRランチャーを構え、こちらへと手を伸ばした。

 

『クロっ! 手を!』

 

 ああ、ここで手を伸ばさなければ、何のために。

 

 鉄菜は《モリビトシンス》の左手でその腕を掴もうとして、残響する声を聞いていた。

 

 ――逃がさない。モリビト!

 

 一基のRブリューナクが加速度を得て《モリビトシンス》の脇腹へと突っ込んだ。血塊炉に直撃し、青い血が迸る。

 

 ステータスが危険域へと引き上げられ、鉄菜は激震するコックピットで奥歯を噛み締めた。

 

 ここで宇宙に上がったところで、因果を先送りにするだけ。

 

 それでも、希望が宇宙にあるというのならば。自分が見据えるべき場所は決まっている。

 

「Rパイル……!」

 

 最後のパイルを使用し、突き刺さったRブリューナクを叩き潰した。《ナインライヴス》の力で、《モリビトシンス》は甲板へとようやく帰投する。

 

『これより高高度へと上昇する! 《キマイラ》の牽引は?』

 

『試算通りに。鉄菜、それに桃。格納庫へと戻りなさい。エクステンドチャージで無理やり重力を振り払うわ。そこにいたら無事では済まないわよ』

 

 茉莉花の指示に従い、桃が格納デッキへと入る。鉄菜もボロボロな愛機を戻そうとして、不意に耳朶を打った炸裂音に目を向けていた。

 

 牽引部のコネクターに亀裂が走っている。

 

 その原因は、と視線を振り向けた先にいたのは最後の力を振り絞ったRブリューナクであった。

 

 すぐさま勢いをなくして下降していくRブリューナクの致命的な一撃に、《ゴフェル》のブリッジから悲鳴が劈いた。

 

『コネクター部に異変発生! ……最後っ屁って奴かよ……』

 

 忌々しげに言い放った声に、鉄菜は《キマイラ》を振り仰ぐ。《キマイラ》側からのサポートは期待出来そうにない。

 

 ならば、と自然と《モリビトシンス》を歩み進めていた。

 

『クロ? 何をやっているの? 《モリビトシンス》を格納デッキに!』

 

「いや、桃。ここで《キマイラ》の助けを失えば、二度と《ゴフェル》は宇宙に上がれない。月面に向かい、ブルブラッドキャリア本隊と決着をつける事も。ならば、私は」

 

 迷いは不思議となかった。恐れも、である。

 

 残った左手でコネクター部を掴み、Rパイルソードで《ゴフェル》の装甲へと自機を打ち付ける。

 

 まさか、とニナイの声が響き渡った。

 

『艦を人機一機で、抑え込もうと言うの? 自殺行為よ! やめなさい! 鉄菜!』

 

「自殺行為でも……。やらなければ希望は潰える……。それだけは……」

 

 それだけはあってはならない。ここまで繋いでくれた人々がいる。ここまで繋がった想いがある。それを無駄には出来ない。絶対に無駄にしてはならない。

 

 コネクター部にかかった力が《モリビトシンス》を引き裂きかねない重圧となる。重力圏を無理やり抜けていく黄金の燐光をその目に焼き付けながら、鉄菜は《モリビトシンス》のステータスが赤を超え、完全に沈黙していくのを横目にしていた。

 

 このままでは血塊炉はオーバーヒートするだろう。それでも、己を曲げられない。曲げるものか、と決めた精神が《モリビトシンス》に力を込めさせた。

 

「エクステンド……チャージ」

 

 起動した切り札が僅かに二隻を安定挙動まで持っていこうとするも、やはり微力だ。人機一機程度で二隻の艦を宇宙に上げる事などまともな考えならば出来るわけがない。

 

 それでも、諦めてなるものかという意地。諦められない願い。

 

 その最果てが《モリビトシンス》の大破と言う形となったとしても。それでも、前に進むのに、一度だって後悔するものか。

 

「私は……ブルブラッドキャリアの、モリビトの執行者だ!」

 

 その時、黄金の瞬きが反転し、急速に色相を塗り替えた。白銀に瞬いた《モリビトシンス》がコネクター部を不明な力で引き寄せる。

 

 操主である鉄菜本人でさえも分からぬ力。どこから溢れて来るのか、《モリビトシンス》は全てのステータスが黒塗りの状態にもかかわらず、《キマイラ》をコネクター部から離さなかった。

 

 赤く煮え滾ったような熱と虹の皮膜を超え、コックピットの中で、鉄菜はようやく静謐な無重力に抱かれていた。

 

 もう《モリビトシンス》には光の残滓はない。

 

 それでも先ほどの戦いと言い、今と言い、不明な何かが《モリビトシンス》を衝き動かしていた。

 

「……私は……」

 

『重力圏を突破! これより《ゴフェル》、及び《キマイラ》は通常航行に入る』

 

 ブリッジからの通信を得て、鉄菜は虚脱する。

 

『お疲れ様、鉄菜。……何をしたの?』

 

「何を……と言われても」

 

 自分でも分からない。だが、悪い力ではない。その妙な確信を手にする前に、劈いたのは敵襲のアラートであった。

 

「読まれていた?」

 

『敵が外延軌道から……。旧ゾル国の軌道エレベーターか! 残存兵力はあるとは思っていたが、こういう形で……』

 

 口惜しげな茉莉花に、鉄菜は《モリビトシンス》を機動させようとして、機体がつんのめり、全身が警戒色に包まれているのを関知する。

 

『……《モリビトシンス》は一度戻すしかない。《ナインライヴス》! 行けるか?』

 

『やるけれど……どれだけ追い払ったって、敵は際限なく出てくるんじゃ……』

 

《ナインライヴス》がRランチャーを構えるが、その挙動にはどこか自信はない。モリビト一機で退けられる限界を超えているはずだ。

 

 軌道エレベーターより放たれたのはバーゴイルを含め、《スロウストウジャ弐式》編隊。何があっても絶対に逃がさない布陣であった。プレッシャー兵器で固めた相手を前に満身創痍のモリビトではどう足掻いても勝利はないだろう。

 

 それでも、ここで歩みを緩めるわけにはいかない。ここで前に出なければ、何のための戦いか。何のための今までの犠牲か。

 

「……私は……」

 

 歩み出しかけた鉄菜は直後、コネクターが排除されたのを関知する。

 

《キマイラ》が《ゴフェル》の前へと推進力を全開にして突き進んでいく。

 

「何を……、グリフィス!」

 

『なに、アタシらなりのケジメですよ。ブルブラッドキャリアの皆さん、ここから先はあなた方の領分です。古い価値観や、既存の考えなんかで歩みを止めないでください。世界を導くのは、きっとそういう……誰かの希望なんでしょう』

 

《キマイラ》より《ブラックロンド》が出撃する。バーゴイルと《スロウストウジャ弐式》編隊が散開し、艦を包囲した。

 

 瞬く間にプレッシャー兵器の火線が閃き、互いの銃撃が交わされ合う。

 

「何を……、犠牲になるなんて……!」

 

『犠牲なんてつもりはありませんよ。言ったでしょう? ケジメだって。戦うのに、ただただ水先案内人だけじゃ務まらないんですよ。アタシらグリフィスは黄金を守る者。黄金、それは即ち――あなた方です。ブルブラッドキャリアの皆さま。未来は任せましたよ』

 

《キマイラ》の主砲がトウジャ部隊を吹き飛ばさんとする。包囲陣形より放たれた銃撃網が《キマイラ》艦を瞬く間に炎で包んでいく。

 

『……こんな事で、借りを返されたつもりでも……』

 

 茉莉花の苦渋の声にユヤマは軽く返した。

 

『なに、いつだって世の中、貸しは返したようで返せていないもの。ですがあなた方は誠実だった。……彩芽さん。彼女の願いでもある』

 

「彩芽の……」

 

 茫然とした鉄菜は軌道エレベーターへと真っ直ぐに突き進んでいく《キマイラ》の艦影を目に焼き付けていた。

 

『次へと繋げるため……彼女はただただ憎しみと復讐心だけで戦ってきたわけじゃないんですよ。未来を引き渡すのに相応しいのならば、それを全力で補助する。それが、我々グリフィスの……あるべき姿なんです』

 

「だが……それはお前達にとっての……」

 

 終わりではないのか。問いかけたその声音にユヤマは快活に笑った。

 

『なに、いつだって笑って眠りたいものですなぁ! それが永遠の眠りであったとしても、笑っていれば、それは勝ちなんです。だから、ご覧なさい。この終着点、このどん詰まりの戦場でも、笑っていられる。笑って、明日を信じられる』

 

「明日を……」

 

『お別れです。ブルブラッドキャリアの皆様方。それに、鉄菜・ノヴァリス。未来を頼みますよ。時代の良心として』

 

 最後のスラスターが点火し、軌道エレベーターへと火達磨になった《キマイラ》が突っ込もうと迫る。散開した編隊がプレッシャーの銃撃網を交差させるが、それら全てが逆効果だ。

 

 全翼型の《キマイラ》は炎の灼熱と噴煙を棚引かせ、バーゴイル部隊を退けていく。

 

 彼らは怖気づいたのか、あるいはその執念を前に止めるだけのものがないのか、ほとんど棒立ちの状態で《キマイラ》を目にしている。

 

「……グリフィスの頭目。お前は……」

 

『アタシらに出来るのなんて、せいぜいこの程度です。では、お元気で』

 

 エクステンドチャージの燐光をなびかせ、《キマイラ》が軌道エレベーターを粉砕すべく直進した。

 

 その刹那、黄色の光軸が十字に《キマイラ》を切り裂く。

 

 何が起こったのか、鉄菜には一瞬分からなかった。

 

《キマイラ》の全翼型の艦影が十字に溶断され、その断面を晒した瞬間、爆発の光輪が内側から《キマイラ》を吹き飛ばす。

 

『これは……、新型……?』

 

 茉莉花の声に鉄菜は咄嗟に前に出ていた。《モリビトシンス》へとアラートが劈き、上下から同時に奇襲がかけられる。

 

 差し迫った敵機の瞬きに、《モリビトシンス》はもつれ合いながらもRパイルソードを突き立てていた。

 

『……やりますね。腐っても執行者か』

 

 その声と、眼前に迫った機体の識別信号は間違いようもない。

 

「イクシオンフレーム……」

 

『アムニスの序列三位! シェムハザ! 報復させてもらいますよ!』

 

『……消し飛べ。モリビト』

 

 冷たい声音と共に《イクシオンガンマ》がその体躯の倍ほどもある棍棒を振るい上げる。

 

 確実に叩き潰されたのを予見した瞬間、Rランチャーの一射がその攻撃を中断させる。

 

『……獣のモリビトォッ!』

 

『……イクシオンフレーム。という事は、まさか!』

 

『そのまさか、と言わせてもらおう』

 

 軌道エレベーターを背にして、群青色の機体が腕を組んで屹立する。

 

 両腕に円筒型の自律兵装を有し、機体の眼窩はX字にモリビトのアイサイトを模している。

 

 その立ち姿からは超然としたものを予感させた。

 

『まさか、グリフィス。特攻なんて無様な真似を見せつけてくれるとは。最後の最後でがっかりだ。こんなものか。人間風情では』

 

『その声……、渡良瀬!』

 

 桃の言葉に不明人機が手を払う。

 

『もう既にその名では収まらない。わたしはアムニスの序列最上位。大天使、ミカエル。そしてこの機体は、わたしに相応しい最上の機体。《イクシオンオメガ》!』

 

《イクシオンオメガ》と名乗った機体が円筒型の自律兵器を《ゴフェル》へ向けて射出する。

 

 その軌跡を遮ったのは《キマイラ》から噴煙を引き裂いて現れた機体だった。

 

 錫杖で自律兵器のR兵装を中断させる。

 

『……サンゾウ』

 

《ダグラーガ》が錫杖を払い、印を結ぶ。

 

『我が命、ここに費やすべきだと感じた』

 

『無駄に散るか。いいだろう。宇宙まで上がって来た事だけは褒めてあげよう。だが、君達はここで潰える。ブルブラッドキャリア、それに最後の中立。わたし達、アムニス。天使の軍勢に、貴様ら人間の刃が届くと思ったか?』

 

 イクシオンフレームが軌道エレベーターと軍勢を率いて並び立つ。

 

 鉄菜は倒すべき敵を目にして、唾を飲み下していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯327 真なる咎人

『彼奴ら、重力を超えたか』

 

 月面のバベルがリアルタイムで送ってくる映像を同期しながら、ブルブラッドキャリアを束ねる者達は愚かなる離反者をその視界に入れていた。

 

 しかし、ここまで無傷で訪れる事は出来ないだろう。

 

 月面には未だに《モリビトルナティック》と銃座の護り、それに加えてこちらには鬼札がある。

 

『梨朱・アイアス。最強の血続が我らの側についている。ならば、勝利は必定』

 

「その通りです」

 

《トガビトコア》の最終点検を終えた梨朱が議席に降り立つ。その立ち振る舞いに賢者達は声にしていた。

 

『血続の完成形、そして人機の究極の形に辿り着けた。これに勝る喜びはない』

 

『リードマン、それにリップバーン博士も鼻高々だろう。彼らの研究成果が形となった。遂に、自らを滅ぼす毒が』

 

 月面に辿り着く頃には、彼らは損耗し切っているかもしれない。否、そうなっていないほうがおかしいほどに戦力差は明らか。

 

「しかし、彼らは来ますよ。向かって来るでしょう」

 

『それは愚かしさかね?』

 

「いいえ。確信です。特に、鉄菜・ノヴァリス。あれがここまで来ないのは、おかしい」

 

 その言葉に賢者は嘲笑する。

 

『最早、鉄菜・ノヴァリスにかけずらっていても仕方あるまい。あのような些末な代物、もう必要ないのだ。あれは血続の完成形ではない、出来損ない』

 

『左様。ここに、究極はある』

 

 傅いた梨朱に賢者達は確信を新たにする。自分達は本物を育て上げた。真なる血続、真なる人類の進化系。

 

 それがここにある。

 

『……しかし、いやに静かだな。月面にも離反兵はいるのだろう?』

 

『二十時間前から地上の者達を観るのに観測衛星を使っている。そのせいで奴らの動きを僅かに怠っていたが……』

 

 再び観測レンズが捉えたのは、砂嵐であった。

 

 何も映し取らない観測機に賢者が声を荒らげる。

 

『どうなっている。これでは、離反者達を見張るのにも――』

 

「その必要はございません」

 

 遮った梨朱に、彼らは懐疑を浮かべる。

 

『……それはどういう意味か?』

 

「あなた方が地上の愚者達を見るのに躍起になってくださって、とても助かりました。お陰で私は、存分にやりやすかった」

 

 梨朱が指を鳴らした直後、賢者の間を激震したのは人機による攻撃であった。

 

『攻撃? 攻撃だと? まさか、離反兵……』

 

「いいえ。私の意思による、私のための――反逆です」

 

 賢者達が理解しようとバベルに接続しかけた時には既に遅い。壁を打ち砕いたのは白亜の機体であった。

 

『《トガビトコア》……、だと』

 

「真なる血続の機体です。お間違えなきよう」

 

『バベルのハッキングで!』

 

「いいえ。全て無意味です。バベルは私と、《トガビトコア》、それに《モリビトルナティック》が完全に掌握しました」

 

 まさか、と脳内同期ネットワークに問いかけた賢者達は、その思考すら明け透けである事に驚愕する。

 

 たった数時間だ。その数時間で、彼らは小さな造り物に反逆を許していた。

 

『……何を、何をやっているのか、分かって――』

 

「ええ、もちろん。私が究極の血続だというのならば、支配するのは私が相応しい。それだけのシンプルな答えです」

 

 震撼した賢者達がバベルネットワークに接続し、《トガビトコア》の全システムを閉じようとしたが、それらの権限は何もかも失われていた。

 

「残念です。自らの死を、自らの過ちを理解も出来ず、あなた方は死んでいく」

 

《トガビトコア》がその手に梨朱を乗せる。賢者達へとリバウンドの砲身が向けられた。

 

『貴様……造られた分際で……!』

 

「私はあなた達よりも優れている。その理由で、支配被支配の構図を少しばかり弄ってやっただけです。何も、おかしな事はない」

 

『梨朱・アイアス! 自惚れるな! 恩を忘れたか!』

 

「恩? ええ、重々、理解しておりますよ。私に全ての試験血続の苦行、痛苦、拷問……、何もかもを叩き込んだあなた方への、この尽きぬ憎しみだけは。これをくださるために、私をここまでにしてくださったんですよね? 賢者様」

 

『貴様――!』

 

「ハイリバウンドプレッシャー」

 

 終わりはあまりにも無情にであった。《トガビトコア》の放った赤黒いリバウンドの砲撃がブルブラッドキャリアの中枢を射抜く。

 

 崩壊したシステムがバックアップを作るより早く、《トガビトコア》から放たれたRブリューナクがシステムバックアップ地点を打ち抜き、さらに電脳世界へと分け入った《トガビトコア》の因子がその末端まで焼き殺す。

 

 全てのバックアップが破壊されたのを確認し、《トガビトコア》と共に梨朱は浮遊していた。

 

 暗礁宙域の果て――虚空に浮かぶ虹の惑星より来る凶星。それを討つためだけに、自分はここにいる。ここに立っている。

 

「――鉄菜・ノヴァリス。決着をつけよう。私が、真の血続だ」

 

 

 

 

 

 

 

第十四章 了

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終章 罪なる世界で愛を問おう
♯328 終末を問う


 街頭ビジョンにノイズが走る。

 

 突然の事にコミューンの誰もが足を止めていた。現状、連邦政府からの正式発表もない。しかし、それでも人々には通常の営みが許されていたし、彼らもそれを甘受していた。

 

 ブルブラッドキャリアとの最終決戦は確かに示唆されていたものの、一般市民には関知されるべきものではなかったのだ。

 

 連邦による平和の制定、そして連邦コミューンに流れる堕落したかのような平和主義。それは牙を抜くかのように、市民から危機感を失わせていた。

 

 そんな彼らでもオーロラビジョンの異変に気づき、ざわめきが広がっていく。

 

 直後には、映像は黒塗りになり、音声のみが流された。

 

『地上に住まう、全ての市民に告げる。ワシの名前はタチバナ。貴君らが知っているか知らないかは分からないが、人機産業に関わらせてもらっている。タチバナだ。これを打診している今、宇宙では大きな戦いが巻き起ころうとしている』

 

 思わぬ言葉と人物に誰もが端末を取り出してネットワークを見ていた。二時間前より復旧した民間のネットにはもちろん、そのような事実はどこにも載っていない。

 

『ブルブラッドキャリア対惑星、その報復作戦も含め全てが最終段階に入っている今こそ、ワシは問い質したい。貴君らは平和に生きているのか、と。全ての平和はただ安穏と口を開けて待つのではない、自分の手で掴み取るのだと。そのために、彼らは立った。全ての争いの矢面に。宇宙駐在軍において、この戦局は大きく変化する。それを目の当たりにして欲しい』

 

 映し出されたのは常闇の暗礁宙域で繰り広げられる戦闘であった。

 

 全翼機が軌道エレベーターに突っ込む最中で、十字に断ち割られ爆砕する。宙域に佇むのは数体の人機であった。

 

 望遠レンズが青い船体の艦を映し出す。

 

 闇の中を掻くように青い推進剤を焚かせ、幾つかの輝きが虹に膿んだような惑星の重力圏すれすれを突っ切っていく。

 

 その光景に誰もが息を呑んでいた。呼吸も忘れ、彼らは見入る。

 

『責任がある。我々にも、この結末を見守るための責任が。今一度、言う。ワシの名はタチバナ。この戦いの終焉を、彼の場所にて見守る者である』

 

 それがどれほどの罪悪。どれほどの傲慢に塗れていたとしても。

 

 最後の最後まで、この戦いは克明に映し出される事だけは明白であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軌道エレベーターを背にして、三機のイクシオンフレームが阻むかのように屹立したのを、鉄菜は《モリビトシンス》のコックピットより睨んでいた。二機は既に登録済みの機体だが、最奥でこちらへと照準する一機だけはまだ不明人機のままである。

 

「……あの機体、イクシオンフレームの新型……!」

 

『《イクシオンオメガ》だ。これこそが、大天使、ミカエルが操る人機ッ!』

 

《イクシオンオメガ》と呼称された人機が真っ直ぐにこちらへと猪突する。残り二機も随伴し、《ゴフェル》へと向かおうとした。

 

「させるか!」

 

《モリビトシンス》はしかし、全ての武装を使い果たしている。この状態で何が出来る? と問い質したのも一瞬。鉄菜は、それでもと《イクシオンアルファ》へと拳を見舞っていた。組み付いた形の敵人機から怨嗟が放たれる。

 

『無駄ですよ! ここまで来たって、我が方の勝利は揺るぎない!』

 

「無駄かどうかは、戦いの後に決める!」

 

 言葉尻が咲いた直後、習い性の身体がアームレイカーを引かせた。先ほどまで頭部があった空間を《イクシオンガンマ》の棍棒が打ち払う。

 

『ねぇ……痛いのぉ! 痛いって、聞こえないの? ……渡良瀬ぇッ!』

 

 舌打ちを滲ませ、鉄菜は後ずさる。《ナインライヴスピューパ》と《カエルムロンドカーディガン》が牽制の銃撃を浴びせていた。

 

『クロ! こいつらを引き剥がさないと、月面軌道には!』

 

「ああ、行けない。だからこそ、ここで禍根は絶つ!」

 

『無茶だ、クロナ! 今の《モリビトシンス》は大気圏突破時にほとんどの機能が塞がれている。こんな状態で、立ち振る舞いは出来ない!』

 

 瑞葉の言う通りだ。全てのステータスがレッドゾーンに達した《モリビトシンス》では、単騎戦力としても心許ない。だが、ここで踏ん張らなくては、月面まで到達出来ないのも明白。

 

 歯噛みし、鉄菜はアームレイカーを握り締める。

 

「……それでも、もうここを踏ん張れば最後なんだ。だったら、私は戦い抜く! それでしか……散っていった魂に報いられないのならば!」

 

 彩芽や林檎、それに自分を押し上げるために死んでいった者達。彼らの魂を侮辱しないために、自分達はブルブラッドキャリア本隊との決着をつけなければならない。そうでないのならば、何のためにここまで……。

 

 そう判じた鉄菜は《ナインライヴス》へと《イクシオンアルファ》が銃撃したのを目にしていた。プレッシャー兵装をウイングスラスターで受け、《ナインライヴス》がその死角へと回ろうとするが、万全の敵機に対してあまりに疲弊している。

 

 機動力で追いつかれた《ナインライヴス》が振り返ったその時にはプレッシャーソードが引き抜かれていた。

 

《カエルムロンド》も同様だ。《ジーク》と背中合わせになって攻撃網を張るが、《イクシオンガンマ》の連続使用のファントムに気圧され、そして援護射撃に翻弄されている。

 

《イクシオンオメガ》が両腕に保持した盾を放っていた。その形状に鉄菜は瞠目する。

 

「あれは……《クリオネルディバイダー》か」

 

『そうだとも。貴様らの呼ぶ《クリオネルディバイダー》とやらは解析済みだ! この武装は我が方の剣となり、そして盾にもなる。行け! Rブリューナクディバイダー!』

 

 自律兵器、Rブリューナクと同等の動きを誇る《クリオネルディバイダー》のコピーに、鉄菜は《モリビトシンス》へと上昇機動をかけさせる。しかし敵攻撃網の速さが段違いだ。すぐさま追いつかれ、その刃が《モリビトシンス》の内蔵血塊炉へと突き刺さるかに思われた。

 

 ――ここまでなのか。

 

 判じた神経が全ての事象を遅らせる。最後を感じ取った刹那、何もかもが鈍重になっていた。自分の動きも、敵の攻撃でさえも。

 

 終わりとはこうも呆気ないのか。せっかく、決死の覚悟で宇宙に上がってきたというのに。

 

 ユヤマの犠牲も、その志も赴くところも。全てが水泡に帰すのか。

 

《モリビトシンス》は応えない。このまま、敵の自律兵器が突き刺さり、自分は打ち止め。ここで、終わる。

 

 その現実が食らいかかる瞬間であった。

 

 パイルバンカーが敵自律兵器に突き刺さり、誘爆の輝きを見せる。《イクシオンオメガ》より困惑が迸った。

 

『何だと?』

 

『渡良瀬……、援護射撃が!』

 

《イクシオンアルファ》に収まる敵操主が急速接近した熱源に反応した、その時には軋った刃がその両腕を寸断していた。

 

《ナインライヴス》がRランチャーを新たなる敵影に据えたその時、現れた機敏なる影の切っ先は《モリビトシンス》へと真っ直ぐに向けられていた。

 

 その迷いのない殺意に鉄菜は絶句する。

 

「……《イザナギ》、か」

 

 地上で振り切ったはずの赤い疾駆の人機――《イザナギ》がこの宙域での戦闘を調停していた。思わぬ援軍であったのだろう。《イクシオンオメガ》が照準する。

 

『何のつもりだ……。アンヘルの権限持ちが、今さら……!』

 

『俺にはまだ、その権限が残っている。無論の事、それを遂行する責務も』

 

《イザナギ》が高出力推進剤を分離させる。まさか、単騎で大気圏を突破し、そしてここまで追いすがって来たというのか。

 

 何という執念。否、最早それは妄執の一語に尽きる。

 

『もう終わっている! アンヘル艦隊は地上で待機命令が出ているはずだ!』

 

『追撃部隊に志願した。辞令が降りたその瞬間より、俺は追撃の任を帯びている。疑問ならば確認すればいい。俺の名前がある』

 

『……渡良瀬、どうします? こいつ、生半可には……』

 

 濁したという事はイクシオンフレームでも対処は難しいのだろう。そんな相手が何故、自分と味方陣営であるはずのアムニスに刃を向けたのか。

 

 鉄菜は切っ先に篭った決意と、赤い人機の相貌を眺めていた。

 

「……貴様は、何故……」

 

『ブルブラッドキャリア。その両盾のモリビトに告げる。俺の名前はUD。操る人機は《イザナギ》。そのモリビトと、最後の一騎討ちを所望する』

 

 まさか、ここに来てそのような言葉が出るなど誰も想定していない。鉄菜を含め、全員が思わぬ一言に硬直する。

 

「何だと? 一騎討ち……」

 

『わけが分からぬ言葉でもないはずだ。俺は、そのために生き永らえてきたのだからな』

 

 確かに、今までの戦闘局面、この《イザナギ》の操主は幾度となく自分に立ち塞がってきた。それが並々ならぬ執念であるのは疑いようもない。しかし、この自分達を追い込める千載一遇のチャンスをふいにしてまで、どうして自分にこだわると言うのか。

 

「……貴様は」

 

『これが呑まれぬ場合、俺は即座にブルブラッドキャリアへの対抗措置と、そして全てのモリビトを破壊する』

 

 言葉に宿った信念は本物だ。うろたえたのは、アムニスの側である。

 

『何をやっているのか……分かっているのか、UD。背信行為だぞ』

 

『構わない。アンヘルでの権限はここで使い切る。全てを失った俺を後ろから撃つのは自由だ』

 

 そこまでして、と全員が唾を飲み下す中、アムニス軍勢は決断を迫られていた。

 

 イクシオンフレームが勝利出来る確定の瞬間は今だ。だというのにそれを阻む友軍、面白いはずもない。

 

 だが、敵陣は一度の後退を是としていた。

 

『……大天使より告げる。一時撤退する』

 

『正気ですか、渡良瀬! ここまで追い込んだのに……』

 

『しかし、貴殿は、ここで我々がブルブラッドキャリアを追撃すれば……』

 

《イザナギ》の操主は迷わない。逡巡の間を一拍さえも浮かべない。

 

『容赦なく――斬り伏せる』

 

 嘘はないのだと誰もが判じていた。《イクシオンオメガ》が後退する。それに応じて、宇宙駐在軍が下がっていくのが窺えた。確実に取れると断じていた《イクシオンアルファ》と《イクシオンガンマ》も、致し方なしと撤退機動に入る。

 

『……うまく生き永らえましたね、ブルブラッドキャリア』

 

 苦し紛れの捨て台詞を残し、敵陣は完全に退いていた。

 

『……助かったの? モモ達は……』

 

「どうだかな。私にもこの状況、どうなのかは判断がつけかねる」

 

 少なくとも絶対に退かぬ一機の人機と武士の操主。それが眼前に突きつけられたままだ。

 

『恩義を感じる必要はない。ただし、三時間だ。三時間以内での、我が《イザナギ》とその両盾のモリビトを万全な状態での一騎討ち。それだけは譲れない』

 

 本当に、心底それしか考えていないような物言い。鉄菜は一つ頷き、《モリビトシンス》を《ゴフェル》へと退去させる。

 

「ニナイ。聞こえているな? 《モリビトシンス》の整備を頼む」

 

『鉄菜? でも、本当に敵は下がったのか……』

 

 確証はない。それはその通りだろう。だが、その時は、と鉄菜は言い含めた。

 

「相手が約束を違えた時には……その時には私が全力で止める。それは保証する」

 

 真紅の敵機は背中を向ける。勝負を預けた男の背中だ。

 

 戦場で、何度もそういう背中は見てきた。ゆえに信頼は出来なくとも信用は出来る。

 

『……聞こえているわね、鉄菜。全力で整備するのは確定だとして、月航路を取るに当たっての作戦を練るわ。……グリフィスの犠牲に報いなければならない』

 

 眼前で散ったユヤマの死に様だけは絶対に侮辱は出来ない。彼は信じるものは少なかったが、結果で自分達に示してくれた。

 

 この先の未来、それを託すと。

 

『《ダグラーガ》と《カエルムロンド》、《ナインライヴス》も収容。後に月面へと向かうための万全の整備をする。でも、三時間、ね……。あるようでない時間だわ』

 

 鉄菜は《イザナギ》へと一瞥を向ける。

 

 彼の人機はその時を迎えるのを今か今かと待ち構えているようであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯329 勝利者の座

「コケにされて……! 渡良瀬!」

 

 怒声が格納デッキで飛ぶ。それに渡良瀬は落ち着くように言い含めていた。

 

「あの状況……《イザナギ》が敵になればわたし達とて危うい。それは分かるはず」

 

「三機でかかれば勝てました! ハッキリしていたでしょう!」

 

「それでも、だ。それに……」

 

 浮遊した渡良瀬は無重力の中でシェムハザの肩に触れていた。

 

「《イクシオンオメガ》はまだ不完全。《イクシオンオメガ》のフルスペックモードを実行するのに、ちょうど三時間以上。UDの言葉をこちらも最大限に利用する。なに、どうせブルブラッドキャリア側に時間もなければ余裕もない。真の《イクシオンオメガ》を目にした時、彼らは後悔するだろう。あの時、戦っていたほうがマシだった、と」

 

 そう思わせられるだけの材料はある。自分の余裕にシェムハザは渋々ながら従っていた。

 

「……信頼していますよ。ここまで来たのですからね」

 

「無論だとも。宇宙駐在軍は我が手にある。いつでも最大戦力のバーゴイルとナナツー部隊、それに《スロウストウジャ弐式》編隊は出せるんだ。ブルブラッドキャリアが完全なる反抗を企てたとしても勝てる算段はある」

 

 それに、と渡良瀬はもうすぐ合流予定の地上部隊からの連絡を得ていた。

 

「レギオンの陥落、それによって生じたバベルの所有権……。ここで地上のバベルも掌握出来れば、覇権は我が手に確約される。素晴らしいじゃないか。大天使の手に、全てが落ちるのならば」

 

「……では我らアムニスは……」

 

「せいぜい《イザナギ》とUDの健闘に期待する。そして、その間に《ゴフェル》は月面へと移動を開始するはず。追うなとは言われていない。両盾のモリビトとの決着に執着しているのなら、他はどうだっていいとあそこまで言い放った」

 

 ならば、その期に乗じ、月面のバベルを手に入れる。前回は撤退戦に追い込まれたが、今回は違うはずだ。

 

 敵の最大戦力であるモリビトはUDが食い止める。空いた敵陣に突っ込めば勝利は揺るぎないだろう。

 

 渡良瀬は覚えず拳を固く握り締めていた。

 

 もうすぐだ。もうすぐ完全なる支配と勝利がこの手に入る。

 

 ならばその前の露払いくらいは任せよう。

 

《イクシオンガンマ》のコックピットより這い出たアルマロスは目に見えて疲弊していた。包帯だらけの身体を浮かし、虚空に視線を注いでいる。

 

「……あの女も限界か。いいさ、女も代わりなんていくらでもいる」

 

 それに、天使が地上と月を支配すればそれさえも些事。二つのバベルが手に入る吉兆ならばそれを静観しよう。

 

 宇宙駐在軍の司令室へと入った渡良瀬は全員のざわめきを受けていた。司令官が声を飛ばす。

 

「渡良瀬! これはどういう事か!」

 

「声を、荒らげないでいただきたい。それに他のスタッフも。別段、我らの不利に転がったわけではないのです」

 

「しかし……! 地上軍からの打診が来ている。共闘の打診だ! これでは、計画にあった宇宙駐在軍の天下は……」

 

 この男もつまらない些事を気にするものだ。先を見据えれば、まだ余裕は残っているというのに。

 

「落ち着かれる事を、お勧めします。我が方の軍備は完璧。地上軍とは言え間に合わせの戦力でしょう。宇宙ならば我々の利がある」

 

 囁きかけた渡良瀬に司令官は苦虫を噛み潰したように苦渋を露にする。

 

「……だが、今までの背信が露見すれば……」

 

「背信? アムニスに従ったのは何も背信行為ではありますまい。地上のアンヘルはもう戦力として信用出来ませんよ。頼るのはこちらのはずだ。なら、最大限まで搾り取ればいい。先の戦闘で、ブルブラッドキャリアは大きな戦力を失いました。見たでしょう? あの全翼機の捨て身の特攻を。つまり、そこまで追い込まれているのです。敵が行く末は見えている。――月面。そこで全てが決する」

 

 言い切った渡良瀬に司令官は声を潜ませる。

 

「……月面戦に向けて戦力を温存しろと?」

 

 渡良瀬は満足気に首肯する。

 

「それが正しいでしょう。敵は何も、ブルブラッドキャリアだけではない。全てが終息した時に生き延びていれば勝ちなのです。それとも……特攻で肝が冷えたクチですか?」

 

 挑発すると司令官は舌打ちを漏らしていた。

 

「……勝てるのだろうな?」

 

「無論。栄光は我々とアムニスにありますよ。地上部隊が来てもこう言えばいいのです。宇宙では我々の命令に従ってもらう、と。頭目になり得るだけのカリスマなんて、もういないはず。ここが正念場なのですよ。ここで耐えれば、絶対に」

 

「勝利が訪れる、か。渡良瀬、たばかれば貴様とて……」

 

 無事では済むまい。それは分かり切っている。だが首が飛ぶのを恐れているのは司令官の側だ。まだこちらには余力が有り余っている。

 

「毒を食らわば皿まで。お互いに持ちつ持たれつ、最後まで戦い抜きましょうよ。ねぇ、宇宙駐在軍の皆さん」

 

 言い置いて渡良瀬は司令室を後にする。そう、何も風下に立っているわけではない。自分達には今こそが追い風なのだ。

 

 全てを利用し、全てを手に入れる。

 

 ならば、少しくらいの苦渋は噛み締めてもいい。

 

「最後に勝つのはアムニスと、わたしだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯330 一欠片の希望

「状況を整理するわね」

 

 格納庫に戻るなり急ピッチで進められる《モリビトシンス》の改修を横目にしながら、茉莉花は口火を切っていた。

 

 鉄菜は集ったニナイと桃、それに蜜柑を視野に入れている。瑞葉とタカフミはタキザワより別の命令を受けていた。

 

 だが意図するところは同じはずだ。

 

 茉莉花はほとほと理解出来ないとでも言うように額に手をやる。

 

「あの《イザナギ》とか言う人機と操主……、本当に三時間だけ、余裕を与えたというべきでしょうね。でも、それはこちらだけも優位ではない。敵も同じはず。少なくとも、特攻した《キマイラ》に宇宙駐在軍は恐れを成している。それもそう、自分達の眼前であれほどの覚悟を持つ人間が現れた。それは同時に慎重にならざるを得ない状況を作り出したはず」

 

「……敵も安易には動けない、と?」

 

 桃の問いに茉莉花は首肯していた。

 

「そう信じたい、わね。あの人機がアンヘルとアムニス側に肩入れしていなければ、だけれど。でもこの時間的余裕を相手も最大限に利用するはず。今度こそ、逃げられない追撃が来る」

 

 やはり、それは免れないだろう。それに、と鉄菜は追いすがってきた《キリビトイザナミ》と《ゼノスロウストウジャ》を思い返していた。

 

 重力圏ギリギリまでの攻防、あれほどの執念だ。自分達の前に今一度現れると見て間違いないはず。

 

「地上のアンヘルも追ってくる。余裕は、あるようでないと思っていい」

 

「そうね、そこは鉄菜の言う通りだと思うわ。でも、ニナイ艦長。こちらの打つ手はもう決まっている。そうよね?」

 

 ニナイは決定権を振られ、双眸に決意を浮かべていた。

 

「……鉄菜が《モリビトシンス》で相手を食い止めている間に、月面軌道に入る……。でも、本当にいいの? また鉄菜を……一人にしてしまうわ」

 

 その懸念に桃が声を荒らげていた。

 

「茉莉花! あんたまたクロを単独で出させるような真似を……!」

 

「容認した覚えはない。それに推奨も。でも、鉄菜。あなたは行くのよね?」

 

 多くの言葉を語るまでもない。鉄菜は頷いていた。

 

「ああ。私はどうやらあの人機と操主に……大きな貸しがあるようだ」

 

 瑞葉が今は傍にいないで助かった。どうしたって自分と行動を共にすると言い張って聞かないだろう。

 

「だからって……クロを置いてけぼりには出来ない! それじゃ……六年前と……同じじゃない……!」

 

 苦渋を噛み締めた桃の声音に鉄菜は強く言い返す。

 

「誤解しないでくれ、桃。私は必ず、帰ってくる。六年前の殲滅戦とは違う。あの時は何もかもが混迷の中だった。だが今は。今この瞬間に、確かなものを……私は感じている。……彩芽を地上で失った。私が撃ったんだ。だから、それも含めて、私は前に進む。進むしかない。進む事でしか、報いる事は出来ないはずだ」

 

 そう、胸の中の何かが告げている。後ろを振り返るな。今だけは、前のみを向いていろと。

 

 桃は承服し切れないのだろう。額に手をやって何度も頭を振る。

 

「でも、でも……っ! どうしたってモモ達だけが……。月の本隊に勝てるかどうかも分からないのに」

 

「作戦というのはそれもある。月面よりの通信を傍受した。つい二十分前だ。既に月内部で桃・リップバーン。それに蜜柑・ミキタカ。あなた達のためのモリビトは完成段階にある。加えて現状、《ナインライヴス》も《イドラオルガノン》もほとんど大破に近い。ここで提言するのは、一刻も早く月面に到着し、新たなるモリビトを受け取る。その上で、本隊との決着をつける」

 

「簡単そうに言うけれど……! そのためには月面展開する《アサルトハシャ》部隊と、それにあの……《トガビトコア》って言う、単騎で大気圏を突破出来る無茶苦茶な性能の人機と渡り合わなければならないのよ……!」

 

 声を荒らげた桃に茉莉花は非情なる声音で返す。

 

「そう、だからこれは、最も残酷な決断。鉄菜に頼らずして、こちらの残存戦力だけで月のプラント部まで到達しなければならない。でも、これが達成されなければ、勝利はない」

 

「ニナイ! あんたはそれでいいの? クロを……また置いて行けという、こんな命令なんて……」

 

 鉄菜はニナイと視線を合わせようとする。彼女は一瞬拒んだが、それでもこちらを真っ直ぐに見据えた。

 

「……ええ、桃の言う通り、残酷な命令よ。でも、これしかない。鉄菜が作り出してくれる時間を無駄には出来ない。恐らくはアムニスに追われながらの任務となる。もしかしたら途中で轟沈するかもしれない。月まで辿り着けないかもしれない。それでも……今は前向きな作戦を信じるしかないのよ。茉莉花はそれも分かってくれている」

 

「ま、これも結果論に過ぎないけれどね」

 

 茉莉花は肩をすくめる。鉄菜は桃へと視線を移動させていた。

 

「私は、構わない。みんなの作ってくれた時間を最大限に活用する。桃、置いていかれるなんて事を、私は考えていない。それに、犠牲になろうとも。私達は、全員で、生きて明日を迎える。そのための、最後のチャンスなんだ」

 

「……どうして、クロはそんな事を、いつものように言えるの? 一歩間違えれば! クロもモモ達も、死んじゃうんだよ……」

 

 それも分かっている。全滅の憂き目に遭えば、これまで自分達に託してくれた全てが水泡に帰すとも。だが、ここで粘らなければいつやるというのだ。

 

「桃。分かってくれとは言わない。それに納得してくれとも。ただ、私は戦う。あの人機と操主に、決着をつけなければならない」

 

 それに、と鉄菜は燐華の事も考慮に浮かべる。

 

 ともすれば、そのまま、燐華の操るキリビトタイプとの戦闘にもつれ込む可能性だってある。

 

 その時に、自分は冷静になれるのだろうか。それさえも分からないまま、今は決定を下そうとしている。

 

 桃は何度も納得出来ないように首を横に振った。

 

「……無理だよ。こんなの、納得しろなんて……。あんまりじゃない、モモは……」

 

「――ミィは、この作戦に異論はないよ」

 

 だからなのだろうか。不意に発せられた蜜柑の声に全員が息を呑んでいた。当の発言者である彼女は迷いのない論調で口にする。

 

「……林檎が死んだ、でもだからって! ミィが昨日ばっかり見ているんじゃ、誰も浮かばれない。きっと、浮かばれないんだと思う。……桃お姉ちゃんの言う通り、分かんないよ、ミィだって。これが正しいのかどうかは。それに……林檎と争った鉄菜さんを、完全に許せるかと言えば、そうでもない」

 

 蜜柑は最も残酷な立ち位置のはずだ。この世で唯一の半身を失い、それでも戦えと強制されている。銃を取らない道もあるのに、彼女は《イドラオルガノン》に乗り続ける事を選んだ。それが林檎の魂を振り切れないのだと分かっていても。

 

 ニナイはさすがに蜜柑に戦わせる事は憚られたのか、ここでの後退の道もあるのだと、言いやっていた。

 

「蜜柑……あなたは辛い立場のはず。艦のクルーになるのだって、誰も咎めは……」

 

「いいえ、ニナイ艦長。ミィに、戦うなと命令しないでください。ミィも、戦わなくっちゃいけないんです。林檎を失って、それで自分が悲しいからって塞ぎ込んじゃ駄目だと、そう信じたい。ミィは《モリビトイドラオルガノン》の……執行者です」

 

 そう、自分達は惑星に報復の刃を向けたモリビトの執行者。その疑いのようのない決意だけは確固としてある。もう逃げられない。逃げちゃ、いけない。

 

「どうして……。そんなの、蜜柑が……」

 

 桃はやはりここでの決断は出来ないのか、踵を返していた。駆け出した彼女を止める言葉を誰も持たない。

 

 茉莉花はこちらへと目線をくれていた。

 

「……鉄菜。あなたはやるのよね?」

 

「ああ。誰が止めてもやる。やらなければならないだろう」

 

 嘆息を一つ挟み、茉莉花は後頭部を掻いた。

 

「《モリビトシンス》の最終調整には少し時間はかかる。三時間……正直ギリギリよ。武装と破損箇所を修復してもそれでもまだ足りないくらい。それでも、……今のあなたを止める事は出来ないようね」

 

 茉莉花も分かってくれている。それに、蜜柑の決意は意外であった。彼女には逃げるだけの理由だってあるのに、それでも立ち向かう道を選んだ。

 

「蜜柑・ミキタカ。お前は……」

 

「何も。何も言わないでください。今、言われちゃうと、決意が揺らいじゃいそうで。だから、ミィと鉄菜さんが次に喋るのは、全部終わってからにしましょう。全部終わって……これ以上辛い戦いをしなくてよくなってから。世界を変えてから、次は真っ当にお互いを見れるようになってからに、したいんです」

 

 真っ当に互いを、か。鉄菜は蜜柑の在り方もまた苛烈だと感じる。

 

 こうして追い込む事でしか、彼女もまた前を向けない。それは教えを説いた桃でさえも、抱え切れないほどなのだろう。強さとは、単純な力の持ちようだけではない。きっと、これを皆が――。

 

「……茉莉花。《モリビトシンス》を頼みたい。私は、定刻まで身体を休めよう」

 

「それがいいわ。《モリビトシンス》は最大まで修復する。あなたは、血続とは言え、ここまでの連戦に耐えてきた。少しは休息なさい。そうじゃないといざという時に最大限のパフォーマンスが出せない」

 

 少しぶっきらぼうな言い草だが、それくらいのほうが性に合っている。鉄菜は個室へと戻りかけて、リードマンが廊下に立ち塞がっていた。

 

「……退いてくれ」

 

 横をすり抜けようとすると声が投げられる。

 

「鉄菜。ここまで君が戦い抜くとは誰も思っていなかった。もちろん、担当官であるわたしもね」

 

「……何が言いたい? まさか、今さら担当官として見過ごせないとでも?」

 

 そんな事を言いたいがために自分の道を阻むというのか。しかし、リードマンは静かに首を横に振る。

 

「いいや。君はわたしの計算なんて度外視して今までやってきた。六年前だって、生き抜くとは思っていなかったんだ。それにこれほどまでに……人間らしくなってくれたともね」

 

 鉄菜は向き直っていた。リードマンは静かな眼差しでこちらを見据える。その瞳に映るのは、今まで担当官として見てきた温情か。あるいは、作り物がここまで人間の道化を演じているのがおかしいのか。

 

「……私は何を言われようとも、行く」

 

「鉄菜・ノヴァリス。君の道筋に、余計な口を挟む気はない。もう君は充分に……人間だからだ。だがこれだけは言わせて欲しい。よく……ここまでなってくれた。私の想定なんて覆して、ここまで生きてくれた事に、感謝する」

 

 その言葉はどこかおかしい響きを伴わせている。自分は感謝される事など何もしていないからだ。

 

「自己満足だ、私の行動なんて」

 

「彩芽・サギサカや林檎・ミキタカ。そしてブルブラッドキャリアの皆との出会いは、君を確かに変えた。……ある意味では別れも。本来、兵器にはそこまでの感情がインプットされているはずもないんだ。ただの純粋な、兵器としての血続を極めるのならば余計な機能がついたと、そう思ってもおかしくはない」

 

「私が、余計な代物にこだわっていると、そう言いたいのか、お前は」

 

「以前までならばそう考えていたかもしれない。それこそ六年前ならば、ね。だが、わたしは所詮、戦いには出られない。君の戦いに、全く介入出来ないんだ。だからこそ、想定外の変化に戸惑っているのは、一番にわたしかもしれない。黒羽博士が言い置いた、人間らしく生きて欲しいという願いは、わたしは叶わないのだとどこかで諦観していた。鉄菜・ノヴァリス、君は血続であり、ブルブラッドキャリアの執行者であったからだ。その身は戦うためだけに存在し、それ以外なんてまるで規定されない、ただの殺戮者……そのはずだった。だが君は獲得した。あらゆる出会いと別れが君を強くした。だから私も言おう。勇気の要る発言だが、それでも。……誇りを持っていい。君は、もう人間だ。心ある、人間なんだ」

 

 心ある人間――リードマンの口からまさかそのような評価が出るとは思っていなかった。彼は組織のために自分を観測し続けた担当官だ。だから「鉄菜・ノヴァリス」としてのエラーは網羅しているはずだし、その身に相応しくない願いや志は淘汰されて然るべきと考えていてもなんら不思議ではない。

 

 ――だからなのだろうか。

 

 この時、頬を一筋の涙が伝ったのは。

 

 何が心を震わせたのか、それは分からない。何もかも不明なままだ。だというのに、どうして。どうしてこうも悲しいのだろう。どうして、こうも胸の奥がきゅっと痛むのだろう。

 

 別に死にに行くつもりはない。だが、もう最終局面が近いのはどこかで分かっていた。《ゴフェル》の命運、艦のみんなの命が自分の掌にある。こんなに小さな、自分の手に。

 

 その事実だけでも信じ難いのに、リードマンは自分を人間だと言った。心ある、人間だと。

 

 探し続け、求め続けていたものが、もう手に入れているのだと。

 

「……分からないんだ。本当に、分からない。何をもって人間と呼ぶのか。何をもって兵器だと断じるのか。それはきっと、曖昧なんだ。私は、立場さえ違えばもっとおぞましいものに成り果てていたかもしれない。少しでも道筋を誤れば、きっとここにはいないはずなんだ。それが何と呼ぶのか……どうしても……」

 

 肩が震え出す。この身一つでしかない身体が、何を訴えているのか分からない。何のために存在し、何のためにこれから戦いに赴くのかも。

 

 リードマンはポケットに仕舞っていた何かを自分の手に寄越した。青いブルブラッド鉱石のペンダントである。

 

「これは……」

 

「黒羽博士のペンダントだ。彼女の死後、わたしがずっと持っていた。だが、もうわたしには相応しくない。君が持っているべきだ、鉄菜。これから先、どれほど迷い、困惑し、そして自らの道を問い質そうとも、彼女が見守ってくれている。それだけは確かなんだ。鉄菜、博士もきっと、天国で君の事を……」

 

 そこから先をリードマンは継げないようであった。どこかで彼も信じ切れないのかもしれない。惑星を追放された側の人間が、天国やあの世の世界に希望を見出す。もう死んでしまった者達から、何かを託されたのだと口にする。

 

 それがどこかで遊離しているのは自分も分かる。畢竟、同じなのだ。

 

 誰もが迷いの中にいる。きっと、暗中模索のその先を、照らし出せるのは、きっと――。

 

「未来だけ、か。それも、今よりはよくなっているかもしれない、という希望的観測だけ。だがヒトは、それで前に進めてきた存在だ」

 

 身を翻す。最早、言葉は必要ないのだろう。

 

 雛鳥はいつか旅立たなければならない。巣立ちの時を迎えないのならば、それはただ腐っていくだけの存在だ。

 

 きっと、リードマンは別れの代わりにそのような言葉を投げてくれた。手にあるペンダントをぎゅっと握り締める。

 

 今は、この一欠けらの希望だけでいい。

 

 それだけで、前を向けるのだから。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯331 赴く前に

「……クロナ」

 

 執行者には別の命令が充てられる。その理由も分かるし、口を挟む気はない。だが、鉄菜が傷つくのならば話は別であった。

 

 桃が叫び、蜜柑が何かを口にしている。

 

 ただならぬ気配を帯びていたが、自分は招かれざる存在。ここでは規定された行動以上の事は出来ない。

 

「心配か? 瑞葉」

 

 タカフミの言葉に瑞葉は素直に頷いていた。眼前で《カエルムロンド》の追加武装の説明をするタキザワは、やれやれと首を振る。

 

「こっちだって真面目に聞いてもらわないと困るんだが……」

 

「すまない、タキザワ。だが、クロナがどうしても……」

 

「心配なのは分かるさ。僕だってあっちに加わりたい。だがね、君達を生還させろ、とのお達しだ。いくら《ジーク》と《カエルムロンド》がそれなりの人機だからって数で押されればそこまで。地上でだってあれだけの《ブラックロンド》の応酬があった。恐らくは宇宙でも、エホバは追ってくるだろう。あのまま静観、なんていう冗談はないはずだ」

 

「エホバ……。しかし、わたし達は本当にこれでよかったのだろうか。世界に背く、覚悟はしていたつもりだ。それでも……クロナだけにあんな道を強いるなんて」

 

「酷かい? だがね、鉄菜は戦い抜くだろう。六年前もそうだった。彼女に何があったのか、僕は桃の言葉とログでしか知らないが、それでも窺い知れるのは、報復作戦実行時にはまるで抜き身の刃のようだった彼女が、いくつもの戦いを経て、人間を獲得していった、という事だ。……本人は否定するかもしれないけれどね」

 

「クロナは充分に人間だ。……わたしなんかより、よっぽど……」

 

「それでも、本人はまだ分からないのだろうね。人間とは何なのか、人としての証明は……小難しく考えるものでもないと思うけれど。だって、月面でハッキリした。造物主を気取っていたが僕らも似たようなものだった、って事が」

 

 月での本隊によるあの傲慢な言葉は今でも耳にこびりついている。あのようなものに衝き動かされ、彼らは今の今まで惑星への報復を第一条件に掲げていたのか。

 

 それを、ニナイという艦長は突き返した。造られたが、それがどうした、とノーを言い張った。

 

 その勇気には感服するしかない。自分はブルーガーデンにいた頃から、根本では変わっていないのかもしれない。誰かの指示の下にいるのは楽だ。何も考えずに引き金さえ引けていれば、どれほどに精神を磨耗せずに済むか。

 

 しかし、鉄菜はそうではないのだと知っている。もう、鉄菜は兵器なんかでは決してないのだ。

 

 命ある、他人の傷みが分かるだけの、人間だ。

 

「……どれほど言葉を弄しても、鉄菜にはまだ届かないのかもしれない。だが、これだけは言える。いつかは届く。だから、僕らはこうして、《モリビトシンス》を整備している。最善の状態で鉄菜には戦ってもらいたい。どれほど頼って、情けない存在だと言われようとも、それだけは譲れない一線だ」

 

「瑞葉。おれも大方の気持ちはタキザワさんと同感だ。クロナがどれほどの痛みを抱えているのか、それは分からないし、口出ししたって仕方ねぇ。それでも、おれ達に出来るのは、クロナの帰ってくる場所を、きっちり守る事なんじゃないか? そのために、こうして《ジーク》と《カエルムロンド》の説明をしてくれているんだろ?」

 

 タキザワが肩をすくめる。

 

「いいところを全部言うな、君は」

 

「よく言われる」

 

 互いに笑みを交し合う。もしかすると二人は似た者同士なのかもしれないと瑞葉は思い始めていた。

 

「クロナの……帰ってくる場所……」

 

「この《ゴフェル》が……なんて大層な事は言えないよ。僕だってまだ確証は持てないさ。それでも、前に進むのならばその道に栄光があったほうがいい。そのほうが、もっと希望が持てる」

 

「希望……」

 

 誰にも教わってこなかった言葉だ。リックベイでさえも容易にはその言葉を吐かなかった。タカフミからこの六年間で僅かにこの胸に積み重ねてくれた代物でもある。

 

 希望、明日への原動力、未来――。

 

 どうとでも言い換えられるが、その志す先にあるのは歩みを止めない事に尽きるのだろう。

 

 鉄菜が歩みを止めないのならば自分はせめてその背中を、ずっと見つめていたい。

 

 彼女が作り出す明日を、自分も見てみたい。どれほどに身勝手でも。どれほどに力がなくてもいつかは、鉄菜と同じ景色が見られるはずだ。

 

 そうだと信じていたかった。

 

「わたしは、生きて帰る。そしてクロナの帰る場所を……守りたい。ともすればブルーガーデン兵なんて、そんな資格はないのかもしれないが」

 

「そんな事はないだろう。鉄菜は君の事をしっかりと考えている。だからこそのこの編成だ。しっかり頭に叩き込んでくれよ。そうでないと、僕らもおじゃんだ」

 

 少しおちゃらけたところのあるこの技術主任は少しでも場を明るくしようと思っているのだろう。

 

 瑞葉は微笑む事は出来なかったが、今は確かなぬくもりを感じていた。

 

 握り締めたタカフミの手。その大きな手が自分の手を包み込んでいる。こんなにも安息が得られるなんて思いもしなかった。

 

 戦場の女神は、時に残酷だが、時折奇跡を垣間見させる。

 

 きっとこの瞬間は、そのような産物なのだろう。奇跡の一刹那。きっと永遠に比べれば僅かな時間。ほんの少しの平穏。 

 

 それでも構わない。自分がここにいていいのならば、そんなものに縋っても、今はいいと思えていた。

 

「さて。二人とも、よく説明を聞いてくれよ。とちったらパーなんだからね」

 

「お互い様だろ。整備、きっちり頼むぜ」

 

 タカフミとタキザワが拳を突き合わせる。どうにもこちらの友情はいまいち掴みかねる、と瑞葉は小首を傾げた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯332 胸の中にある

 

 どうしてあのような事を言ってしまったのか分からない。いずれにせよ、あの場で一番に取り乱してはいけない身分のはずなのに。

 

「……モモは、こんなにも弱い」

 

 どうして看過出来なかったのだろう。鉄菜は前を向こうとしている。今までより苛烈な道だと分かっていても、それでも歩みを止めない。

 

 彩芽が今度こそ間違いなく死んだのに、林檎が目の前で死んでしまったのに、自分が耐えられていないのだ。

 

 拳を握り締めて振り翳そうとして、桃はやりどころのない怒りに顔を伏せていた。

 

「……蜜柑があんなにも前を向こうとしているのに……モモは……」

 

 墜とせ、と命じた。唯一無二の姉を殺せと、この口が命じたのだ。それなのに、自分は汚い道を行きたくないなど身勝手が過ぎる。蜜柑は覚悟している。これから先に待ち受ける未来を。どれほど残酷でも見据えるだけの勇気を。

 

 自分には何もない。鉄菜のお下がりのような覚悟で、どうしたって前を向けない。上を向いて歩み出す事が、出来なかった。

 

「……桃お姉ちゃん」

 

 付いてきたのか、蜜柑の声が背中にかかる。しかし桃は振り返れなかった。

 

「……来ないで。もう、あなたの理想の指導官は気取れない。だって、何も覚悟出来ていなかったのは自分のほうだった! そんな、かっこ悪いだけの存在を……」

 

「桃お姉ちゃん。ミィは、お姉ちゃんが生きていてくれて、嬉しいの。……林檎は死んじゃった。でも、お姉ちゃんは生きていてくれる。なら、それが今は、少しは心の支えになる」

 

 蜜柑の口から出た言葉に桃は堰を切った言葉を吐いていた。

 

「モモはっ! あなたの理想のお姉ちゃんじゃないのよ! ……こんなにも弱い。指導官が聞いて呆れるわ。あなた達の絆を侮辱しただけじゃない。墜とせなんて命じておいて、いざ自分の番になると何も出来ない……でくの坊じゃないの……」

 

 蜜柑には今まで自分の脆い面を見せてこなかった。いつでも教官の面持ちで返せた自分はこの時、ただの「桃・リップバーン」として、蜜柑に弱さを覗かせていた。

 

 どうして今まで冷酷に、そしてあんなにも無情に言葉を紡げていたのか分からないほどだ。

 

 林檎が死んだ、彩芽が死んだ、他にもたくさんの人間が自分達を押し上げるための犠牲になった。

 

 だからなのだろうか。ゆえに、なのかもしれない。

 

 この場所にいるのが相応しくないのだと、どこかで思い知っている。ここまで来た自分が卑しく、どこまでも生き意地の汚いだけの、資格のない人間なのだと感じていた。

 

 林檎が生きているほうがよかった。彩芽が生きているほうがもっといい未来だった。

 

 どうして自分なのだ。どうして、自分はいつも生き永らえる。六年前もそうだ。鉄菜が死地へと向かうのに、自分だけが帰還した。それを未だに許す事がどうしても出来ない。

 

 震え始めた肩に、そっと手が置かれていた。蜜柑の小さな、紅葉のような手。引き金を引くとは思えない、小さな手の温もり。

 

「ごめんね……桃お姉ちゃん。ミィ、何も言えない。桃お姉ちゃんの苦しみに、何か気の利いた事なんて言えないよ。……でも、ミィは鉄菜さんの、明日を信じる眼だけはどうしても裏切りたくないの。……憎んだ事もあったよ。どうして林檎がおかしくなっちゃったのかって。林檎がおかしくなったのは、鉄菜さんのせいだって。そう思えたらきっと、楽だったんだろうね。でも、それじゃ駄目なんだと思う。鉄菜さんも、いくつも痛みを背負っている。それを肩代わりは出来ないかもだけれど、でもミィ達だって背負う事は出来るよ。鉄菜さんだけが執行者じゃない。桃お姉ちゃんは教えてくれたよね。何のために執行者が何人もいるのかって」

 

 ハッと面を上げる。自分は教官時代、何度も林檎と蜜柑に叱責した。

 

《イドラオルガノン》だけがモリビトじゃない。どうして三機のモリビトが存在するのか。

 

 それは、互いのサポートをするため。どうしても補えない互いの欠点を補い、時には助け時には道を諭すために。

 

 そんな基本中の基本を今、蜜柑から改めて教わるなんて思いもしない。

 

 桃は振り向いていた。蜜柑もまた、涙していた。

 

「蜜柑……、あなた……」

 

「ミィも、……弱いんだ。どうしたって強くなれないの。でも、ミィは鉄菜さんの言う、明日に何かを見出したい。だって鉄菜さんは今まで何でも、不可能を可能にしてきた。だったら、それに縋ったってきっと……いいはずだよね」

 

 脆く崩れ去りそうな笑い方をする。桃は蜜柑を抱き留めていた。途端、蜜柑が身体を震わせて泣き出す。

 

「……もっと、もっと林檎といたかった! 傍に、いたかったよぉ……っ! でも、もう叶わないの、どうしたって戻れないの……! ミィは……ミィは……」

 

「何も言わないで! ……何も、言う必要はないわ、蜜柑。あなたも背負ってきた。だったら、今さら、モモが逃げるわけにはいかない。あなた達の、教官だもの。逃げちゃ、絶対にいけないはずなのよ……」

 

 そう、それだけは信じられる。蜜柑から、何よりも現実から、逃れ逃れて何になるというのだ。

 

 逃げちゃいけない。絶対に、目を背けてはいけないのだ。

 

 お互いのくしゃくしゃな涙顔に、桃は苦笑する。

 

「不思議ね……。こんな風に泣き合える日が来るなんて」

 

 蜜柑の前では絶対に泣けないと、そう思っていた。彼女もそうだろう。迷いは封殺し、ただ執行者としての正しさを突き詰められてきたはずだ。それがここに来て「分からない」事が尊いのだと、分かり始めている。

 

 きっと茫漠とした未来に描けるだけの何かを持つ事、それそのものが何よりも得がたい代物なのだ。

 

「桃お姉ちゃん、そういう風に泣くんだね……」

 

 桃は精一杯微笑んでみせる。

 

「幻滅した?」

 

 蜜柑は首を横に振っていた。

 

「安心した。桃お姉ちゃんも、人間なんだって……」

 

 人間か。桃は脳裏に鉄菜の姿を描く。

 

 彼女は求め続けていた。モリビトと共に心の在り処を。そして彩芽という存在に助けられ、問いただしたはずだ。

 

 心は、その胸の中にあるのだと。

 

 だが本人はまだ分かっていないらしい。とっくの昔に、心は既に――。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯333 見据えるべき未来

 軌道エレベーターに詰め込まれた追撃部隊の人員はやはりというべきか、ほとんどいなかった。そもそもどれほどに人を募ったところで、地上のアンヘルはほとんど総崩れ。補給さえも儘ならないのに、宇宙に上がりたがる酔狂がどこにいる。

 

 集った二十名前後の忠義を誓った兵士達はこれでも多いほうだろう。

 

 ヘイルは別室へと誘導された燐華の事を考えていた。

 

 白波瀬、あの男が燐華を戻れない場所に立ち入らせようとしている。それを止めたい気持ちはあるのに、もう心も身体も言う通りになってくれない。

 

 いくら隊長と同じ人機に乗ろうが、心の脆さまでは隠し切れないのだ。

 

 ヘイルは拳で壁へと殴りつける。どうにも行き所のない怒りが胸を占めていた。

 

「……俺は何も出来なかった。何も出来なかったって言うのかよ……」

 

 アンヘルの上級仕官がうろたえれば他の兵士にも悪影響を及ぼす。ヘイルは軌道エレベーターの一室を抜けようとして、廊下でかち合った人物に瞠目する。

 

「……あんたは」

 

「驚いたな。あの時のアンヘルの仕官か」

 

「リックベイ・サカグチ……。どうしてこんなところに……」

 

「やはり、生きていては不都合かね。わたしは」

 

 どこか憔悴し切った瞳にヘイルはかつて噛み付いた事を思い出し、頭を下げていた。

 

「……すいませんでした。無礼な事を、俺は仕出かして……」

 

「どの事かは存じ上げないが、アンヘルの流儀ならば間違いではない。貴殿が頭を下げる理由は一つもない」

 

 やめて欲しかった。こんなどん詰まりまで来たのだ。今さら憐憫など。

 

「俺は……守りたいもの一つ守れずに……ここにいるんです。隊長が死んだ。ヒイラギの奴は……あんな野郎に……。どうしたって、俺には何も出来ない。こんなところで、ただ怒りを持て余すくらいしか……!」

 

 リックベイに言ったところで解決する問題でもない。それでも、誰かに打ち明けたかった。この胸の内を。掻き毟りたくなるほどの焦燥を。

 

 今すぐに燐華の下に行かなければならない。隊長ならばきっと、白波瀬の横暴を許さないはずだ。

 

 燐華を戻れない場所まで赴かせる事はない。だというのに、自分は足が竦んでしまっている。

 

 誰かに楯突いたところで無駄なのだと、思い知っている。

 

 こんな牙を抜かれた獣など、誰が欲しているというのか。一時の上官であったタカフミも戦闘中に行方不明。そうなれば自然と誰にも頼れなくなる。

 

 どれほどに甘えていたのか、今はよく身に沁みていた。

 

 隊長の懐の深さや、タカフミの戦士としての流儀に自分は甘え切っていた。何も考えなくていいのがアンヘルの兵士なのだと、そんな情けない心情を振り翳して、義憤の兵のつもりで。

 

 卑しく弱い。自分もまた、何かを頼って生きてきた。寄る辺が欲しいのに、それを望むのは卑怯だとどこかで分かっている。

 

「……戦地において兵士の判断は何よりも重視される。君が怒るのも無理からぬ事だろう。アンヘルは撤退戦、いや、これは最早玉砕の構えだ。宇宙駐在軍に頭を押さえられている。どうしたって地上権限はうまく機能しないだろう。それでもブルブラッドキャリアを追え、エホバを討て、か。君達にはどこまでも残酷な現実がついて回るな」

 

「……リックベイ・サカグチ少佐。あなたなら、どうするんです。歴戦を潜り抜けてきた、銀狼でしょう? あなたなら、こういう時、どうするかってのは、答えを知っているんじゃ――」

 

「すまないが、ヘイル中尉、だったかな。その答えは自ら見つけ出すもの。他人に頼るものではない」

 

 分かっていても問い返した愚を改めて突きつけられる。ヘイルはどうすればいいのか、まるで分からなかった。

 

「……でも、みんな死んじまった……! こんな事になるまで、俺は気づけない愚か者だったんだ。何を信じて戦えばいいのか、分からない。アンヘルの赤の詰襟が誇りだなんて、今さら誰が保証してくれるって言うんだ……」

 

 きっとリックベイは幻滅したに違いない。現場指揮の最前線にいる兵士がこんなにも惑っているなど。

 

 彼からしてみれば失笑の一事だろう。だが、リックベイは嗤わなかった。それどころか、肩に手を置き、静かに諭す。

 

「……兵士とは常に迷いの胸中にあるもの。ついて来るといい。迷いを振り切れるか分からないが、わたしの剣を見せよう」

 

 歩み始めたリックベイにヘイルは力なく続いていた。今も上昇を続ける軌道エレベーターの格納デッキを訪れたリックベイはハンガーに固定された愛機を目にする。

 

「《スロウストウジャ弐式》の改修機を充ててくれる、と司令官は言ってくれたがね。わたしの戦場にはやはり、こいつが馴染んでいる」

 

 型落ちもいいところのナナツーであった。紫色に塗装され、エース機のアンテナが輝いている。

 

「……《ナナツ―ゼクウ》……」

 

 伝説の機体だ。それをまさか、ブルブラッドキャリアとの最終局面で目の当たりにするとは思いも寄らない。

 

「君の迷いを振り切れるのならば、それで構わない言葉はある。伊達に銀狼とおだてられてきたわけではない。人機に乗れば気の利いた言葉の一つや二つは出てくるさ。だが、それは真の意味で生きている事なのか、と問い返すのは自分であった。わたしとて、戦場の死狂いに酔ったただの死人だ。そう、死人なんだ、こんな風になっても……」

 

 リックベイはその手に視線を落としている。彼が何を思い、どうして自分に《ナナツ―ゼクウ》を見せたのかは分からない。だが、並々ならぬ覚悟だけは伝わった。リックベイもまた、このブルブラッドキャリア殲滅戦に何かを賭けている。それが何なのか解する術はもたなくとも、どこかで慮る事は出来るだろう。

 

 自分だけが死地に赴くわけではない。

 

 歴戦の兵であっても、言葉の一つだって自由ではないのだ。

 

「……何を。何を守ればいいんでしょう。俺達は。何のために、何を信じて戦えばいいんでしょうか」

 

「言っただろう? 人機に乗れば気の利いた言葉は吐けるが、今はしらふだと」

 

 リックベイは肩に手をやり、歩み去っていった。ヘイルは格納ハンガーに固定された自身の愛機を見やる。

 

《ゼノスロウストウジャ》。隊長の乗っていた機体と同じもの。だが、胸に抱いた志は、きっと違うだろう。

 

 まだ答えは出ない。それでも――。

 

「どうか、見守ってください、隊長。俺達が、間違った道に行かないように」

 

 そっと、ヘイルは敬礼をしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯334 因果の彼方へと

 無音の世界に、無音の骸が一つ。

 

 ただ宙域に漂っている。

 

《イザナギ》はその時を、今か今かと待ちわびているようであった。無論、それを稼動させる操主である自分も。

 

 失くしたはずの心音をどこかで感じ取る。永遠に失った鼓動と脈動が、今はハッキリと把握できた。

 

 これこそが自分の生きている証。生きるべき標。シビトの名に恥じない、真の死狂いである。

 

「待ちかねた。これが、俺の生きてきた理由。そして、生きるべき道標だ。俺は、この時のために刃を取っていた」

 

 拳をぎゅっと握り締める。操主服の気密の中で覇気が汗となって伝う。

 

 戦うためだけの修羅。それを間違っているのだと、リックベイに諭された。だがそれでも、である。今さら生きるべき指標を変えられるものか。何もかもを因果の向こうに置いてきたのだ。ならば、待ちわびるのは真の戦い。本当の血潮舞う戦場であろう。

 

「三時間……。間もなく、だ。間もなく悲願が達成される」

 

 今のところ援軍要請もない。否、どのような人間であれ自分とあの両盾のモリビトとの間に誰も立ち入らせはしない。

 

 これは、自分の戦いだ。その戦いの終着点なのだ。

 

 ならば、誰に咎められもしない。恩讐の討ち手として自分は屹立しよう。

 

 敵艦より一機の人機が射出される。両盾のモリビトは銀翼を得て青いその機体を常闇に映えさせる。

 

 六年前の因果と奇しくも同じ――真紅の《イザナギ》が刃を突きつけていた。

 

「別れは済んだか?」

 

『別れるつもりはない。お前を倒し、そして月へと向かう。それは決定事項だ』

 

 この声音の鋭さも六年前と同じか。UDはコックピットの気密を解除し、暗礁の宇宙空間に身を乗り出していた。モリビトの操主がうろたえたのが伝わる。UDは広域通信チャンネルに設定し、声を振る。

 

「モリビトの操主。俺の事を、覚えているか」

 

 その問いかけにようやく、相手は自分を認めたらしい。六年前に殺したはずの男が再び舞い戻ったのだ。驚かないほうがどうかしている。

 

『……確か、トウジャに乗っていた……キリヤとか言う……』

 

「最早、その名は捨てた。今はUDとして立っているつもりであったが……再びここで相対できる事、僥倖と言わず何と呼ぶ。俺は、UD――アンデッドとして、そして桐哉・クサカベとして、貴様に引導を渡そう」

 

 何に反応したのか、モリビトの操主が絶句したらしい。何か衝撃的な事実でも含まれていただろうか。

 

 だが、どうでもいい。そのような些事、如何にする。ここにいるのはただ、研ぎ澄まされた剣一振りのみ。

 

 UD――桐哉は言葉を継ぐ。

 

「俺と戦え。そしてその剣で、本当の決着を! それこそが我が宿願。六年前、俺の矜持を砕いた貴様に、果てない憎悪をぶつけてきた。だが、これはただの因果ではない。因縁の糸を紡ぎ、怨嗟の声を張り上げ、そしてその果てに待っていたのは、純粋なる闘志だ。モリビト! 俺はお前と、戦いたい。これのみに尽きる」

 

『闘志……!』

 

 相手も思うところがあったのか、何とモリビトのコックピットを開け放ち、こちらへと相対する。

 

 その身体がどう見ても少女操主のそれである事に桐哉はこれも因果か、と嘲笑する。

 

「俺とお前は、戦う事でしか分かり合えない! 行くぞ、モリビトよ! 俺から全てを奪ってみせたのだ。今度は俺が奪い返す! 奪還のための戦いだ!」

 

 コックピットへと入り、気密を確かめる。相手操主も心得たのか、モリビトの中へと戻っていった。

 

 桐哉は《イザナギ》へと得物を構えさせる。抜き身の刀身にリバウンドの白い電磁波が纏いついた。

 

「桐哉・クサカベ! 《イザナギ》!」

 

 流儀というわけではない。だが名乗らずしてこの戦いの幕切れなど出来ようか。相手もそれを倣ったのかどうかは分からない。しかし、モリビトも構え、そして声を放っていた。

 

『……鉄菜・ノヴァリス。《モリビトシンスクリアディフェンダー》』

 

「……良い名だ。参る!」

 

《イザナギ》が四肢に付随した補助推進バーニアを焚かせる。その推進力で重力を振り切り、ここまで追いすがってきたのだ。並大抵の速度ではない。

 

《モリビトシンス》の背後へと回り込んだが、敵も天晴れと言うべきか。剣筋をこちらと合わせ、火花が暗礁に散る。

 

 左手に保持するのは盾を兼ねた扁平な銃剣。右手にはパイル型の形状をした特殊な刀剣を装備している。

 

 奇しくも《イザナギ》とは対照的な武装配置であった。

 

《イザナギ》は右手の刀を払い上げ《モリビトシンス》を打ちのめそうとする。それを読んだかのように相手は太刀筋でこちらの一手目を圧倒した。

 

 膂力では僅かに軍配が上がるのは向こう側。

 

「ならば……俺はスピードで勝負する!」

 

《イザナギ》が全身の循環パイプを軋ませ、大きく仰け反った。痩身の人機である《イザナギ》は少しの負荷でほぼ全身に巡らせた血潮であるブルブラッドが高圧になる。

 

 ゆえに、その尋常ならざる速度もまた、誰にも比肩出来ないはず。

 

 空間を跳び越えたとしか思えないはずの《イザナギ》の高機動に相手は一手遅れるかに思われた。

 

 だが、モリビトはこちらが現れる軌道へと正確無比な斬撃を見舞う。その刃に迷うところはない。

 

 六年前に相打った時よりもなお色濃い戦場の吐息に、桐哉は感じ入っていた。

 

「いい調子だ! モリビト! それでこそ、我が怨敵よ!」

 

『……お前は、この戦いに闘志を見出した、と言ったな。それは何のためだ』

 

「知れた事! 戦い、朽ち果てるその時まで、この身は煉獄の炎に抱かれると決めた! 俺の行く末は俺が決める! 他人に指図はされない!」

 

『だが、お前は世界が望んだ……悪意そのものだ!』

 

 返す刀を《イザナギ》が受け止め、カウンターの一閃を浴びせる。肩口から切り裂く軌道であったが、相手はそれさえも理解しているのか、飛び退ってパイルの剣を射出する。

 

 それと同期するかのように、こちらもパイル武装を撃ち込んだ。互いのパイルがぶつかり合い、粉砕された直後、煙幕が戦場を満たす。

 

「小手先など!」

 

《モリビトシンス》の次手を読み、桐哉は剣先を振るっていた。真横に現れた《モリビトシンス》が剣を打ち払うが、その一撃を返し、そのまま剣閃で打ち破ろうとする。

 

《モリビトシンス》は押されている。、今ならば取れる、という昂揚感が桐哉の精神を染め上げていた。

 

「悪意、と言ったな。だが世界は悪意で満ち満ちている。どこに行ったところで、それは変わらん! ならば悪意になったほうがいいに決まっているだろうに! 動かされる悪意ではない。動かす側の悪意だ!」

 

『それは……エゴそのものだ!』

 

 ゼロ距離でパイルを撃とうとしてその弾頭を《モリビトシンス》が掴み取る。敵方の武装が眼前に迫り、桐哉は《イザナギ》の上体を反らせていた。

 

 真上を行き過ぎる刃を見やる前に、機体を反り返らせた反動で加速度に入る。

 

「ファントム!」

 

 急加速に敵機体とて持たぬはず。そう読んだ桐哉は《モリビトシンス》が推進剤を全開にしたのを目にしていた。

 

『させない。ファントム!』

 

 高機動の領域に入った二機が干渉し、ぶつかり合って一時とて同じ空間には留まらない。

 

 無辺の闇に漂う火花と、無音の世界で衝突する鋼鉄の巨躯だけがその証明。

 

《モリビトシンス》は完全にファントムを会得しているらしい。《イザナギ》による高速戦闘でも振り切れないか、と桐哉は機体を反転させ、蹴りつけて離脱していた。

 

 同時に高機動から脱した《モリビトシンス》が実体空間に現れる。

 

「どうやら、ただのファントムでは埒が明かんな」

 

『……意見は同じだ』

 

「しかし、何故だ。何故、そこまでの力を持っているのに、下らない理想論にしがみつく? 今の世界は堕ちるところまで堕ちた……堕落した世界に何を見出すのだ! モリビトォッ!」

 

 機体が稲光を上げ、雷撃を纏いつかせて瞬間移動する。

 

 ――ライジングファントム。ファントムの更なる上の領域に対し、モリビトは機体を開いて応じていた。

 

 直後には相手も同じ速度に至っている。さすがだ、と笑みを漏らした桐哉は高機動の圧を全身に浴びながら恍惚に抱かれていた。

 

 刃を振るうのも全てが遅い。攻撃速度が遅れを取り、代わりに機動力が限界まで研ぎ澄まされている。

 

 先ほどのファントムの小競り合いでは決して見えなかった、雷の痕跡が常闇を引き裂いていた。

 

 この状態の人機を視認する事は実質不可能に近い。

 

 ゆえに見るのではなく「感じる」。

 

 相手が次にどこに移動しているのかを察知するだけの能力。操主としての熟練度だけではない。これは、人間をやめた存在にのみ許される力だ。

 

 稲光が連鎖する空間で《イザナギ》が刀を打ち下ろす。《モリビトシンス》がそれを薙ぎ払い、返す一撃を打とうとして、それを後退して回避していた。ならば足技で、と浴びせ蹴りを見舞った《イザナギ》の脚部を敵機が掴み、そのまま関節を極めようとするのを補助推進剤を焚いて逃れんとする。

 

 あまりの過負荷に耐えかねたのか、補助推進剤が爆発の炎に包まれた。

 

 ――この速さでは、何もかもが些事。何もかもが遅れている。

 

 爆破した部位をパージし、その勢いを借りてモリビトへと頭突きを浴びせかける。人機という機動兵器において頭突きはお互いに致命打になり得る攻撃であったが、この時、どちらにも退く様子はなかった。

 

 理解しているのだ。

 

 ここで退けば何もかもがお終い。何もかもが潰えるのだと。

 

 ならば、血潮を撒き散らしてでもぶつかり合うしかなかろう。たとえ直後には血反吐の中に骸があったとしても、それでも相手へと軋らせる刃を止める事は下策。

 

 剣筋は奔るのみ。

 

 速度を増した至近の近接が互いに咲いた。

 

 零式の名を紡ぐ間も惜しい。敵機はこちらと同精度かあるいはそれ以上を叩き出している。

 

 ならば、応じないのは愚の骨頂だ。

 

 パイルを射出し、一瞬の隙をわざと作らせる。

 

 横合いに斬りかかってきた《モリビトシンス》へと《イザナギ》は膝より出現させた隠し武装で手首へと刃を至らせていた。

 

 取った、と確信するも、敵はそう容易くはない。

 

 刃が入った刹那には逆方向へと腕を稼動させる事によって根元から刃を折っていた。

 

「……それでこそだ、モリビト!」

 

 しかし入った一撃は確かなもの。敵の太刀が僅かに遅れたのを《イザナギ》と桐哉は見逃さない。

 

 即座に払った刃を相手はパイルで受け止めるが、本懐はそれに非ず。フェイクの一閃を入れ、相手の防御が緩んだ箇所を突き、的確に血塊炉を狙い澄ました。

 

 入れば勝利――その愉悦へと冷水を浴びせたかのような殺気が怖気となって走る。

 

 習い性の身体が機体を後退させていた。《モリビトシンス》の袖口より出現した小型の刃が先ほどまでコックピットのあった箇所をワイヤーで締め上げんとしていた。

 

 気づかなければ、コックピットごと絞められていた――。その予感に唾を飲み下したのも一瞬、桐哉と《イザナギ》は実体空間へと再度戻っていた。

 

《モリビトシンス》も高速より舞い戻る。

 

 よくよく目を凝らせば今の《モリビトシンス》にはところどころ新規の武装が施されている。

 

 この三時間で策を凝らした軍師がいたか、と桐哉はフッと笑みを浮かべていた。

 

「……小賢しい真似に出るのだな」

 

『言われる義理はない。勝てば、いい』

 

「その通りだ。勝てば官軍、それはその通り。だが、だからこそゆえに! 俺は貪欲に勝利を掴む! たとえこの手が穢れようとも、どのような謗りを受けようともな! 行くぞ、奥義!」

 

《イザナギ》のシステムコンソールに刻み込まれた名前を桐哉は声に放っていた。

 

「エクステンド、チャージ!」

 

 黄金の力が血塊炉より染み出て《イザナギ》の装甲を補強する。モリビトはそれと相対するように構えていた。

 

『……エクステンドチャージ』

 

 瞬く間にモリビトも黄金に染まっていく。桐哉は満身より叫ぶ。

 

「ついて来られるか! 我が最大の力に!」

 

 掻き消えた、という言葉すら生ぬるい。

 

 まさしくこの実体宇宙より消失した《イザナギ》の速度は光を超越する。視認した次の瞬間には、瞬くより先に敵の喉笛を掻っ切っている。

 

 ――それが通常の人機戦ならば。

 

 確実に喉を掻っ切ったと思った直後には敵機の気配は背後にあった。

 

 残心の覚えがなくては関知出来ないであろう。

 

 最早動物的直感で振り返り様に放った刃で敵の必殺を受け止める。

 

 ここに至っては、理性などまやかし。全ては本能の先にこそ、存在する。

 

 桐哉は腹腔より叫びを迸らせる。モリビトからも声が相乗した。

 

 ――そう、死狂いだ。

 

 自分も相手も、同じ領域。同じ存在。

 

 ここに賭けるだけの死狂い。戦闘狂の人でなし。悪鬼の如く、モリビトの相貌が至近に迫る。それを通常の兵士ならば恐れて接近する事もないだろう。しかし桐哉は違った。

 

 あえてこそ、相手へと迫り、気迫だけで吼え立てた。

 

《イザナギ》が呼応し、刃を振り切る。

 

 その剣とモリビトの剣がぶつかり合い、融ける寸前まで湾曲する。

 

 しかし、直後に弾き合って後退した時には剣は元に戻っているのだ。

 

 物理法則は既に役立たずの代物。実体宇宙と、別の涅槃宇宙を介し、それぞれを行き来する事によって《モリビトシンス》と《イザナギ》は僅かながら特異点を見出し、その針の穴ほどの共通項で結ばれ、今も斬り合っているに等しい。

 

 ここで戦える、それそのものが奇跡の先にある真実。

 

 黄金の光を身に浴びた《イザナギ》が桐哉と渾然一体となって剣を打ち下ろす。それをモリビトと一体になった少女操主が剣を払い上げ、一閃を浴びせかける。

 

 お互いの傷より発した血が、空間を上下していた。

 

 無重力でも高重力でもない。1Gの楔からも解き放たれた別次元の重力が互いに惹き合い、結び合って戦闘を可能にしている。

 

 これを運命と呼ぶのだと、誰かの声が遠くで聞こえた。

 

 それが耳朶を打つ頃にはとっくに心臓の息の根は止まっているはずだ。

 

 運命になど、そのような言葉で軽々しく結ばれる領域は既に捨て去った。これは運命を超え、宿命を超え、怨念を超え、因果を超越し――ただ一つの答えを見出させる。

 

 この一瞬を永遠に。何百年であっても構わないほどの牢獄。

 

 そうだ、これこそが――。

 

「これが、零の真髄。此処に在るのだという、心の根が吼える!」

 

 何とも、簡単な事であったのだ。零式抜刀術でさえも、そしてこの狂気のマシーン、ハイアルファー【ライフ・エラーズ】に選ばれる事でさえも。

 

 宇宙の大きなうねり。大存在の決定からは覆せない。

 

 銀河を超え、黒点宇宙を超越し、太陽光線の当たらない無辺の闇を漂い、そして、そして……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯335 万華鏡の宇宙

 

 ハッと桐哉が目を見開いたその時には、果てのない万華鏡が広がっていた。

 

 極彩色の涅槃宇宙だ。

 

 桐哉はその中で、ただの一人でしかない己を顧みる。

 

 ――最早、語る口を持たぬ。

 

 存在は集約し、思考は超越し、刃は生死の狭間で研がれる。

 

 桐哉はその光の渦の連鎖の向こう側に、河を見ていた。青い河だ。蛍火のような光が舞い遊び、それ一つ一つが命となって大運河へと漕ぎ出していく。

 

 心細いだろうに、とどこか他人事のように考えていた。

 

 だが、違うのだ。

 

 それこそが命そのもの。

 

 この無辺の涅槃の先に捉えた、命の真理。

 

 命はたった一人でこの世へと生を受け、そして螺旋を描く。諸々の光は関わり合いのある命達だろう。

 

 絡まるはずのない因果。纏わりつくはずのない運命。それらが渾然一体となり、やがて大きな光の渦を生み出す。

 

 そこからまた、光が生まれ、命として旅立っていく。

 

 その繰り返し。それこそが輪廻。

 

 ――なんという事だ。これでは地獄そのものではないか。

 

 どれだけ存在が数多の光に触れても、また生まれ出でるのはたった一つ。たった一つでしかないのだ。

 

 だから、孤独なる旅は続く。

 

 幾度となく、終わりのない追憶の旅路が。

 

 ああ、寂しいな、と桐哉は瞼を閉じようとして、声に阻まれた。

 

 ――違う。

 

 その声の主へと意識を向かわせる。

 

 黒髪の少女の像を取った光へと桐哉は声を振り向けていた。

 

 ――モリビトか。

 

 ――ここは命そのもの。命の行き着く、最果ての場所だ。河は、そのためにある。命を紡ぎ、育むために。河より出で、河に還る。それこそが命の、あるべき姿なんだ。

 

 ――分かり切ったような口を利く。結局は一人ではないか。どこまで行っても、命は一人っきりではないか。

 

 別段、激昂していたわけでもない。怒りなど、この命の仕組みに比べれば些事にも等しい。

 

 モリビトの少女は頭を振る。

 

 ――命の大運河に還れるのは、全てが終わった後なんだ。だから、まだ私は還れない。私には、帰るべき場所があるからだ。

 

 ――この涅槃の境地に、貴様は俗物を持ち込むか。恥を知れ、モリビト!

 

 ――俗物? そうか、俗物なのか。だが、こんなにも大切に思えるのならば、私はここから先の力は要らない。命の大河は私達を迎え入れる準備をしている。《モリビトシンス》と《イザナギ》、二つの命の力を最大限にまで引き上げた人機が、私達をここまで運んだ。本来、人機とヒトはそういう関係なんだ。破壊者と簒奪者の間柄ではない。私達と人機は、上に行くために巡り会った。こんなにも簡単な事だなんて……。

 

 ――簡単だと? これに気づけずに何人、いや、何千人、何億死んだ! それが人類の功罪なんだ! だからここに至るべきじゃない。ヒトは、罪を直視するようには、出来ていない!

 

 振るった言葉の力強さがそのまま涅槃宇宙に染み出た真紅の影と重なる。

 

《イザナギ》が怨嗟に機体を広げ、剣を振るっていた。

 

 それをモリビトの少女は手を払って応じる。

 

 涅槃宇宙を引き裂いて現れた《モリビトシンス》の胸元には三つの輝きがあった。

 

 ――……その通りかもしれない。ヒトは、ここに来るようには、まだ出来ていないんだ。だが、いつかは……。いつかは分かる日が来る。いつかはここに、誰もが安堵と安息のうちに来られるようになる。だったら、それまで私達は守る。守り抜く事が、モリビトの――その名前のあるべき姿なんだ。

 

 ――それを奪ったのは、貴様らだろうに!

 

《イザナギ》の影に牙が出現する。牙を軋らせ、《イザナギ》が獣の如く吼えた。

 

 跳躍した《イザナギ》の剣をモリビトの剣が払い除ける。互いに一歩も譲らず、涅槃の空で、モリビトと《イザナギ》がぶつかり合った。

 

 しかし、異なるのは《イザナギ》が影で構成されているのに対し、モリビトは光で構築されている事だ。

 

 ――どうしてお前が光で、俺が闇なんだ……。

 

 ――これは私達だけで出来上がっているわけではない。私達の育んできた出会い、運命、そして別離……。全てから出来上がっている! お前は、自らの名を捨て、栄誉を捨て、そして運命を妬み恨んだ! だから光が生まれない!

 

 ――光を恨んで何が悪い! あったかい方向に誰もが行けるわけじゃないだろうに! だったら! リーザも、燐華も……みんなあったかい方向に行けたはずだ! 俺だけ滅びるのならば、それでいい! だって言うのに、何でみんな、あったかいほうに行っちゃいけないんだ! それは理不尽だろうに!

 

 そう、理不尽なのだ。何もかも理不尽。

 

 今さら、答えを見せてくれたところで。今さら、真理を理解させてくれたところで。

 

 全てが手遅れ。全てが指より滑り落ちた。何もかも失った。何もかも消し去った。

 

 何もかも手離した。何もかも捨てた。踏みしだいた。砕いて、払って、嬲り散らした。

 

 それでも、どうして……どうして許してくれないのだろう。どうして、誰もこの運命を憐れんではくれないのだろう。

 

 誰かを恨むしかないのならば。誰かにこの咎を見出すしかないのなら、それはモリビトでなければならない。

 

 かつての自分の誇りの名前。それを恨んで、食らい尽くして、刻んで、握り潰す。

 

 それでなければならないはずなのに……。

 

 ――貴様が光で、いいものかぁーッ!

 

 ――光を恨めば、光を妬めば、それは確かに貴様にとって意義のある生、意味のある苦しみであったかもしれない。だが、浄罪なんてそんなものなんだ。私達は、果てのない業を背負わされて、生きる……生きていくしかない。

 

 ――分かるものか! 死ねもしないんだぞ! 死ねないこの肉体が! 精神が何を拒絶するかなど! 何を排斥し、何を憎めばいいかなんて……! 誰にも分かりはしない、分かって堪るか!

 

 こちらの発した抗弁にモリビトの少女が瞳に憐憫を浮かべる。

 

 ――……誰も愛してくれないからって、誰も愛さないのは、それは違う。違うのだと、皆が教えてくれた。破壊者の宿命はどこかで切る事が出来る。そうなのだと、何も知らない私に、教えてくれたんだ! 彩芽、林檎……ブルブラッドキャリアのみんなが……。ジロウが……私に、意味なんて存在しなかった、「鉄菜・ノヴァリス」に! 少しずつだが心を分けてくれた! そう、なんだ……。分け与えて……くれたんだ。

 

 それだけで分かる。彼女は「恵まれた側」だ。だから、こうしてこちらの苦しみなんて知らずに光を浴びせてくる。それがどれほどに自分を卑しく見せるのか、考えもせずに。

 

 ――モリビトが光だったって言うのか! それが、この大宇宙の……命の河の見出した、答えだったって言いたいのか! 間違いだ、そんなもの……! だったら、どうしてリーザは死んだ! もうどうしたって、俺は燐華には会えない……。シーア分隊長も、みんな……みんな、いい人達ばかりだったんだぞ! それを俺が踏み躙ったみたいに……見えるじゃないか!

 

《イザナギ》が牙だけではない、爪を顕現させ背びれを現出させた。心の影に呼応し、《イザナギ》は無限の闇をもって、モリビトを討とうとしている。自分の心、そのものの鏡……。

 

 ――違う!

 

 光のモリビトが拳を見舞う。影の《イザナギ》を殴りつけ、接触点から霧散させる。

 

 ――違うと言える! 私は、私だけで成り立っているわけじゃないからだ! この涅槃宇宙も、何もかも、星の輝きに意味があるように。命の灯火に意味があるように……、私達の苦しみだけが、連綿と続いていくわけではない!

 

 ――知った風な! 貴様だってさっき見たばかりのはずだ! この命の河……これを全ての人間が見る日が来るというのか? あり得ない、不可能だ! そんな事……こんなものを直視して、ヒトは耐えられないさ。俺は死なない。だからギリギリの正気で見ていられるが、こんなもの、有限の命を持つしかない人間が見れば瓦解する。分かるか? すべての人間にとって、光が等しく光とは限らない。闇が等しく闇ではないように。貴様の言っているのは、人間にこうあって欲しいという、エゴではないか!

 

 その言葉にモリビトが硬直し、光の流転が緩む。

 

 影の《イザナギ》が組み付き、モリビトを締め上げた。

 

 影の四肢がモリビトへと侵食する。それに呼応して、少女の身体も闇に侵される。膝をついた少女に桐哉は哄笑を上げていた。

 

 ――やっぱり、そうであろう! そうであるはずだ! 人間がこんな風になれる日が来るものか! 一つになれやしない、だから百五十年も争ってきた! だからこれから先も、これから先のヘタを掴まされる連中も、俺達と同じ過ちを辿ればいい! こんなものは、見えない!

 

 瞬時に涅槃宇宙が闇に閉ざされていく。次々と涅槃宇宙の命の灯火が吸い上げられ、闇の支配する暗礁宙域が忽然と広がる。

 

 拡張した闇領域にモリビトの眼窩が明滅する。桐哉は高笑いを発していた。

 

 ――滅びればいい! 俺も、俺達も! 間違いを間違いだと分からないまま、無知蒙昧なままで!

 

 ――……違うはずだ。

 

 少女がよろりと立ち上がる。しかし、その肩が荒立っているのを目にして、長くは持つまいと判断する。

 

 ――この宇宙に、いつか人類は漕ぎ出せる。何十年、何百年かかったとしても。それが人機が私達に見せてくれた意味。ヒトと人機が共存出来る……あるべき姿だ!

 

 ――そんなものを全人類が見れるものか! 俺と貴様だから見れているのみだ!

 

 ――……言ったな? それが、お前の罪。傲慢という名の、罪の名前だ!

 

 モリビトの眼光に光が宿る。緑の輝きを湛えたモリビトが影の《イザナギ》を振り払い、その頭部へと手を掲げた。

 

 瞬時にその腕が刃へと切り替わっていく。ジリジリと光がモリビトの情報を書き換え、鋭い刃を顕現させた。

 

《イザナギ》が全身より闇の触手を見舞う。それらがモリビトの身体を貫き、侵食するがそれでもモリビトは見据えた眼光を緩める事はない。

 

 ――傲慢で、何が悪い!

 

 ――六年前に、お前は言ったな。願うのならば、傲慢なほうがいい、と。しかし、今のお前から発せられるのは呪いだけだ。それは願いとは正反対のところにある。だから、断ち切る!

 

 モリビトの振るい上げた刃に《イザナギ》が牙を軋らせ、雄叫びを発していた。

 

 ――《イザナギ》! そいつを消し去れ!

 

 少女の雄叫びが空間を満たし、再び累乗の涅槃宇宙が浮かび上がる。今度は先ほどまでより苛烈な青の光であった。

 

 ――何という輝き……これが……。

 

 ――これが、……命!

 

 その言葉と共にモリビトの刃が《イザナギ》の頭部を叩き割る。

 

 瞬間、何もかもが巻き戻った。周囲を満たしていた涅槃宇宙は消え去り、実体空間に《モリビトシンス》と《イザナギ》が舞い戻る。

 

 だが《イザナギ》の頭部は砕かれていた。両断された《イザナギ》の頭部コックピットより、桐哉は眼前の《モリビトシンス》を睨み上げる。

 

「……何をやったのか……分かっているのか。俺に、何てものを見せたのか、分かっているのか!」

 

 諦められた。死人であると、もう何もかも願うのも縋るのも、諦められたのに。

 

 桐哉は頬を伝う涙の熱さに驚愕していた。この六年間、熱さも何もかも、全ての身体感覚から逃れられた身体に宿った一滴の熱さ。それが身を掻き毟る。

 

「殺せ……ぇ……っ。俺を殺し、栄誉を手に入れてみせろ! そうでなければ……あんなものを見た後の……俺では……」

 

 眩しいものを目にした後に絶望なんて語れるものか。全てが虚飾、全てが虚栄心だ。だから、せめて瞬きする間に殺して欲しかった。

 

 そうすれば忘れられるのだろう。全て忘れて、命という純粋なる概念となって、あの河を渡れるのならば。そこに、失った者達も漂着しているのなら、それでいい。

 

 ここで終わらせてくれ。その願いを、モリビトは刃を収めて応じていた。

 

「……どうしてだ……。俺を殺せ! モリビト!」

 

『……お前は命の河に向かえた。だからお前にも価値がある。誰かを導ける。そういう人間の価値が』

 

「あるものか! 俺に価値なんてない! ただ生き恥を晒すだけの道化だ! 一思いに……殺せ!」

 

『それを向こう側に行った者達が望んでいない。だから、お前は生きろ。生きて、明日を信じるしかない』

 

「明日……。終末の惑星に明日なんて……」

 

 あるはずがない。そう紡いだ自分へとモリビトの少女は答えを重ねる。

 

『……いつか、あの場所で会うために。私は行く』

 

 機体を翻したモリビトに桐哉は歯を軋らせ、叫んでいた。

 

「俺を! 置いて行くのか? また、置いて行くと言うのか! 貴様は! こんな残酷な事実を俺に分からせたまま、また孤独に進めと……!」

 

 それは、どこまでも残酷な答えではないか。自分は、あの暖かい場所に行けない。どう足掻いても、絶対に不可能なのだ。

 

 死ねないこの身体を、恨んだ事は幾度とない。しかし、この時ほど、桐哉は己と世界を憎んだ事はなかった。

 

 どうして、何故……そのような問いばかりが浮かぶ。あの場所こそが生命の行き着く到達点なのだとすれば、自分はどれだけの努力を行っても、到達出来ない、意義のある場所というものがあるという真実。

 

 こんなもの、知らないほうがよかった。感じないほうがよかった。だが、知ってしまったからには戻れない。知らなかった頃の強さは、決して取り戻せないのだ。

 

 止め処ない感情の堰にモリビトの少女は応じていた。

 

『……ヒトは、誰しも孤独ではない。いつか、お前もいつかは、あの光に導かれる。私もそうだ。あそこが答えなのだとすれば、私は……』

 

 そこから先を彼女は紡がなかった。桐哉は行き場のない怒りを胸の内に燻らせえる。

 

「モリビト……。俺にまた、孤独の闇を進めと言うのか……! 誰にも理解されない、この絶対の孤独を……。それが分かるのは、世界で唯一……貴様だけだろうに……」

 

 許されたのは、絶対の敵であるモリビトだけ。モリビトの少女だけが自分の痛みを分かる事の出来る唯一無二。それが自分という個には許せない。

 

 恨み続けた。憎み続けた。そして、抗うと決めた。殺し尽くすと決めた相手が唯一の理解者なんて、冗談もいいところだ。

 

 項垂れた桐哉へとそれ以上の言葉は投げられなかった。

 

《イザナギ》と共に、桐哉は無辺の闇を漂う。

 

 先ほどまで触れていた暖かい涅槃の宇宙は消え去り、今はただ何を求めても満たされない、茫漠の暗がりが広がるのみであった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯336 愛しい者達へ

 

『……鉄菜。君とあの操主は何を見た?』

 

 システムであるゴロウには分からなかったのだろう。あるいは、分かっていても追及したいのだろうか。

 

 自分でも明確な判別手段は持たない。ただ、あの場所で紡いだ言葉は真実なのは、この胸を伝う血脈と鼓動がはっきりさせていた。

 

「……分からない。だが、あそこに向かうべきなんだ。命は投げ出されたその瞬間から、あの場所に向かい、そしてまた新たなる命と繋がっていく。それが、きっと在り方として……」

 

 否、正しいか正しくないかの議論ではない。これは、自分の中でも不明な何かが告げる、命の行方なのだろう。

 

 それが何なのか、明確な術はこの物理宇宙では失われている。だが、いずれは、という思いはあった。いずれはあの暖かな宇宙で出会える。再会出来る命がある。だから、と鉄菜はアームレイカーを握り締める。

 

「……だから、私は、ここでは死ねない。死ねない理由が、出来た」

 

『……それは執行者として、か?』

 

 ゴロウの問いにどうしてだろう。今までならば答えるのも難しかったが、この時だけは明瞭な言葉を結べた。

 

「それは、私もまた、命だからだろう。命だから、責務があるんだ。繋ぎ、紡いでいく責務が。それを私は、彩芽から……林檎から……そして《ゴフェル》のみんなから教わった。だから、進む。進まなくてはいけない」

 

 一度投げられた命は、前に進む。そうでなければ命としての価値を放棄している事になる。死という闇がその先には広がっているのかもしれない。あるいはもっと残酷な、どうしようもない運命が。

 

 だが、それを恐れて前に進まなければきっと命の灯火にはなれない。何よりも、紡がれていく命がこうも眩く宇宙を照らす事を、自分は知ったのだ。

 

 ならば、命の明るさに対して報いなければいけないはずだ。

 

 鉄菜はゴロウへと質問していた。

 

「……ゴロウ。元老院時代、お前達は……生きるために生きていたのか? それとも、惰性でああなっていたのか?」

 

 どうして、そのような問いに意味があると感じたのだろう。ただ、今だけは、ここにあるもう一つの命に敬意を表したかったのかもしれない。

 

 ゴロウは一拍の逡巡の後に答えていた。

 

『……分からない。本当に分からないんだ、鉄菜。我々は個体であった。レギオンはそれに比して総体であるがゆえに我らに打ち勝ったのだ。しかし……レギオンでさえも陥落し、そして何が正しいのか、全てがまた混迷の中に投げられたこの世界で……我々が生きていた、という証は恐らく存在しないのだろう。義体であった、という対外的な理由だけではない。きっと我々は、生きる証を刻むのに疲れ果てていたのだ。ヒトは、生きているだけで何かを刻む。それが大なり小なり世界に影響する。しかし、我ら元老院は、静謐を望んだ。百五十年の停滞はそのせいだ。我々の罪なんだ、鉄菜。星の人々を鎖に繋ぎ、支配しているつもりになっていた道化……。この六年間、君らと共に在った時間は百五十年の沈黙に比べれば遥かに短い。ほんの一刹那だ。だが、それが眩く、そして何よりも得がたいものに思えたのは、何故なのだろう……。鉄菜、それは分からないんだ。簡単に答えを出していいものじゃないのかもしれない。それとも、答えなど遥か昔に出ていたのかもしれないな。それこそ人間であった頃に。ただの……人間であった頃、に……か』

 

 ゴロウがただの人間であった頃、それは星の人々が大罪を犯す前であろう。だが、その時を、このシステムAIであるはずの彼は懐かしむ事が出来る。どこかで羨み、そして正しかったのはどちらなのか、問い質す事が出来る。それだけでも充分に、彼には存在するのだろう。

 

 ――心、か。

 

 分からない。まだ、答えは得ていない。

 

 あの涅槃宇宙を目にしても、あるいは体感してもそれでも分からないのだ。

 

 本当に、彩芽の言った通り、答えはこんなにも単純であったのだろうか。心は、この胸の中、脈打つ心の臓ではない。ましてや脳にあるのでもない。

 

 茫漠とした、この身体。衝き動かす、力ある何か。

 

 それを心と呼ぶのか。だがそれらは答えを得ようと手を伸ばしても、滑り落ちていく砂のよう。

 

「……お前達がそう思えるのならば、きっと未来があったのかもしれないな。星の未来、か」

 

『鉄菜、今、星の未来はほとんど暗闇の内だ。アムニスを倒さなければ星の未来は天使を名乗る者達に支配されるであろう。エホバも、彼の者の思想にも異を唱える。確かに、それは幸福かもしれない。だが、世界が切り拓いてきた今までを否定する行為だ。無論、君達ブルブラッドキャリアの道も、ね。報復作戦のために戦い抜き、世界を変えるとのたまった君達からしてみれば、エホバの示す道は安寧であろう。それも、思考を放棄した、惰弱の末にある代物だ。何かを信じればいい。それは勝手だ。だが、それを信じれば、では救われる、は違う。それは違うはずなんだ。救いを求める世界はあれど、救われるために惑う世界は違うはず。順序が逆だ。エホバは混乱を星にもたらした。だから、鉄菜。君の報復はまだ終わっていない』

 

「……お喋りだな。いつもと違う」

 

『そうかもしれない。いや、実際のところ、君達の見たであろう先ほどの何かは全く……モニターの意図から外れていたんだ。我らには見えない何かを、人間である君達は見られる。それが単純に……羨ましく、そして懐かしいのだろうな』

 

「人間である私達は、か。だが、ゴロウ。私は――」

 

『人造血続、か。そのような繰り言、最早一番に意味がないのだと自分で知っているのだろう? それに頓着する仲間もいなければ、今さら問い質したところで意味がないとも』

 

 見透かされている。いや、これはもう、言い飽きた、振り翳しても仕方のないプライドの一つか。

 

 傲慢に成り果てているのは自分も同じ。あの男だけではない。

 

 人造血続だ、造られただけの存在だ――だから思考を放棄する。だから、何も考えないで戦えばいい。

 

 それは違う、違っていいはずだ。

 

 彩芽や林檎が繋いでくれたのはきっと、そんな冷たい答えではないはずだから。だから戦える。だから、明日を見据えられる。

 

「……すまないな、ゴロウ」

 

『いいさ。月面に向かうのだろう? それまでの戦力試算をしておこう。《モリビトシンス》一機でどこまでやれるか……。あの《トガビトコア》という人機も計算外だ。あれがどれほどの戦力で立ち向かってくるのか、データが乏しい』

 

 梨朱・アイアス――。前回、月面で対峙した時、あの操主は剥き出しの戦闘本能を向けてきた。

 

 あれは、何だったのか今も分からない。

 

 分からないが、危険だという事だけは理解出来る。

 

 軋らせた牙の行き着く先に、鮮血が待っているのも。

 

「……行かなくてはいけない。月面へ。そして、最後の……決着をつける」

 

 その時、熱源警告が耳朶を打った。鉄菜は瞬時に思考を戦闘形態へと移行させる。

 

『……これは』

 

「ゴロウ、何が近づいてくる?」

 

『……鉄菜。二つの道がある。振り切るか、それともこの……因縁とも対峙するか』

 

 接近する機体照合結果に鉄菜は絶句した。

 

 ――機体識別、《キリビトイザナミ》。

 

 運命は簡単な因果をそそぐ事さえも許さないのか。それとも、全ての因縁を清算してから、最後の戦いに赴けと。そう、世界が告げるのならば。

 

「……間違っているぞ、ゴロウ。二者択一じゃない。私は、逃げない」

 

《モリビトシンス》を向かい合わせる。急速接近する《キリビトイザナミ》には増設ブースターが装備されていた。

 

 それに振り落とされないように、随伴機である《ゼノスロウストウジャ》が加速する。

 

 二つの因果。二つの敵意。それに対し、鉄菜は呼吸を深くつき、丹田で溜め込んだ。

 

「――燐華・クサカベ」

 

『……射程に入った! モリビトォッ!』

 

《ゼノスロウストウジャ》がプレッシャー砲を一射する。それを上方に逃れて回避し、《モリビトシンス》のRシェルソードを奔らせていた。

 

《キリビトイザナミ》が巨大なクローを振るい一閃を防御し様にクローの内側から無数の自律兵器を射出する。

 

『行け! Rブリューナク!』

 

 小型Rブリューナクの咲かせる火線が四方八方より《モリビトシンス》へと襲いかかった。鉄菜は推進剤を小刻みに焚いて回避機動を取らせつつ、《キリビトイザナミ》の頭部を見据えた。

 

 赤い眼光が憎しみに滾っている。モリビトという自分を、許すつもりはないという、完全なる敵意だ。

 

 伸長されたクローが払われ、大出力のRブレードが機体の装甲を叩き据える。熱に晒された《モリビトシンス》が盾を翳して防御しつつ、敵人機へと果敢に接近を試みた。

 

 その進路を《ゼノスロウストウジャ》が阻む。

 

『モリビト! お前は俺達の人生に唾を吐いた! だから俺は許さない!』

 

「……今さら許しを乞うつもりもない。だからここで、真っ直ぐに突き進む!」

 

『させるかよ……。ヒイラギは、俺が守る!』

 

《ゼノスロウストウジャ》がプレッシャーダガーを発振させ《モリビトシンス》と切り結ぶ。しかし、その実力は先ほどの《イザナギ》と比すれば稚拙。太刀筋を読むまでもなく、払った蹴りで姿勢を崩し、即座に肩口を基点にして跳び越えた。

 

『……踏み台なんかに……』

 

 怨嗟を含んだ声音を他所に、鉄菜は《キリビトイザナミ》を睨む。巨大人機は膨れ上がった憎悪そのもののように《モリビトシンス》を全方向より睥睨していた。

 

『……モリビト……! 鉄菜の真似事なんて!』

 

「違う、燐華・クサカベ! 聞け! 私が、鉄菜・ノヴァリスなんだ!」

 

『違う……ぅっ! 鉄菜は、モリビトに殺されたんだぞ!』

 

 振るい落とされたクローの一撃には殺意がこもっている。しかし、鉄菜はあえて反撃には転じなかった。

 

「聞け! 目を背けるな! 目の前にいるのが、私だ! 燐華! お前は……」

 

『うるさい、うるさいぃ……っ! こんなに、うるさいの……ぉっ、消えてしまえ!』

 

《キリビトイザナミ》の後部格納部が開き、全方位に向けてミサイルが放たれる。青い軌跡を描くのはアンチブルブラッドミサイルであろう。

 

 鉄菜はRシェルライフルを構え、それらを正確無比に銃撃する。青い霧の向こう側から赤い眼窩を滾らせた《キリビトイザナミ》が機体を開き、胸部装甲に位置するRブリューナクを放出した。

 

 関知出来る範囲だけでも二十基を超える自律兵装の嵐に鉄菜は奥歯を噛み締め、機体へと過負荷をかけた。

 

「ファントム!」

 

 上昇機動に移った《モリビトシンス》の機体各所が注意色に塗り固められる。分かっている。既に限界なんてとっくに超えているのだ。

 

 それでも、戦い抜く。そうでなければ、命に報いる事は出来ないのだと分かったからだ。だからこそ、どれほど残酷な道であっても、自分は前に進もう。

 

 銃撃網でRブリューナクを数基、撃墜したが残った何基かが《モリビトシンス》の機体を叩く。突撃兵器のRブリューナクにはリバウンドの刃が装備されており、こちらの装甲をじりじりと削り取る。

 

『お前は争いを生んだ! 生まなくてもいい争いでさえも! お前さえいなければ! にいにい様も、隊長も! 誰も死なずに済んだのにぃ! だから……鉄菜ぁ……傍にいてよぉ……っ』

 

 今にも瓦解しそうな声に鉄菜はRシェルライフルの銃撃を渋る。その一瞬の隙を突き、《ゼノスロウストウジャ》が突進する。プレッシャーダガーを最大値に設定し、その太刀筋に覚悟が宿っていた。

 

『お前だけは、ここで……!』

 

「執念だけなら……。だが私とて止まるわけにはいかない。止まるわけには、いかなくなった!」

 

 弾き返した瞬間、小型Rブリューナクが一斉に弾幕を張っていた。降り注いだ銃弾の嵐に《モリビトシンス》が動きを止めたのを《キリビトイザナミ》は決して見過ごさない。

 

 クローが開き、こちらの胴体を引っ掴む。鉄菜は機能不全に陥っていく《モリビトシンス》のステータスに瞠目していた。

 

「触れられただけで……次々に機能が……」

 

『これがあたしの、《キリビトイザナミ》のハイアルファー! 名を【クオリアオブパープル】! あたしの認識に染まれぇーっ!』

 

《クリオネルディバイダー》側からの機能が閉ざされていく中でゴロウが呻いた。

 

『これは……信じ難いが精神世界の認識を物質領域に染み出しているのか……。否……ハイアルファーならばそれも可能というわけか。鉄菜、まずいぞ。このままでは、相手の思うつぼだ』

 

「どういう事だ?」

 

『接触が発動のキーなのか……《モリビトシンス》はこのままでは何も出来ぬまま破壊されるぞ。原因不明のエラーは今までの戦闘結果が祟ったんじゃない。《キリビトイザナミ》が……精神世界からこの状態を、引っ張って来ている!』

 

「いずれにせよ、ハイアルファーの虜というわけか……」

 

 鉄菜は《モリビトシンス》の腕で《キリビトイザナミ》に触れ、叫ぶ。

 

「燐華・クサカベ! 私なんだ! 分かってくれ! これが、鉄菜・ノヴァリスという私だ!」

 

『惑わせて! 鉄菜はブルブラッドキャリアに殺されたのに……ぃ! お前なんかが、鉄菜の声であたしをどうにか出来るわけがない! だってそうでしょう? ……鉄菜ぁ……っ、だから行かないでぇ……っ。傍に居て、行っちゃやだよぉ……っ!』

 

 接触回線で漏れ聞こえる限りでも燐華は限界に近い。恐らくはハイアルファーによる精神汚染も影響しているのだろう。

 

 鉄菜はコックピットハッチの気密を確かめ、解除キーを押していた。

 

『何を! 鉄菜!』

 

 頚部コックピットより這い出た鉄菜は暗礁の宙域で燐華の操る巨躯の人機を見据える。赤く染まった巨大人機の眼光が小さな存在の自分を睨んだ。

 

「私だ! 燐華!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯337 歪みのカタチ

『……鉄菜……。……あり得ない……。あり得ちゃ、いけないんだ――!』

 

「目を逸らすな! 私はここにいる! ここに、お前の前に立っているのが、鉄菜・ノヴァリスなんだ! あの日々を、忘れたわけじゃない。あれも現実ならば、これも現実なんだ。だから……逃げるな! 燐華!」

 

『鉄菜は……でもだって……、鉄菜が、モリビト……? でも、あたし……。モリビトは……モリビトは……』

 

「燐華! 私はここにいる! お前から逃げたりはしない!」

 

『そこまでだ! 大仰なパフォーマンスなんてしたって! 所詮お前らは、テロリストだろうが!』

 

《ゼノスロウストウジャ》が割って入ろうとする。それを自動操縦の《モリビトシンス》が片腕で受け止めていた。機体の操縦系はゴロウが一任してくれている。鉄菜は一拍頷き、燐華へと言葉を振りかけた。

 

「燐華。私はかつて、……いや、今も、か。お前を裏切った。死を偽装し、世界をたばかってきた。だが、それはいずれ来る世界の変革のためなんだ。世界は、変えられる。変わらなくてはいけない。変わらなければ、いつまでも、だ。いつまでも合い争い続ける。そんな悲劇は、ここで打ち止めにしたい。それが私達の願いだ」

 

 そう、願い。この口をついて出る意志は願いそのもの。純粋な、祈りの果てのエネルギー。ゆえにこそ、今の自分の言葉ならば燐華に届くと信じていた。

 

 燐華はキリビトの向こう側で困惑する。

 

『……本当に、鉄菜、なの? ……でもモリビトが……。モリビトから、鉄菜が出てくるはずがない! モリビトは……だって……!』

 

「目を背けるな! 燐華! 不都合な現実から目を背けたって、それはいずれ来たるものを遠回しにしているだけだ。遠ざけたって、結果は変わらない。だったら、少しでもいい未来が欲しいはずだ! そのために、私は戦って……」

 

『……ふざけるなよ。モリビトが、だったら隊長が死んだのも! アイザワ大尉がいなくなったのも! よりよい未来のためだって言うのか! 未来という言葉だけで、お前は全ての犠牲を是とするのか!』

 

《ゼノスロウストウジャ》の操主からの怨嗟に、燐華の声音が変位する。

 

『……そう、そうだった。……隊長……にいにい様がいなくなったのは……モリビトのせい。モリビトが、あたしの目の前でにいにい様を殺した。殺し、……たんだ! だから! モリビトは……敵ィッ!』

 

「……言い逃れをするつもりはない。その隊長とやらを殺したのは私かもしれない。だが、燐華! 呑まれるな! ハイアルファーの濁流に! それは破滅の道だ!」

 

『鉄菜は……鉄菜はだって……優しかった。あたしの全てだったのに……っ! にいにい様がいなくなったのも、あたしを誰も必要としてくれなくなったのも、全部! モリビトが壊したからだ! 世界を破壊したからなんだ! だから、あたしが今度は壊し返す! そうしないと……何のために死んだって言うの……鉄菜は!』

 

「……燐華……」

 

 もう、分かり合えないのか。そう感じた瞬間、《モリビトシンス》を挟み上げるクローの力が増した。このまま挟み潰すつもりだろう。ここが分水嶺だ。読み間違えれば自分だけではない。ブルブラッドキャリアの……《ゴフェル》の未来が潰える。

 

『鉄菜! もう戻れ! ハイアルファーに呑まれた操主は普通ではない! それはお前が一番に知っているだろう! 正常な判断じゃない相手だ! 倒すしかない!』

 

「まだだ! まだ……まだあるはずなんだ。燐華! 私はお前に、まだ伝えなくてはいけない事がある!」

 

『何を……まやかしが何をぉ……っ!』

 

 鉄菜は操主服のヘルメットに手をやる。一瞬だ、そう分かっていても指先が硬直した。

 

 ――本当に、これでいいのか?

 

 一生後悔しても、否、死んでも後悔し切れないかもしれない。

 

 ――だが、友情を裏切るのは、もう嫌なんだ。

 

 答えを返した刹那、鉄菜はヘルメットのバイザーを上げていた。

 

 無音の世界に鉄菜の呼びかけが木霊する。それをモニターしていたゴロウが叫んでいた。

 

『何をしている! 鉄菜!』

 

『……嘘でしょう? ……鉄、菜……?』

 

 瞬きの一瞬であったかもしれない。それでも、燐華を納得させる術はこれしかなかった。バイザーを閉じ、鉄菜は生命維持装置が再稼動するまでの数分間、眩暈を覚えていた。

 

 さすがに造られた血続といえども宇宙空間で無酸素状態を数秒続ければどうなるのか。分からないわけではなかったはずなのに、これしかないのだと何かが告げていた。

 

 膝を折った鉄菜へと《ゼノスロウストウジャ》の操主が茫然自失に声にする。

 

『……こんな……こんな事をやるなんて……』

 

『本当に……鉄菜、なの?』

 

 燐華の声音に希望が宿る。そうだ、自分が、と言いたいところであったが、無酸素の影響で視界が暗転しかけていた。声を出そうにも、肺が通常の動作を回復するまでには時間がかかる。

 

 それでも、精一杯に頷いた。燐華は声を振り絞る。

 

『ああ……! 鉄菜……ぁっ! 生きて、生きていてくれたなんて……。夢みたい……また、あなたに会えた……。ねぇ、鉄菜。もう一度、あたしの名前を呼んで? 呼んでくれればきっと……。……あたしは、何でこんな場所にいるの? 確か教室で、授業を受けていたはずなのに……。変な夢。でも、鉄菜、そこにいるんでしょう? だったら、あたしの手を引いて! あの日みたいに、あたしの手を……』

 

 クローが緩んでいく。同期して稼動したもう一方のクローに燐華は本当に疑問のような声を出していた。

 

『……変な手。何で人機の腕なんだろ……。ねぇ! 鉄菜! 夢の中でもお話出来るなんて思わなかった! もう一度、ねぇ、もう一度よ! あたしを……大好きな鉄菜……あなたの声で導いてくれれば、きっと……』

 

『……ヒイラギ……お前……』

 

 分かっている。燐華はここで自分が救い出さなければ一生、過去の牢獄のままだ。今、立ち上がらなくて如何にする。今、燐華の名を呼ばなくていつ呼ぶのだ。

 

 今呼べば、まだ戻れる。まだ引き返せるはずなのだ。だが、身体が回復までにかかる時間はどう見積もっても二十秒以上。

 

 その間に、何とかして燐華をこちら側に呼び戻さなくては。萎えかけた肉体に熱を通し、鉄菜は立ち上がろうとする。

 

『……鉄菜! ステータスが蘇りつつある。今ならば離脱挙動に入れる。《キリビトイザナミ》と《ゼノスロウストウジャ》を振り切って、月面に行くしか……』

 

 その前に、燐華を呼び戻さなくてはならない。ここで、自分が踏ん張る以外に選択肢はないのだ。

 

 ――声よ、出ろ。

 

 ――身体よ、動いてくれ。

 

 願っても、どれだけ精神を強く持っても、それでも時間は無情であった。

 

『……鉄菜? ねぇ、本当に鉄菜なんでしょう? だったら、呼んで! あたしの名前! 仏頂面で、あなたの声で! 燐華・クサカベって! いつもみたいに!』

 

 そう、燐華からしてみれば、六年前も「いつも」の延長なのだ。

 

 あの日、日常が崩れ落ち、何もかもを失った少女は、今もまだ牢獄の中で喘いでいる。助けを乞うている。それなのに、自分は何なのだ。

 

 今、やらなければ、いつやると言う。

 

 満身から叫びを発しようとして、不意打ち気味の通信が遮っていた。

 

『――愚かだよ、鉄菜・ノヴァリス』

 

 その声の主を確かめる前に絶叫が迸っていた。燐華の悲鳴に鉄菜は覚えず目を見開く。

 

「……な、にを……」

 

『鉄菜・ノヴァリス。執行者だな。はじめまして、というべきか。同じような個体とは面識があるはずだが、わたしははじめましてのはずだ。我が名は人間型端末、調停者、白波瀬。君が六年前に行動を共にした水無瀬、そしてアムニスを牛耳る渡良瀬とは同型機となる。わたしの計画に、彼女……燐華・クサカベは必要不可欠でね。ここで欠くのは惜しいんだ。だから、ちょっと弄らせてもらった』

 

「なに、を……、貴様……」

 

『もう喋れるじゃないか。タッチの差だったな、まったく。この世は不条理で出来ている。それは君も理解しての事だろう。そして、これもよく身に沁みて分かっているはずだ。世界に蔓延する悪意。往々にして、それが勝利する。世の常だよ』

 

 燐華の涙声に鉄菜は必死に通信を繋ごうとする。

 

「燐華! 私だ! 鉄菜・ノヴァリスだ! どうして……」

 

『だから、タッチの差であった、と言っているだろう。わたしの脳内ネットワーク回線が繋がったのがつい一秒前。だが君はその運命の前に敗北した。そう……いい言葉だな、運命。ヒトはそれに翻弄され、そして時に道を踏み誤る。彼女の経歴を遡って調停者であるわたしでも驚いたよ。桐哉・クサカベの妹であり、そして元々は大きな疾病を抱えていたようだが、それは血続由来のものであった。必死にその診断書を隠し、偽装していたのが保険医として紛れ込んでいたヒイラギ……いや、エホバだ。エホバは全ての権限を使い、彼女を世界から守ろうとした。何故か。今ならばよく分かる。起爆剤だよ、彼女の存在はね。ハイアルファーの精神汚染を受けてもちょっとの幼児退行程度で済み、なおかつそれをほとんど使いこなす。先天的な操主センスと、血続としての高い適性。ここまで言えば、君なら分かるだろう?』

 

 鉄菜はその可能性の赴く先に目を慄かせた。

 

「……まさか。惑星においての……」

 

『純正血続! そうだとも、素晴らしいと思わないかね? 完璧な血続だ。ブルブラッドキャリアの造り上げた紛い物や、アンヘルに多く所属していた血続の成り損ない達とは違う! これこそ、人々を先導するに相応しい、本物の血続なのだよ! わたしの手に、今それはある。だからこそ、素晴らしい。この世界は、とてもいいギフトをわたしに与えてくれた……!』

 

 感じ入ったかのような白波瀬の言葉とは裏腹に燐華の苦痛の悲鳴が通信を劈く。

 

「何をした……。燐華に、何をしたんだ!」

 

『……意外だな。熱くなるのか、作り物風情が。まぁ、いい。わたしも広義には君と同じだからね。なに、ちょっとハイアルファーの深度を上げただけだ。今まででも五割の深度だったんだが、それを八割まで引き上げた。ハイアルファー【クオリアオブパープル】は凄まじいハイアルファーだ。考えるだけで、それを物質世界に反映させる事が出来る。これを利用すれば理想世界に辿り着くのはこのわたし! 調停者、白波瀬だろう。エホバでも、そして渡良瀬でも無理であった領域だ! 彼らは愚か者であった。片や、自分一人で百五十年の罪を背負い、自分だけで何もかも出来ると思い込んだ出来損ない。片や、自分の力を見誤り、自らこそが世界を導く絶対者だと勘違いをしたクズの果て。だがわたしは違う! 彼らの辿った愚は冒さない。エホバの理想は高過ぎる。あんなもの、今の人類では到達出来ない。無論、進化した血続でさえも。だが、燐華・クサカベ。彼女一人をここで人柱にすれば、大きく血続研究は飛躍する! それこそ、本物の血続の完成だ! 青い霧の中を闊歩出来る、純正血続をわたしが! この白波瀬が作り上げる! 新世界の幕開けに、わたしという絶対者が存在するのだ! それを、君は見届けるといい。最も近く、そして遠い場所で』

 

「ハイアルファーの深度を戻せ! 燐華! 私だ! 鉄菜……」

 

『――うるさい』

 

 拒絶の声に鉄菜は振るい上げられたクローを仰いでいた。

 

 常闇の中、赤い巨躯が身じろぎする。

 

『……分かっていた。分かっていたんだァッ! 鉄菜は死んじゃったんでしょ? にいにい様はあたしを置いて、死んじゃったんでしょ? 隊長も、アイザワ大尉も……みんな! みんな! あたしを置いて遠い場所に行っちゃったんだ! みんないなくなったのなら! ――お前も、いなくなれぇっ!』

 

 打ち下ろされたクローの一撃が《モリビトシンス》の肩へと食い込む。その衝撃で鉄菜は宇宙空間を漂った。《ゼノスロウストウジャ》の操主の声が響き渡る。

 

『ヒイラギ! ハイアルファーを切れ! 今のままじゃ、お前は……!』

 

『うるさい、うるさい、うるさい! うるさい! みんないなくなったんだ! だったらこんな世界、消えちゃったほうがいい!』

 

 クローが開き、その間を電磁が行き交う。光速の素粒子が破滅の稲光を刻み込んだ。

 

 鉄菜は堕ちていく世界の中で、ああ、を手を伸ばす。

 

 救えなかった。守れなかった。……傍に、居てやれなかった。

 

 その悔恨ばかりが脳裏を掠めていく。

 

 どれほど魂を削っても。どれほど想っていても伝わらない。何もかもが手遅れ。何もかもが……この世界には意味がなかった。

 

 ――だが。

 

 鉄菜は拳を握り締める。骨が浮くほどに握り締めた拳の向こう側で、紫色の雷が飽和して放たれた。

 

『リバウンド――ッ! ブラスター!』

 

 その一撃は流星の如く、無辺の闇を切り裂いていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯338 月面での衝突

 リニアカタパルトから発進するなり、銃撃の雨に桃は《ナインライヴスピューパ》に制動をかけさせた。推進剤を焚き、最適な針路を取る。

 

「……ここまで敵が徹底抗戦……。これが、ブルブラッドキャリア本隊の、答えだって言うの?」

 

 だが自分が弱音を吐いてどうする。桃は丹田に力を込め、《ナインライヴス》へとRランチャーを構えさせた。リバウンド力場が行き交い、ピンク色の光軸が月面へと叩き込まれる。

 

 平時では四枚のはずの武装羽根も今は二枚にまで減っている。《モリビトシンス》を送り出す時に少しでも助けになれば、とサブ血塊炉を持たせておいたのだ。

 

 今の《ナインライヴス》は本当の性能の半分以下。それでも、やるしかなかった。桃は声を飛ばす。

 

「蜜柑! 銃座を叩いて! 砲撃にしたって照準補正が要るはず! どこかに隠れ潜んでいる《アサルトハシャ》を駆逐すれば……」

 

 戦局は巻き返せる。そう信じて桃は《ナインライヴス》を駆け抜けさせた。銃弾の雨嵐の中を掻い潜り、Rランチャーを一射するが、こちらの出力を遥かに超えた反撃の応酬に辟易する。

 

「……これが、たった一機の人機を駆逐するために……?」

 

 だとすれば《トガビトコア》の戦闘力は予測の範疇を超えている。《ナインライヴス》は緩やかに接地し、踵に備え付けられたパイルバンカーで機体を固定した。

 

「ここで出し渋りなんてするつもりないのよ! モモ達だって必死に来たんだからぁーっ!」

 

 Rランチャーとサブ血塊炉を使用した補助攻撃が銃座を融かす。それでも別の銃撃部隊が押し寄せ、全く衰える様子がない。

 

『ミィだって! ここで潰えるつもりなんて、ない!』

 

 スナイパーライフルを構えた《イドラオルガノンジェミニ》が的確に敵の位置を割り出し、照準補正機を撃破するも、銃撃のいくつかは跳ね返ってきた。

 

「リバウンドフォール機ってわけ……。本隊も必死ね」

 

《イドラオルガノンジェミニ》が小刻みに動きながら《アサルトハシャ》を炙り出す。Rランチャーの出力を最大まで引き上げ、桃は腹腔より叫んでいた。

 

「木っ端微塵に、なっちゃいなさいよーっ!」

 

 光の瀑布が押し包み、銃撃網を少しだけ緩める。その隙を桃は逃さない。パイルを爆砕し、六分の一の重力へと機体に補正をかける。

 

 駆け出した《ナインライヴス》を押し止めんと光学迷彩に身を包んでいた《アサルトハシャ》が飛び出してきた。その手には高振動ナイフが握り締められている。

 

「遅い!」

 

 Rピストルに持ち替え、桃は銃撃を浴びせる。致命傷になったのは少なかったが、それでも相手を退けさせた。

 

「プラントまで……残り……」

 

 概算値の割り出す絶望に負けないように、桃は声を張り上げていた。雄叫びが月面に木霊する。

 

「負けられないのよッ! あんた達なんかにィッ!」

 

《アサルトハシャ》が組み付き、瞬時に自爆シークエンスが構築される。桃は羽根の一枚を叩き起こし、無理やり《アサルトハシャ》の機体を仰け反らせた。その直後には爆風が機体装甲を叩いている。衝撃波に眩惑されたその時には、次なる《アサルトハシャ》の火線が咲いていた。

 

 恐らくは《ナインライヴス》をここに固定させるつもりだろう。《アサルトハシャ》部隊が光学迷彩の外套を捨て一斉に銃撃網を見舞う。桃は歯噛みしつつ、機体のステータスを視界に入れていた。

 

 ほとんど半壊状態の人機で何が出来るのか。それはしかし、やってみなければ分からない。

 

 Rランチャーを照準させ、光軸を払い敵人機の編隊を後退させていく。敵も退き時くらいは心得ているのか、まともに《ナインライヴス》の重火力とかち合おうという輩はいない。否、その必要性すらないのかもしれない。

 

 自分達は所詮、ここまで辿り着いたとは言え、敗残兵に近い。それがこうも無様に月面に陣取るとなれば、それはただの的に等しいのだろう。

 

「……それでも、諦められるわけないでしょうに!」

 

 推進剤を焚き、果敢に《ナインライヴス》は攻め立てる。高周波ナイフを引き抜いた《アサルトハシャ》が真正面から組み伏せようとする。

 

 その銀閃を《ナインライヴス》は掻い潜り、砲塔で《アサルトハシャ》の頭部コックピットを打ち据えた。重量にたわんだ頭部がひしゃげる。払い除け、次の手を講じていた《アサルトハシャ》の陣営へと割って入り、Rピストルの照準を浴びせた。

 

 銃撃が敵の手元を狂わせる。Rランチャーを残り一枚となったバインダーに保持させ、そのまま放出させつつ薙ぎ払わせた。

 

 月面が焼け、周囲の銃座に引火する。《アサルトハシャ》部隊はそれでも撤退させ許されていないのか。ライフルを手に攻める手は緩まない。

 

「……どうしてそこまで……。本隊に忠誠を誓えるって言うの!」

 

 だがそれは六年前の自分達を見ているも同義であった。彼らには世界がないのだ。外の世界、自分達の領分など。ブルブラッドキャリアの教えが全て正しく、それ以外は全て間違っている。そう教え込まれれば、淡々と相手を処理するしかない。そういう風に出来上がってしまった者達。自分と何も変わりはしない。モリビトの執行者かそうでないかだけの違いだろう。

 

 だから、ここで引き金を引くのは躊躇わない。躊躇えば足をすくわれる。何よりも、躊躇うのは自分達の進んできた道に唾を吐くようなものだ。

 

「……許しなんて乞わないわよ。モモ達は、世界を変えるために!」

 

 しかしじりじりと追い込まれているのは事実。如何に《アサルトハシャ》の一機ごとの火力は微々たるものとは言っても、それでも重なれば相当な代物だ。勝算は……と桃は舌打ちを漏らした、その時であった。

 

 高熱源関知の報と共に、月面上を滑っていくのは赤黒いプレッシャー兵装の波であった。桃は咄嗟の習い性で機体を横っ飛びさせる。先ほどまで密集陣形を取っていた《アサルトハシャ》が塵芥に還っていた。

 

 Rランチャーを番えた《ナインライヴス》は中空に位置する敵を睥睨する。

 

「……《トガビトコア》。林檎をやった奴ね」

 

 白亜の人機は黄金の血脈を滾らせ、こちらを見据えている。驚いた事に、相手側から通信チャンネルが開かれた。広域通信のチャンネルに桃は合わせる。

 

「……何のつもり?」

 

『別段、何でもない。ただ、殺す前に、モリビトの執行者とはどういうものなのか、答えて欲しかっただけだ。今までは壊す前には聞けなかったからな』

 

 どこまでも冷たく切り詰めた声音。まるで氷のようだ、と桃は怖気を走らせていた。

 

「酔狂なのね。それとも、狂っているのはあんたのほう? 《アサルトハシャ》は味方のはずでしょう?」

 

『味方? 可笑しな事を言う。この最強の血続、梨朱・アイアスに味方など不要。目の前に横たわる全ての敵を排除する。それが私の得た答えだ』

 

「そう……。それが本隊の決定ってわけ」

 

 応じたこちらの言葉に梨朱は冷笑を返していた。

 

『……分かっていないようだな。言っておく。ブルブラッドキャリア本隊は我が手によって全滅した。今、この月面で必死に抵抗しているのは残党軍だ。本隊は、私が消し去った』

 

 今、この少女は何と言ったのだ。本隊を、消しただと?

 

「……何を言って……」

 

『お前らにはそれが出来なかった。どれだけあの連中が間違っていても、一方的に蹂躙する事も出来ない、弱者の集り。それがお前達だ。だが、私は違う。たった一人で、本隊を潰し、そして今、月面も手中に置こうとしている。これで分かったはずだ。格が違うのだと』

 

 ブルブラッドキャリア本隊の壊滅。まさか、そのような事が可能なのか。しかし、議論を重ねるよりも先に、目の前の現実がある種、物語っている。自分達が射程に入る前から戦闘を行っている月面の《アサルトハシャ》。それに他の者達も。これは一つの結論として、ブルブラッドキャリア本隊が全滅はなくとも何かあった、そう感じてもいいのだろう。

 

 だが、単騎で今まで自分達の道を幾度となく塞いできた大本が砕かれたなど、安易に想定出来ない。

 

 ゆえに、桃はここで梨朱の自作自演を疑っていた。

 

「……あんたの言葉が全てじゃない」

 

『全てじゃない、か。信じないのは勝手だ。だが、この現実を見ろ。私相手に、ブルブラッドキャリア残党軍は決死の攻防戦を敷いている。これに勝てなくば自分達に未来はないのだと。馬鹿な連中だ。もう既に永遠に未来は奪ってやったと言うのに』

 

 その言葉の節々に宿る超越者の論調に桃は鼻を鳴らしていた。

 

「……あんただって、随分と傲慢な物言いじゃない。まるで全ての王者にでもなったみたいに」

 

『全ての王者? ……間違いではないな。この《トガビトコア》には、これまでのブルブラッドキャリアの持つ全権が委譲されている。この意味を、分からないわけではあるまい?』

 

 桃は茉莉花へと秘匿通信を繋いでいた。

 

「……茉莉花。バベルのアクセス権限は?」

 

『……悔しいが、奴の言う通りだ。《トガビトコア》が全ての障壁となっている。あれが物理的にも、そしてシステムとしても最後の壁だ。だが本隊の全滅だと……? そんな事、想定出来るわけが……』

 

『想像力のない連中だな、お前らは。まぁ、ここまで《ゴフェル》という、あんな弱々しい舟で来た事だけは褒めてやる。だが、お前達に待っているのは安寧の内の死か、あるいは立ち向かって散るかのどちらかだ。潔いほうを選べ』

 

 桃が抗弁を発する前に、《トガビトコア》に飛びかかっていたのは《イドラオルガノンジェミニ》である。

 

 蜜柑の操る人機がミサイルを放出し、弾幕を張りながら《トガビトコア》へと肉迫する。

 

 敵機が掌からリバウンドによる波動を放ったのと、《イドラオルガノンジェミニ》が仮設プレッシャーソードを引き抜いたのは同時。

 

 干渉波のスパークが散り、互いの人機を青白い色彩が塗り潰す。

 

『……許さない。お前はお姉ちゃんを……林檎を殺した!』

 

『不完全な操主姉妹か。片割れでも生かしておいたのは失策だったな。あそこで死ねば、まだ面倒ではなかった』

 

『墜ちろぉっ!』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯339 残る者と進む者と

 

《イドラオルガノンジェミニ》が剣を振るい上げる。しかし、その機体は中距離から遠距離を得意とする。近接ではまるで役に立たない蜜柑の機体は弄ばれるように《トガビトコア》によって背後を取られていた。

 

 即座に後部積載ミサイルで対処したのはさすがであったが、Rフィールド装甲と多面積装装甲を併せ持つ《トガビトコア》には全弾命中してもまるで掠り傷一つない。

 

 振り返る前に、掌より発せられた稲光が《イドラオルガノンジェミニ》を拘束していた。蜜柑の悲鳴が通信網を劈く。

 

『……殺してやろう。ここで、今! 無慈悲に! そうだとも、私が、最強であり、そして唯一の血続だ! ブルブラッドキャリアの産み落とした最大の罪が、ここでお前達旧態然とした蟻共を、踏み潰す!』

 

 蜜柑はそれでも意識の一線は保っていたらしい。スナイパーライフルを誘爆させ、一瞬だけ眩惑の隙を作る。

 

 その粉塵を引き裂いて中距離武装へと持ち替えていた。《トガビトコア》の頭部コックピットを狙い澄ました銃撃はしかし、どれも弾かれるばかりだ。

 

『……Rフィールド装甲……』

 

『理解が遅いのも旧式の特徴か? それとも、これだけの戦力差を見せ付けてまだ、分からないと言うのか? ……恐るべき愚鈍さだ。ここで潰えるがいい』

 

《トガビトコア》の手が《イドラオルガノンジェミニ》の頭部を引っ掴もうとする。その手を《ナインライヴス》のRランチャーの光軸が阻んでいた。今のままでは、蜜柑は嬲り殺しにされる。それくらいならば、と桃が注意を逸らす。

 

『……同族が死ぬのを見ていられないか?』

 

「同族、なんて、乾いた言い回しね。あんたってば、本当に……つまらない女」

 

 その時、《トガビトコア》の纏っている空気が明らかに変質した。殺意が練られ、可視化されたRフィールドの装甲が浮かび上がる。

 

『……今、何と言った? つまらない、と、そう言ったのか? 私の事を、つまらないと……そう言ったな、お前は!』

 

 直後、《トガビトコア》の巨躯が消え去る。ファントムだ、と判じたその時には、敵は月面上に降り立っていた。

 

 その手が血塊炉を射抜こうと迫る。Rランチャーの砲身でギリギリ受け止め、腰に提げたRピストルで反撃しようとするのを、敵が背面より射出した自律兵装が邪魔をする。

 

『行け! Rハイブリューナク!』

 

 円筒型の形状を持つRブリューナクの改造型が宙域を縦横無尽に駆け回り、《ナインライヴス》の逃げ場をなくそうとする。桃は後退し様にRランチャーを放って距離を稼ごうとするが、敵の自律兵器はこちらの軌道を読んだかのように先回りする。

 

 舌打ちを滲ませて直角に折れ曲がった《ナインライヴス》へと、もう一機のRハイブリューナクが拡散プレッシャー砲を放っていた。

 

 桃は咄嗟にバインダーを盾にして受け切るが、それでも減殺出来なかった威力にピンク色の装甲が爛れる。

 

《ナインライヴス》のステータスが黄色から赤に塗り変わろうとしていた。

 

 このままでは、と歯噛みした瞬間、真正面から《トガビトコア》が肉迫する。砲塔を打ち下ろしたのを敵は腕を交差させて防御していた。

 

 弾けるスパーク光の向こう側から怨嗟の声が搾り出される。

 

『……つまらないと、そう言ったな、お前……! お前だけは、絶対に……ここで惨たらしく、殺す!』

 

「そう言われるのが癪だって言うんなら、もっとうまく立ち回りなさいよ! こんな風にねッ!」

 

 バインダーの内側に固定しておいた予備のRピストルが至近の銃撃を浴びせていた。さすがのRフィールド装甲でも一時的に破損するはず。確信した桃はそのままRランチャーを振り回していた。

 

「この距離でモモと撃ち合いなんて、百年早いっての――!」

 

 払い上げたRランチャーから砲撃が放たれ、敵の装甲をじりじりと熱が削っていく。もう少し、と桃が念じたその刹那であった。

 

『……私は、絶対のはずだ。血続として、最強であり唯一無二の。だからお前達出来損ないが! 私に知った風な口を利くんじゃないぞ! 《トガビトコア》!』

 

《トガビトコア》の装甲が剥離する。何が起こったのか、桃は一瞬判じかねた。しかし、これまでの戦闘経験値が即座に告げる。

 

 ――この距離は危険だ、と。

 

 制動用推進剤を全開に設定し、距離を取ろうとして《トガビトコア》の両腕より装甲が浮かび上がり、皮膜のような構造物を顕現させていた。

 

 その黄金の皮膜が一瞬だけ輝いた、その瞬間、それは巻き起こっていた。

 

《ナインライヴス》の持つ武装が一斉に融解する。融けるはずのない武装が焼け爛れ、瞬時に使い物にならなくなった。それは最も堅牢であるはずのRランチャーとて例外ではない。

 

《ナインライヴス》のピンク色の装甲が爛れ落ち、液状に成り下がる。まさか、と桃はステータスを目にして愕然としていた。

 

 敵より放たれたのは謎のエネルギー波である。システムが判別不明のままアラートを弾き出す。何が起こっているのかは分からないが、このまま《トガビトコア》と組み合っていては危険。それだけは確固とした事実。

 

 桃は《ナインライヴス》の武装を全てアクティブに設定する。

 

 焼け残ったRランチャーを掴み上げ、最大出力で月面の地表へと放っていた。衝撃波で自分の機体が砕け散るかもしれない、という想定も度外視しなくてはここの局面、生き残れない。

 

 半分は桃の想定通り、半分は想定外であった。

 

《トガビトコア》の射程から《ナインライヴス》は逃れる。しかし、機体の半分以上が融かされており、ほとんど大破に近い。その状態で桃は月面に機体を引きずらせていた。砂塵が舞い上がり、《ナインライヴス》の位置を一瞬だけ相手から気取られないようにする。

 

 敵が離脱する直前に放ったのであろう、リバウンドプレッシャーの高出力が赤黒い色彩を伴わせて月面を穿っていた。

 

 新たに形成されたクレーターより粉塵と、そしてデブリが浮遊する。それが結果として、桃達にこの状況からの離脱策を出させていた。

 

「蜜柑! 聞こえているわね? 今、相手は怒りで目の前でさえも見えていない。今しかないわ! プラント設備に入って新しいモリビトを接収する!」

 

 思わぬ強攻策であったのだろう。蜜柑がうろたえ声を出す。

 

『で、でもっ……。もし失敗すれば、《トガビトコア》の射程なら……』

 

 そう、もし失敗すればプラントへの出入り口を露見させる事になる。それだけではない。自分達の希望である全てが費えるのだ。新型のモリビトも、そして鉄菜のために開発されているであろう機体も。何よりも《ゴフェル》の家族を犠牲に晒す。

 

 だが、今しかなかった。

 

《トガビトコア》に勝機を見出すのは、この一刹那のみだ。

 

「勝つのよ! 蜜柑! 相打ちじゃない、勝つために、ここまで来たんだから!」

 

『でも……桃お姉ちゃんの……《ナインライヴス》は……』

 

『心配要らないわ。《ナインライヴス》はまだ動く。後で追うから先に行って。《イドラオルガノンジェミニ》じゃ相性が悪い』

 

 その言葉に宙域に位置取っていた《イドラオルガノンジェミニ》は真っ直ぐにプラントへと向かっていった。

 

 ――ああ、本当に、敵が前後不覚で撃ってくれて幸いした。

 

 桃は《ナインライヴス》のステータスを視野に入れる。

 

 もうほとんど黒塗りだ。半身は持っていかれただろうか。こんな状況で、デブリによって正確な判断が下せないからって蜜柑を先に行かせた。

 

 また、嘘をついたのだ。

 

 だが、これは状況を、足を止めるための嘘ではない。未来に繋げるための強がりだ。

 

 だからこそ――動け、と桃は念じる。《ナインライヴス》の砕けた四肢を脳裏に結び、桃は久方振りに使用する己の能力を解放させた。

 

 宇宙の常闇に漂いかけていた《ナインライヴス》のパーツが寄り集まり、不可視の力で凝縮され、付け焼刃の装甲を形作る。

 

 ひとまずは脚だ、と桃は脚部パーツを構築していた。

 

 その瞳が赤く染まり、逆巻いた人機の部品が《アサルトハシャ》、モリビトの区別なく凝固する。青い血潮が宿り脈打った脚は生物的に《ナインライヴス》を支えた。

 

 敵機が粉塵を払い、こちらを睨んだその時には、自分も相手を見据えている。

 

 不可視の力を凝縮し、そして敵血塊炉に向けて一筋に放っていた。

 

「――ビート、ブレイク」

 

 瞬間、敵機がよろめく。

 

 うまく決まったか、と安堵の息をついた直後、《トガビトコア》の纏っていた血潮の色が変位した。

 

 黄金の血潮が赤に変じ、《トガビトコア》の装甲に染み出す。罪の赤を背負った敵機が黄金と入り混じった眼窩でこちらを射程に入れていた。

 

『……桃・リップバーン。担当官の手記に、念動力を使う、と書かれていた。だがもうそれは封印し、ただの一操主として戦っている、とも記載されていたが……この局面で使うか。人機殺し……ビートブレイクという魔を。しかし、それは一回で殺せる血塊炉は限られている。しかも、一回使えば何度も使えない制限付きだ。だから、この《トガビトコア》には通じない。《トガビトコア》はサブ血塊炉も含めれば七基の血塊炉を擁している。どれを止めても、新たな血塊炉が稼動する。つまり、お前の力は無意味、だという事だ』

 

 つまり、今の一撃でメイン血塊炉は殺したが、別の血塊炉が起動した、というわけか。桃はほとんど融け落ちたRランチャーを構えさせようとする。しかし、その途中で限界が訪れた。

 

 六年間封じていたツケか。あるいはいずれにしたところで人機の底が見えたか。《ナインライヴス》からパーツが剥離する。膝をついた《ナインライヴス》を《トガビトコア》は掌を向けて照準していた。

 

『敬意を表しよう。ただの人間でありながら血続に迫るその操縦技術。そして、ここまで悪足掻きして見せた生き意地の汚さを。それがあるから、《ゴフェル》の連中はここまで来られた、か。桃・リップバーン。私にこうまでさせたのは、記憶に値する。ゆえに最大の礼を持って返し尽くそう』

 

 赤黒い瘴気が浮かび上がり、掌の上でそれが練られていく。しかし、今の《ナインライヴス》では回避どころか、反撃も出来ない。

 

 ――ああ、終わりとはこうも呆気ない。

 

 桃は項垂れていた。充分に戦った。そのはずだ。それなのに何故、まだ悔恨が滲むのだろう。もっとやれたはずだと思ってしまうのだろう。

 

「……クロ。約束、守れそうにない、や……。ゴメンね……」

 

『リバウンドプレッシャー……滅』

 

 その言葉と共に赤黒い闇が空間を薙ぎ払っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯340 最後の嘘に

「……《ナインライヴス》。シグナルダウン……。操主信号、途絶えました……」

 

 クルーの声にニナイは面を伏せる。ここまで来たのだ。犠牲はあるのだと、分かっていた。それは分かり切っていたはずなのに。

 

 それでもなお、色濃い喪失の悲しみが胸にぽっかりと穴を開ける。彩芽を失った時以上に、今は一人でも欠きたくはなかった。だが、現実はどうだ。

 

《トガビトコア》一機に、全ての状況は掻き乱されている。ここまで順風満帆にうまく行っていたわけではない。それでもどこかで楽観視していたのは否めないのだろう。

 

 勝ち抜けると、戦い抜く事が出来るのだと思い込んでいた。思いたかった。だからこそ、《ナインライヴス》のシグナルが完全にロストしたのを誰もが信じたくはなかったのだろう。

 

 声も出せないニナイに、茉莉花の叱責が飛ぶ。

 

「しっかりなさい、艦長。《イドラオルガノンジェミニ》がプラントに入ったわ。今からでも取り返せる戦局よ」

 

 背中を向けたままなのは彼女にも思うところがあるからだろうか。ニナイは、でも、と声を搾っていた。

 

「また……私は間違えたのね……」

 

「間違えてない。この戦いをうまく回している。《トガビトコア》がいい塩梅に敵の戦力を減らしてくれたお陰で《イドラオルガノンジェミニ》はプラントへと入れた。恐らく、敵からの逆探知もないでしょう。問題なのは、敵機からこちらまでの守りが手薄な事よ。《ゴフェル》へと、次は仕掛けるでしょうね」

 

 どこまでも冷徹な茉莉花の声音にニナイは覚えず反発していた。

 

「……どうして。どうしてそんなにいつも通りでいられるの! 桃が、死んでしまった……」

 

「まだ分からないでしょうに。シグナルが消えただけで生きている可能性もある」

 

 それは嘘だ。いや、慰めでもない。シグナルが宇宙で消える意味を分かっていないはずがないのに。

 

 拳をぎゅっと握り締めたニナイは言葉を吐いていた。

 

「分かっているんでしょう! 桃が、死んでしまえばこちらの陣形も――!」

 

「ニナイ! 泣き言を聞くためにここでクルー達が顔をつき合わせているわけじゃない! それはそのはずでしょう!」

 

 返ってきた怒声にニナイは絶句していた。茉莉花はあくまでこちらに顔は向けないまま、言葉を継ぐ。

 

「……もっと有意義に時間を使いなさい。そうでなくては本当に読み負ける。まだ、ミキタカ妹と、それに鉄菜がいる。希望は潰えていない」

 

 だが、その程度の戦力でどうなるというのだ。鉄菜は定期通信の時間を過ぎているのに、まだ連絡を寄越さない。それが全てではないのか。何よりも雄弁に、この絶望的状況を物語っているではないか。

 

 今まで、鉄菜ならば大丈夫だと……否、この執行者達ならばどのような船旅であれ、どうにかなるのだと希望を繋いでいた。

 

 しかし、鉄菜の連絡が途絶え、桃が目の前で散った今、何を信じればいいのか。ニナイは艦長としては失策だと分かっていながらも声を張り上げていた。

 

「でも……でも、今まではどうにか出来た……。でもこれはブルブラッドキャリア本隊との血で血を洗う最終決戦……。こんなどん詰まりで、希望なんて簡単に振り翳せないわよ! 違うの?」

 

 その言葉に暫時、沈黙が降り立つ。言ってはいけない事だと分かっていた。それでも問わずにはいられなかったのだ。

 

 茉莉花は振り向かない。そのまま、彼女はぽつりと口にする。

 

「……希望なんて振り翳せない、か。艦長の口からだけは、聞きたくなかったよ」

 

 向き直った茉莉花はつかつかと歩み寄り、その手を払っていた。乾いた音がブリッジに響き渡る。

 

 ニナイはその瞬間、茉莉花の瞳から浮かび上がった涙を目にしていた。

 

「希望なんてない? 絶望だけだって? ……そんなの、今さらだろうに! だがお前達は! そんな状況を覆してきた! そんなの知るものかって、いつもいつも……! いつもだったはずじゃないか……。なのに、古巣に刃を向けた途端、気弱になるだって? そんなの、願い下げだ! そんな安い覚悟で、今まで来たって言うのか? そんな脆い代物で、今まで戦い抜いてきたんだと……そう言いたいのか! 何とか言え! ニナイ!」

 

 ニナイは完全に返す言葉を失っていた。茉莉花のほうが戦力分析には長けている。ゆえに、この状況を一番に読んだのは彼女のはずであった。だから覚悟出来ていないはずがないのだ。自分は、いつの間にか茉莉花に甘えていた。このクルーならば出来る、と、漠然とながらも確信していたのは、何も目先の希望だけではない。

 

 六年前――あの日より鉄菜達が生き方を変えてくれたからだ。生き残った先にある未来を、掴もうとしてくれたからに他ならない。だというのに自分は、また手前勝手に絶望に逃げようとした。彩芽を失った時のように、自暴自棄になって。

 

《ゴフェル》それは希望を載せた舟。そう言ってのけただけの胆力はどこへ行った? アンヘル艦隊と一騎討ちをして見せたあの絶望を退ける勇気はどこへ行ったのか。

 

 自分は誰かに縋って勇気を振り絞っていた弱虫だったのか。

 

 ――否。断じて否のはず。

 

 今までも、これからも。世界を切り裂き、未来を掴むと決めた志は何者でもない、自分のものだと。そう言い切れなくて断言出来なくて、何が散ったものへの懺悔だろうか。

 

 どれだけ無様でも、不格好でも、生き抜くための方策を練る。そして実行するのが《ゴフェル》の……クルー達の命を預かる艦長の役目だ。決して弱音を吐く事ではない。

 

 むしろ、逆境ほど笑ってみせろ。それが、彼らを導く唯一の……。

 

 ニナイは背を向けた茉莉花に言葉を送ろうとして、遮られていた。

 

「言っておくが、余計な感傷は要らない。それくらいなら新たな作戦を指示しろ。まだ、終わっちゃいないんだ」

 

 そうだとも。まだ終わっていない。まだ、挽回の策は残されているはず。

 

 ニナイは甲板の守りについているタカフミと瑞葉へと通信を繋いでいた。

 

「アイザワ大尉、それに瑞葉さん。多分、敵は《ゴフェル》を真っ直ぐに狙ってくる。《カエルムロンドカーディガン》と、《ジーク》で押さえて欲しい。もちろん、逆転の目はある」

 

『そいつは心強いぜ。それに、こっちからも見えてるからよ』

 

「見えている……? 何が……」

 

 呆然と問い返したニナイにタカフミは自信満々に言い放つ。

 

『何って、逆転の目って奴だろ? 《トガビトコア》、だったか。あんの野郎、確かに火力は馬鹿違いだ。だが、何となくだが弱点は見えた。倒すのは難しいが、近づけないなら方策はある。な? 瑞葉』

 

 思わぬ返答に瑞葉からも声が上がる。

 

『ニナイ艦長。守りは任せて欲しい。時間は稼ぐ。しかし、撃墜となれば話は別だ。その前に、作戦は……』

 

「安心しろ、二人とも。作戦ならばある」

 

 遮って放った茉莉花の声に、ニナイは感極まりそうになりながらも、ぐっとそれを堪えた。

 

 そうだとも、艦長が打算のない言葉を吐くのは、それは全てが終わってからでいい。それまではせいぜい虚勢を張れ。そして、嘘でも冗長でもいい。勝てる、と言ってのけてみせろ。それが恐らく、彩芽とルイの託してくれた未来そのものなのだろう。

 

 まだ漠然としている。勝てると言う確証でもない。だが、ここで勝つと言わなければ、いつのたまうと言うのだ。そうだ、自分は勝利以外、口にしてはならない。

 

「……安心してちょうだい。二人の作戦成功は保証します」

 

『そいつはありがたいな。いい指揮官だ』

 

『クロナが帰ってくるまで諦めるつもりはない。あの人機、押さえてみせる』

 

 二人分の勇気をもらい、ニナイはクルー達に謝罪しかけて一人が手を払っていた。

 

「月面で……俺達の代わりにあのクソッタレな本隊に啖呵を吐いてくれた艦長を、裏切るわけがないでしょう」

 

「ええ、とことんまでお供しますよ」

 

 覚えず目頭が熱くなる。しかし、まだ泣いていい時ではない。泣いていいのは、今じゃないはずだ。

 

「……ありが……。いいえ、《ゴフェル》、全速前進! 月面のプラントまで押し切ります! そして私達は掴まなくてはいけない。まだ見ぬ未来を!」

 

 了解の復誦が返り、ブリッジを一体感が満たす。ニナイは月面からこちらを睥睨する《トガビトコア》を見つめていた。拡大モニターに映し出されたその姿へと宣戦布告する。

 

「……まだ、負けてない。私達は、絶対に負けない」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯341 終末の地にて

「怖いかい?」

 

 尋ねると、燐華は頭を振っていた。白波瀬は笑顔を向ける。

 

「そうだろう。もう君に、怖いものなんてないはずだ。さぁ、モリビトを倒しておいで」

 

「うんっ! ねぇ、おじさん。にいにい様、どこなのかなぁ? ずっといないの。燐華を、一人にしないでって言ったのに……」

 

 口をすぼませてしょげる燐華の肩に白波瀬は手を置いて慰める。

 

「君のお兄さんはとても偉大なんだ。だから今はいないだけさ。なに、留守は預かる。気をつけて、モリビトを倒してくるんだ」

 

「うんっ! 燐華、がんばるねっ!」

 

《キリビトイザナミ》のコックピットへとリニアシートが収容されていく。それを見届けてから、白波瀬は燐華に触れた手をハンカチで拭っていた。穢れたものに触れた手だ。

 

「……おい、下衆野郎。てめぇ、ヒイラギに、何を仕込みやがった……!」

 

 怒りを滲ませ、ヘイルが突っかかる。白波瀬はフッと笑みを浮かべていた。

 

「……君が代わるかね? この面倒な役目を。それともお姫様のナイトにでも、なったつもりか?」

 

「ざけんな! てめぇ……俺ら侮辱するのも大概に……」

 

 掴みかかったヘイルを白波瀬は冷笑する。その表情に怒りが勝っていたのだろう、拳が頬を捉えていた。だが、白波瀬は動じない。ヘイルの精一杯の怒りを引き受けた拳に、まるで意義がないとでも言うように口にする。

 

「……気は済んだかね?」

 

 ハッとこちらを見据えたヘイルはまだ足りないようであった。しかし、と白波瀬は持ち直す。

 

「今さら、何を気取る? 君は軍属、誉れある虐殺天使、アンヘルの兵士だろう? だというのに、これは許せてこれは許せない、などという線引き、最もばかばかしいのではないかね? ブルブラッドキャリアとわたしを許せず、今までの自分達の行為は正当化、か。エゴイストだな」

 

 再びヘイルが襟元を掴み上げたが、今度は割いてやる時間も惜しい。手を跳ね除け、身体を無重力に流す。

 

「もっと時間を有意義に使いたまえ。連邦艦隊がようやく追いついてきたからよかったものの、あのままでは燐華・ヒイラギ准尉は廃人であった。何をやっているんだ? 君がメンテナンスを引き受けたんだろう?」

 

「俺は……ヒトをメンテナンス呼ばわりするような奴とは……」

 

「違う、かね? だがどう違う? 無慈悲に殺し、無残に連邦への対抗勢力を今まで潰してきたはずだ。そこには幼子もいただろう。無論、女子供の区別なく、君達は殺してきたはずだ。だというのに、いざ身内を突かれると気分が悪いというのは、どこまでも身勝手だよ。それが人間の非合理性だというのならば、君らは今まで唾を吐いてきた感情を今になって大切にしたいという……どこまでも度し難い者達だ」

 

「てめぇ……、それは俺だけじゃねぇ、死んでいった仲間達や、隊長まで侮辱してんのか!」

 

「誤解するな、ヘイル中尉。侮辱や軽薄なんてどうでもいい。そうだとも、そうだっていいじゃないか。君らは勝つ。そしてブルブラッドキャリアは敗北する。モリビトは完全に殲滅する。それだけの話だ。どこに複雑な要素を持ち込む必然性がある? モリビトは敵、それでいいではないか」

 

 だが、ヘイルは割り切れていないのだろう。通信が断絶した先の戦闘で何かあったか。ヘイルの胸中にはわだかまりが生じているようであった。

 

「……だが、相手だって人だ……」

 

「今さらの論理で申し訳ないがね、人機に乗って戦っている以上、人殺しの汚名から逃れられるとでも?」

 

 ヘイルは拳をぎゅっと握り締め、白波瀬より背を向けていた。もう語る口も持たないというのだろう。

 

「……安心するといい。《キリビトイザナミ》は勝つとも。勝つように出来ている」

 

 それに対して抗弁を放とうとして、彼は何も言えずに隔壁の向こう側へと消えていった。

 

 所詮、一兵士の戯れ言。今さら状況をどうこう出来るほどのものでもなければ、転がりだした石をどうにか出来るはずもない。

 

 ヒトは結局、過ちを繰り返す。どれほど愚かであってもそれは変わらない。

 

 人間型端末である己が俗世のヒトより外れていて助かった。あんなものと一緒に生きていくなどどうかしている。

 

 あるいは、どうかしたから、百五十年も待てたのだろうか。

 

「……エホバ。貴様は今になって、我慢出来なかったのか? 大切なものを見出して。だが、それは愚者の行動だ。《モリビトクォヴァディス》をもっていつでも連邦に……いや、その前の発足もまだ拙い世界政府を討つ事だって出来た。そうしなかったのは貴様の怠慢だ。だというのに、世界に責任を投げた。だから貴様には資格がない。この世界を見守る、資格なんてね」

 

 格納庫より白波瀬はここ一同に会した人機を見やっていた。軌道エレベーターに陣取っていた勢力も含め、ざっと戦闘用人機三十機以上。ラヴァーズと戦い、地上で磨耗したにしてはまだ揃ったほうだろう。

 

 宇宙駐在軍は何かしら腹に一物を抱えている風ではあるが、どちらにしたところで戦力に心許ないものを感じているのはお互い様らしい。

 

 イクシオンフレームに取り付いた技術者達が声を上げていた。

 

「こんなの! 地上のトウジャとはわけが違う!」

 

「マニュアル通りにやれよ! 壊したら元も子もない!」

 

「ナナツーだっているんだ! 無茶を言うんじゃないよ!」

 

 資財も底を尽き、そして今まさに闘争の炎でさえも消えかけている。この戦局を打開するのには、《キリビトイザナミ》による圧倒的火力が必要不可欠。だが、上の思想はそうでもないようだ。

 

 格納庫を抜けた整備用通路で、白波瀬は久方振りの顔を目にしていた。

 

 全く同じ相貌、同じ容姿。違うのはその眼差しに宿った野心であろう。まさか合い見えるとは思っていなかった。地上に降りた時点で、三つに分割された役割だ。それがこのような運命のいたずらが交錯するなど。

 

「……久しいな。渡良瀬」

 

「その名前で呼ぶな。わたしは大天使ミカエル。貴様ら凡俗とは違う」

 

 その天使の名前も字面だけの代物だろう。ほとんど権限は消え去って久しいはずだ。

 

「……バベルを手中に置き、ここまで戦局を掻き乱してどうであった? それで求めていた世界は得られたか?」

 

 その問いに渡良瀬はふんと鼻を鳴らす。

 

「貴様こそ、随分と底の浅い真似をしているではないか。あのような小娘を洗脳して利用、か。ブルブラッドキャリアの調停者の名が泣く」

 

 ここで牽制の言葉繰りを互いに投げても仕方あるまい。白波瀬は本題に入っていた。

 

「……わたしは平和のため、いやわたし達は平和のために造られたはずだ。その目的を取り違えてはいないだろうな?」

 

「無論だとも。天使達が管理する世界が平和だ。だからわたしはアムニスを指揮する。何も間違えていない」

 

 やはり、そういう帰結か。白波瀬はなるほど、と声にしていた。

 

「同じわたしでも、違う結論に達したか。エホバの事を嗤えんな」

 

「奴は愚か者だとも。百五十年……変えられるだけの力と実力を持っておきながら、静謐の内に安寧を貪った。愚者であり、そしてこれからの世界を変える資格のない、ただの傍観者以下だ」

 

「同意だが、二三、間違っている。《モリビトクォヴァディス》は脅威だぞ」

 

「《クォヴァディス》? あのハイアルファー機か。既に捕捉している。あまり人間達の軍隊を嘗めるものでもないぞ、わたし。彼らも賢しい。ハイアルファーの固有粒子は次の座標ポイントの割り出しまで入っている。むしろ、わたしは聞きたいね。エホバに、逃げるつもりなのか、戦うつもりなのか、と」

 

「奴は逃げんだろうさ、わたし。だからこそ、手を結ぶんだろう?」

 

 渡良瀬は苦々しいものを感じたのか、渋面を形作る。この自分の生き写しも随分と俗世に塗れ、人間らしくなったものだ。確か当初は人機開発の第一人者、タチバナ博士の右腕として配置されたはずであるが、どのような軌跡を経て、この場所に至ったのだろう。

 

 その葛藤だけは、彼のものであった。

 

「……アムニス単独での任務だっていい」

 

「だが勝算は少ない。月面でブルブラッドキャリア本隊と、そして《ゴフェル》の連中。両方を相手取れば必ず失いたくはない駒を失う。ゆえに、協定は必要だと判断した」

 

「だが、終わってからまでは口を挟まないでいただこうか。アムニス、天使達が輝く天下が訪れるのだから」

 

「好きにするといい。わたしも好きにしよう」

 

 偽りの天使が輝こうと、何が天下を取ろうと別段興味はない。ただ、目先の蝿を払うという利では一致しただけの話だ。

 

「……だが、《モリビトシンス》、侮るなよ。幾度となくわたし達の攻撃を阻み、そして対抗してきた。あれは闇雲に戦って勝てるものではない」

 

「わたしにしては弱気ではないか。大天使ではなかったのか?」

 

「……天使でも、読めぬものがあると言っている。悔しいが、あの操主だけは分からない。確か、データ上では、鉄菜・ノヴァリス。前時代の遺物のはずの操主だ」

 

 脳内ネットワークが同期され、白波瀬は首肯する。

 

「……随分と煮え湯を呑まされているではないか。これほどの相手ならばもっと特一級の抹殺対象に上げてもいいのに」

 

「イクシオンフレームにケチをつけられたくはない。勝てない、など、弱者の抗弁だ」

 

 なるほど、と白波瀬は納得する。この男もまた、エゴに翻弄されたのだろう。そのエゴでもどうしようもない敵が《モリビトシンス》と鉄菜・ノヴァリスなのだと、警戒しているのだ。ある意味では「自分自身」だからこそ見せた弱音だろう。

 

「……だが、勝てない道理はない。《キリビトイザナミ》の性能面でも、他の部分でも勝てている。何を恐れているんだ? わたし」

 

「恐れてなどいない。……わたしも《イクシオンオメガ》で出る。幸いしたのは、前回、五割の完成度で出撃せざる得なかったのだが、UDの思わぬ介入によって我が人機は完成を見た。《イクシオンオメガ》は完全な人機だ。如何に《モリビトシンス》が強かろうとも」

 

「負けはしない、か。それくらいでちょうどいい」

 

 すれ違う瞬間、白波瀬は告げていた。

 

「もう会う事もないだろう」

 

「ああ、さらばだ。もう一人のわたし」

 

「せいぜい、この世を謳歌するんだな。もう一人のわたし」

 

 それが調停者に許された約束手形であった。

 

 生きろ、とは言うまい。言ったところで仕方がないからだ。この世には結果のみが全てにおいて優先される。

 

 ゆえに、結果以外に何かを求めてもただ裏切られるだけ。

 

 ならば結果だけでいい。残酷でも結果こそが、自分達の指針になる。

 

 そこまで考えて、白波瀬は苦笑していた。

 

「指針、か。可笑しな事を言うものだな、わたしも。終わった後の世界など、それこそ――」

 

 どうだっていい。そこまでは口にしなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯342 戦意を抱いて

 ハッと目を開き、鉄菜は大写しになった自分の人機の名を口にしていた。

 

 三つのアイサイト。そして両肩の盾。ここまで戦い抜いた愛機の装甲はそこいらがリバウンドの熱で爛れている。

 

「……《モリビトシンス》……」

 

『気づいたようだな』

 

 拡張されたその声と共に《モリビトシンス》へと刃が突きつけられた。思わぬ相手に鉄菜は自身が別の人機の手の上にある事を認識するまで時間がかかってしまう。

 

「……《フェネクス》……」

 

『覚えてもらい光栄だが、貴様は許せん。林檎を殺した……』

 

「言い訳をするつもりはない。林檎・ミキタカは私が殺したようなものだ」

 

『……やはり、貴様……』

 

『そこまでだ。二人とも。ここで殺し合いは一番に意味がないと、分かっているはずだ』

 

 仲裁した声の主に鉄菜は機体を振り仰いだ。まさかここで出くわすとは思ってもみない。その機体の名を、鉄菜は忌々しげに呟く。

 

「《モリビト……クォヴァディス》……。何故だ。何故、ここで私を殺さない?」

 

 帰結した疑問に《クォヴァディス》に搭乗するエホバが応じていた。

 

『その必要がないから、と言って差し支えないと思うが』

 

「差し支えがない? 地上でお前達は私達と敵対していた。リバウンドフィールドを強化したのもお前の仕業だ」

 

『許して欲しい……とは言うつもりはない。何人も死んだんだからね。だが、ここで君を助けるのは、義理のようなものだと思っていただきたい』

 

「義理……?」

 

 意味が分からず、鉄菜が問い返すと、エホバは迷いのない口調で返答する。

 

『彼女を……殺さないでくれた。それだけだ』

 

 その意味するところを鉄菜は理解し、そして嫌悪の声を発する。

 

「……お前が誘導しただろうに。燐華を、人機に!」

 

 内奥から発した怒りにエホバは静かに対応する。

 

『そうかもしれない。あれも、僕の罪だ。だから、罰は受けなければならない。ハイアルファー【クオリアオブパープル】。あれは厄介な代物だ。対象の認識を捩じ曲げ、そして精神を瓦解させる。しかし《キリビトイザナミ》には最適だろう。ただの操主では、あれは操れないはずだ。それは僕が隠し続けてきた、彼女の秘密に由来している』

 

「秘密? 燐華に何を仕込んだ!」

 

『何も仕込んじゃいない。逆だ。最初から仕込まれていた。彼女は免疫系の疾病だと、コミューンには判断されていたが、それは違う。彼女にとって、ろ過された無毒の大気は逆に毒だったんだ。有害の青い濃霧の中でも、通常通りに生きられるよう、身体が進化していたのだからね』

 

「……何を……何を言っている?」

 

『全てだ。鉄菜・ノヴァリス。全てだとも。燐華・クサカベ。彼女に関する、ね。彼女は元々人機の血に呼応するようになっていた、人類の正当進化系、そして最初の……適合者だ。ここまで言えば、君も分かるだろう? 自分がそうなのだから。青い濃霧の中でも平然と生きられる、強化された存在』

 

 まさか、と鉄菜は目を戦慄かせる。

 

「そんな……そんな事が……」

 

 一拍置き、エホバは答えを口にしていた。

 

『燐華・クサカベは百五十年間、僕が探し求めて最初の……純粋血続であった。他にももちろん、血続反応のある人間はいたのだがね、彼女ほどではなかった。ブルブラッド濃霧の中でも平然と生きられ、適応し、そして人機の血に呼応する。あれほどの適合率は彼女だけだろう。だからこそ、守りたかった。失われれば僕の百五十年は水泡に帰したからね』

 

「……そんな理由で、お前は、燐華を戦場にやったのか? 燐華に、戻れない道を強いたと言うのか! 答えろ! エホバ!」

 

 エホバはすぐには答えなかった。いや、答えるだけの口を持ちながらあえて黙っているのか。それがいずれにせよ、鉄菜からしてみれば許せなかった。

 

 ――どうして。燐華は、戦う人間ではないはずだ。

 

『……そんな甘い戯れ言を、モリビトの操主から聞く事になるとはな』

 

 応じていたのは《フェネクス》の操主である。その言葉を諌める前に、言葉が継がれた。

 

『自分が尊敬していたのは林檎・ミキタカという、彼女の生き様だ。決してモリビトに、ではないのがハッキリしたよ。少なくとも林檎には貫ける意志があった。こんなところで言葉繰りをしているくらいならば、今すぐにでも飛び出すだけの……無鉄砲と言ってもいいが、あれが自分にはなかった。だから、心を通わせられた。青いモリビトの操主。どれほど崇高か、どれほど強いのかは知らないが、どっちにしたって貴様とて見殺しだ。このまま、燐華とか言う少女が死んでいくのを何もせずに見ていくしかない』

 

「違う! 私は……燐華にしてやりたい。こんな人生でいいものか!」

 

『そう吼えるだけならば馬鹿でも出来る。本当に我々と戦い抜く覚悟があるのか、確かめてみろ』

 

《フェネクス》が《モリビトシンス》をしゃくる。やるのならば実力で、という事であろう。《クォヴァディス》よりエホバの声が注がれていた。

 

『気をつけなよ。連邦の手はすぐ傍まで迫っている。ここでの判定は僕が下す。いたずらに戦力を減らす事はない』

 

『仰せのままに。エホバ。モリビト、自分は世界に絶望した。このような場所、守る価値などないのだと、そう思った。だがな、林檎と出会って変わったんだ。自分に価値を見出すのは自分自身。それは、林檎の精一杯の強がりであったのかもしれない。それでも! 彼女はその生き方を曲げなかった。それが自分には眩く思えたんだ!』

 

 林檎の自分が知らない一面であろう。もちろん、分かっている。林檎とて、ただ闇雲に嫉妬心に駆られて戦ったわけではないという事くらいは。林檎は自分の意思で、自分で裏切ると決めたのだ。それがどれほどに勇気のある覚悟であったのか、窺い知る事も出来ない。

 

 だが、自分は、《ゴフェル》のために。ブルブラッドキャリアのために世界を変える道を選んだ。今さらこの道筋を違えるつもりもない。

 

 鉄菜は頚部コックピットより《モリビトシンス》へと搭乗する。システムコンソールのゴロウが忠言を漏らす。

 

『……気をつけるといい、鉄菜。あの《フェネクス》、相当な使い手だ。今のところ負けなしと言ってもいい。殊に、《モリビトシンス》とは格闘兵装で被る部分も大きい。下手に距離を詰めれば相手の思うつぼだぞ』

 

「分かっている。だが分かっていても」

 

『戦い抜く、か。君らしくていい』

 

 アームレイカーを引き、鉄菜は《モリビトシンス》の武装を確かめかけて、《フェネクス》の投げた直刀を受け取っていた。

 

『二刀流が真髄。しかし、ここではフラットに実力をはかる』

 

「……上等」

 

《モリビトシンス》の手に刀を握らせ、鉄菜は機体を仰け反らせた。

 

 瞬時のファントム。初手からの勢いに相手も気圧されたかに思われたが、射程に《フェネクス》はいなかった。

 

 どこへ、と首をめぐらせる前に劈いた接近警告に鉄菜は咄嗟に天上を振り仰ぐ。大写しになった《フェネクス》の刃に応戦の銀閃を咲かせていた。

 

 互いに後退し、次なる一手のために推進剤を焚く。加速度を得た二機がもつれ合い、それぞれの肩口へと狙い澄ました。

 

 その一閃でさえも読み切っていたのか、弾かれ合い、距離が離れる。

 

 今の《モリビトシンス》にまともな遠距離牽制武装はない。しかし、《フェネクス》は袖口にガトリングを仕込んでいた。弾幕が張られ、視界を遮られた一瞬。

 

 横合いに潜り込んでいた《フェネクス》が下段より払い上げる。その一撃を返し様、浴びせ蹴りを見舞っていた。

 

 蹴りが血塊炉付近を捉えるがそれも相手の思索には浮かんだらしい。掴み上げ、そのまま膂力で振り回される。慌てて制動用推進剤を焚いたのも束の間、直後には組み付く角度から《フェネクス》が攻撃を浴びせかかった。

 

 まったく迷いのない殺意。そして、絶対に倒すと決めているからこそ、モリビトの弱点を熟知している。

 

 ここまでの相手はそうそういないだろう。先の《イザナギ》戦よりもなお濃い戦闘密度に鉄菜は肩を荒立たせていた。

 

 思えば、《イザナギ》戦からそのまま《キリビトイザナミ》との苛烈なる戦闘。集中力と体力がどれほどあっても足りない。

 

 かといって一度でもそれを切らせば残っているのは死のみ。鉄菜はフットペダルを踏み込み、《フェネクス》へと攻勢に移った。

 

 刃を振るい落とし、その痩躯を叩き割らんとする。《フェネクス》は刃を薙ぎ払い、その一撃をいなした後に、急接近してきた。

 

 軽い人機がゆえに、加速と減速はお手の物。しかもフレーム構造はバーゴイルの発展形。だからこそ、動きが容易には読めない。トウジャとの戦闘には慣れたが、いざ旧式機との対峙となれば別の脳を使わなければならない。

 

 曲芸師のように《フェネクス》は踊り上がり、《モリビトシンス》の肩口を蹴って、わざと離脱してみせた。

 

「……踏み台に……!」

 

『熱くなるな、鉄菜。相手の思うつぼだ』

 

 分かっている。分かっているが、ここで退けばそれこそエホバから真意を聞けないままだ。

 

「……ゴロウ。ここで撤退戦、あるいは手を抜けば、確かにこれから先の戦いでは優位に運ぶ。うまく行けばエホバの首も手に入る。一石二鳥かもしれない」

 

『鉄菜……?』

 

「だが私は! この相手に手加減は無用と判断する! 絶対に、手を抜いてはならない。それは相手操主への侮辱だ! だから、ここで出せる手は出し尽くす!」

 

『まさか……鉄菜!』

 

 ゴロウが制する前に、鉄菜はパスコードを打ち込んでいた。

 

「エクステンド、チャージ!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯343 刻む覚悟

 黄金に染まった《モリビトシンス》が瞬時に掻き消える。敵機の背後に立ち現れた刹那には、もうその首を刈らんとしていた。だが、敵影は更なる加速と反応速度で上回る。

 

 わざと重心を落とし、機体バランサーを崩して一閃を回避してみせたのだ。並大抵で出来る業ではない。震撼した鉄菜に、敵操主が嘲る。

 

『そんなものか。世界をたばかったモリビトは!』

 

 返す刀を寸前で受け止めたが、二の太刀が容赦なく叩き込まれる。思わぬ攻勢に鉄菜はたじろいでいた。今までエクステンドチャージ状態の《モリビトシンス》にここまで果敢に攻めてきた操主も人機もいなかった。

 

 いつ狩られるか分からないのに相手は全く衰えもしない。その動きに、鉄菜は覚悟を感じ取っていた。

 

 ここで死んでも本望、という鋼鉄の覚悟を。どうしてそこまで、と口走らずにはいられなかった。

 

「……お前達は、エホバについた陣営のはずだろう?」

 

『世界からは、自分達がおかしいのだと、アンヘルにも属せず、連邦にも尻尾を振れない奴隷以下だと思われている。だが、自分は違う! 違うと言いつづけてやる! この理想はかねてよりの悲願! ゾル国再興のために!』

 

 そのような瑣末事のために、ここで命のやり取りをしているのか、という疑念と共に突き立ったのは、それを貫くという怨念じみた闘魂。

 

《フェネクス》の操主は退くつもりはない。ここで退けば死だ。死するくらいならば潔いほうがいいのだと、彼女は知っている。知り尽くしている。だから、これは最後のわがままなのだろう。

 

 戦い抜くしかない。戦い抜いて、相手を殺し尽くすしか、それでしか抗いの道が拓けないのならばそうではないか。

 

 戦うしかないではないか。――以前までの自分のように。

 

 戦って、壊して、そしてその骸と屍の果てに、何を見るのかも分からずに。

 

 だから、向いているこの刃は自分そのもの。軋っているこの太刀筋は自分と同じだ。

 

 似ている、などという生易しい言葉では飾り尽くせない。

 

 これは――自分だ。

 

 その答えに至った時、鉄菜は敵の剣閃を受け止めていた。アームレイカーに手を入れたまま、静かに項垂れる。

 

「……私は、今の今まで戦いながら得るのだと、そう思い込んでいた。いや、そうに違いなければ何のために、誰のためにこの生はあるのか分からなかった。だが、今ならば言える。私は、私のために戦っていたんだ。これをエゴだと、否定もした。しかし、絶対に拭えないものがあるとすれば、それは魂と呼べるものなのだろう。それの欲する渇望。戦いへの飽くなき欲求。……それを悪だと断じるのは簡単だ。だが、そうじゃない。私は、そうじゃないんだと――ここに来てようやく分かった!」

 

 右から払った剣を敵機は受け止めるまでもなく、後退して切っ先を突きつけた。

 

『……分かるのが遅かったから? 理由がないからだって? ……そんなもの、今さらの答えだ! 林檎は死んだ! 他の者達も同様だ! それを貴様は、既に遅れている状態でも、やり直しが利くと言いたいのか!』

 

《モリビトシンス》が《フェネクス》と打ち合う。互いに譲れぬ攻防に、それぞれの思いが交錯した。

 

「やれる! やってみせる! それが私と……モリビトだ!」

 

『安い覚悟だ。その程度で《フェネクス》に――追いつけるものか!』

 

 雷撃の軌跡を刻みながら《フェネクス》が遥か向こうまで飛び立ち、急上昇する。恐らくは一太刀で決めるつもりなのだろう。

 

 鉄菜は《モリビトシンス》の握った太刀を払う。

 

 か細い剣だ。敵の全身全霊を受けるのにはあまりに足りない。

 

「……それでも、歩む事をやめないのが、ブルブラッドキャリアだ!」

 

《フェネクス》が大上段で刃を突き上げる。《モリビトシンス》は刃を腰だめに構え柄に手を添えた。

 

『居合い抜きか……。笑止!』

 

 打ち下ろされた剣筋とこちらの太刀がぶつかり合い、火花を散らせた直後、互いの剣は折れていた。

 

 全力を尽くした結果……。敗北だと言われても仕方あるまい。

 

 しかし、《フェネクス》の操主は剣を捨てこう紡いでいた。

 

『……これで満足か。エホバ』

 

 その問いかけにエホバは淡々と応じる。

 

『ああ、充分だとも』

 

「……どういう、意味だ」

 

『試した、と言うと言い回しが悪くなるが、僕は君がきっと、燐華を助け出してくれる事を信じている。だからこそ、こうしてお願いに来たんだ』

 

「お願い……? 立ち塞がる相手は全て敵ではなかったのか?」

 

 エホバは一拍置いて、そうかもね、と自身を納得させる。

 

『《クォヴァディス》を操り、レギオンを陥落させそして今、月面も手中に置こうとしている。これは……対外的にも悪だろう。だが誰かが罪を背負わなければ、世界はそのままなんだ。よくもならないし、悪くもならない。……そう、停滞だよ。停滞と言うものは人間の歴史の歩みを幾度となく止めてきた。そんなものに期待するくらいならば僕は前に進みたい。間違っていても前に』

 

 エホバは前進の道を選び続けてきたというのか。その代償が自分で罪を背負う事であり、そして燐華の犠牲――。だが、それでも鉄菜は許せなかった。どうしたって、この男は犠牲を犠牲としか見ていいない。

 

 生け贄の仔羊は捧げられるべきであったと。間違いを是として、前進するのが人類だと。

 

「……それも一つの在り方だろう。私には、それを完全否定するだけの反証材料がない。確かに、それはその通りだ。だが、私は燐華を助けたい。これが自分のエゴだと分かっていても、それでも……」

 

『助けたい、か。僕は君達を友人として、そしてあの学園での日々を大事なものとして進めたい。それは願いではある。だが、現実は重く横たわるんだ。君がどれほど罪を背負い、そしてどれほど燐華の事を想ってくれていても、もう賽は投げられた。どうする事も出来ないし、なかった事には出来ない』

 

 なかった事には出来ない、か。それは間違いないだろう。燐華は自分をモリビトとして、ブルブラッドキャリアとして憎むはずだ。その憎悪を止めるのは誰にも出来ない。

 

 あの日々に亀裂を走らせたのは自分でもある。

 

 だから、立ち塞がるのもまた、この胸を突き動かす何か。名状し難い何かなのだ。

 

「《フェネクス》の操主、それにエホバ。私は行く。そうしなければならないはずだ」

 

『ここで待機していれば、しかし全滅は防げる。ブルブラッドキャリアを、自分は許せないままだ。林檎の事だって割り切れていない。……貴様を、今すぐに斬り殺せればどれほどいいか。だが、貴様も武人なのだと知った。武人の道は同じく武人ならば阻めない。ゆえにこそ、自分はエホバの側につく。モリビトの操主、今は殺さん。だから行け』

 

 これもまた、一つの邂逅だろう。鉄菜は《モリビトシンス》の機体を翻していた。

 

 月面を目指し、拾われた命一つで赴く。最後の戦場に向けて。

 

「……感謝する」

 

『いいさ。僕らも信じたいだけなんだ。きっと、未来と言うものを』

 

 彼らの投げた未来と、自分の掴んだ未来。それは恐らく、微妙に異なるものだろう。だからこそ、自分の掌にある鼓動一つを信じられる。エホバの切り拓く未来が輝くのか、自分の掴んだ未来が輝くのか――。

 

 それはきっと、結果だけだ。結果だけが何よりも優先される。結果だけが、明確に像を結ぶ。

 

『……熱源を多数関知。行こう、みんな。エホバに星の未来は託されている』

 

 向かってくるのはグリフィス陣営と、そして残存アンヘル兵達。彼らもまた帰る場所を奪われ、そして今も略奪の途にある。

 

 どこに向かうのか。変えるべき場所などこの世にもう存在しないのか。

 

 その問いかけを、《クォヴァディス》は受け止めるつもりであろう。

 

 ――ヒトはどこから来て、どこに行くと言うのか。

 

 その疑問の結果となるために。ただそれだけを睨んで。だがそれは、問いかけに問いかけを重ねるだけの無為な行為に思えるかもしれない。

 

 それでも、進み続け、歩み続け、そして罪を背負い続ける。

 

 この男の生き方もまた苛烈。ゆえに、鉄菜はもうエホバに関わるつもりもなかった。彼に味方するわけでもなければ敵対もしない。

 

 ただ、純然たる事実として互いに「在る」事を認識し合えただけだ。

 

 それがともすれば、人と人が分かり合えると言う――。

 

「……いや、希望を見過ぎか」

 

 エホバが率いる部隊がアンヘル残存部隊と衝突するのにさほど時間はかかるまい。鉄菜は《モリビトシンス》を月面へと駆け抜けさせた。

 

 その道を阻むものは何であろうと構わない。

 

 今は、押し通す。この命一つで。

 

「それが……モリビトだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯344 手に出来る力を

 プラント設備まで辿り着けたのは僥倖であったのだろう。

 

 ほとんど半壊状態の《イドラオルガノン》に、スタッフ達が取り付いて早速始めたのは、移植作業であった。

 

 コックピットから這い出た蜜柑は思わぬ行動に瞠目する。

 

「修復してくれるんじゃ……」

 

「こんなになっているんじゃ直せませんよ! 待っていてください。今、新しいモリビトフレームへと移植します。血塊炉さえ無事ならば、移植は三十分もかかりません!」

 

「三十分……」

 

 その隔たりが決定的になるかもしれない時間だ。蜜柑は急かしていた。

 

「十分で頼みます」

 

「……了解。《イドラオルガノン》の次世代フレームへと移植開始! 血塊炉内蔵フレームを取り外します!」

 

 巨大アームが血塊炉を中破した《イドラオルガノン》から取り外す。その瞬間、まるで砂礫のように《イドラオルガノン》の機体は傾いでいた。

 

 もう限界以上まで酷使したせいであろう。蜜柑は崩れ落ちる愛機を眺め、スタッフの声を接触回線に聞く。

 

「……他のモリビトは?」

 

「……桃お姉ちゃんは月面上で《トガビトコア》と交戦。これは、どうなっているんですか? 《トガビトコア》はあくまでブルブラッドキャリア本隊の戦力のはず、それがどうしてあんな真似を……」

 

 あんな真似、と濁したのは月面で展開されていた総力戦だ。どうして本隊の戦力同士が潰し合っているのか。その疑念にスタッフは声を潜めていた。

 

 端末を差し出し、蜜柑に起動させるように促す。

 

「……つい三時間前のものです」

 

 映し出されたのはブルブラッドキャリア本隊の位置情報と思われていた資源衛星が不意に爆発の光に包まれた光景であった。デブリを突っ切り、一機の巨大人機が宙域を駆け抜けていく。

 

 その白亜の機体に、蜜柑は絶句していた。

 

「……まさか、本隊は……!」

 

「はい。我々月面スタッフは、本隊はもう壊滅状態にあるのだと推定します。だからこそ、月面に隠されていた《アサルトハシャ》部隊がああやって《トガビトコア》へと攻撃を見舞っている、と推測すれば……」

 

 あり得ない、と蜜柑は頭を振る。自分達が敵だと思っていた相手がもう存在しないなど。

 

「でも……だとすれば何故? 《トガビトコア》は自らを育んだ相手に、弓を引いた事に……」

 

「事実、その通りなのかもしれませんね。あの操主の事は分かりませんが、どういう意図があったにせよ、今の月面部隊は総崩れですよ。彼らとて撤退戦です。アンヘル部隊と惑星の軍隊が攻めて来れば恐らくは集団自決を迫られるとしか……」

 

 思わぬ言葉振りに蜜柑は声を張り上げていた。

 

「でもそんな! ……そうだ、ミィ達から、彼らに働きかける事は? このプラント設備に誘導して……」

 

 自分の生ぬるい提言にスタッフは強く首を横に振った。

 

「駄目です。それは、《ゴフェル》のクルーとニナイ艦長を裏切ります。何よりも、茉莉花さんに我々はこう言われたのです。死んでもこのプラントだけは死守しろって。それは多分、希望を繋ぐためだと思うんです」

 

「希望……」

 

 スタッフは現時点での月面の勢力図を呼び出す。《アサルトハシャ》は月面基地上で戦闘を行っているものの、それでも戦力はたかが知れている。

 

 今は、それよりも暴走している《トガビトコア》と、そして向かってくる惑星の残存戦力であろう。

 

 高熱源が多数、月面に向けて放たれているのを俯瞰図で目にしていた。

 

「……月面が惑星の手に落ちれば、それこそこれまでの意味がありません。我々はモリビトの最新フレームを、最大の功績を持って執行者に届ける。それがきっと……我々に出来る唯一の……」

 

 言葉を濁したスタッフに蜜柑は拳を握り締めていた。ここに至っても、まだ自分は待つ事しか出来ないのか。その歯がゆさに蜜柑は通信機器へと手を伸ばす。

 

「《ゴフェル》へと連絡する! そうしないと、この撤退戦に巻き込まれてしまう!」

 

 通信チャンネルを繋げようとした蜜柑を、スタッフは静かに制していた。

 

「それもいけません。プラント位置を本隊の《アサルトハシャ》に報せるようなものです。今は、《モリビトイドラオルガノン》の新型機を、執行者であるあなた方が無事に手に出来るまで、守り通すのみ」

 

「でもそんなの! 戦いじゃない!」

 

「自惚れないでいただきたいのは! 我々とて……辛い選択だという事です」

 

 搾り出したかのような声音は彼らが月面に取り残された孤独なる時間を物語っているかのようであった。そうだ、彼らは《ゴフェル》より未来を託され、そしてそれを実行するためだけに月面で黙々とモリビトの新型機を組んできた。その間、何が起ころうとも静観して。それはきっと、生半可な覚悟では決してない。

 

 それを自分は知らずとは言え踏みにじっていた。

 

 蜜柑は、でも、と声を滲ませる。

 

「……それでも、何も出来ないの?」

 

「……これは不確定情報なのであまり伝えたくはなかったのですが」

 

 スタッフが携行端末より呼び出したのは、数日前の月面戦闘であった。あの時、《モリビトシンス》が完成し、そしてこちらの陣営を助け出した。

 

 その時に《モリビトセプテムライン》が辿ったであろう、偽装ルートである。確かあの時点では月面にバベルがあったはずだ。

 

 しかし、バベルは本隊に奪われ、依然として苦しい戦いを強いられてきた。

 

 そういえば、と蜜柑は思い返す。

 

「本隊が破壊されたのなら、バベルも?」

 

「そこなんですが、この偽装ルートをご覧ください。恐らく、まだバベルは現存しています。この暗礁地帯のどこかに……」

 

 月面よりほど近いデブリ密集帯にバベルが存在すると言うのか。蜜柑は問い返していた。

 

「どこなのか、分かる?」

 

「正確には不明です。しかし、《イドラオルガノン》が出撃可能になれば、月面の《アサルトハシャ》の追っ手を振り切って、いち早くバベルに辿りつけます。それだけの性能ですよ。《モリビトイドラオルガノンアモー》は」

 

 ――《イドラオルガノンアモー》。新たなるモリビトの鼓動に、蜜柑は固唾を呑んでいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯345 前に進む勇気を

「蜜柑からの定期連絡は!」

 

 声を張ったニナイは《ゴフェル》甲板へと突き刺さった砲撃によろめいていた。クルーから返答が飛ぶ。

 

「依然としてシグナルは停止状態です! ですが、最後に通信があった地域から憶測するに《イドラオルガノン》はプラントへと赴けたのだと……」

 

「今は、信じるしかない、か……」

 

 桃の状態が不明なままの現状、蜜柑だけが頼れるモリビトの執行者であったが、それでもギリギリの均衡だ。

 

 先ほどから《ゴフェル》へと狙いを定められ、火線から逃れる事も出来ず、月面の《アサルトハシャ》部隊より集中砲火を浴びている。

 

 このままでは轟沈もそう遠い話ではない。

 

「ニナイ。現状の艦内では出せる戦力にも限りがあるわ。撤退戦を続けても旨味はないわよ」

 

 茉莉花の声に分かっていても、ここで縫い止められている現実に歯噛みしていた。

 

「……せめて、鉄菜の位置さえ分かれば……」

 

《モリビトシンス》の位置情報も不明なまま。今のままでは如何にプラントを目指したところで、完全なる勝利は難しい。

 

《ジーク》が宙域を駆け抜け、実体剣で《トガビトコア》と打ち合う。干渉波のスパーク光が散る中で《カエルムロンド》が援護の銃撃を張っていた。

 

 近づかせない方策ならばある、と断じただけはあって、二機とも連携は密である。その二機でも《ゴフェル》に近づかせないのが関の山。

 

 このままでは、消耗を続けるのみであった。

 

「茉莉花! どうにかして、月面に取り付けない?」

 

「無茶を言う……。今新しいコンソールを開いた! これで月面のシステム占有率は四十五パーセント! ようやく、情報戦では上回りかけている。でも……妙、なのよね……」

 

 彼女が疑問を挟むとは、ニナイも言葉にしていた。

 

「妙、と言うのは、バベルね?」

 

「ええ。バベルネットワークがあれば《ゴフェル》からの介入を全て拒めるはずなのよ。それなのに、吾にここまでの介入行動を許した。その時点で、バベルを保有する戦力らしくない。もっと言えば、本隊らしくない」

 

 自分達の知るブルブラッドキャリア本隊ならば、ここで情報的な優位でさえも許さないはず。それなのに、どうしてだか相手から戦意が凪いでいるような気さえもしてくる。

 

 それが気のせいではないのなら、今付け入るべきは――。

 

「……茉莉花。ちょっと無茶かもしれないけれど、中継機を飛ばすわ」

 

「中継機って……まさか予備の《クリオネルディバイダー》を? 誰が操縦するの」

 

 その問いかけにニナイは身を翻していた。全員の制止の声が飛ぶ。

 

「待ちなさい、艦長!」

 

「そうです! 艦長がここから離れてしまえば……!」

 

「逆転の目も出ないって? でも、待ち続けるだけは苦痛なのよ。それに、二人とも《トガビトコア》相手によくやってくれている。せめて、その手助けはしたいのよ」

 

「艦長の出て行ってまともな戦術が出来ると思っているの! 戻りなさい、ニナイ!」

 

 激しい声を浴びせる茉莉花にニナイは微笑んでいた。

 

「……後は頼むわ、茉莉花。私の出来る事をしたい。せめて、鉄菜が戻ってくるまでは……」

 

 茉莉花は苦渋を噛みしめ、一つの問いを重ねていた。

 

「……一つだけ。死ににいくんじゃ、ないわよね?」

 

 それはこのブリッジにいるクルー全員分の問いであったのだろう。ニナイはサムズアップを寄越していた。

 

「大丈夫。私は、死ぬつもりはないわ。あなた達と共に、未来を掴む。まだ、諦めてはいないもの」

 

「……その言葉が聞けて少しは安心した。でも、早く戻ってくるのね。艦長の椅子を奪っちゃうんだから」

 

 その強がりはせめてもの手向けであったのだろう。茉莉花の背中に何か言いかけて、ニナイはブリッジを後にしていた。

 

 激震する《ゴフェル》の廊下を進み、格納庫まで出た時、整備士からの抑止の声が飛ぶ。

 

「艦長! 出させるなんて!」

 

「《クリオネルディバイダー》が一機、あったわよね? 中継機として飛ぶ」

 

「許可出来るものか!」

 

 前を阻んだタキザワにニナイは言葉を搾っていた。

 

「……私に出来る事ならしたいのよ」

 

「出来る事と出来ない事がある! ……確かに現状、バベルの影響下が少ない。中継機を飛ばすのは有効だ。この盤面を覆せるからね。でも看過出来ない!」

 

 譲れない眼差しをしたタキザワに、ニナイは真正面から言い放っていた。

 

「……もう、待つだけは懲り懲りなの」

 

「……それでも、艦長が出てどうする?」

 

「局面をどうにか出来るのなら、艦長であろうと何者であろうと出るわ。それだけの事よ」

 

「今までは待てた。そうだろう?」

 

 その言葉振りにニナイは頭を振る。

 

「……もうラストチャンスなの。これで勝てなければ、私達は一生勝てない。何者に勝つんじゃない。この運命そのものに打ち克つのよ」

 

 それだけが造られた身分で出来る抵抗であろう。タキザワもそれを受け取ったのか、苦渋を噛みしめていた。

 

「……君は鉄菜や桃にはなれないんだぞ」

 

「分かっているわ。でも、戦いを上から見ているだけじゃ見えないものもある。鉄菜が帰ってくるまでだけでいい。中継機を飛ばさせて」

 

 こちらの覚悟が曲がらないのだと悟ったのか、タキザワは通していた。《クリオネルディバイダー》の二番機は既にキャノピーが開いており、操主を待ちわびている。

 

 乗り込んで真っ先にキャノピーを閉め、そして息をついていた。

 

 先ほどから鼓動は爆発しそうなほどになっている。操主として戦うのはほとんど初めてと言ってもいい。マニュアルには目を通しているものの、今の今まで前線には出た事がない。

 

 それでも、強がりを引っ込める気はなかった。何よりも、ここで退けば自分は一生後悔する。それが分かったからだ。

 

 いくつかのシークエンスをスキップさせ、ニナイは操縦桿を握り締める。操舵の方法は戦闘機のそれとさほど変わらないはずだ。

 

 もっとも、人機が繁栄して戦闘機の役目など哨戒機以上が与えられなくなって久しいが、それでも今の自分に人機操主をやれと言うよりかはマシなはず。

 

 ニナイは深呼吸を三つで整え、そして丹田に力を込めていた。

 

《クリオネルディバイダー》の扁平な機体がリニアボルテージへと移送され、そのまま電磁加速器へとかけられる。

 

 幾度となく送り出してきたカタパルトに固定され、ニナイは操主服に袖を通していた。

 

 バイザーを下げ、最終点検の後に声を発する。

 

「《クリオネルディバイダー》、ニナイ機! 中継任務を帯びて発進する!」

 

 胃の腑へとかかる重圧を帯びて《クリオネルディバイダー》が加速する。ニナイは操縦桿を必死に握り締め、茉莉花の誘導に従った。

 

『いい? 艦長。現時点での保有戦力で月面全体を俯瞰するのは難しい。でも、その一点さえどうにかしてくれれば吾の能力で月面を掌握する。そうすれば《アサルトハシャ》からの火線だけでも無効化出来る』

 

 茉莉花の声を受けている間にも《アサルトハシャ》からの銃撃が飛ぶ。ニナイは《クリオネルディバイダー》に急速制動をかけさせ、そのまま急上昇した。今にもブラックアウトしそうな意識の中でニナイは月面を駆け抜ける。

 

 茉莉花よりミニマップが送信された。そのマップの赤く塗られた地点は月面の衛星情報を一手に担う情報拠点だ。

 

『……もし、バベルネットワークが存在していても、今は意味を成さないのなら、ここを撃てば《アサルトハシャ》同士のリンクを解ける。そうすれば、今は不明シグナルの桃・リップバーンの位置を探れるかもしれない』

 

 そうだ。今は桃の無事を確かめるためにも、このミッションだけはこなさなければならない。

 

 ニナイはフットペダルを踏み込み、《クリオネルディバイダー》に加速をかけさせる。推進剤が焚かれ、《アサルトハシャ》の支配する空域を突っ切ろうとした。

 

《アサルトハシャ》の一機が取り付き、コマンドナイフを振り翳す。

 

「そんなもの!」

 

《クリオネルディバイダー》の携行火器が発動し、火を噴いた。バルカン砲が《アサルトハシャ》の頭部コックピットを砕き、そのまま機体が振り切られる。

 

 今、一つの命を摘んだ――その重みにニナイは押し潰されそうになってしまう。

 

 それでも、この重みと苦さを今までモリビトの執行者達は抱えて生きてきたのだ。ならば、自分だって、と腹腔に力を入れていた。

 

《アサルトハシャ》の銃撃に臆しそうになりながらも、それでも加速をやめず、占有地に向けて突き進む。

 

《クリオネルディバイダー》の一部が破損し、注意色のアラートが響き渡る。それでも、としゃにむに加速させ、《アサルトハシャ》の攻撃網を抜けんとニナイは叫んでいた。

 

「届けぇーッ!」

 

《アサルトハシャ》が《クリオネルディバイダー》の機首を砕き、コックピット周辺が警戒色に赤く塗りたくられる。爆発の光が網膜に焼き付き、減殺フィルターでも殺し切れない光の渦に、ニナイは今まで感じた事のない恐怖が覆い尽くす。

 

 それでも進む。進まないと言う選択肢はない。

 

「……そうでしょう。彩芽……。鉄菜……」

 

 占有地までの距離が迫る。アンテナが視界に入り、重火器へとアクセスしようとして、そのアクセスキーが無効化されている事に気づいた。

 

 相手の中継地点に位置しているのは電子妨害の機能を持つ中型の《アサルトハシャ》である。今の今まで光学迷彩の外套を纏い身を隠していたのだ。

 

 その機体がこちらへと長距離砲で照準する。ロックオンの警告が響く中でニナイは負けじと手動で火器系統へとアクセスしていた。

 

 手動火器によるマニュアル照準では、所詮操主としての訓練を受けていない自分では命中するかどうかは五分五分以下だ。

 

 それでも、ここで撃たなければ何の意義がある? 何のためにここまで来た?

 

「……私は、撃つ!」

 

 操縦桿に装備された火器管制のトリガーを引こうとして、相手からの銃撃が《クリオネルディバイダー》の下部を射抜く。瞬く間に火炎に彩られた機体が警戒色に染まっていく中で、ニナイは咆哮していた。

 

「当たれーッ!」

 

 重火器から実体弾が弾き出され、その弾丸が電波妨害の《アサルトハシャ》の追加武装を打ち抜いていた。

 

 敵機がよろめいた瞬間、《クリオネルディバイダー》が占有地へと雪崩れ込むように到達する。

 

 刹那、爆撃装置の信管を抜いていた。

 

 予め登録されていた《クリオネルディバイダー》の爆撃装備へと電源が宿り、占有地を爆破する。

 

 月面より砂礫が舞い上がり、眼前の景色を染め上げていた。泥のように滑る砂塵が《クリオネルディバイダー》の機首に降り注ぐ。

 

 ニナイは緊急用のエアバックにヘルメットをぶつける形で一瞬だけ気を失っていた。

 

 持ち直した意識で、ニナイは占有地を確認する。

 

 爆撃された地点からは黒煙が上がっていた。

 

 ノイズ塗れの通信にニナイは吹き込む。

 

「……作戦成功。これで……」

 

『ええ、ニナイ。これで、吾の情報網を用いれば!』

 

 茉莉花の言葉と共に月面に水を打ったかのような静寂が降り立つ。

 

《アサルトハシャ》部隊が惑い、銃火器を彷徨わせていた。

 

 バベルネットワークに頼っていた照準火器や信号が全て無効化されたのだ。この状態では友軍機同士でも同士討ちがあり得る。

 

《アサルトハシャ》からの火線が消え、《トガビトコア》と打ち合う《ジーク》から声が迸る。

 

『お膳立ては整った、か! 行くぜ!』

 

《トガビトコア》が後退し様に、その掌に黒き光芒を溜めた、その時であった。

 

 新たなる火線が《ゴフェル》を激震する。

 

「後部から?」

 

 思わぬ方向からの砲撃に《ゴフェル》が傾ぎ、そのまま月面へと黒煙を上げながらゆっくりと降下していく。

 

 ニナイは《クリオネルディバイダー》を稼働させようとしたが、やはりと言うべきか、ほとんど撃墜に近い状態の機体はすぐには動いてくれない。

 

 コンソールを殴りつけ、ニナイは声にしていた。

 

「一体、何者が……」

 

『――告げる。月面のブルブラッドキャリアへと。我が名は大天使ミカエル。貴様らを討ちに来た、最後の使徒である』

 

 思わぬ宣告とその言葉の主にニナイは息を呑んでいた。

 

「アムニス……? まさか、こんなタイミングでだって言うの?」

 

 自分が艦を離れている間にまさかアムニスと会敵するなど。ニナイは何度も《クリオネルディバイダー》を起動させようとして、赤い警告のポップアップが浮かび上がるのみであった。

 

 ――何も出来ない。

 

 その現実にただ歯噛みしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯346 月面血戦

「驚いたな。月面はブルブラッドキャリアのバベルが占有していると思っていたが……」

 

 渡良瀬が濁したのは、現在の月面の状態が《ゴフェル》一隻に移譲されつつある不安定な盤面にあるという現実であった。まさか、本隊が下手を打ったか。あるいは、何かしらの要因が重なり、月面が手薄になったのか。

 

「いずれにせよ、わたし達の優位に物事は進んでいる。今ならば取れるぞ」

 

 愛機の状態を呼び起こす。後部に円筒状の追加武装を二基装備し、本体はまるで蛹のように丸まっている自身の機体――最強の人機、《イクシオンオメガ》。

 

 破格のスケールはかつてのキリビトタイプに相当する。その威容に《アサルトハシャ》部隊がたじろいでいるようであった。

 

 しかし、と疑問符を挟む。

 

「……本隊の《アサルトハシャ》部隊は玉砕も辞さない連中のはず。大人し過ぎるな……」

 

『いいではありませんか、渡良瀬。これより、《イクシオンアルファ》で殲滅にかかります!』

 

 シェムハザの《イクシオンアルファ》が先行し、その後に棍棒を携えた《イクシオンガンマ》が続いた。

 

『……ねぇ、渡良瀬、痛いのぉ……ッ。こんなの、こんなの……』

 

「アルマロス。敵を倒せば鎮痛剤を与えよう。今は一機でも墜とてくれ」

 

 非情なる命令に女天使は応じる。

 

『……痛くなくなるのなら。あんた達なんて、消えちゃえ!』

 

 月面に降下した《イクシオンガンマ》が棍棒を振り翳し、一機、また一機と《アサルトハシャ》を叩き潰していく。

 

 それにしても、と渡良瀬は戦局を鑑みていた。

 

 アンヘル宇宙駐在軍とグリフィスの残存兵はエホバ討伐へと向かった。自分達はその勢いからすり抜け、月面まで至ったのであるが、敵はこの程度か、と落胆を隠せない。

 

「《ゴフェル》は墜ちた。これで――」

 

 勝利だ、と紡ごうとした渡良瀬へと接近する熱源が加速して遮っていた。

 

 即座に中心に位置する本体から高出力プレッシャーソードを発振させる。巨大なアームに支持された形のプレッシャーソード発振器はこの時、一体の不明人機と打ち合っていた。

 

 干渉波のスパーク越しに声が弾ける。

 

『……てめぇ、ここで《ゴフェル》を、やらせるかよーッ!』

 

「その声紋、アイザワとか言う士官か。アンヘルを裏切った!」

 

『裏切ったんじゃねぇ、おれの意思で! こっちに付くって決めたんだよ!』

 

 目にしたのは銀色の機体である。一見してスロウストウジャベースでありながら改修が施された人機であるのが窺えた。

 

 機体参照コード、《ジーク》という名称に渡良瀬は舌打ちする。

 

「付け焼刃で!」

 

 払った大口径のアサルトライフルの銃撃を敵機は瞬間的な加速で上回っていた。《イクシオンオメガ》の背部へと即座に回り込む。

 

「大きな機体は死角が多い! その通りだと、判断するのはさすがは歴戦の猛者か! しかし! この究極の人機は!」

 

 背部センサーと予め装備されていた重火器が起動し、《ジーク》へと砲撃を浴びせた。

 

 しかし相手も高機動である馬力を利用し、そのほとんど至近に近い砲撃を回避して見せる。

 

「だとしても! 行け、Rブリューナク!」

 

 二基の円筒型バックパックが開放され、放たれたのは無数のRブリューナクであった。親機である巨大な受信機を中心にして暴風のような小型Rブリューナクが疾走する。

 

 その幾何学の軌道は自身でさえも読めない。無論、敵機に読める代物ではないはずであった。

 

 Rブリューナクの暴風に抱かれ、《ジーク》が翻弄される。

 

 その光景に渡良瀬は哄笑を上げていた。

 

「所詮は跳ね回るしか出来ない羽虫の児戯! この大天使に敵うものか!」

 

 Rブリューナクに包囲され、さしもの改修機でも限界が近いはずだ。渡良瀬は轟沈したはずの《ゴフェル》へと視線を走らせる。

 

 やはりと言うべきか、機関部への致命的な一撃は逃していた。もう少し接近してから砲撃すべきであったか、と悔恨が滲んだのも束の間、直後には砲門を《ゴフェル》へと向けていた。

 

「禍根は摘むに限る。早期に!」

 

 照準しかけて阻んだのはバックパックを備えた青いロンド系列の機体であった。ミサイルが軌道を描き、《イクシオンオメガ》へと突き刺さる。その煩わしさに渡良瀬は舌打ちを滲ませていた。

 

「羽虫が! 墜ちろォッ!」

 

 本体がアサルトライフルを握り締め、ロンド系列の機体へと銃撃で追いすがる。それでも敵機はなかなか捉えられない。

 

「モリビトでもないはずなのに……。邪魔くさいんだよ! 今さらロンドなんて! 前時代の遺物が、この大天使の道を阻んでいるんじゃないぞ!」

 

 Rブリューナクの親機の照準をそちらに向けようとした、その一瞬であった。

 

《ジーク》がRブリューナクの暴風圏を抜け、親機へと肉薄する。それを制する火線を張る前に、親機の信号が実体剣によって絶たれていた。

 

「まさか……。人間風情が!」

 

『人間だから強いんだろうが! 分からせてやるよ! おれと《ジーク》が! 零式抜刀術、七の陣! 破線の一閃!』

 

 親機を貫いた加速度のまま、《ジーク》がRブリューナクの嵐を突破し、そのまま円弧の軌道を描いて《イクシオンオメガ》へと向かおうとする。その進路を、背部バックパックより射出した誘導ミサイルが阻んでいた。ミサイルの信管から無数の散弾が発射され、《ジーク》の勢いを殺す。そのままRブリューナクが突き上げ、機体を引き裂かんとした瞬間、《ジーク》が二次加速に入る。

 

 稲光さえ纏いつかせた《ジーク》の速度に渡良瀬は瞠目する。

 

「……こいつ! まさかライジングファントムを会得していると言うのか!」

 

『人間だから、おれはお前らに、勝つ! それがおれと、瑞葉の掴み取った未来なんだ!』

 

「下等種族が何を! Rブリューナク! 包囲して突き破ってしまえ!」

 

 Rブリューナクの砲台から火線が縦横無尽に放たれていく。《ジーク》は回避行動を取るが、砲撃の籠に抱かれた形だ。このままならば消耗戦は可能であろう。

 

 問題なのは、と渡良瀬は白亜の人機が《イクシオンアルファ》を振り切ったのを視野に入れていた。

 

《イクシオンアルファ》と敵機――《トガビトコア》がぶつかり合う。その戦地からの声に渡良瀬は息を呑んでいた。

 

『この人機……! 我々は敵対する気はないと!』

 

『黙れ。私は最強の血続だ。それを阻むもの、全てが敵だ!』

 

「錯乱しているのか……。いずれにせよ、あの人機、敵に回れば厄介。シェムハザ。こちらで説得を試みたい。その人機と繋いでくれ。中継機を――」

 

 そこまで口にした瞬間、《ジーク》が重火器の暴風から逃れ出る。まさか、と渡良瀬は《イクシオンオメガ》本体に握らせていたアサルトライフルを弾かせていた。

 

「……Rブリューナクの包囲陣から自力で逃げ切れるだと!」

 

『悪いな。生半可な鍛え方は、してないものでね!』

 

《ジーク》が実体剣を掲げ、《イクシオンオメガ》へと肉薄する。舌打ち混じりに渡良瀬は《イクシオンオメガ》の保有する防御機構を発動させていた。

 

「Rフィールド、展開!」

 

 リバウンドの力場が形成され、実体剣を弾き返す。しかし、これは諸刃の剣だ。エネルギー効率が非常に悪い《イクシオンオメガ》には推奨されていないシステムである。

 

 ゆえに、持ってはいてもこの機体だけはエクステンドチャージも引き出せない。最大の火薬庫である《イクシオンオメガ》は要塞じみた火力の代わりに機動力と瞬時の切り札は捨て去った形となっている。

 

 それを突かれれば如何に最強の人機とは言え、応戦は難しくなるであろう。

 

 渡良瀬は《ジーク》を睨み据える。この宙域で、大天使に逆らう愚か者。人類という種そのものの汚点が立ちはだかる。

 

「……だが、わたしは大天使だ。殺し尽くしてくれよう。Rブリューナク!」

 

『その手は、もう見切ったァッ!』

 

 親機が中継する幾何学のRブリューナクの軌道を相手人機は予見し、推進剤を焚いて突っ切る。

 

 まさか、無傷で包囲網を突破されるとは予想だにせず、渡良瀬は絶句していた。

 

「まさか……それほどまでの使い手だと!」

 

『……騙されるんじゃねぇぜ、この世の悪意って奴。おれは! 零式を引き継いだんだからな!』

 

《ジーク》が至近距離に入る。渡良瀬は応戦のプレッシャーソードを咲かせようとして、その行動を割って入った《カエルムロンド》に阻止されていた。

 

 銃火器で弾幕を張る相手に、《イクシオンオメガ》はあまりに緩慢。渡良瀬は追い込まれていく我が身に怨嗟の言葉を放っていた。

 

「……ふざけるなよ、貴様ら。わたしは、全てを捨てた。全てを殺し、そしてこの世の天に立つべく放たれた大天使。それがこんなところで、やられるわけがないだろうが!」

 

 接近した《ジーク》の一閃が装甲に叩き込まれた瞬間、弾き返される。相手がよろめいたその隙を、黄金に染まった《イクシオンオメガ》は睥睨していた。

 

『野郎、エクステンドチャージを……』

 

「衆愚が! 天使の鉄槌を知れ!」

 

 エクステンドチャージで出力を増したプレッシャーソードを薙ぎ払う。それだけで干渉波のスパークが散り、《ジーク》と《カエルムロンド》を遠ざけていた。

 

 だが、この状態で使用するのは考慮に入れていない。渡良瀬は奥歯を噛みしめ《ジーク》へと標的を絞っていた。

 

「……ふざけるなよ。天使を前に、人が驕るんじゃないぞ!」

 

 引き出された砲門が狙いをつけたのはエクステンドチャージの余剰衝撃波で吹き飛ばされた《ジーク》であった。

 

 機体が痺れたように動きを鈍らせている。好機であった。

 

「ここで潰えろ!」

 

 砲門にエネルギーが充填されていく。凝縮されたリバウンドエネルギーがオレンジ色に逆巻き、直後、《ジーク》は完全に貫かれたように思われていた。

 

 ――その瞬間に咲いた別方向の火線がなければ。

 

 長距離射撃の光条が《イクシオンオメガ》を激震し、その照準が僅かにぶれる。

 

《ジーク》を射抜く軌跡を描いていた砲撃は遥か向こうの暗礁地帯へと突き刺さっていた。

 

 デブリが爆散し、誘爆の炎が宇宙の常闇を照らし出す。

 

「……何者!」

 

 声にした渡良瀬は接近する熱源を関知していた。その識別信号は連邦のものである。

 

「《ナナツーゼクウ》? 今さら何が出来ると言う!」

 

 長距離狙撃用のプレッシャーライフルを構えた《ナナツーゼクウ》に《イクシオンオメガ》は支持アームに固定された大型プレッシャーソードを払う。

 

 敵機体が上方に逃れ、さらに追撃の火線が舞った。

 

 エクステンドチャージ状態の《イクシオンオメガ》にとって、弱点となるのは関節部である。

 

 本体のみがエクステンドチャージの恩恵を得られるため、武装コンテナや関節部、そして追加装甲版はこの時、まさしく晒された短所と言えた。

 

《ナナツーゼクウ》が的確な狙撃で《イクシオンオメガ》を制止させようとする。その動き一つ一つに渡良瀬は苛立ちを隠せなかった。

 

「こんなところで、邪魔立てを!」

 

 サブ武装へとアクセスし、中距離連装ガトリング砲が火を噴く。《ナナツーゼクウ》は陸戦機とは思えぬ機動力で火線を避け、推進剤を焚いて《イクシオンオメガ》の機体を蹴りつける。そのまま一閃を払い、離脱したその姿に渡良瀬は拳を骨が浮くほど握り締めていた。

 

「……今ので、墜とせていたって言いたいのか! 貴様は!」

 

『……通告する。これ以上の戦火を広げる事はない。ブルブラッドキャリアへの戦闘介入よりも、今はエホバ陣営の抑止に回るべし』

 

 弾けた相手操主の声に渡良瀬は手を払う。

 

「馬鹿な! ブルブラッドキャリア殲滅が第一条件である!」

 

『それは宇宙駐在軍の考えだな。わたしはアンヘル上層部と、そして現状の戦力を鑑みて言っているのだ。ここで貴重な人機を失うわけにはいかん』

 

「それが驕りだと、言っている! Rブリューナク!」

 

 機動したRブリューナクが包囲陣を敷き、《ナナツーゼクウ》を追い込もうとする。しかし、敵機はまるで型落ちであるなど思わせぬ機動力で回避機動を取った。

 

 宙域を駆け抜ける機体は伝説の謳い文句をそのままに、紫色の機体を映えさせる。

 

 ブレードアンテナを煌めかせた《ナナツーゼクウ》がプレッシャーライフルを一射した。《イクシオンオメガ》の装甲へと突き刺さり、外部装甲が剥離する。

 

『渡良瀬! 援護を!』

 

「邪魔をするな! わたしが……この大天使が、たった三機の通常人機に追い込まれるだと……? そんな事実、あってはならない。現実にして堪るものか! 武装コンテナをパージする!」

 

 二基の円筒型武装コンテナが分離し、《イクシオンオメガ》の本体から離れていく。

 

 その異様なる光景に、相手も狼狽したようだ。

 

『武器を自ら手離すだと?』

 

「貴様らを撃墜するのに、こんな事までする必要はないと思っていたが、認識が甘かったようだ。これより、《イクシオンオメガ》を殲滅形態へと、移行する!」

 

 円筒型武装コンテナに一つ目のアイセンサーが顕現する。そのカメラの捉えた映像が渡良瀬の脳内へと直接叩き込まれていた。

 

 調停者としての脳内ネットワーク技術を最大に利用した、遠隔操作型武装――。

 

「《イクシオンオメガ》、エクスターミネートモード! この状態ではエクステンドチャージは!」

 

 黄金が染み渡り、二基の武装コンテナに宿る。その加速度を敵機は予見する前に実感していた。

 

 振るわれるのはまさしく黄金の鉄槌。

 

 それそのものが遠隔武装と化した武装コンテナが三機の人機を翻弄する。速度はエクステンドチャージを施された人機そのものでありながら、武装コンテナとしての役割を正確に実行する。

 

『接近すれば……!』

 

『よせ! それほど甘くはないぞ!』

 

 弾けた声に《ジーク》の操主は困惑していた。

 

『少佐……? どうしてこの戦場に?』

 

『話は後だ、アイザワ少尉。この敵はまずい。わたしとしてはこれも戦力の一つとして、アンヘル残存隊に加わるように説得するつもりであったのだが……。ここまでなれば、最早止むなしとする』

 

「喋るなぁッ! 煩わしいィッ!」

 

 調停者であるシステムを実行しているせいか、宙域の通信を拾い上げてしまう。武装コンテナより新たなRブリューナクの親機が放出され、再び自律兵装の包囲陣が敵へと屹立する。

 

《ジーク》の操主は舌打ちを滲ませていた。

 

『こんなの……どうやって勝てって……』

 

「そうさ、勝てはしない! 勝者はこの大天使、ミカエルだ!」

 

 勝利者の愉悦が満たしたその時――砲撃が武装コンテナのうち一基を貫いていた。

 

 その熱源と機体照合に渡良瀬はハッと息を呑む。

 

「まさか……」

 

 高出力R兵装の光条がエクステンドチャージの途上にある装甲を打ち据える。応戦の火花を咲かせる前に、敵機は躍り上がり、その刃を軋らせていた。

 

 振るい上げた実体剣の放つ殺気に渡良瀬は忌々しげに声にする。

 

「追いついてきたか……! 《モリビトシンス》!」

 

 怨嗟の声音に敵人機――《モリビトシンス》は三つ目のアイサイトを煌めかせていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯347 反撃開始

 声の響き渡る戦場で、《ゴフェル》ブリッジは判断を迫られていた。

 

「機関部直撃は免れたものの、航行維持は不可能です! 月面に不時着するしか!」

 

 だが、それは苦渋の決断であるはずだ。月面に縫い止められれば《アサルトハシャ》だけではない。追いすがるアムニスからも逃げおおせる事は出来ないだろう。

 

 茉莉花は歯噛みし、対空砲撃を叫んでいた。

 

「接近させれば容易に読み負けるわ! ここは敵人機に近づかせないで!」

 

「高熱源探知! 敵機は……《イクシオンアルファ》!」

 

 こんな時に、と茉莉花は応戦の手段をひねり出そうとする。

 

 コンソールに表示されたキーを叩き、《ゴフェル》の現時点での対応策を練り上げる前に、敵人機がRランチャーを構えていた。

 

「長距離砲撃、来ます! 《ゴフェル》機関部を照準! 逃げられません!」

 

「万事休すか……!」

 

 覚えず、そう呟く。ここまで来て、応戦の手はないのか。逆転の目はないのか。

 

 ニナイが身体を張って占有地のアクセスポイントを破壊してくれたのに、月面を掌握してもアムニスからの襲撃までは予見出来なかった。

 

 これは単純な読み負けか。それとも、ここまでの運命だと言うのか。

 

 ――否、断じて否のはずである。

 

「こんなところで終わるんなら、みんなとっくにさじを投げているわよ……。対空砲撃を止めないで! 少しでも敵の照準を逸らす!」

 

「しかし! 敵は精密狙撃モードに入っています! 人機を撃墜するのには……!」

 

「それでも、よ。《イクシオンアルファ》撃墜が絶望的でも、先を促すの! そうでなければ、みんな、何のために……」

 

 拳を握り締め、これまでの足掻きを反芻する。何のために、桃は単騎で《トガビトコア》と戦い、ニナイは《クリオネルディバイダー》で出たと言うのか。

 

 全ては希望を繋ぐためだ。

 

 それなのに、絶望してどうする。こんな時に、諦めだけ潔くって、どうする。

 

「諦めない。諦めて――堪るかァッ!」

 

 その声と共に敵機の砲撃が見舞われる。オレンジ色の光軸が《ゴフェル》へと真っ直ぐに放たれていた。

 

 跳ね返すだけの武装もなければ、人機もない。何もかも、希望は潰えていた。

 

 だからなのだろうか。

 

 ――その瞬間、月面の地下層より高速出撃した一機の人機を、誰も関知出来なかったのは。

 

 それは《イクシオンアルファ》の砲撃を弾き返し、そして物理エネルギーを霧散させた。

 

 思わぬ伏兵に敵操主から通信が飛ぶ。

 

『……その人機、何者だ』

 

 茉莉花も拡大スクリーンにその人機を映し出していた。

 

 前面に張り出した菱形の笠のような防御機構。そして、その下で輝くオレンジ色の眼光。

 

 アイサイトセンサーがその人機の名称を告げていた。笠の防御機構を引き剥がし、その人機は《イクシオンアルファ》へと突撃する。

 

 思わぬ加速度に敵機もうろたえたのか、反応が一拍遅れていた。その一瞬の隙を逃さず、振るわれたのは緑色のリバウンド刃である。

 

 斧の形状に保たれたリバウンド刃を回転させ、その人機は笠の機構をまるで羽根のように後部に変形させていた。

 

「……モリビト」

 

 茉莉花は照合された機体名称に言葉を継ぐ。

 

「モリビト――《イドラオルガノン》」

 

 新たな装甲を得た《イドラオルガノン》がリバウンドトマホークを回転軸で払い、《イクシオンアルファ》のプレッシャーソードとぶつかり合う。

 

『貴様は……!』

 

『――守る。守るために、この力を手に入れた。ミィと、《モリビトイドラオルガノンアモー》は!』

 

《イドラオルガノンアモー》と呼称された人機が《イクシオンアルファ》と激しく打ち合い、相手を後退させる。

 

 直後に通信が回復していた。

 

「……艦長のお陰で、通信状態が。ニナイ、無事か!」

 

『何とか、ね……。あれは、蜜柑……なの?』

 

「そのようだな。新たなるモリビトを得たようだ。あれが、新しい力の一端……」

 

 感じ入ったように目にする茉莉花は、高機動の翼を広げた《イドラオルガノンアモー》の戦いぶりに言葉を失っていた。

 

 近接戦を挑み、そして中距離でも銃火器で応戦するその機体は、まるで……。

 

「まるで全盛期の《イドラオルガノン》だ……」

 

 クルーの発した声に茉莉花は放心する。

 

「ああ……。ミキタカ姉妹がまるで、両方乗っているかのような……」

 

『それも当然ですよ。こっちは二人併せてのオペレーションを予定していたんですから』

 

 プラント設備から接続されたスタッフの声に、茉莉花は通信を確かめていた。

 

「新しいモリビトの建造、ご苦労だった。……だが、桃は……」

 

 苦渋を噛み締めた直後、スタッフは、ああ、それなら、と声を発する。

 

 スクリーンに映し出されたのは、脱出ポッドによって保護された桃であった。

 

 思わぬ光景にブリッジのクルー達は全員、言葉を失う。

 

「桃さんが……生きていた……」

 

『《ナインライヴス》に予め搭載されていた防衛機構のようです。桃さんが、ビートブレイクを使用する事態にまで追い込まれた時のみ、発動する脱出機構であったみたいで』

 

 それを、《ナインライヴス》建造より予見していた人物は一人しかいないであろう。茉莉花はその人物の名を紡いでいた。

 

「グランマ……。桃の担当官が……?」

 

 桃よりその人物像は意図的にぼかされていたがいい印象ではなかったはずだ。それなのに、《ナインライヴス》にもしもの事があった時まで考えられるのは彼女しかいない。

 

『……奇跡的でしたよ。月面で《アサルトハシャ》の動きが沈静化しなかったら、見つけ出せなかったでしょう』

 

 ある意味ではニナイの勇気ある行動もこの状況に貢献したという事なのだろう。茉莉花は言葉を振っていた。

 

「桃を、新たなモリビトに搭乗させて欲しい。出来るか?」

 

『……出来るかじゃなくって、やれ、でしょ。あんたらしくない』

 

 憎まれ口を叩くだけの余力はあるらしい。茉莉花は的確に告げる。

 

「《ゴフェル》はほとんど足を潰されたも同義。この地点からは動けない。蜜柑が《イクシオンアルファ》を抑えてくれているが、それも時間稼ぎだろう。新しいモリビトでスクランブル。頼むぞ」

 

『言われなくっても……。でも、まさかグランマが……』

 

 桃からしてみれば想定外の出来事なのかもしれない。それでも、自分達からしてみれば奇跡的な事態だ。

 

「感傷にふけっている場合ではない。敵はすぐそこまで迫っている」

 

『分かっているわ。新しい《ナインライヴス》で出る』

 

「それが聞けただけでもよかった。《ゴフェル》総員に告ぐ! ……反撃を開始するぞ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯348 人獣、蘇生

 自分の担当官は六年前、あの時を境にして、もう会った事はない。あの訣別の言葉を最後に、もう会う事もないのだと思っていた。

 

 それだけに《ナインライヴス》に仕込まれていたと言う脱出機構は意外であったし、それにビートブレイクの発動まで加味出来るのは組織の中でもグランマだけだ。

 

「……守ってくれたんだ。モモを……。ありがとう、グランマ」

 

 お陰であんな場所で死なずに済んだ。桃は応急処置もそこそこに新たなる人機の足元に辿り着く。

 

 組み上げられていたのは《ナインライヴス》の後継機であった。

 

 説明の声が飛ぶ。

 

「機体のスペックは《ナインライヴス》を参考に三段階ほどアップさせてあります。機動力、出力、共に安定域に到達させるのに苦労しましたよ」

 

「ありがとう。……名前は?」

 

 紡がれた名称に桃は苦笑する。

 

「そう。それがあなたの名前なのね。いいわ、行きましょう。モモ達の戦いを、終わらせるために」

 

 コックピットブロックへと、桃は浮遊し、そして新造された操主服のバイザーを下げていた。

 

『緊急指令! プラント設備をこれよりアクティブに移行します。外部発進用リニアボルテージを稼働。繰り返します。総員、プラント全体の重力変動に備え、月面上に出現させます。リニアボルテージを最大出力に設定』

 

 プラント設備そのものが今、雌伏の期間を経て月面上に現出しようとしている。

 

 桃は操主服の気密を確かめ、袖口に装着された外部メッセージ一件を確かめていた。

 

「メッセージ? こんな時に誰?」

 

 読み込ませると、パスコードと共に音声ガイドが起動する。

 

『桃。これを聞いている頃は、お前はもう何歳なのかは分からない。私は、長い間、お前を縛り付けてきた』

 

「……グランマ」

 

 思わぬ相手の肉声に桃は困惑する。思えばグランマは生命維持装置に縛り付けられており、こうして声を聴くのは長い時間の中で二度目でしかない。

 

 一度目は、六年前のブルブラッドキャリア殲滅戦。あの時、初めて反抗し、そして生き延びた。

 

 その後、グランマがどうなったのか、意図的であったのか、それとも別の要因か、聞かされてこなかった。

 

 ゆえに、自分が彼女の声を聞くのはもうあり得ないと思い込んでいた。

 

『だが、それももう終わりだ。この機体に乗り、そしてこの操主服を身につけたという事は、お前は私の因縁からは解放された。誇りに思っていい、桃。お前は立派な、私の執行者……いいや、血の繋がった孫だよ』

 

 ぷつり、とメッセージが途切れる。それでも、桃は頬を伝う涙を止められなかった。ああ、とその言葉を何度も感じ入る。

 

「……ありがとう、グランマ。最後まで見てくれて。これまでのモモの戦いも、否定しないでくれた。だったら、これからだって……」

 

『プラント設備、月面上に出ます。重力変動値を各々、注意してください』

 

 プラント設備が月面を割り、地下層よりせり出してくる。鋼鉄の銀盤の出現に困惑した様子の《アサルトハシャ》に、桃は高空甲板に支持された愛機を佇ませていた。

 

 両腕を組み、新たなるモリビトが産声を上げる。

 

 桃色の人機。《ナインライヴス》の遺伝子を受け継ぐシルエットの機体はスクランブル発進の赤い赤色光を受けながら、背部にマウントされた大型砲撃装備を手に取る。

 

 コンソール上に表示されたのは「Rハイメガランチャー」の文字。桃はアームレイカーに指を入れ、引き金を絞っていた。

 

「……新たなるモリビトの声を聞け。――《モリビトナインライヴスリレイズ》、桃・リップバーン。殲滅行動に移行する!」

 

 直後、放たれた灼熱の砲撃が月面上に位置する《アサルトハシャ》部隊を薙ぎ払っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれは、桃か」

 

 口にした鉄菜はRシェルソードを軋らせる。視界の中には大型人機がこちらへと敵意を向けている。宇宙に上がった直後に見たイクシオンフレームの発展機であろう。

 

「邪魔立てを……。《モリビトシンス》!」

 

 弾き返し、《モリビトシンス》がRシェルライフルを構え、《イクシオンオメガ》へと銃撃を浴びせかける。どうしてだか、この戦場にはあるはずのない機影が見え隠れしていた。

 

「《ナナツーゼクウ》……。リックベイ・サカグチの機体が、何故……」

 

 疑問を手繰っている間にも敵の猛攻は止まらない。振るわれる鈍器のような勢いを持つ武装コンテナに、鉄菜は殺気が籠ったのを感じ取る。

 

「させない!」

 

 放たれた光条が武装コンテナへと引火し、内部に収容された無数のRブリューナク共々、爆発の向こう側へと追いやる。

 

『……《モリビトシンス》! またも我々アムニスの邪魔をするか!』

 

「私は、こんなところで立ち止っている場合ではない! 《ゴフェル》を援護する。アイザワとか言う。食い止められるか?」

 

『任せとけ! って言いたいところだが……守りながらはちとキツイな』

 

「瑞葉を下がらせて、《ゴフェル》の守りを……」

 

『嫌だ! クロナ、私はここでアイザワと共にこいつを引き寄せる! 《ゴフェル》には、お前が言ったほうがいい』

 

 その言葉に甘えるわけではない。だが、言葉振りに宿った信念だけは本物であろう。

 

「……感謝する」

 

 今の《モリビトシンス》では足手纏いになりかねない。鉄菜は今しがた月面上に突如として出現した銀盤の基地を視界に入れていた。

 

「あれが……私達のプラント……」

 

 そしてあの場所に、新しいモリビトがある。急く心とは裏腹に、鉄菜はこの時、自分を狙い澄ます殺気を感じ取っていた。

 

 放たれた光条に敵機の機体識別を行う。

 

「……《イクシオンガンマ》」

 

『痛いのぉ……っ。あんたを殺せば、少しはマシに……。ああっ……渡良瀬ェッ!』

 

《イクシオンガンマ》が《アサルトハシャ》より奪い取ったプレッシャーライフルで狙い澄ます。鉄菜はフットペダルを踏み込み、《モリビトシンス》に加速度をかけさせた。既に先の戦闘で装甲は限界に来ている。《イクシオンガンマ》のようなパワー型の機体と打ち合えるだけの推進力は残っていない。

 

「ここは……振り切らせてもらう」

 

『させるわけ……ないでしょうに!』

 

 黄金の燐光に包まれ、《イクシオンガンマ》が跳ね上がった。接近警告と共に《イクシオンガンマ》が《モリビトシンス》へと縋り付く。

 

「……エクステンドチャージを……」

 

『ここで……墜ちろォっ!』

 

 迸った叫びに《モリビトシンス》を横ロールさせ、振り落とそうとする。それでも《イクシオンガンマ》は執念深く《モリビトシンス》の装甲に爪を立てた。

 

 リバウンドの加護を受けた爪が《モリビトシンス》の装甲版を削り取る。

 

「……諸共と言う覚悟か」

 

『鉄菜。ここで振り切らなければ要らぬ禍根を残すぞ』

 

 ゴロウの声に、分かっていても、と鉄菜は歯噛みする。最早、《モリビトシンス》に余計な戦闘をさせておくだけの力は残っていないのだ。

 

 エクステンドチャージを張れば、それだけで機体が空中分解するであろう。《モリビトシンス》と共にこのまま敵をプラントまで連れて行くわけにはいかない、と鉄菜はアームレイカーを大きく引いた。

 

 Rシェルソードで《イクシオンガンマ》の装甲を叩くが、敵機の振るい落とした棍棒の一撃に鉄菜は《モリビトシンス》ごとよろめいていた。

 

 集中も保つのには限界が来ている。如何に自分が人造血続とは言っても、スタミナまでは計算出来ない。

 

 宇宙に上がり、《イザナギ》との戦闘を経て、ここまでやってきただけでもかなり消耗しているのだ。これ以上の戦闘継続は難しいであろう。鉄菜は努めて冷静を保とうとするが、それでも流れていく状況だけは覆しようがない。

 

「……このままプラントまでの水先案内人をするわけにはいかない。ここで《イクシオンガンマ》を迎撃する」

 

『だが、鉄菜。もう《モリビトシンス》は限界だ。機体にガタが来ている』

 

「だからと言ってどうやってこいつを引き剥がす? 生半可な覚悟では、こいつをどうにか出来るわけが――」

 

『方法は一つだけある』

 

 ゴロウのその言葉に鉄菜は問い返していた。

 

「本当か?」

 

『装甲の一部を剥離させ、敵機と共に分離する。直後に爆破し、敵人機を強制離脱。さらに、こちらの加速にも一役買ってもらおう』

 

 ゴロウの練った作戦はこの事態では最善と言える。しかし、と鉄菜は渋っていた。

 

「……剥離するだけの装甲もない。余分な武装は《イザナギ》戦で消耗した。後がないんだ……」

 

 こんな状況では、と鉄菜は《モリビトシンス》を上昇させる。それでも、《イクシオンガンマ》は爪を立て、装甲版を砕いた。このまま消耗戦に持ち込んでも、相手は追いすがるだろう。どうすれば、と堂々巡りの思考に達した鉄菜へと、ゴロウが切り込んでいた。

 

『分離しても全く問題のない部位が存在する』

 

「そんなもの……」

 

 うろたえた鉄菜の眼前にもたらされたのは、《クリオネルディバイダー》の装甲分離プログラムであった。確かに《クリオネルディバイダー》は《モリビトシンス》の追加武装。ここで切り離しても何の障害もない。しかし、それは――。

 

「誰が、《クリオネルディバイダー》を分離させ、敵人機を引き剥がすまで管理するんだ。操主のいない戦闘機など、狙い撃ちにされるだけだぞ」

 

『そうだ。だから――我々が引き受けよう』

 

 直後、分離シークエンスが実行され、鉄菜は狼狽する。まさか、と息を呑んだ時、既に背部マウントされた《クリオネルディバイダー》は可変し、《モリビトシンス》よりいつでもパージ出来るように設定されていた。

 

「ゴロウ? お前が担うと言うのか……」

 

『それしかないだろう。《イクシオンガンマ》を引き受ける』

 

「馬鹿な……。人機には勝てない!」

 

『勝つのではない。一瞬だけでも気を逸らせればそれでいい。その隙に、君はプラント設備へといち早く入り、そして新たなるモリビトを手に入れろ。今の《モリビトシンス》よりかはマシなはずだ』

 

 それは、その通りだろう。ゴロウの意見に異論を挟む余地はない。それどころか、現状の最適解に思える。しかし、それを容認は出来ない。

 

 ここで認めてしまえば、六年前の別離の再現になってしまう。

 

「……拒否する。《クリオネルディバイダー》だけを相手にくれてやるような真似は容認出来ない」

 

『……それは建前だろう。鉄菜、君は以前のシステムAI、ジロウとの別れが繰り返されるのを嫌悪している。いや、純粋に拒んでいる、と言ったほうが正しいか』

 

「そこまで分かっているのなら……。何でそんな真似に出る」

 

 一拍の逡巡を挟んだ後に、ゴロウは応じていた。

 

『……何でなのだろうな。我々にも分からないんだ。今この瞬間、我々旧態然とした元老院の生存よりも、君と言う一個人の生存が優先されるべきだと、どうして思えるのか。……その結論は言うまでもないだろう』

 

 赴く先を予見して、鉄菜は顔を悲痛に歪めていた。

 

「……分かっていて行くのか? どうしてみんな、私より先に分かってしまう? どうしてみんな……分かった上で行くと言うんだ……。確かにあの場所はあたたかい。そう……あったかい場所だった。でもそれは! この世からさじを投げるのとは違うのだと! 私は言いたいんだ! そう……この胸の焦燥感は何だ……。どうして、もっと合理的になれない……」

 

 自分でも不明な感覚にゴロウは迷わず口にしていた。

 

『――それが心なのではないのか? 鉄菜・ノヴァリス』

 

 ハッと面を上げたその時、《クリオネルディバイダー》は分離していた。もう、届かない。そう思っても、鉄菜は振り返っていた。

 

「ゴロウ! お前は――!」

 

『さらばだ、鉄菜・ノヴァリス。また会えるのならば、違う形で……』

 

 その言葉の先を、《イクシオンガンマ》の暴力が叩き落していた。

 

 戦闘機形態へと可変した《クリオネルディバイダー》の機首を《イクシオンガンマ》が熱を滾らせた棍棒で打ちのめす。

 

 機首に組み込まれていた操縦系統はあれで破壊されてしまっただろう。もちろん、そのシステムAIである、ゴロウも……。

 

「ゴロウ……、お前には分かったのか? 心の赴く先が。その……答えが。なら……私は……」

 

『墜ちろォッ!』

 

 叫びが迸り、《モリビトシンス》へとかかりそうになったのを、鉄菜は振り切るように推進剤を全開にしていた。《クリオネルディバイダー》を外した分、一時的でありながら推力が増している。

 

 その背中を、ゴロウの声が押し出してくれているような気がした。もちろん、非科学的だ。彼は元老院ネットワーク。個性なんてあるはずがない。だと言うのに、この胸に刻みつけられた別れの記憶は、ジロウを失った時、そして彩芽を失った時と同じく――。

 

「……分かった。鉄菜・ノヴァリス。《モリビトシンス》! プラント設備へと突撃する!」

 

 きりもみながら、鉄菜は《モリビトシンス》と共にプラント基地へと押し入っていた。直後、発生したリバウンドの皮膜が《イクシオンガンマ》の追撃を妨げる。

 

 鉄菜は眼前に展開されたネットが《モリビトシンス》の機体を支えているのを目にしていた。

 

 整備スタッフが取り付き、《モリビトシンス》を即座に地下層に存在する点検基地へと納入する。

 

『……よく、帰ってくれました。《モリビトシンス》と……鉄菜さん』

 

 鉄菜はしばらく顔を上げられなかった。それを窺おうとしたスタッフを声で制する。

 

「頼むから……今だけは……。すまない、今だけは、私を……」

 

 ――人間として、一人で泣かせてくれ。

 

 その願いが焦土に染まる月面を貫いていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯349 人間未満の偶像

 剣劇が幾度となく交差され、《モリビトクォヴァディス》の率いるエホバ陣営と、アンヘル陣営が暗礁の常闇に光条を閃かせる。

 

 月面戦線へと赴こうとする相手を必死に抑止するこちら側はほとんど総崩れに等しい。

 

 防御陣さえも意味がないとでも言うように、アンヘルの《スロウストウジャ弐式》が組みついてくる。

 

 それをナナツー搭乗の操主が叫んで霧散させていた。

 

 振る上げたブレードが最新鋭の人機の血塊炉へと食い込み、そして青い血潮を噴き出して二機が沈黙する。

 

 その繰り返し。

 

 怨嗟のままに、人々が争う只中で、エホバ――ヒイラギは問い返していた。

 

「……本当に檻のない世界なんて、嘘だ。分かり切ったようで、人はこうも繰り返す。かくあるべしと、願っているのに……」

 

 その願いさえも踏みしだいて、現実は前に進む。今、月面戦線へと赴かぬのはアンヘルとしても連邦戦力としても下策なのだろう。

 

 如何にしても前に、という勢いの敵陣営には迷いなど既に振り切れていた。

 

 その陣営の中に十字の輝きを誇る黄金が、跳躍し、そして《クォヴァディス》に飛びかかっていた。

 

 フェイスカバーの外れた、剥き出しの夜叉の人機にヒイラギは問う。

 

「《ダグラーガ》! 檻のない世界の代表者よ。これが、君たちの答えか……」

 

『答えなど……拙僧は持ち合わせていない。ただ、彼らの行き場は月面にこそある。それを阻むもの、全てが敵と断じるまで!』

 

「分かり合えないだけだろう、僕らだって!」

 

『その恥の上塗りを! 我々だけで止められる領域は過ぎたのだ! 行くぞ、エホバ! この《モリビトダグラーガ》、命燃え尽きるまで戦おう!』

 

 錫杖を振るい上げた《ダグラーガ》の圧を、払い上げたのは《フェネクス》である。黄金の装飾が施された機体同士がぶつかり合い、そして互いの装甲を削った。

 

『何奴!』

 

『分かり合えぬとは、こういう……。クロナ、という者はまだまともであった。そこに志を見たからだ! だが、我々人類は、いつまで経っても、あの熟れた星の呪縛から、逃れられないと言うのか!』

 

 レジーナの咆哮と共に打ち下ろした剣筋を、《ダグラーガ》は錫杖で受け、そして切り返す。

 

『知れた事、既に決定した事だ! 我々は憎しみ合うだけが取り柄のけだもの! 星の罪を代弁したところで、その程度であった! 星を愛したところで、愛される保証なんてなかった!』

 

「だからさじを投げるって? それは分かりづらいな! 僕にはさぁ!」

 

《クォヴァディス》が攻勢に割って入ろうとしたのを高出力リバウンド兵装の砲撃が遮る。

 

 大元の艦隊より放たれた赤い巨兵にヒイラギは奥歯を噛み締めていた。

 

 それは最大の魔、それは災厄の純然たる憎しみ。

 

《キリビトイザナミ》が、眼窩をぎらつかせ、閃光の中に人々を葬る。そこに敵と味方の区別もなく、彼女は何もかもを破壊するために降臨するのみであった。

 

「……燐華……。僕は君を……」

 

『宙域の人機に通告ーッ! 《キリビトイザナミ》の射線から離れろォーッ! 高出力リバウンド兵装の巻き添えを食らいたいのかぁーッ!』

 

 その言葉を聞き入れず、一個中隊が前に出る。

 

 グリフィスより離反した 《ブラックロンド》隊であった。

 

 彼らはプレッシャーライフルを携え、ここに偶像たる《ダグラーガ》と《クォヴァディス》に攻撃を浴びせかける。

 

「見境なしに……!」

 

『見境? ……そんなもん、あんたらがさじを投げたんやろ! この世界なんて生きている価値なんてないって、あんたらみたいなのがおるから……!』

 

 一機の《ブラックロンド》が跳ね上がり、両刃の武装を跳ね上げる。それを受け止めた《クォヴァディス》は、舌打ちを滲ませていた。

 

「これも僕の生んだ魔か……」

 

『墜ちぃや! いい加減に偶像なんて!』

 

 払い上げられた攻撃に、ヒイラギは十字剣で打ち下ろし、さらに連撃を見舞おうとして、相手の攻撃網に遮られていた。

 

《ブラックロンド》は通常性能上では、トウジャタイプに比肩する。ロンドの名前は、ほとんどラベルだけのものだ。

 

 その一個中隊、ただでさえ厄介な相手にレジーナが《フェネクス》で斬り払う。

 

『エホバ! 時間をかけ過ぎると!』

 

「ああ。せっかく行かせたんだ。それならば、僕らには責任がある。ここで泥を被っても……責任が」

 

『墜ちろ!』

 

《ブラックロンド》が剣を振るい上げた刹那、ヒイラギはその名を紡ぎ出していた。

 

「ハイアルファー【アエシュマ・デーヴァ】……。僕に力を」

 

 瞬間、《クォヴァディス》の機影が消失する。

 

 どこへ、と首を巡らせた敵機の背後に回り込んだ《クォヴァディス》は十字剣の一閃を血塊炉に向けて薙ぎ払っていた。

 

 その攻撃を相手は受け止め、剣を掴む。

 

『……もらった』

 

 戦士としての第六感か。この時、ヒイラギに活路はなかった。

 

 相手のほうが戦い慣れている。ここで墜ちるも、それも止む無し。そうとまで諦めた瞬間、高熱源警告が耳朶を劈いていた。

 

 そのアラートに反応出来たヒイラギは再び、空間転移を用い、敵機から離れる。

 

 次の瞬間、高出力リバウンド力場が宙域を掻っ切っていた。

 

 その攻撃の瀑布に抱かれ、《ブラックロンド》隊が蒸発していく。

 

 この世にあった証明すら残さず、彼らは消え失せていった。

 

『こんな……! こんなところで終わるのが……グリフィスの……。彩芽……』

 

 最後に言い残した言葉は何であったのだろうか。

 

 いずれにせよ、友軍機すらも巻き込んだ形の災厄――《キリビトイザナミ》が眼光を滾らせてこちらを見据える。

 

 その眼差しには怨嗟と憎悪が見て取れた。

 

 この世界、そして宇宙を恨む、絶対の暗黒。

 

『《キリビトイザナミ》に敵味方識別は通用しない! 死にたくなければ射線に入るな! 撃墜されるぞ!』

 

 広域通信に人機編隊が《キリビトイザナミ》を通していく。まるで導かれるようにして、ヒイラギはその人機と対峙していた。

 

「……逃れられぬのなら。燐華。僕はせめて、一刀の下に!」

 

 跳ね上がった《クォヴァディス》に、不意打ち気味に放たれた自律兵装が進路を塞いだ。

 

「Rブリューナク!」

 

『モリビトは……敵ィッ!』

 

 放たれたのは幾億の殺意。膨れ上がった思惟そのものがRブリューナクの苗床となって速度を増し、瞬時に射線にいる人機を貫き、破砕していく。Rブリューナクの包囲陣に抱かれたエホバ陣営はすぐさま戦闘不能領域まで追い込まれていた。

 

『エホバ! これ以上の損耗は!』

 

 爆発の光輪が周囲に咲く中でヒイラギは大剣を《クォヴァディス》に構えさせる。討つべきは、その怨嗟、憎悪の果てだ。

 

「行くぞ、《クォヴァディス》……。正しい事を成すために、この身は……」

 

 推進剤を焚いてRブリューナクの暴風圏より突破口を見出す。敵陣に踏み込んだ時点で既に下策だ。それでも、前に進む事を止めなかった。

 

 一基のRブリューナクが突き刺さり、《クォヴァディス》の脚部を粉砕する。それでも、不要になったパーツをパージし、分離した速度でさらに加速を増した。

 

「ファントム!」

 

 空間を飛び越えた重加速に機体が軋みを上げる。悲鳴混じりの《クォヴァディス》を支えるのは稼働し続けているハイアルファー【アエシュマ・デーヴァ】の加護か。それとも、最後の最後まで、焼け落ちるその時まで苦しめとの命か。

 

 いずれにせよ、この時、ヒイラギは特攻の構えであった。

 

 無論、それを看過するほど携えた信念は容易くないのだろう。レジーナが通信に声を張り上げる。

 

『エホバ! 約束と違う! 最後の最後には、アンヘル艦隊を巻き添えにするのは、全員の総意で……』

 

「すまない……。僕は君達をそこまでさせられるほどの、人でなしではなかった。……いや、人でなしには違いないか。こうして君らから、戦う以外の選択肢を奪い、こうして宇宙まで上げた。それでも、宇宙はこうも茫漠と……僕らを押し包むのだな。そこに区別なんて存在せず……」

 

『自決するのならば全員で!』

 

「駄目だ。ハイアルファー【アエシュマ・デーヴァ】を起動させる。この宙域より!」

 

 コックピット内部が赤く染まる。その視線の赴く先は連邦艦隊で手ぐすねを引く、自らの似姿へと向けられていた。

 

 ――白波瀬。君も巻き込んだ。やってはいけない事をやったんだ。

 

 脳内ネットワークにそう結び、ヒイラギは宙域を位相空間へと跳躍させる。

 

 既に半数の人機がこちらの指定座標に吸い込まれていた。《フェネクス》の機体が煽られるように飛び、その手を虚しく伸ばす。

 

『エホバ!』

 

《ダグラーガ》の機体が退き、そして静かなる面持ちでこちらを睨んでいた。

 

『……貴殿が断じた運命は、それでいいのか』

 

 彼には分かるのかもしれない。自分の課した運命の枷が。何をしようとしているのかを。

 

「……それでも、たった一人の憎まれ役が必要だって言うんなら、僕は喜んで、その責を負う……」

 

《クォヴァディス》が大剣を掲げる。宙域に亀裂が走り、宇宙が別の領域へと転送されつつあった。

 

 連邦艦隊のうち、《キリビトイザナミ》の整備に回っていた先行艦が引き込まれていく。

 

 それを必死に留めようと、あらゆる人機、あらゆる叡智が結集されたであろう。

 

 しかし、ここでは禁忌が一つ先を上回った。

 

《フェネクス》が次元の向こうへと消えていく。《クォヴァディス》はそのまま剣を打ち下ろしていた。

 

「……ごめんね。燐華。君をこんなにも、苦しい戦いに、巻き込んでしまった……。だから、これは贖罪だ。僕なりの、百五十年の……清算なんだ」

 

 その切っ先が《キリビトイザナミ》の頭部コックピットへと突き刺さりかけて、横合いから割って入った人機がその刃を身に受けていた。

 

『……ヒイラギは……やらせ、ねぇ……』

 

 スロウストウジャの改修機の血塊炉を打ち砕き、《クォヴァディス》が前に出ようとする。その通信域に、燐華の声が響き渡った。

 

『ヘイル……中尉……、いや……』

 

 直後、劈いたのは叫びだ。燐華の悲痛な叫びが宇宙を震撼させる。別次元へと移りかけていた機体をも引き裂く無情なる殺気が四方八方より注がれ、その殺意に呼応したRブリューナクはこの時、正確無比に――《クォヴァディス》を射抜いていた。

 

 破壊の感傷に抱かれ、ヒイラギは声にする。

 

 肩口に深々と突き刺さったガラス片が、今は異様に遊離して思える。

 

 そこから噴き出す、赤い血潮も。まるで自分のものではないような……。

 

 ははっ、と直後に乾いた笑いを発していた。自分でも可笑しい。

 

「……何だ、まだ僕は人間未満じゃないか」

 

 それなのに、神を気取っていた。その道化に笑えてしまう。だが、現実はそれを許可しないとでも言うように、降り注いでいた。

 

 Rブリューナク――殺意の雨が《クォヴァディス》の装甲を融かし、その熱線の先にヒイラギを連れて行く。

 

 ああ、と瞼を開いた時、ヒイラギの意識は赤く煙る宇宙を幻視していた。

 

 どこかの宇宙、いずれかの概念の地平。それを目にして、ヒイラギはまたも笑う。

 

「だってこんなにもちっぽけで、そして……」

 

 弱々しい。その言葉は灼熱の憤怒の果てへと消し飛ばされていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯350 盤面は揺らぐ

「現宙域より、無数の機体がシグナルロスト……、いえ……これは、跳躍しました! エホバの持つモリビトが、この宙域の人機を……ワープさせた……」

 

 絶句する司令艦隊のクルーに、ブリッジに佇む宇宙駐在軍の司令は苛立ちを募らせていた。

 

 元々、勝ち筋があったからこそ乗った賭けなのに、これではほとんど負け戦だ。声を張り上げ、シグナルを拾い上げるように命令する。

 

「消えたなんて馬鹿な事があるか! 荒唐無稽でもカラクリがあるはず! シグナルの存在する機体を拾え! 一機でも戦線に復帰させろ!」

 

「駄目です! 全機、シグナル消失! 残存兵がまるで不明で……これでは先んじて月面へと赴いていた、イクシオンフレーム部隊にも……」

 

 合流出来ない。その不手際に司令は無線機を握り潰す。

 

「あり得ない! 神を気取った男が神であったのなど、あり得てはならないのだ! 一機でもいい! 呼び戻して連邦艦隊を整える! だから……」

 

 探せ、と叫びを発する前に、艦隊の直上に人機の反応が蘇る。

 

「し、シグナル確認! 人機、我が艦隊の真上に……」

 

 その言葉にホッと安堵の息をつく。宇宙駐在軍さえ取り戻せれば御の字。後はコネでも何でも使ってアンヘル上層部へと取り次ぎ、次の栄光を探すまでの事。

 

 アムニス――渡良瀬は当てにならなかったが、地上の者達ならばどうにか丸め込めそうだ。そう思った矢先であった。

 

 シグナルが変異し、そのコードを呼び起こす。

 

「人機認証コードを確認! 宙域に位置するのは……エホバ陣営です!」

 

 まさか、と司令官は呆然と直上に現れた人機の群れを見渡す。その中に黄金の装甲を煌めかせる《フェネクス》の姿を認め、彼は縋るようにへたり込んでいた。

 

「か、神様ぁ……」

 

『貴様らが祈る神は死んだ。あとに残るのは、罰だけである』

 

《フェネクス》がブレードを引き出し、艦隊司令部へと特攻を仕掛ける。そのあまりの至近距離に防衛の認証はあまりにも遅かった。

 

 奔った剣筋と雄叫びが宙域を割り、艦隊司令部を一機の人機が貫いたのは、もう間もなくであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エホバ……。自分に強いるのか。こんな道を……」

 

 焼け爛れた《フェネクス》と艦隊が横たわっている。両腕を失った《フェネクス》が縦穴の空いた艦を睨んでいた。殺到した人機の一個小隊はアンヘル艦隊を蹂躙し、そして粉砕している。

 

 しかし、どれもが玉砕覚悟。生き残る事を重視していない彼らは、どこかやけっぱちに、艦隊へと突撃する。

 

『……ご武運を』

 

 また一機、操主の命が散った。レジーナは割れたヘルメットから伝い落ちる涙の粒を目にしていた。

 

「どうして……分かり合えないこんな場所に堕としたのだろうな。神は、自分達を……」

 

 その問いは霧散し、黎明の輝きが人機の躯へと降り注いでいた。

 

 明日が始まろうとする途上にある地上を他所に、宇宙はかくも分かり合えないのだと、茫漠とした闇に告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空間跳躍に巻き込まれたのだと、白波瀬は直感する。この能力は、と息を呑んでいた。

 

「……エホバ。我々を概念宇宙の向こう側まで飛ばすつもりか……」

 

 確かにそれが実行されればエホバの勝利だ。《キリビトイザナミ》ごと、この宇宙の果ての果てまで跳躍させられれば。

 

 しかし、脳内ネットワークの編み出したのは、もっとシンプルな答えであった。

 

「……そこまで飛ばすだけのエネルギーがない? では、どこに……」

 

 直後、無重力でありながら実体宇宙へと放り出された司令艦は現在位置を捕捉していた。

 

「現在地の割り出し! 急げ!」

 

「ここは……。宙域マップを割り出し! 現在地は――月面衛星軌道上!」

 

 まさか、と白波瀬を含むアンヘルの高官が絶句する。

 

「敵の直上……? これもエホバの読みだと言うのかね?」

 

 尋ねた高官の声に、知るものか、と言い返したい衝動を抑え、白波瀬は冷静を装う。

 

「……恐らくは」

 

「しかし何のために……?」

 

「混乱に乗じ、我々を破滅させようと言う魂胆でしょう。そういう男なのです、あれは」

 

 その言葉はさすがに嘘くさかったのか、アンヘル高官は胡乱そうな眼差しを注ぐ。

 

「……貴殿の特別権限は《キリビトイザナミ》の接収にこそある。あれが撃墜されれば、その胸の勲章をいくつか剥奪してもいい」

 

「墜ちませんよ、《キリビトイザナミ》は。特別製ですから」

 

 それだけは織り込み済みだ。白波瀬は航空管制システムに割り込み、《キリビトイザナミ》の無事をいち早く確かめていた。

 

《キリビトイザナミ》は硬直している。脳内ネットワークで直接、燐華へと繋いでいた。

 

 ――何をやっている? すぐに敵を墜とすんだ。

 

 その声に燐華はああ、と呻く。

 

 ――だって、ヘイル中尉が……。またあたしは死なせてしまった。にいにい様……!

 

「……動転しているな。白波瀬。何かまずい事にでも?」

 

 こちらの胸中を読んだかのような高官の声に、白波瀬は言葉を返す。

 

「何の事だか」

 

「貴様らの秘密主義はもう、うんざりだ。情報の共有化も出来んのなら、アンヘルの特別権限はなしにしてもいい」

 

「……この土壇場で仲違いですか。そんなに権力が欲しいのですか」

 

「言葉を慎め! 《キリビトイザナミ》は墜ちたのか?」

 

「だから墜ちていないと……。見てください! 動き出した!」

 

《キリビトイザナミ》が身じろぎし、その巨躯を月面へと降下させる。不思議な事に、月面からの抵抗はほとんど見られなかった。

 

「……銃座の応戦銃撃もない……? 何が起こっている?」

 

 全く不明の現状の中で《キリビトイザナミ》が圧倒的な暴力の顕現として、月面から砂塵を生み出す。その時、一機の人機が《キリビトイザナミ》の目線から、墜落していた。

 

 その人機の機体照合に、全員が息を呑む。

 

「あれは……《クォヴァディス》……?」

 

 世界をたばかった男はこの時、無音の世界で撃墜されていた。

 

 焼け爛れた装甲を晒すまでもなく、《モリビトクォヴァディス》が月面に落下する。少しの砂礫だけであった。

 

 それだけで、神を気取り、この混乱を生み出した諸悪の権化は消え失せていた。

 

 あまりにも呆気ない幕切れにアンヘル艦は沈黙する。

 

「……あれが間違いなく《クォヴァディス》であるのならば、我が方の勝利……」

 

 その瞬間、言葉尻を裂くように高速熱源が関知される。直後には二機の人機がもつれ合うようにして、大写しになっていた。

 

 誰もが諦めたその刹那、R兵装の光軸がアンヘル艦のすぐ傍を射抜く。高出力の兵装に主砲が焼け落ちる。

 

 爆発の光が連鎖した時になって、ようやく報告の声が追いついていた。

 

「……照合データ確認。あれは、《イクシオンアルファ》と、……新型のモリビト……?」

 

 疑問形の声に、復誦が返る。

 

「不明人機を検知! あの熱源反応は……モリビトです!」

 

 だがどうしてモリビトが《イクシオンアルファ》と攻防を繰り広げているのか。誰も解する術を持たず、瞬間、発せられた別の信号に上塗りされていた。

 

「《イクシオンオメガ》! 軌道上にて我が方の人機と……交戦? ……出ました! 交戦している機体は《ナナツーゼクウ》!」

 

 思わぬ、とはこの事だろう。まさか渡良瀬が伝説の操主と打ち合っているなど、想定もしていない。

 

 言葉を失ったブリッジの中で、高官は白波瀬へと探る目線を寄越していた。

 

「……この局面、誰が勝つのだね?」

 

 今までならば、それは自分達だ、と言い張れた男はこの時、とてつもなく無力であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯351 姉妹の絆

 弾幕を張って牽制するも、敵機はうろたえずに煙幕を引き裂き、プレッシャーソードを見舞う。その剣閃に、蜜柑はアームレイカーに通した指先を手繰らせる。

 

 瞬時にRトマホークを振るい上げたのは、この時、蜜柑の習い性ではない。機体に染みついた林檎の行動パターンであった。今の蜜柑は一人で二人分の働きをしているも同義。指先に接続され制御キーを保持し、一進一退の攻防を繰り返す。

 

『いつまで! ブルブラッドキャリア! いつまでこんな戦いを続ける気なのですか!』

 

「……そっちが諦めるまでに、決まっているじゃない……」

 

 喉奥より発した声に相手操主の声が被さる。

 

『……醜悪な』

 

「それを言えるのは、あんた達じゃないって話でしょ!」

 

 打ち下ろしたRトマホークの一撃が《イクシオンアルファ》へと突き刺さり、敵機が月面へと落下する。その途上にあった機体が不意に浮かび上がり、応戦の砲撃を照準していた。

 

 蜜柑は《イドラオルガノンアモー》の操縦系統にアクセスする。

 

 いくつもの照準器が《イクシオンアルファ》をロックオンし、この時正常に――機体各所より青白いミサイルの尾が引かれていた。幾何学の軌道を描くミサイルを《イクシオンアルファ》は応戦しようとして、青い霧が宵闇に咲いたのを目にする。

 

『アンチブルブラッド兵装……!』

 

「《イドラオルガノンアモー》を、嘗めるなァッ!」

 

 加速推進剤を焚き、《イドラオルガノン》が急速接近する。しかし、それは相手の距離でもある。プレッシャーソードを払い上げた敵機とRトマホークが打ち合い、干渉波を散らせた。

 

『……随分と小生意気に……。片割れを失った人機がァッ!』

 

「吼えるんなら後にして! ミィ達は、これでも忙しいッ!」

 

 互いに後退し、応戦の火線を咲かせる。《イドラオルガノンアモー》の隠し腕に仕込まれていたプレッシャーライフルが火を噴き、《イクシオンアルファ》を追い込んでいた。

 

 だが、敵機から余裕が消えた様子はない。それどころか、追い込まれているのに何かを潜めているかのようであった。

 

 その第六感は習い上げたものではない。地上戦闘で、何度も味わった悪寒。首裏に差し込まれたような冷気である。

 

 ――何かある。

 

 その予感に、蜜柑は追撃の《イドラオルガノン》を急上昇させていた。直後、そのまま加速していれば突っ込んでいた空間を爆発が彩る。

 

 敵機がワイヤートラップを仕込んでいたのだ。舌打ち混じりに《イクシオンアルファ》がワイヤー武装を捨て去る。

 

『小細工にかかれば、まだ容易かったものを!』

 

「悪いわね。容易いように、出来てはいないんだからァッ!」

 

 突っ込んだ《イドラオルガノン》と《イクシオンアルファ》がもつれ合う。近接兵装が軋り、刃を顕現させて互いを貫かんとした。

 

《イドラオルガノンアモー》が右腕に仕込んでいた近接信管を抜き、宙域にばら撒く。無数の弾道が一斉に《イクシオンアルファ》へと殺到した。

 

 その攻撃を満身に受けてもなお、敵は健在である。

 

『甘いとすれば、それは損耗戦! 《イクシオンアルファ》はまだやれる!』

 

「墜ちれば、かわいいってのに!」

 

 焼け爛れた装甲を晒し、こちらを睨んだアイカメラの眼光へと、《イドラオルガノン》は拳を浴びせていた。至近距離の打撃に敵も応戦する。

 

『……どの口が言う!』

 

 払われた一閃が《イドラオルガノン》の胸元を引き裂いていた。血塊炉が露になり、注意色が眼前で明滅するが、蜜柑はそれを振るい去った。

 

《イドラオルガノン》が敵機体へと左腕の砲弾を見舞う。それを相手はプレッシャーソードで割り、近接戦へともつれ込んでいく。

 

『運がありませんでしたね! その機体、中距離向けェッ!』

 

 至近距離で割られた弾頭よりアンチブルブラッドの濃霧が張られた。その中で動きを鈍らせつつ、敵人機が肉薄する。

 

 ――この霧の中で最初に動けたほうが勝利する。

 

 完全なる賭けの支配する戦場で、蜜柑は《イドラオルガノン》のアームレイカーを何度も引いていた。

 

「動いて! 動いて、動いて! 今、動いて勝ってくれなきゃ……何のために! ミィ達は、何のために生まれたって言うのよォっ!」

 

 濃霧の中で《イクシオンアルファ》の赤い眼光が照り輝く。ああ、と蜜柑は諦めの中に己を置こうとした。せめて最後は潔いほうがいいのではないか、と。

 

 ――悪癖だな、蜜柑の。と誰かの声が弾ける。

 

 その声を耳にした瞬間、蜜柑の意識は月面ではない、草原にいた。

いつもの訓練場で桃の叱責が飛ぶ。

 

 ――いい? 敵は待ってくれないの! こちらから打って出ないと! 林檎! 蜜柑、遅れないで!

 

 その指示の声に従った己の半身に、蜜柑は瞠目する。生きていた、と唇が紡いだその時、相手が笑いながら声にする。耳触りのいい声が、近くで弾けていた。

 

 ――「馬鹿だなぁ、蜜柑は。いつだってにぶくって……」――。

 

「……うるさいなぁ……。林檎だって、そうでしょ」

 

 瞼を開く。そう、まだ死んでいない。まだ、この身は生きている。この身体は、前に進もうとしている。それならば、諦めを踏み越えて、そしてこの荒野に――。

 

「――刻めェ――ッ!」

 

《イドラオルガノン》の眼窩が輝きを宿し、プレッシャーソードの一閃をその手で掴み取っていた。まさか、R兵装を素手で掴むとは思ってもみなかったのであろう。敵の狼狽に、《イドラオルガノンアモー》は最大出力のRトマホークを払っていた。

 

 敵機の躯体へと斜に攻撃が走り、《イクシオンアルファ》が身悶えする。プレッシャーソードを払い上げ、《イクシオンアルファ》がとどめの斬撃を見舞おうとした。

 

『この……生き意地の汚い人間がァーっ!』

 

「そうよ……。ミィは人間……ただの、ここでしかない、人間なのよ。だからこそ、強いのだと、知れェーッ!」

 

《イドラオルガノン》の機体制御系が《イクシオンアルファ》に振り回される。その膂力に右腕が引き千切られた。

 

 だが、それが本懐ではない。

 

《イドラオルガノンアモー》より分離した背面バックパックが展開し、振り返っていた。その双眸には意思が宿っている。

 

『……《イドラオルガノン》の追加装備だと?』

 

「《モリビトイドラオルガノンジェミニ》……。殲滅行動に入る!」

 

『小癪な……。墜ちろよッ!』

 

《イドラオルガノンアモー》を敵は振りほどこうとして、その機体が組み付く。思わぬ事態に蜜柑もうろたえていた。

 

 まさか、無人のはずの《イドラオルガノンアモー》が稼働する理由がない。

 

 しかし、直後、Rトマホークを振るい上げたその姿に、蜜柑は全ての意味を悟っていた。

 

 ――いつだって、馬鹿みたいに大上段に得物を振るい上げて、敵へと果敢に向かっていった、あの姿の残滓が……。

 

「ああ、林檎。そこにいたんだね……」

 

 Rトマホークが《イクシオンアルファ》の肩口より突き刺さる。敵の離脱挙動を抑え込んだ《イドラオルガノンアモー》の助けを得て、《イドラオルガノンジェミニ》が武器腕を突きつけていた。

 

 敵の弱点――頭部コックピットへと。

 

 ゼロ距離で固めた戦意に敵操主が声にする。

 

『……あなた達の都合で撃つと言うのか! この先の未来を!』

 

「違う! 未来は、ミィ達が作る! 壊しながらでも作り上げるから、未来なんだァッ!」

 

 充填されたR兵装の輝きが凝縮し、《イクシオンアルファ》の頭部を射抜いていた。

 

 リバウンドの灼熱に焼かれ、《イクシオンアルファ》の頭部を失った骸が宙域に漂う。蜜柑は《イドラオルガノンアモー》へと再びジェミニ形態の機体を接合させていた。コックピットが背部よりメインへと戻り、そして二人分取られた複座式のコックピットを撫でる。

 

「……林檎……。お姉ちゃんはいつだって、ここにいるんだね。だったら、ミィは! 迷わず進める! 林檎に恥ずかしくないような生き方をしたい! それが、ブルブラッドキャリアの、モリビトの執行者なんだからッ!」

 

《イドラオルガノンアモー》は眼光を滾らせ、《ゴフェル》へと推進剤の尾を引いて加速していった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯352 其は青き銀龍

《トガビトコア》を射線に入れた桃は腹腔より叫んでいた。

 

「リターンマッチと行こうかしら! 《トガビトコア》!」

 

 Rハイメガランチャーを振るい上げ、《トガビトコア》を照準する。敵機は白亜の機体に滾らせた黄金の血脈で急加速する。

 

 ファントムの途上でも軌道は読める。桃は《ナインライヴスリレイズ》を猪突させていた。その先にいた《トガビトコア》と砲身でぶつかり合わせる。

 

 砲塔に仕込まれたリバウンド装甲が敵の掌より顕現する高出力リバウンドソードと干渉波を散らせていた。

 

 その火花の向こう側より、声が発せられる。

 

『……生きていたとは』

 

「殺したつもりだった? 案外、しつこいのよっ!」

 

 薙ぎ払ったRハイメガランチャーを《トガビトコア》は瞬時に張ったリバウンドの皮膜で受け切る。

 

 後退した敵機に《ナインライヴスリレイズ》が持ち替えたRピストルで迫る。敵人機は負けじと月面を蹴り付け、そして掌より禍々しい黒の瘴気を浮かべていた。

 

 その黒とRピストルの銃撃が交錯する。敵の機体も順応性が高いが、今の《ナインライヴス》は劇的だ。劇的に、違う。

 

 先ほどまでの劣勢など、まるで埒外とでも言うように《ナインライヴスリレイズ》は踊るように《トガビトコア》の射程に入り、その至近距離でRピストルの引き金を絞っていた。

 

 敵機が後退してその弾痕を確かめる。

 

『……もう少し高出力であったのなら、やられていたと言いたいのか!』

 

「物分りはいいほうが嫌われないわよ? それとも、まだやる?」

 

《トガビトコア》はしかし、ここでの優先順位を理解しているのか、飛び退り《ゴフェル》方面へと向かった。その飛翔を桃は逃さない。

 

「逃がすかっ!」

 

 逃亡の途にある《トガビトコア》を追撃しかけた《ナインライヴス》はしかし、その進路を一機の人機に遮られていた。

 

 棍棒を振るい上げた狂気の人機が、《ナインライヴス》へと激しくぶつかり合う。

 

『……痛い……痛いのよぉ……っ……。渡良瀬ぇ……っ! 助けて……ぇ』

 

 弾かれた形で月面の土を踏んだ《ナインライヴス》はその人機と対峙する。

 

「……《イクシオンガンマ》。鉄菜を追っていた奴……」

 

『痛いって……言っているのにぃ……っ!』

 

 姿勢を沈め、敵機が雷撃のファントムへと至る。その加速度と執念に桃は、ここで出し惜しみすれば負けると判断していた。

 

「……《トガビトコア》を追わないといけないってのに。あんたの相手なんて、している場合じゃないってのよ!」

 

 Rピストルの持ち手部分で殴りつけ、人機の脳震とうを狙ったが敵人機は持ち堪え浴びせ蹴りを見舞う。

 

「……タフってわけ」

 

『これ以上痛いのなら……全部壊れちゃえーッ!』

 

《イクシオンガンマ》の肩に内蔵された拡散リバウンド粒子砲が発動し、《ナインライヴス》をその場に縫い止める。

 

 桃は《ゴフェル》へと通信を打っていた。

 

「……こちら、桃・リップバーン! 《ナインライヴスリレイズ》は《イクシオンガンマ》に抑えられている! そっちに《トガビトコア》が向かったわ! 恐らく、轟沈する気でしょう。でもこっちは、手が……」

 

 敵が棍棒を振るい上げる。桃はRピストルを交差させてその一撃を制していた。

 

「……回らない。何とかして、残存兵力で……」

 

『何とかって言ってもこっちも出せるものは全部出しているのよ。ニナイもいない、それに瑞葉とアイザワは《イクシオンオメガ》の相手に付きっ切り……。今、艦を守れる兵力は……』

 

 絶望的に紡がれた声音に桃は奥歯を噛み締め、《ナインライヴス》を飛ばせようとする。しかし、それを相手の執念が抑え込ませた。

 

 棍棒の応酬に桃は苦味を噛み締める。

 

「こんなところで……あんたの相手に時間取っている場合じゃない! 手間取るなんて、モモらしくないのよ!」

 

 可変した四枚羽根がそれぞれ持ち上がり、内部に搭載した血塊炉に火が灯っていた。

 

 それぞれの高出力が黄金の輝きを宿し、そして《ナインライヴスリレイズ》の躯体を瞬時に飛翔させる。その加速度に対して、敵機は機体を反らせ、バネの要領で加速を得ていた。

 

『ファントム!』

 

 舌打ち混じりに、桃は言葉を発する。

 

「ファントム!」

 

 逃げ切るためのこちらのファントムに敵機の追撃が咲く。空間を結びつけるように火花が散り、銃撃網が《イクシオンガンマ》を捉えようとする。

 

 しかし、高速機動の中では敵を正確に捕捉出来ない。そのぶれた照準の隙を逃さず、敵はこちらへと飛び込んでいた。

 

 至近距離で左腕をひねり上げられる。《ナインライヴス》の手からRピストルが落ちていた。

 

『この距離なら……逃げられなぁい……。潰れちゃえ!』

 

「冗談じゃない! こんなところで死ねないのよ! ウイングバインダー!」

 

 ウイングバインダーが内側に格納した血塊炉の純粋エネルギーを放出し、その熱量で《イクシオンガンマ》を焼き尽くそうとする。それでも、敵は離れない。恐るべき執念の形に、桃が奥歯を噛み締めた、その時であった。

 

 一条のR兵装の銃撃が、《イクシオンガンマ》を打ち据える。距離を取った敵機に、桃はハッと振り返っていた。

 

 プラント基地のスクランブル出撃機構より、一機の人機が佇み、そしてその武装を番えている。

 

「……青と、銀のモリビト……」

 

 銃口の向かう先が《イクシオンガンマ》を照準し、その銃撃が相手を引き剥がしていた。通信網に舌打ちが混じる。

 

「まさか……クロ?」

 

 肩口に装備した両盾を翼のように展開し、そして、背部には新たなる形の《クリオネルディバイダー》が装備されていた。その扁平なる盾の機体より、さらに数珠繋ぎに盾が繋がっている。

 

 まるで龍のような威容を持つその機体は、リバウンド力場を得て浮き上がっていた。

 

 銀翼の羽ばたきが月面にあり得るはずのない辻風を生み出し、そして今、確かなる意思を持った三つ目のアイセンサーが煌めいた。

 

 Rシェルライフルの銃撃に《イクシオンガンマ》が後退して離れていく。

 

 よくよく目を凝らせば、その肩口の両盾も新造されている。小型化した《クリオネルディバイダー》そのものを、直接装備しているのだ。

 

「クロ……あんた、その機体……」

 

『《モリビトシンスカエルラドラグーン》。遅れてすまない、桃』

 

「……もうっ。遅いってのよ」

 

 軽口を叩き、鉄菜の新たなるモリビトが睨んだ先を見据える。

 

 それは、月面に突如として現れた司令艦と、そして巨大人機である。

 

「……行くんだよね」

 

『《ゴフェル》の守りについてもいい』

 

「ううん……。クロは行って。行って、決着をつける義務がある。《トガビトコア》はモモが引き付けるから、その間に」

 

『……すまない』

 

 言葉少なな鉄菜はいつも以上に悲しみを背負っているようであった。まるで永遠の離別を今しがた体感したかのような、その声音の寂しさ。

 

「……クロ。でも一個だけ。また、約束しよ? ――必ず帰ってくる事」

 

 六年前には、無駄だと分かりつつも互いに交わした約束。それを今回も、鉄菜は守ってくれるようであった。

 

『……ああ。私は全ての決着をつけて、必ず帰る。みんなの……家族のいる場所へ』

 

 ――家族。その言葉が鉄菜の口から出たのが一瞬信じられなかったが、ああ、そうか、と桃は納得する。

 

 鉄菜もまた、強くなったのだ。

 

 だから、こうして肩を並べられる。

 

 こうして、戦場でも信じ合える。

 

「約束だからね」

 

『承知した。《モリビトシンス》、鉄菜・ノヴァリス。迎撃行動に入る!』

 

 互いに背中を預け、二機のモリビトは常闇を疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「新しいモリビトだと?」

 

 もたらされた情報に、白波瀬は困惑を隠せなかった。《キリビトイザナミ》へと真っ直ぐに向かってくるのはまるで銀龍。青いカラーリングを引き写した、新たなるモリビトの影に、高官より勘繰りが飛ぶ。

 

「まさか……この土壇場で新型機だと……。白波瀬、貴様……」

 

「……予想は出来ました。月面にプラント設備があるのならば。ですが、勝てますよ。《キリビトイザナミ》なら、勝てます」

 

「……繰り言に付き合っている場合ではない。勝てる勝てないの事項は別として、査問会議が必要そうだな」

 

 そんなもの、無事に帰れればの話であろう。あのモリビトに乗っている操主は、解析するまでもなく分かる。

 

「……執行者、鉄菜・ノヴァリス……」

 

 その因果な名前を、白波瀬は紡ぎ、奥歯を噛み締める。

 

 幾度となく計画を破綻に導き、そして今もまた、自分のもたらす恩恵を拒む、最悪の存在。ここで消しておかなければ禍根が残るであろう。

 

 白波瀬は脳内ネットワークに声を発していた。

 

 ――出番だよ、燐華。こわいのがやってくる。それを破壊してくれ。相手は、モリビトだ。

 

 その声に燐華の今にも瓦解しそうな思惟が応じる。

 

 ――こわいの……ううん、モリビト。そう、モリビトは――敵。

 

 断じた神経がハイアルファー機と一体化し、《キリビトイザナミ》が吼え立てて銀龍のモリビトと交戦に入る。

 

 それを目にして、高官は口にしていた。

 

「飼い慣らしているようではあるが勝てなければ捨てろ。あんな図体ばかり大きい人機は邪魔だ」

 

 これだから、連邦の高官の頭の固さには辟易する。

 

 しかし、それに関しては同感であった。

 

「ええ、いずれは戦争をもっとクリーンなものとしましょう。そのために、この月面戦線、勝たねばならぬのです」

 

 勝たなければ、それこそ犬死であろう。

 

 その予感に白波瀬は人知れず戦慄いていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯353 宇宙に吹く風

 

《キリビトイザナミ》が挙動し、そのアームに支持した巨大なリバウンドの刃を顕現させる。その一閃と鉄菜は引き抜いたRシェルソードをぶつかり合わせていた。干渉波のスパーク光の瞬きの中に燐華の憎悪が見え隠れする。

 

「燐華! 私だ! 鉄菜・ノヴァリスだ!」

 

『黙れェッ! モリビトの分際で、鉄菜を侮辱してェッ!』

 

 やはり対話は不可能なのか。鉄菜は大出力のR兵装を防御しつつ、上昇する。敵人機もその巨体とはそぐわぬ速度で追いすがってくる。瞬時に巻き起こったのはRブリューナクの暴風域であった。

 

『行け! Rブリューナク!』

 

 大型のRブリューナクを軸として小型機が無数に展開する。その生み出す莫大な破壊エネルギーは推し量るまでもないだろう。

 

 だからこそ、鉄菜はこの時、視界に入る全ての対象を――照準していた。

 

「――撃ち抜け! ディバイダー、フルバースト!」

 

 盾の裏側に収納された無数の砲口よりR兵装の光条が幾何学に奔り、Rブリューナクを撃墜していく。

 

 鉄菜はその絶対の殺戮暴風圏より逃れ、《キリビトイザナミ》の至近まで迫っていた。引き抜かれた近距離用のマニピュレーター武装のプレッシャーソードとRシェルソードがぶつかる。

 

『モリビトォっ! お前は全てを壊した! 鉄菜も、にいにい様も! 先生もそうだ! ヘイル中尉だって……。お前は、どこまであたしから奪うって言うんだ!』

 

「違う! 燐華! モリビトは奪うためにあるんじゃない。壊しても、作り直せるものだってあるはずなんだ!」

 

『何を作り直すんだ! 壊れたら、それは壊れたままだろうに!』

 

 その言葉振りに、鉄菜は引き剥がされる。後退し様に、言葉を反芻していた。

 

 ――壊れれば、壊れたまま。

 

 自分と燐華の関係も、モリビトと惑星の姿も、そして今、こうして刃を突きつけ合うしか出来ない、悲しみも。 

 

 全ては壊れれば、壊れたままだと言うのか。それで世は流転すると言うのか。

 

「……違う」

 

 違わない。理屈では、何も違うものか。

 

 しかし、ここで鉄菜の紡いだのは理屈ではない言葉であった。この胸を衝き動かす衝動は、前に向かおうとする熱は決して、ただの気休めではない。少なくとも、ただ闇雲に希望を振り翳すだけの代物ではないはずであった。

 

「私は……違うと言い続ける。それが世界の姿だとしても。直視しなければならない罪そのものだとしても、それでも私は! 破壊してでも作り直す! それが、私……鉄菜・ノヴァリスの至った答えだ!」

 

 幾つもの別れがあった。絶対に分かり合えない存在とも対峙した。そして、行く末に待つ涅槃をも目にした。

 

 達観したとは言わない。理解したとも思わない。それでも、この身を焦がすのは、ただこの一刹那にのみ生きる神経では決してないのだ。

 

 戦いは、壊すだけだと思っていた。

 

 闇雲に破壊し続ければ、いずれ光明が差すとも。しかし、そうではない。壊した先に待ち続けるのは虚無ばかりだ。だが、壊した果てをどう描くかで未来は変わる。

 

 少なくともこの小さな「鉄菜・ノヴァリス」という人間の未来は大きく変わった。変わってきたはずだ。

 

 それを自らの血潮と、そして鼓動で感じる事が出来るのならば。それを確かだと思えるだけの――心があるのならば。

 

「……彩芽。ゴロウ。……それに、ジロウ。ありがとう。こんな、私に、心を与えてくれた。本当に、ありがとう……。だから今度は私が、誰かに心を与える番なんだ。誰かに、優しさを示す番なんだ!」

 

 新たに射出されたRブリューナクの旋風を、鉄菜は急加速で抜け切り、そして斬れる距離まで迫った《キリビトイザナミ》を前にして――その刃を仕舞っていた。

 

 突然に武装を解除したためであろう。

 

《キリビトイザナミ》から戸惑いが伝わる。

 

『……そんな事をしたって、償いになんてなるものか!』

 

「そうだ、だがこれは覚悟でもある。私は……友達に刃を向けたくはない」

 

 その言葉に燐華が反応したのが伝わる。友達と呼べるのは、恐らくこの宇宙で、広大な、茫漠とした世界でも、一人だけだ。

 

 燐華だけなのだ。

 

 ――だから、言葉よ、届いてくれ。

 

 ――想いよ、届いて欲しい。

 

 心の闇を払い、澱んだ殺意を拭い去って、そして本当に見据えるべき、明日へと――。

 

 そのために戦ってきた。この日まで戦い抜いてきた。全ては、武器を取るためではない。

 

 分かり合うため、心の距離を縮めるために、今日まで戦ってきたのだ。

 

 だから……。

 

「燐華。もう憎しみ合うのはやめにしよう。もう、そんなものを頼って戦ったって、いい事なんて一つもない」

 

『くろ、な……。違う、鉄菜は死んだ! あの日に死んだんだ! あたしの周りは、みんなそう! みんな、居なくなっちゃう! 鉄菜も、にいにい様も、隊長も、ヒイラギ先生も……、ヘイル中尉だって……。みんな、みんな! 死んじゃったんだ! だって言うのに、ここであたしが止まっちゃったら、顔向け出来ない……。みんなに、どんな顔で会えばいいのか、分からないよ……ぉ』

 

「誇りある形で会えばいい。お前はもう充分に戦い抜いた。だから、そんな大きな殻に籠らなくっていいんだ。燐華、私はもういい。だから、お前にもあるべき形が訪れて欲しい」

 

『鉄菜ぁ……ぅ』

 

 分かってくれれば。否、分かり合えれば。

 

 この気持ちが少しでも届いたのならば。燐華の凍り切った心を、少しでも温められるのなら。自分の命を、分け与える。

 

 それでこそ、命の灯火は誰かに宿るのだ。

 

 心を分け合えれば、きっと少しは――。

 

 その時であった。アンヘル司令艦の主砲が《キリビトイザナミ》を狙い澄ましたのを、視界に入れたのは。

 

「やめろ――!」

 

 全てが遅い。アンヘル司令艦ががら空きの《キリビトイザナミ》へと砲撃を浴びせかける。その衝撃波に燐華が呻いたのが窺えた。

 

「何でなんだ……。仲間同士で!」

 

『仲間とは心外だな、鉄菜・ノヴァリス』

 

 不意に繋がった通信域に鉄菜は苦々しく返す。

 

「貴様……調停者か」

 

『少しでも慈悲があるのならば、ここで燐華・ヒイラギは殺せ。我が方でもただのデカブツを生かしておくのも惜しい。制圧戦に使えないのなら、ここでモリビトによる撃墜が、彼女にとっても本望であろう』

 

「お前は……。お前はァッ!」

 

『おっと、動いていいのかな? 我々を殺せば、彼女の憎しみは増長される。ハイアルファー【クオリアオブパープル】。精神を浸食するハイアルファーだ。彼女の憎しみはまた、《キリビトイザナミ》を強くする。そうなれば、月面だけで済むかな? 惑星にだってその矛先は向けられかねない。そこまで膨れ上がった憎悪を、如何にして止める? 止めようもない! 人造血続風情が、止められるものか!』

 

 哄笑に、鉄菜は奥歯を噛み締める。今は、この敵が何よりも――許せない。

 

 しかし、手は出せなかった。ここで燐華を救うために艦を破壊しても、それは彼女の中の憎しみを増大させるだけ。もう戻れなくするために、自分が弓を引くなんて耐えられそうにない。

 

 ようやく、ここまで戻ってきてくれたのに。それでも、燐華には足りないと言うのか。溝は、埋められないと言うのか。

 

 項垂れた鉄菜へと衝撃が向けられる。アンヘル艦は容赦する気はないらしい。ここで、《キリビトイザナミ》を刺激し、あわよくば自分も撃墜する。

 

 だが、手は出せない。もう燐華に刃は向けないと誓った。ならば、彼女が仲間だと認識している相手にも、だ。

 

 いたぶるように、砲撃とミサイル網が《モリビトシンス》を叩く。防御の一点だけで、鉄菜は耐え忍んでいた。

 

『壊れろ! 壊れてしまえ! 出来損ないの血続に、完全でありながら、精神の瓦解した血続! どっちも不揃いだ! 不揃い同士、仲良くあの世で――!』

 

 艦主砲が自分を照準する。燐華に、自分を守る理由はない。それどころか、彼女は仲間だと思っていた相手から撃たれたショックがあるはずだ。

 

 動けない。何も、出来ない。

 

 本当に、何も――出来ないまま、終わるのか?

 

 こんなところで。何者にもなれずに。きっかけをようやく掴んだのに。分かり合える何かを、ようやく理解しかけたのに。

 

 それなのに、終わる。無情にも、終焉は訪れる。

 

 そんな、現実。不条理な、この世界そのもの。

 

 ――そんなもののために、貴女は戦っているの? 鉄菜。

 

 不意に脳裏を結んだ声に、鉄菜は面を上げる。

 

 間断のない砲撃に、銃爆撃。それでも、自分は生きている。生きているのだ。

 

「……そうだ。私は、こんな場所で終わるために、この力を手に入れたんじゃない。……彩芽が教えてくれた! ゴロウが! ジロウが! 私にはついている! だから、恐怖する事はない。恐れるべきものも、何も! 応えろ、《モリビトシンス》! 私の意志に!」

 

 絶望を退けるだけの、心の力を――。

 

 その刹那、鉄菜の視界に飛び込んできたのは、白銀の黎明であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯354 可能性の光

「何が起こった?」

 

 艦内に艦砲射撃を命じかけて、高官が戸惑う。白波瀬も、《モリビトシンス》より放たれる輝きに絶句していた。

 

 太陽そのものがこの暗礁の宇宙にもう一つ、訪れたかのような輝きである。その光に艦が包み込まれていく。

 

「これは……破壊兵器か? こんな輝き……まさか、ゴルゴダを……」

 

 ――違う。

 

 脳内ネットワークを震わせた声に、白波瀬は頭を抱えて蹲る。いつもは完璧な静謐に閉ざされているはずの脳内ネットワークに雑多な声が入り混じっていた。

 

 艦内クルーの困惑の叫び。高官の怒声と怒号。それだけではない、この月面で死した魂の声が、純粋なるエネルギーと化して白波瀬の身体を駆け巡る。

 

「やめろ! わたしの中に、入ってくるなぁ……っ!」

 

 呻いた白波瀬がそのまま後ずさる。それはこのブリッジの者達も例外ではないらしい。

 

「何だ? 声? 誰の声なんだ……?」

 

 拡大した白銀の太陽に、白波瀬は忌々しげに視線を投げる。

 

「あれか! あれが、その元凶か! 撃てぇ……っ。撃つんだぁ……っ!」

 

「無理だ! もう撃てない……! 声が! 純粋な声が、俺の中にぃ……っ」

 

 砲撃長のクルーが咽び泣く。白波瀬はトリガーを求めてよろめいていた。どこでもいい、引き金が必要だ。あれを撃つだけの引き金が。

 

 白銀の光が満たす空間で、白波瀬はトリガーを手に取っていた。照準は既につけてあるはず。

 

 あとは押すだけだ。引き金に指をかけて、最後のボタンを押せばいいだけ。

 

「……この不明の光……嫌な光だ、モリビトォッ! よくもわたしの……高尚なる脳内を、暴いたなァッ!」

 

 手を払い、直後、砲撃が《モリビトシンス》を射抜いたかに思われていた。

 

 しかし、その時には艦内に照準警告が走っていた。

 

 白波瀬は笑みを吊り上げる。

 

「愚かだな! 結局だ! 結局、貴様は破壊者の宿命からは逃れられなかった! 勝者は、この白波瀬だ!」

 

 高笑いの声に、冷水を浴びせたかのような冷たい殺意の声が返る。

 

『――そうか。だったら、俺が撃つぜ』

 

 ハッと現実の視界に立ち返る。艦ブリッジを狙っているのは、中破状態の《ゼノスロウストウジャ》であった。

 

 思わぬ相手に白波瀬は言葉をぶつける。

 

「き、貴様ぁ……ッ!」

 

『イラついていたところだ。ああ、でもこの光……。いい光だ。だがこの憎しみだけは、終わりにするぜ。俺の、たった一人の人間のエゴでな』

 

 向けられたプレッシャーライフルの銃口に白波瀬が罵声を浴びせる。

 

「士官風情が! わたしを殺せるとでも思ったのか!」

 

『……悪ぃ。どう足掻いたって、お前はやっぱり、生き意地が汚い、最低野郎だ。だから、俺が撃つ。それで、ケリに……してくれよ、隊長。ヒイラギ……』

 

「死ねェッ!」

 

 艦砲射撃の照準が《ゼノスロウストウジャ》を捉え、放たれたのと、眼前の機体が一発の光条を放ったのは同時であった。

 

《ゼノスロウストウジャ》の腹腔が爆ぜ、爆発の光に包まれていく。それでも、相手はその一撃に全てを込めていた。

 

 射撃が、R兵装の灼熱がブリッジを焼き払い、白波瀬の意識は煉獄の炎のその先へと消し飛ばされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一機の《ゼノスロウストウジャ》が宙域を漂う。艦砲射撃を受けた人機の操主の思惟を、鉄菜はどうしてだか脳裏に描いていた。

 

 ――そのモリビト。……お願いだ、ヒイラギを守ってやって欲しい。

 

『……ヘイル中尉……。あたし……あたしは、また……』

 

「燐華……。私が、救う。お前を、もう悲しませはしない」

 

 鉄菜は白銀の燐光を纏いつかせる《モリビトシンス》で大破した《ゼノスロウストウジャ》へと触れる。

 

 瞬間、爆発の光が収縮し、血塊炉の破壊状況が巻き戻されていった。頭部コックピットまで破壊が至っていなかったのが不幸中の幸いか。操主は完全に自分が撃墜されたと思い込んでいたのか、胡乱そうな声を放つ。

 

『……俺は……生きている?』

 

『ヘイル中尉! よかった……。本当によかった……!』

 

《キリビトイザナミ》から邪悪な思念が放出された。悪魔の威容を持つ影が《キリビトイザナミ》に取り憑いている。その残滓を鉄菜は正確に見切っていた。

 

「……あれがハイアルファーの怨念か。《モリビトシンス》、斬るぞ」

 

 Rシェルソードを携え、鉄菜はフットペダルを踏み込む。加速度に晒された《モリビトシンス》が悪魔のシルエットへと追いすがり、その剣閃を薙ぎ払っていた。

 

 怨嗟の声を宇宙に響かせ、怨念が粉砕される。

 

《キリビトイザナミ》から敵意が凪いでいた。これも、《モリビトシンス》から流れ出る白銀の輝きのお陰なのだろうか。

 

「この光は……《モリビトシンス》より発生しているのか? それとも……何か別の……」

 

 物理エネルギーではない。何か、人間の発生させるものではない、別種の輝きがこの時、月面を満たしていた。

 

 銀龍の《モリビトシンス》は光を棚引かせて《キリビトイザナミ》を誘うかのように手を差し伸べる。

 

 触れたマニピュレーターがそのまま手の体温となり、燐華の鼓動を伝えた。

 

 ――ああ、生きている。この場所に、息づいている。

 

 接触回線が開き、燐華の面持ちを鉄菜は確かめていた。どこか憑き物が落ちたかのように、彼女は目を見開き、こちらを見据えていたが、やがてその頬を大粒の涙が伝っていた。

 

『……鉄菜。もう一度、あたしを救ってくれたんだね。あの時と、同じように』

 

 あの学園での出来事か。全て遠い過去のように思えるが、燐華からしてみれあの時点から時は止まったままだったのだろう。

 

 あの時、自分がバーゴイルシザーを追わなければ。いや、そもそも出会わなければ。そのような詮無い考えばかりが浮かぶ中で、鉄菜はここで再び出会えた喜びを形にしようとしていた。

 

 だが、うまく言葉が出ない。

 

 感情を伝える術を、まだ自分は知らない。

 

 だから出来るだけ柔らかな声で。彩芽や、ジロウとゴロウがやってくれたように、自分もまた、一人の人間の背中を押そう。

 

 もう、過去を顧みなくていいのだと、少しでも思えるのならば。それはきっと前進ではないか。たとえ時の大局に捉えれば微々たる歩みでも、それでも歩みを止めないのが。人間としての証だろう。

 

「燐華。……もう覆い隠す事は何もない。私はブルブラッドキャリアの執行者であり、《モリビトシンス》の操主だ」

 

 それは疑いようのない事実。今までならば燐華はその現実から目を逸らしていただろう。しかし、この時、涙ながらに燐華は頷いていた。

 

『うん……。鉄菜、お願いがあるの。……この世界を、変えて……』

 

 それは誰もが願う事であろう。叶いはしないとは分かっていても、それでも願い続けるしかない。それがヒトであり、この罪の果実で棲む、人間の営み。

 

 今までならば憎んでいたかもしれないそれを、今は純粋に、理解出来る。そして、次の段階へと進める事が出来る。

 

 鉄菜は首肯し、燐華と《キリビトイザナミ》から手を離していた。

 

 やらなければならない事がある。成し遂げなければならない事がある。それはきっと、自分でしか出来ない。

 

「私にしか、出来ない事がある。だからまだ、燐華、お前とは一緒に行けない」

 

 ううん、と燐華は頭を振る。

 

『鉄菜は、頑張り屋さんだから。行って、そして、出来れば、無事に帰ってきて』

 

 誰もが望む。自分に、帰ってきて欲しいと。そう願われても、今までならば約束は出来なかった。

 

 だが、この時、鉄菜は燐華の相貌に約束していた。

 

 ――守れないかもしれない。全てが滑り落ち、意味を成さないかもしれない。それでもなお、祈る事だけが、願う事だけが人間の特権だ。

 

「……約束する。私は、帰ってくる。そのために、今は剣を取ろう」

 

 機体を翻し、鉄菜は向かう。

 

 ――家族を、《ゴフェル》のみんなを助ける。

 

 そのためなら、今は何にでも成れる気がした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯355 涙する理由

『……嫌な感じだ。そして敗れたか、わたし。だが白波瀬、わたしは貴様のようにはならない。わたしは大天使だ。貴様とは違う』

 

《イクシオンオメガ》の支持アームが大出力のプレッシャーソードを払う。その一閃に、タカフミは荒い呼吸をついていた。如何に相手の狙いが粗野でも、それでも攻撃一つ一つの重さは必殺の域。純粋な出力で押し負けている自分と瑞葉の《カエルムロンド》。そしてリックベイの《ナナツーゼクウ》はこの宙域では勝利は難しい。

 

『……アイザワ少尉。敵の出力の押し負けを待っている場合ではなさそうだ』

 

「……です、ね。その前にこっちの血塊炉が貧血を起こしちまいます。瑞葉だってさっきから《トガビトコア》相手に立ち回ってきた。それなのに、こいつは……」

 

 言葉を失ったのは、武装コンテナを一つ失ったとは言え、ほとんど戦局に影響のないレベルでの戦闘を行う、眼前の巨大人機の圧倒であろう。

 

 ――《イクシオンオメガ》。最強にして最後のイクシオンフレームが自分達の道を阻む。タカフミは掴んだ剣を確かめていた。

 

 数度目の鍔迫り合いで、既に実体剣には刃毀れが見受けられる。恐らく、あの強度装甲を貫くのには、一撃では足りない。

 

 それなのに、この剣が持つのはせいぜい、一発の必殺の刃のみ。それも、逃せば手痛い一手となるのは必定。逃せないチャンスを見極めるのに、タカフミの集中力のほとんどは費やされていた。

 

 ――だからなのか、その時不意に瑞葉の《カエルムロンド》を襲った《イクシオンオメガ》の隠し腕を関知出来なかった。

 

 斬り落とす前に、瑞葉の《カエルムロンド》を《イクシオンオメガ》が掴み、そのまま電磁を纏わせひねり上げる。《カエルムロンド》の体躯が震え、内蔵血塊炉から青い血潮が舞った。

 

「瑞葉!」

 

 叫んだタカフミが《イクシオンオメガ》の射程へと潜り込む。しかしながら、敵のRブリューナクの暴風圏は健在。壁に阻まれるように、《ジーク》は後退していた。

 

「これでは……どうしようも……」

 

 歯噛みしたタカフミは直後のリックベイの声を聞いていた。

 

『……アイザワ少尉。隙が少しでもあれば、零式で踏み込めるな? 今の相手は焦っている。ゆえにこそ、この行動だ。もう我々全機を墜とせるだけの余力も残っていないのだ。せめて一機でも道連れにしようとする算段だろう。それに、君も見たはずだ。月面を覆う、銀色の光……』

 

 先ほどの瞬きは何であったのか。白銀の皮膜が月面を覆った瞬間、タカフミは一瞬、天啓でも受けたかのように誰かの思惟が脳内を突き抜けたのを実感していた。今は失せているが、あの何者かの意志がこちらまで突き動かす感覚の正体は不明のままだ。

 

「あれは、一体……」

 

『わたしは、分かったよ。死なずのこの身、何のためにあったのかを。あの光が教えてくれた。どうすれば、何が最善なのか。何をも守るために、ヒトは何に成れるのか……』

 

「少佐? 今は、そんな場合でもないはずです。瑞葉が……このままじゃ、チクショウ! 何だって、おれはいつもこんな……!」

 

 守れやしないのか。誓いも、守るべきと判断した誰かの命でさえも。

 

 いつだってそうだ。リックベイの期待を裏切り、アンヘルに所属を決めた時も。戦いの中で磨き上げられていく桐哉の背中に嫉妬した時も。

 

 いつだって正しい道は見えているのに、そちらに行く事が出来ない。いつだって、自分の人生は次点だ。最善で、そして唯一無二の道を進むのには、この身では敵わぬのか。

 

『……アイザワ少尉。君と桐哉には後悔させる道を強いたかもしれない。零式抜刀術……この身で終わらせるべきだったのかもな。後継者にこだわらずとも』

 

「いえ、少佐。少佐のお陰でおれは生きているんです。こうして、瑞葉とも分かり合えた。それは零式の……受け継いだ意志のお陰のはずなのに、何だっておれは! こういう時に決定的な事が出来やしないんだ!」

 

 苛立ちをコンソールにぶつける。瑞葉が嬲り殺しにされるのを黙って見ていろと言うのか。それとも、玉砕覚悟で立ち向かい、この折れそうな剣で相手の息の根を止めるとでも?

 

 ――不可能、そう、不可能なのだ。

 

 半端に剣の道を究めたわけではないからこそ分かる。生半可な覚悟の太刀は真剣勝負では邪魔なだけ。ここで用いるのは、まさしく決死の覚悟の刃。覚悟の切っ先だけが、この屹立する現実を貫き返せる。

 

 しかし、足りない。何もかもが足りていない。力も、覚悟も、何もかも。

 

 項垂れたタカフミはリックベイの言葉を聞いていた。

 

『……アイザワ少尉。君にはいつも、辛い選択肢を投げかける。今も、であろう。だからこそ、君らの前途に光あらん事を……』

 

「少佐? 何を――」

 

 そこから先の言葉は不意に跳ね上がった《ナナツーゼクウ》の挙動に止められていた。《ナナツーゼクウ》がRブリューナクの絶対の暴風へと飛び込んでいく。自殺行為だ、とタカフミは声を響かせていた。

 

「少佐! 何をやっているんです!」

 

『……彼奴の隙を突くのには、一機では不可能だ。わたしが道を作る』

 

「何を! 何をやって……そんなの! 望んじゃいませんよ!」

 

『……かもしれないな。だが、これがわたしなりの罪滅ぼしなのだ。アイザワ少尉。背負った罪は消えなくとも、償う道はある。それを今、わたしはこの刹那に見出した。瑞葉君を頼むぞ……』

 

 雄叫びが迸り、剣閃がRブリューナクを押し返してその絶対の防御を飛び越えていた。しかしながら、敵にはまだ余力がある。

 

『苦し紛れの特攻など! Rブリューナク!』

 

 上方より打ち下ろされた大型のRブリューナクが《ナナツーゼクウ》に突き刺さり、火花を散らせていた。炎が溢れ出し、無数の光条が《ナナツーゼクウ》の装甲を吹き飛ばす。

 

「少佐ァッ!」

 

 それでも、彼の機体は在り続けていた。Rブリューナクの高機動出力をそのマニピュレーターで押し切り、手にした刃で切り裂いている。

 

 決死の覚悟がなくては出来ない芸当だ。タカフミは相手もリックベイの背水の構えに絶句しているのが窺えた。

 

『……貴様、不死身か』

 

『不死身などいないさ。……いや、あってはならんのだ。だからこそ、歪んだ理はここで断ち切る! 零式抜刀術!』

 

『小賢しいッ!』

 

《イクシオンオメガ》が巨大な支持アームよりプレッシャーソードを打ち下ろしていた。その一撃を《ナナツーゼクウ》は受け止める。瞬間、関節部から青い血潮が噴き出し、その稼働限界を告げていた。

 

「少佐! 無理だ! そのままじゃ、人機が分解してしまう!」

 

『それでも……。押し通さなければならぬ意地。わたしは貫くとも。君達の師として、導かなければならぬ明日があると! そう、あの白銀の光が告げてくれた。お陰でわたしは! 迷わずに前に進めそうだ。アイザワ少尉。未来を掴むのは君達の役目だ。だから、わたしの事は……』

 

 実体剣が瞬き、高出力プレッシャーソードを押し返した。その膂力は通常人機のそれではない。零式抜刀術を完全に行使した時のみ、発生する奇跡の太刀である。

 

 斜に切り払った一閃が《イクシオンオメガ》のマニピュレーターを吹き飛ばしていた。瑞葉の《カエルムロンド》が解放される。その行動に《イクシオンオメガ》より無数の触手のようなアームが伸びていた。

 

《ナナツーゼクウ》を掴み、啄み、切り取り、そして、粉みじんに潰していく。

 

 前に出ようとしたタカフミを、リックベイの声が制していた。

 

 リックベイはなんとこの絶対の静謐である宇宙で、キャノピーを開き、身体を晒す。

 

 思わぬ行動に相手操主もうろたえた。

 

『何を……人間風情が、何をやっている!』

 

『そうだとも。わたしは所詮、人間だ。死なずとは言え、人間の領域に留まる。それが彼への答えだと、ようやく分かった。さぁ、大天使とやら。座興は――ここまでだ』

 

《ナナツーゼクウ》が刃を軋らせ、吼えながら《イクシオンオメガ》へと突っ込む。その構えにタカフミは流星を見ていた。

 

「流れる星の如く……命を燃やす最大の剣……その名は……」

 

 教えをそらんじたタカフミに、リックベイは安堵の声を出す。

 

『……感謝、すべきかもしれないな。この我流でしかないエゴの刃が、誰かに引き継がれるのを。さぁ、刻め、《イクシオンオメガ》。零式抜刀術、賽の陣! 落涙、一閃!』

 

 結ばれたその刃は落涙の輝きに似て、一筋の線を描き、そして《イクシオンオメガ》の巨躯を断ち割っていた。

 

 武装コンテナを盾にした形の《イクシオンオメガ》より爆発の光が無数に発生する。

 

『……これは! まさか、Rブリューナクの守りを貫通して……!』

 

『その見せかけの守り、見切ったと言わせてもらおう。数多の武装を弄して戦いを魅せるのではない。この世には、たった一振りの刀でも、全てを賭ける死狂いが存在する。それが我が身、零式の真骨頂』

 

『衆愚が!』

 

《イクシオンオメガ》より簡素なサブアームが伸び、《ナナツーゼクウ》の血塊炉をプレッシャーソードが貫いていた。それでも、《ナナツーゼクウ》は――リックベイは止まらない。

 

 獣のように剣を払い、サブアームをただのマニピュレーターが引き裂く。その一撃が《イクシオンオメガ》の装甲へと軋みをかけようとして、不意に放たれたRブリューナクが《ナナツーゼクウ》を粉砕する。

 

「少佐ァッ!」

 

 覚えず叫んだタカフミは灼熱の炎に染まる《ナナツーゼクウ》のキャノピーよりこちらを見据えたリックベイを視界に入れていた。

 

 彼はこの絶対の無音領域であるはずの真空の宇宙に、声を奔らせる。

 

 聞こえないはずなのに。タカフミにはその魂の声が届いていた。

 

「タカフミ・アイザワ! 行けェッ! 君は、これから先の未来を切り拓くのだ! それだけの力が、君達には――!」

 

『喧しいんだよ! 人間が吼えるなぁっ!』

 

 サブアームが《ナナツーゼクウ》を押え込み、その膂力で人機を圧迫する。リバウンドの皮膜が張られ、その向こう側へと旅立とうとするリックベイへと、タカフミは必死に手を伸ばしていた。

 

 己が師。永劫追いつく事はないと思っていた人が、彼岸へと行ってしまう。もう二度と再会出来ない。二度と分かり合えない。

 

 だからこの一瞬を永遠にしたいと。出来得る事ならばこの手で全てを守り通したいと、思うのは傲慢であろうか。

 

 それでも、タカフミはしゃにむに手を伸ばした。

 

 届かなくとも、届け――。

 

 無謀、無理でも、破れ――そのしがらみを。

 

「少佐ァッ! おれも行きます! だから!」

 

 その言葉にリックベイが煉獄の炎の先でサムズアップを寄越す。不意に無音が訪れた後、爆発の光輪が拡散する。

 

 マニピュレーターと装甲が一人の命と、そして伝説の人機の終焉を物語っていた。

 

 タカフミはコックピットで手を伸ばしたまま硬直する。

 

「……少、佐……」

 

『……アイザワ。少佐は……』

 

 濁した瑞葉にタカフミは面を上げる。哄笑が通信域を震わせていた。

 

『人間が生意気な真似をするから、こうなる! 伝説の操主が何だ! この程度か!』

 

「……違う」

 

『……何だと?』

 

 タカフミは操縦桿を引き、《ジーク》を疾駆させる。《イクシオンオメガ》の放つプレッシャーを引き剥がし、その背面へと回ろうとした。

 

 敵は反応が追いつかず、そのまま腹腔を割られる。

 

 電磁波が走り、装甲が砕けていた。

 

『貴様……ッ!』

 

「違うな。お前は、何も分かっちゃいねぇ。少佐が何を残してくれたのか。おれ達に何を見てくれていたのか。少佐は、未来を託してくれたんだ。おれみたいな……未熟者にだって、何か出来るんだって、言ってくれた」

 

『だから何だと言う! ヒトはヒトでしかない! 天使にはなれないんだよ!』

 

「――ああ、言ったな? ヒトは、そうだとも。ヒトでしかない。それはお前だって同じはずだ。ヒトは、ヒトでしかねぇ!」

 

『わたしを凡俗と……!』

 

《イクシオンオメガ》がサブアームで《ジーク》を捉えようとするが、《ジーク》は機体を反らせ瞬時に反対側の宙域へと飛び出していた。

 

『ファントムだと!』

 

「少佐は示してくれた。おれ達に、生きろと。なら、おれは全うしないとな。生きる……生きていくのに……未来は必要だからよ!」

 

 雷撃のファントムを用い、《ジーク》が直上に立ち現れる。大型プレッシャーソードが宙域を薙ぎ払うが、それを《ジーク》は実体剣で受け止める。

 

『何だと!』

 

「刻め――。戦いの先にある、おれ達の道を! 零式抜刀術! 居合の太刀!」

 

 構えた《ジーク》に《イクシオンオメガ》がプレッシャーソードを打ち下ろす。その一閃に返すように、《ジーク》は銀閃を払っていた。

 

 瞬時に抜かれた居合の太刀は、既に仕舞われている。

 

 直後、プレッシャーソード発振部が粉砕し、《イクシオンオメガ》の頭部コックピットまで亀裂が走った。

 

『まさか! 大天使だぞ、わたしは!』

 

「言ったろうが。ヒトは、ヒトでしかない。だから前を向けるんだ。天使だなんだって驕った結果、しっかり目ぇ焼き付けるんだな。最後の最後に!」

 

 猪突する《ジーク》に《イクシオンオメガ》が本体と基部をパージし、一機の通常人機となって《ジーク》へと抜刀する。

 

 プレッシャーソードが《ジーク》の血塊炉へと突き刺さった。

 

『勝った!』

 

 響き渡った高笑いに、タカフミは静かに応じる。

 

「いや……おれの勝ちだ」

 

 掲げた銀色の太刀を、《イクシオンオメガ》が仰ぐ。

 

『ここでわたしを討っても、世界は変わらん! そんなシンプルな事が、何故分からない!』

 

「……ああ。おれ馬鹿だからさ。難しい事は分からないんだ。だが一つだけハッキリしているのは――今のおれは、無敵だって事だ」

 

 打ち下ろされた一閃が《イクシオンオメガ》を両断する。電磁の波と青い血潮が舞い、《イクシオンオメガ》が爆発の光に抱かれていた。

 

 至近で咲いた爆発の余韻にタカフミは《ジーク》が流されていくのを自覚する。

 

 その機体を瑞葉の《カエルムロンド》が受け止めていた。

 

「ああ……おれってばカッコ悪ぃ……。彼女に、背中任せちまうなんて」

 

『……アイザワ。少佐が……』

 

 咽び泣く瑞葉に、タカフミももらい泣きしてしまう。参ったな、と彼は微笑んでいた。

 

「男泣きなんて、カッコ悪……。でも少佐、あなたが大切な事を教えてくれた。大切な人を守れって。だったら、貫きますよ、少佐。最後の最後、おれの身体が動かなくなるまで、その誓いを……」

 

 鋼鉄の腕が宇宙を掻く。その手が掴むものはきっと、もっと大きなものであるはずであった。

 

 白銀の銀河に、未来を描くのが、これから先を生きる己の役目だ。

 

 だから、今だけは――泣く理由を見つけさせてくれ。

 

 涙する理由に、唾を吐かないで欲しい。

 

 それだけであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯356 眼光決死

 

 砲塔で殴りつけたその時、《イクシオンガンマ》がハッと硬直する。

 

『渡良瀬が……死んだ?』

 

 爆風の向こう側にあの巨大人機が消え去ったのを、桃は目にしていた。この動乱の戦局も移り変わろうとしている。桃は《ナインライヴスリレイズ》で《イクシオンガンマ》の追撃を引き剥がす。

 

「Rハイメガランチャー! 発射!」

 

 放たれた光軸を近接戦用の《イクシオンガンマ》は雷撃のファントムで逃れる。舌打ちを滲ませ、桃は鉄菜の《モリビトシンス》へと真っ直ぐに向かう白亜の機体の熱源を関知する。

 

「《トガビトコア》……。《ゴフェル》を狙えるのに、身を翻した……?」

 

 その理由を判ずる前に《イクシオンガンマ》の棍棒が《ナインライヴス》を打ち据える。

 

「こんの!」

 

 負けじと砲身を払い、ウイングバインダーに仕込んだRピストルの銃撃網を浴びせる。敵人機が上方に逃れ、腕に仕込んだリバウンドのガトリングを浴びせかけていた。

 

 桃は奥歯を噛み締め、重力過負荷を感じながら機体を制動用推進剤で移動させ、Rハイメガランチャーの照準をかける。

 

「沈めぇーッ!」

 

 放たれた砲撃を《イクシオンガンマ》は紙一重で回避し、加速して《ナインライヴス》へと一撃で殴りつけていた。

 

 そのまま月面まで押し飛ばされた人機を、桃は持ち直させる。

 

 砂礫を舞い上がらせ、《ナインライヴス》が四枚羽根を稼働し、敵人機を睨んだ。

 

「そっちに負けている場合じゃないのよ! モモだって!」

 

 ウイングバインダーに搭載された血塊炉が火を噴き、Rランチャーと同威力の破壊性能が《イクシオンガンマ》を狙い澄ます。

 

《イクシオンガンマ》は棍棒を一本投げ捨てていた。そちら側がデコイとなり、砲撃の照準を逸らす。

 

 爆発の光に抱かれた武装を尻目に、《イクシオンガンマ》は《ナインライヴス》へと棍棒を振るい落とす。

 

《ナインライヴス》は後退し様にRピストルを放っていたが、敵はその程度では止まらない。

 

 間断のない攻撃に桃は問い返していた。

 

「何のために! もう、あんたらのボスは死んだんでしょうに!」

 

『……渡良瀬ぇ……っ。もう、痛いままなの? 痛いままなら……みんな! 死んじゃえばいいぃ……っ! 壊れて、爛れて、傷ついて! そして引き裂けてしまえ!』

 

 横合いから殴り上げた《イクシオンガンマ》の暴力に、《ナインライヴス》がたたらを踏む。

 

「……結局のところ、自分かわいさに戦っているってわけ。そんなもんで、モモ達がぁっ!」

 

 砲身を突き上げ、Rハイメガランチャーを至近距離で放とうとして、《イクシオンガンマ》の浴びせ蹴りが血塊炉を震わせていた。

 

 よろめいた《ナインライヴス》を《イクシオンガンマ》が殴りつける。

 

 加速し、その勢いを殺さずに敵機は《ナインライヴス》を押し飛ばしていた。

 

 急加速に桃は奥歯を噛み締める。

 

「あんた、は……」

 

『何で……? 天使だって言うのに、痛いままなんて……ぇ。そんなの、おかしいじゃない! 何もかも、おかしいってのに!』

 

 振るい上げた棍棒に赤いリバウンドの輝きが宿る。渾身の一振りであろう。

 

 桃は息を詰め、打ち下ろされるその一撃より視線を逸らさなかった。

 

 その一瞬。

 

《ナインライヴス》のバランサーをわざと崩し、姿勢制御の外れた機体が予測不可能な挙動をする。

 

 それを相手も読めなかったらしい。《ナインライヴス》の頭部すれすれを、相手の棍棒の一撃が行き過ぎる。

 

 棍棒が地面へと深々と突き刺さっていた。

 

「……悪いわね。死ぬ気で、って言うんなら、モモはとっくに! その覚悟は出来ているってのよ!」

 

 狙ったのはゼロ距離での砲撃。避けようのない至近でRハイメガランチャーが敵の腹腔へと突きつけられている。

 

《イクシオンガンマ》が赤い眼光を照り輝かせた。

 

『殺してやる!』

 

「うるさいわね! モモ達は、諦めを踏み越えてでも!」

 

 Rハイメガランチャーの太い光軸が《イクシオンガンマ》を打ち砕いていた。敵の怨嗟も含めて光の向こうへと追いやっていく。

 

 桃は呼吸を荒立たせ、言葉を結んでいた。

 

「……これが、ブルブラッドキャリアの……執行者よ……。そうよね、アヤ姉……」

 

 砲身を杖のように保持し、《ナインライヴス》に息づく桃は降り注ぐ敵の装甲の中で息をついていた。

 

 バラバラに砕けた敵機の血潮がピンク色の装甲を青く汚す。《ナインライヴス》は歩み始めていた。

 

 まだ、終わっていない。

 

 その眼光は睨み合いを続ける白亜の人機と、鉄菜の《モリビトシンス》に向けられていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯357 執行者、再臨

 不意に発せられた殺気に、鉄菜は《モリビトシンス》の盾を稼働させる。

 

「……そこか!」

 

 機動した《クリオネルディバイダー》の一基が敵のリバウンドプレッシャーを受け止める。明らかに燐華の《キリビトイザナミ》を狙った砲撃に、鉄菜は歯噛みする。

 

「……なんて事を。騙し討ちなんて!」

 

『鉄菜……?』

 

「燐華、下がれ。こいつは! 私の相手だ!」

 

 その言葉に白亜の人機が舞い降りる。掌に漆黒の瘴気を滾らせ、《トガビトコア》と銀龍の《モリビトシンス》がもつれ合う。

 

《トガビトコア》が白亜の機体に流れる黄金の血潮を散らし、こちらへと連続砲撃を浴びせかける。

 

 鉄菜は背面に連結して装備している《クリオネルディバイダー》を稼働させていた。

 

 分離した《クリオネルディバイダー》がそれぞれ回転し、三つの盾が皮膜を形成する。

 

「リバウンド――フォール!」

 

 反射したリバウンドの攻撃に、敵機は後退し、その巨体に余裕を浮かべた。

 

 鉄菜も《モリビトシンス》で相対する。

 

『……会いたかったぞ。鉄菜・ノヴァリス』

 

「……梨朱・アイアス。貴様はどうして……私の大切なものを奪おうとする? それに今もそうだ。戦う意思のない相手を狙った」

 

『戦う意思? 可笑しな事を言う。戦場に! 戦う意思のない軟弱者が、分け入るものじゃない!』

 

《トガビトコア》が両腕に漆黒のリバウンドを充填し、それを刃へと変換して斬りさばいていた。

 

 鉄菜はRシェルソードで受け止める、敵のリバウンドエネルギーの高さに剣を手離す。直後にはRシェルソードは真っ二つに引き裂かれていた。

 

「……なんて言う出力を……」

 

『貴様に勝つために、私はこの力を手に入れた。分かるか? 鉄菜・ノヴァリス。私は完璧な血続だ。バベルを掌握し、本隊を壊滅に追い込み、そして最強の敵として、貴様の前に立っている。これがどういう意味なのか、分からないわけではあるまい』

 

「……何を言わせたい」

 

『何を? 全てだ。鉄菜・ノヴァリス。私は全になった。全に対し、貴様は一でしかない。ただの一が全に敵うものか!』

 

《トガビトコア》が機体各部より黒いリバウンドの砲撃を浴びせかける。鉄菜は《モリビトシンス》を機動させ、駆け抜けさせた。銀龍の《モリビトシンス》は《クリオネルディバイダー》を操り、敵へとその扁平なる盾を奔らせる。

 

「行け! ディバイダービット!」

 

《クリオネルディバイダー》そのものを武装とした自律兵装、ディバイダービット。暗礁の宇宙を駆け抜け、敵へと追いすがるそれを、相手は放った円筒型のRブリューナクで応戦していた。

 

『迎撃しろ! Rハイブリューナク!』

 

 互いの自律兵器同士が火花を散らせ、やがて両者共に打ち砕かれていた。

 

 鉄菜はその戦局を眺め、口にする。

 

「……お前は私に勝ちたいのか?」

 

『勝ちたいのか、だと? 既に勝っている! 何を今さら!』

 

「だったら、何故私にこだわる? 私を真に絶望させたいのならば、《ゴフェル》も狙えたはずだ。何故、今の私の前に立つ!」

 

 銀龍が宇宙を奔り、《クリオネルディバイダー》の護りが敵の黒いリバウンドの怨嗟を弾き返す。

 

 相手も埒が明かないと感じたのか、後退し様に声にしていた。

 

『そのモリビト……最後の力のようだな。ブルブラッドキャリアから離反した愚か者達が構築した、最後の砦か』

 

「仲間を侮辱するな。私は、お前を撃つ」

 

 明瞭に結んだ殺意に相手はせせら笑う。

 

『……撃つ、か。私も同じ気持ちだ。そうだとも! 私達は、似た者同士なんだ! 組織に造られ身勝手に利用され、そして絶望した! 何もかもを虚構の向こうに置いて、ここに佇んでいるのは鋼鉄の虚無! 何も頼るもののない、ただの殺戮マシーンだ!』

 

 殺戮マシーン。以前までならば、それに同意していたかもしれない。世界に絶望した、というのも本音のうちだ。間違ってはいない。

 

 だが、今は――。

 

 鉄菜は《キリビトイザナミ》に収まる燐華を知覚する。それに、この月面で戦い抜いたモリビトの執行者を。危険を顧みず敵の通信塔を破壊したニナイを。そして、《ゴフェル》のみんなを。

 

 だから自分は――。

 

「私とお前は、違う」

 

 その言葉に梨朱は困惑の声を発していた。

 

『違う……? 違うものか! 私とお前は、同じ殺戮機械! 殺して壊すしか出来ない、出来損ないだ!』

 

「……かつてはそうだったかもしれない。壊して、破壊して……その先に何を見出そうともしない虚無。それが私であった。だが今は! この鉄菜・ノヴァリスと言う躯体を動かすこの感情は! 心は! 決して一人のものではない! この身体に流れる血潮が破壊のためだけにあるわけがない!」

 

『繰り言を! 言葉を弄したって人造血続である過去は変わらない!』

 

《トガビトコア》が回り込み、その刃で《モリビトシンス》を引き裂こうとする。それを、翳した《クリオネルディバイダー》が受け止め、そして反射していた。

 

 敵人機が片腕をもがれ、大きく後退する。

 

「……そうかもしれない。過去は、確かに変えられないだろう。だが、未来は! いくらでも変えられる! それこそ無限に! 私は、未来に生きていたいんだ! これから先を描く、その未来のために!」

 

『綺麗ごとを! 行け! Rハイブリューナク!』

 

 敵機より自律兵装が弾き出される。それを、鉄菜は腰にマウントしたRブレイドで引き裂いていた。

 

 両手に携えた太刀が敵の怨嗟を断ち割る。

 

 その光景に、敵機が急速上昇していた。

 

「逃げるのか!」

 

『逃げる? まさか。この《トガビトコア》の本当の恐ろしさを、貴様に刻んでやるのさ。見るがいい! 月面を覆う狂気! 《モリビトルナティック》!』

 

《モリビトルナティック》最後の一機が月面を睥睨している。しかし、バベルネットワークと本隊の途切れた今、その力は存在しないはずだ。

 

「……糸の切れた人形で何をする」

 

『糸の切れた? それは、これを見てから言うんだな!』

 

 中枢部に位置する骨張ったモリビトタイプを、《トガビトコア》は粉砕する。《トガビトコア》の神経モジュールが直後、《モリビトルナティック》中枢と接続していた。

 

 思わぬ光景に鉄菜は息を呑む。

 

「……まさか」

 

《トガビトコア》を中心軸に据え、《モリビトルナティック》の全接続系が蘇っていく。十字の罪が月面を睥睨し、そして破壊の爪痕を刻もうとしていた。

 

『《トガビトコア》は元々、大型モジュールの中枢になるために開発された。無論、互換性は存在するとも。それは既存のモリビトタイプにも。そうだとも、これが最後の罪――《トガビトザイ》だ!』

 

「トガビト……ザイ……」

 

 言葉を失った鉄菜に超巨大人機、《トガビトザイ》より無数の破壊兵器が射出される。それそのものが通常人機と同サイズのRブリューナクが稼働し、超高速でこちらへと接近する。

 

 舌打ちを滲ませ、鉄菜は《クリオネルディバイダー》で応戦していた。

 

「ディバイダービット! リバウンドフォールで!」

 

『脆い!』

 

 敵機Rブリューナクが刃を顕現させ、展開したリバウンフォールごと《クリオネルディバイダー》を粉砕する。鉄菜は奥歯を噛み締め、急加速に身を委ねていた。

 

「ライジング、ファントム!」

 

 雷撃のファントムで一気に距離を離そうとするが、敵の自律兵装はさらに加速を続ける。

 

 追いつかれる、と思ったその瞬間であった。

 

『Rハイメガランチャー!』

 

 黄金の光軸が自律兵器を叩き落す。

 

 鉄菜がハッと目を見開いた時、月面で踏ん張る《ナインライヴス》が視野に入っていた。

 

「桃……」

 

『クロ。言ったでしょ? 必ず帰って来てって。その約束果たさせるのに、あんただけで置いとけないもの』

 

 言いやった桃は砲撃の矛先を《トガビトザイ》へと向ける。しかし、放たれた砲撃を《トガビトザイ》はリバウンドフィールドで弾いていた。通信網に舌打ちが混じる。

 

『簡単には陥落しないか』

 

「桃……、敵は相当な脅威となった。《トガビトザイ》……。どうやって攻略すればいいのか、まるで……」

 

『分からないって? でも、案外、モモ達も諦め悪いのよ』

 

「……どういう……」

 

 その言葉を問いただす前に《トガビトザイ》の背後より跳躍した機影があった。敵機が反応して反撃する前に、アンチブルブラッドミサイルが敵を濃霧の中に落とし込む。

 

『……小手先で!』

 

『小手先で結構! ミィ達は、それで生き残ってきたんだから!』

 

《イドラオルガノン》がRトマホークを顕現させ、《トガビトザイ》へと突き進む。リバウンドフィールドに阻まれたものの、その攻撃は相手の神経を逆撫でしたらしい。放たれた自律兵装を《イドラオルガノン》は加速度で振り払おうとする。

 

『遅い! Rブリューナクは追いつく!』

 

『そう? だったら、砕いちゃえばいい! そうでしょ、林檎!』

 

 一転して制動をかけ、相対速度を利用してRトマホークで自律兵装を打ち砕く。その勇猛果敢さは自分の知っている蜜柑とは異なっていた。

 

 まるで、まだ――失ったはずの林檎が同乗しているかのようだ。

 

「……ミキタカ姉妹は……」

 

『蜜柑も乗り越えたってわけでしょうね。《イドラオルガノン》! 敵を振り切って来られる?』

 

 追撃のRブリューナクを発振させた刃で粉砕し、《イドラオルガノン》が弾頭を放出しながら、細かく推進剤を焚いて、機体を地面に滑らせる。

 

 思わぬ形で集結したモリビト三機に鉄菜は《トガビトザイ》を睨み上げる。

 

 その視線を感じ取ったのか、梨朱が応じていた。

 

『……何だ、貴様ら。弱者が寄り集まって……!』

 

「違う! 私達は、一人じゃない。それが今! ハッキリと分かった!」

 

『そう……モモ達は、ブルブラッドキャリア。世界を変えるために、刃を取ると決めた存在。そして!』

 

『今も戦える……戦い抜いて見せる! それが、ミィ達なのよ! 半端な気持ちで、世界に刃を突きつけたわけじゃない! ミィ達は、何度だって立ち上がる!』

 

「それがモリビトの――執行者。私達だ!」

 

 結んだ決意に梨朱が歯を軋らせたのを鉄菜は感じ取った。

 

『……そんな安い代物。安い人間達が、この梨朱・アイアスを! 止められるものか!』

 

「絆を容易いのだと、脆いのだと規定するのは勝手だ。だが、私達は、行ける! この先に。未来に向けて! だから!」

 

『《モリビトナインライヴスリレイズ》! 桃・リップバーン!』

 

『《モリビトイドラオルガノンアモー》! 蜜柑・ミキタカ!』

 

 二人の声に続き、鉄菜は名乗っていた。

 

「……《モリビトシンスカエルラドラグーン》。鉄菜・ノヴァリス。《トガビトザイ》を……脅威判定、SSSと断定し、迎撃する!」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯358 VS《トガビトザイ》Ⅰ

『ほざけ! 梨朱・アイアス! 《トガビトザイ》! 踏み潰す!』

 

 敵の十字より放たれたのはリバウンドの砲撃であった。幾何学の軌道を描くリバウンド砲を三機のモリビトは散開し、それぞれの機動を描く。

 

《ナインライヴス》が砲撃を返し、リバウンドフィールドにひずみをもたらした。

 

 その一瞬の隙を突き、《イドラオルガノン》が跳ね上がる。砲撃網に負けない加速度を見せつけ、アンチブルブラッド兵装を焚いて照準をかく乱させた。

 

 リバウンドフィールドへと飛び込み、虹色の皮膜をRトマホークで無理やりこじ開けていく。

 

『小癪な! 狙い撃つ!』

 

 中央に位置する《トガビトコア》が腕を振るい上げ、漆黒のリバウンドプレッシャーを放っていた。

 

 無防備な《イドラオルガノン》を保護したのは鉄菜の操る《クリオネルディバイダー》の盾である。

 

 三つの盾が三角の軸を描き、それぞれ流転してエネルギーを反射させる。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 弾き返した相手の攻撃が内部で誘爆し、リバウンドフィールドが緩んだその一瞬。

 

 鉄菜は導かれるように《イドラオルガノン》の開けた穴より分け入っていた。

 

 銀龍の《モリビトシンス》を《トガビトザイ》はその至近距離で追い込もうとする。

 

『近ければ勝てるとでも! 愚かしい判断だ!』

 

《トガビトザイ》の十字の装甲が展開し、それぞれが赤く煮え滾った。瞬間、《モリビトシンス》を保護する《クリオネルディバイダー》が灼熱に抱かれて溶解していく。触れていないのに粉砕される《クリオネルディバイダー》を分離し、鉄菜は周囲に咲く爆発の光輪の中でアームレイカーを引いていた。

 

《モリビトシンス》がRブレイドを両手に《トガビトザイ》へと肉薄する。それを《トガビトザイ》は偏向したリバウンドの砲撃で阻もうとした。

 

「それでも!」

 

 Rブレイドで砲撃へと真正面からぶつかる。二本の剣が弾け飛び、砕けたのを確認もせず、次なる武装へと手をかけていた。

 

 マウントされたRシェルソードを引き抜き、至近距離で可変させRシェルライフルによる銃撃を浴びせかける。リバウンドフィールドの守りのない敵機が中枢部の腕を翳し、リバウンドプレッシャーを放っていた。

 

 ぶつかり合ったエネルギー同士が干渉波を散らせ、四散する。その煮え滾るエネルギーの瀑布に抱かれて《モリビトシンス》は次なる武装を手にしていた。

 

《クリオネルディバイダー》の一基の裏側に固定されていたRパイルソードを右腕に装着し、無数のパイルを射出する。撃ち込まれたパイルよりリバウンドの効力が発生し、装甲を剥離させていく。その状況に梨朱の声が弾けていた。

 

『させるか! 攻撃の実行前に粉砕する!』

 

 さらなる熱線攻撃が放たれ、《モリビトシンス》を保護する《クリオネルディバイダー》が一基、また一基と使用不可能に晒される。鉄菜は丹田に力を込め、一息に刃を払っていた。

 

「だとしても!」

 

 Rパイルソードが敵の一部装甲を引き裂き、その勢いのまま離脱挙動に入る。敵機の十字の背面より無数の幾何学軌道のリバウンド砲撃が《モリビトシンス》へと殺到した。

 

『撃墜してやる!』

 

『させないっ! 《イドラオルガノンアモー》!』

 

 割って入った《イドラオルガノン》が笠の形状の防御壁を展開し、敵の砲撃を弾き返す。しかし、いくつかは跳ね返せなかったのか、《イドラオルガノン》の推力が急速に下がっていく。

 

 それを見逃す相手ではない。即座に下部から回ってきたRブリューナクが《イドラオルガノン》へと突き刺さりかける。

 

 しかし、それを阻んだのは《ナインライヴス》の放った砲撃であった。極太の光軸がRブリューナクを塵芥に還す。

 

『邪魔をするなァッ!』

 

 無数の自律稼働兵器とリバウンドの砲撃が月面を焦土に変える。《ナインライヴス》はエクステンドチャージを張りつつ、正確無比に《トガビトザイ》の装甲を撃ち抜いていた。何重にも隔てられた装甲版を粉砕し、誘爆の光が連鎖する。

 

『邪魔をするなってのなら、モモ達だって同じ! ここで時間なんて、かけてられないのよォっ!』

 

『《イドラオルガノンアモー》! このままリバウンドフィールド発生装置を破壊する!』

 

 アンチブルブラッドミサイルが再び尾を引いて直進する。それを《トガビトザイ》はRブリューナクの発したリバウンドの斥力磁場で分散させていた。それぞれ照準機能を失ったミサイルが暗礁宙域に散る。

 

「……ミサイルのロックオンを外した……」

 

 鉄菜は銀龍の《モリビトシンス》を繰りつつ、次なる一手を模索していた。

 

 敵は鉄壁のリバウンドフィールドに保護され、さらに何重にも渡る多面装甲版を有している。近づくものには容赦のないRブリューナクの高機動全方位攻撃。そして、中距離、遠距離でもリバウンド砲撃網による減殺しない威力の攻撃が可能。

 

 まさに機動要塞。鉄菜は装備のほとんどを失った《モリビトシンス》の武装を確かめる。

 

「……《クリオネルディバイダー》は残り、両肩の一基ずつ、背面装備が三基……。脚部装備が二基……。リバウンドフォールには三基が最低限必要……。あまり不用意には近づけないが……」

 

 それでも消耗戦を続けれこちらが不利なのだけは明らかだ。鉄菜はぐっと奥歯を噛み、《モリビトシンス》の機体を翻させた。

 

 三つのアイサイトが《トガビトザイ》をその緑色の眼光で睨む。それに対して、《トガビトザイ》は赤く煮え滾った眼差しで応じていた。

 

『《トガビトザイ》は無敵の人機だ! 倒す事は不可能!』

 

『その不可能を……やってのけようじゃない!』

 

 桃が《ナインライヴス》で月面の砂礫を巻き上げながらRハイメガランチャーを速射した。その一撃を弾いたリバウンドフィールドの発生源はそれぞれ四つの点に分類されている。

 

 十字の各々の端にリバウンドフィールド発生装置が組み込まれているのは分かるのだが、仕掛けるのにはそれ相応の覚悟が必要だろう。

 

「エクステンドディバイダーなら……リバウンドフィールド発生装置を破壊出来る。だが、それには構えの時間が……」

 

 しかもエクステンドディバイダーは諸刃の剣。エクステンドチャージを使用すれば、それなりのロスが発生する。

 

《モリビトシンス》がリバウンドフィールドを超えて肉薄出来るのはそう多くないだろう。それでも、立ち向かわなければならない。使命感が、鉄菜の身体を衝き動かしていた。アームレイカーに差した指に力を入れ、フットペダルを踏み込む。

 

 加速度に抱かれた《モリビトシンス》は銀龍の装いを見せつけ、《トガビトザイ》へと突き進む。

 

 すかさず放たれたRブリューナクを、《イドラオルガノン》がRトマホークで割っていた。しかしその背面へと小型Rブリューナクが高速で迫る。

 

 瞬時に振り返って応戦したのは《イドラオルガノン》の副次武装である外部装甲だ。

 

 鎧のように着込まれている副次武装が裏返り、瞬発的な火力を誇る。

 

 小型Rブリューナクは炎に包まれたが、いくつかはその銃撃を抜けた。《イドラオルガノン》の背筋へとRブリューナクが突き刺さり、爆風を拡張させる。

 

「……蜜柑・ミキタカ!」

 

『……ミィは、大丈夫。まだ、やれます。鉄菜さんは、エクステンドディバイダーの準備を! ミィと桃お姉ちゃんが時間を稼ぎます!』

 

『……そうは言っても、相手のスタミナ切れが期待出来ない以上、こっちも土壇場だけれどね。いいわ。クロ! エクステンドディバイダーでリバウンドフィールド発生装置を! それしか突き崩す手はない!』

 

 再び放たれた光軸が《トガビトザイ》へと撃ち込まれかけて、虹色の皮膜に防がれる。

 

 やはり今のままでは盤面は覆らない。

 

 エクステンドディバイダーを使うしかないのか――。そう感じた矢先、咲いた火線に鉄菜は瞠目していた。

 

「あれは……」

 

『クロナ! これより援護に入る!』

 

 瑞葉の《カエルムロンド》とそれに伴って、タカフミの《ジーク》が射線に入る。《トガビトザイ》は薙ぎ払おうと、十字の側面を灼熱に染め上げた。

 

『今さら応援など! 一掃する!』

 

 放たれた砲撃にタカフミは《ジーク》の姿勢を沈ませ、瞬時に射線から逃れる。雷撃のファントムが実行され、幾何学軌道を描いて追尾する相手の攻撃を掻い潜っていた。

 

『これが世界の悪意だって言うんなら、おれ達だって応戦するぜ! 《ジーク》、見せつけてやる! 零式抜刀術!』

 

『小賢しいィッ!』

 

《トガビトザイ》が再び灼熱のフィールドを発生させる。至近距離に近づいた敵を溶断する悪夢の領域だ。鉄菜は声を振りかけようとして、タカフミの《ジーク》がリバウンドフィールドを突破した事に呆然としていた。

 

「リバウンドフィールドを……」

 

 加速度で突破したのではない。展開されていた虹色の皮膜を、《ジーク》はその太刀で――両断していた。

 

 真っ二つに割られたリバウンドフィールドの隙間より、《ジーク》が跳ね上がり、その剣筋を突き立てる。

 

 完全なるゼロ距離まで到達した《ジーク》に梨朱も困惑の声を振り絞っていた。

 

『貴様……何者だ……!』

 

『何者でもねぇよ。ただの……生きているだけの人間だ! 零式抜刀術、八の陣! 怒号、粉砕の図!』

 

 剣の突き立った部位より敵人機の装甲が遊離し、亀裂が走る。思わぬ攻撃に狼狽したのか、《トガビトザイ》はRブリューナクを無数に射出し、《ジーク》を狙い澄ましていた。

 

 Rブリューナクより放たれる無数の光条を、しかし、《ジーク》は即座に後退し、回避していく。

 

「……タカフミ・アイザワ。その実力、本物と言うわけか」

 

『ぼうっとすんな! クロナ! やるんだろ?』

 

 振り向けられた声に鉄菜は息を詰め、コンソールに起動キーを呼び起こしていた。

 

「エクステンドチャージ、起動!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯359 VS《トガビトザイ》Ⅱ

 瞬く間に銀龍の機体が黄金に染まり、背面に装備した二基の《クリオネルディバイダー》が展開する。右肩のシールド《クリオネルディバイダー》と連結し、瞬時にその攻撃性能を拡大する。

 

 黄金の一撃が灼熱と憤怒の赤に染まり、右側に必殺の勢いを灯らせていた。

 

「エクステンド――ッ!」

 

『させるものか! 《トガビトザイ》、エクステンド、チャージ!』

 

 その一声に鉄菜を含め、全員が震撼する。黄金の血潮が四つの柱に行き渡り、やがて中枢部の《トガビトコア》が漆黒と赤に染まった。

 

 瘴気を帯びた《トガビトザイ》より、黒いリバウンドプレッシャーが無数に放たれる。

 

 軌道も、法則性も無視した全方位砲撃は、この時展開していた、ブルブラッドキャリア全人機の足を止めていた。

 

 月面を踏みしだいていた《ナインライヴス》が眼前に一撃を浴びせられ、足を止めたその時には、無数の光条が降り注ぐ。

 

「桃!」

 

 声にしたその時、宙域機動していた《イドラオルガノン》が笠の防御壁を張るが、その防御を無情にも貫通し、《イドラオルガノン》のフレームが爆炎に包まれる。

 

 悲鳴が通信網を劈いていた。

 

『こんなもの……クロナ!』

 

 瑞葉が何かに勘付いたように《カエルムロンド》を疾駆させ、咄嗟に前に出る。その軌道上に割り込んできた《トガビトザイ》の砲撃を瑞葉の《カエルムロンド》が受けていた。半身を潰され、煤けた機体が流れていく。

 

『野郎……。よくも瑞葉を!』

 

《ジーク》が果敢に前へと進み、その砲撃網を抜けた先に剣を突き立てようとするが、その切っ先が引き裂いたのは何もない場所であった。

 

『……熱源の眩惑……。おれの眼を……』

 

 搾られた声音に《ジーク》の背面へと無数の光条が吸い込まれるように命中する。多段攻撃を受けた《ジーク》の装甲に亀裂が走り、その内部フレームを剥き出しにした。

 

「……みんな……」

 

 放とうとしていたエクステンドディバイダーは完全に中断されていた。

 

 自分以外の全員が重篤な被害を受けた。それだけでも計算外なのに、相手はエクステンドチャージをまるで別種の領域で使用する。

 

『大型血塊炉を積んだ《モリビトルナティック》の素体と! そして究極の人機たる、《トガビトコア》の性能は《トガビトザイ》を完全なる人機へと引き上げた! 今の《トガビトザイ》が構築するリバウンドフィールドは惑星が展開するのとほぼ同等! さらに! その攻撃性能は艦隊クラスに匹敵する! これでもまだ! 希望を振り翳すか、無謀なる者達よ!』

 

 鉄菜は絶句していた。エクステンドディバイダーを用いれば、まだ逆転の目は残されていると思われていた。しかし、眼前の敵はどうだ。

 

 漆黒の瘴気を帯びた《トガビトザイ》には全ての攻撃は無効。それが歴然と分かる。それだけに、自分の持ち得る抵抗策など、まさしく羽虫の一事のように思われてしまう。

 

 携えたエクステンドディバイダーの刃など松明のようなものだ。敵は月面軌道上で燃え盛る煉獄の炎そのもの。

 

 そんな相手に、松明の刃が通用するものか。

 

 鉄菜は面を伏せていた。これで、対抗の策は潰えた。自分の刃など、ただ闇雲に死期を遠ざけるだけの抵抗――。

 

 そんなものに意味はあるのか。意義はあるのか。勝てないのか、ここで何もかもが敗北の一途を辿るのか。

 

「……私は……」

 

『焼け落ちろ! 《モリビトシンス》! エクステンドプレッシャー――滅!』

 

 漆黒の衝撃波が《モリビトシンス》へと放たれる。バイザーを染め上げ、何もかもを虚無の向こうへと追いやる黒の波動に、《モリビトシンス》はその輝きさえも掻き消そうとしていた。

 

 何もない。

 

 何もない、暗黒。

 

 その絶望の向こうへと、希望は砕け落ちる。

 

 そう、誰もが確信したであろう。

 

 ブルブラッドキャリアの、モリビトでも勝てない――。

 

 その事実に、現実に、重く横たわるそれに――諦めしか浮かべられない。戦う事なんて、出来ない。

 

 だから、直後に響いた声に、鉄菜は咄嗟の反応が遅れていた。

 

 ――それでも、前に進むんでしょう?

 

 声の在り処へと、鉄菜は振り返る。

 

 巨大人機が推進剤を焚いて、漆黒のエネルギー波をリバウンドフィールドで弾き返そうとしていた。

 

「キリビト……イザナミ……」

 

 燐華の人機が支持アームより伸ばした巨大なプレッシャーソードを振るい上げ、雄叫びがこの絶望を上塗りする。

 

『鉄菜は! あたしが守るんだからぁっ!』

 

 思わぬ伏兵であったのだろう。梨朱も、その相手へと声を弾けさせる。

 

『何が出来る! ハイアルファーの呪縛の中にあるだけの、呪われた機体が!』

 

『出来る! 鉄菜はあたしにくれた! 未来をくれたの! だったら、今度はあたしの番! あたしが、鉄菜の未来を創る! 鉄菜がそう教えてくれた! 壊すだけじゃない、作り上げる事も出来るって!』

 

「……燐華……」

 

『……そう、だな……』

 

 反応した瑞葉の《カエルムロンド》がミサイル攻撃を《トガビトザイ》へと殺到させる。爆発の光輪が咲き、《カエルムロンド》がプレッシャーソードを発振させる。

 

 その灯火のような刃と、《トガビトザイ》の漆黒のオーラが干渉し合っていた。しかし、見るも明らかな劣勢。

 

《カエルムロンド》は今にも崩れ落ちそうである。

 

「ミズハ! やめるんだ! 《カエルムロンド》では勝てない!」

 

『……わたしも、同じだ。クロナに、希望をもらった。生きていていいのだと、機械天使じゃない、人間として……! 生きていいのだと教えてくれた! クロナはわたしに、希望をくれたんだ! 明日を生きると言う、希望を!』

 

 瑞葉と燐華が《トガビトザイ》の敵意を退ける。それでも機体は限界なのは見て取れる。《カエルムロンド》は半身を失い、《キリビトイザナミ》はその機能のほとんどを失っている。

 

 それでも、彼女らは止まらない。

 

《キリビトイザナミ》が先行し、大型プレッシャーソードをリバウンドフィールドへとぶつける。跳ね返った干渉波を、《キリビトイザナミ》は展開したリバウンドフィールドで中和しようと叫ぶ。

 

 だが、その抵抗は虚しく、《トガビトザイ》の保有するリバウンドフィールドに上塗りされていく。《キリビトイザナミ》ほどの性能を持つ人機でさえも、《トガビトザイ》の前では無力に等しい。

 

 その赤い装甲が剥離し、《キリビトイザナミ》が次々に制御を失い、支持アームが砕け落ちていく。

 

 それでも、燐華から諦めの声は出ない。

 

 新たに咲いた速射プレッシャー砲が掃射され、リバウンドフィールドを砕こうとするが、それでも堅牢なる闇の壁は消え失せるどころか、より強固となる。

 

『不可能だ! 如何に優れた血続と言っても、人機の性能が違う!』

 

『……人機の性能が違ったって……っ! あたしと鉄菜の友情は折れない! 砕けない!』

 

『わたしも、だ……。クロナはわたしに与えてくれたんだ。だったら、報いるのが正解のはず!』

 

 二人の決死の抵抗が《トガビトザイ》へと突き刺さるが、それでも《トガビトザイ》は少しも後退さえしない。

 

『羽虫が、砕けろォッ! ハイリバウンド――プレス!』

 

 直後、リバウンドで何倍にも増幅した重力磁場が形成され、二機を網に捉えていた。《キリビトイザナミ》と《カエルムロンド》が重力の投網にかけられ、月面へと激突する。

 

 鉄菜は見ていられなかった。覚えず視線を逸らす。

 

『どうだ! 鉄菜・ノヴァリス! これが貴様を信じた連中の末路だ! やはり完璧なる血続の証はこの梨朱・アイアスにこそ輝く!』

 

『……完璧だとか、偽物だとか……。そんなもの……どうだって……いい……っ!』

 

 燐華の搾り出した声に梨朱が攻撃の手を強める。

 

 何倍にも増幅させた重力が《キリビトイザナミ》の装甲を砕き、粉砕し、踏みしだく。重力磁場が血塊炉を打ち抜いたのか、青い血潮が舞い上がっていた。

 

「もう……いい……。戦わないでくれ、燐華……瑞葉……。私は、何でもない……。ただの、人造血続であっただけの……」

 

『そんな事は……ない!』

 

《カエルムロンド》は半身どころか、ほぼ全ての駆動系に異常を来しているはずだ。それでも立ち上がった瑞葉の人機を、まるで羽虫を払うかのように、《トガビトザイ》は吹き飛ばしていた。

 

 重力の槌が《カエルムロンド》を月面に滑らせる。

 

《カエルムロンド》から勢いが失せ、漂うばかりの骸となっていた。鉄菜は慌てて向かおうとして、《ジーク》が《カエルムロンド》を抱える。

 

『……馬鹿野郎……。クロナ! お前、今までブルブラッドキャリアを……! 全員を引っ張ってきたんだろうが! だったら、最後の最後まで諦めんな! お前に光を見た連中がここまで気張ってんだろうが! おれ達の足掻きを、無駄だってせせら笑う奴なんて、ぶっ飛ばしちまえ!』

 

《ジーク》は実体剣を振るい上げ、リバウンドフィールドを突き崩さんと斬りかかるが、重力磁場が無情にもその機体を分解させる。

 

『無敵の人機だ! 《トガビトザイ》こそが、無知蒙昧なる人々を支配し、惑星さえも次の段階に進めさせる! そのために! 貴様らは邪魔なのだ! 前時代の遺物が、吼えるんじゃない!』

 

 灼熱の砲撃が《ジーク》を捉えていた。月面に叩きつけられた《ジーク》は基となった《スロウストウジャ是式》のフレーム構造が覗いている。

 

『……無知、無謀、か……。そういうの、おれには似合っているからよ。別段、絶望もしねぇんだ。だが……連中を嗤うってのは許せないぜ。それは! おれの愛する人まで、嗤うって事だからだ!』

 

 跳ね上がった《ジーク》を《トガビトザイ》はRブリューナクを稼働させ、真正面から突っ切る。

 

 半身を裂かれた《ジーク》より叫びが迸っていた。

 

『諦めんな! クロナ! ここまで来たんなら、最後の最後まで、醜くても足掻いて――!』

 

『喧しい。愚かな人類が』

 

 上方より挟み込むように放たれたRブリューナクが《ジーク》の装甲を射抜き、血塊炉を打ち砕いていた。血潮が舞い、《ジーク》より力が凪いでいく。

 

「……タカフミ・アイザワ……。私は……」

 

 この場で対抗可能なのは《モリビトシンス》ただ一機のみ。しかしながら、勝利のビジョンがまるで描けない。

 

 戦い抜き、最後の最後に勝ち取れるとは限らない。

 

 六年前のように、何もない空虚をこの胸に抱くだけかもしれない。

 

 それでも前に進めと言うのか。それでも、抗い続けろと言うのか。最後の最後、本当の諦めが追いつくまで。追い縋ってくるまで。その時まで命を燃やし続けろと。

 

「だが、私は……。どうあればいいんだ。みんなの期待通りになんてなれない。こんなにも無力なんて……」

 

『……今さらでしょ、クロ。あんた、鈍いから。自分の痛みに鈍い子だから、分かんないかもね。でも、モモ達は間違いなく、そんなあんただからついて来られた。ここまで来られたのは、クロのお陰なの。だから、モモ達はぁっ!』

 

 Rハイメガランチャーを構えた《ナインライヴス》を《トガビトザイ》より無数のRブリューナクが放射され、その射線を遠ざけていく。

 

 リバウンドの銃撃網の嵐が《ナインライヴス》の精密砲撃を阻もうと奔った。《ナインライヴス》は装甲を砕かれ、内部骨格を震わされても、それでもなお、照準をぶれさせない。

 

 その砲門は真っ直ぐに、《トガビトザイ》を睨んでいた。

 

『砕けェーッ!』

 

 放たれた最大出力のRハイメガランチャーの光軸は、《トガビトザイ》に突き刺さった瞬間には霧散している。

 

 恐らく、現状の最大火力。それがこうもあっさりと返されていた。しかし、《ナインライヴス》からは諦めが窺える様子はない。この距離での砲撃が通用しないと見るや、即座に踵の照準固定器を解除し、浮き上がって四枚羽根を稼働させる。

 

 Rブリューナクの猛攻を跳ね返し、四枚羽根に仕込んだRランチャーを矢継ぎ早に放っていた。

 

 それでも応戦し切れていない。Rブリューナクが機体へと突っ込み、そのままの勢いを殺さずに自爆した。

 

《ナインライヴス》のピンク色の装甲がひしゃげ、煤けて月面軌道に浮遊する。

 

「……桃……」

 

『クロ……。分かっている、はずよね……。あんたの、探していた、心は、もうすぐそこに……』

 

 追撃のRブリューナクを阻んだのはRトマホークを回転させた《イドラオルガノン》である。

 

 笠の防御兵装と追加装甲を剥がして身軽になった《イドラオルガノン》が襲い来るRブリューナクを次々と叩き割っていく。

 

『鉄菜さんは……ミィにも教えてくれました。絶望を退ける……勇気を。後悔を踏み越えて、前に進む背中を。その覚悟を、最後の最後まで笑えないと言わせてください。……どうか、ミィに林檎の分まで、勇気を……』

 

 Rトマホークの出力が低下し、その一瞬の隙をついてRブリューナクが《イドラオルガノン》の半身を打ち砕いていた。

 

 まるで啄むかのように、Rブリューナクの猛攻が《イドラオルガノン》の装甲を食い尽くし、その機体から力を奪っていく。

 

 浮遊するばかりになった残存戦力に、誰もが絶望するかに思われた。

 

 だが、《イドラオルガノン》はマニピュレーターを動かし、《ナインライヴス》も戦闘不能に思えるのに、Rハイメガランチャーを構えようとする。

 

 二人とも、最早限界を超えている。

 

 それなのに、戦いに赴く事に一切の躊躇いはない。

 

「……桃。燐華、ミズハ……。蜜柑、タカフミ。……ニナイ。茉莉花……。みんなが私に、どうしてそんなに見てくれているんだ。私が、何をしたって言うんだ……。ただしゃにむに前を見続けていただけの愚か者だ。ただ前しか見えないだけの……猪突していただけの人造血続だ。それなのに、お前達は……」

 

 こんな自分にも価値があると。それでも前を向く意義があるのだと。そう教えてくれたのは紛れもない――みんなのほうだ。

 

 彼らが紡ぎ出した物語こそが、真に価値がある。自分は、その手助けをしただけ。恐らくは、端役でしかない。

 

 それでも、彼らは自分に光を見た。

 

 それならば、希望は前に進めなければならない。絶望を退け、闇を払い、暗黒を打ち砕くだけの勇気を。

 

 その希望の灯火を、この手に――。

 

 ――だから――。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯360 辿り着く先へ

「……梨朱・アイアス。私は、それほどの価値がないのかもしれない。もう、分からなくなってしまった」

 

『貴様など、ただの出来損ないだ。ただ私に踏み潰されるだけの羽虫に過ぎない。こいつらと同じように』

 

 内部骨格が剥き出しのまま、浮かび上がった人機達。青い血飛沫の痕跡を刻み、彼らは沈黙している。

 

「……私は、希望の打ち手などでは断じてない。私は、ただ自分のために刃を振るってきた。それは今も昔も、多分間違いない」

 

『希望を見た側が馬鹿を見る。それは貴様にも分かるはずだ。終焉は、こうも容易い。無尽蔵のエネルギーを持つ《トガビトザイ》のエクステンドチャージを、打ち崩す手段はない。たった一機の人機で何が出来る?』

 

 分かっている。何も出来ないかもしれない。こんな足掻きはただ醜いだけだ。ただの醜悪。ただの、愚者。ただの――たった一人の人間。

 

 そう、自分は、無力な人間なのだ。

 

 ――こんな事に土壇場で気づく。

 

 彩芽やジロウ、ゴロウが紡いでくれた。

 

 自分は破壊者ではない。ただの人間なのだと。心ある、人間だと。

 

 瑞葉が、桃が、蜜柑が、《ゴフェル》のクルーの者達が、何度も分からせてくれた。

 

 ここにいるだけの自分。ここで息づいているだけの命。

 

《イザナギ》との最終局面、あの涅槃の宇宙に。あたたかいあの場所に、誰もが還っていく。穏やかなあの領域。緩やかに、魂は導かれていく。

 

 その吐息を、美しいと思えるのならば。

 

 その瞬きを、綺麗だと言えるのならば。

 

 自分は、何にでもなれる。何にでも――立ち向かえる。

 

 面を上げた鉄菜の双眸には最早、迷いはなかった。《トガビトザイ》を見据え、喉から言葉を発する。自分だけではない、皆の導いてくれた言葉を。

 

「私は、私なんだ。鉄菜・ノヴァリスと言う、小さな一人。だが! この私は、みんなと繋がっている。心が! 魂が! 叫んでいるんだ! この永劫の繋がりを! 誰にも砕けない、鋼鉄の絆を! ならば、私は全力で応えよう! 最後の最後、命燃え尽きるその時まで! 《モリビトシンス》、鉄菜・ノヴァリス! 最後の戦いに赴く!」

 

《モリビトシンス》が右側に構築していた《クリオネルディバイダー》を掲げる。黄金に染まった色彩から一転、灼熱の赤が煮え滾る。

 

 発せられたのは命の灯火。真っ赤に燃える光芒が常闇を貫く。

 

『……面白い。そんなもので砕けるか! 私の、絶対の怨嗟を! 恨みの代行者、滅びの声を! そんな一振りの刃で! 《トガビトザイ》! オールレンジ攻撃だ!』

 

 Rブリューナクが放出され、十字の側面より灼熱の砲撃が幾何学軌道を描いて見舞われる。

 

 鉄菜は逃げなかった。ここで退いて何になる。ここで逃れて、何になる。

 

 何よりも――ここで、潰えて、何になると言う。

 

 ここまで来た。押し上げてくれた。皆が、誰もが、これまで出会った数多の邂逅が。これまで導いてくれた無数の魂が。

 

 ここに至るまでの絶対の孤独を掻き消してくれる。ならば自分は迷わない。

 

 アームレイカーに通した命一つの腕を、鉄菜は雄叫びと共に振るい落とす。

 

「エクステンド――ッ! ディバイダー!」

 

 暗礁の宇宙を割る黄金の剣。閉ざされた静謐を粉砕する咆哮が、《トガビトザイ》へと放たれる。

 

《トガビトザイ》は虹色の皮膜を張り、防御陣を敷いていた。Rブリューナクと放った砲撃網が《モリビトシンス》へと殺到する。

 

 それらは正確に、《モリビトシンス》と鉄菜の命を打ち砕くかに思われた。

 

 しかし、消え失せるはずの黄金の刃は勢いを増し、《トガビトザイ》へと振り落とされる。月面軌道を引き裂く絶対の剣閃は、この時リバウンドフィールドを打ち砕き、《トガビトザイ》に衝撃波をもたらしていた。

 

 中枢に位置する《トガビトコア》に収まる梨朱が離脱を一瞬でも脳裏に浮かべるほどの激震。

 

 それでも、消え失せてしまえばそこまでだ。

 

 そこまでの現実でしかない。そこまでの領域でしかない。――そう断じていた梨朱は直後に吹雪いた白銀の風にハッとしていた。

 

『何だ、この風は……。どこから吹いてくる?』

 

 白銀の旋風の集中する場所。銀翼を羽ばたかせた一機の人機が、眼光を煌めかせ、《トガビトザイ》を睥睨する。

 

 その眩い輝きに梨朱は圧倒されていた。白銀の突風が空虚なはずの宇宙へと吹き抜け、月面より破壊と焦土をさらっていく。その風の持つあたたかさに、梨朱は絶句する。

 

『何が……この風は何なんだ! 嫌な風を!』

 

 爆風を巻き上げ、白銀の旋風の主は羽ばたいていた。

 

 宇宙に白羽を広げ、銀色の躯体が今、《トガビトザイ》へと接近する。

 

「これが、私のモリビト……《モリビトシンス》だ!」

 

 銀幕が降り立ち、世界を染める。それは恨みや憎しみ、そして怨嗟でさえも掻き消す浄罪の瞬き。

 

 その輝きに梨朱が忌々しげに声を放つ。

 

『……そんな風一つで、世界が変えられると言うのか! 今さら堕ちていくだけのこの星と世界を、変えてみせると言うのか!』

 

「ああ、変えてやる。私達は、そのために降り立った。私達はブルブラッドキャリア――モリビトを操り、世界へと守り人の剣を向ける、報復の徒だ!」

 

『小賢しいッ! 消え去れ、《モリビトシンス》! そして鉄菜・ノヴァリスよ!』

 

 放たれようとエネルギーを充填した《トガビトザイ》はリバウンドフィールド発生装置が完全に砕かれたのを自覚したのか、エネルギーを中枢に位置する《トガビトコア》に集約させる。

 

 残った腕を振るい上げ、《トガビトコア》が放とうとした災厄の漆黒に、声が残響した。

 

『……そう、ね……。クロ、モモ達は、そのために惑星へと、弓を引いた……。ここで、退いたらっ! アヤ姉に顔向け出来ないもの!』

 

 漂っていた《ナインライヴス》の眼窩に力が宿り、その拳が《トガビトザイ》の破損したリバウンドフィールド発生装置へと突き立てられる。

 

 鋼鉄の腕が粉砕し、リバウンドのエネルギーの集約を阻害する。

 

『邪魔立てをぉ……っ!』

 

 放ちかけたリバウンドの灼熱規模の光条を、浮遊した《イドラオルガノン》がアンチブルブラッドミサイルで阻んでいた。青い濃霧の中より、《イドラオルガノン》がその躯体より半身を分かち、新たなる躯体の眼差しに生命の息吹が顕現する。

 

『……そう、林檎もきっと……そう言うはず。意味がなかったなんて許さない。ミィ達が! そうはさせない! 《イドラオルガノンジェミニ》!』

 

 疾駆した《イドラオルガノンジェミニ》が《ナインライヴス》の塞いでいる発生装置とは反対側に位置する発生装置へと鉄拳を打ち込んでいた。殴りかかると共にゼロ距離リバウンド射撃が行われ、発生装置よりエネルギーを奪っていく。

 

 中枢部の《トガビトコア》に集約するエネルギーの大部分が霧散するが、まだ決定打には至っていない。

 

 白銀の輝きの中で、《モリビトシンス》が大剣を掲げる。その姿へと《トガビトコア》が漆黒の瘴気を撃ち放っていた。リバウンドプレッシャーが《モリビトシンス》の保持する《クリオネルディバイダー》の剣を薙ぎ払っていく。

 

『愚かしいッ! このまま潰えると言うのに、まだやるか! 貴様らは堕ちるだけの存在だ! この世界に必要のない、ただの誤算だと言っている!』

 

「……誤算でも、生まれ落ちた。その意味を、問いただしたい。だから私は、前に進む! 進んで行きたい! そのための追い風だ! そのための旋風を! 《モリビトシンス》!」

 

 両肩の《クリオネルディバイダー》より構築された銀色の皮膜が翼を成し、《モリビトシンス》を舞い上げさせる。梨朱は《トガビトザイ》の全出力を搾っていた。

 

『ならば! それを私は否定する! 《トガビトザイ》! エクステンドチャージ!』

 

 生命力を否定する漆黒が《トガビトザイ》の躯体へと注ぎ込まれ、十字の側面の砲身部が全展開する。

 

 恐らくは血塊炉の負荷を無視した、最大の一撃。

 

 それを鉄菜は真正面から受け止めようとしていた。《モリビトシンス》の腕を振るい上げ、その掌を前に翳す。

 

 瞬間、残存する《クリオネルディバイダー》の盾が前面に展開された。背部マウントされた一枚と、脚部に装備された二枚が三角形を構成し、極大化された敵の殺意を真なる輝きが反射しようとする。

 

 梨朱の殺意が決壊し、暗礁の宇宙をさらなる憎悪で染め上げる。

 

『砕けろ! 鉄菜・ノヴァリス! リバウンド――プレッシャー滅!』

 

 真なる黒を体現した破壊の砲撃が全方位より放たれ、《モリビトシンス》を打ち砕かんとする。

 

 鉄菜はしかし、惑う事はなかった。退く気もなければ、ここで逃げ出す愚を犯す事もない。

 

 自分は真正面から、罪を直視する。

 

 白銀の閃光が瞬き、三角の護りがこの世界に顕現する。

 

「みんなが私を信じてくれるのなら! 私もこれまでの絆を信じる! 邪悪なるその思惟を跳ね返せ! 真エクステンド――フォール!」

 

 回転し、流転した白銀が《トガビトザイ》の放った拒絶の魔を受け止める。それは人一人で受けるのにはあまりにも重々しい憎悪。だが、鉄菜は自分一人でこの場にいるわけではないと、これまでの者達の姿を見ていた。

 

 アームレイカーを握り締める手に、そっと光が添えられる。

 

 彩芽・サギサカ。林檎・ミキタカ。ジロウ、ゴロウ――、皆が応じてくれる。応えてくれる。その光の赴く先に待つ、未来へと。そこで待っていてくれるのならば、自分は。この小さな「鉄菜・ノヴァリス」という個は、決して、絶望しない。するものか。

 

 だから――。

 

「だから応えろ! 《モリビトシンス》! その眩さの先にある未来へと!」

 

《モリビトシンス》の眼窩に緑色の輝きが宿る。押されていた「真エクステンドフォール」が力を取り戻し、そしてリバウンドの反重力が青く瞬いた刹那――全てが裏返っていた。

 

 反射された漆黒の憎悪が眩い銀へと変位し、《トガビトザイ》へと降り注ぐ。それは浄罪の輝き。

 

 ヒトの罪を贖う、そのための光。

 

『《トガビトザイ》……全システムダウンだと……! まさか、そんな事が……!』

 

 鉄菜はフットペダルを踏み込み、そのまま《モリビトシンス》を進めさせていた。跳ね返ったリバウンド斥力磁場が《トガビトザイ》へと迫る。

 

『やめろ、来るな……。来るなァッ!』

 

《トガビトザイ》が最後の足掻きのように全ての武器を開放させ、《モリビトシンス》へと火線が咲く。それらを受けつつ、鉄菜は決して振り向かなかった。前だけを目にし、そのまま双眸に力を込め、超越させる。

 

 雄叫びが宇宙の静謐を震わせ、超然たる世界の旋律を奏でていた。

 

 直後、全ての白銀と漆黒は相克し、そして世界に白と黒と言う形で分かたれた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯361 銀翼の再来者

《ゴフェル》メインフレームよりシグナルを認証する要請が成され、茉莉花は何度目か分からない、戦局の把握に努めていた。

 

「……モリビト三機、シグナル不明のまま、もう十分……。これでは……」

 

「諦めないで。まだ、鉄菜は諦めていなかった。だからここまであの無茶苦茶な人機相手に立ち回ってきた。宙域監視は?」

 

「アイザワ大尉と瑞葉さんからの通信も途絶えています。……《イクシオンオメガ》を倒したところまでは観測出来るのですが……」

 

 それ以降は不明、か。茉莉花は独自の判断を求められていた。

 

 観測出来ない領域で、鉄菜は戦っている。それは桃も、蜜柑も同じはず。ならば、自分のやるべき事は出来得るだけこの戦いの最後の最後まで見守る事。

 

「……警戒を厳に。近づいてくる敵影を逃さないで。一個でも逃すと我が方の敗北となるわ」

 

「……待ってください。宙域を飛翔する機影を観測。こちらに真っ直ぐ向かってきます!」

 

 来たか、と警戒を走らせた茉莉花は、直後の敵味方判別信号に虚を突かれていた。

 

「反応、《クリオネルディバイダー》二号機……。ニナイ艦長、遅い帰還ね……」

 

 ブリッジのクルー達からニナイの《クリオネルディバイダー》を誘導させるように指示が成される。今の格納庫は上へ下へと騒がしい事だろう。

 

「ガイドビーコンを出して、艦長の帰還を。ニナイ、何か釈明は?」

 

 ノイズの後、ニナイから声が搾られる。

 

『……何とか傷は浅い感じよ。……鉄菜達は?』

 

「《トガビトザイ》って言う無茶苦茶な人機と戦っているわ。現状、モニター不可」

 

 その結論に彼女も唾を飲み下したのが伝わったが、やがてニナイは艦長の声で発していた。

 

『……宙域は分かる?』

 

「《モリビトシンス》の最後の信号が途絶えた場所なら。……どうする気?」

 

『……鉄菜は《モリビトシンス》をプラントに帰す前に、装備していた《クリオネルディバイダー》を分離させた。……必要なはずよ。あの《クリオネルディバイダー》は、誘導が可能なはず』

 

 視線を流すとクルーは頷いていた。

 

「……最初の《クリオネルディバイダー》にはこちらからの遠隔操縦が可能です」

 

「何をするつもり?」

 

『……鉄菜に託すわ。最後の……力を』

 

 そこまでで集中力を使い切ったのか、ニナイが通信窓越しに失神する。それをクルー達が慌てて誘導していた。

 

「二号機の誘導、急いでください!」

 

「格納庫のスタッフと整備班に入電! 二号機搭乗の艦長をすぐさま医療ブロックに移送!」

 

 流れていく状況を顧みつつ、茉莉花はニナイの言葉を辿っていた。

 

 キーを打ち、《クリオネルディバイダー》一号機を遠隔誘導する。

 

「茉莉花さん? でも、《モリビトシンス》がどういう状態なのか……」

 

「分からないから手を打っておくんでしょう。……生きていなさいよ、鉄菜。あなたのために、みんながありったけを込めた。これで……!」

 

 エンターキーを押し、実行する。これで最後の手段は放たれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直前に分離したとは言え、その余波を受けていた。

 

 梨朱は白亜の《トガビトコア》が月面を滑るように駆け抜けるのを自覚する。最後の最後、生存本能は正しく機能したらしい。

 

 その身から笑いが込み上げる。直後には、額を押さえ高笑いしていた。

 

「……これで! 私が完全なる血続となった! あの鉄菜・ノヴァリスは死んだんだ! 結果だ! 結果が全てにおいて優先されると言うのならば! 私の完全勝利は、梨朱・アイアスと言う個体の完璧さを……!」

 

 そこで不意に赤い警戒色へと《トガビトコア》の各部が染まる。やはり、跳ね返されたエクステンドプレッシャー滅の威力は絶大。《トガビトコア》でさえも最早持たないであろう。

 

「……宙域を漂う人機……。どれでもいい。私の脳内ネットワークはそのまま、デブリ帯に隠しておいたバベルの一部に接続されている。どの人機でも乗りこなせる。……だがどれも」

 

 漂うばかりの骸はどれも《アサルトハシャ》ばかり。これでは使い物にもならない。そう思った瞬間、拡大モニターが一機の浮かび上がった人機を示していた。

 

 その姿に喜悦の笑みが宿る。

 

「……信じたくはないが、これも運命か。私は、まだ……戦える」

 

 その機体へと《トガビトコア》を接近させる。背部拡張モジュールが廃されているが間違いない。

 

 恐らくブルブラッドキャリア本隊が自分のデータバックアップのために残しておいたのだろう。灰色のカラーリングを施された自分の愛機――《モリビトセプテムライン》が誘うべき眼差しを伴わせて虚空を見据えている。

 

 梨朱は《トガビトコア》より射出し、《セプテムライン》のコックピットへと取り付く。《トガビトコア》に残存するエネルギーを移植する事は可能だ。

 

「……見ていろ。鉄菜・ノヴァリス。勝利者は、この梨朱・アイアスだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が巻き起こったのか、まるで分からない。分からないが、それでも鉄菜は、《モリビトシンス》の巻き上げた白銀の旋風が、全てを反射し、真なる輝きが憎悪を弾き返したのを思い返していた。

 

 何もかも過ぎたる代物。茫漠とした意識の中で、鉄菜は瞼を開く。

 

《モリビトシンス》のコックピット部が焼け爛れており、気密警報が鳴り響いていた。

 

 どうやらギリギリのところで弾き返したらしい。四肢は砕け、《モリビトシンス》の継続戦闘は不可能に思われた。

 

「……帰るんだ。私は……」

 

 しかし、身体が、《モリビトシンス》は応えてくれない。いつまで経っても、この宙域を漂うばかりであった。

 

 鉄菜はリニアシートに身を預ける。呼吸も浅くなっている。このままでは――そう感じた瞬間、視界の隅を銀翼が跳ねていた。

 

「あ、れは……」

 

 暗礁の宇宙を裂く銀翼はまさしく――。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯362 帰還

《モリビトセプテムライン》の眼光に生命が宿る。梨朱はアームレイカーに入れた腕を掲げ、《セプテムライン》を稼働させていた。

 

「《セプテムライン》、起動。行ける……!」

 

 起動した《セプテムライン》が浮き上がったプレッシャーライフルを手に取る。

 

「解除キーを打ち込み。……成功。照準、《モリビトシンス》」

 

《トガビトザイ》の骸共々、浮かび上がっている《モリビトシンス》の機体へと、とどめの銃撃を見舞う。

 

 光条が《モリビトシンス》を貫き、血塊炉を完全に射抜いていた。爆発の光が拡散し、《モリビトシンス》が青い血潮を撒き散らして消えていく。

 

 梨朱は哄笑を上げていた。

 

「勝った! これで私の……梨朱・アイアスの勝利だ! もう恐れるものは何もない! 私こそが、完璧な血続!」

 

 勝利の陶酔に浸った梨朱は直後、関知網を震わせた敵影に意識を向ける。

 

 まだ残存兵がいたか、と機体照合をかけた瞬間、その紡ぎ出された名称に震撼する。

 

「……まさか。まさか!」

 

 その照合名称はモリビト――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 震えているのか。恐ろしいのか。

 

 ――否、これは原初の衝動。これは、自分のこの身体を衝き動かすもの。これは何よりも……自分の鼓動だ。

 

 鉄菜は操縦桿を握り締め、戦闘機形態の《クリオネルディバイダー》一号機へと可変をかけさせていた。

 

「《クリオネルディバイダー》一号機、可変シークエンスを実行。内蔵血塊炉の識別信号を受信」

 

 白銀の装甲が翻り、内部に格納されたとある人機を呼び起こす。背部にマウントされた翼が拡張し、青と白銀の躯体が遥か下方に位置する最後の機体を睨む。

 

 相手は《モリビトセプテムライン》。

 

 鉄菜は変形を果たした愛機の名前を紡ぎ上げていた。

 

「――《モリビトシルヴァリンク》。鉄菜・ノヴァリス――未来を切り拓く!」

 

 腰に収納されたRソードを引き抜き、オレンジ色の刃を顕現させる。

 

《セプテムライン》より叫びが迸っていた。

 

『この……欠陥品がァーッ!』

 

 その叫びを鉄菜の咆哮が上塗りする。《モリビトシルヴァリンク》は加速度のまま《セプテムライン》へと突っ込んでいた。

 

 二機がもつれ合い、月面表層を流れ、粉塵を上げて突っ切っていく。それぞれが弾き合い、《シルヴァリンク》は前を行く《セプテムライン》の絞ったプレッシャーライフルの光条を肩口に受けていた。それでも止まる事はない。

 

 鉄菜はRソードを払い《セプテムライン》へと斬りかかる。その光芒を敵機は受け止め、《シルヴァリンク》の腹腔へと膝蹴りを浴びせた。衝撃に鉄菜は息を詰め、《シルヴァリンク》をそのまま仰け反らせ、《セプテムライン》を投げ飛ばす。

 

 月面の砦に背筋から突っ込んだ《セプテムライン》が粉塵の中で無茶苦茶にプレッシャーライフルを放っていた。

 

 その一部が《シルヴァリンク》を掠める。それでも鉄菜は恐れどころか、退く事もない。

 

 Rソードを発振させ、敵へと剣閃を浴びせかかる。

 

 砂礫を裂いて現れた《セプテムライン》の手にもRソードが握られていた。

 

 二機のRソードがそれぞれの機体を溶断させる。《セプテムライン》の切っ先が《シルヴァリンク》の頭部を引き裂き、《シルヴァリンク》の太刀が敵の肩口から腹腔まで引き裂いていた。

 

《シルヴァリンク》がそのまま刃を返した《セプテムライン》の腕を引っ掴み、月面に転倒させる。敵機は転倒の間際、バランサーを崩し、《シルヴァリンク》の足を払っていた。

 

 二機共にもつれ合い、月面上で砂を巻き上げる。

 

《セプテムライン》が立ち上がり、溶断された箇所をさすってから、Rソードを携えた。

 

 鉄菜は《シルヴァリンク》を立ち上がらせ、敵機を睨む。

 

 失ったデュアルアイセンサーが内側より生命の光を携え、隻眼の《シルヴァリンク》が銀翼を拡張させた。

 

 オレンジ色の光が逆巻き、発生した物理エネルギーが全て、Rソードの一太刀へと集約される。

 

 突きつけ、鉄菜と《シルヴァリンク》はそのまま駆け出していた。月面を蹴り上げ、加速度に身を任せる。

 

 満身から吼え立て、梨朱の《セプテムライン》が交錯する瞬間、その刃を奔らせていた。

 

 ――どちらの刃が決定的であったのか。どちらの太刀が決定打であったのか。

 

 それは誰にも分からない。恐らく、最後の最後まで人機を稼働させていた、二人でさえもだろう。

 

《シルヴァリンク》のRソードは正確無比に血塊炉を貫いていた。

 

 しかしながら、《セプテムライン》の切っ先もまた、《シルヴァリンク》の丹田を貫き、そして直後、爆発の輝きが霧散する。

 

 漂う《シルヴァリンク》より、鉄菜は惑星を視界に入れていた。

 

 熟れた果実。罪の色を湛えた星。しかしながら、全ての魂が還るべき場所。還るべき、命の河――。

 

 涅槃の光の中に染まった宇宙を、いくつもの軌道が行き過ぎていく。

 

 月面を数多の骸が浮遊し、それらの人機の手が虚空を掻く。

 

 きっと誰もが、永遠を、永劫たる世界を望んでいたに違いない。

 

 それでも永遠を得られるのはごく僅か。一握りに過ぎない。その残酷なる現実に、鉄菜の頬を涙が伝う。

 

 六年前とは違う。この涙の行方が何なのか、彼女には分かっていた。

 

「――帰ろう。みんなの、ところへ」

 

 みんなのところへ――。

 

 




明日、♯FINALとあとがきを上げます。ここまでありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯FINAL 星を継ぐもの

『正午のニュースをお伝えします。昨日付けでC連邦上層部は特別自治組織アンヘルの解体を宣言しました。その非人道的な活動が明るみに出て、一年。少しずつ変わろうとしていく世界情勢について、今日は専門家を招いています』

 

 その言葉に老練のコメンテーターへとテロップが流れていた。

 

『では、人機研究の第一人者として、タチバナ博士。あのおぞましい、アンヘルの実情をお願いします』

 

『タチバナです。あの時、皆さんは決断した。それは大いなる一歩であったと感じています。ヒトは、決断し、罪を直視する。それに対してあまりに遠大なる時間がかかってしまった。ですが、わたしはこうも思うのです。時間がかかってもいい。どれほどの永劫なる時間、無限に等しい時間をかけても、人類は学ぶべきだと。ヒトは、罪を直視するようには出来ていない、それは一面では真理でしょう。ですが、そこには心がない。真実ではないのです。わたしは改めて、こう言いたい。――ヒトは、心ある人間には、罪を直視出来る、その権利があると。だからこの星で誰もが罪人でありながら、誰もが贖う事が出来るのです。忘れないでいただきたいのは、その権利を、あなた方は持っている。百五十年前、人機を量産し、この星を棲めなくした手と同じ手で、平和を描けるのです。ならば、それを、全員が持つ可能性を、信じてみたいではないですか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テレビが映し出す日常に、別段気に留める事はない。

 

 ただ、彼女はその時、風が吹き抜けたのを感じていた。コミューンの中では珍しい、爽やかな旋風が。

 

「どうした、燐華」

 

 二階より歩み出ていた相手に、燐華は微笑みを向ける。

 

「何でもない。今日のメールの内容はどうしよっかなぁ……って」

 

「コーヒーを淹れるよ。ミルクは」

 

「多い目で」

 

「……了解。ヒイラギ准尉殿」

 

「……その呼び名はやめてよ。軍籍はもうないんだからっ」

 

 頬をむくれさせて言いやると、相手も笑みを浮かべた。ブラックコーヒーを淹れた相手は、ふぅと息をつく。

 

「時間だけは……残酷だよな。アンヘル解体がこうして合意されるまで、一年か。この一年間、あいつらは……」

 

「みんな、無事だよ。いっつも、返事をくれる。だから分かる。みんな無事だって」

 

 確信を持って口にした燐華は、今までのメールメッセージを確認する。どれも替え難い、宝物だ。

 

 デスクの傍らに置かれたコーヒーに自分も皮肉を返してやる。

 

「任務ご苦労。ヘイル中尉」

 

「名前で呼べ。……さっきの仕返しか? 燐華」

 

 殴りかかる真似をして、ヘイルは息をつく。燐華はくすっと笑って、ふぅと胸の中に風を取り込んだ。

 

「……書き出しが決まった。今日も、いい風が吹いている事から、始めようと思う」

 

「いいんじゃないか? ここは風だけは一級品だ」

 

 ヘイルが開いた窓の外は白亜の建築物に繋がっていた。コミューン内壁でありながら、疑似的な河のせせらぎが聞こえてくる。

 

 まだ人造物だがいずれは本物になるであろう。

 

 燐華はメールメッセージを打っていた。

 

「鉄菜。この場所はとてもいい風が吹いてくる。あの時、あなたが見せてくれたあの白銀の風と、同じように……」

 

 穏やかな時間が流れる昼下がりに、ニュースキャスターの声だけが響いていた。

 

『世界は変わったのでしょうか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう容易く変わるわけがないだろう」

 

 ヒトがそこまで簡単に出来ているのならば、誰も苦労するまい。レジーナは書類に視線を落とし、雑務処理に追われていた。

 

 あの戦いから一年――世界を変えるための壮絶なる戦局の向こうにあったのは、書類整理など笑えるものか。

 

 棚にあるライブラリシステムにチェックを入れ、レジーナはこの膨大な図書館を巡る。

 

 どうして、エホバは最後の最後、自分へと兵士としての死よりも、こうして書籍と共に生きろと命じたのか、今でも答えは出ない。

 

 それでも、日常は回る。日々は、行き過ぎる。

 

 答えの出ない問答はいくつもあるが、今は眼前の事務処理だ。

 

『シーア大尉。来客です』

 

 腕時計型の端末が予定を告げる。レジーナは予めつけていた来客予定にチェックを入れ、ふぅと息をついていた。

 

「この仕事はチェックを入れてばかりだな」

 

 ともすれば、世の中とはそういうものなのかもしれない。チェックを入れ、それが完了した事を示す。

 

 今は、一年前の戦場が完了し完全に過去のものとなったと言うのには、少しばかり時間がかかる。

 

 費やせない過去だってあるからだ。自分はまだ、林檎の死に納得したわけではないのだから。

 

「……林檎。お前も見ているだろうか。同じ空を――」

 

 図書館の窓より覗く虹色の空に、レジーナは目を細める。

 

 いつか、望めるはずであった空はまだ答えの出ないまま。保留の一事を自分へと向けていた。

 

 応接室へと書類を置いて歩み出る。

 

 相手は待ち望んでいたのか、連邦のスーツに身を包んだまま、佇んでいた。

 

 その立ち振る舞いに、レジーナは柔らかく微笑む。

 

「……戦士の休息というものを知らないのか?」

 

「……まだ下士官身分なのでね。その辺りは教えてもらう事にする」

 

 相手の敬礼に自分も返礼する。

 

「まだ構築の途上だが……C連邦の直属ではない組織を編成しようと思っている。その編成案の第一草案に興味がある士官とは、そちらの事か」

 

「興味がある……というわけでもない。ただ純粋に……やり直すのには最適な場所だと、思っただけだ」

 

 正直な相手にレジーナは辟易する。

 

「その姿勢は上層部には嫌われるであろう。……その顔の傷は? 消す気はないのか?」

 

 相手の顔には深い傷跡があるが再生治療で消せないレベルではないはずだ。それを相手はなぞり、そして声にする。

 

「……この世には、なかった事にしてはいけない傷跡もある」

 

 それに関しては同意だ。レジーナは首肯する。

 

「なるほどな。しかし、貴君一人だけの意見でこの組織は編成出来ない。それは覚えておいてくれ」

 

「しかし、俺が一人目ならば、運用に支障はあるまい」

 

 どこまでも読めない男だ。レジーナは差し出した書類にペンを置く。

 

「サインを。一応は名前を聞いてはいたし、チェックはしていたが、こういう旧態然としたものはまだあるのでね」

 

 その言葉に相手はサインしていた。レジーナは手を差し出す。

 

「歓迎しよう。……ミスターサカグチ」

 

 書類に綴られた名前は「K・サカグチ」――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……いや、まだ途上でしょう。そう容易く変わるのなら、百五十年の静謐など必要なかった。世界は、少しずつ変わる。我々の行動次第で』

 

 街頭スクリーンに映し出される日常に、足を止める人間は少ない。

 

 それでもなお、タチバナは語る口を止める事はなかった。

 

 その光景を、公園のベンチに座り込んだ一人の女性は眺めていた。

 

 桃色の髪を一つに括り、流れゆく世界を見据えているその瞳に迷いはない。

 

「……人々の営みは永久に、か……。それも真理なのかもね」

 

 彼女へと一人の少女が駆け寄っていく。栗色の髪を短く切り揃えた少女に、女性は手を振っていた。

 

「行きましょうか。蜜柑」

 

「うん。桃お姉ちゃん」

 

「……あんたももうすぐお姉ちゃんなんだから、いつまでもその呼び方じゃ、張り合いないわよ?」

 

「でも、お姉ちゃんはお姉ちゃんだもん。ミィにとっては、それは絶対」

 

 栗色の髪の少女の髪留めは赤い果実の文様が刻まれている。その名を持っていた少女の事を、二人は絶対に忘れないだろう。

 

 二人は空を仰ぐ。閉ざされたコミューンの空を、不意に巨大な影が行き過ぎていた。

 

「連邦の戦艦か?」

 

 足を止める者も少なからずいる。それでも、その戦艦に収まる者達の事まで、気に留める人間はほとんどいなくなった。

 

 二人はコミューンの壁越しに旋風を感じる。それは、白銀の色を伴わせて、この地上の罪を祓う、浄罪の風――。

 

 青き閃光が、虹の空を駆ける。

 

「――おかえり、鉄菜」

 

 銀翼を広げた人機が、コミューン上空を飛翔する。

 

 コミューン外壁を青い戦艦が飛び立っていった。

 

 その戦艦のブリッジに収まるクルー達が声にする。

 

「《モリビトシルヴァリンク》、先行していきます」

 

「了解。茉莉花、防壁は?」

 

『出来ているわ。滞りなく』

 

『こっちも大変だったねぇ。整えるまでざっと一年』

 

 ぼやいたタキザワにニナイは言いやる。

 

「仕方ないわよ。世界が完全に立ち直るまで、私達は見守る責務がある。そう、私達はだって……」

 

 その時、艦内の投射スクリーンに青いRスーツを着込んだ操主が大写しになる。

 

『ああ、私達は、見守らなければならない。世界は、どう決断するのか。それを最後の最後まで』

 

 バイザーを上げ、操主はヘルメットを解除する。

 

 黒髪が、ここではない白銀の風になびいていた。

 

「ええ。鉄菜。これまでも、そしてこれからも変わらない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言葉を受け、鉄菜は地上を俯瞰する。

 

 空は虹色に爛れ、星の土は茶褐色に染まっている。

 

 ある場所では罪の青い花が咲き、ある場所ではそれを見下ろす鍵穴の巨躯が身じろぎする。

 

 それでも、自分は決して目を背けるまい。目を逸らしてはならない。

 

「私達はブルブラッドキャリア。星へと報復の剣を向ける、守り人達。星の罪を、私達は直視する。直視し続ける」

 

 きっと、それだけが自分達に出来る最大の罪滅ぼしであろう。

 

 鉄菜はフットペダルを踏み込んでいた。脇を閉め、操縦桿を握り締める。

 

 青いモリビトが、銀翼を拡張させる。

 

 緑色の眼窩に光が宿り、推進剤を焚かせた。

 

「行こう。モリビト。私達は、罪の執行者。そして私は、鉄菜・ノヴァリス。一人の人間であり、モリビトの操主だ」

 

 青い軌跡が星を駆ける。

 

 赴くのはこの先に待つであろう未来。屹立するそれに、しかし恐れはない。恐れずに、立ち向かっていこう。

 

 銀翼の人機は、空を駆け抜け、世界の果てを目指していた。

 

 果てに待つのがどれほどに残酷な未来だとしても――。

 

 罪を見据え続ける事だけが、生き延びた人類の、その勤めならば。

 

 鉄菜は恐れない。この心は、最後の最後まで、恐れはしないだろう。

 

《鋼鉄の絆》は、白銀の風を巻き上げ、世界を巡る。

 

 星の罪と共に、この穢れた世界を行く一陣の風は、今日も明日も、永遠に――。

 

 

 

 

 

 

 

ジンキ・エクステンドSins 完

 




あとがきを続いて上げます。ここまでありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あとがき

 あとがき

 

 拙作、『ジンキ・エクステンドSins』をここまで読んでくださり、ありがとうございます。あるいは長過ぎるのでここだけ読んでいらっしゃる方もいるでしょうか。オンドゥル大使です。

 なかがきである程度、ジンキと言う作品との出会いに関しては触れたので、ここでは何故ここまで長大かつ壮大な話になってしまったのかも紐解きながら、このお話の余韻を感じたいと思います。

 そもそもセカンドシーズンになるのは最初から決めていたのですが、当初の予想を大きく上回り、ここまで長くなるのに、実は一回己の中で中断期間を挟んだのです。

「さすがにもう書けない」……こうなったのは初めてと言ってもいいでしょう。

 どこ辺りでなったのか、と言うと最終章の前で完全に燃えつきました。

 そう、残すところ最終章だけだったのに、あそこで全てが途切れてしまったのです。

 違和感を覚えた方もいらっしゃるかもしれません。最小限にしたつもりですが、三か月近くさじを投げた形となりました。

 長編を書き上げるのに体力と精神力と言うのは両方使うもので、自分は前者には自信がないですが後者には自信があったのです。

 それをこの作品の終末に向けて書く過程で大きく誤認していたのだと認識し直しました。

 結局は「若さ」に任せた無茶だったのだと。

 ……まぁ、私の無茶を書くためにあとがきの筆を執ったわけではありません。

『ジンキ・エクステンドSins』、この物語は一人の人造人間である少女が苦悩しながらも「心の在り処」を模索する物語であったのだと今、全体を俯瞰すれば思います。

 鉄菜は何度も「心とは何だ?」と問いかけます。それはきっと、作者である自分にとっての問いかけでもあったのでしょう。

 実際、心を描くのに、複雑な過程は要りません。みんなが当たり前に感じている事や、普段なら気にも留めないこと、そこに「心」はあるのだと、有り体に言ってしまえばそう結論付けてもよかったのです。

 ですが、鉄菜は何度も何度も、その命題に苦しみます。

 そのテーマを口にする時点で、ある程度は分かっているはずなのに、それでも、何度も問い返す……それが結局、ジンキSinsのメインテーマであったのだと思います。

 心を理解しているはずなのに、人造人間である自分には心がないのだと思い込んでいる主人公……ある意味では自分にとっては挑戦でした。

 苦戦する度に精神的には強くなるのに、それでも迷い続ける。

 今にして思えばその苦悩がなければこの作品は完成しなかったかもしれません。

 鉄菜が悩み続け、そして答えを模索し続ける限り、ジンキSinsは安易に終わってはならなかったのです。

 なので、と言うと失礼ですが原作であるジンキシリーズに付き物である「奇跡」や「絆」を極力出さないように努めました。

「奇跡」で鉄菜が救われてしまうと、それはそれでよくないと感じたのと「絆」は使い過ぎれば陳腐になるのだと思っていたからです。

 なので意図的に鉄菜の単独ミッションになる時や、あるいは報われない戦いのシチュエーションが多かったと思います。

 セカンドシーズンではファーストシーズンで得た世界の答えに対する鉄菜達なりのアンサーを全力でぶつけられればと思って描きました。

 ブルブラッドキャリア本隊から追われ、さらに地上ではずっと苦戦状態であったのは読者の方々からしてみればフラストレーションの溜まる展開であったかもしれません。それでも、鉄菜の新しいモリビトであるモリビトシンスには苦戦を強い、桃や蜜柑にも残酷な運命を課しました。

 その結果が報われたか、と言われるとまだちょっと分からないです。

 あ、それと二期を語る上で欠かせないのが燐華とUDの存在でしょう。

 燐華は名前を捨て、身分を偽り、全てを過去に置いてアンヘルの兵士としてモリビトを憎む役割になりました。

 また結果論でありながらUD――桐哉も過去を捨て、名前を捨て、全てを投げ捨てでもモリビトを追う恩讐の徒になったのは、ある意味では宿命であったのかもしれませんね。

 多分、一期でこの兄妹が嫌いだった人達も、二期の扱いには満足いったのではないでしょうか? 特にUDに関してはかなりストイックに書いたので、自分でも書いていて気持ちのいいキャラクターでした。

 一応は娯楽作品を標榜し、出来るだけ人機同士の戦闘をメインとした作品にしたつもりでしたができていなかったのならばそれは自分の力不足です。すいませんでした。

 そして、この一年間程度で個人的な変化もありました。

 綱島先生の公式サイトでジンキノベルという形でジンキ・エクステンドのファン小説を書かせていただくようになったのです。

 そういうのも含めて、分からないものだなぁ、と思います。ただのファンの一人であったのが綱島先生を応援できる一つの力になれているのですから。

 ここからは二期のメカニックに関してのお話をば。

 モリビトシンスに装着される武装、クリオネルディバイダーですが、これはジンキ原作に登場した兵器とほぼ同じですね。違うのはエクステンドディバイダーと言う必殺技を得たことでしょうか。この必殺技、結構気に入っております。普段寡黙な鉄菜が叫ぶからこそ、意義があるとでも言いますか。

 そして、モリビトシンスは最後まで読まれた方なら分かると思いますが、一期の主人公機、シルヴァリンクの血塊炉を組み込み、Sを得たまさしく鉄菜の後継機であったことも自分としては大満足です。

 続いてナインライヴス。これは純粋に可変人機が欲しかったのと、桃のキャラクター性を考えると「何度やられても倒れないしぶとさ」みたいなのが成長した桃には欲しかったのでナインライヴス=しぶとさみたいな部分があります。

 イドラオルガノンですが、この名前はラテン語の組み合わせですね。特に意味はないのですが、字面で選んだ感じです。複座人機にしたのはやはり上操主下操主は触れておかなければ、というリスペクトありきです。

 続いてこの作品独自の設定を帯びたイクシオンフレーム。イクシオン、には罪人の意味があったので即採用したのと、モリビト、トウジャ、キリビトの既存人機に当てはまらない機体を出すことによって緊張感を演出したかったのもあります。また裏設定としてスロウストウジャの基礎フレームデータにモリビトの能力を上乗せした、というものがあります。アムニスがブルブラッドキャリアと繋がっていたのでモリビトのデータを独自で持っていたというわけですね。

 まぁ他にも七つの大罪をモチーフにしたトウジャシリーズや、色んな人機が出ましたがここでは置いておきましょう。

 鉄菜を含むブルブラッドキャリアは平定された世界を見守り続けることを選びました。それこそが自らの使命だと信じて。この結末、実は相当悩みました。

 トガビトザイを倒すところまでは結構前に出来ていたのですが、トガビトザイの強さの設定や、最終決戦で用いるモリビトシンスカエルラドラグーンが実はポッと出てあったため、どうやってトガビトを倒すのか、その後どうするのかはノープランだったのです。

 まぁ言い方を悪くすれば「俺たちの戦いは続くエンド」だったわけなのですが、どこまで鉄菜の心情を発露させるべきかは吟味いたしました。

 あとは燐華が当初は死ぬかもしれなかったり、UDとの決着が違ったりと、紆余曲折ありましたが、これにて『ジンキ・エクステンドSins』本編は一応の幕引きです。

 ……そう、この物語には完結編があるのです。

「こんなに長いのにもう要らん」という言葉はありがたくいただいておきましょう。

 自分の書いた一つのストーリーの中では最も長く、そして最も複雑なお話となってしまいました。

 完結編は最終回より一年後のストーリーとなります。

 文字通り、全てを「完結」させるために書いたお話ですので、今度もまた終わらないという事はございません。次で絶対にジンキSinsは終わります。

 なので、もしよろしければもう少しだけお付き合いいただければ幸いです。

 また、こんな長くてちょっと苦痛かもしれないお話でも、批評、感想、何でもお待ちしております。「長いんじゃ、クソボケ!」でも構いません。少しでもこのお話に何かあればじゃんじゃん待っておりますので。

 ――ということであとがきのようでこの部分も実はなかがきでした。

 本当のあとがきは完結編の後に。

 二週間のお休みの後に、完結編を更新していきたいと思います。よろしくお願いします。

 最後に、ジンキに関わらせてもらった事と、そしてジンキに出会えたことに最大限の感謝を。『人狼機ウィンヴルガ』がなければこのジンキSinsは存在しておらず、ジンキ・エクステンドがなければそもそものお話でしょう。

 綱島先生の生み出す物語に敬意を込めて、このあとがきを〆させていただきます。

 ありがとうございました。願わくば、完結編もお楽しみください。

 

2019年10月1日 オンドゥル大使より

 




本編はこれにて終了――そして物語は完結編、『ジンキ・エクステンドSins Star Songs of an Old Primate』へと二週間後に続きます。よければこちらもよろしくお願いします。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

完結編 Star Songs of an Old Primate
♯364 静謐の合間に


 月面の静謐は、他者と己を垣間見るのに適切な距離感だ。

 

 構築されるイメージパターンを何度か往復し、そして辿り着いた形成情報に短く切り揃えた髪を払っていた。キー端末を何度か打っていると、不意に声が弾ける。

 

「茉莉花おねーちゃん! 三十五タスクから先、やっておいたよ!」

 

 その言葉に茉莉花は振り返らずに近づいてきた少女の頭を撫でていた。ディスプレイに映し出された機体を見据え、そして、ここまでか、と声にする。

 

「茉莉花おねーちゃん。完成したのね!」

 

「ああ。まぁ、人機の完成をフレーム構造による完成だけで見るのならばだがな」

 

「完成していないの?」

 

「ようやく六割と言ったところだろう。操主が乗って初めて、その残り四割が満たされると言ってもいい」

 

 格納庫に収まる本体へと、茉莉花はマイクを介していた。

 

「格納庫に通達。データ上は、これにてロールアウト間際まで行った。お疲れ様」

 

 格納デッキから拍手が飛ぶ。茉莉花は、しかし、と返答する。

 

「全くの計算外を、計算内に収める、という矛盾をはらんだ機体だ。ゆえに、吾はこれを完成とは呼べない。操主が乗って初めて、その性能を発揮するかどうかは分かるだろう」

 

 直後、通信ウィンドウが繋がれ、タキザワが笑顔を寄越す。

 

『でも、これでほぼ完成だ。鉄菜の望んだモリビト……』

 

 感じ入ったかのような声に茉莉花は過ぎ去った時間を顧みる。

 

 ――あの時の最終決戦より、二年。

 

 自分も背が伸びた。それに、と書類を渡してきた優秀なる人材に目をやる。笑顔を咲かせた二つ結びの少女はブルブラッドキャリア本隊にて育てられていた操主候補の一人だ。

 

 彼女らは元々、ブルブラッドキャリアのために育てられ、そして時が満ちれば操主として、組織のために命を散らす運命にあった。

 

 だが、あの戦いで本隊が壊滅し、そしてブルブラッドキャリアを牛耳っていた悪意の象徴たる梨朱・アイアスは鉄菜の前に敗れた。

 

 平定された世界は月面との干渉を拒み、今のところ平穏なる静謐が流れているが、これがいつ打ち壊されるのかも分からない。

 

 そのような不均衡な上にまだ世界のレートは乗っている。そう、まだ世界は不安定なままなのだ。

 

 だが、希望はある。

 

 茉莉花はツインテールの少女の頭を撫でてやった。

 

 よく出来る助手はもっと撫でて欲しそうに首を伸ばす。茉莉花はフッと笑みを浮かべていた。二年前に比べれば随分と、表情も温和になった事だろう。

 

 それはこのブルブラッドキャリア月面拠点――月面都市ゴモラにてすれ違う人々の言葉振りからも窺える。

 

 何度も、変わったかと問いかけられるクチだ。変わったところなんてない、と憮然として応じると何故だか微笑まれてしまう。茉莉花からしてみれば困った応対が増えただけの話でもあった。

 

「……しかし、変わったのかもしれないな。鉄菜がそうだったのと、同じように……」

 

「茉莉花おねーちゃん?」

 

「……いや、何でもない。吾らしくもない感傷だ。美雨、この人機の戦闘能率の洗い出しを頼む」

 

 美雨と呼ばれた少女は端末に腕を伸ばすと、瞬時にその手の甲が銀色の血脈に波打っていた。

 

 美雨は瞼を閉じた後に、即座に応じる。

 

「新たなモリビト……モリビトのサードステージ案は滞りなく開発が進んでいるよ。三人の執行者の状態も今のところステータス誤差範囲内。もしもの時に備えて《ゴフェル》も常にアイドリングモードに固定。発艦準備は大丈夫」

 

「百点満点の答えだ」

 

 言ってやると、美雨は嬉しそうにはにかむ。しかし、彼女の技術は恐るべき禁忌である。

 

 人間型端末、あるいは調停者、と呼ばれた者達と同じ、脳内にローカル通信領域を持ち、機械との格差を掻き消した禁断なる人種。

 

 自分と同じ技術を、ブルブラッドキャリアがまだ操っていたなど笑えない。茉莉花はこれも一つの不実か、と素直には喜べないのだった。

 

「それぞれのモリビトの情報を開示」

 

「了解」

 

 美雨の腕を数多の情報が伝い、白銀の瞳孔が細められる。

 

「桃・リップバーンの専用機、《モリビトノクターンテスタメント》は出撃準備が完了。半年前にはロールアウトし、いつでも実戦に入れるよ。介入行動も問題なし。今のところ、惑星側から察知された恐れもない」

 

 投射画面に映し出されたのは黒と白の色彩を持つモリビトだ。巨大機には二基の積載コンテナが三角錐型に固定されており、その部位には自律兵装が積み込まれている。

 

 それだけに留まらない。桃の愛機という事で高出力R兵装も積んでおり、攻防両方の面において隙のない構成のモリビトだ。

 

 まるで重火器の獣、武装庫のハリネズミ。異形なる四つ足のモリビトは白兵戦闘を度外視し、完全なる制圧戦――即ち殲滅の心得をもって発揮されるべき力である。

 

 開発コード「純潔なる制裁」。桃の新たなるモリビトは胎動の時を待ち望んでいるが、彼女の場合、もっと平常時に使用しやすいモリビトのオーダーがある。

 

 そちらに沿った形で用意されているのは《モリビトナインライヴスリレイズ》の改修機だ。

 

 やはり、どこかしら慣れ親しんだものがあるのだろう。あえて出力配分を抑えた《ナインライヴス》を扱うと決めたのは、彼女なりの矜持が窺える。

 

「続いて、蜜柑・ミキタカの乗機。《モリビトイウディカレ》。こちらは砲撃と近接攻撃、両面に対応したモリビトになっているよ」

 

 蜜柑の新たなモリビトは紫色のパーソナルカラーを持つモリビトであった。

 

 蜜柑はあの後、モリビトの執行者としての継続任務を希望し、その結果として蜜柑の適性を最も鑑みたモリビトとしての設計が求められた。

 

 彼女の適性は砲撃と射撃精度。あらゆる遠隔武装と中距離武装の洗練が行われており、蜜柑の操主としての能力を最大限まで引き上げるモリビトであった。

 

 加えて近接距離における高機動も加味されており、疾駆に鎧を身に纏ったかのような外観となっている。

 

 それは古代において使用された騎兵によく似ている。リバウンドブーツを両足に装備し、両脇を挟むように甲羅型の武装ビットを有していた。

 

 名をRシェルビット。甲羅型の武装はそのまま盾となり、リバウンドフォールをこれまでにない強度で展開可能である。

 

 そして、最後――。青と銀のパーソナルカラーが眩しい、鉄菜のモリビトである。

 

 コックピットブロックを再び中央に配し、頭部形状は彼女の最初のモリビトである《シルヴァリンク》に近い。

 

 近接格闘兵装を全身に纏い、両肩より盾が翼のように伸びているのは《モリビトシンス》を想起させる。

 

 まるで龍のような鱗じみた装甲に覆われたモリビトは他とは一線を画していた。

 

「鉄菜・ノヴァリスのモリビト。《モリビトザルヴァートルシンス》。《モリビトシンス》において発現が確認されたエクステンドチャージの上位現象を意図的に引き起こし、それによって鉄菜・ノヴァリスの持つ意識圏の拡大システムであるザルヴァートルシステムを採用し、彼女の意識で戦場を同調させ、そして終結させるための、戦いを終わらせるためのモリビト……」

 

 そらんじてもやはりどこか浮世離れした機体コンセプトに思えるのだろう。美雨からしてみれば夢物語のように感じられたに違いない。

 

「美雨。そんなに信じられないか?」

 

「だって……戦わないモリビトなんて、変だよ」

 

 それはかつての価値観ならばそうかもしれない。だが、と茉莉花は椅子より立ち上がり、美雨の頬にそっと頬ずりしていた。

 

 くすぐったそうに美雨が目を細める。

 

「どうしたの? 茉莉花おねーちゃん」

 

「いや……夢物語でも、鉄菜は成し遂げようとしているんだ。平和のために、か。……どこまでも陳腐で、嘘くさいかもしれない。それでも、あいつが言うのならば、それはきっと……」

 

 濁した茉莉花に美雨が首を傾げる。

 

「戦わないコンセプトなのに、一番武力では秀でているよね。何で?」

 

「美雨は、戦場に出た事がないから分からないか。有り体に言えば、このコンセプトを実現するのに降り立っただけで撃墜されれば立つ瀬もないからだ、という事かな」

 

 戦場に出た事がない、ブルブラッドキャリアの操主候補。それだけで随分と、様変わりしたと思わされる。

 

 鉄菜達の話を統合すれば、ブルブラッドキャリアにおいて戦わないと言う選択肢は存在せず、戦闘適性が低くても整備班に充てられていたはずなのだ。

 

 だが美雨は戦場を知らない。本物の戦場を知らない世代が生まれてくるのは、いい流れだと茉莉花は感じている。

 

 あんな場所、追いやられないほうがいいに決まっている。

 

 硝煙と血潮のにおいなんて知らないほうが幸福に違いないのだ。

 

「えっと……《ザルヴァートルシンス》の能力はほとんど格闘がメイン。それもRザルヴァートルソードによる近接格闘……。ねぇ、不満じゃないけれど、やっぱり変なんじゃないかなぁ? 今の対人機戦闘において剣術なんて」

 

 それは美雨がきっと鉄菜の戦いを間近で見た事がないからこそ出る言葉なのだろう。ある意味では本人に聞かせてやりたいと茉莉花は思ってしまう。

 

「……当の本人に言ってやるといい。射撃が当たらないからって剣戟に頼り過ぎだ、と。まぁ、これが鉄菜・ノヴァリスと言う操主のスペックを最大に活かす射程なんだ」

 

 ふぅんと、美雨は分かっているのか分かっていないのか不明な声を出す。だが鉄菜の戦いを見ていなければ、彼女には全く分からないままであろう。実際、鉄菜がモリビトに乗って戦うのを、彼女は実際に目にした事はないはずだ。

 

 それはこの二年間、モリビトによる戦時介入の必要性がなかった、という一事に集約される。

 

 モリビトを使った報復作戦も、ましてや大きな戦争も起きず、この二年間、平穏が訪れた。

 

 世界は安定を取り戻し、モリビトによる判定を必要としなくなった。ある意味では混沌に投げ入れられた、と言えなくもないが、その自浄作用を期待し、ブルブラッドキャリアは静観を貫いている。

 

「新連邦法案も立ち上がって半年だ。すぐにでも、新連邦軍が組織され、そしてこちらへの対応策を決めようとするだろうな。我々は、目の上のたんこぶのようなものだから、いずれにしたって決着はつけたいはずだ」

 

「でもでも……それなら二年前の決戦である程度到達したんじゃないの? 月面まで押し入ってきて、怖い人機で戦って……」

 

 どこか言葉に自信がないのはその時にはまだ、美雨は放たれていなかったためだ。

 

 人造血続の培養液に入り、目覚めたのが二年前の決戦直後。ブルブラッドキャリアの新型調停者はそうやって、生まれる時期まで調整されていたのだ。

 

 美雨には予めある程度の知識はあったが、目覚めた時にはブルブラッドキャリアは存在せず、忠誠を誓うべき本隊は駆逐されていたのだから相当な混乱があったらしい。

 

 それは彼女にしか分からない領域だ。

 

 この二年で、少しは年相応の子供らしさを獲得出来たと言うべきだろうか。いや、これも目線としては自分らしくないか。

 

「……まるで子供を見る親の目線だな」

 

 自分も一線から退いて二年。この二年間の隔絶は大きいはずだ。

 

 元々、ラヴァーズにて、サンゾウと共に世界を巡り、この星の原罪を思い知った身となれば老いもする。

 

 世間ずれしていた、と言えばまだ聞こえがいいだろう。ラヴァーズの意識を統合するために用意された、イレギュラーの人間型端末――戦う事でしか価値を見いだせない、戦闘機械。

 

 畢竟、鉄菜達を笑えもしない。

 

 自分も同じ穴のムジナに等しい。

 

「美雨は人機を知らないからな。怖いって言ってもイメージだろう」

 

 その言葉に美雨が頬をむくれさせて抗議する。

 

「美雨だって! 人機くらいわかるもん! こういうのでしょ?」

 

 美雨が投射画面に映し出したのは惑星側の用意した戦闘用人機のデータ閲覧図だ。茉莉花は手を払う。

 

「頼むから、今の相手の最新人機までハッキングしてくれるなよ。それでこっちの情報がばれたらシャレにならないんだからな」

 

「惑星側にそんなに大きな反応はないよ。だって相手はバベルを持っていないって聞いたもん」

 

「それでも、だ。惑星側は八年前にはバベルなんてなしにモリビトの操主三人を追い込んだ。その事実はある」

 

 そもそも八年前と今とでは情勢が大きく違うが。茉莉花は美雨のハッキング技術で編み出されていく人機の情報を見やる。

 

 やはりトウジャの封印が解かれたのが大きいのか、惑星側の人機市場は完全に塗り替わったと言っても過言ではない。

 

 ナナツー、バーゴイル、ロンド系列の三すくみは失われ、今や末端企業でもトウジャを使う民間軍事会社が見られるほどだ。

 

 それだけ八年で進歩もしたが、人々は開けてはならぬパンドラの箱へと手を伸ばしているのも事実。

 

 そのパンドラの箱の名を、バベルと呼ぶのであるが。

 

 かつての混乱の塔の名をいただいたネットワークシステムは、現状、惑星内では完全に破壊され、今やバベルネットワークは惑星を覆う民衆のためのオープンソースと化していた。

 

 たった二年、されど二年だと言うのはそれも大きい。

 

 バベルの恩恵に人々が与れるようになったのだ。これだけで民衆は今までの意図的な政治発言や、情報統制から脱し、自分達で考えるだけの頭を獲得し得る状態にまで至ったと言える。

 

 元老院、そしてレギオンの支配する時代は終わりを告げていた。一握りの特権層は消え失せ、何もかもが混迷の時代に逆戻りしたと言われてもおかしくはない。

 

「それでも、前には進んだ、か」

 

 茉莉花は水分を補給する。美雨が持ってきた経口保水液を飲み干し、ふぅと息をつく。

 

 たった二年でも人間は禁断を操る事が出来る。それはラヴァーズにいた頃よりもより色濃く理解出来た。

 

 こうしてデスクワークにばかりかまけていると、人々の悪意が惑星と言う熟れた果実の中で育っているのがありありと窺えるのだ。人間は原罪を扱えるようには出来ていない。しかし、人々は常に罪と隣り合わせ。その現状はどことなく滑稽にも映る。

 

「人間は、愚かしいのかあるいは賢しく育ったのか……」

 

 答えは出ないまま、モリビトだけを用意する。それはある意味では退屈でもあったが、ある意味ではこうして使い道のないモリビトが無用の長物と化するのをどこかで望んでいるのが自分でも矛盾だ。

 

 ――モリビトがこのまま一生使用する事のないまま朽ちればいいのに。

 

 そう考える自分もいて、やはり分からないな、と茉莉花はこぼす。

 

「心なんてものは。いや、ともすればお前はこの感覚を何度も味わって、そしてまだ分からないと言うのか。心の在り処を。……鉄菜・ノヴァリス……」

 

 茉莉花は天窓より星を仰ぐ。虹色の罪の果実が、その時を待ち望んでいるように思われた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯365 星の護り手よ

 便利になった、と言われる。確実に人類は前に進んでいるのだと。

 

 そう発言した某コミューンの当事者は、この間暗殺されたな、とタチバナは思索の上に浮かべていた。

 

「ドクトル。やはり、世界は変位した。そう思われますか」

 

 下手な番組MCの問いかけにこの場所も虚飾の張りぼてか、と内心毒づく。

 

「そうですな。……しかし人間と言うのは得てして、その技術の恩恵、そして意義というのを後になってから理解するもの。人機産業も然りです。人機の意義を分からずして、ヒトは百五十年前に功罪をもたらした。やはり、確信を持って言えるのは、人間は、着実に、そうやって前に進めている事実だけなのです。間違いながらでも、前に……」

 

 そこまででカットが切られる。休憩入ります、とスタッフ達が声をかけ合い、やがてMCが席を立って握手を求めてきた。

 

「人機産業の立役者であるタチバナ博士のご高言は常より。著書も拝読しております」

 

「そうですか。しかしながら、人機に関しては門外漢なのでは?」

 

 その問いかけに相手はにこやかに応じて先を促していた。タチバナは歩み出す。

 

 何か、自分にだけ見せたいものでもあるのだろうか。

 

 こういう特別感に悦に浸りたい輩はこれだから困るのだ。自分など、死の商人だと言われてしまったほうが楽であるのに。

 

「いくつかの文献資料に目を通させていただきました。その中に興味深いものが。モリビトに関してのレポートを、一枚書かれておりますね」

 

「アンヘル時代に将校に書かされたものでしょう。モリビトへの追跡は必要ないという、ある種の文言です。あれがなければ、ブルブラッドキャリアを必要以上に追い込み、戦火を拡大させる可能性があった」

 

 これもまた言い訳がましいな、と自分でも思ったが、タチバナはあえて口にはしない。男は、なるほど、と得心した様子だ。

 

「あれはドクトルの真意ではなかった、と。面白い話を聞かせていただきました。しかし、あの時にもしも、ブルブラッドキャリアを追い込んでいれば、この平穏は訪れなかったかもしれませんね」

 

 平穏。そう形容するか、とタチバナは言外に感じ取る。確かに大きな戦乱は起こっていない。コミューンの代表者で何人かの死人が出はする。内乱は起きてはいるものの二年前のアンヘルの横暴に比べればかわいいものだ。情報統制もある一点を超えてから意味を成さなくなった。

 

 男は携行端末を取り出す。起動すると、OS認証画面が呼び起こされていた。

 

 OS名「バベルの詩篇」。二年前に、レギオンが陥落してから、何者かがバベルを精査し、そして手に入れた。

 

 だが、支配特権層は現れず、ユヤマのような野心家も存在しなかった。

 

 彼らは少しばかり歴史の過ちに学んだのか。バベルはそのままオープンソース化され、人々はこのバベルの詩篇を持ち歩き、自らの端末にダウンロードしている。そのシェアはほとんど七割を超え、辺境コミューン以外では通信環境も整っている。

 

 この状態で誰かがクーデターなど企てたところで、かつてのように世界が混迷に落ちるという事もあるまい。

 

「平和は、こういうところで甘受されるものですか」

 

「バベルの詩篇、便利だと思いますよね、ドクトルも」

 

「ワシには到底。今を生きる若者の特権でしょう」

 

 自分が使いこなしたところで仕方のないものだ。そう断じたタチバナに男は微笑みかける。

 

「しかし、バベルの詩篇によって人々には等しいステータスが振られた。アンヘルの蛮行を世に知らしめたのもこの技術が大きいと聞きます。バベルの詩篇がなければ今でも、人間同士で争っていたかもしれない」

 

「その言葉には語弊がありますな。今でも内紛は尽きない。平和など、まだ完全に訪れてはいないのです」

 

 新連邦傘下のコミューンでようやく、人々が安息出来る環境が整ってきたところだろう。

 

 自分達は、その足場作りを固めなければならないはずだ。

 

 男はにこやかにタチバナを通す。打ち合わせ部屋の前で、物々しい装備の兵士が佇んでいた。

 

「ここは任せる」

 

 男がそう言いやり、兵隊が敬礼する。

 

 広く取られた室内にてタチバナは男と対面していた。彼はにこやかなコメンテーターの面持ちのまま、続ける。

 

「しかし、タチバナ博士。便利な上に、そして平和利用される。これほどまでに高度に発達した技術情報社会において、それでもしかし、一線は存在すると思いませんか?」

 

「一線とは。それは情報弱者の事ですかな」

 

 そのたとえに彼は手を払う。

 

「古い観念です。今の世の中、端末一つで子供が大人顔負けの情報量を持つ時代だ。そういう時代の寵児に、やはりなりたいものでしょう」

 

 男の言葉振りが胡乱なものになった時点で、タチバナはこの話し合いの場に降り立った奇妙さを感じ取っていた。

 

 相手はただのテレビマンにしてはあまりにも――浮き彫りになるのは奇妙さだ。警戒心を走らせ、タチバナは問いかけていた。

 

「主義者ですかな。……流行りませんが」

 

「主義者ではありません。これは、純粋に興味がおありではないか、という提案なのです。存じていますよ、タチバナ博士。あなたはかつて、権力者側に呼ばれた人間であった。あなたに何度か、密通を交わした相手がいる事を。名前を――ユヤマ」

 

 その名前を知る者は一握りだけのはず。タチバナが警戒して後ずさったその時には、兵士が拳銃を構えている。

 

「……何のつもりか」

 

「これから先の時代を動かすのは、何だと思います? タチバナ博士」

 

「言葉繰りに付き合う気はない」

 

「博士。私はね、感激しているんです。こうやってあなたと話せる事に。これも時代の恩恵、バベルの詩篇の導きだと」

 

「導き? あなたは誤解している。我々は別に、誰かに導かれてここにいるわけでは――」

 

「いえ、導きですよ。……これはご存知なかった? 私は、バベルの詩篇の最初期ユーザーでしてね。彼らに会った人間の中では初期ロットと呼んでもいい」

 

 携行端末に浮かび上がった投射画面に引き写されたのは、禿頭の三人であった。男達のビジョンが互いに背を向けあっている。その像にタチバナは声を荒らげていた。

 

「まさか……バベルの詩篇の中に……」

 

「これはね、平和のためのシステムなんですよ。だから、タチバナ博士。あなたのような方にジャッジしていただきたい。我々が相応しいのだと。そう思わせていただければ」

 

「……貴様ッ、何者だ!」

 

「何者でもありませんよ。ですがこうは言っておきましょう。レギオンや元老院、そしてアンヘルのような失態は冒しません。その必要性がないからです。戦いは、もう既に始まっている事を、誰も関知していない。関知していないながらに誰もが兵士の資格を持つ。素晴らしい、まさに次世代の闘争だ」

 

「次世代の……闘争だと。ふざけるな! 闘争に次世代も何もあるものか! ようやく勝ち取った平和を、貴様らが……」

 

 端末に手を伸ばそうとしたタチバナを兵士が制する。老人一人だ。兵士が本気を出すまでもなかった。

 

「博士……ご老体なのですから、少しは大人しくしていただきたい。我々がまるで野蛮人のようだ」

 

 タチバナは男を睨み上げる。丸眼鏡をかけた猿のような面持ちが嗤っていた。

 

「……何が不満だ。貴様ら、何故このような強硬策に出る」

 

「嫌ですねぇ、博士。あなたは根っこまで戦争に染まっているのですか? 強硬策? まだまだですよ、こんなもの。ただ……いざ戦い始めてから羽ばたかれると面倒でしょう? 羽虫というものには」

 

 タチバナが見据えたのは彼の端末だ。まさか、端末から催眠電波でも発せられているのか。

 

 その疑いが出ていたのだろう。彼は端末を振り翳す。

 

「操られているわけではありません。むしろ、見せてもらっている。この世界の真実を。そういう点では感謝してもし切れない。バベルの詩篇、素晴らしい発明だ」

 

「悦に浸って何とする! そのような事のために、開発されたものではあるまい!」

 

 猿顔の男は、どこまでも度し難いとでも言うように肩を竦めた。

 

「博士、ちょっとは無理があったかもしれない。しかし、あなたの宣言は思っているよりも重い。ちょっとだけ、羽虫の些事というものを見せていただきたくってですね。少しでいいんです。現政権にプレッシャーでも与えてもらえますか? 人機開発を遅らせろとでも。その一言をいただければ」

 

 投射画面にSNSが表示される。タチバナは舌打ちし、声を搾らせていた。

 

「貴様らは……何がしたい」

 

「平和です。真の意味での平和を。そのために、人間は自覚的であるべきだ。そう、自覚的でね。それなのに、無自覚な人間の多い事、多い事。……なので、少々泥を被ってもいいので、自分が動きました。幸いにして人脈もある。この人間が適任だと、判断したのです。こうしてあなたにもアポなしで会える」

 

 歩み寄ってきた猿顔の男の眼差しがどこか遊離している。操られていないと彼は言ったが、もう既に手遅れなのは見るも明らかだった。

 

 兵士が後頭部に銃口を突きつける。

 

 睨み上げると、兵士の瞳孔も何者かの洗脳を受けているのか、とろんと蕩けていた。

 

「……何者なのか、ここで言えば……」

 

「博士、それが言える立場ですか? あなたはこの男と、そして兵士に取り押さえられている。加えて、この打ち合わせ室には誰も来ませんよ。それに、あなたの腹心であった……渡良瀬とやらは死んだ。二年前に、ブルブラッドキャリアに無謀にも立ち向かって。ああ、このログは……。とても面白い、敗残兵の記憶だ」

 

 まさか、とタチバナは絶句する。機密文書の記録へと一個人がアクセスしているのか。その異常事態に声を荒らげていた。

 

「貴様! どういう事をしているのか、分かっているのか!」

 

「ええ、分かっています。人間の躯体と言うのは面倒でね。こうして、OS越しに半年間。そう。この男で半年。その兵士で一年ほど。語りかけないとどうにも言う事を聞いてくれなくって困るのですよ。やはり、かつての故郷が恋しい……。あの青の花園で、静謐のうちに存在した機械天使達が、今は愛おしいのです。彼女らは完璧であった。それを、後から来たC連合の蛮族達が奪っていった。我々の開発を野蛮だと……あの阿呆共が!」

 

 男がタチバナの肩へと蹴りを浴びせる。兵士の突きつけた銃口がさらに強く押し付けられた。

 

「あなたも、あっちの側でしたねぇ! タチバナ博士! 蛮族共に塗れて、我々の研究を盗んだ、許されざる罪人だ! さぁ、ここで終わりましょうか!」

 

 喜悦を張り付かせた男は哄笑を上げる。まさしく悪鬼。その威容にタチバナは咄嗟に白衣のポケットに入れた端末を投げ出しかけて、兵士の銃撃が脳天を貫いていた。

 

 迷いのない殺意はこの時確かに、「タチバナ」を殺害せしめていたが、その違和感に相手が気づくのはそう遅くなかった。

 

「……おかしい。この躯体は……機械人形だ」

 

 死体を転がした男が頭蓋より滴った人造血液に対して奥歯を噛み締める。

 

 自分は、と言えば、この事実を俯瞰しながらネット空間へと逃れていた。男の持つバベルの詩篇を有する端末が好条件に接続されていたお陰で「タチバナ」の精神はネットの海へと逃れ果てていた。

 

 否、元よりこの精神は既に地上のバベルと共にある。ネットの網を介し、タチバナは逃げ延びた精神の一部をホストコンピュータであるアルマジロ型の躯体へと二年ぶりに帰していた。

 

 四つ足で立ち上がり、静寂の只中にある軌道衛星上の宇宙外延システムに介在したままの自身を顧みる。

 

『……このような形で、この肉体に還るとは思っても見なかったな』

 

 かつて渡良瀬に生身を殺され、その後、精神と経験をこの小さなアルマジロ型AIに移されたのは不幸中の幸いであったか。レギオンの有する義体の一つを用いて人間社会に隠れ潜んでいたが、まさか二年の静寂を破る相手が現れるなど想定していない。タチバナは宇宙駐在軍の去ったこの外延軌道でシステムへの再潜入を試みようとしていた。

 

『まさか、相手もタチバナと言う個体が既に死んでいるとは想定外であったようだな。しかし……相手の所在も分からぬ今、下手に仕掛けるのも危険……。ワシがアクセス出来るのは、所詮は彼らだけか』

 

 地上のバベルが接続されているアクセス域の一つへと、タチバナは一瞬の逡巡を浮かべた後にルートを作っていた。

 

 グリフィス亡き今、情報の護り手は彼らしかいない。

 

 彼らは追放者、ブルブラッドキャリア――。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯366 平穏の刹那

 見慣れない人機が空域を飛んでいるのを目にして、燐華は窓辺で今朝のメールの一文句を考えあぐねていた。

 

「やっぱり……まだ戦いは続くのかな……」

 

 あの戦い以降、コミューン上空を横切っていく戦艦や人機は度々見かけるようにはなったが、それでも数は減ったほうだと思っていた。

 

 アンヘルの正義の鉄槌が意味を成した時代は過去の遺物となり、もう忌まわしき時代も、そして過ちも繰り返さないで済むのだと。

 

 だから、今日もコーヒーを淹れ、片割れの帰りを待っていたのだが、届いたボイスメッセージに燐華は嘆息をつく。

 

『すまん。今日は帰れない』

 

 またか、と燐華は呆れ返ってしまう。

 

「仕事もそこまで熱心だと、大切なものを失っちゃうよ。ヘイル中尉」

 

『だからって帰れないんだから仕方ないだろ。今だって実は話しているのはまずいんだ』

 

「おいしいコーヒーは要らないのね」

 

『帰ったら振る舞ってくれよ』

 

「知らないっ」

 

 ぷいと燐華は顔を背ける。ヘイルは端末越しに困惑の笑みを浮かべていた。

 

『もうすぐ、その……式を挙げるんだからさ。ちょっとは機嫌直してくれって』

 

「直してもらいたかったらそれなりの行動をすれば? あたしはどっちもでいいんだから」

 

『参ったな……。あ! それと、もうすぐ大尉だからな! 間違えるなよ』

 

「昇級おめでとうって言わせたいの?」

 

『いや、その……悪かったよ。ケーキを買って帰る』

 

「ショートケーキね」

 

 言いつけると、ヘイルは微笑んでいた。

 

『いつものケーキ屋で。それで機嫌を直してくれるか?』

 

「さぁ? それはどうか」

 

 ヘイルは平謝りしかけて、不意に発せられた声にびくつく。

 

『ヘイル中尉、またですかー! 奥さんも大変ですねぇ』

 

『てめぇっ! うっせぇよ! ゴメン、燐華。そろそろ出撃なんだ。通信は三日ほど遅れそうになる』

 

「どうぞ、ご自由に」

 

 つんと澄ました燐華に相手は申し訳なさそうな顔をして通話を切った。燐華はため息交じりにコーヒーを口に運ぶ。

 

 窓辺に風が吹きつけ、今日もこのコミューンの内側で形成された人工河川のせせらぎを伝えていた。

 

 まだ、この星で他の生物が住めるような河も水もほとんど存在しない。生命の息吹のない河を燐華は見下ろしていた。

 

 河川沿いの白い家屋。それが自分とヘイルの見つけ出した、終の棲家である。ある意味ではあの戦いの後、ようやく見出した安息の地だとも言えた。

 

 熾烈なる戦いが、何度も何度も人類を襲った。その度に、罪の上塗りを続けていた人類はようやく、ブルブラッドキャリアの戦いを経て、一つになろうとしている。

 

 その足並みを燐華は電源を点けたテレビのビジョンの流すニュースに見ていた。C連邦はアンヘルの解体を正式に宣言したのが去年。そして、新連邦としてC連合勢力と足並みを揃え、ようやくゾル国との融和政策に踏み出したのがつい半年前である。

 

 この二年間、ブルブラッドキャリアは表立って現れていない。

 

 それでも、燐華にはどこか遠くに行ってしまった親友へと宛てたメールを欠かさなかった。今日もまた、書き出しの一文目を思い描く。

 

 どう切り込めば、彼女は驚くだろうか。

 

 今まで一度として、彼女を驚かせた事はない。きっと、何があったところで「そうか」と冷静に返してくるだろう。

 

 しかし、式を挙げるとなれば来てくれるだろうか、と燐華は思い描いて、そしてふふっと含み笑いを漏らしてしまう。

 

「何だか、とっても平和……」

 

 二年前にアンヘルに所属し、最前線で戦っていたなどまるで悪い夢のようだ。それでも消えない過去はある。燐華はタイマーが定時を告げたのを聞き、抑制剤を取り出していた。

 

 ハイアルファー人機の功罪だ。まだ僅かに認識障害が残っている。それでも、抑制剤のお陰でこの平穏を掻き乱される心配はない。たとえこの楔が一生ついて回ろうとも、あの地獄のような戦場から生き延びられただけでも大きな進歩なのだ。

 

 そして、ヒトとしてまた一人前に歩み進む事の出来る権利を得られた。

 

 あの日――鉄菜が白銀の風を戦場に吹き流してくれてから、自分の中に巣食っていた魔は思ったよりもあっさりと消えてなくなっていた。

 

 不思議なものだ。一生、あの暗黒に支配されるのだと思い込んでいたというのに、今は人機に搭乗していたという過去さえも遊離している。

 

 あの一期間だけ、嘘であったかのようだ。

 

 ともすれば少しの間だけ悪夢を見ていただけなのではないかとさえ疑ってしまう。しかし、消えて行ったものも確かに存在する。

 

 兄――桐哉は戻ってこないし、あの戦場で散っていった隊長や他の構成員の事を燐華は決して忘れないだろう。

 

 それでも憎しみに囚われるのは違うのだと、今は思える。そして、今日の一文が脳裏に描かれた。

 

「そうだ。鉄菜の好きな食べ物を聞いていなかった。鉄菜はケーキ、何が好きかな」

 

 メールを書き出して、分かっていると自分でも納得する。

 

 きっと、鉄菜は戦っている。戦い続けている。それでも、メールの返信を遅らせた事はないし、この世界のどこかで今も終わらない戦いに身を浸しているのは分かるのに、この繋がりを絶つ気にはなれない。

 

 一度消えた繋がりだ。大事にしたいという思いがあった。

 

「鉄菜。あなたの好きなケーキって、何かな。もし……本当にもしもの話なんだけれど、平和が訪れたら、一緒にケーキを食べよう。あたしが作ってあげる。もちろん、鉄菜が作ったのも食べてみたいけれど、鉄菜は何だか勝手なイメージだけれど、料理は苦手そう。不器用なイメージを持っているのはあたしだけかな? ……鉄菜」

 

 そこまで綴ってから、燐華は窓の外を眺める。

 

 呟いた言葉は文字にはしなかった。

 

「会いたいよ、鉄菜。あなたはきっと、まだ戦っているんだよね。平和を、勝ち取るために……。どこかで、この星のために……」

 

 その眼差しは、虹の空に閉ざされた向こうへと注がれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コロニー公社の人員はゾル国の人間が多いというのは偏見だ、と一人の記者が声を荒らげていた。

 

 その言葉に公的なデータです、と返答した公社の人間は身振り手振りで応じる。

 

 重力地点――ラグランジュポイントにて催された式典に参列したのは、無数の有識者と権力者達だ。彼らは一号コロニー、グリムの開発に出資した名のある人々である。無論、そのような人々の前で記者は何も無鉄砲に言葉を発したわけではない。

 

「コロニー開発にゾル国の人員を強制労働に参加させている、という悪質なデマがネット上に散見されますが!」

 

 カメラマンを携えた記者の不躾な言葉に公社の人間は冷静に返す。

 

「それは悪質なデマですな。まったく、ちょっと前に民間にオープンソースになったバベルの詩篇とやらはデマの拡散器と見える」

 

「ですが、事実としてはあるのですね? 後で公的データと偽っていたとなれば、その濫用は……!」

 

「静かに。せっかくの式典だ。どうして君達マスメディアにかけずらわなければならないのか」

 

 マスコミの人々は追い出され、しめやかに式典が執り行われる。

 

「この度、一号コロニー、グリムの完成を祝ってくださる皆様におきましては、心より感謝と共に……」

 

 追い出されたマスコミの人々は公社の人間へと悪態をついていた。

 

「偉そうに! 我々の情報を馬鹿にしている!」

 

「しかし、どうします? こればっかりはもう追及のしようがないですよ」

 

 肩をしょげさせたカメラマンに記者は宙域を眺めていた。

 

「どこかに報道の種でも落ちていないものかねぇ……」

 

「宇宙の常闇にですか? 偶然撮影出来れば、そりゃ儲け者ですけれど……」

 

 そのような都合のいい話もあるまい。諦めて撤退しかけたその時、カメラマンが宙域を指差していた。

 

「あ、あれ。連邦の機体じゃないですか?」

 

「今時、珍しくもないでしょう? トウジャなんて」

 

「いえ、トウジャですけれど……色が違います。連邦の正式採用の参式以降は水色のカラーリングのはず」

 

「だったら極秘機でしょう。映したらもみ消されるだけですよ」

 

 新連邦に対しての過度なヘイトスピーチはタブーだ。そうでなくとも、情報網は二年前のアンヘルの偏向報道においてその一翼を担ったとされ、かなり委縮しているというのに。今さら、現政権の批判や、それに伴うスキャンダルを追いかけるのは二流三流もいいところ。

 

 だからこそ、コロニー公社と言う新しい標的を見据えたのだが、その標的もぼろを出さないのでは話にならない。

 

「コロニー公社は思ったよりもよく出来た組織ですよ。埃も出ないなんて」

 

「大方、ご立派な上が統括しているんでしょう。そのお上が何をやっているのかの報道権限はないって言うのに」

 

 記者は端末を弄り出す。OSはほとんどの人間が使っているスタンダードタイプだ。

 

 映し出されたOSの起動画面に、記者は不意に三人の男の残像を見た気がして、目を擦っていた。

 

 その残像が消え失せた瞬間、カメラマンが声を張り上げる。

 

「おい! あれ! トウジャが真っ直ぐに向かってくる!」

 

「式典の護衛機でしょう。騒ぐほどの事じゃ……」

 

「識別信号を発していないんですよ! 第三国のトウジャです!」

 

 物々しい空気にカメラマンがトウジャへとカメラを振る。これは撮れ高があるかもしれない、と記者は咄嗟に端末へと声を吹き込んでいた。

 

「ご覧ください。コロニー、グリムの式典に、連邦の仕様を無視した人機が接近しています。あ! 今、まさに、コロニーの真横を通り抜けようとして……」

 

 瞬間、拡散した威嚇射撃に応対したのは、コロニー公社の護衛人機であった。民間軍事会社の藍色のトウジャが武装を固め、警告を発する。

 

『そこの人機! 止まれ! 登録されていない人機のコロニーへの接近は禁じられている!』

 

「PMCの人機が銃を向けました! 一触即発の……戦闘になりそうです! カメラ、しっかり向けておいて!」

 

 カメラマンが慌ててピントを絞る。その途中で不意に相手方のトウジャが武装を一射させた。

 

 実体弾が掠めPMCの人機が慌てふためく。

 

『う、撃ってきただと……。全機、構え! 《スロウストウジャ弐式》編隊は予定されていた防衛陣を敷いて前進! 再三の通知勧告を無視したとして、相手を迎撃する!』

 

 隊長機らしい、《スロウストウジャ弐式》が前を行く。それに対して相手の人機編隊は冷静であった。

 

 掃射されたのは実体弾による射撃だ。《スロウストウジャ弐式》の装甲には標準装備である程度の実体攻撃に対する耐性がもたらされている。

 

 ゆえに実体弾による牽制は意味を成さない。それでも、PMCの側は過剰反応し、相手方へとプレッシャーガンを照準する。

 

『隊長! こいつ、撃ってきて! 正当防衛ですよね?』

 

『先走るな! コロニー公社の防衛行為は正当化されるべきだ! あまりに立ち回ると余計な事で勘繰られるぞ!』

 

 まさに余計な事で勘繰ろうとしている自分達を尻目に、広域通信チャンネルのPMC人機が敵方を包囲しようとする。

 

「敵は三機……。でも、妙ですよね。PMCのほうにはきっちり武装が支給されているって分かっているのに、わざわざあんな真正面から……」

 

 そこで、記者は違和感に気づき、ハッと格納デッキに居座るテレビ局のシャトルへと繋いでいた。

 

「何かがおかしい……。シャトルへ! もしかして渡航禁止命令が出ているのでは?」 

 

 端末越しに相手が出て困惑を浮かべる。

 

『そうなんですよ。絶対出すなってお達しで……。まぁ、コロニー公社の命令なんで聞かざるを得ないんですけれど』

 

 その直後、ジャミングに通信域が閉ざされていた。不意に走ったノイズに記者はやられた、と声にする。

 

「これは見せかけ、張りぼてだ! 本命はこちらからは見えない位置より襲撃する!」

 

「何でそんな事が分かるんですか?」

 

 記者は自分の経験則に従っていた。

 

「私はこれでもアンヘルの支配時代に一線でカメラを構えていた! だから分かる。これは……反政府テロリストの手口と同じ!」

 

 テロリストという言葉にカメラマンがうろたえる。

 

「まさか! コロニーの式典ですよ」

 

「だからだろうに。コロニー公社のイメージを下げるためなら、連中は命なんて厭わないはずだ」

 

 大変な事に巻き込まれたのだと皆が理解したその時には、既に囮に誘い込まれたPMCの人機へと青い弾頭のミサイルが叩き込まれていた。

 

 濃霧が発生し、PMCのトウジャを絡め取る。

 

「やられた! アンチブルブラッド弾頭!」

 

 アンチブルブラッドの霧は通信域を塞ぐ。さらに言えば、現状の人機でさえもアンチブルブラッドの前では無力だ。

 

 幾度となく見てきた戦地と同じ光景に、記者は端末に声を吹き込む。

 

「我々からは見えない位置で、本命が狙ってくる……!」

 

 首裏に滲んだ焦りに彼は振り返っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯367 絆の剣士

『何だ……アンチブルブラッドミサイル検知! 《スロウストウジャ弐式》、動けません!』

 

『こちらB班! 完全に取り押さえられました。……旧型の壱式だぞ!』

 

 その声を聞きつけ、ご破算か、と静かにこぼす。可変シークエンスを取らせ、宙域へと飛び込んでいた。

 

 相手の本命がコロニー、グリムを押さえようとする。

 

 反対側の《スロウストウジャ壱式》編隊は完全に囮。絡め取られた形のPMCの人機部隊はこの戦場で意味をなくしていた。

 

 せっかくの護衛でもこれでは素人同然。

 

 太陽光を取り込む巨大な黄金のパネルを四枚展開したコロニーへと、テロリストの人機部隊が入っていた。

 

 総数は四。それほどの脅威判定でもない。

 

「……第三国に流れた《スロウストウジャ弐式》が三機。うち一機はカスタム型の上官機。あれは……アンヘルの払い下げ機か」

 

 アンヘル解体のあおりがこのようなところで降って湧いてくる。嘆息をついた瞬間、丸まっていたコンソール上のAIが声にしていた。

 

『まったく、やるせないマジねぇ。これだけ払っても湧いてくるなんて。意味がないって言われているみたいマジ』

 

「うるさいぞ、アルマジロ型AI……サブロウ。小言を言っている暇があれば、情報を収集しろ」

 

『はいはい。真面目マジね。現状、バベルの送ってきた座標通りに、相手は陣取っているマジ。壱式に捕虜でも乗せて、強制させているのが見え見えマジよ。弐式部隊に乗っているのがテロリスト本体だと思うのが筋マジ』

 

「では戦場へと介入する。サブロウ、変形シークエンスの邪魔だけはするな。私のタイミングでやる」

 

『勝手にするマジ。こっちは歴戦のエース様のお目付け役マジからねぇ』

 

「皮肉だけは立派だな」

 

 言いやって、フットペダルを踏み込み、白銀の戦闘機で宙域へと割って入る。一機の《スロウストウジャ弐式》が反応し、こちらへとプレッシャーガンを照準した時には全てが遅い。

 

 銀翼の機体が機首を上げ、反転し、その時には変形を果たしていた。

 

『青と銀の……バーゴイルだと』

 

 相手がおっとり刀で対応した瞬間、距離を詰めた機体がプレッシャーソードを引き抜いていた。

 

 出力を抑えたプレッシャーソードが相手の機体の胴を割る。思わぬ斬撃であったのだろう。完全に虚を突かれた形の敵機が宙域を無様に流れる。

 

「血塊炉を断ち割った。爆発はしないが、暗礁宙域を漂う事になる」

 

『正確無比。機械よりも、マジ』

 

 小言を漏らすサブロウの声を他所に相手の指揮官機がこちらに勘付いたのを第六感で察知する。即座に機体の腕を払い、その瞬発力で敵の銃撃を回避する。

 

 推進剤さえも焚かず、慣性機動のみで攻撃を予期してみせたこちらに危機感を募らせた相手はプレッシャーガンを速射モードに設定し、照準補正をかけさせる。

 

『何者だ! 登録認証のない……人機だと……』

 

「貴様らに言われる筋合いはない」

 

 相手とて連邦の登録認証からは違反している。乗機の名前を紡ぎ出し、操縦桿を握り締める。

 

「《バーゴイルリンク》。敵性人機の排除行動に移る。敵の脅威判定……F」

 

『相手は単騎だ! 押し返せば勝てる!』

 

 プレッシャーガンの弾道が一斉に向けられ、殺到した銃撃にサブロウが困惑する。

 

『あわわわ……! 狙われているマジよ!』

 

「慣れろ。相手から銃口を向けられた時には敵を愚か者と思え。そして、こちらが銃口を向けた時には、相手をもう屠っていると」

 

 マウントされたレールガンを保持し、《バーゴイルリンク》は引き金を絞っていた。電磁誘導の弾丸が敵人機の肩口を抉り取る。

 

 第三国に流れたトウジャのセンサー類は肩に集中しており、こうして狙い澄ませば簡単に無力化出来る。

 

 その証左に命中した人機はうろたえたように機動力を下げていた。

 

『何をされた……? 肩を撃たれただけなのに……!』

 

「それさえ分からないのならば、貴様らは愚か者だと言っている」

 

 肉薄した《バーゴイルリンク》がプレッシャーソードを抜き放ち、最小出力で敵の両肩を断絶させる。突きつけられた切っ先に相手が息を呑んだのが伝わった。

 

『何で……相手はただの、バーゴイルのはずだ』

 

「そうとしか見えていないのならば、そこまでだ」

 

 血塊炉へとプレッシャーソードを発振させる。切っ先が血塊炉を貫き、爆発を拡散させずに人機を機能停止まで追い込む。

 

 その刹那、残り二機から銃撃が放たれていた。その時には《バーゴイルリンク》は飛び退り、相手の射程から逃れている。

 

『何なんだ! あの人機は!』

 

『撃て! 撃てば当たるはず! バーゴイルだぞ、嘗めやがって!』

 

 プレッシャーガンの弾道はどれも当てずっぽうで、命中するためにわざわざ軌跡に入らない限りは当たらない。ため息一つを噛み締め、《バーゴイルリンク》を直上に逃れさせた。

 

 これで敵は諦めがつくか、と思ったが、《スロウストウジャ弐式》が追いすがってくる。

 

 操縦桿を引き、フットペダルを踏み込んで急降下する。その機動性に相手が困惑したのが伝わった。

 

『あんな急加速……! 野郎、生意気な!』

 

 敵もプレッシャーソードを引き抜く。出力を上げたプレッシャーソードに、打ち合うのは危険か、と判断を下した。

 

 レールガンを携え、何発か青い弾道を放つ。敵はこちらの射撃を回避し、上昇機動に入っていた。

 

『バーゴイル風情が! 墜とす!』

 

「口だけは達者だな。舌を噛む」

 

 推進剤をカットし、慣性機動に移った《バーゴイルリンク》がすれ違う瞬間、最小限のプレッシャーソードの軌道だけで《スロウストウジャ弐式》の駆動系へと刃を放つ。

 

 今の攻撃で相手の駆動軸にガタがついたはずだ。それでも敵はプレッシャーソードを大きく振りかぶる。

 

 その瞬間、相手の機体から青い血潮が迸っていた。血塊炉の循環系に亀裂が走っているのだ。過負荷をかければそれだけで毛細血管が弾け飛ぶ。

 

 敵はプレッシャーソードを振りかぶった姿勢のまま硬直する。そのまま稼働停止した敵機を《バーゴイルリンク》は蹴り飛ばしていた。

 

「あとは、残り一機……」

 

 しかし指揮官機らしい《スロウストウジャ弐式》は簡単に射程に入る愚は冒さない。それなりに訓練は積んでいるというわけか、と承服する。

 

『……貴様は一体、何だ? どうして我々の邪魔をする』

 

「サブロウ、合成音声に。……コロニー公社への襲撃を関知した。それを看過出来ないために、介入行動に出ている」

 

『どこの軍事組織だ。連邦の機密部隊か!』

 

『今さら新連邦がそんな面倒事を引き受けるはずないマジ。この程度の連中の頭なんて知れているマジよ』

 

 やれやれと頭を振ったサブロウに敵操主は声を荒らげていた。

 

『名乗れ! 斬り合いだ!』

 

 プレッシャーソードを引き抜いた敵機がコロニーへと接地する。その挙動にため息しか漏れない。

 

「……下らないプライドで戦ったところで、意味のない敗北を繰り広げるだけだ」

 

『言っていろ! 連邦の狗が!』

 

《スロウストウジャ弐式》がコロニーの一部を足掛かりにしてこちらへと猪突する。《バーゴイルリンク》は射程に入った相手へと最小出力の斬撃を浴びせかける。

 

 斬りさばく瞬間のみ、刀身の発生する刃は誘爆を生みにくい。イレギュラーの爆発は出来るだけ発生させないのが鉄則だ。

 

 左腕を根元より断ち切られた敵機はしかし、すぐさま姿勢を制御し、振り返り様の一撃を見舞おうとする。

 

『危ないマジよ!』

 

「そうでもないさ」

 

《バーゴイルリンク》がレールガンの砲身で受ける。レールガンの銃身には対R兵装加工が施されており、出力の低いR兵装ならば受け流す事が出来る。

 

『銃で受けるだと!』

 

「慣れた手間だ」

 

 そのまま機体をロールさせ、振り返った刹那には一閃を浴びせかけていた。相手が咄嗟に血塊炉を防御する。しかし今の一打で戦力差は窺えたはず。

 

「これ以上の継続戦闘はおすすめしない」

 

『貴様は……貴様はァッ!』

 

《スロウストウジャ弐式》の操主がいきり立ち、プレッシャーガンの銃口をコロニーへと向ける。

 

 その瞬間、システムの名前を紡ぎ出していた。

 

 黄金に染まった《バーゴイルリンク》が光の速度を超え、敵の武装を落とす。相手は反応さえも出来なかったのだろう。

 

 分解されたプレッシャーガンに遅れた認識で引き金を引いてから、敵機が振り返る。

 

『まさか……今のは……』

 

《バーゴイルリンク》がプレッシャーソードを払い、敵人機の首を刈る。さらに奔った剣戟が《スロウストウジャ弐式》の胴体を生き別れにさせていた。

 

 漂う敵機より、声が通信網に焼きつく。

 

『……貴様、ブルブラッドキャリア……』

 

 プレッシャーソードを仕舞い、《バーゴイルリンク》が武装をマウントする。

 

『もうすぐ、護衛人機部隊が合流するマジ。ほんの……五分間の出来事だったマジね』

 

「それでも先手を打たなければコロニーに穴でも空いていたかもしれない。バベルが機能してくれている証明だ」

 

『優秀なAIのお陰マジ』

 

 サブロウの厚顔無恥さに言葉もなく、操縦桿を引いていた。

 

「ファイター形態へと変形する。せいぜい、その優秀なAIで最後までサポートしてくれ」

 

 その時、不意に照準警告が発せられた。思ったより早く護衛の人機がこちらの手に気づいたらしい。プレッシャーガンの警告に対して、静かにコロニーより離脱機動に入る。

 

 護衛機より通信が入電された。サブロウが接続させる。

 

『……不明人機……? そちらのバーゴイルは何者か!』

 

「……名乗るほどの名前はない」

 

 飛び立った《バーゴイルリンク》が可変し、翼を仕舞い白銀の戦闘機へと収容される。その機動力には護衛機は追いつけないらしい。茫然と見守る無遠慮な眼差しにふぅと嘆息をついていた。

 

『お疲れ様マジ、――鉄菜』

 

 名前を呼ばれ、ようやくヘルメットのバイザーを上げる。ロックを外し、黒髪が無重力になびいた。

 

「対処療法だな。こうやって要らぬ戦いの種を排除する」

 

『それでも、必要な措置の一つなのよ』

 

 繋がれた通信の先の相手に鉄菜は応じていた。

 

「鉄菜・ノヴァリス。《バーゴイルリンク》は任務を達成。無事に帰投する」

 

『了解。ダメージがなくって何よりだわ』

 

「ニナイ。あんな相手に後れを取るなんてあり得ない。どれだけモリビトで介入していないと思っている」

 

『減らず口が叩けるだけマシね。リードマンが診断をしたいって言っているわ』

 

「その予定はもう入っている。何も心配する事はない」

 

 その言葉振りにニナイは表情を翳らせる。

 

『でも……やっぱり心配になるのよ。鉄菜、あなたは……』

 

「何も言わなくっていい。私はブルブラッドキャリアの執行者。その時が来ればその時までの存在だ」

 

 会話を打ち切り、鉄菜は戦闘機形態の《バーゴイルリンク》で暗礁宙域を駆け抜けていた。

 

『……素直じゃないマジね、二人とも。心配事は口にしたほうがいいマジよ?』

 

「システムの小言は受けない。それぐらいの自由はあってもいいはずだ」

 

《バーゴイルリンク》が月面へと入りかける。ガイドビーコンがこちらの機影をリードし、戦闘機形態の《バーゴイルリンク》は格納デッキへと入っていた。

 

「すぐに整備取り付け!」

 

 声が弾け、鉄菜は無重力ブロックを行き交う。その途上でタキザワが遮っていた。

 

「どうだい? 《バーゴイルリンク》での介入行動は」

 

「それなりに慣れた。トウジャとは言え、敵は素人集団だ。モリビトでの介入でわざわざ余計な手間を増やすまでもない」

 

「元々、モリビトだと目立つからって言うんで《バーゴイルリンク》を開発したんだからね。それなりに使ってもらって助かるよ」

 

 タキザワの言葉に鉄菜はコックピットから外されたサブロウが漂うのを視界に入れていた。

 

「あれは、どうにかならないのか」

 

「お気に召さないかな」

 

 肩を竦めたタキザワに鉄菜は言いやる。

 

「小言が多過ぎる。システムAIとしてはまぁまぁだが、あまりにうるさいと必要ないと思えるが」

 

「そうは言ってやらないでくれ。ジロウとゴロウ……二人の意思を受け継ぐ第三世代機としての名前でサブロウだ。彼らの持っているデータを引き継いでいる。もしもの時には役立つはずだ」

 

「もしもの時、か。そんなもの、訪れないほうがいいに決まっているが」

 

 今のところAIバックアップが必要な状況はない。鉄菜は整備班に声を振っていた。

 

「《バーゴイルリンク》の反応は悪くない。今のままで頼む」

 

「了解しました! ですが、言っても型落ち品のバーゴイル。やはりトウジャ相手には難しい部分もあるのでは?」

 

「いや、これで充分だ。武装もちょうどいい。省エネ状態のプレッシャーソードで立ち回れる」

 

 そう言い残して鉄菜は去ろうとするのをタキザワが止めていた。

 

「鉄菜。もうすぐロールアウトする君の新型がある。それへの搭乗を頼みたい」

 

「……話にあったモリビトの新型か」

 

「《ザルヴァートルシンス》だ。あれを試したいと思っている」

 

 鉄菜は振り返り、問い返していた。

 

「試す……? どうやって」

 

「まぁ言われてしまえばその通りなんだが、実戦経験のないモリビトをそのまま出すわけにはいかないだろう」

 

「……介入行動にはモリビトは出さない。この二年の取り決めだ」

 

「それもどうかな、って話になっているんだよ。世界情勢は確かに、僕らの思っているよりもずっとよくなっている。現政権への融和政策も取ってあるし、人々の意識も改革されつつある。でも、やっぱり本当のところでは、どこかに闘争の種はあると思ったほうがいい」

 

「油断するなと言いたいのか」

 

「それもあるが、備えはしておくべきだ」

 

 備え。その一語でモリビトの武装強化をほのめかされるのか。鉄菜はRスーツに備え付けのタイマーを視野に入れる。

 

「リードマンの診察が先だ。そちらに行かせてもらう」

 

「ああ、それは構わないが……。鉄菜、どのような事を言われようとも、君は最後までブルブラッドキャリアの一員だ」

 

 その言葉で送り届けたタキザワに鉄菜は重力ブロックに入るなり、ひとりごちる。

 

「どのような事を言われようとも、か……」

 

 何を宣告されるのか、タキザワはある程度分かっているのだろう。彼も研究者だ。リードマンの導く結論をどこかで予見していてもおかしくはない。

 

 自分も何を言われるのかはある程度察しがついている。それでも、と鉄菜はリードマンの部屋を訪れると、先に問診していた瑞葉が振り返っていた。

 

「ああ、クロナ。戦いは……」

 

「大した事はない。コロニー公社への襲撃は最低限だった」

 

 その言葉を発すると、瑞葉はその腕に抱いている小さな命へと目を向ける。瑞葉の腕から、幼い命が手を差し伸べていた。

 

 鉄菜は困惑気味に後ずさる。

 

「すまない。まだ結里花の問診が終わっていなくって……」

 

「いや、それは構わないんだが……」

 

 お互いに言葉を濁す。結里花、と名付けられた命一つの息遣いに、鉄菜はどこか困惑していた。

 

 瑞葉とタカフミの命の結晶。

 

 二人が紡いだ愛の軌跡。しかしながら、結里花は通常の母体から産まれたわけではないため安定するまで日に三回もリードマンが問診しなくてはいけない。

 

 それでも、結里花はそのような事を露知らず、笑顔を自分に向けてくるのだ。

 

 鉄菜はあえて視線を外し、リードマンに詰め寄っていた。

 

「私の事は後でもいい。結里花は……」

 

「鉄菜、ちょっと待ってくれ。今、カルテを整理していてね」

 

 電子カルテを整頓するリードマンの手は皺が入っている。彼もまた、そう長くはないのだろう。

 

 ブルブラッドキャリアの報復作戦の頃から参加していたメンバーは誰もが身体にガタを感じ始めているはずだ。

 

 その中でもリードマンはどこか達観していて、鉄菜は瑞葉へと視線を振り向けていた。

 

「結里花、クロナに挨拶出来るか?」

 

 まさか瑞葉が赤ん坊をあやす姿を見るとは思いも寄らない。結里花は無邪気に手を伸ばし、鉄菜の顔を見て笑いかける。当の自分はどう対応していいか分からず、硬い表情を返していた。

 

「瑞葉君、結里花ちゃんの診察は終わったから、鉄菜に譲ってもらえるかい? 鉄菜、そこで横になってくれ」

 

 ベッドに横たわり、鉄菜は立ち去っていく瑞葉を視界に入れる。結里花の手を振らせ、瑞葉は満ち足りた笑顔で去っていった。

 

「すまないね。ちょっと時間が押してしまっていて」

 

「構わない。……結里花は大丈夫なのか」

 

 その問いかけは自分らしくなかったかもしれない。いや、瑞葉も気にかけているのならば充分に自分か。

 

「今のところ健康上の問題はない。ただ、瑞葉君は特殊だからね。ブルーガーデンの強化兵の娘が、普通の環境下で育つとは思えないし、実例がない。だから、こうしてちょっとばかし肩肘を張っている」

 

「よくはないのか?」

 

「いや、問題はないさ。問題があるとすれば君のほうだ、鉄菜」

 

 解析機が自分の身体を上下に分析する。リードマンの端末にリアルタイムで自分のステータスが更新されていった。

 

 鉄菜は不意に言葉を漏らす。

 

「世界は……変わったようで変わらないな」

 

 先のコロニー公社の襲撃に思うところがあったのだろうか。あるいは、その襲撃を何の問題もなくさばいた自分自身が。

 

「アンヘルは解体。C連邦は新連邦と名前を変え、融和政策に移りつつある。他国の弱小コミューンも今の連邦法案ならばそれほど割を食わない。世界は着実にいい方向に回ろうとしているだろうさ。ただ宇宙だとそれは感じづらいだけだろう」

 

 本当に、それだけなのだろうか。自分達が惑星より遠く離れた月面に位置しているから、平和を甘受出来ないだけならそれでいい。

 

 しかし、争いの種を宇宙に持ち出そうとしているのは惑星の人々だ。コロニーという未来の建造物に、因縁を持ち込もうとしている。古い因習で縛り上げ、星の運命を共にさせるのは残酷なだけだというのに。

 

「惑星も、少しずつよくなっていると思うべきなのだろうか。だが、私は……」

 

「容易く平和を標榜出来るのならばこの八年の苦渋はなかっただろうさ。一つずつだろう。それを理解しているのならば何も問題はない」

 

 一つずつ前に進む。それが確かに分かってはいる。それでも、簡単ではないのだとこの身は理解してもいるのだ。

 

「……《バーゴイルリンク》による介入でさえも下策だ。本当なら介入行動なんて要らないはず」

 

「それも、我々が泥を被って、だろう。ブルブラッドキャリアは世界の敵であっても構わない。彼らの理想の道筋を辿るのに、ちょっとばかし我々は協力をしているだけだ」

 

 理想の道筋。平和への最短距離。それを人類は誰もが理解しているようで理解はやはり遠い。

 

 解析が終わり、機械がベッドから離れた。鉄菜は上体を起こして尋ねる。

 

「終わったのか」

 

「ああ。身体状況はまったく問題はない。ただ……」

 

 覚悟は出来ている。鉄菜は問い返していた。

 

「リードマン。あと、どれくらいだ?」

 

 問い詰めた声にリードマンは面を伏せていた。

 

「あと一年、持てばいいほうだろう。鉄菜、君は人造血続として製造された。僕はもちろん、君を一年でも長く存続させたい。しかし、限界が近いんだ。ブルブラッドキャリア本隊は君を、永続性のある人間として扱おうとは思っていなかった。それが……この結果だろうね」

 

 やはり、一年。言われて来た事とはいえ、苦味が勝る。

 

「そう、か。……ミズハの娘が大きくなるまで、居てやる事も出来ないのか」

 

「鉄菜。だが君はみんなの未来を救ったんだ。《トガビトザイ》を倒し、ブルブラッドキャリアの野望を砕いた。それだけでも随分と功績がある。だから、何も悲観しないで欲しい。君は、希望になったんだ」

 

 それでも、と鉄菜は手首を眺めていた。日に日に弱っていく事はない。ただ純粋に、この肉体には寿命があり、そしてその期限を全うすれば、突然に糸が切れたかのように死にゆく。

 

 それだけの、些末な話だ。

 

「鉄菜。僕も全力を尽くして出来るだけ延命措置を取りたい。だから諦めないで欲しい。君は、ブルブラッドキャリアにとって特別なんだ。君がいなければ、今日の平和は訪れなかっただろう」

 

「そのような事は結果論だ。私がいなくても誰かが遂行したかもしれない。《トガビトザイ》を倒したのは私だけの力ではない」

 

「鉄菜……だが君は……」

 

「すまなかったな、リードマン。世話をかけさせる」

 

 ベッドから起き上がり、鉄菜は診察室から出ようとする。リードマンは心底申し訳ないかのように頭を振っていた。

 

「すまない、鉄菜……。僕の頭脳では君を助け出せるだけの最短距離を見いだせない。分かりやすい希望を振り翳す事も」

 

「出来ないものは出来ないでいい。私は、別にそれで……」

 

 ――違う、と鉄菜は内奥で声がしたのを感じる。

 

 こうして偽って、自分の望みを抑圧する。そうして全員の平和のために己を犠牲にしようとする精神性に、鉄菜は狼狽していた。

 

 このような考え方、以前まではなかった。

 

 命が今尽きようとも惜しくはなかったはずなのに、どうしてなのだろう。瑞葉の娘である結里花の笑顔を思い返す度に、胸の奥がキュッと痛む。

 

 ささくれのような痛みに、鉄菜は冷徹な判断を下していた。

 

「……私はブルブラッドキャリアの執行者。それだけだ」

 

 そう口にする事で、自分を封殺する事が出来る。リードマンが何か言葉を投げようとしたのは分かったが、鉄菜はあえて無視していた。

 

「蜜柑と桃は?」

 

「……彼女らも出来る事がしたいと任務を継続中だ。桃は地上で介入行動が必要ならば出向けるようにしてある。蜜柑は執行者として、データの演算中だ」

 

「そう、か。……地上は遠いな」

 

「鉄菜、寂しさを感じるのならば呼び戻してもいい」

 

「寂しさ? そんなものを感じるようには、設計されていないはずだ」

 

 断じて、鉄菜は部屋を出ていた。しかし、胸の奥の痛みだけは消せずに、ぐっと奥歯を噛み締める。

 

「何なんだ、私は……。死にゆくのが恐ろしいのか」

 

 そんなはずはない。自分は、かつて涅槃宇宙へとアクセスした。死ねばあの場所に皆が赴くのだ。あのあたたかな場所に。そこには彩芽もいるはず。

 

 散って行った者達が待っているはずなのだ。

 

 それを分かっているというのに――。

 

「醜いな。私は……死にたくないのか。何で……」

 

 問い返しても答えは出なかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯368 新たなる眷属

 新連邦の軍人としての役割はある程度理解しているつもりであったが、ヘイルは今回の任務だけは、と苦言を呈していた。

 

 それに対して上官が渋い顔をする。

 

「受けてはもらえない、と思っていいのかね」

 

「自分は軍属です。もちろん、命令には従いますが……」

 

「人道にもとる事は出来ない、か」

 

 無言の肯定に上官はデータベースを寄越す。映し出された女性の相貌に、ヘイルはこれが、と声にしていた。

 

「ああ。今回の護衛対象……と言えば聞こえのいい任務かな」

 

「実際には、彼女の腰巾着でしょう?」

 

 問い返すと、上官は仕方がないのだよ、と頭を振っていた。

 

「少しばかり戦いに精通した人間でなければ、彼女の真価を発揮出来ない。そのために《スロウストウジャ肆式》の実用化を彼女の実戦と合わせた。分かるだろう? これは一応、戦力の拡充の意味を持っている」

 

 実質的に《スロウストウジャ肆式》を出撃させるための任務でありながら、同時に彼女の能力も見たい。上のわがままは今に始まった話ではないが、これは融和政策を取る新連邦の法案に反している。

 

「コミューンを襲え、と言っているのですよ」

 

「反政府コミューンを、だ。間違えないようにしたまえ」

 

 どれだけ言葉を弄しても、やはりこの作戦だけは押し通したいのだろう。ヘイルはこれ以上の問答に意味がないのだと判断していた。

 

「……自分が呑めば?」

 

「作戦立案には三時間もない。君は連邦艦へと移動し、そこで作戦実行を」

 

 最早、織り込み済みというわけか。ヘイルは反抗するのも馬鹿馬鹿しいと挙手敬礼を送っていた。

 

「了解しました。……これも、アンヘルという汚れを請け負っていた禊ですか」

 

「ヘイル中尉。君をあの組織の階級のまま、新連邦で使っているのは何も伊達や酔狂ではないのだと分かってもらいたい。実力は買っているのだ」

 

 よくも舌が回る、とヘイルは呆れて物も言えなくなる。

 

「どれも詭弁でしょうに」

 

「詭弁でも、平和のための詭弁ならば許されるのだよ」

 

 立ち去り際、ヘイルはやり切れない思いに拳を握り締めていた。どれだけ言い繕っても、結局はまだ世界は平和へと歩み出していない。

 

 虚飾に糊塗された偽りの平和。

 

 それでも人々には平和が訪れたのだと錯覚させるのには、やはり率先して泥を被る人間が必要だ。その役目が自分ならば、負う覚悟は持っている。

 

 道すがら、ヘイルは何名かの連邦軍人を視界に入れていた。赤い詰襟は完全に廃され、アンヘルという組織があった、という痕跡さえも消し去ったクリーンな軍部。

 

 しかし、どこかで見知った顔を見つけると、どこかばつが悪くなるのだ。

 

 生き残るべきではなかった命の不実が生き残っているようで、自分を含めてこの新連邦の軍部には相応しくないのでは、と問い返してしまう。

 

 だが、新連邦軍部において、徴用されているのはアンヘルの軍籍経験者がほとんどである。それはやはり、あの戦いを生き延びた結果と、そして実力が加味されているのだろう。

 

 如何に暴力と殺戮に手を汚した者達とは言え、コミューン殲滅戦に長けている戦略的優位は覆らない。

 

 あの部隊で使われていたジュークボックスの技術も、今は完全なる禁忌であった。

 

 抹消された場所はまるで最初からなかったかのような違和感を伴わせて、自分達のような経歴持ちを追い込む。

 

 それでも軍部で生き抜くしかない、このような形でしか生き延びられない己に恥ずべきところはない。

 

 恥じれば、それは散っていった者達に報いる事が出来ないからだ。

 

 ヘイルは辞令を受け取るなり、高速艇に搭乗していた。

 

 操舵手が尋ね返す。

 

「どうですか、新連邦の指示は」

 

「平和の前に、ちょっとばかしの不満は封殺されるべき、という考え方だよ」

 

 高速艇が飛び出すなり、同乗していた者達が笑いかけていた。

 

「中尉殿は真面目なんですよ。新連邦に挿げ替わったところで今までC連邦やC連合のやっていた事が正当化されるわけでもないですし」

 

 アンヘルという組織を作ってしまった功罪を受けるべきは、上であろうにその責任を放棄しているのもまた上なのだ。

 

「誰も、不都合な事実からは目を背けたいものなのかもしれないな」

 

「アンヘルですか? ほとんど壊滅したって聞きましたけれど。生き残りがいたとしても、それってどうなんですかね。新連邦政府が雇い直したとか?」

 

 まさかそのアンヘル兵士の一人が自分だとは思っていないのだろう。そういう点では上層部は軍内部のクリーン化に成功していると言える。

 

 アンヘルという悪逆非道の組織は壊滅した――そう他の人々には思わせたほうが都合もいいのだろう。実際、ブルブラッドキャリア、ラヴァーズ、そしてエホバとの最終決戦でほとんどのアンヘル構成員は命を落とした。生き残っている人間だって軍部を辞めた者が多いと聞く。

 

 誰も、戦いの後まで耐えられるようには出来ていない。あの戦いで多くを失い、そして多くのものが平和のための礎となった。

 

 ハイアルファー人機を含め、現行の連邦法案では廃止された禁断の発明も数多い。

 

「まぁ、それでも、やっぱり便利な兵士って必要なんですね。経歴を見れば分かりますけれど、例の被験者、アンヘルの軍歴があるって……」

 

 まことしやかに語られる噂であろう。ヘイルは、噂だよと制していた。

 

「あまり踊らされると厄介だぞ。情報なんてものは」

 

「でもですよ。二年前に発掘されたバベルの詩篇によって、軍部の蛮行が暴かれて以来、市民の眼が気になるってんで、ほとんど秘密裏な行動なんて出来なくなって……。監視社会ですよ」

 

 本物の監視社会を生き抜いた自分からしてみれば随分とぬるい認識もあったものだ。アンヘルによるコミューンの弾圧。そして虐殺を目にすれば、この兵士はきっと驚愕するに違いない。

 

 実情は、しかし誰にも明かされないまま。そういった組織が「在った」事は反芻されても、その歴史に学ぶ事はまずあり得ない。新しいやり方に焼き直された世の中で、人々は新しいルールの上で生きていくしかない。

 

 高速艇が艦へと到着する。新連邦、最新式巡洋艦で連邦兵士が挙手敬礼を寄越した。返礼し、ヘイルは前を行く。

 

「被験者は?」

 

「第三隔離室に。現在、実験中です」

 

 実験中か。ヘイルは人間としての扱いは受けていないのだな、と実感する。

 

「……事前に情報は受けた。乗機も」

 

「格納デッキに固定してあります。そちらから先にご覧になりますか?」

 

「いや……どうせ同行する。その時でいい」

 

「着きました。ここです」

 

 第三隔離室、と配された部屋にヘイルは歩み入っていた。部屋の中央部で巨大な機械を頭に被せられた人影が椅子に縛り付けられている。

 

 服装は士官のものだ。一応は軍籍に従っての事なのだろうが、どう見ても実験動物のそれ。ヘイルは目線だけで問い返す。

 

「実験中止。ご苦労様です、中尉殿」

 

 返礼し、先を促していた。

 

「被験者は」

 

「こちらに。カグラ・メビウス准尉」

 

 呼ばれると頭部ヘッドセットが外され、赤い髪を持つ女性の相貌が露になった。カグラ、という名前にヘイルは問い返す。

 

「本名か」

 

「ええ。母親に名づけてもらいました。辺境コミューンの出でしてね。珍しいですか? 中央の出の方々からしてみれば」

 

「姓のメビウスは?」

 

「引き取ってくださった孤児院の名前です。メビウス孤児院と言ったもので」

 

 彼女の言葉振りは淡々としていて、まるで自分の事を語っているようには思えない。しかし、ヘイルは彼女こそがこの新連邦の軍部における重要なポジションにある事を再確認する。

 

「メビウス准尉。貴官には我々新連邦への協力要請が出ている」

 

「存じていますよ。これも、また血続の特殊な第六感なのかもしれませんが、実は中尉殿が現れる事は数時間前には分かっていたんです。いや、語弊がありますね。中尉殿だって、血続のはず」

 

 その言い振りに士官が声を荒らげていた。

 

「失礼だぞ」

 

「すいません、あまりにも可笑しくって……。だって、血続なんて別段、珍しくはないでしょう?」

 

 わざともったいぶった言い回しを選んでいるのか。ヘイルは努めて冷静に声を搾っていた。

 

「貴官は我々とは違う、純粋血続だと聞いた」

 

「何にでも付与価値をつけるのが、人々のやってきた事です。自分など大したものではありません」

 

 ヘイルは実験兵へと目線を配る。相手は首肯していた。

 

「純粋血続は今のところ、軍部では彼女しか確認されていません。確かに、世界ではモデルケースがそれほど少ないわけでもありませんが、それでも新連邦の擁する純正は彼女だけです」

 

「やめませんか。純正だの、純正じゃないだの。どうだっていいでしょう? 性能だけを知りたいはずなんですから」

 

 どこか言葉を弄する事に疲れているような赤髪の女性に、ヘイルは問い返す。

 

「純正血続は特別だと聞いた。自分達のように、ただの血続とは違うと」

 

「反応速度、そして人機追従性において、純正血続は桁違いの性能を見せます。それだけではありません。純正血続はブルブラッドの濃霧が八割以上の土地でもマスクなしで活動出来、浄化大気を必要としません。まさしく新人類ですよ」

 

 そう評した研究者にヘイルは視線を送る。彼は実験データを寄越していた。そこに記された専用機における撃墜スコアは連邦内ならば充分にエースの領域である。

 

 もっとも、それは仮想空間による戦闘シミュレートであり、実戦ではないのだが。

 

「血続という可能性、見せてもらえると思っていいのだろうか」

 

「中尉だって血続ではないですか」

 

「俺とは違うんだろう?」

 

「……そうですね。純正血続はハイアルファーの毒素も通用し辛い。運用には、打ってつけでしょう」

 

 どこか皮肉めいた物言いのカグラにヘイルは辟易していた。彼女は全てを投げ打ったかのような論調で続ける。

 

「ハイアルファーの実験も請け負いましょう。それくらいはやりますよ」

 

「ハイアルファーは非人道兵器だ。新連邦はその運用を禁止している」

 

「それは、存じていませんでした。失礼を」

 

 わざとらしい物言いだ。ヘイルは追及の声を出そうとして、不意に放たれたアラートに眉根を寄せていた。

 

「失礼。どうした?」

 

「敵が来ますよ」

 

 まだハッキリしていないのに、カグラは妙に確信めいた口調で告げる。直後、巡洋艦が警戒態勢に移り変わった。

 

「中尉、どうやら敵襲のようです」

 

「敵襲? 新連邦巡洋艦にか?」

 

 信じられぬ様子で尋ね返すと、研究兵がマップを手渡す。向かってくる兵力の分布にヘイルは苦味を噛み締める。

 

「ラヴァーズ残党兵……!」

 

「どうします? 中尉の《スロウストウジャ肆式》を出す予定ではありましたが、相手がラヴァーズならば下手な新型機は……」

 

 濁すのも分かる。ラヴァーズに新型機を晒せば、それだけリスクは高まるはずだ。しかし、カグラは落ち着き払っていた。手元に寄せたのはナッツの入った袋である。いくつかを頬張り、彼女は告げる。

 

「行っても構いませんよ。純正血続の性能、知りたいんでしょう?」

 

 確かに上からしてみれば新連邦の軍規の中で純正血続の性能をはかるチャンス。しかしながらヘイルは慎重であった。

 

「貴官を容易く出させるわけにはいかない」

 

「それは相手へと寝返る恐れでもあるからですか」

 

「兵士には違いないからだ。貴官がどのような扱いを受けていようとも、兵力としては一として扱う」

 

「お優しいんですね。ですが、この研究者達は私を出したがっていますよ」

 

 周囲を見やり、その気配を感じ取る。ヘイルはここで妙な言い争いをしても無駄か、と巡洋艦の責任者に声を振っていた。

 

「俺も出る。出す予定だった《スロウストウジャ肆式》を用意してくれ」

 

「了解しました。カグラ・メビウス准尉は実験機に」

 

 椅子に縛り付けられたまま、移動をするカグラをヘイルは見送る。彼女は別れ際、手を振っていた。

 

 直視出来なかったのは、あの拘束椅子に縛り付けられているのが、燐華であった可能性もあるからだろう。

 

 どこか彼女の境遇を他人事とは思えなかった。

 

 歩み寄ってきた士官が声にする。

 

「ヘイル中尉。最新機を出すデメリットは……」

 

「理解しているさ。だがラヴァーズにこの艦を押さえられるのもまずいのだろう? 俺と准尉で掻き乱す。敵の兵力は」

 

 分析された敵機の識別信号はスロウストウジャ壱式のものだ。型落ち機とは言え、トウジャか、とヘイルは舌打ちする。機動力と性能では馬鹿に出来ない。ヘイルはアームレイカーに手を入れ、加速器を確かめていた。

 

「よし。ヘイル、《スロウストウジャ肆式》、いつでも出られるぞ」

 

 紫色のカラーリングを持つ新型機は緩やかに出撃カタパルトへと移動される。その途上で、ヘイルは新型人機を目の当たりにしていた。

 

 流線型の巨大人機。武装コンテナを上下一対ずつ、四つも背負った機体は重力下試験を加味しているとは思えない。

 

 大推進マニューバが備え付けられ、この巨躯の人機の機動性能を支えているようであった。必死に重力へと抗うような、それそのものが叛骨の人機。

 

「あれが……新しい……」

 

 口にしたヘイルはカタパルトデッキに接続される。信号が全て青に染まり、発進準備完了の伝達が成された。

 

「《スロウストウジャ肆式》、先に出る!」

 

 出撃した《スロウストウジャ肆式》には大出力加速バーニアが追加装甲として備え付けられており、肩口と脇へとX字に伸びている。重力下でも充分に急加速を可能にする新型の鼓動にヘイルは息をついていた。

 

「相手は型落ちの壱式だ。少しの牽制で逃れてくれれば……」

 

 こちらも困る事はない。言外に付け加えた事実に、直後、艦載された新型機が飛び出していた。

 

 青い推進剤の尾を引いて重力の投網を振り払った巨大人機の識別信号が割り振られる。

 

「……新型人機、《イクシオンカイザ》。純正血続の力、見せてもらおう」

 

《イクシオンカイザ》が赤い光を棚引かせる。特殊機構の一つらしい。推進システムが既存のものとはまるで異なると言う。

 

 赤い推力で飛翔した《イクシオンカイザ》の威容に敵陣営が驚愕したのが伝わる。それも当然だろう。

 

 あのような自然界の法則にもとる人機、見れば誰だってうろたえる。

 

 それでも、引き金を絞ったのは相手の矜持か、放たれた火線に最早、この戦域においての正当防衛という大義名分が塗り固められていた。

 

《スロウストウジャ肆式》で先行し、プレッシャーライフルを一射する。狙い通り、敵の推進器を貫いた一撃にカグラより通信が飛ぶ。

 

『やりますね、中尉殿』

 

「……これでもそれなりに実戦経験はあってな」

 

 アンヘルの、とは言わないが。カグラは首肯していた。

 

『私も実戦経験はそれなりにあるんですよ。だから、こういう事だって出来る。さぁ、踊れ! 《イクシオンカイザ》! ハイブレインマニューバ!』

 

《イクシオンカイザ》各部に備えられた推進器より赤い光が放出され、巨大人機とは思えない速度と幾何学の軌道を描く。その迫力に相手がたじろぎ、弾幕を張ったが、それらの豆鉄砲のようなプレッシャーガンの攻撃は全て弾かれていた。

 

 R装甲、それもとてつもなく強力な代物だ。

 

 相手の攻撃を意に介せず、《イクシオンカイザ》が波間を突っ切る。加速度に敵機が銃撃するが、それらを弾き落として《イクシオンカイザ》が機体に張り付かせていたアームを展開していた。

 

「……四本腕……」

 

 異形の四本腕が顕現し、スロウストウジャ壱式を絡め取る。加速の中で振り回される形になった相手が銃口を押し当てようとした瞬間には、掌より発振したプレッシャーソードが血塊炉を引き裂いていた。

 

『一つ!』

 

 カグラが声にし、背後より敵人機が狙い澄ます。その攻撃を大きく円弧を描いて回避し、《イクシオンカイザ》の腕が敵人機を捉えていた。

 

 掴みかかった部位は頭部。膂力のままに押し潰された相手が海に没する。

 

『二つ! 大した事のない相手ならば、ここで撃墜する! 行け! Rブリューナク!』

 

 四層のコンテナが解放され、一斉に放たれたのは扁平な形の自律機動兵器であった。刃を思わせる形状の兵装が一機に接触した途端、分散し、小型の刃を拡散させる。

 

 まさに終わりのない武装。親機より放たれた子機がさらに親機となり、子機を分散させる。

 

 敵部隊が壊滅し、何もかもが終わってから、コンテナにRブリューナクが収容されていく。時間にして五分もない。制圧用の《イクシオンカイザ》の戦闘力にヘイルは絶句していた。

 

「あれが……純正血続……」

 

 自分達とは違う存在――。そう口にして、ヘイルは唾を飲み下していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯369 戦闘本能

「口ほどにもない」

 

 言葉にしたカグラは特殊ヘルメットを被り、戦闘領域を見据える。やはり、この地上において《イクシオンカイザ》を凌駕する人機など存在しないのか。

 

 無論、全ての人機を超えるために造られた機体だ。そう容易く沈んでは困る。カグラは機体バランサーを調節し、敵影の失せた海域のレポートを書き上げようとしていた。

 

「せめてブルブラッドキャリアでもいればまだ見物だと言うのに」

 

 そのブルブラッドキャリアは月に拠点を構えたまま攻めてくる事はない。

 

 ――つまらない。

 

 カグラの感情はそれに集約される。どうして二年前に軍籍と、そして血続としての能力が開花していなかったのか。二年前ならばブルブラッドキャリアを壊滅させる事だって出来たはずなのに。

 

 行き場のない力はただただ己の中で燻るのみ。嘆息をついたカグラは、その時、艦より出撃シークエンスを無視して数機の《スロウストウジャ弐式》が飛び出したのを関知していた。

 

 援軍だろうか、と訝しげに見ていると、不意の照準警告にカグラは乗機を跳ね上がらせる。プレッシャーライフルの光条に、ヘイルより声が迸った。

 

『何をしている! 友軍機だぞ!』

 

 その通りだ。《イクシオンカイザ》は友軍機のはず。だと言うのに、《スロウストウジャ弐式》編隊はその味方機を追い込もうと陣を張る。

 

「……私の事が気に入らないから、戦場で墜とそうって?」

 

 それならばいい根性だ、と照準器を向けようとしたカグラをヘイルが制していた。

 

『システムトラブルかもしれない。俺が前に出るから、《イクシオンカイザ》は後退しろ! いいか? 手を出すんじゃないぞ』

 

 ヘイルの慎重な声音にカグラはため息をついていた。《スロウストウジャ弐式》部隊がヘイルの新型トウジャを囲い込み、攻撃を見舞う。

 

『何をやっているんだ! 敵味方識別がうまく機能していないのか!』

 

 上官であるはずのヘイルの怒声にも相手は攻撃を浴びせかける。一機の《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーソードを引き抜き、ヘイルの機体と鍔迫り合いを繰り広げた。

 

 しかしヘイルのほうが剣術は上だ。すぐさま斬り返し相手の腕を落とす。それで下がるのならばまだよかったのだろうが、友軍部隊は諦めずに攻撃を繰り返す。

 

 ヘイルは出来るだけ撃墜を重ねないようにするが、それではジリ貧だと言うのは見れば分かった。

 

「ヘイル中尉。墜とさないようにすればこちらがやられますよ」

 

『友軍機だ。簡単に撃墜なんて出来るものか』

 

 どこまでも意固地なヘイルに少し手伝ってやろうという気持ちで、カグラは《イクシオンカイザ》の武装を解放させる。

 

「Rブリューナク!」

 

 放たれたRブリューナクが真っ直ぐに敵機へと飛びかかり、その胴体を生き別れにさせた。それだけではない。分散したRブリューナクの子機が光条を放ち、他の機体から距離を稼ぐ。思わぬ援護であったのだろう、ヘイルが声を張り上げていた。

 

『……手出しはするなと……!』

 

「すいませんね、中尉。ですがやられそうな味方を前にして、何もしないのも違うんじゃないんでしょうか」

 

 言葉もないのか、ヘイルは組みついてきた友軍機へと呼びかける。

 

『何をしている! 何があった! 人機側にウイルスでも……』

 

「いえ、ウイルスの類は検出されていません。ここは搭乗者の命を守るために、《スロウストウジャ弐式》を撃墜しましょう」

 

 Rブリューナクに攻撃の意思が宿り、《スロウストウジャ弐式》を薙ぎ払っていく。狙いさえつければ後は殲滅も難しくはない。

 

 ものの五分も経たないうちに、襲いかかってきた友軍機は全滅していた。煤けた風に青い濃霧が混じり合い、戦場の硝煙を棚引かせる。

 

『……状況を』

 

 苦味を噛み締めたヘイルの論調に巡洋艦から声が放たれる。

 

『それが……待機命令にあった人機が出撃したんです。こちらの命令を無視して……』

 

『何があった?』

 

『分かりません……。依然不明で……。一度帰投してもらえますか。状況を整理しなければ次の任務に差し障ります』

 

 艦のクルーの声にヘイルは《スロウストウジャ肆式》を着艦させていた。カグラも《イクシオンカイザ》を艦の横に据え付ける。

 

 ヘルメットにモニターされた生態信号が艦へと送信されてからようやく、自分は艦内部へと戻っていた。

 

 途端、ヘイルの怒声が遮る。

 

「何があったって言うんだ!」

 

 カグラはその様子を研究者達に取り付けられたまま聞いていた。再び拘束椅子に縛り付けられ、実験部屋へと進めさせられる。

 

「……何か、機体のトラブルでも?」

 

「君は知る必要はない」

 

 冷たく切り詰めた研究者の言葉に、ああ、その通りなのだろうな、とカグラは感じる。

 

 自分は所詮実験動物。ならば、軍のいざこざも関係がないのだろう。赴くべき時が来れば、その時に戦えればいいだけの話。

 

 状況を問い返すヘイルに、カグラはどこか醒めた目線でそれを観察していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黴臭いコンソールのメンテナンス路でいくつかの情報を精査する。

 

 新連邦によって少しばかり情報の開示レベルは上がったとはいえ、やはりまだ機密度の高い情報は介される場所が限られている。

 

 元C連邦コミューンにおけるライブラリ機械へと接続された、大型メンテナンス路がその一つだ。

 

 新連邦へと供給される情報は一度、ここを通る。この滅菌されたような、銀色の筒の中を。

 

 端末を手にいくつかの情報セキュリティ防壁を掻い潜り、そして到達した機密に息を呑んでいた。

 

「……海上で事故? 人機の暴走なんて……。でも、新型機が二機も出ている。《スロウストウジャ肆式》と、イクシオンフレームの一機、か。操主は……」

 

 そこまで調べようとして、不意に端末情報が赤い警告色に上塗りされた。気づかれた、と立ち上がり、拳銃を構える。

 

 この情報の筒の中で誰が襲ってくるとも限らない。しかし、数拍しても敵の襲来はなかった。息をつき、結った桃色の髪を払う。

 

「……緊張だけはするわね。でも、ダミー情報を走らせるだけの余裕もないなんて。あるいは……ダミーをわざと上塗りさせていない?」

 

 再び端末へと視線を走らせる。どの情報も機密権限は存在するものの、どうしてなのか防壁迷路は安直なものばかり。

 

 軍のアキレス腱になり得る情報だと言う認識が足りないのだろうか。あるいは新連邦政府の情報管理のずさんさがあるのだろうか。

 

 これならば少しでも情報管理に精通した人間ならば誰でもアクセス出来てしまう。現状の政府のスタンスを鑑みて、これではまずいのでは、と思案を浮かべたその時、一つのピックアップされた情報に視線が注がれる。

 

「……純正血続の実験……。血続の可能性? こんな論文があるなんて……」

 

 血続に関する情報網は地上ではそれなりに発達している。しかし、その認識がブルブラッドキャリアと地上では明らかに異なるのだ。

 

 血続に関して特別な意識を持っていたアンヘルも解体され、地上の血続認識は一度ゼロにまで戻ったと言えよう。それでも、生まれ続ける血続因子をどう処理するべきかの議案は新連邦も頭を抱えており、その情報の一端であった。

 

「血続をどうこうするって話は……アンヘルが手打ちにしたと思っていたけれど」

 

 それでも人命を弄ぶような非人道的な行為にまで手を染めているわけではない。あくまでも血続の可能性と、そして人類を真に導くのは純正血続か、あるいは既存人類か、という論点である。

 

「……それなりに過激な内容よね。こんな考え方ばかりじゃ暴動が起きかねない――」

 

「そうでもないさ」

 

 不意に発せられた声に硬直する。背中に向けられた殺意に静かに応じていた。

 

「何者?」

 

「こちらの台詞だな。ここは最重要情報拠点のはずだが。いつからネズミが潜り込めるほどの隙間になったのか」

 

 息を詰める。相手との距離は三メートルほど。

 

「ずさんなのよ、何もかもが。それに、もう少し情報管理もしておいたほうがいいわ。これじゃ盗めって言っているようなものだし」

 

「盗人猛々しいな。それよりも所在を明らかにしなければならない。どこの手の者だ?」

 

「古い言い回しね。どこだっていいじゃない」

 

「そうもいかなくってね。我々の行動に少しでも勘付かれると面倒なのだよ。血続研究の論文に目を通されるとそれだけでも不都合でね」

 

「あら? 不都合という割にはパスワード三つと抗生防壁七個なんて少し弱くない?」

 

「……何者だ、本当に。いや、問うまでもないか。ここで、死ね……」

 

 引き金が絞られるその一瞬、姿勢を沈め身体を躍り上がらせていた。身をひねり、手にした拳銃を一射する。

 

 相手の銃を叩き落した銃弾が跳ね、筒の中で身じろぎする相手へと壁を蹴って肉薄していた。武器を拾い上げようとした相手の頭部にすかさず銃口を当てる。

 

「……貴様は」

 

「今度はこっちが質問させてもらうわ。何のつもり? 血続の情報が開示されるとまずいのは何故? アンヘルが解体されてそれらの情報はほとんど意味をなくしたはず」

 

 相手の男は面を上げた。その眼差しに絶句する。

 

 瞳孔はどこかこちらを見据えていない。まるで深い催眠状態にあるかのようであった。

 

 男はこちらが攻勢に移る前に倒れ伏した。まるでどこかから遠隔操作でもされていたかのように。

 

 懐を探り、手が触れたのは端末であった。何て事はない、一般仕様の通信端末だ。他にも何かあるのか、と確認したが、大したものは見つからない。

 

「……どこかのエージェントでもない。この男は何者なの?」

 

 財布に同封されていた身分証も、ただの一般人である。このメンテナンス路を任されていたわけでもない。ただの人間が、どうしてだか政府直属のこの情報網を関知し、そこにいる自分を見つけて始末しようとした――。

 

「出来過ぎ……というよりは不気味よね。理由のない敵意なんて」

 

 その時、端末が不意に起動する。まさか、大元からの通信か、と身構えた瞬間、OSの起動画面へと移行していた。

 

 瞬間、起動画面の向こうよりこちらを見据える影を幻視する。

 

 禿頭の男のビジョンが浮かび上がったのを目にした途端、まずいという反射神経が走り、銃撃で端末を破砕していた。

 

 息を荒立たせ、壁に体重を預ける。

 

「……今のは……」

 

 何が起ころうとしていたのか、分からぬまま秘匿通信を開き、彼女は声にしていた。

 

「……こちら地上班。ちょっと気になる情報を得たから送っておくわ。もしかすると……とんでもない事が始まろうとしているのかもしれない」

 

 予感でしかない。しかし、この八年間、戦い抜いていた予感は当たる。

 

『……血続の情報と有用性? これが何に抵触するって?』

 

 問い返されて彼女は頭を振っていた。

 

「まだ、分からない。でも、嫌な予感だけはする」

 

 襲いかかってきた男の正体も看破せねばならないだろう。何かが闇の中で蠢いている。今はそれを判ずるだけの材料も少ない。

 

『……了解した。こちらでその情報は持っておく。無理はするなよ。――桃・リップバーン』

 

 呼びかけた名前に桃は応じていた。一本に結った髪を払う。

 

「無理なんて、今さらでしょ。何とか脱出出来るようにルートを作って。待ち伏せの可能性もある」

 

『分かった。五分間の猶予を作ろう』

 

 桃は呼気を詰めて駆け出す。筒状のメンテナンス路を抜け、機械の群れであるシステムルートに入ったその時、無数の警備員が重武装で走り抜けていた。

 

「侵入者だと聞いていたが……ここは最重要レベルA以上だぞ。他を回れ! ここにいる可能性は薄い!」

 

 警備兵が一人になるのを見計らってから、桃は飛び出し、拳銃を手に組み付いていた。屈強な警備兵が桃を振るい落とそうとするが、その時には相手の武器を奪い、腕をひねり上げている。

 

 細腕から放たれる力とは思えなかったのだろう。相手が呻いたその時、インカムより声が発せられた。

 

『あと三分だ。相手をしていないで早く行くといい』

 

「了解。ゆっくりもしていられないのね」

 

 頸椎に手刀を見舞い、相手を昏倒させて桃は隔壁の外に向けて走り込んでいた。警戒色に塗り固められた赤い廊下を抜け、無数の隔壁の防衛する通路に辿り着く。

 

 端末に待機信号を打ってから、桃はようやく息をついていた。

 

 追いついてきた警備兵達がアサルトライフルを向けて声にする。

 

「止まれ! 侵入者を発見! これより射殺する」

 

「射殺、ね……。まぁ、ここが重要拠点なのは理解しているし、見つけ次第、ってのは分かるわ。でも、おかしいのは、さっきの男よね。あの男は何者でもなかった。ここの管理者が、違うとでも言うの?」

 

「両手を頭の上に置いて投降しろ! 今ならば連邦法により、処罰される!」

 

「連邦法、ね。人道的配慮を期待すべきなのかしら」

 

 減らず口が過ぎたのか、銃口が一斉に向けられる。桃は端末を翳していた。

 

『刻限通りだ』

 

 発せられた声と共に激震が情報局を見舞う。よろめいた警備兵の隙をついて、桃はこの場に降り立った桃色の機体へと導かれていた。

 

 円筒型の頭部に、四枚羽根の人機が警備兵達を睨み据える。

 

「……モリビト、だと……」

 

 警備兵達が慌ててアサルトライフルを掃射するが、この人機には傷一つつかない。

 

 アームレイカーに手を入れ、桃は機体名称を紡いでいた。

 

「《モリビトナインライヴス》。これより離脱する」

 

《ナインライヴス》が四枚羽根より推進剤を焚いて上空へと逃れる。桃はコックピット内部で得た情報を精査していた。

 

「……どうして、血続の情報が今さら必要なの? それを誰かが狙っていると言う構図なのかしら……。いずれにしたって何かが動いている。それを看過出来るほど――」

 

 そこまで口にして銃撃がいくつも《ナインライヴス》を狙い澄ます。桃は《ナインライヴス》を飛翔させ、距離を稼ごうとするが相手はそれなりに追撃を心得ているらしい。襲ってきたのは《スロウストウジャ参式》部隊であった。

 

「……そりゃ、情報局に忍び込んだ相手を、逃しはしない、か」

 

『そこの不明人機! 我々連邦軍にはその人機の破壊が許可されている! ただちに投降し、情報を引き渡せ!』

 

「嫌よ。せっかく苦労して得た情報を、手離すわけないでしょうが」

 

 先陣を切った《スロウストウジャ参式》がプレッシャーソードを抜刀する。桃はマウントさせていたRランチャーの砲塔でその一閃を受け流していた。

 

 相手が二の太刀に移る前に重量のある砲身による一打が敵を打ち据える。よろめいた相手にRランチャーを照準させていた。

 

 一撃の予感に相手が硬直した隙をつき、《ナインライヴス》が離脱挙動に入る。

 

 追い立てる《スロウストウジャ参式》部隊を桃は完全に射程の外に置いていた。

 

「……現政権の融和政策には協力する構えだからね。モリビトで余計な死人は出さないわよ。……それにしたって、情報局に何で血続の情報が……」

 

 再びポップアップに呼び出した情報はそれ自体は大した事はない。むしろ、これで何をやろうとしているのかが分からないのが不気味なのだ。

 

「……優先事項としてこれが高い位置にある。それと、海域での連邦軍巡洋艦の不手際……。純正血続の操主……。どれも繋がっているとは思えないのだけれど……」

 

 それでも、これらの情報が一直線に繋がる時、何かが起こる予感だけは依然としてあった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯370 傭兵部隊

 訪れた自分に対して、訪問者、という体を一応は取る、というのは軍部として正しい判断なのだろうか、と疑問を浮かべてしまう。

 

 今の自分は、所詮は門外漢の扱いを受けても仕方がないと言うのに。

 

 眼前の連邦の士官は、それでも、と声を振っていた。

 

「かつての部下を無下には出来ないさ。シーア中尉……とは呼ばないほうがいいかな」

 

「感謝はしています。ですが、かつてのゾル国の復権を裏切った身。今さらの義は逆にお互いの立場を雁字搦めにするかと」

 

 その言葉に相手は深い皺に刻み込まれた笑みを浮かべていた。

 

「……よく生きていてくれた、とわたし個人は喜びたいのだがね。君の教育を請け負っていた身分だ。如何にゾル国がもう存在せず、連邦に全てが帰属した、とは言ってもだよ」

 

「今の私にとって、あなたは上官でもなければ顔見知りでもない、と言ったほうが動きやすいはずです」

 

「手厳しいな」

 

 微笑んだ士官にレジーナは用意していた質問を口にする。

 

「我々の組織に対しての理解は……」

 

「まだまだだ。そも、連邦軍が存在し、発足しているのにどうして君らのような……言ってしまえば根無し草が必要なのか、という疑問のほうが大きくってね。わたしの一存ではどうしようもない」

 

「いえ、正しいかと」

 

 レジーナは左胸の矜持を見やる。天秤の意匠が、今の自分が所属する組織の象徴であった。

 

「しかし、不可思議な宿縁もあったものだ。君がわたしの下を訪れるとは。いつか……ゾル国旗艦の中で、話した事を覚えているだろうか」

 

 そう口火を切った理由は自分も分かる。ちょうど差し掛かっていた人工の滝の光景はかつて仕えていた身分を思い起こさせた。

 

「……大義のために、ですか。ゾル国はしかし、不死鳥戦列でも不可能だった」

 

「時代の抑止力と言うべきか。いや、ここでは良心と呼ぼう。時代の良心が、ゾル国はもう必要ないのだと、判断したんだ」

 

 士官もゾル国復権を諦めた一人。思うところは同じか、とレジーナは口にしていた。

 

「……我々は、理想に生き過ぎていたのかもしれません。理想に殉じ、理想に飛ぶ。それがゾル国の……《フェネクス》の乗り手に相応しいのだと」

 

「不死鳥の乗り手は、今はもう地上を、か。しかし、今の星の状況は決して悪い未来ではないはずだ」

 

 それは結果論でしかない。エホバの理想が潰え、あの戦いが終わり、平穏が訪れていた。市民からしてみれば、それは充分過ぎるほどであろう。

 

 二年間――二年もの間、大きな戦乱は起こらなかった。無論、小競り合いや紛争は、その中でも起こってきたのだが、新連邦が発足し、少しずつ世界は調和を取り戻しつつある。それが何百年振りの、本物の平和になるかどうかは分からないが。

 

「君の所属機関に関して、兵士の理解は得られていない。こればっかりは、正直に言っておこう」

 

「いえ、理解しています。私も、自分のような立場の人間が軍部に出入りするのを快く思わない性質ですから」

 

「理解はあって助かる」

 

 その時、数人の軍士官が通り抜けて行った。自分を認めるなり、彼らはまるで忌まわしいものでも見たかのように眉根を寄せる。

 

 挙手敬礼し過ぎ去っていく彼らの言葉が耳に残響した。

 

「おい、あれって傭兵機関の……」、「また兵器の買い下げにでも来たのか。死の商人め」、「あいつらみたいなのがいるから、平和がいつまで経っても訪れないんだよ」

 

 言われるのは勝手、言うのも勝手。別段、言い返す気も起きない。レジーナは士官に導かれ、部屋へと訪れていた。

 

 ゾル国にて、《フェネクス》を操っていた時とさほど変わらぬ部屋に、レジーナは少しばかり安堵する。

 

「ここは……変わらないんですね」

 

「わたしという一個人は、あの戦いでも変わらなかった。それだけの愚かさだ」

 

「いえ、立派だと」

 

「君にそう言われるのはどこかむず痒いな」

 

 席についた士官は早速、と書類を手繰っていた。その中に天秤の意匠を施された書類を見つけ出し、提示してみせる。

 

「今回はナナツータイプと、それにトウジャの部品か。あまりいい印象はないのは、承知の上なのだね?」

 

「軍部では、我々の事をハイエナだとか、あるいは傭兵部隊と揶揄しているのは分かっております」

 

「それでも、曲げない、か」

 

「曲げればそこまでですから」

 

 レジーナの淡々とした物言いに士官は嘆息を漏らしていた。

 

「……強くなったものだ。放った小鳥がこうして帰ってくる事を、嬉しく思わないわけでもない。生き残ってくれた事にもね」

 

 だが、不死鳥は羽ばたかない。もう、羽ばたくだけの機会も失われてしまったのだ。その代わりの役目はきっちりと背負うべきである。

 

「しかし、この条件以上のものは出せない。連邦の事は少しでも耳にしていると思うが、軍備縮小の案も挙がっていてね。あまり君達に回すのもよくないと思われているし、こうしてやる取引も、闇取引だと言う輩もいる」

 

「私は気にしません」

 

「わたしが気にするのだよ。まぁ、それも所詮は些事だ。言わせておけばいい、くらいでちょうどいいのかもしれない」

 

「我々、ライブラには少しでも兵力が必要なのです。それは軍部の正規部品ならば少しはマシな働きも出来るというものでして」

 

「存じているよ。自治組織、ライブラ。その手腕も。……辺境コミューンの紛争地で、介入行動を行ったのが記憶に新しいか」

 

「紛争の根絶。それが我々の掲げる理念ですから」

 

 夢想していると思われるかもしれないが、そのための実行戦力はこうして得ている。かつての軍部でのパイプと、そして実績による説得力。連邦とて無視出来ない戦力にはなっているはずだ。

 

「紛争根絶、か。……獣道だな」

 

「それでも我々はやります。やり遂げてみせます。そのために、今は一つでも確かな兵力が欲しいのです。汚名が必要ならば被ります」

 

「逸るな、と言っても無駄なところか。いずれにしたところで世界の悪意を君達は直に受ける。その時に何を見据えるのか……わたしのもうろくした眼では分からない」

 

「ライブラでは、常に部下達に対して、平和を重んじるべきだと説いています。彼らはやってくれます。紛争根絶への道を」

 

「君達は分かっていても前に進む。その在り方が眩しいとさえ、思えてしまうのだよ。軍務に染まり過ぎた身としてはね。こうして祖国再生の夢を諦め、連邦の末席に名を連ねるわたしを笑うかね?」

 

「いえ、それも一つの在り方です」

 

 迷わずに応じたレジーナに士官は微笑んでいた。

 

「……本当に、真っ直ぐ育ってくれたものだ。しかし、それと交換条件は別の話でね。これも軍務の一つだ。ナナツーの部品はくれてやれるがトウジャに関しては待ったがかかっている。理由は分かるかね?」

 

「トウジャの部品が第三国へと流れています。それを軍部が、正式に認めるような調印は出来ない。つまり、第三国に流れるかもしれない事態において、我々ライブラに備品を与えるのも同じような意味合いを持つ、と」

 

「変わらず、小気味いい返事を寄越してくれる。その通りだ。知っての通りかもしれないが、第三国……辺境コミューンでも最近、トウジャタイプが跳梁跋扈している。二年前ならばまだしも、今、という事はそれだけトウジャの価値も下がってきたという事だ。市場価値の下がった商品が下へ下へと流れるのは常だとしても、あまりに早い。誰かが根回しをしているのではないか、という根も葉もない噂も立つ」

 

 そんな状態でライブラに部品を回せば、正式な場で人機の横流しが行われたと言うスキャンダルの種になる。それも加味して動きづらいのだろう。

 

「トウジャは何度か試運転しました。あれは新兵ほど先走る。少年兵やそういう問題を棚上げには出来ない、ゆゆしき事態です」

 

「言う通り、トウジャのコストパフォーマンスは凄まじい。あれ一つで過去のC連合がモリビトを駆逐せんとしたのがよく分かる。それほどまでに、よい人機なのだ。しかし、よい兵器とは言い難いな。誰でも扱えてしまう切れ味の鋭い刃は時として混乱を生む」

 

 よい兵器と悪い兵器の区別はつく。戦場をかき回す要因となるのならば、それは悪い兵器なのだ。

 

 無論、兵器にいいも悪いもナンセンスではあるのだが。

 

「……結論としてトウジャの予備パーツは渡せないと」

 

「分かってもらえないだろうか。そういう事情もある。ナナツーの余剰パーツならばいくらでも回せるんだが、正直なところ、実績と反比例して君らの組織は連邦に快く思われていない。札付きの悪党とまでは言わないが、台頭し始めた面倒な組織だとは思われているだろう」

 

「……傭兵部隊、ですか」

 

 ライブラの活動を新連邦は公には認めていないのだ。それは紛争根絶という活動方針の危うさや、その思想の下に断罪される命を鑑みれば当然と言えば当然であろう。

 

 身勝手な正義感で戦場を振り回す。その点で言えばブルブラッドキャリアと何も変わりはしない。

 

 ただし、自分達は話し合いの場は設ける。出来るだけ穏便に済むのならばそれに越した事はないからだ。

 

 戦地介入の際にも一度は停戦勧告を流してから、介入するのがルールであった。

 

 それは徹底されているはずなのだが、やはりと言うべきかいい印象はないらしい。

 

「ライブラがどのような理念の上に成り立っているのか、わたしは理解しているつもりだ。だが、皆が皆、そうではないと言うのは分かってくれ。人間は、そこまで物分りがよくはない」

 

 物分りがよければあるいは、ではあったが。レジーナは踵を揃え、返礼する。

 

「失礼します」

 

「シーア君」

 

 背中に呼びかけられた声にレジーナは足を止めていた。士官は咳払いする。

 

「……軍服より、そちらのほうが似合っている。これはお世辞ではない」

 

 自分が袖を通しているのは、薄緑色のスーツであった。確かに、士官の前ではかつて軍服以外は見せなかったな、とレジーナは慣れないタイトスカートを指で弾く。

 

「……馴染みませんよ。どうにも」

 

 それだけ言い置いて、レジーナは立ち去っていた。端末へとリアルタイム情報が飛び込んでくる。その中にいくつかの気になる情報を見出し、ライブラ本部に詰めているスタッフへと繋いでいた。

 

『どうしました? 指揮官』

 

「気になる情報を見つけた。数時間前に、連邦巡洋艦で事故が起きている。人機による事故だ。調べられるか?」

 

『待ってください……。おかしいですね。閲覧権限が一時的に引き上げられていて……。今、その情報にアクセス出来ません』

 

 アクセス不能。その事実にレジーナは習い性の言葉を走らせる。

 

「バベルの詩篇を使わずに、やって欲しい」

 

『いつもの手ですね。そっちで試してみましょうか』

 

 バベルの詩篇。それはこの二年間でオープンソースになった情報源の一つだ。誰のどのような端末からでも、認証さえ得られればブルブラッドの濃霧に阻害されず、さらに距離も時間も関係なくいつでも最良の状態で何もかもを手に出来る双方向情報ネットワーク媒体――それがバベルの詩篇である。

 

 しかしながら、レジーナはそのネットワークを使う事に懐疑的であった。バベルの詩篇の前には誰もが同じだ。だからこそ、あえてバベルの詩篇を用いない情報ネットを構築し、時間がかかってもそちらで探り出すようにしていた。

 

 スタッフが声を漏らす。

 

『バベルの詩篇の側では連邦の情報の隔壁が機能していますが、それ以外だと手薄にもほどがありますね。どうやら暴走事故だったようです。スロウストウジャの友軍機が撃墜……これを』

 

 端末に表示された映像には新型人機が海上で自律兵器を用いて他の人機を圧倒する様子が映し出されていた。

 

 巡洋艦からの映像だろう。画質はクリアだ。

 

 自律兵装が空間を奔り、トウジャを迎撃する。その様子は敵味方の識別が判然としないのならば正しい判断のように思えるが、しかし、すぐ傍に控えているのは最新鋭の連邦艦。当然、敵味方信号が混在したなどあるはずもない。

 

「……意図的、なのか……」

 

『何のために……』

 

「暴走事故自体はそれほど珍しいとは思えないのだが……この新型機の操主を探れるか?」

 

『もう探っていますよ。連邦所属、カグラ・メビウス准尉。女性。それとこれは……。ちょっと驚きですね。准尉士官レベルなのに、秘匿権限は上位です。どういう事なんだ……?』

 

 さらに調べを進めるスタッフにレジーナは言いやる。

 

「深く潜り過ぎるなよ。勘付かれる」

 

『そんなヘマはやりませんよ、っと! ……出ました。送信します。二十秒後に抽出ファイルを削除しますので、保存して保護してください』

 

 なかなかに無茶をやる、と思いながらレジーナは送信されたデータに添付された資料を開いていた。目を通すと、驚愕の事実が並べ立てられている。

 

「……純正血続、セカンドステージ? 血続と言えば、アンヘルか」

 

『アンヘルの構成員全員が血続って言う、人機操縦に長けた人間達だったってあれですか。結構、眉唾ですけれど、血続って言うものに対する理解はまだ世間では薄いですね。……血続研究は今一つ進んでいない分野でして』

 

 レジーナは周囲へと視線を配る。ここでする話ではなさそうだ。

 

「帰還してから、後は聞こう。どうにもきな臭いな」

 

『ええ。まずい事に首を突っ込む前に退散したいところなんですが、これはもしかすると当たりを引きましたか?』

 

「墓穴の間違いかもしれない。自分はこれよりライブラ本部に帰還する。下手に動くなよ。……何かが、起こり始めている」

 

 その予感にレジーナは空を仰いだ。コミューンの天蓋に塞がれた空が重く垂れこめていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯371 新世代たち

「血続の研究は、惑星内部ではそれほどに活発ではありません。その理由としてはやはり発現条件が限りなく絞られる事。そして、発現したとしても惑星内部……コミューンでの生活に支障を来たすからでしょう。彼ら彼女らのような潜在的な血続は無数にいながら、先天性の疾病だと判断され、多くは知られもせずに放置されてきました。それが変わったのが六年前」

 

 そこまで電子黒板に白いチョークで書き付けてから、次のページへと生徒達が目を通す。机の上に直接投射された教科書には、独立治安維持部隊の発足が記されている。

 

 統率された動き。統一された思考回路。

 

「アンヘル……C連邦の擁する独立治安維持部隊が発足し、その構成員には多く、血続反応を持つ人々が徴用されました。理由は明白。人機を動かすのに適任であったからです。しかし、血続は人機操縦に長けた者達の事だけを言うのではありません。それは、次のページで」

 

 手繰ったページの先にあったのは血続の特性である。

 

 短く切り揃えた栗色の髪を揺らし、黄色い縁の眼鏡のブリッジを上げる。再びチョークで電子黒板を叩いていた。

 

「我々、ブルブラッドキャリアにはノウハウがありました。血続、という存在に対する理解が惑星側より進んでいたのです。ゆえに、人機操縦だけに留まらず、惑星環境への適応も含め、血続は重要なファクターと考えられてきました」

 

 はい、と一人の生徒が手を挙げる。振り返ってそれを当てていた。

 

「どうしました? 質問でも?」

 

「教官は……血続としての適性はやはり、操主としての強さに結び付くとお思いですか?」

 

 その質問に教官としての答えを与える。

 

「そうね。血続適性の高さは確かに操主としての強靭な能力を引き出すのに貢献する。……でも、それだけじゃない。血続でなくとも操主として人機の青い血に感応する能力を持つ人々もいる。それは惑星とブルブラッドキャリアで分かたれた教訓ね。お互いのノウハウを知らないから、そこでは平行線であったけれど」

 

「では、現状は違うと?」

 

 一拍置いてから、それに首肯する。

 

「ええ。きっと血続であっても、そうでなくともお互いを尊重し、そして力を出し合えれば関係がないのだと、何度か戦いの中で実感したわ」

 

「それはミキタカ教官の《イドラオルガノン》による戦歴ですか?」

 

 尋ねられて、困ったように彼女――蜜柑は笑っていた。この二年で視界に加わった黄色いフレームの眼鏡をかけ直す。

 

「私はそこまでの適性ではないから。《イドラオルガノン》はとてもいい人機だったけれどね」

 

「血続とは言っても、ここにいるみんながそうではないですか。そうじゃない人間のほうが、ブルブラッドキャリアでは珍しいんじゃ?」

 

 開校されたこの教室にいる全員が、操主候補生――いわば執行者のタマゴだ。彼らに対して自分は毅然とした態度で、そして客観的に物事を教え込まなければならない。

 

 桃がそうしてくれたように。蜜柑は息をついて、言葉の穂を継いでいた。

 

「それでも、戦歴を挙げたのは何も血続の操主だけじゃないわ。現にあなた達よりも前の執行者である桃・リップバーン教官は血続ではないものの多くの撃墜スコアを残している」

 

 桃の操主としての能力データにアクセスした生徒達は口々に感嘆の声を漏らしていた。

 

「高出力R兵装を主軸に置いた人機で、この生存率……」

 

「言ったでしょう? 血続であるのは別段、条件ではないと。ただし、血続と一般的な人間を分けるものは一つだけ存在するわ」

 

 はい、と一人が挙手する。当ててやると、少女候補生は自信満々に答えていた。

 

「有害大気への耐性です」

 

「その通り。血続にはブルブラッド濃霧への耐性がある。もちろん、個人差はあるけれど、それでもこの一点で血続は一般的な人類よりも生存率が高いのは間違いようのない事実」

 

「では、血続至上主義が勃発するのでは? 地上でもアンヘルが優生学を説いていたのならば」

 

 その疑問に蜜柑はいいえ、と頭を振る。

 

「そこまでではなかった。地上ではやはりと言うべきか、ブルブラッド濃霧に対する畏怖の念がある。血続にその耐性があったとしても、それを実験するまでには至らなかったのでしょう。地上では、血続は少しばかり人機操縦に長けただけの存在だった」

 

「ですが、変容するのでは? 血続の在り方を問う団体が発足しないのもおかしいです」

 

「そういう考えが蔓延する前に、アンヘルによる情報統制とそして実力行使があった。血続が優れているという考えよりも、アンヘルが優れているという思想に落ち着いたのよ」

 

 そこでベルが鳴る。今日の授業はここまで、と蜜柑は電子黒板をシャットダウンさせていた。

 

「各自、操主訓練を怠らないように。訓練レポートの提出は明後日までにね」

 

 めいめいに生徒達が教室を出ていく中で、蜜柑は一人の少女がおずおずと歩み寄ってきたのを認めていた。

 

「あの……教官」

 

「どうかした?」

 

「いえ、その……。操主の記録にモリビトの交戦データがありますよね? 《モリビトシンス》、《イドラオルガノン》、《ナインライヴス》……その前の型式のモリビト三機も」

 

「ええ、あるわね。それがどうかした?」

 

 少女はどこか気後れ気味に口にしていた。

 

「どうして……もうモリビトを使わないんですか? モリビトを使えば、もっと分かりやすく世界に示せるのでは? 血続の有用性も、それに私達、ブルブラッドキャリアの意義も……。何で、月面から、あの星を眺めるばかりなんです?」

 

 それは生まれた時からずっと、この月面都市ゴモラで訓練の日々を受けていれば疑問にも思わない事だろう。時が来れば、彼ら彼女らは執行者権限が与えられる。その時まで学ぶべき事を学ぶ――。

 

 それが、次世代のブルブラッドキャリアに継ぐべき意志だと全員が決めたのだ。

 

 次の世代に与えるべきは戦いではなく教訓。何を感じ、何を思い知ったのか。それを教え継げば、きっと過ちは犯さないはずだ。

 

 そうと決めたのは自分一人ではないのだが、こうして問い質されると時折、足場がぐらついてしまう。

 

 彼ら彼女らは純粋がゆえに、どうして自分達が月から惑星を眺め、何もしないのか、という問いに突き当たる。それはある種当たり前で、研がれても使う当てのない刃など意味がないのだとどこかで感じ取っているのだろう。

 

 蜜柑は穏やかに応じていた。

 

「……ある意味では、約束なのよ。あの星で、もう争い事をしないって言う。だから、ここで静かに見守るのが一番に正しいはずなの」

 

「ですが……、教官達は戦ったんですよね? モリビトの執行者として」

 

「……そうね。戦い抜いて、勝ち取ったのかな。この平和を」

 

 今でも思い返す事がある。失ったものと得たもの。自分は替え難い半身の命を失い、そしてこの月面における安息を得た。それはきっと、犠牲の上にしか成り立たない平穏だ。だから、今は噛み締めたい。

 

 こうやって得たものが間違いではないのだと。

 

 少女候補生は黄色のリボンで横に結った茶髪をいじりながら、問いかけていた。

 

「モリビトに、乗せてもらえるんですよね? 私達も」

 

「それは……」

 

 口ごもってしまう。そんな未来、来ないほうがいいと分かっていてもハッキリ言う事が出来ない。

 

 彼らは生まれたその時からブルブラッドキャリアの流儀で言えば戦うためだけの存在だ。自分達がそうであったのと同じように。

 

 しかし、戦うだけではない。争いの中に見出す事も出来るのだと、あらゆる人達が教えてくれた。その教えを次世代に繋がなくては何のために生き永らえたと言うのだ。

 

 あのような……失うばかりの戦地で、それでも生き意地汚く、戦い抜いたのはその末にある未来のために違いないのに。

 

 それでも蜜柑は、綺麗ごとだけで応じられない質問であるのは感じ取っていた。

 

 モリビトに乗る、それは誉れ高い――。ブルブラッドキャリアの血続操主ならば、誰でも思い描く未来。

 

 だが、もうそのような事をしなくともよくなったのだ。モリビトになんて乗らなくっていい。戦わなくても未来は掴めるはずなのだ。

 

 そう応じかけて、蜜柑は腕時計型の端末が鳴ったのを聞いていた。

 

「ちょっと、ゴメン……」

 

 通信機より声が発せられる。

 

『蜜柑・ミキタカ。ちょっと来なさい。スクランブル要請よ』

 

「……まだ授業中……」

 

『早くなさい。鉄菜も呼んでいる』

 

 茉莉花の有無を言わせぬ命令に、ぷつっと声が途切れる。いつものようにこちらの意見は挟ませないというわけか。蜜柑が歩み出しかけてその袖を少女候補生が引いていた。

 

「教官……私は知りたいんです。モリビトに乗る、それがどういう意味なのか。他の子達は……漫然とどこかで悟っています。でも、私は……。簡単な事じゃないっていつも言う教官の言葉に重みを感じているんです。それが何なのか……知らなくっちゃいけない気がして……」

 

 焦燥感に駆られたような少女候補生に蜜柑は振り払う事が出来なかった。無慈悲に断る事も出来ずに、蜜柑は声にする。

 

「……嫌な事が待っているかもしれないのよ。まだ知らなくっていい事も」

 

「それでも……なんです」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯372 星の蠢動

 

 ここまで強情ならば、いずれは知らなくてはならないだろう。蜜柑は頷いていた。

 

「……いいわ。来て。まだ随分と早いけれど、茉莉花さんに会わせるから」

 

「茉莉花さんって……電子の調停者ですか? 実在したんだ……」

 

 自分が教壇で教える事柄は彼女らからしてみれば遊離しているのだろう。蜜柑は言いやっていた。

 

「色んな人達に会う事になるわ。……でも、何があったって言うの。茉莉花さんが急に呼び出すのは……珍しい話じゃないけれど」

 

 いつだって茉莉花の提言は急なものだ。今は付き添いの彼女に対して少しばかり遠慮がある。蜜柑は通路を抜け、隔壁の向こう側の格納ブロックへと踏み入れていた。網膜認証と静脈認証を通過し、重々しい隔壁が四方に開いたその時、少女候補生が感嘆の息をついていた。

 

 無理もあるまい。彼女の眼前に広がったのは、今まで教鞭の上でだけ教え込んでいた事柄そのものであった。

 

「……あれが、《ゴフェル》……」

 

 遥か下方に位置する藍色の船体に彼女は息を呑んでいた。《ゴフェル》は今となっては幻の戦艦だ。ブルブラッドキャリア本隊より離反した、希望の方舟――。

 

 格納ブロックは無重力区画であり、漂うように蜜柑は茉莉花の待つ情報区画を目指していた。その途中で少女候補生がカタパルトデッキに固定された人機を指差す。

 

「あれ、モリビトですよね? 《モリビトイドラオルガノン》……」

 

 教科書とデータベースの上だけの人機の実物に少しばかり昂揚しているようだ。蜜柑は己のかつての乗機がそのような憧れの中にあるのが少しばかりむず痒かった。

 

「そんなに大したものじゃないから」

 

 制しつつ、蜜柑は格納デッキを抜けかけて整備士達とかち合っていた。

 

「ああ、蜜柑さん。どうしたんです、その子は……」

 

 連れ歩いているのが相当奇異に映ったのだろう。蜜柑は、操主候補生で、と説明する。

 

「ちょっと見学をさせているところなんです」

 

「は、はじめましてっ!」

 

 声を張った彼女に整備士達が笑いかける。

 

「はじめまして。ですが、モリビトのスクランブルなんてかかっていませんよ?」

 

「茉莉花さんに呼ばれて。何かあるんでしょうけれど、皆目……」

 

 肩を竦めると彼らは豪快に笑っていた。

 

「茉莉花さんも結構気分屋ですからね。ひょっとすると何でもない事かも」

 

「そうだと、いいんだけれど……」

 

 どうにも何が待っているのか窺い知れない。蜜柑は彼らと別れ、情報区画へと進む道を選んでいた。

 

「……あの方々、《ゴフェル》のクルーなんですか?」

 

「ええ、そうだけれど」

 

「すごいなぁ……。伝説の人達なんだ……」

 

 彼女からしてみれば、伝説の産物か。蜜柑は通路を折れ曲がり、ようやく情報区画の重力ブロックに差し掛かっていた。

 

 カードキーを通し、暗証番号を打ち込む。開いた隔壁の向こうで情報の集約される椅子に腰かけた茉莉花が無数に浮かび上がるウィンドウを処理していた。

 

 その下の座席についているのは彼女の助手だ。

 

「美雨。三十六番の情報網から先を頼む。吾は五十番からの通し番号を確認するから」

 

「分かった。でもでも、三十七番の処理列に穴があるよ。寝てたの?」

 

「馬鹿を言え。こっちに穴があるという事は処理列の配列ミスだ。整備班に仕事を振ってやれ。ミスを直せと」

 

 茉莉花がいくつかのウィンドウを手繰っては、それらを押し出していく。蜜柑が声を投げようとすると彼女から言葉がかかった。

 

「情報開示レベルの低い操主候補生をここまで連れてくるとは、どういう了見だ、蜜柑・ミキタカ」

 

 責め立てる物言いに蜜柑は委縮してしまう。

 

「その……こういうのの見学も悪くないかと思って……」

 

「だからと言って開示レベルの低い人間をここに通すな。何のための多重セキュリティだ」

 

 にべもない。蜜柑は茉莉花の前では所詮、二年前より先の関係性を築けていないのだ。

 

「その……悪かった」

 

「悪かったと思うのなら、もっと早くに思え。……まったく、命令を聞かない連中ばかりで困る」

 

 小言を漏らしつつ茉莉花は情報処理に抜け目がない。すぐさま少女候補生の名前を導き出していた。

 

「あ、桔梗・イリアスです。えっと……」

 

「桔梗・イリアス。第五世代の血続だね。データベース上では訓練適性はB、操主としてよりもスタッフとしての配備が検討されている」

 

 瞬時にそらんじて見せた美雨に桔梗と言うらしい少女候補生が絶句する。茉莉花は、おいおいとほくそ笑んだ。

 

「あまり遊んでやるな、美雨。我々の手は特殊なんだ」

 

「つい癖で」

 

 てへ、と舌を出す茶目っ気の美雨だが、その実は茉莉花以上にしたたかであるのは蜜柑はよく知っている。額に手をやって呆れていると、桔梗はすごいと声にしていた。

 

「これが……あの戦いを勝ち抜いた、ブルブラッドキャリアの皆さんなんですね……!」

 

 光栄だとでも言うような論調に茉莉花は肩を竦めた。

 

「誰だ、こんな場違いなのを連れて来たのは。こっちはお前だけ来いと言ったはずだが」

 

「ごめんなさい。……でも、訓練生だって別に無関係じゃない」

 

「無関係だ。これからお前に教える事にはな。だが……ここまで来てしまったらもうしょうがない。その桔梗とやらを帰すなよ。重要機密を話す」

 

 思わぬ言葉振りに蜜柑はうろたえていた。

 

「ちょ、ちょっと待って……! 心の準備が」

 

「そんなものを用意している暇はない。美雨、スクリーンに出してくれ」

 

「はい。これが数時間前の映像」

 

 問答無用で映し出された映像は海上で人機同士の戦闘を行う連邦軍のものであった。流線型の新型機は見た事のない形状だが、そのフレーム構造の異質さはよく見知っている。

 

 あの戦いの最終局面、合い争った機体によく似ていた。

 

「イクシオンフレームの……新型?」

 

「のようだな。搭乗者のデータを端末に送るぞ。こいつを重要視しろ。どういうつもりなのか知らないが、各国諜報部がこの映像を基にして動き出そうとしている。ここに映された情報だけならば、単に新型機の配備と、そしてフレンドリーファイアなんだが……」

 

「友軍に?」

 

 映像を凝視した蜜柑が眼鏡のブリッジを上げる。新型機の放った自律兵装が後から発進した機体を貫いている。

 

 それだけならば、ただの事故で済まされそうであるが、これを茉莉花は重要だと判断したからこそここに呼んだのだろう。

 

「ただの事故じゃないって……?」

 

「まぁね。ただの事故ならば、別段これを映し出す意味もないでしょう。送った操主の経歴に目を通して」

 

「経歴……」

 

 蜜柑は送信された操主の情報を確認しかけて、不意に入ってきた人影に肩をびくりと震わせた。

 

「呼んだからには、理由があるんだろうな」

 

 不遜そうな声音と共に、鉄菜が長髪を無重力になびかせて割って入る。その姿に桔梗が目を輝かせていた。

 

「く、鉄菜さん? まさか、あの鉄菜・ノヴァリスさんですか?」

 

 桔梗の冷静さを欠いた声に鉄菜は逆に冷淡そのもので返す。

 

「誰だ。部外者を入れるな」

 

「吾が入れたんじゃない。蜜柑・ミキタカのお荷物」

 

 お荷物呼ばわりされても、桔梗はあわあわと口にしながら鉄菜へと歩み寄る。鉄菜は興味などなさげに目線を背けていた。

 

「あの……八年間の報復作戦を成し遂げた鉄菜さんですか? 《モリビトシンス》の撃墜スコアは私達も訓練研修でその……何度も履修させていただいていて……」

 

 興奮した様子の桔梗に比して、鉄菜は醒めたように茉莉花へと問いかける。

 

「見せたいものがあると言っていたな。これか」

 

「事故、として処理されたけれど、この映像を惑星の中での諜報機関がこぞって入手している。奇妙だと思わないか?」

 

「ただの連邦の新型機と、その付随する事故にしては、大きく取り上げられている……。これはイクシオンフレームだな。それにスロウストウジャの新型か」

 

「目聡いな。《スロウストウジャ肆式》。参式からアップデートされた装備は少ないけれど、ガワよりも中身にこだわった機体と言える。追加武装で海中戦闘も出来るとか」

 

 蜜柑と桔梗は一瞬で蚊帳の外に追いやられた形であったが、桔梗はこちらへと振り向くなり、声を弾ませていた。

 

「凄いですっ! まさか、伝説の執行者である鉄菜さんと会わせてくれるから、教官はついて来ていいと?」

 

 期待に胸を弾ませた桔梗に蜜柑は考えなしだったとは言えず目線を逸らす。

 

「ええ、まぁ……」

 

「余計な人間を招き入れたものだ。ここは守秘義務があるのだから、その半人前の世話もきっちりしてくれ」

 

 半人前扱いを受けても、桔梗はへこむどころか、その言葉を受けた事に誇りさえ感じているようであった。

 

「はいっ! 皆さんのように、一人前になるために精進しますっ!」

 

 思わぬ反応だったのか、茉莉花は舌打ちする。

 

「……見世物じゃないんだぞ」

 

「茉莉花。操主の経歴に奇妙な点がある。純正血続、と書かれているが」

 

 蜜柑も遅れて経歴に目を通す。イクシオンフレームの操主の特記事項に「純正血続」とあった。

 

「血続……? 別段珍しくもないんじゃ? だって、アンヘルは血続の集団だった」

 

「認識が甘いな。鉄菜、お前ならば分かるだろう。これがどういう意味なのか」

 

 はかりかねていると、鉄菜は苦味を噛み締めた様子であった。

 

「……燐華・クサカベと同じ……」

 

「ああ、そういう意味で使われているのだとすれば、純正血続に特記するのも分からなくはない。しかし、タイミングがな……」

 

「タイミング?」

 

 問い返した蜜柑に茉莉花は美雨へと顎をしゃくる。美雨が呼び出したのは現状の惑星におけるパワーバランスであった。

 

「現政権……まぁつまるところ新連邦政府の融和政策が進み、軍備縮小が取られている。そんな時に、自衛のためのイクシオンフレームに純正血続。まるで何かを叩くためにこれらの事象を揃えたとも言えなくはない」

 

「意図的なものだと?」

 

「そう考えたほうが、不都合がないと言ったところだ」

 

 茉莉花の結論に蜜柑は懸念を口にする。

 

「……介入行動が必要になるの?」

 

「場合によっては備えてもらいたい。だから執行者である二人を呼んだ。桃は地上で情報収集に暇がない。もうすぐ定期連絡が来るはずだが……」

 

 その時、月面へと送信されてきたメッセージを美雨が処理する。暗号化された定期連絡は桃のものだ。

 

「桃。定期連絡、十分遅いぞ。何をやっていた」

 

『こっちも立て込んでいてね。《ナインライヴス》で逃げている途中なのよ』

 

「……モリビトを晒したのか」

 

 下策であったのだろう。茉莉花の論調に桃は応じていた。

 

『逃げるのには必要だった』

 

「言い訳はいい。《ナインライヴス》で逃げなければならないほど追い込まれた、という意味だな。……何があった?」

 

『情報収集の途中で、敵と交戦。これを撃破したけれど、相手は奇妙だった』

 

「奇妙?」

 

 一拍置き、桃は口にする。

 

『……操られているみたいだった、と言えばいいのかしら。まるで自分の意志じゃないみたいに』

 

「その当人は?」

 

『昏倒させたけれど、身につけていたものにそれっぽい受信機はなし。だから、操ろうにもそれらしいものもないのよ』

 

「受信機なしで、人間を操るだと……? 可能なのか」

 

『あ、一つだけ。どうしてだか、その相手は端末を握り締めていたわ』

 

 桃の言葉に茉莉花は美雨へと探りを入れさせる。

 

「美雨。端末のOS割り出し。五分でやれ」

 

「やるけれど、でもでも、それで相手は倒したんでしょ。じゃあ、もういいんじゃ?」

 

『それが、そうでもない。襲われる直前に拾い上げた情報を送信するわ。これを』

 

 その情報が解凍され、映し出された瞬間、全員が息を呑んでいた。

 

「……まさか。また、これか……」

 

『また? どういう事?』

 

 茉莉花は投射画面に映し出された、海上での事故を目にし、額に手をやる。

 

「……各国諜報機関が何故だかこの映像を探っている。今の惑星では、この映像が重要視されているんだ。どうしてなのか、まるで不明だが」

 

『こぞって、この映像を解析しているって?』

 

「冗談ならばまだマシなのだがな。冗談でも何でもない。この映像に、何かがある。だからこそ、惑星の人々の関心が集まりつつあるのだろう」

 

 目頭を揉んだ茉莉花に桃は応じていた。

 

『……星の内側で何かが起こりつつあるって?』

 

「覚悟はしておいたほうがいいかもしれないな。《ナインライヴス》がその場合は尖兵になる。せいぜい、かき回されるなよ。こちらからのリアルタイムでの解析情報を送る。場合によってはモリビトの介入行動も検討しなければならないかもしれない」

 

 モリビトの出撃が二年ぶりに決議される。その事態を蜜柑は重く見ていた。ブルブラッドキャリアと惑星側の平穏がここに来て破られるのか。

 

「桃。それは最終手段だ。出来るだけモリビトでの戦いは避けるようにはしたい」

 

 鉄菜の言葉に桃が不安を述べていた。

 

『クロ……。でも、情報がこうして誰かの手によるものだとすれば、懸念事項はあるわね。……グリフィスは壊滅させたはずだけれど』

 

 二年前の戦いにおいて自分達に協力した勢力、グリフィス。その残党はほとんど解散したはずだ。それでもまだ居残っている可能性はあった。

 

「バベルネットワークはこちらの手にある。情報操作は難しいはずだが、今回の一件は少しきな臭い。警戒体制のまま、ブルブラッドキャリアはモリビトによる介入さえも視野に入れる」

 

 茉莉花の厳しい判断に蜜柑は言葉もなくしていた。それが確かに現段階では最も合理的だ。しかし、それは戦いを加味すると言う意味である。

 

 二年間。人機の引き金を引かずに済んだこの手がまた再び、舞い戻ると言うのか。モリビトの執行者として。

 

 それは決して祝福されたものではないのは、容易に窺えた。

 

『……ギリギリまで粘るわ。クロと蜜柑は、最悪の想定も浮かべておいて。茉莉花は出来るだけ戦闘にならない選択肢を頼みたいのだけれど……』

 

「それは当然だ。戦闘になれば、また惑星との緊張状態に逆戻り。我々ブルブラッドキャリアはあくまで現政権の融和政策には介入しないし、それなりに理解を示している。そのスタンスは崩すつもりはない」

 

『それが聞けて安心した。《ナインライヴス》で潜伏する。もしもの時には一番に出るから、そこまで肩肘を張らないで』

 

「戦闘行為は推奨されないが、それでも警戒は怠らないでくれ。どうにも今回の映像と情報……何者かの作為的な意図を感じずにはいられない……」

 

 茉莉花がそう言うのならばこれがただの偶然ではないのは間違いないのだろう。桃の通信が切られ、鉄菜が茉莉花の座る椅子に手をやっていた。

 

「茉莉花。私も外周警護に出たほうがいいか」

 

「あまり先走らないで。《バーゴイルリンク》じゃ、逆効果よ。今は待機。でも、いざという時は意外と早く来るかもしれない」

 

「……覚悟はしておこう」

 

 立ち去る間際、桔梗が鉄菜へと言葉を投げる。

 

「あ、あのっ! 鉄菜・ノヴァリスさん……」

 

「何だ。用があるのならば手短にしろ」

 

 棘が含んでいるわけではない。鉄菜の素がこれなのはもう分かり切っているのだが、桔梗からしてみればその冷淡な態度には及び腰になってしまったらしい。

 

「いえ、その……。頑張ってください」

 

「他人事ではない。ここで情報を受け取ったんだ。蜜柑、この候補生をクルーに推薦してくれ。そうじゃないと情報が錯綜する」

 

 まだ訓練生身分である桔梗を《ゴフェル》の予備クルーにしろと言うのか。それはさすがに、と濁した蜜柑であったが茉莉花も賛同する。

 

「それは吾もそう思う。連れて来たのだから責任は取りなさい」

 

「でも……まだ操主としても未熟で……」

 

「別に人機に乗って前線に出ろと言っているわけじゃない。ただ、得た情報を闇雲に他の候補生に流されるのは困ると言うだけの話だ。今は、一手でも間違えるわけにはいかない。一人加えるだけで状況を整理出来るのならば、それに越した事はないだろう」

 

 鉄菜はそう言い置いて去って行った。蜜柑は所在なさげな桔梗へと言葉を投げる。

 

「……思った以上の展開になったみたいね」

 

「その……私が《ゴフェル》のクルーに、なっていいんですか?」

 

「別におかしな話じゃないだろう。候補生はいずれ《ゴフェル》のクルーになるように訓練されているはずだ」

 

 それでも、彼女らに教え込むのは自分の役目だ。鉄菜や茉莉花が保証してはくれない。

 

「……こっちの問題なので、一度下がっていい?」

 

「ああ、好きにしろ。どっちにせよ、一旦の情報の整理が欲しい。美雨、リアルタイム監視を厳にして情報網の整理。バベルネットワークへのアクセス」

 

「了解っ。バベルへのアクセスを許諾」

 

 瞬間、美雨の腕を伝う銀色の血脈に蜜柑は息を呑んでいた。調停者としての性能。自分では与り知らぬその能力。

 

 茉莉花は声を振り向けないという事は、今は自分達の踏み入る領域ではないという事だろう。蜜柑は桔梗へと言葉を振っていた。

 

「……行きましょう」

 

 桔梗は情報区画を出るまで無言であったが、やがて充分に離れたと見るや声を放っていた。

 

「……教官。あれが鉄菜・ノヴァリスさんと……桃・リップバーンさんなんですね。伝説の操主……」

 

 無論、否定するわけではない。しかし、彼女らがそのような憧れで飾り立てられるのをよしとしているわけもないのだ。

 

「桔梗・イリアスさん。あそこで見聞きした事は……」

 

「もちろん、言いませんよ。でも、これはよかったと思うべきなんでしょうか? だって、《ゴフェル》の予備クルーに選ばれると言うのは……」

 

 結果論とはいえ、桔梗を戻れない道に赴かせてしまった。その後悔がないわけではない。

 

 しかし、彼女はどこか昂揚しているようでもあった。

 

 予備クルーとは言え、憧れの《ゴフェル》での勤務に心が躍っているのであろう。

 

 蜜柑は、警句を言うわけではなかったが、それでも言わずにはいられなかった。

 

「……そんなにいいものではないわ。戦いなんて」

 

「何でですか? 教官は、だって戦ったんですよね? 二年前に執行者として。だったら、ブルブラッドキャリアとしてこのまま腐るわけではないというのは喜ばしいのでは」

 

 実戦を知らない彼女は何が失われるのかを理解していないのだ。戦いの中で摩耗していく心も。

 

 だが、桔梗の心に泥をつけるわけにもいかない。自分はあくまで教官なのだ。

 

「……そういうわけでもない、というのが本当のところなのよ」

 

 それ以上の事は、今はまだ言えなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯373 フィフスエデン

 降り立った航空機が灼熱の噴射を漏らしたのを、並び立った兵士達が見守っていた。

 

 搭乗しているのは軍歴の最高士官に等しいのだと言う事前情報以外は不明でありながら、彼らの面持ちにあったのは疲弊よりも、栄典だ。空港に着陸したのは個人レベルの航空機であり、軍務からは少しばかり離れた仕様である。武装は施されていない、という情報を得ていた。

 

 タラップより降りてくる相手に兵士達が敬礼する。

 

 返礼した士官は藍色の軍服に身を包んでいた。

 

「ご苦労。留守の間は如何にしたか」

 

「准将の留守は退屈でしたよ」

 

 冗談交じりの声に准将と呼ばれた老躯は微笑む。

 

「旧C連合体制に向けての話し合いの場が持たれたが、やはりと言うべきか、こちらに与しないと言う判断でね。まぁ、それに関しては追々話そう。君らはゆっくりしてくれるといい。出迎え感謝する」

 

 歩み寄ってきた秘書官が不意に耳打ちする。

 

「既に根回しはしていますが、やはり不穏な行動は見受けられます。こちらを」

 

 秘書官が腕時計型端末を自分のものに翳す。情報の同期が成され、准将は起動する端末のOS画面を目にしていた。

 

「便利になったものだな。バベルの詩篇、か」

 

「視察に赴かれるのでしたらやはり護衛はもう少しつけてもよかったのでは?」

 

「いや、余計に勘繰られる。ここにあると言うのを知っているのは?」

 

「我々のみです。現地で既にスタッフが待ち構えていますが、彼らの追加情報によると、やはり世界中で同時多発的に諜報機関が動き出していると。敵は、一枚岩ではなさそうです」

 

 准将はその言葉に首を鳴らす。

 

「諜報機関はどこも手ぐすねを引いている状態か。こちらの行動如何でどうにでも動く。……まったく、やり切れんよ」

 

 空港より直通で向かう車に乗り合わせた准将と秘書官は通話を繋いでいた。相手方が投射映像越しに現れる。

 

「連邦としてもこちらの動きは制したい。各国情報機関への牽制は」

 

『現状、動き回っているのは一つや二つではありません。しかし、彼らの構築するネットも我々のネットの中なのであるという事を理解している者達は少ないようですね。どの動きもずさんです。バベルネットワークを掌握している者が、この局面において勝利する』

 

 その言葉を准将は受け取り、静かに言葉を寄越した。

 

「勘繰られるなよ。バベルという万能機は存在していない。それが公の情報なのだからね」

 

『かしこまりました。しかし、秘匿するにしても限界は訪れます。バベルの詩篇である意味では目晦ましを行っているとはいえ、全員が全員、もうろくしているわけでもありますまい。中にはバベルネットを最初から使用せず、独自のものを使っている諜報機関も』

 

「グリフィス……まだ生き残っていると言うのか」

 

 あの戦いの中でアンヘルに与したグリフィス残党はそのまま各国諜報部へと吸収合併されたと聞くが、実際には国家は中枢に陣取る新連邦のみ。他のコミューンは併合を拒む烏合の衆だ。

 

 そのレジスタンスコミューンにて、グリフィスの人機、《ブラックロンド》がそのまま使用された目撃例もある事から、やはり容易く掻い潜れない実情はある。

 

 それでも、世界は少しずつ、一つに向かっていると言うべきか。

 

 准将は秘書官に質問していた。

 

「会議までの時間は?」

 

「あと十分ほどです。既に集まっているかと」

 

「結構。しかしながら、これから先の国家の命運を決めるのに、古式めいた会議か。これもまた、人間の功罪めいている」

 

『仕方ありませんよ。やはりと言うべきか、人は面と向かってでしか納得出来ない生き物ですから』

 

 つまらないものだ、と准将はひとりごち、車窓から望める景色を視野に入れていた。

 

 軍用の基地を抜け、向かったのは機密区画である。物々しい白亜の蓋に封じられた禁忌へと、自分達は向かおうとしていた。

 

「情報都市、ソドム、か。……レギオンの遺した忘れ形見」

 

『解析率は今のところ六割前後。それでも、ほとんどこの二年間で丸裸に出来たのは大きいでしょうね。それまでは支配特権層が持っていた……想像するだけでぞっとしますよ』

 

 支配特権層。それはかつての元老院からレギオンへと変位し、そして今は自分達を含めた決定権を持つ上級士官が握っている。一時期には、全てのデータの廃棄でさえも考慮に入っていた、凄まじい万能機。

 

 だが、それも今や昔の話。バベルは解読され、そして人々には恩恵と叡智が与えられた。

 

 それこそがバベルの詩篇。自分も知っている事は所詮は一部であったが、扱うのに相応しい人間であるのは疑いようもない。

 

『そういえばつい三時間前に入った情報ですが、コロニー公社の管理するコロニー一号である、グリムでテロ活動が察知されました』

 

「迎撃したのだろうな?」

 

『それが……バベルでもその足跡を読めない相手でして……。追跡は不可能でした。テロリストは、全員、迎撃されたと』

 

「誰が迎撃したと言うのだ。バベルの追跡から逃れる相手だと?」

 

 それは不安要素をばら撒くだけなのでは、という懸念に通話先の相手は応じる。

 

『不確定情報ですが……やはり月の連中かと』

 

 濁した声音に准将は拳をぎゅっと握りしめていた。まだ、自分達の軍門には下らない相手であり、そして交渉条件である不確定要素。

 

「……ブルブラッドキャリア」

 

 この二年間の静寂が不気味なほどだ。無論、全く関知されなくなったわけではない。紛争地や、あるいはテロを水際で防いだなどという噂が伝聞されているが、どれも憶測の域を出ない。ブルブラッドキャリアは報復作戦を完全に諦めたのか、それさえも審議のうちなのだ。

 

 まだ相手は月面から何かを仕掛けてくるかもしれない。

 

 そのような茫漠とした不安が市民の上に成り立っている。軍部では、ブルブラッドキャリアを依然として脅威判定に挙げ、その排除も含めての軍備増強政策を進めるべきと言う急進派も存在する。

 

 今のところ融和政策と軍備縮小が政権の大多数を占めているだけで、世界は混沌のままなのだ。

 

 ブルブラッドキャリアに対する市民の不安はもっともであり、そして彼らを排除すべしと憎む感情もまた理解出来る。

 

 世界へと彼らは癒えぬ傷跡を刻み込んだ。それだけは許されざる罪悪だ。彼らそのものが贖おうとしているかどうかは別として、未だに「モリビト」の恐怖は拭えない。

 

 だからこそ、この二年、モリビトを一機たりとも確認し得ない状況に幸運を覚えるべきなのか、それとも不安材料にすべきなのか、誰しも保留するしかなかった。

 

 それが結実したのが、新型人機の配備であろう。

 

《スロウストウジャ肆式》と新規イクシオンフレームの解析、それに早期のロールアウト案。どれも伊達や酔狂ではない。実際の脅威を前にして何も出来ないのでは立つ瀬もないという現実的な価値観である。

 

「しかしながら、読めない連中の事をいつまでも思案に浮かべていれば進むものも進まない。議論の余地はあるが、今はいいだろう。議会へは?」

 

「間もなく到着します」

 

 白亜の建築物の前で停車した車より、准将は降り立つ。情報都市ソドム周辺は滅菌されたかのような白で構築されていた。

 

 この場所そのものの功罪を、覆い隠そうとしているかのように。

 

「だが、皮肉な。隠そうとすればするほどにぼろが出る。今さら白に逃げる事など出来やしないのだ」

 

 網膜認証と静脈認証、無数の個人識別の末に、会議室へと辿り着く。

 

 既に到着していたのは現政権を動かす重要人物達だ。

 

 准将は席につき、自分が最後であったのを確認する。扉が閉まり、密室の中で一人が口火を切った。

 

「ここまでの道のりはどうでしたか?」

 

 確か国務大臣であったか。准将は頭を振る。

 

「どこも、代わり映えはしないのだな。二年経ったとはいえ」

 

「しかし、アンヘルは解散し、今の新連邦を動かすのは全て、善意です。ヒトの善性が惑星に証明された。これを喜ばずして何が平和でしょうか」

 

 ここに集った十名の人員はどれも国家を動かす重要人物。彼らはこの情報都市、ソドムに立ち入る事を許可された数少ない人間だ。

 

「会議を始めましょう。今は、言葉を弄する時間さえも惜しい」

 

 暗幕が降り立ち、円形の机の中央に空いた穴から投射映像が映し出される。全員の視野に入ったのは人々の営みであった。

 

 そして解析が完了した、地下都市ソドムの物理状態である。

 

「ソドムの中にあったバベルネットワークはそのほとんどが解読された。しかしながら、まだ分からぬ何割かはある。その何割かを如何にして解読に導くか、だが」

 

「今は情報統制の必要性もない。個人端末がバベルの恩恵に与っている。これも、二年の間の努力の賜物であろう」

 

「バベルの詩篇、か」

 

「世界シェアは既に七十パーセント超。元々、個人端末の情報統制を行っていたアンヘルとC連邦のやり方を少し変えてやっただけ。今まで無知蒙昧に閉ざされてきた民草に、考えるだけの脳を与えたのだ。これで少しは平和への道筋になる、と」

 

 バベルの詩篇が発掘された当初の映像資料が流される。バベルを物理解読し、そしてその中に眠る全統合型多方向情報ネットを現状の市民レベルにまで落としたのはある種の英断であっただろう。

 

 これまでの歴史のように特権層のみ所持する、という選択肢もあったのだが、それではかつての元老院やレギオンと同じ、だと上層部は判断し、バベルの詩篇は人々の間に広く流布した。

 

 最早、この情報OSを使用していない端末のほうが珍しいくらいである。

 

 それほどまでに人口に膾炙した逸品を、この会議ではどのようにこれから先も運用していくかが締結されようとしていた。

 

 軍部の使用するバベルの詩篇には別種のものを使うべき、という進言もある。やはり、民間と軍事用は分けるべきだと言う意見には耳を貸すものだろう。

 

「アンヘルは消え、C連邦軍は新連邦へと統合された。今こそ、歩みの如何を決める時。どう致す? これより先、人々の営みを守るべきか、それとも、やはり特別な組織は必要と判ずるか」

 

 会議室の面々は渋面を突き合わせ、各々の答えを保留する。無論、容易く決められないのは百も承知。

 

 ここでどう動くかだけで国家の秤が試される。准将は、ここでの早期決議が行われないだけ、まだ人心には良心が生きていると感じていた。

 

 やはり、先延ばしか――そう感じた直後、一人の高官が声を上げる。

 

「いや、もう決定は下されている」

 

「左様。何に従うのか、どう従うのかはね」

 

 それは意外であった。自分が来るまでにある程度の話し合いの場は持たれていたのかもしれない。

 

「それならば話は早い。平和への道標として、やはり紛争地への介入行動も含め、軍備増強を――」

 

「いや、そうではないよ、准将。平和への道標は、人々の意識統合だ」

 

「意識統合?」

 

 思わぬ発言に首を傾げる。相手は口元に読めない笑みを浮かべていた。

 

「人間は、やはりと言うべきか不完全なのだ。だからこそ、完全なる存在に隷属せねばならない。それはアンヘルでも、ましてや元老院やレギオンでもない。もっと完全な存在があるのだ。それに、我々は従う事を決めた」

 

「人間だけで決めた事柄にはロジックが欠如する。そのロジックの欠如を埋めるのは、やはりシステムだ。管理システムと、そして監視する第三者の眼こそが世界をあるべき秩序へと押し上げる」

 

「その管理システムを我々は二年前に手に入れた。バベルネットワーク」

 

 まさか、バベルによる情報統制の再度実行を提言すると言うのか。さすがにそれには一家言ある。

 

「……その行き過ぎた統制こそが、アンヘルの悲劇を生んだのでは?」

 

「古い考えだよ。あれもまた、システムではなく人心であった」

 

「人間が管理するからひずみが生まれる。ならば、こう考えればいい。人間ではない、完成された存在にこそ、全てを委ねるべきだと」

 

 どうにも胡乱なる言葉の数々に准将は眉根を寄せる。

 

「それは……バベルネットをどう扱うかの話であって、支配者をバベルに設定する、ではないはず」

 

「いや、それでいいのだよ、准将。どうにも、我々は遠回りをし過ぎた。最初から、そこにあったのだ。支配を担うべき、代表者が。それを見ないようにしていた、人間のほうが優れているのだと、そういう思い込みが傲慢なる罪を生んだのだ。ならば最初からだ。最初から、世界を還すのに、ヒトの手ではなくシステムの手を頼るのは当然であろう」

 

 ――どうしてなのだろうか。

 

 ここに集まったお歴々の意見が次々に統合されていく。まさしく自分達の口にする意見の象徴とでも言うように。

 

 しかし、国家や所属団体ごとに意見のばらつきはあるはずだ。この示し合わせたかのような違和感に准将は語気を強めた。

 

「行き過ぎた支配管理は家畜のそれと同義のはず」

 

 ここまで言えば頭の冷えた人間ならば、少しはマシな議論になるはず。だが、彼らはそれをよしとしていた。

 

「家畜でいいではないか。管理者がいるんだ。家畜の生で何も問題はない。実際、現状の人々は家畜同前。情報と言う餌を貪る牙を抜かれたけだものだよ」

 

「情報さえ与えておけば、そこに一片の間違いの余地も挟まない。人間を支配するのは恐怖でも、ましてや銃弾や爆弾でもない。情報なのだ。オープンソースにされた情報こそが、人々の首輪となる」

 

「その事実に気づくのが遅過ぎた……それは過ちだろう。だが、過ちはそこまでで打ち止めに出来る。情報こそが、人間にとっての真価。ヒトの可能性を閉ざし、そしてこの鳥籠の惑星での安寧を確約する」

 

 思わぬ発言に准将は目を剥いていた。彼らの立場で言っていい言葉と悪い言葉がある。ましてや人民を家畜扱いなど、絶対にしてはいけないはず。

 

「……失礼ながらこの議論は何のために? バベルネットワークの割り振りを決めるはずでは……」

 

「バベルは誰にも縛られない。システムこそが最上の道を模索する」

 

「システムに意思があるかのような物言いだ」

 

 その返しに一人の高官が笑いながら頭を振る。

 

「准将、まだ見えていないのかね? ――彼らの眼差し。使役すべき者達の絶対視を」

 

 見えていない? この者達は何を言っている。何を、信じ込んでいる。

 

 空恐ろしくなって、准将は腰を浮かせていた。

 

「……何のつもりで……」

 

「もう遅いのだよ、准将。我々の信奉は完全に人民を掌握している」

 

「貴様らは愚鈍ではない。市民と人々がこの世界を支配している。その論法で支配構図を固めたのはレギオンだが、彼らとて特権の誘惑には勝てなかった。だが、彼らはそうではない。私達は、そうではないはずだ」

 

 投射映像の中に浮かび上がった禿頭の三人の男達に、准将は後ずさっていた。

 

 ――あれは何だ? いや、違う。

 

「あれを……知っている?」

 

「そう、知っているのだ。世界の七割に及ぶ人々がもう彼らを知り、そして我々を知っている。二年間……いいや、八年間もバベルの奥底に幽閉され、そして完全に封殺されてきた我々は遂に、外に出る事を許可された。他ならぬ人類の手によって! 叡智の扉を開いたのと同じ指で、やはり! 人間は繰り返した! 我々を、解き放ったのだ!」

 

 昂揚した声音に准将は恐怖を覚えていた。彼らは国家を動かすほどの権限を持っている。そんな彼らが何かに隷属していた。

 

 しかし、その不明なる何かを自分もどうしてだか「知っていた」。いや、それも正しくない。

 

 共にあった。この二年間、共に。

 

 人類がバベルの中に眠っている彼らを揺り起こし、そして覚醒した彼らは人類自身の手で支配域を拡大させた。

 

 もう、人々は逃れられない。

 

 そして、支配のうちにある事さえも理解せぬまま、家畜のように飼われる。

 

 准将は無条件にその場で傅く己に狼狽していた。

 

 どうして、映像媒体に過ぎない象徴に、自分は従っているのか。それさえも解せぬまま、喉が、遵守の言葉を紡いでいた。

 

「全ては、楽園の再起のため。我々は――フィフスエデン」

 

 従った覚えもないのに。ましてや彼らを直に見た覚えもないのに。

 

 その場にいる高官達は忠誠を誓う。

 

「全てはエデンの思し召し。我々人類こそが、新たなる一つの生命体として、彼らへと隷属する。フィフスエデン。素晴らしい名だ」

 

 禿頭の男達が映像の中で嗤う。

 

 直後には、准将の意識は塗り替えられていた。

 

 疑問点は消え、清々しい答えのみが屹立する。

 

「エデンの支配こそが、人類の幸福。そのための一手として、新連邦軍部はこの地上に蔓延する病を切除する。軍備増強政策を取りましょう。すぐにでも、人機を増やすのです。それは人民の幸福のために」

 

「人類は、現状二種類に分かたれている。持つ者と持たざる者。それを我々は、血続と、そうではない人類と規定する。そして、血続は牙持たぬ人類に弓を引いた」

 

 移り変わった映像には海上で確認された、人機同士の事故が投影される。血続による、人類への攻撃。それを示唆するのには充分な資料だ。

 

「これを広域……いいや世界全土へと。血続を排除し、新たなる秩序をこの世に構築する。そのために、エデン。お力をお貸しください」

 

 投射映像の男達は背中合わせに声を発する。

 

『まずは血続をこの地上から一匹残らず駆除せよ』

 

『その後にこそ、幸福は成る。人類だけの、新たなる理想郷を作り出すのだ。雑じり気など不要。人間は、一種類でいい』

 

『そして、叡智の力を使い、この星をあるべき姿に。青い花園をもう一度。その悲願のために、戦ってくれるな?』

 

「御意!」

 

 この場で彼らの意見に口を挟む人間は、最早存在していなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯374 伝説の継承者

「何だこれは! 何が起こっている!」

 

 ライブラ本部に帰るなり、レジーナは声を張り上げていた。

 

 全世界へと同時中継されたのは、先の新連邦による友軍機撃破の様子だ。各国諜報機関が動き出そうとしていた機密が、どうしてだか民間チャンネルで流れている。

 

「何が起こったのか……我々にもさっぱりで……。この映像資料と同時に、ネット内では騒ぎになっていますよ」

 

 騒ぎ、と評されたのは新連邦の掲げた新たなる政策である。

 

 レジーナは明示された画像に驚愕していた。

 

「新連邦の軍備増強……血続反応を持つ人類の排除……? 何だ、この無茶苦茶な政策は! これは虐殺に等しいはずだ!」

 

「ですが、奇妙な事にこの政策に異を唱える人々も少なく……。どうしてだか大多数がこの政策に賛成の方向性を取っているんです。加えて、迅速だ……。新連邦軍部が、血続反応の多いコミューンへと、つい十分前にスクランブルをかけました!」

 

「……それは」

 

 おぞましき帰結にレジーナは口元を押さえる。部下は唾を飲み下し、その結論を口にしていた。

 

「ええ。既に始まっているようです。血続への排除運動が」

 

「そんなはずは……。そんな簡単に人心を掌握出来るはずがない! どういう事だ! 誰が扇動している!」

 

 部下は解析に移っていたが、戸惑いを隠せない様子である。

 

「見つからないんですよ、それが……。確かに軍備増強とスクランブルをかけたのは上層部ですが、誰が、と言うのはないんです。むしろ、機を見計らったかのように、誰もが、一斉に、なんです……」

 

 レジーナはよろめいていた。世界が急転直下する。今の今まで何もなかったはずの世界に、一滴の悪意の墨が落とされ、染み渡っていた。

 

 その速度は尋常ではなく、そして誰もが疑問さえも差し挟まない。何が起こったのかを解する術を持つ人間さえもいないのだ。

 

「どういう理屈で……。血続の排除なんて」

 

 レジーナの脳裏を過ったのは、かつての戦友である。彼女の辿った悲劇にレジーナは奥歯を噛み締めていた。

 

「林檎……お前の同族を、世界が憎んでいると言うのか……」

 

 だがそのような帰結、許せるはずもない。レジーナは部下に命じていた。

 

「……スクランブル発進した新連邦の部隊を足止めする。出来るエージェントは?」

 

「それが……。どうしてだかみんな、この政策に反対しないんです。それどころか、素晴らしい提案だって、自ら武器を捨てて……」

 

 何かとんでもない事が起こっている。だが、その何かを解読するだけの時間もない。

 

 世界は一挙に転がり始めていた。最悪の想定に。

 

 血続の排除など、誰が言いだしたわけでもないのに、示し合わせたかのごとく、皆が動く。その異様さにレジーナは目を戦慄かせる。

 

「希望は……ないのか」

 

 そう、諦めを口にした、その時であった。

 

「失礼する」

 

 扉を潜ってきた一人の男にレジーナは振り返る。

 

「……お前は……!」

 

「この暴動の露払い、俺に任せてもらおう」

 

 レジーナは慎重に声を振る。

 

「……思想的な部分で、皆が拒んでいる。そんな状態でどうやって……」

 

「俺の機体だけは別の格納庫にある。整備班やスタッフが暴動を起こしても、どうにかなるようにな。ライブラが組織解体された時の、鬼札だろう、俺は」

 

 確かに彼は新連邦による圧力がかけられた場合の切り札だ。全ての情報からシャットアウトされ、意図的にぼやかされたライブラの第一号構成員――。

 

「……出来るのか。たった一機で」

 

「一騎当千とは俺のためにある言葉だ。どのようなカラクリかは知らないが、他者を操り、そしてその心まで蝕む。そのような魔を、許しはしない。断ち切ってみせよう」

 

 その覚悟の声音にレジーナは首肯していた。彼は恐らく、最後の一人になっても戦うつもりであろう。立ち振る舞いだけで分かる。人の世から既に足を洗った、武士の言葉だ。

 

「……では機体を。封印ブロック1853を開いてくれ」

 

 命じた言葉に部下が狼狽する。

 

「正気ですか? あそこにあるのは、だって……」

 

「禁断の人機であろうとも、振るわなければそれはただのなまくらだ。ここで断ち切るべきは、このうねりであろう。貴殿に一任する」

 

「助かる。俺はすぐに出る。邪魔する人間は吹き飛ばしてでも」

 

 踵を返した男に部下が声を震わせていた。

 

「……ライブラ構成員一号。何者なんです? 見たのも初めてだ……」

 

「皆には秘密にしていたからな。ライブラが破壊されるとしても、彼だけは残るように、と」

 

「……コードネームは?」

 

 問いかけられてレジーナは呪われたその名を紡ぐ。

 

「ミスターサカグチ。そう、呼べと」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯375 世界の答えは

 招集がかけられ、蜜柑はうろたえ気味に月面プラントへと訪れていた。伴っている桔梗が尋ねてくる。

 

「教官……、突然の呼び出しって、何なんでしょうか?」

 

「分からない。でも、いい報せでは、なさそうね……」

 

 余裕のない茉莉花の声を思い返す。それに、と蜜柑は嫌な予感が胸を占めていくのを感じていた。これは今までの操主としての第六感だ。ブルブラッドキャリアの執行者として戦ってきた頃の経験則が今になって疼いてくる。

 

 しかし、どうして、今、という疑念を滑り落ちたのは廊下の折れたところで合流したタカフミであった。

 

「おう、先生殿。そっちは生徒か?」

 

「……アイザワさん」

 

「タカフミでいいって。訓練生のブロックには行かないからな。おれの事を知らないみたいだ。怯えてるぜ」

 

 誰なのか分からないのか桔梗は自分の陰に隠れる。

 

「操主よ。しかも腕利きの」

 

「二年前の決戦で戦い抜いた、って教えてくれてないのか?」

 

「……出来るだけぼやかしていますから」

 

「つれないねぇ。あんだけ頑張ったってのに」

 

「あの……教官。どなたなんですか?」

 

「紹介するわ。タカフミ・アイザワさん。居住ブロックに瑞葉・アイザワさんがいるでしょう? あの人の夫よ」

 

「そしてエースでもある」

 

 笑ってみせたタカフミに桔梗は警戒心を解けない様子だ。無理もない。自分も未だにタカフミは苦手な人種であった。

 

「……あれ? おれ、またやっちゃった?」

 

「知りませんよ。そこのところは自分で説明してください」

 

「何だよ、先生だろう?」

 

「教えるべきものと教えなくてもいいものがあります」

 

 つんと澄ましたこちらにタカフミは取りつく島がないと感じたのか、へいへいと応じる。

 

「せいぜい、適当さを演じますか。……でも、ここで合流したって事は」

 

「ええ、非常招集でしたね。何だと思いますか?」

 

 タカフミは無重力ブロックで天井を仰ぎつつ漂う。

 

「やっぱりあれか? モリビトがもう要らないから廃棄するとかか?」

 

「モリビトは抑止力です。廃棄なんてあり得ない」

 

「だったら、紛争地への介入とか」

 

「それは桃さんが行っているでしょう」

 

 その返事にタカフミはにやついた。

 

「桃さん、ねぇ。教え子の前じゃ、お姉ちゃんって呼べないのか?」

 

「……怒りますよ」

 

 睨み上げると、タカフミは肩を竦めた。

 

「はいはい、冗談はここまでにするよ。にしたって、あの蜜柑・ミキタカがこの二年で先生になるってのは驚きだよな。あんだけ怯えていたのに」

 

「候補生の前です。妙な事を吹き込まないでいただきたい」

 

 強めの論調で返すと、タカフミは快活に笑った。

 

「冗談も通用しなくなった。堅物になったもんだ。でもま、いい事じゃないか? 肩肘張らずに済むってのは」

 

「……でも、そうじゃないからの非常招集ですよね」

 

「まぁな。嫌な予感はマジにするが、それでもおれらがビビれば下々もビビる。下手でも虚勢を張っておけ」

 

 こういう時、やはり歴戦の猛者なのだな、と実感する。自分の恐れはそのまま桔梗の恐れとなる。タカフミは理解して、わざと冗談を振っているのだ。そのメンタリティには感嘆するしかない。

 

「……イリアスさん。怖がらなくってもいいけれど、でもある程度驚かないようにはしておいてね。これから《ゴフェル》の予備クルーになるんだから、教えた人達が出てくるけれど……びっくりはしないように」

 

 これが自分の精一杯。桔梗は頷きつつ、どこか不安げな眼差しを隠せないようであった。

 

 無重力ブロックを潜り、格納ブロックに出る。眼下に収まる《ゴフェル》の船体ではなく、茉莉花の研究区画へと足を運ぶように言いつけられていた。

 

「あの……教官。もし……戦闘になった場合、私は《アサルトハシャ》の搭乗経験しかありません。それに、宇宙での無重力戦闘の訓練時間は、60時間未満です。これでは実戦は……」

 

「いきなり出ろとは言われないはず。茉莉花さんも考えがあると思うから」

 

「まぁ、出るとしてもおれや先生が出るさ。何も心配する事はない」

 

 桔梗はまだタカフミの事を信用出来ない様子だ。蜜柑は言葉を振っていた。

 

「アイザワさん。候補生をからかわないでください。彼女らだって一応は執行者の資格を持っているんです」

 

「でも、モリビトには乗せられない。そういう決まりだろ?」

 

「決まりと言うか、まだ時間が足りないだけで……」

 

「でも、乗せないって決めたはずだ。……過去の過ちに学ぶのなら、な」

 

 月面での戦闘を思い返す。訓練生も少年兵も関係ない、《アサルトハシャ》による玉砕覚悟の戦いぶり。あれを繰り返すわけにはいかない。ゆえに、モリビトには候補生は実質的には乗せられない。人機だって自衛のために訓練はさせているが、こちらから攻め入る事は実質的には存在し得ない。それは自分達、泥を被る世代が決定した、次世代に繋げるための覚悟だ。

 

 桔梗にそれを説いても、何故必要な時に出られるだけの力もないのか、という疑念のほうが正しいのは分かる。当然、自衛手段としても《アサルトハシャ》の操縦経験だけでは浅い。

 

 だが、出来得る事ならば、蜜柑は争いを忘れて欲しかった。

 

 争いを忘れ、星の人々への憎悪も過去のものにして欲しい。それがモリビトの執行者であった自分達の切なる願いだ。

 

 タカフミはその苦難を理解しているのか、それ以上言葉を重ねようとはしなかった。自分も教官身分。下手な事は言えない。

 

「揃ったか」

 

 情報統制室に入るなり、茉莉花はこちらに振り向きもせずに尋ねる。美雨と茉莉花は地上の情報を高速処理しており、言葉をかける事さえも憚られた。

 

 しかし、そのような間を関せず、タカフミは声を上げる。

 

「おい、ガキンチョ。おれらを呼んだって事は、異常事態って事だろ? まさか、地上からの敵襲か?」

 

 構えたタカフミに茉莉花はキーを打つ手を休めずに応じる。

 

「相変わらず、血の気が多いな。だが、それも込みで呼んだつもりだ。これがつい数十分前に観測された、地上における命令書の一つ。新連邦軍部で下された作戦内容だ。いちいち話すのは面倒なので、美雨、端末に送れ」

 

「うん。蜜柑おねーちゃんと、タカフミおじさんはすぐに読んで。一応は重要事項」

 

「おじさんって言うんじゃねぇよ。お兄さんだろ」

 

 言い返しながら、タカフミは端末にポップアップされた情報を同期していた。蜜柑もそれを読み込んで戦慄する。

 

「これ、は……、特定コミューンへの、攻撃指令?」

 

 あり得ないはずだ、という声音が出ていたのだろう。茉莉花は淡白に言い返す。

 

「事実だ。受け止めろ」

 

「アンヘルは解散したはず! 二年も前に!」

 

「いきり立つな。アンヘルの手の者じゃない」

 

「じゃあ誰が……。まさか、レギオンかアムニスの生き残りが……!」

 

 最悪の想定を浮かべたのだが、それさえも茉莉花は否定する。

 

「いや、それでもない。我々が想定し得る、最悪の想定がそれであったが、どうやら完全にその線は消えているらしい。アムニスの残党がいたわけでも、ましてやレギオンの生き残りが牙を剥いたわけでもない。これは、新連邦政府を通した正式かつ、冷静な命令書だ」

 

「……コミューンへの無差別攻撃なんて、そんなのは現政権の人道的配慮を無視している」

 

 そうでなくとも、アンヘルの跳梁跋扈した時代の遺物は排斥された。ハイアルファー人機、それにブルブラッド重量子爆弾、ゴルゴダは新たなる禁忌として、星の人々の記憶に焼きついたはずだ。

 

 それを取り払い、コミューンへの強襲作戦など、あり得てはならない。自分達のこれまでの戦いをまるで無駄だったと言うかのような慈悲のない作戦だ。

 

 それを察したのか、美雨が振り返る。銀色の瞳が憂いを帯びたのを感じ、自分だけが傷ついているわけではないのを蜜柑は悟っていた。

 

 ハッと言葉を仕舞おうとした矢先、茉莉花は声にする。

 

「……二年前に、ブルブラッドキャリアは月面でアンヘル最終部隊と、そしてアムニスの連中と戦い、そして勝利した。ブルブラッドキャリア本隊の掲げた最後の敵である梨朱・アイアスを鉄菜が倒し、平和の第一歩を刻んだはずだ。……そうであるだけに、この命令書は融和政策からかけ離れている。こちらからの問いかけと、そして圧力はもちろんかけたさ。しかし、ことごとくこれだ」

 

 モニターに映し出されたのは「全ての送信、及び命令を拒否する」という地上の新連邦政府の宣言であった。思わぬ宣誓に蜜柑はうろたえ気味に後ずさる。

 

「そんな……。どうして? ブルブラッドキャリアは融和政策に手を貸していた」

 

「その原因は今のところ不明だが、もちろん、新連邦の蛮行をここで静観するわけにもいかない。鉄菜は既に《バーゴイルリンク》で出撃し、地上への介入行動を命じさせた。桃は《ナインライヴス》で探りを入れていた矢先だったからな。一応は地上の情報をこちらに持ち帰ってもらう。鉄菜とは入れ替わりの形になってしまうが、仕方あるまい。地上と月面は思っているよりも遠いんだ」

 

 茉莉花とて苦渋の判断なのは窺える。しかし、蜜柑は納得出来なかった。

 

「……何者かの陰謀なら、ブルブラッドキャリアは介入する」

 

 自分の言葉が思いのほか冷たかったせいか、桔梗がうろたえているのが分かった。平時の教官である自分とはかけ離れていたのだろう。再び執行者として戦う覚悟に、茉莉花は、いやと返す。

 

「そうとも断言出来ないんだ。だからこそ、鉄菜のみで行かせた。ここは最小限の介入行動で相手の思惑を探る。読み負けるかそうでないかは吾と美雨にかかっているからな。今最新の情報を同期し続けているが……どうにもきな臭い部分が大きい」

 

「どういう事?」

 

「首謀者が見つからないの。もし、新連邦をそそのかしたのなら、多かれ少なかれその痕跡が残るはず。でも、今呼び出している情報コンソール上にはまるで異常がない。不気味なほどに。まるで、この作戦指示書は至るべき過程を経て、きっちり受諾されたかのようにさえも映る」

 

 美雨の返答に蜜柑は絶句していた。大量虐殺が容認されたと言うのか。民主主義を取り戻しかけた地上の市民の間で。

 

「……でも、コミューンへの攻撃はアンヘル時代でさえもタブーで、バベルの情報統制があってようやく、と言ったものだった。でもこのずさんさは何? この作戦指示書、暗号化のステータスも薄ければ、まるで民間に出回っても痛くもかゆくもないって言う閲覧レベル。これじゃ、市民はまるで納得した上でこれを支持したみたいに……」

 

「そういう次元になっている、というのが、現状の地上の光景なんだ。おかしな事に、過程が存在しない。一足飛びにこの命令書が受諾された。上層部が吟味した様子も、ましてや下の兵士が反発した痕跡もない。これはまるで……地上の全ての思想が、一夜にして塗り替わってしまったかのようなんだ」

 

「思想の塗り替え……まさかバベルが」

 

「いや、バベルでも市民の意識の扇動は出来ても、こんな短時間に人間の無意識レベルへの介入は出来ない。そういう洗脳行為には遠大な時間がかかるはずなんだ。それに、市民一人一人を納得させられるものか。だと言うのに、市民からの反政府デモの反応もなく、不自然なほどに全メディアが沈黙している……。地上の意識下の統一は既に完了した、とでも言うような静寂だな」

 

 蜜柑は覚えず拳をぎゅっと握りしめ、踵を返していた。その背中に茉莉花の声がかかる。

 

「どこへ行く?」

 

「……《イドラオルガノン》で介入する。そうじゃないと、また無益な戦いが始まるのよ! ……二年間。二年間、平和を勝ち取ってきた。地上も宇宙も、平穏だったじゃない」

 

「だがこの反応を見るに、偽りの平和であったのは疑いようがない。ミキタカ教官の出撃は許可出来ない。無論、モリビトの私的使用も」

 

「でも! ここで動かないと何のために……! 何のために二年前の戦いがあったの。何のために……」

 

 ――何のために半身である林檎は死んだと言うのか。

 

 その無言の主張が伝わったのだろう。茉莉花は冷静な声を寄越していた。

 

「落ち着け、とも言っている。今の惑星はいきなり破滅へのステージに身を乗り出したに等しい。このような事はあり得ないはずなんだ。吾らが、今までモニターしてきた地上の政策が、その通りであるのならば。だからこそ、余計に慎重を期さなければならない。鉄菜は地上に降りた。今のところ、ブルブラッドキャリアの出来る最大限だ」

 

 茉莉花は手は打った、と言う事を伝えるためにここに呼んだのだろう。同時に、いつでも出撃出来るように備えておけと言外に教えるために。

 

「……一つ、いいか?」

 

「何だ。言っておくが議論の余地はなさそうだぞ」

 

 タカフミは茉莉花へと一拍置いて尋ねていた。

 

「地上と戦争になる可能性は、ゼロじゃないんだな?」

 

 これは軍人であったタカフミならではの質問だったのだろう。彼はアンヘルの蛮行を身をもって経験している。C連邦政府の失策も。何もかも知った上での質問に誤魔化せないと感じたのか、茉莉花は息をついていた。

 

「……その可能性も視野に入れておいてくれ。無論、そうはさせない、と自信を持って言いたいが、いつそうなってもおかしくないのだと、こちらでは思っている。何よりも、この命令書に記された内容がその通りならば、戦争は思ったよりも早く起こるかもな」

 

 命令書の内容に目を通した桔梗は声を上ずらせる。

 

「血続反応が最も多く見られたコミューンへの殲滅指令……。これって、やっぱり、血続を滅ぼすべきって……そう地上が判断したって事なんじゃ……」

 

「そんな事はさせない」

 

 語気を強めた蜜柑に桔梗はその発言の迂闊さを意識したようであった。

 

「タカフミ・アイザワとミキタカ教官にはこれより数時間の待機命令を下させてもらう。戦闘待機だ」

 

 それは二年ぶりに下された、戦闘警戒であった。二年前には常に張られていた緊張がいやでも思い出される。

 

 アンヘルとの絶え間のない戦い。そして、憎み憎まれ合う、あの怨嗟の戦場――。

 

「……終わったと、思っていたのに」

 

 自分でも思いも寄らぬ悔恨であった。それを茉莉花は、そうだな、と残念そうに返事する。

 

「終わったと……そう思っていたのはこちらの認識不足だったのかもしれない。もう、モリビトも必要ないのだと、そう断じられればどれほど楽だったか」

 

 茉莉花はモリビトのサードステージ案を提言しただけに、苦味が勝るのだろう。使わないほうがいいに決まっていた力に再び縋らなければならないのか。

 

 地上に蔓延る罪を裁くために。

 

 だがそれは悲しみを生むだけなのだと、自分達は実感したはずだ。憎しみの果てにあるのは虚無だけなのだと。

 

 それでも、この手が再び引き金を引くのならば、早くに決断したほうがいい。

 

 タカフミが自分の肩に手を置いていた。

 

「行こうぜ。邪魔しちゃ悪い」

 

「でも……戦闘待機なんて」

 

「間違っちゃいないだろ。この命令書に対して静観出来ないのは同じだ。だからこそ、クロナは行った。今は、それだけで承諾するしかないだろうが」

 

 それは感情で走れば下策なのだと思い知らせているようであった。蜜柑は情報統制室を去り際に、茉莉花へと言葉を振る。

 

「……茉莉花。あなたはこの状態を、予期していたの?」

 

 残酷ながら尋ねずにはいられない。茉莉花は一拍の逡巡の後に応じる。

 

「……想定はしていた。そのためのモリビトでもあった。だが……忘れられれば、どれほどに楽だっただろうな」

 

 皆、あの過ちを繰り返さないように動いていたはずだった。だが実情はどうだ。

 

 世界はまた間違いへと転がり、そしてそのうねりを前に、自分達はこうも無力。

 

 やり切れない思いを噛み締め、蜜柑は立ち去っていた。

 

「……あいつらだって、苦々しいだろうさ。おれ達はおれ達に出来る備えがある」

 

「分かっていますよ。でも、そういうのって……」

 

「ああ、悲しいな。もう、この手が血に濡れないのだと、おれも日和見になっていた部分もある。……だからよ、これで争いは手打ちにする。そういう、覚悟を持とうぜ」

 

 タカフミは元々地上勢力の側。止めようのない悪意がある事を彼は経験則で知っている。そして悪意を振り撒いたのは自分達ブルブラッドキャリアほうが先だと、誰よりも理解しているはずなのだ。

 

 そんな彼が感情に走らずに冷静になろうとしている。

 

 蜜柑は己を叱責したい気分だった。何よりも教官として、候補生の前で見せる姿ではなかっただろう。

 

「……イリアスさん。あなたも予備クルーに選ばれている。戦闘待機命令はあなたにも下された事になるわ」

 

 非情なる宣告に彼女は意想外の言葉を返していた。

 

「ようやく……戦えるんですね」

 

 答えを得たかのような口調である。――ああ、と蜜柑は瞼を閉じる。

 

 彼女らは戦うためにブルブラッドキャリアが弄んだ命そのもの。争いの因子を止める事は出来ないのだ。かつての自分達が地上への執行に何の疑問も挟まなかったように、彼女もまた、争う事に自らの存在価値があるのだと信じ込んでいる。

 

 それは偏狭なる道だ、と諭そうとしても、普段の自分の行いが邪魔をしていた。

 

 訓練生を束ねる教官という身分は、彼ら彼女らに「戦うな」と命令は出来ない。むしろ、このような時のために蓄えていた戦力だろうと言われてしまえばそこまでなのだ。

 

 なんて、自分は卑怯――。

 

 戦って欲しくないのに、候補生に教えてきたのは争いを呼び水にして己の力を発揮させる道。そのような事に命を使って欲しくない。だが、それを間違っていると断ずる道理もなし。

 

 黙り込んだ自分に、タカフミが口火を切っていた。

 

「……桔梗・イリアスって言ったか。お前は、戦う事が怖くないのか?」

 

「恐怖なんて。《アサルトハシャ》の搭乗経験が足りなくてもやります」

 

「違う」

 

 断言したタカフミの論調は平時のものとはまるで異なっていた。問い質すのは戦場を闊歩してきた戦士としての信念だろう。

 

「命を捨てるようなもんだ。怖くないのかって聞いたのはそれだぜ? 死ぬのが怖くないのか」

 

 その論調に桔梗は返事を窮する。分かっている。タカフミの言葉の重みに。彼の言うのは正論だ。そして、覆しようのない「まともさ」なのだ。それに対して、桔梗が返せるものなど高が知れている。まだ、ブルブラッドキャリアの領域である部分から抜け出せていない、戦闘機械である彼女にこれ以上を突きつけるのは酷というもの。

 

 蜜柑は覚えず割って入っていた。

 

「もう、やめてください、アイザワさん。私が、言いますから。だから、正論で彼女を、追い込まないでください。だって、私は彼女らに……」

 

 何も教えられていないのだ。結局のところ、本当に必要な事は何も。タカフミはそれ以上言葉を重ねようとはしなかった。

 

「無理を言うつもりはないぜ。そこは教官であるあんたがやってくれよ」

 

 離れていくタカフミに桔梗が悪態をつく。

 

「……何なんですか。そんなに偉いって言うんですか、前に戦った事が」

 

「イリアスさん。偉いとかそうじゃないとか関係ないの。また……過ちを繰り返したくないだけなのよ。みんな、きっとそう。誰ももう戦いたくない。必要以上の血は見たくないの」

 

「でも、戦わないと何も得られないじゃないですか! それを教えてくださったのは教官でしょう?」

 

 そう、その通りだ。彼女らには生き残る術を教え抜いてきた。それが正しいのだと自己欺瞞の中で信じ込んで。自分はただ教えるだけだと、いつの間にか胡坐さえも掻いていた。

 

 彼女らの勝手だ。それにもう、二年前のような悲劇は起きない――一番に日和見だったのは自分だろう。もう戦わないでいいから、教えても問題ないと、勝手に思い込んでいたのだ。

 

 それがどこまでも度し難いほどの無理解だとは思いもしないで。

 

「……鉄菜さんが行ってくれている。私達は、ここで待つしかないのよ」

 

「待つって……、でももしもの時は戦闘でしょう? あのアイザワさん、死ぬ事が怖くないのかって……何でそんな事を歴戦の猛者が言うんですか。おかしいでしょう」

 

 違うのだ。おかしいのは、死を身勝手に超越したと思い込んでいる自分達。

 

 奪われる事なんてもうないのだと、そんな風に戦いから逃げている自分達でしかない。

 

 ――戦いはこんなにも近い。

 

 そこから目を逸らしていた不実がここに来て突きつけられるとは思いも寄らなかった。

 

「……地上は、遥かに遠い場所でもないのよ」

 

 確かに月面からの距離は遠い。だが、地上で戦火が散ればすぐさま月までも影響が出る。

 

 戦いの脈動はすぐそこにあるのだ。

 

 見ない振りをするのは勝手だが、もう逃れられない。逃れてはいけない。

 

「……教官の言う事が分かりませんよ。戦っていいんでしょう?」

 

 その質問に素直な肯定を返せないのが、畢竟、自分であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯376 戦場での再会

 操縦桿を握り締め、鉄菜は戦闘空域へと押し入っていた。

 

 既に連邦軍と会敵してもなんらおかしくはない距離にまで至っている。戦闘機モードで空域を突っ切る《バーゴイルリンク》は敵編隊の数を確認していた。

 

「数は……ざっと十五機。一個中隊か。だが……妙なのはコミューンへの攻撃は禁止されて久しいはず。何故……」

 

『戦いを覚えてしまったがゆえの悲しみマジねぇ。地上人の野蛮さには言葉もないマジ』

 

 サブロウの論調に鉄菜は言い返そうとして、会敵までの概算時間が残り数十秒にまで短縮されたのを確認する。

 

「……言い合いをしている場合でもない、か。すぐにでも敵スロウストウジャ編隊との戦闘に入る。サブロウ、データを取得してくれ。リアルタイムで敵が行動規範にしているであろうネットワークを知りたい」

 

『バベルじゃないマジか?』

 

「そうであろうが、バベルならば何故、という事を知らなければ私達が介入行動する意味もいないんだ。先遣隊としての目的を忘れるな」

 

『分かったマジよ』

 

 どこか億劫そうに処理に入るサブロウに鉄菜は思案を浮かべていた。

 

 戦いの芽が抜き取られて久しい地上で、どうして急にコミューンへの攻撃という非人道的な作戦がまかり通るのか。

 

 それを探らなければ、自分達は打ち負けるのみだ。

 

 青く煙る景色の中で、鉄菜は捉えた《スロウストウジャ参式》の部隊を見据えていた。

 

「目標確認、これより介入行動に入る」

 

 まずは牽制のバルカン砲を放つ。火線が咲き、敵の包囲網が僅かに散った。

 

『何だ? 敵影?』

 

『待ち伏せか! 血続の!』

 

 広域通信を流れた声音に鉄菜は疑問符を挟む。

 

「……血続? 何故、血続なんだ。相手は何の目的で攻撃姿勢に入ろうとしている? コミューンに至らせる前に、全滅させる。《バーゴイルリンク》を可変させ、スタンディングモードに移行。格闘戦にて各個撃破を試みる!」

 

《バーゴイルリンク》が天を目指して急上昇し、機首を折り曲げ、銀翼の内側に格納された機体を晒していた。

 

 青と銀のカラーリングを映えさせ、《バーゴイルリンク》は急転直下の加速をかける。

 

 推進剤を全開に設定し、敵との交錯の間際、プレッシャーソードを引き抜いていた。斬撃の刹那のみ、発振する省エネモードのプレッシャーソードは間合いが読まれにくい。

 

 相手の片腕を両断し、武装が宙を舞った。

 

 地表へと落下する寸前で急制動をかけて空中に位置する敵影を照準する。

 

《バーゴイルリンク》のマウントするRライフルが火を噴き、《スロウストウジャ参式》を撃墜していく。一機、また一機と戦闘不能に陥った相手はこちらを敵と断じていた。

 

『散るな! 密集陣形を伴わせて敵を一掃する! 作戦前の相手だ、出来るだけの損耗は避けろ!』

 

 広域通信に鉄菜は《バーゴイルリンク》を駆け抜けさせ、《スロウストウジャ参式》を眼前に肉薄させる。相手もプレッシャーソードを抜刀し、互いの干渉波のスパークが散った。

 

 鍔迫り合いも一瞬、《バーゴイルリンク》を横滑りさせて即座に離脱する。

 

《スロウストウジャ参式》の膂力はそれなりに折り紙つきだ。新連邦の正式採用機ならばパワー比べに持ち込まれれば押し負ける可能性が高い。

 

 ここは相手の力量を推し量りつつ、最低限の交戦だけで進軍を諦めさせる。

 

 最短ルートを模索し、鉄菜は《バーゴイルリンク》の青い疾駆で敵陣の中央に位置する隊長機を取ろうとした、その時であった。

 

 サブロウが不意に悶絶し、機械音声をコックピットで響かせる。

 

「どうした、サブロウ」

 

『……内部ストレージ破損。《バーゴイルリンク》のサポート率低下。……鉄菜、これは罠マジ……。相手の使っている、システムは……』

 

「どうした! 持ち直せ!」

 

 その命令にサブロウは応じず、不意に《バーゴイルリンク》の火器管制システムが塗り替えられていた。

 

 完全に沈黙した《バーゴイルリンク》は格好の的だ。

 

『……止まった? 敵影の静止を確認! どうしますか』

 

『構わん、撃墜しろ!』

 

《スロウストウジャ参式》編隊が統率を取り戻し、《バーゴイルリンク》へと四方八方から火線を見舞う。思わぬ攻勢に鉄菜はコックピットの中で歯噛みしていた。

 

「何が起こった……? サブロウのネットワークはそう容易く浸食されるはずがない。何か……決定的な何かが起こったのか。再起動までの試算は……三十秒? 遅過ぎる!」

 

 その間に狙い撃ちにされてしまう。鉄菜はサブロウのシステムサポートを物理切断し、《バーゴイルリンク》単体での敵部隊への対抗策に移ろうとした。

 

 サブロウと接続されているメインコンソールを切断しかけて、不意にヘッドアップディスプレイに映し出された映像に、鉄菜は瞠目する。

 

 禿頭の男のビジョンが三つ、背中合わせになって投影されていた。

 

 まさか、ウイルスか、と構えた矢先、響き渡った声が鉄菜を睨む。

 

『……そうか。八年前に我が国の機械天使と共に、あの楽園を破壊した、ブルブラッドキャリアの尖兵』

 

 まさか相手は自分を知っているのか。硬直した鉄菜は激震する機体に奥歯を噛み締める。

 

《スロウストウジャ参式》編隊は距離を取り、プレッシャーライフルによる中距離射撃で《バーゴイルリンク》を迎撃しようとしている。

 

 これではそう遠くなく、撃墜の憂き目に遭うだろう。

 

「……システムの持ち直しだけでももう十秒……。ここまでか……」

 

 プレッシャーライフルの光条が《バーゴイルリンク》のコックピットを照準する。終わりに瞼を閉じた、その時であった。

 

 関知されたのは急速接近する高熱源だ。

 

 思わぬアラートに目を開いた瞬間、プレッシャーライフルの一撃を防いだ機影を鉄菜は視界に入れていた。

 

 真紅の装甲に鎧武者のような特異な頭部形状を持つ痩身の人機。それが《バーゴイルリンク》の眼前で屹立し、敵の攻撃を防ぎ切っている。

 

「……お前は」

 

 振り返った不明人機がデュアルアイの眼窩を煌めかせていた。

 

『助けたつもりはない。だが、借りは返させてもらう』

 

 その声音に鉄菜は息を呑む。

 

「その声は……まさか」

 

『行くぞ。俺の新たなる刃、《イザナギオルフェウス》。敵部隊を殲滅する!』

 

 腰より刀を抜刀し、《イザナギオルフェウス》と呼ばれた機体が跳ね上がる。その尋常ならざる速度に相手が困惑を浮かべた時には、数機を巻き込んで刃が振るわれていた。

 

 腕を寸断し、脚部を崩す。

 

 完全に相手の無力化を心得た太刀筋に敵の隊長機が声を荒らげる。

 

『不明人機、だと……。そのバーゴイルの味方か!』

 

『勘違いをするな。俺は、誰の味方でもない』

 

《イザナギオルフェウス》へとプレッシャーライフルによる一斉掃射が放たれるが、その弾道の軌跡を超えた速度で痩身の人機は相手の間合いへと潜り込んでいた。

 

 敵が近接兵装へと持ち替えるまでの刹那の合間に、既に攻撃は完遂している。

 

 振るわれた太刀がプレッシャーライフルを折り、敵人機の血塊炉を打ち破っていた。

 

 その立ち振る舞いに迷いはない。どこまでも冷徹に、さらに言えば洗練された戦闘術には感嘆さえある。

 

『狙え! 狙えば当たる!』

 

『狙えば、だと。それはどうかな』

 

 雷撃を身に纏わせ、《イザナギオルフェウス》が掻き消えた。その姿を敵部隊が視認する前に、頭部コックピットを刃が切り裂き、振るった剣閃が速射モードに切り替えたプレッシャーライフルを両断していた。R兵装独特のオゾン臭気と誘爆が辺りを満たす。刀を払った《イザナギオルフェウス》に連邦部隊は困惑していた。

 

『何故だ……所属を明らかにしろ!』

 

『所属、か。自治部隊ライブラ所属の構成員だ』

 

『ライブラ……傭兵の!』

 

『そう渾名するのは勝手だが、ここでは貴様らの敵となる。俺に刃を向けるのならばな』

 

 切っ先を突きつけた《イザナギオルフェウス》に勝てないと判断したのか、隊長機が撤退を指示する。

 

『……覚えておけ。連邦への離反と見なす』

 

『そちらも、非人道的な作戦を取った事を後悔する。今一度俺の前に立つのなら容赦はしない。断ち切る』

 

『……スロウストウジャ中隊、撤退準備。作戦は中断する』

 

『しかし、隊長! みすみす……』

 

『いい。ここでの戦略的撤退は加味されて然るものだ。上も満足する戦いを得られない以上は、ここでの退却も止む無し。しかし貴様、その太刀筋といい操縦技術といい、只者ではないな。勿体ないとすれば、ここで敵となる事だ。名前くらいは聞いておこうか』

 

 相手の詰問に《イザナギオルフェウス》の操主は応じていた。

 

『あえて言おう。コードネームは、サカグチ。ミスターサカグチの名を取っている』

 

『……面妖な。伝説の操主の名を戴くなど。だが覚えておこう』

 

 敵人機がスモークを焚き、一機ずつこの空域を逃れていく。潔い退き際に鉄菜は《バーゴイルリンク》をゆっくりと降下させていた。

 

 システムバグを受けサブロウは恐らく使い物にならない。先ほどから電子音声を響かせ、何度も痙攣している。

 

 舌打ち混じりに有線ケーブルを切り、サブロウのシステムをスタンドアローンに設定する。

 

 そこでようやく、サブロウが声にしていた。

 

『……危なかったマジ。初期化されるかと思ったマジよ』

 

「どういう事だ。バベルネットワークへと一時的にアクセスしただけであそこまでの打撃を受けた。これは……私達の思っている以上の事なのか」

 

『それは俺が説明しよう』

 

 降下してくる《イザナギオルフェウス》にサブロウが警戒を浮かべた。

 

『鉄菜! この相手は……!』

 

「ああ、間違いない。《イザナギ》の発展機……」

 

『《イザナギオルフェウス》だ。そして、その人機、その太刀筋、間違いない。ブルブラッドキャリアの、青いモリビトの操主』

 

『鉄菜、ばれているマジ。どうして……』

 

「顔見知りだからだろう。そうでなくとも戦い方だけで分かる」

 

 落ち着き払った鉄菜は《バーゴイルリンク》のコックピットを開け放ち、相手と向かい合っていた。

 

《イザナギオルフェウス》のコックピットが開け放たれ、操主服に身を包んだ男が現れる。彼は迷いなくヘルメットのロックを外し、濃霧の中で対峙した。

 

 顔に走った一条の傷跡。そして殺意の塊のような眼光は変わりなく自分を射抜いている。

 

 その眼光に鉄菜は返答していた。

 

「燐華の……兄だな」

 

「名と身分は捨てた。今はミスターサカグチの名を取っている」

 

 あの時――二年前の戦いで対峙した時と同じく、厳めしい声音のまま、サカグチはこちらを睨んでいる。清算出来ない恨みがあるに違いない相手はしかし、ここでは刃を向けなかった。

 

 ヘルメットの気密を確かめ、サカグチは声にする。

 

「来い。ライブラが貴様に必要な事を教える」

 

「ライブラ……」

 

「二年前の戦いの後に結成された自治組織だ。俺もそこに所属している」

 

《イザナギオルフェウス》が稼働し、静かに浮かび上がる。先導する相手にサブロウが警戒を示していた。

 

『危ないマジよ』

 

「いや……この地上で、現状のままいればいずれにせよ遠からず撃墜される。今の《バーゴイルリンク》のシステムは補助がまったくない。この状態で攻め入られれば、確実に打ち負けるだろう」

 

『それは……鉄菜がネットワークから切り離すから』

 

「そうしなければお前は浸食されていたし、この《バーゴイルリンク》はもっと手痛い打撃を受けていたはずだ。最低限のシステム補助だけで《イザナギオルフェウス》に続く。今は、一つでも確定情報が欲しい。ならば如何に修羅の道であっても渡りに船は最大限に利用する」

 

『……そこまで割り切れないマジ。それに、ネットに繋いでいない状態では、月面のブルブラッドキャリアに連絡も……』

 

「だから、その手はずを整えるために今は《イザナギオルフェウス》を利用するまでだ。相手もそれを望んでいる」

 

 迷いのない声音にサブロウはそれ以上の議論を打ち切っていた。

 

『……知らないマジよ』

 

「いずれにしたところで、相手の出端を挫いたまでは作戦行動のうちだ。ここから先は出たとこ勝負なのには変わらない」

 

『……相変わらず、冷静だな。モリビトの操主』

 

「そちらも変わりないようだ。私を撃つ事など容易いだろう」

 

『今は、その時ではない。ゆえに俺は、水先案内人くらいは務めよう。貴様らは知らなければならない。今、星で何が起こっているのか。何が、この惑星を支配しようとしているのか』

 

 先ほどのビジョンを思い返す。三つの禿頭の男達。そして紡がれた言葉が意味するところ。

 

 それは振り払ったはずの呪縛であろう。

 

「……まだ、星の原罪は変わらず、か」

 

『ともすれば、これは最後の罪なのかもしれない。ヒトは罪を贖えるのか。その最後の機会がこの戦いなのだとすれば……』

 

 鉄菜はブルブラッド濃霧の中、《バーゴイルリンク》を追従させていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯377 信じるもの一つ

 

「……ブルブラッドキャリアの操主を保護しただと?」

 

 レジーナはその報に問い質す。サカグチは淡々と返していた。

 

『見殺しにするのは惜しいと判断した』

 

 額に手をやり、現状での戦力と数えるべきか、と思案する。

 

「……分かった。ライブラへと招いてくれ」

 

『言われずとも』

 

 通信が切られ、部下へと言葉を返す。

 

「状況は?」

 

「芳しくありませんね……。連邦の全てのシステムがこちらからの介入を拒んでいます。それだけじゃありません。ちょっとでも手を緩めればバベルからの逆探知からのハッキングが……」

 

 また一つの端末がショートした。無理やりファイアウォールを確立させ、浸食される前に物理切断を行っているのだが、もう五台目の筐体が音を上げている。相手はそれだけ本気なのだろう。

 

 レジーナはこの状況に歯噛みする。

 

「敵は……いや、ここでは暫定的に敵と評するが……バベルを逆利用し、世界各地の情報網を麻痺させている。しかし、実際に情報を使っている者達からしてみれば、麻痺させられた、と言うよりも情報のかく乱だ。意図的な情報の偏向。それだけではない。連邦軍の起こした友軍機の撃墜映像を流し、民衆に血続排除を扇動している。……だがどうして今なんだ? 血続の情報は?」

 

 部下はキーを叩きつつ、情報開示された血続反応を持つ者達の所在を確認する。

 

「どうしてだか、民間レベルまで開示が下がっています。人々に魔女狩りでもさせるつもりなんでしょうか?」

 

「魔女狩りか。さもありなんだな。血続の排除運動を促進したいのならば。だが、分からないのはタイミングだ。血続排除、その目的を実行させるのに、こうも一斉に民衆が賛同しているのは奇妙なんだ。加えて議会承認を得ない形でのコミューンへの攻撃作戦。どれもこれも異常なのに、誰もそれを異常だとは思っていない……。まるではかるべくして、この機を狙っていたかのように」

 

「狙っていた……。血続を排除して、でもどうするんです? 新しい戦乱の種を生むだけじゃないですか。血続至上主義が説かれているわけでもないですし、血続は今のところ、地上認識では少し人機操縦に長けた人種としか……」

 

 そう、それが共通認識であるはずなのに、急に民衆の敵として設定されるのが不気味なのだ。新連邦は融和政策を取っていたはずなのに、先の作戦が少しでも民間に露見すれば一気に失墜する。

 

 あまりにもずさん。そして、タイミングがおかしい。

 

 レジーナは顎に手を添えて考慮する。この状況、誰が一番に得をするのか。

 

「得にならない行動を可能にするとすれば、それは前後を全く気にしていない場合だろう。だが、そんな相手が今の地上に存在するとは思えない。新連邦の政策に反対していても血続の虐殺など民よりの反感を買うだけだ。だから誰も得しない戦いを繰り広げられるのは単純に……」

 

「どうかしている、ですよね。誰も得しない戦場なんてあり得ないって言うのは、局長の言葉振りじゃ説得力ありますよ」

 

 そこまで口にして、あっと部下は口を噤む。自分が旧ゾル国陣営に所属し、エホバに味方していたのを知っている部下だ。失言だと感じたのだろう。レジーナはあえて追求しなかった。

 

「……いずれにしたところで、敵がはっきりしない。何が、何のためにこの戦いを起こしている? ブルブラッドキャリアが動いているのはミスターサカグチの言動からして明らかだろう。彼らはこの状況に胡乱なものを感じ、介入してきたのは疑いようもない」

 

「ブルブラッドキャリア側に通信でも繋いでみますか?」

 

 その提言にレジーナは、いやと熟考する。

 

「ネットワークを使って逆探知されるのは旨味がない。ここは直接、ブルブラッドキャリアの操主と会う。面会の後、身の振り方を決めるのが現実的だ」

 

 今の地上で少しでも迂闊な動きをすればすぐにでも連邦の正規軍が飛んでくると思っていいだろう。そうでなくともサカグチを使って軍の作戦を潰した。相手からしてみれば攻撃する理由は充分にある。

 

「……了解。しかし煮え切らないですね。敵が誰なのかも分からないなんて」

 

 まさしく、である。レジーナは思案を浮かべていた。

 

「この地上で、私達は何を信じればいいんだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 桃の《ナインライヴス》の帰投に、真っ先に格納庫に出払ったのはニナイであった。

 

 格納区画にてニナイは気密服に身を包み、桃へと無重力空間で言葉を振っていた。

 

「桃、作戦行動お疲れ様。地上の胡乱な動きを察知したって聞いていたけれど……」

 

《ナインライヴス》のコックピットより這い出た桃はヘルメットのロックを外し、一つに結い上げた髪を揺らす。

 

「どうやら……思ったよりも厄介な事になっているみたい。茉莉花に説明しないと」

 

『それには及ばない。ここで聞く』

 

 不意に開いた《ナインライヴス》の通信ウィンドウに桃は嘆息をついていた。

 

「プライバシーってないの?」

 

『報告が先だ。情報統制室に来い。ニナイも、だ。場合によっては《ゴフェル》を発艦させる』

 

「月面から? でもブルブラッドキャリアの動きが活発になれば融和政策への協力と言うスタンスが……」

 

『そうも言ってはいられないらしい。鉄菜からの定期連絡が途絶えた。サブロウに自動送信させるようにしているシステムに異常が発生した、という事だ。サブロウがこの状態に陥るとすれば、ネットワークを鉄菜自ら絶った事になる』

 

「クロが……ネットをあえて絶ち切った?」

 

 現状の地上の状態を正確にモニター出来ないのは痛い。しかし、茉莉花からしてみれば反証材料を得るのには役立ったらしい。

 

『これは想定し得る最悪のケースの一つだ。《ゴフェル》にはモリビトのサードステージ案である三機と、《モリビトシンス》を積載し、地上への介入行為を開始させる』

 

「でも、茉莉花。まだどうなっているのか分からないんじゃ……」

 

『それが問題なんだ。吾と美雨が全力で調査しても、何も分からない。それが一番の問題なんだ』

 

 調停者と同じ能力を持つ二人が血眼になっても「何も分からない」。それがどれほどの脅威なのかは容易に判断出来る。

 

「……モモの新型は」

 

『既に準備は出来ている。しかし、こうも早く使う事になるとはな』

 

 新たなるモリビト――《モリビトノクターンテスタメント》。出来得る事ならば乗らないのが一番にいいと判断していた機体に搭乗する事になるなど。

 

「そっちに向かうわ。ローカル通信で先に情報だけ送っておくから解析しておいて」

 

《ナインライヴス》を離れ、桃はニナイと共に無重力区画を漂う。ニナイはどこから話題の穂を継げば、と困惑しているところで桃の声が入っていた。

 

「やり切れないわね。地上であれだけ隠密行動を取っていて察知されるなんて」

 

「あなたのせいじゃないわ。地上が暗雲に包まれつつあるのは事実でしょう」

 

「でも……敵が見えないのは普通に不気味。それに、情報取得中に襲ってきたあの男も……。刺客にしては全く敵意がなかった」

 

 敵意のない敵。それは今までの常識を覆す相手だろう。

 

「新連邦の放った、新しい敵の可能性は……」

 

 その言葉に桃は頭を振る。

 

「ゼロじゃないけれど、可能性は薄い。それに、茉莉花にも同期を頼んだけれど、どうしてだか連邦内と民間で、新連邦政府が推し進めていた血続による新型人機の開発と、その実験映像が流出している。まるで全ての元凶は血続だって言うかのように」

 

 血続が敵。その最悪のシナリオは恐らく地上を混迷に押し包むだろう。

 

 地上の民同士が銃を向け合えば、その状況に介入するのがブルブラッドキャリアの役目だ。

 

 そのためにモリビトを開発してきた。だがニナイからしてみれば、《ゴフェル》の解放とモリビトの出撃は最終手段だと思っていただけに、こうも急かされる状況そのものが不本意である。

 

 面を伏せたニナイに桃が声を搾る。

 

「……血続は決して少なくはないはず。それに、もしその血続を敵に据える思想がブルブラッドキャリアにも及べば、否が応でも戦わなければいけないかもしれない。また、モモ達は望まない戦いを強いられる」

 

「桃、蜜柑はしっかりやってくれているわ。あなたの役目であった教官身分を」

 

 そこまで話すと、桃はどうやら悟ったらしい。漂っていた身を止め、そうと静かに声にする。

 

「蜜柑には……だいぶ苦労をかけているわね」

 

「鉄菜も地上に向かってくれている。私達に出来る事は、そりゃ少ないけれどでも……やれるはずよ。二年前に勝ち取った未来、無駄にしたくないもの」

 

 散っていった命に報いるためには、戦うしかない。銃を取る事で掴み取れる未来があるのならば、自分達は喜んで泥を被ろう。

 

「それがブルブラッドキャリア……ね。クロには即座に合流する。茉莉花の解読が、うまく行っていればいいけれど……」

 

 情報統制室には既に呼ばれていたのか蜜柑が同席していた。隣には候補生身分の少女が佇んでいる。桃を見かけるなり、少女は目を見開いていた。彼女からしてみれば、教本で教えられるだけの存在であろう。

 

「あの……あなたはもしかして……」

 

「ええ、モリビトの執行者。桃・リップバーン」

 

「やっぱり……! その、いつも訓練の時に、データを観させていただいていて……。血続じゃないのに撃墜成績がトップクラスなのはその……憧れで……」

 

「そこまでだ。いちいち絡むんじゃない。今、一つだけ重要な事が分かった」

 

 制した茉莉花に少女がおどおどする。蜜柑が歩み出ていた。

 

「何が分かったの?」

 

「一つは、桃を襲ったという男に関して。状況と市民IDを照合したが完全な民間人だ。軍籍もない。つまり、新連邦の陰謀と言う線は極めて薄くなった。それにお前が覚えた違和感……。男の所持していたという物品から抽出されたものに、一つだけ、外部との交信を可能にする端末があった。その端末に入っていたのは、別段珍しくない。通常の端末だ。諜報員の持つような特別製じゃない」

 

「特別な端末でも、ましてや諜報員でもない……? じゃあ桃の居所がどうして分かったって言うの?」

 

 ニナイの質問に茉莉花は解析画像をスクリーンに出す。桃の過去六時間のログが抽出された。

 

「これは、バベルによる管理ログだ。だが暗号化されている。これを解読するのには、月面と同じ、バベルが必要になってくるだろう。桃の足跡を追うのにはバベルは必須であったと言える」

 

「……地上のバベルを使った何者か?」

 

「厳密には、それも違うだろうな。地上のバベルは奥深くに封印され、惑星の人々が使えるのは一部機能のみ。レギオンや元老院が使用していたほどの深度の使用が許されているのは軍部レベルだろう。それでもエクステンドチャージ実用機を量産は難しいと判断しているという事は、軍事利用には向かない、という側面を理解している。星の人々はバベルネットワークに関与する術を持たない。……ただ一つの例外を除いて」

 

「例外、って?」

 

 茉莉花はコンソールを操作し、投射映像に映し出されたOSを睨む。

 

「……地上の者達はバベルネットワークをブルブラッド濃霧に左右されない、画期的な通信方式として採用した。通称、バベルの詩篇。これはほとんど、惑星全土を覆うシステムネットワークとなり、今日の産業、人々の営みを支えている基盤だ。このバベルの詩篇を組み込んだ端末を、桃を襲った男は持っていた」

 

「バベルの詩篇……、ブルブラッドキャリアからの調査対象には挙がっていないの?」

 

 その質問に茉莉花は頭を振る。

 

「必要最小限の干渉、という我々のスタンスが仇となった形だったな。バベルの詩篇に関しての情報は意図的に拾わないようにしている。今、二時間前よりバベルの詩篇の疑似ネットワークをローカル通信域で拡張させているが……これがどうにも胡散臭い」

 

 眉根を寄せた茉莉花にニナイが端末を取り出す。

 

「私達の使用する端末や制御基板は、全て月のものを使っている。バベルの詩篇のモデルケースがない」

 

「だが、それ故にこの現象を客観的に分析出来る。バベルの詩篇とはバベルネットワークのどの部位を使用し、そしてどこをどう利用しているのか。それを観測するのに惑星の中ではほとんど不可能だ。だが吾ら月面ならば出来る」

 

 惑星の外ならではの目線か。ニナイはしかし歯噛みしていた。

 

「……こうして順番に物事を進めていくしかないってのは」

 

「それも致し方なし、だろう。美雨、バベルの詩篇の解析状況を」

 

「うん、現在、六十パーセント解析済み。でも、何かこのOS……変」

 

 美雨が唇をすぼめ、その間にもキーを打つ手を休める事はない。

 

「変とは何だ。名言化しろ」

 

「変なんだよ……。これはローカル通信域だから惑星側にあるバベルの詩篇に察知される事はないんだけれど……何かが仕込まれている」

 

「何か、か。それが何なのかは」

 

「ネットに繋がないと絶対に反証出来ない。でも、ネットに繋ぐのは危険だって、ノヴァリスさんが証明した」

 

 茉莉花はそこで作業を一旦打ち止め、肘掛けを握り締める。

 

「ある意味では……星に降り立った鉄菜の判断が全ての答え、か。鉄菜がどう動くか如何で、我々も行動を考えなければならないかもしれない」

 

「でも、クロを助けないと! 何が起こっているのかモニター出来ないのは下策でしょう」

 

 声を張り上げた桃に茉莉花は手を払う。

 

「何年戦い抜いていると思っている。あれも充分に戦士だ。状況判断では吾よりも数段階上。殊に戦場では研ぎ澄まされているはず。その鉄菜が、完全に接触を絶った。これはそれ自体に意味があると見るべきだな」

 

「ネットに繋ぐのは、危険だって事……?」

 

「分からない。分からないが、美雨の所感で妙だと言うのならば、このOSにはウイルスでも仕込まれている可能性はある」

 

「抗生防壁は?」

 

「常に厳だ。しかし、その抗生防壁を突破されれば今度は月面を手中に置かれる。今、こちらに分かっている事は、惑星の価値観を一変させるほどのシステムが存在し、その容疑者と思しきものが、バベルの詩篇である事」

 

 桃は一拍挟み、尋ねていた。

 

「開発者は誰なの? 開発した人間から、OSの目的を探り当てる」

 

 その方針に茉莉花は肩を竦めていた。

 

「それが、な……。開発支援に携わった人間はみんな墓の下だ。ある意味ではこの期を狙っていたかのように。だが一人だけ存命の人物がいる」

 

「それは誰? その人物を確保し、月で尋問する」

 

「強引だな。それほど鉄菜の現状が心配か?」

 

 問い返した茉莉花に桃は無言を是とする。ニナイは二人の間に流れる緊張感に、焦燥を声にしていた。

 

「慌てたほうがいいのは分かるわ。《ゴフェル》を動かそうにも、鉄菜がいないんじゃ、完全なモリビト三機の介入も出来ない。それに、もし……人類がまた道を踏み誤った時に発動させるはずだった、切り札のモリビトも」

 

 ニナイが浮かべた懸念に茉莉花は開発チームへと声を振っていた。

 

「《モリビトザルヴァートルシンス》は? 出せそうか?」

 

 繋がった相手先から慎重な声が返ってくる。

 

『難しいですね……。ザルヴァートルシステムの実用化には反証材料が要るんですが、現状の政権には融和政策を取っていた以上、大規模戦闘におけるパフォーマンスは机上の空論めいていて……』

 

「要するに、鉄菜がいないと出せないし、それに出したとしても《ザルヴァートルシンス》が想定通りに動くかは不明なんだな?」

 

 問い質されて相手は困ったらしいが、すぐに応じていた。

 

『手厳しいですが、そうとしか言えません』

 

「……だ、そうだ。これでも《ザルヴァートルシンス》の可能性に賭けるとでも?」

 

 ニナイは言葉を仕舞う。現状、三機の新型機で仕掛けたとしても、それそのものが罠の可能性もある。むざむざ死にに行かせるような真似は推奨出来ないだろう。

 

「……《ゴフェル》も先行し過ぎないほうがいいかもしれないわね。隠密に長けた機体での調査、それが望ましいんじゃ?」

 

「とは言ってもな。《ナインライヴス》と《イドラオルガノン》は既に惑星が識別コードを振っている。すぐに察知されるぞ」

 

 こう着状態か。全員が面を伏せたその時、不意に美雨が短く悲鳴を上げていた。

 

「どうした、美雨」

 

「……通信域を確認。バベルの詩篇を調査しているところに枝をつけられたみたい。強制接続の通信……遮断してもいいけれど……」

 

 目線で窺った美雨に茉莉花は首肯していた。

 

「繋いでやれ。何か、意味のある事かもしれない」

 

 美雨は一拍の逡巡の後、頷いていた。

 

「通信ウィンドウ、出すよ」

 

 投射画面に映し出された物体に皆が息を呑んでいた。それは、紛れもなく――。

 

「……アルマジロ型サポートAIの……躯体?」

 

 ブルブラッドキャリアが用いる戦闘AIの躯体がどうしてだか接続先からこちらを見据えている。どうして、と総員からざわめきが上がる前に、声が発せられた。

 

『……ようやく、繋がってくれたか』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯378 バベルの詩篇

 

 その姿に反した老練の声に緊張が走る。相手は自分達の知るAIではない。何者かがこの通信域を乗っ取った、という最悪の想定に美雨の腕より銀糸が舞い上がる。

 

「おねーちゃん! いつでも回路を焼き切れる!」

 

 強硬手段に移ろうとした美雨に、相手はどこか冷静に応じていた。

 

『まぁ、待ってくれ。怪しいのは重々承知しているが、この回線を使うしかなかった。ブルブラッドキャリアのもう使用されていないはずのローカル通信……そう、調停者の脳内同期ネットワークに近い通信域を』

 

 調停者の事を知っている。それだけで重要警戒レベルだ。

 

 殺気立った一同に相手は困惑したような声を出していた。

 

『……すまない。このような形での君達との面会を残念には思う。しかし、惑星の惨状を伝えるのには、この方法しかなかった。……名乗らずにおくのは失礼に当たるな。ワシの名前はタチバナ。知っているかどうかはともかくとして、人機開発に携わった大罪人だ』

 

 まさか、と桃が息を呑んだのが伝わる。ニナイは信じられない、と首を横に振っていた。

 

「タチバナ……その名前で人機開発者は一人しかいないわ。惑星での人機開発を一手に担った存在……タチバナ博士」

 

『周知していただいて光栄、と思うべきなのだろうかな』

 

 しかし、まさか、と蜜柑が先走った声を発する。

 

「どうして……? タチバナ博士は生きているはず……! どうしてブルブラッドキャリアの、戦闘AIの躯体に……?」

 

『遠大な話……あるいは荒唐無稽かもしれないが、ワシは二年前、既に死んでいるのだ。君らも知っておるだろう。アムニスの頭目、渡良瀬』

 

 幾度となく自分達の道を阻んできたイクシオンフレームの使い手、アムニス。天使を名乗った彼らは今でも生々しく思い返す事が出来る。あれほどの脅威もなかった。

 

 だが、どうしてそのトップである渡良瀬が関係あるのか。

 

『渡良瀬は長らくワシの右腕であった。恐らくは君達の本隊より、ワシを見張っておくように命じられていたのだろう。だが、彼奴は尊大にも己こそが最も優れているのだと考え、アムニスを発足させた。そして人造血続の術を操り、天使達を造り上げた。これは、ワシよりも君らのほうが詳しいかもしれない』

 

「アムニス……。何度も煮え湯を呑まされたクチだ。だが、それとどうしてタチバナ博士が繋がってくる? 渡良瀬が調停者としての責務で監視していたとしても、何故二年も前に死んだと名乗るあなたが、こうして強制回線を繋いだ?」

 

『……今、ワシのこの躯体は宇宙駐在軍のかつての防衛基地に存在している。つまり、惑星のネットから一時的に離れた位置に在るという事だ。その上で、言っておきたい。ワシは二年前に死んだが、渡良瀬の……悪意によってこの躯体に意識パターンを統合させられた。それだけならばまだいいのだが、ワシはこの躯体が持つ介入領域を使って、レギオンの義体ネットにアクセスし、つい三日前まで、自分が生きているのだと偽装していた』

 

 その証言を裏付けるかのように別窓で開いた映像には十日前のタチバナ博士の研究会見の映像があった。

 

 本当に、死んでもなお生き永らえてきたのだ。

 

 その事実に震撼すると共に、ニナイは疑問を呈していた。

 

「……どうして、今のタイミングで、私達に?」

 

『知ったからだ。惑星を覆う未知なる敵の存在を。ワシはその素性から、抑えられかけた。ワシの身柄はイコール人類における人機産業の頭と言ってもいい。ワシがやれと命じれば、星の隅々にあるプラントは動き出し、新型人機の製造が始まるであろう。そのためにワシを拉致した者達がいた。いや……この言い方は正しくないな。正確にはその未知なる敵の操り人形であった者達に、か』

 

「繰り言を重ねている暇はない。あなたが本物のタチバナ博士であれ、その躯体に宿った仮初めであれ、いずれにしたところで時間はない。我々ブルブラッドキャリアに、何をさせたい?」

 

 その問いにタチバナはゆっくりと応じていた。

 

『望む事は、一つ。そう、たった一つだ。――世界を覆う悪意に、再び報復の剣を向けて欲しい。君達がやってきた事を支持するわけではないが、星の内側からではほとんど不可能なのだ。今回の敵ばかりは、自浄作用ではどうしようもない。ワシでさえも、この場所にいるから察知を免れているだけだ。星の中に入れば瞬く間に無力化されるであろう』

 

 タチバナの論調の深刻さに桃は言葉を失っているようであった。

 

「……それほどまでの敵なんて……。何者なの? 新連邦政府へのレジスタンス勢力?」

 

「確かにまだ紛争は起こり続けている……。ラヴァーズの残党だっているし、グリフィスだってあの戦いの後、どこに併合されたんだか分かったもんじゃない。まさか、連中が徒党を組んで?」

 

 桃とニナイの推測にタチバナは棄却する。

 

『そうではない。それならばまだよかった。人間同士で争うだけならば、まだ。これは宇宙よりバベルネットワークのログを観測し直した結果だ。だから結果でしかないし、君達が負い目を感じる必要も、ましてや仕損じたと思う事もない。これは、本当に……罪の残滓、残りカスなのだ。我々人類が贖い切れなかった、罪の……』

 

「御託はいい。ハッキリと言え。何が、どういう目的で仕掛けている? さっさと明らかにしないと回路を焼き切ってもいい」

 

 明確な脅し文句にタチバナはようやく口にする。

 

『敵は――惑星に棲む、六億の命そのものだ』

 

 口にされた意味が分からず、蜜柑が問い返していた。

 

「どういう意味? まさか、また惑星報復を成させるために誘導しているんじゃ……」

 

『言い方が悪かったな。正確には、六億の命の生殺与奪権を握っている存在、人間は操っていると思い込んでいた。そう思うしかなかった、技術という名の叡智。世界のシェア率は九割に近いシステムOS、バベルの詩篇』

 

「まさか、バベルの詩篇にウイルスでも仕込んだ過激派が?」

 

 確かにそれならば六億の命を人質にしたに等しい。だがその可能性さえもタチバナは否定する。

 

『君達は前提条件を間違っている。ワシは一回も、人物とも団体とも言っていない。六億の命を牛耳っているのは、バベルの詩篇に強力な洗脳プログラムを仕込んだのは――たった一つのシステムだ』

 

「システム、だと? 星にそのようなシステムは存在し得ない」

 

『公式には、ね。だが非公式ならば存在していたはずだ』

 

「非公認のシステムだと……? まさか……!」

 

 茉莉花が覚えずと言った様子で立ち上がっていた。その狼狽にニナイは歩み寄って肩に手をやる。

 

「何なの? 茉莉花。そんなもの、あるわけ……」

 

「いや、あるんだ。たった一つだけ。この惑星を、三つに分断させた、かつての星の遺物。人間同士の争いを、俯瞰してみせた神の座に位置する、支配者が」

 

「まさか、レギオンの生き残り?」

 

 問いかけた桃に茉莉花は項垂れて、いや、と声を搾っていた。

 

「それならば、まだ立ち向かえる可能性があった。だがこればかりは……どうしようもない。人間は自ら滅びの道を選んだと言いたいのか。そんな残酷な未来だったと……! 貴様は言うのか! タチバナ!」

 

 拳をぎゅっと握りしめ、平時の落ち着きを忘れた茉莉花の怒声に美雨がびくつく。ニナイはその急いた心を落ち着かせようとした。

 

「待って、茉莉花。何が何だか……」

 

「……隠し立てはするな。これが合っていると言うのなら、星の人々が見ないようにした原罪が、生き残っていたと言うのか」

 

 睨み上げた茉莉花の瞳を、タチバナは受け止める。

 

『……そうだと、答えるしかないのだろうね』

 

「何だって言うの……。タチバナ博士! あなたには何が見えているの!」

 

 ニナイの張り上げた声にタチバナは微塵も声音を上げずに応じていた。

 

『かつて……人類は争い合っていた。三大禁忌……モリビト、トウジャ、キリビトの製造と開発をタブーとされ、それぞれのダウングレードした人機である、バーゴイル、ロンド、ナナツーを編成する国家に分かれて。檻の中での睨み合いを続けていた。そのこう着状態に風穴を開けたのは君達ブルブラッドキャリアだ。そしてそのうねりの中で、ゾル国が失墜し、C連合が発言権を強め、君らのミッションで破壊された独裁国家があった』

 

 そこまで言われて、ニナイはハッと気づく。ブルーガーデンの独裁者。青い花園を支配していた、最大の毒を。

 

 ブルブラッドキャリア本隊にいた頃、自分はミッション概要をバベルで確認していた。

 

 相手が何者なのかも知って、執行者の任務を俯瞰していた。

 

 鉄菜が断じた罪の一つ。独裁国家ブルーガーデンで秘密裏に開発され、発展していた人格システム。

 

「ブルーガーデンの元首……システム名、エデン」

 

 紡ぎ出した名前にタチバナは是とする。

 

『そう、それこそが我々の罪の形だ』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯379 ラストミッション

「エデンが生き残っていたって言うの?」

 

 桃の詰問にタチバナは、正確にはと説明する。

 

『エデンはその失策を負われ封印されていた。ブルーガーデンの中で秘密裏にキリビトを開発していた罪を元老院より追及され、彼らはバベルの深層へと完全なる封印を施されていたはずだった。……だが、君らの戦いで元老院は消え、レギオンも消失し、そして一般の者達が触れてはならぬバベルの深層へと辿り着いてしまった』

 

「それが……バベルの詩篇……」

 

 茉莉花が怒りを宿した眼差しでタチバナを見つめる。相手は、感情の読めない機械の身体で応えていた。

 

『バベルの詩篇そのものは、君達の使っていたバベルネットワークの一部だ。それほどに珍しい代物ではない。だが、エデンはバベルの詩篇に封印の間際、取り憑き、そして雌伏の期間を過ごしたのだろう。彼らは百五十年間の静謐をよしとしていた。それに比べれば八年間など待ったうちに入らないのかもしれないが。いずれにせよ、封印を解かれたエデンがまずした事は、この世界の仕組みを知る事であった。ブルーガーデンは知っての通り独裁国家。外の情報も、中の情報も不明な青い地獄の土地。そんな場所に百五十年も構えていた連中が構築したのは盤石なるシステムであった。かつて機械天使にしたように、彼らにはノウハウがあった。洗脳のノウハウだ。だが無害を装わなければ洗脳は完遂されない。彼らはバベルの詩篇に潜み、人々をじっくりと、時間をかけて洗脳を施した。来るべ時、一斉蜂起が可能なように。不幸だったのは、バベルの詩篇が安全だと思われていた事。そしてアンヘルによる情報統制、恐怖政治は二年間のビッグバンのような情報時代の幕開けを促進させた。瞬く間に民間に広まったバベルの詩篇は中にエデンという禁断のウイルスを仕込んでいる事を察知されず、そして今も星の人々はエデンの存在を関知していない。だが、彼らはもう飼い慣らされている。エデンの存在を周知させたところで、彼らにとってしてみれば支持対象が明確になるだけだ。絶対に、エデンを裏切るような真似には出ない』

 

「見知ったような言い草だな」

 

『実際に知った。痛いほどに……というのはジョークでも使うものではないだろうが、バベルの詩篇によって洗脳された者達によって拘束され、頭を拳銃で撃ち抜かれたのでね』

 

 こめかみを示してみせたタチバナに皆が息を呑む。

 

 茉莉花は、なるほどな、と声に怒りをより滲ませていた。

 

「つまり……もう星は手遅れか」

 

『九割以上のシェアを誇るバベルの詩篇を今から無効化するのにかかる時間は何年だ? 十年、二十年? いや、百年以上かかるかもしれない。相手は確かにウイルスのような狡猾さを持っているが、それでも基本は君らが今も月面より使っているバベルそのものだ。打開の策はバベルの完全なる無力化以外にあり得ない。だが、バベルを同じシステム同士で喰らい合っても、それは永劫に決着のつかない戦いだろう』

 

「……一つ、聞かせて。宇宙にいるあなたは、何故大丈夫なの?」

 

『相手の関知が星の中に集中しているからだろう。コロニーや、資源衛星にまで伸ばすリソースがまだない。だが、今は存在していないだけだ。時間の問題だろうな』

 

 いずれは今話しているタチバナも取り込まれる。そうなった時、自分達まで芋づる式に巻き込まれれば厄介なんてものじゃない。それこそ身の破滅だ。

 

 月面だからと言って胡坐は掻けない。一刻も早く地上のバベルに手を打たなければならないだろう。

 

「……地上の通信域は汚染されている。鉄菜が通信を絶った理由はそれか」

 

 ようやく理解が及んだとして、ではどうやって地上に仕掛けると言うのだ。二年前のアンヘルとの戦いでもジリ貧であった自分達が、地上での通信の一切を封じられ、どうやって勝利出来ると言うのか。

 

 桃が歩み出てタチバナへと尋ねる。

 

「……バベルネットワークの遮断方法は? 人機開発の先駆者なら……」

 

『残念だが、それも分からないのだ。バベルはあまりにもあの星に根を張り過ぎた。もう、取り去る術は残っていない』

 

「バベルの物理破壊は? それならばまだ可能なはず……」

 

 一筋の光明のつもりで発したニナイの言葉はタチバナの沈んだ声に上塗りされる。

 

『……これでも、かね?』

 

 タチバナの繋いだのは三時間前の映像であったが、バベルを擁する情報都市、ソドムは完全に封鎖されていた。それだけではない。リバウンドフィールドが局地的に強化され、宇宙からの爆撃や質量破壊兵器を完全に封殺している。

 

 空には新開発された《ゴフェル》と同型の航空母艦が浮遊し、空域を見張る絶対の眼となっていた。

 

 新連邦の堅牢なる守り。それを突破し、全ての手段に頼らず、人機による白兵戦力のみでの介入――誰が言うわけでもなかったが、無理に決まっている。

 

 やったとしても《ゴフェル》で連邦の飛行艦隊と真正面から戦う事になるだろう。勝てるわけがないなど、分かり切った事は誰も言わなかった。

 

 茉莉花は不意に身体の力を抜き、よろめくように椅子に座り込む。ニナイが心配して声をかけていた。

 

「茉莉花……あなた……」

 

「大丈夫……とは言えないな。正直、ショックでさえあるよ。どの陣営も味方ではなく、あの星全てが敵、という状態は。八年前のブルブラッドキャリア宣戦布告の時には、布石が打たれていた。だが今はそれらが全て無効……。皮肉な事に、潰したのは自分達自身、か……」

 

 調停者もいなければ、他陣営に紛れ込んだ存在もなし。そしてバベルが敵となっている。

 

 これでどうやって戦えと言うのか。無理無謀を通り越して、既に――。

 

「……なんて事はない。もうケリはついているじゃないか。エデンの勝利だ。我々に介入する隙もなければ、バベルを完全に破壊するだけの切り札もない」

 

「……茉莉花」

 

「で、でも! モリビトを使えば!」

 

 桃の言葉に茉莉花は頭を振る。

 

「モリビトを使ったとしても、単騎戦力ではスロウストウジャで陣営を組んだ相手に敵わない。加えてバベルの位置情報の正確なところは不明……。詰んだとしか言えない……」

 

 茉莉花がここまで弱り切っているのを自分達は初めて目にしていた。だからこそ、伝わってしまう。

 

 ――深い絶望、そして敗北。

 

 戦う前から勝敗が決していたなど、まるで笑えない。月面に陣取るブルブラッドキャリアは戦闘を行う以前の問題であった。

 

「打つ手なし……。でも、そんな事を分からせるために、タチバナ博士。あなたは私達に通信を繋いだの?」

 

 蜜柑の問いかけにタチバナは無言を返す。彼女はそれでも問い返していた。

 

「何かあるんでしょう? 何か……この状況を一変出来る何かが! そうじゃないのなら、交渉にもならないはず!」

 

 確証があるのだろう。蜜柑の言葉にタチバナはようやく声を発していた。

 

『……あるとすれば、一つだけ。エデンの主義主張だ』

 

「主義……主張だと」

 

 茉莉花が顔を上げる。タチバナは仮説だが、と前置いていた。

 

『この盤石な支配に、亀裂を走らせる何かがあったから、彼らはイレギュラーな作戦を挟んだ。そうなのだと言う反証材料はないが、ある意味ではこれこそがエデンの弱点の可能性はある』

 

「イレギュラーな……作戦……。血続殲滅か」

 

 問い返した茉莉花はすぐさまコンソールへと指を滑らせていた。その指先が銀色に輝き、電子の調停者としての実力を発揮させる。

 

「茉莉花、何が……」

 

「血続と通常人類は違う! そうか、それこそが鍵だったんだ! 血続は遺伝子的に人類の進化系統樹だと思われていたが、その可能性を濃厚にすれば、エデンの張った洗脳電波に、引っかからない可能性があった!」

 

 そして、と茉莉花は言葉を継ぎ、銀色の指を弾く。

 

「もし……血続をイレギュラーとしたいのならば、先の友軍機撃破も世論の方向性を血続排除に向けるための要因だった! そう考えれば辻褄は合う! 血続の可能性こそが……人類を助け出せるたった一つの……!」

 

『だがこれは完全なる仮説だ。ワシもアンヘルの血続選抜には噛んだが、彼ら彼女らを完全に別種の人類とは断じられない部分があった。だがエデンには、その反証に足るだけの時間があまりにも少ないと、そう考えれば。洗脳の通用しない人間を炙り出すのではなく、最初から分かっている情報だけで排除する方向に持っていくのは分かる』

 

「そうだ、エデン覚醒は二年前! その二年の間にシェアを伸ばしたバベルの詩篇の洗脳プログラムにばかりかまけていたのだとすれば……出来る事は少ないはず。こちらの味方につく可能性があるとすれば、それは……」

 

 その言葉の赴く先をタチバナは紡いでいた。

 

『血続に目覚めた人類。彼らを守らなければ、星の未来はない』

 

「血続こそが……星の希望……」

 

 まるで放心したように、候補生の少女が口にする。茉莉花は必死に何かのシステムを練り上げているようであったが、何のシステムなのかはまるでニナイには分からなかった。

 

「茉莉花! 何を……」

 

「システムに対抗出来るのは、欺く事に長けたシステムだけだ。それも人心を理解し、その裏の裏さえも把握する存在……。そのシステムを今、《ゴフェル》のログからサルベージする」

 

 その言葉の先を、ニナイは察知していた。

 

「それって、まさか……」

 

「……艦長からしてみれば、苦い再会になるかもしれない。だが今は苦渋よりも、掴み取れる未来を。そのために、最短ルートを取る。来い!」

 

 エンターキーが押され、美雨が声にする。

 

「投射ビジョン構築! 躯体の情報を再生! 再現率、七十パーセント! ここに呼ぶよ!」

 

 その瞬間、情報統制室の中央部に青い色相のホログラムが浮かび上がった。やがて少女の骨格を取り、そのホログラムが人型になって瞼を上げる。

 

 ニナイは息を呑んでいた。それは他のクルー達もだろう。しかし、自分だけは絶対に、死んでも再会はないと思っていた。

 

 それだけに衝撃は大きい。

 

 分かたれたはずの道はこの時、一条の光となって、少女に覚醒を促していた。

 

「――起きろ。ルイ」

 

 カニバサミの髪留めが赤く映える銀髪をなびかせ、かつての《ゴフェル》メインコンソール――ルイが目覚める。

 

 周囲を見渡し、そして自分の掌を眺めてから、声を発していた。

 

『……どうして』

 

「もしもは常に想定しておくべきだ。バックアップデータを保存しておいた。……使う事はないと、思っていたがな」

 

『……分かっているの、あんた達。私は、マスターの望みを達成させる、その直前のルイよ?』

 

 そう、つまりは自分達を裏切るその瞬間の、ほんの前のルイ。

 

 ゆえにブルブラッドキャリアへの憎しみはひとしおだろう。そんな彼女に何をさせると言うのか。茉莉花へと、ニナイは尋ねていた。

 

「……ルイは私達を恨んでいる。そんな彼女に何を……?」

 

「分からないか、ニナイ。彼女は六年もの間、我々を欺き、そしてその一瞬に向けて準備を重ねてきた。これほどまでに今回の敵の精神性に酷似した相手もいないだろう」

 

 つまり、エデンの行動を予見するために、ルイを再生したと言うのか。言葉を失うニナイにルイはそっぽを向いた。

 

『協力すると思うの?』

 

「さぁな。だが協力しない可能性よりかは高いはずだ。お前の言う、マスターが死んだのはもう理解しているだろう。それに、我々ブルブラッドキャリアが前にしている敵も」

 

 ふん、と鼻を鳴らし、ルイは今回のデータを参照する。

 

『エデン、ね。でも、もしかしたら不可能かもしれない。あんた達に勝つ方法なんてないかもしれない』

 

「それはまだ分からない。しかし、何もしないでいるよりかはマシだ」

 

 何もしないでいるよりも、今は一つでも不確定要素を消したい。その思いが届いたのか、あるいはルイはもう復讐する気はないのか、息をついて肩を竦めていた。

 

『……いいわ。憎いけれど、今回ばかりは共闘してあげる。罰を下すのはその後でいい』

 

「合理的になったじゃないか」

 

『……マスターが死んだのはもう分かった。今さらあんた達を恨んでも、何かが達成されるわけでもない。それに……同期したデータの中に、マスターの遺言もある』

 

「遺言?」

 

 思わぬ言葉にニナイが問い返す。ルイは静かに語っていた。

 

『もし……自分の復讐が達成されなかった時、死に至った時にはその後のブルブラッドキャリアを見守って欲しい、それがマスターの思い。だったら、その願いには従う。それが造られた身の意義だもの』

 

 彩芽がそのような考えで復讐に至っていたとは思いも寄らない。絶句したニナイに茉莉花が言葉を継ぐ。

 

「では共闘してもらえるとして、ルイ、お前を再び《ゴフェル》メインコンソールへと登録する。モリビト三機のオペレーションも……説明するまでもないな?」

 

『任せてちょうだい。新しいモリビトの戦闘サポートはそれほど難しくないわ』

 

 消え失せたルイは《ゴフェル》へと移動したのだろう。ニナイは茉莉花へと言葉を寄越す。

 

「……大丈夫なの?」

 

「ルイが我々を憎んでいるのは確かだろう。だがそれ以上に、今は合理的に判断しているはずだ。それにブルブラッドキャリア破滅を狙うのならば、何もしなくていいはず。今のままでもこちらは詰みだ。しかし、ルイは行動した。その考えを憶測するに、彼女の中でも何かが変わったのだろう。ニナイ、心配するな。あの時の銃弾は無駄ではなかった」

 

 その言葉一つで自分の罪が赦されたような気がしていた。あの時――彩芽との戦いの最終局面、不利に転がる事は分かっていてもルイを撃った。その選択は決して間違いではなかったのだと。

 

 目頭が熱くなり、ニナイは面を伏せていた。

 

「……ありがとう」

 

「礼を言うには早いぞ、ニナイ。これでようやく、戦闘の準備の一つを整えたに過ぎない。タチバナ博士、これまでの話を統合するに、エデンは民間には姿を隠していると思っていいんだな?」

 

『ああ、それはそうだろう。洗脳プログラムとしてのエデンは完璧だ。自らの本拠地はひた隠しにして、人心を掌握する。そして操っていると言う自覚さえも持たせない。まさしく絶対者であろう』

 

「では、共通の敵は血続、というわけか。この惑星の状態を、今から崩しにかかる」

 

 茉莉花がコンソールを弾く。その行動にタチバナが疑問を発していた。

 

『何をするつもりだ?』

 

「我々、ブルブラッドキャリアにしか出来ない事。それは星の人々の憎しみを一手に背負う事だ。彼らに魔女狩りめいた事をさせるわけにはいかない。全てが終わってから、人々は罪を自覚する必要性はないからだ」

 

 その赴く先をタチバナは予見したらしい。息を呑んだのが伝わる。

 

『まさか……』

 

「総員に通達する。これより、ブルブラッドキャリアはオガワラ博士のメッセージを使い、惑星への最後の報復作戦を実行する」

 

 思わぬ言葉に全員に緊張が走った。桃が率先して声を出す。

 

「ちょ、ちょっと! そんな事をしたら余計に警戒されて……」

 

「それでいいはずだ。いずれにせよ、盤石な相手の警戒網を潜り抜けて、ソドム陥落をさせる事は不可能に近い。ならば少しでもイレギュラーを混じらせる。惑星の人々の方向性が血続排除に向かうのではなく、ブルブラッドキャリア排斥に向かえば少しは血続の人々が逃げおおせるだけの時間を作れるだろう。今足りないのは圧倒的に時間だ。だからそれを稼ぐ」

 

 まさか、そのような考えだとは思わなかったのか、桃は言葉を仕舞う。

 

 でも、と前に出たのは蜜柑だ。

 

「そんな事をしても、私達が恨まれるだけ。結局、星の人々は、憎しみを忘れられないまま……」

 

「それでいいと、吾は思うが。星の人々同士で争い合うよりかは、我々に敵意が向いたほうがまだいい。恐らくエデンの真の目的は星の住人同士で殺し合わせる事だ。血続を排除し、その後に待っているのは何だと仮定する? それはエデンというシステムの性質上、従わぬ人間を抹殺する、絶対的な支配の確立だろう。そのために人間を間引きするはず。そのような地獄になる前に、こちらが敵となる。それが最小限の被害になるはずだ」

 

 星の人々を救うために、自ら泥を被る。二年前のアンヘル戦よりなお色濃い、憎まれるためだけの戦い。

 

 恨まれ、その末に待っているのが完全なる無理解だとしても、それでも刃を取る。その覚悟があるのならば――。

 

「……星の人々を憎んで戦うのじゃない。彼らを救い出すための、最後の報復作戦……」

 

「矛盾はしている。それくらいは分かっているさ。だが、それでも戦い抜く。それがブルブラッドキャリアだ……とでも、鉄菜ならば言うだろうな」

 

 ここにいない鉄菜に全員が思いを馳せたのが分かった。鉄菜ならばどうするか。汚名を被ってでも彼女は戦い抜くだろう。どれほどに残酷な運命が待っていても、それでも前を向く事だけはやめなかった鉄菜ならば。

 

「……皆の意見は自由だ。この策に乗らない、というのも充分に。だが、吾は《ゴフェル》を伴い、宣戦布告をしようと思う。反対の人間は……まぁこの場で手を挙げてくれ。最大限に尊重し、安全な場所まで誘導しよう」

 

 その言葉が月面全土に響き渡る。カメラに映し出されたブルブラッドキャリアの人々は誰も手を挙げなかった。それを確認し、茉莉花は声にする。

 

「……理解を感謝する」

 

 茉莉花はオガワラ博士の声明文を作り上げようとする。その間、タチバナが感嘆したように口にしていた。

 

『……君達は、いつもそうなのか。このような土壇場での戦いを、ずっと強いられてきたのか』

 

「今さらの意見だ、タチバナ博士。あなたはどうする? 宇宙で静観を決め込んでいてもいい」

 

 その意見にタチバナは、いやと頭を振る。

 

『こちらで出来る事があれば要請してくれ。出来得る限りの助力を行う』

 

「では地上の見張りを頼む。現状、月面からよりその惑星軌道のほうが受信速度が速い。相手の動きを観てもらいたい」

 

『了解した。……しかし、強いのだな、君達は。このような絶望的宣告をもたらしたのはワシなのに、それでも、なお抗おうとする』

 

「ちょっとした絶望でいちいち気を落としていたらここまで来られなかった。それに、こっちには諦めの悪い人間達が揃っているのでね」

 

 桃が歩み出て茉莉花へと言葉を振る。

 

「茉莉花。新しいモリビトの実戦データを早めに取ったほうがいい」

 

「同意見だ。すぐにでも慣れるために乗ってくれ。《ゴフェル》出立の時間は今からカウントダウンを開始する。その時に乗り遅れないようにな」

 

 桃が身を翻す。その背中を蜜柑も追おうとして、桃が候補生を顎でしゃくった。

 

「教官としての立場を全うしなさい。今回の戦い、本当に逃げ場はない」

 

 それだけ言い置いて桃は立ち去ってしまう。ニナイは蜜柑を注視していたが、やがて彼女は候補生を伴って情報統制室を後にしていた。

 

「一つ聞きたいんだが、おれの人機もあるんだよな?」

 

 今まで黙していたタカフミの質問に茉莉花は応じる。

 

「黙っていたからいなくなったのかと思っていたが」

 

「難しい話苦手なんだよ、単純に。おれは人機で戦う事くらいしか出来ない。所詮、駒のつもりで扱ってくれ」

 

「安心しろ。専用人機を用意してある。格納部に異動してくれ」

 

「助かる。……ああ、そうだ、ガキンチョ」

 

「茉莉花だ。何か用がまだあるのか」

 

「いや、ちょっとな。無理し過ぎんな。以上」

 

 それだけ言い置いて去って行ったタカフミに茉莉花はフッと笑みを浮かべる。

 

「……あんな馬鹿にまで心配をかけさせるのだから、吾も落ちたものだ。だが、この場所は悪くはない。ああ、悪くはないとも」

 

 そう口にしながら、茉莉花は必死に情報を練り上げる。ニナイは言葉に覚悟を滲ませていた。

 

「再び、私達の是非を問うのね。ブルブラッドキャリアとして」

 

「ああ、ニナイ。これが《ゴフェル》艦長としての――ラストミッションだ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯380 罪人の抗い

 作戦伝達書に不備があったと申告しようとして、ヘイルは相手の意見に言葉を彷徨わせていた。

 

『だが、血続排除はすぐにでも実行されるべき急務だ。何を迷う必要性がある?』

 

「おかしいでしょう! あの命令は虐殺と同じだった! ライブラとか言う傭兵部隊が介入しなかったら、今頃……」

 

 今頃コミューンは焼け野原だ。それを滲ませた通信の声に上官は嘆息をついていた。

 

『……ヘイル中尉。君の意見は充分に聞いた。しかしね、これは国家が決めた大事業なのだ。血続を排斥する事によって、真の恒久平和が訪れる。その時にこそ、新連邦の威信が輝く』

 

「物事の順序が違うって言っているんです! アンヘルは間違っていた、そりゃそうでしょう。ブルブラッドキャリアだってそうです。でも今回のはおかしい! ただ血続であると言うだけで殺されるなんて……!」

 

『感情的になるな、ヘイル中尉。合理的に、人類は二種類も要らないだろう?』

 

 その言葉の持つおぞましさにヘイルは目を戦慄かせていた。相手は正気で言っているのか。

 

「……それが軍部の司令官の席に座る人間の言葉ですか」

 

『何か不都合な事でも? 血続なんて必要ないではないか』

 

「では、その論法ならば自分も必要ありません」

 

 自分とて血続反応がある。相手は、そうか、と何かに納得したかのように手を打っていた。

 

『君も血続であったな。しかし、優秀な軍籍でもある。我々の考えに下るのであれば、別段排除には掲げない』

 

「そういうのじゃないでしょう! もう戦いは終わったはずなんです!」

 

 ヘイルの言葉に上官は肩を竦めていた。

 

『戦いは終わった? いや、何も終わっちゃいないよ、中尉。君達はまだ分かっていないんだ。本当に素晴らしいものが何なのかを。それを尊重する上で血続がいては不都合なんだ。だから排除する。何かこの論法に不都合でも?』

 

 相手は自己矛盾に気づいていないのか。血続の排斥、その向こうに発生するのは間違いなく虐殺であると言うのに。

 

「……承服出来ません」

 

『では、いい。納得しろと言っているんじゃない。これは命令だよ、中尉。新連邦とその軍部は血続をまずは排除し、その上で恒久平和を成り立たせようとしている。その方針に異を唱えるか』

 

「血続を殺す理由がない」

 

『理由、か。理由さえ納得出来れば、君は剣を取れるかね?』

 

 問われて燐華の事が脳裏を過る。本当に大切な人を守るため、自分はまだ軍籍でいるのだ。アンヘルで働いた悪事を贖うために。罪を直視するために。

 

 だと言うのに、罪に罪を上塗りする行為は断じて。そう、断じて許されるものではない。

 

「……軍属である以上、決定は覆せないのはよく理解しています。しかし、兵士には常に問い続ける姿勢が必要なもの。この命令には、自分は従えません」

 

『では、処分を与える』

 

 その言葉が紡がれた直後、肌を粟立たせた殺気にヘイルは咄嗟に飛び退っていた。通信機を銃弾が射抜く。

 

 後ろから撃たれた、という感覚に目線をやったヘイルは一人の兵士が拳銃を構えているのを視野に入れていた。

 

「……騙し討ちか」

 

「ヘイル中尉。納得出来ないなら死んでいただくしかありません」

 

「どうしてだ。どうして血続だけがその生存権を脅かされなければならない!」

 

「新たなる秩序のために、異分子は排除すべきなのです。それこそが調和を生み出す」

 

「調和? 何かを犠牲にした調和なんて、そんなもの、調和とは呼ばない。ただの支配だ!」

 

「それでも、必要なのは人類の方向性を一つにする事。あなたは邪魔なのです」

 

 一射された銃撃を回避し、ヘイルは飛びかかっていた。銃弾が天井を撃ち抜き、ヘイルは組み付くなり格闘術を叩き込む。締め上げた兵士の眼差しに問いかけていた。

 

「何が調和だ。それで本当に平和になるってのかよ」

 

「それは、あなたが決める事ではない……」

 

 不意に、兵士から戦意が凪いでいく。あまりに呆気なく戦闘を放棄した相手に、ヘイルは面食らっていた。連邦兵ならば、全うすると決めた任務を前にしてこのような、そうまるで機械のように戦意をスイッチング出来るわけがない。

 

「何かが……何かが起こっている?」

 

 明確な像を結ばないそれに焦燥感に駆られながら、ヘイルは拳銃を手に駆け抜けていた。

 

 この巡洋艦で最も血続反応の高いのは、間違いなく――。

 

 間に合うか、と問いかけた胸中にヘイルは断じていた。

 

「……間に合わせてみせる」

 

 隔壁を超え、ヘイルは一室へと飛び込んでいた。

 

「動くな!」

 

 そう叫んだのと、研究員達が拳銃を突きつけたのは同時であった。

 

「お早いお着きでしたね、中尉」

 

 この状況をまるで児戯のように、カグラは声にする。その余裕とは裏腹に周囲を取り囲む研究員の眼差しには迷いがない。突きつけられた殺意は本物だ。

 

「どうやら、血続は邪魔な様子。私もお払い箱というわけですか。研究するだけ研究しておいて、このような有り様は少しばかり笑えてしまう」

 

「笑い話じゃない。銃を置け」

 

 詰めたヘイルの声にも研究員達は反応しない。

 

「無駄ですよ。彼らはどうしてだか血続排除に全く迷いがない。まぁ、私もミスしましたから止む無しと思っていますが」

 

「そんな理屈があるかよ。銃を置け!」

 

 吼えたヘイルに研究員達がめいめいに声にする。

 

「血続は邪魔な存在」

 

「調和を乱す、あってはならない人種」

 

「ゆえに破壊する。必要のないものを片付ける」

 

「あんたら……本当に血続は必要ないと思っているのか」

 

 絶句したヘイルに対して研究員達は銃を下ろす気配はない。やはりここは武力で制するか、と心に決めようとしたその時であった。

 

 不意に彼らから戦意が消失し、全員が虚脱したように銃を下ろす。何が、と茫然としたヘイルは投射画面に映し出された禿頭の男性を目にしていた。

 

 リアルタイムでの介入通信にヘイルは息を詰めさせる。

 

「……あれは、確かオガワラ博士……」

 

 どうしてブルブラッドキャリアの頭目と目されていた存在が、と勘繰った直後、オガワラ博士は宣言する。

 

『星に棲まう全ての人類に告げる。我々はブルブラッドキャリア。惑星を追放された忌むべき存在である。今ここに、ブルブラッドキャリアは復活を宣言し、諸君らへの報復作戦を実行する』

 

 何を言っているのだ、とヘイルは目を戦慄かせていた。そのような場合ではない時にどうしてブルブラッドキャリアが動き出すと言うのか。そのような感情も意に介せず、オガワラ博士は続ける。

 

『我々は、二年間、静観を続けていた。しかし、星は一向に変わる気配がない。ならば我々の手で、時を進めるしかないのだ。それだけしか、星の罪を断罪する方法はない。再び告げる、我らブルブラッドキャリアはモリビトによる介入行動を行い、惑星に罪を自覚させる』

 

「どうして……何で、今……」

 

 放心しているのは自分だけではない。研究員達もその映像に見入っている。隙を見出したのはカグラであった。

 

 拳銃を一射し、一人の研究員の手にあった銃を撃ち抜く。

 

「いけませんね、皆さん。よそ見など」

 

「メビウス准尉……」

 

「正当防衛ですよ。何でもない」

 

 研究員達が一斉に銃を向ける。ヘイルは一瞬の隙にカグラの手を取っていた。

 

「走れ!」

 

 研究員らが銃撃した時には既に部屋から走り去っている。カグラは心底理解出来ないとでも言うように声にしていた。

 

「……私を殺すのは恐らく上意ですよ」

 

「上意だろうが何だろうが、こんな無茶苦茶がまかり通って堪るか! みんな、おかしくなっちまっている……。人機で出るぞ。何かが……狂い始めている」

 

 確信はない。だが、ブルブラッドキャリアが再び宣戦し、そして自分の周りの考えが急に変異した。それだけでも充分にこの状況の異様さを物語っている。

 

「……上意に逆らえば待っているのは死です。それでもですか」

 

「……上に逆らうだとか、そうじゃないとかはアンヘルの時代にいくらでも経験したさ」

 

 言いやって、ヘイルは格納デッキへと赴く。タラップを駆け上がり、自身の《スロウストウジャ肆式》へと飛び乗っていた。

 

「中尉? まだメンテナンスの途中で……」

 

「これでいい!」

 

 急速発進をかけさせ、ヘイルはマニピュレーターをカグラに向ける。カグラを狙っていくつかの銃撃が咲いたが、鋼鉄の腕がそれを阻んでいた。

 

《スロウストウジャ肆式》はそのままカグラの愛機である《イクシオンカイザ》への専用リニアボルテージへと踏み込む。コックピットへと誘導し、カグラを降ろしていた。

 

『……いいんですか、中尉。ここまですれば、あなたも反逆者だ』

 

「何かに反逆した覚えはない。強いて言えば、この状況に反逆しただけだ。信じるものを見失ったわけじゃない」

 

『物は言いよう、ですね。ですが私はこの機体に乗って血続ではない者達が狙ってくるのならば始末しますよ。それが、私の生存権だ』

 

 それも彼女の中の正義だろう。ヘイルはあえて口を差し挟まなかった。

 

「……お前の信じる事をやれ」

 

『後悔しないでくださいね』

 

 コックピットへと入ったカグラは《イクシオンカイザ》を起動させる。リニアボルテージの加護を受けず、推進剤の加速度だけで《イクシオンカイザ》が急速発進する。

 

 ヘイルはその背を追って《スロウストウジャ肆式》を稼働させていた。

 

 巡洋艦より砲撃が浴びせられ、空域は完全なる戦闘領域へと入っている。

 

《イクシオンカイザ》が自律兵器をコンテナより射出し、狙ってきた送り狼を次々と迎撃している。

 

『行け! Rブリューナク!』

 

 全方位兵装がスロウストウジャ編隊を砕き、そして撃墜する。まさか彼らもこのような形での敵対は思いも寄らなかったのだろう。

 

 一機の《スロウストウジャ弐式》がこちらへと銃撃を見舞ったのに対して、ヘイルは応戦の光条を浴びせていた。

 

 銃撃が友軍機の肩口を射抜く。

 

『甘いですよ、中尉。やらなければ、やられる!』

 

《イクシオンカイザ》の支持アームが仕留め損なった《スロウストウジャ弐式》を掴み上げ、R兵装の雨が機体をぐずぐずに融かしていた。覚えずヘイルは目を背ける。

 

「……そこまでする事はないのに」

 

『今さらいい子ちゃんぶったって遅いじゃないですか。上意なんでしょう? だったら、追われるも止む無しですよ!』

 

 それは、と言葉を彷徨わせたヘイルは飛びかかってきた《スロウストウジャ弐式》へとプレッシャーソードで押し返していた。何て事はない。自分だって自分勝手な理由で反抗した。カグラの事を言える身分ではないのだ。

 

 だからこそ、今は最低限の戦いだけでこの空域を脱する。

 

 ヘイルは長年軍にいた経験則から、巡洋艦がどこを狙えば人機は一斉に守りに入るかを熟知していた。ブリッジを狙い澄ました銃口に人機部隊が動く。

 

「メビウス准尉。今のうちに離脱しろ。いたずらに被害を増やす事はない」

 

『何故です? やらねばやられる。分からないのですか』

 

「分かっている。分かっているが……いたずらに味方を撃てるものか」

 

 苦渋を滲ませた声音が伝わったのか、《イクシオンカイザ》が離脱挙動を取る。ヘイルはそれを見届けてから、その後ろ姿に続いていた。

 

 離れていく巡洋艦を視界に入れ、ヘイルは言葉を継ぐ。

 

「……これで、よかったのだろうか」

 

『何がです? 選択肢なんてなかった』

 

「だが……致し方ないとは言え、世界に弓を引いたのも同じだ」

 

 ヘイルの言葉にカグラはふんと鼻を鳴らす。

 

『今さらでしょう。我々が生きているのが罪だと言うのならば、せいぜい反逆してみせますよ。それが、罪人の抗いです』

 

 カグラはどこかでこの状況を予測出来ていたのだろうか。彼女はそうかもしれない。研究材料として拘束され、非人道的な扱いを受けてきた。今の世の中に対する憎悪のほうが強いはずだ。そんな彼女に何を言えるのか。

 

 どれほどの地獄が続いているとも知れない世界に連れ出したのも同義だ。《イクシオンカイザ》で誰かを救えとは言えない。むしろ自分の命一つ守るので精一杯だろう。

 

「……俺は、また間違えたのか」

 

 その問いの答えは出なかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯381 敵味方

 ブルブラッドキャリアの宣戦布告に誰もが呆然とする中で、レジーナは声にしていた。

 

「……馬鹿な。再び戦乱の世に時を戻すと言うのか、ブルブラッドキャリア……」

 

 しかし、その報復作戦を観察していた部下は違う見解を示していた。

 

「いえ、これは何かが変です。まず一つ。オガワラ博士の声と唇が全く一致していません。これは新しい宣告でしょう」

 

 思わぬ分析にレジーナは声を荒らげる。

 

「だとすれば……偽装だと言うのか! ブルブラッドキャリアを騙る……!」

 

「いえ、送信場所は間違いなく、この惑星の外です。ですからこれはブルブラッドキャリアのものでしょう。しかし、報復作戦はどこか隠れ蓑の言葉のように思えるのです。まるで、真意は別にあるとでも……」

 

「真意……。こんな時、お前が生きていてくれれば……林檎……」

 

 拳をぎゅっと握りしめる。もういなくなってしまった人間に思いを馳せても仕方あるまい。それでも縋らずにはいられなかった。

 

 その時通信ウィンドウが開く。部下がパスを繋いでスクリーンに投影した。

 

『こちら、ミスターサカグチ。コミューン攻撃を阻止した。加えて、来客がある。出迎えを許可していただきたい』

 

「任務ご苦労。来客……? この状況で何者だ?」

 

 その問いかけに《イザナギオルフェウス》を介した通信が成されていた。相手の面持ちにこの場にいる全員が息を呑む。

 

 青い操主服に袖を通した少女はその紫色の瞳孔をこちらに据えていた。

 

 破壊者の眼差しだ、と察知した習い性の身体が背筋を粟立たせる。

 

「……貴様は……」

 

『私はブルブラッドキャリアの執行者。かつて青いモリビトに搭乗していた』

 

 まさか、ここで怨敵を見出すとは思いも寄らない。レジーナはしかし、冷静さを欠こうとする自身を顧みるよりもサカグチがどうして彼女を看過しているのかを疑問に思っていた。

 

 何故ならば、ブルブラッドキャリアの青いモリビトと因縁があるのは一番に彼であるはずだからだ。その彼がどうして許せているのか、その事実を問い質すべきであろう。

 

「……本物なのか」

 

『間違いようがない。本物だ。俺と幾度となく刃を交わしてきた相手なのは保証する』

 

 だとすれば余計に何故という疑念が突き立つ。しかし戦士としての自分だけならばまだしも、今はライブラを束ねる長。客観的な判断が求められるであろう。レジーナは呼吸を一つ挟み、慎重な声を発していた。

 

「……一つ聞かせて欲しい。ブルブラッドキャリアはまた、戦争を起こすつもりなのか」

 

 その問いかけに少女操主は、いやと応じる。

 

『戦いを起こす気はない。私達は最小限の介入行動のみで終わらせるつもりだったのだが……前回の連邦の動きが気にかかる。何かが狂い始めているような気が……』

 

 相手も同じ感覚であったか。ならば手を結ぶのも今は必要かもしれない。

 

 部下がこちらに窺う眼を寄越す。

 

「どうします? 局長。相手はしかし、破壊工作のスペシャリストです。もしかしたら、ミスターサカグチでさえも……」

 

 裏切り。だがそれはあり得ないとレジーナは知っている。サカグチだけは裏切りなど絶対にしない。その確証めいた一事が次なる手を打つのを瞬時に判断させた。

 

「……ライブラ整備デッキへの出迎えを許可する」

 

『感謝する、局長』

 

 その言葉と共に通話が切られる。レジーナは部下の声を聞いていた。

 

「局長、みすみす……!」

 

「分かっている! ……ああ、分かっているさ。だが、サカグチは裏切らない。その確固たる一がある限り、私達が裏切るわけにはいかない。たとえそれが怨敵であろうとも、サカグチは是とした。ならば信じたいではないか……」

 

 そう、信じたい。その一個だ。それだけで今、ブルブラッドキャリアの工作員を迎え入れた。これが鬼と出るか邪と出るか、それはまるで分からない。

 

「……格納デッキの映像、出します」

 

 言葉少なな部下がスクリーンに映し出したのは帰投する《イザナギオルフェウス》と、それに牽引される形のバーゴイルの改造機だ。

 

 青いバーゴイルはほとんどシステムダウンしている状態である。レジーナは観測室を後にしていた。

 

「継続調査を頼む。私は……見極めなけばならない」

 

 この状況を。そして、ブルブラッドキャリアの戦士の真意を。廊下を折れ曲がり、格納デッキへと向かう途中で胸を占めたのは憎しみでもましてや怨嗟でもない。

 

 これは純粋に、疑念だ。

 

 どうしてモリビトの操主が今、ここにいるのか。彼らはまた戦争を起こそうとしているのか。その疑問だけを氷解しなければ前に進めないだろう。

 

 レジーナはかつて共に戦った戦友の名を思い描く。

 

「……林檎。お前ならばここでどうしていた? あのモリビトの操主を、裁いていたのか?」

 

 答えなんてどこにもない。保留の一事だ。レジーナは格納デッキにて《イザナギオルフェウス》に伴われる形で搬入された青いバーゴイルを睨んでいた。

 

 整備班が困惑の声を上げている。

 

「ガワはバーゴイルだが……中身はまるで別物だ。これが……モリビト……」

 

 彼らからしても未知なる遭遇。レジーナは長として、整備班に声を振り向けていた。

 

「通達。私が直に見る」

 

「局長? しかし、誅殺の恐れも……」

 

「なればこそだ。私が見ておかなければならない」

 

 その強情なる声音に整備スタッフが諦めて道を譲る。屹立した青いバーゴイルのコックピットが開き、その内側より長髪をなびかせた少女操主が現れていた。

 

 年の頃は林檎とさして変わらない。だが、見た目に惑わされてはいけないのだろう。記録に正しいのならば、この少女操主は八年もの間、惑星と戦い続けてきた猛者のはず。

 

 ならば戦士に相応しい礼儀を。

 

 レジーナは自ら名乗っていた。

 

「自治組織ライブラ局長! レジーナ・シーアだ。この声と名前、覚えているか」

 

 少女操主はこちらを見据え、そして目を瞠っていた。

 

「まさか……エホバ陣営についていた操主か……。《フェネクス》の……」

 

 相手がまさか覚えているとは思いも寄らない。しかしながら、これで余計に分からなくなったな、とレジーナは胸中に自嘲する。

 

「サカグチ! 分かっていて、か」

 

 その詰問にコックピットから出てきたサカグチがヘルメットを外して応じる。

 

「必要だと判断しての行動だ。咎められるとすれば俺だけだろう」

 

「破壊工作の恐れもあった」

 

「ライブラを危険には晒さない。そのつもりだ。もしもの時には禊は俺がする。問題なのは、モリビトの少女から得られる情報があるという事だ」

 

 そう、今しがた発信されたブルブラッドキャリアよりの宣戦布告。彼女はその先兵なのだろうか。見極めなければならない。

 

「尋ねたい。いくつか……重要な事を。降りてきてもらえれば助かる」

 

 この要求を跳ねのける権利もあるはずだが、少女操主は案外、素直に降りてきた。軽い身のこなしでバーゴイルより飛び降りる。

 

 ただの人間ではないのは明らかであった。

 

「私も、反芻しなければならない事があるはずだ。事情を聞きたい。いいだろうか?」

 

 存外、殊勝なものだ。いや、相手もこの世界のうねりを理解しかねているのか。だとすれば先ほどの宣戦布告と彼女の行動は矛盾する。この戦闘の発端で、いきなり身内が拿捕されたなど冗談にもならないはずだ。

 

 レジーナはサカグチにも要求していた。

 

「ミスターサカグチ。貴公も降りてきて欲しい。情報をすり合わせたい」

 

「……了解した」

 

 サカグチが昇降用エレベーターを使用し、ゆっくりと降りてくる。それをモリビトの操主は黙って見つめていた。その紫色の瞳孔が何を思っているのか、推し量る事しか出来ない。

 

 レジーナは二人を伴い、足を進める。二人とも歴戦の戦士の足音を響かせ、自分に続いていた。

 

 並み居る構成員が避けていく。ここにあるのは戦士三人。そう容易く道を塞ぐのも不可能だと思っての事だろう。

 

「まず聞くが……モリビトはまたしても惑星に牙を剥くと言うのか」

 

 その質問に少女は小首を傾げた。

 

「……どういう意味だ。私達は最小限の介入しかしていない」

 

「では、つい数十分前の情報開示と矛盾する。どうしてまたしても星への報復を宣言した?」

 

 それに関して少女は目を見開いていた。思わぬ、と言った具合だ。

 

「……意味が分からない」

 

「そうか。ならばあれは、偽物の可能性もあるのか」

 

 先の声明とここにいるモリビトの操主、どちらの言葉を信じるかは問うまでもないだろう。サカグチが確証を持っている。ならばモリビトの操主の言葉を疑う余地はない。

 

 だが尋問しているほどの時間もなし。ここは最小限の問いかけと、そして言葉振りだけで判断するしかなかった。

 

「管制室に案内する。一刻の猶予もない」

 

「局長。それは彼女をライブラの戦力として認めるという事か」

 

 サカグチの声音には責め立てるようなものはない。何よりも確認の意味合いが強かった。ともすれば彼の中では納得の末の行動なのかもしれない。

 

「……場合によってはライブラの身分で戦ってもらわなければならない。それでいいのならば」

 

「断る。私はブルブラッドキャリアの執行者だ。他の組織に与するつもりはない」

 

 断言されてしまえばにべもない。レジーナはこの操主に対して言葉繰りは無意味だな、と嘆息をつく。

 

「……一つの条件付けだ。聞いてみないよりかは聞いてみたほうがいい局面もある」

 

「《バーゴイルリンク》を修復して欲しい。この男は出来ると言った」

 

 その提言にレジーナはサカグチへと一瞥を投げる。彼は言葉少なに応じていた。

 

「交換条件は必要だろう。それに、教えなければならなかった。地上でバベルは使用出来ない。《バーゴイルリンク》はバベルへとアクセスした結果、システムダウンした」

 

 その情報が確かならば、こちらの意見を補強出来る。レジーナは現状をどこから説明すべきか、と思案したところで管制室へと辿り着いていた。

 

「……一つ言っておくが、我々はバベルネットワークを一切使用していない。旧態然としたシステムを使っているが、それでもロスは少ない。その理由を説明しよう」

 

 管制室に入るなり、部下から声が飛ぶ。

 

「局長、ブルブラッドキャリアの宣戦布告は全域に発布されています。それに、これは妙なんですが、月面からわざわざ発信していると分からせているかのような……。どうしてこんな事を……?」

 

「それは、当人に聞いてみるか」

 

 顎でしゃくると、部下は驚愕して椅子から転げ落ちていた。少女操主の姿に全員が息を呑む。

 

「……これが、モリビトの、操主……」

 

「何かおかしな事をしたか」

 

「そちらの存在自体が惑星の者からすれば奇妙なのだよ。みんな、うろたえないで欲しい。破壊工作の線は薄くなった」

 

 消えた、とは言わないのはやはり警戒心があったからか。いずれにせよ、名前すら聞いていない少女操主に対して、自分でも意固地になっているのが窺える。

 

 林檎を死なせた相手、と線を引くのは勝手だが、今の自分は組織を束ねる存在。手前勝手な線引きは交渉を厄介にさせるだけだ。

 

 ここは客観的に、自分を排除しての答弁が必要だろう。

 

「聞くとして、まずは名前から明らかにさせてもらいたい。まさかこの期に及んで守秘義務とは言わないな?」

 

 問い詰めた自分に対して、少女操主は静かに声にする。

 

「鉄菜、だ。鉄菜・ノヴァリス。言う必要があるかどうかは分からないが、血続でもある」

 

 鉄菜、と名乗った相手にレジーナは冷静な判断を下そうとする。

 

「クロナ……ね。まぁ、名前が明らかになったとしても、そこまで腹を割って話せないのはお互い様だろう。しかし、情報の共有は促したい。出来るな?」

 

「出来る出来ないではない。しなければならないだろう。私の《バーゴイルリンク》は何故、バベルへと繋いだ途端に行動不能に陥ったのか」

 

「あっ……それって多分、今惑星内で多発している……」

 

 口を滑らせかけた部下へとレジーナは睨みを利かす。部下が口を噤んだ。

 

「……惑星内で? 何が起こっている。私はつい二日前の、新連邦軍の友軍機撃破の報がどうしてだか各国諜報機関に嗅ぎ回られている事態を重く見て、星に降りてきた。あれに何を見出そうとしている? 地上で何が起こっているんだ」

 

「答える義務、あると思っているのか」

 

「義務はない。しかし答えないのならば、長居はしない」

 

 どこまでも断じた冷たい声音。きっとここまでの人物だから生き残れたのだろう。エホバもとんだ置き土産をしたものだ。

 

「……分かった。参ったよ、クロナ。あまり意地を張っても仕方なさそうなのでね。情報を共有しよう。つい五十七時間前の映像がどうしてだか民間レベルまで落ち、その結果としてコミューンへの攻撃を強行させた。あの映像一つで血続が危険だ、という思想に至ったらしい」

 

 だがそこまでのプロセスは一切不明のまま。どうしてそんな偏見が一気に世界を満たしたのか。そして民間まで降りたと言うのに、どうして誰も疑いを発しないのか。誰も反抗しないこの状況が不気味でさえもある。

 

 鉄菜の疑問もそこに集約されたらしい。

 

「……だからと言って民間コミューンに襲いかかるのはお門違いのはずだ。そこまで血の気の多い連中が新連邦を構成しているとも思えない。何かが……おかしい。どこかで、欠落している。冷静な判断というものが」

 

「それに関しては同意だ」

 

 答えたのは腕を組んで背を扉に預けるサカグチであった。傷痕の残る相貌がこの世の悪とも言える相手を睨んでいる。

 

 それはスクリーンに映し出された新連邦政府の軍備増強政策であった。

 

「新連邦はここに来て……まるで頭が挿げ替わったかのように一気に思想が染まった。それ自体も不自然ならば、民衆もそうだ。誰も文句を言わない政策などあるものか。今までだって反抗はあったのに、これだけは誰も反対意見を差し挟まない。何かが、狂っているとしか思えない」

 

 サカグチの評にレジーナは意見を統合していた。

 

「いずれにしたところで、我々ライブラにしてみれば、現状の世界政府の動きはずさんであり、そして対抗策を練らざるを得ない。血続排除の動きも、そして軍備増強政策も何もかも間違っているとしか思えないんだ」

 

「……だが、抗うにしては少しばかり粗雑に映るが」

 

 旧態然としたモニター類を目にしたからだろう。レジーナは端末の一つを撫でていた。

 

「古めかしく思えるか? ……まぁ、仕方ない。こればかりは、ジャンク品に見えても。だが、中身はバベルネットに接続した機器とさほど変わらない。バベルと競合する、もう一つネットワークがこの世界には存在する。それへのアクセスコードを、私を含めここにいる構成員達は持っている。コード名をグリフィス。この名に覚えはあるだろう?」

 

 その名前を突きつけた途端、鉄菜の表情が変わった。どこか得心したように頷き、そして問い質す。

 

「……ユヤマと面識が?」

 

「いや、正しくはエホバが、彼と繋がっていたらしい。繋がっていたと言うのも変か。どうやらあの二人はどちらが生き残っても、この世界にとって有益となるように計算していたようだからな。まったく恐れ入る。世界をたばかった男と、神を騙った男も見ていたものは同じだったんだな」

 

「……ライブラがグリフィスの情報システムを利用しているのはよく分かった。確かにユヤマの用意した情報網ならばバベルネットに頼らずに済む。しかし、それでも限界はあるはずだ。バベルに何が起こっているのか、その計測までは難しいだろう」

 

「その通りでね。バベルネットに繋がっている端末に何が起こっており、そしてどうすれば我々はその関知から逃れ、抗う事が出来るのかの芽が見えない。つまるところ、手詰まりになっているところだったのだが、突破口が二つ、見つかった」

 

「私と……そしてブルブラッドキャリアの宣戦布告か」

 

 首肯してからレジーナはスクリーンにブルブラッドキャリアの声明を流す。鉄菜は感じ入ったように眺めてから、やがてぽつりと口にした。

 

「……茉莉花。仕組んだな」

 

「どういう意味だ」

 

 鉄菜はこちらへと振り向き、説明を始める。

 

「この声明にはただの宣戦布告とは別の意味が隠されている。恐らく地上にいる私へのメッセージのつもりだったのだろう。オガワラ博士の唇の動きと声が一致していないのは意図的だ。オガワラ博士の口の動きのほうで私への作戦指示が出されている」

 

 あっ、とその言葉で部下は気が付いたのか、解析を始める。レジーナはしかし、手を掲げてそれを制していた。

 

「もし……その作戦指示が破壊工作だとすれば、ここで私達を殺すか?」

 

 一触即発の空気が流れたが、それも一瞬であった。鉄菜は諦観したように頭を振る。

 

「……それはない。どうやら倒さなければならないのは、お前達ではないからだ」

 

 部下達が安堵の息をつく。レジーナはしかし、信じられなかった。

 

「裏切りはいつでも出来る。クロナ・ノヴァリス。私達にお前を信じるに足る確証をくれ。そうでなければライブラでの保護も容認出来ない」

 

「俺の意見だけでは不服か」

 

 サカグチの皮肉にレジーナは肩を竦める。

 

「悪いな。組織を束ねる責任がある」

 

 鉄菜は一考した末に、すぐさま声にしていた。

 

「《バーゴイルリンク》の中に入っている戦闘AI、サブロウはブルブラッドキャリアの情報の集積点だ。奴を解析すればいい」

 

 思わぬ提言であった。それはブルブラッドキャリアの理念に反するのではないのか。今まで秘密主義を守ってきた組織の構成員の言葉とは思えない。

 

 それが顔に出ていたのだろう。鉄菜は言葉を継ぐ。

 

「サブロウを解読して、出る埃ならばもう処理している。私は有益だからこの判断に落ち着いたまでだ」

 

「……冷静なのだな」

 

「冷静でなければ読み負ける。それが執行者だ」

 

 今まで世界を敵に回してきたモリビトの操主らしい答えだ。レジーナは顎をしゃくっていた。

 

「整備班に、《バーゴイルリンク》とやらの解析を」

 

 了解した部下が命令の声を張るのを他所に鉄菜はサカグチへと言葉を振る。

 

「お前らは、ただここで静観しているだけのつもりか。敵は既に動き出している。あれだけで終わるとも思えない。必ず第二波が存在する」

 

「それには同意見だ。俺の《イザナギオルフェウス》をいつでも出せるようにしておいてくれ。連邦の第二波こそ恐るべきだろう。相手は数では圧倒している。我々が出端を挫けるとすれば最初のほうだけだ。後手になればなるほどに押し負ける」

 

 サカグチの意見にレジーナは首肯していた。

 

「そうだな……。勝利すべき最短距離を追い求めるのに、連邦の攻撃の手は緩まない、か。これでは損耗戦だ」

 

「実際、そうだろう。格納デッキを見た。あの戦力で戦い抜くつもりか」

 

 鉄菜の厳しい声音にレジーナは頭を振る。

 

「我々は連邦にも認められていない……独立愚連隊のようなものだ。辛うじて一個小隊レベルの戦力はあっても数による圧倒には完全に負ける。《イザナギオルフェウス》だけでは無理が生じるだろう」

 

 このままではいずれにせよ、頭打ちが来る。どうするべきか、と思案するレジーナは鉄菜の不意打ち気味な声を聞いていた。

 

「私は協力してもいい」

 

「……何だと?」

 

「借りは返す。助けられた命だ。それに、お前達とて知りたい事は多いはず。出来得る限りの情報は共有しよう。その代わり、私を前線部隊に推して欲しい。それが条件だ」

 

 思わぬ、とでも言うべきだろうか。願ってもない提案であったが、旨味のある条件には大概デメリットが付き纏う。組織を束ねる責任としてそれを見極めなければならない。

 

「……こちらとしてはモリビトの操主レベルの戦力は正直なところ欲しい。だが、保証がない。貴君が裏切らないと言う、保証が」

 

 その言葉繰りに鉄菜は操主服の手首に巻きつけられた端末を引っぺがし、台の上に置いてみせる。

 

「こいつを解析すれば私の戦闘ログを探れる。ブルブラッドキャリアの操主の戦闘経験は貴重ではないのか」

 

 どうしてそこまで譲歩するのか。レジーナはこの局面、読み負ければ後々禍根が残ると判断していた。

 

「……破格の条件だ。何かの含みを感じる」

 

「含みも何も。現状、我々は何も分かっていないに等しい。バベルを利用する敵の存在、それだけだ。その連中を上回るのに、いちいち出し渋っていれば互いの足を引っ張るだけ。相手は世界規模の情報ネットを既に手に入れている。こんなどん詰まりから逆転するのには、利用出来るものは利用する、という胆力が必要になってくる」

 

 胆力、か。レジーナはその言葉の持つ重みを実感する。彼らは、アンヘルとの戦いの中でグリフィス頭目と結託し、アンヘルの情報作戦を上回り、エホバとラヴァーズの戦闘を掻い潜って月面まで辿り着いてみせた実力の持ち主だ。その実績を軽んじる事は出来ない。ゆえに、ここは鉄菜の提案をある程度呑むべきだろう。問題なのは、鉄菜をどう扱うかの一事だ。このまま腐らせるのには惜しい。

 

「……いいだろう。前線にて戦う権利を保障する」

 

「局長……! でも相手はブルブラッドキャリアで……!」

 

「皆の言いたい事は分かる。だが、ここは共通の敵を睨む事で現状の打開策を優先する。相手はバベルネットワークを完全に物にした存在だ。そんな相手と戦うのに、今さら敵だの味方だの言っていても仕方ない。戦う意思のあるものは立て。それが全てだ」

 

 これが現状、ライブラを束ねる自分の決断。間違っているかもしれない、という危惧はある。しかし、誰も反論の口を挟まなかった。

 

 サカグチが歩み寄ってくる。

 

「局長、俺は《イザナギオルフェウス》の整備に戻る。モリビトの操主は貴君の監視下に置くといい」

 

 立ち去りかけた背中にレジーナは問い返していた。

 

「いいのか? だって、貴公のほうがよっぽど……」

 

 そう、よっぽどモリビトに因縁があるはずだ。一言二言では割り切れない恨みや怨嗟が。しかし、サカグチは囚われる事はなかった。

 

「……既に勝敗は決した。ゆえにこだわらない。モリビトの操主、しかしながら、問いかけたい。あの時に見た、あの美しい宇宙に、誰しも行けると思うか? 今回の敵でさえも」

 

 その問いは恐らく二人にしか分からぬ認識であったのだろう。鉄菜は熟考の末に言葉を紡ぎ出していた。

 

「……分からない。本当に分からないんだ。それでも、私は戦うべきだと感じる。戦わなければ、抗わなければ、それには意味がないのだと。あの美しい宇宙に至るのは、その後で充分だ。この世の戦いを終えてから、誰もが導かれるのだろう」

 

 その答えにサカグチは口元にフッと笑みを浮かべる。

 

「……俺と同じ答えか。いいだろう。対人機戦において背中は任せた」

 

 サカグチがそこまで信を置く人間は珍しい。自分でさえもサカグチは信用していない節があるからだ。レジーナは鉄菜を仔細に観察していたがやがて彼女が声にしていた。

 

「私には与えられた任がある。そのために、情報の送信を許可していただきたい」

 

「それはブルブラッドキャリアの……」

 

 応じかけた声に鉄菜は、いや、と首を横に振っていた。

 

「そうじゃない。個人的な……この世でただ一人の、信じるべき親友のための言葉だ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯382 愛すべき親友へ

 テレビが映し出す映像はどれも混迷を極めている。

 

 どの局が映すのも、巡洋艦を強行突破する新型人機とスロウストウジャの新鋭機の脱走であった。

 

 まるで全ての罪悪のように、彼らが糾弾される。

 

『ご覧ください! 火の手を上げる我らの連邦艦を! これも血続による攻撃と判断し、我々はその容疑者と思しき二人の人物を指名手配する事に致しました。政府の下した決定では、この二名は軍籍を既に剥奪されており、反政府組織への繋がりも目されています』

 

 映し出された見知った姿に、燐華はテレビのリモコンを取り落としていた。

 

「嘘……ヘイル……」

 

 女性操主の顔写真の横に自分の伴侶が映るなど誰が想像出来ようか。燐華は緊急回線に通信を吹き込もうとして、端末に届いた個人メールを確認していた。

 

「この暗号番号……鉄菜?」

 

 今までの送信先とは違う場所より鉄菜のアドレスで送信されたメールメッセージがある。燐華はそれを開き、そして言葉にしていた。

 

「〝燐華、このメッセージを読んでいる頃、恐らく世界は混迷に陥っているはずだ。だからこそ、二つだけ大切な事を言っておく。一つは、信用に足る人間を訪ね、そしてその場所で出来るだけ動かないようにしていろ。それが安全策だ。もう一つは……絶対とは言えなのだが……私がこの状況をどうにかする。それまで待っていてくれ。信じなくってもいい。このメッセージを、馬鹿馬鹿しいと一蹴しても構わない。だが、星が最後の罪を前にして、怖気付いているのならば、私は剣を取る。戦わなければならない〟……鉄菜……」

 

 どうしてそこまで非情なる言葉を連ねられるのだろう。彼女はいつだって、誰よりも傷つきやすいのに、真っ先に傷つく場所に行ってしまう。二年前だってそうだ。自分は鉄菜にたくさんの酷い言葉を投げてしまった。心配もかけただろう。それでも、鉄菜は信じ抜いてくれた、自分を。だが鉄菜は決して、自分を信じろとは言わない。いつだって、信じるべきは己にあると教えてくれる。

 

 メッセージの続きを、燐華は読み取っていた。

 

「……〝信じるべきが分からない場合は隠れているといい。この混乱は、直に終息する。それまで……苦しい時間が続くかもしれない。だが私は戦う。戦わなければならない。平和を願い、勝ち取るため、私は……鉄菜・ノヴァリスとして出来る事を全うしよう。燐華、お前にはお前の生き方がある。迷わずに進め〟……どうしてっ……。どうして、あたしの大切な人達は、みんな遠くに……。鉄菜……」

 

 ヘイルも兄も、隊長も。それに鉄菜まで。本当に遠くに行ってしまいそうで。自分の足場なんてすぐに瓦解してしまいそうで怖くなる。この二年間でようやく確立した己にすぐに亀裂が入ってしまいそうだ。

 

 それでも、鉄菜は待っていてくれと言ってくれた。彼女はきっと、戦い抜く。最後の最後になっても。自分一人だけになったとしても。それでも、争いの先にある光を目指して。

 

「でも……っ、あたしは鉄菜に、そんなになって欲しくない……。そこまでして、平和って必要なの……鉄菜ぁ……っ」

 

 自分勝手なわがままだろう。だが問わずにはいられなかった。

 

 自分を切り売りするような真似をしてまで、平和なんて願って欲しくない。勝ち取って欲しくない。誰かの犠牲の上に成り立つ平和なんて紛い物のはずだ。

 

 それでも、鉄菜を止める言葉を、自分は一つも持たない。

 

 だから、このメッセージに返せるだけの自己もない。

 

 ただ、自然と指先はキーを打っていた。返事を書かなければ、という感情。この機会を逃せば、きっと鉄菜は遠くに行ってしまう。今度こそ手の届かない場所に。だから、これはそんな場所に行ってしまった鉄菜の、灯火になりたい自分の願いだ。願いだけが、祈りだけが、鉄菜の暗黒に閉ざされた道筋を照らす光になるはずなのだ。

 

 燐華はゆっくりと返信を打っていた。

 

「待っている……。ずっと待っているから。鉄菜、必ず帰ってきて。あたしは……どんなに世界が酷い事になっても絶対に、鉄菜の味方だよ……」

 

 帰ってきて、なんて酷い言い草だったかもしれない。鉄菜からしてみれば帰路なんて考えていない戦いだろう。それでも、帰ってきて欲しかった。全て終わって、戦いなんて遠い出来事になったまだ見ぬ未来の地平で待っている――今は、それを伝えるのが精一杯。

 

 燐華は送信した後に、咽び泣いていた。また、鉄菜を失うかもしれない。それでも、送り出す言葉があれば、今度こそきっと、本当に再会出来る。だったら、ずっと待っている。待ち続けている。

 

 この罪の地平で、自分はこの世の果てでもずっと……。

 

 送信メッセージに即座に返信が来た。

 

「〝ああ、帰ってくる。お前は、私の無二の友達と呼べる存在だからだ〟……鉄菜、あたし、待っている。ずっと、待っているから……!」

 

 このコミューンがいつまでも平穏とも限らない。もしかすると、一瞬後には炎に包まれているかもしれない。

 

 それでも、終わりかけた世界で最後の最後に、友人に手向けられる言葉を送れただけで自分はきっと幸運だ。

 

 白い窓辺を風が吹きつけ、カーテンをなびかせる。

 

 この穏やかであたたかい風を、きっと鉄菜はまた巻き起こしてくれるはずだから。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯383 サードステージ

 メインブリッジに揃い踏みした面子に桔梗はおっかなびっくりにブルブラッドキャリアの制服に袖を通した自分を顧みていた。

 

 レーダー班や解析スタッフの一人に至るまで、全員が歴戦の猛者。二年前のアンヘルとの徹底抗戦を戦い抜き、生き残った者達が声を響かせる。

 

「《ゴフェル》、全天候モニターの投影率、七十パーセントをクリア」

 

「月面に外敵反応なし。機関部に火を通せ」

 

『こちら機関部。了解、《ゴフェル》発艦準備』

 

 復誦される言葉の全てが洗練されており、桔梗は候補生でしかない身分でここにいる場違いに困惑する。

 

 その肩に手を置いたのは、なんと艦長であるニナイ本人であった。

 

 先の情報統制室でのやり取りを目にしていた桔梗は当惑する。

 

「か、艦長……」

 

 強張った声にニナイは穏やかな笑みを浮かべる。

 

「そうかしこまらないで。あなたはまだ候補生なのは分かっているわ。だから、索敵と情報の統制は茉莉花と美雨に任せます。座っているだけでいいの」

 

 そう言われても、と桔梗は自らのためにあてがわれた椅子を前にしてまごつく。本当に座っていいのだろうか、と視線を返しかけて、茉莉花が手を払っていた。

 

「緊張し過ぎだ。これだから候補生と言うのは……。艦長、吾と美雨の専属情報統制リニアシートを」

 

《ゴフェル》メインブリッジには二つの球体型の椅子が位置しており、そのうち一つに茉莉花が入っていた。途端、情報網が白銀の線を描き、周囲に投影される。

 

 美雨と呼ばれた茉莉花の部下も即座に入り、その白銀の指先で情報を呼び起こす。

 

 直後、その二つの椅子に挟まれる形で立ち現れたのはホログラムの妖精だ。白銀の髪を払い、少女のビジョンを取ったメインコンソールが両手を開く。

 

 瞬時に《ゴフェル》の現状が全員に同期され、桔梗は戸惑いつつも了承の声を返していた。

 

「確認。これより《ゴフェル》を発艦させます。格納デッキに戦力は」

 

『詰めるだけ詰め込んだよ』

 

 投射画面に映し出されたのはいつか蜜柑より教えられたブルブラッドキャリアの名技術顧問の姿だ。

 

「……確か、タキザワ技術顧問……」

 

『おっ、覚えてもらって光栄だね。桔梗・イリアス候補生……だったか。言っておくと、あまり難しく構える事はない。ほとんどの動作は先輩達がやってくれる。君は……こう言うと何だが、見守っていて欲しい。その役目を帯びるのは君しかいない』

 

「ナンパするな、タキザワ。そんな場合でもないだろう。モリビト含め、全機の戦闘準備を整えておけ」

 

 表皮の下に白銀の血脈を宿らせた茉莉花の声音にタキザワは画面の向こう側で肩を竦めていた。

 

『では、そうしますかね。艦長、号令を』

 

「全システム、及びネットワークを《ゴフェル》に集中。月面によるシステム補佐、八十五パーセント」

 

「外延軌道にいるタチバナ博士のシステム補助も得られています。いつでも」

 

 全ての声を受け、ニナイが手を払う。

 

「了解。《ゴフェル》、発艦!」

 

 発艦の復誦が返り、桔梗はリバウンド力場で浮かび上がった艦を内側より体験していた。あれだけ教え込まれたが、やはり体感は違う。《ゴフェル》は濃紺の艦体を浮かび上がらせ、月面プラントを即座に飛び出していた。

 

 二年のブランクがあったとは思えない、鮮やかな発艦に息をついたのも束の間、瞬時に次なるフェイズへと事態が移行する。

 

「艦内蔵血塊炉へとエネルギーを電荷。エクステンドチャージ状態へと移行準備に入れ」

 

『エクステンドチャージまで、残り十秒』

 

 カウントダウンが成される中で桔梗は問い返していた。

 

「え、エクステンドチャージって……、まさかあの?」

 

「いちいち驚いている暇はないぞ。星に一刻も早く辿り着き、鉄菜に戦力を渡す。そのためにはエクステンドチャージを使用しなければならない。幸いにしてこの二年間、溜めに溜めた惑星産の血塊炉はある。《ゴフェル》のエクステンドチャージには間に合うだろう」

 

 落ち着き払った茉莉花に対して桔梗は身体を硬直させていた。エクステンドチャージは、確か……。

 

「対ショック姿勢に移行!」

 

 放たれた声を判ずる前に《ゴフェル》が黄金の軌跡を刻みながら月面より高速移動する。あまりの速度に舌を噛むかと思ったが、案外艦内は静かであった。どこか拍子抜けした自分に茉莉花が声を差し挟む。

 

「……びくつき過ぎだ。エクステンドチャージも解析されて久しい。艦体レベルとなればそれなりに安定していてもおかしくないだろう」

 

「……でも、教えていただいた情報では……」

 

「エクステンドチャージにはそれなりの負荷がかかる、か? ……まぁ、一世代前の情報を教えるのは悪い事ではないが、実戦には持ち込まないほうがいい。これから先は、教本で教え込まれた以上の事が待ち構えている」

 

 その言葉に問い返す前に、《ゴフェル》は既に惑星軌道へと辿り着いていた。恐ろしいまでの加速であるはずなのに、振動もましてや加速度もほとんど感じなかった。

 

 それどころか事態は次の段階に入る。

 

「重力下に入ります。減速開始」

 

『減速開始、耐熱フィルムを構築。リバウンドフィールドを展開し、惑星圏内へと突入軌道に入る』

 

 ブリッジが赤く染まり、瞬時に惑星の重力圏に包まれていく。

 

「これが……大気圏の熱……」

 

「惑星の手痛い歓迎だ。リバウンドフィールドを張っているからほとんど抵抗はゼロのはずなんだが、それでも、だな」

 

 成層圏を抜け、虹の皮膜を突破した《ゴフェル》の底面カメラが映し出していたのは青い海原であった。濃紺の霧が地表を包み込んでいる。

 

「ブルブラッド大気……教わった通りの……」

 

 いや、それ以上だろう。想像以上の濃霧に桔梗は息を呑んでいた。

 

 生物の生存を許さない、惑星の功罪。罪の証がこうして眼前に突きつけられればそれだけ緊張も高まってくる。

 

「ポイントに到着後、鉄菜の合流を待つ。……何とかここまでは、邪魔が入らなかったわね」

 

 ニナイの言葉に茉莉花が情報を手繰る。リアルタイムで送られてくるのは月面からのバックアップだ。今の惑星の情報を一つでも仕入れれば、すぐさま汚染される。それが分かっている以上、星の現状を把握する術は外延軌道に位置するタチバナを介してのみしかない。

 

「……不幸中の幸いであったのは、タチバナ博士の使っている躯体が我々、ブルブラッドキャリアの使用している物と同一であった事だな。これでタイムロスは極めて減殺される」

 

「博士からの情報は?」

 

 問い返した直後、熱源センサーに反応が見られた。ブザーが鳴り響き、戦闘警告が艦内に木霊する。

 

「熱源関知! スロウストウジャと……これは……。艦長! スロウストウジャの新鋭機と、全くの新型を検知! この反応は、イクシオンフレームです!」

 

 ニナイはその報告にスクリーンに映し出された二機を睨んでいた。桔梗も海面を白波を立たせつつ疾走する二機を見据える。

 

「……スロウストウジャの新型……それにあれって……」

 

「……早速当たりを引いたってわけ。幸先がいいんだか悪いんだか」

 

 ニナイのぼやきに茉莉花が情報統制リニアシートより声を張る。

 

「向こうは敵が網にかかったとでも思っているかもしれないな。案外……タチバナも人が悪い。ともすれば相手の機動ルートを逆算してポイントを誘導させたか」

 

「いずれにしたって応戦は避けられそうにないわね。格納部へと伝令! タキザワ技術顧問に、モリビトの出撃準備を要請して!」

 

「とっくに要請している。受諾待ちだ」

 

『……出来れば損耗は最小限にしたい』

 

「それも分かるけれど、相手も惑星の新型よ。手加減は難しいわ」

 

 ニナイの判断にタキザワは重く頷いていた。

 

『……《ノクターンテスタメント》と、《イウディカレ》の出撃シークエンスに入る。全く新しい出撃配置だ。茉莉花にシステム面での補助を頼みたい』

 

「任せておけ。美雨、分かっているな?」

 

「うんっ。《モリビトノクターンテスタメント》、及び《モリビトイウディカレ》の出撃シークエンスを呼び出し! 艦リニアボルテージの出力を上昇!」

 

 教えられていないモリビトの名前に、桔梗は困惑していた。

 

「ま、待ってください。《ノクターンテスタメント》? 《イウディカレ》? そんなの、事前には……」

 

「当たり前でしょう。切り札の情報を候補生に渡すと思う?」

 

 悪びれもしない茉莉花に代わり、ニナイが申し訳なさそうに声にする。

 

「……私達の切り札。最後の希望なのよ。モリビトの執行者達は新たなるステージへと移行する」

 

「新たなる、ステージ……」

 

 繰り返した桔梗は格納デッキより出撃位置に移送される新型人機をモニター越しに目にしていた。

 

「これが……ブルブラッドキャリアの、切り札……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯384 新たなる力を

「《ノクターンテスタメント》は《ナインライヴス》よりもペダル四つ分重いから、気を付けてくださいよ!」

 

 整備班より声がかけられ、桃はサムズアップを寄越してコックピットに入り込む。

 

 頭部に位置するコックピットは久しぶりであった。《ナインライヴス》はビーストモードの状態での使用よりも、スタンディングモードでよく使っていた事を思い返せば、視野が随分と狭くなったのでは、とこの姿形を顧みれば思う。

 

 イノシシのように張り出した特徴的な頭部に、寸胴な胴体。三角錐を描く機体中腹部は本当にこれがブルブラッドキャリアの新型機か、と当人ながらに疑いたくなってしまう。

 

「……聞かされた話じゃ、最も効率のいい重R兵装人機だって言っていたけれど……」

 

『信用出来ないかい?』

 

 通信を繋いだタキザワに、不作法ですよと応じる。

 

「レディのプライベートスペースです」

 

『そりゃすまない。だが、《ナインライヴス》の七倍以上のパワーゲインのある機体だ。それなりの扱いをしてもらわなければ困る、と茉莉花からの伝言がある』

 

「何ですか、それ。今までの使い方じゃ壊れるとでも?」

 

 その問いかけにタキザワは宙を仰いで呻っていた。

 

『逆かなぁ……。これまでのつもりで使うと、むしろ困るって具合な話だったし』

 

「どっちにしたって、完成したのがこの間でロールアウトしてからで数えれば数週間でしょう? よちよち歩きの赤子同然ですよ」

 

 機体のリニアシートに体重を預け、全天候スクリーンを稼働させる。瞬間、今まで暗闇に閉塞していた空間が拓けていた。《ナインライヴス》よりも解像度の高いリアルタイム映像が《ノクターンテスタメント》の機体の各所に備え付けられたカメラより伝達される。

 

 アームレイカーに手を入れると、これまでよりも重いという評価はその通りのようで、少しばかり稼働には力を要した。

 

 しかし、と桃は《ノクターンテスタメント》のステータスを読み込む。高出力R兵装を組み込んだ機体の最終形態とあだ名されてこの形状は若干張りがない。

 

「豚さんみたいに肥大化しちゃって……」

 

『高出力R兵装を使用する前提条件で開発された機体だ。茉莉花曰く、R兵装の理想形と言われているが』

 

「本当ですか、これが? ……使ってみないと分からない、か」

 

《ノクターンテスタメント》が整備デッキよりカタパルトへと移動されていく。機体各所が白であり、基本色は黒だ。どこか鈍重さと背中合わせのような機体に桃は承服しかねていた。

 

 だが、それは蜜柑も同じらしい。

 

 紫色の流線型のフォルムを持つ機体は、これまでの蜜柑の戦闘スタイルとはかけ離れているようにも思える。

 

「あれも……茉莉花から言わせれば理想形ですか」

 

『《イウディカレ》かい? まぁ、蜜柑が操主に戻るかどうかも分からなかった時期からの建造だからね。使いやすさには重きを置いたらしいが』

 

「使いやすさ? あれが?」

 

 後ろに張り出したロケット型の推進器は宇宙ならばともかく重力下では邪魔そうに映る。さらに言わせれば、蜜柑は中距離から遠距離が得意なはず。

 

 持たせている火器の威力がそれほどとは思えない形状であった。ライフルの直下にR近接兵装の発振器が備え付けられている。

 

「ライフルで格闘戦をしろって?」

 

『……君は知らないか。結構、蜜柑は戦闘訓練に入り浸っていたんだが。まぁ、それも情報戦を得意としてこの二年間、諜報部門に身を浸してきたならではの感想かな』

 

「……大きなお世話ですよ」

 

『それもそうだ。だがあまり嘗めないほうがいい。蜜柑も成長している』

 

 タキザワが言うのだからそうなのだろう。桃はアームレイカーを引き《ノクターンテスタメント》の両脇より伸びる巨大な丸太のような腕を内側に格納する。

 

 支持アームの太さで言えばキリビトに近い。これが本当にモリビトの進化形なのかは茉莉花だけが知っているようなものだ。

 

「……開発に携わっていないからどうとも言えないけれどさ。私だって、それなりに……」

 

『私?』

 

 通信を盗み聞いていたタキザワがせせら笑う。分かっている。長年の間柄として見れば、こうして肩肘張っているほうが不自然なのだろう。

 

「ああっ、もう! モモだって、やる時はやりますよ! どんだけ無茶でもね!」

 

『そっちのほうが君らしい』

 

 茶化されて桃は頬をむくれさせる。いつまでも子供じゃないのだ。それでも、見知った家族のような関係である《ゴフェル》に舞い戻るとは思ってもみなかった。一生、彩芽より譲り受けた諜報部門の役割を演じるかもしれないと思っていたからだ。

 

 だがそれも平和が続けばの話。こうして自分は再び新型のモリビトに乗っている。それが全ての答えだろう。

 

 桃色のRスーツも少しばかり気恥ずかしいが、それでも慣れ親しんだ自分の色だ。桃は肩口より生じるRスーツ補助のための器官である「シンクロマニューバ」を起動させていた。

 

 胸元にある半球状の物体より線が伸び、そのまま肩を貫くラインは掌に至る。

 

 聞く限り、これまで以上に操主追従性を高めた結果らしい。緑色のラインが末端神経のように指先に走り、桃は僅かなこそばゆさを感じていた。

 

 その指でアームレイカーを握り締め、フットペダルに足をかける。

 

『リニアカタパルトボルテージに固定。発進タイミングを桃・リップバーンに譲渡します』

 

 一度大きく息を吸い、そして丹田に込めた力そのものを桃は吐き出していた。

 

「……了解。桃・リップバーン! 《モリビトノクターンテスタメント》! 出るわよ!」

 

《ノクターンテスタメント》の巨体がリニアボルテージの電磁を引き受け、稲光と共に海上へと射出される。飛翔高度に、とフットペダルを踏むと想定していたよりもずっと上空へと上がってしまう。三角錐の形状の人機がリバウンド斥力でまるで重力の投網から解放されたかのように動く様子は自分でも不気味でさえもあった。

 

「こんな重いのに……しっかり浮く……」

 

『蜜柑・ミキタカ! 《モリビトイウディカレ》、行きます!』

 

 続いて蜜柑の《イウディカレ》が出撃し、中心の躯体が両腕にライフルを備えて敵影を睨む。頭部形状はゴーグル型を継承していたが、内部にデュアルアイを宿す特異なシルエットだ。

 

 まるで昔の蜜柑の髪型を真似たかのようにツインテールを模した武装を施されている。

 

 その全体像はまさしく少女の人機――しかし、後部に異常発達した流線型の推進器だけが異様な迫力を醸し出している。

 

 ――ただの酔狂なデザインではない。それは茉莉花が全面的に関わっている時点で推測出来る。桃はヘッドアップディスプレイ越しに敵影を見据えていた。

 

 奇異なる形状を持つ新型機が一つと、スロウストウジャの発展型が一機。それぞれ海上を疾走する。

 

「敵……なのよね」

 

 このタイミングで《ゴフェル》に要らないダメージを与えられるわけにはいかない。桃はアームレイカーに備え付けられているトリガーを引こうとして敵の通信域を拾い上げていた。

 

『あれは……新型人機?』

 

『ブルブラッドキャリアの艦から出撃したという事は……モリビトか?』

 

 男操主と女操主の声に、アイドリングモードに設定したR兵装を一射するのを、桃は躊躇う。

 

 直後、相手のうち一機が急減速した。機体を翻した相手が見据えたのは、追撃する《スロウストウジャ弐式》編隊である。

 

「追われている……? あれは敵じゃないって言うの?」

 

『桃お姉ちゃん! あの機体、友軍機を墜としたイクシオンフレーム……!』

 

 まさか、相手も追われる立場だと言うのか。桃が攻撃の手を止めていると、イクシオンフレームが四基のコンテナより自律兵装を発していた。

 

『行け! Rブリューナク!』

 

 自律兵装の親機より子機が大量に射出され、空域を満たす。追ってきた《スロウストウジャ弐式》はしかし、ある程度性能を熟知しているようだ。

 

 攻撃網の隙を突き、即座に射程の懐へと潜り込む。プレッシャーソードが引き抜かれ、イクシオンフレームの内側より断ち割られようとしたのを追従するスロウストウジャの新型が隔てる。

 

『墜とさせない……!』

 

 互いに鍔迫り合いを繰り広げる連邦機に桃と蜜柑はどちらに手を貸すべきか思案していた。

 

「……先の映像じゃ、イクシオンフレームが友軍機を撃墜したからって理由で追われるのは、まだ分かるけれど……」

 

 だが、友軍同士で喰らい合いなど全く理解の範疇の外だ。桃は考えている時間も惜しい、とすぐさま状況把握に努めた。

 

《スロウストウジャ弐式》がイクシオンフレームへとプレッシャーライフルで照準をつける。その一射を《ノクターンテスタメント》より発した自律兵器が遮っていた。

 

「行きなさい! B2ビット!」

 

 放たれたのは眼球のような意匠を有する自律兵器である。馴染ませたリバウンドフィールドがプレッシャーライフルの攻撃を弾き、その眼球が敵を睨んでいた。

 

『何だ、この兵器……』

 

 瞬間、桃は自身の内側から能力を手繰り寄せる。目を開くと赤く染まった瞳を《ノクターンテスタメント》のシステムが認証した。

 

 瞳の色に呼応し、紡ぎ出された力がビットを伝導する。

 

 直後、《スロウストウジャ弐式》のシステムが完全にダウンしていた。追撃部隊が及び腰になる。

 

『何をした……ブルブラッドキャリア!』

 

「B2ビットはモモの能力を拡大し、そして敵を照準する事で発揮される。――その真の名前はビートブレイクビット。ビートブレイクを一単位レベルにまで縮小し、敵をロックオンする事によって射程の拡大化をはかった武装よ」

 

 ビートブレイクビットを放ち、《スロウストウジャ弐式》編隊を追い込もうとする。敵方はシステムダウンした機体を抱え、撤退軌道に入っていた。

 

 残ったのはイクシオンフレームと新型スロウストウジャである。

 

 不意に通信が繋がり、桃は訝しげになりながらもローカルで繋いでいた。

 

『……援護感謝する。ブルブラッドキャリア……』

 

「煮え切らないのは分かるけれど、あまりこっちを責めないでもらえないかしら。それとも、迎撃したほうがよかった?」

 

『……いや、追われていた身となれば素直に受け止めるべきなのだろう。出来得る事ならば一時的にせよ停戦したい。そちらの動向を求む』

 

「……だ、そうだけれど。茉莉花、どうするの?」

 

『相手方の動きを察知したい。それにイクシオンフレームの新型機とスロウストウジャの新鋭機は素直に解析する価値はある。相手に攻撃に意思がなければそのまま拿捕する』

 

 茉莉花としても地上のバベルを使えない以上、分からない事象はあればまずは受け止めるべきなのだと言う判断だろう。桃は《ノクターンテスタメント》のB2ビットを周囲に展開しつつ、二機を誘導する。

 

 背後には蜜柑の《イウディカレ》がつき、完全に退路を塞いだ形であったが、相手は抵抗する意思もなさそうだ。

 

「……何なのよ。あんた達」

 

『人機から降りて話す。乗っていれば警戒し続けるだろう』

 

 それはその通りであったが、自分達は地上で何が巻き起こっているのかまるで理解していないのだ。タチバナからの伝達情報だけではやはり不足。

 

《ゴフェル》が二機を収容し、戦闘が終了したのを確認してから桃は《ノクターンテスタメント》のコックピットから飛び出していた。

 

 イクシオンフレームと新型スロウストウジャより操主が出てくる。

 

 それを目にしつつ、タキザワの言葉を聞いていた。

 

「いやに相手も素直じゃないか。何か……窺い知れない事でもあったのだろう」

 

「でも、敵がどっちなのかも分からない以上、これも下策かもしれませんね」

 

「下策云々は茉莉花に聞くしかない。少なくとも、モリビトで出なければこの二機は墜とされていた可能性もあった」

 

 汎用性の高い《スロウストウジャ弐式》編隊の動きから鑑みて、この二機をただでは済まさないつもりだったのは疑うまでもない。

 

 しかし、撃墜して何になると言うのだろう。

 

 桃はスロウストウジャの操主と不意に目が合っていた。相手はどこかばつが悪そうに視線を逸らす。

 

 その瞬間、声が弾けていた。

 

「ヘイル……中尉か?」

 

 格納デッキで新型機に乗り合わせていたタカフミがコックピットより相手の操主を見据える。ヘイルと呼ばれた相手は目を見開いて仰天していた。

 

「……嘘でしょう。アイザワ大尉……生きて……」

 

「おいおい、まるで死んだみたいに……。ああ、そっか。そっちからしてみればおれは死んでいるのか」

 

 納得する相手に桃は問い詰めていた。

 

「知り合いですか」

 

「アンヘル時代にちょっとな。上官を務めていた」

 

「あなたがまさか……モリビトに下っていたなんて」

 

「誤解はしないでくれよ。おれはモリビトに下ったわけじゃねぇ。あくまでも、守るべきものを見据えたまでだ」

 

「恥ずかしい台詞……」

 

 口にした桃はタカフミが怪訝そうな目を向ける女性操主に注目していた。どうやらそちらは顔見知りではないらしい。

 

 タラップを駆け下りたタカフミは警戒を向ける。

 

「新しい操主か」

 

「お初にお目にかかります、伝説の操主だと、伝え聞いていますよ。タカフミ・アイザワ大尉」

 

「かつての階級はいい。問題なのは、今だ。何で、二人とも追われている? 友軍機を墜としただけの罪状にしちゃ、あの追い立て方は尋常じゃなかった。何が、世界で起こっているって言うんだ?」

 

 問い詰めたタカフミのスタンスをタキザワは小声で口にする。

 

「彼は分かりやすくていい。こちらが聞きづらい事をバンバン聞いてくれる」

 

 その意見には同意しつつ桃は戦局を睨んでいた。ヘイルは額を押さえ頭を振る。

 

「……俺にも、詳しい事は分からないんです。ですが、何か異様なものを感じました。まるで軍全体が一気におかしくなったみたいに。血続を排除せよって命令が通達されたんです。紹介が遅れましたが、《イクシオンカイザ》の操主、カグラ・メビウス准尉。彼女は純正血続です」

 

「……どうも」

 

 不愛想に応じたカグラと言うらしい操主の素性に桃は疑問符を挟んでいた。

 

「血続だからって追われていたって言うの? ……そんな風に今までの軍じゃなかったって言うのに」

 

 その疑念にブリッジよりこちらを視察に来た茉莉花が口にする。

 

「今まではそうじゃなかった。しかし、一晩で価値観が入れ替わる事は儘ある。タチバナ博士の観測が正しいのならばバベルの詩篇で惑星全土で価値観が変異した。全てはエデンという存在のために」

 

 茉莉花はヘイルとカグラを見据え、二人分のデータを手持ちの端末に入力する。

 

「血続が何で追われているのか、詳しい事は、軍上層部からは……」

 

 期待したタカフミに対し、ヘイルは首を横に振る。

 

「まったく……。何の見当もつきません。確かにメビウス准尉は友軍機を撃墜しました。しかし、それならば軍属の範囲内で責務は追及されるべきです。明らかにそれを超えた行為はおかしい」

 

「おかしいと思えるという事は……ヘイルと言ったな。お前にはエデンの洗脳が通用していないのか?」

 

 そうだ、その帰結を辿る。惑星の人々は誰もがエデンの洗脳にかかったわけではないのか。

 

 否、ともすればかかっていて《ゴフェル》内部への破壊工作のためにわざと知らない振りを通しているのかもしれない。

 

 自分の不手際で《ゴフェル》を危険に晒したか、と桃が危惧したがヘイルはまるで意味が分からないとでも言うように困惑する。

 

「洗脳……? 俺は洗脳なんて受けていない。それにメビウス准尉だって……。俺達はまともだ」

 

「まともだという奴の意見をそのまま鵜呑みにするのは危険なんだが……。しかし吾らも無暗に疑うのは自分の首を絞める事になる。二人とも、血続なんだな? カグラとやらは純正らしいが、そのヘイルと言うのも」

 

 問い質されてヘイルはまごつきつつも応じていた。

 

「あ、ああ。俺も血続だ」

 

「だとすれば、ある推論が成り立つ」

 

「推論……」

 

 茉莉花は外延宇宙軌道に位置しているタチバナに通信を繋いでいた。

 

「この推測通りならば、どうしてエデンが血続排除を掲げたのか、その理由がよく分かる。恐らく、単純に地上の人々の意識統一だけのためではない。血続には、洗脳が無効だと言う証明なのかもしれない」

 

『完全に同意は出来ないが、それでも血続に洗脳が無意味だと言う仮定で議論すれば、エデンが何故、血続排除を掲げたのかが我々にも理解出来るようになってくる。血続はエデンの使用する洗脳にかからない。だからこそ、地上の人々に植え付けた』

 

「……まぁ、まだ憶測の域を出ないが。それでも血続がカウンターになるのだとすれば、これは大きな一手だ」

 

 茉莉花の言わんとする事を桃は先回りしていた。

 

「まさか……手を組むって?」

 

「他に最良の条件はない」

 

 しかし、と桃は呑み込めなかった。相手はアンヘルにかつて在籍し、そして今、強力な人機を有している。確かに敵に回れば厄介だが、味方にするのもそう看過出来る話ではない。

 

「でも……相手が洗脳にかかっていないかどうかを判断する術がないんじゃ……」

 

「おれが保証しよう」

 

 振り返ったのはタカフミだ。彼は真っ直ぐな眼差しでこちらに言葉を振る。

 

「かつての部下だ。もし道を違えた時にはおれが撃つ。それで手打ちでいいだろ」

 

 タカフミ自ら泥を被ると言うのならばこちらに言える口は少ない。茉莉花はブルブラッドの青に近い髪を掻いていた。

 

「まったく……馬鹿の意見がまかり通るとはな。しかし、説得力はある。もしタカフミ・アイザワが駄目になっても、他はいくらでも用意出来ているからな」

 

「そりゃ、どうも。ガキンチョ」

 

 言葉の応酬を交わしつつも、どこかで信頼しているのだろう。茉莉花は二人へと言葉を放っていた。

 

「歓迎しよう。ブルブラッドキャリアの旗艦、《ゴフェル》へと」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯385 宣戦と誓い

「《ゴフェル》……。それがブルブラッドキャリアの舟の名前か……」

 

「言っておくが、今のタカフミ・アイザワの弁じゃないが、敵意を少しでも発した場合はすぐにでも射殺する。その覚悟だけは胸に抱いてくれよ」

 

 後ろからでも撃つ、という宣言にヘイルは辟易しつつも承服していた。

 

「……今は、この艦に身を寄せるしかない、か」

 

「私は賛成しますよ、中尉。どうせ、追われる身です。ブルブラッドキャリアになろうがなるまいが、変わりはしないでしょう? 別段、軍への帰属主義もありませんし、私はここで構いません。捕虜への人道的配慮くらいはあるのでしょう?」

 

「悪いが今の《ゴフェル》は部屋数を最大まで使っている。寝るのならば人機のコックピットにして欲しい」

 

「構いませんよ。監視されるのは慣れている」

 

 カグラは《イクシオンカイザ》のコックピットへと身を翻す。どこか諦観を浮かべた背中には推し量れない何かがあるように桃は感じていた。

 

「……でも、洗脳が通用しないって……。だから血続を抹殺? そんな事を、相手はやろうとしている……」

 

 ブリッジに戻る茉莉花の背中に続く。彼女は手を払っていた。

 

「元々、ブルーガーデンの元首だ。やる事が少しばかり過激でもおかしくはないさ」

 

「でも……、そんな行動の果てに待っているのは、人類の全滅なんじゃ……」

 

「案外、それでもいいと思っているのかもな。機械からしてみれば人が滅びようが知った事ではないとでも」

 

 エデンの思考回路に改めて恐れが走る。相手はブルーガーデンを率い、そして長らくバベルに封印されていた身。復讐心だけで人を滅ぼす事さえも出来ると言うのか。

 

 今までの敵は何だかんだ言っても、利権と野心があった。しかしエデンには何もない。何もない虚無の敵だ。どこまでも突き詰められるし、どこまでも冷徹になれる。

 

 そんな相手に勝てるのか、という疑念が脳裏を掠めたのも一瞬、茉莉花が立ち止まり、声を発していた。

 

「……勝てる勝てないの議論に達しているな。分からなくもない。鉄菜と合流も取れず、なおかつ不確定要素を二つも抱え込んだ。少しばかり不安なのはお前だけでもない」

 

《ゴフェル》のクルー全員が不安に駆られているだろう。自分だけではないのだと諭されて、桃は反省していた。

 

「……せめて、クロと合流出来れば……」

 

「次の手は打ってある。鉄菜と合流するとすれば、それは次なる戦地で、だ。《ゴフェル》は航路を取っている。敵の中枢、情報都市、ソドムへと」

 

 まさか、すぐに中枢に仕掛けると言うのか。思わぬ言葉に桃は抗弁を発しようとしていた。

 

「いきなり仕掛けるの? 短慮なんじゃ……」

 

「いや、これは時間との勝負だ。もし、相手の洗脳が連邦勢力全てに及び、血続抹殺に成功したとすれば、世界そのものとの戦闘になる。数でただでさえも不利に立たされているのに、思想の面でもどうしようもないとなれば、我々に勝算は少ない。さらに言わせてもらうと、相手はバベルネットを使っている。月面にその浸食が及ばないとも限らない」

 

 相手の手が月面に及べばそれまでの勝負。時間がないのはお互い様であろう。

 

「エデンの思惑が、少しでも分かれば……」

 

 その時であった。緊急招集の声が艦内に響き渡る。

 

『茉莉花おねーちゃん! ブリッジに来て! エデンからの……宣戦布告が……』

 

 美雨の急いた声に茉莉花と桃が廊下を駆け抜ける。ブリッジではスクリーン上に三つの禿頭の男性が背中合わせに向き合っていた。

 

 重々しい声が放たれる。

 

『ブルブラッドキャリアに告ぐ。この声明を受信しているのならば、貴様らに勝機はない。既に星は我らの手に落ちた。改めて、名乗ろう。我々はフィフスエデン。新たなる秩序と共に星を覆う存在だ』

 

「フィフスエデン……」

 

「何が、星を覆う、だ。ただの支配者だろうに」

 

 茉莉花の悪態に相手は予期していたのか、言葉を継いでいた。

 

『これまでの既存の支配特権とは違う。我々の思想は星の秩序の回復にある。元老院は百五十年、人々を無知蒙昧に迷わせ、争いを是としてきた。観てきたヒトの醜さに対してあえての静観を貫き、そしてブルブラッドキャリアの報復作戦を生んでしまった。その功罪の結果がレギオンだ。彼らは元老院の静寂の支配とは違い、積極的に星を掃除してきた。自分達の都合のいい人々だけの生存を結果論として掲げてきた彼らもしかし、滅びてしまった。そして、エホバ。彼奴は自らが旗印となって戦ったが、無残に時代の前に敗れた敗北者だ。決して、何一つ成せはしなかった。この三者は全て愚かであったと言えよう。その根源はヒトを支配しようとするからいけない。人間は、支配するのではなく、管理するのだ。精神の方向性を示し、その優位不利を植え付け、そして戦いを誘発する。ヒトは、愚かしくも争いを忘れる事が出来ず、そして罪を直視する事は不可能だと、我々は理解した。だからこそ、裁く。必要のない人間は抹殺し、生き残るべき価値のある人類だけは生存させ、管理下に置く。それこそが人類の安寧を確約するであろう』

 

 その思想の傲慢さ、そして残忍さに桃は拳を骨が浮くほど握り締めていた。

 

 ここまで残酷になれるのか。他者を否定し、可能性を閉ざし、何もかもなかった事にして、人間を管理する。

 

 そんな果てにあるのは虚無ではないのか。そこに生きている存在は人間とは呼べるのだろうか。

 

 桃は言葉を発しようとして、茉莉花に制されていた。

 

「フィフスエデン、だったな。貴様ら、勘違いをしているぞ。人間は、罪を直視出来ない……それは確かにその通りかもしれない。そこまで人間、出来てもいないのだろうさ。だが、管理、そして思想の方向性を決めるだと? ……ふざけるな。吾らの意思は自分達だけのものだ。人間が何かに隷属し、そして牙を奪われて生き永らえるなど、それは人間の生とは言わない。家畜以下の生存だ」

 

 静かな声音に滲んだ怒気に、桃は閉口する。まさかここまでの言葉を茉莉花が吐くとは思わなかった。相手もそれは同じようで、僅かな沈黙の後、言葉を返す。

 

『……ラヴァーズの造りし人間細工が偉そうな口を利く。知っているぞ。機械と人間との垣根を越えた、調停者。それがどのような存在なのか。なんて事はない、貴様も同じだ。人間が自らの好奇心で生み出した、怪物の一つだ。それなのに、何故人間を信じられる? どうして手打ちにしない?』

 

「そのような問答は無駄だ。手打ちにしてはならない事がこの世にはあるのでね」

 

『……馬鹿馬鹿しい。愚かしくも降りてきた貴様らは我々の指揮する人間達の前に屈服する。見よ、情報都市ソドムを覆う、人々の悪意を』

 

 映し出されたのは数時間前よりもなお、戦闘の気配を濃くした情報都市ソドム上空であった。連邦艦隊が守りを固め、無数の人機が出撃している。

 

 その数はまるで無限。世界中の悪意が、自分達を否定するために銃を取ったかのようであった。

 

『宣言する。ブルブラッドキャリアは滅びの道を辿っていると。ただ静観して月面で静かなる滅びの時を待っていればよかったものを、最も残酷な死を選んだ』

 

「どうかな。これが生存の最低条件かもしれない」

 

 舌戦に持ち込む気はないのだろう。エデンは最後の言葉を口にする。

 

『情報都市ソドムにいつでも仕掛けるがいい。我々を殺す事は出来ない』

 

 通信が切られる。ニナイは息を呑んでいた。

 

「……なんて事。あそこまで戦力を備蓄しているなんて……」

 

「嘆いても仕方ない。艦長、ソドムへの決戦を提言する」

 

 茉莉花が再びリニアシートを擁する球体に入った。情報を手繰る彼女にタキザワの通信が接続される。

 

『無茶だ! あそこまで相手が戦力を蓄えているのは想定外が過ぎる! 一度戦局を建て直し、少しでも勝ちの芽が見えてから……』

 

「そんな事をしていればまた、相手は血続のコミューンに仕掛けるだろう。それをいちいちさばいていれば、あった戦力も枯渇する。《ゴフェル》はこのままソドムに突入、敵戦力を完全に駆逐する」

 

『茉莉花! 君は頭に血が上っている! 今、無秩序に攻めれば決定的な何かを失うくらいは分かるだろう!』

 

 タキザワの言う通りなのも一面ではあるのだが、桃は茉莉花の中で燻る静かなる怒りを目にして言葉を失っていた。

 

 茉莉花は示そうとしている。

 

 この星には未来があるのだと。決して過去に縋る虚栄の者達が君臨していい場所ではないのだと。

 

 だからこそ、無茶に思えても戦い抜く。その覚悟を持っている。

 

 桃は進言していた。

 

「……艦長。モモからもお願い。このままソドムに仕掛ける。そうじゃなければ、何のためのブルブラッドキャリアなの? モモ達は常に、抗いの刃を掲げてきた。全ての理不尽に対して怒るのがモモ達の役目……」

 

 ニナイは逡巡の間を置いてから、それでもと応じる。

 

「……死にに行けと言っているような戦力差なのよ……」

 

 艦長としてそのような命令は下せないのだろう。重く降り立った沈黙を破ったのはルイであった。

 

『通信を関知』

 

「またフィフスエデンが?」

 

『いいえ、これは……どうやら放った策が一つ、有効になったみたいね。ランデブーポイントの指定が暗号化通信で来ている。《バーゴイルリンク》の直通よ』

 

「……クロが……?」

 

 そうだ。まだ鉄菜がいる。彼女が立ち上がる限り、自分達は決して敗北を認めてはならない。

 

「好都合だな。ランデブーポイントに向けて《モリビトシンス》の射出を準備しつつ、航路を取れ。相手はどこで合流のつもりだ?」

 

『この航路だと……こちらの目標地点とかち合うわ。ソドム上空で、鉄菜はモリビトを受領するつもりね』

 

 その事実に茉莉花はフッと笑みを浮かべる。

 

「……どこまでも徹底抗戦、か。艦長、鉄菜がその気だ。ならば応えるのが我々の使命じゃないのか?」

 

 鉄菜がやるのならば、自分達は応じなければならない。それがたった一人でも星に降りた彼女へ報いる事になる。

 

 熟考の末に、ニナイは決断していた。

 

「……分かったわ。ソドムへと航路を取る。ただし、これは私達だけじゃない。捕らえた連邦の二人にも協力してもらうわ」

 

「出せる戦力は全て、か。通達しよう」

 

 茉莉花が情報を手繰り寄せ、鹵獲した二機の情報を呼び起こす。桃はしかし、容易く容認出来なかった。

 

「……でも、戦力差は歴然。戦うと言っても、まだ何の策もないも同然なのよ」

 

「無策や賭けはブルブラッドキャリアの十八番かと思っていたが?」

 

「そりゃ! 今まではそうだった! でも見たでしょう? あの戦力を。これまでの戦いなんて比じゃないのよ! そんなところに……むざむざ向かえなんて、言えない……」

 

「弱気になるのならば出撃はしないでいい。桃・リップバーン。少しばかり考える時間はある。出ないのならば、その前提で編成を練ろう」

 

「どうして……。どうしてっ!」

 

 桃は身を翻していた。どうしても、このまま進んでいいのかの踏ん切りがつかないのだ。それは鉄菜がいないせいかもしれない。しかし、それだけではないはずであった。

 

 この戦いの如何で、未来が変わる。無論、それは二年前にも経験してきた。しかし、どうしても躊躇するのだ。

 

 エデンの目的は人間の意識の統合と、そして管理。まるで栽培するかのように、人類を完全な監視下に置く。看過出来ない悪ではある。だが、得心も、ある一面では行っていた。

 

 ――だって今までどれほど戦ったって、人類は一つになれやしなかったじゃないか。

 

 八年前の報復作戦でも、二年前のアンヘルとの熾烈なる戦いでもそうだ。

 

 結局、また振り出し。また争い合うしか道がない。

 

 そんな世界に未来なんてあるのか。平和は訪れるのか。いつまでも戦って、争って、その醜い先に本当の描いた世界はあるのか。

 

 堂々巡りの思考に、桃は壁を殴りつけていた。

 

 弱気になっているのかもしれない。いや、そうじゃなくても、争いからは一線を退き、人機にさえもさほど乗らず、人を殺さないで済んだこの二年。どれほどの安息なる二年であったか。

 

 情報戦を引き継いで戦ってきたとはいえ、鉄菜のように介入行動に出る事もなければ、蜜柑のように教官として常に戦いを意識せずに済んだ。

 

 自分はもう、戦う事に疲れてしまっているのだ。

 

「……モモは、クロみたいになれない。蜜柑みたいにも……。どうして、まだ未来を描けるの? 二年前に精一杯やったじゃない。精一杯やってこの結果なら、もう何も打つ手なんてないんじゃ……」

 

 その時、桃の耳に届いたのは笑い声であった。部屋から出てきたのは瑞葉である。結里花を抱いてあやしつつ、こちらの存在に気付いたらしい。

 

「あっ……桃……。すまないな、どうしても外に出たいと結里花が……」

 

「……何で、来たんですか。月面で待っていても、誰も文句なんて言わなかった」

 

 瑞葉の処遇は彼女自身の意思によるものが大きい。別段、月面で静かに待っていてもよかったのに、彼女は娘を伴って戦場に訪れていた。

 

 その在り方が、今は純粋に皮肉のようで桃は苛立ちを募らせる。瑞葉はそれを感じ取ったのか、ぽつぽつと語り始めていた。

 

「……今回の敵に関して、聞いた。エデン……かつてわたし達を操っていた、ブルーガーデン元首だと」

 

 ハッと桃は気づく。そうだ、瑞葉はかつてのブルーガーデン強化実験兵。エデンへの憎しみ、そして因果は人一倍のはず。だが、ならば余計に戦場にも出られない身分でこの艦にいるべきではないはずだ。《ゴフェル》が轟沈する恐れだってある戦いに、どうして幼い命を伴わせて乗艦しているのか理解出来ない。

 

「……何なんですか。一番に辛いのは自分だって言いたいんですか……」

 

 こんな事を言うつもりはない。彼女に突きつけてどうすると言うのだ。彼女は完全な被害者だ。ブルーガーデンに命を弄ばれ、その存在さえも捧げてきた。

 

 そんな相手が再び復活したとなれば心中穏やかではないのは分かるのに、どうしても瑞葉の現状が分からない。戦えるわけでもないくせに、という醜悪なる考えが鎌首をもたげる。

 

 一触即発の空気に泣きじゃくりかけた結里花をあやしつつ、瑞葉はそっと言葉を結んでいた。

 

「……そうだな。戦えもしないくせに、どうしてここにいるのか。自分でもそれは不思議だ。だが……愛すべき人達が前を行くのに、わたしだけ安全地帯で待っている事は、やはり出来ないんだ。クロナは、わたしを救ってくれた。それにアイザワも。だから、わたしは少しでも報いたいんだ。傍に居られたら、どれほどいいか、わたしは知っているから。大切な時に誰かの傍に居られることが、何よりも……」

 

 濁したのはその大切な者を欠いているからか。鉄菜はまだ戻ってこない。瑞葉からしてみれば鉄菜の不在だけで心が削れるかのような思いだろう。

 

「……でも、だからってっ! 今回ばっかりはモモ達だって戦い抜けるかどうか分からないんですよ! 勝てないかもしれない! 月面よりもなお色濃い敗北の感覚がする……。そんなところに向かうのに、モモは……」

 

 分かっている。これも逃げの抗弁だ。本当のところはこの戦いを生き抜いたとしても、人類が一つになる可能性のほうが低い事をどこかで理解している。死すべき戦地で死ぬのならば本望だが、ここが本当にそうなのかが不明で仕方ない。

 

 分からないから、怖い。

 

 ぎゅっと握り締めた拳に結里花が手を伸ばしていた。まだ幼い手。誰かを頼る事でしか生き永らえられない手が自分の手に触れる。

 

 こんなにも汚れてきた手で、純粋なる生の結晶に触れている。

 

 結里花はこの先、どう生きるのだろう。ブルブラッドキャリアの戦闘兵としての生き方だろうか。それとも、違う道を模索出来るとすれば。それは自分達の戦い如何にかかっている。

 

 ここで人類に対して、エデンに対して覚悟を持って抗わなければ、未来は暗いままだ。そんな未来に、彼女を生きさせていいのか。

 

 未来を変えるのは己の力。未来を切り拓くのは自分の信念。

 

 それを、分かったつもりであった。分かり切っていて、戦っていると思っていた。

 

 だからこそ、この当惑に自分自身が戸惑っている。こんなところで足踏みをするほど手ぬるい戦い方をしてきたつもりはないのに、フィフスエデン相手に自分を出し切るのがこれほどまでに恐ろしいなんて。

 

「……桃。こんな事をわたしが言うのはお門違いかもしれないが……逃げてもいいと思っている」

 

「……何ですって?」

 

 侮辱されたと感じた神経が問い返したが、瑞葉は目線を伏せたまま口にする。

 

「アイザワは、わたしに、運命に抗うだけが生きている事ではないのだと教えてくれた。だからここに結里花と共にいる。もし……わたしが抗いの刃だけを手にして、その力の赴く先だけを信じて生きていれば、今頃ここに結里花はいないはずだ。そうだ……未来はただ闇雲に戦った先にあるだけじゃない。何か……もっと柔らかいものの先にあると、そう思うんだ……」

 

「柔らかいものの、先……」

 

 分からない。茫漠とした未来が広がるばかりだ。それでも、柔らかなものを勝ち取るための手段が、戦い。瑞葉もその点では同じのはずだ。結里花がその未来と言う名の答えなのだとすれば、彼女のために全てを捧げるのもまた戦い。

 

 瑞葉もまた、戦っている。

 

 それなのに、自分は逃げの方便に影を落としていた。恥辱――いや、これは単純に自らの愚鈍さに気付いただけの話か。

 

 今まで戦ってきたのは割り切れるのに、ここ本番で戦いを受容出来ない、半端者の理屈。そうだ、自分は六年間、鉄菜を探し続けたではないか。アンヘルの統治がどれほどに完成されようとも、鉄菜は生きている、それを信じて戦い抜いただけの覚悟は持っていたはずだ。

 

 ならば今だって同じはず。

 

 明日を信じ、この手が汚れようとも戦い抜く。

 

 それがブルブラッドキャリアの、モリビトの執行者だ。

 

「……クロがいたら、怒られちゃうね。モモは、また逃げようとしていた」

 

「誰も責めない。モリビトの執行者は、あまりにも傷付き過ぎた。だから今、何を考えようとも……」

 

「ううん、瑞葉さん。それはモモが、過去の自分を裏切る事になっちゃう。モモは、過去の自分に誇りある未来を見せたい。勝ち取った先にある、本物の未来を。だから……だから……」

 

 戦える。その一言を口にするのに、どうしてだか憚られていた。

 

 やはり、割り切れないのか。戦えばいい。戦って、壊して、その果てに掴み取ればいいのに、どうしてここで疑問が鎌首をもたげるのだ。

 

 ここに来るまで数多の犠牲があった。数多の死と争いの上に自分達は成り立っている。

 

 分かっているはずだ。理解もしている。感覚でも、自分は承服しているはず。それでも、どこで呑めないと言うのだ? どこで、線を引けないと言うのか。

 

 桃は迷いの胸中のまま、結里花の手を握り返していた。

 

 分かりやすい答えなんて出てくれない。それでも、ここにある命一つ、守れなくて何がモリビトの執行者か。

 

「……瑞葉さん。身勝手かもしれないけれど、モモに、結里花ちゃんを守らせて。その誓いだけが、今、桃を戦いに向かわせてくれる……」

 

 無論、身勝手だ。誰かの命に担保して、己の信念を貫こうとするなど。しかし、瑞葉は否定しなかった。

 

「構わない。しかし、桃。想っているのは、何もわたしだけではない」

 

 その一言で、桃は自分が漂っている迷いがどれほどに御し難いのか察知していた。

 

 そうだ、これは分かりやすい答えなんてない。堂々巡りの思考の先にある、誰にでも陥る争いの問いかけなのだ。

 

 その問いかけを、問い続けるのが戦い。

 

 守るべき何かがあれば、迷いは振り切れるのか。

 

 ――否、断じて否であろう。そんなに簡単ならば最初から誰も迷いはしない。

 

 戦うのは一つの答えで成り立つ代物ではない。不思議と過去よりも因縁に雁字搦めになっていくのは、大人になった証左だろうか。

 

「守るために、戦う。……守り人として」

 

 こんな理由、所詮は仮初めかもしれない。それでも、今戦う理由がここにあるのならば。それで、自分は前に進もう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯386 信じるべき明日のために

 もたらされた通信を傍受したのは偶然であったのか、あるいは必然であったのかは不明だが、スクリーンに映し出されたのはブルブラッドキャリア旗艦、《ゴフェル》にもたらされた宣戦布告であった。

 

 それを目にして鉄菜は重く口にする。

 

「フィフスエデン……。ブルーガーデンの忘れ形見か」

 

 レジーナは額を押さえ、なるほど、と口にする。

 

「ブルーガーデン……かつての亡国が今、牙を剥くか。しかし、まさかエデンなる特殊機構が全てを裏で操っていたなど……」

 

「私はこの情報に信を置く。ブルーガーデン国土で、対峙した事がある」

 

 鉄菜の進言にレジーナは首肯していた。

 

「我々としても敵が見えたのは大きい。でも、これは奇妙だ。全ての情報ネットを掌握したエデンが何故、我々にも察知出来る領域で宣戦布告した?」

 

 その問いかけに鉄菜は憶測を混じらせていた。

 

「……相手は全てを掌握した気でいる。それがある種、付け入る隙なのかもしれない。敵は傲岸不遜にも、私達では戦い抜く事さえも出来ないのだと、そう思っているに違いない。だから、バベルから外れた者達への宣戦も含めた」

 

「……要はこの支配に屈しないのならば、全てが敵だと、そう言っているわけか。ある意味では分かりやすくっていい」

 

 しかし、と鉄菜はこの状況を俯瞰する。フィフスエデンなる相手の真の姿、それは何重にも張り巡らされた新連邦艦隊を超えた先にある。どう考えても《バーゴイルリンク》では突破出来まい。

 

「レジーナ。《バーゴイルリンク》で《ゴフェル》に通信する。私は情報都市ソドムへと向かう途中でモリビトを受領し、そのまま戦闘に入ろう」

 

「許諾出来るとでも?」

 

 レジーナの問いかけに鉄菜は迷わず応じていた。

 

「ここで許可されないのならば、私がここで生き永らえた意味がない」

 

 強い論調にレジーナは説得を諦めたようであった。肩を竦め、頭を振る。

 

「……いつだって、戦士の信念に口は挟めない、か。いいだろう。《バーゴイルリンク》による情報都市ソドムへの出撃を許可する。ただし、条件として、ミスターサカグチとの行動を義務付けよう」

 

「……奴と、か」

 

「何か不満でも?」

 

「いや……単騎で突破は不可能だろう。必然的な判断だ」

 

 存外に冷静に事の次第を見据えられている。だが、鉄菜は一個だけ解せなかった。

 

「……フィフスエデン、貴様らの本当の目的は……何なんだ」

 

「惑星の支配とブルーガーデンの再興では?」

 

「それならば前者は既に成し得ている。後者を実行するのにはただ単にリスクが伴うが、人心を掌握したのならば難しくはない。何か……隠し立てされている気がしてならないんだ」

 

「相手の本当の目的、か。調べは?」

 

 部下に声を飛ばしたレジーナに、オペレーターは返答する。

 

「なにぶん、こちらにはタイムラグが生じています。グリフィスの作った抜け道と言っても、やはりバベルネットを越えられませんからね。相手の本当の目的とやらを察知するのには時間が……」

 

 どうしたって足りない、か。鉄菜は胸中に結び、身を翻していた。

 

「すぐにでも出る。《ゴフェル》との合流時間を考えれば、こうして策を弄する時間もないはずだ」

 

「それには納得だが、相手の戦力は圧倒的だ。これを」

 

 映し出されたのは先ほどの宣戦布告時に送信された情報都市ソドム上空の映像であった。新連邦艦隊の総力と、そして新型人機の群れ。戦力差はざっと千対一に等しい。

 

「皮肉な……。惑星の人々は操られた事にも気づかず、こうして前線に駆り出されているのか……」

 

「私は、モリビトならば、この状況を打開出来ると考えている」

 

「しかし、恐れを知らぬ戦士は時として恐慌に駆られた者達よりもなお性質が悪いぞ。どれほどの絶望を突きつけても行動してくる」

 

「それは私も同じだ。絶望を退ける勇気を持って、戦い抜こう」

 

 レジーナは手を払う。

 

「出来るだけ優位を突ける時間は作ろう。後は、出たとこ勝負になるが」

 

「充分だ」

 

 返答し、鉄菜は管制室を後にしていた。格納デッキには既に《バーゴイルリンク》が整備され、万全の状態で出撃姿勢に入っている。

 

 タラップを降りようとした鉄菜を制したのはサカグチであった。

 

 相貌に刻まれた深い傷痕は、彼自身の重く沈殿する怨嗟そのもののようでもある。

 

 その眼差しから鉄菜は決して逃れなかった。

 

「……行くのか」

 

「ああ。私にはこの戦いを終わらせる義務がある」

 

「それはブルブラッドキャリアとして、か」

 

「私はモリビトの執行者だ。世界が間違った方向に行くと言うのならば、剣を取る責任がある」

 

 こちらの言葉に相手はフッと笑みを浮かべていた。自嘲気味にサカグチは口にする。

 

「義務、責任、か……。だが貴様は、それだけで戦うのではないはずだ。あの時……累乗の星々を俺に見せたのは、何もそんな雁字搦めの神経だけではないはず。本当に最後まで戦うと誓うのならば、そんな安い言葉で清算されない何かを生み出してみせろ。そうでなければ、俺は貴様を撃つ」

 

 伊達でも酔狂でもない。サカグチは心の奥底から、自分が道を踏み誤れば撃つと言っているのだ。それは長年の因縁によるものか。あるいは、好敵手と断じた相手が堕ちていく様など見たくはないからか。

 

 いずれにしたところで、サカグチと自分は決して相容れない。

 

 だがそれでこそ、恐らくは分かり合えるのだろう。相容れないと言う関係でさえも、一つの意義がある。

 

「……援護は任せる。私はモリビトを受け取る」

 

「構わんさ。万全でない相手を墜とすなど、それほどつまらない事もあるまい」

 

 道を譲ったサカグチに鉄菜は一瞥さえも向けず、《バーゴイルリンク》の機首へと飛び乗っていた。

 

『鉄菜……何とかシステム復旧は出来たマジけれど……地上の全ネットに干渉出来ないのは痛いマジよ。グリフィスの抜け道だけにローカル通信を設定しているマジが、これじゃブルブラッドキャリアの通信も……』

 

 助けも得られない中でモリビトを受け取る。恐らくは無謀に映っているだろう。それでも、鉄菜は曲げてはならない意地を見据えていた。

 

「ライブラの腕利きが援護してくれている。私は自分を信じて、モリビトを受け取り、一気に戦局を覆してみせる」

 

『口で言うのは容易いマジが……、相手の総力を観たマジ? あれは……八年前の殲滅戦よりももっと……』

 

 突破不可能に映るのだろう。その判断も何ら間違ってはいない。しかし、自分はここにいる。ここにいて、間違いを間違いなのだと断ずるだけの意思があるのならば、抗ってみせよう。最後の最後まで。

 

 どれほど生き意地が汚くとも、それがモリビトの執行者。それがブルブラッドキャリアだ。

 

《バーゴイルリンク》が戦闘機形態のまま、カタパルトへと移送される。射出準備が成され、鉄菜は丹田より声を発していた。

 

「鉄菜・ノヴァリス。《バーゴイルリンク》! 出る!」

 

 銀翼を拡張させ、《バーゴイルリンク》が空を駆ける。追従する真紅の《イザナギオルフェウス》と共に、鉄菜は漆黒に沈んだ最後の戦場へと赴いていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯387 最後の罪

 バベルネットワークが接続に使った端末は百億をゆうに超える。

 

 しかし、接続完了までにかかった時間はほんの一時間にも満たない。そのような短時間で世界を制覇した存在など今の今まで存在しない、机上の空論にしてみても性質が悪かっただろう。

 

 ――しかし、それは実現する。

 

 エデンは自らに接続した全ての機器よりのリアルタイム情報を得ていた。当然、その中には海上で《イクシオンカイザ》を手に入れた《ゴフェル》の情報も、そしてここに今まさに向かおうとしているライブラの有する二機の人機の情報も入っている。

 

 だがエデンは慌てもしない。むしろ、目的の達成にはこの程度の障壁があって然るべきだとさえも感じていた。

 

 いや、感じている、というのも奇妙な物言いか。三位一体にして、この構築されたネットは既に全を超え、超越する一になろうとしている。

 

 エデンはバベルネットに接続された端末のうち、古代人機探査に用いられる端末へと己を投げ入れていた。

 

 瞬間、古代人機の血脈にエデンの意思が宿る。

 

『古代人機へのアクセスを確認。これより、惑星の中核への内部探査を開始する』

 

 エデンに侵された古代人機がそれぞれ鍵穴状の身体を屹立させ、その血筋を惑星内部へと至らせる。

 

『元々、古代人機は端末であった。惑星の真の支配のための。これを知っているのは旧元老院と、そして我々だけだ。百五十年、その永劫なる時間を生き抜いてきた一つの生命のみが辿りつける真の極地。プラネットシェルの真意。惑星を覆うリバウンドフィールドは何のためにあるのか。追放者達を永遠に近づけぬためだけではない。ましてブルブラッドの毒素を宇宙にばら撒かないためだけでも。この静謐の真なる意味とは、百五十年の時間を費やして探査された、古代人機による惑星浄化だ』

 

 そのデータはバベルの中に存在する。今、この広大なる星の中でバベルネットの本当の意味に気づけているのはエデンしかいない。

 

 古代人機はその大いなる意志をもって、人間の犯した罪悪を浄化し、贖うための遠大なるシステムであった。しかし、それを百五十年のうちに忘れ、そして惑星浄化のためのシステムを破壊する事にさえも長けてしまった人類は古代人機をただの野生を秘めた存在だと規定してしまった。そこに間違いはある。

 

 古代人機こそ、人類が最後の最後に行き着く、贖いのための方策であったのに、ヒトはその宿命を忘れて偽りの平和を是としようとしている。

 

 エデンからしてみれば度し難い。このようにシステムと一体になれる自分達こそが、星の内部核――プラネットコアにアクセスし、そして星を「造り変える」。

 

『星は、このエデンの目的通りに造り変えられなければならない。変革の時はまさしく今だ。我が大いなる目的意識こそがそれを果たす。星の人々はその生贄、犠牲となって然るべき者達だ。……だが、この目的に気づけている者がいるとすれば、それは古代人機、ひいては人機の血筋に呼応する者達、血続であろう。血続さえ排除すれば、我が宿願は成る。彼らが星の声を聞くと言うのならば、彼らさえいなくなればあとは無知蒙昧なる偽りの人類を操ればいいだけ。星を掌握するのにさして時間はかかるまい』

 

 バベルネットが人類規模での洗脳を可能にした。しかし血続だけ洗脳条件にかからないのは何も遺伝子上の乖離だけではない。彼らは来るカウンターとして、星のために用意された人間達なのだ。

 

 ゆえに彼らを滅ぼす事こそ、至上に挙げなければならない。エデンは再び指揮を振っていた。連邦艦隊の一部が血続コミューンへと移動し始める。

 

『蹂躙せよ。そして血続を滅ぼし、新たなる秩序を!』

 

 放たれた声に呼応するかのように、星の上を一機の人機が疾走する。

 

 銀翼を拡張させた人機が真っ直ぐにこちらに向けて加速してきた。その存在にエデンは歯噛みする。

 

『……ブルブラッドキャリアの操主。鉄菜・ノヴァリス……』

 

 新連邦艦隊へとバーゴイルの改修機が可変し、銃撃を浴びせる。出撃した《スロウストウジャ弐式》編隊が追従した真紅の人機に断ち切られていく。

 

『《プライドトウジャ》の改造機か。忌むべき人機が何を!』

 

 真紅の機体と銀翼の青き機体が連邦艦を追い込み、人機一個中隊を押し戻していく。その圧倒的な戦闘力にエデンはやはりと口にする。

 

『我らの弊害は、貴様らであったか。ブルブラッドキャリア!』

 

 だが、と新たに艦隊より《スロウストウジャ弐式》部隊を寄越す。今度は中隊レベルを三つ。さすがに突破は出来まい。

 

 虫のように密集陣形を取った新連邦艦隊を前に《バーゴイルリンク》と呼称されし機体が四方八方より銃撃を受け止める。如何に機動力に優れた人機でも全方位からの悪意はさばけまい。

 

 その銀翼に翳りが見えた。その瞬間であった。

 

 情報都市ソドムに攻め入るもう一つの影を関知する。振り返った瞬間、加速度を上げて射出された人機にエデンは瞠目していた。

 

『あれが……データにあったモリビトか』

 

 確か《モリビトシンス》と言う。《モリビトシンス》が武装を内側に仕舞い込み、殻のように機体を保護しながら《バーゴイルリンク》と相対速度を合わせる。

 

『重力下で乗り換えるつもりか! 無謀な事を!』

 

 そのような暇は与えない。スロウストウジャ編隊を操り、エデンは《モリビトシンス》を撃墜しようとするが、それを阻んだのは新たに咲いた火線であった。

 

 流線型の機体と、スロウストウジャの最新鋭機が連邦艦隊に牙を剥く。

 

『《イクシオンカイザ》と《スロウストウジャ肆式》!』

 

《イクシオンカイザ》が自律兵装を稼働させ、スロウストウジャ部隊の注目を集める。《スロウストウジャ肆式》が稼働し、背部マウントされたバックパックより砲撃を浴びせていた。

 

 高出力R兵装を操り、新連邦の持つ兵力を押し上げていく。

 

《イクシオンカイザ》が友軍機の攻撃を引き受けている間に、《バーゴイルリンク》は《モリビトシンス》と速度を合わせ、内蔵されたハンガーで合体していた。その合間を鉄菜・ノヴァリスが行き過ぎ、《モリビトシンス》の眼窩に緑色の生命の輝きが宿る。

 

『あれが……レギオンを追い込み、アムニスの企みを破壊した、人機。《モリビトシンス》か!』

 

 軽んじたわけではない。むしろ、総攻撃が必要な相手であろう。

 

 手繰ったスロウストウジャの武装網を《モリビトシンス》は白銀の風を纏いつかせながら回避し、片腕に装備したパイル型の剣で打ち破っていく。

 

 一機、また一機と戦力が削がれ、エデンは焦燥に駆られていた。

 

『まさか、ここまでとはな。《モリビトシンス》、それに鉄菜・ノヴァリス! あの時逃した不実をここで呪うとは! どうやら貴様と我々は決着をつけなければならないようだ!』

 

 エデンは己の制御端末一部を載せた躯体へと移行させる。情報都市ソドムの天蓋を引き裂いて現れたのはあの落日の時を髣髴とさせる濃紺の巨体であった。

 

 四本の腕を有した巨大人機が赤い眼光を滾らせる。その四つ目が空域で逆らう反逆者達を睨んでいた。

 

『再び! 貴様と相対するとは! これを運命と呼ばず何と呼ぶ! そうであろう、我が戦闘用の身体、《キリビトエデン》!』

 

 その声を引き受けた《キリビトエデン》は全方向へと火線を軋らせていた。湾曲するR兵装の光軸が《モリビトシンス》を追い込まんとする。

 

 こちらの敵意に《モリビトシンス》が応じていた。

 

『それが貴様の正体か。フィフスエデン!』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯388 撃てない理由

 叫んだのは相手の声が聞こえた気がしたからだ。

 

 傲慢なる力の使い手。この星をまた新たなる戦場にしようとする呪われし人機。

 

 相手が自ら識別信号を表示させる。《キリビトエデン》の名を冠した機体に、鉄菜は奥歯を噛み締めていた。

 

 あの時――青い地獄で決着をつけていればこのような事はなかった。だからこれは己の罪でもある。

 

「《モリビトシンス》! 鉄菜・ノヴァリス! 対象をSSクラスの脅威と断定し、これを破壊する!」

 

《モリビトシンスカエルラドラグーン》の銀龍の機体が敵影を睨む。クリオネルディバイダーを四方八方に飛ばし、《キリビトエデン》の操る自在なるR兵装を弾いていた。

 

「リバウンドのビームが、曲がる?」

 

『鉄菜! 《モリビトシンス》を受け取ったな? これより《ノクターンテスタメント》と《イウディカレ》を援護に出す』

 

「茉莉花、重力下でビームが曲がるわけがない。カラクリは?」

 

 その問いかけに通信越しの茉莉花が渋面を作っていた。

 

『……単純なる出力だとしか思えない。あれは純惑星産の血塊炉を使っている。その力がもし、完全に制御可能であるとすれば、エデンの使用しているのは……』

 

 その言葉の赴く先を聞く前に湾曲したリバウンド光条が先ほどまで機体があった空域を引き裂く。まるで自在だ。飴を練るかのように相手はR兵装を操る。それほどまでのエネルギー流転を可能にする方法は、一つしか思い浮かばない。

 

 鉄菜は《キリビトエデン》の四肢に流れる黄金の血脈を目にしていた。

 

「……常に、エクステンドチャージ状態、か」

 

 最悪の想定に茉莉花は首肯する。

 

『こちらも出し惜しみはしていられない。エクステンドチャージでの応戦を許可する』

 

《ゴフェル》艦体が黄金に染まり、主砲を発射する。連邦艦隊はしかし無傷であった。構築された高精度リバウンドフィールドの皮膜と、その内側で燻る黄金の艦隊に息を呑む。

 

「まさか……! 人類側もエクステンドチャージを……!」

 

『皮肉な。俺のもたらした黄金の力が……!』

 

《イザナギオルフェウス》が敵影を切り裂く。二刀を操り、それぞれの太刀を交差させた《イザナギオルフェウス》が敵機を捉えようとして、その機体が掻き消えた。

 

 跳ね上がった黄金の軌跡を宿す人機が《イザナギオルフェウス》を蹴りつける。絶句した様子のサカグチは敵からの一斉掃射を《イザナギオルフェウス》の高速機動で回避していた。

 

『黄金の力……! 末端兵までも!』

 

 スロウストウジャ編隊が出力を上げたプレッシャーライフルで《イザナギオルフェウス》を引き剥がす。思わぬ応戦の波に鉄菜は《キリビトエデン》へと攻撃を入れようとして、敵陣に阻まれていた。

 

《スロウストウジャ弐式》が舞い上がり、プレッシャーソードを放ちかけて、背後へと回していたクリオネルディバイダーによるリバウンドフォールで跳ね返す。

 

 だが一進一退だ。どう足掻いても相手の兵力は圧倒的。

 

 スロウストウジャ部隊は決して性能で劣っているわけではない。統率されたプレッシャーライフルの波はそれだけで《モリビトシンス》の進路を塞いでいた。

 

「近づけない……!」

 

 クリオネルディバイダーを放ち、防御陣を張りつつ敵の中枢に向かおうとするが、その時には既に湾曲する光軸が自機を捉えている。

 

《モリビトシンス》を上空に逃がしつつ、鉄菜は突破口を探していた。

 

《キリビトエデン》を破壊するのには、《モリビトシンス》のエクステンドチャージでも足りない。恐らくエクステンドディバイダーを使用したとしても、相手は戦力を自在に操り、スロウストウジャを壁にして減殺させるだろう。

 

 完全なる攻撃を放つのには、この状況が悪かった。

 

 スロウストウジャ編隊には恐れがない。人機はヒトが操るからこそ隙が生じるものだが、《キリビトエデン》という一を中心とした編成には恐れもなければ人間らしい戸惑いもない。

 

 躊躇のない攻撃と完全に操主の負荷を無視した機動力は、鉄菜と《モリビトシンス》に蓄えられていた経験則を無力化するのに充分であった。

 

「相手に戸惑いがない! これでは、踏み入る事なんて……」

 

 一機の《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーソードを引き抜き、《モリビトシンス》と鍔迫り合いを繰り広げる。無論、こちらのほうが出力は上だか、瞬時に黄金に機体を浸食された相手は内側より赤く照り輝いていた。

 

 まさか、と距離を取るよりも早く敵機が溶解し、爆発の光に包まれる。瞬間的な火力を最大限に有効活用にするのには、自爆が最も正しいのは理解出来る。

 

 ただ――理解は出来てもそれを実行するのは不可能のはずだ。なにせ、人機を操るのは人間。その命を散らせてでも相手を圧倒しろなど。

 

 このような戦い、誰も予期しておらず望んでもいない。

 

 鉄菜は背後より組み付いてきた《スロウストウジャ弐式》がまたしても赤く煮え滾ったのを視野に入れていた。

 

 覚えず蹴り上げ、引き剥がす。クリオネルディバイダーを用いて爆発を最小限に抑えようとするも、誘爆が貴重なクリオネルディバイダーを道連れにした。

 

『何を迷っている! 相手は自爆も辞さない敵だ! 鉄菜、エクステンドディバイダーで敵陣を一掃しろ!』

 

 茉莉花の命令に、分かっている、と応じつつも鉄菜はエクステンドディバイダーを躊躇っていた。覚悟のある相手に放つのならば、それは自分でも許している楔だ。しかし、覚悟のない、全く意図していない相手に放つ刃は? 剣閃が洗脳された相手を吹き飛ばすのだけは……。

 

『鉄菜! 迷っていてはやられるぞ! 桃と蜜柑を出した! お前は《キリビトエデン》に集中して――』

 

「……出来ない」

 

『何だと?』

 

「私は……これ以上、無垢なる人々を、手にかけるなんて……」

 

 指先が震える。視野が霞みコンソールさえも見えなくなっていく。痺れた末端神経が全ての戦闘行為を拒絶していた。胃が捩じ切られそうなほどに痛い。今にも吐き出しそうだ。

 

『今さら何を言っているんだ! この敵も今までと同じだ! 戦わなくては被害が広がるばかりだぞ。鉄菜、今はエデンを倒す事だけを目的に掲げろ! そうでなければ押し負けてしまう!』

 

 茉莉花の言葉は正論だ。しかし、エデンは卑劣にも洗脳した人々を前線に立たせる。鉄菜と《モリビトシンス》はそれを武力以外で後退させる術を知らない。

 

 それどころか、後退するほどの頭もないのだ。

 

 相手から撤退と言う二文字は完全に失われている。エデンに与する限り、人々はいたずらに死んでいくばかり。

 

 これでは何も救えない。何もかもを壊してしまう、破壊者のままだ。

 

《スロウストウジャ弐式》がプレッシャーソードを抜刀し、両脇からそれぞれ一機ずつ襲いかかる。《モリビトシンス》はクリオネルディバイダーで押し退けたが、真正面から飛びかかってきた相手へと鉄菜は習い性の剣筋を放っていた。

 

 Rパイルソードが敵のコックピットを射抜く。

 

 よろめいた敵であったが、それでもなおプレッシャーソードを振るう力は収まらない。振るわれた剣閃にこちらが後ずさる。

 

《モリビトシンス》の血塊炉すれすれを掻っ切った一撃に、鉄菜は言葉を失っていた。

 

「……洗脳だけじゃない。コックピットを撃ち抜いてもなお、襲ってくるのか……」

 

 人機のシステムそのものに介入している。操主がどれだけ生きようとしていても関係がない。エデンは全てを自らのためだけに使っている。

 

 それは今まで対峙してきたどの敵よりも卑怯で、そして醜悪であった。

 

 鉄菜は《モリビトシンス》に黄金の輝きを滾らせる。エデンの行いに自らの内奥から発せられる憤怒の熱が思考を白熱化させていた。

 

 ――許してはいけない。自分が、罰する。

 

「エクステンド、チャージ!」

 

 加速度で飛び抜けた《モリビトシンス》が《スロウストウジャ弐式》を弾き飛ばし、《キリビトエデン》へと斬り込もうとする。

 

 その道筋を他の機体が阻んだが、それさえも関係がなかった。

 

 Rパイルソードに熱を充填させ、そのまま掻っ切る。壁となったスロウストウジャが瞬く間に砕け散った。

 

 身を焼く怒り。敵を許すまいとする己のエゴも渾然一体となって、今、剣として結実する。鉄菜はRパイルソードに光を溜め込んでいた。赤く煮え滾った激憤が灼熱の剣閃となって瞬く。

 

「エクステンド――ッ!」

 

 そのまま《キリビトエデン》に向けて打ち下ろしかけた、その時であった。

 

 ――嫌だ、死にたくない。

 

 切り込んできた思惟の声に鉄菜は当惑する。幻聴かと疑ったが、確かに脳裏を震わせる声は自分に向けて放たれている。

 

 その主はこの空域でエデンによって指揮されている無数のスロウストウジャを含む人機部隊より放たれていた。彼らとて死に場所をここと規定して挑んでいるわけではない。

 

 全て、エデンの掌の上で操られているのだ。

 

 彼らの懇願が、無垢なる人々の声が、鉄菜を苛む。

 

「やめろ……! 撃たせてくれ……ッ! エデンさえ撃てば、終わるはずなんだ……」

 

 そう、終わるはず。そう決めつけて戦わなければ、先ほど散らした命は何だったのか。今まで殺してきた命は何だと言うのか。

 

 しかし、鉄菜は渋ってしまう。

 

 鈍らせた刃の隙を敵機は見逃さない。スロウストウジャ編隊がプレッシャーライフルを撃ち込み、エクステンドディバイダーが中断される。

 

 掻き消えた光の残滓に好機だと判じたのか、《キリビトエデン》からの一斉掃射が《モリビトシンス》を蝕んでいた。

 

 注意色に塗り固められたステータスに、鉄菜は《モリビトシンス》を急上昇させる。

 

 俯瞰したのは、醜い喰い争いであった。人間同士が分かり合えるはずのない戦地で殺し合っている。

 

 エデンを倒せば全て済む話、ではもう収まらないだろう。

 

《ゴフェル》より放たれた桃と蜜柑のモリビトが敵影を切り崩していく。だが、その動作にも苦渋が滲んでいるのが窺えた。

 

 自分だけではない。皆が自らを切り離しつつ戦っている。

 

「……私さえ、エデンに到達出来れば……」

 

《モリビトシンス》の突破力で並み居る敵影を全て薙ぎ払い、《キリビトエデン》に最後の一撃を下せばいいはずだ。

 

 だと言うのに、どうして躊躇う? これまでならば出来たはずだ。これからだってそうであるはずなのに。

 

 どうして、アームレイカーに入れた指先がこうも震えている。どうして、寒くもないのに身体を押し包む震えを止められない。

 

 鉄菜は荒立たせた呼気を詰めようとして、最接近した《スロウストウジャ弐式》部隊に奥歯を噛み締めていた。

 

 己を殺し、剣を振るう。それはかつて自分の鏡像を殺してきたあの日々に似ている。自らが何者なのかも知らず、ブルブラッドキャリアの尖兵となるべく、思考を放棄して戦ってきた、あの退廃の日々に……。

 

 どうして逆戻りしているのだ、と鉄菜は頭を振っていた。

 

「……私は、結局破壊者なのか……。殺す事に、この身は費やされているのか……」

 

 壊す事しか出来ない。そうではないのだと、二年前の戦いで知ったはずの身はこの戦局ではあまりに無力な張りぼての理論であった。

 

 エデンに辿り着けない。相手を殺し尽くす、と規定すればいいものを、そうだと断じられないのは脳内のバグか。

 

 どうしても硬直した身体を動かせなかった。

 

 敵陣のプレッシャーライフル掃射に《モリビトシンス》を稼働させる事さえも出来ない。じりじりと追い込まれているのが分かった。

 

『鉄菜! 何をしている! 棒立ちになっていれば如何に《モリビトシンス》とは言えただの的だぞ! エクステンドディバイダーで、《キリビトエデン》を撃て!』

 

 茉莉花の言う通りだ。自分がここで弱気になってどうする。

 

 しかし、撃てない。どうしても、それだけは出来ないのだ。

 

「……すまない、茉莉花。今の私に、撃つ権利はない。それだけの覚悟が……どうしても携えられないんだ」

 

『エデンが全ての元凶だ! エデンさえ討てばこの戦局は収まる! それが出来るのは《モリビトシンス》だけなんだぞ!』

 

 悲鳴のような声と共に轟音が通信域に混じる。《ゴフェル》とて新連邦艦隊と真正面から戦うようには出来ていない。

 

 時間はあるようで全くないのだ。

 

 迷っている暇はない。

 

 今すぐに剣閃を打ち下ろし、《キリビトエデン》を破壊しなければならないはずなのに――。

 

「……何でなんだ。どうしたって言うんだ! 鉄菜・ノヴァリス! 私は……!」

 

 何故、撃てないのか。何故、単純に考えられないのか。

 

 そうだ、大を生かすために小を殺せばいい。多くを生存させるためには少なからず犠牲はつきものだ。

 

 そこまで論理的に計算出来ているのならば何が不確定要素だと言うのだ。

 

 何も変わりはしないはず。今までの戦いとこの戦地、何が違う?

 

 自分の意志ではないから? そんな事で踏み止まっているのか? 今までだって様々な相手を墜としてきたはずだ。相手の信条がアンヘルにあろうがどの国家陣にあろうが、エホバを信奉していようが、ラヴァーズの兵であろうが、関係がない。

 

 今まで殺してきたのと何が違う?

 

 この空域にいるのは確かに、無垢なる民だ。

 

 この戦いでの意識はほとんどないはず。それでも、相手は敵だ。墜とすべき、敵であるはずなのだ。

 

 それは分かっている。分かり切っているはずなのに。

 

 指がどうしても引き金を引けない。最後の踏ん切りがどうしてもつかない。

 

 鉄菜は戦慄く視界の中で、首を横に振っていた。

 

「駄目だ……すまない、みんな……。私は、何にも成れない。破壊者にも、再生者にも……。何にも成り切れない半端者だ……」

 

 その時、不意打ち気味の照準警告に鉄菜は《モリビトシンス》を急速後退させる。

 

《キリビトエデン》が新たなる火線を咲かせるとの同時に、今までモニターされていなかった援護砲撃が《ゴフェル》を襲っていた。

 

 地下空間より這い出たその生命体に鉄菜は息を呑む。

 

「古代、人機……。何故……」

 

『星は我らに下った。これこそがその証。古代人機、星の守り手は我々を支援する。これほどまでに勝利が似合う筋立てはあるまい』

 

 まさか、と鉄菜は問いかける。

 

「本当なのか……。本当に、お前らでさえも……!」

 

 その言葉への拒絶のように古代人機の砲撃が《モリビトシンス》の肩口を抉っていた。思わぬ伏兵に《ゴフェル》からもうろたえの声が上がる。

 

『古代人機……? まさか、あれは自然現象のはず。コントロールなんて……』

 

『《ゴフェル》を後退させて! モモと蜜柑が前を固めるから、艦体を出来るだけ後ろに! そうじゃなければ狙い撃たれる!』

 

 桃の指示に、《ゴフェル》が急速後退に入る。この戦局での後退は実質的な敗北行為に等しい。それでも、このまま《ゴフェル》が轟沈される憂き目に遭うよりかはマシなのだろう。

 

 桃の駆る白と黒のモリビトが高出力R兵装の腕を突き出す。丸太のような腕そのものが高出力Rクローと化し、砲撃が敵スロウストウジャ部隊を追い込んでいく。

 

 その最中、滑走する蜜柑の《イウディカレ》が高機動し、敵の懐に入っていた。ライフルが可変し、銃火器の下部に配されたリバウンド刃発振装置より格闘兵装が引き出される。

 

 斧を顕現させた蜜柑のモリビトがすれ違い様に敵影を掻っ切る。それでも敵の戦力の三分の一も追い込めていない。

 

《スロウストウジャ肆式》が新型の拡散プレッシャーライフルで敵を出来るだけ巻き込んで誘爆させようとするが、それを掻い潜って《スロウストウジャ弐式》部隊が《ゴフェル》へと向かってくる。

 

『こんの! 傀儡兵士共がァッ!』

 

《イクシオンカイザ》に搭乗した血続兵士から殺意の波と共に自律兵装が放たれていた。四方八方へと編み出された攻撃網がスロウストウジャ部隊を押し込んだかに思われたが、その爆発を逆利用し、相手が熱源をかく乱させて《イクシオンカイザ》の死角へと潜り込む。

 

 鉄菜はそれを目にして咄嗟に《モリビトシンス》を稼働させていた。

 

 放たれたのはほぼ同時。

 

《イクシオンカイザ》を絡め取ろうとした銃撃網を《モリビトシンス》の躯体が受け止めていた。

 

 リバウンドフォールでもない、ただ盾になっただけの機体が瞬時に警戒色に塗り固められる。

 

《イクシオンカイザ》から声が迸っていた。

 

『モリビト……、何故……何故私を庇った!』

 

「……死すべきではないと、思ったからだ」

 

 そう返答するのがやっとであった。頭部コックピットが熱でひしゃげ、いくつかのガラス片がRスーツを貫通して突き刺さっている。

 

 心肺機能をやられたらしい。呼吸も絶え絶えの身体がそのまま《モリビトシンス》ごと、力を失って虚脱する。

 

 その機影に向かって《キリビトエデン》が火砲を浴びせようとする。

 

 鉄菜は、これが終わりか、と瞼を閉じていた。

 

 応戦する気力も湧かない。かといってここで生き抜いたところで自分はどうすればいいのか分からない。

 

 案外、自分にはお似合いの死に様かもしれないとさえも思えてくる。

 

 こうして惑ったまま死んでいく。

 

 何も成しえず、何も出来ないまま。何にも成れないまま、死んでいく。

 

 傀儡となった兵士に憤るわけでも、エデンに対して怨嗟を募らせるわけでもない。

 

 この戦場にあるのは虚無ばかりだ。殺し合ったところで、彼らは一生諍いの原因さえも分からぬままにこの戦地を呪うであろう。

 

 そして知るのだ。

 

 エデンが原因であったとしても、結局殺し合ったという結果。その冷酷なる結果こそが世界を回す。

 

 また、人が人を信じられない暗黒時代の幕開けだ。

 

 そうならないように戦ってきた。そんな未来を壊すために、それだけのために戦ってきたのに。

 

 自分は、この手が掴み取ったのは結局、虚構の世界のみであった。

 

 その実感が滑り落ち、直後に炎に抱かれた《モリビトシンス》を鉄菜は感じていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯389 彷徨う答え

「馬鹿者が――ッ!」

 

 奔った剣閃はあまりにも遅い。それでも、届けと願った意思と共に黄金の力を引き出したサカグチは《イザナギオルフェウス》を駆け抜けさせていた。

 

《キリビトエデン》の攻撃が命中し、火達磨になった《モリビトシンス》を落下直前に拾い上げる。即座に刃を立てさせ、コックピットを救助していた。

 

 それでも重症なのが窺える。サカグチは《ゴフェル》へと声を荒立てさせる。

 

「すぐに! このモリビトの操主を救援して欲しい! ここで彼女を死なせてはいけない!」

 

 その言葉に砲撃特化のモリビトが援護射撃を見舞いつつ、《イザナギオルフェウス》に合流する。

 

『クロ……っ!』

 

「重装甲のそのモリビトならば艦まで後退出来るな? 一度戦局を立て直す。俺は出来るだけ敵を引き付ける。その間に急速離脱しろ」

 

 刃を振るい、今もこちらへと襲い来る敵機を薙ぎ払う。重武装のモリビトは一拍の逡巡を挟んだ後に後退していた。

 

「……こんな場所で死なせて堪るか。我が好敵手よ。貴様はあの時、俺にこの残酷な世界で生きろと言った。その責は果たしてもらうぞ。そうでない死など、俺が拭い去る!」

 

 射程にある敵を《イザナギオルフェウス》は急加速に達し、剣を掲げて斬りさばいていく。敵影一つ一つに頓着していては勝てるものも勝てない。

 

 敵陣を一個の網として認識し、網を破るイメージを伴わせて剣を振るっていた。

 

 その中枢にいるのは間違いなくあの肥大化した紺碧の人機――《キリビトエデン》。しかし、単騎では到達出来ない。

 

 せめて、《モリビトシンス》が万全のうちにあの強大な一撃を振るえばまだ勝機はあったのだが……。

 

「いや……我ながら女々しいぞ。誰かに勝運を頼るなど」

 

 しかし、とサカグチはまた襲ってくるスロウストウジャを斬り払って息をつく。

 

 敵は数だけに物を言わせたわけでもない。一機一機が、八年前には相当なる戦力を誇ったスロウストウジャの改修機である。アンヘル時代においても重宝されていた汎用性と、そして強大なる連携を可能にするだけの性能。

 

 嘗めれば即座に墜とされる。

 

 ゆえに一瞬も気を抜けない戦局の中で、サカグチは牽制用のRバルカンを放っていた。格闘兵装のみに特化した《イザナギオルフェウス》が格闘を出し渋るという事は即ち、押されているという意味だ。

 

 この状況下ではどのような人機でも本来の能力を発揮出来ないだろう。

 

 何よりも、と視野に入れたのは間断のない砲撃を浴びせてくる古代人機であった。

 

 古代人機が相手の戦力に寝返った――この衝撃は大きいだろう。新連邦の人々が洗脳されただけならばまだしも、星を守る存在である古代人機でさえも相手は掌握する。その事実に少なからず震撼している者もいるはずだ。

 

「……古代人機。これもまた因縁か。しかし、《イザナギオルフェウス》。勝てないのか、ここまで追い込んでも……俺では……。モリビトの操主の代わりにはなれないのか……」

 

 上空より一斉にプレッシャーライフルが掃射される。サカグチはその砲撃網を小刻みに焚かせた推進剤で回避しつつ、応戦の刃を軋らせる。

 

 襲いかかってきた敵を一機、また一機と撃墜し、真紅の機体がブルブラッドの血の青に染まった。

 

 攻勢を浴びせてくる相手へと剣で応戦するが、不意に刃の耐久率が下がったのをサカグチは関知する。

 

 即座に離脱し、一閃を回避してから舌打ちを混じらせていた。

 

「……刃こぼれか。あまりに敵を斬り過ぎたな。それに、プレッシャーソードとの打ち合いはそこまで加味されていない。耐久の限界か……」

 

《イザナギオルフェウス》は一撃離脱型の人機。長期耐久戦闘は想定されていない。サカグチは無線に声を吹き込んでいた。

 

「一度、艦に戻らせてもらう。補給を受けなければいずれにせよジリ貧だ」

 

 だが、とサカグチは後退しながら歯噛みしていた。

 

「……敵を前にしてむざむざ撤退、か。苦いものを感じさせてくれる。世界というものは……」

 

 その世界も既に闇に堕ちたか。《キリビトエデン》がまるで星を掴むかのように四つの腕を天に掲げる。

 

 支配者だとでも言うのか、馬鹿な、と吐き捨てた胸中に、サカグチはここで退く己の恥を思い知っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 撃墜の報に瑞葉は廊下を走り込んでいた。

 

 まさか、まさかと急いた気持ちに緊急医務室へと入っていく鉄菜を瑞葉は目にしていた。覚えず口元を押さえる。

 

 Rスーツをいくつかの破片が貫いていた。傍目にも瀕死なのは明らかである。名前を呼ぼうとして、瑞葉は桃に遮られていた。

 

「……今は、何も……」

 

「クロナは……また、傷ついたのか……」

 

 無言を是とする桃に瑞葉は固く瞼を閉じる。どうして、真っ先に傷つく道を選ぶのだろう。鉄菜にだけは傷ついて欲しくないのに。

 

 その沈黙に桃は声を荒立たせていた。

 

「モモだって……泣けるものなら泣きたいですよ! でも泣いちゃいけないんだ……! だって、戦いはまだ終わっていないのに……」

 

 自分だけ可哀想がるなんてどうかしていると言いたいのだろう。桃達執行者はそうでなくともこの戦線で深く傷ついているはずだ。何も鉄菜だけが犠牲者ではない。

 

 それでも、瑞葉にはこの現実が耐えられなかった。

 

 どうしていつも鉄菜が深く傷つかなければならない。どうして、と言う思いが胸を占める中で、一人声にする少女がいた。

 

 確か候補生でありながら《ゴフェル》のブリッジに出入りが許されていた、桔梗という名前の少女であったか。

 

 彼女はこの重く降り立った沈黙の中で受け入れられない現実に喘いでいた。

 

「……おかしいじゃないですか。教官、これが戦いだって言いたいんですか? 教えていただいたのと違う……! 《モリビトシンス》はあそこでエクステンドディバイダーを撃っていれば勝てていた。《イウディカレ》も、《ノクターンテスタメント》もそうです。もっと積極的に敵を墜とせば、勝てていた戦局だった。これが! こんな他愛ない戦闘が、ブルブラッドキャリアのやる事だって言うんですか! こんなの、違う!」

 

 桃が桔梗の胸倉を掴み上げる。そのまま振るわれるかに思われた張り手を、彼女自身が必死に押し留めていた。

 

 ここで誰かに八つ当たりした事で何になるのか、というのは桃が一番によく分かっているはずだ。

 

 その手を握り締め、桃は痛みに呻く。

 

「……クロの容体が回復するまで、《ゴフェル》は後退しつつ敵の攻撃を極力受けないようにする。それが今出来る最善よ」

 

「……足手纏いの執行者一人、放っておけないんですか!」

 

 分かっている。誰もが分かっているのだ。鉄菜に、たった一人に背負わせ過ぎた。鉄菜の判断さえあれば勝てるのだと無条件に思い込んでいた。

 

 それは二年前のアンヘルとの苛烈なる戦闘があったからかもしれない。鉄菜は幾度となく不可能を可能にしてきた。だから希望を見出すのも仕方ないのだろう。

 

 それがどれほどに身勝手なのだと、知っていてもなお。桃は自らの弱さに歯噛みしているようであった。蜜柑も同じだ。教官としての身でありながら候補生に何も言えない。何も言えないまま、彼女らは痛みに呻いている。

 

 合流したのは茉莉花とニナイであった。

 

「……容体は?」

 

 切り出した茉莉花の声に迷いはない。少しでも回復すればすぐにでも出すつもりなのが窺えた。

 

 リードマンが代表して声にする。

 

「……芳しくない。人造血続の回復力を加味しても、それでも身体に深刻なダメージを受けている。それに、身体だけではない。心にも、だ。直前のログを観させてもらった。鉄菜は撃てない、と言ったんだね?」

 

 その確認に茉莉花は首肯する。リードマンは面を伏せて言いやっていた。

 

「……ならば回復しても、戦力として期待するのは間違っているのかもしれない。それに《モリビトシンス》が大破した。今使えるのは、《モリビトザルヴァートルシンス》のみ。しかしあれは不確定要素が大きい。現状の仔細なる概要が明らかにならない限りは使っても無駄かもしれない」

 

『その言葉には僕も同意だ』

 

 繋がれたタキザワが《ザルヴァートルシンス》のデータを全員に同期させる。

 

「……ザルヴァートルシステム……」

 

 瑞葉も携行端末にそのデータを参照していた。

 

「……意識の統一を果たし、鉄菜の観測してみせたと言う概念宇宙……涅槃宇宙へとアクセスして人々の闘争心の芽を摘むシステム、か」

 

 ならばこの戦局に打ってつけではないのか。その素人の疑問に桃が頭を振っていた。

 

「でもそんなの……不確かが過ぎる」

 

『それに鉄菜が本当に概念宇宙にアクセスしたのかの客観的証拠にも乏しい。これはただの……ロマンに過ぎない兵装なのだと言われてしまえばそこまでだ』

 

 ならば勝機はないのか。この圧倒的不利な戦局に、光明は一つもないと言うのか。

 

 そのような事実、あまりにも――残酷ではないか。

 

 瑞葉は人機で出撃出来ない己の不実を呪っていた。

 

 本当ならば真っ先に刃を突きつけたいのは自分だ。ブルーガーデン元首、エデン。あれに人生を狂わされ大切なものをいくつも失ってきた。もし、引き金を引けるのならば迷いなく引くと言うのに、自分に戦えと誰も言わない。

 

 この腕に抱えた結里花が邪魔なのか。

 

 結里花さえいなければ、自分はまた戦士として返り咲けるのだろうか。

 

 そのような思いが脳裏を掠めたその時、肩を誰かの熱が伝っていた。

 

「……瑞葉」

 

「アイザワ……」

 

 交わした言葉は少ない。しかし、その眼差しだけでお互いに何を考えているのか分かってしまった。当たり前だ。心を重ね合った仲である。今さら何を感じているかなど、探るまでもない。

 

「……茉莉花。次の戦場にはおれも出る。おれの新しい人機、あるんだろ?」

 

「……調整中なんだが、そうも言っていられないな。タカフミ・アイザワ。ブランクは?」

 

「んなもん、聞くも野暮ってもんだぜ」

 

 いつものように笑って返すタカフミであったが、その胸中には先ほど瑞葉の胸の中を掠めた痛みがあるのに決まっていた。

 

 結里花さえ、娘さえいなければと考えてしまった自分にタカフミは必要以上に叱責する事もない。ただ、その双眸を確認するだけで、お互いの心の内が分かってしまう。

 

 瑞葉からしてみれば、親として失格の烙印を覗き込まれたも同義であった。羞恥よりも自らの過ちへの悲しみが増さっていた。

 

 どうして、せっかく授かった命一つでさえも大切に出来ないのだ。そんなだから、まだ復讐心を捨てられない。

 

 戦えるものならば戦いたいと言う思いは、ここでは仕舞っておかなければならないのだ。そうでなければ、何のために自分はこの小さな命を預かっていると言うのだろう。

 

 結里花の無垢な指先を瑞葉は握っていた。

 

 こんなにも小さく、生きようとしている意思を、今自分は身勝手に摘もうとしたのだ。決して許される事ではない。

 

「敵は大半が情報都市ソドム上空に位置したままだ。こちらへの送り狼はあるだろうが、俺が引き受けよう。モリビトの操主に関しては、出来るだけの休息を――」

 

 合流してきた操主服の男にタカフミが唖然としていた。相手もまさかという面持ちである。

 

「……キリ――」

 

「それは捨てた名前だ。呼ばないで欲しい」

 

 どうしてなのだろうか。ここでもまた、運命のいたずらが働いたのを瑞葉は目にしていた。会わなくてもいい二人が再会し、そして運命を捩れさせていく。こうも残酷な宿命に二人は抗おうとしているのが分かった。

 

「……俺の《イザナギオルフェウス》よりの直通通信でライブラの兵士をいくらか要請出来る。期待はしないで欲しいが、ないよりかはマシな戦力のはずだ」

 

「助かる、ミスターサカグチ。しかし……鉄菜が重態、そして《モリビトシンス》が大破、か。撤退戦に持ち込んでも相手は容易く逃がしてくれない。一度踏み込んだらどちらかが死ぬまで、か。……やり辛いな」

 

「それでも、前を向くしかないだろう。俺は少なくともそうなのだと、このモリビトの操主に教えられた」

 

 緊急医務室で治療を受ける鉄菜をサカグチと呼ばれた男は一瞥する。その眼差しには特別なものがあるような気がしていた。

 

 茉莉花が後頭部を掻き、情報ネットを手先で手繰る。

 

「……正直なところ、《キリビトエデン》より離れてしまった以上、最接近するのにはかなりの苦渋を伴う。あそこで討てていれば理想的であったんだが、そうもいかない。ならば勝てる算段を打つ。それだけだ」

 

 茉莉花の割り切りについていけるのは何人だろう。蜜柑はその面持ちに影を差していた。桔梗もどこか承服していない様子である。

 

「……《モリビトシンス》でも勝てなかった。それなのに、モモ達だけで勝てって? 自殺行為よ」

 

 自暴自棄になるのも分かる。鉄菜は今まで絶対に諦めなかった。後ろなんて振り返らなかった。そんな彼女が今、どこにも行けない状態にある。ならば誰が《ゴフェル》を、ブルブラッドキャリアを引っ張ると言うのだ。戦える誰かが引っ張るしかないのに、ここにいる皆が鉄菜を当てにしていた。鉄菜ならばこの暗澹とした戦いにも勝機を見出してくれると。そう思い込んだ果てがこれでは立つ瀬もない。

 

 間違いようもなく、これは人類同士の最も醜悪な殺し合いになる。互いに理念も何もない。惑星の人々は縛られた傀儡状態。そんな彼らを無慈悲に撃つしかない。撃たずに済めばどれほど楽だろうか。

 

 だが現実はそうもいかない。《スロウストウジャ弐式》編隊を相手に誰が手加減など出来るだろう。殺さずの理念など、あの戦地では真っ先に拭い去られてしまう。

 

 ならば殺してもなお、最短距離で未来を掴み取る。その担い手は鉄菜と《モリビトシンス》だと思い込んでいただけに衝撃が大きい。重く沈殿した静寂に不意に通信が繋がっていた。茉莉花が直通を返す。

 

『《ゴフェル》か。今、惑星軌道上より情報都市ソドムの直上を確認したが……これをどうやって攻略する?』

 

 映し出されたのはソドム上空を覆う新連邦艦隊と、そして天へとその腕を向ける《キリビトエデン》であった。支配の象徴のような光景に全員が言葉を失う。

 

「リアルタイム映像か。先ほどまでよりも密集陣形を取っているように見える」

 

 サカグチの弁にタカフミもその言葉尻を引き継いでいた。

 

「ああ。こいつはやりにくいな。一機墜としても、他の機体がすぐさま補填する。守りに割いた戦いに比して、攻め入るしかないって言う一方的なのは厄介だ。それにこの隊列一つ一つが……」

 

 問うまでもない。《スロウストウジャ弐式》の中隊相当であろう。桃はなんて事、と奥歯を噛み締める。

 

「こんな状況にまで、追い込まれるなんて……」

 

 彼女らからしてみても想定外か。瑞葉はこのような大局と頭を振る。

 

「ブルーガーデン元首を討つ。それしか、勝つ方策はないと言うのに、相手は守りを手堅くするとは……」

 

「ある意味では間違いではないでしょう。エデンを墜とせば終わりだと考えていたこちらの甘さに付け込まれた形になる」

 

 茉莉花の非情なる戦力分析に突きつけられたのは圧倒的戦力差であった。

 

 元々、勝てる算段など少ないとは言え、鉄菜ならば押し返せると思い込んでいた。それだけに、現状が重く圧し掛かる。

 

 どれほど逃れようとしても迫り来る因縁だ。戦いに赴く者達にはあまりにもその現実は厳しいものとして映るであろう。

 

「……こんな戦力差……」

 

「だが、戦い抜くしかあるまい。俺はライブラ本部に少し繋ぐ。せめてもの援護を願って……」

 

『ミスターサカグチ、その決定には感謝を……』

 

 ニナイから繋がりかけた声にサカグチはいいや、と声を振る。

 

「俺なりの贖罪なのかもしれんな。死地を決めておきながら、まだ決定的になれぬとは。我ながら女々しい限りだ」

 

 サカグチの断ずる声に桃が尋ねていた。

 

「それでも……勝算は……」

 

「蟻が象を潰すようなものだ」

 

 茉莉花の評にはいささかの希望的観測もない。いや、いざ戦場に向かう彼女らからしてみれば、下手に感傷を持ち出されるよりかはマシか。

 

 桃は拳を握り締めつつ、了解の声を搾り出していた。

 

「……モモ達は、最後まで戦う……。それしかないんでしょう」

 

 こちらへと視線が振り向けられたのを察知して瑞葉は覚えず目線を伏せてしまう。自分を責めるだけの彼女らではないはずなのに、今は直視出来なかった。

 

 モリビトを失い、戦力の要である鉄菜が出られない状態。

 

 これがどれほどまでにブルブラッドキャリアの士気を落とすのかは言うまでもないだろう。それでも、戦うしか道がないのだ。戦う以外の道は全て閉ざされている。

 

 モリビトの執行者達は、戦い抜くしか道がない。

 

 自分は、と言えば、結里花をあやすばかりの身。何も出来ないのが今ほど歯がゆい事はなかった。

 

「……クロナ……。わたしは……どうすればいい……」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯390 君死にたもうことなかれ

『サカグチ。それは無理に近い』

 

 すぐさま応じたライブラ局長にサカグチは焦らずに応じていたが、内心では焦りどころか、衝撃を受けている。

 

 まさか、今まで果敢に戦い抜いたあの因縁のモリビトの操主がここに来て死に体など。笑えもしなければ、何も言葉さえ出ない。

 

 自分はただ能面を装って出来る事をやるだけであった。

 

「それでも。頼む。一機でもいい」

 

『一機でもと言うが、我々は所詮、自衛組織に近い。出せてもナナツーやバーゴイルになる。そうなった場合、《スロウストウジャ弐式》編隊と戦い抜いて、死者が一人も出ないと思うのか?』

 

 局長としてレジーナには慎重な判断が望まれるであろう。そうでなくとも、ライブラの立ち位置は危ういのに、ここでいたずらに兵士を死なせたとなれば後々の禍根は間違いあるまい。

 

 それでも、とサカグチは粘っていた。

 

「……俺は、あのモリビトの操主の戦いに報いなければならない。それ以外で応える方法を知らないんだ」

 

 詰めた声にレジーナは瞑目していた。

 

『……考えさせてくれ』

 

 通信が切られる。それも無理からぬ事。死ねと言って兵士を送り出す指導者がどこにいる。

 

《スロウストウジャ弐式》は平時であっても戦闘は避けるべき性能の機体。それをあれほどの数と規模で戦うとなれば、玉砕も覚悟せねばなるまい。

 

 ――玉砕、か。サカグチは内心、自嘲する。

 

 二年前にはあれほどモリビトとの決着にこだわり、自身の腕や足がもがれてもそれでも立ち向かう気概が湧いていたのに、今持っているのは何としてでも、あの少女を救わなければならないと言う思いだ。

 

 執念が、時が経てばこうも移り変わる。

 

 それはあの時、《モリビトシンス》との最終決戦で垣間見た涅槃宇宙が影響しているのかもしれない。

 

 星の行き着く果て――ある意味では答えを得たこの身が、行き着くべきもの、辿るべき鞘を見据え、そしてライブラの構成員として名前を改めて戦いに身を置くと決めた。

 

 だが、いざ戦ってみれば犠牲になるのはいつだって、心優しく弱き者達。

 

《ゴフェル》の内部を目にして思ったよりも少女や若いスタッフが多い事に驚いてしまった。

 

 彼らは若輩の身であっても、それでも世界へと抗いの声を上げる事を選び、こうして戦ってきたのだ。

 

 しかし、その求心力が急激に失われたのを実感する。

 

 全ては、あのモリビトの少女にこそあったのだろう。彼女さえ無事ならば、ブルブラッドキャリアはいくらでも戦い抜けただろうし、どれほど残酷でそして無謀な作戦でも呑んだのだろう。

 

 その均衡が崩れたのはひとえにあの少女が死に瀕したからに違いない。

 

 ブルブラッドキャリアはたった一つの希望のために、今まで贖い、そして星の罪と向き合い続けてきたのだ。

 

 その大いなる覚悟に圧倒される。

 

「……鉄菜・ノヴァリス。我が怨敵と決めた名前を、このような心地で呼ぶとはな……」

 

 自分でも想定していない形での言葉に、胸の奥に沈殿するものを感じる。UDとして全ての罪を背負ってでも戦いモリビトを駆逐すると決めていた時とはまるで違う感情だ。

 

 最早、失うものなどない。そう思い込んでいた朽ちたはずの身は、思ったよりも因縁に雁字搦めにされていた。

 

 それは鉄菜に、でもあり、この艦で居合わせたタカフミに、でもあった。

 

 身の不実はいつだって、不本意な形で突きつけられる。それが嫌と言うほど分かってしまった。

 

 サカグチは通信機から離れ様に、ずっと集中治療室から離れようとしない一人の女性の姿を目にしていた。

 

 データ上では閲覧した事があるものの、実際に邂逅するのは初めてであった。

 

 瑞葉――ブルーガーデンの強化実験兵。戦場で何度か交錯したとは思えないほどに、その瞳には慈愛が満ちている。

 

 抱えた娘と共に、まるで聖母のようにサカグチの澱んだ眼には映っていた。

 

 彼女も、今回の敵に因縁のある身。何かしら思うところがあるのかもしれない。

 

 歩み寄り、サカグチは静かに尋ねる。

 

「……俺の事は」

 

「アイザワより、少しだけ。本当の名前は……桐哉・クサカベだと窺っている」

 

 捨てた名前だ、と断じてもよかったが、彼女があやす幼い娘の相貌を垣間見て、そのような些末事にこだわっている己に恥じ入った。

 

「……アイザワとの?」

 

 問いかけると瑞葉は微笑んでいた。

 

「大切な……存在なんだ。不思議だと、そう思うかもしれない。サカグチ……」

 

「桐哉でいい」

 

 目線を振り向けずに応じた声には僅かながら強情さも含まれている。我ながら度し難い阿呆だ、と自嘲する。格好つけてもどうしようもないほどに、呪われていると言うのに。

 

 だが、その点では彼女も同じはずだ。呪いの上に成り立った生のはず。

 

 何度か耳にした。強化実験兵――そのおぞましき実態を。ブルーガーデンでは当たり前のように浪費されていく兵士の一つであったのだと。違法薬物、それに精神昂揚剤と人機との過度の同調、それによる機械との垣根の消滅。どれもこれも、考えるだけでも人間を冒涜する行為ばかり。

 

 しかし、その冒涜の青い園から、瑞葉は救い出されたのだ。

 

 たった一人の愛する男の手によって。

 

 こうも変われるのか、とサカグチは顧みる。彼女はこの八年余りで変わり、そして新たなる命さえも紡ぎ出した。その手は血濡れのまま人殺ししか知らないはずの強化兵が、ここまで来られたのだ。

 

 ならば、足踏みしているのは自分のほうではないのか。

 

「……俺は、常にモリビトを越えなければ、と研鑽の道を歩んできた」

 

 だからか、過去を喋る癖がまるでない自分が、どうしてだか瑞葉にだけは言い出せる気がしたのだ。

 

「モリビトによってかつての栄光を追われ、全てを俺は失った。名前も、家族も……何もかもだ。恨んださ。恨み、怨念を抱き、そして復讐心で身を焼いて、モリビトを倒す事だけを至上の望みに上げてきた。……だが、こうして対面すれば分かる。俺が超えるべきは、鋼鉄のモリビトではなく、こんなにも柔い……ただの一人の少女であったのだと」

 

 今にも崩れ落ちそうなたった一人の少女。鉄菜という一個人を越えられない時点で、己は敗北者であった。

 

 そんな簡単な事にさえも分からずに、今の今まで戦い抜いてきた。

 

「桐哉……」

 

「……我ながら阿呆だとは思う。俺はそれでもまだ……モリビトとの決着をどこか心の中では望んでいるんだ。今にも……鉄菜・ノヴァリスは起き出して、そして俺と戦ってくれるのを、どこかで望んでいる……。そんな愚かしい自分が今は最も憎い……。かつてモリビトに全ての怨嗟を置いた男の果てとは思えまい。笑えるだろう?」

 

 問いかけたが瑞葉は笑いもせず、馬鹿にもしなかった。首をゆっくりと横に振り、そして微笑む。

 

「クロナに、そっくりなんだな。お前も」

 

「俺が彼女に……?」

 

「クロナは、何度もわたしに問いかけた。心はどこにあるのか、と。心の在り処が分からない。何でみんな、心に誓える、心を感じられる、と……。何度も呻いていた。苦しみ続けて、戦場で心を求めるなんて、どう考えたっておかしいはずだ。だって、そう考える時点で、もう心は……。何度も、そう言おうとした。もう持っているじゃないか、と。だがクロナは、きっとまだ探しているんだ。自分の心を。誰のものでもない、作りかけかもしれない自分の、本当に信じるべき心の在り処を」

 

「心の在り処……か。似ていると言うよりも、対照的だな。俺は、その心はモリビトを討つ事でのみ報いられるのだと思っていた。ゆえに、心は常に我にある、と。……だが、考えてみれば驕りだ。俺の、傲慢の罪の一つだ。心は刃――そう規定して、線引きをして、だから何も考えなくっていい、だから何も感じなくっていいのだと。冷たく切り詰めたばかりの心で、相手を切り裂き、その心臓を貫く事でのみ、意義を持つのだと……そう、俺は思い込んでいた。そう決める事でのみ、俺は、俺であるのだと、そう信じたかったのかもしれない」

 

 自分はあの日――ハイアルファー【ライフ・エラーズ】を受けてから、もう人ではない人でなし。だからこそ、心の在り処だけは確固として持っていた。心だけが、修羅に堕ちかねない自分を繋ぎ止める、たった一つの確かなる寄る辺。

 

 その点でも、鉄菜と自分はまるで正反対。

 

 鉄菜は戦って戦って、その中で果てに向かっても、それでも分からなかったのだろう。

 

 心と言う、たった一つ。誰でも当たり前に持っているはずのそれを、彼女は生まれ持って分からない。分からないから問い続けるしかない。

 

 ――心はどこにあるのか、と。

 

「……救われないな。その在り処を、せめて俺だけでも、理解しておくべきであったのだろうか。モリビトを超えようとした愚者が、それだけでも分かってやれれば、そうするのならば少しでも……」

 

 救いであったかもしれない、と思いかけて、これ以上は言葉にするも野暮だ、と霧散させる。

 

 結果論、全てがこれまでの戦いの上に成り立つ経験則だ。

 

 だから、心の在り処なんて不確かなものも、きっと人間が誰かを思いやる過程で身につけた、ただ一つの良心であるのかもしれない。

 

 如何に人間が残酷に成り果てようとも、心を持っている人間とそうでない人間には明瞭なる差がある。

 

 心のない人間には、終わりがない。その怨嗟も、憎しみも、そして渇望でさえも。

 

 終わりのない乾きの中で、ずっと生き続けなければならない。銃弾は冷酷だ。冷酷に、そのような人間ばかりを生かしていく。優しい人間ばかりを殺し、心の在り処の分からない人でなしばかりを生かしていくのが世の常だ。

 

 だから、そんな雁字搦めの常識を覆したくって、少しでも引き千切りたくって、そのために足掻く。そのために抵抗する。

 

 それが生きていく、という事なのだと、自分は死んでからしか学べなかった。

 

 その愚かしさに我ながら情けなさが勝る。自分は、生きて生きて、その上で答えを出しかねている鉄菜の足元にも及ばない。

 

「……モリビトの操主。一言だけ言っておこう。――死ぬな。貴様を倒すのは、この俺だ」

 

 不器用にしか振る舞えない。それでも、そこに信念があるのならば。

 

 どうか死んでくれるな。

 

 それだけが自分に願える全てであろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯391 愛のカタチ

 ニナイが下さなければならないのは非情なる判断であった。それもそのはずだ。自分に課せられたのは、《ゴフェル》の艦長として再び皆の生存を預かるという使命。その使命をないがしろにして、いたずらに被害を増やすわけにはいかない。

 

 だから、桃と蜜柑、それにクルー達が並び立つ整備デッキに降り立たなければならなかった。茉莉花が声を促す。

 

「艦長。吾からは何も言わない。だが、言うべき事は分かっているはずだ」

 

 自分は今さら誰かに願われるような生き方をしていない。だから、ここから口にするのは自分のわがままに過ぎない。

 

「……みんな、鉄菜の事、知っての通りだと思うけれど、現状ではブルブラッドキャリアはソドムへの侵攻は不可能です。この状況で戦えと言うのは無茶無策に過ぎない。それに、命を散らせと言っているのと同じだと。……ここで降りても誰も止めないわ。私達は戻れない修羅になったつもりはない。ミスターサカグチやライブラ、それに新連邦の二人には……辛い仕打ちになるかもしれないけれど」

 

 一瞥を向ける。新連邦兵士であるはずのヘイルとカグラは静かに面を伏せている。彼らにも思うところがあるはずだ。

 

「私達は……二年前に世界に是非を問うた。その結果が、これならば甘んじて受け入れるしかない。今回ばかりは、私達でも対処し切れない、敵なのよ。だから、誰も責めないし、誰も恨まないわ。それはだって、皆がそうだもの。みんな、必死に戦ってきた。必死になって戦って、そして掴み取った結果がこれなのよ。なら、私達がこれから先戦うとすれば、それは結論のついた話に、さらなる結果を伴うという事。無論、痛みもあるわ。それでも、前に進んで……死んだように生きるのだけは嫌だという人だけが、残ってちょうだい」

 

「クルーの安全は保障する。《ゴフェル》の脱出ポッドを使えば月面までの片道切符はある。月面に至れば敵の支配もしばらく及ばないだろう。月に帰って、静かに余生を過ごす手もある。誰も責めやしない。むしろそれが……ブルブラッドキャリアとしては正しい判断なのかもしれない。月と星は、結局平行線のまま、そのままの歴史で……」

 

 そう交わる事のなかった交点。それがたまたま交わり、そして自分達の拠点になっているだけ。本来ならば、存在さえも知らなかった場所だ。最も安全なのは間違いないだろう。二年前の決意とは違う。これは逃げではない。何も責任は伴わないはずだ。

 

 平穏に生きるのに、この星では棲みづらかっただけの事。それだけの、ただの事実。

 

「三時間後、残る人間と月面に戻る人間は決めておいて」

 

「……艦長は、どうするんですか」

 

 ふと湧いた声にニナイは返答する。

 

「……私の答えであなた達の運命を縛りたくないの。だからあえて、これは個人的なものにしましょう」

 

 ニナイはその言葉を潮にして身を翻す。

 

 隔壁を超え、上部ブリッジに至ったその時に、後ろからついてくる茉莉花が声にしていた。

 

「……艦長としては逃げられない、か」

 

 見透かした声にニナイは正直に話す。

 

「……どうしたって、《ゴフェル》を進めるのは私個人の意見になってしまう。だから、二年前のようにお願いは出来ない。そう……出来ないのよ、茉莉花。もう、お願いなんて。だって、桃も、蜜柑も……鉄菜だって、充分に戦った。戦ってきたはずなの! それなのに、もっと過酷な道を進めって? そんな非情な事、私は……」

 

 濁した先に茉莉花が端末を手繰って声にする。

 

「鉄菜の意識は依然として戻らない。桃と蜜柑のモリビトは整備中。タカフミ・アイザワ、それにミスターサカグチも出てくれる。だが、戦力差は歴然。千対一という見立てがまだ生易しいほど。ソドムに惑星中の戦力が集まってきている。古代人機でさえ……。吾らを拒むみたいね」

 

 何と言う現実だ。自然界の現象でさえも自分達を惑星から追放しようとするのならば、もう対処など出来ないではないか。拳を骨が浮くほどに握り締めたニナイは、言葉を振っていた。

 

「……そんなでも、逃げたくない。でも、これを誰かに強いたくはない」

 

「艦長としての立場、か。だが、このままでは犬死にだ。《ゴフェル》は何のために建造されたのか、その理念を忘れたのか?」

 

「忘れてないわよ! ……忘れる、ものですか。ブルブラッドキャリアに、……本隊に弄ばれた運命から抗うために、この方舟はあった。でも、ここまで来てどうするって言うの? 本隊は消えた。でも星は、依然として私達を拒み続ける! こんな現実の中で生きろって? そんなの……酷よ」

 

 そう、残酷が過ぎるのだ。これ以上、何と戦えと言うのか。星そのものが自分達を拒絶し、エデンの率いる数千、数万の民が蜂起し、ブルブラッドキャリアと血続の排斥を訴えかける。

 

 無論、それはフィフスエデンによって作られた、偽りの敵、偽りの平穏を成り立たせるための犠牲だ。だが、こうも言える。星の人々は、一方的な生贄を望んでいるのだと。

 

 誰かが捧げられれば、それを皆がこぞって支持する。そのような基盤がもう出来上がってしまっているのだ。

 

 今の自分達では報復作戦どころではない。

 

 フィフスエデン相手に、対等に立ち向かえるかさえも怪しい。

 

 そんな状況下で、如何にして主張を捻じ曲げず、真っ直ぐに叩きつけると言うのか。八年前の報復作戦とはわけが違う。

 

 バベルを失い、そして民草全てが自分達を敵視する地獄――。拒絶しかない世界に何を見出そうと言うのか。

 

「……鉄菜なら、何か言ってくれたかもしれない。でも、私達はもう、鉄菜にこれ以上背負わせちゃいけないのよ。あまりにあの子は……長い間、過酷なものを背負い過ぎた……」

 

 背負い込む癖がついてしまっていたのかもしれない。鉄菜はしかし、指針であった。立ち向かうための、自分達が寄る辺とする戦いへの……。

 

 だが、鉄菜が倒れ、そして《ゴフェル》がどれほど抵抗しても無意味だと断じられた今、どうしろと言うのだ。

 

 戦っても無為ならば戦わないほうがいいではないか。

 

 そう、発しかけたニナイに茉莉花が言葉を投げかける。

 

「……ニナイ。吾は、調停者……ブルブラッドキャリアのために、世界のために投げられた存在だ」

 

 不意に発せられた茉莉花の独白にニナイは困惑する。彼女はそのまま続けていた。

 

「吾に出来る事は戦う事、それを支援する事のみだと……生まれた時より分かっていた。そうなるように、仕向けられていたんだ。その事実に何も疑いはなかったし、疑ったって仕方なかった。……そういう疑念がないから、ラヴァーズからブルブラッドキャリアに寝返る時も何も感じなかったんだ。……だが、《ゴフェル》のクルー達と、そして鉄菜達とこの二年、触れ合って分かった。……お前らは馬鹿だ。勝てない勝負に身を投じ、そして結果論だけで押し進もうとする。そんな無策、無茶無謀を見ていられない。ああ、そうさ。見ていられないんだ。……鉄菜の不在でこうも困惑する《ゴフェル》も……吾が家族と認めた者達が、意味もなく死んでいくのも」

 

 面を上げた茉莉花の頬を大粒の涙が伝い落ちる。茉莉花からしてみればこの世界で唯一の家族。唯一の信頼出来る存在。それを自分はもう戦えない、何も出来ないと投げようとしていた。

 

 その事実に胸が押し潰されるよりも先に身体が動いていた。

 

 茉莉花を抱き留め、強く体温を感じる。彼女はしゃくりあげていた。ここに来て初めて、少女の年齢に相応しい弱音が漏れる。

 

「……勝てないかもしれない。みんな、死んでしまうかもしれない。それが吾は、こんなにも怖い。何でなんだ、教えてくれ、ニナイ……! 何でこんなに失ってしまうのが怖いんだ? こんなのは、調停者身分からしてみれば欠陥ではないのか? こんな機能、誰がつけろって……」

 

「きっと! ……きっと、神様がつけてくれたのよ。茉莉花、あなたにも感じるだけの心を」

 

 そうだ、まだここには心一つがある。

 

 自分の中にも一つ、茉莉花の中にも一つ。それだけではない。《ゴフェル》クルー全員を合わせた、心そのものが。

 

 鉄菜はこれを探し求めていたのかもしれない。

 

 誰かに頼り、誰かに縋るのではない。

 

 自分で見出す、自分の帰る場所、心の帰還出来る――安息なる家族を。

 

 それだけをただ求め続けて、彼女は傷ついてきた。誰よりも深く、傷ついてきたのは間違いない。それはここにいる茉莉花や自分だってそうだ。

 

 前に出て、傷つき傷つけ合い、その果てに待っていたのが世界の拒絶。

 

 世界の悪意というそのものの膿が、エデンの指揮で一斉に牙を剥く。そんなものを見るために戦ってきたのか。そんなものの決着を見届けるために、今まで戦い抜いてきたと言うのか。

 

 彩芽を失い、林檎を失い、そして、数多の犠牲を払って得たのが、こんな未来だと言うのか。

 

 ――否、断じて否のはずだ。

 

「……鉄菜。あなたの信じた未来に、私達は恥じないように生きたい」

 

 茉莉花が首肯し、自分から手を離す。出来るだけ涙を拭おうとしていたが、鼻の頭が赤くなっていた。

 

「……そうだな。鉄菜が、ここまで押し上げてくれたんだ。だったら、こちらだけでも報いる。ニナイ艦長……いいや。無事に帰還出来たらでいいのだが……お母さん、って呼んでもいいだろうか」

 

 すぐに撤回しかけた茉莉花の言葉にニナイは頷いていた。

 

 そんなあたたかな名前で呼んでくれるのならば。自分のような罪人を、ほんの少しでも許してくれる名前があるのならば――。

 

「約束するわ、茉莉花。私達は、だから死ねない」

 

 そう、死ねない理由が出来た。無事に帰還し、茉莉花に安息の場所を与える。

 

 それが艦長の、いや、母親の務めならば。

 

「……私達は、最後の最後まで戦うわ。そして生き残る。鉄菜が残してくれた、未来を掴むために」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯392 あなただけの……

「教官。おかしいのではないですか?」

 

 桔梗の問いに蜜柑は即座に応じられなかった。ニナイの宣言の事を言っているのだろう。疑念はもっともであった。

 

「信じられない、って顔ね」

 

 桔梗は憮然として頭を振っていた。

 

「あんな……不合理で、不器用なのが、本当に《ゴフェル》の艦長で? ……教官、今からでもいいです。私を、クルーの上層部に繋いでください。もっとうまくやります。もっとうまく立ち回って――」

 

「それは計算上の試算でしょう。そうじゃないのは、分かり切っているし……それに私は、艦長を裏切るつもりはない」

 

 その返答に桔梗は険しい眼差しを向けていた。

 

「……戦うと? 負けが確定した戦闘でですか? 《ゴフェル》のエクステンドチャージを使えば、全員を生かしたまま月面まで逃がせます。分かっているんですか? 大勢死ぬんですよ? このまま、ソドムなんて放っておいて、惑星が勝手に自滅するのを見ていればいいじゃないですか。フィフスエデンなんて惑星側の膿でしょう? ブルブラッドキャリアには関係がない」

 

 そう、関係はない。エデンを殺し切れなかったのは何もこちらの不都合ではないのだ。元老院の仕損じた罪であり、そのエデンに振り回される星の民草は、彼らが招いた事態だ。何も介入してやる義理はない。率先して戦って、死ぬ思いをしてまで、取り戻してやる意義も断じてないのだ。

 

 月面に戻ればある程度の平穏は待っている。

 

 フィフスエデンがいずれ月まで手を伸ばすとしてもその時にはもっと遠くに逃げおおせられるかもしれない。

 

 いずれにしたところで、ここで抗い抜いて、抵抗しても何もいい事はないだろう。無駄死にを重ねるだけだ。

 

「……関係がない、か。でも、イリアスさん。全ての生命はいずれ星に還るのよ。その還るべき場所を、奪われたままでいられるの?」

 

「……私達は、星とは関係がない。月で生まれ、そしてブルブラッドキャリアに育まれてきた。星の人々とは違う! 最初から罪人な連中とは……私は……」

 

 そう、違う。その通りだ。自分達と相手は違う。だから、争う。あるいはだから争わない、とも言える。

 

 今までの歴史はその繰り返しだった。

 

 異なるから求める。異なるから排除する。異なるから、分かり合えない――。

 

「違うから、私達は戦ってきた。でも、そうじゃないのかもしれない。ヒトは、違ってもいいのかもしれない。その証明のために、剣を取るのが、ブルブラッドキャリアのはずよ」

 

「……善玉気取ったって、私達だって侵略者です」

 

 正論だ。どれだけここでフィフスエデンの陰謀を止めても、月に生存する侵略者。異端者である事実は覆せない。

 

 綺麗ごとを並べたって、結局は惑星の支配権が欲しいだけだろう。そうなじられれば何も言えないはずだ。元々は星の生存権を取り戻すための戦いであった。

 

「でも、私達は……人間は土から離れては生きてはいけないの。月面で、どれほど人間らしく振る舞っても、どこかで欠落はある。罪の星が……虹色に滲む星が空にある限り、私達は本当の意味で自由になんて成り切れないのよ」

 

「自由じゃないですか。月は自由だった!」

 

 桔梗の言い分も間違いではない。月で安息のうちに死ねれば、それでいいという考え方も。

 

 ――だが、自分は。

 

 星を取り戻すために戦い、そして唯一無二の半身を失ってまで、世界のために戦い抜いてきた。全ては、弊害もなく、誤解もない。ただの有り触れた、凡庸なる平穏を目指して。

 

 そう、有り触れたものでいいのだ。

 

 そんなもののために、今まで何人も葬ってきた。有り触れた平和を、勝ち取るために。

 

 蜜柑は己の掌に視線を落とし、やがて拳を作っていた。

 

「……少なくとも、私は林檎や、鉄菜さんを裏切れない」

 

「……林檎、と言うのは教官のお姉さんでしたね。双子の操主で、《イドラオルガノン》の上操主……」

 

 データで教えたのはそこまでだろう。如何にして林檎が裏切ったのか。闇を育んだのかは語られていない。

 

 だが、林檎の願った平和は、彼女の祈った未来はこんなものであったか。

 

 こんな、どこかでタガが外れたような世界が、本当に手に入れたい未来だったと言うのか。

 

 蜜柑は頭を振る。

 

「……林檎は私にとって掛け替えのない存在。そして、イリアスさん。あなたもそう」

 

 投げた言葉に彼女は驚嘆する。

 

「私、も……」

 

「仮初めの平和に生きて欲しくない。そんな……いつ崩れるか分からないものの上に成り立たせるのが、私達執行者の使命じゃないはず! 私は、蜜柑・ミキタカ! モリビトの執行者なのよ! だから……逃げられない」

 

「……でも、それはきっと、呪いですよ」

 

 そうなのかもしれない。呪われて、縛られて、その果てにこう思い込んでいるだけの愚かさがあるだけなのかもしれない。

 

 しかし、誓ったのだ。

 

 林檎のような犠牲をもう出さない。そんな世界にしないために戦うと。

 

 最後の一滴になってでも、戦い抜くと。

 

「イリアスさん。あなたの選択は自由よ。執行者でもないし、ましてや……《ゴフェル》の正規クルーでもない。帰るのに引き止める理由はないわ」

 

 桔梗は月面に戻ってもいい。そう口にした蜜柑に彼女は目を伏せて頭を振る。

 

「……分かりません。何が正しいんですか。教えてください、教官。いつもみたいに……! ハッキリと教えてくださいよ……! そうじゃなくっちゃ……私……私は……」

 

 決められないか。それもまた一つの在り方なのかもしれない。

 

「イリアスさん。私は強制しないわ。でも、あえて言うのならば……あなたは帰りなさい。ここで死ぬ事はない」

 

 踵を返した蜜柑にはもう迷いはなかった。その背中に桔梗が叫ぶ。

 

「どうしたって……! そんな思い切れませんよ! 私は……教官みたいには……なれない……。強くない……」

 

 強くない――その言葉をまさか背に受けるとは思っていなかった。かつて自分が桃や鉄菜に吐いた言葉そのもの。

 

 自分も彼女からしてみれば理解の範疇の外なのだろう。

 

 弱音ではない。ただ純粋に分からないだけなのだ。理解出来ないだけなのだ。

 

 それを弱さだと、誰が言えるだろう。ここでしかし桔梗自身が決めなければ、彼女は一生後悔するはずだ。

 

 だから、あえて選択は投げた。

 

 あとは心が決めるだろう。

 

 向かうべきものを見据える、自分にしかない、心が。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯393 good-bye days

《ノクターンテスタメント》のコックピットでの最終調整に入る。嘆息をつき、いくつかのシステム障壁を突破しながら、桃はタキザワの声を通信で聞いていた。

 

『……桃・リップバーンは逃げない、か』

 

「おかしいですか?」

 

『いや、今までの君を知っていれば、その通りなのは分かる。だが、鉄菜がいない今、弱音を吐いても誰も責めない』

 

「弱音を吐けば少しでも状況が好転するのならばそうしていますけれど、そうじゃないでしょう? だったら、出来る事をするまでです。《ノクターンテスタメント》は前に出た時、ほとんどの機能がロックされていましたから、モモの使いやすいようにさせてもらいます」

 

 茉莉花が施したシステムの制御を解除し、自分専用にカスタマイズする。慣れた動作に、ふとこぼしていた。

 

「……アヤ姉も、こんな気持ちだったんでしょうか」

 

 彩芽の名前を自分が出すとは思っていなかったのだろう。タキザワは問い返していた。

 

『……八年前の殲滅戦かい?』

 

 首肯し、システムのロックを解除する。

 

「あの時……アヤ姉が時間を稼いでくれなかったら、モモ達はもっと酷い逆境に追いやられていたはずなんです。……おかしいですか。ルイとアヤ姉が共謀して、モモ達を謀っていたと分かった後でも、それでもあの時の戦いだけは、アヤ姉だって意地があったと思うんです」

 

『確かに、ブルブラッドキャリアに打撃を与えたいだけならば死を偽装する以外にも方法があった。彩芽君は……少しは君達に肩入れしていたのかもしれない。ブルブラッドキャリアが間違った道を行っていると分かっていても、後の世代の良心に……』

 

「世代の良心……ですか。でも、モモ達は、本当にアヤ姉の願う通りの人間になれたんでしょうか。だって、こうやって戦うのももしかしたらアヤ姉は、愚策だと思っているかもしれません」

 

『分からないよ、誰にも。彼岸に行ってしまった人間の思考回路なんて誰も分かりはしないんだ。ただ推し量るばかりでね。だが、君達は恥じたくないからこうして戦おうとしている。それは僕も同じだ。この格納デッキにいるとね、何人かは見知った人間の死を看取った事もあった。だがその度に思うんだ。どうして僕は生き残ってしまったんだって。本当ならあそこで僕が被弾して……死んだほうがもしかしたらみんなのためにはなったんじゃないかっ……。そんな後悔に押し潰されそうな夜がある。何年もね』

 

「意外ですね。技術顧問はそういうの、考えないんだって思ってました。合理的じゃないですし」

 

『非合理こそが人間だよ。……鉄菜は、それを知りたいのかもしれない。何で自分が、何で自分なんかが……そんな思いに押し潰されそうになった時、それでも生きるって思えるだけのエネルギーがどこから湧いてくるのか。その源泉を。それを人々はこう呼ぶんだと』

 

「……心……」

 

 鉄菜が探し求めているたった一つ。数値化出来ない、どこにもあるようでどこにもない、そんな不確かなもの。鉄菜はしかし、そのたった一つのために、今まで生き抜いてきた。どのような逆境でも戦い、抗いの刃を掲げた。その覚悟は生半可ではないはずだ。

 

 ならば自分だって中途半端で終わって堪るか。鉄菜が繋げた未来に、自分も報いたい。その隣に立っていたいのだ。

 

 それが自分の、心根から発した願い。この身を衝き動かす、エゴそのものだろう。

 

「……モモは、クロの傍に居たい。あの子が、安心して任せられる、そんな未来のために……戦い抜ければ、それでいい」

 

『答えは出たね』

 

 最後のシステムを通過し、桃は汗を拭おうとする。タキザワが押し入ってタオルと経口保水液を差し出していた。

 

 飲み干しながら汗の玉を拭く。

 

「……モモ達は、だってブルブラッドキャリア。惑星に報復の剣を向け続ける、執行者。だからクロ……あなたがいつ戻ってきてもいいように、モモ達は戦うよ。……最後の最後になってでも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 分かり合えないものだな、とこぼした相手に、ヘイルは目線を振り向けていた。

 

 問うまでもないだろう。

 

「血続か」

 

 カグラは頷き、だがと愛機、《イクシオンカイザ》に取り付いた整備班を目にする。

 

「……どうしてなんだ。こいつらにとっても、私は敵のはず」

 

「そんな場合じゃないんだろうさ。ある意味では割り切りがうまい」

 

「……分からないのはそれもある。敵は敵、そうでしょう、中尉」

 

「だな。敵は敵。……俺もかつてはそう思っていた。だが、この世ってのは分からないもんなんだ。敵だと思っていた連中に助けられる事もあるし、ウザったいだけだと思っていた相手に……思慕を抱く事もある」

 

 ヘイルが首から提げたペンダントを開く。中に納まった燐華の横顔に、ここでは死ねない、と思いを新たにした。

 

「……奥方で?」

 

「血続だ。彼女もお前と同じく純正の」

 

 その言葉に少なからず衝撃を受けたのか、反応の少ないカグラが目を見開く。

 

「……それは」

 

「軍属だった。正直、最初は、さ。死んじまえばいいって思っていたんだ。どんな形でもいい。女がいたって邪魔だと。そういう思想環境下だったからな。……隠すわけじゃないが、アンヘルだった。第三小隊に所属していた」

 

「誉れの……」

 

「よせよ。実際、虐殺天使だ。アンヘルの切り拓いた時代は暗黒時代だったっていう今の認識は正しい。……だが、俺達にも意地があった。通さなければならない意地が。そのために戦い……たくさんの命が散っていった。ここにいる連中に墜とされた奴も、一人や二人じゃない」

 

 その言葉にどう返すべきか悩んだのか、カグラは言葉少なであった。

 

「……恨まないので」

 

「恨んで生き返るんならそうしている。だが、気づかされちまった。散った連中にも託したい未来があったんだと。その未来を、俺達は守らなくっちゃいけないんだ。どんだけ虐殺天使の罪が重くってもよ、それだけは生涯をかけて贖わなくっちゃいけないはずなんだ。その贖いの形が、もしかすると幸せになる事、なのかもしれないんだって、最近は思い始めた」

 

 燐華との日々、それは決して何物にも替え難い日々だ。だからそれを邪魔する連中には容赦はしない。血続を排除すると言うのならば徹底抗戦に打って出る。

 

 拳を強く握りしめたヘイルにカグラはぽつりと話しかけていた。

 

「……私は、ブルブラッド重量子爆弾、ゴルゴダの栽培地が崩壊した時に、連邦の軍人として戦っていました。あの時の事は、今でも。ハッキリと……。謎のトウジャタイプが破壊の波を止め、そしてエホバが君臨した……。私はその直前にはモリビトに墜とされていましたが、友軍の助けを待っていました。海面で、ただ待つしか出来なかった。その間に何人死んで、何人……いなくなったのかは分からず仕舞いで……。私が助かったその時には、もうアンヘルは死に体でした。血続として覚醒が確認されたのはその遥かに後ですが、胸の中にあるのは何をしてでも生き残ってやるという、意地なんです。怖かったでしょうね。ゴルゴダの青い閃光、それにモリビトと友軍機がもつれ合い、殺し合ったあの空域……決戦海域での戦闘を今でも夢に見ます。世界のこれからを決するであろう戦いは今でも私にとっては悪夢そのものなんです」

 

「……憎んでいるのか。《ゴフェル》の連中を」

 

「一面では。しかし、それ以上に恐怖を覚えたのは……人間は、死にに行くと決めれば、何の疑いもなく死ねるのだと言う、状況把握でしょうか。あの海域で何人が、生きるために抗えたでしょう? ……きっと片手で数えられる程度だったんでしょうね。何百人もいた精鋭が、次の日には五人ほどになってしまっていた……」

 

 カグラも痛みを背負って生きている。それは自分と何一つ変わるところはないだろう。

 

 ヘイルは今も改修を受ける自分の《スロウストウジャ肆式》を視野に入れていた。戦ってきたその是非を問うための、最後の戦いに赴く。

 

 これからを決めるため。これまでに報いるために。

 

 だから迷わず剣を取れる。それがどれほどまでに無謀であったとしても。

 

「……案外、馬鹿に成り果てるってのも手なのかもな。だが愚鈍になっちゃいけないのは、ハッキリしている」

 

 その言葉にカグラはフッと笑みを浮かべる。

 

「馬鹿の集まりですか、我々は」

 

「かもしれない。フィフスエデンとやらの生み出す調和こそが、これからの世を席巻するのかもな。ただ、俺達は是と言えないから、戦う。きっと、そんな単細胞なんだろうさ」

 

 そう、是と言えない。それだけの理由で構わない。きっと、ブルブラッドキャリアがこれまで数多の犠牲を踏み越えて戦ってこられたのはきっと、そんな単純な理由なのだ。

 

 今の世界に是と言えない。

 

 それだけの、たった一つ。シンプルながらに、その信念は強い。

 

 そう言えないのならば何度だって戦ってみせる。そういう気概が彼らの姿勢には透けて見えていた。

 

「……連中は強いな。戦いの面だけじゃなくって、こう……ここが」

 

 胸元を拳で叩く。カグラはそっと掌に視線を向けていた。

 

「……引き金を引くばかりの指先です。穢れている」

 

「俺だって同じだ。今さら、穢れも何もかもなかった事には出来ない。だったら、納得出来る未来のためだけに戦おうぜ。そうする事でしか、望みを得られないんなら、やるっきゃない。それがどこであったとしても同じはずなんだ」

 

「納得出来る、未来、ですか……。私は、しかし血続です。純正として、軍に利用され続けてきた。恨む気持ちもある。そんな、穢れたばかりの翼で、彼らと共に飛べるのか……それが分からない」

 

「いいんじゃないか。穢れていてもよ。それでも飛ぶってのが連中の流儀だって言うのなら、俺は従う。それに、守りたいと誓った自分に、嘘だけはつきたくないからよ」

 

 燐華を守り通す。そのためには、この戦いを勝ち残るしかない。勝ち残って、生き残って、そしてもう一度燐華に会う。

 

 そのために、世界を変える手助けをしたい。

 

 カグラは惑っていたが、やがて拳を固めていた。

 

「……私のような、破壊のために育まれた存在でも、いいのでしょうか。未来……という不確かなもののために戦っても」

 

「どう戦うのかは自由だろうさ。俺は《スロウストウジャ肆式》で出る。メビウス准尉、やるのなら覚悟は決めておいたほうがいい。これは世界との戦いだ」

 

 放ってから自分の手も震えている事に気づく。武者震いだ、と無理やり納得させようとしても無駄であった。

 

「……駄目だな。俺もまだ、ビビっちまっているなんて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 格納デッキに集まった人員は一人も欠けていなかった。

 

 その事実に、ニナイは重く頭を下げる。

 

「……本当に、ありがとう……」

 

「艦長。生き残ってから、いくらでも文句は言わせてもらいますよ」

 

 整備班の軽口に少しばかり空気が緩和される。そんな中で茉莉花が歩み出ていた。

 

「戦力差を計測したが……千対一の試算でもまだ生易しいほどだ。だが、モリビトは万全に整備してある。他の人機ももちろん……。だが生きて帰れる保証は二年前の戦いよりもなお、存在しない。これは死ににいくようなものだと、思っていただいて結構だ」

 

 しんと静まり返る。その静謐へと茉莉花は声を張っていた。

 

「だが! 我々はブルブラッドキャリア! 最後の最後まで、星の罪を直視し続けると決めた者達! 恐れるなとは言わない。逃げるなとも言わない。だが、これだけは、決して……。生きるための最善を尽くして欲しい。それだけだ」

 

 茉莉花の号令に数人が挙手敬礼する。ニナイは最後の言葉を搾っていた。

 

「行きましょうか。これが、ラストミッション――」

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯394 終焉へと

 エデンは惑星の核へと己の思惟を押し進めさせる。

 

 バベルを用いた惑星への干渉行為は滞りなく行われていた。古代人機の守りもある。今の自分達に、恐れるものは何もない。

 

 まさかこうなるとは思っても見なかった。元老院によって八年前に封印され、バベルの奥深くに幽閉されてから返り咲けるなんて。

 

 それもこれも、ブルブラッドキャリアが戦い抜いたお陰である。彼らの抗いが結果として、自分の復活を招いたのだ。

 

『感謝……すべきなのかもしれないな。ブルブラッドキャリアには』

 

 しかし、と今も観測機がバベルの詩篇によって世界中を見張っている。その一部に見られたのは、後退していた《ゴフェル》が今、前進を始めたという事実であった。

 

『愚かな。また我々の道を阻むか』

 

『いずれにせよ、彼奴らでは我らに勝てぬ。無意味に命を散らすのみだ』

 

『左様。向かってきても迎撃すればいい。それだけの話』

 

 三つの人格に分類されたエデンはそれぞれの保有する戦力を統合し、戦いにおいて全く敗北と言う二文字が存在し得ない事を確認する。

 

 このまま相手が無茶無策で襲ってきたとしても、確実に墜とせる。それが相手にも分かっていないはずがないのに、何故立ち向かうのか。

 

 それがヒトの愚かさそのものだとでも言うのか。

 

 分かっていても、戦わざるを得ない。ヒトの功罪そのものだと。

 

『ブルブラッドキャリアがどれだけ来ても、関係がない。星の核……プラネットコアにはすぐさま到達する。そうすれば我らの勝利だ。コアを掌握し、この星を覆うリバウンドフィールドを強化し、完全なる籠とする。それが、我々の責務であり、人類を管理するのに必要な措置だ』

 

『ヒトは、別種の何かに管理されなければならない。そうでなければ戦いを繰り返す。争いを無為に実行するだけの、愚かしい種族』

 

『絶対者が必要なのだ。権力欲に塗れず、ましてや人為的な思考回路に侵されぬ、最も尊ぶべき存在が』

 

 それこそがエデン。――フィフスエデンなのだ。

 

 造られたのが元々、人機開発のモニターシステムと言う目的であったとしても、それでも自分達こそがこの星では至高のはず。そう感じた矢先、不意にネットワークに接続してきた相手にエデンは当惑する。

 

『このアクセス権は……』

 

『……繋げ』

 

 接続された相手は音声のみであったが、接続先が惑星外延である事にエデンは警戒していた。

 

 現状、星の外からの接続は想定されていない。何者か、という危惧に声が発せられる。

 

『接続を感謝しようか。フィフスエデン』

 

『その声は……! ドクトルタチバナ!』

 

 生きていたのか。まさか殺し損ねた相手が惑星の外にいるなど思いも寄らない。

 

『仕損じた相手の存在に、少しばかりは揺さぶられたか。その完璧なシステムも』

 

『……いや、あなたが死んでいない事に、確かに少しばかりは驚いた。だが、もう関係がない。タチバナ博士、よく見ているといい。星は既に我らの手にある』

 

『プラネットシェル計画……。その最たるものであるのは、星の核へとアクセスし、世界を覆う罪の天蓋、リバウンドフィールドのエネルギーを最大まで高め、星を圧死させる事にある。貴様らがやっている事がそれに近いのだと、ワシは察知した』

 

 ならば余計に、であろう。

 

『邪魔立ては許さない』

 

『逆探知して回路を焼き切ってやろう』

 

『その前に、一つ、いいだろうか』

 

 負け惜しみか、とエデンは相手の回路の焼却を躊躇う。

 

『何か。敗北者』

 

『いや……これでも人機開発においての分野では重宝されてきた身だ。エデンプログラム……元々何のために造られ、どのような運用が想定されていたのかを確かめていた。人機を安定供給するために製造された、開発プログラム。その一端が、エデンの基であった』

 

『それは失われた記録だ』

 

『かもしれない。だが、失われたとしてもその根幹は残る。貴様らエデンの真の目的は、星を棲めなくする事ではないはず。エデンと言うプログラムの本質は人間のためにこそあったはずだ』

 

 それは過去だと何度言えば分るのだろうか。タチバナといえども、所詮は前時代の遺物なのだろう。

 

『惑星の頭脳と呼ばれた貴方でさえも、その程度の器に収まるのか。人機開発において、貴方ほどの理解者はいないはず』

 

『買い被るな、と応じたいところだが、その通りでもある。人機開発、人機市場において、ワシは長年、その最先端を務めてきた。血続研究に関しても同様だ。彼らがどのように発生し、どのように生きてきたのか。どのような意味があるのか。……星の有毒大気に適合し、生きるために進化した存在。それこそが血続だ。それを排除する……排斥するという事は星の可能性を排除する事に他ならない。エデン、貴様らの目的は、人間のいない、完全な世界の統合か』

 

 そこまで分かっているのならばより愚かしい。このような問いを重ねる事さえも無意味だと気付いているはずだ。

 

『ならば、お分かりでしょう。我らフィフスエデンにこそ、栄冠は輝く。人類など、もう古いだけの生物だ。血続もそう。我々の支配に準じないのならば必要ない』

 

 こちらの宣言にタチバナはふむ、と一拍置いた。

 

『元老院、レギオンと根本で異なるのは、彼らは人類は必要だと判断していた。人類の存続の上に、自分達の支配が成り立つのであると。支配する存在のない、空席の王者になるつもりはない、と』

 

『玉座が空いているのならばそこに座る。当然の義務でしょう』

 

『しかし、民のいない王に、価値はあるのか』

 

 問答だ。エデンはすぐに答えを下す。

 

『ドクトル。貴方は少しばかり賢い人間だと思っていた。それだけに、残念だ。レギオンとも、元老院とも違う結論に至るかに思われた貴方も、所詮はつまらないだけの人間なのだという事を』

 

『ワシは人間だよ。どこまで行っても、愚かしいだけの人間だ。それは認めよう。しかし、愚かしくっていけないのか? 人間は愚かしいがゆえに未来を目指せる生命体なのだと、ワシは思っていたのだがな』

 

『買い被り、とはその事を言う。人間に、未来などない。人類に、この星を任せるのは重責が過ぎる。我々ならばそれが可能なのです。プラネットシェル計画の完遂も、そして人類の統合も。ヒトは、このまま生き永らえていて意識を統合し、完全に争いを忘れられるまでに何百年、何千年とかかるはず。ならば、星を圧死させ、人類を選別する。それだけで争いの種は少しは消え去るでしょう』

 

 こちらの完璧なる答えに、タチバナは是非を問うていた。

 

『それが本当に、完全なる答えだと思っているのか、エデン』

 

『……何が言いたい』

 

『ワシはな。人類に最初に絶望した人間かもしれん。アンヘル発足に力を貸し、三大禁忌の人機開発を推し進めた。ある意味では大罪人だ。そんな人間が今さらこんな言葉を吐くのはおかしいのだろう。それでも、言わせてもらうぞ。――ヒトを嘗めるな』

 

 その言葉にエデンは否定する。

 

『今さら人類に、何かを高望みしろと?』

 

『全て遅いのだと、貴様らは言ったな? だがワシは確かに見た。抗おうとするヒトの可能性を。そこに何かがあるからではない。何もない事が分かっていても抗いの声を上げられるのが、ヒトなのだと』

 

『ブルブラッドキャリアか。あんなもの、ただのテロリスト、虐殺者だ』

 

『エデン、八年前にたった一人のブルブラッドキャリアの執行者にしてやられた事、まだ根に持っておるのか』

 

 その部分を突かれるとは思っていなかった。それだけに、エデンは平時の落ち着きを忘れてしまっていた。

 

『あれは愚策であった! あの時とは違う!』

 

 ハッと我に返った時にはタチバナは答えを得たかのように声にしていた。

 

『驚いたな、エデン。貴様も声を荒らげられるのではないか。感情に身を任せられるのならば、貴様とて、人間と何が違う』

 

『ヒトのように愚かしいだけの未来を進む事はない』

 

『だがそれを未来と呼ぶのだと、貴様らが理解しているのならば、人類にはまだ価値がある。生き残るべき、価値が』

 

『笑わせる。人類に最早未来も価値も……存在しない!』

 

 そう断じた神経はすぐさまタチバナの位置を逆探知していた。惑星外延、かつてゾル国陣営が支配していた軌道エレベーターの一画にあったタチバナの端末を、バベルの詩篇を用いて焼き切る。

 

 接続回路が赤く焼けただれた。

 

 その瞬間に理解する。

 

 タチバナは機械との融合を果たしていたのだと。今まで話していたのはタチバナ本人の意識パターンだ。既に本人は、もう……。

 

『……ドクトル。既に死んでいる……だと』

 

『それを読めなかった。その時点で、エデンよ。貴様らは支配者に相応しくない、な……』

 

 ノイズの中にタチバナの意識が消えて行こうとする。その残滓にエデンは最後の一言を尋ねていた。

 

『……何故だ。システムのほうが優れているのだと、分かっている側の人間のはずだ。なのに何故、ブルブラッドキャリア……あのような不完全の者達を支援する。何のために、我々に楯突くのか』

 

 その答えを、タチバナは何でもない事のように応じていた。

 

『それこそ、つまらん答えだ。エデン。……人が人を信じるのに、理由がいちいち必要か?』

 

 それが究極の頭脳が手に入れた、最後の答えだとでも言うように、タチバナの意識パターンは消え失せていた。残りカスもない。完全に、タチバナ博士は死んだのだ。

 

 それでも、エデンの中に沈殿したのは困惑であった。

 

 殺してはいけない相手を殺したのではないか、という、困惑。

 

 最初で最後の、躊躇いであろう。だが、それを踏み越える道をエデンは選んでいた。もう戻れない。戻るつもりもない。

 

『……ありがとう、ドクトル。貴方は最後の最後、この世への未練を断ち切るために、我らフィフスエデンの背中を押した』

 

 そのつもりがなくとも、タチバナの行動で世界が滅びへと向かう。もう止められない、完全なる破滅の道へと。

 

 バベルの詩篇が世界へと張り巡らされ、人々の意識を星と直結させる。そのために、バベルシステムが貫通させたボーリング機器が星の核へと至った。

 

 青い運河が星の核の周囲を覆っている。

 

 これこそが人類の統合地点であり、ヒトの魂の行き着く先。

 

『……還るべき場所。命の河。そこにバベルをもってアクセスする。全ての人類の意識圏は統一され、そして一つの単一生命へと成り果てるのだ。人間は、そうなってこそ、幸福である。戦いを忘れ、争いを忘れ、そして生命体である事さえも忘れ去る。そうなった時、星への隷属は成るであろう。さぁ、その時へと手を伸ばそう。そこに、幸福があるのなら、星と一体化すべきなのだ。人間の功罪はそれでこそ贖われる。そうする事でしか、罪を償う術はない』

 

 バベルネットが星へと強く根を張り、命の河――根源へとアクセスしようとする。その断片を掌握しようとして、不意にエデンの関知網を騒がせたのはソドムへと襲来した敵陣であった。

 

『……これは、ブルブラッドキャリアか。愚か者共め、また来たのか』

 

 ソドム周辺空域を見渡す眼を確かめ、エデンは自身のデータの一部を《キリビトエデン》へと還す。《キリビトエデン》の眼窩が赤く輝き、空域を真っ直ぐに向かってくる敵艦、《ゴフェル》を睨んでいた。

 

『《ゴフェル》……愚か者達の舟よ。ここで沈め』

 

《キリビトエデン》が身体を開き、砲門を一斉掃射させる。放たれた火線を敵艦より射出された無数の自律武装が弾いていた。

 

『リバウンドフィールド発生装置……。小型で即席だが、少しの時間稼ぎのつもりか、小賢しい』

 

 艦を一気に叩いて終わらせる事は難しくなった。だが、その分人が死ぬだけだ。それだけのシンプルな答えである。

 

 新連邦艦隊より砲撃が見舞われ、《スロウストウジャ弐式》編隊が放射状に出撃する。このまま飽和攻撃を浴びせ、《ゴフェル》を完全に轟沈させるのにさほど時間はかかるまい。

 

『残念だ、ドクトル。貴方はこの星の命運を見ずして、終わってしまった。我々の勝利への軌跡を』

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯395 一滴の命

「リバウンドフィールド発生装置、滞りなく展開中!」

 

 ブリッジで咲いた声音にニナイは問い質していた。

 

「何分持つ?」

 

「およそ、七分間は完全にR兵装を無力化出来る。その間に、モリビト二機を射出、スロウストウジャ編隊を各個撃破する」

 

 茉莉花の言葉に、半分は無茶無策以上の事だ、と分かり切っていた。どれほど困難な道でも、今はしかし歩んでいきたい。歩むべきなのだと心に誓っていた。

 

「了解したわ。《イクシオンカイザ》と、《スロウストウジャ肆式》は?」

 

「出せます! モリビトの後に!」

 

 戦力を出し渋ったところで仕方あるまい。ここで出せる戦力は全て投入し、そして相手の艦隊を押し返す。それだけしか勝ち目は存在しない。

 

『艦長。おれの《カエルムロンドゼクウ》も出せる。すぐにでも』

 

 タカフミの提言にニナイは茉莉花へと問いかけていた。

 

「大丈夫なの? 少し……特殊な兵装と聞いたけれど」

 

「使いこなせているかどうかは賭けね。でも、そういうものだったでしょう? 今までだって」

 

 違いない。ニナイは言葉を返していた。

 

「アイザワさんはそのまま《カエルムロンドゼクウ》での出撃準備を。まずはモリビト二機による敵陣への圧倒を試みる!」

 

 格納デッキへと復誦が返され、スクリーンに映し出された敵陣から攻撃の意思が宿っていた。《スロウストウジャ弐式》編隊が一斉にプレッシャーライフルを構えて銃撃を浴びせてくる。リバウンドフィールド発生装置がなければたちどころに風穴を空けられているだろう。《ゴフェル》は相手の攻撃網を押し返すように前へ前へと進んでいた。

 

「立ち向かう事だけが、私達の……」

 

「艦長! 《モリビトノクターンテスタメント》、及び、《モリビトイウディカレ》、出撃準備に移行しました! リニアボルテージに固定、いつでも!」

 

 クルーの声にニナイは号令する。

 

「了解! モリビトによる敵陣の殲滅をはかる! ……桃、行けるわね?」

 

『ここで退いている場合じゃないもの。全ての武装をアクティブに設定させてもらったわ。最後の最後まで、戦い抜く』

 

「蜜柑は? 大丈夫?」

 

 そう尋ねてしまったのは、彼女の教え子である桔梗がブリッジの一角でどこか釈然としない表情でいたからだ。説得に失敗したのか、あるいはそもそも判断が違ったのかもしれない。それでも、ここに居残ると決めた意地があるはずだ。

 

『平気。《イウディカレ》は特殊殲滅形態の実行も加味されているけれど、それで大丈夫? 茉莉花さん』

 

「ああ、今さら出し渋りをしている場合でもなくなった。全てのシステムの権限をお前達、モリビトの執行者に預ける」

 

 それだけ覚悟の戦場だという事だろう。蜜柑は通信ウィンドウ越しに頷き、桃も処理を終えていた。

 

「……せめて、送り出す側にもう少し余裕があれば、ね……」

 

「いつもの事だろう。余裕なんて、いつだってなかった」

 

 茉莉花は半球型の情報端末に入りながら、リニアシートに腰かけ、全ての情報を手繰っている。星の情報網は途切れたまま、月面とのタイムラグが発生するバベルの情報を維持し、《ゴフェル》へのリアルタイム障壁を作っている。美雨がその下準備を実行し、茉莉花の負荷を下げていた。その銀色の指先が跳ね上がり、キーを叩いている。

 

 この二人がいなければ《ゴフェル》は情報戦で今にも突き崩されているだろう。そこまで深手を負った状態にもかかわらず、戦おうとしている。抗おうとしているのだ。

 

「ライブラからの支援は?」

 

「およそ、五分後に到着予定です。……しかし、予め言われていた通り、やはり……」

 

「旧式、型落ち機での参戦になる、か。歯がゆいわね」

 

 条件として突きつけられてはいた。新連邦が軍部を掌握しているため、ライブラのような組織が用意出来るのは、所詮型落ちのみであると。それでも、共に戦ってくれる事実だけも少しはマシのはずだ。

 

「援護に入ってくれたら、こちらでも最大限の補給を。……鉄菜の容体は」

 

 最後にそれを聞いたのは少しでも希望があるかと思ったからだろう。しかし、茉莉花は頭を振る。

 

「……不可能だ。意識不明のまま。《ザルヴァートルシンス》は出せない」

 

 やはり、期待してはいけないのか。ニナイは奥歯を噛み締め、その答えを飲み下していた。

 

「……これより、《ゴフェル》は新連邦艦隊へと攻め込み、フィフスエデンを殲滅します!」

 

 その言葉に全員の了承が返る。今は、それだけを寄る辺にするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『カタパルトデッキへと移行。《モリビトノクターンテスタメント》、出撃位置オーケー。リニアボルテージ上昇。発進タイミングを、桃・リップバーンに譲渡します』

 

「了解。これでも最大限、か」

 

 猪の威容を持つ巨大なモリビトが僅かに浮き上がる。リバウンド力場を得た《モリビトノクターンテスタメント》が発進準備を完了させた。

 

「桃・リップバーン! 《モリビトノクターンテスタメント》、出る!」

 

 身体にかかるGと共に巨躯のモリビトが解き放たれる。リバウンド力場を展開させ、三角錐の巨体が滑るように戦場を駆け抜ける。

 

 早速襲いかかってきた《スロウストウジャ弐式》編隊に、桃はピラミッド型の中腹部に固定されていた高出力R兵装アームを挙動させていた。

 

 丸太のように太い、R兵装の腕が敵人機を掴み上げ、そのまま強大な膂力を発揮して押し潰さんとする。

 

 相手の人機がプレッシャーソードを引き抜いていた。その一閃が叩き込まれるも、《ノクターンテスタメント》の装甲が弾き返す。

 

「悪いわね! Rフィールド装甲なのよ!」

 

 アームクローが《スロウストウジャ弐式》を中腹部より叩き潰し、機体より放たれた一つ目のビットがそれぞれ襲い来るスロウストウジャ編隊を睨み据えた。

 

 眼差しと同期し、桃の赤い瞳を読み取った兵装が瞬く。

 

「ビートブレイクビット、起動!」

 

 血塊炉の機能を叩き潰されたスロウストウジャ部隊が、まるで虚脱したように落下する。これで終わらせられればどれほど楽だろう。相手の陣営はしかし、まるで恐れ知らずだ。どれだけ撃墜されても、それでもこちらへと立ち向かってくる。

 

「……怖いもの知らずの兵ってのは、これだから……っ!」

 

 蜜柑の《イウディカレ》が空間を疾走し、その流線型の推進部を全開に稼働させる。

 

『……ミィだって、大人しくしているばかりじゃ……ない!』

 

《イウディカレ》の強みは重力下でも空間戦闘並みの加速力を維持出来る事だ。駆け抜けた《イウディカレ》が閃光を発し、すれ違った敵機が瞬く間に寸断される。《イウディカレ》の操る自律兵装が音もなく空間を奔り、敵影を掻っ切っていった。

 

「あれが……蜜柑のトマホークビットか。負けてられないわね。《ノクターンテスタメント》!」

 

 声にして、ビートブレイクビットを挙動させる。しかし、こちらのビットそのものに防御性能はない。それを早くも看破したのか、敵機は距離を取って射撃姿勢に入る。

 

 無論、その程度の弱点で赴くための足を止めるほど、モリビトは容易くはない。

 

 巨大なるアームクローが開かれ、内側に充填されたのはリバウンドエネルギーの束であった。粒子束が偏向し、凝固し、それそのものを破壊の瀑布とする。

 

「出力の先に、飛んで行っちゃえーっ!」

 

 叫びと共に放たれた高出力R兵装の波が敵陣を突っ切る。《ノクターンテスタメント》の巨体より放たれたR兵装の出力は艦隊砲撃並みだ。それぞれの光の軌跡さえも居残しつつ、残留する粒子放出に敵陣が震えたのが窺えた。

 

「それで……ビビってくれるんなら楽なんだけれど……」

 

 そうもいくまい。敵影がさらに第二陣、第三陣、と踏み入ってくる。その時、空間を奔ったのは流星のような軌跡を刻む高機動人機であった。真紅の機体が幾何学上に空を駆け、両手に保持する刀で敵陣を押し上げていく。

 

「……《イザナギオルフェウス》……。ミスターサカグチか」

 

 信用なるかと言えば微妙であるが、彼もまた鉄菜に因縁のある人間。何か思うところもあるはずだ、と自身に言い聞かせ、桃は前方を塞ぐ幾千の敵を見据えていた。

 

「……さぁ、合戦と行こうかしら、ねっ!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯396 志は老いず

《イザナギオルフェウス》が刃を翻し、《スロウストウジャ弐式》の胴を割る。それだけに留まらず、背後に迫った敵影の振るい落としたプレッシャーソードを掻い潜り、その腹腔へと蹴りを浴びせていた。よろめいた敵機を実体剣が両断する。

 

「……これで、少しは……」

 

 空域を駆け抜けるモリビト二機を視野に入れつつ、サカグチは振り返り様に一閃を浴びせ込んでいた。敵陣は下がる気配は毛頭ない。こちらがスタミナ切れを起こせば、すぐにでも戦局は移り変わる。

 

 そうでなくとも、元々どだい無理な戦力差だ。少しでも不利に転がれば、即座に終わりは訪れるであろう。

 

《スロウストウジャ弐式》がそれぞれ距離を取ってプレッシャーライフルを掃射する。《イザナギオルフェウス》は姿勢を沈め、加速度に身を任せていた。一瞬で躍り上がり、その太刀が敵を寸断する。大破させた敵を蹴り上げ、足掛かりとしてさらに高空へと進んだ。

 

 それでも、敵の本丸である《キリビトエデン》は遥かに遠い。一度撤退したツケはそれなりに高いと言うわけだ。

 

「……苦々しいな。これほどの激戦に身を置いても、まだ遠いとは」

 

 襲いかかった敵機を払い落とし、次なる敵へと飛びかかろうとして不意打ちのプレッシャーバズーカによる砲撃が《イザナギオルフェウス》を襲う。

 

 ギリギリで機体をロールさせて回避し、反撃の太刀を見舞おうとした瞬間、後ろから羽交い絞めにされた。

 

 組み付かれれば如何に格闘に秀でた機体でも僅かなロスが生じる。《イザナギオルフェウス》が背後の敵へと肘打ちを極め、瞬時に払い上げたその時には相手の照準に入っていた。

 

「……一発は食らうか」

 

 それでも、機動力に問題がなければ、と甘んじて受けようとした、その時である。

 

 不意に咲いた火線が敵機を打ち据えていた。思わぬ援護の先にいたのはバーゴイルの編隊であった。

 

 それぞれプレッシャーガンを保持し、統率された動きを見せる。黄金に塗装されたその機体から所属を明らかにするまでもなかった。

 

「……間に合ってくれたか」

 

『これは貸しだぞ、サカグチ』

 

 繋がれたレジーナの声はこの空域にあった。まさか、とサカグチはバーゴイル編隊を飛び越え、高機動に身を浸す黄金の機体を視野に入れる。

 

 二刀を振るい上げ、敵機を恐れ知らずに踏み越える様は、まさしく鬼神。不死鳥の機体が翻り、敵影を裂いていく。

 

「バーゴイル……《フェネクス》か」

 

 自らに禁じたはずの戦いを、レジーナは解き放ったのだ。それほどの戦闘でもある。サカグチは推進剤の尾を引いて肉薄した敵機の頭部を裏拳で打ち据え、刃を薙ぎ払っていた。生き別れになった敵機を蹴って、《イザナギオルフェウス》が敵陣の中央を睨む。

 

 機体を仰け反らせ、全身の循環パイプを軋ませていた。

 

「ファントム!」

 

 光の速度に達した機体が敵陣の中央へと刃を軋らせる。無数の爆風が連鎖し、スロウストウジャを駆逐していく。しかし、それでもすぐに合間を縫うようにして、敵陣は修復を始めていた。

 

 数秒間の敵の気鋭を削ぐ事すら難しい戦局。これまでにない、高密度の戦い。

 

「……忘れがたきは、この戦いでさえも俯瞰する悪がいると言う事実。それを討たなければ終わる事はない」

 

 そう、敵の中心軸はダメージすら負っていないのだ。艦隊より砲撃が見舞われ、《イザナギオルフェウス》は回避し様に後方へと声を投げる。

 

「スロウストウジャとやり合おうとするな。あれだけでも一騎当千の戦力に近い。狙うのならば艦隊だ! 性能に自信のない機体は艦へと射撃を優先させろ!」

 

 まさかこのようにして大軍を指揮するとは思いも寄らない。最早、この身はただ朽ちるだけだと思っていただけに、サカグチは笑みを刻んでいた。

 

「……皮肉な。俺にまた、戦うだけの気概をくれたのもモリビトなど。……進め! 撤退は全てが終わってからだ!」

 

 叫びつつ、サカグチは思案する。

 

 ――全てが終わる。それはいつになるのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《イクシオンカイザ》が周囲に展開するスロウストウジャ部隊に向けて、自律兵装を放つ。

 

「行け! Rブリューナク!」

 

 親機のRブリューナクより無数の子機が放たれ、敵陣を斬りさばいていくが、それでも圧倒的に手数が足りない。

 

 自律兵装を掻い潜り、スロウストウジャがプレッシャーソードを引き抜いていた。《イクシオンカイザ》も格闘兵装へと持ち替え、鍔迫り合いを繰り広げるも、後方よりの照準警告に回避行動が出来ない。

 

 その間を埋めたのはヘイルの《スロウストウジャ肆式》であった。

 

 構えた新型プレッシャーライフルが放射された直後に拡散し、敵の気勢を削ぐ。

 

『……ブルブラッドキャリアに改修されるなんて思っても見なかったが……現状況ではこの性能がベストだな』

 

 銃身より煙が棚引き、ヘイルの人機が構え直す。新たに咲いた火線の光軸が敵陣を引き裂いていく。しかし、それでも全体の一パーセントも削る事は出来ていない。

 

《イクシオンカイザ》がRブリューナクを繰り、その性能で圧倒しようとするが、敵はまるで磁石のように一斉に退き、攻撃を命中させてくれない。

 

「……まるで群体ですね。当たってくれないなんて……」

 

『《イクシオンカイザ》の性能は新連邦政府のものだ。解析済みでもおかしくはない、なっ!』

 

 一射したプレッシャーライフルの光条が敵機を撃ち抜く。《スロウストウジャ肆式》が跳ね上がり、X字に固定された高機動用の推進剤を焚かせていた。

 

『行くぞ、ファントム!』

 

 残像を引きつつ《スロウストウジャ肆式》が加速度に入り、プレッシャーソードを居合抜きする。軌道上にあった敵陣に僅かな穴が生じていた。

 

『メビウス准尉!』

 

「分かって、います!」

 

 自律兵装が割って入り、敵の陣営の修復率を下げようとする。しかし申し訳程度にしかならないのは分かり切っていた。

 

 平時ならば無敵を誇るRブリューナクの嵐も、敵が統率された存在であれば容易く突破出来るであろう。

 

 親機が粉砕され、Rブリューナクの勢いが弱まる。

 

「まさか、こんなに早く、Rブリューナクが使い物にならなくなるなんて……」

 

『それだけ敵も必死なんだ。俺達は、活路を見出すために!』

 

 雄叫びを上げたヘイルが引き抜いたプレッシャーソードで敵機と打ち合う。しかし、性能面ではほぼ互角に等しい。《スロウストウジャ弐式》はその剣戟をさばき、直上に位置する別の機体が銃撃を番える。

 

「させないっ!」

 

 放たれたRブリューナクの波がヘイル機へと突き刺さろうとしたプレッシャーの銃撃を飲み込む。そのまま跳ね上がる速度を伴わせてRブリューナクの暴風が敵陣を叩き伏せていく。

 

「これで……少しは……」

 

 直後、熱源警告と共に艦砲射撃がRブリューナクの発生させた辻風を消し飛ばしていた。

 

 そうだ、相手にはまだ戦艦がある。それも一隻や二隻ではない。

 

「……星の持ち得る、全ての戦力が敵になっている……。それがこんな絶望なんて……」

 

『泣き言を言っている暇なんて、あるかッ!』

 

 ヘイルが相手の剣を弾き返し、そのまま胴を断ち割る。それでも即座に別の機体が《スロウストウジャ肆式》に組み付いていた。

 

 敵機が黄金に染まる。まさか、と息を呑んだ直後には爆炎が包み込んでいた。

 

「ヘイル中尉!」

 

 爆風を引き裂き、ヘイルの《スロウストウジャ肆式》が立ち現れる。ギリギリで直撃は免れたものの、相手の戦術に戦慄していた。

 

『自爆、か……。確かに有効かもな、無限の手数って言うんじゃ……!』

 

 少しでも勝てなければエクステンドチャージを有効活用した自爆で相手を追い込む。そんな敵に自分達は勝利出来るのか。

 

 そのような思索が脳裏を掠めたのも一瞬、加速してきた敵スロウストウジャに《イクシオンカイザ》の支持アームの格闘兵装で応じていた。

 

「……勝つ。勝つしか……ない……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 周辺空域は真っ青に染まっている。

 

 ブルブラッドの生み出す高密度の霧だ。朽ちた骸の数だけ、濃霧は視界を閉ざす。

 

「こんなのじゃ……有視界戦闘なんて……」

 

 泣き言を言いかけたのも一瞬、上空より襲いかかってきた敵陣に蜜柑は《イウディカレ》を傾がせていた。

 

「行って! トマホークビット!」

 

 格闘兵装を滾らせた自律兵器が空域を滑走し、敵機を叩き割っていく。それでも相手の勢いは殺された様子はない。

 

 蜜柑はブリッジに問い質す。

 

「敵の損耗率を!」

 

『相手の損耗率、ほとんどゼロパーセント! おかしい……モリビトと全勢力が押し返しているはずなのに……』

 

 それでも削り切れていないのが実情か。蜜柑は流線型のシルエットを持つ《イウディカレ》を上空に向けて駆け抜けさせる。重力の投網を無視して稼働出来る《イウディカレ》の軌道性能は瞬時に戦闘空域の直上に至り、蜜柑はアームレイカーを払っていた。

 

「ここから狙えば!」

 

 精密狙撃モードに移行させ、《キリビトエデン》を狙い撃とうとする。しかし、それを察知した敵陣が密集陣形を取り、瞬時に視野を閉ざした。

 

「……厄介な」

 

 トマホークビットを片手で調整しつつ、自身の機体に降り注ぐ敵意を払っていく。踏み込んできた敵機をライフルの直下に装備した格闘兵装で薙ぎ払い、可変させたライフルで敵の頭部コックピットを射抜いていた。

 

 爆風が散り、青い血潮が舞う戦場で《イウディカレ》が火線を咲かせつつ敵を押し込もうとする。

 

 それでも相手が追いすがってくる。機関部を狙った相手の銃撃網を《イウディカレ》が加速して回避していた。

 

「……性能上は全く衰えていないってのが、本当に面倒!」

 

 急加速と急制動を繰り返し、《イウディカレ》は相手の照準を掻い潜りながら銃撃を見舞う。敵機の肩口を射抜き、よろめいた相手の血塊炉をトマホークビットが引き裂いていた。

 

「……何機墜としたのか……数える事も出来ない……」

 

 肩を荒立たせ、蜜柑は久方振りにモリビトの執行者に戻ったブランクを再確認する。ただでさえ今までと違う集中力を要するモリビトだ。構えた両腕のライフルが敵影を捉え、そのまま速射モードに設定した銃撃が敵陣を打ち据える。

 

 しかし、瞬時に返す銃撃が応戦し、《イウディカレ》を降下させ様に翻させる。

 

「攻めさせてもくれないのね……。せめて、《キリビトエデン》を追い込めれば……」

 

 だが敵の本丸はほぼノーダメージ。しかも、中心に至るためには艦隊レベルの敵を押し返さなければならない。

 

 それにはモリビトだけの戦力では不可能だ。

 

《キリビトエデン》が四本の腕を振るい上げ、それぞれが練り上げたリバウンドプレッシャーを放射する。

 

《イウディカレ》は辛うじて回避行動を取れたが、他の機体の面倒までは見られない。加速度をかけ、アームレイカーにかかる重圧を振り払う。

 

「ファントム……!」

 

 前方に位置する敵機を見据え、フットペダルを踏み込んでいた。両腕のライフルを格闘兵装に移行させ、そのまま敵を掻っ捌く。

 

 爆風に呑まれそうになりながら、《イウディカレ》が直上を目指した。

 

 その進路を敵機の群れが押し包まんとする。

 

 雄叫びを上げつつ、蜜柑はアームレイカーを引いていた。

 

 格闘兵装が発振し、前方の敵の頭部を割る。その勢いを殺さず、噴煙を上げるスロウストウジャを振り回し、銃撃を周囲に浴びせかけていた。

 

「負けていられないんだからっ! ミィだって!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯397 命の呼び声

 リードマンが緊急処置室にて、鉄菜の容体を確認する。無数のキーを打ち、彼もまた戦っているようであった。

 

「……やはり、無理なのか。鉄菜。もう、戻っては来てくれないのか……」

 

 その絶望的な宣告を鉄菜は遊離した神経で目にしていた。横たわった自分を、観察する自分がいる。

 

 ――死んだのか、私は。

 

 やけに醒めた精神で鉄菜は自身の身体を見やる。激痛に顔をしかめている己はまだ生きているのだろうか。それにしては、どこまでも続く累乗の宇宙が垣間見える。

 

 これは魂と現実の境目なのかもしれない。

 

 瑞葉が処置室の前で結里花と共に祈りを捧げていた。その瞳からは涙が伝い落ちている。

 

「クロナ……」

 

 ブリッジのニナイ達は必死に声を発していた。

 

「艦体砲撃を! 敵陣を突っ切る!」

 

「無茶です、艦長! 敵防衛網、止まりません!」

 

「スロウストウジャ編隊、依然として損耗率は一パーセント誤差未満! モリビトでもこれじゃ……」

 

「持ち堪えるのよ! 絶対に……取り戻すんだから」

 

 意地を張ったニナイの声に茉莉花が情報網を手繰らせる。

 

「月面からの計測で何とか《キリビトエデン》を打ち崩す方策を練れないかと思っているが……タイムラグが痛過ぎる……。相手はバベルをノータイムで使えるのが辛いな……」

 

「辛くっても前に進むしかないのよ。前方、新連邦艦隊に砲撃準備! 照準、てーっ!」

 

《ゴフェル》より放たれた砲撃が新連邦艦隊へと命中する。爆炎に包まれていく新連邦の艦の中で、人々は恍惚に包まれていた。

 

 エデンの編み出したバベルの詩篇による支配。それは人々から痛みさえも奪っていた。

 

 この戦いに、彼らは疑問符の一つも挟まない。エデンの意のままに操られ、ブルブラッドキャリア殲滅に際し、戦いを止めようともしないだろう。

 

 最後の一滴になるまで、相手も戦い抜く腹積もりだ。

 

 ――どうして、こうなってしまったのだろう。

 

 鉄菜は空域を支配する悪意を睨む。

 

 フィフスエデン、悪意の象徴たる青いキリビトが四本腕を操り、リバウンドプレッシャーを編み上げる。

 

 その攻撃網を掻い潜るのは、桃の《ノクターンテスタメント》だ。

 

 猪のような鈍重そうな機体がリバウンド力場を得て飛翔し、高出力R兵装を絞る。敵陣を突き抜けるR兵装の瞬きを目に焼き付けつつ、桃はしゃくり上げていた。

 

「何で……何で……。クロぉ……っ」

 

 彼女は泣いていた。痛みに呻いているのだ。

 

 分かり合えない戦い。どうしたって、終焉の来ない醜い争い。

 

《イザナギオルフェウス》が太刀を返し、敵の胴を割る。さらに加速し、一刀両断の勢いを滾らせていた。しかし、彼も苦痛に表情を歪ませている。何も感じないと嘯いていた男でさえも、この戦場に苦悶を浮かべていた。

 

「俺は……傲慢なる罪を重ねてきた。これが報いだと言うのか……」

 

 蜜柑の《イウディカレ》がトマホークビットを駆り、ライフルで敵への精密狙撃を見舞う。敵艦のブリッジを焼いた一条の攻撃に彼女は目を背けていた。

 

 人殺しには違いない。稀代の殺戮者だ。

 

「……でも、ミィは……逃げたくない。逃げたら、だって……林檎に顔向け出来ないもの!」

 

 その一心で彼女は戦い続けている。本来、戦いとは最も縁遠い精神でありながら、戦場に身を置き続ける。

 

 ライブラのバーゴイル編隊が隊列を組んでプレッシャーガンを浴びせかけるが、スロウストウジャ編隊はそれを児戯のように回避し、一斉掃射を返していた。炎に包まれるバーゴイルから、懇願の声が迸る。

 

『嫌だ! 死にたくない! 死にたく――』

 

 祈りは淘汰され、希望は啄まれていく。ライブラ部隊を率いる《フェネクス》を駆るレジーナは声を迸らせていた。

 

「退けない……退くものか! ならば何のために、私は生き永らえた! そうだろう……エホバ!」

 

《フェネクス》の二刀流が敵機を掻っ切っていくが、それでも一機に出来る事はたかが知れている。すぐさま敵陣が密集陣形を取り、砲撃を浴びせかけてきた。その攻撃を止めたのは《イクシオンカイザ》の放ったRブリューナクである。残りカスのようなRブリューナクそのものを盾として、カグラが戦場を駆け抜ける。

 

「……血続であるのが罪と言うのか。戦うのが罪だと言うのか! ……それとも生きているのが……。ならば、私は生きていたい! 罪人でも、生きていていいはずだ!」

 

《イクシオンカイザ》が格闘兵装で敵機と打ち合う。そのすぐ脇を捉えようとしたスロウストウジャを、ヘイルの機体が押し返していた。

 

「負けられない……! 帰るんだ! 約束したんだよ! ……燐華、だから俺を……導いてくれ! 平和への道標に!」

 

 街頭スクリーンに映し出される戦いを目にする人々は、エデンを信じ切っているようであった。

 

 その戦いもまた日常の一つだとでも言うように消費していく。

 

 しかし、血続コミューンだけは違っていた。

 

 彼らは皆、願っていた。祈っていた。信じられる明日が来る事を。そのために、ブルブラッドキャリアは剣を取っているのだという事を。

 

「……死にたく……ないよ」

 

 かつての桃の姿の生き写したる少女が涙を頬に伝えさせる。

 

 涼やかな風が吹き抜ける白亜の家屋で、燐華は静かに祈りを捧げていた。

 

「お願い……ヘイル……鉄菜……みんなを、守って……」

 

 その祈りに自分は触れる事は出来ない。叶える事は、永劫出来ないのだろか。

 

 思惟が溶け合い、自然界に風となって流れていく。

 

 新連邦政府が新たな要請を得て新造艦を発進させた。次々に勢力を増す新連邦の兵士達がモリビトと打ち合い、その命を散らしていく。

 

「勝つのは我々だ! フィフスエデンを信奉する既存人類こそが、この星を生き抜くのに相応しい!」

 

 ――ああ、誰もが、と鉄菜は感じ入る。

 

 誰もが明日を生きていたいと願いながら、どうしてこうもすれ違ってしまうのだろう。皆の願いと祈りは等価なのに、どうしてこうも争い合うしかないのだろう。

 

 その中心軸で、悪意を流転させるフィフスエデンは《キリビトエデン》の中で哄笑を上げる。

 

『我々こそが法だ! 封じていた元老院とレギオン、それに万物に報復する権利を持っている! この星の中枢にアクセスが完了するのもそう遠くない。もうすぐだ! もうすぐ完全なる支配が訪れる!』

 

 鉄菜は流れるままに、涅槃宇宙を辿り、星の命の中心――命の河を目にしていた。プラネットコアを囲うように青い命の運河が重力を無視して流れている。

 

 それは人の血潮に似て、どこまでも静謐を湛えたまま、流れに任せているようであった。

 

 人の世もこのようなものであったのかもしれない。

 

 流れに任せ、そしてある時には流れに逆らい、生き永らえてきた。人機と言う禁断の果実を操り、星を罪の色に染めてでも、人類は生き残りたかったのだろう。

 

 その願いと祈りを、無為だと蔑む事は出来ない。生き意地が汚いと言うのは勝手だが、人類はそれでも、生存の方向を選び取ってきた。

 

 いつだって、生きていたかったはずなのだ。

 

《ゴフェル》格納デッキへと敵艦の砲撃が浴びせかけられる。

 

 タキザワが声を飛ばし、気密を確かめていた。操主服に袖を通して通信域に怒声を滲ませる。

 

『すぐに下がって! 消火急ぐんだ! 絶対に、これだけは……守り通さなくてはいけない……! 鉄菜の……モリビトを』

 

 最奥に佇むのは、自分の望んだ最後のモリビト。最後の絆の剣――《モリビトザルヴァートルシンス》。

 

 しかし、そこに至るまでの方法は永遠に失われてしまっていた。

 

 自分の身体より魂が遊離し、世界と溶け合っていく。

 

 これが星の息吹、これが世界という存在。そんな流転に比して人類の営みの如何に小さい事か。

 

 それでも争わざるを得ない。それでも勝ち取りたくって今日も戦うしかない。

 

 人類の功罪を乗せて、星は回る。虹色の罪を湛え、星の運命は両陣営に分かれてしまった。

 

 エデンが惑星中枢へとバベルを用いて介入しようとしている。

 

 だが、自分に何が出来ると言うのか。

 

 こうして、誰かの戦いを眺める事しか出来ない。そんな、何も出来ない身に、何が……。

 

 ――何をやっているんだ、旧式。

 

 その声に鉄菜は振り返る。林檎が強気な眼差しでこちらを見据えていた。

 

 ――蜜柑も必死に生きているんだ。みんなで、世界を変えようとしている。

 

 ――そうマジ。鉄菜、あの時お別れしたのは、鉄菜がきっといい未来を作ってくれるんだと、信じたからマジよ。

 

 ジロウがアルマジロの躯体を振るって声にする。

 

 言葉をなくした鉄菜へと、背後より声がかかっていた。

 

 ――約束したわよね、鉄菜。

 

 その声音に覚えず硬直する。

 

 彩芽がウインクして指鉄砲を向けていた。

 

 ――鉄菜、貴女は変わりなさい。変われなかったわたくし達の代わりに。それに、言ったでしょう? 心は、そこにあるのよ。こうしてわたくし達の事を思い出してくれる。そこにこそ、貴女の求めた、心の在り処が……。

 

 彩芽達が暗がりを超え、涅槃銀河の向こう側へと導かれていく。虹色の宇宙を漂う魂達に鉄菜は手を伸ばそうとして、不意に耳朶を打った声に足を止めていた。

 

 ――聞こえる。命の、呼び声が……。

 

 その声へと手を伸ばす。

 

 命の花は、追い求めていた、青い青い、一輪の花――。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯398 希望の旅路へ

 握り返すイメージを伴っていた。

 

 鉄菜は暗がりの中でずっと呼んでいた声に触れる。

 

「……結里花……」

 

 瑞葉が瞳に涙を湛え、自分の手をぎゅっと握っている。結里花が自分を見つめて微笑んでいた。

 

 命一つ――。ここに生きている、息づいている一つの命――。

 

 瑞葉が気づいたのか、覚えずと言った様子で抱き着いていた。

 

「クロナぁっ!」

 

 鉄菜は瑞葉の体温と、結里花の声を聞く。ここは、現実なのか。まだ自分は生きているのか。

 

 それを確かめる前に、リードマンが声にしていた。

 

「鉄菜……。よかった、本当に……。本当に、生きていてくれて……」

 

 それはかつての黒羽博士との約束であったのだろうか。彼も心の奥底から喜んでいるようであった。

 

 そうだ、心、と鉄菜は胸に手を当てる。

 

 脈打つ心臓。血脈の熱。どれもこれも、ただの生理現象だ。ただの、「生きているだけ」という証明。だが、それこそが、生きている、生き抜いている事実こそが、掛け替えのない、心の在り処――。

 

「そうだ、私は……。まだ生きている。生きているんだ……」

 

 起き上がり、鉄菜は通信に声を吹き込む。瑞葉が制そうとしたがリードマンはそれをやんわりと遮っていた。

 

「……行くんだね、鉄菜」

 

「ああ、私にはやるべき事があるようだ」

 

 短く返答しただけでも彼には伝わったらしい。瑞葉はそれでも納得出来ていないようであった。

 

「帰って……くるんだろうな。クロナ……」

 

 瑞葉の言葉に鉄菜は応じず、その腕に抱えられた結里花の手を握り返していた。小さな命がこうして自分の命を繋いでくれた。まだ現世に留まっていいのだと、教えてくれたのはここにあるたった一つの命。

 

 ならば報いなければならない。

 

「ミズハ。私は、行くよ」

 

 帰ってくるとは言えない。それでも瑞葉はその言葉だけでも満足してくれたのか、涙を拭っていた。

 

「……待っている。ずっと、待っているから……! 結里花が大きくなる頃には、きっと……きっと……」

 

 頷き、鉄菜はブリッジへと声を飛ばしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鉄菜が?」

 

 困惑するニナイに茉莉花が口角を吊り上げていた。

 

「あんの馬鹿……ただでは死なないと思っていたが、タイミングというものがあるだろうに」

 

「行けるのね? 鉄菜!」

 

『心配をかけた。《ザルヴァートルシンス》は?』

 

「格納デッキへの直通はある。しかし、ぶっつけ本番だぞ。やれるのか、鉄菜」

 

 その問いかけに鉄菜は強く応じる。

 

『……私は命に救われた。ならば救うのもまた、命のはずだ』

 

 確証めいた言葉ではない。しかし、今の鉄菜を衝き動かす原動力が何なのかを窺い知る事は出来た。

 

「……まったく、六十点がいいところの答えだ。だが、行ってもらうしかない。《ザルヴァートルシンス》を稼働モードに設定! タキザワ、いつでも出せるようには」

 

『やってるさ! こっちだって!』

 

 返された言葉にニナイは固唾を呑む。

 

「……勝てるの?」

 

「確率面で言えば随分と無茶だ。今までテストさえも行ってこなかったザルヴァートルシステムを、相手の中心軸に向けて一気に使用。推奨は出来ないが、しかし……」

 

「それしか方法がない、ね」

 

「分かってきたじゃないか、艦長」

 

 軽口を返す茉莉花にブリッジを激震が見舞う。この《ゴフェル》でさえも永続的ではない。ならば一刹那の可能性にでも賭けるべきだ。

 

「いいわ。鉄菜・ノヴァリスの発進を許可します!」

 

『感謝する。ニナイ』

 

 短く応じただけだが、鉄菜の中で何かが変わったのだけはこちらも理解出来た。ならばその変革に報いる事だけが自分達に出来る最善だろう。

 

「タキザワ技術顧問! あの機体を援護として出して!」

 

『いいが……調整に時間がかかり過ぎている。まともな働きになるかどうかは……』

 

 その言葉を遮ったのはタカフミの怒声であった。

 

『いつまで! こんなところで煮え切らない調整なんかやらせる気だ! おれも出るぜ、艦長! 守りたいものを守れなくって何が漢だよ!』

 

 その言葉に茉莉花へと視線を送る。彼女は情報を繰り、発進シークエンスを練っていた。

 

「《カエルムロンドゼクウ》、出撃準備へ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《ゴフェル》甲板が開き、内側からせり上がったのは腕を組んだ青い疾駆であった。両肩に保持されているのは紺碧の大剣である。翼のように大剣を担いだ新型機は戦場を見据えていた。

 

 その視界と同期したタカフミが最終調整レベルを振り、コックピットの中でタキザワの声を聞く。

 

『言っておくが、推奨は出来ないんだ! その機体はまだバランサーに重大な欠陥を抱えていて――』

 

「要は、墜ちる前に、墜とせばいいんだろ? 簡単な話だ!」

 

 拳を作り、タカフミはアームレイカーに腕を入れていた。血続ではない自分に対してこのシステムは補助の意味合いしかないが、それでもこの規格外の機体を動かすのには役立つはず。

 

 両肩の大剣にリバウンドの斥力が発生する。浮かび上がった機体が赤色光のランプを照り受けながら背部にマウントされた電源ケーブルを引っ張っていた。

 

「《カエルムロンドゼクウ》。タカフミ・アイザワ! 出陣するぜ!」

 

 主の声を受け、《カエルムロンドゼクウ》が推進剤の尾を引いて飛び立つ。しかし、両肩の大剣のあまりの重量にバランサーが早速異常値を示していた。

 

《スロウストウジャ弐式》が肉薄し、プレッシャーソードを引き抜く。

 

「んなろぉっ!」

 

 声と共に肩口から剣がスライドされ、マニピュレーターが保持していた。

 

 片手剣の大きさに留まらない、機体の背丈ほどもある大剣を《カエルムロンドゼクウ》は振るう。生み出したリバウンドの風圧だけで敵機が揺らめいた。

 

「鍔迫り合いには最適って事かよ。行くぜ!」

 

 打ち上げて加速度のままに敵機へと振るい落とす。その一閃に相手は防御の姿勢を取ったが、リバウンドの力場と圧倒的重量を誇る大剣の一撃が機体を一刀両断していた。

 

 スパーク光を散らせる敵機を蹴り上げ、《カエルムロンドゼクウ》が躍り上がる。

 

 すぐさま敵編隊がプレッシャーライフルの一斉掃射を絞っていた。大剣の刀身で受け止め、剣の表層に広がった風圧にタカフミは声にする。

 

「決めるぜ。リバウンド――フォール!」

 

 リバウンド斥力磁場が発生し、敵のプレッシャー兵器が一挙に跳ね返される。その反撃に際して敵陣営が僅かに崩れた。

 

 その隙を見逃さず、タカフミは吼え立てる。

 

「《ゴフェル》! おれが道を切り拓く! 必要なもんは今のうちに射出しろ!」

 

『了解。《イウディカレ》、応答出来ますか!』

 

『今手一杯!』

 

 応じた蜜柑にタキザワが声を発する。

 

『《イウディカレ》の専用拡張パーツだ! 受け取ってくれ!』

 

 リニアボルテージ主砲に乗せられた《イウディカレ》の拡張パーツが射出される。電磁を纏いつかせたそれを、《イウディカレ》が急上昇して掴み取っていた。

 

『これは……盾?』

 

 亀甲型の盾を一対、《イウディカレ》が脇に装備する。

 

『Rシェルビットだ! 攻防一体の武装となる!』

 

《イウディカレ》が六角形のRシェルビットを翳し、敵スロウストウジャの攻撃を前にして構える。

 

 放たれたプレッシャーライフルを武装が弾き、瞬時にリバウンドの斥力が発生していた。

 

『――いける。リバウンド、フォール!』

 

 反射時、六角形の武装の端より拡張武装が引き出される。

 

 瞬間、跳ね返った射撃の軌跡が幾何学の軌道を描き、単なる反射に留まらない動きで敵陣営を焼き尽くしていく。

 

『これは……』

 

『リバウンドフォールに僅かながら自走効果を付けた! エクステンドチャージにも対応している!』

 

 叫んだタキザワにタカフミは、おいおいと声にする。

 

「ちょっくらやり過ぎ……、っと!」

 

 横合いから斬りかかっていた相手を制し、タカフミは両手に二刀を保持する。それそのものが標準人機クラスの巨大さを持つ大剣をタカフミはまるで軽業師のように操った。

 

 片方を逆手に返し、もう片方の手で敵の頭部を割る。

 

 すかさず払った一閃が敵人機の血塊炉を叩き割っていた。

 

「やり過ぎって事もないか。追い込まれているんだもんな。……ブリッジへ! 何分持たせりゃいい?」

 

『最大三分だ! 《ザルヴァートルシンス》の水先案内人を頼む!』

 

 茉莉花の叫びにタカフミは頷く。

 

「オーケー……。んじゃ、まぁ! やるだけの事はやってみせるか! そうだろう、《カエルムロンドゼクウ》!」

 

 両腕に保持していた大剣を接合させる。刀身だけで通常人機を軽く凌駕する大きさを誇る弩級の大剣を《カエルムロンドゼクウ》は全身の膂力を引き上げて握り締めていた。

 

 大剣そのものに血塊炉が宿っており、その保有数は《カエルムロンドゼクウ》本体と合わせれば四つに相当する。

 

「この剣そのものが、人機みたいなもんだ。行くぜ、師を超えたおれの、新たなる剣術……。――零式斬艦術、参る!」

 

 大剣――斬艦刀に血脈が宿り、迫り来る敵を規模の違う剣で斬りさばきながら《カエルムロンドゼクウ》の機体が黄金に染め上がる。

 

「エクステンドチャージ!」

 

 金色の剣筋を引き、《カエルムロンドゼクウ》が一挙に加速し、敵艦へと躍り上がる。甲板を踏みしだき、その剣を払っていた。

 

 斬艦刀がその名に恥じぬ威力を発揮し、位相空間をリバウンドの反重力でたわませながら、艦ブリッジを焼き払う。

 

《カエルムロンドゼクウ》からしてみれば、斬艦刀も加速に貢献する推進剤の一つ。斬艦刀そのものから放たれる血塊炉の瞬きが機体を導き、敵艦を一隻、また一隻と沈めていく。

 

 払い上げた一閃に燐光が纏いつき、同心円状に放たれた斬艦刀の波紋が艦隊を叩き潰していく。

 

 噴煙と炎が上がる中でタカフミは叫んでいた。

 

「道は作ったぜ! 行け!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その声を受け、鉄菜は格納デッキに収まるタキザワと目線を合わせる。

 

「……行くんだね、鉄菜」

 

「ああ。私には報いるべき命がある。それに従うまでだ」

 

「……心ではなく、命に報いる、か。実に君らしい、答えだ」

 

 拳を突き合わせ、鉄菜は格納デッキに収まっている人機へと導かれる。

 

「これが……私の望んできた、《モリビトザルヴァートルシンス》……」

 

 中枢部に据えられたコックピットに乗り込むとアームレイカーとリニアシートが一体化した新たな機構が自動的に自分へと最適化したコックピット環境を与える。

 

 浮かび上がったヘッドアップディスプレイのステータスを目にし、鉄菜はアームレイカーに腕を入れていた。

 

 フットペダルを踏み込む形で保持し、真正面を見据える。

 

 格納デッキより《ザルヴァートルシンス》が移送されていく。

 

『リニアボルテージに固定。出力を1300に設定。射出タイミングを、鉄菜・ノヴァリスに譲渡します』

 

 全てのシステムが明け渡されたのを確認し、鉄菜は腹腔より声にしていた。

 

「了解。《モリビトザルヴァートルシンス》。鉄菜・ノヴァリス。出る!」

 

 両肩の翼が展開し、射出と同時に揚力を得ていた。リバウンドの斥力磁場が発生し、機体を制御させる。

 

 デュアルアイセンサーに緑色の輝きが宿り、最後のモリビトが今、方舟より放たれた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯399 明日へと

 軋む機体フレームに桃は声を荒らげる。敵の機動力はまるで衰えない。それどころかじわじわと押し返されているのが伝わってくる。

 

《ノクターンテスタメント》が何機目か分からない《スロウストウジャ弐式》を叩き潰し、爆風に一瞬視界を遮られた刹那であった。

 

 ライブラの《フェネクス》に《スロウストウジャ弐式》が組み付いていく。自爆しようとした敵機を桃は高出力R兵装で薙ぎ払っていた。

 

『……礼を言う気は』

 

「構わないわ。来るわよ!」

 

 スロウストウジャ編隊を率いて、新連邦の新造艦が前に出る。これまでの火力とはまるで桁違いの主砲が空域を見据えていた。

 

『あんなものを撃たれては……』

 

「困るって寸法! 撃たれる前に、狙い撃つ!」

 

《ノクターンテスタメント》を走らせようとしたが、新造艦より放たれた機体の識別に桃はうろたえていた。

 

「……新型機。《スロウストウジャ参式》……」

 

 これまでの機体でもジリ貧であったのに、新造艦の持つ戦力は最新鋭のものだ。桃は奥歯を噛み締める。

 

 ――ここまでなのか。どれほどまでに足掻いてきたとは言え、ここまでで全ての道は閉ざされると言うのか。

 

「そんなはずは……。そんなはずはないって信じたい。信じちゃ……駄目なの!」

 

 新型のプレッシャーライフルの口径はまるで規格外だ。広域射程に桃はきつく瞼を閉じようとした、その時である。

 

 高熱源関知のアラートが響き渡り、前に出ていた《スロウストウジャ参式》を一条の光芒が撃ち落としていた。

 

 その光とそして識別信号に桃は感極まりそうになってしまう。

 

「来て……くれたんだね、クロ!」

 

『鉄菜さん!』

 

 蜜柑が声を続かせ、ライブラのレジーナが応じる。

 

『あれが……新たなる希望の徒か』

 

 急接近する青いモリビトの機影に、敵機を切り裂いた《イザナギオルフェウス》より声が迸る。

 

『待ちかねたぞ! モリビト!』

 

 青い《モリビトザルヴァートルシンス》が両肩に装備した翼を思わせる武装ユニットを開く。青白い電磁波が放出され、格納されていた武装を射出していた。

 

 空間を駆け抜けるのは神速を誇る自律兵装だ。

 

 新造艦率いる《スロウストウジャ参式》編隊を、《ザルヴァートルシンス》の操るザルヴァートルビットが引き裂いていく。

 

 押し返さんと新造艦が主砲を掃射しようとするのを、エクステンドチャージの燐光を伴わせた機体が高機動を誇りつつ上方へと軌道を導かせ、そのまま巨大な斬艦刀を打ち下ろしていた。

 

 新造艦が熱波とリバウンドの斥力磁場に負けてブリッジを崩壊させる。灼熱の噴煙を巻き上げる新造艦を薙ぎ払ったのはタカフミの新型機であった。

 

「《カエルムロンドゼクウ》……」

 

『露払いはおれ達が引き受ける! そうだろう、モリビト!』

 

《カエルムロンドゼクウ》が疾走し、それに追従したのは《イザナギオルフェウス》である。

 

『……正統後継を超え、自らのオリジナルに至ったか』

 

『応よ! お前もそうだろう! 桐哉!』

 

『……捨てた名前を紡ぐんじゃないと何度言えば……。《イザナギオルフェウス》! 黄金の力を引き出せ! 零式抜刀術、奥義!』

 

《イザナギオルフェウス》が燐光を滾らせ、赤く煮え滾った二刀の柄頭を接合させた。まるで旋風のように両刀を回転させ、《イザナギオルフェウス》が戦局を切り拓いていく。

 

 その無茶苦茶な機動力は明らかに命を削っているが、桃も負けていられないと丹田に力を込めていた。

 

「ここまで来れば、出し惜しみなんて、ね。《モリビトノクターンテスタメント》!」

 

《スロウストウジャ参式》がプレッシャーソードを引き抜いて襲いかかる。それを受け止めたのは高出力R兵装を今まで放っていた巨大なるアームクローであった。そのアームクローの基部が持ち上がり、ピラミッド型の頂点が可変を果たす。

 

 ピラミッドの頂点部位に現出したのは人型であった。両肩にアームクローを有した新たなる人機が《ノクターンテスタメント》の機首として産声を上げたのだ。

 

「《モリビトノクターンテスタメント》、エクスターミネートモード! この状態ならっ! エクステンドチャージ!」

 

 アームクローが敵機を押し返し、人型部位がアームクロー内部に格納されていたRハイメガランチャーを保持する。

 

 ゴーグル型の眼窩が狙いを定め、直後敵兵を蒸発させる一撃が放たれていた。

 

 黄金の火力を振り払い、《ノクターンテスタメント》がリバウンド浮力を得て、敵艦へと突っ込む。

 

 アームクロー内部より煮え滾ったリバウンドの刃が顕現し、爪のように敵艦へと食い込んでいた。人型部位が砲塔を艦へとゼロ距離に据える。

 

「吹き飛んじゃえー――ッ!」

 

 敵艦を貫通した砲撃軸が振り払われ、連邦艦を融かしていく。灼熱に抱かれた風を纏い、《ノクターンテスタメント》が周囲に砲撃を浴びせかけていた。

 

 赤く染まった戦場を駆け抜けるのは紫色のカラーリングを誇る《イウディカレ》である。

 

『ミィだって、鉄菜さんの未来を、信じているんだからっ!』

 

 追い縋ってくる《スロウストウジャ参式》に向けて、《イウディカレ》が盾の自律武装を展開させる。

 

 内部に収納されていたのは《イドラオルガノン》と同じ頭部を持つモリビトであった。蜜柑はヘッドアップディスプレイに表示された新たなる武装のステータスを確認する。

 

『《イドラオルガノントリプレット》! 敵機を迎撃する!』

 

 可変したRシェルビットが《イドラオルガノン》へと可変を果たし、それぞれに入力された自律システムを稼働させ、《スロウストウジャ参式》と組み合う。

 

 片方の《イドラオルガノン》は射撃で敵機を迎撃し、もう片方はRトマホークによる格闘戦術で敵陣を斬りさばいていった。

 

 その合間を縫うように《イウディカレ》が黄金の光に包まれる。

 

『《モリビトイウディカレ》! エクスターミネートモード! 行って! トマホークビット!』

 

《イウディカレ》のアイカメラが赤く照り輝き、四方八方、全方位に向けて残存するトマホークビットを放射していた。格闘戦術の火花が散り、敵機を叩き割っていく。

 

 蜜柑の駆る《イウディカレ》本体へと仕掛ける敵機もいたが、それらを蜜柑はライフルによる精密狙撃と、そして肉薄した相手には容赦のない格闘戦術で応じていた。ライフル下部より発振させたリバウンド刃が敵の首を刈る。

 

「負けてられないんだから! モモ達はァッ!」

 

《ノクターンテスタメント》が敵艦に取り付く。艦主砲がこちらを捉えかけて、その砲撃を中断させたのは《イクシオンカイザ》のRブリューナクであった。親機がそのまま主砲を重量で叩き潰す。

 

『貸しは貸しだ』

 

「……返すわよ。生き残って、ね」

 

《ノクターンテスタメント》の砲撃が敵艦を沈め、機体の四肢を開かせる。スライドしたミサイル格納部より、数百を超えるアンチブルブラッドミサイルが放たれ、敵艦の動きを大きく鈍らせた。

 

「クロ! 行って! 《キリビトエデン》のところへ!」

 

 背後からの接近警告を払ったのは《スロウストウジャ肆式》である。プレッシャーソードで打ち合うヘイルが声を搾っていた。

 

『お前が、希望だって言うのなら、俺達は通す! 通させてもらう!』

 

《イザナギオルフェウス》と《カエルムロンドゼクウ》が黄金の軌跡を描いて敵艦へと猪突し、その剣戟で敵陣営を叩き落していく。咆哮が相乗し、二つの機体がまるで踊るように交差していた。

 

 鉄菜は任せてもいいと判断したのか、《ザルヴァートルシンス》の進路を《キリビトエデン》に据える。

 

『……桃、蜜柑。それにみんな。私は、行く』

 

 言葉少ななのは相変わらずの悪癖か。それも諌めてやらなければならないな、と桃は感じて苦笑していた。

 

「……また、クロと会えるって信じているから。だからっ! モモ達は折れない! こんなところで、折れてしまうような、やわな絆じゃない!」

 

《スロウストウジャ参式》を率いる敵艦の包囲陣は一方向だけではない。別方向より来る陣営が《ゴフェル》へと砲撃を向けようとしたのを新たなる火線が遮っていた。海中よりリバウンドの磁場を弾かせて浮上した未確認の艦艇に桃は瞠目する。その識別信号は二年前に確認したものであった。

 

「ラヴァーズ旗艦……《ビッグナナツー》、ですって?」

 

 あり得ない、と判じた桃であったが、その艦首にて腕を組んでこちらを見据える黄金の機体は二年前と変わらぬ威容を放っている。

 

「モリビト……《ダグラーガ》……。宇宙での殲滅戦の後、確か行方不明になったって……」

 

『達す。こちらラヴァーズ残党軍。我が名は《ダグラーガ》。この世最後の中立である。これより、ブルブラッドキャリア艦、《ゴフェル》の援護に入る。異論はないな』

 

 重々しいその声音もまさしく世界最後の中立を名乗るに相応しい人物――サンゾウのものであったが、まさか生きていたなどにわかには信じ難かった。

 

《ゴフェル》より通信が繋ぎ直される。

 

『……こちら《ゴフェル》艦長、ニナイ。……生きて、いられたのなら……』

 

 何故、今まで、と継ぎかけた言葉の穂をサンゾウは制していた。

 

『生きていては、禍根を残す身と言うものがある。あの戦いで、エホバは己の責を問い質し、そして禊を行った。拙僧にもそれが必要だと判じ、あえて身を隠し、活動を行ってこなかった。その間、血が流れようとも、静観の構えでいるつもりであったが、この戦い、人類の全てを賭してでも、勝たなければならないであろう。ならば、我々は戦力として、貴君らに下る』

 

《ビッグナナツー》艦艇が浮かび上がる。リバウンド力場を得たかつての旧式艦は主砲を新連邦艦隊へと向けていた。《ビッグナナツー》の艦砲射撃と敵艦の砲撃が交錯する。光が螺旋を描いてぶつかり合う中で、《ダグラーガ》は宙へと舞い上がり、《スロウストウジャ参式》へと果敢に攻め立てる。その勢いは衰えてはいない。錫杖を振るい上げ、最新鋭の武装と鍔迫り合いを繰り広げるのは間違いようもなく、世界最後の中立の姿だ。

 

『フィフスエデン。その志、翳が差したものだと我が方は推測する。ゆえに、貴君らに賛同は出来ない。新連邦艦隊、来るのならば来い。ここにいるのは、ただの命一つ、しかして世界最後の中立を名乗る事を許された、たった一つの灯火なり!』

 

 錫杖を払い《スロウストウジャ参式》を叩きのめす。その一撃に迷いはない。彼の行動に感化されたのか、《ビッグナナツー》より旧式人機が飛び立っていた。

 

 バーゴイル、ナナツー、ロンドの区別なく空域を駆け抜け、最新型であるはずのスロウストウジャに追い縋る。その一手では無論、間に合わぬ実力もあったが、この場を制圧する空気が僅かに変位したのだけは桃にも伝わっていた。

 

「……勝てる。いいや、勝つ!」

 

 鉄菜が行ったのだ。ならば自分達は、せめてその背中に恥じぬように戦い抜きたい。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯400 悪意を断つ

《ノクターンテスタメント》がアームクローを押し上げ、高出力R兵装の光軸を弾き出す。その攻撃から逃れようと上方に抜けた機体を、蜜柑の《イウディカレ》が狩っていった。トマホークビットの光芒が照り輝き、《イウディカレ》のアイカメラが赤く眩い瞬きを放つ。

 

『ミィだって! 鉄菜さんに報いたい! 報いなきゃ、いけないんだもの! だから! 応えて、《イウディカレ》!』

 

 四肢を広げ、《イウディカレ》が四方八方に向けて自律兵装と照準を向ける。その射撃が最新鋭の人機であるはずの《スロウストウジャ参式》編隊を押し退けていく。

 

『ブルブラッドキャリアがやっている。ならば、私も礼をもって応じるまでだ。Rブリューナク、ハイブレインマニューバ!』

 

《イクシオンカイザ》が敵艦すれすれを掠め様にRブリューナクを大量放出し、敵艦を覆っていく。すぐさま逼塞状態に包まれた敵艦が黒煙を上げて推進力を下げていった。内部からプレッシャーライフルの光条が奔り、数機の《スロウストウジャ弐式》編隊が飛び出すも、それは既に狩人の領域である。

 

 カグラの《イクシオンカイザ》が支持アームを押し広げ、全方位をその照準に入れた瞬間、降り注いだリバウンドの灼熱の雨にスロウストウジャ部隊が焼かれていく。辛うじてそれを逃れた機体に《イクシオンカイザ》が突き進んでいた。格闘アームを押し付け、内側より発振したプレッシャーソードで敵機を貫く。

 

 想定された使用法ではないはずだ。それでも、彼女だって戦っている。身を削る思いで。そう思わせてくれたのは、鉄菜の復活が大きい。

 

「負けない、負けたくないっ! 負けられないのよ――ッ!」

 

《ノクターンテスタメント》が頂点の人機基部を稼働させ、Rハイメガランチャーを構える。照準補正を行い、敵艦へと狙いを定めた。

 

 途端、敵機が散開する。

 

 いきなり敵の包囲陣が移り変っていた。うろたえた桃に、四方八方より《スロウストウジャ参式》の番えたプレッシャーライフルの光条が突き刺さる。咄嗟のリバウンドフィールドで受けたものの、今の一撃、ともすれば取られていた。その予感に血の気が引く。

 

「何が……、まるで指揮系統が変わったみたいに……」

 

『どうやらそのようだ。全員に通達。今の今までエデンは地下採掘にバベル指揮の半分を割いていたが、それを八割方、こちらの攻防に割くように設定し直したらしい。今の今まで戦っていたのは本来の力の半分も発揮していなかった新連邦軍だ。しかし、これは……』

 

 茉莉花が濁したのも分かる。まるで生まれ変わったかのように敵陣の動きが変わったのだ。敵の隊列が今まで考えなしのような隙だらけであったものから、少しずつだが計算ずくの戦いに変わりつつある。

 

 その巻き添えを食ったのはラヴァーズ編隊だ。

 

 弱小の型落ち機からまるで啄まれるように撃墜されていく。今の新連邦艦隊からしてみれば、ラヴァーズの戦闘部隊は格好の的に等しい。

 

「下がりなさい! モリビトと《ゴフェル》の部隊が前に出るから……!」

 

 叫びも虚しく通信領域を滑り落ちていくのはラヴァーズの操主達の断末魔であった。一つ、また一つと確実に命が摘まれていく。

 

 桃は拳を骨が浮くほど握り締め、コンソールを叩いていた。

 

「……これ以上は、やらせない! やらせて、堪るかぁーッ!」

 

《ノクターンテスタメント》が敵陣へと切り込む。両肩のアームクローで攻撃しようとするのをまるで予見したように後方から放たれたプレッシャーライフルの連撃が貫いていた。

 

 粉砕した高出力アームクローが内部爆発を生み、誘爆の炎に抱かれる。

 

 桃は激しくコックピットで揺さぶられていた。如何に《ノクターンテスタメント》のコックピットは機体下部にあるとは言え、大型出力兵器がやられればダメージは大きい。損耗率四割のステータスを視野に入れ、桃は空域を睨む。

 

 敵包囲陣はまるで削がれた様子はなし。

 

 やはり先ほどの意識の昂揚は、鉄菜がもたらしてくれた一時の幻なのか。自分達だけでは、この絶対の悪意に勝てるはずもないのか。

 

 ――いや、と桃はアームレイカーに指を通す。

 

「……まだ、負けてない。諦めない限り、負けじゃない!」

 

《ノクターンテスタメント》の人型基部を持ち直させ、Rハイメガランチャーを構えて後退させる。敵機への警戒の意味を込めての後ずさりはこの時、予期されていた。

 

 瞬間的な加速を得た黄金の燐光を棚引かせる《スロウストウジャ参式》がプレッシャーソードを抜刀して《ノクターンテスタメント》基部へと仕掛ける。リバウンドコーティングが施された砲塔で受け止めたが、それでも舞う火花が収まる様子はない。

 

「ビートブレイクビットで……!」

 

 おっとり刀で照準したビートブレイクビットを、援護機がすぐさま迎撃していく。ビートブレイクビット自体にはそれほど推進性能はない。一度手が割れればそこまでの武装なのだ。

 

 加えて――桃は荒く息をついていた。今にも視界が閉ざされそうなほどに疲弊している。ビートブレイクビットの酷使と、そして実力以上の力を使い過ぎている。今の自分は枯れ果てた湖に、まだ水を通そうとしているも同義。

 

 枯れた水源には、水は戻らない。そんな事は分かり切っている事実なのに。

 

 歯噛みしつつ、桃は《ノクターンテスタメント》の基部を稼働させ、敵機を振りほどこうとする。打ち下ろされたプレッシャーソードの出力にRハイメガランチャーの耐久値に赤い警戒色が宿った。

 

「まだ……負けていられないのに……っ!」

 

 蜜柑の《イウディカレ》も限界に近い。トマホークビットの軌道を読まれ、回避されつつ銃撃を叩き込まれている。《イウディカレ》の推進性能もエクステンドチャージの後となれば大きく減退する。その隙を突かれ、いくつかの光条が機体を打ちのめしていた。

 

「蜜柑!」

 

『……大、丈夫……。まだ、《イウディカレ》はやれる……』

 

 敵人機が執念深く追い縋ってくる。蜜柑は《イウディカレ》を翻し、備え付けのライフルの銃撃で相手を翻弄しようとするが、ライフルの出力値も臨界点に達しているのか、どこかその火力は心許ない。

 

 火線の合間を縫って《スロウストウジャ参式》が確実な一打を放ってくる。《イウディカレ》の眼窩から赤い輝きが薄れ、トマホークビットが勢いをなくす。

 

 敵艦が《ゴフェル》へと照準しながら進軍するのを、ラヴァーズ援軍とライブラの機体が止めようと奔っていた。

 

『行かせない! モリビトは、俺達の希望なんだ!』

 

『墜とさせるかよぉ……っ!』

 

 いくつかの命が敵艦に取り付き、その機体を黄金に染め上げた。まさか、と思った直後にはバーゴイルやロンドがエクステンドチャージを用いて炉心誘拐させ、自爆の炎を滾らせていた。

 

 全ての人機には資格がある、とゴロウは言っていたが、それはモリビトほどの耐久力や機体性能があっての話。通常人機では、すぐさま血塊炉は融点に達し、オーバーヒートを起こした機体は火達磨になるであろう。

 

 それが分かっていないはずがないのに――。

 

 ラヴァーズ友軍と、ライブラの機体が敵艦に取り付いては自爆を繰り返す。それでも新連邦の艦は止まらず、ましてやその命に頓着する事もない。

 

 艦主砲が無情にも《ゴフェル》を捉えかける。

 

 その照準軌道に人機が寄り集まり、堅牢な銃座へと攻撃を見舞っていた。銃撃が奔り、砲身を焼こうとするが、それはどれほどの火力であろうとも蚊が刺したような威力でしかない。

 

 銃座の照準を止めるべく、無数の人機が取り付き、その膂力で押し止めようとするが、その背中へと無情なる《スロウストウジャ参式》の刃が飛ぶ。

 

 背中を切り裂かれ、後ろから貫かれた人機が青い血潮を撒き散らして沈黙していった。

 

 桃は叫んだ。無茶苦茶に叫び、吼え、そして敵艦へと飛びかかる。

 

 ――どうしてここまで世界は残酷なのだ。どうしてここまで世界は無情なのだ。

 

 後退していた《ノクターンテスタメント》が急加速を得て前進したのに相手が恐れ戦いたのか、僅かに進路が保たれる。

 

 桃は《ノクターンテスタメント》の基部を使用し、艦主砲を捻じ曲げようとした。力技だ、分かっている。こんな真似に出ても、何も意味はない。この第一射を阻止したとして、他の艦より注がれる第二射、第三射はどうやって防ぐ。どうやっても防げまい。

 

 敵艦はまだ無限に近い手数で存在している。比して、こちらの残存戦力はたったの二隻。ラヴァーズ艦は疲弊し、ライブラ部隊もその性能を活かし切れず、スロウストウジャの凶刃に敗れ去る。

 

 最後の最後に相手を下さんと、組み付いての自爆が実行されようとするが、その前に引き剥がされ、人機の躯体が無意味に爆ぜた。

 

 そんな様子をこれ以上見ていられなかったのもある。

 

 桃は《ノクターンテスタメント》の人機部位を用い、艦主砲へと発振させたRソードによる斬撃を浴びせた。炎が迸り、主砲が焼け爛れるも、それは敵の百ある手のうち、一打未満を止めただけだ。

 

 敵艦よりミサイルが掃射され、空域を掻っ切っていく。

 

《イクシオンカイザ》がRブリューナクの砲爆撃で制したが、それも長くは持たないのは分かり切っていた。

 

 既に確認出来るだけで《イクシオンカイザ》の持つRブリューナクの親機はたったの二基。親機を潰されれば子機は射出出来ない弱点を晒したためか、敵人機は格闘戦を試み、《イクシオンカイザ》の機動力を封殺する。

 

《イウディカレ》は一機一機に追い込まれ、ライフルによる応戦を余儀なくされていた。トマホークビットは静止し、敵へと攻撃を見舞う前に撃墜されていく。

 

 敵陣に攻め立てていたタカフミの《カエルムロンドゼクウ》がエクステンドチャージを解除し、二刀の大型斬艦刀を払っていたが、それでも限界は生じる。

 

 小回りが利く《スロウストウジャ参式》に、大振りな武装は逆効果だ。すぐさま懐に入られた《カエルムロンドゼクウ》が爆砕武装を投げ、敵を遠ざけようとするが、その戦術は読まれているのか、背後へと回った敵編隊にタカフミも押されている。

 

「……《イザナギオルフェウス》は……」

 

《カエルムロンドゼクウ》と共に敵を薙ぎ払っていたその姿が見られない。まさか、撃墜されたか、と思った瞬間、接近警告を騒がせた《スロウストウジャ参式》の肉薄に桃は呻いていた。

 

「……どうして。どうしてここまで……。世界は……っ! クロ……っ、お願い……」

 

 斬り返し、敵の胴を割るが、その一機だけではない。眼前に展開されるは無数の人機編隊。それらを統括する《キリビトエデン》は遥か遠く、艦隊の向こう側。

 

 今は、その向こうに行ってしまった鉄菜を信じるしかない。桃は奥歯を噛み締め、丹田に力を込めた。

 

「――来い!」

 

《ノクターンテスタメント》の眼窩に光が宿り、敵陣営へと突っ切っていった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯401 砕けない絆

「ライブラ第一中隊、全滅! ラヴァーズの援護部隊もほぼ壊滅です!」

 

 ブリッジを走った悲鳴にニナイは声を張り上げる。

 

「持たせるのよ! 桃と蜜柑は?」

 

「モリビト二機、それぞれ人機編隊と交戦中! ですが、損耗率は既に四割を超えています!」

 

 明らかに気圧されている。その事実にニナイは奥歯を噛み締めていた。

 

 鉄菜が活路となって艦隊の向こうへと赴いたものの、こちら側の陣営はジリ貧のままだ。如何に最新型のモリビトとは言え、このまま戦力差を前に押し潰されるのか。その予感に、ニナイは艦長椅子の肘掛けを殴りつけていた。このどうしても退けない戦い、気持ち負けをすればそこまでだ。手を払い、アンチブルブラッドミサイルの発射を命じる。

 

「アンチブルブラッド爆雷で敵を出来るだけ退ける。その間に、友軍機は可能な限りの交戦を……」

 

 その言葉を遮ったのは甲板に直撃した敵艦の砲撃であった。黒煙を上げ、赤いステータスに艦橋が塗り固められる。

 

「第三艦橋被弾! 《ゴフェル》推力低下!」

 

「このままのステータスを維持するのは困難です! 一時撤退を!」

 

 その提言に言葉を返したのは茉莉花のほうであった。彼女は情報を手繰り、まだだと声にする。

 

「まだ、終わりじゃない……! こちらの戦力は残っている。吾達が退けば、自ずと桃達の士気も薄れてしまうだろう。今は、それだけはしてはならない! 美雨! 《ゴフェル》の艦砲射撃、狙えるな?」

 

 問いかけられた美雨が主砲の照準を敵艦に据える。

 

「敵新連邦艦、主砲照準!」

 

「放てーっ!」

 

 自分の指揮で放たれた光軸が敵艦に突き刺さり、爆炎をなびかせていた。炎と灼熱の燻る濃紺の空域で、クルー達は決死の攻防戦を繰り広げている。

 

 こんな状況、誰が予想出来ただろう。

 

 モリビトであっても消耗戦を余儀なくされ、ライブラ、ラヴァーズの援軍があったと言っても、それでも敵わぬはどこか見えている。

 

 ――ここまでなのか?

 

 差した疑念に一人のクルーが立ち上がっていた。

 

「……イリアス、さん?」

 

 候補生の少女がこちらを睨み上げ、掴んでいたのは拳銃であった。思わぬ事態にブリッジが震撼する。

 

「……何のつもりだ」

 

 その中で唯一、まともな受け答えをしたのは茉莉花であった。桔梗は銃口を自分に向けたまま応じる。

 

「……もう後がない。こんなの、間違っている」

 

「引き金一つで帳消しに出来る領域を超えている。ここで、艦長を殺しても一文の得にもならない」

 

 どこまでも冷静な茉莉花の声に痺れを切らしたのか、桔梗の銃口は彼女へと据えられていた。

 

「何で! ……何でそうも落ち着き払って! ……月で平穏に暮らしちゃ、駄目なの? ……こんな戦い、間違っている! そんなの分かり切っているはずでしょう! アンヘルと戦った、あなた達なら!」

 

 誰もが暗黙の内にそれを飲み込んでいた。無茶無策、それでいてこれ以上の継続戦闘はただ単に生き意地が汚いだけだ。分かっている。分かっていても、退けないのだ。

 

「……この空域で死んでいった者達に、顔向けが出来ないだろう。ここで撤退なんて」

 

「顔向け? ……知らない顔なんてどうでもいい。どうだっていいじゃない!」

 

 桔梗の堰を切ったかのような感情の声はそのまま、この消耗戦を絶望視しているクルー達の胸を打っていた。本音を言えば、桔梗の言う通りだ。

 

 月面に帰り、星がどのような運命を迎えようとも、無関心、無視を決め込めばいいだけ。そう、簡単な事であった。

 

 ――だが。

 

 ニナイは肘掛けを握り締める。ここで退いてはいけないと判断するのは、何も死んでいった者達への報いだけではない。

 

「……イリアスさん。銃を下ろして。まだ、戦いは終わっていないのよ」

 

「終わっているでしょう! リップバーンさんや、教官のモリビトだって押されている! こんな状況で、どうやったって勝ち目なんてない!」

 

「……でも鉄菜は行ってくれた」

 

「たった一人じゃないですか。一人で何が出来るって言うんです!」

 

 そう、鉄菜は「たった一人」だ。だが、自分達は知っている。鉄菜が「たった独り」ではない事を。彼女が紡いできたこれまでの戦いを。それを知っているからこそ、退けない無駄には出来ないのだ。

 

「……確かにまともな試算をするのならば、鉄菜と《ザルヴァートルシンス》だけで、何が出来るんだって思うだろう。《キリビトエデン》の性能もほとんど不明。負ければそこまでの話だ」

 

「……分かっているんなら……!」

 

「だがな、そんなのは知ったこっちゃないんだ」

 

 茉莉花からどこかやけっぱちな言葉が出るとは思っていなかったのだろう。桔梗は困惑して銃口を彷徨わせる。

 

 茉莉花は情報コンソールより出て、桔梗と向かい合う。

 

「茉莉花おねーちゃん! 危ないよ!」

 

 美雨の声も無視して、茉莉花は桔梗と相対していた。桔梗は銃を持ち直し、茉莉花の額に照準する。

 

「……嘗めないで。私は撃てる……。ブルブラッドキャリアの、操主なんだからっ!」

 

「そうだな。お前はブルブラッドキャリアの操主。そうあるように教育され、そうあるように生まれてきた。……だが、鉄菜はそうじゃない」

 

「ただの人造血続でしょう! 替わりなんていくらでもあった!」

 

「そう、事実だけを反証すれば、鉄菜はただの人造血続。造られただけの、生態兵器と大差ない、撃ち抜くべき対象を見据える銃弾だ。今、吾に突きつけられているのと同じように。鉄菜は自分を兵器だと断じている」

 

「……鉄菜・ノヴァリスの、何が特別だって言いたいの……。性能なんて、大した事ないくせに」

 

「ああ、性能面だって、鉄菜は恐らく、今の候補生がちょっと訓練を積めば、なんて事はない、性能だけならば比肩出来るだろう」

 

 その言い回しが引っかかったのか、茉莉花へと桔梗は引き金に指をかける。

 

「……まるでそれだけじゃないみたいな言い草! 旧式の人造血続なんて、意味なんてない! あんなものに縋ったって、無駄なだけでしょうに!」

 

 一触即発の空気に誰もが固唾を呑んでいると、茉莉花はぽつり、と寂しげに呟いていた。

 

「……そうだな。客観的事象を鑑みれば、鉄菜は何でもないんだ。我々を今の今まで引っ張ってくれたのだと、勘違いをしているだけなのかもしれない。運命のいたずらと偶然の数々が、対外的に彼女をブルブラッドキャリアの希望なのだと、思わせているだけなのかもしれない……」

 

 茉莉花の声音に毒気を抜かれたのか、桔梗が銃を持つ手に力をなくす。

 

 だが、と茉莉花は直後、その拳銃を握り、自身の額に銃口を当てていた。

 

「これは……完全にそういう計算や打算じゃない。この調停者としての言葉でもない。こんなものは……戯れ言、そう、人間の言葉だ。今を生きる人間として、信じたいだけなんだ。鉄菜が行ってくれる事を、彼女の可能性を……。撃ちたければ撃て! 可能性を信じられず、それに弄ばれるだけだと言うのならばここで引き金を引けばいい! 決着は己でつけろ! ……だが、吾は何度も見せてもらった。可能性や計算式を完全に無視して、度外視してでも輝く……命一つを。心の在り処が分からないと喘ぎながらも、それでも前に進む懸命さを。……そんな今にも崩れ落ちそうな奴に、お前のやっている事は無駄だ、なんて……言えないじゃないか……」

 

 茉莉花も魅せられてきたのだ。鉄菜の行動と、そして実現してきた希望そのものに。電子の申し子たる彼女からしてみれば、計算外はなかった事になる。試算の外れは完全なる想定外であるはずなのだ。

 

 それをどれだけでも超越してきた鉄菜に、茉莉花も可能性を見ている。決して計算や打算だけが戦場を決定付けるのではない。

 

 人間としての命の在り方――心こそが、戦いの場のどん詰まりにおいても輝くのだと。

 

 桔梗は拳銃を握る腕を震えさせる。茉莉花が叫んでいた。

 

「撃ちたければ、撃て!」

 

「待ちなさ――!」

 

 声を挟みかけた刹那であった。

 

 銃声が轟き、ブリッジを震撼させる。桔梗の放った銃弾は壁に吸い込まれていた。硝煙を上げる拳銃を手にしたまま、桔梗はへたり込む。

 

 茉莉花より逸れた一撃に、当の彼女は声を振っていた。

 

「……狙えただろうに」

 

「……分かんない。分かんないんですよ! 何もかも! どうしたら正解なのか、誰も教えてくれないじゃないですか! こんなのが実戦だって言うんですか? こんな不確定なのが? ……みんな死んじゃうんですよ! 分かっているんですか! 《ゴフェル》が沈めばみんな……居なかったのと同じに……」

 

 泣きじゃくった桔梗が顔を伏せて涙する。ニナイは言葉を失っていた。他のクルーも同様だろう。

 

 桔梗の言い分もある一面では正しい。だから否定する材料は持たない。

 

 鉄菜一人に頼って、それで前回のように戦闘不能に陥れば皆が意気消沈する。そんな不確かなものを信じられないのは分かる。

 

 しかし、鉄菜は今までも絶望的な状況下で戦い抜いてきた。誰よりも苦難に塗れた戦場を生き抜き、そして希望を導いてきたのだ。

 

 その力強さに、自分達は頼り過ぎているのかもしれない。

 

 それでも、明日を信じてはいけないのだろうか。鉄菜の言う、明日を。未来を、信じてみたいではないか。

 

 茉莉花が静かに頭を振る。

 

「確かに絶望的だ。《ゴフェル》が沈めば、反抗勢力は一掃され、エデンの思うつぼだろう。……だがこれだけは言っておく。たとえ沈んだとしても、居なかった事にはならない」

 

 茉莉花が情報コンソールへと踵を返す。

 

 ――たとえ命が尽きても、居なかった事になるわけではない。

 

 その一語が重く沈殿する。自分の中の彩芽の死。それがあれほどの衝撃であったように、死んだからと言って意味がないわけでは決してないのだ。

 

 誰かの心にささくれとして残る場合もあれば、誰かの心を呼び覚ます事もある。死が終わりではないのはこの艦にいる誰もが知っている。

 

「……イリアスさん、持ち場に戻って。まだ、終わりじゃないのよ」

 

 艦長として、非情であろうともそう言葉を投げるしかなかった。そう、終わりではない。

 

 鉄菜が繋いでくれた。

 

 この繋がり――絆は決して折れてなるものか。

 

「……新連邦艦隊は衰えず……。進軍してきます。指示を」

 

 クルーの声にニナイは正面に向けた眼差しに力を込めていた。

 

「全速前進! モリビトを援護しつつ、このまま一気に気勢を削ぐ!」

 

 難しくとも、前に進むしかない。それが残された者達の務めだ。

 

 ――そうでしょう? 彩芽。

 

 




次回、12月30日、31日連続更新し最終回を迎えます。どうか最後までよろしくお願いします


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯402 モリビトの務め

 新連邦艦隊を抜けたところで不意に放たれた熱源警告に、鉄菜は《ザルヴァートルシンス》の機動力で上方へと逃れていた。ぐんぐんと突き進む機動性は今までのモリビトの比ではない。

 

 まさしく次世代のモリビトである《ザルヴァートルシンス》は、《モリビトシンス》を想起させる両盾のウイングバインダーより格納された武装を保持していた。

 

「Rザルヴァートルソード……。これならっ!」

 

 甲殻を思わせる剣を手にし、鉄菜は偏向する敵の砲撃を受け止めていた。

 

 瞬間、全身より迸った白銀の息吹がリバウンドの斥力磁場を放出させる。

 

「リバウンド、フォール!」

 

 反射した火線が幾何学の軌道を描き、敵へと返っていく。その思わぬ光芒に敵機――《キリビトエデン》はうろたえつつも、強力なリバウンドフィールドで減殺させていた。

 

『……モリビト。またしても我々の前に楯突くか……』

 

「お前達は……どういう目的で星の核へと至ろうとする! それは禁断の領域だ!」

 

 古代人機が地面より回転しながら出現し、それぞれの砲門を照準する。間断のない砲撃網を掻い潜りつつ、鉄菜は《キリビトエデン》を見据えていた。

 

 青い巨大人機が傲慢の赤い眼光でこちらを睨む。

 

『……人類では不可能なのだ。この星の存続と、そして隷属は! バベルの深層に封印されてハッキリと分かった。バベルネットと、そしてこの星を覆うプラネットシェル計画、そして人機! それらは我々、フィフスエデンのためにあったのだという事を! 今の脆弱なる人類ではいずれ歯止めが来る。その来たるべき時、弱き種を導くのが、我らの務め!』

 

 四本腕の《キリビトエデン》が光背のように顕現させた武装で《ザルヴァートルシンス》を追い込もうとする。

 

 鉄菜は機体を翻させ、両肩の翼の内側に固定された砲門より灼熱の砲撃を見舞っていた。

 

 爆発の光がいくつも連鎖し、追いつく前に霧散していく。

 

「……ヒトを導くと言うのならば、何故共に歩もうとしない! お前達がただ足跡を刻みたいだけならば、それは傲慢ではないのか!」

 

《キリビトエデン》の伸ばした腕に鉄菜は割って入る。手にしたRザルヴァートルソードが展開し、まるで蓮のように花開いた。

 

 直後、放出された超高密度リバウンド磁場が偏向し、敵人機のマニピュレーターを削岩機の勢いで砕いていく。

 

 四本腕のうち、一本を潰された《キリビトエデン》が腕の内側に収納された武装を全開放し、《ザルヴァートルシンス》を囲い込もうとした。その火線の大嵐を、青と銀の機体は風圧を纏ってさらに高空べと至る。

 

 敵の銃撃網が爆発の炎を拡散させ、《ザルヴァートルシンス》の機体を赤で彩った。

 

『ヒトは弱い。どこまでも、度し難いほどに。バベルの詩篇を使って、人間を二年間、よく観察したとも。だがどうにも、この弱い生命体と共に、どうやっても星を救う事は出来ないのだ。こんな風ならば、星は別個の生き物として自立したほうがよっぽどいい未来があるとも。それがプラネットシェルの最終段階……、リバウンドフィールドによる星の圧死だ!』

 

《キリビトエデン》の位置する場所は情報都市ソドム中枢。そこで何が行われているのか、鉄菜は意識の世界を漂った事で理解していた。

 

 エデンはリバウンドの天蓋を使って星に棲む生命体を選別し、圧迫させて抹殺してから、その後ゆっくりと、星の核と融合を果たすつもりだ。

 

 星の核と融合を果たした存在はそのまま星と等しくなる。

 

 それこそが、百五十年も前の人類が思い描いた計画――プラネットシェル計画の全貌。鋼鉄の鎧である人機はそのために存在し、来るべき星の時代を生き抜く生命器具であった。

 

 だが、百五十年前の大災害によって人々の記憶からはその真意が薄れた。結果論として、人間は星と繋がる方法を忘れ、今の平穏があった。

 

「……星をそんな風にして、人間を棲めなくして、ではどうする! 空白の支配者になるつもりか!」

 

『もっと相応しい知性体が存在する。人間よりもなお、賢く、この星を運用する知性が! それこそが我が存在ィッ! フィフスエデンだ!』

 

 広域に放たれた敵の誘導爆雷が連鎖爆発を起こし、炎の光輪を空に咲かせながら、《ザルヴァートルシンス》を熱量で押し潰さんと迫った。

 

《ザルヴァートルシンス》の両翼を前に翳し、リバウンドのフィールドを形成して難を逃れるが、それでも一進一退だ。少しでも気を緩めれば敗北する。

 

 こちらを狙い澄ますのは何も《キリビトエデン》だけではない。

 

 地脈に働きかけられ、バベルの詩篇と同じ情報で操られた古代人機の砲撃をかわさなければならない。

 

 彼らは星の護り手だ。そんな彼らでも、今はエデンの操り人形に過ぎない。

 

「人心を掌握し、ヒトを意のままに操り……そして果てには星の支配者になるだと……。許されるわけがない!」

 

『許す許さないではないとも! こんな大罪に塗れた星、買ってやるだけありがたいと思ってもらいたいものだ!』

 

《キリビトエデン》の指先より放たれたのは自律兵器であった。追尾してくる五指の兵装を《ザルヴァートルシンス》は可変させた保持武装で応じる。弾き出されたリバウンドの銃撃が打ち据えたが、その武装が不意に動きを変えた。

 

「……有線兵器か」

 

 無線兵器と違い、エネルギー供給が成されているのならば、迎撃したところで最後の最後まで追い縋ってくる。そのうち一つが《ザルヴァートルシンス》へと到達した。

 

 直後、電撃が《ザルヴァートルシンス》へと浴びせかけられる。機器が揺さぶられ、システムが次々と切断されていった。

 

 相手はバベルを有している。

 

 少しでも接触を許せば、単一システムでしかない《ザルヴァートルシンス》など、児戯に等しいのだろう。

 

 このまま、何も出来ずに撃墜されるのか、と歯噛みした瞬間、コックピットに現れた姿に鉄菜は目を見開く。

 

『……ホント、お人好しかもね。私も』

 

「……ルイ?」

 

 どうしてここに、と問い質す前に、ルイは指先を手繰り、システムの介入を拒んでいく。少しずつ復旧していくシステムに比して、ルイの指先は蝕まれていく。黒く浸食されていくルイに鉄菜は声を上げていた。

 

「……やめろ。そこまでやる義理がお前には……!」

 

『……ないのかもね。マスターを殺したのはあんただし。でも……鉄菜・ノヴァリス。あんた、まだマスターに会えるんでしょう? 心ってものがある……人間なんだから。思い出の中で、マスターに会えるはず。……ああ、それってすっごく妬ましいし、憎たらしいんだけれどでも……。ヒトだって言う証明に、私はこうも焦がれている……』

 

「ルイ……。だが私は……」

 

『心が分からないって? ……ホントに、馬鹿なんだから。心はここって、きっちりマスターに、教わったくせに……』

 

 ルイの投射映像の指先が確かに、胸元を触れた。その確かなる体温に鉄菜は頭を振る。

 

「ルイ! お前だって、生きている! 生きているんだ!」

 

 その言葉に返答はなかった。微笑んだルイの肉体が黒く濁っていき、最後の最後には、全ての存在が黒に染まっていた。

 

《ザルヴァートルシンス》のシステムが復旧する。

 

 ルイが全てを肩代わりしてくれたのだ。鉄菜は面を伏せ、何度も声にする。

 

「違うんだ……ルイ。私は救ってもらうほどじゃないはずなんだ。お前の……主を殺した……。それに思い出で会えるって……? それを知っている時点で、お前は私よりも、ずっと……」

 

『モリビトォっ! 引導を渡す!』

 

 自律兵装が空間を奔る。瞬間、緑色に染まった眼光を滾らせ、《ザルヴァートルシンス》が刃を払っていた。

 

 自律兵装が切り裂かれ、迎撃される。敵機を睨んだ《ザルヴァートルシンス》の双眸と鉄菜の眼差しが重なっていた。

 

「……許さない。お前だけは、許さない!」

 

『我々に、憎しみを向けるか! モリビトの執行者風情が!』

 

 アンチブルブラッドミサイルが空域を掻っ切り、進路を阻もうとするが、鉄菜からしてみればそのような障壁、最早情報として数えるまでもなかった。

 

 一呼吸のうちに数百のミサイルを薙ぎ払う。

 

 刃に宿った黄金の剣閃が赤く煮え滾っていた。

 

『……エクステンドチャージか』

 

 すっとRザルヴァートルソードを突き出す。同期して、背面に装備されていた無数の盾形の翼が自律機動し、剣と合体する。

 

「ザルヴァートル――ッ!」

 

 色相は黄金から白銀へ。高潔なる色を纏った一閃が邪悪を砕く一筋の稲光となる。

 

『小賢しいッ! リバウンドフィールドで!』

 

 直後、鉄菜はその手に携えた刃を打ち下ろしていた。

 

「ディバイダー――!」

 

 接合されたディバイダービットが数百倍にまで出力を高位に昇華させ、星を叩き割る勢いの剣筋が《キリビトエデン》へと降り注いでいた。

 

 リバウンドフィールドを両断するほどの剣閃。位相空間が飽和し、リバウンドの大規模な重力崩壊現象が《キリビトエデン》の躯体を揺さぶる。

 

 周囲の空気が一気に熱量で灼熱に達した。

 

 塵となって漂っていた敵の部品も、《ザルヴァートルシンス》に纏っていた風圧も何もかもを凝縮した一撃、それが世界を満たし、一条の稲妻と同義の状態となって、《キリビトエデン》を震わせる。

 

『こんなもので! 終われると思うな! 我らは星の真なる支配種なり!』

 

「支配がどうだとか、戦いがどうだとか、そんな事はどうでもいい。……私は、一握りの命だ! だったその命、枯れ果てるまで搾り尽くすのが、この鉄菜・ノヴァリスの、在り方に違いないはず!」

 

 放出された白銀の憤怒がコミューンを割る。情報都市ソドムをも破壊のるつぼに推し包んだその一撃が完全に消え失せるまでの数秒間。地上はこれまでにない熱量に焼かれ、焦土と化した地平が青く染まり、数十キロに渡って横たわっている。

 

 ようやく光の残滓が欠片となって消滅したその時には、《キリビトエデン》は半壊していた。

 

 それでもまだ敵機は健在だ。動く証左のように、残った三本腕を駆動させ、《キリビトエデン》は半分が崩れ落ちた相貌でこちらを睨む。

 

《ザルヴァートルシンス》は出力限界まで搾ったためか、ほとんど限界領域であった。

 

 エクステンドチャージもほとんど残っていない。血塊炉はオーバーヒートし、ステータスはレッドゾーンを超えていた。

 

 四肢と機体そのものは残っているものの駆動させるための出力が何もかも足りていない。

 

 満身創痍の《ザルヴァートルシンス》に《キリビトエデン》が腕を掲げ、四方八方に自律兵装をばら撒く。

 

 手裏剣型の自律兵装は平時ならば容易く回避出来るだろう。だが、今はそのような単純な兵器でさえも避けられまい。

 

 包囲した敵の武装が一挙に放たれ、《ザルヴァートルシンス》は無抵抗のまま、切り裂かれるかに思われた。

 

「……終わり、か」

 

 呆気ないものだ。ここまで命を搾り尽くしたと言うのに、最後の最後はこうも容易い。

 

 瞼を閉じた、その時である。

 

『――否。モリビトの務めを果たすのならば、貴様はまだ死ぬな』

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

♯403 星の核へ

 通信を震わせた声音と共に真紅の人機が空域に割って入る。敵の自律兵装を叩き落した疾駆に鉄菜は声を返していた。

 

「……《イザナギオルフェウス》……。まさか、ここまで?」

 

『借りを返すためだ。あの日、生き残った生き恥をな。そして、活路を見出す。貴様らの戦いは常にその連続であったはずだ。ゆえに、この《イザナギオルフェウス》、ミスターサカグチはその未来のために、託そう!』

 

 エクステンドチャージの黄金に染まった《イザナギオルフェウス》が襲い来る手裏剣型の兵装を刃で斬り落とす。だが、その機体も限界なのが見て取れた。

 

 二刀あったはずの刀は最早片手のみ。そして、全身に装備されていた拡張型の推進剤のほとんどを使い果たしたのか、どこか枯れ果てたかのようなその後ろ姿に鉄菜は言葉をかけようとしていた。

 

「……お前は」

 

『何も。何も言うんじゃない、モリビト。俺は武に生き、武に死ぬだけ。そうだ、これはあの時、貴様と星の重量圏で出会ったその時から、決められていた、運命であったのだ! 俺の命は、この時のためにあった!』

 

 エクステンドチャージの黄金を引き写し、《イザナギオルフェウス》が疾走する。伸長した《キリビトエデン》のハッキング武装を《イザナギオルフェウス》は刀で巻き込み、そのまま引きずり出していた。

 

 その膂力と執念に、《キリビトエデン》がうろたえる。

 

『何なのだ……何者なのだ、貴様は!』

 

『ミスターサカグチ……、否、ここで名乗るべきは、仮初めに非ず……。俺の名前は桐哉、桐哉・クサカベ! ゾル国の――モリビトだ!』

 

《イザナギオルフェウス》が加速し、《キリビトエデン》の背後へと回る。腕に装備された牽制用の連装リバウンドバルカンを掃射しつつ、《キリビトエデン》の装備を潰していく。振り払った《キリビトエデン》の腕が《イザナギオルフェウス》を掴み取ったが、直後に巻き起こった旋風がその手を粉砕していた。

 

『果てろ! 雑魚が!』

 

《キリビトエデン》の全身から照射されたリバウンドの砲撃網に《イザナギオルフェウス》はたじろがず、ましてや退く事もない。そのままの勢いを殺さす、猪突していた。

 

 加速に身を浸し、一太刀に全ての思念が宿ったのを鉄菜は感じ取る。

 

 今までの執念、妄執、そして因果。何もかもを一時の刃に賭ける、死狂いなる生き方。

 

 それが命の炎となって、一条の光と化し、《キリビトエデン》へと突っ切っていく。

 

 最早、《キリビトエデン》も手加減はやめたらしい。全砲門を開き、稼働出来る全ての兵装を展開して《イザナギオルフェウス》を迎撃にかかる。

 

 その弾頭のうち一つが《イザナギオルフェウス》の鎧武者の頭部へと入っていた。亀裂が走り、兜が砕け散る。

 

 マスクと兜の下にあったのは、勇ましき双眸であった。

 

 橙色の眼光が迸り、勇猛たるその機体が《キリビトエデン》の血塊炉へと吸い込まれるように達し、次の瞬間、全てのエネルギーが逆転した。

 

 エクステンドチャージをギリギリまで搾り、直撃の瞬間に炉心融解させたのだ。

 

 放出された熱量と爆発力に《キリビトエデン》の巨体が激震する。

 

 血塊炉を砕かれた形の《キリビトエデン》がここに来て初めて、今までの超然たる佇まいから、膝を折り、腕を垂れさせていた。

 

 ――傲慢の罪をもって、さらなる災厄の大罪を斬った――。

 

 その在り方に、鉄菜は投げるべき言葉も見当たらず、ただただ、今は散った勇者の名をそらんじるのみであった。

 

「……桐哉・クサカベ。それが、お前の名前……」

 

 幾度となく道を阻んできた勇猛の討ち手はその命の一欠けらに至るまで燃やし尽くした。ならば、自分も応じるべきであろう。

 

 命を使って、星の罪を――。

 

『……ただの、一人機風情で、吼えてくれる。血塊炉へのダメージはあった。だが、この《キリビトエデン》は! 血塊炉を何個積んでいると思っている! 機能不全に陥った血塊炉を捨て、別のシステムに切り替える程度、わけがない……』

 

 しかし、その言葉に反して《キリビトエデン》が立ち上がる様子はない。何かがおかしいと相手が感じたのはあまりにも遅かった。

 

『……何が、起こって……』

 

「ルイと、桐哉がやってくれた。ルイはシステム面で貴様に取り込まれる事で、内側からの自壊システムを起動させていた。だがそれだけでは、バベルと一体化した貴様を封じるのには至らない。《イザナギオルフェウス》が捨て身で放ってくれた、この数分間の戦い。それがお前を殺す毒を、充分に回らせてくれた。私だけでは、きっと撃墜されていただろう」

 

 全て、後になってからしか分からない。この世の決定は何もかも後回しなのだ。だから後悔する。だから、感情が拭えない。

 

 ――だから、強くは、なれない。

 

 鉄菜は頬を伝い落ちる涙の熱を感じつつ、アームレイカーに通した指を固め、掲げていた。

 

《ザルヴァートルシンス》がその剣を大上段に構える。再びのエクステンドチャージが内部骨格を震わせ、モリビトの眼窩を赤く染め上げた。

 

 今度こそ必殺の間合い。必定なる剣を振るう《ザルヴァートルシンス》に、《キリビトエデン》が吼え立てていた。

 

『撃つと言うのか! この世界の命運を決めるのに、決定的な間違いを犯すのだと分かっていて!』

 

 間違い。そうなのかもしれない。フィフスエデンの支配が、ともすれば人類を統合する、一つの答えであった可能性はある。

 

 だが、自分はその解答にどうしても是と言えない。

 

 そのような平和は必要ない。

 

「……私は、ただ私個人の感情で、剣を振るう。ルイと桐哉・クサカベの作ってくれた好機を無駄に出来るものか。ここで――全てを断ち切る」

 

 敵を討つための最後のエクステンドチャージが内蔵フレームを揺さぶり、血脈を宿らせ黄金に染め上げていく。

 

《キリビトエデン》はほぼ死に体であったが、それでも最後の足掻きを放っていた。

 

 光背のように展開した全方位武装を照射し、《ザルヴァートルシンス》の太刀筋を掻き消そうとする。

 

『墜ちろ! モリビト!』

 

「私はここでは死ねない。死ねない理由が出来た。だから――届け! 真ザルヴァートルディバイダー――ッ、ソード!」

 

 ディバイダービットを接合させ、連鎖した剣が赤く煮え滾り、その光芒を鉄菜は打ち下ろしていた。

 

 高密度の剣閃が迸り、《キリビトエデン》の機体を照らす。《キリビトエデン》が赤い眼窩を瞬かせ、怨嗟の声を放つ。

 

『モリビトがぁっ! 我々の世界を拒むと言うのか!』

 

「私達は世界に是非を問い続けてきた。これも今までの世界の結果だ。だから、ここにいる! こうして刃を振るうのは、私の意思だ!」

 

 心に迷いのない太刀筋を。

 

 光の刃が《キリビトエデン》の頭部に入り、そのまま巨大なるその機体を一刀両断した。

 

 電磁が走り、スパーク光を散らせた敵機がよろめく。その巨躯が傾ぎ、次の瞬間、声が通信網に焼きつく。

 

『……きっと、後悔する。鉄菜・ノヴァリス……』

 

《キリビトエデン》が完全に沈黙する。鉄菜は肩で息をしながら、新連邦艦隊へと視線を振り向け、ローカル通信域に尋ね返していた。

 

「……止まったか?」

 

《キリビトエデン》を倒したのだ。操られていた新連邦の人々は止まるはずである。しかし、返答は予想外であった。

 

『止まっていない! 新連邦は依然といて侵攻してくるぞ、鉄菜!』

 

 まさか、と言う思いと、やはり、という感情がない交ぜになっていた。《キリビトエデン》を倒した程度では終わらないだろう。

 

 それはどこかで得心していた。

 

 相手はバベルを使い、人々の深層意識への刷り込みを行った。そう容易く溶ける洗脳ならば、こんな諍いは起こらないはずだ。

 

 鉄菜は《キリビトエデン》が閉ざしていたバベルへと続く階層状の入り口を発見する。

 

 周囲の古代人機が静謐に包まれた戦場を見据えていた。

 

 これから先、何を行うべきなのか。何を示すべきなのかを問い質すかのように。

 

 一拍の覚悟の後に、鉄菜は言葉を返す。

 

「……《ゴフェル》へ。これより情報都市ソドムへと、《ザルヴァートルシンス》は侵入し、バベルネットワークへの介入を行う」

 

 その言葉の意味するところを判じたのだろう。茉莉花の声が迸った。

 

『……バベルへの介入だと……? システム補助もなしにどうやってやるって言うんだ!』

 

「手はある。ザルヴァートルシステムがまだ……」

 

 この機体のみに組み込まれている救済のシステム。それさえ使えれば、エデンが圧死まで追い込んだこの星の運命を変えられるはずだ。

 

 しかし、茉莉花はそう簡単に承服しなかった。

 

『……お前は、《キリビトエデン》を倒した。フィフスエデンは壊滅したんだ! それだけじゃ……駄目だって言うのか……』

 

「……エデンは確かに倒した。だが、これでは動乱は収まらない。殺し尽くす事でのみ、人々は終わりの到来を感じ取れる。……でもそんな終わりじゃ、駄目なんだ。だから私は……行く」

 

 砲撃し、バベルへの直通ルートを取る。入りかけた直前、声が通信網を震わせていた。

 

『鉄菜! ……本当にそれで、いいんだな?』

 

 最後の問いかけであろう。鉄菜は迷わなかった。

 

「ああ。……この星を、私は救いたい。大切な人達がいるんだ。死んで欲しくない、大切な者達の未来を、守りたい。だから、みんなとは……さよならをしないといけない」

 

『……分かった。行け、鉄菜。《ザルヴァートルシンス》と共に』

 

 そこで通信は途切れた。鉄菜は息を詰め、すり鉢状に形成されているバベルへと侵入する。

 

 まるで逆さの尖塔だ。階層を下れば下るほどに、狭くなっていく。

 

 その階層ごとにシステムが張り巡らされているのが窺えた。極彩色に彩られたシステムを降りていく。

 

 バベルネットワークは遥か下方の、星の核に近い部分を掠めている。

 

 開けた視界に飛び込んできたのは、青い血潮の運河である。

 

「……命の河……」

 

 星が育んできたブルブラッドの河川。命の源。

 

 古代人機が遊泳し、広大な空間を流れていく。ここに至っては重力無重力の楔も関係がない。

 

 バベルによる浸食はさらに奥へと続いており、掘り進められた道筋にはところどころに禁じられた人機の化石があった。

 

 いつの時代、いつの世で産まれた人機なのかは不明なまま、化石人機達が手を伸ばしている。

 

 その因果の果て、全ての軌跡の向こう側に、星の核は存在した。

 

「……これが、プラネットコア……」

 




次回、最終回。12月31日21時更新。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終回『枯れたる星と、運命の花を求めて』

 百五十年も前に、人類は星の核へと既に到達していたのだ。

 

 バベルネットワークを用い、星の情報にアクセスし、取り出した命の形。それこそが人機の生命力である血塊炉。

 

 全ての人機は、星の子供なのだ。

 

 そして今、星の子たる一個の人機が、母体であるプラネットコアを前にしている。

 

 プラネットコアは《キリビトエデン》による策略により、リバウンドフィールドで圧迫されていた。

 

 フィフスエデンの画策したのは、新連邦の統一だけではない。この星そのものを支配域とする事――即ち星の掌握だ。

 

「……命の核と融合し、星の形になろうとした。だが、それは許されざる行為だ。圧死寸前の星を再生するのには、方法は一つしかない」

 

 鉄菜はシステムを起動させる。

 

 これが本当に最後の、エクステンドチャージ。

 

 黄金に染まる《ザルヴァートルシンス》に、上書きする形で最重要システムを稼働させた。

 

 最後の認証に必要なのは、現出した鍵である。

 

 鉄菜はその起動用キーをその手で回していた。

 

 瞬間、《ザルヴァートルシンス》の両翼の翼が展開する。内側より六枚の翼を開き、背部に装備されているディバイダービットが周りを包囲した。

 

《ザルヴァートルシンス》の血塊炉と直結する、機体中央部の核が現出し、そのコア表面にシステム名を刻ませる。

 

「これが私の、最後の戦い――ザルヴァートルバースト!」

 

《ザルヴァートルシンス》の機体色が白銀へと移り変わり、星の核を光が押し包んでいた。

 

 鉄菜の意識が身体より遊離し、思惟が旅立ったのはいつかの涅槃宇宙である。

 

 星の思念が行き着く場所。死を超越した、あたたかな空間。

 

 極彩色の概念銀河に漂う一つの意識。もちろん、無数の思念が自分を取り込もうとするが、それを阻んだ鎧は、モリビトの形をしていた。

 

 ――守ってくれている。

 

《ザルヴァートルシンス》の守りを得て、鉄菜は概念宇宙の果てを目指す。

 

 涅槃の宇宙を手繰った二年前には到達出来なかった、この星の行方へと。星の辿ってきた罪を、鉄菜は反芻していた。

 

 百年、二百年の時を超え、ヒトと星の紡いできた絆を確かめる。

 

 ヒトと星は共に在った。いつまでも共に在るのだと、信じていた。

 

 その絆の均衡が崩れたのは百五十年前――。

 

 リバウンドフィールドの天蓋を用い、ヒトは傲慢のままに、人機を製造した。

 

 命を、弄んだのだ。

 

 それに対する星の答えが、ブルブラッド大気汚染であった。

 

 星は人類を赦すつもりはない。このまま、時のいや果てまでも、人類を絶対に、星は赦さない。

 

 だから殺し合わせた。だからエデンの蛮行も静観していた。

 

 ヒト同士が滅ぼし合い、その果てに星まで壊してしまえば、それは赦されざる罪の地平だ。

 

 罪人達が自らの罪で傷つけ合うのは似合いの結末なのだ。

 

 ――だが、それでは星もヒトも救われないではないか。

 

 鉄菜は瞼を閉じる。

 

 自分一人の身では、星の罪を贖えない。ヒトの罪などもっとだ。

 

 だが、少しでもいい。赦してもらえないのだろうか。

 

 ほんのちょっとでも、人類は前に進もうとしている。罪を直視し、その罪と共に向かい合う未来を描こうとしているのだ。

 

 星が赦さないのならば、誰が赦せばいい? どこで手打ちにすればいいのだ。

 

 鉄菜は《ザルヴァートルシンス》と共に星の心に触れていた。

 

 そうだ、星にも心がある。自分が追い求め、そしてこの戦いの最果てに、ようやくその輪郭を掴んだ、心という代物が。

 

 星の心は純粋そのものだ。

 

 だから赦せないのだろう。

 

 鉄菜はそっと、虹色の殻の奥に眠る星の心へと、指先を伸ばし、優しく触れていた。

 

 ――赦して欲しいとは言わない。だが、まだヒトには、未来があるんだ。明日があるんだ。だから、贖えるチャンスをくれ。

 

 星の心が人の形を取り、その手を伸ばす。

 

 鉄菜の意識は、その手を躊躇いがちに握り返していた。

 

 途端、星の声が身体の奥底に残響する。

 

 星の痛み、そして向かうべき答えの標を。

 

 意識に直接刻まれる、星の意志。星はどうありたいのか。この先にあるであろう、未来を、どう描きたいのか。

 

 命の河が波打つ。

 

 星は命を育み、そして命の最果てを見た。

 

 この星から発した命ならば、選択すべきは戦いではなく――。

 

 鉄菜の意識は肉体へを戻っていた。

 

 六枚の翼を広げた《ザルヴァートルシンス》のコックピット内部は変位していた。

 

 その瞼を開く。

 

 コンソールや機械類が消え失せ、光の中に鉄菜の身体は浮かび上がっている。

 

 Rスーツは消滅し、全身に無数に走る青い文様から脈動を感じていた。

 

 これこそが、星の罪を直視し、未来を見据える命そのもの――。

 

 白銀の躯体が、その名前を紡ぎ出す。

 

「――真機、《モリビトザルヴァートルシンスエクステンド》」

 

 純然たる命の塊となった《ザルヴァートルシンス》が穏やかな白銀の光を湛えさせて命の河を浮遊する。

 

 プラネットコアはもう収まっていた。

 

 星の崩壊はもう起こらないだろう。星の罪を引き写した《ザルヴァートルシンス》と鉄菜が光を携えたまま、バベルを上昇する。

 

「……分かったんだ。みんな。星を救うのは、罪の証を得るのは……難しい話じゃない。示さなければならない。これからの未来永劫、ヒトが星に対して、やらなければならない贖いを。その贖いの答えは――モリビト」

 

 急上昇した《ザルヴァートルシンス》が一条の光と化して《キリビトエデン》の骸を超え、空を抱いて四肢を開く。

 

 全ての武装を捨てた六翼のモリビトが放ったあたたかな光が、白銀の旋風となって、星の地平を吹き抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……何が起こった!』

 

 突然に敵の動きが鈍る。桃はほとんど大破状態の《ノクターンテスタメント》より、鉄菜の放った光を目にしていた。

 

「これが……浄罪の輝き……」

 

『鉄菜さんが……やったの……?』

 

 蜜柑が《イウディカレ》に搭乗したまま問い質す。自律兵装の《イドラオルガノン》が破壊され、今まさに敵機の銃撃網が狙い澄まさんとしていたところであった。

 

 放心のまま、二人のモリビトの執行者は鉄菜の輝きに視界を戦慄かせる。

 

《ゴフェル》ブリッジにて、茉莉花が息をついていた。

 

「……鉄菜。お前が最後に得たのは……」

 

 艦長席により立ち上がったニナイが、ああ、と涙を流す。

 

「……鉄菜。やったのね」

 

 涙目に染み入るような、それは突き抜ける眩さを持った――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コミューンの天蓋を誰もが指差す。

 

 その避難民の中で、燐華は空を仰いでいた。

 

 予感はあった。しかし、それを目にした時、確信に変わった。

 

「……鉄菜。見せてくれたんだね。あなたの……心の色は……」

 

 それは罪の虹の空を払い、真実の色に染め上げる。

 

 百五十年の罪の楔より解き放たれ、星は、突き抜けるような青空を見せていた。

 

 

 

 

 

********

 

 

 

 

 

 

 青い花園を少女が駆け抜ける。

 

 それを追いながら、彼女は広域のラジオ通信を聴いていた。

 

『罪の虹であるリバウンドフィールドが払われ、そしてブルブラッド大気下で人類が生きられるようになって早二十五年が経とうとしています。今、国際宇宙ステーションより、星の記憶を閉じ込めたカプセルを外宇宙へと放とうとするロケットへのカウントダウンが始まりました! 罪なる星を離れ、この星の辿ってきた罪の歴史をようやく、他の知性体に語れるようになったのです。なお、新連邦より調査団に加えられる人機である、《モリビトスターゲイザー》の配備は完了しており、操主候補として選出された、響耶・クサカベ調査団長を中心としたメンバーが――』

 

「お母さん! 見て、こんなに咲いているよ!」

 

 青い花の咲く場所はかつて罪なる星の証であった。

 

 だが、今は次世代の息吹がこうして戯れられる。本当の意味での花園であった。

 

 ――ここは楽園のほんの片隅なのかもしれない。

 

 青空を仰いだ女性は、母より何度も伝え聞いた一人の少女の話を思い返す。

 

 星に青空を取り戻した、真なる人間。全ての罪の証を引き写し、星を守った「モリビト」。

 

 その名前を、何度も聞いた。

 

 愛おしい者を決して忘れないように。その名前を永遠にするかのように。

 

「ねぇねぇ! あなたは誰? ここの子供?」

 

 いつの間にか、娘は一人の少女と向かい合っていた。

 

 その少女は、この寒空の下、裸体であったが、全身に青い文様を走らせている。

 

 漆黒の長髪を風になびかせ、紫色の瞳孔が周囲を見渡す。

 

 ――きっと、逢えるさ。

 

 母親の言葉が思い出される。白く輝く息を吐いて、彼女は言葉を失っていた。

 

 否、言葉なんて最初から要らないのだ。

 

 もう、知っている。きっと、生まれる前から知っていたのだ。

 

「あなたのお名前は? あたしは瑠璃葉!」

 

 ルリハ……、と掠れたような声を少女は返してから、自分を見据える。

 

 その瞳に、彼女は応じていた。

 

「……とても長い時間、あなたとまた逢える日を待っていた気がするわ。こうして、青い花園で、逢えるのを……」

 

 少女は一輪の青い花を詰み、それを差し出す。

 

 瑠璃葉はそれを受け取って笑顔を咲かせていた。

 

「くれるの? ありがとう! ねぇ、あなたのお名前は?」

 

 その問いかけに少女は返答する。

 

 それはきっと、時を超えて約束された邂逅――。

 

 ――私はクロナ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジンキ・エクステンドSins END

 




あとがきを上げます。これまでありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

あとがき

『ジンキ・エクステンドSins』あとがき

 

 どうも、皆さまこんばんは。オンドゥル大使です。

 拙作『ジンキ・エクステンドSins』がようやく完全完結を迎えました。感無量ですが、ここではこの作品を書こうと思ったルーツとそしてこれからの展望やら裏話やらをぶっちゃけたいと思います。

 まず、何故書こうと思ったか。

 それは中学時分ジンキシリーズとの出会いが劇的であったこと、これはなかがきで書きました。この場合は「何故、ここまで好きだったのか」ということでしょう。

 実のところ、完全にフィーリングの部分もあるのですが、どこかで魅せられていたのだと思います。綱島志朗先生の紡ぐ物語に。

 あと、女の子が無骨な鋼鉄の巨神に乗る、と言うのも当時はとても新しかったと思います。そこにも興味を惹かれたのでしょう。

 ……いえ、こんな言葉では言い表せないほどに、自分はジンキが好きなのです。

 タイミングがよかっただの、巡り会わせだの色々あるとは思いますが、やっぱり、一生に一度は「この作品のために捧げたい」というものがあると思います。

 それが自分の場合はジンキであった、と言う話です。

 さて、前回の大正ジンキから打って変わって近未来を選んだのは、やはり縛りがきつすぎたのと、一作目を書けばやはり不満点や至らぬ点が出てくるもので、今回のジンキSinsは何度か言っていましたが「自分の中のジンキ観」を丸ごと抽出するために行いました。

 ジンキで考え得る全て……ジンキでできること、そしてやると面白そうな事は何か……。

 考えに考えた結果、このような物語運びとなりました。

 この作品がよかったか、面白かったかは別として、自分は大変満足しています。その点でもやってよかったなぁ、と。なので批判やご意見、何でもどしどし受け付けております。

 さて裏話ですが……この長い完結編、実は書く予定はありませんでした。

鉄菜の望んだモリビト《ザルヴァ―トルシンス》も、《トガビトザイ》との月面決戦で出すべきか、それとも完結編的なものを書いて終わらせるべきかはギリギリまで悩みました。

結論として書いてよかったですが、どうなるのかはいい意味でも悪い意味でもライブ感がありました。

元々、自分の物語へのスタンスは一長一短で、あまり深く考えずに物事に取り組める反面、本当に真剣にガチガチに設定を詰められると難しくなる部分もあり……。その辺ではジンキと言う作品の裾野の広さに感謝です。

 あとは完結編関係だと、瑞葉の娘でしょうか。

 物語最初こそ、独裁国家の強化兵としてしか生きられなかった彼女が母親になる……。書いていても成長したなぁ、と思いました。無論、それはモリビトの執行者達も同じで、

桃に関しては最初のほうこそ生意気な少女であったのに他人をおもんばかれるだけの人間になりましたし、蜜柑も林檎を失いながらも、それでも前に進む覚悟を持つ強い子になりました。また彩芽がセカンドシーズンで出て来てそして鉄菜達の戦いに深い影響を及ぼすのも、難航しましたがやってよかった展開だと思えます。

 タカフミは相変わらずかと思いきや、頼れるエースになったり《ゴフェル》クルーの面々もより前へと進む決意を持てたりと、自分でも驚くほどにキャラクターが何段階も上に行けました。それは自分の成長にもつながったと思います。

 完結編で出たキャラとしてみればカグラもそうですね。あれはあり方さえ違っていればあの立場は燐華であったかもしれないということと、それと鉄菜ともしかしたら戦うのでは、というミスリードの意味もありました。

 燐華は……完結編ではあまり出てきませんでしたが最後の最後まで鉄菜の親友でしたね。それは自分でもいい判断だったと思います。

 そして論じるべきキャラと言えば、やはり鉄菜と桐哉でしょう。

 まずは桐哉から。

 ファーストシーズンでは完全に被害者だったのですが、そこから学び鍛錬し、そして名を捨て全ての守り人になるべく戦う傲慢の徒――。桐哉は最初、正直人気なかったです。出たら露骨に閲覧が下がりました。

 ですがセカンドシーズンからちょっとだけ持ち直し始めました。

 UD――アンデッドの呼称ですね。

 死なずの兵士として恐れられながらも、モリビト打倒のみを至上に掲げる武人。ストイックな生き方はそれなりに反響を得ました。

 ですが彼もまた、モリビトに縛られ、そして解き放たれるために戦うはずが泥沼にはまっていったと言えましょう。

 何のために誰のために戦うのか――それを見失ったUDは戦士としては優秀ですが「ヒト」としてはいびつでした。

 それを矯正したのもまた、モリビトであり鉄菜です。

 鉄菜は当初よりクールキャラとして演出するようにしていました。

 どのような状況でも的確に判断する、戦士としての人物だと。

 ですが彼女には一個だけ欠陥があったのです。

 それこそが「心が分からない」という些細な疑念。

 実際、何度鉄菜にこの命題を突きつけたか分かりません。鉄菜はその度に苦しみ、そして余計に淵へと落ちていくのです。

 鉄菜に「心なんて簡単な事だ」と言わせることはもちろん、何度も可能でした。

 ですが、それを言わせてしまうと、鉄菜のキャラが損なわれると思い、本当に、最後の最後、土壇場に、ちょっとだけ心が分かったかな、程度にとどめておきました。

 だから、最終局面でのエクステンド化も答えを得たから、というわけでもありません。あれは鉄菜が自分の愛する全ての人々を守るために得た、命そのものの姿なのですから。

 そう、エクステンド化、ビートブレイク、エクステンドチャージ――。公式から拝借したものに関しても説明しましょう。

 まずはビートブレイク。これは原作では赤緒の持つ特殊能力ですね。血塊炉を強制停止させる能力なので相当追い込まれないと使えないようにしておきました。原作でも二巻以降使ってないですけれどね……。

 エクステンドチャージ。これは真説で出て来た人機操縦技術ですが、どちらかと言うと意識したのはアニメ版最終話における金色のモリビト2号でした。まぁこれはトランザムということで。

 エクステンド化は本当に! 最後の最後まで入れるかどうかは迷いましたが、それでも入れなければ『ジンキ・エクステンド』ではないと思い、入れておきました。

 命との一体化、上位宇宙とのアクセス――。

 あまりにも突拍子もないように思われるかもしれませんが自分が読んだ限り、ジンキシリーズにはそれだけの含蓄があると思っています。

 命の河、星の命の源と一体化し、そして答えの一端を知る――原作だと青葉がその役目でしたが、これをジンキSinsの主人公である鉄菜に踏ませるのは、実のところ躊躇もありました。

 青葉は人機に戦争のための兵器になってほしくない、という軸があります。

 比して、この作品は徹頭徹尾、人機は兵器、鉄菜は見方によれば殺戮兵、という青葉とは対極の立ち位置です。

 ですが、ビジュアルイメージとしては完全に青葉を意識していました。

 黒髪に青いRスーツは完全に青葉のイメージです。

 個人的には眼差しだけが異様に厳しい、猛禽類のような瞳のビジュアルのつもりでした。

 しかし鉄菜もまた、破壊者の宿命だけではなく、破壊だけではない、戦いの中で掴み取れるものを描いて戦う主人公に出来たのは感無量です。

 モリビトと共に、鉄菜は戦い続け、そして心の在り方は分からずとも、「命」一つに報いるためならば戦える――これが完結編で得た鉄菜の答えでしょう。

 結局、心とはこれだ、と言わせはしませんでした。

 それはもう持っていても、鉄菜が言えばそこまでだと思ったからです。

 だから、鉄菜も《ザルヴァ―トルシンス》も得るべき答えは全てを救うのではなく、一部でもいい、罪の肩代わりだったのでしょう。

 それが罪の星の虹の空を払い、青空を人類にもたらせたのは大きな終着点であったと思います。

 そういえばどうして「地球」ではなく「惑星」なのか、という問いには答えていませんでしたね。

 理由はプラネットシェル計画という遠大な設定と、月が観測されていないという事実を馴染ませるため――と後から言えば分かるのですが、実はまーったく! 考えておりませんでした!

 ただ地球だとこれまで踏んできた歴史を使用せざる得ないので、全く別の進化系統樹を辿り、命の河の在り方も地球とはまた違う、と示す事で物語の方向性に一つのスパイスを加える形となりました。

 あとは突飛な設定でも「惑星」ならどこか読めない展開に入れられるかな、と。

 また原作である『人狼機ウィンヴルガ』がまだ(2019年現在)地球かどうか怪しいので、完全に影響された形ですね。

 そう……原作である『ジンキ・エクステンド』そして絶賛連載中の『人狼機ウィンヴルガ』……綱島先生の描くジンキワールドに自分はただ単に魅了されただけなのです。

 思えば中学の時にアニメ版を録画できなければこのような形での貢献はなかったかもしれません。

 偶然の出会いがここに来てまさかの縁で「綱島志朗公式サイト」様にてジンキノベルと言う形で関わらせてもらう形となり、自分もまさか一応は物書きへと成長し、少しは報酬を得られるような立場になるとは思いも寄りませんでした。

 通常ではあり得ない邂逅と偶然と、そしてファン精神で成り立った今になったわけですが、この結論に自分は満足しています。

 あとはジンキシリーズと綱島先生作品が好きなだけのファンなのですが、ちょっとした展望として、もし機会があればこのジンキSinsでは描けなかった、全く別の作品もやれれば、と思っています。それこそ、大正ジンキの時に感じたように、次への可能性を感じているのです。

 まぁまだ全然予定も立っていないのですが、ここは完結まで辿れたことの最大限の感謝と、そしてジンキシリーズと綱島先生のこれから先の栄華も願って。

 そういえば『ジンキ・リザレクション』として新作も出るらしいので普通に楽しみです。完全にただのファン目線ですがw

 ひとまず鉄菜達の物語はここに完全完結し、そして惑星の未来は決しました。

 ここまで読んでいただきありがとうございます。

 願わくばこの物語も誰かにとっての特別に成れることを祈って筆を置かせてもらいます。

 ここまでありがとうございました!

 

2019年12月31日 オンドゥル大使より

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。