フランは成長するのか? (天澤星三)
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第一話 ~フラン旅立ち~

フランドール=スカーレット……幻想卿の紅魔館に住み金髪で紅の瞳をもつ吸血鬼。過去にあった事件で心が壊れずっと地下に軟禁されていた

。自ら出る意思もなかったが紅魔館の住人のおかげで少しずつ外の世界に興味を持ち、少しずつ出歩くようになった。ありとあらゆるものを破壊する程度の能力を持ち恐れられている。




「んっ……」

 

 フランは目を開くとそこには木造の天井があった。フランの寝ぼけた視線は人の顔のような木の目と視線があう。

 その横には取り付けられた和式の丸い2重の蛍光灯がぶら下がっている。

 フランははフカフカの布団にはさまれて寝かされていた。そこはい草のいい匂いが漂う畳が敷き詰められている和風の部屋。

 

「ここは……っ」

 

 そこはフランが住んでいた紅魔館ではない。今まで見たこともないような場所。

 フランはゆっくりと体を起こそうとするが頭痛がし、あまりの痛さで体を句の字に曲げて飛び起きた。

 

「いったぁ……」

 

 額に触れると少し腫れている。

 

(そういえば、誰かに殴られたような……)

「あ、気がついた?」

 

 隣でまだ若い男の声が聞こえる。

 しかしフランは寝起きだからだろうか、ボーっと目を細めて声の方を見向きもしない。テンションも低く、気付く素振りもない。と言うよりも気づいてはいるがそれに対する挙動が面倒で見せていないというほうが正しいだろう。

 

「ここはどこ? 何で私ここにいるんだっけ……」

 

 と自問自答する様にうつむきながら目を瞑って考える。

 

「ここは大島酒蔵。この町で一番大きな酒蔵だよ」

「……町」

 

 その瞬間、フランの頭に今何が起きて自分がどういう状況に陥っているのか、そして何故こんな所にいるのか、その記憶が鮮明に蘇る。

 それと共に紅の目は見開かれ、白い肌は見る見るうちに青くなる。

 顔面蒼白とはまさにこのこと。

 

「夢じゃ……なかった……」

 

 

 

約三時間前……紅魔館

 

『危険』『DANGER』と物騒な文言が書かれた紙が張られた丈夫なレンガ造りの壁。そしてその奥の暗闇。地下へと続く階段から珍妙なリズムを鼻歌で

 

刻みながら、意気揚々と軽くスキップを踏んで出てきたのはここの主、レミリア=スカーレットの妹、フランドール=スカーレットだった。

 

「今日は何を壊して遊ぼうかな~♪」

 

 フランは地下に繋がる暗い階段から廊下に跳び出る。その廊下は左に折れるとすぐ広場だ。フランは左に折れ広場へ。するとそこで女二人の話し声が耳に入ってくる。一つは幼く、よく聞き慣れた声。更にもう一人は前に自分と遊んでくれたとフランが勝手に勘違いをしてる少女の声。

 レミリアと霊夢だった。

 桃色の洋風の服で身を包んだレミリアと、異変が起きた時にしかでてこない守銭奴で有名。修行もろくにしない怠け巫女の霊夢が紅魔館にやってきていたのだ。

 

(何で霊夢が?)

 

 フランが壁から顔をひょっこり出して見つめていると霊夢がそれに気付く。続いてレミリアも横目に気付いて更に首を振ってフランを見る。いつも微笑んでフランを迎えてくれるレミリアだが、今日はその微笑みはない。しかし怒りもない。フランを迎えたのは無表情のレミリアだった。

 好奇心旺盛なフランは特にそんなことは気にせずルンルン気分で霊夢達のほうへててててと駆け寄った。

 

「何話してるの? 面白い話?」

 

 それにレミリアは答えず表情は先程のまま。それを一瞥した霊夢が変わりに口を開く。

 

「……どうかしらね。面白いかどうかはあんた次第よ」

「え?」

 

 また遊んでもらえるとでも思ったのだろう。しかしこの怠け巫女がフランとわざわざ本気の弾幕ごっこをするために紅魔館に来るわけがない。フランはこの後、衝撃の事実を告げられることになる。

 

「えぇ!? なんで私が人里で!?」

「レミリアに頼まれたのよ。あなたに常識を叩き込んで欲しいって」

「おねぇさま?!」

 

 そんな霊夢の言葉に、フランは信じられないといった様にレミリアに抗議の目を向ける。

 

「あなたはもっと常識を学ぶべきよ。だから霊夢に頼んだの。人里で一ヶ月くらしなさい」

 

 レミリアは机の上に置かれた紅茶を飲みながら椅子に座ってすまし顔だ。

 

「ということよ。私は人里との仲介役ね」

 

 霊夢の言う面白い話とはフランを人里に一定期間住まわせると言うプチホームステイだった。

 そしてどうやらフランは人里で常識を学んでこないといけないらしい。期間は一ヶ月。

 

「分かったら早く準備しなさい」

「や、やだ! 私いかないから!」

 

 人里なんかに行ったらフランが大好きな弾幕ごっこができなくなる。そんな事ぐらいまだ幼いフランにだってわかる。フランにとって弾幕ごっことは唯一の楽しみだった。霊夢や魔理沙が着てからというもの完全にはまってしまったらしい。

 

「まあ、そうよね」

「だいたいっ、何で霊夢はそんなことに協力するのよっ!」

 

 確かにいつも非協力的な霊夢がこんなことをするのはおかしい。フランに常識を教えて欲しいなんてくだらない、面倒事は断るはずだ。レミリアがじかに言ったところで結果は見えているだろうに。

 

「私も面倒くさかったんだけどレミリアにどうしてもっていうし、それに普段のあんたの行動は目に余るものがあるわ」

「ええ!? どこら辺が!?」

「目を瞑って、その胸に手を当ててよーく考えて見なさい」

 

 霊夢は自分の胸に手を当てる。それを真似するようにフランはふくらみのない自分の胸に手を当てて目を瞑り数秒沈黙する。その後、フランの小さな口から発せられたのは

 

「なんにもなかった」

 

 だった。

 いけしゃあしゃあとそんなことをぬかすフランはとても笑顔だった。

 そんなフランに少しイラッときたのか、霊夢もすぐさま言い返す。

 

「は? 私は今あんたの胸の話をしてるわけじゃなくて――」

「違うよ! 私の行動の話でしょ! 目に余る物なんか何処にもないじゃない!」

「余る胸もないのね、可愛そうに」

「可愛そうなのは霊夢の頭でしょ!?」

「そんなことより」

「そんなことじゃないよ!」

 

 フランをいじりたいだけいじった霊夢は本題に入る。

 

「これはもう決まった事よ。大人しく私についてくるのね」

 

 といいながら、霊夢はフランを軽く睨みつける。さらに少し距離をとって足を曲げ両手を空けている。

 フランが大人しくくるわけがない。そんなことは霊夢も分かっている。

 そんな霊夢の雰囲気を感じ取ったフランも同じように臨戦態勢をとる。人里で常識を一ヶ月も学べとはここの生活になれたフランにとってはたまったものではないのだ。フランはすぐさま反撃に出る。

 

「で……でも人里なんかに行ったら私何するかわからないよ?」

 

 そんな事をすればどうなるか分かるだろう、とフランは不敵な笑みを浮かべる。

 情緒不安定、一度かんしゃくを起こせば自分でその破壊衝動を押さえつけることの出来ないフラン。皮肉にもその言葉は自分を貶める事で難を逃れようとしているフランにとってうってつけの逃げ文句だった。

 実際問題、フランの言うことは正しい。人里に連れて行ったが最後、その破壊衝動を気の向くまま、赴くままに自分の満足するまで行使するだろう。人を傷つけ、血をすすりつくしてしまうに違いない。

 

 それを霊夢達が分からないはずがない。なのに何故こんな事をするのだろうか。その意味がフランには分からなかった。

 それはニヤリと悪魔のような笑みを浮かべるフランの左腕をひねり上げた永琳の存在が在ったからだ。

 

「あうっ」

「はいこれ」

 

カチリッ

 

 とフランの細い手首に何やら聞こえてくる金属音。

 

「へ?」

「そんな心配なあなたにお勧め。妖力を抑制する働きがある腕輪よ。これをつけていれば人里で暴れても大丈夫。弾幕は打てないしあなたのキュッとしてドカーンの能力も使えないわ。そして光学迷彩! 無駄に」

「え!? ちょ! 何これ!?」

 

 フランはすでに消えてしまった腕輪を探り当て、全力で外そうとするが腕から抜ける気配がない。

 

「ぬ・け・な・いいいいっ……能力が使えないって……何でできてるのよ!?」

「確か、かいろうせ――」

「フラン、一応言っておくけど人里で人に危害を加えたり逃げたりしたらあなたはオセロマニアのところでずっと暮らすことになるからね」

 

 霊夢の言うオセロマニアとは天界に住む四季映姫のことだ。罪を犯したものを投獄し罪を償わせる場所の筆頭。いわゆる閻魔様みたいなものだ。そんなところでずっと暮らすなんてことはフランにとって死を意味することと変わらない。

 

「そんなっ」

 

 フランは驚きの声を上げるがそれに追い討ちをかける様に永琳が目にもとまらぬ早業を見せる。

 

「それとこれは預かっておくわ」

 

 今度は背中から何やら果物でも着るような音。永琳がいつの間にか用意したメスを片手に「サクッ」っという軽い音と共にフランの七色の両方の羽を付け根から切断したのだ。

 

「ああああああっ、ちょっと! 返して!」

「一ヶ月我慢できたら返してあげるわ。」

「私の羽!」

 

 永琳とフランの身長差は結構ある。それは傍から見たらまるでお預けしている母親に必死に抵抗している子供だ。母親は、手を伸ばして必死に七色の羽を取ろうとする子供の可愛さにとても楽しそうだ。

 

「な、なんで永遠亭のやつまで!」

 

 フランは半泣きで自分の羽を弄ぶ永琳を睨みつける。

 

「しょうがないでしょう、人々の安全無しにこの計画は成り立たないし、そのままじゃあなたをそのまま泊まらせてくれる人なんていないでしょう。それとなんとなく姫様に似たニート臭が……これはあなたの将来のためでもあるのよ。あとおまけで実験とか実験とか実験とかね」

 

 実験とはフランの羽で色々な実験をするということだろう。フランの羽は7色のランタンがついたような世にも奇妙な羽だ。だから皆珍しがる。だからそれで実験したいということで永琳とは話が付いたようだ。

 

「霊夢! 霊夢も何かもらったでしょ!」

「失礼ね。お金以外もらってないわよ」

「!」

「全く、往生際の悪い奴だな」

 

 そう笑いながら入り口から入ってきたのは魔理沙だった。

 

「人里も結構楽しいぜ? 一回行ってみろよ」

「魔理沙!」

 

 図書館で一緒に何かしていたのだろう。魔理沙の後ろにはパチュリーもいる。

 見たところ魔理沙もパチュリーもこの計画を知っているし、賛同しているようだ。そして頭にナイフが刺さった美鈴と昨夜が姿を見せる。紅魔館の主の妹の門出だ。紅魔館総出で見送りなのだろう。

 

「くぅ……魔理沙の裏切り者!」

「はぁ? 裏切り?」

 

 フランの味方はどうやら一人もいないようだ。ならば三十六計逃げるに如かず、だ。

 永琳の背後に外へ続く扉が見える。幸運にも永琳の背後には誰もいない。

 

「たーっ!」

「きゃっ」

 

 フランは今しかないとばかりに永琳の豊満な胸を両手で鷲掴みにする。一瞬、永琳が怯む。その隙にフランは床を蹴って永琳の脇をすり抜けた。 

 

「フフン! ばーかばーか! 絶対に人里なんかに行かないからねーっだ! 皆死んじゃえ!」

 

 フランは首だけをまげて皆を見ながら、更に暴言を吐いて逃走していく。ほとぼりが冷めるまで逃亡者を決め込むつもりだ。

 

「べーっだ!」

 

 余裕を見せてあっかんべーと悪態を尽く始末。しかしいつまでも後ろを見ていた事が裏目に出た。

 

「いたっ!」

 

 フランは誰かに突き当たってしまった。前をよく見ないからそうなるのだが、扉まではまだ距離がありそこには何もないはずだった。それくらいの距離感はフランにもある。

 尻餅をついたフランが顔を上げるとつい先程まで目を放さず見ていたはずの霊夢がいた。

 

「痛いじゃない」

 

 霊夢がワープでもしたのかとフランは疑ったがそうではないようだ。周りを見渡すと先程まで後ろにいたレミリアや意地悪そうにクスクス笑う魔理沙まですぐ傍にいた。つまり霊夢ではなくフランがワープしのだ。

 

「……ご、ごめんなさい」

 

 フランは深々と霊夢にお辞儀をして今までの非礼を謝罪する。

 

「あらあら、ご丁寧にどうも」

「じゃっ」

 

 深々とお辞儀したフランは頭を上げるとすぐに逃げ出そうとする。しかし今度は霊夢が逃げようとするフランの金髪のサイドーテールを鷲掴みにした。

 

「うぎゃっ」

 

 ゴキッと鈍い音を立ててフランの逃走が止まった。人間だったら心臓が止まっていたかもしれない。

 

「じゃ、じゃねぇのよ。ほら、いくわよ」

「こ、この馬鹿霊夢! 人間だったら死んでるよ!」

「だからやったんだけどね」

「うう、はーなーせえええ!」

 

 フランは髪を引っ張られ、首を曲げたまま自分が逃げた方向を目で追う。そこには信じられないことに空間に隙間が開いている。どうやら空間に隙間を生み出すという能力を持つ八雲紫もこの計画に加担しているらしい。

 

「さあこれに入って」

 

 霊夢が入れと、手に持っているそれはなんともお粗末な分厚い袋だった。光を完全に遮断できるような、そして幼女一人が軽く納まるくらいの袋。その袋にはでっかく『フラン専用』と書いてあった。

 

 その袋を見てさすがに血の気が引いたのか、いつも青白い顔がより青白くなる。

 

「嫌ぁっ!!」

 

 フランは自分のサイドテールを掴んでいる霊夢の手を振り払う。

 

「いっつ! こら!」 

「おねぇさま! お願い! もう暴れたりしないからっ! だからっ」

 

 フランは追いかけてくる霊夢を尻目に両手をついてレミリアに懇願する。

 こんなくだらない計画、フランはまっぴらごめんだ。この計画を止めさせるには事の発端のレミリアを説得するしかない。

 いつも困ったフランを優しく助けてくれるレミリア。だから今回もきっと助けてくれる。フランはそう思っていた。しかし驚いたことにレミリアは懇願するフランから顔を背けてしまった。

 実の妹が人里で暮らして常識を学ぶ、とは名ばかりの、ほぼ天界行き決定の計画で連れて行かれようとしているのに助けようともしない。フランは困惑の色を隠しきれないでいる。

 首をかしげそんな、理解し難い行動をとるレミリアをしばし見つめるものの相変わらずレミリアはフランを見向きもせずうつむいて、目は気まずそうに泳いでいる。

 

「おねぇ……さま?」

 

 レミリアはどうやら味方にはなってくれないようだ。

 フランはレミリアがダメならばとばかりに隣にいる咲夜に目をやる。

 

「咲夜! お願い! たすけて!」

「妹様……うぅ……私は……私にはっ……くっ……なんて嘆かわしい……」

 

 ハンカチーフで涙をぬぐいながら懸命にこらえる咲夜。

 

「もうお屋敷を燃やしたりしない! パッドだって隠したりしないから!」

「……」

「ふぷっ」

「……何笑ってるの? 魔理沙」

「え、いや……わるかったんだぜ……」

 

 そのドスの聞いた声を最後に咲夜は泣きまねしながら沈黙した。これはもうだめだと思い次は魔理沙へ。

 

「魔理沙! お願い! 私人里なんかにいきたくない! 魔理沙ともっと遊びたいよ!」

 

 魔理沙はとても困ったような顔をして頬をかく。普段霊夢が全く遊んでくれないためフランと互角に遊び合えるのは魔理沙くらいだった。

 だからほとんどフランの弾幕ごっこの相手を魔理沙が請け負っていた。それを通して魔理沙とはよい交友関係になれたと思ったフラン。だから魔理沙なら助けてくれると思ったのだ。

 

「そ、そのさ、一度一度行ってみろって。何事も勉強だぜ?」

 

 しかしそのよい友好関係にも関わらず魔理沙の反応は冷たいものだった。

 

「ちっ」

「し、舌打ち!?」

 

 冷たい反応には冷たい反応しか返ってこない。

 だからもう用済みとばかりにフランは魔理沙を冷たくあしらう。

 

「性悪幼女め……」

 

 そしてフランの次の標的はこの紅魔館のゲートキーパー美鈴に向けられた。フランの視線がじっと美鈴に向けられる。

 美鈴は自分の番がやってきたとばかりに体をこわばらせ、なんと言い訳しようかと考えていたのだが無駄な努力だったようだ。

 

「……」

「……」

「……」

「……」(あれ?)

 

 いっこうにフランからのSOSが来ない。

 

「……あの」

「……」(え?まじで?)

「……えと……そのぉ」

「……」(ちょっとおおお、この子私の名前忘れちゃってるよおおおおお!!)

「そのぉ……ね?」

「……」(何が、ね? だ何があああ! 上目遣いつかったってダメだからねえええ!? 咲夜さんじゃないんだしぃ!! 名前を言え名前を!)

「……あれだよね?」

「……」(そうあれだ。めっ、めからはじまるぞぉ! みとか言ったら私ないちゃうよおお!? 本当に泣い――)

「み?」

 

 ブワリ、と涙があふれてくる美鈴。フランは美鈴を一瞥し最後の砦、この紅魔館でレミリアの次に発言力があるであろうパチュリーに懇願することにした。

 

「パチュリー! 人里に行きたくないの! 魔理沙だって独占しない! 図書館戦争ごっこだってしない! 誓うからお願い!」

 

 庇護欲に駆られるような表情でパチュリーに訴えかけるフラン。咲夜ならばかかったかもしれないが生憎相手はパチュリーだ。

 それでもなんとかいい答えが返って来ないかと期待していたフランだが、その結果はフランに信じ難い言葉だった。

 

「私はこの計画には賛成よ」

「……へ」

 

 ため息をつきながらパチュリーはじっとフランを見つめて毅然とした態度で言い放った。そんなにはっきり言うとフランが暴れだしそうだと、その発言に魔理沙もハラハラしながらパチュリーを見やる。

 

「これは貴方にとってプラスになると思うの。だから私は貴方が人里に行く事を止めはしないわ。逆にに人里に行ってほしいと思ってる」

「そ……そんな……」

 

 この家の客人として迎え入れてはいるが寝食を共にしているパチュリー。パチュリーに大事な図書館の管理を任せているあたり一番信頼を置いている人物。そのパチュリーにはっきりとそう宣告されれば普段陽気で無邪気なフランでもショックを隠しきれないだろう。

 フランは表情が見えないくらいに俯いてなにやらぶつぶつと呪文のように呟き始めてしまった。

 

「さあ、わかったでしょ? さっさとあきらめ――」

「……でよ……なんで?」

 

 さっさと袋詰めしたい霊夢を尻目にフランがなにかつぶやいた。

 

「ん?」

「何で誰も助けてくれないの? ……私何も悪い事してない……誰にも迷惑かけてないじゃない」

 

 フランは俯いたまま頭をフルフルと振りながらそんな事を呟くように口にする。

 霊夢や魔理沙が現れてからフランの凶暴性は少しずつ薄れつつある。紅魔館の皆とも楽しく話したりする機械も増えていった。

 周りから見ればもう少し様子を見てからでもいい気がする。

 

「なのに!」

 

 何故こんな仕打ちをするのかと、不満をぶちまけようとするフランの紅の目には涙が溜まって揺れていた。

 

「なのになんでっ……何でよ! 何で私がこんな目にあわないといけないのよ!」

 

 両手、両膝をついたまま胸を張って仰ぎ見るその先には実の姉、レミリアの姿が。

 助けを請う、というよりも自分をこんな目に合わせる目の前の悪魔を睨みつけているといった感じだ。紅の目からは涙が溢れ出し頬は赤く蒸気している。

 

「おねぇさまだって言ってたじゃないっ……地下から出てもいいって……だから外に出たのにっ」

「……」

 

 そう、元はといえばレミリアがフランの狂気から周りを守るために地下に軟禁した。しかし本心は実の妹に地下室にこもって欲しくない。逆に外に出て欲しいと願っていた。

 都合のいいことに紅魔館にやってきた魔理沙、霊夢との出会いによって外へ出て遊ぶことの楽しさ、すばらしさをフランは知った。狂気も薄れ始め、徐々に外に出て遊ぶ事もできるようになってきた。

 それをレミリアはまた規制し、更に人里で一ヶ月暮らすという罰ゲームまでつけてフランに指示した。それにフランは納得がいかなかったのだ。

 

「私分かったよ? 外の世界はおもちゃがいっぱいあるし、面白いところだって!」

 

 フランの声音が少しずつ強くなる。

 

「ねぇさまも喜んでくれた! だから私……だから……私……」

 

 フランはぼろぼろと涙を流しながら滲んで見えないであろうレミリアを一生懸命に見つめる。

 

「嬉しかった……のに」

「……」

 

 そんな自分の中で抱いていた気持ちをフランは泣きながら、かすれた声でレミリアにぶつける。

 レミリアに自分を助けさせようと演技している様子ではない。誠心誠意、純粋にレミリアに自分の気持ちを理解してもらい、助けを求めているのだ。

 しかしもうレミリアはフランの顔すら見てはいない。顔を俯けて、目は開いているもののフランの目と目が合うことはない。フランはその俯いてそらされている目線を手繰り寄せるように更に言葉を放つ。

 

「なのに……なのになんでまた閉じ込めるの!? なんで私を人里なんかに閉じ込めるのよぉ!」

「フラン――」

「ぐすぅ……おねぇさまぁっ!」

 

 最後に何か言えと、霊夢ではなくレミリアに訴えかけたフランは声を上げて泣き出してしまう。

 

「霊夢」

 

 しかしレミリアの口から出た言葉は

 

「フランをお願い」

 

 そんな残酷な言葉。

 

「っ……」

「え、ええ……」

 

 霊夢は横目にさっきまで大泣きをしていたフランを見ながら渋々承諾する。フランの目と口はぽかんと開けられて塞がらない。泣くのも忘れてレミリアを見つめている。レミリアは相変わらずの視線を何処かへ送っている。

 突然ガクリとフランの頭が垂れる。そのフランにレミリアは反射的に視線だけ向けるとフランは信じ難い言葉を口走った。

 

「……ねぇさまなんて……嫌い……」

 

 それは今まで聞こえていたフランの可愛らしく幼い声ではなく、暗い闇にずっと浸っていたような、まだその闇が付いてぽとり、ぽとりと垂れてしまいそうなほどに暗い声。

 その暗く小さな声はレミリアにははっきりと聞こえた。『嫌い』と。

 嫌い、とは実に便利な言葉だ。今まで築きあげてきた友好関係や恋愛関係などといった絆を全て破壊することができる便利な言葉。

 しかしそんなものは口先だけで本当はそんなこと思っていない。

 傍から見ればそんな誰でもわかるような状況がこの場所には恐ろしいほどに当てはまらない。

 軽い信頼関係ではたやすく崩れ去る。フランの言葉にはそういう要素が存分に含まれていた。

 

「ねぇさま……なんか……」

 

 人の気持ちなど目では見えないし、本当の気持ちなど相手にはわかりはしないのだ。

 

「おまえなんか……おまえなんかだいっ嫌いだ!」

「フランっ?」

 

 そして急に『ねぇさま』から『おまえ』へ変わる。更に大声を上げて回りに叫び散らす。自分がレミリアを嫌いだという事をアピールするには十分効果的でレミリアには相当の効果があった。

 更にそのアピールはそこにいた全員に感染する。

 

「咲夜も! 魔理沙も! みりんも! パチュリーも! 霊夢も! 皆……皆だいっ嫌い! 皆死んじゃえ!!」

 

 広場にフランの暴言がこだまする。

 

「死ね! 死ね死ね! 死ね死ね死ね死ね!」

 

 フランは狂ったように頭を抱えながら嫌いを連呼している。能力を遮る腕輪をしながらフランは全ての絆を破壊していったようだ。全員完全に引いてしまっている。

 

「フラン! いい加減にしなさい!」

 

 見かねた霊夢がフランの肩をつかむ、とフランは何も言わなくなった。

 

「……」

 

 犬が威嚇する吼える行為、それを超えると犬は黙りそして噛み付くのだ。

 

「うがぁ!」

「うぁっ!?」

 

 しかし、さすがは霊夢、弾幕で鍛えた瞬発力で間一髪フランの噛み付きをかわした。

 

「このっ! やろうっての!?」

 

 喧嘩っ早い性格の霊夢。売られた喧嘩は買うのが霊夢だ。

 遊びを作っておいた腕を伸ばすと手に備え付けられていた白い袖から多数の札がごっそり出てきた。一気にフランを地に伏せるつもりだ。

 

「おい霊夢!」

 

 止めようとする魔理沙の足元へ札が一枚飛んでいく。

 

「あぶっ」

「どいてなさい魔理沙! こいつにはこれが一番なのよ!」

 

 一度魔理沙を睨みつけすぐさまフランに視線を戻す。するとすぐさま起き上がったフランが牙をむき出しにして霊夢に襲いかかってくる。霊夢はそれを避けざま、一瞬フランを睨みつける。フランも負けじと霊夢を真っ赤に燃える瞳で睨みつけてくる。

 

「覚悟なさい!」

「うあああああああああ!」

 

 噛み付きかわされたフランは急いで体勢を立て直すがもう間に合わない。霊夢は超近距離でありったけの札をフランに投げつけた。フランの小さな体は面白いほどに吹き飛ばされ壁に頭から突っ込んだ。

 力を失ったただの少女に成り下がったフランに勝ち目はない。その少女に成り下がったフランに霊夢は容赦はしなかったようだ。

 フランは小さくうめき痛みをこらえるために丸まって震えている。そのフランへ黒い影が迫りくる。

 

「おわりよ」

 

 霊夢は最後の宣告、と手にセットされている多数の札を振りかぶる。

 

「みんな……きらい……みんな……死んじゃえっ……」

「まだそんなことをっ」

「死ね! ……死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねええええええ!!!!」

 

 最後の足掻きとばかりに吼えるフランに躊躇無く霊夢は手を振り下ろした。腹を突く爆音が紅魔館に響き渡る。

 数瞬後、ぱたりと一人の少女が横たわる乾いた音がその場に静かに響き渡った。札の強烈な爆発と壁に挟まれてフランは気を失ってしまった様子。

 

「……全く、手間のかかる子ね」

 

 霊夢は倒れているフランを大事そうに抱えて丁寧にフラン専用の袋に詰めてやる。

 

「ふぅ……」 

「霊夢」

「ん?」

 

 その声に振り向くとさっきまで座っていたレミリアが霊夢の傍に来ていた。

 

「嫌われ役、ありがとう」

 

 そう言って霊夢をそっと抱きしめる。身長差があるため霊夢の胸に顔をうずめる形になるレミリア。

 

「いいのよ。あなた泣きそうだったから」

 

 その肩をポンと叩いてやる霊夢。

 

「フランのこと、よろしく頼むわね」

 

 顔は上げずそのまま呟くように言葉を吐き出す。顔を霊夢の胸からうずめたまま放さないのは泣いているからか。

 だから霊夢は困ったように笑って言葉を選んで眼下のレミリアに落とす。

 

「うまくいくとは思えないけど、やれることはやってみるわ」

 

 レミリアは満面の笑みを浮かべて霊夢を見上げる。

 

「頼りにしてるわ」

「ええ」

「ではおいきなさい」

「……なら放してくれないかしら?」

「うー」

「おぜう……」

 

 

 

 少女運送中……

 

 

 

 そして今に至る。

 

 

 

 

 

「誰がオセロマニアだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第二話 ~フランと青年~

第一話はなれないメモ帳で修正していたせいかありえない箇所で改行されてしまっていました……申し訳ないです。


「僕らは霊夢さんから君の事を頼まれたんだよ。これから一ヶ月間よろしくね。僕は新之助」

 

 と、はきはきとした声調で、先ほど起きたばかりのフランに話しかける男。

 まだ二十歳くらいだろうか。黒髪で眼鏡を掛けている。体には青を基調としたはっぴを纏わせており、そのはっぴには『大島酒蔵』と書かれている。

 

「はぁ……」

 

 しかしフランはそんな笑顔で話しかけてくる男、新之助と名乗る青年の方は見もせずにため息をつくだけ。

 

「どうかした?」

 

 新之助は心配になってフランに尋ねてみる。が、フランは相変わらず無反応。そのかわりになにやらぶつぶつと呟きだした。

 

「ねぇさま……咲夜・・パチェ……ほんみ・・み・・皆……」

 

 新之助は紅魔館の住民のことはあまり知らなかったがフランの知り合いだということは何となくわかった。

 

(……寂しいのかな)

 

 と少しばつの悪い顔をする。

 

「皆……」

 

 未だに無視され続けている新之助。しかしそんなはかなげなフランを見るに見かねて声を掛けようとした時、フランの口から背筋も凍るような言葉が発せられた。

 

「八つ裂きにしてやるっ……」

「……」(こええええ……)

 

 フランは寂しがってはいない、明らかに怒っている。その迫力に新之助は何も言えず、思わず固まってしまう。

 丁度その時、奥から声が聞こえた。

 

「新之助!いつまでも眺めてないで学校いきな!」

 

 かなり年配の女性であろうしわがれた怒鳴り声が響き渡る。

 

「ば、ばあちゃん! 変なこといわないでよ! じゃ、じゃあいってくるね。フランちゃん」

 

 声の主は新之助の祖母だったようだ。

 新之助は学生で大学に通っているらしくこれから出かける様子。そんな祖母の言葉にそそくさと恥ずかしそうにフランが寝ていた部屋を出て行った。

 

「……はぁ……なんで」

 

 自分の寝顔を眺められていたにも関わらず、新之助を横目に追ってそんな事どうでもいいといったようにフランはまたため息をつく。

 自分が何故こんな目にあわなければいけないのか。幻想郷で暴れていただけで。それに暴れるならば同じように暴れる相手がいるもの。なのに何故自分だけが、と。

 フランは理不尽だと思いつつもその気持ちの吐き口も見つからない。だからその場で膝に顔をうずめてしまう。

 

(ここの住人を全部殺して出て行ってやろうか……)

 

 なんて物騒な事を思いつつも霊夢の言ったことを思い出す。それはフランを思いとどまらせるに十分値する。

 人に危害を加えたら閻魔様のところでずっとくらすことになる、ということ。今ここで住人を殺したところで未来は自分にとって地獄であるだろう場所で一生暮らさなければならないということ。

 

「一ヶ月くらい、我慢できるもんっ……」

 

 だからフランはいもしない誰かに八つ当たりするようにそう吐き捨てた。そして少しの沈黙。

 

「……ひま」

 

 人里で、しかも能力を封じられているため弾幕ごっこは出来やしない。

 退屈とは死よりも耐え難い苦痛である、言うように今のフランの状況がまさにそれだ。

 何かないか好奇心旺盛なフランは辺りを見渡してみる。布団の下には畳がしかれ、い草のいい匂いがする。

 立ち上がる事が億劫なのか、四つん這いになって歩き、障子を開けるとそこは庭になっており真昼の太陽の光がありとあらゆる物を焼き尽くさんとばかりに降り注いでいる。庭には石で囲まれた池がありその中には錦鯉がゆらゆらと泳いでいる。皆真夏の光で焼き魚にならないようにと影のある場所に避難中だ。

 かなり広い庭の広場には所狭しと洗濯物が干されている。

 障子から部屋の外に出てその様子を未だ眠り眼でボケーっと眺めるフラン。真上から降り注ぐ太陽の光からは日陰となっている安全な廊下をフラフラと歩いていく。板張りで日陰の廊下は靴下を履いているフランの足でも冷たさが伝わってくる。寝転べば夏の火照った体をひんやり冷やしてくれるだろう。

 その廊下をずっと歩いていくと階段に突き当たる。左手には違う部屋があった。部屋には机とテレビが置かれているだけの簡素な部屋。

 

「テレビ……?」

 

 フランは机の上にあったリモコンでテレビをつけてみる。するとM1グランプリの再放送をやっていた。今は射命丸と椛が漫才をやっている。

 興味津々にその番組を見ているとなにやら聞き覚えのある響きが流れてくる。

『吸血鬼姉妹!幻想卿の吸血鬼姉妹、フランドールスカーレットとレミ』

 プツッ、という音と共にテレビの画面が消える。もちろん消したのはフランだ。

 

「つまんない……」

 

 もう紅魔館の住人など見たくもないのだろう。そう吐き捨てて不貞腐れたようにまた膝に顔をうずめる。

 やはり寂しいのだろうか。うずくまってしばらく黙考していたがやはり退屈のようだ。すぐに首を振って辺りを見回し退屈をしのぐ何かを探し始めた。

 

(だれもいないの?)

 

 不思議な事に常識を学んでこいといいながら誰もフランに教えようとするものはいない。ただ人里で暮らすだけで常識を学べというのだろうか。俗に言う見て盗めというのだろうか。

 振り向くとそこには木造の柱が。そしてそこに刻まれた『シンノスケ 10』の文字があった。その横に地面と平行に横の線が。

 これはよくある成長の記録だった。恐らくは先程の青年、新之助が10歳の頃の身長だろう。

 それはフランの背と同じくらいか。フランは何気なく背伸びしてみたり自分の身長がどれくらいか柱に手をやって計ってみたりしている。するとフランのほうが少し低い。それに不満なのか頬を膨らませるフラン。必死に背伸びしてみたりするその姿は傍から見れば微笑ましいものだ。

 そんな微笑ましい暇つぶしをしているとこの部屋に来る際、突き当たった階段から音がした。誰かが降りてくる足音。それは前が見えないくらいに積み上げた洗濯物を運んでいる新之助の祖母だった。

 

(……こけないかな?)

 

 などと不謹慎なことを思うフラン。フランは前が見えず足取りのおぼつかない祖母の動向をじっと観察する暇つぶしに切り替えたようだ。

 

(踏み外せ~こけろ~)

 

 と不謹慎な事を思うだけでなく両掌を祖母に向けて念まで送っている。馬鹿が付くほど可愛らしいその仕草だがやっている事は最低だ。

 しかしそんな思いが通じたのか祖母が階段から足を滑らせた。フランは今までにない満面の笑顔でわくわくしながら助けようともせずその行く末を見守っている。

 祖母は前のめりになる。バランスをとろうと手をばたばたさせ洗濯物をふんだんに撒き散らしてはいるがもう遅い。

 祖母にとっては最悪、フランにとっては最高の暇つぶしとなる。

 筈だった。と言うのも足を踏み外した祖母はもう片方の足で思いっきり階段を蹴ったのだ。

 フランまで3メートルはあっただろう。祖母は階段を蹴り上げた反動で中を舞う洗濯物を弾き飛ばしながら、うきうきわくわくしているフランめがけて跳んでいく。

 

「へ?」

 

 と口を突いて言葉を放った時にはもう祖母の頭はフランの眼前。そして

 

「うぎゃ」

 

 ゴツン!というハンマーに叩かれたような音と共にフランの視界はまた閉ざされていった。

 

 

 

「ん……?」

「あ、きがついた? 大丈夫?」

 

 なにやら前にもあったようなこのやり取り。フランはさっきの布団に寝かされていた。

 

「……うん」

「よかった。もうおきないかと思ったよ」

 

 新之助は大学から帰ってきたらしい。ということはその間ずっと気を失っていたのだろう。頭には痛みがまだ残っている。そして蘇る記憶。

 そこから導かれることは新之助の祖母への怒りだけだった。

 

「あ、あのくそば――」

 

 ばあ、とは言わなかった。というよりも新之助の思いもよらない言葉によって遮られたといった方がいい。

 

「ありがとう」

「……え?」

 

 わけがわからないそのやり取り。頭に何度も衝撃を受けたせいでおかしくなったのだろうかと自分を疑ってしまうほどかみ合わないやり取り。

 自分の頭に頭突きをかました祖母の代わりに謝るならともかくありがとうとはどういうことなのか。

 

「ありがとう。ばあちゃんを助けてくれて」

「な、な、なんのこと?!」

「ばあちゃんが階段から足を滑らせて落ちてきたのを助けてくれたんでしょ? 本当にありがとう。」

 

 新之助は恭しく頭をたれる。

 フランは混乱していた。新之助は勘違いしている。それを問いただすべきかそのままにしておくべきか。更にフランはそのジレンマの中で全く別の感情がこみ上げていた。それは『ありがとう』という言葉だった。

 今までフランのその性格と能力から気味悪がられたり鬱陶しがられ、恐れられることはあっても新之助のように感謝の言葉を投げかけてくれるものはいなかった。

 だからフランはこの感情をどうしたらいいかわからないのだ。

 

「あ、あ、あれは……」

 

 フランは動揺し、勘違いしている新之助の間違いを正してやろうと思って止めた。

 

「……そっ……そうよ……私が助けてやったのよ! 危なっかしいばばぁだったからね!」

 

 フンッとそっぽを向くフラン。しかしそっぽを向いたのは自分の顔が混乱で新之助には見せられない顔になっていたからだ。

 フラン自身、何故そんなことを口走ったのか、何故そんな見せられない顔になってしまったのかわかってないだろう。

 

「あははは、でもばあちゃんをかばって頭をうったって聞いたんだけど、大丈夫?」

 

 そんな偉そうなフランに新之助は笑いながらそして心配そうに問いかけてくる。フランは頭を打ったがその痛さなどもうどうでもよかった。

 

「う、うん……」

 

 頭と頭がぶつかったのだから祖母の方も無事ではないはずなのだが。

 しかし人の心配をするようなフランではない。そんなこと露ほども考えてないだろう。

 

「よかった。じゃあ僕は店の手伝いがあるから」

 

 そっぽを向いたまま頷くフランに満足したように立ち上がり新之助は部屋から出て行った。新之助が出て行った方をしばらくじっと見つめるとフランは視線の先へゆっくり音を立てないように四つんばいで這って行く。新之助が出て行った戸を少しあけて顔半分を扉から覗かせる。どうやらそこはこの大島酒蔵の店で接客する場所らしい。

 そして新之助が店前で客引きをしている姿があった。何故かフランはその姿をボーっと見つめていた。

 と、顔を半分出しているフランに気付いた従業員がビクついて気付く。フランがどんなに可愛くとも顔半分を出して見られるというのは何とも気味の悪いものだったのだろう。

 従業員はそれを新之助に伝える。それで新之助が振り向くと顔半分を出しているフランと目が合った。新之助はニコリと微笑むとフランは驚いて顔を隠してしまう。

 まるで小さな子供が恥ずかしがっているような光景だ。実際フランは小さな子供なのだが。

 

(なんかどきどきする……なんで……)

 

 フランは布団の上にダイブするように倒れこむ。

 

「ありがとう……か……」

 

 今まで言われたことのない『ありがとう』にフランはどうしていいかわからない。どう接すればいいかわからない。

 そんな自分に嫌気がさしたのか、フランは自分の両頬を音がするほど強く叩く。

 

「あー!もうっ!何でこんなどきどきするのよっ!」

「ニャー」

 

 フランの頭の中でいろいろな思いが渦巻いている。そんな時、猫の鳴き声がした。その方向を見てみると小さな猫がいる。まだ子猫だ。

 

「猫?」

 

 フランは忌々しそうにその猫を睨む。その子猫はそんなフランによろよろと近づいてくる。

 

「……なによっどっかいきなさいよっ、今忙しいんだから!」

「ニャー」

「なに? 遊びたいの?」

 

 威嚇しても逃げ出さず逆に近寄ってくる子猫。先程フランが言ったように今フランの頭の中は先程のありがとうの変換で忙しい。そこへ子猫が怖がらずに近づいてくるのだ。

 フランは苛立ちを隠せない様子。

 

「にゃ~」

「そう……あそびたいんだぁ」

 

 フランは一定の怒りを超えるとその表情はその思いとは裏腹に笑顔に変わる。それは皆が気味悪がる怪しいもの。その笑みを浮かべてそっと猫の顔に手を伸ばす。

 フランはその力故、全てのことを破壊することで身を守ってきた。何かあれば壊す。そうすれば何も起きないし自分に害を加える者もいなくなる。フランはそうやって今まで生きてきた。その延長が過度の弾幕ゴッコだったりするのだろう。そしてそれを快楽と勘違いして。

 

(人じゃないし……いいよね?)

 

 怪しい笑みを浮かべるフランの掌が猫の横顔に触れる寸前、逆に猫がほほをフランの掌にこすりつけた。その瞬間、フランの胸にざわめくものがあった。

 

「ふぁ……」

「ニャォン」

「か、かわいい……」

 

 ありがとう、という言葉、そして殺そうと思ったのに殺せなかった感情、もうフランはわけも分からず子猫をこねくり回して遊びまくったのだった。

 

 

 

「フランちゃん、やっと店終わったよ」

 

 新之助が意気揚々とフランのいる部屋に入ってくる。しかし返事も何も無い。無視されているのだろうと新之助は考えていたのだがそれにしても静かだ。

 

「って、寝てる? あはは、猫も一緒か」

 

 新之助がフランの部屋に行くと掛け布団の上にダイブしたように眠っていた。子猫と遊び疲れて寝てしまったのだ。

 その背中に先ほどの子猫が丸まって眠りこけていた。先刻八つ裂きにしてやるなどと物騒な事を言っていたフランが今はうつぶせに倒れるように眠りその上には猫が乗っているのだ。その妙な光景に新之助は思わず笑ってしまう。

 そしてその天使のような寝顔に顔をだらしなく緩ませる新之助。

 

(全く……かわいいなぁ)

 

 と、新之助は顔をだらしなく緩ませつつ毛布を掛けてやった。

 

 

 

 夜、昼間ほとんど、不本意にだが寝ていたからかフランは起きていた。

 いつの間にか二階の、景色がよく見える部屋に移動している。タンクトップを着てひらひらの薄い生地のホットパンツを履いて帽子をとっている。フランの寝る時の格好なのだろう。

 窓枠に両手を乗せその上に顎を置きながらボーっと夜空を眺めている。人里ではもう皆寝る時間なのか、辺りはもう真っ暗で空の星がよく見える。

 そして夜空には丸い月がひとつ。その青白い光がフランの紅の瞳を照らしている。

 窓から差し込む月の光だけで部屋の中がよく見えるほどに明るい。

 フランは窓の外を眺めながら考えていたのだ。昼間にあったあの事を。

 

(ありがとう……か……私どうしちゃったんだろ……猫も殺せなかったし)

 

 窓枠に乗せている腕に自分の頬を置く。考えれば考えるほど押し付けられて歪んだ顔のように思考が歪んでいく。とそこに誰かの気配が。

 

「フランちゃんアイス食べる?」

 

 フランは考え事をしていて全く気付かなかった。はっと気付いて声の方を見るとすぐそこに新之助が手にアイスを持って微笑みながら立っていた。フランはごくりと生唾を飲み込み無言で頷く。どうやら甘い物に目がないらしい。

 

 アイスを食べている間もフランは夜空を眺め続けていた。

 新之助もフランの隣に座ってアイスを食べ夜空を眺めていた。フランは隣に座った新之助を特に気にもせずにただ夜空を眺めている。

 二人の視線の先には丸く光る月が一つ。それは何も考えず、ただ見ているだけでも飽きないくらいに綺麗な月だった。綺麗な月はある話によると不思議な魔力で人間を狼に変えるらしい。そしてそんな不思議な魔力にフランが舐めていたアイスはただの棒に変えられていた。

 不意に、フランがその棒をポイッと放り投げた。まだよだれの乾いていない棒は当然の如く床に敷き詰められた畳にペトリという効果音と共にくっついたのだった。

 新之助はそのフランの常識はずれな行動に驚き、急いでフランの投げたそれを拾い上げる。

 

「だ、ダメだよフランちゃん。ゴミはゴミ箱に捨てないと」

 

 と、フランを軽く叱ってやる。新之助は一般常識を教える身だ。そこはきちんと教えなければならない。

 

「そうなの? いつもそこらへんに捨てたら咲夜が……」

 

 とそこで言葉を切りうつむいてしまう。紅魔館の住人だろうという事は新之助にはわかる。寂しいのだろうか。それともただ思い出したくないだけのだろうか。

 新之助は少し探りを入れてみる。

 

「……そういえばボーっとしてたけど、どうしたの?」

「……」

 

 笑顔で尋ねる新之助だがフランは無言。新之助の探りにフランは響かない。

 

「寂しくなった?みんながいなくて」

「あ、あいつらなんか死ねばいいっ……」

 

 この言葉にはフランは響いたらしい。そして当たりだったのだろう。フランは慌ててそう言ってまたうつむく。フランのそんな反応に今までほぼ無視され続けてきた新之助は少し嬉しそうだ。その勢いで新之助は笑いながら更に続けた。

 

「そっか。僕もあるよ、死ねばいいのにって思うこと」

 

 フランは目で新之助を捉える位に首を動かす。しかしその何気ない行動とは裏腹にフランはとても驚いていた。いつも笑顔で優しそうなこの青年がそんなことを思うこともあるのかと。

 

(仲間?)

 

 だからそんなことを思ったりしていた。

 

「ばあちゃんや父さん、母さん、友達、皆思ったことあるよ」

 

 無駄な仲間意識を持ったフランは興味本位で聞いてみる。

 

「……親がいないみたいだけど……ころしたの?」

 

 物騒な物言いだがフランの可愛らしい見た目から出るそんな言葉は恐怖など感じない。新之助から見れば子供が強がって言葉を吐く、世間知らずの子供にみえているだろう。

 慣れたこともあるだろうが、あまり驚かず、新之助はその会話を続けることができた。

 

「まさか。ころさないよ。両親は事故でね……」

「ふ~ん……私なら殺そうと思ったらかまわずやる」

 

 何故か唇を尖らせて顔を正面に戻す。おそらく仲間だと思っていたがあてが外れたというところだろう。

 

「あはは、僕にはとてもそんなことできないよ」

「根性無しね」

 

 笑ってそんなことを言う新之助に苛立ちを覚えながらそんなことを吐き捨てるフラン。

 

「そうだね。僕は根性無しだね」

「そうよっ」

 

 フランの興味はもう完全にそがれたというようにまた綺麗な月の魔力に引きつけられるように夜空を眺め直す。だがフランは次の新之助の言葉にまたしても首を振ってしまうのだった。

 

「でもね。殺したらそこでその人はこの世からいなくなってしまうんだよ」

「え?」

 

 フランが今度は顔の正面に新之助が来るくらいに首を振る。

 フランは今寂しがっている。だからいなくなるという言葉に敏感に、過剰なほど反応してしまったのだ。

 それを気取られないように慌てふためくフランだがそんなフランを新之助は見ていなかった。今度は逆に新之助は夜空を眺めフランが新之助を眺める形になる。

 

「もうその人とお喋りもできない、触れることもできなくなる。そう考えると悲しくて」

 

 フランは皆のことを思い出す。フランの頭の中に紅魔館の住人やそこに集まる人々の事が映し出された。しかしそれは一瞬で、頭を振ってブンブンと払拭する。

 

「べ、べつにいいもんっ……」

 

 そんなフランを横目で見る新之助。

 

「私をこんなところにおいやって……皆私が嫌いなんだよっ」

「それは違うよ!」

「へ!?」

「あ、ごめん、驚かせちゃって」

 

 普段の喋りがゆったりとしていたのでいきなり大声を出した新之助に体をびくつかせてしまうフラン。

 新之助は一先ずそれを謝るがその声調の勢いは消えない。

 

「でもこれだけは聞いて欲しいんだ。町の会議で君の事で色々大事になっちゃったんだ」

 

 更に続けてフランが何故こんな目にあうはめになったのかを人里の町であった会議の事をかねて説明し始める。それはフランにとって衝撃の事実となった。

 



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第三話 ~フランの恐怖~

「紅魔館の吸血鬼の娘、妹の方また事件を起こしたらしい」

「ああ、他の紅魔館の連中は常識ってもんをわかっちゃいるがあの妹だけはもうかんべんならねぇ」

「霊夢さん! どうにかしてくだせぇ! わしら怖くて怖くて!!」

 

 ああだこうだと議論する町の人々。上座に向かって縦にニ列で向かい合うように座っている。しかしその視線は前に座っている町民ではなく上座に座している巫女に向けられていた。

 それは町民に呼び出され渋々やってきた霊夢だった。赤と白の巫女装束に身を包み正座し、そしてだるそうにしていた。

 これはフランの暴挙に耐えられなくなった町民が霊夢を呼び出してどのような対策を採るか協議しているのだった。と言うよりもそんなフランを野放しにしておく霊夢を皆で攻めているといった方がいいかもしれない。

 フランが町のすぐ近くで暴れまわり壊しまくるせいで怖くて仕方がなく、どうにかして欲しいというのが町民の要望だった。

 

「といわれてもねぇ……」

 

 霊夢は肩を落とし、ぬらりくらりと町民の抗議をかわしていた。

 

「警告くらいできるでしょう!? もう暴れまわらないでくれって!」

「注意しても聞くような子じゃないのよねぇ……」

 

 霊夢が注意なんかしにいったが最後、辺りを破壊し尽くす勢いで襲ってくるだろうし、その後片付けも面倒だ。何よりもフランの遊び相手は骨が折れる。

 紅魔館の住人は相手をしてくれて助かると大喜びするだろう。が、そんな事霊夢にはたまったものではないのだ。

 この案には霊夢は渋い顔をする。

 

「じゃあ殺してくだせぇ! まだ人里に被害が出ていないことが不思議なくらいでさぁ」

「でもそれで殺すのもねぇ」

 

 これが町民の本音なのだろうが、もしそうなれば紅魔館の連中が黙っているわけがなく、関係者全員を倒していかないといけなくなるだろう。そうなった時の被害(主に霊夢の)は計り知れない。更に霊夢が失敗した場合、紅魔館の連中は町に仕返しに来るかもしれない。そっちの方が被害が大きくなるだろうしやっかいだ。それにせっかく築きあげた友好関係を壊してまでそんなことするのはナンセンスというもの。

 だからこれにも霊夢は渋い顔をする。

 

「じゃ、じゃあどこかに幽閉するとか!?」

 

 町民の気もそう長くないようだ。だんだんあせりの色を見せ始める。それもそのはずで、唯一頼みの綱である霊夢がずっとこんな調子なのだ。

 

「う~ん……閉じ込めるのは可愛そうじゃない?」

 

 だからこんな霊夢の妖怪の肩を持つような一言についに町民の一人が痺れを切らした。

 

「霊夢さん! あんた巫女でしょう! 博麗神社の巫女でしょう!! 妖怪なんかに味方するなんてどうかしてる!!!」

 

 怒号のような啖呵が室内に轟き響く。のらりくらりと攻めをかわしていた霊夢もついに来たかと、こうなる事は分かっていたので耳をふさぐ。だがあまりの迫力に自然に姿勢がのけぞってしまう。

 更に悪い事にこの場には同じ不満をもった町民が大勢いる。同じ志を旗に掲げ啖呵をきれればそれに続くの人が集まり続くのが世の常だ。一人では出来ないがこのように皆で集まって抗議する、という連中にはここが攻めどころだろう。

 それを明示するように仰け反り戦く霊夢に他の町民が次々に野次を飛ばす。

 

「そうだ! アイツは妖怪だ! 巫女のあんたが助ける道理はないんだど!?」

「いや! やつは悪魔だ! この間なんて山が丸ごとなくなってただ!」

「明日はわが身だべ!?」

「そうだそうだ! こういうときこそ動いてくれないとわしらは何のために博麗神社を崇拝しお賽銭を入れてたんじゃ!」

「お賽銭……全然なかったんですけど……」

「じゃかぁしい!」

「ひゃっ」

「それはあんたがしゃんとしとらんせいじゃろう!」

「それがあんたの日ごろの行いの結果じゃ!」

「だから胸もそんななんだ!」

「腋出しゃいいってもんじゃねぇぞ!」

「恥をしれ! 恥を!」

 

『だまれこの愚民ども! 黙って聞いてりゃいい気になりやがって! いい!? 私の日ごろの行いが悪いからお賽銭が少ないんじゃないの! あなた達のお賽銭が少ないから私がこうなってしまったのよ!』

 

 などと言えば賽銭が0になってしまう可能性があるから言えず。(言っても自分がだめなのは変わらないのだが)

 押されっぱなしの霊夢。これは収まりがつかないなと、一旦打開策を練ることにした。座禅を組み手を組む。

 さすがは巫女というべきか。精神統一し、もう周りの騒音は聞こえない。

 そんな霊夢の異様な雰囲気に気付いたのか町民もいつの間にか静かになり、息を呑んで霊夢を見守る。何かいい案が出てくるに違いないと、あつい期待を胸に町民は待つ。

 ポクポクポクと木魚の音、直後に『チーン』と響く鐘の音。次の瞬間、霊夢の目が見開かれた。生唾を飲み込み町民が霊夢を凝視する。口をへの字に結び、目を見開き眉にしわを寄せる。

 霊夢が突然大げさな動作で脇をふんだんに見せて片手を天に掲げ掌を広げる。そこから、ゆっくり地面と水平になるまで降ろし、町民に掌を見せるように手を突き出す。まるで歌舞伎でも見ているかのようだ。

 その歌舞いた霊夢が一言。

 

「後五分待って」

 

 町民はキレた。切れた町民の一人が霊夢の胸倉を掴んで持ち上げる。

 

「おんどりゃあああ! なめとんのかああああ!」

「ただわしらに腋を見せただけじゃねぇか!!」

「後五分ってなんだ! 寝るつもりか!? もうすこし~ってか!? 早く目覚めろおおお! その間違いから覚めろおおおおお」

「ちょっ苦しい苦しい! ギブギブ! 死ぬううぅぅ……」

 

 霊夢はあくまでも巫女であり、この町唯一の頼みの綱だ。あまり手荒な事はしてはいけないと思ったのだろう。すぐに開放された。まだ霊夢に襲いかかろうと構える連中を別の町人が抑える。その間に霊夢は乱れた服装を正し息を整える。

 

「ふう。今のはちょっとした冗談よ。」

「じょ、冗談!?」

 

 よいしょ、と、もともと座っていた上座の位置に座りなおす霊夢。礼儀正しく正座で膝の上に両手を乗せる。

 そして釣り目気味にまっすぐ前方にいる町民達を睨みつける。すると唐突に

 

「つまりまとめさせてもらうとこういうわけよね」

 

 ときりだした。頭で事の成り行きを整理するように目をつぶる。そして一呼吸するかしないかの間に霊夢は目を見開いた。

 

「あなたたちは結界が張られているにもかかわらず、町の周りでやり放題やっている、町へ入ってこれもしない幼い妖怪が、怖くて怖くて仕方ないから殺せ、と?」

 

 いきなり真顔になって一息のうちに、少し低めの声で一気に言い放つ。そんな霊夢の言い回しにあっという間に飲まれていく町民。

 それもそのはずだ。襲って来もしないもの、いや、襲いたくても襲えないものに恐れ戦き、喚き散らした哀れな町民達。それ今の自分達の姿なのだ。それを霊夢の言葉が鏡となって町民達の姿を映し出す。

 哀れな自分達の姿を見た町民達はもう何も言うことも出来なかった。霊夢の威圧感もあいまって誰も口を開けない。

 

「全く、さっきまでギャーギャー喚いていたのにもうだんまり?」

 

 町民は皆そろってうつむき誰一人として喋らない。

自分達の愚かさ、結界を信用していなかった事に対して霊夢の怒りを買ってしまった事。霊夢の切った啖呵は自責の念を町民の仲で大暴れさせていた。

 

「警告しろだの殺せだの、物騒な事を喚くならそれ相応の、私が納得する理由を持って来なさいっ」

 

 もう誰も喋ろうとするものはいない。一人あきらめたように座る。それを機に一人、また一人と座っていく。まるで親に怒られた子供のように背を丸めうつむく町民。座っていても町民を見渡せるほどは言いすぎだろうがそれほど皆縮こまってしまっていた。そして霊夢はというと、

 

(くぅう~、たまんないわ、この調子に乗った愚民どもを言い負かした時の優越感! 嗚呼、幸せ)

 

 等と、思っていたりした。巫女として、人間として最低である。

 

「オホォン!」

 

 霊夢はしょんぼりと落とした町民達の視線を強引に押し上げ引き寄せる。

 

「という事で、議論の余地はないと判断します。誰も反対意見は無いわよね? これにて解散ってことで」(早く帰って連ドラドラドラドラえも~んなんちゃって。)

 

 と、そこにルンルン気分の霊夢の解散を妨げ手を上げるものが一人。

 それはフランに常識を学ばせるための計画の場所となっている大島酒蔵のライバル店、小島酒蔵当主の小島雄大だ。

 肥満体系の初老の男。白髪の禿げ上がった頭に顔にはしわがいくつも刻まれている。

 

「ん? 何? 早く連ドラ……早く帰って修行の続きをしないといけないんだけど?」

 

 小島当主は手を下ろし不敵な笑みを浮かべている。

 霊夢はいやな予感がした。もしそれを言われると一気に立場が逆転する泣き所。それどころか袋叩きに会うかもしれない。どうするかを考えるまもなく、小島当主は芝居がかった演技で斜め上を見ながらそして思い出しながら『たしか~』と切り出した。

 

「これは噂で聞いた話なんだがね。その娘、特別な能力をもつらしい」

 

 とは、『ありとあらゆるものを破壊する能力』だろう。これが今の霊夢の泣き所だった。

 それは全て、何でも、壊せるという事である。石だって、山だって、ダイヤだって、それはもう霊夢が張った強力な結界だって同じ事。

 それは同時に霊夢の切った啖呵が通らなくなるという事だ。あんな啖呵の切り方をし、あまつさえ町民をコケにしていた。

 それが町民を問い正した神聖な叱咤からただの暴言と化すのだ。更に霊夢がそれを知っていたとなると火に油だろう。

 町民は皆両隣の顔と顔を見合わせる。

 霊夢の作った綺麗なシナリオは今崩れ去ろうとしている。

 

「誰か知っているか?」

「いやぁ、しらないなぁ」

「あ、あれよ……だっぺ、血を吸う能力だっぺ」

「ああ、そりゃ吸血鬼だぁ。あたんまえだっぺぇ」

「なんだぁ、そんなこと知ってるっぺよ」

「もぉ、小島さんもおちゃめやねぇ」

「んだんだ。ワシらてっきり霊夢さんに逆転できる位に危険な能力かと思ったっぺ」

「できる」

「ちっ」

 

 霊夢がのさり気に話を逸らすシナリオも小島当主の肯定によって簡単に弾かれてしまう。

 

「ありとあらゆるものを破壊する能力、だったかな? 霊夢さん」

 

 ニヤリ、と片方の口を吊り上げて多いしわをより多く、そしてより深く刻ませ、霊夢に問いかける。

 町民達の視線は小島当主から一気に霊夢へ移される。流れは完全に小島当主だ。

 

「ええ……」

「なっ」

「じゃあ強力な結界も壊されてしまうじゃねぇべか!」

「霊夢さん! あんた知ってて」

「え……と、どうだったかな~ちがったような~」

「どうなんだ霊夢さん!」

「あんた、本当に知って!」

「ひい!」(ころされるうううう!)

「あんた分かってたな! ワシらが知らないと思ってあんな事!」

「こ、この! もうこんなヤツ巫女として認められねぇ!」

「そうだそうだ!」

 

 奮起した町民達が次々に立ち上がり霊夢に飛びかかろうとする。

 

「みんなやっちまえええ!」

「待ってください!」

 

 さっきまでニヤニヤ笑っていた小島当主がその声の主を睨みつける。それは新之助だった。小島当主経営の小島酒蔵のライバル。大島酒蔵当主、大島新之助だ。

 新之助は困っている霊夢を見ていられなかったのだ。心の優しい青年なのだ。

 しかしこんなど修羅場に待ったをかけるのは無謀だ。怒りの矛先が自分に向いてしまうかもしれない。新之助のお付のものもわなわなと震えて新之助を思いとどまらせようと必死だ。

 

「ああ!? 何だ! 青二才が! こいつは俺たちのこと馬鹿にしてたんだぞ!? もう我慢なられねぇ!!」

「はい、でもそれには何か理由があると思います」

 

 新之助に突っかかってくるのはガタイのいい大男だ。農作で鍛えたのだろう。こんな男に殴られたら新之助などひとたまりも無い。

 しかし新之助は臆す事はなかった。

 

「理由?」

「僕達を不安にさせないよう、こっそり裏で解決しようと。そしてそんな事で慌てふためく僕達にこれからも不安な事は一切無いと、安心させようとしてやった事ではないでしょうか?」

 

 筋は通っている理屈。その穴も見つからない。皆の勢いは一瞬そがれる。町民はその場で棒立ち状態。

 しかし新之助の言った事は理屈はいいが憶測だ。憶測で言う理屈などどこまでいったって屁理屈にしかならない。

 

「僕達を馬鹿にしたのだってその事を気付かせないように、カモフラージュするためでしょう。そうですよね? 霊夢さん」

 

 だから反論される前に釘をさす。町民は霊夢の方を見る。

 

「ええ、皆をあまり不安にさせたくなかったの」

 

 そしてこの変わりようである。いけしゃあしゃあと言い放ち少し残念そうに目を細める演技までしている。そんな霊夢に困惑気味の町民。後一歩、霊夢はそう判断した。

 

「皆にあんなこと言って私も心苦しかった……でも、ばれたなら謝らなきゃね。ごめんね、だって私……皆のことが大切だったから!」

 

 ハリウッド女優も真っ青の演技である。決して名演技ではない。

 

「わ、わしらは間違っていたのか……まさか霊夢さんがそんなにわしらの事を……」

「連ドラ見たいなどと言って早く帰えろうとしたのは準備しようとしていたのかっ」

「すまんかった!霊夢さん!なんてお詫びしたらいいかっ」

 

 町民は口々に謝罪の意を示し始めた。

 

「いいんですよそんなの、お賽銭さえ入れてさえくれさえすれば」

 

 霊夢は跪いて謝る町民の方をポンポンと叩く。そして誰もが癒される天使スマイルを放つ。

 そんな仲で霊夢は新之助に軽くウィンクするのだった。新之助はそれには苦笑い。苦笑いするあたり霊夢の意図はお見通しでその場を納めるためにあんな事を言ったのだろうが。

 

「で、では霊夢さん! あの吸血鬼の娘を討伐してくれるんでぇ!?」

「あの悪魔を本当に退治してくれるんですかぃ!?」

 

 町民達もうすうすは感づいてはいるだろう。しかし新之助が言ったこの流れに乗れば霊夢はフランをどうにかしてくれる。霊夢をいためなくてもすむ。ここが落としどころだろう。そう自分に言い含めて更に霊夢に釘を刺す。

 そしてこうなったら後に引けない霊夢。

 

「わかったわ。私にドーンと任せなさい!」

 

 トンと胸を叩く。町民は歓喜し霊夢を崇め奉る。

 

「おお~霊夢さん万歳!」

「これで安心だべぇ!」

 

 

現在

 

「私人里に行ったことなんかないよ!? 人を襲った事もないし!」

 

 座った体勢から動いたせいなのか、昼間の猫ではないが今のフランはそんな風に四つん這いになり、身を乗り出す。

 身長差もあって体をそり返し新之助に詰め寄って睨む。というよりも何かを訴えかけるような目で困ったような表情をしている。

 フランの大きな赤い瞳が月の光に照らされ明るい紫に色が変わっている。それがとてもよく分かるくらいにフランの顔が新之助に近づけられる。

 本人に意図は無いだろうがその姿はまるで何か撮影のポーズをとっているかのようだ。胸はないものの自分達とは違う異型の、人形のように美しい顔立ち。さすがの新之助も顔を赤くする。

 

「そ、そうだね、確かに君は何も危害は加えてないけど」

「じゃあなんで!?」

 

 そんなフランの表情は困ったようなそれから怒ったものへ変わっていく。

 

「でもすぐ近くで危ないことをされると、自分達にもいつか災いが降り注ぐんじゃないかって思っちゃうものなんだ」

 

 新之助はゆっくりとなだめるようにフランに言い聞かせる。

 

「そんな……」

 

 フランのその言葉に理不尽だ、と言う感情が露骨に表れていた。

 今新之助が言った事は人間の本質であり吸血鬼であるフランには理解できない事だった。恐怖という異物に人間は敏感なのだ。それ故少しでも危険を察知すると逃げる、守る、守られる、迎え撃つ、そう言った身の安全を保障する何かの存在を見出さなければ不安で不安で仕方が無いのだ。

 先ほどの会議での町民の騒動も決して大袈裟なものではないのだ。

 

「皆怖いんだよ。それで君をここで」

「それであいつら私を……許せないっ」

 

 顔はうつむいてもう月の光も届かず表情は読めなくなった。『あいつら』とは紅魔館の住人だろう。自分を助ける事を放棄し、ただここに放り込んで幽閉させるか否か運任せの『あいつら』という意味だろう。

 

「違うんだフランちゃん!」

 

 もうフランには聞こえていなかった。なにやらぶつぶつ言っている。自分の世界に入ってどうやって皆を殺そうかと考えていることだろう。

 

「皆……八つ裂きにして――」

 

 そんなフランの両肩を新之助は掴む。フランは驚いて自分の世界から引き戻される。そしてふっと顔を上げた。

 フランの少し色素の薄い金髪のサイドテールが一瞬フランの顔の前を通る。通り過ぎた後には真剣な今までに無い新之助の表情があった。

 肩をつかまれて驚いた事もあり、一瞬新之助と目が合うがすぐに顔を背けてうつむいてしまう。その瞳は長いまつげによって隠れ、もう見えない。それでも新之助は続けて話す。

 

「聞いてフランちゃん。あの時決まったのは霊夢さんがフランちゃんをどうにかするという事だけで具体的にまだ何も決まってはいなかった。だからあの後また会議が開かれたんだ」

「……?」

 

 

回想

 

「今日は何を話し合うだ?」

「あれだろ? どうやってあの吸血鬼を黙らせるか」

「殺しちまえばいいだよ。それが一番だっぺ」

「んだんだ。霊夢さんなら簡単にやれるだ」

 

 そこは前と同じ会議が行われた場所。前のように上座に向かって二列に並び町民は向かい合って座っている。唯一違うところは上座に霊夢の姿はないということ。

 

「しかしどうしたんだ? 言い出しっぺの霊夢さんがいないっぺ」

 

 会議開始の時間はとっくに過ぎている。もしかして忘れているのではないか。と、そんな疑惑が話題になり始めそうな時に会議室の扉がガラガラと開く。

 

「ごめんなさい、すこし遅くなったわ」

「やっときただか」

「霊夢さんおそ――」

 

 霊夢が入ってきた瞬間、町民達の時間が止まる。霊夢を除いて。

 

「ん? どうかしたの?」

 

 町民は誰も喋れない。恐らく喋っただけで彼女の怒りをかい八つ裂きにされるかもしれなかったからだ。

 

「ひっ」

 

 町民の小さな悲鳴が静かな会議室の中を駆け巡る。それもそのはずだった。

 

「な、何でそんなやつらを」

「私に任せるって言ったじゃない。正確には任せろだけど、あなた達も納得したでしょ?」

 

 その者は幼い体に大きな二枚の羽を背中に有し紫色の髪に赤い瞳。ゆっくりとそして堂々とした歩みで部屋に入ってくる。

 実に堂に入ったその歩みは周りの雰囲気を一気に変えるほどのカリスマを発していた。

 なんとやってきたのは渦中の人、フランの実の姉レミリア=スカーレットだった。

 そして咲夜が斜め後ろを付いて行くように入ってくる。

 

「こんばんは」

 



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第四話 ~レミリアの願い~

「お前は、レミリア=スカーレット!?」

「こ、紅魔館の当主がなんのようだ!」

「そ、そうだ! こここっ、ここはお前のような妖怪が来るところじゃないべ!」

 

 霊夢たちが中に入ると町民が口々に喚き散らすが、町民の表情は恐怖で歪んでいる。

 

「お嬢様に向かって無礼な口の利き方は私が許しません」

 

 静かに怒るというのはとても強い威圧感を与える。すでに怯えきっている町民に更にナイフまでチラリ。

 町民はそれを見て腰を抜かして歩けなくなりそうだ。しかもそんな町民を見て咲夜はニヤリと片方の唇を吊り上げて笑う。

 

「咲夜、余計な事はしないで」

「あ、すみません、つい癖で……」

 

 そんな調子にのっているしつけのなっていない飼い犬をを軽く叱咤して牙をしまわせる主人レミリア。

 

「まあまあ、みんな、落ち着いて聞いて」

 

 とのんきに町民をなだめる霊夢のその行動が町人達の気分を逆撫でした。前回と同じ要領で一人の町民が霊夢の襟首を掴みあげて引き寄せる。

 

「霊夢さん! あんた何考えてんだよ! 当事者の保護者なんて連れてきたらろくに会議なんかできないべ!!」

 

 とレミリアたちには聞こえないような声で霊夢に訴えかける。

 

「ちょ、暴力反対なんですけど!」

 

 霊夢も話を暴力に摩り替えて落ち着かせようとするが、町民の言う事も正しい。姉のいる前でその実の妹を幽閉するだの殺すだのと、話し合いができるわけが無い。

 

「あなた、霊夢に何をしているの?」

 

 幼い子供の容姿からは信じられないほどの低く、そしてドスの聞いた声。

 そしていつの間にか霊夢を掴み上げている町民の喉下に紅の槍の切先が突きつけられていた。

 レミリアの怒りで周りの空気が震えている。その澄ました幼い顔の持ち主の小さな体から発せられる威圧感は咲夜とは次元の違う、まるで町民の意識を飛ばしてしまう勢い。

 

「お嬢様! 落ち着いて下さい! てか暴れていいのですか?」

 

 そう言ってまたナイフを持ち出す咲夜。

 

「ひ、ひいい!」

 

 霊夢の襟首を離した町民は転げ落ちるようにその槍から離れた。

 

「話は聞いたわ。妹の粗相で何か面白い事になっていると。そして暴れてはダメよ。」

 

 目をらんらんと輝かせる咲夜をなだめて自分も槍をしまう。

 町民は慌てて霊夢の後ろに隠れるように集まるや否や水を得た魚のように町民の元気が戻りまた喚きだす。

 

「か、帰れ帰れ!!」

「そうだそうだ! ここはお前たちが来るようなところじゃない!」

「霊夢さん! こいうらをどうにかしてくれよ!」

 

 確かにこんな状況では話し合いになどなる筈がない。

 初めの会議の後、霊夢はレミリアに全て話しどうするか決めようと思ったのだ。紅魔館に行って全て話すと、レミリアは直々に話し合いに行くと言った。

 さすがの霊夢もそれはやめた方がいいと進言はした。話し合いにならなくなると。その結果、実際にそうなった。

 何か策があったのではないのか。レミリアほどの人物が何も策も無く飛び込んでくるとは考えにくい。

 霊夢は困ったようにレミリアを見ると町民の罵声を浴びながらうつむいている。表情はよく分からないがこれ以上罵声を浴びせられ続けられると、ひと騒動起きそうだ。

 たとえレミリアは動かなくともそのしつけの悪いメイドが、主を馬鹿にされたと大義名分を掲げ、ナイフを大道芸のように操り町民を傷付けるだろう。

 そうなればフランの処分は火を見るよりも明らかだ。それどころかレミリア自身の身も危なくなる。

 霊夢がふと咲夜をみると、うつむいてなされるがままのレミリアを見ている。

 

(罵倒に耐えるお嬢様もなかなかいじらしくて可愛らしいです……)

 

 恍惚の表情で。

 

(あれ?)

 

 そんな咲夜を尻目に霊夢はレミリアをひとまず外に出そうと、一歩、足を出そうとしたその時。

 

「愚民」

 

 一言そういった。

 レミリアは怒ってはいない。笑ってもいない。見下しているわけでもない。何か悲しい事でも思い出しているかのような遠い目。

 何か考えた上での発言なのか、それともただ思った事を口に出しただけなのか。どちらにしろ町民を挑発しているのは確かだ。

 霊夢の顔が青ざめる。町民を挑発したところでそのしわ寄せは全て霊夢に来るのだから。

 

「何だと!」

「もう一辺いってみろ!」

「あなた達にはお似合いの言葉よね」

 

 霊夢はまだ続けるらしいレミリアの挑発にもうやめてと心から願っていた。しかしレミリアの挑発は続いた。

 

「ただ怖い怖いと喚いて泣いて、早く殺せと言いながら自分達では何もせず全て霊夢任せ。思い通りにいかなければ霊夢のお尻を叩いて急かす。思いもよらない事が起これば全て霊夢のせいにしてっ……危険を感じたら掌返しで霊夢にすがる。盾ができたらまた振り出し。どう? あなたたちには似合いの言葉でしょ?」

「わ、私のお尻!?」

「例えよ」(霊夢可愛い……)

(何故そこに反応する……)

 

 天然か、わざとか、慌てて自分のお尻を両手で押さえる霊夢。そんなレミリアに弄られた霊夢を咲夜が何故か横目に睨みつけた。

 

「私はただ話し合いをしにきただけなのよ?」

「う、うるせぇ! ワシらが意見を出したらお前らは暴れだすだろう!」

「お前らが暴れたらワシら全員殺されてしまう!」

「俺たちの立場をよく知りもしないやつらにそんな事言われる筋合いないだ!」

 

 今の町民の姿を映したレミリアの言葉の鏡を見ても町民は引き下がる事はない。なぜなら霊夢と言う盾で姿は見えていないから。

 

「人間は何故いつも……」

 

 まるで昔のことを思い出すように目を瞑るレミリア。そしてあきらめたように小さなため息をついた。

 

「いえ……いいわ霊夢。進めて頂戴」

「え、ええ」

 

 こんなに挑発しておいて今更進めろとは司会進行の難度は半端ない。

 何を言っても無駄だと、半ばあきらめ気味の霊夢。それでも何か策を練っているのだと信じて自分を盾にしている町民に向きかえり説明を始めた。

 

「皆聞いて! もうここでぎゃーぎゃー討論するよりも当事者に直接話したほうが早いと思ってレミリアに話したの。それで直に話したいからってここまで来たのよ」

「そう。今日は妹のことであなた達にお願いがあってきたの」

 

 そう言って小さい足で一歩前へ出るレミリア。

 

「や、奴は処分すると決定したんだ! いくら紅魔館の当主でももうどうしようもないど! そういう掟でわしらは守られているんだ!」

 

 町民の言う掟とは自分達の安全の保障と幻想郷の存在のバランス。

 

「その掟を破ればお前らだって幻想卿にいられねぇんだ!」

「そうだ! ここはお前らみたいなのが来るところじゃないんだよ! 帰れかえ――」

 

 帰れとはいえなくなった町民。言いたい放題喚き散らす町民についにレミリアの堪忍袋の緒が切れ、赤い槍、グングニを手に出現させたのではない。

 

「お願いします」

「お嬢様っ!?」

「どうか妹を許してやって欲しい」

「レミリア……」

「な……」

 

 

 

 

 

現在

 

「ど、土下座……?」

 

 土下座くらいフランだって知っている。紅魔館のゲートキーパーが居眠りを繰り返し何度もクビになりそうな時、レミリアの前でやっているあれだ 

 土下座されているところはよく見るが逆にしているところなど見る事はない。ましてや想像することすら出来ないだろう。

 そんな屈辱的な格好をレミリアがやったのだ。自分の妹、フランのために。

 

「うん。正直驚いたよ。あの紅魔館の当主のレミリア=スカーレットさんが……高貴な方なんでしょ? その人が、土下座だなんて」

 

 フランは目を丸くする。月明かりに照らされて紫色になった大きく綺麗な瞳があらわになっていく。その瞳はすでに丸い月を一飲みにしていた。

 

 

 

 

回想

 

 町民だけでなく、咲夜、霊夢まで固まってしまう。

 普段貴族的で優雅に振る舞い、まさに気品の塊のようなレミリア。そのレミリアが町民に懇願する。それだけならまだしもプライドを投げ捨て、両手両膝、さらには額まで床に押し付けたのだ。

 

「あの子はずっと地下で暮らしていてまだ常識を知らないだけ。495年間閉じ込めていたけれどやっと外で遊ぶ事ができるようになったの。だからお願い。どうか、私からあの子を奪わないで欲しい」

 

 額を床に押し付けたまま懇願するレミリア。

 

「お、おい……謝ってるだべ……」

「ああ、あの紅魔館の当主が……」

「おらたち何か悪い事したんでねぇか?」

 

 町民はそのカリスマ性あふれる土下座に困惑している。中には罪悪感すら感じるものもでて来ている。

 ずっと額をつけているせいでずれた帽子を被ったままでいるのは、ここにいるものの中で一番気位が高く、一番プライドが高い人物。その人物が一番低い位置にいるのだ。困惑するのも無理は無い。背は一番低いのだがそれは置いておいて。

 

「あの子が色々と迷惑をかけていることは分かっているわ。あなた達に恐怖を与えてしまったということも事実。でも決して悪い子ではないの」

 

 霊夢は見誤った。それは何か策を講じているであろうと思われたレミリアは何も策など無かったこと。そして自分の妹のためならばこんな事もやってのけるという覚悟。

 自分の愛する妹が危険な状況にあることに、いても立ってもいられなかっただけだったのだ。

 レミリアは自分がもしフランの立場なら土下座などせずここにいる全員を殺しているだろう。しかしその的となっているのは最愛の妹だ。だからこれはフランの為なら何だってするという覚悟の表れだった。

 

「そ、そんなことしても無駄だ! あんたんとこの妹は頭がおかしい!」

「そうだそうだ! 常識ってもんがないんだ! いつか里に被害が出るに決まってる!」

「あんな悪魔は殺すべきなんだ!」

 

 だがそんな他人の姉妹愛など、町民には知った事ではないのだ。謝ったところでフランに対する町民の恐怖や怒りが消える事はない。例えここでフランに注意し様子を見ると妥協案を出してもまた繰り返すに違いないと、ずっと平行線をたどる事になる。だから町民達も簡単に引き下がるわけにはいかないのだ。

 

「フランは私の家族……です……たった一人の……可愛い……可愛い妹です!」

 

 レミリアの声はもう涙声になっている。霊夢や咲夜でさえ、こんなレミリアは見た事が無かった。

 だから咲夜はもう見ていられなかった。限界だった。主のその屈辱的な行いに耐えられなかった。

 

「お嬢様! もう――」

「お黙りなさい!」

 

 しかしレミリアは自分を抱き起こそうとする咲夜を一喝する。 

 普段の冷静なレミリアではない。涙声を張り上げたせいで声がかすれている。

 必死だ。妹を守る為に必死なのだ。自分の知らないところではない。自分の手が届く範囲で妹が、家族が殺されようとしている。だからそんな事など、自分のプライドが傷付こうと気品が失われようと、必死に守るに決まっているのだ。例え自分の身が滅ぶことになっても。

 だからこんな土下座くらいフランを守るためならレミリアにとっては安いものだったのだ。

 

「お願い……ですから……フランを……たった一人の家族を奪わないで欲しい……」

 

 大いなる覚悟をもって繰り返されるレミリアの悲痛な叫び。その想いは霊夢、咲夜には痛いほどに伝わっただろう。しかし町民にその叫びは届かない。前には分厚い盾、霊夢と言う存在がいるのだ。恐怖の芽を摘み取る事のできる博麗の巫女の存在がレミリアの悲痛な叫びを弾き飛ばしてしまった。

 

「うるさい! けえれけえれ!」

「んだど! そう言ってまた暴れだすんだろ!」

「死んで当然なんだ!」

「お願いします! どうか!」

 

 レミリアが先に投げかけたあの言葉が町民達にはとてもお似合いだった。

愚民。

 人間とは愚かな生き物だ。自分に詫びを入れるこの小さな吸血鬼を自分よりも立場の弱い者だと錯覚し、調子に乗って付け上がり、成れの果ては傲慢な態度に出てしまうのだ。その傲慢な態度とはたいがいの場合愚行となるのが相場。

 町民の心からはレミリアに対する恐怖心が次第に消えていった。今まで恐怖の対象と見られてきたレミリアが頭を地に着けて謝っているのだ。まだ幼い少女が、だ。当然と言えば当然だ。

 更に今までその恐怖にさらされていた怒りが徐々に生まれてきた。

 

「ならお前も一緒に死んじまえ!」

「今まで散々怖がらせやがって! ふざけんじゃねぇだ!」

「お前たちがいなけりゃワシらは全員平和に生きれるんじゃ!」

 

 そうして町民達は自分達が座っていた座布団を投げつけ始めた。更にはまだ中身が入っている湯飲みまで投げつけるものもいた。

 

「こ、こらっ! あなた達やめなさい!」

 

 霊夢は止めようとするものの人数が多すぎて防ぎきれない。レミリア一人に対する盾は出来ても町民達を止める盾としては意味をなさない。

 悪いことに町民の放った湯飲みがレミリアの頭に直撃する。

 

「ぐっ……」

 

 鈍い音と共に漏れてしまう痛々しいレミリアの呻き声。その様子に一瞬、町民の暴挙が止まる。もう冷めているだろうがお茶がレミリアの頭にかかっている。

 レミリアは依然動かない。町民達も動かない。いや、動けない。

頭に直撃させた湯飲みの腹いせにいつレミリアが紅の槍で襲ってくるか分からないからだ。

 

「……どうか……お願いします……」

 

 だがレミリアはそんな事お構い無しだった。お構い無しに懇願を続行したのだった。だがそれが悪かった。

 一つ睨みをいれさえすればこの後の町民達の愚行は行われなかっただろうに。

 

「お、驚かせてんじゃねえぞ!」

「死ね! 死んじまえええ! お前ら皆死んじまえ!」

 

 それに町民達は調子付き、暴挙は留まることなくエスカレートしていった。

 

「妖怪なんて皆いなくなっちまえばいいだ!」

 

 もうレミリアの言う事など聞いてはいない、いや、聞こえもしないほどに町民達の声は大きくなっていく。集められたのはだいの大人数十名だ。レミリアの小さな声はかき消されていった。

 しかし、それでもレミリアは罵声が飛び交う中、懇願し続けている。

そこへ第二の湯飲みがレミリアに襲い掛かった。三度目の正直と言う言葉がある。何度もそんなことをしていると終いにはレミリアが暴れだすのでは、とはらはらしている霊夢がその様子を町民達を抑えながら横目に見る。

 だがそれはレミリアの頭を直撃する事はなかった。2つ、4つ、10……と、まるでサイコロステーキのように細切れになっていく。

 

「お嬢様、言いつけを破る事をお許し下さい。」

 

 咲夜だった。咲夜がレミリアの前に立ちはだかったのだ。ナイフを両手に持てるだけ持って。

 

「咲夜! もどりなさい!」

「お嬢様っ……」

 

 その様子に思わず顔を上げたレミリアが叫んで叱咤するが、振り返る咲夜の両目には大粒の涙が溢れんばかりに波打っていた。

 

「さ、咲夜……?」

「私は……私はもうっ……もうぅっ」

 

 咲夜はえずくように泣き、その波打っている涙を頬に伝わせる。

 

「私はもう我慢できません!!!」

 

 体が自然にくの字に折り曲がるほどに、大声でレミリアに言い放った咲夜。

 咲夜の鮮やかな、湯飲みをサイコロステーキにしたそんな技に町民達は悲鳴を上げて霊夢の後ろに隠れる。

 

「そこをどきなさい霊夢。もしどかないというのなら私は」

 

 そこまで静かに言って霊夢にナイフをむける。そして目を見開き霊夢を見据えて

 

「例えあなたでも容赦しない!」

「咲夜!」

「落ち着いて咲夜!」

「そこをどけえええぇぇぇぇぇ!」

 

 咲夜はもう誰にもとめられない。身を低くし霊夢めがけて突っ込んでくる咲夜はナイフを振りかぶる。霊夢は避けようとするが町民達によって盾にされ動くに動けない。

 

(殺られる!)

 

 刹那、その霊夢を弾き飛ばし咲夜の襲い来るナイフの前に立ちはだかったものがいた。それは新之助だった。 

 だが咲夜は止まらない。止まるはずがない。最初から咲夜の狙いは町民だ。霊夢ではない。反動で霊夢が倒れ、床に手を着く瞬間だった。

 

パリン!

 

 何かが割れる音。それはレミリアが落とした自分の頭に当たった湯飲み。

 それは不思議な響きだった。普通の湯飲みではそれ程綺麗に響きはしない。そんな綺麗な響きが咲夜の頭の中で反響する。

 周りの空気が変わる。咲夜の襲撃も止まっている。ナイフの刃が新之助の喉へ今にも食い込もうかという寸前だ。しかし咲夜の目はまだ見開かれ新之助を思いっきり睨みつけている。

 

「咲夜。戻りなさい」

「……はい」

 

 咲夜は新之助を睨みながら振り返り、レミリアの前まで戻ると片膝をつく。

 レミリアの顔はお茶なのか涙なのかどちらとも分からないような液体でぐちゃぐちゃだった。もしかしたら鼻水かもしれない。

 それを咲夜はハンカチーフで拭いとってやる。

 

「申し訳ございません、お嬢様。お怪我はありませ――」

 

パァン!

 

 とはレミリアが咲夜の頬をたたいた音。

 先程とは違う乾いた音がその空間に響く。

 咲夜は何故自分がぶたれたのか、理解している。だから顔を俯けて起こそうとはしない。

 それはレミリアが土下座をして湯飲みの直撃や暴言を必死で耐えていたことを台無しにしたからではない。

 咲夜のその感情任せの行動でフランの立場が危うくなってしまうからだ。あそこで刺してしまったならもうフランの処分は決定的だっただろう。紅魔館の従者でさえこの有様なのだ。主の妹が自分達に無害なわけが無い、と。

 レミリアの潤んだ瞳は未だ咲夜を睨みつけている。頬を真っ赤に染め、口をへの字に曲げて。それは全く子供の様な表情だった。叩かれた咲夜も叩かれた片方の頬だけを真っ赤に染めている。その表情は依然睨みつけられる視線から逃げるように俯けたままだ。

 

「あ、あの」

 

 その何とも重い空気の中口を開く新之助。皆の視線が新之助に集まる。

 

「どうでしょう、紅魔館のご当主であるこの御方はちゃんとした常識が備わっていると思われます」

 

 と誰かを案内するようにレミリアを示す。咲夜は横目でその新之助を、レミリアも咲夜の肩越しに新之助を見ている。

 

「そ、それがなんだっていうんだ?」

 

 大分勢いが落ちた町民の一人がそう問う。この状況で一体何を言うつもりなのか。

 

「なら、妹さんにも常識を学んでもらえば、人里に恐怖を与えるような行動はしなくなると思うのです」

「常識を学ばせるってどういうことだ!」

「そんなことできるわけがない!」

「大体この巫女に常識があるとは思えねぇ!」

 

 標的が妖怪ではなく、人間の新之助になったとあってまた勢いを吹き返す町民。全く絵に描いたような愚民であるが、そんな愚民に新之助は熱弁する。

 

「何故そうやって何もかもできないとあきらめるのですか! 何故霊夢さんに全部任せようとするのですか!? 僕達にも何かできる事があるかもしれない!」

 

 ふふっ、と誰か笑ったような気がした。それは霊夢だろうか、霊夢の顔には少し笑みがこぼれている。さっきまで睨みつけていた咲夜も泣いていたレミリアも意外な町民の発言に驚いている様子だ。

 

「おほぉん! わかったわ。とりあえずここは私に任せてくれないかしら?」

 

 と前の会議と同じような感じでまとめようとする霊夢。そう言って今回は散々な目にあったため町民は疑惑の目を向けているが今度の霊夢は少し違うようだ。

 

「いいこと考えたわ」

 

 

 

 

現在

 

「その場は霊夢さんが納めてその後の会議で今の計画が決定されたんだ。それで言いだしっぺの僕がこの計画を任されたんだ。あはは……」

 

まさかフランがこんなに嫌がるとは思わなかったのだろう。新之助は住まなさそうに頭を掻くがフランの反応が無い。

新之助は顔を上げてフランの様子を視界に捉える。

 

「フラン……ちゃん?」

 

 いつからだろう。いつからフランの涙は頬を伝っていたのだろうか。

 

「……泣いてるの?」

「ふぇ……」

 

 フランは今気付いた様に恐る恐るといったように頬に手をやった。その手は小刻みに震えている。

 

「涙?……私が?……そんな……わけっ」

 

 そう言ってうつむいてまた表情が見えなくなった。

 

「フランちゃん? どうし――」

 

 フランの震える手が心配して近づいて来た新之助の着ていたはっぴの胸倉をいきなり鷲掴みにする。新之助の胸の辺りにあるフランの手はまるでそこから落ちてしまわないように引っ張られ、しっかりと握られていた。

 その手は震えている。更にフランのおでこが新之助の胸にトンッとぶつけられる。かすかに漂ってくるやわらかく甘いにおいと震えが伝わってくる。

 

「ふ、フランちゃん?」

「みんな……」

「え?」

「みんな……うぅ……ひっぐ……ころじてやりたいって……ぇぐっ……おもっでた……ぐすっ……私……みんながらぎらわれでるっで……おもってで」

「フランちゃん……」

 

 涙をぼろぼろとこぼしながら新之助を仰ぎ見る。それは涙がこぼれないようにしたささやかな抵抗だろうか。しかしそんな事は知った事ではないといった様に涙はどんどん溢れ出していく。

 

「だいぎらいって言っぢゃっだ! みんなしんじゃえっで!」

 

 泣き出すと口が思ったように動かないのだろう。フランはまともに言葉がいえないくらいに、しかしそれをぐっと我慢するように叫ぶ。

 

「君は皆から愛されてたんだよ。今だってそうさ」

「……私も皆が……うっ……」

「皆が?」

 

 優しい声音で問いかける新之助。フランは泣きながら顔をうつむける。

 

「皆が……だいずぎ……なのにっ」

「うん。分かってる。」

「ぇぐっ……なのに……だいぎらいっでぇ……」

「でも好きなんだよね?」

 

 フランは最後の踏ん張りとばかりに涙を流しながら歯を食いしばって新之助の胸に額をこすり付ける。

 それを機にフランは顔を新之助の胸に押し付けてついに声を上げて泣き始めてしまう。全身を震わせながら握る手には力がより力がこめられる。 

 儚い。その震える体には一番よく合うだろう言葉だった。人里の周りを、山を、あらゆるものを破壊してきたとは思えないくらいに細く小さな体。これ以上震えたら崩れてしまいそうな。

 

「大丈夫だよ」

「へっ」

 

 驚いて震える体をびくつかせるフラン。見た目よりも細く柔らかい。力を入れればつぶれてしまいそうな、そんな小さな体を新之助は優しく抱きしめてやる。

 

「大丈夫だから。皆フランちゃんのこと大好きだから」

 

 フランはすごく暖かい、そして安心感に包まれたな気がしていた。まるで触れる事すらできない太陽の光をずっと前から知ってたかのような、そんな暖かさに包み込まれたよう。

 いつの間にかフランの震えは止まっている。

 

(何だろう……この懐かしい感じ……すごく暖かい……)

 

 それを機に、えずくように泣いていたフランの瞳は閉じられる。きらりと月明かりに照らされて光る涙の粒が長いまつげに必死に捕まっている。それはまるで透明の果実のようだった。

 そしてその透明の果実はいつの間にか熟して膨れ、やがては新之助のはっぴに食べられてしまう。窓から舞い込んでくる涼しい風がそんな二人をなでて消える。

 

「フランちゃん?……あはは」

 

 静かな夜。聞こえてくるのは涼しい風の音とフランのささやくような寝息だけだった。

 



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第五話 ~夏の夜のレミリアと咲夜~

 昼間の暑さは何処へやら。心地よい風が闇に染め上げられた草木を撫でて揺らす。

 そんな夏の夜、空には遮蔽物となる雲がひとつもない。そんな漆黒で、高い夜空を縦横無尽に流れる天の川に無数の星が目一杯に散らばっている。天の川に映り込む、少し欠けた月が紅魔館を照らし、明るい紫色に染め上げた。

 綺麗に並んでいる紅魔館の窓のひとつ、開け放たれているその窓に月の光が差し込んでいる。

 外は月の光で明るいが紅魔館の中は暗い。その為、窓に面する廊下から見るそれは、まるで月のスポットライトを受けているよう。

 月のスポットライトにはテーブルと椅子が一組。更につまらなそうに月に照らされた景色を眺める少女が一人照らし出されている。幼い顔立ちに紅の瞳、背には大きな羽を有する。レミリア=スカーレットだった。 

 その背後の暗闇からコツリ、コツリ、と足音を立ててティーセットを持ってやってくるのはこの紅魔館のメイド十六夜咲夜だ。

 

「お嬢様、お茶をお持ちしました」

「ありがとう」

 

 コトリ、と静かにおかれたティーカップに月の光が反射してレミリアの瞳を照らす。

咲夜は馴れた手つきでティーカップに紅茶を入れてレミリアに差し出した。

 紅茶が注がれたティーカップを手に持ち口に運ぶレミリア。その様子はとても上品であり、その子供のような容姿とのギャップに、いつもなら恍惚の表情をする咲夜だが、今の表情は月の光に照らされていないせいか何処か曇っている。

 しかしレミリアはそんな事など気にはせず、一口飲むとまた窓の外の景色をつまらなそうな表情で眺めている。

 

「月が綺麗ですね」

 

 主がつまらなそうにしていればそれをどうにかするのもメイドの仕事。しかし帰ってきたのはただ一言だけ。

 

「そうね」

 

 だから咲夜も何とか間を持たせようと話しかけ続ける。

 

「妹様がいなくなって静かになりましたね」

「そうね」

「少し寂しいですね」

「そうね」

 

 そんな咲夜の努力も空しく、返ってくるのはレミリアの気の抜けた返事のみ。これでは間が持たない。

 普段ならばこんな事はないのだが、というよりもレミリアが自発的に話しかけてくることが多い。

 しかしこうなってしまったのは、フランが今回の計画でこの紅魔館を一時的にとはいえ離れてしまったから。だからレミリアは寂しくてたまらずボーっと考え込んでしまっていた。という事だけが原因ではないだろう。

 というのも前の会議で頬をひっぱたかれた咲夜とひっぱたいた本人のレミリアの関係が少しギクシャクしていたのだ。

 そしてあまり我慢強くない咲夜のストレスがついに爆発してしまう。

 

「お、お嬢様!」

「何?」

 

 ボーっと外を眺めたままで振り向きもしないレミリア。そんなレミリアの反応に咲夜は心にグングニルをくらわされたかのような表情。これは 精神的に辛いものがある。しかし負けじとばかり咲夜は話を続ける。

 

「怒っているなら怒っていると、そうおっしゃって下さい! ク、クビだというのならクビにしてくれても構いません! その覚悟はできています!」

「別に怒ってないわ」

 

 依然として窓の外を見ながら咲夜のほうは見向きもしない。

 

「嘘です!」

「嘘?」

 

 そこでようやく、ゆっくりと咲夜のほうをやっと見れるくらいに顔を動かして横目で見る。月の光が少し顔にかかって照らされているせいで何処か怒っているように見える。

 

「だ、だって最近何を話しかけても……いつも生返事で」

「そう……ね」

「やっぱり……」

「あなたが私のことをそんなちっぽけな存在だと思っていた、という事になら怒ってあげてもいいわ」

 

 と妖艶に笑うレミリア。

 

「え? あ、あうぅ……」

 

 笑う時にちらりと見えたその吸血鬼の牙に、何処か安心してしまった咲夜は目を泳がせる事しかできない。ずっと怒っていただろうと思っていたレミリアのその思いがけない応対だったからだ。あとは唸ることしか出来ず俯いてしまう。

 

「あうぅ……ね」

 

 とレミリアが返した咲夜の真似にさっきまでとは打って変わってもう恍惚の表情だ。

 

「私は嬉しいです……ずっと怒っていると思って……」

 

 とハンカチーフでうれし涙を拭いながら鼻水をすするという芝居がかった表現で嬉しさを表す。

 

「……怒っていたわ」

 

 そんな咲夜にレミリアはため息をつきながら笑い、意地悪な一言。

 

「え」

 

 パサリとハンカチーフを落としてしまう咲夜。

 

「あの時はね」

 

 そう言い捨てて軽く笑うレミリアの表情は悪意に満ち溢れていた。しかしその笑はやはりとても妖艶で、もちろんだまされた咲夜は恍惚の表情である。

 

(ああ、何という小悪魔な天使の笑顔……いただきます)

「私もあの時は頭に血が上っていて……でも私の為にやってくれたんでしょ?」

「お嬢様……」

 

 照れ隠しのためなのか、それともただの仕草なのかまた顔を戻し景色を眺める。

 

「ありがとう」

「お嬢様ー!」

 

 ニコリと微笑むレミリアに咲夜は思わず抱きついてしまう。

 

「お嬢様、一生付いていきますううう!」

(うぜぇ……)

 

 抱きつきながら泣き叫ぶ咲夜を静かに引き離すレミリア。咲夜は涙を手で拭いながら心に残った疑問をぶつける。

 

「では……何故ずっとボーっとしてらしたのですか? やはり妹様の事を?」

「……そうね」

「お嬢様と妹様は仲がよろしいですもんね。姉妹愛というヤツですか?」

「姉妹……愛?」

 

 そう言うと腑に落ちないといった表情になり顔を曇らせるレミリア。

 

「違うのですか?」

「そう……ね……」

 

 レミリアは何か考えるように背もたれに体重を預け、尚且つ組んだ片方の足で椅子を傾けてゆらゆらと揺らしている。咲夜はもしもレミリアが後ろにずっこけた時の為に腰にぶら下げていた時計を握る。

 

「怒るわよ?」

 

 そんな心配は無用だと、突然目を開けたレミリアがそんな咲夜を一喝する。咲夜はパッと手を離したようだが遅かったようだ。

 

「も、申し訳ありません!」

 

 フフッとレミリアが笑った気がした。そして体勢を戻し、また頬杖を付く。

 

「そう……そうね。これは謝罪よ」

 

 と、突然思いついたようにレミリアが呟くように咲夜に語りかける。

 

「え、あの……どういうことでしょうか?」

「あの子があんなふうになったのは私のせいなんだから」

「え、ええ? えええ!?」

 

 わけが分からず目を泳がせる咲夜を楽しそうに見るレミリア。

 ひょっとしたらレミリアはSなのかもしれない。レミリアの言うあんなふう、とは見境なく人を襲い、気に入らないことがあれば暴れだし手に負えなくなるという、いわゆる情緒不安定だという事象についてだろう。

 

「ちょうどいいわ。暇だし。あなたに昔話をしてあげる。心して聞きなさい」

「は、はい!」

 



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第六話 回想偏 ~ハンターとフラン~

 大昔。幻想郷の西のずっと西。そこには吸血鬼の住む町がところどころに点在していた。フランとレミリアはその西洋のとある国で暮らしていたのだった。 

 

 父は吸血鬼の中では高位に属する人物。二人もそれに見合った優雅な生活を送っていた。

 

 フランとレミリアは腹違いの姉妹でレミリアは吸血鬼同士の子供。しかしレミリアの母親が吸血鬼ハンターに殺されてしまう。次に人間を母として生まれたのがフランだった。

 

 だがそのそれは人間と吸血鬼の禁断の恋。その両親も禁忌を犯したという吸血鬼の迫害に遭い、これ幸いと教会を後ろ盾に動くハンターに狙われて殺されてしまう。

 

 残ったフランとレミリアは吸血鬼の集まる町に孤児として連れてこられたのだという。 

 

 そこは吸血鬼とハンターが平和協定を結んでいた安全な場所だった。教会に属している教会直属の軍隊隊長であるダリスは吸血鬼との仲を深めようと度々、吸血鬼達の住む町へやってきていた。いわゆる親善大使である。

 

 

 

 

「フランはそのダリスという吸血鬼ハンターに好意をもってたわ」

 

 レミリアと咲夜は月光のスポットライトを浴びながら昔話を続けていた。咲夜はまるで子供が話の続きをせかすように興味心身にその話に耳を傾けている。聞き手がこんな状態なら話し手としてはとても楽だろう。レミリアも先程まで外を眺めていたような、つまらない表情の跡など微塵も見せないくらいに生き生きと語っていた。

 

「人間にですか? しかも何故ハンターなんかに?」

 

 ダリスは吸血鬼の町に度々訪れる親善大使。しかし元はハンター。吸血鬼の天敵だ。咲夜が疑問を抱くのも無理はない。

 

「フランはね、信じられないと思うけど、昔は人見知りだった。母親が人間という事もあって友達なんていなかったの。だから部屋でずっとぬいぐるみごっこばかりしてたわ」

「はぁ……」(今も同じような感じですけど)

 

 腑に落ちない表情を浮かべる咲夜だがその理由はレミリアにも分かっている。何か言い足そうな咲夜の先手を取ってレミリアは矢継ぎ早に話を続ける。

 

「そんなフランを同年代の吸血鬼が面白がって連れ出したの。そして皆で親善大使であるダリスを襲おうとした」

「えっ? 大使を襲ったらまずいのでは?」

 

 全く、よく食いついてくれるメイドだと先程までは層思っていただろう。しかし、もうレミリアはそう思わなかった。咲夜はまだ若く、そしてレミリアはゆうに五百歳をこえている。レミリアからすれば咲夜は赤ん坊みたいなものだからだ。

 だからレミリアは声音を少し優しくし、小さな子供に話しかけるように語りだす。現に咲夜は子供のようにレミリアの話の続きを今か今かと目を輝かせ待ちわびている。

 

「そうね。まあ所詮は子供の遊びよ。その子達はダリスにコテンパンにやられたらしいわ。だからその子供達は一目散に逃げたの」

「そうですか。それはよか――」

「ただし」

 

 と咲夜の閉じたり開いたりする唇に人差し指で蓋をする。傍から見たら妙な光景である。小さい子供が大きい大人の唇を人差し指で蓋をしてるのだ。実のところは小さい大人と大きい子供なのだが。

 

「フランに『お前はハンターの注意を引いてろ』といってね」

「そんなっ」

 

 ここまで反応がいいと逆に笑ってしまう。

 実際、レミリアはフフッと噴出すように鼻で笑っていた。咲夜もそんな自分を恥ずかしがるように口をすぼめて乗り出した体を引いて戻す。

 レミリアは咲夜の口を塞ぐために乗り出した体を背もたれに預けて更に話を続ける。

 

「ダリスはフランを縛り上げて吸血鬼の私達が住む町へ連れて行ったわ。そこで思いっきり叱られたけど、ダリスの口添えでフランの罪はすぐに許された。逆に逃げた子達を叱るように進言してね。仲間を見捨てて逃げるなんて許せないって」

「それでその男を好きになったと?」

「そうねぇ……その時から付きまとっていたわね、たしか……一方的にだけれど」

 

 思い出し笑いを挟みながら天を仰いでまた椅子をゆらゆらさせる。付きまとっていたとは妙な言い回しだが恋する乙女はそんなものなのかもしれない。

 しかしそんなレミリアを見ながらやはり時計に手が伸びる咲夜。

 

「怒るわよ?」

 

 とまた一喝される咲夜。と、咲夜が時計から手を離した直後「キャッ」等と可愛らしい声を上げてレミリアが勢い余って後ろに倒れてしまう。

 

「お嬢様!」

 

 咲夜はわざとらしく大きく両腕を振りかぶる。思いっきり抱きしめるつもりだったのだろうが咲夜が抱きしめているのは椅子だけだ。

 

「なんてね」

 

 レミリアは宙に浮いて呆れ顔で咲夜を見る。だがそれは楽しそうな呆れ顔だ。

 

「お、お嬢様ひどいですぅ……」

 

 咲夜は抱きしめている椅子をもとあった場所に戻しレミリアを座らせる。

 

「ふふっ、これに懲りたらもうそんな心配は止めることね。それと……この後話す事のためにテンション上げておかないと、と思ってね」

「そうですか……楽しみですが、それよりも許せないですよね、その子達はっ。私がビシッと一発! その子供達は今何処に?」

 

 子供という事はレミリアと同じ子供だ。つまり今でも子供だという事だ。

咲夜の目は輝いているがレミリアはそ知らぬ顔で紅茶をすすると、ふと視線を落として一言。

 

「死んだわ」

「……え?」

 

 俗に言う「時が止まる」とはこの事だ。別に咲夜が能力を使ったわけではない。声のトーンも下がり、より一層現実身が増してくる。

 

「まさかお嬢様が?」

 

 だからそんな雰囲気をぶち壊し、あまつさえ馬鹿な質問をする咲夜にレミリアは思わず笑ってしまう。恐らく実の妹をいじめた子供達をレミリアが仕返しに、とでも思っているのだろう。

 

「ふふ、まさかっ……これから私が話す事は人間である貴方にとって少し耳が痛いものになるかもしれないわね」

 

 

 

回想

 

 

吸血鬼の町

 

 広く分布する、光も入らないような、一度入れば抜け出す事ができないような深い森。その最奥にある城壁に囲まれた西洋風の城。

 その城壁に囲まれた城下町に吸血鬼達は暮らしていた。

 光が全く入らないような家の造り。窓にガラスを張っている家はひとつもなく、全て木製で開く事でしか外を見ることはできない。

 その町の入り口に、城の見張りと何やら話している人影が二つ。

吸血鬼の町への入出許可を取っているのだ。その町へは普通の吸血鬼でさえ、入るのに許可を取らなければならない。人間と平和協定を結んでいる町に凶暴な吸血鬼や、人間に対して前科を持っている吸血鬼が入ってきては困るからだ。

 その二人の内一人は岩のようにでかい。それはダリスという吸血鬼ハンターの隊長であり親善大使でもある男。2メートルを超えるかという大男だが顎には無精ひげが目立ち、髪もぼさぼさだ。

 そのダリスの後には弟子のようについてくる少年が一人。

 その二人がゆっくりと町の中央を突っ切る一本の大きい通りを歩いていく。城壁の正門を抜ければ正面に真っ直ぐ伸びる大通り。その奥には大きな城がそびえ立っていた。

 空には満天の星が輝く夜空が広がっていて、もう吸血鬼の苦手な太陽は出ていない。にもかかわらず、二人が歩いて行く度に通りに軒を連ねる家々の窓や扉はパタリ、パタリと閉められ、吸血鬼が出てくる気配がない。更にその隙間からは殺気に似た紅の視線が向けられる。

 どうやら平和協定は結んでいるもののあまり友好的ではないようだ。

 少年はおどおどと周りを伺いながら歩いているが、ダリスは慣れているのか、そんな事を気にするそぶりもない。 

 そしてやっと城内に入るとはるか上空に小さな黒い影が。そして豆粒のように小さかった黒い影が段々と大きくなっていく。

 

「おじさまー!」

 

 赤いリボンのついた白い帽子で覆った、色素の薄い金髪をなびかせている少女。その少女は赤と白色でできた西洋風の服で小さな体を覆い、白く綺麗な肌で包まれた顔には二つの紅の瞳がくっ付いている。

 それはフランだった。どうやらフランはダリスのことを「おじさま」と呼んでいるらしい。ハンターに対して吸血鬼が「おじさま」とは何とも奇妙な関係だ。

 フランは遥か上空に飛び出しダリスに向けて一直線に向かってくる、というより落ちてくる。その勢いで思いっきりダリスに抱きつこうというのだろうが、飛び降りてきた勢いで抱きつくには少々高すぎる。例えフランのような小さな子供でもただではすまないだろう。

 しかしダリスは上空から降ってくるフランの両脇を何事も無いようにがっしりと受け止めた。

 

「ぐはぁ!」

 

 とは、当然だ。飛び降りる勢いで思いっきり両脇をがっしりと抱えられたのだ。クッションも無しに岩にぶつけられたようなもの。その衝撃は計り知れない。

 頭がもげんばかりに頭を振ってキャッチされるフラン。しかしさすがは吸血鬼だ。そんな事たいしたことではないのだろう。いつもの事と息を整える。

 

「出たな悪ガキ」

「ゲホッ……ふふふ、久しぶり! おじさま!」

「ははは、元気そうでなによりだ」

 

 ダリスも別段驚く様子もなくあっけらかんとしている。唯一驚いているのは後ろに弟子のように付いてくる少年だけだ。

 

「あ、あの、おじさま?」

「ん?」

 

 しかし恋する乙女は盲目だ。そんな少年など気にもせずダリスに喋りかける。

 

「おじさまの手が私のお胸に当たってる」

 

 ダリスは今フランの両脇を両手で持ち上げている形になっている。その手が胸に当たっているとフランは抗議しているのだろう。その抗議はもじもじしながら、更に顔を赤らめて行われている。しかも牙を出してニヤニヤしているので演技だということがばればれだ。きっとダリスの慌てふためく所が見たいのだろうがそうはいかなかった。

 

「あ? 胸? あったのか、気付かなかった」

 

 だからダリスは冷静に対応する。そしてこれもいつもの事なのだろう。ダリスもつられてニヤリと笑う。

 だがそんな事を思っているのはダリスだけだったらしい。

 

「むっ」

 

 フランは驚きもせず、さらに動揺もせずに言い放つダリスに鬼の形相で中指を立てて悪態をついてくる。しかしそんな子供のやることにやはりダリスは動じはしない。フランの悪態に笑いで返しながら慣れたようにフランを肩車させてやる。

 フランはダリスの頭に抱きつくように手を回し頭の上に顎をぴたり。フランの手で目が見えにくそうだがなんともしっくり来る光景だ。これも恐らくいつもの事なのだろう。

 

「あ、おじさま」

「ん?」

「私の太ももがおじさまに当たってる、これって痴漢だよね?」

「うるせぇ、振り落とすぞ」

 

 いけしゃあしゃあとそんな事を言ってくるフランにいつまでもかまっていられない、とばかりに言い捨てる。

 

「あ、おじさま」

 

 しかしフランもこれで終わりはしない。

 

「今度は何だ?」

 

 ダリスはまたか、とだるそうに吐き捨てるが今度は何の恥じらいもなく、こんな事を言い出した。

 

「私のパンツが……当たってる、キャハッ」

 

ガンッ

 

 気付けばフランは投げ飛ばされ弟子の横に置いてあった樽に逆さになって突っ込んでいた。

 

「あ、悪い。つい」

 

 弟子はびっくりしながら慌ててパンツ丸出しになっているフランを樽から引っ張り出す。引っ張り出されたフランは弟子にお礼も言わず、ダリスを見るや否や鬼の形相で詰め寄って来た。

 

「お・じ・さ・まっ!」

 

 ずかずかとダリスに歩み寄り、文句を言うフラン、対してそれをなだめるダリス。

 その光景を眺めていた弟子はほっとため息をついて落ち着いている。それもそうだろう。ダリスの粗暴な吸血鬼の扱いに驚かないわけが無い。平和条約を結んでいるとはいえ、ひょんな事からその条約は壊れてしまう事がある。些細な事で本当に小さなことで戦争にまでなってしまう事だってあるのだ。だがその二人のやり取りを見てみると心配する事はないだろう。

 と不意にその弟子が何かに気付いたように目を丸くする。そして二歩、三歩と後ずさりすると慌てて何処かに行ってしまった。

 

「ん?」

 

 フランはダリスの体の横から走り去っていく弟子の後姿を目で捉える。

 

(弟子が逃げてった?もしかして私のサプライズが……)

 

 数瞬の間その弟子を黙らせようかと思案したフランだが

 

(まあいっか、どっかいったし)

 

 と、そんな弟子を特に気にもしないフラン。そんな事よりもダリスの女性に対しての粗暴な行動を非難するので忙しかった。女性とはなんであるかをくどくどとダリスに叩き込んでやらねばと思っていたのだ。

 ダリスはそんなフランをなだめるのに精一杯だった。

 

「だいたいだなぁ、お前が変な事ばかり言ってるからだぞ?」

「ふん!」

 

 フランはご機嫌斜めだ。それもそうだろう。フランのようないたいけな少女を捕まえて放り投げ、樽にストン、だ。フランが怒り狂うのも分からないでもない。

 もしここでフランの機嫌を損なえば吸血鬼と人間の関係が悪化してしまう、何てことはないだろうがフランの説教をいつまでも聴いているわけにもいかない。

 ダリスは荷物の中からごそごそと何かを取り出した。

 

「……まあ、機嫌直せよ。ほら、欲しがっていた兎のぬいぐるみだ。探したんだぞ?」

 

 するとさっきまで不機嫌だったフランの顔はすぐさま満面の笑みに変わる。

 ダリスの手には白い兎のぬいぐるみ。それは吸血鬼の町にはなく、フランが前々からずっと欲しい欲しいとダリスに頼んでいたものだった。

 

「わー! わー! ありがとう! やっほーい!」

 

 フランはよほど嬉しかったのだろう。宝物でも見つけたかのようにぬいぐるみを天に掲げ踊っている。そしてくるくる回ってぎゅっとぬいぐるみを抱きしめる。

 なんとも微笑ましい光景である。もちろんダリスはそれを見て満足顔だ。

 

「どう致しまして」(やっぱガキだな)

 

 とさっきまで機嫌が悪かったのにもう上機嫌なフランに、大袈裟に、女王陛下にでも挨拶するかのように胸に手を当てて深々とお辞儀をする。

 

「苦しゅうないぞ」(後でこれをネタにもっとねだってやろっと)

 

 とフランもそれに乗っかって胸を張り、女王さまごっこに付き合ってやる。

 両者、裏にある黒い感情を押し込めつつ、フランはダリスの肩によじ登り、兎をクッション代わりにしてダリスの頭に乗せる。

 兎のぬいぐるみの感触が心地よかったのか、フランは実に気持ちよさそうだ。今にも眠ってしまいそうな程気持ちよさそうに目を細める。

 ダリスは一言寝るなよ、と一応忠告しておいた。前によだれを垂らされ、髪の毛がカピカピになった事があるのだ。その時、この町の長に腹を抱えて笑われてしまった。今度寝たらカピカピになるのは兎のぬいぐるみなのだが。

 

「寝ないもーん」

 

 ダリスはフランを肩に乗せたまま、城に住む吸血鬼の長に軽く挨拶する。その長も肩に乗っかっているフランを笑いながら見ただけで特に何も言わなかった。この光景はこの町ではもう当たり前なのだろう。

 軽く挨拶をすませ、二人は城の庭の外灯の光が当たるベンチで一息ついていた。この時代に電気などないのだが、それは吸血鬼たちの古くから伝わる知恵である。

 吸血鬼たちはとても長生きだ。知識をほぼ全て蓄積し使用し更に進化させる事もできるのだ。だから人を見下し家畜同然としか見ておらず関心は薄い。ダリスが来た時の町の反応はそういう事からもきているのかもしれない。

 外灯が当たるそのベンチにダリスは腰を下ろし、その隣にはもちろんフランも座っている。フランは最近あったいろいろな事をダリスに話していた。

 

「でねぇ、おねぇちゃんのお腹に穴開いちゃって、さっき飲んだ紅茶がぴゅーって出てきちゃって、もう爆笑だよね」

「はは、笑えない冗談だな」

 

 などと物騒な事をぺらぺらと喋っている。傍から見たら学校で何があったかを得意げに話す娘と父だろう。と、そんな事を言うとまたフランの機嫌が悪くなるだろうからダリスは言わない。

 

「冗談じゃないよ? 吸血鬼ならこんなの普通だよ。すぐ直っちゃうし。おじさまも吸血鬼になったらいいのに」

 

 吸血鬼にどうやってなるのかは置いておいて、その言葉に少し表情を曇らせるダリス。ダリスは片眉を吊り上げ複雑そうな面持ちでフランに問いかける。

 

「なあ、フラン」

「何?」

「お前は俺が嫌いじゃないのか?」

「なんで?」

「俺はハンターだぞ? 今までに何人も吸血鬼を殺してきた。未だにあちこちから殺気が感じられる」

 

 ダリスは少し辺りを見渡しながら言う。

 この城は孤児院としても使われている。この庭もこの日の当たらない時間は子供達が遊んでいるのだが皆ハンターを怖がって城の中に隠れている。そしてところどころ、隙間から赤い目が覗いている、と言うよりも睨み付けていると表現する方が正しい。それは殺気とも憎悪とも取れるような痛く突き刺さる視線だった。もしかしたらダリスに両親を殺された子供達もいるのかもしれない。

 レミリアに限っては暢気に紅茶を飲みながら城の一室から二人の事を見下ろしているが。その皆が嫌っているハンターとフランは何事もないように話している光景はやはり妙なのだろう。

 

「私は好きだよ」

 

 だからそんなフランの言葉に面食らう、という事はもう無いが実際、最初ダリスは驚いたものだった。吸血鬼が自分の命を狙うハンターに好意をもつなんて、と。

 こんなフランの態度に慣れたといえばもう慣れたダリス。だから少し立ち入った質問をしてみる事にした。

 

「お前の両親は何も言わないのか?」

「いないよ」

「なに?」

 

 と、ダリスはとっさに聞き返してしまう。

 女性の過去を詮索するなんて野暮な事だとよく言われる。そしてこれはその典型、失敗だったらしい。長い寿命を持つ吸血鬼がこの年代の吸血鬼を置いていなくなるということはつまり

 

「ハンターに殺されちゃった」

 

 それしかない。恐らくこの城に住んでいる子供達のほとんどがその部類だろう。しかしそれでも不思議な事にフランは笑顔のままだった。

 

「……そうか、すまん、変なことを聞いた」

 

 そういえばフランはこの城の近くでよく見るなと、今更思い出すダリス。フランはこの城であり、孤児院でもある場所で暮らしているのだ。ダリスは今まで何処かの家から勝手に付いて来ているものだとばかり思っていたのだ。

 

「あははは」

 

 謝った事もフランは気にしていない様子。どうやらそういう湿っぽい話はしたくないのだろう。親が死んで何年経つか、フランは吸血鬼なので分からないがこれは芝居などではなく無理に笑っているという様子でもない。

 だからダリスも湿っぽいのは嫌いなのでそのまま自然に会話をつなげる事にする。

 

「ならなおさら嫌いになるだろ? 俺はそのハンターだぞ?」

「嫌いじゃないよ。お父様とお母様も言ってたもん。人間を嫌ったり憎んじゃいけないって」

「へぇ、珍しいな」

 

 ダリスは素で関心してしまった。そんな事を子供に言い聞かせる吸血鬼がいるのかと。ハンターに命を狙われながらも尚、そんな言葉が出てくるのかと。

 

「だって人間無しでは私達は生きていけないんだもん」

「ま、まあそりゃそうなんだが……」

 

 フランはまっすぐにダリスを赤い瞳で見つめながら嬉々として話す。

 それは恐らくフランの母が人間である事を説明している時に出た文言だろう。もちろんダリスはそんな事を知る由もない。

 だからそんなあたりまえの意見に少しがっかり、しかし真面目にそんな事を言うフランが少し面白いので、がっかりしているのか笑っているか分からないような、微妙な表情が出来上がってしまった。

 ダリスはその微妙な表情を直す為にそっぽを向いてカリカリと頬を掻いて表情を変える。

 

「でも」

 

 表情を直しているダリスから視線をおろし少し声の調子を下げたフラン。フランの異変に気付きダリスは頬を掻きながらフランを横目で追う。

 

「そのせいで人間から嫌われることをいつも嘆いてた」

 

 フランの横顔は何処か懐かしむように、そして寂しそうだった。だからその後に出てくるフランの言葉と表情にダリスは目を丸くする。

 

「人間と吸血鬼が一緒に暮らせる日が来ればいいのにって」

「それは……」

 

 それは吸血鬼と人間の間を取り持つ親善大使であり、ハンターの隊長でもあるダリスが描く理想と全く同じだった。

 それに気付いたダリスにフランがニヤリと牙を見せて笑った。

 ダリスはしまったと思った。しかしフランはニッと両方のまだ幼い牙が見えるくらいに笑う。

 

「そう! おじさまと一緒! 私はお母様とお父様のこと大好きだったよ? だから私はおじさまが好きなんだよ!」

 

 これが言いたかったのだろう。二カッと白い歯と立派な八重歯を見せて笑うフラン。

 

「っ!」

 

 全く何処の誰がこんな方法を教えたのか。しかしそんなまだ子供のフランの満面の笑みにダリスは思わずドキッとしてしまった。

 見た目は子供、しかしその実、ダリスと同じかそれ以上の人生を送っている。そのあどけない表情に大人の色気が見え隠れしていたのだ。

 だからダリスはすぐにそっぽを向いてフランに勘ぐられるのを防ぐ。

 よほどの自信があったスマイルだったのだろう。そっぽを向いてしまったダリスを見て不服そうに口を尖らせ前に向き直るフラン。

 

「でも、おじさま以外の人間はまだ……好きになれないけど……」

 

 今度は少し口を尖らせて小さく呟いて拗ねた仕草をする。儚げに見えるその姿も計算のうちならば相当のものだがそんな駆け引ができる程フランは大人ではない。

 

「そうかぃ」

 

 ダリスはそう笑ってフランの頭に手を載せてワシャワシャとなでてやるのだった。女の子の頭を撫でるには少し乱暴で理想とは少し違うのだろうが、フランもフランで嬉しそうだった。きっとこれもいつもの事、なのだろう。それは人間と吸血鬼という不思議で、奇妙で、そして何とも和やかな時間だった。

 

 

 

 

「私ね、大きくなったらおじさまと結婚してあげてもいいよ」

「まだガキの癖に寝ぼけたこと言ってんじゃねぇよ」

 

 そしてまたいつものようにフランの逆セクハラ的な言葉が出てくるがダリスはもういつもの事なのでもう驚きはしない。しかしそんなダリスに今日のフランは食い下がる。

 

「ガキじゃないもん! おじさまより年上の熟女だもん!」

 

 ガクリと肩を落とすダリス。さすがにその幼すぎる口からは想像もしていなかった言葉だった。

 

「そんな言葉、一体何処で覚えたんだ?」

「おねぇさまが言ってたもん!」

「ああ……はは……」(あの子か……)

 

 ダリスは妙に納得してしまった。

 レミリアは子供のなりだが何処か大人びたしっかりした印象を持っていた。幼い頃から高位の吸血鬼について回っていたせいでマナーや礼儀、言葉遣いに対してはほぼ完璧だった。だからダリスもフランとは違い大人として一目置いていた。フランはそれに不服そうだったが。

 ふと上を見ると城の窓からこちらを見下ろしているレミリアがいた。レミリアもその視線に気付いてか笑顔で手を振り返してくる。手を一度振るたびにダリスの顔がだんだん引きつっていくのは言うまでもない。

 しかし、今はそんな事よりもまた駄々をこねているフランの機嫌を直す事が先決だ。

 毎度毎度このようなフランの非難にあうダリスは対策を用意していた。

 

「まあまあ、これをやるから機嫌直せよ、飴だ」

 

 これもぬいぐるみ同様、吸血鬼の町には無いものだ。だから密かに吸血鬼の子供達には大人気だった。

 

「わー! ありがとう!」

「あはははは、やっぱガキだ」

 

 熟女やら結婚やらとおませなフランがこうもあっさり、ただの飴玉で機嫌が直るので思わず、というか思いっきり腹を抱えて笑ってしまうダリス。

 

「む~」

 

 もちろんフランはしまったとばかりに眉を歪ませ、飴を口に入れた頬をパンパンに膨らませてダリスを睨みつけている。そして激昂したフランはあろうことか笑って大口を開けているダリスの口に思いっきり、ありったけの力を込めて飴をぶち込んだのだ。

 

「ぐっ!? グハッ!? ゲホッゲホッ……」

 

 飴を思いっきりぶち込まれたダリスはたまった物ではない。喉を押さえ大の大人がのた打ち回って苦しんでいる。

 喉の奥へ直撃した飴玉はそのまま飲み込んでしまった。その勢いは下手をしたら喉を突き破って死んでしまう勢い。苦しがるダリスを尻目に何故かフランは恍惚の表情で目をらんらんと輝かせている。

 

「こ、これが間接ディープキスってやつね!」

 

 フランはもじもじしながら両手を赤らめた頬に当て、なにやらはしゃいでいる。

 

「ば、バカヤロウ! げほっ……あんな勢いで飴を吐き出すんじゃねぇ! 下手すりゃ死ぬ!」

「ふんっ」

 

 フランはそんなダリスを心配するそぶりも無く顔を背ける。さっきまではしゃいでた態度とは一転してツンとした態度に戻る。全く、よく表情が変わる娘だとダリスはため息混じりに思う。

 

「私……」

 

 と聞こえたかと思うと頬を赤らめ、目を涙で滲ませたフランがうつむきがちに

 

「本気だもん……」

 

 などと言うものだからまたしてもダリスはドキッとさせられる。

 少し震えている。恐らく演技ではない。つまりフランの言う本気は本気の本気だろう。ここで茶化したらどうなるか。襲ってくるならまだいいが大泣きされるのは困る。それならまだしもそのまま無言でどこかへ行かれるのはもっと辛いものがある。

 ダリスは慎重に言葉を選ぶ事にする。

 

「お、大きくなったらか?」

「う、うん!」

 

 やっと真面目に取り合ってくれたからか、若干機嫌が直るフラン。フランが大きくなったらと思うと末恐ろしい魔女になるだろうなと、ダリスは身にしみて思い、逆にどれくらいの時間が必要なのだろうか、と考えてみた。

 

「俺は生きてっかな」

 

 だからそんな一言を呟いてみたのだった。人間と吸血鬼の寿命は違うのだ。

 

「え~……じゃあおじさまもやっぱり吸血鬼になったらいいんだよ」

「はっ、太陽と一生お別れなんてごめんだな」

 

 と、一笑に付せたのもつかの間だった。

 

「じゃあ私がおじさまの太陽になってあげる」

 

 またしても何処かで聞いたような臭い台詞を吐き出した。

 

「……おまえなぁ……何処で」

 

もう予想はつくがとりあえず視線を上げると気付いたレミリアがウィンクしてきた。ダリスはあきれて笑うしかない。

 

「今すぐにでもいいよ?」

 

 だがフランの攻めはまだまだ続く。

 

「俺がロリコンって思われるだろ?」

 

 攻めてくるなら守りを固めるしかない。その守りで鉄壁の防御を誇るその言葉をダリスは言い放った。それにはフランはいつも困り顔で唸るのだ。

 長い年月をかけなければ色気のある吸血鬼にはなれない。時間だけはどうする事もできないのだから。

 

「む~、いつもおじさまは私をガキ扱いするけど私だってちゃんと成長してるんだよ?」

「ふ~ん、そのつるぺたの体でいうのか」

 

 そう切り返してケラケラと笑い出すダリス。体で女性を判断するとは人間として最低である。

 だからフランも暖めておいた策を披露する。

 

「ほら!」

「ん?」

 

 ベンチから飛び降り、ダリスに背中を見せるようにスカートをなびかせてくるっと回る。

 

「羽だって生えてきたんだから!」

 

 レミリアには立派な羽が生えている。そしてダリスはレミリアには一目置いている節がある。そこから推測して自分にも一目置けという事だろう。

 よく見るとフランの背中に小さな羽根が二つ、ひょっこり顔を覗かせている。しかし不思議な事にフランの言うその羽は普通の羽とは違う異形の形をしている。とても小さな羽に緑色の綺麗なランタンのようなものが一つくっついている。

 

「こ、これは……」

「えへへ、驚いた?」

 

 フランの言葉が言霊となってダリスを驚かせ、更に凍りつかせた。その比喩がこれ以上当てはまるものがないくらいにダリスは口をぽかんと開けたまま動かなくなってしまった。

 これは別にダリスがオーバーリアクションをしているわけではない。

ダリスがこれほどまでに固まってしまうには訳があったのだ。この出来事がきっかけでこの微笑ましいダリスとフランの関係、更には人間と吸血鬼の関係が脆くも崩れ去ってしまうことになるのだから。

 



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第七話 回想編 ~死闘~

「どうしたのおじさま?」

 

 予想以上に驚き、そして成長したなと一向に褒めてくれないダリス。

 

「何か言ってよっ」

 

 いくらなんでも驚きすぎだと、フランはしかめっ面で抗議する。

 ダリスはフランのその抗議で小さく弾かれたようにビクリ。現実に引き戻され、すぐさま聞き返す。

 

「あ、ああ……その羽は?」

「ふふーん、綺麗でしょ? スコシ前に生えてきたんだぁ~。ちょっと変な形だけど」

 

 と自信満々に無い胸を張って言うフラン。だがこれはダリスにとって、そして吸血鬼にとって非常にまずい事態になる火種に他ならなかった。

 ダリスは現状を確かめるため、まず片膝をつく。

 フランは褒めてもらえると思ったのかダリスの方に向き直り満面の笑みをダリスに向ける。しかしダリスの表情はそんなフランのささやかな願望を叶えるにはあまりにも険しすぎた。

 ダリスはフランの細い両肩に手を掛け、目を見る。これはまじめな話だという雰囲気を作り出すためだ。普段がこんな様子だから冗談で流されてしまうかもしれない。それだけ現状は時間がないということだ。

 

「おじさま?」

 

 流石にフランもその雰囲気を察したのか、少し困惑気味だ。

 ダリスは気後れ気味のフランにゆっくり、しかし力強く話す。

 

「フラン、これを……この羽を教会の人間の誰かに見られたか?」

「う、うん……おじさま」

「違うっ、俺以外だっ」

 

 あせるダリスは語尾が強くならないように努めているがどうしても、事態が事態なだけに怒鳴るようになってしまう。

 そんな真剣なダリスに少し怯えつつもフランは答える。

 

「おじさまの弟子が……見てたかも……でも驚いてどっか行っちゃった。なんで?」

「弟子?……あいつかっ……なんてことだ……」

 

 とダリスは独り言のようにぶつぶつと喋っている。ダリスは軽く首を振ってフランのいう弟子の姿を探すが見当たらない。

 フランが弟子だと思っていた少年。実はダリスが吸血鬼側に不等な契約を結ばないように派遣された、教会が送り込んだ監査役だった。ダリスは軍人で交渉にはあまりむかない。公平を欠く条約を結んだり、話を進めたりしないようにするために送り込まれたのだ。

 その監査役にフランの羽を見られたことで事態は急速に悪化することになる。

 ダリスはフランに話すため、俯いていたせいで、目にかかってた前髪をなで上げるように額に手を当てる。

 

「……他の吸血鬼に誰にも見せるなとは言われなかったのか!?」

 

 焦って怒鳴ってしまうダリスに、フランは恐る恐る頷くことしか出来ずにいる。

 

「吸血鬼の間で伝説は継承されていないというのか……」

 

 小さく呟いてダリスはレミリアを見上げる。レミリアも何の事かよく分からないといったふうに首をかしげている。

 

「おじさ――」

「見られたのはいつだ」

「……今日、おじさまが来て……すぐ」

「なっ……くそっ、なんで気づかなかったんだ!」

 

 と自問自答するダリス。羽はとても小さい。しかもその羽はフランが意図して黙って隠していたのだ。気付くはずがなかった。

 

「お、おじ……さ」

 

 フランは訳が分からずもうどうしたらいいのか分からなかった。もうダリスのことを呼ぶ事もままならないほどに。分かることは恐らく羽を褒めてもらえないということだけだ。

 ダリスの様子は尋常ではない。

 

「すぐ追いかけなければ!」

 

 事態を把握したダリスは急いで立ち上がり、すぐさまこの城を出て行こうとする。

 

「ど、どうしてっ? 今日はずっといるってっ――」

 

 現状を把握できないフランは目の前の現実だけを見て判断するしかない。だから素直にダリスが何処かに行ってしまうことを何とかして止めようとする。だがフランの儚い願望はダリスの一言で打ち砕かれた。

 

「フラン!」

 

 ダリスは自分を止めようと身を乗り出すフランの肩を掴み止め、真剣な表情でフランを見つめる。

 

「すぐ戻る、と言いたいがもし私が戻らない場合、いや……」

 

 更にそんなフランに追い討ちをかけるようにダリスが信じられない言葉を吐く。一人称を俺から私に変えて。

 

「教会が攻めてきた場合に備えて」

 

 これにはさすがのフランも目を丸くする。

 フランの両親はハンターに殺されている。そのような事が起きないようにと連れてこられた平和協定を結んでいるこの町に教会が攻めてくるなどありえないからだ。

 

「おじさま? 何言って」

 

 それはありえないとフランでも若干笑ってしまうくらいに漠然とした事。しかしそれは平和協定の表面だけしか知らないフランの考え。

 

「聞くんだ! このままではお前は殺される! いや……それよりも恐ろしい実験体にされるかもしれない! もし教会が攻めてきたら姉さんと共に逃げなさい! 分かったな!?」

 

 ダリスは問答無用で、フランに有無を言わさない。それはフランにとって理解しがたい事ばかりだ。

 それに殺される、実験体にされるとは一体何なのか。

 教会と吸血鬼の内情を知らないフランにはダリスの険しい表情以外に危機感を持てる理由が無かった。

 

「なんで――」

「なんでもだ!」

 

 いつまでも危機感をもてないフランに苛立ちを覚えるダリス。いつまでも聞き分けの無い子を叱りつける様に怒鳴り散らす。

 聞き分けのない子はかわいそうに、ビクリと体をすくませて小さく悲鳴を上げた。

 ダリスはゆっくり説明してやりたいがそんな時間もなく、更に説明せずにフランを納得させる事が難しい。それがもどかしかった。

 しかしどんな理由であれこんな小さな子供を怒鳴り散らしていいはずがない。

 

「す、すまない……」

 

 だからびくつくフランを見て我に返ったのか、ダリスはまた額に手を当て、罰が悪そうに短く謝罪する。

 

「とにかくここは危険かもしれない。いつでも逃げられる準備をしておくんだ」

「う、うん……」

 

 フランは頷く。いや頷かされたという方が正しいだろう。それ以外の選択肢を選ぶ事はフランには出来なかった。

 

「じゃあ俺は行く」

 

 ダリスは立ち上がると踵を返しそそくさと町の外へ向かう。

 

「おじさま!」

「ん?」

 

 フランがそんなダリスを呼び止める。ダリスが戻らない場合、などと言うからこのまま一生会えなくなるかもしれないと感じたのだろう。

 ダリスは振り返らず首だけを傾け、肩越しにフランを見る。

 フランは兎のぬいぐるみをきつく抱きしめていた。しかし俯いてダリスは見てはいない。

 

「おじさまは……すぐ帰ってくるよね……?」

 

 またダリスに会いたいという一途な思い。最初の強烈な抱擁も然り、行き過ぎたセクハラ発言も然り、フランは本当にダリスが好きなのだろう。

 だがフランの顔に笑みはない。恐らくダリスの返答に希望がもてないからだ。

 実際、ダリスは何かを考えるように黙りこくったまま。

 ぬいぐるみの形が徐々に歪んでいく。形が変形してもどらなくなってしまう程に。それは俯いたフランのよく見えない表情を映し出した鏡のよう。

 その様を見てダリスは一度目を瞑り小さなため息と共にゆっくりと振り返る。

 それに気付き、フランも恐る恐る顔を上げる。

 

「ああ。すぐ帰ってくる。だから心配するな」

 

 しばらくの沈黙の後発せられたその返事はダリスも顔に笑みを浮かべていった。それにフランの曇った顔はすぐに晴れた。

 

「約束だよ!?」

「ああ、約束だ」

 

 ダリスは白い歯を見せて笑いながらフランの不安を解消してやる。ダリスは嬉しそうなフランとしばし見つめ合う、とすぐに踵を返して歩き出す。そして一言。

 

「じゃあ、またな」

 

 手を振るダリスにに元気よく返事を返すフラン。

 

「うん!」

 

 ダリスは軽く顔を上げると上から見下ろしていたレミリアと視線がかち合った。その表情には先程フランに送った笑みはない。

 

「フランを頼む」

 

 口には出してはいないがレミリアにそう懇願しているような目。更に表情は険しく、厳しい。

 フランはフランで行ってしまうダリスを寂しそうな表情で見つめている。兎のぬいぐるみを抱きしめ外灯の明かりを受けながらダリスの姿が見えなくなるまでずっと立ち尽くしていたのだった。

 

 

 

 二日後の早朝、その町は吸血鬼の集団狩りにあった。

 

 ハンター達は怪しげな術を使い吸血鬼達を殺しに殺した。泣いて叫んで許しを請おうが容赦なく、胸には銀の杭を打ち込まれていく。

 

 朝という事もあり、戦いの最中運悪く日向に出てしまったが最後、激しい苦痛にもだえながらハンターに殺されていく吸血鬼。

 

 家という家には火が放たれ、中にいては火あぶり、外に出れば日光の餌食。

 

 パチパチと物が焼ける音。気付けば辺り一面が焼け野原。

 

 まさに戦争だった。いや、戦争と呼べるものなのかどうかも怪しい一方的な蹂躙。平和協定を結んでいた事もあり吸血鬼は何の対策もしていなかった。

 

 そんな吸血鬼の町はたやすくハンター達の手に落ちていった。

 

 唯一火の被害を受けなかったのは石造りの、レミリアとフランがいる孤児院でもある城だけだった。

 

 その城にはハンター達が攻め入るしかなく日光や火の被害もないので対等に戦えるのだが、数の上で圧倒的不利にあった。孤児院という事もあり大人は少なく、結果は目に見えている。女子供も容赦なく殺されていく。

 

 そんな中、フランとレミリアは城の一室に篭っていた。家具の物陰に隠れ入って来たハンターを殺し窓から投げ捨てる、という事を繰り返していた。

 

 どのくらい時間が経っただろうか。もう日が暮れて今なら外に出ても日を浴びる心配もない。逃げるなら今だ。

 しかしレミリアとフランは未だに城に閉じこもっていた。

 

「フラン! もうこれ以上ここにいるのは危険よ! 早く逃げるわよ!」

 

 たった今ハンターを紅の槍で突き殺したレミリアがもう限界だとばかりに叫ぶ。

 

「だめだよ! おじさまが戻るまで私待ってる!」

 

 フランは白い兎を抱きしめながら叫び返す。

 二人が逃げずにいるのはこれが原因だった。

 約束したのだ。ダリスは戻ると約束してくれたのだ。だからフランはずっと待っていた。レミリアはそんなフランを放っておく事ができず、城に篭っていたのだ。

 今は城の別の場所で立て篭っているこの町の長に目が向いている。そのためフラン達のいる場所はまだ比較的安全と言えた。

 しかしもう限界だった。うすうすとハンター達に感づかれているのだ。長がやられてしまったのか、昼間とは違い部屋に入ってくるハンターの数が増えてきている。

 一人、二人と入ったところでレミリアは負けはしないだろう。だが三人、四人と増えていけばいずれやられてしまう。

 そしてレミリアの体力も尽き始めてきている。だからその前に逃げなければならない。そのリミットが迫ってきていたのだ。

 

「ダリスは教会側の人間よ! 殺しに来ることはあっても助けに来ることはないわ!」

 

 肩で息をしながらレミリアはハンターを窓から落とし、後がないこともあって語尾を強くしてフランを怒鳴る。

 

「そんなことない!」

「聞き分けなさいフラン! このままじゃ私達も――」

 

 その会話の途中でレミリアは後ろに気配を感じた。

 レミリアは急いで後ろを振り返る。今の状況で吸血鬼の増援が来るとは考えにくい。

 

「くっ」

 

 ハンターだった。

 部屋の入り口に教会の服を着てフードをすっぽりかぶっているハンターが一人。

 子供二人と甘く見たのか幸いな事に仲間を呼ぶ気配はない。

 一歩ハンターの足が部屋に踏み入れられるとほぼ同時、金属が擦れ合い響く音がレミリア達の部屋に反響する。ハンターの腰に備え付けられた銀の剣が引き抜かれたのだ。

 ハンターは数歩進んだあと身を低くする。そして踏み込んだ。

 

「フランっ、下がってなさいっ」

「う、うん……」

 

 ハンターとフランの間に立つレミリア。手には紅の槍を持って。対するは剣を振りかざし、襲い掛かってくるハンター。

 かなり広い部類にあたる部屋。ハンターとはまだかなりの距離がある。接近してわざわざ危ない橋を渡る必要もない。レミリアは手に持っている槍を思いっきり投げつける。

 だが槍はレミリアの思惑を外れてハンターの横をすり抜けていく。

 それが以外だったのかハンターは警戒して足を止めて構える。レミリアは続いて手に槍を出現させてまたそれを投げつける。が、槍はハンターの横をすり抜けて行くだけ。

 体力の限界だった。槍投げは繊細なコントロールを必要とする。レミリアの腕も軽く痙攣していた。

 もう槍投げは使えないだろうと思われたその時。

 

「おねぇちゃん! これ!」

 

 フランがレミリアに何かを投げ渡す。レミリアはそれを片手で受け取ると眉 をしかめてしまう。

 

「ふ、フリ○ク?」

 

 レミリアはそれをいぶかしげに見つめた後フランをチラリ。

 

「集中力が増すんだって! おじさまにもらったの!」

「そう……」

 

 フランは真剣だ。フリス○が本当に効くと思っているのだろう。

 

「でも、おじさまはもうこないわよ?」

「くるよ、絶対助けに来てくれる」

 

 そう言い切るフランの表情は曇りない笑顔だ。その手にはしっかりと兎のぬいぐるみが抱かれている。

 フランの心情をさりげなく確かめてみたレミリアだがその意思は揺ぎ無いようだ。それを見てレミリア舌を打ちたかっただろうがフランの笑顔がそれをため息に変える。

 

「……わかったわ。ならそのぬいぐるみを大事に抱えておきなさい!」

「うん! おねえちゃん! きたよ!」

 

 レミリアは一粒食べる。それは目が覚めるような味だった。そしてすぐさま向かってくるハンターに思いっきり槍を投げつけた。

 槍はまっすぐハンターに、今までよりも格段に速いスピードでハンターに向かっていく。先程とは違い、その軌跡の延長上にハンターを捉えている。

 

 ドカッ!

 

 今までにない勢いでハンターに向かっていった槍は思いっきり上方に進路を変えて跳んでいった。更に天井を盛大に突き破り、ぽっかりと大きな穴を開けて。

 そこには夜空が。その夜空には大きな満月が赤色に染まって怪しく光を放っている。

 その光景を呆然と眺めるレミリアとハンター。二人は開いた口が塞がらない。唯一、フランだけは何やら目新しいものを見て興奮してるといった様に目を輝かせている。

 

「こ、こうなったら、接近戦よ!」

 

 レミリアは気を取り直し、今度は少し短めの槍を出現させる。気を取り直したハンターも距離をつめてくる。

 フランに近づけさせるわけにはいかない。レミリアも打って出る。

 二人の距離がみるみるうちに縮まってついに互いが互いの間に入り込む。

 先手はハンターの剣。だがレミリアはハンターの初撃をかわし思いっきり槍を突く。しかし剣を降った手を軸に上手く体をひねり、レミリアの突きをかわすハンター。そしてハンターは剣を振りかざす。避けられたレミリアは今無防備状態だ。

 だがレミリアも何の考えも無しに突っ込むほど馬鹿ではない。レミリアの弾幕が保険でセットされていた。

 それに気付いたハンターは一歩引き、剣をヒュンヒュンと二回ほどすばやく振り抜くとレミリアの弾幕を斬り落とした。

 

「んなっ」

 

 その鮮やかな芸当に一瞬、目を奪われるレミリア。その隙をついてハンターがレミリアとの距離をつめる。

 

ヒュンッ

 

 横一閃。ハンターの剣がレミリアの体を二つに切り裂いた。様に見えた。レミリアの体は二つには切れていなかった。だが上半身はない。いや、上半身が見えないほどに思いっきり身を低くしていたのだ。ハンターとの体格差はかなりある。その体格差で更に思いっきり身を低くされたら振られた剣は空を斬るしかない。

 レミリアは身を低く、しかし頭は上を向いて紅の瞳は標的を逃さない。

ハンターはよほどの自信があったのだろう。大きな自信を込めて放った剣は空を切った。自信がなくなったハンターの体はとても脆い。 

 もちろんその隙を逃すレミリアではない。レミリアは片手で床を叩き、跳ね上がるように体を起こす。槍の切先はハンターの胸に定められて。

 

「くっ」

「終わりよ」

 

 ハンターの服が無重力になったように膨らんだ。ハンターがすばやく身を引いたのだ。

 しかしもう間に合わない。引いたハンターを逃すまいとレミリアがしっかり着いていっている。

 仕留めた。

 レミリアがそう確信した瞬間だった。

 

「えっ!?」

 

 レミリアはまるで妖術にでもかかったかのようにピタリと動きを止めてしまう。

 レミリア同様、もちろんその隙を逃すハンターではない。体勢を整え、空を切った剣を自分の懐にもぐりこませるようにねじ込み、一気に突き出した。

 

「ぐっ」

 

 レミリアの右肩を鈍い音と共にハンターの剣が貫いた。その勢いでレミリアの小さな体が宙を舞う。 

 しかしそれで終わりではない。ハンターの兵法なのだろう。レミリアを襲ったその剣は勢いを殺さず、そのまま床に突き立てられた。レミリアは息が思わず漏れてしまうほど強く、全身を床に叩きつけられる。吸血鬼の弱点、心臓がある胸をあらわにして。

 

「おねぇちゃん!」

 

 フランが叫ぶ。その叫び声はあまりの光景に声が裏返ってしまっている。

 レミリアは肩を剣で貫かれ、更に床に突き刺された事で身動きが取れない。あまつさえ床に叩きつけられた衝撃で呼吸困難を起こし喋る事さえ叶わなかった。

 ハンターはレミリアのまだ動く左腕を制し、もう片方の手で腰に常備されている銀の杭を抜き出して振りかざす。

 吸血鬼の弱点、心臓に打ち込み、止めを刺すつもりだ。

 

「やめてえええええ!」

 

 フランは気がつくと弾幕をハンターに放っていた。ハンターは杭を振り上げた所で予期しなかった弾幕に吹っ飛ばされる。

 

「うわあああああ!」

 

 両親がハンターに殺された時、その場にフランはいなかった。だから自分のよく見知っている吸血鬼が今にも殺されようとしている場面に遭遇したのはこれが初めてだったのだ。

 あまりの衝撃的光景にフランは一歩も動けず固まってしまう、ような子供ではない。勇気を振り絞る。

 体に、心に鞭を打つように叫びながらハンターに迫る。その途中にあったレミリアの肩を貫いている剣をすり抜けざまに抜き取った。

 その際床に倒れ身動きが取れなかったレミリアが剣を抜き取られる時の痛みと共に何が起こっているのか状況を把握する。

 

「ふ、ふらっ……やめなさ――」

 

 すぐに止めろとフランを制止させようと叫ぶが上手く声が出ない。

フランにとっても危険な行為。危ないからやめろという事なのだろうがその警告は少し遅かった。

 フランの持っている剣は見事にハンターの腹部を貫いていた。ハンターはフランに突っ込まれた勢いで壁に激突しずるずるとずり落ちていく。

 

「はぁはぁはぁ……」

「フラン! はなれて!」

 

 フランはハンターの腹に抱きつくような形で一緒に倒れこんでいた。その状態からだとフランの心臓を背中から杭で刺されるかもしれない。

 だが幸いな事に銀の杭はハンターの手を離れころころと床を転がっている。

 

「フラン!」

 

 しつこいくらいにハンターから離れる事を促すレミリア。

 

「大丈夫だよ……もう杭を握れもしな……」

 

 ふと顔を上げてハンターを見る。壁に打ち付けられた衝撃でフードは取れその顔があらわになっていた。顎には無精ひげを蓄え、それから上はよく見たことのある鼻と目。その目にはうつむいた時にいつも引っかかっていた前髪が。

 

「ふぇ?」

 

 だからフランはそんな間の抜けた声を出してしまう。レミリアは歯を食いしばり目を瞑る。

 そのフランの表情をみていられなかったのだ。

 

「おじ……さ……ま?」

 



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第八話 回想偏 ~フラン覚醒~

「でたな……悪ガキ」

 

 ばつの悪そうな顔のダリス。腹にはフランが突いた剣が垂直に突き刺さっている。

 

「元気そうで何よりだ……」

 

 いつも通りを装うダリスの表情は笑顔を装っている。しかしその裏側、と言うよりも装った仮面からはすでに苦痛な表情が見え隠れしている。

 吸血鬼は刺されても、腕を切られたとしても出血は少ない。しかし人間は違う。じわりじわりとダリスの着ている服が刺さった箇所を中心に赤く染まっていく。

 なにか不思議なものでも見るかのように、フランは赤く染まっていくダリスの腹部を瞬き一つせずに見つめている。そして恐る恐る顔を上げれば苦しそうに笑っているダリス。

 

「……どういう……こと」

 

 フランは自分が一番大好きな、恋焦がれ、軽くあしらわれても決してあきらめる事のなかったその男を自分で、自分の手で今まさに刺してしまった。

 しかしそんな事はよくあること。吸血鬼の間ではよくあることなのだ。

本物の槍と本物の剣で戦争ごっこをする子供達。体の一部を切り落としてしまったり、貫いてしまったりしたとしても、傷の度合いにもよるがすぐ元に戻ってしまう。

 しかしダリスは人間だ。吸血鬼の中には人間を「血の詰まった皮袋」と侮蔑の意を込めてそう呼ぶものもいる。それは傷を付ければすぐに吸血鬼達の食料となる血がにじみ出てくるから。それを強く明示するようにダリスの服が真っ赤に染まっていく。

 その時、フランは強烈なめまいに襲われる。服が真っ赤に染まっていくにつれて、それは強くなる。気分が悪くなり今にも吐きそうな、不快なもやが頭に流れ込んでいく。

 フランにこの状況はあまりにも衝撃的過ぎたのだ。

 

「あ……」

 

 視界が回る。ぐるぐると。

 フランはもうどこが天井でどこが床なのか分からない。何か悪い夢でも見ているようなのだろう。視界が傾くにつれ体が徐々に傾いていく。続けて大きくぐらりと視界が傾いていく。このまま倒れ夢の中に落ちてしまった方が何百倍楽だっただろうか。だがそれをダリスが許さなかった。

 

「フランッ!」

 

 倒れそうなフランの体をダリスがしっかりと掴む。

 

「ぐぅっ」

 

 はるか上空から落ちてくるフランを難なく受け止めたダリスだが、今は腹部を貫かれている。小さなフランの体を支える仕草でさえ激痛で思わず声が漏れてしまう程にその傷は深い。

 

「う……あ……」

 

 ダリスによって夢の中へ倒れる事を静止されたフランは頭だけが力なく揺れる。

 意識が朦朧として今にも気を失いそうだ。

今、馬乗りになっているフランの体重はほぼダリスによって支えられている。

 

「フラン……すまない……」

 

 朦朧とする意識から連れ戻せるのはもうダリスの声だけだった。

ダリスの、そんな悲しそうに謝罪の言葉を述べる声でフランの意識は徐々に引き戻される事になる。

 フランは小さな両手をダリスの胸について何とか服を握る。体を固定させどうにか倒れないように。

 しかしまだ意識は朦朧とし、未だ平衡感覚がつかめないでいる。そのせいで腕に力が入る。だからか、それとも悲しいからか、はたまたダリスへの怒りからか、フランの小さな手は小刻みに震えている。

 

「おじ……さま……」

 

 朦朧とする意識の中でフランはようやく言葉をひねり出す。フランが悲しんでいるのか怒っているのか、何を考えているか分からない無表情な声。しかしダリスが着てくれたことへの喜びではない事は確かだ。

 フランが返事した事で安心したのかダリスは少しほっとしたように笑う。そしてそのままの表情で言葉を続ける。

 

「こうするしかなかった」

「……助けに……きてくれたんじゃ……ないの?」

 

 短く言うダリスの一言にダリスにしがみ付くフランの手に更に力がこめられる。

 

「俺はお前を……殺しに来た」

 

 そして衝撃の一言。

 それが気つけ薬となったかのように、フランの目が見開かれ一気に焦点が合う。

 

「何でよ、何で……」

 

 フランは信じられないといった様に首を振る。目からは涙は出ていないがもうすでに声は震えてかすれている。

 

「おじさまは……おじさまは吸血鬼と人間が平和に暮らせるようにってっ」

 

 ダリスの想い描く理想。それは奇しくもフランの両親が描いていた理想と同じだった。

 フランの両親は実現している。その証がフランの存在。

 

「そう言ってたじゃない!!」

 

 フランもダリスとそうなれればと願っていた。それがフランの理想だった。それはダリスの描く理想でもあったはずだ。

 

「なのに何でこんなことするのよ!!」

 

 しかし現実は違っていた。ダリスは銀の杭を握りやってきた。

 ダリスの理想は嘘だったのか、狂言だったのか、フランが語った理想を、心の中では嘲り笑っていたのだろうか。

 

「はは……」

 

 もう豪快に笑う事はできないのだろう。それを聞いてダリスは力なく笑う。

 いつの間にか、フランを支えていた腕すら床に寝そべって動かない。

 

「……今だから言うが、俺の家族は吸血鬼に殺された」

「へ?」

 

 衝撃の事実を連続で聞かされるとこうなるのだろう。フランの顔は目元がピクリと動いただけ。後は口が空いて閉まらなくなったくらい。それ以上変化がなかった。

 そして衝撃の事実の内容は驚いた事に吸血鬼であるフランや長と仲良く話しをしていたダリスの家族はその吸血鬼に殺されていたということ。

 ダリスはそんな驚きの限界にあるフランに容赦なく更に言葉を浴びせかける。

 

「俺は……吸血鬼が……嫌いだった」

 

 ダリスの口が開くたび、フランの中で今までの、自分の恋焦がれていたダリスが音を立てて壊れていく。目の前にいるのは一体誰なのだろうと思わせるくらいに跡形もなく。

 

「いや」

 

 フランの中のダリスを壊していく言葉の行使は止まらない。あまつさえ勢いが増していく。

 

「大嫌いだった」

 

 フランの知っているダリスはもういない。

 

「もうやめて! 聞きたくない!」

 

 フランは頭を抱えてうずくまってしまう。これは悪い夢だ、早く覚めろと、そういう頃合はもうとっくに過ぎた。だからこれ以上、自分の好きな男の口からこんな事を聞きたくなかったのだ。

 

「……憎かった……憎くて憎くて……たまらなかった」

 

 しかし、無情にもダリスの言葉は続く。フランが何度やめろと叫ぼうとダリスはやめなかった。

 だからフランはダリスの胸倉を鷲掴みにする。更に引き寄せようとするがその体格差からフランが引き寄せられてしまう。

 涙がにじみでる紅の目を見開いて、怒りと悲しみで染めた表情で。

 

「だったら! なんで!」

 

 何故平和協定など結ぼうとしたのだろう。自分の家族を殺されて、大嫌いで、憎くて憎くてたまらないその吸血鬼と。

 

「俺が吸血鬼を殺したら……また……繰り返す……終わりが見えない……だから奴らと平和協定を結ぼうと……」

 

 ダリスは口数少なくフランに語りかける。

 憎しみは繰り返す。

 ダリスが吸血鬼を殺せば、その吸血鬼の仲間がダリスやその仲間を殺しに来るだろう。そして殺された仲間の仲間がそれを許さず吸血鬼を殺すだろう。

 それを繰り返せばどうなるか。

 どちらかが死に絶えるまで、何人の人間と吸血鬼が殺されるのか。

 そして一体何が残るのか。

 だからダリスは仕方なく平和協定を申し出たのだ。

 

「そんな……」

 

 ダリスの顔から血の気がだんだん引いていく。表情は笑みが辛うじて張り付いてはいるがもう限界が近いのかもしれない。

 

「家族を殺された俺の申し出を……奴らは受け入れてくれたよ」

 

 ダリスとフランの理想は似て非なるものだった。二人は通じ合っているようですれ違っていた。そしてその事を知らなかったのはフランだけ。

 それがフランはただ、ただ悲しかったのだろう。

その感情が溢れ出して止まらないかのように、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちていく。

 フランはそれを拭う事もせず、ただ自然の摂理に任せて頬を伝わせるだけ。

 

「……泣くな……フラン」

 

 そう言ってフランの頭をなでる代わりに微笑むダリス。

 

「……俺はなぁ……恥ずかしかった……お前を、ぐっ……お前を見てると……自己嫌悪に陥って……」

 

 フランは純粋に平和を願っていた。両親を殺されたにも関わらずだ。

 しかしダリスはどうだろう。もちろん平和を願っていた。絶望の淵で、自分が耐える事で、吸血鬼への憎しみを押さえつけることで。

 同じ理想でもここまで違う。

 ダリスはフランに会うたび、フランの事を想うたびにそう感じていたのだろう。自分は何て汚い人間なのだろうと、何て小さい人間なのだろうかと。さぞ思い悩んだに違いない。

 

「でも……俺は嬉しかった……うぐっ……がはっ」

「おじさま!」

 

 ダリスは口から大量の血を吐き出した。もう喋る事すら辛そうだ。

 しかしダリスの顔から笑みが剥がれ落ちる事はない。しかも先ほどよりも強く笑みを浮かべている。

 

「はぁはぁ……フラン、みたいにっ……心から……はぁはぁ……人間を好いてくれる者が……いることが」

 

 これがダリスの本心なのだろう。絶望に打ちひしがれていたダリスの心に潤いを与えた、フランという吸血鬼の存在が、ただ純粋に嬉しかったのだ。

 

「違うっ……私は……私はおじさまが好きだったの! おじさま以外なんていなくたってよかった! おじさまだけいてくれればそれでいい!! それだけでよかったのよ!!!」

 

 とどまる事を知らない涙がフランの叫びに呼応するように弾けて飛び跳ねる。そのきらきら光る一粒がダリスの頬に届く。

 その涙は熱かっただろう。そしてその熱い想いはきっとダリスに伝わったに違いない。

 

「そうかぃ……それを聞いて安心した……死ぬな……フラン……」

 

 それを機にダリスの目は閉じられる。まだ笑みが張り付いた表情のままで。

 

「おじさま?……おじさま! おじさまあああああああああ!」

 

 ダリスは息絶えた。

 もう動く事はない。

 フランをからかう事もない。

 フランの逆セクハラを受けることももうない。

 

「フラン……」

 

 その動向を黙ってずっと見ていたレミリア。なんと声をかけたらいいのか分からず、ただフランの名前を呟くだけ。

 

「う……そ……」

 

 フランはダリスの胸倉を掴んだまままるで人形のように固まっていた。唯一動きがあるといえば見開かれた目からとめどなく溢れる涙だけ。赤い月の光に照らされてキラキラと輝いている。

 恋人を自分の手で殺してしまったのだ。放心するのも無理はない。

だが、残酷な事にそんなフランに悲しむ暇など与えてくれなかった。

 タタタタタタタ、と多数の足音が聞こえてきたのだ。しかもだんだんとこの部屋に近づいてくる。

 

「くっ……フラン!」

 

 気付いたレミリアがフランを呼ぶ、が、人形にいくら喋りかけても見向きするはずが無い。レミリアも肩を貫かれ更に満身創痍の体。もう飛ぶ事も戦う事もできないだろう。

 無情にもその足音は止まる。フランとレミリアを取り囲むようにして。

 それはもちろんハンターだ。しかも多数。

 ハンタ-は剣を抜き取り、人形の様に動かないフランと満身創痍で動けないレミリアに剣の切っ先を向ける。それは訓練されているのか、綺麗に高さが揃えられている。

 フランとレミリアはまるでエリマキトカゲにでもなったかのように鋼の剣を突きつけられ、完全に包囲されてしまった。しかし、不思議な事に攻撃してこない。

 と、突然ハンターが口を開く。

 

「フランドール=スカーレット、並びにレミリア=スカーレットだな! 貴様らを教会の命により拘束する!」

 

 ハンターはそんな事を言い出すのだ。

 

(拘束!? なぜ!?)

 

 ハンターはレミリアとフランを殺さずに何故拘束などするのだろうか。

 ここでレミリアは思い出す。ダリスがフランに何と忠告したか。

ダリスは言った。「殺される」と、もしく「実験体にされる」と。

 実際そうなのだろう。珍しい羽が生えているフランを生け捕りにし、すぐ直る吸血鬼の体を利用し実験をするのだ。体を切り刻んだり、薬を試したり、日光に当てたりと。

 そしてそれはどれだけ泣ないて喚こうと、いくら悲痛な叫びをあげようと、そ知らぬ顔で続けられるだろう。それはもう死んだ方がましだと思うくらいに。

 ではなぜレミリアも生かされているのだろうか。吸血鬼の体ならばハンターならいくらでも手に入るはずだ。しかし殺されないのは一体。

 

「うふっ」

 

 その時、動かない人形と化したフランが笑ったような気がした。レミリアからはハンターに遮られてよく見えないが足の隙間からフランの頬がつりあがっているのが見えた。

 笑っているのだ。この状況で。

 

「動くな! 動くとこいつの命は無いぞ!」

「うぁっ!」

 

 突如髪を引っ張り上げられて剣を首筋に突きつけられれるレミリア。

 つまりそういう事だ。フランの家族はただ一人、実の姉のレミリアだけ。レミリアはフランを生け捕りにするための、これ以上ない人質だった。

 

「うふふふ……あはははは」

「くっ……フラン!?」

 

 まるで聞こえてないかのようにフランは笑う事を止めない。そして真上にぽっかりと開いている、グングニルでぶち抜かれた穴をボーっと眺めている。そこには怪しく、赤く光る満月が。

 それは赤いスポットライトとなって、ダリスとフランだけを照らしている。

 

「う、動くなと言ってい――」

 

キィイン!

 

 ハンターのその言葉を遮って聞こえたその音は、フランを襟巻きのように取り囲む剣という剣が全て割れる音だった。それは不思議な事に、折れるではなく割れたのだ。ハンター達はガラス製の剣を落としてしまったかのような錯覚に陥っているに違いない。

 続いて、そんなハンター達の背筋を凍らせるような出来事が起こった。

 

「うあああああああああああああああああああああああああああ!」

 

 城中に、いや、町中に轟く程強烈で高音なフランの咆哮。

そんな小さな体の何処からそんな声が出るのか、びりびりと体を激しく震わせる。

 レミリアは必死で耳を塞いで耐えているが、ハンターの鼓膜は全て破れてしまって使い物にならなくなっているだろう。

 

「ぐぅぅ! フラン!?」

 

 耳を劈く音を遮るために放されたレミリアは苦痛に悶えながらもフランを視界に捉えた。

それは信じられない光景だった。レミリアはその光景に目を見開かずにはいられない。それはなんとも幻想的で神秘的な光景。

 月の光に照らされたフランの小さな羽が月に向かってぐんぐん伸びていくのだ。それにつれて色鮮やかなランタンのようなものが生えていく。果実ができるまでを早送りしたかのように、伸びていく羽に次々に生っていく。

 それが七色そろうと同時にフランの強烈な咆哮がやんだ。

 背中にはこの世のものとは思えないほど綺麗な七色の羽を生やして。

 フランの左手には今まで腋にでも挟んでいたのか、白い兎が握られていた。右手はというと天に向かって伸ばされている。あたかも月を掴もうとするかのように、掌を月に向けて。

 

キュッ

 

 と不意にフランの手が握られる。

 

「へ?」

 

 レミリアは急に無重力になった。

 それは落ちていた。床が抜け落ち真っ逆さまに落ちていたのだ。

 しかしレミリアは何か違和感を覚えていた。

 何かおかしい。レミリアはこの違和感に周りの壁を見回した。それはさっきまで自分がいた部屋の壁であり天井への距離も一切変わっていない。これはつまり

 

(城が……崩れて)

 

ドゴォオオ!!

 

 と、まるで積み木で作った城のように脆く、更に轟音を上げてフランとレミリアが住んでいた城が一瞬で崩れ去った。

 後に残ったのはそれが城だったとは微塵も感じられない積み上げられた岩石だけ。 

 そのはるか上空、月に重なるように飛んでいるのは、大きな七色の羽を有し、真紅の瞳で地上を見下ろし、怖気の走るような、怪しい笑みを浮かべるフランだった。

 



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第九話 回想偏 ~七色の悪魔~

現在 紅魔館

 

 

「今思えばダリスはフランの力を解放させようとしてたんでしょうね」

 

 話し疲れたのか、レミリアは軽くため息をつく。

 

「どうしてそう思われるのですか?」

 

 見ればレミリアのカップが空になっている。咲夜はそれ程話に熱中していたようだ。

 咲夜はすぐに紅茶を注いでレミリアに差し出し、先を促す。

 

「私が生まれるずっと前に記録された人間達の書物に、七色の災いのことが書かれてるってパチェに聞いたの。吸血鬼と吸血鬼ハンター、禁断の愛、愛するものの手によって殺されたハンター。大事な人を失った七色の羽の吸血鬼は力を解放し一瞬にして人間を滅ぼした」

 

 それは先程レミリアが話した物語と類似している。

 

「何か似ていますね」

「ダリスは私を殺してフランの力を解放しようとしたのかもしれないわ。自分の死でフランの力を解放してしまった形になってしまったけどね」

 

 その史実を元に、七色の吸血鬼が愛する者、つまり唯一の姉であるレミリアを殺せば激昂したフランが全てをぶち壊してくれると推測したのだろう。それでダリスとレミリアは死ぬだろうがフランは助かる。

 レミリアにはいい迷惑だがフランを想う気持ちはダリスのほうが強かったのかもしれない。

 

「もしくは」

 

 と、レミリアは紅茶の注がれたカップに手を掛け、持ち上げようとして止める。

 

「最初から自分が死ぬつもりだったのかもしれない」

 

 紅茶を流し込む代わりに開いた口から出てきたのはそんな言葉。

 史実通り。フランをけしかけるためにレミリアの肩を貫き、そしてとどめまでさそうという演出。

 

「……だから妹様の気持ちを聞いて安心したのですね」

 

 そこに最後のダリスの言葉。フランの熱い想いがダリスの計画の成功を示していた。

 

「そうね」

 

 レミリアはよく頭の回るメイドだと感心したように咲夜を見て微笑んだ。

 そしてすぐに視線を前に戻と「そういえば」と切り出した。

 

「フランの羽を教会の人間に見せないようにって、何故吸血鬼たちはフランに警告しなかったと思う?」

「それは妹様がサプライズで隠していたのでは?」

「いいえ、フランは自慢するように皆に嬉しそうに話してたわ」

「そ、そうですか……」

 

 ダリスはフランと長以外の吸血鬼からは敬遠されていた。吸血鬼に言ったところで誰もダリスにばらしたりはしないだろうと思っていたのだろう。

 

「では何故?」

「簡単なことよ」

 

 レミリアの声は何故か得意げだ。

 

「たまたま七色の羽を持った吸血鬼が現れた時に、たまたま災いが起こっただけ。あの羽はたまに突然変異でできるの。町にはいなかったけど私は他に何人か見たことがあるわ」

「つまり人間と吸血鬼での価値観の違いですか?」

「そう、人間達だって昔は、指が六本生えた子供を神の子とはやし立てたでしょう。でも今は突然変異としか思わない。それと同じことよ。人間達にとってフランの羽は不吉の象徴だったらしいの」

「だからハンター達はお嬢様達を襲ったのですね」

 

 フランの羽は史実通り不吉の象徴。災厄の目は摘まなければならない。だからハンター達は吸血鬼の町を襲った。それが咲夜の見解だった。

 

「それは安易過ぎないかしら?」

 

 しかし、そんな咲夜の見解をレミリアがひっくり返す。

 

「フランの羽を見ただけでいきなり襲ってくるなんてありえないわ。見せかけだけど平和協定も結んでいたしね」

 

 そう言えば、と咲夜は思い出す。

 

「ではなぜ?」

「私達は人間を襲わない代わりに人の血液を定期的にもらっていた。でも人間達にとっても血液は重要なもの」

「それに不服だったから襲ったと?」

「そうね。そういう不満は前からあった。だから私達は不満が起こらないように、昔から吸血鬼の間だけで伝えられていた術や歴史を教えたの」

「長生きですからね」

「そう、そして人間達は術を研究して自ら使えるほどにまでなっていた」

「それがどういう?」

「わからない? 私達に恐怖と不満を持っている人間達が私達と同等の力を持つなら」

 

 人間を上回る身体能力を持ち妙な術を操る吸血鬼に人間達は数で対抗していた。その人間達が吸血鬼と同じ力を持つなら。

 

「まさか……」

「そう、皮肉にも私達が平穏に暮らすために差し出した知識を使って私達に戦争を仕掛けたの」

 

 しかし、それが不満だからと、不公平だからといって手に剣や槍を取り、吸血鬼を襲えば同じ人間から見ても、その人間達の傲慢だと、同じ人間として最低だと、周りから賛同を得られず、逆にその戦争を起こした人間は迫害に合うだろう。血も涙も無い人間だと。

 

 だから

 

「フランの、七色の羽という大義名分を掲げて」

 

 理由が欲しかったのだ。

 それは何でもよかった。吸血鬼が人間を少しでも傷つければそれだけで戦争は起こっただろう。だからダリスは最小の人数で吸血鬼の町に向かい、吸血鬼達もそれを知っていてあえてダリス達に近寄ろうとはしなかった。

 フランを除いて。

 唯一近づいたフランの、その不吉の象徴と称される羽というささいなことが理由だった。戦争の理由などいつも小さな出来事なのだ。

 

「そんな……」

「人間達はしめたと思ったでしょうね。その状況を打開するうってつけの大義名分をみつけたんだから。それが無かったらただの人間の傲慢とされるだけ。……全く、人間という生き物は今も昔も変わらないのね」

「……」

 

 咲夜は同じ人間として耳が痛かった。いつも綺麗に伸びている背筋を丸めてシュンとしている。

 

「まあでも、ダリスみたいな人間もいる」

 

 咲夜へせめてもの情けか、レミリアは他愛なく笑う。

 

「もちろん、あなたのような人間もね」

「お、お嬢様ぁぁああ!」

 

 咲夜は泣きながらまたレミリアに抱きついた。

 

(うぜぇ……)

 

 そしていつものようにまた咲夜を引き剥がす。

 咲夜は涙を拭う。そしてわくわくしながら目を輝かせ咲夜は問う。

 

「そ、それでその後お嬢様達はどうしたのですか?」

「そうね……、私が瓦礫の中から這い出るとハンター達の悲鳴が聞こえたわ」

「それはまさか……」

 

史実通りだとすれば、ハンターの悲鳴はフランの行動に繋がる。

 

「そう……フランは強かったわ。町にいたハンターたちを次々殺していった。ハンターは恐ろしかったでしょうね。手を握るだけでハンターの体をつぶせるんだから」

「おぉ……」

「そこで人間達は怒り狂ったフランに私達の技術を使って魔法陣を作り隕石を放ったの」

「それが噂に聞く例の破壊したってやつですね?」

「ええ、今でも忘れないわ。高く手を掲げて……そして握るの」

「そ、それで?」

 

 レミリアの片方の唇が釣りあがる。真っ白な牙が見えるほどに。

 

「笑うのよ、怖気の走るような笑みだった」

「あ……う」

 

 レミリアは咲夜をみてまた笑う。この二人は結構いいコンビかもしれない。

 

「隕石が破壊された事でハンター達は我先にと逃げ惑ったけど、結局全員フランに殺されちゃったわ。その時のフランの表情は今でも忘れない……」

 

 

 

 

回想 吸血鬼の町

 

 

 狂ったフランはハンター達を全て殺した。

 ハンターの血を浴びて全身を赤く染めたフランは紅く染まった月を仰ぎ、ゲラゲラと笑っていた。背中の羽が血と月の光で鈍く光る。

 その光景をレミリアはずっと見ていた。

 呆然として、動く事もできなかった。

 レミリアをそうさせたのは他の何者でもない恐怖。実の姉のレミリアでさえ恐怖で動けなかった。

 フランの横顔、月に照らされるそれはまるでこの世のものとは思えない、悪魔そのもの。その悪魔が目を見開いて、口を裂けんばかりに吊り上げ笑うのだ。それを見て恐怖を感じないものは、その悪魔を駆逐する事ができる神しかいないだろう。

 しかしレミリアもずっとその場で呆然としてるわけにも行かない。もし狂ったフランが人間の住む町等に行けばとんでもない事になる。 

 フランがそんな事をすれば人間は大挙して押し寄せフランを襲うだろう。それはもう世界中の人間を敵に回す事になる。

 いくらフランが強いとはいえ体力の限界がある。それにフランはそんな事は願ってはいないはずだ。ただ一人純粋に人間と吸血鬼の平和を望んでいたのだから。

 

「くっ……フランっ」

 

 レミリアはフランを止めようと、満身創痍の体に鞭をうって一歩一歩フランに近づいていく。

 しかしレミリアはなかなか進む事ができない。満身創痍の体でもこれはおかしい。瓦礫の下敷きになった時にどこか怪我したのか。

 ふと自分の足を見る。

 それは恐怖だろうか、警告なのだろうか、フランの方へ行くなという、身の危険を察知したレミリアの本能が、そうさせているのだろうか。

 

(こ、この私が震えているというの!?)

 

 何にせよレミリアはそんな自分が情けなく、恥ずかしく思った。

 位の高い貴族の娘。堂々たる態度をとり、恐れるものなど何もない。そう自負していたレミリアのプライドはガラス細工のように崩れさってしまっていることだろう。

 しかし、プライドを捨てたとしても貴族としての意地がある。だからレミリアはその震える足に思いっきり拳を入れた。

 

「とまれ……とまれ! とまれ!」

 

 そう叫びながら。何度も何度も殴りつける。

 そしてどちらの痛みでだろうか。足の震えがとまった。

 

「よし……フラン……今い――」

 

 震えの止まった足から顔を上げ、前を向く。フランを救うために、その一歩を踏み出すために。

 と、そこにはいつの間にか薄ら笑いを浮かべるフランがいた。顔には人間のものと思われる返り血をべっとりと貼り付けて。

 

「……う……あ……ふら」

 

 レミリアは思わず一歩下がってしまう。そして一瞬、自分の事を思い出して着てくれたのではないかと、ほんの一瞬だけそう思ってしまった。引きつった笑みを浮かべながら「フラン」と呼ぼうとする。

 しかしフランはレミリアの喉に手を伸ばす。そして思いっきり鷲づかみにして乱暴に持ち上げた。

 

「ぐっ!?」

「ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」

 

 更にフランはそんな奇声を上げて笑い散らす。

 

「ふら……んっ、やめ……!」

 

 レミリアは何とか振りほどこうとするも、その小さな体の何処にそんな力があるのかと感じられるほどにフランの腕はびくともしない。

 息絶え絶えにふと視線を落とすと、フランはダリスからもらったぬいぐるみをまだ握っていた。

 その視線を追うようにフランも右手に持っているぬいぐるみをみる。

 しかしそれはハンターの血で真っ赤に染められた、白い箇所などかけらも見ることができなくなったぬいぐるみだった。

 フランは今までこんなものを持っていたのかと首かしげる。そして

 

ぱぁあん!

 

 ぬいぐるみが赤と白の綿を振り乱し爆発した。白と赤で染められた雪のようにその綿はゆっくりと降り注ぐ。

 ポトリ、ポトリと降り注ぐその紅白の雪が落ちるたび絶望の色が濃くなっていく。

 レミリアはもう何をしても無駄だと悟った。

 フランはもう完全に壊れてしまっていた。

 理性を失い、ただ破壊する事でしかその衝動は満たされる事はない、と。

 あいた片方の掌をゆっくりと握り締めるフラン。

 

「ふら……」

 

 終わった。

レミリアは覚悟を決めて目を閉じる。その時、いつの間にかなみなみ溜まっていた涙が溢れてこぼれた。大粒の涙が頬を伝う。

 レミリアは後悔する。フランを連れて無理やりにでも逃げればよかったと。あの時、ダリスを殺し、そのままフランに知られないよう、窓から落とせばよかったと。

 そして狂ってしまった実の妹であるフランを止める事ができなかったふがいない自分。姉という立場でありながら、妹を止めることもできずに力尽きようとする自分の無力が悲しかった。

 頬を伝った涙がフランの腕に落ちる。

 

「ぐっ」

 

 うめき声が聞こえる。それはレミリアのものではない。

 先ほど握ろうとしていた手で頭を押さえ、もう片方の手は未だレミリアの首を鷲づかみにしているフランのものだった。

 破壊の行使がとまる

 レミリアは涙を流しながらその涙でかすむ光景を、目を細めて垣間見る。 そこには未だ薄ら笑いを続けるフランが依然として変わらない光景が見て取れた。

 しかしひとつだけ違うことがあった。間違い探しでも一目で分かるようなその光景。

 フランは血の涙をながしていた

 それはまるでこれ以上殺したくないと、レミリアに訴えかけているようだった。

 しかし自分では制御することができず、どうすることもできず、そんな自分を止めて欲しいとレミリアに懇願しているようだった。

 

「うぅぅううがああああ」

 

 何かと葛藤するかのようにフランはうめき声を上げる。

 レミリアのクビを絞めていた手も少し緩められる。

 

「わかったわ……止めて……欲しいのね?……なら私がとめて――」

 

 フランの体に一瞬、鈍い音と共に衝撃が走る。

フランの胸に、今はなき、城の天井をぶち抜いて飛んでいった紅の槍が突き刺さった。

 

「あげたわ……」

 

 

 

 

現在 紅魔館

 

 

「まあそんな感じね」

 

 レミリアはここが話の終わりと紅茶をすする。

 

「つまりフリ○ク最強ということですね」

「そういうことよ」

「……そうですか。妹様もお辛いですね」

「そうでもないわ」

「え?」

「あの子の目が覚めた時は全部忘れていた。ダリスのことも」

 

 あまりの衝撃的な出来事だから記憶喪失を引き起こしたのだろうか。

 

「そう……ですか。それをお嬢様は教えてあげたのですか?」

「……ふふ、どう思う?」

 

 とレミリアは頬杖を付いて目を細めて妖艶に笑う。

 

「え、と……その……愚問でした……」

 

 と急いで頭を下げる咲夜。

 

「咲夜」

「はい!?」

 

 咲夜は急いで頭を上げて返事をする。

 

「今日は私はここで寝るわ。ねむい……」

 

 話し疲れてしまったのか、そのまま机にうつぶせになってしまう。

 

「え、しかしこんなところでお休みになると風邪を」

「貴方は私の何なのかしら?」

 

 顔をうつぶせにしたまま自分と咲夜の関係を明示し命令を暗示する。

 すぐに理解した咲夜は一瞬と惑ったもののすぐに返事をする。

 

「……畏まりました、お嬢様」

 

 メイドは主に従順でなくてはいけない。

 

「おやすみ……」

「お休みなさいませ、お嬢様」

 

 そう言っていつの間にか手に持った毛布をかける。

 

「私は、貴方のメイド、メイドはお嬢様の意見に反抗せず黙ってそれに従うのみ……これが従順な巨乳メイドです」

 

 



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第十話 回想偏 ~レミリアの夢~

 

「はぁはぁ……」

 

 一体どれだけの時間歩いただろう。どれだけの距離を歩いただろうか。

 あの戦争で生き残ったのは吸血鬼であるフランとレミリア、二人だけ。

 レミリアは追っ手の来る可能性を考慮して町を離れていた。

 気を失ったフランを満身創痍の体で背負って歩くレミリア。その体でもう何時間歩いたか分からない。そこは見渡す限り草原の、木など一本も生えていないような平原。前方は景色がひらけ、地平線が見えるくらいに何も無い。

 レミリアは無心に逃げていた。

 町から離れられればそれだけでよかった。

 何も考えず、ただひたすらにフランを背負って歩いていた。

 その時、背負っているフランが動いた気がした。 

 レミリアは少しドキリとする。ダリスを自らの手で殺してしまい壊れたフラン。町であったように、もしもまた狂ったように笑い、襲ってきたらどうしようかと。

 しかしそんな心配は無用だったようだ。

 

「ん……? おねぇ……ちゃん?」

 

 それはいつものフランの声だった。気味の悪い笑いもなく、普段の寝起きのフラン。

 ほっとレミリアは安心したようにため息をつく。

 

「フラン、気がついたのね」

「ここ……何処? 私、なんでおねえちゃんに背負われてるの?」

 

 レミリアは歩を止めてフランの様子を伺う。疲れきっているのか、フランは全体重を預け指一つ動かさない。

 

「フラン……あなた何も覚えてないの?」

「へ?」

「私達はハンターに……ダリスに殺されかけたのよ!?」

 

 寝ボケているのか、それともただ混乱しているだけなのだろうか。

 レミリアはフランが先程まで何をし、今どのような状況に陥っているのかを説明してやろうと口を開く。これが気付け薬になり、フランの混乱も直るだろう。

 しかし、そんなレミリアの口を突いて出たフランの一言が弾き飛ばした。

 

「それをあなたが――」

「ダリスって誰?」

「……え?」

 

 フランは以前の記憶を忘れていた。

 

「うぅ……なんだか……まだ眠い……」

「……」

 

 そんなお休みの挨拶を交わしたフランは頭をレミリアの肩に預け、また眠りに落ちる。

今まで起こった事を全て無かったことにするように深く。

 あれほどの事があった後なのだ。

好きな人を殺し、更には人間と吸血鬼の平和を心から望んでいたフランがその人間を殺しに殺した。レミリアと同様、フランもまた心身共に疲れ果てているのだろう。

 その激動の記憶をもし失っているのだとしたら無理に言う必要もない。それはレミリアが今フランに出来る、精一杯の子守唄となるだろう。

 レミリアはフランを起こすこともせずまた歩みを進める。

 

 

 

 

 夜風が草原をなで、草の波を作る。

 その波がレミリア達を追いかけ抜いていく。

 同時にその風が二人を優しくなでて、草がレミリアの足に戯れてくる。

 波と風の戯れが終わると、また辺りが静まり返る。聞こえるのはレミリアが草をくしゃくしゃと踏む音とフランの心地よさそうな寝息だけ。

 涼しい夜風は寝るには少し寒いだろう。しかし大好きな姉の背中は温かく、歩いてほどよく揺れるそれは、フランにとっては最高のベッドとなっているに違いない。レミリアは耳にフランの前髪が当たって少しくすぐったそうだ。

 二人は闇を照らす月に導かれながらゆっくりと歩を進めていく。

 しかし、今後二人が歩む道は闇であふれかえっていた。

 満天に輝く星空の下、レミリアは未来のことを考える。

 これからどうするのか、どうやって生きていけばよいのだろうか。

 二人がこの先、生き抜いていくにはまだ幼過ぎる。ただでさえ二人は吸血鬼で生きていく事が難しい世の中。更に片割れは七色の羽根を有している。 綺麗ではあるが不吉の象徴とされる、戦争の火種になるような羽。

 人間にとっては災厄をもたらす悪魔なのだ。見つかったが最後、ダリスの言ったとおり、惨たらしい人生を歩むことになる。

 そんな人間にとっての悪魔は今、天使のような寝顔で眠りこけている。レミリアの背中をベッド代わりにすやすやと。全く、暢気なものである。

 レミリアはそんなことを満身創痍の体で考えながらフランを背負い、ただ、ただ無心に歩いていた。

 一歩歩むたびに浮かんでくる『絶望』という文字。

 満身創痍の体と今の状況から悔しいほどに相応しい言葉がレミリアの脳裏に見え隠れする。

 フランを起こさぬよう、小さく首を振って、そんな呪いのような言葉を頭の外へ放り出す。

 今まで平和に暮らしていた町はもうないのだ。戻る事は許されない。だから進むしかない。

 しかし、そんなレミリア達に追っ手がかかった。それは教会の中で最高の権力を誇る神。神は大罪を犯した吸血鬼二人を許しはしなかった。

 辺りがゆっくりと明るくなる。

 

「なっ……」

 

 朝日だった。神の象徴と称される太陽が二人を追ってやってきたのだ。

 レミリアは慌てて辺りを見渡した、が何処にも影ができるような大きな岩も木も生えていない。見渡す限りの草原。はるか彼方に生い茂る森林があるが、満身創痍、さらにフランを背負っているせいで走る事もできない。

 

「くっ……」

 

 どこにも隠れるところがない。

 レミリアは考える、森林に向かって全力で走ればどうにか満身創痍の体でもぎりぎりで間に合うかもしれない。

 しかしそれは一人の場合。フランを置いていく、そんな事レミリアにはできるはずが無い。

 今更ながら森林の中を進めばよかったと後悔した。レミリアはそんな事にまで考えが及ばぬほどに心身共に疲れていたのだ。

 だが今更後悔しても遅すぎる。いつ、どんな状況でも日は昇るのだ。

 

「これが私達の運命だというの……?」

 

 レミリアはフランを背負ったままガクリと膝を折り、地面に両膝を突く。

 

「私達はただ……平穏に暮らしたかっただけなのにっ」

 

 憤りとも悲しみとも取れる声音でそんな言葉を吐き出す。だがやはりそんな事を言ってみても何も起きるわけがない。自己満足にもなりはしない。

 レミリアはふと横を見る。そこにはフランの可愛らしい寝顔が。

 レミリアは猫がするように、フランの頬に自分の頬を擦り付け、撫でる。 好きな人を自らの手で殺し、心を壊してまでハンターを殺しに殺し、結果的にだがレミリアを守ってくれたフラン。

 レミリアはそれが愛おしくて愛おしくて仕方なかった。それが実の妹ならば尚更だ。だから、フランだけは守る、フランだけは自分の命に代えても守り通してみせると誓う。

 レミリアは最後の力を振り絞り、弾幕で大地を削る。

 だが大きな音を立てて空いた穴はあまりにも小さい。子供一人入れるかどうかも疑わしい。

 レミリアはそこにフランをゆっくりと寝かせてやる。そして優しく土を被せていく。

 少しはみ出している足に自分の着ているものを破り、かけてやる。

 土の中に埋めて日光をやり過ごそうというのだろう。

しかし、もしも途中で起きてしまったらどうするのだろうか。寝返りをうっ ただけでその身は太陽に焼かれてしまう。

 フランが助かる可能性はあまりにも低い。しかしゼロではない。少しでも助かる可能性があるならばそれにかけるべきだ。

 だがそうなればレミリアが助かる可能性は消え失せる。

 レミリアは死を覚悟していた。レミリアの意思はとても固い。 

 フランの体が外に出ないように丹念に土を被せていく、とその時、背後から突き刺すような痛みがレミリアを襲う。

 

「ぐっ……」

 

 太陽の光。吸血鬼にとって最大の敵である日の光がレミリアの、先程までフランのベッド代わりだった背中を焼き尽くそうとする。

 

「……おねぇ……ちゃん?」

「ふらん……」

 

 そんなレミリアの悲痛なうめき声に、フランが気づき、目を覚ます。

 しかし、未だ眠り眼で目を細めている。

 

「おねぇちゃん……どうしたの?」

「どうも……しないわ。もうすこし眠ってなさい」

 

 まるで母親が言うようにそう言って、顔には笑みを貼り付けて、フランの頬を優しく撫でてやる。

 

「うん……おやすみなさい」

 

 フランは気持ちよさそうにレミリアの柔らかい手に顔を預け目を閉じる。

 その間も日光は強くなり、徐々にレミリアの体を焼き尽くしていく。

 

「フラン……うぅっ……ごめんね……おねぇちゃん、あなたに助けられたのにもう……これ以上あなたを……助ける事ができそうにないの」

 

 最後にレミリアは帽子を取ってフランの顔にかけてやる。そしてその上から土を被せていく。

 

「ぐぅっ……フラン……ごめん……ごめんね……つよく、いきてっ……この不甲斐ない姉をどうかっ……ゆるして……ほしい……」

 

 涙ながらにそう言って許しを請うレミリア。

その涙は日の光の痛みだろうか、それともフランと共に明日を歩む事ができなくなった事か、はたまた自分のせいでフランをそんな風にしてしまった事へだろうか。

 そんなことを考えてもきりがないといったように、レミリアの目からは涙がこぼれ落ちてくる。その間も日光によってレミリアの体は炎に蝕まれていく。

 その時、地が揺れ、続いて足音が聞こえた。

 即座に「ハンター」という言葉がレミリアの脳裏に過ぎる。が、レミリアは火に包まれ、苦痛で動く事もままならない。

 心残りは、そのハンターにフランが殺されてしまうかもしれないという事だけ。

 だがもう本当にどうする事もできない。フランの為に何もしてやれる事がないのだ。

 薄れゆく意識の中、振り返る。最後のあがきか、睨みつけるために目を見開き、そして

 

「お嬢様、おはようございます」

「……咲夜?」

 

 気がつくとレミリアの前に咲夜が立っていた。

 

「朝日が出てきたので。灰になりますよ?」

 

 咲夜は朝日を遮るようにレミリアの前に立っていた。そこはくしくも、夢で見た最後に向かってきた人物と同じ位置。

 

「もう……朝……?」

 

 

 

 

回想 

 

 

「……ん」

 

 レミリアが目を覚ますと暗い夜に無数の星がきらきらと光り輝いていた。更に少し欠けた月が夜空に咲いている。

 辺りはもうすっかり夜だ。

 レミリアは起き上がり、ふと横を見るとフランが毛布を被り、気持ちよさそうに眠っていた。これにはほっと一安心のため息をつく。

 レミリアが絶命する直前、迫ってきたあの足音は一体誰だったのだろうか。

 生きている、そして縛られていない事からハンターではない。

 

「あ、大丈夫? よっぽど疲れてたのね。半日ほど寝てたよ」

 

 と、すぐ傍で女の声がする。見ると、まだ十代半ばといった顔立ちの銀色の髪の娘が木に背を預けている。

 

「あなたは誰?」

「あ、私はダリスの娘のアイリス」

「そう、私はレミリア、そっちのはフランよ」

「よろしくね」

 

 アイリスと名乗る少女はレミリアにそう軽く挨拶し、ニコッと笑う。

 確かにアイリスという名前にダリスの名前の一部が含まれている。更に、それでレミリアとフランが助けられた理由には納得がいく。嘘はついていないだろう。

 しかし家族は殺されたのではなかったのか。その疑問をアイリスにぶつけてみる。

 

「ああ、それは私の母と兄が……」

「そう……謝罪はしないわよ」

「いいのよ、もう……それにあなたが謝ると私もあなたに謝らないといけないでしょ?」

 

 人間が吸血鬼を殺せばアイリスはレミリアに謝り、その逆ならレミリアがアイリスに謝らなければならない。そんないつ終わるかも分からない謝罪合戦など無意味な戦いだ。

 

「でもお礼は言うわ。助けてくれてありがとう」

「どういたしまして」

 

 とアイリスはにこりと笑う。愛嬌はいいようだ。

 しかし何故あんなところにいたのだろうか。その疑問もアイリスにぶつけてみた。

 

「父に言われたの。吸血鬼二人が逃げてきたらその手助けをして欲しいって」

 

  しかし町で狂ったように暴れるフランを目の当たりにし、怖くて話しかけられなかったと言う。だから町から出てきたレミリアとフランの後をずっと隠れながらつけていたらしい。

 そこで朝日が二人を襲い、レミリアがフランを埋めるのを見て慌てて森から走ってきた、という事だった。

 

「そう、でも吸血鬼を助けてもよかったの? あなたも追われることになるのよ?」

「そうだね……だからこの戦いが終わったら父も一緒に逃げる予定だった」

「え?」

 

 アイリスの顔はうつむきがちになる。

 アイリスだけ逃げてダリスが逃げない、となると吸血鬼に加担したとしてダリスは何らかの罰を受けるだろう。逆もまた然りだ。

 しかしレミリアが一番驚いたのは一緒に逃げるという事。一緒に逃げるとはつまりダリスは死ぬ予定ではなかったという事だ。

 レミリアは思い出す。ダリスは言った、二人で一緒に逃げろと。それをアイリスに手助けしろと言いつけ、その後隙を見て合流し、一緒に逃げる。それがダリスの意図だったのだろう。

 しかし、そんなダリスと「すぐもどる」と約束したフラン。フランを安心させるためについた嘘が逆に鎖となって二人を城へ縛りつけた。不幸にも城で鉢合わせてしまったダリスとフラン。いや、フランはダリスに会うまで城からは出なかっただろう。

 

「なんて……こと……」

 

 運命のいたずらか。全く、悲劇としか言いようが無い。

 レミリアはフランを見る。

 そんな事で、簡単に避けられた事でフランは心を壊してしまった。更に平和を願っていたにも関わらず多くの人間を殺し、更には恋していた男を殺してしまった。しかも自らの手で。

 そんな悲劇のヒロインに相応しいフランは何事もなかったかのようにレミリアの隣ですやすやと眠っている。いや、何事も無かったのかもしれない。フランはそのことを忘れているのだから。

 レミリアはそんなフランの頬を軽くなでてやると、くすぐったそうに身を縮めてそっぽを向いてしまった。

 

「そ、それで……ちょっと聞きたい事があるんだけどね……そのぉ」

「ダリスは死んだわ」

 

 レミリアはアイリスが質問する前にそうきっぱりと言い放つ。

 アイリスは言い出し辛い顔をしている。そして聞きたい事といえばそれくらいしかない、とレミリアでも分かる。

 

「そっ、そう……だよね。たぶんそうじゃないかと思ってた」

 

 アイリスは恥ずかしそうに俯いてレミリアから顔を背ける。

 

「ずいぶんあっさり信じるのね」

「覚悟は……してたから……だって戦争だもん、仕方ないよ。それに」

 

 と、アイリスは眠っているフランのほうに視線を向けて話を続ける。

 

「城は崩れちゃうくらい激しかったし、ハンターの人たちも皆その子に――」

「ダリスは私が殺したわ」

「え?」

 

 レミリアの思いがけない発言にアイリスは目を丸くする。続いて顔を俯けて黙り込んでしまう。

 少し震えているようだ。表情が読めないがきっと怒っているのだろう。ダリスの仇と、急に襲い掛かってくるかも知れない。

 レミリアは思案をめぐらせながら警戒し、片方の手をアイリスに見えないように隠す。いつでも槍を出せるように手を空けるため。

 しかし、それは間違いだったようだ。

 

「父は」

「ん?」

 

 唐突にアイリスが俯いたまま口を開く。

 

「父は、笑っていたかな……」

「……どういうこと?」

「父は言ってた。あの町には死んではけない吸血鬼姉妹がいる……自分の命を犠牲にしてでもって。その二人の名前は……フランドール=スカーレットとレミリア=スカーレット」

「……」

「父はいつもあなた達の話をしてた……私にね……嬉しそうに話すんだよ……人間に懐く変な吸血鬼がいるって……いつも……とても……楽しそうで……」

 

 レミリアは今気付いた。

アイリスは泣いている。しかし涙はこぼさず、手でこすりながら、地面に落ちないよう。

 

「時々何か考え込んでいたけど……けどっ、本当に嬉しそうに話すんだよっ……自分の娘のように」

 

 アイリスの声は震えている。父親であるダリスの事を思い出しているのか、目からは涙があふれ出てくるにも関わらずその表情は笑顔のままだ。

 だがその笑顔が逆に痛々しかった。

 

「娘の私が……私が嫉妬しちゃうくらいなんだよ? 笑っちゃうでしょ? 家族も殺されて――」

 

 アイリスの涙を流しながら、震えながら語る言葉が止まる。

 それが遮られたのはいつの間にかアイリスのすぐ傍まで近寄っていたレミリアが震える体を抱きしめたからだ。

 

「ごめんなさい」

「……」

 

 しないといった謝罪をレミリアはアイリスの耳元で囁いた。

 その謝罪はダリスを殺してしまったということに対してではない。ダリスの死を覚悟していたアイリスに対して失礼な振る舞いをしたからだ。

 レミリアはアイリスの、その泣いてうつむいている顔を両手で優しく持ち上げる。そして目からあふれ出す涙を親指で拭ってやった。

 目線を合わせ、そこにレミリアは優しい声で言うのだ。

 

「ダリスは笑ってたわ」

「……そう……よかった」

 

 アイリスはそう応えると涙をまつ毛に滲ませながらレミリアに微笑みかける。それがやはりあまりにも痛々しかった。

 だからレミリアはそんなアイリスを見ていられなく、顔を交差させてぎゅっときつく抱きしめてやったのだった。

 

 

 

 

 アイリスは泣き止み、レミリアはフランの横に戻ってボーっと空を眺めていた。

 静かな夜だった。空には少し欠けた月がいつもと変わらない様子で輝いている。

 泣き止んだアイリスも何を考えているか、夜空を眺めている。

 そしてふと

 

「綺麗な月だね」

 

 と呟くようにレミリアに語り掛けてきた。

 

「そうね。でも昨夜が満月よ。少し欠けちゃったわ」

「いわゆる十六夜ってヤツね。私はまん丸より少し欠けた方がいいなぁ」

 

 さっき泣いたカラスがもう笑ったとはこのこと。まだ少し涙がまつ毛に滲んではいるが声に震えはなく、明るい声が静かな夜の森に響く。

 

「そう?」

「真っ暗な夜に咲く欠けた月ってよくないかな?」

 

 その言葉にレミリアは思わず笑ってしまう。

 

「人間の考えそうなことね」

「というと?」

「完璧を求めるくせにず~っと欠けたままなんだもの。しかもそれを美徳としている」

 

 とあざ笑うように欠けた月を見ながら吐き捨てる。更に「愚かだわ」と付け加えて。

 

「少々の不満くらい我慢すればあんなことにはならなかったと?」

 

 あざ笑われた人間であるアイリスは挑発に乗ることなく冷静に返してくる。

 アイリスの言うあんな事、とは昨日起こった戦争の結末。そして人間で言うところの不満とは血の供給。人間が目指す満月は吸血鬼の絶滅といったところだろう。

 かくして、アイリスの推察はレミリアの意図を的確に突いていた。

 あの一瞬でその考えに至ったアイリスにレミリアは少し驚いてしまう。自分の思っていた事、言葉の裏に隠した思いを簡単に言い当ててしまうのだから。

 そんなアイリスを横目に睨みながら少し口を尖らせるレミリア。アイリスはアイリスで笑顔を浮かべて首をかしげている。

 

「……あなた、これからどうするの? ダリスは死んじゃったけど」

「え? そうねぇ……父の言いつけを守って貴方達と一緒に逃げようかな、と」

「非常食としてならいいわよ」

 

 さっきの仕返しとばかりにレミリアは薄ら笑いを浮かべて物騒な言葉をアイリスにぶつける。

 

「そ、そんなぁ……」

 

 角の尖った言葉をぶつけられたアイリスはそれはたまらないとばかりに呻く。

 

「ふふっ、冗談よ。一応吸血鬼にも義理と情はあるわ」

「そ、そう……で、何処かへ行く予定はあるの?」

「そうねぇ……とりあえず東へ向かおうと思ってるわ」

「東? 何故?」

「城の地下にある図書館で読んだ事があるんだけど、ここからずっと東の方に幻想郷というところがあるらしいの。そこでは人間とは違う異形の者達が普通に暮らしているらしいわ」

「へえ、じゃあ私はそこにはいけないなぁ」

「そうね。まあ近くまでは連れて行ってあげるわ。だから気が向いたらいらっしゃい。世話役にならしてあげるわよ」

「あはは、考えとくよ」

 

 

 

翌朝

 

 

 気持ちいいくらいに晴れた朝。小鳥がさえずり、木漏れ日が刺していた。

 

「紫様! やっぱりやめましょう! 吸血鬼とハンターの戦争を見に行くなんて! 人としてどうかしています!」

「藍。あなたはもっと主観を捨てた方がいいわ。私は戦争なんてものに全く興味はないけどそのことを後世に伝えて、それが愚かなことだと教える義務がある。そう思わない? 長く生きつづける者として」

「そんなの戦争した本人達が教えますよ!」

「誰が自分達のした戦争を愚かなものだと伝えるのよ? 自らが望んだ戦争を英雄嘆のように語られちゃ困るでしょ?」

「そうですが……ていうか紫様」

「なによ」

「やっぱり面白がってるでしょ?」

「馬鹿なこと言ってないで行くわよ。もう終わっちゃったかもしれないわ」

 

 そんな会話が聞こえた。レミリアは未だ眠るフランを背負い、アイリスはその二人に日傘をさしてやっている。

 その方向へ注意深く歩いていくとなんと信じられない事に空間に穴が開いていた。

 

「……この穴」

「不気味ね……」

 

 レミリアはその穴に躊躇なく入ろうとする。

 

「え? 入るの?」

 

 アイリスは当然の立ち止まる。傘の陰から出てしまいそうになるところでレミリアも止まる。こんな怪しげな穴に躊躇なく入るなんてどうかしているとアイリスが怪訝な視線をレミリアに送れば返ってくるのは悪戯に笑う笑顔だけ。

 

「ええ、これが私達の運命だということよ」

 

 そしてそんなわけの分からないことを口走る。

 

「運命? そんなの分かるの?」

「何となく、ね」

 

 アイリスはまだ警戒しているように穴をまじまじと見ている。

 

「ここに入れば貴方と私は別れて暮らすことになるだろうけど」

「え?」

 

 不意を突いて後ろを振り向きもせず、そんなお別れの宣言をするレミリア。アイリスは急にそんなことを言われたものだから若干ビクついて首を振り、しっかりとレミリアを視界内に入れる。そこにはやはり悪戯に笑うレミリアの顔が。

 

「また会いましょうね」

 

 と一言。

 お別れといいながらまた会おうと投げかけられる言葉にアイリスの表情は自然に笑顔になる。

 

「ふふっ、また……会えたらね」

 

 そう言ってレミリアにニコリと微笑みかけるアイリス。

 だがレミリアはそれを即座に「いいえ」と否定した。

 

「これは決まっていることよ。運命なのだから」

 

 アイリスは少し驚いたようにレミリアを一瞥し、また微笑んで頷いた。レミリアもまた優しく微笑み返す。

 そしてレミリアを先頭に三人は空間に開いた隙間に入っていった。

 

「行ったわね」

「何がですか?」

「何でもないわ」

 

 

 

 こうしてレミリアとフランは幻想郷でアイリスは人里で暮らす事になる。

 フランは少しかんしゃくを起こすと破壊衝動に襲われ、あたりかまわず破壊しまくるようになってしまう。

 レミリアはそんなフランを地下に閉じ込め、他人と接する事を遮断した。

フランも破壊を自らが望んでいなかったためすんなりと受け入れた。

 それからそんな珍しい幻想郷のニューフェイス、吸血鬼姉妹を訪ねて色々な人物が訪ねてくる。

 それは攻撃をしかけてくるもの、いつの間にか城の地下から持ってこられた本を盗み読む魔女、行くところが無いからと行き倒れのドラゴン、様々だった。

 長い時を経て、二人は色々な人物と知り合いになり、喜怒哀楽を共に過ごし、掛け替えのない大切な仲間になっていった。

 そんな楽しい時はゆっくりと、ゆっくりと過ぎていった

 

 

 そして……

 

「お嬢様。モーニングティでございます」

「ありがとう。咲夜」

 

 

 レミリアはいつものように、朝のテラスで咲夜の入れたモーニングティを飲むのだった。

 

 

(回想偏)おわり

 



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第十一話 ~フラン VS 文~

 

 町民達の会議とレミリアのフランに対する思いが明かされ涙し、新之助に抱かれながらなき疲れて眠ってしまったフラン。

 翌日、フランが目を覚ます。フカフカの布団にいつの間にか寝かされていたフランは体を起こす。未だ眠り眼でピクリとも動かない。

 フランは自分が今何故ここに居るのかを思い出してみる。

 レミリアが自分の為に土下座してくれた事。普段は優しくもないが冷たくもなく、いつからか、余所余所しささえあった姉がだ。

 フランはそれを思い浮かべると何故か心が温かくなる。それが表に漏れ出し、笑みとしてこぼれだす。自分の為にそこまでしてくれる事が他愛なく嬉しかったのだ。

 更にこの大島酒蔵の当主、新之助は紅魔館の皆がフランの事を大好きだと明言してくれた。それが嘘でも本当でも新之助は自分の味方でいてくれるということがやはり嬉しかったのだ。

 あまつさえ後悔で涙するフランを優しく抱きしめてくれた。今まで地下で人と接する事がなかったフランに精神誠意尽くしてくれるのだ。これほど嬉しい事はないのだろう。

 

「はぁー」

 

 フランはそんなため息をつきながら、せっかく起こした体をまた倒してしまう。

 べつに二度寝するというわけではない。新之助に抱きしめられたその感覚が気持ちよく、しかし気恥ずかしさからフランは意味の無い行動をとってしまったのだ。

 フランは抱きしめられた感覚を思い出していた。自分より太く、大きな腕で優しく抱きしめられるその感覚を。少しきつく、息苦しいが何故かとても安心でた。そして暖かかったのだ。

 恥ずかしい事を思い浮かべていると心がやるせなくなってしまう。だから今度は他のところへ思考を逃がしたのだが、今のフランに逃げ場所は少なかった。

 天井を見上げたフランは紅魔館で皆に罵声を浴びせてしまった事を思い出したのだ。

 

「大嫌い……か……」

 

 更に死ねと言ったことも思い出す。何度も何度も。

 そんなことばかり考えていると先ほどまで暖かかった気持ちも急に冷めてくるというもの。

 続いて胸に湧き上がるものは言いようの無い不安。

 思わず仰向けだった体を横に向ける。そして一言。

 

「緑の名前が未だに出てこない……ん?」

 

 フランは耳を床につけたせいで足音が聞こえた。床を歩くより早く走るよりも遅い間隔で刻まれる足音。

 しかもそれはひとつではない。何人かが入り乱れるように遠くなったり近くなったりを繰り返している。 

 今気付いたが少々外が騒がしい。

 朝、店では開店の準備が行われているようだ。

 フランは前と同様に、四つん這いになって店に繋がる引き戸を少し開ける。前と同じく顔を不気味に半分だし、店の様子を伺う。

 そこには従業員と思わしき者達があちらこちらを行ったり来たりしている。

 唯一止まって何やら立ち話をしている人物は若くしてこの大島酒蔵の当主、大島新之助だった。青いはっぴを着て眼鏡を掛け、何やら部下と思われる男と話している。

 

「若、最近売れ行きが落ちてきていやす」

「そうか……う~ん、小島酒蔵の方へ流れていってるのかな?」

 

 新之助は少し困ったような顔をして、更に真剣な表情で部下と話し合っている。そんな会話にフランは興味津々といった感じで耳を澄ます。

 

「それもありやすが、その……あの吸血鬼が来る事が決まってからお酒に血が入ってると噂も出始めまして……恐らくそのせいかと」

「これは僕達の商売がへただからだっ! フランちゃんのせいにするなっ!」

「す、すいやせん!」

 

 その部下は新之助よりも年上だろうか。

それなのに新之助には頭が上がらないらしい。

 若くして大島酒蔵のトップになった男だ。絶大な信頼があるのだろう。

 それから次から次へと他の従業員やってきて質問を新之助に浴びせかけている。それをてきぱきと受け応え、従業員を誘導する。店の中は徐々に騒がしくなり、どこからともなく聞こえてくる叱責と怒号がより一層活気づかせる。

 そんな中、何を思ったのかフランはその朝から賑やかな場所へ入っていく。

 フランに驚いて小さな悲鳴を上げる従業員を無視し部下と熱心に話し合っている新之助の後ろに立つ。

 

「お、おい、おまえっ」

 

 何ともぎこちなく、新之助を呼ぶフラン。まだ少し気恥ずかしさがあるのだろうか。

 

「あれ、フランちゃん? おはよう。どうしたの?」

 

 その声に気づき、少し驚いたように振り向く新之助。

 新之助は優しく微笑み、名前も挨拶もしないお嬢様なフランに挨拶をする。

 見るとフランは腰の後ろに手を回して組み、もじもじしながら顔を俯けている。

 

「私も……何か……」

「何か?」

「手伝おうかなぁ……なんて」

「え? フランちゃんが?」

 

 もじもじしていたフランが今度は不貞腐れたように顔を背けて口を尖らせる。

 しかし目だけは新之助を捉えて反応を見ている。

 

「暇だから」

 

 そのフランの申し出がよほど嬉しかったのだろう。新之助の表情は一変する。驚いた表情から満面の笑みへ。更にレミリアを見る咲夜のように目を輝かせる。

 

「な、なら軒先で呼子をやってくれないかな? 新しいお酒も売れるかもしれない……いや、君の可愛さならどんどん客が来るに違いない!」

 

 そんな新之助の口から出てきた言葉はそんな事。何を根拠にそんな事を言っているのかは分からないが注目を引くことは間違いないだろう。

 フランの見た目は人里に住む人々とは異色。金髪に白い肌に赤い目だ。

 しかし注目は受けるだろうがそれは恐怖の対象として、が大半だろう。

 だからそのやり取りを見ていた部下が新之助に信じられないと抗議する。

 

「若っ! そんな事したら、普通の客ですら来なくなっちまいやすよ!」

 

 それはフランに背を向けるようにして、聞こえぬよう、小さな声を張り上げて言う。

 それも当然だ。恐怖の対象になっていた、町民に忌み嫌われていたフランが店先で呼子をするのだ。力を使えないとは言えそんなところにわざわざ近づいていく町民がいるわけがない。

 しかし新之助はそれを否定する。

 

「僕の目に狂いがなければあの可愛さだ、どんどん客が来るに違いない!」

(狂ってますよおおおお!!)

 

 などと部下は思っている事は言えず、渋々といった感じで小さなはっぴをフランに渡してやる。更にフラン用に日よけ用の大きなパラソルを立てて準備万端だ。

 

 

 

 パラソルの下でフランはぽつんと突っ立っていた。

 横には丸い机が置いており、その上に透明なグラスが十数個、綺麗に並べておいてある。中には血のように赤い試飲用のお酒が入っていてとても綺麗だ。

 それはいわゆるワインやブドウ酒と呼ばれるお酒だった。

 血を好む吸血鬼にそれに似た色のお酒を売らせるとはこれいかに。確かに吸血鬼が飲む酒と銘打って売るのもいいが本当に血が入っているんじゃないかと疑われたらそれまでである。なぜなら商売は信用第一だからだ。酒蔵のように食品を売買する商いは特に。

 そしてその心配は的中する。

 

「おや、例の吸血鬼の娘がこんなところでなにやってるだ」

「あれだっぺ、そこの赤い酒売ってるんだっぺ」

「何だその酒? 真っ赤じゃねぇか。きっと血が入ってるっぺ」

「はいってないっぺよ!」

「おお、怖い怖い、逃げるっぺよ」

 

 複数の町民達はフランが力を使えない事をいいことに、冷やかして笑いながら逃げていく。

 フランはパラソルの下で不満そうな表情を浮かべて「二度とくんな!」と叫んでいる。

 そしてまた誰もいなくなる。

暇だからと言って申し出たはずがまた暇になってしまった。

 しかしそんな暇なフランの所へカメラを持った男が一人。ムキムキの体にタンクトップを着て軍人用のズボンにブーツ。頭にはキャップをしている。

 フランの前に立ち止まる。そして

 

「やあ僕は富竹プロのカメラマンさ」

「……」

 

 と、声をかけられたフランは固まってしまう。

口をぽかんと開けて富竹と名乗るそのカメラマンをボケッと眺めている。

 

「な~んちゃって」

 

 そう言いながら後頭部をガサゴソと探ると、まるで脱皮するようにその男の皮膚や服が剥がれて行く。それは赤く四角い変な帽子に黒髪、更にどこかの会社員のようなシャツでビシッと決めた記者でもある射命丸文だった。

 

「あ、驚きました? これは取材前の一種のパフォーマンスでして、取材する相手が緊張しないようにといった目的があるんですよ」

 

 聞いてもいないのにぺらぺらと笑顔でそんな事を喋りだす文。取材前のパフォーマンスで取材対象を絶句させる事は成功なのだろうか。

 そして何処で知ったのか、さすが新聞記者。計画開始二日目にしてフランを直々に取材しに来たらしい。

 

「それでフランさん。こんなところで何してるんですか?」

「え、えと……」

 

 フランは何か思い出すように考え込んでいる。文はウンウンと笑顔で頷きながらペンとメモ帳を持ち臨戦態勢だ。

 

「大丈夫ですよ~、ゆっくりでいいですからね」

 

 と優しく声をかけてやる。フランも頷く。

 

「あ、あの」

「はいはい、何でしょう?」

 

 身長差からフランは上目遣いになり、困ったような顔をしてフランが口を開く。

 

「パパラッチには近づいちゃ駄目って、おねぇさまが言ってた」

「なっ」

 

 と、可愛らしい体勢から放たれた言葉は文の新聞記者としての誇りを殴り飛ばす。

 

「何ですか! その不審者みたいな扱いは! それにあんな下賎なものと一緒にしないで下さい! 私は正真正銘のプロの記者です! そう! 私は清く正しい」

「音速丸」

「射命丸です!」

 

 フランはケラケラと笑っている。恐らく先程の困った表情も演技なのだろう。文を弄って遊んでいただけらしい。

 その時、店先を誰かが通り過ぎた。

フランは新之助に言われた事を思い出す。入るつもりがない人にも声をかけるのだと。

 だから「いらっしゃいませ~」と声をかける。が、そのまま行ってしまった。

 

「あ~あ、行っちゃった」

「む、無視しないでくださいっ」

「……なんか用? パパラッチ。私今忙しいんだけど?」

 

 と横目に文を見ながら面倒くさそうに言う。

 

「どう見ても暇そうじゃないですかぁ、そしてパパラッチはやめてください」

「あ、お酒試飲できますよ、よ、よろしかた、かた……かったらどうぞ」

 

 フランは何か思い出したように手に持っている紙を見ながら、今度は文に酒を勧める。フランの手には血のように赤いワインがゆらゆらと揺れている。

 

「あ、私勤務中なのでお酒はちょっと」

 

 文の言い分は最もだ。

 勤務中にお酒など飲んでいたら上司になんと叱咤されるか分かったものではない。

 しかしそんな事フランは知った事ではない。

 

「私の酒が飲めないっての?」

「なっ、何処でそんな言葉を!?」

 

 恐らくはレミリアか魔理沙が酔っ払って発した言葉だろう。フランにとって魔理沙は当然、レミリアも教育上よくないかもしれない。

 

「飲めないなら取材なんか受けないもん」

「え」

 

 フランはどうやらワインという条件を飲まないと取材に応じてくれないらしい。

 プイッと顔を背けるフランだが、文の前にはまだワインが差し出されている。

 

(くっ……私が勤務中にお酒を飲むだなんて……しかし取材はしたい……)

 

 文は世間体と取材魂のジレンマに挟まれ、唸っていた。

文が取材したいのはフランであって大島酒蔵のお酒ではない。なのにお酒を飲むなんてと。

 どちらをとるかフランはまだ文で遊んでいるようだが、何を決心したのか、文は差し出されたワインを手に取った。

 どうやら取材を選んだようだ。

 

「一杯だけですからね!」

 

 フランは文の判断にご満悦の顔をして頷く。

 文はそのワインの匂いを嗅いでみる。

 意外にもいい匂い。

 続けてぐいっと一に飲み干した。

 

「おお~、これはおいしいです。後でこれも取材してもい――」

 

 文の言葉が止まる。

 文の目にとまったフランの手に持たれているものが原因だった。

 黒く四角い物体。それは文が持っていたいつでも編集部と連絡が取れる通信機だった。

 いつの間にかフランに掏り取られていたのだ。

 

「あの~もしもし、どちら様?」

『あ? 私は編集長だが』

「編集長?」

『ああそうだが? そちらは?』

「私フラン」

『フラン? あれ? 射命丸が取材に行っていた筈だが』

「勤務中なのにお酒を飲んで卑猥な取材ばかりしてくるんですけど?」

『な、なんだって!?』

「ちょ! フランさん!?」

 

 文はフランから通信機を掻っ攫う。

 

「へ、編集長! 今のは嘘ですからね!? 決して酒など飲んでいませんからね!?」

『おい射命丸』

「はい?」

『この通信機は相手が酒気を帯びているかどうかも分かるようになっている』

「げっ! まじで!? ヤバッ」

『嘘だ』

「……あ、あははは、もうっ、編集長ったら、人が悪いんですからぁ」

『……』

「あ、あの……編集長?」

『プツッ……ツーツーツー』

「編集長ぉおおおお!?」

 

 その光景を見てフランは腹を抱えて笑っている。

 

「くっ……また来ます!!」

「ばいば~い」

 

 文は急いで編集部に戻っていった。

 そこで思いっきり絞られた事は言うまでもない。

 

 

 そして数時間後、

 

「また来た」

「ええ、何度だって来ますとも! さあ、今度こそは取材受けてもらいますよ!?」

「文様?」

 

 その時、文は不意に後ろから声をかけられた。

 

「え?」

 

 振り向くと白髪の少女が一人文を見ている。

 

「ああっ、やっぱり文様だ!」

「椛? 何してんのよ、こんなところで」

 

 頭に白い獣耳を生やした少女。狼の妖怪、犬走椛

 もちろん人間ではなく妖怪で文と同じ天狗だ。

 

「それがですね、休暇を利用して人里で開催された夏の将棋大会に参加しまして。それで優勝しちゃったんですよ」

 

 そういう椛は嬉しそうに優勝で貰ったであろう盾を文に見せ付けてくる。

 

「……で?」

「前は忙しくて取材断っちゃいましたけど、今ならしてあげてもいいですよ」

 

 ふふんっ、と胸を張って上から目線の取材スタンバイ状態をつくるが文はさほど興味はないらしい。

 

「ああ、今忙しいから」

 

 将棋マニアの椛が人里で優勝した。記事にはなるだろうが何の面白みもない。今は旬のフランの記事が最優先だ。

 

「文様」

 

 だが浮かれている椛はしつこかった。フランの方へ向き直ろうとする文の腕をがっしり掴んで離さない。

 

「な、何よ」

「取材、受けてもいいですよ?」

「いや、あのね、私、今超忙しくて――」

「お忙しいなら別に今すぐにじゃなくてもいいですよ?」

「なら、あの引きこもりにでも頼んで――」

「文さまぁっ」

「な、なんなのよっ」

「取材、して下さい! お願いします! 将棋について熱く語りたいんです!」

「……ああ」

 

 椛の顔は嬉しさのあまりキラキラ輝いている。

 椛は真面目な正確だ。真面目な者に趣味を語らせれば専門用語のオンパレードと予想はつく。しかもそれは文にとってさほど面白みもない。

 が、椛の攻めを止めることは難しい。

 文は逆取材を求められる事も少なくない。だからその対策も文は持っていた。

 

「もうっ、分かったわよ。じゃあ~……」

 

 サラサラっと持っていたメモ帳になにやら書いて四回折って椛に手渡した。

 

「二時間後この場所であいましょう」

「分かりました! お忙しいところお邪魔しました! ではっ」

 

 椛は意気揚々とメモを掲げ、スキップしながらワンワン吼えて町の中へ消えていった。

 

「ふぅ……では、フランさん! 取材を」

 

張り紙

本日の営業は終了しました

 

「……まじか」

 

 

 

 

次の日

 

「しつこいなぁ……」

「お願いします……なんでもします……だから」

 

 文は両手と頭を地に着けて懇願している。レミリアもしたという土下座だ。

 フランは思ってしまう。土下座ってそんなにたいした事ないのではないかと。そんなことを思っていると顔を上げてフランを仰ぎ見る射命丸。

 

「お願いしますフランさん! もう後が無いんです! 飲酒がばれて編集長にこっぴどく叱られて……もう……」

 

 と言うだけ言うと射命丸はうつむいてしまう。震える肩に泣き声。完全に芝居だ。

 少し可哀想になったのか、フランはため息をつき、片膝をついて文の震える肩に手かけてやる。

 文が顔を上げて潤んだ瞳をフランに向ける。

 そのフランはにっこりと笑う。まるで天使のような笑顔。

 文は心が洗われるようだった。

 

「フランさん……」

「だが断る」

 

 フランの天使のような笑顔が悪魔のそれに変わる。そして呆然としている文を見てまたケラケラと笑う。

 

「ひとでなしいいいいいい! うわあああああん!」

 

 フランは人ではないということは置いておいて、文はいい年をして人目をはばからず声を上げて泣き喚く。小さなフランの足にすがりつきながら。まるで大きな子供だ。

 

「ちょっと!?」

 

 さすがのフランも周りを見回しながら文を引っぺがそうとするが、フランの足にタコのようにまとわりついて放さない。

 

「お願いしますううう! ふらんさあああん!!」

「も、もうっ……しょうがないなぁ……」

「本当ですか!?」

 

 足にすがり付いていた文が顔を上げるとそこはフランのスカートの中だった。

 

「暗い? いや白い?」

「ちょ、ちょっと! エッチ!」

 

 フランはスカートごと文の頭を殴り飛ばす。

 

「がはっ」

 

 吸血鬼に殴り飛ばされたにもかかわらず、よろよろと立ち上がりペンとメモ帳を持つ。許しは出た。攻めるなら今だ。

 文はフラフラとフランに迫る。

 

「で、では……取材を」

「でも条件があるわ」

「条件?」

 

 ちょいちょい、と手をヒラヒラさせて文を呼び寄せるとフランは文になにやら耳打ちしている。

 

「え……それは、ちょっとぉ……」

 

 フランが出した条件が厳しかったのだろう、少し渋い顔をする文。

 しかしフランは引き下がらない。なぜならフランは切り札を先程作ったばかりだ。

 

「パンツ……」

 

 ぼそりと一言。

 

「へ?」

「パンツ、見たでしょ?」

「み、見ましたが……ま、まさかっ」

「可憐な女の子のスカートに顔をつっこんで、ハアハア言う記者」

「あなた盛りすぎですよ! それにハアハアだなんて言ってないですし!」

「警察に」

「へ?」

「警察に言ったらどうなるかな~?」

 

 とそっぽを向きながら唇を吊り上げまだ幼い牙を見せていたずらに笑う。

文をゆするつもりだ。

 文の目には憎たらしくも可愛らしい、小さな悪魔が映し出されていることだろう。

 

「あわわわ……」

「幻想郷の皆はどう思うかな~?」

「わ、わかりましたよ! やればいいんでしょ!? やれば!」

「うん!」

 

 フランはとてもご満悦だった。

 そしてこの後の出来事がフランの人里での生活を、町民のフランに対する考え方を変えるきっかけとなる。

 

 

おまけ

 

文のメモ「馬鹿犬」

「文様……うましかいぬってどこですか……」

 

 



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第十二話 ~文の記事~

 

「お、吸血鬼の子だ」

「こんなところでなに突っ立ってんだ?」

「大島酒蔵の売り子だってよ」

「へぇ」

 

 先日、冷やかしに来た町民とはまた別の町民が数人、フランの前にやってきた。

 今まで怖くて近づくことすらできなかった存在が、今は力を失いすぐ近くで見れるとあって町民達はしげしげとフランを眺めている。見慣れない洋服に金髪、更に紅の瞳なのだ。興味を引かれないわけがない。

 フランはまた前のように冷やかしに来たのだろうと構えて睨んでいたがそれは取り越し苦労だったようだ。町民達はすぐにフランから興味を他のものに移したのだ。それは町民数人が持参した新聞だった。

 

「そうだ、あんたこれ知っとるかね?」

 

 そう言って構えていたフランに呈示してきたのは手に持った新聞だった。

 意外にも普通に話しかけてきた町民。フランは睨みを解かずに新聞の記事に視線を向けて続いて顔を近づけてじっと見る。

 

記事の見出し

『犬走椛、将棋大会で優勝!』

 

 前に椛がしつこく取材してくれと文にすがって依頼していた記事だ。あの後、フランの取材をすることができなかった文は椛の記事を書いたらしい。

 

「人間はやはり妖怪に劣ると上から目線!? 人間と妖怪の関係に亀裂か!? 苦情は犬走椛まで」

 

 記事の内容をフランが読み上げると町民が手を振ってフランの視線を散らした。

 

「違う違う。ここ、ここ」

 

 町民はフランが見ているところとは違う記事を指で示す。そこには大島酒蔵の記事が載っていた。

 それは前にフランが文の取材を許可する代わりに提示した条件がこれだ。自分のせいで血のように赤いと形容された酒を売れるようにして欲しいと。

 フランは大島酒蔵の部下の言っていたことを気にしていた。自分のせいで売れ行きが落ち、新之助に迷惑をかけてしまっていることを。自分がいることで酒に血が入っているのではないかと疑われたことを。

 酒が赤いこともあり、うわさの効果は思いのほか強く広まってしまっていた。

 それを払拭するために文に頼んだのだが、フランはその記事の見出しを見てぎょっとしてしまう。

 

見出し

血のように赤い酒

 

 と書かれていたのだ。

 その後に写真やら口当たりやらが書かれているが、フランはもうその見出しにしか目が行かなかった。

 フランは驚きの表情から次第に怒りの表情へ変わっていく。血のようになどと書いたらますます血が入っているように見えてしまうではないかと。

 文を焼き鳥にしてやろう、と思っていたその時、

 

「ここに血のように赤い酒と書かれているんだが?」

 

 町民の一人が文への憎悪をたぎらせるフランにそんなことを聞いてきた。

 

「あ……えと……」

 

 このままではまずい、どうにかしてごまかさないと。と、思案していたフランの耳にまたしても町民から意外な言葉が放たれた。

 

「血じゃないなら何でこんなに赤いんだ?」

「え?……何でだろ?」

 

 てっきり「本当は血が入ってるんだろ?」だなんて質問されると思っていたフランは一安心だが新たな問題が浮上してくる。

 なぜ酒は赤いのかなんてフランにわかるわけがない。間違えても「血かな?」などとは言わないだろうがこのまま黙っていると「血」だと疑われてしまう。

 何とかしようと口をパクパクさせて孤軍奮闘するフランだが何も思い浮かばない。

 

「それは葡萄です」

 

 そんなフランの後ろから新之助が助け舟を出す。

 

「葡萄?」

「そうです。原料は葡萄を使用していまして、ここら辺では珍しいですが西洋の方では普通に飲まれています。それを――」

 

 初めて目にする赤い酒の説明に、町民達は熱心に耳を傾ける。

 するとそこへまた別の町民達が寄ってきて新之助の説明に聞き入っている。次第にその塊は大きくなっていき、ついには店の前の通りを埋めてしまっていた。通行人にはいい迷惑だろうが何の騒ぎだろうかと、野次馬になってちょっと聞いていく、という者まで現れる始末だ。その町民のほとんどは手に新聞を持っている。

 どうやら文が載せた赤い酒の記事は大成功だったらしい。

 その光景を気後れ気味に呆然と見ていたフランを新之助が突然振り返る。

 

「こちらでそのお酒を試飲できますので、よろしければどうぞ」

 

 と、新之助はフランに軽く微笑む。そしてその合図を分からないフランではない。ごくりと生唾を飲み込み、心得たとばかりにフランも頷きかえす。

 

「え……えと、よ、よろしかったらどうぞ」

 

 フランはその小さな手でグラスを持ち、身長差から掲げるように町民に差し出す。

 それは小さい子ががんばって仕事している、周りから見れば何とも微笑ましい光景である。新之助はもちろんの事、町民達も男女を問わずやはり心が温かくなる光景だ。 

 町民の一人がフランからグラスを受け取り、少し匂いを嗅いだ後ゆっくりと口に運ぶ。

 

「ん~……」

 

 その町民は口の中で少し弄ぶように転がしてごくりと飲む。

 フランと新之助もごくりと生唾を飲む。緊張の一瞬だ。

 

「こりゃ美味い!」

 

 その瞬間、町民達のざわめきが起こる。

 町民の様子にフランは声の大きさに驚き、新之助にはほっと一安心の笑顔がこぼれた。

 しかし、それが幸か不幸か、自分もその酒を飲もうと、町民達が一斉にフランに詰め寄った。町民達は我先にとフランに試飲を求め、手を伸ばす。

 

「お譲ちゃん! ワシにも一つくれや!」

「あたしも!」

「可愛いお譲ちゃん! 先にワシにくれ!」

「お、落ち着いてください! まだまだいっぱいありますので!」

 

 フランはその殺到する町民達に試飲用の酒を渡すがきりがない。しかも次から次へと手が伸びてくるので若干困惑気味だ。新之助も手伝うが手に負えない。

 

「どけどけえええええ!」

 

 とその時、地響きに似た震動とそんな叫び声が聞こえた。かと思うと、密集していた町民達が鈍い衝撃音の後、縦回転にひねりを入れながら、あるものは横回転で、宙高く舞い上り、散り散りになって地面に叩きつけられたのだった。

 

「この馬車に轢けないのもはあまりない!」

 

 たいそうな牛車の上で仁王立ちし、そう豪語するのは魂魄妖夢。

 白い髪に黒いリボンを頭につけ、腰には刀をそなえている少女だ。その髪とリボンをなびかせて、漆黒の漆塗りの牛車から飛び降りた。

 

「血のように赤い酒があると聞いたのですが、こちらでよろしかったでしょうか?」

 

 どうやら妖夢も同様に例の酒を買いに来たらしい。手にはやはり町民と同じ新聞が握られている。

 

「おや?」

 

 フランに気づいた妖夢は少し驚いたようだ。

 紅魔館の地下で暮らしていてほとんど見たことがない珍獣的存在のフランが昼間に大島酒蔵の店の前、という妙なところにいるのだ。妖夢の反応は当然といえる。

 

「これはこれはフランさん。みょんな所にいますね。何してるんですか?」

「お手伝いしてる」

「お手伝い?」

「これ売ってるの」

 

 と、妖夢の顔色が変わる。宝物を見つけたと言わんばかりにパーッと顔が明るくなった。

 

「それです! それを買いに来たんですけど」

「よろしかったら試飲できますよ」

 

 町民達の舞い上がりに未だ呆けている新之助を尻目に、フランはいつもの定型文を読み上げ仕事をする。

 そのフランの振る舞いにまたもや驚いてしまう妖夢。というよりも感心してしまったという表現がしっくりくる。妖夢にはもっと幼く、わがままし放題のイメージがあったのだ。

 しかしそこは真面目な妖夢、こんなにしっかりした子だったのかと素直に感心し、今までのフランに対してのイメージを塗り替える。

 そしてフランの掲げるように差し出された酒の入ったグラスを手に取った。

 

「では少しいただきますね」

 

 妖夢は口にグラスをつけて飲もうとするが、その唇が空をきる。

 

「あらぁ、これは美味しいわねぇ」

 

 唐突に妖夢の隣に現れた、ゆったりとした口調で喋る女性。その女性は桜色の髪を、ドリキャスのようなマークがついた青い帽子で覆っている。

 

「幽々子様!?」

 

 妖夢の主である西行寺幽々子だ。

 幽々子はいつの間にか牛車から降り、妖夢の試飲用の酒を奪い取っていたのだ。

 

「何で飲んじゃうんですか!」

「いいじゃない~、妖夢のけちぃ」

「毒が入ってたりしたら危ないじゃないですか!」

「もう~心配性ねぇ~、あら?」

 

 幽々子がフランに気がつく。

 

「あらあら、もしかしてフランちゃんが呼子をやってたのかしらぁ?」

 

 フランは頷く。

 

「そう~、かわいいわねぇ~」

 

 そう言ってフランの頭をよしよしと撫でてやる。まるで母親に褒められている子供のようだ。

 フランはフランで特に嫌がる様子もなく、なされるがままにしている。少し顔が赤くなっているところを見ると多少照れがあるようだ。

 

「あらあらまあまぁ、この子は幾らかしら?」

「売り物ではありませんよ!」

 

 そう言って幽々子の暴走を収め、ため息をつく。毎度毎度こんな事があるのだろう。そんな妖夢はもう一度酒の入っているグラスを手に取り飲もうとする。

 が、またしても幽々子に掻っ攫われ、妖夢の唇が空気だけを飲むことになる。

 

「はぁ~、これは美味しいわねぇ。お肉が食べたくなるわぁ~。少し渋めなのかしら?」

 

 と、何故取るのかと抗議する妖夢を尻目に、頬を赤らめて片手でその頬を覆う幽々子。その様子はレミリアとはまた違う柔らかな気品を感じる。

 その言葉にさっきまで呆けていた新之助が即座に反応する。

 

「そうですね、ご女性には少し渋めかもしれません。渋めと感じるのでしたらもう少し飲みやすい白ワインもございます。更にあなた様の美しい髪の色のように桜色のピンクワインもございます。こちらなどはご婦人方でも飲みやすいかと」

「あらぁ、私桜色は好きなのよねぇ……うん! おいしい!」

 

 先ほどとは違い、ピンクワインはよほど美味しかったのだろう。思わず声を上げる幽々子。

 

「とりあえず百本くらいもらおうかしら?」

「百本!? また後先考えずに!」

「紫にも分けてあげないといけないでしょう? 霊夢ちゃんや魔理沙ちゃんも」

 

 と次から次へ幻想郷にいる人物の名前をあげていく。妖夢はそんな幽々子に渋々従い、結局ピンクワイン百本と赤白を五十本ずつのお会計を済ませる。そしてそそくさと馬車に乗り込み、大島酒蔵を後にしたのだった。

 

「ありがとうございました!」

 

 後に残ったのは満足げの新之助と、頭をなでられ微妙な表情をしているフラン。そして馬車の砂埃から出てきた、地面に倒れている多数の町民達だった。

 その町民の一人が新之助のところに芋虫のように這って行く。

 

「わ、ワシにもワインをくれ……」

 

 と、幽々子が大量に買っていっていたのを見ていたのか、焦って次から次へと 新之助の方へワインを買い求める町民で溢れていく。それはまるでゾンビが新之助にたかっているようにも見える。

 フランは疑惑の目で、その町民達のゾンビみたいな光景を見つめていた。それは霊夢が言った人里の町民に危害を加えたら閻魔様のところで一生暮らす、と言った事を思い出したからだ。妖夢は馬車で盛大に轢いて行ったがこれはいいのだろうかと。

 少し理不尽だなと思いながらも、まだまだ殺到する町民に試飲用のワインを渡さないといけないので段々と頭の中からその考えは忘れ去られていった。

 

 

 

「ふふん、どうでしょうかフランさん? 私が書いた記事はお役に立てたでしょうか?」

 

 ふと気付くと後ろにどや顔の文が立っていた。

 

「ふ、ふんっ……まあまあねっ」

 

 その文に唇を少しだけ尖らせてそっぽを向きながらそんな事をいう。

 この記事のおかげでワインが売れたことは事実だ。文が来たら素直にお礼を言おうと思ったフランだが、どや顔の文に思わずそんな態度をとってしまう。

 

「いいんですよ~? もっと褒めてくれても~。ほらほらそんな顔してないで~」

 

 そう言いながらしゃがみこみ、フランのむすっとしている頬をつまんで引っ張ったり回したりしている。

 

(うぜぇ丸……)

 

 顔を左右に振って文の指を振り払う。

 

「あ、ありがとう……」

「あはは、どういたしまして」

 

 文は白い歯を見せてニコリ。

 

「血のように赤いって書いてた記事を見たときはブチコロソウと思ったけど。」

 

 などと悔しかったのかフランは負け惜しみ発言をする。

 

「ああ、あれですか? あれはですね、町民達の心理の裏をついたんですよ。いいですか?血のように赤いお酒と書けば町民の関心はその赤いお酒の原料に目がいくでしょう?」

「う、うん」

 

 そしてその原料をあえて書かない事で町民の興味をそそり、現地でその詳細な説明を新之助に聞くしかない。これにより血が入っているという噂を払拭できつつ、周りの町民に大島酒蔵の集客率が高いという印象を植え付けることができる、という事だった。

 更に文も飲んでみたがそれは美味しかった。これで売れなければ嘘と言うものだ。現にそのお酒は歯止めがかからないほどに売れに売れた。

 

「いや~我ながら惚れ惚れする程の記事でしたねぇ~。と、いう事でこれだけ売れれば文句は無いはずです。取材に応じてもらいますよ! フランさん!」

 

張り紙

本日の営業は終了しました。

 

「あやや……」

 

 

店内

 

 営業は終了してもすることはまだまだある。大島酒蔵の従業員が朝と同じく忙しく動き回り店仕舞いをしているのだ。

 フランはテレビのある部屋でのんびりとジュースを飲んでいる。呼子の仕事は終わり、後は従業員たちの仕事だ。フランはもう休んでいいと言われたのでジュースをもらいくつろいでいる。

 吸血鬼の体力は人間の何倍もある。体力的には疲れてはいないようだが一日に色々な人達と接した為か気疲れしたのだろう。店内に通じる戸を開け、せこせこと働く従業員達をジュースを飲みながらただぼ~っと眺めている。

 そんな慌しい店にはある変化が見られた。前を通り過ぎる従業員やバイトがたまにフランに「お疲れ!」と声をかけてくるのだ。

 フランはどうしていいか分からず、更に疲れているためか反応できない。ただ目をしばたかせるだけだったが、声をかける従業員も反応を待たずにフランの視界から消えていくので問題はないだろう。

 中にはお菓子を渡してくるものまでいる。そこは素直なフランの性格から自然に笑みがこぼれてくるので問題ないはずだ。

 そんなフランは変な気分だった。あんなに毛嫌いし、フランを見ると小さな悲鳴を上げるほど恐怖していた従業員達がそんな言葉をかけてくるのだ。

 人間とは不思議な生き物だな、と思いながらもフランの表情は笑顔だった。

 

 

 ボーっと、忙しそうに動き回る従業員を見ていたフランにまた話しかけてくるものがいた。それはこの大島酒蔵の当主新之助だった。とてもにこやかな表情でフランのいる部屋の中に入ってくる。

 

「ありがとう、フランちゃん君のおかげで売り上げもうなぎのぼりだよ」

「う、うん……」

 

 文に頼んでやってもらったため少し後ろめたさがあるのかフランの表情は喜びにも困っているようにも取れる。

 しかし自分が頼まなければこんな事にはならなかった。とフランは自分に都合のいいように解釈して納得し、微妙な表情もつかの間、もう笑顔だった。

 それは人間と妖怪との違いなのかもしれない。

 

「何かお礼がしたいんだけど、何か欲しいものあるかな?なんでもいいよ?」

「なんでも?」

 

 新之助が嬉々として、何かお礼がしたいとフランに申し出る。

 

「なんでも?」

 

 新之助は未だにフランの可愛さで酒が売れたと思っているのだろうか。それともあの記事の裏にあった事を知ってこんな事を言ってくるのだろうか。

 しかしそんな事フランはどうでもよかった。何かくれるのなら遠慮なくもらうのがフランだ。その申し出にフランはとんでもない要望を持ちかけた。

 

「ぎゅってしてほしいな!」

「え?」

 

 フランは嬉しそうに机にのぼり自分の身長を高くする。そして自分の肩を、腕をクロスさせてぎゅっと握る。

 

「ぎゅって」

 

 前にフランが泣いた時、新之助に抱きしめられた感覚がとても気持ちよかったようだ。あの感覚が今でも忘れられずもう一度味わいたいと言う事だった。

 新之助は机の上に上った事をとがめるような無粋な事はしない。机の上にトンと飛び乗るフランのしぐさがあまりにも可愛かったからだ。常識を教える立場としてこれはどうかと思うがフランはきっと大事な事はうすうすと分かってはきているだろう。

 新之助は机に上ったフランに困惑気味に近づいてぎこちなく抱きしめる。

 

「ぎゅって……こ、こう?」

「うん」

 

 フランは気持ちよさそうに目を閉じる。

 普段ならばこの身長差なら大人と子供だろう。しかしフランが机に上っている事もあり、上半分だけ見ると恋人同士にも見えなくも無い。

 新之助は照れもあってかおどおどしながらあらぬ方向を見ている。

 

「ど、どうかな?」

「気持ちいい」

 

 目を閉じながらそんな事をいうフランは本当に気持ちよさそうだ。

 それに少しほっとしたのか新之助はフランの方を見る。

 

「フランちゃんはこれが好きなのか」

「うん。大好きっ」

 

 そう言ってフランも新之助の方を見て微笑む。間近で見るフランの笑顔はこの世とは思えないほど可愛らしかった。

 

「そっか」

 

 新之助は少し顔が赤くなる。それを隠すためかフランをもっとひきつけて強く抱きしめる。

 しかし幸せは長くは続かないものである。

 新之助が強くフランをひきつけた事によってフランの目の前には新之助の首筋が青いはっぴから覗いていたのだ。

 屋内での作業が多く、白く華奢な新之助のその首筋はいかにも吸血鬼が好みそうなそれだ。

 フランの鼓動が段々早く、強くなる。血がざわざわと視界を揺らし、紅の瞳は赤みが増していく。

 それは吸血鬼としての本能なのだろう。二つの紅の瞳は真っ直ぐに新之助の首筋に向けられている。

 

ガブッ

 

 果汁たっぷりの果物にかぶりついた時、そんな音がするのだろう。そういう音を鳴らして新之助の首筋にフランの幼くも鋭い牙が食い込んだ。

 

「いだっ!?」

 

 そして新之助の叫び声が大島酒蔵中に響き渡った。

 

 



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第十三話 ~パーティのお誘い~

 

 フランに噛み付かれた新之助は、その激痛から店全体に轟くような叫び声を上げてしまう。

 まだ幼いとはいえ鋭い吸血鬼の牙、それが二本も新之助の首筋に突き刺さっているのだ。その痛さは強烈なものがあるだろう。

 

「へっ? あ、つい……」

 

 しかし幸いにも新之助の首筋からすぐに牙が抜かれた。フランが新之助の悲鳴に体をびくつかせて驚き、口を離したのだ。

 そのフランの口からはよだれでも垂らしているかのように唇から血がしたたる。そのフランは困った様子で傷口と痛がる新之助を交互に見ていた。

 フランは霊夢が紅魔館で言っていた事を思い出す。人里で人に危害を加えたらどうなるか。皆と放れ、一生孤独に暮らすのだ。

 フランは震えていた。

 昔は地下で軟禁されていた時は平気だった孤独。しかし今となってはその孤独がとても怖いものになってしまった。それは少し手荒いが、遊んでくれるものたちの存在があるから。それがとても怖かったのだ。

 その時、新之助の悲鳴を聞きつけてかばたばたと慌ただしい足音が近づいてくる。

 それにフランはびくつき首を振って入り口を見る。続いて表情が困った色から恐怖の色に塗り替えられていく。

 このまま行けば霊夢の言ったとおり閻魔様のところで一生暮らす事になってしまう。

 その事を考えるとフランの体が更に震えて止まらなくなってしまった。

 

「や、やだ……いやっ」

「フランちゃん?」

 

 そしてその足音はフラン達がいる部屋の入り口で止まる。そして中を覗き見る従業員。

 フランは祈るように力いっぱい目を瞑る。

 

(誰か……助けて!)

 

 その時、フランはまたあの心地よい安心感に身を包まれた。

先日涙を流した時と同じ。

 それは新之助だった。震えるフランを先ほどよりも強く、新之助が抱きしめたのだ。それは入り口に背を向けるようにして、更にフランの口元を隠し、そして首筋の傷が見えないようにはっぴで隠しながら。

 

「若どうかしましたか?」

 

 その中を覗き見た従業員はあっと驚き、見てはいけないものを見てしまったとばかりに顔を背ける。その中では新之助がフランを抱きしめているのだ。無理も無い。

 その従業員は恐らく変な想像をしているだろうが新之助とフランはそんな誤解を解くような余裕も無い。

 フランは新之助の胸に顔をうずめて困ったような目をしているし、新之助は新之助で苦痛で歪む顔を何とか必死に変えて微妙な表情をしている。それは従業員に見られて気まずいと言う表情と見えなくも無い。

 

「なんだ?」

 

 新之助はあたふたしている従業員にそう言うだけで精一杯だ。

 

「い、いえ。若の悲鳴が聞こえたので」

「机に足をぶつけてしまっただけだ。でも大丈夫」

「そ、そうですか」

「まだ何かあるのか?」

「あ、はい……それがワインがもうほとんど売れてしまっていて……発注数を検討し直して欲しいとのことです」

「わかった後で行く」

「では……その、ごゆっくり」

 

 そんなことを抜かして従業員はご丁寧に扉を閉めて何処かへ行ってしまった。

 足音が聞こえなくなると、その間ずっと息を止めていたかのように、新之助が大きなため息をつく。

 そして目線をドアから、抱きしめているフランの方へ移す。そこには口に血をつけて困ったように新之助を見上げるフランの顔があった。

 

「私……」

「大丈夫、もう行ったよ。」

 

 フランを安心させようと優しく言う新之助。

 そう言われてフランは初めて閻魔様の所で一生暮らすことを暫定的に免れた事を認識する。

 しかしその新之助の表情は痛みで半分歪んでいる。

 そしてその表情を見てフランは自分の心配ばかりで新之助の心配をかけらもしてない事に気がついた。

 

「新之助……」

「ん?」

「……痛い?」

「ちょ、ちょっとね」

 

 と顔を引きつらせながら笑う新之助。いつも大丈夫と言ってくれる新之助もさすがにちょっと痛過ぎたのか、大丈夫とは言わない。

 その言葉にフランの曇った表情は、雨が降ってきそうなほどに更に曇ってしまう。

 

「名前」

「え?」

 

 その時その曇った表情に風が吹く。

 

「はじめて名前呼んでくれたね」

「……?」

 

 フランの表情は未だ曇ったままだがそれに困惑の色が加えられた。

 

「新之助って呼んでくれたよね。ありがとう」

 

 とフランのやわらかい唇についた血をぬぐいながら笑顔でお礼を言う。

 フランは今まで新之助を名前で呼んだことが無かった。それが新之助はとても嬉しかったのだろう。だからフランに「ありがとう」と言ったのだが、フランはそんな事でなんでお礼を言われるのか分からなかった。

 先ほどの文がやった事でお礼を言われたのではなく今度は本当に自分にお礼を言われたのだ。

 人間は本当に不思議な生き物だとそしておかしな生き物だとフランは思った。名前を呼ばれただけで嬉しいなんて、と。

 そしてそれがフランの顔にかかっていた雲を徐々に散らしていった。

 

「うん!」

 

 その言葉にフランは元気よく返事するのだった。

 

 

 

 

 

 フランは新之助の首筋にぽっかり空いた穴を消毒しようと綿に消毒液を染み込ませる。全て新之助の指示通りなのだが。フランは新之助が自分でやるからと言っても聞かず、自分がやると言い出したのだ。

 自分がやってしまった事だから、せめて自分の手で手当てしたいと言う事なのだろう。

 そこで断るほど新之助は人の気持ちに鈍感な人物でもない。新之助は首筋と言う事で手当てしにくい事もあり任せたが、それがいいところのお嬢様であるフランと言う事で少し不安だった。

 トントンと消毒液を染み込ませた綿で叩くと新之助は思わず痛みで声を出してしまう。しかしそれをフランは

 

「それくらい我慢しなさい」

 

 などと自分がやった事ではないかのように笑いながら言う。恐らくはレミリアの受け売りなのだろうか。

 無神経なようだがそれで新之助も気を遣わないで済むお互いに楽なのかもしれない。だから新之助はそれを聞いて楽しそうに笑う。

 ガーゼをテープで目も当てられないほど汚く貼るフラン。中々うまくいかないから何度も何度も貼り付けたせいでこぶみたいになっている。それには新之助も苦笑いだ。

 苦戦しながらも粗方手当てが済むと、新之助がフランにある提案を申し出た。

 

「そうだフランちゃん」

「ん?」

「もう少ししたらパーティがあるんだけど」

「ぱーてぃ?」

「そう。ワインの事を聞きつけた町長さんがワインをパーティで使いたいって言ってきてくれてね。それで大島酒蔵も参加しないかって」

「へ~」

「煌びやかな衣装を身に着けた人たちが集まって皆で踊るんだ。おいしい食べ物も色々用意されているらしいよ?」

「ふ~ん」

 

 フランはあまり興味なさげにそう言って失敗したテープを丸めて遊んでいる。新之助もそんなのれんに腕押しのフランに苦笑いで頬を掻く。

 実はフランは昔、吸血鬼であり貴族でもある父親によくパーティにレミリアと一緒によくパーティに引っ張り出されていた。そしてパーティの度に自慢の娘だと見せびらかせられていたのだ。

 レミリアのように礼儀正しくなどした事がないフランはいつも父親のそばに引っ付いているか、陰に隠れながら離れてパーティを見ているしかなかった。

 だからパーティなど飽き飽きしていたし、あまりいい思い出も無かった。

 

「よかったら……その……」

「新之助」

「ん? 何?」

 

 このままでは新之助はフランを誘ってパーティに行こうとするだろう。そしてそれを分からないフランではない。フランは過去のこともあり、パーティは正直行きたくないと思っていた。

 しかし新之助に誘われたら断る事は難しい。傷の事もあり、恩をあだで返す事になってしまう。だからそうなる前に手を打っておく必要がある。

 

「私もワインのみたいな」

「だめだよ。お酒は20歳になってからなんだよ?」

「私500歳超えてるもん」

「なるほど。じゃあパーティでもでるから……その……僕と一緒に」

「あ! そういえば前にいた子猫が見あたらないんだけど、どこ行ったんだろ?」

「ああ、あの猫はたまにくるんだよ。いつも二本尻尾が生えた猫と一緒に遊んでるけどね」

「ふ~ん。そこって何処? そこに連れて行って欲しいな」

「いいよ、そこは今度のパーティの会場なんだパーティに行く時に一緒に」

「そ、そう言えば昔、おねぇさまのお腹に穴が開いて、飲んだ紅茶が」

 

 とその時、新之助が何か決心したような表情でフランの両肩を掴む。フランはその迫力におっかなびっくりといった感じで目をぱちくりとさせている。

 

「し、新之助?」

「僕と一緒にパーティ行かない?」

 

 ついに言われてしまった。

 

「えと……その……」

「僕とじゃ嫌かな?」

 

 必死な新之助に戸惑い、なかなか言葉が出てこない。そんなフランに新之助が追い討ちをかける。

 フランは目を背けて黙り込んでしまう。新之助はフランの答えをじっと待つが反応はない。

 その沈黙が長くなったせいか新之助のフランの両肩を掴む力が段々弱くなる。それと同時に新之助の表情にも諦めの色が次第に濃くなっていく。

 面と向かって断れなければただ黙っていればいい。そうすれば暗黙のうちに断る事になる。

 しかしそうなると先程あった事に申し訳が立たなくなる。

 新之助はそれを狙って言ったのではないだろうがこの状況でフランがする返事はもう決まってしまっている。

 

「嫌じゃないけど……」

「けど?」

 

 新之助は希望の光を見たのか、ずいっとフランの方へ身を乗り出す。

 フランはそんな新之助を牽制するかのように先程丸めていたテープの塊を、ぴっと指ではじき新之助の顔に当てる。

 

「あたっ」

 

 そんな声を上げて思わず目を瞑る新之助。

 トンネルを抜けた先は銀世界だったと言う事がある。

 しかし新之助が目を開いた先にはそんな寒々とした光景が広がってはなかった。春のように暖かく柔らかい、そんな光景でもない。

 それはツンと唇を尖らせた表情で頬を膨らませ、しかし目は笑っているという高等技術を組み込んだフランの表情。真紅の瞳は新之助とは無縁のあらぬ方向を向いている。

 そしてその口からでてきた言葉は

 

「ちょっとだけなら……いいよ……」

 

 そんな短い言葉。

 しかしそんな短い言葉の効果は新之助には抜群だったようだ。新之助の顔がパーッと明るくなる。

 

「ほ、本当!?」

 

 フランはあらぬ方向を見ながら小さく頷く。

 

「ありがとう! フランちゃん!」

 

 そう言って新之助はまたお礼をいって、またフランを抱きしめる。

 心地よい包容感に包まれたフランは感謝された事もあいまって心が温かくなっていく。それはフランの頭にパーティに新之助と一緒に行くなら別にいいか、という考えが芽生えてくるほどだ。

 そしてすぐ引き離すとこうして入られないとばかりに立ち上がって

 

「じゃあすぐに準備してくるね!」

 

 そして慌てて扉の方へ走っていく。

 しかしフランのことで浮かれ、仕事のことを忘れていた新之助に天罰が下った。

 机の脚に思いっきり小指をぶつけて本日二度目の悲鳴を店中に轟かせる事になったのだった。

 

「ん? また若の悲鳴が聞こえる」

「見に行くんじゃねぇぞ。二人に失礼だからな」

「え?」

 

 



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第十四話 ~パーティ~

 

「し、しんのすけぇ~……」

 

 そんな情けない声で更衣室の扉から顔を出すフラン。しかし今は顔半分どころか顔の二割ほどしか見えていない。

 

「あ、フランちゃん着替え終わった?」

 

 そこは従業員が着替える時に使う更衣室の前。

 先日、フランをパーティに誘う事に成功した新之助は更衣室の前で待っていた。まだかまだかとうろうろしていたのだ。

 その新之助は黒いスーツに蝶ネクタイで決め込んでいる。

 つまるところ、これからそのパーティに行くのだ。

 

「これ、すごく恥ずかしいんだけど……」

 

 未だに恥ずかしがって扉から顔しか出せないでいるフラン。そんな姿を見てか、フランの後ろからしわ枯れた笑い声がする。

 それはフランの頭に頭突きをかました新之助の祖母だ。

 

「あんた本当にメンコイよぉ! 自信もちなぁ!」

「いたっ」

 

 そう言ってフランはドアのカーテンから叩き出される。

 そこにはラッピングされたプレゼントがあった、ように新之助には見えただろう。

 新之助の祖母によってラッピングされたフランはもうこれまでの幼い少女ではない。細い首、肩、健康的な鎖骨を露にし、胸を取り巻くように巻かれた白い襟。胸にはオレンジ色のチーフが真っ青な宝石のブローチで止められている。その下には真紅なドレスがフランを取り巻いている。

 フランが着ている普段の洋服の色に合わせた特注品だ。

 髪型もパーティ用のそれになっており、サイドテールはそのままでその片方の前髪をなで上げてヘアピンで留めている。

 フランの可愛らしいおでこが顔を覗かせて、首や耳にはネクレスとイヤリングが控えめといった具合に光っている。

 そんなフランは自分を叩き出した祖母に非難の声を上げるが目の前にいる新之助にその姿を見られて急にもじもじし始めていた。おでこを出すのが恥ずかしいのか片方の髪でおでこを隠そうとしている。

 そんなフランに新之助は無反応だった。それは驚きのあまり声が出ないから。

 フランは何も言ってくれない新之助に不満の視線を向ける。更に、その不満が頬に段々と注入されて膨らんでいく。

 フランの着ているドレスは普段着よりも露出が多い。普段隠されていた胸より上が丸見えの状態になっているのだ。ただでさえ恥ずかしい格好に、何も言ってくれないものだから余計恥ずかしくなってしまったらしい。だからフランは顔を真っ赤にして不満でいっぱいの頬を爆発させた。

 

「何か言ってよ!」

 

 新之助は恥ずかしさのあまり大きな声を上げるフランに気付き現実に引き戻される。

 

「あ、ああ、すごく……綺麗だよ」

「ほ、本当?」

「うん、本当に」

 

 それを聞いたフランの表情は満足そうなそれに変わっていた。あまつさえ無い胸を張って「よろしい!」などというフラン。新之助に太鼓判を押されたので先ほどとは違い、堂々たる振る舞いに変わっている。

 新之助もそれを見て笑っていると店の前から新之助を呼ぶ声がした。

 

「若! 準備できましたらいきやしょう! これが最後の便です!」

 

 それはワインをパーティ会場まで運ぶ用の大島酒蔵の馬車だった。中にはいくつかのワインが詰まった箱がおいてある。

 従業員の言うとおりそれが最後の便なのでワイン箱は少ない。は新之助とフランが十分入れるほどのスペースがあった。

 

「フランちゃん、行こう。」

「うん!」

 

 新之助は白いロンググローブで包まれたフランの手を取ってエスコートする。

 両脇を従業員に見守られて二人が馬車へ向かっていく。

 

「フラン御嬢、お綺麗ですよっ」

 

 フランはそう言う従業員に満面の笑顔で「ありがとう」と返す。言った従業員も言われたフランもご満悦の顔だ。

 二人は馬車に乗り込むと鞭が叩かれる音で馬車が走り出す。

 ゴトゴトゴトと音を立てて揺れ、走る馬車。

 フランは大島酒蔵以外に人里を見た事がなかったのか、ワインの箱に体を預け、興味津々と言った具合に窓から外を眺めている。

 外は真っ暗で街灯が灯っている。商店街を通ると店じまいを始めている町民達が。

 銭湯にはタオルとオケを小脇に挟み親子で入っていく町民達と、様々だ。

 そんなフランを新之助は笑顔で眺めている。

 その視線に気付いたのか、フランは首を傾げてくる。何とも子供っぽいその仕草で。

 

「どうしたの?」

「楽しそうだなってね」

 

 と新之助が笑いながら言うと何故だか頬を膨らますフラン。

 

「だって人里ってあんまり見た事無かったんだもん!」

 

 恐らく、そんなたいしたことが無い風景で楽しそうにしている様子を馬鹿にされたと思ったのだろう。もちろん新之助はそんな事は思っていない。しかし新之助はそんな濡れ衣をすぐさま違うと否定するようなことはしない。

 

「じゃあさ、今度案内するよ。町の中を」

「本当っ?」

 

 新之助は無言で、そして笑顔で頷く。

 先日とは違いこれには乗り気のフランに少し疑問を持つ新之助。

 

「フランちゃん」

「ん? 何?」

 

 フランは顔だけを新之助に向けて問う。

 何故あの時フランは嫌がったのか。それを新之助はフランに聞いてみた。もしパーティの何が嫌なのか事前に分かっていれば新之助はそれを防ぐ事ができる。

 

「ああ、それね……」

 

 フランは外に向いている体を新之助に向ける。そして新之助に先日誘われた時に思っていた事を全部話した。パーティであった思い出を。

 フランは悲しそうな表情ではなくどこか懐かしむように話していた。今はなき両親のことを思い出しているのだろう。

 それを何故かウンウンと頷きながら話す新之助。

 

「それは辛かったね」

 

 と全て話し終えるとそんな感想が返ってくる。

 フランはそんな新之助を目を細めていぶかしげに見る。自分の気持ちが本当に分かるのだろうかと。

 その疑問を抱くのとほぼ同時。馬車が止まり馬を操っていた従業員が窓をコンコンと叩き「つきやした!」と一言声かけてくる。

 そこはパーティ会場の裏口だった。ワインや食料を運搬する用の大きな入り口が空いている場所だ。

 

「ありがとう。助かるよ」

「いえいえ、この方がいいと思いやして。ここで待っていやすのでお帰りの際はまたこちらへお寄り下せぇ」

「分かった」

 

 どうやらフランが正面から行くと、騒ぎがでかくなりそうだからと従業員が気を利かせてくれたようだ。

 

「行こうフランちゃん」

「うん」

 

 フランは新之助に手を引かれ馬車から降りる。そして裏口から入ると不気味な廊下が一本伸びていた。一応照明はついているものの間隔が広いせいで薄暗い。廊下の床も微妙に光沢があり、怪しい光を放っている。

 フランにはいつも暮らしている地下よりかは明るいので特に何とも思わないが、新之助はフランを怖がらせないようにしようと一生懸命リードしている。フランは後ろを歩いているので知る由は無いが表情は一生懸命だ。

 すると徐々に人々の声と心地よいリズムの音楽が聞こえてくる。見れば突き当たりには大きな扉がありその隙間から光と人々のざわめきが漏れ出している。

 新之助が突き当たりの扉を押し開けると

 

「ふぁっ……」

 

 そんな間抜けな声を出してしまうほどにフランは驚いた。

 薄暗く不気味な廊下を抜ければそこはセピア色で染められた世界だったからだ。

 上からつるされているどでかいシャンデリアがそこにあるすべてのものにセピア色のフィルターをかけているらしい。机の上には銀色の食器が並べられその上には豪華な料理やデザートがところ狭しと並べられている。それらもすべてセピア色に染められて。

 しかしフランが驚いたのはその規模だった。昔はそれほど広くはなかったのだろう。今はフランの背が小さいこともあるが端が見えないほどに広い。

 更に中央には床が競りあがった舞台が用意されていた。その上には楽器を持った人々が綺麗に並んで座っている。その目前にはピアノがひとつ。そこに置かれたピアノの横に立っている指揮者の持っている指揮棒に合わせて楽器を演奏している。

 それは女性だった。指揮者で女性とはなんとも珍しい。

 その前には様々な鮮やかな色のドレスで着飾った女性とスーツを着た男性が一組になってゆったりとしたリズムでダンスを踊っていた。

 その他に、あるものは皿にスイーツを乗せて喋っていたり、あるものは食べ物をがっついているものもいる。

 

「よぉお! 坊主! 久しぶりだな!」

 

 と予想外の光景に呆けていたフランがびくりと体をすくませる程の大声を上げて、新之助に喋りかけてくるものがいた。それは頭を白髪で覆い、顎にも真っ白な髭をたっぷりと蓄えた老人だった。

 老人にしては恰幅のいい体躯をしている。この人物はこの町の町長だ。

 

「町長。こんばんは。いつもお世話になっております」

「はっはっは。いやぁ、いつの間にこんなにでかくなりやがったんだ?」

 

 二人は握手を交わしてそんな挨拶をする。

 なにやら何処かの輩みたいな喋り方のこの男。その恰幅のよさから見て町長よりも何処かの山賊の長と言った方が似合いそうだ。

 

「ご無沙汰してます。しかしなんだかずいぶん賑わっていますね」

「ああ、今年は大物指揮者が来てくれてな。お前も聞いた事があるだろう! あの女指揮者でもあり作曲家でもある久石レミだ! 皆は親しみを込めて久石嬢と呼んでいるがな」

 

 新之助は驚いたように演奏している人々の前で指揮棒を振っている女性を見る。それは紛れもなく久石嬢だった。

 新之助は新之助で偉く興奮して見入っている。恐らくファンなのだろう。

 新之助の服を掴みながら隠れるように後ろについてきていたフランもその方向を見る。

 

「おい大島! そいつぁもしかして」

 

 するとそのフランに町長が気付いた。フランもその声に気づいて新之助の後ろに隠れながら、またもや顔を不気味にのぞかせる。

 

「ちょっと待って下さい……よく見えないなぁ……」

「吸血鬼の娘じゃないか?」

「あたたたたっ」

 

 そんな新之助の耳を引っ張りながら町長が隠れているフランを見ながら問う。フランは横目に長老を見つめている。

 

「ええ……そうですよ。可愛いでしょう?」

 

 耳を引っ張られた新之助は町長の方へ向き直り耳をさすりながら言う。その言葉ではっと向き直り頬を膨らませ新之助を睨むフラン。

 フランは見せびらかせられるのが嫌いでパーティに行きたくなかったのだ。それを新之助が思い出した時にはもう遅く、更に新之助の後ろに完全に隠れてしまう。

 

「がっはっはっは! お前の若い頃を思い出すな! お前も両親に連れてこられてはずっと後ろに隠れてたなぁ」

「ちょ、町長! 変な事言わないでくださいよ!」

 

 その言葉で不機嫌になったフランは顔をひょっこり出して新之助の顔をうかがう。新之助は恥ずかしそうに笑い、頬を掻きながらフランを見ている。どうやら先程、馬車の中でウンウンと頷いていたのは本当に気持ちが分かっていたらしい。

 

「新之助も恥ずかしがってたの?」

 

 先程の仕返しとばかりに新之助の触れられたくないと思われる過去をフランは突っついた。

 

「そうさ! こいつときたらずっと親の後ろに引っ付いていてなぁ、二人がダンスを踊っている時なんざ、柱に隠れて泣きそうに――」

「町長! 他にも挨拶しないといけない人がいるのでこれで失礼させてもらいますよ!」

「がっはっは! 全く、恥ずかしがりは直っとらんのか!?」

「勘弁してくださいよ……」

 

 フランはそんな新之助を見て意地悪く笑い、町長はそんなフランを見て更に豪快に笑う。新之助は肩をすくませるしかない。

 

「では、失礼します」

「ああ、ワインありがとな!」

 

 

 

 新之助は誰かを探すように首を振りながら歩いている。フランは新之助の服を掴みながら人ごみの中を掻き分けて進んでいく。

 

「あ、小島さんがいた」

 

 新之助の目線の先には頭を白髪で埋め尽くし、顔には多くのしわを刻んだ小島酒蔵当主の姿があった。前の会議で霊夢を追い詰めた人物だ。

 

「ちょっと挨拶に……」

「私も行くの?」

 

 と、フランは不満げな顔でいきたくないと無言で訴える。

 その言葉に新之助は驚き、続いて残念な表情を見せた。フランは先程の事を根に持っているのだろう。人前で自分を自慢した事を。

 

「じゃ、じゃあ……そこに食べ物あるから好きなの食べてて」

 

 それは自分の失態だったためあきらめたようだ。

 

「わかった!」

 

 新之助は残念そうな顔をして小島当主の方へ歩いていく。フランはそれを笑って見送ったのだった。

 その時、小島当主が新之助を見つけそのすぐ後フランを見た気がした。

 それはどこか睨んでいる風でもあったがすぐに視線は新之助に向けられた。

 フランは首をかしげ、特に気にする様子もなく、フラフラとスイーツがずらりと並べて置かれているテーブルに吸い寄せられるように近づいていく。そこにはプリンやらミニケーキ、フルーツなどが置いてある。

 

「うわぁー! おいしそう!!」

 

 フランは今にもよだれが垂れそうだが、そのテーブルの横に置いてあったワインに目がいった。

 

(おいしいのかな……)

 

 フランは一つ手にとり、皆が皆匂いを最初に嗅いでいたからか、匂いを嗅いでみた。

 それはフランにとってはいい匂いではなかったらしい。それに眉を潜める。

 嗅覚はそれが自分にとって毒か毒ではないかを見極める一種のセキュリティ装置を担っている。だからフランはそれが腐っているのではないかと疑いの目で睨みつける。

 

「むー……」

 

 しかし周りを見ると皆平気で飲んでいる。ならば大丈夫だろうと一気に口に含むフラン。

 

「うぐっ」

 

 フランの嗅覚は正しかったらしい。フランの幼い口にはワインは合わなかったようだ。口をパンパンに膨らませながら震えて悶えている。それから手に持った空のグラスにワインを吐き出した。

 

「うぇ……不味い……」

 

 そう一言言い残し、吐いたワインが入ったグラスを元あった場所に戻し

 

「よし!」

 

 と、一言。

 何が「よし!」なのかはわからないが、よい子は真似してはいけない。

 今度はお口直しとばかりにお皿を手に取り、ミニケーキやらフルーツを積み上げてフォークで串刺しにしてパクパクと食べ始めた。

 

「おいしい!」

 

 こちらはフランの幼い口にも置きに召したようだ。そのスイーツはパクパクと開くフランの小さな口の中に消えていく。それはとどまるところを知らないといった具合に。

 その時、久石嬢による音楽が一曲終わったようだ。拍手が起こり、一瞬騒がしくなった後少しの間静まり返る。

 その間もフランは拍手もせずにお構いなしに食べる食べる。

 しかしそんなフランの周りだけ、新たにざわめきが起こり始める。

 それもそのはずだ。ドレスは西洋のものでフランも西洋出身者だ。まず顔立ちからして良い意味で違う。ドレスに似合う顔立ちをしていて周りからは群を抜いて目立つ。ドレスは西洋の顔立ちに合わせて作られているのだから当然だろう。

 更に髪の色、目の色、肌の色。全てにおいて人形のようなフランに町民が注目しないはずが無い。

 

 そして、フランは吸血鬼だった。

 

「おい、吸血鬼の娘だ」

「本当、怖いわ」

「何しにきたんだ?」

「出ましょうよ、ぜったい暴れだすわ!」

「あんな格好してまさか踊る気?」

「早く閻魔のとこ言っちまえばいいのに!」

「何で霊夢さんは殺さないんだっ」

 

 そんな声がざわめきとなってフランの周りから聞こえてくる。そしてそれは次第に大きくなっていく。

 

「……」

 

 フランは口をむぐむぐしながら目だけで周りを伺うと皆奇異な目で自分を見ている。

 

(うざいなぁ……皆……殺してやろうか……)

 

 そしてまた一口フォークに刺したケーキをパクリ。その頬は少し釣りあがっている。

 むぐむぐしているせいでよく分からないが、もしかしたら薄ら笑いでも浮かべているのかもしれない。

 

(この腕輪なんか無かったら皆殺しなんだからっ)

 

 腕輪がなければいつものように暴れだし、皆殺されているだろう。

 しかし今は力が使えない。フランは力が使えない時、この不快な感覚を払拭するすべを、物を破壊する事意外では知らなかった。

 

「死んでしまえばいいのに」

 

 その時、ざわめきの中からそんな言葉が聞こえた。

 

 

 



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第十五話 ~レッツダンス~

コトリ

 

 フランは最後のミニケーキを頬張るように口に含み皿を置く。そしてそれを飲み下した直後、丁度ピアノの音が鳴り始めた。

 久石嬢による二曲目だ。それは独奏なのだろうか。ピアノの音しか聞こえない。それはどこか悲しく哀愁漂う曲調。

 その曲が始まるとフランの周りで囁き、ざわめいていた町民達が久石嬢の方へ視線を向け始める。新之助がファンになる程だ、とても有名な音楽家なのだろう。町民達全員が皆黙りこんで耳を傾けている。

 そしてフランはというと、テーブルに置かれた何も乗せられていない皿の傍、そこにはもういなかった。

 久石嬢による曲が始まると同時に、女の手を男が手に取りダンスを申し込む光景があちらこちらで見て取れるようになる。受け入れられる者もいれば断られる者もいる。受け入れられれば中央の広く空いた場所へ移動しダンスを踊るのだ。

 そして段々ペアを組んだ町民達が中央へ集まってくる。

 その時フランは外に出るためのいくつかある開け放たれた扉から外へ出ていた。その扉の横で背を壁につけ、浮かない顔をしてたたずんでいた。

 

「やっぱり人間って分からない……」

 

 そう独りつぶやいてため息をつき、無駄に光学迷彩を付けられた腕輪を探り当てる。忌々しそうな視線を送った後、無理やりに取ろうとする、がやはり取ることはできない。そこで二度目のため息。

 

(やっぱりパーティなんか来るんじゃなかった……新之助もどこか行っちゃうし……)

 

 乗り気ではなかったパーティに無理やり誘ってきた新之助はいない。フランは嫌なことは嫌だと言えばよかったと軽く後悔した。しかし噛んでしまったことへの謝意が邪魔をして結局断りきれなかっただろう。結果フランが思っていた以上に酷い有様になってしまったが。

 

「新之助のばかっ」

 

 そんなやるせない気持ちが吐き出された直後、先程まで悲しい曲調だった曲が陽気な曲調に変わる。演奏される楽器も増えて音量が上がった。

 フランがそれに気付いて大島酒蔵の店を扉の影から不気味に覗いた時の要領でまた顔半分を出す。

 そこにはまだダンスを求め求められる町民が多くいた。

 そのうちの一人の女。多数の男に囲まれてダンスを求められている。誰と踊ろうか決めかねているようだ。

 

(あの時もこうだったな……私は柱に隠れて……)

 

 フランは昔、パーティに連れてこられた事を思い出す。

親は二人してダンスを踊り、レミリアもまた、複数の男達からダンスを求められていた。

 もちろんフランにもダンスを求める男はいた。

 しかしフランはそれがその時は怖かったのだろう。柱に隠れてダンスを求めてくる男達から逃げていた。そして多くの男からダンスを迫られるレミリアを影からこっそり見ていたのだ。

 

(おねぇさまと……誰だか知らないロリコン共が……踊りを申し込んで……)

 

 丁度このようなセピア色のシャンデリアの照明で照らされて

 

『お嬢様』

 

 男はレミリアの手を取り、目の高さまで持ち上げる。

 

 そしてこう言うのだ。

 

『私と一曲踊りませんか』

 

 と、

 

(そう、こんな風に)

 

 手を持ち上げて

 

「僕と一曲踊りませんか?」

 

 レミリアにかけた言葉と同じ文句が自分に投げかけられ、想像の中から現実へ引き戻される。しかし急で、更には同じ文句が投げかけられたことでフランの頭の中が想像の中に置いてきぼりにされてしまった。

 懐かしくも苦い思い出の中でその文句に楽しそうに答えるレミリアのような振る舞いはフランにはできず固まってしまう。

 然るべく、フランはぽかんと口を開けているが声がでない。

 フランは気付くと目の高さに手を持ち上げられていたのだ。そして目の前には見慣れた眼鏡をかけ、見慣れた黒髪、更に黒いスーツを着た人物。

 

「しんのす……け?」

 

 新之助がとても柔らかな笑みを浮かべてフランの目の前にいる。

 

「行こう! フランちゃん!」

「うぁっ、ちょっ!?」

 

 フランは手を引っ張られ、また会場の中へ連れこまれる。それはこけない為に足を出さざるをえない歩みで。フラン自らが進んで会場に入っていこうという歩みではない。

 するとそんな二人を見て周りからまたざわめきが生まれる。そのざわめきの内容は言うまでもなくフランへの侮蔑や嫌味などのわずらわしいもの。

 フランは目だけで周りを見る。

どの町民もフランを厄介者を見るような目で見ている。その目はせっかくのいい曲をぶち壊してくれるなと、それよりも早くこの会場から出て行けと、言うような視線。

 その視線はフランの顔をうつむかせた。

 しかし新之助はそんな事関係ないとばかりにぐいぐいとフランの手を引いて会場の中央へ連れて行こうとする。

 フランはまたこんな居心地の悪い場所に行かなければならないのかと軽く頬を膨らませる。

 

(もう帰りたい……)

 

 ただでさえ嫌いなパーティで今度はダンスの誘い。しかも雰囲気は最悪。

 約束ではちょっとだけの参加ということだった。

フランは思った。噛んでしまった事への謝罪としてはもう十分だろう。吸血鬼を見せびらかせて満足したかと、皮肉をこめて新之助に不満をぶちまけてさっさと帰ろうと。

 だからフランは頬を不満でいっぱいに膨らませて顔を上げる、とそこには真剣な顔をしている新之助の横顔がセピア色のシャンデリアに照らされていた。その真剣そのものの顔でフランの手を握り、会場の中央へ連れ出そうとしている。

 それを見てフランは不思議な感情に襲われた。

 一言二言文句を言って帰りたいと言えば新之助は帰らせてくれたに違いない。普段あんなに優しいのだから嫌がっているフランを無理やりに踊らせたりはしない筈だ。断られたとしても吸血鬼であるフランの力は人間の倍はある。力ずくで新之助を引き止めれば簡単に帰ることができた。

はずだった。

 フランはそうしなかった。

 そうすると何故かもったいないような気がしたのだ。

 フランは自分でもよく分からなかった。何故そんな事を思ってしまったのだろうかと。

 いつの間にかフランの頬からは不満の膨らみは消え失せていた。しかしそれは笑顔でもなく怒るでもない。フランは不思議そうな顔をして、ぽかんと口を開けて新之助を見ていた。

 そしてふと新之助が振り返る。その顔は先程の真剣な顔とは違いまた柔らかな笑顔。

 

「僕の肩に手をかけて」

 

 と一言。

 フランは黙って頷き、新之助に言われるままおずおずと肩に手をかける。 普段はまっすぐに手を伸ばさないと手は届かないが、今はハイヒールを履いているせいで軽々と手が届く。

 新之助がフランの細い腰を支え、もう片方の手でリードしてゆっくりステップを踏み始める。フランも突然のダンスに戸惑いながらも新之助にあわせステップを踏む。

 実はフランがダンスを踊るのは初めてだった。パーティ嫌いのフランには無縁だったからだ。

 だからゆったりな曲調は初めてダンスを踊るフランには安心できる速さだったようで、何とか踊れている。いきなりフランを連れ出してしまったため、新之助はそんなフランを見て一安心だ。

 しかしそれはフランが隠れてしまい、すでに曲が演奏されてしまっていたから。だからそのフランを探し出すために使われたBGMの付けが今回ってきた。

 

曲調が段々と速くなる。

 

 さらに速くステップを踏み、曲に合わせて踊り始める。初心者のフランには無理かと思われたが意外にも右へ左へ華麗にステップを踏んでいく。

 フランは見よう見真似でダンスを踊っていた。その見よう見真似とは昔踊っているレミリアを見て。

 短く結われた色素の薄い黄金のサイドポニーが小刻みに揺れ、赤いドレスは大きな波を生んでうねりを上げる。

 すると周りからまたざわめきがおこる。それはフランへの恐怖や不服不満ではない。意外にも上手に踊る二人に感嘆の意を示すざわめきだ。

 先程は負に働いたフランの洋風な顔立ちと真っ赤なドレス。それが今、華麗にダンスを踊っているのだ。目を引かないわけがない。

 その全てが調和した二人の華麗なダンスに町民達の視線はまさに釘付けだった。

 それは周りで踊っているもの達も止まって注目してしまうほど。更には邪魔にならないように場所を空けるものまで出る始末。

 しかし新之助とフランはそんな事には全く気付かない。というよりも気づけない。踊りに集中しているのだ。

 くるくると二人は舞う。

 セピア色のシャンデリアに照らされて、二人の表情はセピア色の月のようにめまぐるしく満ち欠けする。

 

「上手いじゃないかフランちゃん」

「そ、そうかなぁ、えへへ」

 

 意外にも上手に踊るフランに新之助が微笑みかけるとフランも恥ずかしそうに微笑んで返してくる。だからか、それともダンスが激しいからか、先程まで膨らんでいたフランの白い頬は桃色に染まってきている。

 フランは思い出していた。

 

(あの時と同じだ)

 

 あの時とは柱の影からダンスを男と踊るレミリアを見ている時。

 

「フランちゃん、楽しい?」

(おねぇさまの時と……同じ)

 

 あの時は自分がこうなるとは全く思わなかった。楽しそうに踊るレミリアを見ていたあの時とは違う。柱の影からただ眺めていたあの時とは違うのだ。

 フランは顔をうつむける。

 今、新之助とダンスを踊っている事で、昔の自分では絶対に分からなかったであろう事が今分かった。

 

「フラン……ちゃん?」

 

 それはとても楽しいと言う事だ。

 

「めっちゃ楽しい!」

 

 満面の笑みを浮かべ、ニッと白い歯を出し両側の唇を吊り上げて両牙を見せるほどに頬を吊り上げる。

 それはとても気持ちのいい、そして幼くして男を虜にするそれだった。もちろん新之助はそのとても可愛い天使スマイルのフランにメロメロだ。

 嬉しさのあまりか、フランの笑うために細められた目から涙がほろりと、流れる。

 

「え?」

 

 それに新之助が気付くか気付かないかの間にタイミングよくセピア色の照明が落とされる。

 フランは今の内に涙を拭いておく。今の場面で涙は相応しくないと感じ取ったのだろう。こんな楽しい場所に涙など無用の長物だ。

 暗くなった会場はすぐに照明がつけられ、ぱっと明るくなる。

 しかし何かおかしい。自分達がいる場所以外はまだ真っ暗だ。更におかしいことに先程まで交互に満ち欠けしていた二つの月は双方共に満月だということ。

 スポットライトだった。つまりこれは新之助とフラン、その二人にのみに与えられた舞台だったのだ。

 不意にシンバルが叩かれ、それを合図に更に曲調が速くなり、音量もこれでもかとばかりに増していく。曲は最大の盛り上がりを見せ、会場を何枚もの振動で厚く包んでいく。

 

「な、なにこれ?!」

「フランちゃん! 楽しもう!」

 

 スポットライトに困惑するフランを新之助がリードする。

 二人の顔はずっと満月に輝き向き合い、そして笑顔だった。

 周りを暗く、そして厚い振動で包まれた心地よいそれはまさに二人の独壇場。

 二人はそれに応えるように、さっき程よりもピッチを上げて、華麗さに激しさを加えて乱舞する。その激しいダンスの間も二つの月は欠けることなく、笑みも欠けることはなかった。

 そして高い位置にある月が低い月に向かって倒れこむようにしてフィニッシュ。

 新月と満月が向かい合ったまま音楽がやんだ。

 少しの静寂のあと消されていた照明が灯され、辺りがまた明るくなる。

 中央にはまだフランが新之助の腕に支えられ上半身が仰向けになる程仰け反った格好で固まっていた。新之助が覆いかぶさるような形になっている。

 新之助の息は上がっている。そしてさすがのフランもその緊張と激しいダンスからか白い頬が赤く上気し、息も上がっていた。

 するとまた周りが振動に包まれていく。それは町民達のざわめきによって。続いて拍手が、そして会場が吹き飛ばんばかりの歓声があたりを猛烈な勢いで包んでいく。

 上空かはらきらきらと光る紙吹雪が、周りの視界を遮らんとひらひらと舞い落ちてくる。照明に照らされ、それに反射した紙吹雪がセピア色に輝いてフラン達を祝福しているようだ。

 フランは新之助に体勢を起こされそしてその綺麗な紙吹雪をぼんやりと眺めている。その紙吹雪が入ってしまいそうなほどにぽかんと口を開けて。

 もうフランはわけが分からなかった。

 その二人を取り囲む用に町民達が近づいてくる。

 

「感動したぞ吸血鬼の娘!」

「今度は私と一曲!」

「いや私とだ!」

「ちょっとどいて! よく見えないじゃない!」

「ほらケーキ食べる?」

「私の血を吸うかね?」

 

 などとわけの分からないことを言うものもいる。今までフランを忌み嫌っていた町民達とは思えないほどの心変わりようだ。

 フランは迫ってくる不思議な言葉を口々に叫ぶ町民が少し怖いのか、新之助にしがみ付いて隠れてしまっている。

 しかしそこでフランはまた心の中で呟くのだろう。

 

(やっぱり人間って分からない……)

 

 と。

 その顔には憂いでなく、笑みを浮かべて。

 その時、真上から紙吹雪ではない何かが降ってきた。それは人の形をしたもの。

 

「今期のMVPおめでとうございます! フランさん! 新之助さん!」

 

 新聞記者の射命丸文だった。

 

「MVP?」

「そうだよ。ここで一番上手くダンスを踊って皆を盛り上げたペアって事だよ」

 

 あの会場を真っ暗にし、スポットライトが当てる演出はそういうことだったようだ。そしてそれを決めるのはこの町の長だ。

 先程の老人が二人の方を見てウンウンと腕を組みながら頷いている。

 

「では写真を撮りますよ! 笑ってください!」

 

 いつの間にか自前の少し古風なカメラを構えて中腰になっている文。その表情はカメラでよくは見えないが楽しそうだ。

 文だけではない。二人のダンスを見て町民のほとんどが笑顔でうきうきしている。

 もちろん新之助とフランも例に漏れず、だ。

 

カシャッ

 

 その時撮られた写真は翌日、人里と幻想郷に文の手によってばら撒かれた事は言うまでもない。

 そこには町民に囲まれて、照れるように笑う新之助と、その新之助にしがみ付きながらも恥ずかしそうに横目でカメラを見るフランが写っていたという。

 

 

 

帰りの馬車

 

 二人はワインが無くなって広くなった馬車の中にいた。ゴトゴト揺れる際のビンが当たって出る無粋な音もない。

 新之助は背もたれに背中を預け、窓の外を興味心身に眺めているフランを横目で見つめていた。そんなフランと新之助の間には会場でもらったケーキがぎっしりとつめられている箱が鎮座している。

 二人は無言だった。

 それは気まずさからではない。

 あれほど感動的な出来事が起こった後だ、楽しさと喜びと少しの疲れがこの沈黙を生んでいた。この心地よい沈黙は滅多に味わう事はできないだろう。その雰囲気を味わっていたのだ。

 それは新之助だけではなく、おそらくフランも同じだろう。

 

ゴトリ

 

 と小石でも踏んだのか、馬車が少々大きく揺れた。その拍子にケーキの箱が座席からずり落ちそうになる。それを新之助が受け止める。と、気付けばフランが振り返り新之助の方を見ていた。

 

「……食べる?」

 

 と新之助が聞くとフランは首を振る。そして今まで外を眺めていたフランは前に向き直って座る。

 

「きょ、今日は楽しかったね」

 

 新之助は今まで黙っていたので、少しぎこちなくそんな事をフランに問う。

 するとフランは何故か少し不満そうなに口を尖らせ、新之助を睨みつけるのだ。

思いもしないフランの反応に新之助は驚きを隠せない。新之助は可愛く頷いてくれると思い込んでいただけに次の反応ができないでいる。

 すると新之助との間に置かれているケーキの詰まった箱をフランがひったくるようにして自分の膝の上に置く。

 ケーキを取られるとでも思ったのだろうかと新之助は思ったが、フランの口からはこんな言葉が飛び出してきた。

 

「見せびらかさないでっていったのにっ」

 

 フランは昔のことでパーティは嫌だと宣言している。見せびらかされ自慢されるような事が嫌だと。

 今回のパーティでは盛大に見せびらかされ、あまつさえ文に写真を取られ周りにばら撒かれる事になってしまった。

 ではフランは今回のパーティはやはりそんなに楽しくは無かったのだろうか、と新之助は考えてしまう。

 

「ご、ごめん……」

 

 そう一言謝って新之助はさっきまでのしんみりとして余韻に浸っていた自分が恥ずかしくなってしまう。だからフランから顔を背けて少しうつむいてしまう。

 そんな新之助にフランは一言こんな事を言うのだ。

 

「でも楽しかったから許してあげるっ」

 

 ケーキを二人の間からひったくるように奪い取ったのはそのためだったようだ。新之助の頬に柔らかいものが押し付けられ続いて甘い匂いがした。

 

「へ?」

 

 隣を見るとフランは箱の中のケーキをつまんでぱくりと食べむぐむぐしている。

 

「うん! おいしい!」

 

 そのフランを新之助は見ていたか見ていなかったのか分からない。

 

 悪魔と言われるフランの行いで目の前が真っ白になってしまったからだ。

 

 それは小悪魔なフランのキスによって。

 

 



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第十六話 ~夏の昼下がり~

 パーティから帰った次の日から、新之助は暇を見つけてはフランを町へ連れ出していった。

 フランには目に映るもの全てが目新しいようで、あれは何だこれは何だと新之助を質問攻めにする。そんな新之助も面倒くさがるそぶりすら見せず聞かれたら丁寧に教えてやる。

 しかし聞いただけで満足するフランではない。聞かされれば何にでも興味を持ち、実行に移さないと気がすまないのだ。だからいても立ってもいられないといった、そんなフランの手を取り、新之助はやりたいことができるように手助けをしてやる。

 しかし世間知らずのフランの相手をする事は大変だ。

 映画館に入ると興味津々に周りを見渡し、ポップコーンを片手に見ていたが最後には眠ってしまい、背負って帰らなければならなくなるし、馬車から見えた銭湯では男湯の方へ入ってこようとするフランを慌てて止める羽目になる。風呂の中は中で女に囲まれて大変だった、とかで半泣きで飛び出してちょっとした事件になったり。

 カフェの前、ショーウィンドウに飾られてあった巨大パフェの模型をボーっと眺めてよだれをたらしながら「あれが食べたい」などと新之助にねだる。新之助は少し意地悪がしたくなり「どうしようかな」と言うとフランはそれ以上ねだる事はせず、肩を落としてとぼとぼと歩いて行こうとしてしまう。それを新之助が慌てて呼び止めると、頬を吊り上げて牙を見せながらにやつくのだから新之助は苦笑いをせざるをえない。

 その体のどこにそんな量が入るのかと思うくらいに巨大パフェをぺろりと平らげてしまう。新之助はフランにパフェを食べさせてもらうと言う夢は実現できなかったが、フランの頬についているクリームを丁寧に拭いてやるという使命をおおせつかったことだけで万々歳だった。。

 こうしてフランは、当初は地獄のようにつまらないと思っていた日とは正反対の、毎日が楽しく、ずっとここで暮らしてもいいと思ってしまうくらいに充実した日々を送っていた。

 

 

 

 

 大島酒蔵にて昼食を済ませ、だべっていいるとフランがとても喜びそうなフレーズが新之助の口から出てきた。

 

「夏祭り?!」

「そう、今日からなんだ。出店ならもう出てるよ」

 

 フランは身を乗り出すほどに驚き、目を輝かせて新之助に問い返す。

 

「ねぇねぇ新之助! 祭りで雲が食べれるって本当!?」

「雲?」

 

 フランはうんうんと頷きながら新之助の解答を待っている。

 雲とは空に浮かんであるあの雲だろうか。祭りで雲のようなものといえばあれしかない。

 

「ああ、わた飴のこと? 雲みたいに白くて柔らかくて甘いんだ」

「お、おお~……」

 

 フランは感嘆の声を上げてそれが本当だった事、そして空に浮かんでいるあの柔らかい雲を食べれると勘違いし感動している。

 

「じゃ、じゃあじゃあ! 血の塊はあるの!?」

「血の塊?」

「透明な血の中に林檎があってね、なめると甘いらしいんだぁっ」

「ああ……あるよ」(林檎飴か……)

「じゃあ人魚すくいは!?」

「え?」

「巨乳すくいは!?」

「ええ!?」

「胸の大きな人を吊り上げるって……違うの?」

(誰が言ったんだろ……)

 

 新之助はその間違いを全部丁寧に説明していった。金魚すくいや、ヨーヨーすくいのことを。その間フランはずっと目を点にして聞いていた。

 

「魔理沙……コロシテヤルッ……」

 

 フランは恥ずかしそうに頬を赤らめる。

 新之助は祭りには何があるかをそんなフランに教えてやった。見たとたんにフランがよだれをたらしてねだりそうな甘辛ソースがかかったハンバーグやフランクフルトにたこ焼き。それを食べながら活気溢れ人々の中心で上下左右に揺れるみこしを見る。その雰囲気に呑まれながら渇いた喉を潤すために飲むラムネは最高だと。

 フランの目が太陽のように輝いている。

 

「今夜連れて行ってあげるよ」

「やたー!」

「今から行ってもなんかあるかも知れないけど。誰かに頼んで連れていてもらう?」

 

 と今にも飛び出しそうなフランにそんな事を言う。するとフランは新之助にとってとても嬉しい事を言ってくれたのだ。

 

「新之助と行きたい!」

 

 笑顔でそんな事を言うフランに新之助はもう鼻の下を伸ばしデレデレだ。

 

「新之助! 大学いかなくていいのかい!?」

 

 その時、タイミング悪く新之助の祖母から怒鳴り声が大島酒蔵に響いた。

 

「あ、それじゃ行って来るね!」

 

 新之助は教科書が入ったバッグを肩にかける。とても笑顔で。

 

「いってらっしゃい」

「はやく帰ってきてね!」

 

 祖母とフラン、二人で新之助を見送る。

 

「さあて、洗濯物でもするかねぇ」

 

 そう言って祖母は大島酒蔵の中に入っていく。

 昼間は客があまり来ない為、呼子はやらなくていいと言われている。やれば皆がちやほやしてくれる、それが嬉しいのかフランは自ら進んでやっているのだが今は暇なようだ。

 フランは中に戻ってこの暇な一日何をしようかと、辺りを見渡す。たまにいる小さな遊び相手である子猫はいない。テレビがあるが昼間はフランが見たいような番組は無い。

 退屈ほど苦痛なものは無い。困り果ててふと視線を落とすと机の上に箱が置いてある。何か入っていたのだろうか。覗いてみればその箱は空になっていて、その箱の横には箱を開けるために使ったと思われるカッターが置いてあった。

 それがフランの目に留まる。

 フランはカッターを手に取りカカカとカッターの刃を出してみた。そこには鈍く光るフランの紅の瞳。

 フランの幼く白い牙がゆっくりと姿を現した。

 

 

 

「おや? 誰かここにあったカッターしらねぇか?」

 

 カッターをしまい忘れた大島酒蔵の従業員が辺りを見渡し、すぐ近くにいた従業員に問う。

 

「さあ? 知りませんよ? あ、フランちゃん知らな――」

 

 と、その従業員はフランを見て一瞬びくついた。フランは今気付いたようにその従業員の方を見ているが、その小さな手には従業員が探していたカッターが握られている。

 慣れたとはいえあたりを破壊しつくす悪魔と呼ばれている妖怪なのだ。そんなフランの手に握られているものが少しでも他人を傷つけることができるものであるならば、それは人の心にただならぬ恐怖心を生んでしまうのだ。

 

「ふ、フランちゃん!?」

「へ? あ……な、何もしてないよ!」

 

 カッターと従業員を交互に見たフランはそんな言葉とカッターを投げ捨て、すぐに隣の部屋に慌てて逃げ去ってしまった。

 それを見て従業員達は顔を見合わせ首をかしげるだけ。幸いなことにフランへの恐怖心はカッターと共に捨て去られたようだ。

 フランが逃げ込んだ部屋は最初この大島酒蔵に連れてこられた時に寝かされていた場所。

 

「はぁ……ばれてないよね……あんなことしたら怒られるかな?」

 

 隣の部屋から怪しげにひょっこりと顔を出すと従業員達はもういない。代わりに正面に階段が見える。前に祖母が足を踏み外した階段だ。

 そしてその上から前と同じように祖母が降りてきた。またしても目の前が見えないくらいにうずたかく積み上げた洗濯物を持って。

 フランはフラフラと部屋から出ると、階段の正面に立つ。そこは丁度前に祖母に頭突きされた場所。

 そこでフランはこりもせず、またしても念を送り出す。

 

「踏み外せ~……こけろ~……」

 

 相も変わらずのフラン。しかし新之助が見たら顔をだらしなく緩ませて微笑んでいるかもしれないその光景。

 今まで少しは世話になっただろう人物に呪いの言葉をを吐くとはいい根性だ。呪いの言葉を送るあたりあまりいい思い出はないのだろうか。

 然るべく、フランの念が伝わったのだろう、祖母はまたバランスを崩し階段から足を踏み外す。洗濯物を盛大に舞い上げて祖母は体制を崩した。

 

「おお!」

 

 それにフランは目を輝かせる。が、祖母の脚力は異常だ。前はフランの頭に頭突きをかますほどの距離まで跳躍した。

 無論、今回もまたその強力な脚力でフランへ向かって跳んできた。人を呪わば穴二つだ。

 

「きたな!」

 

 だがフランも馬鹿ではない。一度犯したミスを二度も犯すような愚か者では決して

 

ゴツンッ!

 

 フランは馬鹿だった。

 すごい音を立てて激突する祖母とフランの額。そしてそれを支点にして祖母は体勢を立て直し、スタッと床に両足をつけて着地する。

 あろうことか、フランは祖母の頭突きに対抗して頭を突き出したのだ。

 

「ふう。すまないねぇ。また助けてもらっちゃってぇ……あれ? ちっこいのどこ行った」

 

 フランは祖母の目の前から消えていた。きょろきょろしていると下の方でゴロゴロと転がるような音と、うなり声が聞こえてくる。

 祖母が視線をおろすと額を押さえて悶えながら床をゴロゴロと転げまわるフランがいた。

 フランは勝てると思ったのだろうが想像以上の激痛に悶絶している。

 馬鹿が付くほど可愛らしいとはこのことかもしれない。そして吸血鬼のフランに勝ってしまう祖母の頭は一体どうなっているのだろうか。

 

 

 

 

「大丈夫かい?」

「うぅ……いたい……」

 

 祖母が用意してくれた氷嚢を額に押し付けながらフランは涙声だ。いくら吸血鬼で傷はすぐ治るといっても痛覚はある。痛いものは痛いのだ。

 

「あはははは、全くおかしな子だよぉ」

 

 祖母は自ら当たってきたフランのその物言いに思わず笑ってしまう。

 

「このくそばばあ! いつもなんでこっちに跳んでくるのよ!!」

「まあまあ、これでも食べるかい?」

「食べるぅ」

 

 氷嚢と共に持ち出したアイスをフランに差し出すと機嫌の熱さはアイスにすぐに覚まされて消えてしまったようだ。その辺は昔から全く成長していない様子。それをフランは覚えてもいないのだろうが。

 

「あんた新之助と仲良くやってるねぇ」

「うん!」

 

 雲の形は見るたびに変わる。

 その珍しくも無いが飽きもしない空を眺めながら、祖母とフランはその廊下から足を下ろし、ぶらぶらさせている。

 

「新之助は好きかい?」

「大好き!」

 

 元気よく返事をするフランの声に応えるようにむくむくと膨みを増していく入道雲。

 

「そうかいそうかい。じゃあ、新之助と結婚してお嫁さんにでもなるかい?」

「け、結婚!? 私が!?」

 

 その入道雲のように祖母の期待も膨らんでいるのだろうか。

 

「ははは、冗談さぁ。あんたはちっこすぎるよぉ」

「ちっこくないよ! それに新之助は私にめろめろだもん!」

「それはそれで困るんだけどねぇ……」

 

 だが膨大な体積を誇る入道雲の中は透かすかで拍子抜け。それにフランも対抗心を燃やす。そんな燃やされた対抗心も祖母の対応にすぐに鎮火してしまう

 

「新之助にも早くお嫁さんをもらって欲しいもんだねぇ」

「ふ~ん」

 

 昼間の真上から降り注ぐ太陽は二人がいる廊下には届かない。木造のその廊下は全てを焦がすほどの夏の昼にはうってつけの避暑地だった。

 適当に返事をしたフランはアイスをぺろぺろ舐め、片手を突いて空を眺める。

 

「そういやぁ、もうすぐあんたが来て一ヶ月だねぇ。そろそろ帰るのかい?」

「……うん」

 

 楽しいときはすぐに過ぎてしまうもの。

 フランが着てからちょうど一ヶ月。この日が終わるとフランは幻想郷に帰ることが出来るのだ。誰に危害を加えることもなく……多少はあっただろうが霊夢の言った条件は満たしているだろう。胸を張って帰ることが出来るというものだ。

 しかし、大手を振って帰ることが出来るならフランの表情は曇ってはいない。

 

「なんだい、浮かない顔して。戻りたくないのかえ?」

「戻りたいよっ……戻りたい……けど……」

「けど? どうしたんだい? 何でもばあちゃんに言ってみな」

 

 祖母はしわくちゃの口元を吊り上げて柔らかく微笑む。その仕草はどこか新之助に似ていた。これも血のつながりなのだろうか。

 だからそんな祖母に、フランはここに来る前の紅魔館であった事、皆を嫌いだと、更に死ねなどと言った事を全て話したみた。

 

「なるほどねぇ」

「皆私の事嫌いになってたらどうしよう?」

 

 もう棒だけになったアイスの棒をくわえながらしょんぼりするフランは抱きしめたいほど可愛らしいがそこにいるのは新之助でなく祖母だけだ。

 祖母はフランのくわえている棒を引き抜いて自分の棒と一緒にアイスを包んでいた袋の中に入れてやる。

 

「ならここにおるとええ」

「え? いいの?」

「構うもんかい。ちびっ子は遠慮なんかしなくていいのさぁ」

「……うん!」

 

 フランは正直に嬉しかった。こんな楽しいところにいつまででも居てもいいと言われたのだ。ちびっこなんていわれても気にならないくらいにうれしかった。

 その可愛らしい笑顔に祖母も感化されたのかフランを掴み上げる。そして困惑するフランを膝に座らせてやった。更にフランの肩に肘を置くように後ろから手を回してフランの胸の前で手首をとってフランを軽く抱きしめる。

 フランは特に抵抗しないがまだ困惑気味だ。

 

「こうしてると昔を思い出すねぇ……」

 

 祖母はひとつため息をついて、そして懐かしそうにこんな事を言う。

 昔を思い出すとは新之助の小さい頃だろうか。それとも

 

「新之助もこんな風に座ってたの?」

「そうさぁ。あんたみたいにちっこい頃あたしの膝の上に乗っかってねぇ。自分の特等席だって言って離れないのさぁ。そこは父親譲りだねぇ」

「父親?」

「ああ、もういないがね。あたしの息子さ」

 

 その言葉にフランは首をかしげてしまう。

 祖母は二代に渡り膝の上で育ててきたのだろう。自分の息子である新之助の父親と新之助、その両方の小さい頃を見る、ということは吸血鬼だとどれくらいの年月を重ねなければならないのだろうか。

 吸血鬼のフランには気の遠くなる話だろう、ちょっと想像できない。

 フランはそんな想像もできない思考を放棄し少し前に聞いた事、フランがこの計画を聞いた時に新之助が言っていた事を思い出した。

 

「事故で死んだんでしょ?」

「……そんな事、誰から聞いたんだい」

 

 急に祖母の顔が険しくなる。

 

「新之助からだよ」

 

 フランは首をかしげて振り返るように祖母を見る。

 

「あの子が事故って言ったのかい……」

 

 フランが頷くと祖母の険しい顔がため息をつくと同時に残念そうな、もの悲しげな顔になっていく。そして二人を見下ろしている入道雲と祖母の目が合う。

 

「……ありゃあね。事故なんかじゃないのさ」

「え?」

「殺されたんだよ」

 

 そう言い捨てる祖母。フランは首が疲れてきたのか、祖母の胸に頭頂部を押し当て、真上をむいて見上げる。

 

「まじで?」

 

 傍から見れば少し間抜けな体制。そのまま文の真似をするので思わず祖母は頬が緩んでしまう。

 

「ああ、マジさ。おおマジさね」

「誰に殺されたの?」

「さぁてねぇ。誰だろうねぇ」

 

 フランに当てられたのか険しい表情がとれ、意地悪くひっひっひと笑っている。

 祖母は誰が殺したか知っているのだろう。それを教えてやらならいと、フランに意地悪をするような笑いを見せる。

 

「でもまぁ事故じゃぁないさぁ」

「ふ~ん。でも新之助は事故だって」

 

 新之助は事故だといった。信じるならば祖母よりも新之助だ。それが今のフランの優先順位だった。

 しかし祖母の表情は何一つ崩れない。

 

「あの子はそう言うだろうねぇ。そう思わないとやっていけないんだろうよ」

「どゆこと?」

「あの子はねぇ、殺した犯人はもう分かってるのさ」

「じゃあ仕返しに行かないと」

「んあっはっはっはっ、あんたあたしに似てるねぇ」

 

 フランの幼い顔からは想像できなかったからか、声を上げて笑いだした。

 だがフランはそのしわくちゃの顔でそんな事を言われれば当然、というような顔だ。

 

「なんだいその顔は」

 

 だから祖母は上を向いて不満そうな顔をしているフランの頬を掴み引っ張って意地悪をしてやるのだった。

 

「ふぃふぁい(いたい)」

 

 祖母の意地悪から放たれたフランは頬をさするとその頭の上からまた祖母の声が聞こえてくる。

 

「新之助が言うんだよ。僕はあきらめない、そんな事をしたって無駄だとわからせてやるんだってねぇ」

 

 フランはわけがわからなかった。犯人がわかっているなら仕返しにいけばいいだけの話なのに、と。そして祖母が言った新之助が言ったであろう言葉もフランには理解できなかった。その全貌を知らないフランには分かりえないことだ。

 だからフランはその思考もついに放棄してしまった。

 

「ふ~ん。新之助カッコイイね」

 

 などと適当な事を言って。

 

「そりゃああたしの孫だからねぇ!当たり前さね!」

 

 と胸を張って祖母は高笑いだ。どうでもいいがこの祖母よく笑う。

 

 

 

 もう夏も終わりなのだろう。日陰と言う事もあってかそんなに暑くはない。逆に少し寒いくらいだ。

 風が凪ぎ、青い空にはむくむくと膨れ上がった入道雲が二人を見下ろしている。

 そんな涼しい場所で、祖母から伝わってくる体温がフランの眠気を誘う。逆もまた然りだった。

 夏の終わりの昼下がり。涼しくも暖かなひとときはゆっくりと過ぎていった。

 

 

 

 

 

「じゃあ僕は用があるから先に帰るよ」

 

 午後の授業が終わり、新之助は肩にバッグを背負うと教室をすぐに出て行こうとする。

 しかし、それを学友達に止められる。

 今日は祭りの日。それに学生が食いつかないわけが無い。

 

「何だよ新之助ぇ! これから祭りいこうぜ!」

「また今度ね」

 

 新之助はそんな学友を丁寧に断り教室を後にしようとするが勘のいい学友の一言が新之助を呼び止める。

 

「もしかしてあの吸血鬼の子と行くんじゃない?」

「え!? 何でわかっ……」

「そ、そうなのか!?」

「私も行きたい! あの子とおしゃべりしてみたい!」

「俺も俺も! あの子めっちゃかわいいよな!」

 

 などと勝手に盛り上がりだす。

 

「だめだめ。フランちゃんびっくりしちゃうだろ?」

 

 そんな学友を片手で面倒くさそうに断りそんな事を言う。

 しかしそれは失敗だった。

 

「フランちゃんだって」

「そんなふうに呼んでるのか!うらやましいやつめ!」

「独り占めにするつもりね!許さないわ!」

「そうだそうだ!そんなことすると罰が当たるぞ!」

「と、とにかく急ぐから!」

 

 前にも増して突っかかってくる学友にもう手に負えないと見るや否や新之助は一目散に走り出した。フランと一緒に祭りに行きたくて仕方ないのだろう。

 

「ああ、またな! ひひひ」

「祭りであおうね! ふふふ」

 

 そんな事を言いながら笑っている。恐らく祭りで新之助たちを探すのだろう。

 フランはただでさえ目立つ。新之助はすぐに見つかってしまうに違いない。

 新之助は捕まえられた時のことを考えると憂鬱だった。フランに自分のことを何と吹き込まれるかわかったものではない。

 しかしその足取りは段々と軽くなり、そして顔は笑顔だった。

 楽しみだった。フランと一緒に祭りに行く事が。フランはあれが欲しいこれが欲しい、あれがやりたいこれがやりたいと新之助にねだるだろう。それを新之助が叶えてやるのだ。その時のフランの笑顔を考えただけで顔がほころぶというものだろう。

 嬉々として階段を駆け下りて大学の正門から出た所で新之助は足を止める。

 

「ん?」

 

 キラリと何かが光った気がしたのだ。

 続いて胸を何かが突き抜けるような衝撃。

 その衝撃でコトリと落ちる眼鏡。

 膝に力が入らずガクリと視界が落ちる。

 

「……え?」

 

 気がつけば新之助はうつぶせになって倒れていた。そして胸の辺りから湧き出る熱いもの。それは段々と体の外へ流れていく。それと反比例するように力が抜けていく。

 

「なんだ……これ……」

 

 誰かの悲鳴が聞こえた。続いて足音と、そこで新之助の視界は真っ暗になった。

 

「任務完了だ」



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第十七話 ~消えたフラン~

 

「ん……」

 

 外は灯をつけるかつけないか悩むような茜色。キキキキキとヒグラシが鳴く時間に、フランは目を覚ます。そこには薄暗くなった天井が映し出されていた。

 下には布団は敷かれておらず、い草のいい匂いがする畳でフランの体には薄い毛布を掛けられているだけだった。

 フランは体を起こし、ひとつ欠伸をしながら体を伸ばす。

 辺りを見渡すとそこはテレビや机が置いてある部屋だった。それらは全て、夕焼けの柔らかい光を吸収した空に当てられて、茜色に染められている。

 

(……新之助まだ帰ってないのかな)

 

 フランは枕の横に置かれていた帽子をかぶり、眠り眼で店へつながる扉の方へ歩いていく。

 新之助はフランを起こすのをためらって店で仕事をしているのかもしれないと思ったのだ。今の時間なら店には誰かいるはずで、そこにいなくても誰かが新之助が帰ったかどうかを知っているはずだ。

 

「おや、ちっこいの、起きたのかい?」

 

 フランが扉に手をかけようとした時、後ろから声をかけられる。新之助の祖母だ。

 

「新之助は?」

 

 フランはよっぽど待ち遠しいのだろう、第一声がこれだ。

 

「まだ帰ってないねぇ。あの馬鹿はどこをほっつき歩いてんだか」

「そう……」

 

 茜色ににじんだフランの顔がうつむいたことで表情が曇る。祭りに行こうと誘っておいて待たせるとはいったいどういう了見だ、といつものフランなら怒るだろうがまだ寝起き。だが小さな唇は刺されたら痛そうなくらいにとがっている。

 祖母はため息混じりで呆れ顔だったが、そんなフランの様子に気付いたのか、フランに声をかけた。

 

「あんた暇かい?」

「え?……うん」

「じゃあちっと洗濯物を入れるの手伝ってくれないかい?」

 

 新之助が帰ってこなければ特にやることも無い。もうすぐ帰ってくるなら祭りに行くので呼子の仕事もやらなくてもいいだろうと、フランは黙って頷く。

 日の当たっていた庭には空に反射された、茜色で染まった洗濯物がびっしりと干されている。この量を取り込むのはひと苦労だろう。

 庭は高い垣根によって囲まれており日の光はもう届かない。フランでも安心して作業が出来る。フランは自分の足には大きすぎるサンダルを履いてパタリパタリと音を立てながら祖母と共に外へ。

 干された洗濯物を取るにはフランの背はあまりにも低すぎるので、祖母が取り外した物を順々に預かっていく。

 前が見えないほど洗濯物を積み上げると二人が少し前に座っていた廊下へ乱暴に放り投げていく単純作業だ。

 その従順に手伝いをしてくれるフランを満足げに見る祖母だったが当のフランの顔はさえない。新之助が帰ってこないのと寝起きという事もあいまってテンションが上がらないのだろう。

 

「そんな顔せんでもじきに帰ってくるさぁ」

 

 そんなフランを見かねてまた祖母が声をかける。

 

「うん……」

 

 しかしフランの言葉はそれだけだ。

 祖母はため息を一つつくとフランの頭に手を置いて、目線の低いフランに合わせてしゃがみこむ。

 

「んな顔してたらぁ、新之助に嫌われるよぉっ」

「え? 新之助嫌いになる?」

 

 うつむき、フランの元気のない表情が心配そうな表情に変わって祖母を見上げる。嫌われる、と言われた事に反応してしまったのだろう。

 それを見て祖母は声を上げて笑う。

 

「あんた本当にあの子のことが好きなんだねぇ」

「うぅ……」

 

 そしてまたフランはうつむいてしまう。今度は恥ずかしそうな表情で。更に茜色の色も加わって林檎飴のようだ。

 しかしそれが嬉しかったのか祖母はフランの頭を軽く撫でてやる。

 

「あの子がそんな事で嫌いになるわけないさぁ! そんな浅い男に育てた覚えは無いからねぇ!」

 

 フランはその嬉しそうな祖母の顔を見る。しわくちゃな顔をより一層しわくちゃにしてフランに微笑んでいる。

 

「あんただってそんな浅い男を好きになった覚えは無いだろう?」

 

 そんな祖母が笑ってつぶれた目をフランに向けてそんな事を言う。

 

「うん!」

 

 そしてフランはそんな祖母に今度は元気良く返事をするのだった。その顔には元気が戻り、更には笑顔も戻っていた。

 

「さて、じゃあ新之助が帰ってくる前に全部片付けちまうよぉ!」

「うん!」

 

 

 全ての洗濯物を取り込むと、廊下には洗濯物がうずたかく積み上げられていた。

 それを満足げに見る祖母とフラン。洗濯物取り込めば次にする事は決まっている。

 部屋の中で隣に洗濯物を置いて正座する祖母。

 

「ほら、これをこうしてこうやって畳むんだ」

「う~……こう?」

 

 祖母によって畳まれた洗濯物は端が綺麗に揃えられ、まるで服屋にきっちりと畳まれて置かれている服のようだ。一般の主婦でもこれほど綺麗に畳むのは難しいかもしれない。

 しかしフランの畳むそれは客が服を見るために開いた後乱雑に置いていったようなそれ。

 

「不器用だねぇあんた。ここをこうやるんだよぉ」

「む~……」

 

 もちろん初心者のフランには上手く畳むことが出来るわけが無く、フラストレーションだけが徐々にたまっていく。

 

「そんなんじゃお嫁にいけやしないよ」

 

 素直で無邪気なフランは祖母にとってはいい嫁候補なのだろう。本気で嫁に向かいいれようなんて思ってはいないだろうが冗談めかして言うそれは少なからずともその気持ちがこめられているようだ。

 しかし遂に底の浅いフランの器からフラストレーションが溢れ出した。

 

「うるさいばばぁ! こんな事できなくたっていいもん!」

「何だってぇ!? 誰がババァだい! あたしゃまだぴちぴちの75さね!」

「……」

 

 自分よりも何倍も低いその歳に「十分ババアじゃん」とは言えず、ネタでいったであろう祖母もフランの歳の認識の甘さからか、フランの予想しない反応に困っている。

 その何とも微妙な空気に何やら猫の鳴き声が。

 フランが横を見るとさっきまで洗濯物が干されていた庭にあの子猫が座って顔を洗いながら鳴いていた。

 

「ニャ~」

「ニャーだ!!」

 

 フランは洗濯物を投げ出して猫にまっしぐらだ。

 

「あ、こら待ちなぁ!」

 

 フランは下瞼を人差し指で引きながら舌を出し、祖母に悪態をつきながら廊下の方へ走っていく。

 そして廊下の下に飛び降りて自分の足には大きいサンダルを履いてパタパタと音を立てながら子猫の方へ近づいていく。

 しかしその音に驚いたのか子猫は垣根を辿って逃げていってしまう。

 

「まてまて~」

 

 フランは顔をだらしなくほころばせて、その追いかけっこに乗り、その後を追い姿を消したのだった。

 

「やれやれだねぇ……全く」

 

 そんなフランの姿に祖母も苦笑いだ。

 その時、店の方から誰か大声を張り上げる。

 

「大変だ! 若がっ若がっ!」

 

 それは大島酒蔵の従業員だった。その声に気がついて祖母が扉を開けて店に入っていく。

 

「どうしたね、騒がしい。お客様の迷惑になるだろう」

 

 必死に走ってきたのかその従業員は息切れ切れになって倒れこんでいる。しかしその顔は真剣で、更に苦痛で顔を歪めている表情も併せ持っていた。

 

「新之助がどうかしたのかい?」

 

 その従業員の只ならぬ雰囲気に祖母も表情を歪め、問いかける。

 

「下校中に何者かに狙撃されました……」

「なっ!?」

「心臓を打ち抜かれて重体です……生きているのが不思議なくらいで……恐らくっ……助からない……そうです」

 

 言葉が終わるか終わらないかの間に祖母の体が崩れ落ちる。

 

「女将!」

 

 従業員達が慌てて祖母の体を支える。

 

「女将! しっかりしてくだせぇ!」

「そんな……嘘だろぅ……新之助が……そんな……」

「おい! 部屋ん中運ぶぞ!」

「おう!」

 

 祖母は目を見開いて何やらぶつぶつ言っている。

 息子は他界し、祖母に残されているのは実の孫である新之助ただ一人。その実の孫が今死に直面しているのだ。この年でそんな事実を突きつけられれば発狂しかねない。 

 従業員達はそんな祖母を机などが置いてある部屋に運び入れる。

 誰もいなくなった店には換気の為だろう、小さく開けられ、木の格子が備え付けられた小さな窓があった。そしてそこには赤く光る二つの瞳が覗いていた。

 

(ばばぁ……それに新之助が狙撃されたって……どういうこと……?)

 

 フランは猫が逃げてしまい追いつけなさそうなのであきらめたのだが、面白そうなので普段日に照らされて行けない場所へ行ってみようと、垣根沿いに歩いていっていたのだ。

 その時大きな声を聞きすぐそこにあった窓にぶら下がって中を見ていたのだった。先ほどあった一部始終を。

 

「くそっ!」

 

 従業員の一人がガンッと床を殴り悪態をつく。そしてそのまま足早に酒が飾られている棚の方へ歩いていく。

 棚の向こうには何やら木箱らしきものが。従業員がその木箱を取り出し、床に置く。金属でできた留め金を外すと中からでてきたのはニ丁の銃だった。

 

「そんなものどうするつもりだっ!?」

 

 それを見て従業員の一人が怒鳴る。

 

「決まってるだろ! そんなことするのは小島酒蔵のやつら以外にいねぇ!」

 

 そしてそれに負けじと銃を持ち出した従業員も怒鳴り返す。

 

「落ち着け! 今そんなことしたってどうしようもないだろう! しらをきられておわりだ!」

「じゃあこのまま黙ってろっていうのかよ!」

「若がまだ死んでもいないのに俺たちが勝手な行動をとるわけにはいかねぇ!」

 

 銃を持っている従業員はその言葉に苦しそうに頷いて銃を置く。

 

「とりあえず若の意識が戻るまでおとなしくしてようぜ」

 

 銃を置いた従業員の方をぽんと叩いて優しい声調で言う。しかし銃を置いた従業員は納得がいかないようだ。

 

「でも、もし若が……」

 

 死んでしまった時はどうするのだろうかと。その言葉に先程肩に手を置いていた従業員も顔を険しいものに変える。

 

「その時はその時だっ」

「……」

 

 周りでその光景を見ていた従業員達も真剣な表情で頷いた。

 

「それとフラン御嬢にはこの事は言うな」

「ああ、若になついていたからな」

 

 とフランを気遣うような部下の発言。しかし換気の穴にあった二つの赤く光る瞳はもう無かった。 フランはその壁をはさんだその穴の下にうずくまっていたのだ。

 

(なんで? 何で私から奪うの? 自由も、大事な人も、何もかも……また)

 

 このままでは夏祭りにいけないどころかずっといてもいいと言われた大島酒蔵にいられなくなる。大島酒蔵にいる者はいてもいいと言うだろう。しかし新之助のいない大島酒蔵にフランはその価値を見出す事はできない。

 

(なんで)

 

 フランの紅の瞳が更に赤みを増していく。そしてその顔からは次第に表情が消えていった。

 

 

 

 

 夕日は完全に落ち、辺りは真っ暗になる。BGMがヒグラシの鳴き声から鈴虫の鳴き声に変わる。

 これからが書き入れ時という時間帯にもかかわらず、店はもう閉められている。

 テレビや机がある部屋には従業員達が集まって何やら話している。それはわきあいあいといった雰囲気には程遠く、ずん、と重い空気の中行われていた。

 新之助の事や今後の店の事について。更には小島酒蔵の事について。

 そこに祖母の姿は無い。恐らくはフランに気付かれないように二階に運ばれているのだろう。

 時には怒鳴り声が聞こえてくるその部屋に今までどこにいたのかわからないフランがふらっと顔を出す。

 

「お、お嬢……」

 

 従業員は皆フランを見て一瞬息を呑む。フランにはまだ気付かれていないと思っているのだから当然だろう。話の中心にいた男が皆に目配せし新之助のことを言わないよう釘をさす。

 だがそんなあからさまな従業員の行動でフランに感付かれてしまうと思った従業員の一人が口を開こうとする。

 しかし一瞬早くフランが先に口を開いた。

 

「ねぇ……」

「え、ん? どうしたの?」

 

 口を開こうとした従業員がそれに答える。

 

「新之助は?」

 

 帰ってくるはずが無いと分かりきっている新之助の所在を聞くフラン。

 

「あ、ああ……えとね……その……学校の皆で旅行いくんだって。それでしばらく帰ってこないよ」

「そう……」

 

 フランは隣の部屋で練習でもしてきたのだろうか。その言葉を聞いて思いっきり残念そうな顔をする。

 その従業員もそのまま黙ってしまう。

 フランはその従業員の反応を見れたら十分と、その部屋から出て行く。従業員達は安心したような安堵の表情になるがまた険しい表情へ戻っていった。

 フランが新之助の所在を聞いたことで新之助の身にあったことは知りえないと従業員の頭に植え付けられたことだろう。

 

「小島酒蔵……」

 

 だがこれが悪かった。大島酒蔵、そしてフランの今後を左右する事件が起きることになるのだから。

 

 

 

 

 

 その会議も一通り終わったのか、従業員達は皆して黙り込んでいる。その表情には疲れの色が滲み出している。

 そこで従業員の一人がお茶を入れてくると言って席を離れる。そして別の従業員がフランも呼ぼうと言う。祭りにもいけず寂しがっているだろうフランを気遣ったのだろう。

 しかしそのフランの姿がどこにも見当たらない。

 

「ねぇフランちゃん知らない?」

「御嬢はさっきまで隣の部屋にいたはずだが」

「そう……おかしいわねぇ」

「まさかさっきの話聞かれてたんじゃないのか?」

「え?」

「だって小島酒蔵の場所さっきバイトに聞いてたぞ?」

「何!? 馬鹿野郎! 何でそれを早く言わねぇ!?」

 

 従業員の一人が飄々と言い放つその従業員の胸倉を掴み上げる。

 

「い、いや、何でそんな事聞いたのかって聞いたんだけど……パーティで見たって言ってたから……」

 

 その後続けて従業員の叫び声にも似た大きな声が大島酒蔵に轟く。それはこの計画を破綻させる以外の何ものでもない事を明示する事象だった。

 

「拳銃が二丁なくなってるぞ!」

 

 その従業員の手には空になった木箱が。



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第十八話 ~レミリアの覚悟~

「おい……どうするんだ?」

「今すぐ追いかけねぇと……」

 

 拳銃二丁とフランの姿が見当たらない。更に小島酒蔵の場所を聞いたということ。

 フランは新之助をとても慕っていた。そのことから向かう場所はもう分かっている。

 だが皆黙り込む。

 従業員の中で誰かがフランを止めに走ろうというものはいなかった。

 いつもなら真っ先に走っていくであろう新之助は危篤状態。新之助同様、従業員達も仲良くはしていた。しかし、少し仲良くなったからと言っても実際はありとあらゆるものを破壊する、手の付けられない悪魔だ。

 更に今は銃を持っている。新之助ならまだしも従業員が止めに行ったが最後。聞く耳を持たずに襲ってくるかもしれない。

 皆フランが怖かった。どうすることもできず従業員達が皆その場でたたずんでいた。

 当主とマスコットガールが不在の大島酒蔵はすでに御通夜状態だ。更に、女将もである祖母も布団の上でうなされている。大島酒蔵はこれからどうするのだろうかと従業員の顔に憔悴の色がにじみ出てくる。

 その時、店に誰かが入ってきた。

 それは従業員達がいつもの事と、そのまま見逃してしまいそうな違和感の無い自然な入り方だった。

 

「皆? どうかした?」

「若!?」

 

 大島酒蔵の当主、大島新之助だった。

 新之助は心臓を撃たれて危篤状態ではなかったのか。その新之助がケロッとした顔で戻ってきたのだ。驚かないわけが無い。

 従業員がそろいもそろって憔悴しきった表情をしていたので新之助が不思議そうな顔をして問う。そして不思議そうな顔をしなければならないはずの従業員達は皆が皆安堵の表情を浮かべ喜びもあいまって涙ぐむ者までいる。

 追い詰められた精神状態から一気に開放された時このような状況になるのだろう。

 そしてその新之助が幽霊ではないと確信するに値する人物が新之助の後ろにいた。青と赤のツートンカラーという不思議な衣装を身にまとった名医、八意永琳だ。

 

「こんばんわ」

 

 

 

紅魔館

 

 

「お嬢様。もうすぐ妹様の計画も終了しますね」

 

 そこはいつかレミリアがフランの過去を語っていた月の光が差し込む場所。

 いつものように紅茶を飲み、いつものように月に照らされる変わらない景色。そこがお気に入りの場所なのか、外の景色をボーっと眺めるレミリア。

 唯一違う事と言えば月がもうすぐ満月になると言う事だろうか。

 フランが出て行った時は満月だった。その月が満ちて満月になる、と言う事はフランの計画が終了することを意味するのだ。

 あれから一ヶ月、地下から出てきて遊ぶようになった元気一杯のフランがいなかったので寂しかっただろうか。それとも静かですごしやすい一ヶ月だったのだろうか。

 

「何事もなくてよかったです」

 

 少なくとも昨夜は前者らしい。だから笑顔で嬉しそうに笑う。

 フランは脱走する事も無く、怒りに任せて人を襲う事も無く、逆に人里の恩恵を受け、色々な事を学び、常識を学んでいるだろう。

 文の新聞を通してフランの人里での動向は紅魔館に、と言うよりも幻想郷全土に伝わっている。

 この計画は大成功だ、と咲夜は確信していた。紅魔館の住人も、更には幻想郷に住むフランと縁のあるものは全員そう思っていただろう。

 しかし唯一人だけ計画の成功を危ぶむ者がいた。それは運命を操る程度の能力を持つ、フランの実の姉であるレミリア=スカーレットだ。

 

「そうかしら?」

「え?」

 

 レミリアは月の光に照らされた景色をボーっと眺めながらさらりと爆弾発言。

 その一言で安心して緩みきっていた咲夜の胸の奥が急にざわつき始める。

 こちらを振り向きもしないレミリアに、昨夜はもうやきもきすることはないが、その一言に胸のざわつきを抑える事ができないでいた。

 少女の姿でありながら何百年の時を生き、更には運命を操るなどと言うたいそうな信じられないような能力を持っているのだ。その一言がどれだけの重さを持つのか、昨夜には痛いほど分かる。

 

「……どういう……ことでしょうか?」

 

 咲夜は今にも喉で詰まってかすれてしまいそうな声でレミリアに問う。それは自分で問いかけた質問にもかかわらずその返答を望んでいない問い。逆に拒んでいるかのような声音で。

 レミリアはそんな咲夜を心配する様子などかけらも見せず、この計画において明暗を分ける言葉をさらっと言い放つ。

 

「あの子は人に危害を加える運命にあるわ」

 

 それはまさしく咲夜の聞きたくなかった答え。

 咲夜の目がまん丸に見開かれ、胸のざわめきが更に大きくなる。

 フランにとってこの計画はとても過酷なもの。咲夜はそう思っていた。この三十日間、計画の成功を祈り、フランがこの紅魔館に無事に帰ってくることだけを願っていたのだ。

 

「そ、そんなこと……わかるのですか?」

 

 信じたくない。嘘だと言って欲しい。

 自分の何十倍も生きている吸血鬼で主でもあるその少女の言葉で。

 しかし、更にその主の小さな口から出てくる言葉は冷酷なもの。

 

「運命を操る、ということはどんな運命が起こりうるかを把握しておかなければならないわ。知っていて当然でしょう」

 

 少し震えている咲夜をよそにそんな言葉を無表情な声で淡々と喋り続ける。更にすまし顔で紅茶をすする。

 レミリアには焦りも不安も無いのだろうか。フランを心配するそぶりも見られない。いつもと変わらない様子。

 人に危害を加えること。それはつまりフランの事実上の死を意味する。

 だからそんなレミリアの無関心な態度が咲夜の気持ちを逆撫でした。

 

「お嬢様は心配ではないのですか!?」

 

 人に危害を加えると分かっているのならその前に止めなければならないのではないか。こんなにのんびりとしていてもいいのか。

 昨夜は気ばかりが焦り、主であるレミリアに対し怒鳴る形になってしまう。

 レミリアは人里に自ら赴き、頭を地につけて土下座をし、茶飲みを投げつけられようとも我慢して、あまつさえ涙を流して実の妹であるフランの許しを請うたのだ。あの姿は、昨夜が見た主の雄姿は幻だったのかと。レミリアはフランに対する思いを謝罪と言った。では謝罪以外の思いはレミリアには無いのだろうか。

 咲夜には信じられなかった。あの人里で見せたレミリアの姿は謝罪などと言うちんけな理由だけから来るものではないと。

 それにレミリアが言うように謝罪のためだけと言うのなら、フランがもし危害を加え天界に一生幽閉される事になった時、できる謝罪もできなくなってしまう。

 それについてはどうなのか。それとも謝罪をする必要などなくなって内心ではほっとしているのだろうか。

 咲夜はそんな邪推に自己嫌悪が生まれ出ようとしたその時。

 

「あなたの目に私がどう映っているのか疑問だわ」

 

 レミリアはそんな事を言うのだ。

 質問を質問で返されると人は何とも小馬鹿にされているようで腹が立つのだろう。歯軋りが聞こえてきそうな程に昨夜の口が噛み締められる。

 

「私達が今あの子にしてやれる事はここでこうして、紅茶をただすすりながら、馬鹿みたいにぼけ~っと外の景色を眺めることだけよ」

 

 続けてフランの危機にもかかわらずそんな能天気なことを言い放つのだ。

 しかし不思議な事にレミリアの質問を質問で返したその目は咲夜を小馬鹿にしたものではない。だからと言って怒っているわけでもない。ただ咲夜を見つめているだけ。

 咲夜は自分達の為に必死になってくれている。レミリアはそれを分かっているからこそ怒りもしないし馬鹿にもしない。

 だがそれはレミリアの内に秘める想いを押し込めて。

 内に秘めた想い、裏に隠された想いというものはただでさえ伝わりにくい。そしてそれを肝心の咲夜はわかっていなかった。

 咲夜はそれ程気が長いほうではない。それは人里でレミリアの言いつけを無視して町民を斬りつけようとした事で証明されている。 

 咲夜の中に自己嫌悪はもうない。あるのはそんな事を淡々と言い放つレミリアに対しての怒りだけ。

 だが咲夜はそんなレミリアの様子にそれ以上怒る事もできず言い返すこともできずにいた。しかし拳はギュッと握り絞め、ささやかな抵抗と、レミリアの瞳を睨むように見つめている。

 その咲夜の瞳をレミリアは月の光に染められた紫色の瞳で無表情に見つめ返す。

 それは二人がまるでその中に写っている自分自身を見ようとしているよう。相手の目には自分はどう映っているのか理解しろとでも言うように。

 熱い視線と冷たい視線で両者何か感じ取ったのか同時に目線を外す。

 そして先に動いたのは咲夜だった。

 

「私は今から妹様の所へ――」

 

 そう言い残し、背を向けてフランの所へ向かおうとする咲夜をレミリアの一言が止める。

 

「青いわね」

 

 咲夜が振り返るとレミリアはもうすまし顔で紅茶をすすっている。

 自分の従える主であり、更に自分よりも多くの時を生きている少女に、質問を質問で返され青いなどと見下されながらも咲夜はそれが仕方のない事で更には自然な事だとさえ思っている。

 

「これが青いというのなら私は青いままで結構です!」

 

 だから堂々とレミリアに振り返り、全てを肯定してそう言い放つ。咲夜の顔にはどこか吹っ切れた雰囲気が漂う。

 従者である咲夜をいつも見下してきたレミリアに一矢報いてやったとでも思っているのだろう。

 

「どこかで聞いたような、有象無象の陳腐な文句でそんな顔をされてもね。あなたのユーモアのセンスに嫉妬しちゃうわ」

 

 レミリアのほうが一枚上手だった。そんなどこにでもあるような安い言葉ではレミリアはなびくことは無い。

 そして言い負かされた咲夜はうなることしか出来ず、もちろんフランの所へなど行けやしない。

 

「わ、私は……私はこのまま黙って見ているなんてできません!」

 

 どこまでも青い咲夜。言い負かされて後は情に訴えかけるしかないとでも思ったのだろうか。

 青臭さに嫌気がさしたのか、レミリアはひとつため息をついてカップを置く。

 

「あなたはこの計画の本質を分かっていないようね」

「本質?」

「これはあの子が一人で乗り越えないといけない……いえ、そうじゃないと意味が無いの。あなたにだって分かるでしょう?」

 

 フランを身内の誰かが出向いて手を貸すような事をすればフランはそれに甘えて、何が起こってもどうせ誰かが来てくれると思うだろう。だから今後も何をやっても大丈夫。誰かが助けてくれるのだから、と。

 そうならないためにわざわざフラン一人を人里に送り込んだのだ。そこで咲夜などがでしゃばっていけばその計画は水の泡となる。

 ここで行って水の泡とし、またこの計画を立ててまた人里へ送り込むと言う事もできるだろうが、成功するまでセーブポイントからやり直すゲームのような計画に価値などないのだ。

 だが咲夜にも譲れない理由がある。

 

「しかし……このままだとオセロマニアの所で幽閉されるんですよ!? それでもいいのですか!?」

 

 フランが天界に連れて行かれて一生過ごすくらいなら、今からフランを止めてこの計画を水の泡に帰した方が何倍もましだ。それが昨夜の考えだった。

 

「それがあの子の運命というのならそれは仕方のないことよ」

 

 レミリアはまたしてもそっけなくそんな事を言い捨てる。

 

「そんなっ……」

 

 先程からフランの実の妹の運命が左右される大事な時だというのにレミリアはドライだ。昨夜の熱い視線もさらりとかわされてしまう。

 

「ではもし妹様が人に危害を加え、天界に連れて行かれることになったらどうするのですか!?」

 

 先程昨夜が危惧していたことだ。そこのところはレミリアはどう考えているのだろうか。

 だがそれはレミリアにはたいした質問ではないらしい。青い咲夜の言いそうな事だと、そこでレミリアは初めて頬を緩め、目を細めてふふっと鼻で笑う。

 

「決まっているでしょう?」

 

 そしてその言葉は青い咲夜にはいい肥料になったことだろう。

 

「フランを強奪して幻想郷を去るわ」

「なっ」

 

 レミリアは覚悟を決めていた。幻想郷を捨てる覚悟を。

 レミリアは大昔、フランを背負って吸血鬼の町から逃げ出した時のように、また二人でどこか遠くへ行こうとでも言うのだろう。

 目を丸くしながらも咲夜はレミリアの目を見る。それが嘘か本当か見極めるために。

 レミリアの目は細められて笑っている。その視線はうつむいてどこか恥ずかしそうで寂しげだった。

 実際その事を考えると寂しいのだろう。二人で幻想郷で暮らし始め、長い時間をかけてゆっくりと築き上げた幻想郷での友好関係。それは毎日が楽しく輝いていたことだろう。その楽しい毎日が過酷な日々に変わるのだから。

 だが孤独ではない。実の妹であるフランがいる。レミリアはそれだけでよかったのだ。

 だからレミリアは寂しげに言うのだ。

 

「仕方ないでしょう? ここにいたらフランが幽閉される。ならそうするしかないじゃない?」

 

 レミリアは罰が悪そうに笑っている。まるで軽いいたずらをして叱られている普通の女の子のように。そのしぐさはあまりにも子供っぽく、そして儚げだった。

 しかしレミリアの言うことを鵜呑みにし、もうすぐ消えていなくなってしまうというのであればそれはあながち間違いではない。

 そんな寂しい運命を、レミリアは受け入れるようだ。つまり咲夜が考えていたようにレミリアはフランを見放したのではなかった。

 獅子は我が子を千尋の谷に落とすということわざがある。

 親は子を谷に突き落とした後、もしもその命に危険が迫ったならどうするか。そのまま放置するか助けるか。

 どうやらレミリアは後者だったらしい。攻め際と引き際をちゃんとわきまえていた。

 レミリアはフランの事を心配してないような態度をとっていた。今フランに手助けをしても意味が無い。ならば最後まで、どんな運命が待っていようとその結果を受け入れる。

 それが失敗したとしても成功したとしてもだ。そしてフランに、本当の危険が迫った時、手を差し伸べてやるのだ。一緒に幻想郷を去るという形で。

 それがレミリアの厳しさであり優しさであり、覚悟だった。

 だからレミリアは自嘲気味に笑いながら咲夜を見て、すまなさそうに問う。

 

「あなたはこんな私を青いと笑うかしら?」

 

 先程散々昨夜を罵倒し、挙句青臭いと言う照合を授与したレミリアがフランと共に幻想郷を去るなどと青臭い考えを抱いていたのだ。それはやはりレミリアとしても恥ずかしく思うところなのだろう。

 だから昨夜は、そんな主の考えを聞いて嘲笑う、そんな愚かな行為をするメイドではない。

 

「申し訳ありませんでした」

 

 腰を綺麗に曲げ、膝に手を重ねて頭を垂れた咲夜の口から出てきた言葉はそんな謝罪の言葉だった。

 表面上ではかみ合わないこのやり取りも二人の間ではちゃんと会話になっている。

 

「いいのよ」

 

 と、レミリアは一言だけ。それだけでこれまでのやり取りのかたがつく。

 ここでこの話題は一区切りついた、とレミリアは話をする前と同じく、月の光に照らされた景色を寂しげに眺める作業に移る。それは見納めになるからなのだろうか。その作業を「馬鹿みたいに」、と比喩したのは皮肉をこめてだったのだろう。レミリアの瞳がこれ以上ないくらいに月の光に染められていく。

 しかし咲夜はまだかたがついていなかった。これは咲夜にとってとても大切な事だ。

 

「あ、あのっ」

「ん?」

「もしも……いえ、万が一妹様の計画が失敗して、お二人が幻想郷を離れる事があればなのですが……」

 

 そんな弱気な咲夜が恐る恐ると言った感じで顔をあげてレミリアを伺うように見る。

 

「続けて」

「わ、私も……ついて行ってもよろしいでしょうか?」

 

 そんな問いにレミリアは驚かされる。幻想郷の人間が追ってくる事はないだろうが吸血鬼二人が、しかもまだ小さい子供が平穏に暮らせる場所などそう簡単に見つける事はできないだろう。

 そんな二人に紅魔館を離れてまでついてくるなど。と思ったがレミリアは何となくそんな気はしていた。それはスカーレット姉妹が咲夜の大好物だからと言う理由だけではないだろう。

 だからレミリアは目を細め、意地悪な笑みを浮かべてこう言うのだ。

 

「非常食としてなら」

 

 と



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第十九話 ~フラン強襲~

 

 満月に近い月が照らす夜、ドドンドドンと太鼓の音が町に鳴り響く。

 祭りの行われている場所は遠くから見てもその上空が真昼と思えるくらいに明るい。

 その明るい空に背を向けて、祭りのせいで人通りの無くなった道をゆっくりと歩いていく少女がいた。紅の瞳を怪しく光らせて、色素の薄いサイドテールをゆらゆらと揺らしながら。

 祭りということもあり、人々の表情は笑顔で満ち溢れているだろう。だというのにうつむきがちに歩く。更に小さな両手には二丁の銃が握られている。

 その表情はうつむいて読み取る事ができない。しかし、しばらくするとその表情が月夜の下に晒される事となる。それは小島酒蔵と書いてある看板を掲げた店を見上げたからだ。

 幼い体に顔立ち。しかしその年齢はゆうに五百を超える少女、フランドール=スカーレットだった。

 フランの表情は笑顔だった。しかしそれは祭りという陽気なイベントからくるものではなく、狂気で満ちたもの。紅の瞳は真紅に輝き、狂気に満ちてあふれ出している。見たもの全てを狂わせんとばかりにギラギラ光を放っていた。

 一瞬の衝撃音の後、何かが倒れて幾度かはねる音がそんな夜の街に響く。閉じられた小島酒蔵の戸をフランが蹴り破る音だ。

 戸は真っ二つに折れて店の中へ吹っ飛ばされていた。

 さすがは人間の十倍以上の力を誇る吸血鬼だ。幼女の蹴りでも威力は大人並みだ。

 その音に店の中にいた従業員がそれに気付く。

 

「だれでぃ!」

 

 複数の従業員が入り口の方へやってくる。その従業員の手には皆が皆、すでに木刀やらナイフといった凶器が握っている。

 しかしそんなのお構い無しにといった具合にフランが一歩二歩と入り口から入ってくる。

 

「お、おめぇは……」

 

 その光景に小島酒蔵の従業員は目を丸くして驚いている。それは人里で常識を学び中のフランがやってきたことに対してはもちろんだがどこか、困惑気味で宛が外れたような表情。

 おそらく小島酒蔵は新之助が狙撃された事を知っていてその仕返しに大島酒蔵の従業員が乗り込んでくると踏んでいたのだろう。

 しかし実際に復讐にやってきたのは狂気に駆られ、二丁の銃を両手に握り締めたフランだった。

 フランは歩みを止めず小さな歩みで従業員達に近づいていく。その顔には薄ら笑いを浮かべて。

 その姿に従業員達は恐怖したに違いない。自分たちの体とは大きく異なる特徴を持つ人物が両手に二丁の銃を握り締めて不気味に笑っているのだから。しかもありとあらゆるものを破壊するという不思議な能力も持っているのだ。

 しかし、今は能力は封じられている。体も小さく、どこからどう見ても子供だ。

 そこへ太古とは違う、大きく大気を揺らすほどの音が小島酒蔵の建物を揺らす。小島酒蔵だけではない強烈な爆音が町中に鳴り響いた。それは祭りで打ち上げられる花火の音。

 それを機に従業員の一人が叫ぶ。

 

「やっちまえええ!」

 

 開戦だ。

 従業員達が一斉にフランに向かって襲い掛かる。

 フランの両方の唇がつりあがる。真っ白に光る二本の鋭い牙を見せて。

 フランの手に握られている銃口が従業員に向けられた。

 

「ぐぅっ」

 

 一発の銃声とそれに続くうめき声と共に一人の従業員が倒れる。しかし他の従業員達の勢いは止まらない。

 

「怯むな! 相手はガキ一人だ!」

 

 一気に距離をつめ、従業員の一人がフランに襲いかかろうとする。フランはそれをひらりとかわしざまに一発、更にその横から木刀を振り下ろそうとする従業員を見もせずに一発。

 フランの顔に生暖かい赤いものが跳ねてかかる。うめき声を上げて倒れていく従業員でできた道を風のような速さですり抜けて店の中の方へ進撃していく。

 しかしまだまだ従業員はいるようだ。大勢の従業員が騒ぎを聞きつけて中の方から次々にでてくる。

 

「囲め!」

 

 退路の入り口である後ろも、目的地である前も従業員達によってふさがれてしまった。そしてそのフランを取り囲むように輪になる従業員達。

 十数名の従業員達によって囲まれ、絶体絶命のフランだがその顔には未だ薄ら笑いを浮かべている。

 不意に身をかがめたと思うとフランが跳躍しその身が宙に舞う。それは従業員の頭上を跳び越えるようなものではない。その場で少しジャンプしただけ。

 しかしそれによって周りを囲む十数名の従業員が全員うめき声を上げて倒れていく。周りで見ていた従業員達も目を疑う光景だ。

 そしてそれは能力などではないことは従業員達にもわかる。倒れている従業員分の銃声が聞こえたのだ。

 フランは軽く跳躍すると同時に体を回転させ、全ての従業員がその紅の瞳に映るその一瞬をついて銃弾を撃ち込んだのだ。

 倒れてうめく従業員を見てフランはまた怪しく笑う。

 

「うふっ……あははっ、楽しいっ楽しいよぉおお!!」

 

 そう叫ぶとキャハハと狂ったように笑い出す。大昔に起きた、吸血鬼の町の時のように。

 従業員達もそんな狂ったフランに怖気づいたのか逃げ出すものもいる。

 

「ねぇ……何で逃げるの? 遊んでよ……もっと遊んでよぉ!」

 

 返り血を浴びたフランの顔は悪魔そのもの。フランは逃げ出す従業員達も逃がそうとはしなかった。次々にうめき声を上げてうつぶせに倒れていく。

 そんな中、カチリッ、と乾いた音が。それはフランの銃が弾切れを起こした音。

 

「弾切れだ!」

 

 フランはマガジンを外し床にポトリと落とす。

 それをチャンスと見たのか従業員の一人がそう叫ぶ。しかし従業員の数ももう少ない。

 その内の二人が手にナイフを持ってフランの後ろと前から襲い掛かった。

 フランはのんきに予備の弾創を二つ取り出す。しかし、もう遅かった。二人の従業員はフランのすぐそばだ。弾を入れ替えている時間はない。

 フランは諦めたのか、二つのマガジンを前と後ろに軽く放り投げた。ちょうど従業員の眼前に来るように。

 従業員の進撃を止めようと思ったのだろうが軽く放り投げられたそれらをよけれないほど二人は愚鈍ではなかった。二人ともサラリとかわしてフランを襲おうとしたそのとき。

 

「ぐっ!?」

「がはっ」

 

 気づけば従業員二人はフランの両隣で仲良くおねんね状態だ。

 フランは投げたマガジンを空中で、空になった銃でキャッチしたのだ。更に半分ほど入ったマガジンで従業員の側頭部を強打することで完全に装填した。しかも二丁同時に。軽く宙を舞って反転することで。

 

「リロード完了」

 

 フランは笑みを浮かべて一言。それはまさに攻防一体の神技だった。

 そんな神技を見せられては従業員達は逃げるしかない。しかしそんな従業員をは次々にフランに捕まっていった。

 

 

 

 

 小島酒蔵の奥では小島当主とその側近がのんびりと酒を飲みながら花火を見ていた。

 

「何やら店のほうが騒がしいですね」

「ふん、大方大島酒蔵の奴らが復讐に着たんだろう」

 

 余裕しゃくしゃくで酒を一口飲む小島当主の顔はフランとはまた違う悪魔の笑みを浮かべていた。

 

「では警察を呼びましょうか?」

「まだ早い。存分に痛めつけてからだ」

「そうですか。しかしうまくいきましたね」

「ああ、これで大島酒蔵も終わりだろう」

 

 最初から従業員達の手に凶器が握られていたのはそういう訳だった。

 小島酒蔵の思惑は復讐に来た大島酒蔵の従業員を返り討ちにし、その従業員達を全員警察に突き出すことだ。

 そして捕まった大島酒蔵が一方的に勘違いし恨みを持っていた小島酒蔵を襲ったという事で片付けられるだろう。

 これで大島酒蔵はつぶれ小島酒蔵の思惑通り言うわけだ。

 しかしその思惑は外れる事になる。

 

「ん?」

 

 ズルズルズルと何やら引きずる音が聞こえる。小島当主がそちらを見ると扉が開く。

 

「おお、終わっ――」

 

 終了の合図と勘違いした小島当主の目の前には小島酒蔵の従業員の体が。

 

「ぐはっ!」

「な、何やつ!」

 

 その入り口には二丁の銃を持ち、顔に返り血をたっぷり浴びたフランが立っていた。

 

「当主……すいやせん……」

 

 投げられた従業員にここまで案内させたのだろう。小島当主に乗りかかっている従業員は住まなさそうに謝罪する。

 しかし小島当主はそれを蹴り飛ばす。

 

「役に立たん奴らだ! おい! あれをもってこい!!」

「は、はい!!」

 

 そう言って何やら側近に奥へ取りに行かせる小島当主。

 

「終わりよ」

「くっ!」

 

 フランは小島当主に銃口を向ける。それと同時に小島当主も胸から出した銃をフランに向ける。

 二つの銃口が二人に向けられる。しかし小島当主は体制を整えることが出来ず、座り込んだまま。

 

「お前がここの当主ね」

 

 そう言うフランの表情は未だ薄ら笑いが張り付いている。

 

「ま、まて、なぜお前がわしを襲う!?」

「お前は新之助を殺した……だからお前を殺す」

「くっ……い、いいのか!? わ、わ、わしを撃ったらお前は幽閉されるんだぞ!?」

 

 その言葉でフランの薄ら笑いは消えて無表情になる。

 霊夢は言った。人に危害を加えると天界で一生暮らす事になると。

 フランは怒りで我を忘れ、狂気に駆られるままに、その衝動を抑える事ができずに小島酒蔵の従業員達に危害を加えた。もう天界で暮らす事は確定している。

 だからそんな事はもう知った事ではないのだ。

 

「もういいんだよ……そんなこと……これが私の運命なんだから」

「そ、そんなっ」

 

 フランはその自分の言葉に思案する。

 

(運命……か……ねぇさまも知ってたのかな……)

 

 運命と言えばレミリアもこうなることを分かっていると言うこと。

 フランはもう天界で暮らす運命にある。だからか、自暴自棄になり全て悪い方へ考えてしまっていた。

 

(来てくれないってことは……やっぱり私のこと嫌いになっちゃったのかな……)

 

 いつも困った時は助けてくれた実の姉のレミリアはフランの所へは来てくれない。それはあの時大嫌いと言ってしまったからなのか、と。

 

「と、とりあえず落ち着け! わしを撃てばお前の処分がもっと悪くなるぞ!」

 

 そんな光景を興味津々に眺めるものが。

 

「あやや、面白いことになってますねぇ、これはいいネタです。おや」

 

 小島酒蔵の垣根から覗いているのは射命丸文だ。記者である文はフランの後をつけていたのだ。記者にとってこれほど興味をそそる現場に遭遇することははそうそうないだろう。

 その文が何かに気付いた。

 

「そんな事、知ったこっちゃな――」

「フランちゃん!」

 

 フランと小島当主の間に割って入った者はフランと小島当主が死んだと思っていた人物、大島新之助だった。

 二人とも幽霊を見るような目で新之助を見る。走ってきたのか、息を切らし肩で息をしている新之助がそこにはいた。

 

「フランちゃん! だめだ! そんなことしたら君は一生幽閉されてしまう!」

 

 両の手を広げて小島当主をかばう新之助。

 

「新之助……いき……て……」

 

 フランは新之助が生きていたことが素直に嬉しかったのだろう。紅の瞳からは狂気は消えうせ逆に大粒の涙が溢れ出してきた。

 

「よかった……ぐすっ……本当に……」

 

 そこまで言って、フランは黙り込んでしまう。そして表情が見えないほどにうつむいてしまう。

 

「フランちゃん?」

「もう……もう遅いんだよ新之助ぇ……」

 

 そのフランの声はかすれている。

 

「え?」

「私……もう人を……もう遅いんだよっ」

 

 新之助も見てきただろう。フランが行った暴挙を。それによって新之助が現れたところでもう何も変わらない。全てが遅かったのだ。

 

「そんなこと……」

「新之助も見たでしょう!? 私はもうっ……閻魔のところで一生幽閉される運命なんだよ!」

 

 フランは銃を構え直し、かすれ声でそう叫ぶ。

 新之助はここに来るまでに多数の負傷者を見たはずだ。もうフランの運命は決まっていることも分かっている。

 驚いたことにフランの顔にはまた狂気が戻っていた。大粒の涙が真紅の瞳をギラギラと揺らしている。そしてその口元はまたつりあがり、不気味な笑みがもどってしまった。

 

「どいてよ! こいつを殺してやらなきゃ気がすまない! 新之助を撃ったのもこいつなんだから!」

「ひぃ!」

 

 そう言いながら笑うフランの手に持たれた銃はまっすぐ小島当主に向けられている。

 しかしその狙いを新之助が体を入れて邪魔をする。

 

「落ち着いて」

 

 そう言うと新之助は一歩フランに近づく。

 

「こ、こないで! どいてよ!」

 

 フランは近づいてきた新之助に弾かれるようにびくついて後ずさりする。

 

「どかないよ。小島さんも撃たせはしない」

 

 新之助は怯みはしない。また一歩近づく。

 

「何で!? 何でよ!!? 何でそんな奴助けるのよ! こいつは新之助を殺そうとした! 死んで当然なんだ!」

「やめるんだ、フランちゃん」

 

 フランには理解できなかった。新之助を撃ったのはほぼ小島当主の仕業で決まりだ。なのに何故それを止めるのか。あまつさえフランは人を撃って天界行きが確定している。それは新之助も分かっているはずだ。

 ならば小島当主を撃ったところでその処遇が変わる事もない。それに小島当主を撃つということは新之助にとっても復讐でき、喜ばしい事ではないのか。

 フランは考える。その狂気に満ち溢れた頭で。

 そうしてその頭で導き出された答えは最悪だった。

 

「……わかった」

 

 そう言うフランの銃口はまっすぐに新之助に向けられる。加えて先程まで小島当主に睨み付けられていた視線はその前に立ちはだかる新之助に突き刺さっていた。

 それが答えだった。

 新之助はその光景に信じられないといったように目を丸くし歩みを止める。

 

「お、お前も……お前もそいつの……な、な、なか、仲間だったんだな!?」

 

 フランはそんな事あって欲しくないと願いながら、恐る恐るといった様子で叫び散らす。そのフランの体は震えている。

 恐らくそうであった時のことが怖くてたまらないのだろう。目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、不気味な笑みはわなわなと震えて今にもはがれ落ちそうだ。

 

「フランちゃん? 何言ってるの?」

 

 そう言って新之助はフランを落ち着かせようと微笑みかける。

 

「最初から私を……閻魔のところへ連れて行くつもりだったんだ! そいつと共謀して!」

 

 そして悪いことにフランの狂気が、フランを落ち着かせようと微笑む新之助の顔を悪魔の笑みに変える。それがフランの導き出した答えを確信に変えてしまった。

 それは同時にこの計画に加担した幻想郷の住民も皆、自分を天界に連れて行くための口実だと勘違いして。

 

「聞いてフランちゃん」

「うるさいうるさいうるさい! お前もそいつも皆っ……皆殺してやる!」

「僕は」

 

 新之助はまた一歩フランに歩み寄ろうとしたその時

 

「死ねえええええええええ!」

 

 フランの紅の瞳孔が見開かれる。

 人差し指に力が込められる。

 

 その時、フランの脳裏にある風景が浮かんだ。

 

 白いシャツに広がっていく赤いしみ。

 

 だらしなくはやされた無精ひげ。

 

 ぼさぼさの髪が掛かる見慣れた目。

 

 そして苦痛に歪めた表情で必死に笑みを見せる表情。

 

 ここで引き金は引かれた。

 弾は新之助のほほをかすめてとんでいった。床には新之助の頬から垂れた血がポトリポトリと滴り落ちる。

 

「う、ぐっ……」

 

 軽い目眩を覚えたフランはもう片方の銃を持った手で頭を押さえつけ何やらもだえている。

 

(なに……これ……誰よあんた!)

 

 新之助がまた一歩近づく。

 フランがそれに気付き、びくつくように標準を新之助の頭に合わせ直す。

 

「こ、これは警告なんだから! 次は当てるからね!」

 

 新之助はまた一歩近づく。その言葉で確信を得たのか先程までよりも力強く。

 

「本当に当てるからね!」

 

 新之助はもう止まらない。二歩三歩とフランへ迫る。

 

「こないでよおおおお!」

 

 数発の銃弾が飛んでいくが新之助にはもうかすりもしなかった。

 

「うぅ……」

 

 そして、新之助の胸にフランの持っている銃口が当たる。

 

「フランちゃん、これで外れないよ」

「くっ……」

 

 フランは引き金を引くことができない。それは外しようがないから。

 新之助は新之助でフランを、どこか安心できるような意地悪な笑顔で見下ろしている。

 そんな余裕な新之助にフランは睨み返すことしかできなかった。しかしその涙で潤んだ紅の瞳からは禍々しい狂気は消え失せ、後に残ったものはあどけない少女のようなそれだ。

 新之助はまた一歩近づく。新之助の胸に当てられた銃は抵抗なく引き下がる。

 フランはあきらめたように腕をだらんと垂らし、続けて両の手からガタリと銃が落ちる。

 

「新之助は意地悪だよね……」

「可愛いと意地悪したくなるってやつかな」

「精神年齢ひくすぎるよっ……ばかっ」

「そうかも」 

 

 可愛らしく上目遣いで睨みつけるフランを新之助は優しく抱きしめてやる。フランの体はこのまま強く抱きしめたらどこまで腕が食い込んでいくのか分からないくらいに柔らかい。

 

「僕は、君を助けたいんだ」

「……私……撃っちゃったよ? 人を……いっぱい……」

 

 フランは震えている。

 

「大丈夫……僕がなんとかするから」

 

 何とかとは何なのだろうか。それはフランを安心させるためについた嘘でしかない。もう新之助にはどうする事もできないだろう。霊夢に頼んで町民に頼めば誰かしら味方してくれる者もいるはずだ。

 しかし被害をこうむった当の小島当主がそれを許さないだろう。

 新之助は震えるフランを見る。この小さな体で自分の為にここまでやってくれた小さな吸血鬼の娘を。

 何とか打開する方法は無いものか。これではあまりにフランが気の毒だ。

 大島酒蔵のために復讐をしてくれたフラン。しかし新之助は生きていてそれはする必要のなかった復讐。そのせいで天界にて一生暮らす事になる。

 傍から見れば詐欺にかかった不幸な少女にも見えなくも無い。

 

「わだじ……いぎだぐない……閻魔様のどごろになんか……いぎだぐないよぉ」

 

 そう言って新之助の胸で声をあげてむせび泣くフラン。

 一度は天界に行くこと受け入れた。しかしフランは新之助の優しさで狂気が消え失せ、また自分はここに留まりたいと思ってしまった。

 だから新之助に素直にそう訴える。

 だがそれはもうどうする事もできない。

 このままいくとレミリアがフランを強奪し咲夜も一緒についてくることになるだろうが。

 それでもこの先が苦難に満ちていることは確かだ。

 

「わかった。なんとかする……なんとかするから」

 

 だから泣かないでというように新之助がフランを強く抱きしめる。

 抱きしめるとは不思議な安心感を与えるのだろう。フランの震えが段々小さくなっていく。

 

「絶対に閻魔になんかに渡したりはしないから、僕の命に代えても」

 

 先程まで新之助の胸に顔を当ててないていたフランがそんな優しく微笑む新之助の顔を見上げて問う。

 

「新之助は……なんでそこまで……?」

 

 女の子は分かりきった質問をしたがる傾向にあるのか。フランも恐らくは分かりきっているであろう。

 それが恥ずかしくなったのかフランは顔をまたうつむかせる。

 しかし一度もそれを聞いた事がない。だから実際に言って欲しいのだろう。

 新之助は顔を赤くしそんなフランの頭を見つめる。

 

 そして

 

「僕は……君が――」

 

 うつむいているフランの横を何かが倒れていく。それを目で追うフランの目には見知った顔が映っていた。それは一瞬だったが長い時間ゆっくりと目に映っていたそれ。

 次にフランが見たものは床にうつぶせになって倒れている新之助だった。

 

 



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第二十話 ~フランVS小島~

 

「へ?」

 

 間抜けな声を上げるフランの横で新之助が倒れていく。

 涙でにじんだ真紅の軌跡がフランの目に浮かんできえた。

 眼前には新之助ではなく、硝煙がモクモクと立ち上がった銃を握る小島当主が悪魔の笑いを浮かべて立ち上がっている。

 小島当主が背後から新之助の心臓を撃ちぬいたのだ。しかし、あまりの予想外の出来事にフランの頭が追いつかない。ただ間抜けな声を上げて呆然と立ち尽くすだけ。

 ついさっきまで自分をきつく暖かく抱きしめてくれていた新之助が床にうつぶせになって倒れ、ピクリとも動かない。

 

「まさか生きていたとはな。大金を払って伝説のスナイパーを雇ったというのに」

 

 硝煙の後ろからでてきた小島当主の顔は悪魔そのもの。

 しかしフランはそんな言葉聞いてはいなかった。

 

「しんの……す……け?」

 

 フランは目を丸くして倒れている新之助をただ見下ろしている。

 新之助の背中には小さな穴がぽっかりと口を開けている。あいた穴は暗く赤い。その位置から心臓に当たっているだろう事が分かる。そして倒れた衝撃で新之助の眼鏡が外れ、顔の近くに転がっていた。

 そんな眼鏡などもう不要と明示するように新之助の目は閉じられ開く気配が無い。

 

「どう……したの?」

 

 フランは両膝を折って床を叩く。それにあわせてフランのサイドテールがフワリと踊る。

 目を見開いたまま、新之助の背中にフランの手が恐る恐る伸ばされる。そして朝、ネボスケの新之助を起こすようにゆっくりと体を揺さぶるフラン。

 

「ねぇ……新之助……どうしたの? 何でねむってるの?」

 

 新之助の反応は無い。

 

「さっき……なんて……言おうと……して……」

 

 状況がいまだ理解できていないフランは新之助の体を揺らし続けている。

 新之助に触れればまだ体温を感じることが出来る。

 それは普通のこと。

 ならば揺らし続ければ間抜けな声を上げて目を覚ますことも普通のこと。フランにとって、そうでなければならないのだ。

 そんな当たり前の事が起こらない。更に普通であれば付くはずのない、赤い液体がフランの掌にしみこんでくる。

 

「フン、まあいい、これで目的は達した」

 

 そんな非日常とフランを見下すように鼻で笑った小島当主の一言でフランの頭が急速に状況を理解し始める。

 

「ねぇ……しんのすけぇ……起きてよぉ……しんのすけぇっ……ぐすっ」

 

 いまだ新之助の体を揺さぶってはいるが、フランの目は細められ、また大粒の涙が溢れ出してきてしまった。

 涙を溜めに溜めていた大きく見開かれた目が急に細められたものだから、大半がフランの白い頬を伝いもせずこぼれ落ちてしまう。 フランの頭はようやく状況を理解したようだ。先程まで暖かく自分を抱きしめてくれた新之助が今どういう状況にあるのかを。

 それでもフランは新之助の体を狂ったように揺らし続け止めようとはしない。もしかしたら起き上がるかもしれない、生き返ってまた自分をまた抱きしめてくれるかもしれない、といういちるの望みを込めて。

 だが新之助は起き上がるわけも無く、そんなフランの茶番を冷たい視線で一瞥した小島当主がフランに銃口を向けた。

 

「後はこのお前を片付けるだけだな」

 

 小島当主は悪魔のような顔で片頬を吊り上げ、新之助の体を狂ったように揺らす無抵抗のフランの体に一発打ち込んだ。

 発砲音とそれに続くフランのうめき声。最後に体が軽く宙を舞って回転し床に叩きつけられる。

 

「怖気の走る再会はもう十分だろう?」

 

 倒れたフランの顔の前にはもう目を開ける事のない新之助の顔があった。弾丸を受けたにもかかわらずその視線は新之助から離れはしない。

 

(新之助……私のせいで……)

 

 だからといってフランはいつまでも過去をひきずって泣き喚き、ただ思いにふける、少女らしい少女ではない。

 目の前には人里に来て初めて親密になった男を殺したにっくき悪魔がいる。

 今自分にできる事は何か、今するべきことは何なのか。

 それは祖母にも言ったことだ。もう決まっている。

 目の前の本物の悪魔を駆逐することだ。

 

「……なんで?」

 

 フランは両の手を床に押し当てて体を起こし、小島当主に疑問を投げかける。

 

「ん?」

「新之助は……も……した」

「あぁ?」

 

 ブツブツ言っているフランの聞き取りにくい声に方眉をつり上げて苛立ちを見せながら聞き返す小島当主。その小島当主が次の瞬間びくりと体をすくませた。

 

「新之助はおまえも救おうとした!!」

 

 フランは瞼を力一杯に閉め、体が折り曲がるほどに思いっきり叫ぶ。

 

「なのに何で!!」

 

 何故自分を助けてくれた新之助を撃つのか、何故そんな酷い事ができるのかと、眉間にしわを寄せ小島当主を潤んだ紅の瞳で睨みつける。

 新之助は小島当主を守った。しかしその守っている新之助の背中を小島当主はためらいもせず、しかも的確に心臓を撃ち抜いた。

 その行いは人であって人にあらずといった表現があまりにも当てはまりすぎる程に冷酷なもの。人間からは冷酷と称される吸血鬼であるフランでさえそう思う程人情味に欠ける行為。

 

「はっ、何を言うかと思えば……知れたこと。邪魔なんだよぉ、大島酒蔵がなぁ。先代を殺した時に店を閉めておけばよかったのになぁ」

 

 そんな事を言い捨て、悪魔の形相でヒッヒッヒと笑う小島当主。

 

「今、なんて……」

 

 フランはぽかんと口を開けて信じられないといった様子で目を丸くしている。

 フランの耳はその小島当主の言葉を聞きのがさない。小島当主は確かに「先代を殺した」と言った。

 大島酒蔵の前当主である新之助の両親達は、新之助が言うには「事故」で死んだと、フランはそう聞いているのだ。

 だが新之助の祖母は「殺された」と。

 

「おっと、こいつは口が滑ったな」

 

 小島当主はそんな滑った口を隠しもせず、両手を突いたまま呆けているフランを見下ろしている。

 

「まあいいどうせ死ぬんだからな……そうだ、ワシが命令してあいつの親を殺させたのさ」

 

 この世にもし神に対峙する悪魔がいたとしたらこの男の事を言うのだろう。自分の利益のために新之助だけではなく、先代も殺したのだ。更に悪びれることも無く、平然として笑みまで浮かべる始末。

 フランは祖母づてで新之助が言った事を思い出す。

「そんなことしたって無駄だとわからせてやる」

 それは新之助流の小島当主に対する復讐だったのだろう。新之助はフランや文のおかげで新しい酒を売る事に成功した。それによってある意味では小島酒蔵に復讐は果たせたのだろう。

 パーティで小島当主に挨拶をした新之助がどんな顔をしていたか、逆に小島当主がどのような顔をしていたか。フランが間近で見ていればさぞや面白い光景になっていたことだろう。

 だが小島当主はまた繰り返した。こんなにも酷い事を。それが小島流なのだろう。

 ならばフランはどうするか。決まっている。祖母に似ているといわれたフラン流で挑むのだ。

 

「このおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「ひっ!?」

 

 フランは雄叫びを上げる。ビリビリとその衝撃が小島当主にも伝わったのだろう、その威圧感に耐え切れずに一歩後ずさる。

 それはフランの小島当主に対する宣戦布告。

 だからか、その雄叫びをかき消すように銃声が十数発。それはフランの全身に全て命中した。

 それはフランの雄叫びに恐れ戦いた小島当主が反射的に撃ったもの。

 フランの小さな体がゆらゆらと揺れてバランスを崩す。

 だがフランは倒れはしない。普通の人間なら死んでしまっているであろう数の銃弾を受けてもフランは床に両足をつけてしっかりと立ちあがる。

 

「ぐっ……許さない……絶対に」

 

 フランはよろよろと立ち上がり床に落ちている銃を拾い上げる。

 

「ちっ、やはり吸血鬼はこの程度では死なんか!」

「当主! 持ってきました!」

「むっ、でかした!」

 

 そこにばたばたと小島当主の側近が何かを大事そうに抱えてやってきた。

 小島当主が側近に持ってこさせたものは新しい銃だった。それを側近の手から掻っ攫う。と、すぐさま引き金に指をかけ、銃口をフランに向けた。

 

「許さない!!」

 

 フランも先程落とした銃を拾い上げ、銃口を小島当主に向ける。

 それはほぼ同時だった。フランの視線と小島当主の視線が交差し更にその銃口互いに向けられた。

 

パァアン!

 

 一発の銃声が鳴り響き、二発の弾丸が互いの銃口から発射された。

 

「ぐぁっ」

「ぐっ」

 

 互いの弾丸は互いの体に命中したようだ。双方小さなうめき声を上げる。

 しかし勝った負けたで言えば負けたのはフランだろう。小島酒蔵はその場で踏みとどまり、フランは衝撃で地面を這いつくばっている。

 小島当主は撃たれた肩を押さえもせず、地を這いつくばるフランを見てニヤニヤと笑っている。

 

「どうした? 肩など狙って、人間に哀れみを持つなど妖怪の名折れじゃないか」

「ぐっ……このっ」

 

 フランはまた床を両の手で突き体を起こそうとする。しかし

 

「っ!?」

 

 起き上がろうとするフランの視界がガクリと傾いたのだ。

 それも当然だった。床を突く両の手の片方が無いのだから体勢を崩すのは自然なことだった。

 小島当主の側近が持ってきたものは銀の弾丸が込められた銃だった。恐らくフランが来ることも予想していたのだろう。その銃弾がフランの肩付近に当たったのだ。

 吸血鬼は体を何度貫かれようと頭に銃弾を打ち込まれようと死にはしない。

 しかしそれはその素材が銀ではない場合だ。

 吸血鬼にとって銀の弾丸はすさまじい威力を発揮したらしい。腕が肩の付け根からなくなっていてその断面は袖によって見えないがその白い袖が少し赤く染まっている。さらに控えめといった具合に床に血が滴り落ちている。

 

「ふぇ……う……あ……」

 

 フランの紅の瞳が段々見開かれていく。そして

 

「うわああああああああああ!」

 

 フランは銀の弾丸で腕を吹き飛ばされた痛みとショックで悶え苦しんでいる。

 一方、肩に弾丸を受けた小島当主は痛がる様子も無く、未だ地べたを這いつくばっているフランを見てニヤニヤしながらゆっくりと歩み寄ってくる。

 フランはそれに気付くが、腕が無いせいで上手く体が起こせない。せめて顔だけを上げて小島当主を睨み付ける。真っ赤に染めた真紅の瞳で。

 しかしその顔は激痛に歪められ、威圧感はまるで無い。小島当主は悠然と歩み寄ってくるが、そこでその威圧感の無い視線があるものに気づく。

 フランの表情が次第に驚きのものに変わっていく。

 

「ひぃっ」

 

 それに気づいたのはフランだけではない。側近の者も顔を引きつらせて小さな悲鳴を上げている。

 

「ん? おっと、こりゃいかん」

 

 それは信じられないことに小島当主の頭から二本の触覚が生えているのだ。

 

「と、当主!? これは一体!?」

「傷を治すために力を使ったからか」

 

 小島当主はそう呟くと、銀の弾丸を撃ち込まれたことによってフランの手から放れた銃を拾い上げる。更に信じられないことにその銃口を側近に向けた。

 

「え?」

 

 はとが豆鉄砲を食らった顔をしている側近の胸に風穴が開いた。

 

「なっ」

 

 側近はよろよろと壁に背中を押し当てて全体重をかけると、壁に赤い線を引いて座り込んでしまった。気を失ったのかもしくは息絶えたのか、新之助同様動かない。

 

「ふん、いけない子だ吸血鬼の娘ぇ。人を撃ってはいけないと教わらなかったのか?」

「私撃ってない!」

「ああん? これはお前が持ってきた銃だろう? 違うか?」

「あ……」

「ふんっ、ここまでくるのに何人も撃ったんだ、一人くらい変わりはしないだろう」

 

 そんな小島当主の言葉に何も言い返すことができないフランは苦し紛れに対抗できる言葉を見つけた。そしてそれは悪い事に小島当主の怒りのつぼを刺激したらしい。

 

「何で!? あいつは、あんたの仲間じゃない!」

「仲間だと!?」

 

 そのフランの言葉にいきなり鬼の形相でフランのサイドテールを鷲づかみにした。そして鬼のように怒った悪魔の顔を近づける。フランは片腕が無いせいで抵抗できない。

 

「あぐぅっ」

「馬鹿かおまえは!?」

 

 小島当主の怒涛の怒鳴り声と、吐く息、更につばがフランの顔を襲う。

 

「妖怪の癖に人間を仲間だと!? 奴らは駒だ! わしのために働くただの駒だ! そうだろう!?」

 

 妖怪らしい妖怪とはこの事だろう。妖怪らしい考えで人間を妖怪らしく扱い、考え、見下す。フランの住んでいた町の吸血鬼のように。

 

「妖怪の癖に何を駒の心配をしているのだ!? 駒の代えなどいくらでもいる! 違うか!?」

「ぐぅ……」

 

 怒りで我を忘れているのかフランの髪を鷲づかみにしている腕を震えるように揺らす。いくら吸血鬼でも痛いものはいたいのだろう。フランは揺らされるたびに小さくうめく。

 だがその問いにフランははっきりと答えることができる。

 

「……かえなんか、無い」

「あ?」

 

 一言そういうと小島当主の目が先程よりも大きく見開かれ、悪魔のような顔を更に近づけられる。

 しかしそんな脅しに屈するフランではない。

 

「代えなんか無い……あんたを守ろうとした新之助も、あんたの仲間も、あんたも」

 

 フランは顔から怒りの感情を消し、妖怪である小島当主を諭すように語りかける。むしろ質問された答えが自分には明確に分かった時にする笑顔すら貼り付けている。

 

「もうその人と喋ることもできないし……触れることもできないんだ……」

 

 それはフランが人里へやってきた日、新之助がフランに言った言葉だ。だからフランは明確な答えを用意することができた。

 

「ふん、何を馬鹿な――」

「人は死んだら……」

「もういい」

 

 そんなフランの優等生ぶりが気に入らないのか小島当主も怒りの表情を消す。それはフランとは違い無表情。

 だがそんな優等生の応えはまだ続く。

 

「死んだらね……」

「もういいといっているだろう!」

「コンティニューできないんだよ!!」

「黙れ小娘!」

 

 小島当主はフランのサイドテールをなぎ払うように投げ捨てる。それに連動しフランの小さな体が床に叩きつけられた後宙を舞う。 そしてそのフランの頭に硬いものが殴りつけられるように押し付けられる。

 

「あぅ……」

「お前は何回コンティニューできるのだ!? その回数だけ銀の銃弾を撃ち込んでやろう!」

 

 いくらフランが吸血鬼でも頭に先程の銀の弾丸を受ければひとたまりも無い。もちろんゲームではないのだ。コンティニューなどできやしない。

 

「しねっ! 吸血鬼の娘!」

「ぐっ」

 

 

 



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第二十一話 ~決着~

紅魔館

 

 紅魔館では先程たしなめられた咲夜が未だレミリアの傍でそわそわしている。レミリアが一口紅茶をすする度に上の空で条件反射のように紅茶を注いでいるのだ。おかげでレミリアのティーカップの中身はいつも満杯でなくなることが無い。

 上の空でこぼさずに紅茶を告げる咲夜もさすがだが、この嫌がらせにも近い行為にレミリアの内に秘める色々な物が限界だ。

 

「咲夜、もうお腹一杯よ」

 

 とレミリアは一杯の胃袋とティーカップをもって限界を告げる。

 

「え、あっ」

 

 咲夜は肩をすくませながらレミリアの一言に気付き、あわててティーポットの注ぎ口をナフキンで受けながら引き上げる。

 

「も、申し訳ありませんっ……」

 

 レミリアは片肘を突いて頬杖を突き、咲夜を横目で疑いの目でじとりと睨み付ける。

 咲夜は慌てて取り繕うように背筋を伸ばし、一瞬で表情をすまし顔に変えて仮面をつけて覆い隠す。が、相手が悪かった。レミリアの視線は薄っぺらな仮面を否応無しにすり抜けてくる。

 フランは人間に危害を加える運命だ、とレミリアが言った言葉が咲夜の頭から放れないのだ。

 たとえ結果が分かっていようと、その事実が明らかになるその時まで、何が起き、どう転ぶかは分からない。だからもしかしたら違う結果になるかもしれない、または自分が行けばどうにかなるのではないか、などと淡い期待を抱いて。

 そんな考えが咲夜の頭を巡って回り、普段のメイド然とした仕事が出来ないでいたのだ。

 そんな想いを全て見透かしたレミリアはため息を一つ。

 そのため息で自分がレミリアにどう思われているか理解した咲夜は潔く意味の無い仮面を外す。更に自分の考えを見透かしているのならとばかりにレミリアに尋ねる。

 

「あのひとつ質問が……」

 

 レミリアはその質問にかわいらしく首をかしげる。口元が笑っているのでおそらくわざとだろう。

 

「お嬢様は妹様が人に危害を加えるとおっしゃられましたが……」

「その先を知りたい、と?」

 

 咲夜はコクリと頷いた。

 危害を加える運命とレミリアは言ったがその後はどうなるのか。

 メイドだからか、先のことを事前に知り、レミリアやフランの為に出来ることを準備しておきたいということなのだろうか。それともレミリアの言う運命は間違いで何も心配することなくただ単にフランの帰りを待っていればいいだけなのか。

 レミリアなら分かるはずだ。しかし返ってきた答えはなんとも肩透かしをされたような言葉だった。

 

「分からないわ」

 

 レミリアは無表情になり、窓の外に顔を向けて一言そう言った。

 分からない、とは一体どういうことなのか。先程まで自信満々に語っていた運命という言葉を、そんな無責任な一言で済ますレミリアに怪訝そうな顔をして「分からない?」と聞き返す。

 

「ええ、何にも見えないの」

 

 以前無表情で窓の外を眺めたままレミリアは答える。

 その言葉に咲夜は気分を害する表情をするどころか光明を見たかのように表情を明るくした。

 大方レミリアの運命を操る能力は紛い物で、先程言った言葉は狂言だとでも思っているのだろう。レミリアは主に対してそんな失礼な態度を取るメイドを背後に感じて、人間とは何とも愚かな生き物なのだろう、という言葉をため息に変えて吐き出した。

 そしてそんな咲夜の妄想の中にある希望の光をかき消すようにレミリアは自分の能力を説明してやる。

 

「いい? よく聞きなさい、このダメイド」

「だ、ダメイド!?」

「人の人生には初めに一本の道が用意されているものなの。その道の先にはまた何本かの分かれ道が用意されているわ。それは小さな選択肢から大きな選択肢まで、いろいろよ。気の向くまま赴くままにあなたの頬をビンタするかしないか、この紅茶を限界が過ぎても呑むか飲まないか、あなたがフランを助けに行くか行かないか」

 

 レミリアの睨むような視線が咲夜を串刺しにする。それに顔を背けることもできず、咲夜は罰が悪そうに口をすぼめ、冷や汗を垂らすことしか出来ない。

 

「その枝分かれした道はどこかに合流している事もあるしとんでもないところへ通じている事もあるわ。その枝分かれした道を選んでいくことでその人の人生が決まっていく。その人が歩んで行く軌跡やその先の道を私達は運命と呼ぶわね。私はその用意されている道の一つに誘導する事ができるのよ」

「は、はあ……では見えないと言う事は一体どういう――」

 

 いつもは時間を止めても自分は動けるのだが、今は逆に自分の時間を止められてしまったかのようにその口が固まった。いや、口は動いているが声がでていないだけだ。

 咲夜はあることに気づいたのだ。

 

「そう」

 

 あることに気づいた咲夜にレミリアも気づき、肯定する。

 そのレミリアの一言が咲夜の頭の中で思考が空転させた。もしそうだとしたら先程言ったレミリアの言葉はやはり嘘になるからだ。更にはフランを幻想郷から強奪して逃げるどころの話ではなくなってしまう。

 

「道が途切れるとは人生の終わり。つまり」

 

 いまだ言葉をつむぐレミリアは咲夜の目にはもう映らない。

 

「死を意味する」

 

 レミリアがそう言い切るや否や咲夜の目が見開かれ更に薄暗い廊下が真昼のように明るくなる。

 咲夜の手にいつの間にか握られていた銀色の懐中時計が白く光っているのだ。

 そして咲夜の口が開かれる。眉毛を吊り上げ眉間にしわを刻んで。

 

「お嬢様、私は何か勘違いをしていたようです」

 

 咲夜の目にはもう迷いが無い。あの時と同じ、霊夢や町民を傷つけようとした時と同じだ。

 

「そうね、その通りだと思うわ」

 

 レミリアはレミリアで真っ直ぐに咲夜を見据えている。

 その通りだとはどれを示すのか。咲夜がレミリアの覚悟を思い違えていた事だろうか。

 レミリアの言ったように天界に行く事になれば強奪し幻想郷を離れる。それは嫌だがフランのためなら仕方ない。咲夜はそう思っていた。それがレミリアのフランへの愛の形だと信じて。

 しかし、もしその前にフランが死ねばどうなるか。

 

「私は妹様を連れて幻想郷を去ります」

 

 どうしようもなかったとさじを投げ、高価な墓石を建てて花を添える。そうすれば幻想郷にとどまることが出来るのだ。

 

「そして金輪際お嬢様とは縁を――」

「咲夜……その先を言うとあなたはつらい運命をたどる事になるわよ?」

「それでも構いません!!」

 

 レミリアの忠告にも全く耳を貸さず即答だ。咲夜の時計の光がさらに強くなる。これ以上何を言っても無駄だとばかりに。

 咲夜はもう覚悟を決めている。

 

「私は嫌よ」

 

 咲夜の強い覚悟が揺らいだ。

 そんな一言で、口をついて出たような、単純な願望を言葉にしたそんな一言で。混じりけの無いその幼い言葉が普段のレミリアとのギャップもあいまって咲夜の心に響いてしまったのだ。あまつさえ咲夜にいて欲しいと願う、ささやかな願いを込めて。

 咲夜の持っている懐中時計の光が徐々に小さくなっていく。

 レミリアの発する言葉はどれも忠誠を誓わざるをえないようなカリスマ性溢れる言葉。

 だが同じことを何度もやればその耐性がつくと言うもの。それはいつも身近にいて従順に従うメイドである咲夜でも例外ではない。

 

「いつもそうですね……」

 

 レミリアはうつむいて呟くように静かに語りかける咲夜の言葉に、今度は他意なく首をかしげる。

 

「いつもそう……どんな言葉を使えば相手を上手く言いくるめられるか……本当に熟知されていらっしゃる……本当に」

 

 その言葉の裏に秘められた思いとは何か。自らを言いくるめられた事に対して賞賛しているのだろうか。

 レミリアにはそれがあきらめの意を示す言葉にでも思えたのだろう。

 しかし次の瞬間咲夜の口からレミリアにとって信じられない言葉が発せられる。

 

「なら……そんなに嫌なら無理やりにでもやめさせたらどうですか?」

 

 静かに放たれた咲夜の言葉は一線を越えたもの。

 咲夜の言葉は賞賛したのではなかった。そんな言葉で自分を言いくるめようとするレミリアに対し、甘く見るなと、過小評価するなという思いの裏側を表すものだった。

 

「お嬢様にはそのすばらしい能力があるのですから!」

 

 まるで女優にでもなったかのようにうつむいた姿勢から頭を上げ、それと同時に両手を広げて発せられたその言葉は従者として、人として、決して言ってはいけない言葉。

 それはどんな言葉でももう自分を言いくるめる事ができないという強い意志の表れに他ならない。

 更には言いくるめる事ができないなら力ずくで、自分の能力でどうにかしてみろと言う挑戦状でもあるのだろう。

 そんな咲夜に対しレミリアは怒りに任せて力ずくで咲夜を服従させるだろうか、以前のように咲夜の頬をひっぱたくのだろうか、それともまたカリスマ性溢れる言葉で言いくるめるか。

 そのレミリアが取った行動は一瞬にして咲夜の薄っぺらな不適な笑みをはがさせた。

 

「っ!?」

 

 月の光に照らされて青白く光るレミリアの頬に、一筋の光る筋が浮かび上がったのだ。レミリアの桃色の唇、そのすぐ傍をすり抜けて。それはどんな相手をも言いくるめることができる強力な言葉。しかもそれは咲夜が嫌う交渉術などましてはすばらしい能力でもない。

 レミリアの内から出た純粋な言葉だった。しかしそれは純水のように無味ではなく少ししょっぱい。

 咲夜すまなさそうに顔をうつむけ、続けてレミリアに一礼する。

 更に今まで周りを真昼のように照らしていた時計の光は消えた。

 同時に咲夜もその場から姿を消した。

 辺りが静かになる。

 残ったものは月の光とそれに照らされて輝くティーカップに並々と注がれた紅茶、そして頬に涙で輝く軌跡を描いたレミリアだけだった。

 やがてレミリアの目から流れ落ちた涙が、端整な形をしている顎にたどり着いた。たどり着いた涙は床に落ち、その静寂を破るだけだ。

 しかるべくその静寂が破られた。しかしそれは床に落ちたからではなくそれをこぼすまいとその下に差し出されたナフキンに落ちた音によって。

 

「ナフキンが紅茶で汚れてしまったので……取り替えて参りました」

 

 咲夜は片膝をつき椅子に座っているレミリアの頬を拭う。

 

「……そう」

 

 レミリアはどこか安心したように目を細め、優しく咲夜を見つめ、なされるがままに頬を拭わせる。

 

「この運命も……お嬢様の能力で?」

「そんなの見もしなかったわ」

 

 どこか怒ったように、そして無表情な顔でそんな事を言う咲夜にレミリアは優しい笑顔でそう言った。

 操作できることをあえてしなかった、見えるのにあえて見なかった。それは咲夜を信じているという証拠以外の何者でもない。それが自分の思い通りに操るための言葉ではないのなら、メイドである咲夜には最高の褒め言葉になることだろう。

 しかし咲夜の胸の中にはまだ疑念が渦巻いている。フランが死ぬかもしれないというのに見て見ぬフリをするレミリアに。

 

「お嬢様……私はもう、何を信じて……どうすべきなのかわかりませんっ」

 

ポンッ

 

 とそんな悲痛な声を放つ咲夜の頭の上に手を置いて、レミリアはまるで子供をあやすように頭をなでてやる。

 

「あなたは、あの子の能力を知っているわよね?」

「は、はい……知ってます。ありとあらゆる物を破壊する能力……ですよね」

 

 突然の脈絡の無い言葉に、目を点にしてレミリアを見上げている咲夜は慌ててその問いに答える。

 

「私は思うのよ。道が途切れているのはあの子が自分の決められている運命を壊しているからじゃないかって。それはもちろん自分だけじゃなくあの子のすぐ近くにいる新之助という男やその周りも運命も巻き込んで」

「運命をぶち壊すってやつですか……?」

 

 そこで咲夜は久々に笑顔を現し、呆れたように言い放つ。

 

「なんだか青臭い言葉ですね」

 

 だからレミリアは笑って言い返してやる。

 

「あなたはそんな青臭い言葉が好きなんでしょう?」

「嫌いでは……ないですね」

 

 

 

 

小島酒蔵

 

 

 夏祭りの夜、打ち上げられる花火が弾けて周りを揺らす。

 それに紛れて爆発音が鳴り響く。

 フランの頭に突きつけられた銀の弾丸の入った銃が火を噴いたのだ。しかしフランの頭は吹き飛んでなどいなかった。逆に小島当主の手が黒く焼け焦げている。

 

「なっ……なぜっ!?」

「馬鹿なヤツ……」

 

 どうやら咲夜は行かなくて正解だったらしい。フランのまだ残っている腕の拳がキュッと握られていた。

 それは紛れも無く、フランのありとあらゆる物を破壊する能力。

 

「まさかっ……腕を吹っ飛ばしたからっ……!」

 

 フランは腕が吹っ飛ばされたことによってリングが切り離され封印が解けていたのだ。

 フランは怪しい笑みを浮かべてゆっくりと立ち上がる。

 

「覚悟はできてる……よね?」

「ま、待ってくれ!」

 

 今更何を待てと言うのだろうか。

 フランはもう止まらない。止まるはずがない。

 残っている手には不気味に歪んだ時計の針のような剣が握られている。

 

「レーヴァテイン」

「す、スペルカード無しで出すなんてルール違反ではないのか!?」

「そんなルール破壊してやる」

 

 フランの片腕が振り上げられる。その手に握られる不気味な剣にエネルギーが込められていく。それに吸い寄せられるかのようにフランのサイドテールがふわふわとゆれ身に纏う衣服までもばさばさと音を立てて揺れている。

 集まるエネルギーの光に照らされながらフランの唇が鋭い牙が見えるほどに吊り上げられていく。まさに悪魔の笑みだ。

 そそれもそのはずだ。スカーレットデビルといわれるレミリア=スカーレットの妹、フランドール=スカーレットなのだから。

 

「あんたは何回コンティニューできる?」

「やめろおおおおおお!」

 

 振りかざされた剣が一気に振り下ろされ、その剣先から出る赤い光で小島当主がなぎ払われる。

 

「がはぁ!」

 

 小島当主は壁に叩きつけられ、一発だけでぼろぼろになっている。本来ならば肉片など残らず飛び散っているだろう。そうならないのはフランが手加減しているからだ。

 

「まだ、気をうしなわないでよね? 今のは新之助の分、そしてこれは新之助の両親の分!」

 

 手加減はこのためだった。続けて小島当主に赤い光がなぎ払われる。

 破壊音と小島当主のうめき声が辺りに響き渡り、花火と合わせて祭りの夜空が賑わう。

 

「これはババアの分!」

「ぐぁっ」

「そしてこれは私の怒りだああああああ!」

 

 そしてまた振りかざされた剣には今までよりも更に強力なエネルギーを溜め込んでいる。

 

「もう……やめっ」

「死ねええええええええええ!」

 

 フランの剣から放たれたエネルギーは派手に小島酒蔵を破壊しながら小島当主を襲った。

 

「はぁはぁはぁ……」

 

 やりきってご満悦なのかフランは息を切らせながら不気味に笑う。

 

「あら? とどめは刺さないの?」

 

 そこで後ろから声をかけられた。それは青と赤のツートンカラーという珍妙な服装をしている八意永琳だった。恐らく新之助を追って来たのだろう。

 小島当主は生きていた。フランは最後の一撃を寸前で逸らしていたのだ。

 

「新之助が殺すなって言った……だから殺さないだけ」

 

 永琳を見もせずに呟くように言う。

 

「……そう」

 

 フランは不満タラタラで不気味な笑みも消している。それに永琳は少し意外そうな顔をして微笑んだ。更にフランの頭に手を載せてなでてやった。

 フランがそれを恥ずかしそうに押しのけるか否かといった時、店につながる扉を蹴破って何者かが飛び込んできた。

 そのものは黒髪に赤い大きなリボンをつけ、体は紅白の巫女装束に包まれている。側頭部に祭りにでも行っていたのであろう後ともいえる、ひょっとこの仮面が張り付いている。

 

「そこまでよ!」

 

 博麗霊夢だった。騒ぎを聞きつけてやってきたのだろうか。その手にはスペルカードが握られている。

 まさか暴れているフランを取り押さえにきたのだろうか。フランは慌てて永琳の後ろへ逃げて隠れる。

 しかしそんなフランの不安をよそに霊夢はその横を走り抜けていく。

 

「これは私の怒りよ!!」

 

 どうやら狙いは小島当主だったらしい。

 

「霊符・夢想封印!」

 

ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!

 

「……」

「……」

「あの時はよくも邪魔してくれたわね。あんたは地獄行きよ」

 

 あの時とは会議の時だろう。

 霊夢はそう言いながらせっかくフランが寸止めして、半殺しにしていた小島当主を瀕死にして縄で縛り上げた。

 フランはこの人物こそ常識を学ばせないといけないのではないかと考えるがはっと気付いたように永琳に振り返る。

 

「そうだ永琳! 新之助が銃で撃たれて!」

「え? また?」

「お願い! 新之助を助けて!」

 

 永琳の服を鷲掴みにし必死に懇願するフランだが永琳の顔は困惑気味だ。

 

「と言ってもねぇ……この様子じゃぁ手の打ちようが……」

「そ、そんな!」

 

 心臓を打たれて床に倒れている新之助を見下ろしながら言う。いくら永琳でも心臓を打たれては手の打ちようが無いのだろう。学校の前で狙撃されて生きていたのだって運がいいだけだったのだろう。

 しかしそんな事フランは知った事ではない。何もせずに諦めるなんて絶対にしたくないはずだ。

 

「医者なんでしょ!? 何でもいいから新之助を生き返らせてよ!!!」

 

 それはいくらなんでも無理な相談だ、と永琳はさじを投げる以外に無い。だがそれでもフランは涙ながらに叫びながら訴える。

 その悲痛な叫びに永琳は目を丸くしている。それは人間にそこまで入れ込むフランの気持ちに対してか。それほど妖怪が人間に対して一途な想いを向けることができるのかと。最初、紅魔館で嫌がって暴れていたフランとは別人だ。

 永琳はしゃがみこんでハンカチを出してフランの涙を拭ってやる。

 

「ゴメンナサイねフランさん。何か誤解を生むような事を言ったようね」

「ふぇ?」

 

 永琳はそんな間抜けな声を出すフランに信じられないことを言う。

 

「新之助さんは生きているわよ」

 

 フランは目を丸くして永琳の顔を見つめる。それは仏のように優しい笑顔。母性に溢れ安心できる包容力のある表情だ。嘘をついているとは思えない。

 フランは慌てて新之助の方を見るが新之助は動かない。

 

「あなた新之助さんを噛んだ事があるでしょう?」

「へっ……え……えと……」

 

 フランは未だ小島当主を踏んづけて遊んでいる霊夢をちらりと見る。

 

「大丈夫、誰にも言わないわよ。でもこんな状況で隠しても仕方ないと思うけど?」

 

 フランはそれに気付いたように恥ずかしそうに頷く。

 

「ふふ、最初は驚いたわよ。診療所に新之助さんが担ぎこまれてきたんだもの。その時は弾丸に心臓を貫かれてて」

 

 手の施しようが無かったが吸血鬼化していたおかげで新之助は助かったのだった。だからこんなに早く歩きまわれるようになっていたと言う事だ。

 

「だから今も生きていると思うわよ?」

 

 手の施しようが無いと言ったのは施す必要が無かっただけだった。

 フランは新之助の命を自分のせいで落としてしまったと思っていたが違っていたようだ。それどころかフランが新之助を救ったと言ってもいいだろう。

 その永琳の言葉でフランの紅の瞳が次第に涙で覆われていく。

 フランは両膝を付いて新之助を抱き寄せる。

 

「よかった……本当に……よかった……」

 

 そして今度は自分が新之助を引き寄せて強く抱きしめてやるのだった。



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第二十二話 ~後始末~

 

「フランさん」

 

 宝物を守るように新之助を抱きかかえているフラン。

 そんなフランに永琳が優しく声をかけてやる。永琳の手には先程銀の弾丸を打ち込まれて吹っ飛ばされたフランの腕が握られていた。ちぎって離された様な断面はグロテスクだが、腕は先程吹き飛ばされたばかりでまだ血の気がある。

 

「片腕じゃ抱えにくいでしょう?」

 

 永琳はフランにその腕を差し出すがフランは首を横に振るだけ。

 フランは新之助が生きていて本当に嬉しいのだろう。永琳が話しかけても振り向きもせずに新之助を抱きかかえている。

 しかしそれは嬉しさという明るい気持ちからだけではない。まもなくして起こりえるであろう、新之助との別れの悲しみからも来ている。

 フランは約束を破った。人を傷つけ、この計画の大原則である誓いを破ってしまった。だからここにいれる時間はもうあまりない。 ならば大事な人と、少しでも長く、少しでも近くにいたい、というフランの素直な気持ちが首を振らせたのだろう。

 腕がくっつくまでは少しだが時間が掛かる。フランはその時間さえ惜しいらしい。それはいくら不恰好でどれだけ抱きしめにくい姿であっても。

 そのフランの胸中を察する事ができない永琳ではない。こうしてずっと片腕で懸命に抱きしめている健気なフランを見守ってやっててもいいのだが、騒ぎを聞きつけて人が押し寄せてこないとも限らない。

 祭りの花火の音で銃声は打ち消せているだろうがフランの放ったレーヴァテインのせいで壁という壁が壊れている。更には霊夢の夢想封印のせいで天井が吹き抜けになってしまっているしまつ。

 幸い祭りのおかげで人はあまりいないものの永琳としては騒ぎが大きくなる前に小島酒蔵から引き上げたいところだった。

 この強情な娘をどうやって動かすかだが答えは簡単だ。フランにとって大事なものを利用するだけでいい。

 永琳は急に困った顔をして肩をすくめる。

 

「新之助さんが起きたらどんな顔するかしらねぇ~? また気を失ったりして」

 

 そんなフランに話しかける永琳の言葉にピクリとしたのかしないのか分からないがサイドテールがゆらりと揺れた。

 

「ショック死するかもしれないわねぇ。心の病は人間も妖怪も共通だから心配だわ。せっかく拾った命なのに」

 

 人の体を治療する事を得意とする永琳のそんな戯言は効果抜群だったようだ。先がなくなっている断面と永琳が持っている腕の断面を交互に見るや否やフランは片腕で新之助を抱きしめて引きずりながら永琳に這いよった。

 

「腕返して!」

 

 フランは新之助を抱えたまま永琳の方を振り返る。それに永琳は笑顔で答えてやる。

 更にフランの取れた腕から見えている骨をコンと指ではじいた。

 

「骨密度よしっ肌年齢よしっ吸血鬼にしては良好よ」

 

 と、ちぎれた腕でマッドサイエンティストさながらのジョークを飛ばす永琳。

 フランは全く笑っていないが腕だけはしっかりと受け取った。霊夢に至っては眉をひそめて横目に永琳を見る。あの竹林にある永遠亭でどんな惨劇が行われているのか一度検査しに行かなければ、と胸中で呟いているのだろうか。

 

「ずっと傷口同士を合わせていたら数分でつなが――」

 

 と、そこで永琳は妙な感覚に襲われる。

 永琳はフランに腕輪を付けた日の事を思い出したからだ。今持っているのは計画の初日にリングをつけた左手ではなく右手だった。 ならばリングは今もフランの体にくっついている左手にはめられているはずだ。なのに能力を使えている。これは一体どういうことか。

 

「あなた……リングを壊したの?」

 

 驚きの表情を見せる永琳に対し驚きの表情で返すフラン。それも一瞬のことですぐに罰悪く顔をして顔を背けてしまう。

 その町民を危険にさせるような行為に霊夢が黙ってはいない。フランの方へずかずかと歩み寄る。

 

「あんたいつから――」

「ち、違うよ!」

 

 先手を打とうとする霊夢の出鼻をくじくフラン。

 

「私が壊したんじゃないもん!」

「じゃないもんじゃなく――」

「確かに!」

 

 霊夢の砕かれた出鼻の上を突如現れた文の言葉が更に殴りつけた。

 

「少なくとも新之助さんが入る前まではリングはついていたはずです! あの時フランさんは小島当主を殺すつもりでした! しかし能力を使わず銃で対抗していました!」

 

 文は誰も聞いてもいないことをぺらぺらと、さも探偵が推理するように喋り倒す。

 

「出たなパパラッチ」

「やだなぁ二人とも仲がいいんですね。服の色合いも似てますし」

 

 計らずもフランと霊夢ははもってしまい、文を牽制するつもりがそこを漬け込まれてしまうしまつだ。

 

「……で、リングの話は?」

「テレビから出てくるやつですか?」

 

 やれやれとばかりに話を逸らそうとする霊夢だが文のお茶目さが追撃する。

 

「え? 何? 死ぬの?」

「あやや、そんなに怒らなくても……」

 

 そのお茶目さが霊夢の札を数枚逆立てたところで文が引いたのだった。

 

「あの虫が私に数十発撃ち込んだ時に壊れちゃった」

 

 あの虫とは小島当主のことだろう。話が進まないのと、ばれては隠しても意味が無いのでフランがさらっと応えてしまう。

 しかしそれにわざとらしく困惑の表情を見せる文。

 

「あれれぇ~おかしいですねぇ」

「何がおかしいのよ?」

「小島当主が銀の弾丸を撃つ時に力を使っていればそんな傷を負わずに済んだのでは?」

 

 銀の銃を持った時に弾幕なり能力なりを使えば簡単に殺せたはずと言うのが文の主張だ。

 

「だって……まだ手加減がよくわからなくて……殺しちゃうかもしれなかったし」

 

 新之助が殺すなと言ったから殺さなかったとフランは言った。だから普通の人間に能力を使えば殺してしまうと、フランは思ったのだろう。ただそれだけのことだった。

 

「へぇ~、あんたでもそんな事考えるのねぇ」

 

 ただそれだけのこと。それが周りから見ればどれ程目覚しい成長を遂げた事か、フラン本人は知る由もないだろう。

 

「ほほぅ、と言う事は妖怪だということが分かったから安心してぶっ放したと?」

 

 フランは黙ってうなずいて、それを見て文は手帳へものすごいスピードでメモしていっている。

 どうやらこれは文の巧みな話術でフランはいつの間にか取材受けさせられていたらしい。文の探究心は底が知れない。霊夢はそんな文のパパラッチ魂にもう呆れ顔だ。永琳はといえば捏造取材に我関せずといった様に側近の容態を見ている。

 一応そんな側近を心配していたフランもそれに気付き視線を向ける。

 

「ん? ああ、大丈夫よ、急所は外れてるから」

 

 フランの視線に気付いた永琳が安心させるように言う。

 

「これで死人は0人ね」

「死者数0と」

「ここにくるまでに何人か倒れてるの見たけど?」

「全員急所を外れていたわ、命に別状無しよ。フランさんはわざと外して撃ったのよね?」

「わ、わかんない」

「フランさん、そこは当たり前よ! とかもっと強気に!」

「あ、当たり前よ!」

 

 と煽る文に吹かれてフランもなびく。言った事実も無く記事にするのでは罪悪感があるのか、満足げに捏造した事実を書き上げる文。

 文のような者をパパラッチと呼ぶ、と霊夢がフランに教えてやる。フランは素直にうなずいて心に刻む、その様はまるで仲の良い姉妹のようだ。

 霊夢とフランが姉妹なら母親は永琳だろう。そのカラスを突いて遊んでいる姉妹にもうゴハンだと気付かせるように永琳がパンパンと手を叩き鐘を鳴らす。

 

「さ、早く負傷者を診療所へ運ぶわよ。人が押し寄せてきたらまずいわ」

 

 永琳は負傷している小島当主の側近を肩に担ぐ。

 

「それもそうね。文! あんたも手伝うのよ!」

 

 負傷者は多い。言って霊夢は縄で縛り上げた小島当主を引きずっていく。

 

「えー……私は記者ですよ!?」

「あぁ、そうだったわね、そこに倒れてる人がいても助けずに、写真ばかり撮るのが記者なのよね?」

「そんな何処かの国の事件を連想させる事を言わないでくださいよ……あれは記者として最低だと思います!」

「なら今やることは?」

「あやや……」

 

 そうやってカラスを突っつきまわして腕が使えないフランの代わりに新之助を咥えさせる事に成功した。

 霊夢達は店から出ようと小島酒蔵の中を進んで行く。店の中には応急処置を施されたと思われる従業員達が壁にもたれかかっていて、うずくまるように座っている。

 しかしフランを見ると体をびくつかせて物陰に隠れたり身を縮めたりしている。永琳がそんな従業員に、すぐ人を連れてくるから少し待ってろと言ってやると安堵の色を浮かべていた。。

 フランに至っては罰が悪そうにうつむいて3人の後を付いていっている。

 すると店の前から足音が聞こえてきた。それに霊夢が気付く。

 

「まずいわね」

「そうね、騒ぎが大きくなってしまうわ」

「記事は新鮮さが命だと言うのに!」

 

 記事を書こうとその場から逃げようとする文を霊夢が取り押さえても見合っているその時、小島酒蔵の店に入って来た者は大島酒蔵の従業員達だった。そのもの達は店の中の惨状を見て皆一様に目を丸くし口をぽかんと開けている。

 

「うわっ、戦争でもあっただか!?」

「ん? 霊夢さんに永琳さんまで? 何でこんなところに?」

「パパラッチもいるべ」

「お、お嬢!? まさかお嬢が!?」

 

 そして文に背負われて気を失っている新之助を見てまた驚く従業員達。

 従業員達が驚くのももっともだが霊夢たちも驚いたことがある。それはその従業員達の手は鈍器やら刃物やらが握られていることだ。

 新之助の復讐に来たのか、はたまたフランを助けに来たのか、もしくは病み上がりの新之助を心配してかは分からないが、そんな従業員達にもろもろの説明が面倒になったのか永琳は軽くため息をつく。

 

「あなた達、とりあえずちょっと手伝ってくれる?」

 

 負傷者は多いのだ。説明よりも人手が増えることの方が今は喜ばしいこと。

 永琳は大島酒蔵の従業員達に負傷している者達を運ぶよう指示した。

 いつ聞いたのか今回の事件の事は小島酒蔵の従業員達は知らなかったらしい事を文が説明してやる。その後、大島酒蔵の従業員に新之助を任せた文が説明し負傷者を運ぶように促していた。説明しながらも巧みに取材も行っていたことは言うまでもない。

 だからかその負傷者達にやれやれという視線を向けて運んでやる従業員達。

 小島当主はというと霊夢が縄で縛り上げているがそれをいいことに大島酒蔵の従業員がリンチする、なんて事がありえるので何故か都合よく持っていた姿が見えなくなる札を小島当主に張ってやり過ごした。

 その札で小島当主が突然消えていたので永琳とフランも首をかしげていたのだが、これだけは文の取材にもノーコメントだった。

 

 

診療所

 

「これで全員ね」

「全員で負傷者二十一名、死者無しっと」

 

 永琳が時々出張で出向く小さな診療所は負傷者で一杯になってしまった。

 

「しかし疲れましたね~、私に永琳さんの手伝いをさせた霊夢さんはいずこへ? フランさんにも色々聞きたい事があるのですが」

 

 と色々手伝わされてさすがに疲れの色を見せる文。ぐにょりと体を椅子の形どおりにうねらせてげんなりしている。

 永琳はというと豆電球の下で忙しそうに大量のカルテに筆を走らせていた。

 

「霊夢さんは新之助さんが眠っている病室でフランさんが暴れないように見張っているはずよ。リングが壊れちゃったから」

 

 永琳は文の方を見もせずにカリカリと音を立てながらおざなりにいう。それを聞いて文は「ずるい」と一言だけいって更に体をうねらせる。

 夏の終わりの夜の病室には鈴虫の鳴き声が響き、さらに窓から入ってくる風が窓に引っかかっている風鈴を奏でる。

 風はやがてカルテをめくり上げ、それを永琳の手が押さえると同時にやんだ。そしてふと永琳が手を止めて上の空になる。文もそれに気づいて顔を上げた。

 

「そう言えばフランさんはどうなるのかしらねぇ」

 

 独り言のようにボーっとして呟く永琳の横顔はどこか哀愁に満ちている。

 

「どうでしょうね~、少なくとも霊夢さんは罪を咎めるということはないでしょうが」

 

 文は肩をすくめて両掌を天井に向ける。そしてすぐそばにあった椅子に腰掛けため息をつく。永琳は未だ上の空。

 鈴虫と風鈴の音が、そのたった今できた沈黙を舞台にデュエットを始める。

 夏の終わり、もうすぐ秋がやってくる。秋の心と書いて愁。

 

「そうね」

 

 夏の別れと共にフランは幻想郷を去ることになるだろう。

 フランは人を傷付けた。それを霊夢が咎めなくとも頭の固い聞き分けの悪い閻魔様が天界から睨みを効かせている。

 二人ともフランと仲良しでも良く話す中でもない。しかし一度や二度話したりしたことがある幻想郷の住人が幽閉され二度と会えなくなると言うのは後味が悪いし切ないものなのだろう。フランのような元気な娘ならなおさらだ。

 

「さて」

 

 そう言ってデュエットをぶち壊して永琳が立ち上がる。

 

「一区切りついたしフランさんの所へ行きましょうか」

 

 文は今まで手当てで忙殺され、フランを取材できなかったためか元気よく立ち上がる。

 

「行きましょう!」

 

 二人がフランたちがいる病室に入って行くと長椅子に腰掛けた霊夢が腕を組んで座っていた。扉を開けた永琳と文に気付き首を振って二人を見るや否や人差し指を天井にむけてしぃーっと口の前で立てる。

 

「あやや」

「まあ」

 

 その病室のベッドには新之助が眠っていた。そしてそのすぐ傍で椅子に座り、新之助のお腹の辺りを枕代わりにして眠っている天使がいた。

 その金髪の天使は気持ちよさそうにすやすやと寝息を立て、長い上下のまつ毛を重ね合わせて瞼を閉じていた。咲夜が見たら卒倒してしまいそうなほどに可愛らしい天使の寝顔に、文も思わずカメラを握るのを忘れてしまうくらいだ。開け放たれている窓から入ってくる風がフランの髪をなでるとくすぐったそうに顔を新之助のお腹にうずめた。

 

「取材なら後にしなさい」

 

 そんなフランを気遣ってか霊夢が小さな声で文にささやく。文もそんな無粋な事などしないと、しかし取材ができないからか残念そうに笑いながら霊夢に反抗の視線を向ける。

 

「一言二言聞きたかったのですがこれでは仕方ないですね。私の独断と偏見で記事を書いてきます」

 

 そう言って窓の方へ向かう文。

 

「もう行くの?」

「この光景は少しもったいないですけどね」

「ならもう少し見てたらいいんじゃない」

 

 永琳が冗談めかして言ってやると文はふふっと鼻で笑って窓に足をかける。

 

「いったでしょう、記事は鮮度が命だって」

 

 そして軽くウィンクをして開け放たれた窓から静かに飛び立って行った。

 

「変な事書かなきゃ良いけど……」

「どうかしらねぇ」

 

 飛べるとはいえちゃんと扉から出て行けという指摘は誰もしないのは二人とも飛ぶことが出来るからだろうか。

 

「あの~わすれてました」

 

 と、そんな間の抜けた声が聞こえてきたので二人が振り返る。そこには頭をぽりぽりと申し訳なさそうに書きながら笑う文の姿が。恐らく高速で引き返してきたのだろう。今度は窓からではなく扉から入ってきたらしいが。

 

「どこからでてくるのよ……」

「何か忘れ物?」

「はい、この寝顔を撮ってからい――」

「だめ」

 

 霊夢は本日二度目のハモリだった。

 

 

 

 



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第二十三話 ~最後の夜~

 

 夏の夜、少しだけ欠けた月が咲く夜空を、ニヤニヤしながら記事を書きに戻る文が機嫌よく、十回転ひねりを決めながら飛んでいた。

 

「さあ記事記事! どう記事を書こうかなぁ~」

 

 先程書き溜めたメモを元に、新聞記事を面白おかしく書き上げるのだ。

 

「人に危害を加えてしまったフランドール=スカーレット! 小島当主を攻撃した時の表情は気持ちよかったという表情! これは自分の欲求を満たすためなのか!? しかし死者はなく、更に妖怪である小島酒造の当主捕縛に成功! いったいどうなるのか!? 黒か白か!? う~んこれなら今後も考えて記事を書きやすく――」

 

 そんなご機嫌な文に世にも奇妙な現象が起こった。

 頭の中で何かが弾けるような、何かが落ちて壊れるような音が聞こえたのだ。それは別に文の脳が弾けたわけではない。まるで頭蓋骨を壁にして跳ね返るように頭の中で反響するのだった。

 不思議に、それは文にとって耳障りな雑音ではない。逆に頭の奥の何かに語りかけるような今までに味わった事のない響きに似た感覚だった。次第に不思議な反響が文の頭に染み渡っていき、今まで想像していた記事がいったん壊され、また組み上げられていった。

 文は飛んだままその不思議な感覚にされるがまましばし飛行する。

 不意に、今まで忘れていた動作を今思い出したように一瞬き。

 

「……そう……だ」

 

 

 

 

紅魔館

 

 

 同時刻、紅魔館では深夜だというのに椅子から立ち上がり窓の外の月で照らされる景色を眺めるレミリアがいた。

 吸血鬼は苦手な太陽を避けるため普通は夜行性なのだが、不思議なことにレミリアやフランは昼に動く事が多い。それは幻想郷の住民に合わせて本来の習慣とは逆に夜眠るという吸血鬼にあるまじき生活習慣を送っているからだ。夜皆が眠っている間、起きていても暇なのだ。

 そんな夜更かししているレミリアに咲夜が慌てて駆け寄る。それはレミリアが今まで飲んでいたカップを落としてしまったから。

 咲夜が暴走しかけた人里で開かれた会議の時のように。

 

「私もまだまだ青いわね」

 

 そう小さく呟くと、月明かりの下で輝く景色を眺めるレミリア。

 

「お嬢様! お怪我は!?」

 

 落として砕け散ったカップの破片でレミリアが怪我をしていないかを確認しに来る咲夜。 カップを落としたくらいで負う怪我などすぐ治ってしまうのだが従者の立場として一応聞いておくようだ。

 

「大丈夫よ」

 

 そう一言言うと慌てて駆け寄った咲夜に、ニコリと満足げな笑顔で見下ろしている。そんなレミリアを屈みながら見上げつついつの間にか手に持った放棄とちりとりで割れてしまったカップの破片を片付ける。

 

「それよりも準備なさい」

「へ? 何の準備ですか、ってまさか……」

 

 

 

 

少し前、人里

 

 

「そういえば、大島酒蔵の人たちが見えないけど?」

 

 姿が見えなくなるまでほんの数秒だっただろう、文を見送った永琳が振り返って霊夢に問う。フランにやられた小島酒蔵の負傷者を運んで来てれたのは大島酒蔵の従業員達だ。

 目が回るほど忙しかった永琳は新之助の病室の方へたむろしていた大島酒蔵の従業員達をちらりと見てはいた。

 しかしいつの間にかいなくなっていたのだ。従業員達が自分達の当主を、しかも大丈夫と宣言してしまったがまだ気を失っている当主を放っておくとはどういう了見なのだろうか。

 

「ああ、あの人たちならずいぶん前に帰って行ったわよ?」

 

 そう言いながらまた長椅子に腰を下ろす霊夢。

 

「自分達の当主を置いて?」

 

 怪訝そうな顔をして聞き返す永琳に何か合点がいったらしい霊夢。軽く何度か頷きながら優しく微笑む。

 

「他のお客さんの迷惑になるからって、早く帰って明日の準備しておくんだってさ。若ならきっとそう言うからってね。それに」

 

 今日はフランが来て丁度一ヶ月。だから従業員達は自分達は邪魔だろうとフランに気を遣って帰って行ったのだった。

 

「なるほど」

「しかも深々とフランに頭を下げるんだから驚きよね」

 

 永琳は備え付けられていた棚から毛布を取り出しながら、霊夢の言葉に振り返る。呆れて笑っているかと思われた霊夢はフランの寝顔を見ながら無表情だった。

 

「自分達のするべきことを、フラン一人に任せてすまないって……」

 

 そこで霊夢は少し表情を曇らせる。

 フラン一人に任せる。つまり危険人物のフランを一人にしてしまったこと。それは幻想郷の管理者の霊夢とて同じ事だ。この一大事に何も知らずに祭りに行き、浮かれて遊び、仮面までつける始末だったからだ。

 新之助が撃たれた事をもっと早く知っていればフランが復讐しに行く事もなかったかもしれない。恐れていた最悪の事態を防げたかもしれないというのに。

 最終日だというのに気を抜きすぎていた。これは監督不行き届きの霊夢の責任でもあるのだ。霊夢はそれをとても後悔していた。

 今まで何事もなく計画が進んでいたから気を抜いてしまうのも仕方がないのだが、結果はこの有様だ。フランは天界で幽閉されてしまうという事になってしまった。少しの自己嫌悪も起こさないならば博麗の巫女を名乗る資格はないだろう。その自己嫌悪が発生するしないに限らず、結果は変わらないのだが。

 

「あなたがそんな顔をするなんて珍しいわね」

 

 気弱な霊夢の表情を一瞥して、永琳は天使のように眠るフランの背中にそっと毛布を掛けてやる。

 

「そりゃあ……私だってちょっとは責任を感じて――」

「違うでしょ?」

 

 そう言ってうつむいて座っている霊夢の目の前で立ち止まる永琳。霊夢はわからないというふうに不可解な会話をする永琳を見上げている。

 

「あなたは起こった事を後悔して、くよくよするような女の子じゃないはずよ?」

 

 永琳はくよくよするなと励ましているのだろうが、裏を返せば先のことを見据えてどうすべきかを考えろともとれる。

 優しくも厳しい言葉。

 しかし、幻想郷の管理者とは皆の視点から見ればそう思われているのかもしれない。だから永琳もそれが本来の霊夢のすがたなのだと、らしくないことをするなという目に見えないエールなのだろう。

 

「それって無神経って事?」

 

 ただ、幻想郷の管理者はひねくれていた。そんな手痛い永琳のエールに霊夢は片眉を下げて苦笑いし、更に憎まれ口を叩いてささやかな抵抗をしてやるほどだ。

 

「今日は泊まるんでしょ?」

 

 その永琳は笑顔で毛布を霊夢に向けてくる。その顔は放って帰るなんていったら張り倒すぞと言わんばかりの笑みに見えないこともない。

 

「もう見たい番組終わっちゃったからね」

 

 永琳はそれだけ減らず口が叩ければ上等と、フフッと鼻で笑いながら霊夢に毛布を手渡してやる。

 霊夢はリングの封印から開放されたフランを見張らなければならない。更に横には瀕死になった小島当主もいる。目が覚める頃には傷も治っている事だろう、と手当てはしてもらえなかった小島当主。拘束しておくのに勝手に直るものを元気にしてやる必要もない

 永琳は長椅子に座っている霊夢の横に腰を下ろす。

 

「怪我した人達はもういいの?」

 

 それを目で追いながら負傷者はいいのかと永琳に疑惑の目を向ける。

 

「ええ、粗方治療は終わったわ。後は勝手に直るでしょ」

「そう」

 

 安心したようにため息混じりに言う霊夢は少し疲れているようだ。無理もない。祭りではしゃいでいたのが大半だろうが、もう日付も変わってしまっている。今日一日で色々な事がありすぎた。さらにあの霊夢が自己嫌悪に陥るような状況だ。自己嫌悪とは心身ともに疲れるものだ。

 

「あなたも少し眠ったら?」

「寝ずに見張っておけ、なんていうかと思ったけど」

「それじゃあ私が鬼みたいじゃない」

「青鬼なのか赤鬼なのか悩みどころね」

「私は優しい看護婦さんなのよ?」

 

 もぞもぞと毛布をかぶり、顔を出した霊夢が優しい看護婦さんにため息混じりに言った。

 

「全く……厳しくするのか甘くするのかどっちかにしてよね」

 

 疲れている霊夢に少し優しくした矢先に憎まれ口を叩かれる永琳。

 

「あなたはどちらがお好み?」

 

 だからそんな霊夢にぐうの音もでないほどの言葉を打ち込んでやる。

 修行をまともにしない霊夢には厳しさなどお呼びではない。だからと言って甘々などむずがゆくてしょうがないのだろう。これもお呼びではない。

 永琳はそんな霊夢の性格を逆手に取って、そんな事を言うのだからたちが悪い。

 霊夢は肩をすくめてぐったりと壁に背を向けてもたれかかる

「好きにして……」

「そのつもり」

 

 永琳はニコリと笑って掌サイズの本を開いて黙読し始めた。あれやこれやを小うるさく指摘してきたくせにのんびりと本を読む永琳を横目で一睨みした後、ため息をついて霊夢はフランの見張りに戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 計画の終わりの夜が、そして夏の終わりの夜がしんしんと更けていく。

 少し欠けた月も輝き疲れて地平線のベッドへ倒れこもうとする頃。

 病室では霊夢が永琳にもたれかかるように眠っている。身長差からか、ずうずうしくも霊夢は永琳の肩を枕代わりに。永琳もさすがに眠くなったのか、丁度良い高さにある霊夢の頭に頭を置いて眠っている。その様子はまるで恋人同士のようだ。気持ちよさそうに寄り添って眠っていた。

 虫も眠ってしまい、鳴き声が聞こえないとても静かな夜。

 その小さな寝息さえこの静寂を舞台に演奏できそうなほどに静かな夜だ。

 二人を照らすように真っ暗な病室に真横から月のスポットライトが差しこんでくる。

 と、ここでそのスポットライトに反射して光り輝く小さな二つの玉が現れる。それは未だ恋人同士のように寄り添って眠る二人のものではない。そしてフランの瞳の紅の光でもない。

 

「ん……」

 

 そこで目を覚ましたのは一日に心臓を二回も撃たれたにもかかわらず、フランに噛まれた事によって吸血鬼化し、助かった大島酒蔵当主、大島新之助だった。

 真横から差し込んでくる月の光に気付き、眩しそうに目を細めている。光から目を背けたその視線の先は天使のような寝顔を皆に披露していたフランが居た場所。そこには小島酒蔵での激闘で付いたと思われる赤い血の斑点がポツリポツリと付いている帽子。フランがいつも被っていた白い帽子だった。

 

「フラン……ちゃん? そんなっ……」

 

 新之助は目を丸くしてそう呟く。

 そして二発の弾丸を受けた心臓がその音を段々大きくして力強く鼓動する。更に力いっぱい見開かれた新之助の目から涙が零れ落ちてきた。月の光でその涙がきらりと光って落ちる。フランが被っていたその帽子を握り抱きしめて。

 新之助は気がそんなに強い方ではない。しかし泣き虫でもない。ならば何故その新之助が泣いているのか。

 それは消えていたからだ。今新之助の手に握られている帽子の持ち主が姿を消していたのだ。

 

「僕の……せいだ……」

 

 新之助も知らないわけではないだろうこの計画の契約を。フランが人を傷つけたらどうなるか。

 そう、フランは永琳と霊夢、そして新之助が眠っている間に天界に連れ去られてしまったのだ。それは新之助の仇、というしなくても良い復讐のせいで。

 だから新之助は涙を流しているのだ。

 新之助はフランを守ると約束した。震えるフランをきつく、強く、抱きしめて約束したというのに、それはフランを安心させてやるためだけに行った儀式的なもの、見せ掛けだけの飾り。まさにそれ以外の何者でもなくなってしまった。

 しかしそれは仕方のない事なのだ。新之助は気を失っていた。そして連れ去られた事にさえ気付かなかったのだから。

 だからと余計に悔しいのだ。何もできないというこの無力感。それはずっと昔、フランを守ってやる事ができなくなったレミリアと同じような感覚だろうか。

 レミリアの時は助けがきた。しかし今回はもうフランは連れ去られていなくなっている。運命は残酷でもうどうする事もできない。新之助には何もしてやることができないのだ。

 レミリアがフランを強奪する、と言う覚悟が本物ならば今頃フラン達は幻想郷の外だろうが。

 

「くそっ!」

 

 体をくの字に曲げて、ベッドが揺れるほどに声を張り上げた声はその静寂の夜を一瞬にしてぶち壊した。普段そんな怒鳴り声を上げた事がないせいか、はたまた病み上がりだからかゲホゲホとむせる新之助。

 静寂を破ったその新之助に不満の声がどこからともなく聞こえてくる。この病室には永琳と霊夢もいるのだ。深夜にそんな大きな声を出せば不満の一つや二つは出てくるだろう。

 

「うるさいなぁ……」

 

 そんな不満の言葉が聞こえる。

 しかし新之助は妙な感覚に襲われる。その声は霊夢や永琳達に当てはめるにはあまりにも幼すぎる。

 ふと自分の脇の布団を見てみるともぞもぞと何やら動いている。新之助は軽くめくると白い肌が露になる。続けて眠たいのか半分になった紅の光を手でごしごしこすっている少女が新之助を見上げている。

 色素の薄い金髪をくくり上げている髪留めを外し、更に両肩を露にした下着姿で完全に寝に入ろうとしている。

 

「起きちゃったじゃない!」

 

 いつも自分勝手で、天真爛漫で、だから純粋で。今まで新之助を心配していた事など微塵も感じさせない、そんな言葉を吐き捨てる生意気な悪魔。紅の瞳を真っ赤に燃やしてたらす不満の言葉さえ元気に変えてくれるその少女は紛れもなくフランだった。

 新之助はもう考える暇もなかった。それくらいに嬉しく、愛おしく、そして激しい感情が新之助をそうさせた。

 

「うぁ!?」

「よかった! 本当によかった!」

 

 新之助はきょとんとしているフランをただ強く抱きしめるのだった。



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第二十四話 ~死神とフラン~

 

(あんな格好して……はしたない。ちょっと注意を)

 

 もちろん霊夢と永琳も起きていた。新之助の声で起きないような愚鈍な二人ではない。

 

(まあまあ、もう少し見てましょう)

(てかいつの間に私の頭を枕代わりにしてくれちゃってるのかしら?)

(あなただって私の凝り固まった肩を枕代わりにしてるじゃない。結構痛いのよ?)

(そんなでかい胸してるからでしょ)

(あなたにはこの辛さは分からないわよ)

(分かりたくもないっての)

 

 などと小さな声で言い争いをしている二人を尻目に新之助は未だきょとんとして、何故抱きしめられているかわからないフランを開放してやる。

 開放されたフランは新之助の真意を確かめようと顔を上げると更に不可解な表情だった。

 

「何で泣いてるの?」

「え?」

 

 新之助はおそるおそる頬に手を当てる。その手が涙で濡れると、すぐになんでもないと言いながら腕で涙をこすりとる。

 涙をぬぐい、良くなった視界でフランを見れば、夏の終わりの夜には寒そうな格好で新之助の体に馬乗りになっていた。新之助の布団にもぐりこんで寝ていたフランを抱きしめるために引っ張り出してしまったのだ。

 だから新之助は布団の上に放り出されていた、元々フランに掛けられていただろう毛布を手に取る。その下からは小島当主の放った弾丸によって穴だらけになった服が出てきた。

 見るとフランの着ている下着にもちらほら穴が開いている。

 新之助は少し複雑な表情でそれを見つめてフランを毛布で優しく包んでやる。

 

「ありがと」

 

 フランはニコリと天使スマイルでお礼を言う。それに合わせて新之助も微笑む。

 しかし馬乗りになっているフランの手が弾丸を受けた新之助の胸に当たると表情が少しだけ歪み、口からはうめき声が漏れ出した。吸血鬼化しているとはいえ、完治はしていないのだろう。

 

「あ、ごめんなさい……」

「あ、ああ……いや、大丈夫だよ。それに僕が助かったのはフランちゃんが噛んでくれたおかげなんだし。逆にありがとうって言わないとね」

 

 もうお礼を言われて動揺し、人里に来た時のようにつんけんするフランではない。素直に受け入れて満面の笑みを見せてうなずいた。フランはくれると言われれば自分の欲しくないもの以外は何の躊躇もなくもらう素直な娘なのだから。

 それはそれが本来のあり方かのように無理がない笑顔。そんなお礼をもらえれば言った方もそれほどの言った甲斐があるというものだ。

 

「それで、ちょっと聞きたいんだけど、僕が気を失った後どうなったのかな?」

 

 フランは天井を仰ぎ見て小島酒蔵であった事を思い出そうとするフラン。そのしぐさも計算しているかのように可愛らしい。新之助が病み上がりだというのにだらしなく顔を緩める程。病は気から、これですこしは怪我も治るかもしれない。別の病気は絶賛進行中だろうが。

 しかしまだ幼いフランにはその説明は少し難しかったようだ。

 

「私が小島当主をぶっ飛ばしたっ」

 

 愛くるしい思考の仕草と言動のギャップを持ってフランはニカッと笑うが、その全てを端折って結果だけを言ったフランの説明に新之助は緩ませた表情を苦笑いに変えるしかない。

 それで見ていられなくなったのだろう。霊夢が永琳の制止を振り切ってでしゃばってきた。

 

「はいは~い、そこまでよ。フラン、あんたはそこから降りなさい。そんなはしたない格好して全く」

「え~」

「え~じゃないわよ。あんたにはまだ1000年早いわ」

 

 その霊夢の言葉にフランは首をかしげる。

 

「早いって何が早いの?」

「だからあんたが」

 

 そこまで言って霊夢が言葉を止める。

 

「あんたが……その……」

 

 霊夢の顔が見る見るうちに真っ赤に染まっていく。

 

「全く仕方がないわね。」

 

 と、ここで見かねた永琳が助け舟を出してやる事にしたらしい。医学に秀でた永琳なら比喩を交えて柔らかく説明してくれるだろう。と霊夢はそう思っていたのだが、どうやら違うらしい。

 

「フランさん、いい? よく聞いて。墓穴を掘るというのは今の霊夢さんみたいな事をいうのよ?」

「そっち!?」

「え? 他に何があるの?」

「だから! フランと新之助さんが……」

 

 それを見て永琳はニヤニヤ、新之助は苦笑いを、フランは首をかしげている。そして霊夢の顔は真っ赤に熟れた林檎のようだ。

 

「と、とにかくフラン! 降りて服を着なさい!」

 

 墓穴を二つ掘った霊夢は頭と尻を隠せてちょうど良いのか、隠したい想いを押し込めてフランにベッドから降りろと指示を飛ばす。

「え~……だってボロボロになっちゃったんだもん」

 

 吸血鬼とはいえやはりフランも女の子。新之助の前であんなぼろは着たくないらしい。

 フランは毛布の下にあったぼろぼろの服をジト目で見つめて言う。

 

「大島酒蔵の人たちが持ってきてくれた代えの服があるから、それを着なさい」

 

 霊夢はため息交じりに長椅子に置かれた紙袋を示唆し、もう片方の手で顔を押さえて着替える事を促す。見ると霊夢が座っていた長椅子の横に紙袋が置いてある。フランが寝ている間に従業員が気をきかせて持ってきてくれたらしい。

 

「本当!?」

 

 フランはパッと表情を明るくし、ベッドから飛び降りて中から服を取り出す。「一人で着れる?」などと茶々を入れる永琳を睨みつけながらフランは服をよたよたと着始める。

 そんな光景を口惜しそうに見つめていたところを霊夢に睨まれる新之助。霊夢が着替えるフランのカーテンとなって新之助の前に立ちはだかる。

 

「私が説明するわ」

 

 最初からいるわけではなかったのでほとんど文に聞いた事なのだが、霊夢は知っている事を、小島酒蔵であった騒ぎを説明してやる。その説明を新之助は真剣に黙って聞いていた。

 そこで着替えを終えたフランが最後の仕上げに永琳にサイドテールをくくり上げてもらう。最初自分が座って寝ていた椅子に飛び乗る。

 

「お待たせ!」

「あ、フランちゃんもう腕は大丈夫?」

 

 霊夢から聞いたフランの腕の事を心配して聞く新之助。それに「全然平気!」と白い牙を見せて笑うフラン。

 

「そっか、フランちゃんはすごいな」

「吸血鬼なら普通だよ。あ」

 

 椅子に腰掛けたフランが何か言い考えが浮かんだ様に気付いたように嬉しそうに声を上げる。

 

「そうだ!このまま新之助も吸血鬼になっちゃえばいいんだよ!」

 

 このまま放っておけば新之助は吸血鬼になれるだろう。そうなればフランは大好きな人とずっと一緒に過ごすことができる。それこそ永久と言えるような膨大な時間を共有することが出来るのだ。

 

「あはは、それはいいね……でも……太陽と一生お別れはなんだか寂しいなぁ」

「だったら私が新之助の太陽になって」

 

 と、そこでフランは言葉を切って固まってしまう。あまり乗り気でない新之助に自分が太陽になる事でその問題を解決しようと、レミリアに教えてもらった文言を並べ立てようとした。

 その時、フランの脳裏に何かが浮かんだのだ。新之助に銃を向けた時、大事な人を自分の手で殺してしまうかもしれないという時に感じた不思議な、そして妙に懐かしい感じ。

 

「どうかした?」

 

 しかし突然黙り込んでしまったフランを心配した新之助に、今まで考えていたものが頭の中から追い出されていく。それにフランはなんでもないと首を振り、更にそれをごまかすように「そうだ!」と叫ぶ。

 

「あいつ新之助の両親も殺したって言ってた!」

 

 フランは小島当主を殺さなかった。それは新之助に殺さないで欲しいと、その身を挺してまでかばうほどに懇願されたから。しかしそのせいで新之助は撃たれフランも殺されかけた。だからだろうか、フランは顔を目一杯に近づけ、新之助を睨みつける。

 

「あ、ああ……そうだね」

 

 その視線に新之助は少し体を仰け反らせてしまう。それほどにフランは怒っている。よほど止められたことが悔しかったのだろうか。

 

「全く、許せないわよね。今からもう少しお灸を据えておく?」

 

 小島当主を半殺しにした霊夢がにやりと笑って長いすの横に未だ透明になって縄で縛られている小島当主のほうをちらりと見る。

 

「じょ、冗談は辞めてくださいよ、霊夢さん……」

「でもあのくらいの妖怪ならたくさん封印してきたけど?」

「それじゃあダメなんです。また繰り返してしまうから……僕はそんな事したくないんですよ」

 

 どこかで聞いたようなそんな言葉。誰かが誰かを殺せばその仲間がまたその誰かを殺しに来るという無限地獄。いや、それは誰かがいなくなれば終わる地獄だ。またはその途中で誰かが復讐をやめれば終わる事。その辛い役を新之助は買って出た。しかしそこに待っているものは憎しみと絶望のスパイラルだ。

 新之助もさぞ思い悩んだだろう。昔あった遠い国で起きた悲劇のヴァンパイアハンターのように。

 

「だから……フランちゃんもごめんね。不完全燃焼だったかな?」

 

 未だに怒って新之助を睨むフランにすまなさそうに顔を向ける。

 

「ちがうよ! 私が怒ってるのはそんな事じゃないもん!」

「え?」

「両親は事故で死んだって新之助は私に言った!」

 

 フランの口から出てきた言葉は新之助も霊夢も予想できなかったのだろう。口をぽっかりとあけてフランを見ている。更に新之助が思い悩んでいた事、それをそんな事で片付けてしまうフラン。

 

「新之助の嘘つき!」

 

 フランはプイッとそっぽを向いてしまう。口を尖らせ頬を膨らませシリアスな内容の事など今まで聞いていなかったかのようなそのしぐさ。

 フランは不完全燃焼だから怒っていたわけではない。それは新之助に嘘をつかれてただ怒るという単純明快な事だったのだ。新之助の裏の事情などそんな事、にして。

 

「ぷっ」

 

 と不意に新之助が噴出してしまう。続けて霊夢も噴出して笑ってしまう。フランがそんな事を言うものだからそんな重要な事で悩んでいる自分が馬鹿らしくなったのだろう。そしてそんな自分勝手なフランに霊夢は笑うしかなかったのだろう。

 そんな二人にフランの顔は鳩が豆鉄砲を食らったかのようだ。

 

「な、何がおかしいのよ!」

「あんたねぇ、もうちょっと新之助さんのことも考えてあげなさいよ」

 

 霊夢は新之助を気遣いながらも未だにケタケタと笑っている。

 

「さすがはフランちゃんだ。今まで悩んでたことが馬鹿らしく思えてくるよ」

「どゆこと?」

 

 未だ鳩から進化できないフランに霊夢が笑いながら、そしてじれったそうにフランの頭に叩くように手を置く。

 

「もうっあんたが好きで好きでたまらないってことよ!」

「いたい……」

 

 そんな不平をもらすフランの頭をワシャワシャとかき回してやる霊夢。

 もう夜が明けそうで徐々に騒がしさが増してくるだろう時間。なのにこの病室はやけに騒がしい。そんな光景を永琳も楽しそうに見つめている。

 しかしそんな和やかな雰囲気も長くは続かないらしい。開け放たれた窓からこの世で、そして今この瞬間で一番見たくないものが現れてしまったのだから。

 その何者かの雰囲気に霊夢が気付き続いて永琳、フランと、そして人間である新之助さえがその気配に気付く。

 窓の枠に白装束の足袋に赤い草履を履いた足が掛かる。少し癖のある髪の毛を二つに結った女。その女の手には大きな大きな鎌が握られていた。

 

「皆さん、どうもこんばんわ」

 

 この夜に不気味に光る鎌と怪しい笑みを浮かべたその女の名は小野塚小町。死んで魂になった亡霊を迷う事のないようにあの世へいざなう死神だ。

 

「待たせたね」

 

 窓からゆっくりと、しかし堂々とした振る舞いで侵入してくるその姿は、さすがは死神と言ったところだろうか。

 死がついていても神。どこか神秘的で触れる事ができないような雰囲気をかもし出している。フランも新之助も口をぽかんと開けてその神々しい光景を見つめたまま動けない。

 そんな一瞬の内に病室にいる者を魅了した死神を霊夢は窓の外へ蹴り飛ばした。

 

「あだっ」

 

 霊夢の不意打ちキックで窓から転げ落ちる小町。霊夢は静かに窓を閉めてカーテンを閉めた。

 

「ふう、蹴りだしてやったわ」

「何がふう、だい」

 

 小町はいつの間にか霊夢の後ろに立って蹴られたところをさすっている。恐らく小町の能力、距離を操る程度の能力でこの病室までの距離を縮めてやってきたのだろう。

 

「あんた達はいつの間にか人の後ろに沸く趣味でもあるの?」

「なんだぃ人をゴキブリみたいに」

「そうね、あんたはサボテンだったわね」

「そのサボテンさんにはお引取り願いたいところだけど?」

 

 いつもサボってあちらこちらでサボの付く仇名を付けられて親しまれている小町。その小町がここにやってきた理由は一つしかない。

 

「それがそういうわけにもいかないんだよねぇ。怖いお方が睨んでるもんでね」

 

 フランも新之助も今まで小町を見たことがなかったのだろう。顔を見合わせる。それもそのはずだ。死神など見るとすればそれは死ぬ時だけだからだ。

 いまだ状況を飲み込めていない二人を見つけて、小町は怪しくニヤリと笑う。

 

「あんたがフランドール=スカーレットだね。あたいは小野塚小町」

「……何か用?」

 

 その怪しい笑顔にフランは警戒心を抱かずに入られない。短く言って小町をにらみつける。

 

「この鎌を見て何か気付かないかい?」

「……稲刈り?」

「そうそう、これをこうやってざくっさくっ……とったどおおおお! って違う!」

「つまんない」

「なっ……子供の癖に冷めてるねぇ」

 

 手痛い反応を受けた小町が視線を逸らすとそこには新之助が。

 

「おや、おかしいねぇ。あんたは寿命が尽きかけていて目をつけてたはず」

「え?」

 

 小町は新之助を目を細めてじーっと見つめている。

 

「どうせまたサボったんでしょ」

「あはは、でも増えてるからいいや」

 

 新之助は何かを感じ取ったのか、はっと表情をこわばらせる。

 寿命が増えているという言葉。そしてフランが稲刈りと言ったあの大きな鎌。

 

「もしかしてあなたは死神様!?」

「おやぁ? あんた人間にしては察しがいいねぇ。そうさ、あたいはその死神様さぁ。そしてフランドール=スカーレット!」

「へっ?」

 

 小町はそう言って指差すその指はフランの目の前に突きつけられる。死神、つまり天界と通じる者。それが今フランの目の前にいるということはつまりそういうことだ。

 フランはその死の宣告の前振りとも言えるその言葉にびくりと体をすくませた。

 ついに来る時が来たらしい。契約を破ったフランに罰が下る時が。

 小町は指差した手を広げてフランに掌を差し出す。そしてニコリ。

 

「行こうか、天界」

 



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第二十五話 ~小町襲撃~

「行こうか、天界」

 

 小町から差し出された手にフランの表情は険しい。

 フランは眉間にしわを寄せて、催促するように更に差し出された小町の手を睨みつける。

 

「なんだ、緊張してんのかぃ? 大丈夫、世間話でもしながらゆっくり行くからさ。これでも皆には評判いいんだよ」

 

 小町は険しいフランの表情を見て安心させてやろうとでも思ったのだろうか、普段とぼけた表情をしているのに仏のように柔らかい表情で微笑みかける。

 しかしフランにとって柔らかく微笑む小町の表情は、天界という地獄へと誘う悪魔の打算的な笑顔となんらかわらない。

 フランの表情がますます険しくなる。ついには顔を逸らしてしまう。

 

「……あのさぁ、もう天界行きは決まってんだ、ここでごねたって何にも変わらないよ?」

 

 いつまでもその手を取らないフランに痺れを切らしたのか、いつも暢気な声調の小町が突如イラつくように、そして脅すような口調になってフランを促す。

 そのいつもと違う小町に霊夢、そして永琳まで訝しげに小町の顔に視線を向ける。フランに至っては逸らした視線を小町へ向け直す。加えて、小町の言い方が気に入らなかったのだろう、更に紅の瞳を滾らせて睨みつける。

 空気がぴりっとわずかに震えている。それは小町に向けられているフランの威圧感。

 しかし小町はそのプレッシャーに眉一つ動かさない。フランは今腕輪をしていない。ここでフランが暴れだす事は十分にありえる。もしこんな所でフランが暴れようものならこの診療所は軽く破壊されてしまうだろう。更にここには大勢のけが人がいる。せっかくフランが殺さないでいた小島酒蔵の従業員も瓦礫の下敷きになってしまう。

 

「なんだいその目は、気にいらないねぇ」

 

 小町もフランを睨み返す。と同時にぴりぴりとした空気が一気に張り詰める。

 そんな雰囲気に、一般人の新之助は情けない事に空気に飲まれて一言も発する事ができないでいた。普通の人間が死神と吸血鬼の高レベルな睨み合いについていけるわけがなかった。

 

「ずいぶん飄々としてるからとっくに覚悟はできてると思ってたんだけどねぇ」

 

 契約を破り、今後自分がどうなるかなんてフランはとっくに分かっていた。覚悟ももちろんできていたのだ。

 新之助が気を失った時、片腕になりながらも新之助をきつく抱きしめ放そうとはしなかった。それはもうすぐ新之助に一生会えなくなると思ったから。新之助の布団に潜り込んだのも単に添い寝がしたかっただけではなかっただろう。しかしそこで新之助の温もりを知り、更に小町が来る前の和やかな雰囲気がフランの固まった覚悟を知らないうちに砕いていったのだ。

そして

 

「あ、もしかして誰か助けに来てくれるとでも思ってるのかい? それで時間稼ぎでもしてる?」

「……」

 

 フランは心の片隅で無意識に思ってしまっていた。もしかしたら天界に行かずにずっとこのまま平和に暮らせるのではないかと。

 だから新之助やその周りの友人、更には死神とは思わなかったとはいえ新顔の小町にまで普段どおりに話してしまっていたのだ。

 そんな無意識のうちにあった柔らかいところをつつかれたフランは小町から一瞬目をそらしてしまう。

 図星のフランをみて小町は嘲るように笑う。

 

「誰も来やしないよ?」

 

 小町の声が突如冷たいものに変わる。

 フランが恐れているもの。それは天界に幽閉される事はもちろんだが、そんな事よりももっと恐れるものがあった。

 

「あんたみたいな厄介者、誰も迎えに来るわけないだろ?」

 

 それは紅魔館の住人や紅魔館を訪れる者達に嫌われてしまう事だ。

 

「忘れちまったわけじゃないだろうね? ここに来る前にあった事。あたいはちゃんと覚えてるよ」

「え!? なんで」

「今まで世話になった人達に嫌いだ死ねだと叫び散らして」

「あ、あれはっ……」

 

 何とか言い訳を小町にぶつけたいフランだが言い返すことが出来ない。小町の言っていることは全て事実なのだ。

 

「自分が天界に連れてかれそうになったら助けを請う? 虫が良すぎるんじゃないかい?」

「小町! いくらなんでも言いすぎよ!」

 

 見かねて霊夢が小町を制止させようとするが小町の掌が先に霊夢の顔に向けられ逆に制止させられる。

 

「あたいは今フランドールと喋ってるんだ。邪魔すんじゃないよ」

 

 小町は冷静だ。霊夢の方を見もせずにフランだけを見つめている。

 それはフランの一挙一動を見逃さないため。その意図は今フランがとっている行動で更に追い詰めるためだ。

 その一方でフランの視線は霊夢に向いてしまった。

 

「霊夢が助けてくれる」

 

 フランを助けようとした霊夢の行動が災いした。

 フランはびくついて、はっと気付いた時にはもう遅く、小町の思う壺だった。

 

「こ、これはっ」

「やっぱりね。あんた――」

「違うっ」

「違うこたぁないだろ? あんたは皆に甘えてんのさ」

「違う!」

「誰かが何とかしてくれるって」

「違う!!」

「だから自分が何をしたって」

「違うって言ってるじゃない!!!」

 

 小町の言葉を遮るように目を瞑り、体をくの字に曲げて力の限り叫ぶ。更に払拭するように振られたフランの右手には時計の針のような歪んだ剣、レーヴァテインが出現する。

 

「フラン!?」

「ダメよ! フランさん!」

「あんたに何がわかるって言うのよ!」

 

 フランは小町に向けて剣を振りかざす。霊夢が止めようとするが距離的に間に合わない。

永琳も身を乗り出すが一呼吸遅かったようだ。

 しかしそれはフランがレーヴァテインを振り降ろす行為に対してではない。フランを止める者に一呼吸遅れたのだ。

 

「やめて、ふらんちゃん」

 

 それは他の誰でもない、フランをこんな騒ぎに巻き込んでしまった、そしてフランが連れて行かれたと勘違いして悔し涙を流した新之助だった。

 新之助はベッドから転がり落ちるようにしてフランと小町の間に割って入った。少々不恰好だがそれが一般人である新之助に出来る精一杯のことなのだろう。

 新之助は小島当主にそうしたように小町を背にしてフランに向かって両の手を大きく広げる。

 

「新之助……」

「落ち着いて」

 

 フランは止まった。

 止まるしかないのだ。

 どんなに激昂しても、どれほどにくい相手を前にしても、フランには絶対に手を出してはいけない人物がいる。それはこの人里に来て誰に教えられるでもなく自分で学んだ事。小島酒蔵でもそれは経験済みだ。

 それは不思議なことにこれは新之助が小町を助けたのではなく、新之助がフランを助けた構図になっているということだ。フランが天界の使いの死神に手を出せばどうなるか。結果は明々白々だ。

 更に悪い事に周りの皆がフランを助けようとすればするほどフランは泥沼にはまっていく。助けられても小町を襲ってもフランの状況は悪くなるだけなのだ。

 然るべく、小町は新之助に止められているフランにそれ見たことかと、頬を吊り上げ笑みを浮かべている。

 

「さ、茶番は終わりだよ。これであんたが嫌いな連中と一緒に暮らさなくてすむ」

「違う……」

 

 もう弁明のしようがないと感じたのか、フランの声は小さい。

 その小さな声に小町はにやり。

 

「ああ、そっか、そうだねぇ、ごめんよ。それは違うよねぇ」

 

 小町は頭をぽりぽりと掻き、へらへらと笑いながら言う台詞はどこか芝居がかっている。フランの消えかけの抵抗である小さな火を小町は次の言葉で完全に消し去った。

 

「あんたを、嫌いな連中と一緒に暮らさなくてすむが正しいね」

 

 覚悟を捨ててしまった事、誰かが助けてくれるなどという希望を持ってしまったこと、更にはそれを言い当てられ罵倒され、しかしそれを爆発させる事も叶わない空しさがフランの目に溜めた涙を溢れさせた。握った拳は震えに震え、手の色が変わってしまっている。口はへの字に閉じられて言葉は一言も出ることは無かった。

 

「小町!」

「よかったじゃないか、自分を嫌いな連中なんかと一緒に暮らしても面白くないだろうからね」

 

 再三に渡る忠告を無視して小町はフランをののしり倒す。

 

「いい加減に」

 

 ついに痺れを切らした霊夢がありったけの札を握り締めて小町に迫ってくる。

 だが小町があせることは無い。小町は霊夢の方へすっと掌を向けた。

 

「しろおおおおおお!?」

 

 不思議なことに霊夢が小町から遠ざかっていく。

 小町の距離を操る能力だ。霊夢は米粒のように遠くへ放れていってしまう。しかし見れば霊夢の立っているところは病室の中だ。その病室がまるで歪められて更に霊夢がいる場所だけ引き伸ばされたように変形している。

 

「へるぷみー!」

「霊夢さん……」

「全く騒がしいね。言っただろ? あたいは今フランドールと――」

「いい加減にして下さい!」

 

 小町の言葉を大きな声で叫んで遮ったのは手を広げて小町の方を向きもしない新之助だった。

 フランを助けるためでないと体が動かないくらいに恐怖を感じていたであろう新之助。その恐怖の対象である小町に向かって新之助は叫んだのだ。プルプルと悔しさで震えるフランも新之助の様子を見るために見上げるが視線が合うことは無かった。新之助の視線はもうすでに小町に向かっている。

 そんな新之助の必死の叫びに小町は面倒くさそうにため息をつく。

 

「今度はあんたかい」

「死神様……いくらなんでも酷すぎませんか?」

「なんだい、あんたもそのちっこいのをかばうのかい?」

「いけませんか?」

「まったく……どうしてだろうね。人間ってのは自分の気に食わない事があるとすぐこれだ。少しの不満くらい我慢できないのかね」

 

 どこかの誰かが吐き捨てたような台詞で小町は肩をすくませる。

 新之助はフランと小町の間にいる。引き離すわけにはいかないらしい。小町は能力を使わない。

 

「あなたも同じではないですか?」

「なんだって?」

「あなただってフランちゃんの行為が気にいらないから、こんな事してるんじゃないんですか!?」

「……」

「あなただって人間と同じだ! 神様なら神様らしく私情を持ちこまないでくれませんか!」

 

 新之助が首だけを後ろに向けて、横目で小町を睨みつける。

 これで神のご加護をフランに与えてやってくれ、などと言う事が出来れば上出来だっただろうがそれをさせるほど目の前の死神は優しくはない。

 

「あんたぁ、死神に喧嘩売るつもりかい?」

 

 今度は小町の目が新之助を睨みつける。先程フランが小町を睨みつけたように空気がぴりぴりと震え、新之助はそれがとても恐ろしかっただろう。気の弱い人間なら気を失って失神しているかもしれない。

 

「だ、だったら」

 

 しかし何らかの理由が、大義名分があれば人間はいくらでも強くなれる。それは良くも悪くも。

 

「だったらどうだと言うんですか!?」

 

 小町の睨みに新之助も負けじと睨み返す。

 

「……そこをどかないとあんた、死ぬよ?」

「一度は死んだ身です」

 

 小町の最後通告に対し、新之助は毅然と言い放つ。だが新之助の足は可愛そうなほどに震えている。遠くにいる霊夢からでもわかるほどにぶるぶると。手も体も。それは傍から見れば笑ってしまいそうなほどだ。

 しかしそんな笑ってしまいそうな新之助の行為はフランを守るという覚悟からきている。だからいくら震えようが笑われようが退く事はない。

 

「そうかい……じゃあ持ってってやるよ! あんたの魂!」

 

 小町の持っている鎌が月の光でキラリと光る。その鎌の先端は新之助の首に真っ直ぐに向かっていく。新之助はその先の光景が怖かったのだろう、目をぎゅっと瞑り、来るべき自分の運命に身を任せる。

 次に目を開けたときはどこを見ているだろう。低い視線で床を見ているだろうか、はたまた床に寝転がって仰向けになり天井を見上げているだろうか。

 しかしあわよくば次に開ける目の前の光景は自分の好きなものが移って欲しいと思う。

 

ガッ

 

 と何かがぶつかり合う音がする。

 

「新之助は強いね」

 

 そしてフランの声が後ろからではなく前から聞こえてくる。新之助は恐る恐る目を開けるとそこには信じられない光景が広がっていた。

 いつの間にか新之助と対面するように小町と新之助の間に割って入る。

 フランの手にはレーヴァテインが握られている。それはいつもならば破壊する道具。しかし今は自分の大切な人を守るために使われている。

 

(あれ? 鎌が動かないぞ?)

 

 その小さな体のどこにそんな力があるのだろうかと小町は不思議に思っている事だろう。フランはびくともしない。

 

「フラン……ちゃん?」

 

 小町の鎌を止めているフランはなにやら罰が悪そうにうつむいている。そのよく見えない表情は怒ってはいない。月の光に照らしだされているフランの表情は逆に微笑んでいるように見える。それはなんとも寂しい笑顔だ。

 

「私、覚悟はできてたよ……?」

 

 なにやら弁明するように俯きながら新之助に言葉を投げかけるフラン。

 震える新之助を見もしないのはその光景がおかしいからではない。自分の覚悟のなさに対して新之助の覚悟が相当なものだったからだ。だからそんな新之助に合わせる顔がなく、その弁明はせめて話すことくらいはさせてくれという言葉に聞こえないことも無い。

 

「でも皆といると……もっとこっちで皆と遊びたいな~って……ちょっと思っちゃった」

 

 願ってはけない事、それをフランは望んでしまった。そのフランは照れるように笑う。その笑顔はどこか悲しげだ。

 

「フランちゃん……」

「私分かったんだぁ……今まで普通に遊べてた事って、とっても幸せな事だったんだって」

「な、なら……何とか……するから」

 

 誰にでも恐れていることはある。フラン然り、新之助然りだ。

 新之助の恐れること。それはフランの存在が消えること。

 フランの恐れること。それは大事な人の死だ。

 

「でも、やっぱいいや」

 

 決別。ここで別れると決めているのならどんな想いをぶちまけようが誰にも迷惑をかけることはない。

 

「へ?」

 

 見るとフランは先程まで俯けていた顔を上げて新之助を見上げている。それは今までにないにこやかな表情で。

 天使のようなその笑顔、いつもの新之助なら顔がほころび、でれでれと鼻の下を伸ばしていたであろう笑顔。だが今の新之助の表情はそんな柔軟性を持ち合わせてはいなかった。

 どんな凝り固まった表情でもぶち壊してくれるのかフランのはずだった。だがそうならないのはフランのその笑顔があまりにも自然すぎる笑顔だったからだ。

 

「だって私、覚悟できてるもん……」

 

 新之助はもう何を言ったら良いか、自分が今何をすべきなのかわからなくなっていた。

 フランはもういいと言っている。ならば助ける必要などないのではないか。更に今のフランはどこか吹っ切れたような良い表情をしている。ならばここにいてくれと抱きしめ、とどめる事はせず、ただ悲しそうな顔をして送り出してやればいいのではないか。

 しかし新之助はフランに行って欲しくない。その大義名分を掲げてフランを力の限り抱きしめて放さなければいいのではないか。

 

「んじゃあ行くかい?」

 

 小町は鎌を元に戻し体と平行になるように床にトンと突き立てる。

 

「うん」

 

 フランは強気だ。だがその強気は空元気だと言うことは明白だ。

 新之助がそんな思案をめぐらせている間にフランは振り返り小町の手を取っていた。

 

「そ……んな……まって」

 

 大義名分を失った人間は弱い。そんな弱々しく筋の通っていない新之助の言葉ではフランは振り向きもしない。

 

「へぇ……じゃあもう紅魔館の皆と暮らせなくてもいいのかい」

 

 小町もそんな新之助を無視し、吹っ切れたようないい表情のフランに満足げに話しかける。

 

「いい」

「嫌いだから?」

 

 フランはもう覚悟を決めたというのに小町はまだ何か気にいらないのか、そんな意地悪な事を間髪いれずに聞いてくる。

 

「ちがうよっ」

 

 小町の意地悪にフランはすぐさま反応し小町を睨みつける。

 

「あの時は殺したい程嫌いだっただけ!」

「じゃあ今は?」

「今は」

 

 少し考えて、フランは小町を見上げる。本音を言ったらまた意地悪な言葉が飛んでくるのだろうと予想し、小町を睨み付けているようだ。

 

「あはは、やっぱいいよ。あんたのその顔だけで十分さ」

 

 フランは不思議そうな目で小町を一瞥し、自分の顔を両手で挟んで少しこねてみたりしている。そんなフランを見て小町はケラケラと笑っている。

 

「んじゃ」

 

 小町がフランの小さな手を握って引き寄せる。

 フランが連れて行かれてしまう。

 

「っ」

 

 そんなのは絶対ごめんだ、と新之助は心の中で叫ぶ。しかし実際に声に出して言う事ができない。それはフランを救うという大義名分が意味を成さなくなったから

 フランは助けを求めてはいない。ならば新之助が助けたいから助ければいいのではないか。ただそれだと小町の言ったような人間に成り下がってしまう。

 と、ここまで考えたのとほぼ同時、新之助はフランに向かって走っていた。なぜなら新之助は小町の言うような普通の人間なのだから。

 

「し、新之助!?」

「行かないでくれ! フランちゃん!」

 

 新之助が後ろからフランを抱きしめる。フランに行って欲しくないという人間の浅ましい願望を思いっきり表に出した新之助のその行為。

 

「もう一度考え直してくれないか!? 僕が何とかする! 何とかするから!」

「新之助……その……」

「フランちゃん!」

「お胸に手が」

 

 フランはそれを新之助を引き離す呪文のように照れながら言う。

 

「あ、ごめん、気付かなくて」

「む」

 

 新之助は手を離しフランを開放したが逆にフランの睨むような視線が新之助に突き刺さる。

 それを見て小町は笑う。

 それは浅ましい欲望を前面に押し出した新之助を見てあざ笑う、ではない。小町は本当に楽しそうにただケラケラと笑うのだ。

 

「四季様、こんなもんでどうでしょうか?」

 

 そして今までの声調が嘘のような間の抜けた声で扉の方へ首だけを動かし、そんな事を言うのだった。

 その病室の扉から入ってきたのはまだ小さな少女で霊夢と同じくらいかやや低いといった背丈。しかし顔つきは大人びていてどこか神々しさの雰囲気を纏っている人物。手には笏のようなものを持っていてそれを胸の辺りに立ててゆっくりと入ってくる。

 たいそうな飾りの付いた帽子を被り扉からゆっくりと入ってくる者、それは幻想郷の死者を管理している神、いわゆる閻魔と言われている者、四季映姫だった。

 

「やりすぎだ、馬鹿者」

 



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第二十六話 ~結末~

少し前

 

天界

 

「今なんと?」

 

 天界では小町と四季がフランの処遇について話していた。

 

「フランドールは黒だと言ったんだ」

 

 小町はそんなフランへの判決に先程のフランを罵倒していた時とは全く逆の感情を顔に表す。更に口をぽかんと開けて呆然としている。

 

「何かおかしいか?」

 

 不機嫌に言って四季はただ目を瞑り、椅子に座って腕を組んでいる。

 静かな四季の威圧感に小町の開いた口は、のどまで来ている言葉を出すか出さまいか迷った挙句、完全に閉じられてしまった。

 フランは契約を破りはした。しかしその成長には目を見張るところがある。一度の失敗で黒として済ますにはあまりに惜しい成果なのだ。だが目の前にいるお方は約束や契約に忠実で、それを正義として判決を下す。例外は認めず、融通が利かない固い御方だ。

 それ故に閻魔と言う役職に即位しているのだ。

 

「奴は契約を破った。契約を破ればどうなるか忘れたわけではないだろう」

 

 四季はやっと片方の目だけを開け小町を睨む。しかしそれは小町を説き伏せる、と言うよりもただ単に小町を睨みつけただけのような視線。

 

「で、でも、少しはフランドールの努力を考慮して――」

 

 小町も天界から仕事の合間に見ていたであろうフランの所業。たとえ話したことが無くとも同じ幻想郷に住まう者同士、しかも見た目小さな子供であるフランが一生懸命に契約を果たし、成長しようと努力している姿はなんとも健気で応援してやりたくなるもの。

 

「甘いな、小町」

 

 何とかフランを天界送りにさせないよう、四季にびくつきながらも、先程まで塞がって開かなかった口をこじ開け、抵抗しようとしたところでまたしても四季の有無を言わさぬ一言で釘を刺されてしまう。釘は口を塞ぎ、出かけた言葉はまたしても押し戻される。

 

「白は白、黒は黒だ」

「……」(相変わらず――)

 

 塞がれた口から出ることの出来ない言葉は心の中で不満を爆発させるしかない。きっぱりと言い放つ四季に何も言えず愚痴を心の中で叫ぼうとするが、心の内に秘めた言葉というものは反響し顔に出てしまうもの。それを長年上司をしている四季が気付かないわけがなかった。

 

「頑固だな、なんて思っている顔だな、それは」

「げっ、あ……いやっ」

 

 それを言い当てられた小町はもうどうすることも出来ず、縮こまって沈黙するしかない。

 しかし部下を威圧することだけが上司の仕事ではない。縮こまる小町を一瞥すると両目を瞑って深く長いため息をする。と同時に先程の不満に似た怒りも吐き出されたようで、机に片肘を突いて頬杖を突き、気の抜けた態度をとる。

 

「別に私も鬼ではない。今回の件、少しは奴の努力を考慮して懲役一万年くらいにしてやってもいいと思っている」

 

 契約に従順に従う事は大切だ。だがそれだけが閻魔の仕事ではない。頑固者とはいえその過程を全て考慮せず、結果を出すだけなら誰にでも出来ること。閻魔とはそれらを全て考慮し、柔軟に判断、対応出来てこその位だ。

 

「は、はぁ……」(この方は本気でこんな事思ってるからなぁ)

 

 だが懲役一万年とはフランが生きた年数の約二十倍。四季は妥協案を提案しているのだろうが妥協案になっているとは言い難い処遇だ。

 四季に小町が何を考えているのか表情でわかるくらいの長い付き合いならばその逆もまた然りだ。小町の予想通り四季は本気でそんなことをぬかしているのだ。

 

「ただ……」

「ただ?」

「上の連中にごねられてな」

 

 その妥協案のようで妥協案ではない案すら通すことが出来ない理由がある。

 小町にもなにか心当たりがあるのだろう。「ああ」という残念そうな言葉が思わず漏れてしまう。

 小町に上司がいるように四季にも上司がいる。四季でさえこれだけ頑固だというのに、その上司にごねられては小町ではもうお手上げだ。その上司である四季でさえ頭が痛そうに眉をしかめている始末。

 

「察しがよくて助かる」

 

 小町の哀れみの視線に四季が残念そうに鼻で笑ってそんな事を言う。

 数百年前フランの羽は戦争の火種となった。戦争を起こしてしまう程の大義名分を与えてしまった。それはそれ程の意味がフランの七色の羽には込められていたからだ。

 では今はどうか。幻想郷に移り住んだフランは長い間地下に閉じ込められていたせいで周りに迷惑をかけるということはあまりなかった。それで均衡は取れていたのだ。

 ところが最近になってフランが徐々に外で遊ぶようになった。

 その事象が幻想郷を管理する四季、更にその上の者達に危機感を与えていた。それは他の何者でもない、フランの『ありとあらゆる物を破壊する能力』が原因。

 霊夢や町民も気付いたようにその力は人里と幻想郷を隔てる博麗大結界を破壊してしまう恐れがある。そうなれば幻想郷と人里がつながる事になってしまうのだ。そしてこれを好機と、押し寄せる妖怪がいないという保障はどこにもない。またその場合の被害は計り知れないものになるだろう。

 天界も前々から幻想郷にいい影響を与えない、目障りなフランを排除し、危険因子を消そうと考えていたのだ。そして危険な能力を持ったフランが幻想郷で暴れていればいずれ町民が気がつき、このような事が起きる。それは天界も予想していたに違いない。

 案の定、天界が待ち望んだ今回の計画が浮上した。

 そこでさりげなく、フランを天界に幽閉してみてはどうか、と提案すれば「フランにとってそれ程身にしみる罰はない」と皆飛びつくだろう。その奥には天界のどす黒い思惑が渦巻いていた事など知る由もなく。

 そんなどす黒い色で背景を塗り潰されればどうなるか、その背景で少しでもフランが罪を犯せばどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだ。

 今の状況は天界にとっては棚から牡丹餅、フランにとっては寝耳に水だっただろう。

 その力ゆえ、地下に閉じ込められていた。外で遊ぶになったと思ったら今回の計画。その計画も完遂目前で最悪の事態。

 くしくもその事態とは天界が待ち望んだ状況と相成った。

 たとえ小町や四季が何を言って対抗しようと余程のカードが無い限り四季へ下される命令は覆らないだろう。

 いつの時代もフランにとって住みにくい世界のようだ。

 

「お前が思っている通りだ。上も奴の能力には前々から目をつけていた」

 

 もうどうにもならないと吐いた息を推進力にして四季は椅子に寄りかかる。

 そして判断を下すのは幻想郷地域の死者の管理を任されている四季。天界から何を言われたのかは言うまでもない。四季の苛立ちはそこから来ていた。

 

「だからフランドールを上に言われるまま閉じ込めようと?」

 

 諦めムードの四季に部下ながらに不服の目で睨み付ける小町。

 

「ふん、私とてそんな事に甘んじる気はさらさらないんだがな」

 

 四季は四季でそんな視線をうざったそうに鼻で払い、背もたれに体重を預け暢気に天を仰いで何か考えている。

 

「だったら上に言い返してやればいいじゃないですか!!」

 

 そこへ小町が暢気に天を仰ぐ四季に提案をする。その語気は強められ更には上司を睨みつけるような視線で。しかしそれは何の効力も持たない青臭い提案。

 

「どうした小町、いつものお前らしくないな。何処かのメイドみたいだぞ?」

「あ、あたいのは本物ですからね!」

「私へのあてつけか?」

 

 上はフランが契約を破ったと大義名分を掲げ、フランという危険因子を排除する、という目標を遂げようとするだろう。それを防ぐならば、それに見合うカードが必要なのだ。

 それにぶつけるにはフランが努力をしているという事など余りにも小さすぎる。町民を傷つけた罪はそれ程重いのだから。

 

「あやや? どうしたんですかお二人とも」

 

 そんな真剣に話し合っている場面で笑顔、更にひょうきんな声で二人の後ろに立っているものがいた。

 

「特に小町さん、あなたが真剣な顔するなんてお米でも降るんじゃないですか?」

 

 新聞記者の射命丸文だった。

 

「あんたかい……今取り込み中だよ」

「あややっ、私は別にい・つ・も、のように世間話をしにきたわけではないんですよ?」

 

 ニヒヒといたずらに笑う文に小町は冷や汗たらたらだ。いつも仕事をサボり、文と世間話していると四季の前で言われたのだ。小町にはたまったものではない。更に四季の「ほう」、という威圧感が小町の冷や汗を脂汗に変えていく。

 

「山に帰れ天狗。お前の口には災いが満ちているっ」

「言われなくてもすぐ立ち去りますとも。これをばら撒かないといけないですから」

 

 文の手には新聞の束が握られていた。その一枚を小町に手渡す。

 

「はい、どうぞ」

「新聞?」

「では私はこれで」

 

 文はそれだけ渡すとさっそうと飛び立ち、わずか数秒で見えなくなってしまった。

 

「これは……」

「ん? どうした」

 

 小町が手渡された新聞にはフランの記事が書かれていたのだ。小町はそれを四季に見せる。

 

見出し

 

お手柄! 正義のヒロイン登場!? 町にはびこる妖怪を見事に逮捕! 天使の悪魔フランドール=スカーレット!!

 

 と書かれ、フランの写真が何枚か貼られていた。そして霊夢が小島当主を半殺しにしている写真、更にその下にはけが人の人数や名前が丁寧に記載されていた。

 

「しかし物事も捉えようですね。これってもしかして上に対抗できるネタに――」

「ならん」

 

 四季は即座にそう吐き捨てる。

 フランが行った暴挙が正義の名の下に行われたというだけで、そんなもの表現を変えただけの暴力となんら変わらない。フランが危害を加えた事実を無効化することは出来ないのだ。

 

「即答ですか」

「こんな紙切れ、上に持っていっても鼻紙にされて終わりだ」

「鼻を噛んでいるときに顔面パンチを食らわせて黙らせるというのはどうでしょう?」

「名案だがこちらは断頭台の露と消えるだろうな」

「安心してください。あたいが責任を持って地獄へ連れて行きますので」

「露と消えるのは私だけか? しかも地獄?」

「あたいは何も知らなかった」

「……知らない者と死んだ者は同じ『ほ』の付くものになるらしいな」

「ほ?」

「知らぬがほ」

「ほ、ほととぎす!」

「信長は言った、鳴かぬなら、殺してしまえっ」

「家康でお願いしますっ、てそんな事ではなく、一度くらい試してみましょう」

「ダメだ、小さすぎる。こんな事じゃ上は見向きもしてくれんだろう」

「そんなぁ……ん?」

 

 小町が何かに気付いたようにその記事の一つをじっと睨みつける。そして慌ててその豊満な胸に仕舞い込んだであろう折りたたまれた紙を取り出す。

 しかし取り出した時に慌てた為か着物がはだけて大事なところが見えてしまいそうだ。

 

「これを見てください」

「別にうらやましくなんかないぞ! 断じて私は」

「違いますよ、こっちです、これを見てください!」

「ん?」

 

 小町は新聞に記載された記事の一つを指差す。それと小町の胸から取り出された紙に書かれているものを見比べる四季。

 

「これなら上も黙らせる事は可能では?」

「……成程な、これならばいけるかもしれん」

 

 

人里

 

「で? その上を黙らせようってネタはなんなのよ」

 

 小町によって遠くへ移動させられていた霊夢が小町を座布団代わりににしてそんな事を問う。

 

「ならそこをどきなよ!」

 

 遠くから必死に走ってきた霊夢に札を投げつけられ、床に倒れたところを霊夢に上からのしかかられていた。そしてフランへ行った鬼のような言葉攻めの真意を白状させていたのだ。

 霊夢は渋々といった感じで小町の上から退き、更に手を貸してやる。

 小町は着物に付いた汚れを払い、更に胸の隙間から紙切れを取り出す。

 

「まずはこれを見な」

「何? 四季へのあてつけ?」

「なぜ私……」

 

 またしてもはだけた小町の着物に今度は霊夢が茶々を入れる。

 

「ち、違うからっ、さっさと読みなっ」

「文が書いた新聞じゃない。こんな鼻紙でどうにかなるとでも?」

「ここを見な」

 

 小町が指差したのは新聞に書かれていた負傷者のリストだった。

 

「これが何だってのよ?」

「これと見比べてみなよ」

 

 小町はもう一枚、胸から紙を取り出して霊夢に提示する。

 

「う~ん?」

 

 首をひねる霊夢の横から永琳も顔を覗かせる。

 

 「同じ名前が二十人くらいいるわね」

 

 先程カルテを書いていたからか、見覚えのある名前が文の記事と二枚目の紙切れ両方に記載されていたのだ。二枚目の紙切れに書かれた人数の方が二倍くらい多いが。

 

「確かに……それに大島……新之助?」

「え?」

 

 皆が新之助を見る。その新之助はフランと顔を見合わせる。

 何がなにやらわけがわからない。上を黙らせるカードとはなんだというのだろうか。

 

「ああこれって」

 

 小町が持っていた紙は何か、どうやら永琳は気付いたようだ。

 小町の取り出したリストと文の作った負傷者のリスト、更には昨日何が起ころうとして代わりに何が起きたかを考えれば分かるはずだ。

 そして小町は死神だった。

 

「そう、これは昨日死ぬはずだった人間の名前だよ」

 

 昨日、新之助は撃たれて死ぬ運命だった。それで小町も新之助の寿命が延びていると言ったのだろう。

 更に新之助が撃たれた事で大島酒蔵の従業員達が敵討ちに小島酒蔵を襲い双方かなりの死者がでた事が小町のリストでわかる。そのリストには大島酒蔵の従業員も大勢載っていたのだ。

 

「そうだったのか……」

 

 さすがに顔から血の気が引いてく新之助。

 

「よかったね、皆死ななくて」

 

 死ぬ予定だった新之助の隣ではフランが一言そうぬかして無邪気に笑っている。

 フランは分かっていないだろう。何故その人たちが死ななかったか、自分のした事がいかに重要な事か。

 フランが新之助に噛み付き、更に新之助の回復を大島酒蔵の従業員が待っている間に小島酒蔵を強襲した事によって双方に死人が一人も出なかった事を。

 フランが噛んだ瞬間に新之助の運命は変わったのだ。フランは新之助の死という運命をぶち壊したのだ。更には両親を殺された悲しみと憎悪という名の鎖さえ破壊した。

 ニコリと笑うフランがとても愛おしく感じたのか、また新之助はフランを抱きしめる。

 フランはまたキョトン顔だが、新之助の顔にはフランにもらった暖かい言葉で血の気が戻る。更には笑顔が戻っていく。

 そしてこれならば上を黙らせるに十分すぎるだろう。フランが人を傷つけた為に数十人の命を結果的にだが救ったのだから。

 

「成程。これをネタに上を黙らせようってわけね」

「そうだ。もう報告は済ませてある」

 

 しかしそう言う四季の顔は険しい。

 

「ただ、上もこのままでは引き下がれないらしい」

「?」

「さっきの小町さんの言動と何か関係が?」

「その通りだ」

 

 そう言って四季がフランを睨みつける。

 

「フランドールに危険がないことを証明しろ、だそうだ。だから小町を奴への当て馬にしたわけだが、少々やりすぎたらしい」

「ええ!? 四季様が怒らせろって言うから、じゃないとクビにするって言ったからあたいは仕方なくそうしただけなんですよ!?」

「じゃあ失敗って事?」

「いや、このネタはよほどの効果があったらしくてな、『フランドールが破壊行動を行う事』という上にしてはかなり弱腰の条件を提示してきた」

 

 フランが人を傷つけ、その過程を顧みず、結果だけでフランを天界へ隔離しようとした四季の上司。だからいまさらフランが破壊衝動をしようとしたから天界へ、などという戯言は言うことはできないだろう。

 しかし四季の上司がそんな弱腰の提案をするにはフランを天界へ隔離することを強行しようとした者たちにしてはあまりにも不自然だ。

 だがその理由もしっかりあった。

 

「何言ってんですか? 四季様が掛け合ってそこまで条件を引き下げ――」

 

 ということだった。

 言うのを遮って四季が小町の頭に拳骨を食らわせる。小町は「きゃん」などと普段の言動からは想像しがたい声を上げて悲鳴を上げた。

 フランの為に自分がそこまでしたことが恥ずかしかったのだろう。普段はお堅いというイメージがあるが四季もまた心優しい人物なのだ。

 そしてフランはその心優しい人間、新之助に止められて上からの条件は棄却された。

 そこで一つ咳払いをする四季。

 

「でだ」

 

 四季が小さな歩みでゆっくりフランの前まで歩いていく。そして手に持った笏のような鏡を体の前に立てる。どこか儀式がかったその行ないにはどこか神々しさがあり、周りの空気をきゅっと引き締める。

 その雰囲気に皆その四季をただ見つめるだけだ。

 

「フランドール、お前が人を傷つけた事は事実だ。小町が人の寿命を知っていたから今回の事は水に流してやっても良い、という事にはなった。が、小町に挑発されてお前はレーヴァテインを握り締めた。お前はあの時一体何をしようとした?」

 

 それは問いでは無く確認。

 過程を一切合財無視して結果だけを重視することは誰にでも出来ることは前述したとおり。それは良くも悪くもだ。それが四季が閻魔である所以。

 あの時フランは自分の激しい感情を抑えきれずレーヴァテインで周りを破壊しようとした。それは四季にも分かりきっている。新之助が止めなければ一大事だっただろう。

 

「こんな所であんなもの振り回せばどうなるか、お前にもわかるはずだ」

「……ごめんなさい」

 

 そのフランも怒られていることは分かる。だから素直にそう言ったのだがそれはもう意味を成さなかったらしい。

 

「謝罪などいらん。これからお前に下す判決はお前がレーヴァテインを振りかざした時、既に決まっていたのだからな」

「え?」

 

 その確認とは何かを決める為に行われる前段階だったらしい。

 

「フランドール=スカーレット! お前に判決を下す!」

 

 突如四季は小さな口を大きく開けて更に声を精一杯張って言い放つ。その突然の判決宣言にごくりと唾を飲む暇さえなく、皆一様に体をびくつかせる。

 

 そして

 

「判決! 黒!!」

 

 有罪だった。

 当然周りはどよめき四季を困惑の表情でこれが戯言ではないかと確認する。しかし四季は見れば見るほど現実味を帯びていくしかない表情だ。

 

「お前の犯した罪は重い! 懲役1万年の刑に処する!」

「ちょっ!? 四季様!?」

 

 小町が霊夢を引き止めたように四季もまた片腕の掌を小町に向けて黙らせる。

 

「または!」

 

 四季はずいっと前に出てフランに近寄る。

 

「ふぇ?」

「鉄槌一万年分の刑に処す!」

「ぎゃん!」

 

 四季の手を握り締めた鉄拳がフランの頭頂部へめり込んだ、かと思うとそのまま床を突き破りフランの頭がめり込んでしまった。

 

「罪の重さを知るがいい。フランドール」

 

 幼女にこの酷い仕打ちに霊夢たちはドン引きしてしまっている。

 そこでこれで締めだとばかりに四季が声を張り上げる。

 

「これにて一件落着!!!」

 

 満足そうな四季の様子を見て小町は苦笑いだ。

 

(これが言いたかっただけか)「きゃん!」

 

 四季と小町の付き合いは長いのだった。



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第二十七話 ~四季映姫のプライド~

 

「そこにいる人間に感謝するがいい。フランドール=スカーレット」

 

 判決を下した四季は満足げにその余韻に浸りながらフランに投げかける。

 一方のフランといえば床に頭をめり込ませて動きはしない。

 

「たぶん聞こえてないと思うけど……」

 

 四季の幼女暴行に驚いた新之助が急いでフランを床から引きずり出す。

 新之助に引きずり出されたフランは目をぐるぐると回し、倒れそうで倒れない人形のようにゆらゆらと揺れている。四季の拳骨は相当効いたらしい。

 

「星がっ……ぐるぐる……」

「大丈夫?」

 

 それを新之助が抱きかかえるようにしっかりと支えてやる。

 フランは小島当主に何発も銃弾を打ち込まれたことは新之助も聞いている。だから四季の拳骨でどうこうなるとは無いだろうと予想し、さほど心配はしていないようだった。むしろフランの判決がこれほど軽い刑で許されたことへの安心感から笑みがこぼれている。フランはそんな新之助に全体重を預けて一言、痛いと今にも泣きそうな声で呟く様に呻く。

 フランには悪いがそれを聞いても新之助の顔には哀れみの要素よりもやはり嬉しさが勝って笑みがこぼれてしまうようだ。

 

「そりゃ痛いよ。いつもあたいを殴ってんだからさ」

 

 新之助に代わって小町が哀れみの言葉をかける。楽しそうに、ゲラゲラと笑いながら。

 そこへ四季の視線が小町を突き刺す。悪者みたいに言うなと、悪いのは仕事をサボるお前なんだぞという視線。その視線から逃げるようにフランに歩み寄り、変な仲間意識を持った小町は殴られたフランの頭を撫でてやる。

 

「よしよ~し、大丈夫だったかチビ助」

 

バシッ

 

「え?」

 

 深夜の部屋に響いたその音はフランが小町の頭を撫でる手を払いのけた音だった。

 皆から親しまれている小町はフランのあしらわれ方に現実味が沸かないらしい。小町は訳が分からず手をさすりフランを見つめるだけ。

 夢でも見ているかのようなそのフランの仕打ちに、訳も分からずもう一度恐る恐る手を伸ばしてしまう小町。

 

バシッ

 

「あんた嫌い!」

「ええ!?」

 

 今度は小町の親切心も同時に払いのけた。

 どうやらフランは先程の小町の応対が気に食わなかったらしい。小町もやりすぎた感はあるが先程のフランへの応対は演技だ。しかし肝心のフランがあまりよく事態を理解していないらしい。

 更にそんな中、二人のやり取りに笑いを見出した一人の巫女が思わず噴出してしまう。

 

「格好悪っ」

 

 人の不幸を笑うとはなんとも罰当たりな巫女である。

 そんな巫女を小町は睨みつけるが、生憎、負け犬の睨みにびくつく程その巫女の肝は小さくない。。

 

「笑ってないで説明してやりなよ!」

「いくら出すの?」

 

 などと毒まで吐く始末。

 

「ははは、嫌われたようだな、小町」

「四季様からも何か言ってやって下さいよ……」

 

 上司である四季もそんな和やかな雰囲気にただ笑っている。

 しかし仕向けたのは四季で、やりすぎとはいえ自分の部下が行った愚考だというのもまた事実。部下の責任は上司が取らなくてはならないのだ。

 

「ふむ、しょうがない奴だ」

 

 不甲斐ない部下の頼みにやれやれといった感じで四季はフランの方へ歩み寄る。そしてそっと手を頭に載せて諭すように語りだす。

「フランドール、今までの小町の言動は全て演技だ。許してやれ」

 

バシッ

 

「え?」

 

 にこやかだった四季の表情が一変し、鳩が驚いた顔に退化してしまう。

 フランはあろう事か四季の手をも払いのけた。あの世への天国と地獄への道標、閻魔の手を払いのけてしまったフランに新之助は驚きを飛び越えて笑顔から表情が変わらなくなってしまった。

 先程小町がされた光景に笑いを見出した巫女の反応はいうまでもない。更に第三者から見る状況とはそういうものなのだろう、先程今と同じ状況に陥っていた四季の部下もまたその中に笑いを見出してしまったようだ。

 霊夢と小町は二人して口を手で押さえて回れ右をして囁き合う。

 

(やばいって霊夢)

(な、何がよ)

(これ面白すぎる)

(ふふっ……やめてっ、言わないでっ、(笑ってるのが)ばれるっ)

 

 さすがに小町と四季では分類が違うのだろう。霊夢と小町は四季に背を向けて必死に笑いをこらえている。それがばれればどうなるか結果は見えているのだ。

 

(あ、また手を伸ばしたよっ)

(も、もうやめて! お願いだからもうやめて! あなたのライフはゼ――)

 

 バシッ

 

「だーっはっはっはっは! さすがっさすが四季様! あなたは皆がやれないことを平気でやってのける!」

「ひぃーひぃー死ぬ死ぬ! 死んじゃう! 笑い死んじゃう! 地獄だけはっ、地獄だけは勘弁してえええ!」

 

 ついに小町と霊夢は笑いをこらえきれずに腹を抱え、あまつさえ涙を流しながら床をごろごろと転げまわって爆笑し始めてしまう。 その笑いはとどまることを知らず深夜にしては少し騒がしすぎる病院だった。

 

「……」

 

 この後、床には新たに二つの穴が開けられ、更に正座させられ説教をされる事になった事は言うまでもない。

 

 

 

「お前は死が付いていても神なのだぞ! もっと自覚を持った行動をしろ!」

「あの時は……仕方無かったんです……ああするしかなかったんです……ふっ……ぷっくくっ」

「ぐぬぬぅ……霊夢! お前も博霊の巫女としての自覚が足りんのではないか!?」

「ちっ、反省してま~す」

「こ、このっ……貴様ら! 反省するか喧嘩を売るのかどっちかに――」

 

 四季が二人に説教をする最中いつの間にか四季の後ろにいた永琳がそっと四季を抱きしめた。そのため説教が中断されてしまう。

 

「まあまあ、閻魔さん」

「八意永琳?」

 

 二人の攻めに四季があまりにも可愛そうに見えたのか、四季が振り返ると永琳が母親のような笑みを四季に向けていた。

 

「せっかくのフランさんが解放されるっていうのに、いつまでそんな説教を続けるつもり? おめでたい雰囲気がぶち壊しよ」

 

 永琳の言う通り、こんなめでたい場面で説教など場違いもいいところだ。

 だからもうその辺は無礼講で許してやれということなのだろう。その聖母マリアのような笑みに四季のずたずたに引き裂かれたプライドも少しずつ繕われていく、と思われた。

 

「あ、それと床の修理代はちゃんと請求しますから」

「……はい」

 

 そんな笑みでこんな言葉を吐きかけられた四季のプライドはもう跡形も無い。

 

「寄せてあげる、ならぬあげてさげるか、やるわね永琳」

「四季様……ぷくくっ」

 

 その光景を眺めていたフランがはっと気付いたように新之助の服を握る。

 

「新之助! 新之助!!」

「ん?」

「私もアイツを辱めたい!」

 

 握った新之助の服をクイクイッと引っ張り四季を指差しながら言う小さな悪魔の顔はやる気で満ち満ちている。そこにいる可愛らしい生き物は500年近く生きている吸血鬼とは思えないほど見た目どおりの、楽しそうなものを目の前にうずうずしている小さな子供だった。

 この幼女は何を言っているのだろう、と目を白黒させる新之助。しかし天真爛漫で自由なフランの行動理念を考えたところで無駄だと判断し思考を捨てた。

 

「あはは、全くどこでそんな言葉覚えたんだい?」

「おねぇ様が言ってた」

「そっか……大丈夫、君が一番辱めたから」

「そうなの?」

「そうなんだよ」

 

 そういって困惑気味に首をかしげる。その悪魔のしぐさは新之助をとりこにするしぐさそのもの。この悪魔になら心を売り渡してもいいと新之助が思っている時、

 

「そこの人間!」

 

 四季が怒りに任せてそう叫んだ。そこの人間とは新之助しかいない。

 

「は、はいっ!?」

 

 先程までだらしなくデレデレしていた間の抜けた顔に、四季の怒鳴り声を挟まれた新之助は背筋をびくつかせ、更に声を裏返して返事し四季のほうを振り向く。

 

「せ・つ・め・い・し・て・や・れっ!」

 

 その四季の怒りに満ちた表情と短いが迫力のある言葉に新之助はおずおずと頷くしかない。

 新之助はフランに死神である小町が何故あんな行動をとったかを丁寧に説明してやる。

 さすがのフランも新之助の話には真剣に耳を傾けてはいたがそのうち飽きてきたのか横から垂れているサイドテールを弄ったり新之助が説明途中にする手でのジェスチャーを猫のようにぱっと両手で挟んだりしていた。

 

「だからあのお二方は悪くは無いんだよ。わかった?」

「わかったー!」

 

 分かってはいないだろう。

 よく笑ってごまかすと言うがフランは笑いでごまかし、更には可愛さも交えてごまかそうとした。そんな卑怯なごまかされ方をされ、両手で手を掴まれたままの新之助は魂を明け渡す契約の握手をしている様にも見えなくも無い。

 

「あはは、偉いね~」

 

 フランを褒めながら新之助は顔をほころばせ頭をなでてやる。もちろん新之助のその手だけは叩き落される事はない。

 

「人選……間違ってないか?」

 

 四季は疲れた表情でため息混じりに独り言のように呟く

 

「女の子は優しく育てろっていうでしょ」

 

 いつの間にか勝手に正座を解いて横に立っていた霊夢がフランを見ながら口を開く。そんな霊夢の言うような甘い考えに四季が賛同できるわけがない。

 四季がもの問いげに横を見るとそこにはわが子を見守る母親のように優しい顔をしている幻想郷の地上の管理者である巫女、博麗霊夢がそこにはいた。

 やっと巫女らしい顔を見せた霊夢に、いつもそんな顔をしていればいいのにと四季は心の中で呟きながらその清閑な横顔を見つめる。

 が、あいまいな事が嫌いな四季は先程の甘い事がやはりお気に召さないらしい。すぐに表情を厳しいそれに変え、フランを見ながら霊夢の意見に黒い色を塗りたくりにかかる。

 

「その案には賛同できないな。甘く育てるとろくなことになりはしない」

「別に厳しくするなとは言ってないわ。ただ厳しくする事だけが人のためになるなんて思うなって事よ」

 

 四季は霊夢のその言葉を頭に置いて顔をデレデレに緩ませている新之助を見つめる。しかしその顔に厳しさなど一欠けらも無く、とてもフランのためになるとは思えない。

 

「そういうものなのか?」

「そういうものよ。拳骨ばかりしてるとさっきみたいに手をはふっ……手をふふっ……て……ふっ……」

「……」

 

 ここでまた説教するわけにも行かず、やはりいつもの巫女だと四季はため息に説教を載せて吐き出した。

 そしていつまでもこうしているわけにもいかない。

 やることはまだある。

 四季は一つ大きな咳払いをし、皆の注目を集めた。

 

「フランドールの処分はこれで良いとして」

 

 四季が長椅子の横に目を向ける。そこは小島当主がいるところだ。今は霊夢が丁度持っていた札で姿が見えないが。

 

「もう目を覚ましているのだろう?」

 

 四季がそう言うと微かに何かが動いたような気配がする。霊夢が歩み寄って札をはがすとぼろ雑巾のようになった小島当主が姿を現した。

 小島当主は体をびくつかせ顔をうつむかせる。どうやら気がついているようだ。

 

「小島さん……」

 

 そんな小島当主の姿に驚いたのか同情したのか分からないような声で新之助が呟く。その呟きにも小島当主は無反応だ。

 その小島当主をぼろ雑巾のようにした張本人、フランは殺さないでくれといわれた事を思い出す。もしかしたら傷つける事さえもしてはいけなかったのではないか、と感じたのだろう。小島当主を見る新之助の横顔を複雑そうに見つめている。

 その新之助の視線を妨害するかのように四季が二人の間に立ち、儀式的な振る舞いで笏を体の前に掲げる。どうやらフランと同じく判決を下すつもりなのだろう。

 

「小島酒蔵当主、小島雄大!」

 

 そんなに大きくはないが、しかし周りにはっきりと聞こえる声で四季が縛られた小島当主の名前を呼び上げる。そんな声にまたしてもビクつき体をすくめる小島当主。

 

「お前が犯した罪は重い! 論議するまでも無くお前は黒だ!」

 

 無論小島当主に下される判決はそれしかない。小島当主は分かりきっていたのだろうが予想と現実の差が肩の高さで分かる。

 

「しかしだ、今回のような特例で無い限り、天国か地獄か、死んだ者達をそのどちらに導くかを決める事が仕事であり、私に与えられた権利だ。よって、まだ生きているものを裁く権利は幻想郷の地上の管理者である博麗霊夢に一任する事が望ましいと考える」

「相変わらず堅苦しいわね」

 

 今回のような特例とはフランの計画についての事。いつもならば妖怪が人間を傷つけたり殺したりといった事象は地上の管理者に任せるという事が言いたいのだろう。

 長ったらしい言い回しだが、つまり小島当主を煮るも焼くも霊夢の一任で決まるという事だ。

 

「ならさっさと封印して小町に引き取ってもらおうかしら」

 

 霊夢は手に札を持ち小島当主を見る。小島当主は小さな悲鳴を上げて縛られながらも芋虫のように後ずさる。

 その時、小島当主を殺さないでくれと懇願した新之助の口が開く。

 恐らくは霊夢の封印を止めようというのだろう。昔両親を殺され、現在は自分も打たれたというのに。新之助は憎くて憎くてたまらないだろうに。

 しかし小島当主を殺せばまた憎しみが繰り返す。だからずっと我慢してきた。大島酒蔵を大きくする事で仕返しをしようと、心に一本の、憎しみに折られる事のない芯を持って。

 だから殺さないでくれと霊夢に言おうとしたのだろうがその口から言葉が出ることはなかった。

 

「待って霊夢!」

「ん?」

 

 意外な事に新之助の代わりに叫んで止めたのはフランだった。

 

「そいつ、殺すの?」

 

 その意外な一言に霊夢はフランの方へ向き直る。そして腰に手を当てため息をつき「何か問題でも?」と問い返す。

 

「殺さないでって言ったら……怒る?」

「はい?」

 

 それにはそこにいた全員が驚きを隠せないでいる。皆一様に口をぽかんと開けてフランを見る。

 

「フランちゃん?」

「だ、だって新之助が殺すなって言ったから」

 

 フランはそういうと照れくさそうにもじもじしながら俯いてしまう。

 自分の気持ちに忠実なフラン。本当にそう思っているのだろう。

 本当は小島当主を殺したいと思っていた。しかし新之助に殺さないで欲しいと言われたから今は殺したくないとも思っている。

 今は新之助の願いをかなえたい。単純にただそれだけの事だった。

 一様に驚いている顔の中、新之助の顔だけは驚きに混じって笑みが混じる。

 もしも憎しみを一緒に分かち合い、共有してくれる者がいるならば、その憎しみは少しは緩和されるものなのだろう。

 

「ほ、本当か!? それは助かる! ワシはまだ死にたくはないからな!」

 

 ここで初めてまともな言葉を発した小島当主だが、それは新之助への謝罪ではなくただ無様に生にしがみ付く救いようのない言葉。 小島当主を援護するものは新之助とフランしかいない。皆一様に苛立ちを通り越して呆れ顔だ。

 その中で霊夢だけは小島当主を一瞥し、またフランに向き直る。

 流れをぶった切って殺さないで欲しいと願うフランの意外な一言がフラン自身恥ずかしかったのか、それとも今まで無かったであろう自分の願いではなく、他人の願いを優先したことに自分自身戸惑っているのか、フランはもじもじまごまごしている。

 自分を見つめる霊夢の視線にフランは一切あわせようとはしない。

 少しの間もじもじしているフランを見つめた霊夢はとんでもない事を申し出た。

 

「いいわ、フラン。あんたが決めなさい」

「え?」



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第二十八話 ~判決~

 

 突如、霊夢は小島当主の処遇をフランに丸投げした。

 

「妖怪同士、丁度いいじゃない。こいつをどうするか、あんたに任せるわ」

 

 フランに丸投げするなど一体この巫女は何を考えているのだろうか、と回りの皆は疑問に思っている事だろう。第一に考えられる事は面倒だから丸投げした、ということだが霊夢の表情は真剣そのもの。

 人一人ならぬ妖怪一匹の命をフランの意思に任せたのだ。命の重さくらい霊夢は知っている。それがどれだけ重要な事かわかっているから。

 

「一つだけ言っておくけど、あんたがこの妖怪をどうしようとそれはあんたの責任よ。私は一切関知しないわ」

「えっ」

 

 すぐさま「冗談でしょ」というフランの視線が向けられるが霊夢は「だからよく考えて決めなさい」とだけ言って視線を振り払う。 霊夢の意図は命の重さをフランに教えることだ。そして正しい選択だろうと間違った選択だろうと、フランが選択したその瞬間、本当の意味で成長できると。

 実のところ小島当主の処遇などどちらでも構わないと霊夢は思っている。

 人を殺したのだから退治するのは当然で、しかしその被害者は殺さないで欲しいと言っている。ならばその処遇を代弁してきた、霊夢にとってはケチをつけてきたフランに全てを任せればいい。そうすれば面倒ごと、フランの教育、ついでに自分にけちをつけたフランへの報復が一気にできるというわけだ。

 

(我ながらナイスアイディアだわ)

 

 それらは面倒ごとを回避した時の副産物と考えられなくもないが、相変わらず変なところに知恵が回る巫女だ。

 霊夢は余裕綽々といった感じで皆の視線を浴びながらも長椅子にふてぶてしく腰を下ろす。ため息を一つすると大袈裟に足を振り上げて膝を組んだ。

 一方、霊夢に対して急に丸投げされたフランはたまらない。どうしていいかわからず口をぽかんと開けて霊夢を視線で見送ることしか出来ないでいた。

 フランは新之助の気持ちを代弁して言っただけでそれ以外は考えていなかった。しかし今は妖怪一匹の命を自分が決めないといけない状況に陥っている。小島当主の処遇に対してフランの頭の中に新之助の気持ち以外の考えで埋め尽くされていく。自分は何をすればいいのか、何がしたかったのか。

 しかしフランにはまだ幼すぎたようだ。考えれば考える程、頭の中が真っ白になっていく。

 

「わ、私どうしたらいいか分かんない……霊夢に任せるよ」

 

 フランはそう言って霊夢を見ながらへらへらと笑い、頭を掻く。そしてすまなさそう表情で丸投げされたものを返してくる。

 そんなフランにため息をつき、仕方がないと丸投げされたものを全て受け止め小島当主の処遇を決めるほど霊夢は優しくはなかった。

 

「なに? こんな時だけ子供だからって言い訳して逃げ出すの?」

 

 まるで先程の小町の酷い演技が再開されたかのような発言が霊夢の口から飛び出してくる。それがトラウマだったのか、はたまた図星だったのかフランはぎゅっと手を握る。

 

「だ、だって――」

 

 急にそんな理不尽な事を言われても困るとでも言いたげだが、その言葉は霊夢の言葉によって遮られる。

 

「あら? 子供だからってところは否定しないのね」

「う……」

 

 霊夢の追い討ちのようなかまかけにぐうの音しか出ないフラン。年齢は自分の何倍も上の吸血鬼であるフランの不甲斐なさに霊夢はため息をつかざるをえない。

 

「全く……じゃあ小町にでも決めてもらいましょ。小町はコ○ン君逆バージョンだけど、どっちも子供のフランよりましよねぇ」

「誰が巨乳だい」

「ね」

「う、うん……」

「……」

 

 フランはじーっと小町を見つめる。霊夢いわく体は大人、頭脳は子供らしい。小町は死神で死者を連れて行くことが仕事。これを踏まえれば小町に任せたらどうなるかフランにでも分かりそうなものだ。

 しかしサボり癖があると話していたことはフランも聞いている。更にそれを踏まえたうえで小町に任せたらどうなるか。

 

「巨乳に任せる」

 

 フランは面倒くさがるようにそう言い捨てた。

 

「……やっぱだめ、あんたが決めなさい」

「ええ!?」

「これは幻想郷管理者の巫女である私の命令よ」

 

 霊夢は足を組み変え、更に腕組みまでして体を仰け反らせる。

 この巫女は何様なのかと四季は横目で睨む。小町は小町で巫女からの信用がフラン以下と突き付けられてがっくり、フランはというと言った事をころころ変える巫女にげんなりといった感じだ。

 残る新之助と永琳は親のように笑みを浮かべてフランを見守っている。

 

「うー……」

 

 まるで独裁者のような霊夢をフランは唸りながら困ったように睨むしかない。

 フランは渋々といった感じで小島当主を横目でちらりと見る。

 

「た、助けてくれ! もう人を殺したりしない! 頼む! 許してくれえええぇぇぇ……」

 

 それに気付いた小島当主は今だとばかりに大きな声を出して助けを求めてくる。

 こんな暢気に話し合っている霊夢達とその当事者の緊張感は違ったようだ。必死にフランに助けを求める小島当主の姿がフランをますます追い詰める。

 

「し、新之助ぇ~、どうしよう」

 

 フランはもうどうしていいかわからず新之助に助けを求める。新之助ならば自分のことを大好きでいつも助けてくれる。フランはそう思っていた。しかし新之助の口から出た言葉はいつもどおりではあるがいつも通りではない言葉だった。

 

「フランちゃんの好きなようにしたらいいよ」

 

 新之助は一言、笑顔でそう言った。いつも助けてくれた新之助だが今後のことを思えばフランを助けた格好になるのだろう。新之助は大島酒蔵という店のトップだ。だからフランの背負う責任の重さは分かっている。だがその言葉は今のフランにとって呪いの言葉でしかない。

 

「そんなぁ……」

 

 今まで誰がなんと言おうと自分の好きなようにやってきたフラン。だから好きなようにすればいいと言われる事はむしろ喜ばしい事。しかしそれに責任が伴うという霊夢の言葉がそれを呪いの言葉に変えている。

 だがしかるべくその言葉にフランは口を尖らせ頬を膨らませるだけだった。

 

「フランちゃんなら大丈夫だよ」

「新之助の意地悪!」

 

 だから新之助はすこし笑って、フランに励ましの言葉を送る。なんとも軽いその一言にフランは不満の表情を隠せないが、以前好きな子には意地悪をするという新之助の言葉がフランの頭に蘇り、その不満げな表情がだんだん消えていく。

 そしてそんな軽い一言がフランの肩に乗った重石を降ろしたらしい。

 

「じゃあ……私の好きなようにしていいんだよね?」

「うん」

 

 少しの間新之助の目をじーっと見つめたフランは不意に振り返って小島当主の方を向く。小島当主はとうとうこの時が来たかと振り返ったフランを見ながらごくりと息を飲む。

 

「判決!」

 

 と突然フランはそう叫んだ。前口上もなしにいきなり結末を述べるフランにその場にいる皆の頭が追いつかない。フランに前口上など儀式的なものは無理だろうがその突発的な出来事で表情がフリーズしてしまっている。

 しかし、そのフリーズした表情は、次のフランの言葉で一発でぶち壊されてしまうことになる。

 

「死刑!!」

「え?」

 

 その判決に思わず声が漏れてしまう新之助。更に他のものまで怪訝な表情になり疑問の声を漏らす。どちらでもいいと思った霊夢でさえ何故そんな判決になったのか少し納得がいかない。

 やはりフランにはまだ早すぎたのか。そう思いながら何故そんな判決になったのか聞こうと長椅子から腰を上げるようとする。しかしフランは待ってはくれなかった。

 フランは右手を小島当主の方へ伸ばし、その手をゆっくり握りだしたのだ。

 フランには天界も恐れる程の能力がある。この計画の引き金ともなった能力が。

 

 『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』

 

 これを行使し、小島当主を殺す気だ。

 

「フラン!」

 

 これにはさすがの霊夢も慌てて長椅子から跳び上がる。本来ならばそうなる予定だったのだが、これにはほとんど条件反射で体が動く。

 突然判決を言ったと思えばすぐさま実行。アクティブなフランはもうとまらない。

 

「や、やめろおおおお!」

 

 霊夢は一足遅かったようだ。フランの右手はしっかりと握られた。

 それを見た霊夢は何を思ったのか、両腕で顔の前に壁を作る。小島当主が破裂するとでも思ったのだろうか。

 確かにその能力を人に使えばどうなるのか実際に見たわけではないので誰にも分からない。小町も霊夢ほどとはいかないが少し身構えている。

 しかしそれは小島当主を見れば分かること。恐る恐る霊夢は両腕の隙間から小島当主を見ると痛みに耐える為か目を思いっきり瞑っている。だがその体には何も変化はない。

 と次の瞬間フランがまた口を開く。

 

「または!」

 

 フランはそう叫ぶとその握られた拳を思いっきり振り上げた。

 

「鉄槌一万年分の刑に処す!」

 

 鈍く重い音が鳴ったと思えば、本日4つ目の穴が床に開いのだった。

 

「これにて……これにてっ……えと……」

「一件落着」

「一件落着!」

「言いたかったのね」

 

 四季が声を張って締めに使った言葉をフランも使いたかったらしい。しかし思い出せず、小町にヘルプを出されてしまい、霊夢にも突っ込まれることになってしまったが。

 何はともあれ、フランは小島当主を生かすことを選んだ。これがフランの好きなようにやった結果だ。

 フランは小島当主を殺したい、しかし自分が大好きな新之助は殺して欲しくない。そのジレンマの中、思い悩んで決めたこと。それは一発殴るということだったようだ。

 恐らくは先程の四季の真似をしただけだろう。子供は大人を見て育つ、という事なのだろうか。

 とにもかくにも小島当主の処遇はこれで一件落着ということだ。そしてフランが能力を使わなかったことへの安心感からか霊夢と小町はふうっとため息をつく。

 しかしそんな心労一杯の霊夢や小町をよそに笑っているものがいる。それは新之助と永琳と四季だった。

 新之助は一件落着といって満足しているフランが面白いから笑っているのだろう。永琳は永琳で笑っているのではなく微笑んでいると言った方がいいかもしれない。自分の子の成長を見守るような優しい目で微笑んでいる。

 しかし四季は少し違う。口を一杯に開けて大笑いしている。

 

「し、四季様? もしかして脳みそ破壊されたんじゃ?」

「なわけがないだろう馬鹿者。ただ単にフランドールの判決が面白かっただけだよ」

 

 やはり四季と小町や霊夢の笑いのつぼは少々違うらしい。

 そう言って四季はうんうんと何度か頷きこれは一本取られたなと呟いている。

 

「しかしだ。これでは刑が軽すぎると思わないか?」

 

 その言葉はフランだけでなくその部屋にいるもの全員に語りかけられていた。

 四季にはこれに口を挟む権限はない。これは恐らく皆の同意を求めている。それを示すように四季はぐるっと部屋にいる皆の顔を見回した。

 

「あんたも面倒な性格してるわね」

 

 そこで霊夢がため息混じりにそんな事を言う。しかし、確かに四季の性格で、人殺しを犯した妖怪である小島当主の処遇がパンチ一発で収まるなど、納得できるわけがない。

 

「まあまあ、フランドールの判決を非難しているわけではない。これは提案なんだが」

「提案?」

 

 幻想郷の事に天界の四季が口出しする事はよろしくない。それは四季自らも先程宣言していることだ。だからこれは幻想郷の管理者である霊夢と判決を下したフランに対する提案という事を明示する。

 

「天界への長期滞在者に突然キャンセルされてな」

「は?」

「私としてはせっかく用意した部屋を空けておくのは勿体ないと考える」

「……ああ、そういうことね」

 

 長期滞在者とはもちろんフランのこと。フランが幽閉される部屋が用意されているかどうかは怪しいが、その部屋を有効活用できないかということだった。

 

「だってさ、フラン」

「へ?」

「この虫を天界に招待したいんだって」

 

 霊夢は小島当主の処遇を一任したフランに確認する。この処遇を決めたのはフランなのだ。フランの了承を取らなければならい事は当然だ。

 

「それって……まさか……」

 

 小町によって穴から頭を引きずりだされた小島当主。フランの拳骨で意識朦朧とする中、更に追い討ちをかけられる。歪む視界の中で小島当主が見たものは意地悪そうに歪む顔。それは霊夢と四季の笑顔だった。

 

「お前を招待しよう、小島雄大」

「よかったわね、高級スイートルームがあんたを待ってるわ」

「そ、そんなぁ……」

「大丈夫だ、千年ほどで出してやる」

「その間たっぷりと楽しみなよ」

「……」

 

 そんな四季達の言い回しにフランは首を傾げるばかりだ。なぜそんな高級スイートルームを用意するのか、罪を犯した小島当主にそんな扱いするなんてと。

 だから、フランは突拍子もないことを抜かした。

 

「わ、私も行きたい!」

 

 と。

 もうそんな事を言われた日には声を上げて笑うしかない。

 皆一様に噴出し、キョトン顔のフランを囲み、ただ笑うのだけ。

 深夜にしてはやや騒がしすぎる病室だった。

 

 



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第二十九話 ~愉快犯~

 

 

「じゃああたいはこいつを連れて行くよ」

 

 笑いに笑われてキョトン顔を通り越して不満顔のフランを尻目に、小町は小島当主を縛っている縄を握る。

 もちろんフランは連れて行かれることは無い。

 

「道中なんであんな事をしたか、たっぷりと聞いてやっからね! 覚悟しなよ!」

「馬鹿者! 速やかに連行せんか!」

 

 上司の前で堂々とサボり宣言とはいい度胸だと当たり前のように四季から怒鳴り声が飛んでくる。

 そんな渇に小町は「冗談ですよ」と笑いながら頭をぽりぽりと掻いている。それでも小町はゆっくりと小島当主の事情聴取をしながら天界へ連れて行くことだろう。

 

「その顔は分かっていない顔だな」

「だ、大丈夫ですよ! 速やかに連行します!」

「小町、前々からお前に――」

 

 また長い四季による説教が始まるかと思われたその時。

 

「ならここで聞いていけばいいじゃない」

 

 突如、そんな上品そうな女の声が病室に響くと、小町の頭の丁度上。空間が綺麗な曲線を描いて割れて、隙間が現れた。

 それは隙間を操る妖怪、八雲紫の仕業だ。今までどこで聞いていたのか、小町と四季のやり取りにそんな提案を呟いた。

 小町の頭上に空間を裂いて空いた隙間から出てきたのは紫ではなく、子供だった。ズボンをはいているので一見すると少年のようにも見えるがれっきとした少女だ。頭には小島当主と同じ触覚と緑色の髪。黒い羽を模した二又に分かれた黒いマントをまとった蛍の妖怪、リグル・ナイトバグだ。

 

「きゃん!」

 

 頭上から紫の作り出した隙間を通りやって来た、というよりも落ちてきたリグルの足は的確に小町の頭を捉えていた。

 可愛らしい声を上げてリグルの蹴りをもらって倒れこむ小町。

 

「あ、ご、ごめんなさい!」

 

 リグルはフランも知っている。外で遊ぶようになってからすぐ出会うことになった妖怪だった。それは紅魔館の周りでよく妖精達と遊んでいたから。フランも何度か遊んだ事がある。

 

「リグル?」

 

 その思いがけない身近な妖怪の登場にフランだけでなく、そこにいる皆が一様に困惑の表情を浮かべる。

 幻想郷で謎めいた部分が多い紫がよもや触覚つながりというだけでわざわざリグルを連れて来た、ということは無いだろう。

 それを示すように一番大きな驚きの声を上げたのは小島当主だ。

 

「リ、リグル!?」

「お久しぶりです。おじさま」

 

 やはり知り合いらしい。しかも「おじさま」「リグル」と呼び合う仲。

 それで幻想郷に住んでいる者もいくらか察しはついたようで若干呆れ顔だ。新之助だけが何が起こっているか理解できていないという表情。

 しかし一人だけそのどちらにも当てはまらない表情をしているものがいた。それはフランだった。

 リグルが先程言った言葉が原因だった。リグルは確かに「おじさま」と言った。その言葉にフランは眉をひそめてしまう。なぜリグルが来たのか等という疑問はもうフランの頭からは消えていた。代わりにあるものがフランの脳裏によぎる。

 それは大昔にあった閉ざされた記憶。平和な吸血鬼の町であった悲惨な出来事。

 フランはその言葉を隣にいる新之助にも聞こえないくらいの小さな声でボソボソと呟いて繰り返す。

 繰り返す度、記憶の断片が脳裏をよぎっては消えていく。

 

「全く……お前はいつも状況をややこしくするな」

「あいつは愉快犯なのよ」

(だれもあたいの心配はしてくれないっと)

 

 フランの異変に気付いた新之助がどうかしたのかとフランに尋ねるがフランは短く「別に……」とだけ言って顔を背けてしまう。背けた先にいた霊夢はフランの表情をばっちり捉えているが、今の事象と感情が上手く結びつかず首を傾げてしまう。更にそれに気付いた新之助がフランの表情を回りこんで確認しようとするが四季の声でそちらに注意がそがれてしまった。

 

「隠れてないで出て来い、八雲紫っ」

 

 四季の視線の先には更に大きな空間が引き裂かれ、隙間ができていた。そこには上半身をというよりも肩から上を出し、隙間に腕を置いてリラックスしている金髪の女性、八雲紫の姿があった。それはまるで気持ちよさそうに風呂に入っている姿にも見えなくもない。

 

「当事者には全ての事情を知る権利があるわ。そうでしょう?」

「ふんっ」

 

 四季はそのもっともらしい紫の口実を鼻で短く笑って飛ばす。

 

「ただこの状況を面白がっているだけだろう」

「どうかしら」

 

 紫は扇子で表情を隠し、それ以上何も言いはしないが実際そうなのだろう。目は妖艶に細められ、扇子の裏では唇がつりあがっている。

 一方、小島当主に丁寧にお辞儀をしたリグルはマントを揺らさずに振り返り、新之助に向き直る。

 

「どうもすみませんでした」

「え? あ、いや、えと……」

 

 何が起こっているか分からない新之助にまた丁寧にお辞儀をする。

 

「リグル……すまん……もうお前に酒を送ってやる事はできなくなってしまった」

 

 この言葉で新之助も納得がいったらしい。なぜ小島当主が自分に嫌がらせをしたのかが。

 小島当主はリグルに酒を送っていたらしい。恐らく上手い酒を送るために酒蔵を大きくする予定が大島酒蔵ができた事で危うくなったのだろう。

 

「うん……隙間から全部聞いてた」

 

 自分を慕ってくれる者に恥ずかしいところを見られたからか、その言葉で小島当主は顔をうつむかせ黙り込んで肩を落とす。

 リグルはどこか残念そうに笑いながら小島当主を見つめている。

 自分の為にこれほどのことをしてくれたことは嬉しいのだろうがその手段が手段なだけに素直に喜べないのだ。

 この場でありがとうなどというほどリグルは愚かではない。しかしかける言葉も見つからない。

 小町を蹴りつぶして登場したのもつかの間、二人は沈黙の海におぼれそうだ。

 

「それで?」

 

 おぼれそうな二人に仕方なしと霊夢が助け舟をだす。

 

「あんたは何しにきたのよ?」

 

 恐らくは紫が一方的に放り出し、その場にいる者の反応を見て楽しんでいるだけだろう。隙間から顔を出し、未だニヤついているいる紫の表情がそれを物語っている。

 だからリグルは霊夢の問いに答える事ができない。リグル自身何かをしようとここへ来たわけではないのだから。

 ただ、このまま黙っていると愉快犯である紫がまた何か面倒なことをしでかさないとも限らない。願わくばこのまま黙って幻想郷に帰って欲しい、と言うのが霊夢の願望だ。加えて紫を満足させて。

 

「こいつを何とか助けようって言うならそれは無理な話よ? それともここで暴れてみる?」

「いえ」

 

 そんな霊夢の助け舟にリグルが乗船してくる。

 

「おじさまがしたことは霊夢さんにとって……人間にとって許される事ではありませんし……それに本当なら死刑のところを、こんな軽い刑で許してくれて、逆に感謝してるくらいです」

 

 妖怪が人間を襲えば死刑、などとすれば幻想郷の妖怪はいなくなり、天界は混雑し小町はサボるにサボれず、それをストレス発散としていた四季のストレスが爆発してしまうことだろう。

 だがそれを霊夢のような妖怪退治を生業としている者に見つかれば話は別だ。見つけ次第に封印し天界へ。しかしそれをせずに生かしておいてくれるのだからリグルは感謝してもしきれないだろう。

 

「お礼ならフランに言いなさい。私が決めた事じゃないしね」

 

 この判決を下したのはフランだ。フランに決めろと言ったのは霊夢だが、やはりお礼を言うのならフランに言うべきだろう。

 リグルは視線を移動させるが当のフランはそれに気付くと恥ずかしそうに顔を背けてしまう。

 

「ワシは……ワシは間違っていない……」

「ん?」

 

 リグルがフランに感謝の言葉を投げかけるかどうかという狭い隙間。小島当主が震える声を挟み込んできた。

 

「この町に先に店を開いたのはワシだ! それなのに大島の奴らが酒蔵を開いた! しかもワシらよりも大きくなっていった! だから殺した! それの何が間違っているというのだ!?」

 

 小島当主は後からできた大島酒蔵に客を持っていかれたことが気にくわなかった。だから新之助の両親を殺した。更には新之助さえも殺そうとした。それが小島当主の動機だった。

 言い訳をする子供のような小島当主。滑稽で陳腐な理屈だがこんな理屈はそこら中に散らばっていて、それを火種として起こる喧嘩や戦争は未だ絶えないのだ。

 

「人間を殺した? だからなんだというのだ!? 妖怪が人間を殺して何が悪い!? 妖怪なんて殺し殺されが世の常だろうが!」

「なぁに子供みたいなこと言って――」

 

 霊夢が子供の言い訳を始めた小島当主を叱りつけようと睨みつけたその視線の先に不可解な光景が見えた。。

 先程、死刑の代わりに拳骨をかましたフランがリグルに向けて右掌を向けているのだ。

 

「じゃあ、この虫殺してみる?」

 

 新之助の頼みで小島当主にとどめはささず、好きにしていいよと言われても殺そうとはしなかった。そのフランが今、自分の能力を行使しリグルを殺そうとしている。それに霊夢は状況がすぐには飲み込めなかったのだ。

 フランは笑っている。それは冗談という明るい笑いではなく、暗く、怖気の走るような薄ら笑いだ。

 紅の瞳は赤みを増して燃えているよう。

 

「この虫を殺したら新之助の感じた痛みが分かるでしょう? ねぇ?」

「そっ、それはっ……」

 

 小島当主にとってリグルは大事なの妖怪なのだろう事がこれまでの会話から読み取れる。フランでもそれくらい分かる。だからフランはリグルを殺して新之助がどれだけ辛い思いをしてきたかを小島当主に重い知らせてやるというところだろう。

 子供のような理屈には子供のフランの方が一枚上手らしい。

 もちろんそんなフランの言葉に、小島当主は何も言えずにうなるだけ。リグルの命の心配もあるだろうがフランの冷たい笑みも恐ろしいものがある。片方の唇を吊り上げ、更に紅の目は先程よりいっそう赤く輝いているのだ。

 小島当主は大事なことを忘れていた。この娘は高貴な吸血鬼である悪魔の妹だということを。

 小島当主とフラン、両者の睨み合いが続く。睨み合いというよりも蛇に睨まれた蛙と蛇と言ったほうがしっくりくる。

 それが期待はずれなのか、もしくはもっと面白くしてみようという愉快犯ならではの思想なのか、紫がセンスで口元を隠しながら小首を傾げる。と、また上空に隙間が現れた。

 そこからでてきたのはリグルとよくつるんでいる氷妖精チルノと大妖精だった。落ちてくる場所は少し移動下にもかかわらず、またもや小町の頭上だ。

 

「きゃん!」

 

 狙ってだろう、二人は交互に穴から落とされ、順番に小町の頭に落ちていく。

 

「絶対だめ!」

 

 上手く小町を踏んづけながら着地したチルノは開口一番そう怒鳴った。

 

「また面倒なのが……」

「チルノちゃん!?」

「リグルを殺したらあたいがあんたをぶっ飛ばすからね!」

「ちょ、ちょっとチルノちゃん! 相手はあの紅魔館の妹さんなんだよ!? また殺されちゃうよ!?」

 

 どうやらこの二人もこの先程の会話を聞いていたらしい。紫が小首を傾げたのは様子を見せていたチルノが煩わしかったからなのかもしれない。

 

「リグルはあたいの友達だもん! それにあたいは最強だもん!」

 

 チルノはこの状況をよく理解してはいないだろうがフランがリグルを殺すということは理解しているらしい。そしてリグルはチルノや大妖精と友達だ。友達が殺されるのを黙ってみていられるほどチルノは馬鹿ではないらしい。

 再び騒がしくなったその場を見て紫がまたクスクスと笑っている。完全な愉快犯だ。それを永琳と霊夢は呆れ顔で、四季に至っては睨んでいる。

 

キュッ

 

 といつの間にかフランの右手がチルノに向かって握られていた。

 

ピチューン!

 

 チルノは小さな氷の粒になってコトリと床に落ちたのだった。この間わずか九秒。

 

「だから言ったのに……」

「ああ、また……」

「ふ、フランちゃん!?」

 

 そんな光景を見て大妖精とリグルは呆れている。

 フランと遊んでいる時はいつもそうなってしまうのだ。冗談でチルノを氷に変えて遊んでいる。

 しかし人間である新之助は驚かないわけにはいかなかった。フランの能力はあらゆるものを破壊する。だからチルノが氷になった時、死んでしまったと思ったのだろう。

 

「ああ、大丈夫よ新之助さん。すぐ元に戻るから」

「え? あ、そう……ですか……」

 

 新之助の心配は霊夢のアシストですぐにとかれたが、フランの方を見ると心配そうに新之助の方を横目で見ている。幻想郷の冗談は人間には少々酷すぎる。だからそれで勘違いされ、もしも嫌われたら、という事を心配でもしていたのだろう。

 

「んで? どうすんのさ? その虫を殺すのか殺さないのか、それでまたこのちびっ子に殺されたい奴らが来てあたいを踏んづけるのか」

 

 センスで口を隠してクスクスと笑っている紫とフランを交互に睨んで小町が抗議する。起き上がるのも面倒なのか、頬杖を着いて不満げだ。

 

「安心して、もういないわ」

「あそう……で? ちびっ子はその虫を殺すのかい? 殺さないのかい?」

 

 その言葉にフランはプイッと顔を背けて口を尖らせる。そして「言ってみただけ」と一言だけ。

 どうやら小島当主よりフランのほうが大人だったらしい。リグルを殺したところで何も変わらない。更にはチルノのようなリグルと友達の妖怪や妖精に付きまとわれるだけだ。

 そしてそのそっぽを向いた視線の先には新之助の姿がある。わざとそちらを向いたのだろう、新之助はそんなフランを見て楽しそうに笑っている。しかしフランはそれには微笑み返さず口を尖らせたまま恥ずかしそうにうつむいてしまった。そんな仕草が可愛かったのだろう、新之助がまたフランの頭を撫でてやる。当然その手は振り払われはしない。

 

「そうかい。じゃああたいはこいつを連れてくよ」

 

 もうフランに睨まれてぐぅの音もでない小島当主の縄を握って更にリグルも連れて行くと言い出す小町。リグルは当然戸惑った。天界に行く時は死ぬ時なのだ。

 

「ああ、大丈夫。天界に行く前に降ろしてあげっからさ。こいつとも話したいだろ?」

 

 会話を楽しむなら二人より三人、三人より四人だ。

 

「ついでにそこの氷と妖精も乗ってきな。幻想郷通るし」

 

 リグルと大妖精は仲良く「はい!」返事する。

 

「それとキックの分はきっちり返すからね」

「「え……」」

「冗談だよ」

 

 小町達が窓の外に出るとそこには不思議なことに木造の、年季の入った船が宙に浮いていた。その船にそれぞれ乗り込んでいく。

 

「よぉし! 船がでるぞおお!」

 

 外を見ればもう明るくなりかけている。

 少し白み始めの空を小町の出発の合図と共に船がゆっくりと進んでいく。

 

「朝から元気ね……」

「後で拳骨、だな」

 

 

 ひと段落着いたところで永琳は新之助にべッドで横になる事を促す。まだ完全に傷が癒えたわけではない。しかし吸血鬼化している今なら多少の無茶なら大丈夫な気もするが。

 

「さぁて後は朝までフランを見張って帰るってとこかしら~」

「御苦労だったな、霊夢」

 

 一ヶ月間、しかし最後の詰めを見誤った霊夢。四季はそんな霊夢にねぎらいの言葉をかけてやる。

 

「ふん、あんたもこんな所まで御苦労な事ね」

 

 ああいえばこういう巫女。最後の最後で醜態をさらした自分にそんな事言ってくれるなと、ねぎらいの言葉を受け流して憎まれ口のカウンターだ。

 

「なぁに、予想外に面白いものが見れたから私は満足だ」

 

 四季はそのカウンターも難なくかわし、一件落着と終止符を打つようにうなずいた。

 

(暇人め)

 

 霊夢はそんな事を思いながら、ん~っと体を伸ばす。夜明けまであと一時間というところだろうか。先程言った通り、その間ずっとフランを見張っているつもりらしい。

 

「せっかくの最後なんだから二人きりにしてあげたら?」

 

 永琳が新之助とフランの方を見て気を利かせてやる。新之助は少し照れながらだが永琳に目で感謝の視線を送る。

 

「甘いわね。フランが暴れたりしたら危ないでしょ?」

「そんなことしないもん!」

「はいはい」

 

 「何がはいはいかっ」と噛み付くフランを片手で制しながら霊夢はあくびを一つ。

 このまま日が昇るのを見てからフランを幻想郷に帰して計画終了だ。しかし最後の最後くらい二人でゆっくりさせてやりたいと言うのが永琳の考えだ。そこで永琳が仕掛ける事にした。

 

「そういえば、小島酒蔵の当主は妖怪だったのよね?」

 

 突如永琳が何かを思い出すように天井を見ながらそんな事を言う。

 

「ええ、そうよ。何よ、突然?」

「人里にずっといたのよね?」

「ええ、そうね」

「ずーっと、よね」

「そう……ね……」

 

 霊夢は何かに気付いたらしい。段々霊夢の顔色が変わっていく。

 永琳が何を言いたいか、そして霊夢に管理を任せている紫がそれに気付けばどうなるか。

 

「何処かのたいそうな神社のたいそうな巫女さんはずーっと気づかなかったのかしら?」

「それはっ、その……」

 

 そしてとどめの一撃である。

 妖怪から人里を守る役目である博麗神社の巫女、博麗霊夢は人里に潜んでいた妖怪にずっと気付いていなかった。その悪行にさえ気付きもせずに。

 

「なるほど」

 

 と四季も意地悪く笑いながらそんな事を言う。

 どうやら霊夢も年貢の納め時のようだ。だが最後に巫女らしからぬ悪あがきに出る。

 

「これは異変! 異変よ! そうよっ異変に違いないわ!」

 

 無様な悪足掻きに永琳と四季、フランや新之助まで目を細め冷たい視線を送る。更に無駄な足掻きとばかりに霊夢の背後に隙間が現れる。

 

「私が気付かなかったのもあいつの能力が原因に違いないわ! そう、あいつの能力はありとあらゆるものから気配を――」

「ちょっと来なさい」

 

 霊夢の背後から出てきた二本の腕が霊夢の脇をすり抜けてささやかな胸を鷲づかみ、更に隙間へ引きずり込もうとする。

 

「ひゃっ! ちょっ! 紫! あんたどこ掴んでるのよ!?」

「これから修行タイムよ。その腐った精神を鍛えなおしてあげる」

「いやああああぁぁぁぁぁ!」

 

 霊夢の上半身が飲み込まれたところで四季が永琳の視線をじっと受けていることに気付く。

 

「おっとそうだった、私も一つ失念していた。八雲紫、先程の件でお前にすこし言いたい事がある」

 

 芝居か本心かは分からないが先程の紫の愉快犯ぶりが目に余った事を口実にこの場から立ち去るつもりらしい。

 四季は閻魔スマイルをもって霊夢の足を掴み、一緒に隙間へ向かう。恐らく四季の説教という災厄が霊夢と紫に降り注ぐに違いない。

 しかし、そんな事、愉快犯である紫にはたまった事ではない。

 

「れ、霊夢! その御方を……け、蹴り飛ばしなさい!」

 

 何を思ったのか紫はそんな事を抜かした。前に四季の説教でも受けたことがあるのだろうか。紫の慌てようからしてよっぽど堪えた様子。

 今すぐ隙間を閉じたいだろう。しかし今隙間を閉じたら霊夢が真っ二つになってしまう。閉じることは出来ない。

 紫の慌てっぷりに霊夢もニヤついている。

 

「ふんっ毒を食らわば皿まで! あんたも道連れよ。ざまぁ」

「修行を半分にしてあげる」

「……」

「あたっ、いたたた、いたいいたい! こら霊夢!」

「ごめんね四季! 悲しいけどこれって戦争なのよね!」

「貴様ら! 二人とも黒だ真っ黒だ! 覚悟すしろ!」

 

 四季は隙間へ霊夢と共に自ら突っ込んでいった。

 

「全く、騒がしい連中ね」

「あはは……お見事です」

 

 先程まで騒がしかった部屋には永琳とフランと新之助だけ。外からは小鳥のさえずりがちらほらと聞こえてくる。

 

「じゃあ私もそろそろ様子を見に行ってくるわ」

 

 様子とは患者の様子でも見に行くのだろう。

 永琳は軽く背伸びをし、すたすたと出口の方へ向かっていく。そして外に出て扉を閉める際、隙間から顔を出してフランの名前を呼んだ。

 

「フランさん」

「何?」

「がんばって」

 

 永琳は妖艶に笑ってそんな事を言う。それにはフランは首をかしげる事しかできない。

 

「何を?」

「ふふ、冗談よ」

 

 だがフランはその意味を知る由もないだろう。

 

 



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第三十話 ~プロポーズ~

 永琳が気を利かせて二人きりになった病室。

 開け放たれていた窓からは冷たい空気が入り込んでくる。熱気であふれていた先程までとはうって変わり、冷たい空気はその余韻さえ残さず奪っていく。

 それは騒がしい連中がいなくなったこともあるだろうがもう一つ理由があった。

 

「フランちゃん、どうかした?」

「え?」

 

 いつもなら新之助に話しかけ、尽きる事のない話題で楽しむフランが黙りこくっているのだ。

 

「あのリグルって子がでてきたあたりから様子がおかしかったから」

「そ、そんなこと……ないよ」

 

 と、フランは俯きがちに返答するが少し元気が無い。

 本当に何も無ければ可愛らしく首をかしげ、分からないという表情を見せ、新之助の心配は杞憂に終わるのだが、今の挙動は明らかに何かある。

 

「そっか」

 

 それを気付けない新之助ではないがフランが隠そうとしていることを問い詰めるような愚行は犯さない。

 隠し事をされるのは少し辛いがフランが話したくないというのなら新之助はそれはそれでよかった。

 だが、そんな新之助の優しさをよそに、フランの頭の中には暗い渦が渦巻いていた。ずっと昔の、フランの失っていた記憶が蘇ったからだ。「おじさま」と小島当主を称したリグルの一言で。

 その一言だけで思い出したのではない。新之助を撃ってしまいそうになった時にも予兆はあった。それがリグルの一言でより鮮明になり、暗い記憶が頭の中で渦巻き始め、フランを苦しめていたのだ。

 自分が人間との平和を願っていた事。その願いとは裏腹に犯してしまった悲惨な出来事。その人間を自らが殺しに殺した事。そしてその人間である新之助を前に自分はまた愚かな理想を抱いてしまっていた事。

 人間である新之助に優しくされればされる程、フランの胸が締め付けられ、罪悪感に見舞われていたのだろう。

 自分は新之助と話す資格などない、自分は人間を惨たらしく殺した殺人鬼。人間に優しくされる資格などないのだと。

 『人間が好きだ』、『人間と平和に暮らしたい』、フランがそう望めば新之助は二つ返事で快く賛同してくれるだろう。しかし周りの人間達は恐らくこう言うはずだ。

 

『大勢の人間を殺しておいてなんて調子のいい奴だ。また同じ事を繰り返すに決まっている』

 

 と。

 フランもその問いを明確に否定することが出来ない。

 小町に挑発された時も小島当主を襲撃した時も、吸血鬼ハンターを皆殺しにした時もそうだった。憎しみを抑えることが出来ず、何もかも壊したい、という衝動を止める自信が無いのだ。

 ならば人間など関係なく新之助という一個人を好きになったのだと開き直ったらどうか。そうなったらもう目を当てられない状況になるのは目に見えている。フランは昔、想い人である人間まで殺しまっているのだから。

 

「そういえばフランちゃんはもうすぐ帰っちゃうんだよね」

「……うん」

 

 フランは新之助と目を合わせられない。もうこのまま極力沈黙し、人里を去り、二度と来たいなどと思わないように、未練の残らないようにしようとまでフランは考えていた。

 

「よかったね。やっと帰ることができて」

「うん……」

 

 だから新之助が話しかけてもそんなそっけない返事しか返ってこない。フランに話すつもりがないのだから当然だ。

 

「僕のせいで祭りいけなくてごめんね」

「別に」

 

 だが新之助も諦めない。心を閉ざすフランに食い下がる。

 新之助は過去のことなど知りもしない。だがフランのことは好きだ。だからフランに振り向いてもらうまで言葉を止めはしない。

 

「祭りが終わればもう夏も終わりだよね」

「うん」

「そうだ、林檎飴」

「え?」

「あまってたら持って行ってあげるよ」

「本当!?」

「紅魔館だっけ?」

「うん」

「袋一杯に詰め込んでさ」

「うん!」

 

 余程楽しみにしていたのだろう、魔理沙に血の塊と教えられていた林檎飴。

 自分の気持ちに正直なフラン。ぱっと顔をほころばせるがはっと何かに気付くように体をびくつかせ、「やっぱりいい」と言い直して黙ってしまう。ただ目はきょろきょろと動いていて挙動不審だ。林檎飴には多少は未練がある様子。更にちょっと恥ずかしかったのだろう、フランの頬が林檎飴のように赤くなっている。

 新之助はそれを心の中でくすくす笑い、フランにばれないように微笑みの仮面を表情に貼り付ける。

 

「やっぱり心配? 皆が受け入れてくれるかどうか」

 

 フランの態度から、新之助が思い当たるふしといえば紅魔館を出る時にしてしまった失態くらいだ。

 

「別に……」

 

 これにはフランは明確に顔を背けてそっけなく言い捨てる。忘れていたわけではないがその問題もフランは抱えていた。フランの周りには問題だらけのようだ。

 しかしいつまでもそんなそっけない態度を見せていると新之助が少し可愛そうに思えてくる。

 

「……ちょっとだけ」

 

 フランは別に新之助に意地悪がしたいのではない。だからフランはそむけた顔を少し戻し、頬を膨らませてこんな事を言う。これがフランの出した妥協案だとすれば失笑ものだがその仕草はなんとも可愛らしいものだった。

 そしてほんの少しだがいつものフランに戻ったので新之助はまた軽く微笑む。そしてそんな気丈に振舞うフランがやはりおかしかった。

 だから新之助はその笑顔のままでフランにある提案をする。

 

「ならこのまま僕と一緒に暮らさない?」

「へ?」

 

 不意を突かれたとはこのことだ。

 その提案に思わずフランは振り返ってしまう。その真偽を確かめるためか新之助の目を見つめるために。

 新之助が放った言葉はフランが今抱えている問題が一気に解消できてしまう魔法の言葉だった。

 自分を嫌っているかいないか分からない紅魔館の皆に会わなくても済み、過去の事を黙ってさえいれば平穏に暮らすことが出来るのだ。

 新之助の瞳とフランの紅の瞳が互いの姿を映し出す。

 新之助の目は真剣だ。表情は柔らかな微笑みだが冗談ではない。

 しかしながら二人が見つめ合う最中、フランの頭に浮かび上がった言葉は「逃げ」だった。そんな甘い提案に乗ってしまったら罪悪感が先行し、フランは無邪気に新之助と会話することが出来なくなってしまうだろう。新之助だってそんな無邪気なフランが好きになったはずなのだ。

 その純粋な想いが逆に邪魔をしてフランの視線は引き下げられてしまった。

 

「あっ……その……ずっとじゃなくてもいいし、帰りたくなったら帰っても全然いいし、でも遊びに着たくなったらいつでも来てくれてもいいっていうか……」

 

 新之助の提案にフランは顔を背けた。それはその提案に乗るか乗らないかと言えば誰がどう見ても後者だ。

 フランの心境を知らない新之助は視線をそらされたことで言ったことを後悔し、恥ずかしがっているようだ。傍から見たらプロポーズにも見えなくもないそんな言葉なのだ。恐らくフランは気付いてはいないだろうが。

 

「もしフランちゃんさえよかったらなんだけど」

 

 だから新之助も視線をそらし、上手くいかないもどかしさで頭をぽりぽりと掻きながら恥ずかしそうに付け加えてそう言い繕う。

 

「新之助はばばぁと同じ事言うんだね」

「え?」

 

 今度はフランが不意を付く。独り言のように小さな声で。

 その時フランの口元が笑った。それはその新之助の挙動がおかしいからではない。

 それは嘲り笑うような笑み。

 

「新之助は私のこと好き?」

 

 だが、その流れを無視し、フランは自分の道を突き進む。脈絡の無い道を。

 

「うん。好きだよ」

 

 不意打ち気味なフランの問いに即答し、真剣な面持ちでフランを見つめる新之助。

 好きだといわれたフランはもう驚きはしない。それだけ多くの経験と時間を共有してきたのだ。互いの気持ちは互いに分かっている。

 だがそれに相反してフランの表情は不気味な笑みが浮かび上がってくる。フランの牙ちらりと見えるほどに。

 

「ちょっと聞いて欲しい事があるんだけど」

「ん?」

 

 その脈絡の無い道は暗く先の見えない分かれ道だった。

 

「私ね、紅魔館にくる前の少しの間、記憶がなかったんだ」

「記憶が?」

 

 新之助とフランの決別の道。

 

「うん。それでね、その記憶をさっき思い出したの」

 

 女性に過去を聞くのは野暮、なら自ら自分の過去を語ってくれるならどうか。それが好いている女であれば男は大手を振ってその話に聞き入るしかない。

 

「へぇ。どうだったの?」

 

 フランは形だけの笑みを浮かべているが新之助は気づかない。自分自身の過去話など信頼されていなければそうそう話してくれるものではない。だから新之助はそれがただ単純に嬉しかった。

 だがそれはフランが吊るした、過去話という餌でカモフラージュした釣り針だった。

 

「いっぱい人間が死んでた」

「……え?」

 

 釣り針が新之助の喉の奥にぐさりと音を立てて突き刺さる。

 あまりの痛さに新之助は笑顔のまま固まってしまう。

 釣り針を上手く引っ掛けたフランはとても満足そうな笑顔だ。その笑顔が段々と悪魔の笑みに変わっていく。それが分かったところで新之助はもうどうする事もできない。返しが付いた釣り針はもうすでに深く突き刺さっている。身を引き裂かねば取る事はできない程に。

 

「それは吸血鬼ハンターっていう人達なんだけどね、皆血まみれになってて、バラバラで、ぐちゃぐちゃなの」

 

 言って『あはは』と狂ったように笑うフランに新之助は息を呑むことしかできない。

 だが小島酒蔵襲撃の際にフランの狂った様子は目の当たりにしている。それで耐性がついたのか、せめてもの抵抗とその釣り針の付いた糸を引っ張ってみる。

 

「……ふ、フランちゃんは……大丈夫だったの?」

「私も血まみれだったよ。全部返り血だったけど」

「返り血?」

「全部私が殺したんだもん」

 

 ここでフランは楽しそうに声を上げて笑った。それは無邪気な笑顔だった。怖いほどに無邪気すぎる笑顔。

 新之助は糸を引けば引くほど引っ張り返される。

 

「襲ってくるハンターも、逃げるハンターも、許しを請うハンターも皆ぐちゃぐちゃにしたの」

「で、でもそれは……ハンターだったから……仕方なかったんじゃ」

 

 フランは自分との結び付きを断ち切ろうとしている。

 それに気付いた新之助はどうにかして話しについていこうと必死だった。だが苦し紛れに、かすれた声でそんな事しか言い返すことができない。

 自分の命を狙うハンターだからと言って逃げる者、まして許しを請う者まで殺していいわけがない。と言うのは人間である新之助の、戦争を知らない者達の甘い考えなのだろうか。そんな場面に遭遇した事も戦争を経験したこともない新之助が訴えるのはフランに対し、少しでもそれを肯定し味方である形を作りたかったから。

 だが、傍から見ても新之助の取り繕う言葉は途切れ途切れで力がない。力なき言葉はフランの言葉の前ではあまりにも力不足だ。

 

「昔ね。ハンターの中に私の好きな人がいたの」

「ハンターに?」

「うん。その人も私が殺しちゃってたみたい」

 

 これがどつぼにはまる、と言うことだ。新之助の言葉は全て二人が決別の道を歩むための足がかりとなってしまっている。

 

「……それはフランちゃんの意思?」

「……そう……だよ。私の意志」

 

 あれは事故のようなものだったがフランは少し迷ってそう言った。そして自分に言い聞かせるようにもう一度小さく呟く。

 あがけばあがくほど新之助の喉に突き刺さった針は深く突き刺さっていく。

 岸も近い。後は打ち上げられ、何の抵抗も出来ぬままフランに調理され、別れを待つだけ。

 

「楽しかった……とっても楽しかった! 気持ちよかった! 人を殺す、あの感触が!」

「……」

 

 そうして「ケラケラ」と不気味に笑う。こんな自分を笑ってくれと言わんばかりに。

 フランはもう歯止めが掛からない。

 自分は大量殺人をしたどうしようもない殺戮者。だから一緒に暮らそうなどと言ってくれるなというメッセージに他ならない。

 新之助にもその想いは痛いほど伝わっただろう。

 

「……分かったでしょ? これが本当の私なんだよ……笑っちゃうでしょ……頭がおかしいでしょ? 怖いでしょ? こんな私……嫌いでしょ?」

 

 その言葉は全部フランが自分に言う言葉に置換できる。フランはそんな自分が嫌いで、笑ってしまうくらいに怖かった。それで新之助に嫌われてしまうことも。

 

「僕は好きだよ」

 

 食い込んだ針に結び付いた糸が逆にフランを引きずり込む。

 新之助の即答という反撃にリズムを崩す。丘の上ではバランスを崩し、体勢を立て直そうと必死だろう。

 それを示すように、追い討ちをかけようとしたフランの口が何かを言おうとして沈黙する。

 今フランの頭にはある風景が浮かんでいた。

 薄暗いベンチで二人きり。楽しく話していたあの時の記憶。

 ハンターである自分の事が嫌いじゃないのかと聞かれ、好きだと即答するフラン。それにダリスが面食らったようにフランもまた面食らっているのだ。

 今の新之助の気持ちと全く同じ。昔フランがダリスに抱いていた純粋な恋心と全く同じ想い。

 

「それは昔のフランちゃんでしょ? 記憶が戻ったからって昔のフランちゃんに戻るわけじゃない。違う?」

「ち、違う……」

 

 フランもすぐさま抵抗をするが抵抗すればするほどバランスを崩し新之助のいる場所へ引きずりこまれそうになる。

 

「そう……」

 

 一瞬、諦め色が滲んだ言葉が新之助の声調と表情に出る。

 自分を引き込もうとする糸は緩んだ。その隙に上手く体制を整えたフランだが、その糸の意図は押してだめなら引いてみろだった。

 

「ならやっぱり一緒に暮らさない?」

「え? は? ど、どうしてそうなるのよ! 全然会話が成り立ってな――」

 

 フランは言葉を途中で切って顔を俯かせて隠す。それはその顔につけた薄っぺらな薄ら笑いが剥れ落ちてしまったからだ。

 今までフランの能力に怯えて、自ら進んで近寄る者などいなかった。

 紅魔館にいる者も優しく接してくれる者はいる。しかし皆どこかでフランを恐れていた。だから自ら進んで一緒にいようという者はいなかった。

 フランの周りにはいつも誰かいてくれる。

 なのにいつも一人だった。

 それはフランが一番感じていたし理解していたことだった。だから自ら進んで外に出ようとも思わなかった。外に出たら皆が恐れ傷つくだけだから。

 フランは誰かを傷つけたいとは思っていなかった。むしろ仲良くしたいと思っていた。しかし自分の能力のせいで皆恐怖し、放れて行く。結果周りの者を傷付け、自分も傷つき、そんな願いは叶わなくなっていった。

 だが今は違う。ただの人間である新之助がフランと一緒に暮らしたいと切望してくれた。それはフランが、フランの両親が、更には昔自らの手で殺してしまったダリスが想い描いた理想だった。

 自分の酷い過去を聞いたうえで受け入れてくれた。あまつさえ一緒に暮らしたいと言ってくれた。

 フランは頭の中で自問自答する。自分は本当にその提案に乗ってもいいのかと、こんな自分を快く受け入れてくれるのかと。好きな人と一緒に過ごしてもいいのかと。

 

「わかった……わかったよ」

 

しかし、それでもやはり多くの人間を殺してきた罪の意識はそう簡単に頭の中から消し去ることができない。人間である新之助たちと暮らしてきたから尚更それが反動の波となって襲ってくる。

 人里で暮らすわけにはいかない。

 フランの中でそれは不動のものとなっていた。

 だからフランは最後の賭けに出ることにした。

 一つあったのだ。フランが人間と暮らすことが出来ないくらいの犯罪を犯しているのなら人間と暮らさなければいい。そしてこれを言えば新之助と何の罪悪感もなく、ずっと暮らしていける唯一のリクエストが。

 

「じゃあこのままでいてよ……」

「え?」

 

 フランは顔を上げて真っ直ぐに新之助を見る。はがれかけの不敵な笑みを貼り付けて、紅の瞳を見開いて。

 

「このまま私と同じ、吸血鬼になってよ!」

 

 人間とではなく同類とならば一緒に暮らしていける。人間を何人も殺したということになんの負い目も無く。しかも同じ膨大な時間を好きなだけ共有することさえ出来るのだ。

 新之助は即答することが出来ない。それは先程のように糸を緩めるでもなんでもなく、ただ純粋に即答することが出来なかったのだ。

 人生を左右する重大な選択だ。そう簡単に返事など出来ないのだ。

 それはフランも分かっている。だからフランも強気で、薄ら笑いの仮面も徐々にフランの表情を蝕んでいく。

 

「私のこと好きなんでしょ!?」

 

 フランは言い訳のない子供のように身を屈めたまま思いっきりそう叫んだ。まるで床に八つ当たりするように。

 永琳が言うには吸血鬼化は止められるとのこと。だが新之助はまだ吸血鬼化を止める薬を投薬されてはいない。

 

「だったら簡単なことじゃない!」

 

 更にたたみ掛けるように追い討ちをかけて考える暇を与えない。

 新之助は沈黙し、そしてこの沈黙がフランに反撃の隙を与える事になる。

 

「ほらね! やっぱり口先だけじゃ――」

 

 と思われた。

 

「太陽になってくれるんだよね?」

「……ふぇ?」

 

 フランに反撃の隙はなかった。それは身から出た錆だった。あの時、フランが新之助の吸血鬼化に際して出した引換券。

 

「フランちゃんが太陽になってくれるなら僕は吸血鬼になる」

 

 その引換券を新之助が受け取った。

 墓穴を掘ったフランはこの難問を突破されてしまった。

 新之助は覚悟を決めたようだ。ならばフランも覚悟を決めるしかないのだ。

 フランはもう逃げられない。

 

「そん……な、うぅっ」

 

 フランは体が揺れるほど大きく息と鼻を吸ってぐっと息を止めた。更に嗚咽のようなうめき声と共に歯を食いしばる。

 被っている帽子をしわができてもう戻らないのではないかと思うくらいに強く、両手で掴むと震える手でずり下ろし、表情を全て隠してしまった。

 終いには脇を閉め、完全に守りの体勢だ。

 フランは新之助になんて言えばいいのか分からなかった。いや、答えは分かっているはずなのに言う事ができなかった。

 フランの計画では新之助がもう何もできないように釣り上げばらばらに調理しサヨナラするはずだった。勝利を確信したはずだった。

 計画とは裏腹に、フランの姿は岸から消えていた。フランはいつのまにか水の中へ引きずり込まれていた。のた打ち回ってもがいても岸は遠ざかっていくばかり。

 今はもう、ただ流れに身を任せ、漂うだけ。

 だがそこは今まで自分が傷つき傷つけを繰り返していた、一人寂しくたたずんでいた殺風景で肌寒い岸とはまるで違う。とても暖かくて、心地よくて、柔らかいものがまとわり付いて放れない、素敵な場所だった。

 

「フランちゃん!?」

 

 心の底から言いようのない熱い感情が溢れ出してくる。

 思いっきり瞑ったはずのその目から、熱い感情が瞼を掻き分けて這い出してくる。その感情はフランの長いまつ毛を伝い、鼻や頬、更に唇を伝ってぼろぼろとスカートへ落下していく。落ちたそれは弾けて飛散し、無色透明の花を咲かせていく。

 

「どこか痛いの!?」

 

 どうやらフランが何故泣いているのか理解できていなかったらしい。それもそのはずで、溢れ出る涙をどうにか止めようと歯を食いしばるフランの様子はとても嬉しさのあまり感極まる、という様子ではなかったからだ。

 今までフランが思い描いていた事。昔叶うことのなかった、自らの手でぶち壊してしまった理想。

 その理想がこの人里にはあった。

 

「ふらんちゃ――」

 

 震えながら泣くフランの細い肩をいつものように掴み、抱き寄せようとするが新之助の両手が空をきる。

 フランが体をひねって逸らしたのだ。そのせいでバランスを崩した新之助の体が前のめりに倒れていく。

 

「ん」

 

 バランスを崩した新之助の体をフランが支えた。

 フランの内に溢れ出る感情が涙だけでは収まりきらなかった。それがフランをこの時、こんな行動に走らせたのだろう。

 支えたものはとても柔らかく、少し湿っていてしょっぱく、少し甘い。それが新之助の唇に押し当てられた。

 

 新之助はその場で固まってしまい動く事ができない。

 

 驚く程に柔らかく、甘い感触に二人はしばらくの間酔いしれていたことだろう。

 

 そしてフランのクスクスと笑う声でその夢のような時間は終わりを告げる。

 

「ふふっ、だ~まさ~れたっ」

「へ?」

 

 先程の涙を嘘泣きにするには潤いすぎた真紅の瞳をフランは妖艶に細めて新之助に微笑みかける。

 

 

「私のファーストキスだぞっ」

 

 顔をよく熟れた林檎のように真っ赤に上気させた意地っ張りなフランが小悪魔な笑みを持って微笑みかけてくる。だから新之助はいつまでも呆けているわけにはいかなかった。そんなフランを抱きしめずにはいられなかったのだ。

 

「僕と一緒に暮らそう!」

 

 新之助はフランを力の限りフランを抱き寄せて強く抱きしめる。意地っ張りな小悪魔を。

 

「うぅ~、新之助ぇ……痛い……」

「あ、ごめん」

「女性はもっと優しく扱わないとダメなんだから」

 

 昔フランが大人ぶって女性の扱いを新之助にも言って聞かせる。そんなフランに新之助は頭が上がらないが背の低いフランを見るにはちょうどいい関係かもしれない。もし一緒に暮らすのなら新之助はフランの尻に敷かれることだろう。

 

「でもチューは気持ちよかったよ」

 

 偉そうに説教を垂れていたかと思うと急にもじもじしながら上目遣いでそんな事を言うのだから新之助はフランがそうだったように自分の感情もフランへぶつける。

 

「君の事をもっと知りたい」

 

 新之助は優しい声でフランに語りかける。新之助の目は優しいが真剣だ。だからフランも新之助の目を真っ直ぐに見上げる。

 

「君の過去も、君の生い立ちも……君が歩いてきた道で起こった出来事も全部。そしてこれからある未来の事も」

 

 多少欲張りな物言いだが言われた方は嬉しいのだろう。フランの目からはとめどなく涙が溢れてくる。しかし今度はその泣いている顔を新之助にしっかりと披露する。

 

「うん……嬉しい……」

 

 もう涙を我慢する必要も隠す必要もない。涙するそんなフランの声はかすれていた。

 見詰め合った二人はもう一度顔を近づけ合う。そして

 

「WAWAWA、忘れ物~♪」

 

 永琳が場違いな歌を口ずさみながら戸を開き、病室へ入ってきた。

 

「きゃぁああ!」

「ぐふっ!」

 

 フランは突然の訪問者に驚いて思いっきり新之助を殴り飛ばした。

 新之助はフランの熱烈な愛情表現に舞い上がり、しばし滞空した後ベッドの上で昇天した。幸せそうな表情のまま気を失ったのだった。

 



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第三十一話 ~計画の終わり~

 

 

「うわああああああん!」

「もう、どうしてそんなに泣くのかしら」

 

 永琳がわんわんと大泣きするフランをなだめている。

 大泣きの原因は新之助を殴り飛ばし気を失ってしまったから、ではなかった。

 それは永琳が帰ってきた理由に起因する。

 永琳は新之助の吸血鬼化を止める薬を作る為に必要なものを採りにきたのだ。その薬の調合に必要なものはフランの体液。だからフランはそれを嫌がり、駄々をこねて大泣きし、新之助の吸血鬼化抑制の薬調合を阻止しよう、としているわけでもない。

 吸血鬼になること、それがフランが新之助に出した交換条件だ。しかしそれはフランが新之助の覚悟を確認する為に言っただけで強制するつもりはフランにはなかった。渋る新之助にフランはそんなこと望んではいないのだ。

 多少はその気持ちはあったかも知れないが永琳の申し出にフランは素直に応じた。だが、その方法がフランにとって日光の次に恐ろしいものだったようだ。

 

「注射嫌あああ!」

 

 それはフランの体液を採取するために永琳が持ち出した注射器が原因だった。フランは注射器を見るや否や顔を真っ青にして永琳から逃げ回っていたのだ。

 しかし角に追い詰められ最後の抵抗とばかりに大泣きしているのだ。

 

「銃弾浴びても泣かなかったくせに」

 

 最初は冗談だと思い、面白半分で追いかけていた永琳も本気で逃げるフランに眉をしかめ、つい愚痴をこぼしてしまう。さすがの永琳も若干不機嫌なようだ。

 

「注射は嫌なの!」

「泣き止まないなら泣き止む薬を入れた注射もしちゃうわよ」

 

 手に持った体液採取の注射器とは別に、その針の何十倍もある太さの針が付いた注射器をフランに向ける。

 

「うぅ……」

 

 ようやく観念したのか、大声で泣く事を止めたものの依然目からは涙が溢れ出してくる。体は針が上手く刺すことができないくらいにプルプルと震わせて。

 

「フランさん……大丈夫、そんなに痛くないから」

「うぅ……ぐすっ……」

 

 いくら永琳でもこれほど震える腕に正確に針を刺す事などできない。

 

「はぁ、もう……、しょうがないわね。また今度にするわ」

「本当!?」

「嘘」

 

 フランが安心し、体の震えが止まったところを見計らって永琳が見事な注射捌きでフランの腕に注射針を打ち込んだ。フランは声にならない叫びを上げてその後しばらくの間泣いていたという。

 

 

 

 強烈なアッパーを顎に食らった新之助は永琳によってベッドに寝かされ、布団を掛けられていた。

 

「新之助……大丈夫かな?」

 

 針を刺されて泣いていたフランは目をこすりながら新之助の容態を見ている永琳に問いかける。

 

「心配しないで。意識を失っているだけだから。でもこの様子じゃ当分起きないわね」

「そう」

 

 新之助の容態を一通り見終わった永琳が肩をすくめて言う。

 フランもそれを聞いて一安心したようでまだ出ている涙を全て拭い去る。

 

「どうする? もう帰る?」

「え?」

「もうすぐ夜が明けるわ。日が照るとあなた帰りにくくなるでしょ?」

「あ……うん」

 

 見れば空が明るくなり始めている。

 日が照ると吸血鬼であるフランが外を出歩くのは難しくない。なら太陽が出ていない今のうちに人里を出たほうがいい。幻想郷に入れば日が出ていようといまいと紅魔館へ続く、日の当たらない森を通って進めば難なく帰れるだろう。

 だから出るなら今しかない。

 

「霊夢さんはああ言ったけど、新之助さんもこうだしこれ以上ここにいる理由もないでしょう?」

「そう……だね」

 

 フランの返事は歯切れが悪い。もう少し新之助と一緒にいたかったのだろう。

 甘いひと時を、幸せな時を過ごしていたのだ。あの時の雰囲気にまた浸りたい、という幾分かの口惜しさが新之助を見つめるフランの視線で見て取れる。

 

「それともやっぱり起きるまで待ってる?お昼になっちゃいそうだけど」

 

 しかしフランはそんな永琳の提案に新之助から視線をはずして首を振る。

 

「ううん。いい、帰る」

「ふふ、いいの?」

 

 引かれる後ろ髪を払いのけるようにきっぱり言い切るフランが面白かったのか、永琳は優しく笑ってそう問い返す。

 フランと新之助の間に何があったか、永琳は知る由も無いが大体の事は分かっているのだろう。

 

「うん、またいつでも会えるし」

 

 計画は全てとはいかないが上手くいった。だからまたいつでも新之助に会う事はできる。それは周りも皆認めてくれることだろう。 次また会えるなら別れの挨拶など不要だ。少しの間離れるだけ。次の日にはまた人里へふらりとやってきているかもしれない。そして縁台で二人、腰掛けながら林檎飴をなめながら、また色々な話を楽しむのだ。

 

「そう、じゃあ私についてきて。霊夢さんが結界を弱めてあるところがあるから案内するわ」

「うん」

 

 部屋を出て行く永琳に続いてフランも病室を出る。

 その間際、フランはた新之助の寝顔をちらりと見る。新之助の顔はフランに殴られたにもかかわらず気持ちよさそうに眠っている。 なんとも間抜けな寝顔を見て軽く微笑み、フランは永琳の後に続いてその病室を後にした。

 

 

 

 二人が診療所を出ると永琳はきちんと戸に鍵をかけている。

 永琳を尻目にフランは少し驚いたように辺りを見回している。まだ日が昇る前。病室違い外の空気はとは全く異質だったからだ。

 それを見たものは吸血鬼なのに、と思うだろうが幻想郷に来てからは閉じ込もっていたし、弾幕ごっこを仕掛けてくれる連中の稼働時間は日中だ。フランはそれにあわせていた。だからフランは太陽が出るよりも早く起きた事があまり無かったのだろう。

 そこは夏の終わりとはいえまだ夏なのに肌寒く、そして少し湿った空気で満ち溢れていた。吸い込んだら気持ちよく、体の中に新鮮な空気が入ってくる。

 空を見れば雲は無く、しかしもう星もない。あとは白と深い青のグラデーションが広がっているだけ。それは未だ顔を見せない太陽が描いた単調な空だった。

 その単調で何も無い空にフランは熱い視線を向けていた。

 

「どうしたの?」

「え?」

「空なんか眺めて、そんなに面白い?」

 

 鍵をかけ終えた永琳も空を見ながらフランに問いかけてきた。永琳も視線を空に視線を向けるが、何にも無い空を見て何が楽しいのかわからない、といった表情だ。

 

「なんかいいなって」

 

 しかし何も無い空への憧れは裏を返せば悩みがある自分のもやもやとした感情の表れでもある。と言うのは少し解釈が間違っているかも知れないが少なくとも、フランの内に秘めた悩み事はそんな今にも逃げ出したいものだ。

 

「やっぱり皆と会うのが怖い?」

「なっ!?」

 

 不意を突かれたフランは永琳に振り向き、口をパクパクさせながら必死に平静を装っている、つもりだろうがそんな演技力フランには無かった。

 

「そ、そ、そんな事っ、ないよっ」

 

 結局動揺しながらそんな事を言ってしまう。永琳はそれを見て笑っているのでもう隠す事は無理だろう。

 

「そう? 相談に乗ってあげようと思ったんだけどな~」

「え? 本当!?」

 

 などとフランは墓穴を掘り、更にしまったとばかりに口を塞ぐ。永琳にはそれがとても可愛らしく思えたのかフランを後ろから抱きしめた。

 

「全く、可愛らしい子ね」

「ちょ、ちょっと」

 

 フランは恥ずかしそうに後ろから回された手を振りほどこうとする。

 

「私はこう見えても五百年以上生きてるんだからね!!」

「私はその百倍は生きてるわよ?」

 

 赤い瞳を見開いて「マジ?」と永琳をまじまじと見上げてくるのだからこれほど面白いことは無い。

 

「ふふ、嘘よ。でもあなたより年上なのは確かよ」(本当は万倍以上だけどね)

「ふ、ふ~ん……」

 

 それを聞いてか、それとも抵抗しても放さない永琳に諦めたのかフランはおとなしくなる。永琳の柔らかな胸と体温がこの肌寒い夏の朝には気持ちよかったのもあるのか更にフランは永琳の腕を掴む手に少し力をこめる。

 

「ふふ、差し詰めあんな別れ方したから何を話したら良いか分からないってとこかしら?」

「うん……」

「大丈夫よ。皆あんな事なんとも思っていないわ」

 

 幻想郷を出た日、紅魔館で皆に言ったこと。永琳は励ますつもりで言ったのだろうがそれが逆に仇となって返ってくることになる。

「それは私がああいうことするって分かってるからだよね……」

 

 とたんにフランは悲しそうな顔をする。

 フランはあの時、言ってはいけない事を言ってしまった、と悔やんでいることだろう。しかし紅魔館の皆にしてみればいつもの事、またいつものようにフランが変な事を言っているだけだという認識しかないに違いない。

 だからそれは特に気にする事ではない。永琳はそう思っていた。

 

「え、ええ……」

 

 しかしフランは自分が皆にそう思われていたことが悲しかった。自分はあんな事言いたくなかったのに、と。

 だがフランの自称百倍も生きている永琳だ。すぐに崩された体制を立て直す。

 

「でもあなたは変わったでしょう?」

「変わった?」

 

 フランはわけが分からず思わず顔を上げてしまう。視線の先には優しく笑う永琳の表情があった。

 

「少なくとも、もうあんな事は言わない、違う?」

 

 それはフランが人里に来て変わり、そしてもう二度とあんな酷い事を言わないと信じている、という永琳の信頼から出た言葉だった。人里で起こったことに対するフランの振る舞いから、永琳はそう判断したのだった。

 

「もう言わない!」

 

 人に信頼される事、それは時に重荷となる事もあるだろうが今のフランにとってこれ以上に嬉しいことは無い。

 だからフランはまじめな顔で叫ぶように元気よく言ったのだった。

 

「ふふ、行きましょう」

 

 永琳が差し出した手をフランが握って再び歩き出す。その姿は傍から見れば母親とその手を握っている子供だ。などと永琳は考えながら楽しそうに歩いている。

 しかしフランはというと紅魔館の皆と再会した時、なんて言えばいいかを考えていた。あんな事を言ってしまったのだ、やはり謝らなければいけない。

 しかし許してもらえなかったら? 紅魔館から追い出されたら? そんな思いがまた頭の中で繰り返し浮かんでは消えを繰り返す。

「そこの橋を渡ったところに弱くなった結界があるからそこを通って幻想郷に帰りなさい」

 

 そんな胃の痛くなるような事を考えている内はまだよかった。しかし永琳の言葉でそのリミットが刻一刻と過ぎていく事を再認識させられる。

 

「う、うん」

 

 もうあまり時間が無い。後は結界を抜けて森の中を進みながらゆっくり考えるしかない。

 

「もし紅魔館を追い出されたら」

「え?」

 

 そんな二の足を踏んでいるフランに、突如永琳がそんな縁起でもないことを口走る。

 

「永遠亭に来なさい。遊びたいなら一日中暇なお姫様もいるし、それにあなたみたいな子供なら大歓迎よ」

 

 もしかしたらこのままずっと紅魔館に帰らずフラフラと放浪してしまうかもしれないと思ったのか、永琳はフランにそんな事を言う。

 しかし子供だ何だと言えば気丈に振舞いたがるフランだ。だからフランは永琳の手を払い退ける。

 

「私子供じゃないもん! それに……」

「それに?」

「逃げてても何にもならないし」

「そう」

 

 それは紅魔館の皆と向き合って生きていこうと言うフランの強い意志だ。

 気丈に振舞うフランがおかしく笑っていた永琳もこれには微笑むだけ。

 子供のなりで振るう気丈さも堂にいれば格好はつく。可笑しさなどこみ上げてはこない。代わりにフランがその気丈さを持って、自分の願いを叶えて欲しいと思うもの。

 その背中を押してやるのも親心。フランを子供と呼んだ永琳の意図はそこから来ているのだろう。

 

「でも遊びに行くだけなら別にいいよ」

 

 永琳はフランの背中を上手く押したらしい。

 

「ふふっ、じゃあお菓子を用意しておかないとね。楽しみに待ってるわ」

「うんっ。じゃあね、バイバイ!」

「バイバイ」

 

 フランは永琳に手を振りながら振り向いて前を向く。

 そして歩き出した。

 一人で歩き出した。

 紅魔館の皆と向き合っていくという道を。

 それがどんな険しい道だろうとフランは進んでいけるだろう。人里で新之助や他の人間達と仲良くなる事ができたのだ。それは幻想郷も例外ではきっと無い。

 町の外へと続く橋。その先には幻想郷へ通じる一本の道が見える。

 フランは橋の前で立ち止まる。それはその橋を渡りたくないからではない。人里と幻想郷の境界線。出発前は行きたくないと駄々をこねていた人里も思いのほか楽しかった。その楽しかった記憶を思い出していた。

 振り返ると永琳が首をかしげているのが分かる。その後ろには一ヶ月間自分が過ごした人里がある。そして楽しかった思い出が。

 フランは前を向く。そしてまた歩き出した。その一歩一歩を噛み締めるように。

 その橋を渡ると変なものに突き当たる。目の前には何も無いはずなのに見えない壁がある。フランは恐る恐る手を伸ばしそれに触れてみると少しびりびりする。それは霊夢が通れるようにした結界だった。

 フランは前に結界に触れた事がある。すると全身に電気が走ったようにびりびりと痺れ、立っていられなくなったのだ。それは魔理沙にそそのかされてしたという事は言うまでもない。

 だが今の結界は触れれば少しびりびりするだけで前ほどの威力は無い。

 だからフランは思い切って飛び込んだ。目をつぶって手で顔を覆いながら一気に突き抜けた。

 びりびりという感触を突っ切ったフランは不思議なことに何かに突き当たった。それは第二の結界などではない。何か別の物体。人里から見た限り橋の向こう側には何も無かったはずなのにだ。

 

 未知の障害に突き当たったフランはつい目を瞑ってしまうが一瞬、別の何かを感じとる。

 

 それは匂いだった。いつも嗅いでいたような、しかしとても懐かしい匂い。更に優しく、柔らかく、少し甘い、いつも自分を包み込んでいてくれていた安心できる匂い。

 

 そしてそれは一番大好きだった匂い。

 

「痛いじゃない」

 

 そして一番好きだった声。

 

 一番聞きたかった声。

 

 フランは恐る恐る目を開ける。そこには胸につけた赤いリボンが見える。顔を上げるとそこにはフランの姉、レミリアが自分を見下ろしている。

 

「お、おねぇ様!?」

「なぁに?」

 

 フランは驚いてレミリアの胸から離れようとするがレミリアは自分の胸に飛び込んできたフランをしっかり抱き止めて離そうとはしない。せめて合ってしまった視線を外そうとするがその先には咲夜がいた。フランは驚くようにまた視線を逆方向へ向けるがそこにはパチュリーの姿が。その後ろには美鈴もいた。

 皆一様に微笑んでいる。

 しかしフランにとってこれは予想外だった。まさか人里と幻想郷の境界まで、しかも皆揃って迎えに来ているとは思っていなかった。幻想郷の森の中で何を言うか考えようと思っていたのだが。

 その当てが外れたフランは動揺しすぎて何を言えばいいのか分からなくなってしまった。あまつさえレミリアはそんなフランを放してはくれない。

 

「あ、あぅ……」

「フラン?」

 

 紅魔館の皆は何故フランがこうなっているのか分からないらしい。それは霊夢が新しく作った結界が原因だった。これは幻想郷からは見えるが人里からは見えない仕様になっているらしい。小島当主に付けていた、丁度持っていたという札もその実験の肯定で生まれたのだろう。

 

「あ、あの……おねぇ様!」

「何かしら?」

 

 レミリアはそんなフランを更に抱き寄せる。そうすればするほどフランは余裕が無くなっていく。

 だがフランには言うべき事がある。それはこの一ヶ月間ずっと心に引っかかっていた事だ。

 

「わ、私……皆の事嫌いだって言ったけどあれ嘘だからね!」

 

 目を瞑りながら思いっきりそう言い切るフラン。今のフランにはそれが精一杯だった。

 だが心にずっと引っかかっていたものを今外した。言わなければならない事を今言ったのだ。

 しかし何の反応も返ってこない。

 フランが言った嘘。しかしあの時は本当に嫌いだとそう思っていた事。それを見越してみんな冷めた目で見ているのだろうか、そんな嘘に私達は騙されないぞと。

 フランはおずおずと目を開ける。

 すると意外な事にその顔は疑いの表情ではなかった。しかし微笑みは消えていた。その皆の表情は一様にキョトンとしている。何故そんな表情をしているのかフランには分からなかった。そして皆もまた顔を見合わせている。

 

「あ、あのね! 皆に死ねって言ったけどそんなの全然思ってなくて、その、あの」

「フラン」

 

 そんな一杯一杯のフランの名をレミリアが呼んだ。

 

「そうじゃないでしょ?」

「へ?」

「帰ったらまず言う事があるでしょう?」

 

 フランが帰ったらまず言う事。それは紅魔館に行く途中で考えようと思った謝罪の言葉。

 しかしそんな複雑な事を紅魔館の皆は期待はしていなかった。ただ誰しもが帰った時、自分の家に帰ったときにまず言う言葉。それは

 

「た、ただ……いま」

 

 レミリアはその言葉をずっと待っていたのだろう。そしてなかなか言わないフランのせいでそれがより大きくなったのだ。フランの体を放さなかった事もそれが原因だった。

 

「お帰りなさい、フラン」

 

 レミリアはただそうしたかった。フランをただきつく抱きしめたかっただけだった。

 

「お帰り、妹様」

「御帰りなさいませ、妹様!」

「お帰りなさい! さみしかったですよ! 妹様!」

 

 レミリアの言葉を皮切りに、皆が口々にフランにお帰りと言ってくれる。

 歓迎してくれる。

 そんな中レミリアは思いっきりフランを抱きしめた。フランがどうなろうと知った事ではないかのようにきつく、とてもきつく、強く、優しく抱きしめたのだった。

 

「心配したんだからねっ、馬鹿フランっ」

 

 そんなレミリアの目からは大粒の涙がこぼれて落ちた。そしてその涙はレミリアの胸に押し付けられているフランの顔にポツリと落ちていく。

 レミリアに心配されているとは全く予想していなかったフラン。あまつさえ涙を流してくれるなど思いもよらなかった。だからそれが嬉しかったのか、はたまたレミリアに強く抱きしめられすぎて絞られたからなのか、フランの目からも大粒の涙が溢れ出してきた。

「お、おねぇさまぁ……うぅっ……ごめんなさい」

 

 そう呟いてフランはレミリアの胸に顔を押し付け、声を上げてむせび泣き始めてしまった。紅魔館の皆に温かく見守られながらフランはずっと泣いていた。

 少し肌寒い空気の中、永琳のように柔らかくは無いが、今までで一番暖かい光にフランは包まれていることだろう。

 

「あらあら、一足遅かったようね」

 

 するとどこからともなく幽々子がやってきた。

 

「だから言ったじゃないですか、フランさんは紅魔館に帰るって」

 

 その後ろにはやれやれとため息をついき、そんな事を言っている妖夢の姿がある。どうやらフランを自分達のところへ住ませようとしに来たらしい。

 

「全く……せっかくの再会なんだから空気読めよな」

 

 そうすると茂みから魔理沙も出てきた。紅魔館の皆に気を遣って今まで隠れていたらしい。

 

「魔理沙さんも来ていましたか」

「妖夢、今からでもフランちゃんを奪うわよ」

「えええ!?」

「野暮な事するんじゃねぇぜ。やるってならマスパを――」

「あなた達の存在が野暮だわ。騒ぐならほかで騒いでくれる?」

 

 今ここに妖夢vs魔理沙、それに加えて咲夜が野暮を一掃しようと参戦する。

 しかしそんな中フランは見向きもしない。未だレミリアの腕の中で泣いていた。よほど自分を受け入れてくれた事が嬉しかったのだろう。

 ここに来るまでのいろいろな懸念が全て解決したのだ。これほど嬉しい事はない。

 だが野暮はこの三人だけではなかったようだ。

 

「はーい! 皆さんがお待ちかねのあややですよー!」

 

 この感動的な場面で一番いて欲しくない野暮もやって来た。

 

「誰も待ってないっての」

「あなたも刻まれたいようねパパラッチ」

「あやや……酷い言われようですが私がここに来たのは写真を撮るためです!」

 

 そんな分かりきっている事を堂々と宣言する文に皆臨戦態勢だ。せっかくの再会にパシャパシャ写真など撮られでもすれば雰囲気のぶち壊しどころではない。

 咲夜が臨戦態勢をとる。

 

「あ、違いますって! 落ち着いてください!」

「十数えるうちに消えなさい。さもなければ串刺しよ」

「ちょ、ちょっと」

「一、二、八、九、じゅ――」

「私は全体写真をとりに来たんです!!」

「……全体写真?」

「そ、そうですよ。せっかく計画が終わったんですから記念に~と思って」

「ああ、いいなそれ」

 

 するとどこからともなく小町が現れ一緒に連れられたチルノとリグル、大妖精が姿を現した。

 

「全体写真と聞いて。あたいも混ぜなよ」

「あたいセンターがいい!」

「チルノちゃん……」

「端に行っていよう……」

 

 そしてそんな楽しい事に気付かない、そして参加しない八雲紫ではなかった。

 

「私達を忘れてもらっては困るわ」

「あ、ちょっとま――」

 

 小町がそういい終えるまもなく小町の頭上から四季と霊夢が降ってきた。

 

「これは丁度いいクッションがあったな」

「そうね、フカフカだわ」

「なんだか珍しい組み合わせだな」

 

 魔理沙が不思議そうに見つめて呟く。

 

「子守唄を聞いていたのよ」

「何が子守唄だって?」

「早くどきなよ」

 

 すると結界の中から永琳がやってきた。倒れている小町の頭を踏んづけて。

 

「きゃんっ」

「あら、ごめんなさい。なんだか楽しそうな雰囲気がしたから」

「おや、続々と集まってきましたねぇ。皆さん写りたがり屋さんですかぁ~? じゃあ写りたい人は並んでください」

 

 いつの間にか文がカメラを台の上に設置し終えている。

 

「ほら、フラン」

「ふぇ?」

 

 未だレミリアの胸で泣いているフランの顔を両手で優しく持ち上げてやる。

 

「ふふ、前より泣き虫になったのかしら?」

 

 レミリアはフランの涙を少し濡れたハンカチで軽く拭いてやる。そしてフランを抱いたまま器用に反転させカメラの方を向かせる。フランの頭の上に顎を置いて、腕はフランをぎゅっと抱きしめて密着したまま。

 フランはフランで今まで泣いていた顔をカメラで写されるのが嫌なのか不機嫌だ。ブスッとした表情でカメラから目を逸らす。

 

「撮りますよー、フランさん笑ってくださーい」

 

 フランとフランを後ろから抱きしめるレミリアを中心にその後ろに咲夜、そして紅魔館の皆が固まりその周りを囲むように魔理沙や霊夢達が並ぶ。そして右上には集合写真に欠席した者よろしく、紫が隙間からひょっこり上半身を出している。

 その時、まるで皆を祝福するかのように背後から太陽が顔をだす。

 しかし吸血鬼にとって太陽は天敵である。だからレミリアとフランの背後にいた咲夜が手馴れた手つきで日傘を差してやる。

 レミリアはフランを抱きしめながら小さく咲夜に『ありがとう』と呟く。そして未だにブスッとしているフランを見かねたレミリアがフランの頭から顎を下ろし、頬に自分の頬をペタリと貼り付ける。

 

「フラン」

「?」

「愛してるわ」

 

 西洋の習慣か、東方ではあまり聞かれないそんな言葉。その言葉が呪文となって、フランの顔が不機嫌な表情から驚きに変わる。そして間をおかず笑顔になった。白いキバを見せて、涙で潤んだ目を細めて。

 そんなシャッターチャンスを逃す文ではなかった。

 

カシャリ!

 

 ニヤリと表情を唇を吊り上げた文が撮った写真にはカメラ目線の者は一人もいなかった。文が合図を出さなかった事もあるが、それはレミリアの呪文で皆の視線が一箇所に集まった為。

 その時の皆の顔は赤面している者、驚いている者、微笑んでいる者、色々だったがその視線は全てレミリアとフランに注がれていた。

 撮影者の表情が読み取れるようなこの写真は後に記事になった事は言うまでもない。後で文は合図を出せと皆から口々に攻められることになるがこれはこれでいいネタになる事だろう。

 そしてこの写真は紅魔館のとある部屋の片隅に、ひっそりと飾られる事になるのだった。

 

 



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第三十二話 ~贖罪~

あけましておめでとうございます。

年末ばたばたして更新できず申し訳ないです。

ではどうぞ。


 

「さ、これからどうする? 紅魔館へ行ってから博麗神社へ向かうか? それともこのまま神社へ行くか?」

 

 写真撮影が終わると魔理沙が未だレミリアの胸に張り付いているフランを覗き込みながらふとそんな事を言い出した。何故か博麗神社へ行く事が決まっているかのような口ぶりだ。博麗神社で何かあるのだろうか。

 

「何で博麗神社?」

「ああ、言ってなかったっけ? やっぱめでたい事の後は宴会だろ?」

 

 レミリアの胸に張り付いているフランが不思議そうな顔を魔理沙の方へ上げる。

 宴会と言えば飲んで騒いでのドンちゃん騒ぎ。

 パーティは嫌だと言っていたフランだが宴会はいいのだろう。それを聞いたフランは不機嫌そうだった顔をぱっと明るくさせ、更に目を丸くした。

 さっき鳴いたカラスがもう笑った。そんな言葉が相応しいが、先程まで危惧していた問題があっけなく解決してしまったのだ。当然と言えば当然なのだろう。

 

「宴会!? 行く行く! 神社行く!」

 

 そして宴会と言う言葉にフランだけでなく、周りにいた各々帰宅しようとした者達も足を止め、その内容に聞き耳を立てている。あわよくばその宴会に参加し、出される料理をつまみ、一緒に騒ぎ立てようと企んでいるのだろう。

 

「でも帰ったばかりなのにいきなり神社でいいのか?」

「私は紅魔館じゃなく皆のところへ帰ってきたんだもん。それが何処でも関係ないよ」

 

 人里から一ヶ月ぶりに帰ってきたのだ。一番初めに紅魔館に行かずに博麗神社に行くなんて、と。それが魔理沙の主張であり優しさだろうが、そんな一般的な常識など持ち合わせてはいないのが幻想郷の住人だ。

 花より団子、色気より食い気の連中の集まりと言っても過言ではない。(たぶん)

 だからそんなフランの発する花を魔理沙の冷めた視線でばら切りに、更に言葉を重ねてみじん切りにする。

 

「はいはい、全くお前は青臭いガキだな。臭いお喋りはこれくらいにしておこうぜ。なんだかむずがゆくなってくるぜ」

「私臭くなんかないもん!」

「いやいや、褒めたんだぜ? 乳臭いから青臭いに格上げだ」

 

 臭いと言われたと勘違いしたフランを片手で制止しながらひっひっひと意地悪な笑みを見せる魔理沙。

 

「はいは~い。しつも~ん」

 

 突然、学生のように手を上げて「質問」と間延びした声をあげる霊夢。

 

「な、何だよ霊夢、脇なんか見せて」

 

 魔理沙は片手でフランを抑えながら気不味そう霊夢のほうを見る。

 

「いい脇でしょ?」

「ああ、そうだな。じゃあ皆神社へ行こうぜ!」

「「おー!!」」

 

 ふざける霊夢を尻目に魔理沙は残っている者たちに出発信号の合図を送る。それに呼応するように皆も大手を振って了承の合図。

 

「はいは~い、ストップストーップ」

 

 しかし、霊夢だけは違っていた。

 

「何だよ霊夢、皆行く気満々だってのに、ノリ悪いぜ?」

「宴会って何?」

「フランお帰り~って言う宴会」

「いや、そうじゃなくて」

「ん?」

「ん? じゃねーわよ! 私初耳なんですけど!?」

「ああ、だって今決めたから」

「はぁ!?」

「あ、いや、その……ノリ? だぜ?」

「あんたねぇ! 何の権限があって神聖な博麗神社を妖怪の宴の場にしようってのよ!」

「ま、まあまあ、固い事言うなよぉ。フランが帰ってきたんだぜ? めでたいんだぜ? これを今日祝わなくていつ祝うんだ?」

「私としては問題のタネが芽を出して戻ってきただけなんですけど!?」

「その芽はきっといい方向へ成長してるさ。ほら、あの太陽に向かってな」

 

 魔理沙は朝日を指差しながらその眩しい太陽に熱い視線をおくる。霊夢はそんな魔理沙に目を細めて冷たい視線を送る。フランに至っては朝日を見ようとしたところをレミリアに取り押さえられた。

 

「さぞや立派な灰(胚)になるでしょうね」

 

 目を細めた霊夢はそう言い捨てて両の掌を天に向け首を振った。

 

「はは、上手いこと言うなぁ霊夢、よっ日本一!」

「その安いよいしょやめて……」

 

 魔理沙の下心見え見えのその安いよいしょに逆に恥ずかしくなった霊夢はため息を一つ。そして顔を背けた視線の丁度先。レミリアに取り押さえられたフランが心配そうに霊夢を見上げている。

 

「……まあいいわ。今のフランなら」

 

 以前のフランならかんしゃくを起こして神社を壊しかねないが今のフランならば暴れる可能性もそれ程高くないだろう。そして霊夢が思っていたよりもずっと成長していた。それは霊夢も分かっている。

 それに最後の日に羽目を外して祭りに行った挙句、あんな事になってしまった。神社を宴会場にするくらいですむならば安いもの。 だから霊夢は渋々了承したのだった。

 

「さっすが霊夢だぜ。なら神社に向かおうぜ」

「勝手にすれば……」

 

 そう投げ捨て、ため息をついた霊夢は腰に手を当てる。

 ここで魔理沙は不思議な光景を見る。いや、魔理沙だけではない。そこにいる全員が何か違和感のようなものを感じた。

 霊夢の視線が一瞬だけパチュリーに注がれていたため。そしてそのパチュリーもまた霊夢に視線を向けていたのだ。

 これは偶然目が合っただけと言われればそれまでだが。普段この二人が世間話をするところなどあまり見る機会が無い。話しているとしても何を話しているか全く予想が付かない。それほどこの視線の違和感は大きかった。

 それもあってだが更に皆の不信感を掻き立てたのはパチュリーが霊夢の視線に反応すると同時に小さく頷いたのだ。

 

「ん?」

「何でもないわ」

 

 魔理沙は他の者達と顔を見合わせるが皆一様に頭上にはてなを浮かべたような表情をしている。ただし四季と紫だけはそっぽを向いて沈黙。当の霊夢とパチュリーはもう目線を外し何事も無かったかのように目を瞑っている。更に霊夢は頭痛でも起きたかのように額に手を当てて何か考え込んでいる。

 霊夢とパチュリー。この組み合わせで思いつくものと言えばこの計画を企てた中心人物であるということだけ。

 

「宴会……ね、まあいいわ。それで? 準備はどうするのよ?」

 

 宴会と言えば煌びやかな飾りつけ、など花より団子の連中には不要なものだろう。大量の食料とその場を盛り上げる宴会芸、それさえあれば十分と言っていい。

 だが魔理沙は今決めたと言った。とても宴ができるような料理を用意しているとは考えにくい。

 しかしその背景とは逆に魔理沙の顔は余裕そのものだ。その自信はどこから来るのか。

 

「出来てるよな? 咲夜」

 

 魔理沙はその自信の根源であろう方向を見てそういった。

 

「何でこっちを見るのよ」

 

 どうやら魔理沙はフランの為に用意されたご馳走を当てにしているらしい。宴会芸はどうか分からないがレミリアならさぞ豪華なご馳走を用意していることだろう。一ヶ月ぶりに帰ってきた愛する妹のためだ、用意してないわけがない。と言うのが魔理沙の予想だろう。

 

「さくやぁ~宴会やりたい」

「え……しかし……」

 

 加えてフランも咲夜に擦り寄って甘えてくる。

 当然こんな大人数など予想はしていないので今のままでは食料的に無理がある。そして紅魔館のメイド長と言えど従える身。従者にその決定権は無い。

 フランはいつも食事等を用意しているのは咲夜だから、という安直な考えで咲夜にすがっただけだろうが、それで咲夜がどんな顔をし、誰の意見を仰ぐかは言うまでもない。

 

「ふふ、いいわ、足りない分は用意する。買出しお願いね、咲夜」

「本気ですか? お嬢様?」

 

 とは咲夜の常識で考えれば当然と言えば当然と言える。小さな宴会とはいえ開くのにも多少の費用は掛かる。

 しかしそんな事はレミリアの経済力なら痛くないだろう。ならば咲夜が危惧していることは何か。

 それは自分の主が金を払うに値するものかどうかを分かっているかだ。今目の前にいる者たちにその価値があるかどうか。

 咲夜の目に皆はどう映っているのか。咲夜はそこにいる皆の顔を舐めるように見回した。

 

(その日の食費さえに困ってそうな脇巫女……)

「何よ」

(そしてたかる気満々の快速ゴキブリ魔女)

「お前今なんか失礼な事考えただろ?」

(それに加えてブラックホールの胃袋を持ってそうな西行寺幽々子)

「あらぁ? なんだか見つめられてるわ」

「幽々子様をカービィかなにかだと勘違いしてるのではないでしょうか?」

(更にはこれ見よがしの巨乳共、絶対偽パイに違いないわ)

「ジェラシーの気を感じるわ」

「結構重いんだよ? 肩こるし」

「あ、あの……何で私まで睨まれてるんでしょうか?」

「極めつけはあの三馬鹿妖精共……」

「はうぅ……」

「こ、声に出てますが……」

「スイカバーが食べたい!」

 

 身内であるはずの美鈴を睨み付けた後に三馬鹿妖精と称する大妖精、リグル、チルノを見回すと咲夜は深いため息をつかざるを得なかった。

 

「はぁ……何だかやる気が……」(私はお嬢様達だけにお食事を御つくりして差し上げたいのに……)

「大勢の方が楽しいでしょ? それに神社なら霊夢もいるし一石二鳥じゃない」

「頭大丈夫ですか? お嬢様」

「咲夜~」

「妹様?」

 

 咲夜が声の方を見下ろすといつの間にか咲夜の腰にフランが抱きついて見上げている。

 

「お願い」

 

 そして上目遣いでそんな事を言われた日には鼻血を出さずにはいられないだろう。咲夜に限り。

 

「喜んで!」

「咲夜ありがとうー!」

「ちゃんとお礼言えるように」

 

 と、いつも弾幕ごっこの相手をしてやった魔理沙はお礼を言われた事がなかったのでそのフランが新鮮に思えたのだろう。いつも悔しがるか気絶しているかのどちらかだからだが。

 しかし咲夜の死角、そこにあるフランの表情は二つ名の通り、悪意に満ち溢れていたのだった。

 

「……まあ色々成長したってことだ……よな……」

「ぼけっとしないで、皆行くわよ」

 

 その霊夢の一言で皆一歩を踏み出し始める。夏の終わりの早朝、一行は神社に向かった。

 

 

 

「やっぱ宴会といえば盛り上がる出し物しなくちゃな」

「出し物って……あなたは何をやるのよ?」

「やっぱ盛り上げるには歌だろ?」

「あなたの自己満足じゃない」

「人聞きの悪い事言うなよ~私はフランの為を思ってだなぁ」

「じゃあ私も一緒に歌うわ。見張りのために」

「別にいいけど私の歌は激しいぜ? 病弱なお前がついてこれるかどうか」

「大歓迎だわ」

「じゃあ私は太極拳でも」

「それ盛り上がるのか?」

「もりあがりますとも!」

「剣舞なら私に任せて下さい」

「お、何だよ妖夢、いつに無くやる気だな! やったれやったれ!」

「ちょっと! 神社を壊すような事だけはやめてよね!」

「そうだ! 物騒な事すんじゃないぜ! 自重しろ! この大馬鹿野郎!」

「どっちですか……」

 

 などと楽しそうに何をやるかフランがいる前で決めている。隠し芸ではないので良いのだろうがそんな事をすればサプライズ的な楽しさの要素は皆無だろう。

 そんな楽しそうな輪に主役であるフランは入る余地は無い。だからその輪と日傘をさしてくれている咲夜を挟みその日傘の影にいるレミリアの少し後ろをフランは歩いていた。

 周りは朝とはいえ夏。診療所から出た直後の気持ちのいい空気は何処かへ行き、周りはもうすでに暑くなってきている。

 博麗神社へ続く道。脇には木々が生い茂り、反対側には小川が流れている。さんさんと降り注ぐ太陽光受け、川面や草、生い茂る木々はきらきらと輝いている。

 しかしそれを輝かせる太陽は吸血鬼にとって敵でしかない。咲夜の日傘によって作り出される日陰はあまりにも小さい。

 その小さな陰から出れば日光の餌食。言わば足を踏み外せば死の崖の上だ。だがその影はフランがいるにも関わらず、レミリアに合わせてか、それともレミリアが影に合わせてか、一寸たりともその身を太陽の下に晒させるような事はしない。

 レミリアはそんな動く崖っぷちを臆せずすたすたと歩いているのだ。咲夜への信頼か、それともレミリアの絶妙な歩みか。慣れたものである。

 その後ろ、レミリアをボーっと眺めながらフランは一番安全な影の中央を歩いている。

 そして何を思ったのか急にフランはレミリアの背中に跳び乗った。

 

「きゃっ!?」

 

 動く崖っぷちを何の恐怖も持たず、すたすたと歩くレミリアもさすがにそのフランの行動には恐怖を隠しきれなかっただろう。

 

「フラン!?」

「ずっと前、こうしてくれたよね」

 

 それは昔、気を失ったフランを背負い、追っ手から逃げていた時のこと。

 軽くよろめいた体制を建て直してからレミリアは言葉をつむぎだした。

 

「思い……出したの?」

「うん」

「そう……」

 

 そう言えばレミリアはフランが記憶を取り戻した事をまだ知らなかった。話したのは新之助だけ。

 レミリアはあの時の記憶が蘇ってくる。全く同じこの体勢のため、より鮮明になって。

 あの時と同様、レミリアは恐る恐る声のするほうへ顔を向けようとした。

 

ぺたっ

 

 レミリアの顔は少し動いて止まった。それはフランの暖かく柔らかいほっぺたによって妨げられたから。

 

「こうやって……してくれたよね」

「そう……ね」

 

 レミリアはぽつりぽつりと言葉をはくと目を瞑り、あの時と同じように、猫のようにフランの頬を自分の頬で撫でてやる。フランは気持ちよさそうに目を細め、より一層レミリアを抱きしめる。

 そして次にレミリアの口から出た言葉。それは謝罪の言葉だった。

 

「ごめんなさい」

「なんで謝るの?」

 

 レミリアはフランを先程愛していると言った。しかしそれはフランを笑わせるために付いた何か。

 フランへの愛。レミリアは以前それをフランに対する謝罪だと言った。それを聞いた咲夜も不可解な面持ちでその会話の成り行きを見つめている。

 

「あれは私のミスよ。あの時、私がダリスを殺していれば……」

「え?」

「……あの時の事をあなたはまだ覚えてるかしら?」

 

 あの時とは孤児院である城の一室で悲劇が起こった時。

 

「私はハンターを殺せると確信したわ。でもあの時見てしまった。ダリスの歪んだ……悲痛な表情を」

「……」

「私はダリスを殺す事ができなかった……体が動かなかった……どうしたらいいか……」

 

 レミリアの声は段々小さくなっていく。

 「言い訳」、そんな言葉がレミリアの頭の中でちらついて。

 それが自己嫌悪を煽り、フランへの罪悪感に火をつける。その火は煽られて大きくなって、レミリアの精神を焼き尽くしていった。 そして最後に「分からなかった」と、消えそうな声で呟いた。

 

「これは私が犯した罪」

 

 レミリアが言う謝罪とはそういう経緯があったらしい。フランの為に土下座したり幻想郷を捨ててどこか遠くへ逃げると言ったレミリア。

 だからフランが深い悲しみに落ち、狂気に駆られ人々を気の済むまで殺し、それを快楽と感じてしまう殺人鬼にしてしまった自分が許せなかったのだ。

 それを罪と称して自分を攻め立てる程に。

 

「それをあなたは……」

 

 許してくれるか、など聞けるはずが無い。自分が取った行動を罪と称するレミリアにそんな事、言えるはずが無かった。

 だがそれはレミリアの考えすぎでフランは全くそんな事思っていないだろう。逆に至れり尽くせりと言ってもいい。

 しかしレミリアはその罪と言う呪縛を自らに押し付ける事でそれをフランへの謝罪としていた。フランをいつくしむ、愛さえも。

 フランにとってその謝罪は心地よいもの。しかしそれはレミリアが背負った罪を償うための罰に過ぎない。

 実の妹にそんな謝罪や罰といった関係など無用の長物。ならばそれをレミリアから解き放つにはどうしたらよいか。

 それはフランにとって簡単な事だった。なぜならフランは「ありとあらゆる物を破壊する能力」を持っているからだ。

 そしてどうやらフランは自称魔法少女らしい。

 

「ありがと」

 

 それは罪だと思っていた行為に発するだけでそれを天の恵みへ変える呪文。

 

「……そ、そこは怒るところじゃないかしら? あの時ダリスを殺して窓から捨てていれば……いえ、あなたを無理やりにでも連れ出していればあんな事には――」

「でも今の皆に会えなかったかもしれないよ?」

 

 失ったものは大きい。

 

「それは……そうだけど……」

 

 しかし得たものもまた大きいのだ。

 

「幻想郷は面白いし」

 

 それが正しいか間違いか。それは全知全能の神でも知る由は無いだろう。だが大事なことはそれを乗り越え今をどう生きるか、ということだ。

 

「フラン……」

「だからぁ、ありがとっおねぇさまっ」

 

ちゅっ

 

 とフランはレミリアの頬に軽くキスをする。

 

「ふ、ふらん!?」

「ふふ、皆いろんな反応してて楽しいな」

 

 約500年を経て、今その呪縛からレミリアは解き放たれた。

 レミリアは驚いてフランを見るがフランはカラカラと笑っている。レミリアも楽しそうなフランを頬で感じながら鼻で笑い、そして軽く微笑んだ。微笑んで膨らんだ頬でフランの頬を荒く撫で、更にばたばたさせているフランの両足をがっしり掴んでやる。

 あの時と同じように。

 その光景をだらしなく顔を緩ませているものがいた。

 

「おい咲夜、鼻血拭けよ」

 

 なにやら大事な話をしているレミリアとフランの為に魔理沙たちは気を利かせて静かにしていたらしい。咲夜に至っては言うまでもない。

 

「皆って、他の誰かにしてあげたの?」

「うん。新之助」

「ふふっ、そう」

「おい咲夜、涙拭けよ」

「新之助の唇やわらかかったよ」

「なっ」

「あら、やるじゃないフラン」

「おいまて咲夜! どこへいく!」

「あの女垂らしを殺してきます」

「ばっ……皆咲夜を止めろ!」

「私を止めても時は止まりませんよ!」

「わけが分からないわよ咲夜」

「うっとうしいメイドね!」

「咲夜さん落ち着いて!」

「ああ! レミリアとフランが燃えてるぜ!」

「美鈴が刺されたわ!」

「誰か医者を! はっ、私か」

「全く、騒がしい連中だな」

「ですね」

 

 こうして幻想郷の住人は住人らしく博麗神社に向かったのだった。

 



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第三十三話 ~トラブルメーカー~

 

 一行は荒ぶる咲夜をどうにか落ち着かせ、ずいぶん時間が経ってしまったが神社に到着していた。

 皆宴会の準備をするために皆霊夢に従って裏にある倉庫から宴会に必要な机や食器等を運びだしている最中だ。

 

「何だぁ? 二人とも寝てるのか?」

 

 咲夜と組んで長机を運んでいた魔理沙は広間で眠っている吸血鬼姉妹、レミリアとフランを発見する。

 朝と言ってももう日も高々、しかし昼にはまだ少し早い時間。霊夢が暮らしているであろう広すぎる境内の中に天使のような寝顔が二つ。板張りでひんやりと冷たそうな床にレミリアが倒れるように眠っている。そしてその隣にはフランが寄り添うように眠っている。

 フランの腕が未だにレミリアの首に回されて少し寝にくそうだ。レミリアはフランを神社までそのまま背負ってきたのだろう。そしてそのまま力尽き、倒れるように眠った様が容易に想像できる。

 その容易に想像した過程から得られた結果は絵に描いた仲のよい姉妹そのものだった。

 

「ああ、お嬢様は一晩中起きてたから」

 

 レミリアはフランの為に人間である町民に土下座までする程だ。だから心配で、フランの途切れた運命を見ていた。とても眠れる心境ではなかったのだろう。

 

「フランは途中で起きちゃったから。まだまだ子供ね」

「そうだな」

 

 霊夢、と美鈴組が魔理沙達の後ろに続く。

 フランは布団の中で寝てたが新之助の勘違いで起こされてしまった。そこからははしゃいだり怒ったり、難しい決断をしたりと色々あった。それで疲れてしまったのだろう。

 仲良く寝不足の仲良く昼寝だ。

 

「どうでもいいけど咲夜、鼻血拭けよ」

 

 更にその後ろから美鈴が。

 

「全く、空がまだ真っ暗なうちから叩き起こされる身にもなって欲しいですね」

 

 やれやれと言った感じで長机を縁台に降ろす。

 紅魔館の住人はいても立ってもいられないレミリアにせがまれて数時間前から支度していたのだ。おかげで全員寝不足だろう、と思われたがそうでもないらしい。

 

「お前らは寝なくて平気なのかよ?」

「私は時間止めて仮眠したから」

「私は――」

「居眠りだろ?」

「居眠りね」

「ふ、こうなる事を私は予測して」

「仕事をサボったと?」

「すみませんでした」

 

 咲夜はいつものことだと、ため息をついて机を降ろし、手に付いた汚れをぱっぱと払う。

 

「レミィもまだまだ子供だと言う事よ。体も、精神的にもね」

 

 準備を手伝いもせずどこから出したのか、縁台で本を読んでいるパチュリーが皆の方を見もせずそんな事を言う。手伝いをしないだけならいざ知らず、いけしゃあしゃあとそんな偉そうな事を言うパチュリーに皆何か言いたそうだ。

 しかしこの貧弱紫もやしに机運びなど出来そうも無い、というのは皆承知している。だから手伝えと言っても逆に面倒なことになりそうなので皆黙っている。

 それは本人も気付いているだろう。だから読んでいる本をパンッと自分の前髪が舞い上がるほど強く閉めると、皆の方をキッとじと目で睨みつける。

 

「何よ」

「あ、いや……そういやお前は眠くないのか?」

 

 紅魔館の皆はレミリアにたたき起こされたと言っていた。この不健康そうな娘から大事な睡眠時間を奪ったらどうなるか。下手をしたら命に関わるかもしれない。

 

「寝不足でひぃひぃむきゅぅとか言ってそうなのにな」

「そんな事言うわけないでしょ。馬鹿ね」

「馬鹿とはひでぇぜ」

「私は前に見つけた本が面白くて」

「へぇ~」

「ずっと読んでいたら昼と夜が逆転しちゃったの」

「あー……」

 

 これがパチュリーの体が弱く紫もやしと言われる所以だ。スペルが最後まで唱えられないという、魔女にとって致命的な弱点。しかしそれに見合うほどあの地下の図書館には価値があるのだろう。

 昔レミリアが住んでいた所にあった書物。人間達が吸血鬼と同じ力をもてるほどのものがそこにはある。それは魔理沙が盗み出して読みたくなる程だ。

 

「何よっ」

「そんな事よりも早く準備しようぜ」

「そんなことっ!?」

 

 やることはまだまだあるのだ。談笑している場合ではない。

 霊夢はいつの間にか鼻血を出しながら天使を眺めている咲夜を急かす。咲夜は不本意ながらもレミリアとフランに頼まれたのだ。断る事は出来ない。口惜しそうにその場を後にする。

 更に霊夢は茶の間でサボって寝ていた小町をたたき起こして指示を出す。指示を出してもなかなか動かない小町だが四季の名前を出すとセコセコと動き始めた。

 そしてここから博麗神社が少しずつ慌ただしくなり始める。

 

「さてと、私は何をするかな~」

 

 次から次へと皿やお箸、鍋といった食器が倉庫から出されていく。いちいち広間にまで持っていくわけにはいかないので倉庫の入り口のすぐ前にうず高く積まれて倒れてしまいそうだ。

 

「この皿でも運ぼうかねぇっと」

 

 魔理沙が積まれた皿の約半分くらいに手をかけて持ち上げようとした時。

 

「あ、魔理沙、あんたはやんなくていいわ」

 

 霊夢のそんな言葉が耳に入ってくる。声の方向を見ると倉庫から桶のようなものを運び出してきた霊夢がいた。

 やらなくていいとはどういうことか。よもや魔理沙に手伝いをさせるなんて恐れ多いからやらなくていい、などというわけではないだろう。

 

「なんだよ。せっかく運んでやろうと思ったのに」

「あんたがやったら余計な手間が増えるだけでしょ?」

 

 余計な手間。それは別に魔理沙が不器用だから皿が割れてしまう、と言う事ではない。幻想郷でも指折りのトラブルメーカーである魔理沙に壊れやすいものを任せたくないと言う心理から来たものだった。

 それは魔理沙も分かっている。しかしそんな事を言われてほいほいと引き下がるほどトラブルメーカーである魔理沙は甘くない。

 

「酷いぜ霊夢。私だって役に立ちたいんだぜ?」

「そう。役に立ちたいならそのお皿から手を放して両手を挙げて、三歩下がって後ろを向いて手を壁に――」

「おいおいおい、私はどこかの強盗犯かよ」

 

 魔理沙は一旦皿を下ろし、霊夢の失礼な言動に抗議する。

 

「本、さっさと返してよね」

 

 縁台で本を読んでいるパチュリーがまたもや目を向けもせず、そんな事を言う。図書館から盗んだ本はまだ返されていないらしい。立派な強盗だった。

 固まってしまう魔理沙を霊夢は横目に見る。

 的確なパチュリーの突っ込みに少しの間、ささやかな沈黙がその場に流れたのだった。

 だがその沈黙など魔理沙にとってその後の展開を考えるために与えられたシンキングタイムに他ならなかったらしい。

 霊夢に歩み寄った魔理沙は霊夢の肩を鷲掴みにする。

 

「……霊夢! 私はフランが帰ってきて嬉しいんだ!」

「は、はぁ? いきなり何よ」

「フランの為に何かしてやりたいんだよ! お前はフランに会いに行くなって言うしさ! 計画最後の日だって心配で心配で家でずっと自宅でフランの無事を祈ってたんだぜ!? 祭り行くのも忘れてだ!」

「へ、へぇ~……あんたが祭りに行かないなんて珍しいわね~……」

 

 霊夢は最後の日、祭りで浮かれてフランの異変に気付くのが遅れた。それが原因でフランはもう少しで天界に行く事になってしまうところだった。だから霊夢はそこを突かれると厳しいものがある。

 だから若干棒読みで目をそらしながらそんな事を言う。そしてその隙を魔理沙は逃さない。最後の仕上げと、霊夢の背けた目を自分の方へ体ごと向けさせて睨むように見つめる。

 

「私が行ってやればフランもあんな事にはならなかったかもしれない!」

「そ、それは……」

「霊夢もそう思うだろ!?」

「ええ……まあ……」

「なあ、頼むよ霊夢! 手伝わせてくれよ!」

「わ、分かったわよ……じゃあその皿を広間に運んでちょうだい」

「おうよ」

 

 霊夢はそう言うと桶を置いて倉庫へすごすごと退散してしまった。

 魔理沙はというともちろんそれを見て満足げに白い歯を見せてニシシと忍び笑いをしている。実は魔理沙は最後の日に起こったことの一部始終を全て文から聞いていたのだ。

 

「最低ね」

「ん? 何がだよっと」

 

 魔理沙は皿を持ち上げ縁台で座っているパチュリーの方へ皿を運んでいく。

 

「人の弱みにつけこむなんて」

「最高だろ。人の弱みに付け込んで自ら労働しようってんだぜ? ろ・う・ど・う・をさ」

 

 手伝いもせずただ本を読んでいるだけのパチュリーに魔理沙はそんな事を言う。それでパチュリーに罪悪感を植えつけようとしているのだろう。

 

「今度は私の弱みにでもつけこむつもり?」

「お前の弱みにつけこむならキノコでも漬け込んでたほうがよっぽどましだぜ」

 

 魔理沙はパチュリーが投げる本をひょいひょいと避けながら器用に皿を居間に運んでいく。

 縁台には隙間を使って買出しに行った妖夢達が置いておいたであろう食料が乱雑に置かれていた。妖夢達の姿が見えないので恐らく折り返し買出しに行っているのだろう。

 その材料がおいてある縁台に空のように青い髪に青いリボンをつけた少女がいた。

 チルノだ。祭りで買ったのか、変な仮面を着けたチルノが食料をがさがさとあさっている。

 

「あった! スイカバーだ! げっとー!」

 

 何故アイスを放り出して折り返し買出しに言っているのだろうか。しかも夏に。という疑問は置いておいて、どうやらチルノはスイカバーを手に入れたらしい。そしてどうもこの暑さから自分の冷気でアイスを守ろうという風でもない。

 魔理沙がそう思ったのもつかの間、チルノは袋を開けてアイスを取り出した。

 

「いただきまーす!」

「あ、こら! それ妖夢が買出しで買ってきたやつじゃねぇか!」

「うん! いただきまーす!」

「いただきますじゃねえ!」

「何を言っても無駄よ」

「ちっ、この馬鹿! 皿ブーメランをくらえ!」

 

スコーン

 

 とチルノの頭に真っ直ぐに飛んで言った皿はチルノの空っぽの頭に直撃した。然るべくその皿は地に落ちて割れたのだった。

 

「いったぁ……何すんのよ魔理沙!」

「当然の制裁だ! 皿ブーメランをくらえ!」

「どちらかというとフリスビーじゃないかしら?」

 

 パチュリーのつっこみも無視し魔理沙はチルノに皿を投げつけまくっている。

 

「ぎゃあ!」

「お?」

「いたいいたい!」

「おお!?」

「ちょ、魔理沙! 投げすぎ!」

「これはなかなか」

 

ヒュンッパリンッヒュンッパリンッヒュンッパリンッ!

 

 と、まっすぐ飛んでいく皿の軌道とその皿が割れる気持ちよさにどうやら魔理沙は癖になってしまったようだ。妖精で馬鹿とはいえチルノも痛みがないわけではない。何枚も皿を投げつけられるチルノはたまったものではないだろう。

 すると倉庫の方から怪しい影が。

 

「わ、私は本を読んでいただけよっ、何もしてないからっ」

 

それに気付いたパチュリーが慌てて取り繕うように言う。

 

「そう」

 

 怪しい影はゆっくりと、一歩ずつ確実に広間に続く道を通って魔理沙たちの方へ近づいていく。

 

「あはっはっはっは!こりゃ愉快愉快!」

「愉快?」

「ああ! 愉快ゆか――」

 

 怪しい影は霊夢だった。霊夢のその一言で魔理沙の動きが止まる。まるでその瞬間取られた写真でも見ているかのように魔理沙の手から放たれようとしている皿が地面と水平になってとまっている。

 

「……よぉ霊夢」

 

 魔理沙はパッと持っている皿を後ろ手に隠しながら振り向くとそこには無表情の霊夢が複数の皿を抱えて立っている。

 

「何が愉快なのかしら」

「ゆ、愉快? あ、ああ愉快じゃなくて誘拐だよ誘拐」

「誘拐?」

「えと……そ、そう、スイカバーが……チルノに誘拐されて……さらわれた……なんつって」

 

 霊夢は無表情のまま、ゆらゆらと魔理沙の方へ歩いていく。霊夢が一歩踏み出すたびに魔理沙の顔が引きつり、冷や汗が頬を伝って流れ落ちていく。

 そして

 

「ひぃっ!」

 

 魔理沙は霊夢に何かされると思ったのだろう。手で前方を覆う壁を作り身構えている。だが魔理沙の思いに反し、霊夢は魔理沙の横を通り過ぎ、頭を押さえているチルノのほうへ近づいていく。その周りには無残に割れた複数の皿が。

 

「あれ?」

 

 魔理沙は手のガードを解いて振り返ると霊夢が縁台に皿を置いて頭を押さえているチルノに歩み寄っていた。

 

「助かった……のか……」

 

 魔理沙は滝のように流れてきた冷や汗を手で拭いそんな事を呟いた。パチュリーも本で顔の下半分を隠し、おどおどとその様子を心配そうに見つめている。

 霊夢は怒っていないのか。と魔理沙は一瞬そう思ってしまった。そしてそれは無いとすぐさま考え直す。霊夢の失礼な物言いに予期せずしてしまった霊夢の弱みにつけこむという最低の行為をしてしまったのだ。そして更にその霊夢の期待を裏切った。

 霊夢が怒っていないはずがない。

 いつ爆発するか。魔理沙はビクビクしながら、パチュリーは開いた口を本で塞ぎながら見つめている。火のついた導火線がつなげられた爆弾でも見ている気分だろう。しかも悪い事にその導火線は透明だ。

 その爆弾である霊夢はというとチルノの隣でしゃがんでいる。

 

「チルノ、そのお面どうしたの?」

 

 チルノに怪我が無いか心配してみてやっている、など巫女らしい事をするわけもなく霊夢はチルノに問いかけている。

 チルノが着けている仮面、それは霊夢があの日、祭りに行っていた時に見たものだった。チルノは妖精で人里に降りる事は霊夢も許可していない。なのに何故こんな所に祭りで売ってあった仮面をチルノが着けているのだろうか。

 

「ん? これかっこいいでしょ! これ着けたら強くなれるんだって! 魔理沙が言ってた!」

「へぇ、そのお面魔理沙がくれたの?」

「うん!」

「馬鹿っ」

「へぇ」

 

 霊夢の弱みにつけこんだ魔理沙の口上、これも魔理沙がでっち上げた嘘だった。魔理沙はあの時祭りに行っていたのだ。そして買った変てこなお面をチルノに着けさせ笑っていたのだ。

 

「救いようが無いわね」

 

 弱みにつけこみ、その為に嘘をつき、それを承諾してくれた霊夢の期待を裏切った魔理沙。それにはパチュリーも呆れ顔のジト目だ。

 

「あ、あはは……そう! そうなんだ! 忘れてたぜ! 確かに私行ったなぁ、昨日のま・つ・り!」

「そう……そうなんだぁ、へぇ~」

 

 霊夢が立ち上がる。そして更にさっきまで無表情だった霊夢の顔に笑みがこぼれた。

 これは導火線に付いている火が本体に到着した事を示す。

 

「あははははは……逃げるが勝ちだぜ!」

 

 魔理沙はすぐそこに立てかけていた愛用の箒を手にする。逃走を決め込む気だ。いくら霊夢といえど魔理沙のスピードには着いてはいけないだろう。

 魔理沙が空中へ逃げようと箒にまたがる。そして最後とばかりに霊夢を振り返る。しかしそこには魔理沙が逃げるのを中断せざるをえない光景が広がっていた。

 

「うっ」

 

 霊夢が片手で顔を覆い、震えながら泣いているのだ。

 

「れ、霊夢? 泣いているのか?」

「いいえ……笑っているのよ……あなたを……あなたなんかを信じてしまった私をね」

「霊夢?」

「私はあなたなら信じてもいいって思った……手伝ってくれるって言ってくれたことが嬉しかった。だから私は――」

「霊夢……ごめんな……私……間違ってたぜ」

 

 魔理沙は箒を投げ捨て震える霊夢に駆け寄り抱きしめる。

 

「ああ!」

「ごめんな霊夢、私本当に手伝いたかったんだぜ? でもスイカバーがさ、食べられそうになってて、いても立ってもいられなかったんだ、だから」

「魔理沙……」

 

 霊夢も魔理沙を抱きしめる。口を大きく開けて本もポロリと落としたパチュリーは声を失っている。

 

「さあ霊夢、いつまで泣いてんだよ? さっさと準備をしようぜ? な?」

「そうね」

 

 そう言って顔を上げた霊夢の表情は笑っていた。それはとても穏やかで毒気の抜けた気持ちのよい表情、という表現と対極に位置する表情で。

 

「まずは害虫を駆除しないとねぇ」

「れ、霊夢……さん?」

 

 パチュリーは落とした本を拾い直すと読書に戻る。

 

「捕まえたわよ」

「あららぁ……」

「覚悟はいいかしら? 快速ゴッキーさん」

「……いいえ」

 

 こうして宴会の準備は着実に遅れていったのであった。

 

 



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第三十四話 ~宴の始まり~

 

 

 遅れに遅れた宴会準備は魔理沙を隔離することでようやく完了した。

 

 辺りはもう薄暗くなり、涼しい夜風が奏でる風鈴の音はとても風情がある。更に神社の周りで鳴く虫や蛙達の鳴き声もあいまってそこはさながら夏の終わりのオーケストラ会場のようだ。

 そして風鈴の奏者は手が何本もあるらしい。未だ寝ているフランの頬を撫で、心地よい寝息を奏でている。

 それは少しでも演奏の仕方を間違えればたちどころに壊れてしまいそうな繊細な天使の楽器。

 しかしその楽器は繊細すぎたらしい。ついに奏者の集中力が切れ心地よい寝息が消えた。代わりに寝ぼけた音色が聞こえてくる。

 

「ん……にゃ……」

 

 そんな楽器の異変にいち早く気付いたのはすぐ傍に座っていた魔理沙だった。

 

「お、やっと起きたかフラン」

「ん……まり……さ?」

 

 フランが目を開けると、そこには自分の顔を覗き込む魔理沙がいた。

 何故魔理沙がフランの近くにいたのか。

 実は魔理沙は霊夢に命令されてフランの見張りをしていた。前のスイカバーの件でこっぴどく叱られた魔理沙は渋々その命令を受けてずっとフランの傍に座っていたのだ。

 魔理沙に下された命令はこうだ。

 天使の寝顔を眺めるためにサボるメイドを追い払うこと。メイドである咲夜がサボらなければ準備はかなり早くなるというもの。

 更には隙を突いて撮影しようとする、宴会の準備の邪魔になるパパラッチも追い払える。そして魔理沙の邪魔もない。これにより宴会の準備は滞りなく進められるようになった。

 しかし子供の寝顔になど興味のない魔理沙は不満タラタラだった。だからフランの寝顔にペンで悪戯をしようとしたのだが、そのたびに頭に刺さるナイフが数を増していく。だからので書くことを諦め、ずっと傍に座っていたのだ。

 フランが体を起こすと掛けられた毛布がずれ落ちて衣擦れの音がする。いつの間にかかけられていたそれがずり落ちていくのをフランは眠り眼で追う。

 

「ん?」

 

 周りがなんだか騒がしい。フランは周りを見渡すと、そこには信じられないような光景が広がっていた。

 神社の広間には長机が置かれ、その上には豪華な料理がずらりと並べられている。それは咲夜が調理した、フランの好みに合わせて作られた特製の料理だ。

 しかしフランが信じられないのはそんな事ではない。夏の風物詩の風鈴の音、秋の風物詩の虫の音、その音がかき消されそうなほどに周りにいる者たちが騒いでいたからだ。

 どうやらフランは眠りすぎたらしい。フランの起床を待ちきれなく、皆先に宴会を始めてしまっていたのだ。

 

「え?」

 

 主役であるフランを差し置いて皆酒を飲み、料理を食べながらがやがやと話をしている。しかも大分出来上がっているようで顔を赤くし、従者組みは上司への愚痴をタラタラとこぼしている。

 

「私はほんの少し目を閉じて瞑想していただけなんです……でも咲夜さんったら……咲夜さんったら! 私の頭にナイフを何本も何本も突き立てていたんですよ!? 信じられますか!? しかも私が目が覚めた時、目の前にいたんです。私の姿が映し出された鏡を持って、にこやかに「ライオン」って言うんですよ!?」

「瞑想か~あたいも前使ったなぁ~。拳骨が返ってきたけどさぁ。二発も同じところに打って鏡餅とかいうんだよ。まいっちまうよねぇ」

「幽々子様なんて自分が太ったのを私が作る料理のせいにするんですよ! 酷すぎますよ! 脂肪切断してやろうかと思いましたよ!」

「私は実験台にされかけた事があります。ゴハンにひそかに入れられた薬が激薬で髪の毛がうどんになった事が……師匠はうどん毛ってにこやかに笑ってました……」

 

 永琳の従者である鈴仙・優曇華院・因幡、兎の耳を頭に引っ付けた少女。どうやら永琳の指示で宴会の準備を手伝いに来たようだ。そしてそのまま居座っているのだろう。

 その愚痴の的になっている上司である年長組、四季と紫、幽々子に永琳は麻雀を始めてしまっている。

 

「また私の勝ちだな」

「さすがお上手です四季様」

「もう歯が立たないわねぇ」

「そうですね」

 

 四季が勝ったもののなにやら不満げだ。負けたら負けたで酔いに任せて説教でもすると踏んでいるのだろう。どうやらこれは接待麻雀らしい。わざと負けて四季の説教をさせまいとしている。

 永琳はあまり乗り気ではない。可愛そうな事に数あわせで無理やりいれられたのだ。

 これは恐らく紫と幽々子の策略だろうがどうやら四季にはお見通しだったようだ。

 

「八百長などやるんじゃない! 私はこういうのが最も嫌いなのだ!」

 

 不満を覚えた四季はこのままではいくまいとどなりちらす。それもそうだろう。その八百長やなんだと不正をしているものを裁く身なのだ。飲酒していることもあってその声は普段よりも大きい。

 

「はぁ……だから言ったじゃないですか。こういうことになると」

 

 紫と幽々子は観念したのか、俯いて肩を落としてシュンとしている。ここからまた長い説教がはじまるのかと。

 

「確かにこうなる事も分かる。お前達が私に遠慮しているのだな。それに気付かなかった私の配慮のなさがこのような事を引き起こした原因だったかもしれない」

 

 この言葉に紫と幽々子は光明を見たのかパッと顔を明るくし取り繕うように矢継ぎ早に言葉をつむぐ。

 

「そ、そうですとも四季様! 私達は無礼があってはいけないと思って……ね!? 幽々子!」

「そ、そうよぉ、全部四季様が悪いのよぉ」

「お馬鹿っ」

 

 四季は幽々子のその言葉に紫と幽々子を睨みつける。

 

「八意永琳、この二人をどう思う」

「フランさんの教師としてご指導願いたいと思います」

「教師?」

「ええ、ただし反面教師としてですが」

「悪影響を及ぼすだけだと思うがな」

「ごもっともです」

 

 ぬか喜びの後、肩をすくませる二人だがここで四季が新たな提案をする。

 

「おほぉん! このままでは私もお前達も楽しめない、というわけで一つ罰ゲームを決めようじゃないか!」

「罰ゲーム?」

(また変な事に……)

「何かしらぁ?面白そう」

「負けたものが衣服を脱ぐ! これでは負け放題できないだろう!」

 

 と普段の四季からは想像できないほど大声を上げて笑っている。酒はここまで人を変えてしまうようだ。

 

「ここは宴の席だ。負けたからといって説教などと無粋な事はしない。無礼講でいこうじゃないか」

「よろしいので?」

「ああ。本気でかかってくるがいい」

「なら全力で行くわよぉ」

「ふふ、いいわ、本気の麻雀……面白い、実に面白い」

「仕方がないわね……なら私も(隙間をつかって)いかせてもらうわ……全力で(いかさまを)!」

 

 等と勝手に熱くなっている。宴会で麻雀などどうかと思うがそれはそれで楽しそうだ。

 しかしそんな光景が楽しそうであればあるほどフランの怒りは大きくなっていく。

 少しは自重し主役が起きるまで食べ物に手をつけずに待っているのが普通だろうと、子供の思考回路のフランでもそう思う。

 今まで寝ていたとはいえ主役であるフランは蚊帳の外。これにはさすがのフランも堪忍袋の緒が切れるというもの。

 

 

「魔理沙!」

 

 とすぐ傍にいる魔理沙に行き場のない怒りの矛先を向けて睨みつける。

 

「主役は私っ……なの……に……」

 

 しかしフランが非難の的にしようとした魔理沙だが、その的である魔理沙の手には骨付きのチキンが握られていた。

 

「え、あ、ああ……いや……これはその」

 

 魔理沙は急いで手に持っていた骨付きチキンを後ろ手に隠すがもう遅い。怒りに震えていたフランは毛布を思いっきり握りそして

 

「ううう……不貞寝してやる!!」

 

 そう一言言ってまた毛布を被ってしまった。

 

 しかしずっとフランが起きるのを待ち、騒ぐことの出来なかった魔理沙はたまったものではない。

 

「おいおい! 起きろよフラン! 主役だろ!」

「やだっ!」

「やだっ! じゃねぇぜ! ほら、これでもくって機嫌直せよ」

 

 言って魔理沙は自分の手に持っていたチキンをフランのへの字に曲がった口にねじ込んだ。飴とは違い甘くはない。そして寝起きで肉など、胃がもたれて仕方ないだろう。

 

「んー! んー!」

「ほらほら、早く起きろ~胃にもたれるぞ~」

 

 魔理沙はフランの首に手を回して捕らえ、フランが肉を吐き出さないように手で口を塞いでいる。

 そして不意に風を切る音と共に魔理沙に向かって光る何かが飛んでくる。

 

「おわっ」

「妹様に何しくさりやがってるの!? 魔理沙!」

 

 丁度料理を持ってきていた咲夜がフランに意地悪する魔理沙を見つけて投げたナイフだった。しかしさすが魔理沙というべきか、紙一重でかわしている。

 

「お前こそどういうつもりだ! こんな場所でナイフなんて投げるんじゃねえぜ!」

「妹様への暴行許すまじ!」

「どうでもいいけどフラン首が絞まって窒息しそうよ?」

 

 レミリアはもう起きていたらしい。そしてやはりお嬢様でカリスマの持ち主だ。ユラユラと波打つワインが入ったグラスを手にしている姿はとても堂に入っている。

 

「どうでもいいけどレミリア、頭に何か刺さってるぜ?」

 

 優雅にワイングラスを持っているレミリアの額には先程咲夜が投げたナイフが突き刺さっていた。

 

「どっかの駄・目イドがこの狭い場所でナイフを投げるからよ」

「も、申し訳ありませんお嬢様!」

 

 どうでもいいがフランの首はいまだ魔理沙に掴まれている。しかも魔理沙が咲夜のナイフをそのまま、更にすばやく避けたせいでより一層絞まってしまっている。意識がもうないのかフランの足はブラブラと空中散歩だ。

 レミリアの頭に刺さったナイフを咲夜が抜き取る間に魔理沙は「落ちた」という名の不貞寝をしたフランを起こしにかかる。

 

「おいフラン! 起きろ!」

 

 魔理沙は何度かフランの頬をパンパンと軽く叩いてみるが起きる気配がない。それを見かねたパチュリーが残念そうに突っ込む。

 

「完全に落ちてるわね」

「お、落ちてるなんて悪い冗談はよせよ、これはただ不貞寝してるんだぜ?」

「自覚症状がある分まだましかしら」

「わ、私は落としてなんかないぜ、これは不貞寝だ、不貞寝」

「全く……宴会はいつ始まるのかしら」

 

 パチュリーは不満そうにジト目でフランをゆっくり寝かせる魔理沙を見る。

 

「よ、よし、じゃあキスをしてみよう。どっかの童話でキスで目覚めるってのを見た事がある」

「へ?」

「ほらフラン~目を覚まさないとキスしちゃうぜ~」

 

 と魔理沙は眠っているフランの唇に自分の唇を近づけようとする。両手をフランの顔の横に突いてゆっくりと着実にフランの唇にに近づいていく魔理沙。

 するとそこへ足音が近づいてくる。

 それは紅白の巫女服に身を包んだ霊夢だった。両手には料理が乗ったお皿を載せている。咲夜に続き、霊夢もまた料理を運んできていたようだ。

 

「魔理沙、冗談でもそういうことは止めてよね」

「あ? なんでだよ? 私はフランを起こそうと――」

「起こすのはいいんだけど……また別の人が眠っちゃいそうだから」

 

 霊夢は頭痛がしそうなほど顔をしかめ、ため息をつく。

 

「別の人?」

 

 霊夢は両手に料理を持っているので魔理沙の背後を顎でしゃくって示す。そこにはいつもジト目の目を見開き、口を大きく開けてプルプル震えながら絶句していたパチュリーがいた。

 

「というか気を失う……というか」

「は?」

 

 

 

 

 

 

 

宴会

 

 

「さあ始まりましたフラン帰宅の宴!」

 

 気絶したフランをどうにか起こし、甘い物を与え、幾分か機嫌をもどしていよいよ宴会芸が始まった。司会進行をするのはどうやら魔理沙らしい。いつの間にか用意された舞台の中央に立ち、「ニトリ製」と書かれたマイクを手に声を張り上げている。

 

「変なネーミング」

 

 どうにか目覚めのキスを阻止したパチュリーも気を取り直し早速魔理沙にくって掛かる。

 

「こまけぇことはいいんだよ! さあ料理も酒も一杯用意した! お前のために用意したんだ! じゃんじゃん食えよフラン!」

「皆もう食べてたけどね~」

「料理作ったのはほぼ私だけどね~」

「あんたは邪魔しかしなかったしね~」

「フランを落としちゃうしね~」

「あたいったら最強ね~」

「うるせー! 今日はめでたい日なんだ! 盛り上がっていこうぜ!」

 

 未だ不満な表情を見せるフランを筆頭に咲夜、霊夢、レミリアが畳み掛けるように魔理沙を攻める。

 

「と、言うわけでこれから宴会芸を始めようと思う! 司会進行は幻想郷一の美少女でありながら魔法少女でもある非の打ち所がない憎い女の――」

「とっとと進めなよ微少女!」

「そんなのいらない! それに美少女で魔法少女は私なんだから!」

「ひっこめブスー!」

「いや~合いの手ありがとうございますっ! 合いの手をくれたてめぇらにマスタースパーク!」

「きゃー!」

「いやー!」

ぴちゅーん!

「え~まず初めはエントリーナンバー一番! 紅魔館のゲートキーバーによる太極……け……ん?……皆さんしばしお待ちを~」

 

 魔理沙はそう言って幕が下ろされている舞台裏にそそくさと入って行ってしまう。

 幕の裏に隠れて準備していた美鈴が何事かというような表情で魔理沙を出迎える。しかし魔理沙は美鈴以上に何事かという表情で美鈴を見つめている。

 

「お前本気か?」

「え? 何がです?」

「出し物だよ出し物! 太極拳なんかやった時にゃあお前、会場は静寂の嵐だぜ!」

「せ、静寂の嵐? え、えと……どういういみ……いや、しかし、私はこれしかなくってですね……」

 

 美鈴は魔理沙の戯言など考えるだけ無駄なのでそれについての思考を止め、今自分にはこれしか芸が無い事を申し訳なさそうに頭をかきながら、照れ笑いしながら魔理沙に告げる。

 

「私にいい考えがあるぜ」

 

 魔理沙は顔をにやつかせ美鈴にある芸を提案しようとする。

 

「いえ、結構です」

 

 美鈴は魔理沙の提案も聞かずに拒否する。それもそのはず、幻想郷のトラブルメーカーである魔理沙なんかの言う事を聞いていたら命がいくつあっても足りはしない。それはいつもありとあらゆる罠を張ってそそのかし、紅魔館へ進入される美鈴ならではの考えだ。 だがそんな事で引く魔理沙ではないからトラブルメーカーの異名を持つのだ。

 

「そうか。仕方ないな。絶対受けると思ってお前のためだけに用意したんだけどな」

「ふ、その手はくいませんよ。あなたに何度騙されてきたことか」

 

 美鈴は今までに何度か魔理沙に騙された事がある。昼間の霊夢とのスイカバー事件も然りだ。魔理沙の悪戯は少し度が過ぎている。 だから美鈴はいつも以上に頑なに魔理沙の提案を拒んでいるのだ。

 

「はは、いや、今日はフランの宴だからな。台無しにしちゃ不味いと思っただけなんだ。ただそれだけなんだ」

「そうですか。じゃあ私の太極拳を披露して会場をワッと盛り上げて見せましょう」

 

 今度は情けを持って罠をかけに来たらしい。フランの為と最もな大義名分を語り美鈴を罠に嵌めようというのだろう。

 しかしこれも昼間使った手。罠は使えば使うほど効果が薄くなる。それを明示するように美鈴はさらりと受け流す。

 

「そっ……か。分かった、じゃあアフターケアを考えておくぜ」

「失敗する前提ですか?」

「まあまあ、人生これからだ、次があるぜ?」

「ええ……え? えええええ!? 人生にかかわるんですか!? それに私また何もやってないんですけどぉ!? 何で失敗した事になっちゃってるんですか!? きっと成功しますって!」

「はぁ、そう……だな。まあ元気出せよ、な?」

「お前が元気出せよ! 司会者なら立派に芸人を送り出すのが仕事でしょう!」

「ああ、元気で暮らせよ。あの世でな」

「私死ぬんですか!? 失敗したら死ぬんですか!?」

「グッドラック」

「ぐっどらっくじゃねぇし!」

「ほら、せめてもの手向けだ」

「ちょ! 花言葉はどれもネガティブなヒヤシンスにマリーゴールド、ムスカリまで!? てかなんで持ってるんですか!?」

「よく知ってるな、このネガティブフラワーズの名を。大丈夫骨は拾ってやるぜ」

「な、なんでこんな事で死なないといけないんですか!」

「こんな事……だと?」

「へ?」

「大馬鹿野郎が!」

「ぐはぁ!?」

 

 魔理沙は思いっきり美鈴の顎に強烈なアッパーをお見舞いした。

 

「どんな些細な事でも全力でやる! それが芸人魂なんだよ! スポ魂なんだよ!!」

「ぐっ……ス、スポ魂?」

「偉人は言った。何故ベストを尽くさないのか、と」

「な、なるほど……」

 

 今度は肉体派の美鈴にスポ魂で罠を張りに来たらしい。そしてこれが功を奏したようだ。魔理沙による数多の罠の応酬により美鈴は罠に落ちた。

 

「魔理沙さん! ぜひ私にご教授下さい! あとメリケンサックで殴るのは勘弁して下さい」

「よろしい、耳をかすがよいぜ。あとメリケンサックは洒落だ」

「洒落になってないです……」

 

 



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第三十五話 ~宴会と鬼~

 

 

 

 魔理沙が幕の裏に隠れて数分、未だ帰ってこない。ぶーぶー文句を垂れたところで相手は魔理沙。皆にせかされたところで出てくるような神経の持ち主ではない。

 取り残されたものは無駄骨を折る事はせず、ざわざわと雑談を始めたり飲み直したりしている。

 宴会に寝坊して不機嫌だった主役のフランはというと。

 

「ねえねえ、これ本物?」

「あ、あのっ、ちょっと放してください! いたいっいたたたた!」

 

 暇をもてあましたフランは優曇華の頭にくっついている耳をつまんだり引っ張ったりして遊んでいた。子供とはいえ吸血鬼で力があるフランに引っ張られるので優曇華はたまったものではない。引き剥がそうとすればするほど耳が引っ張られ、ただでさえ長い耳がもっと伸びてしまう。

 

「フランさん何してるの?」

 

 そんな暇つぶしをしているフランの所へ麻雀を終えた永琳が宴会芸を見ようとやってきた。

 

「あ! お師匠様! 助けてください! この子力が強くてっ」

「あらあら、いい大人が悪戯なんていただけないわね」

 

 子供と称されることを嫌うフランにとってこの言葉は効果大、優曇華にとっては大きな助け舟だ。

 

「むぅ……」

 

 一つ不満の声を絞り出したフランは優曇華の耳から手を放す。フランの手から放たれた優曇華はフランからさっと距離をとって耳をさすっている。

 

「永琳だって私が起きてないのに楽しそうに遊んでたじゃない!」

 

 ぐうの音も出ない永琳の物言いにフランは自分の事を棚に上げ、逆に永琳の過失を追求することにしたようだ。この時点でもうすでに大人気ないがフランが絡んでくることが面白いので永琳は指摘はしない。

 

「麻雀のことかしら?」

「そうだよ! 永琳も大人ならやったらいけない事といい事の区別くらいできるんじゃないかな!?」

 

 フランはまだ根に持っていたようだ。

 してやったりと、腕を組んで、顔には不適な笑みを浮かべて横目で永琳を見つめている。反論できるものならしてみろというのだろう。

 しかし、永琳はそのフランの子供じみた行動がことごとく楽しいようだ。ぐっと笑いを堪え逆にフランをいじって楽しもうとしている。

 

「あれは遊んでいたんじゃなくて仕方なく付き合っていただけよ? 大人の事情で」

「大人の事情?」

「そう、大人の事情。あなたも大人なら分かるでしょ?」

「むむむ……」

 

 大人の事情、それはフランにとって、子供にとって大人が自分に都合のいい言葉を並べただけのただの文字の羅列だ。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 そしてフランは自称大人の五百歳近い子供だった。永琳はそこを突いて上手くごまかすつもりらしい。

 

「ふん! そんな事情なんて分かりたくないもん!」

 

 ここまでフランを上手く操れれば後は永琳の思う壺だ。

 

「じゃあ子供でいいの?」

「べ、別に、いいも~んだ」

 

 すぐに掌を返す五百歳児に永琳はにやり。

 永琳は体を傾けて顔を半分隠してはいるがもう半分は隠しきれずに表情に出てしまっている。その証拠に後ずさるように距離を取っていた優曇華が呆れた顔で永琳を見ているのだ。

 

「そう、ならこっちに来なさい」

 

 言って永琳は座り、フランを掴みあげて膝の上に座らせた。

 

「子供なんだからこんな事もしていいのよね?」

 

 幻想郷に帰る前、永琳はフランを安心させるため後ろから抱きしめた。永琳はそのフランの反応がくせになってしまったようだ。永琳は戸惑うフランをぎゅっと抱きしめる。

 

「そんなのいいわけっ」

 

 そのせいで永琳の豊満な胸がフランの頭に押し付けられる。

 

「ないん……だから……」

 

 これをやるとフランは恥ずかしそうに俯いて黙ってしまった。フランの母親も永琳の様に巨乳だったのかは分からないが、フランはこれに弱いようだ。

 これがお気に入りの永琳はとてもご満悦な表情でフルーツの乗った皿を手に取り、フランの前に持ってくる。

 

「ふふっ、はいこれ。食べる?」

「食べる」

「あ、それ私の」

 

 フランは少し戸惑いながらもそれを手に取り、もぐもぐと食べ始める。永琳は更に顔をほころばせて更にご満悦だ。傍から見たらもう親子だ。

 しかしそんな光景を面白くないといった面持ちで見つめるものがすぐ傍にいた。

 

「ちょっとあなた! 妹様に何をしているの!?」 

 

 それは紅魔館のメイド長、十六夜咲夜だった。自称他称ロリコンの咲夜にはフランを独り占めにしている永琳が許せなかったのだろう。

 永琳を指差して怒鳴り散らしてきた。

 

「嫌がっているでしょう! 離れなさい!」

「嫌がってないわよね~?」

「う、うん……」

「はぅあ!? 妹様! あなたは胸の魔力で操られているだけなのです! ささっ! 私の膝へご避難を!」

 

 咲夜が正座をしてフランを自分の膝へ来るよう、腕を広げてウェルカム状態だ。その咲夜の表情は恐ろしいほどに必死だった。

 そこでフランは咲夜の胸と永琳の胸を交互にチラチラと見比べると

 

「こっちがいい」

 

 とぬかしたのだった。

 

「いやぁ~胸の魔力は偉大だねぇ」

 

 ほろ酔い気分の小町が自分で酒を酌みながら呟くと麻雀から帰ってきた四季が隣に座った。

 

「胸に魔力などありはしない」

 

 四季は不機嫌そうに小町の呟きを追いかける。

 

「そうですか」

 

 小町は四季におちょこを手渡し、お酌してやる。

 

「ところで四季様」

「なんだ」

「何故全裸なのですか?」

「聞くな」

 

 

 

 

 

演目1:燃えよドラゴン!

 

「お待たせしました。さあ仕切りなおしてエントリーナンバー一番! 紅魔館のゲートキーパーでネタはモノマネ! 中世ヨーロッパで行われた火刑! 題して! 火あぶりにされる魔女!」

 

 ようやく魔理沙が幕の裏から出てきたかと思うと急に大声を張り上げてそんな台詞をはく。

 そして魔理沙が言い切ると同時に舞台の幕が開いた。そこから現れたのは柱に手足を縛られている美鈴だった。

 

「も、燃えよドラゴン!」

 

 と力の限り叫ぶだけ。

 

「……なんつって」

「……」

 

 当然うけるわけもなく、声を発する者は誰もいない。魔理沙や美鈴が恐れていた通りに会場は静まり返ってしまった。

 

(ま、ままままっ魔理沙さん! どういうことですか! 全然受けませんよ! 静寂の嵐ですよ!)

 

 美鈴はすぐ横で司会をしている魔理沙に小声で必死に助けを求める。

 美鈴は魔理沙の提案で無理やりやらされたのだ。だから魔理沙なら何かフォローをしてくれるだろうと思っていた。

 魔理沙は何か考えがあるのか、美鈴にニヤリと唇を吊り上げて笑みを返す。

 何か考えがあるのだ。美鈴がほっとしたのもつかの間、それは間違いだったようだ。

 

「えーリハが終了したところで改めて宴会芸を始めたいと思います!」

「え? リハ? ちょっっと魔理沙さん、一体どういう――」

「エントリーナンバー一番! 紅魔館のタイムキーパー! 十六夜咲夜!」

 

 いまだ舞台の上で柱に縛られている美鈴を放置し演目を進める魔理沙。あまつさえ美鈴の演目をリハーサルという名目に変更し無かった事にして。

 

「承りました」

「あいつタイムキーパーの意味わかってるのかねぇ」

「演目は目隠しによるナイフ投げだぜ! そして標的となったのは~……おっ」

「おっ?」

 

 魔理沙はリハで柱に貼り付けられている美鈴を見るや否や、わざとらしく、今見つけたように声を上げる。

 

「すでに縛られてやる気マンマン! 燃えよドラゴンだー!」

「え?」

 

 ここで魔理沙が縛られて身動き取れない美鈴に耳打ちする。

 

「いや~代役を立候補してくれて助かったぜ。危うく私が的にされるところだったからな」

「はめやがったなあああああああ!」

 

 魔理沙は演目のプログラムを全て把握している。魔理沙は咲夜の演目を見て自分に危険が飛び火しないように美鈴を使ったのだ。

 

「え~ここでこの演目の説明をさせていただきます。目隠しをした咲夜がドラゴンにナイフを投げつけます」

 

 美鈴の悲痛な叫びをガン無視し、どんどん進めていく魔理沙。もう美鈴にはどうすることも出来やしない。

 

(まあ咲夜さんなら大丈夫、当たらないだろう……)

 

 だから美鈴は諦めて現在の状況を冷静に確認する。

 咲夜はナイフで百メートル離れた居眠りしている美鈴の眉間に命中させる事が出来るほどの腕の持ち主だ。そのコントロールがあれば例え目隠しでも失敗することはないだろう。

 だから美鈴は安心しきっていた。だがそれは外す事前提の話。

 

「そのナイフをドラゴンが全力でかわします」

「……はい?」

 

 どうやらこの演目は当てる事前提らしい。

 

「いきます」

「えっ、えっ?」

 

 百発百中の咲夜のナイフは目隠しをしていても九割九分九厘、美鈴の体というゴール枠内に入ってくるだろう。

 

「はっ!」

「ちょっ咲夜さん!」

 

 そして然るべく、その乱れ飛ぶシュートは全てゴール枠内に入っていった。

 

「それ!」

「ちょっと!」

「はっ!」

「まっ!」

 

 掛け声と共に、次から次へ投げつけられるナイフを美鈴は体をひねらせてかわすかわす。

 

「えい!」

「えいって!?  可愛いと思ってるんですか!?」

 

 その瞬間、美鈴の頭にナイフが突き刺さったのだった。

 

 

 

 

演目2:燃え尽きたドラゴン

 

 咲夜のナイフ投げが終わり、続いてはレミリアらしい。何やら立ち上がって準備をしている。

 

「え~続きまして、レミリアによる――」

「あの~魔理沙さん、その前にこの紐といてくれませんか? もう演目は終わったんですから」

 

 咲夜のナイフが十本程刺さったところでようやく次の演目に移行したようだ。

 

「目隠しをしてグングニルです」

「え?」

「その槍をドラゴンがギリでかわします」

「え、またぁ!? あ、ちょっ!?」

 

 カッ、と何かが木製の柱に突き刺さる音が美鈴の顔のすぐ横で響く。

 

「ちっ、はずしたか」

 

 それはレミリアが投げた紅の槍だった。

 

「あ~、まだスタート出してないから投げないで」

「ちってなに!? 渡し身内なんですけどぉ!? 今絶対殺しに着ましたよね!? ねっ!?」

 

 一人はしゃいでいる美鈴に魔理沙が声をかける。

 

「ゲートキーパー」

「何ですかっ」

「しっー」

「しっーっじゃねぇよ! 助けてください、お願いします」

「レミリア、準備は?」

「オーケー」

「じゃあ一言意気込みを」

「次は必ず」

「必ず?」

「コロス」

「いってみよう!」

「もうだ~、あのひと殺すつもりなんですけど~」

 

 

 

 

 

演目3:七色の羽

 

「続きましてエントリーナンバー3!みょんによる七色の羽!」

「はい!」

 

 舞台の上に妖夢が緊張しているのか顔をこわばらせて上ってきた。

 

「次は妖夢か、七色の羽ってのは何だ?」

「まあ見てて下さい。咲夜さん! 頼みます!」

「オッケー! 行くわよ!」

 

 いつの間にか咲夜が両手に持てるだけのナイフを持って舞台と皆を挟んだところに立っている。そしてその咲夜が腕を二回、ブンブンと振ると十数本のナイフが咲夜の手から放たれた。

 ナイフは会場の皆の頭上を越えて妖夢に向かってヒュンヒュンと跳んでいく。

 その危険な行為に皆一様にすこし頭を下げて警戒する。そして投げつけられた妖夢はというと。

 

キキキキン!

 

 と、咲夜によって投げつけられたナイフは小気味よい音を立てて次々に打ち上げられていく。そして妖夢の刀によって打ち上げられたナイフは宙をくるくると舞い、重力により当然の如く落ちてくる。

 妖夢はそれを待ち構えていた様に下に受け皿を用意してする。しかしその受け皿はとても細く長い。

 妖夢は自前の刀二本をまるで鳥の羽のように左右に突き出し、ナイフの先端をその刀の峰で全て受け止めたのだ。しかもその受け止めたナイフは刀に突き刺さっているように垂直に立ったまま動かない。

 更にはそのナイフには色が塗られ、妖夢を中心に赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の順(wiki調べ)に等間隔で綺麗に並べられている。つまりこれがフランの羽を模した

 

「はいっ、七色の羽!」

 

 というわけらしい。

 この神業には会場は大盛り上がりで歓声が沸きあがる。皆スタンディングオベーションだった。その羽の持ち主であるフランは感激して飛び跳ねる程。

 故に、フランを膝に乗せていた永琳は顎に頭突きをもろにくらい、気を失うことは必然だった。

 

「ししょおおおおおお!」

 

 

 

 

演目4:魔理沙の歌

 

「最後は私とパチュリーによる歌で締めくくろうと思います!」

「つまんない」

 

 そんなブーイングが魔理沙を襲う。それはいつも通りの野次で普段ならば素通りかマスパなのだろうがそれを言ったのがこの宴の主役だからたちが悪い。

 

「せっかく練習したんだぜ? お前のために」

 

 魔理沙はやれやれとばかりに掌を天にむけてわがまま放題の子供に言い聞かせるようにフランをたしなめる。

 

「じゃあねぇあれやって!」

 

 だが相手はフランだ。一筋縄ではいかない。然るべくフランは何かを思いついたようにそんな事をいいだす。

 

「人の話し聞いてるのか?」

「なぞかけ!」

「なぞかけ? 私は歌いたいんだけどな」

「魔理沙! 主役の、妹様の命令よ! 素直に従いなさい!」

「ちっ」

 

 ここで魔理沙にとって面倒な人物がカットインしてくる。気に食わないことがあれば武力を持って言い聞かせる事請け合いのフランの従者、咲夜。

 魔理沙は面倒ごとを避けるため不満の声を漏らすが反対はしない。

 

「お題はね~えとね~」

 

 フランは決めていなかったらしい。なぞかけにはお題があり回答者はそれを元に謎かけをする。

 フランは何か無いかと辺りをキョロキョロし始める。すると何かにフランの目が留まる。それは永琳の胸、そして先程比べた咲夜の胸に。

 

「じゃあ咲夜の胸で!」

「ぶっ」

「……妹様? 冗談ですよね?」

「だめぇ?」

「ダメというわけではないのですが……そのぉ……」

 

 咲夜は恥ずかしそうに胸を手で隠しもじもじし始める。しかし笑顔で自分を見上げるフランがあまりに可愛いので断りきれない咲夜。

 

「いいよね? 咲夜」

 

 フランは咲夜にそう言って抱きついた。またそうして咲夜をたぶらかし、同意を求めるつもりだ。

 

「も、もちろんですとも! 妹様!」

 

 と、咲夜は半ばやけくそだがこうなるだろう。そしてフランは咲夜に見えないように悪魔のような笑みを浮かべたことは言うまでもない。

 

「本気かよ……」

「さあ魔理沙、主役である妹様がこう言ってるのよ? 早くなさい」

「ならとりあえず、そのナイフを捨ててくれませんかねぇ」

 

 へたなことをすれば殺す、と咲夜はナイフを一舐め。その下でフランは悪魔のような表情で舌なめずり。

 

「こいつら……」

 

 魔理沙は二人を睨みつけてささやかな抵抗をするが、そんなもの今の状況には何の役にも立ちはしない。

 もしも下手な事を言えば咲夜にサクッ、自分の身を守ろうと保身の道をとれば会場の雰囲気は冷め更に今後ずっとチキン野郎といわれることになるだろう。恐らくは小町辺りが馬鹿にしてくるに違いない。

 保身を取るか雰囲気を取るか。どちらにせよ魔理沙に輝く未来はない。

 

「はぁやぁくぅ~」

「ちっ」(この鬼畜娘がっ、今度弾幕ごっこでぼこす!)

 

 とフランは妖艶な悪魔の笑みを浮かべ、白い牙を見せて楽しそうに魔理沙をせかす。

 魔理沙は咲夜を刺激しないように、尚且つ一矢報いなければならない。チキンにも咲夜の餌食にもならない方法で。

 

「まだぁ?」

「しょうがねぇなぁ……」

 

 魔理沙は歌のために用意したマイクを握り締め自分の口の高さまで持ち上げる。

 

「整いました!」

 

 魔理沙は声を張り上げ、そう叫ぶ。

 始まってしまった。もう魔理沙は後には引けない。一体どうするつもりなのだろうか。

 

「「いえーい!」」

 

 魔理沙の声に呼応するように会場の皆も合いの手を差し出す。魔理沙にはめられた美鈴は嬉しそうにより一層声を張り上げている。

「咲夜の胸と書きまして!」

「「咲夜の胸と書きまして!?」」

「永琳の胸と読む!」

「「その心は!?」」

 

 皆ノリノリである。

 人の不幸は蜜の味。人の不幸が目前という事と酒が入っているということもあいまって皆テンションが上がっている。だが幻想郷一のトラブルメーカー魔理沙がこんな事で屈するわけが無かった。

 というのはかいかぶりすぎだったのかもしれない。

 

「どちらもナイスバディでございます」

 

 どうやら魔理沙は保身を取ったらしい。

 当然会場はシーンと静まり返る。残ったものは涼しげな風鈴の音とささやかな虫の鳴き声だけ。もしかしたらその涼しげな風の音まで聞こえるほどかもしれない。

 

「今夜は……冷えるわね」

 

 とポツリ、レミリアが言葉を落とす。

 

「……なんだか急に切なくなっちゃったわ」

 

 そしてパチュリーもポツリ。

 

「私、魔理沙のこと誤解してたみたい」

「あなたはもう少しできる人だと思っていました。残念です」

「つまんない」

「ざまぁ」

 

 落胆の言葉の粒がポツリ、ポツリと降り始めた。雨音の間隔が段々早くなって大雨になるように、会場は次第に以前の盛り上がりを取り戻していった。

 魔理沙はというと、雨が一粒も降らない静かな、しかし太陽の光も差してない薄暗い空間に一人たたずんでいた。誰も暖かい声をかけてくれず、ただ落ちる雨粒を体に受けて冷たくなった体のまま。

 

「魔理沙」

「……咲夜か、なんだよ」

 

 そんな魔理沙に咲夜が声をかけた。

 

「あなたこれ好きだったでしょう?」

「どういう風の吹き回しだよ」

 

 咲夜は魔理沙の好物を更に盛ってやって来たのだ。そして魔理沙のそんなそっけない言葉。

 魔理沙はわかっていた。咲夜は魔理沙が自分の胸をナイスバディと言ってくれた事に対し、お礼をしにきたのだと。だが魔理沙が咲夜に言った憎まれ口はかまかけだった。

 

「は、はぁ!? し、司会お疲れって意味だけど!? 別にあなたがああ言ってくれたからとかそういうお礼とかじゃ絶対無いんだからね!」

 

 そう言って咲夜はその場から立ち去ってしまった。

 魔理沙は自分が放ったかまかけによってあることを確信した。先程言った、あの会場を沈黙させた言葉の本当の意味を咲夜は分かってないと。

 普段の咲夜なら魔理沙に好物を自発的に持ってくるなどありえない。更に魔理沙のかまかけで、裏の意味を知り、毒を盛った皿を持ってくるということは考えにくい事が分かった。

 つまり魔理沙の計画通りに言ったということだ。そしてその本当の意味を知っているであろう人物が魔理沙に歩み寄る。

 

「魔理沙」

「よう、小町」

 

 小町がニヤニヤとした顔で近づき魔理沙の首に腕を回す。

 

「このチキン野郎」

 

 一言そう言ってニシシシと悪戯に笑う小町。保身を取った魔理沙に一番にそう言うであろう人物、小町。だが小町はあの場で野次は飛ばさなかった。

 つまりこの意味は小町に分かってそれ以外には表面的な意味しかわからないという事なのだ。

 

「おいっあれは」

「わかってる、わーかってるって、あの場であたいが野次を飛ばさなかっただろ? そういうことさ」

「お前に気付かれなかったら私は本物のチキンになるところだぜ」

 

 と魔理沙はほっと胸をなでおろす。

 

「しかしねぇ、あのメイドの胸がねぇ。だからあたいや永琳を睨んでたのかぃ。全く、恐ろしいよ」

「言うなよ?  絶対にいうなよ?」

「そりゃフリかい?」

「ちがうわっ」

「安心しなよ。あたいはこれでも口が堅いんだ。それにあんたの勇気に栄誉をたたえて口止め料はうな重でいいよ」

「口止め料とるのかよ……江戸っ子が聞いて呆れるぜ?」

「じゃあ言っちゃおうかな~」

「うな丼で手を打とうじゃないか」

「重だ」

「丼だ!」

「重!」

「丼!」

「重!」

「丼!」

 

 突如会場に銃声が轟き、小町と魔理沙の顔の間を弾丸がすり抜けて柱に命中した。

 

「銃ドーン」

 

 魔理沙と小町は銃弾が放たれた方向を見る。

 

「な~んてねっ。つい殺っちゃいそうになっちゃった。てへっ」

 

 その銃弾を放ったのは今しがた魔理沙の好物を更に持って運んできた咲夜だった。

 咲夜は恐ろしいほどににこやかな笑顔で銃を握り、更にその銃口を魔理沙と小町に向けていた。

 

「うぉーい! どういうつもりだよ咲夜! なんで銃ぷっぱなしてんだ! てかそんな銃どこから出した!?」

「ちょっと! なんであたいも狙ってんだい!」

 

 咲夜の手に持たれている銃は二丁。一方は魔理沙を狙いもう一方は小町を狙っている。

 魔理沙は小町の、小町は魔理沙の後ろに隠れようとがんばってもがいている。

 

「なるほど、ナイス・Nice……ね」

「げ」

「あ」

「解読された! 小町! ずらかるぜ!」

「あたい関係ないんだけど!?」

「一番苦しむ方法で、殺してあ・げ・る」

 

 

 

 

 

忘れられた美鈴と純粋なフランと悪ふざけの永琳

 

 

「はぁ……私……なんだか死にたくなりました」

「まあまあ、いつかいいことありますって」

 

 美鈴は落ち込んでいた。宴会芸で全く受けず、更に咲夜やレミリアの的にされていただけなのだ。

 だから宴会芸で一番受けた妖夢のそんな言葉に美鈴は我慢しきれずに逆切れした。

 

「あなたは七色の羽なんていってすごい事やってのけましたが私なんてただ縛られていただけですからね!?」

 

 妖夢を押し倒しそうな勢いで両肩を掴んで詰め寄る美鈴。更に涙を流し妖夢の体をゆらゆらとゆする。

 酒を飲んだら変貌する例の一番面倒なタイプである。

 

「そ、そんなこと無いですよ! あの体をくねらせた避け芸、見事でしたよ!」

「だって咲夜さんは主に胸しか狙いませんし……誰も私の名前を覚えてくれませんし……」

 

 すかさず優曇華がフォローに入るが美鈴の心の傷は相当深いらしい。更にさりげなく自分の名前を誰も覚えてくれないという不満を出す美鈴。

 いつも元気な美鈴が俯いて暗いオーラに包まれていく。

 

「私なんて生きていてもしょうがないんですよ……」

(やばいです優曇華さん! 何とかこのゲートキーパーさんを元気付けなければ!)

(あ、そうだ! 名前を呼んであげればいいんじゃないですか!?)

(それいいですね! それで、この人の名前はなんですか!?)

(え?)

(え?)

(……どうしましょう)

(聞くは一時の恥)

(はぁ)

(聞かぬは一生の恥です!)

(なるほど、それで誰に聞くんですか?)

「あなたの名前を教えてください! ゲートキーパーさん!」

 

 妖夢もまた酔っているようだ。

 

(なんで本人に聞くんですかあああ!?)

「いいんですよ……もう……誰も私の名前なんか……私の名前なんか……死んでやるううううううううう!」

 

 慌てて優曇華と妖夢が暴れる美鈴を取り押さえる。しかし相手は拳法の達人だ。妖夢がいくら剣の達人とはいえ剣を持たねばただの少女。

 優曇華と二人掛かりでも美鈴は止まりはしない。

 そしてそんな三人の行動をフランは見ていた。美鈴がどんな自殺をするかをわくわくして眺めているのではなく、驚いたことにフランは心配そうな顔をして美鈴を見ているのだ。

 

「……」

「どうしたのフランさん」

 

 美鈴の異変に気付いた、目を覚ました永琳がフランに尋ねる。尋ねてきた永琳をフランは見上げるがその顔は深刻だ。

 

「ちょっと聞きたい事があるんだけど」

「え? なぁに?」

 

 フランが永琳に聞いた事、それは美鈴の名前だった。自分が住む館の門番の名前が分からない事も驚きだが、今フランがそんな事を聞いてきた事も永琳には驚きだった。

 だから永琳は何故そんな事を聞くのかとフランに問い返す。

 

「ドラゴン……なんか元気ないから、私が名前呼んであげると元気になるかなって思って」

「あらあら」

 

 永琳は目を丸くして驚いた。あの鬼畜と歌われたフランがそんな優しい事を考える思考回路を持っているという事に。紅魔館での出発前のフランに比べればその変わり様は目を見張るものがある。

 人里での経験はフランをここまで成長させたらしい。

 それが永琳には嬉しかったのだろう。永琳は優しくフランの頭を撫でまわしてやる。フランはやはり喜びはしないが嫌がりもしない。

 

「む~……それでなんていうの?」

 

 そのフランから出たのはそんな不満の声と早く答えろという催促だけ。

 

「ふふ、そうねぇ」

 

 永琳は何か考え事をするように少し顔を上げて天を仰ぐ。

 ただ教えてもつまらない、などと余計な思考回路に電流を通しているのだろう。

 そうして回路の電流が頭の上にある電球にピコンと光をつける。そしてパッと顔を明るくさせる永琳。

 

「ヒント! 私と一字違いです!」

「永琳と一字違い?」

 

 フランは怪訝そうな表情でオウムがえしする。

 美鈴と永琳は一字違いだ。そのヒントをフランに教えて楽しんでいるのだろう。

 フランはしばし黙考する。頭の中の記憶を隅から隅まで舐めるように見渡しその答えを探す。更に「永琳」と何度かつぶやいている。

 しかし永琳と一字違いという簡単な問題なのにこの真剣さだ。これ見たら美鈴は逆に落ち込むだろう。

 

「あ! 分かった!」

 

 フランはそう叫ぶと永琳のスカートをちょいちょいと引いて屈むように促す。そしてゴニョゴニョと嬉しそうに屈んだ永琳に小声で耳打ちし、答え合わせだ。

 

「ぶふっ、せーいかい! きっと涙を流して喜ぶと思うわ」

「本当!?」

 

 どうやらフランの答えは正解だったらしい。ただし永琳が噴出しているので、それは永琳にとって正解のようだ。

 正解というお墨付きをもらったフランは永琳に御礼もせずに駆け出してしまう。その勢いで暴れる美鈴の後ろから抱きつき、首に手を回す。

 

「うわ!? ど、どうし……どうなさったんですか妹様?」

 

 一応酔っているとは言え主の妹だ。言葉遣いを直すところはさすがは従者というところか。

 美鈴の後ろから抱きついたフランはふふんと自信満々に鼻で笑って美鈴の頬に自分の頬を思いっきりくっつける。

 

「私思い出したの、あなたの名前っ」

「へ?」

 

 この時、美鈴も永琳と同じ考えだろう。あの鬼畜娘がこんな事を言いにくるなんてと。しかもわざわざ従者である美鈴のために。

 

「あなたの名前はゲートキーパーなんかじゃない。あなたの本当の名前は紅……」

「妹様……」

 

 自分の名前をフランが思い出した。それを自分に言いに着てくれた。美鈴の目からはそれだけで涙が出てきてしまう。

 今の美鈴にはフランが天使に見えていることだろう。今だけは。

 

「紅永眠」

「……え?」

「ほんえいみん……だよっ」

 

 永琳と一字違い。確かに永眠でも通りはする。でも違う。それは美鈴を天国から地獄へ叩き落す呪文となってしまったようだ。

 それを知っていてそのままフランを行かせた永琳はというと涙を流して口を手で覆い震えるように笑っている。全く、タチが悪い。 美鈴の目からフライングして出た嬉し涙は枯れ、代わりに悲しみの涙がうれし涙の軌跡を辿り、美鈴の頬を伝って流れ落ちる。先程言った永琳が涙を流して喜んでくれるなどと抜かした為、勘違いしたフランは喜びのあまり、より一層美鈴の首を絞める腕に力を込める。

 

「ふふっ、えいみんっ、えいみ~ん」

「どちくしょおおおおおおおおおお!」

 

 

 

 

 

霊夢と落書き

 

 夜も更け、満月が高々と昇る頃。宴会はまだまだ続いていた。

 フランはチルノ達と一緒に歌を歌い美鈴は自棄酒をして吐いてしまい優曇華に看病されている。他には上司の説教を聴かされたりそれに巻き込まれたり、色々だ。

 そしてレミリアというと。

 

「お嬢様、どうぞワインです」

「ありがとう咲夜」

 

 神社の縁台に座って外を眺めていた。外から入り込んでくる虫の音と中から聞こえてくる騒がしい音。

 その狭間にレミリアはいた。

 宴会が始まった頃、月は顔を横に振っただけでその姿を見ることが出来た。しかし今は顔を上げて、更に目線をあげなければ見えなくなるほど天高く上っていた。しかしまだ神社の屋根に隠れて見えないほどではない。

 そんな月をレミリアは心地よい風が入ってくる縁台に座り、ボーっと眺めていたのだ。

 

「いい満月ですね」

 

 月は綺麗な形をした満月だった。

 フランが紅魔館から無理やり人里へ連れて行かれたのが満月。それから丁度一ヶ月。その間レミリアは気が気ではなかっただろう。 フランが人を傷つければその時点で天界行き。そうなっても恐らく天界へ行く事は無いだろうが幻想郷を離れなければならない、という心配もあった。

 しかし計画が終わった今、レミリアはその心配から解き放たれた。ぼ~っと眺めているのはその反動からだろうか。

 

「そうね」

 

 と一言。それ以上は何も言わない。

 この静かで騒がしい夜をレミリアは堪能したいのだろう。ならばメイド長である咲夜のすることはこの雰囲気を壊すことがないよう振舞うだけ。咲夜はそれ以上何も言葉を発しないレミリアを一瞥し自分も空高く上った満月を見つめ沈黙する。

 

「でも」

 

 と、レミリアが切り出したのだ。

 

「あなたは少し欠けた月のほうがいいんでしょう?」

 

 続けてそんな事を言う。咲夜が完全にレミリアの方を向いた時にはすでに満月から目を背け、咲夜のほうを向いていた。

 レミリアがした質問は昔城から逃げてきた時にアイリスに聞いた答えのある質問。

 

「何故……分かったんですか?」

 

 咲夜は少し驚いたようにぽかんと口を開けてレミリアを見つめている。

 

「ふふ、人間の考えそうな事だからよ」

 

 レミリアはあの時と同じように少し笑ってまた月に視線を戻す。その笑いは嘲笑ではなくただ単におかしかったからだろう。

 咲夜は頭にはてなを浮かべながら首を傾げ「はぁ」とため息のような気のない声で返す。

 そして咲夜もまた夜空に輝く満月に視線を戻す。

 

「欠けた月はまだ先があるじゃないですか」

 

 不意にそんな事をつぶやいた。アイリスとはまた違う見解だ。

 そんな咲夜の見解にレミリアは興味をそそられ、顔を上げたまま横目で咲夜を見る。そしてどういうことかと聞き返す。

 

「これからまだ綺麗な丸になる余地があるじゃないですか」

 

 満月は欠ける事はあってもこれ以上大きくはならない、ということだろう。

 おみくじと同じで大吉を引けばその時は運気はいいだろう。だが今後はそれ以上運気は上がること無く落ちるだけ。それならば小吉の方が良いという良くない結果を引いた者がポジティブ精神で言った負けず嫌いな持論だろう。

 

「ずっと満月ならいう事ないじゃない」

 

 大吉がずっと出ればそれに越した事はない。その見解は人間と吸血鬼の種族による違いなのだろうか。そんなレミリアの意見が面白かったのか、咲夜はクスクスと笑いながらレミリアを見る。

 

「そうですが、人間にとって永遠とは憧れるものであって手に入れてはいけないものなんですよ」

「そう、馬鹿ね」

 

 レミリアがまた一言、今度は子供っぽい憎まれ口を叩く。

 

「そうですね、人間は馬鹿ですね」

「そうよっ大馬鹿よ」

 

 咲夜に笑われて悔しかったのか。レミリアはそう言ってフンッと顔を背ける。

 

「でも、だからでしょうか、満月を見てると不安になるんです」

「不安?」

「なんだか恐ろしい事が起こりそうで」

 

 咲夜はまたまぶしいくらいに輝く月を見つめる。

 満月とはこの後日が経つにつれて徐々に欠けていく運命だ。明るい月から段々暗い月へ。だからそれで不安になるのだろうか。

 実際、月の光に染められた咲夜の横顔はどこか不安そうだった。その横顔を照らす満月の光があまりにも強すぎるせいか、レミリアもなんだか不安な気持ちになってしまう。

 昔の、あの惨たらしい戦争が起こった日もまた、満月だった。

 

「あ、別に昔あった戦争がどうのこうのではなくってですねっ」

 

 咲夜が気が付いた時にはもう遅く、レミリアは眉をしかめて不安そうな表情をしていた。

 レミリアもまだまだ子供だった。

 

「え、あ……そ、そうだ! それでその……少し質問なのですが」

「ダメよ」

 

 咲夜は必死に取り繕うがレミリアを不安にさせた罪は重い。咲夜はもうレミリアに質問する事さえ許されないだろう。

 だから咲夜はレミリアの膝に目線を降ろし口を尖らせて眉間にしわを寄せている。

 

「あ、なんだ。やけに静かだと思ったら寝てたのか」

 

 口にチャックをされた咲夜の後ろから魔理沙がレミリアの膝を覗き込む。

 咲夜が言いたかったのはこれだろう。霊夢がレミリアの膝ですやすや眠っているのだ。それはレミリアがうとうとしている霊夢をゆっくり寝かせ、自分の膝に乗せたのだ。

 

「霊夢さんも少ししか寝てないのよ」

 

 続いて魔理沙のそんな言葉に気が付いた永琳がそう言った。

 霊夢はフランよりも睡眠時間は短い。フランが寝た後で永琳と寄り添いながら寝はしていたが、その後は四季の説教、宴会の準備と忙しかった。当然眠くなるだろう。

 それは霊夢が自分の責任を全うしようとがんばったからだ。だから今はレミリアの膝枕でゆっくり寝かしてやろう。

 などと考える魔理沙ではなかった。

 

「人がせっかく宴会を盛り上げようとしてるのに寝るとは笑止千万だぜ。よし落書きしてやろうぜ」

 

 全く、これほどがんばった巫女に落書きなど罰当たりもいいところだ。更に、レミリアの鋭い睨みが魔理沙を射抜くが、がそんなもの、魔理沙に掛かればちょろい錠前に変わる。

 

「まあまあ、へへっ……お前も何か書いてやれよ。レミリアLoveとかな」

 

 レミリアの目の色が変わる。

 魔理沙は何本かペンを取り出し、レミリアに差し出した。レミリアはそれをひったくるように奪うと霊夢の頬にキュッキュと書き始める。

 

「額は私がもらったぜ」

 

 魔理沙はペンのキャップをポンッと音を鳴らして外し、寝ている霊夢の額に何やらキュッキュと書き始めた。

 

「なにかくの?」

「にく」

「予想通り過ぎて面白くないわね。もう少し考えて――」

 

 パチュリーが後ろからジト目で魔理沙を見つめているが、魔理沙はそんなパチュリーの予想を裏切った。

 

「づきに」

「え?」

「力三つと」

 

 にくづきに力三つ。つまり魔理沙は霊夢の額に脇と書いた。

 

「ぶっ」

 

 更に後からきた小町が霊夢の額を覗き見た瞬間に噴出す。それと同時に書いた張本人の魔理沙でさえ噴出して笑ってしまう。

 

「ぷくっ……あーはっはっは! やばい! 自分で書いて笑っちまうぜ!」

「そ、そんなの書いて……またおこ……怒られ……ぷっ……クククッ」

 

 パチュリーですら澄ました顔を崩し、笑ってしまうその霊夢の額の脇という字。そこで咲夜が改めて「脇巫女ね」などというものだから更に魔理沙は腹を抱えて笑い、更に床をどんどんと叩いてしまう。下に住む住人がいたら間違いなく怒鳴り込んでくるだろう。

 

「じゃあ私も何か書こうかしら」

 

 そう言って咲夜も魔理沙が放り投げたペンを取り、何やら霊夢の頬にきゅっきゅと書き始めた。だが咲夜が書いた落書きはよりによってあの二文字。

 

「貧乳て……お前……」

「ふふふ、霊夢には負けていない気がするわ」

 

 怪しい笑みを浮かべ満足そうな咲夜。貧乳が貧乳に貧乳と書くとは何事だろうか。呆れたことにどんぐりの背比べと言う他無い。

 しかし当の本人の霊夢は特に気にしてはいないようだが。

 よく見ると霊夢の反対側の頬には「レミリア命」とちゃっかり書かれている。

 

 

 

~鬼~

 

 

 そんな楽しそうな宴会もいつの間にか終わりが近づいていたようだ。それは宴会の勢いが徐々に弱まってきたからではない。とどまることのないその勢いを殺そうとあるものが近づいていたからだ。

 先程咲夜が何か恐ろしい事が起こると言った。それが現実のものになろうとしている。そしてその恐ろしい事はもうすでに博麗神社のすぐ傍に迫っていたのだ。

 いや、もうすでに神社の敷地内に侵入していた。

 

「咲夜」

「ええ、誰かいます」

 

 縁台に座っていた咲夜とレミリアはいち早くその招かれざる客の気配を感じ取っていた。レミリアの体がピクリと動いた時には咲夜はもうすでに立ち上がっていた。その異変に先程まで笑い転げていた魔理沙がうずくまりながらも咲夜の方を見る。

 咲夜が身構え霊夢が膝を枕にしているため動けないレミリアの前に立っている。その手にはナイフが数本。

 

「そこにいるのはだれ!? 出て来なさい!!」

 

 魔理沙の声を遮り気配のするほうへ声を張り上げる咲夜。

 

「どうも~こんばんわ」

 

 すると返ってきたのはそんな軽い口調の声。更に続いて暗闇から月光の下に姿を晒した侵入者。

 

「あやや!? な、なんですか!? 何で臨戦態勢なんですか!?」

「天狗?」

「そう、清く正しきゃっ」

 

 言い終わる前に咲夜のナイフが文を襲う。

 

「ちょっと! 危ないじゃないですか!」

「ちっ……ああ、どうも。こんばんわ。何しに来たの? 帰りなさい」

「この扱い……」

 

 神社の外の異変に気付いたのかフランがレミリアの背中に飛びつきながら叫ぶ。そのせいでレミリアは驚いて声を出してしまう。

 

「きゃっ!?」

「ぱぱらっちだ!」

 

 他の連中もその騒ぎを聞きつけてどやどやと歩み寄って来た。

 

「違いますよ! 清く正しい射命丸文です!」

「ああ、そういえばいなかったな。お前なら宴会に来て写真パシャパシャとってそうなのに」

 

 それは新聞記者の射命丸文だった。文は宴会だというのに初めから終わりまでずっといなかった。姿を最後に確認したのは魔理沙でまだ日が照っている間だ。

 

 そして確かに宴会の場は色々なシャッターチャンスがある宝島といってもいい。その場に居合わせないとは一体どういう事なのか。

「あ~あ、宴会芸すごかったのになぁ。特に妖夢だ! 妖夢は何をした思う!?」

 

 と文をうらやましがらせるために不適な笑みを浮かべて勿体つけるように言う。魔理沙は意地悪だ。ゆっくり時間をかけて文をじらすつもりだろう。

 

「七色の羽、とかですか?」

 

 しかしさらりと文は言い当ててしまう。これには魔理沙の肩が地についてしまいそうなほどにガクリだ。

 

「何でお前がそんな事……まさかどこかに小型カメラが!? 悪趣味な奴め!」

 

 と慌てて周りを見渡し警戒する魔理沙。しかし文はそんな変態じみた事をするわけが無いだろうとぷんぷんと怒り出す。

 

「違いますよ! 私はある人に聞いたんです」

「ある人?」

「ええ、この幻想郷の知識を全て知る人物ですよ」

「はぁ? わけの分からない事を。それに宴会芸をほっぽって何でそんな所に――」

「私は記事の裏づけを月に一度そこで行っているんですよ。でまがあったら編集長にどやされますので。だから宴会にも行けなかったというか。でも宴会芸で何をやったかも魔理沙さんがどんな鬼畜プレイを美鈴さんにしたのかも全て私は知っていますよぉ。写真が取れなかったのは少々残念ですがね」

 

 皆一体何の事か分からず頭の上にはてなを浮かべたまま顔をかしげるだけだ。しかし顔を傾げていないものもいる。それはパチュリー、四季、紫だ。これはフランが幻想郷に帰ってきた時の霊夢とパチュリーのあの不可解なアイコンタクトのメンバーと同じ。

 

「それで? お前はその用事が終わったからここに来たのか?」

「あ、いえ、私はもう少し記事と事実を照らし合わせたかったんですが~……」

「が?」

「何故か急に博麗神社に行くと言われまして~」

 

 文はやれやれといった感じで癖なのか、手に持ったメモ帳で雨をしのぐように頭をこつこつと何度か叩く。

 

「博麗神社に行くって、誰が?」

「それはですね~……あ、来ました来ました」

 

 文がそう言って首を振った先。月の光が届かない博麗神社を取り囲む木の陰に誰かいる。

 ざっざっざっと、その者はゆっくりと皆の方へ歩いてくる。

 月の光は上から降り注ぐ。だから最初は頭が見える、筈だった。しかし月明かりの下に最初に姿を現したのは二本の角。

 

『鬼』

 

 その表現が相応しい二本角の一方には何故か赤いリボンが。

 続けて月明かりの下に姿を現したのは聡明そうな少女の顔。その少女の顔を包む髪は月光に当てられてだろうか、神秘的なエメラルド色に染まっている。

 

「やあ、皆さん、こんばんは」

 

 暗闇から月明かりの下へ姿を現したのは歴史を操る能力を持つ半人半獣。

 その名を上白沢慧音という。



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第三十六話 ~宴会芸 EX~

 

 

 古より、鬼とは恐怖、悪の象徴であり、また鬼才、鬼神、鬼嫁など様々な強さの象徴としても使われている。

 鬼の形相と比喩されるように世にも恐ろしく、しわが隆起し、でこぼことした顔、頭には二本の角に根元には巻き毛の髪が生え、更にその屈強な体には虎の毛皮を巻いている、というのが相場である。

 しかし博霊神社にやってきた鬼は様相が違う。湾曲してはいるが長く、立派な二本の角。髪は艶やかなエメラルドに染まったロングのストレート。体には虎柄ではなく藍色の衣服を纏い、その衣服で包み込まれた体はお世辞にも屈強とは言えない華奢な体つきだ。更に鬼の形相という表現とは程遠い聡明な顔立ちをしている。鬼というよりも女神の方がしっくりくる。

 この少女、上白沢慧音は歴史を操る能力を持つ。その正体は人間であり獣でもある半人半獣という類の妖怪だ。しかし普段は持ち前の知識を生かし子供達を前に金棒ではなく、教鞭を手に取っている変わった妖怪だ。

 

「来たわね」

 

 と、不意に寝ているはずの霊夢の声が聞こえる。

 霊夢にいましたが落書きをしたレミリアや魔理沙がびくついて霊夢を見ると寝ぼけ眼と小さく口が開かれていることが確認できる。 月明かりで照らされた霊夢の横顔はとても妖艶で、更に寝起きの細められた目と長いまつ毛がそれに拍車をかける。ゆっくりと起き上がる様もまた女神のようだ。

 落書きがなければ。

 

「霊夢!? 起きてたのか!?」

「慧音の妖気を感じたのよ」

 

 と、一つあくびをし、涙を滲ませながら面倒くさそうに答える。

 

「へ、へ~、寝ていても気付くなんて霊夢は天才だな」

 

 また魔理沙の安いよいしょが飛び出してきたので霊夢は更に面倒くさそうにいう。

 

「だいたい、上級巫女は寝ていてもいなくても周りで何が起きているかくらい、瞬時に分かるものなのよ」

「そ、そうか……そう……だよな、ぷっ……くくっ、やっぱ上級……ふふっ、巫女だもんな」

 

 言えば言うほど泥沼にはまっていく霊夢。これだけの落書きを盛大に浴びてよくそれだけの文句が言えるものである。しかし霊夢自身、気付いてはいないのではまっているのは魔理沙とその周りだ。笑いというつぼにみるみるうちにはまっていく。魔理沙の限界が来るのもそう遠くはない。

 魔理沙は思わず近くにいた小町の胸という避難場所に飛び込んだ。

 

「ま、魔理沙!?」

「私はどうしたらいい!? どうしたらいいんだ! 小町!」

「し、知らないよ……」

 

 魔理沙は小町の胸で泣いた。ただしそれは笑いながら。そしてその後ろではパチュリーが絶句しているのは言うまでもない。

 

「霊夢、あたいの脇にキスをしなよ! って言ってみなさいよ」

 

 と笑いを押さえきれない魔理沙に追い討ちをかけるように咲夜がそんなことを言う。魔理沙とは違い咲夜は冷静だ。しかしまじめな顔でそんなことを言うので魔理沙は限界を突破して小町の胸に盛大に息を吐き出して大笑いしてしまう。

 

「はぁ?何で私がそんなこと、それにこの神聖な脇を触らせるわけないでしょ」

 

 自分の脇に相当な自信を持っているのだろう。他称脇巫女は自信満々にそう言い放ちあまつさえ腕を上げて脇を見せ付ける始末だ。おでこに「脇」と落書きされた顔で。

 だが咲夜はそれを狙っていた。ニヤリと一つ忍んで笑う。

 

「はっ! あなたの脇にキスなんかしたいと思う人なんていると思っているの!?」

「む」

 

 その自信満々に脇を見せ付ける霊夢の逆を突いて攻め入る咲夜。

 

「そんなの、こちらから願い下げだって言ってるのよ! おーっほっほっほっほ!」

「ひ、一人くらいいるはずよ!」

「そんな物好きいたら見てみた――」

 

 咲夜は何かにスカートの裾を引っ張られる。これから更に霊夢を思いっきりなじってやろうと思っていた咲夜はうざったそうにその主を見る。

 咲夜は無視したかったのだがそれは出来なかった。なぜなら他ならぬ咲夜の主であるレミリアだったからだ。

 

「咲夜! 咲夜! どっちの脇にキスをすればいいの!? 脇!? それともおでこ!?」

「ぶふっ……やめろレミリア!」

「いたわね……意外と身近に」

「おぜう……」

「あややー! 霊夢さんの寝起きの顔かっこ笑いももらっちゃいますね!」

 

 文はそう言って楽しそうに霊夢の落書きされた顔をカシャカシャと容赦なく撮る。流石は記者というところか、ネタにいちいち反応してはいられないのだろう。霊夢の顔の落書きに表情を少しも変えずに写真をとる。

 

「それにしても満月の夜になると頭にそんなものが生えてくるのね」

 

 霊夢が立ち上がり、軽く背伸びをしながら慧音にそんなことを言う。そんな物とは恐らく慧音の頭についている湾曲した角のことだろう。

 

「ああ、妖力があふれ出してきて押さえきれなくなってどうしてもな。それより霊夢」

「ん?」

「お前も満月の夜になるとそんなものを顔につけるのか?」

「そんなものって、何?」

「ほら、鏡」

 

 慧音は腰に手を当て、ため息をつく。そしてもう片方の手には慧音の手鏡が霊夢に向けられている。そこに映し出されたものは顔に書かれた落書きと、その落書きで汚れたキャンバスが怒りで歪んでいく様だった。

 

「神聖なる巫女がだらしがないと思わないか?」

 

 慧音が教師なら霊夢は生徒だろう。身だしなみを整えろと生徒を説教する。

 

「……どこの……だれかしらねぇ、一人は親切丁寧に名前を書いて下さっているみたいだけど……ね」

「こ、粉バナナっ……」

「後はだれかしらねぇ」

 

 名前を書いてしまったレミリアはもうどうしようもない。

 他の当事者である魔理沙は小町の胸で笑いではなく恐怖でプルプルと震え、咲夜はそっぽを向いて目を瞑って澄まし顔だ。これでは霊夢はレミリア以外の犯人を捜すことは出来ないだろう。

 

「あらそう。まあいいわ、名乗り出ないならこちらから出向くまでよ」

 

 霊夢は切り離されている袖から何か札のようなものをごそごそと探り、取り出した。

 

そして

 

『帰符・人を呪わば穴一つ』

 

 と一言、まるで呪文のように言い、ゆっくりと怪しい笑みを浮かべる、と同時にそのスペルカードで顔を撫でる。すると不思議なことに撫でると同時に霊夢の顔から落書きがスーッと消えていく。

 更にはレミリア、咲夜の顔に異変が起こる。

 

「へ!?」

「あら?」

 

 人を呪わば穴一つ。

 つまり呪った本人だけが地獄という名の穴に落ちろ、という霊夢らしい呪い返しのスペルカードだった。したがって霊夢の顔にかかれた、「レミリア命」・「脇」・「貧乳」という文字がその書いた本人の顔に返されたのだ。

 レミリアは自分の顔に「レミリア命」という文字が浮かび上がっている。これではまるでナルシストだ。

 更にそんなレミリアにフランが追い討ちをかける。

 

「ぷっ、おねぇさまって自分大好きなんだね」

「……」

 

 天使の笑顔で悪魔のような一言を言うフランは諸説ある二つ名の一つ、その通りの鬼畜娘だった。

 そして霊夢の頬にあろう事か「貧乳」と書いたメイドはというと。

 

「何よ、何なの!? 私の顔に何か付いてるっての!?」

「え、ええ……まあ」

「どこ見てんのよ!」

 

 霊夢に逆ギレしていた。

 

「あれ? 魔理沙。額に脇って書かれてないな」

 

 魔理沙の手にはわら人形が。

 

「ふふ、私はこれ持っているからな。アリスにもらったんだぜ」

「へぇ、でもそれって誰かに呪いを移すやつだろ? 一体誰……に」

 

 小町が後ろを振り向くと呪いを移された対象が霊夢にアイアンクローされていた。

 

「ぬ、濡れ衣です……」

「犯人は皆そういうのよ、美鈴」

「霊夢、霊夢! 美鈴じゃないよ永眠だよ!」

「痛いです……心が」

 

 泣きっ面に蜂とはまさにこのことである。

 

「いや~本当は咲夜の宴会芸回避のためだったんだが、まさかこんな所で役に立つとはなぁ。助かったぜ」

「鬼だ」

 

 パチュリー、フラン以外の紅魔館の住人は頭にこぶを作られ、霊夢に説教されている。咲夜はこぶも説教も免れたが、それが一番きいたようだ。

 

「ねえねえ! これって本物!? 本物の角!?」

 

 霊夢の説教で暇をもてあました好奇心旺盛なフランは珍客が来たという事で興味津々だ。慧音の近くに歩み寄りちょっかいをかけていた。

 

「ん? ああ、そうだ。本物だよ」

「うわ~かっこいいな~」

 

 慧音は少し戸惑いつつも見た目は子供のフランだ。子供とはいつも接しているため慣れている事もありいつも子供にそうするように声音を柔らかくしフランの問いに答えてやる。

 フランはフランで目を輝かせて慧音の湾曲した角に釘付けだ。

 

「君が例のフランドール・スカーレットだね。こんばんは」

 

 そして調子を変えずにフランに優しくそう言って微笑んだ。

 

「ねえねえ! 角! 角! 角さわっていい!?」

 

 が、フランはその一切を無視し、一人で勝手にワクワク、うずうずしてはしゃいでいる。

 

「……」

「ねえってば!」

 

 フランは待ちきれないのか、落ち着きがないように足踏みをしながら更に催促する。だから慧音は頭を下げてやる事にした。その慧音の表情は笑顔だがその笑顔に表情はない。

 

「どうぞ!」

 

ゴッ

 

 という鈍い音を立ててフランの頭に慧音の頭が直撃する。

 慧音は礼儀を重んじ、その一番基本で一番大切な挨拶をしないものには気の済むまで説教してやらなければ気がすまない性格だ。しかもその説教の方法がくどく、説教されたものは眠気とも戦わないといけなくなってしまう。

 更に満月の夜は持っている知識を全て知る事が出来る。歴史を綴る者の力になるため、紙に書き出しているのだが、体力を消耗し逆にストレスを溜め込んでしまう。そのため気が立っているのか先程のように説教という前段階をすっ飛ばし、短絡的な行動に出てしまう。

 フランのように頭を抑えて苦痛にもだえているこの現状がその証だ。説教するにしろ頭突きをするにしろ、説教された者にとってはたまらなく頭の痛い話だ。

 しかし人里の新之助の祖母といい、幻想郷といい、フランは頭突きされている。頭突きされる才能でもあるのかもしれない。そんな才能など何の役にも立ちはしないしフランは欲しくないだろうが。

 

「いきなり何すんのよ! 痛いじゃない!」

 

 期待を慧音への怒りに変えたフランの子供脳。その脳のせいで当然フランは慧音に食ってかかる。頭を抑え目に蓄えた涙を少しだけこぼしながら怒りの視線を慧音に向ける。

 生憎、慧音は寺子屋の教師だ。子供の不服不満は日常茶飯事でそんなフランの言葉をいちいちストレスに変換する脳は持ち合わせていない。フランの睨むな視線にも慣れっこで全く動じる事はない。

 あまつさえ慧音は説教を始める始末だ。

 

「挨拶されたらちゃんと挨拶を返す! 挨拶は人のコミュニケーションの入り口であって更に自分の第一印象を左右する大事な儀式だ! その最初の段階をすっとばして私の角を触ろうなんておかしいと思わないのか!?」

 

 子供をしかりつけるような口調で一息に言ってのける慧音。

 

「う~……わけわかんないよ! ばかっ!」

 

 フランの子供脳もまたそんな慧音の長ったらしい文句を変換する機能は持ち合わせていなかったらしい。フランは考える事を放棄しそんなことを言う。

 教師を捕まえて馬鹿とは慧音の存在意義全否定に相当する失礼極まりない言い分だがフランはまだ自称大人の子供だ。それを聞いた教師である慧音は鼻でふっと苦笑しその表情が少しずつ教師のそれに変わっていく。

 

「よし、なら君にも分かるようにもっと詳しく説明をしてやろう。そもそも挨拶というものは――」

 

 慧音は屈みこみ、涙で滲んだフランの目と同じ位置に目線を移動させた。慧音は自分の説教ベストポジションに付いた。しかし

 

「はいはい、そこまでよ~」

 

 このまま説教を続けさせたら朝まで続けかねない。すかさず霊夢のストッパーが慧音とフランの間に挟まれる。

 

「あんたはここに挨拶の大切さでも説きに来たの?」

 

 落書きした三人にきつい説教し終えた霊夢が慧音の方へ歩いて来てパンパンと手を鳴らす。

 

「挨拶は大事だ」

「そうね。でも今日はそんな事しにきたわけじゃないでしょう?」

「ふむ……まあ、そうなんだが」

 

 相当不満なのだろう、数瞬間を空けて更にそんなことを言う。あまつさえ慧音は口惜しそうに不満の顔を霊夢に向ける。

 

 だが霊夢が言ったように歴史を綴るという大切な仕事をほうり出した挙句、挨拶の大切さを説く為に博麗神社に来たのではないだろう。

 

「仕方がない。フランドール、これからは挨拶をちゃんとするように……あれ、フランドール?」

 

 だから説教を諦め、最後にフランに何か言おうとしたのか、フランがいたところに視線を向けるがそこにはもう影も形も無かった。

「べー!」

 

 フランは霊夢の説教を免れ、悪びれる風もなく酒を飲みなおしていた魔理沙の後ろに逃げて隠れていた。更にアッカンベーを慧音に向けてやっている。全く子供らしい挙動に魔理沙も苦笑いだ。

 

「くっ」

「あ~、それで早速なんだけど」

「……ああ、大体の事は理解してる。後は私が上手くやっておく」

「そうしてくれると助かるわ」

 

 と霊夢と慧音のそんなやり取り。

 

「何かするの?」

「さぁなぁ~、酒がうめぇぜ」

 

 それを見てフランは宴会芸でも始めるのかと思ったのだろう、司会をしていた魔理沙に聞いてみるが知らない様子。

 

「ふ~ん」

 

 フランは魔理沙の首に絡みながら体重を預け、体をユラユラと揺さぶって遊んでいる。

 

「なんだ、話してないのか?」

「話したら暴れまわるかも知れないでしょ?」

 

 慧音はフランを一瞥し霊夢へ視線を向ける。首を傾げて眉をしかめて。

 フランに話したら暴れまわるような事。それは一体何なのだろうか。そのやり取りはフランにも聞こえている。フランがされて暴れだす事。フランは自分の子供脳をフル回転させ何をされたら考える。そして

 

「まさかっ!」

「どうしたフラン、酒飲むかぁ?」

「おねぇ様が殺される!?」

「フラン……私は喜ばないとダメかしら?」

 

 そんな馬鹿をやっているフランたちを尻目に霊夢は慧音と何やらひそひそと話し合っている。

 

「じゃあ何で呼んだんだ?」

「呼んだわけじゃなく勝手に来たのっ。魔理沙の策略よ」

「それを止める事も出来ただろ」

「そうだけど……あの子には見て欲しいと思ったから。あんたも教師なら分かるでしょ」

 

 霊夢は何やら意味深に慧音を見つめる。更にこれからする事にあまり気が乗らないのか険しい表情を垣間見せる。慧音もそんな霊夢に苦笑し、軽く頷いて「わかった」と一言だけ。

 慧音が言う、「呼んだ」とは恐らくフランの事。フランは本来ならば博麗神社に来ることはなかった。それを魔理沙が急に企画した宴会のせいでたまたま博麗神社に来ただけ。しかも霊夢も渋々だがあまり抵抗することなく宴会に同意した。

 これはつまりこれはフランに何か関係がある事なのだ。そしてこれから行われることはフランに見て欲しく、それは教師でもある慧音になら理解できることのようだ。

 

「さて」

 

 と、ここで霊夢がそこにいる皆にこえるくらいの声で一言。皆酒を飲みなおしたり馬鹿なことをやってはいるが何故慧音が博麗神社に来たのか気になっている。だから皆すぐに霊夢の方に向き直り黙する。

 

「よく見ておきなさい、特にフラン」

 

 そこで霊夢のそんな言葉。フランを名指しで、更によくみて見ておけ、とは一体何なのか。フランを始め、他の皆には全く分けの分からない事だろう。ただし霊夢その一言でフランに注目しなかった者がいた。それは全体写真を撮った後の不可解な行動をしていた者と一致していた事は偶然ではないだろう。

 

「え?」

 

 と、霊夢に名指しされたフランが少し間を空けて返事をした。と、ほぼ同時、不意に慧音の体がスーッと満月の夜空に向かって上昇していく。それにつられてまるで慧音の体に糸が付いているかのように周りの者の視線が上がり、続けて首が傾いて皆その姿を追う。

 フランと満月を直線で結んだ丁度間、そこで慧音の上昇は止まった。フランから見ると慧音は満月の中にいる兎のように見えているだろう。しかし月に入り込んでいるのは耳ではなく角を生やした慧音だ。

 月の光は太陽のように強くはない。その為満月の逆光で慧音の表情が完全に隠れてしまう、ということはなかった。だからそんな慧音の表情を見ることが出来たのだが、それは目をつぶり全身の力を抜いたような静かな表情。眠っているでもなく、かといって目をつぶって思いにふけっている表情でもない。

 なんと表現したらよいか分からない不思議な表情。

 上昇を止めた慧音はまるで誰かに操られているように体を回転させる。

 その方角、それはフランがこの一ヶ月間暮らした場所。とてもお世話になったフランが好いている新之助が住んでいる人里のある方角だ。

 慧音は続いて両手を広げて更に胸を突き出すように体を反らす。顔はほぼ天を仰ぎ見るように傾けられていてまるで天界にいる神に何かを祈っているようだ。

 月に照らされる慧音の姿はとても神秘的で皆の視線を釘付けだ。更には口にもまた釘を打ち付けられたのか、誰も喋る事が出来ない。あの好奇心旺盛なフランでさえ瞬き一つせず、小さく開けた口もそのまま固まり閉じる事もできず、一心不乱に慧音を見つめている。

 やがて月明かりに照らされてエメラルド色に輝く慧音の髪が少しずつゆらり、ゆらりと揺れ始める。続いてピリピリと空気が震え始めると視界が歪み、慧音の体が歪んで見え始める。

 慧音の妖気が高まり、大気を揺らして起こる現象だ。妖気が高まり息が詰まりそうになる。

 更に慧音の髪が次第に速く、小刻みに揺れるようになる。着ている衣服もバサバサと音を立ててゆれ始めた。

 と、次の瞬間

 

ドッ!

 

 音のない、大きな衝撃が空気を通して皆の体を打つ。と間髪おかず大きく鈍い地鳴りのような音と地震のような揺れが起こる。更に信じられないことに夜とは思えないほどに辺り一面が白い光に包まれている。

 しかもその光源は人里だ。その光があまりにも強すぎるため博麗神社まで白い光に包まれそうになっているのだ。

 人里は白い光に包まれてどこに何があるのか見えなくなってしまっている。更にその光は天高く柱のように伸び、夜空を突き刺し、暗い空を白く染めてしまっている。

 これが宴会芸というのならば恐らく最大規模の催し物だが何事にも限度がある。規模が大き過ぎて皆呆然とし、驚きはするが盛り上がりはしない。皆一様に目を細め、自らの手でその眩しすぎる光を遮る者もいる。

 更に何が起こっているかも説明されていない。これでは盛り上がれというほうが無理な話だ。

 目を輝かせるように角を見ていたフランでさえ、強すぎる光で身を焼かれる事は無いが直視することができない。直視したらその紅の瞳さえ、真っ白に染められてしまいそうだからだ。

 その大規模な催し物はそう長くは続かなかった。

 数分後、やがて地鳴りが止まり、強い光も消え、博麗神社の周りは依然と同じように元の夜空に戻っていった。催し物の幕を下ろすように慧音もゆっくりと降りてくる。

 

「お、終わったの?」

 

 あまりの出来事に霊夢でさえ少し及び腰だ。

 慧音は霊夢と皆の方をゆっくり振り返る。

 

「つつがなく」

 

 そしてニコッと笑い、そう一言。

 その慧音の一言はフランにとって悲劇の始まりの合図となる。

 

 

 



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第三十七話 ~記憶~

 今まで鳴いていた虫も先程の慧音の大層な宴会芸で止んでしまう。

 しばしの間沈黙が流れるが、幻想郷の住人の鳴き声はそんな事では止みはしない。

 

「お、おい霊夢、そろそろ教えてくれよ。慧音は一体何をしたんだ?何でここに来たんだ?」

 

 慧音の大宴会芸が終わり霊夢もほっと一息ついている所に魔理沙が説明を促す言葉をかける。

 これが宴会芸だとしても何をしたのかわからなければどう反応していいかがわからない。はたまた宴会芸などではないとしたら目的は何なのか。

 慧音は歴史を操る能力を持つ。

 だから何かの歴史を変えたのだろうが何故わざわざ博麗神社に来たのか。ここでしなければいけない事なのか。しかもフランの計画が終了したこの日に。

 霊夢は横目で魔理沙とそのすぐ後ろにいるフラン、交互に視線を送ると表情を曇らせる。そして何度か口を開こうとするがそれを待ちきれず、パチュリーが口を開く。

 

「アフターケアよ」

 

 霊夢を代弁する、と言うことはやはりこの二人の間には何かるようだ。それは前にもあった不可解な視線のやり取り。

 

「何だよパチュリー、やっぱりお前も知ってたのかよ」

「フランの計画が始まる前にこの人に協力をしてもらう事にしていたのよ。フランがもし人里で暴れて物を壊したり、誰かを傷つけたり……殺したり」

 

 やはりパチュリーも一枚噛んでいたらしい。スラスラとその実態を読み上げていく。

 

「そういった事を無かった事にするために。人里の歴史を創りかえることで」

 

 フランは幻想郷でも有名な問題児。だからそれを人里に連れて行くには多大なリスクを背負わなければならない。フランが人里で暴れだす可能性は大いにありえる。

 人里の民が怖がるフランを教育するために送り込んだのに逆に恐怖を刷り込ませてしまっては目も当てられない。

 それを解消したのが慧音の存在だった。霊夢とパチュリーは事前に慧音に協力を要請していたのだ。

 フランが何か大きな問題を起こせばリセットすればいい。しかしそれを言えばフランの為にならない。だから今の今まで黙っていたのだろう。必要最低限のメンバー以外には秘密にすることで。

 

「だから人里にあるあなたの記憶を全て消したのよ、フラン」

 

 だからパチュリーはその説明の最後を魔理沙ではなくフランを見据えて言った。魔理沙に抱きついてユラユラと揺さぶっていたフランに。しかしその目には嫉妬心はない。

 

「どういう……こと? わけわかんない……」

 

 フランはパチュリーの言ったことは大方理解している。しかし頭が拒否反応を起こし、その反動でパチュリーを暗い視線で睨みつける。

 魔理沙の方から上半身をずいっとだし、今にもパチュリーに飛び掛らんとする勢いだ。

 

「そうだよなっ」

「あたっ」

 

 だから魔理沙がそんなフランの頭にぽんっと手を載せて静止させる。魔理沙はフランの味方らしい。

 

「何で今それをする必要がある? フランは無事返ってきた。計画は成功したんだ。何の問題はないだろ?」

 

 そんな魔理沙の援護にフランはパッと表情を明るくする。

 そう、フランは人を傷つけはしたが結果的にその方が死人もなく、天界行きも無く、全て丸く収まったわけだ。フランも僅かだが成長し、計画は大成功の内に幕を締めたはず。更に人里のフランの印象もよくなり、更には人里の妖怪を見る目も少しは変わったはずなのだ。

 ならば何故記憶を消す必要があるのか。それはフランを初め、魔理沙、レミリア、そこにいるこの歴史を変えるという大きな計画を知らなかった全ての者に理解し難い事だろう。

 だから先程までそんなパチュリーに代弁してもらった霊夢が口を開く。その真意を語るために。

 

「成功?」

 

 という短い言葉を皮切りにして。

 計画は成功したという魔理沙を睨みながら霊夢は疑問を投げかけるように。それは本当に成功しているのかと問い返すような視線で。霊夢の顔は真剣だ。そしてその凄みのある表情に魔理沙は思わずたじろいてしまう。

 魔理沙は完全に及び腰だ。

 

「あ、ああ……フランはこうして無事帰ってきたわけだし。死人もいない、だろ?」

「そうね、確かにこの計画は成功したわ」

 

 素直に認める霊夢。先程まで凄んで「成功?」などと聞き返していたのにずいぶんあっさりだ。だからそんな肩透かしを食らった魔理沙はそんな霊夢の肯定に満面の笑みを浮かべるフランを尻目に、口を尖らせ「じゃあ何が問題なんだよ」と不満そうに問いかける。

 

「もっと根本的な事よ。何でこんな面倒な事が起こったと思う?」

 

 面倒な事とはフランを一ヶ月も人里に置いて成長を試みた事。フランが滞在する場所の手配、何か問題を起こしたときの処理とその見張り、天界の動きにこのアフターケア。

 

「それは……」

 

 フランが人里の周りで暴れ周り人々に恐怖を与えたから。それがそもそもの始まりだった。だから博麗の巫女であり、幻想郷の管理者でもある霊夢に妖怪討伐の命が下った。

 フランを退治しろと。

 だがそれに乗り気ではない霊夢がこの計画を発案し実行に移したのだ。

 

「そう、人里の人間が、幻想郷の妖怪を怖がったから」

 

 魔理沙はその旨を伝えると霊夢はまた全てあっさりと肯定してきた。

 しかし妙な言い方だ。人里の人間、幻想郷の妖怪。それは霊夢の言う根本である、元を辿った言い回し。

 それに魔理沙は「ああ」と短くつぶやいて霊夢の言葉を止めることなく滑らせる。

 

「そもそもそこで失敗してたの。根本から……人里と幻想郷の関係が」

 

 人里と幻想郷の関係は魔理沙だって分かっている。人里には人が住み、幻想郷には妖怪が住む。それが根本であり全てだ。

 だから魔理沙はわけがわからず首をかしげる。

 霊夢のいう人里と幻想郷の関係とは一体なんなのか。人里にとって幻想郷とは、幻想郷にとって人里とは何だったのか。

 

「それと人里のフランの記憶を消すのと一体どういう関係があるの?」

 

 だから魔理沙と同じように首をかしげていたレミリアが疑問を投げかけ、そのよく滑る霊夢の言葉に歯止めをかける。それはフランの記憶を消した事に対し、理由がなければすぐに取消して欲しいと言うささやかな抵抗の表情も込めて。

 だがそのせいで霊夢の言葉があらぬ方向を向いて滑っていくことになってしまう。

 

「あの結界、見たでしょ?」

 

 急に霊夢が見当違いな事を言うものだからレミリアは少し間を空けて言葉に使えながら「ええ」と答える。

 フランを迎えに行った時、人里と幻想郷の間には妙な結界が張られていた。人里からは見えず幻想郷からなら見れるというもの。

 

「あれは別に感動の再会を演出するためにマジックミラー的な機能を取り付けたわけじゃない、ということよ」

 

 人里からは見れず幻想郷からは見れる結界をマジックミラーと比喩した霊夢。そのせいでフランは考える暇もなく、否応無しにレミリアとそれこそ感動の再会をしたわけだが、やはりそう言われてもレミリアには分からなかった。

 

「……分からないわ。フランの記憶を消す事と、あの結界に何の関係が?」

「ああ、ごめんなさいね。さっきパチュリーが言ったフランの記憶を消したって言うのは全体のほんの一部分でしかないわ」

 

 「ほんの一部分」霊夢が言ったその一言がレミリアの目を大きく見開かせた。そして察しのいい魔理沙にもどうやら分かったらしい。

 

「まさかっ! 霊夢! あいつが消したのって……」

 

 人里と幻想郷の関係、その間にある特殊な結界、更に人里の、フランの記憶を消した事がほんの一部分だということ。

 その要素を結びつけてでた結論が分かったものはどうやら魔理沙とレミリアだけらしい。レミリアと魔理沙が分かったような顔をしているのでフランは心配になったのだろう。分かってないのは自分だけではないのかと。

 だからフランは咲夜を見上げる。が、咲夜も首をかしげ何が起こっているのかわからないといった表情だ。咲夜と同じようにフランも首をかしげて二人して首を傾げる様は何とても可愛らしいのだがどうやらそんな場合ではなかったらしい。

 

「慧音が消したのは、幻想郷があったという歴史」

 

 そう言い放った霊夢の視線は器用に幻想郷の住人全員に向けられる。その霊夢の視線で喉に栓をされたように皆言葉が出ない。喉にあるその栓をどうにかして吐き出そうと、しかしそれが叶わず、悶えているように。

 慧音が行った所業とは人里における幻想郷がそこにあったという歴史だった。

 慧音はその打ち合わせと、幻想郷の管理者である霊夢の監視の元、歴史を改変するために博麗神社にやって来ていたのだった。

 慧音は人里に住んでいる。それは人が好きだから。

 だから慧音は今回のような霊夢の提案に喜んで乗った。人々を不安に陥れる幻想郷の存在は人間にとっても慧音にとっても疎ましいものだった。

 その為、この霊夢達の申し出は慧音にとって願ってもない事。返事二つで了承したのだろう。

 そして幻想郷があったという歴史を消すという事。それはつまり

 

「今、この時を持って、幻想郷を現世から隔離する」

 

 霊夢が企てた事、それは幻想郷を現世から完全に消す、といった事だ。フランが人里に行ったという歴史だけではなく幻想郷そのものをなかった事にした。

 

「もちろん人里で必要な物を調達する場合はいつものように私に言ってくれれば人里に通すわ。でもその場合幻想郷のことは一切喋っては駄目」

 

 霊夢は徹底的に人里から幻想郷を隔離するつもりだ。

 

「ま、待てよっ!」

 

 喉に詰まった栓を吐き出したのか、それとも全てを受け入れて飲み込んだのかは不明だがやっと言葉を発する魔理沙。しかしその第一声は声がかすれ、叫んでいるにもかかわらず小さな声。

 

「だ、大体何でそんなことする必要がある!? 今まで上手くやってたじゃないか!」

「今まではね。でも今回のような問題が起きた……それは今までが近すぎたから。人里と幻想郷、人と妖怪、互いを隔てるために創ったはずだったのに」

「でもっ、それでも上手くいった! フランはこうして無事に戻って――」

「それも今回は、でしょう」

「つ、次だって上手くいくさ!」

「いくかしら?」

 

 魔理沙の口をついてでた言葉を霊夢が後を追うように言う。本当にそう思っているのか?と。

 魔理沙の何の根拠もない言葉。しかし霊夢の言葉もまた根拠がない。上手くいくかもしれないし、いかないかも知れない。

 だが失敗すればそれまでなのだ。もしフランの計画が失敗していればフランを殺害、もしくは天界に連れて行かなければならなかった。

 更に人間はすぐ不安になる臆病な動物。何も確証がないことには保険無しでは一歩を踏み出せない。そして霊夢は人間で次が成功するという確証はない。

 今回のようなことがまた起こればどうなるか。もしかしたら霊夢は幻想郷の妖怪全てを殺してまわらなければならないかもしれない。それは人里と幻想郷のあり方が根本から間違っていると言える。

 

「次があったとしてその次は? 次の次は? そんなのとても保障しきれないししたくもない。そもそも問題が起こること事態この幻想郷のシステムが破綻している事を明示しているわ」

「で、でも……」

 

 その場にいる者、恐らくほぼ全ての幻想郷の住人が人里と幻想郷を完全に隔離しても特に問題はないだろう。逆に人とのいさかいがなくなるのだ。幻想郷の住人にとても願ってもないことだ。

 だから皆その霊夢の意見に反対するものはいない。霊夢に申請すれば人里には入れるのだ。物資の調達にも困らないだろう。

 しかし魔理沙が食いつくのはすぐ傍で今何が起こっているか未だよく分かっておらず、首を傾げすぎて一回転してしまいそうなフランの存在があったからだ。

 フランは酒の席で魔理沙に楽しそうに人里で起こった事を話していたのだ。人里に遊びに行き、何をしようかと嬉々として話していた。今の状況が確定してしまった場合フランが不憫すぎる。

 魔理沙は苦しそうにフランを見下ろす。フランも首を器用にかしげて魔理沙を見返してくる。不安そうな表情で。その不安そうな表情は霊夢の言ったことをあまり理解していないからだ。

 霊夢はパチュリーの言ったことを否定した、とフランは捉えていた。だからフランは小さな希望を持っていたのだ。それが更なる絶望だとも知らず。

 人間と妖怪、フランは上手くやったのだから今後もまた上手くやっていけると思っていた。明日にはまた人里へ行き、新之助の所へ向かい、数日間行われているであろう夏祭りにでも一緒に行こう、などと計画を立てていることだろう。

 この純粋無垢な少女にどう説明すればいいか魔理沙は分からなかった。

 そして人里と幻想郷が隔離されると困る者がもう一人。

 

「まあまあ、霊夢さんもそんな面倒くさがらずに、今回みたいに一緒に解決していけばいいじゃないですかぁ、記事にもなるし。お願いですから元に戻してはくれないでしょうか?」

 

 文だった。人里にも自分の新聞をばら撒いている文にとって購読者が少なくなるという事は給料が減る、という事だ。実際面白くはないだろう。

 だから言ったのだろうが、霊夢の口から返ってきたのは気の重くなるような事。

 

「私はあなた達みたいに化け物じみた寿命はないのよ?」

「あ……」

 

 霊夢は無表情で静かに言い放つ。

 霊夢と妖怪達の寿命は大きく違う。問題が起きるたびに霊夢がそれに関わり、一緒に解決する、というような事は不可能だ。

 

「だからこの案は私ができる最大限の譲歩であり打開策、と受け取ってもらえたらありがたいわ」

 

 妖怪を殺したくない霊夢の今現状を打開する解決策がこれだった。

 だがそれはフランにとって少々小難しい話のようだ。

 

「ねえねえ魔理沙っ、何がどうなったの? 何で皆変な顔してるの?」

 

 皆一様に驚き、戸惑っている中、一人だけ首をかしげ今の状況が飲み込めていないフラン。魔理沙のスカートをクイクイと引っ張って説明しろと促す。

 

「記憶は全部消された」

「……でも新之助の記憶はちゃんとあるんでしょ?」

 

 何を思ってそう考えたのか。フランは自分の都合に合わせ、記憶が消されたと思っている。察するに人間と妖怪の不仲が原因なのだから仲のいい新之助の記憶が消されるわけがない、そう思っているのだ。

 

「フラン……」

 

 魔理沙はただフランの名前を呼ぶことしか出来ず、それで視線を逸らしてしまった。それが何を意味するか分からない程、フランは鈍くない。

 

「ま、またまたぁ、計画は成功したんだよ? 騙されないんだからっ、わた飴とか林檎飴とかもそうだよ! 私めちゃめちゃ恥ずかしかったんだからね!」

 

 フランは魔理沙によく騙されている。わた飴や林檎飴もそう、結界に触れさせられたこともあった。フランにも多少なりとも学習能力はあるのだ。耐性はつくというもの。しかしその耐性がここでは逆に不安を掻きたてる。

 

「お前の記憶だけじゃない、幻想郷の記憶も全部消えた」

「だからぁ、私はもう騙されないもんねっ」

 

 魔理沙は堂々と表情を変えずに嘘をつけるポーカーフェイスの持ち主だ。それがトラブルメーカーと呼ばれる所以。

 しかし素顔を隠すそれは耐性がないから。

 ポーカーフェイスという仮面の裏にある素顔はあまりにも柔らかすぎたようだ。然るべくフランの魔理沙を信じないその態度に魔理沙の顔が徐々に歪んでいく。どう言えば信じてもらえるか、どんな言い回しをすればフランを傷つけずに真実を伝える事が出来るか。

 恐らくそんな方法はない。傷つけたくなければ嘘を付く以外ないだろう。だが幻想郷のトラブルメーカーと歌われる魔理沙でさえ、表情一つ変えずにつける仮面は持ち合わせていなかった。それ以前に魔理沙の良心がそうさせないだろう。

 それがトラブルメーカーを慕うものたちが唯一認めている者なのだ。魔理沙に嘘がつけるはずがなかった。

 

「魔理沙が言った事は本当よ」

「霊夢……霊夢も魔理沙と組んでるの? 言っておくけど私はそんなに馬鹿じゃないんだよ?」

 

 そんな魔理沙を見かねた霊夢が助け舟を出すがフランは依然として信じようとはしない。

 

「ね、ねぇっ! おねぇ様っ」

 

 あまつさえフランは徒党を組んで自分を騙そうとする二人に対抗するため、満面の笑みでレミリアを仲間に引き込もうとする。

 

「……」

 

 レミリアから返ってきた言葉はフランの仲間になる事を快く承諾するものではない。それは拒否する事を示す沈黙でもなく、ただ入りたくても入ることが出来ないという苦しい沈黙。

 

「あはは……おねぇ様も私を騙そうとしてるんだ? ひょっとしてドッキリなの?」

 

 少しだけ笑って咲夜の方を見上げる。それは不自然に張り付いた笑顔で。

 口の両端は異様に釣りあがり、目は笑っておらず見開いただけ。

 

「ねぇ咲夜……」

 

 フランはゆっくりと咲夜の腰に手を回して前と同じく、甘えるように抱きついた。

 

「咲夜は私の味方……だよね」

「妹様……」

 

 咲夜に抱きついたフランは顔を上げずにただ胸に顔をうずめている。

 咲夜から目を背けているのは現実を直視したくないという心の表れ以外の何者でもない。しかしその咲夜に抱きついているのはかすかな希望にすがりたいから。

 だが咲夜もまた魔理沙と同じジレンマに悩まされていた。だからフランをいつものように抱きしめてやる事が出来なかった。

 

「さく……や?」

 

 震えている。フランの声が、体が、その振動が咲夜に伝わっていく。

 誰でもいい、せめてフランの味方になる者が一人でもいればその震える声は元に戻るだろう。

 

「フラン」

 

 だが

 

「消えたのよ」

 

 そんな者は一人もいなかった。

 

「はは……あははは、参ったなぁもう……」

 

 誰でも嘘だと分かっていることを本当だと言われ続ければ不機嫌になる。ネタが分かっているのだからさっさと本当のことを言えばいいのに、と。

 霊夢の一言で咲夜に抱きついていたフランの震えが止まり、そんな言葉が不機嫌さを撒き散らすように神社に響く。

 フランは咲夜の体から自分の体を突き離す。それは酒でも飲んでいるかのようにフラリ、フラリと。月の光から紅の瞳を隠すように。

 

「ばれてるのにっ……何でそんな下手な演技するかな?」

 

 フランは左右に体を振りながらゆっくりと霊夢の方を向いた。そしてゆっくりと顔を上げる。

 

「何で?」

 

 その紅の瞳は炎の様にゆらゆらと歪み、その熱い視線で霊夢を睨みつけている。それは注がれれば二度と動けなくなるような鋭い視線。しかし霊夢はその視線に目を逸らすことはない。

 真っ直ぐにフランを見つめ返している。

 それは睨むでもなく、哀れんでいるでもなく、ただフランの熱い視線を冷まそうとしているかのような冷たく暖かい視線。

 ホロリと、炎のように紅の瞳を揺らしていたそれが頬を伝い流れ落ちる。

 その涙はさぞや熱い事だろう。

 その熱い涙が意味する事は言うまでもない。

 

「いや……やだっ」

 

 とは、これが嘘ではなく、本当であることを確信したから。その現実を受け入れたくないという想いから。

 今フランに分かっている事は二つ。慧音が人里の記憶を消したという事実。もう一つはそれが本当に真実か確かめなければいけないということだ。

 フランは走り出した。熱い涙を軌跡にして。

 

「フラン!?」

 

 皆の雰囲気から恐らく自分の記憶は消えているという事は分かる。しかしフランは信じたかった。もしかしたら、あるいは、ただ一人だけ、自分の事を覚えてくれているかも知れないと。

 

 新之助なら、と。

 

「待ちなさい!」

 

 霊夢の静止をすり抜け、わずかな希望を胸にフランは走る。

 縁台を駆けて本堂を抜け、何も入っていないであろう賽銭箱を靴下のまま飛び越えて走り抜ける。

 フランは虹色の羽を奪われている。飛ぶことは出来ない。だから神社へのとても長い階段を転がるように駆けていく。

 その後を霊夢が猛スピードで飛んで追いかける。

 霊夢もフランの行き先は分かっている。そこで何をするかも。

 だから今フランを止めなければならない。今回の計画もその計画のために作った結界も全て破壊されてしまう。

 

「フラン!」

 

 霊夢が追った後を魔理沙が追おうと、すぐそこに立てかけていた箒を握り締める。そしてそこにいた皆がフランを追おうと一歩足を踏み出そうとした時、待ったがかかった。

 

「お待ちなさい」

「あ!?」

 

 待ったをかけた人物は意外にも今まで無表情で傍観を決め込んでいた八雲紫だった。

 

 

 



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第三十八話 ~幻想郷の巫女~

 

「おまちなさい」

 

 その一言を壁にしてフランを追おうと駆け出した者を止めたのは八雲紫だった。しかし今はフランが結界を壊しに奔走している。早く止めなければとんでもない事になってしまう。

 皆を止めているのは紫一人。一人を犠牲にすれば簡単に通過できるはず、という考えの者は一人もいない。この八雲紫という妖怪はは境界を操る程度の能力を持つ。あらゆる空間に隙間を空けて移動する事ができる妖怪だ。横を通過した時点で振り出しに戻る、の選択肢を強要されることになる。

 咲夜ならば時を止めて素通りできるだろうがレミリアの腕で静止されている。それは紫は大妖怪の肩書きを持つため。隙間という壁以外にも大妖怪という肩書きの壁は大きい。

 だから皆足を止めざるをえない。

 

「なんだよ紫! フランが行っちまうぜ!? お前だって困るだろ!?」

 

 だが事態が事態だけに悠長なことも言っていられない。魔理沙の言った通り、フランが壁を壊すと紫にとって非常にまずい事態になる。更に慧音が先程した改変も意味を成さなくなってしまう。

 

「そうね。でもここは、幻想郷の管理者である霊夢に任せてもらえないかしら」

 

 焦る魔理沙達に紫はゆっくりと言い聞かせるように言う。

 霊夢は弾幕ゴッコではフランに勝利した。しかしそれはフランが遊びでやっていたから。本気を出せば、能力を使ってしまえば霊夢でも厳しいものがある。

 だから魔理沙はそのリスクを背負ってでも止める価値はあるのかと紫を睨みつける。一方の紫はすまし顔でピクリともしない。しかしいつものように不適に笑ってもいない。何か考え事をするように視線は俯きがちで扇子は表情の下半分を覆って隠している。

 いつも裏で何かを企み、不適な笑みでそれを行使する紫とは違う様子に、魔理沙は眉を歪めざるを得ない。だからといって強行突破も出来ず、ただそこで立ち尽くすことしか出来ない。

 紫は幻想郷を愛しておりその危険を脅かす者が存在するなら、どんな冷酷な手段であってもそれを行使する。その紫が自ら幻想郷を危険に晒すフランを止めようとせず、霊夢に任せようとするのは一体何故か。何か意図があるのだろうが魔理沙はその紫の意図が全く分からない。

 強行突破も無駄、抵抗も無駄、おそらく論破することも無駄だろう。だから皆そこで留まり黙る。

 すると紫は首を傾げ、ゆっくり瞬きをしてニコリと微笑む。理解を得てくれた事と、無駄な力を使わなくてすんだ事への礼のつもりだろう。しばしの沈黙を経て、ゆっくり目を開けると続けざまに口を開く。

 

「あなた達は……今まで不思議に思った事はないかしら? この幻想郷の管理者が何故人間なのか」

「は?」

 

 幻想郷の管理者とは霊夢の事。幻想郷の異変や今回のような計画のごたごたした厄介事を解決する者だ。更には幻想郷と人里の境界である結界の管理も任されている。それが人間である霊夢であるということ。そこに皆何も疑問を持っていなかったようで顔を見合わせている。

 その中で唯一顔を見合わせていないものがいた。

 

「確かに」

 

 口を開いたのは紫と同じか、それ以上の膨大な時を生きていたであろう永琳だった。

 

「代が変わる度にいちいち面倒な引継ぎや修行しないといけない。それなら妖怪にずっと任せればいい」

 

 人間と友好的な妖怪は大勢いる。今日来た慧音にしてもそう、紫もいる。幻想郷を探せばいくらでも見つかりそうではある。

 

「成程、何でなんだ? つっても教えてくれないんだろ?」

 

 紫は普段自分から発言することはあまりない。しかも大事な所はお茶を濁すか黙して話さず、その先を問えば自分で考えろという沈黙で迎え撃ってくる。

 自分で考え、行動する事は大切だ。だが紫に限ってはそれが少なすぎて伝わらない事が多い。

 しかし今日の紫は普段とは違い、少々口数が多いようだ。

 

「戒め」

 

 と一言。

 魔理沙は紫が発言した事とその言葉の意味が分からず、驚きと困惑を不器用に交互に顔に出している。恐らく永琳でさえも分かっていない。

 

「これは初代博麗の巫女の考えで私の考えではない、とだけ言っておくわ」

 

 と、ここへきて、もったいぶって前口上。いつもならここで話が途切れるだろうが今日の紫なら続けるだろうと、魔理沙は「いいからさっさと言えよ」と一言。

 

「ふふっ……今回の計画でも分かったように、人間と妖怪が近すぎると必ず争いが起こる。だから初代の巫女は幻想郷を創った。妖怪を人間界から隔離し争いが起きないように」

 

 フランを人里で常識を学ばせる計画。一応は成功したという形になったが争いは起きた。そしてこの言い回しは以前にも同じ争いが起こったことを示す。その争いとは今紫の視線がレミリアに向けられている事から予想は付く。

 

「更に管理者である者も人間にしたのはさっき言ったように戒めよ。人間と交わる事で身近な存在になり、知り合いになり、親しい関係になる。やがては互いに必要とし離れる事が出来ない関係になるでしょう」

 

 紫は目を閉じる。それははここにいない者を示すから。

 

「そして最後に訪れるのは別れ。それは必ず人間だけがいなくなるという一方的な別れ。ほぼ、永久に変わらない関係であり運命……だから皆、その関係に耐えられなくなり、人と交わる事を避けるようになった」

 

 人間の寿命は妖怪に比べてあまりにも短い。親しい仲になればなるほど、それに比例して別れは辛くなる。

 

「もしも妖怪が管理者になれば人に興味を持つでしょう。そうなれば妖怪が人里へ出たいという願望を抱く。お預けされた子供のように、それに興味を惹かれるように。ここに集まっている皆がそうであるように。そして互いが交われば摩擦が起き、争いが起こる」

 

 人と接する事の厳しさと悲しさ、そして難しさを擬似的に教える為、幻想郷の巫女は代々人間が行ってきたということだ。それが紫の言う「戒め」なのだろう。

 

「ふ~ん、初代巫女は上手くやったもんだな」

 

 色々計算しつくされているそのシステムに魔理沙は素直に感嘆の意を示す。

 

「そうね……でも初めて争いが起きそうになった事があった。その代の巫女は今まで人間と妖怪を隔ててきたこの幻想郷のシステムにずっと疑問を持っていた」

「ふんっ、粋な巫女もいるもんだ」

 

 初代の教えに背き、人間と妖怪の調和を望む巫女とは魔理沙にとって「粋」らしい。トラブルメーカーのお墨付きをもらってもその巫女は嬉しくないだろうが、道を外れたその生き方が魔理沙は気に入ったようだ。

 その魔理沙の言い草に紫は短く鼻で笑う。それは不思議なことに嘲笑ではなく紫には珍しい、暖かく、そして自分もその意見に賛成だと言う楽しそうな笑い。

 魔理沙は怪訝そうに「なんだよ」と問うが紫は「別に」と返すだけ。

 

「その子は稀にみる、非凡な才能を持った巫女だった。だから修行もろくにしないんだけど、一丁前に師匠である先代巫女と私に意見してきたの」

「へぇ、なんて?」

「妖怪と人間、どうして仲良く出来ないのって。それはまだまだ子供だったからか、妖怪である私とその先代巫女が親しくしてたからか」

 

 と紫はまたレミリアに視線を向ける。今度はいつものように胡散臭そうな笑みを浮かべて。それでレミリアは俯いてしまうのだが、そうなっても紫の表情はにやにやとして止みはしない。

 

「だから人間と妖怪が仲良くできるとでも思ったんでしょうね」

「って、お前の思い出なんてどうでもいい。私はフランを追いたいんだがな?」

 

 そういえば魔理沙はフランを追っていて、その止めた理由を聞くはずだった。これではもはや紫の昔話になってしまっている。そんな事を聞くために大人しくここで足止めされてやっているのではない。理由しだいでは突破は出来ないが強行を試みるぞと、魔理沙は軽く苛立ちを見せる。だが紫は魔理沙のことは眼中になかった。

 

「フラン……ドール……スカーレット、そしてレミリア・スカーレット。昔を思い出すわねぇ」

「そう……ね」

「ん?」

「あの子もその巫女と同じく、人間と仲良く出来たらって思っていた」

 

 それは昔、戦争が起こる前の城でダリスと共に思っていたフランの願い。

 

「まっさかぁ、人をぐちゃぐちゃにしてたやつだろ?」

 

 紫はそれも全て見ていたらしい。

 だがその願いは崩れ、逆にフランは大勢の人間を殺してしまう。そのせいで情緒不安定になり、地下室に閉じ込められてもあばれていた。

 流石の魔理沙もフランの話を聞いているだけに少し想像できない。

 

「あの子とよく遊んでいる人間であるあなたが酷い言い草ね」

「わ、悪るい……」

 

 レミリアは魔理沙を見ずにそんな事を言う。レミリアは澄まし顔で、すこし茶化したつもりだったのだろうが魔理沙は平謝りだ。

 魔理沙はその辺りの空気は読める。だからレミリアも魔理沙を睨まず茶化すように言ったのだろうが。

 と、ここで紫がさらりと普通に聞いていたら聞き逃してしまいそうな声でポツリと驚くべき発言を呟いた。

 

「まさか霊夢も妖怪と仲良くできたら、なんて考えるなんてね」

「ふ~ん霊夢がなぁ~……はい?」

「霊夢が!?」

 

 急な紫の告白に魔理沙とレミリアは素で驚いてしまう。

 

「霊夢は今まで幻想郷に入ることが出来なかった妖怪を人里に入れるようにした。もちろん自分が選定した妖怪だけだけど」

 

 紫の言う、そして魔理沙が粋だといった巫女とは霊夢のことだった。だから紫は嬉しそうに笑ったのだった。

 

「今まで目で見えないほど奥にあった幻想郷も、あなた達が弾幕ゴッコをしているところを肉眼で確認できる所にまで範囲を広げた。あなた達がやっているその弾幕ゴッコやスペルカードなんていうのも……ふふ、よくやるわよね」

 

 弾幕ゴッコは妖怪の争いにスポーツ性を持たせた遊びにしたものだ。

 妖怪と何度でも楽しみながら遊ぶ事ができるように、どちらかが死ぬまでの争いを避ける為、という名目だが裏では人間である霊夢と妖怪の差を縮めるものでもあったのかもしれない。現にレミリアの紅魔館の住民、四季や永琳達ともこのフランの計画を実行できるほどに関係を深めている。

 

「今でも昔の言いつけを守って妖怪と自ら進んで関わろうとはしていない……ふうを装ってはいるけど、本当のところはどうなのかしらね。私もよく分からないわ」

 

 普段は飄々としていて妖怪と関わりたがらないが、それは嫌いだからではないだろう。フランを退治しろと言われた時、拒否の意を示したり、レミリアに相談したりしているのだ。嫌いとは対極に位置すると言っていい。

 かといってそんな霊夢が人間と妖怪の調和を望んでいたなど、少し考えられない。

 そんな考えが皆の頭に注ぎ込まれ、今までの霊夢と照らし合わせて矛盾が生まれ、水と油のように跳ねたり散ったりしている頃合にまた紫が口を開く。

 今度は夜空に光る満月を眺めて楽しみながら。

 

「初代巫女はここに幻想郷があることをおおっぴらに公表したわ。全世界に響き渡る程に……その理由は二つ。人間への警告と各地に散らばっている妖怪の収集。近くに来た妖怪を私の能力でここに連れてくる。あの頃は骨が折れたわ」

「全世界に発信したら幻想郷があるってばれてるだろ?」

 

 全世界に公表などしたら人間と妖怪を隔てるために創った幻想郷の筈なのに興味を持った人間がやってきてしまうかもしれない。それはまた人間と妖怪との摩擦を起こし、戦争が起きる。

 それは博麗の巫女の意図するところではない筈だ。それに紫は笑みを浮かべながらため息をついて「そうね」と「でも」を少し間を空けて言った。その空白の間に何か色々な面倒ごとが起こったのだろう。

 

「気が遠くなるよう様な昔の話よ。公表したのは初代だけだし、時がたてば人間は徐々に忘れていくでしょう。でも妖怪は死なない限り覚えている。これは初代が企画した長いスパンの計画だった。今じゃさっき歴史を消した人里くらいしか覚えてないでしょう。それに今後は、何らかの書物を辿ってこの人里にまで来たとしても、近くの人間が知らないとなれば諦めて帰るでしょう? ただの物好きならさようなら、妖怪だったら神隠し。何て上手いシステムなのかしらね」

 

 紫に改めてそう言われると何だか少し寂しい、と幻想郷に住むものは思わないだろう。今までどおり何か入用の場合、霊夢に言えば入れてもらえるのだ。更に今やすぐそこの人里と深い関わりを持つ者などフランくらいしかいない。

 人里と友好な関係を持っている慧音も、寺子屋で教鞭を振るってはいるがあくまで教師と生徒の関係だ。長くて五、六年の関係なのだから少ししてすっと居なくなる、という計画で慧音も了承しているのだろう。

 逆に幻想郷の住人にとって人間からは見えない特殊な結界の中で伸び伸び出来るので願ってもいない事だ。

 

「私、少し霊夢さんを誤解してました」

 

 紫が全て言い終えると妖夢がポツリとそんな事を言う。

 

「傍から見たら修行サボってやりたい放題のアホ巫女だもんなぁ」

 

 それに賛同するように魔理沙もそんな言葉を吐き捨てる。酷い言われようだが、それは皆から親しまれている証拠でもあるのだ。なんだかんだ言いつつ皆霊夢には一定の信頼を置いているようだ。

 

「それと、ああいう性格だから。こんな事私が喋ったなんていわないでね?」

 

 と、一応念の為トラブルメーカーである魔理沙に釘を刺しておく。

 

「ああ、でも霊夢がそこまで考えていたとはな」

「今回の事で身に染みたでんしょう」

 

 今回の騒動で不安に思う人間は絶対にいる。そうなれば人里の住人は妖怪を怖がり、溝を深める事になるだろう。ならばその溝にぴたりとはまる仕切りを築き、完全に隔てれば済む事。

 それは霊夢の意に反して。

 かくして霊夢は歴史を改変した。自分の考えの甘さと歴代の巫女の考えの正しさを改めて思い知らされたから。

 

「そういうわけで霊夢は歴代の巫女の意思を継いで自分の使命を果たそうとしてる。私としてもそれは嬉しい限りだわ。だからここは霊夢に任せてくれないかしら? と言うのが私があなた達に待ったをかけた理由よ」

「結局お前の思い通りになったわけだな」

 

 初代の意向は古くから付き合ってきた紫の意向とも言える。それを霊夢が果たそうとしているのだから邪魔するなということらしい。

 

「隔離されたところで私は別に関係ないし、この幻想郷のためって言うのならここで待っててやるよ」

「そうね、霊夢が決めた事なら私は意見しないわ」

 

 魔理沙とレミリアは納得し、それに釣られて回りもうなずいている。

 

「これはいい情報を聞きました。すぐに記事に」

「紫に殺されるぜ」

「八雲紫、あなたの歴史も一度聞いてみたいな」

「あなたはあの方と同じ匂いがするからお断りよ」

「あれ、幽々子様寝てる……」

 

 妖夢がため息をつきながら毛布を幽々子に掛けに行く。それを目で追った小町が途中にいた鏡を覗き込んでいる四季に視線を止める。

 

「あれ、四季様何見てるんですか?」

「フランドールと霊夢の動向だ」

 

 四季はずっとフランと霊夢を監視していたらしい。幻想郷の起源など四季も当然知っているのだろう。だからそんな話そっちのけで鏡を見ていたようだ。その鏡は全てを見通せる鏡でフランと霊夢の姿が映し出されていた。

 

「いい御趣味をお持ちで」

 

 と、紫の皮肉に四季はふんっと鼻を鳴らして「お前も把握しているのだろう?」と一言。それに紫は「もちろん」とニコリ。

 

「お前ら趣味悪いな……」

「あら、あなたは見ないの?」

「見るに決まってるぜ」

 

 と魔理沙の一言を合図にでがやがやと紫が開けた隙間に皆集まってきた。



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第三十九話 ~それぞれの想い~

 霊夢は結界を破って人里に向かおうとするフランを飛んで追いかけていた。フランは羽がないから飛ぶことは出来ない。だから博麗神社に続く階段を風のように駆け下りている。

 

「フラン! 馬鹿な真似はやめなさい!」

「馬鹿は霊夢だよ! 何で新之助の記憶を消したりするのよ!」

 

 霊夢が空から待ったをかけるがフランは止まる気配がない。それどころか霊夢の方を振り向きもせずフランは転がるように階段を駆け下りていく。

 

「あんただけじゃない! 幻想郷全ての記憶を消したのよ! これ以上、無駄な争いが起きないようにするために!」

「霊夢が人里に行けって言ったんでしょ!? だから行ったのに! 何でそんな事するのよ!」

「それは関係ないでしょ!? あんたが外で暴れた時点で、そうなる予定だった!」

「計画は上手くいったじゃない! それに私はおねぇ様が外で遊べって言ったから外で遊んだだけ! 私は何も悪くない!」

「何でもかんでも人のせいにするんじゃないわよ!」

「するよ! 外で遊んだら私だけ罰ゲーム! 罰ゲームしたらまた罰ゲーム!? ふざけないでよ!」

「遅かれ早かれこういうことは起こったのよ! それがあんただってだけ! 別にあんただけを攻めるつもりもないし罰も与えるつもりはなかった!」

 

 フランはとまる気配がない。霊夢が停止を促すが効果はなく、口喧嘩になって逆にフランの進撃が速くなる。

 霊夢の酷い仕打ちにフランは止まりはしない。

 しかし他の妖怪がフランと同じように暴れているところを見られてしまったら、結局今回のようなことが起こり、人里で暮らす、なんてことはないだろうが何らかの処置は取られたはずだ。その動向如何によっては、今回のような事態に収束する可能性は十二分にあった。

 つまりフランは貧乏クジを引いてしまったのだ。だからフランは余計に理不尽に思ったのだろう。なぜ自分だけこんな目に、と。だから振り向いて霊夢をキッと睨みつける。

 

「そんなの!」

 

 だがそれがよくなかった。バランスを崩し、フランの足が階段から踏み外される。

 

「きゃあああああああああああ!」

 

 フランは悲鳴を上げて面白いように階段をゴロゴロゴロと転がり落ちていってしまった。

 

「本当に待ってえええええ!」

 

 

 

 

 

「つかまえた」

 

 ゴロゴロ転がるフランを途中で抱きとめて階段に座らせる。後ろからフランを捕まえると言う名目で抱きしめて。

 

 

「う~……」

 

 どうやらフランは目を回している様子。博麗神社に続く階段は急で、そこを落ちるような勢いでゴロゴロと転がっていたのだ。無理もない。

 

「全く……世話が焼けるわ……」

「は、放してよ馬鹿ぁっ」

「まだ言ってるの? いい加減にしなさいっ」

「放してって言ってるでしょ!」

 

 目が回るフランは体に回された霊夢の手を力ずくで引き離す事しかできなかった。だがフランは吸血鬼で霊夢は霊力以外は普通の人間でありただの少女。その吸血鬼がその怪力を行使すればどうなるか。

 

「いつっ」

「あっ……」

 

 小さな悲鳴を上げて霊夢は唸ってしまう。今は暗くてよく見えないだろうが恐らく霊夢の腕にはあざが出来ているに違いない。

 普段落ち着いた物腰で無愛想な霊夢がそんな悲鳴を上げた事が意外だったのか、フランは目を丸くして霊夢の腕を見つめる。夜目の効く吸血鬼だ。その腕にどんなものが出来ているのかわかっているだろう。

 

「フランっ」

 

 と霊夢が名前を叫ぶように呼ぶと、フランはそれに弾かれた様にビクつき、反射的に「ごめんなさいっ」と口に出る。

 その直後、フランは霊夢からまた何らかの罰を受けると身構えていたが、霊夢の口からはフランを叱りつける言葉は出てこなかった。

 

 

「私はあんたを守りたい……」

 

 代わりに出てきたのはそんな言葉。強くフランに訴えかけるようなそれ。

 フランがもし結界を壊して人里などに行けば今度こそ、危険な妖怪として天界に連行されてしまうだろう。

 しかしそれはフランがその時まで生きていたら、だ。というのも幻想郷の維持に命をかけていると言っていいほど愛情を注いでいる人物、八雲紫の影がある。その異常なまでの幻想郷への執着にフランがもし結界を壊そうものならば残酷にこの小さな吸血鬼を殺そうとするだろう。

 どちらにせよ、フランの身が危険なのは変わらない。だから霊夢はその危険からフランを守りたかった。

 

 

「……」

 

 霊夢の言葉が呪文になったように、フランの体から力が抜けていく。まるで叱られてしゅんとしている子猫のように背中を丸めてうなだれている。

 フランがそうなるのも無理はない。それは以前、新之助がフランを命がけで守ろうとした時に発した言葉と同じ要素を含むからだ。前に新之助が小島酒蔵に乗り込みフランを抱きしめた時の事を思い出したのだろう。

 

「あら、ずいぶんすんなりと大人しくなったわね」

 

 霊夢はその事はしらない。フランが好きだった新之助と同じ言葉を吐いたことを。だから霊夢はやはり意外そうな顔でフランに語りかける。

 

「やっぱり……」

「ん?」

「やっぱりこんなの……理不尽だよ」

「そうね……あなたがこんなに人と仲良くなるとは思わなかったから……正直言うと初日に暴れだしてすぐ終わっちゃうかと思ってたのよ。私もうかつだったわ」

 

 霊夢は軽く笑い、謝罪の意こそ示さないものの、反省の意は示す。

 初日でダメだと思っていた、とは失礼極まりないがそれを最後の一日を除いて、しかも人里の住人の信頼をも勝ち得ながら順調に過ごしていくフランを見て、霊夢もこれなら大丈夫と高をくくってしまっていたのだ。計画前の心配は杞憂だったと。最後の日に浮かれて祭りに出向いてしまうほどに。

 その霊夢の隙をフランは的確につき、騒動を起こしてしまった。小島酒蔵襲撃という、大袈裟なことになってしまったのだ。

 形では成功ということにはなった。人里の住民による妖怪の印象はフランの活躍で好感触だったものの、当のフランが暴動を起こしたことでその好感触分マイナスに転じてしまった。

 霊夢がいればどうにかなったかもしれないが後の祭り。それが霊夢は悔やんでも悔やみきれなかった、ということだ。

 

「……私、ずっと地下室にいた」

「ん?」

「おねぇ様が外に出ろって言うから外に出て皆と遊ぶようになった。楽しかったよ? 言いつけも守ったつもり」

 

 霊夢の反省の意を受けて、フランもなにやら思うところがあるようだ。ポツリポツリと語りだす。

 

「でもそれで、どうして人里なんかに連れてくのかって理不尽に思った。でも人里も楽しいところだって分かった。新之助と出会えて楽しかったし……すごく……でも、それも霊夢はまた私から奪うって言うの?」

 

 一ヶ月弾幕ゴッコという楽しみを奪われ、その後にはこれから来きた筈であろう、人里での楽しいひと時を奪われたのだ。それを霊夢はどう思っているのか。フランは聞きたかった。先程のように反省の意を示すのかどうか。

 しかし、霊夢の口から発せられた言葉はフランの予想外の言葉だった。

 

「そうね。あの時あんたを人里になんか連れて行かなければよかったと後悔してるわ」

「えええ!? 何で!?」

「そりゃそうでしょ。あの時点で人の幻想郷があるという記憶を消しておいたら、万事まるく収まったのに。あんただって新之助さんに会いたいなんて思わなかった」

「じゃあ何で私を人里に連れて行ったのよ!?」

 

 最初は新之助の提案でフランに教育させるため。

 それもあっただろうが霊夢にはもうひとつ想うところがあったのだ。それは妖怪と人間との距離が少しでも近づければと思ったからだ。それは昔フランが想っていた事であり、紫が言ったように霊夢もまたそう想っていたのだ。だから霊夢は新之助の提案に乗っかった。

 だがその思惑はフランが暴れた事によって崩壊し、あまつさえフランが天界に連れて行かれそうになった。それは自分の監視が甘かったから。自分の理想はやはり理想でしかなかったと思い知らされた瞬間だっただろう。

 

「さあねぇ」

「さあねぇって私に常識を学ばせるためでしょ!?」

 

 フランの問いに茶を濁す霊夢。

 

「どうだったかしらねぇ」

「もうっ、何それ!」

「ただ」

「……ただ?」

「もしかしたら……上手くいったりなんて」

「え?」

 

 初日でダメだなんて憎まれ口を叩いてはいるが少なからず、霊夢はフランに希望を抱いていたようだ。最後の日以外、良い報告しか来なかったのだから、霊夢の心境は言うまでもないだろう。しかしその希望が砕け散った時の反動もまた大きい。

 フランは目に見えない、多くのものを破壊してしまっていたようだ。

 

「何となく……ね」

 

 霊夢はそう言って抱えているフランの帽子にボフンと顔をうずめる。

 

「霊夢?」

 

 フランは目だけを上に向けて霊夢を見ようとするが自分の頭を見ることなど出来はしない。

 

「泣いてるの?」

「泣いてないわ」

「……掴んでごめんなさい」

「あんたも普通に謝る事が出来るようになったのね」

 

 フランに謝られてもむずがゆいだけだ。だから憎まれ口で返してやる。

 

「と、当然だもん!」

「そう……ごめんなさいね……」

 

 霊夢は素直に謝罪の意を示した。それはこんなことになってしまった事への謝罪も含まれているに違いない。フランはただ、自分が低く見られていた事に対してだと思っているだろうが。

 

「……そんなに痛かった?」

 

 素直に謝る霊夢が気持ち悪かったのか、フランがそんな質問をする。そんな純粋無垢なフランが霊夢には面白かったのだろう。それを霊夢は鼻で笑う。

 

「ええ、ものすごく痛かったわ。治療費請求するから覚悟しなさい」

 

 フランの頭に霊夢が顔をうずめているので息が直接フランの首筋に当たる。だから少しこそばゆいのかフランは肩をすくめておずおずとうなずいたのだった。

 すると、なにやら霊夢とフランの周りが急に明るくなりはじめる。多くの丸い光がフヨフヨと漂ってきたのだ。それは慧音が放ったような強烈な光ではなく、優しくぼやける様な光。少し光ると消えてまた点灯を繰り返している。エメラルド色の光で蛍のようだが少し粒が大きい。

 

「何これ?」

「ふふっ、粋なことしてくれるわね」

 

 

 

 

 一方、隙間を除いている盗み見している側では。

 

「皆さん遅くなりました。これがボクの宴会芸です。何だか神妙な面持ちだったのでこっそりやってきちゃいましたが」

 

 隙間を覗き込んでいる皆の後ろから声が。いつからいたのか、そこにはリグルがいた。

 

「リグル? ってことはあの光はおまえの蛍か」

「はい、もう夏も終わりだったので集めるの大変でしたけど」

「へえ、よくあれだけ集められたな」

 

 霊夢とフランを囲む蛍はまるでドームのように覆っている。暗い空が見えないくらいに密度が高い。相当量の蛍がいるはずだ

 

「それがあまり集められなくって。だから大ちゃんに蛍を半分妖精化してもらって」

「がんばりました!」

「お前らぐっじょぶだぜ」

 

 リグルの後ろから大妖精がやってきた。

 人はすごく綺麗な物を見ると心洗われ、心に付いた傷も洗われるのかもしれない。それは妖怪も例外ではないだろう。現にフランの赤い瞳はエメラルド色に染め上げられている。そして霊夢もまたフランと同じことを考えているに違いない。

 それはまさに幻想の郷である幻想郷でしか見ることの出来ない幻想的な光景だった。

 

「あのぅ……」

 

 そんな時、文が体をもじもじうずうずさせて皆に呼びかける。

 

「どうした文? う○こか?」

「違います! あのっ! 私現地に行って取材したいのですが!」

 

 とはあのドームのようになっている蛍の光の集まりを、だろう。

 

「全く、空気の読めないヤツだな」

「でもでも! あんな光景、もう二度と拝めないかも知れませんよ!?」

 

 魔理沙が紫の方を見ると紫は目を瞑って扇子で顔を隠してしまう。全く何を考えているかわからない。

 

「いいんじゃないかしら? もう頃合でしょう。私たちも帰るわよ。フランを連れて」

「はい」

「帰りますか」

「そうね」

 

 紅魔組みはそろって階段の方へ歩き始める。紫も止める事はしない、ということは頃合だと思っているのだろう。

 

「じゃあ取材オッケーと言う事で!」

 

 とうっ、と勢いよくジャンプした文は階段の方ではなく図々しく隙間の中にダイブしていった。

 

「そこから行くのかよ!」

 

 すると永琳も

 

「さて、優曇華帰るわよ。隣町へ」

「隣町?」

「それが私達の明日からの住む場所よ」

 

 とは人里に行った時のごまかしの説明だろう。永琳のような医療に長けた者の存在は大きい。だからまたしばらくは行く事になるだろう。

 

「ああ……でもこの耳じゃもういけないですよね」

 

 あはは、と笑いながらそんな事を言う優曇華に永琳は変な事を提案する。

 

「耳があるならバーニーガールの姿で行けばいいじゃない」

「お、お断りします!」

 

 永琳はふふっと笑うと縁台からがって何やらごそごそし始める。

 

「師匠? 何してるんですか?」

「忘れ物よ」

「忘れ物? あ、それって――」

 

 

 

 妖夢も幽々子を連れて紫の空けた隙間を使って西行寺に帰っていった。四季映姫や小町、慧音も一言言って引き上げていった。チルノに関しては霊夢の説明が子守唄になったらしく、大妖精とリグルに連れられて帰っていった。

 

 最後に残ったのは魔理沙と紫。

 

「じゃあ私も」

 

 と隙間を空けて帰ろうとする、が、そこに魔理沙が待ったをかけた。

 

「紫、一つ言いか?」

 

 と、紫に話しかけて。

 

「なに?」

「お前は代々博麗の巫女と仲良くなってたんだよな?」

「ええ」

「寂しくなかったのか? その……別れとか」

 

 紫は博麗の巫女を代々人間にしたのも別れが悲しくなるからだと言った。だとすると紫は歴代の巫女の最後を全て看取ってきたということだ。全ての巫女を好きかどうかなんて分かりはしないが、以前がどうであれ、きっとその最後は二度と人間と交わりたいと思いたくなくなる程辛いものだったに違いない。

 

「ふふ、何を言うのかと思えばそんな事?」

 

 紫は閉じていた扇子をぱっと広げて口元を隠して鼻で笑う。

 

「いいから答えろよ」

「……そりゃぁ寂しかったわよ」

「その時お前は――」

 

 「泣いたのか?」と魔理沙は聴きたかった。紫はもう何回そんな別れを繰り返してきたのかわからないのだ。それなのに紫は平気だったのかと。

 しかし魔理沙は聞けなかった。それは紫に遠慮したからではない。扇子で口元を隠しつつも、目がニヤニヤと笑っているからだ。

 そこで魔理沙は紫の狙いに気付いた。きっとこの問いに紫はまじめに応えたりはしない。逆に「泣いたのか?」などと聞けば魔理沙は何も言い返すことが出来ないくらいに攻めに攻められてしまう事だろう。自分がそんなメルヘンチックな振る舞いをすると勘違いしてくれている魔理沙は何て可愛いのだろうと。なんてメルヘンチックな考えをするトラブルメーカーなのだろうと。

 生憎、紫はそんなに女の子らしい心の持ち主ではない。魔理沙もそうなのだ。

 ただ本当に死に別れる際、涙を流したか流さなかったかは定かではないが、紫は本当の事は絶対に言いはしない。

 

「……嫌気がささなかったのか?」

 

 だから魔理沙はそう言い変えた。そしてどうやらそれは正解らしい。

 紫は先程まで期待で目を細め、今か今かと待ちわびていたのだろうが、魔理沙が気付いてそう言った瞬間、細めた目が残念でよりいっそう細められた。そして魔理沙の機転の速さへの賞賛と、自らをあざ笑うかのように鼻で笑う。

 

「ふふっ……そうね。別れは辛いわ……嫌気もさした」

「そう……か……そうだよな」

 

 紫の声がどことなく悲しげな声に変わっていた。

 紫の話では気が遠くなるような昔。その間、何人、何十、何百人と巫女との別れを経験してきた筈だ。そしてそんなこと慣れる事ができるようなものではないだろう。

 魔理沙は何も言えずに俯くしかなかった。そしてそんな事を聞いた自分に後悔した。恐らくは今の霊夢と紫の様な関係だった筈だ。その最期がどうだったかなんて自ずと分かるいうもの。

 ただ魔理沙はほんの少し思ってしまったのだ。普段感情をあまり表に出さない紫は、紫ならばそんな事、全然平気だったのではないかと。

 だが違った。紫もまた常識の人格を持ったものだった。

 そんな後悔を魔理沙がしている時、不意に紫が「だから」と呟いた。

 魔理沙が顔を上げて紫を見ると閉じられた扇子を持った手は胸に当て、もう片方の腕は月を掴まんと天高く掲げられていた。

 

「こんなに辛い想いをするくらいなら、あなたとなんか出会わなければよかった……」

 

 芝居でもしているかのように両手を胸に当て、静かに目を瞑る。

 そんな光景を唖然と拝む魔理沙。その魔理沙に閉じた目を片方開けて紫は微笑んだ。どうやらこれは紫がうった茶番らしい。

 

「なんちゃって」

 

 と一言抜かし、魔理沙に向き直り意地悪な笑顔だ。

 魔理沙は回避したと思っていた罠にまんまと嵌ってしまっていたようだ。魔理沙が発言を変えた時から紫のプランも変わっていたのだった。

 

「ちっ……やれやれだぜ」

 

 魔理沙はやられたとばかりにそう吐き捨てる。その顔には胸中晴れない色と疲労感が滲んでいた。

 紫はまたふふっ、と扇子で口元を隠しながら軽く笑って謝り、空を仰ぐ。

 

「でも、案外楽しかったわよ」

「あっそ。そりゃよかったなっ」

 

 魔理沙はもう振り回されるのはごめんだと投げやりな返事。紫の嘘か真か分からない、満面の笑みで言うそんな言葉を軽く受け流す。考えるだけ無駄だなのだ。無駄なことに意味はない。

 だが紫は次の瞬間、信じられない事を語り始める。

 

「巫女が死んでは次の巫女」

「ん?」

「それが死んでまた次の巫女、博麗の巫女をペットのようにとっかえひっかえ」

「おいおい」

 

 いきなり何を言い出すのかと、狂った者を見るような目で魔理沙は紫を見る。楽しかったとは博霊の巫女をペットのようにとっかえひっかえにかかるのだろう。

 

「それが楽しいなんてどうかしている、とあなたは思うかしら?」

 

 だがこれはただの質問だった。あんな言い回しをしたのもまた、紫の掌ダンス講座だったらしい。魔理沙は降参の意を示すように掌を天に向けて肩をすくめる。こんな茶番にいつまでも付き合ってられないと。

 

「そんな事思わねぇよ」

 

 だから正直な気持ちを紫に伝えた。

 

「あら、そう? 意外ね」

 

 紫は意外そうに魔理沙を見つめる。博麗の巫女をペットのようになど、そんな非道徳的な言葉。人間ならば見逃せるものではない。

 だが魔理沙は少し違ったようだ。

 

「出会いがあれば別れがあるんだ。永遠なんて人間と妖怪が交わる限り絶対ないしな。だからそれが人間と妖怪の正しい交わり方なんじゃないかねぇ、と私は思ったよ」

「……」

「それにその巫女も楽しかったはずだぜ? しかも自分はその後の……死に別れた後の悲しさや辛さなんて知ったこっちゃないんだ。幸せすぎるだろ? それが何十、何百と繰り返すんだぜ? それに比べりゃあ、お前のそんな言葉は戯言に過ぎないぜ」

 

 その時、紫が魔理沙に背を向けたのは恐らく偶然ではないだろう。

 

「……馬鹿ね、楽しかった、幸せだった、そんなこと分かるわけないでしょ」

 

 それは紫がそんな魔理沙の意外な反応に、自分のプライドが傷ついてしまう顔をしてしまったからだろう。

 その紫の態度に魔理沙は顔をにやつかせ先程にもまして意気揚々と語りかける。

 

「分かるさっ。人は自分を嫌いな奴を好きにはならない。その逆もまた然りだ。お前も楽しかったんだろ?」

 

 紫は先程楽しいと言ってしまっている。巫女をペットのようにとっかえひっかえという非人道的なことを。皮肉で言ったのだろうそれらが全て肯定された上での魔理沙の言い回しは、紫にとってこの上なく面白くないことだった。

 これはやられっぱなしの魔理沙による一発逆転の反撃だった。その効果は抜群だったようで紫は忌々しそうにニヤついている魔理沙を横目で眺め、沈黙することしか出来ない。トラブルメーカーという異名を持つ魔理沙の頭の回転は伊達ではなかった。

 紫は少し沈黙した後、くるりと魔理沙のほうに向き直る。扇子で顔を隠さずに、ほてった顔を冷ますように仰いで。

 

「そうね、なら、あなたにも期待していいのかしら?」

 

 とは自分を死に別れの悲しさ以上に楽しませてくれるのか、と言う事だろう。

 それを魔理沙は喉で笑い飛ばす。

 

「はっ、お断りだぜっ。残念ながら私は人の期待を裏切る事を快楽に感じるタチでね」

「あらそう、残念」

 

 魔理沙は箒にまたがりながらそんな言葉を吐く。紫もそれを見ながら微笑んでいる。

 

「だから迷惑ならかけてやってもいいぜ」

「それはごめんこうむるわね」

「でもお前にとっては願っても無い事だろ?」

 

 という言葉には流石の紫も首を傾げてしまう。魔理沙の言葉の真意がわからない。

 

「迷惑をかければ別れは悲しく無い筈だぜ?」

 

 楽しさが大きい程、別れの悲しさは比例して大きくなる。つまりその逆もまた然り。

 

「ふふっ、それであなたは何がしたいの?」

「お前に迷惑を掛けて掛けて掛けまくってやるのさ。そして『ああ、やっと鬱陶しいヤツがいなくなったわ』なんて言って喜ばせてやるぜっ」

「期待しておくわ」

 

 その期待は皮肉色に染まったもの。

 

「それなら任せろ、だぜ」

 

 そして魔理沙はそんな色で染まった期待が大好きだった。期待を裏切る魔理沙には大好物なのだから。

 迷惑をかけられる紫はたまったものではないがその月の光に照らされた表情には、心底楽しそうな笑顔以外何も写っていなかった。



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第四十話 ~エンドロール~

 幻想郷を世間から隔離した歴史的な事が起こった次の日。昼間だというのに薄暗い紅魔館の地下室で、フランが帰ってきた祝いとばかりに魔理沙が本気の弾幕ごっこに付き合ってやっていた。

 しかし一ヶ月間人里に言っていたフランはブランクがある。さらにブランクがあるからと手加減するほど魔理沙は甘くはない。手加減されてもフランが怒るので、魔理沙は鬼畜なまでに本気でフランの弾幕ゴッコにあたった。

 結果は言うまでもなく、フランの完敗だった。

 

「はあはあ……」

 

 魔理沙の弾幕に叩き落され、帽子も服もぼろぼろになったフランは大の字になって地下室の天井を見上げていた。

 今は夏の終わり、秋の初め。だがまだまだ気温は高い。それに対し石造りの地下室の床はひんやりと冷たい。弾幕ゴッコで火照った体をクールダウンするのに丁度いいようで、フランはすぐに立ち上がらず、全身を床に付けたまま動かない。

 

「まだまだ甘いぜ」

 

 憎まれ口を叩きながら、箒の上に座った魔理沙がひらひらと、舞う葉のように仰向けに倒れているフランの周りを回って降りてきた。そんな魔理沙の憎まれ口に返す余裕もないらしく、フランはまだ息を上げている。

 

「よっと」

 

 魔理沙はフランに歩み寄り、帽子を脱いで胸に当てるところんと寝転がった。手を枕代わりに頭の下へ、足は組んでリラックス。フランと同じく、床の冷たさを堪能しているかのように目を細め、やがて瞼を閉じる。

 

「はぁはぁ……なによっ……寝転んじゃって」

 

 それに気付いたフランが息きれぎれになりながら、自分と同じ格好をする魔理沙を横目に睨みつける。

 

「負けた奴がどんな気持ちで天を仰いでるのかと思ってな」

 

 返ってきた答えは哀れみのかけらもない言葉。敗者であるフランへの追い討ち以外の何者でもなかった。

 

「馬鹿魔理沙!」

 

 とフランは叫んで魔理沙に背を向けて横になる。

 勝った者へは何を言い返そうと負け犬の遠吠え、勝者にとっては賞賛の言葉となってしまう。それを分かっていて魔理沙はやっているのだから意地が悪い。

 それを見て魔理沙は笑っているだけだったが、やがてぼそりと呟くように放った言葉にフランは目を丸くすることになる。

 

「フラン、お前弱くなったな」

「えっ」

 

 フランは驚いてビクつくように身を跳ね上げ、魔理沙の表情を伺う。その魔理沙の発言の真意を確かめるために。しかし魔理沙は眠っているかのように目を閉じていて表情が読み取れない。

 

「ど、ど、ど、どひゅこと!?」

「焦りすぎだ」

 

 表情が読み取れないため問うしかない。

 口をプルプルと震わせてカミカミになりながら身を乗り出して魔理沙にその真意を尋ねる。そこで初めて魔理沙は目を開けて焦るフランを目にとめて呆れたように笑う。

 フランが焦るのも無理はない。相手を一方的に打ち負かす事を喜びの糧としている者以外、勝負を楽しむには互いに同等の技術を持って臨む必要がある。その戦術や心理の駆け引きがあるから楽しいのであって初めから勝ち負けが決まっている勝負など、ただの喜劇でしかない。

 フランと魔理沙はどちらかといえば後者であり、それが前者にとって変わろうとしているのだ。そうなればどうなるか。

 

「だ、だって! ……だって……魔理沙は私と遊ぶの楽しくない……かな」

「はぁ……そうだな」

 

 不安で潰れてしまいそうなフランに魔理沙はため息混じりに天井に向き直り、さらりとそんな言葉が吐き出される。

 フランはもうやめてくれと言わんばかりに口を開けたまま動けないでいた。いわゆる絶句という状況に陥っている。

 

「だからお前にはもっとがんばってもらわねぇとだぜ」

「う、うんっ、がんばる」

 

 とりあえず魔理沙はこれからも弾幕ごっこは続けてくれるらしい。

 身を乗り出すフランを魔理沙が手で制すと冷たい床にぺたんと腰を下ろした。しかしそのフランの声にはいつものような自信や元気がない。

 一日サボるとその感覚を取り戻すのに三日必要だと言われている。と言う事は約三ヶ月必要だと言う事になる。三ヶ月は魔理沙は楽しむ事は出来ないだろう。

 しかし、フランがそういうことで悩んでいるのではない、ということは魔理沙にも分かっていたようだ。

 

「歯切れが悪い返事だな。なにか悩み事があるならきくぜ? っていうかどうせ新之助とか言う野郎のことなんだろうが」

「え!? 何で分かったの!? 魔理沙伊藤!?」

「……」

「エスパーでしょ?」

「いや、知ってっけどさぁ……お前未練タラタラだな」

「うぅ……」

 

 魔理沙にそう言われてフランは股の間でたるんでいるスカートを握り締め、床に付くまで拳で押し当てた。

 

「だって、そう簡単に忘れられるわけ……ないじゃん」

 

 フランはそう吐き捨てて俯いてしまう。

 余程の力が込められているのだろう。スカートを握り締める手は震えている。それで出来るしわはもう戻らないだろう。

 年齢を重ねるスカートを眺めながら魔理沙はまたため息。

 

「全く……うじうじしやがって。そんなに気になるなら会いに行けばいいじゃねぇか」

「ダメだよ」

 

 即答。

 魔理沙がスカートから視線を上げるとフランは俯いて、握り締めたスカートを見つめていた。

 

「よく分かったよ。人間に関わったらろくな事にならないって」

 

 それは事実ではあるがフランにとって受け入れたくないことだ。その想いの強さはフランの握られた拳が強く明示している。加えてフランの表情は寂しげでこれには魔理沙も苦笑いせざるを得ない。

 

「でも今度はうまくいくかもしれないだろ」

 

 寂しさを埋めることが出来るのはその対象となっている人物だけ。だから魔理沙はそんな希望の小石をフランの心に放り投げてみる。

 フランの弁は自分で自分に言い聞かせ、本当の自分を隠すための仮面だ。しかしそれは自分を変えるではなく、偽るための仮面。しかもフランが作った仮面だ。魔理沙にとってそれは小さな吐息で剥ぐことができるくらいに薄い仮面だと思っていた。だから簡単にはがせると高をくくっていたのだが、その薄っぺらい仮面は風で飛ばされないよう、硬く結ばれ、固定されていた。フランの表情には哀愁の中に決意のようなものが見え隠れしているのだ。

 

「そんなに簡単に上手くいくなら昔だれかやってるよ。でも誰も出来なかった」

 

 魔理沙の投げた小石で出来る波紋は限りなく小さい。

 

「私は人間だぞ?」

「吸血鬼に勝てる人間なんていないと思う!」

「じゃあ私はなんなんだよ」

「エスパー」

「ガキかよ……」

「ガキじゃないもん! 熟女だもん!」

 

 フランはまた身を乗り出すが魔理沙に片手で制されてしまう。

 

「はいはい、でも、そっか……お前はそれで納得したんだな」

「うん。時間は掛かるかもしれないけど、新之助のことは忘れようと思う」

 

 フランは学んだのだろう、今回の事や昔あった悲惨な出来事で。人間と妖怪との間にある厚く高い壁を。交わる事の難しさ、空しさ、分かれることの寂しさを。

 

 幻想郷と人里、今後一切交わる事はないだろう。時折人里に現れはするだろうがそんなこと、人間は気付きはしない。幻想郷は本当の意味で幻想郷になった。

 

 フランはそれを理解し、あきらめるという道を選んだ。周りから見れば消極的なその決断も避けては通れない時も必ずある。その決断が出来た時、フランは間違いなく成長しているはずだ。それは人里での計画は決して無駄ではなかったという何よりの証。

 

 フランの顔は寂しそうだがどこか毒気の抜けたすっきりとした顔だ。今後、フランも人里に行きたいなどと言い出さないだろう。それが成長の証でありフランが少し大人になった証拠だ。

 

「でも、楽しかったなぁ……」

 

 しかしその思い出はいつまでも消えることは無い。思い出など消す事は出来ない。忘れはしても心の片隅には必ずあるものだ。だからその思い出を大切に胸にしまい、また新たな道を歩めばいい。それを繰り返す事でまた成長できるのだから。

 

 これにて「フランは成長するのか?」終幕

 

 

 

 

〈cast〉

フランドール・スカーレット

れみりあ・すかーれっと

ぱちぇ

さくや

えいみん

・・・

 

・・

 

 

 

 

 

「ふんふん~」

「フラン……何書いてんだ?」

 

 フランが何やらお絵かき帳のようなものに寝転がって鼻歌交じりに何か書いている。そこに魔理沙が立ち上がって上から覗き込む。

 

「えんどろーる! エンディングには書かないといけないんだって~」

 

 フランはこの物語を締めくくろうとしていた。しかしそれは自分の名前以外、平仮名や略称だらけの見るに耐えないエンドロールだ。

 そして魔理沙はそんな見るに耐えないエンドロールは見たくないしフランに書かせたくもない。

 しかし先程投げた小石ではフランの心には響かなかった。ならば大きめの石ではどうか。

 フランが書いたエンドロールに魔理沙がいちゃもんをつける。それはフランが作るエンドロールが見るに耐えない、という理由からではない。

 

「そんなエンディングで大丈夫か?」

 

 どこかで聞いた言葉にフランは心得たとばかりにニヤリ。

 

「大丈夫だ! 問題ない!」

 

 フランはまたエンドロールを書く作業に戻ったのであった。

 

「ちげぇっ、ちげぇよ! 別にネタじゃないからのらなくていい」

「へ? どゆこと?」

「お前の気持ちを聞かせろってことだ」

「気持ちって?」

「本当の気持ちだ」

「分かった!」

「では、オホン!」

 

 もう一度魔理沙はあの台詞を繰り返した。

 

「大丈夫だ! 問題ない!」

「ぶ」

 

 そして同じ言葉が返ってきたのだった。

 フランは諦めの悪い魔理沙に肩をすくめてさめた視線を送る。

 

「はぁ……さっきも言ったじゃない。私はそれで納得したんだよ。だから邪魔しないでよねっ」

 

 三度、フランはエンドロールを書く作業に戻る。

 フランの心の波紋は静かになった。

 

「エンドロール書くの楽しいか?」

 

 フランの後ろから魔理沙が覗き見て言う。

 その口調は嫌味とかではなく、小さな子供のお絵かきを見守る母親のように優しく。だからフランは魔理沙がやっと諦めたと思った。嫌味ならともかく、優しい口調で問われたとなると邪険に扱うわけにもいかない。だがフランはそれが楽しいわけでもない。バッドエンドのエンドロール作成など、楽しいわけがないのだから。

 フランは少々不機嫌に口を尖らせる。

 

「……別に」

 

 尖らせた口から出る言葉はそんな短い言葉。

 そこで魔理沙はニヤリ。

 この物語はバッドエンド。だからフランの行為は楽しいはずがない。それを魔理沙はあえて楽しいかと聞いた。

 今まで投げた普通の石では波紋はすぐに収まってしまう。普通の石ではダメだ。だから魔理沙は内面から衝撃を加えるため、導火線のついた爆弾を投げたのだ。

 

「ハッピーエンドなら楽しい作業になったろうに」

 

 誰に語りかけるわけでもなく。ただ独り言のように言う背後の魔理沙を、フランは横目とジト目で睨みつける。魔理沙はわざとらしく視線を逸らして口笛を吹いている。

 フランはまた書く作業に戻るが筆が止まって動かない。

 

「……そんなの、出来るわけ――」

「出来るとしたら?」

 

 全て言わせずに魔理沙が言葉でスパッと切り込んでいく。フランに希望を持たせ行動させるために。

 

「ああっもうっ! 私は大人なの! 魔理沙みたいな聞き分けの無い子供は――」

 

 だがそれを振り払うように、フランは振り向きながら怒鳴り散らそうとする。しかしそれを最後まで言えず途中で停止したのは魔理沙が目の前に移動していたからだ。更に上半身だけを持ち上げたフランを裏返して押し倒した。虚を突かれたフランは簡単に背を地に着けるしかない。

 

「聞き分けがいいだけが大人じゃないとしたらどうだ?」

 

 諦めが悪く、強引な魔理沙に参ったとばかりに首を傾げて視線を逸らすフラン。

 

 

「……魔理沙って意外と諦め悪いよね」

 

 その一言で魔理沙の表情がニヤついたものに変わっていく。

 フランがその表情に横目で気付くと、眉根をしかめてしまう。また何か企んでいるなと。

 

「いいかフラン、よく聞け」

「……」

 

 ニヤついた表情で押し倒している者の話など聞く気にはなりはしないのだが、ここで突き放しても後が面倒だ。だからフランは目を瞑って口を閉ざす。勝手に話せということなのだろう。

 その話は話というほど長いものではない。ただ一言。

 

「ハッピーエンドは諦めの悪い奴のところにしか訪れない」

 

 目を開けたその先には先程とは違う、魔理沙の不敵な笑みが浮かんでいる。

 諦めの悪いとは一体どういうことか。

 慧音が歴史を改変した時、フランはただ指をくわえて見ているだけではなかった。当然その理不尽な運命に抗った。諦めずに博霊神社を飛び出して、霊夢を怒鳴り散らして抗ったのだ。

 それでもダメだった。それを魔理沙は諦めがいい奴だと非難するのか。そんなことはそんな辛い経験をしたことがない奴の台詞だ。フランはそう考えていた。

 だが相手はトラブルメーカーである魔理沙だ。魔理沙なら何か良い策があるのではないか。もしかしたらバッドエンドの壁を破壊し、その先にある新たなエンドを見れるのではないか。という一縷の望みをその視線に込め、魔理沙の瞳をただみつめる。

 続いて魔理沙はフランの小さな手を取って引き、体を起こしてやる。もちろんその間も、二人の視線は外れることはない。

 

「聞きたいか?」

「……人里に行けっていうんでしょ?」

「お前がそう思うんならそうなんだろ?」

 

 そんな無責任な魔理沙にフランはむっとして唸り、眉を歪めて口を尖らせる。

 何か策を用意しているからフランを煽っているのだろうが、本人のことに便乗するとはどういうことか。本当に策を考えているのか怪しくなるが、それが正解というのなら特に問題はない。

 

「でも、やっぱり無理だよ……霊夢が通してくれないし」

「誰がお前にそうしろって言ったんだ」

「だから霊夢が――」

「霊夢のせいにするなよ」

「はぁ!?」

 

 魔理沙の投下した爆弾が今爆発する。揺れに揺れるフランの心の波紋は一気に大津波クラスへ成長を遂げる。

 人里に行くのなら霊夢を通さないといけない。現状はそれしかいく方法がないのだ。仕方がないといえばないのだが、それを魔理沙は霊夢のせいだとフランを非難する。その理不尽な魔理沙にもちろんフランはおかんむりだ。だがそんなお怒りのフランに魔理沙は言葉を浴びせかける。

 

「自分に命令できるのは自分だけなんだぜ?」

「わけわかんないんだけど!」

「そりゃ人のせいにしてうじうじしてりゃあ楽だろうぜ。今自分がこうしているのは全部霊夢のせいだって言い訳できるんだからな」

「ちがうもん! 霊夢がそうしろって……幻想郷を守るためだって言うから……仕方ないじゃん」

「お前はこの先ずっとそうしていくつもりかよ? 誰かがああいったから仕方がない、誰かがそうしろといったから諦める、それが大人な行動なんだからと理由をつけて」

「だって……霊夢が……」

 

 さっきまで大人だなんだと図に乗っていた自分が恥ずかしくなったのだろう。まくし立てる魔理沙の言葉に、今にも泣きそうな声で言った言葉は、最後まで霊夢のせいにする言葉だけだった。

 

「誰がなんて関係ねぇんだよ。それを聞いて、それを判断して、行動するのはおまえだろ。霊夢の言った事はお前にとって判断材料でしかねぇんだよっ」

「じゃあどうしろって……いうのよ」

「考えろっ。考えて考えて考え抜け! 自分は今何がしたいのか、どの選択が最良でどうしたら今の状況をぶち壊せるか」

 

 それは魔理沙が日ごろ行っていること。考えて考えて考え抜いてどんなトラブルを起こせば誰がどうなるか。周りはたまったものではないが。

 そのほとんどが魔理沙の得意分野だが、その言葉の中にフランでもその真価を発揮できることがある。

 

「ぶち壊す?」

「ああ、お前の得意分野だろ?」

 

 フランはそんな魔理沙を見上げ、ただボーっとしている。

 

「なんだよ」

「何だか大人って子供みたいだね」

 

 魔理沙はその言葉に一瞬あっけにとられ、直後にふきだした。続けて「そうだな」と肯定する。

 

「でも、知ってるか? 大人は子供以上に我侭なんだぜ?」

「え!? 本当!?」

 

 徐々にフランもテンションが上がってきたようだ。大人だから我侭を言わないというフランの自責の念もこれで解決する。

 

「ああ、本当だ。ただ一つ、子供と違うところがある」

「何?」

「自分の行動に責任を持つ事だ」

「どこかで聞いたような……」

 

 それは霊夢が小島当主の処遇をフランに押し付けた時の台詞だ。他の誰でもなく、自分の責任で人を裁けと。

 

「へぇ。誰が言ったんだ?」

 

 霊夢はその責任という言葉を責任逃れで使っていた。それが良いか悪いかはさておき、フランは以前それを学んだはずだったのだが。

 

「う~ん……わすれた!」

 

 忘れたらしい。そのありがたい言葉を。これを知れば霊夢はどんな顔をするだろうか。きっとお札か何かがかえってくるだろう。

 

「はは、お前らしいな……で、お前は何がしたい?」

「新之助に会いたい!」

 

 フランは魔理沙を見上げていつものように元気一杯の笑顔と声でそう願う。

 もうフランが被っていたうすっぺらな仮面は剥がれ落ちた。

 自分のやりたい事をやる。ただそれだけだ。

 

「それでこそフランだぜ!」

 

 そして魔理沙もフランの元気に当てられて声を張り上げる。だがしかしその勢いはすぐに止まることになってしまう。

 

「あ」

「ん? なんだいきなり。ノリの悪い奴だな」

「幻想郷に行くには霊夢にお願いしないとなんだった……」

 

 そう、誰がなんと言おうと自分のやりたい事をやればいいと言った魔理沙の意見には色々な障害が付きまとう。新之助に会いに行くにもまず人里に行かなければならない。人里に行くには霊夢の許可が要る。

 

「結界壊せば良いじゃないか」

「え!? 本気で言ってるの!?」

 

 結界を壊そうとしたところで紫に何かしらの妨害を受けるだろう。もしかしたら殺されるかもしれない。

 

「本気で言ったとしたら?」

「……却下」

「正解」

「え? あっ……」

 

 魔理沙が自分で出した提案を却下し、それが正解。フランはわけが分からず、目をぱちくりさせて魔理沙を見つめるが、その表情がにやけていたのですぐにフランにもその不可解なやり取りの意図が理解できた。

 

「もう! 私を試さないでよ!」

「ははは、まあまあ落ち着けって。私みたいな上級の大人はな、大人予備軍であり、やりたいことがあっても知能が低くて出来ないお前に助言をしてやることができるんだぜ?」

「ふ~ん……結界壊せって言う人が助言なんて出来ないと思う」

 

 そんな最もなフランの反撃に魔理沙は頬をカリカリと書くしかない。

 

「あんなの冗談だろ?」

「じゃあ、どうやったら霊夢に幻想郷つれていってもらえるか……ちょっとなら聞いてあげてもいいかもねっ」

「霊夢なんてちょろいぜ? 私に任せな」

 

 自信満々に笑顔で言うがそんな魔理沙の笑顔はフランに取ってペテン師の笑顔以外の何者でもなかった。

 

「嘘だね! もう騙されないから! 出来るわけ無いよ!」

「できるできねぇじゃねぇんだよ! この世はやるか、やらないか、それだけだ!」

「お、おお……かっこいい!」

「お前はどっちだ?」

「やる!」

「よし。でもこれは秘密の作戦だぜ? 私が言ったって言うなよ?」

 

 一応保身の為、釘を刺しておく。フランは頷いた。が、恐らくばれるだろう。フランに秘密なんてものはあってないようなものだ。本人にその気がなくとも。

 そんな時、フランの表情に不意に笑みがこぼれる。それは魔理沙の秘密をばらしてやろう、というわけではなさそうだ。

 

「なんだよその笑みは、気持ち悪いな」

「だって嬉しいんだもん。魔理沙が私のためにそこまでしてくれるなんて」

 

 誰かが自分の味方をしてくれる。それはとっても単純なことだが今まで過酷な生活をしてきたフランにとって、それはとても重要な事だったのだ。

 そして素直にそんな事を言われると、どこかむずがゆい気持ちになってしまう。いつもトラブルメーカーとして皆に迷惑を掛けている魔理沙にとっては全身かゆくてたまらないだろう。

 

「いつまでもしけたつらして弾幕ごっこなんかされたらかなわないからな」

「むぅ……」

 

 だからかゆさを紛らわせるために憎まれ口を叩き、その場をやり過ごす。それを額面どおりに受け取ってしまうフランだから魔理沙のかゆみはすっと引いていくことだろう。

 

「でもいいの?」

「ん?」

「私を人里なんかに……ばれたら後で怒られるよ?」

「いいんだよ」

 

 フランの為ならばどんな危険でも冒すことができる。などとロマンチックな事を考えているわけではない。

 

「約束したからな」

 

 それは紫と交わしたあの約束だろう。

 

「約束って?」

 

 そして紫はそれを期待しているといったのだ。応えてやらない手はない。

 

「秘密だぜ」

 

 魔理沙はそれを実行に移すのだった。

 

 

 



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第四十一話 ~天罰~

 

 昼下がり、頭上からは太陽光がサンサンと降り注ぎ、水面や葉を輝かせる。

 夏にたくさんの光を浴びた葉は、青々とした色素を失って赤く腫れ、やがてかさぶたのように硬くなって散ってしまうのだろう。

 初秋、以前あった分厚い入道雲は薄くスライスされて鱗雲に。時折吹く風はかつての粘着性を失い、まとわり付く煩わしさは消えて失せた。触れるとやわらかに冷たく、日にさらされて熱を持った肌を程よく冷ましてくれることだろう。

 余った風は、夏に置き去りにされた風鈴へ。一本の糸でしがみついている短冊を申し訳程度に揺らして鳴らし、心地よい音色を奏でている。

 乾いた空気に響く鈴の音が、秋の訪れを告げているようだ。

 ひとけのない、博麗神社のたたずまいがその音色にあいまって哀愁を漂わせている。

 

 そんな秋の訪れを告げる鈴の音色を目覚ましに、一人の少女がうっすらと瞼を開く。目を細めたまましばし天井を眺めると、布団からのっそりと身を起こす。開け放たれている障子から来る風は寝起きには少し寒いくらいだろうか。そんな涼風のなか、少女は寝ぼけた眼をこすりながら、周りをぐるっと見回した。

 口から出てきたのは言うまでもなくため息。辺りは嵐が過ぎ去ったような散らかりようだったからだ。昨日、皆が馬鹿騒ぎしたせいで酷い有様だった。それは神を祭る神社とは思えない程に。

 その神主である、黒い髪に寝癖をたっぷり蓄えた少女、博麗霊夢はまた一つため息をついて立ち上がる。しばらくボーっと立ち尽くしたかと思うと、本人も気づかていなかったであろう、手に持っていた薄い毛布をポロリと落とす。

 

「ん……」

 

 かすかな匂いを嗅ぎわけ、何かに気付いた犬のようにある方向を向いたまま静止した。と、数瞬の間もおかず、何かに導かれるように真っ直ぐ、しかしゆっくり歩いていく。やがて賽銭箱や鈴が設置されている場所へ通じる、拝殿の扉へ。その扉を開けて外を伺う。

 

「あ」

 

 そこには鈴に繋がれた赤と白の紐で結われた太い綱を小さな手で掴み、今にもガランガランと鳴らそうと、振りかぶって止まっているフランがいた。賽銭箱にはいつもレミリアが使っていた日傘が立てかけられている。それをさしてここまでやってきたのだろう。

 

「やっほー、霊夢。今起きたの? ねぼすけさんだねっ」

 

 霊夢は拝殿の扉をパタリと閉め、続けて頭痛がするように頭を押さえる。これは決して二日酔いなどではなく、夢でもないだろう事が、今までの二日酔いの経験と痛みではっきりと分かる。更にその頭痛に追い討ちをかけるようにガランガランと鈴の音が神社中に鳴り響いた。

 霊夢の頭痛の種が加速度を増して増えていく。

 その種を植えられまいと霊夢は必死に耳を手で覆うが、寝起きで、しかもすぐ傍で大音量の鈴の音を聞かされる霊夢はたまった物ではなかった。

 

「やかましい!」

 

 霊夢はたまらずに拝殿の扉を蹴って開く。頭痛の種を芽が出る前に回収するため、怒鳴り散らして。

 

「呼び鈴だよ?」

「どこにそんな大層な呼び鈴があるのよ!」

「ここ」

 

 どうやら神社にある神聖な鈴は、この悪魔にかかればただの呼び鈴に成り下がってしまうらしい。けろっと顔色一つ変えずに不思議そうな顔でフランはぬかした。きっと本気でそう思っているのだろう。純水無垢な悪魔に霊夢の頭痛はとどまることを知らずに頭の中で暴れだす。

 

「まあ……あながち間違いじゃないんだけど」

 

 昼と言う事もあって拝殿は影になっており、石段はひんやりとしている。霊夢はまた一つため息をついて石段に腰掛けた。しかし先ほど起きたばかりの霊夢には地面からの照り返しがまだ眩しいらしい。目を細めてぼんやりと首を傾げるフランを見る。

 

「これは神様に呼びかけて、話や願いを聞いてもらうためのありがたいものなのよ。だからそんな使い方しちゃだめ」

 

 普段の霊夢とは思えないくらいに優しい霊夢。本来あるべき姿の巫女よろしく、丁寧にフランに説明してやる。この光景を魔理沙なんかが見れば、雨が降るかもしれないから傘でも捜しに行こうぜ、などと茶化してくるだろう。

 しかし、生憎フランには魔理沙のような捻くれた思考回路は持ち合わせていない。受け取った文句はそのままダイレクトにフランの頭に届く。霊夢の説明を黙って真剣に聞いていたフランは「ふぅん」と納得したように何度か頷く。するとどうしたことか急に表情が明るくなる。

 

「じゃあ私の願いも聞いてくれるかな?」

 

 そのフランの目は期待によって満ち満ちている。

 

「やってみれば~……ふぁ」

「じゃあ」

 

 やるなと言ってもやるんだろうと、霊夢は欠伸をしながらだるそうに手で口元を隠している。と、次の瞬間爆発でもあったかのような、耳を劈く衝撃が霊夢の鼓膜を襲う。

 

「神様ぁああ! 私、人里に行きたぁああい!」

 

 フランの馬鹿でかい声と、力の限り鳴らされる鈴の音。気を抜いていた霊夢はたまらず目をむいて、小さな悲鳴を上げてしまう。まさか天に向かって大声を張り上げるなど思っていなかったのだ。霊夢の耳には無限の肺活量を持つ笛士が住み着いてしまった事だろう。

 

「聞いてますかああああああ!?」

 

 フランの言葉が終わるか終わらないかの内に、霊夢の手が伸び紅白の紐で結った綱を鷲づかみにする。ガランガランと乱暴に鳴り響く鐘がゆっくりと静寂を取り戻していく。

 

「フラン……もう十分よ……」

「え!? 本当!?」

 

 と小さな悪魔が嬉しそうに飛び跳ね、顔をほころばせる。空にいる神様にフランの願いが伝わったと勘違いしているのだろうが、一方の霊夢はというと頭が割れそうなほどの激痛に襲われている。綱を掴んでいない手は顔を覆い隠し、可哀想なくらいに背を丸めて苦しそうにうなってしまう。

 

「ねえねえ! 何て返ってきた!?」

 

そして然るべく、その返答を博麗の巫女である霊夢に尋ねてくる。その筋の巫女には分かるものもいるというが生憎霊夢にはそんな事分かるわけがない。しかし神の言葉が聞けると思っているフランは興味心身でワクワクしている。その顔はまるで天使のような笑顔なのだが霊夢にとっては悪魔の笑顔に他ならない。

 

「そんなの……返ってくるわけ――」

 

 と、ここで霊夢の、眠ったまま止まっていた思考回路が動き出す。

 霊夢としては一刻も早く、この天使のような笑顔でワクワクしている迷惑な悪魔に帰ってもらいたい。そして霊夢は巫女であり神意の伝達者でもある。この立場を上手く利用しない手はない。

 霊夢は一瞬、フランにばれないようににやりと唇を吊り上げると、一度表情を無くし、更にその上から優しい巫女の表情を上塗りした。

 

「フラン、神様の言葉が返ってきたわ」

「本当!? やったー!」

 

 霊夢は中腰になってフランの細い両肩をしっかりと掴む。そして優しい表情でフランにゆっくり微笑み、そして

 

「神様はこうおっしゃっているわ。今すぐここを去れと」

「えぇ……」

「さもなければわざわ――」

 

 とここで突如、何かに打たれたような強い衝撃、更に後から来る言いようのない痛みが。頭上からくる、重量感と硬い感触。いろいろなものに襲われ、地面に両手をついてうなってしまう。

 霊夢が。

 

「霊夢!? 大丈夫!?」

「ぐっ……」

 

 信じられないことに、先程までフランが力の限り鳴らしても落ちなかった鈴が落ち、盛大に鈴の音を鳴らして霊夢の脳天に直撃した。

 鈴は中が空洞になっているとはいえあの高さから落ちたのだ。痛いものは痛い。霊夢の頭痛は外からも内からもやってきていたようだ。

 

「霊夢!? しっかりしてよ! わざわってなに!?」

「災いが……」

「災いが?」

「降りかかる」

「……誰に?」

「私に……」

 

・・・

 

・・

 

 

 

 

「で? 何しに来たのよ」

 

 霊夢は氷嚢を頭に載せて先程の石段にまた腰掛けていた。氷嚢を取りに行っている間フランを拝殿に待たせ、中に入らせなかったようだ。中に入れないところを見ると霊夢は本当に早くフランを帰らせたいらしい。

 

「人里に――」

「却下」

 

 フランの願いは先程聞いた。それ以前にフランがそれ以外の目的でここに来るとは考えにくい。レミリアならともかく、フランがわざわざ霊夢の所に遊びに来るなどありえないからだ。

 しかし昨日言い聞かせたはずの人里と幻想郷の分離。なのに昨日の今日でこの有様だ。霊夢はいろんな頭痛がして仕方がないだろう。

 

「……じゃあ結界壊すもん!」

 

 そんな霊夢の即答にわずかにうなってそんな言葉を返すフラン。

 

「そんなことしたら天界行きよ」

 

 即答に即答。

 前に言ったようにフランが壊そうとしてもきっと紫が現れて送り返されるか殺されるかの二者択一だ。どちらに転んでも人里になど行けやしない。

 

「そ、それでもいいもん!!」

 

 霊夢は頬杖を付いて頬をぐにゃっと歪ませてフランを見る。目は真剣、手は握られて拳を作っている。どうしても譲れないらしい。霊夢としてはとても面倒な状況だ。

 しかし、さすがにそれをされると霊夢は少し困ってしまう。

 フランに常識を学ばせ、せっかくいい具合に成長したフランを死地に追いやるのは気が引ける。ましてや人間と妖怪の仲をよくしようとしていた張本人がそんな事を出来るはずがない。

 今度は鼻でため息をし、少し言い方を変えてフランをなだめるように口調を変える。

 

「あんた昨日納得したんじゃなかったの? 大体、人里に行ったって新之助さんは何も覚えていないのよ? 今更何をしに行くっていうのよ?」

 

 昨日言った事を思い出させ更に現状の理解をさせる。相手はフランだ。現状を十分分かってない可能性もある。

 だがフランはちゃんと分かっていたらしい。

 

「お別れを言いにいく」

「お別れ?」

 

 その不可解な答えに霊夢は眉をしかめて、思わず聞き返してしまう。別れを言いに会いに行くとはこれいかに。

 

「うん。私ね、別れるときに殴り飛ばして気絶させちゃったから、ちゃんとしたお別れ言ってないんだ~」

「殴り飛ばしたって……あんたねぇ……」

 

 そういえばフランは幻想郷へ帰ってくる前にちゃんとした別れを新之助としていなかった。拳が別れの言葉など、ロマンの欠片もない。

 計画も上手く行き、いつでも会えるとふんでの行動だろう。そこでまさか記憶を消されるだなんて思っていなかったのだから仕方がないといえば仕方がないのだが。

 フランの言葉に霊夢は呆れ顔で返す。その霊夢をフランも睨むように霊夢を見つめ返してくる。その視線は霊夢の細い目にある瞳を的確に突いている。

 

「だから、めじけをつけるんだよ!」

「?」

 

 フランのその真剣さが空転する。

 

「あ……えと……えじめ? いじめ?」

「けじめ」

「そうそうそれそれ! げじげじをやっつけにいくの!」

 

 霊夢が一言そう言ってやったにもかかわらず、フランは霊夢を指差し、そんな事を言う。霊夢は危うく噴出しそうになってしまうがこらえて話を続ける。

 

「あ、あんた分かって言ってんの?」

 

 分かってはいないだろう。これはどこかで聞いて、小さい子供が背伸びをするように新しく聞いた言葉を使い、失敗するパターンのやつだ。つまりこれは魔理沙がフランに吹き込んだ台詞ということ。ただそれを知らない霊夢はフランの酷い発言をただのフランの言葉としてとってしまう。

 

「だからね! それで私はきっぱり諦める事が出来るの! と、思うの!」

 

 と、一転して少しぎこちないが、自らきっぱり諦める宣言。

 霊夢はてっきり「別れを言う」は建前で、人里で新之助の記憶を取り戻そうと、何かしでかそうなどと企んでいるのではないかと勘ぐっていた。しかしフランは諦める為に行くらしい。けじめをつけるために。

 それに光明を見たのか霊夢はすっと顔を上げてフランを見る。

 霊夢は考える。それで諦めてくれるならば一度くらい人里に連れて行ってやっても良いのではないかと。

 

「別れを言うだけで、それ以降は人里に行きたいなんて言わない?」

「うん!」

 

 ここで人里へ連れて行けば、今後フランが人里に行きたいと神社にやってくることはないだろう。しかしここで断れば後々フランに付きまとわれる、というリスクを背負う事になる。人里へ連れて行かなければいけないという面倒ごとはあるが、それを除けばほぼ両者の利害が一致している。

 

「なるほど、それは私にとってもあんたにとっても好都合って分けね」

 

 つまりこれは実に合理的で効率的な提案で

 

「うん!」

 

 出来すぎている提案でもあった。

 

「魔理沙でしょ」

「うん!」

 

 フランは魔理沙の作戦を聞いてワクワクを押さえきれずそのままでてきたのだろう。見ると服はボロボロのまま、誰がどう見ても弾幕ゴッコをしていた事は明白だ。更にフランをボロボロに出来るような相手は絞られてくる。ほぼ魔理沙で間違いないだろう。

 フランはしまったとばかりに両手で口を塞ぐがもう遅い。霊夢は唇を片方上げてフランに負けず劣らずの犬歯がキラリと光る。

 

「ふっ」

「う、ううん、ちがうよ~……」

 

 そこに降って湧いた、フランが考え付くはずもない合理的な提案。誰がどう見てもフランをけしかけた犯人は魔理沙しか居ない。

 霊夢にとってそれは陳腐なクイズ以外の何者でもなかった。

 

「どうせ霊夢なんかちょろいぜ、とか言ってそそのかされたんでしょ」

 

 霊夢はわざと魔理沙の口調を真似てそう言った。それが面白かったのかフランは噴出し、「似てる」と笑いながら霊夢に賛美と肯定の言葉を送ったのだった。

 しかし霊夢知らぬところでコケにされていたのだ。心中穏やかではない。

 

「魔理沙、ぶちコロス」

「うん!」

「で? あんたはいつまでそこにいるつもり? ネタは割れたのよ。さっさと帰れ」

 

 その提案は合理的ではあるが魔理沙が作った案だ。魔理沙だとばれなければ霊夢はフランを人里に連れて行ったかもしれない。だが霊夢はそれが気に入らなかったようだ。

 

「やだ! 行くって言うまで帰らない!」

「やれやれ……私がそんな面倒な事やってあげるわけないでしょ? それとも何? お布施でも持ってきてくれたのかしらぁ?」

「フフフ、じゃじゃーん!」

 

 フランは幼稚な効果音をもってポケットから何かを取り出した。

 

「それって……あんたまさか……」

 

 霊夢が見るとその先には銀色に輝く丸い円盤上の物体が。

 

「コイン一個!」

「……魔理沙にあげたやつじゃない」

 

 よってこれも魔理沙の策略だということは明白だ。

 霊夢は現金だ。だからお布施で霊夢の心を揺さぶれ、とでも魔理沙に言われたのか。

 

「うん! もう一度コンティニューしてこいって!」

「で? それをどう――」

 

 霊夢が言い終わらないうちにコインが回転しながらフランの手を放れ、宙を舞う。

 

「コインを生贄に! 私を人里へしょ~かーん!」

 

 フランが投げたコインはまっすぐ賽銭箱に向かって飛んでいく。誰がどう見てもコインは賽銭箱の中に入る軌道を描いて宙を舞っている。

 だが、フランが投げたのはゲーム用コイン。霊夢にとって何の足しにもなりはしない。くわえて賽銭箱はおもちゃ箱ではないのだ。

 霊夢はすぐそこに立てかけていた箒を掴む。更にメジャーリーガーさながらの豪快なスウィングで賽銭箱に入る直前でそのコインを打ち抜いた。

 そうしてコインは風鈴のように小気味よい音を立て、空の彼方へ飛んでいったのだった。

 

「秋の訪れか、それとも……夏の終わりか」

 

 と、霊夢はその音を楽しむように目を細めてぼそり。風鈴とコインの音を重ねたのだろう。

 

「どっちも同じだよ!」

 

 秋の空に響くその音は夏の終わりを告げていた。

 

「そう、あれは私が五歳の頃、マイケルが私をスカウトに――」

「意味不明! 私のコインに何するのよ!」

「あんたは私のお賽銭箱様に何しようとしたのよ? あれはおもちゃ箱じゃないのよ?」

 

 箒で自分の肩をポンポンと軽く叩くと、もう片方の掌を天に向けて呆れたように言い放つ。

 

「ううっ、ひどい……ひどいよっ……ひっぐぅっ……」

「はあ……もう、泣かないでよね。たかがおもちゃのコインくらいで」

「あれは……あれは私のお母様が残した大事なコインなのに……」

「え?」

「大事な……大事な形見だったのに! 死ぬ間際にこれが私だと思って大事に持っていなさいって! いつかまた……絶対会えるからって!」

「フラン……」

「だから今までずっと大切に持ってたの! 霊夢は私のお母様を奪ったんだよ!」

「ちょっとフラ――」

「なのにっ……なのに霊夢は!」

「あんたねぇ」

「ちょっとまって次めくるから」

 

 フランは指をペロッと舐めて魔理沙にもらったであろう、作戦が書かれているノートのページをめくる。

 

「すこしは隠す努力しろ」

「はっ、つい夢中になって」

「と言うわけでじゃあね、とこしえに」

 

 霊夢が拝殿の中に入って扉を閉めようとする。

 

「け、結界こわすよ!」

「どうせ紫が来て終わるでしょ。そしてあんたは天界へ~南無阿弥陀仏、嫌なら止めなさい。じゃ」

 

 フランに向けて合唱すると鋭い目つきとすばやい行動で中へ入っていく。

 フランの立てたストッパーも効果を見せず扉が完全に閉まってしまいそうになった時。

 

「それ! その人!」

「……何? まだ何かあるの?」

 

 霊夢はどこかの家政婦のように扉の隙間から片目でフランを覗き見る。だがこれは魔理沙がフランに仕組んだ、とっておきの作戦だった。

 

「霊夢は人間と妖怪が何で仲良く出来ないのって、疑問に思ってたんだよね!」

「うげっ……どうしてそれを」

 

 フランの予想外の攻撃に奇声を上げて扉を開く霊夢。

 

「その紫って人が皆に言ってたって魔理沙が言ってた!」

 

 紫は皆に言うなと口止めした。それは霊夢が皆に知られて恥ずかしいと感じることだから。霊夢と一番長い付き合いだろう紫が言うのだ。霊夢からしたらかなりの恥ずかしさに違いない。

 

「あいつぅ……余計な事をっ……」

 

 普段、あまり妖怪と関わろうとせず、クールな関係を保っている霊夢が実は皆と仲良くしたかった、などツンデレもいいところだ。それを言いふらされれば普通穴に入りたい気持ちになるだろうが、生憎霊夢は穴に隠れるよりもかかされた恥分をしっかり返したい性分だ。

 

「実は私もそう思って――」

「そう……そういうこと……」

 

 それは付き合いの長い魔理沙も分かっていること。

 

「霊夢? ……あ、あのね」

 

 とフランが霊夢に何か言おうとしたところを霊夢の手に制された。

 

「わかった……もういい……もういいわ、連れてってあげる」

「本当!?」

「ええ……」

「ヤッホー!」

 

 一言霊夢が言うと、顔面を手で押さえて隠しながらぶつぶつと何やらつぶやいている。

 

「……ぶち壊して……ば……いのよ……」

「ぶち壊す?」

「はっ、私としたことが……」

 

 どうやら魔理沙の作戦は功を奏したらしい。

 紫は敵、という共通の意識を霊夢に植え付けフランに協力させる。霊夢は妖怪にツンツンしてはいるが本当は優しい自称ツンのツンデレだ。ツンの牙城を破壊すれば後はたやすい。

 魔理沙はそこにつけこみ、それを純粋無垢なフランの口から公表することで真実味と紫への辛味を与えた。たとえ魔理沙の作戦だとばれていても、フランの人里入りを了承せざるをえない仕上がりとなっていた。

 霊夢は一つ咳払いをし、フランの目の前に腰に手を当てて仁王立ちする。そしてこれから説教でもするのか、というくらいに目一杯胸を張る。

 

「いい? お別れを言ったらもう二度と人里に行きたいなんて言わないこと! それが条件よ!」

「うん!」

「それとリングは付けて羽は切る!」

 

 テキパキと指示をする霊夢にフランは満面の笑みを持って元気よく、手をピンと一直線に伸ばして「はーい!」と返事をする。

 

「それじゃあとりあえず中に入りなさい」

 

 霊夢は扉をフランが入れるくらいに広く開けると、フランは嬉々として飛び込んでいった。

 

「私も着替えるか……」

 

 霊夢は欠伸をしながら一言言って扉を閉めたのだった。

 

 



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第四十二話 ~忘れ物~

 

 

 紅魔館の地下。フランに入れ知恵し、霊夢の所へけしかけた魔理沙は、ひんやり冷たい石造りの床が気に入ったのだろう。背中をぴたりと床につけ、昼寝をしていた。薄暗く、涼しい地下は昼寝にはうってつけだ。

 フランの心配もせずに昼寝とは、全く暢気なものだが、その表情は満足げな笑みが張り付いている。きっとフランがまた大きな一歩を踏み出した事に喜びを感じているのだろう。もしくはフランが霊夢に対し、どのように授けた作戦を仕掛けているか、想像して笑っているのかもしれない。魔理沙はどちらかと言うと後者が似合いそうだ。

 その魔理沙の、天井と平行になっている額に、垂直に忍び寄る影があった。

 

「ん?」

「あ」

 

 気付けば咲夜がしゃがみこみ、手にしたナイフを天に掲げて今にも振り下ろそうとしていた。振り下ろすよりも一瞬早く気付いた魔理沙は首を横にずらして避ける。レンガ製の床をナイフがえぐる金属音と同時に魔理沙は跳ね起きた。

 

「うぉおい! 何やってんだ咲夜!」

 

 昨日、魔理沙が霊夢の額に「脇」と書き、一人だけ落書きを返されないことを不服に思ったのだろうか。見れば咲夜の頬に書かれていたはずの「貧乳」と言う文字は綺麗に消されていた。少し赤くなっているので必死に消した事が伺える。

 

「だって、寝てたから」

「だからってお前! それはないだろ!」

 

 魔理沙は咲夜がナイフを弄んでいる手を指差して必死に抗議する。

 あんなものを額に突きつけられれば水で洗っても消えない文字が彫られることになる。それよりもレンガを削るほどの威力で突かれれば命はない。

 

「冗談よ」

「冗談よ、じゃないぜ……」

 

 魔理沙は床に寝転んだせいで付いた汚れを払いながら呆れ顔だ。咲夜はなにくわぬ顔で額に突きたてようとしたナイフをエプロンの中にしまいこむ。

 

「で? 何しに来たんだよ」

「何だっけ?」

「……お前さぁ」

「冗談よ」

 

 咲夜はナイフをしまいこんだポケットから入れ違いに何か取り出した。それを手に乗せて差し出してくる。それは魔理沙がよく見知っている物だった。

 

「ん?」

 

 魔理沙はそれを手にとって目の前にかざしてみる。少し傷がついて歪んではいるが間違いなく少し前、フランに渡したコインだった。

 

「あれ、これは私がフランに渡したコインじゃねぇか。どこにあったんだ?」

「それが……」

 

 咲夜は困ったように手を頬に当てて首を傾げる。

 

「居眠りしてる美鈴にナイフを突き立ててやろうと忍び寄ったんだけど、先にコインが美鈴に当たって起きちゃったのよ」

「ふ~ん……」

 

 魔理沙は手にあるコインを人差し指の先端に乗せてクルクルクルと器用に回して弄ぶ。

 どうやら霊夢の打ったコインが美鈴に当たったらしい。

 

「賽銭箱に入れる前に、霊夢にホームランでもされたかぁ?」

「ん?」

 

 魔理沙は咲夜に聞こえないくらいに小さく呟いて笑い、コインを上方に弾いてキャッチする。

 

「いや、美鈴は運がいいなとね」

 

 美鈴には幸運だったようだが、咲夜はそれを不服に持ち主である魔理沙に抗議でもしに着たのか。

 

「でも結局、刺しちゃったんだけどね」

「あ、そう……」

 

 そう言い終えると、咲夜がキョロキョロと辺りを見回し始める。壊れている壁やら天井を直すためにパチュリーにまた頼まないと、とでも考えているのだろうか。パチュリーの魔法にかかればすぐに修理が済む。だが違ったようだ。

 

「妹様は?」

 

 咲夜は抗議ではなく、フランを探していたようだ。見れば地下室への出入り口にお茶とお菓子が用意してある。静かになり、弾幕ゴッコが終わった事に気付いた咲夜が、一息つかせようと持ってきたのだろう。

 だがフランは弾幕ゴッコが終わった後、すぐに博麗神社に向かってしまって、もうここには居ない。

 魔理沙がその旨を伝えると咲夜は「そう」と一言言って驚くではなく、不思議そうな顔をしする。そして目を細めて少し睨むように魔理沙を見つめた。

 

「まさか、妹様をけしかけたんじゃないでしょうね?」

 

 魔理沙は咲夜の問いに両掌を天に向け、肩をすくめて鼻をならす。

 

「お前だって遅かれ早かれこうなるって分かってたはずだ。それが今だってだけだぜ」

 

 それに咲夜はやれやれとため息をついてしまう。

 咲夜も分かっていたのだ。いつかフランが人里へ行ってしまうであろう事を。しかし、それが昨日の今日だったものだから驚くではなく、不思議な表情をしてしまったのだ。

 

「あんたもせっかちね」

「なんだよ、褒めても罰はあたらねぇぜ?」

「あんたが図に乗るとろくな事がないのよ」

 

 魔理沙は軽く笑い箒を手に取る。

 

「さて、こんな物騒な所じゃ暢気に昼寝も出来ないから私は帰るぜ」

「妹様の心配くらいしたら? さっきだって怪しげに笑いながら寝てたし」

「人の寝顔観察なんて趣味悪いぜ?」

「見たいのは妹様の寝顔なんだけどね」

「どうせ起こしに行く時にじーっと見てんだろ?」

「当然でしょ?」

「そんな犯罪めいた事を自信満々に言われてもなぁ……」

 

 咲夜は紅魔館のメイド。住人を起こすのも仕事の内なのだろう。美鈴はともかくレミリアやフランを起こすのも仕事だ。その際、天使の寝顔をじっと見てしまうのも分からなくもない。

 それを役得だと悪びれもなく全肯定しているダメイド。魔理沙は指摘するの億劫だと、ため息をつく。何をどう注意しても寝顔観察は止めそうにないので、レミリアとフランには悪いが魔理沙は話題を元に戻すことにした。

 

「まあ……とにもかくにも、心配したって結果は変わらないだろ?」

「その軽さが腹立つのよねぇ」

「お前を腹立たせないために心配するフリでもしろってか?」

 

 魔理沙はニヤニヤしながら咲夜を見ている。

 咲夜には鬱陶しい魔理沙の視線、魔理沙には今にも飛び掛らんとする獣のような咲夜の視線が両者見て取れることだろう。その視線同士が合間見えた時、弾幕ゴッコの合図となる。

 

「胸糞悪い面をこれ以上拝みたくないって事よ」

「そうだな。お前のNiceバディがこれ以上小さくならない内に、おっと!」

 

 魔理沙は突如咲夜の手から放たれたナイフをさらりと避け、反撃すると思いきや猛スピードで地下室から逃げて行った。フランとやりあった後なのだ。弾幕ゴッコをするつもりはないらしい。

 

「全く、ゴキブリみたいなやつね……あら」

 

 ため息をつき、取り出したナイフをしまうと咲夜はある異変に気付く。

 魔理沙はあるものを盗んでいっていたようだ。

 

「お菓子が……無い」

 

 

 

 

博麗神社

 

 その頃、フランと霊夢はと言うと。

 

「こらフラン! じっとしてないと切れないでしょ!?」

 

 霊夢は寝巻きからいつもの巫女服に着替えていた。

 霊夢はフランを椅子に座らせ、その後ろに立ってなにやらしている。それはまるで今から散髪でもしようか、という位置取りだが、霊夢の手にははさみではなく包丁が握られている。

 

「だってくすぐったいんだもん……」

 

 霊夢とフランはまだ博麗神社に居た。フランはリングを付けられ、霊夢に押さえつけられている。フランの背中に付いている七色の羽。人里では当然目立つので切らなければならない。

 羽を切る際、はさみでは切れそうにないため霊夢は包丁を取り出したのだが、これがなかなか切れないらしい。霊夢が包丁の刃を羽に突き立てるが滑ってなかなか切ることが出来ない。痛みは無いようだが、その包丁の刃をすりすりと羽にこするので、振動が背中に伝わりビクビク動いてしまう。フランには少しくすぐったいようだ。

 そのたびに包丁の刃が狙った位置とずれるのでただでさえ切りにくい羽が更に切りにくくなってしまっていた。

 

「霊夢料理下手なんじゃないの?」

 

 あまりの切れなさとむず痒さに、ついにフランが不満の声を上げる。包丁の使い方が下手だから料理も下手だと思ったのだろう。フランがそう提言するのも身近にいる咲夜がその最たる例だからだ。そのナイフで侵入者も料理してしまうのだから霊夢と比べるのは酷というものだろう。

 

「あんたを弾幕で料理するのは得意なんだけどね」

「料理された私は美味しそう?」

「はぁ……大人しくしてればね」

 

 いけしゃあしゃあとそんな返しをしてくるフランに霊夢はため息をつき、少しでも大人しくして欲しいという願望を込めてそう言った。

 その後も霊夢がしばらくゴリゴリと羽を切ろうとしていたがのこぎりでもない包丁の刃はつるつるだ。切れ味もそれ程無い。

 

「にしても切れないわねぇ……のこぎりでも持ってくるかしらね……どこにあったっけ」

 

 霊夢は羽を掴んでいた手を離しさじを投げる。のこぎりのある場所を思い出そうとしばし黙考する。が、さっぱりでてこないようだ。

 

「こうなったら引っ張って皮ごとべりっと――」

「霊夢! 霊夢! これ何!?」

「ん?」

 

 フランが椅子に座ったまま、すぐ横にあった机の上にある箱を指差している。机の上はまだ片付けられていない皿やらコップやらが料理の残骸を乗せたまま。その中に一つ、木で出来た見慣れない箱が置いてあった。

 

「何かしら」

 

 霊夢は少しワクワクしながら蓋に手をかける。

 よもや金銭ではないだろうが、木箱に入れられるお中元の残暑見舞いや奉納などの贈答品を入れることが多い。それらは得てして値の貼るものが多いからだ。

 霊夢が箱を開けると中には手紙と紫の布で包まれた何かが入っていた。

 それを認めると霊夢はすこし眉をしかめてしまう。

 贈答品等に掛けられる布、いわゆる「ふくさ」と呼ばれる物だが、贈る花に意味を込める花言葉にもあるように、その色にも意味が込められることがある。

 そこにある紫の色には、祝いとは反対の、葬式などのあまり縁起のよくないことにつかわれる色だからだ。

 そしてそれは布で包まれた上から見ても分かるように、金銭などではなく、棒のように細く長い。フランも横から覗き見、霊夢が手に取った手紙に目を移す。

 

手紙の内容

 『もしもフランさんが来た場合これを使ってください。』

 

「永琳より?」

「これって?」

 

 とは紫の布で包まれた中身の事だろう。

 霊夢が布をスルスルと解いていくと中から刃渡り3cm程の刃物が出てきた。計画当初、フランの羽をサクっと切り離した刃物と同じ。手術用に使うメスというものだ。

 

「あんたの行動読まれてたみたいね」

 

 永琳もまさか昨日の今日で来るとは思わなかっただろうが、フランの単純な性格から見て、いつかくるだろうと踏んだのだろう。しかし普通の器具で切れないと分かる辺りフランの羽で何かしていた事は明白だ。

 そこまで考えていない霊夢はくすくすと、意地悪くフランのほうを見て笑って茶化している。

 

「永琳も伊藤なの?」

「あんたが単純なのよ。ほら椅子に座りなさい」

「……」

「何?」

「……エスパーって――」

「私は突っ込まないわよ?」

「えー」

 

 霊夢は椅子に座ったフランの羽をそのメスで切ってみると何の抵抗も無く羽が切れ落ちた。

 

「お」

 

 その切れ味がすばらし過ぎたせいで思わず声が漏れる霊夢。間髪入れずもう一方の羽にメスを入れる。

 

 ポトリ

 

 と、七色の羽が二枚、剪定している木の枝が落ちるように木製の床に舞い落ちた。

 

「ん?」

 

 その羽が落ちた音にフランが気付き、床を見る。羽が切れたことに気付かないフランが鈍いというわけではなく、それ程切れ味は良かったということだ。

 

「おお! 切れてる!」

 

 フランは椅子から飛び降り早速「人里へいこう!」などとはしゃいでいたが霊夢の反応がない。

 

「霊夢?」

 

 

 

 

 

「ごめんくださーい!」

 

 拝殿を迂回し、昨日宴会を開いていた会場に妖夢がやって来ていた。散らかしたまま帰ってしまったので後片付けに義理堅くやってきたのだろう。剣士である妖夢といえば妖夢らしいが。いくぶん中の様子がおかしい。

 呼んでも返事がなく、障子も閉められているのだが、中で物音がする。

 

「まさか……泥棒?」

 

 妖夢は刀に手をかけたままゆっくりと障子に隙間を作り、覗き見る。その妖夢の目の前には不思議な光景が広がっていた。

 

「……何やってるんですか?」

 

 霊夢がフランを追いかけまわしている。よく見ると霊夢の手にはメスが。それを振り回しながらフランをただ追い回しているのだ。フランはフランでひょいひょいと余裕で避けてはいるが顔は困惑気味だ。

 

「何かの遊びですか?」

「あ! 妖夢! 助けて!」

「え!?」

 

 フランが妖夢の方へ慌てて駆けよってくる。そしてその勢いのまま妖夢に抱きついた。

 

「ちょ、ちょっとフランさん!?」

 

 続けて霊夢がメスを振り回しながら妖夢に向かって突進してくる。しかし様子がおかしい。霊夢の目が何かに操られているような、常軌を逸しているように怪しい光を放っている。

 霊夢の振り回すメスが妖夢に届こうという刹那、妖夢はフランを抱えて横っ飛び、霊夢のメスをかわす。

 

「フランさん! 一体どういうことですかこれは!?」

「う~ん、なんかねぇ、羽を切り落としたらああなってた」

「切り落とした?」

「そう、あのカッターで」

 

 フランが霊夢の握っているメスを指差して言う。妖夢も改めてそのメスを視認する。

 

「あれはっ」

 

 と言う間もなく、霊夢が妖夢に再びメスで切りかってくる。妖夢は前の要領で横っ飛び、はすることはなく、身構えて刀に手をかける。

 次の瞬間、目にも留まらぬ速さで刀を抜いたかと思うと、キンッと短い金属音が響く。その音で瞬きをしたフランの目に、次に映った光景は抜刀する前の妖夢の姿だった。

 いわゆる居合い抜きというものだ。抜刀術の一種で鞘に収めた刀をすばやく抜いて相手を斬りつけ技術。

 霊夢の遅い振りでは当たる寸前に出しても余裕で切りつける事が出来るという高速の剣技。これを妖夢はフランを小脇に抱えたままやってのけた。

 全く、宴会芸でもそうだが神業としか思えない。

 しかも妖夢がその高速の剣技で斬ったのは霊夢ではなく、霊夢が握っていた小さなメスだった。メスは真っ二つに折れ、床にコロンと転がっている。

 

「あら、私どうしたのかしら」

「ふう……」

 

 霊夢の目は正気を取り戻し、我に返ったようだ。

 妖夢は一息ついてフランを下ろしてやると床に転がったメスの破片に歩み寄る。斬って折ったメスの破片をひょいっと拾い上げるとまわしたり裏返したりして調べ始めた。

 

「ん? 妖夢? いつ来たのよ?」

 

 霊夢はすっとぼけているという様子でもない。霊夢にはフランを切り刻もうとした記憶がないらしい。

 そんな霊夢に見える位置に妖夢がメスの破片を目の前に持ってくる。

 

「霊夢さん、これ妖刀ですよ」

「え? どういうこと?」

「ようとうって何?」

 

 霊夢は、ワクワクしながらそう言って自分の横に立つフランを見るとビクついて驚いた。

 

「フラン! あんたなんて格好してるのよ!」

 

 フランは体は切られていないものの服をずたずたに斬られ、目も当てられない格好になっていた。

 

「霊夢が斬ったんじゃん!」

「私が切ったのは羽だけよ、何言ってるの?」

「霊夢が何言ってるの! 散々斬りつけて!」

「まあまあ、これは図鑑で見たことあります。妖刀の一種であまりの切れ味に少し斬るとそれが楽しくて止まらなくなってしまう、という類のものですね。常々一度拝見して見たいと思っていたのですが……勢い余って壊してしまいました。もったいない……」

(図鑑って?)

(マニアね)

 

 と、霊夢の奇怪な行動の理由をつらつらと述べ始めた。

 

「これをどこで?」

「そこの箱に入ってたのよ。全く、妖刀を置いていくなんて……」

 

 不機嫌な霊夢とは正反対に、上機嫌な妖夢がその箱を持ち上げて木箱の裏や蓋の裏を見てみる。まるで宝の価値を調べる鑑定士よろしく、そして今までこんなに嬉しそうな妖夢は見たことがないというくらいに楽しそうな表情をしている。しかし所望する物がなかったのだろうか、少しうなって箱をコトリと机の上に戻す。

 

「どうやら箱は変えられているようですね。これは図鑑にも製作者の名前が書いてなくって未だ謎のままなんですよ」

「そ、そう……」

「あれがマニアっていうの?」

「しぃーっ黙りなさいっ」

 

 妖夢が箱の中にあった永琳からの手紙を見る。そして箱を裏返した要領で裏返してみるとそこにはまた文字が。

 

「これは」

「どうしたの? 作った人の名前でも見つかったのかしら?」

 

 霊夢は半ば呆れ気味でそんな事を言ったのだがそれは妖夢ではなく霊夢に関係のある事だったらしい。

 妖夢はその手紙を霊夢に手渡し、その手紙の内容を指で指す。それは霊夢が先程見た手紙の裏に書かれていたものだった。

 

手紙の裏

『追伸:これは妖刀なので斬り過ぎると危ないかもです。霊が取り付いているという噂もあります。返さなくていいので除霊、または供養をお願いします』

 

「永琳より……かっこ、笑、かっことじ」

 

 ビリビリッと手紙を真っ二つに破り、霊夢は適当にその辺に投げ捨てた。この散らかりようだ。少しゴミが増えても気にはならないだろう。

 

「ねぇ! 早く人里いこぉ!?」

 

 フランはもう待ちきれないらしい。足踏みをして落ち着かないフランだが、その格好はとても人前に出せる姿ではない。来る時もボロボロだったが霊夢が切りつけたせいで布がどうにかフランの体に捕まっているだけになっている。その布も落ち着きなく足踏みしている振動でどんどんずり落ちてきている。

 

「人里に連れて行くのですか?」

 

 妖夢が驚くのも無理はない。昨日の今日で人里に連れて行こうというのだから。

 

「成り行きでね……」

「はやくぅー!」

「その前に、あんた着替えの服とかあるの?」

「ない!」

「でしょうね」

「霊夢さん。ここにまた木箱が」

 

 妖夢が嬉しそうに木箱を持ち上げて霊夢の方へ運んでいく。きっとまた妖刀の類だと思っているのだろう。

 それは先程の木箱と見た目も作りも同じ事から恐らく永琳がおいていった物だと思われる。しかし先程のものより少し大きい。

 

「何だか開けたくないんだけど……」

「でも見つけてしまったからには開けないと、この後ずっと気になっちゃいますよ?」

「まあ、そうね」

 

 後悔するならやるだけやって後悔しろ。と誰かが言ったような気がする。

 じだんだしを踏んでいたフランは、なかなか人里にいけないことで不満げな顔をしているが中身も気になるらしい。せめてもの抵抗に二人の間に割って入り、不満げな顔で事の成り行きを見守ろうとする。

 そこで霊夢が箱を開けると中からは綺麗な柄の着物が出てきた。そしてまた手紙。

 

手紙の内容

『人里に行く場合、フランさんの服では目立つと思います。それにもしもフランさんの服が……になっていた場合困ると思うのでこれを置いて行きます。もしよければ使ってください』

 

「永琳より……かっこ、笑、かっことじ……」

「……確信犯ですね」

「これ着ていけばいいの?」

 

 霊夢は手紙の裏を見てみるが何も書いていない。妖夢もまた箱を念入りに調べていたがどこにもおかしい所はないようだ。

 

「ふぅ……まっ、いいんじゃない?」

「ですね」

 

 フランは箱から着物を取り出し、びらんと広げてみる。鮮やかな色合いの着物が広げられ、高級感漂う柄の着物がその全貌をあらわにする。人里にその格好で行けば逆に目立つような気もするほど。

 その着物のサイズは小さめでフランにはきっと合うだろう。

 

「うわ~、綺麗……」

「へ~、いいじゃないですか」

「全く……そんな大層な着物、どこで手に――」

 

 フランと妖夢が感動している中、霊夢だけがあるものに気がついた。それは霊夢だけがその着物の後ろから見ていたから。その着物の背中の部分に張り紙がしてあるのだ。それはフランが広げた事で見えるようになったのだが。

 その内容は見るまでもない。それは先程のこともあるが、その張り紙の外枠に子供の霊と思われる不気味で、青白い顔が覗いていたからだ。恐らくその着物の元の持ち主だろう。

 鼻から上を覗かせて霊夢を見つめている。そしてにやり、笑っている。

 

「きゃああああああああああ!」

 

 霊夢は悲鳴を上げながら、持っていた札をその着物に投げつけた。後に残ったものは背中部分がぽっかりと焼けて穴が開いた着物と、前髪が少し焦げたフランの不満そうな顔が覗くだけだった。

 

「霊夢の馬鹿ああああ! せっかくの着物どうするのよ!」

「うるさいわよ! トラウマよ! あんな顔見せられたらよるトイレに行けないじゃない!」

「分けがわかんないよ!」

 

 巫女でも霊が怖いのだろうか。という謎は置いておいて。

 結局、フランは霊夢が小さい頃に来ていた巫女服を来て人里に行く事になった。

 

「というわけで、悪いわね、留守番の上に掃除まで」

「いえいえ、そのつもりで来ましたから」

「行ってきまーす!」

「行ってらっしゃい」

 

 妖夢は子供を送り出す母親よろしく、ニコリと笑って手を振るフランと霊夢を送り出したのだった。

 

「さて……ふふふ、今の内にあのメスを詳しく調べてみましょう」

 



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第四十三話 ~慧音先生と歴史のお勉強~

 

 人里から少し離れた小高い丘。丁度幻想郷と人里の中間に当たる場所。そこには木造の建物があった。

 昼過ぎと言うには少し遅く、夕方と言うには少し早い太陽の日差しを浴びて、藍色の瓦は茜色に輝いている。

 その建物の玄関であろう扉は開け放たれていて、五、六人駆け込んだところで、つっかえる事がないくらいに十分なスペースがある。

 そのスペースには小さな、子供用のぞおりやら靴やらの履物がぎっしりと敷き詰められており、更に規則正しく並べられている。これほどの多くの履物が店に並べられる商品のように規則正しく並べられている光景は爽快だが、踏まれたのだろうと分かる形がつぶれてしまっている靴もちらほらと見て取れる。

 普通の家よりも広いスペースにもかかわらず開け放たれた玄関からはみ出している履物も少なくない。

 恐らく建物の中にかなりの人数の子供達が居るのだろう。子供達の履物がこれだけ規則正しく揃えられているところを見ると、この建物の主は規律に厳しいのだろうことが伺える。

 中は子供特有の騒ぎ声や甲高い叫び声が一切聞こえない。恐らくその者によって統制されているのだろう。

 

「この時、なぜこの人物はこの言葉を口にしたか答えてみなさい」

 

 中から聞こえてきたのはまだ若い、女の声。はきはきとしていて滑舌がよく、澄んだ声が聞こえてくる。

 

「はい! この人物は自分に出来ない事は何もないという強い意思を持っていたんだと思います!」

 

 その女の声に呼応するようにはきはきと、その問いに答える子供の声。

 見ればその建物の大部分が大広間になっており、左右の障子は開け放たれていて、一方からは傾いた日差しが差し込んでいる。

 中には長机が綺麗に並べられ、その正面には大きな黒板が設置されてある。その長机一つに四、五人の子供達が窮屈そうに座っていて、二人に一つの割合で教科書らしき本が広げられている。

 ここは子供達が勉強を学びに来ている寺子屋だった。

 その子供達の前で教鞭を振るっているのは上白沢慧音。先日、歴史を変え、幻想郷と人里を切り離す計画に一役買った人物だ。

 歴史はもちろん、慧音自信の学力も相当な為それを生かし、子供達相手に教鞭をとっているのだ。

 

「いい線だ。だがこの言葉は本当に辞書にないんだ。不可能は小心者の幻影であり、権力者の無能の証、更には卑怯者の逃避所である、という説が有力だな」

「へ~」

 

 と、教科書片手に子供達の方を見ながらさらさらと述べる慧音。聞き取りやすく、はきはきしているその声で述べられた答えに皆関心したように頷いている。

 

「まあ、実際には戦が続く中、自分を奮い立たせるために言い聞かせた言葉だったんだがな」

「どれが本当なんだよ」

 

 慧音が感心している子供達に、残念そうな顔でそんな事を言うと子供達の不満気な言葉が漏れ出してくる。

 慧音は実際に伝えられる歴史と自分が認識している歴史の差異が分かっている。だからどちらを教えればよいか少し迷っているのだろう。が、答えを二転三転させられる子供達は頭がこんがらがってしまう。

 しかし、勉強よりももっと大切な事がある。

 

「こら! 先生にそんな口のききかたをするんじゃない!」

 

 慧音が一番重んじる物は礼儀だ。その際たる例が挨拶だ。その礼儀の一番の基本である挨拶をしない物には慧音による厳しい挨拶が待っている。だからここから慧音の長い演説が始まる。

 

「いいか? 目上の者に対しては敬意を払い――」

「先生!」

 

 と思われたが、子供の言葉に慧音の演説が遮られる。

 

「なんだ!?」

「もう時間だよ」

「む」

 

 礼儀を重んじる慧音だ。時間通りに始まり、時間通りに終わる。それもまた礼儀の一つなのだ。演説は中断され慧音は軽く時計を見て、教卓の上に教科書を置き、静かに閉じた。

 

「と言うわけで、今日の授業はここまでだ」

「ひゃっほおおおお!」

「ちょっと駄菓子屋寄っていこうぜ!」

「俺これから釣り行くんだ」

「私洗濯物頼まれてる……」

 

 授業が終わった瞬間、子供達の元気な声が教室内に響いて、開け放たれている障子の隙間から外へ漏れ出していく。

 

「用事の無い者は真っ直ぐ家に帰るんだぞ! もう日が長くないんだからな!」

「「はーい!」」

 

 慧音が声を張り上げて注意を促す。子供達は嬉しそうに元気よく返事するがほとんど守る者は居ないだろう。現に慧音の顔は不服そうで、しかしこれ以上言っても仕方ないと分かっているのだろう。しかめっ面で笑っている。

 

「全く……」

「ねえねえ先生、けんけんぱやろう?」

 

 と、複数人の女の子が慧音に声をかけてきた。けんけんぱとは子供達の間で流行っている遊びだ。

 

「ああ、すまないが私はこれから夏休みの宿題の添削をしないといけなくてな」

「え~」

「あ、それと」

 

 その女の子に軽く謝った慧音は何かを思い出したように顔を上げて周りを見渡し、また声を張り上げる。

 

「夏休みの宿題をやってない者! 今度必ずやってくるように!」

 

 この問いには返事をする子供は独りも居ない。

 

「分かったら返事っ」

 

 と、慧音が厳しい顔で静かに言うと「はい……」と何人かの子供が返事を返してきた。

 

「ふふっ、よろしい」

 

 それを見て楽しそうに笑ってそう言う慧音は誰がどう見ても教師らしい教師だった。それに加えて最後に「忘れたら頭突きだからな」と意地悪そうな笑顔を浮かべて子供達に告げていた。これには子供達も恐怖の顔を隠せない。

 慧音は机の上に放り出された教科書を回収してくれた子供達に礼を言って寺子屋の軒先まで送り出した。

 

「慧音先生! またねー!」

「ああ、気をつけてかえるんだぞ」

「「はーい!」」

 

 何度もやっている慣れた授業もやはり緊張するのだろう。慧音は子供達を見送ると方を落とし微笑みながらため息をつく。

 

「さて、宿題の添削でもしようかな」

 

 子供達が帰り誰も居ないはずの教室に慧音が戻る。と、不意に、慧音の目に奇妙な光景が映し出された。

 

「私の賽銭箱に銭を入れる価値はない!」

 

 普段慧音が授業の際に立っている場所に巫女の服を来た女が立っていた。教鞭をくいくいっと弄びながらそんな事を言っているのは博麗霊夢だった。

 

「フラン、この言葉を口にした愚民の末路を言ってみなさい」

「その巫女に報復されて殺された!」

 

 霊夢が指差した先には悪魔の妹と歌われる、金髪の少女、フランドール・スカーレットが居た。フランは普段子供達が座っている長机の上に行儀悪く座っている。

 

「いい線よ。でもそれじゃ私が殺したみたいじゃない。この言葉を口にした愚民は神様の恩恵を得られず、自然災害で自分の家を失い、自分の愚かさを知り、更には地獄という奈落の底に突き落とされたの」

「へ~」

「まあ、実際のところ、私が吹っ飛ばしたんだけどね」

「だから賽銭箱が空なんだよ」

「こら! 巫女の私に向かってそんな口のきき方をするんじゃない!」

「きゃははっ、似てるっ」

 

 どうやらさっきの慧音の授業を見ていたらしい。霊夢とフランは、ふざけてわざとそんな茶番劇を行なっていた。

 

「何やってるんだ、小娘共……」

 

 

 

 霊夢たちは教室の奥、普段慧音が作業をしている場所に案内された。壁は全て本棚で覆われていて、その本棚も本で埋め尽くされ、スペースがない。あふれた本はうずたかく積み上げられている。

 慧音が普段使っているであろう机も、上には子供達の宿題と思われる用紙で一杯だ。○や×が付いた用紙の束とそうでないものが分けられている。

 

「それで? 何しにここに来たんだ? それに何でフランドールが巫女の格好を?」

 

 慧音が使っている机以外にももう一つ机があった。来客用だろう、少し綺麗な机とフカフカの椅子が用意され、二人はそこに座らされていた。

 慧音が言ったとおりフランは霊夢に服をずたずたに引き裂かれて仕方なく巫女の服を着ている。周りから見たら姉妹とも思えなくもない。その点では人里に行った時に上手くごまかせるかもしれない。

 

「慧音」

「ん?」

 

 これから宿題の添削に移ろうとしていた慧音は面倒くさそうに霊夢に尋ねるが霊夢はそんな事、知ったこっちゃないというように自分の道を歩み始めた。

 

「私たちは客なのよ? お茶とお菓子くらい用意する。それが礼儀じゃないかしら?」

「くっ……」

 

 慧音は苦虫を噛み潰すとこのような顔をするのだろう。その表情をもって「まってろ」と一言言い残し、更に奥の部屋に入っていった。

 慧音は礼儀を重んじる者。何も言い返せはしないだろう。霊夢も慧音の堅苦しい性格は分かっている。だから言ったのだろうが相変わらずタチが悪い巫女だ。

 そのタチが悪い巫女は満足そうな笑みを浮かべているがもう一人の金髪巫女はなぜか不服そうな顔で霊夢を睨みつけていた。

 

「ん? 何よ?」

「私の時はお茶もお菓子も出なかったけど」

 

 フランが来た時はお茶もお菓子も出なかったらしい。それに不服を申し立てた視線だった。

 

「妖怪に礼儀なんて不要でしょ」

 

 そう霊夢はぬかすのだった。

 

「あー! それって差別だよね!?」

「あんただって呼び鈴だよ? とかいって神聖な鈴をガンガン鳴らしてたじゃない」

「呼び鈴を鳴らすのは礼儀じゃん!」

「はいはい。分かった分かった」

「何が分かったのよ!」

「今度来たらお茶とお菓子用意すればいいんでしょ?」

「え? 遊びに行っていいの!?」

「ダメ」

「……どういうことよ」

「私はあんたにお茶とお菓子を出さないってこと」

 

 そうやって姉妹のようにじゃれあっていると慧音がお茶とお菓子をお盆の上に置いて、霊夢達のいる部屋に戻ってきた。

 コツリコツリと、白い湯気がたっているお茶が入った湯のみを慧音がどこかのメイドよろしく二人の前に置いてやる。続いて饅頭が三つ乗った小さな皿を机の上に置いた。

 

「これで文句ないだろ? ちなみにこしあんだ」

 

 茶と菓子を要求した霊夢を見据えてそう言うがまだ少し不服そうだ。

 

「今日び饅頭て……もうちょっと気の聞いた、ロールケーキとかショートケーキとかあるんじゃないかしら? 全く、気が利かないわね」

「お前はどこぞの姑か?」

「私ブラッディカステラとかブラッディオレンジがよかったなぁ」

「私は血は飲まないんでなって、ブラッディオレンジは血じゃないだろ」

「……てへっ☆」

「イラッ☆」

 

 不満ばかり言う黒髪巫女とボケをかます金髪巫女に慧音もいい加減対応が面倒くさそうだ。

 

「って言うかお前達、文句言うなら食べなくても――」

「「いただきま~っす」」

 

 慧音が皿を取り上げようとすると、それよりも早く二人の手が饅頭を掻っ攫った。

 これには慧音は少し笑ってしまう。食い意地が張る、と言うのは子供の特徴だからだ。

 だから慧音は子供達を見るような優しい目でくすくすと笑っていた。ずっとそんな顔をしていればただの優しい教師だが生憎慧音は厳しさも併せ持つ。

 と言うのも慧音が用意した饅頭があまりにも美味しすぎたのだろう。そしてその饅頭が三つだった事で霊夢とフランが取り合いを始めたのだ。

 喧嘩をしている子供達を静めるのも教師の役目だ。だが沈めようにもそこにいるのはただの子供ではなく、タチの悪い巫女と、おおよそ人と呼べる年齢ではない、見た目は子供、頭脳も子供の吸血鬼だ。

 

「それ私の!」

「ダメよ、これは毒が入っているわ。私が食べて清めてあげる」

「嘘だ!」

「私は巫女よ? この格好を見れば分かるでしょ?」

「私だって巫女服着てるから巫女だもん!」

 

 霊夢の手に饅頭が乗ったお盆を奪い取ろうとフランが手を伸ばすがその顔をひしゃげるように霊夢の手がフランを制す。

 

「あんたは見習いよ。まだ早いわ」

「ああん! 霊夢の卑怯者!」

「何をしているんだお前達は……」

 

 霊夢にお姉さんだから譲ってやれといってもその返しは想像がつく。だからといって霊夢に譲ってやれといえばフランは泣きそうだ。それならいいが暴れられて建物が壊されても困る。だから

 

「そんなに喧嘩するなら没収だ」

「「あ!」」

 

 慧音は霊夢の手からお盆ごと饅頭を取り上げた。

 二人は慧音が取り上げた皿に乗っている饅頭を口惜しく見つめている。そのおかしな光景に慧音は危うく噴出しそうになってしまったがそんな事をすると後が怖いので何とか我慢だ。

 

「で、お前達は何をしに来たんだ、と聞いてるんだが?」

「あ、忘れてた」

「おい……」

 

 霊夢はフランを連れてきた理由を慧音に説明した。

 慧音に会いに来たのは歴史を変えて日が浅いこともあり、幻想郷のことが明るみになってしまう危険性を危惧してのことだった。

 

「なるほど。それでここに来たと?」

「ええ、別に問題ないわよね? 思い出すとか」

「う~ん……多分」

 

 霊夢はそう問うが、慧音の返事は歯切れが悪くあいまいだ。それに霊夢は露骨にしかめっ面で不満な顔。

 それもそのはずで多分、では困るのだ。霊夢にとっては断腸の思いで実行した幻想郷の隔離。それが水の泡に帰す、などということになってはたまらないのだ。

 慧音はきっぱりと「大丈夫」。そういってくれると霊夢は思っていた。だが予想外に慧音の反応が悪い。

 

「何よ、あるなら事前に対策を打てるように言っておいて欲しいんだけど」

 

 裏で隠しはしていたが計画前の時点で慧音は大丈夫と断言していたのだ。もしや何か不都合が起こったのだろうかと霊夢は疑ってしまう。しかし霊夢はそこをついて非難したりはしない。済んだことはどうしようもないのだからそんなことよりも対策を立てるほうが先決だ。

 その霊夢の最もな意見に慧音は少し唸って口を開く。

 

「そもそも私の歴史を操る能力というのは人々の記憶を辿って再形成し、周りのあらゆる事象を改変していくというものなんだ」

「それで?」

「逆を言うと人々が知らない事は変えようがない。歴史とは人に知られて初めて歴史になる。人々が知らない事を変えても意味がないからな」

「う~ん……確かに……そうかも」

 

 フランには慧音と霊夢の話は難しいのか、最初は真剣に聞いていたのだが、今では慧音が自分の机の上に置いた饅頭に釘付けだ。まるでお預けされている犬のように。

 しかし慧音の説明はまだ続く。

 

「そこで問題となるのがフランドールの存在だ。私は里の人々の記憶を辿ってフランドールの記憶や幻想郷の歴史を消した。しかしだ。人々になくてフランドールにある記憶は改変されてない」

「は?」

 

 と、ここでフランの名前が出てきたのでフランは饅頭から視線を上げて慧音と霊夢の方へ向き直る。見ると霊夢が鬼の形相で慧音を睨みつけて更に迫っていた。

 慧音の説明でいくとフランがしたことは元に戻されていない、と言う事になってしまう。小島酒蔵襲撃事件も元に戻っていないと言う事ではないのか。

 

「何でよ!? 普通そこが一番重要でしょ!?」

 

 フランがやったことを元に戻さなければ幻想郷がすぐそこにあるとばれてしまうのではないか。という疑問が当然の如く霊夢の中に生まれてくる。

 

「お、落ち着けっ」

 

 やっとのことで霊夢を思い留まらせた慧音は一言「説明しても?」、と問うので霊夢は頬杖を付いて慧音を睨みながら「どうぞ」と一言。

 

「見れなかったんだ。というよりも壊れていたと言った方がいいかもしれない」

「壊れてた?」

「ああ、断片的にしか見ることができなかったんだ。まるで壊れた鏡に映る世界を見せられているように。その中の世界も世俗的に言って壊れていたが……」

 

 とはフランが今までしてきた惨たらしい事を指しているのだろう。地下室で起こっていた惨事、吸血鬼の町で起こった大量虐殺。それを見せられた慧音は数日食欲がわかないことだろう。

 それはフランの「ありとあらゆる物を破壊する能力」と何か関係があるのだろうか。

 慧音はフランをちらりと見るが少し首を傾げるだけ。本人も無意識の内に壊していたのかもしれない。一度はそんな記憶を忘れようとしたのだ。それに霊夢達は知らないが、レミリアのいうフランの「運命が見えない」、という性質も何か関係している可能性もある。

 だがそんなこと、今考えても仕方がない。霊夢は話を戻すことにする。話を聞いていなかったフランの視線もまた饅頭へ戻っていく。

 

「ふ~ん……それで? その場合どんな問題あるの?」

「問題……なぁ……」

 

 慧音は腕組みをして、腰を机に持たれかからせてしばし黙考し口を開く。

 

「恐らくフランドールの周りには必ず誰かいたし、その人の記憶を辿ってフランドールがした歴史を改変はした。しかし、フランドールが知っていて人々が知らない事は変えていない。というよりも改変する事ができない」

「その場合どうなるの?」

「記憶のミスマッチが起こる」

「ミスマッチ? フラン、どう思う?」

「何でミスマッチだけ英語で言ったかってこと?」

「何だか中二臭がするわ」

「いいから聞けっ……その場合、改変した歴史とあるはずのない歴史がその目撃者の頭の中で矛盾を引き起こす。こんな歴史はないはずなのに何故こんな事が起こったのだろうか、と。船酔いでも同じだ。目で得られる視覚情報と、三半規管でえられる平衡感覚の情報がミスマッチすると気分が悪くなるような。その気持ち悪い思考と現在の状況の食い違いが補正されてしまった時、私がした歴史改変は解除されてしまう。でもまあ、人の頭は寛容に出来ていて、そんな突拍子もないことは容疑の事象からはずれるんだがな」

「なんだかよく分からないわねぇ」

 

 霊夢でも理解に苦しむようだ。フランにとっては呪文か子守唄としか認識できていないだろう。これには慧音はまた唸って困り顔でしばし思案するが、一つ残った饅頭に視線を落とした時、ふと何か閃いたのか、顔すこし笑って口を開く。

 

「そうだ、そこの写真を見てくれないか?」

 

 と、慧音が指差したのは霊夢達の丁度真後ろ、天井に近いくらい高い壁に何人かの写真が飾られている。白黒ではあるがどれも慧音と同じような変わった帽子を被っている。そして皆それなりに歳を召した老人だ。

 霊夢と、フランもつられて顔を上げてその方向を見る。

 

「それらは私の古い恩師なんだが、それを歴史を改変するもの、つまり私としよう。そして私がフランドールみたいに歴史を変えられないものとする。その写真の方が今から争いが起きそうになるこの場の歴史を変えたとしよう」

「争い? ってあああああ! 私のお饅頭様があああああ!」

 

 霊夢が振り返ると慧音が饅頭を食べ、「ご馳走様」と言っている所だった。続いてフランも慧音のほうを見ると目を丸くして立ち上がった。

 

「それ私のだったのに!!」

「やはり旨いな」

 

 二人が二人とも私のものだと主張するその様は面白いものがあるが当の本人達は面白くない。

 

「やはり旨いな、じゃないわよ! はけ! はきだしなさい!」

「お腹かっさばく?」

 

 霊夢が慧音を取り押さえフランが慧音の服をめくり上げて可愛らしいおへそをあらわにする。

 食べ物の恨みは恐ろしいと有名な言葉があるほどだ。霊夢は霊夢で変な言動をするし、フランはフランで物騒な事極まりない。

 

「や、やめろ! 吐き出したとしてお前はそれを食べるのか!?」

 

 この二人なら実際に実行しかねないと思った慧音は慌ててそう言い聞かせ、霊夢達を思いとどまらせる。

 

「食べないわ」

「私の趣味じゃないかな」

「だったら放すんだ!」

 

 二人は顔を見合わせてそう言うとすんなり慧音の拘束を解いたのだった。

 

「で?」

「でだ。私が饅頭を食べてしまった事で争いが起きてしまった。それは饅頭が三個あったからだ」

 

 慧音は乱れた服装を正しながら説明に入る。

 

「うん」

「だから写真の方は饅頭は最初から二個だった事にした。そしたら私達はもう争う事は無い。万事解決だ」

「うんうん。ていうか慧音。口に餡子が付いてるわよ」

 

 慧音の口の周りが饅頭の餡子で汚れている。慌てて食べた為だろうが教師という肩書きを持っている以上その体たらくはどうだろうか。

 もちろん食べられた腹いせにその事を霊夢に指摘される。

 

「あんた教師なんだからもっと行儀よく食べなさいよ。それにそんなべとべとにしてたら三つあったってばればれよ」

「そう、それだ霊夢」

「え?」

 

 慧音はそれが待っていた回答だと言わんばかりににやりとし、霊夢に指をさす。霊夢は指を刺されて少し困惑気味だ。

 

「饅頭は二つ、それをお前達二人で一つずつ食べたはずなのに何故か私の口の周りに餡子が付いている。変だろ?」

「……そうね」

「お前達がここに来て、座って、説明をしている私が饅頭を食べた形跡なんてなかったはずなのに」

「うん」

「ここで歴史の矛盾が起きる。私の口に餡子が何故付いているのか。饅頭が出された時には付いていなかったのに。という事は、本当はここには三個の饅頭があったのではないか、そして他の誰かによって都合のいい歴史に改変されたのではないか、とな」

「う~ん、でもそこまで考えるかしら?」

 

 霊夢の意見も最もで、饅頭が三個あった事実を改変するなんて明らかに能力のベクトルを間違えている。それにそんな非現実的な出来事は誰も思いつかないだろう。

 だがそれも慧音の欲しい答えだったようだ。慧音は難しい問題が解けた子供を褒めるような満足げな顔をして「そう」と口火を切る。

 

「先程も言ったように人間の脳は寛容に出来ている。推測できるのは私が隠し持っていた饅頭を隙を見て食べていた、とか、もしくは食べた後、餡子が付いたままの手で口元をぬぐったりなんかしたんだろうと都合のいい解釈をつけて終わりだ」

 

 起こった事全てを明確にしなければ気がすまない探偵のような者ならともかく、極一般の人がそこまで追求する事はありえない。つまり心配するほどの事ではない、と言う事だ。現に霊夢は「ふ~ん」と気のない返事をして茶をすすっている。

 

「じゃあ別にばれる心配はないってわけね」

「そうだな。まあ別れを言うだけだったらいいんじゃないか?」

 

 慧音がそう言い終えると湯飲みをコトリと置いた霊夢がおもむろに立ち上がる。

 

「もう行くのか?」

 

 霊夢を見て慧音が止めるでもなく、問いただすでもなく、何気なく霊夢に問う。

 

「ええ、ここに居てもお菓子はもう出てこなさそうだし」

「あれは町で有名な饅頭屋で売ってる。買ってくればいい」

「余裕があればね。行くわよフラン」

「うん」

 

 子供達と同じように慧音は霊夢たちを送り出す。が、霊夢達は子供達と違って玄関からではなく開け放たれている障子から出て行った。

 

「全く、迷惑な連中だったな」

「終わった?」

「ん?」

 

 ふと、声がするほうを見ると白い髪に赤いリボンをつけた者が。赤いもんぺをはいて、そのポケットに手を突っ込んで壁にもたれかかっている。

 不死の能力を持つ藤原妹紅という娘だ。

 

「ん? じゃねぇわよ。慧音が近々引っ越すからって荷物運ぶの手伝いにきたんじゃん」

「あ、そっか……忘れてた」

 

 慧音や永琳もいずれは幻想郷に引き上げることになる。その前準備と言うわけだ。

 

「で、霊夢に人里行くって言ったら私達が先よ、なんて言うから待ってたんだけど……」

「そ、そっか、ごめん」(霊夢のやつ……言ってくれればいいのに)

「てか慧音……なんで口の周りに餡子つけてんの?」

「え、あ、これはっ」

「教師なんだからもうちょっとちゃんとした方がいいと思うけど?」

「いやっ、だからこれは――」

 

 

 

「ふふ、今頃慌てふためいてるでしょうね」

「だれが?」

「だらしない先生」

 



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第四十四話 ~再開~

 

「こらっ、離れるんじゃないの」

 

 日も傾き、薄暗くなる時間、二人の巫女が町中にやってきていた。仕事終わりの人々が行き交い、それを狙った居酒屋の灯がともる。軒先にはアルバイトだろう若い呼子が、客を引き込もうとしのぎを削っている。

 

「あっ、うん」

 

 フランは好奇心旺盛だ。居酒屋は楽しそうな人々の声で溢れ、外に漏れ出してくる。フランの興味を惹かないわけがない。中でどんな楽しい事が起こっているのかといても立ってもいられないのだ。

 若い、と言うよりも幼いフランを呼子が引き止めているわけではないのだが、その前を通るたびにフランは足を止めてしまう。中で楽しそうに騒ぐ人々を垣間見ようと、必死にしゃがんだり体を左右に振ったりしてのれんや窓の隙間からのぞき見ようとしている。

 日が傾き、通る道は両端の建物に光を遮られている。もう傘をさす必要もない。そのためフランは折り畳んだ傘を片手に歩いているのだが、あらわになった上方、二階の方へも目が行ってしまう。

 そこにはこれから飲めや歌えや踊れやを、客と共にするであろう女性達、いわゆる芸妓と呼ばれる者達が、二階から艶やかな着物を着て、妖艶な声で客引きをしている。中には幼くして巫女の姿をしているフランに手を振ってくるものもいるのだ。

 半分からかっているのだろうがフランはまたその度に足を止め、更に手を振り返す。それが芸妓達のハートを掴んだのか、キャーキャー言いながら仲間内ではしゃいでいるのだ。

 フランはその反応がとても楽しい様子。しかしながら霊夢にとっては迷惑以外の何者でもない。

 フランは注意されてまた霊夢の後に駆け寄ってくるが、いつまでたってもそんな調子のフラン。霊夢も流石に面倒になったのか、妙な事を言い出した。

 

「手でもつないどく?」

 

 親がフラフラする子供をどこか行かないように拘束する技だ。いつでも自分の監視下における便利な技。とはいえ、それは霊夢とフランの間にある関係性では成り立たない。見た目は姉妹で一見成り立つように見えるものの実際の歳は真逆だ。

 

「はっ? ば、馬鹿じゃないの!? わ、私は子供じゃないんだから!」

「なぁにきょどってるのよ」

 

 この楽しそうな雰囲気に当てられたのだろか、霊夢はからからと笑って「冗談冗談」と楽しそうにフランを茶化す。

 フランはムキになって霊夢を怒鳴っているが、赤い瞳が睨みつけているのは歩けば土ぼこりが舞いそうな乾いた地面だ。怒りよりも恥ずかしさが先行し霊夢を凝視できないのだろう。普段白い顔が真っ赤っかになっている。

 霊夢はそれを認めると、一つニヤリと八重歯をちら見せして意地悪く笑う。。

 

「ほら、いくわよ」

 

 霊夢は踵を返すがその手はフランに向かって差し出されている。するとどうしたことか、フランの手が差し出された霊夢の手を掴んだ。まるで条件反射のように、子供が差し出された母親の手を掴むように。

 

「あ」

 

 あまりにも自然で、あまりにも子供っぽいその動作。まるで母親が不意に出した手にしがみ付く子供のようにフランは霊夢の手を握る。

 

「ぷっ」

 

 霊夢もそこまで上手く行くとは思っていなかったのだろう。思わず噴出してしまった。熟女だ何だと強がるフランがこうもあっさり引っかかってしまうのだから腹を抱えて笑わないてはない。

 フランは急いで手を振りほどくがもう遅い。霊夢の表情から意地悪な笑みが消えることはないのだから。

 霊夢は片手で口を押さえて笑いを堪え、もう片方の手はフランの前でひらひらさせて「ぷぷっ、どうしたの? ほらほら」などといってフランのプライドをバリバリとぶち壊していく。

 その手をフランははたき返そうとするが霊夢の手が先に引っ込められ、空を切る。それによってフランの機嫌はますます悪くなっていった。

 

「ふふ、あんたも可愛いとこあるじゃないっ」

「馬鹿霊夢! 皆には言わないでよね! 特に魔理沙には!」

 

 皆には言うなと言う割りに、ご氏名で「魔理沙」とは、霊夢の事を信じていないのか。

 子供扱いされる事を嫌うフランのことだ、子供だガキだと言われるのが心底嫌なのだろう。それがいつも遊んでくれる魔理沙にさえ言われているのだ。過敏に反応するのも当然といえる。

 

「それは今後のあんたの行動によりけりねぇ」

 

 ただそれだけに扱いやすい。霊夢はその弱みに付け込んで上手くフランを転がしている。

 

「べ、別に悪い事なんてしないもん」

「どうだかねぇ」

 

 霊夢はそう言うと足を止める。そして中腰になってフランに顔を近づける。

 

「一つ質問なんだけど」

「な、なによっ」

「ただ別れを言うだけなのよね?」

 

 霊夢はフランの目をじっと見つめて問う。

 フランは霊夢と合わせていた視線をずらしてから「そうだよ」と一言。霊夢はそんなフランの顔を舐め回すように見て「ふ~ん」と言うだけ。フランが目を逸らす素振りで何をどうしたいかばればれなのだが、この質問をした時点で霊夢も分かっているのだろう。

 霊夢が頬に何が慕いか書いてあるフランの顔から視線を上げ、ふと前方を見る。と、丁度角から見知っている人物が出てくるところだった。少し距離が離れ、薄暗くなっているが特徴的な青と赤のツートンカラーだ、見間違えるわけがない。

 八意永琳だ。

 

「あ」

「あら」

 

 永琳も霊夢達に気付いたようで、思わず声が漏れる。

 永琳を見つけた当初、霊夢の表情は驚き、その後忘れ物の件が徐々に思い出されていき、怒りの色が強くなっていた。やがてどう仕返しをするか、そのイメージが霊夢の頭の中で形成されていき完成された頃、表情を笑みに変えていく。

 博麗神社に永琳は忘れ物をした。返す物は返さなければならない。しかし忘れ物は霊夢が全て壊してしまった。だから同等の対価で永琳に返さなければならないのだ。

 霊夢は唇を吊り上げるとほぼ同時に走り出す。永琳もニコリと微笑み返すとその笑顔を保ちながら、ムーンウォークで自分が出てきた角に消えて行った。

 

「待ちなさい!」

 

 霊夢は永琳が消えた角に姿を消した。

 

「ちょっと霊夢!?」

 

 離れるなと忠告しておきながら自分から離れるのだからフランは怒りを隠しきれない。

 

「なんなのよ! もう!」

 

 フランも二人が消えた角に行ってみたがもう姿はなかった。

 

「……先に行ってようかな」

 

 一人呟き、辺りを見渡すフラン。だがここがどこだか分からないらしい。

 キョロキョロして、見覚えがあるものを探そうとするが、町とはいえ広い。全てがご近所さんと呼べるほど狭い町ではないのだ。

 

「新之助の家どこだろ……」

 

 空を飛ぶことができれば町を見渡すことが出来るが生憎羽は切られている。道を聞こうにも帰宅ラッシュのこの時間、人々の足は速い。フランは聞くに聞けない状態にいた。今現在のフランの状態は「迷子」という物になったらしい。

 だが渡る世間は鬼ばかりではない。ちゃんとそんな迷子を心配してくれる者もいるのだ。

 

「お困りかしら? お嬢さん」

 

 そんな迷子の後ろから優しそうな女性の声が。

 「just now!!」と、ぱっと振り向くとそこには先程角に消えていった筈の永琳がいた。

 

「ってあれ、永琳? 霊夢から逃げてたんじゃ?」

「ぐるっと回って巻いてきたわ」

「はやっ、てか霊夢どんくさっ」

「それよりフランさん。こんな所で何してるの?」

 

 永琳は優しくフランに微笑んでくる。永琳はフランが人里へ行こうとした時のために博麗神社に忘れ物をしている。その辺りの事はきっと想像がついているだろうが、フランの面目をつぶさないため、黙っているのだろう。

 フランもそれを知る由はない。だからごまかすように「別に」と答えるだけだった。

 

「永琳こそ何してるのよ」

「私は近々医者の方々を集めて説明会をするからその打ち合わせをね」

「ふ~ん」

 

 永琳も慧音同様、いずれ幻想郷へ引き上げなければならない。その為、自分の持てる知識を周りの医者に広めておこうという事で引継ぎを行っていたのだ。

 だがそんなことにフランが興味を持つ筈もない。

 そのフランに優しく微笑みながら永琳がフランに問いかけてくる。

 

「新之助さんの所へ行くのよね?」

「うん! ……え? 何で分かったの? 永琳って伊藤?」

「エスパーね。そう、私は何でも分かるのよ、ふふ」

「おおー!」

 

 普通につっこんで返してくれたことに感動したのか、それとも何でも分かるという永琳に素直に感動したのか、フランは尊敬の眼差しで永琳を見上げる。

 

「あ、もしかして新之助さんに記憶を思い出してもらおう何て考えてるでしょう?」

「うん!」

 

 エスパーを呼ばれたのだから知らないフリをする必要もない。フランもエスパーに隠しても仕方ないと判断したのだろう。素直に頷いた。

 

「何か策があるの?」

「ない!」

 

 自信満々に答えるフランに笑って「でしょうね」と相槌を打って笑う永琳。たぶん行けば何とか成ると思っているのだろう。

 

「ねぇねぇエスパー! 新之助が思い出す方法ってないかなぁ?」

「え? ……急にそう言われてもねぇ」

「エスパーなんでしょ!?」

「え、ええ」

 

 永琳は今更ながらエスパーだと言ったことを後悔する。

 

「そうねぇ。例えば、記憶を失った患者の記憶を取り戻す時に使われる治療法なんだけど」

「うんうん」

「時間経過を待つ。つまり気長に直るのを待つとか」

 

 歴史の改変と記憶を失った患者とは症状が本質的に違う。エスパーだと言われた手前黙っているわけにもいかない。だから搾り出した答えがそんなものだった。

 これには流石のフランも眉を歪ませ不満顔だ。

 

「後は過去に起こった事、その人にとってとても印象が残っていることを話したり、実際にして見たり、その場所に連れて行ったり、とかかしらねぇ」

「前にしたことをすればいいの?」

「そう」

「それで思い出さなかったら?」

「う~ん……そうねぇ」

 

 そろそろネタも切れてきた永琳。暗くなってきた空を仰ぎながらしばし思案する。後は医療用語を連呼してフランの頭を混乱させようとでも企んでいるのだろう。

 しかしまだ治療法はあったようだ。「あ」と何かに気付いたようにフランに視線を戻すと

 

「殴っちゃうとか?」

 

 と大胆発言。フランはその意外な言葉に目を丸くするが、その後真剣な眼差しで「お、思い出すかな?」とおずおず聞き返すのだから永琳にしてみればこれほど面白いことはない。

 

「ふふ、ショック療法ってやつね」

 

 ショック療法とは医療でも少なからず使われているが安全性に問題ありだ。そして今回のようなケースでは役に立たないだろう。むしろフランに殴られでもしたらそれこそ全ての記憶が飛びかねない。別れ際の殴りは置いておいて。

 

「そう、これで忘れ物も思い出すってわけね」

 

 突如、永琳の後ろから霊夢が現れた。その霊夢は正拳突きの構えをしている。

 

「チェストー!」

 

 人目もはばからず盛大な掛け声で繰り出された霊夢の正拳突きは見事に空を突く。

 永琳は体を反らし霊夢の正拳突きを交わした。その反らした体の体重移動と同時にそのまま華麗なステップで舞うように霊夢から距離をとる。

 

「危ない危ない」

「逃がさないわよ!」

 

 追いかけようとする霊夢に永琳は妖艶に笑って呪文を投げかける。

 

「それはいいけど、このままだと新之助さんに会うのはいつになるのかしら?」

「そんな事しったこっちゃな――」

 

 「知ったこっちゃない」などとはずいぶんだが、それを言わせず、永琳を追いかけようとした霊夢の動きが止まる。

 

「フラン!?」

「霊夢! 新之助に会わせてくれるんでしょ!? 早く行こ!?」

 

 永琳が発した呪文は霊夢ではなくフランに届いていたようだ。フランが霊夢の手を掴んだ事より霊夢は拘束される。

 

「うぅ……」

「じゃあねぇ」

 

 永琳は手を振りながら、縛った銀髪を振り乱して振り返り際、軽く流し目を二人に向けると、軽やかにステップを踏みながら悠々自適に去っていくのであった。

 霊夢は口惜しそうに永琳の後姿を睨みつけているがフランの拘束から逃げれそうにない。永琳の姿が見えなくなるとため息、そして肩を落としてうなだれるのだった。

 

 

 

 二人はまた大島酒蔵に向かって歩き出していた。

 フランは霊夢から、永琳に何を吹き込まれたか聞かれたが「別に」としか答えなかった。

 フランが「思い出す?」と言った辺りから聞こえていた、というので恐らく何を聞いていたのかは察しがついていることだろう。しかし霊夢はそれ以上、深くは追求しなかった。

 霊夢は人里と幻想郷が上手く関わっていければと思っていた。 本当に改変した人里と幻想郷の今の関係をぶち壊そうとは思っては居ないだろう。だがそんなことで元に戻ってしまうようなシステムなら元に戻ればいい、そのぐらいに思っているのだろう。

 

「あ、そうだ」

「ん?」

 

 周りがフランも見知っている所になってきた。そろそろ大島酒蔵が近い。ここで霊夢が口を開く。

 

「新之助さんは昔のこと覚えてないんだから、それでぎゃーぎゃー泣くなんてみっともない事しないでよね」

「そんな子供みたいな事、するわけないじゃん」

「泣いたら即帰るからね」

「泣かないも~ん」

 

 霊夢の方を見ずに軽く流して歩くフラン。もう大島酒蔵が見えてきた。霊夢の憎まれ口にいちいち反応していられないのだ。

 フランの歩が早くなる。もうすぐそこなのだ。はやる気持ちを抑えても歩の速度はぐんぐん速くなっていく。

 霊夢は早くなったフランに合わせて歩を早くするが、今まで後ろを歩いていたフランは今は霊夢の隣に居る。

 そのフランの横顔はこれから起こる楽しい事に期待しても仕切れないとい様子。

 霊夢がそんなフランの横顔を横目で見ているとフランが急に歩を止めた。

 霊夢がフランの視線の先を見るとそこはもう大島酒蔵だった。

 結構時間が掛かってしまった。寺子屋からは少し遠かったようで、辺りはもうすっかり暗くなっている。更に空には一番星が輝いていた。

 

「あら、霊夢さん、こんばんは」

 

 そこで大島酒蔵の呼子に声を掛けられる。前はフランがやっていた仕事。今は青を基調としたはっぴに着物姿の若い女性が行っている。

 

「こんばんは」

「珍しいわね。霊夢さんがこんな所に」

 

 霊夢に気付いた大島酒蔵の部下の一人が慌てて店の中に入っていった。

 酒蔵にとって自分の酒を神様が飲むということはとても縁起がよいとされ、業績向上、躍進を祈願して霊夢には無償で差し出されるのだ。神に捧げるとはいえ、実際に飲むのは神ではなく、神の使いである巫女、つまり霊夢が飲む。

 巫女の胃袋にも限界がある。だから新之助と同業の者達は競うように霊夢に酒を差し出すのだ。

 その霊夢が自らやって来たのだ。慌てないはずがない。

 だがその呼子は特に慌てる様子も無い。ただのアルバイトなのか、それともそこらへんを理解していないのか。

 

「ちょっとね」

「それでその子は?」

 

 霊夢は考えていなかった。だがそれは考える必要がないからだ。フランは今巫女の服を着ている。

 

「ふふん」

 

 と霊夢は鼻を鳴らして不適に微笑みフランの後ろに回って両肩に手を置く。更に自分の娘を自慢するようにぐいっと前へ押し出した。

 

「この服装、そしてこの身長差。どう思う?」

 

 霊夢とフランの身長は約頭一個分の差がある。そして同じ巫女の装い。

 霊夢は相手に考えさせるつもりだ。そして相手が言った答えに乗っかればいい。そう考えていたのだ。だがその呼子の方が少し上手だったらしい。

 

「う~ん……霊夢さんの子供?」

 

 普通ならば姉妹、または親戚と予想しそうなところをこの呼子は親子と抜かした。

 

「そう、この子は私の子供よ」

 

 霊夢ははじめから便乗する気だったので思わず乗ってしまう。

 

「と言う事は旦那さんは外国の人? 金髪だけど」

「そう、マイケルと言って五歳の頃、私をスカウトしに来た外人よ」

「成程、じゃあこの子は十歳くらいってことね。納得」

「……そろそろ突っ込んでくれてもいいのよ?」

「どこまで即興で設定を考えれるのかなと思って」

「あっそう……」

 

 フランは自分の事を子供と言う霊夢に怪訝そうな顔をしていたが、意図は分かっていたのでずっと黙っていた。

 

「お嬢ちゃん」

 

 そのフランに呼子が膝に手をついて支えながら身を低くしてフランに声をかけてくる。

 

「お名前は?」

「フランドール!」

「あら、可愛らしい名前ね。よく出来ました」

 

 呼子はフランの頭を軽く撫でてやる。しかしフランはそれが気に入らなかったようですぐにその手を払いのけた。

 

「子共扱いしないでよ!」

「あらら、最近の子供はおませさん? ごめんなさいね……そうだ、これあげる」

 

 その呼子は少しおっかなびっくりといった感じで手をさするも、何かを思い出だしたようにパッと表情を明るくし、飴玉を取り出しフランに渡してやる。

 

「ひゃっほぅ!」

 

 飴玉をもらったフランは大喜びし早速口に含む。そんなちょろいフランを見て呼子も一安心だ。

 

「霊夢さん。いいお酒入ってますよ」

 

 すると中から別の従業員が出てきて霊夢に声をかけてくる。

 

「あらそう? うふふ、頂こうかしら」

 

 従業員について店の中に入っていく霊夢。だがそこで急に立ち止まって振り返り、呼子に一言。

 

「あ、その子の面倒お願いね」

 

 そんな爆弾を残して店の中に入って行ってしまった。

 

「え? れ、霊夢さん!? ちょっと私子供は――」

 

 苦手らしい。

 霊夢への対応を見ると普通の客には慣れているようだ。よく看板娘といわれるが、呼子に使われているあたり、そうなのかもしれない。もしくはどこからか引き抜きにあったか。

 大人相手の対応なら軽く相手できるのだろうがフラン相手にそうは行かない。大人と子供では対応の仕方がまるで違うのだ。呼子は飴をもらって上機嫌のフランを見てどうしようか困っている。

 フランはフランでそんな困っている呼子を眺めながら飴を口の中でのんきに転がしている。歯に当たっているのかカチカチと立てる音が余計に呼子を追い込んでいく。

 少しして、霊夢と入れ違いにある男が店から出てきた。黒髪に眼鏡、青いはっぴの姿は以前と変わりない。

 

「あ、若」

 

 従業員からは若と呼ばれるその男は大島新之助だった。

 キョロキョロしている辺り霊夢でも探しているのだろうが、霊夢は店の中に入ってしまいもう居ない。

 困り果てた顔をパッと明るくして新之助に駆け寄る呼子。フランからは呼子が壁になって新之助の姿が見えない。

 

「お客さんですよ」

「ん? ボクに? 霊夢さん?」

「いいえ、でも女性の方ですよ」

「えっ?」

 

 なんという偶然か、その呼子は子供を新之助に押し付けただけではある。だがそれはまるで新之助の恋人でも来たかという様な取次ぎ方だ。

 新之助は襟を正し、はっぴのしわを伸ばして呼子に誘導される場所へ向かうが、そこに居るのは誰がどう見てもまだお酒の味も分からないであろう年端の行かぬ少女。しかしその容姿は東洋の者とは違う、人形で出来たような可愛らしさだ。

 その人形は新之助を見つけると恥ずかしいのか、急いで視線を逸らす。

 別れ際、殴る前は口付けを交わした仲だ。それが少し恥ずかしかったのだろう、手は新之助に見えないように後ろ手に組んでもじもじしている。

 一方そんな事を覚えていない新之助は呼子の言うように大人の女性と思っていた為、少しがっかり気味で振り返り、呼子を睨みつける。

 見れば呼子は店の入り口の戸に隠れて新之助の様子を伺っている。そしてその呼子の言い方も悪かったのだろう、他の従業員も呼子の後ろからこっそり様子を伺っていた。

 

「全く……」

 

 これにはもう新之助うなだれるしかない。だが一人ぼっちのフランを放っておくわけにも行かない。それは巫女服を着ていたから霊夢に失礼があってはいけない、ということもあるだろうが自分の店を訪ねてきてくれたのだからそれ相応の対応はしなければならないのだ。

 それにいたいけな少女をほうって置けるほど新之助は非道徳的ではない。

 振り向いた体をフランに戻そうと顔を回転させた時、丁度横目にフランが見えるその角度。

 

「し、新之助」

 

 もじもじしているフランの口から思わず新之助の名前がでてしまう。

 

「え?」

 

 フランの白い頬が徐々に赤く上気する。俯いて新之助からはフランの赤い瞳を見れないくらいに。

 だがそんな新之助の口から思いもよらない一言がフランの目を見開かせる事になる。

 

「何で僕の名前を知ってるの?」

 

 新之助は記憶がない。聞いただけでは実感できなかったこともいざ目の当たりにしてみると、意外にショックが大きかったのだろう。この言葉にフランは開いた口がふさがらない。信じられないと、新之助をまじまじと見つめるが首を傾げられるだけ。

 危うく呼子がくれた飴が口から転げ落ちそうなところで顎をひょいっと上げ、口を閉める。

 フランは何か言いたそうに歯を噛み締めると、諦めるように新之助から視線を下げて俯いてしまった。

 

「どうかした?」

 

 フランの異変に気付いた新之助はしゃがみこんでフランを見上げるような格好になる。これでフランの表情が見えるようになったがそれに気付いたフランは今度は顔をそっぽに向けてしまう。そしてコロッ、とフランの口の中で飴が音を立てて一転がり。

 

「君のお名前は?」

 

 新之助は笑顔で、更に優しい声でそんな事を聞いてくる。しかしこれは新之助はフランの事を覚えていないということの証明に他ならない。

 

「フラン……」

 

 それは自分は君を覚えていませんと宣言されたも同じ。フランは部下に言ったよりも明らかに小さな声で名乗る。しかもフルネームではなく略称。

 にこやかな顔でそんなことを聞いてくる新之助の表情など、フランは見たくなかった。それによって酷い表情をしてしまった自分の顔も見られたくはなかった。

 

「へぇ~、可愛い名前だね」

 

 フランはそっぽを向いたまま喋らず少し唇を尖らせている。自分は新之助の事を覚えているのに新之助は自分の事を覚えていない。だからただ単にすねているのだろう。傍から見ても少し恥ずかしがっているどこかよその子供に見える。

 

「どうかした? フランちゃん」

 

 そのフランを呼ぶ新之助の言葉。それは以前フランを呼んでいた呼称だ。

 だからフランはその呼び名にぴくりと肩を弾ませ思わず反応してしまった。

 少し顔を上げると「べ、別に」と一言言ってまた俯きがちになる。

 

「そう、何か欲しい物ある? と、言ってもお酒しかないんだけどね、あはは」

「お酒嫌い……」

 

 これにフランは眉にしわを寄せて実に嫌そうな顔をする。更にそっぽを向けていた顔を新之助に向けて。

 フランはワインのことを言っているのだろう。新之助と一緒にパーティに行って一緒に踊ったあの日のことだ。吐き出してしまうくらいにフランの口には合わなかった酒。フランの顔はそれを思い出してか、とても苦々しい表情だ。

 

「あっはっは、その歳でお酒の味が分かったら立派な酒豪になれるよ」

 

 それに新之助は楽しそうに笑ってそんな事を言うがフランは新之助が思っているような「その歳」ではない。フランは恐らく酒豪にはなれやしないだろう。

 和やかな雰囲気がフランの心境を変えたのか、口は以前として尖らせてはいるが紅の瞳は新之助を捉えている。

 しかし新之助は自分の事を覚えては居ない。ならどうするか。と、ここでフランは少し前のことを思い出す。永琳から聞いた記憶を取り戻す方法だ。

 

「ねぇ、私が今、何が欲しいか当ててみて」

 

 そして突如尖った口を笑みに変え、そんな事を新之助に問いかける。

 

「え? クイズ? そうだなぁ……ヒントとか欲しいな」

 

 ヒントが欲しいという乞う新之助にフランは得意になって胸を張る。

 

「ヒントはねぇ、赤い物!」

「赤?」

 

 まさか血とか言わないだろうなと、心配になって出てきた霊夢が呼子や従業員と同じように店の入り口から盗み見る。その手には試飲用のワインが入ったグラスが握られていて口に少しだけ含んでいるようだ。

 

「うん! 赤くて甘いの!」

「う~ん、なんだろ」

 

 答えは林檎飴だった。祭りに行って買ってくれると約束したもの。それを匂わせて新之助の記憶を取り戻そうという算段なのだろう。

 だが新之助はそれも分からない様子。どうやら前の記憶は欠片も残ってないらしい。

 いつまでも応えることができない新之助に、フランは口の中にある飴を不満げにコロコロと転がし、また不機嫌な顔に戻っていく。飴がフランの歯に当たってカチカチいう音を立てる。その音で焦った新之助はフランに向き直り「わからないなぁ」とすぐに根をあげる。

 これによりますますフランの顔が不機嫌になっていく。口は尖らせ、新之助を睨みつける。

 その視線に新之助はたじたじだ。思わず立ち上がってしまうほどに。

 

「え、ご、ごめんね。答え教えてくれるかな?」

「……あっ」

「ん?」

 

 フランはしばし思案して何か思いついたのか口を突いてそんな言葉がでる。そして新之助に表情が見えないように顔をそらす。しかし牙が見えてしまうくらいの忍び笑いをして。

 

「しょうがないなぁ。ふふっ、仕方ないから私が教えてあ・げ・るっ」

 

 フランは前に向き直ると首を左右に振りながら、両の掌を天に向けてやれやれ、という仕草。それは子供っぽくて面白かったのだろう、新之助もフランに気付かれないように忍び笑いをしている。

 と、そんな忍び笑いもつかの間、次はちょいちょいと手を振ってこっちに来い、と言うような仕草だ。新之助に耳打ちするつもりだろう。

 ここまで見れば全く子供っぽい行動だ。

 新之助もその仕草の意図に気付き、言われるまま腰を曲げて耳を近づける。フランも新之助の耳に顔をゆっくり近づけて行く。

 だが新之助の耳にはいつまでたっても何も届いてこない。ただ一つだけ分かる事は新之助の顔のすぐそこにフランの顔があることだ。フランの体温が感じられるくらいに近い。フランの前髪が新之助の耳をくすぐり、そしてほのかに甘い匂いが漂ってきた次の瞬間、新之助の耳ではなく頬に柔らかく、少し湿った感触が押し当てられたのだ。

 

「へっ?」

 



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最終話 ~天使な悪戯~

 そのフランのあまりにも大胆かつ甘い行為に、それを見ていた部下達だけでなく、通りを歩く人々も足を止め二人に注目している。

 それもそのはずだ。夕暮れ、薄暗くなった道。雰囲気は申し分ない。

 とはいえ公衆の面前で、恥ずかしげもなく頬に口付けをしているのだ。

 まるでドラマのワンシーンのような場面に視線を向けるなと言うほうが難しいだろう。

 幸いな事にまだ時間が早いため、酒が入っている者はいない。この場面に茶々を入れたり合いの手を入れるような高揚している者いなかった。

 

「げほっげほっ」

 

 ワインを試飲していた霊夢だった。あまりにも突拍子もないフランの行動で、口に含んでいたワインを盛大に噴出し、興奮していた部下達にぶちまけたのだ。

 集合写真を撮った後、フランがそれらしきことを話してはいた。しかしまさかフランがあんな事をするとは思わなかったのだ。霊夢はワインをぶっかけられた部下に背中をさすってもらい介抱されている始末だ。巫女と呼ばれる職業に、これ程縁遠い人間もそう居ないだろう。

 だが新之助達はそんな事に全く気付かない。と言うよりも気付けないでいた。フランによるその行為の意図が分からない。しかし男としては可愛い女性にキスをされる行為自体は悪い気はしない。

 戸惑い半分、嬉しさ半分といったところだろう。明示するように新之助の表情がまさにそれだ。おっかなびっくりといった具合にフランを見つめてはいるが表情が緩んでいる。

 一方のフランはというと、機嫌の悪かった先程とは違い、目を細め、満面の笑みで新之助を見つめている。透き通るような赤い瞳は細められてつぶされてる。更にその反動で赤い色素が押し出され、頬に達して赤く染める。

 大勢に人の注目の的なのだ。いくらフランでもやはり幾分かの気恥ずかしさがあるのだろう。

 だがフランはたじろく新之助の袖を指でつまんで逃がさない。更には新之助を仰ぎ見ながら「お、思い出した?」と首をかしげながら一言。

 フランはただ単に新之助に口付けをしたわけではない。新之助にした口付けをした場所。それはパーティがあった夜、フランが悪戯にした小悪魔な口付け。それと同じ場所だった。

 永琳に聞いた、失った記憶を取り戻す方法の一つ。心に残った強い印象を再び与える事で思い出す、という治療法だ。

 これで記憶を取り戻し、ハッピーエンド、ドラマや物語ならばその流れなのだろうが生憎これはその類ではない。そして新之助は記憶喪失ではないのだ。

 

「お、思い出すって……何を?」

 

 当然、新之助は思い出すわけがなく、更にそんな新之助の的外れの台詞でせっかくのいい場面がぶち壊しだ。

 周りの野次馬も興ざめとばかりに歩を再び進め始める。天に掌を向けてやれやれと首を振る向かいの店の店員達もいる。

 

「思い……出さない……?」

 

 そのドラマのワンシーンから徐々に抜け出していく野次馬達と同様に、フランの手からも新之助の袖が解放される。

 分かりきっている事だった。歴史は改ざんされたのだ。普通の方法では戻らない。

 フランには分かっていなかったらしい。これで戻るだろうと軽く考えていたのだろう。みるみる内にフランの表情が曇っていく。期待が大きければ大きい程、落差は大きい。

 フランの前髪が徐々に曇った表情の上から覆い隠していく。更に口に含んでいる飴玉はカラコロカラと不機嫌に音を立てている。

 永琳の教えた方法が災いしたのだ。小さな拳は強く握られ、小刻みに震えている。前髪の隙間から見える紅の瞳は先程よりも真っ赤に燃え、そして鈍く光っている。

 

「なんで思い出さないの?」

 

 もはや手段、手法の良し悪しではない。それを通り越し、口付けまでしてやったのになぜ思い出さないのかという怒りがフランの内に芽生えてしまった。

 先程の明るい、期待で満ちた声とは打って変わり、低く不機嫌な声。俯いたままのフランの顔は分からない。分かるのは不気味に開いたり閉じたりする可愛らしい唇だけ。

 

「え?」

 

 今のフランの声は消えそうなくらいに小さい。新之助は慌てて聞き返すがフランの返答はなかった。代わりにとばかりにフランの独り言が続く。

 

「あの時……に……あげたのに」

 

 フランの声が小さく、新之助には上手く聞き取ることが出来ない。更に言っている事も分からないではどうしようもない。分かる事はフランの機嫌が悪くなったという事だけ。

 だがいつまでもこの調子では何も変わらない。相手の言う事はしっかり聞いて理解し、行動する。新之助は曲がりなりにも酒蔵の当主なのだ。フランやレミリア、霊夢をかばったような命を張る啖呵も切った男だ。見た目軟弱の、ただ優しいだけの男ではない。

 だからフランの真意を確かめようと新之助が口を開く。

 

「フランちゃん、一体何を言って――」

 

 必死にフランの言葉を聞き取ろうとする新之助の言葉が不気味な音に遮られた。同時フランの顎が上下する。

 それは先程まで口の中で転がしていた飴をフランが噛み砕く音だった。

 ガリゴリゴリと硬いものを砕いてすりつぶすような音。フランの歯によって出される飴を砕く音はとても不気味で、更にフランの可愛らしい顔立ちから奏でられるその音はどこか神秘さを感じられる。それは神々しいものではなく、悪魔のように禍々しいもの。悪魔が骨だけになった人間の頭を噛み砕くようなそんな音だ。

 先程とは逆の意味で周りの視線を吸い寄せてしまった。

 目の前の新之助の口にはもう、堅牢な錠前がぶら下がってしまって開く事はない。

 

「何で……思い出さないの?」

 

 もちろんそんなことを問われても新之助が答えることが出来るわけがない。答えることの出来ない質問は上等な錠前に他ならない。更にその鍵はフランの手の中だ。口の開かない新之助にフランは疑問を浴びせかける。暗く低い声で、新之助を威圧するように。

 新之助は何とか飲み込んだその唾で喉で返事する事がやっとの様子。

 

「パーティに行ったでしょ? ……その帰りにキスしたじゃない……なんで覚えてないの?」

 

 畳み掛けるようにフランの言葉が続き、一歩新之助に歩み寄る。前髪の隙間から新之助を燃えるような暗い紅の瞳で睨みつけながら。

 永琳に聞いた最後の方法、ショック療法、それを実行せんとばかりに手に持っている日傘が折れそうなくらいに強く握られる。

 

「ねぇ」

 

 フランは今にも飛び掛らんとする獣のように一瞬沈黙した。そしてフランがもう一歩踏み込もうとした時、新之助の目の前にフランとはまた別の紅白が飛び込んできた。先程までワインを噴出してむせていた霊夢だった。フランの過ぎた威嚇に見かねて飛び込んできたのだ。

 今のフランは危険だ。逆上して何をしでかすか分からない。

 霊夢はフランが少しましになったかと思って放っておいたのだが限界だった。このままでは大惨事になりかねない。フラン引率の身の霊夢としては事を荒立てたくは無いのだ。

 だからその為に、二人の間に割って入るや否や、この場が丸く収まるに値する一言を新之助に言い放つ。

 

「新之助さん。これは連ドラにあった台詞よ」

「……連ドラ?」

 

 フランがかけた錠前は二人の間に誰かいては成り立たない錠前だったらしい。ここに来てフランの間に入ってくれた霊夢のおかげで、新之助の口にぶら下がった錠前が外れたようだ。

 そしてどうやら霊夢はこの非日常的な場面を、どこかのドラマのワンシーンとし、それただ真似しただけ、と言う事にしたいらしい。それでごまかそうというのだろう。

 

「そうっ、この歳の子はすぐに影響されるから。全く、困るわよねぇ」

 

 更にフランの見た目は霊夢の言う「この歳の子」にぴったりだ。慧音も言ったように人間の頭は寛容に出来ている。これには新之助も周りの野次馬達も納得せざるを得ないだろう。

 そしてこのような非日常を日常に変換するのに、あまり時間は掛からなかった。

 

「なぁんだ、そうだったんだ、あははは」

「おほほほ」

 

 霊夢は笑ってごまかしているが、ひとしきり笑った後、愛想笑いの仮面のままフランを見下ろし睨みつけていた。

 「下手なことをすれば殺す」とでも言いたげな霊夢の表情。

 今のフランでは霊夢に勝ち目はない。能力は全てリングで封印されている。

 だがフランには反省する様子もなく、しかしそんな霊夢が怖いのかそっぽを向いて口を尖らせる。

 まるっきり子供のようなフランだが、次の霊夢の一言でその顔が子供とは思えないほど引きつった顔になってしまう。それはフランが一番恐れることだろう。

 

「さて、そろそろ帰るわよフラン」

「え?」

 

 それは新之助の記憶も取り戻せず、尻尾を巻いて帰るということだ。この言葉には顔を引きつらせるフラン。

 しかしこのままではいつフランが爆発するか分からない。せっかく人里から幻想郷を隔離したのに、フランと言う妖怪から人々を、主に新之助を危険に晒してしまう。霊夢としては一刻も早くこの場を離れたい気分なのだろう。

 ただフランは自分がやりたいことが一つも出来ていない。

 顔を跳ね上げて霊夢を睨みつけて一言。

 

「やだっ」

「はぁ? あっ! こらっ!」

 

 新之助とフラン、両方の姿が見えるように横になって割って入っていた霊夢。そして聞き分けの無いフランをたしなめようと思ったその時だった。霊夢の背後をすり抜け、自分を捕まえようとする霊夢の手も回避しながらフランが新之助に向かって走り出したのだ。手に持っていた日傘をかなぐりすてて。

 

「新之助さん! 逃げて!」

 

 霊夢はフランが新之助に殴りかかろうとでも思ったのだろう。

 

「え? うわっ!? フランちゃん!?」

 

 だが結果的に「逃げて!」とは、フランに失礼だ、という事になった。

 フランは新之助にタックル気味に抱きついただけ。殴りはしなかった。しかもそれは、小さな子供が嬉しさを抑えきれず親に抱きつくような強さで、だ。

 

「何で!? 何で思い出さないの!? 新之助は私にメロメロだったじゃない!」

 

 もう後はない。そう感じたのだろう。フランはダイレクトに懸命に新之助に自分の思いを伝えようとする。

 

「め、メロメロ!?」

「そうだよ! あの時だってギュって抱きしめてくれたじゃない!」

 

 フランの細く短い腕は新之助の腰に回されてしっかりと捕まえて離さない。しかしそれは新之助が痛くないよう、抑えた力加減で。霊夢の腕を掴んで危うく怪我をさせそうになってしまった事を覚えているのだろう。現に新之助は平気な顔で、しかし困惑顔だ。

 思いっきり抱きしめたいだろうフランは腕の力を声に変えて、力いっぱい新之助に訴えかける。

 

「一緒に暮らそうって言ってくれたじゃない!」

「フランちゃん」

「思い出してよ! 新之助!」

 

 またドラマのワンシーンのような光景が繰り広げられる。

 しかし先程の、霊夢の一言でこれは小さな子供のお遊戯と化してしまっている。

 周囲の野次馬も小さな子供のお遊戯に興味を持たないようだ。ただクスクスと笑って通り過ぎていく。

 その視点から見ればフランの演技は迫真だ。その演技は演技ではなく本物なのだから。

 迫真の演技をする女優。ならばその相手のはどうすればいいか。決まっている。その女優に負けないくらいの迫真の演技で返せばいい。

 新之助はフランの細く震える肩を優しく掴み、ゆっくり引き放す。そして膝を地面に付き、中腰になって目線を合わせる。膝を付けばフランよりも少し低い視線の高さだ。

 

「お願いだよ、新之助ぇ……思い出して……」

 

 今にも泣きそうな表情で訴えるフランを真っ直ぐに見つめて、新之助は瞬きを一つする。

 何を思ったのかその新之助の表情が不思議な笑顔に変わる。そして

 

「思い出したよ」

 

 と一言。

 これにはフランだけでなく霊夢も唸って驚いてしまう。霊夢と、フランの「え?」が重なって一回だけ聞こえた。

 

「パーティの事もキスの事も何もかも全部」

 

 突如、新之助はとんでもない事を言い始めてしまった。

 まさか思い出してしまったのか。慧音の言うミスマッチがどこかで起きてしまったのか、などと霊夢は思案する。

 

「一緒に暮らそう、フランちゃん」

「新之助……」

 

 フランは嬉しさのあまり今にも涙を流さんと一杯になった目の上に涙と笑みを浮かべている。

 新之助は記憶を取り戻した。あとはそこで儚げに震えている少女の肩を抱きしめてハッピーエンド。となる予定が、やはり現実はそんなに甘くは無い。次の新之助の一言でバッドエンドにはや代わりしてしまう。

 次に新之助の目に飛び込んできたのはフランの目からポロリと落ちた大粒の涙だった。

 

「……へ?」

 

 それは新之助が、フランを抱きしめもせずに言った、心ない一言が原因だった。

 フランは紅の瞳を見開き、そして耳を疑った。

 それを理解するまで数瞬の沈黙を持ってフランはそう聞き返す。

 まさか新之助が、あの優しい新之助がそんな事を言うなんて、と。

 新之助が言った言葉、それは「これであってたかな?」だった。

 それは部下や周りの通行人などから見れば、単に子供のお遊びに付き合ってやる優しい青年だ。新之助に対する部下の評価も上がったに違いない。だがしかし、霊夢やフランから見れば人の心を弄ぶ悪魔に他ならない。

 

「どういう……こと?」

 

 覇気も何もないただの音。怒りや悲しみを通り越すとこういう声になるのだろう。

 吸血鬼だからだろうか、未だに立っていられる事が不思議なくらいにフランの声がかぼそくなる。

 

「連ドラの台詞、違った?」

 

 霊夢の一言があまりにも強い効果をもたらしてしまったらしい。

 形としてはテレビに影響された小さな子供のお遊びに付き合ってあげた優しい青年、という構図になるのだろう。

 

「ち……ちがう……」

 

 フランの声はもう涙声になってかすれていた。

 

「ちがうよ……ちがう……ちがうちがうちがう!」

 

 フランは首を懸命に振って新之助に、自分の言いたい事はそうではない事を必死に訴えかける。

 

「あ、あれ……あはは、ごめんね、ボク連ドラ見てなく――」

「ちがう! ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう!」

 

 必死に頭を振って否定するフランだが、霊夢の一言とその狂ったような行動のせいでその想いは新之助の心にかすりもしない。フランのサイドポニーが悲く空回りするだけ。

 

「ちがう!」

 

 そう、ちがうのだ。根本的に違っているのだ。新之助の違うとフランの違うとでは全く違う。

 フランが言って欲しい台詞はあっている。だが新之助の言う台詞はフランにとっては間違っているのだ。

 

「フランちゃん……」

 

 自分の気持ちを、伝えたい思いを、全て、ありのまま伝える、という事はとても難しい。しかしフランは気持ちだけが先行し、その背景を上手く説明できないでいる。その背景を霊夢にドラマだ何だと塗りたくられたせいで更にそれが難しくなってしまった。

 気持ちが伝わらない怒り、悲しみ、歯がゆさ、それ故の悔しさが更にフランの思いを空回りさせた。

 互いの距離は触れようと思えば触れられる。抱きつこうと思えばいつで、いくらでも抱きつく事は出来るほどに近いのに、その思いは手の届かない所、はるか彼方にある。

 段々「ちがう」と連呼するフランの声は、すぐそこにいる新之助にさえ聞こえないほど小さくなっていた。届かない声をいくら出したところで空しいだけ。

 乱れて揺れていたサイドポニーも、静かな馬の尻尾にささやかな風を当てた時のようにわずかに揺れているだけ。

 そしてとどめとばかりに新之助はそんなフランに追い討ちをかける。

 

「聞いてフランちゃん」

 

 その新之助の声で馬の尻尾は完全に静止する。

 

「今度フランちゃんが来たときは分かるように見ておくね」

 

 霊夢の言葉でもう帰ると予想したのだろう。駄々をこねて帰りたがらないフランを諭すように言い聞かせる。

 

「こん……ど?」

 

 その言葉でフランの脳裏にある言葉が浮かび上がる。

 新之助との「別れ」が近い。

 

「うん。その時はフランちゃんが欲しがっていた赤くて丸い物も探しておくよ」

 

 それはただの別れではなく、今生の別れ。今後一切、新之助と再会する事はない。霊夢と約束した。次はないのだ。

 

「約束するよ」

「グスゥ……ひっぐぅ」

 

 先程の悪魔のような仕打ち、そして残酷なまでの現実。それを突きつけられたフランはリズム悪く肩で息を吸っている。その吸った息で目からは大粒の涙が押し出されて次々と溢れこぼれて落ちてきた。

 

「ふ、フランちゃん!?」

 

 新之助が声をかければかけるほどフランの息は荒くなり、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちてくる。これには新之助もどうしていいかわからず挙動不審だ。

 フランの背後に居た霊夢は、そんな新之助の異変を感じてフランを後ろから覗き見る。すると霊夢は驚いた、と言うよりは顔を引きつらせると言ったほうがいい表情だった。こんな町中で大泣きされてはたまらないのだろう。

 

「あー! やめてよね新之助さん! こんな小さな女の子を泣かすなんて最低よ!」

「え? あ……ごめん」

 

 そう大義名分を掲げ、怒鳴りながらフランを後ろから抱きしめて掻っ攫う。続けて反転し、新之助から遠ざけた。何もかもが上手く行かず、脱力しきったフランは容易に反転することができた。

 その新之助を怒鳴る声には少し憎しみが込められていた。悪乗りし、フランにわずかな光を見せ、寸での所で消してしまうのだから少なからず怒りがわいたのだろうか。

 しかしその「ドラマのワンシーン」と言う種を蒔いたのは霊夢だ。新之助が不憫と言えば不憫ではある。

 霊夢は泣いている子供をあやすように新之助に背を向けた状態で中腰になっている。

 優しい姉よろしく、ハンカチでフランの涙をぬぐってやりながら頭に手を乗せて、小声で新之助に聞こえないように囁いた。

 

「ほらフラン、泣かないの。約束したでしょ?」

 

 泣いたら即帰る。霊夢はそう言った。

 フランは涙がこぼれ落ちないように掌で目を拭いながら「ないでなんが……ない」と言い張っている。強気ではあるがぐしょぐしょの顔でそんな子といわれるとさすがに霊夢も同情してしまう。

 

「フラン……」

 

 霊夢は頭を優しく撫でてやる。

 子供扱いされると嫌がるフランだがこの時ばかりは霊夢の手を払いはしない。というよりもむしろ涙を拭い取る作業で忙しく、霊夢の手を払い除ける作業に移れないと表現した方がいい。

 だがその作業は終わりが見えない。涙はとめどなく溢れ出してくるのだから。

 その終わり泣き作業をいつまでも待てるほど霊夢も気が長いわけではない。更に周りにまた野次馬がたくさん集まってきていた。

 興味深々に覗き見ている部下と泣き喚く子供、といった奇妙な光景。道行く人々も何事かと、また気になって足を止める者が出てきたのだ。しかも二人は巫女服でそれだけでも目を引く。

 騒ぎになり、後で色々聞かれるのも面倒だ。噂は風よりも早く広がる。こんな小さな人里では明日には全体に行き渡るかもしれない。

 霊夢は仕方なく、ため息をついて体を起こす。

 少女を泣かしてしまい、ばつが悪そうに、どうしていいか分からず、頭をポリポリとかいている新之助の方へ振り返る。

 

「新之助さん、こんなわけだからこれで帰るわ」

 

 とフランを掌で示しながら言う霊夢の表情は残念そうでどこか疲れている。

 だが「これで帰る」、その言葉でフランの涙を拭く作業が手から効率のよい腕にスイッチする。

 この機を逃せばもう二度と会う事は出来ない。

 くくり付けられている巫女服の袖でごしごしと目を拭い効率よく涙を拭っていく。後で霊夢に怒られるかもしれないが、そんな事もうどうでもいい。それ程強くこすりつけたら後で赤くなって腫れ上がってしまうだろう強さで拭っていく。

 

「あ、うん……なんかごめんね」

 

 霊夢にすごまれた新之助はすまなさそうな顔をして苦笑いする事しかできない。

 

「新之助さんが謝る事じゃないのよ。ごめんなさいね、怒鳴っちゃって」

 

 霊夢も先程すごんだ事を反省したのか、すまなさそうに笑って軽く謝る。

 その謝罪を霊夢と同じような表情で返した新之助は軽く首をかしげて、霊夢の背後にいるフランの方を覗き見る。

 

「フランちゃんも、またね」

「……」

 

 新之助は涙を拭く作業で忙しいフランに別れの挨拶を投げかける。

 新之助は、今度は「またね」と言った。

「また」、「今度」、これ程フランに辛い挨拶はない。それは今のフランにとって選択不可能な別れの挨拶なのだから。

 霊夢のせいでこんな事になったのだからもう一回行かせてくれ、などと言っても霊夢が連れて行ってくれる可能性はほとんど無いだろう。

 フランも分かっている。新之助の反応を見れば誰でもわかる。フランの様々なアプローチにもかかわらず思い出す気配が無い。

 慧音の「歴史を操る程度能力」は完璧だった。打ち崩す隙は無かったのだ。

 それに何度も人里に来てしまえば何のために人里から幻想郷を隔離したのか分からない。それが代々博麗の巫女が作った幻想郷と人里の理想のシステムなのだ。

 

「ほら、フラン。新之助さんがまたねって」

 

 悲しいことだが、これが現実だ。そしてどんな現実であろうと向き合わねばならない。

 

「……」

 

 だから霊夢も、そんないつまでも同じ作業から次の作業へ進めないフランを、次のステップへ促してやる。その作業は難しい事ではない。ただ単に新之助にされた挨拶を返すだけだ。

 しかし肝心のフランが涙を拭い続け次のステップへ移る事が出来ない。

 

「あんた何のために来たのよ」

 

 フランが霊夢に言った、里に行く大義名分は「けじめ」をつける事だ。後腐れなくお別れを言うために。

 霊夢はフランを前から軽く抱きとめるとくるりと反転する。無理やり前に持ってこられたフランは泣き顔を見られるのが嫌なのか、急いで霊夢に抱きついて新之助に背を向けて振り向こうとはしない。

 

「あんたねぇ……」

「フランちゃん。またいつでも遊びに来てね」

 

 新之助がそう声をかけるとフランはちらりと首だけ回して新之助を伺う。そこにはいつも自分に向けてくれたでれでれとした笑顔ではなく、すまなさそうに笑う新之助が居た。

 

「今度は絶対覚えとくからね」

「……ちがう」

 

 そんな必死の新之助にまた「ちがう」と言う言葉がふってくる。しかしこの「ちがう」は先程の「ちがう」ではない。今度はもう無い、これで終わりなのだ。ここでフランが選ばなければならに言葉は「またね」や「今度」の類ではなく

 

「さようなら……だよ」

 

 だった。

 

「うん、さようなら。またね」

 

 フランは覚悟を決めたらしい。

 新之助との別れの時。

 今生の、別れ。

 その時の新之助の表情は少し明るくなった。

「さようなら」の挨拶をしてくれたから少しは機嫌が直ったのだろう。とでも思ったのだろうか。

 それがフランにとってせめてもの救いだろう。悲しそうな顔より笑顔で送られた方がいいに決まっている。

 

「うぅっ……ざよ……なら」

 

 しかし当の本人の表情はさえない。というよりも泣いている。えずくように、上手く言葉を発せられずに。

 新之助には後味の悪い物となってしまうだろう。

 新之助が笑顔になればなるほど、フランの涙が急速に増加していくのだ。決壊したダムのように大粒の涙が頬を伝ってやがて地面に落ちていく。後は破壊されるダムの轟音がこだまするのを待つだけだ。

 

「じゃ、じゃあそういうことで……新之助さん、さよなら!」

 

 霊夢は大事になる前にフランを担ぎ、集まってきた野次馬を蹴散らせながら一目散に逃げ出していった。

 

「あっ……さ、さよ……なら」

 

 新之助は泣いているフランと、それを担いで逃げる霊夢の後姿を見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

大島酒蔵

 

 夜遅く、大島酒蔵では店じまいをしていた。その店じまいももうすぐ終わりそうと言う頃、新之助は一人廊下に腰を下ろし、フランと祖母がしたように足をぶらぶらさせて、ボーっと空に浮かぶ少し欠けた月を眺めていた。

 

「若ッやりますねぇ! もうお嫁候補みつけたんですかい!? でもあれは流石に早過ぎると思いやすが……いやしかしメンコイ娘でした! 将来が楽しみでさぁ!」

 

 と、後ろから先程の一部始終を見ていたであろう部下が元気の無い新之助に気を使ってか声をかけてきた。

 

「ああ、そうだな」

 

 新之助はそんな部下の方を振り返りもせずにそっけなく一言。

 

「どうしたんですかい? 何だか魂を抜かれたような顔してますぜ?」

 

 するともう一人、先程の事を話していると気付いた部下がやってきた。新之助のちょうど後ろにある柱から顔を覗かせながらそんな事を言う。

 

「あの娘、確かフランドールって娘だっけか?」

「ああ、そうそう、呼子のバイトにそんな名前言ってたな」

「フランドール?」

 

 そういえば新之助はフランのフルネームを聞いては居なかった。すねたフランがわざと教えなかったのだが。

 

「ええ、しらなかったんですかい?」

「え、あ、ああ……」

「なかなか変わった名前ですよえねぇ。髪は金色、目も赤ぇし、どこから来たんだか」

「もしかして妖怪だったりしてなっ」

「かもなっ! あっはっはっはっは」

「あっはっはっは! あんな可愛い妖怪ならいつでも歓迎だべ!」

「お前妖怪なんて見たことあるのかよっ?」

「て言うか妖怪なんて本当にいるべか?」

「どうだかなぁっ」

 

 と、新之助をよそに勝手に盛り上がっている。

 

「お前達、無駄話してないで仕事しろ」

「「あ、はい! すいやせんでした!!」」

 

 その部下達はまた自分の作業に戻っていった。

 

「全く……」

 

 と、新之助は廊下に仰向けで倒れこんだ。こうすると一日の疲れが一気に体を駆け巡り、いい睡魔に襲われるのだ。

 しかし目を閉じても睡魔はやってこず、代わりに天使のように可愛らしかった先程の娘が新之助の頭の中にやってくる。

 

「あの娘は一体……なんだったんだ」

 

 演技とは思えないほどの鬼気迫るあの表情を新之助は忘れられないでいた。

 一つため息をついて目を開ける。と、真正面に天井、右には薄暗い廊下、上には柱、そして左には祖母。

 

「ん?」

 

 と、新之助はいつも見慣れていた物に何か違和感を感じた。何かが一瞬、視界に映りこんだような。

 

「全くはこっちの台詞だよ」

 

 と、その思考を妨げたのは階段から降りてきたばかりの祖母だった。手には何も持ってはいない。その為転びもしないのだろう。今ではフランの呪いも無い。安全だ。

 無事に階段を下りてきた祖母は腕を組んで新之助を見下ろしている。

 

「ばあちゃん」

「何腑抜けてんだい! 油売ってる奴らと変わりやしないよっ! いや腑抜けた雰囲気を出してる分あんたの方がやっかいさね!」

「ご、ごめん……」

 

 新之助は体を起こしもせず、祖母から視線をそらし、また真正面を向いて天井を眺めている。

 

「なんだい、さっきのあの娘のちゅうがきになるのかい」

「ばあちゃん見てたの!?」

 

 だかこれには体を起こさざるをえない。

 

「皆が扉に集まって外見てっから何事かと思ってねぇ」

「はぁ……」

 

 新之助は頭痛がするように顔面を片手で押さえる。部下達が見ていたのは知っていたがまさか祖母まで知っているとは思わなかった。

 これから町中に噂が広がり、友達やら商売仲間に冷やかされる事だろう。そしてそれは身内にまで及ぶのだ。頭が痛くならないわけが無い。

 

「まあ嫁にするなら霊夢さんに言ってもらってきな。もっとも、まだ若すぎる気がするけどねぇ。これだからろりこ――」

「ちがうって! ちょっと考え事してるだけだから、あっち行っててくれよ!」

「イッヒッヒ、何怒ってんだろうねこの子は」

 

 祖母はそう言って茶化しながら退散していった。

 

「はぁ……全くもう」

 

 そして新之助はまた背中を廊下に預け、うなだれるように天を仰ぎ見るのだった。

 

 

 

 

紅魔館

 

 フランが人里へ行った次の日、日も高々になった頃だった。紅魔館にドンドンドンと激しく叩く音が響き渡る。更に女が叫ぶ声が聞こえた。

 

「おいフラン! 頼むからここを開けてくれよ!」

 

 それは魔理沙だった。ドンドンドンと叩く音はフランが居る地下室の、頑丈な扉を叩く音。

 

「やだ! 帰って!」

 

 フランをけしかけた張本人である魔理沙だが、昨日の結果が気になってフランの元を訪れていたのだった。

 しかし困った事にフランは会ってくれないらしい。ずっと「帰れ」との一点張りだ。魔理沙が来てからずっとこの調子だった。

 

「頼む! フラン! 昨日何があったんだよ!?」

「帰ってって言ってるでしょ!」

 

 昨日あった事。それはフランの様子から見ても失敗した事は明らかだ。

 魔理沙は一応咲夜や美鈴からも軽く事情を聞いたが大泣きして返ってきたとの事。それを聞いて詳しい事情も聞かず、フランの所へ飛んでやって来ていたのだ。

 何があったか話してくれれば魔理沙の知恵で何とかなるかもしれなかった。だが取り付く島が無ければどうしようもない。

 

「ならこの扉ぶち壊すぜ!?」

 

 会って直接話しをすれば魔理沙の口の上手さでどうにかできるかもしれない。と思ったのだろう。が、どこからともなく咲夜が現れ、魔理沙の頭をグーで殴りつけるのだった。

 

「いってて……」

「馬鹿な真似はやめなさい」

 

 魔理沙は唸って膝を突いてもだえている。

 その咲夜の拳は魔理沙にただ突っ込みを入れるだけの拳にしてはやや痛かったらしい。

 

「ぐうぅ……何か今憎しみがこもってなかったか?」

「今までの憎しみを全て込めたらあんたの頭は爆発するわよ?」

「……指先一つで秘孔を突くようなことだけはやめてくれよな」

「……成程その手が――」

「ねぇよ」

 

 

 

 

「はぁ~全然ダメだ。フランが会ってくれないぜ……」

 

 紅魔館から外へ延びる屋根付きの廊下。その先には真上にある太陽の完全に光を遮ってくれる大木が。その下にはティータイム用のテーブルが用意されている。

 

「あんたがけしかけたからでしょ」

 

 その机の上にはティーカップが二つ。座っているのはレミリアと魔理沙。その横に咲夜が慎ましくたたずんでいる。

 

「私のせいかよ」

「あんたのせい」

 

 魔理沙は飲み干したティーカップをかじりながら机に顎を乗せ、ブスッとしたまま咲夜を横目で睨みつけている。一方の咲夜はすまし顔でばっさり切って捨てる。

 魔理沙はフランをけしかけた。それが無ければフランがああなる事は無かった。

 と、それは皆承知の事だ。しかしその事で魔理沙を責める物は誰もいないだろう。咲夜も本気で言っているわけではない事は魔理沙だって分かっている。ただフランがああなってしまった事への不満を誰かにぶつけなければ気がすまなかったのだろう。

 当の本人が目の前に居る。そしてそれがあのトラブルメーカーの魔理沙ともなれば不満をぶつけやすくて仕方が無い、といったところか。

 

「その内治まるでしょ。放っておきなさい」

 

 魔理沙が目を向けると、実の姉であるレミリアもすまし顔で紅茶をすすっている。

 この吸血鬼はこんな時に、しかも昼間に日の当たりそうな木の下で紅茶なんかすすっていられるな、と言わんばかりの視線を魔理沙はレミリアに向けてやる。

 葉が風で揺れ、日光が当たれば大やけどだ。だがこの大木の葉の密度は相当な物で、葉の間から木漏れ日が射すことは無いだろう。

 

「アイツはああ見えて頑固だからなぁ。誰に似たんだか」

「全くね」

「……」

「何?」

「はぁ……いや……そうだな、ん?」

 

 と、ここで魔理沙が何かに気付きピクリと首から上だけをもたげる。魔理沙だけでなくレミリアや咲夜も一瞬動きを止める。動いているのは風で舞う木の葉とその影だけ。

 

ガタッ

 

 と、乱暴に魔理沙は席を立つ、と机に立てかけてあった放棄をおもむろに掴む。

 

「それじゃあ、私はそろそろ帰るぜ。またな」

「ええ」

 

 魔理沙は箒を平行にして手を離す。すると箒はそのまま空中に静止した。そこにひょいっとお尻から飛び乗るとクッションのようにいい具合に少し沈んだ。

 そのままスーッと上昇し浮かび上がるとゆっくりと前進し、魔理沙が帽子を手で押さえつける動作を合図に突如爆風に巻き込まれたような勢いで進み、空に消えていった。

 その余韻でレミリアの髪や咲夜のスカートが揺れ木の葉が舞ったのだった。

 

 

 

 

 魔理沙が居なくなり、レミリアと咲夜二人だけとなった静かな木陰。軽く風が吹いて木の葉が舞う。

 大木に繋がる屋根付きの渡り廊下には風に吹かれて木の葉が舞い込んでくる。

 石造りで硬い材質の廊下に木の葉が風に乗って着地した。そのまま風に引っ張られて引きずられ、ズズズと音を奏でている。ある物は転がって、またある物は宙に浮いて木の葉同士で戯れて演奏に興じる。

 ただその音楽隊はいずれも音色が少なく、どこか寂しげだ。夜になれば夜の音楽隊がすばらしい音を奏でるのだが。生憎今は昼でもう秋だ。夏に居た昼の音楽隊はもう居ない。

 

 影となっている大木の下は少し寒いくらいだろうか。

 屋根付きの廊下もそうだ。ひんやりと冷たい廊下に寝そべりたいほど体も熱くは無い。

 寒ければ日に当たればいい。だが吸血鬼であるレミリアには出来ない相談だ。

 レミリアは未だ夏服だった。

 咲夜は軽い毛布でも持ってこようかと紅魔館に繋がる廊下の方を見る、とそこにはこちらを伺う小さな少女が。

 

「妹様っ」

 

 赤い目は俯きがちに冷たい廊下を見つめている。顔を隠そうと、風で色素の薄いサイドポニーが揺れる。

 実は先程フランが出てきたということは三人とも分かっていた。フランは魔理沙に会いたくなかったらしい。だから魔理沙もそれを察してこの場を去ったのだ。

 それは咲夜も気付いていた。しかし咲夜の顔には驚きの表情が見て取れる。

 

「魔理沙は?」

 

 だがこれはフランが出てきたという事に気付いていた、と言う事を隠すための演技ではない。

 

「……魔理沙なら先程帰っちゃいましたけど」

「そう」

 

 見ればフランの服装は昨日帰ってきた時と全く同じ格好だ。着替えもせずにずっと泣いていたのだろう。

 しかし背中には綺麗な七色の羽がくっ付いている。

 霊夢によって羽だけは戻されたらしい。巫女服に穴を開けられてそこからくっ付けられている。羽をやるから泣き止めとでも言ったのだろうか。それともまた神社に来て欲しくないからか。

 どちらにせよその巫女服を脱ぐには羽を切るか服を切るかしなければならない。

 

「それより妹様、そのお顔……」

 

 咲夜が驚いていたのは別にフランが息を潜めて出て来たことがばれていた、という事を隠していたわけではない。

 咲夜が驚いた事、それはフランの顔だった。泣きじゃくった跡がよく分かるように痛々しく赤く腫れ上がっていたのだ。

 フランは咲夜の心配をよそに、俯いて、レミリアの方へゆっくりと歩き出した。

 廊下に吹く風は腫れ上がったフランの顔を冷やして痛みをやわらげる。しかし、舞い上がる木の葉が時折フランの頬を撫でて少し痛いだろうか。

 そんな飴と鞭の廊下を渡りきるとフランはレミリアが座る椅子の横で止まった。

 紅茶をすすっていたレミリアもティーカップを置いて、しかし体は動かさず、目だけをフランに向ける。

 

「たくさん泣いたようね。けじめはつけられたかしら?」

 

 レミリアは昨日の事を霊夢に聞いたらしい。フランはしばらくの沈黙の後疲れたように頷いた。

 

「そう」

 

 フランは顔を俯けたまま動かない。

 何故今フランが出てきたのか。魔理沙が来てくれたのにいつまでも泣いてるわけにはいかない、とでも思ったのだろうか。

 フランはレミリアの所へやってきた。そのフランの意図とは。

 それは実の姉であるレミリアには分かっていた。

 ポンっと不意にレミリアの手がフランの頭に乗せられる。そして優しく撫でてやるレミリア。フランが少し顔を上げるとレミリアは体をフランの方に向けて優しく微笑んでいる。

 

「よくやったわね、フラン」

 

 レミリアが優しくそう言ってやると、フランは少し口の形を笑みに変えた。

 事を成し遂げた後ならば特別な何かを要求しても罰は当たらない。

 フランはけじめをつけた。別れを言った。それが不本意だとしてもそれを成し遂げた。精一杯がんばったのだから。

 だからフランはその一言で勢いよくレミリアに飛びついた。その威力は咲夜も真っ青のすごい威力だった。

 レミリアは椅子から突き飛ばされ、木陰の外へでてしまう。と、いうことはなかった。真後ろにはフランのタックルでもびくともしないような大木があったからだ。しかしその威力を物語るように大木の木が揺れて葉のかすれる音が聞こえてくる。

 レミリアは背後にあった大木に助けられたが全身を叩きつけられてしまった。あやうく紅茶を吐き出すところだ。

 

「ぐっ」

「お、嬢様!」

 

 咲夜は半分錯乱状態で駆けつけるがレミリアの掌を向けられ制止させられる。

 

「ふ、フラン?」

 

 フランは何も言わずレミリアを抱きしめたままだ。自分に甘えてくれるフランが嬉しいのだろう。レミリアは笑ってはいるが段々顔が引きつってくる。

 

「うふふ、フラン……強く締めすぎよ……死ぬっ……死ぬかも……」

「お嬢様!」

 

 フランは新之助にしたよりもきつくレミリアを抱きしめる。レミリアは強烈に締め付けられ、息も絶え絶えだ。

 だが未だレミリアの腕は咲夜を制止している。咲夜は助ける事が出来ない。フランに絞め殺されやしないかと気が気でないだろう。

 レミリアはフランの背中を軽くタップするが力は以前弱まらない。

 

「ちょっと……フラン」

 

 レミリアはフランの顔を見て真意を確かめようとする。八つ当たりなのか、ただ甘えたいだけなのか。

 だがフランは意地でも顔を上げまいと力を入れている。どうやっても表情は伺えない。

 そのフランの肩は軽く震えている。そして続けて鼻水をすする音がきこえた。

 それだけで表情ならずもフランの意図がうかがえるというもの。

 

「フラン……」

 

 咲夜を制止している手を下げたレミリアは「ええい」と言う可愛らしい掛け声で、そのままフランを力の限り強く抱きしめてやる。

 それが強すぎたのか、フランも少し唸って苦しそうだ。

 互いに互いを抱きしめあう。その包容は互いの体温を強く感じられる程にきつい。

 レミリアの力一杯の包容がしばらく続く。と、次に聞こえてきたのは唸り声ではなくフランの可愛らしい寝息だった。

 

「……寝ちゃいました?」

「ええ」

 

 大きな木の下で、レミリアのお腹の上に顔をうずめたフランは眠ってしまったようだ。

 夜通し泣いていたのだろう。泣くと言うのはとても体力を使うものだ。

 少し寒いこの場所で、暖かい枕に大好きな匂いがあればそれは眠たくなると言うものだろう。

 

「そういうことか」

「そういうことよ」

 

 そこへ上から声が聞こえてくる。それにレミリアは顔の向きも変えずにそう答えた。

 

「あんたにこんな顔見られたくなかったんでしょうね」

「ふふっ、モテる女はつらいわね」

 

 家族になら晒してもいい。しかし大好きな友人には見せたくない顔、と言うものがあるのだろう。そしてフランにとってのそれは魔理沙だった、という事だ。

 

「こんな子供にモテても何も嬉しくないんだがな」

 

 と、言う魔理沙の顔はどこかほっと一安心していて、更に少し嬉しそうだった。

 魔理沙は空気を読み、一言「謝っておいてくれ」と伝言を残してまた空に消えていった。

 

 

 

 

 咲夜はレミリアのお腹に抱きついて眠っているフランを恍惚の表情は見せず、優しい表情で見ている。全く、仲のよい姉妹だ。などと考えているのだろうか。

 レミリアも自分に抱きついてくれているフランが嬉しいのか、軽く頭を撫でてやっている。

 そして戦争の火種となった七色の羽についている、綺麗なランタンも手にとり、ポロリと水をこぼすように落として弄ぶ。

 そんな光景を見て、咲夜の表情が段々と険しくなっていく。そしてふと、こんな事をレミリアに問いだした。

 

「妹様は……成長されましたよね?」

 

 その問いにレミリアは目を細めて咲夜を見る。咲夜の表情を呼んで何故今そんな事を聞くのか、探っているようだ。

 フランは一ヶ月の間ずっと人里にいた。無事に元気に返ってきたと思えば宴会の夜のような事が、沈んだと思えば意気揚々と人里に出向き、今度は大泣きして返ってきた。

 そして現在、レミリアの腹に抱きついて眠っている。

 慌ただしいスケジュールを終えてようやく落ち着いた感じだ。

 ただ咲夜はどこか成長していると感じていた。しかしそれは「どこが?」と問われれば困ってしまうくらいに何も言えないくらい。

 今のフランは悪魔と言われた面影はどこにも無いくらいに可愛らしい寝顔で眠っている。

 しかし本当のところ何がどう変わったのかよく分からない。

 だから不安だった。その不安をレミリアの口から聞く事でかき消し、確信に変えたい。咲夜はそう考えていた。

 

「どうかしら」

「え?」

 

 だがレミリアの口から発せられた第一声がこれだ。咲夜の不安を解消するどころか、煽って波風を立てるようなことを言う始末。

 

「私には前より甘えん坊になったように感じるけど?」

 

 眠っているフランを抱きしめながら、天使のような寝顔をお腹で感じてそんな事を言う。そのあやふやで、どちらかと言えば悪い結果の答えに咲夜は少し吹き出してしまう。更に「そうですね」と一言付け加えて。

 以前の情緒不安定のフランからすればそれはきっとそういうことなのだろう。

 

「それにしても綺麗な羽ですね」

 

 その流れで先程レミリアが弄んでいた七色の羽に咲夜が何気なく話題を振った。

 

「そうね」

 

 フランの背中にくっついている羽。キラキラと七色に輝く美しい羽だ。

 霊夢に包丁をゴリゴリと擦り付けられてくすぐったそうにしていた羽をレミリアはひと撫ですると「ううん……」とフランが体を少しひねって寝返りを打つ。

 フランは少しこそばゆかったのだろう。レミリアと咲夜はそんなフランを見てクスクスと笑っている。

 とても緩やかで穏やかな時間だ。

 

「そういえば、あなたに前話したわね。フランの七色の羽が人間達にどう思われているか」

「え? あ……はい、えと、不吉の象徴だと」

 

 穏やかな雰囲気の中、突如レミリアが以前の話題咲夜に持ち出した。咲夜も一瞬気後れしたものの、記憶の引き出しを探り当て、慌てて返事をする。

 

「じゃあ私達、つまり吸血鬼からは、どう思われていたと思う?」

 

 レミリアはフランの瞼に掛かっている前髪を、腫れた部分に当たらないように優しく撫でて払いながら問う。

 

「え、ええと……そうですね……神様の使い、とかですか?」

 

 レミリアは以前、突然変異で指が六本生えている子供を神様の使いだ、という例を出した事がある。それになぞらえて神様の使いなどと言ったのだろうがレミリアにはお気に召さなかったらしい。

 

「無様な答えね。あなたのボキャブラリーの無さには呆れてものが言えないわ」

「ひぅ……」

(これは燃える方かしら? それとも燃えない方なのかしら?)

(ああ……これは私をゴミとしてみてますね……でもそんなお嬢様も素敵です!)

 

 そんなレミリアのゴミを見るような目と、思わぬ酷い返しに咲夜は縮こまって小さくなってしまうしかない。

 

「でもいい線はいってるわ。良しとしましょう」

「は、はぁ……」(ならなぜあんな仕打ちを……でもそんなお嬢様も素敵でいらっしゃる)

 

 そんなレミリアに反発し少し大きくなった咲夜は

 

「そ、それで答えは何なのでしょうか?」

 

 まさか自分で調べろ、なんて言わないだろうなと、怖気づきながらも恐る恐るレミリアに聞いてみた。

 レミリアはフフと笑って咲夜からまたフランに目を落とす。その落とした先は七色の羽だ。

 

「希望の光、ですって」

「それはまた……ファンタスティックな。て言うか人間とは全く逆ですね」

 

 人間の不吉の象徴という否定的な呼称に比べて吸血鬼それは全く逆だった。

 その咲夜のもっともな答えと、少しでもボキャブラリーを広く見せたいためにそんな事を言った咲夜がおかしいのとで、レミリアはまたクスクス笑って「そうね」と一言。

 そして更にレミリアは口を開く。

 

「昔、ある詩人がいてね」

「吸血鬼に詩人……ですか?」

 

 吸血鬼に詩人。その似つかわしくない二つの言葉に咲夜は首を傾げてしまう。

 

「吸血鬼なんて血を吸ったり光が駄目なだけで考え方や美学なんてほとんど人間と同じなのよ」

「そうですか、それでそんな発想がでたのですね」

「いいえ、それは吸血鬼の性質から、ちゃんと論理的な流れで行き着いた例えなの」

 

 咲夜は分けが分からず首を傾げてしまう。そこでやっとレミリアは咲夜のほうに少し顔を上げて一つ問うように話を進める。

 

「私たち吸血鬼は太陽が苦手でしょ? でもそんな死と隣り合わせの太陽の光に皆憧れるの。吸血鬼の中には死に際に一目太陽を見たいなんて人もいるくらい」

「へ~なんでですかね」

 

 ウンウンと頷いていた咲夜だが、これには分からずまた首を傾げてしまう。

 

「それは綺麗だからよ」

「え?」

 

 レミリアの答えはとても単純でありふれたものだった。咲夜は疑問が疑問を呼んで分けがわからないという表情。

 

「言ったでしょ? 価値観なんて皆同じよ」

「は、はあ……」

「七色と言われて連想するものは何?」

 

 咲夜は先程のこともあり、しかしいいひねりが浮かばないので恐る恐る「虹」と言ってみるとレミリアは少し笑って「よくできました」の一言だった。

 

「そう、虹なのよ。虹って太陽の光が分散されて見えるものらしいの」

「はい。ああ、だから」

「そう、七色は虹を示し虹は太陽の光を示す。太陽は私たちにとっては害。でもそれさえ平気で居られれば……」

 

 レミリアは今度は顔を完全に咲夜に向ける。その顔はとても笑顔で心底楽しそうな表情、

 

「すばらしいと思わない? もし太陽の光と吸血鬼が共にあるのなら、吸血鬼は人間と同じ自由を手に入れることができる」

 

 とても楽しそうな声調で咲夜に話しかける。レミリアには珍しく少し高揚しているようだ。

 

「人間も吸血鬼も無い、ただ共通の生物として。フランやダリスが望んだような」

 

 ここでレミリアは言葉を切ってしまう。更に高揚していた自分を恥ずかしがるように俯いて、またフランに視線を落とす。

 

「……だからその詩人は、フランのような七色の羽を希望の光と呼ぶの」

 

 そう言うレミリアの表情には笑みがこぼれていたが、それと一緒に寂しげな笑みもわずかに混ざっていた。

 

「いつか」

 

 不意に言葉を放つ咲夜にレミリアは思わず顔を上げてしまう。

 

「いつかそうなれればいいですね」

 

 自分を見上げるレミリアにそんな事を言い放つ咲夜。その表情はとても穏やかで、レミリアに微笑みかけている。その光景は全く、主従関係でありながら夢を語る子供を温かく見守る母親のようだ。

 レミリアの語る理想はあまりにも困難で厳しい現実が付きまとう険しい道だ。だがその道を行く者の安全を祈願してくれる者が居れば、しかもそれが人間ならば少しは希望が見えるかもしれない。

 その咲夜の言葉でレミリアの顔にこぼれていた寂しげな笑みはもうなくなっていた。

 

「どうかしらね。でもこの子なら……いつか」

 

 少し強い風が葉を揺らして枝を揺らして木を揺らす。

 

「以前私は言ったわね」

「え?」

 

 枝から木の葉が引き剥がされ空を舞う。

 

「この子の事を守る事を謝罪だって」

「そう、ですね。でもそれは」

 

 そして舞った木の葉は自然の摂理によって落ちてくる。

 

「ええ、だからこの子を守るという事はもう止めようと思うの」

「え……で、ではどうするので?」

 

 その時、フランの寝顔、柔らかそうな頬にまだ青さが残る落ち葉が舞い落ちた。

 

「これから私は……この子をものすごく」

 

 そして少し強い風がまた吹いて、その落ち葉を舞い上げる。

 

「甘やかしたい」

 

 落ち葉は空高く舞い上がり、更に強い風に吹かれて上がり、太陽の中へ消えていったのだった。

 

cast

 

■幻想郷

フランドール・スカーレット

レミリア・スカーレット

十六夜咲夜

パチュリー・ノーレッジ

紅美鈴

博麗霊夢

霧雨魔理沙

八雲紫

八雲藍

八雲橙(名前or描写のみ)

四季映姫

小野塚小町

西行寺幽々子

魂魄妖夢

射命丸文

犬走椛

八意永琳

鈴仙・優曇華院・イナバ

上白沢慧音

藤原妹紅

アリス・マーガトロイド(名前or描写のみ)

チルノ

大妖精

リグル・ナイトバグ

 

・忘れ去られた住人

小悪魔

 

■人里

大島新之助

小島雄大

祖母

町長

子供達

その他の皆

 

■回想

ダリス

アイリス

 

 

■脚本・スナイパー

天澤星次

 

■原作

ZUN(東方Project)

 

・・・

 

・・

 

 

 

 

 

 

 天高く舞い上がった木の葉は嘲笑うように、今まで自分を縛り付けていた大木を見下ろしている。自由になった木の葉は風に吹かれて自分の道を進んでいく。風と戯れながら、ひらりひらりと回って揺れて。

 やがて自然の摂理によって、最後は地面に落ちるだろう。

 それが自然な流れであり、木の葉の運命である。せっかく自由になったその身はすぐに朽ちてしまう。

 ひらひらと風に弄ばれながら、くるくると舞い落ちてきた木の葉は地面に、

 

 パキッ

 

 落ちはせず、運命に逆らい、途中で砕け散った。

 

「ふう……」

 

 美鈴の手の中で。

 そんな勢いでは埃すら飛びそうも無い、力の無いため息をついて。

 蟻一匹追い払えそうに無い表情の頼りない門番。それもそのはずだ。昨晩、いつも元気に悪さをする悪魔のような天使が大泣きしながら帰ってきたのだから。

 

「浮かない顔ね」

 

 顔を上げるとそこには昨日フランを担いでやってきた霊夢が居た。

 

「霊夢さん……」

「寝てても起きてても、あんたはろくな顔しないわね」

 

 そして起きている時にはこうやって憎まれ口を叩いてくる。

 

「はぁ……しょうがないでしょう? 妹様があれほど大泣きして返ってきたんですから」

 

 だが美鈴は反抗もせず、ただ流れに身を任せるようにそう言うだけ。

 

「寝ててくれていた方よかったのに……なんでこういう時だけ起きてるのよ。全く、面倒くさいわねぇ」

「こういう時ってどういう――」

「ん?」

 

 美鈴が何かに気がついた。それに霊夢も気付くと面倒くさそうな顔でため息をする。

 

「あ、あの……そちらの方は?」

 

 霊夢の背後、そこには魔理沙と文がニヤついて付いて来ていた。

 だが美鈴が見つめているのはその後ろ。

 

「え? ああ」

 

 手にはフランが忘れて帰ったレミリアの日傘。

 

「ええと……」

 

 逆の手には赤くて丸い、林檎飴が一杯に入ったかご。

 

「紹介するわ」

 

 それは大島酒蔵のとある場所に、とある悪魔がした天使のような悪戯が原因だ。

 

「こちらは――」

 

 それはさながら、小さな悪魔の天使なメッセージだった。

 

 

 

 

木造の柱

 

シンノスケ 10

フランドール 

 

 

 

 

「フランは成長するのか?」

 

 




第二話に出てきたあの文字の下、第十六話で暇をもてあましたフランがいたずらに書いたものですね。

その後、フランと新之助がどうなったのか……

ご想像にお任せします。





どうもこんにちは。天澤星三です。

以前のものからかなり改稿しているので改悪になっていたら申し訳ないです。

そして移転を希望して下さった方、ありがとうございます。

この嬉しさは今までで一番だったかもしれないです。

加えてお気に入りをしてくれた方や良い評価を下さった方にも感謝の気持ちで一杯です。

一度完結した作品とはいえ思わず舞い上がってしまいました。

更に感想を下さった方、更新毎に下さった方、本当にありがとうございました。

とても励みになり、改稿とはいえモチベーションを保つことが出来ました。


最後にここまで飽きずに読んでいただいた読者様、お疲れ様でした。そしてありがとうございます。

この作品を楽しんでもらえたなら幸いです。

楽しめなかった方々には申し訳なかったです。


これにて「フランは成長するのか?」の幕を下ろさせてもらいます。

ではでは~ノシシ


2010年12月 なろうで連載開始
2011年12月 完結
2012年08月10日 ハーメルンへ移転&改稿開始
2013年03月04日 移転完了


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